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海援隊烈風録
二宮隆雄
目 次
第一章 咸臨丸
第二章 脱藩浪人
第三章 神戸海軍操練所
第四章 亀山社中
第五章 海援隊
第六章 明治維新
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第一章 咸臨丸
安政《あんせい》七年(一八六○)一月。早朝の浦賀《うらが》を船出して、真冬の安房《あわ》の海に乗り出した咸臨丸《かんりんまる》は、霙《みぞれ》まじりの強烈な大西風《おおにしかぜ》をうけて、左右にはげしく揺れ傾《かし》いでいた。
アメリカをめざす咸臨丸は三本マストで、百馬力の推進力をもつ洋式蒸気船である。千石船を見慣れた日本人の目には、黒い船体の咸臨丸は頼もし気に見える。だが真冬の烈風が吹きすさぶ太平洋では、わずか三百|噸《トン》の咸臨丸は木片《きぎれ》と同じであった。山を思わせる波濤《はとう》が船べりを乗り越え、白い滝となって甲板を流れていく。
風下側に大きく傾いた咸臨丸の救命船《バツテラ》が、波濤に流されはじめた。オランダ製の広い鍔《つば》のついた防水帽子をかぶり、木綿の筒袖《つつそで》と股引《ももひき》で身をかためた大男が、滝のように甲板を洗う海水に流されまいと、四つん這《ば》いになって救命船ににじり寄っていく。
甲板の揺れは激しく、打ちかかる波濤で容易に前進できない。甲板で苦闘するのは六尺(約一・八二メートル)を超える巨躯《きよく》の水夫であった。
つぎの瞬間、大うねりが咸臨丸に襲いかかり、男は船べりまで跳ね飛ばされた。
「この大嵐め」
命綱でかろうじて体を支えた男は、四つん這いのまま口惜しそうに呻《うめ》いた。
口中の海水を吐き飛ばし、波濤が白く洗う甲板に、ふたたび体を起こした。必死に救命船に這い寄り、ロープを締め直すべく右手を伸ばした。
そのとき船べりに襲いかかった三角波が、白い水柱となって噴き上がり、男の体を押し流した。大量の海水を頭から浴び、四つん這いのまま、男は激しく海水を吐いた。
「気をつけよ。波に流されるな」
船べりにロープで体を縛りつけたもう一人の男が、大声を飛ばした。だがその大声は、凄《すさま》じい風音にかき消されて、甲板を這って作業する男の耳まで届かない。
波濤を頭から浴びて作業している男は高次《たかじ》といった。二十六歳の高次は、瀬戸内海の急流を切りわける塩飽《しわく》諸島生まれの漁師で、荒海に滅法強く、艪漕《ろこ》ぎで鍛えた赤銅色の体の筋骨が、並外れて逞《たくま》しい偉丈夫である。
だが冬の太平洋に船出して度肝を抜かれた。いままで経験したことのない大嵐が咸臨丸に襲いかかり、生まれてこのかた船酔いなどしたことのなかった高次も激しく吐いた。吐く物がなくなると、苦い胃液が喉元《のどもと》につき上げてきて、あまりの苦しさに船室をころげ回った。このようにぶざまな姿を船上に晒《さら》したのは初めてである。だが頑強な高次の体はなんとかもちこたえ、嵐の甲板で仕事をはじめたのである。
高次に呼びかけた男は中浜万次郎《なかはままんじろう》であった。咸臨丸ではジョン万次郎の名前で通っている。三十三歳の万次郎は、咸臨丸の通弁(通訳)主務である。十五歳のとき土佐沖で漂流してアメリカに渡り、マサチューセッツ州のバートレット校で航海術を学び、大型捕鯨船に乗り組んで、喜望峰まで航海した筋金入りの船乗りであった。その万次郎でさえ体を命綱で船べりに縛りつけて、甲板に立っているのがやっとという大時化《おおしけ》にみまわれていた。
命綱を長くした万次郎が甲板を這ってきて、高次の体を抱き起こした。嵐の甲板で働く男を守るのは、一本の命綱だけである。
「高次よ。大丈夫か」
「ああ万次郎さん。わしはなんとしてもバッテラの綱を締め直してやる」
「この大嵐じゃ。外海《そとうみ》に慣れぬおんしは、まだ無理をしてはならぬ」
「いいや。わしが働かねば、日本人乗組員は役立たずと嗤《わら》われる。こげな嵐に負けてたまるか」
「それだけの気力があれば大丈夫じゃ。だがくれぐれも命綱の結びが緩まぬようにせよ」
海が白く吠《ほ》え、大うねりが咸臨丸に襲いかかってくる。咸臨丸には九十六人の日本人が乗り組んでいるが、浦賀を出港して大時化の海に乗り出すや、艦長の勝麟太郎《かつりんたろう》は船酔いで倒れて船室から出られず、航海士官も船室で倒れ込み、水夫の大半も同様であった。
万次郎が歯がみするように呟《つぶや》いた。
「この大嵐でははよう帆をたたまねば、咸臨丸といえども転覆《かえ》る。日本人水夫が役に立てば、もっとはよう帆がたためるのに」
「すまんことです」
海水に濡《ぬ》れしぶいた顔を、悔しそうに右手で拭《ぬぐ》った高次は、マストを見上げた。巨波《おおなみ》に飲み込まれそうに大きく傾いたマストに、強風で破れた帆をたたもうと、アメリカ人海兵八人が登っている。危険な夜間帆走に入る前に、小さなに荒天帆《ストームセイル》縮帆《リーフ》しておかねばならない。だが甲板にもマストにも、日本人水夫の姿は一人も見えない。
高次が救命船《バツテラ》のロープに手を掛けたとき、船体が大槌《おおづち》で叩《たた》かれたように振動し、メインマストから海兵の一人が落下した。転落をその目で目撃した高次の体に衝撃が走った。海兵は甲板に叩きつけられて死ぬか、荒海に落ちて溺死《できし》する。
だが海兵は危機一髪で命綱に吊《つ》り下げられ、体が振り子のように左右に振れまわっている。海兵は必死に体勢を立て直した。左右に揺れる反動を使って、マストの支え索《ステイ》に手を伸ばし、縄梯子《なわばしご》をよじ登ってついに危機を脱した。
大時化のなかでマストに登ることすら及びもつかないのに、転落しながら自力で危機を脱したアメリカ人海兵の勇気あふれる海技《わざ》に、高次はただ肝をつぶして見入るしかなかった。
海に夕闇がせまっていた。真冬の厚雲に黒く覆われた空が、暮れなずむ暗い水平線に低く接して、白い奔馬の鬣《たてがみ》と見まがう白波が、海一面を駆け走っている。
高次はロープを握りしめたまま、操舵室《そうだしつ》に向かう万次郎の後姿を見送った。咸臨丸の上甲板にある操舵室では、航海の指揮をとるアメリカ海軍のブルック大尉が、羅針盤《コンパス》から目を離さず、二等航海士が血走った目で、舵輪《ラツト》を握りしめているはずだ。
ブルックは背が高く、面長の顔が黒髭《くろひげ》におおわれた男で、アメリカ海軍でも指折りの有能な船長であると万次郎から聞かされていた。十五歳で海に出て、太平洋を幾度も横断し、航海歴は二十年を超える。その経験豊富な船長として知られるブルックでさえ、非常事態のための「総員《オール》|掛り《ハンズ》」を発令して、咸臨丸を大時化から守るのに必死であった。
高次は必死に救命船の綱を締めながら、もし日本人だけで、この咸臨丸を航海させていたら、いまごろは嵐の海に沈んで御陀仏《おだぶつ》だったと肝を冷やした。本心をいえば水夫部屋に逃げ帰り、頭から布団をかぶって寝ていたかった。だが懸命に働く万次郎とアメリカ人海兵を見ていると、日本人の面子《メンツ》にかけても嵐に立ち向かわねばならない。
高次は海水を頭から浴びながら、やっとのことで仕事を終えた。甲板を這って万次郎のいる操舵室ににじり寄り、扉を開けた。
「万次郎さん。バッテラが波に流されぬように、舳先《へさき》と艫《とも》(船尾)の縄を、四重に結びました」
「それはようやった」
びしょ濡れの高次は海水を吐き飛ばして、防水帽子をとった。高次の顔は黒く汐焼《しおや》けしたあばた面である。濃い眉《まゆ》と大きな眼、ぶ厚い唇のいかつい顔だが、笑うと目元に笑い皺《じわ》ができて愛嬌《あいきよう》がある。
「つぎの仕事がある。わしについてこい」
「そのまえに万次郎さん。腹が減りました。なにか食い物はないですかのう」
嵐の中で仕事を成し遂げた満足感からか、急に高次は空腹を覚えた。
「腹が減ったなら、この餅《もち》を食うちょけ。しばらくは腹の足しになるきに」
「ありがたい。こげな寒いうえに、腹が減っては辛抱たまらんです。それでつぎの仕事はなんですか」
「ここからサンフランシスコまで九千七百マイルもある。嵐の海を乗り切るために、アメリカ人で当直を二直制にして、ブルック船長が指揮をとらねば咸臨丸は沈没する。そのことを勝艦長に伝えるんじゃ。そのあとで働ける日本人水夫を探さねばならん」
いま現実に咸臨丸の指揮をとっているのはブルックだが、咸臨丸を嵐から守るために、アメリカ海軍の規律として、一時的な指揮権の交替の許可を、形だけでも艦長の勝からうけねばならないと万次郎は説明した。
高次は固くなった餅を噛《か》みしめながら、万次郎の後につづいた。
高次は二十一歳のとき、長崎の海軍伝習所の水夫に選ばれて、都合二回にわたって洋式軍艦をオランダ人から二年間学んだ。子供のころから海に出ていた高次は、長崎の海軍伝習所でさらに大きな航海への自信をもったが、冬の太平洋の荒れ方は桁違《けたちが》いであった。
太平洋を熟知しているブルックでさえ、出港をためらった真冬の太平洋である。夏は海から心地よい黒南風《くろはえ》の順風が吹き込む日本の太平洋岸も、冬は猛烈な北西風が吹き荒れて、南極に近い|吠える四十度《ローリング・フオーテイ》(緯度)、南米大陸南端の|荒れ狂うホーン岬《クレージイ・ホーン》とともに、世界中の船乗りに恐れられた海の難所である。
その真冬の太平洋に乗り出した日本人乗組員は、たちまち船酔いで総倒れになった。高次も七転八倒の苦しみを味わったが、二日目でどうにか立ち直った。そのとき両刀を差した侍姿の万次郎を見た。万次郎は咸臨丸の航海士官でもないのに、船酔いした日本人水夫の部屋を覗《のぞ》き、大声で職務を遂行せよと命令している。万次郎のことをよく知らない高次は、一方的に命令する万次郎に強い怒りを覚えた。
「アメリカ人の手先になりおった日本人めが。覚えておれよ」
さらに癪《しやく》にさわったのは、万次郎がアメリカ言葉で海兵と話していることだった。日本人が船酔いになって倒れたのをいいことに、日本人乗組員の無能さをアメリカ人と嘲笑《あざわら》っているのだと思った。体さえいうことをきけば、高次は万次郎を殴り飛ばしたかった。
だが甲板に這《は》いつくばって嘔吐《おうと》する高次がよく見ると、万次郎の働きは並みではなかった。アメリカ人海兵と大きく傾くマストに登って帆をたたみ、甲板に降りて帆綱の調整を懸命にしている。海水が流れ込むハッチ扉をきつく閉め、嵐の中でも休まずに働きつづけていた。高次は咸臨丸を守ろうとする万次郎の働きを認めた。それから万次郎の指図をうけて、日本人水夫が嗤われないように懸命に働きだしたのである。
高次と万次郎は水びたしの船内に入った。甲板の一段下が日本人乗組員の居住区になっている。大時化《おおしけ》で船酔いした日本人士官はハッチを閉められず、ハッチから流れ込んだ海水が船室に流れ込んでいる。ドアが開け放しの船内を覗くと、日本人士官が盥《たらい》を抱いて血反吐《ちへど》を吐き、汚物にまみれて苦しんでいる。
咸臨丸に部下十人とブルックが乗り組むことが決まったとき、艦長の勝は日本人だけでアメリカまで航海すると猛反対した。勝艦長の強気には理由があった。日本で海軍を育てたいと考えた勝は、幕府が長崎に設立した海軍伝習所でオランダ人から航海術を学び、日本人航海士官と水夫だけで、アメリカまで航海できる強い自信をもっていた。高次もその水夫の一人であった。
だが幕閣は日本人初の太平洋横断航海で、咸臨丸にもしものことがあれば、徳川幕府の面目が丸つぶれになると考え、ブルック以下十一人の海兵の同乗を、内々にハリス公使に打診したところ、咸臨丸のアメリカ派遣に、大きな懸念をもっていたハリスは快諾した。
いままでハリスは、下田と江戸を幕府軍艦で二度往復し、二度とも座礁しかかっている。わずか五十海里の江戸湾航海でも、心もとない日本人の航海技術では、三千海里の太平洋を越えられるはずがない。
こうしてブルック一行十一人の同乗が決まったとき、侍の誇りを傷つけられたと感じたのか、若い航海士官は腰の日本刀を反《そ》らして「あやつらは只《ただ》の便乗者じゃ。咸臨丸で不始末をしでかせば、斬り捨ててやる――」と暴言を吐き捨てた。だが沈没しそうなほど大きく傾いている咸臨丸の甲板に、日本人の姿は高次の他に一人もいない。大時化の海で咸臨丸をアメリカに進めているのは、通弁主務として乗り組んだ万次郎と、ブルック以下十一人のアメリカ人海兵であった。
艦長室にたどりついた高次と万次郎は船内を覗いた。ベッドに倒れ込んだ勝が、死人のように青ざめて苦しんでいる。二人の侍従も床に倒れ込んでいる。勝の世話などできないのは一目|瞭然《りようぜん》であった。
高次はこのように憔悴《しようすい》した勝を見るのは初めてだった。勝は小柄だが、剣術で鍛えた眼光は鋭く、精気ある顔つきをしている。言葉は簡潔な江戸弁で、会話は要点をついている。だが艦長という重責から、寝食を惜しんで渡航準備に励んだために、乗船前に風邪をこじらせた。くわえて勝は体質的にきわめて船に弱かった。
万次郎が形式的にドアをノックして、二人は部屋に入った。
「勝艦長……」
万次郎はそれだけを口にしたが、勝は返事ができない。万次郎は形式的にアメリカ海軍の非常事態の規則を口にした。
そのまに高次は勝の体に毛布をかけて、
「はようよくなってくだされ」
と手拭いで口と喉《のど》を拭《ふ》いてやり、そっと船室のドアを閉めた。
「そろそろ暗くなってきた。船室のランプに火を入れて、青い灯にするきに手伝ってくれ」
夜間航海に入ると、船室から甲板に出たとき、はやく暗さに慣れるために、青いガラスで灯火を覆わねばならない。
波濤《はとう》に傾《かし》ぐ船室の通路で、高次は大きな体を船板にぶつけながら、万次郎とともにランプに灯を点《つ》けて、青いガラスで覆いをした。
「おんしのような男が、十人いてくれると助かる」
ランプの灯を点け終えた万次郎が高次を見た。
「いいや万次郎さん。わしなどは甲板に這いつくばって、縄を結ぶのが精いっぱいじゃ。空から潮が降ってくるような嵐の中で、マストに登って帆をたたむアメリカ人海兵の真似などできぬ」
「それは慣れじゃ。おんしのような男なら、三日もすれば体が慣れて、嵐の中でもマストに登れるようになるきに心配ない」
「そうですかのう」
高次は嬉《うれ》しそうな顔をした。
「ところでおんしらは長崎で、オランダ人からなにを習っとったんじゃ」
万次郎が出港当初から抱いていた疑問を口にした。
「長崎でマスト登りを教わりました」
「そりゃ本当か」
万次郎が怪訝《けげん》な顔をした。
通弁主務として咸臨丸の乗船を命じられた万次郎は、日本人乗組員の航海技術をまるで知らされていなかった。長崎でオランダ人から二年間も航海術を学んでいれば、航海士官も水夫も嵐の海を乗り切れる航海技術を、かならず身につけているはずだった。だがその期待はすぐ裏切られた。
万次郎の不審気な顔を見て、高次が言葉を足した。
「わしらが長崎で登ったのは、出島《でじま》の広場に立てられたマストでした。陸《おか》に立てられたマストなら、どんなに風が吹いても、ぴくりとも揺れなんだ」
「そげんことだと思っちょった」
万次郎は苦笑いをした。
「陸のマスト登りは、アメリカでは初歩教育でやることじゃきに、とても船乗りとはいえぬ。それでよう冬の太平洋に乗り出したものじゃ」
高次は万次郎に、長崎の海軍伝習所でオランダ人が教えた内容は、海上での航海実習ではなく、教室での航海理論が主だったことを話した。実際伝習所での訓練は、この荒れた外海ではなんの役にもたたず、耳で覚えた陸水練《おかすいれん》しかうけていない日本人乗組員は、冬の太平洋で総倒れになってしまったのである。
アメリカの捕鯨船乗りの男たちは、一年間の陸の勉学よりも、三日間の大嵐の航海が海の男を育てると、強い確信をもっている。長崎では三本マストの練習船の観光丸で、航海訓練に何度も出たが、荒れた日には船を動かさず、凪《なぎ》の日ばかりを選んでの航海では、真の船乗りは育たなかった。
それから高次は万次郎と水夫部屋を見てまわった。自分の他に一人でも、体力をもち直した水夫を見つけたかった。
日本人水夫の居住区の惨状も同じであった。ハッチから流れ込んだ海水で、薬罐《やかん》や茶碗《ちやわん》が床の上を転げまわり、着物を入れた行李《こうり》は水びたしになり、出港後なにも口にしていない男たちは、濡《ぬ》れた着物を着たまま震えている。
咸臨丸には瀬戸内海の塩飽《しわく》諸島から、五十人の水夫が乗り組んでいた。高次と同じ塩飽の男たちはかつて倭冦《わこう》として、東シナ海まで漕《こ》ぎ出した塩飽海賊衆の末裔《まつえい》である。豊臣秀吉の朝鮮出兵でも軍船の艪《ろ》を漕《こ》ぎ、航海達者として塩飽衆の名は諸国に知れわたっていた。その中でもとくに海に強い男が、長崎の海軍伝習所の水夫に選ばれて、オランダ人から航海訓練をうけたのち、アメリカに行く咸臨丸に乗り組んだ。
だが塩飽衆が二百五十年間乗ってきた千石船は、大きな一枚帆で遭難しやすく、外洋を航海できる構造ではなかった。外洋に出ることのなかった塩飽の男たちは、烈風が吹きすさぶ冬空を不安気に見上げて、「こげな強いアナジ(北西風)が吹く海に、沖出ししたことはねえ。黒船でも転覆《かえ》るぞ」といって部屋に閉じこもり、船酔いに襲われた。それは高次も同じであった。
だが体がひと一倍強健な高次は、なんとか立ち直って水夫としての仕事をやりはじめたが、部屋に閉じこもった塩飽の男たちを見て、決して臆病《おくびよう》だとは思わなかった。ペリーの黒船が来航するまでの日本人の航海は沿岸航海のみで、船頭が日和(天気)を見て、天候が悪化する懸念があれば、港で天候が回復するまで待つという――つまり日和待ちの航海法であった。長崎でオランダ人に二年間航海法を学んだものの、嵐の海に乗り出しての航海訓練はまるでなく、長年身についた日本人の習慣が、一朝一夕で変わるものではなかった。
二人は水夫部屋の海水に洗われた廊下を歩いていった。咸臨丸の水夫部屋は、出身島ごとに相部屋になっていた。高次の背後から、万次郎が塩飽|本島《もとじま》の水夫部屋を覗《のぞ》いたとき、悪意ある視線が返ってきた。
「なんだ高次。その男は」
本島|泊浦《とまりうら》の大助が、高次の背後の万次郎を睨《にら》みつけた。
「通辞の万次郎さんじゃ」
「夷国《いこく》帰りの穢《けが》れた通辞が、どうしてわしの部屋を覗くんじゃ」
四角い赤ら顔に、大きな団子鼻が目立つ大助は、塩飽本島の頭目格として一目置かれ、大酒飲みだが、厚い胸板をして怪力が自慢であった。出港時は吐いて苦しんだものの、すぐ体力にものをいわせて立ち直った。だが命令を下す日本人航海士官が船酔いになったことに腹を立て、部屋で火鉢を抱えて煙管《きせる》煙草を吸っていた。
険悪なものを感じた万次郎が、高次をうながした。
「高次よ。帰ろう。塩飽衆が立ち直るには、もうすこし刻《とき》がかかる」
万次郎は漁師生まれの低い身分の自分が、アメリカ漂流ののちに幕臣に召し抱えられ、侍身分として咸臨丸に乗り組んだことに、塩飽の水夫が悪意をもっていることを知っていた。万次郎は大助を刺激しないように、視線を外して水夫部屋を後にした。
高次は部屋に帰った。部屋には高次と同じ塩飽|佐柳島《さなぎじま》出身の富蔵《とみぞう》がいる。
富蔵が弱々しい目を高次に向けた。
「高次か……。こんな嵐の中で、なにをしておったんじゃ」
「バッテラを縄でくくりつけておった」
「らちもないことを……」
富蔵は横を向いて背を丸めた。
「なんの因果で、わしらはこげな地獄の海におらねばならぬのじゃ。……わしは生まれてから、こげな目にあう悪業をした覚えはねえ……」
「なにをいう富蔵兄い。弱音を吐かずに、気をしっかりもつんじゃ」
高次は激しく咳《せ》き込んだ富蔵の背をさすった。
「万次郎さんによれば、この大時化もあと二、三日じゃそうな。そのさきは日和もようなる。もうすこしの辛抱じゃ」
だが富蔵には聞こえない。
「お前はアメリカに行くのが、怖くはねえのか。……獣を食らう人間どもがいる鬼の国じゃ。はよう佐柳島へ帰りてえ……」
二歳年上の富蔵は、海を恐れるような臆病な男ではない。もともと佐柳島では高次の兄貴分で、共に選ばれて長崎に迎えられた海のつわものである。漁師の命である艪の漕ぎ方も、富蔵が高次に一から教え、冬の海でも抜き手を切って泳ぐ体力があった。
その富蔵が出港直後に、高次と共に吐きながら働いていて、甲板を洗う大波にさらわれた。あわやのところで命綱が船べりに掛かったが、海水をしこたま飲んで、高熱を発して寝込んでしまったのである。
高次が行李から油紙で包んだ綿入り刺子《さしこ》を出して、富蔵の体にかけてやると、佐柳島の弟分の高次がそばにきて安心したのか、まもなく鼾《いびき》が聞こえてきた。
高次も揺れ傾ぐ船室で横になった。船体が波濤を切り割る振動が体に響いてきたが、一日の疲れが噴き出して、あっというまに眠りに落ちた。
あくる朝はさらに風が強まり、海も空も鉛色に吹き荒れていた。
高次の背中は鉛を溶かし込まれたように固く、飯を食う元気もなかった。横で富蔵が苦しげに呻《うめ》いている。
「富蔵兄い。水を飲むか。寒くはねえか」
吐くものが胃の腑《ふ》にない顔を覗き込んで尋ねても、富蔵は朦朧《もうろう》として答えられない。口から唾《つば》の泡を噴いている。高次は手拭《てぬぐ》いで汚れた口を拭《ふ》いてやった。
嘔吐物《おうとぶつ》で汚れた布団が落水で冷たく濡れている。高次は自分の布団に富蔵を寝かしつけた。
「なんとか飯だけは、食っておかねばいかぬ」
高次はふらつきながら、干飯《ほしい》の入った袋に手を伸ばした。
咸臨丸の竃《かまど》は改造されていて、船が揺れても使えるようになっている。だがこれほどの大時化《おおしけ》になれば竃は使えない。嵐のために飯を天日で干した干飯が用意されている。普段なら湯をかけてもどして食うが、いまは湯もなく、干飯に水をかけて噛《か》み砕くしかない。
「こりゃ固い」
無理やり干飯を口に入れて、吐き気をこらえて噛んだ。固い歯ざわりだが、なんどか噛んでいるうちに味がしみ出てきた。一口、二口と懸命に噛み砕いた。
干飯を食べ終えた高次は、激しく傾く通路を甲板に向かった。
「やい待て。高次」
隣の船室から大助が姿をあらわした。
「おぬしはきのうから、一人で抜けがけしておるようじゃが、気に入らねえ」
「なんじゃと」
高次が足を止めた。
塩飽衆は同じ島の者同士の結束は固いが、他島の者とは漁場争い、船祭りなどで血を流す大喧嘩《おおげんか》をすることがある。
いままでも塩飽本島の水夫を束ねる三歳年上の大助と、高次はなんども大喧嘩をした。太い猪首《いくび》の大助は、高次より頭一つ小さいが、腕っぷしは相撲取りのように強く、互いにいい喧嘩相手といえた。からりとした性格の大助との喧嘩は後に引かず、つね日頃は酒を酌みかわすこともあった。
「わしは侍どもがへたばりやがったのも、気に入らねえが、アメリカ人とその手先の万次郎が船を動かすのが、もっと気に入らねえ」
「阿呆《あほ》をぬかせ。アメリカ人海兵と万次郎さんが船を動かさねば、いまごろわしらは海の藻屑《もくず》じゃ。それをおぬしは部屋でくたばりやがって」
「うるせい」
大助は揺れる体を両手で支えた。
「万次郎という男は、いまは侍づらをしておるが、もとはわしらと同じ漁師じゃった男じゃろう」
「そう聞いておる」
「出船のときから、いろいろわしらに指示して気に入らぬ」
「なにをいう。万次郎さんは浦賀からひとときも休まずに、この咸臨丸を守っておる。アメリカで船を覚えただけあって、ものすごい腕じゃ。わしら塩飽衆も見習わねばならん」
「おぬしは万次郎の尻乾分《けつこぶん》になったのか」
「ああ。なったわい。万次郎さんは船のことならなんでも知っておる。同じ日本人とは思えぬ」
大助は不服そうにぺっと唾を吐いた。
「おい大助。これから嵐はもっとひどうなる。ぐだぐだいうのはやめて、はよう甲板に出てこい。それが塩飽の船乗りというもんじゃ」
「うるせい。おぬしにあれこれ指図される覚えはねえ」
高次が甲板に通じる扉の前まで来ると、万次郎がロープの束を巻いていた。目が真っ赤である。一晩中起きていたのは明らかであった。
「この嵐の中でよう起きてきたな。飯は食えたか」
「なんとか干飯を水で飲みこみました」
「ならば大砲《おおづつ》を縛るぞ。重い大砲が波で揺さぶられて、ロープが伸びて海に落ちそうじゃ。わしについてこい」
高次にロープの束が差し出された。
出港前に大砲の車輪に留木《とめぎ》がかわれ、車輪を固定する革帯をロープで締めつけたが、索具もロープも船の揺れで伸びきっていた。
命綱を結んで万次郎と共に甲板に這《は》い出た高次は、吹きすさぶ海に目を向けた。波の頂きからうねりの底まで、五間(約九メートル)もある大波が、凄《すさま》じい轟音《ごうおん》を響かせて船腹に打ちつけ、真っ白に砕けた波頭が、滝のように甲板に流れこんでいる。
「どえらい嵐じゃ。きのうより風は強まっておりますのう」
「気圧はまだ下がっちょる。これからさらに吹き荒れる。気を緩めるでないぞ」
甲板は立っていられないほど風下に傾いていた。四十五度以上傾くと船は転覆するといわれている。操舵室《そうだしつ》では舵手がたくみに舵《かじ》をとり、大うねりに横倒しにならないように、一瞬の気も抜かずに操船しているはずだ。
「やい待て。高次」
ふり返ると大助がいた。甲板を這って高次の横まで来る。
「これくらいの嵐でアメリカ人どもに負けたら、泊浦の大助様の名がすたる。それでこれからなにをやるんじゃ」
「大砲が流されぬように縛るんじゃ」
万次郎の後につづいて、二人は甲板を這い進んだ。空を引き裂く凄じい烈風が、マストの索具《リギン》を叩《たた》きつけている。
「ええか大助。ここでわしたちが働かねば、日本人は役立たずと嗤《わら》われるぞ」
「わかっちょるわい」
大助は乱暴者だが、船の仕事はできる男であった。
高次は甲板を這い進みながらマストを見上げた。メインマストにアメリカ人海兵六人が登っている。咸臨丸の総帆十八枚のうち、昨晩は夜間荒天帆走で二枚に縮帆《リーフ》されていたが、ふたたび四枚に張り直されている。それは高次には信じられない光景だった。
「こげな揺れのなかで、ようマストに登って帆を張れるもんじゃ」
高次は昨日マストから落下したアメリカ人海兵も登っているのだろうかと心配した。
アメリカでは嵐の海でマスト登りができる者を、遠洋航海が許される「一等水夫」と条件付けている。この一等水夫を半数以上乗り組ませることが、大型帆船が外洋航海に出る最低限の条件であった。
だが咸臨丸には一等水夫どころか、甲板作業ができる二等水夫もろくに乗り組んでおらず、万次郎たちが陸者《おかもん》とよぶ三等水夫だけで、太平洋に乗り出したことになる。
甲板を流れる海水に足をさらわれて、高次と大助は何度も万次郎に助けられた。甲板にいても恐怖に身がすくむ。マストに登った海兵は百倍も恐ろしいはずだ。高次はマストで仕事をするアメリカ人海兵にぶざまな姿を見せたくないと、海水に流されないために亀のように慎重に四つん這いになって進んで行った。
やっと大砲にたどりついた高次と大助は、革帯のロープを懸命に締め直した。もし重い大砲が甲板をころがれば、その衝撃で船体に穴があく。
作業を終えると万次郎が、防水帽子から海水をしたたらせて、つぎの指示をした。
「二人で船底のポンプを押してくれんか。こげな時化の中でつらかろうが、ハッチから海水が流れ込んで危険なんじゃ。アメリカ人海兵が交替でポンプを押しておるが、すこし眠らせてやらねばならぬ」
高次と大助は暗い船底に降りていった。潮気と黴《かび》の入り混じった異臭がたちこめる船底は、船体がうねりに激しく叩かれるたびに、大太鼓が打ち鳴らされたような轟音がひびきわたる。たえまなく耳をつんざく大轟音に、高次は嵐がさらに強まっているのを感じた。
洋式帆船の船底には、船を転覆させないために、大量の小石がバラスト(錘《おもり》)として積み込んである。その一角をくりぬいて排水ポンプが備えられている。ハッチと船体の継ぎ目から流れ込んだ海水が、足元を流れている。長い柄の排水ポンプを押しつづけていたアメリカ人海兵二人が、疲れ切った顔で二人を見た。
高次が日本語で、
「よし交替じゃ」
といってポンプの柄を握ると、黒人海兵が白い歯を見せて、高次の肩を嬉《うれ》しそうに叩いた。
船底に流れ込んだ海水をポンプで排水する仕事は、マスト登りにくらべれば危険は少ないが、荒天帆に縮帆することと同じくらい重要な仕事である。ポンプを押しつづける作業は苦しいが、それが荒天時の水夫の仕事の一つであり、嵐の海で船内に流れ込んだ海水を、自分の手で排出していると思うと大きな安堵感《あんどかん》はある。
だが空気がかよわず異臭がたちこめる船底は、一等水夫でも船酔いするといわれている。高次は胸にこみ上げてくる不快な嘔吐感《おうとかん》を感じたが、懸命に耐えた。
「それにしてもだらしねえのは、日本の侍どもじゃ」
ポンプを押しはじめた大助が息を喘《あえ》がせた。
「陸では二本差しで威張ってやがるが、嵐の海に出ればざまはねえ。一人として当直に立った侍はいねえじゃねえか」
「そういうな大助。おぬしも今朝までそうじゃった」
「まあな」
大助は照れかくしで、ポンプの柄を力まかせに押した。
徳川体制二百五十年の世で、海に命を晒《さら》してきた船乗りたちは、侍の定めた士農工商の身分に縛られなかった。開府いらい江戸には生活必需品の米、味噌《みそ》、醤油《しようゆ》、酒、着物などの生活物資が足らず、大坂から「下り物」として千石船で運び込まれた。下り物を運ぶ船乗りたちは、働かずに米の飯だけを食う侍を「江戸の穀《ごく》つぶし」と軽蔑《けいべつ》した。高次も大助も船乗りに較べれば、侍などは度胸が百分の一もないと蔑視していた。
「だが悔しいじゃねえか」
大助がポンプの柄を押したままつづける。
「わしもおぬしも塩飽島では、ちっとは名を知られた船乗りじゃ。それで海軍伝習所の水夫に選ばれて、長崎でオランダ人に航海術を習った。だが嵐の海でマストにも登れねえとは情けねえ」
「万次郎さんがいっておったが、マスト登りは慣れじゃそうな。この二、三日で体が嵐に慣れれば、かならず登れるようになる」
「いつまでもアメリカ人海兵頼りで、ぶざまに甲板を這ってばかりいられねえ。わしはかならずマストに登ってやる」
そういった直後に大助が吐いた。それを見た高次の喉元《のどもと》に酸っぱい嘔吐物がこみ上げてきた。慌てて口を押さえたが、指のあいだから黄色い嘔吐物が噴きこぼれた。高次はへたばってなるものかと口を拭《ぬぐ》い、ふらつく体で立ち上がり、ふたたびポンプの柄に手を伸ばした。
高次は瀬戸内海の急流が島々を洗う塩飽《しわく》諸島の佐柳島《さなぎじま》の漁師の子に生まれた。
五十を超える大小無数の島々、東と西に行き交う速い潮流、潮の八十路《やそじ》といわれた讃岐《さぬき》国塩飽諸島は、古くは室町幕府の管領《かんれい》だった細川氏が、讃岐国の守護であったために、大明《だいみん》国(中国)へ遣明船を渡海させるべく、塩飽諸島で建造した大型船と、多数の水夫《かこ》(乗組員)を供給した海の歴史をもっている。
備中《びつちゆう》と讃岐の狭い海門に浮かぶ佐柳島は、外から見れば密々たる松の緑に覆われた美しい小島であるが、他の塩飽諸島と同様に田畑が少なく、漁撈《ぎよろう》で細々と暮らしを立てるか、千石船に乗るために島を出ていくしかない貧しい小島であった。
高次が育った佐柳島の元村は、背後から山が海ぎわまで迫った小さな漁村である。浜辺に美しい白砂の浜があり、緑の松並木が海べりに立ち並んでいた。魚影の濃い瀬戸内海とはいえども、漁撈は水ものである。冬枯れの数ケ月の暮らしは貧しかったが、ひとたび春の桜鯛《さくらだい》の漁期になれば、一網数百両という水揚げがあった。そういうときは大漁の旗をなびかせた早船を仕立てて、讃岐|丸亀《まるがめ》まで漕《こ》ぎ着いて桜鯛を売りさばき、遊女屋にくりこむのが島の漁師たちの楽しみであった。
高次の父親の音三郎《おとさぶろう》は、塩飽諸島一番の桜鯛漁師といわれた。漁果を左右する日和見にすぐれ、潮流を見て張りめぐらす鯛網の張り方は、並ぶ者がなかった。物心ついたころから父親の漁船に乗って、潮騒《しおさい》を子守歌として育った高次は、海が大好きだった。島の男は十四、五歳で若衆宿に入って共同生活をはじめる。そこで漁の仕方、日和の見方、潮の流れを教わるが、若衆宿で尊敬をうけるのは、なによりも体力だった。
「漁師は一にも二にも体力じゃ。力がなくては艪《ろ》も漕げねえ。隣村との喧嘩《けんか》にも勝てねえぞ」といわれて男たちは暇さえあれば力較べをした。
その一つに墓場荒らしがある。夜中に墓場に行き、できるだけ大きな墓を担ぎ上げて浜まで運び、その大小を競う他愛ない力較べであった。島では庄屋の墓が一番大きかった。かつて富蔵が挑んだことがあったが、途中の道で腰がくだけて、四人がかりで墓場に戻した。
若衆宿で力自慢の富蔵を相撲でねじ伏せた高次が、つぎの目標に庄屋の大墓を選んだ。腰を落として庄屋の墓石に手を掛けた高次は、そのまま浜まで担いで運んだ。「元村の高次が、庄屋の墓石を担いで、浜の砂におっ立てたぞ――」村で一番重い庄屋の墓石を担いだ高次の噂は、他村の若衆宿にまで広まった。
塩飽諸島の若衆宿には強い特色がある。五十を超える塩飽諸島の若衆宿は、それぞれの若衆宿に誇りをもち、若衆宿同士は一種の敵対関係にあった。ときには漁場争いから血を流す大喧嘩もしたが、島を出て千石船に乗り組めば、名だたる千石船船頭を輩出した塩飽衆という強い誇りで結束し、その団結心は諸国のどの浦々の船乗りよりも強かった。
塩飽の船乗りの誇りの一つは、二本差しの侍に諂《へつら》わないことであった。土地に縛られた農民と違って、船乗りは海に命を晒して生きる稼業であり、船板一枚下は地獄である。そういう危険な海に生きているために、農民から米を召し上げて、平然と暮らしている侍を船乗りたちは軽蔑した。高次も島の船役人に頭を下げたことはなく、若衆宿の頭目として独立|不羈《ふき》の自由集団を、命を懸けて守る気概をもっていた。
若衆宿の頭目になった高次の望みは、はやく島を出て千石船乗りになることだった。千石船でつらい炊《かしき》(飯炊き)生活に耐えれば若衆に出世して、島では得られない高収入が手にできる。さらに海の経験をつめば船頭になり、諸国の湊々《みなとみなと》で塩飽船頭として尊敬をうける。炊に選ばれる基準は、千石船の力仕事に耐える体力と精神力があるかどうかだった。頑強で明るい高次は富蔵とともに、西宮《にしのみや》の灘酒《なだざけ》を江戸に運ぶ千石船の炊に選ばれ、佐柳島を出て二年後に若衆に出世して舵《かじ》を取り、二十五反の帆を操れる腕前になった。
高次は大海原に千石船を走らせる爽快《そうかい》さが大好きだった。風を読み、波の背を切りわって千石船を疾走させる。帆綱を引くのも、舵を取るのも塩飽の若衆である。高次は塩飽の男たちと、自由に海を駆け走る海の暮らしに満足した。
ある日高次の乗る千石船が、相模灘から城《じようが》ケ島《しま》沖をかわして江戸湾に入ったとき、異様に大きな黒船が高次の目に飛びこんできた。
「なんじゃ。あの黒い大船は。帆も張っておらんのに、前に進んで行くぞ」
高次は目を丸くして黒船を見た。初めて見る城のように大きな黒船は、とてもこの世のものとは思えない。
しかも驚いたことに、黒船は帆を降ろしているのに、逆風に向かって白波を蹴立《けた》てて進んでいく。それも一隻ではない。三本マストの巨大な黒船が四隻、まるで火事場のように煙突から黒煙と火の粉を立ち昇らせて、江戸湾に向かって進んで行く。
黒船と遭遇した塩飽衆は仰天した。
「あれは夷人船《いじんせん》じゃ。近づかねえほうがええ」
船頭も舵取りもそういったが、高次はまぢかに黒船を見たかった。夕刻に黒船は浦賀沖に錨《いかり》を下ろした。
「船頭さん。これはめったに見られるものじゃねえ。今宵は浦賀泊まりにして、黒船を見物しよう」
高次は船頭をそそのかして浦賀沖に錨を下ろさせた。
「わしはあの大きな黒船が帆も張らずに、風に向かって進むことがわからぬ」
高次が富蔵に尋ねた。
「黒船の横腹に大きな水車が付いておるじゃろう。あれを艪の代わりにして、漕いでおるとしか思えん」
夜になると三浦半島の丘という丘、目のとどく岸辺という岸辺に無数の篝火《かがりび》が燃やされた。
星が輝く暮れ五つ半(午後九時)になったとき、事件が起こった。腹に響きわたる轟音《ごうおん》が闇に鳴りひびき、高次たちは度肝を抜かれた。海岸の警護陣にも動揺が走った。黒船から攻撃をうけたと思った諸藩の篝火が、つぎつぎと消されていった。
この夜の暮れ五つ半の砲音は、旗艦サスケハナに搭載された六十四ポンド砲が射った夜九時の時砲であることがわかった。だが三浦半島沿岸の諸藩の警護陣は、肝がつぶれるほど驚いて、住民に避難さわぎが起こったほどである。
そのころの一般の日本人は、万次郎のようなきわめて稀《まれ》な例外を除けば、海外諸国の実態をまるで知ってはいない。
翌朝高次は去って行くペリーの黒船を見た。
「わしもあのような大きな黒船に乗ってみたい」
黒煙を噴き上げて、外輪で波を蹴立てて進む黒船の雄姿が、高次をまたたくまに別の海の世界に誘い込んだ。
アメリカの東インド艦隊司令官・ペリー提督が率いる黒船四隻の浦賀への来航は、日本が開国に向けて道を開く契機となったが、それは高次の運命にも大きな影響を与えた。
鎖国を放棄せざるをえなくなった幕府は、洋式海軍を創設すべく長崎に海軍伝習所を創った。浦賀奉行所や長崎奉行所から士官候補生が集められ、艦長候補に勝麟太郎が選ばれた。場所はオランダ人が暮らす出島と陸つづきの西役所があてがわれ、バッテラが発着できる石造りの大波止《おおはと》(防波堤)が造られた。
水夫は塩飽諸島から航海の達者な五十人が選ばれ、高次と富蔵はその五十人に選ばれた。高次は胸が震えるような誇りを感じた。塩飽の海に生き、桜鯛名人といわれた父親を敬慕していた高次は、屈強な船乗りを輩出した塩飽諸島の五十人に選ばれたことで、父親に一歩近づけたと胸を張った。
長崎海軍伝習所には、オランダで建造された蒸気船が廻航され、その蒸気船で航海実習が行われるという。黒船に乗る夢がかなえられそうで高次は喜んだが、富蔵は気乗りがしない様子だった。堅実な考えをもっている富蔵は、いずれは千石船の船頭になり、船を下りたら佐柳島に帰り、子供に読み書きを教えて、安楽に暮らす生活を望んでいた。
千石船の船頭になることは、貧しい塩飽諸島の若者にとっては、夢のまた夢といっていい。内海航路の小舟とちがって、北前《きたまえ》航路や江戸下りの千石船の船頭になれば、格段に実入りがよくなり、航海を終えて船を下りると一財産を手にできた。船を下りて島に帰った老船頭は、その財産と知識を使い、寺子屋を創って子供に読み書き、算盤《そろばん》を教える者が多かった。だから漁師の倅《せがれ》ながら、寺子屋で学んだ高次も富蔵も読み書きと算盤ができた。高次は黒船を見て世界に目を向けたが、富蔵はそういう当たり前の一生を送りたかった。しかし黒船が富蔵の運命を長崎行きに巻き込んだ。
高次は長崎で塩飽本島の大助に会った。大坂の北廻り船に乗っていた大助は、盛り上がった肩をいからせて高次を睨《にら》みつけた。
「おぬしが佐柳島の高次か」
「そうじゃ。おぬしが泊浦の大助じゃな」
高次と大助は互いに塩飽島での力較べの噂を耳にしていたから、最初の出会いは闘犬が睨みあうようだった。だが島を出れば塩飽衆は結束心が強い。長崎海軍伝習所に水夫全員が集まったとき、仕度金として一人五両が下賜されると、気性のからりとした大助が、
「どうじゃ高次。おなじ塩飽衆のわしとおぬしが、長崎まで来ていがみあってもしかたがねえ。近づきのしるしに丸山でぱっと遊ばねえかい」
と共に遊廓《ゆうかく》にくり出し、大助との付き合いがはじまった。
他に高次の目を引いた男は、塩飽|高見島《たかみじま》の佐太次《さたじ》であった。高見島の頭目格の佐太次は、浅黒い引き締まった体で、剃刀《かみそり》のように鋭い目をした男である。大助と較べると口数が少なく目立たないが、塩飽衆の誇りを強くもつ男で、網元の倅として漁船十隻の指揮をとっていた。ともすれば航海士官に反抗する高見島の男たちをよく統率して、伝習所の士官も佐太次には一目置いていた。
幕臣の若い航海士官たちは、豪の者ぞろいの塩飽衆といえども、刀を反《そ》らせて威圧すれば、町人のように平身低頭すると思っていたが、そうはいかずに高次たちが鋭い目つきで睨み返すと、目線を逸《そ》らす侍ばかりであった。
長崎の海軍伝習所には、教育上の大きな問題点があった。幕府は航海士官を速成したいために、海上経験がない侍を航海士官候補生として、長崎の海軍伝習所に送りこんだ。そのころの日本人は『和算』しか知らなかった。オランダ海軍の航海教育の基礎は『洋算』であった。航海経験がないうえに、オランダ語も洋算もできない日本人は、まずオランダ語と洋算の習得からはじめねばならなかった。
オランダ海軍の教育団長・ライケン大尉は、教育期間を五年間にしないと無理であると幕府に進言したが、海軍士官養成を急ぐ幕府は、そんな時間的余裕を認めなかった。本来であれば練習船による航海実習を経験させて、その海上体験に合わせて講義を進める。だが時間的余裕が与えられないオランダ人教官は、陸での教育で航海理論を頭に詰めこませざるをえなかった。
その余波が高次たち塩飽衆にまわってきた。海上での実習航海がほとんどない。ライケン大尉はマスト登りの実習をさせるために、出島の広場にマストを立てた。陸の上なら高次も恐怖を感じずに、たやすくマストに登れた。
だがマスト登りは、荒れた海で実習航海しなければ上達しない。しかも塩飽衆には、晴天の昼間だけを選んで航海するという、千石船乗りの特徴的な海の習慣があった。それは高次も大助も同じであり、こういう状況下で長崎の海軍伝習所での教育は終わり、オランダ人教官は教育途中で長崎を去り、幕閣は咸臨丸によるアメリカへの太平洋横断をくわだてたのである。
ポンプ押しでくたくたに疲れた二人が、船の揺れによろめきながら咸臨丸提督の木村|摂津守《せつつのかみ》の船室前に来ると、ドアが開いていた。
室内を覗《のぞ》くと、幕府軍艦奉行の木村|喜毅《よしたけ》が、寝床で吐きながらもだえ苦しんでいる。侍など屁《へ》とも思わない二人も、咸臨丸提督となるとそうはいかない。見てはならないものを見てしまったような気がして、急いで立ち去ろうとした。
そのとき激震が咸臨丸を襲い、船体が大きく傾いた。木村摂津守の船室の戸棚から、大きな箱が落ちて壊れ、中身が床に散らばった。高次は目を見開いた。見たこともない大量の小判が床に散乱している。
誰もいないと思った船室から、二十代半ばの侍が顔を出した。
「おお。よいところに来てくれた。お前たちこの小判を拾って、盥《たらい》に入れてくれぬか」
高次はその侍にも驚いた。航海士官でない従者が、船酔いもせずに目の前に立っている。信じられないほど元気な侍は、摂津守の従者の福沢|諭吉《ゆきち》であった。諭吉は幕府の蘭医・桂川甫周《かつらがわほしゆう》の塾でオランダ語を学んでいたが、甫周が木村摂津守の妹婿であったために、その従者となることを願い出て、渡米を志したのであった。
高次と大助は床に這《は》って小判を拾いはじめた。小判で盥が山盛りになった。諭吉は衣服の入った袋を寝台の下から引きずり出し、中身を捨てて口を開いた。高次は盥の小判を袋に入れてまた拾った。袋いっぱいに小判がおさまった。
「いや。おぬしたちがいて助かった。礼をいう」
諭吉が床に座り込んだ。
「他の軍艦奉行様の従者が船酔いでな、わし一人がこの船室にいたのだが、どうやらわしの体は丈夫とみえて、まるで船酔いをせぬ。だが船が大きく傾いて、船室の上の四角の窓に白波がかぶるとよい気持ちはせぬ。わしはまだ牢屋《ろうや》には入ったことはないが、この荒れようは牢屋に入って、毎日大地震にあったと思えば辛抱できる。そうではないか」
高次は侍らしくないことをいう諭吉をおもしろい男だと思ったが、それよりこんな大量の小判をどうするのか不思議であった。
大時化《おおしけ》のなかで五日目の朝がきた。大助が立ち直った翌日から、塩飽の男たちが二人三人と甲板に姿を見せた。
「おお。佐太次ではねえか。やっと体が動くようになったか」
高次が嬉《うれ》しそうな顔をした。
「いつまで寝てても仕方があるまい。体を動かさねえと腐ってしまう」
「大助とも話したが、そろそろマストに登らねばならぬと思っておる。おぬしが一緒なら心強いかぎりじゃ」
佐太次が高次に尋ねた。
「富蔵はどうした」
「どうにも気が弱っておる。だが嵐がおさまれば、なんとかなると思うが」
「わしのとこも清《せい》右衛門《えもん》と佐七がまだ動けぬ。今はどのあたりじゃ」
「皆目わからぬ」
「それで高次はなんの仕事をしておったのじゃ」
「万次郎さんの手助けで甲板仕事をしたり、排水ポンプを押しとった」
「万次郎といえば漁師上がりの通辞ではないか。それがおぬしに仕事の指図をしたのか」
「命令を出す日本人士官が一人もおらぬ。咸臨丸を守るにはそれしかなかろう」
「土佐の漁師の小倅のくせに、よくもわしらに命令できたもんじゃ」
高次は佐太次の言葉を制しようとしたが、自分も最初は万次郎に反感をもったことを思い出した。佐太次たちも塩飽衆なら、万次郎の働きを目にすれば認めるはずだ。
咸臨丸の日本人士官による命令系統は、嵐でまったく壊滅していた。立ち直った日本人水夫は、自分の部署がはっきりせず、どの仕事をしていいかわからない。そうなれば万次郎がブルックと相談して、日本人水夫の部署と仕事を指図せねばならない。
高次は万次郎の複雑な立場がわかっていた。そのためになにか揉《も》め事が起これば、自分が仲に入って話をつけようと考えていた。塩飽衆が四人、五人と立ち直ると、高次が懸念したように、万次郎の立場は複雑なものになった。
咸臨丸乗船が決まったときから、万次郎が漂流漁民から幕府の役人に登用されたせいで、日本人士官と水夫の反発をうけることはわかっていた。それゆえ万次郎は一介の通辞になりきり、咸臨丸の航海にはいっさい口をはさまぬほうがよいと考えた。
だが咸臨丸が嵐の海に乗り出すや、現実にそうはいかなくなった。通弁主務ではなく船乗りとして咸臨丸を守らねばならない立場となり、不眠不休で咸臨丸の指揮をとるブルックも万次郎を頼りにしている。
出港した夜に、日本人水夫に当直に立ってもらいたいと思い、船室を覗いてブルックの指令を伝えたときも、水夫全員が船酔いで倒れ込んで、指令に従うことができず、万次郎は夜間当直の仕事もこなさねばならなくなった。
そんな万次郎に佐太次たち高見島衆が、悪意のある視線を浴びせて立ち去った。
高次が万次郎を気遣って言葉をかけた。
「万次郎さん。塩飽の仲間のことで難儀なことが起こったら、遠慮のういってくだされ。わしが仲に入って話をつけます」
「それはありがたいが、いま咸臨丸の指揮権は艦長代理のブルック船長の手にある。船長の指令は国家の憲法と同じじゃ。だからわしは咸臨丸の一乗組員として、ブルック船長の指示に従うだけじゃ。それが世界の海を航海する船乗りの掟《おきて》なんじゃ」
高次は万次郎の考えを不思議に思った。日本人船乗りならば、船上の揉め事は塩飽衆の頭目同士が話をつけて、事を穏便にすませることが多い。そのほうが後くされも残らない。
だが万次郎は日本人水夫とその種の話をする気はなく、たとえ塩飽衆の反抗に遭おうとも、艦長の指令に従うという意志を変えなかった。
翌日に風が南西風に変わった。気圧は下がったままである。南の水平線に低く垂れこめた黒雲を見て、ブルックは温帯低気圧の前線の予兆を見てとった。
万次郎に呼ばれて操舵室《そうだしつ》に入った高次は気圧計の針を見た。長崎の練習船観光丸で、気圧計の見方をオランダ人に教えられた。目の前の異常な針の低さは、まちがいなく大時化の予兆である。
ブルックが疲労を顔ににじませて万次郎に指令を出した。
「これから吹くスコールまじりの南西風は、いままでの北西風よりもっと吹き荒れる。そこでやることは二つある。日本人士官も数名が立ち直ってきた。日本人乗組員の夜間当直の実行と、水夫たちの部署をはっきり決めねばならない。ジョンマンの口からそれを日本人に伝えてほしい」
「わかりました」
万次郎は心中の不安は口にしなかった。自分に反感をもっている塩飽衆に、一方的に命令すれば反抗する。だがここで日本人乗組員が働かねば、咸臨丸は沈没の危機にみまわれる。
万次郎の微妙な立場を察したブルックがいった。
「おいジョンマン。もし日本人水夫が君を脅すようなことがあったら、すぐ私に知らせよ。命令に反抗する者は、私が艦長権限で処罰する」
うなずいてブルックの言葉の意味を高次に伝えた万次郎は、高次と共に日本人水夫の居住区の高見島衆の船室に入った。
高見島衆の視線が、万次郎に集まった。
「みな聞いてくれ。また別の嵐が近づいておる。これは強い雨をともなった南西風の大嵐じゃ。いままでの北西風より、さらに強い風が吹く。そこでおんしらの役割を決めたい。体の動く者二十人を選び、夜中に三交替で甲板に出て、見張りについてもらう」
「なんじゃと。荒れた夜の海で、わしらを見張りに立てるじゃと。――アメリカ帰りから、偉そうに命令される覚えはねえ」
頭目の佐太次が、万次郎を睨《にら》みつけた。
「そうじゃ。わしらを嵐の海で殺す気なら、その前におめえをマストに吊《つ》るして、くびり殺してやるぞ」
だが万次郎は一歩たりとも退《ひ》く気配を見せない。
「これはブルック船長、つまり勝艦長の命令じゃ。船乗りなら艦長命令に従え」
高次が両手を上げて制した。
「まあ待て。わしの話を聞いてくれ。気圧計の針を見たが、これからすごい嵐がくることはまちがいない。わしらが船酔いで苦しんでおるときに、万次郎さんはこの咸臨丸を守ってくれた。船が転覆《かえ》らぬようにマストに登って立ち働いたのも、みなアメリカ人の海兵じゃ。ここでわしら塩飽衆が腰抜けになれば、万次郎さんも日本人として立場がのうなる」
「日本人の立場じゃと」
佐太次が目を剥《む》いた。
「こやつはわしらのおらぬ所で、アメリカ人となにを話してるかわかったものではねえ。そんなアメリカ帰りの漁師の小倅《こせがれ》から、嵐の海で見張りに立てと、指図をうけるいわれはねえ」
そのときブルックが腰に拳銃《けんじゆう》を差してあらわれた。ブルックの怒りのこもった目に、塩飽衆は静まった。ブルックが万次郎の通訳で話し出した。
「これから吹く南西風の暴風雨は、いままでの北西風よりさらに強くなる。横波をうければ、この咸臨丸も転覆する。君たちはその事態がまるでわかっていない」
「咸臨丸も転覆」という言葉がブルックの口から飛び出して、塩飽衆の顔色が変わった。ブルックが塩飽衆の顔を一人一人見まわした。
「ここまではわれわれアメリカ人の手で、咸臨丸を守ってきたが、わずか十一人の手では、部下も疲労|困憊《こんぱい》して限界にきている。この咸臨丸は君たち日本人のものだ。いまこそ日本人乗組員が甲板に出て、日本人の手で咸臨丸を守るべきではないか」
ブルックは腰の拳銃に手を当てたままつづける。
「君たちが夜間の当直を実行すれば、私は部下を休ませて、明日の航海に備えることができる。咸臨丸を沈めたくなかったら、私の指示を――つまりジョンマンの指示を実行してほしい。もし命令を聞かない者がいれば、私がこの拳銃で艦長権限を実行する」
高次が一歩進み出て、塩飽の男たちに声を励ました。
「咸臨丸を嵐の海から守るのは、わしらの仕事じゃ。どうじゃ佐太次よ。おぬしも高見島の頭目なら、万次郎さんの指図で命を捨てて働け」
「わかった」
佐太次が不承不承うなずいた。
高次と万次郎の命懸けの説得で、各船室から塩飽衆が二人、三人と風が吹きすさぶ甲板にあらわれた。日本人士官の顔も数人見える。
高次は黒雲に覆われた空を見上げた。前線に吹きこむ南西風が急速に強まり、滝のようなスコールが落ちてきた。はやく帆をたたまないと危険である。
ブルックが率先してマストに登り、四枚の横帆《セイル》を荒天帆一枚にするべく帆をたたみはじめた。甲板に立つ塩飽衆がロープを引き、縮帆《リーフ》の手伝いをはじめた。
高次と大助はいちばん低い帆桁《ヤード》に登った。最下端の帆桁なのに恐怖が全身をつらぬく。縄梯子《なわばしご》を握りしめた手が硬直する。上を見上げると万次郎とブルックが、海兵とともに縄梯子にしがみつき、さらに上部の縮帆に挑んでいく。
南西風は急速に勢いをましている。帆が千切れるくらいはためき、帆をたたもうとすれば叩《たた》き落とされる。
「これ以上は危険だ。全員マストから降りよ」
万次郎の指図で高次たちは甲板に降り立った。南西風は強まるばかりで、たたみ遅れた三枚の横帆が烈風に晒《さら》されている。もはや熟練のアメリカ人海兵といえども手遅れであった。
のちにブルックが航海日誌に「咸臨丸も半ば沈まんとする」と書いたほどの、これまでにブルック自身が遭遇した嵐の中でも、最大の危機がおとずれようとしていた。
もし烈風で横帆が破れれば、帆とロープのはためきで帆桁が折れる。悪くすればマストが折れる大惨事になる。高次にもその危険はよくわかった。
「わしらがはようマストに登って、帆さえたたんでおればこうはならなんだ」
痛恨の思いが高次の心をよぎっていく。だが高次はすぐ気持ちを切り替えた。
「万次郎さん。これからわしらはなにをやったらええのじゃ」
「体力のある塩飽衆を、十人甲板に集めてくれ」
万次郎はたたみ残された三枚の横帆の風を流すために、十人の男を選んで横帆の角度を変えたいことを伝えた。
高次が佐太次を睨んだ。
「おい佐太次。おぬしも塩飽の男なら、わしに命を預けよ」
高次の顔には咸臨丸を守るためには、佐太次を殴りつけても、甲板に引っ張っていく気迫がみなぎっていた。
「わかった。佐柳島のおぬしには負けぬ」
暴風雨が西に方向を変え、咸臨丸は薙《な》ぎ倒されそうに傾いている。
「このブレイスロープ(引き索)を命懸けで引くんじゃ」
万次郎が帆桁を回転させるブレイスロープを引くように、塩飽衆に大声で命じた。
甲板からマストを見上げると、何百本ものロープがマストの間に交錯している。一本一本が生き物のように機能し、秩序正しく配列されている。ロープは人間の手であり足であった。
高次たちは烈風をうけて破れそうになっている横帆に結ばれたブレイスロープの末端に、むかでの足のように並んで両手で引きはじめた。
「そうれ引けい! やれい引けい!」
太い麻縄のブレイスロープを介した滑車《ブロツク》が、わずかに回転をはじめた。咸臨丸は大きく傾き、風下の船べりを波浪が洗っている。はやく横帆の風を流さないと、烈風をうけた咸臨丸が転覆する。高次たちはブレイスロープを懸命に引いた。
そのとき滝のように甲板を流れる海水に、大助が足をさらわれ、船べりを越えて海に落下した。咸臨丸は疾走している。命綱が張りつめて大助は海面を引きずられている。
万次郎が船べりから体を乗り出して、大助の命綱を両手で掴《つか》んだ。
「高次よ。わしの体を後ろから支えよ」
「おう――」
高次が後方から万次郎を支えた。万次郎の背丈は低いが、両肩の肉付きは逞《たくま》しい。海中で白波に飲まれた大助の体をひと引き、ふた引きと手繰《たぐ》り寄せた。海面に大助の頭が浮かんだ。万次郎が渾身《こんしん》の力で大助の体を甲板に引き上げた。
海水に乱れた髷《まげ》を顔中にこびりつかせた大助が、甲板に倒れ込んだ。万次郎が掌《てのひら》で背中を押した。大助は海水をどっと吐き出して、両手をついたまま茫然《ぼうぜん》としている。
「わしが大助を船室に運んで休ませるきに、おんしらは横帆を回せ」
そのとき大助が頭をぶるっと振った。
「待ってくれ。これぐれえのことでへたばる泊浦の大助じゃねえ。わしもブレイスを引く」
立ち上がった大助は、四股《しこ》を踏むように腰を落として両足を踏ん張り、ブレイスロープを引きはじめた。風をはらんで千切れそうな横帆が、わずかに角度を変えていく。
高次も大助の気迫を感じて、ブレイスロープを引く手に力をこめた。
「やれ引け。それ引け。もう一息じゃ」
高次は両肩が抜けるほどブレイスロープを引きながら、咸臨丸で太平洋に乗り出して初めて、自分たち塩飽衆が力を合わせて働いているという一体感をもった。
「ええじゃろう。それだけ風を流せば、咸臨丸はもう転覆《かえ》らぬ」
万次郎が白い歯をのぞかせて塩飽の男たちを見た。高次も佐太次も大助もびしょ濡《ぬ》れの顔に笑みを浮かべた。
乗組員の祈りが天にとどいたかのように、出港七日目でやっと風がおさまった。朝起きると黒い厚雲は去り、薄いすじ雲の切れ目に待望の青空が見えた。
「お天道様じゃ」
雲間からさしこむ陽光が、鉛色の海面に照り返った。日本人乗組員の顔に、初めて安堵《あんど》の色が浮かんだ。昼にはマストの上に青い空が広がり、出港してから初めての快晴になった。
「富蔵兄い。お天道様が見える。甲板に出て体を風に当てたがよい」
富蔵が高次の肩を借りて甲板に出た。太平洋の海面の色が、青空を映して濃い蒼色《あおいろ》に変わり、小波《さざなみ》が太陽の燦《きらめ》きを眩《まぶ》しく照り返してきた。
「おお。波がおさまっちょる。……それでここは、どのあたりじゃ」
「わしにもわからぬ。まだアメリカは遠い先じゃと万次郎さんはいうておった」
アメリカ人海兵が濡れた衣服を、甲板にところ狭しと干しはじめた。それを見た日本人乗組員も、船べりやロープに濡れ物を干し、咸臨丸の甲板は満艦飾になった。
濡れた衣服が軽やかに風にはためき、アメリカ人海兵の干したベッドシーツが、陽光に眩《まばゆ》い白さを反射している。濡れ物を干し終わると、ハッチを開けて船室の防水窓を開けた。
大時化《おおしけ》で船内がべっとりと湿り、嘔吐物《おうとぶつ》のにおいが充満している。部屋の扉を開け放って総員で雑巾掛《ぞうきんが》けした。防水窓から清々《すがすが》しい空気が流れ込んできて、爽《さわ》やかな潮風の匂いが船内に満ちた。
「ええ気持ちじゃなあ」
高次は海風の香りが大好きだった。子供のころ小舟に乗って海に出て、夏の黒南風《くろはえ》が運んでくる潮の香を吸い込めば、気分が晴れ晴れとした。嵐を乗り切った咸臨丸は、いま太平洋の快い海風に包まれていた。
甲板のいたる所で、日本人乗組員が座り込んで、火鉢を抱えて熱い茶を飲み、煙管《きせる》煙草を咥《くわ》えている。茶を飲みながら煙管煙草を吸う習慣は、江戸期の日本人の特徴的なものであったが、船上生活の火鉢と煙管煙草は危険である。長崎でオランダ人教官が、日本人のこの悪習慣を止めさせようとしたが、勝が大の煙管煙草好きだったために、ついに改まらなかった。
元気なときなら富蔵も煙管煙草をたて続けに吸い、火鉢に灰をポンポンと落としただろう。だが青白い顔に髷のほつれをへばりつかせた富蔵は、煙管煙草を手に取ろうとしなかった。高次は煙草を吸わなかったが、富蔵には煙管煙草をたて続けに吸ってもらいたいと思った。
船室の清掃を終えて富蔵を寝かしつけた高次は、竃《かまど》に火をつけて塩飽粥《しわくがゆ》を作った。塩飽粥とはお茶の葉に塩をふり、数年間発酵させた茶葉を粥の味付けに使う。これは塩飽の千石船乗りが古くから愛用した粥で、航海中の船酔いと腹下しによく効いた。
船酔いで倒れた日本人のほとんどが、出港してからまともな食物を口にしていない。とくに乗船前に風邪をひき、腹痛のまま乗船した勝の衰弱はひどかった。高次は温かい塩飽粥を艦長室に運んだ。
「勝艦長。体の具合はいかがですか」
「……おお……高次か……」
勝が憔悴《しようすい》した顔を上げた。
「船酔いに効く塩飽粥を持ってきました。これを腹に入れれば体が楽になりましょう」
いつもは勝気な視線を放っている勝が、乱れた髷のほつれを顔にまとわりつかせて、必死に体を起こそうとした。
「そのままでいてください。わしが口にお運びいたします」
高次は二回にわたる長崎の海軍伝習所の生活で、勝と親しく口をきくようになった。勝はずけずけと水夫に苦情をいったが、高次たち塩飽衆を丸山|遊廓《ゆうかく》に連れていく粋《いき》な一面ももっていて、高次は飾らない勝の人となりが好きだった。
勝が乗船時に寝込んだ心労の原因は、出港前に咸臨丸に悪い出来事が重なったからである。日米修好通商条約の批准のために、正使の新見豊前守《しんみぶぜんのかみ》が日本に滞在中の米艦ポーハタン号でアメリカに行くことが決定したとき、事故があった場合の備えとして、正使代役の木村摂津守を乗せた随行艦を、別船仕立てで航海させることが決まった。
随行艦の艦長に決まった勝は、品川沖に繋留《けいりゆう》されている二隻の幕艦「朝陽丸」と「観光丸」のうち、太平洋横断に適した艦は、小型だがスクリュー推進の朝陽丸だと判断して、幕閣の了解を取り付けて準備にかかった。
だが軍艦のことなどまるで知らない軍艦奉行の井上|信濃守《しなののかみ》が、朝陽丸は小型のために危険であり、大型の旧式外輪船の観光丸に変更せよと命じてきた。勝は癇癪《かんしやく》を起こして抗議をした。外輪式よりスクリュー式のほうが、外洋の航海に適していることは、当時の世界の常識である。だがそれをいっても幕閣にわかる者がいない。結局勝の主張は聞き入れられず、大きいというだけの理由で、旧式の観光丸の準備が進められたのであった。
ここでふたたび問題が起こった。ブルック一行がアメリカまで乗り組むことが正式に決まり、海を熟知したブルックの意見で、旧式な外輪船は危険なために取り止めとなり、浦賀で修理を終えたスクリュー式の咸臨丸を使うことが、突如決まったのである。
勝にとって咸臨丸は手足も同然な軍艦であった。第二回長崎海軍伝習のとき咸臨丸がオランダから到着し、勝は九州近海を幾度も航海した。船底まで見知った咸臨丸だが、勝を無力感が襲ったのは時間であった。出港までにほとんど時間がない。出港までのわずかの時間で、観光丸のすべての船荷を、咸臨丸に積み替えねばならない。
その負担が塩飽衆に重くのしかかった。船荷は米俵だけでも、大きな四斗俵が百九十俵積んである。大きな米俵を甲板に担ぎ上げ、伝馬船に積み込んで、ふたたび咸臨丸の船底に運び込む。水樽《みずだる》、味噌《みそ》樽、醤油《しようゆ》樽などの重い積み込み物資は多量である。その積み込み仕事をやるのが、すべて塩飽衆の力仕事であった。昼夜の重労働の疲れから、塩飽衆の不満がみなぎり、大助が塩飽衆を引き連れて、下船するといきまく事件が起こった。
勝は口では強気の啖呵《たんか》を切るが、内心では下の者の面倒を親身になって見る男である。その事件は勝が、塩飽衆の俸給を二倍にすることでおさまったが、出航まぎわまで勝の細部への気遣いはつづいた。
咸臨丸提督の木村摂津守は、性格は穏やかであるが、下情には通じていない。咸臨丸一隻を出港させる苦労を勝一人が一身にしょいこみ、その疲れで風邪をこじらせて腹痛をおこし、そのまま咸臨丸に乗り込んだのであった。
諭吉が千両箱を担いで甲板にあらわれた。それは木村摂津守からの乗組員への嬉《うれ》しい褒美金だった。航海のことはなにもわからない木村摂津守は、百人ほどの士官と水夫・火夫が小さな船に乗り、二月ほどを太平洋上で過ごせば、下働きで苦労するのは、水夫や火夫たちである、水夫たちの働きを切所切所で認めて、恩賞を与えてやり、やる気を出させることが咸臨丸提督の仕事であるとして、代々家に伝わる家宝を売りはらい、三千両を用意した。さらに幕府から五百両を借金して、アメリカ上陸に備えてメキシコ銀貨に両替えした。その千両箱の一つが棚から落ち、高次たち三人が大慌てで拾い集めたのである。
「これは木村摂津守様からの御褒美金じゃ」
嵐を乗り切った水夫一人一人に、諭吉の手から褒美金が手渡された。
「木村の殿さんも気がきくのう」
凪《なぎ》の一日も嬉しかったが、高次は褒美金を手に笑顔を見せた。水夫仲間の評判では、木村摂津守は温和なだけの人物らしいが、こうした心配りができるのは、やはり人の上に立つ特質であろうと高次は思った。
温帯低気圧の暴風雨を乗り切ってから、順調な航海がつづいた。日本人士官も当直に立つようになった。暴風雨を乗り切ってから、日本人水夫の万次郎への態度は一変した。とくに波にさらわれたとき、万次郎に体を張って助けられた大助が、万次郎を「土佐万殿」と呼んで、
「土佐万殿はなあ、本当の船乗りじゃ」
と仲間に吹聴《ふいちよう》するようになった。
寝込んだままだった勝が甲板に姿を見せた。ブルックが万次郎を通訳にして、勝に話しかけるのを高次は見ていた。勝の顔色はまだよくないが、小柄ながら背筋を伸ばした姿勢で甲板に立ち、鋭い見透かすような目で海を見ている。
ブルックの航海の報告を、勝が機嫌良さそうにうなずいて聞いている。咸臨丸には豚二頭の他に、鶏が三十羽、家鴨《あひる》が二十羽飼われていた。毎朝ブルックが差し入れてくれた貴重な生卵と、葡萄酒《ぶどうしゆ》を飲んで健康をとりもどしたようだ。ブルックは勝が病気で寝込んでも、勝の艦長としての立場をつねに気遣い、尊敬の念をもって接することを忘れなかった。
万次郎から教えられた現在位置は、北緯四十一度五分、東経百五十二度十分だった。船足は悪くなく、東経ですでにハワイ諸島を越えていた。
うねりが小さくなった海を見て高次が提案した。
「どうじゃ大助。ここらでロイヤルマストまで登ってみんか。万次郎さんがわしらも登れるといってくれた」
ロイヤルマストとはメインマストの最上部であり、ここにロイヤルセイルを張って全帆とする。
「よし。行くか」
高次は穏やかな海でマストに登りはじめた。大時化で体が海に慣れたせいか、恐怖心は少なく、最上のロイヤルまで登りつめて、感無量で太平洋を眺めまわした。
「この大きな海が、アメリカまでつづいておるのか」
白い小波《さざなみ》を浮かべた海原が、果てしなくつづいている。地球が丸いということが、水平線の丸みで実感できるようだ。高次は飽きずにロイヤルマストから、太平洋の雄大な眺めに見入った。咸臨丸はひたすらアメリカめざして帆走していく。
北緯四十二度を超すと寒さが厳しく、風に小雪がまじって雹《ひよう》が降った。高次の心配は富蔵の病気だった。寒さが厳しくなったために風邪をこじらせ、嘔吐《おうと》と下痢をくり返している。富蔵だけではなく三十人を超える乗組員が、湿った着物と布団が原因で病床についた。滋養があり体が温まる薬酒が病人に配られたが、富蔵はなかなか回復しなかった。
咸臨丸の三本マストに全帆が張られた。寒さをました北太平洋の航海がつづく。目的地のサンフランシスコが近くなり、石炭の残量を気にすることなく、蒸気|汽罐《きかん》が焚《た》かれる日が多くなった。風が弱まるとスクリュー推進で前進した。
「アメリカはもうすぐじゃ」
高次は蒸気スクリューが立てる振動を、心強く感じながら富蔵を励ました。アメリカに上陸すれば、富蔵の病気は回復するだろう。
だが高次は人に明かせない苦しみをもっていた。それは塩飽衆の海の誇りが、太平洋に乗り出して、ずたずたに切り裂かれたことだ。高次は出港前まで塩飽衆が、日本で一番の航海上手だと信じていた。それは事実であり、高次も大助も佐太次も海から生まれたような偉丈夫で、海軍伝習所の五十人のつわものに選ばれた。だが嵐の太平洋に乗り出すや、塩飽諸衆の航海術と体力は、アメリカ人海兵の足元にも及ばないことがわかった。万次郎に助けられてマスト登りの恐怖を克服したものの、高次の海の誇りは消し飛んだ。塩飽衆の頭目を自認している高次は、富蔵を看病しながらその思いに苦しんだ。だがその胸中は誰にも話せない。
小きざみな蒸気汽罐の振動音がひびく船室に、鼓膜が破れるような轟音《ごうおん》がとどろいた。
「なんじゃ。この音は」
高次は肝をつぶして甲板に飛び出した。
万次郎が煙を上げる大砲の後ろに立っていた。
「三十二ポンド砲の試射じゃ。咸臨丸に積んだ全砲の試射をやっておく」
つぎつぎと鳴りわたる轟音は、サンフランシスコが近づいた証《あかし》であった。
「万次郎さんの測量では、あとどのくらいでサンフランシスコに着きますかのう」
「この上天気《じようてんき》がつづけば、あと三日後ぐらいじゃな」
「三日ですか。待ち遠しいですな」
長い航海に慣れたアメリカ海兵にとっても、生まれ故郷のアメリカ大陸が近づいてくることは、躍り上がるような喜びであった。海兵の顔に笑いが見られる。
初めて太平洋に出て恐ろしい嵐に痛めつけられて、自信を吹き飛ばされた高次であったが、目的地サンフランシスコが近づくことは、なにものにもかえがたい喜びだった。
翌朝、勝から船内大掃除の命令が下された。高次は砂をまいて椰子《やし》の実で甲板を擦《こす》り、海水で何度も洗い流した。船内はとくに念入りに洗われた。ハッチと天窓を開け放ち、雑巾掛《ぞうきんが》けを再三行い、新鮮な風が通された。水に濡《ぬ》れた不用なものは捨てられた。
高次は伸びた富蔵の月代《さかやき》を剃《そ》った。陸が近づいてきたせいか、月代を剃った富蔵の顔に生気がもどった。
その日の夕方に、ブルックが全員を甲板に集め、自分が天測した数字を示した。
「私の天測では明日の早朝に、サンフランシスコの山なみが見えるはずだ」
おおっと歓声があがった。
「ジョンマン。君の予測はどうか」
「ブルック大尉と同じです。あすの早朝には陸が見えると思います」
高次はその晩眠れなかった。富蔵を看病しながら早暁を待ち、寅《とら》の刻(午前四時ごろ)に甲板に出てマストに登った。アメリカにはやく着けば富蔵の病がよくなる。
安政七年(一八六○)、二月二十六日。高次はサンフランシスコの山なみを見るべく、咸臨丸の前方に目を凝らした。東の水平線が白みはじめた。空に雲はなく、水平線にそって眉《まゆ》のようなすじ雲が見えた。
卯《う》の刻(午前六時ごろ)。望遠鏡を目に当てた万次郎の第一声が上がった。
「見えたぞ。左舷《さげん》の前方に山だ」
高次も左舷前方に目を凝らした。だが肉眼ではまだ見えない。水平線はさらに明るさをました。右手の先にはっきりと動かぬ黒い山かげを見た。
「おおっ。山じゃ。山が見えたぞう」
高次が右手を突き出した。咸臨丸の船尾に日の丸が揚がった。日本人初の太平洋横断は成功した。サンフランシスコは間近である。
カリフォルニアの空は青く澄みわたり、空気はからりと乾いて清々《すがすが》しかった。
高次は船べりから初めて目にするアメリカの遠景に見入った。サンフランシスコ湾を囲む山々は、ところどころ赤茶けた剥《む》き出しの地表が見えるが、多くは緑の潅木《かんぼく》が生い茂って、明るい陽光に緑の葉が輝いている。湾を囲む美しい緑の山々が、サンフランシスコ湾を外海の荒波から守り、波静かな湾内に洋式帆船が碇泊《ていはく》していた。
高次はサンフランシスコに来たからには、航海中のことは忘れて、異国の暮らしぶりを見てやろうと心に決めた。
水先案内人が咸臨丸に乗船した。蒸気スクリューで湾内に微速前進すると、湾内奥深い高台に城塁と思われる砲台があり、何百門という砲門が海に向いていた。万次郎がサンフランシスコ湾を護るアルカトラス島の砲台だと乗組員に説明した。
アルカトラス島の砲台の中央のポールに、アメリカ合衆国の国旗が三度上下された。
「おおっ。わしらを歓迎しておるんじゃ」
高次はその光景に感激した。咸臨丸も日の丸を三度上下して、これに応《こた》えた。
左舷に小島があらわれた。海鳥の糞《ふん》で岩膚《いわはだ》が白くなり、無数の海鳥が翼を休めている。右舷の大きな島には白塗りの灯台が建っている。白い灯台はサンフランシスコの青く澄みきった空に吸い込まれそうである。高次は陽光が燦《きらめ》くサンフランシスコが一目で気に入った。これほど明るい太陽と乾いた空気なら、富蔵の病気はすぐに治るにちがいない。
咸臨丸が投錨《とうびよう》するとブルックがまず上陸した。役所に行って日本人乗組員の上陸手続きを済ませ、知事、市長と咸臨丸歓迎の準備をはじめるためである。
十年前にゴールド・ラッシュのサンフランシスコに、帰国資金を稼ぎたい万次郎が金掘りに来たとき、建てられたばかりの教会と五、六十の民家がある他は、掘っ建て小屋とテント小屋が立ち並ぶさびれた町で、金採掘場のサクラメント川をめざす金掘人が、泥道をとぼとぼと歩いていたと万次郎は語った。
高次はサンフランシスコ上陸を前にして、咸臨丸でアメリカ人海兵と生活した三十七日の経験から、日本人とアメリカ人に食物や体つきに違いはあるものの、同じ人間の暮らす家屋敷に、大きな違いはなかろうと考えた。
高次が聞き知っている唯一の外国のオランダと較べれば、アメリカ合衆国は新興国であり、首都のワシントンやボストン、ニューベッドフォードなど大きな町はすべて東海岸にある。金の採掘人が集まった西海岸のサンフランシスコなどは、江戸の町並みよりさびれた田舎町だろうと高次は想像した。
高次は日本から油紙に包んできた真新しい木綿の筒袖《つつそで》、股引《ももひき》に着替えた。足は草履である。上陸したブルックの手配により、咸臨丸の航海士官はダウネー知事、水夫と火夫と随行員は市長の歓迎会に招かれることになった。
着替えをすませた高次は、大助たちとバッテラに乗り込んだ。岸が近づいてきたが、サンフランシスコの町並みは、泥道に掘っ建て小屋しかないと想像していた町とまるで違っていた。三階建て四階建ての大きな石造りの建物が、海ぎわに建ち並んでいる。高次は大きな屋敷を驚きの目で見て、大助といいかわした。
「まるでお城のような屋敷ではないか」
「そうじゃ。江戸の長屋とは大違いじゃ」
岸壁にアメリカ人が待っていて、高次たち水夫を先導して歩きはじめた。高次が四十日ぶりに踏みしめた大地は不安定に揺れていた。体がまだ波に揺れているような奇妙な浮遊感があり、足元がふわふわと揺れておぼつかない。
高次が驚かされたのは、道一面に石が敷きつめられていたことである。石敷き道の両側に石造りの立派な建物が建ち並び、その前の緑の庭に赤、黄、紫の美しい花が植えられている。高次は想像していた町並みと、あまりに違うサンフランシスコに度肝を抜かれた。
「ありゃなんじゃ」
高次が驚いて足を止めた。先導するアメリカ人の前に、車輪のついた箱があり、その前に馬が二頭つながれている。
「箱に扉が付いておる。駕篭《かご》のようにも見える」
大助も首を傾《かし》げた。高次たちだけでは言葉が通じず、まるで様子がわからない。アメリカ人が手まねで箱に乗れという。
「なんだか知らぬが、乗ってみるか」
高次が恐る恐る乗り込んだ。扉の付いた箱が走り出した。
「わっ――」
同乗の佐太次も仰天して悲鳴を上げた。それは馬車だった。
石敷きの道を馬車は飛ぶような速さで進んで行く。高次たちが馬車で連れてこられたのは六階建ての大きな建物だった。玄関を入ると赤い毛氈《もうせん》が部屋中に敷きつめられていた。高次は裕福な老船頭が、高価な毛氈で小さな煙草入れを作ったのを見たことがある。それが何十畳の広い部屋の床に敷きつめられている。しかもアメリカ人は往来を歩いた履物で、毛氈の上を歩いている。高次には信じがたい光景だった。
こうしてはじまった高次のアメリカ文明への驚きは、その晩さらに強まった。男尊女卑の日本人には信じられない妻同伴の歓迎会、栓を指で押し上げると軽やかな音をたてて栓が抜けるシャンパン、女性がはいている裾《すそ》が腰の五倍も広がった袴《はかま》(舞踏用フープ)、テーブルに並べられた見たこともない肉料理や、色とりどりの野菜……。
高次がとくに信じられなかったものは、冬でもないのに氷があったことである。日本の初夏のような陽気なのに、アメリカ人は氷を飲み物に入れて飲んでいる。泡の出るシャンパンという酒も氷で冷やされていた。高次もシャンパンを飲んだが、その泡の酒の冷たさに面くらった。
高次は雪国|越中《えつちゆう》の氷室《ひむろ》から、真夏に将軍家に藁《わら》で何重にも包まれた氷塊が献上されるという話を聞いたことがある。それは将軍にのみ許される最高の贅沢《ぜいたく》であり、氷一塊を献上するのに二、三百両かかるといわれた。
だがアメリカ人はこともなげに氷をウエーターに運ばせ、平然と酒に入れて飲んでいる。高次はアメリカで見たこれらの驚きを、帳面に書き留めねばならないと思った。この信じられない出来事を克明に書き誌《しる》し、日本に帰って佐柳島の若衆宿で、自慢して話して聞かせてやらねばならない。
その晩高次は物珍しさに疲れはてて、興奮して帰路についた。帰り道でふたたび度肝を抜かれた。石敷きの道が昼のように明るい。道の横に立てられた大行灯《おおあんどん》のようなものが、眩《まばゆ》いばかりの光を放って、夜空に煌々《こうこう》と照り輝いている。日本では夜はうす暗い提灯《ちようちん》で足元を照らすくらいである。だがそれは太陽と同じくらいの明るさであった。高次は魔法でも見せられた気分になった。それが瓦斯《ガス》灯であることをむろん高次は知らない。
翌朝サンフランシスコの新聞に、日本からの訪客の記事が載った。いずれも好意と奇異の入りまじった論調で、アメリカ人がよく知る中国人と比較されていた。
武士の羽織袴については、こんな調子であった。
≪士官たちの服装は、清《しん》国の富豪の着物によく似ている。絹でつくられており、ズボンは女性のスカートのように、裾広がりである……≫
高次たち水夫の股引のほうが、アメリカ人の評判はよかった。
≪士官の服装にくらべれば、水夫たちのズボン(股引)のほうが、アメリカのズボンに近く、より実用的に思われた≫
歓迎会の興奮が醒《さ》めたあとの高次の心配は富蔵のことだった。勝の手配により衰弱の激しい富蔵と源之助が、サンフランシスコの海軍病院に入院した。海軍病院はサンフランシスコの海が見える、小高い丘の上にある大きな建物であった。一見大富豪の住む邸宅に似た広壮な建物である。
高次が病院を訪れたのは、富蔵と源之助が入院して三日目の朝だった。清潔で大きな病院には、一部屋に十七、八人がベッドに寝ている。洗いたての白い服を着た女性が、分け隔てなく病人の世話をしている。
看護婦の一人が高次を見てにっこり笑った。日本では遊廓《ゆうかく》の遊女でも、こんな愛想のいい笑い方はしない。高次は慌てて目をそらして富蔵に語りかけた。
「どうじゃ。ぐあいは」
「ああ……下着は毎日洗ったものと、取り替えてくれる。着物だって、頼みもしねえのに洗ってくれる……わしはお殿さんになったような気分じゃ……」
富蔵が弱々しく答えた。高次が目にした病院の清潔さ、医者の熱心な病人への対応は、信じられないものだった。食事と薬は病人によって品を変えてあるらしい。敷布も毎日取り替えてくれる。広い病室の通気にも気が配られ、空気が濁らぬように風抜き穴が壁に開けてあった。アメリカ人の看護婦は親切で笑顔を絶やさず、これならすぐ治るだろうと高次は思った。
江戸の官設の最高医療施設である小石川養生所は、この海軍病院と較べれば、とてもみすぼらしく、そして不潔であった。
〈どうしたらこういう美しい病院がもてるのか……〉
高次の胸にサンフランシスコの石造りの建物や、馬車を見て感心したときと同じ驚きと疑問が、この清潔な病院を見て広がってきた。サンフランシスコにいる間に少しでもアメリカを見て、わからないことは万次郎に訊《き》いて、見聞を広めねばならないと高次は心に決めた。
それから高次は勝に願い出て、富蔵の看護のために病院での寝泊まりが許された。高次にも付き添い人の小部屋が与えられた。病院内の清潔な小部屋に簡素なベッドが置かれ、四六時中富蔵の容体が見守れる。
「こげな看護のゆき届いた病院におれば、富蔵兄いもすぐようなる。元気になったら二人でサンフランシスコの町を見物に行こう」
「そうできれば、ええが……」
進んだアメリカをその目で見た日本人は、咸臨丸に乗り組んだ百人たらずである。高次と富蔵はその中に選ばれた数少ない日本人である。高次は兄貴分の富蔵に元気になってもらい、佐柳島に帰ったとき、誇らしげに若衆宿でアメリカの話をしてもらいたかった。
入院して五日目に、衰弱のはげしい源之助が死んだ。横のベッドに寝ていた源之助の死を目にした富蔵も気力を失くした。
「わしも死ぬかも、しれぬ……」
「なにをいう。共にアメリカに来たからには、アメリカのことを佐柳島に帰って、若衆宿で自慢して話さねばならん。そのことを思って富蔵兄いも気を強くもつんじゃ」
