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オーラバトラー戦記3 ガロウ・ラン・サイン
富野由悠季
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)遭遇戦《そうぐうせん》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)女|友達《ともだち》
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(例)[#ここから目次]
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[#地付き]カバー絵・口絵・本文イラスト/出渕裕
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オーラバトラー戦記3 目次
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城毅《じょうたけし》、通称、ジョク。日本人である。
しかし、バイストン・ウェルのコモン界では、アの国の戦士ジョクで通っていた。
弱冠《じゃっかん》二十歳で、城持ちの成り上がりである。
バイストン・ウェルの人々は、ジョクの生まれ育った世界を、地上世界と呼びならわし、ジョクを地上人《ちじょうびと》と呼んだ。
その呼び方で、バイストン・ウェルが次元の違《ちが》う世界であることがわかる。
ジョクの成功は、次元の違う世界で生まれ育ったことに負うところが大であろう。しかし、ジョクは、バイストン・ウェルで地上世界以上の能力を発揮したのである。バイストン・ウェルに移動《テレポート》できること自体、その人間が特別に強い生体力、オーラカを持っていることの証明である。
だが、オーラカを持つ地上人が、すべて、バイストン・ウェルで、特異な能力を持つ者として成功するわけではなかった。ジョクと共にバイストン・ウェルに落ちた女|友達《ともだち》、田村《たむら》美井奈《みいな》は悲惨《ひさん》な運命にもてあそばれてその生命《いのち》をなくした。
地上人の持つオーラカも、使いようでは、僥倖《ぎょうこう》をもたらすものとはならないのである。
バイストン・ウェルの世界のコモン界は、地上世界で言えば、中世の動乱と暗黒の世界であった。現代の東京周辺に住む人々の感覚では、生き延びられるものではなく、そこで生き抜《ぬ》くためには、より自己を錬磨《れんま》し研鑽《けんさん》しなければならない、とジョクは承知していた。
バイストン・ウェルの世界そのものの意思が、その世界に必要なオーラカを持った人々を呼び込んでいるのではないかとも考えられた。それは、過去、機械らしいものを有することを容認しなかったバイストン・ウェルが、オーラ・マシーンの開発を許したことに象徴《しょうちょう》的に示されているようにみえた。
さらに言えば、コモン界の人々にガロウ・ランと呼ばれて恐《おそ》れられ、忌《い》み嫌《きら》われている存在、地から湧《わ》いた人々が、オーラ・マシーンとの戦いを通して、変革の道を歩み始めているようにみえることにも現れていた。
彼等は、新たに手に入れた地上人を擁《よう》し、新しい挑戦《ちょうせん》を意図していたのである。アの国に敵するガロウ・ランをたばねる男、ギィ・グッガは、決して、不明ではなかった。
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「ケッケケケ……」
「シッ!」
含《ふく》み笑いが闇《やみ》のなかで湧《わ》くと、つばを含んだ声が、別の闇のなかから続いた。
そして、また、静寂《せいじゃく》が支配する……それは続かなかった。さらに、別の闇のなかから、男と女のからみ合う声が密《ひそ》かにわき上がってきた。
「あっ……っ! クッ……」
「……フッ……ツ!……サラッっ!」
女の声は、こらえようとしてもつい洩《も》れてしまう歓喜の呻《うめ》きに、唇《くちびる》を噛《か》むようにしているのが分った。
その女の声は、甘《あま》く切なかった。
それは、闇の厚みをかすかに、かすかに振動《しんどう》させて、四方に拡散していった。
しかし、拡散しきれないその男女の睦言《むつごと》が、やや離《はな》れた闇のなかに沈静《ちんせい》する。
「キッッッ……う、うむっ……!」
さきほど声の聞えた闇のなかから、今度は、まったく別の男の呻きがほとばしった。
「ケッ……ケケケ……」
またも、さきほどの男の忍《しの》び笑いがわきあがった。
と、シューッ! 何かをこする音がして、ボーッとした赤い光のなかに、人の影《かげ》が四つ浮《う》きあがった。
一人の男が、いつも唇の外に出ている歯をひからせて、ギョロッとした眼《め》を右側の男に向けていた。
右側の男は、顔全体にブツブツとあばたがあり、山のようになった頬《ほお》を左右に大きくふくらませて、その下にある口を三日月のように拡《ひろ》げていた。その顔は、人の顔とは思えなかった。上からかぶる髪《かみ》が滝《たき》のように多く、鼻と言えばその高さがなくて、正面に鼻腔《びこう》が開いているように見えた。
「…………!?」
赤い光をかざしている出っ歯の男は、左側で肩《かた》を揺《ゆ》すっている男が両方の足を左右に開いているのを見ると、その男の腰《こし》を蹴飛《けと》ばした。
「オッテッえ!」
痛いのかどうか分らないような声を出したその男は、地に転がりながらも、「アハあっッ!」という呻きをあげ、闇につながる地の上で両膝《りょうひざ》を閉じるようにして、また「ウオーッ!」と歓喜の表現らしい声をあげた。
「やめないかよ」
赤い光を手にした男が、その光──マッチの光だ──を上にかざそうとした時、さらに別の男の声が起り、赤い光は急速に暗くなっていった。
それを合図に、別の闇《やみ》から聞えていた男女の呻《うめ》きが、とまったようだった。
「ハーァッ!」
吐息《といき》は消えていった。その息づかいにかさなるようにして、「チッ!」と言う舌打ちが闇に走った。
「……マッチというもの、無駄《むだ》に使うんじゃあねぇ。せっかく、地上人《ちじょうびと》にもらったものだろうに!」
最後に光を制した男の声であった。
「けどよ……へへへ……すぐに火がつくんだぜぇ……?」
「だから、大事にしろって言ってるんだ」
男と女のからみ合う呻きは、やや離《はな》れた闇のなかで、まだ息づいていた。
「ハッ……!」
真の闇に見えたそこ、睦《むつ》み合う息づかいが聞える窪《くぼ》みには、ほんとうにかすかな光があった。光とも言えないかぼそいゆらめきである。
その光のなかに、ほんのりと女性の顔の輪郭《りんかく》がゆらめているのが見えた。すっきりとした鼻筋《はなすじ》とあえぐ唇《くちびる》がようやく識別できる暗さだった。
歓喜に堪《た》えないような息は、その唇からあふれていた、
「……ハッ! きれいだ。本当に……」
男の呻く声がその女性に降りそそぐと、女性の顔をかすかに浮《う》きたたせていた光は、わずかに強くなるように見えた。
その光を発するもは、幾条もの筋《すじ》となって、闇のなかに浮き、波打っていた。
「髪《かみ》が、光るなんて……サラーン……」
男の呻く声と共に、その光る筋が乱れた。男の手が愛撫《あいぶ》したのだ。
「ああう……!」
髪の毛に触《さわ》られたために、女性がまた、思い出したようにエクスタシーの声を上げた。密《ひそ》やかな声なのだが、ひどく妖艶《ようえん》である。
男の腰《こし》がまた動いたようだ。
「おうっ……!」
女性の呻きが闇を震《ふる》わせた。
「……ガロウ・ランがいなければ……サラーン、もっともっと……」
男の未練がましい言葉が、闇のなかにたゆたうと、ボッとさきほどの赤い光がともって、さらにそれが大きな青い光に変った。
ガスのカンテラらしく、かなり明るい。
「…………!?」
その光のなかに、トレン・アスベアの横顔とサラーン・マッキの長い濃緑《のうりょく》色の髪《かみ》が散っている白い背中が浮《う》き上がった。
「なんとまあ……」
トレンは、下着姿のままもう一度サラーンの背中を抱《だ》きしめて、その耳たぶを噛《か》んでやった。
「ウウッ……!」
サラーンの全身におこりのような痙攣《けいれん》が走り、そして、トレンに背中を向けたまま、這《は》うようにして、前方の闇《やみ》のなかにすすんでいった。その姿は当然、トレンに白い豊かな臀部《でんぶ》をさらすことになった。
「サ、サラーン!」
トレンは、思わずその尻《しり》を迫おうとした。
「地上人《ちじょうびと》っ!」
吐《は》き捨てるような男の声が、トレンの背中を打った。
「…………!?」
トレンが、背後を気にした一瞬《いっしゅん》、サラーンの尻が闇の下に消え、ドボッと低い水音がおこった。
「もう駄目《だめ》だ。これ以上は、危険だぞ」
その声の主《ぬし》は、トレンの脇《わき》まで近づくと、脚《あし》でトレンの脇腹《わきばら》を蹴《け》るようにして立たせた。
「ギィ・グッガ様に、知られでもしてみろ。フェラリオの精気をみだりに乱して、地上人を呼べなくなったら、貴様、申し開きができるのか?」
その論理的な弁舌は、ガロウ・ランのものとは思えなかった。
「分ったよ……」
トレンは、青い光を発するカンテラを手に取ると、サラーンの消えた闇の方に差し出してみた。
しかし、そこには、闇の窪《くぼ》みと、その窪みを遮《さえぎ》るように、格子の横木があるだけだ。
三人のガロウ・ランが、闇のなかに走り出て格子の横木に近寄り、格子の縦木を重ねていった。格子の間に、出入り口があるようだった。
「分ったよ……フェラリオって……不思議なもんだ……」
不思議な動物と言いたかったのだが、そうではないと思う。しかし、人間と断定するにしては、摩訶《まか》不思議すぎる感触《かんしょく》があった。つまり、空気のように男を取りこんでしまう包容力に、トレンは、人間の女性とは断定しきれないものを感じていた。
あのエクスタシーは、麻薬《まやく》なのだ。
女の肢体《したい》の律動は、激《はげ》しくとも、静かであるうとも、男の性感のすべてを動員することを要求し、確実に引き出し、受け入れていった。
「人の生気を吸い取るというが、違《ちが》うようだぜ……」
トレン・アスベアは、ドーレブを見やって言った。
まだ、全身にあの甘《あま》い感触《かんしょく》がベッタリと残り、身体《からだ》の深奥《しんおう》を震《ふる》わせているようだった。
「……ハァ……」
ドーレブは、低く応《こた》えたがなんの感情も見せなかった。彼は、ギィ・グッガの側近で、トレンとフェラリオの手引きをしてやっているのである。
「なんとか、自分のものにならんのかな……?」
「……人じゃないんだぞ……?」
ドーレブは、ボソッと言った。
「分っているよ……」
フッと嘆息《たんそく》をすると、トレンは脚《あし》を止めて、闇《やみ》を見やった。
「……? 地上人《ちじょうびと》?」
「ん? どこか落ち着くわけにはいかないのか?」
「ラース・ワウを落したら、ギィ・グッガは、そこに陣《じん》を構える」
ちょっと考え深げにしてから、ドーレブはそう応えた。
「そのためにも、機械を動かして見せな。それまでは、ここを動かん」
「そうなんだな……」
トレンは、憂鬱《ゆううつ》そうに言うと、また歩み出した。
左右に数軒《すうけん》の家があるような場所に入った。
頭上に、星に似た光、燐《りん》の光が、銀河の光の帯のように天を横切っていた。
その燐光が、山間《やまあい》の小さな村の輪郭《りんかく》を、かすかに浮《う》き立たせている。
「あハッ……ハハッ!」
「うっ! おーっ」
ガロウ・ランたちの歓喜の呻《うめ》きが、家の陰《かげ》から湧《わ》き上がるのも、ギイ・グッガの陣らしかった。
トレンは、その声に、今しがた自分がしていたことを思い出して、恥《はず》かしくないでもなかったが、あのフェラリオとならば、人の見ている前で愛し合ってもいいとさえ思いこんでいた。
トレンは、数段さがった小屋の曲に降りると、居眠《いねむ》りをしているガロウ・ランの兵の前をすり抜《ぬ》けて、木戸を開いた。
「すまなかった。おやすみ……!」
その声に、居眠りをしていた警護の兵が、モゾモゾと起き出した。
近くに川があるのであろう。虫の声とせせらぎの音が、ガロウ・ランの臭気《しゅうき》を消すように聞えた。
翌日、ドーレブは、ギィ・グッガが本陣《ほんじん》にしている屋敷《やしき》の裏の小屋で起き出すと、まず、彼の居室に向った。
周囲を低い石塀《いしべい》で囲んだその屋敷は、薄《うす》く板状にした石で屋根を葺《ふ》き、煤《すす》けた緑と紅色の土壁《つちかべ》、太い木の柱で構成された天井《てんじょう》の低い家である。
造りは素朴《そぼく》でも、それなりの由緒《ゆいしょ》ある風格を持った屋敷だったが、今は、ガロウ・ランの本陣と化して、まるで廃屋《はいおく》のように乱雑だった。
村を一望できる斜面《しゃめん》を削《けず》って建てられているその屋敷の背部には、巨大《きょだい》な樹木が林立して、左右には低い濯木《かんぼく》が続き、その向うには、桑畑《くわばたけ》に似た濃《こ》い緑の光景が続いていた。
しかし、山が緑と思うのはまちがいで、左右にせまる山は茶色の地肌《じはだ》をさらけ出し、緑があるのはその村を中心とした谷間《たにあい》だけである。
南面の庭には、石塀はなく、野の草の群がななめに村に向ってひろがり、村の中央を走る谷川の流れをわずかに見ることができた。
村の向うに見えるふたつほどの山を越《こ》えると、ラース・ワウヘ至る平野が拡《ひろ》がっている。
平和な村だった。
しかし、街道から外れ、来る人も少ないこの村は、今は、ギィ・グッガの軍の中枢《ちゅうすう》となる部隊の占拠《せんきょ》するところとなっていた。
すでに、ギィ・グッガ軍は、人を使役《しえき》するということを十分に学んでいた。彼等は、村を占拠《せんきょ》すると同時に、三百ほどの村人をすべて一角に収容して日常の使役に使いたて、老人と赤子以外は、殺すようなことはなかった。
さらに、ギィ・グッガは、コモン人《びと》の男女に報奨《ほうしょう》を与《あた》えて、敵地に放つという芸当までやっていた。
もちろん、それら高度の人の利用は、ギィ・グッガ自身が指図しなければならないことであって、まだまだ一般《いっぱん》の兵に理解されるというところまでは至っていない。
ギィ・グッガ自身も、平時の朝は、ガロウ・ラン的にやらなければ、やっていけないという部分が残っていた。
「アッぐっ!」
女の苦痛に満ちた呻《うめ》きが、ギィ・グッガの居室から聞えるのもそのためである。
ギィ・グッガは、『朝の気を抜《ぬ》く』遊びに興じているのだった。
相手は当然、この占拠《せんきょ》された山深い村の年端《としは》もいかない娘《むすめ》である。彼女はうしろに廻《まわ》された手首を藁縄《わらなわ》で縛《しば》られて、ギィ・グッガの腰《こし》に跨《またが》っていた。
広く開け放たれた居室の前は、村の景色が望めるベランダである。部屋の中央に、熊《くま》の毛皮を敷《し》きつめたギィ・グッガのベッドがあり、その上で上体をななめに起したギィ・グッガの白く巨大《きょだい》な肉体が、少女の股間《こかん》を割るようにして、逸物《いちもつ》を挿入《そうにゅう》し、彼のクレーンのような両腕《りょううで》が、ガッチリと少女の腰を押《おさ》えて、上下運動を強要しているのである。
「グフッ! ゲッツ!」
天井《てんじょう》を向いた少女の口からは、そんな絶叫《ぜっきょう》しか漏《も》れなかった。
全身を光らせる汗《あせ》が、黒い髪《かみ》をベッタリと両方の肩《かた》に貼《は》りつかせた少女は、わずかにふくらんだ胸と下腹部をゼェゼェと起伏《きふく》させて、その苦痛に耐《た》えた。
しかし、背後から見える割れた臀部《でんぶ》には血が滲《にじ》み、左右にひろがる緊張《きんちょう》した大腿部《だいたいぶ》の筋肉は、ピリピリと痙攣《けいれん》しているのが分った。
「アハッ……アヘッ……」
少女の息づかいは、まるでおぼれる者が、息をするような音にかわった。
背後から見れば、棍棒《こんぼう》を挿入されているとしか見えない。腰の骨はくだかれ、内臓は、押《お》しひしがれて、ロから飛び出すのではないかと思われた。
「フンッ!」
片腹をギラッと光らせたギィ・グッガの最後のひと突《つ》きが、少女の背骨を砕《くだ》いたように見えた。
「アゲッ……ツツツ!」
少女の全身がビリビリと鳴ったようだ。ギィ・グッガの全身も痙攣し、彼の女の声のように細い、しかし、硬質《こうしつ》な呻きがキィッと漏れた。
「ヘッ……ヒャッヘヘヘッ……」
ギイ・グッガは、ぬらりと赤く血に染まったおのれの逸物を抜き出すと、少女の身体《からだ》を押し倒《たお》した。
哀《あわ》れな少女は、後手にされた自分の手首の上に上体を落しながら、ドーレブの近くに倒れ、ひとつ呻いただけで、身体を動かそうともしなかった。
「……ヘッヒヒ……」
ギィ・グッガは、まだ、佇立《ちょりつ》している自分のものを両方の手でしごきながら、ドーレブに目をやった。
「………地上人《ちじょうびと》の件で……」
ギィ・グッガがかすかに頷《うなず》いたので、ドーレブは、昨夜のトレン・アスベアの動きを報告した。
「……機械の方は、どうだってぇ?」
ようやく息をついたギィ・グッガが、少女の髪《かみ》の毛を握《にぎ》って、引きよせながら聞いた。
「今日か明日には、少しは動くと言うことで……」
「フム……」
ギィ・グッガは、少女の頬《ほお》をはたいて気づかせると、自分の佇立したものを舐《な》めさせるようにしながら、
「ブラバは、女に逃《に》げられても、やることをやっているじゃねぇか。いいことだよ……」
「ハァ……」
「けどよぉ、女がいなくて、ブラバは、どうしてんだろなあ……」
と、ケケケッと甲高《かんだか》い笑い声をあげて、
「ミュランも、仕事しているな?」
「はい、ハバリーを機械のように使うことを訓練しています」
「ならいいがよ。俺《おれ》は、コモンからいろいろ勉強したんだぜ?」
ギイ・グッガは、眼を細くして、自分のものを舐めて清めてくれる少女を見下ろして言った。
「はあ……?」
「ン……知恵《ちえ》ということをだな。俺は、いろいろ研究したんだっ!」
最後の言葉に力を込《こ》めると、ギイ・グッガは、またも、放尿《ほうにょう》をするかのように、少女のロのなかに気をやったらしい。
少女は、ゲヘッと呻《うめ》きながら、必死で上体をあとずさりさせた。
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「モドドッ!」
三角の天幕の入口を開いて怒鳴《どな》りながら、男は、天幕の周囲をギロリと見回した。
その周囲は、同じような天幕が十数個ならぶ小さな谷間《たにあい》で、ギィ・グッガの陣からは山ひとつ隔《へだ》てた場所にあった。
なんの返事もなかった。
「チッ!」
今度は、本当に腹を立てたビダは、天幕のピンを外すと、何かを引きずるようにして、下半身むきだしの恰好《かっこう》のまま出てきた。ガレ場に引き出されたのは、女の裸体《らたい》である。
ビダもギィ・グッガのように、コモンの女をもてあそんでいたのである。
ビダは、もう一度、天幕に入り、下穿《したば》きと太い革ベルトを手にして出てくると、下穿きをつけ、革ベルトを腰《こし》にした。ベスト状のものしか身につけていない上半身は、筋骨|隆々《りゅうりゅう》として、衣装《いしょう》で身を飾《かざ》る必要はないように見えた。
しかし、その形相《ぎょうそう》は、頭部は半分がツルリと無毛で、左半分にしか髪《かみ》がない。眼はクリッとして、奇妙《きみょう》にはっきりとくぼみを作っているものの、眉《まゆ》はあるかなしかで、唇《くちびる》は異常に厚く大きい。
「テッテアっ!」
もう一度、ビダは、叫《さけ》んだ。
周囲は、シンとしていた。ガロウ・ランのたむろする場所とは思えない静けさである。
「…………?」
ビダは耳をそばだてて、かすかに聞える呻《うめ》き声の方向を見て、ドスッと脚《あし》を踏《ふ》み出した。きわめて大股《おおまた》である。速い。
「…………!?」
低く地を這《は》うような呻きは、天幕ふたつほど隔《へだ》てた場所から聞えた。
そこには、とりあえず木を組み合わせて造った檻《おり》に、数人の男女が手足を縛《しば》られて転がっていた。
ガロウ・ランたちが、蹂躙《じゅうりん》した土地から拉致《らち》してきたコモンの虜囚《りょしゅう》である。すべて、ガロウ・ランの戦士たちの慰《なぐさ》みものに供される運命が待っているのだ。まだまだ、ギィ・グッガの考えがすべてのガロウ・ランに浸透《しんとう》するのには時間がかかるというわけである。
ここにも、誰一人いなかった。周囲を警戒する必要がない場所だからこれで良いのだが、ギィ・グッガの直轄《ちょっかつ》軍ほどに、統制のとれた集団ではないことも確かであった。ギィ・グッガからは、冷遇《れいぐう》されているのである。
テッテア以下のビダの部下は、アの国に最初に侵攻《しんこう》した時にはめざましい働きをしたものの、オーラ・マシーンの働きに度胆《どぎも》を抜《ぬ》かれたガロウ・ランの最初の部隊でもあった。
ビダは、テッテア以下の部下にラース・ワウに潜入《せんにゅう》させて、アリサ・ルフトを拉致し、それをギィ・グッガに示した。
それまでは、人質の有用性などというのは、ガロウ・ランに認識できる作戦ではなかったが、ビダはそういったことを想像できた男である。
しかし、アリサ拉致《らち》の結果は、無残《むざん》であった。
ジョク以下の奮起を呼び、それを契機《けいき》にギィ・グッガは敗退《はいたい》したのである。それが、ビダを後方に置くことになり、次の戦いでは、冷や飯を食わされることになった。
だからと言って、ビダは、ギィ・グッガの軍と接触《せっしょく》ができないほど離《はな》れているわけではないし、ギィ・グッガが、人質作戦を嫌《きら》ったわけでもなかった。
「フン……!」
ビダは鼻を鳴らした。今は、怯《おび》えた眼を向けるコモン人の虜囚《りょしゅう》に興味はなかった。
気をやった後、彼等のことが頭をよぎったのは、この数日、気になっていたことを思い出していたからである。
知性と呼ばれる種類のものが彼の行動を支配し、ビダは、次のまだ目に見えない事態を想像できるようになっていた。それは、ガロウ・ランにあっては極めて勝《すぐ》れた資質と言えた。
ガロウ・ラン、地に逼塞《ひっそく》するものたち……。
愚昧《ぐまい》で、目の前にあるもの以外は反対することも賛成することもできないものたちである。
オス・メスの衝動《しょうどう》だけは明瞭《めいりょう》にあって、生死への恐怖《きょうふ》はないに等しい。
もちろん、死への恐怖はあるように見えるが、それは、死の恐怖を想像できるからではなくて、死に至る痛みにたいして嫌悪感《けんおかん》があるからにすぎない。
自己の快感、快楽には貪欲《どんよく》でありながら、他者の快感と苦痛を想像することはない。
しかし、ガロウ・ランのなかにあって、多くの部下を持ち、支配することができるものたちには、多少才があった。その一端《いったん》に、この男、ビダ・ビッタもいた。
「ビダ!」
ビダは、焚火《たきび》のなかから焦《こ》げた肉塊《にっかい》を取り出しながら、その声の主が近づくのを待った。
「テッテアは、どうしたんだ?」
ビダは肉の灰を払《はら》い、焦げた表面を剥《は》ぎ取りながら、角《つの》のある驢馬《ろば》に似た小型の馬を急《せ》かして上ってくる若い女を見やった。
その女は、遠慮会釈《えんりょえしゃく》なく馬の脇腹《わきばら》を蹴《け》って、岩の多い坂道を登ってきた。
彼女のヌメッとした肌《はだ》は、好意的にいえば艶《つや》があると表現できなくもないが、脂《あぶら》が滲《にじ》んでいるというほうが適切である。髪《かみ》の毛も針のような剛毛《ごうもう》で、それがブワッとひろがって頭部を覆《おお》っていた。
「…………!」
ビダは、肉塊にかぶりつき、焚火の脇にあった素焼きの壷《つぼ》にはいった水をガブリと飲んだ。
「テッテアは、後から来る……嫌《いや》な話を聞いた」
ふくらんだ髪を振《ふ》りたてて、女はビダのかたわらに飛び降りた。
「ギィ・グッガが、人質を取れってでブラバに言ったらしい」
「ブラバにだと? ブラバは、情けない戦士だ! 男じゃねぇんだぞ! そんな者にギィ・グッガがロを利くはずがねぇ! 手前《てめえ》だって、ブラバから逃《に》げたんだろっ!」
「ああ、そうだ、男じゃないからさ。けど、今、聞いたんだ」
「ギィ・グッガは、ブラバを一番にするのか?」
ビダは、肉塊《にっかい》を焚火《たきび》に放《ほう》り投げて、カッとした。
「聞いた。あたいが、言ったんじゃない!」
ビダの剣幕《けんまく》にナラは、強硬《きょうこう》に言いつのった。
ガロウ・ランたちは自己保身の術《すべ》に、本能的にすぐれていた。ナラは、今話に出ているブラバについていた女なのである。
「誰から聞いたんだ!」
「下を、メッデたちが通った。食う物も貰《もら》った」
ナラは、自分の馬の鞍《くら》の後に、山になっている青菜の前に立った。
ビダたちが、この山に籠《こも》もってかなりになる。ギィ・グッガの本陣《ほんじん》と違《ちが》って、ビダたちは、食料などをコモン人から、随時《ずいじ》、略奪《りゃくだつ》しなければならない立場にいた。今日は、その襲《おそ》う相手が同じガロウ・ラン仲間で、しかもギイ・グッガの軍の一員であったために、情報が取れたというのである。
ギィ・グッガは、自分の軍の者たちに、幾《いく》つかのタブーを設けて、仲間同士の殺し合いが起らないようにしていた。でなければ、ガロウ・ラン同士の殺し合いと略奪は日常茶飯事なのである。それを、ともかくも統制ある集団に変貌《へんぼう》させたギィ・グッガの功績は、偉大《いだい》であったが、まだ、ガロウ・ランの世界で、その偉業《いぎょう》の意味を理解する者はいないと言ってよい。
「ブラバをギィ・グッガは、可愛《かわい》がるか……」
ビダは、呻《うめ》いた。
このように人の上下関係が集団のなかで認識されるのも、ガロウ・ランの社会関係が、緻密《ちみつ》になってきた証拠《しょうこ》である。
「俺《おれ》たちも行かなけりゃならねえ。人質は、ギィ・グッガが喜ぶ」
しかし、ビダは、部下が戻《もど》ってからでないとこの場所を出発できないことを思い出して、多少|苛立《いらだ》った。
気にしていたことが的中し、早く実行しなかった自分が、墓に脚《あし》をつっ込んだのではないかと想像できたのである。
「ブラバが動いていたのを、早く教えねぇからよぉ!」
「怒《おこ》んないでよ。やらしてやるからよー」
ナラは、青菜を口に押《お》し込みながら、脚を開いてみせた。
革鎧《かわよろい》に近い衣装《いしょう》は、堅牢《けんろう》であるが、今は、戦闘《せんとう》時ではない。ナラは、下穿《したば》きなどは着けていなかった。まともに、ナラの股座《またぐら》がビダの目の前にあった。
「そんな時けぇ!」
ビダが、ナラの股間《こかん》を蹴《け》ろうとしたので、ナラは素早く脚を閉じて、焚火《たきび》の上で焦《こ》げ始めた肉塊《にっかい》に手を伸《のば》した。
「みんなが戻ったら、支度《したく》をさせろい!」
「なんでだよ? ここで暮《くら》すので、いいじゃないか」
「いいか? いい女、いい男がゴマンといるのがコモンの世界だ。俺たちみんながよ、好きにできる男と女がここにいるか? いつも同じチンポと、いつも同じクサレマンコでよぉ」
「あたしのが、悪いってのか?」
「ちがうってぇ! コモンの男は、うまくないだろ? 女もだ……まずいのは、意気地がねぇってことだ。やれば、その度に、死んじまう」
「殺しているからだよ」
「そうだ。その後を心配するのは、つまんねぇ。今日はいいがよ、いつもは女日照り、男日照りだ。違《ちが》うか?」
「そうだねえ。今は、一|匹《ぴき》しかいねぇんじゃねぇ」
「そうだ。ギイ・グッガが、あの国を取っちまえば、毎日、コモンの男と女を好きにできるってもんだ。そのためには、手柄《てがら》だよ。手柄……。ブラバがギィ・グッガに認められれば、俺たちは、いつまでも、ここで暮さなけりゃならんだ。いいのか?」
「なにがいるんだ? 獲物《えもの》は、手に入る。死ぬまでは、死にはしないじゃないか」
ナラは、バリバリと青菜を食べるのをやめない。
「男はよ。やりてぇんだよ!」
「やらしてやるよ。ホレ……」
「そうじゃねぇって!」
ビダは、またも股座を開いてみせるナラの股間を、今度は、見事に蹴り上げた。
「ガホッ!」
ナラは口にした青菜を半分かとこ吐《は》き出して呻《うめ》いた。
「骨までは、懐《こわ》しゃしねぇよ!」
ビダは、ベッと唾《つば》を吐くと、
「モドド! テッテアっ!」
戻《もど》ってくる男たちの群に声をあげた。
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ブブブッ!
翼《つばさ》、というよりもトンボの羽根に似て、その数十倍の面積のある羽根がふるえる音が、コックピットにまで聞えた。
本来、正面にあるはずのハッチが装備《そうび》されていない状態のために、その羽根の震動音《しんどうおん》が、コックピットに座るガラリア・ニャムヒーに聞えているのだ。
革のヘルメット、革鎧《かわよろい》に身を固めた彼女は、真新しいゴーグルをしていた。
そのゴーグルのフレームも革製で、現代の我々から見れば、ひどく古めかしいデザインであるが、この世界では新奇《しんき》な道具であった。それだけでも、人々の好奇心《こうきしん》を刺激《しげき》するのである。
「順調だ。さすが地上人《ちじょうびと》の作ったものだよ」
ガラリア・ニャムヒー、まだ二十五歳にならない女性の戦士である。
アの国の地付きの騎士《きし》ではないものの、彼女は、秀《すぐ》れた資質によってえらばれた騎士の仕事、人型の機械の操縦者──パイロット──女性でただ一人のパイロットになれたのである。
「よし、あと十分! そのまま巡航《じゅんこう》速度を維持《いじ》しろっ!」
その声は、ひどく雑音の激《はげ》しい無線機から聞えた。
無線とはいっても、地上世界にあるビデオ・カセット程度の箱にすぎず、その実体は、鉱石ラジオ・レベルの無線である。
「了解《りょうかい》っ!」
ごうごうとコックピットにふきこむ風圧も、シートの左右のベンチレーターから抜《ぬ》けているので、なんとか耐《た》えることができた。
ガラリアは、アクセル・ペダルに相当する右のぺダルを押《お》しこみながら、速度を増していった。つまり、無線の命令などは聞く気はないのである。
シートの前には、速度計、高度計、水平儀《すいへいぎ》、エンジンの温度計、大気温度計、それだけである。
「三百キロか!」
ガラリアは、計器盤《けいきばん》のむこうに流れる地上を見つめて、あたかも自分の身体《からだ》が飛んでいるかのような錯覚《さっかく》を楽しんだ。
彼女の操縦する機械が、バイストン・ウェルの世界で革新的な機械、人型の機械、カットグラの四番機である、
彼女は、前の作戦で、自機を戦場に放棄《ほうき》せざるを得ない事態に追いこまれて、今日、ようやく新しい機体を手に入れることができたのである。
その慣熟飛行テストを行なっているのである。しかし、ガラリアは楽しんではいない。
彼女は、自分の不運が、自身の気の強さから来ていることを知っていたし、いつまでも好きにして良い時機ではないということも分っていた。
カットゲラと同じオーラ・マシーンであるオーラボム・ドーメのほうには、次々に新しい騎士《きし》がパイロットとして採用されて、訓練に励《はげ》み、ガラリアを追っているのである。
ガラリアとしては、早く具体的な軍功をあげなければ、カットグラに乗る名誉《めいよ》を、若い騎士たちに奪《うば》われる立場にいたのである。
ガラリアにはバーン・バニングスという追い落さなければならない騎士がいた。
若くしてラース・ワウの騎士団のなかでその才覚を認められ、第一にオーラ・マシーンの操縦者に選ばれた騎士である。カットグラに乗るかぎり、彼に従わなければならないというのでは、ガラリアのプライドが許さないのである。
それが女ゆえの気負《きお》いから出ていることは承知していたが、騎士の世界が男の世界であるという事実に反逆したいという夢《ゆめ》もあったのだ。
「そのためには、まだまだ、やらなければならない」
それがガラリアである。地付きの騎士でないという劣等感《れっとうかん》が思わせることである。
「ン……!?」
ガラリアは、カットグラの機首を大きくめぐらせて、アントバの山脈を左に見るようにした。
前方、山の稜線《りょうせん》上の雲の上に物の影《かげ》を見たように感じた。雲が、左右に走った。
その一層の雲を、下にした。
「……オーラボムか……?」
ラース・ワウのドーメ部隊が、訓練につかう空域からはかなり距離《きょり》があった。しかし、コモン界で空を飛ぶものといえば、鳥か、強獣《きょうじゅう》ぐらいである。
「…………!?」
新型のカットグラの慣熟飛行という意識が、ガラリアの警戒感を薄《うす》いものにしていたのであろう。ガラリアは、またも高度を取った。八百メートルといったところだった。
バシュー!
空を切る音が、機体の風切り音のなかに、滑《すべ》りこんで消えた。
「チッ!?」
次の瞬間《しゅんかん》、ガラリアは、機体を横に振《ふ》って、左の雲のなかに飛びこもうとした。
その雲から、数頭の巨大《きょだい》な鳥が湧《わ》くように現れて、そこから放たれたものが、カットグラをかすめた。
「ガロウ・ラン!?」
鳥の形をしたものは、強獣《きょうじゅう》のハバリーだ。その首筋には、人の影《かげ》が取りついて、弓につがえた矢を放ちながらカットグラをかすめて後方に飛び去った。
もちろん、速度の上で彼我《ひが》の差は歴然としているが、彼等が使う弓矢には、強力な火薬が仕掛《しか》けられていて、その直撃《ちょくげき》を受ければカットグラといえども墜落《ついらく》する。
ガラリアは、それで、前のカットグラを失ったのである。
「……………!?」
ガラリアは、自分の運命を呪《のろ》った。戦場で撃墜《げきつい》されたただ一機のカットグラを操縦していたのが自分で、またも、狙《ねら》われるというめぐり合せをである。
「…………!?」
正面に目をこらした。ベットリと白い幕が視界|一杯《いっぱい》にあったが、その雲のなかにもオーラの光が浸透《しんとう》して明るかった。
ハバリーは速度が小さいので、彼等は、ひとつの空域に数を展開させて、カットグラを撃墜する予定であろう。
「来た!?」
影がゆらめいたようだった。ガラリアは、逃《に》げなかった。一直線にその影に向って加速した。その間に、敵が矢を放って、直撃《ちょくげき》を受ければガラリアの敗北である。
しかし、そうはならなかった。敵の方が気がつくのが遅《おく》れた。
一頭のハバリーをかすめたカットグラは、その風圧でハバリーにまたがるガロウ・ランの戦士を振《ふ》り落していた。
雲が切れた。
落下するガロウ・ランの影《かげ》が、緑の大地に吸い込まれていくのが見え、主《あるじ》をなくしたハバリーは、体勢を立て直してカットグラを追おうとした。
ハバリーという獰猛《どうもう》な強獣《きょうじゅう》は、そのような習性を持っていた。しかし、飛行速度が圧倒《あっとう》的に速いカットグラは、強獣を無視することができた。
「くそったれっ!」
野卑《やひ》な言葉を吐《は》きながら、ガラリアは、カットグラを急速にターンさせ上昇《じょうしょう》すると、追いすがるハバリーの群に対峙《たいじ》した。
「十頭はいるのか!?」
その判断は不確かすぎた。雲が、視界の半分をさえぎっていたからだ。
「ハバリーだ! ハバリーの群だっ!」
ガラリアは、鉱石無線に怒鳴《どな》りながら、できることならば、なん頭かでも撃墜《げきつい》したい衝動《しょうどう》にかられて、正面からやや下に位置した敵に向って、突撃《とつげき》をかけた。
テスト飛行のために、武器は、カットグラが使う剣《けん》と、シートの背もたれの脇《わき》に置いた小銃《しょうじゅう》だけである。
カットグラの速度からみれば、敵の放つ矢を無駄《むだ》にさせることは容易だったが、敵の布陣《ふじん》が見えないので、ガラリアは苛立《いらだ》った。
次に迫《せま》った雲のなかからも、あの強力な火薬ガダを装備《そうび》した矢が、飛んでこないとも限らないのだ。
ガラリアはホルダーから小銃を抜《ぬ》くと、銃床《じゅうしょう》のベルトを手首にからげて、その銃口《じゅうこう》を正面に向けた。
バババッ! 雲と緑の大地の間から三頭のハバリーが飛び出して、矢が飛んできた。
その矢の造りのディテールをはっきりと見ることができた。
「しゃら臭《くさ》いんだよっ!」
ガラリアは、小銃を乱射し、カットグラに剣を振《ふ》るわせた。
バッ! 正面に頭に派手な羽根をふり立てたハバリーの首が揺《ゆ》れ、その背中にまたがっていたガ口ウ・ランの男の姿が、ハバリーの背中から撥《は》ねて落ちた。
そのハバリーは、まっすぐに正面からカットグラに襲《おそ》いかかり、そのするどい嘴《くちばし》をカットグラの頭に立てようとした。二本の脚《あし》の爪《つめ》は、ガラリアを掴《つか》もうとするように、ハッチのない空間に襲いかかってきた。
「チッ!」
ガラリアは、右手でレバーを引いて、カットグラに持たせた剣を振る。
ザバッ! ギャッ! ハバリーの叫《さけ》びと剣が何かに激突《げきとつ》する音は同時だった。
その刹那《せつな》、別のハバリーが左横手から激突してきた。
「ウッ!?」
両方の手が使えなかったことが、カットグラの動きを鈍《にぶ》くした。ガラリアの身体《からだ》が、シートの横に飛んだ。太腿《ふともも》にベルトが、食いこんだ。
「クッ!」
ガラリアの向う意気の強さが、ここでマイナスに出た。ガラリアはシートベルトを外すと、小銃《しょうじゅう》を構えようとしたのだ。
カットグラが斬《き》り落したらしいハバリーの身体が、くるくると舞《ま》い落ちるのが見えた。
ドスッ! ドッ!
ハバリーが、カットグラに激突《げきとつ》して、嘴《くちばし》を使うのが分った。ガラリアは、数発の銃弾《じゅうだん》を射《う》ったが、体がシートから撥《は》ね飛んでいた。ハバリーの巨体《きょたい》もカットグラの不規則な動きで、大きくよろけて上に流れた。
「うわっ!」
持っている小銃が、一度、コックピットの前のハッチ部分に引っかかったものの、ガラリアの身体を飛ばした反動の方が、はるかに大きかった。
ガラリアの身体が、コックピットから滑《すべ》り落ちて、先ほどのガロウ・ランやハバリーと同じように落下した。
「あああ……!?」
スカイ・ダイビングの概念《がいねん》等はまったくない世界である。ガラリアの身体は、縦に回転しながら、次第に速度を増して降下していった。
ハバリーの群は、パイロットがいなくなって直進するカットグラに向って、なおも襲《おそ》いかかろうとしていた。
ヒューッ! ヒョー!
