東方儚月抄 〜 Silent Sinner in Blue.
ZUN
挿絵:TOKIAME
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《》:ルビ
(例)蓬莱山輝夜《ほうらいさんかぐや》
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(例)東方|儚月抄《ぼうげつしょう》
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第二話 「三千年の玉」
その竹杯は深い霧に覆われ、迷い込んだ人間にとって無限の広さを持つと錯覚させる。規則正しく並んでいない竹、緩やかな起伏、目印になる物が殆ど無い。まっすぐ進んでいるつもりでもいつの間にか元の位置に戻ってきてしまう。そんな竹林ゆえ、迷いの竹林と呼ばれた。
その迷いの竹林に私の永遠亭は存在する。随分と長い間ここに住んでいたのだが、私にとっての時間はあの事件を機に動き出したばかりである。あの二、三年ほど前の地上の民による襲撃事件があってから。私は永遠亭に永遠の魔法をかけるのを止めた。
何故なら、人間と妖怪が協力している様を見て、酷く羨ましく思ったのだ。永遠に月の都からの使者に怯えて暮らす自分が馬鹿馬鹿しく感じた。
永遠の魔法とは、一切の歴史の進行を止め、穢れを知らずに変化を拒む魔法である。
生き物は成長を止め、食べ物はいつまでも腐らず、割れ物を落としても割れる事はない、覆水も盆に返る。私は月の民である自覚から地上の穢れを恐れ、この魔法を建物全体にかけていたのだが、地上の民の魅力を目の当たりにし、自らその魔法を解いたのだ。
その結果、永遠亭も地上の穢れに飲み込まれた。食べ物は早く食べないとすぐに腐り。飼っていた生き物は皆一様に寿命を持ち、高価な壺は慎重に持ち運ばないといけなくなった。その代わりに月の都からの使者に怯えて暮らす日々は、明るく楽しいものへと変化した。
それにより永遠亭も永遠亭に住む私達も、地上の一部となったのである。もう月の都に帰る事は出来ないが、後悔はしていない。
そんな永遠亭には不思議な盆栽があった。珊瑚のような枝には実も葉も付いておらず、端から見ると枯死してしまったようにしか見えない。
だが私はその盆栽の花が咲き、見事な実がなる事を知っている。ある条件が揃わないと花が咲かない事も知っていた。しかもその条件は揃いつつある。
今夜は中秋の名月である。定例の例月祭を行う予定だが生憎の雨だったので、永琳のいる部屋へ今夜の予定を聞きに行った。
「こんな雨じゃ、今年の中秋の名月は見られそうにないわね」
私は残念そうに言ったが実のところ少し安心していた。というのも、昔は中秋の名月が輝く日を恐れた筈なのに、ここ二、三年の間に満月を見る事を楽しむようになっているからである。その変化が何か怖いのだ。怖いゆえに、満月は見えない方が考える必要が無くて安心する。
「満月は雲に隠れて見えない位が丁度良いのですよ」
ここの所、細かい雨が降ったり止んだりを繰り返し、秋の長雨を感じさせた。今年の秋は晴れの日が少ない様にも感じる。今日も例外ではなく、朝から小雨が降ったり止んだりしている。
「ねぇ永琳、イナバ達に伝えておく? 今日の例月祭は体を冷やさないように気をつけてやってって」
「いやいや輝夜、すでに今日の例月祭は雨が酷いようなら室内で行ってもいいと伝えておいたわ。兎だって、雨の中団子を搗くのは嫌でしょう?」
「そうねえ、雨水で搗いた団子なんて食べたくないからね」
最近、永琳が兎達に優しくなった様な気がしてならない。昔は兎に限らず、永琳にとって地上の生き物は自分の手足でしかなかった。月の都でも月の民にとっては、兎達はただの道具でしかないのだから当然と言えば当然である。月の民は他の生き物とは別次元といっても過言ではない程の、高貴な者達なのだ。
それがいつ頃からか永琳は、私達月の民も地上の兎達も対等の存在として扱い始めている様に思える。妖怪と人間が対等に暮らす幻想郷の影響だろうか。
