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オーラバトラー戦記4 ギィ撃攘《げきじょう》
富野由悠季
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(例)城毅《じょうたけし》
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(例)生体|力《ちから》
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[#地付き]カバー絵・口絵・本文イラスト/出渕裕
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オーラバトラー戦記4 目次
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城毅《じょうたけし》、通称ジョクは、バイストン・ウェル、コモン界のアの国の戦士である。
コモン界の人々は、ジョクの生まれ育った世界を地上世界と呼び、ジョクを地上人《ちじょうびと》と呼んだ。
その呼称には、我々が言う『天に住む人』に近い意味が含《ふく》まれ、その呼称が示すとおり、バイストン・ウェルは、次元の違《ちが》う世界であることがわかる。
生まれ育った世界の違いが、ジョクに持っている以上の能力を発揮させたのであろう。
彼は、最上の騎士《きし》という意味にちかい称号、聖戦士《せいせんし》を与《あた》えられた。
だからといって、地上世界の人々すべてが、この世界で特異な能力を示して成功するものでもない。
バイストン・ウェルに移動《テレポート》できること自体、たしかに、特別に強い生体|力《ちから》、オーラ力《ちから》を持っていることの証明といえたが、ジョクと共にバイストン・ウェルに落ちた女友達、田村《たむら》美井奈《みいな》は、悲惨《ひさん》な運命にもてあそばれて、その若い生命《いのち》を散らせた。
ジョクがコモン界に降りたころ、同じように地上世界から多くの人が降り、それまで機械らしいものを有することを許容しなかったバイストン・ウェル世界が、人型《ひとがた》の機械、オーラ・マシーンの開発を受け入れた。
その開発テンポの速さは、異常である。
さらにいえば、コモン界の人々に忌《い》み嫌《きら》われ、恐《おそ》れられていた存在、すなわち、地から湧《わ》き出た人々ガロウ・ランが、オーラ・マシーンとの戦いを通して、変革の道を歩み始めたこととも奇妙《きみょう》に符節《ふせつ》が合っている。
アの国に敵対するガロウ・ランをたばねる男、ギイ・グッガは、闇《やみ》のなかにあっても、その思考を腐《くさ》らせることがなかったのである。
彼が世界を洞察《どうさつ》する直観を身に備えた生体《もの》であるとは思えないにもかかわらず、コモン人は、ギィ・グッガの変貌《へんぼう》を見ざるを得なかった。
その個々に有する能力以上の変化は、あまりにも、突出《とっしゅつ》しすぎていた。
故に、その背後には、バイストン・ウェル世界の意思そのものが働いていると想像することは、不可能ではない。
バイストン・ウェルもまた、何ものかの意思の象徴《しょうちょう》なのであろう……。
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ドレイク・ルフト麾下《きか》の一隊が、その稜線《りょうせん》に上ったのは、ヒトデに似た形の飛行物体数機が、反対の稜線上に突進《とっしん》していった直後だった。
「…………!?」
ドレイクは、その飛行物体が残した空気の震《ふる》えを全身に感じながら、すばやく馬上から地にすべり降りた。
「お館《やかた》様!」
周囲の近衛兵《このえへい》たちの声を背に、ドレイク・ルフトは、身に帯びた板金鎧《いたがねよろい》の重さも感じさせない身軽さで前方に走っていた。
ドレイクの残した馬の轡《くつわ》を取った近衛兵は、馬を引き身を低くして、窪地《くぼち》にすべりこんだ。
四肢《しし》を折るようにして身を伏《ふ》せた馬の全身は、汗《あせ》に濡《ぬ》れていた。それは、ドレイクに従う近衛兵団のすべての馬がそうなのだ。
「お館《やかた》様!」
低く呼び合いながら、ドレイクに続く近衛兵《このえへい》たちは小銃《しょうじゅう》を構えて、左右上下を警戒《けいかい》した。
板金鎧《いたがねよろい》を身におびたドレイクは、兜《かぶと》はかぶらずに、頭巾状《ずきんじょう》のもので、その禿頭《とくとう》を隠《かく》していた。
稜線《りょうせん》に取りついた彼は、腰にしたベルトのケースから、望遠鏡を取り出した。
鏡体《フレーム》が双眼鏡《そうがんきょう》ほどの長さの単眼のもので、過去にコモン世界で使われていた素朴《そぼく》な望遠鏡とはその形を異《こと》にしていた。
それも、ドレイクの軍事|顧問《こもん》であり、今しがた前方に飛んで行った飛行物体、オーラボム・ドーメと同じく、ショット・ウェポンの発明のひとつである。
ドレイクの右脇《みぎわき》にすべりこんだ武将のラバン・ドレトの手にしたものは旧式のものだった。
「……見えましょうか?」
「ン……待て……」
ドレイクは、ようやく対象を捕《とら》えたようだ。
「……敵の数が多いようだ……」
「敵のオーラバトラーが多い?」
ラバンはギョッとして、自分の望遠鏡から目を離《はな》した。
「いや、強獣《きょうじゅう》が出ている」
ドレイクは、自分の望遠鏡をラバン・ドレトに渡《わた》した。ラバンは軽く会釈《えしゃく》すると、ドレイクの望遠鏡を取って、自分のものは顎《あご》の前に置いた。
ドレイクは、そのラバンの望遠鏡を目に当ててみて、
「これでは使いものにならん。レンズに色がついて見える」
ドレイクのそんな言葉を、ラバンは聞いていない。
望遠鏡の性能に驚嘆《きょうたん》してもいたし、なによりも、戦況《せんきょう》に関心がいっていた。
「数十、いや、二十を越《こ》えるハバリーと見ましたが?」
「ン……。しかし、このマランの谷にギィ・グッガの本隊が入るとは思えんな」
「ハッ……?」
「空を飛ぶものであれば、陽動に使える。ギィはそれをやっているのだ」
ドレイクは、ラバンの望遠鏡に手を伸《の》ばした。
「本軍は、現在のままだ。予備軍は、予定通りにゆるゆると移動させる」
「ハッ!」
ラバンは、いかにも望遠鏡を返すのが惜《お》しいという顔をした。
「ショットに増産を命じてある。近いうちに、貴公等《きこうら》にも配布できる」
ドレイクは、望遠鏡をのぞきながら言った。
「ハッ……そう願いたいもので……」
「そのためにもこの戦い、勝たねばならん。アの国がガロウ・ラン一統《いっとう》に敗れれば、この地には、地の底の者の国ができる。それでは、コモン人の未来はない」
ここは主戦場ではない、そこに軍の総帥《そうすい》が、このように偵察《ていさつ》に似た行動に出るのは、近年のアの国にとっては、珍らしいことであった。
すでに、軍の展開の仕様は、昔《むかし》と本質的に違《ちが》っていた。
ドレイクたちが観測していた稜線《りょうせん》に沿って、ドレイク軍のオーラ・マシーンとギィ・グッガ麾下《きか》の強獣《きょうじゅう》ハバリーの部隊の空中戦が行なわれていた。
ドボウッ!
空中で爆発《ばくはつ》した火薬が黒く丸い煙《けむり》をはじけさせ、その間をいくつもの影《かげ》が走った。ガロウ・ランの兵を乗せた巨大な鳥ハバリーと、ヒトデ型のオーラボム・ドーメである。
そして、人型の飛行物体、オーラバトラー『カットグラ』の姿もあった。
それらが混戦を演じ、炎《ほのお》の尾《お》をのばし、火薬を装備《そうび》した矢を放ち、体当り攻撃《こうげき》をかけようとした。
その空中戦のありさまは、まだまだ原始的である。そのため、戦況《せんきょう》の推移を判断することは容易だった。
だからこそ、地上にいる兵たちにとっても、その戦いは身近なものに感じられて、安穏《あんのん》としてはいられなかった。
戦いの痛みが、観測するものに伝わるのだ。
ここは、そういう時代である。
「おっ! 落ちたっ!」
望遠鏡を目にしたドレイクは、低く歓声をあげた。
「ハッ!」
ラバンは、自分の望遠鏡をウロウロさせて、答えるしかない。
二人の周囲に伏《ふ》せた近衛兵《このえへい》たちも、それぞれに遠望されるものの形の動きに、低くどよめいた。
戦闘《せんとう》空域から離脱《りだつ》した敵の強獣ハバリーやオーラボム・ドーメが、時に近くで旋回《せんかい》して、再び戦闘空域にもどっていく。
「聖戦士《せいせんし》麾下《きか》には、何機のドーメが?」
「六機のはずです」
ラバン・ドレトは、戦闘空域に突入《とつにゅう》をかけるドーメを目で追いながら答えた。
「ガロウ・ランは、ハバリーを操《あやつ》り、弓を使うのかっ……!?」
近衛兵の一人が呻《うめ》くように言った。
「黒いドーメ!? 敵に捕獲《ほかく》されたものですな」
近衛兵の長のマタバ・カタガンが、ドレイクの脇《わき》に這《は》ってきた。
「そのようだ……黒のカットグラも出ている。ガロウ・ランが、カットグラを操るのか?」
ドレイクは、敵に捕獲されたオーラバトラー・カットグラの奪還《だっかん》がいまだ成らぬことに軽い失望を感じていた。
「ガロウ・ラン奴《め》……いや、バーンの見込みが甘《あま》かったのか?」
ドレイクは、バーン・バニングスのカットグラ奪還作戦を承認した自分の判断に、ミスがあったとは思いたくなかった。
しかし、ガロウ・ランの戦法と、彼らがオーラ・マシーンを使うという事実に直面して、ドレイクは、ガロウ・ランの進歩がなまなかなものでないことに、軽い戦慄《せんりつ》を感じていた。
以前のガロウ・ランたちは、強獣《きょうじゅう》の能力を武器として使うだけで、満足していた。
しかし、目の前では、ハバリーは数を頼《たの》んで波状|攻撃《こうげき》を敢行《かんこう》し、ドレイク軍のオーラ・マシーン部隊は、苦渋《くじゅう》を舐《な》めているのである。
「…………!?」
それでも、ドレイク軍|麾下《きか》のドーメ部隊は、数匹《すうひき》のハバリーを撃破《げきは》し、その上に跨《またが》るガロウ・ランの戦士を空中に葬《ほうむ》った。
その間、ドレイク軍の二機のカットグラは、敵の手におちた同じオーラボム・ドーメとカットグラを牽制《けんせい》していた。その敵に渡《わた》った両機の機体は黒褐色《こっかっしょく》に塗《ぬ》られて、それだけで性能の違《ちが》う機体に見えた。
「うっ!」
ドレイクの背後に伏《ふ》せる兵だちから、呻《うめ》きが上がった。
遂《つい》に、一機の味方のドーメが、数頭のハバリーの波状|攻撃《こうげき》によって、撃墜《げきつい》されたのである。
尾《お》を引く黒煙《こくえん》が、正面の空を背景にタテにのびて、やや左に流れながら、低い灌木《かんぼく》と岩の向うに消えた。
ドウッ!
低い爆発音《ばくはつおん》がその向うから起る。
ドーメの撃墜に勢いを得たハバリーの群は、またも、戦闘《せんとう》空域の中心に突進《とっしん》していくように見えた。
しかし、上空でたがいに牽制《けんせい》し合う形で対峙《たいじ》していたオーラ・マシーンは、それらハバリーの群の動きを探知して、一方の黒褐色のカットグラとドーメは、ハバリーを掩護《えんご》するように横にすべり、二機のドレイク軍のカットグラがその間に割って入ろうとした。
オレンジ色に見えるフレイ・ボンムが、教条|交錯《こうさく》すると、数匹のハバリーが四散するのが見えた。
「聖戦士|殿《どの》です!」
歓声が、ドレイクの背後であがった。
ドレイクは、同じように見える二機のカットグラの一機の動きが、明らかに他のカットグラと違《ちが》うので満足だった。
その動きの良いカットグラは、明らかに、周囲に展開するすべてのオーラボム・ドーメを掩護《えんご》しようという気配が見えた。
ドレイクにも、それを見分ける程度の眼力はある。
「…………」
騎士《きし》のありようとしては不満ではあったが、今は騎士同士の決戦の時代は終り、聖戦士ジョクのように、広く戦場を見て動かなければならないのは理解できた。
ジョクと連携《れんけい》するカットグラは、女性騎士ガラリア・ニャムヒーのものである。
彼女のカットグラは、上空から攻《せ》めこむ敵の黒褐色《こっかっしょく》のカットグラとドーメの動きを牽制《けんせい》して、ジョク機の働く空域を守ろうとした。
その下では、またもドーメとハバリーの集団|戦闘《せんとう》が展開されていた。
「動きが遅《おそ》いな……」
それでも、ハバリーの群が落ちるのが観測された。
ドーメも一機|撃破《げきは》されたが、ハバリーの残りの群は後退の気配を見せた。
「……いいか……」
予定に近い結果である。
実戦で予定に近いということは、勝利そのものと言って良い。
しかし、谷間では、まだカットグラ同士の戦いが続いていた。
最終的には、騎士に相当する軍の中核《ちゅうかく》がぶつかりあって、その雌雄《しゆう》を決しなければ、戦いが終了《しゅうりょう》しないのが、この世界の戦争である。
「……ガラリア! 下に引きこめっ!」
ジョクは、左右に後退を始めたハバリーの影《かげ》を目で追いながら、無線に怒鳴《どな》った、
が、そのジョク機を狙《ねら》って、黒褐色のカットグラが、一直線に降下してきた。その勢いは、ハバリーの動きにいらだってのものと思われた。
バシャーッ!
敵の掃射《そうしゃ》しだフレイ・ボンムが、ジョクの視界|一杯《いっぱい》に拡大《かくだい》し、ジョク機の左腕《ひだりうで》の楯《たて》が、その直撃《ちょくげき》を受けた。ジョク機は、一気に谷底まで落下した。
楯の前面が焼けただれて、煙《けむり》の尾《お》を引いた。
谷川の面が、バッと白い煙をたてるように飛沫《しぶき》を爆発《ばくはつ》させたと思うと、ジョクのカットグラは上昇《じょうしょう》をかけた。
その隙《すき》を狙って、またも炎《ほのお》の帯が叩《たた》きつけられたが、大きくはずれて、谷川と岩肌《いわはだ》を直撃する。
バブッ! ドウッ!
蒸気と土煙《つちけむり》のなかをかいくぐるように、ジョク機は谷肌を這《は》い、逆襲《ぎゃくしゅう》をかけた。
一条、二条とジョク機のフしイ・ボンムの火焔《かえん》が、黒褐色のカットグラを追った。
しかし、敵のカットグラの機体の色が、ジョクに狙いをつけるのを遅《おく》れさせた。
「レーダーでもあればっ!」
そんな空想的な罵《ののし》りなどは、この現実のなかではなんの足しにもならない。
罵っている間に、ジョク機に隙《すき》が生じた。
黒いオーラボム・ドーメが降下をかけ、四条のフレイ・ボンムを斉射《せいしゃ》した。
それは、ジョクにはシャワーに見えた。
「…………!?」
降下して、脱出《だっしゅつ》するしかない。
できるか!?
ジョクは、頭から熱湯を浴びせられるのを覚悟《かくご》して、カットグラの脚《あし》を地に激突《げきとつ》させるようにして、背後にジャンプした。
カットグラの腹が上空に向いた。直撃《ちょくげき》を受けたら、最後だ。
ジョクは、カットグラの背中の四枚の羽根を最大限に振《ふ》るわせて、地面に激突《げきとつ》するのを避《さ》けながら、加速をかけた。
オーラ・ノズルが排気《はいき》ガスを吹《ふ》きつけ、土煙《つちけむり》の尾《お》を谷間に這《は》わせる。ジョクは、体勢を立て直そうとする黒褐色のドーメに、フレイ・ボンムを発射した
バッ!
黒煙《こくえん》がそのドーメの一角からはじけるように噴出《ふんしゅつ》する。しかし、致命傷《ちめいしょう》とはならない。
黒いドーメは、姿勢を立て直しながら、稜線《りょうせん》の向うに後退をかけた。
しかし、黒褐色のカットグラが、フレイ・ボンムを斉射《せいしゃ》しながらジョクとの距離《きょり》をつめて、ジョクのカットグラの姿勢が立ち直った時は、二機のカットグラは、剣《けん》を使う間合いにはいっていた。
「クッ!」
ガチーン!
ジョクのカットグラの剣が、黒のカットグラの剣を受けた。
その剣の激突が、機体に振動《しんどう》を与《あた》える。機体同士が接触《せっしょく》した以上の衝撃《しょうげき》があった。
カットグラの装甲《そうこう》は、金属ではない。
鋼鉄《こうてつ》の剣は、機体に多少のダメージをりえることはできるし、関節などの機械的に脆弱《せいじゃく》な部分を損傷させれば、カットグラの動きをにめることもできた。
共に、カットグラの右手に剣。左手には、フレイ・ボンムのライフルと楯《たて》。
バフン!
至近距離でフレイ・ボンムが発射されて、その熱が機体を焼くように見えた。
「エエイッ! 誰《だれ》が操縦しているっ! ニーかっ! 俺はジョクだぞ!」
ジョクがそう叫《さけ》んだのも、ガロウ・ランが短時間で、格闘戦《かくとうせん》ができるほどカットグラを操れるようになっているとは思えなったからだ。それに、他の捕虜《ほりょ》を人質にして、二ーなりキチニにカットグラの操縦を強要することも可能だと考えたのだ。
ニー・ギブンは、ジョクの城の隣人《りんじん》の騎士である。
彼は、アの国の敵たるギィ・グッガの手に落ちたカットグラ奪還《だっかん》のために、ドーメで派遣《はけん》されたのだが、捕《とら》われの身のままなのである。
ジョクは、ガロウ・ランの女戦士ヘレナァが、黒褐色《こくかっしょく》のオーラバトラー・カットグラを操縦しているとは想像できなかった。
黒のドーメの方は、同じガロウ・ランのブラバとその一統の操縦であった。
「チック!」
黒褐色のカットグラに座るパイロット、ヘレナァはジョクの声を無線で聞いたが、愚弄《ぐろう》されたなどとは思わない。
ただ、オーラバトラーの操縦の面白さに有頂天《うちょうてん》になっていた。そういう単純さが、ガロウ・ラン気質《かたぎ》だ。
しかし、いまはその気分が急速に減退していくのを、ヘレナァは感じていた。焦《あせ》った。
左右のレバーを前後左右に操ってはいたが、フットバーを蹴《け》る力が萎《な》えていくのだ。
「エエッ!」
ヘレナァは、最後のつもりでフレイ・ボンムを斉射《せいしゃ》した。
ドバッ!
敵の楯《たて》からはじけた火焔《かえん》が、彼女のコックピットにもぶつかり、その勢いにのるようにジョク機の剣《けん》が、肩口《かたぐち》に振《ふ》り下ろされるのが分った。
ズズンッ!
「ええーっ!」
ガロウ・ランのなかでも知力に秀《すぐ》れた彼女であったが、その胆力《たんりょく》は、まだまだオーラ・マシーンの戦闘《せんとう》には順応していない。
急に全身から湧《わ》き出る汗《あせ》に、ヘレナァは、自分のカットグラの機体を降下させ、右腕《みぎうで》に持たせた剣を、頭上で風車のように回転させながら後退した。
その向うに、数条のフレイ・ボンムが走った。
「ブラバッ! 退《さが》る! 駄目《だめ》だっ!」
ヘレナァは、わけの分らない疲《つか》れに恐怖《きょうふ》した。
敵の存在は怖《こわ》くはないのだが、一夜|漬《づ》け的に学んだことがあまりにも多かったせいであろう。
その学習|項目《こうもく》のいくつかが、ヘレナァの頭を閃光《せんこう》のように打った。
パイロットの視覚と実際の距離感《きょりかん》の錯覚《さっかく》。スピードの変化による視野の拡大と縮小。パイロットのオーラ係数とオーラ・エンジンの出力関係。リキュールの濃度《のうど》バランスと出力調整に与《あた》える影響《えいきょう》等々……!
それら全《すべ》てのバランスがオーラ・マシーンの飛行と戦闘能力を引き出すということは承知していても、ヘレナァには、その本質的な意味は分っていない。
オーラ・マシーンの性能が、パイロットの生体力に関係があると分っていれば、急速な体力の消耗《しょうもう》と気力の拡散《かくさん》は、カットグラにとって危険であると察知したはずだ。
「なんだと!?」
ブラバの怒声《どせい》が、敵のパイロットの罵《ののし》り声に混じってレシーバーから聞えた。
しかし、ヘレナァは、もうなにも聞いていない。
自分の力に自信をなくした時のガロウ・ランの引きぎわは、呆《あき》れるくらい見事なものだ。
ジョク機との距離ができたと分ると、ヘレナァは、カットグラの背中をジョクに向けて最大加速をかけた。
『逃《に》げられる』
その意思の力は、火事場のバカ力である。
ヘレナァ機は、機体全休を震《ふる》わせて、ふたつほどの山を越《こ》えて、先に後退をかけたハバリー部隊を追いかけていた。
「チッ!」
後退するハバリー部隊の先頭に位置したミュラン・マズは、ヘレナァが後退したのを知って舌打ちした。
彼こそ強獣使いで、ハバリーの背中にあって、戦いから戻る部下たちを待っていた。
「ビダ奴《め》、まだ手下の訓練が甘《あま》いな三十を切ったぞ……」
ミュランは引き上げてきたハバリーの数を読んで罵《ののし》りはしたが、接近するハバリーの先頭のガロウ・ランを手で招いた。
「ケッ! へッへへへ! 機械を落した。見たかっ!」
「良くやったが、手前は、戦っちゃならねぇ。全部の動きをもっと見なくちゃならねぇ」
「分っているよ。分っている!」
ビダは、ハバリーの首の手綱《たづな》を掴《つか》んで、立って見せた。
「ブラバなんぞに、負けやしねぇ! 機械なんぞによーっ!」
ビダは、弓を頭上で振《ふ》り廻《まわ》しながら、後続のハバリーの群の隊形を整えさせて、接近する黒のカットグラを見やった。
「ヘレナァ奴《め》! 最後まで戦ったのに、敵の機械を落せなかった」
ヘレナァは、そんなビダの嘲笑《ちょうしょう》など、たとえ聞えたにしても、無視したろう。
先行した。
黒のドーメのブラバも、同じガロウ・ランである。初めての空中|戦闘《せんとう》で、僚機《りょうき》の姿がなくなれば、同じように後退をかけて、恥《は》じることはなかった。
「……後退だと……?」
ジョクは、迷った。
追撃《ついげき》しようとする者を戸惑《とまど》わせるほど勢いのある後退は、誘《さそ》いに見える。
自分たちの有利な地形に引き込んで戦うのではないかと、思わせるのだ。
「敵の本陣《ほんじん》を見つけなければっ!」
気負い立つガラリア機の前に、ジョクは、自分のカットグラをすべりこませて、コックピット前のハッチを開いた。
「行くのはいいが、偵察《ていさつ》だけだ!」
ジョクは、無線を使わずに怒鳴《どな》った。
「了解《りょうかい》だ! 火力のエナジーも残り少ない」
ジョクの命令に、ガラリアは冷静さを取り戻《もど》して、カットグラの機体を低くした。
ジョクは、後方のドーメ部隊に、補給と待機を命じると、前方の雲を越《こ》えた。
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戦闘《せんとう》が終了《しゅうりょう》して、約二十分強……。静かな時が流れた。
ジョクとガラリアは、後退したガロウ・ランの飛行部隊のコースを追いながら、ガロウ・ランの軍を捜《さが》した。
ギィ・グッガは、軍を小部隊に散開させてアの国に侵攻《しんこう》させているのだ。
しかし、そろそろ大きな軍が見えてもよい時期だった。
簡単に見える飛行も、油断はできなかった。途中《とちゅう》、山の中腹から機関砲《きかんほう》のようなもので攻撃《こうげき》を受けた。
「……どういう種類の砲だ?」
ジョクはその火線を見て、降下偵察をしたが、低い灌木《かんぼく》のなかの小部隊を発見することはできなかった。
やむなく、それを無視して前進し、遂《つい》に、ギィ・グッガの本隊と思われる軍の流れを山間《やまあい》に発見した。
ジョクとガラリアは、カットグラを上昇《じょうしょう》させて、高度三千メートルあたりから、カットグラの羽根を開いて滑空《かっくう》させ、その軍の流れに接近をかけた。
コモン世界を照らすオーラの光が薄《うす》くなるころだったが、ギィ・グッガの軍の影《かげ》は四方に長くのびて、上空からの観測を容易にした。
「写真があればな……」
またもジョクは、現代的な発想にとらわれた。
「ガラリア、数は、どれほどだ?」
「一万を越《こ》えるな。よく分らない。山と谷で、結構、隠《かく》されている……三、四万はいるのじゃないか?」
無線を通したガラリアの声も、動揺《どうよう》しているのが分った。
その軍の流れは、マランの谷を延長した北の谷間から東に曲がるようにして、延々《えんえん》と続いていた。
「馬車がいやに多いな?」
「……ああ……騎馬《きば》が多いのはギィ・グッガの軍の特徴《とくちょう》だが……」
その軍の流れは、東に大きくカーブしたところからまた幾筋かに分れて、谷間に入っていった。
ジョクはカットグラを滑空させながら、ガラリア機の腕《うで》を自機の腕で握《にぎ》って、機体を接近させた。
カットグラの腹と腹を合わせるようにして、ガラリア機が背面飛行になる格好で、滑空に移った。
ジョクはシートから離《はな》れると、ガラリアのコックピットに飛びこんでいった。彼も、この程度の芸当ができる度胸《どきょう》が身についていた。
「ハハハ……!」
ガラリアは笑った。
「笑っている時じゃない」
ジョクは、地図を取り出しながら、
「ガロウ・ランをあれだけ集められるとは、ギィ・グッガは、たいしたものだと思うが?」
「ああ。しかし、カットグラとドーメで掃討《そうとう》できるさ」
「俺《おれ》がカットグラの前進基地を作ったのはここだ」
ジョクは、手元の地図を示した。
「このマランの谷を出たところ、アグーからラース・ワウまでは障害物がない。距離《きょり》もない。だからまず、ドレイク様は、そこに前進基地を作らせた」
ガラリアは、地図の左上をチラと見ただけであるこの辺りの地形は頭に入っている。
「しかし、今の敵の動きは違《ちが》うぞ。東に向っている」
「ジャプハル平原の北に出て、それから南下するつもりだな」
「と言うことは、今の戦闘《せんとう》は、敵の本隊がマランからアグーに出ると見せかけるための陽動か?」
「そうだろ。いま攻撃《こうげき》してきた連中は、我々に駆逐《くちく》されることは考えていなかった。アグー近くの我が軍を掃討して、陽動戦を展開するつもりだったんだろう」
ガラリアは、寒さに身体《からだ》をブルッと震《ふる》わせて、言葉を切ってしまった。
「……ギィ・グッガ、考えたことをやっているか……」
「ガロウ・ランは凄《すご》くなっている、なんでだ?」
ガラリアは、ハッチを閉じようとした。
「すぐ戻るよ……どういうことだい?」
「不思議じゃないのか?」
「ガロウ・ランの知恵《ちえ》の話か? 戦争を本気てやろうとすれば、バカ力がでるんじゃないの?」
「嫌《いや》な言い方だ。簡単だね」
「そうかな? そうだろうな……」
ガラリアは、ジョク機とともに機体を回転させてジョク機を下にした。
「ギィの軍が、このままもっと東に出ることは、考えられないのか?」
「ジャプハルの東には深い森がある。あれだけの軍が行動する場所にはならん」
ガラリアは、明快だった。
「そういうものか……」
「騎兵《きへい》は、所詮《しょせん》、集団|戦闘《せんとう》だからな」
「……しかし、ジャプハルに出るといっても、大きな道がふたつあるぞ?」
ジョクは、ガラリアに地図を示した。
ジョクの脚《あし》の下に、ジョク機のコックピットが口を開けていた。
「ああ……タコという山がつき出ているな」
「ギィ・グッガは、ここで軍をふたつに分けるな?」
「そうだろう……」
「ということは、敵のオーラ・マンーンの前進基地は、この東から南に向う、ここだな?」
ジョクは、ガラリアがタコと言った山のつけ根にあたる辺りを指で示した。
「しかし、これからでは、その一帯を偵察《ていさつ》するエナジーはない」
「分った。引き上げよう」
「ン……!」
ジョクは、簡単に自機に飛び移ると、二機のカットグラはさらに高度を下げて、ギィ・グッガの軍の先頭に向った。
高度を下げた二機の影《かげ》を、ギィ・グッガは、見落さなかった。
「なんでぇ? ヘレナァとブラバ、ミュランは、なにをしているのだぁ?」
ギィ・グッガは、馬車の天蓋《てんがい》から身を乗り出して、音もなく移動するカットグラの影を見上げた。
所期《しょき》の作戦が、失敗したことを知ったのである。
「ドーレブ! 機械部隊の様子を、誰《だれ》かに見させろ! カンドワを呼ぶんだぜ!」
ギィ・グッガは、後続の馬車に怒鳴《どな》った。
後に続くのは、ギィ・グッガの身のまわりの面倒《めんどう》をみる兵たちの馬車であり、左右には、伝令用の騎馬《きば》の群があった。
ドーレブは、後続の御者《ぎょしゃ》のわきで、ギィ・グッガの意思を言葉にして伝え、伝令を放つのである。
「フム……!」
ギィ・グッガの馬車には、二人の御者がいるだけで、凌辱《りょうじょく》する女もなく、正面の重い机には、一枚の地図があった。
椅子《いす》に腰《こし》を下ろしたギィ・グッガは、背後の絢爛《けんらん》豪華《ごうか》な板金鎧《いたがねよろい》に目をやりながらも、地図に目を落し、自分なりに工夫した記号を印していった。
その片方しかない眼《め》は、知恵《ちえ》を使い始めた少年のように炯々《けいけい》と輝《かがや》き、その白い肌《はだ》は、驚《おどろ》くほど透明《とうめい》で艶《つや》やかだった。
「……ふむ……ミュランはいいとしても、ビダの指揮するハバリーの補充《ほじゅう》、予備のドラゴ・ブラーを呼ぶ仕事は急がせねばならん……。砲車《ほうしゃ》は遅《おく》れずについているか! おい、ドーレブを呼べ!」
ギィ・グッガは、ややあって、次々と怒鳴《どな》りちらした。
そのギイ・グッガの言葉から、彼が、アの国に侵攻《しんこう》するにあたって、かなりの準備をしていたのが分る。
「この傷をつけたチビを討《う》ち、あのチビを使うドレイクとやらも討つ……して、儂《わし》はコモン世界の覇者《はしゃ》になる……なぜと問うか? ンン……? クッ、フフフ……地界《ちかい》は世界を支える土台だ。その地に棲《す》む者が世界を支配するのは、道理であろう? な?」
ギィ・グッガは、漬《つぶ》された片目の傷がうずくと、そう口にするのが癖《くせ》になっていた。
彼は、思考するという面白さ、その思考から連続して湧《わ》きおこる連想ゲームを楽しむ術《すべ》を覚えたのである。
そして、彼は、それを実現できる立場にいた。
彼の究極の夢《ゆめ》は、コモンの王を名乗る者たちの抹殺《まっさつ》であり、凌辱であった。
それは、絢爛《けんらん》たる血の色、地中にうごめくマグマの紅色であって、それはギィ・グッガの血を沸《わ》き立たせるのである。
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カンドワ・ナザムは、梢《こずえ》を押《お》し分けるようにして、降下してくる黒褐色《こっかっしょく》のオーラボム・ドーメの姿を、目の玉をまんまるくして眺《なが》めた。
ガロウ・ランの感覚で見れば、ドーメの形などは、絶対に空を飛ぶものとは見えないから、その驚《おどろ》きはかなりのものである。
ゆったりと木々の枝《えだ》を押し開いて、地面に接地するドーメの姿は、摩詞《まか》不思議なものでしかない。
「…………!」
しかし、その胴体《どうたい》のハッチから、ガロウ・ランの若者たちが喚声《かんせい》を上げている姿を見れば、この不気味なものも自分かちのものであると納得できる。
「すげえな……」
間を置かず、巨人を思わせるカットグラが飛び降りるようにして、その爪《つめ》のある脚《あし》をドスッと地に噛《か》みこませた。
その格好は、どこか空を飛ぶと納得できるところがあるので、カンドワも、フムと唸《うな》っただけである。
「ホラッ! 急げよ!」
女たちの声が、聞えた。
女戦土たちが捕虜《ほりょ》たちをこづき出したのだ。
並《なら》べられた丸太をコロにして、ドーメを木の下に張った網《あみ》のシェルターの下に引きこませると、捕虜たちをそこに引き出して、仕事をさせるのである。
カットグラは、自ら数歩《すうほ》歩いて、網のシェルターの下に入った。
コモンの捕虜たちは、イットー・ズン、マッタ・ブーン、キチニ・ハッチーン、それに、地上人のトレン・アスベアだ。
彼等は、腰《こし》に革紐《かわひも》をくくられて、引き出されてきたが、ニー・ギブンの姿はなかった。
「さっさと修理をするんだぞっ!」
その一団を指揮しているのは、女戦士のミハである。いまは、革鎧《かわよろい》の胴《どう》もつけず、そのタップリとした身体《からだ》を麻《あさ》の貫頭衣《かんとうい》のようなもので包んでいた。
「機械の怪我《けが》を直すか……」
コモン人の捕虜たちが、女戦士とカンドワの部下たちによって、ドーメとカットグラの方に追いやられるのを見ながら、カンドワは苦虫《にがむし》を噛《か》み漬《つぶ》したような顔になった。
彼は、コモンたちのノッペリとした肌《はだ》とすっきりしすぎた肉体を見ると、グチャグチャにしたくなる衝動《しょうどう》に駆《か》られるのだ。
それは、ガロウ・ランの容貌《ようぼう》にたいするコンプレックスが思わせることであろう。
しかし、カンドワは、ガロウ・ランでも知恵者《ちえしゃ》にはいる。だからこそ、見たこともない『機械たち』の部隊を任されて、赴任《ふにん》してきたのである。
我慢《がまん》を知っている老境に近いガロウ・ランである。
「……カンドワか?」
ドーメを降りたブラバが声をかけた。
「機械を怪我《けが》させたか?」
「敵の数が多かった。カットグラは、肩《かた》をやられた」
出撃《しゅつげき》前に挨拶《あいさつ》をかわしたはずなのに、ブラバは、カンドワに対して、何をしに来たのかという表情を隠《かく》さなかった。
「ブラバ、儂《わし》は、ギィ・グッガとの連絡《れんらく》一切をやる。貴様《きさま》は機械を動かす」
カンドワは、ブラバがカットグラの方を気にするので、彼の前にまわっていった。
「軍隊というものは、こういうことが必要なのだ」
「……そりゃ、そうだろう。が、俺《おれ》たちは慣れた。ギィ・グッガとの連絡もやる」
ブラバは、強がった。
「そうかい? 機械の怪我は、直せねぇんだろう? 敵をやったか?」
「丸い機械、ドーメを二機、撃墜《げきつい》した」
ブラバは、短い言葉のなかに、コモンたちから聞き知った専門用語をはさんだ。
ブラバのプライドの証明である。
「フン……ミュランとビダのハバリー隊からも聞くさ」
カンドワは、ブラバたちを押《おさ》えるための牽制《けんせい》をした。空中戦における戦果確認の手続きを知ってのことではない。
「ヘレナァ、どうだ?」
ヘレナァも、傲慢《ごうまん》な感じでブラバと同じ報告をしたので、「敵の基地を叩《たた》く仕事は?」と、本来の戦果を聞いた。
「……たどり着けませんでした」
「なんでだよ!」
「敵のカットグラが強かったし……奴等《やつら》のドーメの数が多かった……」
ヘレナァが言いわけしている間に、ブラバはカンドワに背中を向けて、兵のたむろしている岩の窪《くぼ》みにある焚火《たきび》の方に行ってしまった。
「ブラバっ! そんなことで、よくも威張《いば》れるなっ!」
「空の戦いを知らんで、何を言うっ!」
ブラバは大きく手を振《ふ》って、焚火のまわりの兵たちを押《お》し退《の》けた。
「これからの戦闘《せんとう》にも機械を使う方がいい。だから、追っ手をまいて帰った。怒鳴《どな》るな」
ヘレナァは、焚火にかざしてあった串刺《くしざ》しの肉塊《にくかい》を奪《うば》うブラバからカンドワに視線を移して、説明した。
「……まいた? 確かか?」
「もちろん」
「フム……で、どうなんだ? ドーメ、敵のドーメの数は?」
「数は分らない。結構、残ってた」
「そうかよ……ン……機械の傷を直したら、また攻撃《こうげき》に出ろ」
「どこを攻撃する?」
「敵の機械だ。機械には力がある。それは叩《たた》かにゃならん」
「どこの機械を」
「アグーの手前に敵の機械の基地があると言ったのは手前《てめえ》たちだ。もう一度行ってこい」
カンドワは踵《きびす》を返して天幕に向った。虫を防ぐための蚊帳《かや》を撥《は》ね退《の》けて中に入る。
「カンドワ!」
ヘレナァは、入口から潜《もぐ》りこもうとした。
「構うなよっ! ヘレナァ!」
ブラバが焚火のところから、吠《ほ》えた。
「ええ……?」
ヘレナァが振《ふ》り向くと、カンドワの姿がまた天幕から現れた。
「カンドワ……!?」
「お前たちは、機械を操れるのでいい気になっている」
地図を手にしたカンドワは、ドーメとカットグラの方で、整備が始まったのを確認しながら、焚火のところにやって来た。
そこは風も通らず、ひどく蒸《む》した。
左右には低く谷が迫《せま》って、上空からの敵の目を逃《のが》れるのには、格好の場所である。
その上、梢《こずえ》を利用して網《あみ》のシェルターを設置したので、かなり目の良いバイロットでなければ、上空から発見することはできない。
「どけよ!」
「ヘッ……!」
カンドワは、部下たちを追いちらすと、ブラバのわきに座った。
「今日、ここで戦ってだな、この谷の機械の基地を叩《たた》けば、ギイ・グッガの軍はここからラース・ワウに向うと、敵は考える」
カンドワは、地図の上の一点を指先で叩いて説明した。先にジョクが、前進基地を設営したマランの谷である。
「そうだ。だから、戦った」
「お前たちは、空から見るとどこもここも見えると言った。それで、この谷の機械の基地を見つけた」
「でもよ! 敵があんな数のドーメを出してくるなぁ、分ってなかった」
「戦争が、こっちの都合でいくか? それをやるのが手前たち戦士だろ」
「だったら、カンドワやってみな? ドーメの運転をよっ」
「ギィ・グッガは、アの国の軍をこっちの谷の前に引き寄せて、横から攻《せ》めこむ予定だったんだぞ!」
別々のことを言いあう男たちをヘレナァは、うしろから見下ろしていたが、どっちの言うことにも興味を持てなかった。
『勝てると面白いのにな……』
それだけの興味しかない。
そのためにもっとカットグラの操縦を上手になりたいとだけ、彼女は欲望した。
「ああ……!」
男たちの話に溜息《ためいき》が出て、ヘレナァは焚火《たきび》の側《そば》にしゃがみこむと、ぬるくなった水をコップに注《つ》いで飲んだ。
この疲れが抜《ぬ》けなければ、次の操縦はできない、と思う。
「……そうしなけりゃ、勝てねぇんだよ!」
ブラバは、カンドワの話を聞きながら、モソモソと肉塊《にくかい》をかじることをやめなかった。彼も疲れているのだ。
「……行くさ。行けるな? ヘレナァ?」
ブラバは、ヘレナァに聞いた。
「分らない。コモンの連中が修理してくれるかな」
「ブラバはもう一度行くと言ってんだ。行けよ!」
「機械の調子次第なんだよ。カットグラの腕《うで》が使えない」
ヘレナァは、うっとうしそうに言った。
「おい! コモン人《びと》を呼べっ!」
カンドワは、部下に命じてから、