人間の耳に聞えない高周波の笛《ふえ》の音が、ハバリーの群をコントロールしていた。笛を吹《ふ》くのは、ハバリーの使い手ミュラン・マズである。
彼は、ハバリーの群の最上の空域に位置していたので、ガラリアがカットグラから落ちたのは知らない。ただ、カットグラの動きが直線的になったので、最後の一撃《いちげき》を加えるべく、その前方に位置する三頭のハバリーに指令を出したのだ。
「トロいからよぉ……!」
ミュラン・マズの自分の部下にたいする感想だった。
すべてのハバリーに、ガロウ・ランの手下たちを乗せはしたものの、彼等にハバリーを操らせることなどはできないと知っていた。ただハバリーに乗って、弓矢を使ってくれれば良いという期待だけで乗せているのである。
訓練の時間はない。それは、ラース・ワウと同じ状況《じょうきょう》なのだ。だから、今日も、偵察《ていさつ》をかねながら編隊飛行の訓練を行なっていたのである。
過去、何度かの戦いを通して、ミュラン・マズは『機械』と戦うことを覚えていった。
そして、なんとしてもハバリーを使える戦士を育てない限り、機械との戦いに勝つことはあり得ないと分ってきたのである。
『機械』との遭遇《そうぐう》は、ようやくコモン世界に出てきたガロウ・ランにとっては、おもしろい事件ではなかった。
地中の奥《おく》深く暗い世界で生きるガロウ・ランが、オーラの光り輝《かがや》くコモン界に出てきた目的は、ただひとつ、コモンの人々を蹂躙《じゅうりん》する楽しみがあったからである。しかし、『機械』という想像を絶するものと出会い、その目的を達することが容易でないとわかった時から、地に暗く住む者たちの脳細胞《のうさいぼう》は刺激《しげき》され始めたのである。
『勝つ』ということが、ひとつの目的として、一部のガロウ・ランの頭のなかを占《し》めるようになったのである。
「手前《てめえ》たちは、一体、何を考えて生きているんだよっ!」
このような発想が生まれ、他人を使うということの苛酷《かこく》さが、マズたちを苦しめるのである。
今も、布陣《ふじん》が遅《おく》れた最後の三頭を直進する機械の前に前進させて、あとは、ハバリーに乗った戦士たちの攻撃《こうげき》に任せるしかないのが、その手がいかにも遅いのだ。
「なんやってぇーのぉ!」
ミュランは罵《ののし》りながらもカットグラを追おうとして、別の機械が後方から接近するのを見つけた。
「ケッ! 落さねぇうちに、またかっ!」
が、そのもう一機のカットグラは、上昇《じょうしょう》せずに地上近くに高度を下げ、その速度を増していくのが分った。
「…………!? ケッ、ケケケ……」
笑ったのは、怖《こわ》くて攻《せ》めてこないのだろう、というぐらいの思考が働いたからだ。
後から戦闘《せんとう》空域に入ったカットグラは、ガラリアの無線を傍受《ぼうじゅ》して、掩護《えんご》に駆《か》けつけたジョクの二番機だった。
ジョクは、その空域に接近し、上空に乱舞《らんぶ》するハバリーを見届けたが、別の妙《みょう》な『気』を察知して、上昇をかける途中《とちゅう》から、高度を下げていったのである。
「なんだ?」
テレパシーといって良いような感覚が、ジョクの意思を叩《たた》いた。
「……落ちているのか!?」
ジョクは、目を凝《こ》らした。その前方に石のように落下するガラリアの影《かげ》を見つけた。
「……ガラリアかっ!」
ジョクは、カットグラを加速させて、ガラリアに接近すると、カットグラの左手を差し出しながら、その肘《ひじ》に装備《そうび》している楯《たて》を上に向けて、ガラリアの落下速度に機体の速度を合わせていった。
「ジョクか!?」
落下するガラリアは、ようやく接近したカットグラに気がついて、上体を上にねじまげようとした。
そのため、ガラリアの落下方向が横に流れた。
「そのままだっ!」
ジョクは、喚《わめ》きながらカットグラを前進させて、ガラリアの身体《からだ》を楯《たて》で受け止めた。目の前に緑と地面の色がバッバッと雪崩《なだれ》のように走った。
「ジョクっ!」
ガラリアは楯にしがみついた姿勢で、コックピットの方に上体をねじ向けようとした。
「……カットグラは!?」
ジョクはガラリアに答えずに、上空を索敵《さくてき》しながら、機体の高度を上げ始めた。楯をコックピットの前にゆったりと持って来て、半|透明《とうめい》のハッチを開いた。
バフーッ!
高速で移動する空気が、ジョクの身体をシートに押《お》しつけた。
「恩に着るっ!」
そんな言葉と同時にガラリアの身体が空気に押されるようにして、ドッとジョクの膝《ひざ》にかじりついて来た。
「お互《たが》い様さ!」
ガラリアが、シートの背後の隙間《すきま》に移動する。
ジョクは、ハバリーの群が飛び去ろうとする方向に加速をかけていった。
「あった! まだ飛行しているぞ!?」
ジョクは、ガラリアが、背後の壁《かべ》に身体を固定したのを確認すると、一気に加速をかけた。
「ううっ!?」
ガラリアの身体がシートの下に滑《すべ》りこむように、小さくなっていった。
「ジョク!」
「地面に落ちるよりはいいはずだ」
ジョクは、ハバリーの動きに神経を集中した。
「十二、三頭いるな!?]
「二頭は、落したはずだ」
ガラリアは、肘掛《ひじか》けの下で身体を支えるようにした。
「ギィ・グッガの軍は、よくやる」
「そうだ。手が早い。よほど頭が働くガロウ・ランたちだ」
ヒュン! ヒャン! 数本の矢が、ジョクのカットグラを狙《ねら》って降下してきた。
「ガダだ! やられるぞ!」
「分っている」
ジョクは、下からハバリーに接近するのは危険だと実感した。
カットグラの右手に持っているフレイ・ボンム・ライフルを上に向けると、矢の壁《かべ》を掃射《そうしゃ》しながら、高速で突破《とっぱ》した。
ドヴッ! バガーンッ!
火炎《かえん》にぶつかった敵の矢が爆発《ばくはつ》し、空中に黒い煙《けむり》の輪を作った。それは、近代の空中戦そのままの光景だった。
さらに、左右をフレイ・ボンムで掃射して、ハバリーから飛ぶ矢を牽制《けんせい》した。音もなく後方に移動する白い雲の壁が、カットグラをおおい、その白い壁の向うに、ハバリーの群が後退して行くように見えた。
「損傷はないか?」
ジョクは、ガラリアの無人のカットグラに接近すると、その腕《うで》を取り押《おさ》えて平行に飛行しながら、その機体を観察した。
「かなり、へこんでいるところがある……」
ガラリアは、いまいましそうに呻《うめ》いた。
「……敵は後退したのかな?」
「らしいが……連中は、白昼ラース・ワウを空襲《くうしゅう》するつもりだったんじゃないのか?」
ガラリアは、身体《からだ》を立てると、レバーを掴《つか》むジョクの手を叩《たた》いた。
「だろうな……連中に戦略的|空爆《くうばく》の思想があるなんて、考えたくはないが……」
「ええ……?」
「地上世界の戦争の考え方のひとつだ。その内に説明してあげるよ」
「そ、そうだな? 頼《たの》む。ジョク、本当に、よく間にあって来てくれた」
「いいさ。騎士《きし》同士だ!」
ジョクは、ニッと笑うと、カットグラの機体をガラリア機の正面に向けて、コックピットの位置を合わせた。
ガラリアは、自分のコックピットに戻《もど》っていった。
「ありがとうよ」
ガラリアの素直な声音《こわね》が、風を切る音をつらぬいた。
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「やってみます」
トレン・アスベアは、ハッチから乗り出していた身体《からだ》をシートに引っこめると、アクセル・ぺダルを踏《ふ》んだ。
キュルルル……。トレンの背後から細く低い音が起り、トレンの座るせまい空間が、震動《しんどう》した。
「おおっ……!」
「動いたっ! 来るぞっ!」
その機械、カットグラを取り巻いた異形《いぎょう》の男女たちはドッと後退し、なかには谷川のせせらぎを飛びこえて行く者もあった。
ギシュ! カットグラの右|腕《うで》が前方に上がった。
またも、カットグラを取り巻く人の輪が大きく拡《ひろ》がり、背後の桑畑《くわばたけ》に伏《ふ》せる者もあった。
しかしギイ・グッガは、カットグラの正面に立って、ギロッとその片方の眼で凝視《ぎょうし》しつづけていた。
トレンは、口をへの字に曲げたまま、左のスティックを前に押《お》して、カットゲラの右腕を真上まで上げてとめた。
「……行くぞ」
その腕がドッと振《ふ》り下ろされ、やや上体を震動させて停止する。
トレンは、コックピットの前にある木の梯子《はしご》の上に上体を乗り出して、
「ここまでしかできません」
熊革《くまがわ》に似た革ローブをまとった身長ニメートルを超えるギィ・グッガは、頬《ほお》にナナメに裂傷《れっしょう》をおびた顔を歪《ゆが》ませ、糸のように細い片方の眼をクワッとひらいた。
「……なんでだよ!」
「機械っていうのはこういうもんなのだ。俺《おれ》はこの機械の専門家ではない。動かせっていったって、機械の構造の全部を知らなければ、動かせるものではない」
トレンは、ギィ・グッガを見下ろして、必死の思いで絶叫《ぜっきょう》した。ここで、納得《なっとく》してもらえなければ、命がなくなるからだ。
「その、なんだ……機械のことを書いた本とかいうものがあるんだろう……なんで、それで動かせねぇんだ!」
ギィ・グッガは、操縦マニュアルのことを言った。それが、整備マニュアルや製造するためのものと違《ちが》うということは、ギィ・グッガが多少コモン界のことを勉強したからと言って、理解できるものではない。
「このカットグラは、修理しなくっちゃならないところばかりなんだ。それに、ここには、直すための工具だってない。いいかね? 機械を直すということは、機械の本質的なところが分らなくては、直せないんだ。いいかね? 機械には、いろいろな種類がある。空を飛ぶ機械、地面を走る機械、それだけではない……」
トレンは、こうまくしたてる以外なかった。この話もギィ・グッガが、戦場でガラリアのカットグラを捕獲《ほかく》して、地上人《ちじょうびと》のトレンなら動くようにできるだろうと考えた時から、何度話したことか知れない問題であった。
しかし、ギィ・グッガは、トレンが地上人なら直せると信じこんでいた。
トレンは、この村に入ってから、ただひとつの手がかりである青焼きの紙を綴《と》じこんだ操縦マニュアルと、アの国の公用言語と一緒《いっしょ》に書きこまれていたショットの英語による補足的な説明を頼《たよ》りにして、修理をこころみたのである。
パイロット用のマニュアルでは、カットグラそのものの構造的な手入れなどは、できようはずがなかった。
「……洗濯《せんたく》をする機械、電気を光らせる機械、人間を昇降《しょうこう》させる機械と、機械には、いろいろとあるんだ。しかも、この機械は地上にはない機械だ。それを理解して、使えるようにするためには、学ばなければならないことが一杯《いっぱい》ある。それが、機械の世界だ。ここだけの考えが、通じるとは思わないでくれっ!」
この時ばかりは、トレンは、この世界で伝わるテレパシー的な要素に賭《か》けた。言葉が通じなくとも、意思が伝わる部分があるのならば、必死に真実を分らせる思考を羅列《られつ》すれば、ギィ・グッガは理解してくれるだろうと思った。
ガロウ・ランのなかでもギィ・グッガの意思は、混濁《こんだく》していないということは、トレンも感知していたからである。
しかし、トレンの意識が絶叫《ぜっきょう》しすぎて、彼の膨大《ぼうだい》な意思がギィ・グッガに感知された時に、ギィ・グッガが他人の意思が大量に流れこむことをうるさがれば、トレンの首などは、あっという間に胴体《どうたい》から離《はな》れてしまうのである。
ギィ・グッガは、ムッとした表情をトレンに見せて、仁王《におう》立《だ》ちしていた。
トレンは、一息入れると、怒《おこ》ったような顔を見せたまま、コックピット前の木製の梯子《はしご》を降り始めた。
その行動に、トレンは命を賭《か》けたのである。トレンの傲然《ごうぜん》たる態度が、ギィ・グッガを怒らせて、部下に殺せと命令すれば、数十の剣《けん》と槍《やり》が襲《おそ》ってくるかもしれない。
「機械か……」
トレンの脚《あし》が地についた時、ギィ・グッガはそう呻《うめ》いた。
「この脚が直せないんだ。損傷がひどい」
「……………」
トレンは、かすかに息をついて、カットグラの脚を示した。
ギィ・グッガは、その長い脚をドッとトレンの方にすすめて、トレンの背後にある装甲《そうこう》の半分がはがれた脚に向った。
それはふくらはぎに相当する部分で、錯綜《さくそう》する数十の筋肉に似た筋によって形造られていた。
ギィ・グッガは、片方だけの眼でギロリとトレンを見下ろし、カットグラのむきだしの筋をシミジミと観察して、一人|唸《うな》った。
「腕《うで》も同じようなんだな?」
ギィ・グッガは、今しがたトレンが動かして見せた腕を見上げて、さらに、脚の回りを一周した。
周囲に上体を低くしていたガロウ・ランの手下たちも、おそるおそるカットグラの近くに戻《もど》ってきた。
ガロウ・ランたちも、カットグラに畏敬《いけい》の念を感じて、いつものような乱雑で粗暴《そぼう》な挙動《きょどう》は見せなかった。
彼等の大半は、戦場でオーラボム・ドーメとカットグラの働きを目撃《もくげき》して、その威力《いりょく》を承知していた。
彼等は、今は死んだ状態にあっても、機械というものは、直せばまた生き返るという話は、信用しなかったのである。
しかし、トレンがともかくもカットグラの腕を動かして見せたことで『機械が生き返る』という事実に、納得顔《なっとくがお》を見せはじめているのが分った。
ギィ・グッガは、背にしたローブを空になびかせて、コックピットにつながる梯子を登り、一方に聞かれた半|透明《とうめい》のドアの脇《わき》のコックビットを覗《のぞ》いた。
「ここが、操《あやつ》る場所か……」
「はい!」
ギィ・グッガは、半透明のドアの聞いた入口をくぐろうとしたが、
「辛気《しんき》臭《く》せえよぉ……」
と、身を引こうとして、もう一度、上体をコックピットの方に寄せたようだった。
ググッ……!
「うおーっ!?」
またもガロウ・ランたちから、どよめきがあがった。
「ギィ・グッガ!」
トレンが、梯子《はしご》の下に駆《か》け寄って、梯子を押《おさ》えようとした。カットグラの右|腕《うで》が、ギシッと上がってから、横に曲った。
と、その腕は、バキーン! と半透明のドアを打って、ギィ・グッガの腰《こし》を打ち、カットグラの上体を震動《しんどう》させた。
「うわっ!」
その叫《さけ》びは、ギィ・グッガとトレンのものだった。
はね飛ばされそうになった梯子を押えようとしたトレンは、横に流れる梯子の震動でまともに身体《からだ》を飛ばされた。
視界に、コックピットに半身をつっこんだギィ・グッガの脚《あし》がバタバタするのが見えた。
半透明のドアは、砕《くだ》けもせずに、ギィ・グッガの腰を押えこんでいた。
「う!?」
梯子を抱《かか》えるようにして倒《たお》れたトレンは、ギィ・グッガの腰から下が、グリッと動くと、腰を押えていたドアを押《お》し退《の》けるのを見てゾッとした。
「ヌッ! オオオッー!」
獣《けもの》の雄叫《おたけ》びに似た声が湧《わ》きあがった。
ドアと機体の間に隙間《すきま》を作ったギィ・グッガは、コックピットからスルリと身体をすべり落した。建物の高さでいえば、三階の屋上といった高さから、ギィ・グッガは飛び降りて、スッと地上に立った。
「…………!?」
トレンは顎《あご》を引いて、ギィ・グッガの巨体《きょたい》を見上げた。
「……なんだってんだぁ!?」
「腕を動かしたんだ。ギィ・グッガが、カットグラの腕を動かしたっ!」
トレンは梯子を立てながら、カットグラの右腕を見ろとギィ・グッガに言った。
「……なんだとぉっ!?」
ギィ・グッガは、トレンが梯子を外したのではないかと思ったようだ。
トレンに噛《か》みつくようにしながら、カットグラを見上げ、カットグラの腕が、胸を叩《たた》くように震動しているのを見て、トレンに視線を戻《もど》した。
「お前が、動かしたのか!?」
吠《ほ》えた、
「あんたが、あそこで、あの腕を動かしたんだ!」
トレンは、本当に怒《おこ》ってみせた。
「ああ……!?」
ギィ・グッガは、あらためてカットグラの腕《うで》とトレンを見くらべて、キッとまなじりを上げた、
「コックピットで、なにかいじったんだろうっ! それで、あの腕が動いたんだ! それが、機械というものなんだ! 分ってくれよ。ギィ! 俺《おれ》は、嘘《うそ》はついていない。機械というものは、そういうものたんだ。ギィ・グッガが、コックピットでいじったものがあるだろう。それが、カットグラの腕を動かしたんだ。それが機械ってもんなんだよ」
トレンは、梯子《はしご》を抱《だ》いたまま、ギィ・グッガにいろいろな言い方で呼びかけ、哀願《あいがん》した。
両眼に涙《なみだ》が湧《わ》いたのも、訳が分らずに殺されるのはまだ早いんだ、というトレンの心情のあらわれで、理不尽《りふじん》に殺されることには、人は我慢《がまん》できない。
「なんで、動かねぇんだ」
「……え?」
トレンは、鉄の指に似たギィ・グッガの掌《てのひら》が、ドズッと岩のように自分の肩《かた》にのったので、眼をしばたいて、涙を払《はら》うようにした。
艶《つや》やかな白い肌《はだ》に似合わない醜《みにく》い剣傷《けんしょう》と、片方の眼の裂傷《れっしょう》。そのギィ・グッガのドロッとした眼が、トレンの視界|一杯《いっぱい》にあった。
「ならよぉ、俺ぁは、手ぇ動かしたんだ。なんで、脚《あし》が動かねぇ?」
「機能が違《ちが》うんだ。損傷程度も違うって言っただろう」
「なんで、空を飛ばねぇ?」
「機能が違うんだよ! 駆動系《くどうけい》が根本的に違うようなんだ。何度言ったら、分ってもらえる!」
トレンは、ギィ・グッガの手が首にかかって、ちょっと力が入れば、即死《そくし》させられることが分っていたから、身を引くようなことはしなかった。
逃《に》げれば討たれるのが、狩人《かりうど》と獲物《えもの》の関係だからだ。
「主《ぬし》は、腕を動かした。直せた。脚も羽根も直せ」
「それは、直せない」
「なぜだ?」
「機能が違う。工具もない。俺には、オーラ・マシーンを直せる知識はない」
「……フム……! どうしたら、直せるんだ!?」
ギィ・グッガは、鼻のあなを大きくしてから訊《き》いた。
「ラース・ワウだ。あんたは、ラース・ワウで機械を作ると言ったろう! ええ!? ラース・ワウしかない。でなければ、この機械を作った奴《やつ》を連れて来るしかないんだよ!」
「……主《ぬし》はいらんというのか? 機械を直せたのに?」
その瞬間《しゅんかん》、トレンは死を覚悟《かくご》した。
「少しは直せた。しかし、この機械が教えてくれてんだ。この機械が、もっと大きな機械を持って来なければ、このカットグラは直せないってな!」
トレンは、計算機能のついた自分の碗時計《うでどけい》を、ギィ・グッガの目の前にかざして、叫《さけ》んだ。
「機械か……そいつが、そう言うのか……」
ギイ・グッガにとって、腕時計の液晶《えきしょう》表示ひとつをとっても驚異《きょうい》的なものに思えるのである。この時計の液晶表示を出したトレンの直感が、トレンの命を救った。
「これ以上の仕事は、ラース・ワウの技術者を呼ばなければならない。そして、教えてもらえば、俺だって、こんな機械は作ることができる」
トレンの最後の強がりで、ギィ・グッガは、トレンの肩《かた》に置いた手をどけた。
「ラース・ワウにいるか……」
トレンから身を引いたギィ・グッガの眼に、ハバリーの編隊が帰ってくるのが映った。
「なんだ? ミュラン奴《め》?」
ギィ・グッガは、ミュラン・マズが、今日、独断でアの国の偵察《ていさつ》に出たことは知らなかった。
「どうしたぁ、ええ?」
「こいつらぁ、まったく、使いものにならねぇ」
背中半分ほどが前に曲ったミュランは、それでも顎《あご》を天に向けるようにして、ハバリーの頭の手綱《たづな》を押《おさ》えて、ハバリーを静かにさせようとしている手下たちをののしった。
「そうか……簡単にはいかねぇか……」
ギィ・グッガは、ミュランに、手下たちが強獣《きょうじゅう》を使うときに、あの白い薬を使うことは許していなかったのである。
「……何度やってもいい。慣れさせろいっ!」
ギィ・グッガは、そう吠《ほ》えると、トレンの背中をつつむようにして、村の一番高みにある本陣《ほんじん》に連れていった。
トレンは、次に待っているものが、なんであるのかまったく想像できなかったが、とりあえずは、死ぬことはないだろうと思った。
しかし、もっと苛酷《かこく》な課題が待っているかも知れないとも想像して、トレンは絶望した。
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「すごいものですねぇ……!」
その少女の感嘆《かんたん》の声は、オーラ・マシーンを修理する喧騒《けんそう》のなかでも良くとおった。
カッットグラの肩《かた》にまたがる木のタラップにいたガラリアは、声のした方を振《ふ》りかえると、叫《さけ》んだ。
「ガキの来るところじゃないだろうっ!」
ジョクは、ガラリアの声に、コックピットから這《は》い出してきた。
「……ガラリア?」
ジョクは、その少女、リムル・ウルのあどけない姿が、オーラボム・ドーメのフレキシブル・アームの向うを歩いているのを見つけて、別の意味であきれた。
「関係者以外は、立ち入り禁止だろ!」
ジョクは、少女の護衛に付いている二人の近衛兵《このえへい》に怒鳴《どな》った。
「……姫様《ひめさま》であるよ!」
前を行く若い兵が、負けずに抗弁《こうべん》した。
「あのね、あたしたちは戦争をやってんだ! 姫さんに見学させるために、こんなことをやってんじゃない!」
そんなつまらないことに、タラップから飛びおりんばかりに怒《おこ》るガラリアの気持は分るのだが、ジョクは、コックピットから出て、ガラリアを制しようとした。
しかし、アリサの妹になるリムル・ウルを見て、ジョクは呆《あき》れた。
彼女は、ガラリアの罵声《ばせい》などは気にする風もなく、近衛兵の脇《わき》をすり抜《ぬ》けると、ガラリアの立つタラップをトントンと上がってきたのだ。
「リムル様……! 駄目《だめ》です!」
ジョクはコックピットの前のステップに立って、目の前を上って行く少女を呼びとめた。
「だって、見たいんですもの?」
「その上のガラリアは、自分の機体を整備するのに必死なのです。後にして下さいませんか? 王女様が、好き勝手できると思うのは、下々《しもじも》に対してしめしがつきませんよ? 勝手な王女と思われて、嫌《きら》われて、良いのですか?」
「お前は、誰か?」
十一歳になったというリムル・ウルは、ムッとした表情を見せた。
「ご想像なさい。人の言葉だけを聞くようでは、よい大人にはなれません」
「……なんなの?」
ジョクの言ったことが分らなかったらしい。好奇心《こうきしん》いっぱいの瞳《ひとみ》をパチパチとさせて、
「あなた、地上人《ちじょうびと》ね?」
と訊《き》いた。
「え? ええ?」
「降りるんだよ! 子供は邪魔《じゃま》なの!」
ガラリアが、リムルに顔をつきだして怒鳴《どな》った。
「守ってもらわなくっていいってんなら、いいがね? しかし、あんたがどう言おうが、こっちだって、死にたくないんだから、やることはやっておかなくっちゃならないんだよ? ええ? 姫《ひめ》さん?」
「……でも……!」
「後で見せてやるという約束《やくそく》で、ここは、ガラリアの言うことを聞いてくれないか?」
「地上人《ちじょうびと》! 姫様のお望みなんだから……」
「へつらうのはやめろと言っている!」
ジョクは、大きな声を出した。
「なんだと!」
若い近衛兵《このえへい》は、剣《けん》の柄《つか》に手をかけんばかりにして、コックピットの下に駆《か》け寄った。
「姫様、あなたの我儘《わがまま》で、あなたを守ろうという下下《しもじも》の者がいさかいを起します。いいのですか?」
「……お前たちは……みんなで、私が好きにできないようにする」
プイッとガラリアに背をむけたリムルは、ピンクのローブをふくらませて、タラップを降りて行った。
「よろしいのですか?」
ご機嫌《きげん》うかがいをする若い近衛兵の声に、ジョクは、手にしたスパナを投げ飛ばしてやろうと思った。
「ガラリア……」
「ああ……」
二人は、かすかに徴苦笑《びくしょう》をかわして、仕事に戻《もど》った。
ガラリアの新しいカットグラの修理と調整を続けているので、他のメカニックたちも多忙《たぼう》なのである。
「ジョク!」
今度は、バーンだった。
「おう!」
「時間をもらえないか?」
カットグラ部隊の責任者であるバーン・バニングスは、手にした書類をヒラヒラさせながら言った。
オーラ・マシーン部隊全体の編成について、ジョクの確認を取りにきたのである。
それには、ガラリアのカットグラ四番機が遭遇《そうぐう》した強獣《きょうじゅう》部隊ハバリーとの戦闘《せんとう》経験も含《ふく》まれている。
「……戦闘の手順を組み立ててみた」
ジョクとて戦闘の専門家ではないのだが、経験もつんだし、なによりも、時代感覚が根本的にバーンとは違《ちが》う。
バーン・バニングスという進取の気象に富む若い騎士《きし》は、自分と違うジョクの考え方を理解し、それを利用しようとしていた。
コモン界は、地上で言えば、市民戦争以前の世界で、そこに、突然《とつぜん》、空を飛ぶ機械が現れたのだから、どう使いこなしていくかを考えるのは、難しい。
現代的な思考とセンスを持つジョクの存在は、貴重であった。
ジョクは、多少、読めるようになったアの国の文字をながめた。技術的なテーマの場合は文法が繁雑《はんざつ》ではないために、理解することができる。
「……いいと思うな。あとは、ショット・ウェポンがどう言うかだ。彼と俺《おれ》とは、国が違うし、年代も違う。彼は、近代戦についての専門的なセンスを持っているからな」
「しかし、彼はオーラ・マシーンのパイロットではない。オーラ・マシーンの戦闘《せんとう》方法を開拓《かいたく》して行くのは、我々パイロットだよ」
「そうだな……そうだ」
飛行機好きのジョクは、そう言われて初めて、胸をつかれるような感慨《かんがい》が走るのを知った。ジョクは、この世界に降りてから生きることに必死で、こんな感慨にとらわれたことはなかったのだ。
つまり、ジョクは、今の自分は、航空史の黎明《れいめい》期の先駆者《せんくしゃ》たちと同じ立場にいるのだ、と思いついたのである。
ジャンボ・ジェットで旅行することが当り前になった我々は、飛行機の歴史が浅いのを忘れているが、第一次大戦のヨーロッパ戦線では、飛行機械に乗ったパイロットたちは、一機討ちを戦いの基本と考えたものである。
それは、彼等パイロットが、騎兵隊《きへいたい》出身の騎士《きし》であったからで、まさに、今のアの国の騎士たちと同じである。
だから、彼等は、発明されて間もないパラシュートを使うことを嫌《きら》い、飛行機械を馬と同じに考えて、墜落《ついらく》する飛行機械から、乗り手だけが逃《に》げることを拒《こば》んだのである。
そして、飛行機械乗りたちは、空中でレンガや手榴弾《しゅりゅうだん》やライフルを使って決闘《けっとう》をした。
しかし、地上の戦闘の膠着《こうちゃく》状態に業《ごう》を煮《に》やした将軍たちは、飛行機械の力を地上軍の攻撃《こうげき》に利用しようと考えた。
そして、フランスでは、フレシェットという鋼鉄のエンピツほどの矢を地上にバラ撒《ま》くことを考えついた。
まだ、七十年ほど前のことである。
一九一五年(大正四年)は、ジョクのような飛行機好きには忘れられない年である。
フランスの戦闘機がホッチキス機関銃《きかんじゅう》を搭載《とうさい》し、やや遅《おく》れてドイツの戦闘機フオッカー機が機関銃を装備《そうび》して、自機に個人の紋章《もんしょう》を描《えが》いた空のエースが出現した年である。
一方、日本の陸軍と海軍は、青島攻略戦《チンタオこうりゃくせん》で九十三回|出撃《しゅつげき》しながら、その飛行時間は、延べにして百六十時間という時代であり、それでも、世界で初めて艦隊《かんたい》に爆弾《ばくだん》を落したりした。
個人と機械の最後の蜜月《みつげつ》時代である。
だから、飛行機好きは、あの時代にあこがれる。
しかし、機関銃《きかんじゅう》の出現以後は、急速に技術が進歩し、騎士《きし》や武士精神を持ったパイロットたちは、機械の狂暴《きょうぼう》な性能の拡大によって、押《お》しつぶされていった。
そして、技術|基盤《きばん》のすそ野が拡《ひろ》がりすぎた現代では、個人の資力では、ひとつの発明もできなくなって、特許権者として企業《きぎょう》名が登録される時代になった。
一人のエースは戦術的にも社会的にも邪魔《じゃま》な存在になったのである。
バーンの言葉は、ジョクに、自分がなににあこがれていたのかを思い出させてくれたのである。
「戦術を開拓《かいたく》するか……」
まして、ショット・ウェポンが、オーラ・マシーンと呼ぶからには、それは、個人の力そのものを認める機械である。
これは、人にとって、もっとも刺激《しげき》的な事態なのである。
「あとは、オーラボム・ドーメのパイロットたちが、我々カットグラ部隊の動きを、どのように補ってくれるかだ。単独の戦闘《せんとう》はさせないようにしなければ、ハバリーにも勝てない」
「そうだな……」
「いいか? バーン。問題は、将兵にどう分らせて実践《じっせん》させるかだぞ? 軍事行動では、オーラ・マシーンの性能などは問題じゃないんだ。一番の問題は、将兵の質の問題だ。騎士一人一人の働きは、忘れろ」
「……集団戦だからな」
ジョクは、しつっこいほど言った。バーンは理解したような口ぶりでも、真実、納得《なっとく》しているのではないのだ、
もちろん、ジョク自身、なにかの小説などで知った考え方で、身についている知識ではないのだが、装備《そうび》の性能がどんなによくても、それだけでは戦争には勝てないという事実は、ベトナム戦争や中東|紛争《ふんそう》が教えてくれていた。
「馬も装備の一種だがさ、乗り手次第で馬だって臆病《おくびょう》にもなれば、強くもなる。それと同じだ」
ジョクは、そう言った。
「まったくだな。ガロウ・ランヘの対処の仕方にミスを犯し続けたのは、オーフボム・ドーメ、カットグラの使い方を間違《まちが》っていたせいだと認める。騎士の時代は終ったのか?」
「地上でも同じような歴史があったが……」
ジョクは、そんなことを言いながら、テーブルに座りこんで、強獣《きょうじゅう》のハバリーが編隊で攻《せ》めてきた場合の迎撃戦闘《げいげきせんとう》の図をえがきはじめた。
まず、オーラボム・ドーメ三機を左右と上に展開させて、その中央をカットグラが侵攻《しんこう》するという四コマ・マンガである。
「上に一機ドーメを出すのがミソじゃないかな? それができなければ、カットグラがこの一番機に代らなければならない」
「なぜだ?」
「分るだろう? 空中戦では、上に出た方が勝つ」
「そうか……となれば、ハバリーをいかに早く発見して、ドーメを上に上げるかのタイミングの問題になるな? フム、どうしても、集団の力を借りることになるか……」
「騎士《きし》としては、面白《おもしろ》くないのは分るが、空中戦で強力な飛び道具が使われるようになれば、こうなるさ」
「これが、近代の戦争というわけか……?」
「残念ながら、そうだ。地上だって、七十年ほど前までは、パイロットはみんなバーンのような騎士上がりだった。しかし、一機対一機で戦うのは、十年とつづかなかったよ」
「理屈《りくつ》では分るが、それでは、騎士の名誉《めいよ》もなにもないぞ?」
「しかし、敵を撃墜《げきつい》するのは、カットグラに乗ったバーンだけだ。ドーメが敵を撃墜することはまずない」
「初めに敵に接触《せっしょく》してもか?」
「そうさ。初弾《しょだん》で撃墜することは不可能だろう。ハバリーが、強力な火薬を使った飛び道具を使うようになれば、簡単に敵に接近するのは不可能になるからだ……そうだ。このことが一番重要なことだ。ガラリアが攻撃《こうげき》を受けたのは、彼女がうかつだったからじゃない。この教訓を正確に伝えておかないと、オーラボム・ドーメ部隊は、あっという間になくなっちまうぞ?」
ジョクは、最初のコマ、敵と接触する前の編隊の図を描《か》き直しながら言った。
「だから、三機のオーラボム・ドーメの編隊は、水平面に展開するのではなくて、先頭の一機を上におく」
「カットグラは、敵の編隊を発見してから、上昇《じょうしょう》をかけて、三機のオーラボム・ドーメのうしろ上から、俯瞰《ふかん》するということだな?」
「そうすれば、好きな敵から狙撃《そげき》できるはずだ」
「ン……理屈《りくつ》だ。これで講義してくれ。あすからは、これで徹底《てってい》訓練だ」
「仮想敵機の役は、俺《おれ》がやろう」
「いいだろう。装備《そうび》より人が先らしいな。やはり……」
「古来変らない原則だろう?」
「ああ……!」
戦争の仕方の原則といっても、所詮《しょせん》は、人なのであると説いたものをジョクも読んだ記憶《きおく》があるのだが、それが小説なのか別の種類の本なのかは覚えていない……。
バーンは、ジョクの描《か》いたものを手にして、
「これは、大きな紙に絵師に清書させよう……」
「頼《たの》む。夕方の講義で、使う」
「ああ……おや? リムル様? いけませんな? 機械の館《やかた》周辺は、軍人以外の出入りは禁止ですぞ?」
リムルが、まだウロウロしていたのは、リムルを案内する近衛兵《このえへい》三人の方が、オーラ・マシーンを見学したかったからと分った。
「……ハマダ……聞いているのか?」
先刻、ジョクが怒鳴《どな》った男だ。
「ハッ! 申しわけありません。しかし、リムル様のお供でもしないと、我々には、ここの見学ができません。退出いたします」
リムルは、バーンとジョクのいる部屋に特別なものがないので、入口から入ろうともせず、城の方に戻《もど》ろうとした。
ハマダと二人の近衛兵は、きらびやかな衣装《いしょう》を光らせて、それを追った。
「子供らしくない娘《こ》だな」
ジョクは、その一団を見送って言った。
「アリサ様がいらっしゃっているので、城にいるのが厭《いや》だと言っていたな」
バーンは、ジョクにそう言った。
「ハンダノから来ているのか?」
「知らんのか? 亭主《ていしゅ》になる男が、迂闊《うかつ》だな?」
バーンは、そう言うと、ジョクを無視して、馬の方に向った。
「いつ?」
ジョクは、どこか自分が忘れられている存在、でなければ、まだまだこの世界に同化していないのだと感じた。
ジョクも、自分の馬をつないでいる馬溜《うまだま》りに向った。
「ということは、ヤエーも来ているのか?」
ジョクは、オーラボム・ドーメの編隊飛行が頭上を通るのを見送ってから、城に戻《もど》ると、自分にあてがわれている個室に向った。
案の定、ジョクのハンダノの財政官のヤエー・ウーヤが待ち受けていた。
「問題があるのか?」
「……はい、新しい畑の開墾《かいこん》の問題で、領地の線引きが不明瞭《ふめいりょう》な点がございまして、ラース・ワウの管財課の者との打ち合せがございました。しかし、なに、問題はありません。ジョク様がハンダノに入られて、前より収穫《しゅうかく》量が上がり、ラース・ワウは聖戦士の威光《いこう》であると喜んでおりますので、有利に線引きされるでしょう」
「俺は、何もしていない。お前の働きのおかげだ。感謝している」
「勿体《もったい》ないお言葉で……」
「この報告書を読んでおけばいいのだな?」
「左様でございます。サインは、最後の書類に……」
「いつ、帰るか?」
「明朝になりますので、それまでに……」
「やっておこう」
「では……」
「いや、ヤエー、お前の家も苦しかろう? 麦一ガタットの増役をしたらどうか?」
ヤエーは、疑わしそうにジョクを見上げて、ターバンに似たかぶりものをちょっと持ち上げるようにした。
「ハンダノの家計では問題なのか?」
「……戦争は、つづきましょう? 騎士殿《きしどの》のお支度《したく》に金がかかりますので……」
「それは、お前の家でも同じだろう。嫁《よめ》に出す娘《むすめ》だっていると聞いている」
「可能ですが……」
「分った。月に二ガタット増役しておけ。俺に何かあったら、助けてくれればそれで良い。俺にとっても、貯金みたいなものだ」
「ハッ! では、来月からいただきます」
「今月からにしておけ」
「ありがとうございます。聖戦士殿」
「ン……後は、頼《たの》む」
ヤエーが退出するのと、入れ違《ちが》いにアリサ・ルフトが入ってきた。
「ご無沙汰《ぶさた》です。騎士殿」
「お元気そうで……アリサ様も?」
「ン……ハンダノにはいつ戻れるのだ?」
「当分……ギィ・グッガは、あらたに戦力を整備しているという情報が入っておりますので……」
「そうか……」
アリサは、ローブを外すと、窓ぎわのカウチにドッと身を横たえるようにした。
「ドレイク様にお会いなされましたか?」
「ああ……」
「昼食を用意させましたが?」
「つき合うよ……」
アリサは、背中でそう言った。
ジョクは、埃《ほこり》まみれになった革鎧《かわよろい》を脱《ぬ》ぐと、シャワーで身体《からだ》を流してから、着替《きが》えて、アリサのいる居間に戻《もど》った。
アリサは、座った姿勢のまま中庭の形良く整えられた植木を見つめていた。
「…………」
ジョクは、お茶をいれると、それをアリサの手に持たせてやった。
アリサは鷹揚《おうよう》に受け取り、顔をジョクに向けることもしなかった。
怒《おこ》っているのではない。王女として育てられた気位の高さが、こういう時に、フッと態度に出てしまうのである。
そんな躾《しつけ》の良さからくるなに気なさを、ジョクは嫌《きら》いではなかった。もちろん、時には、横柄《おうへい》に感じないでもないのだが、気位の高さをスルッと見せられると、文句などは言えなくなった。
育ちの良さは、理屈《りくつ》や、ある年齢《ねんれい》になってからの学習で身につくものではない。
むしろ、アリサの場合は、家事|一般《いっぱん》については、母親から厳しく躾《しつけ》られていて、それこそ、安手の女子学生以上に働くことができた。それは、学習によって身についたものである、
