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オーラバトラー戦記6 軟着陸《なんちゃくりく》
富野由悠季
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)末世《まっせ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)道路|沿《ぞ》い
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(例)[#ここから目次]
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[#地付き]カバー絵・口絵・本文イラスト/加藤洋之&後藤啓介
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オーラバトラー戦記6 目次
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多少の天候不順とか局所的な異常現象をとらえて、世界が変調をきたしている、末世《まっせ》だ、あるいは世紀末だなどと語るのは、小ざかしいというしかない。
それは、人がおのれの思いつきを言葉であらわすことができるようになってから、事あるごとに言われてきたことで、人の悪癖《あくへき》である。
それらの言葉が過大に人の心をしめて、人の不幸をどれほど大きくしたか、気がつくべき頃《ころ》だろう。
逆に、異常だと認識しながら、結果は、いつもどうということはなかったという経験則《けいけんそく》から、異常現象に鈍感になって、日常のかすかな変化まで見すごすごともよくある。
人は、所詮《しょせん》、自分がわかる範囲でしかものごとを理解せず、その範囲内で理解は完結する。
同時に、感性も閉塞《へいそく》する。
それが大人である。
しかし、人は、幼児期にあっては、素直ですこやかであった。
知らないものは、あれは何? ときくことができた。
少し知識を身につけると、なんで丸い地球に、人は落ちないで立っていられるの? 宇宙の外はどうなっているの? ぼくたちの世界がプラスならば、マイナスの世界があるのでしょう? なぜ放射線を遮蔽《しゃへい》することができないのに、放射線を使った道具が使われているの? じゃあ、放射線は、人のからだに危険ではないんだね? 老化はどうしてとめられないの? みんなが平和を望んでいるのならば、なんで戦争をやるの? 南に飢えた人がいるのに、なんでぼくらは、食べ物を残すことができるんだろう?
そんなことを尋ねるようになる。
けれど、知恵を身につけるということは、わからないことはわからないということであり、想像しかねることは、想像してはいけない、ということを学ぶことである。
だから、大人たちは、いつの間にか、現実の暮しの中で、ちょっと想像力を働かせれば良い問題についても、想像力を働かすことができなくなる。
想像力を働かせることは、子供じみた行為だと自分を納得させて、今という時を過ごすのである。
それでいて、大人になりきれない青年たちは、大人になる時間だけは過ごしてしまったので、純粋に素直ですこやかであることはなく、大人の肉体に稚拙《ちせつ》な心をもって、行動する。
それが、どのようなギャップを引き起すか想像もせずに……。
我々は、この狭い視野しかもたないにもかかわらず、ネズミ以上にその数をふやし、あまつさえ、地球をおおいつくす汚染をまき散らしながら、その結果を想像することはない。
もちろん、局所的な汚染問題を取り上げて、人類の姿勢を正そうとする運動はあるが、果たして、それらは、純粋に人と自然の相剋《そうこく》の行きつく先のことを恐れてのことかどうか……。
そこに人の知恵が横行しすぎる現象を見てしまうのは、偏見だろうか?
城毅《じょうたけし》は、まちがいなく我々の世界から異世界、バイストン・ウェルのコモン界にはいった。
それが今また、オーラ・ロードにのって、世界から世界にリープした。
なぜか?
リープすべき世界があるからであり、世界の中で生かされている生体としての彼が存在しているからである。
その現象は、世界が我々に『世界はかくある』と示すことを欲したからだ、と思いたいが、我々が、その真の意味を想像することができるかどうかは、不明である。
世界は、世紀末である。
そして未曾有《みぞう》の時代である。
人類は『愛』という言葉で、すべてを容認することを正当とする集団である。
それは人の思惟《しい》の混沌《こんとん》であり、愚昧《ぐまい》の象徴であろうから、この現象を認めることはできないかも知れない。
言葉の遊び、言葉の横行、思惟の過剰《かじょう》と欲望のカオス……。
それでも、この世界に、ジョクこと城毅はかえってきた。
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フロント・グラスにたたきつける雨は、幾重《いくえ》にもなった幕のようだ。
大型のワイパーは、すばやくそれを拭《ぬぐ》うのだが、一方に行っている間に、すぐさま全体が雨の幕におおわれてしまう。
狭いコックピットの空気は、しばらく前までは快適な湿度をたもっていたが、豪雨が、ジリジリと忍び入っていた。
すこしばかり濡《ぬ》れていたワンピースが乾いたので、中臣《なかおみ》杏耶子《あやこ》は、湿気に敏感になっていた。だから、ナビゲーター・シートに包まれていても、肌に接する空気の湿度の変化を鋭敏《えいびん》に感じてしまう。
杏耶子は、豪雨のむこうに、人のざわめきや息|遣《づか》いを感知していた。
それらが、杏耶子が乗せてもらっている車のスピードにのって、次々と後方に流れて消えていく。
豪雨のために、常田俊一《ときたしゅんいち》のミッドシップのスポーツカーは、その性能を押し殺して時速三十キロにもならない速度で移動していた。
この速度は、杏耶子に、道路の左右にうずくまるビルの中に息をひそめ、談笑し、そして、セックスする人びとの息遣いを感知させるのに、丁度良い速度だった。
もう少し速いと、すべてが流れのなかに溶けていってしまう。
ドロドロドロ……。
雷の音が、頭上から前方に移動していった。
「……すいていたから、意外と早くこれたけれど……」
俊一は、運転の緊張に疲れたのか、スポーツカーにふさわしくない運転に飽《あ》きたのか、ボソッといったが、次の言葉は呑《の》みこんだ。
一点をじっと見つめている時の杏耶子は、こんな場つなぎの会話にのってくれないのを、彼はよく知っていた。
『また霊感かい?』
そういう冗談も杏耶子にはきこえなくなるのだ。
もちろん、彼女は、俊一が思っているほど集中しているわけではなく、話をあわせるぐらいのことはするのだが、彼女の気のない言葉をきくと、俊一の方がのらなくなってしまうのだ。
丁度、信号が赤になるのが、雨の幕をすかして見えたので、俊一はさらに減速をした。
そんな小さな動きが、彼の気晴しになった。
「……もう少しだと思うわ」
杏耶子がいった。
「このままだな?」
「ええ、でも……そんなにはっきりわかるわけないのよ」
「そうだろうな……」
俊一は、杏耶子の端正な横顔を見つめた。この低気圧のおかげで、今日の予定がメチャメチャになってしまったという恨《うら》みは、まだ消えていなかった。
『女には、男の生理がわかっちゃいないんだよな』
ゆっくりと車をスタートさせながら、俊一はうらめしく思う。
今夜は、一緒に寝られる可能性が十分にあったのだ。それは、言わず語らずでわかる。二人は、そういう関係なのだ。
まだ、約束はしていないが、結婚を想定して、お互いに品定めをしている時期なのである。
しかし、今夜、南《みなみ》銀座《ぎんざ》のファッション・バーに入って来た時の杏耶子は、タイト・スカートの雨滴《しずく》を払いながらも、どこか緊張していた。
俊一は、ホテルに行くことを断わられるのかと思った。
そういう緊張感だった。
しかし、そうではなかった。
「変なのよね……この雨のせいだわ。イライラしているの」
「低気圧がくると、刺激されるって話があるけれど、そういうのとは違うのかな」
俊一の耳学問である。
「なに? それ?」
「気圧と生理の関係って、あるんだよ」
「それは感じるけれど、ちょっと違うわね……もっと具体的なの……」
「どう?」
「人が死ぬ前に、教えにくるっていうでしょう? でも、わたしの親族には、そういう人はいないし……それでも、こいっていう感じがあるのよね」
「死ぬ人がいるのかい?」
「よくわからない……ただ……ねぇ、今夜は、時間あるでしょ?」
杏耶子が、そう切り出したのは、ジュースのグラスを空にしてからだった。
「……どこに行く気だよ」
俊一は、雲行きが、天気と同じように怪しくなったので、溜息《ためいき》をつく気分で彼女を見上げた。
杏耶子は、もう立っていた。
「よくわからないけれど、北の方みたい……」
杏耶子は、ちょっとだけ上目使いになった。
俊一は、近くの駐車場から車を回収すると、バーの前で、少しだけ杏耶子に濡《ぬ》れてもらって、車道側のナビゲーター・シートにすわってもらった。
その短い間だけでも、杏耶子の髪が、半分だけワンレングスになってしまった。
彼女は、ハンカチで髪をワサワサと拭《ぬぐ》いはじめたが、そのあとで、櫛《くし》を通すの通さないのと騒いだりはしない。
杏耶子には、そういうところがある。
俊一は、銀座でOLをやっているという気取りを持たない、どこか下町的な彼女のセンスが好きだったが、時に、今夜のように唐突《とうとつ》な行動を取るので、つきあいづらいこともある。
銀座の裏通りに、豪雨にまじった雷鳴が、遠くひびくのがきこえていた。
前方の闇《やみ》の空に、強烈な光の筋が走って、いくつかの雲の輪郭を浮き立たせたが、後は再びフロント・グラス一杯に流れる水の幕と、それをかきわけてワイパーが走るだけになった。
俊一は、ステアリングを握る手のひらに汗を感じた。
「……フフフ……」
グラス・トップに叩《たた》きつける雨の音に混じって、はっきりと杏耶子の含み笑いがきこえた。
「…………?」
俊一が見ると、杏耶子の肩が、ブラウスの下で揺れていた。
「……なんでもない。なんでも……!」
杏耶子は、俊一の視線を感じて、慌《あわ》てて、羞《はじ》らいを含んだ声でそういった。
「どうしたの?」
俊一は、彼女を追及するのをやめざるを得なかった。フロント・グラスのむこうに、赤いランプを振る警官の姿が見えてきたからだ。
「…………?」
「冠水《かんすい》です。気をつけて!」
新|青梅《おうめ》街道に水が出ているわけでもないのに、右の方の建物のかげに、消防自動車のランプが点滅して、かなりの人影が走るのが見えた。
「たいしたことはないらしいけど……」
俊一の前に身を乗り出すようにして、冠水さわぎの方を覗《のぞ》く杏耶子の顔に、消防車やパトカーの警報ランプの光がはえて、彼女の少女の面影《おもかげ》をきわ立たせた。
俊一は、杏耶子にキスしたかったが、豪雨の中、十分に左右と前方を注意して運転しなければならなかったので、なにもできなかった。
また、暗い闇が、豪雨のむこうにあった。
俊一には、都心にくらべると暗く見える道路は、気持ちの良いものではなかった。
これでは、鼻の先に壁があるのではないか、と思ってしまう。
光がある場所を意識している自分に気がついてからは、闇はこわいものだという意識から、俊一は解放されることはなかった。
「右に!」
信号があって、ななめ右に入る道があった。
「あ、ああ……」
俊一は、フロント・グラスに頭をつけるようにして、車道をしめす白いラインを確かめながら、ゆっくりとカーブしていった。
黒いアスファルトの道路の表面一杯に、水が流れていた。
『公道をどんなにゆっくり走っても、文句をいわれない……』
それだけが、こういう時のこころよさであって、それ以外は、慣れない緊張に苛《さいな》まれた。
「……そうだわ。どこかに左に行く道がないかしら」
杏耶子の言葉に切迫感がこもってきた。彼女は、身を乗りだして、前方を見つめた。
「左?」
「ええ、左……」
俊一には、そんな方に道があるとは思えなかった。
道路|沿《ぞ》いには、貧相なモルタルの壁とアルミサッシの家が、豪雨に打ちひしがれたように沈黙して軒を並べていた。
軒下には、明りもなかった。そんなところに枝道があるとは思えなかった。
清涼飲料水の自動販売機の赤や、青いライトが、俊一の視覚をおびやかすように、飛沫《しぶき》のむこうに見えた。
その先は、また闇に似たモルタルの家並だ。
対向車線を走る車のヘッドライトが、その軒先の安手のアルミサッシのドアを浮き立たせた。
「そこっ!」
「え……!?」
俊一は、杏耶子が腕をのばした方を見て、家並の間にもっと暗い闇があるのを見つけた。
「行けないよ……こんなの……」
「行けるわ。道だわ」
杏耶子の断定的な言葉に、俊一は速度をおとして、その闇の窪《くぼ》みにヘッドライトをむけた。
一車線ギリギリの道で、左右から流れこんだ雨水が、車の進行方向に流れていて、川にしか見えなかった。
それでも、右側には、歩道を示す白い線が浮き出ていた。
「行って。この方向なの……まちがいないわ」
「なにがさ」
「なにがって、見なければならないものがあるらしいのよ」
杏耶子の横顔をチラッと見た俊一は、彼女が物《もの》の怪《け》に取りつかれているのではないかと感じた。
そういう顔があるとするならば、今の杏耶子の顔だろう、と俊一は思った。
緊張と呆然《ぼうぜん》とをないまぜにした表情。それにからだ全体を緊張させて、前方の真暗な空間を凝視している。
家は、左右に一軒ずつあるだけで、垣根《かきね》らしいものの奥は、闇だった。
両側にしばらく植え込みがつづいた。畑のなかに入ったのだろう。
アスファルト道路に左右からドロが流れ込むようになった。
「ここ、東京都なんだろう?」
杏耶子は、答えてくれなかった。
左には大きな木の繁《しげ》み。農家の防風林に似ているような気がする。
グラス・トップに叩《たた》きつけていた雨の音が、ボトボト落ちる雫《しずく》の狂想曲に変った。
また、右前方に稲光が走った。
その一瞬の光のなか、右上の空間は空だけだとわかったが、その下には、林と畑があるように見えた。
「ド田舎《いなか》だぜ……」
人家の明りが見えないではない。しかし、豪雨が視界を狭くしているので、俊一には、怖い場所だった。
「……ちょっと!」
杏耶子が俊一の右腕に手をおいて、彼を制した。
「…………?」
俊一は、車を停《と》めた。
ドライバー・シート側の林のむこうに、車のヘッドライトが走るのがチラチラと見えた。かなりの距離だが、車の量から想像すると新青梅街道のはずだ。
「ここなのよ……」
「見なくちゃならないものが、ここにあるのかい?」
「そうだと思う……」
杏耶子が、俊一の側をのぞこうとしたので、俊一は、サイド・ウインドーをおろしてやった。
雨そのものは吹きこまなかったが、雫が、ウインドー・フレームを叩いて、その飛沫《しぶき》が、俊一の左半身にかかった。
「……農家らしいぜ」
「そうかしら……昔の農家。今は、土地持ちの成金さん……でしょ?」
あまり趣味の良くない石塀が、防風林の奥につづいていた。
道路にそった生垣《いけがき》は、ヘッドライトを受けて、キラキラと輝いて見えた。
「なんだ。むこうに道路がある」
俊一は、ここをすぐに出たかったので、サイド・ウインドーから前方の道のようすを見て、安心した。
「杏耶子っ!?」
杏耶子が、ナビゲーター・サイドのドアを開いて飛び出したので、俊一は、慌《あわ》ててシートの後ろに手をつっこんで、傘をさぐった。
ひたいに手をかざした杏耶子は、ヘッドライトを横切ると、その農家の石塀にそって、奥の闇《やみ》の方に走り出していた。
俊一は、エンジン・キーを抜く手ももどかしく飛び出しながら、折り畳み傘を開こうとしたが、明りがなくなってしまったので、慌てた。
杏耶子も、石塀に手を当てるようにして立ち止まった。
「杏耶ちゃん……」
「ここ……」
声のする方向の闇をすかすようにして見ているうちにようやく目が慣れて、白っぽい杏耶子のワンピースの輪郭が見えた。
なんだかんだといっても、東京なのだ。
本当の闇になることはない。
俊一はおずおずと傘を捧《ささ》げて、杏耶子にさしかけた。
「頭……」
「あ、ごめん」
ボトボトと雫が落ちる音とその雫の重量で、傘が重く感じられた。
こんなひどい雨のなか、林の木々から雫が落ちるところで、傘などさしたことがない俊一の腕は、驚いているのだ。
「……門があるわ……」
杏耶子は、俊一の腕に手をかけるようにして、前に進んでいった。
「…………」
俊一は、なにもいえなかった。肌が湿気でベトついて、気持ちが良いものではなかった。
杏耶子の体温を感じられない不安が、俊一を臆病《おくびょう》にした。
「…………!?」
ドキッ、とした時には、俊一は、まるで母親にすがりつく子供のように、杏耶子にからだを押しつけてしまっていた。
「どうしたの?」
「なんか……光が走ったように見えたけれど……」
俊一は、杏耶子の頬《ほお》に触れるようにして、傘を支える手で門のむこうを指した。
「…………?」
杏耶子は、鋳物《いもの》製の格子の門を押してみた。
ギッ、とかすかに蝶番《ちょうつがい》が鳴ったが、特別、気になることはなかった。雫の落ちる音が激しいからだ。
「…………」
潜《くぐ》り戸があるはずだったが、正面の扉が開いたので、杏耶子は、黙って前に進んだ。
「どこ?」
「そっちの住み家《か》のある方……左の方は物置だろう……?」
「キラッと光ってさ、チンカー・ベルみたいにさ……火の玉じゃなかったな……」
「なに? チンカーって……」
「ディズニーのピーターパンに出てくる妖精《ようせい》」
「ああ……」
ボトポトドッドッ……!
雫のかたまりが、俊一の傘を激しく叩いたので、二人は、首をすくめるようにして、肩を寄せ合った。
他人の敷地のなかに足を踏み入れてしまったという意識が、二人を緊張させた。
こんなことは、杏耶子も俊一も初めてなのだ。
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シューン!
鋭《するど》い音がきこえたような気がした。そんな感じの光だった。
「……シュン……」
「あれだよ。あれ。さっき見た光は……」
右側の植えこみが影になったのだろう、その細く筋を引くように見えた光は、すぐに見えなくなった。
右奥に行ったように見えた。
「…………!」
杏耶子《あやこ》は、光が消えた方向にむかって、足を踏み出していた。
制止する俊一の手を払った杏耶子の腕には、俊一の臆病さを拒否する意思がこもっていた。
俊一は、傘を前にさしかけるようにして彼女を追ったが、コンクリートの道はすぐにぬかるみになって、俊一のマリン・シューズをドロドロにしてしまった。
タイル張りの外壁の住居には、人気《ひとけ》がなかった。窓から光がまったく見えないのだ。
遅い夏休みでもとって、どこかに行っているのだろうか?
シューッルルル……。
裏の方で、蒸気が抜けるような音がしていた。
機械の音のようだが、どういう種類の機械なのか想像がつきかねた。
「人がいるんだよ……勝手に入らない方がいい」
俊一は、さすがに気がひけて、杏耶子にいった。
昔からの農家だったのだろうが、それにしてもたいした土地持ちらしい。
家の前には、かなりのスペースの庭があり、物置らしいものもある。さらに屋敷全体を囲むようにして防風林があった。
ただ、今は、農業をやっている雰囲気はなく、敷地全体がこぎれいに感じられた。
それらは見えたのではなく、俊一は、ただ、そういう雰囲気を感じたのだ。
豊かな木のせいなのだろう。神社がある場所に似た静謐《せいひつ》な空気が、豪雨と雫《しずく》の音のなかにも感じられた。
杏耶子は、この雰囲気にひかれて、ここにきたにちがいない。
しかし、銀座にいて、なぜここにきたいと感じたのかは、彼女だって説明できないだろう。
「……ちょっと!」
俊一は、杏耶子の腕を掴《つか》んで、本気で制止しようとした。
杏耶子が、住居のわきを抜けて、裏にまわり込もうとしたからだ。
「…………」
シューッと蒸気を噴くような音に、なにかが振動するような音がくわわって、それがいっそう闇《やみ》を震《ふる》わせた。
住居のわきを抜けると、かすかに動く光が、植え込みのむこうに見えた。
俊一が想像した通り、裏にも結構、樹木があるようだった。
「……なにがあるんだろう?」
俊一は、樹木のむこうに、なにかまったく異質のものがあるのを感じて、杏耶子にきいた。
「知らないものを知っている風にいうことはできないわ」
杏耶子の濡《ぬ》れた背中がこたえた。
「木が倒れている……」
そういわれれば、繁《しげ》みが薙《な》ぎ倒されているように見える。
チャリッ、シューン!
実際にきこえたわけではないが、そんな音を感じるほど、その光は、硬質で柔らかく、しなやかで刺激的だった。
「人だっ!」
二人にはそうきこえたが、その声も耳できいたというのとは違う。
脳の言語中枢《げんごちゅうすう》を刺激するように、言葉の意味が飛びこんできた、と表現する方が正しい。
が、今は、それについて考えているよゆうはなかった。
その鋭い声音《こわね》が、二人の頭に達した時、二人は、マジックを見ているのではないかと思った。
「……なに?」
「映画か?」
そんな風に反応するだけで、精一杯だった。
それが、光につつまれて見えたのは、背後のかすかな光を背にうけていたからだろう。
その小さなものは、空中でとまり、そして、水泳選手がプールの壁を蹴《け》ってターンするように、とんぼを切ると、さっと飛んでいった。
「…………?」
杏耶子は、その小さなものが、消えて行った方に、トットッとたたらを踏むように進んだ。
「杏耶ちゃん……!」
俊一が呼んだ時、杏耶子は足下が滑ったかつまずいたかして、大きくよろけた。
「……人だと……!?」
その声は、近かった。
「……戻ろう! まずいよ」
俊一は、かなり大きな声で杏耶子を制止しながらも、林の中にあるものは、巨大ロボットの張《は》り子《こ》か何かだと思いついた。
何かの撮影でもしているのじゃないか、と俊一は想像したのだ。
そうなると、かってに入り込んだ自分たちが責められるわけで、早く車に戻った方がいいのだ。
しかし、そこには、他《ほか》に人がいるような気配《けはい》はなかった。
「……あの、あの、ききたいんですけれど……!」
杏耶子の切迫《せっぱく》した声が、雫《しずく》が忙《せわ》しくしたたり落ちる音の中にはじけた。
「……誰《だれ》!? どういう人っ!」
野太い声というのだろう。
若いのに、力のある声がロボットか何かのシルエットの方でした。
「……通りすがりの者なんです。この雨で道に迷って……それで、勝手に敷地に入ってしまって……ご免なさい」
「男もいた! 男!」
また、あの、頭に響くような声が、俊一と杏耶子の脳を刺激した。
「前へっ! 見えないっ!」
それが、自分にむけられた命令であることは、俊一にはすぐわかった。
俊一は、抗《こう》しようのない力に促《うなが》されておずおずと前に出てしまった。
「通りすがりの方だというが、どういう種類の方だ? 職業と年齢はいって欲しい。勝手に他人の敷地に入って来たんだからな」
「中臣《なかおみ》杏耶子と申します。銀座でOLをやってます」
「同じくサラリーマンだ。常田《ときた》俊一。コンピューター関係のメンテナンスを仕事にしている」
俊一は、声の主の言葉遣いをどこか妙だと感じながら、杏耶子の立っているところまで進んだ。
「手は上げていてもらう。武器などは持っていないだろうが……」
ひどく時代じみた台詞《せりふ》だった。
俊一は、やはりテレビか映画の撮影をしているのだと思った。
目の高さのやや上に、おぼろな光源が、木の繁み越しに見えた。
かなり雨が吹きこんでいた。
「…………」
俊一は、杏耶子のからだが震えているのがわかったが、彼女がなぜ必要以上に緊張しているのかわからなかった。ただ単に、間違って他人の敷地に侵入したことを咎《とが》められて震えている、という雰囲気ではないのだ。
ロボットならば、目の前にあるシルエットは脚らしいし、その奥にあるのは胴体の一部らしいとわかる。
しかし、そんな事とは、まったく違うものであった。とすれば、どう説明すれば良いのか?
おぼろな光の中に、動くものがあった。
武器の有無を尋ねたということは、相手は武器を持っているのだろうか? だとすれば、こちらが一方的にやられるのだろうか。
そんな疑問が走る。
「……どこの会社なんです!」
俊一は、杏耶子の手前、なんとかこの状況の中で、男らしい態度を見せたいと思った。
「会社……? どういう意味だ?」
「テレビの撮影かなんかだろう? この脚……」
「……違うな」
いいざま、声の主が、影になって飛び降りてきた。若い男のようだ。
ほんのりと見えていた光が消えた。
闇《やみ》になった。
「ジョク! いいのかっ!」
シュルン!
影を追うようにして、またあの光が走り、一瞬、目の前の木の葉の影がフッと浮き上がった。
「……!? それ、なに!?」
杏耶子の呻《うめ》きにあわせるようにして、懐中電灯の光が彼女にむけられた。
次に俊一へ、そしてまた杏耶子へと、懐中電灯の光は、二人の表情を調べるように走った。
「回れ右をして、家の方に歩いてくれ……どういう方たちか、信用するのに時間がかかる」
冷静な声だった。
「……そっちは、どういう……」
「ここは、僕の家だ。勝手に踏み込んだのは君たちだ。無礼だとは考えないのか?」
「それは……」
「いっておくが、ぼくはライフル銃を持っている。場合によっては、これを使うこともできる事を承知しておいて欲しい」
声は冷静だった。
「そこで止まれ」
俊一は、杏耶子と青年の間に割り込むようにして、立ち止まった。
「…………?」
何かガサゴソする音がした。
「後ろを見るなよ……見れば射《う》つ」
鍵《かぎ》をあける音がした。
「入れ」
声の主は、ドアを開くとかなり後退して、二人に命じた。
懐中電灯の光は、俊一の方にむけられていたので、声の主を見ることはできなかったが、銃を持っているらしい雰囲気は感じられた。
「靴は脱いでもらう……右の物容《ものい》れを開くと雑巾《ぞうきん》があるはずだ。とりあえず、脚はそれで拭《ふ》くだけにしてもらう」
「…………!」
勝手口の上りがまちの右に引き戸があった。杏耶子が開けると、そこには雑多な物がはいっていた。
「ああ、雑巾あったわ……」
杏耶子は、靴をぬぐと上りがまちに座りこんで、ストッキングの上から、ともかく足を拭《ぬぐ》い、台所に上がった。
「電気はつけるな!」
俊一と杏耶子の挙動を監視している声が、鋭く怒鳴った。
「杏耶子……」
振り返った俊一の目に、懐中電灯の光の中で呆然《ぼうぜん》と立っている杏耶子の姿が、ひどく大きく映じた。
「あの人、勘が良すぎるのよ。電気をつける気などなかったわ」
「台所の右に行って。廊下がある」
青年は二人を急《せ》かした。自分は雑巾を使う素振りも見せなかった。
「…………」
台所のドアを開くと暗い廊下だった。
かなりの家だ。幅広の廊下が続いていた。
「その左のドアを開いて」
背後から命令されるまま、杏耶子がドアを開く。
俊一は見守るだけだった。
「そこに入って」
二人は、入った。
ドアが、背後で閉じた。
続いて、鍵がかかった。
「こちらの用意ができるまで、そこにいてもらう。窓の外には鉄格子がある。簡単には出られないはずだ。すまないが、おとなしくしてもらう。命令に従ってくれれば、すぐにでも帰ってもらう」
ドア越しに、青年がいった。
「本当だな」
「本当だ。しかし、勝手に他人の敷地に入ったんだ。少しばかりこちらの都合に合わせてもらうのは、当然じゃないかな?」
足音は、台所の方に遠ざかって行った。
「……杏耶子……」
俊一のおどおどした声に、杏耶子は多少|焦《じ》れた。
「電気つかない?」
「いいのかな?」
「いいに決ってるでしょう。この部屋の電気のこと、何もいわなかったんだから……あんなに気がまわる人だから、電気つけていけないなら、そういうわよ」
杏耶子はいいながら、ドアの方に戻ろうとして、また何かにつまずいてよろけそうになった。
「……動かないで……」
俊一は、ドアの左右の壁を手で探っていった。
スイッチに触れると、天井の中央にある数本の蛍光灯が、チラチラと音をたてて輝いた。
「…………!?」
そこは、物置き場になった応接間だった。
十数本の色あせた羽の矢が納められたガラス・ケース。艶《つや》のなくなったピアノ。そのレースのカバーの上には、水晶らしい原石とか、ほこりで艶を失った石がおかれている。
掛軸の桐《きり》の箱を置いている象眼《ぞうがん》入りの中国製らしい飾り棚。家紋のついた鎧櫃《よろいびつ》の上には、日本鎧の兜《かぶと》だけがおいてある。その上の壁には、古い写真が数枚かけられ、あまったスペースには、チベット風のお面が数個とバリ島の影絵の人形芝居に使う操り人形。
窓際には、木彫りの大黒《だいこく》様とか鷹《たか》の剥製《はくせい》、博多《はかた》人形から大きなこけしまでがならんでいた。さらに、壁の上の方には、農協やら地区の体育大会などへの協賛金|醵出《きょしゅつ》に対する感謝状など、だ。
建築当時は、モダンな造りだったのだろうが、今は、カビ臭い雰囲気がするだけの部屋だった。
部屋の中央には、戦前から使っているのではないかと思えるようなすり切れた革の応接セットが置かれ、巨木を輪切りにしたテーブルの上には、これも古めかしい翡翠《ひすい》のタバコ・セットがのっていた。
しかし、その灰皿には、それほど古くない吸いさしが三本。その一本には、口紅が残っていた。
窓は新しいアルミサッシに変えられていたが、窓の外には、多少インテリアを意識した鉄格子がはまっていた。
「……出られないわね。本気で壊すことを考えないと……」
杏耶子は、窓のサッシを閉じてから、
「ね、今の人に、タオルを頼んでみて?」
「タオルって……」
俊一はおじけづきながらも部屋を見まわし、ドアの横に電話機があるのを見つけた。
「これ、内線にも使えるんだ……」
俊一は、ドアを叩《たた》いて怒鳴らないですみそうだとわかると、気が楽になった。
受話器には几帳面《きちょうめん》な手書きの文字で、台所とか二階八畳、毅、書斎とか書いてあった。
俊一は、受話器を取ると切りかえボタンらしいものを押してから、台所のボタンを押してみた。
「なんだ?」
受話器に、あの青年の声がした。
「すまないんだが、からだが濡《ぬ》れている。タオルを貸してもらえないだろうか? ぼくもそうだが、彼女が風邪《かぜ》をひきそうなのだ」
「……すぐ持っていく」
「ありがとう。城《しろ》さん」
「ジョウと読む。表彰状を見たのか?」
「ああ……」
俊一が咽喉《のど》をつまらせながら返事をする間に、電話はむこうから切れた。
「どうなの?」
「どういうこと?」
「相手のようす」
「ああ、少し落ち着いたようだよ……むこうも緊張しているようだな」
「ウン……でも、なんだろう……なにかよくわからない」
「じゃ、杏耶子は、なんでここにきたんだ? 感じていた場所って、ここなんだろう?」
「ここに間違いはないわ。でも、そのためには、あの人──あの人しかいないんなら、もっと話しあう必要がある」
「しかし、まだ結構、警戒しているぜ」
「そうよ。軍人って知らないけれど、そういう感じ。まるで、臨戦態勢の兵隊みたいな緊張感があるわ」
「それをいうならギャングみたいだって感じない?」
「それは違うわよ。もう少し、理性的だわ」
「…………」
俊一は、何も答えられなかった。杏耶子の表現の方が的確だと思った。
ソファに座ってみると、この部屋の雰囲気には、昔から知っているように感じられるところがあった。
「……趣味悪いけど、こういう部屋って、知っているって感じしない?」
「そうね……昔の庄屋《しょうや》さんという感じが残っているのよね。名字《みょうじ》帯刀《たいとう》を許された……」
「でも、ここ田無《たなし》だろう? そうなのかな?」
「このあたりは天領だったと思うわ。珍しい名字よね、ジョウは」
「東京とかこっちの地方の名前じゃないよな」
「そうね。ひどく作為的《さくいてき》な名字。明治になって作ったのかも知れないな。ということは、この地方の出身ではないし、以前は庄屋さんでもなかったということ?」
「じゃ、この土地はなんだ?」
「昭和になって土地の価値を見抜いたご先祖様が買い占めたのよ」
「そりゃあり得るな」
ドアがノックされた。
「はい!」
ソファに座っていなかった杏耶子が、ドアの前に立った。俊一がその後ろにつづくと、ドアが少し開いて、青年の顔が覗《のぞ》いた。
ポロシャツにスラックス。
廊下の照明はついていなかったので、彼は影のなかにいたが、きりっとした凄《すご》みのある眼《め》が見えた。
その厳《きび》しさは、外での印象と同じだった。
杏耶子はタオルを受け取りながら、その目の鋭さにたじろぎそうになったが、
「わたし銀座からここにこなくちゃならないと感じてきたんです。何を感じたか、わたしだってわからなかったんだけれど、どういうことかご存知ではなくて?」
杏耶子は、思い切ってそういった。
「……? そういうことですか……」
青年は、真直《まっす》ぐに杏耶子の瞳《ひとみ》をのぞきこんで、ちょっと考える風に視線を落したが、
「飲み物は、もう少し待って下さい。今、お湯をわかしていますから……」
ちょっと見上げるようにしたその目に、やや艶《つや》めいたものが感じられた。
精悍《せいかん》な色気があった。
そのことと、いった言葉の内容が違いすぎて、杏耶子は息をつめてしまった。
「……助かります」
ようやく杏耶子は頷《うなず》いた。
「じゃ、中に置いてある物にはあまり手を触れないで下さい。父が大切にしている物ですから」
「そうするわ……」
杏耶子が最後までいいおわらないうちに、ドアが閉じられた。
杏耶子は、膝《ひざ》から力が抜ける感覚をどうすることもできなかった。思わずドアに手を触れるようにして、からだを支えた。
「杏耶ちゃん……!?」
「いいのよ。ちがうの……」
俊一の手が杏耶子の腕に触れる前に、彼女はからだを俊一にむけると、乾いたタオルを突き出していた。
「見たでしょ。彼……?」
「ああ、ちょっと田舎の青年という感じだったけど、なんだろう? あれ」
「どう感じたの?」
杏耶子は、乾いたタオルの感触を楽しむようにして、髪を拭《ふ》き、ワンピースを叩いて、湿気を取ろうとした。
「……スポーツ選手かな。そんな感じだった」
杏耶子は、内心、俊一の感想にガッカリしたが、だからといって、今の青年の印象をどう表現したら良いのか、思いつかなかった。
だから杏耶子は、ガッカリしたままソファに腰を下ろした。
ちょっと腰のまわりの湿気が気になったが、どうせ体温で乾いてしまうだろうとタカをくくることにした。
「……わかったよ。あれはさ、カラテかプロレスだな。そういうのをやっている感じだ」
「そんな体格に見えて?」
「いや、でもさ、あれは……」
いいかけて俊一は言葉を呑《の》みこみ、ドアを叩き出した。
杏耶子は、何もいわなかった。
俊一には、こういうところがあるのだ。
状況とか、他人の気分など慮《おもんぱか》ることがなく、行動する……。
「なんです!?」
鋭い青年の声が、ドア越しに飛んだ。
「車、門の前の道路に停《と》めたままなんだけど、いいのかな?」
「……ああ……気になりますか」
「そりゃ……できたら、お宅の庭に入れさせてもらえないだろうか?」
そういいながら、俊一は、杏耶子に、いいアイデアだろう、という目付きをした。
が、杏耶子は、それは、軽率かも知れない、と首を振った。
「いいでしょう。でも、ぼくはここから動けないから、自分で門を開けて下さい。いいですね?」
「え? 行かせてくれるの?」
「どうぞ」
いうなり、ドアが開いたので、俊一は、さすがに身をひいて、廊下の青年を凝視した。
「ただし、あなた一人ですよ」
「あ? ああ……」
俊一は、いい出した手前ひっこみがつかなくなった恰好《かっこう》で、チラッと杏耶子を見やった。
杏耶子は、嘆息を隠して、頷いてみせた。
俊一は腰を屈《かが》めるようにして、ドアのむこうに消えた。
「…………!?」
呆《あき》れる杏耶子の目に、青年の鋭い視線がつきささったので、彼女は思わず腰を浮かしてしまった。
ほんの一瞬、青年は杏耶子を見下ろしていたが、すぐにドアを閉じて、またロックした。
「こちらから行って下さい。履き物は、そのへんのサンダルでも、なんでも使って……」
俊一に呼びかける青年の声が遠くなった。
杏耶子は、ひとり応接間に残されてしまった。
ややあって、台所の方に移動するスリッパの音がきこえた。
「…………?」
杏耶子は、青年が俊一を監視しないのを不思議に感じながらも、あの青年は、俊一が杏耶子を残して逃げ出すのを計算に入れているのだろう、と思いついた。
その思いつきは、さすがに、杏耶子を不安にした。
アルミサッシの窓を開いて、鉄格子のむこうを覗いてみた。
俊一の傘にあたる雫《しずく》の音とサンダルの音が、闇の中に消えていくのがきこえたが、玄関とこの部屋の明りのせいで、庭は、以前のようには暗くはなかった。
「…………」
窓枠にはまっている鉄格子はひどく頑丈《がんじょう》で、杏耶子の力では、どうなるものでもなかった。
ドアがノックされた。
「はい!?」
くるべきものがきたと、杏耶子は、一瞬、絶望したが、どちらかというと元気な自分の返事に、杏耶子は自分を疑ってしまった。
ドアが開くと、カップをのせた盆を持って、青年が入ってきた。
「…………!?」
「気になるでしょうが、危害をくわえる気はありません。ぼくには、そんな力は残っていないようで、すぐにでも休みたいくらいなのに、それを邪魔されて、腹を立てているのですから」
「あ、夜中ですものね。ご免なさい。警察を呼んだんですか?」
「…………!?」
青年は、意外な言葉をきくという風にしながら、盆をテーブルにおいた。
「ミルクがなかったので、なにもない紅茶です。今は、からだを暖めた方がいいでしょう。むし暑ければクーラーをいれてもいいけれど」
「大丈夫です。すみません。本当にお邪魔して」
「窓は閉じて下さい。吹き込むようだから……」
「ああ、すみません」
「彼が戻る前にききたいことがあるので、今、きたんです」
こんどは、青年の方が、気になることをいった。
「はい?」
「何を感じたのです?」
「あ? ああ……! なにって、言葉にはできません。ただ、感じたんです。こっちの方にこなければならないって」
「彼は、感じていませんよね?」
「ええ。そういう人ですから……」
「そう……。今夜は帰ってもらうようになるでしょうが、またお会いできませんか? できるだけ、早く」
「ここで?」
「ちょっとわかりません。電話番号を教えてもらうというわけには……いかないでしょうね?」
「いいですよ。いつでも連絡して下さい。留守番《るすぱん》電話にもなるから」
杏耶子は、なんの考えもなしにいってしまっていた。
「そうですか。助かります」
「よかった。きた意味があって……。城さん、あたし、中臣杏耶子といいます」
「どういう字を書くんです?」
「中央の中に、大臣の臣」
「ああ……そういう方ですか」
「わかります?」
「いや、勉強していないから、歴史の中の名前のいわれなどは知りませんが、わかる感じがします」
「ありがとう。城さん」
「いいづらいでしょう。友達はジョクといってくれています。名前は毅《たけし》ですが。ここの電話番号は知っていますね?」
「いいえ……」
「この電話機の上にも書いてある」
「ああ……!」
杏耶子は、ソファに座るその青年をつくづくと見やった。
自分が無防備になっているのを十分に承知していたが、それもこれもこの青年の前では、間違ったことではないと納得していた。
ジョクと自称した青年は、杏耶子のフィーリングにあうものを持っていたのだ、としかいいようがない。
門の開く音がしてからややあって、俊一の車が庭先に入って来る気配があった。
「ちゃんと戻ってきますね」
杏耶子は、微苦笑を浮べて、前に座る青年にいった。
「そりゃそうです。彼は、生真面目《きまじめ》な方です。いい方じゃないですか」
「ただのボーイフレンドです。いただきます」
杏耶子は、かってに自分のことをしゃべったような気になって、慌《あわ》てて話題をかえようと、紅茶のカップに手をのばした。
「…………」
青年は、そんな杏耶子から少しも視線をそらすことはなかった。
「まだ興奮しているようで……頭の中が整理できていないみたい……」
杏耶子は、また余計なことをいってしまった。
本当は、尋ねなければならないことが山程あるような気がしているのだが、何も思いつかないのだ。
応接間のドアが無造作に開いた。
「あっ……!?」