「わしは佐柳島に……はよう帰りてえ……」
「すぐ帰れるではないか。富蔵兄いはわしより力が強く、誰が見ても佐柳島一の若衆じゃった。そんな富蔵兄いが、気の弱いことをいうでねえ」
「お前は……わしより、相撲が強かった。……庄屋の墓も、担ぎ上げたしな……」
「佐柳島に帰って、もういちど相撲を取ろう。アメリカ帰りのわしと富蔵兄いが相撲を取れば、佐柳島中の娘っ子が見にくるぞ」
「娘っ子か……それは、ええな……」
富蔵は佐柳島のことを思い出したのか、憔悴《しようすい》した顔に泪《なみだ》を浮かべた。
「すこし寝たほうがええ」
高次は白いシーツのかかった毛布を、もう一枚富蔵に掛けてやった。
高次は付き添い部屋で横になり、千石船の船頭になりたがっていた富蔵のことを考えた。いかつい富蔵は節くれだった指先で、算盤《そろばん》をはじくのが得意だった。千石船を率いる船頭は、諸国の湊《みなと》で物品を買い付けて、帳面に記載して買い値を算盤ではじき、追い風を待って船荷を諸国に運ぶ。富蔵は誇りある塩飽島出身の船頭になって、そんな商いをすることを望んでいた。
「富蔵兄いの体が直って、元気に海の商いをしてもらいたいものじゃ」
だが富蔵の容体は悪化して、七日目に異国の病院で果てた。高次は幼いころから一緒だった富蔵の死に慟哭《どうこく》した。故郷の佐柳島に帰ってこそ、このアメリカの進んだ暮らしぶりが話せるのに、死んでしまってはそれも果たせない。だが考えてみれば秀吉の朝鮮出兵のときも、軍船を漕《こ》ぎ出した塩飽衆の多くが、朝鮮海峡で果てている。塩飽衆は船板一枚下は地獄の海だという覚悟をもたねばならない。それが海に生きる塩飽の男の宿命だと、高次は自分にいい聞かせた。
二人の遺骸《いがい》はリンカーン・ヒルの墓地に埋葬された。
「富蔵兄い。悔しかろうが、ここでゆっくり眠ってくれ。いずれ佐柳島にわしが墓を作ってやる。アメリカのことも島の者にわしが話してやる。そして富蔵兄いがやりたかった船の商いを、かならずわしがやってやる。……富蔵兄いよ。安らかにな……」
富蔵の死は高次に大きな落胆をもたらしたが、悲しみに打ちひしがれている暇はなかった。咸臨丸は嵐で船体も艤装《ぎそう》も傷んでいた。本格的な修理が必要な咸臨丸は、メーア島海軍造船所に向かい、高次は修理に追われることになった。
メーア島はサンフランシスコ湾の北の、緑の牧草地が広がる美しい島である。牛が放し飼いにされ、のんびりと草を食《は》んでいる。その牧草地の一角にアメリカ海軍司令部があり、ドックや修理工場が軒をつらねていた。
メーア島では日本人は大きな宿舎を与えられた。高次たちの陸上生活がはじまった。狭く不便な船内生活から解放された高次は、緑にかこまれた二階建ての宿舎でのびのびと寝て、朝早くから咸臨丸の修理の仕事にとりかかった。その忙しさが富蔵の死の悲しみを薄らがせてくれた。
咸臨丸の修理を開始して十日後に、メーア島のカニンガム司令官が、日本人乗組員を夕食に招いてくれた。勝たち航海士官はカニンガム司令官の屋敷に招かれ、高次たち水夫には海軍施設の大食堂が用意された。
メーア島で生活しはじめてから、日本人は咸臨丸の竃《かまど》で飯を炊き、宿舎に鍋釜《なべかま》を運び込んで日本食を食べていた。
「なにが食えるのじゃろう」
富蔵の死の悲しみが薄らいだ高次は、緑の牧草地を歩いて海軍の大食堂に向かった。牧草地の草が心地よい風になびき、放し飼いの牛がのどかに高次を見送る。
大食堂は壁が白く塗られ、長テーブルがいくつも並べられていた。アメリカ海軍の当番兵が長テーブルに白布をかけ、皿を並べ、ナイフとフォークを置いた。箸《はし》はなかったが、下船前に万次郎からナイフとフォークの使い方を教えられていた。
野菜が大鉢に盛られ、当番兵がそれを小皿にとって食べろと身振りでいう。高次は野菜を小皿にとった。つぎにガラス瓶に入った赤い酒が運ばれてきた。カリフォルニアで作られた赤ワインである。
歓迎会のときも赤ワインがテーブルに並んでいたが、高次たちは血のようだと気味悪がって飲まなかった。当番兵がグラスにワインを注いでまわり、将校の合図で全員が立ち上がり、ワイングラスをかかげて乾杯した。
高次は思いきって赤ワインを飲んだ。渋みのある酒のようで、日本酒と較べるとあまり酒くさくない。
「思ったより旨《うま》い酒じゃ」
大助が一口で飲み干した。高次もグラスを空にした。
「泡の出るシャンパンといい、この血のような赤い酒といい、アメリカ人は酒にもいろいろ工夫をしておる」
赤ワインの乾杯が終わると、大きな肉の塊りが皿に盛られた。
「こりゃなんの肉じゃ」
水夫たちが騒《ざわ》ついている。肉は草履ほどの大きさで、五分(約一・五センチ)ほどの厚さである。焼かれた面に黒い焦げ目があり、旨そうな匂いが立ち昇っている。
片ことの英語が話せる随行員の一人が、当番兵になんの肉かと尋ねた。
「草原におる牛ということじゃ」
大食堂に騒めきが広がった。高次は慣れない手つきで牛肉にナイフを入れた。血のしみた肉汁がしみ出し、すこし薄気味悪かったが、思いきってフォークで口に運んだ。噛《か》みしめると口中に肉の旨さが広がり、またたくまにステーキを平らげた。横に添えられた白い芋のようなものをフォークで刺して食べた。塩味の丸い芋のようなものは、口の中で溶けていくような味だった。
皿が空になったのを見た当番兵が、二枚目のステーキを運んできてくれた。
「腹いっぱい牛の肉を食えというのじゃな」
嬉《うれ》しくなった高次は、二枚のステーキを胃の腑《ふ》におさめ、三枚目が運ばれるのを待った。三枚のステーキを食べた高次に、米の飯とは違った満腹感がおとずれた。
「赤い血の色の酒を飲み、血のしたたる牛の肉を腹いっぱい食う。これがアメリカじゃ」
高次はアメリカ海軍の夕食に大満足であった。
咸臨丸の修理が進むと、ぶ厚い帆布が嵐の航海で傷んでいることがわかった。万次郎が調べた結果、帰路に破れる危険性がたかく、サンフランシスコの製帆所で一部を修理して、さらに新品一式を注文することになった。
航海士官と万次郎、そして修理する帆を担いだ高次たちが蒸気船に乗り、サンフランシスコに出かけた。日本では港の行き来に小舟の艪《ろ》を漕ぐが、サンフランシスコでは小型蒸気船が何十隻も走っている。
高次は通訳に多忙をきわめていた万次郎と、久しぶりにゆっくり話すことができた。新興国アメリカを見て尋ねたいことは山ほどあった。
「この進んだサンフランシスコの町には、どのくらいの人が住んでおりますかのう」
「六万四、五千人くらいじゃ。いまでも金掘りが来るために、この数年間で倍増しておる」
江戸の住民が、すでに百万人を超えていることを万次郎は知っていた。万次郎がそのことを高次に話すと、
「どうしてサンフランシスコは人が少ないのに、こんなに文物が進んでおるのです」
高次の抱いていた疑問が口をついて出た。
「一口ではいえぬが、アメリカでは誰でもその能力に応じて、自由に仕事が選べる仕組みになっておる。それを万人平等の民主主義《デモクラシイ》というのじゃが、アメリカでは身分や家柄に関係なく、能力のある者がいい仕事をする。その積み重ねが鎖国した日本との差になったのじゃろう」
「生まれたときから身分に縛られて、穀《ごく》つぶしの侍が威張っておる日本とは、えらい違いですのう」
「大きな声ではいえぬがそのとおりじゃ。アメリカは木樵《きこり》の子も、大統領になれる国じゃ」
「ということは漁師のわしでも、将軍になれるということですか」
「そうじゃ。高次も大統領になれる。だがアメリカが進んでおるのは民主主義だけではない。軍艦や汽車を造る工業力も桁違《けたちが》いに進んでおる。そのうち製鉄所を見学できるじゃろうが、日本もアメリカに追いつくように努力せねばならぬ」
「こんなええ国ができるのなら、わしは命を懸けて頑張ります」
高次の夢は軍艦で太平洋を渡ることだったが、それを成し遂げたいま、アメリカ文明の活力源を見たいという欲求にかられている。
一行は製帆所に帆を運びこんだ。そのあと万次郎と航海士官が打ち合わせに残り、高次たちはメーア島に帰ることになった。士官がいった。
「よいか。蒸気船の乗り方は、万次郎殿に教わったとおりにするんじゃ。それに勝艦長のお達しを、くれぐれも忘れるではないぞ」
「子供じゃねえ。それぐらいわかっておる」
大助がうそぶいた。勝から日本人として礼儀を守り、みだりに町を出歩かないようにお達しが出ていたが、高次も大助もサンフランシスコの町の隅々まで見たかった。蒸気船乗り場へ通ずる港町の通りには、いろいろな店が並んでいた。
お達しの一つに「勝手に酒食すまじきこと」があったが、サンフランシスコ到着時に、木村提督から褒美金のメキシコ銀貨の下賜があり、懐は豊かであった。
「重い帆を担いだから、喉《のど》が渇いたのう」
大助が町並みをきょろきょろ見まわした。
大助は高次とは別の意味で、サンフランシスコの商店街に興味をもっていた。誰憚《だれはば》かることなく異国の酒を飲み、帰国してから仲間に自慢話をしたいからである。
「おい高次。あれは泡の出るシャンパンという酒ではねえか」
店先に立った海兵らしい男が、ガラス瓶の栓をポンという音とともにあけ、うまそうに飲んでいる。
「わしらも飲もう。酒食するなというお達しなど、糞《くそ》くらえじゃ」
大助が店先に立ち、身振りでそれをくれといって、メキシコ銀貨を差し出した。
「釣り銭もくれたぞ。これでおぬしたちも飲め。わっははは」
アメリカ人との初交渉が成立して、子供のように喜んだ大助が、ごくごくと喉を鳴らして飲んだ。その直後、
「お、おおっ。喉が痺《しび》れて、息ができぬ――」
大助が喉をかきむしった。大助が飲んだのは「ラムネ」であった。シャンパンより発泡性の強いラムネの強烈な炭酸に、大助は喉を詰まらせたのである。
高次も舌を麻痺《まひ》させるような、初めて味わうラムネの発泡性の刺激に夢中になった。たてつづけにラムネを三本飲んだ。すると信じられない現象が起こった。
「あー、酔った。酔った」
日本酒を五、六杯あおったような強い酔いに、高次も腰を抜かして道ばたに座り込んでしまった。単なる発泡水のラムネであるのに、初めての炭酸の刺激で、酩酊《めいてい》状態に陥ったのである。
その帰路、高次はラムネを五本買い、大助たちとリンカーン・ヒルの墓地に行き、ラムネと赤い花を墓に捧《ささ》げて両手を合わせた。
「酒が好きだった富蔵兄いに、ラムネを腹いっぱい飲ませてやりたかった」
高次が残念そうに墓に語りかけ、ラムネの栓を抜いて墓にかけてやった。
翌日、咸臨丸は海水を満々とたたえたドックに入った。
高次は万次郎から、咸臨丸が海水の入ったドックの中でもち上げられて、陸に置かれた状態と同じ高さになると聞かされていた。
「こげな大きな咸臨丸が、どうしてもち上げられるのじゃ」
高次が不思議そうにドックを覗《のぞ》いている。
「ほんとうに船底が見えるのかのう」
大助も興味津々である。
日本人が見守るなか、ドックに入った咸臨丸が浮かし道具によって、しだいに高くもち上げられた。
「おう。咸臨丸が高々ともち上げられたぞ」
やがて海水が引き、咸臨丸はドック内で、陸に置かれたと同じ状態になった。
「これはたまげたことじゃ。これなら船底も丸見えになる」
高次はこの恐るべき光景が、アメリカ人の底力であろうと感じ入った。
造船所の工場の巡見も許された。高次が見たのはすべて蒸気|汽罐《きかん》を動力として、機械が行う錬鉄作業であった。日本では鍛冶屋《かじや》が鉄槌《てつつい》で叩《たた》くが、メーア島の海軍工場では、人間の手を必要としない大きな蒸気機械が、鉄を引き伸ばして切断し、削っていく。
日本では鉄は小判と同じ貴重品であった。江戸で名物の大火事があると、貴重品の焼け釘《くぎ》を拾おうと、「焼け釘拾い」が焼け跡に群がってくる。だがアメリカで鉄屑《てつくず》は塵《ちり》のように捨てられる。
高次は万次郎に尋ねた。
「黒船が来たとき、こげな進んだアメリカを相手に、戦《いくさ》をして勝つなどと侍どもは息まいておったが、わしは勝てるわけがないと思う。どうですかのう」
「そのとおりじゃ」
万次郎が低声《こごえ》で答える。
「わしがアメリカの進んだ文明を話しても、誰もアメリカのことを知らんきに信じてもらえんかった。だがこれでわしの言葉を、すこしはわかってもらえるはずじゃ」
アメリカの桁違いな工業力を、その目で見せられた高次は、その晩万次郎の部屋を訪れた。
「日本でこれからわしらは、なにをしたらええのですか」
「いろいろあるが、わしは捕鯨船で金を稼ぐべきじゃと考えとる」
万次郎は捕鯨船と縁が深かった。漂着した孤島から救助されたのも、アメリカの捕鯨船によってである。捕鯨の町フォアヘブンで高等教育をうけて、本格的に捕鯨船に乗り組んで、喜望峰を越えて捕鯨にいった。
「巨《おお》きな鯨から採れる鯨油は、なんにでも使えるんじゃ。ランプの油、蝋燭《ろうそく》、アメリカでは灯台で鯨油が燃やされて、夜も明るく海を照らしておる。捕鯨船で鯨を獲《と》れば日本中がうるおうことになる」
日本が開国を迫られた原因は、アメリカの捕鯨であった。喜望峰から赤道を越えて北太平洋に進出したアメリカの捕鯨船団が、日本の港で薪水を補給したいために、ペリーが黒船四隻で開港条約の締結を迫り、日本はそのために開国を余儀なくされた。
万次郎は勝をはじめとする咸臨丸の幕臣が、進んだアメリカをその目で見たために、これから日本人も、海外に大きく目を見開くだろうと期待をもった。日本に帰ったら勝たち幕府高官の理解を得て、捕鯨に乗り出したいというのが万次郎の夢のようである。
「鯨獲りですか。ええですなあ」
「高次もアメリカ式にいえば、大きな夢の可能性を持った若き一|市民《シチズン》じゃ。おんしのような海を知った男が、これからの日本の海を拓《ひら》いていかねばならん」
「日本をこういう国にするためなら、わしは捕鯨でもなんでもやりますぞ」
高次の胸の中で夢が少しずつ形づくられてきた。
メーア島での咸臨丸の修理は終わりに近づき、サンフランシスコ出発の日が近づいた。
高次たちの最後の仕事は、巨大な船底の水槽への貯水作業である。船底に二十四個のタンクが設置され、百二十石(約二万一千六百リットル)もの飲料水を注入する。出港前に数十人がかりで、タンクを満水にする作業は、桶《おけ》を担いで船内を上り下りしたために、体がふらふらになる重労働であり、水夫に不満がみなぎった。だがメーア島には蒸気で動く「フライドスポイト」という噴水筒があり、体を休めたまま一刻(二時間)で、二十四個のタンクが満水にできた。
「機械というものは恐ろしく便利なものじゃ。こういう機械をもつアメリカに、はやく追いつかねばならぬ」
重労働から解放された高次は、最後までアメリカの底力に驚かされた。
咸臨丸がメーア島にドック入りした日から、咸臨丸の修繕を助けてくれたブルックが、サンフランシスコを離れる日がやってきた。ブルックはサンフランシスコ到着後、航海中に日本人乗組員が、ほとんど役に立たなかった事実を、知人や新聞記者に一言ももらさなかった。部下にもそのことを守らせたばかりでなく、新聞『デイリー・アルタ・カリフォルニア』紙に、日本人を称《たた》える談話を発表した。
≪日本の水夫たちは、船乗りとしてなすべき仕事に習熟していた。水夫たちはマストに登り、機敏な動作で帆を操った。……(中略)すべてのことが最初から巧みに行われ、士官たちは柔和で、人間味にみちた人々であった≫
この新聞記事は万次郎によってすぐ翻訳され、士官に読まれた。字が読める高次も読んだ。ブルックは日本人乗組員を、二等水夫にも見做《みな》していなかったはずだが、日本人を誉め称える内容である。船乗りとしてのブルックの真意は、すぐれた船乗りは荒海の経験から育つもので、日本人乗組員は太平洋上で十分にその試練に遭い、海の男として成長したと見たからなのであろう。
ブルックの記事を読んで、逆に高次の気持ちは暗くなった。ふたたび高次の心の中に、嵐の太平洋で塩飽衆の誇りが、木っ端|微塵《みじん》に打ち砕かれたことが思い起こされたからである。ブルックや万次郎に助けられてマストに登り、太平洋の波濤《はとう》を乗り切ったものの、高次は塩飽衆の航海術そのものに自信をなくしていた。
出港の日が近づくと、これから日本人だけで航海しなければならない高次の心は、不安で重く沈んできた。
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第二章 脱藩浪人
嵐にみまわれた往航と違って、ハワイに立ち寄った復航は上天気に恵まれたが、高次はブルック一行のいない咸臨丸《かんりんまる》の航海に、強い懸念を抱いていた。自分たち塩飽衆《しわくしゆう》は正確に舵《かじ》が取れるのか。嵐の海でもマストトップまで登れるのか。航海士官は六分儀で現在位置を正しく測定できるのか。……頼りにできる万次郎がいるものの、日本人だけで昼夜なく船を進めることを思うと、不安がより強まってくる。
案の定、数日間は帆がうまく張れず、船足は苛立《いらだ》たしいほど遅かった。くわえて塩飽衆の舵取りが不安定で、舳先《へさき》が大きく左右に蛇行した。高次は出港後の四、五日は、万次郎が一日一刻(二時間)ほどの仮眠をとるだけで、自分たちを日夜指導するために気が重かった。だが太平洋を十日間も帆走すると、咸臨丸は満帆に順風をうけて、日本人だけで快走できるようになった。
高次も万次郎の指導下で舵を取った。小さいときから海に生きてきた高次は、数日間で風を読み、波を見て、咸臨丸を正確無比に航行させられるようになった。それは暗夜のマスト登りも同じであった。ブルックがいったように航海術の上達は、荒海での経験の積み重ねであることが、太平洋を横断して身にしみてわかった。
咸臨丸を進める高次の胸に、ふたたび塩飽衆の誇りが立ちかえってきた。
高次は日本が近づくにつれて、アメリカでの強烈な印象が、より強くなってくるのを感じた。それまで高次の見た異世界は、長崎出島のオランダ人だけだったが、新興国アメリカの底力は凄《すさま》じいものがあった。港を走る無数の蒸気船、蒸気で動く巨大な製鉄工場、清潔な大病院、模型で見た蒸気で陸を走るという機関車、どれをとっても日本は足元にも及ばないものばかりである。
とくに高次の心を強くとらえたのは、誰でも大統領になれるというアメリカの自由な身分制度であった。日本では生まれたときから、徳川幕府の不当な身分制度に縛りつけられていて、漁師は死ぬまで低い身分から脱け出せない。そのために高次はアメリカの自由な身分制度が、よけいに素晴らしく思えた。
当直明けになると、高次はアメリカで見聞したことを書きつけた日誌を開き、さらなる感想を書き足した。メーア島の海軍司令部で見た、細い鉄線の中を雷《いかずち》が走る電信機という機械は、いまだに理解できなかった。万次郎は雷と同じ電気というものを使って、鉄線の中で互いに言葉を伝え合う機械だと説明したが、日本人乗組員で電気という概念[#「概念」に傍点]を理解できる者は誰もいなかった。
万次郎は「ダゲレオ写真機」という人の姿を吸いとる機械を買った。アメリカ人の写真技師から、撮影法をくわしく学んだ万次郎が、その機械で高次の姿を写してやるといったが、高次は魂を抜き取られそうな気がして逃げ出した。
アメリカ人は日本人が想像できない数々の機械を作りだしていた。高次がそうした機械以外でとくに感じ入ったことは、アメリカ人が日々の暮らしを、心から楽しんでいることだった。七日に一度をサンデイと呼んで休日にして、家族ともども緑の芝生で食事をする。日本では考えられない習慣だった。食事は肉も野菜も豊富である。高次はそんなアメリカに近づくための海の仕事がしたかった。万次郎は捕鯨がいいといった。捕鯨もおもしろそうだと思ったが、勝の考えを聞きたかった。艦長として公用で多忙だった勝とは、サンフランシスコで話ができず、将来を見通す力をもった勝がアメリカを見て、これから日本でなにをなすべきか、考えていることを知りたかった。
甲板の見回りに歩いてきた勝に高次は尋ねた。
「勝艦長。わしは日本に帰ってから、どんな仕事をしたらええのでしょう」
「おう高次か。いいことを訊《き》くじゃねえか。どうやらお前もアメリカに行って、すこしは物を見る目がついたようだ」
美しい夕陽の沈む太平洋を見ながら勝が語りはじめた。
「おれは軍艦で交易することだと考えている。日本がアメリカと肩を並べる国になるには莫大《ばくだい》な金がいる。だが日本は米と麦と大根しかねえ貧乏国だ。これじゃ百年かかってもアメリカには追いつけねえ。だからなによりもまず開国して、軍艦でどしどし海に乗り出して、交易するしか手はねえんだ」
「万次郎さんは捕鯨がいいといっておりました」
「軍艦も捕鯨も同じだな。つまり海から銭を稼いで、日本を生まれ変わらせていくというわけだ。アメリカでは木樵《きこり》の倅《せがれ》でも大統領になれるが、日本は将軍一人を守るために、上から下まで右往左往してやがる。そんなことじゃいけねえ。これからはお前さんたちのような世界を見た海の男が、軍艦で外国に乗り出していくことだ。そのために高次も海の仲間をこしらえることを、せいぜい考えておくがいい」
勝はサンフランシスコ滞在中に、造船所、鉱山、造幣局などを見てまわった。とくに勝の興味を引いたのは、サンフランシスコ市の議会政治であった。議会では市民に選ばれた議員が壇上に立ち、自分の意見を堂々と演説する。それを聞いた別の議員が挙手をして立ち上がり、まっこうから反対意見を述べる。熱気にみちた議会では、物ごとの是々非々が納得いくまで議論され、相手の立場を尊重しつつ、是か非かの結論を出す政治が行われていた。そこには自由で平等な空気が満ちていた。日本は家柄だけが重んじられ、無能でも幕府の老中や若年寄に任じられる。そういう身分制度に縛られて行う形式的な徳川幕府の評定所では、考えもつかない光景であった。
その勝が、日本をアメリカに追いつかせるために考えた第一の仕事が、軍艦で海外に乗り出して交易することだった。そのために高次に海の仲間をつくれという。高次は万次郎の捕鯨にしろ勝の軍艦にしろ、なすべき海の夢の形が見えてきた気がして、日本に帰るのが待ち遠しくなった。
万延《まんえん》元年(一八六〇・三月に改元)五月五日。鯉のぼりがひるがえる端午の節句の昼下がりに、咸臨丸は浦賀に帰港した。三浦半島の空は、五月晴れに晴れわたり、サンフランシスコと変わらない爽《さわ》やかな風が吹いていた。高次は陸の匂いが混じった風を胸いっぱい吸い込んだ。日本に帰ったという実感が、体中に広がってきた。
浦賀沖に錨《いかり》を下ろした咸臨丸に、小舟で漕《こ》ぎ着けた浦賀船番所の役人が、あたふたと乗船してきたのに高次は気づいた。甲板に立つ勝の顔に、得意そうな笑みが浮かんでいる。死ぬような目に遭って太平洋を越え、ふたたび無事に日本に帰港した咸臨丸の壮挙を、幕府役人は諸手《もろて》をあげて出迎えるに違いないと、勝は思っているはずだ。
乗船するや船役人が、咸臨丸の乗組員を取り調べると声を張り上げた。船役人の話では、この三月に井伊《いい》大老が桜田門外で殺された。襲ったのは攘夷《じようい》を叫ぶ過激な水戸浪士であるらしい。その残党が各地に逃げ潜んでおり、それで咸臨丸を取り調べるという。
勝の顔色が変わったのがわかった。アメリカから命懸けで帰ったばかりの咸臨丸の乗組員の、なにを調べるんだと、勝は癇癪《かんしやく》を起こして怒鳴りつけた。勝の凄《すさま》じい剣幕に、船役人は平身低頭して引き上げていった。
桜田門外の変の話は、すぐ船内に広まった。日本では過激な攘夷浪人が開国論者を斬殺《ざんさつ》して、国を鎖《と》ざそうとしている。蒸気で鉄板を鍛錬するアメリカ相手に、攘夷浪人が血刀を振りかざしても、蟷螂《とうろう》の斧《おの》にもならないことは、いまの高次にはよくわかった。
心配なのは攘夷浪人の開国への影響だった。世の動きが開国から鎖国に逆行すれば、驚きの目で見てきたアメリカが遠のく。だが一水夫の高次が腹を立てても、世の流れはどうしようもないことであった。
翌日品川沖に向かい、高次たちは五ケ月ぶりに上陸した。サンフランシスコ上陸時の大歓迎と違って、咸臨丸を出迎える者は誰もいない。高次はいささか気落ちしたが、咸臨丸の乗組員の功労は認められ、水夫にいたるまで多額の恩賞が下された。
三十両の大金を懐にした高次は、なによりもまず風呂《ふろ》に入りたかった。
「おい大助。侍どもの斬った斬られたは、わしらには関わりねえことじゃ。吉原にくりだして風呂に入り、垢《あか》を落としてから酒を浴びるほど飲もう。先のことを考えるのはそれからじゃ」
「それがええ。佐太次もつれていこう」
三人は日の暮れた道を吉原に向かった。高次が上陸して感じた日本の印象は道が狭く、とても暗いということだ。サンフランシスコの石敷き道は、火力の強い瓦斯《ガス》が燃やされて、目が眩《くら》むほど明るく道を照らしていた。瓦斯どころか鯨油もない日本の暗さは、世界が見えない攘夷の暗さだと高次は思った。
酔客が群れ歩く吉原の明るさに、高次は思わず立ちすくんだ。立ち並ぶ行灯《あんどん》に火が入って、吉原一帯が明るく華《はな》やいでいる。吉原までの道が暗かったために、よけい目の眩む思いがした。
「ここだけはアメリカのようじゃ」
高次は皮肉の眼で、煌々《こうこう》と明るい吉原を見た。日本で酔客が吉原で酔夢にひたっているあいだに、アメリカでは蒸気船が造られていく。なにも知らないことはしあわせかもしれないが、アメリカの進んだ文物を見てしまった高次には、たまらない気がした。
遊廓《ゆうかく》の格子戸から、客を引く嬌声《きようせい》が聞こえてきた。気持ちを切り替えた高次は、小判を一朱銀に替え、百目|蝋燭《ろうそく》に明るく照らされた座敷に上がり、遊女と幇間《たいこもち》を集めた。そして咸臨丸の帰国を無視されたうさを晴らすべく、一朱銀を勢いよくばらまいた。
もともと船乗りは気が荒く、港での金遣いは荒い。それが半年ものあいだ女気無しで太平洋の荒波に揺られた。そして日本に帰り着いたら、攘夷の嵐が吹き荒れて落胆したが、懐にはしこたま褒美金が入っている。高次でなくとも気は大きくなり、遊女相手の乱痴気騒ぎは果てしなかった。高次たちは日焼けした顔を酒でさらに赤くして、その晩は気絶するほど酒を飲み、夢うつつで遊女の体を抱いた。
翌朝も朝から酒を飲んだ。咸臨丸の船室は狭く、風呂に入れず、陸《おか》に上がって妓《おんな》を抱くことばかり考えていた。吉原の桧《ひのき》風呂に入って垢をこすり落とし、幇間に注がれた酒を飲み、妓を抱いて二晩寝た。だが三日目はさすがに酒の匂いが鼻につき、妓の体にも飽きてきて、高次はある種のもの寂しさを感じはじめた。
せっかくアメリカを見てきたのである。サンフランシスコの色彩あふれた風物に触れ、進んだ文明を目のあたりにした。勝も海軍を盛んにしなければならぬと口にして、世界の海に乗り出す夢が広がった。だが日本に帰ったとたんに攘夷の嵐が吹き荒れていて、海に乗り出す夢どころか、咸臨丸の大偉業さえ闇に葬られようとしている。これでは異国で死んだ富蔵も浮かばれない。
高次は口惜《くや》しまぎれに酒をあおって、手枕で吐息をついた。
「さて、これからどうするかだが、勝艦長は桜田門外の変のあおりで、取るものも取らずに江戸城に登城された。わしは勝艦長と軍艦をつづけたいが、攘夷のおかげでそれもできぬかもしれぬ」
大助と佐太次が酒に飽いた顔でうなずいた。
「わしはしばらく咸臨丸を修理しながら考えようと思うが、おぬしらはどうする」
「わしらもそうする」
太平洋を横断した咸臨丸の船体は傷んでいた。水夫で希望する者には咸臨丸の修理の仕事があった。高次たちはしばらく船の修理をしながら様子を見ることにした。
世は攘夷の嵐が吹き荒れていた。開国論者の井伊大老が殺されて、攘夷で国を鎖ざそうとする動きが強まる中で、アメリカを見てきたというだけで、勝の陰口をいう幕閣も多かった。だが将軍|家茂《いえもち》に拝謁した勝は臆《おく》することなく、アメリカの進歩した文化と文明を語り、攘夷の無謀さを諫《いさ》めた。列席した幕閣は勝の直言に顔をしかめたが、勝は軍艦操練所頭取を併職したまま、蕃書調所《ばんしよしらべどころ》頭取に任ぜられることになった。
咸臨丸に寝泊まりして十日目に、高次の許《もと》に万次郎がやってきた。
「高次よ。ええ話じゃ。勝頭取のお力でわしが軍艦操練所の教授方に推挙された。そこでおんしを帆前調練の教授方手伝いにしてもらえぬかと頼んだら、勝頭取に許された」
「それは嬉《うれ》しいことですが、大助たちはどうなります」
「おんしは読み書きができる。そこで教授方手伝いの身分に推せたが、字が書けぬ大助たちは一等水夫として雇われることになった」
万次郎によれば、太平洋を横断した大助や佐太次他の塩飽衆二十余名が、軍艦操練所の一等水夫として雇われることになった。残り三十人弱の塩飽衆は、二度と軍艦に乗りたがらなかった。勝が頭取を務める操練所にいれば、いつか軍艦で世界に乗り出せる夢に近づける。それに万次郎が教授方であれば、捕鯨の道も遠ざからない。万次郎の厚意をうけることにした高次の体の中に、塩飽衆の誇りが強く目覚めた。
安政四年(一八五七)に幕府が幕臣の子弟に、軍艦操縦法を学ばせるために創設した幕府軍艦操練所は、築地《つきじ》本願寺に近い南小田原町にあった。その辺りは江戸湾に流れ込む大川に架けられた安芸橋《あきばし》、数馬橋《かずまばし》、本願寺橋などがあり、江戸湾の潮の匂いに満ちていた。
広い練塀《ねりべい》に囲まれた軍艦操練所に入ると、江戸湾ぞいに平屋の教室が建ち並び、蒸気|汽罐《きかん》の模型を収めた実験室や、夜の星空が描かれた天体室があり、岸壁には三本マストの練習船観光丸が繋留《けいりゆう》している。オランダ製の二百五十|噸《トン》のスクーナー型帆船で、長崎の海軍伝習所で高次が乗った旧式の外輪式蒸気練習船である。
習得すべき学科は天測術、算術、蒸気汽罐学、造船学、海上砲術、帆前調練、船員運用術の七課目であった。七課目それぞれに教授方がいて、その助手である教授方手伝いが実地に教える。
高次の「帆前調練」はマストに登って帆を展開、あるいは縮帆《リーフ》し、風向きに応じて帆の張り方を変えたり、上手《かみて》・下手《しもて》廻しで船を方向転換させる技術を教える役目である。帆前調練なら太平洋を横断した高次には自信がある。
午前中は各教授方が教室で幕臣に講義をして、午後は観光丸で海上の実習に出る。操練所に五十畳敷きの大教室があり、そこが教授方と手伝い方が書物に目を通したり、書き物をする部屋だった。だがどことなく教授方と肌が合わない高次は、午前中は大助たちと観光丸の艤装《ぎそう》を点検整備して、午後は海風が吹く江戸湾に乗り出した。
軍艦操練所には大助の兄の政太郎がいた。読み書きができる政太郎は、長崎海軍伝習所から帰って船員運用術を教えていたが、性格は大助と違って温和であった。
暮らしが落ちついた高次が大助に提案した。
「わしらもいつまでも咸臨丸で寝泊まりというわけにもいかぬ。これからは操練所から給金が入るから、みなで長屋を借りよう」
高次は大助たち塩飽出身の水夫十人と、政太郎が住んでいる築地の本願寺橋近くの長屋に住むことにした。軍艦操練所の南の安芸橋一帯は、浅野家や一橋《ひとつばし》家の武家屋敷があって、人通りがまばらであるが、本願寺橋近辺は町家が多く、高次たち船乗りには暮らしやすそうな下町である。
塩飽衆は若衆宿で共同生活に慣れている。四軒つづきの四畳半間の長屋で、高次は大助と共に寝起きした。千石船で炊《かしき》仕事をしたために、塩飽衆は誰でも食事は作れるが、高次は飯炊き婆《ばばあ》を雇って、食事を作らせることにした。
おこんという前歯が二本しかない六十すぎの老女が長屋に住んでおり、高次の部屋に顔を出した。おこんは船乗りという人種には接していない。潮くさい大男の高次をうさんくさそうに見上げた。
「それであんたらは、どんなものが食べたいんじゃ」
「腹がふくれればなんでもええ。だが海で体を使う仕事じゃ。飯は丼《どんぶり》に大盛りにして、料理の味付けは濃くしてくれぬか」
高次に濃い味付けといわれて、江戸っ子のおこんは石運びの労働者でも見るような嫌な顔をした。
「このわしも昔は、江戸一番といわれた八百善《やおぜん》に女中奉公したものじゃが、いやはや漁師どもの飯作りとは、齢《とし》はとりとうないものじゃ」
江戸随一の名料亭として知られる八百善の名を口にして、高次たちに嫌味をいったおこんは、しかし包丁さばきの腕前は料亭の料理人並みであった。とくに煮物と漬物が旨《うま》かった。それさえあれば丼飯が二、三杯お代わりできるほどだ。
「こりゃ旨い。口は悪い婆だが、いい飯炊き婆が見つかったじゃねえか」
丼飯に味噌汁《みそしる》をかけてかきこむ大助を見て、おこんが皺《しわ》だらけの顔をしかめて睨《にら》みつけた。
勝は五、六日に一度くらい軍艦操練所にあらわれた。世は狂信的な攘夷《じようい》を口にする長州藩が後楯《うしろだて》となった京の朝廷が力をもち、朝廷とのつながりを強めたいと考える幕府高官も多くなり、皇女|和宮《かずのみや》を将軍家茂の正妻に迎えるべく動きはじめていた。
アメリカから帰ってから、日本が攘夷に突き進んでいるのを、もっとも肚《はら》に据えかねているのが勝であることを、高次はよく知っていた。勝がアメリカを共に見てきた教授方を前に、煙管《きせる》を小きざみに叩《たた》いて、鬱憤《うつぷん》を口にしている光景を、高次はなんども目にした。
高次は勝の言葉を思い出す。
「幕府のお偉方も京の朝廷を気遣って、攘夷を口にする者が多くなった。これもわけのわからねえ攘夷浪人どもが、刀を振りまわしていやがるんで仕方がねえが、浪人者に斬り殺されたんじゃ元も子もねえ。ここしばらくは軍艦を動かせる人間を、一人でも多くつくることが肝心さ。お前さんがたもそう心得ることだ」
だが教授方が勝の開明的な考えを、どこまで理解しているのか、高次には疑わしかった。世が攘夷であろうが開国になろうが、教授方の多くは関わりない顔で朝定刻に教室に顔を出し、夕刻になればそそくさと帰っていく。アメリカを見てきた教授方ならば、もう少し勝の意見に同調し、熱い血をたぎらせてもよいと高次は思う。
その日も一方的に鬱憤を吐き出した勝が、高次を呼びつけた。
「高次よ。お前さんはマストに登れる男を育てるために、いい知恵があると万次郎にいったそうじゃねえか。そりゃなんだ」
「あっ。勝頭取。それは……」
勝は頭が切れて物わかりのはやい侍である。太平洋横断のさまざまな経験を、軍艦操練所で活かそうと考えていて、万次郎との雑談で高次がなにげなく口にしたことが、すでに勝頭取の耳に届いていた。
高次は勢いこんで話しはじめた。
「咸臨丸で船出したとき、わしら塩飽衆は嵐の中で身がすくんで、マストに登れませんでした。それは塩飽衆にとって口惜しいことでしたが、人には得手不得手があると思い、わしは軍艦のマスト登りは、高場の仕事に慣れている鳶衆《とびしゆう》がええじゃろうと考えました」
「鳶衆か。そいつはおもしれえ」
勝の好奇心にみちた眼が輝いた。
「鳶の親分ならおれに知り合いがいる。浅草の新門辰五郎《しんもんたつごろう》というんだが、気心知れた男だ。さっそく訪ねて話をしてみろ」
新門辰五郎の家は浅草奥山にあった。塵《ちり》一つなく掃かれた玄関先に立った高次は、ぴかぴかに磨かれた格子戸を開けた。広い土間の壁には、新門の名入りの提灯《ちようちん》がずらりと並び、火事場で使う鳶口が、整然と壁に掛け並べられている。
家屋が建て込んだ江戸の町に火事はつきもので、その火事場で活躍するのが、町火消しの鳶衆である。鳶衆はふだんは町内の土木普請や、高所での仕事をしているが、いったん火の手が上がるや、纏《まとい》を立てて勇ましく駆けつける。
新門辰五郎は「十番組・を組」の火消しの頭取で、浅草奥山一帯を縄張りにして、江戸中にその名を知られた侠客《きようかく》である。鳶の町火消しは大名のお抱え火消しと反目して、武士を恐れない連中が多かった。弘化二年(一八四五)の江戸の大火のとき、芝三田《しばみた》の久留米《くるめ》藩邸の消し口の争いから、辰五郎率いる「を組」は、有馬《ありま》家のお抱え大名火消しと大乱闘になり、双方二十人を超す死傷者が出た。そのとき「を組」の火消しが、鳶口を振りかざして消し口を守り、大名火消しを屋根から叩き落として、一歩も譲らなかった話はあまねく知られていた。
高次は襟に「新門」と染めぬいた印半纏《しるしばんてん》を着た若衆に案内されて、奥座敷に通された。
辰五郎は六十すぎの小柄な男で、顔は柔和である。とても江戸中に聞こえた侠客の親分とは思えない。
「高次さんですかい。お待ちしておりやした。お生まれが瀬戸内海の塩飽島で、潮の香りの中で育ったと聞きやした。勝先生とアメリカまで行かれたそうで、このたびはさぞ難儀されたでござんしょう」
丁重に挨拶《あいさつ》した辰五郎が、日焼けして逞《たくま》しい高次を見た。
高次は嵐の海で日本人が総倒れになり苦労したこと、アメリカは文明の発達した裕福な国であることを話し、日本もはやくアメリカのようにならねばいかぬ、そのためには軍艦を動かせる男を育てたいと話した。
「なるほど。アメリカの話はよくわかりやしたが、海に関わりのねえ火消しのわたしに、どんな話がありますんで」
辰五郎は煙管煙草に火をつけて、二、三服旨そうにふかした。
「これから軍艦の時代がくると勝頭取はいわれます。わしもそう思いますが、塩飽の船乗りは高いマスト登りが苦手じゃ。そこで軍艦を走らせるために鳶衆のように身が軽い、嵐の海でもマストに登れる男が欲しいのです」
「高次さん。あんたの話はおもしれえが、ちっとばかり無理がある」
辰五郎は煙管をびしっと叩いて、吸いがらを火鉢に落とした。
「たしかに鳶は身が軽い。だが屋根や高梯子《たかばしご》の上は得意でも、水の上はからきしの連中ばかりです。揺れる船の上でお役に立ちそうもありません」
「身が軽ければあとは度胸だけです。度胸さえあれば、わしが海に慣れさせてみせます」
「鳶衆は度胸はあるが、なんといっても慣れねえ海のことだ。どだい無理があると思いますがね」
「わしは勝頭取の軍艦を、どんな嵐の海でも走らせたいのです。そのために身の軽い鳶衆をマストで試してみたいと思っております」
辰五郎はしばらく腕組みしてから高次を見た。
「そうですかい。高次さんがそこまでいわれるならようござんす。それに勝先生のお役に立つことだ。おう。留次郎《とめじろう》を呼んでくれ」
印半纏を着た細身で敏捷《びんしよう》そうな若者があらわれた。
「親分。お呼びでござんすか」
「高次さん。この留次郎が若い衆の中で、飛び抜けて度胸のある男です。ひとつマスト登りを試してやっておくんなさい。ほれ、塩飽衆の頭目の高次さんに挨拶しな」
「留次郎と申しやす」
小柄な留次郎が大きな高次にぺこりと頭を下げた。
「を組」と有馬家の大名火消しの大乱闘のとき、留次郎の兄の留一《とめいち》は、鳶口で大名火消しを四人屋根から叩き落として、勇敢に消し口を守ったが、そのあとの乱闘で右腕を切り落とされた。留一につづいて留次郎も「を組」の火消しになったが、侍との喧嘩《けんか》になれば鳶口を持って、すっ飛んで行く利《き》かん気な若者で、辰五郎のお気に入りの若衆であった。
留次郎が鳶の中から、選りすぐりの身軽な若衆五人を引きつれて、軍艦操練所にやってきた。海にはお誂《あつら》えむきの強風が吹き、帆綱が風に鳴っている。
「これが軍艦のマストですかい。火の見|櫓《やぐら》より、高《たけ》えじゃねえですか」
留次郎が夏の強い陽射しを右手でさえぎり、観光丸の高いマストを見上げた。
「ですがこんなに縄梯子がしっかりと張ってありゃ、蜘蛛《くも》のように登れますぜ。まあ見ててくだせえ」
股引《ももひき》に印半纏の鳶衆の顔に、恐怖の色はまるでない。
「それで揺れるマストの上では、なにを気をつけりゃいいですかい」
「四本ある手足のうち、一本はかならず空けておくことじゃ。そうすればつぎの動きがしやすくなる」
「というてえと、こうですかい」
留次郎が縄梯子にぶら下がり、右手と右足を縄に掛け、出初《でぞ》め式の梯子登りのごとく左手と左足を宙に突き出した。
「それでええ。だがマストの上は、風で揺れが激しいから、気を抜くと危いぞ」
「揺れるマストは初めてですが、火の粉のふりかかる火事場の屋根ほど、恐くはねえんじゃねえですかい」
「頼もしい火消しじゃ。ではわしのあとについて登ってこい」
火消しの鳶衆は危険な火事場で、男の意気地を競い合う稼業である。留次郎は火消しの心意気を示すように印半纏を脱ぎすて、黒の腹掛けからみごとな刺青《いれずみ》を彫った上半身をあらわにした。
「いつでも登りやすぜ」
「よしいくぞ」
高次の先導でマストを登りはじめた留次郎たち鳶衆は、最初は風を切るマストの揺れに戸惑ったものの、怯《おび》えることなくマストトップまで登っていった。
留次郎が縄梯子にしがみついたままいった。
「こりゃいいや。江戸八百八町が見晴らせて、火事場の屋根の上より気分がいいぜ」
「まったくそうだ。こんな気分のいい眺めは、またと見られねえ」
鳶衆が笑いながら相づちを打つ。
「はっははは。そりゃよかった。留次郎たちなら太平洋の嵐も平気じゃろう。あとは帆や帆綱の名前を覚えれば、すぐに一等水夫夫になれる」
「こんな高場で仕事ができりゃ、鳶|冥利《みようり》につきるってもんさ。高次さん。いつでもマスト登りは引き受けやすぜ」
高次は鳶衆の指導に熱を入れた。留次郎たちのマスト登りは日ごとに上達した。
秋風が吹くころ、高次は妙な浪人者の姿を二、三度見かけた。高次と同じくらい背が高く、埃《ほこり》にまみれた小汚い着物を着て、乱れた総髪で軍艦操練所をうろついている。
大助がうさんくさそうに浪人者に目を遣《や》った。
「なんだ。あの小汚ねえ浪人者は。勝頭取を斬りにきた攘夷《じようい》浪人ではないか」
高次も勝をつけ狙う攘夷浪人かと思ったが、勝が気やすそうに口をきいていて、どうやらそうではなさそうである。
軍艦操練所は羽織|袴《はかま》で威儀を正した教授方が多かった。それだけに小汚い浪人者の姿がよけい目についたが、それから浪人者の姿を見かけず、高次もそのことを忘れてしまった。
十月になると留次郎たちは軍艦の各装備の名称を覚え、二等水夫と認められるくらいに成長した。高次が練習船の甲板でロープを巻いていると、勝があらわれた。
「おい高次よ。鳶のマスト登りは、調子がよさそうじゃねえか」
勝がマストを見上げた。
「あっ。勝頭取。さすがは鳶の新門一家の若い衆だけあって、蜘蛛のように平気でマストを登ります」
「そりゃいい。ところでこの男に、船を教えてやってくれねえか」
高次は勝の背後に立つ大きな浪人者に気づいた。総髪が乱れた男は、いつぞや目にしたあの浪人者である。近くで見ると汚れた袴の裾《すそ》はすり切れていて、汗くさい臭いがした。
「こいつは土佐の坂本|龍馬《りようま》というんだ。こいつもとびきり海が好きなんだが、手続きをふむことを面倒くさがるので、この軍艦操練所に入れねえ。それで教室の隅で講義を聞かせようとしたが、教授方がいい顔をしねえ。だから高次が船を教えてやってほしいのさ」
龍馬は細い目で高次を見た。
「わしは土佐の坂本じゃ。わしは海が好きじゃきに、船のことよろしく頼む」
高次は侍が好きではない。その浪人者はぶっきらぼうに船を教えてくれといったが、乱れた総髪が攘夷浪人の姿と重なり、勝の頼みとはいえ高次はあまり気乗りがしなかった。
龍馬はマストを見上げて一人ごちた。
「ほう……これが軍艦のマストか。下から見ると、目が眩《くら》むほど高いのう」
勝が笑いながら龍馬に目を向けた。
「こいつはもともと免許皆伝の剣術使いでな、攘夷にかぶれた千葉一刀流道場の跡取り息子と二人で、おれを殺しにきたんだ。だが一風変わった男で、おれのアメリカの話を聞いてから、考えを変えて弟子になった。海が好きなことではおれにひけをとらない。いつかはおれの跡をついで海に打ち込んでくれる男だと見ている。だから高次が一から船を教えてやってほしいのさ」
「は、はあ……」
高次は勝が小汚い浪人者の、どこが気に入ったのかわからなかった。
龍馬は船べりを撫《な》でたり、ロープの束をさわったり、珍しそうに甲板を歩きまわっていたが、ふいに高次に近づいてきた。
「勝先生に聞いたんじゃが、おんしは咸臨丸でアメリカまで行ったそうじゃの」
「そうじゃ」
「わしは勝先生に初めて、地球儀ちゅうものを見せてもらった。わしの生まれた土佐も目の前は海じゃが、地球儀の青い海は、丸い地球の半分を覆いつつんじょった。その海でいちばん大きいのが太平洋だちゅうこともようわかった。その大きな太平洋を越えて、おんしはアメリカまで行った。なんとも羨《うらや》ましいことじゃ」
「わしはたまたま塩飽島生まれじゃきに、咸臨丸の水夫に選ばれただけのことじゃ」
「勝先生はおんしが咸臨丸の塩飽衆では、一番の腕前じゃというとった。しかもおんしは勝先生と長崎の海軍伝習所から一緒じゃと聞いた。それだけでもすごいことじゃ」
高次は龍馬を妙な男だと思った。土佐の侍であれば、攘夷を叫んで刀を振りまわしていてもおかしくない。だが太平洋を渡った高次を素直に羨ましいといい、これから本気で船をやりたいという。思わず高次が尋ねた。
「船に乗ったことはありますかのう」
「乗るには乗ったが、讃岐《さぬき》から大坂へわたる小船じゃ。それでは仕方がなかろう」
「船酔いはどうじゃった」
「わしは大丈夫じゃった。だが勝先生はひどく船に弱いそうじゃから、そのうち勝先生のかわりに、わしが軍艦の指揮をとろうと思うちょる。わしはこんな軍艦を動かしてみるのが夢じゃ。勝先生の弟子になってつくづくよかったと思うちょる」
高次は、勝頭取のかわりに軍艦の指揮をとるなど大法螺《おおぼら》を吹くが、素直に海が好きだというこの侍は、一体どういう男だと興を引かれた。
龍馬は船べりを撫でまわして、
「また来るきによろしく頼むぜよ」
といって総髪を秋風になびかせて帰っていった。
その晩高次は大助と佐太次、そして親密さをました留次郎を伴って、酒を買って長屋に帰った。龍馬という侍の印象がどこかとらえどころがなく、気心知れた三人に龍馬のことを話したくなったからである。
「その土佐侍はいくつなんじゃ」
大助が大徳利を丼《どんぶり》に注いで、ぐびりと飲みほした。肴《さかな》はおこんの手作りの鯊《はぜ》の煮びたしである。
「わしとおなじ二十六歳じゃといっておった」
「どっちにしろこの忙しいご時世に、その歳になって船に乗りてえなどという侍は、どこか頭のたが[#「たが」に傍点]が外れちょるんじゃ。関わりにならぬほうがええぞ」
そうかもしれないと高次は思った。だが茫洋《ぼうよう》とした感じのする龍馬は、勝のアメリカ話をすぐさま理解して、海の重要さを理解しているような気もした。
「高次兄いよ」
留次郎が口をはさんだ。
「その土佐侍のことはよくわからねえが、勝のお殿様が連れてきて、しかも弟子だというんなら、間違いねえ侍と違いますかい。おいらはそう思いますがね」
「留次郎。それを目付け違いというんじゃ」
大助が甘辛く煮た鯊を平らげて大徳利に手を伸ばした。
「だいたい侍なんてものは、百姓がつくった米を盗んで、居食《いぐい》しておる穀《ごく》つぶしどもじゃ。勝頭取は別格として、働かねえ侍どもをわしは信用しねえ。そいつはすぐ船に飽きて、そのうち操練所に来なくなるだろうよ」
「だがもしも来て、船をやりてえといったらどうしやす」
留次郎の問いに、大助が一瞬考えてからこういった。
「本気で船をやりたいなら、マストの上で肝を試したらどうじゃ」
「土佐侍のマスト登りか。そいつはおもしれえ」
佐太次がうなずいた。
軍艦操練所の侍の航海士官で、荒海でマストに登れる者はいなかった。土佐侍の龍馬がマストに登る勇気をもっていれば、船をやりたい気持ちは本物だろう。だが龍馬の気まぐれであれば、恐怖心で小便を漏らすマストには登らない。大助の提案はおもしろそうだと高次も考えた。
翌日も龍馬は軍艦操練所に姿を見せた。
「おい高次よ。また来たぞ」
「ああ坂本さんかね。もう来んと思っておった」
「わしは勝先生の跡をついで、海に出ることに決めちょる。だから船を覚えるためには、用がなければ毎日でも来る」
龍馬は楽しそうである。
「坂本さんも本当の船乗りになりたいなら、いちどマストに登ってみんかね」
「マストに登らせてくれるのか。そりゃおもしろそうじゃ」
「だが途中で腰が抜けて助けよと、泣きごとをいっても知りませんぜ」
「わしも剣術では免許皆伝の腕前じゃ。ぶざまな泣きごとなどいわぬ」
免許皆伝の龍馬が、武士の魂である両刀をむぞうさに甲板に置いて、汚れた袴の裾《すそ》をたくし上げた。
高次は龍馬の腰に命綱をきつく結んだ。
「この命綱を引いてわしが先に登る。もしものときのために、あの三人が後から登るから、落ちても死ぬことはないじゃろう」
大助と佐太次の後から、留次郎がにやにやしながら甲板にあらわれた。
「おう。おんしが新門一家の留次郎じゃな。身の軽さはずぬけていると、勝先生が誉めちょった」
「へっへへ、坂本の旦那《だんな》。さあ。登ってみておくんなさい」
剣術で鍛えた龍馬の体はしなやかで、ゆっくりながら第一|帆桁《ヤード》の下まで登りつめた。高次は命綱をもったまま龍馬を見た。ここが恐怖の第一の関門である。ここから第二帆桁に登るためには、第一帆桁の下に逆反《ぎやくぞ》りで縄梯子をぶら下がる関門があり、大半の者はここで恐怖のために、金縛りにあったように動けなくなる。
ふつうは第一帆桁までを四、五日かけて体を慣らし、恐怖心をとり去ってから、第二帆桁に挑ませる。船を知らない龍馬が、最初からここまで登れば相当な度胸とみていい。それは他の三人もわかっていた。
「坂本さん。ここまで登れば上出来じゃ。きょうはこれ以上無理をすることはない」
高次は龍馬を気遣った。
「いいや大丈夫じゃ」
龍馬は顔を上げると、第二帆桁めざして登りはじめた。碇泊《ていはく》中の軍艦とはいえ、わずかな揺れがマストの上では大きく増幅する。風を切る揺れを感じた龍馬の顔が、しだいに青ざめてきた。ここで一瞬でも下を見て、吸い込まれるような下の景色が目に入れば、恐怖心がいちどきにこみ上げてきて、龍馬は全身の血が逆流するような恐怖感に襲われる。
「坂本さん。下を見るな。上だけ見て登るんじゃ」
「わ、わかった」
龍馬は一歩ずつ縄梯子を登り、ついに第二帆桁まで登りきった。
「ようやったぞ。坂本さん」
高次が命綱を帆桁に縛った。つづいて三人が登ってきた。
帆桁にしがみついたまま、龍馬が大きく肩で息をしている。
「坂本の旦那。侍にしてはやるじゃねえですかい。途中で下の景色を見れば、誰でも身がすくんで、その場で動けなくなるもんですぜ」
留次郎が素直に賞賛をあらわした。
「わしは近眼《ちかめ》でのう。それで下の景色が見えなんだ」
「近眼で下の景色が見えねえとは、恐れいりやの鬼子母神《きしぼじん》です。こいつは傑作だ。はっははは」
大助も佐太次もマストの上で大笑いした。
高次はマストの頂きから江戸湾を見晴らしながら、勝がいった「海の仲間をつくっておけ」という言葉を思い起こした。留次郎は信頼できる二等水夫に成長している。龍馬もやがて同じ海の仲間になるかもしれない。そう思うと高次の気分は高揚してきた。
「坂本さん。これからはわしが本気で船を教えるから、気を入れて覚えてくだされ」
「おお高次よ。よろしく頼むぜよ」
青ざめた龍馬が近眼をしばたたいた。
龍馬はそれから三日にあげず軍艦操練所に顔を出した。各学科の教授方は苦い顔をして龍馬を見るが、勝のてまえ追い払うわけにはいかない。海上砲術の教室を覗《のぞ》きこんだり、蒸気|汽罐《きかん》の動きを飽きずにながめたあと、高次の観光丸にやってくる。
高次は龍馬に船を教えるために、マストや帆綱、甲板の装備品の名称を絵図に書いてやり、それを覚えるようにいった。
「船の名前というのは剣術より厄介じゃ。少しずつ覚えるようにする」
龍馬は絵図を大切そうに懐にしまった。
「ところで高次にひとつ訊《き》きたいが、アメリカという国は、身分の隔てがないというのは本当か」
「本当じゃ。それも男より女子《おなご》が大事にされて、宴会にも女子が大勢出てきた」
「ほう。女子が宴会とは、土佐に似ておもしろそうな国じゃ」
大酒|呑《の》みの多い土佐に生まれた龍馬が大袈裟《おおげさ》に感心する。
高次はサンフランシスコ市長の歓迎会の様子を、龍馬に話した。アメリカ人は高価な赤い毛氈《もうせん》の上を土足で歩き、女は色とりどりのフープスカートをはいて、男に手をとられて回りながら踊る。冬でもないのに氷があり、牛、豚、鳥肉が山盛りになっている。泡が出る酒のシャンパンやラムネの話もしたが、喉《のど》を刺したあの強い刺激はどうしても龍馬に伝わらない。
「勝先生は開国して海軍をつくり、金を海から吸い上げろといわれる。勝先生の話を聞いちょると、アメリカは富んだ国のようだが、アメリカ人はほんとにそげな金持ちかね」
「そうじゃ。蒸気で動く鍛冶屋《かじや》もあるし、鉄は捨てるほど豊富じゃ。どんな大きな軍艦もすぐ造れる」
高次はメーア島の蒸気汽罐の製鉄工場や、離れていても交信できる電信機の話を龍馬に聞かせた。龍馬は「ほう。ほう」と相づちを打って熱心に聞き入る。
「そんなアメリカを見てきたあとで、こんな大きな軍艦に乗れるとはおんしはええのう」
「わしは世界に船で乗り出すために、一人でも多く海の仲間をつくろうと思っておる。それは勝頭取の考えでもある。そこへ坂本さんがやってきた。一緒に船がやれるなら、これも天の巡り合わせじゃ」
「海を知った高次が、そういってくれるとわしは嬉《うれ》しいぞ」
二人は顔を見合わせて笑った。
「ところで坂本さんも土佐の生まれなら、万次郎さんには会われたかのう」
「まだじゃ。わしが海に目を向けたのは、もとはといえば万次郎さんのせいじゃ。だから万次郎さんはわしの大師匠ということになるきに、はよう会いたいと思うちょる」
「大師匠とは、どういう意味じゃ」
「土佐の物識り絵描きの先生が、万次郎さんのアメリカ話をわしに聞かせてくれてな、それからわしは海に目ざめた。だから万次郎さんはわしの海の大師匠ということになる」
「それは知らなんだ。坂本さんが万次郎さんの弟子なら、わしと同門ではないか」
「そういうことになるか」
龍馬が照れくさそうに頭を掻《か》くのを見て、高次は思わぬ偶然の糸が万次郎を介して、龍馬と繋《つな》がっていることを知った。
世は攘夷《じようい》の風潮がさらに強まってきた。夷人嫌いの京の朝廷の力が強まり、幕閣内に公然と攘夷を口にする者がふえてきた。
だが勝は幕府の評定所でも、国を開いて海軍を興さないと、日本は外国に潰《つぶ》されると広言してはばからない。そのために幕閣は勝のことを煙たがり、「アメリカかぶれの勝」と悪口をたたく者が多かった。
すでに勝は幕閣に「開国貿易論」を提出していた。これはアメリカの工業力に驚いた勝が、日本で軍艦を建造しようと考えて、そのためには貿易ではやく国を富ませねばならぬと提言したもので、その考えは「日本興国論」にまで飛躍していた。
だが幕閣内に、勝の開国貿易論を理解できる者はいなかった。勝がアメリカを見習うべきだと意見具申するたびに、幕閣の高官たちは勝はアメリカかぶれになったと陰口をいった。軍艦を日本ではやく造るべきだと口にすると、勝は途方もないことをいう大法螺《おおぼら》吹きになったと顔をしかめた。
そういう不愉快な目にあったあとの勝は高次にはすぐにわかった。軍艦操練所に来て観光丸の甲板を歩きまわり、そのあとで高次たちに軽口をたたいて帰っていく。
年がおしつまると、攘夷の余波が万次郎にもふりかかった。その年万延元年(一八六○)十二月に、アメリカ公使館通訳のヒュースケンが、攘夷浪人に斬殺《ざんさつ》される事件が起こった。さらにオランダ人とイギリス人が何者かに襲われて傷を負った。イギリス公使館の雇員であった漂流民・伝吉が殺害されたときは、さすがの万次郎も顔色を青ざめさせた。
血に飢えた攘夷浪人は、洋夷と見れば容赦なく斬りかかり、それが正義だと思い込んでいる。そんな攘夷浪人がアメリカ帰りの万次郎を洋夷と決めつけ、暗殺するべく狙いはじめたのである。
高次は万次郎の軍艦操練所の行き帰りの護衛についた。
「おいらも手伝いますぜ」
留次郎が鳶口《とびぐち》を手に「を組」の若衆を従えて、万次郎の駕篭《かご》の周りを護《まも》った。
万次郎の屋敷は、芝新銭座《しばしんせんざ》の江川太郎左衛門邸の一角にある。砲術家の江川は万次郎を理解したよき保護者で、嫁の鉄《てつ》を世話して自邸内に屋敷を与え、万次郎の新知識を吸収して役立たせようとしたが、いまは亡い。
高次と留次郎は万次郎の屋敷に駆けつけて、築地まで万次郎の駕篭を護った。道筋は人通りの少ない安芸橋を避けて、町人の賑《にぎ》わいの多い本願寺橋を渡った。数回浪人者に後をつけ狙われたことがあるが、高次と鳶衆を警戒して狼藉《ろうぜき》におよぶ者はいなかった。
だが思わぬ攘夷のとばっちりが万次郎の身にふりかかった。神奈川村(横浜)沖に碇泊中のアメリカ船の知人を、万次郎が訪問したことがけしからぬとの理由で、軍艦操練所の教授方を罷免されたのである。
いままで政治に無関心であった高次の胸にも、怒りがこみ上げてきた。万次郎は会う人ごとにアメリカの文化と文明の素晴らしさを話し、日本人はもっとアメリカの新知識を吸収すべきだと話してきた。海の知識をもち、勇気あふれる船乗りの万次郎を、アメリカ船を訪問したということだけで、罷免するとはと怒りを口にした。
「まあええ。なんとでもいわせちょき」
万次郎は屋敷を訪れた高次を逆に宥《なだ》めた。
「わしもこのごろは、まわりに気を遣いすぎて疲れたきにええ機会じゃ。すこしのんびりしたい。それにわしにはアメリカで買《こ》うてきた写真機がある。これで妻の鉄や子供を写して、写真の稽古《けいこ》でもやるきに心配はなか」
縁側にアメリカで見た写真機が置いてあった。高次はアメリカで写真を撮られそうになって慌てて逃げ出したことを思い出したが、万次郎が持ち帰ったその写真機は江戸中の評判となり、開明的な侍が万次郎の屋敷を訪れて写真を撮った。
万次郎の屋敷で訪問客が驚かされるのは、妻の鉄が使っているミシンであった。写真機と一緒に買ったウィルソン社のミシンは、アメリカで発明されたばかりの機械で、針がひとりでに着物を縫う仕掛けは訪問客の目を奪った。万次郎は気晴らしにミシンの稽古にも励むといった。
「それにいつまでも、こんな馬鹿げた攘夷騒ぎがつづくとは、わしは思うちょらん。これもひとときのことじゃ。騒ぎが治まれば捕鯨をやりたい。わしが捕鯨に行くときは、高次も一緒に来てくれるな」
「かならずやりましょう」
高次は意気|軒昂《けんこう》な万次郎に安堵《あんど》して、芝の屋敷を後にした。
高次たちをうさんくさそうに見て、いままで口をきくのを嫌っていたおこんが、夕餉《ゆうげ》のときに高次の横に座って、歯の抜けた口を開いた。
「噂ではあんたら塩飽衆は、バテレンの国まで船で行ったと聞いたが、そりゃ本当か」
とつぜんの問いかけに、高次は箸《はし》をもつ手をとめて、皺《しわ》だらけのおこんの顔に目を遣《や》った。
「本当じゃ」
おこんは好奇心の塊といえる年寄りである。攘夷の風潮の強いこの時世に、夷国アメリカに行った高次たちの噂を聞き込んで、強い興味を覚えたのであった。
「それではひとつ尋ねるが、バテレンは穢《けが》れを食らい、穴ぐらで暮らしていると聞いたが、それは本当か」
「はっははは。それは大嘘じゃ。アメリカ人はわしらよりええ暮らしをしておる。家もこんな破れ障子の狭い部屋ではなく、石で造ったお城のような屋敷に住んでおるぞ」
「この婆《ばば》に嘘をいうでない。江戸よりええ暮らしをしてる所など、あろうはずがなかろう」
高次は半分からかいながら、おこんにアメリカの進んだ暮らしぶりを話してやった。だが江戸から出たことのないおこんは、かたくなに首を横に振り、高次の話を信じようとしない。
「それではおこん婆さん。明日ええものを見せてやるから、わしについてくるがよい。そうすればアメリカは獣の国ではないことがようわかり、わしの話を信用するじゃろう」
不承不承うなずいたおこんを、翌日万次郎の屋敷に連れていった高次は、万次郎に頼んでミシンで着物を縫ってもらうことにした。
「おこん婆さん。よく見ておくのじゃ。アメリカではこういう進んだからくり仕掛け[#「からくり仕掛け」に傍点]がいっぱいあるんじゃ」
おこんを見て笑みを浮かべた万次郎が、着物をゆっくり縫っていった。おこんはなにがどうなっているのか訳がわからず、ミシンが動くさまを気味悪そうに見ているだけである。高次が電信機を見たときに、その概念がまるでわからなかったように、おこんは発明されたばかりのミシンの優れた機能が理解できなかった。
「なにがどうなっておるのか、わしにはまるでわからぬ」
「おこん婆さんよ。その汚い前掛けを外せ」
高次はおこんの前掛けを半分に折り、天地を合わせて縫うように万次郎に頼んだ。ミシンが規則的な音を立てて、前掛けの天地を重ねて縫い合わせていく。それを手に取ったおこんが、歯の抜けた口を開いて驚いた。
「おお。前掛けの上と下が、からくり道具で縫われておるぞ」
その日からおこんの高次を見る目が変わった。おこんは万次郎に写真を撮ってもらって上機嫌で帰り、その後に届けられた写真と、ミシンで縫われた前掛けを長屋の住人に見せびらかし、写真機とミシンのあるアメリカに行った高次たち塩飽衆を、すごい船乗りだと自慢するようになった。
夕方高次が長屋に帰ると、おこんが愛想笑いを浮かべて世話をやき、料理上手な腕で江戸前の魚の天麩羅《てんぷら》や、泥鰌《どじよう》の柳川《やながわ》などを食べさせてくれるようになった。破れ障子もきれいに張り替えてあった。
高次が天麩羅をつまんで冗談を口にした。
「のうおこん婆さん。これこそが開国の味じゃな。わしはつまらぬ攘夷などはやめたほうがええと思っておるが、おこん婆さんはどう思う」
「攘夷などはとんでもない話じゃ」
おこんが歯の抜けた顔で不機嫌そうにいった。
「もっとはよう開国しておれば、このわしも若い娘の顔で、万次郎さんの写真に撮られたものを……それを思うと、かえすがえすも口惜しゅうてならぬ」
高次はそれからもたびたび万次郎の屋敷を訪れた。話題はアメリカ式捕鯨だった。アメリカ式捕鯨はキャッチャー・ボートを積んだ大型帆船が、鯨の回游する遠洋まで航海していき、そこで鯨を獲る。銛《もり》は火薬が爆発して、銛先が深く突き刺さる「ボンブランス炸裂《さくれつ》銛」を使い、航海日数は三、四年になることが珍しくなかった。
日本では紀州|太地《たいじ》、土佐、肥前などで捕鯨が行われていたが、鯨船という小さな船で三、四十隻の船団を組み、湾内に追い込んで網を掛けて鯨を弱らせて、刃刺《はざ》しという銛打ちが、銛を何十本も打ち込む旧《ふる》い漁法である。そのため一頭の鯨を仕留めるのに三、四百人掛かりになり、湾口に鯨が姿をあらわすのを何十日、いや何ケ月も待たねばならないことも多かった。
「わしがやりたいのはアメリカ式の捕鯨じゃ。そのために幕府の協力を得て、大船団を組んで外洋に乗り出したい」
「日本の近くでは、どこに鯨の群れがおりますか」
「アメリカ船団の調べでは、蝦夷《えぞ》ケ島(北海道)から陸前(宮城)の海にかけて、抹香鯨《まつこうくじら》の群れが回游しており、すでにアメリカの捕鯨船が七、八年前から入っておる。わしが目をつけたのはもう少し南の海で、ボーニン・アイランド近海に、大きな群れがいると報告されておる。ブルック大尉もその近海で鯨を見たというちょった」
ボーニン・アイランドとは、流人《るにん》の八丈島よりさらに南方百二十里も遠い小笠原諸島のことである。十六世紀に豊臣秀吉の命をうけた小笠原|貞頼《さだより》により発見されたが、その後は住む者もおらず、日本人から無人島といわれて捨ておかれた。
小笠原諸島に目を向けたのは、アメリカの太平洋戦略にのったペリー提督である。四隻の黒船を率いたペリーは、アメリカ捕鯨船団の薪水の補給のために、日本を開国させるべく浦賀へ来航するに先立ち、小笠原諸島を詳しく測量した。その結果ペリーは父島《ちちじま》の東海岸を、将来の捕鯨船団の石炭貯蔵庫のために五十ドルで買い、その土地に鹿と山羊《やぎ》を放ち、島に住んでいたハワイ人家族に各種の種子を与えて、日本へ向かったと万次郎はいった。
「ボーニン・アイランドは日本人が見放して、いま住んでおるのはハワイから渡海してきた者とアメリカ人、それに捕鯨に来て船を下りたヨーロッパ人じゃ。島にはアメリカ国旗が翻っておる」
「どの国であっても鯨がおれば、船団を組んで捕鯨に行きたいものですなあ」
だが攘夷《じようい》で日本が国を鎖《と》ざすことになれば、日本はアメリカの文明からさらに遠のき、捕鯨ができなくなる。高次が心配気に万次郎に尋ねた。
「これからの日本は、どうなりますかのう」
「勝頭取のような聡明《そうめい》なお方が力をもてば、日本もいい方向に進むと思うが、侍という階級はアメリカ人から見れば、理解できぬところが多い。みなで顔を合わせて長評定するばかりか、責任の所在がまるではっきりしない。そんな侍の世をはよう終わらせて、アメリカのような世にしてもらいたいが、しばらくは無理かもしれぬ。……いずれにしろ希望をもって、捕鯨に行ける日を気長に待つことじゃ」
高次はうなずいた。
「ところで高次に船を習っちょる土佐の侍が、わしを訪ねてきた」
「おお。坂本さんですな」
「そうじゃ。坂本さんは勝頭取の弟子というだけあって、国を開いて貿易させねばならぬことが、ようわかっちょった。同じ土佐者として、ああいう侍がおるということは心強いかぎりじゃ。話を聞いてみたら、絵描きの河田小竜《かわだこりゆう》殿と親しいというではないか。それでわしと会わずとも、わしのことをよう知っちょった」
「勝頭取のおかげで船をやる仲間がふえたことは、わしも嬉《うれ》しいかぎりです。それに留次郎たちのマスト登りも、目を瞠《みは》るほどに上達しました」
「それは楽しみなことじゃ」
万次郎が軍艦操練所を去ったことは寂しかったが、龍馬はそれからも熱心に顔を見せた。高次は龍馬に船のことを教え、そのあとアメリカの話をした。高次は龍馬の洞察力は、勝のように鋭いと思った。見たこともないアメリカの仕組みを、勝から聞いた耳知識と、高次が話した見聞話で、総枠で正しくつかみとっている。
興味を覚えた高次が尋ねた。
「坂本さんは子供のときから、学問がようできたのかね」
「いいや。わしは坂本の夜ばりたれといわれて、大きゅうなっても寝小便ばかりしておった。そのせいじゃろうが子供のころは学問ができずに、鼻汁ばかり垂らしておって、学問所に通うのが嫌でならなんだ」
北辰《ほくしん》一刀流の免許皆伝で、千葉道場の塾頭をつとめたと聞く龍馬が、子供のときは鼻汁を垂らしていたと知って、高次はその飾らない性格に親近感を覚えた。
「だが坂本さんはアメリカに行ってもおらぬのに、アメリカの仕組みがようわかっておる。それはどうしてじゃ」
「好きこそものの上手なれというではないか。わしは日本を勝先生から聞いたアメリカのような国にしたいと、つねづね思うちょる。だからアメリカのことを聞けば、なんでもするりと頭に入ってくるんじゃ」
高次はふと日誌のことを思いついた。
「そうじゃ坂本さん。わしがアメリカを見て書き綴《つづ》った日誌がある。それを読んでみるかね」
「おお。それはおもしろそうじゃ」
高次は観光丸の操舵室《そうだしつ》にある日誌を取ってきて、期待に目を輝かす龍馬に手渡した。
「漁師上がりのわしが書いたものじゃから、字が下手で読みづらかろうが、アメリカで見たことは漏らさず書いたつもりじゃ」
近眼の龍馬は日誌に顔を近づけて、二、三枚目を通してから笑みを浮かべた。
「これはおもしろい。高次には船からアメリカのことまで、いろいろ世話をかける」
「いや。わしは海の仲間がふえることが嬉しいだけじゃ」
「わしが高次に教えられるのは剣術しかないが、これからの世は剣術など役に立たぬ。そのうちわしが大きな軍艦を買《こ》うてきちゃる。そのときは高次が軍艦を動かしてくれ。共にアメリカに乗り出して行きたいもんじゃ」
「坂本さんのいうことは大法螺《おおぼら》話ばかりじゃが、わしは期待せずに待っておる」
「ところで高次。もう一人おんしに船を教えてもらいたい男がおるんじゃ」
「坂本さんとおなじ土佐の侍ですかのう」
「土佐もんじゃが侍ではない。長次郎という饅頭屋《まんじゆうや》じゃ」
「ほお。饅頭屋ですか」
「長次郎は饅頭屋だが、わしより学問がある。だから勝先生の弟子にしたし、船もはやく覚えさせたいんじゃ」
あくる日、龍馬が饅頭屋らしい男を連れて軍艦操練所にあらわれた。五尺にみたない小男だが、体に不釣り合いな長い刀を差している。龍馬と同じく埃《ほこり》まみれの着物を着て、教授方がうさんくさそうな視線で二人を見た。
〈なんと刀のほうが長そうじゃ……〉
高次はおかしさを感じたが、口には出さなかった。
龍馬が高次に紹介した。
「これが饅頭屋の長次郎じゃ。せいぜい船を仕込んでやってくれ」
六尺近い大きな龍馬の横で、小さな饅頭屋が肩肘《かたひじ》を張って、高次を見上げた。
「おんしがアメリカに行った高次か」
長次郎が威張った口調で尋ねた。
「そうじゃ」
「アメリカでは饅頭屋の倅《せがれ》でも、将軍になれるという話は本当か」
「木樵《きこり》がなれるのじゃから、饅頭屋でもなれるはずじゃ」
「ならばわしにも船を教えてくれ。はやく船を覚えてアメリカに行きたいんじゃ」
「わしの教えでええのなら、坂本さんと一緒にここに来ればええ」
「ならばよろしく頼むぜよ」
長次郎の顔に一瞬笑みが浮かんだ。長次郎は色白で鼻すじが通り、利発そうな顔をしている。射るような目は、長すぎる刀と同様に、他人に負けまいとする意志の強さのあらわれだろうと高次は思った。
高次は観光丸が繋《つな》がれた岸壁に歩いた。海には冷たさをました十一月の北西風が吹き、三人の乱れた髷《まげ》を吹き流していく。高次は長次郎が観光丸に乗り込もうとするのを見て、草鞋《わらじ》の泥を落としてから船に乗れと注意した。
高次は長次郎が素直に草鞋の泥を払い落としたのを見て、海への興味は本物だろうと推察した。長次郎は風に鳴る三本マストの索具を見上げて、未知への期待に目を輝かせている。
龍馬も長次郎も元をただせば、海への興味はジョン万次郎からもたらされたものである。土佐に河田小竜という絵描きがいた。西欧の新知識への興味が強く、若くして江戸と長崎に留学した土佐藩随一の知識人であった。小竜が海外に目を開いたのは、アメリカから帰国した万次郎を、藩庁から取り調べる役を命じられたときである。小竜は万次郎からアメリカ文明を聞き取り、「漂巽紀略《ひようそんきりやく》」を書き上げて藩侯に献上し、土佐で初めての開国論者になった。
第一回の江戸剣術修行を終えた龍馬は小竜に会った。小竜の頭には万次郎から聞いた新知識と、驚くべきアメリカの文明がつまっていた。小竜は龍馬に語りはじめた。大艦隊をもつアメリカやヨーロッパ列強の国力を考えれば、攘夷などということを押し通すことは不可能である。だが日本が国力のないときに国を開けば、外国人に国を侵されてしまう。それをさせないためには、船しかないと小竜は龍馬に熱っぽく語った。剣術以外は頭になかった龍馬は、当時の侍がそうであったように攘夷熱に感染していた。龍馬は小竜と話して初めて海に目覚めた。
それから饅頭屋の長次郎が、小竜のもとに弟子入りした。長次郎は十歳のころから饅頭の行商をはじめ、饅頭を売り終わると、貸本屋で本を借りて読んだ。土佐には藩の上士《じようし》と下士《かし》が通う漢学塾があったが、身分の低い饅頭屋の入門は許されない。十七歳で小竜の許《もと》に入門して、たちまちその才能の片鱗《へんりん》を見せた。
小竜は向上心の強い長次郎に、江戸に出て学問をつづけることを勧め、藩の上士の下僕にして江戸遊学の機会をつくってやった。江戸に出た長次郎の学問は人をしのぎ、その学力を認めた藩は長次郎を饅頭屋の身分から、土佐藩陸士格終身|二人扶持《ににんぶち》の侍に召し上げたのである。
その日は高次との顔合わせだけで帰ったが、それから長次郎は龍馬とともに、築地の軍艦操練所に姿を見せるようになった。蒸気|汽罐《きかん》の内部の動きを知りたがる長次郎は、蒸気汽罐実験室にある機械の模型を見ようとして、教室に近づいて教授方に露骨に嫌な顔をされた。
だが岸壁に繋がれた観光丸に来れば、高次に船のことを丁寧に教えてもらえる。長次郎は高次から船のことを教わったあとに、アメリカのことを熱心に知ろうとした。外国人を斬ることしか頭にない攘夷浪人と違って、勝と龍馬に感化をうけた長次郎は、目を海外に向けていた。
細かい性格の長次郎は、観光丸の航海士官室のベッドの端に座って、アメリカの食事のことを尋ねた。
「高次がアメリカで食べた物で、なにがいちばん旨《うま》かったのじゃ」
「わしは体が大きいせいか、アメリカ人の食う牛の肉が好物になった」
「穢《けが》れものか。そげなものをわしはよう食わん」
長次郎が牛肉と聞いて嫌悪感をあらわにした。
「おぬしはそういうが、日本人は飯に葱《ねぎ》の味噌汁《みそしる》をかけ、沢庵漬《たくわんづ》けでかきこむ。たまに食っても煮魚くらいじゃ。それでは体に力がつかん。アメリカで牛の肉を食い、牛の乳を飲んでおったら、わしは体の中から力がわき上がってきた」
「それで西洋人は、牛のように体が大きいのか」
長次郎の目が真剣になった。
「そうかもしれぬ」
「わしも小さいときに牛の乳を飲み、牛の肉を食っておれば、おんしらのように体が大きくなれたのか。それを思うと口惜しいのう」
高次は長次郎の性格は、向上心が人一倍強そうなだけに、手前勝手なところがあるという印象をもった。それが長すぎる刀にあらわれていると思ったが、長次郎は饅頭屋の低い身分から脱して、はやく世界に羽ばたきたいために必死なのであろう。
航海士官室の真鍮《しんちゆう》に縁どられた丸窓から、秋の夕陽が射し込んでいる。暮れかかった赤い陽射しが、小波《さざなみ》に揺れる士官室の白ペンキの壁を照らし出し、ゆっくりと上下に動いている。政治向きの話の好きな龍馬が、西陽に目を細めて口をはさんだ。
「このごろの攘夷の風潮を、高次はどう見ちょるんじゃ」
「わしの見てきたアメリカでは、すべてが日本より進んでおる。海には蒸気船が走り、馬車ばかりか、鉄の蒸気機関車というものが走っておる。日本もはよう国を開いてアメリカのようにならねばいかんのに、攘夷などといって人を殺す浪人者がうようよいて、国を鎖《と》ざすなどとは愚の骨頂じゃ」
「わしらはそういう攘夷浪人とは違うぜよ。小竜先生から国を開かねば、日本は滅びると教えられ、いまは勝先生のもとで開国を学んじょる」
「だがおぬしらは土佐の侍じゃ。日本を開く力などあるはずがなかろう」
「いいや。違う」
龍馬が熱をこめた。
「幕閣には勝先生のような開国派も一部におるが、桜田門外で井伊が斬られてから、国を鎖ざそうとする者がのさばっちょる。わしはもし幕府が攘夷にかたむけば、勝先生には悪いが幕府をこの手で倒して、海に乗り出せる新しい国をつくりたいと思っちょる。そのために高次から船を習っちょるではないか」
龍馬は観光丸の船室に三人だけでいる安心感からか、新しい国づくりのためには幕府を倒す肚《はら》づもりがあると恐るべきことを口にした。
「そういうことを考える坂本さんは、どうみても大法螺吹きにしか思えぬが、それはそれでおもしろかろう。だが坂本さんがそう思っても、新しい国をつくることなど簡単にできるわけがない」
「勝先生と会う前のわしなら、たしかに高次のいうとおりじゃった。だがいまのわしは違う。日本刀で外国人を斬り殺して、日本が富むはずがない。そういう馬鹿者をのさばらせぬ新しい国をつくるために、わしは命を懸けちょる。その第一歩が軍艦なんじゃ」
「だがそう簡単にはいかぬぞ」
高次は龍馬の言葉をさえぎった。
「万次郎さんも、日本がアメリカに負けぬ国になるためには、捕鯨船団を組んで鯨を獲って、金をつくることが肝心じゃといわれた。だが万次郎さんは幕府の命令で、軍艦操練所を辞めさせられて捕鯨にも乗り出せぬ。攘夷熱に害された日本はそんな国じゃ。坂本さんがどうあがこうと時世は変わらぬ」
高次の話をうなずきながら聞いていた龍馬が声を荒げた。
「そんな幕府だから、わしはぶっ潰《つぶ》さねばならんと思うちょるんじゃ」
高次は龍馬と語りながら、たしかに普通の侍とはどこか違っていると思った。軍艦操練所の教官の多くは、航海士官としてアメリカを見てきたはずなのに、帰国後は世界に目を向けず、幕府の教授方として日々|事勿《ことなか》れ主義で暮らしている者が多い。
龍馬は勝によって世界に目を向けて、高次からもアメリカの知識を吸収しようとしている。高次は幕府教授方の事勿れ主義をその目で見ているだけに、そんな龍馬が新鮮に見えた。龍馬が口にする幕府を倒すなどという法螺話は信じがたいが、勝の開国貿易論を真剣に考えて、海に乗り出す覚悟を龍馬は固めている。
〈坂本さんとは船を一緒にやれそうじゃ……〉
高次の心の中で、龍馬を認める気持ちが強まってきた。
万延元年(一八六○)の暮れに、幕府は皇女和宮の降嫁を公にして、翌二月元号を文久《ぶんきゆう》元年に改めた。世情はいぜん攘夷《じようい》で騒然としていたが、高次が心強く思ったことは、勝が攘夷の動きなどまるで構わずに、開国論を推し進めていることだった。
その第一策として、摂海(大坂湾)の護《まも》りのために、勝は築地の軍艦操練所と同じものを、神戸村に設立しようと考えた。いずれ外国の列強は、公武合体をはかろうとする徳川幕府ではなく、京の朝廷との交渉を望み、軍艦をつらねて摂海に押し寄せるだろう。そのために無防備な摂海に日本軍艦を浮かべて、外国の威圧をはねのけ、対等の立場にならなければならない。それが勝の神戸海軍操練所の構想であり、そこで育てた士官の手で軍艦を動かすという、将来を視野に入れた勝の着想に高次は感じ入った。
神戸海軍操練所の構想を龍馬も喜び、二人は会うたびにこの話に熱中した。
「勝先生の海防論をわかる者が、幕閣にもおったということじゃ。しかも神戸村の海軍操練所は築地と違って、浪人にも門戸を開放するという勝先生の考えじゃ」
晩秋の霧雨が降る観光丸の甲板で、龍馬が興奮気味に語った。
「勝頭取はアメリカ人のように、身分の上下に縛られぬことを考えつかれる。わしらには思いもよらぬことじゃ」
「高次もそう思うか」
「ああ。勝頭取は目の見える偉いお方じゃ」
「もし神戸村に海軍操練所ができれば、このわしも大手を振って海軍に打ち込める。脱藩して攘夷を口にするしかない浪人集団を、海軍操練所に一堂に集めて軍艦を教えちゃる」
「浪人に軍艦を教えるとは、坂本さんの大法螺《おおぼら》話も板についてきたのう」
「いまは大法螺話かもしれぬが、わしはかならずやってやる」
高次が神戸の海軍操練所の話をしようと、万次郎の屋敷を訪れると、待ってたとばかりに出迎えた万次郎が口をひらいた。
「高次よ。わしの謹慎が解かれるかもしれぬ」
「おお。それはよかったです。ですがどういう風の吹きまわしですか」
「ボーニン・アイランドがイギリス領だと、万国地図に誌《しる》されておったらしい。それで幕府は大慌てなんじゃ」
万次郎によるとイギリスの捕鯨船が父島に寄港して、その領有権のあいまいさに気づいたイギリス政府が、フランスで出版された万国地図に、小笠原諸島はイギリス領であると誌したらしい。これを知った徳川幕府が狼狽《ろうばい》して、咸臨丸を小笠原諸島の探索に向かわせて、島のアメリカ人と交渉して日本領とするために、ふたたび万次郎を起用する方針に変えたと万次郎は話した。
「こんなにはよう海に出られるとは思っちょらんかった。これも幕府の身勝手じゃが、船に乗れればそれもよかろう」
万次郎の顔に久しぶりに笑みが浮かんでいる。
「さらにええ話があるんじゃ。このたびの小笠原行きでな、わしは幕府から鯨方《くじらかた》の御用をおおせつかった」
「いよいよ捕鯨ができるわけですな」
「うまくいけばそうなろう。小笠原で領土交渉が終われば、わしは鯨方として鯨の群れを見つけねばならん。これで高次にも鯨の尾羽《おば》を見せてやれそうじゃ」