しかし、気位というものは、そういった種類のものではない。
「……機械の館《やかた》で、リムル様に会いました。元気の良い王女ではありませんか?」
「……子供のうちは良い、何を見ても面白いのだし、環境《かんきょう》が変っても、受け入れるだけの適応力がある。しかしな、わたしの年齢《とし》は、自分でも厭《いや》になるくらい感じやすい。自分でもどうしたら良いのかと、迷う……。ルーザとて、悪い女ではないのだろうが、父と結婚《けっこん》できることをどこかで自慢《じまん》しているようで、謙虚《けんきょ》さがないのだよ」
「ああ……ドレイク様の新しい奥様《おくさま》でいらっしゃるから……」
「まだ、婚礼《こんれい》の儀《ぎ》はすませておらぬ!」
アリサは初めて膝《ひざ》を廻《まわ》して、ジョクを見た。
「そうです。が、自分の言いたいことは違《ちが》います。ルーザ様のお育ちは違います故《ゆえ》……」
「ああ、そういう話か……構わぬよ。わたしに言う分には……ジョクは、そういうことに、気をつかいすぎる」
「そうですか?」
「このコモン界に、慣れぬのか?」
「そりゃ、アリサ様のような方の判定をいただかない限り、自分では分らないことです」
「……そうだな……この茶は、ジョクがいれたか?」
「はい……」
「そうだな……」
アリサは、カップを見つめた。その姿は、逆光のためもあって、ひどく老けて見えた。
「ジョクは、いつまでも地上人《ちじょうびと》か?」
あげた顔にも、生気がないようだった。
「……そうですね、時間が解決してくれるでしょう……」
ジョクは、どうして、と聞くのはやめていた。
ドレイクの再婚《さいこん》について、アリサはどうしても承諾《しょうだく》しきれないものがあるのだ、しかし、アリサは、今日まで、決してそのことでジョクに愚痴《ぐち》を言うことはなかった。
アリサがジョクのハンダノ城に寄留したことで、ジョクと結婚《けっこん》するのではないかという噂《うわさ》が公然のものになっても、まだまだジョクとアリサの間に、それほど深い理解があるわけではない。
「母方の者が住んでいた街《まち》は、ギィ・グッガによって全滅《ぜんめつ》させられ、わたしが身を寄せるところはない。本当に引っ越すが、いいな?」
「光栄です。アリサ」
ジョクが、『様』をおさえた気持をアリサは感じたようだった。ニッと白い歯を見せてから茶をすすり、
「前にも言ったことがある。わたしが知らぬところでは、好きにしていい」
アリサは、冗談《じょうだん》のように言い、食事の支度《したく》ができたようだ、とカウチから立ちあがった。
ジョクは、アリサの手からカップを受け取ると、その頬《ほお》にキスをした。
「優しいのですね?」
「……そうですか? アリサが、疲《つか》れていらっしゃるから、そう感じるのでしょうし、そう感じられるのは、アリサ様もお優しいからです」
「ありがとう」
アリサは、ジョクの腕《うで》をとって、入口の方に向った。
二人を迎《むか》える下働きの者が、ドアをノックするのが聞えた。
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「……………?」
トレンは、数人の女戦士たちの怒声《どせい》に、馬の脇腹《わきばら》を蹴《け》って、馬首をめぐらした。
「フェラとやったってのか!?」
「やっちまえっ!」
「見たんだな!?」
「見たよ! 水のなかからフェラリオを出して、やってやがった」
二人の男を前にして、十数人の女戦士たちが、一人の男を地に押《お》し倒《たお》して詰問《きつもん》しているところだった。
サラーン・マッキの水牢《みずろう》があるわきだ。
「やってねえ! はめようとしたら手前等《てめえら》が来たんじゃねぇか!」
地に這《は》った太ったガロウ・ランは、下半身を剥《む》き出しにしたまま、それでも逃《のが》れようとして、脚《あし》をバタバタやった。
「なに言ってやがる!」
二人の女戦士が髪《かみ》の毛をふり乱して、かがみこむと、その股間《こかん》のものを引っぱるようにしたらしい。
「フェラの臭《にお》いがするよ? いれやがって!」
「そんなこっねぇ! フェラは、股《また》を拡《ひろ》げただけでも、臭いがつくんだ!」
「うるせえんだっ!」
サラーン・マッキを清水のなかに漬《つ》けておくと、精力を回復して、また、地上人《ちじょうびと》を呼べるという。
トレンは、彼女のおかげでバイストン・ウェルに降りてきた男で、もともと、サラーンとは縁があると言えた。
「トレン!」
その女の声は、トレンの背後から聞えた。
「……? ミハ?」
彼女も跨《またが》る馬をつぶすのではないかという大きな身体《からだ》である。革の胴巻《どうま》きの下からはみ出た腹の肉が、部厚く下のパンツに垂れさがり、腕《うで》などは、トレンの大腿部《だいたいぶ》ほどあると見える女丈夫《じょじょうふ》である。しかし、黒の髪《かみ》といい、それなりの器量といい、ガロウ・ランのなかでは美しい部類にはいった。
その上、トレンに見せる気の良さは、ガロウ・ランのなかで、トレンに話ができるただ一人の女性であった。
ガロウ・ランが人ではないというのが正しいとすれば、その理由は、容貌《ようぼう》よりも、その頭脳にあった。
テレパシー的なものが利用できるバイストン・ウェルではあるが、彼等、ガロウ・ランの意思は、混濁《こんだく》しているか空疎《くうそ》である。意思を感知しようとしても、何も感じられない者もいるのである。
それは、ガロウ・ランのなかでもレベルが低いもので、肉体だけが存在しているという手合である。それは、動物以下であると言えなくもない。
しかし、さすが空疎そのものというガロウ・ランは少ないし、それでは、ガロウ・ランのなかでも長く生き続けることはできない。
人間の世界には、そのような存在のものでも、生き永らえる社会的な構造があった。
それらの弱者が、どのようなタイプのものと特定するのは難しいが、たとえば、昔《むかし》、『村』というレベルの共同体が庇護《ひご》しなければならなかった『神懸《かみがか》ったもの』といわれる存在である、という言い方は許されるだろう。
それらの弱者は、村全体の意思が容認する限り、生き延びることができた。
それは、弱者を守らなければならないという思想とは違《ちが》って、村で一番の弱者を生き延びさせることによって、村全体の存続|基盤《きばん》を維持《いじ》しようとした結果である。
その発意《はつい》がどこにあろうと、一番の弱者を生き延びさせるという意味は、弱者庇護や福祉《ふくし》の発想ではなく、コミュニティが存続するための最低限の倫理《りんり》であった。
それができなければ、そのコミュニティは、存続する力を喪失《そうしつ》する。それが、自然と隣接《りんせつ》して生きなければならない時代のコミュニテイのあり方だったのだ。
ガロウ・ランには、そのコミュニティの概念《がいねん》がない。
強者のみが生き延びる世界である。弱者は、一瞬《いっしゅん》にして抹殺《まっさつ》されるのである。
それがガロウ・ランであり、自然に隣接しない生き方をしている現代の地上世界と同じである。
「なんだ?」
「リンチ!」
ミハは断固として言ったが、トレンはそれを無視した。
無視すれば、ミハの鞭《むち》が飛んでくるかも知れないという危惧《きぐ》があったが、トレンにも、ガロウ・ランの世界で生きるコツは多少分ってきていた。
仲間と見なされれば、こちらに断固とした意思がある限り、彼等は、黙《だま》って引き下がるのである。
しかも、トレンは、ギィ・グッガの承認という圧倒《あっとう》的な鑑札《かんさつ》をぶらさげていたので、ミハは柔順《じゅうじゅん》にちかい態度をみせた。
「ゲヘッ!」
その男の声は、その次のボドッと堅《かた》い物が落ちる音で終った。
わーっと女たちの歓声が上がり、トレンは、女たちの輪の外に落ちた男の生首を見た。
しかし、女戦士たちは、そんなことは気にもせずに、
「下もだ! 斬《き》っちまえっ!」
そんな掛け声で女たちの体が、またも一点に集中した。
「まだ、動いていやがる!」
「こんなチンポッ!」
なかの背丈《せたけ》がきわだって高い女が、その手につまんだものを、他の二人の男に見せながら、
「フェラとやるとお前たちのも、こうしちまうからな?」
と言い、それをサラーンの沈《しず》められている窪《くぼ》みの方に持っていった。
「…………!?」
トレンは、生首が転がっているのも忘れて、馬を走らせた。
「なんだよ?」
女戦士の一人が、見慣れないトレンに眉《まゆ》をしかめたが、制止はしなかった。
「ホーラッ!」
背丈の高い女戦士は、つまんだものを横木を伏《ふ》せてある窪みに放《ほう》りこんだ。
暗い窪みの下でポチャンという音がした。同時に、ザワッと水が鳴り、薄暗《うすぐら》い窪みに白いものがゆらめくと、次にザバッと水音が激《はげ》しくなって、サラーンの半身が現れた。
その姿は何度見ても、幻《まぼろし》のように見えた。
「…………!?」
窪みの脇《わき》に馬をとめたトレンには、怯《おび》えた声をあげるサラーンの両手が、格子の横木にかかって、這《は》いあがろうとしているように見えた。
「あがんじゃない! 手前《てめえ》が、股《また》にくわえこんだチンポだろう」
女戦士たちが、格子にかかった白い手を蹴《け》った。
なかには、踏《ふ》みつけて下に押《お》し戻《もど》そうとする女戦士もいた。
「捕虜《ほりょ》が水責め……?」
トレンは、何度かサラーンと逢引《あいびき》をしたものの、すべて夜中である。
白昼に、半裸《はんら》の女性が、窪みの水溜《みずたま》りのなかに閉じこめられて、格子をかぶせられているのを見て、トレンは、中世の魔女《まじょ》裁判の光景を連想した。
女戦士が放《ほう》りこんだものなどは見えはしないが、サラーン・マッキは、その異物が自分の呼吸する水のなかに放りこまれたので、ひどく怯《おび》えた。
「なんだい?」
「地上人《ちじょうびと》だ。触《さわ》らない方がいい」
女戦士たちはやることが終ったのと、トレンの存在が分ったので、あっという間にその場を退散した。
興味をそそるものがなくなった瞬間《しゅんかん》に、そのことを忘れるのがガロウ・ランの習性である。そして、危険なものには、絶対に近寄らない習性も持っていた。
このばあい、トレンもサラーンも女戦士たちには、危険というか面倒《めんどう》な存在なのである。
トレンは、格子の間から、まだ上半身を水面上に出して、震《ふる》えているサラーン・マッキを覗《のぞ》いた。
その哀《あわ》れな姿は、ただただ、愛《いとお》しかった。
「サラーン。なんとか、早くこんなところから出してやる。もう少し待っていろ」
「……トレン様……?」
フェラリオは本能的に哀願《あいがん》の色合いをみせた。媚《こ》びであった。
「ギィ・グッガと約束《やくそく》をしたんだ。待っていな」
「いつまで……待つの……?」
「それは……」
言いかけて、トレンは、かたわらにミハが来たので口を噤《つぐ》んだ。
「フェラは、汚《きた》ねぇよ」
ミハの憎悪《ぞうお》は、トレンに明確に分った。
ガロウ・ランの兵士レベルの意思が、このように明瞭《めいりょう》にトレンのなかに飛びこむのは、めずらしいことである,
「俺《おれ》を地上から呼んだ女なんだ、こいつ……」
「…………!?」
ミハの混濁《こんだく》した意思がトレンに感知された。
トレンが、フェラリオの仲間ではないかという疑惑《ぎわく》と、ギィ・グッガが大切にする地上人という概念《がいねん》が混乱するのである。
「俺は、フェラリオの住むもっと上の世界の人間なんだよ。あの女が呼んだんで、俺はここに来た」
「フェラが、また仲間を呼ぶか?」
「そうだ。機械を作る人間をな」
ミハの混濁は、渦《うず》を巻くようだった。
トレンは勇を鼓《こ》して、またサラーンを覗《のぞ》いて、その手に触《ふ》れながら低く言った。
「お前が地上人《ちじょうびと》を呼ぶ時が、俺が、機械を直した時、だ」
トレンは、期限の話を思い出させるようにゆっくりと言った。
「ああ……! でも、こんなんじゃ、地上人は呼べません……」
サラーンは、ミハの存在を意識して、怯《おび》えの色を濃《こ》くして言ったが、その視線は、トレンの瞳《ひとみ》にしっかりと裾《す》えられていた。
「……そうだ。フェラ、そうすりゃ、放してやれる」
ミハの言葉に、サラーンは真白な額《ひたい》に濃緑《のうりょく》色の髪《かみ》を張りつけた肩《かた》をプルと震《ふる》わせた。
その長い濃緑色の髪は水中で藻《も》のようにひろがって、下半身を隠《かく》していた。
「……地上人のお方……努めましょう……」
「そうだ。その美しさは、まったく、この世のものとは思えないのだから……」
トレンの言葉に、サラーンは水面から上体をあげるように身じろぎをして、豊かな乳房《ちぶさ》をフワリと水面上に浮《う》かせて見せた。
そして、スルルルと全身を水面下に沈《しず》めていった。
その時、下半身が濃い緑藻《りょくそう》から抜《ぬ》けて、トレンを誘《さそ》うように見えた。
「地上人! 退《さが》れよ」
さすがに、見張りの男たち二人が、トレンを追い出しにかかった。
「分ったよ」
トレンは立ちあがり、ミハがジロッとトレンを凝視《ぎょうし》しつづけていたのを知った。
「ミハッ! 汚《きたな》いものを水のなかに入れられたおかげで、フェラリオが地上人を呼べなくなりそうなんだ。この話、ギイ・グッガに伝えておいた方がいいぞ!」
トレンは、取り繕《つくろ》うようにおおきな声で言った。
「ああ!? そうか、そう言ったな」
ミハが、うろうろとそう答えた時、その背後に、数騎《すうき》の騎馬《きば》が接近するのが見えた。
「ミハッ! 地上人はっ!……いるじゃないか?」
それは、ビダ・ビッタの一行だった。
「あれが、ビダか?」
「ああ、あんたを呼びに来たんだ、ビダと行くんだろ?」
「そう命令されている」
ミハは、ビダに頼《たの》まれて、トレンを呼びに来たのを忘れていたのである。
ガロウ・ランは、いつもこうなのだ。
ビダたちも、サラーンの水牢《みずろう》があるのを知って、ひとしきり騒《さわ》いでから、トレンを騎馬隊の中央に置いて、ギィ・グッガの本陣《ほんじん》を出発した。
その時、トレンは、ドーレブにサラーンの件を伝えた。
「あんなものを水牢に放《ほう》りこまれては、怯《おび》えるのも分るというものです。あれで、地上人を呼べなくなるとサラーンは言っています」
「……そうか……それはそれで気をつけさせよう」
「俺だって、ああされたんじゃ、気が離《はな》れるというものだ」
と、ドーレブに耳打ちした。
「分る。地上人。機械を直せる男たちを連れてくれば、あの女は、お前のものになるように、わたしからお館《やかた》様に申し上げよう」
「……大丈夫《だいじょうぶ》なのか?」
「ガロウ・ランと言えども、軍を指揮なさるお方だ。功績があれば、報奨《ほうしょう》はお考え下さるよ」
ドーレブは、まるでコモンの策士のようなロのきき方をした。
そして、トレンが、半ば疑わしそうな顔を見せながら、ビダたちと谷間を下っていく後姿を見送りながら、ドーレブはギィ・グッガに言った。
「あれで、あの地上人《ちじょうびと》は、裏切ることはしますまい」
「フン……地上人とフェラリオ、使いようだな……」
白面の巨人《きょじん》はせせら笑うと、居室に逆さ吊《づ》りにしておいた女たちの方に向けて、その棍棒《こんぼう》をそそり立たせた。
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「なんで急ぐ!」
「急ぐ!」
トレンの質問に、そう答えるのがビダ・ビッタだ。説明は億劫《おっくう》がってしてくれない。それに続くガロウ・ランたちも、黙々《もくもく》と馬を駆《か》った。
そのガロウ・ランたちの乗馬技術は、近代の馬術にくらべて粗暴《そぼう》ながら、実戦的であった。
トレンも趣味《しゅみ》の乗馬とはいえ、かなりラフに乗りこなす自信があったのだが、半日ぶっとおしで走ると顎《あご》を出した。
ビダ・ビッタを始めとするガロウ・ランたちは、馬がつぶれることも気にならないようだった。
角を持った驢馬《ろば》のような馬も強靭《きょうじん》だった。全身にうっすらと汗《あせ》をかいても、その脚力《きゃくりょく》は衰《おと》えることを知らない。ナラやミハのような女たちを乗せていてもそうなのだ。
「ブラバはラース・ワウに入ったらしい!」
すでに、オーラの光は薄《うす》くなり、天頂に星の光に似た燐光《りんこう》が輝《かがや》きはしめた頃になって、先頭のビダがようやく説明してくれた。
その時は、トレンは、返事ひとつできない状態だった。
「ヘッ! ヘヘヘヘ!」
この一行についてきたミハは、そんなだらしのないトレンを笑った。
コモン界の昼夜を分けるオーラ光が暗くなって、天にひろがる星の光は、コモン界の上の界、ウォ・ランドンの海底に生息する魚たちの鱗《うろこ》の光だという。
夜半ともなるとその光は、地上で見る星そのものと思える輝きを見せた。
……空気が冷たい……。
小さな谷間に水の流れを見つけると、ビダ・ビッタは、食事の支度《したく》を命じた。
いままでは必死に馬を駆《か》っていたガロウ・ランたちは、忘れたように静かになって、馬から飛びおりると、飼《か》い葉《ば》用の枯《か》れ草を集める者、水をくみに行く者、馬の身体《からだ》を藁《わら》でこすってやる者と、命令された仕事を黙々《もくもく》と始めた。
その間、ビダは、ひとつの岩の上に腰《こし》を下ろして、八人の部下の動きを監視《かんし》する風だったが、普通《ふつう》に言うような気配りを見せているのではなかった。
ただ呆然《ぼうぜん》と空と山と前方の地平を眺《なが》めているだけなのだ。
トレンだけは、そのような任務は命令されていない。ビダに庇護《ひご》されているのである。
彼は、息をととのえるために、ビダの岩の下に仰向《あおむ》けになって、ゼェゼェといつまでも激《はげ》しい息をついていた。脚《あし》は、まだ閉じることができず、鞍《くら》に跨《またが》ったままの恰好《かっこう》で、天に向けていた。
「それで地上人《ちじょうびと》けぇ?」
ビダが一度だけ岩の上から笑った。
「すまないな。俺《おれ》たちは、車輪のついた機械に乗ることはできるから、馬はいらないんだ」
「コモンの女も、半日やりゃあ、股《また》は閉じられねぇもんなあ……ケケケケ……」
笑う時に膝《ひざ》を合わせて、両腕《りょううで》で抱《だ》くという癖《くせ》は、ガロウ・ランの粗野《そや》な性格に合わないような気がした。ビダの腰には、鎖《くさり》のついた鉄球がジャラジャラと揺《ゆ》れているのだ。
「……ケケケ……」
ビダは、笑い終った時には、もうその話題を忘れて、鼻をほじりながら、また周囲を見回しはじめた。
意思が伝わるだけ、まだビダという男はインテリジェンスを持っているのだろうが、今は、呆然とした空虚《くうしょ》な意思が感知されるだけだった。
トレンは寝《ね》たまま顔をねじむけて、異形《いぎょう》のガロウ・ランたちがそれぞれの仕事をするのを見やった。
ミハも両手に水をくんだ革のバケツを持って、川から上がってきた。
「たいしたものだ……」
トレンは、この世界が大きく変りはじめているのだろうと思った。
軍隊という組織的な動きを学習することによって、文化を持たないとされるガロウ・ランたちが、近代的な社会を建設する下地《したじ》を手にし始めているという認識である。
しかし、個人としてのガロウ・ランは、まだまだ粗暴《そぼう》である。言ってみれば、北欧《ほくおう》人のベルセルク気質が、日常でも持続しているというのが彼等なのだ。
トレンとしても、逃《に》げ出せるものならば逃げ出したいのだが、逃げるあてなどない。ラース・ワウに到着《とうちゃく》するまでは、堪《こら》えるしかなかった。
しかし、その間に、ビダの気が変ったりして、殺されることだってあり得るのだ。
「……それに、サラーン・マッキだ……」
トレンは、漠然《ばくぜん》と、ラース・ワウの軍がギィ・グッガの軍を殲滅《せんめつ》した時に、サラーンを救出する英雄《えいゆう》的な自分の姿を思い描《えが》いていた。
ミハが自分の馬の鞍《くら》から木片を取り出して、火をおこしはじめた。棒を錐《きり》のようにつかって簡単に炎《ほのお》を出した。
「たいしたものだ……!」
トレンは、また感動した。
彼の懐中《かいちゅう》には、安いライターや、十数本のマッチがまだ残っていたが、もう、そういうものを簡単に見せびらかすことはしなかった。ギィ・グッガが興味を示しても、壊《こわ》れている、故障していると言って、使おうとしなかったのである。
いつまで生きられるか分らない状況《じょうきょう》であるが、長く生きれば、ライターひとつにしても使いようがあるのは事実なのだから……。
「……メシだ」
ビダは、焚火《たきび》ができたので、岩からヒラリと飛びおりて、トレンの脚《あし》を蹴《け》った。
「ナラっ!」
飼い葉の用意をしていた女戦士を呼んだ。
「アアッ!」
ナラとミハは、その頑丈《がんじょう》な身体《からだ》つきに似ず、まめに食事の用意をした。大豆《だいず》に似たものを銅製のコップで煮《に》て、あとは、肉の燻製《くんせい》ひと切れである。中世の農民の食事と同じだと思えば、食べられないことはなかった。
食事が終ると、トレンに我慢《がまん》できない光景が展開された。
ビダとナラが、仲間が見ている前で、まぐわうのだ。それを見て楽しむ者、自分で済ませる者もいて、その猥雑《わいざつ》な光景には、つきあっていられるものではない。
ミハまで鼻を鳴らして、トレンの股間《こかん》に手を伸《のば》してきた。
「勘弁《かんべん》してくれ。疲《つか》れている」
トレンは、やんわりとミハの手をどけると、焚火の火が届かない場所に移動した。
しかし、そこにも、ナラの歓喜の声が、狼《おおかみ》の遠吠《とおぼ》えのように聞え、ややあって、ミハの歓喜の声もまじった。
「まったくっ!」
人間のかたちをしたものが、よくもこんなことができるものだと感嘆《かんたん》はしても、容認できる光景ではない。
他に楽しみがないのだから仕方がないという考え方もあるし、太古の人間はガロウ・ランのようなものであったろうと、理屈《りくつ》では分っても、別の文明を身につけた者にとっては、ひどい光景と言う以外なかった。
革ベストをジャケットの上に羽織ったトレンは、乗馬で十分に痛んだ内股《うちまた》をマッサージしながら眠《ねむ》ろうとした。疲れと恐怖《きょうふ》が息をつく間というものは、人をまたたく間に、眠りに導くものだった。
しばし、まどろんだ。
と、トレンは、ザクッと地を打つ音にギョッとして眼を開いた。数人のガロウ・ランが、彼を見下ろしているのが目に入った。
「死ぬぞ!」
ミハが言った。
「馬鹿《ばか》なんだ!」
別のガロウ・ランもトレンのことをそう言った。
トレンが上半身を起した時、別のガロウ・ランが剣《けん》を振《ふ》った。
「なんだ……!?」
剣を振ったガロウ・ランは、トレンの脚《あし》のすぐ脇《わき》に、その剣先を突《つ》きたてた。
「…………!?」
その剣先には、さそりに似たものがビクビクと尻尾《しっぽ》を震《ふる》わせていた。
「死んでたぜ!」
ペッと唾《つば》を吐《は》いたミハは、トレンの腕《うで》を掴《つか》むとヒョイと引きあげた。たいした腕力《わんりょく》である。
「出るぞ!」
彼等の背後からビダ・ビッタが怒鳴《どな》った。
その号令を聞いて、トレンはガロウ・ランを見直さなければならないと感じた。まさか、夜の行軍があるとは考えていなかったのだ。
「………なんで!?」
「ブラバが気になる。負けたくない!」
ビダは厳然《げんぜん》と言い放ち、腰《こし》の厚い革ベルトに鎖《くさり》と鉄球のついたものをからげると、ナラを馬に跨《またが》らせてから、自分の馬に向った。
一行は、闇《やみ》の平原を疾駆《しっく》し始めた。トレンは、ただ遅《おく》れまいと懸命《けんめい》についていくだけだ。
* *
「ヘッ! へへへ……うめえ?」
「うめえ……うめぇよ……」
その小さな男は、背中の羽根をブルブル震《ふる》わせると、キャップにそそがれた米の研ぎ汁《じる》のような酒を呑《の》んで、ヒックと大きなしゃっくりをしてから、ドタッとカウンターの上に仰向《あおむ》けになって、自分の腹をさすった。
「ヘヘヘ……」
ブラバは、その羽根つきの男のだらしない恰好《かっこう》を、うすら笑いを浮《うか》べて見ているだけだった。
「飽《あ》きないのねぇ? そんなの相手にすると、馬鹿《ばか》をみるよ」
奥《おく》から出てきた小柄《こがら》な女は、洗い桶《おけ》で手を洗っていたが、羽根つきの男の寝《ね》ているカウンターに手を伸《のば》すと、男の身体《からだ》を払《はら》った。
「痛ぇっ!」
羽根つきの男は、バタバタと羽根をふるわせると、フラフラと飛んで梁《はり》の一角にかじりつくようにしてとまり、梁の上に姿を消した。
「……どこで会ったかねぇ? あんた?」
「……あ? へヘヘ……」
ブラバは、卑屈《ひくつ》に笑いながら、言葉がよく分らないというふうにロを指差してから、足下の麻袋《あさぶくろ》から油紙に包んだものを取り出して、それをカウンターの上に置いた。
「……売るんだ」
紙包みを開きながら、それだけは、言えた。
「あら、いい陶器《とうき》じゃない? 水差しだね」
小柄な女は、七宝《しっぽう》焼きに似た水差しを手にして、
「そうか、こういうの売っているの? 怖《こわ》そうな人だからさ、何かってさ……」
「ブラバだ。へへ……」
ブラバは、自分の顔を指差して、あとは笑いでごまかすと、カウンターに粗末《そまつ》な銅貨を置いて立ちあがった。
「あら? もう帰るの?」
「……商売、商売……」
ブラバは、そう言いながら、ドアを開いてかがむようにして、外に出ていった。
「あ! これ!」
小柄《こがら》な女が、あわてて油紙に水差しをくるもうとすると、ドアの向うでブラバが手を振《ふ》ってみせ、ドアを閉じた。
「フン! こんなことで、コネをつけようってさ!」
小柄な女は、そんなことを言いながらも、水差しをガス灯にかざして、ニタリとした。
「バーン様に鑑定《かんてい》してもらうかな?」
女は、ニコッとするとそれをゆっくりと油紙でくるみ始めた。
この店は、ジョクがこの世界に降りて来て、初めて食事し、寝《ね》た場所である。
女は、ステラ……。
ガロウ・ランのブラバは、警戒が厳重になったラース・ワウの城下街に潜入《せんにゅう》して数日たっていたが、ステラの店に来たのは、今夜が初めてである。
彼は、トレンとサラーン・マッキを拉致《らち》した時、ステラとは闇《やみ》のなかで一度顔を会わせていた。
その事がブラバを、この店に来させることになったのだろう。
彼は、この数日、漫然《まんぜん》とラース・ワウの城の周囲を徘徊《はいかい》してみたのだが、穏当《おんとう》にラース・ワウに潜入する方法は思いつかなかったのである。
だからと言って、以前のように力ずくでラース・ワウに忍《しの》びこむことは、今のブラバにはできない事情があった。それもこれも、ブラバが、ガロウ・ランとコモンの人間の違《ちが》いについて研究に研究を重ねた結果であった。
彼は、オーラ・マシーンがラース・ワウの街の上空を飛ぶのを見て、いってみればカルチャー・ショックを受けたのである。そして、ギィ・グッガの軍の強獣《きょうじゅう》部隊が、アの国のオーラ・マシーンに殲滅《せんめつ》されるのを見て、ブラバにもショックの実体がかすかに分ったのである。
戦後、ブラバは、何人かのコモンの商人を襲《おそ》い、彼等をすぐには殺さずに、コモン世界の習慣、考え方、人づき合いの方法を教えてもらった。
用がすめばあとくされがないように殺すのだが、そのブラバのやり方を見て、彼の手下は彼をうとんじ、逃《に》げだしていった。彼の女であるはずのナラも逃げ出して、ビダ・ビッタについた。
つまり、ブラバは、戦士という尊敬される立場を失っていたのである。
しかし、ブラバは、自分のやり方は間違《まちが》っていないように思えて、ギィ・グッガに、一人でラース・ワウに行く許可をもらったのである。
一軍を指揮するギィ・グッガは、ブラバのやる事が成功するとは思えないまでも、可能性のある仕事だと判断してくれたのである。
それがブラバにとって、ただひとつの救いだった、そういう経緯《いきさつ》があるから、今のブラバには、部下はいない。
「昔からのガロウ・ランのやり方では、機械には勝てねぇんだ」
それがブラバの考えである。
「トレンって野郎も言っていた。機械を作る人間を、機械もろとも盗《ぬす》んでくるしかねぇんだ」
その機械をもってして、戦うしかないというのがブラバの発想なのである。
幸いというか、そうであるからこそ、ブラバは、思考を変えることができたのである。
彼の容貌《ようぼう》はガロウ・ランのなかでは、かなりコモンに近い。それが、彼に、次のステップをのぼることを可能にしたのであろう。
彼は、以前、ラース・ワウに潜入《せんにゅう》するのに使った街外れの小屋に腰《こし》をすえていた。
しかし、以前とまったく風体が違《ちが》っているために、周囲の人は、ブラバを野盗《やとう》づれとは見なかった。
商人の恰好《かっこう》をして、陶器《とうき》商人から奪《うば》った木の鑑札《かんさつ》を携帯《けいたい》し、数頭の馬に恰好だけの荷を用意していた。
もちろん、その荷物のなかに、武器をひそませるぐらいのことはしていた。
「疲《つか》れるもんだぜ……」
ブラバはいつになく疲れる自分の身体《からだ》を藁《わら》の山のなかに横たえて、闇《やみ》を凝視《ぎょうし》した。
戦いで感じる以上の疲れが、ブラバを責めさいなんだが、それはそれで、ブラバに優越感《ゆうえつかん》を感じさせるものだった。
その後、ブラバは、日中は商売をしている風に見せて、ステラの店に通い、何日目かに、ステラからいい話を聞きこんだ。
「あの水差し。バーン様が誉《ほ》めてくれたんだよ。コントバのものだってねぇ?」
と。
「バーン様?……騎士《きし》バーン?」
それは、ラース・ワウの城下町で、よく耳にする名前だった。
「そうだよ」
ステラは、小鼻《こばな》をふくらませて、得意そうに言ったものだ。
ブラバは、いつものように酒をのみながら、待った機会が来たと感じたが、いつもの無口を続けて、そして、いつもの小屋に帰っていった。
「バーン・バニングスか……」
オーラ・マシーンのカットグラを操縦する騎士。
狙《ねら》うには、いい相手だった。
しかし、ステラとバーンの関係がどうであれ、ステラを拉致《らち》しただけでカットグラが手に入れられるとは思えなかった。
「どうする?」
それ以上の事は考えられないブラバである。またも、疲れて寝入《ねい》った。
考えるということは、体力を消耗《しょうもう》するとつくづく感じる最近のブラバである。
その翌日……。
ブラバは、ラース・ワウの刑場《けいじょう》で、ガロウ・ランが吊《つる》されるという話を耳にし、街の人々に交って見物に行った。
「へ……?」
街の外れの刑場には、数百の人々が集まっていた。
一方には、街の最外部の家が一|軒《けん》ポツリとあって、そのバルコニーで、数人の高貴な人々が見物していた。
「……城の者か?」
ブラバは、人の群の間を、気づかれないように移動して、バルコニーをあおいだ。
しかし、近づくことはできなかった。
家の周囲には、城の兵が警戒線を張り、一般《いっぱん》の人々を寄せつけないようにしていたからだ。
「騎士《きし》様が?」
そんな娘《むすめ》たちの嬌声《きょうせい》もあがったので、ブラバは、バルコニーの若い男たちや老人夫婦を見ていった。
「バーンとか、地上人《ちじょうびと》がいるのか?」
しかし、識別できる距離《きょり》ではなかったし、それだけの知識もブラバにはなかった。
「うわーっ!」
人々の一角で喚声《かんせい》が起り、騎馬隊《きばたい》が囚人《しゅうじん》をひいて、広場に現れた。
「……ビダの手下じゃねぇか?」
三人のガロウ・ランが、うしろ手にギリギリに縛《しば》られて、人々の罵声《ばせい》のなかを刑場の中央の絞首台《こうしゅだい》に追いたてられていった。
「ガロウ・ラン共への見せしめである! ガロウ・ランは、ラース・ワウに近づくことなどはできないことを思い知るがいい! ラース・ワウを望むナア・バァで、召《め》し取られたガロウ・ラン! 生きながら千切られ、焼かれる姿に他のガロウ・ランよ! 恐《おそ》れおののくがいいっ!」
刑執行人《けいしっこうにん》の宣言のあと、三人のガロウ・ランが、絞首台の上に引き上げられた四輪車の車輪に手足を拡《ひろ》げてくくられると、その四輪車はガラガラと絞首台の階段から落とされていった。
「ウゲーッ!」
すさまじい悲鳴が、生きながら手足を砕《くだ》かれた三人のガロウ・ランのロから漏《も》れた。さらに、その四輪車は、牛に引かれて刑場《けいじょう》を数周した。
「…………!」
その残酷《ざんこく》な刑を見物する人々は、歓声を上げてはやしたて、ガロウ・ランを罵《ののし》りつづけた。
「チッ! ビダ奴《め》……」
ブラバは、ひとり口のなかでののしった。
その場を出たかったが、刑はまだ続いていた。となれば、動くことはできない。
他の人びとと違《ちが》った動きをして怪《あや》しまれるのは、得ではなかった。
手足を踏《ふ》み砕かれた三人のガロウ・ランは、まだ死んではいない。三人をくくった四輪車が再び絞首台《こうしゅだい》に押《お》しあげられ、絞首台は、半ば血で汚《よご》れた。
その台上で、刑執行人は、鉄のバケツから真赤に焼けた鉄鋏《てつばさみ》を取り上げ、その赤い爪《つめ》で、ガロウ・ランたちの脇腹《わきばら》をつまんだ。
「残酷なっ!」
ブラバは、呻《うめ》いた。
そのブラバと同じかそれ以上の嫌悪感《けんおかん》で刑の執行を見ている者がいた。
ジョクとマーベル・フローズンだった。二人は、刑場に面した建物のバルコニーにいたのである。
しかし、ジョクは、とっくの昔《むかし》に刑などは見ていなかった。刑場を背にして、部屋の中央のテーブルでこれも肩《かた》を丸くしているマーベル・フローズンの背中を見つめた。
「そりゃ、気持ちのいいものではない」
バーンは苦笑したものの、見なければならない、とはさすがに言わなかった。
「察するに、地上世界は、天国であるのだな? このような刑が必要でないというのならば……」
「そりゃ、中世のヨーロッパにもこんなことはあったけど、現代よ! 今はっ!」
マーベルは、眉《まゆ》をしかめ口元をおおって、ようやくバーンを見返した。
「しかし、ガロウ・ランは人間ではない。地上人《ちじょうびと》の方が感じるほどに、むごいことではないのだがな……」
バーンはムッとした様子で、「ニー!」と隣《となり》の部屋で見物をしていたニー・ギブンを呼んだ。
「ハッ!」
「マーベル様を城までお守りして!」
「ハイ……! 騎士《きし》バーン」
ニーはマーベルの脇《わき》に立って、手を差しのべた。
「臭《にお》うわ……」
マーベルは、肉の焼ける臭いのことを言った。
「しっかり」
ジョクは、いろいろな意味をこめて言ったつもりだった。
マーベルは、何も答えずに、ニーにともなわれてドアに向った。
外で、ブラバは、とどめを刺《さ》してもらえないガロウ・ランの囚人《しゅうじん》たちが、刑場《けいじょう》にさらされたままになっているのを確かめ、何人かの人々が刑場を立ち去り始めたのを見届けると、刑場を後にした。
「……ナア・バァの森と言っていたか……?」
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その日の午後、ブラバは市門《しもん》にいた。彼にとっては、難しい芝居《しばい》をうっているところだった。
「街を出るのではないのか?」
「ヘヘヘ……ここで陶器《とうき》に合う土を捜《さが》す……」
つまり、午後は、夕方まで土《つち》捜しに行きたいから、出してくれと言ったのだ。
「陶器の商人か?」
市門の番兵たちは、空馬を引いたブラバの恰好《かっこう》をジロジロと観察して、
「メットゥール・メット。ヘド・ンバラの者だな?」
「ヘド・ンバラン!」
ブラバは、大きく頷《うなず》いてみせた。
番小屋の奥《おく》で、出入りの者の書類を照合した番兵の長が、なにごとか書きこんでから、
「暮《く》れ前には、門は閉じるぞ! そしたら、商人の鑑札《かんさつ》があっても、門は開けねぇ!」
兵の一人が偉《えら》そうに言うと、ブラバを、解放した。
これだけのことだが、ブラバにとっては、大仕事だったのだ。馬に跨《またが》るとフッと息をついてから、ナア・バァの森とおぼしき方向に馬首を向けた。
ガロウ・ランならば、嘘《うそ》は得意かもしれないと想像するが、それは違《ちが》う。嘘をつくためには、嘘をつくための知識が必要なのだ。
ブラバには、まだそれだけの知識はなく、つけ焼き刃《ば》の知識であるために、苦労するのである。
単純な出入国ならば、黙《だま》って鑑札を示して、行く方向に身体《からだ》を向けておけば、ことが足りるのだが、この場合のように、ちょっと出て、また帰ってくるという意思を伝えなければならない時は、ブラバに緊張《きんちょう》を強いる。
「……ビダ・ビッタ奴《め》……」
彼とは近い関係ではないが、知らない顔ではない。
ギィ・グッガの軍で初めて、ラース・ワウに潜入《せんにゅう》してアリサ・ルフトを拉致《らち》してきた男である。ブラバがトレンとサランを拉致したのも、ビダに倣《なら》ってのことであった。
ブラバは、ガロウ・ランの習性に従って、ナア・バァの森からまっすぐにラース・ワウを離《はな》れる方向に馬を走らせた。同じ習性を持つ者であれば、どのような方向に走るか、逃《に》げるか見当がつくというものである。
森から湿地帯《しっちたい》を抜《ぬ》けて、数軒《すうけん》の農家が無事であるのを見ながら、進路を山の方向に取った。
さらに、小一時間、走る。
コッコッ! 鶏《にわとり》が木々の間に走るのを見て、ブラバは、その鶏を追った。
そこにも一軒の家があった。炭を焼いている小屋の脇《わき》に、そまつながらも人が住む小屋があった。
「…………!?」
その小屋のうしろ手には、水が流れる音があった。
「水か……!」
ブラバは、またも、コモン人《びと》から教えられたことを思い出して、馬をその小屋の脇に乗り入れていった。
「すまない! 水が欲しい! すまない!」
小屋のなかに人の気配があったが、ブラバは平静を装《よそお》い、炭焼き小屋のけむりを見やった。