驚いた表情の俊一の顔が、よろけるように飛びこんできた。
「開くと思わなかったんだ……ごめん」
「いや……どうぞ」
青年は、鷹揚《おうよう》だった。
杏耶子は、目の前のふたりの青年を見くらべて、この青年はどこが違うのか、と考えてみたが、やはり何も思いつかなかったので、考えるのをやめた。
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「これも縁《えん》なのでしょうね。そういうのを信じるようになりました」
城毅は、杏耶子と俊一の身元調べのようなことをした後で、呻《うめ》くようにいった。
「……怒らないで下さい。ぼくは、今は、まちがいなく自分の家にいるんですが、この通り両親は留守《るす》ですし、祖母は、このていどの気配では起きることはありません。朝、お手伝いさんがくるまでは、一人で寝ているようです。そういう意味では、ま、安心なんですがね……」
「で、あたしたちに、何をしろと?」
「何をしろ、ではないのです。情報が欲しいのです。その意味では、あなた方は、ドンピシャリの条件を持っていらっしゃる。常田《ときた》さんは、コンピューターのメンテナンスのお仕事で、自分のパソコンで、幾つかのデータ・バンクとアクセスしていらっしゃるし、中臣《なかおみ》さんは、霊感をお持ちのようだ。ぼくの奇妙な体験を多少でも、信じて下さるでしょう。ですから、ぼくの経験を理解して下さって、なんというのかな、助けて下さるのではないかって……」
ジョクこと城毅《じょうたけし》は、深夜のスポーツ・ニュースをやっているテレビを見やって、組んだ手をもみ始めた。テレビの音は消してあった。
彼は、二人に、どこから何を話していいのか、思い迷っているようだった。
「…………」
俊一と杏耶子は、身の危険を感じなくなった。
この青年は、むやみに他人を傷つけるような男でも、禁治産者《きんじさんしゃ》でもないとわかったからだ。
しかし、彼の物いいの曖昧《あいまい》さに、杏耶子と俊一は目をあわせて、ただ彼の次の言葉を待つだけだった。
が、杏耶子は、帰りたいとは思わなかった。
「……じゃ、きいていいですか?」
「何を?」
俊一の言葉に、ジョクが、考えぶかげな目をあげた。
俊一は、手の甲に顎《あご》を軽くのせていた。若いくせにひどく哲学者的で、杏耶子の目にはこっけいにうつった。
「あの、裏の林の中にいたとき、あなたは、妙な恰好《かっこう》をしていたようだし、銃みたいなものを持っていましたね。こちらの気のせいですか?」
「ああ……そういうことね」
ジョクは立ち上がると、なにもいわずに応接間を出て行った。
「まさか銃を持ち出して、威《おど》すなんてことはないよな?」
俊一は、あからさまに呆《あき》れた表情を杏耶子にむけた。
それは、あまりに無防備な男の顔に見えた。
「まさか……フフフ……」
「なんだよ?」
杏耶子は、俊一のことを考えたくなかったので、別のことを思い出して、笑ってみせた。
「あの人、ジョクさん? あなたが車を入れて、ここに帰ってきたんで、誉《ほ》めていたわ。勇気のある人だって」
「……!? 杏耶ちゃんをおいて、逃げるのかい? そんなこと、できるわけないじゃないか」
俊一は、肘掛《ひじか》けにのせた杏耶子の手に、自分の手をのばしてきた。
杏耶子は、悪いなと思いながら、その自分の手をひいた。
「……驚かないで下さい、といっても無理でしょうが……」
ジョクがそういいながら、入ってきた。
手には人形を持っているようだった。
こんな青年にそんな趣味があるのか、と杏耶子は一瞬、嫌悪感を抱いたが、その金髪の長い髪の人形は、両手を上げて、あくびをしたように見えた。
「…………!?」
「これ、生き物です。正確にいうと、こういう種族がいるということです」
ジョクは、両手の上に横になっている人形らしいものを、二人の方に差し出した。
「あっ、ああぅーっ……!」
その小さなからだで、あきらかに大あくびをして、からだ全体をジョクの両手いっぱいにのばした。
当然、手と足は、ジョクの手からはみ出しているのだが、背中と腰が支えられているので、落ちることはなかった。
「……なんです……?」
杏耶子も俊一も、ただその生き物を見つめて呻《うめ》いたが、今度は、その小さい者が、驚く番だった。
「な、なんだ! なにっ!?」
その甲高《かんだか》い声の意識が、杏耶子と俊一の頭に響いた。
同時に、その小さい者は、上体を起して、パッと浮き上った。羽根があるのだ。
バラバラブーンという感じで、羽根が空気をふるわす音がきこえた。
「人に会わせるといっただろう」
ジョクが、苦笑しながら、その小さい者の背後からいった。
「人が寝ているのに! ようやく寝られたって思ったのに……!」
その小さい者は、杏耶子と俊一の前で、からだを縦にぐるっと回転させながら、ジョクの方に噛《か》みつくようにいった。
「この人たちに、チャム・ファウの世界を信じてもらうためには、チャムを見てもらうのが、一番早いと思ったんだ。ここは、地上世界だ。バイストン・ウェルでもなければ、クスタンガでもない。少しは緊張していて欲しいな」
ジョクが解説をしている間に、チャム・ファウと呼ばれたその小さい者は、杏耶子と俊一を観察するように、ふたりの周囲をグルッと飛びまわった。
「そうか……変な人間だな? 着ている物だってペラッペラのもので、よく恥かしくないな?」
そういう本人だって、からだにピタッとしたレオタードのようなものを身につけているだけで、他人のことなどいえたものではない。
しかし、羽根がついているからだには、それがあうのだろう。
羽根の付け根の肌は、背骨が盛り上がったようになっていて、気持ちが悪かったが、動きまわってくれるので、それは、見ないですんだ。
「……なんです? 手品だなんて、バカバカしいことじゃないんでしょ?」
「そんなことができると思いますか!?」
俊一が、あからさまに呆れたので、ジョクは、癇《かん》のきついきき方をした。
「いえ……これが本当なら、どこにいたんです? 今いいましたよね? バルとか……なんです?」
杏耶子は、俊一に相手の気持ちを考えるよゆうがないのを見てとって、言葉を引き取った。
「バイストン・ウェルです。そういわれている異世界があって、そこにいるのがフェラリオです」
「フェアリー?」
「それに近いものですが、ちょっと違います。日本人が思っているような妖精《ようせい》ではない。もっと、そう、俗物でミーハーです」
「ああ……!」
杏耶子はなんとなく納得した。
ひとしきり杏耶子と俊一の観察をおわったチャム・ファウは、テーブルの上にカップ以外なにもないのを見ると、部屋の周囲を飛びまわり始めた。
寝る場所を探しているようだった。
「…………」
結局、彼女は、ジョクの座っているソファの毛皮の上に着地すると、毛皮の一方をズリ下ろして、その間にからだを潜りこませるようにして、金髪のなかに頭を沈めてしまった。
「ファァ……」
もう一度、あくびをした。
「疲れているんです。躾《しつけ》などをしている間がなかった……勘弁《かんべん》して下さい」
「いえ、いえ……なんか、こう、とんでもないことを見てしまって、どうしたらいいか……ちょっとわからなくって……異世界。そういいましたよね? そういうところに行っていたんですか?」
「そういうことです」
「それで、帰ってきた?」
「そう……」
「それで、何をききたいんです? わたしたちに」
「こういうチャム・ファウのような存在とか、裏庭に隠してあるロボットみたいなもの、オーラバトラーっていうんですがね、そういうものを見て、どう感じましたか?……つまり、どうしたらいいか、一般の方の意見をききたいということです」
「ああ、そういうこと……納得できるけれど、本当に?」
杏耶子は、結局、またきいてしまった。
その杏耶子の言葉に、ジョクは、チラッと悲しそうな目を見せた。
「……!? ご免なさい。せっかく、あなたが警戒の上に警戒をして、あたしたちを選んで下さったのに、こんなことをきいてしまって……でも、すぐに信じろっていっても、ちょっとハードな問題ね」
「わかりますよ」
「オーラバトラーっていいましたよね? ロボットなんですか? アニメのような」
「ええ。まるでアニメです。バカバカしくって、最初は、ぼくだって涙が出たものです。しかし、バイストン・ウェルでは、そのオーラバトラーで、実際に戦争もやっていたんです。それで、その最中です……この世界に戻ってきてしまった」
「予定外ということで?」
「そう……戦闘中ですからね。その戦闘中に三機のオーラバトラーがからんで、その力でしょう。三機のオーラバトラーの力が集中して、そのために、この世界に戻れたんじゃないかと想像しています」
杏耶子は、ジョクの話をききながら、同じソファの上に、死んだように眠っている小さな少女を見つめた。
その小さな少女を見ながら、ジョクの話をきいていると、彼の話は本当のことだろう、と実感することができた。
というよりも、自分が、生まれた時から、予感していた世界の話をきかされているという不思議な懐かしさを感じていた。
「わたし……中臣っていいます」
「ええ……」
「この名字、いわれがあるんですよね。大和《やまと》朝廷の頃の名前で、九州が発祥地なのは当然でしょうけど、中臣鎌足《なかとみのかまたり》……藤原《ふじわら》鎌足の子孫からは、代々|神主《かんぬし》さんの名前だったって……」
「知っています。神と人の間に立っているっていう説もあるでしょう?」
「ええ。俗説ですね。それ……よくご存じで」
「なんでそんなことを知っているか、自分でもわからないんだけど、あなたの名前をきいた時に、そのことを思い出して……だから、ここにきてくれたんだって思いました」
ジョクは、杏耶子の灰色がかった瞳《ひとみ》をまっすぐに見つめた。
杏耶子は、ジョクの瞳が、とても澄んでいて、無限の拡《ひろ》がりを持っているように感じて、その中に入ってみたい、と思った。
「杏耶子……」
「あ……?」
杏耶子は心の底で、声をかけてくれた俊一にすまないと感じながら、なんとかこの場をとりつくろわなければならないと思ったが、それができず、彼と視線をあわせるのをさけてしまった。
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俊一が、杏耶子とジョクの気持ちの交流を感じなかったといえば、ウソになろう。
しかし、彼も大人だった。
そのことには触れずに、ジョクがテレビを気にする理由と、裏庭に置いてあるオーラバトラーのことを尋ねた。
ジョクは、この世界に来る直前に、交戦していた二機のオーラバトラーも、この世界にきているのではないかと語った。
「……そうでなければいいんだけれど、でないと、彼等は、バイストン・ウェルのコモン界の人間だから、どういう反応をするか想像がつかないんです。UFOの宇宙人のような扱いを受けるかも知れないし、騒動を起すかも知れない」
「……ご存知の方なんですか? その敵」
「ええ、狭い世界ですからね。よく知っている男と女を敵にしてしまいました。政治がらみの問題は、この地上世界と同じです。ぼくが彼等を裏切る結果になったんだけれど、事情が複雑でね、ぼくは彼等から見れば、悪人になってしまった」
「可能性はないんだろう?」
俊一は、あいかわらず、紋切り型の質問をした。
「わからない……オーラ・ロードを転移している間、完全に意識がなかったっていうんじゃなくって、ガラリアとバーンの声をきいたような、そういう感覚はあった」
「その方たちの名前ね? ガラリアとバーン……」
「ええ……。そうだ、ちょっと、オーラバトラーが気になる。見てきたいが、ここにいてくれます?」
ジョクは、またも別の心配事を思いついて、腰を浮かした。
「……さしつかえなければ、そのオーラバトラー、見せてもらえるかな?」
「ああ……まだ雨が降っていると思うけど……」
「構わないよ。君が許可してくれるならば、勉強のために、ぜひ見せて欲しい」
ジョクにつづいて立ち上がった俊一は、多少、相手の気持ちを斟酌《しんしゃく》するよゆうが出てきたようで、言いわけがましいことをいった。
しかし、それは、一緒にいる杏耶子としては、安心ができることだった。
「わたしも……構いませんよね?」
「ああ……でも、あなたたちから、率先《そっせん》して他人にしゃべるようなことはしないで下さい」
「もちろん」
「それ、この世界、つまり、違う世界だろう。ここでも動くのかい?」
俊一は、男の子が一番気にすることをきいた。
「そりゃわからない。君たちが庭に入ってきた時は、ぼくだって、チャム・ファウに起されて気がついたばかりだったんだから……その後で、カットグラの調子を調べなくっちゃならない時に、君たちだ」
ジョクは、勝手口の戸棚から古いレインコートを引っぱり出して、それを杏耶子と俊一に貸してくれた。
「農作業に使っていたもので、恰好《かっこう》悪いけど……」
台所の、ビニールクロスのかかったテーブルの上には、昨日の新聞と調味料置きがあり、一方の壁には、安手のガラス戸のはまったかなり大きな食器棚があった。
「今でも農作業をしているんですか?」
「さあ。以前は、おやじが日曜菜園というレベルでやっていたこともあるけど、今は、建売りの人たちに、日曜菜園用に畑を貸しているんでしょ。そういうのよく知らないんですよ。おかげで、バイストン・ウェルでは苦労しましたけどね。農作業なんて、どこに行っても、同じなんです。もっとやっておけば良かったって、反省しました」
ジョクは、そんなことをいいながら、懐中電灯をふたつ探し出して、なかの電池を確かめてから、そのひとつを俊一に渡した。
「むすわね……」
杏耶子は、青年たちがともかく一緒になって動き出したので、嬉《うれ》しくなった。
「オーラバトラーには、勝手に触らないで下さい。この世界でどう反応するか、見当がつかないから」
ジョクは、勝手口のドアを開くと、俊一に念を押した。
「もちろん、コンピューターだって、どこで漏電しているかわからないことがあるんだ。そういうの、わかるまでは触らないよ」
雫《しずく》はあいかわらずボトボト落ちていたが、風雨は弱くなっていた。
「足下に気をつけて」
ジョクが先導して、踏み石づたいに奥の林にむかった。
「なんで倒れたんだろう?」
俊一は、その木の方に懐中電灯をむけて、やんわりとジョクにきいた。
「オーラバトラーの体重で横から押し倒されたんだろう。下から出てきたとは考えられないね……」
ジョクも俊一の気分に合わせてくれた。
そして、オーラバトラーの足下を懐中電灯で照らし出して、土のめくれぐあいを調べたりした。
「これが、足だ。爪《つめ》があるだろう? これで突起物を掴《つか》むことができる」
「機械的構造じゃない……まるで、恐竜じゃないか」
俊一は、懐中電灯の光の中のカットグラの足を観察して、呻《うめ》いた。
背後からのぞきこんだ杏耶子も、俊一のいうとおりなので、本当に呆《あき》れてしまった。
「こんなものを操縦したんですか?」
「そう。でも、機械じゃないね。バイオテクに近いな。正確にはそれとも違うけれど、筋肉質のものを使って、各部分を動かしている」
「……あれは?」
俊一は、木のしげみのむこうにある半透明の膜のようなものを照らし出した。薄い膜ではない。かなり厚手の頑丈なものに見えた。
「羽根だよ」
「羽根?」
杏耶子が、目を見張った。
「ああ、こいつは、むこうの世界では、空を飛ぶんです。その時にバランスを取るもので、多少、推力を発生させるらしいけど、本当は、必要のないものだ」
ジョクは、懐中電灯を目の高さにおくと、オーラバトラーの機体の中央あたりに足を掛けて、這《は》い上がろうとした。
俊一が、ジョクを助けるように、その足下を照らし出してやった。
「…………!?」
ジョクは、オーラバトラーの股間《こかん》のあたりにある足場を利用しながら、その上に上がっていって、人でいえば、お腹《なか》あたりに足をのせると、胸部の下あたりを探ってから、やや身を引くようにして、腹の部分を開いた。
「コックピットかい?」
「ああ、ロボット物のセオリーだろう?」
「そうだね。まるで、ルーカスのSFX映画のキャラクターじゃないか」
「ルーカス・フィルムのものよりは、よくできているだろう? これで、本当の戦争をやっているんだから」
ジョクが、初めて白い歯を見せた。
杏耶子は、その表情を可愛《かわい》いと感じた。
「じゃ、これを貸すかい? 結構いいお金になるよ」
「そうさ。それを恐れているんだよ。こんなものの存在を迂闊《うかつ》に公表すると、そういう騒動にも巻きこまれる」
ジョクは、コックピットのようすを調べているようだったが、
「なんだ? これは……?」
ひどく驚いた声を出して、杏耶子たちの方を振りむいた。
「どうしたんです?」
「ルーカス・フィルムどころじゃない。現実的な問題だ。このカットグラ、ここでも動くぞ」
「どういうことなんです?」
杏耶子は、ジョクの切迫した気持ちにシンクロしてしまって、きいた。
「オーラ・バッテリーが、満杯《まんぱい》になっている……!」
ジョクの言葉の意味など、杏耶子にはわかろうはずがなかったが、杏耶子は、今まで冷静に見えていた青年の驚きの表情に、なにか、とんでもなく不吉なことが起るのではないかと感じた。
「バッテリーが、どうしたんですか?」
杏耶子は、カットグラの爪先《つまさき》を跨《また》いで、コックピットの下に行った。
その間に、ジョクはコックピットに上がって、それから杏耶子を見下ろした。
「ああ? ええ、このマシーンのガソリン・タンクみたいなものなんですがね。それが、満杯になっているんです。たいした時間が経《た》っていないのに……」
「どういうこと?」
「オーラがこの地上世界にも充満している証拠です。つまり、この世界でも、カットグラは、飛ぶかも知れない」
「飛ぶ? これが?」
俊一はあらためて、目の前にあるゴツい恰好をしたものに懐中電灯を走らせながら、反問した。
「……そんな恰好はしていない。飛ぶなんて……」
「そうですがね。しかし、これはオーラバトラーなんだ。世界に、オーラが充満していれば、飛べないことはない……ちょっと待って下さい。動かして見ます」
「しかし……!」
「退《さが》って下さい。中臣さん」
ジョクが、何かに触ると、コックピット内にほんのりとした光が浮きあがった。
「ちょっと信じられないな……」
「俊一、その言い方、やめてよ。少し相手とか情況を考えた言葉遣いをしないと、誤解されるわよ」
杏耶子は、俊一の腕を引くようにして、勝手口近くまで後退した。
「癖なんだよ」
「そういう言い方で甘えないで。大人でしょ?」
杏耶子は、カットグラの方を見て、きっぱりといった。
淡い光の中に座っているジョクは、もう一度、杏耶子と俊一の方を見てから、チラッと上の方を見た。
キューンという音が、機体の内部から湧《わ》き出るように響くと、上の方にボッとかなり強い赤い光が灯《とも》った。
「あっ……?」
杏耶子は、その木のこずえのむこうに光るものが、目だと気づいて息を詰めた。
「頭?」
「そうみたい……」
俊一も呻《うめ》いた。
機体から発する音は、金属的なものではなく、内臓を揺するような重い震動音だった。その周波数が上がって行く感じは、気持ちの良いものでない。
杏耶子は、ジョクが、オーラという意味がわかるような気がした。
鼓膜を震動させるわけではないが、頭蓋骨《ずがいこつ》そのものが震動して、背骨から肋骨《ろっこつ》とそれが包む内臓を全部揺すっているのではないか、と感じさせる音だった。
事実、お腹の筋肉は、バイブレーターをかけているように震動した。
杏耶子は、左手をお腹にあてて、その肉の震動を確かめながら、林の中にじっと潜んでいたものが、ギグッと動くのを見た。
それが脚なのか、手なのか、そんなことはわからなかった。
ともかく、塊《かたまり》にすぎなかったものが、内部から命を与えられたように、動いたのだ。
それは、もちろん、金属で作られたものではないので、金属のきしみ音などはしなかった。
ひどく自然に、象か水牛が動くように動いたのだ。
それでも、何か息をするような気配がないでもなかった。
シューッ! ブルルルッ……。
オーラバトラーの息遣いともいうべきものが、杏耶子と俊一の心と肉体を打った。
「動いている……」
俊一は、他にいうべき言葉を見つけられなかったし、杏耶子もそうだった。
が……。
「退《さが》って下さい。その横になっている木を動かしますから」
「ああ……」
ズッ、ザザッ……。
木がひきずられるのにあわせて、黒い塊というか巨人がはっきりと動き出した。それにつれて、ジョクが座っているらしいところも、上に移動していった。
そして、ふたりの視野のなかに二本の脚が現れた。オーラバトラーが、立ったのである。
そして、倒れていた木がズルズルと林の方にひきこまれて、ななめに立った。
腕を使ったのだろう。
かなり激しく木々がこすれあう音がしていたが、それもとまって、静かになった。
「……これでやめますが、後ろにまわりこまないで下さい。排気ガスが出ていますから、熱いですよ」
ジョクの声が、頭上から降ってきた。
「は、はい!」
俊一と杏耶子は、同時に返事をしていた。
これでは、本当にSFXの映画のシーンである。
俊一の懐中電灯が、カットグラの足下から頭上に上がっていくのにあわせて、杏耶子は、あらためてカットグラに近づいていった。
腰から上は、木々のかげにあって、よく見えなかったが、形の想像はついた。
「凄《すご》い……」
正面をこちらにむけて立つそれは、まるで仏像だった。
『人の形は、人間に絶対的な強さと美しさを感じさせるんだ……!』
杏耶子は、その瞬間、京都の三十三間堂《さんじゅうさんげんどう》に林立する仏像の列をイメージしていた。
そのうえ、杏耶子はその巨大さに圧倒されていた。
杏耶子は、昔から人びとが巨大な仏像を作るのは、この威圧感が救いの力を与えてくれるのではないかと信じたからだろう、と思いついて、あらためて納得をした。
「そうそう! これは、仁王《におう》様だわ!」
杏耶子は、その思いつきに、ひどく安心すると同時に、仏教が一般に受け入れられたのは、このような偶像《ぐうぞう》の力によるところが大きいのだろうと想像した。
神道《しんとう》には、偶像がないために、それがプラスにもマイナスにも働いたのだろう。
神道の本質はアニミズムの延長であり、自然と隣接する人びとと密接な関係をもった息遣いがあった。だからこそ、神道はこの風土に浸透したのである。
人びとは、その精神風土に信仰の形を備えたものとして、仏教を同居させたのだろう、と思う。
それは、異国文化の導入の必要性と政治的背景をもって、作為的に伝播《でんぱ》されたのである。その際、偶像は、有効な武器として利用されたのである。
そういう力があるのだ。
イスラム教が偶像を持たなかったのは、キリスト教の偶像主義のうさん臭さを排除するためだったのではなかったか、とも杏耶子は思った。
形、まして、人の形は、そういう幾層もの思いを表徴するものなのだ。
だから、オーラバトラーは人型なのだ、とも思う。
形に意味がある。
その意味は? そして、オーラバトラーの場合は、それが形だけの表現にとどまらず、動くのである。
それは、もっと別の意味を付加《ふか》するものであろう。
しかし、まだ杏耶子は、その意味を想像するところまでは、至っていない。
なぜならば、あまりにも、こういった事態にたいして無知だからである。
オーラバトラーのカットグラの足の爪《つめ》が、濡《ぬ》れた地を噛《か》んでいた。
機体から湧《わ》き出ていた低重音が、ゆったりと消失して、また、雫《しずく》と雨の音だけが、その裏庭の木々を包んだ。
雷の音は、遠く小さくなっていた。
「……頭の方は、木で隠れているんですね?」
俊一が、ジョクにきいた。
「確かめている……大丈夫らしい。このコックピットの潜望鏡は、性能が悪くてね、いいテレビ・カメラが欲しいんだ」
そんなジョクの声が、上の方から降ってきた。
「うしろに回っていいかな? エンジンの音がしなくなったから……」
「いいでしょう……」
ジョクの声と共に、バザッと落ちてくるものがあった。
「ヒッ……!」
気が緩《ゆる》んだところに、そんな音がすれば、身もすくむ。
ロープが一本、落ちてきたのだ。それには脚をかける輪が並んでいて、コックピットの昇り降りに使うものだった。
俊一が、懐中電灯の光をそのロープにそって上げて行くと、コックピットらしいところから、ロープに脚をかけて降りてくるジョクの下半身が見えた。
「すみません。おどかしちゃって……」
ジョクは、コックピットのハッチを閉じて、すべるように降りてきた。
「これだけのものを作っていて、テレビがないのかい?」
「ああ、試作はやっているらしいが、致命的なんだよな、電気の技術の背景がないんだから」
「そのへんが、理解に苦しむんだよな」
「ま、技術論は後だ。とりあえずは、こういうのは映画の撮影用だって、言い逃れられるよな?」
ジョクは、レインコートをガバガバさせて、笑って見せた。
「まあ、動かさなければ、という条件はつくが」
俊一もようやくジョクの気分にあわせられるようになったのも、ジョクの方がリラックスしてくれたからだろう。
「ちょっと、この裏庭を偵察しませんか? カットグラの備品がその辺りに転がっているかも知れないし、それに、木のむこうから見えるか見えないかも調べたい」
「ということは、ここに懐中電灯をおいておいた方がいい」
俊一は、また機転をきかせて、カットグラの膝《ひざ》のあたりに、懐中電灯をおこうとした。
「ああ、そこにつっこんで下さい。固定できるはずです」
今度は、ジョクの懐中電灯の光が俊一の方にむけられた。
俊一は、彼の脚をカットグラの横にある爪に乗せて、膝の上の関節をカバーしている外装板の上に、懐中電灯をおこうとした。
「これ、なんでできているんです?」
「装甲板のこと?」
「ええ……」
「巨大な甲殼類の甲羅《こうら》を加工したものです。いってしまえぱ、かぶと虫の甲羅なんかを使っていると考えて下さい」
「へー! どうりで……。肌触りは、セラミックみたいだけど、柔らかい感じもするな」
俊一は、つけっぱなしの懐中電灯の光の方向を確かめてから、カットグラの脚の装甲を撫《な》でまわしながら、ジョクの方にきた。
杏耶子は、ふたりの青年のあとについて、農家の裏庭の林から竹林の方にむかった。
その途中で、畳二枚ほどの広さの板と、まるでデパートのショーウインドーに飾ってある鉄砲のようなものを見つけた。
「これがカットグラの主要武器なんだ。よく一緒に、ここに現れたものだ」
ジョクは、その巨大なライフルのようなものを撫でまわして、嬉《うれ》しそうにいった。
「どういう武器なんです? 戦車砲?」
「いや、地上世界のレベルで考えれば、ひどいものさ。火炎放射器なんだから」
「へーっ!?」
「ま、その意味じゃ、玩具《おもちゃ》みたいなものかな? これ」
「それなら、いいじゃないですか」
ようやく杏耶子は、そういってみた。
が、いった瞬間に、軽率だったと思った。理由はわからない。
「…………?」
杏耶子の一瞬の逡巡《しゅんじゅん》をジョクは感じたのだろう。彼は、杏耶子に懐中電灯の光をむけた。
「え? いえ……破壊力のない武器なら安全と思うけれど……そうかな? 本当に、そういいきれるのかなって、感じて……」
「フム……そうね。そうかも知れない」
ジョクは、懐中電灯を竹林の一番うしろにむけると、生垣《いけがき》のすきまから畑に出ていった。
「…………」
杏耶子は、ジョクの背中を見ながら、彼は、何を感じてああ答えたのだろう、と思った。
それにくらべて、すぐ目の前を行く俊一は何を考えているんだろう、機械のことしか考えていないんだろうな、と杏耶子は思った。
それは、ちょっと寂しいことだった。
畑と竹林の間のあぜ道から、畑の真中を抜けているあぜ道にまがって、カットグラの膝のあたりに置いた懐中電灯の光が見えないのを確かめた。
その畑を抜けると、茶畑風の畑のあぜ道に出て、ジョクの家の裏の防風林の影を見やりながら、家の方にまわって行った。
そのあぜ道の左側にも幾つか小さい防風林があって、そのむこうには、小さな民間マンションの明りや、新青梅街道を走る車の光、それに、ファミリー・レストランの派手な広告灯の光を見ることができた。
「……木の高さって、結構、高いんだな……」
ジョクは、あらためて感心している風だった。
杏耶子は、そうか、と思う。
もし、ジョクがオーラバトラーに似つかわしい世界で、カットグラを動かしていたのならば、彼にとっての故郷であるこの場所で、カットグラが隠せることがわかったのは、新しい発見なのだ。
彼、ジョクは、まちがいなく、別世界に行っていたのだ。
杏耶子は、チャム・ファウとカットグラを見せられただけでは、どこか生理的に納得できなかったのだ。
彼女は、生理的に理解できないものは、ウソかマジックだと思っているところがあった。
しかし、今はちがった。
三人は、もう一度、ジョクの家に戻った。
杏耶子は、前庭においてある俊一の車を見て、家に帰らなければならないと思ったが、そのことは忘れることにした。
今夜は、ジョクのそばにいないと、とんでもない損をすることになるだろうと予感したからだ。
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杏耶子は、ジョクが玄関を開けると、俊一を追いこしてジョクに続いて玄関に入った。
「…………」
レインコートの下の衣服が汗にまみれて、気持ちが悪いという理由で自分を納得させて、玄関に走ったのだ。
こういう時に、そういう現実的な理由を思いつけるのが、人間のつこうの良いところだろう。
「……あの……」
玄関でレインコートを脱こうとする杏耶子と俊一を見て口を切ったのは、ジョクの方だった。
「はい?」
杏耶子は、脱ぎかけたレインコートを一気に背中から抜くようにして、前にまとめながら、『あ、彼はいい出してしまう』と思った。
そうなった。
「……今夜は、お帰りになりますか?」
「え? ああ……そりゃ……」
俊一の方が、驚いた顔をした。
「疲れているから、今夜はこのまま眠りたい心境なんだけど、こうして、地上世界の人と話をしてると自分が何者かってわかって、安心するんです。楽しいといってもいい……」
ジョクは、上りがまちに腰を下ろして、ふたりを見上げた。
その動作には、疲れがみられない。どこか精桿《せいかん》なのである。
杏耶子も俊一も答えようがなかった。
「だからなんだな……」
ジョクは、苦笑を見せた。
「……すぐに車に乗って帰ってくれ、といい出せなくて……。それに、ここで別れたら、もう来てくれないんじゃないか、話などしてくれないんじゃないかって……」
杏耶子は、ジョクの実像、彼の本当の気持ちが理解できたと思った。
しかし、そんな杏耶子の思いを、俊一が吹き飛ばした。
「そんなことはない。むしろ、君の方が我々を嫌って、もう会ってくれないんじゃないかって、心配していたんだ。大体、これだけのものを見せられて、もっと話をききたくない人間なんていないぜ」
「そうか……そう思ってくれると嬉《うれ》しいよ。じゃ……」
「でも、悪いわ」
杏耶子は、意に反していってしまった。
「なんでです?」
ジョクが、上りがまちに立って、身をひくようにした。
「だって、あたしたち、あなたのことよく知らないし、それで、あたしたちには、なんでもないと思うようなことを他人に喋《しゃべ》ったりして、それで、あなたが、不都合におちいるようなことだってあるかも知れないし……そんなんで、いいんですか?」
杏耶子は、自分の言葉が、ゴチャゴチャになってしまっているのを感じながらも、いわずにはいられなかった。
俊一は、杏耶子を見つめていた。彼の表情が堅くなるのを、杏耶子は、目のすみで見ていた。
「……優しいのですね。そこまでこちらのことを考えて下さっているのならば、大丈夫です。なんの心配もしませんから、今夜は、お帰り下さい。そして、明日にでも、またきて下さると嬉しい」
「そうさせてもらうよ。ジョク」
俊一が、すっと手を出して、ジョクに握手を求めた。
こういうキッパリした潔《いさぎよ》さは都会的でいいのだが、この場合は、杏耶子に逆に作用した。
杏耶子は、俊一が嫉妬《しっと》したと直感したのだ。
「あたしは、ここに残るわ」
「杏耶ちゃん……!?」
「あのチャム・ファウって娘《こ》、もっと見たいもの」
杏耶子は、すねた。
「……でもさ、着替えだって必要だろう?」
「そんなもの、そのあたりのコンビニエンス・ストアでなんとでもなるわ」
杏耶子は、強硬にいい張った。
「……でも、ジョクさんが、ご迷惑ならば、帰りますけど……」
「いや、家は、あいている部屋もありますし、布団は、カビ臭いかも知れないけれど、結構あります」
ジョクの口調には、半分の安心と半分の戸惑いがあった。
しかし、後者は、彼がこの世界に戻って、たいして時間が経っていないために、落ち着いていないせいだろう。
杏耶子は、そう決めてしまった。
「俊一。ちょっとコンビニエンス・ストアにつきあって。今夜は、ここにご厄介になりましょう」
「でもさ、初めての家だぜ? 悪いよ」
俊一が、守勢にまわった。
「でも……あたしは、この人とあの小さい羽根つきの女の子とオーラバトラーに呼ばれてここにきたんだわ。まだ何も知らないというか、実感も持てないのに、別れられる? それに、別れた後で、このジョクさん、逃げ出すかも知れない」
「ああ……」
「まさか……」
今度は、ジョクが苦笑する番だった。
「そうよ。ちょっと前までは、彼が、あたしたちの正体を知らなかったから、拘束《こうそく》しようとしたけれど、今度は、あたしが、ジョクさんとチャム・ファウとオーラバトラーのカットグラを拘束するのよ」
「なんでさ」
「世界を知るために!」
杏耶子は、しだいに胸がドキドキして、興奮していくのがわかった。
喋っている間に、いろいろなことが整理される感じがして、いま経験している事態の重さを予測することができるようになったからだ。
「オーバーだな……」
俊一は苦笑をみせたが、ジョクは笑わなかった。
そのことが、俊一を不安にさせた。
このままでは杏耶子は、一人でもここに泊り込むだろうと思った。それは、させたくなかった。
「わかった。ジョクさん、お邪魔させてもらえます?」
「ええ……」
俊一が、自分の傘を引き出すと、ジョクは贅沢《ぜいたく》な作りの下駄箱《げたばこ》から、ほこりのかぶった傘を取り出して、杏耶子に渡してくれた。
「布団は、二階の部屋に用意しておきますし、シャワーも使えるようにしておきますから、玄関は戻った時に、鍵《かぎ》をかけて下さい」
「え?」
「お二人が、買い物に行っている間に、ぼくは寝てしまうかも知れないから……。なに、電気をつけておきますから、電気に従って動いてくれれば、わかるようにしておきます」
「ああ……」
杏耶子は、ジョクの機転がきくやり方に、本当に感心して、答えたものだ。
「使ったら、順々に電気を消しておけばいいんですね?」
俊一の車はいったん二車線の通りに出てから、新青梅街道の反対側にまがった。
「こっちの方向で、いいの?」
「西武《せいぶ》線の駅が近いはずだから、店はあるさ」
「知っているの? このあたり」
「見当さ……大きな道路と線路の関係ぐらいは、わかるよ」
車の中でのふたりの会話は、それだけだった。
すぐに、道路に面した小さな終夜営業のコンビニエンス・ストアを見つけた。
暗い通りに、そこだけ赤白っぽい無遠慮な照明で、虫を誘うように起きている若者たちを招いていた。
こういう田舎《いなか》っぽい闇《やみ》の中で見る光景としては、異様だった。
非日常的に見えるのだ。
こんな光景は、俊一は、大学の合宿で蓼科《たてしな》の方に行った時とか、外国の田舎に行った時に見ただけである。
彼にとっては、明るい夜の町の方が、日常なのである。
「ちょっと、ここで待っていて」
「あ? ああ……」
俊一は、杏耶子が傘もささずに、ストアのドアに飛びこむの見送って、内心ホッと息をついた。
このまま彼女を家に送った方がよさそうだ、と思った。
俊一は、センター・コンソールの物入れから、メモ用紙を取り出すと、ジョクの家の電話番号をメモした。
局番を含めて八|桁《けた》ていどの番号なら、記憶しておく自信があったが用心をしたのだ。
「…………」
俊一は、店内にピンク電話があるのを透明のドア越しに確かめると、車を降りた。
まだ、ドシャ降りにちかい雨だった。
慌《あわ》てて透明のドアを押して、ヒヤッと肌寒いクーラーの冷気を感じながら、ピンク電話の前に立った。
「どうしたの?」
「彼に電話をする。今夜は、帰ろう」
せまい店内なので、杏耶子がすぐにすり寄ってきたが、俊一は、かまわずにダイヤルをまわし始めた。
「駄目よ。それは、駄目よ」
強硬な言葉と同時に、杏耶子の手がフックスイッチを切った。
「なんだよ。考えてごらんよ。今夜はじめて会った人の家に、ふたりでノコノコ泊れるかい? えらく失礼だ。いつも君がいっているとおりだよ。できないよ」
「そんなことは承知で、お互いに了解しあったのでしょ? むしろ、あの家を出られたのを幸いに、このまま帰ってごらんなさい。あたしたちは、彼からは、信用されないわ」
「…………!?」
俊一は、受話器をおいたものの、納得したわけではなかった。杏耶子は、その俊一におっかぶさるようにいった。
「あなた、帰りなさいよ。あたしは、あの家に行くわ。構わないでよね」
杏耶子は、下着一式とストッキング、それに生理用品を入れた籠《かご》を振るようにして、カウンターにおいた。
いかにも、ラブ・ホテルにでも行くという品揃《しなぞろ》えだったが、そんな気恥かしさは、今の俊一との会話で忘れてしまっていた。
「……え?」
ニタリと下品な笑いを浮べる深夜アルバイターの青年の顔を、杏耶子は、ムッとして見返した。
杏耶子の表情に、アルバイターはレジを打つと、レシートを切ってよこした。
「ああ……!」
杏耶子は、料金を確かめて、財布の中をのぞいた時に、初めてそのアルバイターのうす笑いの意味を了解した。
しかし、他人に何のいいわけが必要なものかと、杏耶子は端数の一円玉まで財布の底からさぐり出して、カウンターにおいた。
「……帰っていいのよ? 本当よ」
杏耶子は、肩を触れるようにしてドアを出る俊一の耳元にもう一度いった。
「つきあうよ。ヤバいよ。一人にはさせられないよ」
俊一は、口元をとがらせながらも、赤いスポーツカーにからだをすべらせていった。
「……どういうんだよ。あの男に一目惚《ひとめぼ》れかい?」
「そういうこと! 単純なんだ」
「すまないね」
俊一は、道路に車をのせるとその声を気合がわりにして、車をダッシュさせた。
「やめてよ。危ないわ」
彼は、鬱憤《うっぷん》を晴らすかのような運転をして、道に迷いもせずに、ジョクの家に戻った。
杏耶子は、俊一が門の鉄扉を開いて車を入れ、再び門扉を閉ざすのを、ただ黙って見ていた。
おもしろくないだろう、というのはわからないではない。
しかし、ジョクの存在の奇妙さと異常さがわかっていれば、男女の感情がどうのという問題ではないはずなのに、と思う。
『男って、こういうことにナーバスすぎるのよね』
そう思う。
杏耶子は、若い男は、女性とのつきあいを、いつもセックスがらみで考えてしまうという話を思い出していた。
『まったく、これだものなぁ。器量が狭いというか、いつも助平なんだから』
ジョクという青年を見れば、彼が、今はそういうレベルにいるのではない、とわかるはずなのに……と思う。
二階の部屋の電気がついていて、前庭のようすが、さきほどより観察できた。
それなりに植木やら庭石が配置されている庭だったが、手入れが良いとは思えなかった。
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「……ただいま……」
杏耶子《あやこ》は、コンビニエンス・ストアの白いビニール袋を抱くようにして、アルミサッシの引き戸を開いた。
傘の雫《しずく》を落してなかに入ると、俊一が、車の方から走りこんできた。
「やあ……」
玄関の正面にある階段の上から、ジョクがのぞきこむようにして迎えてくれた。
「あ、お布団《ふとん》しいているんですか?」
「ああ……久しぶりなんで、ようすがわからなくってね」
ジョクの声が、二階の廊下に消えたので、杏耶子は、その声にひかれるようにして、トントンと階段を上がった。
俊一の制止する声がきこえたような気がしたが、無視した。
右手に続く廊下は幅が広く、昔の家はみんなこうだったんだろうな、と思えるものだった。
「まあ……」
襖《ふすま》を開け放したその部屋は、十畳と八畳のつづき間で、奥の十畳間の方に、ふたつの布団が並べてしかれていて、ジョクが、シーツを拡《ひろ》げているところだった。
「あっ……あの……」
「はい?」
杏耶子は、すばやく廊下の方を見やって、俊一がまだ上って来ていないのを確かめてから、