でもそれが嫌だという訳ではない。むしろ私にとっては特別視されるよりは居心地が良かった。何せ幻想郷には月の民は私と永琳の二人しかいないのだから、地上の民より優れていると思っても孤立するだけだし、地上の民がみんな道具であるのならば道具が多すぎるからだ。
余り昔の事は思い出したくもないのだが、私は一度も地上の民と同一視された事はなかった。蓬莱の罪を犯して地上に追放された時も、誰一人普通の人間として扱ってくれる者は居なかった様に思える。
そういえば追放された時に初めて降り立った地上も、こんな霧の深い竹林だった。そこで私を見つけた老夫婦も、最初は私に奇異の念を抱いていた事を覚えている。
それは当然の事だった。何せ私は竹林の一本の光る竹の中に入れられ、人とは思えぬほど小さくさせられていたのだから、妖怪の類だと思われても仕方がない。妖怪に人間が捕って喰われるのが当たり前の時代、何故その老夫婦は私を拾って帰ったのだろうか。
私は老夫婦が私を匿ってくれた理由は、月の都の監視役が定期的に富を与えていたからだと思う。月の都の監視役は、私と同じように光る竹に黄金を隠して、この老夫婦に私を匿ってくれた事による謝礼だと印象付けさせた。当然、老表婦は私を家に住ませれば富が得られると考える様になる。だからなのか、私は特別視され家から出ることも許されなかった。他の家の者に取られたくなかったのだと思う。
それに私は地上では目立っていた。何をしていなくても噂を聞きつけ様々な人間が集まってくるようになった。私も地上の表舞台に出る事は避けたかったし、いつの間にか老夫婦に感謝と愛着の様なものも芽生えていたので、老夫婦が家に匿ってくれる事は有難かった。
そんな日々を経て、いつしか地上を月の都よりも魅力的な場所だと思うようになっていった。その時は永遠の魔法をかける事はなく、僅かだが地上の穢れに浸食されていた影響だと思う。
ただ、その時はまだ私も自分が地上の民とは違う高貴な者だと認識していたし、地上の民は道具としか思っていなかったのだが……ここ幻想郷はとても不思議な土地であった。妖怪と人間が対等に暮らし、古い物も新しい物も入り交じった世界。そこに月の民と月の都の最新技術が混じったところで、誰も驚かないのだろう。自らを高貴な者だと言っても笑われるだけである。
何とも幻想郷は居心地の良い土地だった。何故なら、わざわざ隠れ住まなくても目立つ事がないのだから。
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「最近の雨はぺーハー[#「ぺーハー」に丸傍点]が低いってよく聞くから特にね。ほら、イナバ達は毛が多いから……」
「うふふ、安心して良いわよ輝夜。幻想郷の雨はペーハー6だわ。それに草木が枯れるくらいの雨じゃないと、毛は抜け落ちたりしないわよ」
永琳は私のジョークに対し「それに毛が抜け落ちるのを防ぐ薬くらい簡単に作れるわ」と真面目に答えた。
私も勉強して地上の事を少しは理解したつもりである。それでも永琳の勤勉さには敵わない。知ったかぶりで難しそうな単語を用いて話しても、永琳は全て受け答えてくれる。正直、私にはぺーハーとは何の事なのかすら判っていないのだが……。
何故、彼女はそんなに多くの知職を持っているのだろうか。月の都にいた頃から不思識でならなかった。月の事も地上の事も熟知し、幻想郷にいても外の世界の事すらよく知っている。
ただ、博識な者特有の癖というか、そういったものもある。自分の知識を判りやすい形で伝えようとしない。わざと難しく言って相手の反応を楽しむのだ。つくづく、教授と学者は似て非なるものだと思う。
「ペーハーが6って事は……えーっとー」
「雨にとっては至極正常な状態よ。殆ど酸っぱくないって事」
ペーハーとは酸っぱさの度合いらしい。今回は永琳にしては判りやすい説明で有難い。
「雨水が酸っぱいって事があるのかしら。まぁ、どのみち小雨でもイナバ達には家の中で団子を搗いて貰いましょう」
私がそうと伝えると言うと、永琳は頷いた。