住いの方の小屋のドアがゴトッと鳴った。
「水なら、お好きにどうぞ?」
ドアの隙間《すきま》から覗《のぞ》いた老婆《ろうば》がボソボソと言った。
ブラバは、女の顔を見て、『手前《てめえ》なんかの股《また》は覗きたくもねえ!』と思ったものだ。
「ごめんなさい」
ブラバは、知っているアの国の公用語のひとつで言葉を並《なら》べたてた。
「怖《こわ》いことがあったのか? 最近?」
ブラバは、そう言いながら馬の手綱《たづな》をとって、清水の音のする裏の方に移動した。
「娘《むすめ》が、殺されましてなあ……」
ボソボソした声が耳に入った。
「いつ?」
その聞き方でも、外国人であれば、相手は疑いもしない。
「昨日なんですよ。ガロウ・ランが、娘夫婦をメチャメチャにして……」
「…………!」
後の言葉は聞えなかった。ブラバは、清水が流れ出る木の樋《とい》の前で、ニタリとした、
ブラバは、愛想笑いのひとつ、悔《くや》み言葉のひとつも言わずに、馬に跨《またが》ると一路、山のなかに分け入っていった。
「ヒューッ! トロットロッ!」
ブラバは、口の先をすぼめて、両方の手で口の左右を囲んで鳥の鳴き声の真似《まね》をした。その声は、山々にこだまして、消えていった。
ブラバは、左右に山を見ながら、ポクポクと馬を歩ませていた。
「ピョョョ……!」
応答があったのは、それから間もなくだった。明らかにビダの手下の者は、かなりの間、ブラバを観察していたようだ。
右手の下の熊笹《くまざさ》に似た平坦《へいたん》なしげみが、風もないのに鳴った、そして、そこに二人の顔がポッカリと浮《うか》んだ。ミハとモドドだ。
「ビダの手の者だなっ」
ブラバは先に言うと、自分の名前を告げ、ビダを呼べといった。
「手前がギィ・グッガのもんだって、分らねぇ!」
ミハが怒鳴《どな》った。
「すまねぇ。コモン人《びと》に化けているから、こんな恰好《かっこう》をしているんだ。俺《おれ》は、同じ言葉をしゃべっているブラバだぜ!」
「待ってな! 動くんじゃねぇ!」
女の方がそう言うと、風のように熊笹の繁《しげ》みのなかに消えていった。残ったモドドは、パカンと口を開いて、ブラバを見つめていた。
そのモドドを馬鹿《ばか》だと感じないのがブラバである。
「……ヘヘヘッ!」
笑いが熊笹のなかから聞え、山の景色を背にして、ビダ・ビッタがヌーッと姿を現すのに大して時間はかからなかった。
「なんだ! ブラバ!」
ビダは、自分がブラバに先を越《こ》されずにすんだらしいことが嬉《うれ》しいのだ。その背後から、ミハ以下、数人のガロウ・ランの手下たちが上半身を現した。
最後尾《さいこうび》にトレン・アスベアとナラがいた。
「…………!?」
「地上人《ちじょうびと》を連れていたのか!」
ブラバは、絶句した。
ビダのような男が地上人を連れてラース・ワウの近くまで来ていたことに唖然《あぜん》としたのだ。
ブラバの姿に、ナラはおよび腰《ごし》のように見えたが、だからと言って、恥《は》じもしなければ、馬鹿にした風も見せなかった。前の男だということを忘れているのかも知れない。
「……難しい話があるんだぜぇ」
ビダが嬉しそうに言った。
「フン! 昨日、ラース・ワウの兵隊に、手下が三人もやられたな!」
「そんなこたぁ、ねえ!」
ビダが気色《けしき》ばんだ。
「いいんだよ。俺は見たんだよ、三人は、コモンに手足をメチャメチャにされて殺された。リンチだ」
「本当か?」
「見世物になっていた。コモンのリンチは、ひでえのを知っているだろう?」
ブラバが説明すると、さすがにビダの一統は、うむーっと唸《うな》って、コモンなどは叩《たた》き殺すしかねぇ、といきりたった。倫理《りんり》観が違《ちが》うのではなく、人は、やり方が違うと残酷《ざんこく》に感じるという部分がある。
「待ちな! あんたらだって、人をさらうのが目的で来たんだろ?」
ブラバはビダの手下たちを制して、背後にうずくまっているトレンに目をやった。
「地上人、俺を覚えているか? 手前《てめえ》をラース・ワウから連れ出したのが俺なんだぜ」
「覚えている。あんたの話すことはよく分る」
「いいことだな……ええ?」
ブラバは、ビダが見ている前で、トレンにすり寄ると、トレンの肩《かた》を抱《だ》いて、
「手前は、ラース・ワウに行って、何をしようっていうんだ?」
「機械を盗《ぬす》み、機械を直せる男を盗む」
「それはできねぇだろう? ラース・ワウに入っちまえば、もう戻《もど》って来ねえよな?」
「そんなことをしたら、あんたたちに殺される。約束《やくそく》は守る」
「冗談《じょうだん》言っちゃあ困るぜ。ラース・ワウに入れば、お前は機械に守られる。俺たちには手が出せねぇよ」
「そんなら、ここで殺しゃあいい」
トレンは、きっぱりと言った。
「そうかよ?」
ブラバは、懐中《かいちゅう》の短剣《たんけん》を引き抜《ぬ》くと、
「やってやろうじゃねぇか! ヘッヘヘヘヘ……」
と、恫喝《どうかつ》した。
「ブラバ!」
ビダの鉄球が、ブラバの足下に飛んで、ドスッと土をえぐった。
「やめねぇかっ! この仕事は、ギィ・グッガが命令しているんだぜぇ! 手前の好きにさせるわけにゃあいかねぇ」
「ビダよ! なら、地上人《ちじょうびと》をラース・ワウに入れようっていうのか? 今の俺の話、分らねぇはずはねぇ」
「…………」
ビダは、ズリッと鉄球を引き寄せながら、考えている風だった。
「……だから、ラース・ワウに入って、俺たちが機械を作っている奴《やつ》をさらって、こいつと会わせようって考えたんだ。が、やられちまった」
「フフフ………知恵《ちえ》をさずけようぜ。機械を作っている男は、ラース・ワウにはいねえってことだ。それに、ショット・ウェポンをさらうのはちょっとばかし骨だぜ」
「誰だって?」
「まったく。そんなことも知らねぇで、何ができる!」
ブラバは、ズッと立つと、前方のかすんで見えるラース・ワウの街を見やって、
「ここは俺と手を組むこったな」
そう宣言した。
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「戦士ジョク!」
ニー・ギブンが、礼儀《れいぎ》正しくジョクを呼ぶ。そんな時は、困惑《こんわく》している時か、何かを頼《たの》む時だ。
「なにか……?」
ジョクは、机を前にしてヤエー・ウーヤの決算書類に目をとおしているところだった。
ニーは、ドアのところに立ったまま、動こうとしない。
「……マーベル様は、わたしの話を聞いてくれません。ジョクなら、通じるでしょうから……」
「……なんでだ……?」
言わずもがなの問いを発したが、ジョクは書類を読むことにうんざりしていたので、立ちあがった。
「マーベル様がふさぎこんでいられまして……あれでは、この世界で暮《くら》すことが苦しくなります。早く馴《な》れていただかないと、お気の毒です」
ジョクは、長身のニーを見上げた。
身体《からだ》が大きくとも何もできないのだな、と思う。
「俺《おれ》が行けば、邪魔《じゃま》になるような問題なんじゃないのか?」
意地が悪いな、と意識しながら言った。
「そんなことはありません。マーベル様は、まだまだ、心を開いて下さいません」
「分ったよ」
「申しわけありません」
二ーはホッと息をついた。
ニーに先導されて回廊《かいろう》を歩んでいった。暗い回廊である。反対側のガス灯の下に、人影《ひとかげ》があったが、うずくまったまま動きもしない。
『そうか……』
ジョクは、マーベル・フローズンのことを思う。
学識があるだけに、カルチャー・ショックを乗りこえるのは、難しいのであろう。
『日本の大学生は、気楽だものな……』
ジョクは、このバイストン・ウェルの世界で生きることに比べたら、自分の学生生活はいかにも甘《あま》っちょろいものであった、と思い返していた。だからと言って、この世界の基準を地上世界にあてはめるのは、間違《まちが》っている、とは承知している。
『自然に帰ろうなんてキャッチフレーズは、CMの世界のものだものな。ほこりとドロにまみれていれば、プラスチック板の滑《なめ》らかで清潔な質感にあこがれちまうのが、現実なんだよな……人間なんて、いつもいつも隣《となり》の芝《しば》がきれいに見えるんだから……』
ラース・ワウの夜は、暗い。
中庭に面した回廊《かいろう》は、ガス灯があるところだけが、ほんのりと浮《う》きたって、周囲は闇《やみ》に包まれている。
しかし、そのほのかな光のなかに、たえず、うごめく人影《ひとかげ》や、うずくまっている人影が認められる。
その影が、警備の兵のものであれば当然と言えるが、それだけではない。いろいろな種類の人びとが、夜中でも起きているのである。明日の朝のための用意をしなければならないから、祈《いの》りの時間が欲しいから、やり残した仕事があるから、という人びとは多いのだ。
つまり、やるべきこと、やりたいことが沢山《たくさん》あると言うのだ。
ジョクには、そうは見えない。それらの人びとは、ひたすら、時間が過ぎるのを待っているとしか思えない。
城というものは、必要な人びとしか入れないはずなのに、一般人《いっぱんじん》と思われる人びとがウロウロしているのである。
しかし、それは、ジョクという現代の価値観にまみれている青年の観察であって、この地の人びとは、そんなジョクの批判じみた見方を笑うだけだった。
だが、ジョクは何度も観察していた。一日、何もしないで城の一角の日陰《ひかげ》やら、軒下《のきした》で寝《ね》ている人びとを……。
おそらく、ジョク自身、気がつかないうちに、効率論的な価値観に汚染《おせん》されてしまっていて、どこか、無駄《むだ》を許せない生理があるのだ。
『最近は、日中寝ている奴《やつ》を見ても、腹はたたないものな……』
こんな光景になれるのにさえ、ジョクには、時間が必要だったのである。
となれば、この世界での戦争経験もないマーベルが、白昼、中世期の残酷刑《ざんこくけい》そのものを見せられて、精神的に打撃《だげき》を受けたのもうなずけるのである。
「マーベル・フローズン……」
マーベルにあてがわれた小部屋には、あかあかとガス灯がともっていた。コモン人が普通《ふつう》に便う以上のガス灯が部屋|一杯《いっぱい》にともっているのだ。
ムッと暑かった、
「……なにか?」
カウチに身体《からだ》を横たえたマーベルは、手にしたグラスを放そうともせずに、ジョクを目の端《はし》で見た。
ジョクは、入ってもいいか? と訊《き》くのを忘れて、入口の脇《わき》の椅子《いす》に腰《こし》を下ろしてしまった。
ニーは、ドアの外で待った。
「別に、用はないけど……」
マーベルは、返事もせずに、またグラスを口にした。
「…………」
ジョクは、ガス灯がいくつあるのか数えながら、こうして、アメリカ人と称する女性の部屋に座っていることを、不思議に思っていた。
美井奈《みいな》のことが、ふと、意識をかすめる。
『……美井奈が無事でいてくれれば……』とは、思わない。そう思えば、あの美井奈の無残な最期《さいご》を思い出してしまう。だから、ジョクは、美井奈の記憶《きおく》を封印《ふういん》しようとしていた。
『アリサに冷たいのかも知れない……』
はっきりと意識してそう考える。
そして、マーベルに意識を戻《もど》す。
マーベルの赤毛の髪《かみ》が、たっぶりと肩《かた》にかかっている。ジョクは、うつくしいと思った。その髪のような豊かさを精神面でも持てば良いのに、ともジョクは思った。
彼女は、裾《すそ》の方に花の刺繍《ししゅう》のあるたっぶりとした長いワンピース、古代ローマのガルマティカ風の衣装《いしょう》に身を包んでいた。
「…………!」
手にしたグラスをあおったマーベルは、そのグラスをカウチの前のテーブルに置き、そして、ロに含《ふく》んだものをブッと窓の外に吹《ふ》き出した。
「…………!?」
ジョクは、別に驚《おどろ》きはしなかった。
「……許婚者《いいなずけ》の方は、引越《ひっこ》しなさるんですって? あなたのお城へ?……あなたのお城は素敵《すてき》ですものね」
多少、ろれつが回っていないように聞えた。
「ありがとう……」
ジョクは、かすかに頷《うなず》いた。
彼女は、二度ほどジョクの城を見学していた。アの国に降りた当初、ニーの案内で来たことがある。
その後、彼女は、ラース・ワウから外に出ることはなかった。機械の館《やかた》にも顔を出さずに、ほとんどこの部屋の周囲で暮《くら》していたようなのだ。
ドレイク・ルフトが、ガロウ・ランに地上人《ちじょうびと》が拉致《らち》されることを恐《おそ》れて、警備を厳重にしたこともあったが、マーベルが、自閉症《じへいしょう》気味になっていたのである。
バーン・バニングスが、そんなマーベルを刑場《けいじょう》の見学に連れ出したのは、気晴らしをさせて地上人としての力を発揮してもらいたかったからだ。
「ただ飯を食わせる余裕《よゆう》は、ラース・ワウにはない」
バーンの言葉に、他の人びとの生活のさまを見ているジョクは、苦笑を禁じ得なかったが、鬱病《うつびょう》にかかっているマーベルが元気になってくれるものならば、バーンの指図に従わせるのも良いと思った。
ジョクも、あんなことになるとは思ってもいなかった。刑場の見学と言っても、ひどくて鞭打《むちう 》ちとか、尻叩《しりたた》きであろうとかってに想像していたのだ。
街《まち》の女子供だって見学するというのだから……。
「こっちにいらっしゃらない?」
マーベルは、ややあって、言った。
「偉《えら》いのね。わたしが、あんな不躾《ぶしつけ》なことをやっても、驚《おどろ》かなかったわね」
「ああ、今のですか?」
ジョクは、ゆったりとあたたかい空気を押《お》し分けながら、徴笑《びしょう》した。
「……この世界に降りてから、いろいろなものを見たし、また知りました。初めて外国に行った時にも感じたことだけど、人間には、いろいろあるんだなって分って来たんですよ……このバイストン・ウェルだって、そうですね。我々の生体力、オーラ力が通じるというのならば、同じ人間じゃないかって思えるようになった……多少あったカルチャー・ショックもそれで薄《うす》らいだのです……だから……」
「…………?」
「そうなれば、マーベルなんかは、まったく上品な人間に見える。どんな意味でも、きれいだってね」
「……らしいわね? やさしいのね……」
マーベルは笑いもしないで言うと、膝《ひざ》を引いて、そこに座れと手で示した。
ジョクは、まだマーベルの脚《あし》のぬくもりが残っているカウチに、尻《しり》を引っかけるようにして座った。
「フフ……」
「…………!?」
「日本人をこんなに間近で見るのは、初めてなのよ」
「そうですか?」
ジョクは、英語を使っていた。
「ボストン出身でしたね?」
「そう、古くて、新しくなろうって、大騒《おおさわ》ぎをしている街だわ」
「古い歴史的な街かと思っていましたけど?」
「トーキョーみたいに、高層ビルだってできているのよ」
「日本に来たことあるんですか?」
「いいえ……テレビで知っているだけ」
「そうでしたね……」
「聖戦士ジョク、なんで、こんな世界に同化できたの?」
ワッと上体を揺《ゆ》らせたマーベルは揶揄《やゆ》するように唇《くちびる》をゆがめて訊《き》いた。
ジョクはムッとした。
その気分を、マーベルは感知したはずだが、彼女は、笑った唇の形をかえなかった。神経が内向している証拠《しょうこ》だ。
「同化なんかできませんよ、死にたくなかったから、戦士をやっただけです」
マーベルが、初めてジョクを覗《のぞ》くような眼《め》をした。
「そう……? 好きそうに見えるけど?」
「皮肉だな……」
「そうでもないって、分るわよ」
「……こういうの嫌《きら》いなんですね?」
「仕方ないでしょ、と言うんでしょ? 日本人は」
「日本人に対しての偏見《へんけん》だな……ぼくは、カミカゼ、ハラキリなんて知りませんよ」
「そうなの……? フーン」
マーベルは、本当に精神が飽和《ほうわ》しているように見えた。
「マーベル。ここは我々の住んでいた世界じゃないんですよ、アメリカも日本も、ヨーロッパだってない世界なんですよ」
ジョクは、膝《ひざ》にのったマーベルの手の甲を叩《たた》いて、優しく言った。
「……分っているわ。今は、あなたとわたしのことを話しているのよ」
マーベルは、背筋を伸《のば》してジョクを見下ろした。
「ならいいけど。いいですか? 我々は、まだ地上世界に帰る方法を知らないんです。あのショットにだって……」
「あの人は、嫌《きら》いよ。わたしと会っている時は、いつも、猥雑《わいざつ》なことしか考えていないんだから!」
マーベルは唾《つば》を吐《は》くような気分で、ジョクから目を外した。話を逸《そ》らす。まだ、まともとは言えない状態だ。
ジョクは、マーベルに合わせることにした。
「……ショットが?」
「そうよ。まるで、安物の映画の悪漢みたいなのよ!」
「……そう……ニーも心配しているんだ。すこしは、元気を出してここで暮《くら》す覚悟《かくご》をしなければ、今度ガロウ・ランにさらわれても、誰《だれ》も助けてはくれないよ、マーベル」
「分っているわよ! けどね、けど……あのバーンのやり方は、許せないわ」
マーベルは、ジョクの手を退《ど》け、膝《ひざ》の上に両肘《りょうひじ》を置いて、床《ゆか》を睨《にら》むようにした。
「…………?」
「……バーンは、ジタバタすれば、あの刑場《けいじょう》のガロウ・ランのようになるから、覚悟してオーラ・マシーンを操って、戦士になれと言っているわ、地上人《ちじょうびと》のオーラカは強いから、良い戦士になりましょう! 地上人ならば聖戦士になれる! だから、わたしにも戦えと言っている! そんな話は、御免《ごめん》だわ!」
ジョクは、そういう考え方もあるのかと思い、黙《だま》るしかなかった、
「あんな残酷《ざんこく》な刑《けい》が残っている国で、なんであたしがやっていけて? 厭《いや》よ!」
マーベルは、両手で抱《だ》くようにした頭をはげしく振《ふ》った。
「しかし、このままでは、ラース・ワウにだって、いつまで住めるか……」
「わたしはねっ! あなたほど、無神経ではないわっ!」
マーベルは顔をあげて叫《さけ》んだ。
「いいっ? ヨーロッパの中世にだって、ああいう残酷刑はあったけれど、まず、宗教上の理由があったのよ。罪を犯したものを裁くというのは、贖罪《しょくざい》に手を貸すことだっていうね。刑を執行《しっこう》する側に、罪を犯したものを神に近づけてやるという考え方があったわ。見せしめだけではないのよ。でも、ここの人たちのやり方は、違《ちが》うでしょう? 残酷な刑を楽しんでいるところがあるわ。宗教らしい宗教もなくって、あんなことをするなんて、ここの人たちは、ああいうことをするのが好きなのよ。野蛮《やばん》なのよ! いいえ、もっとひどいわ。残酷を好むサディストの集団じゃない!」
「マーベル」
ジョクは、思わず彼女の肩《かた》に手を置いて、浮《う》いた腰《こし》を座らせた。
「英語で言う宗教ってどういう意味か知らないけれど、ここにだって、宗教はあるよ。アニミズムがね。神という偶像《ぐうぞう》はないらしいけど、絶対者としての自然の存在を認める姿勢はある。聖戦士思想もそのひとつだ。死者を弔《とむら》うという習慣だってある。その意味では、宗教は存在する」
「あなた日本人でしょ? なら言うけど、仏教は宗教ではないという考え方だってあるのよ。あなた、知っている?」
「え……?」
「死んだ者の骨に祈《いの》って、なにになる? ってね。それは宗教でも哲学《てつがく》でもなくって、邪教《じゃきょう》だって考えるバラモンだっているのが世界よ」
「なんだよ……?」
ジョクは、立ちあがった。
「怒《おこ》ったの? 仏教徒だったの? 若い日本人は、シントーだって知らない、無宗教者がほとんどだって聞いたけれど?」
「信者ではないがね……なにも自分のことで怒ったんじゃない。この世界を狭《せま》い視野で見るだけで、生きることまで拒否《きょひ》するマーベルの考え方に怒っているのだ。大体、あの刑場《けいじょう》のやり方だって、ヨーロッパの車裂《くるまざ》きの方法とは違《ちが》うはずだ。この世界は、なにも、君たち祖先の嫌《いや》なやり方を思い出させるだけのものじゃない。それは分れ」
「……? なにさ……?」
「君が仏教のことを持ち出すからさ。多少、言いたくもなる」
「死刑《しけい》の歴史的な意昧って知っている? 生者の贖罪《しょくざい》が重なるものが死刑だって……」
「ああ……生活苦、社会的なプレッシャーの捌《は》け口がない時代に、残酷刑《ざんこくけい》が成立したってね……しかし、ヨーロッパ中世の車裂きの方法は、違《ちが》っていた。ドイツとかフランスでは、縛《しば》って地面に転がした犯罪者の上に車輪をのせていって、手足を潰《つぶ》すってやり方だ。その上でとどめを刺《さ》して、その後で、その車に死体をのせて、掲《かか》げたんだ。なぜだか分るかい?」
「車輪は、太陽の象徴《しょうちょう》。犠牲者《ぎせいしゃ》を太陽に掲げるという意味と、太陽によって贖罪させる……」
「そうだ。アニミズムの延長にあるんだよ。太陽って……しかし、このコモン世界には太陽がない。アニミズムの発生があったにしても、起源が違う。となれば、やり方だって違うさ」
「よく知っているのね? 正しいわ」
「違《ちが》う世界で生きていくための勉強は、多少しておかないとフラストレーションに陥《おちい》るからさ。それができない時は、全面的に事態を受けいれる。咀嚼《そしゃく》するのは、その後でいい。でないと死んじまう……」
マーベルは、溜息《ためいき》をついた。言葉を探そうとしたが、諦《あきら》めて、ジョクを見つめた。
「そうだ。だから……今は、考え方をかえて、生きていくために、この世界にどう対処するか、考えるしかない………ほくは、マーベルに生きていて、そばにいて欲しいんだ。地上人《ちじょうびと》がショットだけなんてのは、辛《つら》いからな」
ジョクは、立ちあがった。
「……日本人か!」
マーベルが、そう言ったようだが、その意味は不明だった。
ジョクの頭はマーベルの思考をかすかに受信したが、それは、『人種』を持ち出すことで自分を納得《なっとく》させようとするもののようだった。
マーベルは、どこかに人種的な偏見《へんけん》を持っていたようだ。つまり『人種が違う……』という認識……。
マーベルは『人種』ではなく『人』そのもの──つまり、ジョクと自分との違いを問題にしているのだ、と、ジョクは思いたかった。
「おやすみ」
ジョクは答えずに、ドアを開いた。外の冷たい空気が、気持ちよかった。
「戦士ジョク?」
ニー・ギブンの不安な表情が、闇《やみ》のなかにあった。
「すまないが、当分、マーベルには会いたくないな」
「ジョク……?」
「地上世界にだって、いろいろな種類の人がいる。ちょっと、彼女は、俺《おれ》にはハードだ」
「そうですか……」
「今夜は、黙《だま》って寝《ね》かせてやれ。時間が解決してくれるよ……」
ジョクは、ニーの腰回《こしまわ》りを叩《たた》いて、自分の部屋に戻《もど》っていった。
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「あら……?」
ステラは、がなりたてる客たちの向うに、入口をかがんで入ってきた男を認めると、パッと明るい顔を作った。そして、何気ない風にカウンターから出て、奥《おく》の方に入って行った。
男は、フードつきのマントを羽織《はお》って、不愉快《ふゆかい》そうな顔を隠《かく》そうともせずに、カウンターに並《なら》ぶ客たちの背中と壁《かべ》の間を滑《すべ》るように奥に向った。
「ヘッ! 騎士《きし》殿《どの》が、こんな店に来るのかい?」
目敏《めざと》い客の一人が冷やかしたが、声高に話す客たちの声にかき消されてしまった。
しかし、入口近い椅子《いす》に腰《こし》をかけていた男、ブラバは、その冷やかしを耳にとめ、奥に消えていく男の背中を凝視《ぎょうし》した。
飲んでも酔《よ》うことはない。飽《あ》きずにステラの店に通ってくるブラバの根性を、あなどることはできない。
ブラバは、何度か意識して目をしばたいた。
今、酔漢《すいかん》が吐《は》いた言葉が、ブラバの頭のなかでスパークしていたのだが、『どうして騎士なのか』ということが分らず、考えているのだ。
『騎士……この店の女ステラ……この女は、バーンと言っていた……陶器《とうき》の価値を聞いたと言った……それがバーンだ……騎士……バーン……』
ステラが口にしたバーンという名から、騎士バーン・バニングスに思い至ったからこそ、ブラバは、この店に入りびたっていたはずなのだし、ビダとも手を結んだのではなかったのか?
しかし、ブラバは、総合的にすべてを把握《はあく》していたのではない。だから、ブラバは、今、なぜ俺《おれ》はここにいるのかと考えたのである。
このブラバを笑うことはできない。人はおおむね、きわめて大雑把《おおざっぱ》な感覚でもって、物事を遂行《すいこう》しているのだから……。
ブラバは、知恵《ちえ》があまりないからこそ、確率の高い場所を選《えら》んで飽《あ》きずに網《あみ》を張っていられたのである。これは、ほめられるべきことである。
普通《ふつう》の人びとは、少ない知恵や、狭《せま》い洞察力《とうさつりょく》でもって、勝手に想像を逞《たくま》しくして、何もしない場合の方が多いのであるから……。
「フンム……」
ブラバは、素焼きのコップのなかの白濁《はくだく》した酒を口に含《ふく》んでゴクリと呑《の》みこんだ。そして、ステラの丸っこい身体《からだ》が、奥の狭く暗い通路から出て来るのを見ると、立ちあがった。
「あら? もうお帰り?」
「小便だ……」
「そう……」
ブラバは呻《うめ》くように言うと、奥に向って身体を横にして移動した。
外でしなよ、とステラに言われるのではないかとブラバは恐《おそ》れた。かなりの想像力である。
ステラはカウンターの陰《かげ》で忙《いそ》しく手を動かしていた。ブラバの動きは、別にあやしいものではなかった。
店のランプの光が届かない、暗い空間に階段とトイレがあった。その向うの粗末《そまつ》なドアの隙間《すきま》から、奥《おく》の部屋のランプの明りが筋になって洩《も》れていた。
ブラバは、そのドアをノックした。
「ン……!」
部屋から声が聞えた。ブラバは、ドアを開いた。
「…………?」
白面《はくめん》の騎士《きし》が、マントを脱《ぬ》ぎ、私服に近いくつろいだ恰好《かっこう》になったところだった。
騎士は、部屋に人って来た見知らぬ男を目にすると咄嗟《とっさ》に腰《こし》を引いて、腰の剣《けん》に手をかけた。その速さは尋常《じんじょう》でない。
「騎士……バーン?」
ブラバは、はっきりと質問口調で言った。
「……そうだが?」
「……俺は、トレンを知っている。トレン・アスベアだ」
ブラバはそう言いながら、何も持っていないというふうに、両手を前に差し出すことを忘れなかった。
「なんだと?」
バーンが言った。
ドハハハッ! ブラバの背後で、店の客が笑う声が聞えた。
「トレンと会いたい」
ブラバは、もちろん、会わせたいと言ったつもりだった。そのブラバの言い回しでバーンは了解《りょうかい》していた。
「トレンがどこにいるか知っているのだな? 他所《よそ》のお方」
「ああ……連れて行く」
「条件は……なんだ?」
それは、ブラバにとって難しい質問だった。
額《ひたい》に縦にシワを作って、ブラバはバーンを凝視《ぎょうし》して低く唸《うな》った。頭を使うことに慣れはじめたとは言え、まだまだ言葉とそれが指し示す内容を瞬時《しゅんじ》に理解するのは、難しいのだ。つい、感情的になってしまう。
ブラバは、懐中《かいちゅう》に呑《の》んだ短剣《たんけん》を握《にぎ》りしめたい衝動《しょうどう》に駆《か》られた。力ずくで、バーン一人を拉致《らち》した方が早いと感じた。
ブラバの暗い色の瞳《ひとみ》に危険なものを感じて、バーンが先回りをした。
「つまり、わたしが何かしないと、トレンに会わせてはくれないのだろう?」
「……そうだ」
「トレンに会うためには、わたしは何をしなければならないのだ?」
ブラバは、うっすらと納得《なっとく》をした。
「機械だ」
吠《ほ》えるように言った。
「……機械?」
バーンは、きっとブラバの全身を観察し直して、腰《こし》の剣《けん》に手をやった。ブラバが、それを見逃《みのが》すはずはなかった。
「へへ……それならば、俺は強い」
「そうか?」
そのとき、ブラバの背後のドアからステラがいきおいよく入って来て、ブラバの背中にぶつかりそうになった。
「おーっと!」
ブラバは、ステラに何も言わせなかった。ひとつまばたきをする間に、ステラの首は、ブラバの腕《うで》に巻きこまれて、その頬《ほお》にブラバの山刀に似《に》た短剣《たんけん》の刃《は》が押《お》しあてられた。素焼きの壷《つぼ》がステラの手から落ちて、酒がドフッと土間《どま》に散った。
「女の命はなくなるぜ?」
ブラバは、久しぶりに女の体臭《たいしゅう》と体温を感じたが、任務を忘れはしなかった。ガロウ・ランとしては異常なほどストイックになっていたのだ。
「ガロウ・ランにしては、やるな……」
バーンは、剣の柄《つか》から手を離《はな》して、両方の手を背中に回《まわ》して組もうとした。
「手は、前に出しておけっ!」
バーンはニタッと笑うと、その手をテーブルの上に置いた。
「で、どうしろと言うのだ?」
「機械、持ってくれば、トレンと会う。機械直す人いれば、トレンに会わす」
「会いたくない。トレンなどは殺せ! 敵にいる地上人《ちじょうびと》などはいらん」
バーンは、ブラバの狙《ねら》いが分ったので、そう恫喝《どうかつ》したが、次には、ステラの首から、血飛沫《ちしぶき》が飛ぶだろうと覚悟《かくご》した。
こんな場合、愛人を犠牲《ぎせい》にすることができるのがバーンである。
「…………?」
案に相違《そうい》して、ブラバは瞼《まぶた》をふるわせ、眼球を左右にウロウロさせてから、バーンを見据《みす》えた。
バーンは、ブラバの反応がガロウ・ランらしくないので、おやっと思うと同時に、この男は本当にガロウ・ランかと疑った。
「ガロウ・ランの使いの者か?」
「ガロウ・ランでなんでいけねぇっ!」
ついに、ブラバは、怒声《どせい》を発した。
「怒鳴《どな》るな。店の者が来るぞ。いいのか?」
「…………!?」
ブラバは、あわててステラの首を締《し》め直した。
「ゲッ!……バ、バーン……」
ステラが呻《うめ》いた。
「……その女を殺しても、わたしは、トレンに会わん」
「なんだと?」
ブラバは、完全に混乱した。
自分の予定通りにものごとがすすまないと、ただ動揺《どうよう》するだけなのは、まだまだ、知的に現状に対処する能力が欠けているのだ。頭を使う訓練が十分にされていないのである。
「フ……面白《おもしろ》いガロウ・ランだな、こんな手を使うことを考えているとは」
「なんだよ?」
ブラバは、呻いた。
「トレンに会おう。ただし、今じゃない。明日だ!」
「明日?」
「そうだ。明日だ、明日、お前の言うところに、わたしを連れて行け」
「本当か?」
「いいか? トレンが死んでいたら、機械は渡《わた》せない。生きていれば、機械を渡す。だから、トレンに会う。そして、機械を渡す。トレンが死んでいれば、機械は渡さん! 分るか?」
「トレンは、生きている!」
ブラバの怒《いか》りをバーンは手で制して、
「わたしは、トレンが生きているのを見ていない。だから、見る!」
「フーム……」
ブラバの頬髭《ほおひげ》がビリビリと震《ふる》えた。ステラは、顎《あご》を上げて、金魚が水面にロを出して呼吸するような恰好《かっこう》をした。
「明日、トレンに会わせろ。今夜は、ブラバに渡す機械の用意をしなければならん」
「フム……明日まで、この女を預かる」
ブラバは考えてから、そう言った。
「い、厭《いや》だよ! バーン!」
「……その女の股座《またぐら》に手をつっこむことをしないと約束《やくそく》するならば、預けよう」
「…………」
ブラバの表情が一瞬《いっしゅん》、苦痛に歪《ゆが》んだ。
「……なんもしない。預かるだけだ。お前、来なければ、この女は、殺すぞ」
「やむを得んな」
「バーン様……」
「安心しろ。死なせはせん。ステラ、明日の朝、オーラの光が、息をついたら、ここにいろ」
「ここだと?」
「フフフ……軍を連れて来ることはしないさ。ガロウ・ラン」
「ブ、ラバだ。ブラバ」
「そうか、ブラバ。わたしはバーン・バニングスだ」
「憎《にく》い敵だ!」
「そうだ。貴様《きさま》も憎い敵だ」
バーンは、マントを取ると、
「店は閉めるようだ」
そう言って店の客を追い出しながら、トロゥがいないのに気づいた。
「肝腎《かんじん》な時にいないのが、あれだ……」
バーンは、思わず苦笑をして、奥《おく》の部屋から覗《のぞ》いているブラバと、顎《あご》を上げて脚《あし》をバタバタさせて抵抗《ていこう》の風を見せるステラに、
「安心していろ、その男は、礼儀《れいぎ》正しい男だ。食事ぐらいは、させてやれ」
「い、いやだよー! バーン!」
「大切なことだ、我慢《がまん》してくれ。これはアの国のためであり、わたしの出世にもつながる。ステラだって、市民になれるチャンスだ」
「で、でもっ!」
「行けっ! 支度《したく》を急げ!」
「ああ……騎士《きし》ブラバ!」
バーンは、世辞を言うと、ステラの店を出た。
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オーラ・マシーンの製造工場は、なるべく森の木々を伐《き》り倒《たお》さないようにして建設されていた。やむをえず木を伐りたおした後は、網《あみ》を張って工場を隠《かく》していた。
工場は、かなりの煙突《えんとつ》を必要とするのだが、それも森のなかの煙道を通して、煙《けむり》そのものを地中に排出《はいしゅつ》させるような工夫《くふう》がされていた。
しかし、今は、灯火管制が実施《じっし》されているわけではなく、道々には、それなりに灯火がかかげられて、工事が続けられていた。いつ終るとも知れないようである。
ラース・ワウにあった機械の館《やかた》の移転は、ギィ・グッガ麾下《きか》の戦士ミィによるドラゴ・ブラーを使っての空襲《くうしゅう》などがあったことから決定されたのだが、工場をラース・ワウの外に移築《いちく》するべきだというショット・ウェポンの進言は、なかなかアの国の人々に納得《なっとく》してもらえなかった。
城を中心にした攻防戦《こうぼうせん》か陣地《じんち》取《と》りという発想しかない人々には、巨大《きょだい》な戦力を生む工場を城の防衛線《ぼうえいせん》の外に移すという考えは、理解できなかったのである。
それに、経済的な理由もあった。工場を移せば、その防御《ぼうぎょ》のための防壁《ぼうへき》や兵員もよぶんに必要であった。それをまかなうだけの経済的な基盤《きばん》は、まだアの国にはなかったのである。
しかし、ギイ・グッガの軍は、二度までもアの国の軍によって撃破《げきは》されたにもかかわらず、撤退《てったい》の気配を見せなかった。その執拗《しつよう》さは、かつて語られたガロウ・ランの習性とは違《ちが》うという認識がアの国の人びとの間に生まれ広がっていった。その不気味さが、工場の移築を決定させたのである。
かつて、ガロウ・ランは、獰猛《どうもう》ではあるが、飽《あ》きっぽい種族であると語り伝えられ、なによりも、組織戦などはまったくできない単純な人びとと信じられていた。
しかし、それは、コモン人が、自分たちの恐《おそ》れるものを希望的に観察した願望的な伝説でしかなかったのである。
ドレイクは、新規に召集《しょうしゅう》されたウルの国の兵をすべてこの工場の警備に廻《まわ》し、建設要員を確保するために、国中にかなり無理な動員をかけた。
そして、数日前から、この工場では、ようやくオーラボム・ドーメの生産が再開され、カットグラを補充《ほじゅう》する仕事も再開されていた。
ラース・ワウ内の古い機械の館は改装《かいそう》され、オーラ・マシーンの指揮所および整備工場として使われるようになった。
「ショット様は!」
「ハッ! 中のお館にお帰りになりました」
「至急の面談である。注進していただきたいっ!」
バーンは、数人の部下を引き連れて、エ場に至る道の検問の横棒を上げさせ、森の暗い道を走った。
その間に、衛兵《えいへい》が電話で、ショットの館《やかた》に連絡《れんらく》をとることができた。無線|装置《そうち》を本体とした有線通信|施設《しせつ》で、これもショットが開発したものとされていた。
『中の館』と言っても、二階建ての小さな田舎家《いなかや》である。その周囲にロクな警備の兵もいないのは、工場区画全休を警備させているからである。
それでも、ショットは、その田舎家の玄関口《げんかんぐち》を二人の兵に警備させていた。
「バーン様だけこちらへ。家来衆は、あちらの離《はな》れの居間で、お待ち下さい」
「ン……」
バーンは、馬の手綱《たづな》を部下の一人に渡《わた》すと、玄関の網戸《あみど》を開いて、ドアを開けた。ドアにつけられた鈴《すず》が鳴った。
そこは小さなホールで、正面には、丸くカーブを描《えが》く階段があった。左右に居間と食堂がある造りである。
「騎士《きし》バーン、こちらへ」
ショット自身が、二階のベランダから呼びかけた。
「おお……! こんな夜分に……」
バーンは、最後まで言わずに、階段を軽い足取りで登っていった。ショットが、右の部屋のドアを開いて、バーンを招じいれた。
「なにかな?」
「ガロウ・ランが、接触《せっしょく》して来ました……トレンと会わせると……」
バーンは、ステラの店でのことを説明した後で、二人は、その対策をどうするか密《ひそ》やかに協議をした。
翌日……。
アリサ・ルフトは、下働きの者たちを指揮して自分の部屋から必要なものを運び出していた。とは言っても、我々の言う引越《ひっこ》しとは違《ちが》う。
身の回りに必要な細々《こまごま》としたものを納めた幾《いく》つかの荷箱《にばこ》を運び出させるだけで、家具調度を運搬《うんぱん》するというのではない。
それでも、小型の荷馬車二台分の荷物である。
アリサは、最近はきなれた乗馬ズボンに、ジャケットを羽織《はお》って、下働きの者たちの動きを馬上から見守っていた。
「元気そうなので安心しました。アリサ……」
ジョクが手伝うことなど何もない。ただ、馬上のアリサをやさしく見守ってやるだけだった。