「それは楽しみです」
高次が勝の神戸海軍操練所の話をすると、万次郎は幕閣内にも攘夷の不条理に気づいた者が発言力を強め、勝の意見を支持する空気が高まってきたといった。それは同時に、幕府が世界の動きから目を閉ざしたために、小笠原諸島がイギリス領と誌されてしまったことに驚いた幕閣が、勝の意見を聞くべきだと考えるようになったことであり、その結果として小笠原探索に万次郎が再起用されたのである。
幕府は小笠原への航海に咸臨丸と、小型帆船の千秋丸《せんしゆうまる》を派遣することを決めた。文久元年(一八六一)十一月。高次は万次郎と咸臨丸に乗り組み、安房《あわ》の海に乗り出した。
海は咸臨丸がアメリカへ船出したときのように荒れていた。留次郎たち鳶衆《とびしゆう》の力を試す絶好の機会である。咸臨丸には軍艦頭取と軍艦操練所の航海士官が乗り組んでいる。高次が揺れる甲板で留次郎たちを見まわした。
「ここが鳶衆の腕の見せどころじゃ。臆《おく》することなくマストに登れ。ただし体が海に慣れるまでは無理をせんことじゃ」
「合点承知です。高次兄いに恥をかかすようなへまはしねえから、安心してくだせえ」
留次郎たち鳶衆は、紺の股引《ももひき》に黒の腹掛けをした鳶姿である。鳶衆は恐れを知らずに揺れ傾《かし》ぐマストに登り、十一月の寒風をついて、帆桁《ヤード》に巻かれた横帆《セイル》を展開した。
咸臨丸は大きく傾いて、波濤《はとう》を割って加速した。高場の仕事に慣れた身の軽い鳶衆を、二等水夫に育て上げた高次は、満足そうにマストを見上げている。小笠原への航海を終えれば、留次郎たちを一等水夫に格上げできるだろう。
甲板に立った万次郎も嬉《うれ》しそうである。
「さすがは度胸がある鳶衆じゃ。これならアメリカでも一等水夫として認められる。高次もええところに気がついた」
蒸気|汽罐《きかん》を止めた咸臨丸は、伊豆《いず》大島を右舷《うげん》に見て疾走した。大島の先に利島《としま》と新島《にいじま》が浮かび、潮の香のきつい黒潮が島々を洗っている。晩秋の寒空の雲の切れ目から、ときおり薄日が射し込むが、帆をふくらます北西風はかなり冷たい。
甲板に降りた留次郎に高次が尋ねた。
「どうじゃ。外海《そとうみ》に乗り出した心地は」
「うねりは大きいですが、やっと船乗りになった気分です」
黒潮の強い流れのために、咸臨丸は大きく航路を東に流されて南下して行く。三宅島《みやけじま》をすぎ、四日目に万次郎が天測すると、すでに八丈島を通りこしていた。咸臨丸はさらに南下して小笠原諸島をめざし、六日目に小笠原父島を発見した。
「あれはまちがいなくボーニン・アイランドじゃ」
万次郎が六分儀で位置をなんども確かめた。
大きく南下したために海水温が上がり、陽射しは初夏のようである。小笠原父島の二見浦《ふたみうら》に着くと、陸に星条旗が翻っていた。
「このような絶海の孤島に、アメリカ人が住んでいるとはたまげたことじゃ。どうじゃ留次郎。この孤島で暮らしてみぬか」
高次が日焼けした留次郎をからかった。
「こんな船も通わぬ鬼ケ島には、一日たりとも住みたかありません。くわばら、くわばら」
父島沖に錨掛《いかりが》けした咸臨丸から、バッテラに乗り込んだ高次は島を見た。棕櫚《しゆろ》の木を高くしたような見たこともない樹々の葉が強い日光を遮り、鮮やかな紅色の花が咲き乱れている。バッテラを砂浜に着け、熱い白砂を踏みしめて上陸した。海ぎわの道ぞいに丸太木を組んだ家があり、屋根は大きな葉で覆われていた。
父島はアメリカ人のセイボリーという男が統治にあたり、三十六人が定住していた。セイボリーは三十二年前にハワイから移住して、グアム島出身の妻と十一人の子供と暮らしていた。食物はハワイから持ち込んだバナナと芋を植え、豚と鶏を飼い、海亀を獲って自給しているが、ときおり寄港するアメリカやイギリスの捕鯨船に、薪水と新鮮なバナナと芋、そして貴重品の豚と鶏を売って現金収入を得ていた。この平和な島が気に入って、捕鯨船から下りて住みつく者もいた。
幕府役人が万次郎を通訳として、セイボリーと交渉をはじめた。万次郎は先住のセイボリーたちには、いままでどおりの権利を与え、ひきつづきこの島に住んでもらいたいと幕府の意向を伝えた。諸権利が認められたセイボリーは了解した。万次郎が英文の覚書を作成し、セイボリーと他の島の男がサインした。これで小笠原諸島が日本領となり、捕鯨技術をもった島民が協力してくれる。万次郎にとっても嬉しい捕鯨への第一歩だった。
無事に交渉を終えた万次郎は、小笠原諸島近海の捕鯨の調査を念入りにはじめた。咸臨丸は三本マストの全帆を降ろし、蒸気汽罐で微速で波を切りわけて、緯度と経度の測量をつづける。万次郎が夢を懸けている小笠原近海の捕鯨事業を安全に行うために、正確な海図が必要だった。小笠原諸島の中央部の兄島《あにじま》をすぎると、小さな西島《にしじま》が左に見えて、さらに沖合いに進んでいく。
高次はマストに登り、望遠鏡で小笠原の海を見た。初夏のような陽射しが蒼《あお》い海に照り返り、強い燦《きらめ》きが眼を射返してくる。晩秋とは思えない明るい陽光を照り返す蒼い海面を割って、鯨の黒い背中があらわれた。
「おお鯨じゃ。右舷《うげん》に黒い背中が見えたぞ」
高次の声で、万次郎が咸臨丸の舳先《へさき》を右に向けた。すでに鯨は潜水して見えない。高次は海面に目をこらした。濡《ぬ》れ光る鯨の黒い背が、ふたたび海面を白く割った。
「出たぞう。前方に鯨じゃ」
海面を大きく二つに割った鯨は、潮を高く吹き上げると、尾羽を打ち立てて沈んだ。
マストから降りた高次は、万次郎に笑いかけた。
「万次郎さん。みごとな鯨でしたな」
「おそらくこの海域が鯨の泳ぐ道じゃ。天測で位置をしっかりと測っておこう」
小笠原近海の測量を終えた咸臨丸が、ひと月ぶりに海軍操練所に帰ると、龍馬が岸壁で手を振って待っていた。
高次はバッテラで岸に漕《こ》ぎ寄せた。
「坂本さん。小笠原の海で鯨の潮吹きを見たぞ。黒く濡れ光った背中から潮を吹き上げ、大きな尾羽で海を叩《たた》いて沈んだ。それが咸臨丸のまぢかにあらわれたんじゃ」
「わしは土佐の海で鯨を見たことはあるが、遠くて豆つぶのようじゃった。それでいつ捕鯨に行くのかね」
「これから万次郎さんといろいろ準備をせねばならぬ。まずは捕鯨船を手に入れることじゃ」
「日本に捕鯨船などあるのか」
「万次郎さんが神奈川村のアメリカとイギリスの領事館に尋ねておる」
「わしも南の海に行ってみたいものじゃ」
「この捕鯨が成功すれば、坂本さんもつぎの航海に乗ればよい」
「それは楽しみじゃのう」
「ところできょうは長《ちよう》やんがおらぬが」
「長やんも海軍をやりだしてから、ものを見る目が大きうなってな、このまえも勝先生の紹介で、越前《えちぜん》の大殿さんに会ったんじゃ」
「越前の大殿さんに会えるとは、長やんも偉いもんになったのう」
高次は感心した。越前の大殿とは、翌年政事総裁職に任命される松平|春嶽《しゆんがく》のことである。勝は弟子入りした龍馬や長次郎を、軍艦操練所で高次から船を習わせる一方、開明的な人物にも積極的に引き合わせていた。
「わしも大殿さんに会ったが、長やんはしきりと摂海の海防のことを話しちょった」
「勝頭取の神戸海軍操練所のことじゃな」
「そうじゃ。勝先生が建白した神戸の海軍操練所が、いまや実りつつあるんじゃ」
「それはおもしろうなってきた」
「これから外国の連中は、朝廷の権威を知って、京に行くことが多くなろう。だが摂海の備えはまるでなっちょらん。そこで神戸の海軍操練所の設立を急がせて、そこで育てた航海士官を、この任にあたらせようと勝先生は考えちょる」
「摂海に軍艦が浮くと想うだけで、胸が弾んでくるのう」
勝は日本の海の防衛のために、日本の海を六海区に分けて、それぞれの海区に軍艦を浮かべる構想を、幕府に進言していた。その第一歩が京の喉元《のどもと》にあたる摂海の守りであり、なによりの急務は軍艦を動かす人の育成だった。
神戸の海軍操練所は幕臣にのみ門戸を開くのではなく、諸藩の有志はむろんのこと、海の好きな浪人者も入門できるようにしたいというのが勝の考えである。
「わしはいずれ外国に乗り出したいと思うちょるが、それまでは幕府の金と軍艦を使って浪人者を育ててやる」
高次は龍馬の楽しそうな顔を見て、神戸海軍操練所がうまくいけばいいと願った。
高次は捕鯨への道が開けたために忙しくなった。
「高次よ。おんしに会わせたい方がおるきに、わしの屋敷に来てくれ。いよいよこの手で捕鯨が実現できそうじゃ」
高次は越後《えちご》の大地主の平野廉蔵《ひらのれんぞう》という四十代半ばの富豪に会うことになった。廉蔵は幼いころ病のために足が不自由となり、蘭医の治療をうけるために長崎へ行き、療養しつつ蘭学を学んだ。江戸に出てから蘭学は時代遅れであることを知り、英語が必要だと感じて万次郎のもとで学びはじめたという。
「廉蔵さんはこれからの日本に、捕鯨が有益なことをようわかってくれた。それで小笠原に鯨が多いことを話したら、資金を出して捕鯨船を買《こ》うてもええといった」
「捕鯨船が買えるのですか」
「そうじゃ」
「それは夢のような話ですなあ」
「それでわしは勝様を通じて、永井玄蕃頭《ながいげんばのかみ》様に申し上げて、幕府に捕鯨事業を願い出たところ、話がうまく進んで、お許しが出ることになったのじゃ」
万次郎の捕鯨構想を理解した幕府は、平野廉蔵を船主として、捕鯨事業の許可を出すことを決めた。だが資金のない幕府は、この事業を半官半民とし、捕鯨船を買う資金は廉蔵が負担し、乗組員は軍艦操練所から手助けすることになった。
「幕府が後楯《うしろだて》になってくれれば、小笠原島で買ったボンブランス炸裂銛《さくれつもり》が使える。あれがあれば百人力じゃきに船出が楽しみじゃ」
万次郎が咸臨丸で小笠原探索に行ったとき、外国奉行の水野|筑後守《ちくごのかみ》を説いて、銛先を火薬で爆発させる「ボンブランス炸裂銛」を五本買い求めた。これは手投銛に較べて格段の威力を発揮するために、近代捕鯨には欠かせない高性能な銛だった。
高次は万次郎の屋敷で廉蔵と会った。広い江川太郎左衛門邸の離れに手を入れた万次郎の屋敷の縁側に、万次郎手作りの椅子が置かれてあったが、来客の人目を引くものは、庭先に造られたパン焼き窯《がま》であった。生前の江川に伊豆で反射炉の構築法を教えた万次郎にとって、パン焼き窯造りなどたやすいことであった。
机の上の盆にパンを置き、椅子に座って左足を投げ出している廉蔵は、人の良さそうな丸顔で高次を見上げた。
「高次さんですか。立派なお体ですのう。そのうえアメリカまで見てきたとは、なんとも羨《うらや》ましいかぎりです」
長崎での療養のかいもなく、廉蔵の足は不自由なままである。越後に桧《ひのき》の大山林をもっている廉蔵は、商売は番頭にまかせて、好きな学問に熱中できる身分であった。
廉蔵が万次郎の新知識に魅《ひ》かれたのは、越後七不思議の一つ「燃え水」が原因だった。越後の海底から湧いて海面に浮かび、いつまでも消えずに燃える燃え水を、昔から越後の人々は鬼の火だとか、海で死んだ船乗りの祟《たた》りの火だと恐れた。だが廉蔵の英語の師となった万次郎が、それは石油に違いないと断言した。すでにアメリカのペンシルヴェニア州では油田開発がはじまっていて、万次郎は石油のことを詳しく廉蔵に説明した。越後の鬼火は石油であると簡単に解明された廉蔵は、万次郎への信頼を強めて、捕鯨の後援者になる覚悟を固めたのである。
「高次さん。わしは見てのとおり足が不自由です。捕鯨船を買う金は出します。わしのかわりに万次郎さんと働いてくだされ」
「捕鯨船さえあれば、このわしが動かします。大きな鯨を獲ってきますので、楽しみに待っていてくだされ」
翌朝二人は神奈川村に向かった。高次の足は弾んだ。新興開国場となった神奈川村には、アメリカとイギリスの領事館があり、購入する船のめどはついている。上海から神奈川村に移住したイギリス商人が所有する洋式捕鯨船フェンナ号であった。
神奈川村への道を歩きながら、万次郎がアメリカの捕鯨船団の船主の仕組みを話した。
「アメリカで大きな捕鯨船を新造するときは、大金がいるので、大勢の船主が集まって金を出すことが多い。それでも足りないときはバンコ(銀行)から船を担保に借りるんじゃ」
「日本にもいよいよそういう時代がくるのですな」
「捕鯨が盛んになればかならずくる。そして廉蔵さんのような船主が五、六人集まれば、捕鯨船団を組んで遠洋に乗り出せる」
神奈川村に着くと、外国人が目立つ街並みに洋館が建ち並び、江戸では見られない馬車が走っている。高次は小さなサンフランシスコのようだと興味ぶかくあたりに目を向けた。
「あれがフェンナ号じゃ」
沖に木造の風帆船が碇泊《ていはく》していた。二人は艀《はしけ》でフェンナ号に乗り移った。
「この船はかなり古く、望みどおりの捕鯨船とはいえぬが、いま日本で手に入る中では、一番の上物じゃ」
高次が甲板を見まわした。
「話に聞いていたキャッチャー・ボートというものが見当たりませんが」
「大波でさらわれたが、小笠原の父島にアメリカ人の船大工がおる。船材を積んで出航し、父島でキャッチャー・ボートを二隻造ろうと思うちょる」
二人はフェンナ号を見てまわった。船内は鯨油の臭いがしみついていて、慣れない高次は気分が悪くなった。だがこれが捕鯨への第一歩である。そう思うと臭いが気にならなくなった。船体は木製で古かったが、なんとか小笠原への捕鯨航海には耐えられそうだと、二人の意見は一致した。
「小笠原の捕鯨航がうまくいけば、何人も船主を集めて大きな捕鯨船を造って、海に乗り出しましょう」
「そのときは龍馬たちも誘ってやればよい。楽しみなことじゃ」
高次は見張り台のあるマストを見上げて、この捕鯨が成功すれば、次は塩飽衆と海に乗り出す夢を描いた。千石船の時代ではなくなったいま、塩飽の男たちの生きる道は捕鯨にあると思った。
それから高次は出港準備に追われた。幕府から正式に捕鯨出港の許可が下りた。乗組員の手配、鯨油樽《げいゆだる》の作製、船の整備など仕事は山ほどあった。神奈川村で整備を終えた高次は、風帆船フェンナ号に留次郎たちを呼び寄せて、軍艦操練所まで廻航して「一番丸」と改名した。
一番丸は汽罐《きかん》のない風帆船である。留次郎たちマストに登る鳶衆《とびしゆう》の力が役に立った。軍艦操練所は正式に、鳶衆をマスト登り要員として雇い入れることを決めており、辰五郎の舎弟分で築地を縄張りにする武蔵屋重《むさしやじゆう》右衛門《えもん》という親分が、鳶衆の人入れ稼業をすることに決まった。
一等水夫として大助と佐太次たち塩飽衆十人が乗り組むことも決まり、高次は一番丸の出航準備を終えて、久しぶりに大助たちと長屋に帰って酒を飲んだ。
手ぎわよく酒の肴《さかな》を作りはじめたおこんの背に、高次は声を飛ばした。
「おこん婆さんよ。わしらは小笠原島に鯨を獲《と》りにいくことになったぞ」
「小笠原とはどこじゃ」
おこんは皺《しわ》だらけの顔で振り向いた。
「流人《るにん》の八丈島よりさらに南の島じゃ」
「それはアメリカよりも遠いのか」
「いや。アメリカより近いが、異国と同じような島じゃ」
江戸が世の中心だと信じているおこんは、ぶるっとおぞけ[#「おぞけ」に傍点]を震った。
「それで鯨は食べると旨《うま》いのか」
「万次郎さんは旨いというとった。鯨が獲れたら塩漬けにして持ってくるから、そのときは料理してくれ」
「やれやれ。高次さんの飯炊き婆になってから、江戸前の鯊《はぜ》や鱚《きす》ではなく、異国の鯨の料理までさせられるのか」
おこんはまんざらでもなさそうである。
その晩高次は、大助たちと鯨獲りの話に熱中した。塩飽衆が海で生きていくためには、捕鯨がいいかもしれぬ。そのためにはアメリカ式捕鯨を万次郎から教わり、日本で捕鯨を盛んにする。その晩は遅くまで狭い長屋の部屋が捕鯨の話で盛り上がった。
翌朝龍馬が一番丸にやってきて、初冬の北西風に揺れるマストを見上げた。
「これが一番丸か。古そうな捕鯨船じゃが、マストに見張り台があるのう。それでいつ出帆するのじゃ」
高次がロープを巻きながら答える。
「この月の暮れには出帆する。坂本さんともしばしの別れになる」
「わしも勝先生のお供で、大坂まで軍艦で行くことになった。あそこに浮いておる順動丸《じゆんどうまる》に乗っていく」
「おおそうか。順動丸なら政太郎さんが乗っておる新造の軍艦じゃ。大坂まで遠乗りになるから、政太郎さんにゆっくりと船を教えてもらえばええ」
「わしもそれを楽しみにしちょる」
順動丸はイギリスから購入したばかりの新造艦で、三百五十馬力の蒸気|汽罐《きかん》スクリュー推進式で、将軍家茂の御召船である。
「高次が捕鯨から帰るのはいつごろじゃ」
「鯨しだいじゃが、四、五ケ月さきじゃと思う。それで神戸の海軍操練所の話はどれくらい進んでおる」
「越前の大殿さんの諒解《りようかい》をとりつけて、幕府から三千両の金が払われることになった。だが勝先生を嫌っちょる馬鹿者が多い。それで勝先生はじきじきに将軍さんと話をせねばならぬというちょった」
「将軍さんとの直《じか》談判なら本格的じゃな」
「そのとおりじゃ」
龍馬が嬉《うれ》しそうにうなずいた。
「勝先生がおるかぎり、わしらの海の夢は実現できる。だから目の見えん攘夷《じようい》の阿呆《あほ》どもから、勝先生を守るのもこのわしの役目になる」
真剣な顔つきになった龍馬が、大刀の柄《つか》に手をやった。
「えいっ――」
龍馬は裂帛《れつぱく》の気合いとともに大刀を抜き放った。白刃が初冬の陽に反射して、高次は茫洋《ぼうよう》とした龍馬が、免許皆伝の剣術使いであることを改めて知った。
刀をおさめた龍馬に高次がいった。
「坂本さんがいてくれれば勝頭取も安心じゃ。坂本さんも息災でいてくだされ」
「高次も鯨に食われぬようにな。帰ったらまた会おう」
文久二年(一八六二)十二月三十日。高次は一番丸で小笠原諸島に出帆した。
海には強い冬の北西風が吹き、大島沖で北西の逆風と黒潮の流れがぶつかり合い、海面は激しい三角波で白く荒れていた。
甲板に立っているだけで寒い。だが一番丸の航海を任された高次は、生き生きと指揮をとる。
「留次郎よ。船足をかせぎたいから三角帆をすべて張れ。甲板に波がうちかかって傾いたら、帆をすぐたたむんじゃ」
「まかせておくんなさい」
留次郎が胸を叩《たた》いた。留次郎たちマスト登りの鳶衆は、さきの小笠原航海で見違えるように逞《たくま》しく育っている。敏捷《びんしよう》な動きでマストに登り、危うげなく帆を張った。万次郎も立派な一等水夫と認めていた。
佐柳島《さなぎじま》を出たときの高次の夢は、死んだ富蔵と同じく千石船の船頭になることだった。貧しい佐柳島の子供にとって、千石船の船頭になる夢は、燦《きらめ》く星になるようなものだ。大坂で船荷を千石船に山と積み込み、潮岬《しおのみさき》をかわして江戸までひた走る。船頭として無事に一航海走り抜けば、とびぬけた収入が手にできる。そして世帯をもち、船を下りれば島に帰って、寺子屋で子供たちに読み書きを教えて暮らす。そして海にみとられて船乗りの一生を終える。それは大助たちも同じであった。
だが黒船を見て目を大きく開き、咸臨丸で万次郎とめぐり会い、アメリカの生活を見聞した高次は、もっと大きな海の夢にめざめた。鎖国をして世界に大きく遅れた日本が、はやく国力をつけて文明大国アメリカに近づくには、国を開いて海に乗り出すことだ。その第一歩が大海に鯨を追うことだった。
高次はかろやかに一番丸を小笠原島に進める。舵取《かじと》りは佐太次である。大助が帆前調練として帆を操る。塩飽衆と鳶衆の手により、五日後に一番丸は父島に入港した。
上陸すると万次郎はアメリカ人船大工を雇い、キャッチャー・ボートの建造にとりかかった。父島に住むアメリカ人船大工の腕はよく、作業は順調に進み、二月末には二隻のキャッチャー・ボートが完成するめどがたった。
高次は佐太次たちとバッテラに乗り、父島の入江と浅瀬と暗礁を調べた。小笠原の海水は澄み切って、十間(約十八メートル)下の海底も鮮明に見える。海中には色鮮やかな魚が群泳している。
「小笠原の魚を釣ってみるか」
高次が釣り針を海中に投げ込んだ。名も知らぬ色とりどりの魚が、入れ食いで釣り上がった。
「これならおこん婆さんを連れてきて、天麩羅《てんぷら》にしたら旨かった」
一刻ほどで篭《かご》一杯の魚を釣り上げた。高次が刺身にして乗組員の夕餉《ゆうげ》にした。
「なんですこの刺身は。身が柔らかすぎて、食えたもんではありませんぜ」
留次郎が箸《はし》を止めた。
「どれどれ。わしが味見をしよう」
高次も刺身を口に入れたが、留次郎のいうように身が柔らかくてしまりがない。煮魚も焼き魚も同じであった。
「ここは海水が温かすぎるから、江戸前の魚のように身がしまらず、旨くないのじゃ」
高次が小笠原の魚の味をそう分析した。
万次郎は捕鯨経験のある男たちを雇うために、島民の人選をはじめた。
捕鯨が成功するかどうかは、銛《もり》を投げる「射手」の腕前にかかっている。父島には洋式捕鯨に習熟したフランス人射手のルイ・ルジュールがいた。東洋人を軽蔑《けいべつ》しているルジュールは、万次郎を馬鹿にした口調で、相場の三倍をふっかけてきた。
「おれの腕は高いぞ。一日十ドル以下なら、船に乗る気はない」
「そのまえに訊《き》くが、ボンブランス炸裂《さくれつ》銛を射ったことはあるのか」
交渉する万次郎の態度は堂々としていた。
「五、六十本は射った」
「ならば一日三ドル支払う。もし腕が口ほどでもなければ、その場で二ドルに格下げにする。それでよければこの書類にサインしろ」
「一日三ドルだと。日本人がなめたことをいうな」
射手に一日三ドルは正当な給料である。だが日本人のいいなりになりたくないルジュールは、万次郎を威嚇するように睨《にら》みつけた。
だが万次郎は胸を張って動じない。
「わしはニューベッドフォード育ちの捕鯨船乗りだ。この小笠原で銛射ちの仕事につきたければ、一日十ドルなどと物を知らないことをいうな」
万次郎が捕鯨船乗りの本場のニューベッドフォード育ちと知って、ルジュールはしぶしぶうなずいた。
「鯨を仕留めたときの歩合はどうなる」
「十メートルより大きい鯨を仕留めれば、そのつど歩合を百ドルずつ払う。それより小さければ五十ドルだ」
小笠原島で一日三ドルの現金収入は、跳び上がるほどの価値がある。悪態をつきながらもルジュールはサインした。
高次は万次郎と外国人の交渉を見ていた。話す言葉はわからないが、一くせも二くせもありそうな連中ばかりで、隙を見せればすぐつけこんできそうである。そんな連中を万次郎は平然とさばいて、契約書にサインさせている。
留次郎が感心する。
「こうして見ると万次郎さんは、うちの親分みてえじゃねえですかい。あの恐れ知らずの気っぷなら、火消しの頭取もつとまりますぜ」
「ならば万次郎さんが船を下りたら、を組の組頭に招いたらどうじゃ。なかなかの貫禄《かんろく》で新門一家に重みがでる」
「そりゃいいですぜ。アメリカ言葉が話せる万次郎さんが、火事場でアメリカ言葉を話しながら纏《まとい》を振ったら、江戸中の火消しが肝をつぶしやす」
初めて夷人《いじん》との交渉を見る留次郎も、万次郎が夷人を平然とさばく姿を見て、辰五郎親分の堂々とした姿を重ねあわせてうなずいた。
もう一人のアメリカ人射手ウィリアムズ・スミスがあらわれた。スミスも最初は傲慢《ごうまん》な態度をとったが、万次郎が船長としての威厳を示すと、掌《てのひら》を返したように下手に出た。
「ところで船長にひとつ頼みがある。悪いが二百ドル前払いしてほしい」
「よかろう。ただし条件は、途中で船を下りるなどといわぬことだ」
「かならず約束は守る」
いちど捕鯨船に乗り組めば、捕鯨が終わるまで二、三ケ月は船で生活をする。万次郎はスミスに二百ドル前払いして、二人の射手を確保した。
つづいて奇妙な老人があらわれた。痩《や》せ細った長身の胸を大きく反らして、まわりの人を威嚇するように大股《おおまた》で歩いてくる。
万次郎はあらかじめ父島居住民の素行を調べていた。七十九歳のホーソンは傍若無人な老人で、島民から嫌われていた。イギリス生まれでのちにアメリカ海軍に入り、ペリー艦隊で日本に来航した帰路に、高齢のために父島で下船した。
ホーソンは横柄な態度で、万次郎の前に立った。万次郎は冷静に対応し、ホーソンが船に乗ると、船内の統制が保てなくなると追い帰した。ホーソンはあらんかぎりの悪態をついて立ち去った。
父島の統治者のセイボリーが、嬉《うれ》しそうにホーソンの後姿を見送った。
「あのホーソン爺《じじい》を島から追放したいのだが、ユナイテッドの市民権をもっているから、どうしようもなかった。だがこれで少しは懲りただろう。あんたに礼をいう」
十一人の子持ちのセイボリーは、末娘がホーソンにつけ狙われたり、宝物の豚や鶏を追いまわされて、ホーソン老人にほとほと手を焼いていた。
それから万次郎は、舵手《だしゆ》にとび抜けて目のいいカナダ人のチャーリーとジャッキーの二人を雇った。これで捕鯨はいつでもできる。
二隻のキャッチャー・ボートを積み込んだ一番丸は、二月の爽《さわ》やかな小笠原の海に船出した。万次郎は一番丸の舳先《へさき》を、父島沖の鯨の道に向けて、乗組員に金貨を見せた。
「よいか。最初に鯨を見つけた者には五ドル金貨をふるまう。この金貨は幸運をもたらすといわれている。だから目を皿にして鯨を見張ってくれ」
それはニューベッドフォードの捕鯨船の伝統だった。一番に鯨を見つけた報奨の五ドル金貨は、船乗りに幸運と富をもたらすと信じられている。
高次も望遠鏡をもってマストに登った。南海特有の青く燦《きらめ》く大海原が広がっている。
「高次兄いよ。あっしらも火の見|櫓《やぐら》に登って、火の手を見張るんだ。鯨探しでも負けはしませんぜ」
留次郎がマストの上から小手をかざして、強い陽光に目を細めた。航路は克明に天測した海図を見て佐太次が舵《かじ》をとる。
三日間は鯨の潮吹きを発見できなかった。日の出とともに二交替で見張りに立つために、刻《とき》を知らせる八点鐘(船時計)が役に立つ。三日目の晩に廊下の八点鐘がなくなっていた。おかしいと思った高次は万次郎に報告した。万次郎もどうしたのだろうと首をかしげた。
四日目の朝に誰よりも早く万次郎の声が甲板に落ちてきた。
「おったぞ。鯨じゃ。右舷《うげん》前方五十間(約九十メートル)じゃ。キャッチャー・ボートを降ろせ」
マストを降りながら、万次郎は英語で同じことを命じた。
甲板が慌ただしくなった。二隻のキャッチャー・ボートが両舷から海に降ろされ、射手のルジュールとスミスが、重いボンブランス炸裂銛を抱えてボートの舳先に立った。高次も乗り込んでオールを握りしめた。
舵手のチャーリーが舵棒を握りしめ、ボートの舳先を鯨の浮上海面に向けた。
「さあ漕《こ》げ。心臓が破れても、オールを漕ぎつづけよ」
八人の漕ぎ手とともに、高次もオールを懸命に漕いだ。舳先でルジュールが抱える重いボンブランス炸裂銛は、銛先が鯨に命中すると、その衝撃で火薬が爆発して、鯨の厚い外皮を破って突き立つ。だが銛先が鯨の背中に垂直に命中しないと、ぶ厚く濡《ぬ》れ光った皮膚にはじき返される。
顔つきが一変した万次郎が、海面に目を光らせる。
「船足はいいぞ。このまままっすぐ漕ぎ進め」
万次郎は鯨の潜水時間を、経験から推し測っている。高次は初めての捕鯨に、胸を高鳴らせてオールを漕ぎつづける。
「出た。右舷に潮吹きじゃ。一頭だけではない。左舷にも一頭出たぞ」
万次郎が英語で叫んだ。
「スミス。お前は左の鯨を追え」
「アイ、アイ、サー」
スミスの乗るキャッチャー・ボートが左海面に方向を変えた。二隻が別々の鯨を追いはじめた。
舵手のチャーリーが海面を凝視し、鯨との間合いをつめていく。高次はさらにオールを漕ぐ手に力をこめた。
捕鯨の成否は舵手の技にかかっている。潮を吹き上げたあと、尾羽《おば》をふり立てて潜水した鯨の息を測り、つぎの浮上海面を予測して、キャッチャー・ボートを進めるのは舵手の役目である。そのために舵手は経験のほかに、目のいいことが絶対条件になる。
高次は懸命にオールを漕ぎつづける。日本の角ばった小舟と較べて、丸い船腹をしたキャッチャー・ボートの波切りはいい。チャーリーが鯨と横並びになるようにキャッチャー・ボートを進める。濡れ光った鯨の巨体が、左舷前方に浮かんだのを高次は見た。
こんなにまぢかに鯨に迫ったことに高次の胸は高鳴った。
「もっと近づけ」
舳先に立つルジュールが、緊張した顔をチャーリーに向けた。
「見てろ。ぴったりと並んでやる」
チャーリーがたくみに舵を切り、キャッチャー・ボートと鯨が並んだ。高次はボートの真横に、鯨の濡れた背中を見て興奮した。
「しゃあ――」
ルジュールが奇声とともにボンブランス炸裂銛を投げ飛ばした。重い炸裂銛が宙に舞い飛び、鯨の上空で円を描いて背中に垂直に落下した。その直後にぼんという鈍い破裂音が聞こえた。
「やったぞ。漕ぎ方やめい」
万次郎が興奮気味に叫んだ。荒い息を吐いた高次が海を見ると、鯨の背中に炸裂銛が突き立ち、濡れた皮膚が裂けて血が流れている。
万次郎が指示を飛ばした。
「鯨が潜るぞ。死んでも銛綱《もりづな》を放すな」
鯨は銛綱を引いて海中深く潜っていく。七百|尋《ひろ》(約千二百六十メートル)のロープが轆轤《ろくろ》で擦《こす》れて煙を上げている。
万次郎が高次に声高に叫んだ。
「高次よ。銛綱を切られぬように、轆轤に水をたっぷりかけよ。すこしでも鯨の潜水する力が弱ったら、力いっぱい銛綱を引き込め」
「わかった」
初めての捕鯨の緊張で、口がからからに渇いた高次は、右手で轆轤に巻いた銛綱を握りしめ、左手の柄杓《ひしやく》で海水をかけた。まだ鯨の力は強い。傷ついた鯨は銛をふり落とそうと、海中深く潜っていく。
舳先を銛綱に引かれたキャッチャー・ボートは、轆轤から煙を噴き上げ、いまにも壊れんばかりに震動して、海面を引きずられていく。ロープの長さが五百尋を超えた。鯨の潜水はまだ止まらない。高次の右手が銛綱の摩擦で切れて、血が流れ出た。
舵手のチャーリーはボートが横波をうけないように、たくみに舵をとっていく。銛綱の長さが十尋を残すところで、銛綱を引く力が弱まった。
「万次郎さん。銛綱の引きが弱まった」
「よし。銛綱を引き上げよ」
高次は両手で轆轤に巻いた銛綱を引きはじめた。皮膚の破れた掌《てのひら》に激痛が走ったが、鯨を仕留めるために歯を食いしばって銛綱を引いた。鯨の浮上がはじまった。
波立つ海にいくつもの波紋がひろがり、海面が大きく盛り上がった。ルジュールが二本目の銛を手にボートの舳先で身構えた。海水が白く泡立ち海面が二つに割れた。傷ついた鯨は海水を白濁させて浮き上がり、血の混じった潮を吹き上げた。
ルジュールが二本目の銛を投げた。二本目もみごとに命中して鈍い破裂音がひびいた。
「これでもう深くは潜れまい。銛綱はしっかりと締めておけ」
二百尋ほど潜った鯨がふたたび浮上し、海面に血を流して横たわった。
「十五メートルをこす巨鯨だ。おれに百ドル。舵手のチャーリーに五十ドルだ」
ルジュールが笑みを浮かべている。一刻(二時間)ほどの巨鯨との闘いであった。
そのとき遠くの海面から白煙が上がった。
「おお。スミスのボートが鯨を仕留めた合図の白煙だ。一日で二頭とは幸先がいい」
万次郎が五ドル金貨を指ではじき飛ばして、ピューと口笛を吹いた。高次は口笛を吹く万次郎を初めて見た。
「万次郎さんも嬉しいのじゃろう」
高次はその光景が、なにか日本の海ではないように思われた。
父島の砂浜で二頭の鯨の解体がはじまった。捕鯨に習熟したチャーリーとジャッキーが大切包丁で外皮を切り裂き、厚い脂肪のついた黒皮を、大釜《おおがま》で煮て鯨油を採る。外皮が削《そ》ぎ取られた鯨の身や内臓を、万次郎が日本人に料理してふるまった。
「これは尾の身じゃ。生で食うたらええ。この赤臓《あかわた》(十二指腸)は焼いて、塩をかけて食うとうまい」
万次郎が焚火《たきび》の上に血のしたたる赤身をかざした。鯨肉の焼ける香ばしい匂いが、父島の海岸に立ちこめる。
鯨は内臓から骨まで捨てるところがない。骨は砕いて煮れば良質の鯨油がとれる。内臓は塩で干し、赤肉は塩づけにして保存する。
「万次郎さん。アメリカ人はこういうものを腹いっぱい食っておるから、体が大きくなるんですかのう」
高次は口のまわりの脂を拭《ぬぐ》った。
「いいや。アメリカ人は鯨の肉は食わんのじゃ。捕鯨船で鯨油を採ると、肉と臓物は海に捨ててしまうんじゃ」
牛や豚の肉は食っても、鯨肉を食わないとは、妙なことだと高次は思った。
その夜は遅くまで、父島の浜辺に笑い声がさざめき、高次は捕鯨の後の宴《うたげ》を堪能《たんのう》した。
捕鯨は順調に進んだ。まもなく一番丸に騒動がもち上がった。
万次郎が薪水を補給するために父島に帰ったとき、
「しばらくは水も浴びられなかったから、今晩は上陸してゆっくり寝ればよい。ただし朝には帰ってこい」
と外国人乗組員の上陸を許可した。そのときスミスが荷物をすべてまとめて、船を下りようとした。
「おいスミス。おまえには前払いした金が残っておる。上陸はかまわんが、荷物は船に置いていけ」
万次郎は怠け者のスミスが、船中の八点鐘などの備品を盗んでいるという疑いをもっていて、いずれ調べるつもりでいたらしい。しぶしぶ荷物を置いたスミスは上陸したが、翌朝になっても帰ってこず、昼すぎにホーソンを連れて帰ってきた。
一番丸に乗り込んだホーソンが胸をいからせて、どうしてスミスの荷物を取り上げたと怒鳴った。万次郎はホーソンを相手にせず、なぜホーソンを連れてきたのだと、スミスを声高に詰問した。
下を向くスミスにかわってホーソンが、万次郎を睨《にら》みつけて腰に手をやった。だが慌てた様子をみせたホーソンは、大急ぎでボートに走って行った。
「船長。やつのボートにこの拳銃《けんじゆう》があった」
チャーリーが六連発の拳銃を万次郎に差し出した。拳銃を手にした万次郎が、ホーソンに拳銃を向けて、お前の探しているのはこの拳銃だろうと怒鳴った。
拳銃を突きつけられたホーソンが慌てた。
「その拳銃を返せば、この場はなにもなかったことにしてやる。おい船長。返すんだ」
「お前たち二人を、船長権限で逮捕する」
万次郎が毅然《きぜん》とした態度でいいはなった。
「ホーソンはわしの船への無断乗船と殺人未遂だ。スミスは船長への不服従と、盗みの容疑で逮捕する。高次と大助。この二人を縄で縛り上げよ」
高次は金髪のアメリカ人二人を縛り上げることに、一瞬|躊躇《ちゆうちよ》を感じたが、肚《はら》を決めて年寄りのホーソンをまず縛り上げた。だが銛打ちで肩の肉が盛り上がったスミスは抵抗が激しく、万次郎が拳銃を耳元に近づけて、威嚇の射撃を一発撃った。スミスが驚いた隙に、大助と二人で甲板に押さえつけて縛り上げた。
捕縛した二人に恨みをもつ島民は多かった。万次郎は上陸して島民から証言記録をとった。二人の乱暴に困っていた島民は、余罪を細かく書き上げて連名でサインをした。
こうして小笠原島の第一回の捕鯨航は終わりを告げ、ホーソンとスミスを船室に閉じ込めて、一番丸は父島をあとにした。
「鯨|獲《と》りはおもしろいもんじゃ」
高次が日焼けした顔を春の陽に輝かせた。
「そうじゃな。いずれわしら塩飽衆の手で鯨獲りをやりたいものじゃ」
高次は遠ざかる小笠原の父島を見ながら、おこんに捕鯨とアメリカ人捕縛の話をするのが楽しみになった。
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第三章 神戸海軍操練所
文久三年(一八六三)五月。九十六バーレルの鯨油を積み込んだ一番丸は、神奈川村(横浜)に帰港して、スミスとホーソンをアメリカ領事館に引き渡した。この時期に日本人がアメリカ人を逮捕したことは異例である。万次郎が「万国公法」に則《のつと》り、作成した英文の罪状書類は完全であった。フィジャー領事は万次郎に感謝して、二人を領事館内に拘禁した。
「ねえ兄い。さすがはアメリカ育ちの万次郎さんだと思いませんかい。領事を相手にさしで勝負できる男は、江戸ひろしといえども、万次郎さんしかいませんぜ」
「そうじゃのう」
高次が感心したのは、万国公法というアメリカ、イギリス、フランス、オランダの西洋先進国が遵守する法律を、すでに万次郎が知っていて、それを使って二人を逮捕したことである。アメリカ人エートンの手になる万国公法は、国権、人権、法律、そして海上航法、さらには交戦条規から和親条約に至る国際法を載せた六冊本で、まだ日本では万次郎の他に知っている者は少なかった。
スミスとホーソンを縛った縄をもち、領事館に二人を引き渡して外に出た高次に、万次郎が語りかけた。
「高次よ。いずれ日本でも万国公法を使うときがくる。わしはまだ万国公法を訳しておらぬが、いずれは訳すつもりじゃ。おんしは船乗りだから海上航法を学ぶがよい。訳本が仕上がったらまっさきに高次に見せる。かならず役に立つときがくる」
「ありがとうござります。わしも万次郎さんのように、学問せねばならんことが多いことが、こんどの航海でようわかりました。海上航法の訳本を楽しみにしております。それに捕鯨のやり方をもっと教えてくだされ」
「わしがアメリカで学んだ捕鯨学校の教本がある。それもいずれ訳して渡そう」
その晩高次たちは五ケ月ぶりに長屋に帰った。おこんが高次の顔を見て、跳び上がるように喜んで出迎えた。高次は鯨の塩漬け肉と酒徳利をおこんに手渡した。
「これが小笠原の鯨の塩肉じゃ。焼いて食うと旨《うま》いぞ。料理を頼む」
おこんは気味悪そうに鯨肉を手にしたが、鹿肉を料理したことを思い出し、七輪で焼いたあと、大根おろしと七味唐辛子で臭みをとって大皿に盛った。
「どうじゃ。おこん婆さんも鯨を食ってみんか。小笠原で食べたが旨かったぞ」
高次が酒を茶碗《ちやわん》に注いだ。
「そうじゃな。冥土《めいど》の土産に食ってみるか」
おこんは鯨肉を恐る恐る口に入れたが、歯が抜けているために噛《か》み切れず、思い切って飲み込んだ。だが鯨肉を飲み下せず、喉《のど》につまらせて目を白黒させているおこんに、高次が茶碗酒を差し出した。おこんは酒を飲んで喉のつかえを落とした。
それから高次はアメリカ人捕縛の一件を、おこんに話してやった。
「アメリカ人を縛り上げたとは、高次さんも大助さんも大手柄じゃった」
おこんは酒に顔を赤らめて喜びを口にして、食事の仕度にとりかかった。
航海中の船上で男が作る食事は、荒々しくて粗雑なものが多い。海が荒れれば、冷飯《ひやめし》に味噌汁《みそしる》をかけてかきこむ。だが長屋に帰っておこんの手料理を口にすると、陸に帰ってきた実感が強くなる。
おこんが料理の皿を運んできた。
「これは醤油《しようゆ》と酒で煮びたした蛤《はまぐり》じゃ。わしの末娘のおひなが作ったもんじゃが、きのうわざわざ届けてくれた」
「ほう、煮蛤か。こりゃ旨そうじゃ」
高次は薄味で柔らかく煮びたした蛤を噛みしめた。鯨と違った江戸の繊細な味が、口中に広がった。
大助も箸《はし》でつまんで相好をくずした。
「こりゃ旨い。おこん婆さんに、こんな料理上手な娘がおるとは知らなんだ。まさか顔はおこん婆さん似ではあるまいな」
大助がおこんの皺《しわ》だらけの顔を不躾《ぶしつけ》に眺めた。
「このわしを馬鹿にするでない。これでもおこん婆さまは、若いときは築地小町といわれてな、男どもが群がってきて、色目を使われて困ったもんじゃ。それで深川の泥鰌鍋屋《どじようなべや》の一人息子に嫁いで、娘ばかりを五人授かったんじゃ」
おこんは高次たちが久しぶりに帰ってきたのが嬉《うれ》しいのか、末娘のおひなは三十路《みそじ》だが気立てはよく、不幸にも嫁いだ先の亭主と死に別れ、いまは一人身であると身内の話をはじめた。
「おひながわしに似て別嬪《べつぴん》なことは請け合う。出戻りじゃが高次さんの嫁にどうじゃ」
おこんがしおらしく高次に酒を注ぐ。
「おこん婆さんの娘なら、別嬪はわかるが、わしは海に出て家にもどらぬことが多い。それではおひなさんが気の毒じゃ」
「そうか。船乗りとはそういうものじゃった」
それから高次たちは、捕鯨の話に花を咲かせた。小笠原諸島での捕鯨に成功して、塩飽衆《しわくしゆう》の将来が見えてきた気がした。
「これから世は大きく変わると思うが、わしら塩飽衆が海で生きていくには、鯨獲りはうってつけの仕事じゃ。大助はどう考える」
「わしはいままで幕府の役人の命令で軍艦に乗っておったが、それでは宮仕えの役人と同じじゃ。これからは塩飽衆のためになる海の仕事を考えねばならん。さすれば鯨獲りはええ仕事じゃ」
フランス人射手のルジュールに似て、筋肉質の佐太次が希望を口にした。
「わしら塩飽衆が力を合わせれば、いつかは捕鯨船がもてる。そうなれば塩飽の若い衆にも捕鯨の仕事がさせられる。そのときはわしが銛打《もりう》ちになって、ボンブランス炸裂《さくれつ》銛を投げてやる」
「銛打ちか。佐太次ならできよう」
高次は塩飽衆が捕鯨船団を組んで、太平洋に乗り出していく光景を頭に描いた。キャッチャー・ボートの舳先《へさき》に、ボンブランス炸裂銛を抱えた佐太次が立ち、高次がマストの見張り台から、望遠鏡で巨鯨の潮吹きを見張る。大助が舵《かじ》をとり、潮吹きを見つければ大海にキャッチャー・ボートを降ろして鯨を追う。万次郎がいればそれもまんざら夢ではない。
「万次郎さんがアメリカ捕鯨の教本を訳してくれるといった。そうなればわしらは軍艦だけでなく、捕鯨のことも学べる」
高次は塩飽の仲間と話しているうちに、かつて東シナ海を荒らしまわった塩飽海賊衆の血が、体の中で熱くたぎってくるのを感じた。
小笠原の捕鯨航の五ケ月間に、新緑が芽をふいた日本の世情は、めまぐるしく変転していた。尊王攘夷《そんのうじようい》に突きすすむ薩長《さつちよう》二藩がとりこもうとする京の朝廷がさらに力を強めて、外交方針が定まらない幕府に攘夷の実行を迫っていた。
幕閣は朝廷の圧力に揺れ動き、将軍家茂が二百四十年ぶりに京に入り、天皇の御機嫌伺いに御所に参内した。家茂上洛の目的は天皇と直接会い、攘夷を諫《いさ》めて開国の正しさを主張するつもりであったが、結果は京の尊王攘夷派の圧力に押し切られ、逆に日時を限って攘夷を実行するように迫られた。
京の尊王攘夷派は、直接外国人と接しないこともあって、非現実的な動きをする者が多かった。外国艦隊が日本に押し寄せて、各地の港の開港を要求されたときも、元寇《げんこう》で蒙古軍を追い払った「神風」が吹くのを期待する公卿《くぎよう》もあらわれた。京にいて現実を知らない公卿たちは、神社仏閣に命じて夷敵|調伏《ちようぶく》を祈祷《きとう》させた。
それはペリー艦隊が来航したときも同じであった。黒船四隻に日本中は右往左往の大騒ぎとなったが、このとき天皇は実際に神風祈願を神官に命じた。だが神風は吹かず、ペリー艦隊は堂々と日本を離れていった。
家茂の二百四十年ぶりの上洛により、攘夷の気運をさらに強めた朝廷は〈攘夷打払令〉を発令した。朝廷が撃攘《げきじよう》と呼んだこの攘夷打払令は、日本に近づく外国船を無差別に攻撃して、日本を外夷から守れという狂的なものであった。その背景には倒幕を狙う一部公卿の思惑や、西国雄藩の画策があった。
朝廷の無謀な攘夷打払令を、もっとも喜んだのが長州藩である。薩摩藩が生麦《なまむぎ》でイギリス人を斬った「生麦事件」で攘夷を天下に示したために、長州藩もそれに遅れてはならぬと、久坂玄瑞《くさかげんずい》や高杉晋作《たかすぎしんさく》らが馬関《ばかん》(下関)海峡を通過する外国船を砲撃すべく、亀山と城山の砲台の整備をはじめた。
五月十日に撃攘が実行された。長州藩は馬関海峡をなにも知らずに通過するアメリカ商船ペンブローグ号に、亀山と城山の砲台から一方的に攻撃をくわえた。死傷者を出して横浜に逃げ帰ったペンブローグ号から、長州藩の無差別攻撃を知ったアメリカ軍艦ワイオミング号が、怒りをみなぎらせて戦闘準備を整えて反撃にうつり、亀山砲台を艦砲射撃して壊滅させた。つづいてフランス軍艦二隻が、長州の海岸に海兵隊を上陸させ、長州兵を蜘蛛《くも》の子を蹴散《けち》らすように撃破した。こうして無差別攻撃を敢行した長州軍は、外国艦隊に完膚なきまでに敗れ去ったのである。
高次は五ケ月間のめまぐるしい世の動きを、軍艦操練所の教授方から聞いたすぐ後に、長州藩の撃攘事件を耳にした。捕鯨航の報告をするために、高次が軍艦順動丸の艦長室に勝を訪ねると、
「なにを馬鹿なことをやりやがる」
と勝が煙管《きせる》を火鉢に叩《たた》きつけて、長州藩の無差別砲撃に強い怒りをみなぎらせた。
「長州藩が攘夷なんぞできるわけもねえが、もしやる気であれば、そのまえに海軍の力をつけるしかねえんだ。長州の軍艦といえば、商船を改造した中古船が二隻あるきりだ。それも満足に動かねえ。いつまでもこんな馬鹿をやっていると、そのうち外国人から日本は野蛮国だと見られるのがおちだ。そうだろう高次」
高次は勝の神戸海軍操練所の準備が進んでいることを知っていた。だが歯にきぬをきせず物を言う勝を嫌う者が多く、ひと月前まで因循|姑息《こそく》な幕閣は、勝の海軍操練所設立に最後の首を振らなかった。
行動力のある勝は、将軍家茂を順動丸に乗せて、摂海の和田岬、湊川尻《みなとかわじり》など防備がなされていない砲台建設予定地を視察させた。そのあとで家茂に向かって、朝廷から攘夷の勅令が下されようと、なにもない摂海の備えであれば、たちまち外国の軍艦に蹂躙《じゆうりん》されてしまう。それゆえ無防備な摂海を守るためには、海軍の設立が急務であり、そのために軍艦を動かす人材を育てる神戸海軍操練所が必要であると進言した。
勝の直々《じきじき》の献策が家茂に聞き届けられ、翌日勝は神戸海軍操練所の取掛役に命じられた。だがその直後、攘夷打払令が朝廷から命ぜられたために、攘夷派の幕閣がふたたび力を盛り返した。その結果として、日本は鎖国攘夷の世に逆もどりをはじめた。
勝は高次の捕鯨の成功の報告を喜んだが、先の見えない攘夷に心底腹を立てたのであった。
攘夷派が力を盛り返したということは、小笠原開拓が中止になることを意味する。この報はまもなく万次郎に届けられ、幕府の鯨方《くじらかた》の御用が解かれたことを告げられた。
「なんということじゃ」
小笠原諸島での捕鯨事業にめどがたち、いよいよこれからだと意気込んでいた万次郎は、がっくりと肩を落とした。
「わしは嵐でアメリカに漂流して、その後は特異な運命を素直に受けとめて、そのなかで精いっぱい生きてきた。だがいまの日本は後ろ向きのことばかり起こる。これでは先のことなど真剣に考えられぬ」
高次は万次郎の鯨方の解任を築地の軍艦操練所で知った。政治のことなどよくわからぬが、万次郎と捕鯨をつづけていけば、やがてアメリカのように国が富み、諸外国に交易で乗り出せる。だが京の朝廷は時代に逆行して、ふたたび国を鎖《と》ざそうとしている。強い失望感を覚えた高次は、万次郎の屋敷に駆けつけた。
万次郎は縁側の椅子に座ってうなだれていた。
「万次郎さん。もう少し時期を待って、世が変わればまた捕鯨に出られます。それまで辛抱して待ちましょう」
「いや。猫の目のように変わる幕府を当てにしていたら、これから何度も失意を味わうことになる。わしは幕府にお暇を願い出て、屋敷で英語を教えることにした」
「わしもそれがよいと思います」
横に座った廉蔵がうなずいた。世の狂信的ともいえる攘夷は、天皇が賀茂社へ攘夷祈願の行幸をしたほどに高まっており、攘夷浪人は年とともに増えていた。アメリカ帰りの万次郎が暗殺される危険は、まだ高いと廉蔵は心配したのである。
廉蔵が高次に向き直った。
「わしから高次さんにひとつ頼みがあります」
「はい」
「古い一番丸をこのまま築地沖に浮かべておいても、船の傷みが早くなるばかりです。高次さんに一番丸が動けるうちに、海の仕事をしてもらいたいのです」
「どんな仕事ですかのう」
興味を浮かべた高次に、万次郎がアメリカの話をした。
「メーア島の海軍食堂で食べた、馬鈴薯《ばれいしよ》を覚えておるな」
「牛のぶ厚い肉を食べたときに、皿に盛ってあったあの丸くて白い芋ですな」
「そうじゃ。わしは咸臨丸に乗る前に、勘定奉行の川路《かわじ》様のお指図で、蝦夷《えぞ》ケ島の近海の捕鯨調査のために、一年半ほど箱《はこ》(函)館《だて》で暮らしたことがある。そのときのもう一つの役目が、ペリー提督が日本に来航したとき、幕府に献上した馬鈴薯を、箱館で栽培せよとのことじゃった」
「万次郎さんは箱館で、あの丸い芋を作られたのですか」
「そうじゃ。わしは農業の専門家ではないが、アメリカで畑を休ませないで、馬鈴薯を作る輪作という農法を見てきた。ペリー提督が持ってきた馬鈴薯は、アメリカ北部の冷たい地帯に強い種芋じゃった。わしはそれを持って箱館に行き、馬鈴薯を作ることに成功したんじゃ。蝦夷ケ島で米が作れない松前藩は、わしが栽培をはじめた馬鈴薯に興味を強くして、いまも馬鈴薯の栽培に力を注いでおる」
高次は万次郎がさまざまな仕事をしているのに驚かされた。
「蝦夷ケ島の海には鯨もおる。高次は一番丸で北上して捕鯨をやり、その帰り船に馬鈴薯を積んでくれば商いになる」
「蝦夷ケ島の捕鯨と馬鈴薯ですか。それはおもしろい。ぜひわしにやらせてくだされ」
アメリカ大陸がコロンブスによって発見されてから、南アメリカ大陸からさまざまな品物がヨーロッパに持ち帰られた。貴族が喜んだのは黄金と宝石類だったが、民衆が喜んだのが馬鈴薯だった。アンデス高地が原産地で痩《や》せた土でも育つ馬鈴薯は、たちまちヨーロッパ中に広まり、フランスやドイツをはじめとする飢餓で苦しんでいたヨーロッパ大陸の人口が、二倍になったほどである。西洋の軍隊が馬鈴薯を軍用食に携帯していることも万次郎は知っていた。
廉蔵が口をはさんだ。
「一番丸は古い船です。小笠原諸島への航海は危険がありましょうが、蝦夷ケ島であれば東北の陸伝いに航海ができます。古い一番丸でお金を稼いで、つぎは高次さんの手で大きな捕鯨船を造ってください」
「わしはやりますぞ」
高次は体に力がみなぎってくるのを感じた。
万次郎が書棚から一冊の本を取り出した。
「高次よ。このアメリカの航海書をやるから、よく読んで西洋航海術を学ぶがよい」
万次郎が差し出したのが、航海者の聖典とされるボウディチ著の『新アメリカ航海士必携』の翻訳書であった。安政二年(一八五五)に万次郎は幕府から命じられて、アメリカとヨーロッパ諸国の船乗りが愛読するボウディチの名著の翻訳をはじめた。英語辞典もないときに、万次郎が二年間心血を注いで、やっと完成させた貴重な航海書であった。
そのとき三十歳だった万次郎は、翻訳の苦労のために髪が真っ白になり、実際の年齢より老けて見られるようになってしまった。そうして仕上げた『新アメリカ航海士必携』は、単に航海術にとどまらず、造船法から非常時の船の修理技術まで、船を率いる上級航海者にとって、すべてに役立つ海の名著といえた。
「高次はこれから日本の海を背負って立つ男じゃ。そのためにもこの航海書をよく学んでおくがよい。かならず役に立つ日がくる」
「このような大切な書物を、このわしに……礼の言葉もありませぬ」
高次は万次郎に深々と頭を下げた。
廉蔵が出資した一番丸の半官半民の捕鯨事業を、幕府の内部事情で一方的に中止したために、勝を通じて進言した高次の一番丸での蝦夷ケ島行きは、軍艦操練所に籍を置いたまま行ける許しが得られた。
喜びに胸を弾ませた高次は、まっさきに大助と佐太次に報告した。
「おい喜べ。わしらは一番丸で蝦夷ケ島へ行き、そこで鯨を獲《と》って大船を造るんじゃ」
「いきなりなにごとじゃ」
高次は驚いている二人に、廉蔵の好意で一番丸で蝦夷ケ島に捕鯨航に行けること、そしてペリーが日本に持ち込んだ馬鈴薯の種芋を、万次郎が蝦夷ケ島で栽培に成功して、その商いができることを興奮気味に話した。
「わしら塩飽衆が蝦夷ケ島へ行って、鯨を獲れるのか。それはおもしろい」
大助も佐太次も体中で喜びをあらわした。
高次たちが一番丸で捕鯨をやるには、射手の手配など解決すべき問題はあったが、塩飽衆が一団となって海に乗り出せる夢をその手にした高次は、あとは準備を整えて実行するのみであった。
高次たちは一番丸に泊まり込んで出航の準備をはじめた。小笠原諸島への五ケ月の航海で、帆綱などの艤装《ぎそう》品の傷みがはげしかった。帆綱を新しいものに替え、船の水漏れの修理を念入りにはじめた。高次は昼は船の整備を行い、夜は『新アメリカ航海士必携』を読んで、船長としての知識をましていった。
どんよりした梅雨空を浮かべる早朝の海を、小舟を漕《こ》いで一番丸めざして来る若者がいた。年の頃は十六、七歳である。背は中背で胸板が厚く、たくみな艪《ろ》漕ぎから漁師育ちであることが知れた。
若者は一番丸に漕ぎ着くと、手ばやくもやい綱を結び、敏捷《びんしよう》な動きで甲板に立ち、ハッチ扉を開けて声をかけた。
「高次兄いはおりますか」
桶《おけ》で汲《く》み上げた海水で顔を洗っていた高次が、振り返って若者を見た。その顔に見覚えはなかったが、誰かに似ていると思った。
「おんしは誰じゃ」
「富蔵の弟の四郎です」
「おおっ。富蔵兄いの末の弟の四郎か」
「はい」
十七歳の四郎の四角い顔、太い眉《まゆ》と細い一重の目、ぶ厚い唇は富蔵の若いころにそっくりであった。
「高次兄いに会うのは十二年ぶりですが、わしは兄いの顔をよう覚えております。アメリカで富蔵兄がお世話になり、お礼をいいにまいりました」
富蔵の死は、書状で佐柳島の家族に知らされ、遺品と褒美金が高次の手で送り届けられていたが、高次は佐柳島に帰っていない。四郎は千石船の炊《かしき》に雇われて、江戸に来航したので、高次を捜して礼をいいに来たと、深々と頭を下げた。
「そうか。ならば朝餉《あさげ》を食いながら話そう」
六月の重く垂れ下がった厚雲から、まだ雨は落ちていない。炊当番が炊き上がった飯を丼《どんぶり》に盛って運んできて、葱《ねぎ》の味噌汁《みそしる》と沢庵漬《たくわんづ》けを甲板に並べた。
「腹が減ったじゃろう。さあ遠慮のう飯を食え」
「はい」
若い四郎は勢いよく丼飯をかき込み、味噌汁を音を立ててすすった。
「飯の食い方も、富蔵兄いによう似ておる」
大助が眠そうな目をこすりながら起きてきた。
「おい大助。これが富蔵の弟の四郎じゃ。わしが島におったときは六、七歳の鼻垂れの小僧じゃったが、ええ若衆になった」
「おお。富蔵によう似ておるのう」
高次は朝餉を食いながら、富蔵がサンフランシスコで入院した病院の様子や、立派な墓に眠っていることなど、書状で書ききれなかったことを四郎に話してやった。
四郎はうなずいて聞いたあと、顔を上げてこういった。
「富蔵兄が死んだことは口惜《くや》しいですが、佐柳島の若衆宿で島を出て船に乗れば、船板一枚下は地獄と教えられました。富蔵兄もその覚悟はもっておったはずです。だからわしは悲しくありません」
「ええ心懸けじゃ」
うなずいた高次が佐柳島の先輩らしく尋ねた。
「それで四郎はこれからどうするんじゃ」
「わしは千石船に乗るために佐柳島を出ましたが、千石船が役に立たないことがわかり、いつかはこういう洋式帆船に乗ってみたいと思っておりました。高次兄い。わしに洋式帆船を教えてくだされ」
富蔵が生きていれば千石船の船頭になりたがっていた。富蔵が望んでいた海の仕事を、洋式帆船で弟の四郎とやるのも縁かもしれない。
「よし。四郎を一番丸の炊にして、これから洋式帆船を教えてやる」
万次郎によれば、肝心の射手の手配がつきそうであった。万次郎が箱館の奉行所に早飛脚を送り、ロシア船に乗り組んで箱館で下船したアメリカ人射手がいることがわかった。奉行所の船役人に交渉してもらった結果、アメリカ人射手から一番丸に乗り組んでもいいと返書が来た。
「これで蝦夷ケ島の海で鯨を追える。楽しみなことじゃ」
塩飽の若い仲間がくわわって高次は笑みを浮かべた。
高次が蝦夷ケ島行きの準備に熱を入れていたとき、内外の政局の激変は、侠客《きようかく》の新門辰五郎や留次郎をも、その激流に巻き込んだ。
「高次兄い。大変なことになりやした」
留次郎が息せききって一番丸に駆け込んできた。
「なにがあったんじゃ」
「辰五郎親分が子分三百人を引き連れて、京の町の火消しに行くことになりやした」
江戸の火消しがどうして京へ行くのか不思議に思った高次に、留次郎は辰五郎の娘のお芳《よし》が一橋|慶喜《よしのぶ》の側室に上がっており、いま将軍後見職である慶喜は、天皇の警護で京に上っているが、それで辰五郎に身辺警護としてお呼びがかかったのだと話した。
京の世情不安のために、慶喜が「禁裏御守衛総督」に任ぜられて京に発ったことは、高次も勝から聞いていた。留次郎によれば江戸育ちの慶喜は京の生活を嫌い、側用人が慶喜が江戸を恋しくならぬようにと、気っぷのいい江戸女を側室にすることを考えた。慶喜の側用人が身元が確かで、江戸のにおいのする鉄火娘を側室に探してほしいと、つてを頼って辰五郎の屋敷に来た。急な御用向きであるし、身元もしかと確かめねばならないと思った辰五郎が、自分の娘のお芳を側室に差し出すことに決めた。お芳は鳶《とび》の若い衆を見て育っただけに、男まさりの気性であるが、そのめりはりのきいた性格と立ち居振る舞いは、江戸の鉄火娘そのものである。慶喜は一目でお芳が気に入り、お芳を連れて京に上がったと留次郎がことの顛末《てんまつ》を語った。
「それで留次郎はどうするんじゃ」
「いま新門一家には、二千人を超す身内がおりやす。浅草の縄張りは組頭数人で守ることになりやした。おいらは親分と一緒に京に行かねばなりやせん。しばらくのお別れです」
「そうか。留次郎がいないと寂しくなる」
「なあに兄い。三百人の新門一家が、そんなに長く京にいられるはずがござんせん。すぐにもどってきやす。そうしたらまた一番丸に乗せてくだせえ」
世が世であれば火消しの新門一家が、将軍後見職の一橋慶喜の護衛役を務めるなど、考えられないことである。それだけ旗本八万騎が弱体化した証拠であり、辰五郎の侠気が旗本の武力より信頼できるということであった。徳川幕府の屋台骨が揺らぎはじめたことは、この一件で高次にもよくわかった。
高次が鯨油樽《げいゆだる》の出来上がりを待つ七月のむし暑い夕方に、築地の軍艦操練所に長次郎が姿を見せた。
「おお長やん。いつ江戸へ帰ったのじゃ」
「二日前じゃ。だが軍艦の速さにはたまげた」
「どうしてたまげた」
「大坂から歩いてくれば十五日はかかる。だが軍艦に乗ればわずか三日じゃ。勝先生のいわれる海軍ちゅうもんが、軍艦に乗ってやっとわかった」
「東海道を歩くより軍艦か。それで大坂でなにをしておった」
「勝先生の神戸海軍操練所の寮舎の普請がはじまり、わしと坂本さんは人集めやら金集めで忙しくしちょった」
「ほう。いよいよ神戸の海軍操練所がはじまるのか」
長次郎と龍馬はこの一月に順動丸で大坂に行き、それから勝の弟子として神戸海軍操練所設立に向けて大坂で走りまわっていた。
勝は日本の防衛のために、六海区に合計二百七十隻の軍艦を浮かべる大構想を、幕閣に進言していた。勝の腹案によれば乗組員は六万一千人を超える。そのために軍艦を動かす六万余の人材の育成が急務であるが、ひとまず勝の構想する神戸海軍操練所は、五百人の大世帯になるため、寮舎などすべてが整備されるのは、まだ一年ほどさきだろうと長次郎は説明した。
「それまでは勝先生の私塾として塾生を集めちょる。わしらはそれを勝海軍塾と呼んじょるが、土佐からも同志が五人入門して心強いかぎりじゃ」
「寮舎をつくっておる場所はどこじゃ」
「大坂の十里西にある生田《いくた》の森じゃ。なにもない寂しい浜じゃが、摂海と瀬戸内海の海の要《かなめ》といえよう」
勝は神戸小野浜に海軍操練所の建設がなるまで、龍馬をはじめとする脱藩浪人を集めて、生田の森に屋敷を作り、そこを勝の私塾として使いはじめていた。龍馬や長次郎は勝の私塾を誇らし気に「勝海軍塾」と呼び、神戸海軍操練所建設にむけて忙しく働いていた。
神戸小野浜の海軍操練所は、勝の構想どおり半官半民となり、幕府が毎年三千両の資金を支援し、幕府の軍艦が貸与されることに決まった。だが幕臣以外の諸藩の家臣や、脱藩浪人もくわわるから、とても三千両の予算では足りないと長次郎は話した。
「そのために坂本さんが越前福井藩に足を運び、藩主の松平春嶽様から、五千両借りることに成功したんじゃ。それで勝海軍塾も一息ついた」
「ほう。それはよかった」
「わしはこの海軍操練所に懸《か》けちょる」
いつもは感情をあらわさない長次郎が、熱をこめて語り出した。
「勝先生の海軍操練所は身分の貴賎《きせん》にとらわれず、海の好きな同志を集めちょる。坂本さんも土佐では郷士という低い身分じゃ。わしも饅頭屋《まんじゆうや》じゃ。だが志さえあれば身分など無くともええ。船を動かせる腕をもてば、外国と交易して銭を稼げる。そして饅頭屋のわしでもかならず外国へ行くことができる」
「それはええのう」
「神戸の海軍操練所ができれば、土佐を脱藩した同志もそこで一緒に暮らせる。脱藩浪人の身はつらいもんじゃ。国許《くにもと》に帰れば捕吏に捕縛される。京や大坂で貧困と不安に怯《おび》えて暮らさねばならん。そこでわしらはいずれ浪人海軍をつくるつもりなんじゃ」
「浪人海軍か。それはおもしろい。だが長やんにひとつ尋ねたい」
「なんじゃ」
「いま勝海軍塾に集まっちょる浪人者は、みな本心から日本を開国させる気かね」
「それはどういう意味じゃ」
「浪人のほとんどは攘夷者《じよういもん》じゃ。軍艦に乗った浪人者が、攘夷などと叫んで外国商船に大砲をぶっ放したら、かなわんからのう」
高次の問いに長次郎が複雑な表情を浮かべた。
「脱藩した同志には、なかにはそういう者もおる。だがそれをわからせるのが、わしと坂本さんの役目じゃ」
そのあとで長次郎は、軍艦がなかなか手に入らないと溜《た》め息をついた。勝は幕府が佐賀藩に貸した観光丸を受けとれるように話を決めたが、勝を悪く思う築地の軍艦操練所の教授方が、軍艦を渡すのをしぶっていて、長次郎は軍艦を手に入れるために、政事総裁職の春嶽に書状を書いてもらい、築地の軍艦操練所の教授方と話すために江戸に来たと話した。話し終わると別のことを尋ねた。
「坂本さんが鯨はどうなったかといっちょった」
「鯨は獲《と》れたが、攘夷のあおりで万次郎さんの鯨方の役が解かれた。そのかわりにわしが一番丸で、蝦夷ケ島の海に鯨獲りに行くことになった」
「ほう。それはおもしろい話じゃ。わしらはいずれ神戸の海軍操練所で軍艦を学び、高次は蝦夷ケ島の海に鯨獲りに乗り出して行く。坂本さんが聞いたら喜ぶじゃろう」
話し終えた長次郎は、築地の軍艦操練所の要人に会わねばならぬといって、忙しそうに立ち去った。
一番丸の整備にめどが立った高次は、本願寺橋の長屋に久しぶりに帰った。夕凪《ゆうなぎ》で暑気があたりにへばりついている。高次は冷たい井戸水を釣瓶《つるべ》で汲《く》み上げ、頭からかぶって汗を流した。
そのまにおこんが蚊遣《かや》りを燃やして、長屋の前に縁台を出してくれた。
「おこん婆さんよ。新入りがきたからよろしく頼む。わしと同じ塩飽佐柳島の四郎じゃ」
「ほう。羨《うらや》ましいほど若いお兄さんじゃ。これからが楽しみじゃのう」
「船の仕度もほぼ終わった。この四郎を乗せて蝦夷ケ島まで鯨を獲りに行ってくる。帰ったら馬鈴薯《ばれいしよ》という珍しい芋を食わせるから、楽しみにしておけ」
「高次さんがいると、この婆《ばば》もいろんなものが食えるから、嬉《うれ》しいのう」
「これは讃岐の土産です」
四郎がおこんにそうめんを差し出した。
「四郎さんは若いのによう気がきく。娘に手伝わせてすぐ冷たいそうめんを作ってやる」
部屋に戻ったおこんが、娘のおひならしい年増《としま》女をつれてきた。
「おこん婆さんよ。その方がおひなさんかね」
「そうじゃ。きょうはわしに用事があって長屋に来てくれた」
おひなが軽く頭を下げた。おひなは皺《しわ》だらけのおこんとは、似ても似つかぬうりざね顔の美形だった。三十路《みそじ》よりは三、四歳若く見える。おこんが葱《ねぎ》をきざみ、おひながそうめんを手ぎわよく湯がいて、冷たい井戸水にさらした。
高次は井戸水に浮かべたそうめんに箸《はし》をのばした。四郎が乗り組んでいた千石船が、讃岐|小豆島《しようどしま》から江戸に運んだ船荷である。讃岐そうめんはこしが強くて喉《のど》ごしがいい。井戸水を浴びた大助たちも、そうめんに舌つづみを打った。
「このそうめんは、おひなさんが作ってくれたから旨《うま》いわけじゃな。これからもよろしくお近づきのほどを願いたいもんじゃ」
大助が愛想笑いを浮かべておひなを見た。
「だめじゃ。おひなは出戻りとはいえわしの可愛い末娘じゃ。大助さんのように躾《しつけ》の悪い男に近づいてもらいとうない」
「わっははは」
いかつい塩飽衆の面々が笑いころげた。
八月の末に京の「大政変」の報が江戸に届いた。薩摩《さつま》藩と京都守護職の任にあった会津藩が京で手を結び、それまで力をふるった長州藩と尊王攘夷派の公卿《くぎよう》を、京から逐《お》い落とした事件である。
京の大政変は八月十八日の朝、ひそかに天皇の勅旨を得た薩摩系公卿の中川宮《なかがわのみや》が、長州系公卿二十余人に禁足を命じ、長州藩の役をすべて解いたことにはじまる。
仰天した長州藩兵は、薩摩藩と会津藩が護《まも》る御所に駆けつけたが、御所に向かって一発でも発砲すれば朝敵になる。薩会兵三千と長州兵千が一触即発で敵対したが、結局長州兵は七公卿とともに落ちのびざるをえなかった。この八月の政変により、公武合体を口にする薩摩藩と会津藩が、京で勢いを盛りかえしたのである。
〈京にいる留次郎は無事じゃろうか……〉
京の騒動を知った高次は、留次郎の身の安全を気遣ったが、一番丸の出港はまぢかであり、飛脚を立てる時間がない。
そんなとき神戸にいたはずの龍馬が、一番丸に顔を見せた。
「坂本さん。いつ帰ったのじゃ」
「二日前に帰ったばかりじゃ」
「京は大そうな騒ぎだと聞いておるが」
「わしは京の騒動とかかわりなく、海軍操練所設立の詰めを急いでおった。だが観光丸の入手が遅れておる。それで急ぎ江戸に帰ってきたんじゃ」
龍馬は長次郎が築地の軍艦操練所の要人を説いてまわり、観光丸引き渡しが決まりかけたが、軍艦を管理する海軍頭の反対で、ふたたび暗礁に乗り上げたといった。それで長次郎と入れ替わりに江戸に入り、勝の友人で将軍顧問の大久保|一翁《いちおう》に会い、将軍顧問という立場から幕閣を説いてもらうように頼み込み、やっと応諾を得たと笑みを浮かべた。
「それで高次は蝦夷ケ島に行くと聞いたが」
「そうじゃ。これからはわしらの船で鯨獲りができる。そして蝦夷ケ島の海で鯨を獲って銭を稼ぐ。いつの日か塩飽衆で捕鯨船団を組み、世界の海に乗り出すのが夢じゃ」
「塩飽衆で鯨獲りか。それはええのう」
高次は龍馬が羨ましそうに自分を見たのがわかった。龍馬は帰る故郷のない脱藩浪人であり、国許の捕吏から見れば重罪人である。だから自由に海に乗り出せる高次たちが、羨ましく思えたのかもしれない。
龍馬が話を変えた。
「蝦夷ケ島といえばわしも興味があってな、土佐の脱藩浪人の北添佶摩《きたぞえきつま》を、蝦夷ケ島探索に行かせて、かの地の暮らし向きを調べさせちょる」
「どうして蝦夷ケ島じゃ」
「わしらのように国を脱け出した脱藩浪人は、死ぬことを覚悟で京や大坂に出てくる。京で新選組や会津見廻組と斬り合いになれば殺される。そして貧窮に苦しみ、弱気になって国に帰れば捕縛される。そういう者を放っておけばいずれ斬られて死ぬ」
龍馬が恐い目で宙を睨《にら》んだ。
「だがわしらが力をつけて、幕府を叩《たた》き潰《つぶ》すにはまだ刻《とき》がかかる。そこで蝦夷ケ島に浪人軍団をつくり、北辺の護《まも》りをさせながら開墾を進め、時がくれば陸兵となって、京や江戸に攻め上がらせるんじゃ。こうすれば新選組に斬られて死ぬこともなかろう」
龍馬が「蝦夷地視察浪士団」として送り込んだのは、土佐脱藩浪士の北添佶摩ら三人である。天誅《てんちゆう》を志して京に上った北添は、龍馬の蝦夷浪士団の話に面くらったが、龍馬は北添を説きふせて、勝の許しを得て海軍塾の金庫から旅費を用立ててやり、箱館奉行への勝の紹介状を持たせて旅立たせたという。
「ところで小笠原で鯨が獲れたという話を、長やんから聞いたぞ」
「鯨は獲れたが幕府の一方的な都合で、小笠原開発はとり止めになり、万次郎さんはくさっちょる」
「幕府なんぞを当てにしていては、このさきの大事はならん。ところで高次は万次郎さんとすごいことをやったではないか」
「アメリカ人の捕縛のことかのう」
「そうじゃ」
龍馬が感動したように夏陽に燦《きらめ》く海に目を向けた。
「日本人というものは、とかく感情で立ち騒ぐ者が多い。このごろの攘夷《じようい》騒ぎを見ても、棒で突つかれた蜂の巣みたいに、ただ刀を振りまわして騒ぐだけじゃ。だが万次郎さんは冷静に万国公法に則《のつと》り、英語で罪状をしたためて、犯人をアメリカ領事に引き渡したと聞いた。そのとき二人を縛ったのが、おんしと大助だそうではないか」
「まあ、そういうことじゃが」
「わしが感心したのは万次郎さんが万国公法を使って、アメリカ人と対等に渉《わた》りあったことじゃ。いまの日本人にできることではない」
「坂本さんは万国公法を知っておるのか」
「勝先生から聞いたことがある。これから世界に出る者は、万国公法を学ばねばならぬといわれた。いずれ読んでみたいが、いまわしは海軍操練所設立にかかりきりなんじゃ」
「長やんに聞いたが、生田の森で屋敷の普請がはじまったらしいな」
「そうじゃ。勝先生に命じられて、わしが勝海軍塾の塾頭になり、諸藩藩士や浪人者を集めちょる」
「長やんは浪人海軍をつくると意気込んでおった」
「そうじゃ。浪人者は攘夷に凝り固まった者が多い。だがアメリカを見てきた勝先生の開国論を聞いて、攘夷を捨てて世界に目を開く浪人者も多くなった。そういう者を集めて浪人海軍をつくるのがわしらの夢じゃ」
龍馬によれば神戸海軍操練所は、幕府が予算を補助する半官半民になるために、築地の軍艦操練所から数名の教授方が出向くことになっていた。だが神戸海軍操練所の実情は、脱藩浪人の入門が許されているために、幕閣からの反発が強く、神戸海軍操練所へ派遣される教授方は、形式的なものになるだろうといった。
「それで勝先生の海軍塾にはどれほど集まったんじゃ」
「西国の諸藩から続々と人が集まり、浪人者を入れると二百人ほどになった」
「ほう。勝海軍塾も人気が出てきたのう」
「勝先生の大開国論のおかげで、攘夷が日本刀でできぬことが、諸藩にもわかってきたということじゃ。とにかくこれからは軍艦が動かせねばどうにもならん。だが勝海軍塾というてもいまは名前ばかりじゃ。肝心の軍艦もなければ、船を動かす人もおらぬ。すべてはこれからじゃ」
龍馬はそれだけいうと、忙しそうに江戸の定宿《じようやど》にしている京橋|桶町《おけまち》の千葉道場に帰っていった。
九月初旬に高次率いる一番丸は、万次郎と廉蔵に見送られて築地沖から出帆した。
海は土用波の大うねりが、初秋の太陽の燦きを照り返し、空に薄いすじ雲が風に流れている。二本マストの一番丸は、大うねりを切り分けて快走する。
高次の胸には、この捕鯨をかならず成功させたい決意が強かった。鯨を仕留めて鯨油を採り、帰り船に馬鈴薯《ばれいしよ》を山と積んでくる。その稼ぎを元に新造の捕鯨船を造り、塩飽衆が力を合わせて世界の海に乗り出していく。それは高次には楽しい夢だった。
そのために洋式帆船を操れる塩飽衆を、一人でも多く育てねばならない。高次は北上する航海中に、逆風に向かって走れる洋式帆船の仕組みを、新入りの四郎に教えながら実際に帆の調整をさせた。
「ええか四郎。風を後ろからうけて進む千石船の一枚帆と違って、洋式帆船が逆風を間切って走れるのは、前からの風を、後ろに流せる縦帆《たてほ》があるからじゃ。まず縦帆の操《あつか》いを覚えよ」
逆風をうまく流して進める洋式帆船の縦帆は、帆の表と裏の風圧の差[#「風圧の差」に傍点]により、前方向への揚力が発生して前進できる。はやく一人前の船乗りになりたい四郎は、炊《かしき》仕事を終えると寝るまも惜しんで洋式帆船の縦帆の操いを覚えた。もの心ついたときから海に出ていた四郎は、北上する航海中に、縦帆の操いがみるみる上達した。
順調な航海がつづいた五日後に、箱館の遠眺が見られるほど速い船足を得たが、一番丸の古い船体は大うねりに軋《きし》みを上げ、マストの支《ステ》え索《イ》が伸び切っていた。
「マストのステイが伸びるのは、古い船体がねじ曲がるために起こるのじゃ」
高次は『新アメリカ航海士必携』に書かれた老朽船の見分け方を参考にして、そう判断した。小笠原まで航海した一番丸の老朽化は、見かけ以上にすすんでいる。
「一番丸で銭を稼いで、はよう新造船を造らねばいかん」
日本船は船底が平らで、復元性がまるで無いが、洋式帆船は船底に深く突き出た竜骨《キール》があり、それが横流れを防いで、風上へ帆走でき、船底に積んだ小石が錘《おもり》となって、大風にも傾かずに嵐の海を航海できる。だが船が老朽化すると、船底の錘の下部が腐ってきて、船体に歪《ひずみ》が生じる。
津軽海峡の潮流に乗った一番丸は、高い山が海に落ち込んだ葛登支岬《かつとしみさき》を左舷《さげん》に見て、逆風を間切って進んでいく。その夕刻に岬に囲まれた湾の奥に箱館が見えた。船乗りは波のない好適な入江のことを内澗《うちま》と呼ぶ。箱館半島が外海の荒波を防いでいる箱館は、まさに内澗と呼ぶにふさわしい良港だった。
「箱館はええ港じゃ。ここなら大嵐が来ても安心じゃ」
目の前に広がる蝦夷ケ島の開発は、松前藩の居城のある松前が中心となり、松前港から鮭、鰊《にしん》、昆布の「蝦夷の三品」が北前船で大坂に送られた。だが松前の地は狭く、千石船はしだいに箱館に集まりはじめ、ロシア船を中心とする外国商船や捕鯨船の姿も、いまは多く見られるようになった。
「子《ね》(北)に見える山の頂きに、半里進めよ。そこから酉《とり》(西)に転針じゃ」
高次は一番丸の入港の方向を、夕焼けに赤く染まった山の稜線《りようせん》を目印にして、舵取《かじと》りの佐太次に示した。安全な洋式船の時代になり、近代的な六分儀を使って航海しても、港への出入りは船乗りの勘が頼りになる。そのために高次は千石船の船頭のように、まわりの景色を目で覚え込みながら、一番丸を進めていく。
マストの上の鯨の見張り台から、大助が小手をかざした。
「見よ。五稜《ごりよう》の箱館奉行所が見えるぞ。大きいのう」
北辺防備のために建設中の五稜郭は、花菱《はなびし》形の郭《くるわ》が五方に突き出た西洋式城郭で、五つの郭に白壁の櫓《やぐら》が立ち、大砲が海に向けられている。フランス人技師の指導で完成まぢかな五稜郭は、北の護《まも》りにふさわしい城郭に見えた。この五稜郭を見るかぎり徳川幕府の力はまだ強大だと、高次は感心して海から眺めた。
留守役を一番丸に残して上陸した高次は、万次郎が早飛脚を仕立てた箱館奉行所の役人と会い、アメリカ人射手の居場所を尋ねた。
「沖のロシア船に乗り組んでいて、明日上陸するとのことでござった」
奉行所で翌日にアメリカ人と会うことにした高次は、万次郎が教えてくれた馬鈴薯作りの農家を訪れた。新しく開けた箱館の町は、新しい家々が海ぎわに整然と建ち並び、背後に御殿山、薬師山、立待山《たちまちやま》の三峰がそびえている。
海から半里ほど歩いた山あいに、広い馬鈴薯畑があった。秋植えの馬鈴薯が植えられていて、いく筋も平行に盛り上がった畝《うね》に、馬鈴薯の緑の新芽が土を割って伸びている。
「わしらは江戸から万次郎さんの使いで来ました。ひとつ味見をさせてくれぬか」
高次が声をかけた農夫は、万次郎のことをよく覚えていた。春植えで七月に収穫した馬鈴薯を茹《ゆ》でて、高次たちにふるまってくれた。
高次は湯気の立つ馬鈴薯に塩をかけて頬ばった。
「うまいのう。アメリカで食べた芋と同じ味じゃ。この馬鈴薯を江戸に運べば銭が稼げる。楽しみなことじゃ」
ほくほくとした馬鈴薯の熱い舌ざわりに、高次は五つも平らげた。
翌日高次は、英語が少し話せる船役人を通訳として、アメリカ人射手と話をした。
頭の禿《は》げた赤ら顔の大男で、万次郎と同じニューベッドフォードの捕鯨学校出身のアダムズだった。生まれは北欧のノルウェーで、漁師だった父親とアメリカに移住したというアダムズは、捕鯨で貯えた金で箱館に来て、故国ノルウェーの気候に近い箱館が気に入って住んでいた。
捕鯨に手慣れたアダムズが、要点をついたことを高次に問いかけた。
「お前はこの辺りの海の鯨の道を、よく知っているのか」
「知らない。これから調べるつもりだ」
「私の給与は一日三ドルだ。お前が私を雇う前に、鯨の道をしっかりと調べたほうがよい。そして確実に鯨がいる海域を海図に誌《しる》してから、私を雇って出港するべきだ」
高次はもっともだと思い、帰港したらアダムズを雇う約束をして、一番丸で蝦夷の海に船出した。高次の手元には、万次郎が箱館に一年半滞在したときに、捕鯨調査をして鯨を見つけた海域を誌した海図があった。高次はその海域に船を進めた。午後になると気圧が下がり、うねりが大きくなってきた。二百十日(旧暦)で台風が気遣われたが、捕鯨に気のはやる高次は、帆を縮帆《リーフ》して用心深く一番丸を進めた。
強い逆風のために、万次郎が誌した海域に着くのは明朝になる。夕闇につつまれた海は夜になると雨が落ちてきて、時化《しけ》の様相をおびてきた。高次の予測よりも強い波浪である。
「どうするか」
揺れ傾《かし》ぐ操舵室《そうだしつ》で高次は思案した。気圧はまだ危険なほど下がっていないが、横なぐりの雨が激しさをまし、大うねりで船体が不気味な軋みを上げている。古い一番丸は無理ができない。
びしょ濡《ぬ》れの大助が操舵室に駆け込んできた。
「高次よ。メインマストのステイが伸びて、マストが風下に大きく傾いて折れそうじゃ」
「よし。すぐいく」
高次は甲板に飛び出した。航海灯のかすかな明かりで、メインマストが弓のように風下に曲がっているのが見えた。
「メインマストの帆を降ろせ」
大助たちが帆綱を轆轤《ろくろ》に巻いて帆を降ろしはじめた。逆風に帆がはためき、強い振動で帆が降りない。このままでは船体が危険になる。
「マストに登って帆綱を切るぞ」
高次は命綱を体に巻きつけて、メインマストに登り出した。
凄《すさま》じい帆のはためきが、高次を夜の海に叩《たた》き落とそうとする。船刀を二度三度帆綱に叩きつけた。やっと太い帆綱が切れた。帆が下がりはじめたとき、突風が吹き抜け、帆が真っ二つに裂けた。裂けた上半分の帆が、凄じい音ではためいている。このままでは帆のあたる衝撃でメインマストが折れて甲板に穴があく。
二本マストの一番丸は、メインマストが無くても、サブマストに荒天帆を張れば方向は保てる。だがメインマストを失えば航海性能を失う。揺れ傾ぐ甲板に立った高次は決断をせまられた。
そのときメインマストが大きな軋みを上げた。急がねば船体が危うい。
「船を救うためにメインマストを切り倒す」
高次は斧《おの》を持ちメインマストの支え索《ステイ》を断ち切った。支え索を無くしたマストは、風下に激しく傾斜した。すかさずマストの根元に斧を叩き込んだ。無惨な音とともにメインマストが倒れた。
一番丸は高次たちが世界に乗り出すための宝船であった。この一番丸で捕鯨を成功させねば夢が潰《つい》える。マストが倒れた轟音《ごうおん》は、高次たちの敗北の轟音だった。
朝が来た。豪雨が視界をなくし、高次は羅針盤《コンパス》で一番丸を進めた。サブマスト一本では航路を維持するのがやっとで、風上に向かって走ることはできない。高次は羅針盤を見つめたまま、一番丸の捕鯨航が失敗に終わった無念さを噛《か》みしめていた。
サブマスト一本では箱館に入港できず、馬鈴薯も積み込めない。嵐に打ちひしがれ、メインマストを無くした一番丸は、半月後に江戸に帰り着いた。
サブマストの小さな帆を降ろし、一番丸を築地沖に錨掛《いかりが》けしたとき、全員が意気消沈して声もなかった。高次はその足で、万次郎の屋敷に向かい、廉蔵と会った。
「大切な一番丸のマストを切り倒して、申し訳ありませぬ」
「いえいえ。乗組員の命が失われなかっただけでも幸いです。高次さんも気を落とさないでくだされ」