私は薬くさい永琳の部屋を後にして、台所にいる鈴仙に今目の例月祭の事を伝えた。
「あ、輝夜様。もうすぐ準備が出来ますので……」
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鈴仙は既に合羽を着込み、外で団子を搗く気満々であった。
「あ、良いのよ。今日は家の中で搗いて頂戴」
鈴仙は意外そうな顔をしていた。それもその筈、今まで家の中で行った事は、余りの暴風で兎運が立っていられなかった時を除いて無かったからである。
「先ほど、師匠も『雨が酷いようなら』と言っておられましたが、ただ見た感じ軽い小雨なので外でもやるつもりですけど……」
「雨が酸っぱくないから家の中で良いわ」
「雨が酸っぱくないから? それは一体……」
「ペーハー6だって、ま、深い事は考えないの。私の言う通りに動けば間違いないから」それは永琳の口癖だ。根拠が無くても口に出してみると非常に気持ちが良い。
「は、はい、有難うございます。では今日の例月祭は永遠亭の中で行おうと思います。その代わり少々騒がしくなるかも知れませんが……」
例月祭では兎達が歌を歌いながら餅を搗いている。別に儀式とはなんの関係もないのだが、兎達は楽しそうなので放っておいたのだ。まぁ、永遠亭の中だと逆に緊張するのかも知れない。
「不思議ねぇ。神妙なお祭りの筈なのに何で騒がしくなるのかなぁ」
「は、いや、今回は静かにさせます」
「いやいや別に良いのよ。貴方達が歌いながら団子を搗いている事なんて知っているわ」
「貴方達というか、私は歌っていないんですけどね。てゐ達が言う事を聞かないもんで……」
「言う事聞かないんじゃ、静かにさせますって言っても無理な話でしょ?」
鈴仙は「いやはや済みません」と言う、お勝手口から「まだ始めないのー?」とてゐの声が聞こえてきた。
「じゃあ騒がしくなる代わりといっては何だけど、出来れば団子の味のバリエーションが欲しいわ」
「それはお安いご用です。何か要望が御座いましたら是非」
少し考え、とりあえず「三色団子があるんだから、七色の団子なんて如何?」と言っておいた。
私は自分の部屋に戻り、奇妙な盆栽を愛でる仕事に戻った。
例月祭といっても私はやる事がない。いや、例月祭に限らず普通の生活でもやる事が殆ど無い。竹林の外の情報はイナバ達に伝えて貰うし、急患や来客があったとしても永琳が全て対応してくれる。何もしなくて良いという生活は、正直退屈な物だった。
月の都にいた頃も同様に、やる事が何も無かった気がする。退屈さ故に地上に憧れたものだったが、地上に降りてきて初めて判った。やる事が無いのは月の都や地上など環境に関係なく、私自身の問題だと。何事も環境の所為にする心が退屈さと窮屈さを生むという事を。
だから私は退屈な日々を打ち破る第一歩として、盆栽を愛でる事を仕事にした。それだけだが、毎日やらなければいけない事があるだけで気持ちは大分変わる物である。
私が眺めている盆栽は、毎日眺めていても何の変化か無い[#「変化か無い」底本ママ]。しかし、変化が無い物は地上には存在しない筈ある[#「筈ある」底本ママ]。形ある物は必ず壊れ、命ある者いつかは死せる。地上に存在するあらゆる物も、その呪縛から逃れられない様に出来ている。その理由は地上に蔓延る穢れ[#「穢れ」に丸傍点]に原因があると永琳は教えてくれた。
穢れは物質や生命から永遠を奪い、同時に寿命をもたらす。地上に存在するあらゆる物は多かれ少なかれ穢れているから、永遠に残り続ける物など無い。ましてや、変化しない事など有り得ないのだ。
しかし、私の目の前にある盆栽は穢れていない。だから変化せず永遠を保っている。成長してないように見えるのは、決して枯死している訳ではなくつい最近まで私の能力により永遠を保っていたからである。私の能力は『永遠と須萸《しゅゆ》を操る能力』。地上には存在し得ない、穢れ無き永遠を作り出すことが出来るのである。