「……ジョク、軍務の方は良いのですか?」
ジョクがまだくつろいだ姿なのを見て、アリサは、怪訝《けげん》そうな顔をした。
「お見送りの時間をもらいました。ドレイク様の方はよろしいんですね?」
「もちろんです。兵たちも付けてくれるということですから」
「付けてくれる? ハンダノまで?」
「いえ、わたしが、ハンダノにいる限り、護衛をしてくれる部隊です」
アリサは、おかしそうに言った。
「ちょっと、待って下さい。外に二、三十|騎《き》の騎士がいました。あんなに多数は、バンダノでは養えませんよ」
ジョクは、蒼《あお》くなった。
「大丈夫《だいじょうぶ》、ラース・ワウの予算でやってくれるようですから……まだ、わたしは、ラース・ワウの人間でしょ?」
「そりゃそうですが……困りましたな……」
「地上人《ちじょうびと》の面子《メンツ》ですか?」
「面子もなにも、人を養うというのは、大変なことです。そんなことをしていただいて、ハンダノとの……」
ジョクは、何を言おうとしているのか不明瞭《ふめいりょう》になった。本当は、ハンダノとラース・ワウの経済上の関係、自分とアリサについてのことなど、ドレイクと詰《つ》めなければならない話が一杯《いっぱい》あるような気がしたが、そんなことは、何ひとつ話し合われることなく、アリサは、ハンダノのジョクの城に引越《ひっこ》すというのである。
サラリーマンが、貴族の娘《むすめ》を嫁《よめ》に取るのは、物理的に無理な話である。ジョクは、それに似たプレッシャーを感じていながら、何もできない立場にいた。
「それは、前の馬車につんで下さいな」
アリサは、時々、そんな指図をしながら、迷いがふっ切れたような晴々とした気分を味わっていた。アリサは、鬱々《うつうつ》とした暮《くら》しができない質《たち》なのである。
それは、ジョクにとっても救いになった。ジョクは、まだまだ対等にアリサと接するだけの器量というか、自信を持つまでには至っていないのである。
「…………?」
馬上のアリサは、フッと中庭に面したバルコ二ーの一方を見た。ジョクも、アリサの視線を追って、そこに、二人の侍女《じじょ》に伴《ともな》われたリムル・ウルの姿を見つけた。
「こんなところまでノコノコと出てくるなんて! なんでも珍《めずら》しい年頃《としごろ》なんだから……遠慮《えんりょ》というものがないのよ」
アリサは、鞍《くら》の上で身体《からだ》を横にするようにして、ジョクの耳元に囁《ささや》いた。
「早く結婚《けっこん》しちゃいましょ、ね?」
アリサのお茶目な表情に誘《さそ》われるようにして、ジョクは、その可愛《かわい》い唇《くちびる》にキスをした。
「……クククク……!」
アリサは、嬉《うれ》しそうに身をひくと、馬腹を軽く蹴《け》って、馬首をめぐらせた。
「まさか、馬に乗りっぱなしで、ハンダノに行くのではないだろう?」
ジョクは、そのアリサの背中に訊《き》いた。
「いけません? 騎兵《きへい》にも負けないつもりよ?」
アリサは、馬上で白い歯を見せた。
「護衛の兵の迷惑《めいわく》にならないように!」
「はい」
アリサは素直《すなお》に答えると、二台の馬車の周囲を回って、ロープ掛《か》けや幌《ほろ》の様子を見ていった。
「ドレイク様です」
ジョクの背後に従っていたミハン・カームが囁《ささや》いた。ジョクが視線を向けると、ドレイク・ルフトが供もつれず、気楽な恰好《かっこう》で近づいて来る。
「おお、見送りか? ご苦労だな」
「はい、ドレイク様も」
「アリサ、行くか!」
ドレイクは、ジョクに笑顔を見せて、中庭のアリサの方を覗《のぞ》くようにした。それは、王ではなく、ただ娘《むすめ》の身を心配する父親の姿である。
ドレイクのそんな姿を見て、ジョクは、安心すると同時に、娘一人の安全と幸せを保障できるかどうか分らなくて、心配するのである。
『……深刻にはなるまい。どうにでもなるさ』
ジョクは、努めてあかるく振舞《ふるま》う親子の姿を見つめて、そう思った。
「女が身につけるものなのか?」
バルコニーの上で、リムルは、侍女《じじょ》に聞いた。
「リムル様!」
リムルは手すりに掴《つか》まって、無遠慮《ぶえんりょ》に中庭のドレイクとアリサの別れを見下ろしていたのだ。侍女二人が、あわててリムルの身を手すりから引かせ、
「……地上人《ちじょうびと》の御夫人方の姿だそうでございますよ」
悪いことを教えるといった雰囲気《ふんいき》で、リムルに囁いた。
「はしたないというよりも、奇怪《きっかい》であるな……なんで、あのような姿を許すのであろう……?」
「ドレイク様が、でありますか?」
「ああ……」
リムルは、ようやく高いところからドレイクを見下ろしている無礼に気づいて、身をひるがえした。
そして、自分に与《あた》えられた居室の方に戻《もど》りながら、義理の姉になるアリサの姿を見たショックをどう整理したらいいのかと、迷っていた。
アリサのズボンは、膝《ひざ》から上がたっぷりとした乗馬用のもので、身体《からだ》の線を浮《う》き出しているようなものではない。
しかし、リムルの眼には、ジャケットとズボンというファッションは、すっきりしすぎて、身体の線がむき出しになっているように見えるのだ。
なによりも、男風《おとこふう》の恰好《かっこう》をする姉の姿に、驚《おどろ》いたのであるが、リムルは、それを嫌悪《けんお》しているのではない。その自分の感性を、リムル自身が分らなくなっているのである。
『あんな姉ならば、認めても良い……』
そう思う自分があるのを知って、驚いているのである。
「この国は、不思議じゃ……」
「アの国は、地上とつながっているというお話もございます」
侍女《じじょ》は、リムルの言葉を別の意味にとって、そう囁《ささや》いた。
「そうか……そうだな」
リムルは、城内の別の庭に出たところで、上空を見上げた。
ブブッ、ルルル……。
カットグラが低く飛んでいた。
そのエンジンの震動《しんどう》は、大きくないのだが、どこかリムルの生理を刺激《しげき》した。オーラの光を通すカットグラの羽根が、輝《かがや》いて見えた。
「そうだねぇ……こんな強獣《きょうじゅう》のようなものを作ってしまった地上人がいるのだもの……」
リムルは、城壁《じょうへき》の向うに消えていくカットグラを見送って、一人、納得顔《なっとくがお》になった。
「では、父上……」
「ああ……行ってこいとも言わんし、帰ってこいとも言わん。主《ぬし》は、まだこの城の王女なのだからな」
ドレイクの言葉の意味は、アリサには良く分った。
しかし、これでドレイクは、自分のことを忘れるだろうとも思っていた。
「はい……そりゃ、もう!」
アリサは、ジョクの前に回りながら、先行する馬車を追うように、馬首を向けた。
「…………?」
リムルの見たガラリアのカットグラが、中庭の上空を通過して行った。その影《かげ》は、アリサの周囲を一瞬《いっしゅん》暗くして、上昇《じょうしょう》して行くように見えた。
「……ガラリア機だ。なんで、飛行しているのか、聞いてこい」
ジョクは、顔を向けずに背後のミハンに低く命令した。ミハンは、風のようにその場を去って、機械の館《やかた》に走っていった。
その間に、アリサの馬も中庭の門を出て、ジョクの視界から消えた。
「騎士《きし》、ジョク」
「ハッ! ドレイク様」
「厄介《やっかい》を掛《か》けるが、頼《たの》むぞ?」
「ハッ! 自身の栄光、心から感謝しています」
「世辞はいい。あれに、辛《つら》い思いをさせるのが忍《しの》びない。好きにさせてやりたい。あれの多少の我儘《わがまま》は、聞いてやってくれ」
「はい、そのためにも、自分がハンダノで幕《くら》せるような世にすべく、ギイ・グッガのこらしめ、急ぎましょう」
「そういうことだ。戦士ジョク」
「編隊作戦が実施《じっし》できるようになりましたら、オーラ・マシーンによるゲリラ戦を活発にさせるのが肝要《かんよう》と存じます」
ジョクは、急ぎすぎを承知で、上申《じょうしん》した。
「らしいな。貴公《きこう》の考えは分る。気になること、思いついたことがあれば、何事も儂《わし》に上申してくれ。重臣《じゅうしん》たちのなかには、取り次ぎの手順を気にする者がいるが、そんなことは無視して良い。儂に直接面談を申し入れるのだぞ」
「はっ! 気をつけます」
「貴公は、まあ、婿殿《むこどの》だ。頼む」
ドレイクは、ジョクの瞳《ひとみ》のなかを覗《のぞ》き込んで言った。ジョクはまた身分不相応なブレッシャーをかけられたのだ。
しかし、男ならば、これを利用して出世しなければならないと思う。また、出世などあてにできなくとも、やって見せなければならないことだということも分っていた。
『問題は、俺《おれ》にそれだけのオーラカがあるか、だ。しかし、オーラカは、育てることもできる……!』
そう自己|催眠《さいみん》をかけるしかないジョクであった。
ジョクは、トーキョーもロスも遠くなったと実感した。
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ガラリア・ニャムヒーが操縦するカットグラは、ラース・ワウの城下街一帯を掃《は》くように低空飛行した。
「こんなことをやらせて、バーンはどういうつもりだ?」
ガラリアは、いぶかしく思いはしたが、一応、バーンの説明に納得《なっとく》をして、飛行しているのである。
この飛行が終れば、機械の館《やかた》前の広場に引き返して、この日の通常任務につくことになっていた。
『ブラバというガロウ・ランを威《おど》して、トレンに会う必要はあるな』
『はい、しかも、事を成すには、まず、味方を騙《だま》さなければならないというのは、真理であります。まして、これは一般《いっぱん》的な作戦ではありません。朝、街の上空低くカットグラを飛行させることを、ガラリアにどう納得させましょう?』
これが、昨夜、バーンとショットが会った時の最後の会話であった。
『フム……こういうことこそ、難しいな』
ショットは、ちょっと考えてから、言葉を継《つ》いだ。
『騒音《そうおん》調査をすると言って、飛行をさせろ』
『騒音調査でありますか?』
バーンは、ショットの考え方が分らなかった。
『ン……。大衆というものはな、自分たちの暮《くら》しを脅《おびや》かすものは嫌《きら》いだ。今までは、馬と馬車の騒音、大きな音と言っても大砲《たいほう》の音ぐらいが、精一杯《せいいっぱい》だったろう。しかし、将来、オーラ・マシーンが大量に飛行するようになれば、人々は、この音を恐《おそ》れ、嫌うようになる』
『しかし、オーラ・マシーンは、軍のものであります』
ここが、バーンには分らないのである。バーンには、軍のやることに、一般市民が反対したり、異議を唱えたりするなどということは、想像できることではないのである。
騒音問題にしても、軍事基地建設反対運動にしても、市民意識が政治に反映されるようになった現代になってうまれた運動である。ショットは、公害という概念《がいねん》など持ちあわせていないバーンに、噛《か》んで含《ふく》めるように説明してやった。
『つまりだ、朝の時間にカットグラを飛ばして、住民たちの非難が起るか起らないかを調査するのだ。これは、我々は地上世界でやっているのだ。この騒音調査は、今後のためにしておく必要がある。そうガラリアには説明してやれ』
『ふむ、妙《みょう》な考え方でありますな? 分りました。ガラリアは、それで納得《なっとく》させましょう』
バーンは、半ば納得しきれないというふうな顔を見せた。
『地上世界は、進歩した文明の機械のために、人々が脅《おびや》かされて暮《くら》しているのだよ。分らんだろうな? 地上世界は、天国ではないのだ。音楽ひとつにしても、ここの人々が聞いたら、轟音《ごうおん》に聞えるようなものがある』
バーンは、ショットの説明に、ますます首をひねる風を見せた。
ともかく、そういうわけで、ガラリアは、今朝、城下街上空を低空飛行しているのである。
その城下街のラース・ワウの城壁《じょうヘき》に近い路地裏《ろじうら》のステラの店の前には、数騎《すうき》の兵がひっそりとたたずんでいた。
バーンの姿は、すでに店の奥《おく》にあった。
「バーン様! わたしのために、ガロウ・ランの言うことを聞いたのですか?」
ステラは、ブラバから猿轡《さるぐつわ》を外してもらった時、信じられないというふうに首を振《ふ》った。
「怖《こわ》い思いをさせたようだな?」
「いいえ! いいえ! ありがとうございます」
ステラは、上体を縄《なわ》でキリリと縛《しば》られているために、ブラバの前から動くことはできなかった。
その縄尻《なわじり》を握《にぎ》っているブラバは、窓から、隣《となり》の家の壁《かべ》との間に見える狭《せま》い空を見上げて呻《うめ》いた。
「人型《ひとがた》の機械が、飛ぶか……」
ブラバは、ステラの肩越《かたご》しにバーンを見やった。
「お前が考え違《ちが》いをして、ステラかわたしを殺せば、あのカットグラは、お前を殺す」
バーンは、この恫喝《どうかつ》で、ブラバは確実にこちらの言う通りに動くだろうと読んでいた。
「俺《おれ》は、お前を待った」
ブラバは、ステラの両腕《りょううで》をうしろに廻《まわ》した縄尻を離《はな》さなかった。
「そうらしいな。ステラに手を出さなかったことは感謝する。貴公《きこう》は、紳士《しんし》のようだ」
「シンシ? 俺は、戦士だ」
「そうだ。だから、トレンが生きているのならば、貴公に機械を渡《わた》す」
「機械をくれるか?」
「そうだ。しかし、トレンに会わせてくれなければ、渡す約束《やくそく》はできない」
「連れて行く」
「トレンに会わせてくれれば、機械は、明日には、渡す」
ここで、ブラバは、またも分らないという風を見せた。ブラバは、トレンを見せれば、すぐに機械は手に入るものだと信じている。新しい条件がついたことが、思考を混乱させるのである。
ブラバは、唸《うな》った。バーンは、用心するように身を引いた。このような時に丸腰《まるごし》というのが、どうもバーンには落ち着けなかった。
バーンには、新たな条件を出せば、ブラバの思考が飽和《ほうわ》するのではないかという危惧《きぐ》が十分にあったからだ。その時は、ステラを楯《たて》にして、外に逃げ出すしかなかった。
「……よーし!」
ブラバは、ステラの縄尻《なわじり》を握《にぎ》ったまま、バーンに先に店の外に出ろと命令した。
「了解《りょうかい》だ。ブラバ。しかし、ステラの縄をすこし緩《ゆる》めてやってくれんか? 手首が死んでいる。それに、縛った女を連れて外に出ると、我々が怪《あや》しまれて、トレンのところにも行けなくなるぞ」
バーンはゆっくりと言った。
「トレンのところに行けなくなる?」
「そうだろう? 縛った女を連れて行くのを、街の人や、他の兵たちに見られたら、兵たちは、私の命令を聞かずに、女を助けに来る。それが、コモンだ」
「そうか……」
ブラバは、またも新しい条件というか、考えなければならない事項《じこう》を列挙されて、険しい表情を見せた。そして、まず、ステラの手に触《さわ》ってみて、
「死人の手だな……」
一人|納得《なっとく》するとステラの縄をゆるめてやったが、それでも、巧妙《こうみょう》に手首だけはくくった。
バーンは、壁《かべ》に掛《か》けてあったステラの大きな肩掛《かたか》けを取るとブラバに投げてやった。
「それで、縄目《なわめ》が見えないようにしろ」
「フン!」
ブラバは、鼻を鳴らして、バーンの言う通りにすると、ステラの背中に身体《からだ》を密着させるようにし、懐中《かいちゅう》の短剣《たんけん》を使えるように身構えて、店の外に出た。
「この兵隊たちは、手前《てめえ》のものか? 言うことは聞くのか?」
ブラバは、店の前に待機している数騎《すうき》の騎兵《きへい》に、気色《けしき》ばんで見せた。
「ヒッ! バーン!」
ブラバは、ステラの首に短剣を押《お》しあてて、左右をねめ廻《まわ》した。
「ブラバ、これから行くところには、貴様《きさま》の仲間がいる。わたしが、一人で行けると思うか!?」
バーンは、自分が剣を持っていないのを改めて示しながら言った。
「貴公のための馬も用意してある」
バーンは、一頭の空馬を顎《あご》で示した。
「うーむ……」
ブラバは、その馬の脇《わき》に立つとステラを跨《またが》らせて、それから自分がそのうしろに跨った。
「それで安心したか?」
「お前たちが、前を行け! うしろから合図する」
「了解《りょうかい》だ」
そのようにしてバーンたちは、ラース・ワウの城下街を出た。もちろん、市門の検問などのいさかいもなく、彼等は街を出た。
「次の道を左だ」
ブラバは、道中、指令をするだけであった。
バーン以下六騎の屈強《くっきょう》な兵たちは、なにも考えることがなく、ブラバがビダ・ビッタと合流する予定の場所に辿《たど》りついた。
そこは、ブラバが一人、ビダを捜《さが》しに行った時に、水を飲みに寄った田舎《いなか》小屋であった。
周囲はしんとして、人の気配はない。
鶏《にわとり》は、あいかわらず庭先で寝《ね》ていた。鶏を殺さずに、そのままにしておけと命令したのは、ブラバである。コモン人に怪《あや》しまれるのを回避《かいひ》するためのアイデアである。
「ここだ!」
ブラバの言葉に、バーンは、さすがにいぶかしんだ。
「こんな道沿いの家か?」
そうは言っても、庭にあたる部分のスぺースはかなりあり、左右は木々に囲まれて、背後には、山の傾斜《けいしゃ》が迫《せま》っていた。
街道《かいどう》とは言っても、主要な街道ではない。
「ヒョーッ!」
ブラバが口笛《くちぶえ》を吹《ふ》くまでもなく、小屋の裏口から、テッテア以下のガロウ・ランの影《かげ》が滑《すべ》り出て、左右の繁《しげ》みのなかに身を潜《ひそ》ませながら、裏に行けと手真似《てまね》をした。
バーンたちには、その姿はあきらかにガロウ・ランと分る獰猛《どうもう》さと猜疑心《さいぎしん》の塊《かたまり》に見えた。
騎士《きし》たちは、ザワッと腰《こし》の剣《けん》を鳴らした。
「動くな! 俺だけが行く!」
バーンは言いつつ、周囲を見ろと手真似をした。
小屋の陰、木の上、繁みのなかに、数人ずつガロウ・ランの戦士たちの影があった。彼等は、物の影そのものになって、弓矢を構えていた。数で言えば、ガロウ・ランの方が優勢であろう。
バーンは馬を降りて、騎乗《きじょう》したままブラバに従って、小屋の裏口に回った。清水が裏山から流れ出て、庭を横切っていた。
物置小屋があり、藁《わら》を干すための木組が物憂《ものう》げに立っていた。裏山の木陰《こかげ》には、人の脚《あし》がぶら下がっているのが見えた。老婆《ろうば》らしかった。
「……ン!」
ブラバが、ステラを馬上に残したまま、馬から降りて、田舎家《いなかや》の戸口を叩《たた》こうとすると、ドサッとそのドアが開いた。
「あれか?」
ビダである。
「ラース・ワウの騎士《きし》だ。機械を操る騎士だ」
「フン……?」
その醜悪《しゅうあく》な顔をバーンに向けたビダに、ブラバが言った。
「面倒《めんどう》な話がある。すぐに機械は、持って来れねぇ」
「なんでだぁ!」
「ここは任せろっ!」
吠《ほ》えるビダにかぶせるようにブラバは言うと、バーンに入れと手招きをした。
バーンがブラバの陰に隠《かく》れるようにして小屋に入り、信じられないものを見た。
「騎士、バーン!」
ベンチから立ちあがったのは、トレン・アスベアその人である。多少|汚《よご》れてはいるものの、ラース・ワウから拉致《らち》された時のままのものを着、手足も自由で、真直《まっす》ぐにバーンに向って歩いて来たのだ。
「バーン・バニングスさんが直々《じきじき》来るとはな! こりゃあ……!」
トレンは、バーンに握手《あくしゅ》を求めて、さすがに、安心したという表情を見せた。バーンは、挨拶《あいさつ》の言葉も忘れて、周囲のガロウ・ランたちを見回した。
「これは、なんだ?」
バーンの驚《おどろ》きは、ブラバに直接つたわったようだ。
ブラバがバーンの質問に答えた。
「ガロウ・ランは、卑《いや》しくない。考えもする」
そう言うブラバは、自信に溢《あふ》れていた。
「認めよう。貴公たちは、他のガロウ・ランと違《ちが》う。秀《すぐ》れた人びとだ」
言いながら、バーンは、何かすべての考え方を変えなければならない時代が来ているのではないか、と直感していた。
トレンは、ガロウ・ランの要求を改めてバーンに説明し、バーンもガロウ・ランの要求を受け入れるために来たことを説明した。
「……しかし、明日まで待ってくれ」
「なんでだ?」
「こちらだって、数少ないドーメを一機調達しなければならんのだ。ドレイク様も苦慮《くりょ》されている。それに、どこまで飛ぶかも分らんのだ。補給物資を、どこかで搭載《とうさい》しなければならんはずだ。その用意も必要だろう」
そう言われれば、トレンは黙《だま》るしかなかった。
「俺のために、リスクを背負うのだな? アの国は……」
「そうだ。しかし、黙って整備兵までつけて、そちらに送り込む本当の意味は、想像できるな?」
バーンは、言わずもがなのことを訊《き》いた。
そうでもして確認しておかなければならないのは、トレンが地上人《ちじょうびと》だからである。バーンは、まだトレンなどは信用していない。
「そりや……俺だって、興味のある人と出会った。カットグラが直ったら……な?」
トレンは、ウインクを見せて、ニッと笑った。
「では、トレンが生きていることが分ったので、機械を一機貴公たちに渡《わた》そう」
「おーしっ!」
ビダが呻《うめ》いた。そのビダを制して、ブラバが訊く。
「いつだ? 明日のいつだ?」
「そうだ。明日の昼。場所は……」
バーンは、持参した地図を広げて、ブラバとビダに示した。
「この森の境、ハラン河のこの曲った場所だ。ここからはかなりあるが、移動できるな? ここに故障したと見せかけて、オーラボム・ドーメを一機着陸させる。それを持って行け」
「故障とは、なんだ?」
「飛べなくなったと見せかけることだ」
「飛べんのでは、話にならん!」
ビダが、大声を出した。
「ビダ! いいのだ。飛べるのを一度、地に降ろすのだ」
「そういうことだ。そうでもしないと、貴公等に渡すことはできん。いいか? そのドーメに乗ったパイロットと兵は、殺すなよ。彼等がカットグラを直す。そして、なによりも、パイロットを生かしておけば、ドーメには十人以上の人が乗れる。貴公らは、一気に空を飛んで帰れるだろう」
「空、飛ぶか?」
ビダが、ギロッと眼を動かした。
「なるほど、機械に乗っているコモンを殺すと、機械は動かんのだな」
ブラバは呻くように頷《うなず》くと、ビダとその一統に、同じことを言い渡《わた》した。
「まだ難しい問題がある」
と、バーンは、たたみかけるようにして、補給問題を出した。
「どこまで飛ぶのか知らんが、ドーメという機械もカットグラも、飛ぶ距離《きょり》が限られている。この場所を選んだのは、諸君たちがラース・ワウの兵に捕捉《ほそく》されない場所であるからだ。この山のためにラース・ワウとは無線が使えなくなる。だから選んだ。貴公たちがカットグラを修理する時間を与《あた》えるためだ」
「なるほど……」
その話は、トレンにしか分らない。
しかし、なぜかガロウ・ランたちは、バーンの話に黙《だま》って聞き入っていた。
知識の暴力というものがある。知識を列挙されても、理解できない者は、それによって打ちひしがれてしまうという情況《じょうきょう》……あれである。
「で、補給物資をここに隠《かく》して、それを補給して、次の飛行を実施《じっし》するのだ。このためにラース・ワウの軍が今夜から、明日の午前中に動く。それには、手を出すな」
「フーッ! なんて言ったんだ?」
「トレンから、詳細《しょうさい》は聞け」
バーンは、つっぱねた。
「機械を飛ばすためには、いろいろやることがあるんだ。分った。あとでゆっくり説明する」
トレンは、ゆっくりとした思考をブラバに投入してやった。
「分った。機械をここに持ってこい」
ブラバは、バーンの地図で場所を指さして、吠《ほ》えた。
「よし、帰るぞ! ステラは離《はな》してくれるか? 秀《すぐ》れた者、ブラバよ」
バーンは、大仰《おおぎょう》にブラバの顔を見上げた。
「いいだろう。お前は、間違《まちが》いなくやってくれた」
「ン……!」
バーンは、ステラの縄尻《なわじり》を受け取ると外に出た。
「バーン! ショットに言ってくれ。俺が戻《もど》ったら、オーラ・バッテリーの開発を研究したいと言っていたってな」
「オーラ・バッテリー?」
「そう言えば、分る。そちらも作戦を急いでくれ。それと、明日のドーメには、俺の着替《きが》えを用意してくれないか? カミソリとさ」
トレンは、きれいな人びとと出会え、気持が楽になったのだろう、嬉《うれ》しそうに言った。
「我々は、貴公を忘れてはおらん。身体《からだ》を大事にな」
バーンはニッコリと答えると、ステラの縄目《なわめ》を解いて、街道《かいどう》側に回った。
繁《しげ》みの陰《かげ》を走るガロウ・ランたちは、バーンの帰るのを確認するまで、監視《かんし》を続けるつもりだ。
『……連中の統制ある動きは、今後の脅威《きょうい》だな』
バーンは、ステラが馬に跨《またが》ったのを確かめると、一気にその場を離れていった。
この後すぐに、ここを襲撃《しゅうげき》したにしても、ガロウ・ランがとどまっていることはないであろう、とバーンは思った。
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「ですから、いつ、ギィ・グッガを駆逐《くちく》して、周辺の国々を平定なさるのです……?」
ルーザ・ウルの言い方には、棘《とげ》などは一切ない。その優しさは、アリサが城を出たからだと解釈したくなるが、それほど、あからさまでもない。
ルーザも、夫をなくした後、小さいとはいえ領地ひとつを統治してきた女性であって、今回、ギィ・グッガに対するためには……と、領民の支持を取りつけて、アの国に嫁《とつ》いできたのである。
ウルの領地では、式も挙げることなく軍事同盟を樹立するために、ドレイクの許《もと》に行ったルーザは、殉教者《じゅんきょうしゃ》的に語られて敬われていた。
なまなかの決心で、できることではない。それ故、ドレイクが、選んだ女性である。
「……お口に出さずとも、予定を持たねば、戦争はだらだらと長びき、いつまでも領民を苦しめることになりましょう」
「そうだ……そうだが、今回のガロウ・ランは、妙《みょう》でな。歴史的に見られるガロウ・ランと違《ちが》う」
「だからこそ、です。ギィ・グッガとの一戦に勝ったとて、我が国が得るものは何もないのです。領地も金銀も……こんな利益を生むことがない戦は、一挙に決着をつけませんと……」
「そうなのだ。海運業が拡大するとか、金山銀山が手に入るということはない。ただ蹂躙《じゅうりん》される民がなくなるというだけだ。しかしな、ルーザ、ギィ・グッガを駆逐することができれば、領民は絶大な自信を持って、海外に出て行くだろう。機械という最も新しい技術を持ってな……さすれば、我が国の隆盛《りゅうせい》は、目に見える。これが儂《わし》の目論見《もくろみ》だ」
「はい……」
ルーザは立つと、ドレイクの前のコップに茶をそそいだ。これがラース・ワウの流儀《りゅうぎ》である。
食後のこの時間だけは、召《め》し使いはいない。
「でも、不思議でありますな? 地上人《ちじょうびと》のショット殿《どの》が降りた頃に、ギイ・グッガが北から攻《せ》め寄せてくる……殿《との》の御運でありましょう、これらを従えて、バイストン・ウェルの世界を平定せよという……」
「悪い運勢ではないと思っている」`
「世界が殿に与《あた》えたものでありましょう。でなければ、わたしとて、苦労は買いませぬ……」
「そうだな……では、仕事に戻《もど》る。奥《おく》の仕切りは、くれぐれも頼《たの》むぞ」
「はい、それにつきましては、アリシア様のご配慮《はいりょ》には、本当に頭がさがります。わたしは、それを引き継《つ》ぐだけでございますから、易《やす》いものです」
「ン……」
ドレイク・ルフトは、生返事をして居室を出た。
ドレイクは、ルーザに一切借りはないのだが、ルーザに精神的に負けている部分があることを自覚していた。
と言うよりも、ルーザがそのような種類の女性であるからこそ、先妻のアリシアの後の女性としては、彼女しかいないと選んだのである。
遊ぶ相手には不自由しないのが、この国の王である。となれば、妻とする女性は、ドレイクを鼓舞《こぶ》する女でなければならないのである。
ドレイクは、そういう妻ならば、自分の野心を育ててくれるだろうし、また、自分は王であることに満足して無為《むい》に過ごすこともなかろうと考えたのである、そういう女性を選ばなければ、古来、王たるものが国を食いつぶすという愚《ぐ》を、自分も繰りかえすだろうと感じたのである、
その意味で言えば、アリシアは、ドレイクにとって危険な女性であった。
彼女は、あまりにできすぎていた。
家事一切を切り盛《も》りし、城全体の経済|一般《いっぱん》にも気を配って、適切な忠告をしてくれた。彼女に任せておけば、アの国全体が安心できたのである。
それは、ドレイクに平和時の治世のあり方を教え、ドレイクの評判もあがった。
しかし、ギイ・グッガに代表されるガロウ・ランの跳梁《ちょうりょう》が始まってからは、ドレイクも軍の前に出て、防戦することを余儀《よぎ》なくされた。
このような時代には、アリシアの温和で、思慮深《しりょぶか》い性格は、ドレイクの腰《こし》を折る結果を招く。
つまり、軍事行動によって勝利を得なければならない時には、往々にして、強攻策《きょうこうさく》をとらざるを得ない。そんな時代には、アリシアの優しさは、時に優柔不断《ゆうじゅうふだん》になる。
つまり、アリシアの存在が亡国を呼ぶと、ドレイクは感じはじめていたのである。
それで、ルーザの気の強さと進取の気性を、ドレイクは、自分のものにしようとしたのである。ドレイクに野心が出てきた証拠《しょうこ》なのである。
「ご苦労」
ドレイクは執務《しつむ》室で、まず待たせておいたショットと謁見《えっけん》をした。
「首尾《しゅび》はどうだ?」
「これから、オーラ・マシーン部隊が訓練に出ます。その時、一機のドーメをガロウ・ランと接触《せっしょく》させます」
「ン……全員が惨殺《ざんさつ》されることはないだろうな?」
「それはありますまい。ギィ・グッガが、カットグラを修理したいと考えているのは、信じて良いことでありましょう」
「カットグラの奪還《だっかん》を期して、ギィ・グッガの本陣《ほんじん》をたたく用意はさせているが、問題は、ギィ・グッガの本陣の場所だ。これが掴《つか》めんな……」
「はい、カットグラのあるところにギィ・グッガの本陣があったにしても、彼の全戦力ではありますまい……いかがなさいます?」
「ギィ・グッガのことは、カットグラ奪還部隊に任せて、見ていろと言うのか?」
「ハッ!」
「分った。貴公《きこう》の考えは聞いたが、戦略を立案して実行するのは、儂《わし》の仕事だ。以後は、儂の仕事だ」
「ハッ! ロが多かった分については、ご容赦《ようしゃ》を……」
「いいさ……さて……」
ドレイクは、大様《おおよう》に答えた。
つづいて、オーラ・マシーンの生産についての報告を聞いてから、戦術面についてのショットの協力を促《うなが》した、
「……兵の迅速《じんそく》な輸送が急務であるとの仰《おお》せはごもっともであります。自分も前々から考えておりますが、もう少し、時間が必要であります」
「輸送機の図面の作成だけは、すすめてくれ。現在のオーラボム・ドーメを輸送用に改造する手段はあろう? 武装《ぶそう》を外せば、小隊を移動させることはできるはずだ」
「問題は馬であります。これを移動させることに、かなりのエネルギーが必要です]
「そうだ。そうだ……。しかし、急ぐ。少ない軍を広く展開させるわけにはいかんのだ」
「はい……」
ショットが退出した後、ドレイクは、会うべき人びとに次々に面談していった。
地方にまで広く軍を展開させているので、それによって起る領民との問題が多くなっているのである。それらの解決策を指示することをはじめ、仕事は山ほどあった。
軍の方には、ギィ・グッガの軍の動きについての情報収集を督促《とくそく》しなければならない。
今日の秘密の作戦は、あくまでも隠密《おんみつ》にすすめなければならないのだが、これは、バーンとショットに任せておけば良い。
ギィ・グッガが本陣《ほんじん》をすえている村は、国境を深く入った山間部にあったのだが、未《いま》だ、ドレイク軍は、その所在を掴《つか》んでいなかったのである。
しかし、ガロウ・ランが接触《せっしょく》してきたからには、ギィ・グッガが国内のどこかに潜《ひそ》んでいるという推測が成り立つ。人心に与《あた》える影響《えいきょう》を考えれば、この情報は公表できなかった。
「強獣《きょうじゅう》の動きが目撃《もくげき》された点をつないでいけば、敵の主要な部隊の所在地が掴めるはずである!」
その日も、ドレイクは、何度か将官たちに大きな声を出して、隠密作戦を覆《おお》い隠《かく》す配慮《はいりょ》をした。
「マーベル様」
ニー・ギブンのひそやかな声を聞いた時、マーベルは、まだ乾《かわ》き切っていない髪《かみ》にイライラしていた。
「ご用?」
ドアの前に立って、マーベルは聞いた。
「いえ、別に……一
「なら、後にして下さいません?」
「…………」
ドアの向うに未練がましいニーの気配があった。動こうとしない。
『こんな朝早くから……』
タオルと言っても、現代、我々が使っているような吸湿性《きゅうしつせい》の良いものではない。マーベルは、髪を挟《はさ》んだタオルをパタパタと叩《たた》きながら、
「なんなのです?」
と、また聞いてしまった。
「すぐに訓練飛行が、始まりますので……」
ニーが、関係のないことを言う。
マーベルは、自分の室内着が乱れていないのを確かめてから、タオルで髪をつつむようにした。
その間も、ニーは、ドアの外に立ったままでいるのが分った。それは、かすかに、マーベルに喜びを感じさせた。
マーベルは、彼の声と姿がどこか記憶《きおく》にあったために、抵抗感《ていこうかん》がなかったこともあるが、それよりも、自分が鬱々《うつうつ》としているのが厭《いや》になりはじめていたので、ドアを開いた。
「……ああ……!」
ニーが感嘆《かんたん》の声をあげた。
マーベルは、それには微笑《びしょう》などは見せない。
「こんな恰好《かっこう》なんです。失礼でしょう?」
「申しわけありません。本当に……しかし、当分、お会いできなくなると思いまして……お元気で……」
「訓練で、遠くに?」
「はい……当分……お達者で……」
ニーはまたそう言うと、両手をフラリとさせて、背中を向けた。
「ニー……?」
マーベルは、思わず身を乗り出して、ニーの腕《うで》を掴《つか》まえた。
「会えなくなるのですか?」
「分りません。任務です」
マーベルは、ニーの前に回って、
「会いたくなるわ。きっと………ご無事で!」
「あ、ありがとうございます。マーベル様……」
「いいから。マーベルで……きっとよ!」
「はい! そう言っていただくと、勇気が湧《わ》きます。行ってまいります」
ニーはマーベルに微笑を見せると、すっと離《はな》れていった。
ニーのうしろ姿を見送りながら、マーベルは、胸のつかえがとれたような気がした。
『わたしは……バイストン・ウェルで生きる覚悟《かくご》がついたのかしら?』
そう思わずにはいられなかった。
ニーは、自分がおかしいほど興奮しているのが分った。
『マーベル様が、ようやく自分に声をかけてくれた……』
それだけのことが、こんなにも自分を興奮させるのかと思うと口惜《くや》しい気がしないでもない。しかし、これで良いとも思う。
「絶対に任務を果して帰ってくるぞ!」
ニーの独言《ひとりごと》は、声が大きかった。
「どうしたんで?」
マッタ・ブーンが、憂鬱《ゆううつ》そうに訊《き》いた。
「覚悟《かくご》をする以外ない。勢いをつけなければ、ガロウ・ランに負ける」
そう低く断定した。
この日の早朝、ニー・ギブンのクルー、マッタ・ブーンとキチ二・ハッチーンは、バーンに呼び出された。そして、もう一人、機械の館《やかた》付きのメカニックマン、イットー・ズンという新進の技師もいた。
彼等は、バーンから、ガロウ・ランに接触《せっしょく》して、カットグラを奪還《だっかん》する作戦を命じられたのである。
二ーたちは、ジョクを含《ふく》めた他の将兵に、この作戦を教えることを禁じられた。
「他の騎士《きし》たちに動揺《どうよう》を与《あた》えるのは面白《おもしろ》くない。それと、ニー、貴公の罪は、まだまだ払拭《ふっしょく》されているとは思えぬ。故に、この任務を与えるのは、ドレイク様の御配慮《ごはいりょ》である。この作戦が成功すれば、貴公は真実潔白の身になり、今後の憂《うれ》いはなくなろう」
「ハッ、ありがとうございます」
ニーは、答えざるを得なかった。
バーンは、先に、ニーが、ラース・ワウに報《しら》せることなく地上人《ちじょうびと》、田村《たむら》美井奈《みいな》を匿《かくま》ったことを言っているのである。
「墜落《ついらく》と見せかけて、ハラン河のこの曲ったところに着陸する。そこに待つガロウ・ランと合流して、カットグラのある場所に移動。そこで、カットグラを修理したら、機を見て脱出《だっしゅつ》しろ」
そのために今日の訓練には、メカニックマンのエキスパート、イットーを同乗させるというのである。
「行くぞ!」
ニーは、ブリッジに立つコ・パイロットのキチニのコールを待って、ドーメのプラットホームから発進のコールをかけた。
先行するドーメ部隊を追って、ニーのドーメが離陸《りりく》すると、バーン、ガラリア、ジョクのカットグラが、十二機のオーラボム・ドーメを追って飛翔《ひしょう》した。
麦の穂《ほ》をそよがせる風を乱しながら、田畑に立つ人々の喚声《かんせい》を受けて上昇《じょうしょう》していくそれらの機械の光景は、すでに、ラース・ワウの日常的な風物になっていた。
ことに、ヒトデに似た四本のフレキシブル・アームを揺《ゆ》らしながら飛行するオーラボム・ドーメの姿は、人気があった。
海を知らない人びとにとっては、海に住むヒトデに似ているというドーメは羨望《せんぼう》の対象になっていたのであろう。
アの国、強し! ギィ・グッガ、なにするものぞ!