廉蔵が逆に高次を励ました。支え索の伸びたメインマストを嵐の海で守ろうとしたら、一番丸が沈没する危険があったと万次郎も口をそえた。
一番丸について万次郎と相談した結果、老朽化した一番丸を修理して、メインマストを立て直して船出するのは、金がかかりすぎるために廃船にすることが決められた。
こうして高次たちの捕鯨への夢は嵐で潰えたが、七つの海が高次から逃げ去ったわけではない。高次は築地の軍艦操練所でつぎの機会を待つことにした。
そのころ神戸海軍操練所設立の最後の詰めに奔走していた龍馬は、大きな問題に直面していた。
高次が築地の軍艦操練所に顔を出すと、大教室で教授方が神戸海軍操練所への派遣の話をしていた。もともと龍馬や長次郎が築地の軍艦操練所に勝手に入り込んだことに、規律を重んじる教授方が、腹立ちを覚えていたことを高次は知っていた。それに加えて勝が画策している神戸海軍操練所は、幕府の資金を年間三千両も使い、築地の軍艦操練所の軍艦まで使用するというのに、不逞《ふてい》の浪人者の入塾を認めていることが、教授方は気に入らなかった。
教授方は浪人者は極端な攘夷《じようい》主義者か、倒幕主義者であると思っている。どちらにしても幕府にとって、浪人者は毒のような存在であり、教授方は勝の開明な精神は認めても、そのやり方には反発を強めていたのである。
そのため築地の軍艦操練所から、神戸海軍操練所に出向く教授方に、まるで熱意が感じられない。いや、派遣を拒む空気のほうが強かった。
神戸の生田の森に勝海軍塾の屋敷が新築され、小野浜に海軍操練所の教室の普請がはじまって、諸国から塾生が集まり、軍艦観光丸の派遣が決まったというのに、肝心の築地の軍艦操練所の教授方が非協力では、仏像を造って魂を入れずになってしまう。龍馬は困惑しているだろうと高次は心配した。
午後の航海実習を終えた高次は、高い秋空の下の岸壁に立っていた。
「おーい、高次よ。わしじゃ」
漕《こ》ぎ寄ってきたバッテラから、龍馬が大声で高次に呼びかけた。
「なにごとじゃ。坂本さん」
「おんしに話があって、大坂から軍艦で駆けつけてきたんじゃ」
「とにかくバッテラから岸に上がったらどうじゃ」
上陸して高次の前に立った龍馬は、唐突に用件を切り出した。
「高次よ。わしと船をやらんかね」
「船をやるとはどういうことじゃ」
「軍艦を動かせるおんしの腕が、神戸海軍操練所に欲しいんじゃ」
「わしの腕じゃと」
「そうじゃ。勝先生の力で神戸の海軍操練所はできつつある。だが築地の軍艦操練所の教授方が、本気でわしらに船を教えようとせぬ。それでわしはほとほと困りはてちょった。まあ座らぬか」
龍馬が心底から困ったように岸壁に座り込んだ。高次も並んで座った。
傾いた西陽が江戸湾を赤く染めている。龍馬が高次にいまの心情を吐露した。
「いままでわしは軍艦のない勝海軍塾で、地球儀を塾生に見せたり、高次から教えられた船の耳学問を、入門した塾生に話して聞かせちょった。だがそんなにわか仕立ての陸水練《おかすいれん》では、二百人を超す塾生に、まともな海軍教育ができるはずはない。わしは人並み外れた勝先生の明敏さを尊敬しちょるが、幕閣と築地の教授方の勝先生への反発には、塾頭として頭を痛めちょった。それでいっそのことわしと長やんで、軍艦を教えようかと弱気にもなったが、そうじゃ、高次がおるぞと気がついて、江戸に行く軍艦に飛び乗ったわけじゃ。おんしがあまりに身近な存在だったために、つい失念しておった」
勝と長崎で二回にわたる海軍伝習を経験し、咸臨丸で太平洋を渡ってアメリカを見てきた高次ほど、神戸海軍操練所で軍艦を教えるのに適した男はいないと龍馬は語った。しかも高次のまわりには、太平洋を渡った塩飽衆がいる。高次が神戸海軍操練所に来れば、行動を共にする塩飽衆がいるはずだ。そう思った龍馬は、江戸に向かう軍艦を見つけて飛び乗り、築地沖に着いて自分でバッテラを降ろし、待ちきれずにその手でオールを漕いで、岸壁に近づいてきたという。
「わしのような浪人者を、ここの教授方が嫌っておるのは知っておる。だがわしの力では教授方をどうにもできぬ。そこで高次に、ぜひ軍艦を教えてほしいのじゃ」
「ううむ……」
六尺近い二人の大男が岸壁に並んでしばらく黙り込んだ。江戸湾を吹きぬける秋風が、二人の着物の袖《そで》をはためかせた。龍馬がふたたび口を開いた。
「いまの勝海軍塾は、軍艦のない陸水練の毎日じゃ。集まった塾生たちも血の気が多いやつらで、毎日|喧嘩《けんか》ばかりしちょる。だが高次。わしらの海軍塾が新しい日本を動かすことになるぜ」
新しい日本を動かすという言葉に、高次は強く魅《ひ》かれた。
龍馬が埃《ほこり》まみれの総髪をぽりぽりと掻《か》いてつづける。
「いまわしのもとに集まっちょるのは、侍と浪人者ばかりじゃ。侍というものは生まれたときから働いたことがない。そういう侍ばかりでは軍艦は動かせぬ。世界を相手に商売もできぬ。高次は漁師の生まれじゃが、アメリカを見てきた筋金入りの船乗りじゃ。さいわい観光丸が借りられる手はずがついた。そこで本気で軍艦を教えてくれるおんしのような男が必要なんじゃ。どうじゃ高次よ。わしと一緒に神戸村の海軍塾に行かんかよ」
高次は龍馬のまなざしに、真摯《しんし》なものを読みとった。徳川侍とは違う龍馬の熱気が、熱く伝わってくる。〈だが――〉と高次は思った。高次は侍を嫌っている。その理由は、鎖国して徳川家のみを安泰にしたいと願う侍どもが、外洋を航海できなくするために、千石船にさまざまな規制をくわえて、海難を続発させたからに外ならない。咸臨丸のような三本マストの蒸気船がはやくから日本にあれば、千石船の船乗りの多くが、海で命を落とすことはなかった。
〈だがこの坂本さんは、徳川侍とは違っておる……〉
龍馬は勝に世界の大きさを教えられて、その場で弟子になった。勝は徳川家のためにのみ働かず、つねに大きな視野をもって動いている。勝は高次が敬慕するただ一人の侍であり、その勝の意をうけた龍馬は、神戸海軍操練所を成功させるべく奔走している。
高次は龍馬の顔を見た。
「わしは坂本さんが浪人者を集めて、浪人海軍をつくるという話が気に入っておる。考えてみればいまの世は、開国などまるで頭にない攘夷浪人か、腰の定まらぬ徳川の役人ばかりじゃ。その中でひとり勝頭取のみが日本の先を考えて、海軍に熱を入れておられる。わしは神戸に行って軍艦を教えてもええ。それは塩飽衆が自由に世界の海に乗り出すことにもつながる」
「おおそうか。高次が力を貸してくれれば百人力じゃ。それにおんしらが来てくれれば、海運貿易会社をつくって世界の海に乗り出せる。こりゃ大きい楽しみができたのう」
龍馬は嬉《うれ》しそうに頬をぺたぺたと叩《たた》いた。
翌日、高次は万次郎邸を訪ねて、神戸海軍塾行きの一件を報告した。
「それはええことじゃ」
万次郎は双手《もろて》を挙げて賛成した。
「おんしのような男は、幕府の軍艦操練所で働くよりも、龍馬たちと勝頭取の海軍塾をやるほうがええ。これからの日本は国を開かねばどうにもならぬ。アメリカを見てきた高次ならわかると思うが、龍馬たちは身分のたが[#「たが」に傍点]から抜けだそうとする男たちじゃ……つまり自由な市民になれる男たちじゃ。ああいう男たちと船を一緒にやることは、つまりは国を開くことにつながる。神戸海軍塾で精いっぱいやるがよい」
「はい」
「わしは捕鯨で国を開きたかったが、幕府の無定見でできなんだ。勝頭取はサンフランシスコを見ただけで、すぐに世界に通じる大きな目をもたれた。わしの代わりに開国をやれるのは勝頭取だけじゃ。だが勝頭取は多忙なお方じゃ。おんしらが勝頭取に代わって、開国をやらねばならぬ」
「わしはやりますぞ」
万次郎が話題を変えた。
「ところでわしは鹿児島に行くことにした」
「それはまた急な話ですな」
「薩摩に新しくできた藩校の開成所の教授として、外国と軍艦を教える話をうける気になったんじゃ」
万次郎によれば薩摩藩は、生麦事件の報復でイギリス艦隊に鹿児島城下を攻撃され、町を焼きはらわれて砲台が破壊されたという。いちはやく攘夷の愚かさに気づいた老公の島津久光は、外国の知識を学んで藩の力を強化するために藩校の「開成所」をつくり、教授に万次郎を招くことにした。
「薩摩藩も外国汽船を買い入れて、操船を学びたいといっておる。お互い船をやっておればまた会えるじゃろう」
「わしも万次郎さんからもらった航海書で、さらに船の腕を磨いておきます」
十一月に佐賀藩に貸与していた観光丸が築地沖に廻航されてきた。高次は感慨深げに三本マストの観光丸を見上げた。
「観光丸か。懐かしい船じゃ」
観光丸は船齢十四年と老いているが、長崎の第一回海軍伝習で、高次が初めて操船を習得した洋式軍艦である。百五十馬力の蒸気汽罐をそなえた観光丸は、神戸海軍操練所に貸与される前に、マストや帆布の修理をする必要がある。高次は観光丸の修理をはじめた。
神戸海軍操練所は軍艦奉行並の勝が取掛役に任命されたために、高次は築地の軍艦操練所から、神戸の海軍操練所に正式に派遣してもらうことができる。だが龍馬と行動を共にする覚悟を決めた高次は、築地の軍艦操練所を正式に辞めて、龍馬とおなじ勝の塾生という形をとることにした。半官半民とはいえ神戸海軍操練所は、勝の私塾のようなものであり、得体の知れない脱藩浪人も多くいるらしいが、高次は中途半端な手段をとる気はなかった。
佐太次率いる塩飽衆六人が、高次と行動を共にすることを即断し、四郎は炊《かしき》として雇われることになった。千秋丸で大坂に出港する大助と話をしたが、大坂から帰ったら返答すると言葉を濁した。
龍馬が観光丸に姿を見せた。
「これがわしらの観光丸か。いつ見ても大きくてええ船じゃ」
龍馬はついに手に入った観光丸の船べりを撫《な》でまわし、太い帆綱を両手で握りしめる。
高次は笑顔で龍馬を迎えた。
「観光丸のことなら、わしは船底の鋲《びよう》一つまで知っておる。それでいつ神戸に出港する」
「勝先生に頼んで、海軍塾の仲間で動かせるようにしちょる。もうそろそろやって来ると思うが、みな陸《おか》水練じゃきに高次が頼りじゃ」
観光丸は幕府所有艦であるため、大坂までの航海は築地の軍艦操練所の責任だが、一刻もはやく船を覚えさせたい龍馬は、勝の許しを得て神戸村から塾生を呼び寄せて、大坂まで航海実習させる計画であった。
「観光丸の傷みぐあいはどうじゃ」
龍馬がマストを軽く叩いた。
「汽罐《かま》は古いが力は十分にある。帆綱は半分ほど取り替えねばならぬが、マストに傷みはない。ひと月もあれば見違えるようになる」
「ならば正月には神戸で披露できるな」
「それはできよう。ただし冬の相模灘《さがみなだ》は強い北西風が吹き、潮の強い潮岬《しおのみさき》をかわす航海は難渋する。神戸海軍操練所の船出にはいい試練になる」
「ところで別動隊で蝦夷《えぞ》ケ島へ行った北添が帰ってきてな、蝦夷地は広いというちょった」
「蝦夷ケ島浪人軍団の話じゃな」
「そうじゃ。わしは蝦夷ケ島が途方もなく大きいという北添の話を聞いてから、天誅《てんちゆう》を口にする浪人集団を京においておくより、蝦夷ケ島に行かせたほうがええと思い、将軍さんの相談役の大久保さんに、幕府の金で浪人集団を蝦夷ケ島に送ったらどうじゃといった。そしたら大久保さんが気に入ってくれて、幕府で考えてみるといってくれたんじゃ」
「坂本さんも浪人海軍や、蝦夷ケ島浪人軍団と気の多い人じゃのう」
「脱藩の身のつらさは、脱藩浪人でなければわからぬものじゃ。志を遂げる前に、京で新選組に斬り殺されては間尺《ましやく》に合わん。とにかく世を変えるまでは、脱藩浪人に生きておってもらいたい方策なんじゃ」
観光丸の修復は順調に進み、十二月になると神戸から塾生六人が幕船千秋丸でやってきた。錨が下ろされてバッテラが吊《つ》り下げられた。高次とともに観光丸で待ちうける龍馬が、近眼《ちかめ》を糸のように細めて見守っている。
バッテラに乗船した塾生が、観光丸の龍馬を見つけて両手を振り上げた。
「おーい。坂本さーん。大きい軍艦じゃのーう」
高次は観光丸の甲板から船梯子《ふなばしご》を下ろして、海軍塾の仲間を船上に迎えた。土佐脱藩浪士の菅野覚兵衛《かんのかくべえ》、沢村|惣之丞《そうのじよう》、高松太郎たちがつぎつぎと乗船した。
「よう来た。よう来た」
甲板に立った龍馬が一人ずつ肩を叩いている。観光丸に乗り組んだ海軍塾の仲間も、興奮と寒風で顔を赤く上気させている。
バッテラのオールを漕《こ》いできた大助と政太郎の兄弟が乗船した。
兄の政太郎が龍馬に声をかけた。
「どうじゃ坂本さん。すこしは船がうまくなったかのう」
龍馬が初めて勝と軍艦順動丸に乗って大坂まで航海したとき、政太郎が手とり足とり龍馬に実習教育をほどこしたことがある。その後大助も龍馬に操船を教えた。
「おんしらの教えがええから、観光丸の船将がつとまるほどに上達した。礼をいうぞ」
「嘘をいえ」
大助がにやりと笑った。
「まだ坂本さんの腕は、陸水練に毛の生えたくらいじゃ。だが高次がおれば、観光丸の航海は安心できる」
大助は高次の横に来て、照れたような顔をした。
「高次よ。わしもおぬしと神戸に行きたかったが、しばらく江戸におることに決めた」
「どうしてじゃ」
「大坂の航海中に考えたんじゃが……わしは世帯をもつことにしたんじゃ」
「世帯じゃと。誰と世帯をもつんじゃ」
高次は驚いて大助を見た。
「じつはな……蝦夷ケ島から帰ってからおひなとええ仲になってな、それで船を下りたら、おこん婆さんに話そうと思っておる」
「おお。おひなさんならええ話ではないか。おこん婆さんも喜ぶじゃろう」
「高次もそう思うか。それなら一安心じゃ」
大助は嬉《うれ》しそうに高次の体を叩《たた》いてバッテラで帰っていった。
高次が乗船した六人の前に立つと、龍馬が紹介した。
「これがわしらに船を教えてくれる高次じゃ。勝先生と咸臨丸でアメリカに行った男で、わしらの先輩の万次郎さんと捕鯨にも行っちょる。それにこの観光丸のことなら、船底のアカ(浸水した海水)の臭いまで知っちょる。なんでも高次に訊《き》くがよかろう」
覚兵衛が人懐こい笑顔を浮かべて、大きな高次を見上げた。
「勝先生は日本を富ませるには、国を開いて外国に乗り出すか、捕鯨船で鯨を追えといわれた。おんしはその両方をやっちょる。頼もしいかぎりじゃ」
土佐の庄屋の倅《せがれ》で、実直な性格の菅野覚兵衛は、京に出てから勝の門下に入り、すぐ攘夷《じようい》を捨てて開国にめざめた。勝海軍塾が設立されてからは、東奔西走して留守がちな龍馬にかわって、勝海軍塾のまとめ役をかっていた。
「わしは黒船の汽罐《かま》を焚《た》くのが夢じゃった。それがついにかなうわけじゃ。それでこの観光丸の汽罐の調子はどうじゃ」
蒸気汽罐に興味をもっている覚兵衛は、空気のかよわない船底に潜りこんで、汗を流して働く汽罐焚《かまた》きを希望していた。
「古いので焚きはじめは力が出ぬが、扱い慣れればよう働く。それで菅野さんはいままで神戸村でなにを習ったんじゃ」
「それを訊かれると、勝海軍塾生として一言もないが、わしらは毎日丸い地球儀を眺めたり、軍艦の図面ばかり見ておった。だから観光丸が手に入るのが、なによりも待ちどおしかった。これからよろしく頼むぜよ」
覚兵衛だけでなく龍馬とともに脱藩した沢村惣之丞も、龍馬の甥《おい》の高松太郎も、庄屋の倅の安岡金馬、郷士の若い中島作太郎も、船のことはなにも知らないが、観光丸が手に入って嬉しさを顔中にあらわしている。
変わり種は紀州脱藩浪士の陸奥《むつ》陽之助だった。
「あの男は頭はまわるが、鼻持ちならぬところがある」
龍馬は高次に陸奥のことをそう評した。
陸奥は面長で、鼻すじが通った端正な顔つきをしていた。紀州の名家に生まれ、寺社奉行の父親が政争で失脚するとすぐさま脱藩し、紀州藩に復讐《ふくしゆう》すると心に誓い、勝海軍塾の門を叩いたという。齢《とし》は高次より九歳若く、まだ二十歳の若者であるが、漁師上がりの高次を見下しているような尊大な態度であった。
高次は無言で見つめる陸奥の視線が気になった。それを感じ取った龍馬が、陸奥をからかった。
「どうじゃ陽之助。高次についてロイヤルマストまで登ってみんか。江戸の海がよう見はらせるぞ」
「わたしは遠慮しておきます」
陸奥が傲岸《ごうがん》な口調でいった。
「わたしはいずれ船将として船の指揮をとる男です。マスト登りなんぞした日には、命がいくつあっても足りませんからな」
陸奥という生意気な侍も、龍馬にいわせれば海が好きだという。
高次は長次郎がいないことに気づいた。
「ところで長やんの姿が見えぬが」
「長やんは大坂で嫁をもらってな、神戸の借家に引っ越しで忙しいのじゃ」
「そうか。観光丸の出航を前にして、めでたいことじゃ」
その晩は寒い観光丸の甲板で、するめと干魚だけの茶碗酒《ちやわんざけ》が酌みかわされた。
品川の海は凪《な》いでいた。潮の香が満ち潮で甲板に匂い上がってくる。土佐人はみな酒が強い。佐太次たち塩飽衆もくわわり、給仕役は四郎である。
高次は茶碗酒を飲みながら、目の前に座る土佐人のことを考えた。龍馬も郷士という下級武士である。覚兵衛は庄屋の倅、長次郎にいたっては饅頭屋《まんじゆうや》である。いずれも侍社会では最下層の男たちが、勝の弟子になって海に命を懸けようとしている。これが勝のいう海の仲間をつくれということであったのだろう。
酒好きの覚兵衛が、感無量で茶碗酒を二杯、三杯と飲みほす。
「わしらは勝先生のおかげで、こうして軍艦に乗れるようになった。土佐にいては考えられぬことじゃ」
脱藩した龍馬とともに、覚兵衛たちは海に夢を懸け、やっと観光丸が手に入った。感無量の覚兵衛の目から泪《なみだ》がこぼれ落ちる。覚兵衛はかつては龍馬とともに、武市半平太《たけちはんぺいた》の土佐勤王党に血判をした男で、血は熱い。
「わしらは攘夷を口にする者とは反対に、こうして船を動かして、海から国を開こうとしちょる。土佐の殿さんがもうちょっと利口なら、わしらは武市さんと山内家の旗をかかげて、軍艦に乗っちょったかもしれぬ。それを思うと残念じゃ」
高次は土佐の反幕勢力の武市半平太の土佐勤王党が、京での地盤を強くするために天誅と称して、暗殺をおこなったことを龍馬から聞いていた。その過激さゆえに半平太が投獄されて、土佐勤王党は瓦解《がかい》し、それと一線を画して海に夢を懸けた龍馬たちが、ついに観光丸を手に入れたのである。
だがひとり陸奥だけが、つまらなさそうに冷めた様子で座っている。初めて海軍塾の連中に会ったときから、陸奥は他の者としっくりいっていない。こういう男は龍馬のような人間の下にいてこそ、働けるのかもしれないと高次は思った。
暮れも押しつまった二十八日に、大助とおひなの内々の祝いが長屋で行われた。おこんは相手が不躾《ぶしつけ》な大助であることに愚痴をこぼしたが、かしこまって座っている大助とおひなを見て、いまは嬉しさを顔中にあらわしている。
二人の祝いは同時に、神戸へ行く高次たちとの別れの宴でもあった。
高次は大助に徳利を差し出した。
「わしらから海が逃げるわけではない。いずれ力を合わせて海に乗り出すときは、また共に船に乗ればよいことじゃ。それまでおひなさんを大事にして暮らせ」
嬉しそうに酒を飲みほした大助が返杯《へんぱい》をした。
「神戸村はなにもない所じゃ。高次たちも水で腹をこわさぬように気をつけよ」
高次はおこんに酌をした。
「しばらくおこん婆さんの手料理を食えぬのが寂しいが、江戸に帰ったらまた食わせてくれるかね」
「いつでも来てくれればええ。高次さんたちはわしの身内同然じゃ」
高次は佐柳島を出てから、初めて家族と同じような暮らしができたことを、おこんに感謝した。
文久三年(一八六三)の大《おお》晦日《みそか》に、観光丸は神戸めざして錨《いかり》を上げた。海軍塾に観光丸が引き渡されるまでは、幕府の航海士官が運航の責任をもつが、操船にはやく慣れるために、塾生が交替で舵取《かじと》りの稽古《けいこ》をすることになった。
高次は舵輪《だりん》の横に立って指示をする。
「坂本さん。この観光丸の舵は、右へ舳先《へさき》が向こうとする癖がある。それを押さえながら舵を取ってくれ」
龍馬にとっては生まれて初めての軍艦の舵取りである。
「おおっ。高次のいうように舳先が右に向きよる。これでええのか」
「それでは舵の切り方が大きすぎる。こうするんじゃ」
高次は舵輪に手を添えた。
「軍艦の方向転換は亀のように鈍いものじゃ。方向を変えるときは早目に、しかもこうしてゆっくり舵を廻すことが肝心じゃ」
しばらくすると龍馬は、なんとか舳先の安定が保てるようになった。
「いまわしの手で観光丸を動かしちょる。剣術で一本勝ちするよりもええ気持ちじゃ」
北辰《ほくしん》一刀流免許皆伝の龍馬が、少年のように顔を輝かせて舵輪を操っている。
つぎは覚兵衛に交替した。覚兵衛はなんど教えても、舳先が右にもっていかれる。それを直そうとして大きく舵を切り、観光丸は蛇行した。
「わしにはどうやら舵取りの才はないようじゃ。わしは汽罐焚《かまた》きが似合いじゃのう」
意外なことに陸奥の舵取りがいちばんうまかった。陸奥は細い目で前方をとらえ、舵の癖をすぐ覚えて、観光丸を直進させた。怜悧《れいり》にみえる陸奥の顔にも、西洋軍艦を自分の手で動かしているという、子供のような喜色が浮かんでいる。
「おぬしの舵取りがいちばん要領がええ。前に千石船の舵をとったことがあるようじゃ」
高次の誉め言葉に、陸奥も嬉《うれ》しそうな顔をした。九歳のときに家が没落し、紀州藩を見返そうと肩肘《かたひじ》を張って生きてきた陸奥も、しょせんは二十歳の若者である。
かわるがわる舵を取り、観光丸は蛇行しながら浦賀水道にさしかかった。三浦半島|剣崎《けんざき》の先に、冬の陽射しをあびた相模灘《さがみなだ》が見えた。
「帆を上げるぞ」
佐太次たち塩飽衆が龍馬を従えてマストに登り、四郎も新入りの覚兵衛たちにまじって帆綱を引いた。観光丸のマストに帆が上がり、燃料の石炭の節約のために、蒸気汽罐が止められた。観光丸は全帆を張って帆走した。
「なかなかええ船足じゃ」
操舵室に立つ高次が感慨深げに、白い帆を見上げた。
佐柳島を出て千石船に乗り組み、浦賀水道でペリー艦隊に遭遇した高次は、いま己れの意志で龍馬たちと、神戸村の新天地めざして船出して行く。そこは輝かしい新天地であるはずだった。
文久四年(一八六四)一月。神戸村の生田浜沖に観光丸は錨を下ろした。
潮の匂いが吹きこむ神戸村は、戸数五百戸ほどの天領(幕府領)で、村の中央を通る細い山陽道のまわりに粗末な百姓家が並び、浜に数軒の漁師のあばら屋があるだけで、あたりは雑草におおわれた寂しい村だった。
勝が神戸村に海軍塾の屋敷を建設したのは、その地が天領であることの他に、摂海と瀬戸内海に通じる海の要衝であったからだ。高次はバッテラを降ろして生田浜に漕《こ》ぎ進んだ。生田浜の背後の山なみを見上げると、厚い雪雲が六甲山の頂きを隠し、白い粉雪が六甲|颪《おろし》に乗って飛んでくる。
泥堤防の浜辺の一角に、壁塗りがすんだ神戸海軍操練所の建物が見えた。樟《くす》の大木三本を背後に建てられた海軍操練所は、海に向かって横に長い三十五間(約六十三メートル)の寮舎をもち、棟《むね》つづきの屋根の高い教室が並んでいた。
高次は新世界の場になる神戸海軍操練所を食い入るように見た。それは高次たち塩飽衆が龍馬とともに、世界の海に乗り出す大きな足がかりである。
「塾生がわしらを見て、浜で騒いじょるぞ」
バッテラの舳先に立つ龍馬が、寒風に顔を紅潮させて、浜辺を見ている。
塾生は短めの水練用の袴《はかま》姿に裸足《はだし》で高下駄をはき、冬の寒さをものともせず、海ぎわで両手を上げて小躍りしている。髷《まげ》は蓬髪《ほうはつ》の者が多く、見るからに乱暴者の集団のようであった。船がないために毎日相撲や激論、あるいは刃傷沙汰《にんじようざた》が絶えないのだと、龍馬がいったことを高次は思い出した。
「来たぞ。来たぞ。わしらの軍艦がやっと来た」
バッテラが漕ぎ着くと、塾生の大歓迎をうけて、高次は浜辺でもみくちゃにされた。はやく軍艦に乗せよという者がいる。このまま夜走りに出ようと意気込む塾生もいる。笑みを浮かべて龍馬が制止した。
「観光丸は神戸海軍操練所の所有艦じゃ。すぐに乗らなくとも逃げはせぬ。あすから交替で乗ればよいではないか」
「いいや。坂本さんは江戸から観光丸に乗ってきたからよかろうが、わしらは陸で首を長くして待っちょった。いまからすぐ乗せよ」
「わかった。ならば乗るまえに紹介するが、この男がわしらの教授方の高次じゃ。勝先生と長崎の海軍伝習所から一緒で、観光丸のことなら隅の隅まで知っちょる。咸臨丸でアメリカまで見てきた海の先学じゃから、軍艦のことをよう学べ」
「そうでごわすか」
薩摩弁の若者が進み出た。
「おいは薩摩の伊東《いとう》でごわす。いままでは坂本さんに陸で船を習いましたが、これからは軍艦のこと、よろしくお頼みもす」
薩摩藩から藩命で神戸海軍操練所にきた伊東|祐亨《すけゆき》は、物腰丁寧に挨拶《あいさつ》した。神戸海軍操練所で高次から軍艦の手ほどきをうけた伊東は、のちに日清戦争で連合艦隊司令長官になる男である。
塾生は開国に目覚めた薩摩藩がもっとも多く、五千両を出資した越前藩の他に、江戸から遠い鳥取藩や、肥後藩から海を学ぼうとする男が集まっていた。
塾生は三隻のバッテラに乗り込み、嬉々《きき》として観光丸に乗船した。ほとんどの塾生が艦内生活は初めてである。狭いが機能的な船室に吊《つ》るされたハンモックや、小さく畳まれた毛布などの備品に、珍しそうに手を触れて驚く。
「これがハンモックでござるか。これなら船が傾いても寝られそうじゃのう」
「この西洋布団は軽くて温かい。これなら冬の海でも寒うない」
高次は興奮気味に船室の備品に手を触れる塾生を見ていた。塾生が観光丸を待ちこがれていた気持ちが痛いほど伝わってくる。これなら教え甲斐《がい》がある。夕方になっても塾生が下船しないために、その晩は高次は塾生全員に艦内で寝る許可を与えて、廊下に毛布を敷きつめて、観光丸が手に入った喜びにひたらせた。
翌朝、高次たちは長次郎に出迎えられて、神戸村の下宿に移ることになった。
「よう神戸海軍操練所に来てくれた。これで塾生の腕も上達するじゃろう」
笑顔を見せた長次郎は、嫁をもらったせいか、いつもより落ち着いていた。
長次郎が先に立って、神戸海軍操練所から渺茫《びようぼう》とした砂浜を歩き出した。
「高次たちの住まいは、神戸村の庄屋の生島《いくしま》屋敷の離れじゃ。ここは勝先生の神戸の定宿《じようやど》でもあった」
砂浜から萱《かや》の生い茂った小道を山陽道に向かうと、すぐ塀から高い松の木がのぞいている広壮な生島屋敷があらわれた。
神戸村の庄屋の生島家は、戦国期から神戸村一帯を領有してきた地侍《じざむらい》で、当主の四郎|大夫《だゆう》はふくよかな丸顔の男であった。勝は神戸村に来ると、勝を支援する四郎大夫の屋敷の離れに陣取り、神戸海軍操練所の建設の指揮をした。
四郎大夫が笑みを浮かべて、高次一行を出迎えた。
「勝先生から塩飽の皆様方をよろしく頼むと、江戸から書状をいただきました。ここをわが家だと思って気楽にお暮らしください」
勝が住んだ離れの二間は、築地の裏長屋と較べると格段に立派な部屋で、高次は龍馬に厚遇されているのを感じた。
ひとまず船行李《ふなごうり》を置いて部屋に腰を落ち着けた四郎が、火打ち石で行灯《あんどん》に火を点《つ》けた。
佐太次が大きな鼻で灯油の匂いを嗅《か》いだ。
「おう。菜種油の行灯じゃ。これなら臭うなくってええ」
江戸の下町の長屋で使う油は安い魚油で、燃えるとひどい臭いがする。高価な菜種油は播磨《はりま》の特産品で臭いがない。高価な菜種油を使っているところを見ると、四郎大夫の高次たちへの気遣いが知られた。
「わしの借家はここから近い。不便があればお徳をよこすから、遠慮のういってくれ」
長次郎は神戸村の医者の借家で、妻のお徳と暮らしはじめている。神戸海軍操練所も観光丸を手に入れて、これからは順風満帆になると、長次郎は嬉しそうに語って帰っていった。
翌日から高次は、塾生の手で潮岬を廻航するべく目標を定め、観光丸の実習訓練をはじめた。勝からの指図で築地から廻航してきた数名の航海士官が、教授方として残ることになったが、観光丸には乗船せず、海軍操練所の教室で講義をうけもつことになった。
さいわい冬の海には、強い北西風の六甲|颪《おろし》が吹きつのっていた。初めて軍艦に乗る男を鍛えるには絶好の六甲颪である。だが教授方の手が足りない。
「坂本さん。マスト登りを塾生に教えてくれんかね。十日後にみながマストの上から、潮岬を見られるようにしてやりたいんじゃ」
「まかせよ。塾頭の腕前を塾生に見せちゃる」
にわか海軍の龍馬であるが、それでも初めて軍艦に乗る塾生とくらべれば、少しは船を知っている。龍馬は留次郎から教わったマスト登りを塾生に教えた。まだ第三|帆桁《ヤード》より上には登れず、展帆もうまくできないが、塾生を教える龍馬は楽しそうである。
築地の軍艦操練所と違って教える人手は少なかったが、航海訓練は順調にすすんだ。高次は築地に通ってきた幕臣と較べて、諸藩から寄り集まってきた神戸の塾生のほうが、学ぶ真剣さが何倍も強いと思った。それ以上に脱藩浪人組は熱心である。観光丸が手に入った浪人組と塾生は、互いに競い合って航海訓練に励み、夜になっても船室の行灯を点けて、高次に航海法の談義をせよという。
高次たちは塾生の熱心さをうけ入れて、生島屋敷に帰れず、朝から夜まで観光丸で軍艦を教えた。夜の講義から解放されるのが暮れ五つ半(午後九時)である。それから高次たちは四郎が作った夜食を食べて、翌日の訓練の仕度をした。築地の軍艦操練所で教えていたときとはまるで違う熱気である。
高次が寝酒の徳利を傾ける。
「幕臣の生徒は八つ半(午後三時)になれば、風呂敷《ふろしき》包みを抱えてさっさと帰ってしまった。だがさすがは勝先生が集めた塾生じゃ。朝はようからわしらを叩《たた》き起こして、夜遅くまで眠らせぬ」
佐太次がうなずく。
「この熱心さを見るだけでも、江戸の幕臣がぬるま湯の中にいることがようわかる。これならば坂本さんの浪人海軍が力をつけるのも早かろう」
十日間で基礎訓練を終えた高次は、第一目標の潮岬の廻航訓練に乗り出した。観光丸の乗組員船室は百六十人が限度である。いま三百人に達した塾生を、二組各百五十人に分けて、二回の航海訓練に出帆する。
神戸から潮岬をめざすには、紀州と淡路島の間にある友ケ島水道を抜けて、紀伊水道の日《ひ》ノ御埼《みさき》をかわして南下をつづける。
摂海を吹きぬける六甲颪は強いが、強風を真艫《まとも》(真後ろ)にうける絶好の追い風である。
高次は廻航訓練の第一声を発した。
「マストに登って総帆を張れ」
龍馬と佐太次に率いられた塾生が、勇気をふるってマストの第一|帆桁《ヤード》に登っていった。一日ごとに体を高所に慣れさせて、最後の十日目に第四帆桁まで登らせる計画である。
マストの上に四郎の姿もある。四郎は炊事番であるが、教え手の足りない観光丸では、立派な教授方手伝いになっている。
マストの第一帆桁に帆が展帆された。第二帆桁以上の横帆《セイル》は塩飽衆が張る。六甲颪をうけて横帆がはちきれんばかりにふくらみ、ロイヤルまで総帆が張られた観光丸は、白波を蹴立《けた》てて加速した。
摂海に冬陽が燦《きらめ》き、冷たい六甲颪が観光丸の練習航海を祝福した。
「ええのう。船はこうでなくてはいかん」
苦労の末に手に入れた観光丸の快走に、龍馬が嬉《うれ》しそうにマストの横帆を見上げた。
「いまだに攘夷《じようい》、攘夷と叫んで先の見えぬ連中を、この冬の海に連れてきて帆走させれば、いかに己れの考えが小さいかに気づくはずじゃ」
右舷《うげん》にうずくまる淡路島の松の緑が濃くなってきた。
高次の指令が、送声管で操舵室《そうだしつ》に伝えられた。
「左に十度転針じゃ」
塾生が帆の張り角度を変えるために、ブレイスロープに群がった。帆を張り、角度を変えた観光丸は、友ケ島水道の急流を乗り切って、潮岬めざしてひたすら南下した。
二月になると大坂にいる勝から、龍馬に観光丸で大坂へ来航せよと伝令がきた。
この年|元治《げんじ》元年(一八六四・二月に改元)は、徳川幕府にとってもっとも多難な時期になっていた。暗い世相を反映して、この十年間で安政、万延、文久、そして元治とめまぐるしく改元され、幕府は失墜した権威をとりもどそうと必死である。
前年の八月の政変のあと、四賢侯と呼ばれる島津久光、松平|慶永《よしなが》、山内容堂《やまのうちようどう》、伊達宗城《だてむねなり》が朝政参与を命じられ、諸侯による参与会議が大坂城ではじまり、勝も参与会議に出席する将軍家茂とともに翔鶴丸《しようかくまる》で上坂した。幕府は京から長州藩を逐《お》い落としたあと、幕府の権威を内外に誇示することを狙い、十一隻の軍艦を摂海に召集して、天保山《てんぽうざん》沖に威風堂々と並べたのである。
龍馬は神戸海軍操練所の成果を勝に見せるべく意気込んだ。
「高次よ。いままで教えた中で一番の航海達者を選んで、大坂までの配置を決めてくれぬか。勝先生に自慢の帆走を見せてやりたい」
「ならば船将は坂本さんで、機関長は覚兵衛がよかろう。舵取《かじと》りは陽之助と太郎じゃ。セイルの展帆の指揮は、惣之丞と長次郎にまかせる」
高次は浪人海軍の要《かなめ》となるべき人間を各部署に配した。
「測量方はどうする」
艦長になった龍馬が、船の現在位置を知る測量方(航海士)について訊いた。
「大坂までなら測量方は置かぬ」
「どうしてじゃ」
「神戸から大坂へは左舷に陸がつらなっておる。千石船と同じ航法で、山を見ながら船を進めればよい」
「雲がかかったらどうする。陸が見えなくなるではないか」
「まだ坂本さんは陸者《おかもん》じゃな」
「なんじゃと」
「船将になるには暗いうちに起きて、日和を見ておかねばいかぬ。これは洋船になっても同じことじゃ。坂本さんもその心構えを忘れてはならぬ」
「わかった。それで今日の日和はどうなるんじゃ」
「六甲の山頂に横に広がるホソマイ雲がかかっておった。この布きれのような一筋の白雲が、日の昇る前に見えれば、その日は風が吹くが雲は出ぬ。わしらは物心ついたときから、日和を見ることを覚えた。それができぬと船乗りにはなれぬといわれたもんじゃ」
「千石船乗りの高次にはかなわぬのう」
龍馬が出航の号令をかけた。
「いざ卯《う》(東)の方位で出航じゃ」
観光丸は煙突から黒煙を濛々《もうもう》と噴き上げて前進した。
六甲颪を横帆《セイル》にうけて、観光丸は大坂の天保山沖に入った。十一隻のさまざまな型の軍艦が並んでいる。その海の光景はなかなかの圧巻であった。
「おるおる」
高次は嬉しくなった。見覚えのある千秋丸や朝陽丸の船影がある。越前藩の黒龍丸、筑前藩の大鵬丸《たいほうまる》もいた。だが諸藩が買い入れた軍艦は、藩士の手で操船できない藩が多く、築地の軍艦操練所から航海士官と水夫を派遣して、この天保山沖まで廻航しているような有り様である。
将軍家茂の乗る御座船の翔鶴丸のメインマストに、幕府艦隊の〈旗艦〉を示す旗がひるがえっていた。甲板には葵《あおい》の幔幕《まんまく》が張りめぐらされて、将軍家の権威を見せつけていた。
翔鶴丸から観光丸に向けて信号旗が揚がった。
「勝先生がバッテラで来いというちょる」
勝は家茂とともに翔鶴丸に乗船している。龍馬が嬉しそうに応答の信号旗を揚げ、バッテラを降ろして翔鶴丸に漕《こ》ぎ寄った。
高次は天保山沖に錨掛《いかりが》けした十一隻の軍艦を見まわした。京にいる一橋慶喜の護衛役の新門一家も、ひょっとして大坂に来ているかもしれない。京の政変のとき留次郎のことが気懸かりだったが、無事な留次郎の姿を確かめたかった。
バッテラが帰ってきて、船梯子《ふなばしご》を駆け登る龍馬の顔が輝いている。
「長崎へ行くことになったぞ」
「どうして長崎じゃ」
覚兵衛が尋ねた。
「勝先生の翔鶴丸に同乗して長崎へ行ける。わしのほかに海軍塾の者も乗船が許された」
龍馬によれば、長州藩が下関で外国船を無差別砲撃した報復のために、米英蘭三国の連合艦隊が長崎に集結して、長州藩を海から総攻撃する計画だという。
長州藩の狂気じみた攘夷による無差別攻撃は、大きな国際問題になっていた。徳川幕府が威信にかけて調停せねば、幕府の存在は無きに等しくなる。その調停役として軍艦奉行並の勝が長崎に派遣されることになり、勝の配慮で龍馬たちも長崎まで同乗できることになった。
高次も乗船することになり、佐太次を教授方に残して、観光丸の航海訓練をつづける計画を立てて翔鶴丸に乗り組んだ。
その晩は強風が吹き荒れて、風がおさまった二月十四日に、翔鶴丸は長崎めざして出帆した。冬の瀬戸内海は平穏であった。
将軍家茂の上洛で、寝るまもなく働いた勝は、翔鶴丸が走り出すとほっとした表情を浮かべて、海軍塾の面々の前に姿をあらわした。
「このたびの外国連合艦隊の長州攻撃を、いいざまだと手を叩《たた》いて喜ぶ幕府のお偉方は多いが、おれは日本人が外国人に攻撃されるのを、手をこまねいて見ている気分にはなれねえ。悪いのは長州だと百も承知だが、日本人のことは日本人の手で始末しねえと、あとあとろくなことにはならねえ」
このころ幕閣内には、長州征伐の議論が起こっていた。幕威を無視する長州藩を幕府が攻め滅ぼして、長州藩を取り潰《つぶ》してしまえというものだった。だが戦争には莫大《ばくだい》な戦費がかかる。幕府がわざわざ軍兵を出さなくても、外国艦隊が長州藩を攻め滅ぼしてくれれば、長州まで遠征しなくてすむ。そういう外国人まかせの空気が幕閣内に強かった。
だが勝は違う。久しぶりに顔を見た海軍塾の門弟を前に、鬱憤《うつぷん》を吐き出す。
「いいか。それじゃあ日本という国が形をなさなくなるんだ。そうなったら困るのは幕閣であり上様だ。それがわからねえ幕閣の馬鹿どもが多いから、おれが困っておる」
勝という人物は、龍馬たちのような脱藩浪人の面倒をみている反面、将軍家茂にたいしても強い敬愛心をもち、幕府の無能さを十二分にわかりつつも、日本国と日本人の先行きを真剣に憂えていた。
高次は勝らしいその一面が好きだった。幕府に見切りをつけた龍馬たちに軍艦をやらせる一方で、将軍家に代表される日本人の面目を重く考えている。清濁あわせ呑む勝の大きな器量で、これからの日本の舵取りをしてくれれば、高次たちが世界の海に乗り出す夢が大きく広がる。
夕暮れとともに小豆島《しようどしま》を背後に遠ざけ、高次の生まれ故郷の塩飽《しわく》諸島に乗り入れた。
高次は夜になると当直に立ち、三日月に照らされた海に、次々とあらわれて背後に遠ざかる島影を見ていた。十八歳で江戸に出てから、生まれ故郷の塩飽|佐柳《さなぎ》島には、一度も帰っていない。島を出た船乗りの多くは、何十年と島に帰らぬ者も多く、なかには富蔵のように異郷で死ぬ者もいた。
高次はこれからの塩飽衆のことを考えていた。一度は塩飽衆で捕鯨に乗り出す夢に懸けたが、古い一番丸のメインマストを無くして挫折《ざせつ》した。いま高次は勝の神戸海軍操練所にその夢を託し、いずれ龍馬たちと軍艦で海外に乗り出そうとしている。それも勝が健在であればかなうことであった。
人の気配がしてふり返ると、龍馬が塩飽の海を見ていた。三日月に照らされた海に浮かぶ島々が、黒く海面にうずくまり、目に見えない早い海流を切りわけている。
龍馬が静かに語りかけた。
「高次よ。おんしが生まれたのは、塩飽の佐柳島じゃと聞いちょるが」
「そうじゃ」
「わしはこのごろ思うんじゃ。わしは侍も漁師も身分の隔てのない世をつくろうと思っちょる。そのために剣を捨てて、海をやる覚悟を固めた。……だが人にはそれぞれ得手と不得手がある。そうしてみるとわしの得手は、どうやら人と人の周旋にあるようじゃ」
高次は夜の海を見ている龍馬が、なにを話し出すのかわからなかった。月明かりの塩飽の海を見ているうちに、寂寞《せきばく》の情がこみ上げてきたのかもしれない。龍馬が夜の海を見てつづける。
「人と人の周旋という仕事は、一つ所に腰を落ちつけていてはできぬものじゃ。これからもわしは人と人の周旋で諸国を走りまわる。わしが走りまわっているあいだ、わしの代わりに軍艦を動かすのが高次の仕事じゃ」
高次は自分の得手は船を動かすことだと思っている。龍馬がいうようにこれから海軍操練所で教え、自分の手で軍艦を走らせるつもりである。
「のう高次。おんしがこれから海軍操練所で教えていくために、わしは姓を名乗ったほうがええと思うが、どうじゃ」
「わしに侍の真似をせよというのか」
「いいや。それはあくまで一時の方便じゃ。わしは日本をアメリカのような国にするために働いちょる。高次がこれからわしと行動を共にしていくうえで、徳川のつまらぬ身分のたが[#「たが」に傍点]が足枷《あしかせ》になることもある。それはつまらぬことじゃ。だから名乗りをもったほうが、なにかと仕事がやりやすうなると思うんじゃ」
高次は黙って夜の海を見た。アメリカではすべての市民が姓を名乗っていた。考えてみれば四民平等ならば、姓をもつことは当然のことである。高次は侍などになる気は毛頭ないが、龍馬にいわれて侍だけ姓があるのは不自然だと思った。
「坂本さんのいうとおりにしてもええが、わしが名乗りをもつということは、アメリカ人のように身分の上下のない世にしたいからじゃ」
「おおそうか。ならばわしが高次にいい名乗りをつけちゃる」
龍馬が塩飽の海に目を向けた。
「三日月に照らされた佐柳島を見て、ふと思いついたが、海賊の血を引き継ぐおんしの名乗りとして、佐柳高次と名乗ったらどうじゃ」
「佐柳、高次か……ええ名じゃのう」
「そうであろう。佐柳高次ならどこで名乗っても恥ずかしうない」
高次は口の中で自分の新しい名乗りをつぶやいた。
「高次にええものを持ってきちゃる。ここで待っちょれ」
船室に駆け出した龍馬がもどってきた。
「この大刀を差してみよ。この大刀なら体の大きなおんしに、よう合うはずじゃ」
龍馬が差し出した大刀は京で買った無銘だが、大きな高次の腰にぴたりとおさまった。
「はっははは。それでええ。それで立派な海賊の血をひく佐柳高次じゃ」
高次はこそばゆい気持ちになったが、倭冦《わこう》として東シナ海を暴れまわった塩飽海賊衆の血が、龍馬が差し出した刀の重さで体によみがえった気がした。
緊迫した馬関《ばかん》海峡を通過して、三日後に長崎に着いた。七年ぶりに訪れる長崎は、南国らしい明るい陽射しにあふれていた。
高次が近づいてきた長崎港を、小手をかざして龍馬たちに説明する。
「左舷《さげん》に見えるのが御崎《みさき》海岸じゃ。右舷の砦《とりで》のようなものが四番砲火台と船番所じゃ。あの船番所に本艦名を旗で知らせて、入港の許可をとらねばならぬ」
船番所の背後に鍋《なべ》かぶり山が見えた。かつて高次たちが学んだ懐かしい長崎西役所も見えた。その横に海に突き出た出島に、オランダ国旗が翻っている。
「左手に見えるのが稲佐山《いなさやま》じゃ。陽が沈むときは七化《ななば》け山といって、山の峰が赤く変わって、それは美しい眺めになる」
長崎港を見わたすと、まだ外国の軍艦は来ていなかった。勝はすぐさま上陸して長崎奉行所を訪ねたが、交渉相手の軍艦が姿を見せぬ以上、長崎で待つしかなかった。
勝は長崎奉行所を宿舎にして下船した。
「外国の軍艦が来るまで、わしらも長崎を見ておこう」
高次は龍馬たちと連れだって長崎の市中へ出た。急坂を歩き出した高次は、長崎の石敷きの道はサンフランシスコの坂道に似ていると思ったが、サンフランシスコと違うのは唐寺《からでら》が多いことである。朱色に塗られた唐寺の柱や壁が、長崎の町に東洋らしい色彩をあたえている。長い弁髪《べんぱつ》を揺らして歩く中国人が、異国情緒を高めている。
中国人は十善寺郷(館内町)にある唐人屋敷に住んでいる。高い塀と竹矢来《たけやらい》で二重に囲まれた唐人屋敷は広大で、二千人が暮らせる長屋十九棟が建っている。長屋に通じる大門と二ノ門を出入りできるのは、通辞と遊女だけだと高次が説明した。
大きな異人の姿も見られた。東洋と西洋が入りまじった長崎の坂道を、龍馬たちはもの珍し気に歩いていく。
「長崎は町行く人がのびやかじゃ。坂道を歩く人々の様子に、諸藩の城下町にある窮屈さが感じられぬ」
長崎上陸第一歩の感想を口にした龍馬に、高次が尋ねた。
「どこを見てみたい」
「そうじゃな。長崎の海が一望できる所に連れていってくれ」
「ならば立山じゃ」
急な坂道を登りつめると、立山の高い頂に立った。山頂から長崎湾が一望のもとに見晴らせる。翔鶴丸と並んだ中国のジャンクも見える。
「ええ眺めじゃ。わしは長崎が気に入った。この海の先の東シナ海の向こうに大きな中国がある。この長崎は世界につながっておる港じゃ」
龍馬が長崎湾を見晴らして感激している。
高次は龍馬にいった。
「浪人海軍をおこして世界の海に乗り出すときは、この長崎を基地としたらええと思うがどうじゃ」
「それはええのう。長崎なら商都の大坂と船でつながり、蝦夷ケ島も北廻り船で取り引きができる。この長崎ならわしらの夢がかなうかもしれぬ」
世界に乗り出す貿易商社の夢が、高次と龍馬のあいだで温められた。
高次は勝の長崎滞在が、外国艦隊がやって来ないために長びくだろうと聞かされた。長崎に駐在するアメリカ、イギリス、オランダの領事と勝は奉行所でたびたび会見したが、攻撃命令をうけているのは艦隊を率いる艦長であり、外国艦隊があらわれないことには、勝も交渉を進められない。
外国艦隊の動向は、長崎に住む外国人から、
「イギリス艦隊は二千人の陸戦隊を乗艦させ、長州に上陸するらしい」
「アメリカは四隻の艦隊に、三千人の海兵隊を武装させて、下関に向かわせた」
といった噂となって流れてくる。高次も町でその種の噂話を耳にした。これらの不穏な噂は、極東の日本までやってきた外国船に、無差別攻撃をくわえる長州人への強い憤慨をあらわしていた。
長い航海のすえに日本に来航した外国船は、馬関海峡の安全な航行を、徳川幕府に保障してもらえばそれでよい。だが万国公法を無視して砲撃する長州藩の横暴を、徳川幕府が押さえられないのなら、外国艦隊の武力で長州藩を叩《たた》き潰《つぶ》すだけである。
「長州人は戦争をやりますか」
高次は勝に尋ねた。
「やるかもしれぬ。だがいま外国艦隊と戦えば長州人はかならず負けて、長州藩そのものが滅ぼされてしまう。それでは清国の二の舞いになる」
龍馬が口をはさんだ。
「ですが長州人は幕府のいうことを聞きますまい。勝先生のいうことなら聞きますか」
「そうであればことは簡単だ。だからおれがこうして長崎までやって来た」
高次は十日後に、オランダとイギリスの軍艦が長崎にあらわれたのをその目で見た。勝は艦長と粘りづよく交渉して、長州藩を幕府が説伏することを前提に、とりあえず外国艦隊の長州攻撃を、いましばらく待ってもらいたいと説得した。
長崎に集まった各国の艦長は、本国から長州攻撃の命令をうけているから、攻撃そのものを中止するわけにはいかない。だが徳川幕府の高官であり、海軍のことを知っている軍艦奉行並の勝が、わざわざ長崎まで出向いてきたことには好印象をもち、しばらく幕府の出方を見守るところまで妥協した。
勝が高次たちに語った。
「ほんとうは外国艦隊に、いますぐ帰国してもらいたいところだが、おれにできることはここまでだ。あとは幕閣のお偉方にまかせるしかねえ」
連合艦隊が長崎に集結したことは、日本にとって脅威であったが、高次にはその脅威が幸いした。それはオランダ艦隊の艦長が、勝がオランダ人教授が教えた日本海軍伝習所の艦長候補だと知って、勝を喜んで軍艦に招待してくれたからだ。
「オランダの最新軍艦が見せてもらえる。みなで一緒に見にいくぞ」
オランダ軍艦に乗船した高次は、その最新装備に目を瞠《みは》った。時代遅れになった外輪船の翔鶴丸と較べて、強力な蒸気|汽罐《きかん》のスクリュー推進力は大きく、速力は速い。甲板に装備された艦載砲は太く長く、攻撃力が桁違《けたちが》いであった。
「こんなことで驚くのは、まだはやいとオランダ人艦長がいってるぜ」
オランダ語が話せる勝が通訳する。
「艦長がいうにはな、大砲の弾丸《たま》が命中しても甲板に穴があかぬように、厚い鋼鉄で船を覆った甲鉄艦が、すでにヨーロッパにはあるらしい」
「甲鉄艦ですか」
高次が驚いた顔で問い返した。
「このオランダ軍艦でさえ、わしらの乗ってきた翔鶴丸とは、推進力も攻撃力も大違いです。そのうえ大砲の弾丸をはじきかえす甲鉄艦があるという。そんな最新装備の外国艦隊が攻め寄せたら、長州どころか日本もひとたまりもありません」
日本が購入した軍艦はごく一部を除いて、外国の使い古した中古艦である。幕府艦隊の旗艦である翔鶴丸でさえ、七年前にアメリカで建造された木造の外輪船であった。
外国艦隊の主流がスクリュー推進であるときに、なにも知らずに効率の悪い外輪船を買わされている国は日本だけだ。船を知らない日本人は、上海や長崎にいる外国人商人のいいなりになり、質の悪い船舶を高値で買わされている。
龍馬が肩をいからせる。
「幕府の最新艦の翔鶴丸が、このような外輪船のぼろ船とは、わしら日本人はずいぶん外国人になめられちょります。わしは観光丸に乗って、いままで大喜びしちょりましたが、幕府の軍艦なんぞはこのオランダ艦を見れば、海に浮く木の葉のようなものです」
「おれのいってることがよくわかっただろう。こういう最新の軍艦を見れば、日本もはやく国を開いて、外国と商売することを考えなきゃならねえときに、長州の馬鹿野郎めが攘夷《じようい》などと、大砲をぶっ放しやがってどうしようもねえ」
「わしは肚《はら》を決めました。はよう浪人海軍をこの手でつくり、外国と対等の商いができるようにせねば、開国も攘夷もありません」
「そうだ。外国の力も知らないで、攘夷なんぞはとんでもねえことだ」
つぎに勝が高次たちを連れていったのが、飽《あく》の浦《うら》の修船場(造船所)であった。
長崎海軍伝習所と同時に併設された小規模な鉄工所が、いまはオランダ人技師の指導によって、設備を整えて造船所になっていた。メーア島で見たアメリカ海軍の造船所に較べれば、規模は小さいが設備はひととおり整っていた。
高次の目を引いたのが新式の「算盤《そろばん》式ドック」であった。千石船の修理は、満潮時に砂浜に引き上げて、潮が干いてから砂の上で行う旧式な方法であった。だが飽の浦の修船場では算盤式ドックが敷設されていて、アメリカのように潮の干満とは関係なく、海中から敷かれたレール上の算盤状の滑車の上を、艦船が楽々と引き上げられてくる。
高次が算盤式ドックを驚きの目で見た。
「日本にもすごいものができましたな」
この飽の浦修船場も勝の献策により、近代化が進められたものである。
「高次よ。小野浜の西にある修船場は見たか」
「いや。見ておりませぬ」
「神戸に帰ったら行ってみることだ。おれの話を聞いた呉服商人が、小野浜の西に、この算盤ドックの小さいものを造ったんだ。このごろは町人のほうが大きな仕事をやる」
そういえば浜から眺めた小野浜の西の沖に、千石船の帆影が多かったことを高次は思い出した。もし千石船の行き来の多い小野浜に、算盤式ドックがあれば千石船の修理は容易である。それを一呉服商人が造ったとは驚きである。高次は神戸村に帰ったらすぐ見に行こうと思った。
近代的な修船場や、最新装備のオランダ軍艦を見た高次が、興奮気味に勝に語った。
「勝頭取。坂本さんとも話したんですが、わしらが外国と交易する商社を創るときは、この長崎を根拠地にしたいと思っております」
「いいところに目をつけたじゃねえかい。それならばいい男をお前さんたちに会わせておこう。これから長崎でためになる男だ」
勝の引き合わせで高次たちが会ったのは、長崎一の豪商・小曾根乾堂《こそねけんどう》だった。
長崎|本博多町《ほんはかたちよう》に広大な屋敷をもつ小曾根家は、質屋と両替商、材木問屋で財をなした。当主の乾堂が、海上交易に進出して千石船を八隻もち、長崎一の豪商の座を不動にしたことを、海軍伝習所にいた高次は知っていた。その一方で乾堂は薩摩藩と手を組んで、琉球との密貿易の噂があるほどの豪胆な男で、義侠心《ぎきようしん》ももちあわせていた。
小曾根家の屋敷の前に立った高次は、その富豪ぶりを目のあたりにした。青い屋根|瓦《がわら》の長い築地塀《ついじべい》に囲まれた広い邸内から、手入れのいきとどいた松の梢《こずえ》がのぞき、白木の門扉は輝くように磨き上げられている。勝の顔の広いことは知っていたが、長崎一の豪商とも知り合いとは、さすがに高次も驚いた。
勝の来訪を知った乾堂は、喜んで一行を離れの別邸に案内して、女中をせかせて酒肴《しゆこう》を調えさせ、勝一行を下にも置かないもてなしをした。
大座敷に座った勝が、全員を見まわした。
「おれと小曾根家の付き合いは、先代の六左衛門のときからで、長崎の海軍伝習所のときにずいぶん世話になった。あらためて礼をいうぜ」
「とんでもござりませぬ。幕府|直参《じきさん》の勝様に、わたしども小曾根家に足を運んでいただけるだけで、小曾根家の誇りでございます」
「ところでこいつらだが、おれの門弟で浪人もいれば漁師もいる。いまは神戸村で船をやってるが、いずれ世界に出ていくやつらだ。よろしく見知りおきを頼む」
小柄な乾堂はにこやかに笑いながら答えた。
「この長崎に来れば、小曾根家をわが家と思い、なんなりとこのわたしめに、お申しつけくださりませ」
しばらくすると、さまざまな豪華料理が運ばれてきて、高次は生唾《なまつば》を飲み込んだ。長崎湾の魚介料理のほかに、初めて目にする中国料理と中国酒がある。中国酒は中国人と風物が描かれた陶器の薬罐《やかん》のような器に入れられていた。赤いワインも運ばれ、オランダ料理らしい肉の皿が並べられた。この料理を見るだけで、小曾根家の富豪ぶりがうかがえる。
勝がにこやかに乾堂の酒をうけている。
「長崎にいて、外国人を見ているお前さんならわかろうが、日本もはやく国を開くしか道はねえんだ。幕臣のおれがこういってはなんだが、それをやれるのは幕臣ではなく、こういう連中だとおれは目をつけている」
「勝様らしい眼力です」
乾堂は幕府の重臣が、こういう脱藩浪人を連れているところが、いかにも勝らしいと思っているようだ。腰の低い乾堂は勝に酒をすすめ、龍馬たちの座をとりもってから、高次にも酌をした。
「高次さんは勝様とアメリカまで行かれたそうで、羨《うらや》ましいことでござります」
「どうしてです。わしからみれば商人《あきんど》としてこれだけの財をなせば、望みをかなえたと思いますが」
「銭をためるだけが商人ではございません。その銭をどう使うかが大事でござります。わたしの望みは少しばかり稼ぎためた財で、勝様のような世界が見えるお方を、陰から応援することでござります。その意味で勝様のご門弟の方々ならば、長崎にいらっしゃれば、どんなことでも応援したいと存じます」
「それはありがたい」
高次は嬉《うれ》しそうにうなずいた。乾堂という商人は平野廉蔵と同じで、富豊な財力を己れで私せずに、勝のような男の支援に、惜しげなく使う義侠心ある男であろう。いつか世界に乗り出すときは、力になる商人だと心強く思った。
顔つなぎの酒宴は終わり、乾堂に見送られて外に出た。
「おお。馬車が来るぞ。さすがは長崎じゃ」
高次が驚いて立ち止まった。長崎の外国商館が建ち並ぶ大浦海岸では、数台の馬車を見たが、日本人屋敷街では初めてである。
二頭立ての立派な馬車が、小曾根邸の前で停まった。中国人の馭者《ぎよしや》が手綱をとる馬車から降りてきたのは、日本人の中年女であった。
四十がらみの化粧の濃い女が、勝に微笑みかけた。
「まあ。勝様ではありましぇんか」
高価な着物から香水の匂いがながれた。高次は驚きの目で濃い化粧の女を見た。そして勝に目をもどした。
「お慶《けい》さんじゃねえか。馬車に乗れるとは、なかなかの羽振りだ」
勝は旧知の友人のように気やすく口をきいている。
「とんでもなかです。それより今日はなんですと」
「この連中に小曾根家で酒を飲ませた」
「まあ。勝様も冷たかお方です。つぎはお慶の屋敷をぜひ訪ねてほしか。そういう若いお方がお慶は大好きですけん」
「お慶さんも相変わらずだな。つぎはかならず訪ねるぜ」
お慶は勝に頭を下げると、堂々とした足どりで小曾根邸に姿を消した。
高次は坂道を歩きながら、勝がお慶は度胸のある女商人で、日本人で初めて日本茶の大量交易に成功し、長崎で小曾根家につぐ財をなした女だと話すのを聞いた。
「あのお慶は若いときに、体を張って上海に密航した。そのときの苦労は並み大抵ではなかったというが、その度胸を小曾根家の先代の六左衛門が買ったのさ。この日本にいる外国の商人も、一筋縄じゃいかねえやつばかりだが、そういう外国商人を相手にしていればああいう女も育つんだ」
「勝頭取はいろんな人物を知っておりますなあ」
高次は改めて勝の交遊の広さを知った。
「いろんな人物というより、妙な人物というべきですな」
龍馬がまぜっかえした。
「馬鹿をいえ。妙な連中とは龍馬よ、お前さんたちのことじゃねえかい」
「これは一本とられました。ですがこれからわしらも外国人相手に商いをするときは、ああいう女商人から学ばねばいけません」
「そうだ。肚《はら》のすわった乾堂のような人間が市井《しせい》にはぞろぞろいる。お慶もそういう女だな」
そのあと勝が思い出したように高次をふり返った。
「そういやあ高次。おまえさんは龍馬に、佐柳という名乗りをつけてもらったそうじゃねえか」
「はあ。生まれ故郷の佐柳島を見て、坂本さんが」
「これからは百姓も漁師もみなそうならなきゃいけねえんだ。だがな高次よ、刀を差して侍になるなんぞは考えねえほうがいい。姓を持つということはだな、つまりアメリカの公平なシチズンという意味で、おまえさんがそうなっただけのことだ。わかったかい」
「そう思っております」
高次は異国のにおいのする長崎で、商人が生き生きと生活しているのを目のあたりにして、アメリカ人の上下の差別のない暮らしぶりに一歩でも近づきたいために、姓を名乗ったことをあらためて心に思った。
神戸に帰った高次は、佐太次を誘って、小野浜の西の修船場を見に行った。
「ところでその大刀はどうしたんじゃ」
佐太次が怪訝《けげん》な顔をした。
「坂本さんにもらったんじゃ」
高次は佐太次に、龍馬から佐柳という名乗りをもらったいきさつを話した。
「それはええことじゃ。これからは身分の隔てのない世にするために、わしらが侍の下風に立つことはない。わしも高見佐太次と名乗るとしよう」
「強そうでええ名乗りじゃ」
二人は愉快そうに笑った。
兵庫港の東端に近い小野浜の西の海べりに、小さい算盤式ドックを敷設した修船場が見えた。
高次は勝の紹介で来たと案内を乞《こ》うた。五十がらみの眉毛《まゆげ》の太い男があらわれた。自力で修船場を造った呉服商の網屋吉兵衛であった。
「勝先生の海軍塾の方ですか。どうぞこちらへ」
勝の紹介と知った吉兵衛は、丁重に高次と佐太次を案内した。
「わしは長崎に行って、オランダ人の造った修船場を見てきたが、この算盤ドックは小さいが、オランダ人のものと同じじゃな」
「ありがとうございます。わたしができる仕事は大掛かりな事業ではなく、沖行く千石船が安心して、陸上げできる場所を造りたかったことです。わたしも勝先生と会うまでは、目先の利を追う小商人《こあきんど》でしたが、勝先生の大開国論をお聞きして、日本人としてなにかせねばならぬと心に決めました。それで長崎にも足を運び、ようやくこの修船場を造ることができました。これで勝先生の大開国論のお役に立てればと思っています」
「いやいや。これだけのものを造れば立派なものじゃ」
吉兵衛の生家は網元であったが、不漁がつづいたために家財を失い、吉兵衛は呉服問屋に丁稚《でつち》奉公して独立した。もともと吉兵衛の体には網元の海の血が流れており、呉服商で成功してから生島屋敷で勝と出会い、開国論を聞いて体が震えるような感激を覚えて、その後私財をなげうって修船場を造ったのである。
算盤式ドックで引き上げられた千石船が修船場に並び、船体の修理を行っている。
「これなら千石船も長持ちして、遭難が少なくなるじゃろう」
木造の千石船の寿命は八、九年とされているが、修船場で船底を乾かして手入れし、傷んだ船材を交換すれば、十五年は長持ちする。
そのとき修船場に、見覚えのある男があらわれて、高次に声をかけた。
「高次さん。お久しぶりです」
「おお。お前は駿馬《しゆんめ》ではないか。築地の軍艦操練所におったはずじゃが、こんな所でどうした」
長岡藩士の白峰《しらみね》駿馬であった。十八歳の駿馬は軍艦操練所の生徒として、築地で二年間学んでいたために、互いに顔を見知っていた。
「じつは軍艦操練所が火事になりまして、わたしは坂本さんの神戸海軍操練所に入りたくて、この機に脱藩して神戸村にやって来ました」
郷里長岡の平凡な暮らしに嫌気がさした駿馬は、十六歳のとき江戸の兄を頼って、無一文で三国峠を越えた。さいわい兄が勝の知己であり、貧乏書生ながら築地の軍艦操練所に入れた駿馬は、順動丸の大坂行きの航海で、龍馬と知り合って意気投合した。そのあと駿馬は龍馬と共に神戸海軍塾に行きたかったが、兄が許さず、機を待つうちに軍艦操練所が火事で焼失する事件があり、それを天機と見た駿馬は脱藩して、龍馬が塾頭の神戸海軍操練所を目ざしてきたのだと述懐した。
「わたしは勝頭取と順動丸で大坂に来たときに、この小野浜の修船場を見せられて感激しました。それでいずれ日本でこういうものを造りたいと心に決めております」
駿馬が神戸村に来たとき、龍馬は長崎から帰っていなかったために、興味をもつ修船場に吉兵衛を訪ねて、船の修理法を学んでいたという。
「軍艦に乗りたいという者は多いが、おんしのように船を修理したいという男は初めてじゃ」
まだ十八歳の駿馬に高次は興を抱いた。
高次は駿馬をつれて神戸海軍操練所に帰ったが、京の政局はさらに混迷の度を強めていた。
八月の政変で京を逐《お》われた長州藩が、失地回復をねらって、尊王|攘夷《じようい》の過激浪士を、多数京に潜入させはじめた。幕府はこれらの過激浪士を「浮浪」と呼び、会津藩と新選組、桑名藩と京都見廻組を使って、不審な人物の探索に動きはじめ、過激浪士を探し出して、つぎつぎと血祭りにあげた。
過激浪士を扇動して、京に潜入させたのは長州の桂小五郎《かつらこごろう》だった。桂は幕府と対立する姿勢を強めるとともに、京の町を焼き払って混乱させ、その隙に天皇を長州につれていく秘策を立てた。神戸海軍操練所の塾生には多数の脱藩浪人がいる。なかでも土佐脱藩浪人が多かった。血の気の多い土佐脱藩浪士は、京での長州藩の活動を聞いて、矢も楯《たて》もたまらなくなった。
塾頭の龍馬は、日ごろから塾生の暴発を諫《いさ》めていたが、混迷する政局で神戸を留守にすることが多く、ついに神戸海軍操練所から土佐の望月|亀弥太《かめやた》が飛び出した。
「わしは京に行き、長州人と行動を共にする」
亀弥太の前に覚兵衛が立ち塞《ふさ》がった。
「待て。いま龍馬は江戸に行っておらぬ。いましばらく待って、心を静めて情勢を見ねばいかぬ」
「なにをいうちょる。ここで立たねば男ではあるまい」
「いうな。それはわしもおなじ気持ちじゃ。だがわしらは海から日本を変えようと誓って、この海軍操練所に集まった同志ではないか。龍馬が帰るまでしばし待て」
「いまさら船なんぞと、呑気《のんき》なことをいうちょれん。わしは行くぞ」
覚兵衛の懸命の諫めも聞かず、亀弥太は神戸海軍操練所を飛び出し、桂小五郎が率いる尊王派の一団に加わり、池田屋で同志と会うことになった。だが事前にこの情報が京都所司代に洩《も》れ、新選組を率いた近藤|勇《いさみ》が集会場の池田屋に斬り込んだ。桂小五郎は新選組の白刃から危うく逃げおおせたものの、亀弥太は新選組隊士を斬り伏せて勇敢に戦い、血路をひらいて路上に出た。だが大勢の会津兵に行く手をはばまれて乱闘になり、逃げきれぬと覚悟した亀弥太は、立ったまま腹に刃《やいば》を突き立てて壮絶な討ち死をとげた。宮部鼎蔵《みやべていぞう》、北添佶摩ら九名が斬り殺され、捕縛者二十三名といわれる「池田屋ノ変」である。
池田屋の変報は、数日後に船便で長州にもたらされた。長州人は激怒した。藩内の自重論は吹き飛び、豪勇で知られる来島又兵衛《きじままたべえ》の武力派が勢いを得て、藩兵や浪士団を軍船に乗せて、ぞくぞくと長州から京をめざして、浜辺に上陸するのを高次も見た。
神戸海軍操練所は騒然となった。すでに数人の土佐人が海軍操練所を抜け出して、長州軍に身を投じている。海軍操練所を抜け出した土佐人の多くは、土佐の中岡慎太郎が率いる浪士隊に身を投じたと高次は聞かされた。
このとき龍馬は不在であった。もし龍馬がいても押し止められただろうかと高次は訝《いぶか》った。顔を引きつらせた暴発組に、腰抜けと罵《ののし》られて止められなかっただろう。それが侍の世界なのだ。だが暴発せずに海軍操練所に留まっている者も多い。その男たちが本気で軍艦をやる仲間だと思うと、高次の心の霧は少しずつ晴れてきた。
七月十八日。一橋慶喜率いる幕軍と長州軍が戦闘を開始した。これが幕末争乱の引き金となる「禁門ノ変」である。御所を背に火ぶたが切られた戦闘は、国司《くにし》信濃《しなの》と来島又兵衛率いる長州軍一部隊が奮迅《ふんじん》する蛤御門《はまぐりごもん》が主戦場となった。戦意|旺盛《おうせい》な長州軍は、会津藩兵を猛攻したが、そこに薩摩藩の主力隊が駆けつけた。大砲四門をもった薩摩藩の来着は、幕軍の潰走《かいそう》を防ぎ、たちまち戦況を有利にした。薩摩藩の鉄砲隊が長州藩の先陣を浮き足だたせ、猛攻する薩摩軍を睨《にら》みすえて采配《さいはい》をふるう又兵衛に、鉄砲隊の照準が集中した。豪胆な又兵衛は一歩も退かず下知をつづけたが、一発の鉄砲玉に胸を射抜かれ、たまらず落馬した。このあと長州軍の敗走がはじまった。
その晩京に上がった火の手は、神戸の海軍操練所からも見えた。火の手はまたたくまに京市中に燃えひろがり、三日間燃えつづけて二万七千戸を灰にした。
「どっちが勝ったのじゃ」
高次にも塾生にも京の戦況は伝わってこない。だが夜空を赤くこがす猛火からすれば、どちらが勝っても大きな犠牲が出ているはずだ。
「留次郎は無事じゃろうか」
京の猛火の中で「を組」の印半纏《しるしばんてん》に身を固めて、鳶口《とびぐち》を手に火事場を走りまわる留次郎のことを思うと、高次は眠れなかった。
翌日戦況は明白になった。幕軍に京を追われ、長州めざして落ちのびる傷ついた敗残兵が、血を流して船に乗り込み、瀬戸内海を西に逃げ落ちていくのを高次は見た。追手から逃げられぬと覚悟を決め、互いに刺し違えて自決する長州兵もいた。
騒然とした神戸海軍操練所に、深夜何者かが表戸を叩《たた》いた。高次が表戸を開けると、血まみれの男が立っていた。
「わしは土佐の池|内蔵太《くらた》じゃ。龍馬か覚兵衛はおらぬか」
「坂本さんはおらぬが、覚兵衛ならおる」
土佐脱藩浪人の内蔵太は、町人のように手拭《てぬぐ》いで頬かむりをして、腕と足から血を流していた。内蔵太の声を聞きつけた覚兵衛が、寝呆《ねぼ》けまなこであらわれた。
「どうした内蔵太。京から逃げてきたのか」
「そうじゃ。幕吏に追われておる。とにかく匿《かくま》ってくれ」
二十五歳の内蔵太は、早くから江戸に遊学していたが、一本気で血の気が多く、土佐藩の因循|姑息《こそく》に嫌気がさして脱藩し、長州藩に身を投じて戦っていた。内蔵太は不死身の志士だった。馬関戦争では遊撃隊士としてフランス軍艦を砲撃し、つぎは天誅組《てんちゆうぐみ》にくわわり大和で代官所を襲ったが、不思議に傷一つおわなかったことを、高次はのちに知った。
だが禁門ノ変の逃避行がいかに困難で、命を長らえる僥倖《ぎようこう》が万に一つくらいだったかは、内蔵太の焼けこげた髪、汚れた顔と血の流れる腕と足を見れば、すぐわかった。
奥の部屋に通された内蔵太は、禁門ノ変の様子を語り出した。高次たちは初めて京の騒乱の様子を耳にした。
「わしらの隊は、山崎から堺町御門に突撃をかけた。だが鉄砲玉が雨あられと飛んできて、同志の多くは斃《たお》れたが、不思議にわしの体には当たらなんだ」
気丈な内蔵太は笑ったが、落ちくぼんだ目が、激しい戦闘を物語っている。
「長州軍が総崩れになったあと、わしは天王山に逃げ込んだ。そこで同志は自刃《じじん》したが、わしは生きておれば、尊王攘夷がかならずなると思って、ひとり西国街道を神戸村まで走って逃げてきたんじゃ」
覚兵衛が安堵《あんど》の表情を見せた。
「とにかく無事でよかった。龍馬はまだ大坂から帰らぬが、ここにおれば安全じゃ。飯を腹いっぱい食って寝ることじゃ」
幕軍が勝ったとはいえ、高次は留次郎のことが心配でならなかった。だが混乱のために淀川に川舟はなく、伏見街道には会津藩が関所を設けて、不審な者を取り締まっている。とても留次郎を訪ねて、京に入れる様相ではなかった。
翌日の夜にも、海軍操練所の寮舎に駆け込んできた男がいる。
「高次はおらぬか」
「誰じゃ」
高次が戸を開けると、見慣れた顔が立っていた。
「どうしたんじゃ大助。こんな物騒なときに」
「翔鶴丸で大坂に来たんじゃが、京が騒がしいと聞いて、血が騒いで江戸に帰る気がせぬ。それで高次の顔を見にやってきたのじゃ」
喧嘩《けんか》好きな大助らしいと高次は思った。
「おひなさんは達者か」
「まあ、達者だが……」
「まあとはなんじゃ」
「あれも気立てはええ女なんじゃが、悋気《りんき》がひと一倍強くってな、わしが品川の土蔵《どぞう》相模《さがみ》に登楼《あが》って、二晩居つづけしたら口をきかぬ。それでおひなから逃げ出したくなり、大坂行きの軍艦に乗ってきた。しばらくわしをここに置いてくれぬか」
「そういうことか。むろん大助がきてくれればありがたいが」
「おぬしらの手伝いをするから頼む」
「わかった」
この騒乱で政情がどう変わるのか高次には予測がつかなかったが、海軍操練所に大助がくわわれば観光丸の操船は楽になる。高次は大助をうけ入れた。
騒然とした神戸海軍操練所に龍馬が帰ってきた。龍馬も京の様子を探ろうと、勝と伏見まで探索に行ったらしいが、身の危険を感じて帰ってきたという。
龍馬は勝からの伝言を携えていて、
「いつもどおり水練に励むようにせよ」
と塾生に通達した。
高次は龍馬に提案した。
「坂本さん。こういうときは軍艦に乗って、外海《そとうみ》に遠洋航海に出たほうがええと思う。そうすれば陸の騒ぎなど耳に入らぬ」
「それは名案じゃ。すぐ仕度にかかってくれ」
高次は塾生の動揺を押さえるために、観光丸の遠洋練習航海の仕度をはじめた。残った塾生二百八十人全員を乗り組ませる遠洋航海となると、船室の床や廊下に毛布を敷いて寝かせることになる。
「坂本さん。ブランケットの数が足りぬぞ」
「こんなときじゃ。大量にブランケットを買《こ》うちょけ。船の装備品に銭を使うておけば、幕府の阿呆《あほう》どもも、わしらが船に身を入れたと安心するじゃろう」
神戸海軍操練所は池田屋ノ変で闘死する塾生が出たり、禁門ノ変で長州軍に身を投じて戦った者が多かった。さらに海軍操練所が長州藩の脱走者を匿っているという噂も広まり、幕府方の監視が強まっていた。
しばらくすると、
「会津藩と新選組が、海軍操練所に斬り込んでくる」
という不穏な噂が流れた。
幕府方から見れば、神戸海軍操練所は反乱軍の養成所に見えるのだろう。だが軍艦奉行並の勝の手前、幕府方は表立って手出しをすることはできない。しかも大量に毛布を買い入れて遠洋航海に出れば、航海に身を入れたと見て、海軍操練所への疑念もおさまるはずだ。
毛布を大量に買い入れた高次たちは、神戸村を後にして、潮岬への遠洋訓練に出かけていった。
秋の虫が鳴き騒ぐ晩に、龍馬が一大事件をもたらした。
「えらいことじゃ。海軍操練所が解散させられるかもしれぬ」
龍馬が顔を青ざめさせて、バッテラから観光丸に乗り込んで呻《うめ》くようにいった。
「どうしてじゃ。勝先生になにかあったというのか」
高次が気色ばんで訊《き》いた。海軍操練所への数々の不穏な動きが耳に入っているだけに、高次の胸に不安が衝き上げてきた。
「勝先生が御役御免になり、江戸への召還が決まったんじゃ」
「なんじゃと。くわしく話してくれ」
「どうやら大坂城代が、老中に告げ口したらしい。勝先生の海軍操練所は幕府の謀叛人《むほんにん》を育てちょるとな」
ことの発端は、勝を日ごろ苦々しく思っている大坂城代が、高次が観光丸用に大量に買い入れた毛布が怪しいと噂しはじめたという。その大量の毛布は観光丸のものではなく、長州人を匿うためのものであると疑われ、このまま海軍操練所を野放しにしてはならぬという話になったらしい。そこで勝の江戸召還が即決し、厳しい処分が下されることになると龍馬は語気を荒げた。
「勝頭取の江戸召還はいつごろじゃ」
「まもなくじゃろう。海軍操練所に正式に解散命令が下るのは、まだ先のことじゃろうが、いまから先のことを心づもりせねばならぬ」
軍艦奉行並の勝という大きな後楯《うしろだて》がなくなれば、新選組も京都守護の会津藩も、ここぞとばかりに神戸海軍操練所の脱藩浪人を捕殺に来ると、高次は直感した。
諸藩から神戸海軍操練所に来た塾生は、それぞれの藩に帰れば問題ない。だが行く先のない脱藩浪人は、危険な野に放たれることになる。
「へたをすれば坂本さんたちは殺される」
高次は恐ろしい形相でつぶやいた。
その晩高次は佐太次たちと相談した。龍馬たちと海に乗り出すために、築地から神戸海軍操練所にきたが、政争のために海軍操練所が解散させられる。そうなる前に塩飽衆の進む道を選ばねばならない。
高次は話の口火を切った。
「わしらは侍の争いごとには関わりなく、これからも海に出ることを考えねばならぬ。そのためにはどうするかじゃ」
大助が気軽に応じる。
「船に乗るだけなら、築地の軍艦操練所に帰ればよいではないか。軍艦を操船できる水夫が足りず、いつでも雇ってくれる」
「それでは元の木阿弥《もくあみ》じゃ」
佐太次が大助の言葉を押し止めた。
「いまさら幕府に雇われて、軍艦に乗るつもりなどない。わしらがここへ来たのは、塩飽衆が自由に海に乗り出す足がかりを得るためじゃ。海軍操練所が無《の》うなったら、つぎの手を探さねばならん」
「坂本さんはどういう考えでしょうか」
四郎が口をはさんだ。
「浪人海軍をつくることが坂本さんの本望じゃ。諸藩の塾生は国許《くにもと》に帰れるが、坂本さんと脱藩した浪人には帰る藩はない。だから困難は承知で、これからも浪人海軍をつくることに懸けるじゃろう」
「なにか先の当てでもあるのか」
佐太次が尋ねた。
「勝頭取はああいうお方じゃ。神戸海軍操練所に集まった浪人を、見捨てて江戸に帰るはずがない。坂本さんの話では勝頭取は、薩摩藩と話をするといっておった」
「薩摩といえば、長州を討った幕府方の藩ではないか。幕府に刃向かう海軍操練所の先の当てとして、話が通ずる道理があるのか」
「わしもそう思うが、勝頭取は先の見えるお方じゃ。わしらにわからぬ知恵をもっておろう」
「ならば勝頭取の動きを見てからの算段じゃな」
高次たちはひとまず勝の動きを見守ることにした。
こういう事態が起こることも予測していた勝は、自分を信頼している門弟の身の安全を考えた。京坂で勢力をもっているのは会津藩と薩摩藩である。勝は長州藩を京から逐《お》い落とした薩摩藩を、八月の政変から注意深く見ていた。西南の雄・薩摩藩は、関ケ原いらい外交能力に秀でていた。関ケ原では西軍に加担して敗れ、薩摩に逃げ帰ったものの、徳川幕府に対してさまざまな外交術を展開し、ついに島津家の領土を一寸たりとも減ぜられずにいまに至った。
薩摩藩に国力がある理由の一つに、日本の西南端に位置する地理的特殊性を利用して、二百六十年密貿易を行ってきたことがある。くわえて先代藩主の島津斉彬《しまづなりあきら》が俊才で、将来を見通す眼力をそなえ、鉄砲火薬やガラス製品などが生産できる近代工場をつくり、近代産業国家に薩摩藩を改造することに専念した。その斉彬の遺産は有形無形で薩摩藩に根づき、西郷隆盛を筆頭とする藩士に受け継がれている。
薩摩藩には財力がある。西郷に会うべきだと決断した勝は、京の薩摩藩邸を訪れた。初見の二人は多くの言葉を交わさなかったが、勝の推察どおり、西郷は理想家であり実務もわかる男であった。勝は西郷に龍馬を会わせればなんとかなると思った。
まもなく諸藩の塾生が、荷物をまとめて帰藩をはじめた。広い寮舎に冷たい初冬の風が吹き抜けた。高次にとってあまりにも唐突な出来事であり、こんなに早く海軍操練所が潰《つぶ》れて、浪々の身になろうとは思わなかった。
人気のない塾舎に勝が姿を見せた。江戸召還は数日後だというのに、勝の様子はいつもと変わらぬ落ちついたものであった。
がらんとした家屋敷を見まわした勝は、
「とりあえず居残ったお前さんたちの身の安全は、薩摩の西郷が見てくれることになった。おれが赤坂の屋敷で蟄居《ちつきよ》の身になれば、それが最良の策だと思う」
「勝先生の後楯もなく、銭もない以上、他人の褌《ふんどし》で相撲をとるしかありません。まずは薩摩の太い褌を頼ることにします」
高次は龍馬が勝の紹介で西郷に会った結果を聞いた。西郷は二度も島流しになった苦労人であるらしい。西郷は脱藩して勝の門弟になり、海軍を育てようとしている龍馬の苦労を一目で認めた。勝の弟子の海軍塾生を、薩摩藩はなにがなんでも助けねばならぬ、西郷はそう決断したのであった。
「薩摩は力のある雄藩だ。西郷ならお前さんの法螺話《ほらばなし》に乗ってくれる」
「その法螺話を教えたのは勝先生です」
「そうだな。だがおれがこうなった以上、法螺話を法螺でなくすには、薩摩の西郷を頼るしかねえ。西郷が身を守ってくれてるあいだに、船をもつ算段をすることだ」
「そうします」
高次はいつか龍馬が浪人海軍をつくるという夢を信じていた。このままいくと激動に身をまかすような気もするが、信頼する勝の判断で動いてもよいと心を決めた。勝が高次を見た。
「高次よ。船がなくなっては、塩飽衆も翼をもがれた鳥と同じで辛《つら》かろう。しばらく辛抱してくれ」
「わしらは辛いことには慣れております」
勝が去ってから、龍馬が高次にいった。
「高次にはこれからも、わしと船を動かしてもらいたいと思うちょる。だがいまは先のことは皆目見えん。もし観光丸とともに江戸に帰る気になれば、また築地の軍艦操練所にもどれるよう勝先生が気を配ってくれる」
「なにをいうんじゃ」
高次は龍馬の意外な言葉に声を荒げた。
「わしに佐柳という名乗りをつけて、船を一緒にやろう、浪人海軍をつくろうというたのは、坂本さん、あんたじゃ。それを忘れて江戸に帰れとはどういうことじゃ」
龍馬が黙った。
「わしは侍の喧嘩《けんか》などどうでもええ。幕府も土佐も長州もわしらには関係がない。わしらは塩飽衆じゃ。わしらの望みは世界の海に乗り出すことじゃ。それを侍どもの都合で投げだすくらいなら、はじめから神戸村まで来ぬ。それは佐太次たちも同じじゃ」
高次は顔を上げられない龍馬を見て、言葉をおさめた。
「それで坂本さん。観光丸はどうなるんじゃ」
「解散業務にとりかかれば、幕府が引き渡しを命じてくる。残念だが仕方ない」
龍馬とともに残留する者は二十数人になった。高次たち塩飽衆を除けば、いずれも帰る家のない脱藩浪人ばかりである。
まもなく観光丸の引き渡しに、幕府軍艦順動丸が兵庫沖にやってきた。高次は観光丸最後の航海の錨《いかり》を上げ、順動丸と並走して大坂天保山沖に向かった。観光丸の船上に声はない。居残った二十数人の塾生が、確かめるように観光丸の装備を手で触った。
「いよいよ観光丸と別れじゃ」
天保山沖に到着し、バッテラが降ろされた。高次はバッテラに乗り移るとき、船べりを何度もこすった。これから先はどうなるかわからないが、海に乗り出す夢さえ捨てなければ、かならず道は拓《ひら》けてくるだろう。それは龍馬たち居残った塾生も同じであった。
観光丸のマストに、徳川家の葵《あおい》の旗が揚げられた。それを見た瞬間、高次の胸に初めて徳川幕府は倒さねばならぬという怒りに似た感情がこみ上げた。
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第四章 亀山社中
薩摩の大坂藩邸は、土佐堀の川沿いにあり、築地塀《ついじべい》に囲まれた屋敷であった。川舟から薩摩藩邸を見上げた高次は、石垣で組まれた黒塗りの壮大な屋敷を見て、砦《とりで》のような印象をもった。