この盆栽の正体は、本来月の都にしか存在しない植物『優曇華《うどんげ》』。地上では三千年に一度咲くとも言われている幻の花と同じ名前の植物である。
同じ名前と言ったのは、地上にも別に優曇華という植物は存在するからである。三千年に一度しか咲かないと言う伝説が元になり、非常に稀にしか咲かない植物にその名前を当てただけの物だ。
本当の優曇華は、月の都にしか生えていない木である。この木が花を咲かせ、実を付けると綺麗な七色の玉が枝に付くのである。昔、私に求婚に来た男に要求した『蓬莱の玉《たま》の枝《え》』と呼ばれる宝物は、この優曇華の木が開花して実を付けた物の事を指していた。蓬莱の玉の枝とは、蓬莱の優曇華にかけたものである。
この優曇華は、月の都では葉も花も実も付けていない。見晴らしいが、実に『わび・さび』の『さび』を感じさせる木である。枯れる事も成長する事も無くただ生えている。しかしこの枝を地上に持ってくると、地上の穢れによりその姿を大きく変化させる。その穢れを栄養とし成長を始め、美しい七色の玉を実らせるのだ。
何故穢れを栄養とする植物が、穢れの無い月の都に生えているのかはよく判らないが、大方月の都に住む賢者の誰かが作った植物なのだろう。月の都に穢れを持ち込むと、すぐに花が咲かせて知らせるからである。
他にも月の使者は地上に降り立つとき、この優曇華の枝を持ち寄る。そしてそれを一権力者に渡すと、穢れに満ちた権力者によって美しい七色の玉が実る。権力を持っていればいる程、美しい玉の実を付ける。当然、権力者はその玉を権力の象徴とする。
だが、地上に存在するものは必ず壊れる。盛者必衰、力ある者もいずれ必ず衰え減びる。その時この優曇華の玉の枝は奪い合いの対象となるのだ。そして地上の世の平和は乱れ、戦乱の世へと変化する。
つまり優曇華は、月の民が地上に争乱をもたらす要員としても利用されている植物である。何故争乱をもたらす必要があったのかは、人間の歴史を見れば容易に判る。人間の歴史と成長は、全て戦争の歴史と成長なのだから。争いごとがなければ何も成長しない。現状に満足した時点で人間は生きるのを諦めてしまうだろう。月の民は地上の民の事を思って、日々暮らしているのだ。地上の民の歴史は月の民が作っていた事に他ならない。
「輝夜、ほら雨が上がって雲の切れ目から満月が見えるわよ」
背中からかけられた声で目が覚めた。盆栽を眺めながら考え事をしていたら、いつの間にかうとうとしていたようだ。
「あらほんと、優曇華の盆栽を眺めていたら軽く眠ってましたわ」
私が持っている優曇華の盆栽はまだ実を付けていなければ花も咲いていない。
それは私がこの屋敷全体に永遠を与えていたからであるのだが、その永遠の魔法もこの間の騒動で止めてしまった。つまり永遠亭にも地上と同じく歴史が動き始めたのである。すぐに穢れはこの屋敷にも広まり、永遠亭は地上の一部になっていくだろう。この優曇華に花が咲くのも時間の問題であると思われた。
私や永琳の心境に微量な変化が見られるのも、恐らく地上の穢れの影響であろう。一度地上の穢れにまみれてしまえばもう二度と月の都に戻る事は出来ないが、私も永琳もそのつもりであった。可哀想なのは私達の巻き添えになって帰れなくなる月の兎、鈴仙くらいである。
そう言えば、永琳は鈴仙の事を『優曇華』と名付けている。それはどういう意味だろうか? 私達に蔓延る穢れを図る為の存在と考えているのだろうか? いや永琳の事だ、恐らく穢れを知らなかった月の兎が、地上の穢れに触れて美しい実を付ける事を期待しているのだろう。
「あら、雨上がりの所為か満月が綺麗に見えるわね。それで、イナバ達は? さっきは家の中で例月祭をしろと伝えたのだけど」
永琳は笑顔でこう答えた。
「もう外でやってるわ。兎運も外の方が気楽で良いみたい」
「ふーん。それはどういう意味かしらね」
「何をやるにしてもボスは近くにいない方が気が楽って事」
「じゃあ、今度からどんな雨でも外でやって貰う事にしようね。野分(*秋の台風の事)でも何でも」
窓の外から兎達が歌っている声が聞こえてくる。家の中では随分と抑えて歌っていたようだ。外で楽しそうに歌っているのを見ると