その風説は、すべて、この機械の飛行する姿によって証明されていると人々は信じていたし、他の国々の商人、軍人たちにとっても、偵察《ていさつ》するだけの価値のある光景になっていた。
しかし、これらの機械を操縦する騎士《きし》たちから見れば、決して満足できる結果を手に入れているわけではない。
そのために、訓練飛行は、苛酷《かこく》を極めた。今日の訓練飛行も正規の教科のものであった、
「調子がいいだろう?」
マッタが、カットグラの製作にもあたっているメカニックマンのイットー・ズンに振《ふ》り向いた。
中年以上のスタッフがいないのが、この国のメカニックマンの現状である。若いイットーは、口も動かさずに、ただ頷《うなず》くだけだった。
「……貧乏籤《びんぼうくじ》なんだよな……」
「言うなよ! 騎士ジョクが、厄介《やっかい》になった騎士なんだから」
キチニが不満そうなマッタに、ニーのことを言った。
「こっちだって、こんなものが発明されなければ、もともとはガロウ・ランと斬《き》り合う覚悟《かくご》をしていたんだ。機械に乗れただけでも、ありがたいって思わなくっちゃな」
キチニは、ジョクに世話になっていたから、そのジョクが剣術《けんじゅつ》を指南《しなん》してもらっているニー・ギブンに礼を尽《つ》くさなければならないと肝《きも》に銘《めい》じている若者なのである。
「鍛冶屋《かじや》上りが、なんでガロウ・ランに会いに行かなくちゃならんのです……」
それでも、イットーは愚痴《ぐち》を言った、
「そんならさ、なんで、オーラ・マシーンを作る仕事なんかしたんだ?」
「そりゃ、機械に興味があったからで……」
「それがお互《たが》い様って奴《やつ》じゃないの?」
彼等を乗せたドーメは、訓練空域に来ると編隊飛行から、カットグラを中心にした戦闘《せんとう》隊形の訓練に入っていった。ジョクが提案した隊形からの侵攻《しんこう》と、戦闘パターンの訓練である。
三機のカットグラは、それぞれ三機ずつのドーメを従えて、侵攻、敵の探知、攻撃《こうげき》の幾《いく》つかのパターンの訓練に入った。
その光景は、遠くから見れば、ただ、蝿《はえ》に似たものが、右に左に降下し、上昇《じょうしょう》している遊びにしか見えなかった。
それを遠望することができる森の一角に、ブラバの一統が伏《ふ》せていた。
彼等は、バーンと別れるとすぐにあの小屋を離《はな》れて、約束《やくそく》の場所に移動を開始したのである。
しかし、本能的に護身術にすぐれているガロウ・ランたちは、追っ手を警戒することも忘れなかった。
「……兵隊の影《かげ》はない……」
「誰もいない。土を掘《ほ》っている奴《やつ》がいた」
それらの情報を分析《ぶんせき》したブラバは、ビダとトレンに言った。
「あの男、バーンは、本当に我々に機械をくれるつもりだ」
「……機械を囮《おとり》にして、俺たちを掴《つか》まえるつもりじゃねぇな……」
ビダもようやくブラバの考えが正しいようだと納得《なっとく》した。
「川に出る道を偵察《ていさつ》だ! ナラっ!」
ブラバは、テッテァ、モドド、ナラの一行をドーメと合流する場所に先行させた。
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編隊訓練が終ったところで、バーンは、左右に続くジョクとガラリア機に、上昇《じょうしょう》の指令を出した。
「ジョクほどではないが、四千メートルを超《こ》えたい! いいか!」
「望むところだ!」
ガラリアは、高度を試したことがない。
「頭が痛くなるぞ。気持ちも悪くなる。無理は、駄目《だめ》だ!」
「了解《りょうかい》だ! ジョク!」
ドウッ! 三機のカットグラは、上昇に上昇をつづけて、十分ほどで高度三千メートルを超えた。バーンは、そろそろニーのドーメが、予定のポイントに脱出《だっしゅつ》する頃だと判断して、わざわざ訓練|項目《こうもく》にない飛行をしたのである。
バーンは、今回の作戦をガラリアやジョクに知らせることを嫌《きら》っていた。
表向きの理由は、余計なことに二人の頭をわずらわせたくないということであるが、それは違《ちが》う。
真実は、バーンとショットには、まったく別の目論見《もくろみ》があって、今回の作戦を実施《じっし》しているのである。その真の目的は、ショットは、ドレイクにも知らせてはいない。
うまく行けば、こうしたいという二人だけの『予定』が合意されていたのだ。
それがあるからこそ、ガラリアやジョクに『カットグラ奪還《だっかん》』という表向きの作戦も知らせたくない心理が、バーンに働いているのである。
上昇を続けていたバーンのカットグラの機首、というよりもその頭部が下がり始めた。
「高度四千! 凄《すご》いものだ。これならば、強獣《きょうじゅう》の上に出られる!」
バーンは、多少、眠気《ねむけ》に近いものを感じたが、この冒険《ぼうけん》の面白《おもしろ》さに感勤していた。彼は、結局、ジョクやガラリアよりは生真面目《きまじめ》で、こんなことひとつも、勝手にやることはなかったのだ。
バーンのカットグラは、背中に装備《そうび》されているトンボの羽根に似た四枚の羽根を機体にそってピタリと後退させると、滑空《かっくう》から落下に近い状態になった。
ジョクとガラリア機もそれにならって落下を開始した。
刷毛《はけ》で刷《は》いたような薄《うす》い雲をなんども突破《とっぱ》して、その三機の降下は続いた。
カットグラの左手というべきところには楯《たて》が装備されているが、それも今は、機体に寄せられていたし、右手に握《にぎ》られているマシン・ガンに似たシルエットのものも、右|脚《あし》に沿って収納されていた。
「時速! 七百八十キロッ!」
「まだだっ! 八百キロまでは、堪《こら》えろっ!」
「こっちの機体は、震動《しんどう》がないっ! この調子じゃ、九百キロまではいくよっ!」
「冗談《じょうだん》じゃないっ! 音速を超《こ》えるつもりかっ!」
ジョクが雑音のまじる鉱石無線に怒鳴《どな》った。
「オンソク!?」
ガラリアは、音速という概念《がいねん》を知らない。
「時速千二百キロってところだ! この速度は、特別なんだよっ!」
「その説明は後で聞く! ジョク! 八百まではいくぞっ!」
「行ってくれっ! それ以上はっ!」
バーンの言葉に、ジョクは素直《すなお》に従った。
地上の光景が、乱層雲の薄い層を抜《ぬ》けた瞬間《しゅんかん》にドッと視野|一杯《いっぱい》に、厚い緑の色と大地の色をもって迫《せま》った。
「クッ!」
ジョクは、速度計を見ながら、両手につかんだレバーを力一杯引き、両方の脚で踏《ふ》んでいた。ペダルに全身の体重をかけるようにした。
ガガガガッ! コックピットが震動し、地上の光景がザーッと下に流れ出した。
「八百三キロっ!」
ジョクは叫《さけ》んだ。
正面を先行するバーンのカットグラも機体を立て直して、そのトンボのような羽根をバッと左右に開いた。
「ムッ!」
ジョクは、それにならって左|腕《うで》を動かし、自機の羽根を開いた。そして、機体を左にひねって、ガラリア機を見た。
それは、かなり遅《おく》れて上昇《じょうしょう》姿勢に入ったようだった。
「八百六十キロだっ!」
その勝ち誇《ほこ》ったようなガラリアの声が、雑音の多い無線を通して、ジョクの耳を打った。
「ガラリア奴《め》! 機体がバラバラになるぞっ!」
ジョクは怒鳴《どな》った。
機体の性能には少しの不安もないが、新たな問題が発生したことを考えずにはいられないのだ。
三機は、再び編隊を組むと、帰投《きとう》を始めたドーメの編隊を追って、針路をラース・ワウに取った。
「まったく、反省がないな! ガラリア」
バーンの厳しい叱責《しっせき》が飛んだ。
「ないね。戦争をやっているんだ。気合が入っていなければ、勝てる戦いも勝てない。我々はドレイク軍の一員として、ドレイク・ルフトの期待通りの戦果を上げていないことを反省している」
「分るが……それでは、死に急ぐことになるのを心配しているんだ」
「カットグラの損失の方が、心配なのだろう」
「なんとでも言え。ともかく、注意するに越《こ》したことはない」
「……フフ、あたしの方が五十キロ速かった」
「そんな速度は、強獣《きょうじゅう》には必要がないんだ。ガラリア。むしろ、新しい問題が生まれたんだよ!」
ジョクが、二人の会話に割り込んで、ガラリアを制した。
「なんだ?」
「フレイ・ボンムの炎《ほのお》の速度が弱いことだ。機体の速度に負けて、照準を取ることができなくなる」
「計算できるのか?」
バーンが問う。
「射程|距離《きょり》、三百メートルで十メートルはズレるな」
「えっ! それでは、狙《ねら》うことなどはできない。接近して、とどめを刺《さ》すしかない」
「そういうことだ」
「バーン、ドーメ部隊の無線……聞えないか?」
「ン……?」
バーンは、三機のカットグラの交信の間に、かすかにドーメ部隊の交信が入っているのに気づいた。
「遭難《そうなん》したドーメがあるらしいが……?」
ジョクの言葉に、バーンは、機先を制するように言った。
「捜索《そうさく》部隊に任せてもいいが、位置の確認は我々の仕事でもある。ドーメ部隊には、帰投させるか?」
バーンは、ジョクとガラリアを左右に散開させ、自分も低空を右に飛んでいった。
バーンだけニー機がガロウ・ランと合流する予定のポイント近くに移動していった。他の誰にもガロウ・ランとの接触《せっしょく》を目撃《もくげき》されたくないからだ。
ニーは、編隊飛行訓練が終ったところで、操縦不良を口実にして、針路をかえた。
「……どうした! ニーっ! 針路がはずれているぞっ!」
数度、大隊長からコールがあったが、その度に、エンジンの不調を伝え、それでも帰投はできそうだと返事をした。
「大丈夫《だいじょうぶ》か!」
ラース・ワウに戻《もど》らなければならないドーメは、すでに帰投のための直線コース上に乗っていた。
オーラ・マシーンと言えども、生体エネルギーだけで、飛行するのではない。
撚料に相当するバイオ・リキュールを補充《ほじゅう》しなければ、オーラを燃焼させることはできない。
「大丈夫です。最小消費速度で飛べます!」
そんな報告をする間にも、ドーメ部隊の本隊からどんどん離《はな》れていって、無線が使えなくなった。ガロウ・ランとの合流ポイントは、山が壁《かべ》となって電波が遮断《しゃだん》される位置にあったからだ。これこそ、バーンとショットの合議の結果である。
ニーのドーメは川に沿ってしばらく飛行し、大きく川が曲るポイントの上空に達した。
「味方に怪《あや》しまれないための芸当が、一番つかれるようだな」
ニーは、ブラットホームに立って苦笑まじりに言った。緊張《きんちょう》を隠《かく》すためだった。
目だけは、川と木々の間に向けられている。
川原《かわら》の一角に着陸できるだけの広さを見つけると、降下して、川原スレスレの高度で旋回《せんかい》した。
「いたっ!」
キチニが、呻《うめ》いた。声が震《ふる》えている。
「着陸する。覚悟《かくご》してくれよ……!」
ニーはプラットホームのバーに取りつけてある操縦グリップを絞《しぼ》りぎみにして、ドーメを川原に降下させた。
ジャリジャリリッ! オーラ・ノズルの息が砂利を四方に吹《ふ》き上げた。
「…………!」
二ーをはじめ、クルー全員が心細そうな表情をしている。身に一切の武器を携帯《けいたい》していないからである。
「何もしないで殺されるなんて、御免《ごめん》だぜ……」
マッタ・ブーンが強がって、左右を見た。川の流れる音だけが、ドーメのブリッジを支配した。
キョッキョッ! 甲高《かんだか》い声を上げて数羽の鳥が横切り、つづいて近くで枝が鳴る音がした。
「天の者たちよ!」
イットーが、両手を胸に合わせた時、川沿いの木々の間を飛ぶ動物の影《かげ》が見えた。
「メゥだ……」
猿《さる》に似た動物である。
ニーは、一人プラットホームに身体《からだ》を晒《さら》している緊張のために、全身に脂汗《あぶらあせ》を浮《う》かせていた。胃がキリキリと痛み始めた。
ふと、正面の木の下に人影《ひとかげ》が立っているのに気づいた。
メゥの動きに気を取られて見逃《みのが》していたのだ。
「ガロウ・ラン……?」
「ヒッ! ヒヒヒヒッ……」
醜悪《しゅうあく》な形相《ぎょうそう》をしたビダだった。彼は肩《かた》を揺《ゆ》すって笑うと手を上げた。
それを合図に、数人の影が森のなかから躍《おど》り出てきた。ガロウ・ラン以外の何者でもない。
メゥのように素早い身のこなしで、全身から汚臭《おしゅう》を放つ者たち……。
「ニー・ギブンかっ!」
アクセントが違《ちが》う呼び掛《か》けに、ニーは、目を走らせた。ガロウ・ランたちの一番後ろに、あの地上人《ちじょうびと》がいた。
「トレン様!?」
ニーは、ガロウ・ランに混じって地上人がいるという事実をなかなか了解《りょうかい》できなかった。
むろん、バーンからトレンの存在は聞いてはいた。しかし、地上人は聖なる存在である。その人が、ガロウ・ランと一緒《いっしょ》にいる光景はニーの眼には奇妙《きみょう》に映るのである。マーベルを救出した時の光景とまるで雰囲気《ふんいき》が違っていた。
「全員を乗せる。しかし補給物資があるはずだ! それを先に積みこむ!」
「あ!? ああ!」
トレンが、ブラバとビダを制したようだったが、彼等は、そんなことに構ってはいなかった。
彼等は興奮して、ドーメに駆《か》けより、フレキシブル・アームに跨《またが》ったり、機体の装甲《そうこう》を叩《たた》いたりしはじめた。
「ドアを開けっ!」
「しかしっ!」
「任務だろ! そして、ガロウ・ランに言いきかせるんだ。機械には一切|触《ふ》れるなってなっ!」
ニーは怒鳴《どな》った。展開をひとつ問違《まちが》えれば、それは自分たちの死につながるのである。
今は、ただ、精神的にハイになって、ガロウ・ランに従ってみせ、しかもやるべきことはやらなければならないのだ。
「ギャババッ! 機械だっ!」
「ドハハハッ!」
ガロウ・ランたちは、歓喜の声を上げて、ブリッジに押《お》し入り、中にいる三人を舐《な》めるようにねめ回して、武器の有無を調べた。
そして、ブラバとビダは、ニーの立つブラットホームによじ上って来た。
「……機械か!」
「いいか。カットグラの補給物資を積むんだ。物資があるはずだ!」
「確認している。ニー! あの森の木! 腰回《こしまわ》りに白いペンキが塗《ぬ》ってあるところ!」
トレンの言葉に、ニーは、バーを乗り越《こ》えて、その木の下に駆《か》け寄った。
カットグラの補修部品とリキュール缶があった。
「マッタ! キチニッ! イットー!」
クルーは、ドーメの中ではしゃいでいるガロウ・ランたちを背にして、つぎつぎに補給物資を運びこんでいった。
「フン! 面倒《めんどう》なんだな?」
仕事を終えて、ようやくブラットホームに上がってきたニー・ギブンに、ブラバが難しそうな顔を見せた。
「機械というものは、こういうものなのだ」
ニーは、バーの操縦グリップがブリッジと連動していることを確認すると、
「離陸《りりく》する」
と言った。
プラットホームは、ニー、ブラバ、ビダの三人に占領《せんりょう》されて身動きもできないような状態だった。
トレンは、足をブリッジ中央のバーに乗せたまま、ハッチからブラットホームに上体を突《つ》き出すようにして立ち、三人の足の間から、外を見るようにした、
「飛ばせろ!」
ブラバが、ニーに命令した。
「何人乗ったんだ?」
「ガロウ・ランは、九人だ」
トレンが下から怒鳴《どな》った。
「ちゃんとブリッジに入っているのか? 落ちても知らんぞ!」
そんなことを気にするブラバやピダではない。
彼等は、ブリッジのサイド・ドアの外についているバーにしがみついてはしゃいでいる二人のガロウ・ランに気づいていたが、何の注意も与《あた》えなかった。
ニーは、ゆったりとドーメを浮《う》かせた。
「ヒヤーッ!」
定員オーバーのところに、カットグラの補修資材と補給物資を積みこんだのである。ブリッジのサイド・ドアの外のバーに掴《つか》まった二人のガロウ・ランは悲鳴を上げたが、ブリッジに潜《もぐ》りこめるスペースなどはなかった。
「飛んでるのかっ!」
ブラバとビダは、唖然《あぜん》とした表情で、移動し始めた森と川を見下ろしている。
「どこに行けばいいんだ」
ニーは、トレンに聞いた。
ブラバたちは、感嘆《かんたん》して、移動している四方の光景を眺《なが》め、ニーが、何をしているのかを確かめようとするだけで、飛行方向など全く気にしていない様子なのである。
「分らない。方向が読めない」
三人の脚《あし》の間から景色を見ているトレンには、どの方角に向っているのか想像のしようがなかった。
「……川に沿って、上流に向って見よう。慣れれば、方位も掴めるだろう」
ニーは、子供のように喚声《かんせい》を上げるガロウ・ランに左右から身体《からだ》をぶつけられ、いまいましそうに言った。
「高度はとるな。高度が低ければ、連中だって、方向は読めるはずだ」
しばらく川に沿って飛行する。
ガロウ・ランたちの感動もようやくおさまりかけてきた。
「手前ェッ! どこに行くっ!」
ブラバが吠《ほ》えた。
「行く方向を教えてくれていないっ! 教えろっ! どこに行けば、カットグラに会えるのだ!」
ニーがブラバに怒鳴り返した。
「どこに行くか、知らない? なぜだ!」
「教えてくれてないっ!」
「ギィ・グッガのいるところだぞ!」
ブラバは怒《おこ》ってから、ようやくコモン人にギィ・グッガの本陣《ほんじん》がある村を教えていないことに気がついた。
「……知らねぇ? そうかっ! 知らねぇかっ! ガッハハハハ……!」
ブラバは、ひと笑いしてから、周囲を見回したが、はじめて見る上空からの景色に、自分たちのいる場所を掴《つか》めなかった。
「ビダ!」
ブラバは、呆《ほう》けたように下に流れる光景を見つめていたビダの背中を叩《たた》くと、
「ギィ・グッガは、どっちだ?」
「ヌゥ?」
ビダも、しばらくは、自分たちのいる場所がどこか分らなかったようだ。
「あれだな?」
ビダとブラバは、山の形を観察していたが、やがて川の右に当る方向を示して、
「この向うだ。飛ベ!」
「よし! 落ちるなよっ!」
ニーは、一人でもガロウ・ランを振《ふ》り落したい衝動《しょうどう》に駆《か》られていたのだが、気持とは反対の言葉を口にした。
ニーは、ドーメを加速させて、やや高度を取った。
ブリッジのサイド・ドアのバーにとりついているガロウ・ランたちは、速度を増したドーメの動きに、喜んで手足を振り、奇妙《きみょう》な喚声《かんせい》を上げつづけた。
誰かが落ちて、森のなかに消えたその身体《からだ》が粉砕《ふんさい》されている様を見なければ、落下の恐怖《きょうふ》などは感じない連中なのだろう。
ブラバでさえ、「ウーオーッ! ホホホホホッ……!」と、満面に笑みを浮《う》かべて、顔に当る風の快感に酔《よ》っていた。
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トレンは、ガロウ・ランたちの脚《あし》の間から、屏風《びょうぶ》のように迫《せま》ってくる山肌《やまはだ》を見ていた。頂上の禿《は》げぐあいから、ギイ・グッガの本陣《ほんじん》に近いことが分る。
あのサラーン・マッキに会えるかと思うと、トレンは、身体《からだ》の芯《しん》が熱くなるのを感じないではいられなかった。
『ガロウ・ランたちは、気持ち悪いが……その気持ち悪いガロウ・ランにさえ嫌《きら》われているフェラリオ……魔女《まじょ》だって言うのか……』
トレンは、サラーンを忌《い》み嫌《きら》うべき存在だとは思わなかった。フェラリオを忌み嫌うのは、偏見《へんけん》だとトレンは思う。
トレンは、このバイストン・ウェルの重層構造世界がなにを象徴《しょうちょう》しているのか、ようやく思い当ったのである。
認識の違《ちが》い、時代の違いが、世界を縦の重層構造にしているのだ。
そう考えると、たとえば、ガロウ・ランの地の世界は古代であり、コモン界は中世、そして、地上世界は現代、ということになる。
『ヨーロッパの魔女伝説は、偏見であったし、あのロペスピエールだって、まだまだ近代思潮に染まっていなかったから、恐怖《きょうふ》政治をした。同じようなものだ』
だから、ガロウ・ランたちがフェラリオに持つ嫌悪感《けんおかん》には、意味がないと思う。
『あのとろける身体を愛することができる……』
それが喜びでなくて、なんであろう。
トレンは、まだ危険が待っているとも知らずに、そう思った。
「ガハハハ……! あれだぞ! あれが、俺《おれ》たちの陣《じん》だッ!」
トレンの足下で、ガロウ・ランたちの喚声《かんせい》があがった。
「あっちが、あたしたちのとこだ! こっちがギィ・グッガの陣かい!?」
ガロウ・ランたちの喚声は、飽《あ》きずに続いていた。
機体がかしいだ。
山肌《やまはだ》が上へ上へと走って、そして、次に谷間がガロウ・ランたちの脚《あし》の間に滑《すべ》りこんできた。
その間に、巨大《きょだい》な影《かげ》がザッと走った。ハバリーだ。
「ミュランッ! 俺たちだぞっ!」
怒声《どせい》がトレンの頭上でした。
数頭のハバリーが、周囲を旋回《せんかい》して、ドーメの動きを警戒しているらしかった。
ギャッ! キャハッ! ハバリーの鳴き声が、空を切った。
「どかせろっ! 攻撃《こうげき》して来るぞっ!」
ニーが、かなり狼狽《ろうばい》しているのが分ったが、トレンにはその状況《じょうきょう》が良く見えない。
ギハッ! その一声が、ドーメの頭上を襲《おそ》った。
「うわっ?」
トレンの身体《からだ》が半分ほど浮《う》いた。
別のハバリーがドーメをかすめる。
「うわーっ!」
右手で悲鳴が上がった。ブリッジのサイド・ドアのバーに掴《つか》まっていたガロウ・ランの一人が落下したのだ。
ドーメの右後方に落ちていくガロウ・ランの姿が流れ、その背後にギィ・グッガが陣を敷《し》いている村が見えた。
「落ちたぞ! 俺の責任じゃないっ! 強獣《きょうじゅう》をどけろっ!」
ニーは、ブラバとビダに怒鳴《どな》り、ドーメを急速に降下させていった。
「俺たちがいる! 退《さが》れっ! 退れっ!」
ブラバとビダをはじめガロウ・ランたちは、ハバリーに乗った戦士たちに怒鳴り散らし、ブリッジのドア際に立ったガロウ・ランのなかには、矢を放つ者もいた。
「どこに降りればいいんだ!」
ビダは、ニーの怒鳴り声に、村を見下ろした。
「プラバ!」
「知るかっ! 機械を置く場所があるのかよ!」
「二ー! 川が見えるか! 村の中央あたりに川沿いの広場がある! 川が曲っているところだ!」
トレンは、ブラバの脚《あし》の間から乗り出すようにして、怒鳴った。
「あれか……!」
ドーメの速度が遅《おそ》くなり、トレンにも村が見えるようになった。
「そうだ。この下だ! 向って右の岸だ。背の高い小屋がある。そこにカットグラが置いてある」
「了解《りょうかい》した!」
ニーは、ドーメの機体を水平にして、ハバリーが接近して来ないのを確かめると、その広場に降下していった。ハバリーの群も、どうやら後退し始めた。
「ミュラン奴《め》! あとで、叩《たた》きのめしてやるっ!」
ビダは真赤になって、拳《こぶし》を空に向って振《ふ》り廻《まわ》していた。
村の家々の陰《かげ》に、ガロウ・ランの姿が見えた。彼等は、険悪な形相《ぎょうそう》で、ドーメの動きをジッと見守っている。
「ブラバだ! 機械を持って来たぜぇ!」
ブラバは、プラットホームのバーに上体を乗せるようにして、周囲に怒鳴り散らした。それを見て、ビダも同じように怒鳴った。
「ブラバだっ! ビダもいる!」
そんな声が、木々の陰から起り、ドーメを迎《むか》える喚声《かんせい》がそこここから湧《わ》きあがった。
ニーは、ドーメの機体を川原の面に対して正確に水平に保ち、着陸する用意をととのえた。
村の高みの道筋からも、ブラバたちの喚声に呼応して戦士たちの歓声が上がった。
ズーゥン! ドーメの車輪が、川原の石に食いこみ、わずかに機体がかしいだ。
「ウワーッ!」
ブラバの身体《からだ》が、プラットホームのバーから離《はな》れ、くるっと回ってブリッジに落ち、さらに川原へと転がっていった。しかし、敏捷《びんしょう》な彼は、ヒョイと立ちあがると、
「ギイ・グッガに伝えろ! 機械が来たぜぇ! 機械を直すコモンも連れてなっ!」
顔を赤くして怒鳴《どな》りちらした。
ブラバの言葉など、誰も聞いてはいなかった。興奮して駆《か》け寄るガロウ・ランたちは、あっと言う間にドーメを取り囲み、降りようとするナラたちを遮《さえぎ》って、騒《さわ》ぎたてた。
それでも、勝ち誇《ほこ》ったように左右を睥睨《へいげい》するビダのおかげで、ブラットホームに上がってくるガロウ・ランはいなかった。
ようやくプラットホームに上がったトレンは、ニーの脇《わき》に立って、ビダと笑いあった。
「……こんな国境の内懐《うちふところ》深く、ギィ・グッガの軍が侵入《しんにゅう》していたとはな……」
ニーは、トレンの耳元で呻《うめ》くように言った。
「そういう村なのか? ここは」
「これを知ったら、ドレイク様は愕然《がくぜん》となさいましょう。確かに、このバミルゥの山々は、アの国の者には苦手なところですが……まさか、こんなところにガロウ・ランの軍が……」
「そのまさかだよ。ギィ・グッガは、あんたらが思っている以上に狡猾《こうかつ》な種族だぜ」
「そうらしいですな……」
ニーは、ドーメの周囲に集まって来た異形《いぎょう》の人びとの群を見まわし、額《ひたい》の汗《あせ》を拭《ぬぐ》った。
「我々は、どうすればいいんです?」
「まず、カットグラを直すことだ。そうすりゃ、逃《に》げ出せる」
そう言いながらも、トレンは、サラーンのあの白い陶器《とうき》のような肌《はだ》を思い出していた。
ニーが、心配そうに言った。
「ラース・ワウの軍がここまで来るには、三日はかかる。それまでに直せなかったら、我々も攻撃《こうげき》を受けることになる」
「空襲《くうしゅう》だったら、今夜にもやられるぜ」
「そこまでの力は、まだありません。我々が、一気に飛んで来られたのは、補給ができたからです」
「そりゃそうだが……」
トレンは、サラーンが監禁《かんきん》されている谷間の方を見上げながら、嘆息《たんそく》した。カットグラの修理が終った時に、素早くサラーンを救出できるよう、方法を考えておかなければならないと考えているのだ。
「騎士《きし》ニー! どうすればいいんです!」
下のブリッジから、マッタ・ブーンが堪《た》えきれずに聞いて来た。
「ここを降りよう。まず、カットグラを見てもらう」
「どこです?」
「目の前の小屋のなかだ。俺だって、直していたんだぜ」
トレンは、怒《おこ》ったように言うと、プリッジに降り、集まっているガロウ・ランたちを怒鳴《どな》りつけた。
「トレンだ! 俺を殺したら、手前《てめえ》らがギィ・グッガに殺されるぜ!」
地上人《ちじょうびと》でありながら、ニーたちよりもガロウ・ランに慣れているというのは、悲しい現象であろう。
トレンは、ドーメに這《は》い上がろうとするガロウ・ランたちを押《お》し退《の》けて、ニーの一行を、カットグラを隠《かく》してある物置小屋に案内していった。
「ほう! 意外と壊《こわ》れていないじゃないか!」
メカニックマンのイットーは、安心したような顔を見せた。
その小屋は、冬に備えて、村中の飼《か》い葉《ば》の貯蔵所として使われていたらしい。木戸は壊れていたものの、カットグラを隠すに丁度良い高さがあった。
「墜落《ついらく》したというから、もっとメチャメチャになっているのじゃないかって、心配していたんだ」
「部品は足りるか?」
「足りるな。余るくらいだ」
イットーの言葉に、一同はホッと息をついた。
「苦労したようですね?」
マッタは、トレンが手を加えた修理|箇所《かしょ》を見つけて、声をかけた。
「まったくね。なにも知らないにしては、凄《すご》いものですよ」
マッタは、装甲《そうこう》を継《つ》ぎ接《は》ぎした箇所や、バイオ・マッスルをつなげるために、別の箇所からリキュールを補充《ほじゅう》して接続した箇所を調べて、イットーに言った。
「ほう! トレン、よく戻《もど》って来た」
その声は、ギィ・グッガつきの宦官《かんがん》、ドーレブである。
「仕事はすぐに始める! いいな?」
「結構だ。あすには直るか?」
「…………?」
ニーたちは、背中は曲っているが物静かなドーレブの顔を見て、これがガロウ・ランかと疑った。狡猾《こうかつ》そうに見えはするものの、その表情には知的な輝《かがや》きがあったからだ、
「……どうなんだ?」
トレンが不安そうに、木の足場に乗って、損傷を調べ始めたイットーの方を見やった。
「無理ですよ! 完徹《かんてつ》でやっても、四、五日はかかる!」
「飛べるようにするだけでいい」
ドーレブが低く言った。
「それが、そのくらいかかるんです!」
イットーは、カットグラのことになると頑固《がんこ》だった。
「その間に、アの国の軍が攻《せ》め寄せるかも知れん。一日も早く飛べるようにし、戦わなければならん!」
ドーレブは、厳しくつけ加えた。
「これで戦うのか!?」
「そのために、主《ぬし》たちを殺さずに運んだ。ギィ・グッガの命令だ。やれよ」
ドーレブは、垂れ下がったような眼で、一同をねめ回し、それから、カットグラを見やってから言った。
「あの機械を動かして来たのは、誰か?」
「わたしだが?」
「では、主は、機械の動かし方を教えろ」
「誰に?」
「あの女にだ」
ニーは、ドーメの周囲で騒《さわ》いでいるガロウ・ランたちに背を向けて、カットグラを見上げている女性を見た。
「…………?」
ニーは、眉《まゆ》をしかめた。一見してコモン人に見える女性であった。太ってはいる。
「何者だ?」
「我等のなかにも、コモン人の文字が読める者もおれば、空飛ぶことを嬉《うれ》しがる者もおる」
ドーレブはニタッと笑って続けた。
「この機械の方は、ブラバが動かす」
「ブラバ? あのブラバがか?」
「奴《やつ》はやって見たいと言っている。それに、貴様《きさま》たちが動かすのでは、我々は、敵を飼《か》うことになる。それはできん」
理屈《りくつ》は分るが、ニーは、抗弁《こうべん》せざるを得たかった。
「わたしは、まだカットグラの操縦はしたことがない。教えられない!」
「ケッ! 文字を読むヘレナアが言った。カットグラの動かし方を書いた本があった。違《ちが》うか?」
ニーは絶句した。ガロウ・ランがどこまで理解しているのか分らないので、言葉を継《つ》ぐことができない。
「ヘレナァは、カットグラの腕《うで》を動かして見た。トレンがいない間にな」
「本当かよ?」
トレンが、ヘレナァと呼ばれるその女に訊《き》いた。
「トレンが腹のなかに入って、動かした。だから、分った」
ヘレナァは、ゲルマン風の上着をまとい、タイツのようなものを穿《は》いていたが、足が短すぎるので、コモンではないと分る。顔は、ひどい鮫肌《さめはだ》で醜《みにくい》いが太い眉《まゆ》の下の瞳《ひとみ》には、ドーレブに似た知的な輝《かがや》きがあった。
彼女は、カットグラの操縦マニュアルを手にしていて、それを一同に示した。
ドーレブは、ヘレナァの自信に満ちた態度を満足そうに見やってから、トレンを指で招いた。
「…………?」
トレンは、ドーレブの顔を覗《のぞ》いた。
「サラーンは、貴公《きこう》とやりたがっているようだ」
ドーレブは、そうトレンに耳打ちした。
ショットは、機械の館《やかた》の前の天幕の下で、ドーメ部隊の向う側に着陸してくるカットグラを見やりながら、作戦の第一段階は、終了したと思っていた。
オーラの光は落ちて、天には燐光《りんこう》が輝き出していた。もう、今日の捜索《そうさく》はできない。
ショットは、バーンに入れ知恵《ぢえ》をした立場上、今日のオーラ・マシーン部隊の動きを心配していたのである。
バーンがショットの姿を見つけて駆《か》け寄ってきた。
「発見できなかったようだな?」
「ハッ! 合流地点には、ドーメが墜落《ついらく》した痕跡《こんせき》はありません。うまくいったのでしょう」
ショットは、バーンの報告を受けると、
「心配だな。ドーメが、また一機、戦《いくさ》を前にして失われたか……」
周囲の将兵たちに聞えよがしに言って、天幕の前の椅子《いす》に座った。
「ああ……昨夜の貴公の報告のなかにあった、オーラ・バッテリーという提案……」
「ハッ? トレン様のおっしゃった?……」
「うむ、彼はいいセンスをしているな。だいたい、パイロット・マニュアルだけを頼《たよ》りに修理などはできない筈《はず》なのにチャレンジしている……さすが地上人《ちじょうびと》の技師である」
ショットは、周囲を警戒しながらバーンに教えた。
「そうでありますか……」
「なんとしても、会いたいものだが……戻《もど》るか? ガロウ・ランに取り込まれるか?」
「さて……?」
バーンは、苦笑した、
二人にとっては、どちらでも良かったはずである。
しかし、今、ショットは、トレンの提案した技術的なアイデアに興味を持って、トレンに会いたいと言う。
バーンは、その技術者の御都合主義を笑ったのである。
戦争をやっているのである。こちらの都合通り敵が動いてくれる筈《はず》はない。
「ニーは、命を賭《か》けましょうが……」
と、言いかけてバーンは口を襟《つぐ》んでしまった。ジョクとガラリアが近寄ってきたのだ。
「騎士《きし》バーン! リキュールの補給をしたら、もう一度|捜索《そうさく》するぞ!」
ジョクは、天幕の下に置いてある樽《たる》の栓《せん》を抜《ぬ》いて、銅のコップに水を受けながら言った。
「無理だ! 空を見ろっ!」
「まだ、大丈夫《だいじょうぶ》だ。やってみる」
「ジョク、今、ニーのドーメが最後に発した通信の電波の方向を特定しているところだ」
「そうかい……?」
ひとくち水を含《ふく》んでから、ジョクは、ショットとバーンを見比べた。
ショットは、天幕の前の椅子《いす》に座って、前庭にならぶ十数機のオーラ・マシーンを見つめていた。
その姿は、自分のもたらした成果に自己|陶酔《とうすい》しているように見えた。
「…………?」
ジョクのちょっとした疑問を感知したのか、ショットが、ヒョイとジョクを振《ふ》り向いた。
「なにか? ジョク」
「いえ、なにか?」
「なにか気になるのだろう?」
「なにか? と……」
ジョクは、コップを手にしたまま、ショットのかたわらに立った。
「……気になると言えば、ガロウ・ランが静かすぎることです。これまでの経緯《いきさつ》から見て、ガロウ・ランは、このように時機を待つような知恵《ちえ》は持っていないと伝えられていたのに……連中は、最後まで考えずにコモン界を蹂躙《じゅうりん》するものだと言われているのに……」
「そうだったはずだ、それがどうした?」
ジョクは、またショットにテストされていると感じた。
「だから、これが本当のガロウ・ランの動きだとすると、変りますね?」
「なにが?}
「コモン界の歴史が、です」
「どういうことだ?」
ショットは、久しぶりにジョクの言葉を聞こうとする態度を見せた。
「ガロウ・ランも人権を主張して、コモン界に独自の地歩を占《し》めようとしているのではないかってね……自覚していませんでしょうがね、そうなるんじゃありません?」
「アメリカ合衆国のブラック・パワーの話か?」
「性質は、同じでしょう」
「……違《ちが》うよ。それを言うならば、もっと世界そのものの問題だと思うな……」
「どういうことです?」
「ン……ガロウ・ランは間違《まちが》いなくバイストン・ウェルの地の世界に生息するものだった。しかし、それが上の階層に進出してくるというのは、地上世界のブラックとホワイト問題とは違って、世界が変ることを象徴《しょうちょう》しているのじゃないかな?」
「世界? 物理的なことを言っているんですか?」
「そうだ。文化史的な世界のことじゃない」
ジョクは、ミハンが持ってきてくれた椅子《いす》に腰《こし》を下ろした。
急速に周囲に闇《やみ》の色が濃《こ》くなっていった。
「極端《きょくたん》な言い方をしますと、バイストン・ウェルと地上世界がつながるとでも言うのですか?」
「ハハハ……想像力が逞《たくま》しいな……そうだよ。ありうることだ。言ったことがあるよな? バイストン・ウェルは地上世界の妄想《もうそう》の世界だと……」
「はい……考え方としてね?」
「そういう世界における変化とはなにかを、考えてみた。我々、地上人《ちじょうびと》が、こうも次々にバイストン・ウェルの世界に降りてくることもふくめて、バイストン・ウェルの世界は変ろうとしているのだ。なぜか? バイストン・ウェルは、地上世界とつながりたいのだ。なぜか?」
「……分りません……」
ホッと息をついて、ジョクは肩《かた》をすくめた。
「地上世界の妄想だけでは、バイストン・ウェルの世界を支えきれなくなって、この世界が、実際の地上人を必要としているからだと考えられんか?」
「サラーン・マッキのような天の力ではなくて?」
「あれだって、世界の代弁者さ」
「なるほど……それで……?」
「現代の地上人は確かに妄想《もうそう》はするが、現代の都市部で暮《くら》す人びとの妄想というのは、本当の妄想、つまり病的な妄想だ。自然と隣接《りんせつ》して暮す人びとの恐《おそ》れとか、自然と協調して創造された神話の類《たぐ》いではない。イマージュじゃないんだな」
「ヘー、そうですか?」
「そうだよ。ホラー映画とかオカルト映画の類いにすぎん。偏執狂《へんしつきょう》の妄想だ。イマージュとしてピュアじゃないんだな。それでは、バイストン・ウェルを成立させる力にはならない。その危機感を抱《いだ》いたバイストン・ウェルという世界の意思が、地上人《ちじょうびと》にバイストン・ウェルの存在を示すために胎動《たいどう》を始めていると考える……」
「そう考えると、最近、地上人の降臨《こうりん》がつづいた理由も、アの国に地上人が集中して降りた理由も分るというのですか?」
「そうは思えんか?」
「長い間、バイストン・ウェルに住んだ方の考えです。ぼくには否定はできません。しかし、そのこととガロウ・ランの変化はどう結びつくのですか?」
「簡単じゃないか、我々が上から降りて来たんだ、下からの突《つ》き上げだって、この世界は容認するだろう?」
「納得《なっとく》がいきました。となれば、あのクスタンガの森に住んでいるという羽根つきのちっちやな人、ミ・フェラリオが存在する理由も、同じですか?」
「ああ……ここの人びとはクスタンガの丘《おか》と言うぞ」
「それ、なんなんです?」
「知らんよ。コモン界にある一種の結界《けっかい》らしいが、見たことはない」
「嵐《あらし》の壁《かべ》のむこうにある美しい森だそうですね?」
「丘だって言うぞ」
ショットは、その言葉にこだわった。
ジョクは、言い直さない自分のズサンさを感じながらも、ショットの頑固《がんこ》な一面を知って苦笑した。
「ドレイク様です!」
ショットは、椅子《いす》から立ってラース・ワウの主人、ドレイク・ルフトを迎《むか》えた。
「捜索隊《そうさくたい》は、出したのか?」