「コモン人は、信用できるのか?」
と聞いた。
「あたいは、連中がウソを言っているかどうか、分る」
多少マニュアルを読めるヘレナァは、自信ありげに言った。
メカニックマンのイットー・ズンは、三人のガロウ・ランの前で臆《おく》せずに言った。
「腕は簡単に直せます。まだ予備のマッスルがありましたから。ても……もう、補給物資がありません。いつまでも飛べませんよ」
「たったら、それを持ってくればいい!」
カンドワが、イットーを殴《なぐ》りつけた。
「ヘッ! へッへへッ……」
「なんだよ! ブラバ!」
「戦いの仕方が違《ちが》ってきたんだ。コモンを好きにしようとして、殺しでもしたらなんにもならねぇ。機械の修理のためのものを盗《ぬす》むには、勝つしかねえんだよ」
「だったら ブラバ! 敵の機械の基地を叩《たた》きに行けよ! 基地に残っているブッシとやらを手に入れるんだ! 行ってこい!」
カンドワの言うことは 正論である。
「イットー、そういうことだ。行って帰って来るだけだ。用意しろ!」
「俺《おれ》は、自分たちが作った機械を壊《こわ》されたくないからやってんだ。俺も、乗って行きます。心配だから」
「舐《な》めるな!」
今度は、ブラバがイットーの頬《ほお》をひっぱたいた。
「そんなことて、逃《に》げるつもりだろう!」
吹《ふ》き飛ばされたイットーは、埃《ほこり》をはたきながら、異常につやつやと輝《かがや》いている頬をビリビリと痙攣《けいれん》させた。
ガロウ・ランたちは、イットー以下の捕虜《ほりょ》を一緒《いっしょ》に行動させることはしなかった。
誰《だれ》かに裏切りがあったら、他の誰かを殺すと威《おど》しをかけ、整備作業中には、かならず見張りをつけた。
「雲が出る前に、出るぞ」
ブラバは、見張りの兵たちに腕《うで》を取られたイットー・ズンに怒鳴《どな》った。
「ニーは、働いていないのかい?」
ヘレナァは、カンドワが黙《だま》ったので、左右の兵に聞いた。
「ミハが、からかってるよぉ」
兵の一人が言った。
「猿轡《さるぐつわ》を外せねぇコモン人だな?……お前たちは、白い粉の使い方がよくねぇな。コモン人は、小鳥みてえなもんだ。あんなのに、あれ以上白い粉を使ったら、いつも天を見て、ヒョヒョってよー、囀《さえず》るだけになっちまう」
カンドワは、したり顔で言った。
「……分っているわ! だから、ヘレナァがカットグラに乗った。コモン同士を戦わせるのは難しいんた。手前には分っていねぇよ」
ブラバは また喚《わめ》いた。
「怒鳴《どな》るなよ たがら、俺《おれ》が来たんたろ? ミュランに白い粉を使うのを救えたのも、俺だ。それを覚えておくことだ」
「それでいい。でなければ、手前なんぞ、機械に乗った俺たちがどうこうするのは、簡単なんだ」
「その勢いでコモンをやってくれれば、簡単に済む。コモンの女たちの精を吸って 気持ちよくなれるというものだ」
カンドワはすでにそんな妄想《もうそう》に捕《とら》われていたのであろう。下卑《げび》た笑いを顔|一杯《いっぱい》に浮《うか》べた。
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ブラバは、行きががり上、再度 マランの谷を黒褐色《こっかっしょく》のドーメで飛行して、先にジョクが設営した前進基地まて下った。
しかし、その前進基地は撤退《てったい》した後で ブラバは跡《あと》に残されたたいして役にも立たない物資をあつめると、コモン世界のオーラ光が、川と空の境を見えなくする頃《ころ》に、カンドワの基地に戻《もど》った。
ヘレナァのカットグラは、結局 修理が間にあわなかったのだ。
その頃、ドレイク軍の左翼《さよく》に展開していた軍は、本隊に合流する動きをみせ始め、ドレイク・ルフトは、彼の本陣《ほんじん》をジャプハル平原の一角を形成するジヤハの森の近くに置いた。
ジョクは、オーラ・マシーン部隊の半分をその森のなかに集結させると、家人《けにん》の若者を引き連れて、ドレイクの帷幕《いばく》の内に入った。
「……聖戦士《せいせんし》ジョクの報告によって、今日のうちに、敵の侵攻《しんこう》コースの本筋が明白になったことは、僥倖《ぎょうこう》である」
ドレイクは、左右にいならぶ武将だちとオーラ・マシーンの主要なパイロット三人にたいして言った。
「その上、オーラ・マシーンの機動力は、全軍にたいしての通信の伝達を早め、軍の動きをす早く変更することもできるようになった。今日の軍の動きは、コモンの歴史にとって、偉大《いだい》なことである。もはや、戦いは半分勝利したに等《ひと》しい」
「世辞《せじ》を言うのは憚《はばか》られますが、ドレイク様が、広く軍を展開なさりすぎたことを、今日まで不安に感じておりました自分を恥《は》じますな」
老境に達したと見える武将が、白い髭《ひげ》を撫《な》でながら、哄笑《こうしょう》した。
それは、大部分の武将の思いでもある。
「しかし、ドレイク様、無線機が各部隊に配備されれば、オーラ・マシーン部隊を伝令役に使わずにすむというものです。今後の課題としては……」
「分っている」
ドレイクは、性急すぎる武将を制して、ラバン・ドレトに顎《あご》をしゃくった。
「……さて、緒将には、今回の布陣《ふじん》の問題点は、お分かりであろう。ギィ・グッガの軍は、四万に近いと想像されるが、彼等がこのまま進軍して、この平原に下るにあたって、ふたつの進路が考えられます。チェルトンの村がある東と、山ひとつを置いたバーナ湖を望む進路であります。さらに、用心をすれば、ゲザンの丘《おか》、ジヤハサールの森林地帯を進路として考えられます」
ラバン・ドレトは地図を前にして説明した。
「……今日までのガロウ・ランたちの動きから見ると、彼等は、軍を二つか三つに分けて、同時に侵攻《しんこう》するでありましょう。敵も強獣《きょうじゅう》部隊を持ち、今日のように我が方から奪《うば》ったオーラ・マシーンを使って、上空から偵察《ていさつ》、連絡《れんらく》する能力を有しております。ギィ・グッガもまた、同時侵攻は容易であるということです」
ラバンは、地図上のそれらの想定コースに、紙で作ったコマを貼《は》りつけていった。
「これを迎撃《げいげき》する我が方は、まず、歴史上最も大きな野砲《やほう》部隊を用意しています。この移動を間違《まちが》えなければ、まず、これで、敵の四分の一を殲滅《せんめつ》できます」
「現在、大きく三隊に分れている野砲部隊を、主力と思われる敵コース上に移動するのは、敵の動きを見てからであろう? 可能か?」
「可能です。オーラ・マシーンの運搬《うんぱん》能力を信用してもらいましょう」
ジョクの上官、オーラ・マシーン部隊を統轄《とうかつ》するケルムド・ドリンが答えた。
「さて、儂《わし》は、チェルトンの正面に陣《じん》を置く。カンズリー・スコラ。貴公《きこう》が、左翼《さよく》の総指揮を取れ」
ドレイクは裁決した。
「ハハッ!」
さきほどの初老の武将が、ニッタリと髭《ひげ》を震《ふる》わせた。
「さらに、右翼《うよく》、ゲサンの丘《おか》の東には、コントラ・スーン。貴公《きこう》は、五百の部隊をもって待機だ」
「たったの五百で?」
「コントラ殿《どの》。今夕、ここに待機する軍だけが、我が軍勢のすべてではない、ハンジャンサラ方面に展開している部隊は、それぞれこの地に参集しつつある.それを待ち、糾合《きゅうごう》いたせば……」
ラバンはわざと言葉を切って、武将コントラ・スーンを見やった。
「どのくらいになるのだ?」
「五千でありましょうか?」
ラバンは、ドレイクを見やった。
「そんなものかな。ギィ・グッガは、三つの進路を取ろう。押《お》さえる側としては、ジヤハサールの森がある。ボヤボヤしていると分断されるぞ」
「ハハッ!」
コントラは機嫌《きげん》を直して、頭を下げた。
「ドレイク様、それでは、儂《わし》との格が同じようになってしまう。ハンジャンサラ方向から集合する部隊は、五千とはあるまい。第一、バーナ湖に、敵の強獣《きょうじゅう》部隊の主力が翼《よく》を休めるのは必定《ひつじょう》であります」
カンズリー・スコラが、不服を言った。
「いや、まだここには、ケラゾー・ガラが到着《とうちゃく》していない」
「彼奴《きゃつ》も、儂の傘下《さんか》に入るのか?」
「貴公《きこう》の直属部隊と合わせれば、八千は下るまい?」
「結構ですな……しかし、敵の主力とぶつかるとなれば、半分の戦力にもならん」
「それ故、貴公に頼《たの》むのだ。万一の場合は、野砲《やほう》と儂の左翼《さよく》の一万をすみやかに移動させて合流させる。その間の半刻《はんとき》を堪《こら》えてくれい」
ドレイクは、膝《ひざ》を乗り出すようにして、老人に言った。
「ハッ! それこそは、小官の得意|技《わざ》ともいうべきもの」
「しかも、カンズリー殿《どの》、十、二十と小さい部隊が順次集結すれば、その数もバカにはならず、その統制には、よろしくお力をお見せあれ」
ラバンである。
「了解《りょうかい》でありますな」
つづいて幾《いく》つかの申し合わせをした後、ドレイクが立った。
「今回のガロウ・ランの集結は、我がアの国にとって、幸いである。これだけの数のガロウ・ランをここで殲滅《せんめつ》できれば、アの国の周囲におけるガロウ・ランの跳梁《ちょうりょう》はやみ、コモン世界の安泰《あんたい》を導くものである。と、同時に、アの国の力を周囲の国々に示すものでもある。戦後のアの国の発展を思うに、この一戦、末代までの語り草になろう。諸公の奮戦《ふんせん》を望むものである」
このドレイクの『ガロウ・ランの跳梁が終る』という言葉は、いならぶ将軍たちだけでなく、全軍に風のように伝わって、いやが上にも兵たちの士気はあがった。
ガロウ・ランの跳梁は、コモン人に呪縛《じゅばく》をかけていた。
怠惰《たいだ》と堕落《だらく》と残酷《ざんこく》は、ガロウ・ランがコモン人にもたらしたものであり、悪の根源は、すべてガロウ・ランがコモン人に教えたものと信じられていた。
ギィ・グッガは、その恐怖《きょうふ》を喚起《かんき》する象徴《しょうちょう》であり、彼の名を聞くだけで、コモン世界の国々は疲弊《ひへい》したのである。
なのに、アの国が抗《こう》し得だのは、ひとえにドレイクが『機械』を取り入れて、戦力を増強したからに他ならない。
ここで、ガロウ・ランを駆逐《くちく》できれば、アの国が、周辺の国家にたいして、圧倒《あっとう》的な覇権《はけん》を行使できることは明白であった。
武将たちは、自分かちの軍容に自信を深め、それぞれの持ち場に帰って行った。
そのなかにあって、面白く思っていない騎士《きし》が一人いた。
バーン・バニングスである。
彼はジョクとガラリアとともに、軍議が一段落ついたところで、ドレイクの帷幕《いばく》を退出した。
「バーン! 伝令の件は、個々に伝達するだけでいいのか?」
「よかろう。ガラリア、ゲサンの方を頼《たの》むぞ」
バーンは、愛想もなく自分の騎馬《きば》の溜《たま》りの方に向った。
「なんだよ?」
ガラリアは、バーンのうっとうしい気配に、眉《まゆ》をひそめた。
「自分のカットグラの修理が思わしくないので、憂鬱《ゆううつ》なのさ。放《ほう》っておけ」
「そんなに可愛《かわい》い奴《やつ》かい?」
「…………?」
ジョクは、バーンが馬に跨《またが》る姿を見ながら、
「どういうことだ」
と訊《き》いた。
「……よく分らんがね……ジョク。夜食をつき合えよ」
ガラリアも馬上の人になって、ジョクに言った。
「いいさ。夜中までに、そっちに行くようにする」
「ああ……!」
ガラリアは、従兵を従えて、篝火《かがりび》の列のなかを駆《か》け去って行った。
ドレイクは、本陣《ほんじん》周辺の軍に、必要以上の火をたくことを命じていた。そのために、森を前にしたあたりは、昼のように明るかった。
それは、当然、敵にたいしては威嚇《いかく》になり、味方にとっては、緊張《きんちょう》を強いられることであった。
『火はガロウ・ラン除《よ》けになる』
そんな迷信が信じられている風もなきにしもあらずなのだが、陣を張っている状態では、好ましいことなのかどうかは、誰《だれ》にも分らなかった。
「いかがなさいました?」
バーンの従兵、カルムド・マサは、主人の鬱々《うつうつ》とした表情に、うかつに声を掛けてしまった。
「構うな……」
バーンは、革鎧《かわよろい》の胴《どう》だけの軽い姿で馬上にいた。
「ドーメを見てから、幕舎《ばくしゃ》に戻《もど》る。アトバーに伝えておけ」
「はい」
カルムドは、重苦しいバーンがら離《はな》れられるのを喜んで、急に元気になると、馬首をめぐらした。
「フン……」
今のバーンは、ドーメ部隊からも好かれていなかった。
彼のカットグラが損傷して後方に送られたために、バーンがドーメの一機に乗ることになって、一人のパイロット騎士《きし》が外されたのである。
いまは、オーラ・マシーンのバイロットは、最も尊敬される地位にある。
その機械をバーンが取れば、機を奪《うば》われたパイロットだけでなく、その同僚《どうりょう》までがバーンを良くは言わない。
バーンの方にも、カットグラから降りてドーメに乗るというのは、降格されたという意識しかない。
彼等は、機械の時代の価値観にとらわれるようになっていたのである。
バーンは、今日の昼に戦線に移勤してきたドーメを、そのドーメのパイロット、マンダサンから受領《じゅりょう》して、午後は、その最終整備に立ち合った。
ジョクが、戦闘《せんとう》をしていた頃《ころ》である。
そして、ジョクとガラリアからギィ・グッガの軍の動きが伝えられた時には、散開している部隊への伝令業務を指揮した。
これは、騎士にとって、屈辱《くつじょく》的な仕事であった。
ここに矛盾《むじゅん》はある。
機械の時代という認識かありながら、まだ、戦う者の方が、高い位置にいると信じるのは、バーンが騎士|気質《かたぎ》から抜《ぬ》けきっていないのである。
それは、いつの時代にも軍人たちが抜け切ることのできない宿命なのである。
周囲の兵の天幕からは、夕食の支度をする煙《けむり》が、篝火《かがりび》と同じように必要以上にあがっていた。
バーンは、ジヤハの森に入った。
湿気《しっけ》がドッと身体《からだ》を押《お》し包んだ。
ジョクのカットグラを中心としたドーメ部隊の脇《わき》に、バーンに当てがわれたドーメもあった。バーンは、馬上からその機体を見上げた。
「…………」
「あ……! バーン様」
ドーメのプラットホームにいた整備兵の一人が、バーンに愛想笑いを見せた。
「明日は、一番で出撃《しゅつげき》と聞いております」
「ウム……頼《たの》むぞ」
バーンは、鞍《くら》に跨《またが》ったままドーメのブリッジをのぞいた。
そこには、二人のクルーがいた。
もともとこのドーメのクルーで、今日、バーンが引き受けた者たちだった。
「マンダサン殿《どの》の天幕は、どこか?」
「ハッ! 整備天幕の裏であります」
振《ふ》り向いたクルーの一人が、声をかけたのが自分たちの新しいパイロットだと気づいて、慌《あわ》てて敬礼した。
「そのままでいい。邪魔《じゃま》をした」
バーンは、二人の挙動を見て、彼等とはうまくやれそうもないと感じて、かねて考えていたことを実行する決心をした。
決意というものは、そういうものかもしれない。
必ずしも、直線的な論理から決定されるものではない。
「……マンダサン殿! おられるか?」
バーンは、天幕に落ちる滴《しずく》の音を気にしながら声をかけると、馬上からすべり降りた。
「バーン・バニングス殿?」
天幕から出て来た若い騎士《きし》が、いまのドーメの本来のパイロットである。偉丈夫《いじょうぶ》。
田舎《いなか》騎士ではあるが、それだけに気力があり、実直である。
「……考えるところがあって、お借りしたドーメは、貴公《きこう》に返そうという願いをドレイク様に出すつもりだ。それ故、明日の作戦では、貴公に出てもらうようになろう。それをお伝えしに来た」
「ハッ? しかし、実績のあるバーン殿《どの》が指揮をしていただければ、今日のマランの谷の戦闘《せんとう》のように、ドーメ部隊に損害が出なかったと信じます」
「それは違《ちが》うな。自分は、違う作戦で出ることをお館《やかた》に進言する。で、それが認可されれば……いや、認められなくとも、そうするつもりだ」
「ハッ……? お館様のお許しがなくとも?」
「その覚悟《かくご》で進言する。そういうことだ」
「成程……。分りました。その時は、小生のドーメでも手伝えることがあれば、ぜひ、声をかけて下さい」
田舎者《いなかもの》の騎士《きし》は、バーンが事前に自分に話を持ちかけてくれたことを、心から喜んでいるように見えた。
その騎士の反応に、バーンは、自分のやるべきことが分ったような気がした。
「貴公《きこう》にそう言ってもらえて嬉《うれ》しい。本当に嬉しい。よろしく頼《たの》む」
「な、なんの! 騎士バーン。そのように、ご丁寧《ていねい》なお言葉……」
彼はそれ以上言葉が続かないほどに感激《かんげき》してみせた。
「では、吉報《きっぽう》を待っていてくれ。貴公もまたパイロットとして戦えるように」
「ハッ!」
バーンは、馬に跨《またが》りながら思った。
『このように人の心を掴《つか》まねば、ならんのだ』と……。
この意識は、その後のバーンを作っていく端緒《たんしょ》となった。
バーンは、真直ぐにドレイクの幕舎に戻《もど》った。
残っていた将軍たちと入れ違いに、バーンは、ドレイクに謁見《えっけん》を申し出た。
「正規軍の戦線から離脱《りだつ》したいと言うか?」
ドレイクは、そう言ってから、手にした黒パンを口に放りこんだ。
「ハッ! 今回は、予備軍の数も多く、お館様のふところの深い布陣《ふじん》に驚嘆《きょうたん》いたしております。ならば、自分も予備軍に配置していただいて、ゲリラ戦を敢行《かんこう》したいと考えます」
「オーラ・マシーン部隊に、貴公は必要である」
「ハッ! 恐《おそ》れながら、お言葉を返します。現在のオーラ・マシーンは、十分とは申せませんが、聖戦士《せいせんし》殿《どの》の指揮下、働きに不安はないと考えます。さらに、ニー・ギブン以下のものにカットグラ奪還《だっかん》を行なわせましたが、その首尾《しゅび》はうまく参っておりません。この作戦の責任は小官にあります。故に、小官は、地上を這《は》ってでも、ギィ・グッガ本人を狙《ねら》う作戦を敢行したいと考えます」
ドレイクは、銅のグラスのワインをあおってから、
「地上人《ちじょうびと》の下で働くは、不服か?」
「いや」
バーンは、顔面を蒼白《そうはく》にした。
「今回は、大戦争である。味方の砲撃《ほうげき》も多い。昔のように一騎討《いっきう》ちの時代ではない。味方の砲撃で死ぬこともある。それでは、犬死にである」
「しかし、ギィ・グッガというガロウ・ランをたばねる者、正攻法《せいこうほう》だけで、落せましょうや?」
ドレイクは、不愉快《ふゆかい》な表情を見せた。
「儂《わし》の采配《さいはい》、甘《あま》いか?」
「恐れ入ります。御容赦《ごようしゃ》を。ドレイク様のご采配に疑義を申す意思はございません。ただ、一人、ドーメ部隊の一員として働くよりは、騎士《きし》として、地にあってギィ・グッガに食いつく法も、あり得るのではないかと存じたのであります。一人、我が身の奮戦する場所を見つけたく、願い出たまでであります。御容赦を!」
バーンは、平身低頭した。
「騎士か……」
ドレイクは、そのバーンを見下ろしてから、天を仰《あお》いだ。
「貴公《きこう》は、若くして、騎士の……」
苦い思いがあった。
時代とは言え、人は変れないものだという感慨《かんがい》である。ドレイクは、その意味ではバーンの愚直《ぐちょく》さと自尊心の高さを十分に理解できた。
「で、どうする?」
「……ハッ、修理中のカットグラも使わせていただかなければなりません。が、家の子|郎党《ろうとう》、二十名に近い兵がおります。これを自分のものとして、独立させていただければ、ギィ・グッガの本陣《ほんじん》に直進いたします。もしくは、捕獲《ほかく》されたカットグラを奪還《だっかん》するか破壊《はかい》します。でなければ強獣《きょうじゅう》部隊を出撃《しゅつげき》前に攻撃《こうげき》して、敵の空の脅威《きょうい》を排除《はいじょ》する所存であります」
「ガキが……」
「ハッ!?」
バーンは、額にジットリと脂汗《あぶらあせ》が吹《ふ》き出るのが分った。
「軍がこれだけ動いている。そんな漠然《ばくぜん》とした目的では、出ることは適《かな》わぬな」
「ハッ……」
バーンは、頭上でドレイクが食事をする音を聞いた。かなりの時間があった。
ドレイクを怒《おこ》らせれば、打ち首もありうるのだ。
それが戦《いくさ》であり、軍律というものであった。
バーンは、地についた一方の手が、知らすに土を握《にぎ》りしめているのに気づいた。手の甲《こう》にもプツプツと汗《あせ》が浮《う》いていた。
「カットグラ、修理中のものも要《い》るか?」
ドレイクの声が、落ちた。
「ハッ! 空を飛べなくとも、その機動力は有用であります」
「……同時に、敵に捕捉《ほそく》される可能性も高いがな」
「ハッ! そのためには、オーラ・マシーン部隊の活躍《かつやく》、つまり、聖戦士《せいせんし》殿《どの》の働きに期待いたしております。すなわち、聖戦士殿を嫌《きら》うなどという気持ちは、一切ありません。お館《やかた》様の勝利のために、己れにできることを、可能なかぎり実践《じっせん》してみたいのであります」
バーンは、恐懼《きょうく》しながらも、最後の言葉を吐《は》き出していた。
「許そう。目的はひとつ。ギィ・グッガを捕《とら》えよ。殺せ。それ以外は考えるな。部下には、味方識別の色帯を巻かせることを忘れるなよ」
「ハハッ!」
礼をして顔を上げたバーンは、興奮に涙《なみだ》を見せていた。
「面倒《めんどう》かけずに、勝利への道をな」
ドレイクは、手洗いの器《うつわ》で指を洗いながら、あまりにも騎士《きし》的なバーンの気質を考えていた。
この事は、ただちに各部隊に報《しら》され、他の部隊に配属されていた十余名のバーン家直属の兵たちが、彼の天幕に参集した。
バーンがオーラ・マシーンのパイロットになった時から、オーラ・マシーンの整備要員とバーンの従兵以外の家人《けにん》たちは、別の部隊に配属されていたのである。
「いやいや、バーン様の下で働くことができると聞いて、安心いたしました。これで、お父上と冥土《めいど》でお会い致《いた》しても、面目《めんぼく》が施《ほどこ》せるというものです」
馬上からバーンに振《ふ》り向いたハラス・レハーズは、バーンの父の代からの家臣で、若いバーン以上にバーンの領地の歴史を知っている騎士である。
血はつながっていないが、事実上、バーンの伯父《おじ》といって良い立場にいた。
「そうだな。わたしは、オーラ・マシーンにかかずらって、家のことを忘れていたようだ」
「どうなさるのです? 心配いたしておりましたぞ」
ハラスは、馬をバーンに寄せて、身を乗り出すようにして訊《き》いた。バーンは、家人が参集すると直ちにドレイクの陣《じん》を発進したのである。
「なにをだ?」
「ショット様とお近づきのご様子、バーン家の城の金銀財宝も目減《めべ》りいたしております。なぜです?」
「すまんな。しかし……そんなことは、今は考える必要がない。この戦いで軍功をたてねば、今までの苦労はすべて水泡《すいほう》に帰す。なんとしても、手柄《てがら》を立てなければならん」
「お館《やかた》様のために?」
「いや、自分のためだ」
「成程、成程、その心意気こそ、お父上が望んでおられたことです」
ハラスは、バーンの腹の一端《いったん》をうかがえて満足そうであった。
しかし、カットグラが使えんということは、苦労でありますな。聖戦士《せいせんし》は、ますます腕《うで》を上げているというのがもっぱらの噂《うわさ》です」
「だからこそ、なまなかなことでは、ここは切り抜けられんのだ」
「そうであります……勝算はおありで?」
「確《かく》としたものがあるわけではない。ただ、修理中のカットグラを受領して、ギィ・グッガの近くに布陣《ふじん》する。それだけのことだ」
「フム……?」
「カットグラは、たいした機械である。歩くだけでも馬よりは早い。力もある。それを利用することは無駄《むだ》ではあるまい?」
「ドレイク様のこれだけの軍勢であれば、敵の目は、この軍に釘《くぎ》づけになりますな……成程……」
ハラスは、背後の二人の騎士《きし》を見やり、その前後を徒《かち》で固める兵たちを見やった。
後方に一|輛《りょう》の馬車が従っている。
「フフフ……それに比べて、我が隊は、結構な部隊で」
「そうだな。フフフ……正規軍は、わたしには重いな」
バーンは苦笑してから、馬の脚《あし》をやや早めて、闇《やみ》に向って突《つ》き進んだ。
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「バーンが、戦線から離脱《りだつ》した?」
ジョクがその報告をキムッチ・マハから聞いたのは、ガラリア・ニャムヒー指揮下のオーラ・マシーン部隊に向う道筋でだった。
「はい……ドレイク様の許可をいただいてから、家の者を連れて、後方に移動したということです」
ジョクは、左右の異常に多い篝火《かがりび》を見やりながらキムッチに訊《き》いた。
「……なんでお前は従わなかったのか?」
「ハッ?」
ジョクがそう言ったのも、キムッチは、もともとバーン家で騎士《きし》になる修行をしていた若者であるからだ。
「……呼ばれませんでしたし、自分から行く気もありません」
いかにも心外だという風にふくれっ面《つら》を見せた。
「そうか……ありがとう。キムッチの言葉は、本当に嬉《うれ》しい」
「水臭《みずくさ》いというものです。聖戦士《せいせんし》ジョク」
「言うなよ。俺《おれ》は、お前に轡《くつわ》を取ってもらった馬にしか乗れなかった男だ」
「ハハハ……そんなこともありましたか」
キムッチは、ジョクが自分のことで気をまわしてくれたのが嬉しかった。
「ガラリア様が、腹を空《す》かして待っていらっしゃいますよ」
キムッチが馬を急がせた。
二人の影《かげ》をくっきりと照らし出すほどの篝火であったが、敵に見られて困るものには、明りが届かないように楯《たて》や濯木《かんぼく》の山で遮蔽《しゃへい》されていた。
遠目からは、陣容《じんよう》の全貌《ぜんぼう》を知られないようにするためだ。
「そうだ。遅《おく》ればせながら、ジョク……本日の戦い、おめでとうございます」
ややガレ場になった暗いところに入って、馬の脚《あし》が遅《おそ》くなると、キムッチが言った。
「誉《ほ》められることではない。追撃《ついげき》の間を詰《つ》めることはできなかった」
「しかし、聖戦士殿が、あの敵を阻止《そし》したことで、ギィ・グッガの動きが分ったのです。しかも、その後、マランの前進基地からの撤退《てったい》の早かったこと。ドレイク様からの伝言を各部隊に布令《ふれ》させる早さ。これは、全軍の賞賛することです」
「それは、俺《おれ》が、ドレイク様が広く軍を展開していたことを知っていたからだ。でなければ、いつまでもマランの谷にかじりついていた」
「それですよ。知らねばなにもできません。それを知り得る立場にいらっしやるジョク。その一族の末席に座る者としては、鼻が高いというものです」
そのキムッチの評価は、お歴々の軍議でも話題になったのだが、こうして、自分の身内になった若者の口から聞く方が、嬉《うれ》しいものである。
大人たちの評価などは、世辞《せじ》が半分で信憑性《しんぴょうせい》がない。
そんな大人の世界を知るにつけて、ジョクはキムッチたちの感想の方が、真実の評価だと分るようになった。
今回のドレイク軍の展開は、敵を欺《あざむ》くにはまず味方を欺け、という鉄則に徹《てっ》した作戦だった。
ジョクは、アグーの村の近くのマランの谷に進出する時に、ドレイクからその考えを聞いた。
そのために、ジョクは、ギィ・グッガが動き始めた時、予想される戦闘《せんとう》空域にドーメ部隊の半分をもって守備をしながらも、そこから、ギィ・グッガが単純にアの国に下るとは見なかったのである。
だからこそ、ガラリアと敵のオーラ・マシーンを追って、現在、ギィ・グッガが取っている侵攻《しんこう》ルートを知ることもできたのである。
その進路は、アントバの山々がいく筋もの谷を形成してジャプハルの平原になだれこんでいる地帯で、大きな軍事行動には適していない。
しかし、マランの谷からアグーに下ると見せて、ドレイク軍の主力をアグーに集結させることができれば、ギィ・グッガは、ドレイク軍との接触《せっしょく》を避《さ》けてラース・ワウに侵攻することもできたし、ドレイク軍の横を脅《おびや》かすこともできた。
その上で、決戦に持ちこめば、ギィ・グッガが、アの国を制圧するのは簡単である。
しかし、ドレイクは、ギィ・グッガ一統の動きがかつての戦闘と違《ちが》うので、用心して軍を広く展開させた。
どこからギィ・グッガが出てきても、小さい抵抗《ていこう》線を設定しておいて、そこにドーメ部隊の機動力を使って、火力を投入する予定をたてたのである。
しかし、ジョクが、バーンの損傷したカットグラを後方に運んだころから、ドレイクは、ガロウ・ランの動きがひろく展開していることから、その主力部隊の集結地を、アグーとは考えなくなっていた。
常道的な陽動作戦が仕掛《しか》けられて、主力は、別のところからジャプハルに下りると読んだのである。
そのため、ドレイクは、ジャプハルの中央に流れる川、グリンナ寄りに軍を集結させ始めていた。
そして、この一両日、マランの谷の奥《おく》からガロウ・ランの一隊が、それなりの数で侵攻《しんこう》を開始した。
ジョクは、オーラ・マシーン部隊をもって、それを待った。
案の定、敵は、捕獲《ほかく》したカットグラとオーラボム・ドーメを含《ふく》めたハバリー部隊を出してきたが、山間を来るガロウ・ランの騎馬《きば》と空から来る数のアンバランスこそ、このルートが陽動でしかないという証拠《しょうこ》であると判断したのである。
だから、ジョクは、戦勝後も素早《すばや》く撤退《てったい》できたのである。
想像力を持った武将たちは、このジョクの働きを賞賛したが、そうでなければ、ジョクの戦勝などは、オーラ・マシーンの力があったからだ、と簡単に評価されるだけである。
しかし、戦争の勝利の要諦《ようてい》は、戦力そのものより、いかに有利な条件で敵と遭遇《そうぐう》するかという一点につきる。
圧倒《あっとう》的な敵に勝つ奇襲戦《きしゅうせん》というのは、その典型である。
それは、今日の戦いの結果にも言えて、今日の先勝は、ギィ・グッガとドレイク軍の戦争の結果を予測していた。
「だからですぜ、バーン様が後退するのは」
「そうかな?」
「ええ、妬《や》いているんです。ジョクを」
「よせよ。そんなことで、ゲリラを仕掛《しか》けるか」
「はい、覇気《はき》がおありになる方ですから」
キムッチは、もったりと答えた。
「……? どうした? 心配なことでもあるのか?」
急に気分が変ったキムッチに、ジョクは聞いた。
「いえ……」
「なんだ? 気になることは?」
ジョクにとって、コモン世界生まれの若者たちは、貴重な情報源である。ついつい、このように聞きたがってしまう。
それは、ジョクに仕える若者には日常|茶飯《さはん》のことなので、仕事のひとつと心得ていたが、いまのキムッチは、自分の口の軽さをうらめしく思っているようだった。
「喋《しゃべ》りたくなければ、それでいい。家にたいしての忠誠心は、俺《おれ》にも分るつもりだ」
そこで、ジョクは口をつぐんだ。
円陣《えんじん》を作るドーメの影《かげ》が大きくなり、ガラリアたちのオーラ・マシーン部隊の兵たちのさざめきが聞えてきたからだ。
「すみません」
「余分な考えなんか忘れちまえ。戦闘《せんとう》前の不安が、余分な妄想《もうそう》をさせる」
「そりゃそうですね……バーン様も、あの方なりに上手にやるでしょう」
「そうだよ。キムッチ……俺だ! 戦士ジョクだ!」
ジョクは見張りの兵に声をあげた。
「遅《おそ》いではありませんか。騎士《きし》ガラリアは、もう飲んでいますよ」
見張りに立つ兵も、少しは飲んでいるようだった。
ジョクには、そんな部隊の雰囲気《ふんいき》が良い状態なのか、悪い状態なのか、判断がつきかねた。
しかし、真面目《まじめ》すぎると、緊張《きんちょう》に縛《しば》られて、結局なにもできなくなるというケースも知っている。
度を過ごさなければ、リラックスするのもいいだろうと思う。
「すまなかった」
ジョクは馬を降りて、ドーメの脇《わき》を擦《す》り抜《ぬ》けると、ドーメの円陣《えんじん》のなかの焚火《たきび》の前に座った。
「こんなに火を焚《た》いていいのか?」
「こっちを敵に見せておく。ジョクの方を隠《かく》しておく。それでいい」
ガラリアは、ジョクのコップにドロッとした香《かお》りの強い酒を注《つ》ぎながら、笑った。
「よくないぞ、ガロウ・ランは、夜動く」
「そうだよ。あたしも夜、楽しみたいね」
ガラリアは、ジョクの耳元に唇《くちびる》を寄せて言った。
キムッチたちも、焚火の反対側に集まって、薬缶《やかん》から酒を注いで飲み合い、食事を始めた。それは、ピクニックのようにしか見えない。
北よりの黒い山の影《かげ》は、シンと息をひそめている巨人に見えた。
しかし、そんな光景が暗示するものなとに興味を示さないのが、自然と隣《とな》り合わせに暮《くら》らしている人びとのあり方だった。
ジョクには、自然の光景に必要以上に意味をつけくわえる都会人の習性が残っていた。
だから、ガラリアとジャレ合っていていいのだ、とは思わないのである。
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巨体を象のようにゆらして歩くギィ・グッガの前後左右には、松明《たいまつ》をかかげた騎馬《きば》が従い、行く手をさえぎるガロウ・ランたちを押《お》し退《け》けていった。
背後には、彼の幡《はた》を掲《かか》げる兵も騎馬で従っている。
ギィ・グッガの巨躯《きょく》は、騎兵《きへい》と同じぐらいの高さがあって見劣《みおと》りがしない。
ガロウ・ランたちは、旋回銃《せんかいじゅう》を装備《そうび》した小型の荷馬車を数輛《すうりょう》まとめて、その周囲に寝《ね》るか、荷馬車一輛を中心にして十数人のグループで小隊を編成するか、同じような数の騎馬で一小隊を編成して、休息をとっていた。
この数日の行軍で、ガロウ・ランといえども、夜動くのは避《さ》ける風があった。
しかも、各地から参集したガロウ・ランたちである。いつものような猥雑《わいざつ》さはなく、お互《たが》いに牽制《けんせい》し合って、食べ、寝るだけである。
火の数も少ない。
ギィ・グッガが規制もしていた。
しかし、まだ陸続《りくぞく》と参集するガロウ・ランのために、後方には、幾《いく》つかの松明《たいまつ》の列ができていた。
夜目の利くガロウ・ランでも、火の勢いに興奮する気質があるのは、コモンと同じである。
「誰《だれ》だよっ!」
松明をかかげた騎兵が、ギィ・グッガの前方に接近する騎馬隊に向って誰何《すいか》したが、接近する騎馬隊は、遠慮《えんりょ》がなかった。
「どけよっ! バッサラだっ! 頭領《とうりょう》!」
松明を押《お》し分けた十数の騎馬《きば》は、ドッとギィ・グッガを取り囲むようにした。
「遅《おせ》ぇじゃねぇかっ。威張《いば》れるかよ」
ギィ・グッガは笑った。
「なに言うかいっ。これを見いっ!」
ギィ・グッガの正面に馬を止めたガロウ・ランの一人は、腹の底から笑いながら馬の尻《しり》を叩《たた》いた。そこには、生首が数級《すうきゅう》くくりつけられていた。
バッサラと呼ばれるその男は、馬の尻に貼《は》りついて乾《かわ》き始めた血糊《ちのり》をはがして見せながら、
「二回だな。敵の部隊と出会った」
と言った。
「どのくらいの数だった?」
ギィ・グッガは、笑いを消して聞《き》いた。
「俺《おれ》たちゃあ、逃《に》げ遅《おく》れた奴《やつ》の首を落すのが面白くってよ。俺が、五《いつ》つか? 手前は、幾《いく》つだ?」
バッサラは、左右の部下たちに聞いた。
彼等は、それぞれ自分たちが上げた首の数を、ある者は指で示し、ある者は生首を差し出して示した。
総数は、三十数級である。逃げた兵を追っての戦果である。
ギィ・グッガは、その数からバッサラが遭遇《そうぐう》した敵部隊の総数を直感的に推測した。
暗算による数量計算ではない。ガロウ・ランには目の前の首の数さえ数えられない。それなのにギィ・グッガの直感的な量や数の推測が、間違《まちが》うということはなかった。
「そうか……どっちに逃げた?」
「こっちのこっちだ」
バッサラは、毛に覆《おお》われた腕《うで》を南と東へつきだした。
「フム……」
ギィは、バッサラたちが逃《に》がした敵部隊の数量を、頭のなかに描《えが》いている地図の上にのせて、敵の軍が、どのように動いているか推量した。
それで、ギィ・グッガは満足であった。
彼は、それ以上の情報収集の仕方を知らないために、自分がいかにひどい状況《じょうきょう》のなかで判断を下しているか、分らないのである。
「ドレイクは、軍を集めている」
「そんなに数が集まってるけぇ? どうして分る」
「手前《てめえ》の話で、分るよぉ」
ギィ・グッガは、ニタリと笑うと、バッサラのわきをぬけて行こうとした。
馬首をまわしたバッサラは、
「縄張《なわば》りして、いいけぇ?」と聞く。
「好きにしな。喧嘩《けんか》はダメだ」
「へヘッ! ギィ・グッガよ。手前のやろうってことは分る。ガロウ・ランだって、バカじゃねぇ。穴倉から出てよぉ、その辺にコモンの女とか男が、ウロウロしている世の中なんざぁ、ヘッヘヘヘ……いつも、チンポが振《ふ》れるってもんじやねぇか?」
「ギッヘヘヘッ!」
饒舌《じょうぜつ》なバッサラである。この言葉に、従う男たちも哄笑《こうしょう》し、なかには、革一枚の鞍《くら》の上で腰《こし》を振《ふ》って喜ぶ者もいた。
ギィ・グッガも、へへへ……とかすかに和したものの、すぐに前方の闇《やみ》に向って、目を据《す》えた。
「…………!」
ギィ・グッガは、陣立《じんだ》ての外の闇《やみ》に脚《あし》を踏《ふ》み入れて、そこに蠢《うごめ》く人影《ひとかげ》の方に近づいていった。
近くの川の流れの音が聞える。
その音にのるようにブルル……と低く重い息吹《いぶ》きがあった。
足下が多少|湿《しめ》ってきた。
「頭領《とうりょう》かい?」
低い声が、闇の向うからし、
バザッ……。重ったるい別の音がした。
バサン!