「布団、別々にできません? あたしたち、夫婦じゃないんです」
「でも、恋人同士でしょ?」
彼は、屈託《くったく》がなかった。
「ちがいますよ」
「そうなの……?」
そういったかと思うと、ジョクは、シーツをのせた布団を八畳の方に引きずっていった。
からだがよく動く、という感じである。
杏耶子は、日常生活の中でも、俊敏さを感じさせる男がいるのだ、と感心した。
「でも、いいんですか? お部屋をふたつも占領して」
「いいんですよ。両親は、どこかに行っている。しょっちゅうなんですよ。誰かが泊ってくれる方が、この家も喜ぶってもんです」
ジョクは、八畳の押入れから、タオルケットを取り出して、それをふたつの布団の上におきながらいった。
「は、はい……」
「そうか。浴衣《ゆかた》いりますよね?」
「すみません」
杏耶子が頭を下げたところで、俊一が上がって来て、物もいわずにその光景を眺めた。
杏耶子は、彼を無視して、十畳の方の布団のシーツをととのえてから、タオルケットの位置も直し、ジョクの差し出す枕《まくら》を、それぞれの布団においていった。
「電気のスイッチは、こことそこです」
それぞれの部屋のスイッチの説明をききながら、杏耶子は、十畳と八畳の間の襖を半分だけ閉じて、十畳の方の電灯を常夜灯にきりかえた。
「これが浴衣です。湿《しめ》っぽいけど……」
八畳の押入れを閉じて、俊一の方に浴衣を差し出すと、ジョクは、シャワーに案内します、と階段を降りていった。
俊一は、浴衣のひとつを杏耶子に渡しながら、
「厄介《やっかい》のかけすぎじゃないか……」
「そういうの、あなたには似合わないわ」
と、階段を降りていった。俊一がつづく。
「本当にすみませんね。ご厄介をかけて。ジョクさん」
「いいんです。縁があるんですよ。あなた方とは……それより、ジョクのうしろにさんをつけるのはやめてくれませんか? ちょっと気持ちが悪い」
「アメリカナイズですか?」
階段を降りきったところで、俊一が厭味《いやみ》をいった。彼にしてみれば、どこかで自己主張をしたかったのだ。
「そんなところです。そう思ってくれていい」
ジョクは、あっさり認めて、笑った。
「あの娘《こ》は?」
杏耶子は、応接室のドアの前で、ジョクにきいた。
「ああ、チャムは、ぼくの部屋のソファに移しました。からだが小さい分、えらく消耗しているらしい。なんとか力をつけさせないといけないんだ……」
ジョクは、シャワー・ルームを杏耶子に示し、どうぞとすすめてくれた。
「ありがとうございます……遠慮なく」
「どうぞ」
ジョクは、俊一を台所のテーブルに案内し、冷蔵庫から、冷えた麦茶と缶ビールを取り出して、俊一にすすめた。
「麦茶で……すみませんね」
「いや、漠然とひとりでいるよりは、不安がなくなっていい」
ジョクには、確かに、俊一が知らないタイプの男の匂《にお》いがした。
事務的にキッパリしているというのとは、少し違う。気骨がある、というのが正しいだろう。
それでいて、あの大学の体育会系の連中の持っている礼儀正しさというのでもなかった。
もうすこし、怖い感じがあった。
彼のOAメンテナンス会社には、絶対にいないタイプである。
「パイロットっていうのは、みんなジョク……あなたのような人なんですか?」
「え?」
俊一は、感じたことを率直に話して、その違いはどこからくるのかと尋ねた。明らかに彼のそねみであるが、それは、とぼけたつもりだった。
「さあ、なんといっていいか……ぼくは、まあフライト・マニアみたいなところはあったけれど、それも努力してやったことじゃない……ま、東京の近くに農地をもっていたおかげで、金にあかしてやったまでで、本物じゃない」
ジョクは、缶ビールを口にして、そんなことをいった。
「いや……深刻な質問じゃないんだ。バイストン・ウェルかい? そのことをききたいけれど、疲れているようだし、杏耶子がいるときでないと、話すのが二度手間になると思って、遠慮しているんだ……」
「気を使わせてすまないな。無理につなぎの話をする必要はない」
ジョクは、冷淡に、ではなくそういうと、音声を出していないテレビの深夜のトーク番組の小さな画面を見つめた。
「……少しも変っていないんだな……」
ジョクは、画面を見つめたまま、つぶやいた。
俊一は、ジョクが出国してからこっち、国内の事情をなにも知ることがなかったのは当然だろう、と思った。
「去年の夏ですか? ロスで、次元スリップしたの?」
「あ? そのはずです。だから、浦島《うらしま》太郎《たろう》ですよ。時間の経過がちょっとズレている……なんでかな? プラスとマイナス宇宙論とかタキオン宇宙論では、そういうことないらしいけど……」
「……オーラでしょ? 生体力。つまり、生物の生体のリズムで、バイストン・ウェルの時間が形成されていれば、あり得るでしょう?」
「時間って、そういうものですか? 生体時計だって、地球の自転とか季節によって変化するんであって、それが、バイオリズムを形成しているんでしょ?」
「さあ……そういう理論ってよく知らないんだ。それにしたって、現在の学問レベルがどこまで真実を解明しているのか怪しいんだから……あてになります?」
「ならないだろうね」
「……ニュース速報、入りませんね……」
「ああ、入らないね……」
二人の青年は、今、シャワーをあびている女性のことを頭のどこかで意識しながら、言葉だけを投げあっていた。
杏耶子が浴衣《ゆかた》に着替えて、台所に顔を出した。
それを契機に、ジョクは先に自分の部屋に上っていってしまった。
そのジョクの態度には、ふたりに気を使わせないようにという気遣いがあった。
杏耶子は麦茶で一息ついて、
「シャワーを浴びながら考えていたんだけど、ジョクさんと一緒にきたかも知れないバイストン・ウェルの人……どうすると思う?」
「それを気にしているんじゃないか、ジョクは」
「うん……なんか騒動起ると、まずいわよ」
「……どうしてさ?」
「ジョクさんがいっていたでしょう? バイストン・ウェルという世界がなんで存在しているのか。そういう問題を考えることはせずに、ただ怪奇現象のひとつとして、モーニングショーやら、昼の奥様番組で騒がれて、タレントの自殺や離婚と同じレベルで報道されるのよ? 現象の本質を考える世論が起ると思う?」
「そうだな……俺《おれ》だって、あのオーラバトラーって奴《やつ》を操縦することや、推進システムの解明には興味あるけど……」
「それが、お金|儲《もう》けに直結するとわかったら、どうなる? 最悪よ」
「……そうだ。最悪だろうな……。日本人は、そういうところがある。殊に、この、経済大国になっちまった日本人の反応は、最悪だな。なんで、田無《たなし》に現れたんだ?」
「……バカね……」
「なんでだよ?」
「ここ、ジョクさんの生まれたところよ? だからここに戻ってきたの」
「ああ……そういう理屈」
「だから、生体力なんでしょう」
「了解、よくできた話だよ」
「ジョクさんはね、そういうあなたみたいな日本人の反応を一番心配しているのよ」
「買いかぶりだよ。まだ、この世界に戻ってきたばかりだ。そこまでのよゆうはない。今は、自分の秘密を守るのに精一杯なんだよ。うまくやれば、金儲《かねもう》けになるしな」
「最悪……! あなたね、帰ったら?」
「そうかい……」
「そうよ」
杏耶子は立つと、台所のクーラーを切って、廊下の方に行こうとした。
「杏耶ちゃん……本当はさ、あいつに気があるんだろう?」
「事情はわかっているでしょう? 興味を持たない方がおかしいんじゃない?」
「そうだけど……まだ、本物かどうか……」
「本物よ。これだけ手のこんだマジックや詐欺《さぎ》があって?」
「そうだけど……」
「あなたね、少し大人になって、あの人を助けてあげたら? 絶対に何か成果はあるわ」
「……成果か……面倒だけが起るのではないかって、君は感じているよな?」
「それを起らないようにしたいのよ。カットグラね、本当に仁王《におう》様になって暴れ出すわ」
「君の直感、って奴か?」
「そう。外れたことあって?」
「いや……確かに君の勘のいいのは認める」
「じゃ、今は寝ましょう。あとは明日だわ」
「ああ……」
俊一は、テーブルからもったりと立ち上り、先に上っていいよ、とシャワー・ルームに入っていった。
『妬《や》いているんだ……』
杏耶子はそう感じながら、二階に上がって、十畳と八畳の間の襖《ふすま》を閉じて、十畳の布団の上にペタンとすわりこんだ。
こちらの方が上座になるのだから、俊一に譲《ゆず》るべきだとも考えたが、どこかで、そこまでする関係でもないという意識が働いて、そのまま動かなかった。
エアコンは、ちょっとうるさかったが、適当に湿気を吸い取ってくれているようで、快かった。
カビ臭さがよどんでいるのは、この部屋も、最近、使われることがなかったからだろう。
『ジョクさんの部屋は、この奥かな……?』
間取りの検討がつかないのは、杏耶子が、こういう昔ながらの間取りを取り入れた住宅を知らないからだった。
常夜灯の光の中にボンヤリと浮き出ている一間幅の床の間には、幾つか桐《きり》の箱が積み重ねられ、花瓶らしいものが、二つもおいてあったりした。
十年以上かけっぱなしに見える朱竹画の掛け軸も、その薄い光のなかに、京壁に貼《は》りついているように見えた。
「…………」
ジョクの家族の状態が、杏耶子にはちょっと想像できなかった。
浴衣が、からだに馴染《なじ》んで心地良くなってきた。
横になった。
確かに、シーツも布団も湿気が感じられたが、気になるというほどのことではなかった。
杏耶子は、こういうことに神経質にならない自分の性格を、得だと思う。
『あれが、バイストン・ウェルという世界の生き物か……』
よくしゃべったな、という印象が残っていたが、あの羽根つきの少女の言葉は、声は耳にきこえはしても、意味は、直接頭に響いたという感じがあった。
『テレパシーね』
そんなことが、あんな小さな生物にもできるとすれば、テレパシーもそれほど特別な能力ではないのかも知れないと思った。
『ガッカリさせるなあ……』
自分は何か特別な能力を手に入れたかも知れないとかすかに思っていた自負心《じふしん》が、ひょいっと、この薄暗い部屋の空気に吸い取られてしまったような失望感があった。
「損したな……」
杏耶子は、いつしか眠りに落ちていった。
なぜ、こんな異常な状態を受け入れることができるのだろうか、そんな疑問が走らないでもなかったが、睡眠は、とてもすみやかに杏耶子のからだを包んだ。
俊一が、襖を開いて、ようすを窺《うかが》ったのは覚えているが、それっきりだった。
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ガラリア・ニャムヒーのカットグラは、東京湾の海水面を噴き上げるようにして、その機体を地上世界に現した。
だからといって、その機体が、海中から出たというのとは違う。
よく観察している者がいたとしても、ガラリアのカットグラは、海面から出てきたとも空中に突然出現したとも見えなかっただろう。
海面に、海中か海面スレスレの空気の急激な膨脹《ぼうちよう》によって白い飛沫《しぶき》のかたまりができると、その中から現れた、としか見えなかったはずだ。
そして、いったん、空中に跳《は》ねたガラリアの機体は、数十メートル舞い上がってから、海面に落下し、バウンドした。
ガラリアの意識はなく、シートに縛られたままからだに力が入っていなかったのが幸いして、その衝撃による怪我《けが》をしなくてすんだ。
もちろん、革鎧《かわよろい》の性能もあった。
カットグラは、何度かバウンドして、海面に落ちついた。
陸から、遠くはない。
豪雨は、すこしばかり弱くなっていたものの、近くに停泊《ていはく》している数隻の船の舷灯《げんとう》を霞《かす》ませていた。
だから、カットグラの出現で噴き上がった飛沫を見とめた者もいなかったはずだ。
死んだようなカットグラの機体を雨が叩《たた》き、波が洗った。
そして、その機体は、かすかに沖の方に流れるように見えた。
カットグラのコックピットが、内側から用心深く開かれたのは、雨足がかなり弱くなってからだった。
こんな天候でなければ、航行する船に乗り上げられるかして、カットグラは沈んでいたことだろう。
「……ハッ!」
ガラリアは、海面の周囲に見える光景に息を呑《の》んだ。
それでも、革兜《かわかぶと》を脱ぐ気になったのは、潮気《しおけ》を含んだ空気が、快かったからだ。
雨も気持ちをさっぱりさせた。
コックピットの空気が汚れている、と感した。
そんなことが、目の前に展開している光景を理解するのに役立ったようだ。
『地上世界だ』
そうして、この光景を呑みこもうとした。
しかし、膨大《ぼうだい》な光の量は、彼女の理解のレベルを超《こ》えていた。
ことに、左の空港の光のかたまりの凄《すご》さに、これがうわさに聞く天国か地上世界か、と思った。
そう思った時、ガラリアは、ここは地上世界だとはっきり断定できたが、それでも、理解したというのとは違う。
「ジョクとの戦いの中で、オーラ・パワーが上がるのを感じていた。そのときは、なにもわからなかったんだが……宇宙を見たような気もしたな……あれがオーラ・ロードだとすると、ここは地上世界そのもののはずだ……」
ガラリアは、ブツブツ独りごちながら、カットグラの胸の装甲の上に立った。
波はおだやかで、当分、機体はしずみそうもなかった。
やや遠くに見える四角な光のかたまりは、巨大な石の建物だろうと見当をつけたものの、右手近くに幾つもの尖塔《せんとう》を持った城の輝きを見つけた時、ガラリアは混乱した。
『ジョクは、ウソをいったのか?』
その城は、アの国の南の国々にあるものと同じ様式に見えた。フットライトに照らし出されたそれは、雨の幕のむこうにどっしりと建っていた。
この、スリップをするきっかけになった戦闘に入る前までは、ガラリア・ニャムヒーはジョクの戦友であり、彼女がひそかに心を寄せていた男性でもあった。ジョクが王の娘を娶《めと》ったために、彼女の思いはかなえられなかったが。
ガラリアは、ジョクがアの国を離反するまでに、彼から地上世界のことは、かなりいろいろと教わっていた。しかし、コモン界にあるような城があるという話は、きいていなかった。
ジョクの立場に立てば、地上世界とバイストン・ウェルのコモン界との違いを説明するためには、概論に終始せざるをえず、ヨーロッパ旅行の話までしているよゆうはなかった。
もちろん、ジョクは、妻になったアリサには、そんな話もした。
しかし、ガラリアには、東京の遊園地に、中世ヨーロッパの城郭《じょうかく》をモデルにした建物があるなどということは話していない。
ガラリアが目にしている城は、アリス・ランドのシンボルになっているアリス・キャッスルである。
ディズニーランドの成功に、二匹目のドジョウを狙《ねら》った新規の遊園地で、これも結構成功しているのである。
しかし、そんなことなどは、ガラリア・ニャムヒーには、知る由《よし》もない。
「……地上世界だよな?」
ガラリアは、アリス・キャッスルの強力な電気の照明に、やはりここは地上世界だろうと見当をつけた。
そうでなければ、この眼前に拡《ひろ》がる光の枡目《ますめ》の量の説明がつかないのだ。
「この都市の王が住んでいるのか?」
だが、フットライトに照らし出される城は、ひどく無防備に見えた。
人の気配が感じられないのだ。
「……芝居の背景に使われている絵のようだな」
城の規模としては大きいのだが、城の裾《すそ》に見える外壁は、城壁としては貧弱だったし、手前の海に接する部分に浮ぶ数隻の船との距離を考えると、城壁の体《てい》を成しているとは思えなかった。
「この海は、潮気が、薄いな……」
ガラリアは、ようやく足下の海水が気になった。
なにか妙な臭《にお》いもする。
すっきりとした潮気というものではない。
『ジョクは、地上世界は、いろいろな化学物質で汚染されているといっていたが、このことかな……』
ガラリアは、コックピットのズブ濡《ぬ》れになったシートに座ると、やはり生理的に納得できない自分にとまどい、考えこんでしまった。
「……どうも事情がよくわからんな」
バーン・バニングスはどうなったのか?
それも気になった。
コンソール・パネルのオーラ・バッテリーが、満杯になっているサインを確認すると、ガラリアは、エンジンの始動を試みた。
エンジンがかかった。
ゴヴッ!
カットグラの下部から飛沫《しぶき》が上がって、機体が押しあげられるようになって、揺れた。
「エンジンは、壊れていない!」
ガラリアは、うれしさに思わず叫んだ。
「よし、よし。可愛《かわい》いマシーンだこと! 地上世界では、オーラ・マシーンは、動かないかもしれないとジョクはいっていたが、ウソじゃないか!」
ガラリアの頭には、ここが、地上世界でなければ、バイストン・ウェルの中のどこか違う次元かも知れないという考えも浮んでいた。
「インテランは、光のあふれるところだというぞ。夜でも、あれだけの光となれば、ここがインテランということも考えられる」
ガラリアは、カットグラの姿勢をゆっくりと縦《たて》にしながら、水面に、腰から上を立てるようにして、背中のエンジン・ポットを上げた。
白い飛沫が、大きく四方にひろがったが、ガラリアは、気にしなかった。
まだ、人影を見ていないせいであろう。
ドブーッン!
ガラリアが、敵はいるわけがないと思いこんだのは、どういうわけであろうか。
ガラリア自身も、その理由を自覚していない。
あまりにも信じられない景色を見たせいで、そんなことは忘れてしまったというのも妙なことである。
確かに、バーンの名前は思い出したし、ジョクのことも思わないでもなかった。その意味では、人の気配を感じとろうという努力はしたし、周囲を警戒もした。
現在、ガラリアがいるのは、東京湾の陸に近い場所である。つまり、人の厚いオーラの波及《はきゅう》するエリアにいるのだ。
その場所。東京。
地上世界でも、特異なほど安全で、抗争事件がほとんどない都市。
人種が単一だからではない。
周囲を海に囲まれた列島の首都で、その地政学的な位置のために、他国からの侵略をこの五十年ちかく受けていない土地。
人の意識が、おだやかなのである。
もちろん、例外的に過激な側面がないではないが、総体としては、東京の人の意識は怠惰《たいだ》に近いものであった。
平和のなせる業《わざ》である。
その『気』に感化されたのであろう。
ガラリアは、戦闘中に持たなければならない配慮を忘れて、カットグラを浮上させようとしたのだった。
ガラリア機の爪先《つまさき》が、水面に白い尾をひいて、アリス・ランドの城の方にむかった。
ドウッ!
また、思い出したように滝のような豪雨が落ちた。
城の手前のボートを、ガラリア機は飛びこえた。
前方には、人の気配《けはい》はなかった。
桟橋《さんばし》から、城の手前の塀を飛びこえた。前方に、雨に濡《ぬ》れた広場があるのが見えた。
ガラリアには、その広場自体が不思議な光景に見えた。
地面にしてはあまりに平らすぎるのだ。
何か、魔法でもかけたような地面に、ガラリアはカットグラを着陸させるのをためらって、一瞬ホバリングするようにした。
広場が、ぬめっとした肌触りに見えたが、柔らかくはなさそうだった。
が、鳥黐《とりもち》のように見えないでもない。
アスファルトの黒く濡れた質感は、知らない者が見れば、そう見える。手に触れてみるまでは、どういう材質の物か、想像はつかないだろう。
「…………!?」
一瞬の滞空の間に、左右を観察して、ガラリアはますます混乱しそうになったので、右手に仰《あお》ぎみる城の方にカットグラをすべらせていった。
「…………!」
ガラリアの感覚では、下からの光を浴びた城が、どう考えてもウソっぼかったから、陽動を掛けたつもりだった。
アの国以上にオーラバトラーを擁《よう》する国などないはずである。
それは別にしても、通常ならば、兵の反応があるはずなのだ。
それがないから、最後の陽動といおうか、仕掛けたつもりだった。
が、あいかわらず、城からの反応はなかった。
ただ輝いているだけだ。
「ますます妙だ」
ガラリアは、カットグラを城の裾《すそ》にあたる土塁《どるい》の斜面近くに接地させてみた。アスファルトの得体《えたい》の知れないところよりは、安心に見えたのだ。
「…………!」
ズリグッ!
カットグラの爪《つめ》が、土塁に食いこんで、その斜面がザクザクと切れていった。
ガラリアは、それを直接見たわけではないが、足に伝わる感触が妙だと感じた。
機体が倒れるのではないかと思いながらも、城の方に注意を集中させた。
しかし、城壁上に人の動きはまったくなかった。
カットグラの上体を前屈《まえかが》みにして、ハッチを開いた。
「…………?」
小銃を抱いて、カットグラの足下を見下ろした。
土塁が、縦に裂《さ》けているように見えた。
わからない話だった。
左足は、あの得体の知れないツルツルに見える地面の上にガッチリと立っていた。
ハッチ越しに城の反対を見た。
幾つかの見知ったような建物が並んでいた。石造りの二、三階建ての建物である。が、何かわからない機械もあった。
遊園地においてある道具に似ていると思った。
それらの機械の上や先には、色とりどりの椅子《いす》みたいなものがあったり、動物らしいものが描いてあったからだ。
しかし、それにしては、機械は巨大すぎた。
ガラリアのコモン界のレベルでは、信じられない規模である。
移動遊園地用の回転木馬などは、牛か馬で動くものである。なかには蒸気機関で動かすものもあったが、そんなものは、アの国でさえ一台しかないのである。
「…………」
ガラリアは、小銃を肩にし、ロープを伝って下に降り立った。
そして、土塁に見えたものが、自分の知らない別の材質であるのを知って、愕然《がくぜん》とした。
見かけは土だが、手で触れてみると、それは柔らかく軽いものだったのである。
「紙ではないようだが……?」
叩《たた》いてみた。土塁に見えるものなのに、空洞《くうどう》のある音がした。
「なんだ?」
雨に濡れているのに、シワシワにもならないし、溶けるようすも見えない。材質は、ガラリアは知らなかった。
「…………」
アスファルトにも触れてみた。それは、積み石の接着に使ったりするものが乾いたもの、と理解した。
「…………?」
ガラリアは、小銃を脇《わき》に抱えると、アスファルトの広場にすすんだ。
「遊園地そのものに見えるが……」
それでも、幾つかの機械が、ガラリアのその思いつきを否定した。
城の前にまわった。柵《さく》があった。
まるで、光の殿堂に見えたが、空疎《くうそ》な印象は、拭《ぬぐ》いがたかった。
「…………」
ガラリアは、呆然《ぼうぜん》としていたが、突き放されるような感じに襲われて、初めて緊張に身を震わせた。
『そうか……これはまやかしだ。それも、凄《すご》い規模のまやかしだ……!』
そうわかった。
緊張が、ガラリアを戦士に戻したのかも知れなかった。
見張りが来ると感じた。
広場の反対側の建物の間に、人の持つ光が動いたように見えた。
ガラリアは、城の入口の柵を乗り越えて、正門の脇の窪《くぼ》みに身を寄せた。
そこは闇《やみ》になっていた。
案の定、透明に見える輝くようなコートを頭からかぶった二人の男が、懐中電灯を手にして、石造りに見える建物のかげから接近してきた。
「…………?」
そのレインコートの輝きも、ガラリアには不思議なものだった。
キンと頭の中に響くような刺激があった。
「…………!?」
ジョクと会話する時に感じるものだ。
二人の人のとぎれとぎれの言葉が頭に飛びこんで、そして、次第にその意味がはっきりとしてきた。
「…………」
ガラリアは、小銃の安全弁を外して、前にささえた。
彼等の腰には、なにか武器らしいものが下げられているように見えたが、四角く見えるものがなにかは、彼女には見当がつかなかった。
「……なんだよ? これ?」
「ああ? いつから置いてあるんだ? こんなの申し送りになかったぞ」
二人の男の声がきこえたような気がした。
「……ロボット・ショーの話だって、なぁ、きいていないよな?」
二人は、ガラリアのカットグラの方に懐中電灯の光をむけながら、近づいてくるようだった。
しかし、彼等に警戒心が感じられないことに、ガラリアは、奇妙な違和感を抱いた。
「…………?」
ガラリアは、身を隠していた陰から、からだをまわすようにして、カットグラの足下に立ち止まった二人の背中をのぞいた。
「よくできているじゃないか? 凄《すご》いなぁ。これが動いたらさ」
「本物って、こういう感じかな。凄みがあるものな」
「ああ……羽根があるってのが変だけどな」
やはり、二人の背中からはなんの警戒心も感じられなかった。
まるで子供だ、とガラリアには思えた。
ガラリアは、頭に響く二人の男の言葉の意味がちがうのではないか、と思った。
「おい、コックピットが開いているぜ?」
「放《ほう》っておけよ。倒れでもしたら、こっちの責任になるぜ。触らない方がいいよ」
「ああ……! こんなところ壊している」
一人の男の懐中電灯が、カットグラの爪がえぐったプラスチック製の土塁を照らし出したが、それもそのままにして、二人はガラリアの方をむいた。
ガラリアは身をひいて、もう一度、物陰に隠れた。
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もうひとり地上世界に現れたバイストン・ウェルのコモン人、さらにいえぱ、アの国の騎士バーン・バニングスは、ガラリアほどに混乱しないですんだ。
彼のオーラバトラーは、アの国でもっとも最新最強のガベットゲンガーである。
その機体は、山林の中に現れた。コックピットで気がついたバーンは、まず、アの国のどこにでもあるような景色を目にして落ちつくことができた。
しかし、植生《しょくせい》のちがいは、一目で見抜いていた。
「きれいすぎるな……人の手がくわえられている林だ……」
かなりの斜面であった。
ガベットゲンガーは、数本の木々に背をもたれかかるようにして、静止していた。
「…………?」
ハッチから乗り出したバーンは、林の中が真暗でないのを、奇妙なものだと感じた。
コモン界の夜の森などは、まず真暗闇《まっくらやみ》なのが当り前である。
そんな森に馴《な》れている目から見れば、東京に近い山林などは、明るく見える。
梢越《こずえご》しに見える空は曇っていたが、林のようすは、今しがたまで激しい雨が降っていたのではないかと思えた。
雫《しずく》が枯葉におちる優しい音があちこちでして、傾斜を流れる水音も近くでしていた。
バーンは、周囲を警戒しながら、懐中電灯をつけてみた。
ガベットゲンガーの足下の木の葉は、きれいになくなっていた。上空から空気が激しく打ったのだろう、とバーンは思った。
「ンッ!」
バーンは、コックピットから地面に飛び降りた。
地面の感触は、どこでも同じだと実感した。
「……本当に地上世界か? 南の地方の林も、こうだったと思うが……」
バーンは、夜目《よめ》がきく明るさに、懐中電灯を腰のベルトにはさむと、コックピットから垂《た》らした小銃を手にして、斜面を下っていった。
耳馴れない、何かが走る物音に、思わず身を低くした。
足下を閃光《せんこう》が移動するのが見えた。
「なんだ……?」
その光は、かなり強力なもので、ひとつからふたつになって見えた。
「…………?」
林の木々のむこう、数十メートルという距離だ。
普通のワンボックス・カーなのだが、バーンには、得体《えたい》の知れない生き物に感じられた。
が、バーンである。
それが、かなり急なカーブを曲って、足下の道路を走り抜けて行くのを見て、乗り物とわかった。
「…………!」
バーンは、感動した。
車を追うように斜面を滑って、その勢いで、道路に飛び出してしまった。
そのワンボックス・カーの、赤と黄色のテールランプは、次のカーブをまがりながら、消えていった。
「なんという乗り物だ……」
バーンは、その箱型の車体がひどくなめらかで、鮮やかな色で塗られているのを見逃していない。
そして、ジョクが教えてくれた地上世界の科学技術と、日常の中に浸透している文明の機器について思い出していた。
「…………?」
バーンもまた道路を舗装《ほそう》してあるアスファルトに気がつくと、それに触れてみた。
「まちがいない。ここは、地上世界だ」
バーンは、道路の前後を観察した。山林しか見えないと思えた場所だが、表面がなめらかに見える道路の下方に、光があった。
「……人家が近いか……」
バーンは、あらためて自分の革鎧《かわよろい》の姿を思って、どうしたものか迷った。
彼は、ジョクがアの国に現れた時に、地上世界の衣裳《いしょう》を見ていたので、あのようなものでないと怪しまれるであろうと思ったが、良い手立ては思いつかなかった。
「……偵察の必要はあるがな」
バーンは、周辺に不穏な動きがないか確かめて見たが、何の気配も感じなかったので、もう一度山林の斜面を這《は》い上がっていった。
下から、懐中電灯を照らして見ても、ガベットゲンガーの姿は、見通すことができなかった。
「上からはどう見えるか……」
バーンは、こうなるとマメだった。
斜面の最高部にまで這い上がってみて、そのむこうにも山林が続いているのを確かめた。
が、同時に、妙なものに気づいた。
左手の、山がながれ落ちている方向の空が、明るいのだ。
雲に、下から光があたっているように見えた、たとえば、山火事で雲が照らし出されているような見え方なのだが、光が赤くなく白っぽいのが、バーンには、想像がつきかねるのだ。
「まさか、街の光が強くて、あのようにうつるのか?」
どう考えても、その光り具合は、不気味であった。
「妖怪《ようかい》変化《へんげ》の現れる前兆でもあるまいが……」
独《ひと》り言《ごと》をいいながら、平穏に感じられる山の空気に、バーンは、危険はないと判断した。
バーンはガベットゲンガーのあたりを見下ろして、そこからも機体は見通すことができないのを確認すると、バーンは斜面を滑り降りてガベットゲンガーのところに戻った。
革兜《かわかぶと》と革鎧を脱ぎ、コックピットにしまいこむ。
「オーラ・バッテリーの充圧《じゅうあつ》も順調のようだ」
バーンは、そのことをジョクやガラリアのように不思議には感じなかった。
オーラ・バッテリーは、地上でも作動するだろうことは、このマシーンの開発者であるショット・ウェポンやトレン・アスベアからきいていたからである。
小銃を、肩にした。
これだけはどうしても、残して行く気にはならなかった。
車を威《おど》し取ることも考えたが、事情がわからない間は、大きく動くことはできないと思う。
道路に降りて、もう一度自分の姿を眺めまわした。
シャツに細身のパンツ。シャツの胸には刺繍《ししゅう》が縫いこんであって、革鎧の下に着る物としては、多少ファッショナブルであった。
それに、いつも物容《ものい》れに使っているやや丈《たけ》の長いベストと、パイロット・シューズである半長靴《はんちょうか》である。
庶民《しょみん》的すぎて、中途半端な恰好《かっこう》は、バーンの癇《かん》に障《さわ》るものだが、戦場の延長線である。我慢することにした。
それにジョクの話からすると、地上世界の人びとの衣裳は、アの国の騎士のものにくらべるときわめてシンプルであるという。
それを考慮すれば、この方がいいのだろう、と自分にいいきかせた。
「…………」
また上ってくる車の音に、バーンは、木のかげに身をよせて、その車をやりすごした。
しかし、車のヘッドライトには、まだ身がすくんだ。
今度は、普通の乗用車で、バーンの目には、前の車よりは精桿《せいかん》なものに見えた。
「凄《すご》いものだが、あんなものに庶民が日常で乗っているというのが、なんとも納得いかんが……」
バーンは、木のかげから這い出るようにして、車がきた方向に歩いていった。
疲れはなかった。
急なカーブをふたつまがる間に、カーブに設置されているガードレールの造りにも、バーンはまた感心したりした。
車がぶつかった跡などがあるものの、バーンの目には、道路のわきに設置しておくには、もったいないようなきれいな造りにうつった。
「これが地上世界の文物《ぶんぶつ》か……」
そういう感慨である。
そのていどのもので、バーンは、地上世界の技術力が、想像していた以上であるのに打ちのめされそうになっていた。
そうであろう。
想像するといっても、想像するベースになるものを持っていなければ、想像は、ひどく現実からかけ離れたものになる。
だから、バーンの場合、地上世界の現実が、あらゆる意味で想像を絶するものになるのは、当然のことであった。
「…………」
道路の下に人家があった。
当然、彼の目には、奇妙な様式に見えたが、バーンは、もう奇妙という言葉で、印象をひっくくるのはやめることにした。
「……こういうものか……」
バーンは、ガードレールに片足を乗せて、その景色に見入って、人家の建ちざまを観察した。
ペラッペラの屋根。定規《じょうぎ》で引いたような四角な窓。
窓のフレームが光り、光のこぼれているそこは、驚くほど明るい。
電気と想像がつくその光は、白っぼく非人間的な印象だったが、見慣れれば、豪華なものだと思えないでもなかった。
煙突とか煙がないのは、夜が遅いからであろうか?
そう思った瞬間に、バーンは、ジョクが、地上世界では薪《まき》や炭《すみ》を使うようなことはなくなっている、といったことを思い出していた。
「……しかし……。地上世界には、百をこえる異なった国があるともいっていた。ということは、ここはどこなのだ?」
口の中で眩《つぶや》いてみたが、バーンはその考えをすぐに打ち消した。
「もしオーラ・ロードに乗ったのならば、同じような場所に出る。ショット様もそうだったし、ジョクたちや、トレンにマーベルたちも、みんなアの国のラース・ワウだった。ということは、アの国には、地上人《ちじょうびと》を呼ぶ力があったということだ。その逆だとすれば、ここはジョクの国だ。彼の生まれ故郷の近くだ……ジョクが戻れる地上世界、戻るいわれのある場所は、そこしかない……ジョクがバイストン・ウェルに飛びこんだときにいた地上世界は、ショット様の国、アメリカだといっていたが、そっちにもどる可能性は低い……」
どちらにしても、地上世界ならば、不案内なのは、同じなのだ。
「しかし、この景色は、ジョクが話していた彼の故郷の景色とは違うな……」
バーンは、そう思い、再び歩き出した。
今、見つめていた人家の方に行くつもりになっていた。
『フン……! ジョクが敵に寝返っていなければ、協調して、この難局を脱出するものを……』
だが、バーンにとっては難局であっても、ジョクにとっては、望むべきことなのかも知れない。
『となれば、奴《やつ》はどうする? このまま地上世界から動かんか?』
その思いつきは、バーンの生理を刺激した。
ジョクは、ますますバーンから離れて、このまま永久に会えない存在になるかも知れないと思った。
それはそれで良いとはいい切れないものを、バーンは感じた。
「……ショット様がいっていた。オーラバトラーは、地上世界でも使える可能性があると……オーラバトラーは、地上世界にはない兵器である。使えるならば、地上人は、このマシーンを欲しがると……それが真実ならば、ジョクが、このマシーンを地上人に売ることも考えられるというわけだ」
そうなったらどうするか?
バーンは、その可能性を考えようとしたが、もっと他にオーラバトラーの課題があることも承知していた。
「もしここが地上世界ならば、オーラバトラーに不足している電気関係の武装を整えることもできるはずだ。ことに、テレビと無線とレーダー。それに、コン……そうコンピューター関係の資材を調達することも重要である」
それは、バーンがショットから愚痴《ぐち》として常々きかされていたことだった。
バーンの思考は、そこでとぎれた。
車のヘッドライトが、バーンを照射したのだ。
が、彼は逃げようがなかった。
人家の見える方は、崖《かけ》になっていて、反対側は石垣《いしがき》だったからだ。
それに、光に捕えられてから逃げたのでは、かえって怪しまれるとも思った。
「ウッ……!?」
バーンは、肘《ひじ》を上げて顔を隠したが、光はかまわずに迫ってきた。バーンは小銃を構えようとした。
しかし、次の変事に、バーンは、なんとか小銃を構えるのをこらえることができた。
バーンの意識の中に、フッン! とおだやかながら、疑問を感じさせる他者の意識が飛びこんできたからだ。
『なんだぁ……!?』
そういう疑問符が、バーンの頭をつらぬいたのである。そのおだやかな意識に、バーンは、銃を肩からすべり落すことをやめた。
「……外人さんかよ?」
意味は理解できた。
強力な光が、無遠慮にバーンのわきにとまった。
「道に迷っているのかね?」
その音声をバーンは背中で受けた。
しかし、言葉はわからない。ただ、頭に飛びこんで来る意識が、バーンに理解を強要するのだ。
「…………?」
バーンは、逆光の中、男の顔がひどく近くにあったので、上体をそらせるようにした。
「どこから来たんだ? こんなところじゃ、猟はできねぇのによ、どこから来たんだい? どこに行くんだい?」
「……アの国……」
いってみた。
「アイルランドぉ? そりゃ難儀《なんぎ》だろう。雨にあったのかい?」
「いいんだ。自分で行くから……」
そういいながら、バーンは、道の下の方を指さして笑ってみせた。うまく笑えなかったのは承知している。
「ああ、行く先はあるんかい? ならいいんだな?」
「ああ……!」
バーンは、大きく頷《うなず》いて見せた。
「気をつけてな」
「ありがとうございます」
バーンは、アの国の言葉でそういった。そして、意識を言葉通りになぞる努力をした。
「ああ、外人さんも!」
バーンは、その男の朴訥《ぼくとつ》な感じがわかった。
『衣裳《いしょう》のことは、不思議がられなかった……!』
バーンはそれで安心し、自分が彼等にとって、外人であるという概念も了解した。
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遭難者に、食料と情報が必要なのは、どのような場合でも当然である。
バーン・バニングスは人家に向って歩を進めた。
バーンは、彼の感覚からすれば、夜中に動く人は警戒されるべきはずなのに、車から声をかけてくれた男は、なんら疑問を持たなかったようだ、と知って考え込んでいた。
『電気が一般に普及してくれば、人は、夜でも動くようになるのであろう』
バーンは近づく人家の明りを見つめながら、推察した。
良い推察である。ジョクからきいたこの世界の話が、知識になっているのである。
左右に人家が立つ道筋に出た。
雨上りの風がさわやかで、秋を感じさせた。
「…………」
近くで人の声がしたが、それは、ひどく硬質で、先程まで頭の中に感じていたものとは違っていた。
意味が判然としない声音《こわね》としてきこえるのだった。
しかし、人の声であることはまちがいない。笑い声もきこえた。
「…………?」
その、頭に響くものが少ない人の声を不思議に感じながら、バーンは、人家が面した道路をすすんでいった。
そして、またも呆《あき》れた。
道路に面した戸が開けはなたれて、部屋の中が見える家があった。
もちろん、道路と部屋の間には、鮮やかなブルーのすだれ状のものがかかっているのだが、中の電気の光──それもひどく白い光──に満ちあふれた部屋がまる見えなのである。
『街道筋に面している家が、これか……!』
バーンは、この無防備なようすに、この山間部が安全な場所であろうと見当をつけたものの、コモン界の街中とか石造りの建物を見慣れた目には、ひどく軽率な光景にうつった。
手前の一室は暗かったが、そのむこうの明るい部屋には、白っぽいものが横たわって、奥の右の方にある箱のようなものの中で、色とりどりに動いているものがあった。
「…………!?」
緊張せざるを得なかった。
白っぽいものは、人の尻《しり》に見えた。
バーンは、その家に関心を持ったが、接触のしようを想像できなかったので、いったん、その家の前を通りすぎた。
やや行くと、また同じように開け放した家があって、そこから、ドッと小さな人影が飛び出してきた。
「もう家になんか入れないからっ!」
鋭い女性の声が家のなかから飛んで、飛び出した人影が、「ワーッ!」とすさまじい声で泣き出した。
子供だ。女の子?
それにしては、その泣き声は、天を呑《の》みこむような激しさだった。
「…………」
シュッ、ビチャン! バタン!
道路に面した引き戸が閉じられて、道路にさしこんでいた光が弱くなった。
「厭《いや》だ! 怖いよー! 入れて! ご免、ご免なさいっ!」
少女はワンワン泣きながら、戸を叩《たた》き始めた。
取りつく隙《すき》がなかった。
バーンは、やむなく道を戻ると、さきほどの開け放たれた家の前に立ちどまった。
丁半《ちょうはん》、どちらか?
