ヴァレロンのスカイラーク
E・E・スミス/川口正吉訳
目 次
一 デュケーン博士の計略
二 XB二一八計画
三 デュケーン戦艦を拿捕す
四 ひとつの世界の破壊
五 第六系列波――思考
六 心対物質
七 デュケーン、ノルラミンへ行く
八 四次元へ
九 地球の支配者
一〇 捕まった!
一一 超世界《ハイパーランド》
一二 再会
一三 空間へ帰る
一四 惑星を求む
一五 ヴァレロン
一六 クローラ人のドームの中で
一七 ケドリン・ラドノルの反撃
一八 ヴァレロン対クローラ
一九 救援へ
二〇 第一宇宙の地図完成す
二一 ダナークの参加
二二 純粋知性人を罠に!
二三 長い長い旅路
スカイラークと宇宙飛行の系譜 野田宏一郎
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登場人物
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リチャード(ディック、ディッキー)・シートン……希少金属研究所の博士
ドロシー(ドット、ドッチー、ドッティ)……リチャードの妻
マーチン(マート)・レーノルズ・クレーン……リチャードの友人
マーガレット(ペッギー、ペッグ)……マーチンの妻
シロー……リチャードの部下
マーク・デュケーン……リチャードの宿敵
≪ベビー・ドール≫ローアリング……デュケーンの副操縦士
ラヴィンダウ……フェナクローンの科学者
ロヴォル……ノルラミンの科学者
サクネル・カルフォン……ダゾールの評議員
ダナーク……オスノームの皇太子
タルナン……オスノームの長官
ブルッキングズ……ワールド・スチール社社長
ケドリン・ヴォルネル……ヴァレロン第一の生物学者
ケドリン・ラドノル……ヴァルネルの息子
バルダイル……ヴァレロンの調整者
クリノル・シブリン……ヴォルネルの助手
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一 デュケーン博士の計略
来る日も来る日も、アレナック金属製の球型宇宙船は、恒星間空間の無限の果てを驀進《ばくしん》していった。この宇宙船は以前はオスノーム惑星の宇宙艦であったが、いまは名も「ヴァイオレット号」と改められ、二人の地球人と一人のフェナクローン人を乗せて、緑色太陽系からフェナクローン太陽系へと急いでいた。地球人はワールド・スチール社のマーク・C・デュケーン博士と、≪ベビー・ドール≫ローアリングというデュケーンの頭のするどい万能助手の二人である。フェナクローン人は、旗艦Y427W号の技師長であるが、ずんぐりした怪物である。とほうもない遠距離飛行の中間点はすでにとっくに通過し、いまヴァイオレット号は光速の五倍という逆加速度でブレーキがかけられつつあった。
じつは航行中デュケーンもローアリングも驚いたのだが、捕虜のフェナクローン人は、ぜんぜん抵抗をしなかったばかりか、超人的というよりは超自然的な体力と巨人的な頭脳力のいっさいを挙げて、ヴァイオレット号の原子力エンジンを改造して、彼の種族に独特の空間ゼロ化駆動方式に作りかえていたのである。空間ゼロ化駆動方式は、動力バーの作用半径以内にあるすべての物質の原子にすさまじい影響を与えるだけでなく、加速度の悪影響をゼロにする力があった。したがって、宇宙船が最高出力で加速されているにもかかわらず、乗っている人はまるで静止状態のような錯覚をもつのである。
技師長はおどろくほど熱心だった。どんなに気骨の折れる仕事でも決してたじろごうとはしない。こうしていったん改造の仕事にとりかかると、彼の属する高度知能種族がもっている伝統的技術の精髄《せいずい》を使いこなして、原子力エンジンをなんとか新方式の駆動装置につくり変えてしまった。すでに想像を絶した最高出力加速度が、彼の見事な調整と同調とにとって、たっぷり二パーセントも増加される始末であった。それだけではない。いっときはげしく抵抗したが、それがすむとケロリとして、彼の眼に備わっている、ほとんど不可抗の強制力をもつ催眠力すら一度も使おうとしなかった。彼の眼は、巨大な冷眼であって、紅玉のような光をもつ、すさまじい心的エネルギーの放射器なのだが、彼はこの恐るべき武器を、一度も二人の地球人に向けなかったのである。そればかりか、彼の太い脚にセットされた牽引《けんいん》装置に対しても、一度も不平をもらさなかったのは驚くべきことであった。
牽引装置というのは非物質的な一種の拘禁《こうきん》バンドであって、被拘禁者に与える力はごく軽く、操作する人がとくに感じさせようとしないかぎり、脚にほどこされても、ぜんぜん感じないほどである。ところが捕虜がすこしでも逃げるというような不逞《ふてい》の動きを示すと、バンドから投射されている小さなエネルギーのビームは、すぐ銅駆動の純粋エネルギーの棍棒《ロッド》となって、あわれな捕虜を制御室の壁に押しつけ、相手がどれほど死にもの狂いで抵抗しても、ぜったい動けないように拘束するのである。
デュケーンはゆったりと座席の上で横になっていた。いや、ほとんど座席にはふれず、空中に漂いながらくつろいでいたと表現すべきである。彼はフェナクローンの技師長の動きを観察している。黒々とした毛虫眉がぐっと寄せられ、黒い瞳が固い表情をつくり、全体がうさん臭いしかめっ面にゆがんでいた。異星の御仁《ごじん》は、そんなデュケーンの態度はどこ吹く風で、いつものように動力室のなかに半ば身を埋め、強力エンジンをなんとか手なずけ、すかし、おどし、もうすこし強く、もうすこし立派にと励ましているのであった。
デュケーンはローアリングの視線を横顔に感じ、獰猛《どうもう》な眼をそのほうへ向けた。優男《やさおとこ》のローアリングは、デュケーンが異星の怪物を眺めていた以上に執拗な眼で、さっきから船長《チーフ》の様子をうかがっていたのであった。いつものように、天使もかくやと思われるばかりの、ほんのりと紅味のさした容貌であった。そして邪気のない炯眼《けいがん》もいつものとおり落ち着いて屈託がなさそうである。だがこの男を知るデュケーンは、炯眼にもそこにあるかなきかの緊張のけはいを読みとり、この殺し屋もまた内心ではかなり心配しているのだなと思った。
「どうかしたか、ドール?」気むずかしい科学者が陰気な薄ら笑いを洩らしながら訊いた。「ぼくがあんまりほったらかしにしているから、あの猿公《えてこう》がインチキをしやしないかと心配なのか?」
「そうはっきり言っているわけじゃないが……」ローアリングのかすかな緊張がふっと消えた。「だいたいこれはあんたのパーティだから、ぼくは死ぬほどくすぐられたって、文句の言えるスジじゃない。ぼくもあんた同様によく知っていますよ。やっこさんは強制されて働いているわけじゃない。言いつけられたからって、あんなに気違いみたいに働けるわけがない。ぼくたちのためじゃなく、自分の興味で仕事をしているんですよ。ただ、ちょっと――押さえつけるのがすこし遅すぎたんじゃないかと、気になりだしたんです」
「遅すぎたなんてことがあるものか――遅らせているのには立派な理由があることだ。これから奴を押さえつける――」腕時計を見て、「かっきり十四分以内に。しかしおまえは鋭いな。ほんとに勘のいい頭脳《あたま》を持っている。どうやら真相を話しておいたほうがよさそうだ」
デュケーンは、鋼鉄の神経と冷たい血液の万能助手にすっかり感服し、地球を出てから数時間したころ一度話した心のなかの目論見《もくろみ》をまたも話してきかせた。これに対してローアリングも、ほとんど同じ科白《せりふ》で答えた。この男の性格がさらけだされた一語一語であった。
「まあ好きなようにするんですね。ふつうだったら、ぼくはぜんぜん聴こうとも知ろうとも思わんのです、一切合財ね。知らないものは吐いたといって叱られるおそれがないから。しかしここではちょっと違う。まさかの場合に知恵のある行動がとれるように、できるだけのことは聞いておいたほうがよさそうだ。しかしあんたは博士だ。もしあんたが胸三寸に収めておいたほうがいいと思うんだったら、ぼくも一向それでかまわんですよ。さっきも言ったが、どだいこれはあんたのパーティだから」
「そう、奴はたしかに自分の興味で働いている」デュケーンが獰猛に顔を歪めた。「というよりか、奴はそう自分で思っている。君も知っているとおり、ぼくはあっちで、奴が失神している間に、奴の心を読んだ。知りたいことがぜんぶわかったわけじゃないが――奴がすこし早く意識を回復しすぎたから。それでも、奴が疑っている以上に、ぼくは深く奴の心を読んだ。
奴らは、あの惑星の周辺一帯に、ずっと遠くまで探知網を張りめぐらしているから、あの辺を網に引っかからんで通れるものはない。しかも探知網を偵察艇でパトロールしている。想像もできんほどの武装を積んだ偵察艇だ。ぼくはそのパトロール艇を一隻|拿捕《だほ》するつもりなんだ。それを使って、奴らの最優秀宇宙戦艦を一隻盗む。その第一歩として、これから猿公を催眠術にかけ、奴の知っているものを根こそぎ奪いとろうと思う。奴をひっくくってしまえば、奴はぼくの言うとおりに働くようになる。それ以外のことは絶対しなくなる」
「催眠術にかけるって?」意外な発展に、ローアリングの冷淡な心にも急に好奇心が湧いたようである。「船長《チーフ》にそんな専門技能があるとは知りませんでしたね」
「うん、つい最近までは知らなかったのだ。ところがフェナクローン人はみんな催眠術の大家なんだ。ぼくは奴の頭脳から習ったのだ。催眠術というのは驚くべき科学だ。ただ困るのは、奴の心がぼくの心よりずっと強いということだ。しかし、ぼくの道具箱のなかにはすごい武器がある。チューブ入りのクスリだが、これを使えば奴の心をぼくなみに弱めることができる」
「ああ、わかった――ペンタバーブでしょう?」ローアリングの機敏な頭脳は、このヒントから、すぐさまデュケーンの計略の核心を探りあてていた。「うーむ、だからあなたはこんなに待ったのだ。それで細工は流々《りゅうりゅう》ときた。ペンタバーブはふつうの人間なら二十四時間で殺してしまう。殺した後では、やっこさんに艦を盗む手伝いがさせられない。だから注射を延ばした……」
「そのとおり! 一ミリグラムでどんな人間もいっぺんに戯言《たわごと》をさえずる白痴になる。しかし、こっちの望みどおりに働かせる程度まで頭脳を弱めるには、奴の図体だから、通常の三倍ないし四倍は射たなければならんだろう。そんなに大量に注射してどういう結果がでるか、ぼくにもぜんぜん見当がつかん。なにしろ奴は人間じゃないんだから。しかし、やつらの防衛スクリーンを突破するまでは奴を生かしておかなくてはならんのだから、最外側探知網にぶつかる正確に六時間前に、あれを注射《う》つことに決めた。いまのところ、ぼくが君に言っておきたいことはそれだけだ。艦を拿捕する細かい段どりは、奴の頭脳をもっとくわしく研究してから考えだすことにする」
正確に、予定の十四分間がたつと、デュケーンは牽引ビームを凝集した。ビームはずっと捕虜に照射されていたのである。ビームが凝集されると、怪物は制御室の壁に押しつけられ、動くことができなくなった。デュケーンは皮下注射器に薬品を満たし、はげしく暴れようと焦るが、ビームで金縛りにされてどうにもならないでいる技師長のほうへ、教育器械をそっと押しやった。フェナクローン人の炎のような視線を、もろに受けないよう慎重に避けながら、教育器械のダイヤルをしずかにセットし、怪物のあたまに受信器を冠《かぶ》せ、注射器の針をぐさりと急所へ射った。恐るべき薬剤のごく微量、一ミリグラムが注射針を伝って怪物の肉体に流れていく。教育器械の導線を通じてデュケーンに投げつけられる火のような抵抗の鋭さは、その間もいささかの衰えもみせてはいない。一ミリグラムは吸収された――一ミリ半――二ミリグラム――三ミリ――四ミリ――五ミリ――
超人類的な強烈な心がようやく弱まりだしたようである。だが、この凶暴なまでに強い薬品が七ミリグラム吸収されるまでは、技師長の心は静かにはならなかった!
「六時間しか生かさないことにしてよかった」デュケーンは恐るべき頭脳を調べにとりかかりながら安堵《あんど》の溜息をついた。そこに露呈《ろてい》されたものは、迷路のように錯綜した脳細胞の絵模様であった。「あのクスリを七ミリグラムも受けてこんなに頑張れるなんて、何というすごい奴だ!」
嘆声をあげたまま、黙りこくってしまった。それからたっぷりと一時間、デュケーンは技師長の脳を調査した。重点は小点数ヵ所であった。そこに、彼がいま掴みたいとあせっている知識がぎっしりと詰められているはずであった。ようやく、彼は受信器をはずした。
「奴の計画はすっかり出来あがっていたよ」冷たい声でローアリングに言った。「もうぼくの計画も出来あがった。服装を二揃い出してくれ――君のとぼくのとだ。拳銃を二挺、ベルトを二本、その他二組ずつ。ぼろ布地の梱《こうり》をひとつ破ってくれ。そして非常用蝋燭の包み、そのほか見つけ次第、いるものを何でも」
そう言ってデュケーンはフェナクローン人のほうへ振り向いた。奇怪な人間はいまはまったく緊張を解き、ぼんやりそこに立っている。デュケーンは技師長の、いまはドロンと鈍く、表情すら示さない眼をぐっと見つめた。
「おまえはすぐ、大急ぎで、作るんだ」有無をいわさぬ調子で厳命した。「ローアリングとぼくに寸分たがわぬ人形を一つずつ作るんだ、いいな? 人形はどこから見ても本人に生き写しでなければいかん。驚きの感情、怒りの気持、みんな正しく現わす顔をしていなければいかん。それから右手で、合図があったら――ぼくの合図だぞ――武器の引金がひけなくちゃいかん。合図があったら、人形の頭部と胴体をそっちへ向ける。それから部屋の中央へ飛び出し、喚きたてる。科白《せりふ》も叫ぶ。科白のレコードは、ぼくがこれから用意するから。わかったか?」
「受信器から制御しなくともいいんですか?」ローアリングが好奇心を抑えきれない調子で訊いた。
「あとで、細かい仕事をする段になったら、やっぱり制御しなくちゃならんだろうな」デュケーンが当たり前のことのように答えた。「人形作りは、どちらかといえば実験に過ぎん。ぼくが奴を完全に制御できるかどうか見るためだ。土壇場《どたんば》になったら、ぼくが監視していなくとも、ぼくの言いつけた通りにやってくれないと困るからな。まごつかず、確実にやるように、ぼくは絶対の自信がもちたいのだ」
「計画はどういうんです――いや、ぼくのあずかり知るべきことではないかもしれん……」
「そうじゃない、君も知っていなければならんことだ。やっとその時間ができたから、教えてやろう。フェナクローン惑星は、完全球体の探知スクリーンが、念が入って二層にも蔽《おお》ってあるから、物質的なものではとうてい近づくことができない。しかも、その上なお探知を確実にするために、ここにいる技師長が、ぼくたちには内緒で、警報装置を完成していたのだ。空間ゼロ化駆動方式に改良する合間合間にだ。何ものかがフェナクローンの外側スクリーンに触れるや否や、その警報装置から、もっとも近いフェナクローンの偵察艇の受信器へ直接に凝集通信ビームで警報が行くことになっている。君も、もうわかっていることだが、偵察艇はすごい威力があり、いちばん小さな艇でも、一秒以内にぼくたちの宇宙船を焼いてエーテルの外へ叩きだす力があるのだ」
「ほう、ずいぶん≪明るい見通し≫ですね。それでもあんたはまだやりとおせると思ってるんですか?」
「その自信がつきかけている。たとえぼくが奴のつくった装置をぜんぶ破壊できたとしても、探知スクリーンを無抵抗で突破することはできないと思う。だからぼくたちは奴の計画全部を利用する、奴のためでなく、こっちのためという点を除いては、そっくりそのまま頂戴《ちょうだい》するんだ。催眠術をかけたのも、人形をつくらせるのもそのためだ。あのスクリーンに触ったら、君とぼくとは陰に隠れることになる。人形が表面に出て、ぼくらの捕虜が、ぼくの言いつけどおりの役割を演じる。
奴が呼ぶ偵察艇がぼくたちを調べにやってくる。偵察艇は、奴を救いだすための装備と牽引ビーム発生装置を積んでいるわけだ。そこで人形が戦おうとする。人形は一瞬のうちに爆砕されるか焼却されて宇宙の塵《ちり》になる。するとうちの可愛い相棒が宇宙服を着て、偵察艇へ移乗する。移乗すると、すぐ艦長へ報告をする。
艦長は、事重大と見て、すぐ直接に本部へ報告する。もし報告しなければ、ここの猿公《えてこう》が、自分で本部へ報告しますと言い張るんだ。その報告がこっちでキャッチされたらすぐ、隠れていたぼくたちが出ていって、偵察艇の乗員を薙《な》ぎはらって艇を拿捕《だほ》する」
「それであんたは、ほんとに奴がそんなことをすると思っているんですか?」ローアリングのあどけない顔に、はっきりと疑惑の色が見える。語調にもかすかに眉唾《まゆつば》といった嘲りがひびいている。
「ぼくには、奴が必ずする、とわかっているんだ!」化学者は荒げた声で言った。「奴は絶対に自分の意志にもとづく行動は取り得ないんだ。ぼくは心理学者じゃないから、たとえクスリを注射しても、奴の無意識まで左右できるかどうかわからん。催眠術をかけても無意識は残って奴自身の意志を忠実に実行するんだ。とにかく、クスリで奴の意識下の意志まで支配できるものかどうかはわからん。しかし奴にある装置をひとつ携帯させる――それで、ぼくは奴に、こっちの思いどおりのことをさせる。容易に、そして安全にそれができるんだ。おしゃべりはこのくらいにして――そろそろ始めたほうがいいぞ」
ローアリングが余分の衣服と武器を取りだし、人形づくりの材料をもとめて宇宙船の上から下までを捜しまわっている間、フェナクローンの技師長はてきぱきと指令された仕事にとりかかっていった。てきぱきだけではなかった。技師長は驚くべき器用さと、芸術家はだしの腕の冴えを見せた。それも道理、フェナクローン最優秀宇宙艦の技師長ほどのものが持っている頭脳にとっては、人間であれ機械であれ、動くものの複製などは技術というほどの仕事ではない。ただ線と形と機構の組合せという初歩的な工作にすぎないのである。
綿屑とぼろ布地を形につくり、強化し、擬革《レザー》を圧着する。こうしてでき上った胴体に頭部をつなぎ合わせる。頭部は、砕《くだ》いてどろどろに練った繊維、プラスチック、蝋《ろう》などで実物そっくりに作られている。身体の内部にいくつかの小型モーターや器械類がはめこまれる。衣服を着せ、武器をもたせる。
デュケーンの鋭い眼は、彼とローアリングの生き写しの人形を仔細に調べた。欠陥を見つけようとするが、どこからどこまでそっくりで、顕微鏡で覗いても違いがわからないほどの出来ばえである。
「いい出来だ!」彼は嘆声を発した。
「いい出来? とんでもない、完璧じゃないですか! ぼくに女房がいたら、女房だってごまかされますよ。ぼく自身がごまかされるもの!」
「すくなくとも、奴らのテストに合格できる程度だと言ったのだ。奴ら、どんな厳格なテストをするかわからんからな」
デュケーンは満足の笑みをもらし、人形から離れて、捕虜の宇宙服のしまってある戸棚のほうへ歩いていった。前部に垂れている防護幕の裏側に、小さなケースをひとつ取りつけた。非常に薄い、ぜんぜん目立たない小箱である。それから彼は、線条マイクロメーターをとりだし、すでに宇宙船の下に大きく見えはじめてきた惑星の直径を慎重に測定した。
「よし。時間が迫っている。君はすぐぼくたちの宇宙服の荷を解いてくれ。ぼくはこいつに最後の指令を吹きこむから」
デュケーンの鋭敏で剛直な頭脳から、いまはこれとは対照的にやわらかになった捕虜の頭脳へと、いくつかの指令が教育器械の導線《ワイヤー》を通じて急速に伝えられていった。地球の科学者はフェナクローンの技師長に言いつけた。惑星の探知スクリーンに出遭ったその瞬間から、どのように行動すべきか。本部に報告を終わるまで何を、どんな仕方で行うかを指令した。諄々《じゅんじゅん》と説くというのではない。冷酷に、正確に、微《び》に入り細をうがって説明したのである。
終わると二人の地球人は宇宙服を着て、隣りの部屋へ行った。そこは小さな武器庫である。同じような数着の宇宙服が鉤《かぎ》にかけてある。その他、武器弾薬の充満した恐るべき倉庫であった。
「ぼくたちは、宇宙服と同じに鉤にぶら下がっているのだ、いいな」デュケーンがローアリングに説明した。「多少とも危険がありそうなのは、この鉤にぶら下がっていることだけだ。しかし奴らがこっちを見つけるチャンスはぜんぜんない。奴が偵察艇へ送るメッセージで、偵察艇の奴らは仲間は二人だけだと知るわけだ。その二人はちゃんと見えるところへ出ているのだから、まさかここに潜《ひそ》んでいるとは思うまい。
万にひとつ、奴らがこの船へ人を派遣したとしても、ヴァイオレット号を徹底捜査などするわけがない。すでに目ぼしいものはひとつもないとわかっているからだ。もちろん、ぼくたちを見ても、空っぽの宇宙服としか思わんだろう。だから、レンズ蔽《おお》いは下へさげておけ――ただ狭い隙間だけを残し、そこから外を窺《うかが》う。しかしいちばん大事なことは、どんなことが起ころうとも、一ミリも動いてはいけないということだ」
「しかし、手を動かさずに、どうやってコントロール装置をいじれるんです?」
「いじれない。しかし手は袖を通すんじゃない。宇宙服の胴体のなかに置いておくのだ――シッ! じっとして! 信号がまたたいたぞ!」
驀進する宇宙船は、フェナクローンの外側探知スクリーンそのものである稀薄な放射能帯を通過した。非常に薄いスクリーンではあるが、驚くべき効率なのである。スクリーンに何かが触れるや否や、その衝撃によって、あの捕虜のフェナクローン人がつくった警報システムが活発な行動を起こすのである。警報システムは、この捕虜が長い宇宙航行中に、デュケーンに隠れて、苦心して作りあげた超感度の優秀機器コンプレックスである。そんなものがヴァイオレット号に備えつけられてあるとはとうてい地球人に気づかれるはずもないし、探知されるはずもないと、製作者は絶対の自信をもっていたのである。
スクリーンの接触により、警報システムは自動的に作動し、もっとも近いフェナクローンの偵察艇にビームを発し、そこに取りつけられている受信器へ入った。ヴァイオレット号とその三人の乗船者に関する一切の情報が偵察艇に伝えられた。だがデュケーンは居眠りをしていたのではない。技師長の頭脳を読破し、それの包蔵する一切の知識を吸収していた地球の科学者は、すでにこの秘密の警報システムのことを知っており、ヴァイオレット号に継電器を工夫して据えつけていたのである。宇宙船が敵のスクリーンに触れるや否や、リレーは彼の眼に信号を送った。めだたない微弱閃光である。だが紛《まぎ》れることのない信号はすでに来ていた。いまデュケーンとローアリングは、畏怖と恐怖をしいるフェナクローンの怪異な文明の外縁を通り抜けたのであった。