その強い音に応《こた》えるように、またも息吹きがブルル……と闇を震《ふる》わせた。
「そうだ! 行っていいか?」
松明《たいまつ》を持った兵が、必要以上に大きな声を出した。
「ハバリーに喰《く》われたければ、来なよ!」
ミュラン・マズの声に、松明を持った兵が怯《おび》えて、ギィ・グッガを見やった。
「俺《おれ》の近くにいるからってよ、手前を庇《かば》うとは限らねぇんだぞ? 口のきき方には気をつけるもんだ」
「へッ、ヘェ……!」
若い兵は、ギィ・グッガのうしろで、松明の火をかかげて、目をしばたいた。
「バフッ!」
ミュランの背後で、眠《ねむ》りについたハバリーの一頭が翼《つばさ》を広げて、そして、大きく鼻を鳴らした。
それに和して、左右のハバリーが首をもたげ、開いた眼を松明の光にギラッと赤く輝《かがや》かせた。
『ヒュー! ヒュールル……』
高周波の笛《ふえ》を吹《ふ》いてそれをなだめるのは、ビダ・ビッタである。
その窪《くぼ》みには、三十頭をくだらない強獣《きょうじゅう》ハバリーが、眠りについているのだ。
「……ビダは、どうでぇ?」
ギィ・グッガは、笛を使うビダ・ビッタを見やって、ミュランに聞いた。
「ヘッ、へへ……」
ミュランとて、今日の不首尾《ふしゅび》のすべてを機械部隊の責任にするわけにはいかないのは承知していた。
「……初めてにしては、使える。よくやった」
「そうけぇ? いいじゃねぇか」
「ヘェ……。敵のカットとドーメですかい? 数、出ましたんで、こっちもやられました」
ミュランは、撃墜《げきつい》されたハバリーの数を指を立てて示した。
「儂《わし》も、敵の機械をふたつ見た」
「……ヘェ」
ミュランは、ギィ・グッガの巨体が自分の前でしゃがんだので、それに含わせた。
その二人を遠目に窺《うかが》うビダ・ビッタの足下に、ナラがすり寄って言った。
「ギィ・グッガがあんたに会いにきたんだ……」
「そうだ。そそうがあっちゃなんねぇ……」
いつも、ギィ・グッガの正規軍に遠いところにいたナラにとっては、こんなに近くでギィ・グッガの体臭《たいしゅう》を嗅《か》ぐだけで、感動していた。
「凄《すご》いねぇ……」
「だからよ、俺《おれ》はミュランの話にのったんだぜ」
「分っているよ」
このナラという女戦士は、男を次々に代えてきた女である。いまはここでも、次の日にはどこにいるか分らない女戦士だった。
「ありがとうごぜぇます……」
ミュランの言葉にギィ・グッガが立ちあがった。
ビダとナラは、息を詰《つ》めた。
「儂のドラゴ・ブラーは、寄せてあるな?」
「ヘッ! 頭領……。村がありました。あの後ろの池に寄せてあります」
ミュランは北の山影《やまかげ》を示した。その山間にドラゴ・ブラーを呼んであると言うのだ。
「ここから、呼べるか?」
「ヘッ……中継《なかつ》ぎの笛師《ふえし》を入れてありますから」
「ほう、そうか……」
ミュランは、腰《こし》の革袋《かわぶくろ》からべつの小さい革袋を取り出して、それをギィ・グッガに渡《わた》した。
「その銀の笛で、音合わせをしました。ミィの時と同じ笛で……」
「ン……結構だな」
この辺りのギィ・グッガの口調には、時には、コモン人を使う術《すべ》まで覚えた巧妙《こうみょう》さがあった。激昂《げっこう》した時とはまったく違《ちが》う。
「ヘッ……」
ミュランは、ペコリと頭を下げると、ヒョイと姿をくらました。
「ビダよぉ!」
ギィ・グッガが呼んだ。
「……ヘイッ!」
ビダは、ナラの手を振《ふ》りほどくと、跳《は》ねるようにしてギィ・グッガの前に蹲踞《そんきょ》の姿勢をとった。
「ハバリーで、機械に勝てる。大事に使え」
「ヘイッ!」
ビダは、ギィ・グッガの寛大《かんだい》な言葉に、目を丸くした。
「ハバリーに乗る兵どもには、もっと弓の稽古《けいこ》をさせろぃ」
「ヘッ! そりゃ、もう! ブラバが機械で空を飛ぶんだ。負けられねぇ」
同じような武勲《ぶくん》を持ちながら、知恵《ちえ》があるブラバがオーラボム・ドーメの操縦者になったことに、ビダは、我慢《がまん》ならなかったのである。
しかし、この認識自体、ガロウ・ランにとって新しいものである。
これも、ビダが、ニー・ギブンの操縦するオーラボム・ドーメに乗る機会があったからであろう。
空を飛んだガロウ・ランたちが、知恵を刺激《しげき》されたのである。
「白い粉はあるな」
「ヘッ!」
「任せるぜぇ」
「ヘッ! ヘヘ……」
いかにも奇怪《きっかい》なガロウ・ランの典型といえるビダは、ギィ・グッガに退れと命令されるまで、卑屈《ひくつ》に笑いながら何度も頷《うなず》いてみせた。
「ミュランはな、機械に乗ると言った。だから、手前はひとりでハバリーを使うんだ」
「ヘッ! ヘェ!」
「今度の戦争で、敵の機械を盗《ぬす》む、そうすれば、動かす男が要る。だから、今のうちにコモン人《びと》に機械の操り方を覚えさせるのだ。分るか? ビダ」
「へッ! そりゃもう、すげえことで!」
「手前の働き、待っているぜ」
ギィ・グッガは、そう言い残すと、ビダの前を去った。
「お前! たいしたものだねぇ!」
ナラは、腰《こし》をくねくねさせながら、ビダの出世を喜んだ。
「お前には、面白くねぇよ。俺《おれ》は忙《いそが》しくなった。お前の相手をしている暇《ひま》はねぇ」
ビダは、ヒョッと立つと、
「弓の稽古《けいこ》させねばなんねぇ……」
半分|髪《かみ》のない頭を振《ふ》ったビダは、今後の訓練計画を頭に描《えが》くことに夢中になって、ナラの股倉《またぐら》を脚《あし》で押《お》し退《の》けたのである。
そんな目に会えば、その夜のうちにナラの姿が、ギィ・グッガの陣《じん》から消えるのも当然といえた。
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瘤《こぶ》のような小さな角を持った驢馬《ろば》に跨《またが》ったミュラン・マズは、陣の西寄りの山に向った。
何度かガロウ・ランの兵に誰何《すいか》されたが、彼の名前を知らない兵はいない。
ただ、空を飛ぶ男が驢馬に跨る光景が、ガロウ・ランたちには、滑稽《こっけい》に見えた。
「その歳《とし》で、女のところでもあんめぇ!」
そんな好意的なヤジが、闇《やみ》を行くミュランに飛ばされたものだ。
一時間ほどか。
ミュランは、ギィ・グッガの軍が侵攻《しんこう》してきたコースをさかのぼって、小さな谷間に入った。かなりの喬木《きょうぼく》がおい繁《しげ》り、暗い木の下にはガロウ・ランの気配があった。
「誰《だれ》かっ!」
「カンドワに会いたい。ンにゃ、ヘレナァに会いに来た」
ミュランは、簡単に言った。このテリトリーに入ると、ミュランにもなじみのない連中がいる。カンドワには、昔《むかし》、白い粉の使い力を教えてもらったことがあったが、会わなくなって二十年近いだろう。
「誰でぇ?」
「ミュランだよ。強獣《きょうじゅう》使いの」
「こんな時間にか」
「ガロウ・ランが闇に走って、なせ悪いか。手前たちも呆《ほう》けたなぁ」
ミュランにすれば、若いガロウ・ランのこんな感覚には虫酸《むしず》が走るのだ。
「そりゃそうだけどよ」
そんな声と共に数人のガロウ・ランの若い兵たちが、木々の下草の間から姿を現した。
彼等は、火などは使わない。
真夜中でも天には燐《りん》の光が雲を通してあり、真の闇などは、よほどの状況《じょうきょう》でなければあるものではないからだ。
「捕虜《ほりょ》はどこだ?」
「捕虜?」
分らない単語のようだ。
「コモン人《びと》だよ」
「ああ……分からねえ話だ。コモンなんぞは、殺せば造作ねぇのによ」
若いガロウ・ランたちには、ニー・ギブンたちドーメを運搬《うんぱん》して来た者の位置づけなどは、とうてい理解できないのである。
「どこにいる?」
「あっちだ。あっちの馬車の裏にいる」
松明《たいまつ》の火に浮《う》き出された人の影《かげ》の方に、ミュランは驢馬《ろば》をすすめた。
「フーム……」
火のあるところには、木々の梢《こずえ》に網《あみ》を張って、その上に草をかぶせたシェルターとしていた。
それを見て、ミュランは唸《うな》った。この有用性は、空を飛んだ者でないと分らないものだ。
「持ち場を離《はな》れるな!」
そんな女たちの声が、ミュランの前に壁《かべ》になった。
「手前たちも、カンドワの手の者か?」
「なんだよ?」
先頭に立った女戦士ミハが、ムッとした声を出した。
「手間賃だ」
ミュランは、腰《こし》の袋《ふくろ》から煙草《たばこ》の葉をひと掴《つか》み出して、案内をしてくれた若者たちに渡《わた》した。
「ケッ! ケケケケ……」
三人のガロウ・ランは、その葉の香《かお》りを確かめると、お互《たが》いに奪《うば》いあいながら、もと来た道を風のように戻《もど》っていった。
ミュランの煙草の葉は、あの白い粉をまぜて調合したもので、知る者にとっては、垂涎《すいぜん》の的なのだ。
ミュランは、これで、性的な欲望を満たす対象と食料をどれだけ手に入れたか知れなかった。つまり、強獣《きょうじゅう》に必要な餌《えさ》の確保も、これを用いて行なっていたのである。
「強獣使いがなんだい?」
「カンドワの手の者ではないとは、どういうことだ?」
ミハには答えずに、ミュランが聞いた。
「機械とコモン人の守りは、あたいたちがやっていた。その後、カンドワが来た」
彼女たちは、ギィ・グッガの命令でこの機械の部隊に参入したのではない。いつの間にか、こうなっただけのことである。
生まれた『巣《す》』の者同士で徒党《ととう》を組むガロウ・ランが、このように他所者《よそもの》を頭《かしら》にいただいて行動するのも、新しい行動様式である。
ブラバでさえ、機械の操縦者を志願した時から、かつての仲間とは離《はな》れてしまい、逆に、機械に興味を持った者が参入し、そして、新しい上下関係が生まれるなかにいた。
しかし、女たちは、新しい環境《かんきょう》に順応するのが早くて、戦うのが機械であって、良いことがあると思えないのに、機械が上げる戦果の大きさを期待して、その余禄《よろく》にあずかれることを見越《みこ》している気配があった。
女たちは、コモン人を殺戮《さつりく》する楽しみはなくなっても、機械のそばにつながれているコモンの虜囚《りょしゅう》を見るだけで、面白がるようになっていたのである。
知的遊びをおぼえたというのが、適切な表現であろう。
さんざん狩猟《しゅりょう》を楽しんだ後で、我々が、それを残酷《ざんこく》なことだと感じるようになった歴史的変化と似ている。
ミハの場合、トレン・アスベアという地上人《ちじょうびと》の男の精をいつか吸ってみたいという欲望があって、ここにいるのである。
「コモン人を見たい」
「あれは用がなくなったら、あたしたちが貰《もら》うことになってる」
「バカを言うなっ!」
ミハのうしろに立つより巨大な女が、革胴《かわどう》の上にむき出しになった両|乳房《ちぶさ》をゆすったので、ミュランは怒鳴《どな》った。
「なんだよ!」
「慰《なぐさ》みものにしていいのと、そうではないのがいる!」
ミュランはそう言いながら、女たちを無視して、シェルターの下に驢馬《ろば》を押《お》しいれた。
目の前にそびえ立つ黒褐色《こっかっしょく》のカットグラとオーラボム・ドーメの方が気になるからだ。
「どういうんだよ。ギィと同じようなこと言ってさぁ!」
女戦士たちが、ミュランの驢馬のしっぽを引っぱった。
「邪魔《じゃま》するなっ。手ぇ叩《たた》き斬《き》るぞっ!」
ミュランは小柄《こがら》な上体を揺《ゆ》すったが、カットグラの威容《いよう》から目を離《はな》すことはなかった。
強獣《きょうじゅう》を見慣れた目には、たいして大きくは見えないのだが、人の手によって作られて動くということの脅威《きょうい》を、ミュランはよく分っていた。
しかも、ミュランは、同じ性能の機械ならば、操る者の技量次第であるというところまで理解できるのである。
ミュランは、かたわらに残ってくれたミハに訊《き》いた。
「ブラバとヘレナァはどこだ?」
「寝《ね》たろ?」
「どこだ」
「この裏だけどぉ、起すと怒《おこ》る」
ミュランは、「そうかい」と言うと、驢馬でドーメのわきをすり抜《ぬ》け、整備台の下で仕事をしているトレン・アスベアを見やった。
そのコモン人の頬《ほお》がいやに輝《かがや》いているのを見て、ミュランは気持ち悪くなった。
「ホレ! さっさとやるんだよ!」
ミュランをうさん臭《くさ》そうに見下ろしたトレンは、脇《わき》に立つガロウ・ランにこづかれて、すぐに手にした道具を使い出した。
「なんだ? 機械の怪我《けが》を直すのに、いろいろ道具を使うのか……」
ミュランは、トレンの手元を見逃《みのが》さず、整備用の足場の上に置いてある道具|箱《ばこ》を覗《のぞ》いたりした。
「ヘレナァ!」
ミュランは、蚊帳《かや》を揺《ゆ》すった。蚊帳の上の方にとまっていた蛾《が》の群がバッと飛んで、その羽根の鱗粉《りんぷん》が散った。
ハンモック用の蚊帳のむこうの、丸っこい身体《からだ》は動かなかった。
「ヘレナァ!」
ミュランは蚊帳を上げると、ハンモックを揺すった。若い女の体臭《たいしゅう》がこもった空気が揺れた。
「なんだよ……」
麻《あさ》の下着一枚のヘレナァは、うるさそうに身体をむけると、ギョッとして目を覚ました。
「敵かい!?」
「すまねぇな、起してよ」
見慣れない顔に目をしばたきながらも、それが、ミュランであるのに気がついたヘレナァは、ますます妙《みょう》な顔をして、ハンモックから短い脚《あし》を下ろした。
そのむきたしの太腿《ふともも》をポリポリと掻《か》きながら、
「なんです?」
「……意外ときれいなんだなぁ。ええ?」
ミュランは、むきだしになったヘレナァの脚をのぞいた。中年以後の男の厭《いや》らしさそのままのミュランだが、それもガロウ・ランの常態である。
「やる気なんか、ないからぁ……」
「……そうけ? いいじゃねぇか」
ミュランが仕事を忘れたのも、強獣《きょうじゅう》の面倒《めんどう》をみなければならないという緊張《きんちょう》から解放されたせいであろう。
ミュランは、無遠慮《ぶえんりょ》にヘレナァの足首に触《ふ》れて、手を上の方に滑《すべ》らせていった。
「……なんですよぉ?」
ヘレナァとてミュランの噂《うわさ》は知っていた。これを断ることは損であった。
「やりたくないのに……」
「事情があってなあ……久しぶりでよ、やれそうなんだ」
ミュランは、若者とは違《ちが》った優しい愛撫《あいぶ》をヘレナァのぷっくりとした脚にしてやった。
「なんで……?」
「話は、やらせてもらってからよ」
もうその時は、ミュランの頭は、ヘレナァの下着の下にもぐりこんでいた。
「ントぉ……」
彼女の丸っこい身体がズルズルと下にさがると、腰《こし》を枯《か》れ草に落して、両方の手はハンモックを掴《つか》んだ。
その両方の腕《うで》の間に顔を傾《かたむ》けたヘレナァは、大あくびをした。
その下で、ミュランの背中がモゾモゾと上下し出した。
蚊帳《かや》の下には、ミュランの足首ふたつが飛び出して、その近くで、驢馬《ろば》が所在なけに餌《えさ》になるものを捜《さが》していた。
「ウッン……」
拒否《きょひ》とも感じたとも分らないヘレナァの声が蚊帳から滲《にじ》み出て、その後、しばらくミュランの喘《あえ》ぐような息遣《いきづか》いがつづいた。
しかし、そんなものは森の闇《やみ》に溶《と》けこんで、気がつく者はいない。
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「なんだとっ!」
さすがにガロウ・ランである。その怒声《どせい》は、よく通った。
ヘレナァの半分|寝《ね》ぼけた顔を凝視《ぎょうし》していたミュランは、その声で一気に気をやると、ジトッと濡《ぬ》れたものを下穿《したば》きのなかに押《お》し込《こ》みながら、蚊帳から這《は》い出てきた。
もちろん、ヘレナァが所有しているオーラボム・ドーメとカッグラのマニュアルを持ち出すことは忘れていない。
驢馬《ろば》は、いなかった。
「ホキューホキュー! いつも手前たちの話はそれだけだ!」
そんなブラバの声の方に、ミュランは歩を進めた。
久しぶりに女の臭《にお》いを嗅《か》いだせいだろう。身体《からだ》がフラと浮《う》き上がる感じが残った。
「叩《たた》き殺せっ」
そんな声が、若いガロウ・ランたちの間から湧《わ》いた。
「手前たちっ、手を出すと手前たちが死ぬぞっ!」
カンドワの声が、はやる若者たちを制した。
「言うこときかねえんだ。いいだろ!」
「殺したら、誰《だれ》が機械を直す」
松明《たいまつ》を持った部下を引き連れたカンドワは、整備台の左右の捕虜《ほりょ》たちを取り押《お》さえて、剣《けん》を抜《ぬ》いているガロウ・ランたちを睨《にら》みつけた。
「いいかっ! 殺したら、手前たちが死ぬんだ!」
「そんなのねぇ。俺《おれ》たちを殺せるものなら殺せっ!」
ドーメの前の整備台のガロウ・ランの一人が、剣を振《ふ》り上げた。
「やめろって!」
カンドワの手から黒いものが放たれた。
「ウゲッ!」
そのガロウ・ランは、のけぞりながら身体《からだ》を跳《は》ね上げるようにして、剣と一緒《いっしょ》に地上にドサッと落ちた。
「ゲヘッ! ゲヘッ……ヘッ!」
彼の粗末《そまつ》な革鎧《かわよろい》の胴《どう》に喰《く》いこんだものは、鉄の塊《かたまり》に見えた。呻《うめ》く若者は、それを外そうとするが、致命傷《ちめいしょう》を負った自身の手では外せるわけはない。
鉄片を丸く鋳込《いこ》んで刃《は》をつけたもので、日本の八方|手裏剣《しゅりけん》に似ているが、それよりは二回りも大きいものだ。
カンドワのように歳《とし》がいった者には、習練を積まずに敵に打撃《だげき》を与《あた》えることができる武器として、重宝されていた。
近距離《きんきょり》での殺傷能力は高く、通常の手裏剣よりも命中率が高い。
東西の地上人《ちじょうびと》が、それが携帯《けいたい》に不便で、破壊力《はかいりょく》がありすぎるために、使うのをいさぎ良しとしなかった武器である。
「放っておけ! ここにいるコモン人については、傷つけちゃならねぇと言っておいた」
カンドワは、周囲の自分の部下をねめまわした。
ミュランは、やや離《はな》れた薄暗《うすぐら》がりのなかに腰《こし》を下ろし、抱《かか》えこんだマニュアルを膝《ひざ》の上に置いて、ようすを見ることにした。
コモン人の捕虜《ほりょ》たちは、そのスラッとした姿を整備用の木の台の上にのせて、ガロウ・ランを見下ろしていたが、緊張《きんちょう》して震《ふる》えているのが、ミュランにも分った。
「…………」
ミュランは、こんな丸腰《まるごし》のヤワなコモンたちが、面倒《めんどう》がおこせるのか、と不思議だった。
しかし、カンドワのように仕切れば、小鳥以下のコモンたちでも、図に乗るものだとも思った。
イットーとマッタ、キチニ、トレンが、殴《なぐ》られても働かなくなったらしい。
「ニーがいなければ、働き手が少なくて、仕事がすすまんのだ!」
ドーメの方の整備台に立ったキチニが、ようやく怒鳴《どな》った。
「働くようにすれば、いいのか?」
カンドワは怒鳴った勢いを忘れて、ブラバに聞いた。
「ああ……しかしよ。ニーは、蟻喰《ありく》いのように地べたを見て歩くだけだ。でなけりゃ、手傷を負った熊《くま》みてえなモンだ」
「……お前が駄目《だめ》にした捕虜《ほりょ》か?」
カンドワは納得して、整備台の下から捕虜たちに怒鳴った。
「働くようにする。一緒《いっしょ》に働いて、機械を直せ!」
「しかし、それも無理な段階に来たんです。補給物資がなさすぎる」
これは、メカニックマンのイットー・ズンだった。
「手前、今日だって持って来たろうがっ」
ブラバは、マランの谷の前進基地から持ってきた物資のことを言った。
「あんなモン、リキュールだけじゃないか」
イットーがまた抗議《こうぎ》をする間に、ブラバは、整備台に猿《さる》のようによじ登ると、逃《に》げ場のないイットーの首を掴《つか》んで、殴《は》り倒《たお》していた。
「あーっ!」
地に落ちたイットーは、あっけなく気絶した。
「ハハ……気絶したよ!」
ミハたち女戦士は、嬉《うれ》しそうにイットーの身体《からだ》を蹴《け》ってみた。
「いつまでもこれなら、後はあんたたちだけでやんなよっ」
マッタ・ブーンだ。
「殺すなよ!」
カンドワは、女戦士たちに一喝《いっかつ》すると、ブラバを呼んだ。
ミュランは立ち上がって、カンドワに声をかけた。簡単な挨拶《あいさつ》をしている間もなかった。
「どうしたんでぇ?」
「もう一人、括《くく》ってある捕虜《ほりょ》がいるのを忘れていた。連中の大将格だ」
「へぇ……?」
「粉を使ってカットグラに乗せて、仲間同士で戦わせたんだ。それからこっち、言うことを聞かねぇ」
「なんとかするのを忘れてな……こいつが、粉の使い方を間違《まちが》ってくれた」
カンドワが、苦虫を噛《か》み漬《つぶ》した顔をする。
「へッヘヘヘ……」
ミュランにはよく分る話である。
白い粉の使い方を知っているガロウ・ランと言っても、コモンを駄目《だめ》にするための使い方ぐらいしか知らないのが普通《ふつう》である。相手を使役するレベルで使いこなすという匙《さじ》加減は難しい。
「機械に慣れるためには、連中のやり方を見るしかねぇだろっ!」
ブラバは、両方の碗《うで》を振《ふ》って、二人の長老格に抗議《こうぎ》した。
「そりゃ、分る。ブラバは間違《まちが》ってねぇ」
ミュランが言った。
「……手前は、機械に乗るつもりで来たか?」
カンドワである。
「そうよ」
ミュランはマニュアルを揺《ゆ》すって見せて、ミハたちの案内に従うカンドワの後についていった。
「できるわけねぇよっ!」
ブラバは、ミュランの背中に毒づいた。
「あれさ」
女戦士の一人が差し出す松明《たいまつ》の光の奥《おく》の木に、背中を押《お》しつけられて両腕《りょううで》を木の後ろにまわして縛《しば》られて座っているニー・ギブンがいた。
かすかに上体が揺《ゆ》れていた。
「フム……」
カンドワが唸《うな》った。
「雨か?」
滴《しずく》が松明の光のなかにキラキラと光った。いつからであろう。降り出したようだ。
「……あんたが来るって聞いてから、粉は使っていねぇ。ここのところ、ああしてある」
「いいことだ」
ミュランは、カンドワの前に立って、ニーを覗《のぞ》きこんだ。
「……ウッ……ウウッ……」
革の猿轡《さるぐつわ》から漏《も》れる声が、はっきりとした声に変った。その革の猿轡を噛《か》み切ろうとしていたのだろうが、猿轡は唾《つば》を吸って強度を増すだけである。
見た目に哀《あわ》れなのは、ニーのむき出しになった肌《はだ》が、蚊《か》とブヨと蟻《あり》にくわれてゴツゴツになっていることだった。
ミュランは、ニーの瞼《まぶた》を引っくりかえして見て、カンドワに言った。
「癖《くせ》になってはいねぇ」
カンドワは頷《うなず》くと、ミハに猿轡を外させた。
「ハウッ……ムムッ……ベッ! ぺッ!」
ニー・ギブンは、朦朧《もうろう》とした意識のまま、しきりに唾《つば》を吐《は》いて、ゆっくりと頭をめぐらしてカンドワたちを見た。
「ニー・ギブン……」
「……なんだ?」
ニーの眉間《みけん》に深い皺《しわ》が刻まれ、その瞳《ひとみ》が左右上下に揺《ゆ》れた。
「……だめかな? 癖になってはいねぇようだが、残っている」
ミュランは、カンドワを振《ふ》り仰《あお》いだ。
「いい見立てだ。少しずつ慣れさせて、癖にするしかねぇな」
カンドワは難しい顔をしてから、溜息《ためいき》をついた。
「なんとも、コモンというのは、ウサギ以下だな。すぐ身体に残っちまう」
カンドワもニーの目を覗《のぞ》きこんでから、部下の一人に水を持って来させると、革袋《かわぶくろ》から白い粉をつまみだし、竹の容器にかすかに撒《ま》いて、容器をゆすった。
「……俺《おれ》は、間違《まちが》っていねぇぞ?」
ブラバは、カンドワの手つきの子細を観察して、呻《うめ》いた。
「ウム……そうだろうよ。コモン人を使おうとは思わなかった」
カンドワは同意すると、ニーの腕《うで》の綱《つな》を解《ほど》かせて、竹容器を持たせた。
「元気になる。殺しゃぁしねぇ。手前は、大切な人間だからな」
カンドワは、呪文《じゅもん》を唱えるようにニーに言い聞かせると、竹の容器の生温《なまぬる》い水を飲ませた。
飲みおわって、大きく息をしたニーは、舌なめずりをたっぷりとしてから、
「もっとくれ……」
「よーし」
カンドワは、ニタリとするとミハたちに、
「あとは好きなだけ水をやれ。腹が減っているなら、赤ん坊が食うようなものをやれ」
「なんだい? それはさ?」
ミハたち女戦士は、ケタケタと笑い合った。
「柔《やわ》らかいものだ。グダグダと煮たものがあるだろう」
カンドワは、叱《しか》りつけるようにしてから、ミュランに向いた。
「……お前が出る時、ギィ・グッガは、なにか言ったか? 明日は早くから、敵を攻撃《こうげき》しろと命令されたが」
「そうけぇ? この天気では、空を飛ぷのは難儀《なんぎ》になった」
ミュランは、顎《あご》をしゃくるようにして、網《あみ》のシェルターに落ちる滴《しずく》の音を気にした。
「この雨。雲が厚い。昼間でも、夜みてぇなものだ」
フラバも言葉を継《つ》いだ。
「ギィ・グッガは、敵の機械が一杯《いっぱい》残っているのを気にしている」
カンドワは、難しい顔をした。
「ハバリーは出るんじゃねぇか? ビダは、まだ空を知らねぇし、強獣《きょうじゅう》を可愛《かわい》がることも知らねぇ」
「フン。気になるなら、手前がやったらいいじゃねぇか?」
「……そうはいかねぇよ……機械を知りてぇ」
「ブラバ、出られねぇか?」
「朝になって、雲が高くなればな?」
ブラバは、パイロットらしく、行動の前に思慮《しりょ》が働くようになっていた。
「フム……儂《わし》は、空を飛んだことがねぇからなぁ」
カンドワは、髭《ひげ》を撫《な》でながら、外の音に耳を傾《かたむ》けた。
木の葉を打つ雨の音は、森の下では聞えないものだ。葉から落ちる滴から、雨の量を見定めるしかない……。
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「皮膚《ひふ》の下にミミズが入りこんで、むず痒《がゆ》い感覚だな……。それが背中に回ると、どうしようもない……ウッ!……」
二ーは、説明している間に、その蠢《うごめ》きを思い出して、またも汗《あせ》が吹《ふ》き出して来るような感覚にとらわれて、ブルルと全身を震《ふる》わせた。
「そんな……それは、麻薬《まやく》だぜ。麻薬……!」
トレンは、その概念《がいねん》をゆっくりと脳裏に浮《うか》べながら、ニーたちに語りかけた。
『マヤク……こういう感覚か……?』
ニーの手は、ドーメのブリッジの内壁《ないへき》周辺のバイオ・マッスルの反応テストを続けながら、その言葉を操りかえしてゾッとしていた。
ニーたちもその恐《おそ》ろしさは知っている。
「妙《みょう》だと思っていたんだ。掴《つか》まってからこっち、みんな元気すぎたのは薬のせいなんだ」
反対のフロアにしゃがみ込んでいたトレンは、立ち上がって叫《さけ》んだ。
「手前っ! 仕事をしろっ!」
トレンは、見張りのガロウ・ランに横面を殴《なぐ》られて、ブリッジの中央のバーによろけた。
「こっちとあっちの調子を見ているんだろ!」
ニーは、ブリッジの狭《せま》い場所をより狭くしているガロウ・ランの三人を怒鳴《どな》りつけた。
「なら、俺《おれ》たちに分るように喋《しゃべ》れ!」
「無理を言うな」
今度は、トレンが怒鳴ると、またしゃがんだ。
「三番のマッスルの反応テストだ、いいな? ニー」
「ああ、ああ!」
二人がこうしてドーメを整備するのも、脱出《だっしゅつ》の機会を狙《ねら》っているからである。
しかし、今日までそれができなかったのは、ブラバとヘレナァの警備が厳しかったのと、ニーがバーンと戦ったあと、禁断《きんだん》症状を示していたからだった。
『……もうじき夜明けだが……今夜も無理か……』
ニーは、自分のために脱出が遅《おく》れたことを呪《のろ》った。しかも、身体《からだ》は、まだはっきりしないのだ。
ニーは、バーンのカットグラと戦ったことなど覚えていない。完全にハイの状態で戦闘《せんとう》に出たらしく、彼の記憶《きおく》は、脈絡《みゃくらく》がなかった。
木に括《くく》られて、鬱々《うつうつ》としている間に記憶に現れたのは、マーベル・フローズンと別れた時の感動だけであった。
『すぐに帰って来ます』
『待っていますよ。ニー』
その甘《あま》く潤色《じゅんしょく》された光景に、バーンのカットグラが迫《せま》る絵が見え、次に、ギィ・グッガたち、ガロウ・ランの醜悪《しゅうあく》な顔が悪魔《あくま》の映像になって走った。
その前後に、あのマーベルの形の良い唇《くちびる》が、ゆっくりと動いて見え、そして、ドーメの修理に必死になりながらも、クルー全員が別々に引き裂《さ》かれてしまう絶望の光景が襲《おそ》うのである。
『水を飲ませてくれ!』
自分自身の絶叫《ぜっきょう》が、ニーを覚醒《かくせい》させ、カンドワが『いい子だ』と言う顔が、彼の視野|一杯《いっぱい》にゆらめいたのである。
そして、ニーは、いま、ドーメのブリッジにいる。
「……よし。ここは終了《しゅうりょう》だ」
ニーは、見張りのガロウ・ランたちに作業終了を伝えた。
「飛べるんだな?」
「俺《おれ》たちはこれで逃《に》げるんだから、飛べるようにしてある」
「生意気言うんじゃないんだよ」
ガロウ・ランの一人が、はっきりとニーたちの使う言葉でののしった。
「なに怒鳴《どな》っているんだ? 仕事が終ったら、すぐに寝《ね》ろ!」
外からブラバの声がした。
「へっ、ヘい!」
ブラバは、ブリッジのハッチから覗《のぞ》くと、
「酒でもやって、寝かせるんだぞ! また働かせるんだ」
「ヘーッ」
ブラバは、警護の兵たちに言うと、ドーメからカットグラにつながる梯子《はしご》をスルスルと昇《のぼ》っていった」
「ブラバ! ヘレナァにも言って欲しい。こんな損傷が続けば、もう修理はできない!」
ニー・ギプンは、整備台から降りると、そう言った。
「分っている!」
「ブラバ……?」
ブラバを見上げたニーは、彼の眼光のなかに、知的な光が宿っているのではないかと思った。
それは錯覚《さっかく》ではない。
しかし、ニー自身は、ガロウ・ランとは逆に薬に汚染《おせん》されている自分の身体《からだ》の心配をする方が先決であった。これは、ニーにはパラドックスに思えた。
「…………」
ニーは、口のなかがカラカラになっているのを自覚しながらも、喉《のど》をくすぐる嫌悪感《けんおかん》に咳込《せきこ》んだ。
カットグラのコックピットから降りて来たキチニ・ハッチーンが、彼の背中をさすってやった。
「いきなり働いて、大丈夫《だいじょうぶ》ですか?」
「大丈夫だ。気がまぎれる……」
「ホラッ! この酒でも飲んで、さっさと寝《ね》ろ!」
女戦士たちは、とうに寝込んでいた。夜半より交代したカンドワの部下たちが、不愉快《ふゆかい》そうにニーたちをそれぞれの蚊帳《かや》に追い立てたが、雨でズブ濡《ぬ》れになった蚊帳は使えなくなっていた。
「どうしろってんだよ!」
マッタ・ブーンが毒づいた。
「大事にしないと、お前たちが殺されるぞ!」
キチニも、ガロウ・ランの若い者を威《おど》した。
平常心を持ったニーならば、そんなヤケになった二人を諌《いさ》めたろうが、いまは、そんな二人を見ても、元気が良い、と感じるていどの認識しか持てなかった。
「こっちだ!」
見張り役のガロウ・ランの相談がまとまったのだろう。シェルターの下の一方の天幕に連れて行ってくれた。
「おとなしくしねぇと、足ぐらい叩《たた》き斬《き》るぜ! ええ!? 仕事をするのには、いらねぇだろう?」
若いガロウ・ランにしては、巧妙《こうみょう》な威《おど》しだった。
かなり大きな天幕は、もともと物資保管用だったのだが、収納するものがなくて、空いているのだった。
蒸《む》した。
「分ったよ。飲ませろよ。ホラ!」
マッタは、酒の催促《さいそく》をした。
「手前等よ!」
文句を言いながらも、若いガロウ・ランの一人が、木を刳《く》り抜《ぬ》いた壷状《つぼじょう》の容器を、天幕の入口から差し出した。
「毒なんぞ入ってないんだろうな?」
「入ってねえ。みんなで飲むもんだ!」
「なら、お前が飲んでみな?」
「へへ……コモンが俺《おれ》たちの口をつけたものを飲むか? いいだろうさ」
若者が、グビッと喉《のど》を鳴らした。
ニーには刺激《しげき》的な音に聞えた。
「いい酒だ。コモンにやりたくねぇ」
その言葉にうしろから覗《のぞ》いた男が手を伸《の》ばして、それを奪《うば》って口をつけた。
「ン……うめぇ」
「マッタ? 大丈夫《だいじょうぶ》そうじゃないか」
ニーは、天幕の奥《おく》から催促《さいそく》した。
ニーの反応に、トレンは不安そうな表情を見せたが、黙《だま》った。
「はい……よこせよ」
マッタはガロウ・ランの手から木の容器を奪うと、それをニーに差し出した。
「すまん」
ニーは、その容器に口をつけた。黒ビールに近い味がした。ニーにとっては、腰《こし》が抜《ぬ》けるほとに美味なものだ。
ビールが全員に回ったところで、ようやく彼等は土の上の枯草《かれくさ》に横になった。整備用に使うボロ布が、枕《まくら》代わりになった。
「どうするね? これから……」
ややあって、トレンが天に向って言った。
「明日には、作戦を敢行《かんこう》する。一人が欠けても脱出《だっしゅつ》すべきだ」
ニーは、ほっと息をつきながら言ったが、誰《だれ》からも返事がなかった。
「……今は、はっきりした意識があるから言える。俺《おれ》は、カットグラを操縦して、自軍のカットグラと戦わされたらしい。そのために、みんな以上の麻薬《まやく》を飲まされた。これからも禁断症状が出るだろう……だから、俺は捨てて、みんなで脱出してくれ。キチニ、マッタ、イットー、いいな?」
「…………」
やはり返事はなかった。
「……地上人《ちじょうびと》のトレン様は、アの国にとっても役立つ方だ。彼だけは、忘れずに連れて、カットグラ、ドーメ、どちらでも良い。脱出しろ。我々が囚《とら》われていることが、敵に戦力を提供しているという状況は、なんとしても……」
ニーは、言葉を切った。
後頭部が、痛んだ。
ニーは、意識が混濁《こんだく》するのではないかという不安に襲《おそ》われた。
それが、ニーに、次の絶望的な言葉を思いつかせていた。
『もう、マーべル様に会えないのかも知れない……』
ニーは、あの地上人を抱《だ》きしめられれば、平和になれるのではないか、と思いたかったが、またはしゃぎたくなる自分の気持ちをどうしようもなかった。
『ここから逃《に》げて、マーベル様と楽しく……』
ニーは奥歯《おくば》をギリッと噛《か》みしめた。
しかし……。
「フッ、フフフ……フフ……」
ニーの口から、奇妙《きみょう》な含《ふく》み笑いが漏《も》れるまでに、それほど時間はかからなかった。
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そぼ降る雨のなか、バーン・バニングス一行が、ラース・ワウの防衛戦の最外縁《さいがいえん》にあたる駐屯地《ちゅうとんち》メットラ・バーに辿《たど》り着いたのは、明け方近くだった。
「各部の接合が終ったところですが、調整がまだです。飛行に関しては、当分、テストさえできません」
整備部隊の責任者ケストラ・トーンは、青い顔をして馬上で濡《ぬ》れているバーンに報告した。
「……結構である。貴官等の奮闘《ふんとう》には感謝する。関節調整には、どのくらいかかるか?」
「ぶっ続けで作業をさせていますので、休ませないと……続ければ、あと半日というところでしょう」
「フム……急いで欲しい。ドレイク様からの信任状もある」
バーンは、油紙に包んだ書状をケストラに渡《わた》した。
油紙は昔から使われている防水紙で、地上でいえば、和紙にカキ渋《しぶ》を塗《ぬ》って乾燥《かんそう》させ、さらに桐油《とうゆ》などを何度も塗って乾燥させた茶色の半透明《はんとうめい》に見える紙で、丈夫《じょうぶ》である。
この世界でも和紙に似た紙をベースにして油紙を作り、包装《ほうそう》などには必ずと言ってよいほどに使っていた。
「拝見します」
ケストラは、油紙の包装を解くと、中の書状に目を通した。ハラスは、そのケストラを横目に見ながら、テーブルに地図を広げた。
天幕を打つ雨の音は、まだまだ重かった。
「……この天候で、今日、会戦《かいせん》があるのか?」
「ギィは、今朝には動いて陣形《じんけい》をととのえるでしょう。その後、ただちに仕掛《しか》けますかな?」
バーンと同じようにズブ濡《ぬ》れのハラス・レハーズが、半ば反問するように言った。
「ああ……そうか。仕掛けんな。この雨がやむか、明日まで待つかだ」
「なぜ?」
「ギィ・グッガは、知恵《ちえ》をつけた。昨夜は、ギィはこのチェルトンの村の近くに陣を布《し》いた、別の隊がこのバーナの湖の近くに……まだ、ジャプハルに出ていない。つまり、ギィは、今回は戦いの陣形を気にしている。だから、もう少し待って、万全の陣形を組むか、当方のオーラ・マシーン部隊に打撃《だげき》を与《あた》えた後でなければ、仕掛けまい」
「成程、では、今日は無理ですな」
「うむ……ドレイク様も一気に決する覚悟《かくご》のようである。つまり、我等が動く間はあるということだ」
「それを読んでの今回の作戦でありますか?」
ケストラが、割って入った。
「そうだな……」
バーンは、ケストラから信任状を受け取って、頷《うなず》いた。
「分りました。カットグラ、歩くことは歩けますから……確認しますが、飛行しなくていいのですな?」
「言ったはずだ」
「はい……」
ケストラは不精髭《ぶしょうひげ》を撫《な》で撫で、雨合羽《あまがっぱ》を着こんで、天幕を足早に出ていった。
「これから、ストランドのところに行くか?」
「無論です。あそこには、数基の弓があるはずですから……」
「ストランド・スケンソンは、難しい男だと聞いているが」
「意固地《いこじ》は意固地ですな。昔《むかし》、お父上の時代には、我が家といろいろありました」
「うまく行くか?」
「あの男のことです。オーラ・マシーンが威力《いりょく》を振《ふる》う時代に腹を立て、ドレイク様の革新的なやり方に反発しているはずです」
「フム……しかし、ドレイク様の信任状は持って行った方がいいだろう」
「そりゃそうです。主従の関係は大切にする男です」
ハラスは、ケストラに読ませた信任状をもう一度油紙に包んで、それを鎖帷子《くさりかたびら》の下の胴巻《どうまき》に押《お》しこんだ。
「おいおい、伯父貴《おじき》殿《どの》? ひと休みをしてから出ろ。今から行っては、身体《からだ》が参ってしまうぞ?」
「ハハハ……。そうさせてもらいます。しかし、二時間も寝《ね》たら出ます。またまだ若い者には負けられません」
「それは分っている。ハラスが死ぬまで、その言葉を聞く覚悟《かくご》はできている」
「恐《おそ》れ入ります。バーン様は、ゆっくりお休みになって、カットグラの修理が終り次第、弓と共に移動して下さい。わたしは、後から合流することになりましょう」
「そうしてくれ」
それから、移動ルートなどの打ち合わせをしたあと、ハラスは、部下の様子を見てまわるために、与《あた》えられた天幕の方に駆《か》け出していった。
バーンも騎士《きし》溜《だま》りの天幕に移ったが、ここでは、オーラ・マシーン用に木造の建物が用意されているものの、人間は冷遇《れいぐう》されていた。
『これも時代か……』
その天幕は、少し前までの慣習通り、いつ騎士たちが来ても良いように支度がしてあるのだが、中央のブリキ缶《かん》にくべられた火があるだけで、兵はいなかった。
機械が本流になる時代に移行して、メカニックマンたちが拠点《きょてん》にするような場所に、騎士が立ち寄るようなことはないのである。
もちろん、パイロットは騎士たちのなかから選ばれるのだが、この後方基地に騎士が来ることなど考えられていないのである。
これを別の視点から見れば、戦場が、拡大したことを意味した。
オーラ・マシーン以前のアの国の軍事行動は、補給部隊も騎士が指揮を取り、騎士が来ることもない部隊などは、存在しなかったのである。
しかも、現在は、騎士がいないこの部隊がきちんと機能しなければ、パイロットは、無駄《むだ》な存在に貶《おとし》められるのである。
アの国の軍隊では、少なくとも、この部隊の存在は、馬の面倒《めんどう》をみる以上のものだという認識が発生していた。
このような事態の変化は、今後、騎士たちをもっと困惑《こんわく》させるであろう。
バーンは、家の従兵を呼ばない限り、騎士の面目《めんぼく》を維持《いじ》することもできなくなっているのである。
彼は、一人、濡《ぬ》れた革鎧《かわよろい》を脱《ぬ》ぎ、それを火の脇《わき》の鎧掛《よろいか》けにかけて、直接火の熱気が当らない距離《きょり》に、鎧掛けを移動させた。
『まるで、下働きのすることだ……これも時代の変化か……』
その言葉は、今やバーンたち騎士レベルのインテリたちの流行語であった。
しかし、それを、このような惨《みじ》めな行動で実感できる騎士たちは、まだ少なかった。
「…………」
バーンは入口から手を出して雨を受けた。
周囲は激《はげ》しくなった雨で煙《けむ》っていた。
バーンは、手の雨を舐《な》めながら、天幕の中央に戻《もど》ると、手を火にかざした。
「……ショットは、所詮《しょせん》、頭で考えるだけの男だ。理屈《りくつ》で戦争ができると考えている。あれが、地上人《ちじょうびと》の偉《えら》さとは思えんな……』
バーンには、オーラ・マシーンを開発した地上人、ショット・ウェポンヘの憧憬《どうけい》の念は消えてはいない。だから、非難する言葉は思いつかない。
しかし、どこか釈然《しゃくぜん》としないものが自分のなかにわだかまっているのを、感じないわけにもいかなかった。
『しかし、ショットはあれで良い。違《ちが》う世界の男だし、オーラ・マシーンを開発した技術力だけで、生きていける。が、俺《おれ》はこの地の人間だ。身体《からだ》を張って、人に力を示す以外、なにも為《な》すすべを知らん……』
濡《ぬ》れた手が乾《かわ》くと、バーンは天幕の周囲にしつらえてある簡易ベッドのひとつに腰《こし》を下ろした。
「騎士《きし》が、騎士たるためには、普通《ふつう》人以上の危機に身を挺《てい》して、働きの結果を示してこそ立つ瀬《せ》があるというものだ……でなければ、騎士など、豚《ぶた》に食われて死ねばいい……』
バーンは、昔からのコモン人の罵《ののし》り言葉を、自分に投げかけているうちに、いつの間にか眠《ねむ》りに落ちていた。
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その夜、前線では、ひたすら双方《そうほう》の敵情|偵察《ていさつ》がおこなわれて、その出先で、幾《いく》つかの小競《こ ぜ 》り合《あ》いがあったものの、大きく軍の動きに影響《えいきょう》を与《あた》えるようなことはなかった。
夜明けを待って、ギィ・グッガの本隊は、雨のなかを、またも移動を開始した。
ギィ・グッガは、放った斥候《せっこう》たちの情報を総合して、自分の部隊をドレイク軍の正面に押《お》し出すことを決したのである。
「バーナの湖のヂェンドロには、もっと前に出ろと命じろ。バッサラには、ゲサンの丘《おか》を越《こ》えて、ジヤハサールに潜《ひそ》む敵軍を押《おさ》えさせろ」
ギィ・グッガは、移動を始めた馬車から命令を出した。それをドーレブが、馬車の左右に控《ひか》える伝令部隊に伝えた。
「……ビダ奴《め》、ハバリー部隊がまだ出ていないようですな?」
「督促《とくそく》しろ! このていどの雲で、なにをしているかぃ。」
「ハッ!」
ドーレブが慇懃《いんぎん》なのは習性で、擬態《ぎたい》ではない。
主《あるじ》の配慮《はいりょ》の不足を補うことも忘れない知性を持ち合わせていた。その確実さが、宦官《かんがん》の怖《こわ》さである。
ドーレブが、何人目かの伝令を発進させた時、ギャッフッという、ハバリーの入れ込んだ鳴き声が、頭上を通過した。
「…………!?」
続いて、数匹《すうひき》のハバリーの影《かげ》が、雨を払《はら》うように滑空《かっくう》して、前方の霧《きり》のなかに突進《とっしん》して行った。
「…………!?」
ギィ・グッガは、馬車の天蓋《てんがい》からその光景を見て、唾《つば》を吐《は》いた。
「ビーダッ! あんなに入れ込んで、なにをさせるつもりかっ!」
ギィ・グッガは、胴巻《どうまき》のなかから数本の銀の笛《ふえ》の一本を取ると、それを鳴らした。音は聞えない。
ギャッ! ギャーッ!