バーンは、自分が外国人だと認識されたことに賭《か》けて、声を発した。
「ご免!」
その短い言葉が、この世界の人びとにどうきこえるか、不安がないではなかった。
白っぽいものを身につけた男が、ゴロンとバーンの方にむいた。
その動作から見て、男は、外界に警戒心を持たない人間であることを確認した。つまり、このあたりは、いつも安全で、盗人もいないのであろう。
「あ?」
男は、見慣れない人影が、道路の薄闇《うすやみ》のなかに立っているのに気づいて、慌《あわ》てて上体を起した。
「なんだね?」
男の声は、その挙動ほどに切迫したものにはきこえなかった。
バーンは、安心すると同時に、次のとっかかりを発見できず、ただ黙って立ちつくした。
大体、バーンは、騎士である。日常のことなどは使用人に任せていたので、こういうことが、端《はな》から不得手《ふえて》なのである。
「なんだ? どこの人間だぁ……?」
男は、這《は》いずるようにして近づいてきた。それでも、多少の警戒感を見せたが、バーンから見れば、無防備に近いものであった。
「食べ物を分けてもらえないか?」
バーンは、何かいわなければならないという強迫観念から、多少おどおどした感じで、そういった。
「なんだぁ? 駄目だ。英語はわからねぇ……」
立ち上がった男は、ペラペラの半ズボンとも見えるものと、同じような材質のゾロッとした妙な上っぱりのようなものを着ていた。下着といった感じである。
男は、手を振りながらも、興味丸出しで、薄暗い道路ぎわの部屋までやってきて、ブルーのすだれを上げた。
「食い物といったかな?」
男は、バーンの爪先《つまさき》から頭まで見まわした。
「ああ……」
「フン……。いい銃をもっているなぁ……」
ひどく人なつっこい笑顔を見せて、男は、上りがまちにしゃがみこんだ。
バーンは、男の指が銃をさしたので、肩から銃を下ろしながら、もう一度いった。
「食べ物を分けてもらえないか?」
「なんだい? 日本語、わからないのかい?」
男は、手をのばして銃をみせてくれという仕草をした。バーンは、弾倉から弾丸を抜いて、銃を男に渡した。
尋問に答えるという気分ではない。男の反応を探るつもりなのだ。
バーンは、男が小銃を振りまわしたとしても、体力で制圧する自信があった。
「ライフルかよ?」
男は、ちらっと銃の重さを確かめるようにして、その感触を調べる風をした。
バーンにしてみれば、風体のあがらない男にしか見えないのだが、その物腰からは、それなりに知識を持っているように見えた。
アの国の規範では、識別しがたい存在である。
「いい銃だが、変だねぇ。どこか造りが雑だ」
男の言葉の意味が頭の中に響いた。
バーンは、安心すると同時に、男の言葉が厳しいのに驚いていた。
「そうだろう? 俺たちが使っていた猟銃だって、この銃身よりはいいものだぜ」
男は、バーンの驚きを感知したのだろう。そう答えた。
「そういうものか……。貴公の国の細工は、秀《すぐ》れているのか?」
「そりゃあねぇ。今は、日本のものって、よほどのことがなければ、外国には負けねぇもんな」
バーンは、成程《なるほど》と頷《うなず》きながら、頭のなかに具体的なロジックを組むように意識しながら、
「すまないが、食べ物を分けてもらえないかな?」
と、腹に手を当てていった。
「ああ!? 食い物を捜しているんだったよな……お前さんが、こんなものをもっているから、すっかり忘れちまった」
男は、奥の部屋の光に顔をかざすようにして、「おいっ!」と声をかけた。
意思が通じたという喜びが、バーンをわずかに安心させた。
男が、奥に二度ほど声をかけると、しどけない浴衣姿《ゆかたすがた》の中年の女が出てきた。
「あら。お客さんなの?」
不用意に出てきた女は、あわてて奥に戻って、「いやだよー。ハハハ……」とじゃれるような声を出した。
「どちらさん?」
「名前なんぞきいていねえな……なんてんだ?」
「バーン・バニングスという。アイルランドの者だ」
「フーン、アイルランドの人が、なんでまた?」
「道に迷った。雨がひどかったので……」
「それでこんな時間にこんなところをうろついているのかい? おい、とりあえず腹がふくれるものでいいんだよ」
「お冷やぐらいしかないけど……なんとかするよ」
女は、簡単に同意した。
「車はどこに駐車してあるんだ?」
「……わからない」
それから、バーンは、多少事情を説明するはめになったが、ガベットゲンガーとかオーラ・ロードに乗ったことは意識しないようにして、この山で迷ったという想像だけをたくましく語った。
「フン……訳も分らずに来たのはわかったが、無茶だねぇ」
さっきの女が、盆を手にして入ってきた。
「食べられるかね? こんなもの」
バーンには、初めて見るにぎり飯である。タクアンと温め直した味噌汁《みそしる》が、添えられていた。
「どうやって食するのだ?」
バーンは、道路に面した部屋のすみに腰掛けさせてもらって、その食物らしいものを見つめた。
「手で掴《つか》んで食べて下さいな、これで手を拭《ふ》いて……」
中年のかみさんは、湯上りの艶《つや》めいた上体をもむようにして、盆に乗せてあった手拭き用のタオルを差し出した。
バーンは、それに触れて見て、その氷のような冷たさに思わず手をひっ込めた。
「ご免なさい。冷えすぎですか?」
中年の女は、タオルを両手で拡《ひろ》げて、風にさらすようにして、
「冷蔵庫に入れておいたから……もう、夏じゃないんですものねぇ」
「いや、使わせてもらいます」
バーンは好奇心の強い青年である。その冷たいタオルを受け取ると、それで手を拭くという行為に挑戦してみた。
使ってみれば、手はさっぱりとして、快かった。
なにか、ひどく得をしたような気分になった。
ふたりのやり取りを見ていた男は、ニヤニヤしながら立ち上がると、奥の部屋の方に行った。
「……これを手で?」
バーンは、海苔《のり》につつまれた握り飯を手にとった。
奇怪な感触であるが、女の屈託のないまなざしを見ると、食べられない物を提供しているとは思えず、その生暖かくて、堅くも柔らかくもない固形物を口にした。
バーンのいた世界には、手で物を食べる習慣はふつうだったし、宮中でも人びとは、結構そうして食べていたので、抵抗はなかった。
「…………」
浴衣の女は、そんなバーンの一挙手一投足を微笑をたたえて見つめていたが、かたわらにあった団扇《うちわ》を手にすると、バーンに風を送り出した。
バーンは、米粒が口の中でこびりつくような感触に閉口したが、そんな気持ちが伝わることを恐れて、食事を提供してくれたことに感謝する気持ちだけを脳裏にうかべるように努めた。
何度か噛《か》みくだしていくうちに、まずいものではないと思うようになった。
「きれいなおぐしですねえ」
女は、自分の提供したものを食べてくれる異郷の男の態度に満足して、バーンの総髪をほめた。
「…………!」
バーンは、なん口めかのものを口にしながら、頷いてみせた。
頭のどこかに、なにか不協和音を感じたが、腹に落ちつく食べ物に、気分が和らいでいたのであろう。
その感覚を忘れた。
そして、スープを口にした方がもっと咀囑《そしゃく》しやすいだろうと思って、味噌汁の椀《わん》に手をのばしたところで、なんとはなしに感じた不協和音のことは、本当に忘れてしまった。
味噌汁を口にした。
「あっ!」味噌の生臭さに、思わず飲みこむのを迷ったが、吐き出すような不作法なことはしなかった。
「あら。お口にあわなかった!?」
「あ、いや……いや……」
バーンは、むせるのをこらえながら、口にした味噛汁を飲みくだして、息をついた。
「どうしたんだ?」
「味噌汁が駄目みたいで……」
茶色の液体が入ったコップを持って、男が戻ってきた。
それは、バーンには、ビールに見えた。
「ああ、そうかも知れねぇな。外人は、好き嫌いがはっきり出るもんだ」
男は、バーンの前に座りこんで、コップのものを口にした。
「お茶の方がいいのかしら?」
「水の方がいいんじゃないか。これでもいいだろ?」
「麦茶? そうだね……待っていて下さいな」
女は、腰軽に立ち上がると、奥に消えていった。
「いや、こちらこそ無礼をした。初めて口にするもので、驚いたが、いや、飲めます」
バーンの言葉は、言葉通りに伝わったようだ。
「そうかい。はじめてですか……いつ日本にきなすった」
「さきほどいったと思うが?」
「そうだったかな……」
男は、あくまでも愛想良く、田舎者《いなかもの》の実直そうな表情を崩さず、盆の上を見て、
「タクアンは、ピクルスみたいなものだがね、これも外人さんには、臭いかも知れねぇな」
「これですか?」
バーンは、タクアンに手をのばして、臭いをかいでから小さく一口噛んでみて、
「これは、好きになれそうです」
「そうかい。それは良かった」
ようやくひとつ目の握り飯を食べ終ると、バーンは、ふたつ目に手をのばした。
食べ馴《な》れていれば、これはこれで、戦闘食として腹こなれの良いものという感じがしてきた。
よゆうが出てくると、奥の部屋のあの箱が気になった。
「あれは?」
きいてしまうと同時に、一般的に普及しているテレビというものがあるというジョクの話を思い出して、まずい質問をしたと思った。
男は、バーンの困惑した意識をキャッチしていた。
「無理して食べて、困ってるんだろう?」
「いや、そうではない。どうも、この国のものには、いろいろ馴れなくてな」
バーンは意識を冷静に保つように努力しながら、言葉を出した。
「そりゃ、習慣が違うというのは、いろいろあるよな……」
男は、麦茶を口にしてテレビの方を見やって、
「くだらねぇ、しゃべくり番組っていうのに、どうも馴染《なじ》めなくってよ。テレビに映っている奴等《やつら》が、かってにおもしろがっているのが、どうもねぇ……」
「ホウ……」
パーンは、単純に感嘆詞を口にして、その場をとりつくろった。
チラチラと人が見事な鮮やかさで映し出されているのが、バーンの好奇心を刺激したが、すでに、必要以上の興味を示すことは危険だとわかっていた。
「よほど、興味があるんですね? そんなに違うんですか? お国のテレビと」
女が、麦茶のコップを手にして戻ると、それをバーンの前に差し出した。
「は、ハア……」
「これは素直な飲み物ですよ。お握りにもあいます」
「ありがとうございます」
バーンは、左手でコップを手にして、飲み物を口にふくんでみた。女のいう通りだった。
「アイルランドのことは知らねぇけどよ、東京ぐらいだぜ、夜中になっても、こんなにいろんなチャンネルで放送をやっているのは」
男が、女に言った。
「アメリカはもっと凄《すご》いっていうじゃない?」
「なにいってんだよ。それは、町場だけの話だよ。俺《おれ》の行った外国では、そうじゃねぇんだよ」
「オーストラリアとか東南アジアだけのくせにさ。それも農協とライオンズ・クラブでしょ?」
バーンは、夫婦の会話に登場する固有名詞を意識の中から必死になってピックアップした。
トーキョーとアメリカの発音だけは、ジョクとショットから何度もきいていた地名で、捕えることができた。
『そうか……トーキョーか……』
ジョクの話とはだいぶ違う場所だが、と思いながら、バーンは、麦茶とともにふたつ目の握り飯を食べ終った。
「…………?」
バーンは、道路の方を見やった。
車ほどではないが、ひとつの光を輝かせた乗り物が、坂を下って来た。
車輪がひとつにしか見えず、その上に男が跨《またが》っているようだった。
「…………?」
バーンの前に座りこんでいた男も腰を浮かして、道路を覗《のぞ》きこんだ。
「誰?」
「駐在を呼んだんだ」
男がいった。
「なんで?」
「変な外人だろ? おれの手には負えねぇよ」
バーンは、その会話に怪しいものを感じたが、タクアンを音をたてて噛みながら、その不思議な乗り物が接近するのを待ってしまった。
好奇心が、かすかに感じる危険を無視させたのである。
実際、その乗り物が接近してくる気配は、おだやかで、決して、警戒を要するものではなかった。
「なんだい? その男かい?」
乗り物の方から声が飛んだ。
バーンは自分の迂闊《うかつ》さに気づいて、すっと立ち上がったが、小銃は、道路に面した部屋の敷物の上に置いたままだった。
乗り物が停《と》まって、ライトが消えた。
二輪の乗り物から降りた男は、かなりきちんとした恰好《かっこう》をしていた。
ブルーのスベスベするすだれを上げて、大きな帽子をかぶった脂ぎった若い男の顔が、バーンを見上げた。
「ドゥーユースピークイングリッシュ?」
「イングリッシュ?」
バーンはおうむ返しにきいた。
「……駄目なの? 英語?」
その若い男の意思はわかった。
「すまない。この国の言葉は、しゃべれないのだ」
バーンは、意識を整理するように努めた。
「え……? わかっているようだけど、違うようだな? なんだい?」
「変だろう? 俺たちがしゃべくっている言葉はわからねぇようなんだが、いってることは通じるんだよな」
この家の男が四つん這《ば》いのままいった。
「ね、パスポートは? それと、猟銃の携帯許可証」
バーンは、その時になってはじめて、自分の立場を理解した。この若い男は、この家に住む者とはまったく違う種類の男だということも理解できた。
「持っていない」
バーンは、その言葉の意味もイメージした。
「持っていない? なんでだよ? 国籍はどこなの?」
「アイルランドだっていっていた」
この家の男が口添えをした。
「冗談じゃないよ。だったら、英語だろ? ドゥーユースピークイングリッシュ? ドンチューじゃないの?」
「貴国の言葉は理解できない」
バーンは、正確に意識したつもりだった。
「そうだけど……けどさ……これ!? これさ、テレパシーなの?」
若い男は、バーンと自分を交互に指差して、きいてきた。
「そういうものらしい。この世界がオーラ力でささえられているのならば、お互いの意識を通じることができるはずだ」
「わからんことをいうなよ。身分を証明するものは?」
若い男は、手を差し出した。
「認識票がある」
バーンは、銃の方に身をよせながら、シャツの襟元《えりもと》を開いて、鎖につけられた身分表示のプレートを取り出した。
そして、それを外す時に、金《きん》の鎖もいっしょに外して、認識票の方は若い男に、金の鎖はこの家の女主人の方に差し出した。
「なんです?」
「食事の礼であります。自分は乞食《こじき》ではない」
「だって、これ金でしょ? 十八金かな。こんな高いものはもらえないよ」
女は、貴金属の識別がつくようだった。
「……これはどこの文字だよ? まるっきり読めない」
若い男は、銅のプレートをこの家の主人に示して、バーンのようすをうかがようにした。
「読めんか……」
今度は、バーンが呻《うめ》く番だった。
「もしアイルランドだったら、英語でしょ? 俺たちアルファベットぐらいは読めるぜ」
「ちょっと待って……あんた。今さ、軍のなんとかっていったでしょ? これのこと?」
家の主人がきいてきた。
「そうだ。そう説明した。騎士、いや軍人たるものがいつも身につけているものである。わかるか?」
「あの馬に乗る騎士か? 騎兵部隊って……そんなのありかい?」
これは若い男の方だった。
「あるよ。つい最近までアメリカ軍にだって、騎兵隊はあったんだぜ。馬にのっていた時代のことが忘れられずに、そういっていたんだ。アイルランドにだって騎兵部隊はあるかも知れねぇな」
「そうかい? アナクロだな。でもよ、これは違うな。字がアルファベットじゃない」
若い男は、あくまでも、警戒心を解かなかった。
「土地の文字だってこともあるよ?」
家の主人の方である。
「そちらのいうことがよくわからないが、これが私の名前だ。バーン・バニングス」
バーンは、認識票に刻印《こくいん》された文字を示した。
「バーン・バニングスか?」
若い男の発音は、正確だった。
「そうだ。これが、わたしの所属のオーラバトラー部隊の所属番号」
オーラバトラーは、もともとアメリカ人のショットが命名した名称である。その発音も若い男は、繰り返すことができた。
「パスポートは持っていないね?」
「持っていない」
「外人は、あれを持ってないとまずいんだよ。わかっている?」
「鑑札《かんさつ》だというな? しかし、軍人ならば、これで代用できるはずだ」
バーンは、面倒なことになりそうだと感じたが、小銃を手にすることは差し控えた。
なぜならば、目の前にいる若い男も、強権を発動するような男に見えなかったし、もし彼が、軍警察のような組織のものならば、それはそれで良いのではないか、とも思えたからだ。
つまり、バーンは、このような皮膚感覚を持った人びとからなら、情報を手に入れられる可能性があるのではないかと思いついたのである。
地上世界のなかでも、日本は、長い間、戦争のなかった国だという。
ということは、彼等は、コモン界の人びとよりも温和で、付け込む隙《すき》があるのではないか、と直感したのだ。
もちろん、これは、思考してのことではないから、若い男にも家の主人にも感知されることはなかった。
それに、バーンは、少なくとも体術については、彼等よりははるかに自分に利があると感じていたから、最悪、いつでもこの人びとから脱出できると踏んだのである。
「どこに泊っているんだ?」
「宿泊場所はない。ここに到着したばかりだからだ」
「わからねぇな……どうも。ね、駐在所にきてくれる? 署の方からもうすこし話のわかる奴《やつ》を連れてきて、調べさせたいんだ」
「署とは何か?」
「警察。ポリス! わかる?」
「警察……? 警察機構があるという話はきいたことがあるが……ああ、知っているぞ。ショット様から教授されたことがある」
「そうか。理解しているようだが、どこか妙だな……。ね、署にきてくれるな?」
「いいが、どこだ?」
「ちょっと行ったところだ。工藤《くどう》さんよ。この人を車で駐在まで乗せてってくれないかな」
「あ? ああ……そうだな」
主人は立ちあがった。
「あの、これちょっと……」
女主人はバーンにネックレスを押し返そうとしたが、バーンは、小銃を手にしながら、
「いや、見ず知らずの者に親切にして下さったから……それは受け取っておいて下さい」
女に微笑を見せていった。
「そんな……」
「え? 本当に、ライフルを持っているの? 工藤さん」
若い男は、バーンが小銃を肩にしたので、思わずタジタジと退りながら悲鳴を上げた。
「いったろう? 猟銃持っているって……」
そういうと主人は、奥の部屋に消えてしまった。
「弾丸入っているの?」
「いや、空だ」
バーンは、弾倉を開いて見せてから、その若い男の腰の拳銃《けんじゅう》ケースに目をとめた。
「……それは?」
「あ? ああ、日本の警察官は、拳銃を持っているのよ」
「拳銃といったか? ケンジュウ……?」
「…………!?」
バーンが腰の革ケースに興味を持ったので、警官は、慌《あわ》ててバイクの方に行ってしまった。
「じゃ、後で何か差し入れしますよ。何か不自由なものありません?」
そういってくれる女に振りむいて、
「不自由……?」
「ホラ、欲しいものですよ」
「ああ、それは一杯あるが、そのネックレスで買えるものはないか?」
「え? なんです?」
「テレビ」
バーンはいってしまった。
「ああ……!? 日本のテレビねぇ……。これではちょっと足らないわねぇ……」
女は、バーンのかなり太い金のネックレスを目の前にささげて、うなっていた。
「いや、お上様。物の価値を知らない者がいうことです。お忘れ下さい」
バーンは、深く頭を下げると、警官がバイクのキック・スターターをかけるのを観察した。
「……そういうものか……」
バッバッバッという五十CCの可愛《かわい》いエンジンの音にも、バーンは、感嘆した。バイクの脇《わき》にしゃがみこんで、エンジンをじっと見つめた。
「……? ねぇ……あんた、バイク見るの初めてなの?」
警官は、さすがに、バーンの挙動を疑わぎるを得なくなったようだ。
バーンの人相は、北欧人に似ている。とんでもない田舎から出てきたという風には見えない。
着ているものも変ってはいるが、アンティークでファッショナブルで、恰好《かっこう》良く見える。絶対に文化の果てにある土地から出てきたものではない。
物腰から見ても、都会人なのである。
「ああ、精巧《せいこう》なものだな……これが、この世界の科学文明か……?」
バーンは、自分の立場を忘れて感嘆の声を発した。
ここで、バーンは、この世界をよく見学していかなければならない、と決心したのである。
『身分を明すか……』
好奇心から下した結論である。
「おい……あの車でついてきな」
「あ?」
家のわきの道から、白い乗用車が出てきた。バーンには、そのヘッドライトが、強力に見えた。
「どうぞ」
「ああ……」
バーンは、開けてもらった助手席側のドアから、興味|津々《しんしん》と乗りこんだ。
「…………!」
そして、車内の造りがなめらかで美しいので、またも感嘆するのである。
「……本当、あんたどこの人だね?」
運転席の男は、ズボンを履《は》いてきたようだが、上は、家にいたときのままだった。
「アイルランドでは、いけないか?」
「いけなかぁないが、あんたは、ちょっと違うようだねぇ。本当は、どこの国の人?」
「アの国だ」
「ああ……?」
バーンは、黙ってしまった。
本当のことを話すと、面倒になるらしいという感触を得た。
「…………」
前方を行く警官のバイクは、一見心もとなげだが、確実な走行を示していた。
バーンは、あのような脆弱《ぜいじゃく》に見える道具が、確実に人を運搬するということに、驚嘆していた。
[#改ページ]
ガラリアは、アリス・ランドの中央ストリートの明るい道路をさけて、右方の暗闇《くらやみ》を作る建物の方に走っていた。
食べ物の臭いがするのが、なんとはなしにわかったのだ。雨が小降りになったせいである。
救急食糧の乾燥肉とクッキーは手つかずで残っていたが、それはギリギリまで食べるつもりはなかった。
建物の間を抜けると、その背後に青い艶《つや》をみせるバケツ状のものがあった。一見、簡単に開きそうだったが、そうではなかった。
ねじって開ける構造を持っていた。
我々にとっては、当り前になってしまったポリバケツなのだが、ガラリアには違った。
しばらく観察して、ガラリアはバケツの蓋《ふた》を開いてみた。
パン屑《くず》やら肉の屑が入っていた。今日の残り物であろうが、さすがに、それをあさって食べる気はしなかった。
蓋を閉じて、黒いビニールの包みの山にも手を触れてみた。
その薄いビニールでさえガラリアには、想像できない材質であったが、もう、そんなことには驚かないように努めた。
手で触った感じでは、中身は、やはり食べ物の残り物のようだった。
ということは、この建物は、食堂である、とガラリアは判断した。
背後のドアは、鋼鉄より柔らかい金属製のようだったが、頑丈である。
建物の前にまわった。
テラス状のところに上がって、建物の中をのぞいてみた。
ガラス一枚むこうに、食堂の設備が見えたが、そこは小ぎれいで広く、なによりも、スベスベした材質の椅子《いす》とテーブルが整然とならんでいるのが、懐中電灯の光のなかに輝いていた。
整然さの見本のように見えた。
「…………!」
一応、背後を見まわしてから、ガラリアは、ガラスの一枚を小銃の台尻《だいじり》で割った。そしてその場に身を伏せて、しばらく周囲の気配をうかがった。
人の反応はなかった。
ガラリアは、割ったガラス窓の周囲のガラスの破片をきれいにどけると、そこから食堂にすべりこんでいった。
食堂内の整然としている様《さま》は、材質の違いからきているのだが、その清潔さに目を見張った。
厨房《ちゅうぼう》の見当はすぐについた。
まっすぐにそこに入って、備品の整理|整頓《せいとん》されたようすに舌を巻きながらも、並んでいる機械などは無視して、収納棚になっているらしい扉を開けてみた。すると、その中に電気がついたので、ガラリアは、息を飲んだ。
冷蔵庫なのだ。
ガラリアはいったん扉を閉じて、気持ちが落ち着くのを待って、もう一度、開いてみた。
やはりそうかと納得すると同時に、中に入っている大きな肉の塊などに、再度、息を飲んでしまった。
このていどのことでは驚くまいと思ったのだが、この仕掛けの連続には、驚かざるを得なかった。
肉の塊の表面に、真白な霜が貼《は》りついているのも、驚嘆すべきことなのだ。
「これが、冷蔵庫というものか……ジョクのいっていたことがわかったよ」
ガラリアは、納得しながらも、さらに幾つかの扉を開いて、収納されている呆《あき》れるほどの量の品物を確かめていった。
「……!? これが、この世界の普通の状態なんだ。必要なものだけを手に入れなければならない」
ガラリアは、己《おの》れにいいきかせて、カウンターの下にあった袋状のツルツルしたものを取り出すと、その中に冷蔵庫の中の果物と加工肉、それにカウンターの下のガラスケースに入っていたパンを入れた。
もう一度、冷蔵庫の中を点検したかったが、それはやめた。
カウンターの下にある引き出しのわきに立てかけてある懐中電灯と消火器が目についたからだ。
消火器の正体は想像がつかなかったが、懐中電灯はわかる。
アタッチメントから外して、スイッチを入れてみた。その明るさにまたも驚いた。
「凄《すご》いな……。性能がまるで違う……」
ガラリアが、それを腰のベルトに押しこんで、もう一度、冷蔵庫の中を確かめようとした時だった。
「誰だっ! 手を上げて出てきなさいっ!」
声が、突然、ガラリアの入ってきた方向からした。
「…………!?」
ガラリアは、愕然《がくぜん》とした。
光が目に飛びこんだので、ガラリアは本能的に身を伏せながらも、食料を入れたビニール袋を腕に通して、厨房の奥に走った。
その頭上を懐中電灯の光が、左右に走った。
「誰なのっ! ゲストの人!?」
声がして、正面のドアを開く音がした。
「侵入者発見! 巡視員! カナディアン・レストランだ!増援っ!」
そんな声が走った。
ガラリアは、気がついていなかったのだが、彼女が厨房のエリアに入ったところで、センサーに引っかかっていたのだ。
そこまでの知識がないことは不幸であったが、当然のことだ。
しかし、警備会社のスタッフも、一瞬目撃したガラリアの革鎧《かわよろい》の姿、白人に近い人相に、アリス・ランドでアルバイトで働いているスタッフの一員と間違えたようだった。
「…………?」
若い二人の警備員は、まだ、この警備会社に入って半年ほどの新人であるが、アルバイターではない。
給料がいいという理由で、警察官を一年ほどやって転職してきた。気骨はあった。
「……入るか?」
「駄目だ。佐藤《さとう》さんがきてからだ」
それくらいの警戒心はあった。
赤外線センサーは、敏感すぎて、大型の鼠《ねずみ》にも反応することがあるので、とりあえず二人でやってきたのである。
それが迂闊《うかつ》だったといえない。こんな天候の時に、こんな場所に侵入する物好きがいると考える方がおかしいだろう。
「……女じゃなかったか……?」
「まさか、かなり凶悪《きょうあく》な顔に見えたぜ」
「こっちの光に驚いたんだから、そうも見えるさ」
「そうかな?」
二人の若い警備員は、テラスの窓の下にからだを小さくして、中のようすを窺《うかが》おうと息を詰めた。
気配はなかった。
「おい、裏口から出たんじゃないか?」
「そうか……」
やや痩《や》せぎすの方が中腰のまま、右の方から裏口にむかって走り出していた。口よりもからだが先に動くタイプなのだ。
「おい、一人にするのかよ?」
「裏までは行かないよ」
いいながらも、痩《や》せぎすの警備員は、カナディアン・レストランの横手から背後にまわりこんでいった。
ゴミの山が、雨にパタパタと音をたてているだけで、ドアが開かれた形跡《けいせき》はなかった。
痩せぎすの警備員は、足音を気にしながら、テラスの方に戻っていった。
「佐藤さん……」
「どうだ?」
「ドアが開いたようすはありません」
「そうか……」
佐藤と呼ばれた警備員は、先行した若者たちと同年齢の警備員を連れて、テラスのところに身を低くしていた。
「よし。開けろ」
佐藤警備長の命令で、先行した若い警備員が、キーをあけたままのレストランの正面のドアを、そっと押した。
彼等四人の警備員はプラスチックの警棒を手にしていた。
「よし……」
中年の佐藤警備長は、ふっと息を吸いこむと、中腰でレストラン内に入っていき、スッと立ち上がって、厨房を窺《うかが》った。
それに続いて二人の若い警備員がつづき、佐藤警備長の左右を固めるようにして、警棒をからだの前で水平に構えた。
が、彼等の注意が厨房に行きすぎていたのが、間違いだった。
開いたドアの正面のテーブルの下に身を伏せていたガラリアは、警備員たちが開いたドアの裏側には気を配ったものの、右正面にあたるテーブルの下を見ることなく、厨房の方にすすんだので、一瞬、呆気《あっけ》に取られた。
『素人《しろうと》だ……』
いやしくも実戦の延長線上にいるガラリアは、そう感じた。
彼女は、一呼吸いれると、すっとテーブルの下を抜け出て、ドアの前にすべり出た。
そこにもう一人の警備員がいるのを認めつつ、腰から突進するようにした。
その警備員は、正面からガラリアの影が走りこんだので、警棒を横に払いながら、声を出した。
「うわっ!」
ガラリアはその敵の第一撃を予測していたから、上体を屈《かか》ませながら、小脇《こわき》にかかえた小銃の台尻《だいじり》を飛ばして、敵のみぞおちを打った。
左腕に引っかけた食料を入れたビニール袋が邪魔だと感じたが、捨てる気はなかった。
ガラリアは、警備員のわきをすり抜けるようにして広場に走り出ると、追いかけてくる男たちの気配に、カットグラに乗るためには、彼等と少し距離を取る必要があると感じた。
その判断とビニール袋。
それらがガラリアに、小銃を使うことを決心させた。
それに、戦場の延長線上にいるという意識、未知の世界に放《ほう》りこまれてしまったという切迫感が重なる。
ガラリアは、チラッと背後を窺って、彼等が銃を持っていないことを確かめると、キヨスクの小屋のかげに身を寄せて、小銃を構えた。
ガラリアには、照星《しょうせい》のむこうの追跡者たちの服装が、城の警備兵か近衛兵《このえへい》のものに思えた。
なまじファッションを意識した警備会社のユニフォームは、アリス・ランドにあわせるように派手なモールで飾られたりしていたから、ガラリアがそう思ったのも当然である。
ガラリアは、彼等を近衛兵の一種と断定した。
先頭の男を射った。
男は、後ろに跳ねるように倒れた。
と、続く二人の男が、ビクンと立ちどまって、倒れた男に駆け寄った。
「…………!?」
ガラリアは、またも解せない敵の反応に、その方を覗《のぞ》きこむようにした。
コモン界の兵士たちとは、まるで違う反応なのだ。
追うべきガラリアが目の前にいるのに、仲間の生死だけを気にする。
これでは、事態に即座に対応する兵士の動きとはいえないのである。
「…………?」
ガラリアは、カットグラの方に走って行きながら、これだけの設備を警護する男たちのあまりの脆弱《ぜいじゃく》さに、考えこんでしまった。
「……ジョクの国は、五十年以上も戦争がないという。ここがジョクの国ならば、兵士たちがヤワになっているのも当然ともいえるが……」
カットグラのシートに座ったガラリアは、論理立ててそう考えたが、それでも男がこうも軟弱《なんじゃく》になるものだ、という可能性を想像することはできなかった。
「ともかく!」
ガラリアは、カットグラを飛翔《ひしょう》させた。
なんの感慨もなく、いつものように離陸させることができた。
ガラリアは、一気に海上に出た。
ガラリアは、城のむこうの広場にうずくまる三人の男たちの影を目にした。
そのうちの二人が、カットグラの方を見て、なにか叫んだ。
「…………!?」
フレイ・ランチャーは使えるとわかっていた。
しかし、死んだ雰囲気を持つアリス・ランドとその周辺の施設を爆撃する気にはなれなかった。
それに、ガラリアが、その施設の背後に展開する光の海の光景に、目を奪われているせいもあった。
海から、アリスの城にジャンプした時にその光景が目に入らなかったのは、城の偉容《いよう》に目を奪われていたのと、背後の光景が雨にけむっていたからだろう。
「…………!?」
雨は小降りに変っていた。
ガラリアは、押さえがたい好奇心に駆られて、光の海にむかって、カットグラを前進させてしまった。
「…………!」
驚くことばかりだった。
巨大ビル。
雨の中に林立しているビルは無数ともいえる光を発していた。さらに、そのビルの底には、すべるように走っている光があった。
車だとわかる。
その数の多さ。
ガラリアは、いつしか、その地上世界の都市の景観に見惚《みと》れていた。
「これが、世界か! 人は、こんなものを建設することができるのか?」
ガラリアは、ジョクが常々話していた地上世界の景観を認識できるようになっていた。
「あれは?」
それは、ガラリアには、車以上に不思議なものに見えた。
光のあふれている街の中に暗い筋が続いていて、その筋の上を移動している光が見えたのだ。
いくつか連なった物体が、まさに蛇のように蛇行しながら進行し、その物体の左右から出た光が地面を照らしているのが見えた。
つまり、光はその物体から発して、その物の動きを大きく示してくれているのだ。
ガラリアは、その物にカットグラを接近させた。
「そうか。電車だ、電車……!」
ジョクからきいていた乗り物の一種である。
かなり低空を飛びながらも、彼女は、左右に迫るビルと架線や建造物に気をつけることは忘れなかった。
「…………!?」
隣りの筋に、反対側から同じように光を発する列が走ってきて、すれちがっていった。
「そうだ。まちがいない」
ガラリアの追った電車は、駅に入った。
ガラリアは、高度を上げながら、電車が停車する場所も光の列に満ち、膨大と思える乗降客の出入りを見た。
しかし、時間的には、最終電車か豪雨のために遅延した最終列車である。ラッシュの人数とは違うのだが、ガラリアには膨大に見えたのである。
こんなものを見れば、周囲への警戒心は薄れる。
なによりも、ガラリアには、東京周辺の『気配』が殺気立ったものには感じられなかったことが大きな理由になっていた。
他にもいろいろなものがあろう、と思うのは当然である。
前方に周囲の建物より高い建物を見つけて、ガラリアは、接近をかけた。
その手前にも、巨大な光のかたまりがあり、左手には、黒い部分もあった。
光の幕と光の移動だけを見た後では、逆に、その黒い場所が気になった。
「…………?」
カットグラを、横にすべらせるようにして、その黒い塊の地面に降下してみた。
「林か?」
なにか、庭園風に見えないでもない林が、黒い闇《やみ》を作っていた。
ガラリアは、カットグラの爪先《つまさき》が梢《こずえ》に触れるところから高度を取って、前方の高い建物にむかった。
手前には、光が道路らしい面をすべるように走っていた。
本当は、それらの移動するものを近くで見たかったのだが、それは、危険であろう、と判断した。
それでも、建物のかげに見え隠れし、時に道路の上空を飛ぶカットグラの正面のハッチから、乗り物の形は想像することができた。
またも、電車が左右から走りこむ光の列の建物を見つけた。
「駅だ。ステーションともいう。ジョクとショット様が説明してくれたのは、これらのことか!」
そうだとすれば、この、街の光を発する建物が、この地上世界で各種の役割を担《にな》っているのも納得できた。
しかし、アの国といえども、まだドレイク・ルフトの城とその周辺の軍事施設にしか、電気の設備はないのである。
そんな世界からきたガラリアにしてみれば、この東京の光の氾濫《はんらん》は、狂気に近い光景に見えた。
でなければ、天国である。
ガラリアは、カットグラの高度を上げて、高層ビル群にむかった。
空に屹立《きつりつ》している建物は、透明な面を持っていて、ひどく脆《もろ》いものに見えたが、その建物の光を発している区画には、テーブルのようなものが、整然と並んでいた。
「人か!?」
いくつかの光のある区画のなかに、動いている人の姿を見つけた。
それで、建物だと実感できるのだが、そのガラスだけで出来ているような建造物は巨大すぎて、なんで地上に建っていられるのか不思議に思えた。
点滅する赤い光の柱。
その柱の間を上昇してみたが、ガラリアは、ついに決心をして、その区画にある一番高い建物に着陸するつもりで、ゆったりと降下していった。
「…………?」
屋上の暗い面に接近して観察すると、そこはそれなりに強度があるようで、カットグラの重量に耐えられるように見えた。
すぐに離陸するつもりで、カットグラの足を接触させてみた。
自重をかけた。
ズッ。
かすかに機体が沈んだものの、機体は固定した。
しばらく周囲の気配を探った。潜望鏡、バックミラー。
ハッチを開いてみた。周囲には、人の気配はないようだった。
ガラリアは、雨にけむっている光の街を見やり、屋上の気配が静かなのを確認すると、ついに、ロープを下ろして、コックピットから屋上に降り立った。
頬《ほお》に当る雨が、気持ち良かった。
カットグラの前方に拡《ひろ》がる東京。その背後には、光の帯と闇……。
ガラリアは、手に下げていたビニール袋から、生ハムの塊を取り出すと、それを齧《かじ》った。
その人工的な味に、多少、顔をしかめながら食べた。
空腹にはうまかった。
それは、パンもだ。
食べながら、屋上を一周して、そこが、城でいえば塔のようなところで、いくつかの鉄のドアをくぐりぬけなければ、ここに上がってこれないのを確かめて、安心した。
「ここが東京ならば、ジョクの生まれ故郷は、この近くだ」
だから、この街に現れたのだ。
その感慨は、嬉《うれ》しいようでもあり、また、ガラリアの胸をつくものでもあった。
異境の出身者であったジョクではあるが、長い間、戦友であった。
心も寄せた。
しかし、ジョクは、ドレイクの先妻の娘アリサを娶《めと》ってしまった。というよりは、娶らざるを得ない立場に立たされた。それは、理解できる。
だから、一時の情を通じるぐらいのことは、と何度も思いもしたし、誘いもした。
が、ジョクは、乗らなかった。
ドレイクとショットの行き方に批判があって、いつかはドレイクを裏切るつもりがあったからであろう、と今になってわかる。
しかし、敵味方に別れた初めての戦いで、結局、ジョクは、一番長く戦友として暮してきたバーンと自分を引き連れて、オーラ・ロードに乗ってしまったのである。
「偶然ではないな……。ジョクが、一番心親しかったバーンとわたしだったから、そのオーラ力が合体《がったい》して、オーラ・ロードに乗れたのかも知れない」
ガラリアは、屋上のはじに立ちつくして、光の絨毯《じゅうたん》を凝視した。
不覚の涙が、流れた。
ガラリアは、口を開けて雨を受け、咽喉《のど》を潤《うるお》そうとした。
しかし、雨よりは、涙の方が多かったかも知れない。
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「軍隊? 我が国には、そんなものはない」
「国家に軍隊がないというのは、信じられない話だ。本当か?」
その警官の返答に、バーンは、出かかっていたあくびが、ひっこんでしまった。
地上世界は次元がちがうとはいえ、いくつもの国があって、抗争の歴史があるのを、バーンはきき知っている。
「では、貴公等は、軍人ではないのか?」
「冗談じゃないよ。何、勘違いしてるの? 我々は国家公務員だ。公務員!」
「国に仕える集団であろう?」
「国民の安全を守る警察だよ」
バーンの前に座った警察官が、薄くなった頭をふりたてて、説明した。
バーンは、駐在所の奥の畳部屋で、一時間ほどは眠ったろうか。
その間に、この駐在の本署というところから、三人の警官が来て、バーンは、叩《たた》き起されたのである。
バーンには、彼等がこの小さい駐在所を管轄《かんかつ》する者であることは想像がついたし、彼等が、軍隊の者ではないことも理解はできた。
しかし、自警団《じけいだん》でない巨大な組織があるとすれば、それは軍隊ではないか、と思うのがバーンであった。
バーンと警官たちは、言葉で意思を伝えているのではない。あくまでも、概念をやり取りしているのである。
しかし、軍隊≠ニいう概念そのものに、彼等とバーンでは隔《へだ》たりがある。そこに混乱が生じる。
相互理解などはあり得なかった。
「……貴公等は、軍隊ではないのだな」
バーンは、しつっこくならざるを得なかった。
「我々は、警察という独自の組織だ」
「ならば、軍隊と接触したい。その方が話が早いと思うのは、わたしが軍人だからだ」
「あのね。我が国には、自衛隊というのはあるが、軍隊はない」
「……どういうことか?」
「専《もっば》ら自らを守る組織だからだ」
「ならば、軍隊ではないのか?」
「侵略戦争はしないから、自衛隊なのだ。軍隊ではない」
「ああ……」
そういわれれば、バーンは黙るしかなかった。
彼等のいわんとするところは、わからないではない。
バイストン・ウェルのコモン界にあるバーンのアの国が、ガロウ・ランの一統のギィ・グッガに襲われて、守るに精一杯であった頃の軍隊と、他国を侵略して、その勢力を拡大している現在の軍隊とでは、その体質も、軍人気質も変った。
その経緯《けいい》を知るバーンには、警官たちのいわんとすることは了解できた。
「わかった。では、そのジエータイに、接触したい」
「駄目だ。我々が武器を持っている貴公を保護した。貴公は、無断で入国したらしい。そうだろう? それら一切の事情がわかるまでは、どこにも渡すことはできない」
バーンの前に座った警部は、せめて手振りだけでも、はっきりさせた方が良いだろうと、大仰《おおぎょう》に手をふりまわして、説明した。
「なぜだ? 自分はジエータイの方が早く話がまとまると考えた。大体、自分は、戦争をしている間に、ここにきてしまったのだから、武器を持っていることも当然なのだ。特殊な事惰があって、ここにきてしまったということを理解してくれる方々にお会いしたいと申している」
バーンは、意識を整然と想念しながら語った。
バーンの正面の警部の背後に立つ三人の警官たちは、バーンを凝視して、口をへの字にまげたままだったが、バーンの意識は伝わっているようだった。
警部が、用心深くいった。
「我が国は、外国にくらべて武器の所持にかんしては、厳しい規定があるのでありますよ。自衛隊と警察、それに海上保安庁など特別に許された者以外は、武器は持てない。どういうことかというとだな……日本は、平和なんだ。アメリカみたいに、自衛のために市民がピストルやらライフルを持つ必要はない良い国なのだ。安全なんだ」
「狩猟はしないのか?」
「趣味でする者はいるが、特別な許可がいるし、今の日本では、狩猟ができる場所なんてありはしない」