武器庫の内部では、デュケーンの手が宇宙服のなかで微かに動いた。すると制御室にいる人形が動きだした。人形はデュケーンと瓜《うり》二つである。人形は動作をし、音声を発した。人形が牽引ビーム発生装置のコントロールを強めた。一刻の休みもなく捕虜に照射されていた牽引ビームである。たちまち、ビームは強化され、フェナクローン人は制御室の壁に身動きもならず押さえつけられた。
「変なまねをしようとするといけないからだ」デュケーンの声色、その調子とそっくりの声が冷淡に言った。「これまでのところは、おまえはよくやった。しかしこれからは、ぼくが船を操縦する、おまえにぼくたちを罠《わな》のあるところへ連れていけないためだ。さあ教えろ、おまえの偵察艇一隻、どんな方法で奪ったらいいか。それを奪ってから、おまえの釈放を考えてやろう」
「バカなやつ!」とフェナクローンの技師長は言った。「おまえは遅すぎたんだ! たとえずっと前、まだ宇宙の深淵にいたとき、このおれを殺してしまったとしても、やっぱり遅すぎたんだ。おまえは知らなかっただけだ。いまだって、おまえは死んだも同然だ。おれたちのパトロールが、おまえに襲いかかってくる!」
デュケーンとそっくりの人形はくるりと振り向き、喚きかかった。だがその瞬間、この人形も、ローアリングの人形も、ピストルがその手から飛んだ。すさまじい加速度で、二体の人形は床に叩きつけられ、磁力がピストルを奪いとったのである。たちまち強暴な力の熱ビームがとびだし、人形は灰色の燃え渣《かす》に変えられてしまった。すぐそれに続いて、偵察艇から照射されたビームが牽引ビーム発生装置を無効化した。捕虜は宇宙服を着、フェナクローン船へと移された。
デュケーンは、狭苦しい武器庫のなかでじっと待っていた。フェナクローン偵察艇の機密室のドアが、技師長の後姿を隠《かく》して閉じた。だがまだデュケーンは動かなかった。
不運な怪物が、偵察艇にそなえつけられている特殊通信器で、遠いフェナクローン惑星にいるフェノール皇帝と最高司令官フェニモル将軍に、一部始終を報告した。報告は終わり、通信システムの回路はとじられた。
劇薬を注射され、催眠術をかけられ、そしていま、まさに生命が尽きようとしている憐れな技師長が、偵察艇の同僚のほうへ振り向いた。会話でもはじめそうな素振りで、である。そのときまでデュケーンはじっと待っていた。技師長が振り向いたとき、険悪な気性の科学者は行動に移った。指が回路を閉じた。するとすぐ、フェナクローン偵察艇の内部で異常なことが起こった。脱ぎすてられた宇宙服の防護|垂下布《フラップ》の内側にあった小箱が、音もなくはなれてフローアへ落ちたのである。そして、小箱からは無色無臭のガスが噴きだした。すさまじい殺傷力の有毒ガスがもくもくと、際限もなく噴きだしたのである。
「金魚鉢のサカナを殺すようなもんだ」デュケーンがうそぶいた。厚顔無恥、硬く、冷血の声である。なんの感情もともなわない声である。殺された生物への一片の憐憫《れんびん》すら響いてはいない。「万一、非常用宇宙服を着ている奴がいてもいいように、銅火薬爆弾を用意しておいたのだが、予想よりもうまくいった――爆弾など使ったら、欲しいものを毀《こ》わすおそれがあるからな」
フェナクローンの偵察艇の内部では、恐ろしい有毒ガスが急激に拡散していき、乗員は一人残らず、そのときその瞬間の姿で斃《たお》れた。何が起こったのか、気づきさえしないで死んでいった。警報を発しようとさえ思わないうちに息が絶えていった。死ぬことさえ知らずに死んでいった。
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二 XB二一八計画
「あの偵察艇の機密室、外部から開けられますか、博士?」
武器庫から制御室へ出てきながら、二人の宇宙冒険家の一人ローアリングが訊いた。制御室へ入ると、デュケーンはすぐ牽引ビームを照射し、二船を接近させはじめた。
「できるとも。ぼくは、第一級宇宙戦艦の技師長が知っていることなら何でも知っているんだ。こんなちっぽけな偵察艇など、技師長は眼中にないのだが、それでもおおよそのことは知っている――フェナクローン艦の外装部制御装置はぜんぶ同じように働くんだ」
牽引ビームの力で、二船はもう気密室どうしのドアとドアが向かい合っていた。デュケーンは強烈な牽引ビームを照射し、両船を動かないように縛りつけた。それから二人はヴァイオレット号の機密室のなかへ入った。空気を出し、デュケーンは外側ドアを開けた。手をのばし、偵察艇の機密室の外側ドアを開け、跨《また》ぎ、ついで内側ドアを開けた。
内側ドアを開けたとたん、有毒ガスで充満した艇内空気が金切り音を発して宇宙空間へ逃げだしていった。極寒の突風がひとしきり吹き終わると、二人は敵船の制御室へ入った。さすが一片の感情も良心もないベテランの殺し屋ローアリングさえも、膨張した幽霊のような四個の物体――それが一刻前まで人間であったのだ――を眼の前にして、ぞっと総毛立ち、たじろがないではいられなかった。
「あんなに早く空気を出すべきじゃなかったですね」不気味な光景から眼をそむけながら、言った。
「脳は傷をうけないんだ、ぼくの気にするのはそれだけだ」冷静な答えを返し、空気バルブをいっぱいに開けた。こうして艇全体から有毒ガスの最後の一立方インチまでが激しい風に乗って宇宙空間へ逃げだすまでは、彼は機密室のドアをしめなかった。ようやくドアをしめ、空気を正常気圧と温度にもどした。
「どっちの船を使うんですか――彼らの、それともぼくたちの?」不自由な宇宙服を脱ぎながら、ローアリングが訊いた。
「まだわからん。このパトロール艇長の頭脳から何が見つかるかによる。戦艦を拿捕するには二つの方法があるんだ。ヴァイオレット号を使う方法と、この偵察艇を使う方法だ。艇長の頭脳からどんな情報が得られるかによって、どっちの方法が危険が少ないかが決まる。
もちろん第三の方法もある。それは地球へもどって、彼らの戦艦の一つを、ぼくたちの力で複製するということだ。さまざまな彼らの頭脳をしらべてみれば、フェナクローンの機械装置、動力機構、資材、武器などの知識が得られるから、そっくり作りあげることは不可能ではない。しかし、この方法では非常に時間を食うし、必須の貴重事実でぼくが獲得できない情報も必ず多少はあるだろうから、成功疑いなしというわけにはいかない。それに、ぼくがわざわざここまで乗り出してきたのは、彼らの最優秀宇宙艦を一隻せしめるためだったのだ。ぼくは決心を変えていない」
毛すじほどの嫌悪の表情もなく、デュケーンは教育器械をつかって彼の頭脳と死んだ艇長のそれとを連結した。そして、まるでフェナクローンに関する別の講義をひとくさりローアリングに授けるほどの緊張すら見せずに、デュケーンはその見るからに恐ろしげな頭脳の複雑な回転部を調べにかかった。組織的な、徹底した調べかたであった。だが、調べだしてから十分間も経たないうちに、けたたましい真鍮《しんちゅう》音の非常警報が鳴った。デュケーンは軽く舌打ちして教育器械の動力をとめ、受信器を外し、呼出しの相手に確認を与えてから、レコーダーを見つめた。レコーダーが短文の、緊急メッセージを繰り返し繰り返し叩きだしていった。
「ぼくの計画にない妙なことが起こりかけている」眼をむいて黙りこくっていたローアリングへ宣告するような口調で言った。「不測の事態にはいつも対処の心構えでいなければならんが、これはひょっとすると大変なことになりかねないぞ。フェナクローンが宇宙空間から攻撃を受けているんだ。フェナクローン全軍に出動命令が出ている――ただちに防衛陣型を形成せよというんだ。≪侵入計画XB218≫の施行という。何だかわからん、とにかく暗号表で捜さなくてはならん」
艇長デスクは、低いが頑丈な構造の金属キャビネットになっていた。デュケーンはそのほうへゆっくりと歩いていき、組合わせロックのダイヤルとレバーをてきぱきと操作していった。キャビネットが開くと、その仕切りの一つから、暗号《コード》器をとりだした。暗号器は多角形の枠組みであって、金属バーがいくつかと、金属滑尺がいくつかが組み合わされた複雑なしろものであった。バーと滑尺には数字や文字らしいものが彫刻してある。全体が、地球で使う多重式栗鼠籠計算尺《マルティプレックス・タイレル・ケージ》にいくぶんか似ている。
「X――B――ツー――ワン――エイト」
デュケーンはこんな暗号器など見たこともないのである。だが、死んだ艇長をはじめとする各士官の頭脳からふんだんに情報を得ているから、まるで使いなれた機械のように造作もなく操作することができた。彼の長い、強い十本の指が、どんなフェナクローン人も及ばないほどの速度で、指定された防衛計画を打ちたてていった。彼は両手のなかで計算尺のような器械をいろいろと回転させ、顔を曇らせて険《けわ》しく精神を集中しながら、各平面の表面をひとつひとつ調べあげた。
「ええと、弾薬工場は何々をすべし、か――こんなことはどうだっていいや。ええと、予備軍――防衛地帯――武器類――酒保――防衛スクリーン……ああ、これだ、これだ! 偵察艇があった。何?――≪偵察艇は一定空域を巡邏《じゅんら》することなく、外側探知|地帯《ゾーン》のすぐ内側にありて、一定の位置を占めるべし。常時の二十倍兵力の動員なるにより≫――ああそうか、相当密集されるから、各偵察艇間距離はわずか一万マイル程度であると。各艇は高出力探知スクリーン、実視板、記録《レコーダー》ビーム等をその隣接偵察艇と連結《ロック》すべきこと……。
うん、それから偵察艇各二十五隻ごとに一隻の最優秀戦艦があり、母艦、保護艦、予備軍として活動することとなる。ここからいちばん近い戦艦は――ええと、そうだ、あっちの方向へわずかに二万マイルばかり、一万マイルばかり下方だ」
「これであんたの計画が変わりますか、船長《チーフ》?」
「まだ計画はたてていないのだから、変わるということはないよ――しかし背景が変わる。これまでには目論《もくろ》んでいなかった危険の要素が加わってきた。これで、探知|地帯《ゾーン》を突破することが不可能になった。もっともこの点は、前だって突破はほとんど不可能に近かったのだし、やつらの張りめぐらす障壁を突破するくらい強力な戦艦を手に入れるまでは、むりするつもりはなかったのだが。もうひとつ考えなければならんことがある。こんなにたくさんの艦が出動するとなると、先方は多少のまごつきが出てくると思うのだ。そうなれば戦艦の拿捕はかえって容易になってくる」
「前になかった危険な要素が、こんど出てくるというのは?」
「惑星全体が爆破される危険がでてきたのだ」デュケーンがぶっきらぼうにこたえた。「宇宙空間から奇襲しようとするからには、その国なり種族なりは、当然原子力をもっているだろう。原子力があれば、宇宙の深淵から惑星へ爆弾ひとつ落とすだけで、どんな惑星も蒸気と化してしまうのだ。もちろん攻撃側としては、植民惑星にしようと考えているかもしれない。その場合は、惑星を破壊しない。しかし、こちらとしては、いつでも最悪のことを考えて計画を練るのが安全な道だ」
「惑星全体が爆発するとなると、こっちもひとつもいいことがありませんね?」ローアリングがシガレットに火をつけながら言った。手許はしっかりしている。紅頬にも、かすったほどの不安の翳《かげ》がない。「惑星が素っ飛んだら、ぼくたちも吹っ飛ぶんでしょうな、こんなふうに――フーッ!」とマッチを吹き消した。
「そんなことはないよ、ドール」とデュケーンは相手を安心させた。「原子爆弾が惑星地表で爆発し、その爆発が地表から地核へ向かって拡がっていく場合は、威力は割に小さいのだ。とても、物質を光速よりも早く吹きとばすなどという力はありっこない。爆発波は、どれほど強烈でも、光速以上にはならない。ぼくたちのヴァイオレット号は、とてもこの偵察艇ほどの戦闘力はないが、速度だけは光速の五倍は走れる。だから、ヴァイオレット号に乗って、爆発波の来襲を逃れることができる。といって、ヴァイオレット号に乗っていたんじゃ、必ず見つかって、フェナクローンの防衛陣型が完成したとたんに宇宙の外へ吹っとばされてしまうからな。
そこへいくと、この艇にいれば安全だ。フェナクローンの全攻防装置がついているし、外部からは発見されることはない――すくなくともぼくたちの必要な秘匿《ひとく》時間は確保されるんだ。しかし、こういった小艇はすべて地方的な偵察業務用の設計になっているから、比較的速力は遅い。だから宇宙的な爆発にまきこまれると破壊される。宇宙的な爆発ということも理論上はっきりと可能なのだ。きわめて微小な可能性ではあるが、しかし充分に考慮しておかなくてはならない」
「それでどうだと言うんです? あんたはぐるりとひと回りして喋った――また出発点へ戻ってしまったじゃありませんか?」
「いや、あらゆる角度から考察しているのだ」デュケーンはにこりともしない。「やつらがこの陣型を編成するまでには時間がかかる。まだまだゆっくりしてていい。それで結論を言うと、ぼくたちはこの艇を使いたいが、それは安全な措置かどうか? 安全なんだ。なぜ安全といえるか? なぜならば、フェナクローンはすでに昔から原子力を開発して盛んに使っている。だから原子力の恐ろしさ、その可能性についてはきわめてよく知っている。だから、原爆などがおいそれとは貫通できない惑星防衛スクリーンを完成していることは間違いないと見てよいからだ。
もう一つ大事なことは、ぼくたちは、二十三日もかければ、この艇内に超高速駆動装置を取りつけることができる。ぼくが君にその情報はぜんぶ吹き込んだろう――教育器械をつかって? 超高速駆動となれば、どんな事態が起こっても大丈夫だ。これがいちばん安全な計画だし、また充分うまくいくはずだ。だから、君は補給物資の類《たぐい》と、いちばん必要な身の廻り品をヴァイオレット号からこっちへ移し変えてくれ、ぼくはヴァイオレット号の軌道を計算するから。ヴァイオレット号をこの近辺に置きたくないのだ。と言って、そう遠くへ、すぐには乗り移れないようなところへ、放すわけにはいかない。ヴァイオレット号を充分隔離しておいてから、ぼくたちはこの艇を操縦して、XB218計画の所定の位置へ進めることになる……」
「それは何の目的で? まさか敵に、こっちを叩きつぶすチャンスを与えるためじゃないでしょうね?」
「そんなバカな。ぼくはまだ、ここに転がっているやつらの頭脳を研究する時間が必要なんだ。それから、母艦になる戦艦が所定の位置に到着するまでには若干の時間がかかる。その所定の位置で盗むのが、いちばん盗みよいのだ……」
だが、デュケーンは、すぐには受信器を外さない。そのまま立っている。物も言わず、考えながら立ちつくしている。
「うむ、やっぱりね」ローアリングが首を縦にふりながら言った。「ぼくもいま、あんたと同じことを考えているんですよ。やつらをこんなにキリキリ舞いさせているのがシートン博士だとすると?」
「シートンかもしれんとは幾度も考えてみたのだ、じっくり考えてみた」デュケーンもしぶしぶうなずいた。「しかし、シートンではあり得ないという結論がでた。理由はこうだ。もしシートンだとすると、奴はぼくの考えているより格段に強力な武装をしていなければ、こんなところまで乗りだしてくるはずがない。ところが、そう短い時間に、それだけの知識を奴が仕込んだとはとうてい信じられない。もちろんぼくの考えは違っているかもしれんよ。違っているにしろ正しいにしろ、あの騒動のもとがシートンであろうと、そうでなかろうと、ぼくのあの戦艦を拿捕する最初の手続きはちっとも変らない」
会話がはっきりと終わると、ローアリングはふたたび宇宙服を着て、仕事にとりかかった。数時間、彼は黙々として働いた。こうして地球からの持物を相当量運びこみ、かなりの期間フェナクローンの艇上で暮らすだけのものが揃えられていった。
運搬を終えると、こんどは動力装置の作りかえに必要な機械類を集めにかかった。その間、デュケーンは、ヴァイオレット号に望みどおりの軌道を与えるための発射方法と推力量を決定する、長い複雑な計算をしていった。数学問題は解決され、その検討も終わると、デュケーンは七|桁《けた》対数表の本をぱたんと閉じ、立ち上った。
「ヴァイオレット号からの移し替えはみんな済んだか、ドール?」宇宙服を着ながら訊いた。
「ええ」
「よろしい。ここですこし段どりをつけたら、ぼくはヴァイオレット号に乗って、押し放す。その屍体を船首コンパートメントへ投げいれてくれ。もう要《い》らん屍体だ。ほとんど何も知らん貧弱な頭脳だった。それが終わったら、隔壁のドアをきつくしめてくれ。ヴァイオレット号を加速する前に、ヴァイオレット号のほうから偵察艇装甲へドリルで孔を二つあけるから」
「なるほど――航行不能に陥ったように見せかけるんでしょう?」
「図星だ! こっちの実視ビームが故障だといっても、立派な証拠をつくっておかなくちゃならんからな。報告は通信器でやれるからさしつかえない、暗号メッセージも命令はあれで送受信できる。しかし実視板で細かに検討されたら、とても隠しおおせんからな。それから、母艦へ信号しながら接近するのに、何らかの口実が必要だ。隕石がぶつかって、孔があいたということにするんだ。見えすいたウソかもしれんが、それでもこっちの必要な時間ぐらいは、押しとおせるだろう」
デュケーンは、艇の船首の小部屋にはなにも重要なものが入っていないことを確かめた。ローアリングが屍体をひきずってきて、無造作にそこへ放りなげた。機密の隔壁が閉ざされ、厳重に錠をかけられた。デュケーンが機密室に入った。
「ヴァイオレット号に針路と速度を与えたらすぐ、ぼくは空間へ踏みだす。君はぼくを拾って収容する、よいな」簡単に指令を与え、ヴァイオレット号へ移っていった。
ヴァイオレット号の機関室へ入ると、デュケーンは繋船牽引ビームを切り、船を数百ヤード引き離した。舵輪を二回まわし、スイッチを押した。するとヴァイオレット号の、最重装のニードル・ビーム投射器から、偵察艇の船首に向かって、信じがたいほどの濃縮度の破壊ペンシルが火炎を吹いて突きあたった。
強烈な破壊ペンシルは、コンダールの皇太子であるダナークが、一万年にわたるオスノームの戦争に終止符をうつべく、最終兵器として開発したものであった。シートンが現われるまでは、緑色太陽系の住民には強力エネルギーは知られていなかった――その時代の比較的劣弱なエネルギーで駆動されてさえ、ペンシル・ビームはいかなる物質をも破壊する威力があった。その腐蝕性の、兇暴きわまりない突き刺しに対しては、いかなる既知の物質も、瞬時といえども抗し得なかったのである。
いまこの兇暴な、純粋エネルギーの錐《きり》が、崩壊する四百ポンドの銅原子エネルギーの全出力で駆動されたのである。しかも至近距離である。ちっぽけな偵察艇の透明装甲板はわずか一インチの厚みである。デュケーンは薄紙を小刀で突くほども無抵抗に孔があくものと期待していた。ペンシル・ビームの威力を眼で見ているデュケーンとしては無理もなかった。これよりずっと弱いペンシル・ビームで、彼はついこの間ローアリングに命じ、あの強靭なアレナック金属製の宇宙船をオスノームの森林上空で徹底的に破壊した。アレナックといえば、地球で使われている最強、最剛、最硬の合金鋼よりも五百倍も強靭なオスノームの特殊合金である。その超硬質材でつくられた宇宙船が、いまよりずっと低微駆動のペンシル・ビームで蜂の巣よりもたくさんの孔があいたのである。
ところがいま、殲滅《せんめつ》ビームであるエネルギーの針は、透明装甲板に当たって、火花を散らしながら撥《は》ね返されたのであった。ぶつかり、撥ね返される。またも突進し、撥ね返されるものかとしがみつく。ほとんどそれとわからぬほどわずかに、ビームは装甲板表面を、一原子一原子ずつ切り裂いていった。これだけの超威力ビームが、たったこれだけの穿孔能力しか示さないとは! 偵察艇装甲を形づくっている材料は何と信じがたい、しぶとい強靭性をもっていることか。それもそのはず――この材料は究極的な合成金属であって、なまやさしいしろものではないのだ。この金属は、エーテルに乗る電子を構築材料《ブロック》として、このブロックの特殊な組合せから成りたっている究極合成金属なのである。しかも、究極合成金属としても、理論上可能である極限値の強靭性、引っ張り強度、硬度、粘靭性、剛性の最高度を保持する稀少材料なのである。もともとフェナクローンの巨匠的科学者たちによって開発されたものであって、ノルラミンの合成金属アイノソンと事実上同一の材料である。アイノソンといえば、ノルラミンのロヴォルとその協力者たちが、シートンのために巨大宇宙船「スカイラーク3」を建造したときに使ったのがこのアイノソンである。
デュケーンは五分間の長きにわたって、かの兇暴なるペンシル・ビームをただ一点にのみ集中した。がんばったが無駄と知って、ビームをカットした。五分間死力をつくして、まだ偵察艇装甲板の厚み半分以上も穿孔《せんこう》していないのである。なるほどたしかに、エネルギー・ビームの焦点地域はほとんど眼に耐えられないほどの紫色の白熱光になって煌《きらめ》いた。その高熱はすさまじく、紫の白熱光を中心として艇の装甲一面が眩《めくら》めく白、黄、灼赤《しゃくせき》へとしだいに拡がっていき、端のほうでは鈍い赤色の縞地帯までできていた。だが、これだけの超威力ビームも、眇《びょう》たる小艇の航行適正には事実上いささかの影響も及ぼしてはいないのである。
「ムダだ、ローアリング!」表面プレートのなかに仕掛けられている発信器のなかへ、デュケーンは冷やかに洩らした。剛毅な、真の科学者であるデュケーンは、ひとつのアイデアが無効に終わったからといって、喚いたり、怒ったり、当惑したりはしない。たんにあっさりと、完全に諦めただけである。零《こぼ》しも恨みもしないのである。「隕石ではその船殻に孔は明けられない。いいか、ローアリング、用意!」
彼はあわただしく動力メーター類を検閲し、線条マイクロメーターで、第六実視板の数字を数個読み、ジャイロスコープの大円環《グレート・サークル》のヴァーニア読み数字を、自分のノートのなかの数字に照合した。ヴァイオレット号が指定の針路を的確に正確に走っていることを充分に確かめた後、彼は機密室へ入った。監視しているローアリングに、宇宙服でふくれあがった手を振り、泰然自若《たいぜんじじゃく》として宇宙の真空中へ跨《また》ぎでた。重い外側ドアが背後にしまり、ヴァイオレット号の球体がロケットのように彼の頭上を突進していく。デュケーンは落下である。数万マイル下の、巨大なフェナクローン惑星に向けて、彼は胸苦しい加速度をうけながら落下していった。