遠ざかって行ったはずのハバリーの群の声が、またも頭上に集まり始めた。
低い雲の下に、その打ち振《ふ》る翼《つばさ》がチラチラッと見え、それから雨を透《す》かすようにして、その巨体がフワッと降下して来た。
ギィ・グッガは、馬車の上に仁王《におう》立ちになると、一方の手を頭上にかざして、打ち振った。
そのギィ・グッガを中心にして、一方にハバリーの群が集まるように降下を始めた。
ハバリーの首に跨《またが》るガロウ・ランたちは、勝手に動き出したハバリーに慌《あわ》てて、手綱《たづな》を引き、上昇《じょうしょう》させようとした。
しかし、そんなことでは、ハバリーはギィ・グッガに寄ることをやめない。
彼は、白い粉を散布しているのだ。
雨のせいで、その粉は地上に落ちてしまうのであろう。ハバリーたちは、地上に舞《ま》い降りて、周辺のガロウ・ランたちを蹴散《けち》らした。
「ビダッ!」
ギィ・グッガは、その中からビダが跨《またが》るハバリーを見つけると呼び寄せた。
「頭領っ! なに邪魔《じゃま》するんでぇ」
ビダの半分しかない頭髪《とうはつ》が、怒《いか》りに逆立つように見えた。醜悪《しゅうあく》な顔が、本物の鬼《おに》のようにカッと赤くなった。
二十数頭のハバリーにようやく隊列を作らせたばかりだったのででビダは不快だったのだ。
「この天気で、飛ばすのに苦労したんだぜぇ!」
こうなるとビダは、ギィ・グッガが何者であろうと構うものではなかった。
しかし、ギィ・グッガこそ、このような男たちをたばねる頭領である。
「へッ! ヘヘヘッ……! こんな天気にハバリーを本気に飛ばせたら、手前、山か木にぶち当って死ぬぞぉ!」
「…………!?」
その単純な理由を、ビダは想像していなかった。
「うわっ!」
空中に散布された粉を吸おうとするハバリーが、仲間同士が先陣《せんじん》争いを始めて、跨《またが》るガロウ・ランを振り落したのだ」
「あんなものじゃない」
ギィ・グッガは、手を納めてビダに言った。
「目の前が見えないハバリーは、一緒《いっしょ》に落ちる。偵察《ていさつ》だけだ! よほどの敵が見えない限り、攻撃《こうげき》はするな」
「部下たちも火矢を使いたがっています」
「攻撃できそうな敵だけをやれ、空中戦などはやるなっ!」
ハバリーの群が散る気配を見せた。
ギィ・グッガは笛《ふえ》を吹《ふ》いて、ババリーをなだめさせて、振り落されたガロウ・ランたちが、ハバリーに戻《もど》れるようにした。
奇怪《きかい》な光景であった。オーラ・マシーンがない時代なら、この強獣《きょうじゅう》を操っているギィ・グッガたちは、圧倒《あっとう》的な軍に見えたことであろう。
「行けっ!」
ギィ・グッガは、なお不服げなビダに命じた。
「ヘーッ!」
ビダは、ギィ・グッガが使ったと同じ銀の笛を使って、ハバリー群を集めると雲のなかに消えて行った。
「ふん、てえしたものだ。すっかり慣れちまったらしいな……」
ギィ・グッガも、バーンと同じように、時代の変化に気づいていた。
「ドーレブ、カンドワは何をボッとしているのだ? 機械が動く気配がねえ」
「しかし、機械こそ不慣れな者の集まりですぞ」
「だから、慣れさせる。敵に機械の居場所を見つけられたら、飛ぶ前にやられる」
ギィ・グッガの言うことは道理であった。
「ハッ……!」
ドーレブは、ハバリーが降下したために散ってしまった伝令部隊を呼び集めると、次の伝令を発進させた。
その少し前、ジョクは、オーラ・マシーン部隊の大隊長とでも言うべき武将、ケルムド・ドリンに敬礼をしていた。
「頼《たの》むぞ」
ケルムドは、優しい微笑《びしょう》をジョクに向けると、自分もオーラ・マシーン部隊を見送るために立ち上がった。
ジョクは、結局、昨夜も遅《おそ》かったのである。
全身に疲労《ひろう》がたまっている感じはいかんともし難かったが、天幕の外で待っているミハン・カームの大きな傘《かさ》の下に飛びこんでいった。
「聖戦士《せいせんし》殿《どの》、騎士《きし》バーンが戦線から離《はな》れたので、貴公に負担がかかるのは申し訳ないと思っている。が、国家のため、コモン人の平和のために……」
ケルムドは、鷹揚《おうよう》な性格なのである。
ドレイクの本陣《ほんじん》とオーラ・マシーン部隊の間に立って、オーラ・マシーン全体の指揮権を握《にぎ》る立場だったが、実際は、本隊との連絡《れんらく》役にすぎなかった。
老齢《ろうれい》で軍の重鎖《じゅうちん》でありながら、武闘派《ぶとうは》ではないために、冷や飯を食う立場にあった。
だからこそ、オーラ・マシーンのことを学び、その性能からくる制約を理解して、軍の動きのなかにおけるオーラ・マシーン部隊の仕事を選択《せんたく》して、部隊が働きやすいようにはからう仕事を引き受けたのである。
すでに、オーラ・マシーンは、一人のパイロットの都合で動く時代ではなくなっていたのである。
「大隊長、おっしゃらないで下さい。ガロウ・ランとコモンの違《ちが》いは、心得ているつもりです」
ジョクは、カットグラの下まで、ミハンの傘《かさ》に入ったまま歩んだ。
「聖戦士殿がそう言ってくれるのは、ありがたいものだ」
ケルムドは、にこにこして、木々から落ちる滴《しずく》に濡《ぬ》れながら、ジョクについてきた。
「まったく、なんだよ!」
ガラリアの声である。カットグラの溜《たま》りで、他のパイロットだちと笑いながら、ジョクを待っていたのだ。
「なにがおかしい?」
ジョクは、承知で生真面目《きまじめ》に怒鳴《どな》って見せた。
「……妙《みょう》なものを使って、それではピエロだよ」
ガラリアは、周囲の若いパイロットたちに率先して冷やかすのである。
中世と同じ時代である。コモン人は、折り畳《たた》み式の傘を知らない。
「便利なものだ。オーラ・マシーンに乗る前に、ズブ濡れでは気持ちが悪い」
ジョクはパイロットたちの前の木箱《きばこ》の上に乗って、ミハンが傘を閉じるのを見せながら言った。パイロットたちも、ジョクに倣《なら》ってミハンを見た。
これもジョクの予定したことである。
オーラ・マシーン部隊には、すでに実戦に入っている緊張感《きんちょうかん》があった。それをほぐすためには、多少のバカもやって見せなければならないと考えたのだ。
「ショット様の発明でありますか?」
戦闘《せんとう》隊長のキサ・ハンドワが訊《き》いた。
「いや、俺《おれ》が作らせた。地上世界では、普通《ふつう》に使われているものだ。この道具なら諸君たちが使っても許されると考えた。俺の発明ではないので、諸君に、自慢《じまん》できるものではない」
ジョクは、ゆったりとバイロットたちを見回して言った。
「やれやれ……風には吹《ふ》かれるもの、雨には濡《ぬ》れるもの……それが世間だと思うがな?」
ジョクのかたわらに立ったゲルムドが嘆《なげ》いた。
ジョクは、ケルムドに微笑《びしょう》して見せてから、手にした作戦指令を読み上げ、
「ドーメの配置、展開は、戦士キサから説明する」
と、台を空けた。
「……今日の任務の基本は、偵察《ていさつ》であるが、敵軍の動きも急である。ギィの動きに応じて、野砲《やほう》の運搬《うんぱん》をしなければならない状況《じょうきょう》も発生する。敵軍の中核《ちゅうかく》にたいして、空襲《くうしゅう》を仕掛《しか》けなければならないかも知れない。そのために、ドーメは各二機編隊で……」
ジョクは、キサのあげる仕事の量を思うと、意気が萎《な》える思いがした。しかし、一方で、ジョクは、この朝が、ニーたちの所在を捜《さが》す最後の機会であろうと思っていた。
『やるしかない……キサは分ってくれる……ケルムドもだ……』
ジョクは、自分を見つめているガラリアの視線を気にしながら、二人の男を見比べてみた。
「戦士ジョク! 出撃《しゅつげき》の訓示を!」
「ああ……!」
キサに促《うなが》されて、ジョクは、再度、台に上った。
「……いつ戦闘《せんとう》に入ってもおかしくない状況である。各ドーメは、無線による指令は聞き逃さずに、臨機《りんき》応変《おうへん》に対応してくれることを望む」
ジョクは、こんなことを語る自分を奇妙《きみょう》に感じた。
ついこの間までは、東京で大学生だったのだ。怒鳴《どな》る相手がいたにしても、それはグライダー部の下級生くらいである。
連中は、生死をかけて先輩《せんぱい》の訓示を聞くなどということはなかった。上手に趣味《しゅみ》を楽しみたいという手合いである。
趣味という範囲《はんい》の中では十分に真剣《しんけん》で、そのリラックスした状態が、昔《むかし》の人以上に何事かをさせるケースはあっても、その程度は知れていた。
むしろ、人が多くなりすぎた日本では、なにをやるにしても、遊び以外のセンスで行動を起す若者などはいなくなってしまい、生死を賭《か》けた緊張《きんちょう》のなかでは、力を出すことを知らない若者たちが増えていた。
だから、ジョクは、生死を賭けて事に対処《たいしょ》しようとする若者たちを前に、訓示を垂れる自分に気恥《きはず》かしさを感じるのである。
まして、いま、自分は、ドーメ部隊と離《はな》れて行動をするかも知れないと考えていた。
本当に、これでいいのだろうか、という不安だけがジョクの心を占拠《せんきょ》していた。しかし、聖戦士という呼称は、どのような形であれ、ジョクに完璧《かんぺき》な戦士であることを要求していた。
逃《に》げ出すことは、容易かも知れないが、それで、自分はどこに行くのか?
その不確かさが、ジョクに聖戦士をやらせているのである。
「では……掛《か》かれっ!」
最後の一声は、ひどく力が抜《ぬ》けているように聞えた。だから、ジョクは、大きく敬礼をすると跳《は》ねるようにして、箱《はこ》から飛び降りた。
パイロットたちが散り、ガラリア隊のパイロットは馬に跨《またが》った。
「……ジョク。バーンは、どうしたんだ?」
ガラリアが、馬をジョクに寄せた。
「知らん。思うところがあるのだろう」
「そういう言い方は気に入らないね? なにをすると思う?」
「……ゲリラはやるだろう。一族を引き連れて後退したんだ。まさか、アの国から逃げ出すとは思えないな」
「何ができる? カットグラがなくて?」
「オーラ・マシーンがなかった頃《ころ》は、コモンの騎士《きし》たちはガロウ・ランとは戦わなかったのか?」
「そりゃ、戦ったさ」
答えて、ガラリアは納得顔になった。
「……あたしも、オーラ・マシーンがなければ、戦えないと思い始めたかな?」
ガラリアは、そう言うと馬上の人となった。
「そうらしいな。人間の感性というものは、そういうものさ。目の前のものに捕《とら》われるのさ」
「フンフン……なんで、敵陣《てきじん》の爆撃《ばくげき》命令を出さない?」
ガラリアが、上体を低くして、馬上からジョクを覗《のぞ》きこんだ。
「……爆撃の報復に、囚《とら》われたオーラ・マシーンを破壊《はかい》され、ニーたちを殺されるのは面白くない。ドレイク様のお考えだ」
「そうかね でさ、ジョクは、どうするの?」
「どうもしない。任務を遂行《すいこう》するだけだ。ガラリアは、絶対にキサたちを掩護《えんご》してくれよ」
「……ジョク……ちゃんと言いなよ」
「捜索《そうさく》はする。今日の任務の基本は、これだ」
ジョクは、ガラリアが自分の腹を読んでいるのを知って言った。
「雲は低いよ?」
「絶対、大丈夫《だいじょうぶ》だ」
ジョクは、手綱《たづな》を持つガラリアの手を握《にぎ》って答えた。
「ン……」
ガラリアは、人なつっこい笑いをみせると、自分のカットグラの置いてある右翼《うよく》の陣《じん》に走った。
ドレイク軍は、昨夜から焚《た》き続けた篝火《かがりび》をそのままにして、移動を始めていた。
その火は、霧《きり》と雨のおかげで、多少の効果を示した。
ハバリーのビダは、この火を見つけて、これに攻撃《こうげき》をかけたのである。
ビダのハバリーの部下たちは、ガダが爆発《ばくはつ》する光景を見るのが面白くて、点在する火の列に向って、数度の攻撃をかけた。
もちろん、荷馬車の列も爆破《ばくは》した。野砲《やほう》の抵抗《ていこう》も受けた。
しかし、ややあって、ビダは、篝火《かがりび》の周囲に兵団がいないのを知って、初めて、ギィ・グッガの忠告の意味を悟《さと》ったのである。
「目の前が見えねぇと、落ちるだけじゃねぇ。無駄《むだ》な攻撃をして、バカを見るか……」
そう気がついて攻撃をやめさせようとした。
しかし、部下たちは、厚い霧《きり》のなかに忽然《こつぜん》と現れる火の列の周辺で爆発する土くれの山の凄《すご》さに興奮して、攻撃をやめようとしなかった。
「……!? しかし、移動したというのは、罠《わな》にかけてこっちを落すだけの用意はできていねぇってことだ」
ビダは、霧と雨のなかで、ようようにハバリーの部隊を集結させると、
「ガダの残っている者は、俺《おれ》に続け! 敵の本隊を捜《さが》す! ガダのなくなった連中は、急いで戻《もど》って、ガダを補給して、ハバリーに餌《えさ》くれてやって、敵を捜すんだ!」
しかし、その時、ビダに従うハバリーは、五頭だけだった。
大半のハバリーの兵は、ガダの矢を使い切っていたのである。
「手前たち! もっと、敵を倒《たお》すんだ。こんなことじゃ、いい目は見ねえぞっ!」
ビダは叱《しか》り、叱ってから、ハバリーの群をふたつに分けた。
「よく見ろ、右と左! 動くのは、敵と思え!」
ビダは、続く五頭のハバリーの部下に、何度となく喚《わめ》いた。
しかし、ジヤハの森からゲサンの丘《おか》を結ぶ直線コースに入ってまもなく、幾《いく》つかの湿地帯《しっちたい》を見た時、
ドウッ!
赤い閃光《せんこう》がビダの背中を打った。
「ギャウン!」
ハバリーの一頭が、爆発《ばくはつ》の黒煙《くろけむり》と火焔《かえん》のなかでグラッと降下した。跨《またが》っていたガロウ・ランの身体《からだ》が、大きく弧《こ》を描《えが》いて落下していった。
「なんだ!?」
ビダは、ガロウ・ランの本能に従って、コモン人の臭《にお》いを嗅《か》ごうとした。しかし、空に漂《ただよ》っていては、微小《びしょう》な動物の臭いを嗅ぐことはできない。
「エェイーッ!」
ビダは、奇妙《きみょう》な怒《いか》りの声を発しながら、ハバリーを降下させて、地を這《は》うように滑空《かっくう》した。
その時になって、初めて地に一列になって伏《ふ》している兵の影《かげ》を見つけた。
「あんなところにっ!」
ビダは、弓にガダを仕掛《しか》けた矢をつがえると、真下に向って放った。同時に、下からも矢が走った。
ドボウッン!
ガダの爆発は強力でも、縦に列になった軍に大きな損傷を与《あた》えることはできなかった。
「チッ!」
ビダは残った数本の矢を次々に地に放ち、後続の四頭のハバリーも、それに倣《なら》った。
しかし、敵が打ち上げる矢の数は増し、なかには、明らかにガダを仕込んだ矢もあった。
「…………!」
ビダは、再度、ハバリーによる威嚇《いかく》攻撃《こうげき》を仕掛けて、低空で敵の列を襲《おそ》った。
バウッ! ハバリーの翼《つばさ》が地を打ち、肉とドロを跳《は》ね上げた。
「ウワッ!」
ビダの足下で、コモンの兵の声が上がった、ハバリーの爪《つめ》で引っかけたのだろう。
ビダは、振《ふ》り向いた。
転がった兵が一人見えたが、その前後から矢が走った。
続く四頭のハバリーの落としたガダの最後の爆発《ばくはつ》のドロ壁《かべ》が天に上がった。しかし、二頭のハバリーが、バウッと赤い火球のなかに呑《の》みこまれていくのが見えた。
「ウンム……!」
戦い慣れしていればいるほど、戦闘《せんとう》を俯瞰《ふかん》して見る立場を与《あた》えられた時、その人物は、自分の攻撃《こうげき》の効果の是非を洞察《どうさつ》することができた。
この時のビダがそうだ。
このような仕掛《しか》けでは、軍の態勢に影響《えいきょう》を与えることができないことを知ったのである。
「チック!」
ビダはハバリーを上昇《じょうしょう》させながら、戻《もど》る方向を見定めると、雲のなかに突進《とっしん》して、しばらく白い壁のなかを飛翔《ひしょう》した。
雲の水滴《すいてき》が身体《からだ》に当った。
「ギィ・グッガが言うか……数をやらなければ、勝てねぇ。偵察《ていさつ》して、敵がどこに集まるか見る。そして、攻撃か……」
ビダは歯噛《はが》みをしてから、ゆっくりと高度を下げていった。
このような時の強獣《きょうじゅう》の勘《かん》は、有効であった。少なくとも山にぶつかるなどということはやらないからだ。
「ヨーシ、ヨシ!」
ビダは、ハバリーを宥《なだ》めながら、雲の下に出て、平原に滑《すべ》りこむようになっている右の山裾《やますそ》を見た。
しかし、雨雲の下にも霧《きり》の帯が、這《は》っていた。
朝は明けたはずなのだが、地はひどく暗かった。
それは、ガロウ・ランの生理にとっては、忌避《きひ》すべきものではないのだが、今のビダにとっては、癇《かん》に障《さわ》る光景だった。
ビダも、生理よりも知恵の部分で自分を支配する術《すべ》を覚え始めたのである。
「こんなこっちゃぁ、ブラバに負けちまうぜぇ」
後続のハバリーの姿は見えなかった。
「…………!?」
ビダは、ハバリーの首を叩《たた》いて、翼《つばさ》を動かすのをやめさせた。
「……あっち?」
左後方……三機のドーメの影《かげ》が走ったように見えた。
ビダは、ハバリーをはばたかせて、雲のなかに入った。
そして、我慢《がまん》できるあいだ滑空《かっくう》させて、周囲の音に神経を集中した。
彼を取り巻く雲は、厚い乳白色の目隠《めかく》しである。視覚では、動くものなどは、何も感じられなかった。
ただ、身体《からだ》に当る水が痛く、それが速度を感じさせる。
それは、かつて知らなかった恐怖《きょうふ》を、ビダというガロウ・ランに感じさせていた。
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ドレイクは、ジヤハの森の縁《ふち》を走る部隊のなかの一|騎馬《きば》となって、軍を指揮していた。
森と平原の境界線、たえず右方向からの攻撃《こうげき》を警戒《けいかい》しなければならない進路である。
安全だけを考えれば、ドレイクは森のなかを進軍した方が良かった。
しかし、それでは、周囲の情報から切り離《はな》されるし、部下を督励《とくれい》する立場の指揮官の取るべき行動ではない、とドレイクは考えていた。
ドレイク自身が範《はん》を示すから、部下にも進軍速度をあげるよう命令が出せるのであり、軍もそれに従うのである。
つまり、森のなかに入れた軍には、各部隊の先頭に工兵を立てて、中隊ごとに進軍の競争をさせた。
工兵は、木々を押《お》し倒《たお》し、沼地《ぬまち》には板を渡《わた》して、騎兵《きへい》と歩兵を進軍させる。それに続く軍は、糸のように細く幾《いく》つものルートを分けてすすんだ。
ドレイクは、次の集合地点に一番初めに中隊を到着《とうちゃく》させた工兵部隊には、その部隊全員に思賞《おんしよう》として金を与《あた》えると約束《やくそく》したのである。
これは、歩兵や工兵の下働きの存在を当然のことと考える世界であればこそ効果のある方法で、これによって兵たちの奮起《ふんき》を促《うなが》すことができた。
「すでに森を出る位置に来た部隊があるようです」
伝令の報告に、ドレイクは、左右の武将たちに笑って見せた。
「これでは、膨大《ぼうだい》な軍費がかかるぞ!」
と。
ジヤハの森の左翼《さよく》には、ケルムド・ドリンが率いる大隊が、ドレイクの本隊と同じように森に沿って進軍して、森のなかをすすむ部隊を左右から挟撃《きょうげき》されないようにした。
雨は、まだやむ気配がない。
「偵察隊《ていさつたい》より伝令!」
そんなかけ声がかかると、前方の原野から、ドブ泥《どろ》に脚《あし》を取られた馬が、軍の流れに逆《さか》らうようにして、ドレイクの幡《はた》目がけて駆《か》け寄ってきた。
「……偵察伝令! ギィ・グッガの後方は……」
ドレイクたちは馬上のまま集合して、地図でその動きを確認した。
そのような事情のため、ドレイクは、軍がジヤハの森のアントバ側に出る頃《ころ》には、隊の最後尾《さいこうび》に位置してしまった。
もっとも楽なルートを通ったと言われる部隊は、森のなかより出て、合流を始め、横に散開する陣形《じんけい》を厚くしはじめていった。
ドレイク軍の中核《ちゅうかく》は、有にグリソナ川を臨《のぞ》みながら、北上するコースに入った。
「ギィの軍にも、後続が途切《とぎ》れることなく吸収されているか……」
ドレイクは、頭巾《ずきん》で頭の汗《あせ》を拭《ぬぐ》いながら、また雨で濡《ぬ》れる頭をうらめしく感じた。
「ギィ・グッガは、主力を三つに分けて、我が軍に対峙《たいじ》するようです」
斥候《せっこう》の報告を総合すると、そのようになった。
「まるでコモン人《びと》のやり方だ。右翼《うよく》のコントラ・スーンには、増援《ぞうえん》を出した方が良いのではないか?」
ドレイクは、前段の武将たちに問い、コントラ自身への伝令を出したりした。
「我がドーメが低空を飛行すると、砲撃《ほうげき》があるという報告があります」
ドレイクのすぐ後に従う、無線を受ける騎兵《きへい》が報告した。
「ドーメに砲撃だと? 数は分らんか。大砲《たいほう》の種類なども、ドーメ部隊に聞け」
ドレイクは、霧《きり》のむこう、右前方にかすかな影《かげ》となって丘《おか》らしいものが見えた時に、そう命じた。
川寄りには、背の低い灌木《かんぼく》が馬の脚《あし》を捕《とら》えるように広がり、アントバの山々の方角には、数百メートルの視界もなかった。
「工兵には、本陣《ほんじん》の設営をさせます。万一の場合のいかだの用意も……」
「野砲《やほう》は、本隊の後方に集結させ、右翼《うよく》には、二十門をまわします」
ドレイクの周囲では、どのような戦闘《せんとう》にたいしても対応できるように、次々と命令が発せられた。
「本陣は、どこか?」
「あそこであります!」
「……ご苦労!」
ドレイクは、工兵部隊が、運び込んだ丸太を組み始めたそのわずかな高みに、馬をすすめた。
すでに数本の丸太が地に立てられて、一本目の横木が組まれようとしていた。ドレイクは、その丘の北側に騎馬《きば》で立った。
「マタバ! 近衛兵《このえへい》にも工兵の仕事を手伝わせい」
「近衛《このえ》の仕事は、お館《やかた》を守ることであります」
「しゃら臭《くさ》いことを! 前面にも我が軍が散開しつつある。ガロウ・ランの隠密《おんみつ》がどこにいるか! 心配するなっ!」
ドレイクは、近衛兵の長のマタバ・カタガンを叱《しか》りつけると、伝令官を呼ばせた。
「……お館様、近衛兵にもプライドがあります。やりすぎと言うもので……」
馬を寄せたラバンが諌《いさ》めた。
「お前までが、そう言うか?」
ドレイクは、興奮している自分を自覚しないではなかった。しかし、間違っているとは思っていない。
「キエト! 参りました!」
伝令官を取り仕切る将校が上って来た。
「ギィ・グッガの後続の流入がいつ止まるか、斥候《せつこう》を放って、知らせよ」
「ハッ!」
ドレイクは、その将校が馬首をめぐらすのを見てから、馬を降りた。
と、その上空を、ギィ・グッガの本隊にたいして牽制《けんせい》の空襲《くうしゅう》をおえたドーメ部隊の十数機が、ジヤハの森に帰投していった。
そのなかの一機が、ドレイクの近くで滞空《たいくう》した。
ドーメ隊の戦闘《せんとう》隊長キサ・ハンドワ機である。
「なんで着陸しないのだ?」
ドレイクは、無線兵と交信しているらしいキサ機を見上げて、ラバンに聞いた。
「兵馬の邪魔《じゃま》をしたくないのでありましょう」
ドーメのオーラ・ノズルの騒音《そうおん》に、ラバンはドレイクの耳元で怒鳴《どな》らざるを得なかった。
「最左翼《さいさよく》のマランの谷の情報はその後どうか、偵察《ていさつ》を出したい。空いているドーメがあれば、一考させい」
「ハッ! おい! ここにテーブルを!」
「ハッ!」
ラバンの命令に、背後に控《ひか》えた近衛兵の一団が、馬を走らせて行った。
「敵の機械化部隊は、まだ出ていないな?」
「報告は入っていません」
キサ機は、機体を左右に振《ふ》ると、歩兵や騎兵《きヘい》たちの歓呼の声に送られて、森の方向に帰っていった。
「敵のドーメか……ガロウ・ランが機械を使うとは、想像外だったな」
ドレイクは、そのドーメが森の方角の霧《きり》のなかに消えるのを見守って、呻《うめ》いた。
「ドレイク様!」
通信騎兵からである。
「許す。ドーメ隊は、なんと言っている」
「ジョク機が敵地深く偵察《ていさつ》に入ったまま、音信不通。ギィ・グッガの本隊は、我が軍の正面に侵攻《しんこう》中。霧が深く、味方同士が接触《せつしょく》せず、迷わぬように空襲《くうしゅう》をかけるのがやっとで、効果の確認はできません。以上!」
紅顔の美少年という言葉がふさわしい騎兵は、頬《ほお》を紅潮させていた。
「よーし」
そのドレイクの返事のあとで、ラバンは、ドレイクの嘆息《たんそく》を聞いたと思った。が、ドレイクは、マントを大きく払《はら》うと馬上から降りた。
「……ニーたちは、殺されたかな?」
ドレイクの頭巾《ずきん》が揺《ゆ》れた。ラバンも馬から降りてドレイクの馬の轡《くつわ》を取った。
「いえ、ガロウ・ランだけで操縦するのは、適《かな》わぬことです。ニーたちが使役されていると考える方がよろしいと……」
「フム……」
ドレイクは、またも頭巾を脱《ぬ》ぐと、その禿頭《とくとう》を雨に打たせながら、自軍の前線が前に押《お》し出して行くのを観察した。
戦争をするというのは、どこまでも我慢《がまん》の連続であると骨身に染《し》みるのは、こういう時であった。
バーンのことでもなければ、ジョクのことでもない。
ただひたすら大局的な動きだけを把握《はあく》して、次の作戦を考えるように努めるということは、局部的な事態には目をつぶるということである。
これが辛《つら》いのである。
だいたい、局面が進行している時には、どれが局部的でどれが大局的な現象なのか、判断がつかないのである。
「お館《やかた》、気になりますのは、右翼《うよく》のハンジャンサラについて、なんの動きも聞かないということですが……」
「まったくの杞憂《きゆう》だな」
ラバンとドレイクが違《ちが》うところがあるとすれば、ここである。
すでにガロウ・ランの全体の動きは、ギィ・グッガの部隊を中心にして収斂《しゅうれん》されつつあると考えてよい。となれば、その主力を叩《たた》く以外に、勝利はない。
このような時に、左右の小さい動きに動揺《どうよう》して、軍を裂《さ》いたりすれば、それこそ、敵に付け人る隙《すき》を見せるだけのことなのである。
「ご苦労」
ドレイクは、近衛兵《このえへい》の一人が持ってきた折り畳《たた》み式の椅子《いす》に、腰《こし》を下ろした。
「傘《かさ》はどうしたっ!」
「我々には、所在が分りません。命令を伝達して来ました」
ラパンの叱責《しっせき》に、若い近衛兵が仏頂面《ぶっちょうづら》をして、引き退った。
「しかし、ここだけの感想ですが、さすが、ドレイク様は慧眼《けいがん》でいらっしゃいますな、このジャブハル平地を中心に、軍を集結なさったとは……」
「それは違《ちが》う」
ドレイクは、苦笑を返した。
「儂《わし》にもギィ・グッガの動きが想隊できなんだから、広く軍を展開させただけだ。昨夜の軍議で申したとおりだ。あとは、ガロウ・ランを集めるだけ集めて、一挙に殲滅《せんめつ》する。でなければ、次のギィ・グッガが出てきて、果てしがない」
ドレイクは、工兵たちのマメな働きを頼《たの》もしそうに見やった。
「そうでありますな……小官には、無線という機械を含《ふく》めて、機械がこのような成果を上げるとは想豫できませんでした」
「儂は、ショットが嫌《きら》いではない。だから、勉強した」
「恐《おそ》れ入ります」
「いや、ショットとは、騎士《きし》時代以後の地上人《ちじょうびと》の戦争はどういうものか、コモン人をどうしたら戦争に協力させられるかという話をした」
「ほう……」
「一般《いつぱん》のコモン人は、死を恐《おそ》れる。騎士は恐れない。しかし、騎士ばかりで軍を編成できなくなった時にどうするか。これが戦争の勝敗を決する……貴公《きこう》は、今度の戦争をどういう性格のものだと思うか?」
「ガロウ・ランの駆逐《くちく》です。彼等は、我々コモン界のものを略奪《りゃくだつ》するだけですから」
「そうだ。だから、今回は、我方に大義がある」
「はい……」
「つまり、この戦争は、アの国に暮《くら》す者に安心を与《あた》える戦争である。それを知る人びとは、オーラ・マシーンの開発にも理解を示してくれた。この備えがあれば、この戦いは勝つ」
「左様で……」
「しかし、この戦争で、大問題がひとつある」
「ハテ……?」
「戦場は、アの国の領内だ。つまり、勝っても騎士たち、兵たちに論功行賞《ろんこうこうしょう》を与えられない。与える土地がないのだ」
「……左様で……」
ラバンは、唸《うな》った。
戦争は始まっていないのに、ドレイクはすでに戦後の問題を考えていたのである。
喉元《のどもと》を過ぎれば、ガロウ・ランの脅威《きょうい》などは忘れて、人びとは、報償《ほうしょう》を問題にするであろう。それは、ラバンにも分った。
報償があり名誉《めいよ》が守られれば、人は、生死を賭《か》けた戦いもできる。しかし、そのような報酬《ほうしゅう》が期待できない場合、人は、よく戦うことはしない。
ガロウ・ランの跳梁《ちょうりょう》がなくなるという安心だけで、十分の代償《だいしょう》であると説得できるのは、いまだけなのである。
アの国は、戦後政治に大きな問題であることを内在させたまま、この戦いを完遂《かんすい》しなければならないのである。
「来たようだな?」
傘《かさ》のことではない。
野砲《やほう》をぶら下げた一機のドーメが、ドレイク陣《じん》に接近して来た。
雨と霧《きり》のなかである。その機体は、意外と近くにフッと姿を現して、降下を始めた。
「あの機動力も機械のものでありますな」
ラバンの感嘆《かんたん》に呼応するように、兵たちの歓声が、ドーメに向けられた。
「オーラ・マシーンの偵察《ていさつ》も昼過ぎには終了《しゅうりょう》させて、パイロットたちは休ませよう。夕刻、闇《やみ》に入る前に敵陣《てきじん》の爆撃《ばくげき》に入ると言うのが、予定であるな」
ドレイクは、濡《ぬ》れた尻《しり》を気にしながら立ち上がった。
「ハッ!」
「しかし、雨はいつやむか、この土地の者に聞きたい。年寄りを捜《さが》せ。それによっては、仕掛《しか》けは、昼直後ということもあり得る」
「ハッ!」
ドレイクは、背もたれを持って、腰掛《こしか》けにたまった雨を流した。
本陣《ほんじん》の補給部隊が到着した。
ドレイクのための傘や暖房器《だんぼうき》、風除けの幕の仕度で、周囲はますます賑《にぎや》かになった。
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その同じ朝、雲につつまれた山間《やまあい》の底で、カンドワ・ナザムは、本気でブラバとヘレナァを怒鳴《どな》りつけていた。
「偵察《ていさつ》と空襲《くうしゅう》をしろというのは、ギィ・グッガの命令だ。やれよっ!」
「分らねぇんだよ。この雲で飛べって命令がな」
ミュラン・マズが、かたわらから囃《はや》し立てた。
「なんでだ」
ギィ・グッガは、命令|違反者《いはんしゃ》の首を刎《は》ねるのを軍法にした。
カンドワは、それを恐《おそ》れているのだ。
「なら乗って見るか? ハバリーなら、少しはなんとかしてくれるが、機械は違《ちが》うぜ」
「なんでだぃ? 機械は、強えんだろ?」
ミュラン・マズはひやかすように言いながらも、実は、ブラバの言う意味を知りたいと思って、囃しているのである。
「ブラバ、乗せてやんな。乗りゃあ分かるさぁ」
ヘレナァは、整備台の下に積んだ藁束《わらたば》の上に寝《ね》そべっていた。
「分らせなければ、ギィ・グッガの命令どおりにしなければいけないんだろ?」
ヘレナァの言うことは正しい。
目の前にギィ・グッガがいれば、彼の剣《けん》が飛んでいたろう。
「よし、乗んなよ」
ミュランは、ブラバにけしかけられたので、ニタニタしてドーメのブリッジに飛び乗った。
「俺《おれ》は、空を飛んだことねぇ」
「乗れよ。それでも行けって言うんなら、行くわ!」
今度は、ブラバがカンドワを怒《おこ》った。
「ちっと上がってさ、降りるんだよ」
ヘレナァがアドバイスをする。そんな光景を、他のガロウ・ランたちは、首をすくめるようにして、ヘラヘラと見ていた。
ブラバは、カンドワをハッチの脇《わき》に立たせて、ドーメをシェルターから引き出させた。
ギュッ、ズズ……!
オーラ・ノズルの排気《はいき》ガスが、ヘレナァの寝《ね》ている藁束《わらたば》を吹《ふ》き飛ばし、捕虜《ほりょ》たちを押《お》し込めている天幕を煽《あお》った。
「パワーが大きすぎるっ!」
転がったヘレナァが、怒鳴《どな》った。
「なんだ? 出撃《しゅつげき》するのか?」
マッタ・ブーンが、疲《つか》れと筋肉痛の身体《からだ》を地面から起した。
「そうではないらしい。もめていた」
入口に近いイットー・ズンだ。
シェルターの外に前進したドーメは、機体を揺《ゆ》することもなく、ゆったりと上昇《じょうしょう》していった。
「うまくなったものだ……」
「ああ……緩上昇《かんじょうしょう》が安定しているな。なんでガロウ・ランがあんなに操縦できるんだ?」
マッタもキチニ・ハッチーンも息を呑《の》んだ。
「なんとしても脱出《だっしゅつ》しなければな……」
「二ーはどうするんだ?」
マッタの言葉に、トレンが冷たく言った。彼のうしろで、ニーは両手両|脚《あし》を革紐《かわひも》でくくられて、眠《ねむ》っているのだ。
「連れて行くさ。当然だろう……」
トレンは、キチニの言葉に反発したかった。
彼は、ここに移動してから、水のなかに住む妖精《フェラリオ》、サラーン・マッキの噂《うわさ》をまったく聞いていないのである。そのために、フラストレーションに陥《おちい》っていた。
あの妖精《ようせい》の白い肢体《したい》を思い浮《う》かべると、身を切るような性欲に襲《おそ》われるのを、抑《おさ》えるのは難しい。
『あの女を奪《うば》えなければ、こんなところにいる意味はないんだよ、俺《おれ》は……』
その思いと、目の前で疲《つか》れ果てて眠《ねむ》っているニーの姿が、トレンに妙《みょう》なプレッシャーになった。
『なんの因果《いんが》で、こんな人生になっちまったんだ?』
これも、離婚《りこん》が原因だったのではないか、と思わざるを得なかった。
『あの女は、死ぬまでまとわりつくのかよ!』
それは、逃《に》げた女房《にょうぼう》のことだ。
フィーン、ドッドッ! ドッ!