警部は、バーンの使う言葉と自分の言葉が、意思を伝える道具になっていないことを完全に忘れてしゃべっていたが、警部は、いつも考えていることを淀《よど》みなく言葉にしていたので、バーンには、明瞭《めいりょう》に理解できた。
さらに、バーン自身、ここの人びとと意思を通じあうことに、慣れてきたのかも知れない。
「警部」
警部の背後に立っていた三人のうち一番年かさの主任が、眉間《みけん》に縦皺《たてじわ》を見せて、乗り出してきた。
「ン?」
「自分には納得がいきませんな。現在、紛争中の場所って、中東からアフリカ、中南米、東南アジアです。みんな日本からは遠いのです。それに、このバーンという男は、西欧人風です。全然、辻褄《つじつま》があわないじゃありませんか」
癇《かん》が強いぶん、いいたいこともはっきりしていた。バーンは、相手にしたくない男だと感じた。
「だから、彼は、次元スリップしてきたんですよ」
駐在所の若い巡査が、口をはさんだ。
「それが、漫画だってんだよ。わたしはっ!」
「でも、我々は、彼とは、言葉ではなく、テレパシーのようなもので話をしているのですよ? これは、認めなくちゃなりません」
その説明は、もう一人の巡査の方だ。
「ああ……しかしな」
若い巡査にいわれて、主任は、不承不承、自分の想像できない事実の一面を認めざるを得ないと感じたらしかった。
溜息《ためいき》をもらして、バーンを睨《にら》んでから、警部の方を見やった。
「じゃ、どうする?」
今度は警部の方が、若い警官たちにふりむいた。
「どうするこうするも、彼がいうようにした方が、情報が引き出せるのと違いますか?」
「……それは、一方的な考え方だな」
バーンは若い警官に同調しながらも、ピシャリと拒否の意思を発した。
「……どういうことだ?」
警部の目が光った。それは猜疑心《さいぎしん》の強い軍人の目に似ていた。
「こちらも、情報が欲しいのだ。ここがどこで、自分の国とはどういう関係に位置しているのか……。そのためには、一方的に、自分が、貴公等に情報を提供するというのでは、片手落ちであろう?」
「それをきいているんだよ? それをしゃべりなさい!」
背後から、主任が、青筋をひたいに浮べてどなった。
「しゃべった。バイストン・ウェルのコモン界のアの国とな」
「バイストンエル、コモンアーッ! それが国の名前かぁっ!」
「ま、主任」
警部は、主任の手の甲を優しく叩《たた》いて制した。
「ここは若い者に任せよう。その方がいいらしい。町田《まちだ》君」
警部は椅子《いす》から立つと、若い巡査をバーンの前に出して、その肩を叩いた。
「あ、はい……。ね、あなたは、ではなくって、貴公は、テレパシーを使う」
「ああ、テレパシーという単語が、英語であることは知っているぞ」
「結構ですね。では、ここは協調路線をとる。つまりぃ、相互理解をつちかうと同時に、情報交換をして、理解を深めたいのだ……」
主任が連れてきた町田巡査は、バーンにあわせるために、口のきき方が時代劇風になってしまった。
「いいだろう」
「で、あるので、そこまで知っている貴公は、正規の馬に乗る兵隊であることは認めよう。拘束はしない。君のいうオーラバトラー、ガベットゲンガー。そこまで案内してもらえまいか? 我々も知識不足で、異次元のことは信じたいのだが、今は、信じられない。それで、まずそれを我々に信じさせてもらいたい。そうすれば、意思|疎通《そつう》に齟齬《そご》が生じないのではないかと思う」
「それは虫が良すぎるといっている。軍人である自分から武器を、取り上げておいて、オーラバトラーのところに案内しろというのか?」
「捕虜だ、と考えて……」
若い巡査はいってしまって、「しまった」という顔をした。
「冗談ではないっ! どこで自分は投降したかっ! わたしはアメリカ人のショット・ウェポンのみならず、数人の地上人から、この地上世界の大要はきき知っている。オーラバトラーは、この世界では開発されていない新兵器である。いいか? わたしは、軍と取り引きをしたいと申し出ている。捕虜扱いにするならば、ガベットゲンガーの所在は話さんし……フッフフフ……! 自分の口を割らせる気になったにしても、それは無理というものだ」
「何をいいたいんだ?」
町田巡査は、青い顔をして、警部と主任とを交互に見て助けを求めたが、上司二人もバーンの剣幕に、からだを堅くするだけだった。
「自分が戻らなければ、ガベットゲンガーは自爆するようにしてある。わかるか? その時は、諸君等は、オーラバトラーの秘密は、何も手に入れられんのだ」
自爆の件は、でまかせであったが、これは利《き》いた。
「ちょっと、町田君。高飛車《たかびしゃ》では失礼じゃないか……。無礼は、許してくれ給《たま》え……ミスター・バーン・バニングス」
警部は、町田巡査の腕をひくと、バーンの前に座りこんで、
「いや、若い者は言葉の使い方を知らんので……。我々、戦後世代でねえ。なんというのかな、戦時体制での敵とか、見知らない者のあつかいができないんだ。許してくれ」
警部は、ペコリと頭をさげた。歳《とし》の功である。
「小銃はお返ししろ。で、案内してもらおうか? 信じさせて下さいよ」
「警部……!」
今度は、主任が、難色を見せたが、警部は、さすがその発言を封じた。
「信じさせる……か……」
バーンは、ショットが初めてアの国に現れた時のことを思い出して、苦笑してしまった。
あの時のラース・ワウの対応も、目の前で展開されているものと似たようなものであったと思う。
ただこの国が違うのは、組織がアの国よりはずっと大きくて、ひとつの城とかその周辺の組織と接点を持つだけでは、物事はすまないということであった。
バーンは、彼等の対応を見て、それを理解したのである。
「わかった。信じてくれれば、軍の者に会わせるというのだな?」
「そうだ。そう! 自衛隊とも連絡を取る」
「そうなれば、わたしの方から軍に出向いても良い」
「そこまで、貴公に手間は取らせない。我々の組織だって、それほど硬直したものじゃあない」
「じゃ、お任せします。警部」
駐在所の若い警官が、初めて、心からホッとした表情を見せて、警部に敬礼した。
「ご苦労だった。どっちにしても、ここでは、手も足も出ない問題だ。ガベットゲンガーとやらを見つけてから、彼を本署に連れていく」
「はい。助かります」
バーンは、この駐在所に連れてきてくれた若い警官の規律ある挙動を見て、この組織は、結構訓練された集団であると理解した。
「あ、バーン殿! これ、工藤さんから差し入れです」
駐在所の若い警官は、机の上の紙袋を取ると、バーンに差し出した。
「何か?」
「お礼にもらったネックレスの代りにって、携帯テレビです。中古ですけど、まだ使えますって」
「テレビ!? そうかっ!」
バーンは、最敬礼をするようにして、その紙袋を受け取って、中をのぞいてみた。
小さいながらも、ズシリとする重さがあった。
あの色鮮やかな映像を見られるものが、この中にあるのかと思うと、取り出したい衝動にかられた。
「バーン殿!」
警部が促し、主任が小銃を差し出したので、その衝動をこらえて、警部と主任のあとに従って、外のパトカーにむかった。
バーンの背後に、町田巡査がついた。
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肩に小銃、左腕には紙袋を抱いたバーンは、パトカーの後部シートに座った。
その横に警部が座り、町田巡査が運転席についた。主任が、助手席である。
「そこだ……多分……」
バーンが、そういってパトカーを停車させたのは、駐在所から十分ほど走ったところだった。
「本当かい?」
「初めての場所であります。断定はできない」
バーンの至極もっともな言葉に、警官たちは肩をすくめるようにして、パトカーから降り立った。
「……ああ……間違いない」
バーンは、周囲の光景を見まわしてから、道路わきの斜面を山林に入っていこうとした。
と、パタパタと駐在所のバイクが上がってきた。
「村野《むらの》君! いいのか?」
主任が声をかけた時には、
「もう非番ですから、見学させて下さい」
と、村野巡査は、バイクをパトカーの背後に停車させた。
バーンは、その警官がきてくれたので、なんとなく安心して、斜面を登り始めた。
「おい、おい! 単独行動は駄目だ! いちおうは、当方の監視下にあると理解して欲しい」
主任が慌《あわ》てて駆け上がってきたが、足をすべらせて転び、見事に懐中電灯を放《ほう》り出した。
「そのつもりで行動している」
バーンは、主任を相手にしないで、さっさとガベットゲンガーの足下まで上がってしまったが、警官たちは、懐中電灯で足場を捜し捜し上がってきた。
バーンは、警官たちの足の遅いのに内心あきれながら、乗り物を使いすぎて山歩きに慣れていないのではないか、と想像した。
バーンは、紙袋をガベットゲンガーの脚部に大切そうにおくと、ガベットゲンガーの膝《ひざ》と大腿部《だいたいぶ》にある足掛けを使って腹部に登り、コックピットの下のレバーをひいて、ハッチを開いた。
「これかよ!?」
「冗談でしょう?」
警官三人の懐中電灯の光が、ガベットゲンガーのそこここを照らし出して、警官たちは、とんでもないものと対面したという顔を見せて、立ちつくした。
「よくもまあ、こんなものをこんなところに運びこんだものだな」
「こりゃ……あんた一人の仕事ではないだろう?」
主任の質問に、バーンはコックピットから乗り出して、
「すまないが、その包みを上げてくれないか?」
「あ?ああ。これか?」
警部は、バーンがガベットゲンガーの爪《つめ》の上においた紙袋を取り上げると、コックピットから乗り出しているバーンに投げてやった。
「すまない……今の質問は、どういうことだ?」
「こんなロボットを運び上げるのは、一人では無理だ。誰か仲間がいるのだろう?」
主任が、警部の後ろからきいた。
「仲間……? いないではないが、その確認はとれていない。……どういうことだ? 意味がよくわからないな」
「……どうやって、これをここに運びこんだんだ?」
「それがわからないから、軍の者と接触して、研究したいのだ。技術論については、自分もよく理解してはおらん。ただのパイロットだからな」
「ああ……。おい、どう思う?」
警部は、さすがに若い町田巡査にきくしかなかった。
「どうもねぇ……でも、これよく出来ていますよ。SFXの映画の模型以上ですよ」
「そうかい?」
主任は、ガベットゲンガーの爪先《つまさき》に触ってみて、それが本物らしい材質で作られているのに感心してしまった。
「バーンさん! これ動くんでしょ?」
町田巡査は、半分は囃《はや》すような気分できいてしまった。
が、ふざけた気分をテレパシーで感じ取られたかも知れないと思うと、あわてて意識を真面目《まじめ》に維持しなければならない、と焦ってしまった。
しかし、そのやや混乱した町田巡査の意識を、バーンはとがめだてしなかった。
バーン自身も、その不安を持っていたからだ。
「動くはずだが、ここにきてからは試していない。エンジンはスタートした……。回転を上げる」
バーンの真剣な意思をキャッチしたところで、警官たちは絶句し、口をあんぐりとあけてしまった。
「本当に動くんだ!」
「まさかな……。し、しかし、確かに虚仮威《こけおど》しには見えないな」
「そ、そう。認めざるを得ませんな……」
三人の警官は、頬《ほお》をすり寄せるようにして、ささやきあった。内輪話は、なるべくこうした方がいいらしいと判断したのだ。
「さがって! 立ってみます。飛べるかも知れん」
ジョクのテストで、杏耶子と俊一が聞いたと同じようなエンジン音に、三人の警官は、あわてて斜面の上に登っていった。
「主任! どうしました!」
道路のパトカーの脇《わき》で待機している村野巡査の声がきこえた。
「問題はない! オーラバトラーのエンジンを始動させているんだ。大丈夫だ!」
「この音ですかっ!?」
「そうだよっ」
主任の声は、ガベットゲンガーのオーラ・ノズルから噴出される排気ガスの音に打ち消された。
「主任!」
町田巡査が、主任の腕をひくようにした。
ガベットゲンガーの足がグリッと地を噛《か》むと、上体が上昇するように見えた。
ザワザワと梢《こずえ》が揺れて、バラバラとしずくが雨のように降った。
「おい、こりゃ本物だぜ?」
「見ればわかるでしょう! でも、冗談に近いな。こんなものが動くなんてっ……」
今度は、町田巡査の方が、信じたくない気分になっていた。
なまじ、現在の機械的なロボットの性能のレベルを知っていると、物分りの良い年寄りみたいに、無条件で若い者のやっていることを頭から理解してやる、というわけにはいかなかった。
「お前の方がわかるんだろう? こういうの!?」
「わかりませんよ。こんなのっ! 大学の実験室レベルだって、二本足歩行って、アニメなんかで動かしているほど、簡単なものじゃないんですよ」
「そりゃそうだろうが……足が動いている!」
「どういう方法で、機体のバランスを取っているんです?」
町田巡査は、ガベットゲンガーの足が、かなりきつい斜面を数歩移動してから、その体を屹立《きつりつ》させ、さらに、機体に触れている数本の木々を左右に押しやるのを目のあたりに見て、ゾッとしていた。
「ロボットのバランスを、どうやって取っているんだ!?」
「生体工学の技術論は知らないが、機体が、わたしのバランス感覚を再生してくれているのだ」
「オーラバトラーの機体がか?」
「そうだ。そういう機械というか、生体システムを持っている」
「バイオ・テクノロジーを使っているってことですか!? 冗談じゃないですよ。こんな機械があるんですか?」
町田巡査は、本当に真青だった。
「目の前にあるじゃないか。技術については、専門家に任せるしかない。了解した。バーン・バニングス殿! 軍と連絡を、取る。これは、警察の仕事じゃない」
「警部、軍じゃない! 自衛隊です」
主任が、言葉の問題を訂正した。
「ああ! そうだな……自衛隊だ!」
警部は、あたふたとパトカーの方に駆け下りていったが、これもまた見事に転んで、斜面を数回転がってドロドロになって、道路に這《は》い出ていった。
「見てきていいですか?」
パトカーの脇《わき》に待機していた村野巡査が、警部の許可を待たずに、斜面をよじ登っていった。
警部は、本署の指令センターを呼び出した。
「……事情を理解してもらっていては、すべてが遅くなるんだよ。そういう情況だ。どこか戦車か戦闘機を受け入れてくれるところを探してもらってくれ」
警部が、そんなことをいきなりどなったところで、都下の警察署レベルの指令センターで、簡単に指示を出せるわけがなかった。
「戦車? 戦闘機ですか?」
そんな反問に、警部は、ガベットゲンガーが飛ぶというのはバーンの話できいただけなのを思い出して、斜面の上にいる部下にどなった。
「おい! そのオーラバトラーが飛ぶというのは本当なんだろうな?」
「バーンさんは、あれを道路に出すっていってます。やらせますか?」
主任は、ドドドッと斜面を下りてきて、興奮気味に報告した。
「そうしろ! そうしてもらわんことには、信じられん」
警部はそう答えてから、指令センターの呼びかけに、
「あのね。オーラバトラーといってもわからないでしょ? だから、戦車とかさ、戦闘機とかいうものを受け人れる場所を指定して欲しいんだよ。警視庁の方に照会して、自衛隊と連絡を取る必要があるかも知れん性質の問題なんだ」
「警部! あなた、本当に両毛《りょうげ》警部?」
そのスピーカーの声に、主任が、警部からマイクを取り上げるようにして、
「成田《なりた》だ! 警部と町田巡査と三人で出たのは、知っているだろう!?」
そんなやり取りをしている間に、一人の警官の悲鳴が、山林の闇《やみ》の方からきこえてきた。そして、その悲鳴が頭上に移動した。
もちろん、オーラ・ノズルの排気音も強圧的に迫り、道路わきの梢が激しく揺れて、雨のしずくを飛ばした。
「どうしたんだ!」
警部と主任は、職業的本能で、拳銃《けんじゅう》のカバーを撥《は》ね上げ、さらに、主任は、手にしたマイクを音のする方に向けていた。
「いいかっ! こっちのいうことを信じて、なんとかしろっ! うわっ! きたっ!」
山林の梢の上に、人型の影が立ち上がるように見えたかと思うと、それが、操り人形のようにゆったりと立ったままのポーズで、頭上に接近してきた。
「あー! ああ……!」
「うわーっ! 飛んでいる!」
二人の警官の悲鳴が、同じ方向からきこえてきた。
警部と主任は懐中電灯をその方にむけて、またも顎《あご》が外れんばかりに口を開けた。
ガベットゲンガーの一方の手に、二人の警官がしがみつくようにしていた。
ガベットゲンガーは、ヘリコプターのホバリングのように、ゆっくりと降下した。パトカーの前方、ヘッドライトの照らし出す地面にその足が接地して、ズシリと加重がかかった。
二人の警官の前で、ガベットゲンガーの爪《つめ》らしいものが、前後左右に大きく拡《ひろ》がった。
「飛びましたよ! 本当に飛んじゃった。どうなっているんですか?」
巨人の胸あたりに捧《ささ》げられた手の上の二人の警官は、巨人の指にへっぴり腰でしがみついたまま、まだ悲鳴を上げていた。
「飛んだのか……飛んだか……?」
「はいっ! まちがいなく飛びました。凄《すご》いものです」
警部の呻《うめ》きに、成田主任が感動のあまり懐中電灯をふりまわして、二人の警官を照らし出した。
その巨人の胸のハッチが開いて、光がほんのりと射《さ》しているコックピットらしいところから、バーンが姿を現した。
「少しは信じてくれたかな?」
「信じた! 信じたが、問題は、他の連中にどう信じさせるかだ。おい! 町田と村野は、この道路の前後を封鎖しろ! こんなものを現段階で、一般人に見せるわけにはいかないぞ!」
「どうしてです?」
降下する巨人のてのひらから下りた若い警官は、主任の顔をのぞきこんだ。
「どういう種類の機械か知れないが、こんなものが、この日本に現れたとなれば、我々が保護するのが当然だ」
「あ? ああ! 米軍に察知されたくないということですか?」
町田巡査が、すっとんきょうな声を上げた。
「そ、そうだ! そうだよ!」
主任は、ここぞとばかり頷《うなず》くと、駐在所でみせていたバーンへの不信感などはまったく忘れて、
「そういう価値があるものだ。君の判断は大変よろしい。警部。こりゃ、大事《おおごと》ですぞ」
「二本足歩行の技術だけでも、ちょっとしたもんなんだろう? それが飛ぶとなれば、それだけでも、とんでもない技術かも知れない……なに? 情況を正確に説明しろ!? あっ!? 警視庁の通信指令センターですか?」
警部は、無線が警視庁の通信指令センターにつながっていたのであわてた。
「どうしたのだ?」
パーンは、警官たちの収拾《しゅうしゅう》がつかないようすに、さすがに口をはさんだ。
「今、バーンさんのマシーンの受け入れ先を照会している」
「貴国の組織のことは、よく理解できんな」
「いえね。いろいろ国の組織っていうのは複雑でね……警部! 横田《よこた》に傍受されていませんかな? この電波?」
「え? そういうことあるのか?」
両毛警部は、若い巡査の機転のきく質問にゾッとした。
「そりゃ、あり得る。厚木もあるしな」
主任である。
「そうか。あり得るか……。成田君……」
「参ったな。どういうんだ? 警視庁に?」
「なんしろ、横田基地って油断できませんよ。とりあえず、ガベットゲンガーは署に持っていって、電話で関係官庁に連絡しましょう。その方が安全だな。その上で、そう、立川《たちかわ》なら自衛隊と機動隊があるでしよ?」
「バカ! 横田と目と鼻の先だぞ」
主任は、町田巡査の自慢気な意見を頭からどやしつけた。
「じゃ、航空自衛隊のある入間《いるま》基地かい?」
「でも……やはり横田に近いし、朝霞《あさか》にしたらいかがでしよう?」
「あそこは、陸上自衛隊だろう? 俺たちにも遠いし、そんなところに行ったら、これ、見られなくなっちゃいますよ」
村野巡査は、不服そうである。
「そうか……」
「警部、ともかく入間です。移動してもらっちゃいましょう。どちらにしても、これ、事後処理にしないと、米軍にキャッチされちゃいます。連中、はしつこいんでしょ?」
「そうだよな」
警部にしても、何がヤバイのかは、具体的には想像できないのだが、なんとはなしにそういう雰囲気であろうと思うのである。
ともかく、若い連中がそういうんだから、中年の常識で判断するのはまちがいだろうということだ。米軍というと、それだけでも他国の軍隊という意識が働いて、安保条約の問題などは、頭から消し飛ぶのである。
「行き先、無線なんかでいっちゃ駄目ですよ」
「警視庁、通信指令センター。事情が複雑だと判断されますのでぇ、ちょっとぉ、後ほど、正確な事情説明します」
両毛警部は、さすがに、自分の判断を越える問題であったのと、若い連中のいうことも納得できたので、どこかウソをつく結果になってしまって、言葉が上ずってしまった。
「そうしてくれ。こっちも妙なことで、忙しいんだからっ!」
指令センターの方から無線が切れて、警部は、ウソの上塗りになる結果をまぬがれたので、ホッとしながらも、緊急事態とはどういうことなのか、自分なりに考えて納得していた。
「そうか。集中豪雨があったものな……」
東京は、いまだにちょっと雨が降ると増水して、周辺の住宅に浸水騒ぎを起す川があるのだ。
そんなことで面倒が起っているのだろうと、警部は想像した。
「しかしな、バーン殿? このガベットゲンガー、どのくらいの距離を飛べるのか?」
主任は、道路の真中に立ちつくしている巨人を見上げてきいた。
「バーン殿っ!」
「あっ? なにか?」
バーンは、コックピットのシートで、工藤さんからもらった携帯テレビを手にして、その使い方を調べていたのだ。
「貴公のこの機械は、どのていど飛べるのですか? そのテレビの使い方は、あとで教えて上げますから!」
町田巡査が、優しくいった。
「ああ、それなりに飛べるはずだ。オーラ・バッテリーのチャージは、ちゃんと行なわれているからな……」
「……つまり、彼の世界とここと違うようですから、試すしかないんですよ」
町田巡査が、二人の上司に解説した。
「フム……」
「それに、これは、実戦用でしょう? 百キロや二百キロ飛べないで、実戦に使えるわけないでしょう?」
「そりゃ、そうです。町田君のいう通りです」
主任は、ガベットゲンガーを目のあたりにして、若い警官のいうことを頭から信用した。彼は、もう完全にガベットゲンガーの信者になっているのである。
「……あれっ!?」
「こんな時にっ!」
警官たちは、一般車両が下ってくる音に、あわてた。
「どうする!?」
「道路封鎖しろっていったでしょう!」
「ここは脇道《わきみち》がないんですよ……無理でしょ!」
「映画! 映画がいい! 撮影やっているんだっていえ!」
いいあっている間に、車が下ってきて、ヘッドライトが、ガベットゲンガーの背中を照らし出した。
「…………!」
バーンは、警官たちがあわてふためいて、その車の方に走り出したのを見やって、しぶしぶ携帯テレビを紙袋にしまいこんだ。ちゃんと絵が映る道具には思えなかったが、ともかく使い方を習ってからだと決心した。
「交通整理だ! いいかっ! 映画だぞ! そういう風に芝居するんだ」
「は、はいっ!」
バーンは、彼等のあわてぶりから、軍隊とか官僚組織の連中のやることは、どこでも同じではないかと思った。一般人には、何も知らせずに、事をすませようという姿勢である。
もちろん、悪いことではない。
必要以上に、一般人に心配をかけないですむならば、それはそれでいいのだ。そのための官僚であり、警察なのである。
バーンは、町田巡査が「左に寄って、ぶつけないでよ」と車を誘導するのを見て、ガベットゲンガーを、もう少し道のどちらかに寄せておくべきだったと後悔した。
「なんなの!?」
車の運転手が、窓から身を乗り出してきいた。
「いいから、いいから! 仕事なのよ」
「こんな夜中に?」
「お巡りさんは、大変なんですよ」
若い警官も、こういう時は度胸が座るようだった。一般人にたいして、恫喝《どうかつ》すべき時は恫喝するし、へりくだるべき時にはへりくだることができる。
「…………!」
バーンまで、迷惑をかけたという気分になって、通りすぎて行く車に、ペコリと頭を下げてしまった。
その心情のどこかに、まだ地上世界の文物にたいする驚嘆の余韻《よいん》が残っているからかも知れなかったが、見上げた運転手は、とても愛想の良い笑顔をバーンにかえして、
「大変だねぇ! 頑張ってよ!……なんていう映画なの?」
最後の質問は、パトカーの背後に立つ村野巡査へのものだ。
「そんなの映画会社にききなさい!」
「はい、はい」
と、車が行ってしまったので、警部は、パトカーのマイクを取り出して、
「イリマ基地と電話で連絡が取れるようにしておいてくれ。相談があるとな……事情は直接話すから、受け入れ態勢を取れというんだ……ああ? なんの受れ入れを要請する?」
警部は絶句して、主任やら町田巡査の方に『どういう?』というように顔をむけた。
「ヘリコプターとでもしておけばいいんですよ」
「そう。そうです」
「ン……」
警部は、そんなことを警察署に通報すると、
「バーン殿……! では、移動してもらいましょうか?」
「細かい事情はわからんが、その場所に行けば、騒動は起さないですむのだな?」
「少なくともここにいるよりは安全だし、君が知りたい情報も手に入るだろう」
「了解したが……どうやったら行けるのだ?」
「地図が読めれば問題ないといいたいが、夜だし、地形は知らんだろう?」
「当然であろう? わたしにとっては、ここは、未知の世界である。どなたか同道していただきたい。座れはしないが、コックピットには、二人は立って乗ることができる」
バーンは、泰然《たいぜん》といった。
「じゃ、あたしが、道案内しましょう」
成田主任が、率先して、乗り出してきた。
「まだ十分に明るくないんだ。空から地形を読むのは難しいそ」
警部が、牽制《けんせい》した。
「ぼく土地勘がありますから、行きます」
村野巡査が割りこんできた。
「君は非番なんだろう? もう寝なさい、寝なさい」
主任は、自分が乗りたいものだから、若い警官を押しやるが、両毛警部がそれを制して、
「いや、自衛隊に話をつけるには、自分の方が良かろう。主任は署に戻って、警視庁と連絡をとって、自衛隊との接点をつくってくれたまえ」
「しかし……!」
こうなると役職の上の方が強い。
「いいな? 町田君、面倒だろうが、道案内を手伝ってくれ」
「はーいっ!」
「俺、乗りたいな」
「わたしは、乗っていない」
町田巡査の後ろで、村野巡査と成田主任が口を尖《とが》らせた。
「これは、遊びじゃないんだ。危険のともなう仕事なんだ」
警部の一喝《いっかつ》で、すべてがおさまって、それから数分後、ガベットゲンガーはそこを離陸した。
成田主任の運転するパトカーと村野巡査のバイクは、うらめしそうに、山間部の道路を水しぶきを蹴《け》たてて下っていった。
ガベットゲンガーは、高圧線のラインにひっかからない高度ギリギリに、北東にむかって一直線に飛行していった。
その東の空は、かすかに明るさを帯びていた。
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そのすこし前か?
肌寒さのために目覚めたガラリアは、『しまった』と思った。
本来、寝ていられるような情況ではないのに、ちょっと感傷的になってしまって、カットグラのコックピットに座ったのがいけなかった。
ひどく疲れたなと思った時には、彼女は、眠りに落ちていたのだ。
だから、目が覚めた時、五、六分のあいだ目をつぶっていただけという感じだった。
しかし、半分開け放したままのハッチの外が、かすかに明るくなっているのを見て、愕然《かくぜん》とした。
『……どうしたんだ?』
真暗だったはずの空の向うに光が浮んで、あの絢欄《けんらん》とした建物の光が、くすみ始めていた。
オーラ・ロードにのったことが、自分を消耗《しようもう》させていたと想像することはできたが、それにしても、ひどいものだ、と自分の脆《もろ》さに唾《つば》したい気持ちにかられた。
しかし、そんな自己嫌悪に身を任せている暇《ひま》はなかった。
ハッチ越しに見える地上世界の灰色のビル。
その間を区切るように色鮮やかに点滅していた電気の光の筋の正体を観察しながら、ガラリアは、カットグラの周囲に厭《いや》な気配……敵の存在がないものか、とさぐった。
革鎧《かわよろい》とからだの隙間《すきま》に忍びこむ冷気を媒体《ばいたい》にして、そのなかに、敵の存在を感知しなければならないのだ。
「…………?」
ガラリアは、この時になって、この世界はジョクからきいていた以上に、彼女にとって穏やかな気配に包まれている世界ではないか、と思った。
『だから……眠った……』
そんな要素があると考えなければ、彼女は、こうもグッスリと眠ったりはしないはずだった。
ガラリアは、カットグラの周囲も探った。
屋上には、なにもなかった。
「……行くにしてもどこへ行ったらいいのか……」
ガラリアは、革鎧の下のセーターの襟《えり》を上げて、自分が何も知らない場所では、何かを考えようとしても、なにひとつ想像できるものがないことを、痛みとして感じた。
『ジョクは、よくやってきた……』
初めてそう実感した。
こんな世界で暮していたジョクが、バイストン・ウェルのコモン界に落ちて、日ならずしてオーラバトラーを駆り、戦士として戦った。
その経歴を思い出して、ガラリアは、感心するのである。
バイストン・ウェルのコモン界なら、知らない場所へ行ったり、知らない言葉を話す土地へ行っても、そこには、どこか共通する空気があると実感できた。
が、今いる場所の違和感は、かなり強かった。
具体的には、どういうことか、何ひとつ指摘できないのだが、単に空気が違うというのでもなかった。もっと、生理を刺激するなにかが、微妙にズレているのだ。
ジョクは、ガラリアとは逆に、バイストン・ウェルに入って、その違和感と戦ってきたのである。
「……ま、やってみてのことだ。駄目で、もともとだろうさ」
オーラ・エンジンを始動させながら、ガラリアは、この時初めて、自分が死ぬのは遠い先のことではないと想像した。
当然である。
彼女は戦士であった。常に死を想定していない戦士など、愚鈍《ぐどん》である。
これほど変った状況に放りこまれて、少しでも物を考える時間を手に入れたとき、死を現実の問題として捕えざるを得ない。
シュルッ、キュルルルル……。
オーラ・エンジンは、極めて順調。
良質の食事を摂《と》った後とか、水車がほど良い水量に機嫌良くまわっているという状況に似ていた。
背中の羽根が一枚損傷しているのは、ガラリアの美学に反してはいたが、それも良いと思えた。
「…………!」
浮上した。
足下の高層ビルの光景がふわっと縮小して、地面と思われる面が、ガラリアの視界に捕えられた。
「…………!」
道路には、ヘッドライトを点《とも》している車が、列をなしているのが観察された。
昨夜いた海の方向は、ガラリアの本能が嫌った。
カットグラの機体を縦の姿勢のまま百八十度回転させながら、ガラリアは、改めて、ほんのりとした朝の光のなかに浮び上がった、巨大な人工物の林立している都会の景観にあきれた。
「こりゃ、住めないねぇ……本当に、この中に人が住んでいるのかい?」
それが実感である。
ネオンなどしか見えなかった夜の光の乱舞する光景と、いま見る印象は、本質的に違うものであった。
地上世界の人びとは、聖戦士になり得る人びととコモン界では信じられていたが、こんな環境の中から、そのような人びとが輩出《はいしゅつ》されるとは、ちょっと想像しにくかった。
「そうか……こりゃ、墓石の行列と同じじゃないか……」
高層ビルの周辺に広がる低い階層のビルと住居の光景に、ガラリアはようやく符合《ふごう》する言葉を思い出した。自分が納得できる言葉が発見できると人は安心するし、嬉《うれ》しいものである。
気が楽になった。
ガラリアは、遠くに見える高層ビルを気にしながらも、カットグラを西にむけた。
その飛行する姿を、明け番直前のパトカーの一台が発見したのは、昨夜、正体不明の飛行物体が、アリス・ランドから飛びたったという情報が入っていたからである。
そうでなければ、パトカーの警官たちが、空を見上げることなどはない。
都市の人は、不思議と目の高さから上を見ることは、少ないものだ。
このパトカーからの報告によって、警視庁の通信指令センターは、アリス・ランドの警備員の証言が、ウソではないらしいと思える第二報を受けたことになる。
「巡回中の全パトカーに指令! 人型の飛行物体、もしくは、風船と思われるものを目撃したら、その進路を逐一報告せよ」
その指令は、東京の西部一帯をパトロールするパトカーに発せられた。
チャム・ファウが目覚めたのは、十分に眠ったからというわけではない。
だからといって、この短い睡眠で不満だったわけではなくて、とても満ちたりていた。
「……ヌモッ!」
チャムは、タオルケットが重いせいで、目が覚めてしまったと感じたから、腹いせに、タオルケットを蹴飛《けと》ばしながら、羽根と肘《ひじ》に力をこめて、上体を起した。
部屋の光景が、昨夜とはまったく違う。
「なんだあっ……!」
しかし、ぐるりと見まわして、安心した。知っている匂《にお》いと空気が充満している部屋だったからだ。
「うっ、うおーっ!」
別にとりたてて大きな声でもなく、かといって、遠慮した声などを出そうとも思ってはいないチャムは、大きく伸びをして、ついでに羽根も震わせてみた。
そして、チャムは、ソファを蹴って、飛び上がってみた。
「えへっ! へへへ……!」
ジョクがちゃんとベッドに眠っているのを見つけて、チャムは、自分が感じたことが間違っていなかったと安心した。そして、この青年のすなおな寝顔に嬉しくなって、ついつい笑顔になってしまった。
そして、彼の寝顔を空中から見れば見るほど、バイストン・ウェルの世界で戦士として見せていた時とはちがった屈託のなさに、チャムは心がドキドキしてしまった。
「……えヘへーっ!」
クルクルと狭い部屋のなかを飛びまわって、チャムは、あらためて、この部屋にあるものすべてが、見知らないものばかりであるのに感心した。
こういう時に、彼女は、両腕を組んで、空中の一点で、からだを三百六十度まわしてしまう。
意識していれば、可愛《かわい》くないが、幸いなことに、本人の好奇心と、とりあえずは部屋を観察する意識が先行しているので、許せないでもない。
しかし、本人が、気にいっているポーズであることは、まちがいない。
パソコンのセットやら、色とりどりに見える本……その紙質と製本、印刷のきれいさは、コモン世界では見ることができないものである。
本棚のすみで、ななめになった雑誌がある。これならば、チャムにもページをめくることができた。
「なになに……」
裏表紙をペラッとめくってみて、広告ぺージの美しさに、
「アレー、まーっ!」
感嘆の声をあげて、そして、並んでいる四角の文字の羅列《られつ》には、閉口してしまう。
どの道、チャム・ファウには、どこの文字も読めないので、なににたいしてもこうなのである。
勉強をするまでの年齢になっていないから、仕方がないことなのだ。
「やっぱり……おかしいんだ……」
チャム・ファウは、本棚の隙間《すきま》で羽根を震わせて、まわれ右をしてしまった。
裏表紙を開けられたままの雑誌が、その勢いで落ちた。チャムは、窓際の方に飛んでいた。
「ウムッ!」
まともに顔に雑誌をぶつけられたジョクは、うなりながら目を開き、部屋の壁掛け時計を見やって、チャムを見つけた。
「どうしたの。こんなに早くから……」
「寝てな、寝てな!」
チャムは、そういいながらも、窓ガラスをなぞるようにして、
「外がみたい……!」
「駄目だ。お前が、この世界で飛びまわってみろ。大変なことになっちまう。可哀《かわい》そうだけど、好きにさせるわけにはいかないよ」
ジョクは、タオルケットを肩まで引きあげると、寝がえりをうった。
「このっ!」
ダン!
チャムは、両足でガラスに突撃した。アルミサッシの大きなガラスが、少し揺れてひびいた。
「チャムッ! 静かにしてくれよ。もう少しだけ寝かせてくれ。そうしたら、紐《ひも》でくくって、外を飛ばしてやる」
「エーイッ!」
今度は、前よりも勢いよく、ガラスに突撃した。
ビリンッ!
「ヒーッ!」
今度は、チャムが撥《は》ね飛ばされた。
くるくると空中に飛んで、ジョクの顔あたりでチャムは、体勢を立て直した。
「アア! あああーっ!」
ここで羽根の動きをとめて、大きくよろけるのは、チャム一流の芝居である。女の子の嫌らしいところだ。
よろけて、床の上にコテンと落ちる。
「ああンッ! 痛いようーっ!」
「いいかげんにしないかっ!」
ジョクは、チャムをベッドの上からすくい上げるようにして、自分の顔の前まであげると、
「駄目だっ!」
「うーっ、いい匂い! ジョクの匂いがいっぱい!」
チャムは、すくわれた勢いで、ジョクの頬《ほお》に張りつくようにして、お愛想をいう。
「駄目だ」
「エエンッ! お髭《ひげ》が痛いっ」
チャムは、ジョクのこめかみあたりに足をつけると、プイと飛び上がった。
「まったく……」
彼女に顔を押されたことで、ジョクは、さすがに、
「どうしたんだ? 何かあるのか?」
パジャマの前をあわせながら、ベッドから起き上がってしまった。
「知らないよ」
「わかった。いいか。この世界にはお前みたいなのは、一人もいないんだから、誰にも見られちゃいけないんだ。いいな!」
「わかった。仲間がいないんだろう?」
「そうだ」
ジョクは、窓を開いてやった。
と、チャムは、お礼もいわずに、外に飛び出すと、ジョクの家の防風林をぬけて、その上空から、四方を見まわした。
相談しておいてもこれほどぴったり合うことはないというほどのタイミングで、チャムは、明るみを増した東の空に、飛行するものの影を見つけていた。
「あら、まー! ここにもオーラバトラーがあるんだ!」
チャムは、空を飛ぶ物体といえば、オーラ・マシーンしか知らないのでそう思った。
それは、接近してくるように見えた。
「バーンか? ガラリアかな?」
チャムは、ジョクを呼ぶべきだと思ったが、呼んでもジョクがすぐに飛べるものでもないし、カットグラで追う時間があるかどうかも考えてみた。
その間にも、その飛行するものは、急速に接近してきた。
「ありゃ?」
チャム・ファウは、まだ濡《ぬ》れている木々の葉にからだを触れさせながら、思わず上空に飛び出していた。
ガラリア機だ。ジョクの敵だ!
その意識が、チャム・ファウを上空に飛び出させたのだ。
「ガラリア……!」
ガラリアが低空を飛んでいたのは、レーダーにキャッチされるのを嫌ってというわけではない。
敵の存在を警戒しながらも、あまりにも無防備に見える都市の景観に目を奪われてのことなのだ。
チャムは、ぐんぐんと高度を上げると、ガラリア機の上に位置した。
「どこに行くのっ! ガラリアっ!」
チャムの絶叫も、ガラリアにはきこえはしないし、その小さな影を認めることもできなかった。
「どこに行くっ!」
チャムは、接近するガラリア機のオーラ・ノズルの噴出音がきこえる距離にくると、ぐいと腰をひいて、身構えた。
「…………!?」
バフーッ!
カットグラの機体が通過して、その羽根の震動が起す気流の乱れに、チャムはからだを小さくすると、全力でその気流の中で羽根を震わせて、機体に飛びつくようにした。
カットグラの足を目掛けて、落下するというか、吹き飛ばされるようにして、その一方に掴《つか》まることができた。
「うっくっ……!?」
すべりやすい爪《つめ》から、足首の方にからだをずらせるようにして、這《は》い上がった。
「どこに行くんだ! こいつ!」
チャムはしがみついたからには、ガラリアの行く場所を探るつもりになっていた。
だから、自分が飛び出した場所はどこかと、百数十メートルの上空から確かめようとした。
が、その俯瞰《ふかん》の光景は、いろいろなものが林立して、微細で、何がどういうことなのか、まったく見当がつかないように見えた。
それでも、道路というものが、結構、位置を特定するものらしいと見当をつけた。
「うっと……! ガラリアはっ!」
チャムは、カットグラの足が前後に動き、手にした楯《たて》とフレイ・ランチャーが交互に動かされるのを見て、カッとなった。
「こんなところにきてまで、遊んでいるんだから……!」
チャムは、ガラリアが、そういうよゆうを持っているのではないか、と勘違いしたのだ。
ガラリアにしてみれば、カットグラ全体の動きをチェックしているだけなのだ。戦士の教えこまれた習性である。
チャムは、カットグラの構造が複雑なのを利用して、次第にコックピット近くまで、移動していった。
「どういうの! 地上世界なんだよ! こんなところでウロウロしていると、危ないんだよっ!」
チャムは、ハッチの下方に這い上がって、叫んだ。
「なにっ!?」
コックピットのガラリアは、仰天《ぎょうてん》した。
ミ・フェラリオがいる。
では、ここはバイストン・ウェルではないか、と一瞬錯乱した。
「……どこに行く! 仲間はどこだっ!」
チャムにすれば、ジョクのために情報のひとつも収集したいという気持ちが働いているので、必死だった。
「フェラリオかっ!? なんでここにいる!」
ガラリアは、ハッチを開こうとしたが、飛行している時にハッチを開閉するのは、かなり面倒であった。コンソール・パネルの後ろにまわりこんで、ハッチを開くしかないのだ。
「バーンはどこだっ! どこに行くのっ!」
人形のような小さいものが、鬼のような形相《ぎょうそう》を見せて、どなっている姿は可愛いものではない。
「なんでそんなことをきくっ! バーンとあたしを知っているとは、どういうフェラリオだっ!」
「ここは地上世界だ。なにがいてもおかしかないっ! 教えないと、地上世界の天罰を与えるぞっ!」
「しゃらくさいっ!」
ガラリアは、楯《たて》を装備した方のカットグラの腕を動かして、チャム・ファウを潰《つぶ》しにかかった。
どの道、フェラリオは空中で人の手で捕まえられる相手ではないのだ。
「……どこに行くのっ! 教えなさいっ!」
「まさかジョクといるのでは!? 彼が、フェラリオなどと? 冗談じゃないっ!」
ガラリアたち騎士レベルでは、承服できる人間関係ではないので、彼女は、その可能性を否定した。
むしろ、結界を乗り越えてくるフェラリオは珍しくないので、地上世界にまぎれ込むフェラリオもいるだろう、と決めこんだ。
しかし、なぜ自分とバーンのことを知っているのか?
ガッ、キューン!