永琳が優曇華の盆栽を気にしていた。
「……まだ変化がないみたいね。でも、もうじき成長を開始するでしょう。ひっそりとした花を咲かせた後、綺麗な七色の玉の実を付ける筈です。楽しみね」
「ええそうね。綺麗な優曇華の木は地上の民の特権ですから。それに今日は一足早くその七色の玉の実を味わえる様にしてみたわ」
永琳は「どういう事?」と言って首を傾げた。どんな事でも永琳が疑問に思うとちょっと嬉しく思う。
「鈴仙に今目の例月祭の団子に、三色ならぬ七色の団子を勧めてみたの」
「なるほど、それは面白いわね。でも、その団子が優曇華みたいな七色だったら私はちょっと遠慮したいわね」
「どうして?」
「だって、蓬莱の玉ほ青とか藍とかあるのだから。食欲そそらないでしょ?」
――外から聞こえる兎達の歌の激しさが増していた。大勢で団子を搗く音が和太鼓が奏でる激しいリズムの様に聞こえる。兎達には不思識な能力がある。以心伝心に優れていて、兎同士なら言葉を交わさずとも強い連携が保てるのだ。
鈴仙は月の都にいる兎と連絡を取る事が出来るし、てゐ達は何も言わずともリズムを合わせて踊り出す。団子を搗くタイミングと周期をみんなで少しずつずらせば、不思議な音楽の出来上がりである。
私と永琳は居間で兎達が奏でる音楽をお茶請けにして秋の夜長を楽しむ事にした。別に中秋の名月だからといって、外で休憩するのは止めた。
「それにしても、今日の兎達が搗くリズムは凄いわね。何がそうさせているのかしら」
「中秋の名月だからかなぁ」
そう言って永琳はさらに「まるでケチャ[#「ケチャ」に丸傍点]みたいね」と付け加えたが、私には何の事だかさっぱり判らなかった。
「ところで永琳。二ヶ月前の話だけど……。何だかあれから不穏な感じがしない?」
「ああ、確かに地上では誰が広めたのかあちこちで月の話題が出ているわ」
そうなのだ。二月前、月の都では永琳を初めとする反逆軍が月に攻めてくるという噂が出てきたかと思うと、神社には逃亡してきた月の兎が降りてきたりと不思議な出来事が続いた。
その前から、月の都では内乱の兆しが見えていたとも聞いていたし、何者かが月の都で暴れようとしているのは間違いなかった。そのスケープゴートとして永琳の名前を使っているか、もしくは自然と永琳の名前が出てきただけであろう。
それに関しては、永琳が月の都で信頼の置ける人物に封書を送る事で解決しているから心配ないと思うのだが、それから何故か幻想郷のあちこちで月の噂をする者が増えたのだ。
「二月前の妖怪兎が月の兎である事を知っている人間なんていない筈なのにねぇ」
「恐らく、それは予想外の事故[#「予想外の事故」に丸傍点]だと思うよ」
「事故?」
「本当の黒幕が想定していなかった出来事って事」
「……黒幕なんているのかしら? それに黒幕が何を想定しているのか私にはさっぱりだわ。でも事故じゃなくてそれも黒幕が仕掛けた出来事だったら?」
「その可能性があったら……お手上げかもね」
永琳は「もう月の都にいる彼女達との連絡手段が無いんだから」と両手を上に向け、肩の処まで持ち上げた。
問題は月の戦争だけではない。吸血鬼が月ロケットを組み立てようとしているらしい。神社や香霖堂など、あちこちを巻き込んで大がかりな装置が完成しているという噂である。
「もしかしてあの吸血鬼が黒幕なのかしら。月ロケットを開発していてもう完成間近だって噂だし、月の都に攻め入る可龍性があるのは吸血鬼一味くらいだし」
「その可能性も高いけど、だとしたら私がスケープゴートになったのも、月の旗が抜かれたのも、月の兎が降りてきたのも偶然ね」
「どうしてかしら?」答え想像付くけど一応聞いてみたが「あんな子供にそこまでの知恵は無いわ」と予想通りの答えで少し残念だった。
――ドンドンと激しかった太鼓の音は、ガヤガヤとした兎達の声に取って代わった。今月の例月祭も無事に終わったようだ。
私と永琳はその様子を見に外に出ると、既に団子が大皿に盛りつけされていた。見事に団子が七色になっていたが、どぎつい赤や色鮮やかな青、サイケデリックな色彩でとても食欲をそそるような代物では無かった。