ドーメのオーラ・ノズルが息をつくのは、最低の出力でホバリングをしているからで、ブラバには、それができるようになっていた。
「下は見えるか?」
ブラバは、カンドワに聞いた。
ドーメは、地上から十メートル余りのところで滞空《たいくう》しているはずだった。
「ヌ……見えねぇ……」
ハッチから下を覗《のぞ》いたカンドワは、ふわっと流れた霧《きり》の塊《かたまり》が、下の木の影《かげ》を消してしまって、まったく物の影を見ることができなくなったことに、ゾッとしていた。
「歩いていれば地面があるものだ。空はそうは行かねぇ」
カンドワは、左右をキョロキョロと見まわして、
「ああ! 飛んでいると前もうしろも右も左もボーッとして、自分の身体《からだ》がどうなっているか分らねぇぞ!」
「そうだな……ハバリーに跨《またが》っているのとは全然|違《ちが》う……」
ミュランも唸《うな》っていた。
「そうだ。これは機械だからだ」
ブラバは、得意だった。
「これは生き物じゃねぇんだな。ここに立ったままで、平衡《へいこう》感覚が働かなくちゃな」
ミュランが、難しいことを言った。
「カンドワ、呆《ほう》けているとは言わねえよ。いま、身体はえらく傾《かたむ》いているぜ」
ブラバは、ドーメの機体を木々に擦《す》って、その音をたよりに降下していった。
「おい! 地面が立っている!」
カンドワは、地面が縦になって迫《せま》るように見えて、慌《あわ》ててハッチの脇《わき》のバーにかじりついた。
「分ってるよ。この計器で、機体の傾きが分るんだ」
「どの計器だって?」
ミュランが、ブラバの前にある数個の計器のひとつを覗《のぞ》きこんだ。
「この赤い線が、ホレ、平らだとドーメも平らなんだ」
「フム……水平ということか?」
ミュランは、低い姿勢で計器と窓の外を見くらべ、ブラバの手つきを睨《にら》んでいた。
ブラバは水平器を読み、左右のクルーのガロウ・ランの監視《かんし》をあてにして、ドーメを着陸させていった。
「ハバリーとは違うが、面白いもんだ。簡単じゃねぇな?」
「ミュランは、知恵者《ちえしゃ》だ」
ブラバは、ミュランの肩《かた》を叩《たた》いてしまってから、身分が上の者だと気づいて手を引っこめた。
カンドワは、ドーメが着陸するやいなや、ブリッジから飛び降りた。
「なぁ! あっちに行けと言われても、行けねぇだろう」
「霧《きり》のなかでは、あっちという方向が、分らねぇんだな?」
カンドワは、外の白い空を見上げて唸《うな》った。
「捕虜《ほりょ》に、窓を拭《ふ》かせとけっ!」
ブラバは、護衛役の兵に怒鳴《どな》りつけて、ドーメを飛び降りた。
その途端《とたん》に、その基地はなにもしないガロウ・ランたちの溜《たま》り場になった。
例のごとく、陣《じん》のあちらこちらの蚊帳《かや》のなかで、男女のまぐわいが始まり、その異臭《いしゅう》と呻《うめ》きが森の湿気《しっけ》にまじりあった。
そんななかで、捕虜《ほりょ》たちは、ドーメのブリッジの窓|拭《ふ》きをした。
ニーは、まだ起きられるような状態でなく、両手|両脚《りょうあし》を縛《しば》られたまま、天幕のなかに転がっていた。
メットラ・バーから発進したバーン・バニングスの一行は、戦場に近づいていた。
その奇妙《きみょう》な一行を追っていた一騎《いっき》の騎馬《きば》は、ようやく灌木《かんぼく》を縫《ぬ》って一行の馬車に取りついた。
「ご苦労! ハラス!」
「いえ! 脚が早いので驚《おどろ》きました」
馬車の後部に乗り出すバーンに、ハラスは愁眉《しゅうび》を開いた。
「どうだ? ストランド・スケンソンは?」
「二基の弓を手配してくれます! 意外と好意的でした」
そう言うハラス・レハーズは、人馬とも頭の上までドロまみれであったが、吉報《きっぽう》を持って来たという余裕《よゆう》があった。
「馬車に上がれ。馬も疲《つか》れている」
バーンは移動する荷馬車から、手を伸《の》ばした。
「滅相《めっそう》もない」
ハラスは馬を降りると従兵に轡《くつわ》を任せて、荷台に上がって来た。脚《あし》を滑《すべ》らせながらよじ登るのも愛嬌《あいきょう》である。
「追いつくのに苦労しましたぞ」
「ああ、カットグラに引かせると騎馬《きば》と同じ速度になるな」
バーンは、手拭《てぬぐ》いを差し出しながらオーバーに言った。
ハラスは、革兜《かわかぶと》を脱《ぬ》ぐと、その湯気の出るような禿頭《とくとう》をツルッと手で拭《ぬぐ》った。
「コーヒー、ありますか?」
「ン……」
バーンは、荷台の中央の火鉢《ひばち》にかけた薬缶《やかん》からぬるくなったコーヒーを注《つ》いで、ハラスに差し出した。
周囲に火薬が並《なら》べられているので、その火鉢には火の気はない。
馬車は、ゴトゴトと速度を変えることなく移動していた。御者台《ぎょしゃだい》に二人の兵がいても、その前に馬はいなかった。
その前方に、巨大な木の櫓状《やぐらじょう》のものがグラグラと揺《ゆ》れながら移動していた。
馬車はその櫓に見えるものから出ているロープで引かれていた。カットグラが引いているのだ。
櫓状に見えるものこそ、バーンたちが『弓』と称していた、城攻《しろぜ》めに使う巨大な弩《いしゆみ》である。
正確に言えば、ここにあるのは、バリスタという丸太のような矢を発射する機械であるが、通常、弩と言われるのは、石、鉄、鉛《なまり》の塊《かたまり》をカタパルトで飛ばすものである。
あいかわらず、雲は厚い幕になって、森と山を隠《かく》していた。
「あのカットグラは、誰《だれ》が操縦しているのです?」
「フフフ……カルムド・マサは停止させることもろくに知らんよ」
「曲がる時は、どうします?」
「木にぶつかったら、見ものだよ」
バーンはおかしそうに笑った。彼は、他《ほか》にも二基の弩が手に人ると分ったので、安心したのだ。
「ストランド殿《どの》は、たいした男です。ドーメを狩《か》り出してでも運んでみせると言って、わたしが居る間に、部下を走らせました」
「……それでは、ジョクに知られるな……」
「そうも思いましたが、ゲリラとは言え、バニングス家の戦争ではありませんので」
「そうだな。そうだ」
バーンは、自分に言いきかせるようにして、手入れするために小銃《しょうじゅう》に手を伸《の》ばした。
ハラスは、コップを置くと板金鎧《いたがねよろい》の胴《どう》を外し始めた。
「聖戦士《せいせんし》といい、地上人《ちじょうびと》と言い、彼等がアの国に現れてからは、世界が変りましたな。どこかついて行けない、息が切れるという感じがつきまといます」
「ああ……そう思うよ。手伝おうか?」
「やめて下され。主人にそういうことを言われるだけで、ここを降りたくなります」
「時代が変ったんだぞ」
バーンは、ハラスが一人モソモソと板金鎧を外すのを見上げながら、銃の手入れを続けた。
「それは違《ちが》います。機械で武勲《ぶくん》を立てられる騎士《きし》は、より強大になります。そうなると、どうなると思います?」
ガラリと胴《どう》を外したハラスは、嬉《うれ》しそうにバーンを見下ろして、次に、鎖帷子《くさりかたびら》を外した。
「分らんな」
パーンは、麻《あさ》の下着に包まれたハラスの肉体が、まだまだ壮年《そうねん》のそれに見えるのを、頼《たの》もしいものに感じた。
「……ハハハ……時代は、確実にかつての騎士の時代になりますよ。つまり、機械に乗った騎士は、馬の時代より力を発揮します。その騎士が国を政《まつ》る時代です。王ではありませんな」
ハラスの思いこみは、バーンにも分らないではない。
騎士の時代を知る者にとっては、その論理以外、考えられないだろう。
かつて、騎士は、王に相当する者の近くに発生して、貴族に列せられた。
そして、戦乱が続く時代、騎士は戦場から戦場を移動する個入として活動した。
その時代の騎士は、力を行使する流民《るみん》と見做《みな》されて嫌《きら》われたが、次第に諸国に定着し始めると、地つきの貴族たちの勢力争いに巻き込まれて、貴族の下に仕える者というレッテルを貼《は》られていった。
『黄金の騎士』というイメージは、この流民時代の騎士をさしていた。
その次の騎士の時代となれば、国を制する以外はないと考えるのは、必然であろう。
ハラスは、それを言うのである。
「そのためには、今日の戦いに勝たなければならん。聖戦士《せいせんし》に働きを奪《うば》われんようにな?」
「そう、機械だとて使い方です。馬みたいなものですから」
そんな会話の途中《とちゅう》で、馬車が突然《とつぜん》、停止した。
「どうした?」
「木にぶつかったのだろう」
バーンは、火薬の樽《たる》の間をすり抜《ぬ》けて前に出た。
「あれだ!」
「ホ……? ホッハハハ……!」
ハラスは、カットグラの脚《あし》がすべって地をえぐっているのを見た。
機体は木にぶつかってとまったが、脚の歩行運動はまだ停止していないのだ。
「あれでは、機体を痛めるでしょう?」
「ああ……」
パーンが言う間に脚が静止し、カットグラが引くロープが落ちてしぶきを上げた。
そして、方位を見定めるようにしてから、カットグラは、また前進を始めた。
「しかし、バーン様、この方位からギィ・グッガに肉薄《にくはく》できますか?」
ハラスは、地図を開いて、眉間《みけん》に皺《しわ》を寄せた。
「そんなことは分らん。運がこっちに向くか向かないかは、やってみなければな。やらねば、来るべき運も来ない」
「来ますかね?」
「やってみせれば、気力で、ギィ・グッガを引くことはできる」
「信心ですか?」
ハラスは、嘆息《たんそく》した。
「大丈夫《だいしょうぶ》、運は自分ひとりで呼ぶものしゃない。家の力だ。みなが黙《だま》ってついて来てくれたということ、これに、わたしは賭《か》けているんだよ」
「となれば、外れたら我らの責任ですか?」
「まさかな……」
バーンは、苦笑して、すぐに真顔になった。
横手から湿気《しっけ》た馬蹄《ばてい》の音が、接近して来た。
「どうかっ!」
「ドレイク様は、軍をタコとグリンナ川の間の手前に置きました。ギィ・グッガは、その前方に対峙《たいじ》する形になります」
伝令のアトバー・セラスは、駆《か》け続けてきて消耗《しょうもう》しきった蒼白《そうはく》な顔をバーンに見せた。
「ギィ・グッガは正攻法《せいこうほう》で進んだか。よし、予定通りゲサンの丘《おか》に弓を設置する」
「ハッ……これで、またストランド殿《どの》に走る必要がなくなったという訳ですな」
ハラスは、本当にホッと息をつくと、
「これで、バーン家にも光が見えて来ました」
中空を睨《にら》んで、呻《うめ》くように言った。
「なんですか?」
馬に跨《またが》ったまま覗《のぞ》きこんだアトバーが、バーンに聞いた。
「いや、御老体は、勝手に落ち込んでいたのさ」
パーンは苦笑して、アトバーに馬車に乗って身体《からだ》を休めろと命令した。
バーンは、ここが我慢《がまん》のしどころだと感じていた。ドレイクと同じである。
カットグラを使って濡《ぬ》れ鼠《ねずみ》になっての進軍……しかも、正規軍ではないということが、心を重くする。
しかし、誰《だれ》を恨《うら》むというわけにもいかない。自分の力のなさが招いた運であるのだ。
『この上、この行動自体が無意味な結果に終ったら、俺《おれ》は、アの国を逃《に》げ出すのか?』
漠然《ばくぜん》とそんな不安も抱《いだ》く。
『いや、ハラスに言った通りだ。運は呼ぶのだ。作るものだ』
バーンは、その「言葉を胸のうちで必死に反芻《はんすう》した。
カンドワの陣地《じんち》のシェルターの下の天幕の前には、数人の女戦士たちが、いぎたなく寝入《ねい》っていた。
それは、天幕のなかの虜囚《りょしゅう》たちも同じだった。
「なんでつき合わねえ! ブラバもヘレナァも、なんでああも寝ているんだ!」
「一緒《いっしょ》じゃあねぇです。自分たちの蚊帳《かや》で寝てんで!」
そんなガロウ・ランとのやり取りが遠く聞えた。
「イットー、ガロウ・ランにオーラ・マシーンは無理なんじゃないのか」
キチニが、垂《た》れさがる天幕のシミを見つめたまま聞いた。
「そうだな……オーラ・マシーンだろ? パイロットの精力を吸い取るね」
イットーが答え。
「そりゃ、コモン人《びと》の方が、知力は勝《すぐ》れていると思いたいな」
「しかしよ、ガロウ・ランが上手に操縦するって驚《おどろ》いたってのは、どうなるんだ?」
「そんな……! そんなこと信じられないっ!」
トレンの言葉に、マッタがカッとなって上体を起した。
そのマッタの首筋を、天幕の外から伸《の》びた手がグイッと掴《つか》んで、外に引きずり出した。
「喋《しゃべ》ったら、殺すって言っている」
入口に寝《ね》ていた巨大な女戦士である。
「手前等のおかげで、男|漁《あさ》りにも行けねぇ。やらせなぁよ」
隣《とな》りの女戦士が、マッタの下穿《したば》きに手をかけた。
「勘弁《かんべん》しろっ! そんな元気はないっ!」
「俺《おれ》たちは、働くんで精一杯《せいいっぱい》なんだ!」
キチニは天幕から顔を出して、マッタを引き込もうとして、精一杯の大声で抵抗《ていこう》した。
他のガロウ・ランを呼ぶためだ。
見張りの数が少なければ、こういう面倒《めんどう》が持ちこまれ、そうでなければ、勝てそうにない数のガロウ・ランがいた。
カンドワの直系の部下たちが、飛ぶように来て、
「捕虜《ほりょ》に手を出すなって言ってんだろっ!」
「手前たちの臭《にお》いなんぞ嗅《か》ぎたくねぇんだい!」
ガロウ・ランたちの騒動《そうどう》の隙《すき》に、マッタとキチニは、天幕に逃《に》げこんだ。
「どうしようもないな……」
キチニは、さすがに情けなくなった。
「ニー! 起きたのか?」
イットーが奥《おく》のニーに声を掛《か》けたが、ニーはまだ朦朧《もうろう》としているらしい。言葉にならない声があがった。
「……どうしたものか……」
キチニが嘆息《たんそく》する。
「誰《だれ》かを犠牲《ぎせい》にする覚悟《かくご》で逃げるにしても、カットグラとドーメを残すわけにはいかないものな」
「カットグラとドーメを破壊《はかい》すればいいんだ。持ち帰ることにこだわりすぎた」
「ああ……」
マッタの言葉に、他の二人が相槌《あいづち》を打った。
トレンは、サラーンがいる場所を考えることに没頭《ぼっとう》して、そんな会話は耳に入っていない。
「ウッ……」
ニーが身じろぎをしたようだ。
陣地《じんち》がさわがしくなって、馬蹄《ばてい》の音がシェルターにも聞えて来た。
「なんだい?」
キチニが、入口のマッタに聞く。
「伝令が来たらしい……」
マッタがいう間もなく、カンドワたちの怒声《どせい》が聞えた。
「機械を動かせと?」
「今朝、機械が飛ばなかった! ギィ・グッガが怒《おこ》っている!」
「どういうことだ?」
「ギィ・グッガは、集まった仲間に機械を見せておいた方がいいと言った」
「できるものかっ!」
「少しは明るくなっている」
それは、ヘレナァである。
「飛ぶらしいな……示威《じい》運動をやるらしい……」
マッタは、ガロウ・ランたちのやり取りから、その意味を聞き取って、
「なんとか、つけ込む方法はないものかな?」
「そううまくいくものじゃないよ。ここは、伝説の世界じゃないんだ」
その頃《ころ》、ジョクは厚い雲に阻《はば》まれて、ガロウ・ランの寄せるルートを遡《さかのぼ》って行くことができず、まして、敵がオーラ・マシーンを置いている場所を探知することもできないでいた。
ジョクは、本陣《ほんじん》とドーメ部隊の無線の交信音を背後に受けて、アントバの山塊《さんかい》をゆるゆると滑空《かっくう》していたのである。
捕獲《ほかく》されたカットグラとドーメを発見できる可能性は、その無線にある。
彼等も無線を使うであろう。
それを待っているのだ。
しかし、微弱《びじゃく》な電波は、よほどのことがなければキャッチできない。
「…………?」
気のせいか、上空の雲が薄《うす》くなったように見えた。
『……雲が晴れる直前に、作戦は開始されるはずだ……』
ジョクは、焦《あせ》った。
作戦が始まる前に、ニーたちを救出したいと夢想《むそう》して、一人、前線の偵察《ていさつ》にでることになったのだが、これはドレイクへの裏切りである。
しかし、ガラリアとて、ジョクの気持ちは分ってくれよう。ドーメ部隊の指揮は、キサ・ハンドワがよろしくやっているはずだと信じた。
しかし、思った以上に、時間は早く経過していた。
「生きているのならば、呼んでくれ! ニー! マッタ! キチニ! 生きているのならば、オーラカで俺《おれ》を導けっ!」
ジョクは、一人、コックピットで叫《さけ》んでみた。
『……パーンが、ひとり戦線を離《はな》れた気分は分る……ニーたちを救出する気もあるだろう。バーンにはそれができる』
ジョクは思った。
『しかし、それを俺が認めてしまっては、俺が、バーンに拮抗《きっこう》することはできなくなる。それでは、この世界で生きていくことも怪《あや》しくなる。俺は……聖戦士を宿命づけられているのだから……』
ジョクは、東京の学生ではないのだ。
『バーンの気骨《きこつ》は、典型的な騎士《きし》のそれだ。企業《きぎょう》戦士なんて言うのは、物理的に生死《いきしに》の境にいるのではないのだからな』
バザザッ!
カットグラの脚《あし》が、梢《こずえ》に当った。
「ウッ!」
ジョクの視界に、木の影《かげ》が迫《せま》って来た。
機体の方位を見て、ともかく、わずかに上昇《じょうしょう》する。
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「ほどいてくれよ。水が欲しい。なんで縛《しば》られているか分るけど、いまは暴れない。大丈夫《だいじょうぶ》だ」
ニーは呻《うめ》いた。
「……? 水だな?」
キチニは、マッタに水を持って来させるように頼《たの》んだ。
「脚がきついんだ……」
キチニは、ニーの安定した表現に、ロープをほどこうとする。
「いいのか?」
トレンが、キチニに身体《からだ》を押《お》しつけるようにして、囁《ささや》いた。
「暴れる力は、なくなっているよ」
「本人が言うのが、一番信用できないんだぜ」
トレンの言葉に、キチニは迷った。
「足首がひどくかゆいんだ……」
キチニは脚《あし》の革紐《かわひも》をほどく気になった。
ニーは落ちこんだ頬《ほお》に、ひどく優しい瞳《め》を見せた。
「知らねぇぞ……」
トレンにも確信があるわけではないので、身を引いた。
「ニー、飲ませてやろうか……」
マッタが水を入れた木の容器を運んで来た。
外は、ドーメとカットグラの発進の準備でさわがしくなっていた。
「すまないな。しかし、恥《はず》かしいものだな……大人になって、こんな風にしか水が飲めないというのは……」
マッタは、木の容器をニーの顔の前で止めると、
「キチニ……」
「ああ……」
キチニは、ニーのうしろにまわって、手首を縛《しば》る革紐《かわひも》をほどいてやった。
「本当に、そんなに暴れたのか?」
ニーは苦笑を見せて、右手でマッタの手にする容器を受けとって、口をつけた。
「…………」
マッタもキチニも、ホッと息をついて目を合わせた。イットーは、その二人とトレンを見やった。捕虜《ほりょ》の天幕に、ちょっとした安堵《あんど》の時間が流れた。
「うまいな……こんな場所の水だが……」
ニーは、噛《か》むようにして水を飲みこんで、脚《あし》を動かして見せた。
「身体《からだ》中が痺《しび》れたようでな……参った……」
もう一度、容器を口に運んだ。
「それほど薬を使われてはいないんじゃないのか?」
トレンが、いぶかし気に呟《つぶや》いた。
その言葉が終らないうちだった。
ニーが、正面のマッタを突《つ》き飛ばすや、入口近くにいたイットーの手を踏《ふ》みつけるようにして、天幕の外に飛び出していた。
「やられたっ!」
誰《だれ》の声というのではない。
四人の捕虜《ほりょ》が、一斉《いっせい》に天幕の入口に上体を乗り出した時、ニーは、背中を見せていたガロウ・ランの女戦士の背負った剣《けん》を抜《ぬ》いていた。
トレンには、その光景が映画のように決まっているように見えた。
その向うでは、ドーメとカットグラが、シェルターから出て発進しようとしていた。
「ア……!?」
女戦士は、振《ふ》り向いたようだった。トレンは、左右からマッタとキチニが飛び出すのを感じた。
「駄目《だめ》だっ!」
キチニの制止など意味がない、とトレンには思えた。このまま、戦うしかないと覚悟《かくご》した。
が、それも、トレンの思い違《ちが》いだった。
ニーは、長い剣の刃《は》を、自分の首に向けようと大きく振った。
そのニーの大きな動作の隙《すき》をついて、女戦士は蹴《け》りを入れた。ニーはよろめいたが、また、剣を自分の首に振《ふ》り向けようとした。
キチニとマッタが、ニーに背後からタックルをかけた。
「やめて下さい!」
「ニーっ!」
「手前たちっ!?」
最後の怒声《どせい》は女戦士のものだった。彼女は、三人の男がもつれるように倒《たお》れるのを見て、素早《すばや》く身を引いた。
「……なにしてんだ? ええ? ヘッ! へへヘッ」
剣を振りまわそうとするニーの腕《うで》を取って、地に押《お》しつけようとするマッタとキチニの動きに呆《あき》れて、女戦士は、笑い出した。
「ニーッ! 気をしっかりっ」
「死なせてくれっ! 俺《おれ》は、バーン殿《どの》のカットグラと闘《たたか》ってしまったんだ」
「そんなことでっ! 剣を放してっ」
ニーの振りまわす剣を押《おさ》えたマッタは、それを奪《うば》い取ろうとした。
笑っていた女戦士は、マッタの挙動に慌《あわ》てて、ニーの手首を取ると剣を奪い取った。
「なんだよ! こいつらっ」
「離《はな》してくれっ! この苦しさは、分るもんじゃない! 死なせろっ!」
「駄目《だめ》ですっ! 死んでどうなるというものじゃないっ。マッタ、ニーの口に何か入れろっ!」
ニーをはがい締《じ》めにしたキチニが、怒鳴《どな》った。
「イットー! なんかないかっ!」
マッタは、前からニーを押えたまま怒鳴った。
「この革紐《かわひも》が使えるだろ?」
トレンが、ニーを縛《しば》っていた紐《ひも》をイットーに投げた。
「…………!」
イットーはさすがにトレンの冷たい態度にカチンと来たものの、その革紐《かわひも》を持って天幕を出た。
「出るなっ!」
騒《さわ》ぎを聞きつけたガロウ・ランの一人が、イットーを突《つ》き飛ばした。
「これをニーの口に入れろっ! 舌を噛《か》んだら死ぬ!」
「舌がどうした?」
話が通じなかった。
「マッタっ!」
イットーは、革紐をマッタの方に投げてやった。同時に、イットーは槍《やリ》の石突《いしづき》で殴《なぐ》りつけられていた。
「なにを騒《さわ》いでいるんだっ」
ドーメが浮上《ふじょう》し、カットグラがその黒褐色《こっかっしょく》の機体を霧《きり》のなかに消したのを見届けたカンドワが、ようやくやって来た。
「抵抗《ていこう》したんだけどねぇ……ヘッへへへ……」
「なーに笑いやがってっ」
カンドワは、剣《けん》を奪《うば》われた女戦士が、剣を収めるのを不思議なものを見るように見てから、マッタが、ニーの口の中に革紐を押《お》しこんで、猿轡《さるぐつわ》にするのを覗《のぞ》いた。
「どうした? ええっ? 面倒《めんどう》なことやってんな?」
「ニーが、自刃《じじん》しようとした。自殺をな」
カンドワには分らない。ガロウ・ランの概念《がいねん》にはない言葉なのだ。
「自殺?」
「自分で死のうとしたんだ。剣で、自分の首を斬《き》ろうとした」
「こいつが?」
カンドワは、あらためて、ニーの症状が気になった。
「ミュラン、分るか?」
ミュランは眉《まゆ》をしかめてから、
「知らない話ではない」
と言った。
ニーは、猿轡《さるぐつわ》を噛《か》まされた口をモグモグさせながら、全身を痙攣《けいれん》させた。また噴《ふ》き出した汗《あせ》が、顔と上体の衣装《いしょう》をベットリと濡《ぬ》らした。
「早く手足を縛《しば》れっ!」
カンドワの命令に、ニーの手足を縛ったのは、キチニとマッタだった。
ガロウ・ランたちは、呆然《ぼうぜん》とコモンの虜囚《りょしゅう》のやることを見守るだけた。
「ミュラン、聞いたことがあるといったな? どういう話だったか?」
「痛めつけるとコモンは、死にたがるよ」
女戦士のミハである。
「そうそう、チンポを斬《き》ると自分から死ぬ」
「ギャッ! ハハハ……ッ!」
女戦士たちは、コモンの男たちをそのようにいたぶることを思い出して、嬌声《きょうせい》を発し、男たちも別の光景を思い描《えが》いて笑い合った。
「……なんで手足の紐《ひも》を解いたんだ?」
カンドワはようやく納得すると、立ち上がったマッタに聞いた。
マッタもキチニも、手足が自由なまま、ガロウ・ランたちに囲まれていた。
「水を飲みたがった……おとなしかったんで、油断したんだ」
「そうかい……カンドワ、こいつはうっちゃるか?」
「そうしろ。面倒《めんどう》だな。機械の修理は、そっちの奴《やつ》がいればいい」
カンドワは、天幕の入口のところで呻《うめ》いているイットーの方に顎《あご》をしゃくった。
「それではイットーだって働かない! それは駄目《だめ》だ!」
マッタが抗議《こうぎ》したが、カンドワはマッタの頬《ほお》を殴《なぐ》りつけて、黙《だま》らせてしまった。
「こいつは、外に捨てろっ!」
ニーを踏《ふ》んづけたカンドワは、女戦士たちに命令すると、その場を去っていった。
「ニーっ!」
女戦士たちを静止しようとしたキチニは、男たちに天幕に放りこまれ、マッタもそうされた。
ニーは、嬌声《きょうせい》を上げる女戦士たちの手によって、宙に持ち上げられると、シェルターの外に運ばれていった。
天幕の入口には男たちが立ち、ニー以外の捕虜《ほりょ》は、また同じように膝《ひざ》を抱《だ》いて、睨《にら》み合うかたちになった。
「ニーは、殺される……」
キチニは、膝に頭をつっこんで呻いた。
「ニーがまともなら、ドーメに接近できた。脱出《だっしゅつ》だってできたかも知れねぇ」
トレンの言葉は、他の三人の神経を逆撫《さかな》でした。
「地上人《ちじょうびと》には感情がないんですかっ! ニーは、一度ならずあなただって庇《かば》ったはずです! 今からでも、ニーを助けに行く気はないんですか」
「なら、手前が行ったらいい。行けるかっ!? ええっ! 入口に何人のガロウ・ランがいると思っているんだっ」
イットーの非難に、トレンは、数倍の怒《いか》りの言葉を投げかけた。
雨のなか、ニーを森のなかに運んで行ったミハたち女戦士は、ニーをなぶりものにして楽しむつもりだった。
機械のそばに来てから、こういった生々しい楽しみを忘れていたから、彼女たちは、興奮した。
しかし、女たちの手に支えられているニーには、まだ正気があった。
『こんなことならっ……』
その言葉にならない悔《くや》しさに、ニーは涙《なみだ》を流しながらも、手足を動かして抵抗《ていこう》しようとしたが、数人の女戦士たちの手は頑丈《がんじょう》で、どうなるものでもなかった。
「元気のいい生き血は、精をおこすからねぇ」
「たまには、赤い血まみれの肝臓《かんぞう》が口に入らないとさ、ギャッハハハ……」
女たちの抑《おさ》えられていた感情が爆発《ばくはつ》して、昔《むかし》のガロウ・ランの習性がほとばしり出た。
しかし、楽しみはそこまでだった。
ボキッ!
遠い頭上で木が折れる音がして、つづいて、ザザザッッと木が押《お》し分けられる音と、
ギュヒューン!
いまでは、彼女たちには珍《めずら》しくなくなったカットグラのオーラ・ノズルの音が、彼女たちの頭上を覆《おお》った。
「なんだ?」
「ヘレナァの奴《やつ》!」
一人の戦士は、自分たちとまったくソリの合わない女戦士を罵《のりし》った。
が、森に蓋《ふた》をするような霧《きり》を支える木々が揺《ゆ》れると、飛沫《しぶき》と小枝《こえだ》が女戦士たちを襲《おそ》った。
ギューン!
体勢を立て直そうとするカットグラのオーラ・ノズルの音が、木々を震《ふる》わせ、次にミハたちガロウ・ランの女戦士は、やや黄銅色に銀をくわえたようなカットグラの脚《あし》を見た。
それが左右に開いて、木々に爪《つめ》を立て、オーラ・ノズルが出力を増大させる音がした。
「ウッ……!?」
ニーは、その機体を仰向《あおむ》けの姿勢のまま見て、ジョクのものだと分った。
ニーを支えていた女戦士たちは、ニーを放り出した。
「ウッ!」
ニーは、背中を木の根の突起《とっき》にぶつけて、息が詰《つ》まった。
「ジョク!」
身体《からだ》を転がして、上昇《じょうしょう》をかけようとするカットグラに、声にならない呼びかけをした。
『こんな状況《じょうきょう》でしか、ジョクと遭遇《そうぐう》できないのか…!』
ニーは、胸から溢《あふ》れ出る悔《くや》しさに身をよじり、それでも、木々の間を移動するカットグラの脚を見上げた。
ガロウ・ランの女たちは俊敏《しゅんびん》に、地を這《は》うようにして陣地《じんち》の方に走った。
「敵のカットグラだ!」
ミハは、息をついてカンドワとミュランに報告した。
「……ヘレナァのではないのかっ」
「間違《まちが》いないよ」
ザザッ!
まだ梢《こずえ》を擦《す》るように飛行するカットグラの音が、陣地の頭上でした。
「見つかったのか?」
「ブラバとヘレナァが見つけているなら、その音が聞えるはずだ!」
カンドワが呻《うめ》いた。
「方向が違《ちが》う……」
ミュランは、耳をそばだてて、陣地の上空を見やった。
「霧《きり》のなかでも飛ぶのか……敵のカットグラは……」
ジョクが、ニーの頭上に降下したのは、その直前に、カットグラとドーメの影《かげ》を霧のなかに見たからである。
断定できるほどはっきりした形ではなかった。
しかし、それを見失った直後、ホバリングの状態で森にカットグラの脚《あし》がすくわれるまでに、降下していたのである。
「……もしあれが奪《うば》われたオーラ・マシーンならば、この下に前進基地がある……?」
ジョクは、そう思った。
だから、降下した。
しかし、ミハたちを驚《おどろ》かした時、ジョクは彼女たちもニーも見ていない。
『しかし……?』
今から追っても、敵のオーラ・マシーンを発見できるとは思えなかった。
もう一度だけ降下して、森のなかを確認して、それから追っても良いと思った。
『雲が薄《うす》くなったら戻《もど》れるように、目印を残す』
ジョクは、漠然《ばくぜん》とそう考えたのだ。
足下の森のなかにいるニーの意識が呼んだのかも知れないとするのは、都合がよすぎよう。
「…………?」
ジョクは、降下を掛《か》けたというよりも、機体をジャンプさせるようにした。そして、ザッと森のなかにカットグラの機体を沈《しず》めた。
カンドワの陣《じん》のシェルターの網《あみ》を、ジョクのカットグラの脚《あし》が引き千切ったが、そんな微妙《びみょう》な抵抗《ていこう》は、コックピットにはつたわらない。
「敵だっ!」
突然《とつぜん》の敵のカットグラの降下に、カンドワたちは動転した。
「カットグラ!?」
捕虜《ほりょ》たちは、天幕から見上げた。
ホバリングしたように見えたカットグラの脚、オーラ・ノズルと巨大な羽根の震《ふる》える音とともに、天幕が揺《ゆ》れて、木屑《きくず》や藁束《わらたば》が飛んだ。
「ジョクの機体だ!」
イットーが興奮して飛び出していった。救いを求めるというのではない。
衝動《しょうどう》的にそうしただけだ。
マッタとキチニもそれに従おうとしたが、キチニは違《ちが》った。
整備台の下にあるカンテラを目にすると、それを蹴飛《けと》ばしてから、シェルターの端《はし》が揺《ゆ》れる方、イットーとキチニの方に走った。
「コモン人を押《おさ》えろっ!」
ミュランが左右に逃《に》げ惑《まど》うガロウ・ランたちを一喝《いっかつ》した。
「カンドワっ! コモン人が逃げるっ!」
そんな声が上がる頃《ころ》には、キチニが蹴《け》ったカンテラの火の手が大きくなった。
イットーの左右を逃げようとしたガロウ・ランの何人かが、ミュランの声を聞き、そのなかの一人、ミハは剣《けん》を抜《ぬ》いた。
上昇《じょうしょう》を掛《か》けようとしたカットグラの脚《あし》が、ドンッと地をついた。
「……ジョク!」
カットグラのコックピットのハッチが見えたので、キチニが、声を上げた。
カットグラの羽根とオーラ・ノズルの噴射《ふんしゃ》で、周囲の霧《きり》が払《はら》われて、視界が開けた。
「何っ!」
ミハは見上げながらも、その強力《ごうりき》でイットーの首を締《し》めていた。
整備台の下の火が大きくなり、それが、ジョクの目についた。
「ウッ……!?」
ジョクは、ガロウ・ランの女戦上に剣を突《つ》きつけられているイットーを見ることができた。
と、その脇《わき》に、男のガロウ・ラン、カンドワが走りこんで、ジョクの方に何事か怒鳴《どな》った。
ジョクは、ハッチを開いた。
「退《さが》れっ! カットグラっ! でないと、これらを殺す!」
カンドワの声が、ジョクに届いた。正催なコモンの言葉を話しているのかどうか分らなかったが、ジョクはその男の言葉が分った。
「ジョク! カットグラの後ろの方に、ニーがいるはずだ。そっちにはガロウ・ランはいないっ!」
それは、マッタの叫《さけ》びだった。
「うるせえっ! さっさと消えなっ!」
カンドワとミュランは、部下たちと共にマッタを押《おさ》えた。
「捕虜《ほりょ》を傷つけるなっ! 後退するっ!」
ジョクは、状況《じょうきょう》が分らないまま、カットグラを一歩後退させ、そして、フレイ・ボンム・ライフルで背後の木々の梢《こずえ》を押《お》し除《の》けた。
「ジョク!」
ニーは、目の前のカットグラの姿になつかしさを感じて、ともかく木を背にして立った。
カットグラの脚《あし》が、ゴソッと目の前に迫《せま》った。
「ジョク!」
それは、夢《ゆめ》に似た光景だった。
「ジョク!」
ニーは、理由もなく涙《なみだ》をボロボロこぼしながら、縛られた身体《からだ》を揉《も》んだ。
梢の上にカットグラの上体が、かがんで見えた。
「ニー!」
コックピットのジョクは、唖然《あぜん》とした。
ニーが縛りあげられて、猿轡《さるぐつわ》を噛《か》まされている姿など想像することはできなかったからだ。
「ニーッ!」
周囲にガロウ・ランの姿がないことを確かめたジョクは、カットグラの手を下ろして、ニーの上体を掴《つか》んだ。
ニーの身体を傷つけないように木々の上まであげると、ジョクは、カットグラを上昇《じょうしょう》させた。
カットグラの上昇音が、霧《きり》のなかに消えると、イットー、マッタ、キチニたちは、カットグラに踏《ふ》みにじられて、垂《た》れ下がった網《あみ》が揺《ゆ》れているのを見つめていた。
カットグラが、ニーを助けたらしいとは思えたが、それを確認していないのである。
「離《はな》してくれよっ!」
イットーは、ホッと息をついたガロウ・ランたちの手を解くと、さっさと天幕の方に歩き出した。
「そっちも入れておけっ!」
カンドワは、キチニとマッタのことを部下たちに命令すると、周囲にウロウロするガロウ・ランたちに言ったものだ。
「分ったけえ? コモンを生かしておけば、こういう風に使うこともできんだぜぇ!」
彼は、機械に殺されずに済んだことで、得意になっていたのである。
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ジョクは、ニーの身体《からだ》をコックピットに引き入れると、シートの右下に装備《そうび》されている短剣《たんけん》で、ニーのいましめをといてやった。
「ジョク……合わせる顔がない」
ニーはそう言うと、シートの脇《わき》の狭《せま》い空間に身を縮めるようにした。
「気にするな。俺《おれ》だって、キチニたちを助けられなかった……」
そう言いながらも、ジョクは、座りこんだニーが両手を肩《かた》にまわして、小さくなって震《ふる》えている姿に、妙《みょう》なものを感じた。
しかし、なによりも、ジョクは、人質がいるのを承知だったはずなのに、いざイットーたち三人を見た時、カットグラの強力な兵器を使えば、彼等を傷つけると思ってしまって、何もしてやれなかったことにいらだっていた。
『力押《お》しをしていれば、助けられたはずだ……』
自分を臆病《おくびょう》だと思った。
その嫌悪感《けんおかん》が、ようやく、無線を発信しなければならないことを思いつかせた。別のことをやって、埋《う》め合《あ》わせをしようという心理である。
そのためには、言い訳も必要である。それも思いついていた。
『偵察中《ていさつちゅう》、霧《きり》で迷ってしまった。本来は、ドーメの行動を掩護《えんご》する予定だった……動転して、方位を確かめるために、無線を使うことも忘れていた』
このような時の言い訳は、饒舌《じょうぜつ》である。
ジョクは、鉱石ラジオ・レベルの無線のスイッチを入れた。
「……ジョク機、方向を見失った! 方位|報《しら》せっ!」
ジョクは叫《さけ》びながら、カットグラの機体をタテに回転させて、電波の方位を探った。
パッと周囲が明るくなった。
雲の上には、一杯《いっぱい》に昼のオーラの光と青空があった。
「ああ……!?」
一瞬《いっしゅん》、息をついて、ジョクは気を取り直した。
「ニー! 見ろ! 雲の動きが早くなっている」
ジョクは、ハッチを開いた。乾燥《かんそう》した空気が、サッと身体《からだ》を洗ってくれた。
「…………」
ニーは両腕《りょううで》の間に顔を埋めたまま、身じろぎもしなかった。
「…………?」
ジョクは、ニーのようすを窺《うかが》いながら、
「こちらジョク! ニー・ギブンは回収した。位置知らせっ」
ドーメと本陣《ほんじん》との間の交信が、はっきりと聞える方向に機体を正対させると、再度カットグラを降下させた。
視界が、またも息が詰《つ》まるような乳白色に包まれたが、まちがいなく味方の本陣に向うコースにのせた。
本陣とドーメたちの交信は、強度を増してきた。
ジョクは、カットグラの脚《あし》だけは前につき出すようにして、ゆっくりと滑空《かっくう》させた。
『出直して来るしかないが、救出方法はそれまでに考えればいい』
そう思った。
「ニー、あの陣地の位置を地図に書けるかい?」
「ああ……? ああ……!」
その時だけ、ニーは微笑《びしょう》をみせたが、顔は蒼白《そうはく》で唇《くちびる》の震《ふる》えはとまらなかった。
「……? ニー?」
電波がとつぜん聞えなくなった。正面に山がきたのだ。
ジョクは、慌《あわ》ててカットグラの速度を落した。
目の前|一杯《いっぱい》に、フッと影《かげ》があらわれて、あっとい
う間に岩の表面になった。
後退するかそれを飛び越《こ》えるか……どちらにしても、いま見た陣地《じんち》がある場所だけは確かめたかった。
ジョクは、カットグラの機体をタテにして、脚《あし》を前方の岩肌《いわはだ》に接地させた。
爪《つめ》が岩を噛《か》み、岩が転がる音が足下に消えていった。
「…………?」
まさか、上空に敵のオーラ・マシーンの影《かげ》があるなどと思いたくなかった。
「ニー、戦場では良くあることだ。気にしすぎるなよ」
警戒《けいかい》する視線だけは四方に送りながら、ジョクは、ニーの肩《かた》を抱《だ》いてやったが、その肩はジットリと汗《あせ》ばんでいた。
「おい、ニー……?」
「分っているさ。大丈夫《だいじょうぶ》だ。イットーやマッタ、キチニは、大丈夫だろうか?」
「大丈夫さ……敵のカットグラとドーメの整備に、彼等は必要なんだろう?」
「そうそう、だから殺されなかったんだ」
ニーが、きちんと受け答えをしたので、ジョクは安心した。
かすかに足下の雲が薄《うす》くなって、木々の波が見えた。
ジョクは、一瞬《いっしゅん》見た光景の高度感を信じて、カットグラを降下させ、ホバリングをかけた。
『こんなところをセスナで飛行していたら、とっくに死んでいるな』
かすかに木々の梢《こずえ》が数本、墨絵《すみえ》のように浮《う》き上がった。
『やって見るか』
ジョクは、痕跡《こんぜき》を残しておくために、カットグラにフレイ・ボンム・ライフルを構えさせて、一射した。
赤い筋が森の木々を舐《な》め、その影《かげ》をほんのりと浮《う》き上がらせたが、炎の列は乳白色のむこうに、すぐに溶《と》け込んでしまった。
「上がるぞ」
「そうだな。危険だ」
ニーの感想を聞いて、ジョクは安心して、カットグラを電波が受信できる高度まで上げた。
「……ジョク機! 方位|報《しら》せっ!」
それは、ドーメ隊の無線だった。
「ジョク機、無線を受信している。まだ周囲は見えない!」
再度、ジョクが呼びかけた時だった。
カットグラの機体の左右に流れる雲が見えて、次に、パッと視界が開けた。
「ウッ……!?」
息を呑《の》んだ。
雨雲の高度がわずかに上がって、その下に流れる霧状《きりじょう》の帯は、少なくなっていた。
ジョク機の高度は、三百メートルといったところだ。
山裾《やますそ》は、ジョクの背後から前方に流れ込み、左前方に斜《なな》めに黒い筋に見えて、川の流れが前方の山波の向うに消えていた。
その手前、足下から川に向うようにして、ギィ・グッガの軍が横に展開していたのだ。
「ニー、ギィ・グッガの軍だ!」
「…………」
ジョクは、軍の数は読めなかったが、ガラリアと見た時の筋のような軍の印象に比べると、数十倍という印象があった。
「敵軍の上空に出た。陣《じん》に帰る!」
ジョクは、右下に山の斜面《しゃめん》を見るように加速をかけながら、敵の陣容《じんよう》を観察しようとした。
殊《こと》に、地上数十メートルの高さには、何度も視線を走らせた。
そして、さらに高度を下げ、観察する高度の背景に空が来るようにして、敵の強獣《きょうじゅう》の影《かげ》が見えるようにする。
「……出ていないな?」
そう思った時だ。
機体が下から突《つ》き上げられ、コックピットの周囲がバッと赤く焼けた。
「なにっ!」
「ああ……!?」
強獣だった。
あのいまわしいドラゴン、ドラゴ・ブラーがカットグラに、火焔《かえん》の一射をかけたのだ。
「チッ!」
回避《かいひ》運動に入りながら、ジョクは、フレイ・ボンム・ライフルを数射したが、当らなかった。
ジョクの退避《たいひ》運動が早すぎて、ボンムの火線がはっきりと曲がってしまったのだ。
「……!? 敵も早い」
ジョクは、雲の下を泳ぐようにして、自軍のあると思える方位にカットグラを突進《とっしん》させた。ドラゴ・ブラーも低い高度から、ジョク機を追った。
人は乗っていないようだが、ドラゴ・ブラーには一度|狙《ねら》った獲物《えもの》を追う習性があるらしい。
「……と言うことは、他にも、来るな」
ジョクの勘《かん》は、当った。
左下から突き上げるように、黒いカットグラが仕掛《しか》けてきた。
「敵のカットグラが出た! ジョク、交戦中!」
彼等は、ギイ・グッガの軍の上空で示威《じい》運動をしている時に、ジョクの無線を傍受《ぼうじゅ》して、接近してきたのである。
ドラゴ・ブラーの動きの方は、偶然《ぐうぜん》だったのだろう。
「ドーメはっ!?」
ジョクは、カットグラの一射を回避《かいひ》しながら、まだ見えない敵影《てきえい》を気にした。
バキンッ!
衝撃《しょうげき》が走り、機体の脚《あし》が払《はら》われる感じがして、ジョクは|横G《よこジー》を受けた。
「あうっ!」
ニーの呻《うめ》きがコックピットの底で揺《ゆ》れ、右上にドラゴ・ブラーの長い胴体《どうたい》が走った。
「チ!」
ジョクは、カットグラの左手に剣《けん》を握《にぎ》らせると、抜《ぬ》き打ちをかけた。
前方右上で、ドラゴ・ブラーの長い胴がクルンと丸くなったように見えた。
手応《てごた》えはあったが、たいした傷は与《あた》えていない。
スルッと伸《の》びたドラゴ・ブラーの胴が、真直ぐに下に流れ、その手前に黒いカットグラが滑《すべ》りこんで、一射を仕掛けた。
バフッン!
ジョクは、剣をそのフレイ・ボンムにたいして旋回《せんかい》させて楯《たて》の代わりにしながら、上昇《じょうしょう》をかけた。
バウッ!
もっと激《はげ》しい赤い光に包まれたと感じた。横殴《よこなぐ》りのフレイ・ボンムの直撃《ちょくげき》である。
距離《きょり》がなかったら、撃破《げきは》されたところだ。
コックピットがカッと熱くなった。
「ウッ!」
「ああ……!」
ニーの怯《おび》えた声が、ジョクの耳朶《じだ》をうった。
加速はゆるめず、フレイ・ボンムの来た方に向けて、フレイ・ボンム・ライフルを斉射《せいしゃ》した。
照準などつけない。
「ドーメの奴《やつ》だ!」
ジョクは、自機を雲のなかに飛びこませて、機体を水平にしながら左右を見た。
機体を上下に揺《ゆ》すってみた。
いまの直撃《ちょくげき》で機体に歪《ゆが》み出ていないか確かめたのだ。軋《きし》み音はなかったが、機体は安定しなかった。
「ドーメか! ドーメッ! 黒いドーメッ!」
戦闘《せんとう》に入って、初めてニーが言葉を発した。
「ガロウ・ランが操縦しているのか」
「そうだ。ガロウ・ランはやるんだ。ガロウ・ランはっ……!」
ニーの言葉には、汗《あせ》に濡《ぬ》れているように曖昧《あいまい》な響《ひび》きがあった。
「よーし!」
機体の震動《しんどう》に構わず、ジョクは、かすかに高度を下げた。
地面にたいする雲が、薄《うす》くなったが、黒のカットグラとドーメは、地面を背景にすると見えづらいという不安があった。
「チッ!」
カットグラの右の羽根がなくなっているようだ。そのために振動しているのだ。
「ン……! ハバリーか……」
地面を這《は》うようにハパリーの影《かげ》が横切って見えた。
ジョクは、敵のカットグラに有効打を与《あた》えられないまま、戦闘《せんとう》空域から離脱《りだつ》するのでは、ドレイクに申し訳が立たないと思った。
「しかし……!」
脱出《だっしゅつ》をかけた。
かなり飛行をしたあとである。補給をしてからでないと危険だと感じたのだ。
この辺りの思い切りが悪いと、即《そく》、戦死する。
それでは、叱責《しっせき》も軍功もあったものではない。
ジョク機が加速をかけた時、左右の雲が払《はら》われ、それが不幸にも、ブラバのドーメの近くだった。
「カットグラだっ」
「ン……!? 追えっ!」
ドーメのプラットホームのブラバは、ブリッジで興奮するふたりのクルーに和して、絶叫《ぜっきょう》していた。
黒のドーメは旋回《せんかい》をかけながら、ジョク機の右前方から接近して、三本のアームのフレイ・ボンムを連射した。
ジョクもライフルで迎撃《げいげき》したが、その射線上の数条のフレイ・ボンムとジョクのフレイ・ボンムの火焔《かえん》が激突《げきとつ》した。
ドボウッ!