カットグラの指が走った。
一瞬、チャムのからだにカットグラの指が触れたように見えたのは、ガラリアの操作が秀《すぐ》れているからだ。
「うっ!?」
チャムの両手が、カットグラの機体から離れた。
体勢を立て直そうとした時に、カットグラの指が、もう一度迫るのがチャムに見えた。
「くっ!」
膝《ひざ》を胸に抱えこんだ。
風圧が、小さなチャム・ファウのからだを巻き上げて、カットグラの指は空を切った。
「あっ!?」
今度は、ガラリアが、慌《あわ》てた。
視界から、小さいフェラリオの姿が消えた。
「……どこだ!?」
カットグラは、滞空するようにした。
そうなれば、カットグラの動きが、地上を走行するパトカーから目撃されても、不思議ではない。
車を運転している人は、上空を見ることはまずないが、警視庁の通信指令センターから警告を受けていた警官が、ガラリア機を発見した。
「……人型の風船が浮いています!」
その目撃情報を受けて、警視庁の通信指令センターのスタッフは、それが風船かそうでないかの確認を急がせた。
「風船で、まちがいないんだな!?」
「いや、ちょっと待って! あの動きは、風船じゃありません。アニメに出てくるロボットみたいに動いている。それが空を飛んでいるんですっ!」
「飛行機みたいにかっ!」
センターの問いかけに、旧|所沢《ところざわ》街道を走っていたパトカーは、停車した。
「いや! どっちかというとヘリコプターだ。そんな感じで飛んでいる。ああ、木で見えなくなっちまった! えーっと、北かな、北西って方向に飛んでいった。他のパトカーに照会してくれ!」
「どうぞっ!」
「正確な場所を教えろっ!」
「ええっ……ここは……?」
ともかく、警視庁の通信指令センターでは、アリス・ランド以来三度目の、しかも正確な目撃報告に色めきたった。
「人型風船は、田無市から小平《こだいら》市に移動中の模様! 各パトカーは、その発見に努めよ」
ガラリア機は、ついに、警視庁の監視網に引っかかったのである。
撥《は》ね飛ばされるように高度を下げたチャム・ファウは、さすがに、ジョクのいったことが気になったのと、カットグラに歯が立たないことがわかって、ジョクの家に戻る決心をした。
「…………!」
同時に、ガラリア機に追いかけられるようなことはしてはならない、という頭は働いた。
チャムは、ガラリア機がかなり高度を取って、四方に移動できる態勢に入ったのを見上げると、自分が上昇してきた角度をなんとかなぞりながら、右に左にと高度を下げていった。
チャムは、コモン界にはないような大きな道路と、それに隣接するファミリー・レストランの派手な看板を目印にして、ジョクの家に降下することができた。
しかし、アスファルトの四車線道路を走る車を見るのは、初めてなのだ。ホッと息をつくと、関心は、そっちの方にいった。
チャムは、いったんジョクの家の林を確かめると安心して、どうしても、その道路を走る車を見ないではいられなくなった。
「チョットだけだよ」
チャムは、ジョクの家の屋根にむかっていうと、派手なファミリー・レストランの看板の方に飛んでいってしまった。
払暁《ふつぎょう》に東京にはいる主要道路の車の量が、なまじのものではなかったことが、チャムを誘ったのだ。
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ガラリアがむかう空域を横切るようにして、バーン・バニングスは、ガベットゲンガーを入間駐屯地にむかわせていた。
「本当に行きつけるのか?」
バーンは、町田巡査が懐中電灯の光のなかで、地図と地形を見くらべ、両毛警部は、泰然自若《たいぜんじじゃく》として空の景色を楽しんでいるようすに、不安になってきた。
「結構、山や林があるもんですねぇ。道路とビルだけだと思っていたけど」
若い巡査は、必死だった。
「……あれが多摩川《たまがわ》でしたね?」
「そのはずだ。右の暗いところが、横田基地のはずだ……バーン殿。もう少し北によって、高度を下げないと、米軍のレーダーに探知される」
「そんなことないでしょう? 高度は、百メートルもないですよ?」
「用心に越したことはない」
「この世界は、高いものが多すぎる……」
バーンは、多少イライラしてきた。
コモン世界の地上から受けるプレッシャーにくらべれば、何十倍も気をつけなければならないものが多く、バーンには、美しいものに見えていた光の列も、わずらわしいものになっていた。
夜明けの光が、横になびく雲間にあらわれて、水平線らしいものを浮き立たせてくれたことが、有視界飛行を続けるバーンにとって、ただひとつの救いだった。
「成田君は、イリマにちゃんと説明してくれているんだろうな?」
「……ああ。小さな湖みたいな池が見えてきます。そのむこうが、目的地です」
「そうか……池だな?」
バーンは、町田巡査の意識を明瞭《めいりょう》に読みとって、その貯水池を右に見るようにして、ガベットゲンガーを飛行させた。
「……主任がちゃんと基地に連絡してくれてなければ、ぼくら撃墜されるんですかね?」
「ああ!?」
町田巡査が、警部の不安を煽《あお》るようなことをいったので、警部はドキッとした。
「入間に戦闘機がいるのか?」
「さあ……。首都防衛の基地でしょう? ナイキぐらいあるかも知れない」
「冗談いうんじゃない。そういう基地ではないはずだ」
「そうですか……ならいいんだけど……ヤバイなぁ……」
日本が平和すぎるのが、こういう会話を成立させるので、結構なことといえよう。
「あそこだ!」
街の光の点在するなかに、区切ったような暗い区画を町田巡査が指差して、バーンに教えた。
「そうか……成程《なるほど》。ヨコータのべーグンと同じだな。周囲の光のぐあいと違う」
「あそこだって、飛行機が降りるんだろう? なんで、誘導灯をつけておいてくれないのかっ」
警部は不服そうだった。
「信じちゃあいないんですよ。空自《くうじ》の連中は……」
「間違いないんだろうな? 横田の方じゃないよな?」
「だって、方向はまちがっていないでしょ?」
「空の感覚っていうのは、まるっきりちがうからな……。このていどの間違いは、しょっちゅうあるって話だ。ねぇ? バーン殿?」
「うむ……イルマとヨコータというのがどのていどの距離か知らんが、ラース・ワウとマウンテン・ボンレスをまちがえたバカ者はいるな」
「…………?」
固有名詞は、どのような場合であれ、それを知っていない限り通じないものである。警官二人は、黙るしかなかったし、その点については、バーンも同じなのだと想像した。
「見えた! コントロール・タワーの光だ! このまま接近して下さい。光が四角っぽく見える高いものが、ポッと建っているでしょう」
「ポッか?」
「そう! ポッ、です。横田ならば、暗いところがもっと広いですよ」
「そうだろうな……米軍が使っているんだからな」
「そうですよ。そう!」
「そのべーグンというのか? ジエータイとどう違うのか? 騎兵部隊と歩兵部隊の違いなのかな?」
「へ? 馬に乗る軍隊……? ああ、違います。違います。アメリカって国がありましてね。その国の軍隊が常駐しているんですよ」
「アメリカ? ショット様の国だな?他所《よそ》の軍隊がいるのか? ジョクとショット様が一緒に働いているみたいなものか?」
「…………?」
またも警官二人は、黙らざるを得なかった。
その間にも、周囲の街の光とは明らかにかけ離れた暗い地域に、バーンのガベットゲンガーは接近していった。
管制塔の光はついてはいるものの、バーン機を受け入れるという気配は見えなかった。
「…………?」
バーンは、鉱石無線のスイッチを入れてみたが、激しいノイズが入るだけで、まったく用をなさなかった。
「……ひどい無線だな? それでも、使えるの?」
「我が国が、発明したものだったが……」
バーンは、若い町田巡査の言葉に、自尊心を傷つけられたが、抗弁はしなかった。すでに、テレビと電話、車等を見せられていたバーンは、黙らざるを得ないのである。
「こういうものも欲しいのだ。我が軍に……」
「わかりますよ。オーラバトラーがこうで、無線がそうじゃ、バランス悪いものねえ……」
町田巡査は、ターン式のスイッチが三つしかならんでいない情けない無線機を見つめて、そういった。
バーンは、彼を殴る気にもなれなかった。
管制塔の光の中に、数人の人影が動いて見えたので、バーンは、その方にガベットゲンガーを接近させていった。
「一周して、威《おど》かせ! そうでもしないと、本気になってくれない」
両毛警部が、突然、気合をいれて、バーンに命令した。
「いいのか? 貴公の国には、いろいろと管轄《かんかつ》の違う組織があるようだが?」
「お気遣い通りでありますがね、こうやらんと、バーン殿がお望みのようには、事態が進捗《しんちょく》せんのですよ」
「了解した」
ガベットゲンガーの威圧感のある機体が、やや縦の姿勢になると、ずうーっとすべるように入間駐屯地の管制塔に接近していった。
そして、十メートル以内まで接近すると、塔を舐《な》めるように旋回を始めた。
「……人型《ひとがた》です! 飛んでいます」
管制タワーに叫びが上がったが、バーン機のテール・ノズルが噴出する排気ガスが、ガラスを震わせると、管制員たちは声をなくした。
「……と、飛んでいるのか?」
「なにかで吊《つ》っているんじゃないのか?」
「隊長に電話だ! 警察からの変な連絡を受けて、起きているはずだ」
「は、はいっ!」
「エプロンの照明をつけろ! そうすりゃ、あいつの種明かしもできるかも知れないっ!」
「はっ! はいっ!」
管制員たちが、ようやく気を取り直すころには、ガベットゲンガーは、彼等の騒動をのぞくようにして、管制塔を四周していた。
と、滑走路わきの狭いエプロンに、虫を誘うように誘導灯がついた。
「……あれだ! あそこに着陸しろってさ」
町田巡査が、喚声《かんせい》をあげた。
「あそこでは、周囲から丸見えになる。まずくはないか?」
「そうですが、ともかく降りましよう。事情を話して、それからなんとかします」
町田巡査の方が、こういう時は機転がきいた。
警部は、町田巡査のいうことに、ウンウンと頷《うなず》くばかりだった。
「よし、あの飛行機のむこうに着陸する」
バーンは、ライトの中に浮き上がった物体が、駐機している飛行機とわかったので、意識のなかに、飛行機の概念をうかべたつもりだった。
これは、彼がショットたちからきき知っていたものである。
見た瞬間にその特異な形から飛行機と想像したのだが、それはあまりにも地上の文物を知らなすぎるとバカにされている自分の立場を、なんとかしたいというバーンの劣等感のためでもあった。
「そう、そうですね」
町田巡査が反応してくれたので、バーンはひそかに得意になって、ガベットゲンガーを輸送機のむこうのエプロンに降下、着陸させた。
カヂンーッ。キャルルル……。
それは、見事な一点着陸だった。
「おおうっ!」
隊舎から駆けつけてきた数人の隊員が、それを目撃して、喚声をあげた。
「ご苦労でした。バーン殿。下に降りて、連中に信じさせてきますので、どうかっ!」
「うむ……では、ロープよりは、ガベットゲンガーの手に乗って降りましょう。その方が良いでありましょう」
バーンも、こうなると気が利いた。
「そうですな……頼みます」
警部が、開いたハッチの前に差し出されたガベットゲンガーの手の上に、おそるおそるしゃがみこんだ。
「高いな……」
「指に掴《つか》まって下さいよ」
町田巡査は、上司のへっぴり腰を心配した。
ガベットゲンガーは、警部をエプロンに下ろすために、上体をかがませながら、腕を前に差し出した。
それでも、その腕には楯《たて》が装着されていたので、てのひらは地上二メートルほどのところで停止した。
エプロンには、すでに、二十人を越える隊員たちが、呆《あき》れ返ったような顔を並べていた。
「わたしはこれを捕獲《ほかく》した者だ。電話連絡が入っているはずだ。隊長は、どちらかっ!」
「ヘリがくるっていっていた! 話が違うぞ!」
そんな声が、さらに駆けつける隊員の方からした。
「当然だろう! こんなことを電話でしゃべっても、諸君は信じるか? それに、無線などでこんなことをしゃべって、米軍に探知されてもいいのか!」
両毛警部がガベットゲンガーのてのひらの上で怒鳴る間に、その下に数人の幹部がすすみ出てきた。
「本当に警察の人?」
「そうだよ! ホレッ!」
両毛警部は、警察手帳を見せながら、足をガベットゲンガーの手の外に下ろして、エプロンに降りようとした。
「おい、お手伝いしろ! 日本人みたいだ」
隊長らしい男の命令で、左右の幹部たちが、警部の足を抱くようにして、コンクリートの上に立たせてやった。
「なんで信じない? これは、我々が捕獲した他国のものだ。日本人なのは、当り前じゃないかっ!」
「わたしが諸岡《もろおか》一佐《いっさ》だが……なんなんです?」
「見ればわかるでしょう?」
そういいながらも、両毛警部は、自衛隊の連中を驚かせることができた嬉《うれ》しさに、ひそかに心をときめかせていた。
何かこう、若さがよみがえるという喜びがあった。
「しかし、これ、ロボットでしょ?」
左右の若い幹部たちは、まだ信じられないという顔を見せて呻《うめ》くだけだった。
「警部! ガベットゲンガーを照らしている電気を消させて下さいよ! すぐ外に民間人の家が見えるし、電車の線路もある! 丸見えじゃないですかっ!」
町田巡査が、コックピットからどなり、そのわきから、バーンも身を乗り出して、エプロンを見下ろしていた。
「どこの国の人間だ?」
バーンの特異な風貌《ふうぼう》に、諸岡一佐がきいた。
「これを持ってきたものだ。事情が極めて複雑で、その上、言葉は通じないが、意識は通じるらしいという関係で……一佐、照明は消してくれ。こいつは、少なくとも、映画の撮影用のなんというか、プラ・モデルじゃないんだ」
「……そうらしいが、なんだよ? こいつ?」
「見てわからない? ロボットでしょ? 彼は、バーン・バニングスというのだが、彼は、オーラバトラーだといっている」
「オーラバトラー? 英語だな?」
「しかし、あついは英語はしゃべらん」
「いっていることがわからないな。本気か?」
「じゃ、一佐は、まだ眠って夢でもみているつもりか?」
「そのつもりはない」
「そうだろう? そういうことだ」
警部は、とても優越感にひたっていた。
「目の前を電車が走っているんだろ? こんなところに止めておいたら、博覧会の会場になってしまうぞ?」
「そうしよう……」
一佐は、エプロンを照らしているライトを消すことだけは了解した。
昨夜の豪雨を忘れたかのように、横長の雲を散らした東の空は、さっぱりと明るくなっていた。
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「なんです?」
ジョクはトイレから出た時、襖《ふすま》越しに俊一に声をかけられたので、薄暗い廊下に立ち止った。
「いや……すみません。足音で、あなただろうと思って……」
襖をひいて現れた俊一は、浴衣《ゆかた》のままだった。
「電話かパソコン貸してくれませんか? 本当はパソコンの方が早いんだけど」
「パソコンを?」
「ええ、サンフランシスコにいる友人や近くの友人と連絡を取りたいんだ」
「どういうことです?」
「オーラバトラーの件で、友人の意見をききたいと思って」
「どういうつもりです?」
ジョクは、自分の眉問《みけん》に縦皺《たてじわ》ができるのがわかった。
「……俊一!」
杏耶子《あやこ》も起き出して、俊一の背後から声をかけた。
「ちがうよ。ぼくだって、それほど軽率じゃない。サンフランシスコに、大学時代の友人で、生体のエネルギーっていうのを研究している奴《やつ》がいるのを思い出してさ。それで、なんというかな、たとえば、オーラバトラーのようなものを研究している連中のことを知っているんじゃないかって、照会してみたいんだ。あんたは、オーラバトラーの開発者のことをショット・ウェポンとかいってたよね? そういう種類の人物のこともわかるかも知れないと思ってさ……」
「ふむ……。いいだろう。しかし、バイストン・ウェルに関することと、オーラバトラーとカットグラという固有名詞はいっさい使うなよ」
ジョクは、必要以上に、厳しくいった。
このジョクの態度は、ジョクが物事を判断しかねる時に、よく使う手なのだ。
自分で思い至らないことを指摘された時とか、逆に、相手に自由にさせて、試す時に使うのである。
相手に好きにさせると脱線をすることがあるので、緊張させるために威《おど》すのである。これが、結果的に、相手に能力以上の働きをさせることもあった。
今回は、相手が同年齢の日本人で、杏耶子にとっては、多少|心許《こころもと》ない青年らしいので、むしろ、はっきりと怒ってみせた方が良いだろうと感じたのだ。
「どうぞ」
ジョクは、俊一を自分の部屋に入れると、パソコンを使わせた。
ジョクのマシーンはアメリカの西海岸をネットするデーター・バンクにも加入しているし、父の会社名義になっている関係で、それらの使用料は、支払われているはずだった。
ジョクの両親は、ジョクの死を確認しない限り、そういったものの支払いをやめることなどはない。そういう両親なのだ。
ジョクは、パソコンの電源を入れて、あとを俊一に任せてから、窓から外をのぞいてみた。
頭上の空が明るくなって、前庭の木々が、少し緑の色を見せはじめていた。
「あのチビさんは、外に行ってしまったの? どうして?」
ついてきた杏耶子も、ジョクの部屋にチャムがいないのを知って、呆《あき》れた。
「トイレに行く間だけのつもりだったが……それほど物わかりが悪い子じゃないんだ」
「フフ……。まるでお父さんみたいな口をきくんですね」
まだ肌寒い時間だった。杏耶子は、浴衣の襟《えり》をあわせながら、皮肉っぽい微笑を見せた。
女性の直感とでもいうのだろう。
杏耶子は、今のジョクの発言で、彼が見た目ほどできあがった青年でなく、どこかまだ初々しさを持っていることを見抜いて、安心したのだ。
「そうですか? この世界の子じゃないんだから、いろいろな意味で心配をするのは、当り前でしょう?」
「そうだけど……」
「チャムっ!」
ジョクは、杏耶子に笑われた意味を承知していたが、気おくれせずに何度か外にどなってみた。
杏耶子は、昨夜、ジョクにはサムライみたいな硬質感のほかに、どこかそれだけでないものがあると感じていたが、目の前のジョクの態度とか部屋のようすを見て、それが何かを了解したのである。
ジョクには、現代性があるのだ。
それは、杏耶子にも俊一にもある同質性で、その軟らかさが、杏耶子には、共感できるところで、快かったのである。
もう言葉を選ばずに話せる、そういう気分であった。
「…………?」
俊一は、まずサンフランシスコの方のマシーンに、メイルを放《ほう》りこむ手続きを終えたので、ホッと息をついて、チャムを呼ぶジョクと杏耶子の方を見た。
「…………!?」
窓際の二人のカップル、と俊一には見えてしまった。
杏耶子が、俊一の視線を感じて見返したが、その視線には、なんの色も感じられなかった。
「!…………」
俊一はかすかな痛みを感じながらも、すぐにまたディスプレーにむかって、慣れた手つきでキーボードを叩《たた》き始めた。
「……祖母に挨拶《あいさつ》をしてきます。チャム・ファウを見つけたら、呼び戻して下さい。ぼくに叱《しか》られるといえば、戻ってきますから……」
「ええ? ええ!」
杏耶子は、それはウソだろうと思いながら、ジョクのパジャマ姿が、ドアのむこうに消えるのを見送った。
その手前では、物事に夢中になってしまうと、周囲の雑音など一切耳に入らなくなる俊一が、キーボードを叩いていた。
「…………」
杏耶子は、アルミサッシの窓枠にからだをもたせかけて、ジョクと出会えたのは幸せだった、とはっきり意識した。
その対極にいるのが、赤いスポーツカーに乗って喜んでいる俊一である。
そんな青年としか出会えず、妥協していた自分にとって、ジョクとの出会いは貴重だと感じていたのだ。
『でも、ジョクさんという人は、とんでもない経験をしているはずだ……結婚だってしているように見える……』
別にジョクが結婚指輪をしているのを見たのではない。
彼女は、第一印象のジョクの瞳のすさまじい気配を忘れてはいない。その初印象から、ジョクの経験した意味が深いだろうということは、杏耶子の生理が、正確に理解しているのである。
それでも、良い。
このために、中臣杏耶子は、導かれたのだ、と納得していた。
そうでなければ、こんなところにくるはずがなかったのだから……。
「……! チャーム!」
杏耶子は、見えない不安をふっ切るようにして、防風林のむこうの明るい空にむかって、思いっきり大きな声で叫んでみた。
「あの子は、敵……」
そうもわかっていたが、好きになれそうな性格の子だとも思っている。
「バアちゃん」
ジョクは、障子のむこうで、しわぶきがするのをきいたので、声をかけてしまった。
そのしわぶきがもう少し遅かったら、ジョクは、渡り廊下を戻っていただろう。
「……毅《たけし》かい?」
ジョクは、とんでもなく懐かしい声が、障子一枚へだてたむこうからしたので、反射的に障子を開けていた。
一晩こもった空気がよどんでいるそこは、すべて知っているものだった、ジョクの甘えを育てたもの、というのが正しい。
ジョクは、膝《ひざ》でにじり寄るようにして、祖母の寝ているわきに行った。
「……なんだい? まだ早いのにさ」
「ウン……しばらく顔を見せなかったから」
「そうだね。こないだきたっきりで……ずっとだね」
まだ、目がよく開かないといった様子の祖母の頬《ほお》は、前に見た時より、ずっとこけているようだった。
「いいんだよ、、若いうちには、やることは一杯あった方がいいし……男前になったかい?」
「……ああ。一人前に苦労することが多くってね? 最近」
「いいこった……。男はそうでなくっちゃあねぇ……良子《よしこ》は、ちょっと甘すぎるから家を出たのは良かったよ」
額の上の白髪《しらが》が、飛びだすようにして、電気スタンドの光に揺れていた。
枕元《まくらもと》には、一度使ったコップと薬の袋。それに入れ歯が、いつものように、盆の上におかれてあった。
「悪かったねぇ。ずっと、顔出せないでさ……。昨夜遅くに着いてね、帰ってこれるなんて思っていなかったから、ちょっとショックだったんだ」
「いいんだよ。あたしは、お前の元気な夢はよく見るからさ……寂しくはないんだよ」
「そう、夢をみてくれているのか」
「そりゃ、そうさ。なんか、怪獣にのったりして、怖い夢のなかに出てくるんだよねぇ、お前が……。けど、元気そうじゃないかい」
「……! その怪獣に、ぼくが乗っているのか!?」
「ああ……大きな人形だったりしてねぇ……ボケルとそんな夢をみるのかね? 知らなかったよ……」
ジョクは、何もいえなくなっていた。
祖母が、バイストン・ウェルの夢をみているとは思いたくなかった。
が……、
「……こういうものか……?」
ジョクは、改めて、バイストン・ウェルが人の想念の世界だという仮説が、正しいのではないかと思った。
ショット・ウェポンがいったことか、バーンだったか……それは忘れた。
ジョクと同じように、この世界からバイストン・ウェルに落ちたマーベル・フローズンかトレン・アスベアかも知れなかった。
もちろん、彼等とも、そんな話は、何度かした覚えがあるし、殊に、あのアメリカ娘のマーベルは、勘が良い女性だった。
ジョクは、マーベルとの会話を思い出していた。
「マーベルは、こんなことをいったよね? ニューサイエンスでは、世界にはプラスとマイナスの世界があると推測されるようになったけれど、バイストン・ウェルと地上世界は、そんな関係ではないし、SFでいわれている次元の違いでもないって」
「ええ、もう少し違う言葉だと思うわね。思念の縦の構造でつくられた世界ということね。フィクションというのは、人の願望とか怨念《おんねん》の世界で、そういう意識が累積《るいせき》した結果できあがった存在世界がバイストン・ウェルでしょうね」
「しかし、バイストン・ウェルのことを、フィクションといわれるのには、抵抗があるな」
「勿論《もちろん》よ……だから、定義づけに使える新しい言葉が欲しいんだけど……近い観念でいえば、天国とか地獄でしょうね」
「ああ……! それに似たものということ?」
「ええ、それでね。わたしがいいたいのは、わたしたち存在世界の者を、なんでこのフィクションの世界が呼びこんだのか、ということなの」
「世界が、呼びこんだといういい方は、みんながしているな?」
「ええ。そう。それでね、乱暴ないい方だけど、わたしたちの地上世界は、現在、物理的に危機に瀕《ひん》しているでしょ? その危機を回避するために、バイストン・ウェル世界が、わたしたちに呼びかけ、活動を始めたのよ」
「とりあえずは、それを肯定して質問するけれど、世界は、俺《おれ》たちに世界が救えるとでも思っているのか?」
「まさか……。他の人たちがいうには、バイストン・ウェルが地上世界の者を受け入れたのは、世界そのものが力をつけて、地上世界にバイストン・ウェルの存在をアピールすることじゃないかって。つまりね、バイストン・ウェルが、地上世界にたいして存在を示せば、地上世界の人も、少しは、物質主義や金権主義を反省するんじゃないか。なによりも、科学技術至上主義は、なくなるんじゃないかってこと」
「逆のようにみえるけれど?」
「ええ、現在のコモン界での現象では、オーラ・マシーンは、技術革新に見えるわね。でも、大切なことは、昨日まで中世的なローマンスにおおわれていた世界が、なんで、こんなにも急進的にオーラ・マシーンの進歩を許したのかしら? 不思議でしょ? それまで技術的な蓄積なんて、これっぽっちもなかったのよ」
「その視点での考え方は、認めるよ。受け入れる土壌がなければ、新しい技術などは定着しない」
「ニホンがいい例よね?」
「そうだ。明治時代の前だって、勤勉さと、なによりも文盲率の低いというベースが日本にはあった。それが明治維新を成功させた原因だ。ないところに技術移植しても、成功はしない」
「アの国には、何もなかったのよ。多少気のきいた蒸気機関の紡績《ぼうせき》機械ぐらいはあっても、あれだって、数百年もおなじものを使っていたのよ。なのに、オーラ・マシーンが入ったら、一気に進歩を始めた。ショットが有能だから? 違うわね」
「ああ……」
「ショット自身と何度か話をしたことがあるからわかるけれど、彼だって、この現象の奇妙さに気がついていて、世界そのものとの関係を考えているんでしょ?」
「もちろんさ。彼は、オーラ力《ちから》というこの世界を形成する生体力が、人の能力と連動したからだろう、といっているが、その要素は認めるけれど、では、その生体力というものは、固有の肉体、現実には、ひとつの生命体を維持させるだけのものでしかないから、他のものを存在させる力にはならない。そういう解釈をしている」
「それだけでは、オーラ・マシーンは成立しないわね?」
「そうだよ。だから、その力そのものの波というのかな、妄想波、想念波、なんでもいいけど、そういうものをエネルギーに転化するシステムをオーラ・マシーンとした。それがショットの考え方だ」
「伝説を産み出した力、つまり、想像の産物というものがあって、現代の膨大な地上世界の人口の思念というものが連動して、そういった想念が溜《た》まったから、オーラ・マシーンも動くというのね? 生体力である波を呼吸して、それをエネルギーに変える?」
「そうだ……。ショットのいうリビング・バイブ・セルという概念だ。それを圧縮して、反力を得る」
「でしょう? こんなものを物理的に収縮させれば、その近くにいる人の性能にも影響をあたえるわ。それで、オーラ・マシーンの技術革新は、急速にすすんだのだけれど、それだけではない。世界そのものも、生体力で成立しているから、刺激されている部分もある。それが世界の狙《ねら》いよ。それらによって、世界そのものが、地上世界にたいして何か啓示《けいじ》を与えられないか、と考える」
「世界そのものが、オーラ・マシーンによって、変革を迫られるか? それも、恐竜が絶滅した時代のように、阻石《いんせき》による破壊ぐらいならば、時間をかけて、地球の環境は改善することができたけれど、現在は違うぞ」
「そう。人は、環境の一部なのよ。その環境の一部を改善するためには、もう、時間を待っているだけでは、改善できなくなってしまったのよ。だから、世界は、人そのものも取り込むような考え方で修理を始めたのよ」
「それが、バイストン・ウェルの地上世界への顕現《けんげん》か?」
「黙示録《もくしろく》ね……そう、バイストン・ウェルという天国と地獄の世界を地上世界に示すために、わたしたちは呼ばれたのよ」
「バイストン・ウェルの犠牲《いけにえ》?」
「そうよ。ショットもそう。わたしたちも……つまり、楽にはならないわ」
「認めるよ。しかし、空想的すぎるな……」
「じゃ、バイストン・ウェルは、空想的ではないの?」
ジョクは、絶句した。
だが、バイストン・ウェルが、人の存在そのものとその意識が堆積《たいせき》して成立した世界だという考え方は、オーラバトラーを操縦するようになると、生理的に納得できるものがあった。
世界に融和しているという心地|好《よ》さがあるのだ。
世界がわかるという表現でも良い。
しかし、バイストン・ウェルに関してはそれでわかるが、では、ジョクの祖母が夢にまでみることができたのは、なぜかと考えれば、マーベルと話したような『世界の関連性』を、認めざるを得ないのだ。
そして、なぜ昨夜、カットグラのオーラ・バッテリーは、充《み》たされたのか?
それは、バイストン・ウェルとこの世界は、深いかかわりの中にあるという証明であり、この世界も生体力に満たされた世界に変質したと、ジョクは考えざるを得なかった。
いつだったか、ラース・ワウで、ショットがジョクにいったことがある。
「地球上の人口の増加ラインというものは、ネズミ算式などというものではない。この百年の増加は圧倒的だ。それは、現代が経済の時代になったからだ。政治が世界を支配している間は、戦力としての人口増加はあったものの、その人口増加は、消耗を補うためのものだった」
「ええ、生めよ殖《ふ》やせよって、国家の政策になった時代もあったようですね?」
「しかし、現在はちがう。誰でも人口増加が危険域に近づいていることを知っている。しかし、その抑制はできない。なぜだ?」
「大量虐殺は、人道に反するからです」
「それもそうだが、それだけか? 人類が増えつづけて、自らの首を締めるのがわかっていても、人口の抑制は、人道に反するのか?」
「いや、そうではないでしょう。真実の問題点がわかれば、人類は人減らしぐらい上手にできるはずです」
「そうだ。そのていどの知恵はもっている。しかし、そうはならないのは、なぜか?」
「……わかりません……」
「経済だといったろう? 政治にかわって、経済が世界を支配したことで、消耗品としての人類は必要なくなったが、消費する人がいてくれなくては、経済世界は、成立しない。これが、人類が人口問題を不問に付している原因だ。経済にとっては、消費者が多い方が有利だ。企業が人のため、生活の便利のためといっているのは、まやかしだよ。だから、人口の激減は、経済世界にとっては、核兵器や毒ガスよりも危険なのだ」
「そのことと、パイストン・ウェルが、地上に現れているという仮定とは、どうつながるのです?」
「単純さ。かつてあった人の想念の量で、バイストン・ウェル世界は構築されている。そのバイストン・ウェルを支える想念を産む地上世界の人口がそれなりの量で維持されていた間は、バイストン・ウェルは、おだやかに独白の世界を構築していられた。無数の人びとの夢と願望と怪しさの世界としてな」
「そうでしょう……」
「しかし、そんな地上世界の急激な人口の増加によって、バイストン・ウェルが、膨大なエネルギーをかかえこむようになったら、どうなる?」
「世界の膨脹《ぼうちよう》……でしょう?」
「そうだ。しかし、急激すぎる。それがバイストン・ウェルそのものを変質させているんだな。つまり、適当な膨脹は、バイストン・ウェルの世界を拡大させるだけだった」
「はい……バイストン・ウェルの歴史は、空間の拡大の歴史でもありましたね?」
「そうだ。しかし、あまりに急激に人の想念がバイストン・ウェルを膨脹させていったので、世界そのものが、その異常さに危機を感したのだ。世界を維持するエネルギーがいつか拡散して、消滅するという危機だ」
「はい……それは、あり得ますね。世界そのものに予知能力でもあれば」
「我々のいう予知能力というものではなかろう。自然の摂理《せつり》みたいなものが、働いていると見る方が正しいだろう」
「そうでしょう」
「それが、バイストン・ウェルの世界の変質の本質だ。それが、バイストン・ウェルを地上世界にまで進出させることになったのだ」
「……? 人類にこのような世界も存在することを示して、人口の思い切った削減を断行させようということでしょうか?」
「そうだな。そう考えなければ、バイストン・ウェルと我々の世界がオーラ・ロードでつながるなどということは、考えられん。我々には、未《いま》だに異次元にリープする方法など、わかっていないんだからな」
「そうですね……ショット・ウェボン……。わかりましたよ。あなたがいいたいのは、あなたが、オーラバトラーを創造できたのは、そのバイストン・ウェル世界の意思を受け継いだからなのだ、ということですね?」
「そうだな。それだけだ……わたしは、それほどの学者ではなかった。オーラ・マシーンの発想などは、地上世界では思いつく下地《したじ》はない。なのに、この世界にきて、オーラ・マシーンの発想を得て、こうしてオーラバトラーを開発した。自分でも不思議だよ。これは、本当の感想だ。同じ地上人の君だから、話せることだ」
「了解しましょう。それでは、地上世界とバイストン・ウェルがつながった。それで、あなたは、何をしようというのです? バイストン・ウェルの世界意思に従うという話は、ききたくありませんが……」
「……いわせたいのだろう? わたしには、地上世界、つまりは、我々の世界の人口削減を断行する意図があると?……しかしな、ジョク。人類は自らの手で、人口削減の方法を持てない方向につっ走っているのだ。一部の企業家が、人びとの暮しを助ける、人びとに奉仕するといって、どれだけ地球を汚染している? わたしは使い捨ての缶を発明したコカコーラも嫌いならば、耐用年数がくれば、修理できない家電製品を作る日本のメーカーも嫌いだ」
「コンピューター・チップを使う製品は、事実上修理が不可能で、新品と取り替えるしかない。これは、消費の奨励です。消費文明が、人を不自由にしているのは認めます。しかし、そのことと、人口の削減……いいかえると、人類の粛清や虐殺の認知は、違う問題ではないんですか?」
「そうかな? レミングは増加しすぎると海に走った。カニだってそうする。集団ヒステリーだと病理学的解説をして納得をするのはいいが、なんで、それを人類はしないのだ? そうしなくてすむ知恵を身につけたというが、なに、瑣末《さまつ》な部分では、人類は、殺し合いをつづけてきたのだ。今後というよりも、現在の場合、その粛清や虐殺は、行なわれなければならないという考えは、ソロモンやヒットラーの覇権《はけん》主義でもなければ、人種偏見でもない。人類が一様に受け入れなければならない結論なのさ」
「それを自分の手で成す……可能性はあるんですか?」
「あるな。オーラバトラーで……」
「バカな……」
「オーラバトラーを開発させたのは、世界の意思だ。そして、バイストン・ウェルと地上世界がつながったのならば、その後で、オーラバトラーが、地上でも使えるようになるというのは、否定できない可能性だよ。そうだろう? ジョク」
その時だった。
ジョクは、とんでもないことを思いついた。
「……ショット! オーラバトラーが地上世界で未知の力を発揮するとでも思っているのか?」
「知らないよ。わたしは、どうやって作っているのかさえよくわかっていない人間だといったろう?」
「しかし、予測はついている」
「多分、というていどだ」
「どういうことを想定しているのだ?」
「理屈などは知らない。しかしな、我々はフレイ・ボンムを、ていどの悪いナパーム弾ぐらいに思っていたが、地上世界で使ったらどうなるか……。そういうことだ。わたしは、知らない」
「冗談じゃない! 理屈のないデタラメを、誰が信じるっ!」
「じゃあ、この世界に落ちたこともデタラメのウソか?」
ジョクは絶句した。
「そうだろう? アインシュタインだけで、我々は、世界を知り得たか? そうではあるまい? その上、目の前に原因と結果がはっきりわかっている事実にたいしても、その対策を持てない愚鈍な動物が人間だ。わからんよ。理屈など……しかし、我々は、時に、直感というものの働きで、事象を洞察する能力を持っている。キリストだって、シャカだってマホメットだってそうだった。しかし、普通の人びとの愚鈍さは、それらの説法をどうアレンジした? 派閥抗争の原因にしただけだ。最悪は金儲《かねもう》けの新興宗教だ。この世界を見ろ。我々がいう宗教はなくて、原始宗教に近いものだけだろう? それが意味することを、君が考えつかなかった、などとはいわせんぞ」
ショットという男は、こういう時は遠慮をせずに、人の考えの先回りをするように、からんできた。
人の能力を見抜く力があった。
「ここは、異次元ですよ」
「……そうだ。しかし、人が誕生して以来、その想念が力を発揮して、バイストン・ウェルのような世界が構築されたのならば、我々の地上世界だって、同じようなものだろう。問題なのは、この現象が意味するものはなにか、ということだ。人類の粛清が、問題なのではない。なんで、バイストン・ウェル世界が、我々の目に入るようになり、我々の世界とつながったのか、ということだ。その意味の方が大きい」
「……大虐殺より大きい問題か?」
「そうだよ……これは、人の行為の問題ではなく、世界の問題なのだ」
ジョクは、ショットの観念的すぎる語り口に納得するわけにはいかなかった。
「考えてみましょう……大虐殺を容認する論理があるとは、承服できない」
「わたしがやるのではないのだがな……」
最後には、ショットは困ったような顔を見せた。
それは、彼の正直さに思えて、ジョクは、なにか曖昧《あいまい》でありながらも、間違った考えをきかされたとも思えず、ショットの前から退出したものだった。
「バアちゃん。榎本《えのもと》さんは、きてくれているんだろう?」
ジョクは、また一層小さくなった祖母の手を握りしめた。
「ああ……」
「じゃあね、いろいろ忙しいんだ……」
「もう行くのかい? 愛想のない子だ」
と、あくびをした。
その口のなかは、とても深い空洞に見えた。
「ご免な……」
ジョクは、立ち上がり、祖母の部屋を出て母屋《おもや》にむかった。
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鈴木《すずき》敏之《としゆき》は、貯水池に面した小道を走っていた。
徹夜したあとの目覚ましのジョギングとしては少し早かったが、このまま研究所に入ってしまえば、夕方までは体力的にもつ自信があった。
今夜、ゆっくり眠ればいい。
そんなプランが立つのも、昆虫の行動パターンのホルモンの働きをコンピューターに応用できないかというテーマが、ようやくひと区切りつき始めたからである。
夢物語、給料泥棒、博士号をとるために自動車会社にはいった功利主義者。そんな悪口もあまりきこえなくなったこのごろは、鈴木にとってはありがたいものだった。
「…………?」
鈴木は、貯水池の反対の木々の上に見えたものを、一瞬、信じる気になれなかった。
「…………?」
人型のものが、空中に立っているように見えたからである。それは、左右を見まわすようなしぐさをして、手を動かしたようにも見えた。
「なんだ?」
疑問が湧《わ》けば、理由などは関係なく観察するのが、鈴木の性癖だった。
しかし、そうはいっても貯水池の上を走るわけにはいかない。
鈴木は、そのものに見つかるのはまずいと思って、池に一番近い木のかげに身をよせて、その動きを観察した。
それは、池の上空まで移動して、水面にさざ波をたてたかと思うと、そこで方向を変えて、速度を増した。
背中には大きなバッグのようなものを背負い、その下には翼とも羽根ともいえないものが震動していた。
「冗談じゃねぇぞ……」
寝ていないからではないか、と思いたかったが、そうではないのだ。
事実、鈴木は、山林の近くの道路を走るエンジン音をきいて、それが他社メーカーの車であると識別がつく。
「…………!?」
サッサササッ!