墜落は長くはつづかなかった。すでに宇宙船パイロットとなっていたローアリングは、ヴァイオレット号に自分の操縦する小艇を平行させており、進路、速力、加速度を同じにし、百フィートそこそこの距離を保って巡航させていたからである。デュケーンの左足がオスノーム製の宇宙船を離れた瞬間、ローアリングは偵察艇の動力すべてを切っていた。いま墜落中の人間と、落下中の偵察艇とは狂気の同一速度で下界へ急いでいた。人間の姿が、ゆっくりと偵察艇へ近づいていった。ヴァイオレット号の機密室の外側ドアのすそから、宇宙空間へ踏みでたときの微かなエネルギーで、デュケーンの身体は漂いながらすこしずつ偵察艇へ寄っていく。寄りながら、緩慢に宙返りをはじめた。ローアリングの宇宙船操縦が巧みだから、偵察艇は横揺れさえもしない。ローアリングは右舷の機密室に立っている。デュケーンの体が近づいたとき、ローアリングが宇宙綱を投げた。繊維を緊密に編んだ細い綱であり、熱を奪われた宇宙の大真空のなかでも、強度と柔軟性を失わない――それがいま勢いよく飛びだし、デュケーンの膨らんだ宇宙服へからみついた。
「君が牽引ビームを使うだろうと思った。しかし宇宙綱のほうがずっといい」宇宙服の装甲された手首で綱を握りながら、デュケーンが言った。
「そうですよ。ぼくは細かい、精確な仕事はあまり訓練を積んでおらんのですよ。綱だったら、投げ損ったら、やりなおせばいい。しかしはじめてあんたと宇宙空間で渡り合うのに、ビームなどを使って、万一やりそこねて、鋭利なビームの刃で宇宙服でも破いた日にはコトですからね」
二人は制御室へ戻った。偵察艇は落下しながらも、やや正常姿勢をとりもどしていた。ローアリングが沈黙を破った。
「隕石でパンクされるという考えはうまく行きませんでしたね。どうでしょう――乗員の一人を宇宙神経症にさせてしまって、内部からメチャメチャにこわさせるという術《て》は? ときどきそんな謀略があるんじゃないですか?」
「うむ、よくやる手だな。それも一つの考えだ――いや、ありがとう。宇宙神経症の症状をよく研究してみよう。とにかく、することがたくさんあって仕様がない。まだ掴んでいない情報がうんとあるんだ。たとえばこの金属だ――われわれはおそらくは地球ではフェナクローンの戦艦は造れんだろう。この艇の外殻《シェル》みたいに強靭な材料がこの世に存在するとは思ってもみなかった。もちろん、ここに散らばっている頭脳のなかには未探検の領域が非常にたくさんある。母艦には、垂涎《すいぜん》ものの第一級頭脳がワンサとあるだろうな、見たこともないような。この金属の成分についての機密が、そのどれかの頭脳のなかにあるに違いない」
「うん、じゃあんたが奴らの情報をつかんでいる間に、ぼくは駆動装置の改造にでもとりかかりますかな。改造の時間は充分かけていいと言いましたね?」
「そうだとも。彼らのシステムが大きくてすごいことはわかっているんだ。自動的で、どんなバカがやってもやり損いのないものなんだ。彼らは事件が起こるずっと前に予知できる警報システムをもっている。一光周以上離れたところのトラブルを嗅ぎつけることもできる。事実それをやっているんだ。だから彼らの計画は、いつも一週間のゆとりがあるから、完璧な防衛体制をしくことができる。君は三、四日間、動力装置の改造をいじっていていいが、その間に動力問題を片づけておかなくちゃいかんよ。ぼくは三、四日じゃ研究は終わらんだろうが、かなりのことは学べるから、それで有効な行動はとれるようになると思う。君は動力をいじり、船のなかの管理をする。ぼくはフェナクローンの科学その他を勉強し、呼出しに答え、報告をし、母艦に割り当てられた空域に着いたときの作戦を細かく立案する」
二人はこうして数日それぞれの仕事に精をだした。ローアリングは近距離向けの偵察艇動力装置を、最優秀戦艦のそれに匹敵した宇宙の深淵用のすさまじい動力装置に作りなおし、艇内雑務をスパルタ式厳格さの日常事務へと仕上げていった。デュケーンは睡眠時間を切りつめ、この拿捕《だほ》した偵察艇に乗り組んでいた人びとの頭脳から、すこしでも価値ある知識はことごとく自分の頭脳に取りこもうと、一分一秒をも節約した。
しかしときどきは、発信回路を閉じ、艇の位置と戦闘準備進捗度の報告をしなければならなかった。それも正確に指定された時間どおりに行なわなければならず、また『必携』で決められた軍事教範の細部に忠実に従わなければならなかった。
改造が終わり、ローアリングがデュケーンを捜しにいくと、船長《チーフ》はさかんに体操をしているところだった。科学者デュケーンの顔は憔悴し、青白く、頬がこけていた。
「どうしたんです、船長? すこしやつれたようですね?」
「≪やつれた≫はよかったな――すこし疲れただけだ。百九十年間みっしり叩きこまれた学識を三日か四日で詰めこむというのは、軽い娯楽の範疇《はんちゅう》には入らんよ、君。終わったのか?」
「作業終わり、点検ずみ――万事オーケーでしたよ」
「そりゃよかった! ぼくもやっと終了した。もう目的地に着くまでにはそう時間はかかるまい。母艦も、そろそろ指定空域に着いているころと思うが」
すでに艇は計画書に指定された位置に近づきつつあり、また死んだフェナクローン人の頭脳からは要るだけの知識は回収してしまったので、デュケーンは屍体を艇外へ遺棄し、ビームを当てて消滅させた。船首の部屋に放置した屍体一個は膨張してこの世のものならぬ醜骸となっていたが、彼はそのままにしておいた。こうしてようやく、デュケーンは、防衛計画指揮官のオフィスへ、最後の《となるはずの》航行報告をした。
「閣下はご存知ないが、これがやっこさんがこの艇から受ける最後の報告だ」発信器のそばから離れ、制御盤へ踏みだしながら、デュケーンは呟いた。「ぼくたちはこれから指定の針路から逸《そ》れ、ちょっぴりいいことをしに出かける。まず、ヴァイオレット号を見つけることだ。ヴァイオレット号が発見されたとも、航行の障害物として破壊されたとも聞いていない。だから捜しだして、発進させなければならん」
「どうしてです? あれはもう要《い》らんのだと思っていましたが」
「たぶんな。しかし万一シートンがこの騒動の黒幕になっているんだとすると、ぼくたち、ヴァイオレット号を保有しておいたほうが、地球へ帰還するのに都合がいい。ああ、そら見えた――計画どおりに軌道を飛んでいる! ぼくはヴァイオレット号をこっちへ引きつけて、宇宙船のコントロールを距離の二乗に反比例してセットする、そうすれば宇宙の深淵へ出たとき恒常速度で走るんだ」
「この厄介なスクリーンを突破して宇宙の深淵へ出られると思うんですか?」
「もちろん、彼らはヴァイオレット号を見つけるだろうが、廃船で、彼らの太陽系外へ進んでいるとわかれば、放っておくだろう。たとえ彼らが焼却するとしても大した損失じゃない」
こうして宇宙空無の球形艦は、遠いフェナクローン惑星のすでに弱くなった重力の桎梏《しっこく》を脱した。外側探知スクリーンを突破するとき、操作ビームが当たり、宇宙艦は徹底的に調べられた。だが遺棄船体であることがあまりにも明瞭であり、かつフェナクローンとしては防衛スクリーン外の廃船を航行障害とは認めなかったので、ヴァイオレット号を特に追跡しなかった。
進むにつれて、ヴァアイオレット号の自動制御装置は、突破距離の二乗に反比例して動力を減少していった。その自動式偏向探知器は宇宙艦を操舵して、いくつかの太陽と太陽系のまわりを回らせ、やがてまた所定の針路へ戻してくれた。ヴァイオレット号は、遠く遥かなる緑色の太陽系へ向かった。それはわれわれの生まれ故郷の島宇宙である第一銀河系のなかの中心的な太陽系であった。
[#改ページ]
三 デュケーン戦艦を拿捕《だほ》す
「さあ、これであの戦艦を拿捕する準備ができたぞ」ヴァイオレット号が視界から消えたとき、デュケーンが助手を顧みて言った。「この偵察艇乗員の一人が宇宙神経症になるという君の示唆――あれは健全な考えだ。ぼくはその考えにもとづいて、母艦接近の計画を立てた。
われわれは三つの理由から、フェナクローンの宇宙服を着ていなければならん。もちろん第一の理由は、多少でも奴らの仲間だと見させるにはこれ以外に方法はないからだ。なにしろ、一応の検閲は突破しなければならないんだから。第二は、≪すべてのフェナクローン兵士は宇宙空間のその部署についている場合は宇宙服を着用すべし≫と一般命令でうたわれているからだ。第三に、ぼくたちは地球空気のほとんどを失うことになるからだ。君はすぐ宇宙服が着れる。大変な余剰寸法だから難なく入れる。問題はぼくだ。どれも一フィートがた短い。
しかし戦艦へ乗り込む前にどうしても宇宙服を着なければならん。仕方がないから、ぼくは自分の宇宙服を着、その上へ奴らの宇宙服を一つひっかける――脚部は切断する。身長が大きすぎるから、切断しなければ立つことも動くこともできないんだ。ぼくは人事不省に陥ったふうを装って倒れて丸くなっている――身長が目立たないためだ。だから、第一段階は君が立て役者だからそのつもりでいてくれ。
しかし口で細かく指令をしたら時間をとって仕様がない。この受信器を着けろ。ぼくの計画全部を君の頭脳へ吹き込む。その他、君がぼくの代理をするのに必要なフェナクローンの知識もぜんぶ授けるから」
思考とアイデアの簡単な吹き込みが終った。計画予定が細かい点まで吹きこまれたところで、二人の地球人は宇宙服を着た。宇宙征服の野望に燃えたフェナクローン人は半ば人間の形態はしているが、極端に背が低く、胴体のものすごく太くて厚い怪物である。その宇宙服を着た二人の姿はまるでセメント樽《だる》のように不格好であった。デュケーンは二重装甲になった両手で太い金属バーを拾いあげた。
「用意はいいか、ドール? ぼくがこれを振ったら、ぼくたちはルビコンを渡るのだぞ」
「ぼくはいいですよ。全部か、でなきゃゼロだ――あり金をぜんぶ賭けちまいなさい!」
デュケーンは金属の棍棒を振りあげた。力まかせに振りおろすと、遠隔精神レコーダーが飛びあがり、真空管は砕け散り、コイルは飛散し、絶縁材料がバラバラになった。実視ビーム発射装置がつぎの犠牲になった。それからもう手当り次第、めったやたらに棍棒を叩きおろし、表面空気制御装置、地図ケース、その他ありとあらゆるものが破壊されていった。ここまでくるともう、誰が見ても、気違いが制御室のなかで暴れだしたとしか思えなかった。最後の仕上げに、機密室のコントロールを叩き割った。毀れた抽気管《ブリーダー》から、艇内の空気がヒューヒューと宇宙真空中へ逃亡しはじめていった。
「よし、ドール、君の出番だ!」デュケーンは大喝《だいかつ》するように命令し、部屋の片隅へ身体を投げだし、ぐったりと死んだように丸くなった。グロテスクなテンカン発作といった格好である。
ローアリングはいま死んだ艇長を演じて、手動発信器の前に坐った。発振器はわざと徹底的には毀してないのである。ローアリングは教えられたとおり、フェナクローン式の手順を正確に踏んで母艦へ発信ビームを指向させた。
「偵察艇K3296より、艇を指揮中のグレニマール中尉――非常遭難通報を発信します」ローアリングはなめらかにメッセージを叩きだしていった。「規則による遠隔精神レコーダーを使用していません。理由は計器装置の類がほとんど破壊されたからであります。監視当番中の兵卒244C14がとつぜん宇宙狂気の発作におちいり、空気バルブ、計器類、制御装置を叩き毀しました。そして機密室を開け、宇宙空間へ飛びだしました。私は眼がさめていましたから、居室の気圧がなくならない前に宇宙服を着ました。僚兵397B42は、私が駆け寄ったときは意識を喪失しておりました。しかしながら、発見と同時に宇宙服を着せましたから、救急手当により生命は助かると思われます。244C14はもちろん死んでおります。しかし私は一般命令に従い、彼の屍体を回収し、科学大学による脳障害調査のため屍体を保存中であります。この手動発信器を応急修理し、報告を送りました。目下かろうじて艇を操縦中であります。貴艦へ接近中です。十五分以内に停船すべく減速中。示唆いたします――私には完全なコントロール装置が失われていますから、接近したら、貴艦のビームで本艇を操縦されたし。発信終わり――K3296」
「超|弩級《どきゅう》Z12Q――偵察艇K3296ノ非常遭難通報確認セリ」とすぐさま返報が入った。「示唆ノトオリ、貴艇ニ接近、操縦ス。発信オワリ――Z12Q」
二つの宇宙船は急速に歩みよっていった。偵察艇はいま惑星に対して静止状態であった。一方巨大な戦艦は最大出力で減速しつつあった。三本の威力ビームが投射され、小艇の船首、中央区画、後部三個所をがっしりと把握した。小艇は、そびえたつ母艦の舷側へ急速に、だが慎重に牽引されていく。やがて両者の気密室外側ドアの二重密封装置が噛み合い、動かなくなった。重いドアがしずかに開きはじめた。
いよいよこれからデュケーンの大胆不敵な戦艦奪取計画のサワリである。というのは、巨大戦艦には百人からの屈強な乗員がおり、いま静かに開扉されている厚い障壁の背後の機密室には十人ないし十二人の人間が待ちうけているだろうからだ。機密室司令、数人の外科医と看護卒、そしておそらくは数人の機械工などが待機しているであろう。だが、デュケーン計画は、その信じがたい大胆不敵さが絶大の強みであって、成功がほとんど確実視されるのである。なぜならば、彼らの伝統的な観念である優越者意識を生まれながらにして身につけたフェナクローン人のうち、誰がいったいこんな豪胆な計略を想像し得ただろうからである。およそエーテル上に浮揚した宇宙|開闢《かいびゃく》以来の最強力建造物のひとつである全装備のクラスZ超弩級艦に、どこの世界の浮浪者とも知れないたった二人の人間が、厚顔不逞にも攻撃を加えようなどとはとうてい夢想だにし得なかったことだろうからである。
しかしデュケーンはあえて強行する。直接行動こそ彼の持ち前である。一見不可能とも見える不利条件などに怯《ひる》む彼ではない。彼はいつも計略を細密慎重に練りあげた。そして冷徹に、仮借なく、計画の命じる論理的帰結へと押しすすめてきたのだ。こんどの計画もその例外ではあり得ない。この仕事は二人の人間で十二分に足りる。それがわかれば断々乎として邁進《まいしん》するのである。デュケーンはよほどの考慮の末にローアリングを助手に選んだのであり、いささかの危なげも感じてはいない。だからいま彼は、ゆっくりと開きつつある出入口《ハッチ》の前に、宇宙服にくるまれ、落ち着いて横たわっていた。暗殺専門家であるこの助手の鋼鉄の神経が、たとえ一瞬でもゆるんで、彼の緻密に築きあげられた計画の一端を崩すことはあり得ない。
ドアが充分に広く開いたとき、ローアリングは、意識を失った(と称する)宇宙服の人間をかつぎながら、しずかにドアを通っていった。だがいったん機密室の不透明の壁のなかへ足を踏みいれるや否や、しずかで緩慢な足どりは狂気の敏捷さに一変したのである。デュケーンは飛びあがって仁王立ちとなった。乗った士官たちがあっと叫び声をあげるひまもなく、四本の手が、地球人の科学に知られたもっとも兇悪な携帯武器を発射していたのである。
デュケーンは知識を獲得する機会を見逃さなかったから、頭部は容赦された。だが、ずんぐりしたビア樽のような胴体は、憤怒の振動エネルギー四発によって、その内臓の諸器官ことごとくが、原形質のパルプとなって破壊された。機密室にいた十数人のフェナクローン人は、自衛の手をあげるひまもなく、屍体となって床に倒れていた。
デュケーンは武器を投げすててヘルメットを脱いだ。ローアリングは、床に横たわった先任士官の頭部を、器用な手つきで暴露した。受信器の金具が閃き、二人の頭部に挟みこまれた。ダイヤルが取りつけられた。デュケーンは真空管に動力を入れた。眼の前の死せる脳髄のもつ一分画すべての知識がポンプのようにデュケーンの頭脳へ流しこまれた。
流入のショックに、デュケーンの五感はしばし明澄《めいちょう》が乱れ、よろめいたが、すぐに回復した。デュケーンがヘッドセットをかなぐり棄てるや否や、ローアリングが船長の頭へフェナクローンのヘルメットを嵌《は》めこんだ。デュケーンはいまや、戦艦機密室の司令となっていた。しかも通信の途切れはごく短時間であったから、艦指令室ではいささかの疑惑も湧かなかった。デュケーンが遠く離れた動力室へ精神感応命令を発すると、巨艦の舷側が大きく割れ、偵察艇がなかへ滑りこんでいった。
「よろしいです」デュケーンは艦長に報告した。Z12Qは宇宙空間のもと来た道を引き返しはじめた。
デュケーン計画の第一段階は難なく達せられた。だが第二の段階の制御室占拠は、居室者がばらばらに散っているから、こう簡単にはいかないと思われる。しかしこの困難を中和する側面もある。二人の攻撃者は装甲服をはずして、両手が自由に利く――使いなれた強力武器を揮《ふる》うのに何の不自由も感じないからである。宇宙服をかなぐり棄てると、二人はフェナクローン艦の聖域中の聖域ともいうべき制御室へ向かっていった。ドアには衛兵が立っていたが、デュケーンは当然予期していたことで、衛兵たちは声をあげるいとまもなく床に折り重なった。音をたててドアが開くと、四挺の重装、長銃身の自動拳銃が死の鉛玉を雨|霰《あられ》とばらまいた。ピストルを握るのは百錬の着実な四本の手であった。その手はまた、情無用、良心も慈悲もない殺し屋の頭脳で動かされているのである。
第二の、そして主要な中間目標が達せられると、デュケーンはすぐさま自己の立場を固めにかかった。死せる艦長の頭脳から運営手続きの技術を正確に得るにはさしたる時間はかからなかった。彼はこの聖域へ全乗員をつぎつぎに呼びいれた。ただし、一時に一人しか呼び入れなかった。全能の権威者である艦長に呼ばれて、乗員は一人ずつ恭々《うやうや》しく入ってきた。そして、ことごとく死んでいった。
「教育器械をもってきて、彼らの外科技術をすこし習得してくれ」最後の一兵まで確実に殺したことがわかると、デュケーンはきびきびとローアリングに命令した。「頭部を切断して、奴らの貯蔵室に貯えておけ。残りは外へ棄てろ。この艦長の屍体は放っておけ。ぼくが研究したいから」
それから――ローアリングが気味の悪い屍体処置に精をだしている間、デュケーンは艦長ベンチに腰かけ、艦長の定期報告を発信した。
「みんな片づけましたよ。こんどは何です?」ローアリングがけろっとした表情で言った。落ち着きはらい、服装も正しく、まるでパーキンス・カフェの奥の部屋のひとつへ船長に報告にきたかのように事もなげである。「地球へもどるんですか?」
「まだだ」デュケーンが首を横に振った。巨艦拿捕という最大目的は達したが、デュケーンはまだ満足していない。「まだまだここで学ばなければならんものがたくさんある。できるだけ長くここにいて、学べるものは学んでいったほうがいいと思う――もちろん、よけいな危険を冒さないですむならばだ。実際の宇宙航行は、二人でも百人でも同じことだ。この艦の装置はぜんぶ自動制御になっているからだ。出発しようと思えば、いつでもできる。
しかし戦闘はできないだろう。武器操作に三十人は必要だからだ。戦闘はムダだ。敵はもう数時間もたてば二百人以上になるのだから。ということは、いったん探知スクリーンの外へ出たが最後、もどって来るというわけにはいかん。だから、しばらくこのままでいたほうがいい。これから情勢がどう有利に発展しないものでもない、その機会をはずすのは愚かだ」
突然言葉をやめ、黙りこくった。ローアリングには窺うことのできない何かの問題に心を集中しているらしい。ようやくデュケーンは主要制御盤へ行き、光電管、コイル、キノ・バルブなどからできあがっている一つの装置を一生懸命に研究しながら作りだした。その間にローアリングは遅まきながら食事の用意にとりかかった。
「さあホカホカに出来ましたよ、船長――いっしょに食べましょうや」船長《チーフ》の急ぐ仕事が終ったらしいのを見てとって、万能助手が声をかけた。「どういうつもりなんです、船長? やつらもう、あそこには制御力がないんですか?」
「つまりはこうだ、ドール。不必要な危険を冒してはいけないということだよ。うっ! このシチュー、申し分のない味だ!」
それから数分間、デュケーンは物も言わずに食べつづけた。ようやくひと息ついて、「ぼくたちが知識探究を続けようという場合、三つの邪魔が入るかもしれない。ぼくたちがいまフェナクローンの母艦一隻を指揮しているから、総司令部へ、遠隔精神《テレメンタル》レコーダーでしょっちゅう報告を送らなければならない。報告の途中でこっちが何かにつまずくかもしれん。すると寄ってたかって攻撃を食う。これがひとつ。
第二は、敵がフェナクローンの防衛スクリーンを突破して、総攻撃をはじめるかもしれないということだ。第三は、さっき君に話した宇宙的爆発の起こる可能性がまだ残っているということだ。この点で大切なことは、あのタイプの原子爆発波は、光速で伝播するという明瞭な事実だ。こちらには光速の五倍という威力があるから、爆発波から逃れることはできるが、爆発波前線がこっちへ到達しないうちは、そんな爆発があったかどうかわからんという不利がある。ところが、前線を感知したときは、すでに遅いのだ。原爆の爆発波が、この艦のような重質量の物質にどんな影響を与えるか、そりゃもう誰にもわからんからだ。
君かぼくかが、両手を制御盤にくっつけたままで、眼と頭脳を絶えず働かせて監視しておれば、すこしは早く爆発波前線の襲来をキャッチして逃げおおせるかもしれない。しかし、われわれ生身の人間にはとうていできない相談だ。そんな高度の緊張に、ふつうの頭脳が長時間耐えられるわけがない」
「それで?」ローアリングがいとも簡潔に訊いた。船長があんまり心配げな顔もしていないのに、部下が思い煩うことがないからである。
「それでぼくは、有効的かつ瞬時作動の探知器を工夫してみたのだ。異常な振動波がこの艦に触れたら、たちまち、全出力空間ゼロ化駆動へ艦を叩きこむ。そして擾乱《じょうらん》の原発点からまっすぐに逃げだすのだ。だからもう安心しろ――どんなことが起こっても大丈夫だ。
たとえ突然攻撃をうけても大丈夫。フェナクローンであろうと、フェナクローンとぼくたちの共通の敵であろうと、ぼくたちをどうこうすることはできん。また惑星全体が原子爆弾で爆発しても、こっちは絶対安全だ。欲しいものを全部入手するまで、ここに滞空していよう。それがすんだら緑色太陽系へもどる。シートンを捜しだすのだ、シートンを……」
表情と眼、身体ぜんたいに暗欝な、鎮《しず》めることのできない憎悪がゆきわたり、いつもの冷酷無情な声がさらにも険を増していった。
「やつをエーテルの外へたたきおとす! 世界はおれのものだ――そうだ、銀河系でおれの欲しいものは何でも手に入れるのだ!」
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四 ひとつの世界の破壊
デュケーンがフェナクローンの知識獲得を終了するには数日しかかからなかった。戦艦の多くの士官たちの知識も、すでに地球の科学者のもっている厖大な知識の泉に何ほども加えるものはなかったからである。こうして、彼の活発な肉体とそれにもまして貪婪《どんらん》な心を煩わすべき何ものもない空閑《ひま》の時期はすぐやってきた。デュケーンの敏捷で旺盛な気力も、この自ら招いたかに見える倦息の毒素にようやく蝕《むしば》まれてきた。