西郷は行き場のない高次たち二十数人の身柄を引きうけ、藩邸の十六番長屋に匿《かくま》ってくれた。藩邸では西郷の指令で、高次たち一行に行き届いた対応がなされたが、西郷自身は征長総督の徳川|慶勝《よしかつ》の命をうけて、長州藩を無血降伏させるべく西下し、大坂にいなかった。
高次たち一行を丁重に出迎えたのは、薩摩藩家老の小松帯刀《こまつたてわき》であった。小松は薩摩藩の名門の出で、藩の外交重役として大坂に駐在していた。役職上は西郷の上長《じようちよう》にあたり、はやくから勤王思想をもち、西郷を深く信頼していた人物である。
「おいが小松でごわす。西郷が長州から帰るまで、この大坂藩邸でゆるりと過ごしてくだされ。外に出るときは、薩摩藩の名を名乗れば安全でごわす」
このころ西郷が率いる薩摩藩という名は、幕府方に特別の畏怖《いふ》の念を抱かせていた。かつて手を組んだ勤王藩の長州藩を、禁門ノ変で完膚なきまでに撃破して、京の治安をとりもどした。そのせいで征長総督の慶勝は西郷を頼りにして、軍評のときも片ときもそばから離さず、新選組に薩摩藩士には手出しするなと特別の指令を出させたほどである。
薩摩藩邸に入った龍馬は、西郷がいなければ船の話を進められない。龍馬と行動を共にした脱藩浪人は土佐の覚兵衛、長次郎、惣之丞、海軍操練所に逃げてきた内蔵太の他に長岡謙吉、中島作太郎たちがいた。他藩出身の者は紀州の陸奥、長岡の駿馬、越前の腰越次郎、渡辺剛八らである。これに加えて高次、大助、四郎、そして佐太次と亀蔵たち塩飽衆《しわくしゆう》十人がいる。船のない一同は西郷が帰るまで、薩摩藩邸で手もちぶさたに過ごすしかなかった。
高次は船から離れて生活するのは久方ぶりであった。脱藩浪人の龍馬たちと違って高次たちは、薩摩藩の通行手形があれば、危険なく外出できたが、高次はこの機にボウディチの航海書を再読しようと決めた。
ボウディチの航海書には、アメリカ大陸を発見した「大航海時代の航海術」、緯度・経度を六分儀で測定する「最新の航海法」の他に、世界の「海の歴史」も書かれていた。
大航海時代の帆船は富を運ぶ象徴だった。スペイン人はインカ帝国の黄金と宝石を掠奪《りやくだつ》してガレオン船で故国へ運び、ポルトガル人は胡椒《こしよう》など高価な香辛料をヨーロッパへ持ち帰った。スペイン無敵艦隊を撃破したイギリス艦隊は、七つの大海の制海権を得て、アフリカから黒人奴隷を大型帆船に積み込み、アメリカに売り込んで莫大《ばくだい》な富を得た。
高次は大航海時代の海の歴史を読み進むうちに、日本人も海外に雄飛した時代があったことを知った。東シナ海に漕《こ》ぎ出して大明《だいみん》国相手に暴れまわった倭冦《わこう》である。倭冦の多くは中国人であったが、日本人倭冦は平戸《ひらど》を根城とした九州倭冦と、塩飽諸島から漕ぎ出した瀬戸内倭冦がいた。その倭冦と手を組んだポルトガル人も多くいて、絹や馬蹄銀《ばていぎん》や中国陶器をヨーロッパにもたらした。
瀬戸内倭冦の末裔《まつえい》である高次たち塩飽衆は、いまは勝の江戸召還で船もなくなり、薩摩藩邸に閉じこめられている。東シナ海で暴れた倭冦の物語を読むうちに、はやく海に出たいと高次の血が熱くたぎってくる。
高次は航海書を読み終えると、親切に対応してくれる家老の小松と話した。小松は、万次郎が開成所の教授として鹿児島に発つ前に、この大坂藩邸を訪れ、そのとき一晩中語り明かしたといった。
「おいは万次郎さんのような新知識をもったお方と、身近に話したのは初めてでごわす。いやいや、目が醒《さ》める思いでごわした。あのような外国の知識のあるお方を、幕府が重用せぬとは、おいには信じられないことでごわす」
小松は万次郎をそう賞賛してから、開成所に万次郎を迎えることができた薩摩藩は、これから大いに力がつくだろうと喜びを口にした。
だが高次の胸には一つの疑問が残った。勝が仲立ちして西郷と龍馬が会い、二人が意気投合した結果、薩摩藩は龍馬以下二十余名を匿った。だがそれだけのことで、薩摩藩は自分たちにここまで行き届いた対応をして、船まで貸してくれるだろうか。
高次は初めて会う薩摩人がよくわからなかった。外交的な小松を別にすれば、無口の者が多く、屋敷内で会っても黙礼するだけで話しかけてこない。龍馬によればいま頼れるのは薩摩藩であり、西郷に頼ることが将来につながるために、西郷を信じるしかないという。
捕吏に追われて行き場のない脱藩浪人たちは、薩摩藩の手厚いもてなしを、龍馬と西郷の交誼《こうぎ》の証《あかし》だと思っているが、万次郎を招いてまで近代化をはかる南西の雄藩の薩摩には、別の肚《はら》があるように高次には思える。
〈薩摩藩を率いる西郷という侍が、どういう人間か見てみるのもおもしろい……〉
高次はそう考えて西郷の帰りを待つことにした。
西郷不在の薩摩藩邸に、長州攻めの情報が入ってくる。征長軍に恐れをなした長州の俗論党が政権を手にして、幕府に刃向かった勤王党を捕らえて、恭順の意を示していると聞いた。その話を耳にした内蔵太が、薩摩藩邸を飛び出して長州に奔《はし》った。内蔵太は禁門ノ変の突撃のときも、三度も大剣をふりかざして乱戦に突入したが、三度とも手傷を負わず、不死身の内蔵太といわれている。そんな内蔵太は薩摩藩邸に閉じこもっていたために、戦火をくぐりぬけた血が騒いできたのだろう。内蔵太は己れの意志に従って飛び出したものの、大坂に残る高次や龍馬たちは、激動の世から目をそむけてひたすら西郷の帰りを待ち、船を手に入れることを願うしかない毎日であった。
薩摩藩邸に珍客が訪ねてきた。
「高次兄い。探しやしたぜ。まさか薩摩屋敷にいるとは思わなかったです」
「おお留次郎か。わしもお前に会いに行きたかった。だがどうしてここがわかった」
「一橋の殿さんが大坂城に移ったんで、その警護で大坂に来やした。そこで兄いの海軍操練所が潰《つぶ》されたと聞いて驚き、京で顔見知りになった幕府探索方の密偵に、くまなく調べさせました」
「留次郎も密偵を使える身分になったのか」
「いいや。ちょっとした貸しがある奴です。気にしないでください」
「それで新門の親分は、まだ三百人の子分を連れておるのか」
「いま半分は京におりますが、おいらは兄いの無事を確かめたかったから、大坂行きを自分で名乗り出たんです。大助さんや佐太次さんも一緒だと聞きました」
「そうだ。二人はいま外出しておる」
「ちょっと外に出ませんか。親分からご褒美をいただいて懐は温けえ。おいらになにか奢《おご》らせておくんなさい」
二人は近くの屋台につれだった。「うどん」と書かれた行灯《あんどん》の下で、屋台売りが地べたにしゃがみこみ、七輪の火を団扇《うちわ》であおいでいる。
「大坂の食いもんは、いまひとつ口に合わねえんですが、このごろは大坂の薄味にも馴《な》れました。ですが酒は灘《なだ》が近いだけにとびきりうめえ。まあ一杯どうぞ」
高次は注がれた茶碗酒《ちやわんざけ》を飲んだ。
「ところで兄い。その刀を差した格好は、いってえどうしたんです」
「留次郎にそういわれると思っておった。これは坂本さんと話してな、このほうが仕事がやりやすかろうという一時の方便じゃ。べつに侍になる気などない」
「新選組の近藤勇にしても、元をただせば武州《ぶしゆう》の百姓の倅《せがれ》です。副長の土方歳三《ひじかたとしぞう》も江戸で薬を売ってたと聞いています。お上がだらしねえから、身分のたがが外れてきたようですが、そのほうがおもしれえかもしれねえ」
屋台売りが湯気の立ったうどんの丼《どんぶり》を二つ差し出した。二人はふうっと丼の湯気を吹いた。
「いま幕府は長州攻めが忙しそうだが、幕府の内々の様子はどうなんじゃ」
「まったくいけません」
留次郎は江戸の旗本は、二百五十年も米の飯を只食《ただぐ》いしてきたのに、こういうときにまるで役に立たない臆病者《おくびようもの》だと語気を強めた。三十余藩の侍が大坂城に来たが、これも本気で長州を攻める気などない、と留次郎は吐き捨てた。
「ですが腰抜け侍のことより、兄いはこれからどうするつもりです。聞くところによれば勝先生は、赤坂の屋敷にお閉じ篭《こ》めになられ、このさき海軍操練所もなにもあったものじゃねえという話です」
「それはそうだが、わしは船をやる」
「ということはこんなに世が乱れても、坂本さんと船で商売しようってことですかい」
「そうだ」
「高次兄いも変わったお方だ。それだけの船の腕があれば、塩飽のお仲間と幕府の軍艦を動かして、もっと楽に暮らせるってえのに」
「わしは幕府の飼い犬などになる気はない。わしが塩飽衆とやりたいのは鯨|獲《と》りじゃ。だがそれも幕府の弱腰で潰れた。わしら塩飽衆はいずれ世界の海に乗り出してやる」
二人はずるずると音をたててうどんをすすった。
「ところで兄いにこれを持ってきやした。新門の印半纏《しるしばんてん》です」
うどんを食い終わった留次郎が、風呂敷《ふろしき》包みを差し出した。
「どうして新門の印半纏を、このわしに」
「これから世の中は、どう変わるかわかったもんじゃありやせん。それで親分と話したのですが、もし戦争がはじまって徳川様が勝てば、この新門の印半纏を着ていれば、一橋様の配下ということで身の安全は守れます。親分も高次兄いならかまわねえといってくれやした。いまおいらにできることはこのくらいしかねえ」
「留次郎よ。嬉《うれ》しいじゃねえか」
「なに。おいらと兄いは小笠原島まで行って鯨を獲った仲です。海の男としてこれくれえのことは当然です」
留次郎と会った高次は、ふたたび海に乗り出せる日に備えて、ボウディチの航海書をくり返し読みはじめた。龍馬たちは手もちぶさたで、刀に錆《さび》がでぬように、入念に打粉《うちこ》を打つくらいしかやることがない。高次は航海書の要点を書き出して、みなが学べるようにした。駿馬と四郎は熱心に筆写した。暇をもてあました大助は、若い四郎と駿馬が筆写を終えると、庭につれ出して相撲をはじめる。佐太次は覚兵衛と将棋を指している。
いつまでも薩摩藩邸で大刀に打粉を打っていられない龍馬が伸びをした。
「勝先生の蟄居《ちつきよ》はわしらにとって、親と家を共に失ったようなものじゃが、いつまでも薩摩藩で据《す》え膳《ぜん》を食ってるわけにはいかぬ」
高次が航海書から目を離した。
「西郷さんはいつごろ帰るんじゃ」
「もうそろそろじゃと小松さんはいうちょった」
「長州が敗けるのか」
「そういうことになるじゃろう」
征長総督の知恵袋として参戦中の西郷の方針は、長州を大軍で囲んで脅威をあたえ、幕府の威光の前に、長州藩を恭順させればよいと考えていた。強硬派の高杉晋作はあくまで幕府と戦う構えを捨てておらず、いざとなれば藩主を朝鮮に脱出させるつもりである。だが長州藩は幕府に恭順する俗論党が藩政の主流を確保して、戦後処理を幕府と進めていると、龍馬は戦況を高次に説明した。
長州藩を恭順させた西郷が、やっと大坂藩邸に帰ってきた。待ちわびていた龍馬がたたみこむようにいった。
「西郷さん。薩摩藩が船を買って、わしらに使わしてくだされ」
西郷はゆっくりと言葉を吐き出した。
「船を買うとなると、猫の子を貰《もら》うようにはいきもさん」
西郷はそう前置きして、いま国許《くにもと》の仕置家老に小松を通じて、金銭の相談をしているため、もう少し待ってほしいと慇懃《いんぎん》に頭を下げた。西郷は薩摩藩の代表として国事に奔走しているものの、重要な決め事は藩の重役の応諾をとらねばならないらしい。
高次も龍馬の後ろに座って西郷の顔を見た。いままで見たことのない異相で、眉《まゆ》が太く、二重の目が大きい。いかにも南方人とはこのような顔かと高次は思った。
「ならばわしを鹿児島に連れていって、国許の御家老に話させてくれんですか。そのほうが話がはやい」
小松によれば、国許にいる盟友の大久保|一蔵《いちぞう》が重役に働きかけ、話はうまく進みはじめている。あとは家老の小松を後楯《うしろだて》にして、国許の重役を龍馬に説かせるほうが早道であると考えた西郷は、太い眉の下の大きな目を見開いてうなずいた。
「おいも小松さんも鹿児島へ帰る用がありもす。坂本さんご一同を国へお連れもそう」
「ありがたし」
一歩話が前に進んだ龍馬は、嬉《うれ》しそうに頭を下げた。
薩摩船|胡蝶丸《こちようまる》に乗ることが決まった高次が、江戸におひなを残してきた大助に尋ねた。
「おい大助。わしらも鹿児島に行くことになった。おぬしは江戸に帰らぬでもよいのか」
「わしは行くぞ。薩摩などという南国には、こんなことでもなければ入国できぬ。おもしろそうじゃ」
高次はおこんがひら仮名文字を読めることを思い出した。
「ならば鹿児島を発つ前に、おひなさんに書状を書け」
「わしは字が書けぬ。済まぬが高次が代わりに書いてくれ」
高次はおこんに自分たちの近況を知らせる書状を書き、そのついでに大助も一緒に鹿児島に行くと書き添えた。
慶応《けいおう》元年(一八六五)四月。高次は龍馬ら一行と胡蝶丸で鹿児島に向かった。神戸村の借家でお徳と隠れるように暮らしていた長次郎も、お徳を大坂の実家に帰して乗り込んだ。
イギリス製の蒸気船胡蝶丸には西郷と小松が同乗している。小松は薩摩藩の航海士官をつかまえて、高次たち塩飽衆は太平洋を航海してサンフランシスコまで行き、神戸海軍操練所では伊東|祐亨《すけゆき》を教えたと話した。そして操舵室《そうだしつ》に案内して指導を乞《こ》えといった。
喜んだ航海士官が、高次に胡蝶丸の癖を説明した。
「この胡蝶丸はまっすぐに進みもさん。舵《かじ》の具合が悪いと思うのでごわすが、いかがなものでごわしょう」
大助に舵輪の動きを調べさせ、高次は佐太次と左右の外輪の水車の海水の掻《か》きぐあいを見た。右舷《うげん》の水車から、かすかな振動が伝わってくる。
すぐに高次は異変を見つけた。
「これは右の外輪の水掻きが悪いために、舳先《へさき》が左に曲がっていくのじゃ。汽罐《かま》を止めて直したがよい」
外輪の水掻きの角度が直され、胡蝶丸は快調に進み出した。高次は胡蝶丸の気圧計と羅針盤《コンパス》も、ボウディチの航海書を見ながら調整してやった。わずかな指針の狂いが航海中に大きな事故につながる。航海計器を調整する高次の手ぎわを、航海士官が驚きの目で見ている。
順調に瀬戸内海を抜けて馬関《ばかん》海峡にさしかかった。右岸に長州藩の砲台が見えてきた。外国艦隊を砲撃したころと違って、いまは沈黙していると薩摩士官が話した。
高次が胡蝶丸の船橋《ブリツジ》の上のフラッグ・ポールを見ると、薩摩藩旗が降ろしてある。
「どうして藩旗を降ろした」
「京の禁門ノ変のあと、長州人は薩摩人を親の仇《かたき》のように憎んでおりもしてな、薩摩藩の船と見れば砲撃されもした。それでまさかのための用心でごわす」
高次は望遠鏡で長州の砲台群を眺めた。高次は西郷から、長州藩は高杉がわずか二百人の手勢で千人の俗論党を打ち破り、わずか二ケ月で勤王党の世にもどしたと聞いた。高杉による勤王党の形勢逆転のきっかけは、三田尻《みたじり》港を襲って軍艦|癸亥丸《きがいまる》を手に入れたことにあるらしい。萩《はぎ》を海上から威圧した軍艦癸亥丸を奪い取ったのが、内蔵太率いる五人の脱藩土佐人であると知った高次は、得意満面の内蔵太が望遠鏡の先に姿をあらわしそうな気がした。
胡蝶丸は奥ぶかい錦江湾《きんこうわん》をゆっくり前進し、天保山砲台の沖に錨《いかり》を下ろした。噴煙を流した桜島が錦江湾に島影を映し、市街の家なみの後方に盛り上がった城山が見える。山には躑躅《つつじ》が明るい色どりをそえ、高次は南国に来たという実感を強くした。
航海中に親しくなった航海士官が、誇らしげに陸の砲台を指さした。
「あの砲台の見える河口が甲突川《こうつきがわ》でごわす。おいはあの甲突川河口から、エゲレス軍艦に大砲を撃ちもした」
高次は甲突川の砲台を見た。一昨年の七月に薩摩藩は、錦江湾に集結したイギリス艦隊七隻と交戦した。戦況はイギリス艦隊の圧倒的有利で、海からの艦砲射撃で市街五百戸を焼かれて、軍艦も撃沈させられたが、薩摩藩兵は甲突川の砲台に必死に踏み留まり、旗艦ユリアラス号を砲撃して大破させた。その薩摩藩自慢の砲台群が、海べりに青い砲身を突き出している。
高次は開成所にいる万次郎と早く会いたかったが、上陸を許されたのは龍馬一人だった。薩摩藩は古来より、容易にその実態を明らかにしない国として知られ、江戸初期の幕威盛んなころでさえ、幕府の隠密が関所で斬殺《ざんさつ》されて入国できなかった。高次たちが理解しにくい薩摩言葉も、外敵の侵入を防ぐのに一役買っている。そういう国柄のために高次たちの上陸は許されず、ひとまず胡蝶丸にとどまることになった。
上陸した龍馬は薩摩藩の重役と会った。龍馬は勝の請《う》け売りながら、アメリカの株式会社の概念を高官に話し、船を現物株として出資すれば、薩摩藩に莫大《ばくだい》な利益がもたらされると熱心に説いた。
龍馬はどこで覚えたのか、上海で高値のつく煎《いり》海鼠《なまこ》、干鮑《ほしあわび》、昆布、日本茶、するめ、干貝、椎茸《しいたけ》などの乾物の値をことごとく諳《そら》んじていた。龍馬は現実の交易をこう説明した。
「たとえば日本では値の安い煎海鼠や干鮑も、上海に船で運べば、それだけで十倍の値がつきます。その金で新式のミニエー銃や大砲を買い、いま長崎で高値で商売している外国人より安く売れば、どの藩でも飛びついてきましょう」
密貿易を続けてきた薩摩藩の重役は、龍馬の説く交易の利が理解できた。たとえ幕府がこの密貿易に目をつけたとしても、それは自分たち脱藩浪人がやっていることで、薩摩藩に迷惑はかからないことを龍馬は強調した。畳みかけるような理路整然とした説得に、薩摩藩の重役たちは、藩ぐるみで支援する気になってきた。
龍馬が胡蝶丸に帰ってきて、こうした経緯を一同に報告した。
「薩摩藩との話が煮えてきて、いよいよ船が借りられそうじゃ。それで薩摩役人の対応もよくなり、おんしらの上陸の許しが出た」
おおっと一同から歓声が上がった。万次郎と会える高次も、胸を弾ませて鹿児島に上陸した。高次は上陸して奇妙な感じを覚えた。町を行く侍の姿容子《すがたかたち》がどことなく違う。それは薩摩人が月代《さかやき》を大きく剃《そ》り、小さな髷《まげ》を薩摩風といわれる形に結っているからだ。
高次は長次郎に薩摩人の感想を伝えた。
「おい長やん。薩摩人はおぬしより長い刀を差して、威張って歩いちょるぞ」
「なるほど。そうじゃ」
長次郎もうなずいた。薩摩侍の袴《はかま》は脛《すね》が見えるほど短く、刀を体と直角に差している。その姿は見慣れぬ高次たちには奇異に映った。
高次は藩士の案内で鹿児島の町を歩いたが、万次郎はあいにく上海に軍艦の買い付けに出張して不在であった。高次は万次郎を鹿児島に招き、上海まで軍艦の買い付けに行かせる薩摩藩の財力を考えた。江戸からはるか西南に離れた薩摩藩の内情を知る者は少ないが、自分たちを受け入れる力をもち、着々と海軍力を補強している。
その理由は先君の斉彬が造った旋盤工場に案内されてわかった。薩摩の旋盤工場はアメリカのメーア島で見た旋盤工場と同じ様式で、規模だけが小さい近代工場であった。
「なるほど。薩摩藩に力をつけさせたのは、先のお殿さんというわけじゃ」
斉彬の開明思想が生んだ新事業が英国艦隊を撃退し、幕府に対抗できる薩摩藩の国力をつけさせたのである。口数が少なく頑固そうに見える薩摩人も、イギリス海軍との交戦で得たものを、すぐ生かす柔軟性を持ちあわせている。その現実的指導者が西郷であり、いずれ薩摩藩は、世を変えるかもしれないと高次は思った。
龍馬の働きで薩摩藩との船の話は煮つまり、重役の了解を得た小松が、具体的な話をもってきた。
「いま長崎のプロシア商人が、ワイル・ウエフ号という中古の風帆船を、わが藩に売り込みにきておりもす。これを長崎で貸せそうでごわす」
「おお。それはええ話じゃ」
龍馬が嬉しそうに膝《ひざ》を叩《たた》いた。
「ですが薩摩藩の航海士官では、風帆船の目ききはできもさぬ。高次さんに目ききをよろしくお頼みもす」
「まかせてくだされ」
高次は胸を張った。
「それに同志一同には、薩摩藩から少額でごわすが、月々三両二分の手当を出せることになりもした」
「それはありがたし。それだけあれば、一同が飢えずにすみます」
手当が支給されるのは龍馬以下七名の士分であったが、無一文の一行には千金に価した。龍馬は順調なことの運びに、小松を両手で拝む真似をした。
長崎に船が入ったとき、高次は胸の高鳴る思いにかられた。勝とともにこの長崎で洋式軍艦を学び、そのあと勝が育てた旧海軍塾の同志とともに、この長崎に帰ってきた。
高次は期待の目で外国船を見まわした。
「やっと薩摩藩の船が使える。これからはわしらの手で船を動かして交易をはじめ、かならず外国に乗り出さねばならん」
佐太次がぽつりと呟《つぶや》いた。
「のう高次よ。坂本さんも薩摩の後楯《うしろだて》が得られて喜んでおるが、わしにはそうは思えぬ」
「どうしてじゃ」
「いま日本で洋式軍艦を動かせる集団といえば、築地の軍艦操練所の連中と、ここにおるわしらじゃ。よう考えてみると、わしらは西郷にまとめて安う買いたたかれた気がする」
佐太次の意外な指摘に高次は言葉に詰まって、目鼻立ちの大きな西郷の顔を思い浮かべた。日本の最西南端に位置する薩摩人は、まるで独立国のように余人にわからぬ薩摩言葉を話し、藩の結束力も一枚岩のごとく固い。しかも肚《はら》の底が見えないところがある。
佐太次が薩摩藩が自分たち船乗り集団を匿《かくま》い、船まで貸すということは、龍馬の思惑とは別に、航海術をもつ得がたい船乗り集団を、イギリス艦隊に攻撃されて壊滅的な損害をうけた薩摩海軍の再建のために、丸抱えで利用しているふしがあると見たのは正しいかもしれない。肚の見えない西郷という男に、薩摩人のしたたかさを垣間《かいま》見た気がする。
「なるほど。そうかもしれぬ……。だがいまのわしらには船がない。薩摩藩の思惑はおぬしのいうとおりかもしれぬが、それさえわかっておれば、薩摩の侍に使われることもなかろう」
高次はときおり核心をつく佐太次に自分の胸の内を話した。
「そうじゃな。侍と違うわしらは、そのことをよう肚にもっておればええ」
長崎に着いた一行の中に龍馬の姿はなかった。龍馬は鹿児島に滞在中に、薩摩藩が幕府と対立する気配が濃厚なことを嗅《か》ぎとり、薩摩藩と長州藩の連合という奇策を思いつき、薩摩藩の強大な力を長州征伐に向けさせてはならぬと、二藩に手を握らせるべく陸路を長州へと旅立っていた。
鹿児島出発にあたり、龍馬は胡蝶丸で同志と話しあった。
「いよいよ薩摩藩の支援で洋式船が手に入る。そうなればわしらが長崎で飯を食うために、船の仕事を探さねばならん」
「なにか仕事はあるのか」
覚兵衛が訊《き》いた。
「わしはこれから長州に行き、薩摩と長州二藩の手を握らせる。うまくいけば大きな仕事が転がりこむ。おんしたちはこれから長崎で、小松さんと船を受け取る仕事を進めてくれ」
「龍馬がいないあいだ、長崎で誰が指揮をとるんじゃ」
「いずれわしら社中の隊規を作らねばならぬが、それまで覚兵衛に指揮を頼む。算盤《そろばん》のわかるのは陽之助じゃ。銭の出入りをまかす。船のことは高次に尋ねればよい」
役振りをしてから龍馬は高次を見た。
「高次よ。わしらの社中は船がなければ飯が食えぬ。長崎で小松さんとワイル・ウエフ号を検分するとき、少々傷んでいてもおんしが動かせると見れば、どうあっても手に入れてくれ」
「まかせよ」
高次は自信にみちた顔で答えた。
「ワイル・ウエフ号が海に浮いておりさえすれば、わしら塩飽衆の手で動かしてみせる。坂本さんが長州で大きい仕事を見つけてくるのを、長崎で楽しみに待っておる」
長崎の丘に萌《も》えたつ五月の新緑が、高次たち一行を明るく迎えてくれた。
海から長崎の町を眺めると、湾の南側に亀の背のような小高い丘が広がっている。のびのびと広がった高台の中央部の亀山と呼ばれる一帯は、亀山焼の陶器で知られた土地である。西には稲佐山の緑が美しい稜線《りようせん》をなして、青い長崎湾をその懐に抱き込み、湾内に碇泊《ていはく》する洋船和船を西風から守っている。
家老の小松により、すでに早飛脚が長崎藩邸に届いていて、長崎駐在の藩士が、高次たちの本拠地となる建物を物色していた。上陸した一行は、すぐ藩士と検分に出かけた。
「なにしろ急なことでごわしたので、御一行が寝泊まりできる家は、この先の高台の亀山しかありもさん。不便な所で済まんことでごわす」
案内する薩摩藩士は、若いが実直そうな侍で、浅黒い顔に汗一つかかず、三宝寺坂《さんぽうじざか》という長く急な石段を登って行く。長崎は土地が狭く、めざす亀山の高台にしか家が見つからないことは、細い石段の道のまわりの急坂に、家がへばりつくように建っているのを見て、高次にもわかった。
一行は息を切らして、二百段ほどの石段を登りつめた。
「おお。ここが亀山か。ええ眺めじゃ」
亀山の高台から右手に稲佐山が望める。その眼下に長崎湾が一望のもとに見晴らせ、山の緑の中に赤や桃色の躑躅《つつじ》が咲き乱れている。
藩士は亀山焼の陶器倉庫に使われていたという粗末な平屋を指さした。
「ここがお手前がたの家でごわす」
二、三十坪ほどの古い建物で、床は土間であった。薄暗い奥に破れ畳の部屋が見える。平屋の背後に高い銀杏《いちよう》の木が三本、伸び放題に梢《こずえ》を繁《しげ》らせて黒い影を屋根に落としている。だがとりあえず雨露をしのげる住居があればよい。
「わしらは海軍塾がなくなってからは流浪の身じゃ。ひとまず一同が安全に暮らせる家があればそれで十分です。お礼を申し上げる」
覚兵衛が一同を代表して、薩摩藩士に深々と頭を下げた。
高次はもういちど長崎湾を眺めた。外国船が数隻碇泊し、千石船が白帆を上げて入港してくる。ここは日本と世界の接点の港である。世界と交易できれば、住む家はどんなあばら屋でもかまわない。
覚兵衛が亀山の地で提案した。
「薩摩藩のおかげで、この亀山の地にわしらの家をもつことができた。これからわしらの結社を、亀山社中と呼んだらどうじゃろう」
「亀山社中か。ええ名じゃ」
高次もうなずいた。亀山の高台から見わたせる長崎の海から、同志と船で世界に乗り出して行く。亀山社中はその目的にふさわしい名前であった。
亀山社中の家の検分を終えた高次たちは、明るい表情で三宝寺坂の急坂を下りていった。眼下に三宝寺の大屋根が見えた。急坂の両側に墓地があり、墓石が三宝寺の急坂に楔《くさび》を打ち込んだような感を高次に抱かせた。
石段を下りきると、足元に広がる湾内の一角に、二階建て三階建ての洋館が建ち並ぶ大浦海岸が見えた。いつぞや会ったお慶も、あの洋館の外国商人と堂々と商売をしているだろうかと高次は思った。
その晩に小曾根乾堂から招きがあり、一同は大座敷でもてなされた。すでに龍馬から乾堂に書状が届いており、長崎に本格的に腰を落ち着けて海運事業をはじめたいから、万般よろしく頼むと書かれてあったようだ。
「長崎のことはおまかせくだされ」
乾堂が胸を叩《たた》いた。
「亀山社中の御一同が、海運で飯を食うまでには時間がかかります。それまでは物心共にお世話をいたします」
二十余名の隊士は、亀山社中の狭い平屋には入りきれない。その晩から隊士の一部が、小曾根家の別邸で起居することになった。こうして薩摩藩と乾堂の支援のもとに、貿易会社の「亀山社中」が長崎の地に誕生した。高次はその年三十一歳になっていた。
亀山社中二十余人の住む家が決まると、四郎が鍋《なべ》や釜《かま》を小曾根家から借りてきて、社中の土間で炊事の仕度をはじめた。社中の者は十九歳の四郎を炊事係だと見ており、四郎は千石船の炊《かしき》のように掃除と洗濯を不平もなくやった。
土佐の郷士で二十歳の作太郎は、龍馬から弟のように可愛がられている温厚な性格で、裏方の仕事を黙々とこなす庶務役だった。賄いの買い出しも得意で、安くて活きのいい魚を見る目は飛び抜けていて、煮付けをする四郎を喜ばせた。
社中に四郎と同じ十九歳の駿馬がいる。四郎は同い歳で軍艦操練所で二年間学んだ駿馬に対抗心をもっており、二本差しの侍という理由だけで、駿馬がまるで上長《じようちよう》のような侍づらをするのが気に入らなかった。
亀山社中の破れ畳の六畳間で、朝餉《あさげ》を食べ終えた駿馬が茶碗《ちやわん》を置いたまま立ち上がった。
「おい待て。駿馬」
朝早くから二十余人分の飯を炊き、これから洗濯をやらねばならない四郎が、怒気をふくんだ眼で駿馬を見た。
「おぬしは己れをなに様じゃと思うておるんじゃ。自分の茶碗を洗ってから部屋の掃除をせよ」
大人しい四郎の怒りのこもった言葉に、高次は事の成り行きを見守った。
「わたしは薩摩藩から三両二分の手当を貰《もら》っておる侍の身分じゃ。その分け前でおぬしも飯が食える。だから炊仕事をするのは、おぬしの仕事ではないか」
駿馬が理屈を口にして胸を反らせた。
「なんじゃと。ここでは身分の隔てなどないはずじゃ」
立ち上がった四郎が、駿馬の胸ぐらを掴《つか》んで破れ畳に押し倒し、取っ組み合いの喧嘩《けんか》をはじめた。止めようとする作太郎を高次は制した。
「やらせておけ」
誇りある塩飽の若衆ならば、相手が侍であろうといつかはこうなる。馬乗りになって殴られている駿馬は脇差しを抜けない。血を流して気絶した駿馬を見て、高次が仲裁に入った。
「もうよい四郎。そのへんで止めておけ」
荒い息をした四郎が、着物の乱れを直して、散らかった茶碗を集めて井戸端に運んだ。それを見た四番目に若い二十二歳の陸奥が、自分の茶碗を持って井戸端に走った。高次は陸奥の後姿を見送ってにやりと笑った。
亀山社中で生活がはじまった高次は、一刻もはやくワイル・ウエフ号を検分したかった。
六日後に小松が長崎に来て、薩摩藩の練習船の海門丸を買い付け、そのあとで高次を伴いプロシア商人チョルチーとワイル・ウエフ号に乗船し、購入の商談をはじめた。
ワイル・ウエフ号は蒸気|汽罐《きかん》のない古い洋式風帆船である。日本人で洋式風帆船を乗りこなせる者は少ない。チョルチーはなんとか薩摩藩に売りさばきたかった。
「船の具合はどげんでごわしょう」
船の検分を終えた高次に小松が尋ねた。
「船が古いために船材がゆるんでおりますが、まきわら(棕櫚《しゆろ》の繊維)を詰めれば水漏れは防げ、これから大いに使える船です」
「そうでごわすか」
うなずいた小松が買い気をみせたとたん、チョルチーは商人の欲で、売値を七千五百両につり上げてきた。小松が藩から許されている買い値は六千五百両である。だが日本人の足元を見る強欲なチョルチーは値を下げない。チョルチーのあまりの悪辣《あくらつ》さに、温厚な小松が困りはてた。
金のことになると高次も口を出せなかった。小松は粘り強く交渉をつづけたが、買い値が折り合わず、結局ワイル・ウエフ号購入の話は、一時見あわせることになった。
「申しわけありもさん」
小松が高次に頭を下げた。
「その代わりといっては仕事が小さすぎましょうが、海門丸の修理と、鹿児島までの廻航の仕事をお願いしたいのでごわす」
「それだけでもありがたいことです」
小松が買い付けた中古蒸気船の海門丸は、鹿児島に廻航する前に修理しておく個所が多かった。その点検修理の仕事を亀山社中にまわしてくれた。
薩摩藩が買い付けるワイル・ウエフ号が社中の手に入るまでは、高次は長崎でできる海の仕事は、なんでも引き受けねばならぬと思っている。
高次は息を弾ませて三宝寺坂を登って社中に帰った。家の中を覗《のぞ》くと、暗い破れ畳の小部屋の隅で陸奥がひとり黙念と座り、陸奥に背を向けて覚兵衛と惣之丞が将棋を指している。高次が隊士たちにいった。
「ワイル・ウエフ号はしばらく手に入らぬ。かわりの仕事として、あすからみなで海門丸の甲板磨きと船掃除をやる。洋式船が手に入るまでの辛抱じゃ」
破れ畳の隅から陸奥が不平を口にした。
「そんな水夫まがいの仕事ではなく、外国船の多い長崎には、もっと大きな仕事があるであろう」
「おぬしはなにをいっておる」
高次が陸奥を睨《にら》みつけた。
「わしらの洋式船が手に入るまでは、どんな海の仕事でもやらねばならぬ。そのためには海門丸の甲板磨きは大切な仕事じゃ」
「おい高次よ。わしらは本当に甲板磨きをやるのか」
惣之丞も驚いた顔をしている。
「そうじゃ。わしらは働かねば飯が食えぬ。甲板磨きは辛《つら》い仕事だから、今宵はよく寝ておくことじゃ」
翌日から高次たちは、海門丸の甲板磨きに精を出した。厚いチーク材が張られた甲板に砂をまき、上海から送られてきた椰子《やし》の殻の半割りで甲板を擦《こす》る。チーク甲板に黒くしみ入った汚れが、砂と椰子の殻で擦りとられて、新しい面が出るまで力を入れて磨き上げねばならない。一刻(二時間)も擦りつづけると、足腰が痛んで立てなくなる。
「船乗りになる修業は大変じゃ」
覚兵衛が腰を伸ばして拳《こぶし》で叩いた。
「まだこのあとに船底掃除も待っておるぞ」
「やれやれ。働いて金を稼ぐことは骨の折れるもんじゃ」
常々働いたことのない侍という同志であるが、亀山社中の隊士は早くから脱藩した者が多く、保護を頼める藩もなく、辛い窮乏生活を耐え抜いてきた男たちである。長い貧困生活で心根は鍛えられていた。陸奥も不満顔ながら仕事にくわわり、隊士たちは二十日間で海門丸の点検修理をやりとげて、鹿児島までの廻航の準備を整えた。
高次が気になったのは、長次郎が長崎に来てから、沈んだ顔で口数が少ないことである。
「どうしたんじゃ」
ときおり下を向いて三宝寺坂を下りていく。半日ほど帰らない長次郎に、高次がなにがあったのだと尋ねても答えない。じつは長次郎の心の中には、大きな不満が渦巻いていた。その原因は薩摩藩が社中に支給した給金が、士分の七人にしかないということであった。
薩摩藩は亀山社中の同志のうち土佐の龍馬、覚兵衛、惣之丞たち五名と、紀州の陸奥、長岡の駿馬の計七名の士分格に、給金三両二分を支給することを決めた。そこに長次郎の名前はなかった。長次郎の出自は饅頭屋《まんじゆうや》という低い身分であり、いまも薩摩藩は長次郎を士分と認めていなかった。さらに駆け出しの若い駿馬が、七人の中に入っていたことが、長次郎の誇りを大きく傷つけた。
長次郎にしてみれば、勝や高次が見てきたアメリカの市民生活のように、上下の隔てのない自由な世界をつくろうとしてきた。それは龍馬も同じであると信じていた長次郎はすべてに裏切られたような気持ちになった。その鬱勃《うつぼつ》とした気持ちは、世間に認めてもらいたいという者が、落ちこぼれた陰湿な私憤であった。
「どうしたんじゃ。体の具合でも悪いのか」
高次が長次郎にかさねて尋ねると、肚《はら》にあった恨みごとが口をついて出た。
「わしのような饅頭屋の生まれの男は、薩摩藩から武士と見られず、給金を支給されんのじゃ」
「そんなことで悩んでおったのか」
高次は笑った。長次郎は向上心が強いだけに、侍として世間から認めてもらいたい気持ちが強いのだろう。だが身分の上下のない世をつくろうとする社中にとって、それはとるにたりない些細《ささい》なことである。高次はつとめて明るく言葉をついだ。
「いまの社中は貧乏世帯じゃ。七人でも給金がもらえればそれでええではないか。それにわしらは海の仕事をするために長崎に来た。はよう海の仕事をして、自分の腕で銭を稼げば、そんなことは気にならぬ」
「わしのいっとることは、そういうことではない」
長次郎が陰鬱な顔を横にふった。
「わしが坂本さんと事を成そうとしておるのは、いずれ身分の上下のない世にして、自分の力で立身できるようにしたいからじゃ。だがどうやらそうではなさそうじゃ」
「なにをいう。坂本さんはそんな小さなことを考えておらぬ。長やんもいじけたことを考えぬほうがよい」
だが長次郎は侍身分ではない高次の言葉にうなずかなかった。
石段を下りきった大浦海岸の一角に、木造の洋館がずらりと並んでいる。欧米から進出してきた外国の商館である。異国風の強い長崎の町でも、この大浦海岸の一角は西洋そのものである。洋館の前を馬車が行き交い、西洋人の姿が多かった。
いずれ商売の相手となる外国商館である。高次は洋式船が手に入るまで、隊士が二手に分かれて、それぞれ仕事を探したほうがよいと考えて、一同に提案した。
「わしら塩飽衆はこれから船の仕事を探す。覚兵衛たちは外国商人との顔つなぎをはじめてはどうじゃ」
「そうじゃな。破れ畳の上で将棋を指しておってもはじまらぬ」
覚兵衛がうなずいた。
「それで高次たちはどんな船の仕事を探すんじゃ」
「小曾根さんに話をすれば、千石船を借りられるかもしれぬ。とりあえず千石船商いからはじめてみる」
ワイル・ウエフ号が手に入らなくなった高次は、地道な方法で亀山社中を支えねばならぬと考えて乾堂と話した。
「薩摩藩に借りた洋式船で、外国商人と交易をするというのはまだ高望みです。しばらくは地道に千石船で商いをしたいと思っております」
「それはいいことです。わたしの持船の天神丸をお貸しいたしますので、洋式帆船が手に入るまで、それで商いをしてください」
「それは助かります」
乾堂は肥前、肥後、筑前一帯の船積み商品や、船荷の値の細かい動き方を、帳面に書きつけて高次に教えてくれた。その中におもしろい商品があった。
「肥前の平戸から筑前の大島にかけまして、大がかりな鯨組《くじらぐみ》がいくつもありましてな、大長須《おおながす》鯨が獲《と》れたときは、湊《みなと》中が大賑《おおにぎ》わいになり、そのあと鯨油が大量に出まわります」
「万次郎さんは鯨油は、行灯《あんどん》に使うといっておりましたが」
「むろん行灯にも使いますが、肥前では稲を食う蝗《いなご》退治に欠かせぬものです」
「蝗退治ですか。初めて聞きました」
乾堂は農民が稲が豊作のとき、もっとも恐れるのが蝗害《こうがい》だといった。大量の蝗が稲田に飛来すると、豊かな稲の実りがたちまち蝗の群れに食い荒らされてしまう。それを防ぐのが鯨油で、田にまけば蝗が逃げ散り、しかも稲田のいい肥料になるという。
捕鯨の夢を捨てていない高次は、鯨油の話を興味ぶかく聞いた。いつの日か捕鯨船をもつことができれば、農民の稲作りの役に立つことができる。とりあえずは千石船で商いをはじめることだ。それから高次は天神丸に乗り組み、肥前から筑前の海を航海しはじめた。十六歳から乗り組んだ千石船である。大きな二十五反の一枚帆の操《あつか》いにもすぐ慣れた。
しばらくすると四郎と大喧嘩《おおげんか》をした駿馬が、ぜひ天神丸に乗せてくれと高次に頼み込んできた。
「わしは船のことなら、なんでも覚えたいのです。四郎に殴られて自分の心得違いがよくわかりました。これからは天神丸の炊《かしき》からやります」
高次は若い駿馬を乗せて出帆した。二年間軍艦操練所で学んだ駿馬の腕は、社中の中で飛び抜けていることがすぐわかった。帆の張り方も正確で、舵取《かじと》りも安定している。
「おい駿馬よ。おぬしがこれほどの腕をもっておるとは知らなんだ。これなら洋式帆船に乗ってもすぐ役に立つ。四郎も駿馬に負けるでないぞ」
それから四郎と駿馬は親密さをました。若い二人の夢は海で育《はぐく》まれる。四郎の夢は高次たち塩飽衆と海に乗り出すことであり、駿馬は造船所を造って海運を陰から支える仕事がしたいと語った。
千石船で航海の経験のある四郎が、駿馬に日本式航法の初歩を教える。洋式帆船と較べて航海性能が劣る千石船は、二十五反の大きな一枚帆に、真艫《まとも》(真後ろ)から追い風をうけたときは速かった。二十五反帆が太鼓腹のようにふくらみ、舳先《へさき》から水しぶきを切り分けて疾走する。駿馬も天神丸で海の経験を培っていった。
覚兵衛たちは外国商社との顔つなぎをはじめた。亀山社中では惣之丞と長次郎が少しながら英語が話せた。覚兵衛が二人をともない薩摩藩の紹介状を持って、各商館を訪ねて顔つなぎをはじめた。
なかでも英国人トーマス・グラバーは、隊士たちに愛想よく応対した。
惣之丞の片ことの英語に対して、
「拙者は、なんでも売りもうす」
と侍言葉を話し、日本語が少しできることを、愛嬌《あいきよう》たっぷりに示した。
グラバーという男は、なかなか見上げた心懸けのイギリス人だと、顔つなぎができた惣之丞が嬉《うれ》しそうに報告する。
だがこの時代に、地の果ての極東まで稼ぎに出てくる西洋人は、一筋縄ではいかない者ばかりである。阿片《あへん》で中国人を廃人にして大金をつかみ、武器商人になった男もいる。外国を知らない日本人の無知につけこんで、暴利をむさぼる商人などはざらである。はては故国を追われた犯罪者までが、インド、中国をへて長崎にやって来る。
亀山社中もそういう商人と対等にわたりあわねばならないが、日本人妻を娶《めと》ったグラバーは、そういう商人の中では信用できそうであるというのが、惣之丞たちの感想であった。
高次たちが千石船の仕事をはじめたとき、龍馬は筑前の太宰府《だざいふ》にいた。
龍馬から事の進展を伝える書状がひんぱんに届く。幕府が征長軍をもよおして、長州を攻める軍備を整えていることを、高次は龍馬の書状で知った。薩摩藩はすでに幕府方を見切っており、長州を攻める気持ちは西郷にはなかった。龍馬は薩摩人に憎しみをもっている長州人を宥《なだ》め、なんとか両藩に手を握らせて、幕府に立ち向かう勢力をつくろうと考えている。それ以外に倒幕の方法はない。
禁門ノ変で長州に逃げ落ちた三条|実美《さねとみ》ら五|公卿《くぎよう》は、筑前の太宰府にいた。五公卿は長州藩士に藩主以上の精神的影響力をもっている。龍馬の策は薩長同盟の必要を太宰府の五卿に説き、五卿の口から長州人に説かせるというものであった。
書状に目を通した高次は、さすがは周旋の才のある龍馬らしい策だと感心した。龍馬の筆はさらに長州人の心情に言及する。
それによれば長州人は禁門ノ変で、長州兵に大砲を射った薩摩人を「薩賊」と呼んで、親の仇《かたき》以上に憎悪している。龍馬は五卿を代表する三条実美卿に会い、欧米列強に侵略された大清《だいしん》国のみじめな現況を話し、このままでは日本も大清国の二の舞いになる、そのためには薩長の同盟が必要であると説いた。三条実美卿は得心し、他の四卿の賛意を得た龍馬は馬関(下関)に入り、長州新政権の首班格の桂小五郎に面会を求めた。
桂はのっけから薩賊の西郷など信用できぬといった。龍馬はとにかく西郷に会え、それでないと長州は幕府に潰《つぶ》されると力説し、桂は押しきられる形で納得した。
この薩長連合は、龍馬の盟友の中岡慎太郎も精力的に動きまわっていると伝えてきた。高次は中岡を知らなかったが、龍馬たち土佐人とは古くからの同志である。胡蝶丸で鹿児島に入った中岡は、西郷を説得して桂と会う約定をとりつけた。だが西郷は中岡との約定を反故《ほご》にして、馬関で待つ桂のもとに来ず、佐賀関《さがのせき》で下船した中岡は、無念さを顔中にあらわして馬関に駆けつけた。
桂は両手をふるわせて激怒した。薩賊などを信用した自分がおろかだったと、泪《なみだ》を流して西郷の不実をなじった。龍馬は立場を失ったが、長州が幕府の洋式軍隊に勝つには、軍艦と新式銃を大量に持つしかないと桂を懸命に説得した。長州は幕府軍に対抗するために、長崎に武器の買いつけに行ったこともあるが、幕威を盛り返した幕府の通達により、長州に武器を売る外国商人はいなかった。
藩と藩の周旋だけでは、亀山社中は飯が食えないと龍馬は書いてきた。社中の飯の種を探さねばならない龍馬は、薩長同盟の仲立ちを進めると同時に、社中の仕事になる奇策を考えた。
龍馬が桂に、長州藩のかわりに、亀山社中が軍艦とライフル銃を買い付けてきてやると話した。そんなことができるはずがないという桂に、龍馬は自信をもってできると断言した。ただしそのためには、薩摩藩の名義を使わねばならず、どうあっても長州藩が薩摩藩と手を握らねばならないと説いた。
薩摩の名義を使えば、軍艦とライフル銃が手に入るのかと興を示した桂に、龍馬はできると断言し、自分の首をかけてよいと約した。桂はしばらく黙考したのち、血を吐くような口調で、薩摩と手を握ることを考えるから、その話をすすめてくれといった。高次はそういう経過を龍馬からの書状で詳しく知った。
馬関の龍馬から亀山社中に早飛脚が届いた。その後の長州の藩内事情がくわしく述べられたうえで、軍艦と銃を亀山社中で買い入れよとあった。
「おお。はじめての大仕事じゃ。これで飯が食えるぞ」
書状を受けとった覚兵衛を囲んで、社中の隊士が小躍りして喜んだ。なかでも顔を上気させたのは長次郎であった。
龍馬の書状には『軍艦買い付けの一件は、長次郎にまかせよ』とあったからだ。
「まあよかろう」
覚兵衛が書状を読み終えてうなずいた。
「長やんは蘭学通であるうえに、英語も話せる。社中のためにええ仕事をしてくれよ」
「もちろんじゃ」
陰鬱《いんうつ》な顔をしていた長次郎が、してやったりと全身に喜びをあらわした。
覚兵衛が別の書状を差し出した。
「龍馬が隊規を書いてきた。廻すからみなで心して読め」
長崎に不在がちな龍馬は、社中に結束心をもたせるために、なにごとも隊士全員で相談して、すべての事を行うべきだと考えて、隊規を書いて寄こした。
『およそ事の大小となく、社中に相議してこれを行うべし。もし一己の利のために、この盟約に背く者あれば、割腹して罪を謝すべし』
隊規を読んだ高次も、塩飽衆を代表して血判を押した。長次郎も指に血をにじませて血判した。
龍馬から高次への書状があった。それによると長次郎に軍艦買い付けの大仕事をまかせるにつき、長次郎は侍身分の隊士に肩肘《かたひじ》を張り、自分一人で功を焦って独走する危険がある。ついては長次郎が心を開いて話せる相手は、自分と高次の二人しかいない、なにかあれば長崎にいる高次が、長次郎を諫《いさ》めてほしいと認《したた》めてあった。
「坂本さんも、長やんのことを心配しておるんじゃ」
高次は龍馬が長次郎を、築地の軍艦操練所に連れて来た日のことを思い出した。肩肘張った長次郎は、だが素直に船を教えてほしいといった。長次郎は頭の切れる男である。ひところ薩摩藩の手当のことで腐っていたが、龍馬から大仕事を与えられて、いまは生き生きと目を輝かせている。
「長州の仕事を成し遂げれば、饅頭屋《まんじゆうや》の長やんが大きな仕事をしたといわれる。そうなれば隊士ともうまくやっていける。大丈夫じゃろう」
まもなく長州から武器、軍艦買い付けの使者として、二人の若者がやってきた。
一人は顔に刀疵《かたなきず》のある井上|聞多《もんた》である。長州藩の上士出身の井上は、俗論党数人に襲われて体中をめった斬りにされたが、京の祇園《ぎおん》の芸妓にもらった銅製の鏡を懐に入れていたために、腹部への致命傷をまぬがれた強運の持ち主である。性格は楽天的で度胸もある。
もう一人は伊藤俊輔である。百姓生まれの伊藤は、子供のころから器用に頭がまわった。師の吉田松陰は伊藤の周旋の才能を認め、それを伸ばすために士分の桂が引きとって、家来の名目にして藩で発言権をもたせた。すでに伊藤と井上は桂の後楯《うしろだて》で、藩の秘密留学生としてロンドンに渡り、長州では稀《まれ》な海外通として知られていた。桂もこの二人が軍艦買い付けには、うってつけだと思っていた。
高次は引き戸が開く音を聞いて応対に出た。刀疵のある男を見て、長州の使者とは思わなかった。
「ここは坂本さんの亀山社中でござるな」
「そうじゃ」
「わしは長州藩の井上と申す」
その声を聞いて、長次郎が飛び出してきて、高次を押しのけた。
「拙者が近藤長次郎でござる。よう長崎に来られた」
長次郎の顔に緊張が走っている。長次郎は自分が武士と思われたいために、他藩の者には必要以上に、もったいぶった侍言葉を使う。
高次は苦笑して長次郎を見守っている。
「長崎滞在中は、薩摩屋敷がお二人の宿でござる。さいわい家老の小松殿が長崎に出張しておられる。すぐお引き合わせいたそう。おお、そうじゃ」
長次郎が高次をふり返った。
「高次よ。わしは長州のお二人を薩摩屋敷にお連れ申す。そのことをみなに伝えておいてくれぬか」
「わかった」
長次郎は得意満面で二人を先導して、三宝寺坂を下りて薩摩屋敷に向かった。
この軍艦買い付けは、幕府側の妨害にあわないために、名義は薩摩藩にするよう龍馬から指示がきている。そのため龍馬は小松にも細かな手紙を書き送り、小松から応諾の返事を得ていた。
小松は長州の二人を歓待したが、薩摩藩には頭のかたい重役がいて、ひとまず長崎で買い入れた海門丸に乗って鹿児島に帰り、長州藩への名義貸しを重役と詰めねばならぬと話した。
長次郎がこの機会に、長州の二人のうち一人を鹿児島まで同行して、じかに重役と話をすれば、いままでの両藩の心のしこりが溶けるだろうと提案した。長次郎の申し出に小松が同意して、上士の井上が招かれることになり、伊藤は長州に帰ることになった。
長次郎にとって嬉《うれ》しいことは、小松が長次郎も鹿児島に招きたいと発言したことだ。そして名義貸しの件を亀山社中を代表して、長次郎がじかに重役に話されたほうがよいといった。
長次郎は喜びを抑えて、重々しく「そういたしますか」と答えた。船の買い付けは薩摩藩主の許可がないと進められない。長次郎はその交渉を小松に頼っていたが、自分が鹿児島に行って、直接重役から応諾をとりつければ、さらに自分の手柄が大きくなる。長次郎は事が思った以上にうまくはこんでいることに、笑いを噛《か》み殺した。
長次郎が鹿児島に行くことを、高次は海門丸の航海士官から聞いた。
「わしらの最初の仕事が、薩摩藩の海門丸の鹿児島までの廻航で、それに長やんが乗って行くとは縁起がええ」
高次は海門丸の蒸気|汽罐《きかん》の出力が上がらないために、千石船の天神丸の仕事を佐太次にまかせ、二日前から船内に泊まり込んで修理をつづけていた。やっと蒸気漏れの弁の修理が終わり、いつでも出航できる仕度を整えた。
二日後に海門丸は鹿児島に向けて出航した。長崎湾の湾外まで水先案内して、一息ついて操舵室《そうだしつ》を出た高次は、井上と旧知の親しさで話し込んでいる長次郎の姿を、甲板に見つけた。
「ああ、高次か」
高次を見た長次郎が、照れ笑いを浮かべて近づいてきた。龍馬の書状どおり長次郎は、士分の隊士には肩肘を張るが、高次にはうちとける。
長次郎に亀山社中から浮き上がらず、いい仕事をしてもらいたいと思っている高次は、長次郎と並んで船尾まで歩いた。船尾から白く曳《ひ》き波が八の字に泡立ち、曳き波の後方に長崎の町が遠ざかっていく。
「グラバーからの鉄砲の買い付けはどうじゃった」
「おお。うまくいったぞ」
長次郎がグラバーとの交渉を嬉々《きき》として話し出した。
「グラバーは愛想よくわしらを応接室に通してな、ギヤマンのグラスに葡萄酒《ぶどうしゆ》を注いでくれた。わしが新式で精度のいい鉄砲が、大量に欲しいと商談を切り出したところ、グラバーがゲベール銃を一挺《いつちよう》五両でどうだといったんじゃ。わしは銃口から弾を装填《そうてん》する旧式のゲベール銃などいらぬといった」
長次郎が欲しいのは新式のミニエー銃だった。幕府の洋式軍隊の銃の大半は、旧式になったゲベール銃であり、ミニエー銃という最新式の元込《もとごめ》銃が、欧米の戦場では主力であることを長次郎は知っていた。しかもアメリカの南北戦争が終わり、だぶついたミニエー銃が大量に上海の倉庫に運び込まれ、値は大幅に下がっていた。
新式のミニエー銃が四千挺あれば、幕府軍と有利に戦える。長次郎はミニエー銃を一挺十八両で四千挺買い、景気づけにゲベール銃三千挺を一挺四両で買った。これを足軽に持たせれば、立派な長州軍団が編成できる。長次郎はうまく交渉を成立させたと得意気に語った。
「もう一つ大きい商談があるんじゃ。長州が軍艦を一隻欲しがっとる」
「おお軍艦か。それはすごい話じゃのう」
「ただし軍艦を買うには、わしが小松さんの招きで鹿児島に行って、薩摩藩の重役と会い、名義借りの話を詰めてこねばならぬ。それがこのたびの仕事じゃ」
「それならもう天下の長次郎じゃ。社中のためにええ仕事をしてくれよ」
「わかっておる」
胸を反らせた長次郎は、薩長二大雄藩の仲介役として、自分が話の中心軸にいて、軍艦の商談をすすめていると思うと、体中の血が湧きたつような感動を覚えると、高次にいまの胸中を話した。
高次は鉄砲の買い付けを済ませて、井上を鹿児島に派遣する手はずを整えた長次郎を、社中の隊士が冷ややかに見ていることを知っていた。彼らから見れば龍馬から指名されたとはいえ、井上と伊藤を一人で引きまわし、隊士になんの相談もない。隊士が長次郎に腹を立てるのは当然であった。
出港の二日前も、長次郎は井上と伊藤を連れて丸山|遊廓《ゆうかく》の花月にくりこみ、朝帰りで社中に顔を出した。鹿児島行きの一件も隊士になんの相談もなく、腹を立てた惣之丞が刀の柄《つか》を反らせて長次郎につめ寄り、長次郎は逃げるように海門丸に乗り組んだいきさつを高次は知っていた。
長次郎がふいに話題を変えた。
「のう高次よ。どうせみなはわしのことを、饅頭屋と悪口をたたいておるのではないか」
「いいや。それは長やんのひがみじゃ。グラバーとの銃の取り引きも、みごとじゃとみながいうておった」
高次が長次郎の心の襞《ひだ》を読んでつづける。
「ただし長やんは、手柄をはよう立てたいために焦っておるのではないか。だから社中のみなに配慮することを忘れて、惣之丞たちが腹を立てた。だがここまでくれば焦らずに事をすすめればよい。長やんならそれができよう」
「そうじゃな」
長次郎の顔に笑みがもどってきた。
「わしは長州の大仕事を坂本さんに任されたとき、薩摩の手当のことで腐っちょった。だからみなを見返してやろうと、大仕事をはようまとめたかった。それに長州の二人とは妙に気が合ってな、二人を喜ばせたいためにも、少々事を焦ったかもしれん」
「そうじゃ。おぬしは仕事のできる男じゃ。社中の者に誠を見せればみなわかってくれる」
「高次よ。心配かけたな」
長次郎が素直にうなずいた。
「長州の伊藤さんも百姓の出じゃが、もうイギリスまで行って勉強しちょる。高次もアメリカを見てきた。わしもはよう日本を飛び出してみたい」
「そんなことならすぐできる。おぬしはこれからどんどん大きな仕事をして、亀山社中が大きゅうなれば、いやでも外国との仕事がふえてくる。そのときはまっさきにイギリスでもアメリカでも行けばええ。社中にはそういう仲間が集まっておるんじゃ」
鹿児島に着いた井上は、小松の紹介で薩摩藩の重役と会った。重役は問題が重大なだけに、なかなか首をたてに振らない。京坂の情勢に明るく、長州藩の窮地をよく理解している小松が、粘りづよく長州藩への支援を説いてまわった。
名義借りは進展しなかったが、胡蝶丸を長州へ廻す一件の許可は得られた。とりあえず買い付けた鉄砲を、胡蝶丸で長州に運べる。
名義借りの件を小松にまかせた井上と長次郎を乗せて、高次は胡蝶丸で長崎に帰り、鉄砲を積み込んだ。
この仕事で社中は大きくうるおう。しかも胡蝶丸の長州行きには、社中の十人が乗り組むことも決まった。いままで手持ち無沙汰《ぶさた》であった覚兵衛、惣之丞、太郎を選び、天神丸に乗っていた駿馬と四郎も乗り組ませることにした。
亀山社中の洋式帆船での初仕事に、駿馬と四郎は目を輝かせた。鉄砲七千挺を積み込んだ胡蝶丸は、薩摩藩旗をマストに高々とひるがえして出航した。
初仕事の覚兵衛も大張り切りである。社中の隊士が交替で見張りに立ち、積み荷のミニエー銃の箱に手を触れて笑顔を見せる。
「やっと亀山社中らしい仕事ができるようになった。嬉《うれ》しいのう。あとは薩摩藩の名義借りができれば、わしらの待望の軍艦がもてる」
胡蝶丸が馬関《ばかん》に着くと、長崎からの早飛脚で知らせをうけた伊藤が、港で長次郎を待ちうけていた。伊藤は足早に乗船して、待ちきれぬように積み荷の木箱をこじ開けて、ミニエー銃を取り出した。
「おお。夢にまで見たミニエー銃じゃ。これさえあれば幕軍など恐くない。近藤殿と亀山社中の方々に礼を申し上げる」
高次はミニエー銃を手にして嬉しそうな伊藤を見て、長次郎はいい仕事をしたと思った。これからも焦らずに仕事をすれば、長次郎も社中から浮き上がらない。伊藤と立ち話をはじめた長次郎が、高次をふり返った。
「高次よ。わしはここで下船して山口に向かう。おんしは胡蝶丸で三田尻港まで行って、鉄砲を下ろしてくれぬか」
「わかった。ところで坂本さんはどこにおる」
「坂本さんは大坂の薩摩藩邸に行ったらしい。わしも会いたかったが一足違いじゃった」
龍馬は薩長同盟の詰めがうまく進まず、その調停で急ぎ大坂に発ったという。高次は三田尻港に胡蝶丸を進めた。瀬戸内海にある三田尻港は長州の軍港である。港内に古い軍艦が二隻繋留されている。高次が望遠鏡で船名を読むと、オテントサマ丸と庚申丸《こうしんまる》の二隻であった。
「あの古い二隻の軍艦で、幕府艦隊を迎え撃つことは難儀なことじゃ。だから長州藩は敵であった薩摩と手を組むことにしたんじゃ。はよう軍艦が買えればええが」
龍馬が薩長に手を組ませるという難事の交渉の場に、両藩を座らせることができた原因が、この古い長州藩の軍艦であった。この旧式の軍艦では幕府艦隊に攻撃されればひとたまりもない。二隻の古い軍艦が桂をして薩摩藩と手を組む気にさせ、ひいては社中に仕事をもたらしてくれた。
長州人が胡蝶丸を待ちうけていた。高次は鉄砲を陸揚げして、亀山社中の初めての仕事を終えて、風雲急を告げはじめた馬関海峡を後にした。
その後の長州での長次郎の動向を、高次はあとで知ることになる。山口に着いた長次郎は、長州藩の重役から厚遇をうけた。長州藩士が長崎に買い付けに出向いても、幕府の妨害で購入できなかった最新式のミニエー銃を、長次郎が四千挺もたらしてくれた。井上も伊藤もこれは長次郎の力であると、口をそろえて長次郎の大功を誉めた。藩の重役も長次郎を貴賓のようにもてなした。
鉄砲四千挺でこの厚遇である。もし軍艦を一隻買うことができれば、自分の名は長州中に知れわたる。そう思うと社中の隊士と衝突があっただけに、よけい長次郎の得意は大きくなった。そんな長次郎が毛利|敬親《たかちか》父子に謁見することになった。長次郎は信じられなかった。天にも昇るような心持ちで、謁見の間に平伏した。長次郎に藩主の敬親がじきじきにねぎらいの言葉をかけて、これからも長州藩のために、軍艦を買い付ける仕事をしてほしいと頼み、敬親みずから長次郎に笄《こうがい》、小柄《こづか》、目貫《めぬき》の「三所物《みところもの》(同じ作者の三品)」を下賜されて、長次郎の喜びは絶頂に達した。そのとき長次郎の頭から亀山社中のことが消えていた。
自信を深めた長次郎は鹿児島に向かった。船上に立つ長次郎には、薩摩藩への大きな手土産があった。いままで薩摩船が馬関海峡を通過するのは命懸けであった。長州人は薩摩船と見れば、薩摩の芋船を通すなと、狙い撃ちに砲台に火を噴かせた。
だが藩主に拝謁したとき、敬親はこれからは薩摩船を砲撃しないばかりか、水、石炭、食糧を薩摩船に供給することを約してくれた。長次郎はこれを薩摩人への手土産にすれば、かならず薩摩藩の名義を借りられると自信を強めた。
鹿児島行きの船に乗り込む前に、井上がここまでやってくれた長次郎に報いるために、藩としてなにかしたいと気遣った。
長次郎はこれは社中の仕事としてやったことだと、表面上は辞退したが、井上が重ねていうので、長次郎はできればイギリスに密航したいと本音を洩《も》らした。そんなことはたやすいことだと井上は請け合った。長次郎の顔に一瞬喜色がはしったが、すぐ顔色をもどして、この話は内密の話にしておいてほしいと頼み込み、井上もうなずいた。むろんこの秘事を長次郎は高次に明かさなかった。
鹿児島を再訪した長次郎は、小松が目を瞠《みは》るほどの雄弁をふるった。長次郎が長州に行っているあいだに、小松と西郷が薩長連合の必要性を高官に説き、藩吏に根まわしをしたこともあったが、馬関海峡を通過する薩摩船にたいして長州藩が砲撃を中止し、水、食糧、石炭を供給する長州側の提案は、薩摩人に好印象をあたえた。
長次郎の力説に、国父島津久光の許可が下りて、長次郎は飛ぶように長崎に帰ってきた。
「喜んでくれ。ついにわしらの軍艦が手に入る。船名は桜島丸じゃ」
「おお。ようやった」
長次郎を嫌っていた隊士もどっと歓声を上げた。
「軍艦の金は長州藩が出し、名義は薩摩藩になる。そして操船から船の修理までいっさいを亀山社中が請け負う」
「そうか。わしらは饅頭屋《まんじゆうや》のおかげで、軍艦を只《ただ》で手に入れたわけじゃ」
饅頭屋といわれて長次郎はむっとしたが、どの隊士の顔も長次郎の仕事ぶりを認めている。高次が尋ねた。
「軍艦は誰から買うのじゃ」
「グラバーじゃ。鹿児島からグラバーには早飛脚が飛ばしてある。これから本腰をすえて交渉するが、船のめききは高次に頼む。老朽船をつかまされぬようにせねばならん」
「この仕事が成れば、社中で軍艦を動かすことができる。長やん。ようやったのう」
高次は長次郎の成功を、わが事のように喜んだ。しかも長州では藩主に謁見したという。
隊士の同意を得た長次郎は、小さい体の胸を反らしてグラバー邸に向かった。後から大きな高次がついていく。早飛脚で事情を知ったグラバーは、長次郎と高次を玄関に出迎えた。日本式に頭を深々と下げて、二人を松の庭が見える応接室に迎えて、日本人妻に赤ワインを運ばせた。
「わたしは薩摩様と長州様が、まさか手を組むとは考えませんでした。長次郎さんの力はすごいです。おめでとうござります」
赤ワインを注がれた長次郎が得意気に尋ねた。
「それで軍艦はどうなっちょる」
「いま上海にあります。船名はユニオン号といいます」
グラバーは用意した軍艦の写真付きのカタログを見せた。イギリス船籍の蒸気船で、船の長さは二十五間の小型軍艦である。木造で旧式化したために、商船として安く売り出しているといった。
「どうじゃ高次。この軍艦は使えるか」
長次郎が鷹揚《おうよう》に高次をふり返った。
高次は写真を一見して古いと思った。
「これは古すぎる。ほかの軍艦を見せてほしい」
「いま上海にあるのはこのユニオン号のみです。ほかの軍艦はイギリスにありますが、日本まで廻航に日数がかかりすぎます」
幕府軍の軍艦はすでに大坂湾に集結している。イギリスから廻航したのでは、幕府の長州攻めに間に合わない。
グラバーはユニオン号の船齢は七年で、ボイラーがすこし傷んでいるが、あと三年は使えると正直に話した。
高次は写真の細部に目をやった。船価は格安の三万七千七百両だった。幕府の軍艦もすべて木造船である。なかには外国商人に瞞《だま》されて、使いものにならない老朽船もある。
「幕府の軍艦と似たりよったりじゃが、ボイラーが三年使えればなんとかなる」
高次はグラバーが正直にボイラーの寿命を話してくれたことが気に入った。
「ならばこの軍艦に決める。金は軍艦を長州にもって行ってからでよろしいか」
「わが国の商習慣では、いま手付金をもらいたいです」
グラバーが長次郎を見てにんまりした。
「ですが亀山社中とは、これから取り引きが多くなります。お二人を信用します」
ユニオン号の買い入れが決まってから、亀山社中の意気は上がった。
高次が提案した。
「いよいよわしらの軍艦が持てる。そうなれば格好も海軍らしくせねばいかん」
隊士がうなずき、高次がつづける。
「亀山社中は船で食い扶持《ぶち》を稼ぐ集団じゃ。船で暮らすにはいつも身ぎれいにせねばならぬ。そこで汚れが目立つように白い袴《はかま》にしたらどうじゃ。外国の艦隊はみなそうしておる」
「それは妙案じゃ」
覚兵衛が同意した。
「あとは白袴を買う銭をどうするかじゃな」
「それはわしにまかせよ」
長次郎が自信ありげに胸を張った。
「ユニオン号に乗る着物の銭なら、わしが長州藩に話をしてやる。それくらいの銭は長州藩もすぐ払ってくれよう」
ユニオン号の長崎到着を待つあいだ、長次郎が井上に軍艦買い入れの成功を早飛脚で伝え、出資、名義、運用に関する条文を、確実にしておくために井上を長崎に呼んだ。
井上が到着すると、薩摩藩代表の小松を交えて、三者間で桜島丸条約が交わされた。
桜島丸条約を要約すれば、
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一、船籍は薩摩藩とし、桜島丸と命名する。
二、乗組員は亀山社中の者とし、隊士が艦長格として乗り組む。
三、平時は亀山社中が通商航行に使用し、事が起これば長州藩のために戦う。
[#ここで字下げ終わり]
というものであった。この桜島丸条約は、すでに長州藩代表の桂の了解を得てある。井上に異論はない。井上が条文に目を通してうなずき、長次郎は条文の末尾に「上杉宋次郎」と、そのころ使っていた変名を墨書して、大仕事に一区切りをつけた。
上海からユニオン号が廻航されてきた。船体は白いペンキで塗り直され、ユニオン号を待ちこがれた高次たちには、遠目に白鳥の姿のように見えた。
イギリス人航海士官から、蒸気|汽罐《きかん》の癖などの説明をうけた高次は、さっそく隊士を筒袖《つつそで》と白袴に着替えさせた。
「おお。これなら誰が見ても、立派な軍艦乗りじゃ」
佐太次も大助も十二月の寒風に、白袴の裾をなびかせ、薩摩藩旗をかかげて意気揚々と出港した。
「このユニオン号は、古いわりには舵利《かじき》きがよい。それに蒸気|汽罐《がま》も力がある」
高次は格安のユニオン号に満足した。順調に馬関に入港した。しかしユニオン号の長州藩への引き渡しは、長次郎が取り決めたようには順調に進まなかった。
ユニオン号買い入れの交渉の舞台の、蚊帳《かや》の外に置かれた長州海軍局の中島四郎が、足音も荒々しく甲板に駆け上がってきた。
高次はなにごとかと中島を見た。
「わしら海軍局になんの相談もなく、勝手にことを進めるとは、けしからんではないか」
中島がいうには長州海軍局は、すでに船名を乙丑丸《おつちゆうまる》と決め、艦長も中島四郎と決めていたと抗議した。
交渉に当たった長次郎は、桜島丸条約は薩摩、長州、亀山社中の三者が、政治的策略で実現したものであり、いまさら海軍局の役人が横槍《よこやり》を入れる筋合いではないと突っぱねた。
だが中島は承知しない。海軍局がもっとも強硬に申し入れてきた事項は、軍艦の運行を亀山社中にまかせることが、けしからぬということであった。
「亀山社中がなにをいおうとも、この乙丑丸は長州藩が金を払った軍艦じゃ。だから海軍局が好きに使わせてもらう」
「待て。いま長州藩が金を払ったといったな」
長次郎が中島の言葉|尻《じり》をとらえた。
「そうじゃ。長州藩が買った軍艦じゃ。おぬしらがとやかくいう筋合いではない」
長次郎の怜悧《れいり》な顔が鋭さをました。
「どうやらおんしは商売を知らぬようじゃ。このユニオン号の代価三万七千七百両は、まだ長州藩からグラバーに支払われておらぬ。それをわが亀山社中が保証して、いそぎ長州藩のために廻航してきた。そのことを知らぬのに横柄なことをいうなら、この取り引きは無しとする」
高次も長次郎の筋の通った言い分にうなずいた。
「なんじゃと」
中島の顔に怒気が走った。
長次郎も負けずと中島を睨《にら》みつける。
「おんしがなにをいおうと、わしはこの桜島丸をもとのユニオン号という艦名に戻して、長崎のグラバーに突き返す。この船はまだ長州のものではない。さっさと立ち退かれよ」
中島は絶句した。高次は長次郎の一歩も退《ひ》かない交渉を見て、内心に快哉《かいさい》を叫んだ。
〈長州という雄藩を相手に、みごとな度胸じゃ。それでこそ亀山社中の男じゃ……〉
これから外国人を相手に貿易をする亀山社中は、このくらいの気概をもって、ことに対処せねばならない。約定を楯《たて》に一歩も譲らない強気な態度に、隊士も長次郎を見る目を変えた。
交渉は暗礁に乗り上げた。高次は馬関にユニオン号を碇泊《ていはく》させて、事の成り行きを見守った。
この話の発端は龍馬と桂の話からはじまった。高次が提案した。
「これは大坂の坂本さんに知らせたほうが、はよう事がおさまるのではないか」
「そうじゃな。戦がはじまろうというのに、わしらと長州が揉《も》めていてはかなわぬ」
ことの経過が大坂の薩摩藩邸の龍馬に届けられた。薩長連合も二藩の意地の張り合いで、最後の詰めを欠いている。くわえて軍艦で長州藩とこじれたら大ごとになる。龍馬は亀山社中の一大事に、薩摩軍艦で急ぎ馬関に駆けつけた。
ユニオン号の性能が気になる龍馬は、まず高次に会った。
「古いがええ船じゃ。これなら戦に使える」
それを聞いて安堵《あんど》した龍馬は、高次と共に長次郎と会い、話に耳をかたむけた。桜島丸条約の承諾は、長州藩の桂の了解を取りつけてあり、それを遵守すればよいこと。もし海軍局の言い分を通すと、仲介した亀山社中の利がなくなってしまう。それに対して長州藩の代金未払いを楯に圧力をかけるべきだと、長次郎は理路整然と話した。
「なるほど。ようわかった。この件は長やんの働きでできたことじゃ。おんしの言い分はもっともじゃ」
龍馬は長次郎の言い分をすべて認めた。
「だがユニオン号のことで海軍局と揉めると、薩長の同盟に影響をおよぼしかねん。わしらは薩長同盟を成就させ、幕府の再征長に対抗するべく長州藩のために働いておる。おんしの功績は長州の殿さんも認めちょるほどじゃ。どうじゃ長やん。ここはひとつわしにまかせんかね」
長次郎は折れた。高次も龍馬にまかせたほうが、はやく決着がつくだろうと考えた。龍馬は海軍局の中島と会い、幕府の第二次征長軍が徴集されているいま、海軍局と亀山社中が揉めているときではないと話した。中島は亀山社中の働きは認めるが、軍艦の運用がすべて亀山社中となれば、海軍局の不満を押さえることはできないといった。
龍馬はその足で桂を訪ねた。桂の屋敷に初めて会う高杉がいた。高杉も桜島丸条約に応諾を与えている。本来なら海軍局を無視して、話をつける強気の高杉だが、幕軍と戦うためには、海軍局もユニオン号も必要である。長州藩の危機を救ってきた二人も、ことの処置に困りぬいていた。
龍馬が長州藩が呑《の》みやすい妥協案を口にした。まずユニオン号を長州海軍局の管轄にして海軍局の顔を立てる。艦長は長州の主張どおり中島とするが、亀山社中乗り組みは元のとおりとすること。これだけは一歩もゆずれないと龍馬が強押しした。桂と高杉は了解し、龍馬とのあいだで新条約が交わされて紛糾は解決した。
それを聞いて高次は喜んだが、新条約は長次郎に大きな不満をもたらした。桜島丸条約では条約の末尾に、誇らしく上杉宋次郎と墨書した名前が、新条約から消えていた。条約の改正内容がどうであれ、鹿児島に二度も出向いて、長州のためにユニオン号を購入したのは自分である。その意地を強く持つ長次郎は落胆し、失意のあまり誰とも口をきかなくなった。
「結局のところ饅頭屋《まんじゆうや》は、井上たちにいい顔をしたいために、はじめから長州藩のために働いたのじゃ」
亀山社中の隊士は長次郎に冷淡になり、一人で独走した長次郎に、不信感を口にする者もいた。
もとより長次郎は有能な男であることを高次は知っている。蘭学ばかりか英語にも通じ、土佐藩も陸士格という士分を与えたほどである。龍馬もその才能を認めて、このたびの仕事を一任した。だが長次郎のすさまじい向上心が隊士との摩擦を引き起こした。長次郎に亀山社中の仲間を思いやるゆとりがあればと、高次はそのことが心に残った。
高次にも不満を話せない長次郎の心は揺れうごいた。自分は社中のために、命懸けの仕事をしたつもりである。それなのにこのざまでは、こんな連中とやっておられぬと、長次郎がはっきりと同志を見返す気持ちを持ったのは、まさにこの時であった。
高次たちが長崎に帰ったあと、長次郎は残務処理で長州にとどまった。井上と伊藤は長次郎に温かく、長次郎がいつか漏らした希望を、なんとかかなえてやろうと再度申し出た。
長次郎はすぐにもイギリスに行きたいと強く訴えた。だがこれは亀山社中には秘密であるから、くれぐれも他言してくれるなと念を押した。長次郎の覚悟を知った井上は、桂に長次郎のイギリス行きの希望を伝え、長州藩として二百両を長次郎に礼金として支払うことが決まった。
すぐさま長崎に向かった井上は、秘かにグラバーに会い、長次郎のイギリス留学を頼んだ。グラバーは請け負った。まだ日本人の個人的な海外への渡航は認められておらず、長次郎は密出国になるが、商人として力をもつグラバーは船の手配をはじめた。
慶応二年(一八六六)の正月を、高次は仲間とともに亀山社中で迎えた。
長次郎の尽力で買い入れたユニオン号は、長州海軍局の管轄下に置かれて使えない。洋式船入手のめどが立たず、元の木阿弥《もくあみ》になった亀山社中は、高次たち塩飽衆が天神丸を走らせるほかは、龍馬が薩長同盟に奔走して長崎に帰ってこないために、隊士はなすすべもなく日を過ごすしかなかった。
高次たちが天神丸で運ぶものは、肥前島原の炭と材木が多かった。覚兵衛が千石船商いに興味を示して同乗したが、他の隊士は長崎の町をうろつくだけである。
白袴《しろばかま》を汚して働く大助が不満を口にした。
「亀山社中は海に乗り出す集団のはずじゃが、どうみても名ばかりじゃ。この貧乏集団で幕府相手の戦《いくさ》などできるわけもねえ」
いま亀山社中の実入りは、天神丸が稼ぐ千石船商いと、薩摩藩からの七人分の手当だけである。
薩摩藩から社中に支給される三両二分は全員に分配して、隊士が飢えぬように食いつなぐ資金に使わねばならない。だが財務をまかされた陸奥は、手当が入ると丸山|遊廓《ゆうかく》へくり出し、朝帰りのその足で小曾根家に借金に行く。主人の乾堂は勝との約束もあり、社中への金銭的支援は惜しまないが、それでは長崎で亀山社中をつくった意味がない。
暮れも押しつまった二十九日に、島原から正月用の炭を運んだ高次が、小曾根家に来ると、陸奥が黙って行きすぎようとした。
長次郎と同じように自我心の強い陸奥は、龍馬の政治向きの動きだけに目を向け、亀山社中で隊士から孤立していた。陸奥は丸山遊廓へくり出すほかに、長崎の布団商人から見本を送らせ、その見本の綿を少しずつ抜き取り、布団を作ろうなどと姑息《こそく》なことを考えていた。
高次は人にはそれぞれ得手、不得手があると思っている。陸奥には陸奥のやり方があっていい。だが龍馬の信頼をいいことに、乾堂に無心をつづける陸奥は許せなかった。高次が強い口調で呼びかけた。
「おい陸奥よ」
「なにか用か」
高次の呼びかけに陸奥は冷淡に答えた。
「この航海で正月を迎える炭は手に入った。社中の金を扱うおぬしも、乾堂さんから無心することばかり考えず、すこしは地道に働いたらどうじゃ」
心中では漁師上がりと塩飽衆を見下している陸奥は、しかしここで議論しても不利だとわかっている。
「わかった」
陸奥は不機嫌に答えて立ち去った。
高次たちは狭い社中で、貧しいながらも正月を迎えた。長次郎にとっては、日本で最後の正月になるかもしれないために、感慨を押し殺してひとり杯《さかずき》をあおり、ぶらりと外に出た。長次郎の頭を、万次郎の屋敷を訪れたときの写真機がかすめた。
万次郎はもの事のけじめのときに、外国人は写真を撮るといっていた。長次郎にとってこの密航は一世一代の大仕事である。写真の撮影は高額であったが、長次郎の行李《こうり》には、桂から渡された礼金二百両がある。長次郎は生涯の記念に写真を撮る気になった。長崎では医師が写真技師を兼ねていた。長次郎はその一軒に入った。いつ日本に帰れるかわからぬ緊張感に、長次郎は長刀をそびやかして、唇が白くなるほどきつく結んで写真におさまった。
一月十四日。長崎は朝から強い雨が降っていた。昼すぎには南東風が強まって大時化《おおしけ》となり、小曾根家の千石船の一隻の錨綱《いかりづな》が切れて、浅瀬で座礁しかかっていると報《しら》せをうけた。高次は海に駆け出し、暗礁に船底を乗り上げて傾いた千石船を見た。
「これではしばらく手が出せぬ。潮が満ちて風が変わるのを待つしかない」
風が反対方向の北西風に変わった満潮時に、救助船からロープを曳《ひ》いて、暗礁から離礁させるのが上策と考えた高次は、その夜は篝火《かがりび》を燃やして、不寝番を立てて見張りにつくことにした。
夜になって風雨はさらに勢いをました。蓑笠《みのかさ》姿の長次郎は闇にまぎれて亀山社中を出た。いよいよ決行のときがやってきた。同志に見つかれば命はない。大浦海岸からグラバーが手配した小舟に乗り、湾内に碇泊《ていはく》中の英国船ジャクソン号に漕《こ》ぎ寄った。嵐のために長崎湾内でもうねりが高く、ジャクソン号に接舷《せつげん》することは難しい。
甲板に立つ艦長が大声で怒鳴った。
「これからひどい時化になる。出航を延期するから、それまでミスター・グラバーの邸《やしき》で待機されよ」
自分をイギリスに運んでくれるジャクソン号を、まぢかに見た長次郎は早く出国したいと気が急《せ》くものの、艦長の大声に安心感を覚えて、びしょ濡《ぬ》れでグラバー邸に帰り着き、翌日は大時化がおさまるようにと祈った。
やや風雨がおさまった翌朝に、社中の駿馬宛に郷里の兄から金子《きんす》が届いた。夜を徹して千石船の見張りをして帰った駿馬は、兄が送ってくれた金子に喜び、早く元気な姿を見せてやろうと、その足で写真を撮りにいった。
駿馬はそこで長次郎が写真を撮ったことを知った。写真一枚撮る代価は銀二分である。その金額は丸山遊廓で一晩遊べるほど高額であった。貧乏世帯の亀山社中の長次郎がおいそれと手にできる金額ではない。駿馬から長次郎の一件を報《し》らされた隊士は色めきたった。それに時をあわせて長崎の薩摩屋敷の藩士が、グラバーが亀山社中の誰かを、イギリスに渡航させるらしいという噂を伝えた。
長次郎の素振りがおかしいことは、社中の隊士はうすうす感じていた。長州から帰ってから一人で忍ぶように外出する。ユニオン号購入では、あれほど長州との周旋に情熱をみなぎらせたのに、いまは誰と会っても押し黙っている。だが隊士を裏切って密航するとは誰も夢にも思わなかった。
惣之丞が長次郎を呼んで究明せねばならぬといった。もし隊士を裏切っていれば、隊規により処罰せねばならない。惣之丞としては、諸藩の脱藩浪士が集まって結成された亀山社中で、土佐藩から裏切り者を出したくなかった。できれば噂は噂であり、長次郎に隊士の前で、公明正大なことを証《あか》してもらいたかった。
びしょ濡れの惣之丞が長次郎を連れて、隊士が待つ小曾根家の別宅にあらわれた。座敷に酒が置かれていたが、酔った者はいず、どことなく殺気がただよっている。一瞬にして長次郎は、密航の件が漏れたことを知った。
顔面|蒼白《そうはく》になった長次郎は、なにごとだと声を震わせた。惣之丞が表情を険しくして、亀山社中にはおよそ事の大小となく、社中に相議してこれをおこなうべしという盟約があるといい、弁疏《べんそ》など聞きたくないから、もし長次郎になんら疚《やま》しいことがなければ、それでよい。もしあるならば武士として腹を切れといって、隊士をひき連れて外に出た。
ひとり残された長次郎は、証拠はなにもないとしらを切ろうと思った。井上もグラバーもここまで事を秘してくれた。この場になにも証拠はなく、自分がしらを切れば社中の誰にもわからない。
だが耳許《みみもと》に「しょせんは饅頭屋じゃ」という声が聞こえた。その瞬間、武士になりたいとあがきつづけた長次郎の体を、狂気がつらぬいた。覚悟を決めた長次郎は、武士として見事に切腹しようと思った。長次郎は自慢の長刀を懐紙で包み持ち、腹を十文字に切り裂いた。だが死にきれず、長刀の刃先を首に突きつけ、頚動脈《けいどうみやく》を突き刺して果てた。
座敷の外の風雨は、夕刻には勢いをなくして、北西風に変わっていた。千石船を離礁させて帰ってきた高次は、その夜に長次郎の死を聞いて愕然《がくぜん》とした。
長次郎のもくろんだ密出国は、たしかに隊規にもとる行動であるが、それだけで死なねばならない重大事なのか。アメリカのように進んだ国にするために、日本の侍社会の垣根を叩《たた》き壊そうとするのが、この亀山社中のはずではないのか。それなのに長次郎は侍社会のしきたりで自刃させられた。高次の体に納得できない悲しみがこみ上げてきた。
〈だが自分がその場に居合わせたとしても、この惨事を止められただろうか……〉
侍のしきたりがある以上それは無駄だろうと思った。高次の体を虚無感が突き抜けた。
いま長次郎のためにしてやれることは、大坂にいる妻のお徳に形見として、長次郎が愛用した白袴を送ってやることだけだった。高次は複雑な気持ちで白袴をたたみ、数少ない長次郎の遺品を整理した。
長次郎が死んだ慶応二年(一八六六)は、時世がめまぐるしく変転した。最大の事件は寺田屋で龍馬が襲われたことである。