「ハッ! 第二十八部隊を、墜落《ついらく》したと思える地点に出しましたが、まだ場所の特定ができません。判明しだい部隊を移動させ……」
天幕の下で地図と首っ引きになっていた将官が答えた。
「ン……明朝は、オーラが上りしだい、オーラ・マシーンを出動させいっ!」
「ハッ!」
ドレイクは、ショットの前に立って、黙《だま》って頷《うなず》いて見せた。
「オーラ・マシーン部隊には、今日の捜索を終了させました。未《いま》だ、ニーのドーメの行方《ゆくえ》は確認していません」
「ご苦労……」
ジョクは、バーンの報告を耳にしながら、自分のカットグラの方に向った。最終的な整備点検をしておかなければならないのだ。
「ジョク、なにか妙《みょう》だな?」
ガラリアが、隣《とな》り合わせに置いてある自分のカットグラの下から出てきた。
「なんでだよ?」
「もう少し殺気立っていて、いいように思うのだが、みんなリラックスしている」
「ニーのことだ。遭難《そうなん》したとしても、自力で帰ってくると信じているのだろう」
「それでかな?」
ガラリアは、天幕の下でなにごとか協議をしているショットとドレイクを見やって、ショート・カットの髪《かみ》をかきまぜるようにした。
「髪、洗えよ! 土ぼこりが見える」
「お互《たが》いさまだよ」
ガラリアは、ニタッと笑った。
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トレンは、土間《どま》に入ると、上着の汚《よご》れが気になって、パタパタと両手で叩《たた》いて埃《ほこり》を払《はら》った。
ガロウ・ランには、トレンに新しいものを着せようという発想はまったくないし、ニーたちは、作戦のことで頭が一杯《いっぱい》で、バーンに頼《たの》んだはずの着替《きが》えは、持ってきてくれなかったのだ。
『……ギィ・グッガに呼ばれたってことは……サラーンのことが、バレているとは思えないが』
トレンは、不安でならなかった。
自分ごときを殺すのに、ギィ・グッガがわざわざ本人を呼ぶはずはないと思った。
薄暗《うすぐら》い土間を警護するガロウ・ランは、十人。彼等は、なんの感情も見せず、土間の隅《すみ》にうずくまっていた。
待たされること数分……。トレンは、ギイ・グッガが、コモンの女を凌辱《りょうじょく》する光景を見なければならないのかとうんざりした。
『女を殺してみせるのも、ショウでなくって、本気なんだものな……』
トレンは、ノロノロと立ちあがった一人のガロウ・ランの女を見つめた。彼女は、視線が合っても、まばたきひとつしない。
「トレン……!」
ドーレブが土間につながるドアを開いた。
トレンは、木の床《ゆか》に靴《くつ》のまま上がって、ふたつほど部屋を横切った。案の定、その部屋の隅《すみ》の暗がりには、手足を固縛《こばく》されたコモンの女がころがっていた。生きているのか死んでいるのか、確かめようがなかった。
『…………』
ギイ・グッガの居室は、明るかった。四方の壁《かべ》のガス灯が、部屋の中央にあるテーブルの上のものが読めるほどに輝《かがや》いていたのである。
「…………?」
入って来たトレンに気づいて振《ふ》り向いたのは、あのパイロット候補という女であった。
正面には、ギィ・グッガがだらしない姿勢で、熊《くま》の皮に似たものの上に座って、手にした素焼きの容器のなかのものを舐《な》めていた。
「トレン……明日には、カットグラを少しは飛ばせろ」
「ハッ?」
トレンは、ギィ・グッガの口から出た思いもしない命令に戸惑《とまど》って、頭のなかで彼の言葉を反芻《はんすう》した。
「少し飛ばせろ! ここを動く」
「そんな! 無茶です。今しがたようやく壊《こわ》れた箇所《かしょ》の点検をおえたところで、これから直そうっていうんですからっ!」
「ヘレナァがよ、全部直す。少し直す。この違《ちが》いを言った……手前《てめえ》たちが戻《もど》った……アの国の軍が来る。だから、ここを動く」
理屈《りくつ》のつながりは分った。
トレンは、ギィ・グッガが、状況《じょうきょう》の全体を把握《はあく》して、こちらの目論見《もくろみ》を承知の上で行動しているのである。
「トレン、このヘレナァは、コモン人の血を受けた女だ。賢《かしこ》いのだよ」
ドーレブが補足した。
「しかし! 彼女には修理の程度は分らないはずだ。技師の見立てでは、数日はかかるんだぜ!」
トレンは、前に使った手で切り抜《ぬ》けようとして言葉を続けたが、ギィ・グッガに遮《さえぎ》られた。
「トレン。明日の朝、少しでもカットグラを飛ばせろ! できないなら、貴様《きさま》を殺す」
「そんな、理不尽《りふじん》です! 無理なものは、なんとしたって……」
「貴様を痛めつければ、その技師とかいう男、修理を急ぐ」
ギイ・グッガは、優しい声で断定した。それは、ニーたちがいれば、トレンの役割は必要ないと見抜いてのことであった。
「伝えます。伝えますが……」
「それでいいんだ。トレン……」
ドーレブは、描撫《ねこな》で声で、トレンの退出をうながした。
「なんてこった……」
トレンは暗澹《あんたん》たる思いで、カットグラを修理している小屋につづく坂を降りていった。サラーンとの密会もなにも吹《ふ》き飛んでいた。
左右を走る騎馬《きば》の列があった。馬車が狭《せま》い村の道を、上に下に動き始めていた。
ガロウ・ランたちが、撤退《てったい》を開始したのである。
「無理ですよ!」
トレンの話を聞くと、ニーは即座《そくざ》に言った。
「少しでも飛ばせればいいんだ。ギイ・グッガだって、そう言った。ほら! ジャンプでもいいんだ。移動できればいい! 頼《たの》む!」
トレンは、ニーの前に膝《ひざ》を折って哀願《あいがん》した。
「いいですか! 直しはしますよ。それがこっちの目的なんだから……その任務は遂行《すいこう》しますが、そのためには、時間を稼《かせ》いでくれないと……。それが、ガロウ・ランとつき合いのあるあなたの役割でしょう!」
「つき合いなんてない! ギィ・グッガは、人間的な感情など少しもないガロウ・ランなんだ! 頼む! イットー!」
トレンは、カットグラを修理するための足場の上に立っているイットーに駆《か》け寄って、その膝に取りすがった。
「無理なんですよ! 無理っ!」
「マッタ! キチニっ! 頼む! なんでもするからっ!」
トレンは、二人の前に回って、次々と同じように哀願した。
ニーは、トレンを眼の端《はし》で見て、静かに言った。
「イットー、エンジンの出力だけはなんとか戻《もど》せよ。それと、足の駆動系《くどうけい》を補強すれば、なんとかなる」
「分りませんよ。俺だって、こんなところに長くはいたくないんですよ。でもね!」
イットーにも、成算がある、とは言えなかった。
それに、彼は、地上人《ちじょうびと》のトレンの命を救うために努力することを、生理的に拒否《きょひ》していた。
「いいか、イットー! ガロウ・ランに操縦を覚えられる前に、動かすんだ。そうしなければ、俺たちは一生帰れなくなる」
「帰れますよ!」
イットーは、怒《おこ》った。
「イットー、ガロウ・ランが操縦を覚えちまったら、俺たちはまったく帰れる見込《みこ》みがなくなるんだ。俺は殺されるだろうが、お前は、一生、ガロウ・ランと暮《くら》すんだ」
「そんなこと!」
「ガロウ・ランが相手で、いいのか?」
二ーは、入口にたむろしているガロウ・ランたちが、自分たちを凝視《ぎょうし》しているのに気づいて、
「だから! ギイ・グッガの命令通りにやるんだ!」
芝居《しばい》がかった大声を出して、イットーに命令した。
「その男っ!」
入口にたむろするガロウ・ランの群を押《お》し分けて入って来たのは、ブラバだった。商人の変装《へんそう》を解き、革鎧《かわよろい》を身につけたブラバの姿は、まぎれもないガロウ・ランの戦士だった。
「機械を動かす者は、ここでは必要ないな? 外の機械を動かすのを教えろ!」
「こんな時間にか?」
ニーは慌《あわ》てた、事態は、予想以上に早く進行している。
「ヘレナァが、言う。ドーメは易《やさ》しい」
またも、あの女が差出口《さしでぐち》をしたのだ。
「その手で、俺もやられているんだ! ニー!」
トレンは、足場から駆《か》け降りて、ブラバの背後の闇《やみ》のなかから出てきた女を指さした。
「あたしは、ヘレナァだ。ブラバに操縦を教えろ! そうしなければ、あんたたち、全員を殺す。命令に従えば、全員は、機械を作る者として、ギィ・グッガが雇《やと》う」
ヘレナァの凛《りん》とした声は、ニーたちに威圧感《いあつかん》を与《あた》えた。正確な言葉、混濁《こんだく》していない意思の走り……。
「……ガロウ・ラン!?」
二ーの呻《うめ》くような質問に、女はフワッと頷《うなず》いてから、さらに言った。
「面倒《めんどう》なことはいい。飛ばせればいい。あとは、読んできかせる」
「りょ、了解《りょうかい》した」
「よーしっ!」
ブラバは満面に笑みを浮《う》かべると、ニーの肩《かた》をドンと掴《つか》んで、引き寄せた。
よろけるようにして、ニーは闇《やみ》の川原に出て、ドーメに向った。
「ブラバ!」
見張りの男たち女たちが、松明《たいまつ》をかざして二人を追った。
「篝火《かがりび》をドーメの周囲に置いてくれ。輪にするんだ。そうしないと、上から地面が見えない!」
ニーは、そんな初歩的なことから始めなければならない自分の境遇《きょうぐう》を考えると、身の毛がよだった。
さらに、ニーは、村全体が夜の雰囲気《ふんいき》とは違《ちが》うことに気づいていた。松明の明りが村の道筋に列をなしていたし、馬の走る音がそこここにこだましていた。
『ここを撤退《てったい》するというのか……?』
トレンの恐怖《きょうふ》の意味が、多少分って来たように感じられた。
『……。バーンが言っていたように、ガロウ・ランの奴《やつ》、次々と戦い方を学んでいる。動きが違う……』
ニーは、ドーメの周囲に篝火《かがりび》を用意させる指揮をとりながら、考え続けた。
『騎士《きし》ジョクが言う通り、この国は、なにものかを呼ぶ力があるんだ。それが世界の力とでも言うように……ガロウ・ランたちも、その力を受けて成長しているのか?』
今夜の村の雰囲気を見れば、そう考えざるを得なかった。なによりも、このブラバとヘレナァというガロウ・ランが、そのことを証明しているように感じられた。
ブリッジに上がったニーは、ガス灯の下で、操縦するために必要な計器と操縦グリップ類の説明をブラバとヘレナァにした。
「駄目《だめ》だ。覚えられねぇ! 動かせ! それを見りゃあいい!」
結局、ブラバはそう言い、ヘレナァも同調した。
「では、俺《おれ》がやることを見ていろ。夜だから、上昇《じょうしょう》して、降りるだけにする」
ニーは、最低速度でゆったりと上昇して見せた。
「やらせろ!」
「そんなっ!」
「やらせろっ!」
ブラバは強硬だった。
「いいか、着陸するから、外の景色、明りの見え具合を覚えるんだ。そうしないと地面が分らん!」
ニーは怒鳴《どな》りながら、ドーメを着陸させて、ブラバに二本の操縦グリッブを持たせた。
「うむ!」
恐《おそ》れを知らない人というのは、このような時に驚《おどろ》くべき能力を発揮する。ブラバは、簡単にドーメを上昇《じょうしょう》させた。
「……ヌハっ!? ガッハハハハ……!」
ブラバに合わせて、ヘレナァも甲高《かんだか》い声で笑い、
「前に移動するのはどうする!」
「駄目《だめ》だ! 暗くて山との距離《きょり》が分らない! そのままだ」
ニーは、自分よりひと回り大きなブラバの身体《からだ》を押《お》し退《の》けて、操縦グリップを奪《うば》おうとした。
「ンドッ!」
ブラバは、逆にニーの身体を肩《かた》で払《はら》いのけた。同時にブラバは操縦グリップを大きく動かした。ドーメの機体が上昇する時のように傾斜《けいしゃ》した。が、加速がかからないので、浮力《ふりょく》が生じない。機体は、滑《すべ》るように後退した。
「ウッ!? 落ちる!?」
「外を見ろっ!」
ブラバに払いのけられ、ヘレナァにぶつかったニーは、ブヨッとしたヘレナァの感触《かんしょく》にゾッとしながらも、それを支えにして、ブラバの方に向こうとした。
ブラバは、両手を操縦グリップから離《はな》して、大きくよろけて来た。それをかわしながら、ニーはバーに掴《つか》まって、上になった操縦グリップを掴もうとした。が、うかつに掴むとクリップを引くだけになって、機体を引っくりかえしてしまう。
床《ゆか》を壁《かべ》にして、ニーは上にあるアクセル・ペダルを手で押した。機体に加速がかかったようだが、まだ、十分ではない。
「アー! 火がっ!」
ヘレナアの悲鳴が上がった。ズン! 下から突《つ》き上げられるような振動《しんどう》を感じた。
ニーの身体がその反動で上に跳《は》ねて、両手で触《ふ》れていたペダルに力がかかった。
ニーは、浮《う》き上がった頭がペダルにぶつからないように首をねじ曲げた。
「くっ!」
ニーのねじ曲った首がブリッジの後部、下になった方を向いた。ブリッジの小さな窓から、篝火《かがりび》の列が見えた。
「クッ!」
ニーは、壁にむき出しになっているバイオ・マッスルの筋を掴んで、身体を引き上げると、左の操縦グリップを前に押《お》しながら、右の操縦グリップを肩口《かたぐち》で押し戻《もど》して加速をかけた。
「ウオオーッ!」
ブラバとヘレナァの呻《うめ》きが聞えた。
「チッ!」
山にぶつかることを恐《おそ》れたニーは、ドーメの機体を安定させ、ホバリング状態にしようとしたが、加速をかけた直後だけに、姿勢|制御《せいぎょ》に時間がかかった。
「ウッ!?」
オーラ・ノズルの光を反射するものが見えたように思えた。
バリン! ザザッ! 機体をこする音がした。木にぶつかったのだろう。後退しようとして、ようやく、前部ノズルをアクセスすることができたと思った。
が……、ズザザザッ! 正面に衝撃《しょうげき》を受けて、ニーの身体《からだ》は中央のバーにぶつかった。数枚の窓の透明《とうめい》な甲殻《こうかく》が破れた。
「チッ!」
ニーは、飛び散る破片を避《さ》けてから、操縦グリップを掴《つか》み、後退を始めた機体の速度を零《ゼロ》にして、全ノズルをホバリング状態に安定させていった。
「……フッ! これが安定状態だ。移動しないで空中に留《とま》っている状態だ。分るか!」
ニーは、二人のガロウ・ランに怒鳴《どな》った。
「空中に留っている……?」
ブラバとヘレナァは、窓から周囲と下の光景を覗《のぞ》いた。
「これが水平儀《すいへいぎ》だ。この線が、水平に、真横になっているだろう?」
ブラバとヘレナァは、ニーの手元を覗いた。ヘレナァはしたり顔で、
「そうか。その握《にぎ》りの位置とその足踏《あしぶ》み板、それにこの水平儀? そっちのは速度計だな?」
ブラバは、透明な甲殻の破片が残っている窓から再び外を覗いて、
「分んねぇもんだ。どこにいるのか、夜は、分んねぇ……」
「それが、空というものだ。計器がないと身体《からだ》が水平になっているかどうかも分らない」
ニーは、ドーメの機体を前後左右に傾《かたむ》けて見せ、人間の感覚が傾斜《けいしゃ》を正確に感知できないことを教えた。
「だから、誰がやったってすぐに飛ばすことはできんのだ」
「クッヘヘヘ……分ったよぉ。分りゃあ、飛べるさ」
ようやく、空にいることを納得《なっとく》したブラバは、窓の下に並《なら》ぶ幾《いく》つかのグリップを握《にぎ》った。懲《こ》りてはいないのだ。
ブラバは、平気でそのグリップを押《お》してまった。力《ちから》一杯《いっぱい》押すだけで、コントロールすることを知らない。
「うむ……?」
幸い、そのグリップは、機体をコントロールするものではなかった。
「なんだ?」
ブラバは、ノズルの音とは違《ちが》う音が聞えるのに気づいて、二ーに訊《き》いた。
「フレキシブル・アームのアクセス・レバーだ。外を見れば分る」
「フレキ・アム?」
窓から首を覗《のぞ》かせたブラバの身体《からだ》が、そのグリップに触《ふ》れた。それでさらに、三本のフレキシブル・アームが動いたようだ、
「ホーッ! こりゃあ、火を噴《ふ》く奴《やつ》だぜぇ!」
ブラバは感嘆《かんたん》して顔を引っ込めると、どうすれば火を噴くのだ、とニーに訊いた。
ニーは、一瞬《いっしゅん》、教えるのはやめようと思ったが、エネルギー切れにしてしまう手[#「手」に傍点]があるのに気づいた。
「グリップの上の蓋《ふた》を開けて、ボタンを押《お》すんだ」
ニーは、その手つきをして見せた。
「フン……?」
ブラバは、ひどく簡単にグリップの上の蓋を開け、チーク材で飾《かざ》られたボタンを押した。
ドウンッ! その音と同時に、ブリッジが明るくなった。
「ウオッ!?」
ブラバの巨躯《きょく》がビクリと揺《ゆ》れた。そして、その眼をクワッと見開いて前方の空間を見た。
閃光《せんこう》が、闇《やみ》のなかに光の筋を作り、前方の山肌《やまはだ》を直撃《ちょくげき》したのである。
距離《きょり》は、二百メートルとなかった。真赤な炎《ほのお》が広がって、木々の影《かげ》を浮《う》き立たせ、岩肌《いわはだ》を炎の輪が走った。
「ボタンを離《はな》せ!」
ニーは、反射的にブラバの手首を取っていた。その瞬間《しゅんかん》、ニーは、エネルギー全部を使い果させてしまえば良かったと思ったが、遅《おそ》かった。ブラバの手がボタンから離れ、フレキシブル・アームから放射された火炎《かえん》の筋も消失した。
「オウ、オーッ! そういうことかっ!」
ブラバは、ゴウゴウと燃え始めた山肌と手元のグリップを見比べて、感嘆した。
機械を操作するというのはどういうことなのか、真実分ったという顔である。
二ーは、絶望的になった。
経緯《いきさつ》はどうあれ、ニーは、機械をあつかうという概念《がいねん》を確実にガロウ・ランに教えてしまったのである。
ニーは、山の方に視線を移した。山火事が発生していた。風がないせいであろうか、まっすぐに立ち昇《のぼ》る煙《けむり》を炎が下から照らし出して、不気味な柱のように浮《う》き立たせていた。
それは、あたかも、ガロウ・ランの存在を示すトーテムポールのように、オドロオドロしく威圧《いあつ》する物の形となって、そそり立っていた。
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ギィ・グッガはいつものように、寝《ね》る前の儀式《ぎしき》を行なっていた。女一人を凌辱《りょうじょく》するという仕事だが、オーラボム・ドーメの飛行音を耳にすると、その若い女を放《ほう》り出して、居室の前のポーチに出て行った。
寒気が、彼のすべやかな肌《はだ》を刺激《しげき》して、女の体臭《たいしゅう》がはぎ取られていくのが快かった。その感触《かんしょく》は、ギィ・グッガにとって、初めてのものだった。
彼にとって、ガロウ・ランであろうとコモンであろうと、異性の放つ体液の薫《かお》りは、精力|剤《ざい》に似た効用を果していた。彼自身も、女たちの匂《にお》いは、血の匂いも含《ふく》めて、感性を刺激する以外のなにものでもないと承知していた。
しかし、今夜は、違《ちが》っていた。さわやかさ、という今まで知らなかった感触に、肌《はだ》がふるえたのである。
『……地上人《ちじょうびと》に傷つけられたからか……?』
言葉にはならないものの、そんな考えがギィ・グッガの頭をよぎった。
フラフラと上昇《じょうしょう》する丸っこいドーメの機体が、篝火《かがりび》の明りにほんのりと浮《う》き上がって見える。ブラバが、訓練を始めたのである。
ギィ・グッガは、満足だった。
敵と同じものを所有し、その上、敵にない強獣《きょうじゅう》部隊があれば、こんどこそ、アの国は我物になるであろう。
招集をかけていたガロウ・ランたちの新しい部隊と合流するのも、今日か明日という日程である。
『機械を知らねぇ連中には、敵の機械を見せてやる。そうすれば、ガロウ・ラン共は、みんな俺《おれ》に従う』
そういう論理が、言葉となって列挙されたわけではないが、明瞭《めいりょう》な思考として、ギイ・グッガの脳裏に刻みこまれていった。つまり、ドーメを、自分のものになった機械として認識していたのである。
昨日までは、自ら強獣を操って軍を指揮せざるを得なかった男が、今は、触《さわ》りもしない機械を、自分のものと認識しているのである。ガロウ・ランとしては、極めてすぐれた理解力と言えた。
もちろん、軍を統率するという面から見れば、会わない人びとでさえ自分の部下として指揮Lてきたのだが、『もの』に対して、このように認識できるというガロウ・ランは珍《めずら》しい。
ヘレナァの場合は、想像力が勝手に拡大して、『もの』を取りこんでいるだけなのだが、ギィ・グッガの認識は、もう少し確実なのである。
「……ン?」
ドーメの不自然な動きが安定した。少し間を置いてドッと赤い火が伸《の》びて、左の山肌《やまはだ》を焼いた。
それは、闇《やみ》のなかに、巨大《きょだい》な光の帯となって目撃《もくげき》された。
「ホーッ!」
天に向ってまっすぐに立ち昇《のぼ》る煙《けむり》の柱が、ギィ・グッガには、自分の意思そのものに思われた。
彼は、ひどく感動した。
「そうけぇ……」
ギィ・グッガは、部屋のなかの気配にゆっくりと振《ふ》り向いた。
部屋の中央に敷《し》かれた毛皮の上に倒《たお》れこんでいたコモンの女が、逃《に》げ出そうと背中を向けたところだった。血の混じった汗《あせ》ともなんともつかない液体でビッショリと濡《ぬ》れた大腿部《だいたいぶ》の筋肉が、ピクピク痙攣《けいれん》していた。背中には、ギィ・グッガに引《ひ》っ掻《か》かれた傷が赤いみみず腫《ば》れとなって、ベッタリと貼りついていた。
「ヘッハッ……!」
ギィ・グッガに気づかれているとも知らずに、その女は喘《あえ》いだ。その女は、そう、あまりいい味ではない。今朝がた賞味した女を呼んだ方がいいと思いながら、ギィ・グッガは、妙《みょう》なことを思いついていた。
「……女!」
「ヒッ!」
床《ゆか》を這《は》って逃げようとしていた女は、恐怖《きょうふ》に引き攣《つ》った顔を向けた。今は、ギィ・グッガは、そんな顔を見ても欲情しなかった。
自分でも不思議だと思う。
「言いつけたことをやれば、もう呼ばねえ、主の股座《またぐら》が使えるならよぉ、好きな男とやればいいよぉ。使えればのことだけどよぉ……ドーレブ!」
ギィ・グッガは、喉《のど》を鳴らすとドーレブを呼んだ。
その女が、壷《つぼ》に入れた飲物と少しばかりの食べものを携《たずさ》えて、カットグラを修理している小屋にやって来たのは、それから間もなくだった。
その女が、ギィ・グッガが見ていなくても、命令されたことを実行するのは、彼の次の凌辱《りょうじょく》が恐ろしいからでも、ガロウ・ランの目がどこにでもあるからでもない。
この村を襲《おそ》ったガロウ・ランによって、村人が次々に惨殺《ざんさつ》され、使役《しえき》され、家族の姿が見えなくなっていく光景を見続けて、金縛《かなしば》り状態になっているだけのことだった。思考力など、まったく働いていない哀《あわ》れな少女なのだ。
「へへ……うまそうな女じゃねぇか?」
二ーたちを警護するガロウ・ランたちは、慰《なぐさ》み者が来たと思った。
「……ギイ・グッガが、この女をコモン人につけたんだ。手え出すな!」
女を小屋に連れて来たガロウ・ランの兵士は、そう叫《さけ》んで、さらにつけくわえた。
「ギィが使った女だ。穴はメチャメチャだでぇぉ!」
兵士たちがドッと哄笑《こうしょう》した。それは明らかに侮辱《ぶじょく》であったが、同時に、その女の今後の身の安全を保障する言葉でもあった。
女は、ヨロヨロとよろけながらも、持って来たものを必死で支えて、置く場所を捜《さが》した。
この山間《やまあい》の村から一歩も外に出たことがない少女にとっては、カットグラもドーメも、機体を修理するために組まれた足場の光景も、ギィ・グッガがもたらした恐怖《きょうふ》の対象にしか見えなかった。
女は驚愕《きょうがく》し、ますます、怯《おび》えた風を見せた。
「なんだ?」
ドーメから降り立ったブラバは、女の手にした飲物の壷《つぼ》を覗《のぞ》いた。
酒のようなものが入っているらしかったが、ブラバには、その飲物がなんであるか分った。
「ギィ・グッガが、コモン人《びと》にだと?」
女を連れて来た兵士に確認すると、、
「ニー! お前たちに、ギィ・グッガの差し入れだ」
「夜食か?」
ニーが警戒の表情を見せた。
トレンが「食えるものかっ!」と毒づいた。
「毒はないぜぇ?」
ブラバは、壷を傾《かたむ》け酒を手に受けて、一口飲んで見せた。
「食い物も毒味して欲しいな」
トレンの言葉に、ブラバは嫌《いや》な顔もせずに、ナムに似た物を口に放《ほう》り込んだ。
「明日は、俺がドーメを動かす」
口をモグモグさせながら、ブラバはそう言うと、篝火《かがりび》の向うに消えていった。
ブラバは、初めてドーメで飛ぶという体験をして興奮していた。すぐに寝《ね》られる状態ではなかったので、気を抜《ぬ》くための女を調達しに行ったのである。
ブラバは、何も心配はしていなかった、つまり、ブラバは、ニーたちに供される夜食に、ギィ・グッガの使う白い粉が混入されていることを承知していたので、自分かいなくても、修理が遅《おく》れることはないと安心して出かけたのである。
「そこに置いてくれ」
ニーは、カットグラの前の足場の下を女に指し示した。そして、カットグラに取りついているクルーたちに、夜食を取れと命令した。
飲物は、辛《から》いカルピスのようなものと言えば良いだろう。ニーたちは、その食事のおかげで、その夜は、朝まで突貫《とっかん》工事ができたのである。
彼等は、眠気《ねむけ》を感じることもなく、まだまだ働けるという状態で朝を迎《むか》えた。ガロウ・ランに監視《かんし》されて、緊張《きんちょう》していれば、働きつづけられるのだと彼等は思った。食事に麻薬《まやく》に類するものが混入されているなどとは、想像もしない。
ともかく、カットグラを飛ばせる状態にすることはできた。
「……しかし、実戦に使える状態ではありませんぜ」
イットーは、それでも、満足そうだった。彼はつやつやした顔で、カットグラを見上げた。
「今夜の仕事としては、これでいい。あとは、交代して順々にやるさ……」
「装甲《そうこう》の張り替《か》えと、バイオ・マッスルの補強を本格的にしないとねぇ?」
マッタとキチニも、まだまだ仕事ができるという風だったが、撤退《てったい》のために工具と部品をまとめる仕事にかかった。
その朝、ギィ・グッガ自身も、バミルゥの山間の村から後退した。
夜半より順次撤退作業をしていた軍は、サラーン・マッキを収容することも忘れてはいない。
数にして、三百人ほどの部隊は、周囲に散開している部隊を糾合《きゅうごう》しながら、かつ、アの国の偵察《ていさつ》部隊を掃討《そうとう》する動きを見せながら、北に移動していったのである。
ニーたちのオーラ・マシーンニ機はしんがりであったが、好きにできる状態ではなかった。
ギィ・グッガは、トレンと共にイットーとマッタ・ブーンを人質として彼の直掩《ちょくえん》部隊に入れ、オーラ・マシーンには、ニーとキチニが残された。
「おいっ! そろそろ行くぞ!」
ブラバは、ヘレナァをニーの方に押《お》しやってから、自分も数人の手下を引き連れて、ドーメに搭乗《とうじょう》した。
ドーメの操縦は、キチニである。
ブラバの手下は、今朝になって彼の指揮下に入った男たちである。
彼等は、ブラパが空を飛ぶ機械を動かすと聞いて、率先してブラバの下につくことを願い出た若い戦士たちであった。
「おーいっ!」
ヘレナァが、カットグラのコックピット前の足場の上で、短い手を振《ふ》ってニーをよんだ。
「昨夜から御苦労だった」
ニーは、食事を運んでくれた哀《あわ》れな少女にそう言ってから、カットグラの足場に脚《あし》をかけた。
「あんたが、動かすのか?」
「お前が操縦をする。あたしは、見ている」
「……? 俺は、カットグラを操縦したことがないんだ」
ニーは、たっぷりと皮肉を込《こ》めて言ったつもりだったが、ヘレナァの返事は明快である。
「考えた……あたしよりはできる。やれ!」
「しかし……」
二ーは、ヘレナァかブラバが操縦するカットグラに乗せられて一緒《いっしょ》に墜落《ついらく》するという嫌《いや》な想像もしたのだが、自分がカットグラを操縦しても、状況《じょうきょう》は少しも良くならないだろうと思った。
ニーはうんざりしながら、コックピットのシートに座った。
計器とバイオ・マッスルの間にある操縦グリップを確かめてから、ガラリアのイニシアルの入ったキーを所定の位置に差しこんで、オーラ・エンジンを始動させた。
「できるじゃないか!」
「この程度で、できると思われては困る。俺は、死にたくない」
「ンならさぁ、ちゃんと飛べばいいのさ」
「どの程度飛べるか分っているのか?」
「飛ぶよ……」
航続|距離《きょり》などの概念《がいねん》は、まったくない手合いである。やって見せるしかないだろうと覚悟《かくご》はしたものの、目的地まで到達《とうたつ》できずに、途中《とちゅう》で不時着したら、この女はどうするだろうと考えると、帰りたくなった。
修理しろと言われても、ニーにはカットグラのメカニック面の基礎《きそ》知識は皆無《かいむ》である。
『三人を人質に取られていなければ……』
思わず愚痴《ぐち》が頭に浮《う》かんだ。
「……知らねぇぞ!」
「なーに考えてんだよ!」
ヘレナァは短剣《たんけん》を取り出して、その峰《みね》でニーの頬《ほお》を叩《たた》いた。
二人のガロウ・ランの男たちが奇声《きせい》をあげて、コックピットに滑《すべ》りこんで来た。二人は、ヘレナァの命令で、ニーの右横の狭《せま》い隙間《すきま》に身を寄せた。
「…………?」
食事を運んでくれた少女が、まだ正面からニーたちを見上げていた。ゲッソリとした頬《ほお》が、少女の運命を物語っているようだった。
「ヒーッ!?」
少女は、糸のような細い悲鳴をあげて、小屋の横のくらがりに駆《か》けこんだ。カットグラの正面の川原にあったドーメのオーラ・ノズルが、川原の石を弾《はじ》き飛ばしたからだ。
コ・パイロットのキチニが操縦するドーメは、ブリッジのハッチを閉じていた。昨日のように、ドーメから落下するガロウ・ランはいない筈《はず》だ。
「行くぞ!」
ニーは、カットグラの歩行操作については正確には知らない。いきなり、カットグラの羽恨をひろげると、一気に正面の川原の空間にカットグラの機体を飛び出させて、加速をかけた。
ギュールルル……! 小屋の屋根がパッと消えた。カットグラの機体は、宙に飛び立っていた。
「ウワーッ!」
ガロウ・ランたちが、背後の壁《かべ》にたたきつけられたようだった。
ニーは、そんなことには目もくれずに、神経を前方と計器に集中した。キチニと共にジョクから預かった大切な部下であるマッタを取り戻《もど》して、一緒《いっしょ》に脱出《だっしゅつ》するまでは、なにも考えないと決心していたのである。
「チッ!」
ニーは、カットグラに加速をかけて、先行するドーメの上に出た。
「手前《てめえ》っ!」
「言ったろうっ! 俺はカットグラの歩かせ方を知らない。飛ばすのも、今が初めてなんだ。それに、ちゃんと直っていない!」
ニーは、上昇《じょうしょう》と降下を繰《く》りかえしながら、先行するドーメの機体を追っていくしかないのだ。
言わば、空中でジャンブをするようにして、山の端《は》スレスレに飛行することしかできないのが、今のカットグラなのである。
この飛行が、どこまで続くのかと、ニーは、絶望的になっていた。
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「チッ!」「イォーッ!」
吐《は》く息が、朝の冷気のなかで白く見えた。
上半身、裸《はだか》のまま、鉄製の剣《けん》を振《ふ》るい、巻藁《まきわら》を素手《すで》で突《つ》く。
それが起き抜《ぬ》けのジョクの習慣である。若い者が起きていれば、組手もやった。
もちろん、生兵法《なまびょうほう》は怪我《けが》のもと、ということわざは知っているが、ハンダノに移ってからのジョクは、中学時代を思い出してトレーニングをつづけていた。
生まれながらの戦士などはいない、というニーの教えが、一層、ジョクに厳しい肉体的な訓練をさせることになったのだが、なによりも、毎日、死と隣《とな》り合わせの生活を送っているという強迫《きょうはく》観念が、ジョクの格闘技《かくとうぎ》を上達させた。
ジョクの学んでいたカラテは、理論的に体系化された、現代の道場でのものである。それは、習う者にとっては上達を早めるシステムになっていたということを、ジョクは、この世界に降りてから新たに発見した。
初めは、実戦技に勝《すぐ》れた者には、歯がたたないと恐《おそ》れていたが、そうではなかった。
確かに、実戦技の狡猾《こうかつ》さには舌を巻いたが、所詮《しょせん》は、体力技で、技術の伝承、蓄積《ちくせき》というものはない。その点、技を磨《みが》くというシステムに則《のっと》った現代の格闘技の習熟方法を身につけていたジョクにとっては、実戦技との間の溝《みぞ》を埋《う》めるのは、さして困難なことではなかったと言える。
この世界では、よほどの使い手でなければ、生き残れないのである。生き残っている人は、よほど強いか、ジョクと同じようにまだ実戦の場数《ばかず》を踏《ふ》んでいない者である。
別の言い方をすれば、できそうな敵に当った場合は、逃《に》げればいいのである。卑怯《ひきょう》か卑怯でないかは、生き残った者の理屈《りくつ》でどうにでもなる。
「こんなところが、マーベルに嫌《きら》われるんだよな」
しかし、ジョクは、毎日のトレーニングをやめることはできなかった。むしろ、フルコンタクトの試合をもっとやっておけば良かった、と後悔《こうかい》することが多かった。実戦技を身につけているラフでしたたかな相手とは、ともかく手合わせをして、身体《からだ》で勝つことを覚えるしかないのだ。
「フーッ!」
最後の突《つ》きを巻藁に決めた。
ジョクは、納得《なっとく》できない問題をかかえていて、今朝はトレーニングに集中できない。
「……どうも、な……」
今朝早く目が覚めたのも、この不快感が残っていたからだ。
「ニーは帰って来なかった……捜索《そうさく》しても、墜落《ついらく》の形跡《けいせき》さえなかった……バーンたちは、どこかよそよそしい……なんだ……?」
空を仰《あお》いだ。夜の燐光《りんこう》は薄《うす》れて、鳥たちの朝のかしましいさえずりが、そこここにあった。
ジョクは、上体の汗《あせ》を拭《ぬぐ》いながら、食堂の人影《ひとかげ》に向って怒鳴《どな》った。
「ミハン! ガラリアを朝食に呼んでくれ。今、すぐだ!」
「はあ! 今……?」
「そうだ。急ぐ……」
食堂から顔をのぞかせたミハンは、長身をひるがえして、居間を出ていった。その後で、ジョクは、二人の若者、デトアとナームに聞いた。
「……ドレイク様が、軍を動かす気配はないのか?」
彼等は、ミハンと同じくジョクに従う騎士《きし》候補生である。
「はい、昨日、お館様《やかたさま》が、騎士ニーの捜索に出られまして後、三つの部隊がメットラ方面に出ましたが、それっきりです」
「装備《そうび》は?」
「もちろん、ここずっと続いている正規装備で、部隊全部が、馬車で出ていきました」
「じゃあ、そろそろ戦いが始まると見ていいんじゃないか?」
「でも、このラース・ワウには、十分部隊が残っています」
「前の時と違《ちが》うというのだな?」
「そうですね。倍の数が残っていますから……」
デトア・ローマンは、朝食の支度《したく》をととのえていた。デトアの観測は間違《まちが》ってはいまい。そんなことを考えている間に、ガラリアが入ってきた。
「なんだい?」
食卓の前に座りもしないうちに、ジョクに訊《き》いた。
「ン……まあ、おはよう……今聞いたのだが、ドレイク様は、今度の戦場が特定できないで苦しんでいるのか?」
「そのようだが……」
ガラリアは、分りきったことを訊くなという顔をして、野菜ジュースを口にした。
「そりゃ分っているさ。我々の偵察《ていさつ》もなんの成果もあげなかった。しかし、ドレイク様は何もおっしゃらずに、散発的に軍を展開なさっている。ガロウ・ランの方から来るのを待っているのか?」
「ラース・ワウは、動けないからな。ガロウ・ランは好きにできる。その違いが出ているんだろう?」
「……戦術的には、ギィ・グッガの方が有利ということか?」
三人の若者たちも、同じ食卓について食事をするのが、ジョクの家のしきたりである。
「ガロウ・ランの戦法も戦いのたびに上達しているしな。シャバでは、伝説の崩壊《ほうかい》ということが、話題になっているようだ」
「ガロウ・ランは、地の者ではないということか?」
「……それで、なんだい?」
ガラリアは、ジョクの一般論《いっぱんろん》など聞く気はなかった。
「そう……ニーは、どこかに不時着したはずなんだが、その痕跡《こんせき》は見つからなかった。妙《みょう》だと思う」
「バーンが、なにかやっているんだろう」
ガラリアは、ひどく簡単に答えた。その言葉は、ジョクには刺激《しげき》的だった。
また、自分の勘《かん》の悪さを棚《たな》に上げて、自分が除《の》け者にされていると感じる。
「……そういうことか?」
「そうだよ。何か秘密の作戦があると見たね。そういう男だ。あたしたちが嫌《きら》いなのさ」
「ニーは、何も言わなかったがな」
「そりゃ、ニーの立場では、バーンに口止めされれば、何も言えないだろう。それに、バーンは手を打つのが早い。パンパンと手際よくやられれば、ニーがジョクに報告する間はあるまい」
ミハンも、デトア、ナームも、ガラリアの言葉に納得顔《なっとくがお》になった。
「……みんながそう感じるとすれば、俺《おれ》は、阿呆《あほう》だったことになるな……」
ジョクは、一同の顔を見比べたが、誰もなにも言わなかった。
彼等は、別にでジョクの卑下《ひげ》する言葉を認めたわけではない。それは、彼等の『意思の漂《ただよ》い方』でジョクにも分った。彼等は、次にジョクがなにを言い出すか興味があって、黙《だま》っているのだ。
ジョクにしても、日本人特有の謙遜《けんそん》の感覚で自分を卑下する言葉を吐《は》いたつもりはない。考える『間《ま》』が欲しかっただけだ。
そんな特に、謙遜の言葉が出るのは、民族性のなさしめることであろう。確かに、直さなければならない癖《くせ》である。
「行くぞ。ニーのところへ!」
ジョクは燻製《くんせい》肉を口にしてから、そう言った。
「どこへだって?」
「もし、バーンが秘密の作戦を実施《じっし》しているのならば、ニーは、そのために動いている。他に行方《ゆくえ》不明のドーメはいないのだからな」
「ああ、そうだ」
「そして、バーンが動くなら、俺を呼ぶ。呼ばなければ、俺が動く。俺だって、二ーたちがやっていることを手助けできるはずだ」
「ニーに命令されていることは、単なる偵察《ていさつ》かも知れない」
「しかし、ニーから俺に一言もないというのは不自然だ。キチニとマッタだっているんだぜ」
「そうだけど、バーンは、あたしたちが嫌《きら》いなんだよ」
「一人で武勲《ぶくん》が欲しいというのか?」