「ここにいても、何の事件も起こらんとなったら、いっそ帰り支度をするか――なにもすることもないこんな状態にはとても耐えられん」そうローアリングにもらしながら、デュケーンはスパイ光線を広大な防衛陣型のいくつかの戦略拠点へ照射した。総司令部の聖域すら覗いてみた。
「スパイ光線を照射したら、やつらもこっちに気がつき、地獄の蓋が開くだろう。もっとも、用意はしてあるから、蓋の開き方が早かろうと遅かろうとかまわんが。どこかで何かが酸っぱくなっているんだ。すこし掘《ほ》じくってみるのも気晴らしにいいだろう」
「酸っぱく? どの路線で酸っぱくなったんです?」
「動員がだんだん≪だれて≫きたんだ。最初の段階はきわめて見事にいった、計画どおりにな。しかし、このところ、さっぱりだ――のろのろしてきた。といって決していい兆候とは限らん、彼らの計画はひどく動的だからだ。もちろん総司令部はこっちみたいな遠隔空域の艦長なんかには事情を教えてくれない。しかしぼくは、不安の空気が流れているのをひしひしと感じる。だから、ぼくはこんなスパイ光線で覗いている、実情をさぐりたいからだ。……ああ、やっぱりそうだったか! ほら、見ろ、ドール! 防衛地図にすきまができているだろう? 大きな艦の半分以上は位置についておらんのだ――それから、ほら、追跡ビーム報告を見てみろ、宇宙空間へ出た戦艦で戻ったものは一隻もないんだ。どれもみんな一週間以上たってもやって来ない。何か起こったんだ、よし調べなくっちゃ――」
「Z12Qの観測士官、気をつけ!」と総司令部の凝集ビーム通信器から声が飛んできた。「そのスパイ光線をやめろ、裏切りのかどにより逮捕する!」
「今日はごめんこうむりたいな」デュケーンがわざと音を長く引きながら言った。「それに、おれを逮捕はできん――おれはいま艦の司令だ」
「おまえの実視板を鏡径いっぱいまでひらいてみろ!」参謀将校の声は怒りで詰まりそうである。長い一生に、指揮系統末端に近い一介の艦長からこんなに目もあてられぬ侮辱をうけたことは一度もなかったのであろう。
デュケーンは実視板を開きながら、ローアリングに、「脅かしだよ、これくらいに言ってやってちょうどいいんだ。どうせもう奴をゴマかすことはできないからだ。逃げる前に、奴らにもうすこし言ってやることがある」
「部署の人員はどこだ?」憤怒の叫びが続いた。
「死んだよ」デュケーンはあっさり答えた。
「死んだと? きさまはなにも故障はありませんと、報告したじゃないか?」参謀将校はマイクから顔をそらした。だがデュケーンとローアリングにはその狂暴な指令が聞きとれた。
「K1427――第十二戦隊に、Z12Qを引いてこいと命令しろ!」
参謀将校がふたたびZ12Qの裏切り者たちへ声を向けた。「それからきさまは、この実視板の光線にたいして、ヘルメットをかぶって、透明観視を妨害している。これも服務規律違反だ。ヘルメットをとれ!」参謀将校の声はおたおたと震えている。怒りばかりではない――そばに激怒した総司令官の蛮声がとどろいたからだ――「万が一つも生きのびてここへつれてこられたら、おまえは裏切り、不服従、軍人らしからざる行為のかどにより重罰を課せられる……」
「ほざくな、へっぽこ野郎!」デュケーンが一喝した。
デュケーンはヘルメットを脱ぎ、浅黒い険悪な面構えを、ぬっと実視板の前へ突きだした。怒りで狂いそうになっている総司令官は、わずか十八インチの距離から、重い罪に恐れおののいている麾下《きか》将校の顔へではなく、地球のマーク・C・デュケーンの傲岸な、冷嘲を浮かべた面魂《つらだましい》へ、もろにに覗きこんだのである。
みずからを宇宙のスーパーマンとうぬぼれるフェナクローン種族の誰彼に対しても、これほどの侮辱と嘲笑が加えられたことはあるまい。おそらく腹の中が煮えくりかえり、嘔吐《へど》の出そうな悪寒すらおぼえさせたに相違ないあからさまな面罵がいま、デュケーンの全身から放射しているのである。地球人を凝視していたフェナクローンの将軍は驚愕のうちに一語を発しかけ、しかも発声し終ることができなかった。すさまじい心理的ショックを受けて、将軍はたちまち半ば意識喪失に陥ったからであった。
「自業自得だよ――さあ、おまえたち、この場をどう始末つけるつもりなんだ?」デュケーンは声高く喋った。喋られる音声は、電波に変じて宇宙空間を飛ぶあいだに、すさまじい罵倒の刃《やいば》をさらにも鋭く砥《と》ぎすましていった。ひとつひとつの思考が、フェナクローンの大将軍の心へ、生皮製の長い鞭の兇暴な先端のように、斬りこみ、喰いちぎっていった。
「おまえたちより数等すぐれた人間が、みんな自信過剰で敗北を喫しているんだ。おまえたちのより数等すぐれた作戦計画が、相手の頭脳と力のうちに潜《ひそ》む可能力を過小評価したために、むだに終っているのだ。間違ったうぬぼれから滅亡した種族は、宇宙の歴史はじまっていらい、おまえたちが初めてではない。また最後までなかろう。おまえは、おれの同僚とおれが殺されたと思った。それは、おれがおまえに、そう思わせたからなんだ。ほんとうのところは、おれがあの偵察艇を奪ったのだ。この戦艦も、おれたちが欲しいと思ったから奪った。やすやすと奪った。
おれたちは、おまえたちの防衛システムのド真ん中にいたのだ。十日間もいたのだ。おれたちは、獲得したいと思うものは全部手にいれた。習得したいと思う知識は全部頂戴した。おれたちが取ろうと思えば、おまえの惑星すら取れるのだ。おまえの惑星全体が総がかりで頑張っても、偵察艇やこの戦艦以上の抵抗はできないんだ。しかし惑星など貰っても仕様がないから、取らん。
それから、われわれは充分に検討した結果、大宇宙はフェナクローン人が一人もいないほうが、はるかに住みよいところになるという結論に達したのだ。だから、おまえの種族はもうすぐ絶滅する。われわれはおまえの惑星は欲しくないから、他の種族も、もうしばらくおまえの惑星を奪わんように、しかるべく処置を施す。そこのところをじっくり胸に手を当てて考えておけ、まだ考える力が残っているうちにだ。じゃ、さよならだ!」
デュケーンは言い終ると、憎々しげに実視ビームのスイッチをひねり、ローアリングへ振り向いた。
「もちろん、こけ脅かしの大ボラだよ!」にやりと無気味な笑みを浮かべた。「しかし、こけ脅かしとわかるまでは、しばらくやつら手出しを差し控えるだろう」
「さあ、地球へ出発したほうがいいんじゃないですか。あとを追ってくるといけない……」
「うむ、そうだ」デュケーンはけだるそうに制御室を歩いてコントロール盤へ行った。「ぼくたちは、やつらの柔かい脇腹を思いきって叩いた。これ以上この辺にうろついていたら、やつらもどんな悪戯《わるさ》を考えだすかわからん。しかし、こっちに危険はないんだよ。この艦に追跡標識はついていないのだ。やつらは追跡標識は長距離用の宇宙艦にしか使わないんだ。だから、こっちを捜査しようにも捜査の方法がない。それから、ぼくはやつらが追ってくるとは、思わない。しばらくの間、首をひねる材料を与えてやったからだ――たとえ駄法螺《だぼら》でもだな」しかしデュケーンの駄法螺は、彼の知るべくもない≪真実≫であったのである。彼の≪駄法螺≫こそ、そのとき明らかにされようとしていた恐るべき真実を冷酷なまでに正確に言いあてていたのであった。なぜならば、ちょうどその頃、オスノームのダナークが、スイッチへ手を伸ばしていたからである。回路を閉じれば、シートンがすでにフェナクローンという有害無益な惑星の、地下深い堅坑の底へ仕掛けておいた数千トンの超活性銅原子が一瞬のうちに爆発するはずであったからである。
デュケーンも、遠く宇宙へ旅立っていた怪物たちの艦艇が基地に帰還していないことは知っていた。しかし、シートンがそれらを一隻また一隻と宇宙の深淵でたたきつぶした結果だとは、露《つゆ》知らなかった。フェナクローンの宇宙艦がその恐ろしい航行から帰還しない事実の責任者こそ、誰あろう、彼の終生の仇敵であるシートンその人であろうとは、露知らなかったのである。
いっぽう、シートンにもまた知らない事実はあった。惑星に張りめぐらされた防衛スクリーン以内に、多くの戦闘艦艇がエーテル中を游弋《ゆうよく》していることはシートンも知っていた。だがそうした戦艦の一隻に、恐るべき復讐心に燃えた、兇暴な敵二人が乗りこんでおり、それを占拠しているのだとは露知らなかった。シートンはつい数日前、この二人の火葬に立ち合ったのであった。前後の情況から判断して、この二人が死亡したらしいという報告を彼は信じきっていたのである。
デュケーンはいま制御室の床を歩いていた。片足を踏みだしたとたん、無重力になった。巨体は空中をふわふわと漂った。惑星が爆発したのだ。原子崩壊によってできた爆発波の前線は球状の宇宙空間へ光速度で拡まっていき、その最外周縁部が、デュケーンが苦心|惨憺《さんたん》して取りつけたなんでも見、いつでも監視することのできる機械的≪眼≫にぶつかったのである。だが、機械的≪眼≫に触れたのは全線波の最外周縁部だけであり、それは光とウルトラ光線と殻しか成りたってはいないのだ。継《リレー》電器――といってもこの場合は一本の電子ビームであるが――は瞬間的に偏向をうけ、調速器《ガヴァナー》に命じて、破壊される惑星から遠去かるべく、恐るべき最大出力を要求した。調速器は、百万分の何秒という極微時間に反応し、宇宙艦はほとんど瞬時に、フェナクローン開発の、宇宙空間と距離とをゼロ化する超駆動力に押されて、羽毛よりも軽やかに、光速の五倍の加速度をもって宇宙の外へ飛びだしていったのである。
デュケーンの眼もローアリングの眼も、一瞬何ものをも認め得なかった。いや、認めうる時間のゆとりもなかった。ほとんど近くが作動するいとますら許さぬ短時間に、耐えられる輝燿《かがやき》の、宇宙爆発の閃光があった。続いて――いや続いてというよりは、閃光を見た視神経がほんとうの認知を完成するよりも前だとさえ言えた――あらゆる光を奪われた真の闇が四辺を襲った。そして空間ゼロ化駆動力は瞬時、有動的に作動し、原爆の、あらゆるものを破壊しつくそうとする爆発波前線から、巨体の全星をいっきょに外部空間へほうり投げたのである。
前にも言ったように、フェナクローン惑星の防衛スクリーンの内側には、多数の戦艦が游弋《ゆうよく》しており、侵入計画XB218号に従い、無数の偵察艇を支えていた。しかしながら、これらすべての艦艇は破壊され、またフェナクローンにかかわる一切が殲滅《せんめつ》された。ただ恐るべき大|殺戮《さつりく》を免れて生き残ったものは二隻のみであった。一隻はフェナクローンの科学者ラヴィンダウを乗せた巨大な宇宙船であって、これは遠いある島宇宙へ向かって驀進しつつあったため破壊を免れた。もう一隻は、デュケーンとその殺し屋の万能助手を乗せた最優秀戦艦Z12Qである。デュケーンの工夫になる自動継電器のおかげで、宇宙爆発の死の顎《おとがい》から危うくも難を免れた。
惑星上ないしその附近にあった一切の物体は瞬時に破壊された。バラバラに砕けて散る一つの世界から最も遠く離れ、最高速度で走っていた戦艦ですらも、宇宙爆発の余波に呑まれていった。というのは、およそいかなる機器類で補強された人間の眼といえども、そしてそれらが常時いかに注意ぶかく監視していたとしても、事実上ほとんど予告というものはあり得なかったからである。それは原子爆発の前線波は光速で拡がり、従って、それに先立って予告を与えるべき、きわめて狭隘《きょうあい》な可視光線の縞にすぐ続いてやってくるからである。
たとえこれら艦長の誰か一人でもが、殲滅の爆発波のすぐ前に来る強烈な閃光の意味を知っていたとしても、爆発波を避けることはできなかったであろう。人間であれ、フェナクローンであれ、血と肉でできた手はそんなに早くスイッチを入れることができないからである。そしてこの恐るべき爆発波に触れると、船であろうとその搭載物であろうと乗員であろうと、一瞬にして電子に分解してしまい、すさまじい宇宙爆発にさらにもエネルギーを加えられるだけなのである。
しかしながらデュケーンは、足が床から浮きだす直前にもう、事の真相をつかんでいた。彼の炯眼《けいがん》は世界の終末を告げるめくらめく白熱閃光を把えるや否や、その鋭い頭脳に一つの映像を送信していた。その一瞬の認知の間に、頭脳は映像を分析し、その意味と含蓄とのすべてを理解していた。だから、ローアリングの鈍いあたまをぼうっと曇らせ、息のつけないほど驚かせた異常現象に対しても、デュケーンはただ冷酷にせせら笑っただけであった。
デュケーンは、戦艦が、タイタンのようなエーテル擾乱《じょうらん》のスピードもそれに較べたら蝸牛《かたつむり》ののろさにすぎないような超スピードで、宇宙の空無へ飛び出したときも、なお冷笑をつづけていた。
ローアリングがようやく事件の意味を悟って叫んだ。
「ああ、爆発なんですね?」
「てっきりそれだよ」科学者の冷笑は悪魔のような凄さになった。「ぼくがやつらに言ってやったことが本当になったのだ。ぼくと爆発とは何のつながりもないが。しかしこれで、的確な用心深さが絶対に大切だということが証明された――ときによって莫大な配当があるということだな。フェナクローンが決定的に消えて無くなったことは、もちろん嬉しいが……」
徹底した無神経の性格者であるデュケーンは、一つの人種が突如として悲運の絶滅を喫したという事実にも一片の憐れみすら見せなかった。
「いま消されてしまったということは、後々にずいぶんぼくの手を省くことになる。しかしフランス人の科白《せりふ》じゃないが、事全体がはげしくぼくの思考を強いるものだ。もちろん惑星は、超感度化された銅原子の爆弾でやられたものに違いない。だが問題は誰が、何のために、そんなことをしたかということだ。とりわけ、そいつらがどんな方法でそれを開発したかということだ」
「ぼくはやっぱりシートンじゃないかと思いますね」少年のような顔つきの殺し屋が静かに言った。「そう思う理由がとくにあるというんじゃありませんが。どこでも何か途方もないことが起こったときは、ぼくはいつでも、奴が犯人じゃないかという気がするんです。カンというやつですかね」
「もちろんシートンかもしれない、ぼく個人としてはまさかとは思うが」デュケーンは精神を、ある謎の一点に集中して陰鬱に顔をしかめた。「火薬庫か何かの爆発で誘発された、偶発事故とも考えられないことはない。しかしこのほうは、もっと有り得ないことのように思える。あるいはこの太陽系の他の惑星に住む種族か? それはとうてい考えられない。フェナクローンはずっと昔に他種族はぜんぶ殺してしまっているからだ。彼らは他の惑星で植民地をつくって住むということはぜんぜん考えず、やたらに殺してしまった。うん、やっぱりぼくは、外宇宙から来た、ある敵の仕業《しわざ》と考えたいな。もっとも、シートンじゃないというぼくの信念は、いますこし弱まってきている。
いずれにしても、この超速度の船で捜せば、もうすぐ誰の仕業かわかるだろう。シートンか、あるいは外宇宙の種族かが。だいぶ遠くまで走ったから、もう爆発の危険はなくなった。そろそろ速力を落として、この辺を大きく周遊して、張本人は誰か調べることにしよう」
宇宙艦の狂気の速度はゆるめられた。背後の蒼穹《そうきゅう》がふたたび可視となり、フェナクローン太陽系が、すばらしい二重太陽で照らされているのが実視板にうつってきた。デュケーンは、ウルトラ威力の探知スクリーン全系列を照射し、計器盤上を微細に調べていった。どのメーターも動かない。どの指針もゼロを示している。どの通信器にも、どの出力帯域《パワー・バンド》にも、いかなる放射線の気配も探知されない。エーテルは数百マイル、数千マイルまったくの空っぽである。デュケーンはふたたび出力をあげた。そして次第に速力を高め、フェナクローン太陽系周縁の宇宙空間を厖大なループをいくつか描きながら飛びつづけた。
燃える二重太陽をしだいに高く、しだいに遠く見つつ、宇宙艦はその周辺を幾度も幾度もまわった。太陽は二重星となり、やがて淡い、小さな光点となっていった。だがデュケーンの探知スクリーンは依然として冷たく、反応を示さなかった。これだけの面積のエーテル量のなかで、一隻の宇宙船も運行してはいない。人間の影も、人間のつくったいかなる物体のかけらすらも、この膨大な宇宙空域には存在しない。
デュケーンは探知ビームの到達距離を想像を絶した極限の遠方まで絞りあげた。そしてすでに恐ろしいまでの数値に達した加速度を、絶対極限まで増加させた。宇宙艦は狂気を発して周回した。周回の螺旋《らせん》形はしだいに広く、しだいに大きくなっていった。だが何事も起こらない。デュケーンの意識に、ある陰鬱な結論がきざしはじめた。信じるのは嫌だったが、ある驚くべき事実に、どうしても眼を開かざるを得なかった。敵は――それが誰だとしても、恐るべき遠距離から爆発を操作したに違いない。デュケーンが獲得した厖大な新知識は、超科学的な破壊兵器についての驚愕すべきデータがふんだんにふくまれているが、そのどれに照らしても、とうてい信じることのできないほどの遠距離から操作したに違いないのだ。
デュケーンはまたも加速度を巡航速度に落とし、自動警報信号装置を調整してから、ローアリングに向き直った。顔は険しく硬かった。
「敵はフェナクローンの物理学者たちが理論上可能と思うよりも遥かに遠いところにいたらしいぞ」きっぱりと言った。
「ますますシートンらしく見えてきた。奴はどこで、何らかのずっと高級な援助を見つけたらしいぞ。一時的だが、ぼくはほんとうにびっくりした。しかしいつまでも驚いてばかりはいられない。たとえ星から星へと銀河系を捜しまわらなければならんとしても、ぼくはぜひとも奴のいどころを突きとめなくちゃならん!」
だが、そう豪語するデュケーンも、冷酷で黒い瞳が、厳しい灰色の冷静な眼にぐっと食いささるまでには、両者が面と向かって相対するまでには、彼らの住む銀河系からどれほど気の遠くなりそうな遠距離をシートンが飛行しようとしているのかは知らなかったのである。どれほどの宇宙の超次元の奥所へシートンが踏みこもうとしているかは夢にさえ思うことができなかったのである。
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五 第六系列波――思考
およそわれわれの住むこの第一銀河系の人類に知られたどんな惑星にしろ、そこからそれ自身の厖大なマッスを宇宙へ浮かびあがらせることのできた飛翔物体として、おそらくは、宇宙|開闢《かいびゃく》以来のもっとも巨大な宇宙船がいま、恒星間宇宙の冷厳な空莫《ヴォイド》を切り裂いて進んでいた。スカイラーク号の周囲には何ものもなかった。星もなく、太陽もなく、流星もなく、宇宙塵のちっぽけな一とかけらすらなかった。スカイラーク号の背後には、広大な第一銀河系がしずかに横たわっているだけであった。≪巨大なレンズ≫でさえ、その実視板に微かに認められる程度の淡い光のしくみを示しているだけであった。
フェナクローンの宇宙地図をみると、飛ぶ宇宙船の右と左、そして上と下とに、他の銀河系が存在することが示されている。だがそれらはあまりに遠いため、その光線は宇宙を徘徊《さまよ》う地球人の眼にはほとんど達しないのであった。
最後のフェナクローン艦が破壊されたとき、スカイラーク号の速度はあまりにすさまじく、おそらくは、われわれの銀河系とあの銀河系を隔てる距離の半分を踏破しきるまでは、停止させることはできなかったであろう。稀少金属研究所のリチャード・シートン博士と友人のマーチン・クレーンには、いまあの銀河系を訪ねることのできるこの絶好の機会は失うにはもったいなすぎると思われた。したがって、船の速度は、減じるよりは増加された。こうして無事平穏な日数と週数が重ねられ、スカイラーク号は恒星間空間の想像を超えた空無のなかを切り進んでいった。
シートンの期待は大きく、なすこともなく待たせられる一日一日は異常に長く感じられた。だが数日もたつと、ようやく彼も宇宙飛行の日常に慣れ、同乗者への親しさとやさしさをとりもどした。だが活動的な性格の彼は、この無為には耐えられない。肉体的なエネルギー発散が禁じられているので、彼はほどなく彼の獲得した新しい精神体《マインド》の、前人未到の、ほとんど測深すらされていない深所へと探りはじめていった。この精神体《マインド》は、ロヴォルとドラスニックとの数千年世代が蓄積した知識をうけついだ精神体《マインド》であった。二つのぜんぜん異質な領野の学問へ探究を捧げた無数の専門科学者たちの年輪が築きあげた知識の宝庫であった。
ある朝、シートンは両手をポケットにつっこみ、あてもなくその辺を往き来していた。心は深い物思いに沈んでいた。脂《やに》臭いパイプからは、もくもくと青い煙りがあがっている。スカイラーク号の誇る空気清浄器ならでは、とてもこの異臭は処理できないと思われるほどの濛々《もうもう》たる紫烟《しえん》である。すると突然、彼はぴたりと歩みをとめ、制御室を大股に横切って、彼の第五系列投射器の巨大な鍵盤へ手をのばした。
彼はそこに坐った。何時間も坐ったきりだった。盤上には鍵《キー》と調整装置《ストップ》が無限といえるほどたくさんあった。シートンの二つの手が、信じられないほど複雑な積分式を、鍵と調整装置との上に組み立てた。灰色の眼が、視覚によってではなく、彼の眼前の無数の深所を見つめていた。底の測られないほどの深いこの問題に、しびれるばかりに心が食いささっている以外は、彼はまったく聾唖者であり、盲目ですらあった。
昼飯時になり、それも過ぎ、夕食時間もすぎ、やがて就寝時間になった。シートンの妻のドロシーが心配になって鍵盤のほうへにじりよって来たが、監視を怠らないクレーンに、そっと遮られ、しずかに連れ去られた。
「でも彼は今日、一度も空気を吸いに来ないじゃない、マーチン!」クレーンの個人用居間にもどると、ドロシーが喰ってかかった。「ずっと前にワシントンであなたおっしゃったじゃない? 気違いじみたオーバーワークのマラソン発作が出たらすぐ、あたしが止めさせなければならないって!」
「そう、確かにそう言った」クレーンが考えぶかい声で答えた。「しかし、現在この場所での事情は、ちょっとあの場合とは違うんだよ。彼が何に没頭しているのか、皆目見当がつかないが、とにかくいまやっている複雑な問題で、たった一つの計算手順のなかで七百からの因数を使っているんだ。だからいま邪魔すると、あの微妙な思考の流れが決して二度と回復しないかもしれないんだよ。それから、君はこういうことも考えなければならんよ――いま彼はとても上々の健康だから、危険はまったくないんだ。ね、だからもうすこし放っといてやったほうがいいと思うよ」
「わかったわ、マーチン、そうするわ! あたし、彼の邪魔したくないんですもの、ほんと! 大切な思考から脱線するのは、あたしだってとても嫌いなんですもの」