大坂で薩長に手を握らせるために奔走していた龍馬は、一月二十二日に念願の薩長同盟を成立させ、日本の将来を大きく転換させることに成功した。この秘密の盟約は幕長戦争になったとき、薩摩藩が中立を偽装しつつ京に兵を上らせて、長州藩を助けるという攻守同盟が軸になっていた。
天下の事はもはや成った――と安堵《あんど》した龍馬は、伏見の定宿《じようやど》の寺田屋に帰ってきた。そこを伏見奉行所が襲ったのである。手傷を負った龍馬は寺田屋の女主人のお登勢《とせ》、妻となるお龍の機転に助けられて、危機一髪のところを護衛役の三吉慎蔵《みよししんぞう》と逃れ出て、薩摩藩邸に保護された。
数日後に事件の詳細が、薩摩船で亀山社中に届けられた。龍馬の傷は浅手で命に別状はなく、傷養生にはお龍が付きそっていると伝えてきた。
高次の頭に得意満面の龍馬の顔が浮かんだ。龍馬の才覚は商いにあるのではなく、龍馬自身が塩飽の夜の海で語ったように、人と人との周旋にあるのだろう。だが反幕的な周旋をつづける龍馬は、幕府側にとって許せない人間になっている。さいわい寺田屋では命に別状なかったものの、これからは幕吏の目をもっと警戒しなくてはならないと高次は龍馬の身を気遣った。
龍馬の働きにより薩長同盟は成ったが、一方でユニオン号を使えなくなった亀山社中は、経済的な苦境に陥った。高次たちは天神丸で筑後の材木などを、長崎や平戸に運んで糊口《ここう》をしのいだ。高次が見るところ隊士の中で真の船好きは、覚兵衛と駿馬の二人のようだ。覚兵衛は汽罐焚《かまた》きが希望だが、いまは千石船の操《あつか》いを懸命に覚えようとしている。駿馬も四郎に負けまいと千石船の舵《かじ》を取った。
他の隊士たちは龍馬の政治向きの動きに目を奪われて、日々の暮らしのことを考えようとしない。いずれ龍馬が大きな仕事をもってくる。そうなれば上洛して京の桧舞台《ひのきぶたい》に乗り出せる。そう考えている隊士たちは、暇にまかせて白袴《しろばかま》で長崎の町を徘徊《はいかい》した。
隊士が市中で他藩士と喧嘩沙汰《けんかざた》をひき起こして、町民に「亀山の白袴」と陰口をたたかれることが多くなった。そういう隊士を取り締まろうとする長崎奉行所の役人と揉《も》め事になり、事が大きくなれば、乾堂が頭を下げて引き取りにいった。侍であればそれも仕方ないのだろうかと高次は情けなかった。
炊《かしき》仕事をする四郎と駿馬が天神丸で海に出て不在のために、食事作りに困った陸奥が、乾堂に女中の手伝いを頼んだ。乾堂は二人の女中を社中に寄越して、炊事と洗濯をさせる好意を見せたが、陸奥にとっては当然のことらしい。気位の高い陸奥は、商人の丁稚《でつち》のように働かされることを嫌い、その陸奥の行動は高次に腹立たしく映った。
「高次よ。亀蔵たちのことで話がある」
長崎でもっとも賑《にぎ》わいのある西浜町を流れる中島川の船溜《ふなだま》りで、帆桁《ほげた》の滑車を使って材木を下ろして大汗をかいた佐太次が、空になった千石船の甲板で高次を呼びとめた。
「わしはおぬしと船をやるという話で、亀蔵たちを連れて長崎まで来たが、亀山社中に洋式軍艦があるわけでもない。毎日千石船で材木運びでは、亀蔵たちは塩飽島におるのと同じじゃというておる。これでは亀蔵たちの軍艦を動かせる腕も、ついぞ錆《さび》ついてしまう」
黙ってうなずいた高次が、手拭《てぬぐ》いで汗をふいている亀蔵たちを見た。佐太次が亀蔵たちを気遣っていった言葉は、そのまま佐太次にもあてはまる。佐太次は高見島の亀蔵たち六人を連れて、世界に乗り出す夢に懸けて長崎まで来たが、薩摩藩の手当と乾堂の支援に頼る隊士たちに幻滅感を抱いている。たしかに龍馬の成した薩長同盟の意義は大きいが、亀山社中の実情は洋式船もなく、経済的に困窮している。佐太次をはじめとする七人は太平洋を横断して、アメリカを見てきた海のつわものである。佐太次のいう不満はよく理解できる。
「そこで相談じゃが、わしはおぬしとここに残るが、いちど亀蔵たちを江戸に帰そうと思っておる。江戸に帰れば亀蔵たちも軍艦に乗って暮らしが立つ」
「おぬしの話はようわかった。たしかに社中にいても洋式船で飯が食えぬ。ひとまず亀蔵たちを江戸に帰すのも手じゃ。……それで大助はどうする」
「わしか」
他人《ひと》ごとのように大助がいった。
「おひなのことも気に懸かる。いちど江戸に帰ってみるか」
「軍艦操練所で軍艦に乗るつもりか」
「そうじゃな。わしには軍艦を動かすしか能がない」
じつは大助は陸奥と大喧嘩をしていた。その原因は茶商人のお慶だった。女手一つで成り上がったお慶が、社中の隊士を酒宴に招いた。お慶は年下の男を金銭で守ってやろうとする奇癖を持つ女であり、二十三歳の陸奥の端正な顔立ちが気に入り、すぐ男と女の関係になった。それいらい陸奥は金が入用なときはお慶に借りに行く。お慶も若い情人に金を与えることを喜んだ。
塩飽衆を漁師上がりと見下している陸奥を、かねてから腹に据えかねていた大助は、海に出ずに男芸者になって、お慶の許《もと》を訪れる行状に怒りを爆発させ、樫《かし》の櫂《かい》を手にして大喧嘩をした。陸奥があわや刀を抜きそうになったが、大助が一歩も退《ひ》かないので、まわりの者が必死に押し止めた。そんな大助の気持ちを知っている高次は、大助が江戸に帰るのを止めなかった。
亀山社中に残った塩飽衆は、佐太次と四郎の三人になった。このままでは龍馬と語った塩飽衆で海に乗り出す夢もかなわなくなる。社中の先行きを危惧《きぐ》した高次が覚兵衛に提案した。
「社中は洋式船がなければ、陸《おか》に上がった河童《かつぱ》も同然じゃ。わしは坂本さんにいまいちど薩摩藩にワイル・ウエフ号のことを、むし返してもらったらどうじゃと思っておる」
「それはええ考えじゃ。洋式船がなければ亀山社中は立ちゆかぬ。長州と同盟が成った薩摩藩も、それはようわかっちょるじゃろう」
高次の書状を目にした龍馬は、亀山社中がユニオン号を使えず困窮しているので、船のことをなんとかしてもらえぬかと小松に訴えた。社中の窮乏生活を知っている小松は、西郷にここは薩摩藩が手助けせねばならぬといった。
「おいもそのことは考えておりもした。ワイル・ウエフ号の話を、いまいちど詰めてみたらどげんでごわしょう」
西郷の一言で、薩摩藩はいちど商談が不成立になった風帆船ワイル・ウエフ号を、亀山社中のために購入することを決定した。
吉報が龍馬から知らされ、書状を読んだ高次が喜びの声を上げた。
「みな喜べ。わしらの洋式船がついにもてるぞ」
龍馬からの書状によれば、三月に傷養生のために薩摩の軍艦で鹿児島に向かうとあり、そのまえにワイル・ウエフ号の話を進めて、はやく船を手に入れよとせかしてきた。
「いまワイル・ウエフ号は上海にある。買うとなれば修理もせねばならぬ。話ははやいほうがよい」
すぐさま高次は覚兵衛とともにグラバー邸へ出向いた。ワイル・ウエフ号はプロシア商人のチョルチーの持船であるが、強欲なチョルチーの値段吊り上げで商談は決裂した。こんどはグラバーを仲介として商談を進めることにした。
グラバー邸に向かう高次に気懸かりがあった。それは長次郎の渡航の手配が、グラバーの手で進められたことである。グラバーは長次郎の自刃を、日本人の残酷な行為だと思っている。案の定グラバーは二人に会うなり、イギリスに勉強に行こうとする青年を、仲間が殺すなどはとても残酷なことで、その野蛮さは世界では通用せぬと、自分の意見を臆《おく》せずに口にした。
だが侍という特殊な精神構造をもった相手と商売しているグラバーは、そのことを理解せねばとも考えていた。
「死んだ長次郎さんのためにも、皆様でいい仕事をしてください」
うなずいた覚兵衛が商談を切り出した。
「それでワイル・ウエフ号の船価はいくらじゃ」
「チョルチーはまだ七千五百両を要求していますが、いま日本で風帆船を乗りこなせる船乗りはとても少ないです。わたしは六千三百両がよい船価だと思います」
薩摩藩は六千五百両まで、亀山社中に買い取り交渉を委任していた。
「船価はおぬしにまかせる。はよう船を手に入れてくれ」
「わかりました」
グラバーはうなずいた。
「ところで高次さん。プロシア語のワイル・ウエフ号とは、英語でワイルド・ウェイブ、つまり荒い波です。この風帆船はどんな荒波も乗り切るでしょう」
「縁起のよい名ですな」
洋式帆船が手に入る期待で高次も笑顔を見せた。このワイル・ウエフ号がもっとはやく手に入れば、亀蔵たちも江戸に帰らずにすんだと思うと、高次にはいささか心残りであった。
まもなくグラバーは六千三百両でチョルチーとの商談をまとめて、上海から長崎に廻航する準備をはじめた。
ワイル・ウエフ号が手に入るめどが立ったその晩、高次は佐太次と相談した。
「ワイル・ウエフ号は風帆船だから、帆の操いに慣れた千石船乗りがいる。亀蔵たちは江戸に帰っておらぬ。そこで長崎の千石船乗りを四、五人雇わねばならん」
「千石船乗りを雇う金はあるのか」
「ワイル・ウエフ号を航海させれば金は稼げる。それまで小曾根さんに用立ててもらう」
「相変わらず社中は貧乏世帯じゃな。ならば四郎と駿馬を乗せたらどうじゃ」
「いま食い扶持《ぶち》を稼げるのは天神丸しかない。ワイル・ウエフ号が来ても、しばらくおぬしと四郎に、天神丸を動かしてもらわねばならん」
高次が四郎にいった。
「おい四郎。おぬしをワイル・ウエフ号に乗せてやりたいが、いまは天神丸を走らせて商いをすることが大事じゃ。社中がうまくワイル・ウエフ号で商売ができるまでは、佐太次を助けて千石船に乗っておれ」
高次は長崎の千石船乗りを五人雇った。大きな一枚帆の千石船と違って、ワイル・ウエフ号は二本マストの風帆船である。風上に帆走できる縦帆であるために、洋式帆船に慣れた水夫を雇いたかったが、亀山社中にその資金はない。
三月になると龍馬が、薩摩蒸気船三邦丸で長崎に帰ってきた。
「お帰り。無事でなによりじゃった」
社中の一行が龍馬を出迎えた。龍馬の左手に白い包帯が巻かれている。
「話したいことは山ほどあるが、わしは三邦丸ですぐ鹿児島に行かねばならん。まずはワイル・ウエフ号の話を聞かしてくれ」
高次が説明をはじめた。
「グラバーが六千三百両で話をつけてくれた。いま上海で修理中で、四月には長崎に廻航してくるめどがたった」
「それは楽しみじゃ。高次に書状でせかされるまでは、わしは薩長の政治向きのことばかり考えちょった。それで大あわてで小松さんに話をしたのじゃ」
高次は塩飽の夜の海で、龍馬が佐柳という名乗りをつけてくれたとき、これから龍馬は周旋の仕事で動きまわるから、船を動かすのは自分の仕事だといわれたことを思い起こした。薩長同盟を成し終えた龍馬は、これからも徳川の世を終わらせるために、周旋に奔走するであろう。そうなればワイル・ウエフ号を手に入れた亀山社中を、自分が支えねばならない。
「おう忘れておった」
龍馬が後ろに立つお龍をふりかえった。
「これがわしの妻のお龍じゃ。よろしく頼むぜよ」
「寺田屋で龍馬を救ったと、評判のたかい御新造ですな」
高次はお龍に笑いかけた。お龍は無言で頭を下げた。
お龍の後ろに豪放|磊落《らいらく》な内蔵太が立っていた。
「おう。内蔵太ではないか。これはまたどうしたことじゃ」
「わしは天誅組《てんちゆうぐみ》の挙兵いらい、九度も死地をくぐりぬけて死ななんだ。そこで馬関《ばかん》で龍馬と会ったとき、もう二度とつまらぬ戦《いくさ》で命を落とすまいと心に決めて、こうしておんしらの亀山社中に来たんじゃ」
「これから社中に加わるのか」
「頼めるかのう」
「むろんのことじゃ」
高次は内蔵太の肩を叩《たた》いて歓迎した。あれほど戦に血を騒がせた内蔵太が、潮風に魅力を感じたのか、共に船をやろうと帰ってきたことは高次には嬉《うれ》しかった。
「内蔵太はこのまま暴れておればかならず死ぬ。船のことはなにも知らぬが、社中の一人にして船を教えてやってくれ。さて、長次郎の墓に案内してもらおうか」
長次郎自決の詳細は、書状で龍馬に詳しく知らされていたが、龍馬が隊士の処置をどう受けとめているのか、その顔からはうかがえない。
寺町|皓台寺《こうたいじ》の裏の風頭山《かざがしらやま》中腹に、長次郎の遺骸《いがい》は葬られていた。墓碑には長次郎が号を梅花道人と名乗ったために、「梅花書屋居士之墓《ばいかしよおくこじのはか》」と書かれてあった。
「この碑銘はどなたが書かれた」
「小曾根さんじゃ」
「小曾根さんには、なにからなにまで世話になる」
龍馬は長次郎の墓に手を合わせた。
皓台寺の坂道を下りながら、龍馬が惣之丞に尋ねた。
「長やんの死にざまはどうじゃった」
「十文字に腹を切る立派な作法じゃった。最後は死にきれず、首の動脈をかき切って果てた」
「介錯《かいしやく》もなく、長やんは死んだのか」
「龍馬。おんしはわしらが隊規でやったことを、なじるのか」
惣之丞が気色ばんだ。
「そうではない」
龍馬の声が低く沈んだ。
「わしらにとって隊規とは、アメリカでいう憲法と同じじゃ。それは死を賭《と》しても守らねばならぬ。……だが人が死ぬことは寂しいことじゃ。長やんにもうすこし誠があればと、わしは悔やむだけじゃ」
高次も龍馬と同じ気持ちであった。アメリカのように身分の上下のない世をつくることを長次郎は望んでいたが、侍のしきたりで死んだことは悲しむべきことである。だがそこに追い込ませたのも長次郎の責任である。しばらく黙って急坂を歩いた龍馬が、高次をふり返った。
「長やんはおんしに心を許しておったが、イギリス行きのことをなにもいわなんだか」
「長州の仕事をはじめてからは、いつも一人じゃった。長やんも焦らずに事を成せば大成した。わしはそれが心残りじゃ」
隊士は無言で急坂を下りた。海岸でお龍が龍馬を待っていた。
「もうすこし長崎におりたいが、この手の傷を癒《いや》すために、西郷さんに鹿児島の塩浸《しおびたし》温泉に行けといわれちょる。わしは鹿児島でワイル・ウエフ号を待っておる。社中のみなで乗って来てくれ」
龍馬は慌ただしくバッテラに乗り、鹿児島めざして船出した。
待ちこがれたワイル・ウエフ号が長崎にやって来た。船体は白く塗装が塗り直されて、新造船のように陽光に白く輝いていた。
高次はワイル・ウエフ号の甲板に感慨ぶかげに立った。このワイル・ウエフ号がはやく手に入っていれば、亀蔵たちも江戸に帰らず、長次郎の運命も変わっていたかもしれない。高次は感情をふりはらうように白い船べりを叩いた。
「ワイル・ウエフ号の初仕事は、鹿児島へ廻航することじゃ。そこで薩摩藩に船名をつけてもらう。そうすればいよいよわしらの船として使える」
長崎薩摩屋敷の財務方からグラバーへの支払いは終わり、これからすべて亀山社中の手で運用できる。
「のう高次よ」
覚兵衛がマストを見上げた。
「このワイル・ウエフ号の縦帆の操《あつか》いに慣れるには、しばらく稽古《けいこ》が必要じゃろう」
「むろんのことじゃ。逆風を走るには帆の張り方も、舵取《かじと》りもむずかしい。いまの亀山社中の腕前では、二、三ケ月の稽古がいる」
「ならばちょうどええ具合に、ユニオン号が長州の米を積んで、鹿児島に行く前に長崎に寄港する。蒸気船のユニオン号ならワイル・ウエフ号を曳航《えいこう》できる。その案はどうじゃ」
「海が静かなら、それはええ案じゃ」
ユニオン号が積んでくる長州米は、薩長同盟による最初の提携事業であった。征長戦争で八方ふさがりだった長州藩を、薩長同盟により薩摩藩が支援を密約した返礼の意味で、米どころの長州が五百石の兵糧米《ひようろうまい》を薩摩に送ることになった。薩長同盟の仲介役をはたした龍馬の口ききであった。
亀山社中の真新しい白袴《しろばかま》をはいた内蔵太がいった。
「おい高次よ。蒸気船のユニオン号に曳《ひ》かれていくなら、このわしでもワイル・ウエフ号の船将はつとまるじゃろう」
「それはおぬしでもできる」
「ならばこの鹿児島行きは、わしを船将にしてくれんかね。おんしたちはいつでも船に乗れる。わしも社中の隊士として、はよう船を動かせるようになりたいのじゃ」
「よかろう。内蔵太の初乗りとして、立派にワイル・ウエフ号の指揮をとれ」
「わしにまかせよ」
「戦場を死なずに生き延びてきたおぬしのことじゃ。なにがあっても肚《はら》はすわっておると思うが、海ではなにが起こるかわからん。鹿児島まで気を緩めるな」
「わかっちょる」
白袴姿の内蔵太は、船将らしく堂々とワイル・ウエフ号の舵輪を握りしめた。
十日後に長州米を積んだユニオン号が長崎に入港した。長州で乙丑丸《おつちゆうまる》の船名をもつユニオン号は、買い取りに奔走した長次郎の死を知らぬげに、波静かな長崎湾に碇泊《ていはく》した。
ユニオン号の船尾から、太いロープが二本、ワイル・ウエフ号の船首に結ばれた。
「ふつうの波ならこの二本の太綱でよいが、海が荒れたら三本掛けにする」
高次は二本の太い曳航ロープの他に、もう一本太いロープを用意した。曳航の準備が終わると高次は気圧計を見た。指針は平常の気圧を示している。
船将の内蔵太が尋ねた。
「この三、四日の日和は穏やかじゃったが、このさきの海の日和はどうなる」
「気圧計を見るかぎり穏やかな海はつづく。けさの日和見も異変はなかった」
高次は早朝に高台に登り、雲の流れを見て空気の湿りを嗅《か》いだ。かすかに仄白《ほのじろ》くなりかけた東の空に雲はなく、風は南東からわずかに吹き、穏やかな日和が予感された。
気になるのは南の上空に、傘を開いたようなカサホコ雲が小さく見えたことだ。カサホコ雲は風を呼ぶ雲である。だがワイル・ウエフ号の気圧計では天候悪化の兆しはない。
出港前に高次は、天神丸に乗り込む佐太次に尋ねた。
「けさのカサホコ雲が気になるが、おんしは日和をどう見る」
「そうじゃな。遠い海に夏《なつ》疾風《はやて》(台風)があるかもしれぬが、ユニオン号で曳航するから気にすることもなかろう。ただし夜の灯火交信の手はずは入念にしたがよい」
高次は不測の事態に備えて、信号灯の交信の手はずを、ユニオン号と念入りに打ち合わせた。船将の内蔵太が出航を命じ、穏やかな長崎湾を牛が牛車《ぎつしや》を曳くように、ユニオン号がワイル・ウエフ号を船尾に曳いて走りはじめた。
外海に出ると二隻は舳先《へさき》を南に向け、一路鹿児島をめざした。長崎半島の野母崎《のもざき》をかわしてしまえば、薩摩半島を廻り込むまで行く手に障害はない。薩摩半島の手前のはるか沖合いに甑島《こしきじま》があるが、遠すぎて航路の邪魔にはならない。
内蔵太は戦のない平和な航海を楽しんでいた。軽い船酔いにかかったが、龍馬とおなじ革の短靴をはき、海を見て満足そうな笑顔を浮かべている。
午後になると雲の流れが早くなり、厚雲が南の空を覆いはじめた。
高次は操舵室《そうだしつ》にもどって気圧計を見た。出航時より気圧が下がっている。
「雨が来そうじゃ」
舵を取る虎吉がいった。虎吉は千石船での航海歴が長く、長崎近海の暗礁を熟知している。夜になると雨まじりの南東風が強まり、船の揺れが大きくなった。前を行くユニオン号は汽罐《きかん》を全開にして、煙突から火花を舞い上げて、石炭を燃やしつづけた。
高次は急に勢いを強めてきた雨まじりの南東風を見て、この天候の急変は夏疾風ではないかと危惧《きぐ》をもった。朝の湿りの多い空気がその予兆であり、佐太次もそう指摘した。
予測をはるかに超えた早い接近が気になる高次は甲板に出た。豪雨が横なぐりに顔に叩《たた》きつけ、疾風が波頭を白く吹き飛ばし、視界はまったくなくなった。大うねりを受けるたびに、太いロープを結んだ杭《ビツト》が、耳をつんざくような軋《きし》みを上げる。
「このままでは太綱が切れる」
高次は信号灯を上げた。≪太綱ヲ三本掛ケニスル≫。煙突から火花を噴き上げて突進するユニオン号から≪応諾≫の信号灯が返ってきた。細綱に結ばれた太いロープが海に流され、高次たちは細綱を引き上げて、太綱を三本掛けにした。
風はさらに強まり、二隻の船足はみるみる遅くなった。前を行くユニオン号が大うねりにもまれるたびに、速力が落ちてロープが緩み、つぎの瞬間後方のワイル・ウエフ号のロープが大きな衝撃をうける。
「どうじゃ。この嵐は乗り切れるか」
内蔵太が不安げに高次に訊《き》いた。
「一隻ならば平気じゃが、二隻だと風に流される恐れがある」
いま天草灘《あまくさなだ》の沖合いであった。天草半島に近づけば、強い南東風が陸の山々に遮られて弱まり、ワイル・ウエフ号を曳いても逃げきれる。ユニオン号は汽罐が赤く焼けるまで石炭を燃やして、天草半島に近づいていくが、太綱で結ばれた二隻は波浪に翻弄《ほんろう》され、その衝撃で船首がもぎとられるほど軋みが大きくなった。
このままでは危険だと高次が判断したとき、前を行くユニオン号から信号灯が送られた。
≪ロープヲ切ラネバ危険デアル≫
高次は信号灯で応えた。
≪荒天帆《ストームセイル》ヲ上ゲルマデ、シバシ待テ≫
帆を張ってないワイル・ウエフ号は、暴風雨の海に漂流する前に、小さな三角の荒天帆を上げて、舵を利くようにしておかねばならない。
高次は命綱をつけて前甲板に飛び出した。水夫全員が高次につづき、荒天帆の引き索を轆轤《ろくろ》に巻いて引きはじめた。
強風にはためいていた荒天帆が途中で止まった。マストを見上げた虎吉が叫んだ。
「だめじゃ。帆綱がマストの滑車に食い込んで上がらねえ。これ以上引けばマストが折れる」
途中まで上がった荒天帆が、嵐にはためく衝撃はすさまじく、放っておけば索具が傷つきマストが折れる。
「帆綱を切って荒天帆を取り込め。あとは運を天にまかせて漂流するしかない」
高次は信号灯で、
≪ロープヲ切レ。貴船ノ無事ヲ祈ル≫
と送った。
≪了解シタ。貴船ノ無事ヲ祈ル≫
斧《おの》でロープが叩き切られた。一瞬にしてユニオン号の煙突の赤い火花と、白い船尾灯が見えなくなった。ワイル・ウエフ号は漆黒の海に流された。
高次は操舵室に駆け込んで海図を広げた。
「このまま流されればどこに行く」
虎吉が海図を覗《のぞ》きこんでいる。
「この風が吹きつづければ五島列島の沖合いじゃ。いまは五島の暗礁を避けることを考えねばならぬ」
「ここから五島はまだ遠い。それまでになにか手だてはあろう」
「荒天帆が上がれば避けられようが、いまは舵が利かぬ」
嵐で荒天帆は上げられず、流されるにまかせるしかない。望むべくは風の方向が変わり、五島列島の暗礁に当たらずに、広い東シナ海まで流されることだった。
真夜中をすぎても風向は変わらず、暴風雨もおさまる気配がない。船はすさまじい勢いで、五島列島に向かって吹き流されて行く。
「高次よ。聞きたいことがある」
内蔵太が唇を噛《か》みしめた。
「なんじゃ」
「外国では船将は、船と運命を共にすると聞いたが、それは本当か」
「そういう船将もおるが、いまはそんなことを考えるときではない」
つぎの瞬間、桁外《けたはず》れに大きい波濤《はとう》が襲いかかった。凄《すさま》じい震動とともに船が傾き、高次と内蔵太は床に薙《な》ぎ倒された。
「横波で舵《かじ》が壊れた」
虎吉が叫んだ。舵が壊れた船は右に左に激しく揺れた。暗闇にそそり立つメインマストの揺れが大きい。高次はマストを切り倒して、船を沈没させない方法をとるしかないと判断した。
「マストを切り倒して船を救う。斧をもって甲板に出よ」
海は滝つぼのように真っ白に吹き荒れ、山のような波濤が甲板に打ちかかってきた。高次は命綱で体を支え、斧をマストに打ち込んだ。メインマストは倒れた。
高次が肩で大きく息をしたとき、吹き荒れた闇夜に、かすかな暁闇《ぎようあん》がおとずれていた。
「なんじゃ、あれは――」
高次の心臓が凍りついた。かすかに白みかけた厚雲の下に、島影らしいものが横たわっている。
操舵室から虎吉の叫びが聞こえた。
「五島の島影じゃ。このままでは船が暗礁に砕かれる」
つぎの瞬間、船は大きな波濤に突き上げられた。船体が大波に飲み込まれて横転した。白く渦巻く大うねりが行き過ぎ、船はかろうじて立ち直ったが、甲板を越えた波浪が船内に浸水し、ハッチ扉が壊れて船が沈みかかっている。
高次は絶叫した。
「船が沈む。船板を抱いて、海に飛び込め――」
叫びながら高次は操舵室に走った。内蔵太が大刀を杖《つえ》にして踏ん張っている。
「はよう海に逃げるぞ」
「わしはワイル・ウエフ号の船将じゃ。このまま船に残る」
「なにをいう。亀山社中の仕事はこれからじゃ。つまらぬことを考えずに、生きのびることだけを考えよ」
「いいや。わしは船を守る」
「馬鹿をいえ。おぬしは戦場をくぐりぬけてきた不死身の男じゃ。このくらいの嵐に負けてはならん。すぐ船板を抱いて海に飛び込め」
高次は内蔵太の腕をつかんで操舵室を飛び出した。船板に手をかけようとした瞬間、白い絶壁のような巨波《おおなみ》が襲いかかり、二人は海に投げ出された。
高次は波に飲み込まれたが、海中で息を止めて二度三度足を蹴《け》った。海面に顔が出た。海面に浮いた高次の手に堅いものが触れた。船板であった。高次は腰紐《こしひも》を解き、船板を体に巻きつけた。
転覆したワイル・ウエフ号は、船底を無残に波間に晒《さら》している。転覆した船が沈むとき、渦巻きで海中に引きずりこまれる危険が高い。
「船から離れよ」
高次は必死に叫び、懸命に泳いだ。白い波濤が高次を襲った。大きく崩れた波間に人の頭があった。
「誰じゃ」
「く、内蔵太じゃ――」
波間で内蔵太が苦しそうに喚《わめ》いた。
「船板を抱いて、気を強くもて」
「わ、わかった」
高次は生きることだけを考えた。木片《きぎれ》を拾って腰紐のあいだに突っ込み、少しでも体が浮くようにした。さいわい海水は暖かかった。高次の心を強くしていたのは、流されて行く方向に、五島列島があるということだった。船が漂流しているときは、それは危険な障害であったが、海に投げ出されたいまは、五島列島の陸地が生きのびられる唯一の望みであった。
翌日の夕刻まで漂流した高次は、奇跡的に五島列島の塩屋崎の浜に流れ着いた。高次とともに九死に一生を得たのは、土佐出身の水夫の市太郎、一平太と三平の四人だけであった。内蔵太と虎吉をふくむ十一人が溺死《できし》した。高次は茫然《ぼうぜん》と塩屋崎の浜に座り込んだ。
五島列島から長崎に帰る船内で、高次は六千三百両のワイル・ウエフ号を沈没させ、十一人の仲間を喪《うしな》ったために、絶望感に打ちひしがれていた。龍馬が奔走して手に入れたワイル・ウエフ号を失えば、亀山社中はふたたび窮地に陥る。
だがいつまでも悲しみに沈んでいるわけにはいかない。海の男であれば船板一枚下は地獄であり、つねに死の危険と隣り合わせである。脱藩浪人は白刃の下で死の危険に晒《さら》されて生きてきたが、千石船に乗り組んだ男たちは、平和なときも海難の恐怖に苛《さいな》まれた。これからも海難は起こる。高次は海神が自分に海の仕事をさせるために、嵐の海から生還させたのだと心に鞭打《むちう》った。
顔を合わせるなり佐太次が肩を揺すって励ました。
「よう生きのびた。それだけでもええことじゃ」
高次は塩飽《しわく》の同胞の励ましの言葉に肩を落とした。
「すまぬ。わしがもっと日和を見ておれば、みなを死なせることはなかった」
「遭難は誰の責任でもない。いずれ五島の塩屋崎に行き、死んだ内蔵太たちの霊を弔ってやろう。それでみなの最期はどうじゃった」
「内蔵太は船将として立派に船を守った。他の者も海の男として最後まで必死に働いた。荒天帆が一枚上がれば、五島をかわせたかもしれぬが、それ以上に波浪が大きかった」
社中に居残って事務方をこなす作太郎が、泪《なみだ》を浮かべて高次の手を握りしめた。
「高次さん。死んだ十一人の家には、わたしから遺品と書状を送っておきます。どうか気を落とさないでください」
「すまぬ作太郎……」
高次は薩摩藩とワイル・ウエフ号沈没の事後処理に追われるだろう作太郎に、深々と頭を下げた。
遭難の詳細は、書状で鹿児島の龍馬に届けられ、傷が癒《なお》った龍馬がユニオン号で長崎に帰ってきた。高次は遭難の様子を龍馬に話した。龍馬は細い目で宙を見て聞いていた。聞き終わってからつぶやいた。龍馬の語調には優しさがこめられている。
「これからも船をやればかならず海難はある。内蔵太は船将として立派にふるまった。高次が命を永らえてくれただけで、わが社中にとっては幸運なことじゃ」
「だがワイル・ウエフ号を沈めて、わしは薩摩藩にどう詫《わ》びたらええんじゃ」
「薩摩藩もわが社中に、船を現物株として出資したわけじゃ。商いの損はたがいに被《かぶ》り、利益が出たらそれから返せばよい。そのためにも高次には、これから気張ってもらわねばならぬ」
龍馬にそう励まされて、高次は龍馬の気遣いがわかり、心が落ち着いてきた。
「これから坂本さんは長崎に腰を落ち着けて、社中の仕事に精を出すのか」
高次は龍馬に尋ねた。
「そうしたいのはやまやまじゃが、幕府の艦隊が長州を攻撃するかもしれん。すぐユニオン号で馬関に行かねばならん」
「戦争になるのか」
「なるかもしれん。そうなれば社中の一同がユニオン号に乗り組んで、幕府海軍と戦うことになる」
龍馬は幕府が第二次征長軍を編成して、長州に攻め入るだろうと話した。第二次征長軍の陣立てはものものしく、芸州広島から進撃する陸戦隊、日本海の石州側から萩を攻める諸部隊、瀬戸内海の島づたいに侵攻する幕府海軍の大編成で、小倉城に幕軍総司令部の本営が置かれて、長州を四方から包囲して攻め入る陣立てであった。
龍馬の心配は、謹慎がとけて軍艦奉行並に復職した勝のことである。勝が幕府海軍を率いて馬関に来るかもしれぬ。そうなれば師弟|相搏《あいう》つ戦闘がはじまる。それだけは避けたいと龍馬が困惑の表情を浮かべた。
龍馬の背後に、慣れぬ船旅で疲れて不機嫌そうなお龍が立っていた。しばらくお龍を長崎に住まわせることにした龍馬は、お龍の住まいの世話を乾堂に頼み、高次たちと五島列島に向かった。
「海では船板の下は地獄というが、わしより後に海に出た内蔵太が、先に海で死んでしまうとはのう」
五島の塩屋崎に近づくと、龍馬の声が沈痛になった。上陸した一行は、十一人の名前を墓碑に書いた。
「内蔵太と十人の同志よ。社中の者はこれからも海に出る。それがわしらの仕事じゃ。おぬしらはこれから魂魄《こんぱく》となって、社中の者を守ってくれ。……それが頼みじゃ」
墓碑にぬかずいた龍馬は肩を震わせた。
高次は太平洋横断で富蔵を喪い、いままた十一人の者と海で死に別れた。これから何人の者が海で命を喪うのか。それを見届けるのも、海に生きる自分の務めだと肚《はら》を決めた。
慶応二年六月。ユニオン号に龍馬が乗り組み、社中の一同を率いて、初めての出航となった。結局、桂がユニオン号で送った長州米を、西郷は受けとらなかった。長州藩が幕府を相手に苦しんでいるときに、大切な兵糧米《ひようろうまい》を受けとれぬと西郷が固辞したからである。ユニオン号に積んだ米は、龍馬が長州に持ち帰ることになった。
「いざ馬関へ」
ユニオン号には新しく雇われた水夫・火夫十五人が乗り組んだ。亀山社中と長州藩の取り決めでは、薩長戦争がはじまれば、社中隊士がユニオン号に乗り組み、海戦の援軍に駆け参じることになっている。そのために高次は洋式船の経験のない水夫を雇った。馬関海峡に着くまでに、洋式船の操いを教え込まねばならない。
長崎を出ると龍馬が高次にいった。
「馬関に行けば五平太《ごへいた》(石炭)を、汽罐《かま》が赤くなるまで燃やして走らねばならん。それまでは汽罐を休ませるために、なるべく帆で走ってくれぬか」
高次は風を見た。蒼色《あおいろ》の海面を吹きわたる風は、絶好の順風である。
「メインセイル上げよ」
白い主帆が風にはためいて展開し、横帆、三角帆がつぎつぎと風をはらんで、三本マストに十九枚の帆が張りめぐらされた。長崎の水夫は甲板で帆綱を引く役目をこなした。
「汽罐《きかん》停止」
甲板を振動させていた蒸気汽罐が停止した。舳先《へさき》が波を切りわける音だけが聞こえるほどの静寂がおとずれた。機帆船の航法は出入港以外は汽罐を使わずに、風を使って帆走時間を長くする。こうすれば高価な石炭の使用が少なくてすみ、汽罐への負担が減じられる。
ユニオン号は全帆に風をうけた。高次は風下に傾《かし》ぐ甲板で、速力を測る紐《ひも》を海に流した。
「ええ風じゃ。十ノットは出とるじゃろう」
ユニオン号が馬関に入港したとき、すでに幕府軍は芸州広島に侵入し、長州軍との戦闘の火ぶたは切られていた。幕府海軍は〈旗艦〉の富士山丸に翔鶴丸、八雲丸、旭日丸で編制された強力な艦隊であった。富士山丸はアメリカで建造された最新鋭艦で、十二門の大砲を装備し、百五十馬力の内燃汽罐をもつ軍艦である。
迎え撃つ長州海軍は、中古軍艦のオテントサマ丸の他に、中古商船を改装した癸亥丸《きがいまる》と庚申丸しかない。亀山社中が乗り組むユニオン号も、富士山丸の五分の一の大きさでしかなかった。
長州海軍を率いるのは海軍総督の高杉である。高杉は三田尻港でオテントサマ丸修理中に、ユニオン号の馬関来着を知り、敵の機先を制して馬関海峡を一気に突破して、小倉城を攻め奪《と》る作戦を思いついた。
高杉は大酒飲みで、直感的に行動し、なにを仕出かすかわからない若者として知られていたが、余人の真似のできない機略はまわりの意表を衝《つ》き、しかも的を外れたことがないと、高次は龍馬から聞かされていた。亀山社中来援を知った高杉は、すぐさま馬関に向けて出航して龍馬に会い、明早朝を期して馬関海峡に出撃し、幕軍の本拠の小倉城を攻撃したいと告げた。
社中の隊士が乗り組むユニオン号の役目は、庚申丸を曳いて門司《もじ》の砲台を砲撃し、幕府海軍が出てきたら、それに砲撃をくわえることであった。征長軍の兵員は長州の十倍であり、敵を撃破するには、夜明け前の奇襲攻撃しかないと高杉は話した。
高杉の奇襲作戦を直感的に理解した龍馬の口から、その晩に高杉の作戦が、高次たちに伝えられた。
「勝先生はどうなされた」
高次が龍馬に尋ねた。
「ありがたいことに幕府海軍を率いておらぬ。これでわしも安堵《あんど》した」
龍馬がユニオン号の総指揮を執り、攻撃の要《かなめ》となる砲手長は石田英吉に決まった。土佐人の英吉は航海術よりも、砲術の名手として知られていた。
「いよいよ幕府海軍と海戦じゃ」
亀山社中の隊士は、海戦と聞いて意気が上がった。脱藩して身を風雲に置いた猛者《もさ》ばかりである。とくに石田は天誅組《てんちゆうぐみ》で戦い、禁門ノ変でも久坂|玄瑞《げんずい》と共に戦い、長州に逃げたあとは高杉の奇兵隊に入った。
高次は初めての海戦に身震いした。龍馬が勇気づけるように肩を叩《たた》いた。
「高次の先祖は塩飽海賊衆じゃ。舵取《かじと》りをまかすから、敵船を蹴散《けち》らしてくれ」
「まかせよ。もしわしが倒れれば佐太次がおる」
高次は武者震いして龍馬に答えた。
六月十七日の早暁。暗闇の馬関をユニオン号は庚申丸を曳いて出港した。
長州海軍局の予測によれば、馬関海峡は霧が出るという。天空に星は見えず、航海灯を消したユニオン号は、用心ぶかく暗い馬関海峡に乗り入れた。
同時に出港した高杉の乗るオテントサマ丸の船影は見えない。高次はの操舵室《そうだしつ》羅針盤《コンパス》に目をやって、慎重に門司へと船を進めていった。操舵室には高次の横に佐太次がいる。もし高次が傷を負えば、すかさず佐太次が舵取りを交替する。
夜が明けた。強い潮流のせいでユニオン号の舳先が安定しない。霧も濃い。対岸の門司の陸地は霧で見えない。龍馬が望遠鏡を目にあてたまま高次に指示した。
「この霧があるうちに、浅瀬に乗り上げるほど、門司に近づいてくれ」
高次は後方で曳航《えいこう》されてくる庚申丸を見た。霧の中にマストがかすかに浮かんでいる。門司への攻撃がはじまれば、庚申丸を切り離して、ユニオン号を自由に走りまわらせる。その前に庚申丸を潮の流れの上流にもっていき、潮流に流されながら庚申丸が砲撃すれば、敵の弾が当たりにくい。
門司の背後の山なみが、ぼんやりと見えはじめた。
「陸が見えた。ええ具合じゃ。陸から風が吹いてきちょる」
龍馬が望遠鏡をかざして指図した。
「この風向きではまだ海は霧に覆われて、陸から船は見えぬ。もっと陸に近づいて庚申丸を切り離そう」
「承知じゃ」
高次は緊張して舵を握りしめて門司を見た。濃い霧が海岸を覆いつくしている。霧の濃いあいだに、船底が岩にこすれるくらい岸に近づけてやろうと思った。
「英吉よ。これから陸に近づくぞ」
龍馬が操舵室から身を乗り出して叫んだ。
「心得た」
白袴《しろばかま》の裾《すそ》をたくし上げて、背中に黒鞘《くろさや》の大刀を袈裟掛《けさが》けした英吉が、望遠鏡で敵陣地との間合いを測っている。四郎と駿馬も鉢巻きを締めて甲板に立っている。二人は大砲の砲弾運びの役目である。
陸の霧が晴れてきて、門司砲台がぼんやりと見えた。
「撃て――」
英吉の号令で砲口《つつぐち》から轟音《ごうおん》が噴き上がった。船体が振動してつぎつぎと砲火が上がる。霧に覆われた海上からの砲撃に、門司砲台は目標が定められず、たちまち大混乱に陥った。
「照準よし。つぎ撃て」
この機とばかり英吉が砲撃を命じる。四郎も駿馬も懸命に砲弾を運ぶ。
薄霧に覆われた岸の砲台から火柱が上がった。やっと幕軍の反撃がはじまり、馬関海峡は轟音につつまれた。
「撃て。撃て」
龍馬が躍るように甲板を走りまわって指揮をとる。高次は汽罐のない庚申丸に砲撃を集中させないように、ユニオン号を蛇行させながら陸に近づいていく。
英吉の砲撃は正確をきわめた。しだいに門司砲台が勢いを失くし、敵が混乱していくのがわかった。
右舷《うげん》の巌流島《がんりゆうじま》の島陰に幕府海軍が見えた。
「あの敵艦には用心せねばならぬ」
だが霧を恐れているのか出撃してこない。
その直後に照準の合った敵弾が、ユニオン号の甲板に命中した。甲板のチーク材が砕けて飛び散り、隊士が甲板に倒れた。
「四郎のようじゃ。見てくる。舵取りを代わってくれ」
高次は甲板に飛び出した。頭から血を流した四郎が倒れていた。
「四郎。気をしっかりもて」
爆風で一瞬気を失った四郎が、血まみれの目を開けた。砲弾の鉄片で額をえぐられて血が流れているが、命に別状はないようである。
「血止めの手当をしてやる」
袖《そで》で額の血を拭《ぬぐ》った四郎が強気にいった。
「いいや。これくらいの傷は大丈夫です」
吹き飛んだ鉢巻きを締め直した四郎は、砲弾運びに立ち上がった。
甲板は砲煙で覆いつつまれている。砲煙のあいだから眩《くら》むような火柱が上がり、砲声が船を振動させる。
高次が操舵室《そうだしつ》に駆けもどると、手に汗して舵輪を握りしめた佐太次が、敵の大砲の照準を外すために、取り舵(左舷)に舳先を向けている。最高出力にした蒸気汽罐が船を激しく振動させ、砲音と入りまじって蒸気振動が耳に鳴りひびく。
海門を覆う霧が晴れてきた。高次は望遠鏡で小倉沖を見た。
小倉沖の海上につぎつぎと砲火が上がり、轟音がとどろく。
「おお。長州海軍もやっておる」
高杉の率いるオテントサマ丸の砲火である。戦況は長州軍に有利になっていることは高次にもわかった。
そのとき五、六十隻の日本船が、馬関側から漕《こ》ぎ出してきた。
「なんじゃあれは……長州の軍船のように見えるが」
七、八人乗りの軍船には、山県狂介《やまがたきようすけ》率いる奇兵隊が乗り組み、門司砲台の側面に上陸した。つづいて長府の報国隊、正名団の諸隊が対岸に漕ぎ進み、田ノ浦の東方から勇敢に上陸を敢行した。
高次は庚申丸を見た。門司砲台の砲撃をうけてマストが一本折れ、舷側からも黒煙が立ち昇り、かなりの被弾をしている様子である。だが乗組員の戦意は高く、上陸をはじめた長州兵の援護のために、門司砲台に大砲を射ち込んでいる。
長州の陸兵が敵前上陸を終えて、砲台へ突撃を開始した。
「撃ち方やめい」
龍馬は攻撃中止を号令した。馬関海峡の霧は晴れ、望遠鏡をのぞくと、長次郎がもたらしたミニエー銃を手に上陸した長州兵と、小倉藩兵との戦闘の様子が、手にとるようにわかった。
「強い。強い。長州兵が小倉の侍に勝っちょるぞ」
龍馬が興奮して叫んでいる。
長州兵は侍ではなかった。足軽、百姓、町人、相撲取りなどが、能力で選ばれた指揮官に率いられて戦っている。先陣を切って攻撃をする奇兵隊の軍監の山県狂介も足軽上がりである。その足軽や百姓が、侍を一方的に攻めて勝利している。
「ええぞ。ええぞ。百姓兵が侍に勝っちょる」
龍馬の声を聞く高次も小気味よくなった。
ふいに長次郎の顔がよぎった。あれほど侍になりたがっていた長次郎が、ミニエー銃を射って圧倒的に優勢な長州兵を見たらどう思うだろう。ひとり功を焦らずに、心を大きくもって時機を待てば、百姓町人が侍に勝つ時代が近づいてくるのを、その目で見られたものをと高次は残念に思った。
長州軍は一日にして、門司砲台、田ノ浦砲台を占領した。高杉は敵陣に火をかけて焼き、長州上陸用の和船二百隻と、野戦砲と砲弾を奪い取り、幕府軍がうち捨てていったフランス式|元込《もとごめ》銃を大量に手にして、全軍が馬関に引き上げて、馬関海戦は一方的な勝利に終わった。
だがユニオン号をのぞいた長州海軍の軍艦の破損は甚大で、高杉の乗るオテントサマ丸も、汽罐が傷んで航行できない。
幕府海軍はすべての新鋭艦が無傷で残っているのに、長州軍に攻撃をかけてこなかった。軍事力に圧倒的に優位な幕府軍が、長州軍を攻めきれないのは、戦意の低さが原因だろうと判断された。とくに小倉城に入った筆頭老中・小笠原長行は弱腰で、陣頭に立って戦おうとはしない。徴集された諸藩の兵も、幕府の弱腰に本気で戦おうとしない。そんな幕府軍相手に、長州兵は諸隊が奇襲攻撃をくり返し、各戦線で優勢を見せはじめた。
「これはすべての戦線で、長州軍の勝ち戦《いくさ》になる」
高次がそう判断したとき、幕府海軍の航海士官の野村幸治郎と橋本|久太夫《きゆうだゆう》が脱走し、亀山社中にくわわるべくユニオン号を訪ねてきた。
土佐の小高村出身の野村は、かつて龍馬に勝海軍塾入門をすすめられたが、果たせずに築地の軍艦操練所にとどまり、龍馬の亀山社中の活躍を目にしたとき、矢も楯《たて》もたまらず橋本を誘って脱走した。野村は江川太郎左衛門に西洋式砲術を学んだ砲術教授でもある。龍馬は喜んで二人を迎え入れた。
二人とも顔見知りの高次は、気に懸かっていることを野村に尋ねた。
「大助たちは幕府の軍艦に乗っておるのか」
「大助たちは築地の軍艦操練所に帰ってきたが、この海戦には乗り組んでおらぬ」
幕府軍に追いうちをかけるような凶報が届いた。将軍家茂の突然の死であった。七月二十日に大坂城で病死したのである。幕府軍は戦争どころではなくなった。幕威盛んなときであれば戦争を継続しつつ、将軍交替が行われたろうが、内外に問題をかかえる幕府は、将軍家茂の死ですべての機能が停止した。
その直後の七月三十日に、幕府軍に信じられない事件がおこった。征長軍総司令官の小笠原長行が、内密で小倉城を脱出し、幕艦富士山丸に乗り込んで、敵前逃亡してしまったのである。
これを知った長州藩より、味方の小倉藩のほうが驚いた。このような馬鹿げた戦などやっておられぬと憤慨した小倉藩兵は、みずからの手で小倉城に火を放って退却した。
遠からず徳川幕府が瓦解《がかい》するだろうことは、高次にもはっきりと予測できた。
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第五章 海援隊
第二次幕長戦争は終わった。敗れた幕軍は去り、長州藩は息を吹き返したが、亀山社中はふたたび苦境に突き落とされた。船がないのである。
ユニオン号は約定どおり、幕長戦争が終わると長州海軍局のものになり、船名も正式に乙丑丸《おつちゆうまる》と改められることになった。亀山社中にとって幕長戦争での出動は、いわば軍事協力の一つで、資金的な見返りを期待したものではなかった。
「ユニオン号がなくなれば、長崎に帰れぬ」
高次も苦笑するしかなかった。船がなくなれば、明日から仕事のめどがたたない。
「高次兄い。米がなくなりました」
四郎が空の米櫃《こめびつ》を高次に見せた。高次はユニオン号の船艙《せんそう》に積まれた長州米を思い出した。
甲板にたたずむ龍馬に話しかけた。
「坂本さん。あの長州米をどうにかできんじゃろうか」
「そうじゃな。いまは背に腹はかえられぬ。わしが桂さんに頭を下げてみる」
とりあえずみなの腹をみたさねばならない龍馬は、糧米をもらうために桂のもとに足を運んで申し出た。
「桂さん。ユニオン号の長州米を、わしにくれんかね」
ユニオン号には五百石の長州米が積まれている。西郷が受けとらなかった長州米を、返送された桂が意地になって、一俵も受けとらなかったからである。
幕長戦争で勝利をものにした桂は、長州藩のためにユニオン号で戦った亀山社中の功を大とするものの、いまは軍費を使いはたし、亀山社中を助けるどころではなかった。米五百石で亀山社中に返礼できれば安いものだと考えた。
「もともと薩摩に送った米じゃ。好きにするがよかろう」
「ありがたし。これでしばらくは飢えがしのげる」
亀山社中の隊士は、ユニオン号に寝泊まりして、長崎へ帰る薩摩船を探すことにした。炊き出された長州米を甲板で食べながら、高次は長崎に帰ったあとの困窮を思うと、気が重くなってきた。
長州米の一部を売って、長崎に帰りついた高次たちを待っていたものは、さらなる窮迫であった。金もなければ船もない。高次たちは行灯《あんどん》の油が切れた破れ畳の暗い小部屋で、長州米を食いつないで暮らしはじめた。
「また元の木阿弥《もくあみ》になったのう」
破れ畳に頬杖《ほおづえ》をついた高次が溜《た》め息をついた。薩長同盟をなしとげた龍馬の志は高いと思うものの、いつになったらこの窮迫からぬけだせるのか。
「わしがワイル・ウエフ号を沈めたために、隊士のみなに苦労をかけることになった。それを思うとみなに申し訳が立たぬ」
「なにをいう。船板一枚下は地獄じゃと、わしらに教えてくれたのは高次じゃ。わしらはそういう危険と隣り合わせの海の仕事をしちょる。おんしがいつまでもワイル・ウエフ号のことを気に懸けることはない」
龍馬はそういって高次を気遣ってくれたが、船がなければ仕事ができない。
新しく雇った水夫十五人は、佐太次と共に乾堂から借り受けた天神丸に乗り組ませて、自分の食い扶持《ぶち》を稼がせている。もともと千石船稼ぎは亀山社中の本意に添う仕事ではないが、雇い入れた水夫を社中の手前勝手で解雇すれば、長崎の船乗りに悪評が立つ。
隊士たちは、なにかうまい仕事はないかと、長崎の町をうろつきまわった。長崎では亀山の白袴《しろばかま》とうさんくさがられる亀山社中である。その白袴も馬関海戦の硝煙に汚れ、総髪の日焼けした男たちが、長崎の町を物欲し顔でうろつきまわる光景は、異様であった。
徳島藩の医学留学生がそんな隊士を見て、長崎で屋敷を借り上げた土州脱走人が、四十人ほどの他藩の脱藩浪人を餌付《えづ》けして味方につけ、一旗上げようとしているという噂を広め、それが高次の耳にも入ってきた。
この医学留学生にすれば、土佐脱藩浪人の親玉の龍馬が、諸国の無頼浪人を長崎に集めて餌付けして、なにか悪業をやるように見えたのであろう。さいわい小曾根乾堂の経済的支援もあって、隊士は飢え死にはしなかったが、このままでは海運業をつづけることもおぼつかない。
「わしが鹿児島に行って、船の仕事を探してくる」
龍馬が薩摩船で鹿児島に発つのを、高次は期待をこめて見送った。
龍馬がつかんだ情報では、伊予《いよ》の大洲《おおず》藩が軍艦の購入のために長崎に出張してきたが、外国商人の事情に昏《くら》いために、薩摩藩の小松に軍艦の周旋を依頼してきたという。小松に会った龍馬は、洋式船の経験のない大洲藩のために、亀山社中が航海指導を兼ねて、乗組員を派遣する仕事をもってきた。
「わたしが橋本さんと野村さんを連れて行ってきます」
駿馬が二人を連れて、大洲藩の航海指導に出かけたが、数人の隊士の派遣では経済的にどうしようもない。
いま社中は四十人余の男世帯になっていた。高次は明日の飯さえ食べられない貧窮の一因は、ワイル・ウエフ号を沈めた自分にあると思うが、社中に洋式船がなければ四十人を食べさせる海の仕事ができない。
万策つきた龍馬が、長州藩の支藩の長府藩の三吉慎蔵に、窮状を訴える書状を書いた。寺田屋で龍馬の護衛役だった三吉は、その後も親しく龍馬と書状を交わしあい、なにか困ったことがあれば、いつでも相談に乗る仲であった。
龍馬の書状はこう書かれた。
『いま社中には四十人もの隊士と水夫がいる。一人に付きどうしても年に六十両かかる。船がないいま、明日の飯を食べさせることに困窮している。長州藩は戦費を使いはたして頼れない。どうか長府藩で社中の者を引き取ってもらえないか。そうしなければ社中は解散するしかない』
龍馬の弱気を聞いた覚兵衛が、珍しく怒気を浮かべた。
「なんじゃと。わしらをまとめて、長府藩に売る気じゃと」
覚兵衛のすさまじい剣幕に、高次たちが二人を取りまいた。狭い亀山社中の土間に、夕闇がせまっている。
「そのとおりじゃ。船がなければ水夫に銭も払えぬ。ワイル・ウエフ号を沈めたいま薩摩には頼れぬ。わしは万策がつきたわい」
悄然《しようぜん》とする龍馬に、覚兵衛が荒げた声でつづける。
「社中の同志は、共同の運命に生きるというのが、わしらが交わした誓詞《せいし》じゃ。わしらはいま困窮しちょるが、だからというていまさら他藩を頼る気なら、はじめから社中などつくらぬがよい」
龍馬はおし黙ったままである。
「わしらの社中には、諸藩にはない船を動かせる人間がおる。これは天下広しといえどもわが社中だけじゃ。この宝があればかならず事は成る。おんし一人が苦労をしょいこむことはない」
「すまぬ。わしは銭に追われて、気が弱くなっちょった」
高次が一歩進み出た。
「坂本さん一人が気に病むことはない。覚兵衛がいったように、わしらは船の仕事で食う仲間じゃ。ここはどうあっても困窮に耐え、わしらの手でもう一度海に乗り出すことを考えよう」
貧窮を打破したい高次はグラバー邸に赴いた。小曾根家の千石船を四、五隻借りて仕事をする手もあったが、それでは世界に乗り出す亀山社中をつくった意味がない。
「洋式船の手伝いで、なにか仕事はないですか」
「洋式船ならどんな仕事でもやりますか」
「もちろんです」
困窮する社中をみかねて、グラバーが見つけてくれた仕事は汽罐掃除だった。
海を渡って長崎に来る外国船は、長い航海で汽罐に錆《さび》が出たり、取り付け螺子《ねじ》がゆるんでいる。だが汽罐を焚《た》いているときは、高熱があって修理ができない。入港して火を落としてから修理するが、長い航海をつづけた乗組員は、はやく上陸して風呂《ふろ》で垢《あか》を落として、そのあと遊廓《ゆうかく》になだれこみたい。そのまに汽罐の錆を落とし、螺子を締め直し、船底に浸水した汚れ水を掃除する仕事である。
高次は汽罐に強い腰越と、幕艦脱走組の橋本と野村を連れて仕事にかかった。汽罐の錆は鉄鎚《てつつい》で激しく叩《たた》いて落とさねばならない。汽罐は火を落としても余熱がある。全身が汗にまみれ、黒い煤《すす》で鼻の穴が真っ黒になり、白袴も赤錆で赤茶色に染まった。
互いの煤けた顔を見て、情けなくなった高次は苦笑した。
「わしらはカンカン虫じゃ」
幕艦脱走組の二人も、まさか食うために煤まみれで、錆落としをするとは思っていなかった。黒く汚れた顔で、一日中船底で汽罐をカンカン叩いた。
桂にもらった長州米も残り少なくなり、みな遠慮して二杯目の茶碗《ちやわん》を差し出さなくなった。夜中に腹がへると、高次はカンカン虫で稼いだ小銭を集めて、みなで二八蕎麦《につぱちそば》を食いに行った。ふつうの蕎麦は一杯十四文であるが、丸山の遊客相手に売れ残って伸びた蕎麦を、思案橋のたもとで、十四文で並みの倍の盛りにして食わせてくれる。これが二八蕎麦である。
高次たちは遊廓ではなく、二八蕎麦めあてにとぼとぼと空《す》きっ腹をかかえて、丸山遊廓へ歩いた。眩《まばゆ》い光にみちた遊里から、絃歌《げんか》の音が流れてくる。酔客が千鳥足で思案橋を渡っていく。高次たちは酔客を横目に二八蕎麦をすすった。伸びきった蕎麦の味はまずかったが、丼《どんぶり》に二杯食えばなんとか空腹はしのげた。
秋風が冷たさをましても、亀山社中をとりまく情況は好転しなかった。
亀山社中は窮地に追いこまれたが、龍馬は「蝦夷《えぞ》ケ島開発」の夢を捨てなかった。北方の護《まも》りを兼ねて、蝦夷ケ島開発を行う別動隊を育て、昆布や鰊《にしん》など蝦夷ケ島の豊富な海産物を大坂に運び、利を得ようとして北添佶摩《きたぞえきつま》を蝦夷ケ島に送ったことがある。
蝦夷ケ島開発の夢を追いつづける龍馬は、国内貿易に関して大きな腹案があった。それは九州諸藩を連合した「通商会社」を馬関につくり、亀山社中がその要《かなめ》になるというものであった。説得に奔走する龍馬の通商会社設立の腹案に、薩摩藩、長州藩、肥前大村藩などが乗った。
龍馬が蝦夷ケ島開発を実行に移す船が欲しいと考えていたとき、アメリカの大型風帆船が安く売りに出されていることを知った。売り主はアメリカ商人ウォルシュで、売値は一万二千両だという。
「あの大型風帆船が欲しいが、いまは薩摩藩に無心はできぬ」
龍馬の言葉に力がない。西郷も小松も亀山社中の窮迫は知っていたが、薩摩藩に六千三百両出資させたワイル・ウエフ号を、一航海で沈没させている。日々の生活を支援してもらっている乾堂にも頼める金額ではない。
「そうじゃ。お慶さんがおる」
龍馬は茶商人のお慶からの金策を考えた。お慶のもとには陸奥が足しげく通っており、陸奥がお慶の情人であることは、隊士の誰もが知るところであった。亀山社中の窮迫は陸奥の口から、寝物語にお慶に語られている。お慶は陸奥のためなら、いつでも大金を用立てると話していた。
大型風帆船が手に入れば、馬関の通商会社が利を生み、そこからお慶に借金に利子をつけて返せる。心を動かされた龍馬は、陸奥とお慶の屋敷に行った。お慶は山海の珍味で龍馬を歓待した。龍馬が借金の話を切り出すと、お慶は陸奥が担保であれば、一万両でも二万両でも貸すと請け合った。
翌日龍馬は金策がついたことを社中のみなに話した。
「まずは大型風帆船を見てこよう」
一同はウォルシュの商館に行き、沖に浮かぶ三本マストの風帆船に艀《はしけ》で漕ぎ寄った。甲板に立つとペンキの塗りは厚いが、手入れは行き届いている。
龍馬が高次に訊《き》いた。
「この大きさの風帆船なら、一万二千両が相応と思うがどうじゃ」
「高うはないと思う」
高次は三本マストを支える締具を揺すった。
「ロープ類もしっかり張ってある。外洋の航海にも障りはなかろう」
「ならば買うか」
龍馬が簡単に購入を口にした。
「銭はどうする」
「お慶さんに一万両借りられる」
高次は龍馬に反対意見を述べた。
「坂本さん。いまわしらは他人の褌《ふんどし》で、相撲をとる境遇でしかないが、女子《おなご》の腰巻きで相撲はとりとうない」
「女子の腰巻きとは高次も面白いことをいう。だがいまの社中は逆さにしても銭は出ぬ。船をもつためなら仕方がなかろう」
「わしは万次郎さんに聞いたが、アメリカの捕鯨船が航海に出るときは、何人かの船主が金を出し、それでも足りぬときは船や屋敷を抵当にして、バンコという所から銭を借りるという。それができんものかと思っておる」
「その船主がお慶さんでは、いかんというのか」
「わしは男芸者になってまで、船に乗る気はない」
横に立っていた陸奥が横柄に口を入れた。
「おい高次。社中の金繰りはわしがやる。おぬしは黙っておれ」
「なんじゃと」
「待て陽之助。高次のいうことも聞いちゃれ」
陸奥が苦々しそうに口をつぐんだ。陸奥を無視した高次が話し出した。
「わしらが洋帆船をもつということは、それを動かして商いをすることじゃ。そのなかから銭を返せばよい。いまわしらは千石船の稼ぎで暮らしを立てとる。この時世に千石船に乗り、カンカン虫で日銭を稼ぐのも、自分の船を手に入れたいという志があるからじゃ。だからわしは男芸者になる気はない」
高次が吐き捨てた男芸者という言葉の裏側には、陸奥に海に出て汗して稼げという痛烈な批判がこめられていた。女の庇護《ひご》をうけて平気な男の口ききと思うだけで、海に乗り出す意義が吹き飛ぶ。
「高次のいうことは一理ある。請人を乾堂さんにすれば、薩摩藩も船の保証なら引き受けてくれるかもしれぬ」
龍馬の申し出を小松は快諾した。すぐ長崎藩邸の会計吏が、ウォルシュとの交渉に立ち会い、商談は順調に進んだ。買い取り条件は〈請人〉を小曾根乾堂とし、薩摩藩が〈連帯保証人〉となり、ウォルシュへの代金は分割払いとするものである。
たとえ代金が遅延しても、薩摩藩には迷惑をかけず、亀山社中の信用で責任をとる旨を記した一札が、書状にしてウォルシュと薩摩藩に差し出された。こうして亀山社中は大極丸と名付けられた四百|噸《トン》の大型帆船を手に入れた。
「これで蝦夷ケ島の産物を、大極丸で大坂に運べる。さすればすぐ借金が払える」
亀山社中の起死回生の宝船になるかもしれない大極丸を手に入れた龍馬が、満足気な笑みを浮かべた。
龍馬の腹案は、別船仕立てで蝦夷ケ島の産物を大坂に運ばせ、それを売った大極丸が塩俵を大量に買い付け、蝦夷ケ島に航海して、鮭《さけ》の塩漬け用の塩と俵を売りさばくというものである。帰り船には昆布、干鰊《ほしにしん》、塩鮭を満載して、大坂で本格的に交易をはじめる。その仲介を馬関の通商会社が行い、軌道に乗れば龍馬は馬関に出向き、お龍と共に馬関に腰を落ち着けて商売をする計画であった。
「大極丸が出帆すれば、長く長崎を留守にすることになる。船将は誰にする」
「駿馬がよかろう。若いが駿馬の腕は信頼できる」
高次の提案で船将は駿馬に決まった。ワイル・ウエフ号の二の舞いを避けるために、大極丸の操船に隊士が慣れるまでは、アメリカ人水夫二名を雇うことになった。意気込む龍馬は、手の空いている隊士を乗り組ませ、大極丸は大坂めざして出帆した。
四郎も乗り組むことになった。かつて一番丸で蝦夷ケ島に行ったものの、望みがかなわずに江戸に帰ったが、ふたたび北の海がめざせる。
二十歳になった駿馬と四郎は、蝦夷ケ島開発の夢を語り合った。
「四郎が箱館《はこだて》で食べた馬鈴薯《ばれいしよ》は、どんな味じゃった」
「茹《ゆ》でて塩で食べたが、ほくほくしてそれは旨《うま》かった」
「鰊も食べたか」
「鮭も鰊も食い放題じゃった。わしらの一番丸は蝦夷ケ島の海で、嵐でメインマストを切り倒したが、この大きな大極丸なら大丈夫じゃ」
大極丸は戦火のおさまった馬関海峡を抜けて、大坂に着いた。だが大坂に蝦夷ケ島の産物が届いていない。ひと月待ったが結局船荷が届かず、このままでは龍馬の計画した蝦夷ケ島の商売が成り立たないうえに、大極丸の代金の支払いのめどがたたない。
手違いの原因は蝦夷ケ島の産物を運ぶ船主に、手付金しか払えなかったことである。これは亀山社中の苦しい経済状態を反映していた。そのため壮大な蝦夷ケ島貿易計画も、しょせんは龍馬の夢の域を出ず、大極丸は兵庫沖で担保としてウォルシュに差し押さえられた。そのあおりで蝦夷ケ島開発計画そのものが、中止の羽目に追い込まれた。
夢の破れた四郎が不平を口にした。
「坂本さんの考えることは、大きゅうておもしろいが、天下国家の大風呂敷《おおぶろしき》のどこかに、穴があいておるようじゃ」
結局、大極丸はウォルシュの担保として、兵庫沖に停め置かれることが決まった。駿馬たちは別船を求めて長崎に帰ってきたものの、亀山社中の窮迫はさらにました。
そんなとき高次を励ます飛脚便が、土佐から届いた。万次郎が認《したた》めた書状と書物である。書状によれば万次郎は、薩摩の開成所で二年間教えたあと、この春に土佐の山内|容堂《ようどう》の強い要望で、土佐藩の「開成館」の教授に招かれたという。頑迷な保守|攘夷《じようい》論者が支配してきた土佐藩も、老公の容堂が近代化に向けて政策転換をはじめ、その手はじめが万次郎の教える開成館であった。開成館には金銀を探索する鉱山局、新しい事業を勧める勧業局、洋式海軍を整備する軍艦局など十局が設けられて、藩政の近代化をはかるのが目的であると書かれてあった。
書状を読み終えた高次は、書物の包みを紐解《ひもと》いた。
「おお。海上航法の訳本じゃ。万次郎さんはわしとの約定を覚えておって、こうして訳本にして送ってくれた。嬉《うれ》しいのう」
高次を喜ばせたのはそれだけではない。他にアメリカ捕鯨学校教本の訳本もあった。高次は捕鯨教本を宝物のように押し戴《いただ》いた。
「どれどれ。わしにも見せよ」
佐太次が捕鯨教本を開いた。
「これはええ。鯨|獲《と》りのやり方が絵図もそえて書いてある。これならわしでも覚えられる。万次郎さんはありがたいお方じゃ」
捕鯨教本を見た駿馬が目を輝かした。
「鯨獲りに行くなら捕鯨船がいります。わたしは修船場を造ることが夢ですが、そうなれば高次さんたちの捕鯨船を造ってあげます」
「駿馬よ。嬉しいことをいうではないか。その言葉を忘れずに覚えておくぞ」
困窮している社中に、久しぶりの笑顔が見られた。その他にも中国語で書かれた万国公法があった。これは龍馬への贈り物だと書かれてあった。
高次は龍馬に万国公法を差し出した。
「おお。これが万国公法か」
龍馬は近眼の目を細めて、中国版の万国公法をめくった。
「これはわしが読み通すには難儀な本じゃ。物識りの謙吉に訳させよう」
龍馬は書記役の長岡謙吉の名前を上げた。龍馬の親戚《しんせき》筋にあたる謙吉は、長崎でオランダ人医師シーボルトに師事し、医学を習得しながらオランダ語、中国語、英語を学んだ学者肌の男である。社中ではもっとも筆が立つ男として知られていた。
高次は龍馬に万次郎の書状を見せた。読み終わった龍馬が眉《まゆ》を上げた。
「万次郎さんは土佐の仕事で上海に行き、帰りに長崎に立ち寄ると書いてある。土佐がどう変わったか、長崎に来たらぜひお会いして、話を聞きたいものじゃ」
万次郎の飛脚便と前後して、留次郎から封印された木箱と書状が届いた。
高次は懐かしさにかられて書状を開いた。一読した顔に笑みが浮かんだ。
『高次兄いへ――』
と表書きされた書状には、『おいらが字を書けねえのは、兄いも承知のことです。だから代書屋に、おいらの言葉のままに書かせやした』と書き出してあった。
『高次兄いの亀山社中の噂は、こちらでも聞いております。徳川の海軍に馬関で勝ったそうで、おいらも喜んでおります。ところで辰五郎親分といえば、一橋の殿さんが将軍さんになってしまいました。将軍さんになってからも殿さんは、親分のことを頼りにしていつも側から離しません。ですからおいらみてえな火消しが、将軍さんのそばにいるから妙な心持ちです』
いかにも留次郎らしい調子で、大坂の「を組」の暮らしが書かれたあとで、大坂の将軍慶喜の護衛兵のことが書かれてあった。
『将軍さんの旗本ときた日には、その数は一万五千もおりやすが、どうにも腰抜けばっかりで、おいらたちに威張りちらすばかりです。腹が立ちましたから、このまえも若い者《もん》二十人ほどで喧嘩《けんか》を仕掛けました。やつらは「を組」の火消しが、江戸で大名火消しを八人殺したことを知ってたらしく、おいらたちが鳶口《とびぐち》を振りかざしたら、蜘蛛《くも》の子みてえに逃げ散りやした。将軍さんのそばにいるのは、こんな情けねえ奴ばっかりです。ですが徳川の力はまだまだ強《つえ》えと親分はいっておりやす。もし戦争になって兄いが危ねえ目にあったら、「を組」の印半纏《しるしばんてん》を着てくだせえよ。なにしろ将軍さんの側につかえる新門一家の印半纏なら、どこにいっても恐くねえでやんす』
留次郎は旗本の腰抜けに腹を立てたあと、こう結んであった。
『高次兄いに会いてえが、そうもいきません。また会ったら一杯やりましょう。これで最後にしますが、一橋の殿さんが将軍さんになったおかげで、おいらたちにもご褒美をくれやした。おいらは兄いになんにもできねえから、ご褒美の十両を送ります。高次兄い。はやく会いてえよ』
高次は留次郎が送ってくれた十両をじっと見つめた。大極丸が借金の担保で差し押さえられたままで、亀山社中が困窮していることを知ったのかもしれない。それを耳にした留次郎は、江戸っ子らしくさらりと気遣ってくれた。留次郎の粋《いき》なはからいに、高次は泪《なみだ》を拭《ぬぐ》った。
その晩高次は、社中の者と丸山|遊廓《ゆうかく》の蕎麦《そば》を食いにいった。作りたての十四文蕎麦はこしがあり、二八蕎麦より格別に旨《うま》かった。久しぶりに満腹になった高次たちは、行灯《あんどん》の油のない小部屋に帰って熟睡した。
窮迫する社中に頭を痛める龍馬を、さらに弱気にさせたもう一つの原因は、お龍と隊士の反目であった。気が強いお龍は、好悪《こうお》の感情が激しかった。隊士が龍馬に用があり、小曾根家の離れを訪ねても、お龍は笑顔一つ見せずに応対する。
社中に上下はないとはいえ、隊士は隊長格の龍馬の妻のお龍のことを、「姉《あね》さん」と呼んでいる。姉さんであれば困窮する社中の宿舎にきて、炊《かしき》仕事くらい手伝ってもよいと思う。お龍には癪《しやく》の病《ヒステリー》があり、龍馬と長崎に来てから精神状態が不安定になり、激しい癪が襲うことがあった。気が鬱《うつ》して発病すると、手当たりしだいに茶碗《ちやわん》や皿を投げつけた。これには龍馬もなすすべがなかった。
隊士は小曾根別邸に足を運びたがらないが、高次とお龍はなんとなくうまがあった。六尺近い龍馬と同じくらい大きな高次に、お龍が安堵感《あんどかん》を抱いたのかもしれない。
お龍の住む小曾根家の離れは、風頭山《かざがしらやま》と峨眉山《がびさん》を借景にした小曾根屋敷の海の望める一角にある。夏には橙《だいだい》色の花を咲かせる凌霄花《のうぜんかずら》の植え込みがあり、乾堂が遣わした女中の手で、庭も離れも掃除が行き届いていた。冬は陽当たりがよく、京生まれのお龍は、眩《まぶ》しそうに目を細めて、一人海を見ていることがあった。
留守の多い龍馬のいない寂しさをまぎらすために、お龍は月琴《げつきん》を習っていた。
高次が離れを訪ねると、お龍が気分のよいときには、
「高次よ。あての月琴を聞いてくだはりますか」
と長崎独特の月琴の音色を奏でてくれた。江戸では耳にすることのない月琴の音色は、南国長崎の風景に溶け入るようで、高次にとってつかの間の安らぎになった。高次はいまは世帯をもつ気はなかったが、夫婦の安らぎとはこんなものだろうと思いをめぐらした。
だが龍馬がときおり薩摩藩の招きで丸山遊廓で遊び、朝帰りするとお龍の顔が癪に引き攣《つ》った。龍馬はそんなお龍を、馬関の伊藤|助太夫《すけだゆう》の離れに移すことにした。龍馬は伊藤家の離れを「自然堂」と名づけて、お龍に新しい生活をはじめさせた。二千坪の庭に邸宅が建つ豪商の伊藤家は、毛利家以前から馬関で栄えた名家であり、主人の助太夫は詩歌も詠み、お龍も歌会に招かれて、やっと落ちついた様子であるらしい。お龍を伊藤家に寄寓《きぐう》させた龍馬は、晴れ晴れとした顔で長崎に帰ってきた。
亀山社中が壁につき当たって困窮のきわみにあったとき、仕事探しに出歩いていた高次は、中島川に架けられた眼鏡橋を渡ってくる万次郎の姿を見つけた。
高次が懐かしさを顔中にあらわして万次郎に駆け寄った。
「おおっ。万次郎さんではないですか。上海からお帰りですか」
「そうじゃ。わしも高次を捜しておった。酒でも飲んで話をせぬか」
書状にあったように、上海から帰った万次郎は生き生きしていた。万次郎は同行の土佐藩士と別れ、阿蘭陀《オランダ》料理の吉田屋に高次を誘った。吉田屋は外国商人が使う店らしく、店内の床に石が敷きつめられ、囲いで仕切られた小部屋に、テーブルと椅子が置かれてあった。
「きょうはわしの奢《おご》りじゃ。気持ちよう飲んでくれ」
「お言葉に甘えます」
二八蕎麦をすするのが精いっぱいの高次の鼻に、料理を運ぶ給仕人の大皿から、油で炒《いた》めた肉の匂いがただよってきた。その匂いに思わず高次は生唾《なまつば》を飲み込んだ。
「この吉田屋には土佐藩の商談でミスタ・グラバーと二度来たことがある。どうじゃね。久しぶりの二人の祝いの席じゃから、シャンパンでも飲むかね」
「懐かしい泡の酒ですな」
二人はサンフランシスコを思い出して、長崎でしか手に入らないシャンパンで乾杯した。
高次はあらためて書物を送ってくれた礼を口にした。
万次郎が手を横に振った。
「それはわしの生き甲斐《がい》じゃ。礼などいうことはない。それでなにが食べたい」
「肉の料理が食いたいです」
肉料理を注文した万次郎は、江戸にいたときより寛《くつろ》いだ様子で、シャンパンを飲んでいる。思い出すように万次郎が話しはじめた。
「のう高次よ。どうやら天がわしに与えた役振りは、日本で捕鯨事業を興すことではなかったようじゃ。わしは幕府の軍艦操練所で教え、薩摩の開成所に招かれ、いまは故郷土佐の開成館で教えちょる。それらはすべて若い人を育てる有意義な仕事じゃ……だからわしは高次が海の本を読み、アメリカに一歩でも近づくようになれば、それがなによりの喜びだと思うようになった」
「坂本さんも万国公法をもらって喜んでおります。いずれ社中で出版したいというとりました」
「それはええことじゃ」
万次郎が満足そうにうなずいた。
「書状によれば、土佐も変わってきたようですな」
「だが反対も多い」
万次郎は土佐藩が新政策を実行するうえで、独断で知られる容堂でも、土佐人の頑迷さに手を焼いていると苦い顔をした。神国日本を奉じる狂信的な攘夷論者が、なぜ洋夷《ようい》の真似をせねばならぬと容堂に詰めよった。そこで新政策を強力に推し進めるために、容堂は二十九歳の後藤|象二郎《しようじろう》を大抜擢《だいばつてき》したといった。
「後藤さんは戦国争乱期の後藤又兵衛の末裔《まつえい》といわれちょる。豪傑肌で果断な行動力があり、わしも後藤さんと上海まで行動を共にして、そのことがようわかった」
物事を大局的にとらえる後藤は、決断力にすぐれていると万次郎は語った。後藤は「象二郎の大風呂敷《おおぶろしき》」と他人が陰口をたたくのをむしろ好み、途方もない話で相手を煙に巻いた。後藤のような豪放で行動力のある男ならば、頑迷な土佐人の旧秩序を破壊して、開成館の新体制を推し進めるのに、まさにうってつけの人物であろうと万次郎が誉めた。
「それでもまだ土佐は攘夷論者の力が強く、後藤さんが開成館で、洋夷の真似をして近代化をはかるのがけしからぬと、頭の古い連中に命を狙われたんじゃ。それでやむなく攘夷論者の熱を冷まさせるために、上海に渡っていま長崎に帰ってきた」
高次は土佐人の頑迷さがわかる気がした。その頭の古さのために、土佐人がいちばん多く脱藩して、龍馬をはじめとする土佐人が、亀山社中の中心をなしている。
「だが幕府が長州藩に敗れた報が土佐に届き、それから国許《くにもと》の連中が後藤さんが見る目が変わった。つまり外に目を開かねば、時流にとり残されるとな……だから後藤さんの仕事がやりやすうなったんじゃ」
アメリカで食べたぶ厚い一枚肉とは違う、オランダの肉料理が運ばれてきた。豚の脂身を煮たようなものや、青い野菜が鶏肉と油で揚げてあった。高次はみっともないほどの食欲で肉料理を平らげた。満腹した高次に万次郎が尋ねた。
「それで高次の長崎の暮らしぶりはどうじゃ」
高次はワイル・ウエフ号遭難で九死に一生を得たことや、船がなくて苦しい毎日であり、亀山社中は経済的に困窮していると、正直に現状を伝えた。
「高次に悩みなどないと思っちょったが、坂本さんと一緒に苦労しちょるわけか。それで腹が減っておったんじゃな」
万次郎が笑いながら自分の肉料理の皿を、高次の前に押しやった。
「ところで万次郎さんに訊きたいことがあります」
「なんじゃ」
「わしは船がやりたくて長崎まで来ました。社中はいま苦しいが、先に望みがあるから気張っております。そんなわしらが望みを捨てぬためには、なんとしても船をもつことが肝要です。アメリカの捕鯨船は多くの船主が金を出しあって、船を買うと万次郎さんに聞いたことがありますが、そのことをもっと知りたいんじゃ」
「それは数人の船主が、株というものをもちあって、船を買う仕組みじゃ。だが捕鯨船は高価なためにそれだけでは足らず、船をバンコ(銀行)の抵当に入れて金を都合して、それをのべ払いで返していく」
万次郎はアメリカの共同船主と、株の仕組みを高次に教えた。高次はわからないことはなんども尋ねて、共同船主による株式の概念をつかんだ。
「ところで後藤さんは、おんしらの亀山社中に、強い興味をもっておるぞ」
「ほう。そうですか」
「わしがアメリカから土佐へ帰ったとき、吉田東洋様のお屋敷に呼ばれて、アメリカの話をしたことがある。そのときわしの話を熱心に聞いておった一人が、十五歳の後藤さんじゃった。わしは後藤さんに一枚の世界絵図を与えた。喜んだ後藤さんはそれを見て、目を大きく世界に広げられたそうじゃ。そしていま土佐藩を改革する重臣として、この長崎に来ちょる」
万次郎がシャンパンを飲んでつづける。
「そして剣術修行から帰った坂本さんに、河田小竜さんがアメリカの話を聞かせて、世界の海に目を開けと話した。いま思えばこの二人は、わしのアメリカ話が縁となり、世界に目を向けたことになる。それから二人が進んだ道は違ったが、長い歳月をへていま同じ目的に近づいてきちょる。これもまた不思議な縁じゃ」
「おもしろい話ですな」
「このたび上海で後藤さんは軍艦を三隻買ったが、土佐藩に操船できる者は少ない。そこで土佐脱藩者が多い亀山社中のことが、いつも後藤さんの頭から離れんのじゃ」
「軍艦を三隻も買ったのですか」
うなずいた万次郎の口調が熱をおびてきた。
「そればかりではない。わしは旅のつれづれに、土佐藩を時流から遅らせないためには、亀山社中と手を組むのがいちばんじゃと後藤さんに話した。そうすれば土佐藩も亀山社中もうまくいく。わしも土佐の生まれじゃきに、それが成れば嬉《うれ》しいと思っておる」
高次は万次郎の話を聞いていて、体の芯《しん》が熱くなってきた。もしかすると亀山社中を困窮から救えるのは、土佐藩かもしれぬ……。
「だがこの話が成るには、大きな危険がある」
「なんですか」
思わず高次は身を乗り出した。
「後藤さんは坂本さんの仇《かたき》なんじゃ」
「仇ですか」
高次は杯を手にしたまま万次郎を見つめた。
「そうじゃ。後藤さんを仇と思う者は坂本さんだけではない。おんしの社中にいる土佐人は、みな後藤さんを殺したいほど憎んじょるはずじゃ」
万次郎は土佐藩の一大騒動を高次に話した。その事件は土佐藩政を牛耳っていた吉田東洋が、武市半平太《たけちはんぺいた》一派に暗殺されたことに端を発する。容堂に抜擢された後藤は、東洋暗殺の下手人を探索する一方で、下手人と見られる土佐勤王党の弾圧に乗り出した。武市半平太を捕らえて殺し、土佐勤王党の多くの同志を誅殺《ちゆうさつ》した。土佐勤王党で武市と血盟した同志である龍馬たち土佐脱藩浪士は激怒して、いまも恨みを抱いている。
「これを命じたのは容堂公じゃが、侍は藩主の容堂公を恨むことはできぬ。そこで実際に手を下した後藤さんを、親の仇のように憎むようになった。だから後藤さんが心を開いても、坂本さんたちはこの話には乗らぬかもしれぬ」
その晩二人は遅くまで飲みあかしたが、万次郎の話に亀山社中の希望の灯を見いだした高次は、満足した気持ちで亀山社中に帰った。
翌日高次は、万次郎の話を佐太次に聞かせた。
「わしらは海をやるために長崎に来たからには、洋式船を手に入れて仕事をせねばならぬ。だがいまの社中には金がない。そのために万次郎さんの話は、十分に考えるに足ると思うが、おぬしはどう考える」
「わしら塩飽衆が心せねばならぬのは、どういう手だてで世界の海に乗り出すかじゃ」
佐太次が一瞬考えるように言葉を切った。
高次は佐太次がなにをいいだすのか、つぎの言葉を待った。
「わしらは勝頭取とアメリカを見て、あのように身分の隔てのない国にしたいと思った。そして階級に縛られず、自由に海に乗り出して行くことがわしらの夢じゃ。だが亀山社中が土佐藩と手を組めば、侍の身分の枠に組み込まれてしまうような気がする。そうなれば、わしらが坂本さんと手を組んだ意味がのうなる」
「ということはおぬしは、亀山社中が土佐藩と手を組むことに反対か」
「一方的に反対するつもりはない。亀山社中が自由な立場をつらぬければ、それでもええと思うが、侍同士ではそうはいかぬであろう」
「ならば亀山社中が土佐藩の下風に立たず、薩摩藩と同じように横並びの立場になればええのか」
「そうじゃ。だが侍は面子《メンツ》と藩にこだわって、なかなか融通のきかぬものじゃ。土佐の侍と土佐脱藩者が話をすれば、どうしても他人《ひと》ごとではいかなくなる。わしはそのことを心配するんじゃ」
「わかった。いずれにしろわしらは船をもつことを考えねば、これからなんとも身動きがとれぬ。わしらが土佐の下風に立たずに船がもてるものなら、坂本さんに考えてもらわねばならん」
高次は土佐の侍同士の古い仇の話に、首をつっこむつもりはなかったが、亀山社中のために万次郎の話を、龍馬に伝えるべきときだと思った。
「坂本さん。話がある」
高次は小曾根家の離れを訪ねて、庭から海を眺めながら、万次郎から聞いた土佐藩の変化と後藤の話をした。そして後藤が龍馬と会いたがっていると伝えた。
「後藤が長崎に来ちょることは、わしも知っちょる。だがわしらは土佐藩を見捨てて、脱藩した人間じゃ。しかも後藤は半平太を殺した仇じゃ。わしらは後藤を見ればかならず殺す。だからそういう話には乗れぬ」
龍馬が暗い顔で海を見た。土佐人の恨みの深さは土佐人でないとわからない。だが土佐人の恨みは亀山社中の恨みではない。
高次は自分の意見を口にした。
「わしには侍同士の恨みはわからぬ。だが万次郎さんのいうことはようわかる。いまは土佐人の恨みより、亀山社中が海に出られることを考えたほうが、ええと思うが」
そのとき龍馬を訪ねてきた陸奥が、高次の話を小耳にはさんで、横柄な口調で割りこんだ。
「おい高次よ。おぬしは坂本さんが、どれほど土佐を憎んでおるか、よう知っておるはずじゃ。それを訳もわからず、つまらんことを差し出口するな」
「つまらんことじゃと」
高次が怒気を含んで陸奥をふり返った。高次には龍馬がこの男を庇《かば》う理由がわからない。
「わしは社中が船をもつために、坂本さんと話をしとるんじゃ。おぬしこそ黙っちょれ」
「このわしに黙れじゃと」
陸奥の目が意地悪く光った。
「おぬしは漁師上がりのぶんざいで、一人前の口をきくではない」
「漁師上がりじゃと」
「そうじゃ。坂本さんの武士としての立場がわからぬおぬしは、漁師上がりじゃ」
海に出ず龍馬の腰巾着《こしぎんちやく》のような陸奥に、高次の体の奥底から怒りが込み上げた。
「男芸者のおぬしに、海に体を張った漁師上がりが、どういうものか教えてやる」
大きな体を震わせた高次は、刀を抜いて陸奥を睨《にら》みすえた。陸奥の頭には侍の悪弊がつまっている。高次の体に穀《ごく》つぶしへの怒りがみなぎった。
高次のすさまじい怒気を感じた陸奥の顔が真剣になった。二、三歩後ずさりして刀の柄《つか》に手をかけた。
「やるのか」
高次は刃物をもって喧嘩《けんか》をするのは初めてだった。相手は侍である。恐怖心はあったが、両手に力を入れて気力をふりしぼった。
龍馬はなにもいわずに二人を見守っている。陸奥に斬りかかる気力のないことは、一刀流免許皆伝の龍馬にはすぐわかった。高次は陸奥の目を見たまま一歩踏み込んだ。陸奥がずるりと後ずさった。
「もうそれくらいでよかろう。高次も刀をおさめよ」
龍馬が二人の気迫の差を見抜いて止めに入った。
「陽之助も口がすぎる。万次郎さんが土佐のことを思う気持ちは、ようわかっちょる。しばらくわしに料簡《りようけん》させてくれ」
高次は陸奥を睨みすえたまま刀をおさめた。
社中の土佐人の間でも、後藤の話が出たことが高次の耳に届いた。土佐脱藩浪士にとって後藤は憎い仇である。長崎にあらわれた後藤を、斬ろうと息まいたのは惣之丞や覚兵衛だけではない。太郎や英吉、温厚な作太郎や謙吉までもが、後藤を襲撃する気配を見せたらしい。
ことは土佐藩だけの問題であるというのが、土佐人の言い分のようだ。だが後藤襲撃の話を狭い社中でやれば筒抜けになる。惣之丞たちは三宝寺の境内に龍馬を呼び出して、後藤を斬る話をはじめた。
龍馬は陸奥がいうように、土佐藩が憎いわけではなかった。いまも土佐藩のことを想うと、懐かしさで泪《なみだ》がこぼれる。龍馬が嫌ったのは土佐藩の旧《ふる》い頑迷さである。その旧秩序さえなくなれば、万次郎の話は耳をかす価値が十分にあると思いはじめている。