空中で激突した二本のフレイ・ボンムは、赤と黒と黄の塊《かたまり》になって、空中に華《はな》を咲かせた。
「逃《に》がすかよっ!」
ブラバは、その火球を飛び越《こ》すようにしてドーメを駆《か》ったが、カットグラの速度にかなうわけがなかった。
「やめろっ! ブラパ!」
そのドーメを追う黒のカットグラのヘレナァは、ブラバの深追いを危険だと感じた。
「うるせえよっ!」
全身に風を受けたブラバが、そんな制止を聞くわけはなかった。
ジョク機に離《はな》されながら、なおも追尾《ついび》した。
ジョクは、自分の気分がマイナーになっているから、このように劣勢《れっせい》に立たされるのだと焦《あせ》った。
「掩護《えんご》は来ないのかっ!」
とっくに、ギィ・グッガの陣《じん》を飛び越《こ》えた上空にいた。
「来たかっ!」
ジョクは、前方に自軍のドーメ部隊の影《かげ》をみとめた。
「ジョク機! 敵ドーメとカットグラに追尾されている!」
無線に怒鳴《どな》った。
ドーメ部隊の影が大きくなり、ブラバもそれを発見した。
「ウッ!」
さすがにブラバが後退を決した時には、ジョク機は、ドーメ部隊の点のなかにはいって、識別できなくなった。
「なんだ!?」
次のことを考えている間はなかった。ブラバは、後退のターンをかけた。
「ブラバ!」
ブリッジのクルーの悲鳴が、足下から聞えた。
「分っている!」
が、そのブラバの声は、次のクルーの悲鳴で消えた。
「敵です! 左の雲っ!」
「なに!?」
左を見た。
ジョクのカットグラが、雲の中から染《し》み出すように迫《せま》り、次に、フレイ・ボンムの閃光《せんこう》が拡大した。
「うわっ!」
ブラバは、プラットホームのハッチからブリッジに落ち、ブリッジの窓が赤く染まった。
クルーとブラバは、激震《げきしん》する機体を制御《せいぎょ》するのに必死で、一方の空気が熱くなるのを忘れた。
ジョクは、ブラバに一撃《いちげき》を与《あた》えると、後方に迫《せま》る黒のカットグラの攻撃《こうげき》を避《さ》けるために、雲に飛びこんだ。
「黒のドーメは、損傷したようです。どうしますっ」
「攻撃しろ! 敵だ! とどめを刺《さ》せっ」
カットグラが、かすめるのを横目に見ながら、ドーメ部隊の戦闘《せんとう》隊長のキサ・ハンドワが絶叫《ぜっきょう》した。
「後続はこのままっ。上空を警戒《けいかい》! ハバリーも出てくるかも知れんぞ」
バーンに声を掛けられたあの新任のパイロット、マンダサン・トレゾーンは、一気に降下するとドーメに仕掛《しか》けた。
「デッ!」
「来たかっ!」
ブラバは、そのマンダサン機を右に見て迎撃《げいげき》したが、ジョクの攻撃で、一基のアームは使えなくなっていたし、機体の震動《しんどう》は、狙《ねら》い射《う》ちを不可能にしていた。
「あれを黙《だま》らせるんだ!」
キサ・ハンドワの命令が、全ドーメに伝えられた。
マンダサン機に続いて、前列の一群が、降下を続けるドーメを追った。
リスクを背負ったブラバには、不幸だった。
はるかに練度の高いドレイク軍のパイロットたちが、左右上下からブラバに追尾《ついび》して、回りこんで集中|砲火《ほうか》を浴びせた。
「ケッ!」
それでも、ブラバは、何度かはそれを回避《かいひ》した。
しかし、数度の直撃《ちょくげき》で焼けたブリッジの壁《かべ》に身を寄せたクルーが、炎《ほのお》に焼かれるのをどうしようもなかった。
「糞《くそ》ぉーっ!」
地を何度か舐《な》めるように滑空《かっくう》したブラバのドーメが、大きくバウンドして湿原《しつげん》地帯に突《つ》っこんだ時、その光景を観測していた両軍の前衛から、歓呼と失望の叫《さけ》びがあがった。
ジョクは、キサ・ハンドワに礼の言葉を残すと、ドレイクの本陣《ほんじん》を通過して、前進基地のジヤハの森に降下した。
「すぐ出る。羽根を直す必要はない。ニーは、身体《からだ》の具合が悪い。すぐに軍医を呼んでやってくれっ!」
ジョクは、整備兵にそう命令すると、ケルムド・ドリンの待つ天幕に走った。
「……雲に巻かれて迷ったのでありますが、それが幸いしました。敵のオーラ・マシーンの基地を発見して、キチニたちを目撃《もくげき》し、ニーは収容できました」
「そうか。すぐ出られるな?」
ケルムドは、ジョクが勝手な行勤をしたことは承知していたが、いまは、何も言うつもりはなかった。
「ドラゴ・ブラーも一頭見ました。手傷を負わせたはずです。次の自分の出撃《しゅつげき》に当っては、ドーメを一機つけてくれると助かるのですが?」
「……最後の野砲《やほう》運搬《うんぱん》の一機が戻《もど》るころだ。それをつけられるだろう……誰《だれ》だったか?」
ケルムドは、かたわらの兵に質問した。彼女は、出撃簿《しゅつげきぼ》を覗《のぞ》きこんで、
「ミッツマ・ハレザスです」
「いいな?」
「はい……。そう、ガラリアは?」
「バーナ湖の敵にたいして、空襲《くうしゅう》をかけるために、移動した」
「そうですか……申し訳ありませんでした。こんなに遅《おく》れるとは思いませんでした」
「……無線も使えなかったのか?」
ケルムドが、さすがに質《ただ》した。
「はい……湿気《しっけ》が配線をショートさせていたらしいのです。そういうものです」
「調べさせよう……戦争が終ったらな」
「ハッ、頼《たの》みます」
ジョクは、ケルムドの優しい言葉に、頭を下げた。
「敵に捕《とら》えられた捕虜《ほりょ》、どうする? 奪還《だっかん》できるか?」「個人の感情としては、万難を排《はい》して救出したいのですが……」
「状況《じょうきょう》が分らないので、わたしに判定はできない。しかし、だ。敵に渡《わた》ったドーメは、すでに撃墜《げきつい》されたという……」
「はい……」
ジョクは、次のケルムドの言葉が分った。
「ニーも救出はした。となれば、カットグラと言えども、補給物資が底をついているだろう。敵のオーラ・マシーン部隊の基地の存在は、脅威《きょうい》ではなくなったと考える」
「はい」
「……捕虜《ほりょ》は、忘れろ。聖戦士《せいせんし》殿《どの》は、前線に戻れ。野砲《やほう》の攻撃《こうげき》前に、空襲《くうしゅう》によって敵の背後の退路を断つのが急務である。キサたちドーメ部隊は、晴れる前に、強獣《きょうじゅう》部隊を殲滅《せんめつ》するはずである」
「はッ……」
ジョクは、目を閉じた。
その間に、無線に取りついていた兵が、ケルムドにメモを渡《わた》した。
「ドーメの撃墜は確認された。キサたちは、ハバリーの休息場所を発見したらしい。これ以上の勝手は、わたしにも黙認《もくにん》できんぞ」
「はい……」
ジョクは敬礼すると、踵《きびす》を返した。
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「なーにぃやってんだ!」
ギィ・グッガは、接近するドラゴ・ブラーの向うに、ブラバのドーメが撃墜される黒い煙《けむり》を見ることができた。
ギィ・グッガは、馬車の上に設《しつら》えられた椅子《いす》の上に立って、銀の笛《ふえ》を使っていたのだ。
その笛に導かれて降下してくるドラゴ・ブラーの動きは、素直ではなかった。
「フーム、尻《しり》をやられているか……」
ギィ・グッガは、ドラゴ・ブラーが、ジョク機の剣《けん》で受けた掠《かす》り傷を見逃《みのが》さなかった。
雨はやんで、かすかに風が走った。
ギィ・グッガは、怯《おび》える馬を御者《ぎょしゃ》に静めさせながら、馬車の位置を変えさせると、右手を頭上に上げて、その拳《こぶし》をゆったりと振《ふ》った。
「ウォーッ! 引けっ! ドラゴ・ブラーだ!」
周囲のガロウ・ランたちは、ギィ・グッガのまわりから潮が引くように後退した。
ドラゴ・ブラーは、輝《かがや》く眼光をギィ・グッガに向けると、フゥーッとその目を細くして、胴《どう》の中央あたりにひろがる翼《つばさ》を、大きく上下に震動《しんどう》させた。
その翼のおこす風が、濡《ぬ》れた地面のドブ泥《どろ》を跳《は》ね上げ、ガロウ・ランたちを一層|怯《おび》えさせた。
ギィ・グッガの差し出した手から、白い粉が流れ出ているのだ。
ドラゴ・ブラーは、その前方に、その巨体を降下させてきた。
「……いやいや、ドラゴ・ブラーの飛行だけで、ガロウ・ランの者共、ギィ・グッガ様の威光《いこう》を感じて、従いますわ」
ドーレブが、追従《ついしょう》を言った。
「分っているわ! 例の軍令は発令したか?」
「ハァッ! 命令なく後退もしくは脱出《だっしゅつ》した者は斬首《ざんしゅ》する」
「そうだ。ガロウ・ラン共は、知らぬ間に逃《に》げるから油断できねぇ」
ギィ・グッガは、ニタッと笑ってドーレブを見やった。
彼は、これらの軍法を思いついたことが、得意なのである。
ドーレブが、背後に従う馬車からバケツをおろさせると、それをギィ・グッガは手ずから持って、ドラゴ・ブラーの鼻先に置いた。
「食え! ご苦労だった」
兵に言うとおなじようにその巨大な強獣《きょうじゅう》に言い、そして、香辛料《こうしんりょう》をたっぷりとまぶした餌《えさ》を手ですくってやった。
「グッフッ……フッフッ……」
ドラゴ・ブラーの喉《のど》が鳴り、長いロープのような髭《ひげ》が波打った。
厚く丸っこい紫色《むらさきいろ》の舌が、ギィ・グッガの腕《うで》まで呑《の》み込むのではないかと思われるように、ズルリと伸《の》びて、ギィ・グッガの手から緑色の練り餌を舐《な》めていった。
「グフフフフッ……可愛《かわい》い奴《やつ》よ……」
ギィ・グッガは、白い粉をドラゴ・ブラーの鼻先に示して、擦《こす》りつけてやりながら、ゆっくりと胴体《どうたい》を撫《な》でて移動した。そして、翼《つばさ》の前縁《まえぶち》を叩《たた》いてやりながら、うしろにまわる。
尻尾《しっぽ》の斬《き》り傷を見るためである。
「フム……」
ザックリと斬られた跡《あと》には、緑の液体がボッテリと山になって硬化《こうか》しようとしていた。
数枚の鱗《うろこ》が剥《は》ぎ取られていたが、大事にはいたらないようである。
「薬で麻痺《まひ》するだろうさ……」
ギィ・グッガは、自分さえ確固としていれば、敗北などはないと読んでいた。
しかし、ブラバのドーメが撃墜《げきつい》されたことで、ハバリー部隊だけで敵のドーメを捕捉《ほそく》することは難しいのではないか、と想像することも忘れなかった。
「ミュランは、勝つために動かしたが、動かしすぎか?」
ギィ・グッガは、一人、口のなかで言いながらも、心のどこかで苦笑していた。
所詮《しょせん》、機械などは、余録《よろく》なのである。当てにはしていない。
ギィ・グッガは、ドラゴ・プラーの前にまわると、もう一度、ドラゴ・ブラーに挨拶《あいさつ》をするように白い歯を見せてから、周囲の将兵たちを見やって言った。
「おいっ! そろそろ仕掛《しか》けるべぇか?」
ドレイク・ルフトにも、ジョクのカットグラの動きは分っていた。
「気分で戦争をやられては、儂《わし》の立場がなくなるよ。聖戦士《せいせんし》殿《どの》?」
一人口のなかで言いながら、ドレイクは、設営された本陣《ほんじん》の囲いから出て、無線係の伝言を書いたメモ用紙が並《なら》べてある机の前に立った。
「ドーメ部隊は、敵ドーメを撃破《げきは》。かつ、敵カットグラを牽制《けんせい》しつつ、強獣《きょうじゅう》部隊に強襲《きょうしゅう》をかけます」
「聖戦士殿の指揮か?」
言わずもがなのことを聞いた。
「ハッ! 聖戦士殿は、敵ドーメに一撃《いちげき》を加えた後、後退。戦士ニーを収容したもようであります」
キエト伝令官は、ジョクに好意的な言いまわしを使った。
その一事は、ドレイクには意外であった。
「ホゥ……結構である」
ドレイクは、聖戦士の働きが、軍に大きく影響《えいきょう》することを案じていただけに、ともかくも兵士たちの見ているところで、有効な働きをしたのを知って、ホッとした。
『未来の婿殿《むこどの》らしくしてもらわねばな……』
そういう思いもある。
ドレイクは、今朝のジョクの単独行動の原因も、もとはと言えば、彼自身がバーンの計画を承認したところにあるのを、忘れてはいない。
それに、軍が動き出す直前に、ジョクを糾弾《きゅうだん》したところで、マイナスになるだけであった。
「ま、ケルムドもジョクも埋《う》め合わせはしよう……」
ドレイクは、本陣《ほんじん》の周囲に立つ幡《はた》が大きくなびき出すのを見て、この土地の長老たちから確かめた通りに天候が変化しているのを知った。
「強獣《きょうじゅう》部隊への強襲《きょうしゅう》……いかがかな」
ドレイクは、鎧《よろい》の止め金具を確かめながら、地上の開戦が近いことを周囲の者に告げた。
「いいかっ! 敵の数を見て攻撃《こうげき》するんだ! ガダの矢は多くねぇんだぞっ!」
ビダは、何度も部下たちに言い、ハバリーの気がたたないようにと、一人一人の粉の使い方と餌《えさ》の与《あた》え方を見てまわった。
周囲には、まだ、低い雲が垂《た》れこめて、数本の篝火《かがりび》がその夜営地を示していた。
いまのビダは、部隊を任されたことで自尊心を満足させる心境ではない。
ギィ・グッガに譴責《けんせき》されたことが、実感として了解《りょうかい》 できたからである。
一人の兵の立場と違《ちが》って、他の者を働かせることが、これほど面倒《めんどう》なものとは思っていなかった。ナハという女戦士を蹴倒《けたお》した時に、想像していた以上なのである。
だからと言って、いまさら逃《に》げ出す心境にもなれなかったのは、空から攻撃《こうげき》をするということが、過去のどのような経験より、快感を得られるものであることが、分っていたからである。
「ビダは、どこかっ!」
本陣《ほんじん》から、伝令の男が走って来た。
「ここだっ!」
「ギィ・グッガが、出ろと言っている。機械に機械がやられたんだ。急げ!」
「機械がやられた? ヘレナァかブラバか?」
「ブラバだ」
「チッ! やられたのかい?」
言いながらも、ビダは、ブラバがやられたという話を実感できなかった。
勝つ相手がいなくなったということは、その死んだ姿でも見なければ、信用できるものではないからだ。
「分ったよ。おーいっ。手前等、出かけるぞ!」
ビダは、そう言った時に、雲を震《ふる》わせるようにして接近するドーメの音を聞いた。
「まさかな……?」
こんなに視界が悪いのに、攻撃《こうげき》をするとは思えなかったが、だからと言って、ブラバが戻《もど》って来るとも思えなかった。
「俺《おれ》は、陣に帰る」
伝令はそう言い残すと、猿《さる》のように岩場を走って霧《きり》に消えようとしたが、その伝令を隠《かく》す乳白色のものが、ムラッと動いて見えた。
『雲が動いているか……』
ビダは、そう感じた。
「おいっ!」
ビダは、接近するドーメ部隊の音に、部下に発進を急がせようと声を張った。
と、スルスルと目の前の霧が流れて、山の影《かげ》が見えた。
「ウ……?」
ビダは、自分のハバリーの前に走り、腰《こし》に吊《つる》した革袋《かわぶくろ》から白い粉を取り出すと、ハバリーの嘴《くちばし》の先に塗《ぬ》りつけるようにした。
「行くぞ!」
ビダは、ハバリーの首のつけ根に飛び跨《またが》って、手綱《たづな》を引いた。
霧《きり》がザーッと音を立てるように、流れた。
「飛べっ! 敵が来るっ!」
ビダは左右に呼ばわり、ハバリーを浮上《ふじょう》させた。
それが間違《まちが》いと言えぱ、間違いだったのである。
ビダに続いて、数頭のハバリーが飛んだ。
それが、偵察《ていさつ》を続けていたキサ・ハンドワの指揮するドーメ部隊に気づかれた。
一度やり過ごしておけば、防戦をする間を手に入れられたかも知れなかった。
「右下っ! ハバリーの群っ!」
キサ・ハンドワ麾下《きか》のドーメ部隊は、ハバリーの『巣《す》』に向って一気に降下をかけた。
ドウッ!
ガダの爆弾《ばくだん》が投下された。
その素早い攻撃《こうげき》で、そこに翼《つばさ》を休めていたハバリーの数頭が即死《そくし》した。
「雲に逃《に》げろっ! 上から回りこんで攻撃だっ!」
ビダは、続く数頭のハバリーと共に脱出《だっしゅつ》したものの、まだまだ雲の晴れきらない状況《じょうきょう》である。続くハバリーも、四散するだけだった。
「逃がすかよ!」
調子に乗ったマンダサン・トレゾーンは、黒い爆煙《ばくえん》のなかから逃げ出すハバリーの一頭を追尾《ついび》すると、フレイ・ボンムを斉射《せいしゃ》した。
「当った!」
「まだだっ!」
ギャン!
そのハバリーは一方の翼《つばさ》を焼きながら一回転すると、マンダサンのドーメに体当りをするように嘴《くちばし》をたててきた。
「ウワッ!」
しかし、マンダサンは、使える二本のアームをハバリーに向けて斉射して、それを撃墜《げきつい》した。
「無事かっ!」
マンダサンは、左右のクルーに呼びかけて、自分が深追いしたのではないかと反省しながら、ドーメを上昇《じょうしょう》させた。
ドスン、と機体が揺《ゆ》れた。
「味方機が上にっ!」
ブリッジは、再度の激震《げきしん》に動揺《どうよう》した。
「よく見張れっ!」
その怒声《どせい》は、雑音まじりの無線からのものだった。
「ハッ! ハッ!」
マンダサンは、レシーバーに頭を下げるようにして、ブリッジのクルーに監視《かんし》を命した。
「……それと、向うの機体の損傷も観測!」
息をついたマンダサンは、ようやく『バーン様が動く時間は稼《かせ》げたはずだ……』と思いついて、先頭のキサ機に随伴《ずいはん》する位置についた。
「砲車《ほうしゃ》部隊、出いっ! 前には、敵の空飛ぶ機械はいないっ!」
ギィ・グッガは、ドラゴ・ブラーの首に跨《またが》ると本陣《ほんじん》の上空を遊弋《ゆうよく》して、全軍に号令した。
背後のハバリーの動きがないことから、それを待つのをやめて、全軍の進撃《しんげき》を開始させたのである。
その軍の最前線が、砲車部隊である。
それは、旋回砲《せんかいほう》二門を搭載《とうさい》した小型の馬車で、その数、百と数輌《すうりょう》あった。
これこそ、ギィ・グッガの独創である。
それが、進軍を開始した軍の左右から中央に突出《とっしゅつ》するように発進したが、初めは、ドレイク軍の注意を引くものではなかった。
一列縦隊の馬車が左右から走り出したとしても、それを同時に一望できる場所はどこにもないからである。
それを個々に目撃《もくげき》した部隊も、単純な突撃《とつげき》部隊と想像したにすぎない。
「野砲《やほう》部隊に、馬車を狙撃《そげき》させろ!」
そんな無理な注文が前線から、後方の野砲部隊に伝達されたが、それは無視されて、その馬車の列が接近するにつれて、前線に配備されている野戦砲《やせんほう》で迎撃《げいげき》を始めた。
しかし、野戦砲の数は少なく、前装砲《ぜんそうほう》である。素早い迎撃などできるものではなかった。
「敵が仕掛《しか》けました!」
「馬車による突撃《とつげき》です」
「馬車には、数百のガロウ・ランが乗って、第一陣として、吶喊《とっかん》してきます」
「砲撃《ほうげき》による突破《とっぱ》をかけて来ます!」
ドレイクの陣に次々と入る報告は、錯綜《さくそう》し始めた。
「ドーメの観測は!?」
「ハッ! 敵本隊の移動は遅《おく》れています。馬車の列が、砲撃を仕掛けているということであります」
「馬車が砲撃だと?」
「馬車に野砲を装備《そうび》して、突撃してくるようです」
「フム……道具を前に出すか……」
ドレイクは、ギクッとした。
「ガロウ・ランは、肉弾戦《にくだんせん》を旨《むね》とすると信じていたが、してやられたかな?」
「ハッ……意外であります」
「どうする」
「ギィ・グッガ、かなりの準備をしたようでありますな。ドーメ部隊を引き上げさせて、迎撃。聖戦士のカットグラにも督促《とくそく》させます」
ラバン・ドレトも、自分の不安を否定しなかった。
「第一線は、固定。敵の本隊と戦闘《せんとう》距離《きょり》に入るまでは、後退させません。全滅《ぜんめつ》しようとも、です」
「それで良い。敵、本隊にたいして野砲が仕掛けられるまでは、我慢《がまん》させい」
ドレイクは、ラバンの言葉を受けて、そう命令した。
ギィ・グッガの馬車に装備した砲は、それほど威力《いりょく》があるものではないのだが、馬車と砲の組合わせは、ドレイク軍の兵には衝撃《しょうげき》的だった。
前線を恐慌《きょうこう》が襲《おそ》おうとしていた。
「狙撃《そげき》できないっ!」
「ガダを投げろっ!」
「射《い》よっ! 射よっ!」
中央軍は、左右から前進した砲車《ほうしゃ》部隊が、ジグザグに走りながら侵攻《しんこう》するにつれて、後退する気配を見せた。対処《たいしょ》の方法が見つからないのである。
砲車の列が、ドレイク軍の中央に突撃《とつげき》を敢行《かんこう》する動きを見せた。
あと一息で、中央軍が崩《くず》れる時になって、ビダの部隊を強襲《きょうしゅう》したドーメ部隊が、その先陣《せんじん》に狙撃《そげき》を開始して、砲車の脅威《きょうい》が消失するかに見えた。
ドーメのフレイ・ボンムで、十数|輌《りょう》の砲車が撃破《げきは》されれば、誰《だれ》でもそう思うだろう。
ドレイク軍の中央は、ドーメの掩護《えんご》で立ち直るかに見えた。
「うおーっ!」
「押《お》し返せっ! 元の位置に戻《もど》れっ!」
ドレイク軍の揺《ゆ》り戻しが始まった時だった。
ガロウ・ランの面目《めんぼく》躍如《やくじょ》たるギィ・グッガの作戦が、ドレイク軍の前に現れたのである。
ドレイク軍は、右にグリンナ川を見て布陣《ふじん》していた。
異変は、まずこの川の沿岸から始まった。
濁《にご》った河面《かわも》を隠《かく》れ蓑《みの》にしたガロウ・ランの精鋭《せいえい》部隊が、忽然《こつぜん》とドレイク軍の右翼《うよく》を襲《おそ》い、さらに、本隊とドレイク軍の間に伏《ふ》せていた。
信じられないほどの数のガロウ・ランが立ち上がったのである。
文字通り、ガロウ・ランは地に伏せていたのである。
岩に擬《ぎ》した被《かぶ》り物、革に似せた羽織り物、時には草そのもの、土そのものを背負ったガロウ・ランたちが、ドレイク軍の第一線部隊の目の前で、疾走《しっそう》する砲車の勢いに合わせるように、襲いかかったのである。
「うおーっ!?」
「ガロウ・ランだ!」
「いたっ!」
ドレイク軍の兵たちは、数メートル前からバッタのように突進《とっしん》するガロウ・ランたちの剣《けん》と槍《やり》の前に、血飛沫《ちしぶき》を上げた。
阿鼻叫喚《あびきょうかん》……。
腕《うで》が飛び、転がる兵の上に次の兵の血が投網《とあみ》のように拡《ひろ》がり、その間を影《かげ》のようにガロウ・ランの男女の兵が走った。
そして、その崩《くず》れに向って、砲車《ほうしゃ》が数条の筋になって突進《とっしん》した。
このゲリラ的な奇襲《きしゅう》で、なんとか支えようとしていたドレイク軍の中央に、明らかな崩れが見えた。
こうなると、ドーメ部隊は、味方が厚く集まる場所に攻撃《こうげき》をすることはできない。
さらに、二度目の攻撃である。
各ドーメのフレイ・ボンムの撚料が切れ始めた。
「ドーメ各機! 順次後退して補給!」
キサ・ハンドワは、血に染まりつつある戦場の上空で、そう命令せざるを得なかった。
それと交替するように、補給を終えたジョク機が、戦場に舞《ま》った。
しかし、羽根のなくなったジョク機は、低速では機体が安定せず、味方の中に飛び込む形になった砲車を狙撃《そげき》することは難しかった。
「ギィ・グッガが、ここまで考えていたとは思いたくない。陸軍が混乱すれば、オーラ・マシーンなどは飾《かざ》り以下になる……」
その思いは、ジョクもドレイクも同じであった。
さらに、ドレイクの失敗は、野砲《やほう》を歩兵部隊の後ろに置いたことにあった。
ショットの話を鵜呑《うの》みにして、野砲の射程|距離《きょり》の大きさを前提にした地上の近代戦の布陣《ふじん》を、ドレイクが新奇《しんき》な作戦として受け入れてしまったのである。
間違《まちが》いであるにしても、非難することはできない。
人の知識というのは、このようなものだ。
すすんだ地上世界の文物を取り入れることで革新を目指し得ると夢想《むそう》したドレイクにとっては、当然、予見の困難な問題であった。
ギィ・グッガの本隊が予定の地点に進出するまでは、野砲は砲火《ほうか》を開くことはできないのである。
「野砲の狙《ねら》いを中央射線に移動! 弾着《だんちゃく》観測ドーメを固定させいっ!」
ドレイクはそう命じ、自ら兜《かぶと》を手に取って、かぶった。
しかし、ギィ・グッガは、そんなドレイクの動揺《どうよう》など想像もしない。
自らの目で敵陣《てきじん》を遠望できるまでの高度を取った時に、ドーメとカットグラが、地上軍にたいして、曖昧《あいまい》な動きを始めたと見て、快哉《かっさい》を叫《さけ》んだ。
「……そうだろうよ……」
敵味方が入り乱れてしまえば、上空からの攻撃《こうげき》はできるものではない。
ギィ・グッガは、自分の跨《またが》るドラゴ・ブラーの高度をとると、
「進めい! 敵軍の中央が崩《くず》れた! 敵軍を左右に分断しつつ、全滅《ぜんめつ》させいっ!」
その命令が頭上からふりまかれると、銅鑼《どら》がうち鳴らされ、ギィ・グッガ直掩《ちょくえん》部隊から合図の花火が打ち上げられた。
ガロウ・ランたちは、歓呼の声をあげた。
「ウオーッ! ウッオオーッ!」
ガロウ・ランたちの雄叫《おたけ》びが、平原を津波《つなみ》のように走った。
ドッ! ドッ!
竹で編んだ板の上に革を張った楯《たて》を持った歩兵の第一線部隊は、密集隊形を取って、前進する速度をあげた。
それが横隊で、三つの層に分れ、その間にある騎馬《きば》隊《たい》も、歩兵と歩調を合わせて地を鳴らした。
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交錯《こうさく》する人の群の上に、長い血の尾《お》をひいた手首が飛び、また跳梁《ちょうりょう》する人の間に落ちて行った。
「キョーホッ! ホーッ」
「トァーッ!」
「ヌアーッティ!」
混戦のなかで、ガロウ・ランの奇声《きせい》が天をうつと、ドレイク軍の兵士の手首が飛び、脚《あし》が折れるのだ。
その前方で、道を拓《ひら》くようにギリギリと進む砲車《ほうしゃ》は、左右と前方に旋回砲《せんかいほう》を打ちこんで、ドレイク軍を枯《か》れ木のようになぎ倒《たお》した。
さらに、その攻撃《こうげき》をまぬがれた者も、砲車の車輪につけられた槍《やり》に巻きこまれて、ボロ布のように吹《ふ》き飛ばされた。
退《さが》るにしても、うしろからは味方の軍勢に押《お》されて、十分な間合を取ることができない兵は、押し寄せるガロウ・ランの凶刃《きょうじん》の前に倒れた。
勝てると信じている時のガロウ・ランは、圧倒《あっとう》的に狂暴《きょうぼう》で強い。
ドレイク軍の中央部は、うしろからの味方の壁《かベ》に挟《はさ》まれて、味方同士のいがみ合いまでが始まっていた。
その隙《すき》をつくガロウ・ランと砲車とゲリラたちは、縦横《じゅうおう》無尽《むじん》にみえた。
縦と横にドレイク軍は分断されるかにみえた。
ジョクは、掩護《えんご》のドーメを付けることなく再発進したが、軍の中央部の動揺《どうよう》に、息を呑《の》んだ。
戦場からは、味方の最後のドーメも、補給で引き返すところだった。
「あそこかっ」
意気込んだジョクにも、味方のなかに滑《すべ》りこんだ敵の砲車を、フレイ・ボンムで攻撃することはできなかった。
それに、羽根のないカットグラでは、狙撃《そげき》もできない。
「…………!」
中央の陣《じん》に接近しながら、ジョクは迷った。
敵の砲車《ほうしゃ》は、四筋に分れてドレイク軍を掻《か》き分けるように、兵をなぎ倒《たお》して前進していた。
時に、後続の砲車が前に出るのは、先頭の砲車の弾丸《だんがん》がなくなったからだろう。
そのようなガロウ・ランの隙をつこうとする組織的な抵抗《ていこう》は、ドレイク軍にはみえなかった。
「好きにするっ!」
ジョクはカットグラの左手に剣《けん》を持たせると、一|輛《りょう》の砲車の上に飛び降り、カットグラの剣で御者《ぎょしゃ》を払《はら》うようにして、荷台をカットグラの脚《あし》で蹴飛《けと》ばした。
グワラン!
砲車が横転した。
いったんカットグラの脚を接地させてから、ジャンプする。
横転した砲車の上に、後続の砲車が乗り上げていく。
「よしっ!」
ジョクは、カットグラを隣《とな》りの列の砲車に向けると、落下に加速をかけるようにオーラ・ノズルを噴《ふ》かした。
「不憫《ふびん》だがっ……!」
旋回砲《せんかいほう》になぎ倒《たお》されるドレイク軍の頭上をかすめて、ジョクは、カットグラの剣《けん》で砲車を曳《ひ》く馬に斬《き》りつけた。
ドウッ!
馬の首から血が散り、一頭の馬が倒れれば一方の馬もよろけて、荷台が馬に乗り上げるように横転していった。
「うわーっ!」
荷台に乗る数人のガロウ・ランが転げ落ちた。
後続の砲車《ほうしゃ》がカットグラに気づいて、その旋回砲《せんかいほう》をカットグラに振《ふ》り向ける。
「レーダー追尾《ついび》ほどではあるまいっ!」
ジョクは喚《わめ》き、カットグラの脚《あし》を歩兵の間に着地させると、カットグラの上体を低くかがめ、次の砲車に向けてジャンプさせた。
左右上下に走る砲火《ほうか》の間を潜《くぐ》るようにして、カットグラが飛び、剣が一|閃《せん》二閃して、砲車を撃破《げきは》した。
カットグラの働きは、少なくとも砲車の脚を止める効果はあった。
最後尾の数台の砲車は踵《きびす》を返して、後退をみせた。
「とどまれっ。敵軍はまだ出てこない。陣《じん》を崩《くず》すなっ! 盛《も》り返せっ!」
ジョクは、砲車を横転させては、そう叫《さけ》んだ。
まるで、源平《げんぺい》合戦じゃないかと思いながら、ハッチから身を乗り出して、地上にひれ伏《ふ》し、怯《おび》える兵たちに怒鳴《どな》っては、次の砲車を捜《さが》してそれを撃破した。
「騎兵《きへい》、前へ出いっ! 兵たちを導け!」
何度目かに、騎兵部隊と接したジョクは、ハッチから大音声《だいおんじょう》に呼びかけた。
「聖戦士《せいせんし》殿《どの》の呼びかけに遅《おく》れるなっ! 前へ! 前へ出いっ!」
動揺《どうよう》して後退をかけようとしていた騎兵たちが、ようやく愁眉《しゅうび》を開き、狼狽《ろうばい》をやめようとした。
それを見るやジョクは、さらに前に出て、右翼《うよく》に侵攻《しんこう》する砲車の列に突進《とっしん》をかけた。
ジャンブし、敵の旋回砲をかい潜り、一|輛《りょう》また一輛と砲車を撃破、殲滅《せんめつ》した。
「前へ! 陣《じん》を崩《くず》すなっ!」
ジャンプのたびにジョクは、ギィ・グッガの本隊が、ジリジリと前進して来るのが見えていたのだ。
中央部分の後退を、これ以上させるわけにはいかないのだ。
この時になって、カッと昼のオーラの光が地とに降りそそいで、カットグラの巨体を際立たせた。
またもジャンプしたジョクのカットグラは、後退を始めた砲車《ほうしゃ》にも剣《けん》をふるった。
「前へっ! 剣を取れる者は前へっ!」
そう左右に絶叫《ぜっきょう》した。
が、そのジョクの絶叫する間《ま》が、隙《すき》になった。
敵味方入り乱れての戦場のなか、二人のガロウ・ランの若者が、ジョクのカットグラの腰《こし》に取りついたのだ。
彼等は、鉄鉤《てつかぎ》のついた細紐《ほそひも》をカットグラの腰部《ようぶ》に引っかけると、ジョクの方へとよじ登り始めたのである。
が、カットグラはまたジャンプした。
二人のガロウ・ランは、息を詰《つ》めて、カットグラの機体に貼《は》りついていた。
ジョクは、弾丸《だんがん》切れで後退を始めた砲車を、背後から蹴散《けち》らして、今度は、カットグラを振《ふ》り向かせて、カットグラの剣を使った。
「ここで食い止めないとっ、本隊を殲滅《せんめつ》できないっ! 者共っ、前へっ!」
「うおーっ!」
オーラの陽光のなか、仁王《におう》立《だ》ちしたカットグラから発せられるジョクの言葉に、ドレイク軍の騎兵《きへい》たちは後退をやめ、呼応した。
その時、ハッチの下に登ったガロウ・ランの二人が、ジョクの立つコックピットの前に、ヌッと姿を現した。
「ウッ!」
足下から味方の軍を見下ろしていたジョクには、その近くに迫《せま》ったガロウ・ランに気づく間はなかった。
なによりも、まさかと思える敵の存在は、ジョクの識別能力を奪《うば》っていた。
ジョクの右側から飛びこんだガロウ・ランは、短剣《たんけん》でジョクの顔面を狙《ねら》った。しかし、機体にかじりつく無理な姿勢から斬《き》りつけたので、勢いがなかった。
ガロウ・ランは、足場を確保するだけで精一杯《せいいっぱい》だった。
下からの剣がジョクの左ふくら脛《ぱぎ》を斬った。
ジョクは、痴呆《ちほう》のようにシートに倒《たお》れこんだ。
ガロウ・ランの手にした短剣《たんけん》が、キラと光るのを見て、ようやく敵がカットグラの機体にとびこんできたのだと分った。
ジョクは、右脚《みぎあし》を使ってそのガロウ・ランの攻撃《こうげき》を回避《かいひ》し、同時にカットグラの上体を前に倒すようにした。
いきなリカットグラがおじぎをするように動いた。
そして、さらにカットグラは、膝《ひざ》をついた。
「ゲウッ!」
左のガロウ・ランが、数メートルの高さから地に落ちた。
ジョクは脚を踏《ふ》んばって身体《からだ》を支え、もう一人のガロウ・ランは、コックピットに身体の半分をつっこんで、身体を支えた。
「…………!」
ジョクは、右手をシートの横にまわして、短剣のサックを探りながら、カットグラを立たせた。
右前に身体を支えていたガロウ・ランが、ジョクの前で左によろけた。
「チェッツ!」
それでもそのガロウ・ランは、短剣を持ち直すようにして、刃先《はさき》をジョクに走らせた。
かなりの使い手である。
シャッ! シャー!
その剣の刃が、空で音をたてた。
ジョクは、左手の操作だけでカットグラの身体を右に揺《ゆ》すりながら、上体を前にかがめ、ガロウ・ランの刃先を避《さ》けて、右手に持った短剣の刃を前に出していた。
ジョクの刃先に、ガロウ・ランの身体が跳《は》ね飛んできた。
ゴブッ!
冷たい感触《かんしょく》だった。
が、ガロウ・ランの短剣《たんけん》はまだ生きていた。
ジョクは、左手を頭の上に上げて、ガロウ・ランの右脇《みぎわき》をこじ上げながら、右腕《みぎうで》で支える短剣で、ガロウ・ランの身体《からだ》を受け止めていた。
カットグラの上体は、一瞬《いっしゅん》自由落下をして、右肘《みぎひじ》が地にくいこんでとまった。
その反動で、ジョクもシートから離《はな》れて、ガロウ・ランと一緒《いっしょ》に、地に放り出された。
その間、ジョクは右腕が血でたっぷりと濡《ぬ》れていくのを感じた。暖かいのではなく、冷《さ》めていく感触である。
これは、戦慄《せんりつ》的で慣れることはない。
ジョクは、ガロウ・ランの身体を下にして地に落ちた。
その時、ジョクの短剣がガロウ・ランの肉と骨の間で、吸い取られていくような粘《ねば》っこい感覚に捕《とら》われた。
「ベッ!」
激《はげ》しい不快感と血の感触から早く離《はな》れたいために、ジョクは右手を振《ふ》るようにして立ち上がった。
「うおーっ!」
「聖戦士《せいせんし》殿《どの》っ!」
「やったぁーっ!」
喚声《かんせい》が、ジョクの前で起った。
ジョクは、右手の血を振り払《はら》いながら、顔を上げた。
そこには、ドレイク軍の全将兵がいるのではないかと思えるほどであった。
彼等は、ジョクとガロウ・ランの戦闘《せんとう》の成り行きを、息を詰《つ》めて見守っていたのである。
数人の兵が、数騎《すうき》の騎兵《きへい》が、駆《か》け寄って来た。
「聖戦士殿っ、お怪我《けが》はっ!」
ジョクは、
「とどめは刺《さ》しておく必要はないな?」
やや強がりながら、騎士《きし》たちと地に仰向《あおむ》けに倒《たお》れているガロウ・ランを見比べた。
「結構でしょう。聖戦士殿の傷の手当てっ!」
一人の騎士が、背後に呼ばわった時に、ジョクは、左脚《ひたりあし》の傷が初めてズキンと頭まで響《ひび》いて、思わず尻餅《しリもち》をついた。
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ヘレナァのカットグラがある陣地《じんち》は、まだ雲が晴れていない。
彼女は、干肉《ほしにく》をかじりながら、捕虜《ほりょ》たちの働きが、間違《まちが》いないものかチェックするのに忙《いそが》しかった。
それにミュランが、ついて回った。
「この筋肉が、腕《うで》を動かすか?」
「だから、ちゃんとバイオ・リキュールを補給しないと、動きが悪くなるのさ」
ヘレナァにしてみれば、ミュランに講釈《こうしゃく》ができるのは、悪い気持ちではない。
しかし、ニーがいなくなったことは、気に入らなかった。
「監視《かんし》が悪いんだ。女たちは、どこに行ったんだよ!」
「戦争に行った。こんなところでは、身体《からだ》中に黴《かび》を生えさせるってよ」
整備台の下から、カンドワ・ナザムが怒鳴《どな》った。
カンドワの周囲は、彼の直系の部下だけになっていた。
「そうだよ。今|頃《ごろ》はさ、コモンの血の臭《にお》いを嗅《か》げるってのにさ」
さすがに、ヘレナァはこの部分ではガロウ・ランであった。ろくな戦闘《せんとう》もしないで、補給に戻《もど》らなければならなかったカットグラの状態に、腹を立てているのである。
「こいつらの大将がいれば、仕事はもう少し早かったんじゃないの!?」
ヘレナァは、カットグラの羽根のつけ恨を調べるイットーの尻《しり》を叩《たた》いた。
「なんです?」
「急げっての」
ヘレナァは、ブラバのドーメがああも簡単に撃墜《げきつい》されたことで、いらだっていた。
「機械はあるではないかっ! 急げっ! ギィ・グッガは、ドラゴ・ブラーで出た!」
喚《わめ》きながら馬で走りこんできた伝令には、カンドワたちが遊んでいるように見えたのであろう。
「カンドワ! 主《ぬし》は、いまの戦争を知らんか」
「伝令の癖《くせ》に、なんて口のききようだっ!」
「ギィ・グッガの直轄《ちょっかつ》部隊だぞ! 俺《おれ》はっ!」
伝令は、馬でカットグラの前まで乗り人れると、整備中のカットグラを見上げてから、
「怪我《けか》をしてねぇのに、なんで出られねぇんだ」
カットグラの損傷のことをそう言った。
「手前っ!」
「軍令は絶対だぁ! 出ろよ! 機械を動かす者は、どいつだ」
「軍はどうなった!」
「進軍を始めたんだ! だからギィ・グッガが出た!」
「カットグラで何をやれってんだよ!」
カンドワは、伝令の馬の轡《くつわ》を取った。
「触《さわ》るなよ!」
「なにっ!」
「出いっ! 機械、出いっ!」
整備台でイットーたちを見張っていたガロウ・ランたちまでが、バラバラと伝令の周囲に飛び降りていった。
「気に入らねぇ野郎だな」
「なんだよっ!」
「機械は、何をやるか決めてもらわなくちゃ動けねぇ。御大将《おんたいしょう》はそんなことは知っているぞ。何をしろって言った」
「バカかっ! コモンをやるんだよ! コモンをっ!」
「手前、どこの洞《ほら》の者だ」
「関係ねぇだろっ」
カットグラの足下で、ガロウ・ランたちのつまらないいさかいが始まった。
「イットー、マッタ、来い! トレン!」
キチニ・ハッチーンだ。
「ン……?」
カットグラの背後にいたイットー・ズンは、整備台をまわって、マッタ・ブーンがコックピットにもぐりこむのを見た。
「逃《に》げるのか!?」
カットグラの足下の方の整備台から、トレン・アスベアが登って来た。
「ああ……!」
イットーがコックピットに潜《もぐ》りこもうとした時、マッタはハッチの一方を閉じ始めた。
キチニは、シートに座ってガラリアのイニシャルの入ったキーをまわした。
「出来るか?」
最後にトレンが、コックピットに上がって、這《は》いずるようにして、マッタの脚《あし》の下にもぐりこんだ。
「戦争は始まっているんだぞ!」
そんな伝令の声が下でした時、カットグラのオーラ・ノズルが吠《ほ》えて、砂塵《さじん》が舞《ま》い上がった。
「あ……!?」
「なんだ!?」
「コモン人!」
ガロウ・ランたちがうろたえる一瞬《いっしゅん》、カットグラの機体が垂直《すいちょく》に上昇《じょうしょう》して、垂《た》れ下がった網《あみ》をかぶるようにした。
カットグラの頭上では、ベキベキと梢《こずえ》がへし折れた。
カン! ズン!