「そうだわ、もうしばらく集中させておきなさいよ」マーチンの妻のマーガレットがすすめた。「ここ数週間、あんな瞑想発作は起こしてないんですもの――第一、ロヴォルが許さないわ。いま止めるのはほんとに悪いと思うわ。だって彼は、あんなふうにダイビングをするときは、いつだって何かしら歯の間に挟んで浮いてくるんですもの。あのひとは、真剣に考えるときは、きっと何かを仕出かすときよ。あのノルラミン人たち、ほんとにどうして仕事ができるのか不思議だわ。だって、いつも時間どおりに思考をしていって、退室時間が来れば、さっさと廃《や》めて帰ってしまうんですもの。たとえいい考えが浮かびかかってもよ、ほんとに」
「ディックは、いまの働き方からすると、光線学のロヴォルが十年間にする以上の仕事を、一時間で仕遂げてしまうわ、きっと!」ドロシーが自信の鼻をうごめかして叫んだ。「あたし、これから彼のそばへ行ってみるわ、彼はあたしを傍《わき》に置いておくより、あたしを離しておくほうが、イライラする性分なのよ。あなたも一緒にくるといいわ。知らん顔してね。でも、もう一時間ばかり放っときましょう」
一時間たち、三人が制御室へ入っていった。
だがシートンは、三人のほうは見向きすらせず、自分の計算を終えるまで頑張った。真夜中が過ぎたころ、積分し、組み合わされた力《フォース》を固定しているプランジャーに移した。そして椅子から立ち上がり、いきおいよく両手をのばして屈伸し、三人のほうへ振り向いた。疲れきってはいたが、勝利の滲《にじ》みでた表情であった。
「よう君たち、ぼくは大したことをひとつやらかしたらしいぞ! すこしおそすぎるが、テストには二、三分もかからん。ぼくがこの網《ネット》を君たちの頭へかぶせるから、そうしたら君たち、あそこの実視キャビネットを覗いてごらん」
シートンは、微細な目の、銀に似た金属でつくった網を自分の頭から両肩へかぶせ、そこからでている編んだ電線を制御盤の上のひとつのプラグに結んだ。それから三人にも同じような網をかぶせ、プラグにケーブルを繋《つな》ぎ、ダイヤルとノッブを操作しだした。
実視キャビネットの真っ暗い空間のなかで、やわらかい光が輝きだした。と思うまもなく、その光点は色彩をもち、形を帯び、三次元の映像になった。背景には雪を頂いた美しい山が見えている。見事なシンメトリーの大きな火山である。前景には桜花の老樹が万朶《ばんだ》と咲きほこり、そのなかに一度みたらとうてい忘れるものではない小さな建物が包まれている。そして三人の心のなかを、ある感情がゆったりと流れていった。不思議に懐かしいあこがれ、ほとんど望郷の念というほどの感情であった。
「まあ、すてきだわ、ディック! あなたいま何をなさったの?」ドロシーが感に堪えないうめき声をだした。「あ、あたし、ホームシックで泣きだしたいわ。日本をもう一度見られるかどうか、そんなこと問題じゃないわ!」
「接地《アース》はしているが、もちろん網は絶縁が完全じゃない。すこし漏電がある。放射線をぜんぶストップするためには、網は環状につくらなければならなかった。もちろん、漏電は二方向で、だから画像に多少の干渉があるのは止むを得ない。しかし、回路外からの干渉がすこしある、何の原因か、まだわかっていない」そして動力を切りながら、説明というよりは、深刻な思考を絞りだすように言った――「君たち、ついにわれわれは、すごいものをつかんだ! それは第六系列のパターンだ、そして思考は第六系列なんだ! そこに出ているのは≪思考≫なんだ――シローの思考なんだ!」
「でもシローは眠っているわ、いまごろは!」とドロシーが抗議した。
「たしかに眠っているんだろう。でなければこんなタイプの思考をしているはずがない。たぶん夢をみているんだろう――眼がさめているときは、彼の心にこんな動揺はないと思う」
「どんな方法でつくりだしたの、それ?」とクレーンが訊いた。「君自身、研究に一生かかると言っていたはずだが」
「ふつうは一生涯かかるだろうな。ぼくの成功は、ひとつはカン、ひとつは僥倖《ぎょうこう》だよ。しかし大部分のカギは、二つの頭脳を結合したことがよかったのだ――ノルラミンではふつう絶対に同一題目には触れることのない二つの頭脳だ。ロヴォルは光線のことについては何でも知っている。ドラスニックは、おそらく史上最大の精神学《マインド》の権威だろう。この二つの頭脳がぼくにそれぞれの薀蓄《うんちく》を傾けてくれた。その組合せがすごいものだったのだよ。とくに第五系列の鍵盤につないだら、すごい効果がでた。さあ、これからぼくたちは、ほんとにどえらいことができる!」
「でも、あなたは以前にも第六系列の探知器を造ったんじゃありません?」とマーガレットが割りこんできた。「どうして、わたしたち、思考をつかって、それを作動できませんでしたの?」
「あんまり粗雑だったからだよ――いまそれがわかったんだ。あの機械は思考波というきわめて微細な力《フォース》には反応しないのだ。ただ動力バーとか宇宙放射線とかからくる強いインパルスにしか反応しない。しかしいま、ぼくは思考に反応する機械をつくることができる。いや、これからつくる。とくに、その画像に、どうしてもぼくに納得のいかない干渉が出ているから、なおさら作らねばならん」そう言ってシートンは投射器へ向かった。
「ベッドに行きなさい、あなた」ドロシーが我慢できなくなって言った。「一日の仕事としては、充分だわ」
シートンは妻の言いつけに従った。だが翌朝、シートンはまたも鍵盤に向かった。複雑な受信器を頭につけ、遠く宇宙の空無へきわめて微弱な力《フォース》の束を投げかけていった。一時間かそこら経ったとき、彼はにわかに緊張をしめした。ごく漠然としか認知できないあるものに向かって、彼の五感は張りつめた糸のように集中された。落ち着きはらった彼の指が、測微ダイヤルをほんのわずかずつ回していくにつれ、その雲をつかむような漠然としたあるものが、しだいにあるパターンを成してきた。
「おい、見てみろ、これを!」ようやくシートンが叫んだ。
「マート、いったい全体、どんな惑星だろう? いちばん近い銀河系からでも数百光年も離れているあんな遠いところで、しかも人の住む惑星だ――いったい何をしているんだろうか?」
大きな投射器の足許で、三人の地球人が受信器をつけ、椅子に腰かけた。たちまち三人は、彼ら自身の投射結像が、想像もできない遠距離の宇宙の空所へ投げだされていくのを感じとった。だがこの気味のわるい感覚は決して新しいものではなかった。肉体そのものはスカイラーク号にありながら、その心理性あるいは心は、彼ら自身の投射結像で運ばれて、その肉体実質から数光年もの遠距離のある一点へ赴いているという神秘的な二重性には、彼らは徹底的に慣れていた。いま彼らには、自分たちの心が投射結像に乗せられ、想像を超えた速度で遠くへ運ばれているという感覚があった。そしてすぐつぎの瞬間には、恐るべき無際限虚無の真っただ中に、ただ一個ぽつんと漂っている完全に孤独な高密度の小惑星の上空に、彼らの心が宙吊りにかかっている感じが得られた。
しかもその惑星が、宇宙放浪の地球人が知っている他の惑星とはまるで異質のものだという感覚も、動かし難いものであった。その惑星には空気もなく、水もないのである。惑星には地形的な特徴というものはまるでないのである。それはただ球形の岩と金属の塊りであり、山もなく谷もなく、ただ裸である。惑星には太陽はない。それでいて真っ暗ではない。強烈な白光で輝いており、この光は、惑星自身の岩質から放射されるものである。動くものは何も見えない。動物であれ植物であれ、生物の存在している兆候はまったくない。
「喋ろうと思えば喋れるんだよ、君」ドロシーがあふれ出そうな言葉をものすごい自制力で抑えているのを見てとって、シートンが注意を与えた。「彼らはわれわれの喋るのは聞こえないのだ――回路には可聴周波数《オーディオ》はないのだ」
「≪彼ら≫ってどういうことよ、ディック? 生物のいない惑星だとおっしゃったでしょう? あの惑星には生物はいない、これまでもいなかった、いるはずがないって!」
「ああ、ぼくがそう言ったのは、生物が棲んでいると思ったからだ――ふつうの≪棲んでいる≫という意味で言ったのだ。だがいま、そうじゃないことがわかった」シートンの答えはもの静かで、深い思考に裏打ちされているようである。「しかし彼らは一分間前にはそこにいたのだ。しかもたぶん戻ってくるだろう。こんぐらがっちゃいけないよ、ディンプルズ。惑星にはちゃんと生物がいるのだ。ぼくらのよく知らない≪何ものか≫がいるのだ――いやぼくらがむかし知っていた、とてもよく知っていた≪何ものか≫が棲んでいるのだ」
「それも、きわめて高度の知性動物だ」クレーンが言った。訊くというよりは、宣言するといった調子であった。
「そうだ。それでこの惑星の、こんな考えられそうもない位置の説明がつく。彼らは、実験いや練習かなにかのために、あそこへ惑星を造ってみたらしいのだ。ほら、彼ら、やってくるぞ。感じるかい?」
そのほとんどは理解を超えてはいるが、明らかに鮮烈な思考波が、四人の受信器から心のなかへ閃いた。するとたちまち、彼らの投射結像の周囲の環境が変化した。惑星の不毛な地上に、思考のスピードで、一つの建物が出現した。三人は、まばゆいばかりの照明にあふれた、広々としたホールのなかにいるのであった。雪花石膏《アラバスター》でできた四壁が生きて躍動しているような、流れるような光を投げ放っている。|壁掛け《タペストリ》には幻想的な模様が躍っているが、それは刻一刻と新しい模様に変わっていき、さらに驚くべき、さらに複雑怪奇な千万変化を見せていく。噴水には宝石がちりばめてある。奔出液体はダンスを踊っている。やわらかでフワフワした羽毛のような液体の流れである。豪華な水|飛沫《しぶき》の乱舞である。地球の物理法則に従わない不可思議な液体の運動である。椅子とベンチがある。動く家具である。しょっちゅう形が変わっている。われわれには理解のできないある律動に乗って身もだえしているもののようである。そしてこの奇妙なホールのなかに知性生物がいる。自由空間にあふれた究極的な原初的放射エネルギーからこうした目に見える物体を実体化した、知性生物がそこにいる。
その個数は、想像すら許されない。ときとするとたった一個しか見えない。するとまた、巨大なホールが彼らの群れで埋まったようにも見える。その形状もまた、常時変化している。あるときは生霊《いきりょう》のように薄《う》っすらと淡い存在かと思えば、つぎの瞬間には地球で見出されるどんな金属よりも密度の高い重質量に見えたりする。
その変化はあまりにすばやく、どの個体も、これを知的に外形を把握することが不可能である。畸形的な、非地上的な形態――と思うか思わないかに、その形態は忽然として消えてしまう。消えて無に帰するのではなく、融解し流れて、形としても感じとしても、まるでさっきとは異《ちが》うものになるのである。それでもやはり四人の地球人の眼には、はっと息をのむように異形《いぎょう》の存在としか言いようがない。心像としては把握できても、とても言葉では表現できない。地球人の知識、歴史、経験にはまるで無関係な≪ある存在≫としか言いようがない。
第六系列の投射結像が完全周期を確立すると、異星人《アウトランダー》の思考が四人の観視者の心のなかへはっきりと侵入してきた。冷たく、硬質の、明澄な、研磨されたダイヤモンドのようにきらきらした、輪郭の鮮明な思考である。こうした思考は尋常なものではあり得ない。肉体を超克した純粋頭脳にのみ可能な、玉のごとき完全さと原初的な精密さとを兼ねそなえた思考である。おそらくは、純粋で絶対的なものの考え方にいかにしたら到達し得るかと、その技術にのみ自己完成をめざし、物質的な瑣事《さじ》にはいっさい心を煩わすことのない、たゆみない百万年の修練によってはじめて到達された思考であろうと思われる。
これらの純粋思考がひたひたと彼ら四人の地球人の心のなかに浸みこんでいくにつれ、四人は緊張し、声もなくそこに坐りこんだままであった。するとそのとき、シートンの心のなかに、紛らうすべもない、畏《おそ》るべき意味をもった一つの思考が閃き、彼は動力を切り、電光のようにすばやい指先を鍵盤へ飛ばせた。二人の女性は蒼白となり、ふるえつつ、それぞれの座席にぐったりと倒れた。
「ぼくはあのとき可怪《おか》しいことだと思ったのだ――あのひとが、ぼくたちを非物質化するのに九十七個の次元を積分できないのは変だと思った。ぼくはそのとき、まだ何も知らなかったのだ」シートンは、準備が完了すると、鍵盤操作者の座席のなかで、ゆったりと背にもたれながら言った。「いま考えてみると、あのひとはぼくらをからかっていたんだな――ぼくらがどうするか見たいと思って、イタズラをしていたのだ。それから、かれが自分の思考をうしろへ辿《たど》れなくなったことについては――ぼくたちのたいへんな思い違いだった! その気なら九十七個の宇宙《ユニヴァース》だって思考をうしろへ辿れるんだ。かれらはたしかに超銀河系的存在、いやおそらくは超宇宙的存在なんだよ。ぼくたちをからかったあのひとなどは、ちょっとその気にさえなれば、たちどころにぼくたちを非物質化したのかもしれない」
「うむ、そう見える、たしかに」とクレーンが大きくうなずいた。「かれらははっきりと、第六系列の力《フォース》のパターンからできている。だから、使おうと思えばどんな速度でも使えるんだ。かれらは自由空間の放射能から力《フォース》を吸収しているのだ。吸収した力《フォース》をどんな形式にも変えられるし、活用できるのだ。だから、当然かれらは永遠の存在だ。そして破壊され得ない存在だろう。ぼくたち、これにどう対処する、ディック? いったい何ができる、ぼくたちの力で?」
「多少のことはできようよ!」シートンが歯をきしらせて言った。「こっちも、かれらが思うほど絶望的な弱さじゃない。ぼくたちは、六重スクリーンを五層も張りめぐらし、その一層ずつに力場帯を裏打ちしている。ぼくは、どんな強い力《フォース》でも、第六系列までははっきりと遮蔽《しゃへい》できる。かれらが、これだけの多層スクリーンを貫通して思考波を通すことができるとすれば、かれらはぼくが考えるより、もうすこし強い存在だ。もしかれらが思考波以外の妙な手に出ても、ぼくはちゃんとそんなものは遮蔽してみせる。それに、ぼくたちはこのノルラミンの鍵盤もあるし、ウラニウムもふんだんにある、ほんとだよ! 多層スクリーンを突破したら、かれらはぼくたちを追う、もちろんだ。そして必ずぼくたちを捜しだすだろう。ぼくがそう思ったとたん、かれらはすでにここへ来ていたのだ! 物質化でやってきたかな? 多分それだ! ぼくはあのときかれに言ったんだよ――もしかれが、こっちの理解できる術だけを使うという原則を守ってくれたら、それだけのお礼は必ずするからって!」
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六 心対物質
恒星間宇宙の空無にいま、奇妙な軌道をえがいて孤独な惑星が飛んでいた。これこそ純粋知性人が新たに物質化した一つの惑星なのであった。惑星は荒涼として不毛であった。一見、生物はいないように見える。だが、そうではない。永遠で、非肉体的な生物がちゃんといたのだ。どんな高熱にも低温にも影響されない生物である。生存のために空気も水も要しない。いや、どんな物質をも必要としないのである。いまこの惑星のぞっとする無気味な地表から上、そのはるか天空から、ひとつの思考が放射されてきた。氷のように冷たく明澄な思考、だが奈落のように絶望的な思考であった。
「おれはもう、この生涯にたったひとつしか目的がない。おれはまたも失敗した。過去に数かぎりなく失敗したように、またもだ。しかしおれはあくまでも、成功するまでがんばるぞ――このおれの姿である第六系列パターンを打破するだけの、強い超エネルギーをよせ集めるまでは止めないぞ!」
「エイト、またもおまえはおろかなことを言う。おれたちがときどき陥るアホウなうわ言だ」と即座に答えがあった。「まだまだ、認知すべきこと、行為すべきこと、学習すべきことがたくさんあるのだ。そんなに気を落としたり、滅入ってどうするのだ! 無限の空間をまさぐり、無限の知識を獲得するには、無限の時間が必要なのだよ」
「なるほど、おれは愚かかもしれない。しかしこれは、いつもの憂鬱症のぶり返しなどではない。とてもそんなかんたんなものじゃないんだ。おれはもう、こんな形態の存在循環に飽き飽きしたのだ。おれは次の存在循環へ移りたいのだ。そこにどんな経験が待ちうけていようと、完全な忘却のワナが潜んでいようと、そんなことに構ってはおれんのだ。ほんとはおれはおまえが恨めしいのだ、ワンよ。おまえがわれわれ十一個の心を、いわゆるわれわれの物質的肉体の桎梏《しっこく》から解放したあんな奇妙な超エネルギー・パターンなど、工夫してくれなければよかったのだ。だっておれたちは、そのために死ぬことができなくなったではないか。おれたちはただの、永遠の超エネルギー・パターンに成り下ったじゃないか。時間の経過を、銀河系における太陽の誕生から死滅までの循環でしか測れない、憐れな存在に成り下ったじゃないか。
おれはかれらが羨ましい。たったいま、おれたちが訪問してきた銀河系にたくさん浮かんでいる、あの惑星上の生物が羨ましくて仕様がないのだ。そりゃなるほど、かれらはごくわずかの知性しかない。あくせくと何かを求め、争い、わずかな寿命ののちに消えていく。生まれ、老い、一循環紀の百万分の一の、また百万分の一ぐらいの短時間に明滅する、はかない生命だ。だが、それでもおれはかれらが羨ましい……」
「ははーん、読めた。それでおまえは、あのかれらのお粗末な宇宙船のまわりを飛びながら、あの人間たちを非物質化させなかったのだな?」
「そうだよ。あんな短い、あっという間の時間しか生きられないというのに、かれら、何と生命を重んじることか! すぐ眼の前に未来が迫っているというのに、どうして急いでかれらを未来へ追いやることがある?」
「そんなくだらん思考をクドクドと弄《もてあそ》ぶのはよせ、エイト」と、ワンと呼ばれる純粋知性人がエイトをたしなめた。「そんな暗い思想ばかり続けていったら、ますます失意の深みに落ちこんでいくばかりだよ。それよりか、おれたちのしたこと、これからおれたちのなすべきことでも考えようじゃないか?」
「おれはすでにあらゆることを、考えに考え抜いたのだ」エイトと呼ばれる生命個体が頑強に思考を返してきた。「われわれが数永劫紀以前に、おさらばすべきだったはずの、この存在循環に、まだ醜くこうしてしがみついていても、いったい何の利益があるのだ? 何の満足が得られるのだ? そりゃなるほど、おれたちには力がある。だがそれが何だ? そんなもの、不毛じゃないか。われわれは自分たちで、肉体をつくり、肉体を取りまく物質的環境をつくりはする、こんな風にだな……」広大なホールが忽然と出現した。しかし思考の流れは強く、一刻も停止はしない。「しかしそんなもの、何の役に立つというのだ? おれたちは、おれたちより劣る生物が、肉体を人生と同意義のものと考えて、あんなに愉しんでいるというのに、おれたちはちっとも物質的なものを愉しみはしないじゃないか!
おれたちは無限に旅行をつづけた。たくさんのものを見て、たくさんのことを学んだ。だが、それが何だ? 根本的に言って、おれたちは何も成就してやしないじゃないか? 何も知らないじゃないか? われわれは数千循環紀の昔、われわれの惑星がまた物質であったころとくらべて、どれほど知識が増えているというのだ? われわれは時間のことはわからない、空間のこともわからない。われわれは第四次元のことすら何も知らない。ただわれわれのうち三つの生命個体が第四次元へ転位《ロテート》していって、そのまま帰ってこないということを知っているだけだ。それに、あれたちの一人が中和化《ニュートラライジン》パターンを建設するまで、おれたちは決して死ぬことができない。おれたちはいつまでも、いまのような灰色の、味もそっけもない永遠の存在をつづけなければならない」
「永遠はたしかにそうだが、おまえの言うように、灰色でも、味もそっけもないものではないよ。たしかにおまえの言うように、われわれの知識は貧弱だ。しかし、そこに刺激があるというものだ。われわれは永久に進むことができる。そして永久に進み、ますますたくさんの知識を学んでいく。おまえ、そのすばらしさを考えてみるんだな。あっ、ちょっと待て――あれは何だ? 他のものの思考を感じるぞ。あんな遠いところから来るなんて、とても強い精神体から放射されたものだろう」
「おれも感じた。四つの精神体だ。しかしあんなもの大したことはないよ」
「分析してみたのか?」
「そう。おれたちがさっき話した宇宙船の人間どもだ。おれたちにかれらの精神体を放射しているのだ」
「精神体を放射だって? あんな低進化の生命形態がかい? おまえからたくさん仕入れたのに相違ないよ、エイト」
「たぶんな。おれはかれらに一つか二つヒントを与えてやった」エイトはまったく無関心で、そっけなかった。「しかしかれらなど、おれたちにはぜんぜん重要じゃない」
「おれはそんな自信はないな」とワンが考えながら言った。
「あの銀河系には自分自身を投射できる生物など他に見つからなかったじゃないか? 物質的肉体の支えなしに存在できるほど強い精神体をもった生物など、ひとつも見つからなかったじゃないか? かれらは相当に進歩した生物で、われわれに伍《ご》するほどのものかもしれない。たとえそうではないとしても――われわれの仲間になるほど精神体が強くはないとしても――おれたちの研究課題の一つに利用できる程度には強いだろうよ」
このときシートンは四人の投射心理をカットし、第六系列の諸防衛力を動員し始めたので、エイトがその指導者であるワンの提案に猛烈な反対を唱えたつぎのような言葉を≪聴く≫ことができなかった。
「そんなこと、とても我慢ができん!」と非肉体の純粋知性人が抗議したのである。「われわれが苦しんできた生命の永遠性を、おまえがかれらに与えるのを、おれが黙ってみていられるか! それよりか、おれ自身でかれらを非物質化してやる! かれらはひどく生命を大事にしているが、永遠に生きるなどより、数分間生命を喪わせてやったほうが、どれほどかれらにとっても有難いことか知れない」
だが、これに対する返答はなかった。そのときすでにワンは消えて、最高速力でスカイラーク号へ向かっていたからであった。エイトもただちにワンの後を追った。
数百光年の大距離がかれらにとって何の障害でもなかったことは、シートンの発明した投射器にとって距離が無意味であったと同様であった。かれらはたちまちにスカイラーク号に到着していた。スカイラーク号は想像を絶した速度で飛んでいたのだが、二人にとっては動いていないも同然であった。どだい、それを測定すべき基準の地点というものがないかぎり、いったい速度とは何であろうか?