「そりゃそうさ……それに動くったって、ニーたちはどこにいる? どこに行ったらいいんだ?」
「分るはずだ。これから機械の館《やかた》に行けばな」
「なんで?」
「軍は、アの国の全域に展開している。ドーメの動きがあれば、その報告はラース・ワウに来ている。だから、報告がないところにこそ、ニーがいるはずだ。違《ちが》うか?」
「分るかね……?」
「みんなの協力があれば分るね。バーンの独断だけで、作戦が完遂《かんすい》されることはない。奴《やつ》の増長《ぞうちょう》を叩《たた》いてやるさ」
「なんで、そう思いつめるんだ?」
「……理由はないが、俺だって、バーンの気に入らない部分をすっきりさせたいと思っている。そうしないと、とても、危険だって感じる」
「なんで? この国にとって、悪いことなのか?」
「ちょっと違うな……もっと、悪いことだって気がする」
ガラリアは、首をひねって、
「そんなことを言うならば、ショットやジョク、それにあのマーベルやトレンかい? ゾロゾロ地上人《ちじょうびと》がこの国に降りて来たことの方が、よほど気持悪いことなんだよ。あたしには面白《おもしろ》いがね」
三人の若者たちが、笑って頷《うなず》いた。
ジョクたちは、食事が終ると騎馬《きば》で機械の館《やかた》に向った。
「どうしたんです?」
ジョクは、機械の館前の天幕の下に、マーベル・フローズンがあのガルマティカ風のふんわりとした衣装《いしょう》を着て座っているのを見つけた、
「……ニーが帰ってこないんですってね?」
マーベルの表情を見て、ジョクは、彼女も観念してこの世界で暮《くら》す覚悟《かくご》をしたな、と感じた。
ニーのことを気にするのは、悪いことではない……。
「ええ。個人的に気になりましてね、これからまた、捜索《そうさく》に出るつもりなんです」
「昨日も捜索、やったんでしょ?」
「はい……」
ジョクは、ミハンたちが機械の館周辺のオーラ・マシーンや、作戦指揮所や偵察《ていさつ》部に消えて行くのを目の端《はし》に捕えながら、
「妙《みょう》なんですよ。彼とは一番親しい間柄《あいだがら》のはずなのに、彼は、何も言わないで訓練飛行に出ていったんです」
「訓練飛行って? ニーは、わたしには、任務で当分会えなくなるって別れに来たわ。……なのに、ニーの捜索をしているって聞いて、変だなって、わたし……」
「ハ……?」
ジョクは、マーベルの瞳《ひとみ》を覗《のぞ》きこんだ。ジョクはマーベルから、ニーが別れの言葉を言いに来た時の状況《じょうきょう》を聞いた。
「……分りました。あなたがぼくにこんなことを言ったなんて、バーンには言いませんよ。昨日の偵察を続行するとだけ言っておきます」
「そう、気を遣《つか》うのね?」
「そりゃそうです。人間は、一人一人|違《ちが》いますからね」
ジョクは天幕を出ると、機械の館の一角に新設された管制塔《かんせいとう》に上がっていった。
「騎士《きし》ジョク!」
若い管制官が、敬礼を返した。
「ニーの捜索に出るつもりだが、今朝までのオーラ・マシーンの目撃《もくげき》報告を教えてくれ」
「ハァッ!」
案の定、訓練飛行の目撃以外、新しい報告はなかった。
ニーが不時着したらしいポイント周辺のカットグラ飛行の報告は、すべてジョクが捜索に当った時のものだった。
「…………」
ジョクは、オーラ・マシーンの飛行目撃のない場所をチェックしていったが、通信網《つうしんもう》が発達していないこの国では、ジョクの想像以上に目撃なしの空域が多かった。
「手掛《てがか》りなしか……」
「どうします?」
「……田か湖に沈《しず》んだと見るのが、正しいのかな?」
「じゃ、捜索《そうさく》はやめますか?」
「しかしな、この北の方面は、ガロウ・ランの動きも報告されているのだろう? 行くよ。今日|一杯《いっぱい》ぐらい捜索してやらなければ、死んだにしてもかわいそうじゃないか」
「そうでありますね!」
ジョクの言葉に、管制官は感動したらしい。
「二番カットグラに七、八、九番ドーメ! ニーの捜索飛行に追従! 発進準備急げっ!」
スピーカーの声が、機械の館《やかた》の前の広場に流れた。
正規の訓練飛行が始まるまでには、まだ十分に時間があった。
「第二十八から四十地点には、補給物資が用意してあります。緊急《きんきゅう》の場合は、そこで補給をして、捜索を続行して下さい」
「了解《りょうかい》だ」
ジョクは管制塔《かんせいとう》を降りた。
ミハンが待っていた、
「工場のイットーが、ニーのドーメに乗っていたようですね」
「技師が? ドーメに乗って訓練飛行か……?」
「あの時、見送りましたが、ニーのドーメに技師が乗っていたなんて……見えませんでした」
「当り前だ、ブリッジがある」
「そりゃそうです。それともうひとつ、工場から、カットグラの部品が外に出たって話もあります」
「なんだ、そりゃ?」
「分りませんが、我々の知らない作戦が行なわれていますね」
「そうだな……。バーンかショットか。水臭《みずくさ》いな。ガラリアの言う通りらしい」
ジョクは、とっさにドレイクに会っておいた方が良いと感じた。
「すぐに戻る」
機械の館の電話で、ジョクはドレイクヘの面談を申し入れてから、騎馬《きば》でラース・ワウの城へと走った。
「なにか?」
ドレイクは、居室の隣《となり》の部屋までジョクを招き入れてくれた」
「気になることがあって参りました。遭難《そうなん》したニー・ギブンのドーメは、技師を乗せて訓練飛行に出た後で、行方《ゆくえ》不明になりました。自分は、ニーの任務を知らないばかりに、この二日間、ニーの捜索《そうさく》をし、今日も捜索に出るつもりでありましたが、出る必要はないと考えます」
「ああ、そのことか。いや、出てくれ。捜索は、続けた方が良い」
「なぜです?」
「将兵に安心を与《あた》えるわけにはいかん状況《じょうきょう》である。ニーのドーメが遭難したという方が、将兵は緊張《きんちょう》する。それにもうひとつ。捜索しながらガロウ・ランの動静をさぐることはできる」
「なんのために、ニーを出したのでありますか?」
「ギィ・グッガの軍に捕獲《ほかく》されたカットグラの奪還《だっかん》作戦だ」
ジョクは、なるほどと思いたかったが、作戦の名前を聞いた時に、なぜか、背筋がゾッとした。
「………カットグラの奪還作戦……成功するとお考えでありましょうか?」
「そうは、読めんのか?」
「妙《みょう》であります。ガロウ・ランと接触《せっしょく》できた者が、このラース・ワウにいるということがです」
「フン……そうだな。バーンは、それで有頂天《うちょうてん》になっているようだ。だからこそ、儂《わし》は、軍を動かし、カットグラ奪還と同時に、ギイ・グッガを殲滅《せんめつ》する予定を立てている」
「奪還できるという前提は、危険ではありますまいか?」
「ガロウ・ランに、カットグラが使えるのか?」
「ニーたちが、ガロウ・ランのために働くことは考えられます」
「…………?」
ドレイクは、言葉を呑《の》んだ。
「自分の女が、ギイ・グッガによって戦士に仕立てられ、それと戦った者の直感です」
ジョクは、大学の後輩《こうはい》、田村《たむら》美井奈《みいな》のことを言ったのである。
「そうか……うかつだったな。ニーならば、忠節を示す機会を与えられのだから死を賭《と》してもカットグラを奪還するか破壊《はかい》すると信じた」
「ギィ・グッガが危険なのは、御存知のはずでしたのに……バーンとて、ガロウ・ランと接触したならそのギィ・グッガのまやかしの技に取りこまれていると考えることもできましょう」
「なるほど、騎士《きし》ジョク、前に出よ。ギィ・グッガの動く徴候《ちょうこう》が見えたならば、即《そく》、殲滅《せんめつ》しなければならない」
「はい……捜索《そうさく》の形でラース・ワウを出ましょう。アントバの麗《ふもと》すべてを前線と見立てて、その中央に位置します」
「頼《たの》む……!」
ジョクは、朝のさわやかなオーラの光の溢《あふ》れる居室を退出した。
ジョクの背中を見送るようにして、食堂の方から、ルーザ・ウルが姿を現した。
「……あれが、地上人《ちじょうびと》で?」
「そうだ。良い騎士だ」
ドレイクは、ルーザに言った。
「あの地上人は、アの国を聖戦士の国として、地上まで導く者になるやも知れん」
「それは、なんとすばらしいことで……」
ルーザは、少女のように表情を輝《かがや》かせて感嘆《かんたん》した。
ドレイクは、ルーザは本気でそう望んでいるのだと感じた。
この女を満足させられた時は、儂は、世界一の王であろう、とドレイクは思う。その底には、ギィ・グッガ的な恣意《しい》を受け入れる素地ができあがっていることに彼は気づいていない。
しかし、それは、まだまだ先のことである。
コモン界そのものを平定するか、まったく別の力を得なければ、実現することではない。
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ジョクは、ドレイクの命令通りにする決心をしたが、そのことをドレイクがバーンにどのように伝えたかは、気にしなかった。
気にしたところで、バーンに嫌《きら》われている自分の立場が、良くなるものでもない。
今は、アリサとの将来を固めるための努力をすることが、一番まっとうに、周囲の人びとに理解される道だろうと判断したのだ。
「シンプル・イズ・ベストだものな」
ジョクは、アントバに向う途中《とちゅう》、ハンダノの自分の城に寄った。
「軍務の途中で……!」
アリサは、多少非難がましいロをききながらも、ジョクの気遣《きづか》いに嬉《うれ》しそうだった。
「わたしの部屋を見て下さい」
ジョクは、アリサの三つの部屋をのぞいた。別に新しい家具が入ったわけではない。カーテンと壁掛《かべか》けが替《かわ》り、ベッドカーテンが少女らしい明るいものになっていた。
「これで、この城に柔《やわ》らかさが出たな。いかにも人が住んでいるって感じだ」
それが、ジョクを、一番ホッとさせることだった。
「なら、わたくしの存在価値もあるのですね?」
「そりゃ、来てくれて嬉しいものです」
ジョクは、アリサの腰《こし》を抱《だ》いてやった。しかし、心の底にわだかまる重さは、少しも軽くならず、ジョクは息苦しさを感じるのだった。
「ヤエー・ウーヤを!」
ジョクは書斎《しょさい》に入った。すぐにヤエー・ウーヤがやって来た。ジョクは、彼にサインを終えた書類を渡《わた》し、ドレイクがアリサのために付けてくれた騎士団の宿舎になっている屋敷《やしき》のことを聞いた。
「分った。昼食を済ませたら、出発するが、その前に騎士《きし》団長のハンマ・スワンに挨拶《あいさつ》をしておきたい」
「はい、ミハンを使いにやりましょう」
ヤエー・ウーヤは、不機嫌《ふきげん》だった。
「なんだい?」
「そりゃ、物入りが重なります。新しい鎧《よろい》などは、当分、用意できませんぞ」
「そりゃ、仕方がない。がんばるさ」
ジョクは、これが所帯じみることなのだろう、と嘆息《たんそく》する。
ジョクは、ハンダノを発進した。
ラース・ワウの北、アントバの山脈に至る山裾《やますそ》の村アグーに、ジョクが入ったのは、ニーがバミルゥの村を撤退《てったい》した翌々日であった。
ジョクは、そこでオーラ・マシーンの前進基地設営のための物資|搬入《はんにゅう》の指揮をし、自分の指揮下に入った三機のドーメの整備と補給に忙殺《ぼうさつ》された。
ギィ・グッガの軍の動きの輪郭《りんかく》はどうやら掴《つか》めたが、戦線がどこに固定されるかは、まだ不明である。
オーラ・マシーンの補給と不時着に対処する仕事は、偵察《ていさつ》以上に苛酷《かこく》な仕事であった。
その翌日、ジョクが朝の偵察飛行を終え、次の前進基地を設営する準備を始めたころ、バーンが、ジョクと同じ編成のオーラ・マシーン部隊を引き連れてアグーに入ってきた。
「騎士ジョク! カットグラ奪還《だっかん》作戦を貴公《きこう》に教えなかったことを、そんなに怒《おこ》っているのか?」
ジョクの天幕に入って来るなり、そう言ってバーンは笑った。
「…………?」
バーンの明るすぎる態度に、ジョクは戸惑《とまど》った。
「貴公は、騒動《そうどう》のもとになる傾向《けいこう》があるから、余計なことは教えなかっただけだ。そうはいっても貴公の働きには感謝している。だが、我々コモン人だけでできる作戦は、我々に任せてもらいたい。騎士《きし》たる者の自尊心がそれを望むのだ」
「自分が、いつも騒動の元にいたのは認めるが、自尊心のことで言えば、自分だって、少しでも早くこの世界に同化したいから、除《の》け者にされるとひがむのだよ」
「この作戦は、ニーに機会を与《あた》えてやることでもある。ギブン家とラース・ワウの間にある問題を解決するためにな。ニーは、それを承知しているからこそ、この任務を買って出たのだ。愚鈍《ぐどん》すぎるくらいに実直な男だからな」
「ただな、ニーのドーメに同乗している若い者は、自分の家に仕える者だ。それを心配している」
「貴公もニーと同じだな……ガロウ・ランが入ったバミルゥの村の偵察《ていさつ》はどうした?」
「報告した通りだ。ギィ・グッガの今後の動きを教えてくれるようなものはなかった」
「フム……わたし自身の目でも見ておきたいが……?」
「いいだろう」
ジョクは、テーブルの地図を見下ろして、
「この土地の者の話では、結構、枝道《えだみち》がある」
「フム……車も通れる道か?」
「その道は、三本ほどある。今朝までのところ、ガロウ・ランの動きは見えないが、そろそろ出てくるのではないかな」
「この西の方からラース・ワウに入るか? フーム……こんなところにギィ・グッガが長期間|滞在《たいざい》していたというのが気になる。奴《やつ》は、初めから、カットグラを修理するための人質作戦を考えていたのかな?」
ジョクには、バーンが、ひどく神経質になっているように感じられた。
「多分な……自分の部隊は、今日、このポイント、マランの谷間に前進基地を設営する」
ジョクは、周囲の将兵の働きぶりを見ながら言った。
「そうしてくれ。ギィ・グッガは、カットグラを修理するための情報を手に入れるために、アの国の領土内に侵攻《しんこう》していたんだ。となれば、ニーたちがカットグラを修理し終って、カットグラとドーメを奪還《だっかん》して帰って来るのも時間の問題だ」
「そうだ……」
「ニーなら、バミルゥを通過するルートを戻《もど》ると思う」
「そういう打ち合わせなのか?」
「……ン。行ったルートを戻るというのが約束《やくそく》だ」
「そうか……」
ジョクは、バーンは別のことを考えている、と感じた。
「……バミルゥの村は、ここからオーラボムの一|戦闘《せんとう》単位の距離《きょり》にある。気をつけてな」
「了解《りょうかい》だ。ジョク……そうだ。ショットの工場では、新しいドーメが今日三機、あさって三機、ロールアウトするそうだ」
「結構じゃないか」
ジョクは、笑って見せてから、立ちあがった。
「また、忙《いそが》しくなるな」
バーンも笑いながら応じた。
バーンはバーンで、ジョクが自分に対して抱《いだ》いているわだかまりを感知していたが、それを許していた。そして、バーンは、たによりも、ジョクがショットと自分の本当の目論見《もくろみ》に気づいていないことを確認して、安心をした。
『我々の考えを話してもいいのだが……こやつは同調しない……ドレイクの娘《むすめ》を押《お》しつけられた男だ。反ドレイクに動くとは思えん……』
反ドレイク──端的《たんてき》に言えば、ショットとバーンの目論見とは、これであった。
バーンは、再びカットグラに乗ると、三機のドーメと共にバミルゥの村に向った。
バーンは、若者らしい洞察力《どうさつりょく》を持って、オーラ・マシーンを未来の兵器、時代を開拓《かいたく》する道具と理解していたのである。
ドレイクは、オーラ・マシーンによってコモンの国々を支配するという現実的な野心を持っていたが、バーンは、オーラ・マシーンの出現の意味をもっと深いところで捉《とら》えていたのである。
そのために、まず、バーンは、ガロウ・ランにオーラ・マシーンを使わせて、ドレイクを排除《はいじょ》することを狙《ねら》ったのである。
『ショット様と手を組んで、真のオーラ・マシーン力を発揮できる機械を手に入れれば、それを支配する者はドレイクではありません』
ショットと密会して、バーンは、そう言った。
『まったく新しい国作りが必要なのです。そのためには、まずギィ・グッガにドレイクを討たせて、その上で、オーラ・マシーンの真実の力でギィ・グッガを討ち、アの国を我等のものとするのです。そして、オーラ・マシーンの力による世作りをするのが、我々の使命なのではありますまいか?』
『騎士《きし》バーンが、そこまではっきりとお考えとは……。よく打ち明けて下さった』
ショットにも、バーンの熱弁に乗るだけの理由はあった。
『ならば、お気づきでしたろう、わたしが、機械の館《やかた》を引き払《はら》って、ここに新しい工場を建設した理由に』
『もちろんです。ドレイク様の支配を少しでも薄《うす》くするお考えと……』
『そうです』
ショットは、短く答えた。
彼にすれば、このコモンの世界で名を成すにしても、別の可能性を探るにしても、オーラ・マシーンが、アの国にだけあるというのでは、まったく展望が開けない。このままでは、オーラ・マシーンの開発が袋小路《ふくろこうじ》に入ってしまう、と彼は危機感をつのらせていた。
彼は、現代人である。技術の世界だけで言えば、IBMの世界|制覇《せいは》などは、ショットの感性を刺激《しげき》する例であったが、一方的な技術支配の結果が、何をもたらすかということもよく知っていた。
それは、所詮《しょせん》、独善的なものである。
そういう見識を持つのが、ショットである。
現在のバイストン・ウェルのコモン界は、まだまだ、独占的な技術で支配する時代ではない。技術に限らず、世の進歩そのものも、競《せ》りあうところに面白味《おもしろみ》や意外性が生まれるのだ。
ショットにとって、もしここでガロウ・ランにオーラ・マシーンを与《あた》えたならばどうなるか、という設定は、極めて刺激的なものであった。
現在のガロウ・ランは、それなりにオーラ・マシーン対策を立ててはいるが、強獣《きょうじゅう》にガロウ・ランを乗せて、弓矢で攻撃《こうげき》してくるのが精一杯《せいいっぱい》である。
結果がどうなるかは、ショットにはすでに見えていた。
ガロウ・ランならば、オーラ・マシーンを与えても、大改造をする能力を持ち合わせているとは思えない。ならば、オーラ・マシーンを与えて、オーラ・マシーン同士の戦闘《せんとう》を実戦でシミュレートしてみたいという誘惑《ゆうわく》は、技術者として拒否《きょひ》できるものではない。
それが、純粋《じゅんすい》技術者のショットの質《たち》である。技術者の性《さが》である。
バーンとショット、この二人の思いが、ブラバの申し出を受け入れさせたのである。
バーンの立場としては、単純にブラバを斬《き》れば良かったのだ。そうすれば、十八機のドーメと完全|稼働《かどう》する三機のカットグラがあるドレイク軍は、ギイ・グッガがどのような強獣《きょうじゅう》軍団を送りこんだとしても、最終的な勝利を手にするはずだった。
しかし、事はそのようには進まなかった。
バーンが、バミルゥの村に入った時、そこには、十数人の半死状態の村人がいた。ニーたちは、その村人たちに何も手助けをしていないように見えた。
援助《えんじょ》をしても、彼等に天寿《てんじゅ》をまっとうさせることはできないと判断したのだろう。
バーンは、ニーたちがカットグラを修理したらしい小屋を調べ、ギイ・グッガが本陣《ほんじん》にした屋敷《やしき》も見て回った。
ニーたちに食事を運んだあの少女は、バーンたちについてまわったが、何を欲しがるというのでもなかった。
「……村人も連れていかれたか……」
バーンは、その少女に、腰《こし》のポケッ卜に入れた干肉を投げ与えた。
「この上に、車輛《しゃりょう》、軍馬の移動した後がありますが、どの程度の数か分りません。風で足跡《あしあと》は消えていますから…」
「追撃《ついげき》するわけにはいかんか?」
「新しい蹄《ひづめ》の跡もありますね。偵察《ていさつ》に戻《もど》っているんでしょう……」
「数は、どのくらいと見た?」
「さて……追撃して個々を撃破《げきは》するのは可能でありましょうが、たいした効果はありますまい」
「そうだな。ガロウ・ランは、山に入れば地に伏《ふ》せ、木々に隠《かく》れて移動するのに長《た》けている。しかし、ここまで侵攻《しんこう》したのだ。ギィ・グッガ自身が、次の動きをしているらしいとなれば、その先を叩《たた》いていく必要はあるかも知れん」
「はい……ここからなら、三つのルートが考えられます。偵察にあがりましょう」
「その上で、騎士《きし》ジョクが設営している前進基地、マランの谷に合流する」
バーンは、三機のドーメに二つのルートをジグザグに北上させ、自分は、左の西寄りのルートを航続|距離《きょり》の許す限り北上して、前進基地で合流する手筈《てはず》を整えた。
近くにガロウ・ランの動きがあることを確信していたバーンは、なんらかの形で、そのひとつを捕捉《ほそく》できる可能性はあると踏《ふ》んで、勇躍《ゆうやく》、一機、山並《やまなみ》の上空を飛んだ。
残り少ない航続距離をカバーするために、バーンは、一気に高度を取って、滑空《かっくう》するようにして、山を三つ越《こ》えた。
「…………?」
僚機《りょうき》のドーメとの無線が使えなくなった頃、ひとつの煙《けむり》を見つけた、
一気に降下したバーンは、山の斜面《しゃめん》の濯木《かんぼく》の下を走るガロウ・ランたちの姿を見つけた。
「なかには、ああいう不用意な者もいるということだ」
バーンは、いなごのように散って行くガロウ・ランを攻撃《こうげき》しようとはしなかった。一人、二人のために、フレイ・ボンムを消耗《しょうもう》したくなかったからだ。
「ということは、不用意とは言えんのか? ガロウ・ランの自由さは……」
天に向って唾《つば》をするガロウ・ランの戦士の姿まで目撃《もくげき》して、バーンは苦笑した。
バーンは、さらに北上して、左右に渓谷《けいこく》が迫《せま》る岩肌《いわはだ》を南下する幌馬車《ほろばしゃ》の列を見つけた。
「……隊商か……?」
一見、一枚岩のように見えるが、その岩場には段差があり、そこに道があった。
幌馬車は、コモンの商人のものに見えた。四頭だての馬車、八|輛《りょう》である。
カットグラを接近させて、馬車の列を観察すればするほど、バーンは迷った。コモン人としか見えないのだ。なかには、手を振《ふ》っている女もいる。
ガロウ・ランを異形《いぎょう》というが、コモン界の人びとも決して、現代の我々が考えるほど均整が取れた人びとではない。
馬車を御《ぎょ》する男たち女たちの服装《ふくそう》は、アの国のものである。
「……なんで、ガロウ・ランの軍が展開しているこの地域を、無事に移動できるのだ?」
バーンは、ブラバに会ったことによってガロウ・ランに対する認識が変りはじめていた。それ故、この馬車の列に疑惑《ぎわく》を抱《いだ》いた。
知恵《ちえ》がついたガロウ・ランは、物事を隠蔽《いんぺい》するために、コモンの商人を生かしておくということもあるのではないか、と……。
「…………?」
バーンは、カットグラのフレイ・ボンム・キャノンを構えて、楯《たて》を前に出しながらも、その陰《かげ》から馬車の群をもっとよく観察しようとした。
その時だった。
バーンの視界で真赤な光が弾《はじ》けた。
「…………!?」
バーンは、反射的にフレイ・ボンム・キャノンを斉射《せいしゃ》して、後退をかけたが、楯に受けた衝撃《しょうげき》で、カットグラの機体が反対側の渓谷《けいこく》に激突《げきとつ》した。
「アゥッ!」
視覚に赤い光の残像があった。バーンは、その赤い光がいくつかの幌馬車《ほろばしゃ》から射《う》ち出されたものであると確信した。しかし、そこまでである。その後は、何が起ったか分らなかった。
衝撃が数度バーンのカットグラを襲《おそ》い、バーンは、シートのなかに身体《からだ》を埋《う》めているのがやっとだった。
上昇《じょうしょう》をかけると、機体が激《はげ》しく前後に振動《しんどう》した。
「クッ!」
バーンは、自分のうかつさを罵《ののし》った。
ようやく自機を渓谷の上に出した。その間に、数回、フレイ・ボンム・キャノンを発射したが、効果は不明だった。
「…………?」
渓谷を見ようとしたが、オーラの光のさす上空に出た直後であるために、渓谷は暗い闇《やみ》の底に沈《しず》んで、馬車の列は見えなかった。攻撃《こうげき》もやんでいたので、バーンの方も、フレイ・ボンム・キャノンの狙《ねら》いを定めることができなかった。
「クッ!」
バーンは、楯《たて》とそれを支えていたカットグラの腕《うで》がなくなっているのを見て、カッとした。
幌馬車隊は、殲滅《せんめつ》しなければならない。そこには、ガロウ・ランの部隊のガダを発射できる重火器が隠《かく》されていたのだ。
バーンは、カットグラの残った二枚の羽根を左右に広げると、不安定な機体を操って降下しようとした。
「わ、うわっ!」
激しい衝撃と共に、カットグラの機体が上に撥《は》ね飛んだ。
バーンの膝《ひざ》にシート・ベルトがギチッと喰《く》いこんだが、痛みを感じる間はない。さらに、やや斜《なな》め下から衝撃が襲った。ドウッ!
「なにっ!?」
バーンは信じられないものを見た。
カットグラの右腕が、キャノンを持ったまま噴《ふ》き飛んでいったのだ。
「なんとっ!」
カットグラの両方の腕をなくしながらも、バーンは、後退をかけた。
が、さらに、信じられないものを目撃《もくげき》した。
カットグラに似た姿の強獣《きょうじゅう》が、右腕に持った剣《けん》を振《ふ》りかざして、突進《とっしん》してきたのだ。
「なんだ!? カットグラかっ!」
バーンは、自分の眼を疑いたかった。しかし、接近してくるのは、間違《まちが》いなく、黒に近い褐色《かっしょく》の機体のカットグラである、
狂暴《きょうぼう》に見えた。
「なんだとっ!」
バーンは、急速に機体を降下させながら、そのカットグラの切っ先をよけた。バーンは、自機の脚《あし》を蹴《け》り上げさせながら、さらに、機体を縦に回転させた。
急速に流れる視界の向うでその黒褐色のカットグラはターンして、ななめ下から攻撃《こうげき》をかけようとしていた。
「…………!?」
バーンは、縦の運動から加速をかけて、そのカットグラの懐中《ふところ》に飛びこむようにした。
「あたれっ!」
バリッ! またも、バーン機の残った羽根の一枚が、剥《は》ぎ取られたようだ。バーンは、機体の肩口《かたぐち》を黒褐色のカットグラにぶつけた。
ドスッ! 続いて、蹴り上げた。
バーンのカットグラの脚の爪《つめ》が、相手の機体の手首に伸《の》びた。カットグラの脚の爪は、鷲《わし》の脚のように鋭《するど》く、物を掴《つか》むことができる。掴んで捩《ねじ》れば、手首ぐらいは折ることができるはずだった。
しかし、同じカットグラであれば、よほど気合いを入れてやらないと、掴むことも、捩ることもできない。力量の互角《ごかく》の人の格闘技《かくとうぎ》と同じである。
正拳《せいけん》ができる相手に正拳を出しても利《き》くものではない。捨て技を出して気を散らし、その隙《すき》に正拳を出さなければ、ダメージなどは与《あた》えられない。
バーンのカットグラの脚が空《くう》を切った。が、飛び抜《ぬ》けることはできない。
バーンは、速度を殺して、相手のカットグラの陰《かげ》をなしている部分に向って機体を前進させた。相手の懐中で上昇《じょうしょう》をかけた。
黒褐色《こっかっしょく》のカットグラの剣《けん》が、空中をむなしく走り、バーンのカットグラの頭突《ずつ》きが、相手の顎《あご》に決った。
が、機械である。ダメージにはならない。
バーンは、残った肘《ひじ》を相手のカットグラのコックピットのハッチに激突《げきとつ》させた。
ドガッ! ビッ! ビシシシッ!
そのコックピットの正面の透明《とうめい》なハッチに、白い筋が網《あみ》の目のように入った。
「ウッ!」
「なにしている! 斬《き》れっ! 斬れ!」
「駄目《だめ》なんだからっ!」
「ウオーッ!」
操縦シートに座ったニー・ギブンが怒声《どせい》を上げた。
ニーの左右に立っていたブラバとヘレナァが、絶叫《ぜっきょう》した。
一挙に視界が曇《くも》ってしまったニーは、遮二《しゃに》無二《むに》に機体を後退させた。それをブラバとヘレナァが怒《おこ》っているのだ、
「チッ!」
バーンは敵の影《かげ》が遠くなった気配に、機体を立て直した。サッと周囲を見てから、敵のカットグラと正対した。
「まちがいない。カットグラだ……!」
バーンは、それがガラリアの使っていたものかどうか考える暇《ひま》はなかった。またも、剣を上下左右に振《ふ》りながら突進《とっしん》してくる黒褐色のカットグラに対して、バーンのカットグラは身構えた。
が、こんどは、動きが直線的である、
「…………!?」
バーンは、今の攻撃《こうげき》がなんらかのダメージを与《あた》えたことを知った。しかし、手のあるなしは、格闘《かくとう》の場合、決定的である。バーンは、カットグラの脚《あし》を前に出して、敵の剣《けん》を避《さ》けながら、横、後からと接近を敢行《かんこう》した。
「よしっ! 行けるっ!」
バーンは、相手の動きが全体的に遅《おそ》いことに気づいた。こうなれば、なんとか互角《ごかく》に戦えるのではないかと思った。
一瞬《いっしゅん》の欲であった。
生身《なまみ》の身体《からだ》を晒《さら》していないところからくる、油断であろう。接近しすぎた。
敵のカットグラ、つまり、ニーの操縦するカットグラが、踵《きびす》を返すようにして、剣を横に走らせた。
ガリッ!
今度は、脚だった。膝《ひざ》をやられた、という感触《かんしょく》があった。
「チッツ!」
バーンは、自機の左の脚を蹴《け》り上げさせ、それをジャブのように激《はげ》しく動かす。その下を、ニーのカットグラが擦《す》り抜《ぬ》けて、背後に回った。
「なんとっ!」
羽根一枚になってしまったバーンのカットグラは、安定しない。急速に飛行させるしかなかった。一気に距離《きょり》を離《はな》し、次に、一挙に距離を詰《つ》める。
また、脚のジャブを出す。両方の脚が動いたようだった。敵の振《ふ》る剣が下に来た。
ガチッ! 左の脚が、敵の、剣を持つ腕を掴《つか》まえた。
ギギギッ! 一瞬、両機が空中に静止したようになった、
「ウオオオッ!」
ニーは、自機の腕が、バーンのカットグラの脚に掴まれているのを見て絶叫《ぜっきょう》した。
「ニーッ!」
ヘレナァが、ニーの肩《かた》を掴んで揺《ゆ》する。
ニーが、楯《たて》を持ったカットグラの右腕を作動させた。楯の縁が、バーンの脚に激しく激突《げきとつ》した。ガッン! ガガガッ!
「クッ!?」
バーンのコックピットにまでその衝撃《しょうげき》が伝わった。
バーンは、自分のやろうとしていることが危険だと察知した。
「チッ!」
バーンは、脚の爪《つめ》を離《はな》すと同時に上昇《じょうしょう》を掛《か》けた。
撤退《てったい》を決意したのだ。
「うっ! 逃《に》げたようだ!」
「追えっ! ニーッ! 今なら叩《たた》けるっ!」
ブラバが、ニーの肩を揺すって怒鳴《どな》った。
「駄目《だめ》だ! ブラバ! 視界が利《き》かない! よく見えないじゃないかっ!」
ヘレナァが、激《はげ》しく拒否《きょひ》した。
「奴《やつ》は、よたってたぜぇ!」
「こっちも同じだ!」
ヘレナァは、機体の損傷がどのように自分たちの動きを不自由にするか想像がつくようだった。
「ニー! 戻《もど》れっ! なんとかしないと戦えない!」
ニーは、ヘレナァをヒョイと見上げた。その瞳《ひとみ》は、奇妙《きみょう》に混濁《こんだく》して、ウロウロとしていた。
「戦えない……?」
ニーは、それでもカットグラを前進させようとして、操縦バーを動かした。
「駄目だ! 退れ!」
ヘレナァは、厳しく言って、ニーの手を叩き、バーからニーの手をどけた。
「こいつを動かす気分は、分ったってもんじゃないのか? ええっ! ブラバ!」
ヘレナァはそう言うと、ホワッとした表情のニーの顔を覗《のぞ》いて、
「さあ、帰るんだ。帰って、寝《ね》ようか」
と言った。
「フン! 薬は、うまくねぇのかな? 機械にはよぉ」
ブラバは、頭のなかで考えなければならないことが一杯《いっぱい》あることにうんざりしていた。同時に、空中で戦闘《せんとう》することは、とんでもなく素晴《すばら》しいものだと実感していた。
「今度は、俺《おれ》がやるぜぇ。エ? へへヘ!」
ヘレナァは、そうしなよと言いながら、網《あみ》の目のようにひびわれたハッチを開こうとした。
「……コックピットのハッチが傷ついていた……」
バーンには、敵は追っては来ないという確信があった。だから、後退を掛けたのである。
もうひとつ、バーンは、ドーメによる次の攻撃《こうげき》を危惧《きぐ》したのであった。
カットグラが攻撃してきたのだから、そう考えても、想像力が強すぎるとは言えまい。そして、今のカットグラをニーのクルーの一人が操縦していたとすれば、ますます、敵がドーメで攻撃してきても不思議はない。
バーンは、敵のカットグラが、戦闘《せんとう》空域でウロウロする姿を見ながら、自機の高度を低くして、来た通りのルートを戻《もど》って、予定の合流地点に機首を向けた。
「……しかし、なんだ?……」
激《はげ》しい不安が突《つ》き上げてきた。
ゴーグルを外し、革兜《かわかぶと》も外してからも、バーンは、背後の空域を何度も振《ふ》り返った。自分は、どこか増長《ぞうちょう》していたのではないかと後悔《こうかい》に近いものを自覚していた。
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バーンが、マランの谷間にジョクたちが設営した前進基地の位置を示す赤い旗を見つけたのは、それから一時間後であった。
基地と言っても、ジョクの率いるドーメ部隊で運べるだけの資材を、隠《かく》し置く場所でしかない。それらを谷川の縁《ふち》の木の下に隠し、各オーラ・マシーンも木の下に隠れるように、足場を組んだ程度のものである。
バーンは、赤い旗を見つけると、必死に機体を水平に保って、狭《せま》い川原に降下していった。
その姿を見て、ジョク以下のクルーは、バーン機になにが起ったかを悟《さと》った。
「どうしたんだ!?」
バーンほどの騎士《きし》なら、強獣《きょうじゅう》部隊に包囲でもされなければ、受けることがないと思える損傷であった。
「カットグラだ。ガラリアのカットグラが飛べるようになっていたんだ。それが、襲《おそ》ってきた……」
バーンは、タラップを降りても、ジョクたちの顔を見ることができなかった。
ジョクは、ドーメを一機飛ばして、バーンの戦闘《せんとう》報告をラース・ワウに届けさせ、ガラリアのカットグラが本当に飛べるようになって襲ってきたのかどうかの検討に今晩一晩かけると伝達させた。
「……ガロウ・ランが、カットグラを使ったというのか?」
木の下に設営した小さい天幕の下で、ジョクは、バーンのそそけ立った頬《ほお》を見つめて、繰《く》り返し訊《き》いた。
革鎧《かわよろい》の胸をはだけたバーンは、額《ひたい》に垂れたザンバラ髪《がみ》の間からギロリと瞳《ひとみ》を光らせた。
「たった数日で、ガロウ・ランがカットグラを使えるようになったのか?」
ジョクは、携帯《けいたい》用のガス暖房器《だんぼうき》に火を入れながら、バーンに言った。
「……ニーたちの誰かが、ガロウ・ランに威《おど》かされて、操縦しているということは考えられる」
「しかし、あのクルーには、カットグラを操縦した者はいないんだぞ?」
「そうだが……ギィ・グッガは人質作戦に味をしめている……そうとしか考えられんな」
バーンは、革鎧《かわよろい》を脱《ぬ》ぎ捨てると、天幕にあった毛布に上体をつつんで、ドッと横たわった。
ジョクは、バーンの失望の色の深さに、またも妙《みょう》だなと感じた。
顎《あご》の下しか見えないが、そこは、ヒクヒクと痙攣《けいれん》している。
「バーン、敵がカットグラで襲《おそ》ってきたのならば、敗北は当然だ。これは失敗ではない。ガロウ・ランが、次々に知恵《ちえ》をつけていくのは、過去の歴史になかったことだ。我々すべてが、ガロウ・ランに対する認識と想像力を欠いていた結果だ……」
バーンは、ジョクの言葉は聞いていなかった。
「すまん。しばらく一人にしておいてくれ」
「ああ……」
ジョクは、暖房用のガス器をバーンの足元に寄せると、その場を離《はな》れた。
『……ガロウ・ランにオーラ・マシーンを与《あた》えた結果が、このように、自分に襲いかかってくるとはな……ガロウ・ランを舐《な》めていたんだ……ジョクが前線に出て、俺《おれ》より先にカットグラを回収することを俺は恐《おそ》れた……ノコノコと、ここまで出て来てしまった自分のミスだ……』
なぜ、俺は、自分が思った通りに事態がすすむと思いこんでいたのだろうか。
『ショット様は、理論だけのお方だということを忘れていたのだな』
バーンは、自分の成功のためには、野戦に生き残り、人望を得なければならないのではないか、という考えに辿《たど》りついた。
『個人の軍功だけでは、一軍は支配できないのだ……しかし、そんなことが、この自分にできるか?』
それがバーンの最後の設問であった。
「ま、仕掛《しか》けたのだ。やって見るさ」
バーンは、ガス暖房器を抱《だ》いて、腹のあたりを暖めながら、木々の間に置いてあるカットグラの点検を始めたジョクたちのクルーの動きを、ボンヤリと見つめていた。
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[#地付き]「野性時代」一九八八年五月─六月号掲載のものに加筆訂正したものです。
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底本:「オーラバトラー戦記 2」カドカワノベルズ、角川書店
1988(昭和 63)年06月25日初版発行
このテキストは
(一般小説) [富野由悠季] オーラバトラー戦記 第03巻 ガロウ・ラン・サイン.zip XYye10VAK9 14,553 76021546f59f459b39ff3a90e9d6dd11
を元に、OCRにて作成し、底本と照合、修正する方法で校正しました。
画像版の放流神に感謝します。
***** 底本の校正ミスと思われる部分 *****
*行数は改行でカウント、( )は底本の位置
648行目
(p 49-上-17) 下下《しもじも》
下々《しもじも》の方がいいような……
2653行目
(p166-上-17) そのグリップを押《お》してまった。
そのグリップを押《お》してしまった。では……
2674行目
(p167-下- 2) フレキブル・アーム
フレキシブル・アーム(訂正済)
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