数本の槍《やり》が、カットグラの爪先《つまさき》に当って跳《は》ねたが、カットグラの二本の脚は、木々の間に消えるように上昇した。
カンドワは、その姿が消えると知るや、
「貴様《きさま》だ! 偉《えら》そうな貴様のおかげで、こんなことになっちまった!」
言葉が終らないうちに、カンドワは、剣《けん》を伝令に振《ふ》り下ろしていた。
剣は、伝令の脚を縦に斬《き》り裂《さ》いて、馬上から落ちるところをさらに斬り上げていった。
伝令は肩《かた》まで斬り上げられて、絶命するのは間がないと知れた。
「どうするのっ。カンドワ、どうする!」
ヘレナァは、自分がパイロットであることを忘れて、カンドワの腕《うで》に取りすがった。
「知るけぇっ! 機械がなくなっちまったんだ。機械がっ」
カンドワは絶叫《ぜっきょう》し、ヘレナァを振《ふ》り払《はら》いながら剣《けん》を地に叩《たた》きつけると、伝令の馬の轡《くつわ》を取った。
「どこに行く!」
「ギィ・グッガに報《しら》せんだろうっ。バカ共|奴《め》!」
拍車《はくしゃ》を馬の横腹にくれるとカンドワは、伝令の来た方向に向って一気に駆《か》け出していった。
「ミュラン!」
ヘレナァは振り返って、呆然《ぼうぜん》自失しているミュランを見やった。
「ミュラン! どうした」
「……これな……これ……空を飛べなくなっちまった……」
ミュランは、手にしたマニュアルをヘレナァに示した。
「なんでここに来たか分んなくなっちまった」
「取り返せぱいいんだよ。取り返せばっ!」
「そんな簡単なことじゃねぇ。それは、手前《てめえ》、知ってんだろ?」
「…………」
ミュランの洞察《どうさつ》に輝《かがや》く言葉は、ヘレナァに、刺激《しげき》的な言葉に聞えた。
「そうだよ……一度、離《はな》れていっちまった機械は、戻《もど》らない。どうすんのっ!」
「ギィ・グッガの声が聞えねえところに逃《に》げるのさ。そうしねぇと、空は飛べねぇ」
「逃げる?」
「カンドワは、そうしたろう?」
ミュランは、カンドワの去った方に顎《あご》をしゃくってみせてから、ヘレナァの手を取った。
「…………?」
「お前《めえ》はいい女だ。お前が言ってくれなければ、俺《おれ》は……考えがまとまらなかったぜぇ」
ミュランは、ヘレナァの手を取ると、ひょいと引いた。
「ミュラン!」
「悪いようにはしねぇ」
ミュランは、先の目論見《もくろみ》があるわけではない。
しかし、ここにいれば、ギィ・グッガの怒《いか》りの制裁を受けるのは間違《まちが》いなかった。
かと言って、ガロウ・ランの噂《うわさ》は矢よりも早く走る。なまじの国に逃げたのでは、逃げおおせるものではなかった。
「……ウンニャ、うまくいくって……!」
ミュランは、陣《じん》のなかでウロウロするガロウ・ランたちの様子をうかがいながら、ヘレナァの蚊帳《かや》に近寄った。
「荷物は、少ない方がいい。逃げるぜ!」
「ああ、ああ……!」
ヘレナァは、蚊帳のなかから、ひとつ荷物を持ち出すと、ミュラン・マズのあとに従って、森のなかに姿を消した。
「行ける! 行けるぞ!」
山の端《はし》まで上昇《じょうしょう》したカットグラのなかで、捕虜《ほりょ》だった四人は、喚声《かんせい》を上げていた。
「軍が動いている!?」
「……戦争か……」
雲の切れ出したジャプハルの平原は、ムラムラと移動する軍勢の蠢《うごめ》きに満たされているかのように見えた。
その煙《けむり》のような部分にときおり、パッと黒いものが噴《ふ》き上がっていた。
「行けるな。この高度で直線飛行すれば、味方の陣《じん》までは行ける」
マッタは計器を覗《のぞ》きこんで、そう断言した。
「重量過多だが、大丈夫《だいじょうぶ》か?」
イットーとトレンは、信用していない。
「無線で呼びかけないと、味方にやられるぞ! この機体の色だ……」
「……無線は使えないっバッテリーがあがっている」
イットーは、何度か無線のスイッチを操作したが、投げ出してしまった。
「鉱石無線なら、電池がなくったって、受信できるはずだぜ?」
「アンテナ線と接続してなければ無理だ。この機体、擦《す》り傷だらけだからな」
イットーは、レシーバーを耳に当てて、絶望的に言った。
「キチニ、味方の砲撃《ほうげき》にやられないように、前線を飛び越《こ》えて、味方の向うのどこかに着陸しろ。そうすれば、間違《まちが》えられることはない」
「なんで、フレイ・ボンム・ライフルを持たせなかったんだ」
「そんな間があったか!」
狭《せま》いコックピットに押《お》しこめられた四人は、キチニ以外は、シートとコックピットの壁《かべ》の隙間《すきま》に、貼《は》りつくように立つしかないのだ。
「監視《かんし》にこれだけの目があれば、心配ないってもんだ」
マッタは、囃《はや》すように言った。
「……あの時、ジョクのカットグラがニーを救うような動きをしたが、無事かな?」
「それは間違いがない。聖戦士《せいせんし》のやることに、落ち度はない」
イットーの言葉に、キチニとマッタは、前方の戦況《せんきょう》を観察しながら、そう断定した。
「そうだな。そうさ」
イットーは、耳をレシーバーから離《はな》さずに頷《うなず》いた。
「それは、そう信心していいさ。確認できるまではな」
トレンは、三人の気分を逆撫《さかな》でするような言い方をした。
「あのな。味方の陣地《じんち》に着くまでに死ぬかも知れねぇんだ! 覚悟《かくご》しときなっ!」
キチニは、トレンに怒鳴った。
「機体の震動《しんどう》が取れない。もう少し加速して!」
イットーはそう言って、キチニを制した。
「男|臭《くさ》いんだもンな。いらつくさ」
トレンの茶化しようは、三人の感情をますますいらだたせた。
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ギィ・グッガに、ジョクの働きが正確に観察できたわけではない。
しかし、砲車《ほうしゃ》が後退してくるにつれて、ドレイク軍の中央に出てきた人型の飛行物体、カットグラの働きがはっきりとしてきて、ギィ・グッガは、嫌《いや》な感覚を思い出していた。
「気に入らねぇ……」
ドラゴ・ブラーに跨《またが》る銀色の板金鎧《いたがねよろい》を着たギィ・グッガは、低空を滑空《かっくう》させるようにしては、各部隊を監視《かんし》し、督励《とくれい》した。
前方のドレイク軍の動きを見る時には、やや高度を取って、オーラ光にその銀色の鎧を輝《かがや》かせた。
その光景は、怪異《かいい》で力がある軍隊のものに見えた。
攻《せ》められる側から見れば、これほど恐《おそ》ろしい光景はないだろう。
しかし、その怪異の象徴《しょうちょう》であるギィ・グッガは、カットグラの働きが分るにつれて、あの呪《のろ》うべき感覚を思い出していた。
『……!? 俺《おれ》の足に剣《けん》を刺《さ》したチビか!?』
ギィ・グッガは、片目まで潰《つぶ》された敵の匂《にお》いと、あの時のジョクの身体《からだ》の動きをすべて思い出すことができた。
肉体の卑小《ひしょう》さに似合わない胆力《たんりょく》は、ジョクを捕《とら》えて、マンタラーの餌《えさ》にしようとした時から分っていた。
コモン人《びと》ではないとも分っていた。
しかし、トレン・アスベアと同じ地上人《ちじょうびと》とは思えなかった。ギィ・グッガは、トレンには、そんな力を感じなかったからだ。
しかし、あの淫乱《いんらん》な妖精《ようせい》、サラーン・マッキが呼び寄せた地上人のなかには、そのような力を持った戦士がいるという噂《うわさ》は聞いていた。
「地上人は、不思議な技術を持っているという。でなければ、霧《きり》のなかを飛べるわけはねぇし、ここで踏んばるわけもねえ……ヘレナァはどうしたんだ」
ギィ・グッガは、進軍する軍の背後を見やったが、その上空には、黒のカットグラの姿はなく、数頭のハバリーの群が接近するのが見えた。
「ビダ! 遅《おせ》ぇな……」
ギィは、その数が少ないのを気にしながらも、進軍する軍の脚《あし》の方が気になった。
進軍を促《うなが》す銅鑼《どら》のリズムは早くなり、騎馬隊《きばたい》は、ややもすると駆《か》け足になった歩兵を、追い越しそうになった。
歩兵は、いまは、裸馬《はだかうま》を前にして走っていた。
いや、裸馬ではない。その背には、小さな筵《むしろ》に包まれた荷がくくられていた。
その隊形は、奇妙《きみょう》に見えたが、ガロウ・ランらしいとも思えた。
馬を楯《たて》にして、その陰《かげ》から突撃《とつげき》を掛《か》ける隊形に見えた。
「来るぞ! 機関砲《きかんほう》!」
崩《くず》れを立て直しつつあったドレイク軍の中央では、数門の機関砲が前に出て、ガロウ・ランの進軍に備えた。
ジョクは止血《しけつ》を終えると、騎上《きし》たちの声に送られて、カットグラのコックピットに座ろうとした。
その時である。
「野砲《やほう》! 砲撃《ほうげき》開始である!」
ドレイク・ルフトの命令が花火の打ち上げによって、後方の野砲部隊に告げられ、砲撃が開始された。
「…………!?」
ドラゴ・ブラーから砲撃の白い煙《けむり》を目撃《もくげき》してギィ・グッガは、一瞬《いっしゅん》、嫌《いや》な予感にとらわれた。
「出い! 馬を出せ!」
しかし、そういう時に限って、命令が実行されるまでに時間がかかった。
ドウッ!
ドボッ!
ギィ・グッガの軍の前面で、土くれが塊《かたまリ》になって噴《ふ》き上がった。
なまじの数ではない。
密集隊形を作るガロウ・ランの軍は、その土の塊が噴き上がるたびに、十の数を越《こ》える兵が空に舞《ま》った。
「なんだ!?」
ギィ・グッガは、絶句した。初めて背中に悪寒《おかん》が走った。
野砲《やほう》は、無数に近い砲弾《ほうだん》をギィ・グッガの軍に降らせ続けた。
ギィ・グッガに、幸いなことがあるとすれば、砲弾の炸薬《さくやく》がガダほど強力な火薬でなかったことである。
「ヌウッゥッ……!」
ギィ・グッガは呻《うめ》き、
「ビダ! 前へ! 後ろの大砲《たいほう》を叩《たた》けっ!」
ようやくドラゴ・ブラーと並《なら》ぶ体勢になったビダに、ギィ・グッガは叫《さけ》んだ。
「おうっ!」
ビダは、生き残った十数頭のハバリーを引き連れて、矢のようにドレイクの軍の後方に飛んだ。
その間も、ギィ・グッガの軍は、銅鑼《どら》を打ち鳴らして突進《とつしん》をかけた。
まだ、崩《くず》れるまでにはなっていない。むしろ、火薬の爆発《ばくはつ》にあおられるようにして、ガロウ・ランの走る速度は早くなった。
「火をかけろいっ!」
しかも、その頃《ころ》になって、ようやくギィ・グッガが発した命令が実行に移された。
「馬に火をかけろっ!」
「馬だっ!」
そして、歩兵の前を走っていた馬たちが、黄色や白い煙《けむり》を背負って、次々にガロウ・ランたちの歩兵集団から離《はな》れて、ドレイク軍に突進《とっしん》を開始した。
それを見たドレイク軍に、またも恐慌《きょうこう》の叫《さけ》びがあがった。
「馬に火がついている!」
「気をつけろ! 矢っ! 弓を射ろっ!」
馬は、背中の荷を弾《はじ》けさせて、煙幕《えんまく》に似た濃《こ》い煙《けむり》の尾《お》をひき、口から泡《あわ》を噴《ふ》いて、突進してきた。
数頭の馬が倒《たお》れたぐらいで、後続の馬の進路をくいとめられるものではなかった。
「煙のうしろからガロウ・ランが寄せるぞ!」
悲鳴が上がった。
背中には、炎《ほのお》は見えないのだが、濃《こ》い煙は地に這《は》い、馬をかりたてた。硫黄《いおう》らしいものを背負わせているのだろう。
「機関砲《きかんほう》!」
「弓ぃっ!」
「来たぞっ!」
ドレイク軍の最前線にある数門の機関砲は、ハバリーの突進を無視して、馬と歩兵を狙《ねら》った。
火を背負う馬、最前列を走るガロウ・ランの楯《たて》の壁《かべ》を機関砲はなぎ倒していったが、どこに防戦を集中するというわけにもいかない。
しかも、背後にドレイク軍の野砲《やほう》の爆撃《ばくげき》が集中して、ガロウ・ランたちは、煽《あお》られるようにして攻《せ》め寄せた。
「うッオーッ! オーッ!」
「押《お》せぇ! 押せやいっ!」
ガロウ・ランの軍が吶喊《とっかん》の声を上げ、仲間の屍《しかばね》を乗り越《こ》えて津波《つなみ》のように押し寄せて来た。
「長槍《ながやり》部隊!」
ドレイク軍の林立する槍が水平に構えられ、楯《たて》が前後左右を固めて、ひとつの小隊が亀《かめ》のようになった。
が、火を負った馬がその甲羅《こうら》に突進して、守りを揺《ゆ》すった。
ドガーン!
ついに、馬の一頭が背中の火薬を爆発《ばくはつ》させた。ドレイク軍のなかに土煙《つちけむり》と血の雨が舞《ま》い上がった。
次々と、馬の背中が爆発して、いくつかの小隊がそれでチリヂリになった。
「銃《じゅう》を持つもの前へ! 騎馬隊《きばたい》、迎撃《げいげき》戦闘《せんとう》!」
それは、歩兵集団の背後に控《ひか》える騎士《きし》たちの群である。
「来るぞ!」
「騎兵戦! 歩兵! 縦になれっ!」
「槍の陣形《じんけい》っ!」
ドレイク軍に走ったその新しい命令は、悲鳴に聞えた。
硫黄《いおう》の臭《にお》いが地を這《は》い、その異臭《いしゅう》が恐慌《きょうこう》と感情の激発《げきはつ》を呼んだ。
歩兵たちのなかには、衝動《しょうどう》的に後退するものもいたが、ガロウ・ランの放った硫黄を背負う馬の流す煙《けむり》が低く地を遮《さえぎ》って、壁《かべ》になった。
そして、突然《とつぜん》、目の前でその馬が四散する。
「歩兵! 縦になれっ! 槍の陣形だっ!」
さらに、騎兵たちの号令が、歩兵の背後を遮断《しゃだん》した。
「前だ! 前から突破《とっぱ》して、戦場から逃《に》げるんだ!」
兵たちの呼び合うそんな言葉も不謹慎《ふきんしん》には聞えなかった。歩兵たちは、突撃《とつげき》隊形の細い縦の陣形に変えながら、左右前方に楯《たて》を立てて、押《お》し出していった。
その間を、騎兵《きへい》が、長槍《ながやり》をかかえて突進《とっしん》を開始した。
騎士、誇《ほこ》り高く戦う者。
一般《いっぱん》の兵たちが逃げ出しても、それは平民ゆえに許される。しかし、いやしくも騎士たる者は、血を恐《おそ》れることなく戦いに臨む。
故に、彼等は貴族に準ずる者なのである。
ただし、戦功を得て、地位と賞金を得てからの話である。でなければ、誇《ほこ》りを飾《かざ》ることはできない。
しかし、この戦いの結果、アの国に、騎士たちに与《あた》える恩賞はなかった。それが、この後のアの国の行く道を誤らせるのであるが、ここでは措《お》く。
ドレイク軍の展開に合わせて、ガロウ・ランたちの方も、先頭の歩兵集団の隙問《すきま》を縫《ぬ》うようにして、ギィ・グッガの主戦力の騎馬《きば》部隊が繰り出していた。
噴《ふ》き上がる砲撃《ほうげき》などは、まったく関係がなかったような勢いに見えた。
無傷に見えるガロウ・ラン騎馬部隊は、山津波《やまつなみ》に似た重い馬蹄《ばてい》の音を、たっぷりと水を吸った平原に響《ひび》かせて、ドレイク軍の第一線に襲《おそ》いかかった。
ドッと左右から喚声《かんせい》が上がった。
そして、より以上の血が大地に撒《ま》き散らされていった。
その戦場の東側にあるゲサンの丘《おか》の中腹では、バリスタの用意を終ったバーンが、飛べないカットグラを前にしていた。
「始まったようですな?」
鎧《よろい》を着《つ》けての山歩きは、ハラスには、さすがにきついようだった。
大きく息をつくと、
「まだ時間があるでしょう。武将ストランドが運んでくれた弓の確認をしますか?」
地図をバーンの足下に開いて、ストランド・スケルトンが運んでくれた三基の弩《いしゆみ》の位置を示した。
「無駄《むだ》と思いますが、最後の一基はここ、丘《おか》とジヤハサールの森の縁《ふち》に置きました」
「時間がなかったか……いいだろう。戦場ではなにが起るか分らんよ」
バーンは、残りの二基がドレイク本陣《ほんじん》に近い野砲《やほう》の後方に位置しているのを見て、自分が引いて来たものが、最も有効だろうと思った。
「その弓な。バリスタではないのか?」
「はい、カタパルトの方です。歴史的|代物《しろもの》で、威力《いりょく》は保証できません」
「まあ、いいさ、気休めにはなる」
バーンは、明るいオーラ光が、湿《しめ》った彼の総髪《そうはつ》を軽くしてくれるのが快《こころよ》かった。
左右から激突《げきとつ》した中央部は、ザワザワと蠢《うごめ》いて、その後方で土煙《つちけむり》が上がり、その上空を飛び抜《ぬ》けていくハバリー部隊も、ゴマのように見えた。
「…………」
バーンはようやく乾《かわ》き始めた髪《かみ》に、革兜《かわかぶと》をかぶるのは気がすすまなかったが、用意をする時間だと思った。
「行きますか?」
「ああ、そろそろな」
バーンは、カットグラのコックピットに登る木の梯子《はしご》にかけた革兜を取って、それを頭にのせた。
「ご武運を……!」
「お前たちにも!」
バーンはそう言うと、スルスルと梯子を登って、カットグラのコックピットに入った。
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ドレイク・ルフトは、難しい顔をして馬に跨《またが》ると、ラバンたちの方を見やった。
「決まらんな。ギィ・グッガもやるものだ。ハバリーが野砲《やほう》部隊にまわった」
「こちらに来ますかな?……ドーメ部隊はどうした? 迎撃《げいげき》させい」
ラバン・ドレトは、無線兵を怒鳴《どな》り散らし、近衛兵《このえへい》が、ドレイクの周囲を固めた。
「ギィ・グッガ奴《め》……人海戦術という単純な仕掛《しか》けでなかったのが驚《おどろ》きです」
近衛兵の隊長マタバ・カタガンが、せせら笑うように言った。
「いや、違《ちが》うな。ガロウ・ランの城攻《しろぜ》めは巧妙《こうみょう》だったという歴史があるぞ?」
「そうでありますが……」
マタバは、ドレイクに頭を下げながらも、兜《かぶと》の調子を見るように頭を振《ふ》った。
ドレイクは、自分の布陣《ふじん》を過信していた部分を、認めざるを得なかった。
むしろ、ジョクの働きが、ガロウ・ランの動きをよく食いとめたと承知していた。
「ドーメが出ました」
「結構である」
ドーメの補給が終れば、この第二波で、後方の乱れは、阻止《そし》できるのではないかと思えた。
「聖戦士《せいせんし》殿《どの》のカットグラが、ハパリーを三頭|撃破《げきは》です」
「ウム……野砲部隊には、その位置で砲撃《ほうげき》を続けさせよ」
ドレイクは、両軍が四つに組んで、戦場が膠着《こうちゃく》したことを知った。
「左右のガロウ・ランの動きは?」
「右翼《うよく》は、コントラ・スーン将軍より、潰《つぶ》し合っているということであります。バーナ湖の方は、オーラ・マシーンの掩護《えんご》が効果を発揮したようです。敵を殲滅《せんめつ》しました」
「結構だ。ドーメの第一部隊は、ババリーの殲滅! 第二部隊は、ギィ・グッガの正面、後方を叩《たた》かせいっ!」
「ハッ!」
ドレイクは、馬首をまわすと即席《そくせき》の堰堤《えんてい》に登ろうとしたので、近衛《このえ》部隊が口々に止めた。
が、ドレイクはそれらを聞き流して、戦場を望遠鏡で観察した。
「右翼の軍が、ゲサンの丘《おか》を越《こ》えて来ることはあるまいな」
「それは、あり得ないでしょう」
マタバ・カタガンは、ドレイクと馬を並《なら》ぺ、自ら身体をもってドレイクの楯《たて》になる心積りを示す。
「聖戦士殿は、ハバリーを駆逐《くちく》しつつあるが、ハバリーが見えなくなったら、聖戦士殿には、コントラの掩護に……いや、あれは、ドラゴ・ブラーか? ドラゴ・ブラーが一頭見える」
「ハッ? ドラゴ・ブラー?……一頭だけだとすれば、それは……ギィ・グッガでありますか?」
「らしいな。聖戦士には、あれを討たせねばならんが、できるのか?」
「伝達させます」
野砲《やほう》部隊が、発射するたびに砲を後退させて、次の発砲《はっぽう》をしなければならなかったのは、ガロウ・ランの前進に合わせているからである。
どうしても、自由が利かなかった。
そこに、ビダのハバリーの攻撃《こうげき》があれば、それは、一方的な撃滅戦《げきめつせん》になるところだった。
しかし、ジョクのカットグラが、阻止《そし》に入った。
ビダは、それを知ると、カットグラに攻撃をかけてきた。
ジョクにとっては、慣れ始めた敵である。
しかし、ジョク機も自由ではなかった。フレイ・ボンム・ライフルは、二射しただけで、発射できなくなった。
あまつさえ、カットグラの左肩《ひだりかた》にガダの至近|爆発《ばくはつ》を受けて、一度は、脚《あし》をすべらせてしまった。
しかし、ドーメの掩護《えんご》がくるにおよんで、ビダは少ない戦力で空中戦を継続《けいぞく》できなくなったことを知った。
「チッ!」
ビダは、大きく引くとドーメ一機ずつに攻撃をかけようと、ハバリーを集結させた。
そのため、ドレイク軍の野砲《やほう》部隊は盛《も》り返して、ついに、その砲弾《ほうだん》は、ギィ・グッガの目前にまで、降りそそぐ結果になった。
「畜生《ちくしょう》ぉーっ!」
ギィ・グッガは、目の前の軍勢が足踏《あしぶ》み状態になって、さすがに怒《おこ》った。
ドラゴ・ブラーを駆《か》った。
ギィ・グッガを乗せたドラゴ・ブラーは、ドレイク軍の中央にその強獣《きょうじゅう》の口腔《こうこう》から火焔《かえん》を放射して、敵味方の兵と騎兵《きへい》を焼いた。
しかし、これでドレイク軍の中央に縦に穴が空けは、ガロウ・ランたちは、ドレイク軍を分断できるはずだった。
そのドラゴ・ブラーの奮戦は、ガロウ・ランを奮《ふる》い立たせ、ドレイク・ルフトを怯《おび》えさせたからだ。
「あれか……!?」
ドレイクは、呻《うめ》いた。彼は、望遠鏡にギィ・グッガの狂暴《きょうぼう》な様相を見てしまったのである。
「あれがギィ・グッガ……。ガロウ・ランをたばねる者か……」
ドラゴ・ブラーの濃緑色《のうりょくしょく》の胴《どう》とたてがみに包まれたギィ・グッガの銀色の髪《かみ》と板金鎧《いたがねよろい》は、オーラに輝《かがや》いて、その存在を絢欄《けんらん》と飾《かざ》った。
そして、ドラゴ・ブラーの口から吐《は》き出される炎《ほのお》の量は、ドーメのフレイ・ボンムのような一瞬《いっしゅん》のものではない。
滝《たき》のようにドレイク軍の騎士《きし》たちの上に降りそそいで、数百の騎士を焼くのである。
「ドレイク様……」
「うっむ!」
ドレイクは、後退を決した。
ギィ・グッガの次の攻撃《こうげき》目標が、自分の陣《じん》であるのは、一目瞭然《いちもくりょうぜん》だった。
そして、ドーメと交戦していたビダは、部下のほとんどをやられ、この空域での戦いが意味がないと分って、後退をかけようとした。
その時になって、ギィ・グッガの突出《とっしゅつ》を見た。
「ギィ・グッガが!?」
その派手で圧倒《あっとう》的な竜《りゅう》の舞《ま》いを見れば、これで戦いにケリがつくと思うのは、当然であろう。ビダは、一気に高度を下げて、ギィ・グッガを掩護《えんご》するように、ハバリーの翼《つばさ》を大きくはばたかせた。
ビダは、カンドワやミュラン、ヘレナァとは違《ちが》って、まだまだギィ・グッガとやっていけるという期待があった。
ガダを装備《そうび》した矢も、まだ数本残していた。
「ン!? ヘレナァか?」
ドラゴ・ブラーに接近して、ビダは、黒のカットグラがドラゴ・ブラーの向うから接近するのを見た。
『遅《おそ》いじゃねぇか!』
そう思った。
しかし、そのカットグラは、キチニが操縦するものである。
そのコックピットの四人が、なぜドラゴ・ブラーに接近する気になったかは、明白である。
ただカットグラを捕獲《ほかく》して帰投しただけならば、ニーを忘れて帰った責任を取らされるだろうと思いこんでいたからだし、キチニにしてみれば、トレンの悪態《あくたい》に反発したい気持ちもあった。
「やめろっ! こっちは、定員オーバーなんだぞ!」
「大丈夫《だいじょうぶ》だ! 竜《りゅう》には無線はない。俺《おれ》たちがカットグラを奪《うば》ったなんて、ギィ・グッガに聞えちゃいない」
キチニとマッタは、トレンの制止にそう反発した。
彼等のカットグラのただひとつの武器が剣《けん》であっても、不意に仕掛《しか》ければドラゴ・ブラーを討てると信じた。
キチニは、機体の震動《しんどう》に耐《た》えながら、自軍の上を舐《な》めるように飛ぶドラゴ・ブラーに接近した。
「キチニ!」
「気づいていないっ」
キチニは、カットグラの剣を前に構えさせて、ドラゴ・ブラーの長い胴《どう》を視界|一杯《いつばい》に見た。
「ン……?」
ガロウ・ランの領袖《りょうしゅう》、ギィ・グッガは、目前で敵の騎士《きし》が次々に焼かれ転げる光景に、久しぶりの興奮を味わっていたが、勘《かん》は鈍《にぶ》ってはいなかった。
逆であった。
自分の戦果をドラゴ・ブラーの胴越《どうご》しに振《ふ》り向いて見れば、そのギィ・グッガの視界のなかに黒いカットグラが見えた。
「ヘレナァ?」
そう思ったのは一瞬《いっしゅん》にすぎない。その挙動を妙《みょう》だと感じた。
「ドラゴォッ!」
ギィ・グッガのぶ厚い大腿部《だいたいぶ》が、ドラゴ・ブラーの首を締《し》め上げると、急速に上昇《じょうしょう》させた。
カットグラの動きが、直線的だった。
その動きから、ギィ・グッガは、味方でないと感じたのだ。
「ウッ!」
キチニは、全速力で接近して、カットグラの剣を振《ふ》った。かすめたと思った。
が、次には、四人が押しこめられているコックピットが、パッと紅《あか》くなった。
「あうっ!」
一瞬《いっしゅん》だったが、その紅い光から抜《ぬ》け出た時に、カットグラはより以上の振動《しんどう》に揺《ゆ》すられた。カットグラの背中の羽根が、すべて焼き払《はら》われたのだ。
「キチニっ! 上っ!」
マッタとイットーが絶叫《ぜっきょう》した時は、遅《おそ》かった。
ドウン!
激霞《げきしん》がカットグラを見舞《みま》った。
ドラゴ・ブラーの尻尾《しっぽ》が、カットグラの胴《どう》を打った。マッタとイットー、トレンの身体《からだ》が、コックピットのなかで躍《おど》った。
キチニも太腿《ふともも》を押《おさ》えるシート・ベルトで、大腿部《だいたいぶ》の骨を折るのではないかと思った。
「アフッゥッ……グッ!」
奇妙《きみょう》な声が、キチニの耳元でした。左にいたマッタが、顎《あご》をシートの背もたれで打ったのだ。
イットーとトレンは、シートとコックピットの壁《かベ》の隙間《すきま》に落下したようだった。
キチニは、構っていられない。
「何くそぉーっ!」
上昇《じょうしょう》をかけて、カットグラの剣《けん》を振《ふ》るった。
サーッと銀色に輝《かがや》くものが下に流れた。ギィ・グッガだ。
キチニは、それは分った。
しかし、カットグラを急速に降下させて、その輝く者に剣で攻撃《こうげき》をかけるにしては、キチニの体力は不足していたし、カットグラは、重かった。
ギシッ!
目の前に迫ったドラゴ・ブラーの胴が、カットグラの機体を擦《す》るようにして巻きついたように思えた。
ベキンッ! 何かが折れた。
「キチニっ!」
「や、やっているじゃないかっ!」
ガクッ!
カットグラの機体が放り出された。それは、ギィ・グッガの余裕《よゆう》が見せる攻撃だ。
「フッ……! ヘレナァではない。誰《だれ》かい?」
ギィ・グッガは、空中によろけるカットグラの機体を眺《なが》め、ビダのハバリーが接近したのを見た。
「とどめだよ!」
ギィ・グッガの口のなかの言葉が、ビダに聞えたかのようだった。
ビダは、ガダを装備《そうび》した矢をカットグラに走らせた。
ガダは、カットグラの左腕《ひだりうで》を直撃《ちょくげき》して、爆発《ばくはつ》した。
コックピットのキチニは、失神は免《まぬが》れたものの、レバーを握《にぎ》っていた手を離《はな》してしまった。
キチニは、走る空と後退するドラゴ・ブラーの姿を見た。
地に揉《も》み合うガロウ・ランとドレイク軍が、恐《おそ》ろしい速度で近づいてくる。
マッタとキチニ、トレンは、人形のようにコックピットの壁《かべ》に押《お》しつけられ、やがて気絶した。
「……ああ……!?」
人の姿が拡大して、地上に横になった馬の姿を識別した時に、カットグラは、右肩《みぎかた》から大地に激突《げきとつ》して、その脚《あし》を空に向って静止させた。
そのカットグラの首が折れ、首がドズッと地にめりこんだ。
「ビダッ! 良くやった」
ギィ・グッガは、誉《ほ》めることを忘れない。
ビダは、矢をつがえた弓を持つ片手をギィ・グッガに振《ふ》ってみせた。
「フフフ……」
しかし、ギイ・グッガは、それ以上、味方に意識を流すことはしない。
ギィ・グッガは、ドレイクの幡印《はたじるし》のやや左から接近するカットグラの影《かげ》を見ていた。
あれこそ、あの『チビ』である。
もっとも油断がならず、もっとも許し難い敵だ。
確かに、コモン界で限って言えば、ドレイク・ルフトという強力な敵が、目の前にいるのは承知していた。
それを叩《たた》けば、戦争に勝つという理屈《りくつ》は分っているのだ。しかし、
「敵は、こやつのみ!」
ジョク機にたいする、その感情の激発《げきはつ》は、肉体が本来持っている本能的な怨念《おんねん》が、ギィ・グッガの意思と感性をジョク機に集中させたためのものだった。
ドラゴ・ブラーは、その主《あるじ》のために喉《のど》を鳴らし、肺腑《はいふ》を律動《りつどう》させて、翼《つばさ》の震動《しんどう》を激《はげ》しくした。
ギィ・グッガは、意思をジョクに集中させたために、右横下から、もう一機のカットグラがジャンプをしながら、接近して来るのには気づかなかった。
バーン・バニングスである。
飛べないながらも、カットグラの一番機である。
アの国にあっては、もっとも秀《すぐ》れた騎士《きし》が操縦するカットグラを、やはりビダが発見して、迎撃《げいげき》しようとした。
「フン……」
バーンは、そのハバリーとドラゴ・ブラーの動きをしっかりと見据《みす》えていた。
ビダは、その飛べないカットグラを格好《かっこう》の獲物《えもの》とほくそ笑んで、ガダを放った。
バーンは、その矢を横に飛んで避《さ》け、上昇《じょうしょう》するためにハバリーがもっとも速度を落したところを、フレイ・ボンム・ライフルで狙撃《そげき》した。
「ウ……!?」
ビダのハバリーは、その一撃《いちげき》のフレイ・ボンムに包まれて、紅蓮《ぐれん》の炎《ほのお》のなかに翼《つばさ》をよじった。
ビダの身体《からだ》は、大きく空に弧《こ》を描《えが》いて落下し、数度、地にバウンドした。
炎《ほのお》とともに落下するハバリーを楯《たて》にするようにして、バーンは、カットグラを大きくジャンプさせた。
しかし、まだドラゴ・ブラーには距離《きょり》があった。
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バーンは、ジョクが黒いカットグラに呼応して接近したので、焦《あせ》っていた。
しかし、混戦状態である。
騎馬隊《きばたい》の頭上、歩兵が刃《やいば》を交える間を跳躍《ちょうやく》するしかなかった。時には、味方の兵たちを蹴散《けら》らす結果もあった。
「ここはいただくっ! ジョク! 退《さが》れっ!」
バーンは、無線を開いてジョクに呼びかけながら、カットグラのジャンプから落下して行く速度の遅《おそ》さに腹を立てた。
しかし、コックピットに座るバーンの思いとは違《ちが》って、彼のカットグラの出現は、ドレイク軍を力づける結果になった。
「カットグラだ! バーン様のカットグラが復帰なさった!」
「行けいっ! バーンに続けぇっ!」
口々に呼び合うのは、騎士《きし》たちである。
騎馬隊に力がつけば、それは必然に、歩兵のための道を拓《ひら》くことになる。
ドレイク軍は、個々の戦いのなかで、粘《ねば》りを見せ始めた。
ジョクは、フレイ・ボンム・ライフルの調子を直すと、フレイ・ボンムをドラゴ・ブラーに発射して、ギィ・グッガの目をドレイクの本陣《ほんじん》からそらそうとした。
突然《とつぜん》、ジョクは、ギィ・グッガが自分のやろうとしていることを、予測するのではないかという恐怖《きょうふ》にとらわれた。
「あいつ!」
「こいつ奴《め》ぇっ!」
ギィ・グッガは、ジョク機を凝視《ぎょうし》して、その挙動の細部まで識別した。
だから、ギィ・グッガには、次の攻撃《こうげき》がどのように来るか読めたのである。
三度の攻撃を避《さ》けながら、ジョクのカットグラの懐中《ふところ》に飛びこむように、ドラゴ・ブラーの口から炎《ほのお》を吐《は》かせた。
ドラゴ・ブラーに比べれば、圧倒《あっとう》的な機動力があるはずだが、ジョク機の動きは、緩慢《かんまん》だった。
「肝腎《かんじん》な時にっ!」
火焔《かえん》を、カットグラの爪先《つまさき》に受けた。
「チッ!」
掠《かす》り傷だったが、ジョクの方がギィ・グッガよりも、感清に支配されていた。
ドラゴ・ブラーの姿を見て、ジョクは、大学の後輩《こうはい》、田村《たむら》美井奈《みいな》を思い出さないわけにはいかなかった。
「くそーぉっ!」
ジョクは、再度攻撃をかけようとして、ドラゴ・ブラーに上にまわられた。
下に回避《かいひ》する。横に移動しても逃《に》げられるのに、ジョクはそうしなかった。
ギィ・グッガに魅入《みい》られたのかも知れない。
「チーィッビ奴《め》ッ!」
ギィ・グッガは、ドラゴ・ブラーに火焔を放射させながら、自ら手にした弓を放った。
手練《しゅれん》の早業《はやわざ》である。
ギィ・グッガの身体《からだ》は、水平状態になっているのに、落ちるようなことはない。
ドウッ!
「うわっ!」
ジョクは、激震《げきしん》のなか一瞬《いっしゅん》、気を失ったが、ガラガラとコックピットが揺《ゆ》さぶられるので気づいた。
地が回転していた。
「フンムッ!」
地に激突《げきとつ》するのだけは避《さ》けられた。カットグラは、一度|跳《は》ねるようにして転がったが、まだ、動けた。
この程度のことで、カットグラは死ぬことはない。
「黒いカットグラが、味方になった様子を見せた。奪還《だっかん》したのだな?」
「ハッ! ニー・ギブン殿《どの》は、ケルムド殿の陣《じん》に収容されました。残りのキチニ、マッタ、イットーのいずれかでありましょう」
「三人が協力してであろう」
ドレイクはその時、トレンの名前を忘れていた。
その言葉をかわす間に、ジョクのカットグラが撃墜《げきつい》された。
「ギィ・グッガ、ガロウ・ランをたばねる者よ……」
ドレイクは、呻《うめ》いた。
ドレイクの望遠鏡は、次のカットグラ、バーンを捕《とら》えていた。
ギィ・グッガが、ジョクの攻撃《こうげき》で高度を下げすぎたことが、バーンにとっては、幸いだった。
「バーンが仕掛《しか》ける……」
「ハッ?」
ドレイクの左右の者が、一斉《いっせい》に戦場の上に目を凝《こ》らした。
「……カットグラ、飛べないというのに、機械の性能をよく使いおる」
ドレイクは、感嘆《かんたん》した。
バーンのカットグラは、地を舐《な》めるドラゴ・ブラーの尻尾《しっぽ》に、かじりつくようにしたのだ。
「どうする?」
ドラゴ・ブラーの尻尾の方から、バーン機のフレイ・ボンムが発射されて、ドラゴ・ブラーの頭を狙《ねら》った。
「やりますな……」
望遠鏡を手にする将軍たちは、呻いた。
「これで、勝つな」
「…………!?」
「軽率か?」
「ハッ、戦争は、終るまで分りません」
「教科書のようなことを言う。勝つよ」
ドレイクは、望遠鏡から目を離《はな》さずに言った。
バーンが、第一射を我慢《がまん》した上で放ったのは、必殺を期したからである。
しかし、それが外れた。
カットグラの左腕《ひだりうで》は、ドラゴ・ブラーの尻尾《しっぽ》を抱《だ》いているためにドラゴ・ブラーは自由にできず、立つようにして宙に飛翔《ひしょう》しようとした。
「エエイッ!」
第二|撃《げき》も外れた。
逆にギィ・グッガの矢が放たれた。
ギィ・グッガは、カットグラとともにドラゴ・ブラーを爆破《ばくは》しても良いと決心したのである。
はずれた矢は戦場に落ちて、多くの兵を殺傷した。
「機械かっ! 機械っ!」
ギィ・グッガの三射目が地で爆発《ばくはつ》し、バーン機がよろけた。
ドラゴ・ブラーの尻尾が地に流れて、騎兵《きへい》を倒《たお》した。
バーンは、味方の歩兵小隊のなかで踏《ふ》みとどまった。
「ライフルが!」
バーンは、カットグラの右手に持っているはずのフレイ・ボンム発射機が、なくなっているのに気づいた。
バーンは、カットグラに剣《けん》を抜《ぬ》かせた。
「しゃらくさいンだよぉ!」
ギィ・グッガは、ドラゴ・ブラーに白い粉を撒《ま》き与《あた》えながら、ガダの矢を三本手にし、一本つがえた。
連射の構えである。
「…………!?」
ドラゴ・ブラーの首すじに跨《またが》る銀色の鎧《よろい》が輝《かがや》いた。
バーンは、ここにいては危いと本能的に感じた。
だが同時に、予定通りに自分の作戦地区に、ギィ・グッガを誘《さそ》いこむしかないと決心し、カットグラを背後にジャンプさせた。
『しかし、この方位にあるカタパルトは調べていない』
嫌《いや》な思いである。
弩《いしゆみ》の威力《いりょく》を疑うのではなくて、命をかける武器を、自分で点検していなかったという不安だ。
矢音が聞えた。
ギィ・グッガの使う弓は、尋常《じんじょう》なものではないのであろう。
バーンは、退《さが》り、右に移動した。
『これ以上の距離《きょり》を置けば、ギィ・グッガはドレイク様の陣《じん》に突《つ》っ込む』
バーンは、さらに移動したが距離は取れなかった。
むしろ、ドラゴ・ブラーのつっ込みの速さに、ゲサンの丘《おか》まで持たないと分った。
バゥッ、バ!
二射がきて、それはバーンの背後、すなわち、ドレイクの陣の右方数百メートルのところで爆発《ばくはつ》した。
「やるっ!」
カットグラに剣《けん》を使わせようと思ったが、オーラ・ノズルが便えないのでやめた。
ドウッ!