「もどろう、エイト!」と突然ワンが命令した。「かれらは第六系列の無効化障壁を張りめぐらして閉じこもっている。精神体もすばらしく進歩した生物だ」
「何? サブエーテル中での完全停止だって?」エイトが驚いて言った。「それはすごい、おれたちが欲しがっている中和化パターンに劣らず……」絶句した。
「こんにちは、みなさん!」と、二人の純粋知性人の会話のなかへ、シートンの思考が斬りこんできたからであった。通訳も要しないほど明晰な思考であった。
「ぼくの投射心理はここです。障壁のすぐ外です。しかし、あんたたちのパターンがちょっとでも障壁にさわると、すぐぼくの投射心理は遮断され、障壁が硬化して、絶対不貫通になってしまいますから、気をつけて下さい。あなたたちの来訪は友好的なものと思うが?」
「そうだとも」とワンが答えた。「きみたちにわれわれの仲間に加わる機会を与えに来たのだ。すくなくとも、われわれの仲間に加わろうと努めれば科学の助けになろう――その機会を与えに来た」
「どうだ、君たち、かれらはぼくたちに、純粋知性人としてかれらの仲間に加わらんかと申し出てきた」シートンは投射器から顔をそらし、三人の地球人へ向けた。「どうする、ドッティ? ぼくたちまだ肉体形式でしなければならんことがたくさんあるよな?」
「そうだわ、ディッキー――おバカさんにならないで欲しいわ!」彼女はクツクツと笑った。
「すまんね、ワン!」とシートンは宇宙空間へ思考を向けた。「申し出はほんとに有難いが、ぼくたちはそれぞれの生涯で、ぼくらの惑星上で、まだすることがどっさりあるのでね、残念ながらお受けできないんだ。でも多分、ずっと後だったら、お受けできると思うけど」
「≪いま≫ただちに受けろ!」とワンは冷厳に詰めよった。「おまえは、おまえのそんな微弱な意志がおれの意志に、たとえ一瞬なりとも反抗できると考えているのか?」
「さあ、わからん。しかし、ぼくたちにも多少の機械設備がある。それを使えば、そうとう持ちこたえるという自信がある!」シートンが毅然として反駁《はんばく》した。
「おまえにできることが一つあると思うよ」とエイトの思考が横から斬りこんできた。「おまえのその障壁で、おれをこの惨めな永遠生命から解放してくれると思うが!」エイトはそう思考を発しながら、その無効化障壁へすさまじい力でそれ自身をぶつけてきた。
たちまちスクリーンは白熱閃光を発して揺らいだ。恐るべき荷重をうけ、数百ポンドの動力ウラニウムが消尽されるにつれ、変換器や発生機が苦しい悲鳴をあげた。だがスクリーンは持ちこたえ、格闘はたちまちのうちに終了した。
エイトは消えて無くなった。破裂して、かれがあれほど憧れていた未来生命へ転位していったのである。不貫通性障壁は、ふたたび第六系列振動の薄いヴェールだけに戻った。シートンの投射心理が、そのヴェールを用心しながら通り抜けていった。ヴェールの外側にじっと浮かんでいた非人間の怪物的な純粋精神個体は、何の抗議も行わなかった。
「エイトがついに自殺した、しょっちゅうそれを言っていたが……」冷淡な調子でワンが言った。「まあしかし、かれの自殺も、あれでよかったとも言える。かれの不満はつねに、われわれグループ全体の進歩の障害になっていたのだ。ところで、そこの脆弱《ぜいじゃく》な知性人、おまえに強い超エネルギーを指向させて、おまえのスクリーンを毀し、それ以上の思考交流を不可能にさせてしまう前に、おまえたちがどういう処置を受けるか、あらかじめ知らせておこう。おまえたちは非物質化されることになる。おまえたちの精神体が自由状態で存在しうるほど強いかどうかにかかわりなく、おまえたちがつぎの存在循環に移される前に、おまえたちの有機個体が、ごくわずかだが、それでも多少なりともおれの研究の助けになるのだ。おまえは動力としてどんな物質を崩壊させているのか?」
「おまえなどの知ったことか。おまえはこのスクリーンを破って光線を通すことはできないから、自分で見ようと思っても見られるわけはない」シートンはにべもなく撥《は》ねつけた。
「そんなことはちっともかまわん」ワンはすこしも動じない。「おまえの使っているものがニュートロニウムで、おまえの船がニュートロニウムだけを使っているのだとすると、それはすぐ消費されてしまう。というのは、いいかね、おれはわれわれのグループの他のものもたくさん呼んでいるのだ。われわれは超宇宙エネルギーを指向できるのだ。
その大きさは無限というわけではないが、実用的にはちょっとやそっとで消費しつくされるものではないのだ。おまえの動力はすぐ尽きてしまう。そうしたら、おれはまたおまえと話をしよう」
指導者の呼びかけに応えて、他の純粋知性人たちが閃光のように現出してきた。そして指導者の指令のままに、スカイラークの遠く張りめぐらされた外側スクリーンを取り巻いた。すると宇宙空間のあらゆる方向から、小さな宇宙船に向かって、凄絶なエネルギーの奔流が集中された。その斜光は不可視である。人間感覚には触れられない。だがその兇暴な衝撃をうけて、地球宇宙船の厚い防衛スクリーンが狂気の白熱光に呻《うめ》いた。その宇宙花火術というべき、まばゆいきらめきは、宇宙船がフェナクローン超弩級艦《ちょうどきゅうかん》の最強力ビームの笞《むち》をうけて発した以上の凄惨さであった。スカイラーク号のウラニウム駆動防衛スクリーンが全力をふりしぼって防戦につとめると、周囲数十マイルの宇宙空間は光り輝く螢光放電に満たされ、千の太陽に照りつけられたような明るさに瞬きつづけた。
「どうしてかれら、あんなに長くもつのかわからん」シートンがメーターを読みながら眉のあいだに太い皺《しわ》をよせた。宇宙船のもつ金属資源が驚くべき早さで減少していっているのだ。「しかもかれは、まるで事もなげにあんなうそぶきかたをしていた。いったいこれは――うむ」と急に口をつぐみ、真剣な表情で考えこんだ。三人は身体を強張《こわば》らせてシートンの顔を見つめている。シートンがまたも呻き声を発した。「うーむ、こいつは、ああそうだ、やつにはできるのだ、やつは本気で言っているのだ」
「どうしてできるって?」クレーンの声も心痛に張りつめている。
「でも、どうしてそんなことができるのよ、かれら?」ドロシーが耐えられないで叫ぶ。「だって、だってかれら、実体がない生物なんでしょう!」
「かれらは、もちろん自分自身のうちにエネルギーを貯蔵できない。しかし、君も知っているように、宇宙空間は放射能で充満しているね。宇宙空間そのものが、途方もない動力源なんだ。ぼくたちが騾馬《らば》の力を負かせるように、宇宙空間のエネルギーを動員できれば、ぼくたちを負かすことができる。これまで宇宙エネルギーを制御したものはいなかった。ところが、かれらにはそれができるのだ。宇宙のエネルギーを収集して一点へ照射することができるのだ。収集さえできれば、照射はわけがない。子どもが重装のライフルを発射できるのと同じことだ。銃弾をとばすのにエネルギーを供給する必要はない。ただ火薬を起爆しさえすればいい、そして銃弾に、どこへ飛ぶか指示しさえすればいい。
しかし、ぼくたちまだ絶望じゃない。まだ逃げられるチャンスはある。すれすれのチャンスではあるが、降伏するまでは、一か八かやってみなくちゃならん。さっきエイトが言っていたのを覚えているかい、第四次元へ≪転位≫したとか何とか言っていたのを? ぼくはさっきから、このことをしきりに頭のなかで考えめぐらしていたのだ。いよいよとなったら、ぼくたちは全力をふり絞って突破をはかってみよう。他にできそうな術《て》はないかしら、マート?」
「いまのところ、ないな」クレーンが冷静に答えた。「まだどのくらい時間、ある?」
「いまの消費率で四十時間ほどだな。消費率は恒常だ、ということは、かれらも持ちものを総動員してぼくらにぶっつけているんじゃないかと思う」
「どんなやり方でも、反撃はできないというんだね? 第六系列の力場帯じゃ、かれらを殺せないらしいというんだね?」
「とてもムリだな。もしこっちが力場帯に一キロサイクル幅の隙間《スリット》でもあけたら、やつらはすぐ見つけてしまう、それでこちらは一巻の終りになる。それから、たとえかれらを防いで、隙間から出ることができたとしても、かれらに一つの力場帯もぶつけることはできない――かれらの速度は力場帯のそれと同じなんだ。かれらはかんたんに撥《は》ね返してしまうだろう。たとえかれらを球型スクリーンのなかへ閉じこめ――うむ、やっぱりダメだ。この装置ではそれはできない。もし科学者のロヴォルとカスロル、それからノルラミン第一学哲の誰か数人が来てくれれば、一ヵ月かそこらで何かの装置がつくれると思う。しかし、いまじゃダメだ。ひとりでやれるような時間がないからだ」
「しかし、第四次元への転位を試みることに決めたとしても、どういう方法でやるの? だって、四次元なんて、数学上の観念で、自然には存在しないものなんでしょう?」
「違う。充分に現実的なものだ。いったい自然というものは厖大な領野で、未探検の地域はたくさんあるのだ。さっきあそこに出ていたエイトとかいうやつが、こともなく四次元うんぬんと言っていたのを思いだしてごらん。難しいことは、どうして四次元の世界に入るか、ということじゃないんだ。あの純粋知性人のほうが、ぼくたちよりずっと容易《たやす》く四次元の苛酷さに耐えるというだけのことだ。四次元世界の生活条件がわれわれにはうまく適しないかもしれない――そのおそれだけなんだ。
しかし、この宇宙のギャングを避けるのに、一万分の一秒以上四次元にいる必要はない。それっぽっちの短時間なら、われわれはどんなことでも耐えられると思う。その方法は? もちろん回転電流だよ。相互に直角に交わる三双の回転する高アンペアの電流が一点に収斂《しゅうれん》すればいいんだ。回転する電流はすべて直角にその超エネルギーを及ぼすことを忘れちゃいけないよ、そうすると何が起こると思う?」
「うむ、そういえば何か起きそうだな」とクレーンが数分間眼を細めて考えを集中した後で言った。それから、いかにもクレーンらしく、袖の下から反論を持ちだしてきた。「しかし、この宇宙船にそれほど影響は及ぼさないだろうよ。この船はぜんぜん大きすぎるし、形状が違うし、それに」
「そりゃ、まさか長靴の革紐で、馬をとめるわけにはいかんよ」とシートンが遮った。「そうだとも――何かの根拠が要《い》るさ、君の超エネルギーを定着させる何かの足場が必要だよ。古井スカイラーク2号で航行するよ。あれは小さいし、球形だし、スカイラーク3に較《くら》べたらずっと質量が小さいから、この三次元空間から転位《ロクート》させるには、ずっと容易だ。第二号だったら、第三号の基準平面《リファレンス・プレーンズ》をシフトすらしないで転位するよ」
「なるほど――成功の見込みがあるかもしれんな」ようやくクレーンが承認を与えた。「成功とすると、こりゃずいぶん興味|津々《しんしん》たる有益な経験ということになるね。しかし、君も言ったが、成功の見込みがそう大きいとは言えんね。四次元転位を試みるかどうか決めるまでに、あらゆる可能性を検討しつくさなければならん」
それから数時間――二人の科学者は、いまの状況を詳細に検討したが、成功の見込みがわずかでも立ちそうな計画はついに打ち出すことができなかった。シートンは、数段に重ねられた投射器の鍵盤の前に坐った。
そして小半時間ばかり操作していただろうか、やがてクレーンを呼んだ。
「マート、ぼくは第二号を、ぼくたちが行く四次元の世界へ飛ばせる用意がぜんぶ整ったよ。だから、君とシローとで」――(シローというのはクレーンの元下男で、いまはスカイラーク号の雑役係として四人と同船している日本人だが、すでにノルラミンの勢力については、スカイラーク号の工具以上に詳しいのである)――「すべての超エネルギーを動員して大急ぎに仕事をさせはじめてくれ。第二号を四次元へ出発させ、ぼくたちがそこでどんな事態に遭遇しても、ちゃんと対抗できるように第二号を強化する仕事をだよ。ぼくはこれからの残り時間をぜんぶ集中して、あそこにいるやつらを、こっぴどい目に遭わせる方法を考え出すから……」
シートンには自信があった。このスカイラーク3を取り巻いている力場帯は、およそエーテルを媒体として拡がるどんな波動も、絶対にこれを突破することができないのだ。いや波動にかぎらず、物質のどんな形態に対しても不貫通性なのである。さらにまたシートンは、力場帯はサブエーテルに障壁を設け、第五、第六系列が不貫通となることを知っている。そして、与えられた短い時間では、第七系列の問題解決に乗りだしても無意味なことを知っている。
もし彼がその力場帯のどの一つにでも、たとえ一瞬なりとも隙間《スリット》をあけ、そこから純粋知性人に直接攻撃を加えようとすれば、端倪《たんげい》すべからざる純粋心理人は、ただちに隙間《スリット》を見つけ、シートンが一筋のビームを発射するいとまもあらばこそ、すぐに地球人を非物質化してしまうであろう。
もっと悪いことは、彼のこの巨大な投射器の鍵盤《コンソール》をもってしても、彼を包囲して非物質化を狙っている純粋知性人を殺せるような超エネルギーの組合せを出すことはできないのだ。ではどうしたらいい?
彼はそれから数時間夢中で精進した。彼の頭脳にはいま、ノルラミンの研究者たちが幾千年幾万年かかって蓄積した知識がぜんぶ詰めこまれている。この驚くべき頭脳の全力をふるってこの問題に没頭したのである。ときどき仕事を中断して食事はした。いちどだけ、妻にきびしく言われて、ごくわずか、形ばかりの仮睡をした。だが心はいつも鍵盤に戻っていた。鍵盤に向かって心は働いているのであった。精進は時計との烈しい競争であった。精密時計の両針はしだいしだいに、そして仮借なく最終期限ゼロ・アワーに近づいていった。スカイラーク号の厖大なウラニウム貯蔵量は目に見えて減少していった。スカイラーク号に向けられた無尽蔵の超宇宙エネルギーの奔流を散らそうとして、ウラニウム動力発電機は、想像を絶する量の原子内部エネルギーを放出して防衛スクリーンを保持しているからであった。シートンは頑張りに頑張ったが、いまはもう、間に合いそうもない。精密時計をちらと見、立ちあがった。
「あと二十分――いよいよ最後のときがきた」と彼は宣言するように呻《うめ》いた。「ドット、ちょっとこっちへ来てくれ!」
「あなた!」ドロシーは女としては背の高いほうだが、シートンが大男だから、鳶《とび》色の髪の先がシートンの顎の下とすれすれでしかない。夫の腕のなかに優しく、だがしっかりと抱かれると、彼女はつと顔をうしろへ反《そ》らせた。夫の眼と会ったとき、彼女の紫色の瞳には毛すじほどの恐怖もなかった。「大丈夫よ、あなた! 逃げられると信じきっているせいなのか、それとも二人がいっしょだからなのかわからないけど、あたしちっとも恐くなんかないわ」
「ぼくも恐くない。なぜか知らんが、死にかけているという気はしない。逃げられるような気がしてならない、カンというのか。ぼくたち二人にはまだたくさんの生き甲斐がある、君もぼくも。でもぼくは君に重ねて言いたい、君の知っていることではあるが、ぼくが君を愛しているということ、たとえどんなことがあっても、ぼくの愛は変わらないということ……」
「シートンとドロシー、急いで!」
マーガレットの声で現実に還らされた。たちまち五人の地球人は超エネルギー・ビームに乗ってふわりふわりと漂いながら、宇宙船の球型発射室へ押しこまれていった。これに乗って未知の世界へ突入しようというのである。
宇宙船は直径四十フィートの球型宇宙船スカイラーク2である。地球からノルラミンまでの航行に奉仕したアレナック製の宇宙船で、それがいま全長二マイルという魚雷型のスカイラーク3の内部に、救命艇のように格納されているのである。重厚な二重ドアがしまり、密封された。五人の地球人はそれぞれの座席にしっかりと身体をバンドで縛りつけた。どんな事態がつぎの瞬間に待ちかまえているか、おのずから惻然《そくぜん》として身体を緊《ひ》きしめさせるものがあった。
「用意はいいかい、君たち!」シートンが親スイッチのエボナイトのハンドルをつかんだ。「クレーン、君にさよならを言いたい。ぼくのカンはわかっているな。君もある程度カンをもっているはずだろう?」
「あるとは言えない。しかし、ぼくはいつも君の能力に絶対的な自信を置いてきた。それから、ぼくはいつも一種の運命論者だった。だがいちばん大切なことは、君とドロシーが一緒のように、ぼくもマーガレットと一緒だということだ。用意はできた。いつでも発射してくれ、ディック!」
「よし――行くぞ! 位置につけ! 用意! 発射!」
親スイッチが投入されると、一連の巨大な可動鉄片《プランジャー》が待ちかねたように作動し、マンモス宇宙船の船倉深く、五人の頭上はるか、また前後左右に装置されたスカイラーク3の超エネルギー発生機をいっせいに鞭打った。発生機はたちまちに狂気の飛躍へ躍りこみ、三双のそれぞれ直角に交わる超電流を四十フィートの球体へ打ちつけていった。いまだかつて人間の手が実現したことのない威力と密度とをもった、激しく回転する電流が洪水のように奔騰《ほんとう》していったのである。
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七 デュケーン、ノルラミンへ行く
デュケーンは、豪語したようにはシートンを見つけることができなかった。また星から星へと銀河系のなかをシラミ潰《つぶ》しに巡回することもできなかった。しかし彼は諦めたわけではない。歯を喰いしばって捜査をつづけたのである。幾光年という想像を絶した大距離のなかをあてもなく敵をもとめ、すでに数週間、あらゆる努力をつづけた。いつもは冷静でのんきなローアリングすらが、この無駄骨に疑惑をもちはじめた。
「諺《ことわざ》じゃないが、乾草のなかから針一本みつけるようなもんですね、船長?」とうとうたまらなくなって洩《もら》した。「やつら――それが誰であっても、いまごろはもう地球へ行ってしまっているんじゃないですか? ぼくたち、もっと別のことをしたほうが、よさそうに思いますがね」
「そう。たしかに時間を空費しているようだ。だが、まだ諦めるのは嫌なんだ」科学者が答えた。「ぼくたちは、銀河系のこの空域はかなり徹底的に調べた。けっきょく、シートンだったかどうか、疑わしくなってきた。もしやつが、あれだけの防衛スクリーンを冒して、あの惑星を爆発したのだとすると、ぼくのおそれていたよりもずっとすごい兵器を持っていることになる。いま現にぼくの持っているものよりはるかに強力な武器に相違ない。やつがどうしてそんなものを手に入れたか――それが知りたいんだ。ぼくにもできないこと、フェナクローンすらもできないことを、どうしてやつが、千光年ぐらいしか接近しないで手に入れたか……」
「いや、もっともっと接近しているのかもしれませんよ。逃げるのにやつは時間があったのですから」
「おまえの考えているほどの時間のゆとりはないはずだよ。もっとも、ぼくたちと同マグニチュード程度の加速度をつかんでいるとすれば別だが、まさかそんなことはあり得ない。しかし、起こった事態から考えると、ぼくたちと同列、あるいはそれ以上の加速度をつかんだという可能性も絶無とはいえん。だが、いま死活の重要問題は、やつがどこでそんな知識を得たか、ということだ。ぼくたちは、あらゆる可能性を検討してみなくてはならない。それにしたがってこっちの行動計画をたてる……」
「いいですとも! どうせあんたの料理だ――あんたが博士《ドクター》なんだから」
「犯人がシートンと決めなければならんと思う。シートン以外のものだとすれば、ぼくたちも手のつけようがないからだ。シートンだと仮定すると、四つの推理が成りたつ。第一の推理は、フェナクローンの宇宙艦、ほら、ぼくたち技師長ひとりをそこから救助したろうが、あの宇宙艦を破壊したのはスカイラーク号のシートンと、コンダール号のダナークに相違ないということになるのだ。技師長の頭脳からは、実際の戦闘については何ひとつ聞きだせなかった。本当の損害を加える力があったのは敵の力場帯だったということと、攻撃を加えた二つの船は小型で球型だということ、そのぐらいのことしか技師長は知らないんだ。
スカイラーク号とコンダール号は以上の記述に当てはまる。決定的な証拠はないけれども、スカイラーク号とコンダール号が本当に攻撃を行なって、ぼくたちがいま乗っているこの艦のように強力なフェナクローン戦艦を一隻破壊したと仮定してみよう。言うまでもないが、これが本当だとすると実に穏やかならんことだと思う。
もしそうだとすると、シートンは、ぼくたちの出発直後に地球を出発したに違いないのだ。この考えはぴたりと当てはまる。というのは、やつは対物コンパスを持っていて、ぼくに指向させていたに違いないからだ。ただし、対物コンパスの追跡ビームなど、フェナクローンの防衛スクリーンでわけもなく遮断されたに違いないだろうから、たとえ持っていたといっても、ぜんぜん心配することはないんだ。
第二の推理は、ぼくたちが地球を出発してから、やつがフェナクローンの戦艦を破壊するまでの間に、やつが力場帯についてのデータを獲得したに違いないということだ。地球で、自分だけの力で獲得したか、航行の途中で考えついたかだろう。でなければオスノームに滞在中か、すくなくとも緑色太陽系のどこかにいたときに手に入れたものに相違ない。しかし、ぼくの考えからすると、やつは出発前に地球で自分で編みだしたのだ。オスノームでないことは確かだ。オスノームでは力場帯はないのだから。
第三の推理は、フェナクローン戦艦との闘いと、フェナクローン惑星の破壊は時間的にきわめて接近しているということだ。
第四は、こちらもいやというほど見せつけられたとおり、やつの能力がすごく進歩しているということだ。力場帯を攻撃兵器として使用するというような器用なまねから、力場帯としてはもっとも強力な形態である防衛スクリーンすら貫通するような、ぼくたちにもわからない兵器の使用まで――考えれば考えるほど驚くべき進歩だ。
以上の四つの仮説からどういう結論が出るかというと、シートンは緑色太陽系で、オスノームとは別の惑星上に、何らかの、きわめて強力な協力者と手を握ったということだ……」
「なぜです? ぼくはそこんところは、あんたの説に賛成できませんね」とローアリングが不満そうに言った。
「やつは、フェナクローンの戦艦と闘ったときは、まだ新しい兵器ではなかった。でなきゃ、力場帯の使用を伴う、あんな危険な、ほとんど組打ちみたいな戦闘法はやらずに、新しい武器を使ったはずだ」デュケーンはにこりともせずに言い切った。「だから、やつが新兵器を手に入れたのは、あの戦闘の後、そして大爆発の前ということになる。ところでそんな短時間に、あれだけの大きな知識を獲得できるはずはないのだ。とうてい人力の及ぶところではない。とすれば、援助があったのだ。しかも第一級の援助があったのだ。
やつがそれを緑色太陽系内のどこかで獲得したに相違ないというのも、やはり時間因子からそう推論できるのだ。やつにはほかへ行く時間はなかったはずだ。それに論理上、当然やつはあくまで緑色太陽系のなかを探検しただろう。あの太陽系には惑星がふんだんにあり、どれにも高度に進歩した種族が住んでいるに違いないからだ。どうだ、これですこしはスカッとしたかい?」
「ええ、そこんとこまではわかりました」とローアリングがうなずいた。
「ぼくたちは、ここを出発する前に、行動計画を詳細に立てておかなければならない。それができたら、まず緑色太陽系へもどる。シートンの協力者を捜しだして、やつにくれた新兵器をすべて、こっちにもくれるように説得するのだ。さあ、これから言うことは大切なことだから、注意して聴いてくれよ。
われわれは、ぼくが考えていたほど準備が完全でも、装備が立派でもなかった。シートンはまだはるかにぼくたちを出し抜いている。それから、ぼくがあそこの頭脳を読むまでは考えてもいなかったが、人間の心理というものには、非常な可能性があるということだ。シートンの協力者に会う場合の用意に、ぼくたちもよほど心理的に訓練を積んでおかなければならない。さもないと、一物も得ずに逃げかえることにもなりかねない。
ぼくたち二人、ことに君はそうだが、シートンに対する憎悪感を心のなかからきれいに抜き去っておかなくちゃならんよ。君とぼくは、シートンの地球での親友の一人で、ずっと昔からそうだった。地球にかぎらず、どこでもいい、とにかく親友ということにするのだ。もちろん、ぼくはマーク・デュケーンじゃなく、いまからスチュアート・ヴェーンマン、つまり彼の妻ドロシーの兄ということにする。……おっといけない、これはみんな取り消しだ。危険すぎる。かれらはシートンの友人や、シートン夫人の家族関係などもよく知っているに相違ないだろうから。結局いちばん安全なのは、シートンという偉大な機械のちっぽけな歯車でいるのがいい。シートンを遠くから世界の英雄として崇拝するのだ。われわれはきわめて立場の低いもので、とても大シートンとは個人的面識などあろうはずがない、としておくのだ」
「それじゃあまりに用心深すぎやしませんかね?」
「そうじゃない。ぼくたちは何もわからん。ただわかっているのは、シートンの協力者が、シートンについてはぼくたちよりも遥かにいろんなことを知っているに相違ないということだ。だから、ぼくたちの話のなかには、これっぽっちも隙間があってはならない。瓶詰のように、びしっとしていなくてはならない。だから、ぼくはスチュアート・ドノヴァンということにしよう。幸い、ぼくは持物一切に、頭文字《イニシアル》をつけておらない。ぼくはシートン=クレーン会社の技師の一人で、発電施設の関係者ということにしよう。
シートンはかれらに、デュケーンの人相を教えているだろう。しかしぼくは髭と頬髯《ほおひげ》をのばし、いまの話をもっていくから、かれらがドノヴァンとデュケーンとを結びつけることは絶対にない。君は、シートンもシートンの仲間も君のことは全然知らんのだから、ローアリングでいればいい。君も技師ということにする。ぼくの助手で、発電所の仕事をし、ぼくの相棒ということにしよう。
ぼくたちは、あるきわめて高度な技術上の問題にぶつかり、これはシートン以外には扱えない問題だということにする。ところがもうずいぶん長い間シートンの消息がわからない、だからぼくたちが彼を捜しだしにきたのだと。君とぼくは、デーモンとピシアスみたいな刎頸《ふんけい》の友で、こんども一緒に来たのだと言うのだ。この話は充分水が洩らない――どうだ、どこかに欠点があるかい?」
「欠点はないんでしょうが、一つか二つあんたは言い忘れていますよ。この宇宙艦はどうなんです? あんたは、これを改良型と呼ぶつもりなんでしょうが、でもかれらはフェナクローンの宇宙船設計には詳しいんじゃないでしょうか?」
「ぼくたちはこの船では行かないんだ。シートンと彼との新しい協力者たちがあのドラマの主役だったとすると、新しい協力者は高度の精神能力と発達した計器類をもっているに違いないのだから、この宇宙艦をすぐどこのものだと識別するだろう。ぼくがヴァイオレット号を軌道に乗せたときは、それを考えていたのだ」
「じゃ、説明するのにヴァイオレット号を持っていくというんですね――オスノームの宇宙船を? しかし、彼らはオスノームの宇宙船を二席や三隻輸入しているかもしれませんよ、シートンが去《い》ってしまった後で。建造するよりは買ったほうが早いし、特殊工具とその他はすでに持っていたでしょうから」
「君もだんだんわかってきたな。他に訊きたいことは?」
「いまの計画はぜんぶ、ぼくたちが着いたときシートンはもう去っているという仮定に立っているわけですね? でも、シートンがあそこにいたらどうするんです?」
「その可能性は千に一つもない。彼はどこかへ探検に出かけている。ひとつところにグスグスしているシートンでは絶対ないからだ。万が一彼が惑星にいるとしても、ぼくたちが着陸するとき船渠《ドック》にいることは、まああるまい。だから、あの脚色はまだ通用するんだ。もし惑星にいたら、ぼくたちが欲しいものを手に入れるまでは、彼と面と向かって会わないように、事を構えて遅らせればいい、それだけのことだ」
「そうですね。よくわかりましたよ」
「じゅうぶん納得しなくちゃならんよ。いちばん大切なことは、シートンに対する心理的態度を忘れないことだ。彼を英雄として崇拝する気持をな。シートンは地球の生んだ最大の偉人であるだけでなく、全銀河系の最大人物であり、神自身に近い存在だと持ち上げる。全身全霊をその観念に集中するのだ。体で感じ、行動で体験し、心で信じる――ぼくがもういいというまで、それを修練する、いいな!」
「やりましょう。つぎは何です?」
「つぎはヴァイオレット号を捜しだし、乗り替える。そしてこの船は地球へ向かう針路上へ放つ。それから、これも大事なことだが、緑色太陽系附近では、決してスカイラーク号以上の動力を使わないようにしたい。動力装置のなかで目立つものは一切遮断する。ぼくたちは、フェナクローンの五光速加速度駆動方式など何のことかわからんという顔をしていなければならんのだ、わかるな?」
「しかし、ヴァイオレット号が見つからん場合はどうするんです? あるいは、破壊されているとしたら?」
「その場合は、オスノームへ行って、同じような宇宙船をもう一隻盗んでくる。しかしヴァイオレット号は必ず見つかる。正確な針路と速度がわかっているんだし、こちらには超距離の探知器があるのだから。それからヴァイオレット号は自動計器類と自動機械類で、絶対に破壊されないように出来ている」
デュケーンの精密時計は正確であり、彼の計算にはいささかのミスもない。しかも探知器は超感度であった。かくて、数百万マイルをはるかに上回る遠距離に、探知器はヴァイオレット号よりずっと小さな一物体を映しだした。しかしそれは避けがたいデュケーンのエラーであって、物体はヴァイオレット号であったのである。こうして難なくオスノームの宇宙船は発見され、移乗も故障なく行なわれた。
それからの数日間、ヴァイオレット号は銀河系の中心に向かって、全加速度で驀進《ばくしん》していった。そして緑色太陽系に到着するはるか手前で、球型宇宙船は針路を変え、狂気の加速度は逆転され、船は大きな軌道上に乗せられた。われわれの太陽系の方向から、緑色太陽系へ近づくという形をとったのである。速力はしだいに落とされ、ヴァイオレット号が周回している輝いた緑色の恒星が、まずきらめく緑の光点の群れとなり、やがて幅広く配置されたいくつかの小さな緑の太陽に識別されていった。
彼らはまったく不可知の情況に立ち向かっていたのである。そして圧倒的な不利を覚悟の上で、あらゆる知恵を絞り抜き、手持ちの武器を動員して、これに挑もうとしていたのである。それにもかかわらず、デュケーンもローアリングも、いささかの苛立ちも、恐慌も狼狽も感じてはいないのである。ローアリングは運命を信じる男であった。それにこれはデュケーンの仕事で、自分は傭われたお手伝いにすぎないという意識が強い。土壇場になったら、死にもの狂いに頑張ればいい。その時が来るまでは、心配したって始まりはしない!