「あ、輝夜様、お師匠様。今片付けますので少々お待ちください」
鈴仙はてゐに臼を片付けるように命令した。私は空を見上げて中秋の名月と呼ばれる月を探してみたが、空には満月の姿は見あたらなかった。
「雨は上がったけど……また月は雲に隠れちゃったのね」
「ええそうなんですよ。月が見えていたのはほんの一瞬だけでした。折角お月見が出来ると思っていたのですが……どうなさいました?」
「いや、月の都から逃げてきた月の兎の癖に『折角お月見が出来ると思って』だなんて可笑しくて」私は軽く笑ってしまった。
鈴仙は少々照れるように「そりゃこれだけ地上にいれば、そこら辺の地上の民と変わらなくなりますよ」と言った。
地上の兎達は大人しく臼を全て片付けている。いつもなら片付けも中途半端にして何処かへ消えてしまうのに、と鈴仙が不思譲がっていた。
それもその筈、今日の団子にはいつもの薬[#「いつもの薬」に丸傍点]を混ぜていないからだ。いつもなら兎達がつまみ食いする事を想定して、興奮する薬を混ぜて祭りを盛り上げるのだが、今日は私達も団子を食べるつもりだったので薬は滋養強壮の薬に変えておいたのだ。興奮の少ない兎達はいつもより従順である。
それでも兎達は祭りを盛り上げていた様である。薬なんて関係無しに盛り上がれるのならば、それに越した事はない。
「それで、鈴仙。七色の団子って言ったけど……本当に鮮やかな色の団子を作ったのね」
私は「三色団子は桃色と白とヨモギ色で食欲をそそるのに」と皮肉を込めて言った。
「説明しましょうか? 紅・橙・黄・緑・青・藍・紫の虹色団子になっています。それぞれの色は頑張って材料を探したのですが…割と色しか考えていなかったので、内容を聞くと食欲をそそりませんけど聞きます?」
「いや、聞かない」聞く前から余り食欲はないし、これ以上食欲を削がれたら今夜はうなされそうだ。
永琳は青色の団子を掴み口に放り込み、「これは意外といけるわね」と言っていた厚なるほど、永琳の知識は何にでも挑戦する処にあるのか、と感心した。
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「ところで話が変わりますが、先々月から何か地上に不穏な空気が流れているのを感じていませんか?」
私と永琳は顔を見合わせ「兎が心配するような事じゃない」と声を合わせて言った。
鈴仙は少し不安そうな顔をした。
「いや、大した事じゃないのかも知れないですが、この間吸血鬼のメイドがうちに訪れて、月に行く為の資料は無いかしらって言ってきた事もありましたし」
「あら、うちにも来ていたのね」
「うちにもって?」
「さっきまで、永琳と二人でその話をしていたのよ。吸血鬼が月に行く為のロケットを作っているって。その為の資科をあちこちで探しているみたいなの」
「そうなんですか。でもその時はすぐに追い返したんですけど……」
「何故すぐに追い返したのかしら?」
「え? だって、地上の妖怪が月に行こうとする事に協力する訳が無いじゃないですか。そんな事で輝夜様やお師匠様の手を煩わせたくないと」
「鈴仙が追い返していなければ、お茶ぐらいは出せたわ。資料は出せないけど」
雨上がりの所為か、冷たい風が吹き込んできた。今月も無事に満月の夜を過ぎる事が出来たようだ。
本当のところ、もう満月の日に月の都からお迎え[#「月の都からお迎え」に丸傍点]が来るなんて事は考えてもいなかった。もうそんな事は有り得ないと思うようになっていた。
何故だろう、この屋敷に永遠の魔法をかけていた千年以上もの間はずっと怯えていたと言うのに、三年程前に魔法を解いてからすぐに心境の変化が現れた。
これが地上に蔓延《はびこ》る穢れの影響だとするならば、地上の民というものは如何に変化が早く気楽なものか。いつまでも同じ不安に悩まされる事も無く、嫌な事は次から次へと忘れてしまう。私がそう変化したという事は、やはり永琳も同じなのだろうか?