「後藤を斬るのはひとまず待て」
龍馬はいきり立つ土佐人を制した。
「なぜ止める。本来なら免許皆伝のおんしが先陣を切り、後藤に初太刀をつけねばならんのに、腰が抜けたのか」
惣之丞がまなじりを吊《つ》り上げた。
「おんしらの気持ちはようわかる。だが亀山社中は土佐人だけのものではない。そこをよう思案してくれ」
「そんなことはいわれんでもわかっちょる。だからこれは社中の争いごとではなく、土佐人として後藤を殺すんじゃ。それなら誰も止めることはできんじゃろう」
土佐脱藩組の後藤への憎しみは、はかり知れないものがあることは、高次にもよくわかる。だが土佐人の旧恨よりも、亀山社中の困窮を救うことが重要である。万次郎と話して肚《はら》を決めた高次を、土佐人が避けるようになった。それから惣之丞と覚兵衛は秘密|裡《り》に二人、三人と外出させて、後藤の動きを探索させた。
後藤は襲撃の刺客に感づいたが、宿の財津屋を替えようとせず、夜になると丸山|遊廓《ゆうかく》にくり出した。後藤の動きを完全に察知した土佐人は、後藤暗殺の手はずをととのえて夜を待った。
土佐人の恨み事とは関わりなく、高次たちは日銭を稼ぐために、外国船が入港すると、汽罐《きかん》掃除に出向いた。天神丸も休むことなく航海に出ている。四郎と駿馬に船頭をまかせた佐太次が汽罐掃除にくわわった。その日も煤《すす》まみれになって仕事を終えた高次たちが、三宝寺坂を登っていくと、惣之丞を先頭に土佐人一行が下りてきた。
「おぬしらだけでどこへ行く」
高次は惣之丞に声をかけた。だが惣之丞は答えない。土佐人を不穏な空気がとりまいている。高次は一歩踏み出した。
「察するところおぬしら土佐人は、長次郎の二の舞いをやるつもりではないのか。社中はなにごとも隠しだてせず、みなで相談するのが隊規じゃ。それを忘れたわけではあるまい」
惣之丞が殺気走った声で叫んだ。
「おんしが土佐人にとやかくいうなら、わしらは社中を脱けて後藤を殺しにいく。それなら文句はなかろう」
「社中を脱けるじゃと」
高次の顔に怒気が走った。惣之丞たちの気持ちはわからぬではないが、私恨で社中を脱けるなどと、決して口にすべき言葉ではない。
「それではここまでみなで苦労してきたことはなんじゃ。海に出るためであろう。それを土佐人だけの恨み事で、勝手なことをいうではない」
後藤を殺す覚悟で殺気走った惣之丞と、汽罐掃除で疲れきった高次が睨《にら》みあった。
「まあ待て」
佐太次が二人のあいだに割って入った。
「土佐人が後藤を殺そうが、それは土佐人の勝手じゃ。だがわしらの亀山社中は、船で仕事をするために長崎に来た。万次郎さんの話を高次から聞いたが、後藤はわしらに船の仕事を考えておるという。もし後藤を殺したために、わしらに船の仕事がこなくなったら、惣之丞よ、どうするつもりじゃ」
惣之丞も後藤襲撃のことは、土佐人の私憤であることはわかっている。佐太次に亀山社中の仕事のことを口にされれば、惣之丞も黙るしかなかった。
ここまで事が表立ったからには、龍馬は後藤にはやく会うしかなかった。そうでないと土佐人が暴発して、社中の結束がくずれる。
そのとき龍馬は別の筋からも――江戸の剣術修行のときに知り合った上士の溝淵広之丞《みぞぶちひろのじよう》から、後藤に会ってほしいとの書状を受け取っていた。二人が会うことが亀山社中と土佐藩のためになると、溝淵は書状で熱く書き綴《つづ》ってきた。そのために龍馬は土佐人を説得することが先決となった。
密議は避けたい龍馬が高次をともなって、後藤に会うことを土佐人に切り出すと、惣之丞が大刀の鞘《さや》を畳に突き立てた。
「おんしが先陣をきって、後藤を斬るというのならともかく、仇《かたき》と会うとはどういう了見じゃ。わしはそんな話を聞く耳はもたん」
覚兵衛も他の土佐人も惣之丞と同じ意見である。
「まあわしの話を聞け」
非難の目を向ける土佐人に、龍馬はもの静かな口調で語り出した。
「もしわしらの亀山社中と手を組みたくなり、船を動かしてくれといってきた相手が、土佐の郷士《ごうし》や庄屋の倅《せがれ》だったらおんしらはどうする。それならば渡りに舟と、この話に飛びつくはずじゃ。どうじゃ惣之丞。そうではないのか」
惣之丞が痛いところをつかれて、苦虫を噛《か》んだような顔をした。
「つまりわしらはこう考えればよい。いままで亀山社中を支えてくれたのは薩摩と長州の二藩じゃ。この二藩がなければ仕事もなく、亀山社中はもっとはように潰《つぶ》れちょったかもしれん。わしらを助けてくれた薩長にこれから土佐がくわわる。つまり薩長土になるわけじゃ。その使いが後藤だったと考えればよいではないか」
「まあ、それも理屈じゃ」
惣之丞が不承不承にうなずいた。
「船が手に入るならば、おんしが後藤に会うことは認めよう。だがそれと仇とは別もんじゃ。そのことをくれぐれも忘れるではないぞ」
「やっとわかってくれたか。後藤との話は帰ったら、おんしらにこと細かに話す」
横で聞いていた高次は、龍馬の事の捌《さば》き方のうまさに感じ入った。
その帰り道に高次は胸にあることを口にした。
「坂本さんに尋ねたいことがある」
「なんじゃ」
「後藤と会うのはかまわぬが、貧すれば鈍すというように、亀山社中が船欲しさに土佐藩のいうなりになるのではないかと、わしはそれを心配しておる。佐太次も同じ気持ちじゃ」
「おんしはええとこをつく。まずわしの肚《はら》を聞いてくれ」
龍馬が話し出した。
「わしはおんしらと社中をつくり、外国と交易するために長崎に来た。他の隊士もみなそうじゃ。だがこと志と違ってうまくいかぬ。わしは貧窮のあまり、乞食になった自分を夢に見たこともある。……だがわしは土佐の頑迷さを心から憎み、親兄弟まで捨てて脱藩した身じゃ。そのわしがもし貧窮に負けて、おめおめと土佐藩の下風につくというなら、おんしにこの命をくれてやる。これでどうじゃ」
龍馬は不敵な笑みを浮かべた。
「坂本さんの肚はようわかった。それだけの強い覚悟があれば、わしはこれ以上なにもいうことはない」
高次と土佐人の了解を得た龍馬は、榎本《えのもと》町にある料亭の清風亭で後藤に会った。清風亭は土佐藩の長崎出張所の土佐商会に近く、土佐藩士が使う料亭である。主人が万端用意を整えて龍馬を迎えた。
上士出身の後藤は偉ぶらず、龍馬に黙礼して上座にむかえて愛想よく座についた。後藤は初めて会う龍馬に、細心の心配りをしていた。
「お元《もと》ではないか。どうしたんじゃ」
龍馬の顔が、芸妓《げいぎ》のお元の顔を見て、にこやかになった。
「へえ。後藤様が呼んでくれました」
後藤は龍馬の丸山での愛妓を調べて、龍馬お気に入りのお元を酒席の場にはべらせて、龍馬との座を如才なくとりもった。
雑談ではじまった二人の会話は、やがて後藤を驚かすことになる。一介の脱藩浪人と思っていた龍馬の交友範囲は幕閣の勝にはじまり、越前藩主の松平|慶永《よしなが》(春嶽)にまで及んでいる。しかも薩長二藩では、幕府に対抗できる桂、高杉、そして西郷にまで親密なつながりをもっている。後藤は万次郎から話を聞いて、それなりの男だと確信していたが、その思いをはるかに超えていた。
〈これはただの脱藩浪人ではない……〉
後藤はその場で龍馬に魅了された。さらに龍馬の亀山社中には、蒸気船を動かせる海軍力と、広く張りめぐらされた情報力があることもわかった。後藤は過去のことには一切触れず、それからは天下国家のことを話題にした。
後藤の話を聞いていると、あの固陋《ころう》な守旧派が支配してきた土佐藩が、変わりはじめたのは本当だろうと龍馬は思った。土佐藩も二年前に長崎に進出し、貿易で利を上げるために土佐商会を設立した。土佐藩の長崎の出先機関である土佐商会には資金がある。
龍馬は直感的に後藤を、いやその背後にある土佐藩の力を利用すべきだと考えた。
〈だが――〉
と龍馬は思った。土佐藩の固陋さに我慢ならずに脱藩した自分は、ここで土佐藩の飼い犬にもどるわけにはいかない。それは高次たち塩飽衆の考えにも反する。だとすれば土佐藩を薩摩藩のように、株を持つだけの一藩に留め置かねばならない。それには目の前の後藤なら、話がわかるだろうと龍馬は推察した。
高次は後藤との会見を終えた龍馬が、亀山社中に帰ってくるのを待った。二刻ほどで帰ってきた龍馬を隊士がとりまいた。
まっさきに惣之丞が後藤はどんな男だと尋ねた。龍馬は後藤を評して、土佐の上士とは思えぬ偉いやつだと語り、互いに仇敵《きゆうてき》であるのに過去のことは一切語らず、前途の大局のみを語った。これは並みの男にできることではないと高い評価をした。
「だが土佐ではいごっそうな上士ばかりが、老公をとりまいちょると聞いちょる」
覚兵衛が心配そうにいった。
「土佐も変わってきちょる。そして後藤を利用すれば船がもてて、亀山社中もうまく仕事ができるとわしは思った」
「ということは後藤を殺すな、ということか」
「そういうことじゃ」
龍馬は言葉を切って土佐人の顔を見まわした。
「わしが後藤に瞞《だま》されるかどうか、もう少しわしに思案させてくれ。もし社中が船をもてずに、わしが後藤に瞞されたとわかったら、わしを斬って後藤を殺せばよい。わしは喜んで斬られちゃるきに、これでどうじゃ」
首筋をぽんぽんと叩《たた》いた龍馬に、一方では閉塞感《へいそくかん》を抱いていた土佐人たちはうなずかざるをえなかった。
龍馬の話を聞いた高次は、船をもてそうなことがわかって、やはり万次郎のいったことは正しかったと喜んだ。土佐人の旧怨《きゆうえん》を抑えてここまでくれば、亀山社中が息を吹き返せるのは、もう一歩だと思った。
龍馬はそれから数回後藤に会った。話の推移はくわしく隊士たちに語られた。
高次が意を強くしたのは、後藤は交渉を進めるに当たり、龍馬たち土佐脱藩浪人を土佐藩に復藩させ、残りの隊士を藩の丸抱えにして、亀山社中と航海術をすべて土佐藩の支配下に置くつもりであったが、龍馬がその話を頑として受けつけなかったことである。
亀山社中は自由に海をめざす男の集団である。龍馬が脱藩したのも、土佐藩の頑迷な窮屈さを嫌ったからである。亀山社中の自由な立場を守るという一線は、なんとしても崩せぬと龍馬は突っぱねた。
「わしはな高次。後藤が脱藩浪人の自由とは、そんなにええものかと訊《き》くから、さようじゃ、土佐藩上士のおんしには、わからぬ喜びじゃと教えてやった」
「それはええ。それでこそ坂本さんは亀山社中の頭目じゃ」
龍馬によれば、後藤は亀山社中の航海術さえ手に入ればよいと、考え直したらしく、それから二人のあいだで話は順調に進んだ。三月になると土佐藩の福岡藤次《ふくおかとうじ》が、長崎にやって来ることになった。
土佐藩には、老公容堂が可愛がっている若手官僚の後藤の他に、福岡藤次、乾退助《いぬいたいすけ》、佐々木三四郎らの俊才がいると龍馬は語った。いずれも上士の出身だが、時世の変化を肌で感じる若さと明敏さがあり、藩論を左右する力をもっているとの話である。
話の総枠をまとめた後藤に代わって、亀山社中との交渉の細部は、福岡が取りしきることになった。すでに二月に龍馬の脱藩の罪は許されている。藩命を奉じて長崎に来た福岡の手によって、亀山社中を土佐藩と横並びの遊軍にする案はできていた。
高次は土佐藩の若手重役が長崎に来て、社中の立場の細部について話しはじめたとき、はたして社中の自由な立場が守れるものかと、かすかな不安を感じた。福岡の配下には土佐藩の役人が多くいて、土佐藩の資力を背景に話が煮詰められていく。龍馬は土佐藩の下風につくくらいなら、自分の命を差し出すと明言したが、この交渉中に土佐藩の財力に押されて、貧窮する社中が、土佐藩の下風に立たされそうで高次は気を揉《も》んだ。
だが龍馬が押し通した社中の自由独立という核心は、後藤から福岡にきっちりと引き継がれた。亀山社中は天下に独立し、土佐藩一藩のみに属するものではないことが、交渉の基本に掲げられ、高次はやっと安心した。
小曾根家の別邸で、土佐藩と亀山社中の会合が開かれ、高次も隊士と居並んで座った。
新しい隊名は「海より援《たす》く隊」を意味する、『海援隊』と決まった。
海援隊隊長を一人置き、龍馬がその隊長に選ばれた。文司に謙吉が指名され、謙吉の手で海援隊の約規が作成された。
第一則で隊士の資格は、
『脱藩の者、あるいは海外開拓に志ある者、みなこの隊に入る』
と明記された。
これは海外に志あるものなら、土佐藩あるいは他藩を問わないことはいうまでもなく、農民、漁師など身分の上下を飛び越えた自由平等という思想が、隊規の根底に置かれたことが高次にもわかった。
さらに海援隊の独立性を保つために、海援隊は土佐藩と横並びであることが、左記のように明記された。
『国(土佐藩)に付せず、暗に出崎官に属す』
この出崎官とは、その名のとおり土佐藩の長崎への派遣官吏で、海援隊に対する指揮監督権をもたず、いわば世話人というべきものである。この条文は海援隊を土佐藩に隷属させないための重要な一条であり、それも高次を喜ばせた。
「さて亀山社中所有の大極丸じゃが」
海援隊約規の打ち合わせが終わると、龍馬が口をひらいた。
「これから大極丸は、土佐藩のために動くことになる。借金のことよろしく頼むぜよ」
「あいわかった」
福岡が答えると、龍馬はやっと明るい表情を見せた。人の運命には波がある。つい先ごろまで借金が払えず、大極丸を差し押さえられた亀山社中だが、福岡の一言で自由に大極丸が動かせるようになった。
隊士たちを喜ばせたのはそれだけではない。海援隊誕生のきっかけをつくった後藤が、大洲藩と交渉を進め、いろは丸を大坂までの一航海のために傭船《ようせん》する話を決めてきた。
いろは丸はかつて駿馬たちが航海指導に行った船である。一航海十五日で傭船料は五百両である。いろは丸はすでに長崎に到着し、海援隊の約定が定まれば、すぐ高次たちの手で動かせる手配を後藤がしてくれた。
海援隊の自由になる船が、あっというまに二隻になった。しかもいろは丸は待望の蒸気船である。浪人集団で二隻の洋式船をもっているのは海援隊だけである。
その晩高次は、留次郎に書状を書いた。亀山社中が海援隊と名が変わり、土佐藩の支援を得て、これから大きな活動ができると喜びに筆をおどらせた。海援隊の最初の航海でいろは丸は大坂に行くから、留次郎に会えることが楽しみだと書いた。いろは丸の船将は龍馬、航海長が高次、汽罐長が腰越と決まった。
海援隊が大坂で商売をはじめるために、覚兵衛と太郎が薩摩船で先発した。大坂の「薩万《さつまん》」という旅篭《はたご》を海援隊の支所に使い、京や大坂の情報を集めて商売をし、ひとたび事が起これば、私設海軍となって幕府と戦う。薩摩船に駿馬と四郎も乗り組んだ。兵庫沖に繋留《けいりゆう》されたままの大極丸の整備をするためであった。
海援隊結成が終わった三日後に、後藤がいろは丸の初航海を祝って、海援隊隊士を丸山の花月に招いて、盛大な祝宴を催した。丸山|遊廓《ゆうかく》の入口にある思案橋のたもとに、陽のあるうちから紅灯《こうとう》が点《とも》され、緑の柳が風に揺れて、絃歌《げんか》のさざめきを伝えている。
石畳をのぼると丸山随一の花楼の花月がある。貧窮のために丸山には足を踏み入れられなかった隊士たちは、きょろきょろと紅楼を見まわしながら歩いていった。
ひときわ大きな花月が目に入った。大座敷を借りきった後藤が、立ち上がって挨拶《あいさつ》した。
「きょうは海援隊の祝いの宴じゃ。無礼講で好きなだけ飲んでくれ」
「おお」
いまは土佐人も後藤への旧恨を解いていた。酒宴は盛り上がった。隊士は海援隊が正式に設立されたことを喜び、いろは丸が傭船できたと浮き立っている。
高次はいろは丸の試運転のために、二日前から天草灘を一周して汽罐《きかん》とプロペラ、舵《かじ》の利きぐあいを慎重に試していた。いろは丸は海援隊のすべてが懸かった船である。その思いを強くもつ高次は、出航までにいろは丸の状態を、完全に見知っておきたかった。
舵取りには、塩飽諸島から出稼ぎにきていた梅吉と金兵衛を雇った。二人とも瀬戸内海航路の経験が二十五年にもおよび、塩飽諸島から小豆島にかけての多島海域を熟知していた。水夫頭はワイル・ウエフ号で生き残った市太郎である。いろは丸の試乗を終えた高次は、その足で丸山花月に駆けつけた。
「十日前までが、まるで嘘のようじゃ」
思案橋を渡りながら高次は佐太次に笑いかけた。
空《す》きっ腹をかかえて、思案橋で二八|蕎麦《そば》をすすっていた自分たちが今、絃歌のちまたに足を踏み入れる。奇異な感じを覚えるが、これはまぎれもない事実である。高次の体には、いろは丸に揺られた感動が残っているが、日本三大遊里の一つの丸山の石畳の感触も嘘ではない。
遊里に足を踏み入れると、明かりが昼のように眩《まばゆ》いのは、吉原と同じだと高次は思った。だが丸山はサンフランシスコのようなランプが灯火に使われていて、廓内は異国の風情をただよわせていた。酔客を押しわけて花月に近づくと、髷《まげ》の上に手拭《てぬぐ》いをのせて、着物の裾《すそ》をはしょった幇間《ほうかん》が、腰を二重三重に折って高次たちを迎え入れた。
黒光りする階段を上がり、大座敷に座った高次に、破顔した龍馬が徳利を手に近づいてきた。
「どうじゃった。いろは丸の具合は」
高次が座った前の黒の漆塗りの一の膳《ぜん》には、後藤が特別に集めさせた大鯛《おおだい》の姿焼きが置かれ、長崎の卓袱《しつぽく》料理が二の膳、三の膳に並べられている。大鯛に箸《はし》を伸ばした高次が答える。
「プロペラの利きはよい。鉄船で船足は重いが、船が小型なだけに舵は利く」
「ならば瀬戸内の早潮も、大丈夫じゃな」
「むろんのことじゃ」
高次には自信があった。龍馬と築地でめぐり会ってから、いくたの苦難を乗り越えて、やっと洋式船が手に入った。あとは太平洋を横断した腕で、海援隊の船を動かすだけである。龍馬が差した杯を、高次が一口に飲みほして、横の梅吉に差し出した。
「いろは丸の舵を取るこの梅吉と金兵衛は、塩飽の暗礁の底まで見知っておる」
「それは心強いかぎりじゃ」
龍馬が嬉《うれ》しそうに梅吉と金兵衛に酒を注いだ。
「瀬戸内海といえば塩飽衆の海じゃ。よろしく頼むぜよ」
龍馬にとっては大極丸の借金がなくなり、大目的の海運貿易がいろは丸ではじまり、貧困に苦しんできた隊士に酒を飲ませることができる。龍馬はこれ以上のしあわせはないという顔をして隊士に酒を注いだ。
高次も心は躍っている。久しぶりに飲む酒が胃の腑《ふ》に気持ちよくしみわたる。
「どうやらこれからは路頭に迷わずに、船の仕事ができそうじゃ」
高次は隣に座る佐太次に酌をした。
「まったくじゃ。煤《すす》に汚れた汽罐《かま》掃除は、あまりやりたくないからのう」
席に太夫衆《たゆうしゆう》(花魁《おいらん》)が七、八人入ってきた。吉原と較べて、衣装が飛びぬけて豪華だと高次は思った。〈京の女郎に、長崎衣装〉という言葉がある。京の遊女は美人だが、貿易で富む長崎の遊女は、衣装がきわだって華美だといわれる。髪には鼈甲《べつこう》の笄《こうがい》を挿し、華やかな色合いの帯を前結びにして、銀の櫛《くし》が百目|蝋燭《ろうそく》の明かりに輝いている。高次は遊女の姿容子《すがたかたち》に見とれた。
座敷に乾堂が駆けつけて来た。乾堂は小曾根家の船荷を大量に積み込んでくれて、いろは丸の初荷にしてくれた。
「高次さん。いろは丸で十分に腕をふるってください」
「瀬戸の海はまかせてくだされ」
「こんなことを申し上げてはなんですが、五島で命を拾われた高次さんと、船頭の市太郎さんがいろは丸に乗り組まれます。運の強いお二人がいれば、わたしは大船に乗った気分になれます」
乾堂は亀山社中が苦難のときも支援を惜しまず、高次に千石船のさまざまな仕事を探してくれた。それがやっと海援隊として船出できる。その喜びは高次たちと同じであった。
酒で顔を赤らめた龍馬が乾堂に酌をした。
「小曾根さんには迷惑のかけどおしのうえに、船荷まで大量に積み込んでくれました。礼のいいようがありません」
「わたしは勝様とお会いしてから、この日を待っておりました。なによりもまずはおめでとうござります」
どの隊士の顔も明るい。貧窮する社中の庶務方をこなしてきた作太郎も、笑みを浮かべて陸奥に徳利を傾けている。
「おぬしも銭繰りで苦労したであろう。まあ飲め」
「いよいよこれからじゃな。返杯しよう」
社中で孤立する陸奥をかばってきたのが作太郎である。それを知っている陸奥も、作太郎には心を開いている。
気持ちよく酔った龍馬が、筆と紙を手にして即興の唄《うた》を書きつけた。
『今日をはじめと乗り出す船は、稽古《けいこ》始めのいろは丸』
筆を置いた龍馬は、
「はっははは。できたぞ。どうじゃ。よいできであろう」
妓から三味線をかり、即興の音をつけて上機嫌で龍馬が歌いだした。その節まわしは絶妙で、座をさらに盛り上げた。
高次の胸にもこれでいよいよ海に乗り出せるという実感が高まってきた。
四月十九日。いろは丸は大坂めざして、海援隊最初の航海に出航した。
高次の服装は、新設された海援隊らしく、紺地に袖《そで》に金モールのついた洋式服になっていた。グラバーに洋式服を集めさせたが足りず、長崎中の古着屋を駆けまわり、それを仕立屋に寸法直しをさせたものである。急であったために汚れた白袴《しろばかま》を着用している隊士も多かったが、高次の着るイギリス海軍の士官服は、六尺の長身にみごとに似合っていた。
「おお高次よ。惚《ほ》れ惚《ぼ》れするような海援隊士官姿じゃ。それなら港で娘が寄ってくる」
龍馬が高次の士官服を誉めた。だが龍馬はいつもの汚れた袴《はかま》に革靴を履いている。
海援隊旗も新しく制定された。「紅・白・紅」という鮮やかな海援隊旗が、いろは丸の船尾に翻り、積み荷として薩摩藩のミニエー銃と弾薬、小曾根家の船荷などが満載された。
甲板を歩きまわる龍馬は、丸山花月で即興でつくったいろは丸の唄を歌い、隊士にも歌わせて楽しそうである。
高次が第一声を発した。
「微速前進――」
この航海には海援隊の未熟練の隊士も乗り組んでいる。隊士の航海訓練も行うために、高次は基本航行を教えながら船を進めていった。
いろは丸は平戸島をぬけて玄界灘《げんかいなだ》に乗り出した。後方から順風が吹いている。佐太次が水夫を率いてマストに登り、いろは丸に全帆が張られた。甲板を振動させていた蒸気汽罐が止まった。
「航海日和じゃのう」
高次の横に立った龍馬が、総髪のほつれを風になびかせた。
「わしはいま海賊になったような心持ちじゃ。これから海援隊に船が十隻二十隻とふえれば、わしらは世界の海に乗り出せる」
龍馬のいう海賊という意味あいは、海の賊という狭い概念を超えて、海に生きる男たちのことをいっている。もとより龍馬は海賊という言葉が好きで、自分の語録として、
『海賊は船軍(海軍)の手習いなり。よく心を用いて仮りそめに過ごすなかれ』
と書きとめていた。
航海は順調で、二日目に馬関海峡を通過して、波静かな瀬戸内海に入った。
「ここで幕府海軍と戦ったのが嘘のようじゃ」
当直に立つ腰越が、船尾に遠ざかる馬関海峡を見返った。
「いまは幕府軍艦のかわりに、諸藩の軍艦と外国船がぎょうさん航海しておる。瀬戸内海は航路が狭いために、島と船を避けて慎重に進まねばならん」
腰越は操船に未熟な隊士に説明しながら、蒸気汽罐に切り替えた。伊予灘から安芸《あき》灘に入ると、大型商船だけでなく、漁をする小舟が多くなってくる。腰越はマストに見張りを立てて、低速で小舟が行き交う安芸灘を慎重に進んで行った。
高次は遅目の昼餉《ひるげ》を食べて船室で横になった。大坂に着くまでは仮眠をとるだけで、いつでも起きられるように士官服を着たままである。横になった高次の体の下から、蒸気汽罐の響きが心地よく伝わってくる。神戸海軍操練所が潰《つぶ》されてから、他人の褌《ふんどし》で相撲をとってきた海援隊にとって、このいろは丸は新航海に乗り出す宝船である。龍馬のいうように海援隊の船が十隻二十隻になれば、七つの海に乗り出して暴れまわれる。
龍馬が船室に入ってきて、新しく綴《と》じられた本を差し出した。
「高次よ。万国公法を謙吉が訳してくれた」
「おお。立派な書物になったのう」
「これから日本人も外国との交渉が多くなり、万国公法のようなものが必要になる。いずれ海援隊で出版したいと思うちょる」
「それはええことじゃ」
「ところで高次よ。万国公法は物事の概要を書いたもので、海の事故の細かいことには触れておらぬ。いま蒸気船が海上で衝突すれば、その事故を裁く法はなんじゃ」
「帆を張った千石船は、廻船式目という海の法度《はつと》があり、それをもとに船役人が裁いた。だが蒸気船となると……そうじゃな、万次郎さんが訳してくれた海上航法になる」
「海上航法は世界のどこの国が使っちょる」
「イギリスとフランスじゃが、アメリカもほとんど同じだと書いてある」
「これから世界の海に乗り出していく海援隊じゃ。海の約定をわしらもきちんと学ばねばならん」
讃岐沖に入る前に日が暮れた。夜中から明け方にかけて、高次の生まれ故郷の塩飽諸島を通過する。
「航海灯を点《つ》けよ」
高次は右舷《うげん》の青灯《あおとう》、左舷の赤灯を確認して、白いマスト灯を見上げた。
「よし。マストの白灯も点いておる」
蒸気船の夜間航行は、赤色と青色の両舷灯、マストの白灯を点けるのが国際的な慣行である。
その夜は霧が出た。高次は船の速度を微速にして、コンパス進路を海図に書き込みながら、慎重に進んだ。
夜十時すぎに讃岐の観音寺沖を通過した。高次はその位置を海図に誌《しる》した。これから通過する塩飽諸島から、明け方に見える小豆島までが、潮流の速い多島海域として、船乗りに恐れられた海域である。
「金兵衛。舵取《かじと》りをしかと頼むぞ」
「まかせてくだされ」
舵取りの金兵衛は、塩飽諸島の暗礁、船が吸い寄せられる瀬戸の急流を熟知している。
龍馬が眠そうな顔で操舵室《そうだしつ》に入ってきた。
「霧が深いのが気になるが、そろそろ塩飽沖か」
「そうじゃ。昼間なら右舷に讃岐の三崎、左舷に塩飽の六島が見えるころじゃ」
高次が龍馬に海図で現在位置を指さした。いろは丸は針路を東一点南にとり、塩飽諸島に入っていく。汽罐の点検を終えた腰越と佐太次が甲板に上がってきた。
「月はまだじゃな」
甲板に立った腰越がこわばった上体をほぐしながら、霧のかかった夜空を見上げた。夕刻から海を覆った霧はかなり薄らいでいたが、それでも視界はほとんどない。
「今宵の月の出は子《ね》(十二時ごろ)の刻じゃ。ほどなく海が明るくなろう」
薄らいだ霧の右舷に、かすかな白灯が見えた。操舵室の高次が白灯を確認した。
「なんじゃ。あの白い灯は。漁船の漁火《いさりび》か」
海図によればいろは丸の右舷に島はない。霧の中から白灯が大きくなった。その下に青灯が見えた。マスト灯はかなり高い。巨大船であることがわかった。
「右舷に船じゃ」
金兵衛が懸命に舵を左に切って、右舷のまぢかにあらわれた巨大船を避けようとした。つぎの瞬間、左に避けたいろは丸を追うように、巨大船が右に方向を変えた。
「な、なにをするんじゃ――」
左に回転中のいろは丸は、巨大船の船首の正面に、船腹をさらす形になった。
それを見た高次の体を戦慄《せんりつ》が走った。甲板に飛び出した高次の眼前に、巨大船の船首がかぶさってきた。避けるまもなく船首が、いろは丸の横腹にのし上げた。すさまじい衝撃音が上がり、船首が蒸気汽罐室の側舷を突き壊し、煙突が轟音《ごうおん》とともに吹き飛んだ。
「なにをしやがる――」
甲板に投げ飛ばされた高次は、巨大船に向かって絶叫した。だが叫び声は闇にかき消えた。破損したいろは丸の船腹から海水がなだれこみ、船首が海に沈みはじめた。
甲板にいた腰越の行動は迅速だった。
「このままでは船が沈む。相手船に乗り込むぞ」
腰越がロープの先に小さな錨《いかり》の付いた須磨留《すまる》を、相手船の甲板に投げ飛ばした。須磨留は投げ鉤《かぎ》として、船を引き寄せるために使う錨付きのロープである。
腰越につづいて高次と佐太次が、海賊のようにロープをよじ登った。甲板に数人の水夫がいたが、これだけの衝突事故を起こしたのに、甲板に航海士官の姿が見当たらない。
高次が怒りにまかせて叫んだ。
「船将は誰じゃ。航海士官をここへ呼べ」
だが水夫も慌てて要領を得ない。
「航海士官はおらぬのか」
「そ、そうじゃ。いまはおらぬ」
高次は水夫の両肩を掴《つか》んだ。
「この船は何藩の船じゃ」
「紀州藩の船じゃ」
高次はすかさず重要な指図を発した。
「佐太次よ。風の方向を確かめよ」
佐太次が指先を口にふくんで、空にかかげて風の方向を確かめた。風は紀州船からいろは丸に向かって吹いている。
「見よ。おぬしたちの船が風上《かざかみ》じゃ。異存はないな」
「そ、そうじゃな」
高次は廻船式目の作法に従い、風の方向を確認して、証拠としたのである。
海の法度は、『沖を走るとき、風下《かざしも》の船に乗りかけて沈めたときは、風上の船に一人なりとも、損じたる船より乗り移りたらば、風上の船のけが[#「けが」に傍点]たるべき事――』と定められている。
つまり風上船が、風下船を避けなければならないのが、千石船の海の定法であった。
佐太次が風向きを確かめると同時に、高次は当直士官室に駆け込んだ。当直士官の姿はなく、動かぬ証拠として航海日誌を懐にねじ込んだ。
高次が甲板に出ると、龍馬たちがつぎつぎと紀州船に乗り移り、紀州藩の航海士官らしい姿も数人見えた。
いろは丸が沈まぬように、佐太次と腰越が指図をして、紀州船から何本もロープが投げ飛ばされた。
薄霧が晴れてきた。島の黒い稜線《りようせん》から昇った三日月が海を蒼白《あおじろ》く照らしている。船首を海に沈めたいろは丸の傾きは、無惨なほど大きい。高次は沈痛な面持ちでいろは丸を見た。五島列島の悪夢が眼前をよぎった。
『いろは丸よ。沈まないでくれ――』
高次は心の中で手を合わせて祈った。
そのとき相手船が、いきなり後進した。
「なにをするんじゃ。このようなときに船を動かすな」
高次は操舵室に向かって叫んだ。いろは丸と五間(約九メートル)ほど間があいた。
つぎの瞬間信じられないことが起こった。いったん後進した相手船が、ふたたびいろは丸めがけて急前進した。
「な、なにをする」
急前進した巨大船が、沈みかかったいろは丸に、二度目の激突をした。いろは丸は巨大船にのしかかられて、船首が大きく海中に没した。
高次は操舵室に駆け込んだ。二本差しの舵取りが顔を引き攣《つ》らせて、舵輪を握りしめている。高次が舵取りの顔を見た。
「おぬしは元右衛門ではないか」
舵を取っていたのは塩飽島生まれの元右衛門だった。軍艦操練所で咸臨丸に乗っていた男である。
「わしじゃ。佐柳島の高次じゃ」
「あっ高次か――す、済まねえ」
ことの重大さに元右衛門の声は震えている。
「この船の船将は誰じゃ」
「高柳楠之助《たかやなぎくすのすけ》殿じゃ」
あとでわかることだが、船将の高柳楠之助も紀州藩士ではない。もともと医者の息子で、蘭学と医術を学んだあと箱館に行き、そこにいたアメリカ人から航海術を学んだ。航海経験は少なかったが、洋式船を操れる者がほとんどいなかったために、紀州藩に海軍局の船将として召し抱えられた。
元右衛門も海軍士官が不足している紀州藩に雇われ、士籍に列せられていた。
やっと船将の高柳楠之助があらわれて、龍馬と話がはじまった。
「貴殿が船将か」
「そうじゃ」
「藩籍、船名、貴殿の名を名乗られい」
「わが船は紀州藩明光丸。わしは船将の高柳楠之助じゃ」
「わしは土佐藩いろは丸の船将、才谷《さいたに》梅太郎じゃ。いろは丸が沈まぬよう、すぐ処置されたい」
龍馬は変名を名乗った。
「わかった」
腰越が明光丸の水夫をせきたててバッテラを降ろし、落水者の救助に向かわせている。いろは丸の乗組員がつぎつぎと明光丸によじ登ってきた。
「いろは丸が沈まぬように、太綱で結んで曳航《えいこう》されたい」
「それはできぬ」
「なぜできぬ。いろは丸には諸藩の積み荷が満載してある。沈めば大ごとじゃ。すぐ太綱を掛けられよ」
「さようなことをすれば、共沈みになって、わが船も危険になる」
二人が押し問答をしているまに、船首が沈んだいろは丸の積み荷が音をたてて崩れ、急速に傾きを大きくした。最後まで船に留まっていた金兵衛が海に飛び込み、バッテラに救い上げられた。
大きく傾いた甲板に波が打ちかかった。蒼白い月明かりに照らされたいろは丸は、白い墓石のようだった。海水の圧力で汽笛が鳴りわたり、いろは丸は船首から、波間に引き込まれて、あっというまに沈んだ。
海援隊の期待をになって船出したいろは丸は、あまりにもあっけなく高次たちの眼前から消え去った。いまは蒼白い三日月に照らされた海面に、船板などの残骸物《ざんがいぶつ》が浮かんでいるだけである。
「わしらは天から見放されたのか……」
希望の船が海中に沈んだ高次は肩を震わせた。それは絶対に信じたくない光景だった。しかも大量の船積み荷がいろは丸とともに海底に沈んでしまった。これは海援隊の存亡にかかわる大事故である。
だが高次は衝撃に打ちのめされている間もなく、紀州藩との係争に勝ち、いろは丸の仇《かたき》をとらねばならぬと肚《はら》を決めた。
海援隊士を乗せた明光丸は、事後交渉のために備後《びんご》の鞆《とも》の津《つ》(福山市)に入港した。
腰を据えて談判する肚を固めた龍馬は、旅篭《はたご》の桝屋《ますや》に投宿して隊士に宣告した。
「いろは丸が無《の》うなれば、海援隊も危うい。どんなことをしても談判に持ち込んで金を取る」
いろは丸を沈められたままでは海援隊は破滅に陥る。危機感を強めた龍馬は、紀州藩との交渉にのぞむ策として、高次と腰越と話し合った。書き留め役は陸奥である。
龍馬が口を切った。
「高次はいろは丸の航海長じゃ。この海難事故のことはおんしが一番よう知っちょる。高次がこの事故をどう見るか、それによって海援隊の肚を決めたい」
高次は最初は日本の船同士の衝突事故だから、廻船式目で押し通してもよいと考えた。だが日本で初の蒸気船同士の衝突であり、日本的な解決方法をとっては、これから世界に通用しなくなる。そう考えた高次が自分の意見を口にした。
「これは帆で走る千石船ではなく、蒸気船の衝突事故じゃ。そうであれば海上航法に照らすべきだと思う。それでわしはこの衝突事故で、二つのことを考えた」
高次が海上航法の訳本を開いた。龍馬と腰越の目が高次の手許《てもと》に集まった。
「海上航法の第十三条では、遠方から船が出会ったとき、互いが左舷《さげん》を見せて通過せねばならぬというのが大原則じゃ。この十三条の右側航行に従えば、わしらが悪いことになるかもしれぬ」
「そういうことになるのか」
龍馬が沈痛な面持ちで呻《うめ》いた。
「だが第十三条の後半に、わしらに利のあることが書かれておる」
「なんじゃ、それは」
龍馬が膝《ひざ》をのり出した。
「きのうの晩は霧が濃かった。右側航行の条文をみたすには、遠くから互いの船を認めておらねばならぬ。だがわしらも紀州船も霧のために、まぢかに出合うまでは、相手船を確認できなんだ。そして衝突の危険があるほど、接近して行き合ったわけじゃ」
高次は第十三条の後半の条文を読み上げた。
「二隻の蒸気船が、衝突するほど接近したときは、舵取《かじと》りは互いに左に舵を切って、相手船を避けよと書いてある」
「おう。そう書かれておるのか」
龍馬が喜色を浮かべた。
「わしらいろは丸は、たしかに左に舵を切っちょる。二隻はまぢかに近づいておるから、わしらが正しいことになる」
「いや」
高次は首を横に振った。
「これは難しい論争になろう」
「どうしてじゃ」
「第十三条の大原則は、あくまで右側航行と定められておる。もしわしらがまぢかで左に向けたことを強押しすれば、紀州船は定法どおり、はやくから右側航行したといい張るはずじゃ。そうなれば水のかけ合いで、どちらが正しいか霧の中じゃ」
龍馬が沈痛な面持ちで黙り込んだ。
「だがわしらが主張して、通ることが二つある」
「なんじゃ」
「次郎が紀州船に須磨留のロープを投げ飛ばし、わしと佐太次が紀州船に乗り込んだとき、甲板におるはずの当直士官がおらなんだ。これは相手の水夫にも認めさせ、わしはこの手で航海日誌を押さえた。それは相手もよう知っておるはずじゃ」
腰越が納得してうなずいた。
「もう一つは衝突した紀州船が逆進して、ふたたびいろは丸に激突したことじゃ。これがなければいろは丸は沈まなんだ」
高次は二人の顔を見て、確信にみちた口調でこう結んだ。
「つまり紀州藩との交渉は、衝突する前のことではなく、衝突時の航海士官の不在と、衝突してから二度目の激突で、いろは丸が沈められたことを強く押すことじゃ。この二つには証拠があり、紀州もいい逃れはできぬはずじゃ」
「さすがはアメリカ帰りの万次郎さん仕込みの高次じゃ。それであればわしらは談判に勝てよう」
龍馬が嬉《うれ》しそうに高次の案を支持した。
明光丸の船将の高柳は、会談の始まりで、高飛車な口調でこう宣言した。
「わが船は藩命で長崎へ急いでおる。ゆえにこの鞆の津で談判はできぬ。できれば明朝出港したいと思う」
それは御三家紀州五十五万五千石の、大藩意識をかさにきた物言いだと、高次は高柳を睨《にら》みつけた。高柳の顔には、鞆の津まで送っただけでも、ありがたいと思えという色が浮かんでいる。だが交渉は焦りをみせたほうが不利になる。龍馬を押し止めた高次は、怒りを押し殺してこう切り返した。
「勝手なことをいうではない。こちらは船を沈められ、積み荷をすべて失ったんじゃ。事後の始末がつくまで、この鞆の津に留まってもらう」
「それはできぬ。急ぎ長崎へ向かうのは紀州藩公の主命じゃ。わしの一存でまげられぬ」
「船を沈めておいて、主命もなにもないはずじゃ。わしらも土佐の容堂公が待つ大坂へ急いでおった。事の白黒がつかぬうちは、ここを動いてもらうわけにはいかぬ」
それから高次は談判の核心に触れた。
「これから日本もこういう海の事故はふえよう。船を失ったのは残念じゃが、わしらは船乗りとして、そのよき先例をつくらねばならぬ。そのために海上航法の約定と、公論によって裁きをしたい」
「海上航法とはなんじゃ」
「イギリスやフランスが定めた航海の約定も知らぬのか」
「そんなものは知らぬ。わしは紀州徳川家の家臣であり、主命に従うことだけ考えておる」
「なにをいう。おぬしは明光丸の船将じゃ。船将たるもの船のすべての責を負う立場にある」
「そういわれても、わしの一存では……」
龍馬が高次にかわって発言した。
「それは貴藩の勝手じゃ。それで当座の資金として、貴藩が当方に一万両を用立てることと、こちらが納得するまで船を出さぬこと、この二つが条件じゃ」
高柳は苦虫を噛《か》んだように黙っている。
「明日あらためて会い、談判をつづけたい。だが船を出すことは許さぬぞ」
こうして交渉がはじまったが、紀州側は責任の所在を不明確にして、談判は核心に進まなかった。業を煮やした龍馬は早暁から深夜まで話し合いを迫り、高柳を精神的に追いつめる作戦に出た。日本で初めての蒸気船同士の衝突である。紀州藩もいろは丸を沈めた責任は感じているようで、龍馬の要求に一万両を出す気配を見せはじめた。
五日目に船将の高柳にかわって、藩吏の一人が桝屋に訪ねてきた。応対に出た高次に、藩吏は小さな包みを差し出した。
「これは当面の見舞い金じゃ。当方には事情があるゆえ明朝に出港する。後日また相談ということで」
「なんじゃと。こんな見舞い金など受け取れぬ」
高次は見舞い金の小さな包みを突き返した。
「よいか。わしらは船を沈められて、損害も十万両や二十万両ではすまぬ。それを見舞い金だけで出港したいなどと、馬鹿をぬかすでない」
怒りをみなぎらせた高次は、見舞い金で事を済まそうとする紀州藩の大藩意識を、苦々しく感じた。
そのとき外出していた佐太次が駆け込んできた。
「おい高次。大変じゃ」
「どうした」
「明光丸の煙突から火花が上がっとる。あれは汽罐《かま》を焚《た》いて出港する仕度に違いない」
「いま紀州の藩吏がきて出港するといった。なにか紀州の様子が変わったかもしれん」
「もしかすると元右衛門の口から、わしらが土佐藩士ではないことを知ったのじゃ。それでわしらの足元を見て、逃げてもかまわぬと思ったのかもしれぬ」
佐太次が推測したとおり、紀州藩は元右衛門の口から、いろは丸の運航者が土佐藩士ではなく、浪人者の結社であることを知った。高柳は乗組員が土佐藩士であれば、藩の外交上で将来面倒がおこるが、食いつめた浪人集団であれば、紀州藩の名で強圧的に出たほうがよいと考えて、金一封の見舞い金を持たせて、長崎に向かって出港すべく汽罐に火を入れたのであった。
「おい佐太次よ。ここで明光丸に逃げ出されては、わしら塩飽衆の名がすたる。目にものみせてやらねばならん」
高次は大刀をひっさげて龍馬の部屋に入った。
「坂本さん。これから佐太次と二人で明光丸に斬り込む」
「紀州藩相手に海賊をするというのか」
「そうじゃ。徳川御三家を鼻にかけた紀州藩に、斬り込んで肝を縮ませたがよい」
「まさにおんしらは海賊じゃな」
高次は龍馬が苦笑するのを見た。
「たしかにおんしと佐太次が斬りこめば、紀州人の三、四人は殺せるじゃろう。だがそれでは海援隊を救えぬ」
「だがわしらの足元を見て、出港しようとしておる。元右衛門だけでも懲らしめて、紀州人に舐《な》められぬようにせねばならぬ」
「まあ待て。おんしはワイル・ウエフ号でも生きのびた男じゃ。元右衛門を斬ることで命を捨ててはつまらん。こうなれば長崎で天下の公論にそって、談判に持ち込もう」
日本の近代海運史上、初の蒸気船同士の海難事故の談判の場は、長崎に移されて再開された。
小曾根別邸に移った高次は、この談判が不成立に終わり、いろは丸が沈められ損になれば、海援隊の存続が危ういことはよくわかっている。高次と佐太次の斬り込みの覚悟にうながされた龍馬は、決死の覚悟を固めて、自分のもつすべての人脈を使い、紀州藩を追い詰める作戦に出た。
高次が龍馬に伝えた作戦は、衝突時と衝突後にすべての争点を絞るものであった。
[#ここから2字下げ]
一、衝突時に明光丸に、当直士官が一人もいなかったこと。
二、衝突後、明光丸は後進してふたたび激突させ、いろは丸を沈めたこと。
[#ここで字下げ終わり]
この二点で高次は、紀州藩を追い詰める作戦を立案した。
龍馬はもし海援隊と紀州藩が軍事対決になった場合、五十人余の海援隊の武力では、紀州藩が本気になればひとたまりもないと考えて、薩摩の西郷と長州の桂、土佐の後藤に軍事的支援を頼むことにした。交渉がもし決裂すれば、この三大雄藩が海援隊を軍事的に支援すると、紀州藩に威圧をかけた。
第一回の談判の場は聖福寺《しようふくじ》であった。二層のみごとな鐘楼がある聖福寺の本堂に、土佐の後藤、紀州の勘定奉行|茂田一次郎《しげたいちじろう》が上座に座り、それぞれの船将、航海長、舵取《かじと》りが二者をとりまいた。高次は龍馬の全幅の信頼をうけて胡坐《あぐら》をかいた。
聖福寺に詰めかけた海援隊士は、本堂に座れないために、庭に座布団を敷いて談判を見守った。第一回の談判から海援隊士の面持ちは必死である。事破れれば刀を抜いて、斬り込まんばかりの殺気をみなぎらせている。
紀州側の記録では、この日の聖福寺の海援隊の様子を、喰《く》いつめ浪人が集まった海援隊と称する浮浪団体があり、ともすれば暴威脅迫の手段に及ぼうとして、危険であると書き誌《しる》したほどである。
高次は後藤が土佐藩の代表として、自分の筋書きで談判を進めていくのを見守った。もし紀州藩からなんらかの反論があれば、すぐイギリスとフランスが遵守する「海上航法」の第十三条の後半を示し、反撃する構えである。
紀州藩は最初は、たかが浪人集団の海援隊と見くびっていた。もし海援隊のみが相手の場合、紀州藩不利となれば船将の高柳に腹を切らせて、あとは長崎奉行所にまかせる肚《はら》だった。だがそうは簡単に済まないことがすぐわかった。薩長土の三大雄藩が後押しについたことがわかり、紀州藩を崖《がけ》っぷちに追い込みだし、紀州御三家の大藩の権威に慣れた藩吏は、海援隊を守ろうとする海援隊士の必死さに、最初からたじろいだ。
龍馬がここまで外堀を埋めて談判に臨んだのは、高次が指摘したとおり、海上航法で衝突状況を厳密に分析すれば、反対方向から二隻が接近したときは、「右側航行」が大原則であり、この点を紀州側が強く主張してくれば、劣勢を挽回《ばんかい》される懸念があったからだ。
だが紀州藩は海上航法を知らず、後藤は高次が立案した二点に、談判の焦点を絞って紀州藩を押し込んだ。
第一回の談判が終わった夜に、後藤の宿の財津屋で会合がもたれた。
高次が話の口をきった。
「やはり紀州藩は海上航法を知らず、わしが示した二点で押し切れば、非が紀州にあることが公になるが、もう一つ押し込む手を考えた」
「ほう」
腕組みをした龍馬が顔を上げた。
「いま長崎にイギリス海軍のキング提督が来ておる。今朝ほど長岡さんにキング提督に会いに行ってもらい、衝突時の様子を話したら、キング提督はわが方に非はないといったそうじゃ」
「その根拠はなんじゃ」
「イギリスの航海の定法として、衝突するほど接近した蒸気船は、互いに舳先《へさき》を左に向けて、回避するのが正しいといわれた」
「やはりそうか。だが念には念を入れたがよい。海上航法のことは高次にまかすから、陸のことをわしが考えよう」
優位に立った龍馬は、≪船を沈めたその償いは、金を取らずに国を取る≫という唄《うた》をつくって長崎に流行《はや》らせて、紀州藩を精神的に追いつめる策に出た。長崎の町民も徳川御三家をかさにきた紀州藩を嫌い、龍馬のつくった唄を口にして、長崎の世論は海援隊支援に傾いた。
劣勢を感じた紀州藩の手で、龍馬を暗殺しようという殺気立った動きがあった。だが紀州藩の俗吏である茂田は、長崎で騒動を起こさないことをひたすら望んだ。もし長崎で海援隊と斬り合いになれば、自分はまちがいなく責任をとらされて切腹させられる。それより海援隊に賠償金を払うほうが、家中で弾劾はうけるだろうが、切腹を命じられることはない。三回目の談判から、茂田の発言が気弱になってきた。
「もう一息じゃ」
高次は勝利の手応《てごた》えを強く感じた。
劣勢だった紀州藩が、四回目の談判でいきなり反撃に転じた。
どこで調べたのか、海上航法の第十三条を示して、海上二海里(約三千七百メートル)で、すでにいろは丸のマスト灯を認め、右側通過の大原則に則《のつと》って、右に転進をしたことを強く主張したのである。
「これは蒸気船が海上で行き交うとき、必ず守らねばならぬ定法でござる。このときいろは丸は左へ舵を切って、わが船の進路を塞《ふさ》ぐ航路をとったことは明らかでござる。ゆえにわが方は賠償金を貰う立場である」
海上航法など知らぬと思っていた紀州藩の反撃に、後藤は内心焦った。それは相手に突かれたくない急所でもあった。後藤は焦りを呑み込んだ。
高次がすかさず発言した。
「当方は万国公法も、海上航法もむろん諳《そら》んじるほど知っておるが、あのときは濃い霧が海を覆い、海は二海里も先から、相手の航海灯が見えるはずがなかった」
「いや、それは……」
「見えるはずがない船を見たと主張されるなら、航海日誌かなにか、証拠をしかとお持ちか。あればここに提示してもらいたい」
「それは、ここにはない」
茂田が曖昧《あいまい》に答えて、高次はふたたび優位に立ったことがわかった。
その晩海援隊で一大騒動がもち上がった。
いつもは声を荒げたことのない腰越が、小曾根別邸に帰った陸奥を裏切り者だと叫んで、浜に連れ出して刀を抜き放った。高次は常ではない腰越の様子に、なにごとかと浜に走った。
「よいか陸奥。この談判は海援隊にとって命と同じじゃ。もし負ければ海援隊が潰《つぶ》れるかもしれぬ。それなのにおぬしは海援隊を裏切ったな」
「どうしてわしが海援隊を裏切ったのじゃ」
あまりのことに陸奥の声が上ずっている。
「おぬしは紀州人じゃ。こちらの策が紀州側に漏れとるようで、どうもおかしいと思っておったが、それを漏らしたのはおぬしであろう」
「わしはそんなことはせぬ。坂本さんもそれは知っておる」
「いいや。鞆の旅篭《はたご》でわしらが話し合ったとき、おぬしは書き役で同席しておった。そのとき高次が海上航法について話し、動かぬ証拠がある二点で、紀州を追い詰める作戦に決めたが、今日の談判で紀州は思いもよらぬことで反論してきた。これは誰かが海援隊の秘事を、紀州側に漏らしたとしか思えぬ。それを漏らしたのは紀州人のおぬししかおらぬ。そうではないか」
腰越のまわりを惣之丞ほか血気の隊士がとりまいている。陸奥が日ごろ隊士から孤立していなければ、腰越も陸奥を犯人だと断定して責めることはなかった。
高次も腰越の考えを支持する気持ちになった。利に敏《さと》い陸奥ならやりかねない。
「待ってくれ」
作太郎が浜に駆けてきた。
「おんしらが血相を変えて、陽之助を浜に連れ出したと聞いたが、それでこの騒動はなにごとじゃ」
若いが沈着な作太郎が間に割って入った。腰越が騒動のもとを話した。
「それはおんしらの思いすごしじゃ。たしかに陽之助は紀州人じゃが、ならば紀州人がみな犯人ということになる」
腰越は黙った。
「たしかに今日の紀州側の反論には、坂本さんも戸惑ったが、高次さんの言葉で談判はいまも海援隊が有利に進んじょる。そんなときに陽之助が、わしらを裏切るはずがない。だが悪いのは陽之助じゃ。日ごろのおんしの不徳がこういうときにあらわれる。おんしがみなに頭を下げよ」
若い作太郎の取りなしに、陸奥が顔を青ざめさせて頭を下げた。腰越も作太郎に仲裁に入られて、怒りをおさめざるをえなかった。
海援隊には、賠償金を勝ちとらねば後がないという必死さがあった。だが御三家意識に胡坐《あぐら》をかく紀州藩には、命を懸けて有利な事実をまとめるまでの粘りはなかった。
高次は最後の詰めを考えた。長崎に来航しているイギリス艦隊のキング提督に、衝突直前から衝突後の状況を、謙吉に英語に訳させて提出した。
キング提督は明光丸が霧の中でいろは丸を確認して、右航したと主張しても、航海日誌と海図にその記載がなければ、証拠にならないと明言し、これからの日本の航海の安全のために、書状にしてもよいといってくれた。そして夜間当直の航海士官がいなかったこと、大型船が二度も小型船に激突した紀州藩の非は、大きいと認めた。
すべてに劣勢を感じとった紀州側は、もはや勝算なしとあきらめて、薩摩藩の五代友厚《ごだいともあつ》に調停を依頼した。事件発生後から一ケ月余の五月二十九日。崇徳寺《すうとくじ》の会談で紀州藩は、海援隊に賠償金八万三千両を払うことを認め、いろは丸事件はここに決着を見た。
「わしらの勝ちじゃ。八万三千両が手に入る」
海援隊に明るい希望の灯がさしこんできて、気を揉《も》んでいた隊士たちは狂喜した。
高次も海上航法を手にして、ほっと安堵《あんど》の吐息をついた。
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第六章 明治維新
慶応三年(一八六七)六月。いろは丸事件を解決して、後藤とともに土佐藩船夕顔丸で大坂へ向かう龍馬を見送った高次は、土佐藩から海援隊に貸与された横笛丸の試運転をはじめた。
横笛丸は京で事が起こったときの備えのために、後藤が手配した軍艦である。いまや土佐藩は龍馬たちが嫌悪した頑迷|固陋《ころう》が影をひそめ、後藤を軸とする土佐藩の若手官僚は、京坂の目まぐるしく変わる政情に、乗り遅れまいと必死である。
京坂における政情の変化は、大坂の薩万に常駐する隊士から、長崎の海援隊に船便でもたらされる。
それによればこのころから、倒幕勢力が二つの道にわかれて進んでいく。
一つは龍馬の盟友の陸援隊長の中岡慎太郎の武力倒幕派の活動である。あくまで武力倒幕を主張する中岡は、薩摩藩の西郷と大久保|利通《としみち》と秘密同盟を結び、長州藩と土佐藩をくわえて武力倒幕軍の結成をはかり、その領袖《りようしゆう》に公卿《くぎよう》の岩倉具視《いわくらともみ》を決めていた。
薩摩藩を率いる西郷の肚《はら》の内は複雑で、一方で龍馬の話をうなずいて聞きつつ、だが最終的には武力倒幕しかないと主張する大久保の意見にも心は傾いていた。
龍馬はあくまで平和|裡《り》に、徳川家に政権を手放させる「大政奉還」の実現をめざす肚を固めていた。二百六十年の徳川政権を投げださせる無血革命の奇策を考えたのは、龍馬ではなく勝であった。勝は以前から徳川幕府は長くないと見ており、西洋諸国に対応できる新政府をつくるには、徳川家の家名を守ることを条件に、十五代将軍|慶喜《よしのぶ》に政権を投げださせるしか方策はないと考えた。だが慶喜が二百六十年の徳川幕府を消滅させ、一大名の地位に身を落とすことができるか。これは勝にも予測できなかった。
一般市民を流血に巻きこまない勝の大政奉還の実現をめざす龍馬は、大坂に向かう夕顔丸の船室で、後藤に腹案を話した。聞き終わった後藤は、徳川家の家名が保証され、しかも一般市民の流血を見ずに、朝廷を中心にした新政府がつくれる大政奉還こそ、容堂と後藤が求めていたものだといった。
将軍慶喜がこれを呑むかどうかわからない。だが呑まねば日本は戦場と化す。そこを説得するのが後藤の役目だと龍馬は説いた。さらに慶喜が決断しやすいように、大政を奉還した後の、日本の進む道を示した〈八ケ条の政策(新政府綱領八策)〉を見せた。これを読んだ後藤は龍馬の政策に驚嘆し、かならず慶喜に大政奉還を決意させると誓った。
大坂から京に入った龍馬と後藤は、無血の大政奉還の根回しに奔走しはじめた。武力倒幕を頑としてゆずらない中岡の説得にあたり、王政復古を口にする西郷にも会った。西郷は流血を見ない政権交代では、徳川家の力を十分に削《そ》ぐことができず、倒幕に傾いた大久保を説得できないと首を横に振った。
だが龍馬は大政奉還こそが、日本の国力を減じないで世を改め、諸外国に抗する最良の策だと西郷を説いた。龍馬の必死の奔走で、京の朝廷をとりまく一大勢力が、しだいに大政奉還に傾きだしたことが、長崎の高次の耳にも伝わってきた。
大極丸の整備を終えた四郎が、薩摩船で長崎に帰ってきた。駿馬は京坂の政情を探るために薩万に残った。
四郎は激動する京坂の政局の中に身を置いたために、わずか四ケ月で見違えるように大人びていた。頼もしい塩飽衆《しわくしゆう》の若者が一人育ったと高次は心強く思った。
高次は稲佐山の夏の美しい夕焼けを見ていった。
「あすは早朝の朝風をうけて湾外に出て、海風が吹き出す夕刻に帰ることにしよう」
早朝から心地よい夏の海風が吹いていた。四郎も横笛丸に乗り組み、蒸気|汽罐《きかん》の調子を見た。駿馬と共に大極丸を整備したために、四郎の腕前は見違えるように上がっていた。
試運転を終えて長崎湾に帰港した横笛丸から、覚兵衛と越前の佐々木栄《ささきさかえ》が、薩摩藩士と会うためにバッテラで上陸した。隊務で鹿児島に向かう栄は、もの静かな男で酒が強く、酔うと大声で時世を語る癖をもっていた。
その晩丸山の料亭で薩摩藩士と会った栄と覚兵衛は、したたかに飲んで花街を後にした。白袴姿《しろばかますがた》の栄が声高に覚兵衛に話しかけるのは、いやでも道行く人の目をひいた。
おなじ晩に丸山の花街で、イギリス人水夫二人の殺傷事件が起こった。英国軍艦イカルス号の水兵二名が泥酔して、拳銃《けんじゆう》で通行人をからかい、女性を追いかけていたところを、何者かに日本刀で斬り殺されたのである。
偶然長崎に英国公使パークスが居合わせた。イギリス人水兵の一人は肩から腕を斬り落とされ、もう一人は腹を横一文字に斬られて、臓腑《ぞうふ》が飛び出していた。血まみれの無惨な斬殺《ざんさつ》死体を見て激怒したパークスは、すぐさま殺人事件の調査に乗り出し、確証を掴《つか》んだとして長崎奉行所に犯人捕縛をねじこんだ。
「イギリス海軍の水兵を斬り殺したのは、ふとどきな海援隊士の二人である」
パークスの推理の根拠は二つあった。一つは殺人現場の近くで酒に酔い、白袴で大声で話す海援隊士二人が目撃されている。それが覚兵衛と栄の二人であるらしい。もう一つは殺害のあった翌早朝、海援隊士の乗る横笛丸があわただしく出港し、その後を追うように土佐艦の若柴《わかしば》も出港したことである。
パークスは横笛丸が犯人を、沖で若柴に乗り移らせて土佐に逃げさせ、そのあとなにくわぬ顔で帰港したのだと声高にまくし立てた。だがパークスの一方的な推理だけでは、長崎奉行所も海援隊士が犯人とは決めつけられない。捕縛をためらう長崎奉行所に激怒したパークスは、大坂に急行して幕府に責任をとれとねじこんだ。
ここから騒ぎが大きくなった。幕府はやむなく土佐藩に調査を命じた。パークスは調査結果の報告が遅いと怒りを浮かべ、土佐に軍艦で乗りつけて直《じか》談判すると息まいた。
高次はパークスの海援隊士への嫌疑を、まるで根拠のないものだと思っていた。疑惑をもたれた覚兵衛が夜中にバッテラで帰ってきたとき、高次は甲板でもやい綱をとってやった。そのとき覚兵衛はしたたかに酔っており、危ないからと高次は船行灯《ふなあんどん》で足元を照らした。もし覚兵衛が人を斬っていれば、白袴に大量の返り血を浴びていたはずである。だがそういう痕跡《こんせき》はなにもなかった。
覚兵衛を質《ただ》した高次は、イカルス号事件を龍馬に知らせた。龍馬は悪くすると大政奉還に障りがでる危惧《きぐ》を抱いた。かつてイギリス人を薩摩人が斬った生麦事件が尾をひいて、ついに薩英戦争をひき起こしたことがある。もし話がこじれて土英戦争でも起きれば、大政奉還どころではなくなる。龍馬はいそぎ長崎に帰り、高次の乗る横笛丸で覚兵衛と話をした。
覚兵衛が状況を説明した。
「その晩わしと栄は花月で飲んでおった。だがわしはそのまま横笛丸に帰り、栄は薩摩船に乗り込んだ。ただそれだけのことじゃ」
「パークスは栄が若柴に乗って逃げたといっておるぞ」
「それはわしらを犯人に仕立てるための方便じゃ」
「だが長崎奉行所の調べでは、おんしらは泥酔して丸山からの帰り道を、まるで憶《おぼ》えておらんといったそうではないか」
「それは、そうじゃが……」
「わしには本当のことをいえ」
「わしは夷人《いじん》など斬ってはおらぬ。人を斬れば刀に血糊《ちのり》が残る。あれからわしは刀を研ぎ屋に出しておらぬ。わしの刀を改めてくれ」
高次が言葉をはさんだ。
「覚兵衛が人を斬ってない証拠は、横笛丸に帰ってきたとき、白袴に返り血を浴びておらんことじゃ。話によればイギリス人の一人は腹を斬られて、血の池になっておったそうじゃ。覚兵衛の白袴は綺麗《きれい》なままじゃ。それはわしがしかと見ておる」
「高次がそういうなら本当じゃな」
龍馬は安堵《あんど》の吐息をついた。だがこれからはじまる長崎奉行所の取り調べに決着がつくまでは、長崎を離れることはできない。いま政局は激しく動いている。龍馬は武力倒幕派を押さえるために、京に帰りたかったが、それはできそうにない。
「よいか覚兵衛。これから長崎奉行所の調べには、一切知らぬ存ぜぬで押しとおせ。栄にもそうさせよう」
鹿児島から帰った栄と覚兵衛の取り調べがはじまり、龍馬はその決着を苛々《いらいら》して待つしかなかった。
空しく日を過ごす龍馬に、高次が懸念を口にした。
「これは薩摩人が仕組んだことではないのか」
「どうしてじゃ」
「坂本さんを京から遠ざけておけば、薩摩藩の倒幕派がやりようなる」
「そういう見方もあるか」
龍馬が複雑な顔をした。
「だがわしと薩摩藩とはうまくいっちょる。西郷も無血の大政奉還の話をわかってくれた」
取り調べは長びいて二ケ月になった。だが覚兵衛と栄は知らぬの一言で押し通し、長崎奉行所もあきらめた。パークスの代理人のアーネスト・サトウも、証拠不十分を認めて談判は終わった。
談判が終わるころに高次は忙しくなった。龍馬は後藤の大政奉還建白がなることを祈っていたが、もし失敗した場合に備えて、武力倒幕の準備をせねばならぬと考えた。そのときは土佐藩に武力|蜂起《ほうき》をうながさねばならないが、土佐藩の軍備はあまりにも遅れている。
土佐藩から大監察の佐々木三四郎が長崎に滞在していた。佐々木は土佐藩では後藤とならぶ若手重臣で、誠実さにあふれており、質朴な人間として隊士に好かれていた。
それまで龍馬と面識はなかったが、イカルス号事件で長崎奉行所と折衝にあたり、その過程で龍馬と親密になった。
龍馬は佐々木にこうもちかけた。
「ハットマン商会の倉庫に眠っているミニエー銃千三百|挺《ちよう》を、まとめて土佐藩が買わんかね。値は一万八千両じゃ」
「それは軍備の劣ったわが土佐藩を、武装させる銃になるかね」
「そのとおりじゃ」
「よし。引き受けた」
「高次よ。仕事じゃ。芸州藩の震天丸《しんてんまる》を借りてくれ。ミニエー銃を運ぶ」
「いよいよ戦争か」
「そうなりたくないが、やむを得んこともある」
高次は長崎港に繋留《けいりゆう》中の震天丸を、一航海四百五十両で傭船《ようせん》契約を結び、ハットマン商会に足を運んで、ミニエー銃千三百挺の買い付けをした。四郎たちと銃を船積みして、いつでも長崎を出港できる仕度を整えた。
突発的だったイカルス号事件は、龍馬の大政奉還建白を一時的に頓挫《とんざ》させることになった。その間に時世は急速に動き、龍馬が不在の二ケ月間に、西郷と中岡の武力倒幕派がふたたび勢いを得て、武力倒幕に向けて動きはじめていたことを、駿馬からの書状で高次は知った。
龍馬ははやく京に戻らねばならぬと焦りを見せた。談判が終わると、高次は龍馬と共に震天丸に乗り組み、大坂めざして錨《いかり》を上げた。
「高次よ。大坂に向かう前に馬関《ばかん》に立ち寄ってくれ。そこで長州の動きをつかみ、お龍の顔も見ておきたい」
馬関に上陸した龍馬は、他の隊士に気遣うように低声《こごえ》で高次にいった。
「どうじゃ高次。これからわしの自然堂に来んかね。お龍がおんしに会いたがっちょる」
「わしも会いたいですな」
高次は久しぶりに自然堂にいるお龍に会った。こぢんまりした座敷のまわりの庭には松の緑があり、お龍は落ちついた暮らしをしているように見えた。
「高次はんか。よう来てくれはりましたなあ」
気さくに声をかけたお龍は、長崎のときよりも元気そうであった。お龍の落ちついた様子に龍馬は安心して風呂《ふろ》に入った。龍馬が風呂に入るのを高次は初めて見た。龍馬の風呂嫌いを高次は知っていた。
お龍がにこやかに話しかけた。
「どや高次はん。お腹すいてへんか」
「はあ。空いております」
「ちょっとお待ちやす。このへんは魚がおいしいところや。いま仕度をさせますさかいにな」
お龍は下女をせかせて、酒肴《しゆこう》の用意を調えさせた。
「たんと食べておくれやす。ですけど高次はんは体が大きいさかいに、これでは足りんかもしれまへんなあ」
これほど嬉《うれ》しそうなお龍を見るのは初めてである。他の海援隊士とは気が合わなかったお龍だが、高次が来たことでこのように嬉しそうに笑顔を見せてくれる。落ちついた暮らしで癪《しやく》の病もよくなったのだろう。
その晩高次は龍馬と酒を酌みかわした。お龍が笑顔で酌をする。
「高次よ。大政奉還が成ったら、いよいよ海援隊で七つの海へ船出じゃ」
「それは楽しみなことじゃが、坂本さんは幕府を潰《つぶ》したあと、新しい政府の役にはつかんのかね」
「わしは窮屈な宮仕えなどはできぬ。それはおんしら塩飽衆と同じじゃ」
「だがこれまで身を粉にして、坂本さんは薩長の周旋に走りまわった。幕府が潰れれば最大の功労者は坂本さんじゃ。西郷さんや桂さんが放っておくはずがなかろう」
「それはどうかな」
龍馬が考え込むそぶりをした。
「西郷や桂はどうか知らぬが、わしが周旋に走りまわったのは、幕府を潰してアメリカのような国にしたかったからじゃ。官途に就くことなど、わしは微塵《みじん》も考えずに動いちょった」
「それなら太平洋を渡ってまずアメリカじゃ」
「ええのう。いよいよおんしらと海に乗り出せる」
龍馬が嬉しそうに目を細めた。
「なら、あても連れていっておくれやす」
お龍が龍馬にしなだれかかる。高次は二人の睦《むつ》まじい様子を初めて見た。
「連れていってもよいが、高次によると太平洋の大嵐は、腹腸《はらわた》が飛び出すほどの船酔いになるらしい」
「それでもあんさんと一緒でしたら、あても我慢します」
〈これなら坂本さんも、大仕事に打ちこめよう……〉
高次は気持ちよく飲んだ。
「おおそうじゃ。周旋に忙しすぎて忘れておったが、高次に捕鯨に連れていってもらう約定を、かならず果たしてもらわねばならん」
「ならば捕鯨船がいる。あの駿馬が修船場を造り、そこでわしらの捕鯨船を造ってくれるというとった」
「駿馬も可愛い男じゃ」
興が乗ったお龍が月琴《げつきん》を奏で、龍馬が即興の唄を短冊に書いた。長崎の海が見える離れで聞いた懐かしい月琴の音色である。しばらくすると龍馬は大酔したのか、お龍の膝枕《ひざまくら》でごろりと横になり、たちまち大鼾《おおいびき》をかきはじめた。
高次は二人を残して自然堂を出た。月の出た秋空に星が高く燦《きらめ》いている。高次は龍馬にいまさらながら爽《さわ》やかなものを感じた。権力の匂いがする西郷や桂と違い、龍馬は日本を変えたら本気で海に出たがっている。だとすれば海援隊で本当に船が好きなのは、龍馬と覚兵衛と駿馬の三人だろう。酒に酔って歩く高次の顔を、秋風が心地よく吹きなでた。
翌朝、黒煙をあげて馬関を出港した薩摩汽船を高次は見た。秋空は雲一つなく高く澄みわたっている。薩摩の丸に十文字の旗を秋空にひるがえす汽船を見送って、長州の伊藤が立っていた。
「伊藤さん。あの船はどこへ行くのじゃ」
高次が伊藤に声をかけた。
「あの汽船には、薩摩の大久保さんが乗っており、急ぎ京へ帰られた」
伊藤によれば、公卿《くぎよう》の岩倉の代理で大久保が京から西下して、山口で毛利父子に謁見した。その場に桂たちも居合わせ、薩摩と長州で武力倒幕を確認し、ふたたび京に帰ったという。
「それで高次さんはどこへ行かれる」
「わしらはミニエー銃千三百挺を、これから土佐藩に売りに行くのです」
「千三百挺のミニエー銃ですか。こんな時世です。土佐に売らずとも、桂さんにいえば長州が買い上げてくれましょう」
そのときお龍と会って安らいだ顔の龍馬が、高次に近づいてきた。
「おお。伊藤さんではないか」
龍馬も伊藤から事情を聞いた。
「わしらがイカルス号にかかわっているまに、そこまで倒幕の機は急迫したのか」
龍馬の頭が動きはじめた。龍馬が京を不在にしたあいだに、時勢は武力倒幕に向かって動きはじめている。それは薩摩の大久保の急な動きが示している。武力倒幕派の大久保は岩倉の密使として動きまわり、その大久保が長州に来たことは、長州も京に軍兵を上らせる肚《はら》を固めたことになる。
「高次よ。こりゃ急がねばならん」
龍馬は伊藤がいるのも忘れたかのように、震天丸に駆け出した。
もし薩長の武力倒幕の圧力が強まれば、後藤の大政奉還建白がつまずく。そのときはやむを得ぬが、土佐藩に新式のミニエー銃をもたせて、すぐさま大坂に攻め上らせねばならない。
「高次はいそぎ長崎へ帰ってくれ」
駆けながら龍馬がいった。
「どうしてじゃ」
「京で戦《いくさ》がはじまるかもしれぬ。英吉に長崎で大砲を横笛丸に装備させ、兵庫沖まで急いで来てくれ」
「わかった」
「海戦になれば五平太《ごへいた》(石炭)が軍艦の命じゃ。立ち寄った港で買えるだけの五平太を買って、船に積み込め。多ければ多いほどよい」
「まかせよ。海戦になればどこを攻める」
「天保山沖の幕艦を奇襲して、海援隊が海にいることを天下に示す」
「幕府海軍を攻撃か。それに勝先生が乗っておると大砲が撃ちにくい」
「そうなれば勝先生は喜んで撃たれるはずじゃ。だがわしはそうならぬのを願っちょる」
龍馬が震天丸に呼びかけた。
「おい。覚兵衛はおるか」
「なんじゃい。ここにおるぞ」
覚兵衛が船べりから顔をのぞかせた。
「おんしはミニエー銃二百挺をもって、早船で大坂へ上ってくれ。わしは震天丸で高知へ向かい、ミニエー銃を売ってくる」
龍馬は土佐に向けて震天丸で慌ただしく出港した。
いそぎ別船で長崎に帰った高次は、英吉と横笛丸に大砲二門を積み込んだ。
「戦になるのか」
英吉が意気込んで訊《き》いた。
「どっちに転ぶかは、きわどいところじゃが、武力倒幕となれば幕艦相手の海戦になる」
「腕が鳴るのう」
長崎で買えるだけの石炭を買った高次は、兵庫沖に着いた。留次郎に会いたいと思ったが、世情は緊迫しており、その時間はない。すぐ大坂の薩万に使いを走らせて、横笛丸は兵庫沖で待機していると伝えた。
大坂出張所となっている薩万には、ミニエー銃二百挺をもって、大坂に入った覚兵衛たち隊士が顔を揃えていた。まだ土佐から龍馬が帰っていなかった。銃の商いに難航しているのかと隊士は心配したが、六日後に龍馬が薩万に姿を見せた。
「遅かったではないか」
「室戸《むろと》の沖で暴風にあってな、あやうく震天丸が沈みそうになった。それで胡蝶丸に乗り替えてきたんじゃ」
龍馬の総髪も着物も、潮まみれである。
「それで土佐藩はミニエー銃を買《こ》うたのか」
「買うたぞ。土佐藩もこのごろは頭がようなってな、わしのいうことをすぐわかり、その場で千百挺をぽんと買うてくれた」
「おお。それはよかった」
隊士から歓声が上がった。
すでに後藤の手によって二条城にいる慶喜に、大政奉還の建白書が上呈されている。もし建白書が採用にならない場合は、後藤は二条城で腹を斬る覚悟を固めていた。
龍馬の本心は、後藤の大政奉還の建白が成ることだということを、高次はよく知っている。だがしくじったときは乾《いぬい》が兵を率いて、大坂にくる手はずが整えられた。そのときは海から横笛丸で大坂城を攻め、高次が浪人海軍の威力を見せつけることになる。
京に発った龍馬は、京の四条河原町の近江屋で、後藤からの報《しら》せを待った。薩万に居残った隊士たちが龍馬からの報せを、横笛丸の高次に伝える手はずである。
十月十二日の夜に二条城から、将軍家の使者が在京の四十藩の藩邸に走り、『明日十三日に、諸藩重役を二条城に召集し、大政奉還について下問する』と伝えた。
翌十三日。諸藩重役は二条城に登営し、大広間の二の間に裃《かみしも》姿で居ならんで座った。上座には幕府首席老中の板倉|勝静《かつきよ》が沈痛な面持ちで座った。二の間に慶喜の姿はなかった。
板倉が慶喜の、大政奉還を決意したことを厳かに告げ、意見ある者は慶喜に直々《じきじき》の拝謁が許されるといった。声を上げる者はいなかった。
〈ついに天下の事は成った――〉
後藤は背中にしたたる汗とともに、大政奉還が成ったことに大きな安堵感《あんどかん》を覚えた。後藤は二条城を下城するや、書を簡潔にしたためて、龍馬のもとに下僕を走らせた。
『ただいま下城。こんにちの様子、とりあえず申し上げ奉り候。大樹公(慶喜)、政権を朝廷に帰するの号令を示せり』
龍馬は感激でしばらく顔が上げられなかった。熱い泪《なみだ》を汚れた袖《そで》で拭《ふ》き、薩万に下僕を走らせた。兵庫沖の横笛丸にもその報が届けられた。
「おお。ついに成ったか。これで坂本さんもゆっくり寝られる」
高次は馬関の自然堂で、大鼾をかいていた龍馬の寝顔を思い浮かべた。
大政奉還は成った。高次は上陸して薩万に入った。龍馬は落ちつくまもなく、新政府の財政問題を問うべく、越前福井に旅立って不在だった。
作太郎が龍馬に重要な隊務を命じられて長崎に発った。紀州藩からいろは丸の賠償金を受け取るためである。紀州藩は薩摩の五代友厚《ごだいともあつ》の仲介により、八万三千両の賠償金を決めたが、その後に経済的苦境を理由に、減額を申し出ていた。その交渉を委《まか》せられた作太郎は、海援隊の活動のために、賠償金を受け取る役目をもっていた。
作太郎が発つと、薩万に留次郎が訪ねてきた。
「高次兄いは、おりやすか」
「おう留次郎ではないか。わしもおぬしを訪ねようと思っておった。はやく十両の礼がいいたくてな」
「そんなこといわれると照れやす。それよりちっと兄いの耳に、入れておきてえことがありまして、それで兄いの居場所を捜しておりました。隊士のみなさんにも聞いてもらったほうがいい話です」
留次郎が部屋に入ると、覚兵衛や惣之丞たちも顔を見せた。
「話というのは他でもねえんですが、おたくの大将の坂本さんのことです」
「坂本さんがどうした」
「おいらには政治向きの話はよくわからねえが、このたびうちの殿様が、将軍職をなげうったわけでして……それがいいか悪いかは、おいらにはわからねえ」
留次郎が座の隊士たちを見まわした。
「ただそれをやった黒子が、こちらの大将だと見ているむきは多く、乱暴な野郎がこっちにも多いわけでして」
「坂本さんの命を狙っている奴が、この大坂にいるということじゃな」
「そうです。おいらの耳には、役目上いろんな話が飛び込んできやす。新選組のほかにも、いろは丸の恨みをもつ紀州の侍とか、いろいろです」
「留次郎よ。ありがたいのう」
高次が頭を下げ、覚兵衛が言葉を引きとった。
「いま龍馬は越前に行っておるが、帰ったらその話をよく伝えて、くれぐれも身辺に気をつけるようにいうておく」
そのあとで高次と留次郎は薩万を出た。
「兄い。ここから新門一家の宿まで遠くねえ。親分が会いたがってるから、ちょっくら来ませんか」
「辰五郎親分とは久しぶりじゃ。顔を見に行くとするか」
高次は大坂の町を歩くのは初めてである。江戸のように大きな武家屋敷はなく、商家が軒をつらねていて、いかにも商都という風情を感じる。道を行く侍の姿は少なく、心なし腰をかがめた商人が、足ばやに歩いていく。橋が多く、川舟が高次の歩く下を、竿《さお》を押しながら進んでいく。
堂島の呉服商の大店《おおだな》を借り上げた新門辰五郎は、入りきれない三百人の乾分《こぶん》を、近くの寺に分宿させていた。辰五郎の宿舎はすぐわかった。玄関に「を組」の提灯《ちようちん》をずらりと並べて、浅草時代とかわらず鳶《とび》の心意気を見せていた。
威勢のいい若い衆の挨拶《あいさつ》に迎えられて高次は玄関を入った。浅草の新門一家の本家と同様、玄関も廊下も顔が映るほど磨きあげられていた。
「やあ高次さん。久しぶりだ。あんたの話は留次郎からよく聞いておりやす。勝先生のお弟子の坂本さんと長崎までご一緒なすって……本当に海が好きなんですな」
「塩飽生まれのわしは、船のほかはやることがありません。親分さんの威勢も、浅草と同じで結構です」
「なんの因果か知りませんが、娘をやったお殿様と、大坂くんだりまで来てしまいました」
辰五郎はくったくなく笑った。
「こんどはうちのお殿様が、政権を京にお返ししなすったわけだが、それは勝先生もお殿様のためになると喜んで手紙をくれやした。世が世ならわたしら火消し風情が、将軍様のお側に近づけるはずもねえ。そのきっかけをつくってくれた勝先生もありがてえが、この名誉なお役目のお返しは、わたしと乾分が体を張って、これからお殿様をお守りすることです」
高次は小柄な辰五郎の顔を見た。いろは丸の交渉相手となった紀州藩士にはない誠実さ、欲目でいえば侠気《おとこぎ》が顔中にあふれている。
「まあ一杯飲んでくだせえ。大坂の食いもんは口に合わねえが、灘《なだ》の酒はとびきりだ」
高次は思いもかけず、紀州藩士の粘りのない交渉が頭に浮かび、一口で杯をあけた。
「このところ薩摩や長州は、徳川様の悪いところばっかり触れまわりなさるが、徳川様にもいいところはある。その一つが二百六十年も国を護《まも》ったことです。……だがそのまに米飯を食いつぶした旗本は、腰が抜けちまいましたがね」
「旗本のかわりに新門の親分がおります」
「それもそうだ。たしかに新選組の近藤さんも武州出の百姓だ。火消しが将軍様を護ってもおかしくはねえ」
辰五郎が嬉《うれ》しそうに笑った。
「高次兄いよ。もっと飲んでくだせえ。大坂にいれば、これからいつでも会えますね」
留次郎も嬉しそうである。
「また軍艦に乗りてえな。マストの上から潮風を吸い込むと、気分がすうっとしやす」
「留次郎ならいつでも歓迎じゃ」
高次が帰るとき、玄関まで送りに出た辰五郎が、声をおとしていった。
「高次さん。一橋のお殿様は新門一家が身に代えて護りやすが、くれぐれも坂本さんの身を案じてやっておくんなさい。もしものことがあれば、わたしが勝先生に叱られます」
高次は辰五郎がささやいた言葉に温かいものを感じて、ふかぶかと頭を下げた。
高次は越前から帰った龍馬が、身辺を案じる覚兵衛の強い勧めで、よく知られた京四条の酢屋《すや》から、近くの近江屋《おうみや》へ移ったことを知って、ひとまず安堵した。近江屋の主人の新助は、龍馬の身を親のように心配し、裏庭の土蔵に密室を造るほど、厳重に気配りして万一に備えた。
十一月十五日に中岡が近江屋に龍馬を訪ねた。龍馬は風邪気味で、土蔵では息がつまると、近江屋の二階で中岡とすごした。
翌十六日、二人は突如なに者かの襲撃をうけ、一味が去ったあとには虫の息の二人が倒れていたと、陸奥の書状が伝えてきた。
このとき京にいた海援隊隊士は、陸奥と駿馬の二人だけであった。凶変を聞くや、二人は近江屋に駆けつけたが、龍馬はすでにこと切れており、中岡も危篤《きとく》状態であったという。
――龍馬暗殺される。
陸奥から龍馬が殺されたという凶報を伝える書状を受け取った覚兵衛が呻《うめ》き声を上げた。
「龍馬と慎太郎が殺された――」
隊士たちはあまりのことに愕然《がくぜん》とその場に立ちつくした。
書状を覚兵衛の手から奪い取った高次は、龍馬が絶対に死ぬはずがないと思った。北辰《ほくしん》一刀流の免許皆伝の使い手であり、寺田屋事件のときも、百余人の捕吏に囲まれながら、ピストルで応戦しつつ死地を脱した。その龍馬が死ぬはずがない。宙を呆然《ぼうぜん》と見つめる高次が、青ざめて畳に突っ伏した覚兵衛を目にしたとたん、龍馬の死はまぎれもない事実だと知り、ふいに辰五郎の忠告が耳によみがえった。高次の顔からさっと血の気が引いた。
陸奥の書状によれば十六日に十津川《とつがわ》郷士を名乗る侍が、名刺を出して龍馬に面会を求めたという。下僕で相撲上がりの藤吉は、相手が少人数なので捕吏ではないと思い、龍馬に取り次ぐために階段を登りかけた。その隙に刺客が藤吉を背から斬り倒し、二階の部屋に飛び込み、龍馬と中岡に斬りつけた。
龍馬は初太刀を前額にうけたらしく、顔が鮮血にまみれ、暗殺者の二刀目の攻撃を防ごうとして、大刀を鞘《さや》ごと構えたようだが、振りおろされた大刀が鞘を削り、その刃先が龍馬の頭部を斬った。
慎太郎も暗殺者に抜き打ちで斬られたようだ。小刀を鞘ごと抜いて応戦した様子だったが、背後から暗殺者に背中を斬られていた。龍馬は脳に達する致命傷をうけ、慎太郎は数ケ所を斬られて昏倒《こんとう》し、暗殺者は手際よく玄関から外に出て、闇に姿を消したと陸奥は伝えてきた。
あまりのことに隊士は言葉を失ったままである。
「龍馬を殺《や》ったのは誰じゃ」
覚兵衛が呻くようにいった。
「殺ったのは新選組に決まっちょる」
惣之丞が刀の柄《つか》を握りしめた。
「こうなればミニエー銃をもって京に攻め上り、新選組の屯所を襲撃するまでじゃ」
「待て。京は幕吏の警戒が厳重をきわめておる。それに刺客はまだ新選組と決まったわけではない。まずは刺客を捜す」
「覚兵衛。おんしは腰が抜けたのか」
惣之丞が怒鳴った。
「新選組のほかに、龍馬を襲うやつがおるはずがない」
「よう考えよ。ミニエー銃で武装した海援隊が京に突入すれば、新選組と衝突して戦争になる。そうなれば龍馬の仇《かたき》を討つまえに死ぬこともある」
「死ぬのは覚悟のうえじゃ」
「わしも死ぬのは恐れぬが、新選組は多勢じゃ。仇をとれねば元も子もなくなる。ここは落ちついてよう考えねばならぬ」
「ここで新選組に斬り込まねば、海援隊は腰抜けじゃと嗤《わら》われる。それは龍馬の心持ちにも反するぞ」
「おんしの気持ちはわかるが、龍馬暗殺の報は京中に知れわたっておる。なれば警備も固い。京のことはひとまず陸奥にまかせて、わしらは少人数で京に入り、あとは陸奥と相談したほうがよかろう」
惣之丞が唇を噛《か》んでうなずいた。
高次が覚兵衛に尋ねた。
「陸奥は仇討ちのことを、どうすると書いてある」
「何年かかろうと龍馬の仇を捜し出して、仇を討つと書いちょる。それが海援隊隊士のつとめじゃと」
「ええ心がけじゃ」
「長崎の留守部隊に、このことを知らせねばならぬ」
覚兵衛が高次を見た。
「高次よ。おんしは早船を見つけて長崎へ帰り、ことのしだいを隊士に伝えてくれ。龍馬の仇はわしらが捜し出し、かならず斬る」
「わかった。お龍さんへはわしが伝える」