波紋が大きく拡《ひろ》がり、そのものの真下の水面に白いしぶきが上がった。そしてそのものは、さらに西方に移動して、木のむこうに消えていった。
「……体中が動いて見えたが、ロボットじゃないぜ。ありゃ……」
鈴木は、そのものの動きが、どっちかというと彼の専門分野にちかいのを嗅《か》ぎとっていた。
しかし、観察すべき対象に逃げられてしまえば、その直感も錯覚《さっかく》だったのではないか、と思えないでもなかった。
そのなかにガラリアが座っていて、池のわきに立っている鈴木の影を見て、もっと人影のないところに移動する気になったことなど、鈴木に想像がつくはずもない。
「…………?」
鈴木は、人型を構成する外壁の質感から、金属ではなくプラスチックを成型したものにちかいと判断していた。
「しかし……ありゃ、こっちの研究テーマそのものだったぜ?」
鈴木は、どうしたら良いか思い迷いながらも、いま見たものの動きこそ、鈴木たち研究者が、二十一世紀の車作りに応用しようとしているものだと見抜いていた。
動物一般の生態行動を決定している要素をあらゆる面から解明して、それを二十一世紀の自動車のオート・ドライブに応用しようとしているのである。
物の動きに対応して回避運動をする性能をもったレーダー・システムなどは、現在の技術の延長ではあり得ないというのが、現在の日本の自動車メーカーの認識である。
それで、現在、各メーカーは、生物一般の探知能力と駆動システムの根本を見直す基礎研究の競争をしていた。
俊敏な反応、ぶつからない車。事前に次の事態を予測し関知する方法。
昆虫や鳥、魚の行動を、ホルモン・レベルから解明するための研究。そのために、鈴木の研究室も、自動車会社ならぬ様相を呈《てい》して、機械屋と電気屋からは顰蹙《ひんしゅく》を買った時代があった。
しかし、バイオ・コンピューターの概念が理解され、脳のシステムに近いコンピューターが開発されるならば、鈴木たちの基礎研究も無駄ではないと理解されるようになっていた。
将来は、コウモリぐらいのことをするセンサーと駆動システムの開発は夢ではない、というのが研究者に共通した認識である。
そういった研究者の生理を刺激するものを、いま見たものは持っていたのである。
「なんだろう?」
鈴木は、地形的にも追うことができないので、ともかく自宅のマンションに戻ることしか思いつかなかった。
「テレビしかないか……」
鈴木は、ジョギングのベースを上げた。
今朝は、主任に叱《しか》られても、この情報が手に入るまでは、家にいる方がいいのではないかと思いついて、今朝までかかったレポートは、パソコンで研究室に送ることにした。
鈴木は、自分のパソコンでその送付をおわって、ついでにメイルが入っていないかどうかをチェックした。それは、彼の習慣であった。
そこで、鈴木は、俊一のメイルを見つけた。
「……常田俊一《ときたしゅんいち》? ああ、コンピューター屋さんか……」
何度かメイルのやり取りをしたことはあっても、顔をあわせたことはない。
『鈴木さんは、生物の能力を機械に応用する研究をなさっていることを思い出しまして、ちょっと尋ねたいことがあるのですが、お電話いただけませんか? 今からならば、午前七時ぐらいまでは、第一の電話番号、八時以後ならば、自宅か会社に電話をください。ちょっとインスピレーションが湧《わ》いたんです』
そんな意味のことが書いてあった。
「どういうことなんだ? 突然?」
この人物とは、何度か将来のコンピューター技術の可能性について、話し合ったことがあったが、勝手な奴《やつ》だな、という印象しかもたなかった青年である。
それにしても唐突《とうとつ》だと感じた。
『どういうことなんだ? こんな朝早くに……』
鈴木は、いぶかった。
相手は、とんでもない時間にメイルを入れているのだが、これは、パソコンを使う人の習性で、それに、意味があるとは思えなかった。
ジョギングのあとの空腹を満たすために、ともかく朝食を摂《と》らなければならない。
電話は、それからでもいいだろうと思って、鈴木は、パソコンの前を立った。
独身男が、いちばん惨《みじ》めな瞬間を味わう時でもある。
「お台所貸して下されば、何か朝食の用意しますよ」
「ちょっと早いけど、頼みます」
ジョクは、杏耶子にそう頼み、玄関から外に飛び出して、何度かチャム・ファウを呼んでみた。
階段を降りてきた中臣杏耶子は、いつの間にか昨夜着ていたものを着こんで、台所の方に行った。
「チャームっ!」
ジョクは、俊一の車のわきを抜けて、裏にまわりながら、木々の上空を見上げた。
『まずいな……どこかで引っかかっているんだ』
と、門のむこうに、タクシーが停車するのが見えた。
「…………!?」
母が、降り立った。
『なんて時間に……!?』
そう思いながらも、ジョクの感覚では、何年間も会っていない母の姿を見て、硬直したように立ちどまってしまった。
『親子だな……』
悔しいが、そう思った。
家事評論家として、たまにテレビ出演したりするジョクの母にとって、朝帰りはめずらしいことではない。
彼女は、いかにも、現実的な働く女性という恰好《かっこう》をしていた。
派手な金のイヤリングやアクセサリーと、オートクチュールのスーツ。ちょっと明るめの化粧に、ブランド物のバッグ。
それが、東京の働く中年女性の鎧《よろい》とでもいうのであろう。そこには、かつての日本女性のしとやかさとか、奥ゆかしさというものは見られなかった。
昨日まで、コモン界の景色と人びとを見慣れていたジョクには、とんでもなく派手で、大切な式典に臨む女王のように見えた。
これが金まわりの良い女性の服装になってしまうというのは、まだ日本人の意識が洗練されていないからだ、と感じる。
「……あなた!?」
タクシーの後部のドアが閉じて、母が門のこちらにむかって歩き出したときに、母子《おやこ》の視線があった。
「…………!?」
母は表情を硬直させて、立ちどまった。
その瞬間、ジョクは、狼狽《ろうばい》する母の意識のなかに、父以外の男の存在を感知していた。
それは、特に問題にするようなことではない。
あいかわらず、忙しさにかまけて、ろくに家に帰らない父と、仕事を持っている母。
その彼女が、浮気のひとつやふたつしたとしても、ジョクには、それを非難する気はなかった。
そういう気分は、高校生の頃からあった。
ただ、多少でもテレパシー的に意思の疎通《そつう》ができると、厭《いや》でもそういった意識のなかの爽雑物《きょうざつぶつ》を感じてしまう。
それが苦痛だった。
『なんで、感じさせないようにしない? 気持ちをゆったりとしておけば、そんな意識は、消すことができるはずなのに……』
それが、息子《むすこ》として悔しかった。
コモン界では、意識は、たえずシンプルに維持するようにしたし、他の人びとの意識もそうだった。
意識をコントロールするのではない。コモン界の人びとはシンプルなのである。
ジョクは、昨夜、杏耶子と俊一に出会った時、彼等二人のなかに、たえず混濁する別の意識が流れているのを感じて、困惑したものである。
現代人が、いかに、いろいろな想念を抱いて生きているか、わかったのである。
ジョクにもバイストン・ウェルに落ちたころには、そういう意識があって、たえず意識をシンプルに維持するように努力した。
それが、ジョクに毅然《きぜん》とした姿勢を保たせることにもなり、相手に裏の意識を読み取られないようにすることにもつながった。
しかし、母は、地上人としてきわめて普通の人である。むしろ、目立ちたがり屋のお嬢さん育ちであった。
狼狽《ろうばい》し混乱して、意識をそのまま放出した。
良家に育った矜恃《きょうじ》というものでもあれば、また違ったのだが、そうではない。
だから、ついさっきまで、男と一緒だったという、彼女の後悔の念は、ジョクに感知されてしまうのだ。
「やあ……!」
ジョクは、軽く手を上げて、そういった。
自分でも、簡単すぎる挨拶《あいさつ》だと思った。
「どうしたの! いつ、いつ戻ったの?」
ようやく思いなおした母が、ブランド物のバッグを小わきにして門を開くと、ジョクに走り寄ってきた。
「ゆうべ……」
「なんてまあ! 元気そうで、すごく大人になったのね……。どこに行っていたの!? なんで、前もって、知らせてくれなかったの」
「いろいろ難しい事情があって、説明しきれない」
「どうして……? 何があったの? 父さんもいろいろ調べたのに、何もわからず、今でも、必死に捜しているのよ?」
「ご免なさい。事情は、簡単に説明できないけど……。チャム! チャム・ファウっ!」
呼ばざるを得なかった。
が、そのジョクの声に、母は目を丸くして、
「なんて大きな声……! いつからそんな声が出るようになったの?」
「ああ? ああ。むこうで訓練したのさ……」
ジョクは、母の手が腰にまわって、玄関の方に押しやられたので、やむなく歩き出した。
「本当に良かった。お友達と一緒なのね? 探しているの? 女の方?」
「ああ……母さんも元気そうで……」
ジョクは、強い香りの香水が、母の体臭にまざって重い香りになって、彼女のからだを包んでいるのをつらい思いで感じていた。
「ずっと忙しいことは、忙しいのよ……。なんてまあ、こんなに元気で……」
母は溢《あふ》れる涙を両手でぬぐって、アイラインのカラーを目のふちににじませながらも、上りがまちに座りこんで、ジョクを見上げた。
「信じられないわ。突然すぎるんだもの……」
「母さんこそ、なんでこんな時間に?」
ジョクは、なにも母を責めるつもりできいたのではない。母が、あまりにも簡単に自分の帰宅を受け入れてくれたので、なんというか、言葉の継ぎ穂がほしかったのだ。
「……いろいろよ……。忙しいの」
「それはわかっているつもりだけど……」
そういってみて、ジョクは、普段着だったので、母は、簡単に自分を受け入れられたのだろうと思いついた。
「……テレビの収録のあとのつき合いとか、打ち合わせとか……あなたがいなくなった後は、あたし、意識して忙しくしていたのよ。そうでもしないと堪《たま》らなくって……」
「わかるよ……」
母は、かかとを掴《つか》むようにして靴を脱ぐと、どっこいしょ、と腰を上げた。
「でも、よかった……ジョクが帰ってきてくれて……」
「…………?」
ジョクは、その母のいいように何か曖味《あいまい》さを感じながら、また玄関の外の空を見上げて、
「チャム・ファウっ!」
「はーいっ!」
小さく声がきこえた。
感じた。
「いいかげんにしないと、知らんぞっ!」
そうどなっておいて、母に説明しておかないといけないと思った。
振りむいた。
「……すごいわ。ジョクでないみたい……」
声の大きさにだけ感嘆する母に、ジョクは、母は本気で自分を捜してくれていなかった、と思った。
もちろん、意識している間は、世間の母と同じように心配して、捜してくれていたのだろうが、自分のやるべきことに集中してしまうと、ジョクのことは忘れる。
これも人としては当然なのだが、ジョクの母の場合は、それが極端に現れるのである。
そんな母の性癖を気にしていたからこそ、ジョクは母を嫌って、意味なく離れるようにしていたのである。
だから、中学以来ろくに彼女とは接点がなかった。
「おばあちゃんには、挨拶《あいさつ》をしたのね?」
「もちろんさ……父さんは?」
「知らないわ。事務所に泊ったんでしょう? 父さん、怪しいのよ。秘書の河北《かわきた》さんと」
「そうなの?」
母は、ジョクがききもしないことをいいながら、台所の手前の日本間の居間にバッグを置くと、
「あら、榎本さんもうきているの?」
祖母の面倒をみてくれている近所のお手伝いさんの名前である。
「まさか。友達だ」
母は、「そう?」という顔をして、台所に行こうとした。
「父さんには電話していないの?」
「それどころじゃなかったんだ。これからしてみる」
「その口のきき方、父さんとそっくり……」
ジョクを振りむいてそういった母は、そのまま口をあんぐり開けて、黒目を点のようにして、からだを硬直させてしまった。
ジョクは、振りむいた。
「ヒャーッ! ご免っ!」
チャム・ファウだ。
玄関から飛びこんだ彼女は、ジョクの母の姿を認め、ジョクに声をかけることを一瞬ためらったらしかった。
チャムの飛ぶ姿を見て、ジョクの母は、顎《あご》を震わせて、何かいおうとしたが、チャムが喋《しゃべ》り出したのが、決定的になった。
「どうしたんだ! 人に見つかったらまずいとあれだけいったのにっ」
ジョクがいう間に、
「ギャーッ」
というチャムの悲鳴が起って、ジョクは、チャムの指さす方を見た。
ジョクの母の背中が障子《しょうじ》にあたり、メリッと桟《さん》がなって、それにもたれかかった母のからだが、崩れ落ちた。
「母さん……!」
ジョクが、母のからだを素早くささえられたのも、聖戦士として訓練していたからだろう。やや太った女性の肉体の重さを感じながら、ジョクは、居間の方に、母をひきこんでいった。
「誰だ? ジョクのお母さんか?」
チャム・ファウは自分がこの騒動の犯入らしいとわかったのか、ジョクの背後から距離を取って、のぞきこんだ。
「そうだ。なんですぐに帰ってこなかった!」
ジョクは、座布団の上に母の頭を乗せながら、障子のむこうからのぞいている杏耶子を見ていった。
「……すみません。水、用意してくれます?」
「ええ? 飲む水? それとも……」
「飲む水だ」
「ああ、はい!」
杏耶子がひっこんだので、チャムも彼女の肩にとまるようにして行きかけた。
「チャム! なんで外に行ったんだ!」
「アーッ! ガラリアのカットグラがいたんだよ」
「なんだと?」
ジョクは、母のジャケットの前のボタンを外して楽にさせながら、
「どこで見たんだ! ここが、見つかったんじゃないのか?」
「そんなことない。それを見張っていたから、遅くなったんだ!」
それはチャム・ファウのいいわけである。
「……ジョク。水です」
「すみません。テーブルの上において下さい」
「はい……お母様?」
「ええ。女の朝帰りでね? チャム!」
「はい!」
ジョクは、チャムに肩に掴《つか》まれと命令する仕草をすると、
「どっちの方向からきて、どっちへ行った?」
「ああ、こっちからあっちだ!」
廊下の狭い空間で、チャム・ファウは、ガラリア機の飛行コースを全身で示した。
「まちがいないな? 確認したい。外にきて! ガラリア機が接触してくるかも知れないしな」
「そんなことないよ!」
ジョクは、母をそのままにして、玄関に走った。
「あの、朝食の用意、しなくていいのかしら? した方がいいんでしょ?」
杏耶子の声が飛んだ。
「……ああ。しておいて下さい」
ジョクは、杏耶子の提案に同意すると、なんて勘がいい女性だろう、と感じた。
その瞬間に、チャム・ファウがスイッとジョクの肩にとまって、イーッ! と杏耶子にむかって舌を出すポーズをした。
「やめなさい!」
ジョクは、チャムの気配を感じて、その腰をポンとつっつきながら、外に出て空を仰いだ。
「どっちだった」
「あっちだった!」
「……そうか……そして?」
「むこうに行った……朝だな、もう……!」
ジョクは、飛行機の免許を取ろうとチャレンジしていたような青年だから、東京西部の飛行場の位置などは、熟知していた。
「チャム、来い!」
玄関に飛びこむと、チャムが入るのを見届け、ドアを閉じて、二階に上がっていった。
「…………!」
部屋では、俊一が、パソコンの前に座りこんだままだった。
「ああ……!」
その俊一の用あり気な声を無視して窓ガラスを閉じてから、彼の方を振りむいた。
「ショット・ウェポンのことはわかったよ。奇人変人にはいる人らしいけど、大変な科学者だったらしいな。ニューロン・コンピューターの第一人者でありながら、かつ、生物生態学を電気分野からせめこんでいた男だ」
「やはりね。どこの人間だ?」
ジョクは、押入れにもぐりこんで、俊一の報告をきいた。
チャムは、しばらく部屋のなかを飛びまわったが、スッと廊下に出ていってしまった。
「外に出るなよ! 騒動が起こる!」
「はーいっ!」
ジョクのいうことなどはきいていない。元気のよい返事だけが返ってきた。
ジョクは、ほこりをかぶったオール・レンジの無線受信機を取り出すと、電源をいれて、警察無線を受信できるように周波数をあわせた。
「……カルフォルニアの大学にいた男だ」
「それ、データー・バンクで検索したの」
「ああ、この君のコードで呼び出せたよ……」
「ああ……!?」
パソコンの台の上には、それらの呼び出しコードをメモしてある紙切れが貼《は》ってあるので、できないことではない。
ジョクは、俊一のそういうはしっこいところを、油断できないと感じたが、きっと、こういうことだけが得意で、兵隊には使えない青年ではないかとも思った。
意識が、閉鎖しているという感覚が伝わってくるのだ。勝手なのである。
『これが、俺たちの年代に共通する欠点だな……』
周波数をあわせながら、コモン界の人びとのシンプルながらも、外界に解放されていく自分の意識を一瞬なつかしく感じた。
「……こちら……はいっ! 風船人形、目撃しましたよ。はあ? 方位?」
「……目標物は、どっちにむかっているの!」
激しいノイズのなかから、そんな交信する声が受信できたので、
「……なんです?」
俊一が、ジョクの手元をのぞきこんできた。
「……パソコン、用がなくなったら、切ったら?」
「あ、ああ!」
俊一は、慌《あわ》ててパソコンに正対した。
「パトカーの位置がわからなければ、場所が特定できないか……」
「……どっちの方位に飛んでいるんだ!」
「小平《こだいら》市の方にむかったのを見たんです」
そんな交信を断片的にきいて、ジョクは、バーン機かガラリア機が、警察にキャッチされたのを確信したものの、どうしたら良いか判断がつきかねた。
「なに? それ、警察の無線?」
「ああ……ぼくと一緒に地上に出てきた二人の敵が捕捉《ほそく》されたらしい」
「そうなの?」
「風船人形なんてコードを警察が使うか?」
「そうだね……そうかも知れない……」
「パソコンやめて、これを傍受していてくれないか? なにかあったら教えてくれ。台所か裏庭のカットグラのところにいる」
「ああ、そうしよう……それでいいのだな?」
「そうだ……」
「階下《した》でこれきくというのは?」
「それでもいい」
ジョクは、この男の、はしっこさが癇《かん》に障ったが、思いついたことの筋は通っているから、もっと問題なのだと感じた。
「着替えを急いで、台所に」
ジョクは、受信機の電源を抜いて、階段に飛び出していった。
「ああ……」
うろたえたような俊一の声がきこえた。ジョクは、俊一は他人から怒られたりしたことがない男だと思っていた。
「ジョク! ねぇ、あなた!」
廊下を行くジョクに、居間の母が声をかけてきたが、彼はまっすぐに台所に飛びこんで、受信機の電源を差しこんだ。
「どうした!?」
「仕事だよ。戦争が始まったんだ」
居間の方から飛んできたチャム・ファウが、そのジョクのあわてぶりを喜んでいるように、彼の頭上をクルッとまわった。
「……あなた、ね……」
「…………?」
ジョクの母が、杏耶子の肩にもたれるようにして、台所の入口に立った。
「この方は、その、なに? それに、その、飛びまわってる女の子、そういうのがいる世界もあるっていうけれど……」
良子《よしこ》は杏耶子とチャム・ファウのことを同時にきいた。
「ああ。いろいろ事情があるって説明しただろう? しかし、今は忙しいんだ。説明している間はないんだ。ぼくの周辺で見たものを、ストレートに信じてもらうしかない」
「この方は、誰なの? あんたのなんなの?」
杏耶子の肩から離れた良子は、本当に疲れを感じて、台所のテーブルの前に、どっかと腰を下ろした。
「なにって……友達だ。そういっていいですね?」
ジョクは、最後の言葉は杏耶子にむけた、杏耶子は、微笑を浮べて、頷《うなず》いてくれた。
「……そう……それも妙な感じね? 彼女のボーイフレンドも泊っているんでしょう?」
「ああ……そうだ。母さん、食べる物、なにかないのかな?」
「さあ……。なにが残っているのかしら?」
「ごはん、炊《た》くしたくを始めたんですけど……?」
「急いでいるなら、お冷やごはんぐらいあるんじゃない?」
良子はそう答えながら、杏耶子を見上げるようにしてテーブルの上にとまったチャム・ファウを睨《にら》みつけ、表情をひきつらせていた。
「ごはん? ごはんか?」
こうなるとチャムは、杏耶子の存在も気にならないようだ。
「どこだ? ねっ? お腹《なか》すいた!」
「でも、この冷蔵庫には、お冷やは、なかったみたいなんですけど?」
「ああ、冷凍したものがあるはずよ? 榎本さん、やってくれているはずだけれど?」
「じゃ、両方します」
杏耶子は、とぎかけのお米のはいったカップを手にしていった。
ジョクは、ともかく、母が落ちついてくれたようすに、
「……父さんに電話してくれない? ぼくが帰ってきたって」
「あなたは、どうするの?」
「裏で、やることがある」
「いやよ。父さんの会社に電話するなんて……」
ジョクは、その母の言葉を無視して、勝手口の靴をはいた。
「あっ! お邪魔しています!」
俊一が台所に入って、ビックリ箱の人形のように良子に挨拶《あいさつ》するのを肩越しに見ながら、ジョクは裏庭に出た。
[#改ページ]
バーン・バニングスのガベットゲンガーが、入間基地の一番新しい格納庫に収容されるのに、たいした時間はかからなかった。
武器をあつかう訓練を受けた隊員たちは、本能的にガベットゲンガーというマシーンに、武器として怪しいものを感じたのである。
調査するために、外界から遮断した方が良いというのは、軍人の本能であった。
軍隊の存在を認められていないしいたげられた時代を過ごしてきたここは、ほかの基地と同じように、周囲の経済繁栄を謹歌《おうか》するのをはた目にした古い施設で、近代的な装備を運用していた。
大型機を収容する格納庫などは、最近できたもので、ガベットゲンガーの身長をまっすぐに立てて収容できるのは、そこだけだった。
その奥には、もう十年以上も使っている電子戦訓練のプロペラ機が収容され、その前のスペースにガベットゲンガーが立たされていた。
「……ああ、それもオーラバトラーだ。そうだ。こちらでも、同じ機体を収容したんだ。成田主任から連絡はいっているでしょ!? そのことだ! こちらは、オーラバトラーのパイロットが協力的で、現在はイリマ基地に収容してもらっている」
両毛警部は、格納庫のわきに設置された電話で、警視庁の指令センターと直通回線で応答していた。
「おい! 全員に対空監視だ! レーダーはあてにならないらしい。全員、肉眼で、対空監視だ! これとは、多少ちがう形らしいが、同じオーラバトラーが、この地区に侵入しているらしい。全員、起床! 監視だ!」
諸岡《もろおか》一佐は、両毛警部との電話のやり取りから状況を判断して、命令を発した。
入間駐屯地は、非常監視態勢に入った。
「……そうですよ。イリマ基地に収容していてね、オーラバトラーといって、人型の戦闘兵器なんだ。空を? 飛びますよ! 武器だって持っている。ライフル銃のような恰好《かっこう》をした戦車の大砲みたいなものを持っています。どこにいるって? イリマ基地だっていっているでしょう!」
「警部、入間駐屯地なんですがね、イ・ル・マ」
「イルマ? ああ、そうだ。ちっとも覚えられなくてね……でね、指令センター!?」
警部がまた電話にむかったので、諸岡一佐は、左右の幹部たちに、防空態勢をひく指令を出していった。
外からの領空|侵犯《しんばん》ではないので、バッジ・システムにのせる事熊ではないような気がしたが、目の前の警官たちの慌《あわ》てぶりが本当のことになれば、少なくとも、首都防衛の問題にかかわることはまちがいがない。
「空幕《くうばく》作戦室と航空総隊には、現在までの詳細を報告して、以後も順次連絡をいれるといってくれ」
「……しかし、話だけで、信用してくれますかね?」
「ここで見たことは、信用させるんだ……しかし、そうだな。米軍に盗聴でもされて、笑い者になるのは厭だな。電話回線を使え」
「そんなことをして連絡すれば、トップには、ますます信用してもらえませんよ」
「それを信用させろといっているんだろうがっ!」
諸岡一佐は、さすがに、幹部たちに、大きい声を出してしまったが、両毛警部も大きな声で、電話をつづけていた。
「……もちろん、もう一機が、横田あたりをウロウロ飛んでいるようだ。むこうさんに、捕捉されたかも知れない」
そのえらく張りきっている両毛警部を見つめる諸岡一佐に、水野《みずの》二等空佐が囁いた。
「バーン殿ですか? 飛行しているオーラバトラーを彼に捕捉させて、当方に収容させるという手がありますが?」
「そうかな? 奴は信用できるか?」
「……そうですが……」
ふたりは、ガベットゲンガーの前に寄せられた整備用の移動台車の上に座り込んでいるバーンを見上げた。
彼は、ネックレスのお礼にもらった携帯テレビの使い方を、町田巡査から教授してもらっているのだ。
町田巡査もテレビの概念を説明する気などはないのだが、オーラバトラーのことをもっと教えてもらいたいので、おべっかをつかっているのである。
バーンは、手で持てる大きさの道具の小さな窓から、鮮やかな色で動く映像がのぞけるのが面白くて、下の騒ぎにはまったく関心をむけていなかった。
彼は、ここにきてまで、警察と自衛隊の連絡がどうのという話に、十分飽きていたので、当分は、彼等に関心を持たないことに決めたのである。
諸岡も、別のオーラバトラーが近くを飛行しているという情報は、目の前の両毛警部からきいたばかりなので、まだバーンに教えていない。
「……ホゥ! きれいに動いているものだ!」
そんなバーンの感嘆の意識が、諸岡一佐たちにひびくのを幸いに、考える時間を稼ぐつもりである。
「どうなんです?」
諸岡一佐の補佐役の島田《しまだ》三等空尉が、電話をおわった両毛警部にきいた。
「……いや、ようやく警視庁にも、こっちの話が通じるようになった。現在飛んでいるオーラバトラーは、東村山《ひがしむらやま》方面で消息を絶ったようですな」
「どこかに着陸したか?」
諸岡一佐が、警部の額に自分の額をつけるようにしてきいた。
「この周辺で人目に触れないで、飛行できるなど考えられません。一般からの通報もあるかも知れないから、それを受け入れる準備もしなければなりませんな」
「そうです。広報担当に、総員準備にかからせます」
副長の水野二佐は、部下に命令するために、諸岡一佐から離れていった。
「バーン殿に捕獲してもらうというのは、駄目なんですか?」
両毛警部が、諸岡一佐に提言したが、
「考えましたが、やめました。このことは、バーン殿には、今は話さない方がいい」
「そうですか?」
「ええ。いろいろ都合があります」
諸岡一佐は、具体的に不都合な問題などは思いつかないのだが、そういった。
「島田三尉、バーン殿には、朝食をしていただくために、隊舎の方にご案内するようにな」
バーンをここから隔離しろ、という意味でそう命令した。
「ハッ!」
島田三尉は、すばやく整備台のはしごをのぼり始めたので、諸岡一佐は、警部の相手も他の幹部にまかせて、水野二佐と共に格納庫を出た。
「信じられんことばかりだが、確かに、あれには、無視できない存在感があるな」
「メカニックの連中は、本物っぽいけど、ウソのようでもあるといっています」
「格納庫に移動するのは、全員が見ているのだろう?」
「その段階では、全員が本物だと納得していますが……中を調べてみませんとね」
「だから、バーンを機体から隔離するんだよ」
「そりゃ、わかっています」
と、前方の空に、ジェット機のエンジンの音が低くひびいたので、二人はドキッとして、滑走路の中央で立ちどまってしまった。
「むこうさんか?」
「そうでしょう。ここは、横田の網の目のなかにあって、こちらの指揮下の飛行場は、とんでもないところにあるんだから」
「いうなよ。いっそのこと、|市ケ谷《いちがや》あたりに降りてくれたほうが、諜報《ちようほう》的には、安全だったのにな?」
「ハハハ……笑えないけれど、そうでしたね。冗談でおわれば、ありがたいですが、いやな予感がしますね」
滑走路をつっ切って、新しい隊舎にたどり着く頃になって、バーンと警官たちを乗せたライトバンが、格納庫から走り出した。
「やれやれ、ようやくオーラバトラーから離れる気になったか」
「なんで気がつかないんでしょう? テレパシーが使える連中なら、自分と同じ仲間が近くを飛んでいるのを、気がつきそうなのに……」
「現実とフィクションの違いだろう。現実は、それほどうまくいろんなことが感じられないのさ」
水野二佐は、諸岡一佐のいうことに一理あるように思えて、成程《なるほど》と頷《うなず》いた。
「……そうですねぇ。東京なんて、いろんな怨念《おんねん》が飛びかっているんだから、彼らのテレパシー能力も減殺されるかもしれないな……。隊長……あれが、本当に兵器だと断定されたら、どうするんです?」
「そうなれば、上が出てくるよ。心配するな。敵性国のものの平時、交戦中のあつかいというのは学習したが、こういうの、防衛大学で習ったか?」
「いえ……例外の例外。こういうのどうするんでしょう?」
「臨機《リんき》応変《おうへん》に対処しろっていっても、限界があるんだよな。中央の人間は、柔軟性をもって判断しろっていうけれど、まちがった判断を下せば、階級を下げられるのはこっちだからな」
「……ええ。ですから、最善をつくしてみせるって、それしかないでしょ?」
「こんなの誰が想定した? 航空自衛隊の防衛システムって、外からの侵犯だけだぜ」
「……そりゃ、どこの国でもそうですよ」
そうなのだ。
有事《ゆうじ》の際は、マニュアル通りに行動しろという教育は一切ないのである。
臨機応変。これが有事の際の幹部と隊員の鉄則である。
しかし、武器の性能があがれば上るほど、それを使いこなすだけで、精一杯になり、隊員の数が絶対的に不足すれば、マニュアル通りに行動するだけで、毎日がくれた。
そんな生活のなかで、幹部と隊員も常時フレキシブルに対応できる生活態度と有事対応能力が育成されるかどうかは、かなり問題なのである。
それは、幹部たちの誰でもが、実感していることであった。
まして、戦争などは絶対にない、と信じきって入隊してくる隊員たちを相手に、日課をこなすというのは、かなり忍耐のいる課業なのである。
それでも、航空自衛隊は、飛行機好きという共通項がある連中のあつまりだけに、海や陸の部隊よりは、均質化《きんしつか》した組織であるといえた。
「……なんで警察は、あれが軍事機密になるって、発想したのですかね?」
新しい隊舎の前にたどり着いたところで、水野二佐がきいた。
「素人《しろうと》の怖さじゃないか? 岡目《おかめ》八目《はちもく》って奴さ。
しかし、こちらは、ああいったものにたいしては、必然的に責任が発生する。あの警部のように単純に興奮できない。慎重にもなるさ」
「そうであります……」
解答にはなっていない諸岡一佐の言葉をききながらも、水野二佐も一佐につづいて、隊舎のなかの階段を降りていった。
諸岡一佐は、中部航空方面隊司令部のオペレーター・ルームの隣りにある無線室をのぞいた。そこには、横田基地の交信を傍受しているクルーがいた。
「どうだ? むこうさんの動きは?」
「妙な動きがありますが、朝のジョークじゃないかって感じですね。警察の動きは、キャッチしているようです」
「どういう反応なんだ?」
「まだ、具体的にどうというのではありませんが、関心を持った、というのが正確なところでしょう」
「キャッチされているんじゃないか! 脳天気なこといっているんじゃないよっ!」
諸岡一佐は、若い通信担当者の頭をブン殴ってやりたい衝動にかられたが、我慢した。
そんなことで、簡単に辞められたら、隊員の補充が追いつかなくなるからだ。
現今は、軍人を立派な職業と考える連中はいなくなって、甘いことをいって勧誘して、おだてて使わなければならない時代なのである。
隊員の補充問題を考えれば、国家が多少貧しくて、軍人がエリートの職業なんだと思わせるのがいいのだが、さすが、一佐でもそこまでは考えない。
しかし、現実の仕事となると、もう少しなんとかならんか、と考えてしまうのも事実なのだ。
「横田のいうことは、きき逃すなよ」
「あのー」
「あ?」
こういうきき方も、本当にやめて欲しいと思いながらも、ドアを半開きにしながら、その隊員に振りむいた。
「交信の量が多くなっているようですから、クルーをふやしてくれませんか?」
「わかったよ」
諸岡一佐は、かすかな怒りを感じながらも、その隊員の要請を呑《の》みこんで、無線室を出ようとした。
「そのオーラバトラーっていうの、本当に、価値のあるもんなんですか?」
「あのな。レシーバーを耳から外すな! 勤務中だろ!」
「はい!」
諸岡一佐は、そうどなりつけておいてから、オペレーション・ルームに移動した。
そこでは、ちょうどスクランブル中で、百里《ひゃくり》基地から出た戦闘機が、太平洋上に要撃《ようげき》中の表示が、スクリーンに表示されていた。
「…………?」
諸岡一佐は、自分の椅子にドスンとすわりこんで、味方機と米確認飛行物体、つまり、アンノン中の飛行機について確認をとってから、
「妙だな? 最近は、不定期便はなかったんだろう? それがいつものよりも遅いし、領空もギリギリに侵入かい?」
「はあ……一度は、領空侵犯をしています」
今朝の当番の瀬戸《せと》三等空佐だ。
「なんだ?」
「昨日まで、北で艦隊演習がありましたね? あれじゃないんですか? 太平洋艦隊のミシシッピーが、横須賀《よこすか》に入る頃でしょう?」
「ああ……それでか?」
「マメなんですよ。連中だって、他にやる仕事はないだろうし」
「そうかい? さわがしい国境だって一杯あるんだろうにさ」
「一佐、自分もオーラバトラーの見学に行ってよろしいですか?」
「ああ……すんだようだな? いいよ」
諸岡一佐は、スクリーンの動きを確認すると、昨夜からここに張りついていたクルーにも、順次、オーラバトラーを見学させる必要があると感じた。
『全員とはいわんが、ああいうものについては、若い者の意見は、当らずとも参考になるかもしれんからな』
そういう気分である。
バーンは、この基地にある古い建物の応接室に通された。こんな時代にも、五十年以上前の旧陸軍時代の建物が、まだ使われているのである。
しかし、バーンには、その建物がそんなに古いなどとは思わなかった。
最近の建物を見慣れている目で見れば貧相でも、きちんとペンキが塗られて、手入れは行き届いている木造の建物は、バーンには新鮮だったのである。
ことに、木造の建物を見慣れていないバーンには、脆弱《ぜいじゃく》ではあっても、よく清掃のゆきとどいた建物は、清潔で機能的な最新の様式に見えた。
しかし、テレビのことは気がすんで、周囲に目配りをする気になったバーンには、隊舎のなかの隊員たちの急《せ》くような意識が、癇《かん》に障っていた。
『なんだ?』
そう思う。
「……どうぞ」
木のドアを開いて案内された応接間も、さっぱりとした清潔感があった。
「どうした? なにが起っているのか?」
バーンは、ドアのノブを握る曹長《そうちょう》にきいた。
「はっ? 何と?」
「……この建物は、全体に騒がしいな。なぜだ? 敵が接近しているという雰囲気だが、わたしの感じすぎか?」
バーンはソファに座りながら、窓の外の木々が、穏やかな朝の光のなかに浮き出したのを見やって、快適な環境だと感じていた。
ただ、湿気は強いのであろう。
雨があがって、かなりたつのだが、さっぱりとせず、肌着がベッタリとする感じに閉口しながらも、ドアの前に立った曹長のしどろもどろの対応を、目のはじに捕えていた。
「領空侵犯は、その、珍しいことではありませんので。いつものことです」
「どこかと戦争状態に入っているのか?」
「いいえ! とんでもない!」
曹長は、一佐からガラリアのことは口止めされているので、口ごもったが、彼の意識は、もう一機のオーラバトラーの動静をはっきりと描いていたので、バーンは、ガラリア機とジョク機のことに考えが及んだ。
「……ほかの方、貴公の上司、いっしょに車に乗っていた方は、どこに行ったか?」
バーンは、座りごこちの良いソファから立たずに、中年の曹長を見上げた。
「失礼いたします! 粗茶であります」
若い隊員が部屋に入って来たので、曹長の方は、敬礼をしてあわてて退出していった。
彼は上司を呼びにいったのだ。
「…………?」
バーンは、テーブルに置かれた茶碗《ちゃわん》に陶器の蓋《ふた》がつき、丸い銅製の茶托《ちゃたく》に乗せられているのが珍しかった。
「茶か?」
「ハッ……! どうぞ!」
こういうことにも、訓練されているのであろう。
濃くはないが、薄くもないという茶であった。ゆうべ飲まされたものとは違う。
「ふむ……? 何か?」
バーンは、一口茶を口にふくんでから、盆を持ってドアの前に立っている若い隊員を見上げた。
「ハッ! 質問がありますが、よろしいでしょうか?」
その意思は明瞭《めいりょう》に感知できたので、バーンは微笑をかえして、また茶を口にした。
「オーラバトラーですか? あれ、どういう種類のエネルギーで動くんですか?」
「……? 生体エネルギーだ。オーラ力というものを知ってるか?」
「はい! 今、流行《はや》っていますから。オカルト、ずっと流行っているんです」
「オカルト? そういったか?」
「はい! いや、よくわかりました。ありがとうございます」
若い隊員は、盆を前にして、最敬礼をするとひょいと出ていった。
「…………?」
またもバーンには、わからないことが起った。
若い彼が、理解できたというのである。
「なんだ?」
彼の素早い理解と、隊全体に漂うガベットゲンガーにたいする理解しがたいという動揺。そして、緊張……。
バーンは、茶を喫しおわると、ソファを立って、窓の外の木々のむこうに見える飛行機の姿を凝視しながら、ガラリアが、近くにいると確信した。
「…………!」
バーンはドアを蹴《け》るようにして、廊下に飛び出した。この建物まで案内してくれた曹長と島田三尉にぶつかりそうになった。
「……どちらにいらっしゃるか……!」
「気になることが起っているらしい。ガベットゲンガーに戻る」
「しばらくすれば、朝食が来ます」
「ガベットゲンガーのところに持ってきてくれ」
「どうなさったのです!」
「こちらがききたい。ここは緊張している。近くに敵がいる」
バーンは、建物を出ると、滑走路の方にむかって走り出した。
「おい! 車だ! 格納庫の整備員に、バーン殿が行くと連絡っ!」
島田三尉は、最後の指令を小声で部下にいうと、自らランドクルーザーに飛び乗って、走るバーンを追った。
「バーン殿っ!」
ランドクルーザーを減速させると、バーンが身軽に飛び乗ってきた。
その機敏な行動に、島田三尉は、バーンはかなりの武芸の達人だと見た。
キィーン!