「うわっ!」
バーンのカットグラの左腕《ひだりうで》の先が、消し飛んだ。
構っていられない。後退をかけた。
「弓はっ!?」
野砲《やほう》部隊が左に見ながら、走った。
背後のジヤハの森の陰《かげ》、そこに弩、カタパルトがあるはずだ。
「いかんっ!」
バーンには、ドラゴ・ブラーが空中で跳躍《ちょうやく》したように見えた。
ドブッ!
赤い炎《ほのお》が、コックピットの前面をおおった。
カッと熱気が襲《おそ》う。
『駄目《だめ》かっ』
バーンは、熱に焼けるコックピットの前の透明《とうめい》の甲殻《こうかく》から目を離《はな》さず、最後のジャンプを左に試みた。
森の木が、やや横に見えた。
「弓はっ!」
さらに、剣《けん》を持った手を軸《じく》にして、カットグラの機体を回転させた。
それを追ってギィ・グッガのガダの矢が爆発《ばくはつ》する。
土くれの塊《かたまり》が、噴《ふ》き上がって壁《かぺ》になってくれた。
「よしっ!」
カットグラは地面を走った。
森の陰《かげ》に巨大な弩《いしゆみ》があった。足下から数人の兵が逃《に》げ出すのが見えた。
カタパルトには、鉄か鉛《なまり》の塊が装備《そうび》してあるはずだ。そう信じた。
バーンは、カットグラを振《ふ》り向かせた。
雨のように降る土砂を突《つ》き抜《ぬ》けるようにして、ドラゴ・ブラーが迫《せま》り、再度、炎《ほのお》を噴いた。
カットグラは背中に炎を受けて、前に押《お》し出されるように滑《すべ》った。
「これでっ!」
バーン機は、カタパルトを押《おさ》えているロープを切った。バーンは、オーラ・ノズルが爆発するかも知れないなど忘れていた。
カットグラの機体と入れ違《ちが》いに、カタパルトが跳《は》ねて、数十の鉛の塊が、ドラゴ・ブラーに飛んだ。
「ギャーオーン!」
奇怪《きかい》な叫《さけ》びを上げて、ドラゴ・ブラーの上体が縦になり、胴《どう》がくねくねと左右に揺《ゆ》れた。
「ケッ!」
バーンは、カットグラをターンさせると、ドラゴ・ブラーの首筋に取りついているギィ・グッガの姿を捜《さが》した。
が、ギィ・グッガの銀色に輝《かがや》く鎧《よろい》は、一度、光ったものの見えなくなった。
「ウッ?」
バーンは、剣を突き出して、頭上から落ちかかるドラゴ・ブラーの頭を受けた。
その時にも、ギィ・グッガの姿はなかったと思った。
ベキッ!
一方は肘《ひじ》までしかないカットグラの両腕《りょううで》が、ドラゴ・ブラーの上体の重量を受けて軋《きし》んだ。
数本のマッスルが千切れて、カットグラの上体が沈《しず》んだ。
「うっ……!」
こんな状態をハバリーに狙《ねら》われたら、為《な》す術《すべ》はない。
バーンは、慌《あわ》ててドラゴ・ブラーの上体を押《お》し除けた。
コックピット前のハッチは、ドラゴ・ブラーの濃緑色《のうりょくしょく》の血で汚《よご》れていた。
「エエイッ!」
バーンは、勇を決してハッチを開いた。
ギィ・グッガが飛びこんでくる可能性も考えたが、ギィ・グッガと言えども、そこまでの行動はできなかったようだ。
「バーン機、ドラゴ・ブラーを仕留めた。しかし、しかし、ギィ・グッガを逃《に》がした。ジヤハの森に逃げたと思える」
バーンは、ようやく無線を使った。
その報告が、ドレイク軍にとって戦標《せんりつ》すべきものであることは、バーンには、十分に分っていた。
『強獣《きょうじゅう》などを仕留めても、それを操る者を叩《たた》かない限り、ガロウ・ランの脅威《きょうい》は終らん……』
またも自分は失敗したのではないか、とバーンは思った。
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「ハヘッ! ハハハッ……!」
ギィ・グッガの巨体は、俊敏《しゅんびん》である。
ドラゴ・ブラーから放り出されたというのに、森の木々の枝《えだ》をブレーキに使って、鎧《よろい》の重さまで減殺《げんさい》した。さらに、地に下り立つ前に、一本の枝で身を支えて、飛び降りる場所の安全まで確かめた。
下草の少ない森である。足場は良い。
しかし、コモンの臭《にお》いが充満《じゅうまん》する森の空気が、あらためてギィ・グッガの気を勃然《ぽつぜん》とさせた。
ドラゴ・ブラーをやられた屈辱感《くつじょくかん》などはない。あるのは、どう仕返しをするかだけである。
コモン人の臭気《しゅうき》を嗅《か》いで、闘争心《とうそうしん》が刺激《しげき》されたのだ。
「…………!?」
このコモンの気を吸いたくて、地界から出てきたギィ・グッガである。
もっともギィ・グッガは、近年、コモンの文物を見知り、コモンの気を吸うにつれて、ガロウ・ラン本来の陰険《いんけん》さと狂暴《きょうぼう》さを忘れつつあった。
そして、ギィ・グッガが、ガロウ・ランらしさを忘れていったのは、ショット、ジョクたちに代表される地上人《ちじょうびと》の出現と時を同じくしていた。
それは、偶然《ぐうぜん》ではない。
世界が、地に生きる者と天に生きる者をして、アの国を出会いの場所とさせたとしたらどうか。
これだけのことが、全くの偶然であると考えるのは、むしろ異常であろう。
しかし、世界は、その理由も解答も教えてくれない。
世界は、己れの語るべき言語を持たず、あくまでも、現象としてその原因と結果を示すだけである。
現象。それは、すべてを示している。
それを読みこめば、解答はいつでも得られるのが世界である。
現象の一端《いったん》の体現者は、当事者である。
しかし、当事者は、当事者ゆえに、なにごとにも客観的な座標を持つことができない。
ギィ・グッガもジョクも、アの国の人びとも、その解答に至ることはない。
世界を大観できるショット・ウェポンのような性格と学識を持ったものにもできるものではない。
そのような性格の者は、往々にして、自らの知恵《ちえ》のなかに埋没《まいぼつ》して生き過ごしてしまい、言葉で解答を示し得ても、その予測を真実なるものとして他者に伝えることはないからだ。
まして、その結果が危機的なものであるという予測はできても、それを現実のなかで回避《かいひ》しようとはしない。
なぜならば、『知』は意思の産物であって、その『知』の結果を現実に投影《とうえい》することは、アカデミズムの汚染《おせん》と考えて、自己のなかに逼塞《ひっそく》するからである。
ゆえに、大局的にものごとを洞察《どうさつ》できる者は、賢者《けんじゃ》であっても、世に関与《かんよ》することはないのだ。
結局、世を動かすのは、世を形成する普通《ふつう》の人びと、すなわち、コモンなのである。
──それはともかく、
ギィ・グッガは、妙《みょう》な音を耳にして、その方に歩を進めた。
『機械だ……』
ギィ・グッガの知るカットグラの降下音である。
その音はいまは静かで、危険は感じなかった。
意外と近い距離《きょり》に、ケルムド・ドリンの陣《じん》を木々の向うに見た。
「……!? ハハァァ……!」
整備中のドーメの姿と、降下し終ったカットグラに、ギィ・グッガは、木のわきに身をよせて、そこを観察した。
「…………!?」
自分を痛めつけた機械と同じものである。
ギィ・グッガは、怒《いか》りに全身の毛穴を開いて、武者震《むしゃぶる》いをした。
「チェッス!」
ギィ・グッガは、自分の身を寄せている木から、数本向うの木が、陣に面しているのを見て、身を低くして走った。
「ガラリア機の点険! 補給急げ!」
整備兵たちが、数挺《すうちょう》の梯子《はしご》を持ち出して、カットグラに駆《か》けよって行く姿が見えた。
牛に曳《ひ》かせた木のタラップも移動を始めた。
ギィ・グッガは、その陣に面した木に猿《さる》のように登った。
巨体を支える枝《えだ》を見極める勘《かん》はいい。
「フム……!?」
銀色の鎧《よろい》を着た巨大な男が、木に登る光景は妙《みょう》なものである。
ギィ・グッガは、よじ登った木の周囲を見廻《みまわ》した。
右手の木が、整備ブロックをおおう網《あみ》を支えているものと分った。
そこには、網を支えるローブが数本からんでいた。
「本当なのか!?」
着陸したカットグラのハッチから、ガラリアが覗《のぞ》いた。
「ギィ・グッガがこの近くに落ちたらしい!」
牛に木のタラップを曳《ひ》かせてコックピットにつけた整備兵が答えた。
ガラリアは、その木のタラップを駆《か》け降りると、整備兵たちに自機の状態を報告しながら、ケルムド・ドリンの待機する天幕に走った。
ギィ・グッガからすれば、反対の方向である。
「フンム……」
ギィ・グッガは呻《うめ》くと、シェルターの網《あみ》を支えるためのロープがからんでいる木に移動した。さすがに、ギィ・グッガの巨体を支える枝《えだ》が軋《きし》んだ。
しかし、枝が折れる前に、ギィ・グッガは、その木にかじりついていた。
カットグラに補給が始まり、梯子《はしご》と木のタラップの上の整備兵の動きが活発になった。
「オーラ・ノズル、始動!」
エンジンの低い音が起って、カットグラはいつでも、発進できる状況《じょうきょう》のようだった。
「かなりガダの至近|爆発《ばくはつ》を受けてる。装甲《そうこう》を取り替《か》えるか?」
そんな声があがった。
ギィ・グッガは、木にからんでいるロープをほどいて、その長さを見た。
「フッ……フフフ……」
カットグラとの距離《きょり》はかなりあったが、ギィ・グッガの高さもかなりのものである。
ギィ・グッガは、これこそ地に棲《す》むものの魂《たま》たちの業《わざ》と感謝した。
「……フム……」
ギィ・グッガは、ロープを握《にぎ》りしめた。ローブは、彼の巨体を支えるにはこころもとなかったが、迷わなかった。
落ちたにしても、数メートルである。死にはしない。
「すぐに出ます。ここにあるドーメも出した方がいい」
ガラリアの声が、天幕の方で聞え、ケルムドと外に出て来た。
それが、カットグラの向うに見えた。
「…………!?」
ギィ・グッガは、ロープに身を託《たく》して、カットグラに飛んだ。
その風を切る音は、整備兵たちに聞えるわけはなかった。
ロープの長さは足りなかったが、ギィ・グッガはロープで飛んだ反動で、空を飛び、牛に曳《ひ》かせた木のタラップの上に飛び乗った。
「おいっ!」
その声は、カットグラに遠いガラリアのものだった。
その時、コックピットの整備に上がっていた整備兵が、ギィ・グッガの怪力《かいりき》でつまみ出されて、放り出されていた。
「うわーっ!」
コックピットのシートに座っていた整備兵は、悲鳴を聞いて顔を上げたとたん、銀色の鎧《よろい》が、自分の方へ押《お》し寄せるのを見た。
ギィ・グッガの拳《こぶし》が、彼の顔面を砕《くた》いた。脳漿《のうしょう》がコックピットを濡《ぬ》らした。
「誰《だれ》だよっ!」
下にいた整備兵には、銀の鎧が、コックピット前のハッチを塞《ふさ》いで見えるだけで、事態を理解できなかった。
「お、おいっ!」
コックピットを塞いでいた銀の鎧が身を引いて、木のタラップの上にその姿を現した時、頭を潰《つぶ》された整備兵が、下の兵の目の前に投げ捨てられた。
「なんだ! なん……!?」
自分のわきに、いままで一緒《いっしょ》だった仲間の、死体が転がされれば、腰《こし》も抜《ぬ》けよう。
ギィ・グッガの顔を見たこともない兵であっても、その巨躯《きょく》を見上げれば、何者かの推測はつく。
ただの一兵卒の身としては、現在進行中の戦争の相手で、もっとも恐《おそ》ろしいガロウ・ランが、目の前にいることを、信じたくないだけなのだ。
牛たちは、頭上の異形《いぎょう》のものの気に怯《おぴ》えて、後退しようとしたが、重い木のタラップを押《お》し戻《もど》す力もはいらず、梶棒《かじぼう》の間で、いたずらに首を上下させて吠《ほ》えた。
「グッ! グッハハハッ……!」
血の臭《にお》いにギィ・グッガの戦闘《せんとう》意欲が昂進《こうしん》した。
周囲を睥睨《へいげい》すると、ギィ・グッガはその巨体をコックピットに背中から押しこんだ。
その時、ガラリアは剣《けん》を抜《ぬ》いて、木のタラップを駆《か》け上がっていた。
ケルムドもそれに続いた。
「ギィ・グッガかっ!」
「そうよー!」
コックピットの空間を塞《ふさ》ぐように座ったギィ・グッガは、ガラリアの剣《けん》を見ても、動揺《どうよう》する気配も見せない。
周囲の整備兵の何人かが、剣を取り、槍《やり》を持ち出し、タラップの下でウロウロした。
「チッ!」
ガラリアは、果敢《かかん》にも剣を突《つ》き出した。
ギィ・グッガは、かすかに顔を横にずらして、それを避《さ》けた。剣先が、シートのヘッドレストに食いこんで、ガラリアの動きがとまった。
「デッチッ!」
ギィ・グッガの手が、そのガラリアの腕《うで》を上に払《はら》い、ガラリアは、ケルムドの方によろめいた。
「グッフッ! ハッハッ……!」
くぐもった笑いが、ギィ・グッガから滲《にじ》み出ていた。
「ギィ・グッガかっ!?」
ガラリアの身体《からだ》を支えたケルムドは、呆然《ぼうぜん》とした。
ギィ・グッガは、ガラリアの剣をそのままに、カットグラの操縦を試みようとしているようだ。
「バカなっ!」
「銃《じゅう》だっ! ガダを射《う》ち込むのもいい! ギィ・グッガを即死《そくし》させろっ!」
ケルムドは、怒鳴《どな》った。
空手のガラリアは、さすがにギィ・グッガに、それ以上接近できなかった。
「動かせるモンかいっ!」
ガラリアは、それでも剣を奪《うば》い返せるかと、接近した。
「ガラリア様! 退《さが》って! 射《う》ちます!」
下から声が上がった。
しかし、ガラリアは、「そうかい!?」と言う、ひどく冷静なギィ・グッガの言葉を耳にしていた。
次の瞬間《しゅんかん》、ガラリアとケルムドの身体《からだ》が、空に放り出されていた。
カットグラの腕《うで》が動いて、木のタラップが跳《は》ね上げられたのだ。
木のタラップが横倒《よこだお》しになり、二人の身体が地に転がった。数挺《すうちょう》の銃《じゅう》の音がした。
しかし、その時は、カットグラは一歩前進して、次に羽根が開いていた。
「ギィ・グッガが、カットグラを動かすぞっ!」
ケルムドの天幕の下にいた無線兵の絶叫《ぜっきょう》は、ドレイク軍全体に伝えられた。
「やはり!?」
ギィ・グッガを追ったバーンも、その無線を聞きつけて、自機を森のなかに走らせた。
「まだ捕捉《ほそく》できる! しかし、ギィ・グッガが、カットグラだとっ!?」
信じられなかった。
「飛ぶっ! ギィ・グッガのカットグラが飛ぶっ!」
通信兵の悲鳴が聞えた。
バーンはジャンプをかけて、森の上空に跳《は》ねた。その十数メートル先の森の木がドッと割れて、ガラリア機が上昇《じょうしょう》した。
「あれにギィ・グッガが!?」
信じたくなかったが、縦に回転する機体のコックピットのなかに、バーンは、確かに銀色の鎧《よろい》を見た。
ギィ・グッガは、ハッチを閉じていなかった。
そのハッチが揺《ゆ》れていた。
「オーラたちよっ!」
バーンは、絶叫するだけだった。
ギィ・グッガの操るガラリア幾は、ドレイクの陣《じん》に向って飛ぶようにカーブした。
「ジョク! ガラリア機で、ギィ・グッガが飛んだ! 本陣《ほんじん》の方位っ!」
落下するカットグラのなかで、バーンは叫《さけ》びながら、ケルムドの陣近くに落下した。
そこには、立ち上がるガラリアとケルムドの姿があった。
バーンは、ハッチを蹴《け》とばして開いた。
「フレイ・ボンム・ライフルはどこかっ!」
「あっちです! あっちっ!」
銃《じゅう》を抱《だ》いた整備兵の一人が、泣きそうな顔をしながらも、網《あみ》のシェルターの一方を示した。
「ンッ!」
バーンは、ライフルをカットグラの生きている手に持たせながら、
「なんでガロウ・ランが、操縦できるんだ!」
と聞いていた。
事実と分れば、その謎《なぞ》につき当り、その理由を知ろうとするのが人であろう。
「知るか! オーラカが強いのだろう! ジャンプぐらいはさせられる」
ガラリアの捨て台詞《ぜりふ》に似た解説は、正鵠《せいこく》を射ていよう。
「…………!?」
バーンは、再度、カットグラにジャンプをかけると、森の上空に出た。
その向うには、放物線を描《えが》いて降下するギィ・グッガのカットグラが見えた。
「素人《しろうと》には無理なのだよ!」
バーンは、フレイ・ボンムの掃射《そうしゃ》を、視界を森の木々に遮《さえぎ》られて、またも歯ぎしりをした。
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「あれかっ!」
「ドレイク様! 後退をっ!」
「…………!?」
ドレイクは馬首をめぐらして、本陣《ほんじん》の高みから馬を走らせた。
その周囲では近衛《このえ》部隊が、小銃《しょうじゅう》を手にして、接近するカットグラに備えた。
「操縦しているとは思えん。うろたえるなよ!」
ドレイクは、ギィ・グッガ機を追尾《ついび》するカットグラ、ジョク機を見た。
「やれるか?」
ジョク機の損傷は深い。すでに、ジャンプするのがやっとだった。しかし、
「ここでバーンに勝っておかなければならない。あれにギィ・グッガが乗っているのなら、運がいいと思わねばっ!」
ジョクは、今日の自分の働きに不安を感じていたのだ。
しかも、ギィ・グッガを追い詰《つ》めたのは、後退したはずのバーンだった。
これでは、正規軍に位置するジョクの面目《めんぼく》などは、なくなるというものである。
「ここでバーンに成功させたら、将来、奴《やつ》の上には立てんぞ。彼には、危険な何かがあるのを俺《おれ》は知っているはずだ」
ジョクは、自分に言い聞かせた。
オーラ・ノズルが焼けかけているのを感じたジョクは、ジャンプと飛行を使い分けて、ギィ・グッガ機を追尾《ついび》した。
「初めての操縦にしては……」
ジョクは、ギィ・グッガがカットグラを操縦するのを見て、この世界の特異性を実感しないではいられなかった。
『バイストン・ウェル、人のオーラカで満たされた世界、故に、オーラ・マシーンの稼働《かどう》があり得る……』
それは、オーラ・マシーン開発のショット・ウェポンの推論である。
ギィ・グッガは、バイストン・ウェル世界の地にある者でも、力あるもの。
ならば、オーラ・マシーンを操り得る。
「冗談《じようだん》じゃないよ!」
ジョクは、ギィ・グッガのカットグラの前に回りこんだ。フレイ・ボンムを発射した。
「なんだっ!?」
ギィ・グッガの操るカットグラは、そのフレイ・ボンムをものともせずに一直線に接近した。
死ぬことなど恐《おそ》れていない風に見えた。
「あいつっ!?」
ジョクの一瞬《いっしゅん》の動揺《どうよう》が、ギィ・グッガ機に接近を許し、そのフレイ・ボンム・ライフルが、ジョク機のコックピットを殴《なぐ》りつけてきた。
ドボッ!
その衝撃《しょうげき》でギィ・グッガ機のライフルは、折れて飛び散り、ジョクの前のハッチにヒビが入った。
後退をかけながら、ジョク機は、ギィ・グッガ機の腕《うで》を掴《つか》んでいた。 ギィ・グッガ機の脚《あし》が、ジョク機の右腕を蹴《け》り上げようとした。
激震《げきしん》がコックピットを襲《おそ》い、それでもその間に、ジョクは、ヒビの入ったハッチを蹴って開いていた。
二機のカットグラは、掴みあい、そのまま、数十メートルの高度から落下を始めた。
「ギィっ!」
ジョクは、ハッチの向うにギィ・グッガのあの顔を直視して、憎悪《ぞうお》した。
「チビかっ!」
ギィ・グッガの声は、風にあおられて開いたり閉じたりするハッチの間から聞えた。
その声の勢いと同じように、カットグラの腕にも力が入った。気力を一瞬《いっしゅん》でも抜《ぬ》くと、倒《たお》される恐《おそ》れを感じた。
「貴様こそ! 地に埋《う》もれていればいいものをっ!」
「チビィーッ! ドレイク共々、貴様ぁーの命、潰《つぶ》すぜえっ!」
「こやつぅッ!」
ジョクは、シート脇《わき》に設置してある小銃《しょうじゅう》を取った。
ここまでくれば、カットグラ同士の力|押《お》しでは、ケリはつかない。
「美井奈《みいな》の恨《うら》みだっ!」
ジョクは、薄幸《はっこう》の後輩《こうはい》の名前を絶叫《ぜっきょう》しながら、銃を連射した。
しかし、チーッ! チュッ!
ギィ・グッガの鎧《よろい》に跳《は》ねる弾丸《だんがん》の音が、清冽《せいれつ》にジョクの耳を打った。
「しゃらくさい!」
ギィ・グッガは、上体を起して、自機が上になったところで、ジョク機に飛び移る気配を見せた。
「チッ!」
ようやくジャンプ走行で接近したバーン機が、落下するギィ・グッガ機の背後から、フレイ・ボンムを発射した。
グオッ!
ギィ・グッガ機をまわりこんだ炎《ほのお》が、開いたジョクのハッチを閉じさせ、ジョクの視界を奪《うば》った。
カッと熱い。
高度ゼロだった。
ジョクは、カットグラの脚《あし》を前に蹴《け》り上げた。
ギィ・グッガ機とジョク機は、もつれたまま縦に回転して地に激突《げきとつ》した。
ギィ・グッガ機が下だった。
「機械などぉ!」
ギィ・グッガは、コックピットの天井《てんじょう》に上体をぶつけていたが、その程度の衝撃《しょうげき》で、どうなるという身体《からだ》ではない。
「地の者の力ぁ……っ!」
ギィ・グッガは、左右のレバーを考えなしにゴシゴシと揺《ゆ》すった。
ギィ・グッガ機が、奇妙《きみょう》な動きを示しながら、ジョク機から離《はな》れた。
まだ稼働《かどう》するのだ。
メチャメチャな操作が、ギィ・グッガ機を地にこすれさせながらも、浮上させた。
その機体の、奇妙に脈絡《みゃくらく》のない素早《すばや》い動きには、なかにいる人の身体はもたないのではないかと思える回転運動も入っていた。
「ウッ!?」
バーンは、その動きに照準を取れずに、地に退《さが》った。
「ギィ・グッガ!?」
ジョクも機体を膝立《ひざだ》ちさせて、上昇《じょうしょう》をかけたギィ・グッガを目で追った。
「ジョク! 追えっ!」
パーンの声が、無線で入った。
「了解《りょうかい》だが……!」
ジョク機は、立っただけだ。ジョクは、ドーメ部隊を呼んでいた。
「本陣《ほんじん》の上空に集結! ガラリア機をドレイク様に寄せるなっ! その上で、ガラリア機を包囲、撃滅《げきめつ》だっ!」
ジョクの命令に応じて、ドーメ部隊のフレイ・ボンムの攻撃《こうげき》がギィ・グッガの前に、壁《かベ》となった。
そのドーメ機の動きに、ギィ・グッガは、カットグラを戦場の右翼《うよく》によせざるを得なかった。
「オーラ光っ!」
バーンはまたもその言葉、地上で言えば『神よ』に近い意味をこめた感謝の言葉を、吐《は》いていた。
ゲサンの丘《おか》にギィ・グッガ機はすべったように見えたのである。
そこには、バーンが自ら運んで来た弩《いしゆみ》、バリスタがある。
バーンは、ジャンプしながら丘《おか》に走った。
「……ドーメ部隊に撃滅させられるか!」
損傷を受けているジョク機は、すでにない。
しかし、十数機のドーメが、フレイ・ボンムとガダを仕込んだ矢を放出しながら、ギィ・グッガ機に集中|攻撃《こうげき》をかけているのである。
『やられるなよっ! ギィ・グッガ! ここは、俺《おれ》にやらせろっ!』
バーンは、すでに、コモンとガロウ・ランの戦争を忘れていた。
ここまできたのだ。
ギィ・グッガは、ドーメの集中攻撃などには負けず、ゲサンの丘に逃亡《とうぼう》しなければならないのだ。
それがバーンの望みであるが、ギィ・グッガにすれば、右翼《うよく》の部隊と合流するつもりである。
『ここまで来たのなら、俺に、やらせろっ! ギイ・グッガ!」
バーンは、ジャンプするカットグラのなかで必死に念じて、バリスタにたどり着いた。
「バーン様!」
待機していたハラスが、岩場に身を立てた。
「逃《に》げろ! 危険だぞっ!」
反射的に絶叫《ぜっきょう》しながら、バーンは、カットグラにバリスタを押《お》させて、ギィ・グッガ機の飛行予定コースに、少しでも近い場所に引き出そうとした。
「来い! 来いよっ! 地の帝王よ!」
ギィ・グッガ機は、フワッと落下して見えた。
しかし、接近していた。
「そうだ。ギィ・グッガ! 我に勝利の力を! 俺の野心は、ギィ・グッガ、貴様のものと同じだ。それを分れ! 地の帝王《ていおう》!」
バーンは、バリスタの丸太の矢を見、それが間違《まちが》いなく発射できるようになっているのを確認した。
「……来いよ!! その怨念《おんねん》、受けてやる。だから、来い!」
バーンは、カットグラをひざまずかせると、上体を低くして、バリスタの射線を水平にした。
そして、左右にドーメのフレイ・ボンムの攻撃《こうげき》を避《さ》けたギィ・グッガ機は、ついに、その射程に入った。
「受けるぞ! ギィ・グッガ! 貴様《きさま》の怨念《おんねん》!」
ギィ・グッガは、上昇《じょうしょう》し、降下した。
先頭のドーメが、バリスタの上空を通過した。
「受けいっ!」
バーンは、カットグラの剣《けん》で、バリスタの弦《つる》を固定していた革綱《かわづな》を切った。
ドウブブウッーン!
先端《せんたん》を尖《とが》らせた十数メートルの丸太の矢が飛んだ。
巨大なバリスタの弦が震《ふる》え、その音が終らない間に、矢は数十メートルを飛んで、ドーメのフレイ・ボンムを回避《かいひ》したギィ・グッガ機の胴《どう》をつらぬいていた。
コックピットの下を直撃《ちょくげき》したが、それは、コックピットそのものまで大破させたはずだ。
「やった!」
ギィ・グッガ機は、矢が激突《げきとつ》した衝撃《しょうげき》で、うしろに弾《はじ》けて、そして、落下する体勢になった。
そこに、ドーメの集中攻撃が入り、ギィ・グッガ機は、爆発《ばくはつ》した。
「クッ……!」
バーンは、カットグラの機体でその爆圧《ばくあつ》を避《さ》けたが、カットグラは震えた。
「……やったか!!……やったか……」
砕《くだ》け散ったオーラバトラーの破片がクルクルと煙《けむり》の尾《お》を引いて、落下していた。
「……無駄《むだ》ではなかった……」
バーンは、カットグラのハッチから身を乗り出して、その残骸《ざんがい》の舞《まい》を凝視《ぎょうし》し、そして、鳴咽《おえつ》した。
「ギィ・グッガ、その怨念《おんねん》、受けるぞ……」
バーンは、いましがた喚《わめ》いた言葉を、もう一度はっきりと口にした。
「うっ……! なにか……」
ドレイク・ルフトは、馬上で全身を硬直《こうちょく》させ、手綱《たづな》を持った手をブルブルと震《ふる》えさせた。
「ドレイク様?」
「お館《やかた》様……」
ドレイクの左右にあったラバン・ドレトとマタバ・カタガンは、ドレイクの異常を見て馬を寄せた。
「何だ。だ、誰《だれ》がっ……」
ドレイクの顔にブッと汗《あせ》が浮《う》き出たのを、二人の武将は見てしまった。
「誰と? 何とおっしゃいますか?」
ラバンが、呻《うめ》いた。
「誰か、女のような声が、儂《わし》の耳元で……違《ちが》う。頭のなかで語っている……!」
ドレイクは、唇《くちぴる》を歪《ゆが》めた。
「女の声……!?」
二人の武将は、周囲を見回して、近衛兵《このえへい》以外の者がいないのを確かめて、顔を見合わせた。
「女ではない……そうか、女ではないのか……」
ドレイクは、唇の端《はし》から涎《よだれ》さえ流していた。
ドレイクは、ギィ・グッガの甲高《かんだか》い絶叫《ぜっきょう》に囚《とら》われていたのだ。
『……主《ぬし》かあ! 機械を呼んだ主っ……見せいっ! その主のぉっ……』
そう聞えた。
それは、明らかに自分以外の意思の表出である。
『主は……我が地の世界のものに替われいっ……』
そうも聞えた。
「……ギィ・グッガか、ギィ・グッガか……」
ドレイクはようやく頭を振《ふ》って、そして、一方の手で汗《あせ》を拭《ぬぐ》った。
「大丈夫《だいじょうぶ》で……?」
「ああ……幻聴《げんちょう》であろう……戦場で気が立っている……」
ドレイクは、苦笑を見せた。
「ウワーッ! ギィ・グッガが死んだ! 死んだぞ!」
ドレイクの背後にひかえる無線兵たちが、歓声を上げた。
「ギィ・グッガの絶叫《ぜっきょう》でありましょう。断末魔《だんまつま》の叫《さけ》びが、受信されました!」
「そうか! まちがいないな」
「女の悲鳴に近い、甲高《かんだか》い声でありました。噂《うわさ》に聞くギィ・グッガの声と思えます」
その兵たちの言葉を耳にしながら、ドレイクは、背筋に寒気が這《は》い上がるのを感じた。
「……結構である」
寒気を払《はら》うつもりで手綱《たづな》をうつと、ドレイクは、馬を本陣《ほんじん》にかえすために前進させた。
しかし、全身の震《ふる》えは当分とまらないと思った。
『……儂《わし》の聞いた声もそれだ……あれがギィ・グッガの声か……』
ドレイクに従う兵団は、もはや戦争が終わったような興奮に包まれていた。
事実、その後、ガロウ・ランの抵抗《ていこう》は、急速に終息した。
ギィ・グッガの戦闘《せんとう》の意思が切れたことをガロウ・ランたちも感知したと思えるような早さだった。
しかし、ドレイク軍にとっては、この戦場での勝敗だけで、戦闘状態を終らせるわけにはいかなかった。
アの国は、今後のガロウ・ランの跳梁《ちょうりょう》をやめさせるためにも、ガロウ・ランを四散させることなく、全滅《ぜんめつ》させなければならないのである。
ドレイクは、ガロウ・ランの追討命令を出し、その後の残党|狩《が》りの方が長く続き、陰惨《いんさん》を極めた。
しかし、このジャプハルの戦いを契機に、アの国のガロウ・ランの跳梁は、いったん終息した。
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ガロウ・ランの掃討《そうとう》作戦計画が終了《しゅうりょう》したとみなされたのは、我々の時間の観念でいえば、三か月以上もしてからだった。
実際は、かなり早くガロウ・ランの姿は、アの国から消えていたらしいのだが、ドレイクは、長く捜索《そうさく》活動を実施《じっし》させた。
それは、騎士《きし》たちに報償《ほうしょう》を諦《あきら》めさせるための時間|稼《かせ》ぎであり、外交政策の展開のためでもあった。
今回の戦争は、敵から手に入れられる領地も財産もなければ、損害|賠償《ばいしよう》を請求《せいきゅう》できる相手もなかったのである。
ガロウ・ランの生息するといわれるフェンダ・パイルの界に下りるということは、コモン人に考えられることではなかったし、その界の入口がどこにあるか、はっきりと特定できるコモン人もいなかった。
アの国は、ガロウ・ランに戦勝したからと言って、なにひとつ手にいれるべきものがなかった。
むろん、ギィ・グッガが、コモン世界の国々から略奪《りゃくだつ》した財宝があるという噂《うわさ》はあった。
ガロウ・ラン残党|狩《が》りの過程のなかで、それらギィ・グッガの財宝といわれるものを、いくつか捜《さが》し出すことはできた。
しかし、それで膨大《ぼうだい》な軍費と、騎士《きし》たちへの論功行賞《ろんこうこうしょう》を満たすことはできなかったのである。
その問題を解決する糸口として、ドレイク・ルフトは、彼の新しい妻、ルーザの強力な後押《あとお》しもあって、あるアイデアを実行に移す決意をかためつつあった。
それは、アの国の周辺諸国に、ガロウ・ランの跳梁《ちょうりょう》がなくなったことにたいする『租税』とでもいうべきものを、上納させるというものである。
ドレイク・ルフトは、その政治工作に時間と精力を集中せざるを得なかったために、ギィ・グッガに憑依《ひょうい》されたらしいという嫌悪感《けんおかん》を忘れることができた。
そして、冬に入る頃《ころ》、ドレイクはルーザに機嫌《きげん》良く報告した。
「今後の戦備を整備するまでの余録《よろく》を手に入れられるだろうな……」
と…
「慶賀《けいが》でございますな。では、戦勝祝賀会は、このままやらずにお済ませになりますので?」
「いや、それはならん。物事には区切りが必要だ。年末の恒例《こうれい》の年の瀬《せ》の宴《うなげ》、新年の宴、これらの宴を例年の倍の規膜で挙行させよう。そうすれば、単独に戦勝記念の宴をするよりも、国民には負担にならん」
「結構です。年の末の一週間前に、凱旋《がいせん》行事を行ない、騎士《きし》たちに報償《ほうしょう》の沙汰《さた》をして、その後、年明けまで祝宴を続ける。その間に、諸国の王侯《おうこう》貴族たちの祝賀を受けて、年明け、新年の儀《ぎ》を取り行なう」
ルーザのこのような整理能力は、鮮《あざ》やかである。
「そういう段取りだ。そうそう、その時までに、ひとつ面白い出しものをこのラース・ワウに設備しよう」
「出しもの?」
「ショット・ウェポンが、電気照明というものを発明してくれた。それでラース・ワウ全体を飾《かざ》るのだ」
「あの照明でありますか? それは、諸国の者共には、目もくらむ出し物となりましょう。それは結構なことで……」
「リムルも、アリサも喜ぼうな」
「はい、あの実験はリムルも見ております。それはもう、大変な発明と驚嘆《きょうたん》いたしておりました」
「それでラース・ワウを飾る。ルーザ、これができるのも、お前がいち早く儂《わし》と手を組む決心をしてくれたおかげである。感謝するぞ……」
ドレイクは、二人だけの気やすさで、情愛のこもった声音《こわね》で、ルーザに言った。
「ありがとうございます。殿《との》にそうおっしゃっていただけて……」
ルーザも少女のように頬《ほお》を染めて、深く礼を返した。
「となれば、儂《わし》等の婚儀《こんぎ》も内輪でも取り行なわねばな」
「その儀《ぎ》に関しても、いかがでございましょう? 年の顔《せ》の宴《うたげ》のどこかで、諸侯《しょこう》に発表するという形だけでよろしいのでは?」
「婚儀は行なわずにか」
「はい。この際、形だけの儀式《ぎしき》など行なっては、そのための出費がバカになりません。だからこそ、発表するという形だけで済ませるのです。その方が、諸国への聞えもよろしいかと……」
「そうか……? 真実、そう思えるか?」
「はい、殿の暖かいお言蘂をいただきました。それだけで十分でございます。今はアの国のため、諸国平定のために、できるかぎりのことを……それが策でございましょう」
「ルーザ……主は策士《さくし》だな?」
「恐《おそ》れ入ります。殿のやりようを必死に考えての思いつきでございます」
「よし、そのように運ばせよう」
ドレイクは、ルーザの話も分ると同時に、あらためて婚儀を取り行なうことで、アリサを刺激《しげき》することを恐れていたのだ。
その意味では、ドレイクもまた世の父親そのものなのである。
『その方法ならば、アリサも怒《おこ》るまい……さすれば、来年の秋には、アリサと聖戦士ジョクとの婚儀も行なえよう……』
ドレイクは、一挙に懸案《けんあん》の種々の問題が解決したことに、安堵《あんど》した。
カットグラが撃墜《げきつい》された時に、キチニ以外の三人は、骨折していた。
その一人、トレン・アスベアの骨折も癒《い》え、身体《からだ》ならしの運動もできるようになって、彼は、ラース・ワウの一角の居室で嬉《うれ》しいニュースを聞いた。
「……本当か? ミハン?」
「はい、フェラリオの、あのサラーン・マッキって奴《やつ》が捕《とら》えられたんです。間違《まちが》いありません」
ジョクのところの家人《けにん》ミハン・カームが、そう言った。
「どこにいるのだ?」
「それは知りませんよ。フェラリオは、怖《こわ》いですからね? コモン人の道を踏《ふ》み誤らせるのはガロウ・ランと同じだから、ドレイク様は、極秘になさっているんです」
「フーン……そうかい……」
トレンは、ミハンがそれ以上のことを話してくれない口の堅《かた》い青年であることを知っていたので、話題を外のことに移した。
「マーベル・フローズンは、ニーの屋敷《やしき》に入りびたりなのか?」
「禁断症状は、かなりよくなったらしいです。看病が好きなんでしょう」
「そうかい……さすが、ヤンキー娘《むすめ》だな」
「なにがです?」
「いや、いい」
トレンにすれば、自分のことは棚《たな》に上げて、一緒《いっしょ》にこの世界に降りてきたマーベルが、コモン人の男とひっつくという感覚が、軽薄《けいはく》に感じられるのだった。
「お身体《からだ》はよろしいのでしょう? 凱旋《がいせん》記念行事が始まれば、また落ちつかなくなります。その前に、ハンダノの方にもいらしって下さい。アリサ様も、地上世界のお話を聞きたいとおっしゃっていましたから……」
「ああ、行かせてもらうよ。聖戦士《せいせんし》殿《どの》は、いつお戻《もど》りになるのだ?」
「それこそ、凱旋行進の時の主役です。それまでは、ガロウ・ラン討伐戦《とうばつせん》であります」
「御苦労なこった……」
ミハンが引き上げると、トレンは、ラース・ワウを出て、身体ならしの乗馬をしながら、ショットのいる機械の森に向った。
その途中《とちゅう》の沿道でも、アの国に恭順《きょうじゅん》を示す他国の絢爛《けんらん》豪華《ごうか》な行列と行き違《ちが》ったりした。
トレンには、そんな行列のファッションが、何世紀頃のヨーロッパのものに似ているのか考えてみたが、すぐにやめた。
「この世界は、いろいろなものがミックスしちまっているんだから、何をか言わんやだな……まったく」
冬を迎《むか》えた風は、多少冷たかったが、気分は悪くなかった。
トレンもまた、この世界に順応する覚悟《かくご》ができはじめていた。
年も押《お》し詰《つ》まったラース・ワウと、その城下街は、戦勝気分に沸《わ》きかえった。
戦勝を祝う気分が、長く抑《おさ》えられた上のことであったから、その興奮と祭の気分は、国中を歓喜の渦《うず》に巻きこんだと表現して良いだろう。
諸国の王侯《おうこう》貴族たちも、陰《かげ》ではアの国は『ガロウ・ラン追討税《ついとうぜい》』を取ったと言いながらも、その日は、諸国から参集した。
そして、彼等は、補修なった三機のカットグラとオーラボム・ドーメ部隊、二十数機の編隊飛行が、電気の照明によって浮《う》き上がったラース・ワウ上空を旋回《せんかい》する姿を目のあたりにして、圧倒《あっとう》された。
聖戦士ジョクとバーン・バニングス、ガラリア・ニャムヒーは誉《ほま》れ高い戦士として、騎士《きし》たちと共にその働きを誉《ほ》めたたえられた。
ジョクが、アリサ・ルフトの輝《かがや》くような微笑《ぴしょう》に迎《むか》えられたのは、宴《うたげ》が始まってからであった。
「男らしくおなりで……!」
アリサは、ややこけた頬《ほお》に春のような暖かい笑みを浮《うか》べて、ジョクに祝福のキスを与《あた》え、その唇《くちびる》をジョクに預けた。
彼女も、大人の世界に足を踏《ふ》み入れる年頃《としごろ》になっていたのである。
その後の一週間におよぶ宴のなかで、ジョクは、禁断症状を脱《だっ》したニー・ギブンとも手を握《にぎ》り合い、多くの戦士と乾杯《かんぱい》を重ねた。
もちろん、そのなかに、バーンもガラリアもいたし、ドレイクの盃《さかずき》もあった。
ラース・ワウは、その偉業《いぎょう》を自ら誇示《こじ》するように新年まで電気の照明を消すことはなかった。
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[#地付き]「野性時代」一九八八年十一月号掲載のものに加筆訂正したものです。
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底本:「オーラバトラー戦記 4」カドカワノベルズ、角川書店
1988(昭和 63)年11月20日初版発行
このテキストは
(一般小説) [富野由悠季] オーラバトラー戦記 第04巻 ギィ撃攘.zip XYye10VAK9 16,108,372 e5414947889213b7910b2370a333a482
を元に、OCRにて作成し、底本と照合、修正する方法で校正しました。
画像版の放流神に感謝します。
***** 底本の校正ミスと思われる部分 *****
*行数は改行でカウント、( )は底本の位置
2097行目
(p125-上- 5) モクモグ
モグモグと思われ……
2154行目
(p128-上- 2) 詰《つま》まった
詰《つ》まったのルビの間違い
2650行目
(p155-上-13) 掩護《ようご》
掩護《えんご》のルビの間違い
3141行目
(p183-下-10) 「あれか……!?」
「あれか……!?」じゃないかな?
3280行目
(p190-下- 5) 「チーィッビ奴《やつ》ッ!」
「チーィッビ奴《め》ッ!」じゃないかな?
3747行目
(p214-上- 9) 報償《ほうしゅう》
報償《ほうしょう》のルビの間違い
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