一方、デュケーンの落着きは絶対の自信から来ている。彼は現在の情報から最善のプランをたてた。もし条件に変化があれば、プランを変えるまでである。もし変化がなければ、決められたプランを、仮借なく断乎として推進するまでだ。それまでは、冷静に冷酷に、絶対の自信をもって、未知のものの出現を待つだけである。
こうして、あらゆる期待を粉砕する意外事の出現を覚悟していた二人は、制御室の虚空に、突如として人間らしい≪あるもの≫が出現したときも、いささかの驚きをも示さなかった。あるものの皮膚は、緑色太陽系の住民のそれと同じく緑色であった。あるものは、地球の標準としては背が高く、均整のとれた体格であった。ただ頭部だけが異常である。大きすぎるのだ。とくに眼の上からの部分、耳からうしろの部分が異常に膨張している。かなり年齢のいった生命個体であることが明らかである。なぜならば、顔には深い刻みがあり、小皺が多く、豊かな長髪と、一ヤードもある、先端を真一文字にカットした顎髯《あごひげ》が雪のように白いからである。ただ、わずかに緑のかかった白さだとは言えた。
ノルラミンの投射映像は現われると同時に濃くなった。数ヵ月以前、スカイラーク2を訪れたときのノルラミン人の投射結像にみられた振動や≪乱調《ハンティング》≫は見られなかった。それは比較的近距離であったからで、これを操作する第五系列鍵盤は、たとえいかに動きまわっていても、虚空の一点をしっかりと把握することができるからである。ちょうど、地球上の天体撮影望遠鏡が恒星をきちんと把えるようなものだ。投射結像が濃化するや否や、年とったノルラミン人が話しかけてきた。
「地球人よ、わたしはあなたがたをノルラミンへこころよく迎えます」ノルラミン人はきわめて平静沈着な調子で、しかもこの種族独特の慇懃《いんぎん》な口調で二人の略奪者に宇宙の挨拶を送った。「あなたがたは、一見して、われわれのきわめて良き友人であるシートン、クレーン両博士と同種族の方々とお見うけします。かつまたオスノーム人の建造になる宇宙船で航行してきていられるうえ、わたしの大好きな英語を喋ることができ、理解することができるものと思うが、どうでしょうか? あなたがたはシートン、クレーンの親友であると思うがどうでしょうか? そして最近かれらがあなたがたと交信を絶っているのはなぜかと、はるばる確かめに来られたものと思うが、どうでしょう?」
極度に自制を働かせていたデュケーンも、この一言には、思わず息をとめるほどびっくり仰天した。先方の出方が、彼の計画していたところとあまりにピタリと嵌《はま》っていたからである。だが彼はいささかも驚きも満足も、その声、表情に現わさず、相手と同じような荘重かつ慇懃な語調でこれに答えた。
「わたしたちはあなたにお会いできて嬉しいです。ことに、わたしたちの捜している惑星の名前も位置もわからないのですから、なおさらです。あなたのご推察はみんな正しい、ただ一つだけを除いて……」
「ノルラミンの名称さえ知っていないんだって?」緑色の科学者が遮った。「どうしてそんなことがあり得るんでしょう? シートン博士がかれの隊員ぜんぶの投射結像を地球のあなたがたに送らなかったのですか? そしてあなたがたといろいろのことを相談しなかったのですか?」
「いまそれを説明しようと思ったところです」デュケーンはすぐさま嘘をついた。大胆不敵、そして絶対の自信をもって言った。「シートンが彼のグループの、喋る三次元映像を地球へ発信したとは聞いていました。しかしながら、映像が消えたあと、みんなが得た確実な情報というのは、彼らはオスノームにはいず、緑色太陽系のどこかにいるということ、それから彼らが科学知識を豊富に授けられたということだけでした。シートン夫人がほとんどひとりで喋り、それがわたしたちの得た情報の主たる情報源だったと思います。
ここにいるわたしの友達のローアリングも、わたしも――わたしはスチュアート・ドノヴァンというものですが――どちらも映像、いや投射結像は見ておりません。あなたは、わたしたちをシートンの親友と思われましたが、実はわたしたちは彼の会社に勤めている技術者で、彼を個人的に知る光栄をもつものではありません。彼のもつ科学知識がいま早急に必要であるので、わたしたちがここまで彼を追ってくることになったのです。建造部長がずいぶん長いこと彼の消息をまったく聞いていないからであります」
「なるほど」皺の多い緑の顔に暗い翳《かげ》が走り去った。「まことに気の毒だが、あなたにほんとうのことを言わなければならない。われわれは、地球でパニックが起こっては大変と思い、地球へはすこしも報告しなかったのです。もちろんわれわれも、実際に起こった事実を知り、それに引き続いてこれから起こるはずの事件を推理できたならば、すぐさま全貌を報告するつもりでいるのです」
「何です、それは――事故があったのですか? シートンに何か起こったのですか?」デュケーンが飛びついた。喜びと安堵で心臓が躍りあがった。だが顔には苦悩と心痛の色しか現われてはいない。「じゃ彼はいまここにいないのですね? ほんとに、彼の身の上に重大なことが突発したのでなければいいが」
「若い友だちよ、残念ながら、われわれも実際何が起こったかわからないのです。しかしきわめてあり得べきこととして、かれらの宇宙船が、星雲間宇宙で破壊されたらしいのです。われわれがまだすこしも解明できないでいる、ある超エネルギーによってです。それは、われわれには知られないある純粋知性人から指向された超エネルギーである。シートンとその仲間の人たちが、あなたも知っているスカイラーク2という宇宙船で逃れた可能性もあることはある。しかし、いままでのところ、われわれはまだかれらを見つけることができないでおる。
しかし、話はそれくらいにして、あなたがたはひじょうに疲れ、憔《やつ》れている。休養をとらなければならないでしょう。あなたがたの宇宙船が探知されるとすぐ、そこからビームがわしのところへ送られてきました。ついでながら、わたしはロヴォルという研究者で、われわれの種族のなかでは、シートンともっとも親しくしていたものであります。だから、確信をもって、あなたに言える。あなたのお許しを得て、わたしはこれから、あなたの制御盤に、ある種の超エネルギーを働かせます。超エネルギーはあなたの飛行を支配し、あなたは安全に、わたしの実験所の敷地に着陸することができます。あなたの時間で、十二時間と数分のうちに着陸ができます。あなたのほうで、計算盤の操作その他一切の手間も超エネルギーもいりません。
それ以上の説明はわれわれが肉体形式で会ってからにしましょう。それまでは、何もしないで、ただひたすらに休養をとって下さい。あなたの飛行も着陸も、こちらで正確に制御されるのだから、なにも心配せずに、食事をし、睡眠をとって下さい。ではさようなら!」
投射結像はただちに消えた。ローアリングが緊張で耐えていた息を、まるで爆発のように一気に吐きだした。
「ひゅーう! でも船長、何という幸運でしょう、何という……」
すぐデュケーンに遮られた。デュケーンは冷静に、だが熱心に喋った。
「そう、きわめて幸運な、不思議な偶然だった、ノルラミン人がぼくたちを探知し、すぐ識別できたというのは。向こうから出てきてくれなければ、何週間も何週間もかかったろう、この惑星を見つけるだけでも」
デュケーンの電光のように回転の迅速な頭脳は、ローアリングが喜んで絶叫したことを、すぐさま然るべく理由づけていた。と同時に、ノルラミン人に立ち聞きされないでローアリングをたしなめる方法を即座に考えだしていた。
「いまの人が、ぼくたちに食事をして休養をとれと言ってくれたのは、まったくその通りだ。しかしその前に受信器をつけて、現在までのぼくたちの飛行を正確に記録しておかなければいけない――一分か二分で終ることだから」
「何を怒ってるんです、船長?」動力が受信器に通じるや否や、ローアリングがいぶかった。「ぼくたちはひとつも心配することなんか……」
「心配は山ほどある!」デュケーンが獰猛《どうもう》な調子でさえぎった。「彼らが、こっちの喋る一語一句を立ち聞きするかもしれんということがわからんのか? たとえ暗闇でも、こっちの動作をぜんぶ見ているかもしれんのだぞ。それどころか、こっちの思考すら読めるかもしれない。だから、いまからすぐ、真っ直ぐに思考するんだ、たとえ初めてだとしても、頑張るんだ! さあ、この記録を終らしてしまおう」
そう言ってデュケーンは、いま起こったことの一切をテープに刻印していった。それから二人で食事をし、ぐっすり眠った。ここ数週間はじめての熟睡であった。そのうちに、まったくあの投射結像の人間が予言したとおりに、ヴァイオレット号は音もなく着陸した。ノルラミンの一流科学者であるロヴォルの実験所に近い、広大な敷地内の一角であった。
宇宙船のドアが開くと、ロヴォル自身がその前に立って出迎えていた。そして彼の住居へ案内しようとした。しかしデュケーンは、いかにも苛立って落ち着かない風を装い、ノルラミン人が盛んに休養を奨めるにもかかわらず、シートンのことが気がかりで仕方がないという立場をとった。用意してきた作り話を一気にまくし立て、ロヴォルに、いますぐシートンについて知っていることを全部教えてくれと頼んだ。そのために、ノルラミン人の親切で丁重な慫慂《しょうよう》を頑なに拒絶するような格好すら見せたのである。
「あらゆることを言葉で語るにはとても時間がかかります」年とったノルラミンの科学者は穏やかに答えた。「しかし実験所へ着いたら、わたしは、これまでに起こったことをぜんぶ教えてあげましょう。実験所でだったら、数分しかかかりませんから」
嘘とか詐《いつわ》りとかいうものにはいっさい無縁であるロヴォルは、デュケーンとローアリングの肉体的心理的演技の完璧さに、まんまと瞞《だま》された。瞞されたといえば、ノルラミンという種族そのものが、瞞す、瞞されるということを知らぬ種族なのである。で、三人がきわめて能率のいいノルラミンの教育器械の受信器をつけるや否や、ロヴォルは二人の地球の冒険家に、いっさいを包み隠しなく教えた。シートンのことについて、またシートンの悲運に終ったと考えられる最後の宇宙航行のもようについて、ロヴォルの心像に刻みつけられている一切と、記憶された事実のすべてを教えたのである。
デュケーンは、たとえその現場に居あわせたとてしてもこれほど鮮明には記憶し得ないだろうと思われるほど、はっきりと見、また理解できた。シートンのノルラミン惑星訪問、フェナクローンによる惑星の危機、第五系列投射器の建造、フェノールの宇宙艦隊の撃滅、化学者ラヴィンダウの復讐に燃えた宇宙への旅立ち、そして最後にフェナクローン惑星の完全な蒸発などが、デュケーンとローアリングの見たものであった。
彼は、シートンの巨大な宇宙船スカイラーク3の建造を見た。スカイラーク3が、ウラニウム駆動の超スピードで、フェナクローン種族の生き残りをもとめて、遠く星雲間宇宙の果てへ進むのを見た。彼はまた、強力な第三号が、逃走する敵艦隊に追いつくところを注視していた。つづいて起こった叙事詩な宇宙戦闘とその超異変《キャタクリスミック》な終末との詳細を理解することができた。敵を殲滅《せんめつ》した勝ちほこるスカイラーク3は一段とスピードを増して宇宙の果てを飛んでいっている。星雲間宇宙の谷間へ、深く、深くとそれは驀進していった。ついにスカイラーク号は、彼がいまそれを通じて見ている第五系列投射器の到達距離の限界に近づきはじめた。
そのきわどい可視限界のあたりで、何かが起こりはじめていた。何かはまったくわからない。その理解を超えた神秘さに、デュケーンは心と眼をギリギリまで緊張させながら見守った。おそらくその緊張ぶりは、ずっと以前、ロヴォルがそれをこの投射器で見たときの息を呑む緊張と同じものであったろう。厖大なスカイラークの船体が、不貫通性超エネルギーの背後に消えたのである。だが、この不滲透、不貫通性らしい遮蔽スクリーンの背後で、シートンは乾坤一擲《けんこんいってき》の闘いを挑んでいるらしいことが、ますます明瞭になっていった。何かしら想像を超えた強い敵に対してである。第五系列実視装置にすら不可視の未知の敵に対してである。
何も見えないのだ、何も――ただ解放されたエネルギーが、レベルをつぎつぎに突き抜け、ついに可視スペクトルの全域を飛び、それが見えただけだ。想像を超えた大きさの超エネルギーがそこで角逐《かくちく》を演じているので、空間そのものが一刻一刻と目に見えて歪んでいっている。かなりの時間、空間の緊張はしだいに烈しさを増しつづけ、ついに糸の切れるように、突如として緊張が消えた。同時に、スカイラーク号の超エネルギー・スクリーンが降り、ほんのつかの間、宇宙船はまざまざとその雄姿を表わしたが、たちまちめくらめく火炎の球となって爆発した。
だが爆発寸前の鮮烈な映像のなかで、ロヴォルの超能力の精神は、直径二マイルという巨大な宇宙船の重要な特徴のことごとくをとらえていた。投射器の能力限界すれすれなので、細部はもちろん不分明である。しかし重要な点は明瞭であった。そこにはもう人間は乗っていなかった。小さな救命艇にすぎないスカイラーク2はもはや、球型の繋留室には見えなかった。乗船者たちが故意に、何らかの目的をもって離船したらしい幾多の紛《まぎ》らいようのない兆候が見られた。
「そして」とロヴォルは受信器をはずしながら大きな声で言った。「わたしたちは、周囲空間をこまかく、きわめて注意ぶかく捜査したが、ぜんぜん何も見つけることができなかったのです。これらの観察からして、つぎのことが明らかです。すなわち、シートンは第六系列の超操作エネルギーを揮《ふる》うことのできる、何かの純粋知性人に攻撃されたということです。シートンは防衛パターンを張りめぐらすことができた。だが動力源であるウラニウムの貯蔵量が、攻撃する超エネルギーに対抗するには充分でなかった。ついにシートンは、最後の手段として、スカイラーク2を四次元という未知の領域へ転位《ロテート》させることによって、恐るべき敵から逃れた、ということであります」
デュケーンはこの一語を聞き、一瞬ハンマーで殴られたようなショックを感じたが、すぐ立ち直って、自分自身の針路を見つけだしていた。
「それで、あなたはこれに対してどういう措置をとるつもりですか?」
「すでに、わたしたちは、いまの知識と進歩の段階でわたしたちに可能なことはのこらずやりつくしました」ロヴォルは穏やかに答えた。「わたしがさっき言ったとおり、わたしたちは超エネルギーを発信し、感受しうる現象のことごとくを感受させ、記録にとりました。発信源のインパルスが、われわれの現在の知識を超えたレベルにありますから、多くのデータが感受されずに失われてしまったことは確かであります。しかしながら、われわれがそれを理解できないために、かえって、われわれの関心は高まっております。やがてこの疑問も解決されるでしょう。それが解決されれば、われわれは取るべき手段を知ることができて、それを実行に移すつもりであります」
「問題解決にどのくらいの時間がかかるか、おおよその見当がつきますか?」
「いいえ、それはぜんぜん見当も何もつきません。おそらく一生涯、いや数生涯か――それは誰にもわかりません。しかし、いずれ解決されることは間違いがありません。解決されたら、人類全体の利益にもっとも役立つように、新条件に対処することになるでしょう」
「そりゃ困る!」とデュケーンが叫んだ。「でもシートンとクレーンはどうなるんです?」デュケーンはいま真実を吐露していた。ノルラミン人と会ったのは初めてだが、この種族の底知れない落ち着いた気持が彼にはどうしても合点がいかない。時間を急ぐという感情がまるでないのが腹が立ってくる。ノルラミン人のひとつの課題をじっくりと追求していって最終の結論を出していく、一見のろくさいようではあるが絶対に確実な研究態度は、デュケーンには我慢がならない。
「もし円球《スクエア》に、人は死ぬべきものと深く刻まれているとするならば、人は静かに死ぬべきものであります。彼らもまたそうでありましょう。ノルラミンの集結された知性が、彼らに彼らの死は決して犬死にではないと懇々《こんこん》と諭《さと》したのでありますが、それは決して気慰めに申したことではないことを、彼らは充分よく知っていたからであります。しかしながら、異常なまでに若い、暴れものの種族の若者であるあなたたちにとっては、シートンのような人の死を、われわれのような悟達《ごたつ》の境地から考えなさいと言っても無理なはなしでしょうな」
「ぼくは大宇宙へ大声で訴えます――とてもあなたのような冷静な態度で物事を見ることはできないんだと!」デュケーンは眼の色を変えて喰ってかかった。「ぼくは地球に帰ったら――いや帰れたら、一度だけは叫んでみるつもりです。ぼくはもう自分の心の中に描いています。誰か他のものが、不可知のことを知ろうとして、七百年間もの予定でのんびりと研究している、その傍《かたわら》で、ぼくは何もしないで、阿呆待ちに突っ立って待っている――そんなぼくを想像して矢も楯もたまらないんです!」
「それが若さの性急というものです」老人が揶揄《からか》うように言った。「さっきもあなたに言いました――われわれは、現在のところでは、スカイラーク2の乗船者のためにどうすることもできない。そのことはすでに証明されてしまっていることだと。よくよく心に留めておきなさい、性急《せっかち》なわたしの若い友だちよ。あなたの理解をまったく超えた力にムダな挑戦をするものではありません――これは警告です」
「警告なんかクソ喰らえだ!」デュケーンが鼻の先であしらった。「ぼくたちはすぐさま出発します。行こう、ローアリング、出発が早ければ早いだけ、何とかできる見込みも高いというものだ。正確な針路と距離を教えてくれませんか、ロヴォル!」
「ああ、それ以上のことをして差し上げよう、わたしの息子」長老は、皺の多い顔へ暗い影を浮かべながら言った。「あなたの生命はあなた自身のもの、どうなりとお好きなように処分するより他はありますまい。すでにあなたがたは、あなたがたの友達を、あらゆる困難を凌《しの》いで捜しだそうとする大冒険に乗りだしてしまっている。しかし、知識を教える前に、一度だけあなたがたにわからせるように努めなければいけない。生命を無駄に棄てるような勇気は、すこしも勇気ではないのですよ、まったくの愚行なのですよ。
われわれはありあまる動力をもっているものだから、われわれの若いものたちも、数人が第四次元を研究しておった。かれらはいろいろの無生物を四次元の世界へ転位させた。が、ひとつも回収できておらない。そのような現象を支配している根本的な方程式を導きだすのが待ちきれずに、かれらは性急《せっかち》に自分で四次元の世界へ行ってみたのです。知識への近道を試みたつもりなのです、無駄な試みを……。果たして、そのうち誰も四次元の世界から戻っては来ない。
ここでわたしは厳粛にあなたがたに宣言したい。いまあなたがたが企てようとしていることは、あのまったく未知な領域を探検することばかりでなく、第六系列の振動波という同じまったく未知のものを探ろうとする試みでもある。あなたがたがいかに努力しても、現在時点ではまったく不可能なことなのだ。これだけ申しても、まだ、あくまでも行こうとなさるのか?」
「当たりまえです。もう余計なお説教はつつしんだほうがいいですよ」
「よろしい、しかたがあるまい。率直に言って、あなたがたの心を理性の力で翻《ひるがえ》そうとしても見込みはない。しかし、行きなさる前に、われわれとしては、できるだけのことをしてあげたい。われわれのもっているあらゆる物質的援助を提供しよう、それを使って、たとえ極く微小の成功確率であっても、それを増すようにして差し上げたい。われわれは、シートンの乗っていったスカイラーク3と同じ宇宙船を建造してあげます。それに、われわれの科学で知られたあらゆる機械装置を積んであげます。そして、出発前に、その使い方を充分に教えてあげます」
「しかしとてもそんな時間は……」デュケーンが言いかけた。
「なに、ものの数時間とかからん」ロヴォルの一語でデュケーンはグーの音も出なかった。「なるほど、スカイラーク3を造るときは、すこし時間がかかった。しかしあれは、初めての試みだったからだ。いまはもう、あれを建造するときに用いた超エネルギーのことごとくが記録にとってある。それとそっくりのものを作るのはまったく容易なことで、作業を監督する必要もない。このテープをわたしの親鍵盤の積分器に挿《さ》しこめばいいのだから。もちろん実際の建造は、実験地域で行なわれます。もしよろしかったら、この実視板で見てごらんなさい。わたしはいま短い一連の観測を行なわなければならない。早くもどってきて、宇宙船の操縦とその中の機械類の操作法を伝授しますから」