そのジェット・エンジン音は、強圧的に上空を横切った。
アメリカ海軍の戦闘機だった。
「奴等《やつら》っ! ここは、滑走路だぞっ!」
明らかに、コース違反である。島田三尉は、空を見上げてどなった。
その飛行は、何か、この基地を威嚇《いかく》する風に見えないでもなかった。
「ジェットか!?」
「よくご存知で……」
島田三尉は、バーンの発音をきいて驚くと同時に、バーンは地上世界の文物について、多少知っているという話を思い出した。島田三尉は、この白人らしい男が、異世界出身ではなく、どこか西欧圏の人間ではないかという親近感を抱いた。
バーンが、格納庫に飛びこんだ時、ガベットゲンガーを点検していた整備員たちは、ただ外側から見て、機体を検査している風に演技した。
「こんなものが飛ぶんだってよ」
「信じられるぅ? あんた」
いかにも素人《しろうと》芝居なのだが、そんなことを声高にしゃべりあって、バーンが何をするかと興味津々たる目つきを送った。
バーンは、コックピットに取りつけてあるタラップを駆け上がると、またも、オーラ・バッテリーが充たされているのを確認し、無線を入れた。
オーラバトラー同士か指揮艦との交信、その二チャンネルしかないのだから簡単である。
ノイズが激しかった。
「その無線、我々が使っているものと代えましょうか? 中波も使えて、もっと性能がいい奴と」
コックピットを無遠慮にのぞいて、そういう島田三尉を、バーンは、ギロッと睨《にら》みつけ、スピーカーのボリュームを上げた。
ザーというノイズに、数局のラジオが混信した。
「……ガラリアだ!?」
バーンは、呻《うめ》いた。
「仲間がいるのか?」
バーンの挙動をコックピット前の整備台から注視していた島田三尉は、背後の隊員に命令した。
「傍受!」
「はっ!」
その隊員は、タラップを降りると、整備員の一人を掴《つか》まえて、
「おい、あの無線機でつかっている周波数は、わからないのか?」
「そんなの調べる時間はなかったでしょ。あの無線機には、切り替えスイッチがあるだけで、ダイヤル表示ひとつないんだ。中のコイルを調べる時間などあったか?」
小声でやりあうと、その隊員は、格納庫の隊内電話にとりついた。
「……地区無線! ガベットゲンガーが無線を使っている。傍受しろ! え? なに?」
その曹長が、電話にききかえしている間に、格納庫は、オーラ・ノズルの轟音《ごうおん》と排気ガスの噴出音に満たされてしまった。
「バーン殿が、ガベットゲンガーを動かしました! 朝食をどうする!? そんなのあとだ! あとっ!」
ガベットゲンガーは、一方の手で整備台を横に移動させると、ズシーンと第一歩を踏み出して、朝の光に輝く滑走路に姿を現していた。
その前方の空に、ジェット戦闘機のエンジン音が走り、黒煙が、広く薄くゆったりとたなびいていた。
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電話が鳴っていた。
食器棚の下の棚から漬け物や佃煮《つくだに》を取り出していたジョクの母、良子《よしこ》は、その音に跳びはねるようにして、受話器を取った。
「はい! 城《じょう》ですが? はい? え、どちらの鈴木さん? えー、おまちがいじゃありません? うちでは、自動車会社に勤めている……」
「あ、すみません。それ、ぼくです」
「え? 常田《ときた》さん? ちょっと待って下さい。います。代ります」
俊一に受話器を渡す時に、その受話器がどうなっているのかと、チャム・ファウがのぞきこんできたので、良子はつい、チャムを手で払ってしまった。
「シッ!」
「ウーッ!」
チャムは、ちょっと険悪な表情を見せたものの受話器が気になって、そっちの方に行ってしまった。
「……はい。常田です。いつも……はあ……いえね。ちょっと、気になったことを思いつきましてね。あなたのやっていらっしゃる昆虫の行動様式の研究に関係することで……なんで、こんなに朝早く電話を?……だって、いつでもいいってメイルでおっしゃっていたでしょう?」
杏耶子《あやこ》は、味噌汁《みそしる》の具の支度《したく》をしながら、俊一がしゃべりすぎないように、耳をそばだてた。
「このなかに人がいるのか?」
チャムは、俊一が答えてくれそうもないので、良子にきいた。
「ちがいますよ。あなたね、もっと勉強するのね」
良子は、うんざりして答えた。この不思議な生物のいうことが、頭にビンビンと響くのでイライラしていた。
「……ええ。それで、なんというのかな。動物そのものの動きを、機械的に再現することが可能なのかって、そういうなんというのかな、そういうものについての意見をききたくなって……ええ? そのサンプルみたいなものを見た? どこでです? 信じますよ。そりゃ、そうでなければ、あんなメイルは、出しませんもの……本当なんですね?」
「ジョクさん!」
杏耶子は、包丁の手を休めて、勝手口からカットグラを隠している防風林の方に、声をかけた。
「なんです!」
「今、俊一が、電話をしている人が、オーラバトラーを見たんですって」
「……えっ? どういうことです」
ジョクは、ズボンの裾《すそ》の方を濡《ぬ》らしながら、駆けこんできた。
「……電話しています。なんでも、バイオ・テクノロジーの研究を自動車会社でやっている人なんですって……」
「ほう……? そういう種類の人。かわります」
ジョクは俊一の肩を叩《たた》いて、受話器を渡してもらった。
「すみません。いきなり電話で……。ぼくは、あなたの見たものについて、多少知っている者ですが、見たものについて、説明していただけますか?」
電話のむこうの鈴木|敏之《としゆき》は、ジョクの唐突《とうとつ》な質問に、冷静に簡潔な説明をした。
ジョクは、その声をきいて、信頼できそうな相手だと感じた。
「それ、オーラバトラーといいます。生体エネルギーで動くもので、そういうものの、試作機みたいなものなんです」
「なんだって?」
むこうの青年の声が、今度は疑わしそうになった。
「……信じます?」
「信じるわけにはいかないな。そんなもの……。しかし、リモコンのモデルにしても、できすぎに見えた。その、なんというのかな、技術的なことききたいんだけれど、駄目かな? どこにでも行くけれど……」
今度は、鈴木が急《せ》きこんできた。
「いろいろ事情があるんで、これ以上は、電話では、説明できませんね。ぼくは、あなたの立場も知らないんですから」
「ちょっと妙ですね。なんで、常田君がメイル送ってきたんですか? あなた、ジョウさんでしよ? 納得いかないな。会って下さいませんか?」
「ぼくは、あなたの会社と対抗する会社の者か、ヘッド・ハンターかも知れませんよ? それでもいいんですか?」
「そりゃ、完壁《かんぺき》に自分の才能を磨けるところがあれば、どこでもいい」
「じゃ、ぼくが、あなたの役に立つ情報を持っているかも知れませんし、ぼくも助けてもらえるかもしれない。これからいう住所に、すぐきていただけます?」
「……テストですか?」
「ま、そんなものです」
理由などはどうでもよかった。
ジョクは、この鈴木という青年の声が気にいったのだ。
ジョクには、このままこの世界にとどまるつもりなどはない。バイストン・ウェルに戻るための糸口を見つけてくれる才能を手にいれる必要があった。
杏耶子は、お冷やをあたため直したもので、お握りをつくった。それをチャム・ファウが、なんだなんだ、ときいている。
ジョクの母の良子は、そんな二人の様子を気味悪そうに見てから、開け放たれた勝手口に降りて、裏庭をのぞきに行った。
「あなた……あれなんなんです!?」
電話をおわるのを待って、良子は、勝手口からジョクにきいた。またヒステリーをおこしそうなのだ。
「ロボットですよ」
「そんなことはわかります。なんで、あんなものが、裏庭にあるの!」
「持ってきたんです」
ジョクは、杏耶子の作ってくれたお握りを口にした。
「…………!」
チャムも、小さく作ってもらったお握りの海苔《のり》のついていないところにかじりついて、口をモグモグさせた。
「……だって、あなたは、アメリカで飛行機の操縦の練習をしていたんでしょ? それなのに、ぬいぐるみショウのアルバイトなんかやって!」
「ええ?」
「あのロボット。ぬいぐるみでしょ?」
「そんな安っぽいものじゃない。それに、あんな大きなぬいぐるみがあるわけないでしょ」
杏耶子が、できたての味噌汁を出してくれた。
「じゃ、どういうことなの? わかるように説明してちょうだい」
「父さんには、電話したの?」
「しましたよ。会社にいたわ。すぐに戻ってくるって。ねぇ! 説明してちょうだい」
「また気絶するよ」
「そんな……」
ジョクは、テレビの朝の各種のスタジオ番組をリモコンでチェックしながら、受信機のダイヤルをいじっている俊一を見て、また勝手なことをやっていると思った。
警察無線で、ガラリア機の具体的な動きがききとれないので、彼なりに、必死なのだ。
オールレンジの受信機とはいえ、それは、ジョクが高校時代に、アメ横で買ってきた怪しげなメーカーのものなので、ロクに電波が分離できないのである。
「……英語だな……これ、航空無線でしょ?」
「横田あたりが、入ることもある」
ジョクは、久しぶりに家のぬか漬けを口にして、生理的に安定した。
が、ジョクたちがやっていることをオロオロと見ていた良子の顔が、次第に貧血状態になっていくのを、悲しい思いで見つめた。
「杏耶子さん。母にも、お茶でもいれてやって下さいませんか? 母さん。居間で、休んでいたら? そのつもりで、帰ってきたんでしょう?」
「……あんたたちは! いったい、何をやっているの!?」
良子のうわずった声が、悲鳴になった。
「父さんが帰ってきたら、説明する。同じことを何度も説明する時間はないようなんだ」
「どうして? 冷たいじゃない? どういうこと?」
「ああ、思い出した。ぼく、密入国なんだ。通関チェックを受けていないんだ」
「えーっ!? どういうことなのっ! どうしてっ」
乗り出していた上体をヘナヘナと崩した良子は、ジョクの前にすわりこむと、ただテーブルの上に視線を泳がせるだけだった。
「そうなってしまった。そういう事情なんだ。その事実を認めて欲しいんだよ」
「そんなこと、そんなの変じゃありませんか!」
「そうだよ。変なんだよ。だから、冷静になって、事実を見つめるようにしてもらわないと、ヒステリーになってしまう」
「もう、もう、なっていますよ!」
「……ごちそうさま。また、あとで食べるかも知れない」
「いいんですか?」
「ああ、カットグラの無線が気になる。君たちは、ごはんが炊《た》けたら食べるといい」
「何か手伝えることないのかな?」
俊一が、割りこんできた。
「無線を傍受することだ。それと、パソコンのメイルをチェックするんじゃないのか?」
「ああ、あ……!」
立ちかけた俊一は、また椅子《いす》に座りこんで、ダイヤルをいじりまわした。
チャムは、白米が気にいったのだろう。テーブルの上に正座して、お米を手でつかんで、パクパクと食べていた。
「そのスープ!」
「はいはい……」
杏耶子は、おっくうがらずに、おちょこに味噛汁をついで、それをチャムの前に置いてやった。
良子は、その光景を目の前に見ながら、これは、夢だと思っていた。
ジョクは、バイストン・ウェルで履いていた靴をしっかりと履くと、カットグラに上がっていった。
まだ、革鎧《かわよろい》を着る気にはなれなかった。
明るくはなったものの、裏庭の方からも、カットグラが見通せないのを確認していたので、気持ちにはよゆうがあった。
「…………?」
ギュン! ギュュュッ……!
慇懃《いんぎん》無礼この上ないというジェットの音が、通過した。
ジョクが、この家に住んでからきいたことがないほど接近した音だった。
「…………!?」
コックピットに足をかけたところで、ジョクは、家の屋根のむこうをパスする米軍の戦闘機を見た。
「艦載機……!?」
垂直尾翼のマーキングを本能的に識別するのは、飛行機好き少年の癖だが、今の場合は、具体的な『刺激』になった。
横田に艦載機が入っている。
低空を飛ぶのは、この空域に馴《な》れていないからだ。しかし、それは、よほどのことがなければ、こんな朝早くから飛びはしない。
艦載機が横田や厚木で、タッチアンドゴーの訓練をすることはあっても、それはたいてい夜なのだ。
しかし、その場合でも、こんなコースを通ることはない。
『なんだ!?』
ジョクは、無線のスイッチを入れた。
「……ガラリアっ……!」
紙のスピーカー・コーンが破れるのではないかという音量で、バーンの声がノイズのなかで震えた。
「……敵なんだろうっ……!」
そのガラリアの声は、かなり遠かったが、それでもキャッチできた。
「……なんてこったっ!」
ジョクは、呻《うめ》いた。
カットグラを発進させたい衝動に駆られたが、とりあえずは耐《た》えた。周囲の防風林の背丈だけカットグラを上昇させて、上空のようすをうかがいたいとも考えた。
が、それでは、周囲の人の目に、カットグラをさらすことになると思った。
「……バーン! ガラリア!」
口のなかで叫びながら、もう一度、彼等の声がきこえるのを待った。
しかし、ノイズが激しくなるばかりで、もう一度だけバーンの声がきこえたものの、ひどく遠かった。
「……ジョク! 臨時ニュースがはいっているけれど……!」
杏耶子が、勝手口から上体をのぞかせて、叫んだ。
「なんだって!?」
「福生《ふっさ》市の方で、大火災が起っているっていうニュース。どう思う?」
「福生? 横田基地のあるところだが……大火災?」
「ええ……字だけのニュースで、よくわからないけど、かなりひどいみたい……」
「かなりの大火災……? そうか。どこの局だ?」
「どこかわからないけど、アナウンサーがいっていたわ。突然、爆弾が落ちたように、大火災が発生して、なんでしょうねーって、そんな感じでしゃべっているわ」
「そうか……」
豪雨のあとだから、雲は残っていても、視界良好である。
今、上昇すれば、バーンとガラリア機を視認することはできよう。その意味では、東京がある関東平野は、日本で一番視界が開けている場所である。有利だった。
が、逆にいえば、逃げるには最悪の場所なのだ。
「あの米軍の戦闘機は、二人を見つけたな……」
だからといって、どうすることもできまい。
敵対行動を取ったのならばいざ知らず、そうでなければ、人型の飛行物体を『認識』することは、難しいことのはずだった。
「大火災ね……」
彼等を支掩《しえん》して、合流することはできても、これからの時間を考えると、無事にどこか安全な場所に移動させることは不可能のように思えた。
ジョクは、ノイズを発するスピーカーの音をききながら、自分が東京周辺で、人気のない場所をまったく知らないことに気づいて、苛立《いらだ》った。
『こんなものを隠せる場所は……大島《おおしま》にでも行くか?』
そういう考えしか浮かばなかった。
はるか頭上で、のどかなターボプロップのエンジン音がきこえた。自衛隊の早朝の不定期便である。
ジョクが大学に入った頃から始まっているもので、時折り、入間基地に入る。
『出てみるか。関係があるとしか思えんな……』
バイストン・ウェルの世界では、アの国のドレイク・ルフトの覇権《はけん》主義が始まった時に、ジョクは、ドレイクの国を離脱した。
事実上、ジョクの妻になったドレイクの娘、アリサ・ルフトをともなっての離反であった。
そのために、バーンとガラリアは、ジョクの敵になった。
しかし、ジョクのバイストン・ウェルでの生活は、地から湧《わ》きいでたもの、すなわちガロウ・ランとの戦闘をつうじて、彼等と共に戦っていた時期の方が長いのである。
敵味方にわかれたのは、今回のドレイク軍のミの国への侵攻戦が、初めてなのである。
バーンとは、オーラバトラーのパイロットとして研鑽《けんさん》しあう競争相手であったし、ガラリアは、どこか気脈《きみゃく》のつうじる異性であり、良い戦友でもあった。
心情的には、同じ釜《かま》のメシを食った仲間という意識の方が強い。
それが、米軍の艦載機に追われている!
大火災をバーンかガラリアが、発生させて……。
迷った。
「そうか……目的は、二人にまちがいを起させないことだ。俺がビビッているのは、オーラバトラーをこの世界の連中に見せたくない、知らしめたくないと思っていることにある。なぜか? オーラバトラーにある潜在能力が、どういうものか知らないためだ」
ジョクは、自問した。
「ジョク!」
チャム・ファウが、飛んできて、コックピットの縁にとまった。
「……テレビって、きれいだけど、変だね。誰にも触れない。ガラスがあるだけだ!」
そうして、感嘆と自分なりの解釈を述べるチャムを無視して、
「……チャム……ぼくは、お前やカットグラをこの地上世界の人に見せるのは、良くないことだと思つていた」
「なんでだ! あたしは、ブスか!?」
「そういうことをいっているんじゃない。チャムはきれいだよ」
「なら、自漫しろ。美人が友達だって、自慢しな。あの杏耶子か? あの女より可愛《かわい》い」
「……あのね、そうじゃないの。この世界の人は、心が狭いんだ。だから、チャムやカットグラを見たら、自分たちのために利用することだけを考えてしまうんだよ。だから、できたらチャムやカットグラを見せないでおこうと思ったんだ」
「そりゃ、損だわ」
「なんでだ?」
「あたしを見れば、みんな幸せになる。隠すのは、いけないよ。アハハハハ……あたしを見せたくないんだな? 他の人に? 隠しておきたいんだ。妬《や》いてんだ?」
「お前は、どうして、そういうことだけは、ピンピンとわかるんだ?」
「これが、あたしのいいところだモン」
「いいことかい!……知らしめる、か……どう思う?」
最後は、勝手口から駆けこんできた杏耶子にきいた。
「何を?……人型の風船が、飛んでいるってテレビでいっているわ。何をどうするの?」
「どうも、一緒にこの世界にきたガラリアとバーンの二人らしい。米軍に捕捉《ほそく》されたと思われるような動きをしている。二人にまちがいを起させたくない。出たいが、どう思う?」
ジョクが、杏耶子の意見をきくので、チャムはふくれて、コックピットの正面にある木の枝にとまってしまった。
「……まちがい? そうね。これ、武器でしょう? なにもしていないとは思えないわね……間にあうかどうか……ちょっと心配だけど……福生市の大火災というの、関係あるんじゃなくて?」
「そう感じるか?」
「ええ、偶然がこんなに重なるかしら?」
と、俊一が、勝手口から、
「人型風船がふたつになって、所沢方面に抜けたらしい。それに……どうもきき違いらしいんだけど、なんだろうな。受信機では、横田で何かが撃墜されたらしい」
「何が?」
「よくわからない。ヘリかなんからしいが……コードは、わからないよ」
「なんで、わかったんだ?」
「横田から、英語で、抗議しているんだよ。立川とか入間という固有名詞がきこえるんだ」
「艦載機が、飛んでいるんだぞ?」
「そんな関係、わかりませんよ。英語、弱いんだから」
ジョクは、もう何もいわなかった。
オーラ・ノズルを開いた。
「どうするの!」
杏耶子が、カットグラの足にすがるようにして、いった。
「一回のミスならば、なんとか申し開きもできるが、二度のミスはゆるされない。所沢を抜けたんだな? 北にむかっているということか!」
「そのはずだ!」
俊一は、勝手口を降りて、手にしたインスタント・カメラをカットグラにむけた。
「…………!?」
ジョクは、その俊一の動きを見逃さなかった。
彼の手にしているカメラは、彼のものだ。ということは、今、ジョクがカットグラにきている間に、車から持ってきたのだ。
直属の部下でもなんでもない彼に、何かを強要する立場ではないが、ジョクは、よくもまあ、自分勝手に動きまわる青年だと思った。
あれを現代的なタイプというのは、ジョクでも認めがたい気持ちだった。
「行くぞっ!」
チャム・ファウが、すべりこむのを待って、ハッチを閉じると、ジョクは、カットグラの装備を確認して、両方の腕を左右に上げた。
「あれ、あれっ!? 動いているっ!」
カットグラの稼動する音に、勝手口に出てきた良子が、またも卒倒しそうなほどに全身を硬直させて、悲鳴を上げた。
「へーっ! なんなんです!?」
もうひとつの悲鳴は、祖母の面倒をみてくれているお手伝いの榎本さんだった。丁度、朝の出勤時間で、前庭からまわって裏庭にきたところだった。
ザワザワッ!
防風林を左右に分けるようにして、カットグラは、ズズッと上昇をかけた。
その動きは、かつてなく調子が良いように、ジョクには感じられた。
「ン……! いいぞっ!」
「…………!」
ジョクも、チャムのように叫びたい衝動に駆られながら、開けていく正面の視界を見ていた。
雲からさしこむ朝日を受けたカットグラの機体は、仁王《におう》が山門から立ちあがる姿に似ていた。
新青梅街道を田無《たなし》にむかっていたジョクの父親、孝則《たかのり》は、やや斜めに前傾してビルの上空を加速してゆく、ジョクのカットグラの機体を、車の正面の窓に認めて、
『よくできたものだな』
漠然と、それをリモコンの模型ぐらいに思っていた。
それは、背中をむけると、ビルのかげにすいっと隠れていった。
彼がかけているラジオは、ニューヨークの株式市況をレポートしていた。
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ジョクの住む街、田無市は、東京の二十三区のすぐ外側にあるのだが、拡大する東京そのものに呑みこまれている街である。
北側は、埼玉県に接しているものの、そこも、住宅が連なって、境界を見ることはできない。
区部にくらべれば、田畑と緑が圧倒的に多くなっているものの、依然として点在する人工物は、延々とつづいて、日本最大の関東平野の奥にかすんでいた。
「…………!?」
チャムは、うーむ、と唸《うな》るように前方の景色を見ていた。
今さらながら、バイストン・ウェルのコモン界とのちがいに、呆《あき》れているのだ。
「……あのペタッて見えるのが、家か? 道路か? 人か」
「ああ……」
ジョクは、チャムのいおうとしていることがわかったから、頷《うなず》いた。
彼は、一度だけ、調布《ちょうふ》の飛行場から軽飛行機に乗って、自分の家の上空を遊覧飛行したことがあった。
地上がその時の印象より、さらに、人工物に侵蝕《しんしょく》されているすさまじい光景に見えたのは、ロスアンジェルス周辺の砂漠のような光景を見、なによりも、バイストン・ウェルのコモン界を見たあとだからだろう。
どこにも、オーラバトラーを隠すような場所はないように見えた。
それでも、この大地の穏やかな起伏とくすんだ緑の大地には、水っぼく、人の心を安心させるものがあった。
アメリカではなかった。
ジョクの視線の先に、東からの太陽の光を反射するものがあった。そして、その左側のかなり近い距離に、幕のように黒煙が上がっていた。
その下には、チロチロと赤いものが見えて、その拡《ひろ》がりはとんでもなく広いものであろうことがわかった。
「あれが、大火災!?」
戦争状態でも、なかなか見ることができないほどの黒煙の拡がりであった。かなりの爆撃でもなければ、あんなに煙は上がらないものだ。
ジョクは、ショット・ウェポンと話したことを思い出していた。
『フレイ・ボンムを、地上世界で使ったらどうなるか……わたしは、知らない』
ジョクは、そんな言葉を打ち消すようにして、加速をかけていくと同時に、左右のバックミラーと潜望鏡のスクリーンをのぞいていた。
高度は、百メートルと上げてはいなかったが、勘はあたった。
背後の上空から、黒いものが接近したと思った瞬間、ドン! と前方にパスしていった。
「……ヒッ!」
その二、三秒後、チャムが、ハッチの方から、ジョクの方に撥《ぱ》ねとばされた。
ジョクが家の裏庭で見たと同じマーキングをした米軍の戦闘機のショック・ウェーブが、カットグラの機体を揺すった。
「よくやる」
かなりの速度で、前方の光るものの方向に、その戦闘機は飛んでいった。
ジョクは、左後方の上空を見た。
高度、千メートルといったところから、二機の黒い影が降下して、一瞬、パッと四本の飛行機雲をひいた。
『朝に珍しい……』
そう思った。
その二機の戦闘機はジョクのカットグラと並進するようにして、ゆっくりと前方にまわり込むと、ジョクが目指す方向にむかって降下してから、かなり低空で、機首を上げた。
『デモンストレーションをやっているんじゃないだろうにっ』
ジョクは、自分が飛行許可を取らずに飛行していることを忘れていた。
三機の米軍の戦闘機は、大宮《おおみや》あたりで大きく旋回すると、またも、もとの目標、ジョクが認めた光にむかって、接近していった。
「くそっ……! 無線が傍受できれば、連中の意図がわかるのだが……」
ジョクは、口のなかでののしりながら、カットグラをさらに加速させた。
機体は、特に変った震動もみせず、オーラ・ノズルの吹き上りも快調に感じられた。
「あれっ、あれ何っ!?」
「この世界のオーラバトラーだ。ガラリアが、あれらのひとつをやっつけたという話は、本当らしい」
「それで追っかけているのか!?」
「そうとしか考えられない。人型の風船を追いかけるほど、この世界のオーラバトラーは、自由じゃないんだ」
「そうなの。そうよね! あれ、狂暴な動きだもの!」
「そうだな。ジェットの音は狂暴すぎるし、あの直線的な動きは、まるで、強獣《きょうじゅう》のように愚鈍なものに見える」
ジョクは、さらにカットグラに加速をかけながら、無線を開いて、呼びかけた。
「バーン! ガラリア! ジョクだ。きこえたら応答せいっ!」
一直線に飛行しながら、ジョクは待った。
ノイズのなかから、応答があった。
「ジョクかっ!? 生きていたかっ!」
バーンの声には、敵意があった。
「……追われているのは、なぜだっ!」
「うるさいっ! ガラリアをむざむざ撃墜させんっ!」
「……敵にまわっているのか……!」
ガラリアの声が混信した。
「敵?」
ジョクは、二入が混乱していると思った。
「……ンッ! やっちゃえっ!」
「黙っていろ! 事情がわからない。二人を追っている飛行機とは俺は別だ。ジェット戦闘機と俺とはちがうんだ!」
「同じ世界の者同士が追って、何をいうっ!」
「ジョクっ! むざとは討たれんっ! カットグラの火力は、増大しているんだっ! その気になれば、あんなジェットなどっ!」
ガラリアの声が、明瞭《めいりょう》に飛びこんできた。
「待ってくれ! 手を出すな! 追っている戦闘機に手を出させないためにも、街から離れるなっ! 街から離れなければ、戦闘機は攻撃してこないっ! バーン! ガラリアっ! きけっ! 俺は、まだこの地上世界の連中とは、接触していないんだ!」
ジョクは、前方を行く二機のオーラバトラーの影が、識別できるまでに接近していた。
「…………!?」
米軍の戦闘機が、ジョクの左右から迫ってきた。
ジョクは、その影を見た。
嫌な予感がした。
「…………!?」
ドウーンッ!
今度は、音速に近い速度のまま、ジョクの視界の右から左へ二機、左から右へと一機がパスした。
バーン機とガラリア機が、ふわっと左右に揺れて離れたように見えた。
ジョクは、本能的に高度を下げながらも、カットグラの機体を、縦にしたまま一回転させた。
その間に、ジョクは周囲を索敵した。
チャムも、同じようにした。
彼女は、ジョクにとってもうひとつの目になってくれた。
「……ヘリか……!?」
警察か消防のものだろう。海上自衛隊の館山《たてやま》基地からのヘリがくるには、早すぎると感じた。
しかし、朝霞《あさか》駐屯地あたりから飛び立つヘリだってないことはないし、消防庁のヘリが福生市にむかっているのかも知れなかった。
そんな影が見えた。
「…………!?」
米軍の戦闘機は、上空で三機が編隊を組んだ。
その素早さは、かなり実戦訓練を積んでいるチームのものだ。
力ずくで、二機のオーラバトラーに接触して、説得するしかないとジョクは決心した。
ジョクが、カットグラをあおるようにして上昇をかけながら、バーン機とガラリア機に接近した時、フッとガラリア機が方向をかえた。
それをバーン機が追って、二機のオーラバトラーに加速がかかった。
東京に戻る気だ。
ジョクの忠告の意味がわかったのだろう。
「おいっ!」
ジョクは、二機が方向転換をする隙《すき》に、その距離を一気につめていた。
「……シェッ! 地上人の片割れ奴《め》がっ!」
バーンだった。
バーンは、右後方から追尾してきたジョク機が、思った以上に接近しているのにギョッとして、フレイ・ランチャーをむけた。
ジョクは、そのガベットゲンガーの腕の動きを見切っていたので、上昇をかけて回避した。
「戦う気はない! 助けたいっ!」
「しゃら臭いことをっ!」
「バーン!」
ガラリア機が、ガベットゲンガーの腕の動きをとめる位置について、フレイ・ランチャーの動きを制した。
「ガラリア!」
バーンは呻《うめ》き、ガラリア機とジョク機を交互に見やった。
一瞬、彼は、敵に囲まれたと錯覚した。
その間も、三機のオーラバトラーは、東京にむかって、一直線に飛行をつづけていた。それを三機のアメリカ梅軍の戦闘機が追尾しているのだ。
「……ジョク! やっちゃえっ! やっちゃえっ!」
「黙って! お前にしゃべられると、考えていることを忘れる」
「考えることないでしょ!」
「大事な時なんだ! バイストン・ウェルに帰りたくないのかっ!」
その一喝《いっかつ》が、チャム・ファウを黙らせた。
「ジョクっ! 貴公は、誰としゃべっているんだっ! まさか、あのフェラリオかっ!」
ガラリアだった。
その声にあわせて、ガラリア機がジョクの前に位置した。一応は、バーン機との間に入って、牽制《けんせい》するような位置についてくれたのだ。
「ガラリア! 無事か!」
「わたしのことはいいっ! 貴公っ……! そんなフェラリオに生き血を舐《な》められて、それで、わたしらに敵対行動をとるようになったかっ!」
叫ぶガラリアの姿が、ジョク機とガラリア機の二枚のハッチ越しに、かすかに見えた。
正面に対峙《たいじ》すると、このカットグラのハッチは、光の加減で、中が見えることがある。
久しぶりに見た実際のガラリアは、怒りと情けなさといったものがないまぜになった複雑な表情を見せていた。
「ガラリア! 何をいうっ! そんなことと、ぼくの離反は関係がないっ! ドレイクだ! 彼のやり方とショットの考えが、ぼくには、受け入れられなくなったんだ!」
「シャッ! この期《ご》に及んで、いうな! わかったんだっ! ジョクが、そんなフェラリオを乗せてオーラバトラーで戦うから、我々は、地上世界に出てしまった! そんなことをしなければ、我々は、こうはならなかったっ!」
「ガラリア!」
ガラリアの発言は、偏見である。
しかし、それは、彼女個人のものではなく、コモン界の通念であるといった方が正しい。チャム・ファウのようにコモン界に迷い出た雌のフェラリオは、人心を惑わす象徴とみなされて、忌《い》み嫌われていた。
人を自堕落《じだらく》にする。
色狂いにする。
ガロウ・ランの手引をして、人を地の底にいざなう……でなければ、ひたすら人を狂わせる。
その結果は、一族の衰亡《すいぼう》であり、その社会の堕落であった。それを受け入れているのは、ガロウ・ランだけなのである。
殊に、ガラリアのように潔癖な騎士は、かつての僚友が、このようなフェラリオを身辺に置くことなどは、唾棄《だき》すべき以外のなにものでもないと感じるのだった。
「いうなっ! ジョク! そこまで身を落したかっ!」
ガラリア機の右手が剣を抜いて、斬《き》りかかった。
手練の早業《はやわざ》である。
ジョク機は、楯《たて》で受けるのが精一杯だった。
ガキッン! ギジッン……!
楯に食いこんだ剣に、ガラリア機の加速がかかり、ジョク機は、仰向《あおむ》けになってしまった。
その体勢の変化が、二機のカットグラを一気に降下させた。
「やっちゃえっ! やっちまえっ! こんな女ーっ!」
チャムだけが、単純に声援を送り、目の前の敵に噛《か》みつくのではないかという勢いで、絶叫した。
その姿は、ガラリアからも見えた。
ガラリアとジョクの距離は、四メートルとないのだ。
「…………!?」
彼女の気力がジョクより数倍強いのは、彼女の気持ちが切羽つまっているからだ。異世界にいる緊張感も、それを刺激していただろう。
「……ガラリアっ!」
押し切られるのをこらえるのが精一杯のジョクは、機体をより早く後退させるようにして、ガラリアの力を殺そうとした。
二機の機体は、縦方向に回転しながら落下していったが、高度十数メートルというところで、ガラリア機の押しこむ力を利して、ジョク機は離脱した。
「クッ!」
ドウッ!
オーラ・ノズルの噴出が、家屋の屋根瓦《やねがわら》を吹き飛ばす。
ガラリア機は、脚で二階建ての日本家屋を踏みつけるようにして、上昇をかけた。
「うわーっ!」
「なんだっ!」
「人が戦っているぞっ!」
喚声《かんせい》が、密集した住宅地の路地から上がり、朝の目覚めを破られた人びとが走り出た。
「……人型のものが三機になった! 味方同士で、ソードバトルを始めたっ!」
「なんだと!? 空中だろう。なんでチャンバラができるんだ!」
「人型のマシーンだ! やって不思議はない!」
その交信は、オーラバトラーを追っている戦闘機と横田の管制塔のものだった。
「他のパイロットは、確認したのかっ!」
「しているはずだ! 目がいいのは、俺が一番だがな!」
その戦闘小隊の隊長、キャグニー・ストガノム大尉は、再度、機を人型の編隊の高度まで下げて、追尾する態勢に入った。
必然、速度は、落ちた。
「自衛隊と日本政府からの釈明はないのか! あんな兵器を開発しているなんて話は、誰一人きいちゃいないんだぞっ!」
「……照会中だ。ヘリ一機撃墜したことも、イルマはわかってくれない!」
「ジャップは、いつもこうだ! よりによって、東京で真珠湾《しんじゅわん》をやる! いい度胸をしている!」
「エンジェル・フィッシュ! キャグニー! 熱くなるなよ。自衛隊の反乱ということだって考えられるんだ。うかつなことをするなっ!」
管制塔も横田の戦術司令室もまだ冷静だった。
その声音が、戦闘機乗りには、欄《かん》に障《きわ》るのだ。
連中は、前線で受ける刺激、つまり、実戦の視覚と聴覚から受けるノリをまったく理解しないのである。
だから、いつも命令することが、後手《ごて》後手《ごて》にまわるのだ。
「わかっているよ!」
キャグニーは、わかっていない癖に、反射的にそういっていた。そうすれば、とりあえず、連中の口を封じることができるのだ。
バウッ!
正面に見えていた三機の人型のものを横に流しながら追いこすと、キャグニーは、いつでも、砲撃ができるようにしながら、再度、三機の人型の飛行物体を、照準のなかに捕えた。
ロックオン!
しかし、視認しているはずの人型の物体は、レーダーでは、探知できなかった。
「なんだ……?」
高度が低すぎるからか、都市の上空特有の電波障害があるためか、レーダーは人型を捕捉《ほそく》できなかった。
それは、追撃が始まってから薄々感じていたのだが、有視界で追尾できたので、それほど気にしていなかったのだ。
キャグニーは、僚機にも、レーダー追尾を試すように指令した。
三機の人型は、また機体を寄せあいながらも、東京にむかう進路を変えることはなかった。
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諸岡一佐は、横田から抗議と詰問の連絡を受けたことを、関係機関に連絡しながら、さらに、バーンのオーラバトラーの報告をしなければならないという面倒な局面に立たされていた。
しかし、やらないわけにはいかなかった。
オーラバトラーは、二機いるのだ。
が、今、横田から入った抗議によるとオーラバトラーは、三機らしい。
「どういうことなんだ……!?」
諸岡一佐の前に、副長の角田《つのだ》三空尉から、オーラバトラーに関する報告文が示された。
「曖昧《あいまい》だな。もう少し具体的に書きたいところだが、まず、これを防衛庁以下の関係機関に送れ。あとは、順次、加筆訂正したものを送ると添付してな。時間の問題になってしまっている。正式のオーラバトラー捕獲報告文書を送らない前に、横田がやられたんだからな」
「送ります。同時に、訂正文書の作成もやらせます」
「そうしてくれ。火災の方はどうなんだ?」
「かなりです。昭島《あきしま》市、福生市、それに立川市におよんでいるようです」
「……! なんでこんな時に、ミシシッピーが、横須賀に入港するんだ?」
先週一杯、北方海域で大規模な演習を行なった米軍の太平洋艦隊は、母港にしている横須賀に補給のために帰ってきたのである。当然の艦隊行動であった。しかし、その際、偶然にも、海上自衛隊も近くの海域で、演習を実施していたのである。
その結果、東京湾は、昨日今日とにぎやかなのである。
「スクランブルで出た戦闘機は、どうした?」
「アンノンの定期便は、太平洋上に消滅しましたので、方向転換させました。あと二、三分で、首都圏に入ります」
「百里からは、増援は出たのか?」
「はい。B戦闘小隊、離陸しました。しかし、どうするんです? 東京上空で、なにができます?」
諸岡一佐の前の席に陣取っている加藤二尉がきいてきた。
「できやせんよ。見学するだけだ。陸自のヘリは、なんで首都圏にはいないんだよ?」
「なんでです?」
こんどは、一佐の右横にすわる水野二佐がきいた。
「オーラバトラー相手なら、ジェット戦闘機より対戦車ヘリの方がむいているだろう?」
「そうですが、関東には、そんなのいません。東京の目の前に、仮想敵国が上陸するわけありませんから」
「富士にはいるんじゃないか? 呼び出せって、空幕に要請しておけ。そうすれば、こちらの責任も少しは軽くなる」
「そういうものですか?」
「いいか。オーラバトラーの件は、朝の定時に報告をすればいい性質のものだった。ところが、その前に米軍が被害を受けてしまった。米軍にすれば、我が国が開発した新兵器で攻撃されたと思っている」
「ジャパン・バッシングですよ」
「そうだ。そうだが、神経質になっている連中は、なんにでも因縁《いんねん》をつけてくるんだよ。あんなことが起る前に報告しておけば、UFOだぐらいにいって、つっぱねることもできたんだよ」
「……そんな……。もともとは、オーラバトラーの存在を、米軍から秘匿《ひとく》することが目的だったんじゃないですか」
「それはいうな。絶対にいうなよ。横田の火災で、デフコンは1に上がったんだ」
「了解です」
断固たる諸岡一佐の発言に、水野二佐も、そうだろうな、と思った。
ともかく、マニュアルにない事件が起ったのである。
となれば、最終決定は、トップに任せるほうが正しいし、現在の段階でいえば、極度に混乱した事態ではないので、トップの判断をあおぐ時間はあるのだ。
諸岡一佐の判断は、単純に現場責任の回避とはちがった。
なにしろ、未知の事態なのである。それに対処する場合、なるべく多くの人びとの判断をあおぐのは、まちがいではないのだ。
本来の軍事行動は、トップから末端までが、前線の状況を把握しているのが理想なのである。
「……ま……」
緒岡一佐は、水野二佐がホット・ラインの受話器を手にしたのを見つめて息をつくと、
「……我が方の戦闘機が、オーラバトラーを追尾すれば、むこうさんだって、オーラバトラーを我が方が開発したものだなんて考えまい。出動した戦闘機には、オーラバトラーの概念を報告しておけ。横田の被害情況の詳細から推測できるオーラバトラーの性能をだ」
「はっ、強力なミサイルを搭誠している人型の飛行物体三機?」
「二機だ。三機目など、確認していない」
前の席の加藤二尉の復唱に、諸岡一佐は強く否定したが、
「いえ、警察からの通報では、三機目も確認しています」
「…………!?」
「テレビにもうつっています」
島田三尉が、補足してきた。
「どこのテレビだ!?」
「民放です。特別番組を流してます」
「その回線、まわして……」
「どうやってです? ここには、受像機がありません」
情けないことに、このオペレーション・ルームには、バッジ・システムに関する近代的な通信設備がありながら、一般のテレビは置いていないのである。
スペシャリスト化したシステムというものは、往々にしてこうなるものだ。
民間のテレビ局から、最新の軍事情報が手に入るなどという発想はないから、こうなるのである。
「二、三台運びこめ! 急げ!」
「ハッ!」
こうして入間駐屯地は、騒然となった。
すでに、三機のオーラバトラーは、東京圏に侵入していた。
逆上したガラリアを制することができないのは、米軍の戦闘機の追尾も原因していた。
彼等は、自分たちの補給基地になっている横田の仲間を、ガラリアに焼かれたのである。
ヘリ一機の繋墜というのは、直接的な被害でしかない。
米軍の太平洋艦隊の中枢の一翼をになっている空母ミシシッピーから発進した連絡用のヘリとガラリア機の接触が起ったのは、バーンがお茶を飲んでいる頃だった。
初めて見るヘリコプターの動きに、煽動《せんどう》されたのであろう。
彼女は、うるさくつきまとうミシシッピーの連絡用ヘリに、フレイ・ランチャーを使った。
ヘリを撃墜するだけのつもりだった。
しかし、フレイ・ランチャーの威力は、ヘリを撃破しただけではなく、ナパーム弾十数発が炸裂《さくれつ》するような力を見せて、一気に横田の基地の一部とその周辺の住宅地を焼いたのである。
横田の滑走路は、三分の一ちかくが溶けてしまったが、昨日の昼に横田に入っていたミシシッピーのキャグニーたちの戦闘小隊は、その危険な滑走路を使って、ガラリアを追尾するために離陸したのである。
「チッ!」
ジョクは、投降の意思を戦闘機に示したかったが、その方法がわからなかった。
「バーン! ここは、ガラリアを押さえてっ!」
「捕虜にはならんぞ、ジョク! 地上世界の、軍隊らしからぬ連中に、頭を下げるわけにはいかん!」
「それはそれでいいが、いつまでも、飛んでいるわけにもいかないっ! ガラリア! おれは、フェラリオに心を奪われているわけじゃない! 帰りたくないのか! アの国に! このままでは、やられるぞっ!」
「まやかすなっ! ジョク! 貴様が、離反したのも、我々をこの世界におびき出して、オーラバトラーを我が物にするつもりだったのだ! そのために、バイストン・ウェルでも敵に寝返った! その次の企《たくら》みはなんだ! 地上世界からアの国を襲うのかっ!? ショットが仕掛けたか! 貴公一人の裁量か!?」
「みんな違うっ! ガラリア! 違うんだ」
「そうかい!? ジョク! ガラリアのいうことにも一理ある! わたしは、地上人が、このオーラバトラーを涎《よだれ》が出るほど欲しがっているという事実を把握したのだ! ジョク! これまでだなっ!」
「バーン! 誤解だ!」
「いうなよ! わたしは、独自でバイストン・ウェルに戻る方策を見つけ出す! 貴公は、死ねいっ!」
そのバーンの一声があって、ガラリア機が、ジョク機に再度|斬《き》りこんできた。
「チッ!」
ジョク機は、後退せざるを得なかった。
そこを狙《ねら》って、ドウッ!
ガベットゲンガーの強力なフレイ・ランチャーが発射された。
それは、バイストン・ウェルで見る以上に、すさまじく白い閃光《せんこう》に見えた。
ジョクは、その直撃は回避したものの、フレイ・ビームの熱波とそのショック・ウェーブに機体をあおられて、上空に舞った。
「あーっ!」
チャムの悲鳴がコックピットに満ちた。
そして、そのビームの先端では、その白熱した波が拡散して、追尾していた米軍の戦闘機の一機に直撃した。
ドヴッ! ババァーッ!
機体の爆発とミサイルの弾体が白熱した火球になって、東京上空に浮き上がってしまった。
そして、ビームの余熱とショック・ウェーブが、数十メートル下の日本家屋の瓦《かわら》を吹き飛ばし、ビルの屋上を焼いた。
ビル風になって襲ったショック・ウェーブは、数十台の車を撥《は》ね飛ばし、横転させていた。
「バーン!」
ジョクは、絶叫した。
そして、この攻撃からやや距離を取っていたキャグニー大尉は、その攻撃の全体を目撃して、顔を引きつらせて絶叫した。
「モーリーが撃墜された! あのドールが、やっちまった!」
キャグニー・ストガノム大尉の絶叫は、関東周辺の空域に飛んだ。それは、ひょっとすると、ソ連の定期便の偵察爆撃機もキャッチしたかも知れなかった。
東京湾から進行してきたチームと百里から直進してきた航空自衛隊の戦闘機のパイロットたちも、その光を目視《もくし》しながら、キャグニーの声も受信していた。
まだ、朝の空気が、ゆったりと東京をつつんでいる頃のことだった。
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[#地付き]「野性時代」一九八九年十一月号一挙掲載のものに加筆訂正したものです。
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底本:「オーラバトラー戦記 6」カドカワノベルズ、角川書店
1989(平成元)年11月25日初版発行
このテキストは
(一般小説) [富野由悠季] オーラバトラー戦記 第06巻 軟着陸.zip XYye10VAK9 17,493 7f32468f0f10e2844152a1b5dbdb6288
を元に、OCRにて作成し、底本と照合、修正する方法で校正しました。
画像版の放流神に感謝します。
***** 底本の校正ミスと思われる部分 *****
*行数は改行でカウント、( )は底本の位置
3958行目
(p173-上- 2) 「!…………」
「…………!」の可能性も有り……
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