永琳は私なんかよりずっと長く生きている。月の都にいた時間も長ければ、月の都では賢者として重要な立場にいた。地上に降りてきても人間離れした考え方を持っていた。
だからなのか、私が永遠の魔法を止めたとしても、きっと変わりないのだろうと考えていた。何となく、地上の穢れとは無縁なのではないかと考えていた。当然、そんな筈もなく、少しずつだが永琳の行動にも変化は見られる。
永琳は地上で病院を開業した。今や、里の医者では治せない病気を煩ったら永遠亭に行けと言われる程の名医である。昔の永琳では考えられない出来事だった。地上の民は手足でしかないと考えていた人物が、今では地上の民を助ける手足でもあるのだから。
病院を始めた理由は、永琳曰く「これからは地上の民として暮らすのですから、地上の民の勤めを怠ってはいけません。お互い他人の為に働く事が地上の民の勤めなのです」と言う事らしい。つまり、働かざる者食うべからずと言う事だろう。
私には何となく理解できる。私を匿った老夫婦も、なまじ月の都から財宝を頂いたが為に、平穏な暮らしを奪われてしまったのだ。地上の民は自分の働き以上の見返りは期待してはいけない。必ず不幸になるからである。
ただ、理解できるのだがまだ実践できていない。私に限らず、幻想郷にはその地上の民の勤めを果たしていない者が多い気がする。そんな悩みを永琳に打ち明けると「輝夜は自分のやりたい事だけすればいいのよ。もしやりたい事がなければ、やりたい事を探す事を仕事にしなさい」とはぐらかされる。
今はまだ、地上の民として自分がやるべき仕事は見つかっていないが、優曇華の花が咲く頃には何かを始めている筈である。むしろ、何かやりたい事を見つけた時に花が咲くのかも知れないと思った。
[#挿絵(pic/e04.jpg)入る]
「鈴仙。吸血鬼の使いが来たのなら、私の処まで通してくれれば良かったのに」
永琳が少しきつめの口調で鈴仙に忠告したので、鈴仙は慌てた様子でこう言った。
「お師匠様。すみません、もしかしてそのメイドから何か情報を得ようとかそういうおつもりでしたか? でしたら、もう一度呼んでくる事も考えますが……」
永琳は「通してくれれば、丁重にお断り出来たわ」と言って笑った。鈴仙も安心した様子で「じゃあ、今度からはお師匠様に追い返して貰いますよ」と言った。
「ま、もう私達には月に行く手段が無いしね」
「そうですね……私達だって月に行く手段がないというのに、吸血鬼がどうやって行くって言うのでしょう」鈴仙は名月がある筈の方向を向いてつぶやいた。
永琳は、鈴仙の表情が僅かに変化したのを見て安心させるようにこう答えた。
「だから、鈴仙も地上に不穏な空気が流れていても全く心配する必要はないわ」
鈴仙は何かを吹っ切った様にお師匠様の方を向いて、再確認の為に質問をした。
「つまりそれは、地上の誰も月の都に行く事は出来ないから安心して良いって事ですか?」
それを聞いて永琳は何故か大笑いして、次のように返答した。
「あはは、違う違う。私達はもう月の民ではなくて、ただの地上にへばり付く人間と妖怪なんだから、月の都の心配しても仕様が無いって事よ」
それを聞いて私も大笑いした。それと同時に、今起きている不思議な出来事は永琳に任せておこうと思った。
[#地付き]第二話 三千年の玉/了
底本: 「東方儚月抄 〜 Cage in Lunatic Runagate.」第二話
2007/09/25 株式会社一迅社 キャラ☆メル Vol.2
注記
傍点は底本を参考に丸傍点の記述にしてあります。