高次は龍馬の死を実感するまえに、今後の隊の行動とお龍の動揺に思いを馳《は》せた。お龍に龍馬の死を知らせる役目は自分しかない。京にいる陸奥もここにいる海援隊隊士も、かならず龍馬の仇を討つと約している。せめてもその言葉を形見にして、お龍に会いに行かねばならない。
高次は佐太次と四郎を連れて、土佐藩船|空蝉《うつせみ》で長崎に向かった。海援隊隊士に龍馬の死を告げ、そのまま陸路をひとり馬で駆けた。翌日船で馬関海峡を渡り、夕暮れどきに馬関の自然堂のお龍のもとに駆けつけた。
長崎を出てから水以外は口にせずに駆け通した高次は、自然堂の上がり框《がまち》につっ伏して、
「姉《あね》さん……」
と叫んだまま荒い息を弾ませた。
座敷にはまだ行灯《あんどん》の火が入れられず、薄暗い部屋にお龍は一人ぽつねんと座っていたが、高次のただならぬ声に、玄関に慌ただしく姿を見せた。
裏庭で庭木に打ち水をしていた娘が座敷に来て、行灯に火を点《つ》けた。明るくなった部屋にお龍が高次を招き入れた。
高次の前に座ったお龍が尋ねた。
「高次はん。あの人になんぞありましたんか」
「坂本さんが先月の十六日に、京で亡くなりました」
お龍の顔が引き攣《つ》った。言葉が出てこない。しかし気丈なお龍は、肩で大きく二度三度息をして、唇を震わせて言葉を吐いた。
「くわしく話しておくれやす」
高次はお龍の顔を見られず、畳に顔をつけたまま、陸奥の書状のあらましを語った。
「ようここまで知らせに来てくれました。……そやけどうちの油断やった。誰になにをいわれようと、うちがあの人のそばに、いつもついていてやればよかったんや」
こらえていたお龍の悲しみが噴き出した。
「寺田屋ではうちが体を張って、百人を超す捕り手からあの人を守ったんや。それがわずか数人の刺客のために、命を落とすとは……」
慟哭《どうこく》しながらもお龍は顔を上げた。
「それで海援隊の方々はあの人の仇を、かならず討ってくれはるんか」
「いま京と大坂で隊士が動いております。京中は海援隊への警戒が厳しく危険ですが、かならず仇を捜して討ちます」
それを聞いたお龍は、涙を浮かべて大きくうなずいた。
火打ち石で行灯に火を点けた娘は、お龍の妹の十六歳の起美《きみ》だった。昨年まで勝海舟家に預けられて江戸で暮らしていたが、龍馬が不在がちで心細いために、お龍が龍馬が姿を見せたあとに、下関に呼びよせて暮らしていた。高次は傷心のお龍の世話を、妹の起美に頼んで長崎に帰った。
長崎では龍馬を殺された海援隊が、長崎奉行所を襲撃するという噂が流れ、奉行所付の遊撃隊三百人が、完全武装で配備されていた。
長崎の海援隊本部には、留守をあずかる隊士十余名と佐々木三四郎がいた。
佐々木は紀州藩が下手人だと見ている。
「紀州藩もいろは丸の賠償で、龍馬に深い恨みを持っておった。龍馬もそのことはよう知っちょったはずじゃ。これは油断じゃった……」
「佐々木さん」
イカルス号事件で嫌疑をかけられた一人の佐々木栄が大声でいった。
「わしらは坂本さんの仇討ちに行く。空蝉を使わせてくれ」
「それは待て」
高次が栄をとめた。
「いま京では陸奥や覚兵衛が、厳重な警戒をくぐりぬけて刺客を捜しておる。なにかわかればすぐ知らせてくる。それまでは長崎のわしらは動じぬがよい」
いま海援隊本部の指揮は佐々木三四郎がとっていた。佐々木は土佐商会と同様に、海援隊に強い愛着をもっており、なにごとも隊士の相談に乗ってやり、困り事は土佐藩の力で解決してきた。
まもなく京から早飛脚が届き、新選組と紀州藩の線で刺客を追っていると書いてきた。それによれば覚兵衛が新選組隊士の動きを探り、陸奥と惣之丞らが紀州藩の動向を調べているのを高次は知った。
暮れもおしつまって緊迫した長崎の海援隊本部に、覚兵衛と惣之丞が横笛丸で帰ってきた。
「どうじゃった。坂本さんを殺《や》った相手は」
待ちかねた高次が訊《き》いた。
「残念じゃがしくじった」
惣之丞が天満屋《てんまや》襲撃の一件を話し出した。龍馬刺殺の犯人は、さまざまな推測が乱れ飛んでいたが、なかでもいろは丸事件で、海援隊に遺恨をもつ紀州藩の線が有力であった。
紀州藩の京都藩邸に三浦|休太郎《きゆうたろう》という男がいて、いろは丸の遺恨を晴らすために、新選組をそそのかしたという噂を聞いた惣之丞は、陸奥らと十五人の同志を集めて、三浦が新選組と酒宴をしている天満屋を襲った。だが行灯が消されて暗闇での乱闘となり、双方に死傷者を出したが、結局は三浦を討てなかったという。
「覚兵衛の新選組の探索はどうじゃった」
「わしは新選組が襲ったといまも思うちょる。それで陸援隊と手を組んで探索をつづけたが、新選組の屯所を襲うには大砲がいる。わしも龍馬|復仇《ふつきゆう》の機をうかがったが、新選組の警護はいよいよ固くなり、幕吏の目も厳しくなった。それでひとまず爾後策《じごさく》を考えるべく、長崎に帰ってきたわけじゃ」
京の情況が変わったことを、覚兵衛が高次たちに話した。それによれば岩倉具視の指揮下で、天満屋襲撃の三日後に『王政復古』が発せられた。これは薩長による武力倒幕の第一歩であり、京から会津藩と桑名藩が追い出され、西郷の指揮する薩摩藩が宮門を固めた。この武力倒幕派により、龍馬が望んだ無血革命はわずか二ケ月で捨てられ、ふたたび政局は流血の緊迫をはらんできたという。
「ということは結局、薩摩の思いどおりになったというわけじゃな」
高次が覚兵衛に質《ただ》した。
「そういうことじゃ。西郷は最初から龍馬の大政奉還を、望んでおらぬとわしは見ちょる」
高次が大きくうなずいた。
「龍馬の仇を討つにも、これからの情勢に備えるにも金がいる。紀州藩の賠償金がまだ二万三千両ほど支払われておらぬ。それを力ずくでも支払わせねばならん」
紀州藩との最終交渉のすえ、作太郎は賠償金を七万両に減じて、すでに手付けとして六千五百両を受け取り、あとは佐々木が四万両を受け取っていた。
龍馬の刺客を追いつづける覚悟の高次は、覚兵衛たちと紀州藩邸に押しかけた。海援隊が武装|蜂起《ほうき》して長崎奉行所を襲うという不穏な噂は、紀州藩邸にも届いていた。そのせいで賠償金残額二万三千五百両が、暮れもおしつまった三十日に海援隊に支払われた。賠償金は長崎、馬関、京大坂方面に分散している隊士の人数を確かめ、公平に分配されることになった。
高次はその晩佐太次と今後のことを話し合った。龍馬が暗殺されたことにより、海援隊も変わっていく。最大の関心事は龍馬の刺客捜しである。
高次が口火をきった。
「この賠償金も元はといえば、坂本さんが海援隊のために命を懸けて手に入れた金じゃ。この金があるうちに坂本さんの刺客を追うしかない」
「京にいる陸奥たちが刺客を追いつづけているはずじゃが、その返事を待ってみるか」
「だがあの陸奥が、ほんとに刺客を追いつづけると思うか」
「坂本さんも陸奥を陰日向なくかばってきた。その恩をすぐ忘れる男ではなかろう」
「そうかもしれぬが、わしはいちど大坂に上って、そこを足場に陸奥たちの様子を見てきたい」
「それがええ。まずは陸奥たちの力を借りて刺客を追い、坂本さんの無念を晴らしてから、わしらの先のことを考えればええ」
このところの世の動きのめまぐるしさは、高次にもよく実感された。そうしたなかでまた凶事が発生した。いよいよ徳川の世の支配が弱まりだしたのだろうか。
それは年が明けた一月九日の夜、土佐商会に近い古川町から火の手が上がり、強風にあおられた猛火は、あっというまに土佐商会を全焼させ、海援隊士を緊迫させたことである。
「あの火事は長崎奉行所の手先が、土佐商会の風上から火を放ったんじゃ」
放火の噂は海援隊士の怒りを募らせた。身の危険を感じた長崎奉行の河津伊豆守《かわづいずのかみ》は、奉行所から武器や調度品を運び出し、脱出する気配をみせた。
「奉行が逃げるとは怪しい」
覚兵衛が怒りをみなぎらせた。
「奉行所を取りかこんで、火付けのことを詰問せねばならぬ。おのおの武器を取れ」
覚兵衛の指図で武器をもった海援隊は、奉行所へ攻め寄せた。高次もライフル銃を手に走った。惣之丞は鉢巻き姿で長槍《ちようそう》をかき抱いている。海援隊士が奉行所に走りこむと、河津伊豆守は脱走したあとだった。
「奉行所の金蔵に軍用金があるはずじゃ。手わけして探せ」
金庫は発見されたが中に一文もなかった。まもなく伊豆守は長崎湾に碇泊《ていはく》しているロシア艦アトリン号に逃げたことがわかった。
「伊豆めが持ち逃げしたな。アトリン号に斬り込みじゃ」
海援隊士は海に向かって駆け出し、バッテラに分乗してアトリン号に漕《こ》ぎ寄った。
「船にいる伊豆守に伝えよ」
甲板に向かって覚兵衛が叫んだ。
「もしアトリン号で逃げ出せば、すぐに軍艦で追いかけて、海の藻屑《もくず》と撃ち沈める。そのまえに奉行所の貯蔵金をもどせ」
甲板に河津伊豆守の姿が見えた。
「待たれい。わしは暴徒の掠奪《りやくだつ》を恐れたまでで、貯蔵金を持ち出したのは、私心あってのことではない。土佐藩が責任をもつなら、この貯蔵金をもち帰るがよい」
封印されたままの一万七千両を受け取った覚兵衛は、隊にもち帰って佐々木に差し出した。海援隊隊士はミニエー銃をもち、占拠した奉行所の警戒にあたった。高次も歩哨《ほしよう》に立った。
岩倉により王政復古がなされてから、世の中が激動をはじめ、長崎で奉行所が占拠されるくらいだから、京や大坂はどうなっているか心配である。大坂城を守る留次郎たちも難儀しているだろう。一刻も早く大坂に行きたかった。
長崎奉行所占拠の一件を、大坂の土佐藩邸に報告すべきだと考えた佐々木の提案で、覚兵衛が使者として大坂に発つことになった。
京坂の状況に気をもんでいた高次が佐々木に頼んだ。
「佐々木さん。わしも大坂に行って陸奥に会い、坂本さんの刺客の捜索を聞いてきたいんじゃ」
「ならば京と大坂にいる海援隊隊士に、賠償金を届けてやってくれ」
正月三日に薩長軍と幕軍が、鳥羽《とば》・伏見《ふしみ》で戦闘になったという報が長崎に伝わっていた。覚兵衛には京の戦況をさぐる役目が与えられ、高次と夕顔丸で大坂に向かった。
石炭補給に入港した長州の三田尻《みたじり》港で、鳥羽・伏見の戦いの戦況を高次は知った。大坂城にいた慶喜は正月三日、京を占拠した薩長土軍を討つために、鳥羽と伏見の両街道から京へ軍を進めた。慶喜には自慢の洋式歩兵一万二千のほかに、会津兵と桑名兵、新選組、京都見廻組を合わせた一万八千の大軍団があった。京の薩長土の兵の数は四千にみたない。敗けるはずがないと慶喜は思った。優勢な幕府軍で薩長土軍を討ち破れば、また徳川の世がやってくる。
薩長土軍は鳥羽・伏見街道に陣地を布《し》いて徳川軍を待った。だが薩長土軍と幕軍の銃器にはいちじるしい差があった。幕軍の旧式銃にたいして、薩長土軍はミニエー銃と最新式のスナイドル元込《もとごめ》銃を装備し、アームストロング大砲で幕軍を待ちうけた。
四日に戦端がひらかれた。薩長土軍の戦意は高く、圧倒的優勢な火器の前に、徳川軍は半日で総崩れになって大坂城に敗走した。辰五郎一家の「を組」は慶喜の側に仕えている。もしも敗走すれば薩長土軍に射殺されるかもしれない。
「留次郎は無事じゃろうか」
穏やかな瀬戸内の夕景のなかで波を切る夕顔丸の船中で、高次は新門一家と留次郎のことが気に懸かった。
大坂に着いた覚兵衛は土佐藩邸に向かい、高次は新門一家がいた堂島の呉服商の大店《おおだな》に向かった。大坂の町に幕軍の姿はなかった。薩長土軍も兵員不足のために、大坂に部隊を出す余裕がない。
道々の商家の開き戸は固く閉ざされ、町民の姿も少なかった。手拭《てぬぐ》いで頬かぶりをした遊び人風の男に、高次は慶喜の篭《こ》もる大坂城の様子を尋ねたが、男は高次をじろりと一瞥《いちべつ》しただけで去った。
商家の開き戸を開けて、通りをうかがっている丸顔の番頭らしい男に、高次は同じことを尋ねた。
「大坂城の将軍がどないなったんか、聞きたいんでっか」
男は馬鹿にしたような口調でいった。
「将軍は軍艦で江戸に逃げてしもたわ。あほらし」
「なに、江戸へ逃げたじゃと」
「そうでんねん。将軍が逃げ出したあとで、薩摩人が大坂の町を火の海にするいうたらしい。けど大坂は銭の町でっしゃろ。大店の鴻池《こうのいけ》はんが銭ようけ出してくれはって、それで火い付けられへんかったんや」
町人はじろりと高次を見た。
「あんたも侍でんな」
「いや、わしは……」
「どないでもええけど、徳川の侍の腰抜けには、わてらも心底あきれたわ。将軍が大坂城を逃げるときな、腰抜けの旗本衆が慌てたあまり、徳川家の大金扇の馬印をお城におき忘れたんやて」
町人はぺっと唾《つば》を吐いた。
「わてらは江戸っ子は嫌いでっせ。そやけど新門の辰五郎という親分には、わてらも頭が下がります」
「新門の親分がどうした」
高次は思わず訊《き》き返した。
「将軍の大事な馬印をな、辰五郎はんが乾分《こぶん》を二十人ほど引きつれて、命懸けでお城から取ってきたんや」
「本当か」
「ほんまでっせ。そやけど辰五郎はんが馬印を取ってきたらな、将軍はすでに軍艦で江戸に逃げたあとでな、辰五郎はんと乾分衆は東海道を走って、江戸まで行ったそうや。これでもう侍の世は終わりでんな」
「江戸まで走って行ったのか」
「おかしな話ですけどな、あの薩摩っぽの芋侍が、いまでは天皇はんの錦布《きんきれ》をつけた官軍でっせ。わてらは銭さえあれば、どうなってもかましまへんが、なんかおかしな世の中でんな」
高次は新門一家のいた大店に着いて大戸を叩《たた》いた。警戒心をあらわにした手代があらわれたが、さいわい高次の顔を覚えていた。手代の話では留次郎は馬印を探しにもどった二十人の中にいたという。
「やはりそうか」
高次は心中で快哉《かいさい》を叫んだ。侍が天皇だとか徳川家だとかいって戦争騒ぎを起こし、そのあげくに将軍が軍艦で逃げ出したとき、辰五郎と留次郎たち「を組」の鳶衆《とびしゆう》は、男の心意気に命を懸けて、敵のいる大坂城から馬印を持ち帰ったのだ。
〈……兄いよ。さむれえなんて、ざまあねえよな……〉
留次郎の得意でいなせな声が、聞こえてきたような気がした。
高次は無性に留次郎に会いたくなったが、江戸は遠い。高次は薩万に帰った。慶喜が逃げ出した大坂の町は、無政府状態になっていた。薩長土軍に怯《おび》えた町奉行役人も江戸に逃げ去り、町人が武家屋敷に入りこみ、衣装や刀剣を盗み出していた。
高次は薩万の戸口を開けた。薩万にいた海援隊士は、鳥羽・伏見の戦いに飛び出して不在であった。
「わしじゃ。しばらく世話になるぞ」
「あっ。佐柳《さなぎ》さん」
主人が高次を見ていった。
「お客さまがいらっしゃいます」
「誰じゃ」
「へっへへへ。高次兄い。留次郎でやんす」
印半纏《しるしばんてん》の留次郎が笑っていた。
「おおっ。留次郎。どうしてここにおる」
「なに、高次兄いは坂本さんの仇《かたき》を討つために、かならず大坂に帰って来ると思いやしてね、それで親分の許しをもらって、ここで待っておりやした」
「わしはかならず坂本さんの刺客を追いつめる。それで新門の親分とお前たちは、大坂城に馬印を探しにいったと聞いたが本当か」
「本当です。ですがさすがにあんときは、薩長土の手に落ちた大坂城に入るわけですから、命を捨てる覚悟をいたしやした」
「見直したぞ。それに較べると徳川の旗本どもは、まったくの腰抜けだ」
「そんな腰抜けどもの話より、坂本さんの仇討ちですがね、刺客捜しに格好の男を見つけておきやした」
「ほう。どんなやつじゃ」
「仇討ちの話を、こんな旅篭《はたご》ではできねえ。あっしについて来ておくんなさい」
留次郎は高次を、道頓堀《どうとんぼり》の建て込んだ裏長屋に案内した。
破れ障子の引き戸を開けて部屋に入ると、月代《さかやき》が伸びた痩《や》せぎすの男が、腕枕でうたた寝をしていた。
「おう。喜平。起きろ」
「あっ。留次郎さん」
男は跳ね起き、鋭い視線を戸口に向けた。
「これは失礼しました。朝まで張り込みをしてたもんですから、つい居眠りを」
「こちらが高次兄いだ。挨拶《あいさつ》しろい」
「喜平でございます。よろしくお見知りおきのほどを」
「なんだ。こいつは」
「幕府の探索方にいた密偵で、海軍操練所が潰《つぶ》されたとき、兄いの居所を捜させた男です」
「ああ。そういえばそういうこともあったな」
うなずいた高次に留次郎が説明した。
「ありていにいえばこの喜平は、京都所司代の浪人狩りの手先の一人でした。その所司代の連中が、蜘蛛《くも》の子を散らすように江戸に逃げてしまい、こいつは大坂にとり残されたわけでやんす。ですがこの喜平の密偵としての鼻と目は飛びきりでして、兄いの役に立つと思って、おいらの乾分にしておきやした」
「そういうことだったのか」
高次は喜平の顔を改めて見た。一見目だたない町人風の男であるが、細い目が動くと、鋭い光がやどる。油断できない男だと高次は思った。
「それで海援隊のみな様、心底から坂本さんの仇を討つ気があるんですかね」
「どういうことじゃ」
「どうもこうもねえ。天満屋を襲って失敗した陸奥なんぞは、もう坂本さんの仇討ちなどころりと忘れて、官軍の出世街道をめざしておりやす」
「なんじゃと。詳しく話してくれ」
留次郎は喜平を使って調べさせた海援隊隊士の顛末《てんまつ》を話し出した。
惣之丞らとともに天満屋を襲って失敗した陸奥は、その三日後に岩倉による「王政復古」が布告されるや、すぐさま新政府の重鎮の岩倉の懐に入り込み、正月十一日に早々と新政府の外国御用掛の役人に任じられた。そして大坂の屋敷をあてがわれ、龍馬のことも海援隊のことも忘れたかのように、岩倉の配下で働いているという。
「陸奥は海援隊のみなさんが屋敷を訪ねても、天満屋の一件で、すっかり坂本さんへの義理を果たしたような顔をして、門前払い同然の扱いのようです」
留次郎が吐き捨てるようにいった。
「陸奥ならやりそうなことだ」
傲岸《ごうがん》な態度で隊士の反感を買った陸奥を、龍馬はいつもかばってきた。だが龍馬が死ねば恩も義理もなくなるのか。……人間とはしょせんそういうものかと、高次の体に怒りではなく、悲しみに似たものが込み上げてきた。
「それで他の隊士はどうした」
「ほとんどの隊士がわれも遅れてはならぬと、薩長の後についていきやした。大坂には誰も残っておりやせん」
「そうか。陸奥のことは気分のいい話ではないが、わしはどうあっても、坂本さんの刺客を捜して仇を討つ」
「ところで兄い。訊き辛《づら》いことですが」
「なんじゃ」
「こんなご時世で海援隊も商いどころではないでしょう。それで当座の金はどうするんです」
「痛いところをつくが心配するな」
高次は苦笑した。
「紀州藩から取った賠償金が隊士に支払われたんじゃ。この賠償金があればお前たちと一年は仇を追える。心配は無用じゃ」
高次は留次郎にひきつづき刺客捜しを頼んで、ひとまず長崎に帰ることにした。
長崎に帰る船内で、覚兵衛が唇を噛《か》みしめて高次に告げた。
「陸奥は変わり身の早いやつじゃ。あやつはとうに海援隊のことなど忘れて、新政府で立身することだけを考えておる」
「わしも留次郎から聞いたが、それは陸奥だけではなかろう」
岩倉の内懐にするりと入り込み、新政府役人の地位を手に入れた陸奥を見て、在京の海援隊隊士の多くが、新しい官途の任に就こうと、新政府の知己につてを求めて海援隊を見捨てた。
「坂本さんが死んでまだふた月だというのに、みな仇を追うことを忘れておる。わしは海援隊の同志というものは、もう少し肚《はら》の据《すわ》った連中じゃと思うとった。だがどうやらそうでもなさそうじゃ」
「海援隊隊士が脱藩したのも、その手で世を変えて、新しい地位を手に入れたかったからじゃ。わしも侍じゃが、そういう者が多い」
そうかもしれないと高次は口をつぐんだ。侍というものは生まれたときから手に汗して働いたことがなく、隊士は酒を飲めば天下国家を論じていた。そうであれば世が新しく変われば、新たな官途を求めることはやむをえまい。
〈だが……〉
と高次は龍馬の顔を思い浮かべた。結局隊士の中で官途を求めず、海に生きたいと夢をもっていたのは龍馬だけではないか。自然堂で龍馬は新しい世がくれば、お龍とアメリカへ渡る夢や、捕鯨にも乗り出したいと熱っぽく語った。高次が思ったように薩長土は官軍となり、その他の陸奥に代表される浪人も、権力の座にしがみつこうと血まなこのようである。だが龍馬だけはそうではなかった。だからこそよけい刺客を捜し出して、仇を討ってやらねばならないという思いが、高次の中に強く突き上げてきた。
高次が帰った長崎は混乱をきわめていたが、長崎の外国領事あてに佐々木三四郎の名で、土佐藩が治安維持につとめる旨の通達が出され、治安がもどりつつあった。
覚兵衛あてに馬関のお龍から書状が届いていた。読み終わった覚兵衛が照れくさそうに口を開いた。
「こんな時世なんじゃが、わしは嫁を貰うことになった」
「ほう、相手は誰じゃ」
「お龍さんの妹の起美じゃ」
「おお。それなら坂本さんも喜ぶ。めでたいことじゃ」
高次が明るい顔になった。生前の龍馬は起美の行く末を案じていて、嫁にやるなら覚兵衛に貰ってもらえと、お龍に話していた。いまはお龍の気持ちもようやく落ち着き、土佐の坂本家に身を寄せることになったので、二人の縁談をはやく決めたいという。
高次が明るい笑顔を見せたのは、龍馬の妻の妹を嫁にする覚兵衛ならば、仇討ちを本気でやってくれる。大坂には留次郎がいる。高次の心からはやばやと海援隊を見切った陸奥やほかの隊士のことが消えていった。
高次が帰る前日に、主が逃げ出した長崎奉行所の警護役として惣之丞が立った。奉行所は土佐藩の配下に置かれ、海援隊隊士が交替で見張りに立つ。その昼下がりに抜刀して大声で喚《わめ》いている男があらわれた。酒気を帯びているらしく、足元がふらついている。
惣之丞が不審な男を誰何《すいか》した。男は聞く耳をもたず、大声で喚いて刀で壁に斬りつけ、奉行所に乱入しようとした。
止まらぬと撃つと惣之丞は暴漢にライフル銃をかまえた。だが男は止まらない。惣之丞が一発撃った。男は胸を撃ち抜かれて倒れた。
銃声を聞いてあらわれた薩摩藩士が死体を見て、川端半助という薩摩藩士であることを認めた。川端は平素から興奮しやすい性質《たち》で、ことがあると一死報国を口にして刀を抜く。長崎奉行所が占拠されたことで、朝から興奮して酒を飲み、抜刀して駆けつけてきたらしい。
薩摩藩士と聞いて、惣之丞はその場に立ちすくんだ。この緊急時に薩摩の侍を撃ち殺した惣之丞は、いさぎよく切腹して罪をつぐなう覚悟を固めた。だが惣之丞に落ち度はなく、腹を切ることはないと、射殺の場に居あわせた佐々木栄らが押しとどめたが、惣之丞は龍馬の後を追うように切腹して果てた。
惣之丞が死んだことを、上陸して高次は知った。惣之丞は龍馬の仇を討ちとれなかったことで、京から帰ってから失意のどん底にあった。苛烈な惣之丞が切腹したのは、龍馬がいない海援隊で、どこかに死に処を求めていたのかもしれない。……そう思うと寂寞《せきばく》の思いが、高次の胸にこみ上げてきた。
その晩高次は覚兵衛に肚の内を打ち明けた。
「惣之丞も腹を切った。もうわしらが長崎でやることはない。わしらだけで大坂に行き、坂本さんの刺客を捜して仇を討とう」
長崎に残った海援隊隊士も、新政府が長崎に振遠隊《しんえんたい》をつくるという話が伝わると、入隊しようという動きが出はじめたのである。
「わしもそうしたいのじゃが……」
覚兵衛が口ごもった。
「じつはお龍さんが起美と長崎に来て、わしらの婚礼を見届けたあと、土佐の坂本家を頼るそうじゃ。そうなれば起美との世帯が落ちつくまで、わしは長崎を動けぬ」
「そうか」
高次は声を落とした。なにがあっても共に行動するものと信じていた覚兵衛が、婚礼のためとはいえ龍馬の刺客探しにくわわらぬという。釈然としないものが心に残ったが、高次はあくまで龍馬の刺客を追う気である。惣之丞が死んだいま、長崎で頼りになる男は佐太次と四郎の二人になった。
「ならばわしらは大坂に行く。覚兵衛も嫁をもらって落ちついたら、大坂へ来てくれ」
「おお。かならず行く」
高次は佐太次と四郎の三人で大坂に発った。
二月の大坂は寒かった。高次が佐太次と四郎を裏長屋につれていくと、目はしのきく喜平が長屋の両隣の部屋を借りてくれ、三人はそこに腰を落ち着けた。当座の賠償金はあるが、龍馬の仇《かたき》を追うのに、何年かかるかわからないと高次は思っている。喜平の聞き込みも銭がかかる。これからは破れ障子の部屋で暮らし、火鉢の炭も使わないようにしなければと高次は覚悟した。
喜平は暗いうちに出かけ、数日間留守にすることも多かった。喜平が龍馬の仇捜しに協力する訳が高次にもわかった。京都所司代の探索方の目明しだった喜平は、不穏な浪人者の見張りを毎晩つづけた。世の乱れとともに張り番の仕事が多くなり、夜も昼もない不規則な暮らしがつづき、喜平の楽しみは酒と賭博《とばく》だった。徹夜がつづいて疲れはてた喜平は酒を飲み、賭博にのめり込んだ。そのうえ飛田《とびた》の性悪女に瞞《だま》されて借財をかさねた。
新門一家も博打場《ばくちば》に出入りする者が多く、喜平のことを耳にした留次郎は、喜平が新門一家の炊《かしき》女中の遠縁であることを知り、辰五郎に相談して喜平の借金をきれいにしてやった。それから喜平は留次郎に恩を返すべく必死になった。
四郎が煮炊きの鍋釜《なべかま》の仕度を調えて、長屋暮らしがはじまった七日目に、聞き込みから帰ってきた喜平と留次郎が、寒そうに両手を揉《も》んだ。
留次郎が口をきった。
「紀州藩の三浦休太郎でやんすが、こいつは坂本さんのことを、銭がらみで恨んでおりやした」
「銭がらみというと、いろは丸の賠償金のことじゃな」
「そうです。喜平に調べさせましたら、長州攻めのあとで紀州藩の金蔵は、ペンペン草も生えないありさまでした。そんなときに海援隊の坂本さんに、銭をとられたわけでして」
慶応二年(一八六六)の長州再征のとき、征長総督に紀州藩主が任じられ、大軍を率いて広島に滞陣した。そのとき紀州藩は戦費だけでも、百十万両を超す膨大な財政負担を強いられた。このため他国の紀州商人にまで借金し、藩札を乱発した。こうした財政危機の中で、いろは丸事件の賠償問題が発生したために、長崎談判を画策した龍馬への憎しみは強まったのである。
紀州藩家老代理の三浦休太郎は、京で新選組の近藤と付き合いが深く、書状も頻繁にやりとりして、徳川幕府安泰のために力を尽くそうとしていた。だから三浦は紀州藩の財政的な恨みと、徳川体制をくつがえそうとする龍馬に、二つの面から強い殺意を抱いていたことになる。
三浦が龍馬暗殺の黒幕らしいという情報を、いちはやく陸奥や惣之丞に伝えたのは、紀州の勤王家の加納宗七という材木商であった。黒幕の三浦の手先が新選組だと信じた陸奥や惣之丞たちは、三浦を天満屋に襲い、新選組の反撃をうけて結局は失敗したのである。
聞き終わった高次が尋ねた。
「それでいま三浦はどこにおる」
「それが手の届きにくい所です」
「手の届きにくい所などあるのか」
「紀州の牢屋《ろうや》に入っておりやす」
留次郎は両手を縛られる真似をした。
「牢か。なるほど……だがなぜ三浦が牢におるんじゃ」
「これも御一新のあおりです」
留次郎によれば鳥羽・伏見の戦いのとき、紀州藩も兵を出すことになり、家老代理の三浦は軍兵を率いて出陣した。だがあっというまに幕軍が敗走し、三浦は大坂城に入れず、京に逃げ帰った。まもなく新政府が樹立され、三浦は王政一新の御盛挙を妨害したという罪状で、官軍に恭順した紀州藩により、禁固刑に処せられたのである。
「三浦が牢におるのなら、新選組の刺客を捜さねばならぬ」
「ところが喜平は新選組かどうかわからねえといっておりやす」
「どうしてじゃ」
「そこんとこは喜平から話しな」
「へい」
喜平は神妙な顔で座り直した。
「旦那もご存じのように、新選組というのは局長の近藤からがそうですが、多摩の百姓の寄せ集めです。そのために幕府から正式の食い扶持《ぶち》が保障されず、新選組の力を認めたところが、御褒美に金を出すような按配《あんばい》でして……つまり自分の腕一つ、刀一本で稼ぐ集団が新選組でございます」
喜平は寒そうに手拭《てぬぐ》いで鼻をかんでつづける。
「新選組が池田屋で浪士を襲ったときも、近藤さんは新選組を率いて派手派手しく戦い、二十人ほどを討ち果たしたあと、われこそが新選組であると、世にひけらかして得意げに帰りました。この池田屋襲撃を大手柄としたご公儀は、新選組に五百両を下賜し、さらに傷を負った者に一人五十両与えたほどです。そればかりではありません。朝廷も百両を新選組に賜って、隊士を慰労したようなわけでございます」
喜平の考えでは、新選組が龍馬と慎太郎を殺したとすれば、二人とも幕府が恐れる名の通った反幕の志士であり、新選組はここぞとばかり「龍馬を斬った。慎太郎を殺した」と世間に騒ぎ立て、新選組の大手柄を天下に誇るはずだといった。
「なるほど。それは理にかなう見方じゃ」
高次が納得してうなずいた。
「おいらも新選組の行状をよく知っておりやすが、やつらが人を斬った自慢話は、翌日には京中に広まります。だから喜平のいうことは当を得ていると思いやす」
「ならば新選組の他の心当たりがあるのか」
「しかという証拠を掴《つか》んだわけではありませんが、あれだけ手際よく坂本様と中岡様を殺し、そのあと現場から誰にも見られずに、姿を消すことができる連中となると、そう多くはございません……それは京都見廻組です」
喜平は油断のない視線をすばやく四壁に向けた。密偵のときの体にしみついた癖だった。
京都見廻組は新選組の派手派手しい活動の陰で目立たないが、幕臣の子弟が多く、その存在は浪士にとっては不気味なものであった。
「だが京都見廻組の連中も坂本さんを殺せば、得意げに天下に話しそうなものだ」
「そこが考えどこでございます。京都見廻組はあぶれ者の新選組とは、大違いでございまして、幕臣の蒔田相模守《まきたさがみのかみ》さまが初代頭取をお務めになり、組役もご譜代の御家人から選ばれました。つまり見廻組は食いはぐれることもなく、幕府のお偉方が捕縛者の名を伏せろといえば、見廻組はその御指図に従います」
喜平が慎重に言葉をついだ。
「見廻組から見れば、坂本さんは寺田屋事件のとき、伏見奉行所の同心二人を短筒で殺した重罪人です。そうなれば見廻組は必死に下手人捕縛に動きます。重罪者の坂本さんを捕縛するのに、なんの遠慮もいらないわけでして……」
「なるほど」
高次は腕を組んで喜平を見た。
「それ以外に考えられぬのか。……たとえば町方の目明しが、坂本さんが近江屋に入るのをぐうぜん見て、捕り方を呼んで斬り込みをかけたとか」
「いいえ」
喜平が強く手を振ってさえぎった。
「自分の口でこういってはなんですが、わたしども探索方の力も、そうみくびったものではございません。坂本様がとりまとめた薩摩と長州の秘密の同盟も、かなり前から察知しておりました。長州攻めのときも、坂本様のとりなしで薩摩藩が介入し、ミニエー銃と軍艦を買ったのもすぐ嗅《か》ぎ付けました。それにもうひとつ――」
喜平は言葉を切って高次を見た。
「坂本様を捕縛しようとして、探索方を近江屋に見張りにつけたのは、京都見廻組の他には考えられない理由があります。つまり伏見の寺田屋を大人数で取りまいて失敗したことに懲りて、こんどは少人数で手際よく押し入り、捕殺……つまり殺しの目的を達したようです」
「さすがは幕府の密偵じゃ。筋は通っておる」
高次は納得してうなずいた。それにしても旧幕府の密偵活動は、陰湿なまでに念入りをきわめ、高次の背筋を寒くさせた。しばらく考えてから高次はぽつりと呟《つぶや》いた。
「薩摩藩ということは考えられぬか」
「と、いいますと」
「これはわしの臆測じゃが、どうしても血を流して幕府を倒したい薩摩にとって、あくまで穏便に政権を天皇に返させる坂本さんが邪魔になり、裏から暗殺の指示をしたというのは考えられぬか」
喜平にかわって留次郎が答えた。
「それはおもしろい見方ですが、薩摩まで疑ってかかるとなれば、とてもおいらたちの手では足りません。とりあえず堅いところから、手をつけたらどうでしょう」
「そうじゃな。これからは京都見廻組と新選組に的を絞って、調べをつづけよう」
粘り強く探索をつづける喜平が、京都見廻組の動きを調べてきた。
「やっと見廻組の当日のあらましを突きとめました」
「おお。話してくれ」
高次の心は逸《はや》った。
「これはわたしと同業の増次郎という男の話です」
京都見廻組の密偵の増次郎は、乞食の扮装《ふんそう》をして近江屋の軒下で菰《こも》をかぶって監視をつづけ、十一月十四日に、龍馬が近江屋に帰ったのを見届けたうえ、京都見廻組の上司が待つ先斗町《ぽんとちよう》の妓楼《ぎろう》の青楼に報告に走ったという。
「そのとき青楼には、与頭《くみがしら》の佐々木只三郎の他に、六人いたと増次郎はいっております。ただし増次郎の役目はそこまでで、前日からの見張りを終え、それから家に帰って寝たそうでございます」
「だが見廻組の手下の増次郎が、よくそんなことを話したな」
「わたしどものような密偵は、使われるだけ使われて、江戸に逃げるときは捨て殺しでございました。京にとり残された増次郎もいまは困窮して、見廻組への恩も義理もあったものではございません」
喜平は京都見廻組の密偵の増次郎をやっと見つけ出し、銭を握らせてなんとか大筋を聞き出したといった。
「そうか。それで佐々木という与頭の他の、六人の名前はわかったのか」
「ここに書き付けてまいりました」
「ようやってくれたぞ」
佐々木只三郎は会津藩士の三男に生まれ、近藤勇が策士の清河《きよかわ》八郎に乗せられて、京に出て困窮していたとき、奔走して新選組設立の陰の立役者の役を果たし、その功により京都見廻組与頭に任じられた男であった。
喜平の差し出した紙片には、京都見廻組の今井信郎、渡辺一郎、桂|隼之助《じゆんのすけ》、高橋安次郎、土肥仲蔵、桜井大三郎の六名の名前が書かれてあった。増次郎は一眠りした翌朝、佐々木の下宿の上京《かみぎよう》の松林寺を訪ねたところ、その六人が佐々木と話していたという。あとで近江屋の龍馬暗殺を耳にした増次郎は、なるほどと思ったと喜平に話した。
「増次郎は近江屋では、暗殺の現場を見ておらんが、つじつまは確かに合う。それで佐々木は江戸に逃げ帰ったのか」
「いいえ。紀州の三井寺《みいでら》に逃げ込みました」
「三井寺だと。それはまたどうしてじゃ」
「そのほうが安全だと見たからでございましょう」
喜平によれば、鳥羽・伏見の戦いがはじまったとき、佐々木は京都見廻組四百人を率いて、鳥羽街道で薩摩軍と乱戦となった。銃器に劣る見廻組は、はげしい銃撃を薩摩兵から浴びせられ、佐々木も腰に銃弾を受け、部下に大坂城まで戸板に乗せられて護送されたという。だが慶喜が軍艦で大坂城から逃亡したことにより、官軍がその後を追って江戸に向かったのを見届けさせ、江戸と逆の紀州に逃げれば安全だと考え、部下に戸板を担がせて三井寺に入ったらしい。
「佐々木がどう関わっているかわからぬが、ひとまず紀州へ行って佐々木を捜そう。話はそれからじゃ」
高次は立ち上がった。
「喜平はそのまに、他の六人の動向を探っておいてくれ」
高次たちは紀州の三井寺へ急いだ。紀州といえば高次たちにとって因縁の深い藩になった。龍馬暗殺を命じたかもしれない三浦は、紀州藩の捕われの身となり、密偵増次郎を近江屋に放った佐々木も、紀州三井寺に逃げ込んだ。
いま高次は龍馬殺しは新選組の仕業か、京都見廻組かまるで確信はなかったが、薩摩藩も含めて粘り強く、一つ一つを探索していくことしかないと考えていた。
「それで兄い。佐々木に会ったらどうしやす」
「そうじゃな……」
高次は考えを巡らせた。
「佐々木にお前さんが刺客だろうと詰問しても、はいそうですとは答えぬ」
「力ずくで拷問して口を割らせやすか」
「それはおもしろいが、佐々木は小太刀の使い手として相当なやつじゃと、喜平がいっておる。うっかりすればこっちが返り討ちにされる」
「高次兄いと佐太次さんは体が大きい。おいらも鳶《とび》の喧嘩《けんか》なら得意だ。四郎にも鳶口を持たせて、四対一ならなんとかなるでしょう」
留次郎は帯に差した鳶口を手に持ち、一振り振った。鳶の刃先が鋭く空を斬った。
「四郎もやってみな。火事場の喧嘩ではこいつだけが頼りさ」
四郎は留次郎から貰《もら》った鳶口を手にして、鋭く振りながら歩いた。
「その調子だ。それなら三井寺に着くころには、かなりの腕になっている」
紀州の町に入ると思わぬ人物に出会った。
「おお。元右衛門ではないか」
元右衛門は明光丸の舵手《だしゆ》をしていた男である。
「高次か。こんな所でなにをしておる」
元右衛門も驚きに足を止めた。
「おぬしは紀州のことはよう知っておるな。すこし力を貸してもらいたいのじゃ」
「それは話しだいじゃ」
いろは丸の件もあり、警戒の色を浮かべた元右衛門に、高次は龍馬暗殺の一件を話し、三浦と佐々木のその後の消息を尋ねた。
「そのことか」
元右衛門が警戒心を解いた。
「三浦さんは確かに牢に入れられておる。藩のためにやったことがいまは逆に仇《あだ》になり、同情する人も多いんじゃ。それと見廻組の連中が佐々木という男を、三井寺に連れてきたことも確かじゃ」
「いよいよですね。兄い」
留次郎が鳶口を引き抜いて身構えた。
「だがおぬしたちは佐々木には会えぬ」
「どうしてじゃ」
「三井寺に運ばれてから四、五日後に死んだ」
「それは確かか」
「疑うなら三井寺に行ってみればよかろう」
世の動きは急である。高次たちが紀州に出向いた三月に、官軍の先鋒《せんぽう》大総督の有栖川宮熾仁《ありすがわのみやたるひと》親王は、錦旗《きんき》をひるがえして駿府城《すんぷじよう》に入った。すでに慶喜は上野|寛永寺《かんえいじ》に退隠し、ひたすら恭順の意を表していた。だが上野の山に篭《こ》もった彰義隊《しようぎたい》は、あくまで抗戦のかまえを見せ、江戸に逃亡した新選組の近藤勇も、甲陽鎮撫隊《こうようちんぶたい》を組織して官軍に抗していたことを、高次はのちに知った。
力を落として大坂に帰った四人を、喜平が長屋で待っていた。
「だいたいのことがわかりました。六人のうちもっとも剣の使い手として知られたのは、今井と渡辺の二人でございます」
喜平の調べによれば、旗本の子の今井信郎は、直心影流《じきしんかげりゆう》の免許皆伝の使い手として知られ、慶応三年に京都見廻組に着任し、任務に忠実な男であったらしい。佐々木の信頼が厚く、二人の姿を祇園《ぎおん》で見た者も多い。
渡辺一郎は円明流の免許皆伝で、将軍家の上覧試合で勝った腕前である。今井と同じ慶応三年、京都見廻組|肝煎《きもいり》に任じられている。剣術がなによりも好きで、一人で四十人をかわるがわる相手にする試合で、一日中|竹刀《しない》を振っても疲れない体力を自慢にした。
「近江屋の狭い部屋に斬り込み、坂本、中岡様のお二人を、瞬時に斬り倒すことができる腕の持ち主は、おそらくこの二人をおいて他におりませぬ」
「そこまで調べてくれたか。それであとの四人はどうした」
「いまとなっては調べようがありませぬ」
「どうしてじゃ」
「桂、高橋、土肥、桜井の四名は、鳥羽・伏見の戦いで戦死しました。ですが今井の行方だけは、だいたいわかっております。今井は見廻組の生き残りと江戸に逃げました」
「おまえも世が世であれば、奉行に出世できた男じゃ。いや、よう調べてくれた」
四月になると長崎の覚兵衛が、官軍の長崎振遠隊の幹部に採用され、東北の幕軍の鎮圧に出向くと報《しら》せてきた。新妻の起美を養うには、長崎振遠隊の幹部になるのが安定した道だろう。それはやむをえぬことだと高次は思ったが、釈然としないものが心に残った。
その晩高次は佐太次と酒を飲んだ。
「結局残ったのは、わしら三人と留次郎だけじゃ」
高次は茶碗酒《ちやわんざけ》を一口で飲みほした。御一新となれば、誰もが新しい波に乗り遅れないようにと、わずか五ケ月前に殺された龍馬のことなど一顧だにしない。
「おいらと兄いたちは、時代遅れの人間ですかね。ほとほと情けなくなってきやす」
留次郎も大徳利を傾けた。
「姉《あね》さんも土佐へ帰ったと書いてある。見知らぬ坂本家で暮らすのは居づらいじゃろう。せめてわしらだけでも刺客を捜して、姉さんを喜ばせてやらねばならぬ」
「親分も上野で徳川のお殿さんを守っておりやす。こういうときに欲得勘定のないことができるってことは、人として幸せだと思って、愚知をいうのはやめやしょう……だが腹が立つ。この馬鹿野郎めが――」
その後も喜平は探索をつづけた。
「新選組を洗い直してみましたが、やはり怪しいふしは残っております。ですが新選組も江戸に逃げ、近藤も副長の土方《ひじかた》も、甲州で戦っているようです」
「覚兵衛が新選組の屯所を襲うには大砲がいると話したが、新選組がばらばらになれば、わしらでも追いつめることはできる」
高次は龍馬に貰った大刀を手に、立ち上がった。
「刺客が誰にせよ。これから江戸で探るしか手はない。江戸に行くぞ」
高次たちが足を踏み入れた四月の江戸は騒然としていた。すでに江戸城は官軍に開け渡され、錦布《きんきれ》をつけた官軍の兵士が辻々《つじつじ》で篝火《かがりび》を焚《た》き、鉄砲をかついでものものしく警護している。
高次は新門一家の浅草をめざした。筒袖《つつそで》の戎服《じゆうふく》(軍服)を着て、ライフル銃を肩にした薩摩兵に二、三度|誰何《すいか》されたが、新門一家の名前を口にすると、顔の表情を和らげて通してくれた。
「どうしてじゃろう。徳川方が勝っておれば、『を組』の印半纏《しるしばんてん》がものをいうが、おかしいことじゃ」
「を組」の印半纏を風呂敷《ふろしき》に包んだ高次が留次郎を見た。
「おいらにもわからねえ。どうしたもんでしょう」
浅草奥山に近づくと「を組」の若い衆が、留次郎を見て頭を下げた。
「留兄い。お帰りやんす」
だが留次郎を迎える組衆の数がおびただしく多い。全員が揃《そろ》いの印半纏に身を固めて、緊迫感を漂わせている。
「親分。ただいま帰りやした。高次さんたちも一緒です」
「おう。みな無事でよく帰ってきた」
辰五郎が玄関で四人を出迎えた。
「この物々しい様子はいってえなんです。それに薩摩っぽも妙なことに、『を組』を名乗るとすんなり通してくれやした」
「それは簡単な話だ。わしは勝先生に江戸市中の警護を頼まれてな、江戸中の火消し組と博徒の親分を、この足で訪ねてまわったんだ」
勝が江戸城を無血開城したとはいえ、いつ江戸市中で戦いが起こるかわからない。江戸の町奉行所に頼れない勝は、私財の八百両をなげうって辰五郎を訪ね、江戸中の火消しの頭取と博徒の親分衆に、もし江戸で戦《いくさ》がはじまり火事になったら町火消しが火を消し、暴徒が出たら、博徒が江戸町民を守るように頼んでまわることを依頼してきたという。
辰五郎は江戸四十八組の火消しの頭取と、博徒の親分衆の屋敷を訪ねてまわったあと、自分も浅草に二千人の乾分《こぶん》を集めて、戦禍で猛火が出たら大川(隅田川《すみだがわ》)へ逃げられるように、川舟二百隻を用意したという。
大坂の町では幕軍が逃げ去ったあと、官軍の人手がなく無政府状態となり、町民が侍屋敷に押し入って掠奪《りやくだつ》をはじめた光景を高次は目にしている。だが江戸では勝がはやばやと手をまわし、辰五郎が一番組から十番組まで、四十八組の町火消しと博徒に協力を頼み、火事、盗賊、人殺しなどの暴行から、江戸町民を守る体制をつくったのである。
それを知っている官軍は、江戸の火消しをまとめた辰五郎を、信頼できる味方として扱っていた。
「さすがは勝先生だ」
高次は感心した。本来ならば江戸町奉行所が行うべき仕事である。私財の八百両をなげうった勝の頼みですぐ辰五郎が動き、町火消しと博徒が体を張って、江戸町民を守るべく立ち上がったのである。
「それで親分は戦がはじまったら、江戸中の火消しの頭取をなさるんですかい」
「いや。わしは勝先生の用事を済ませたから、これから徳川のお殿様のお護《まも》りに水戸へ行かなきゃならねえ。あとは組々の頭に持ち場を割り当てたから、心配はいらねえよ」
辰五郎の話では、慶喜は謹慎したまま水戸へ去った。元将軍のいない江戸では、彰義隊を指揮する大久保紀伊守が上野の山に立て篭もって、官軍を迎え撃つ騒ぎを起こしており、江戸諸方で薩摩兵や長州兵とぶつかり、斬り合いをしているという。
「だが双方ともおれたち火消しには、一目置いてるぜ」
辰五郎が誇らし気にいった。官軍も幕軍も町火消しの心意気を十分に承知していて、印半纏を着ている男には誰何せずに道を開いた。
「を組」の印半纏を着た高次と佐太次は、留次郎と四郎を連れて、二手に別れて探索を開始した。高次が消息をつかみたいのは、新選組の近藤たち幹部と、京都見廻組の今井と渡辺であった。
高次が京都見廻組の二人を捜し、新選組の行方は佐太次が追った。
京都見廻組の敗走組は、彰義隊に入っている者が多かった。彰義隊の数は千人に及び、さかんに上野で気勢を上げていた。今井も渡辺も見廻組では与頭《くみがしら》を務めた男である。彰義隊に入っていれば隊長格は務まる。新門一家の名は彰義隊でも高かったが、ぶしつけに訊《き》いて怪しまれてはならないと思い、京で世話になった者の縁者ということで、留次郎と口裏を合わせたが、彰義隊に二人はいなかった。
十日ほどたつと佐太次が近藤の消息をつきとめた。官軍に捕らえられた近藤は、四月二十五日に板橋で斬首《ざんしゆ》されていた。
「土方はどうした」
「奥羽の各藩が官軍に抵抗を強めているらしい。噂では東北をめざしたという」
「兄い。勝先生を訪ねてみたらどうでしょう。江戸城を官軍に引き渡されてから、赤坂の屋敷に閉じこもっているそうです」
「そうじゃな。勝頭取、いや勝先生の顔も見たいのう」
四人は赤坂|氷川下《ひかわした》の勝の屋敷を訪ねた。門を叩《たた》いたが人の気配がない。しばらくすると勝の妻のお民《たみ》があらわれて、四人を屋敷内に案内した。
高次は玄関に足を踏み入れて驚いた。敷台に泥の足跡がつき、土足で荒らされた形跡が残っている。
玄関口にあらわれた勝が、
「おう。四人とも久しぶりじゃねえか。まあ上がりな」
相変わらずの口調でいった。屋敷に上がると障子は破れ、畳は泥で汚れ、書き物も散乱している。
「この荒れようはどうしました」
高次が尋ねた。
「官軍の田舎者のしわざさ。気にすることはねえ」
勝の外出中に官軍の兵士が暴れ込んで来て、勝はいるかと騒ぎ立てながら屋敷内を荒らし、めぼしい道具類や刀剣を盗んで帰ったという。
「おれを彰義隊や脱走幕兵の黒幕と見る官軍兵士が多いんだ。懲らしめのために屋敷を荒らしに来たのだろうよ」
勝によれば幕軍歩兵奉行の大鳥|圭介《けいすけ》が、千六百人の部下を率いて江戸から脱走し、東山道《とうさんどう》を進軍してきた官軍と戦い、勝利をおさめたという。撤兵隊長の福田|道直《みちなお》も、千五百の兵を率いて東北をめざした。東北諸藩はまだ官軍に降伏する気配を見せていない。背後から指揮をしているのが、勝だと思う官軍の兵士は多かった。
高次は海援隊が解散になったこと、佐太次たちと四人で龍馬暗殺の刺客と思われる新選組と京都見廻組を追って、江戸に来たことを話した。
「そうかい。明日をも知れぬこのご時世に、四人とも感心なことじゃねえかい。いや、見上げたことだ」
勝が神妙な顔で頭を下げた。
「いえいえ。勝先生がそのようなことを」
高次は慌てた。
「いやそうじゃねえ。人なんてものはな、死んでしまえばそれでおしまいだ。すぐ忘れられちまう。それは龍馬もよくわかっていたはずだ。だがそれじゃあまりにも人情がねえじゃねえか。だからお前らのような者がいるだけで、龍馬もあの世で喜んでいるだろう」
四人は恐縮した。
「おれは龍馬を殺《や》ったのは、新選組の馬鹿野郎だと思っているが、別の筋から京都見廻組のことも耳にした」
勝は煙管口《きせるぐち》をぽんと叩いた。
「大坂町奉行の松平勘太郎というのが江戸に帰ってきてな、幕府目付の榎本《えのもと》対馬《つしま》が京都見廻組に命令したといったんだ。だが龍馬を煙たがってたのは幕府目付ばかりじゃねえ。新選組も伏見奉行所も狙っていた。だからどいつが殺ったとしてもおかしくねえ」
佐太次が膝《ひざ》でにじり出た。
「勝のお殿様。薩摩人が裏から糸を引くようなことはありませんか」
佐太次の言葉に、勝が煙管を宙で止めた。
「なんだ佐太次よ。どきりとするようなことをいうじゃねえか。……薩摩ならば西郷というより大久保だろう。あの男は冷たいが頭はまわるぜ」
高次は勝がなにをいいだすか見守った。だが勝はその話にはそれ以上触れず、大坂で調べたことをもう少し話せといった。
高次は喜平が調べた状況を勝に詳しく話し、見廻組の一人の今井が、江戸に来たことを突き止めたといった。
「今井、なんていった。そいつの名前は」
「今井信郎です」
「ちょっと待て。聞いたことがあるような名前だ」
勝は散らかった書類を手に取り、目を通した。
「今井信郎だな。あったぜここに」
勝の手許《てもと》には、かつての部下から幕軍の動きを報じた書状が届く。あくまで抵抗をつづける諸隊の名と、その隊の幹部の名前が書かれてあった。勝が目を上げた。
「いま今井は幕軍の衝鉾隊《しようぼうたい》にいる。しかも副隊長だ」
書状によれば今井は、幕府歩兵|差図頭取役《さしずとうどりやく》の古屋久左衛門が率いる衝鉾隊の副隊長に抜擢《ばつてき》され、江戸を脱走して東北に向かったという。東北では奥羽越《おううえつ》列藩同盟が成り、官軍への徹底抗戦が叫ばれている。おそらく土方と同様に奥羽越のどこかをめざしたのだろう。
「高次よ。おれは龍馬の仇《かたき》を追うことはできねえが、幕軍の動向くれえは教えてやれる。これからちょくちょくここへ顔を見せな」
「はい。勝先生のお力がいただければ百人力です」
「ところで小野友五郎は知ってるな」
「よう知っております。咸臨丸での天測は日本人で一番でした」
「その小野がアメリカから甲鉄艦を買ってきてな、いま横浜沖に碇泊《ていはく》している」
「甲鉄艦といわれますと、勝先生と長崎のオランダ軍艦に乗ったとき、艦長が話した鉄板で覆われた軍艦のことですか」
「そうだよ。ストンウォール号というんだが、その甲鉄艦は敵弾をはじき返すばかりでなく、ガットリング砲という恐ろしく威力のある大砲を備えていて、まあ天下無敵の軍艦といえるな」
小野は慶応三年に慶喜の命を受けてアメリカに渡り、幕府の海軍強化のために甲鉄艦ストンウォール号を買い付け、この四月に横浜に廻航してきた。世界でも数少ない甲鉄艦の攻撃力はすさまじく、ストンウォール号一隻で、木造軍艦五隻と戦える攻撃力を備えていた。ストンウォール号が装備しているガットリング砲は、絶え間なく砲弾が射ち出せる機関砲で、飛び抜けた威力をもっていると勝はいった。
「その甲鉄艦は、いま官軍の手にあるのですか」
「官軍でもねえし、幕軍でもねえ」
勝は煙管に煙草を詰めた。
「アメリカ公使でファルケンバーグという男がいるんだが、この男が欧州の五ケ国に呼びかけて、欧米六ケ国の局外中立を宣言して、甲鉄艦をアメリカの手に抑留した。この甲鉄艦が幕府海軍の榎本《えのもと》の手に渡った日には、日本のこれからの戦局が難しいことになる」
オランダに四年間海軍留学した幕府海軍副総裁だった榎本|武揚《たけあき》は、オランダで新造した開陽丸に乗り組み、回天丸、咸臨丸など八隻の幕府軍艦を率いて官軍に抵抗し、品川沖に留まっているという。
榎本が乗る開陽丸は、木造軍艦としては最大の新鋭軍艦で、二十六門の大砲を備え、この開陽丸に立ち向かえる新政府の軍艦はない。だから甲鉄艦ストンウォール号をもったほうが、これからの戦局を有利にするだろうと勝は戦況を分析した。
五月に上野東叡山で彰義隊と官軍の戦いがはじまった。だが刀槍《とうそう》で戦う彰義隊は、新式ライフル銃を射つ官軍の敵ではなく、百八十人の戦死者を出して潰走《かいそう》した。
その動きに呼応するように、品川沖に碇泊中の榎本海軍が錨《いかり》を上げて、とつぜん北をめざした。東北戦線で戦っている幕軍の生き残りと合流して、箱館をめざすという。
諸外国は中立のまま情勢を見守った。オランダで欧米の戦争戦略を学んだ榎本は、欧米六ケ国の公使に書簡を送り、この戦いをアメリカの南北戦争に見立てて、まだ幕軍は敗北しておらず、自分たちは北海道に独立国を築きたいから、物心両面で支援して欲しいと訴えた。
榎本艦隊は戦力を強化するために仙台に寄港して、東北戦線の生き残りを収容して、箱館をめざした。
勝から呼び出しがあり、高次は赤坂に駆けつけた。
「土方の行方がわかったぜ」
高次の目に緊張が走った。と同時に龍馬の仇に近づけるかもしれない喜びを感じた。言葉が口をついて出た。
「どこにおります」
「海だよ。土方は仙台で榎本艦隊と合流して、軍艦に乗って箱館をめざした。いまごろは五稜郭《ごりようかく》に入っているはずだ」
「新政府の海軍は、箱館の榎本艦隊を攻めますか」
「それはストンウォール号しだいだ。榎本には二十六門の大砲を積んだ開陽丸がある。このままストンウォール号がアメリカの手にあるかぎり、新政府海軍もうかつには榎本艦隊を攻められねえ」
北海道をめざした榎本艦隊を見て、新政府海軍側も手をこまねいていたわけではない。アメリカ公使ファルケンバーグに使者を送り、日本の唯一の国家は自分たちであるから、即刻ストンウォール号を引き渡してほしいと申し出た。
だがファルケンバーグは、外交戦略が巧みな榎本が送った書簡――特にこの戦いはアメリカの南北戦争と同じだと主張した榎本に同調し、まだこの段階ではどちらも正式な政府として認められないと、強い調子で局外中立を主張した。
困り果てた岩倉は、イギリス公使パークスに支援を求め、ストンウォール号をなんとか入手したいと頼み込んだ。新政府寄りのパークスは六ケ国代表会議を開き、内戦は終わったから、ストンウォール号を新政府に引き渡すようアメリカに提案した。だがファルケンバーグは南北戦争を引き合いに出して、内戦はまだ終わっていないと主張して、新政府の要求はしりぞけられた。
いずれにしても諸外国は、日本の次の安定した支配者を見定めているにすぎないと高次には感じられた。
七月に江戸が東京に変わった。龍馬の刺客捜しが壁に突き当たった高次は、久方ぶりに築地のおこんの長屋を訪ねることにした。
「おお高次さん。この婆《ばば》を忘れずに、よう訪ねてきてくれたのう」
おこんは歯がほとんど欠けていたが、まるで変わらぬ皺《しわ》だらけの顔で、懐かしさを満面に表した。
「高次さんに尋ねるが、薩摩という国と、アメリカとはどちらが遠いんじゃ」
「薩摩は日本じゃ。アメリカのほうが何倍も遠いぞ」
「高次さんは薩摩に行ったことがあるのか」
「いちど行ったことがあるが、南の果ての国じゃった」
「このごろは江戸の町も、薩摩と長州の田舎者ばかりが目について、わしは長生きせんほうがよかったと思っておる」
おこんは薩長が天下を取り、江戸が東京に変わったことが不満らしい。だがその元気はまだまだ長生きしそうである。
「それで高次さんはどうして江戸に帰ってきたんじゃ」
高次は海援隊を閉じたこと、龍馬の仇を捜していることを話した。
「仇討ちなら忠臣蔵じゃな。それで討ち入りはいつじゃ」
おこんは的外れなことを真顔で尋ねた。
「はっははは。吉良《きら》邸への討ち入りとは違うんじゃ。それで大助はどうしておる」
「大助さんか。女遊びの癖は死ぬまで直らんじゃろうが、おひなが悋気《りんき》をせねば、ときおり帰ってくる」
「いまはどこじゃ」
「軍艦に乗ったまま帰ってこぬ。それが船乗りじゃと高次さんがいったのを忘れたのか」
「いいや。忘れぬ」
「いまはそのとおりになって、おひなも諦《あきら》め顔じゃ。船乗りは女子《おなご》にとって、阿漕《あこぎ》な稼業じゃなあ」
その晩高次は、おこんの手料理を久しぶりに口にした。思えば龍馬に会ったころ、この長屋で大助たちと酒を飲み、龍馬にマスト登りをさせたことがあった。なんだかわからないなりに龍馬は勇気をふるってマストに登ってしまった。だが周りの心配をよそに、近眼《ちかめ》で下がよく見えないといって、留次郎たちを笑わせた。そんな思いがよみがえってくる。
九月になると奥羽地方の内戦が平定され、官軍が東京に帰ってきた。
浅草の新門一家も一時の物々しさはなくなり、いつもの活気がもどった。
「兄い。おもしろい人に会いましたぜ」
留次郎が部屋に入るなりいった。
「誰じゃ」
「菅野さんです」
「覚兵衛じゃと。どこで会った」
「赤坂の狸穴《まみあな》で、海援隊にいた若い侍と一緒でした。兄いの話をしたら詫《わ》びたいことがあるから、四、五日中に浅草を訪ねるといいつかりました」
覚兵衛とは長崎振遠隊の幹部になったという書状が届いてから、音信不通になっている。
「懐かしい顔じゃ。暇だからこちらから訪ねてみるか」
高次が狸穴の覚兵衛の屋敷を訪ねると、お龍の妹の起美が玄関で出迎えた。龍馬の死を知らせに馬関の自然堂に行ったとき、起美は十六歳であった。
とつぜんの高次の訪問に、起美は驚きの表情を浮かべた。
「姉さんは土佐に帰られたと聞いたが、その後は息災か」
「はい。……ですがいまは神奈川におります」
起美はお龍が坂本家と折り合いが悪く、坂本家を出たと言葉少なに語った。だがそのこととは別に、起美の表情は硬かった。
部屋に入ると覚兵衛が驚きの声を上げた。
「おお。高次ではないか」
その横に駿馬の顔もあった。二人は新門一家を訪ねる相談をしていたらしい。
高次が座ると覚兵衛が両手をついて頭を下げた。
「高次よ。済まんことじゃった……」
覚兵衛の横で駿馬もうなだれる。二人とも龍馬の仇を追わなかったことを悔いている。だがここで二人を責めてはならない。高次は明るい口調で答えた。
「なになに。おぬしらは侍じゃ。人にはそれぞれ身の振り方がある。わしらは漁師上がりで仕事がなかったから仇を追った。だが坂本さんの刺客を見つけたわけでもなく、新門一家でぶらぶらしておるだけじゃ。気に懸けることはない」
覚兵衛はうなずいて顔を上げた。
それから三人は、海援隊が解散したあとのことを互いに語った。覚兵衛は長崎振遠隊の軍監となって庄内《しようない》軍を鎮圧し、仙台連合軍との激戦に参戦して、この九月に東京に帰ってきた。駿馬は新政府に出仕し、軍務官の職に就いたことを話した。
高次の刺客捜しのあらましを聞き終えた覚兵衛が話しはじめた。
「わしも長崎で官軍に身を投じたわけじゃが、明治と世が変わっても、薩摩と長州が天下を取っただけのことで、日本は龍馬のいうアメリカのような国に近づいたわけではない。それでわしは死んだ龍馬のことを思うにつけ、世界に乗り出す龍馬の夢が、いつも目の前にちらついて仕方がなかった。それで東京に帰って駿馬と会い、これからの進む道を語らったんじゃ」
うなずいた駿馬が、覚兵衛の言葉を引きとった。
「わたしも新政府で軍務官の職を得ましたが、いつも思うことは神戸で見た修船場のことです。いつか高次さんたちに、捕鯨船を造ると口にしたことをいまも忘れません。そのことを思い出すたびに官途を得たいために、自分の夢を捨てたことを悩んできました。そんなとき覚兵衛さんと会って、自分の初心を思い出したのです」
「わしと駿馬はな、おんしの見てきたアメリカの造船所を造りたいんじゃ。それで駿馬と二人でアメリカに行こうと考えちょる」
「おお。それはええことじゃ」
「長崎のオランダ人宣教師でフルベッキという男がいたじゃろう。あの男はアメリカで学んでから長崎に来たというちょった。それで書状を書いたら、アメリカに学びに行くつてがあると書いてきた。それで長崎に行って話をしてこようと思っちょる。そのおりに佐々木さんにも会ってくる」
長崎にいる佐々木三四郎は、奉行所から奪回した軍用金のうちから、八千両で米五千石を買い、不安におののく町民に給付した。いまは奉行所が長崎会議所に変わり、長崎町民の暮らしの安定をはかる佐々木は、会議所の助役として町政に尽くしているらしい。
「高次さん。わたしは坂本さんの仇を追うことはできませんでしたが、そのかわりアメリカで造船学を学んで、坂本さんの遺志を忘れずに、日本で船を造りたいと思っています」
高次はうなずきながら、覚兵衛が渡米することを知った起美が、一人東京に残される寂しさを思って、態度が硬くなっていたのだろうと察した。
「だがアメリカに学びに行くには、かなりの銭がかかるが、それはどうする」
「東北戦線の出兵者の論功行賞があり、軍監のわしに二百両が下されることになった。それだけでは足りぬが、その気になればあとはなんとかなるじゃろう」
高次は海援隊士の動向に苦いものを感じたことがあったことは確かだが、この二人は違っている。官途を捨ててアメリカをめざすという話を聞いて、龍馬も喜ぶだろうと思った。
十一月に勝のもとに早飛脚が届いた。書状によれば榎本艦隊の旗艦の開陽丸が、嵐のために江差《えさし》沖で沈没したという。
「ほう。この事故でまた新政府軍が有利になるな」
勝の予測どおり、開陽丸を失った榎本艦隊の弱体化を危惧《きぐ》したファルケンバーグは、榎本に見切りをつけた。十二月にアメリカの方針を急転換させ、新政府にストンウォール号を引き渡した。
赤坂の屋敷を訪ねた高次に勝が言い放った。
「いよいよ官軍は榎本を攻めるぜ」
「ならば官軍の軍艦に乗り、箱館まで土方を追いかけます」
「そうするがいい。聞くところ新政府海軍は、航海士官が足りねえらしい。お前さんたちの腕前なら喜んで乗せてくれる」
「誰を訪ねればよろしいですか」
「海軍塾で高次が教えた薩摩の伊東がいる。あやつを訪ねれば話はできる」
高次は佐太次たちと横浜まで走り、薩摩藩の伊東に会った。伊東は新政府海軍の出世頭で、高次のために便宜をはかれる立場にあった。高次は事のあらましを話し、新政府海軍が箱館を攻めるならば、ぜひ四人を軍艦に乗り組ませてくれと頼んだ。
「そげなことはたやすいことでごわす」
胸を叩《たた》いた伊東は、新政府海軍の乗艦名簿を調べた。
「高次さんはストンウォール号に乗ってもらいたいのでごわすが、この甲鉄艦は乗りたい者が多すぎて、おいも調整がつきもさん。陽春丸なら航海士官が二名乗り組めます。留次郎さんと四郎さんには、マストに登ってもらいます」
ストンウォール号を手に入れた新政府海軍の動きは早いと高次は感じた。すぐ各艦隊の整備をはじめ、旗艦のストンウォール号に軍事物資を積み込み、三月九日に箱館をめざして出港した。
高次にとって久しぶりの航海だった。伊東の配慮により、乗組員も二人を官軍の航海士官として認め、気分よく陽春丸を北上させた。
三月二十五日。小寒い風が吹く三陸の宮古《みやこ》湾に、新政府艦隊は碇泊《ていはく》した。陽春丸は湾内の奥に碇泊し、敵船から守るようにストンウォール号が湾口に碇泊した。
「もうすぐですね、兄い」
風が冷たい甲板で留次郎が首をすくめた。
「ですが榎本も開陽丸を沈めるとは、どじな野郎ですね」
「冬の蝦夷《えぞ》の海は凄《すさま》じい風が吹く。わしらでも操船に難儀する。無理のないことかもしれん」
留次郎が寒そうにうなずいた。
「開陽丸を失った榎本艦隊には、あのストンウォール号と戦える軍艦はもう残っておらん。この戦《いくさ》は間違いなく官軍が勝つじゃろう。土方が戦で死ななければよいが」
開陽丸を失った榎本艦隊が劣勢を挽回《ばんかい》できるのは、ストンウォール号の動きを封じるしかない。新政府海軍の攻撃を察知した榎本は、決死の者を五十名選び出し、軍艦回天丸に乗せてストンウォール号を待ちうける策を立てた。
宮古湾に碇泊するという情報をつかんだ回天丸は、その晩に宮古湾に急行し、ストンウォール号に夜襲をかけた。暗闇に大砲の轟音《ごうおん》がとどろき、高次は砲撃音に跳ね起きて甲板に出た。単発の砲火が暗闇を切り裂いていたが、すぐさま暗闇にすさまじい連発音がひびきわたった。
「ガットリング砲が火を噴いたんじゃ。甲鉄艦に夜襲をかけるとは、肝のあるやつらだがとても勝目はなかろう」
まもなくガットリング砲の連発砲音はやみ、暗闇に静けさがもどった。
翌朝、高次はバッテラでストンウォール号に漕《こ》ぎ寄った。船腹に砲弾をうけて半分沈みかけた榎本軍の回天丸が浮いていた。バッテラに乗った伊東が、ストンウォール号のまわりの死体を引き上げて調べている。
「死んだ者は何人です」
「海に浮いてたのは榎本軍士官十七人でごわす。ほかに回天丸に水夫の捕虜が二十人ほどおります」
伊東の話では、回天丸を運航してきた水夫は、ひとまず捕虜にしてあるが、新政府海軍も水夫が少ないために、水夫が望めば雇い入れるといった。
高次は回天丸に漕ぎ寄った。甲板に水夫が並んで取り調べをうけている。高次は甲板を見上げた。がっしりした肩で大きな顔の大助がいるではないか。
高次は大声で呼びかけた。
「おおい大助。わしじゃ」
「おお高次か。ええとこに来てくれた」
「どうしたんじゃ」
「官軍にわしの身元請人がおれば、取り調べもなくすぐ官軍の水夫になれる。高次頼む。わしの身元請人になってくれ」
「なってやる。なってやる。そしてわしの陽春丸に乗ればええ」
高次は伊東に頼んで、その場で大助を引き取った。
「おぬしたちがストンウォール号に夜襲をかけたのか」
「そうじゃ。虎の子の開陽丸が沈んでは、手足をもぎとられたと同じじゃ。だがストンウォール号を攻めようとしても、あんな化物みたいな鉄砲が火を噴いては、榎本軍ももうお終《しま》いじゃ。あんな鉄砲は二度と見とうない。くわばら、くわばら」
「はっははは。大助にも恐ろしいものがあったのか。ところで坂本さんが殺されたのは知っちょるか」
「知らん」
「くわしいことは陽春丸に乗ってから話す」
陽春丸に乗船すると佐太次と四郎が立っていた。
「おお佐太次と四郎か。おぬしらも乗っておったんじゃな」
大助が二人に駆け寄った。
「あの甲鉄艦に夜襲をかけたのは大助じゃったのか。あいかわらずの海賊じゃな」
佐太次が大助の肩をどんと叩いた。
「はっははは。それがわしの生き甲斐《がい》じゃ」
高次は大助に近江屋事件を話し、龍馬の仇《かたき》を追って箱館に行くところだといった。
聞き終わった大助が、驚くべきことを口にした。
「今井信郎ならよう知っておる」
「本当か」
「昨年の十月に仙台から回天丸で、土方さんと今井さんを箱館まで乗せて行った」
「ならば二人ともまだ生きておるのじゃな」
「そうじゃ。今井さんも土方さんも元気でいま五稜郭におる。だが坂本さんが二人のどちらかに斬られたかもしれんとは驚きじゃ」
「それはまだわからぬが、今井とはどういう男じゃ」
「武骨な侍じゃよ。体が鍛えてあって剣も強そうじゃ」
「ならば大助の助太刀がいる。よろしく頼むぞ」
「高次の頼みなら引き受けねばならん。また陸奥を相手にしたときのように、樫《かし》の櫂《かい》で暴れるか」
新政府海軍はストンウォール号を旗艦として、五稜郭の沖に布陣した。
榎本軍に反撃できる軍艦は少なかった。咸臨丸は時化《しけ》で流され、播竜丸《ばんりゆうまる》と長鯨丸《ちようげいまる》の二艦が反撃してきた。高次が操る陽春丸は播竜丸を果敢に迎撃し、逃げる長鯨丸を追いつめて砲撃して、降伏させた。
五月十一日。ストンウォール号が五稜郭に艦砲射撃をくわえて、総攻撃が開始された。箱館は火の海となり、官軍兵が上陸をはじめた。高次は激しい戦闘を望遠鏡で眺めた。筒袖《つつそで》の上衣とズボンの官軍兵の数が圧倒的に多い。迎え撃つ榎本軍の敗色は濃厚であった。
五日目に高次は大助たちと上陸した。猛火につつまれて焼け焦げた榎本軍らしい死体がころがっている。この激しい戦闘の中で、土方と今井を見つけ出すのは、不可能かもしれない。高次たちは砲弾の飛び交う道を必死に捜した。土方と今井の顔を知っているのは大助だけである。だが硝煙に汚れた死体の顔は判別が難しい。
七日間の猛攻撃のすえに、ついに五稜郭は陥《お》ちた。高次は大助と五稜郭に駆け込んだ。血まみれの幕兵が横たわっていた。抱き起こすと息があった。
「新選組副長の土方を知らぬか」
だが幕兵は苦し気に呻《うめ》いただけでこと切れた。
それから三日間、わずかに抵抗する榎本軍の残兵が撃つ砲火をくぐり抜けて、高次たちは土方と今井を捜し求めた。
「こいつではない」
できるかぎり死体を検分したが、土方も今井もついに見つからなかった。
戦火のくすぶる焼け跡に留次郎が駆けて来た。
「高次兄い。今井の居所がわかりやした」
「どこにおる」
「紀州の三浦と同じでやんす」
「なに。ならば牢《ろう》か」
「へい。やつは降伏して捕虜となり、青森に運ばれて獄につながれたそうです」
「そうか」
今井は生きているとわかった。だがこれだけの戦をした榎本軍の幹部ならば、これから官軍の手で厳しい取り調べがはじまる。そうなれば高次たちは近づけない。
「高次兄い。ここまで仇を追ったんです。これで坂本さんも恨みはいいませんぜ」
「そうだな」
高次が煙がくすぶる五稜郭を見てつぶやいた。
「坂本さん。わしたちはやれるだけのことをやった。どうかこれで心をおさめてもらえんかね」
海から聞こえる潮鳴りのあいだから、
〈高次よ。ようやってくれた。わしは嬉《うれ》しいぞ……〉
と龍馬の声が聞こえたような気がした。
「冷えてきましたねえ。さすがに箱館の海風は冷てえ。さあ帰りやしょう」
捜しあぐねた土方は戦死したことがわかった。龍馬の仇を追いつづけていた高次は、土方の死でひとまず心の整理をつけた。
箱館の戦火はおさまった。高次は戦禍をうけた町で、意外な人物とめぐり会った。一番丸で捕鯨に来たときに雇おうとした射手のアダムズであった。箱館が気に入って住みついたアダムズは、日本語が達者になっていた。五稜郭で榎本と話をしたといい、蝦夷共和国ができればぜひ捕鯨をやりたいと、榎本はアダムズに語ったという。
「まだ高次さんは捕鯨をやる気ですか」
「もちろんやりたいです」
龍馬の仇捜しを終えた高次は、次の目標を考えていた。覚兵衛と駿馬はこの正月に、横浜から船に乗ってアメリカをめざした。旅費の足りない分は、佐々木が用立ててくれたといった。二人は宣教師フルベッキの紹介で、アメリカ東海岸のニューブランズウィックで英語を学び、そののちニューヨークで造船学を学ぶことになった。そうなればいよいよ捕鯨に乗り出せる。目標を定めた高次が、偶然アダムズに出会ったのである。
「佐太次が銛射《もりう》ちを覚えたいと思っております。ひとつ銛の投げ方を、一から教えてやってくれませんか」
「どうやらあなたたちが、捕鯨をやりたい気持ちは本当のようですね。ですがボンブランス炸裂《さくれつ》銛を投げる捕鯨はもう時代遅れです」
「時代遅れとはいったいどういうことですか」
「ノルウェーで威力ある捕鯨砲が作られました。その捕鯨砲ならば百三十フィート……」
アダムズは言葉を切って計算をはじめた。
「そうですね。日本の長さでおよそ二十二|尋《ひろ》(約四十メートル)先の鯨に、捕鯨砲から射った銛を、命中させることができるのです」
高次はガットリング砲のようなもの凄《すご》い銃だろうと想像した。
「その捕鯨砲を日本で使えるようにするには、どうしたらええのでしょう」
「それはノルウェーに行くか、この捕鯨砲の研究をはじめたアメリカに行き、自分の目で学ぶことでしょう」
高次はアダムズに、日本語の読み書きはできるかを問うた。まだ読み書きはできないので、アメリカ人宣教師に頼めば、書状のやりとりはできるといった。
「いずれ手紙を書くつもりです。そのときはよろしくお願いします」
高次は捕鯨砲のことで尋ねることがあるだろうといってアダムズと別れた。
箱館からの帰路、青森で下船した高次たちは、越後まで歩いて廉蔵の屋敷を訪ねた。
万次郎が江戸を去ったあと越後に帰った廉蔵は、のんびりした日々を送っていた。
日本海から初夏の風が吹き込む広い座敷に、高次たちを案内した廉蔵は、不自由な足をさすりながら口を開いた。
「あれから齢《とし》をとり、ときおり足が痛むのはつらいことですが、こうして高次さんたちが越後まで来てくださるとは、夢のような喜びです」
高次は長崎で万次郎に会い、その仲介の力もあって海援隊ができ、さまざまなことがあったことを語った。
「廉蔵さん。わしらはいつの日か洋式捕鯨に乗り出すつもりです。そのときはボンブランス炸裂銛ではなく、ノルウェーの捕鯨砲を使って、海に出ることを考えております」
「捕鯨砲とはいかようなものですか」
高次はアダムズに聞いた話を廉蔵に聞かせた。
「いよいよ万次郎さんの夢が、高次さんたちの手によってかなうわけですな。それは楽しみなことです」
まだ捕鯨の夢を捨てていない廉蔵は目を輝かせた。
「廉蔵さん。そのときはわしらの捕鯨船団の、船主の一人になってくれんですか」
「万次郎さんのいう共同船主か、バンコの保証人ですな。ええでしょう。そのときは山を二山か三山売ってすぐ金を送りましょう。それでも足りぬときは、東京にできるという第一国立銀行から、わしが保証人を引き受けさせてもらいます」
それから高次たちは捕鯨事業の将来について語り合い、数日間を越後ですごした。
東京に帰った高次たちを待ち受けていたのは、思いもよらぬ通達だった。兵部省《ひようぶしよう》からの連絡で、箱館戦争で陽春丸での戦功が認められ、高次と佐太次には功労金百八十円、留次郎と四郎に五十円、大助にも二十円が下されることになった。
「百八十円というのは大金じゃ。この金をどう使うか」
「わしに考えがある」
大助が舌なめずりをした。
「また吉原に行って居つづけじゃ」
「それはならぬ。この二十円は大助の手でおひなさんに渡すんじゃ。おぬしは一銭たりとも使うてはならぬ」
高次は笑いながらそういったあと、佐太次の顔を見た。
「どうじゃ佐太次。この金があれば三年は遊んで暮らせるが、この金で四郎をアメリカに渡らせたらどうじゃ」
「四郎をアメリカに渡らせてなにをさせる」
「新しい捕鯨砲を学ばせる。そのうち駿馬が造船学を学んで帰ってくる。捕鯨船ができても、最新の捕鯨砲がなければ外国との差が開く。この金で世界に先んずる塩飽《しわく》捕鯨船団をつくるんじゃ」
「ええのう。だがおぬしはいつから、そういう大きな考えができるようになったんじゃ」
「もしかすると坂本さんの法螺《ほら》が伝染《うつ》ったかもしれぬ」
「そうかもしれぬな」
二人は晴れ晴れと笑った。
高次はアダムズと連絡をとり、ひとまず四郎を箱館に発たせた。手投銛の稽古《けいこ》をアダムズから習いながら、アメリカ人宣教師について英語を学ばせる。そして一年後にアメリカに渡らせる手はずを整えた。
「四郎よ。おぬしの勉学に塩飽衆の捕鯨のすべてがかかっておる。万次郎さんを超えるような海の男に育つんじゃ」
「わかりました。兄の富蔵のぶんも頑張ります」
希望を胸に四郎が箱館に向かったあと、捕縛された今井の情報がもたらされた。
降伏して禁固刑に処せられた今井は、青森での取り調べ中に坂本龍馬、中岡慎太郎を殺害した近江屋にいたと話した。ただしそれは幕府目付の命により、京都見廻組として龍馬を捕縛に行ったのであり、二人を斬ったのは誰かは知らず、自分は見張り役として戸口にいたと答えた。今井の自白は辻褄《つじつま》の合わないことも多くあり、確たる証拠にならないという者もいたが、高次はもうそのことはどうでもよかった。
「わしらはこれからは坂本さんのように、前を向いて進んで行くことじゃ」
一年後に四郎はアメリカに旅立った。ニューベッドフォードの学校で学んだあと、捕鯨砲の製造工場で働けるようにアダムズが手配を整えてくれた。帰国は三年あとの予定で、そのときに捕鯨砲を買い付けることになっていた。
高次は男盛りの三十六歳になっていた。高次はひとまず佐柳島に帰り、富蔵の墓を新しくした。塩飽の海を見はるかす島の高台に建てられた墓の前で、富蔵がやり残したことを弟の四郎が立派に引き継ぐだろうと、墓に語りかけた。
「富蔵兄い。せめてわしが兄いにしてやれることは、庄屋の墓より大きい墓を建ててやったことじゃ。いずれ兄いの墓石を、浜まで担ぐ若衆があらわれるのを、兄いも楽しみに待っておってくれ」
それからの高次は、佐太次と共に佐柳島と高見島の若衆を集めて、桜鯛《さくらだい》漁に夢中になった。二年目まではまるで上手《うま》くいかず、三年目の春にやっと数百尾の桜鯛が網に入った。
「三年でやっとこれだけじゃ。親父に追いつくには、あと何十年とかかる」
アメリカの四郎から便りが届き、英語を一年間学び直したいために、帰国の予定が先になると知らせてきた。
アメリカで造船学を学んでいる駿馬は学資が底をつき、断腸の思いで帰国したが、勝の支援があって政府の官費留学生になることができ、ふたたびアメリカめざして旅立った。
二人はニューヨークで会ったと四郎が知らせてきた。
「ええのう。四郎や駿馬はこれからの日本の海を背負う若者じゃ。アメリカで思う存分学ぶがよい」
高次の待望の捕鯨船が建造され、その船首に捕鯨砲が備え付けられたのは、明治九年(一八七六)、高次が四十二歳のときだった。
三年前に帰国した駿馬は、海軍省で二百|噸《トン》の日本製蒸気船を建造したあと、海軍省を去って野に下り、覚兵衛と二人で「白峰造船所」を神奈川県青木町に造った。
「高次さん。わたしに捕鯨船を造らせてください」
「やっと海援隊時代の言葉が本当になったか。嬉《うれ》しいのう」
高次は昨年亡くなった廉蔵が残してくれた共同船主の分担金を、第一国立銀行から受け取り、日本で初の捕鯨船建造にとりかかった。万次郎の夢が廉蔵の手に託されて、それが高次たち塩飽衆にもたらされたのである。
一年二ケ月後に、船体が完成して捕鯨船に艤装《ぎそう》がほどこされた。四郎の手によって船首に捕鯨砲が取り付けられ、算盤《そろばん》式ドックから海に浮かべる日がきた。
高次は派手派手しい進水式を行う気はまるでなかった。初夏の晴れた日に、船長の高次、航海長の佐太次、捕鯨砲長の四郎、そして捕鯨船に乗り組む塩飽の若者たちが顔を揃えた。その他に進水式に呼んだのは辰五郎と留次郎、老いてなお元気なおこんと大助夫婦、そして安芳《やすよし》と名を改めた勝であった。
勝は長男にアメリカのアナポリス海軍兵学校を卒業させて、いまも海への情熱は失っていない。
「高次よ。ついにやったじゃねえか。おめでとうよ」
海舟書屋《かいしゆうしよおく》にこもって、書き物に日を過ごすことの多い勝が、捕鯨船を見上げて変わらぬ口調でこういった。
「ひとつ頼みがあるんだ。これをあんたの船長室に飾ってやってくれねえか。龍さんもこうして船出したかったにちげえねえと思うんだ」
勝は『龍馬大明神』と達筆で書いた小さな額を高次に手渡した。
高次は両手で押し頂いた。
「坂本さんと勝先生がわしらを守ってくれれば、これ以上の安心はありません。ありがとうござります」
「いいってことよ。おれは新橋で芸者衆が大勢待っているから、これで失礼しなきゃならねえ。じゃああとは頼んだぜ」
勝一流の照れを口にして人力車に乗り込んだ。
龍馬大明神の額を胸に抱いた高次は、算盤式ドックの上の捕鯨船の船首のロープを船刀で切った。捕鯨船は船尾からゆっくり算盤式ドックを降りて、燦《きらめ》く海に浮かんだ。小波《さざなみ》が立ち騒ぎ、海面が揺れた。
高次はそのとき、
〈坂本さんがそこにおる――〉
と強く感じた。初夏の海に照りかえる太陽の燦き、爽《さわ》やかな潮風とその香り、潮騒《しおさい》の心地よいひびき、どれもが龍馬の愛したものばかりである。総髪の龍馬が目を細めて、嬉しそうに高次たちの進水式を見守っている……高次はその確信を深くした。
海面に立ち騒いだ小波は、二度、三度と岸に打ちつけて、やがて静まった。
高次は顔を上げた。
「坂本さん。わしは約束を守りましたぞ……この捕鯨船で一緒に船出しましょう」
そう呟《つぶや》いて、捕鯨船に乗り込み、船長室に『龍馬大明神』を立て掛けた。龍馬との懐かしい思い出がいちどきに胸につき上げてきた。
甲板に出た高次の白髪まじりの頭に、初夏の黒南風《くろはえ》が吹き流れた。高次は満足そうに潮風を胸いっぱいに吸い込んで海を見た。龍馬と共に船出する太平洋の光景がはっきり見えた。
「佐太次よ。試運転の仕度じゃ」
「おう」
佐太次が若い塩飽衆をきびきびと指図して、試運転の仕度を完了した。
「高次よ。いつでも船は出せるぞ」
「よし。出港じゃ。微速前進――」
高次は舵輪《だりん》を握りしめた。日焼けしたいかつい顔で船首を見た。波をかきわけて進む船首の捕鯨砲の先に、懐かしいサンフランシスコの光景がはっきり見えた。
本書は一九九九年一月、小社より刊行した単行本を文庫化したものです。
角川文庫『海援隊烈風録』平成14年10月25日初版発行