二人の地球人は電気にかけられたように呆然となって実視板を覗きこんだ。そこに映った光景に完全に魅了され、老いた科学者が去ったのも気がつかなかった。すでに彼らの眼の前には巨大な骨組みが出来あがっていた。紫色の金属の部材が繋《つな》ぎあわされ、格子状に組立てられ、平坦な敷地二マイルにわたって宇宙船の格好ができかかっている。宇宙船の全長二マイルに対して、胴体の直径千五百フィートといえば狭いが、それでも附近にある無数の異様な建造補助の建物類は巨人のそばの小人のように貧弱にしか思えない。しかも、彼らの見ている前で、宇宙船は信じがたい速度で形を成しつつある。巨人的な大|梁《はり》が、まるで魔術かなにかのように忽然と現われるかと思うと、厚い紫色のアイノソン金属装甲板がつぎからつぎへと溶接されていく。すべての建造が、人間が手を触れることなく、頭脳の思考を経ることなく、眼に見える力の適用なく、行なわれていくのである。
「さあ、やっと言えるよ、ドール。ここではぼくたちにスパイ光線は当てられていない。何という好運だ、何という!」デュケーンは喜びが抑えきれず上ずっている。「おいぼれ爺さん、鉤《はり》からハリス、錘《おもり》まで嚥みこんじまった!」
「でもそういいことばかりじゃないですよ、船長。やつはぼくたちをずっと監視しつづけるでしょうから、こっちが窮地に陥ったら救いだそうとして。それにあの地獄のような顕微鏡ですか何ですか、地球まですぐ鼻の下みたいに見|透《すか》すんじゃないですか」
「盲の仔ネコからミルクを奪《と》りあげるよりも易《やさ》しいよ」気むずかしい化学者が傲然とうそぶいた。「シートンの行ったところへ、ぼくたちもいける。それよりは遠くへだ。やつの投射器の力の及ばないところへだ。そこから銀河系を大きく廻って地球へ帰り、ぼくたちの仕事をする。バケツのなかの魚をダイナマイトで殺すよりも易しい。爺さんが、こっちの欲しいものを何でもかんでも銀盆にのせて、差し出してくれている」
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八 四次元へ
強大な六本の回転電流が、スカイラーク2の球型船体に同時に衝突し、小宇宙船はまったく消えた。スカイラーク3の昇降口は開かれなかった。外殻の壁はそのままであった。だが、直径四十フィートのアレナック金属製の球体が船台クレードルに安座していた場所は、一瞬のうちに空っぽとなった。六個の相均衡した強大な超エネルギーに仮借なく押しまくられ、六対の想像を超えた大きさの超直角エネルギーに無慈悲にひねられた、強靭なアレナックの船殻は、それでもしばし震えもせずに自らを保持していた。だが、ついに耐えられない瞬間が来た。この不可抗の超エネルギーから逃れることのできる唯一の道は、もっとも抵抗の少ない一本の細い道でしかなかった。宇宙船は、悲鳴をあげてそこから飛び出していったのである。われわれの知っている通常の空間からすり抜け、シートンの厖大な数学的知識だけがおぼろげに彼に認知することを許した、かのあり得べからざる現実、つまり超空間へと飛びこんでいったのである。
六つの超エネルギーが船を鞭打ったとき、シートンは自分の全身が圧縮されるのを感じた。彼は三次元のあらゆる位相で、抵抗もできず駆動されているのであった。その三次元で、彼は同時に抗《あらが》うすべもなく捻《ねじ》られているのであった。瓶のコルクがねじって抜かれるように、何とも言えない怪奇な感覚の捻りを全身の皮膚と肉と骨とに感じ、彼はそこから動くこともかなわず、さりとてそこに留《とど》まることも許されなかった。どうする術《すべ》もなく、彼はそこに、いわば不思議な宙天のなかに、懸《かか》っていた。それは無限と思われる長い時間続いた。だが彼ははっきりと知っているのだ――長いと思われるのは錯覚であり、実際は、また理論上も、数百万分の一秒という測ることさえできない極く微小の瞬時であることを知っていたのである。
だが彼は全身と全心を硬わばらせつつ待った。そのうちにすさまじい超エネルギーは、ほとんど認知を得た早さで増していき、ついに、船とその一切の搭載物が空間からひねり出された。これはたとえれば、オレンジのなかの小さな種が、拇指と人差指の圧力に押されて、しぶしぶ飛びだしたとでも言えようか。
飛びだすと同時に、シートンは全身の瞬時の転形《トランスフォーメーション》を感じた。苦痛はない、だが言葉にも表現できない恐怖の変化であった。組織の再編成ないし、再配置ともいえた。這いずりまわり、身もだえする歪曲であった。恐ろしい、めくらめく、あり得ない突きだし――想像を絶した押し出し、ないし噴出――彼の肉体的実質の爆発とでも形容する他はない。そのとき、彼の肉体構造のなかのありとあらゆる分子、ありとあらゆる原子、ありとあらゆる素粒子が、強制的に未知の四次元へ転位したのである。
彼は眼を動かすことができなかった。それでいて、グロテスクに変化させられた宇宙船の細部をきわめてありありと見ることができた。彼の地上的な心的能力は、見たものを理解することはできなかった。それでいて、彼の転形を強いられた頭脳にとっては、あらゆるものが正常であり、秩序にはまっているのであった。かくて、その四次元の体構《フィジク》――それが転形されたシートンそのものであった――は、その愛するドロシーを一瞬前と同様に認知し、識別し、美しいと思うことができた。だが、彼女の身体は正常の三次元の肉体ではない、すくなくとも三次元の表面だけしか持っていない。表面下では、三次元的に空《くう》である。理論上不可能と思われる四次元の存在として実質をもつにすぎない。だがもちろん、四次元となったシートンの頭脳には、彼女の姿は当然の姿として把握された。思考活動を行なう地上的な心的能力ではとうてい認知することのできない、ある超絶的な実体と変わってしまっているのではあったが……。
彼は一個の筋肉さえ動かすことができなかった。だが、それでいて、何かしら不可知の方法で、彼は愛する妻のもとへ飛んでいったのである。舌も顔も動かない。それでいて彼ははっきりと物を言うことができた。彼女のふるえる姿をまとめあげ、彼女のヒステリカルな絶叫をとりしずめながら、彼はたしなめるように、物を言うことができるのである。
「しっかりして。大丈夫だ――万事オーケーなんだから。崩れないで! 口を噤《つぐ》んで! 恐がることはないんだよ。しゃきんとしなってんだ、赤毛頭《レッド・トップ》!」
「だって、ディック、とても……とてもすごいんですもの、ムチャなんですもの!」ドロシーはヒステリー寸前の恐慌状態であった。だが夫に激励されて、いくらかはいつもの元気を取り戻しかけた。「なんだか大丈夫みたいだけど、だけどこんなに……おおこんなに、とてもあたし……」
「黙って!」シートンは叱りつけた。「君、また昂奮してきた。ダメじゃないか! ぼくもこんなんだとは思わなかったさ。だけど君、じっくりこのことを考えてみれば、こうなるのは当たり前なんだ。ね、肉体と頭脳はいま四次元になったようだが、ぼくたちの知性はまだ三次元なんだ。だから問題はひどく複雑になるんだ。ぼくたちは物を扱うことはできる。物を認知することはできるのだが、具体的な形については考えることもできないし、理解もできない。また具体的な形を言葉でも観念でも表現することができない。まったく変わっている、神経がおかしくなる。ことに女はそうだろう。しかしそれでいて完全に正常なんだ――わかったかい?」
「うむ、そういえばそうかもしれないわね。あたし、はじめは本当に気が狂ったんじゃないかと思ってこわかったのよ。でも、あなたがそう考えているんだったら、もちろんあたしも大丈夫よ。だけどあなたは、あたしたち百万分の一秒しか行かないっておっしゃったでしょ? それなのに、すくなくとももう一週間もここにいるわ」
「ぜんぶ間違っているよ。ドット。すくなくとも一部、間違っている。こちら側では時間がものすごく早く過ぎ去るから、ぼくたちは感じとしては、ずいぶん長くいたような錯覚におちいるんだが、実際はここへ入ってから百万分の一秒以上は経っていないんだ。ほら、あのプランジャーを見てごらん。まだ投入されて動いているだろう、まだほとんど接触していないだろう。時間は純粋に相対的だったね、ドット。こちら側では時間がものすごく早く経過するから、ふつうだったら眼にとまらないほどの速さで動いているあのプランジャーが、まるで完全に停止しているようにしか見えないじゃないか」
「でも、もっと長い時間が経っているに違いないわ、ディック! あたしたちの会話を考えてごらんなさいよ。あなたも知っているわね、あたしが早口だってこと。そのあたしですら、あんなに早くは喋れないんですもの!」
「君は喋っているのじゃない――まだそれがわからないかい? 君は思考しているんだ、そしてわれわれはその君の思考を発語《スピーチ》として受けとっている、それだけなんだ。信じられないって? よろしい――そこに君の舌がある。そう、そこだ。もっと適切な例なら、たとえば君の心臓だが、こっち側ではおかしな格好の物体だ、見えるかい? 鼓動は打っていない。ということは、心臓は一鼓動打つのに数週間、いやもっと、数ヵ月かかるようにぼくたちには思える。心臓をつかんでごらん――自分で感じてみるんだ」
「つかむって、あたしの心臓をですか? だってあたしの身体の中に、あたしの肋骨の間にあるんですもの、とてもつかむなんて!」
「つかめるんだよ! いま話しているのは君の純粋知性であって、君の頭脳ではない。君はいま四次元なんだ、そうだね。君が自分の身体と呼んでいたものは、君の新しい超身体《ハイパーボディ》の、超表面《ハイパーサーフェース》以外の何ものでもないんだ。君は自分の心臓だって胃袋だって、鼻にパフをたたくくらいも造作なくつかめるんだよ」
「そう、じゃ、あたしつかみたくないわ。百万ドル貰ったって、そんなものに触わるの、いや!」
「よろしい。じゃ、ぼくが自分の心像に触わるの、見ててごらん。ほら、ぜんぜん動いていないだろう? ぼくの舌だって、ほら、このとおりだ。それから、とてもそんなもの見ることは予想もしなかったものがひとつある――ぼくの虫様突起だ。は、こりゃ、懐かしい虫様突起君! おまえ健康状態でよかったな。でなきゃ、ハサミを取り上げてチョン切っちまうところだ、苦痛なしでチョン切れるこんないい機会をはずすわけには……」
「ディック!」とドロシーが悲鳴をあげた。「後生だから、そんな……」
「昂奮するんじゃない、ドッティー。落ち着きなさい。ぼくはただ、この四次元の異常さに君を馴れさせようと思って……じゃ他のことをしよう。これだ、これが何かわかっているね――タバコの新しい罐《かん》だ。蓋《ふた》はきつく蝋づけがしてある。三次元では、容器の金属をこわさなければ、中身を取り出すことができない。いくつも罐をあけたことがあるからわかっているね。しかしこの四次元にいると、容器の金属を素通りできるんだ、ほら、こんなふうに。これでパイプにタバコを詰められる。罐は依然として密封されている。どこにも孔《あな》はない。それなのにタバコは外へ出せる。三次元の世界では、こんなことは、心理としてはとうてい説明もできず、理解もできないことだ。しかし現実としては、馴れてしまえばしごく簡単で、また自然のことなんだよ」
「うむ、多分そうだわね――あたしも、もう気が動顛《どうてん》することはないと思うわ、ディッキー。それでもやっぱり、あたしには、とても不気味で、とてもついて行けないわ。あのスイッチを引っぱって、あたしたちを止めて下さらない?」
「スイッチを戻しても仕様がないんだ――ぼくたちを止めることはできないんだ。ぼくたちはすでにインパルスをもってしまっている。たんに運動量《モメンタム》だけで航行しているに過ぎないからだ。運動量《モメンタム》を使いきると――それはぼくたちの時間では一秒の何百万分の一という微小時間で消尽されるのだが――ぼくたちは、ふつうの空間へ戻る。それまでは、どうすることもできないんだ」
「でもわたしたち、どうしてそんなに速く動きまわれるんですの?」マーチン・クレーンであるとはわかっているその怪奇なお化け的な個体にしっかりと抱擁されていたマーガレットが訊いた。「慣性はどうなったんですの? わたしたち、そんなに速く動きまわったら、みんな骨がバラバラに砕《くだ》けると思いますけど……」
「そう、あの超エネルギーがやってきかかったときぼくたちがわかったように、三次元の身体はそう迅速には振りまわすことはできない。しかし、ぼくたちはいまはもう、ふつうの物質じゃないんだ。われわれの三次元法則は適用されないんだ。なぜなら、われわれはいま超空間《ハイパー・スペース》にいるからだ。もちろん慣性は時間にもとづいているのだから、その限りではわれわれのこの運動もいっこうに差し支えないといえるんだ。もっとも、運動といっても、四次元ではその力学はまるで違うらしいんだが。われわれの肉体は崩れてはいないが、三次元で言い慣らわしていたような意味での物質とはまったく違ったものだ。しかしこのことは、サーカスのテントみたいに、ぼくの頭上高く手の届かぬところにあって、ぼくだって君と同じに、ほとんどわかってはいないのだ。もちろんぼくは、ぼくたちが超空間を瞬時に≪通っていく≫のだから、超空間など見ることも感じることも絶対にできない、三次元的肉体は四次元空間では存在し得ないのだから、と考えていた。いや考えたなどと言えるかどうかさえ、ぼくは疑うのだが……。マート、ぼくたちは、どうした手順で四次元へ入ったのだろう? この空間はぼくたちの三次元と共存し得るのかしら? それとも非共存なのかしら?」
「共存だと信じるね、ぼくは」順序だった思考をする性格のクレーンはさっきから、いま彼らが置かれている奇妙な苦境について、あらゆる角度から瞑想を凝《こ》らしていたのであった。「共存はするが、属性、性質がまったく異なっていると思う。ぼくたちはいま、二つの異なった時間率タイム・レートを同時に経験しつつあると言えるのかもしれない。だから、どちらの座標系についても、ぼくたちの速度がいったいどの時間率に関係しているのかは、推測すら許されないのだ。しかし、起こったことは、きわめてはっきりしている。三次元の物体はもともと超空間で存在できないのだから、それを超空間からほうり出す、ないしは超空間を通して外へ出すということは、論理に合わず、もちろん、できやしない。
四次元の世界へ入るためには、ぼくたちの宇宙船も、その搭載物一切も、もうひとつの次元への延長という性質を獲得しなければならなかった。ぼくたちをこの世界へ転位させようと君が計画した超エネルギーは、果たしてそのとおりに、ぼくたちを強制して、この延長《エキステンション》という性質を獲得させた。獲得させると同時に、自動的にぼくたちは、そこではもはや存在することが許されなくなった三次元の空間から移され、延長性質をもつに到ったぼくたちにとって唯一の存在可能な四次元へ叩きこまれた。とすれば、この過程の原動力であった君の超エネルギーが働かなくなれば、当然われわれの第四次元延長は消え、ぼくたちは従来の三次元へ戻っていくのではないかと思う。しかしそのとき戻る場所は、三次元空間のなかの、ぼくたちの元いた場所ではない。ぼくはそんなふうに考えるが、君はぼくの言葉が理解できるかい?」
「ああ、ぼくの考えていた解釈よりずっと上等だ。それに、絶対の正説でもある。ありがとう、大思索家の親友! いや、ほんとにぼくは、出発したところへ着陸はしないように祈っているんだ。あそこから逃げたいからこそ、あそこから出発したのだから。遠ければ遠いだけいい、フフフ」シートンは笑った。「と言って、あんまり遠くへ行っちまって、対物コンパスの焦点をあわせておいた銀河系全体が、対物コンパスの有効距離から離れてしまったら大変だがね。そんなことになったら、ぼくたちは永久に失われたも同然だ」
「ところが、その可能性はもちろんあるんだよ」クレーンはシートンが軽い調子で笑いに紛らわせた最後の危惧をきわめて重大視して言った。「もし二つの時間率の相違があまり甚《はなは》だしいと、その可能性は確実性に変わってしまう。……しかしもうひとつ、いますぐ致命的になる大切なことがあるんだ。君が罐をあけないでタバコを抓《つま》んだとき、ぼくはふと考えたんだがね。これまで、星雲間宇宙でだって、ぼくたちはどこへ行っても必ず生物に出会った。あるものは友好的であり、あるものは敵対的ではあったが。だとすれば、超空間にだって、生物、それも知的な生命がまるでいないと断定する理由はないものね」
「おお、マーチン!」マーガレットがふるえ声で言った。「生命が! ここで! こんなひどい、恐ろしい四次元で!」
「ああ、生命はあるんだよ、マーガレット」クレーンが真剣な調子でこたえた。「古いスカイラーク号で最初に宇宙旅行したときに、ぼくたちの交わした会話、ずっと昔のあれ、憶えているかい? 生命というものは、ぼくたちの理解を超えたかたちで存在して差し支えないものなんだ。ぼくたちの知識などというものは、ぼくたちの知らないことに較べたら、ほんとにこれっぽっちの大きさすらないんだよ」
彼女は答える言葉をもたなかった。でクレーンはまたシートンに話しかけた。
「四次元生物が存在するというのは、ほとんど確実らしいね。存在するとすれば、その遭遇は避けられない。もちろん四次元生物はこの宇宙船へ平気で侵入してくるだろうね、君がタバコ罐に指をつっこんだよりもたやすく。大事なことは、こっちが非常に不利だということじゃないかしら。四次元生物は、われわれ三次元の知性生物の想像もできないような遮蔽《しゃへい》や防壁をもっているんじゃないかしら?」
「硝酸の甘いアルコール!」とシートンが呪いの言葉を叫んだ。「その点はぜんぜん気がつかなかった! かれらが、馬が逃げないように、また盗まれないように、馬に錠をかけておくと考えることは理屈に合うよ、マート。ぼくたち、この大きな問題を考えて解釈しなくっちゃならん。これからすぐ考えて仕事を始めたほうがいい。さあ、始めよう!」
それからの数時間(と彼らには思われた)、二人の科学者は知力を併せて、有効な四次元防衛の問題を考案する仕事にとりかかった。しかし、いくら知力をふり絞っても、窓も出口もない壁にぶつかるだけであった。いまや四次元の肉体に納められていた四次元の頭脳は、たしかに四次元的隔壁や安全装置が実際に存在するはずだと彼らには教える。四次元防衛手段は可能なばかりでなく、かれら地球人がいま陥っている、理解を超えた人間の存在形式にとって絶対に必要であると彼らに語っている。だが哀しいかな、いまも依然として非物質的であり、従って本質的には変化しないかれらの人間知性では、三次元的諸観念以外のことはぜんぜん巧く操ることができない。結局、すこしでも役に立ちそうな防衛手段は考え及ぶことすらできなかった。
足掻《あが》きも苦心もすべては無惨に白い壁につき当たり、彼らは途方にくれ、意気沮喪し、超空間の果てに漂うほかはなかった。時間については、ただ時間が救いがたいまでに歪《ひず》んでいるということ以外には何もわからなかった。空間については、それが彼らの認識を超えたものだということ以外にはわからなかった。物質についても絶望であった。彼らの知っている物質法則へは、一切が従わなくなっているのであった。仕方なく、彼らは漂流《ドリフト》するより他はなかった。漂流《ドリフト》、漂流《ドリフト》――無意味な漂流《ドリフト》。
無時間の、無目的の、無際限の漂流《ドリフト》……
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九 地球の支配者
ノルラミンでつくられた第二の巨大宇宙船の打上げは、前の第一の宇宙船打上げのときとはまったく異なった雰囲気につつまれていた。前のスカイラーク3は、フェナクローンの科学者ラヴィンダウの駆る宇宙船を追いかけて、ノルラミンを出発したのであった。だからあの打上げが決定されると、世界の興味が、このスカイラーク3に集中された。世界中の頭脳労働者が、その職場を離れて、驚異の打上げ現場へ集った。≪若人の国≫からは≪若者たち≫がそれこそ大挙して打上げを見に押し寄せた。すでに生涯の仕事を畢《おわ》り、≪老人の国≫の涅槃《ねはん》の平安に落ち着いていた人たちでさえ、短期間≪学びの国≫へ戻り、この誇らしい文明の使節の画期的な出発を見送った。
だが、あのときの大群衆と大きくちがうところは、こんどの巨大宇宙船打上げの寂しさである。デュケーンとローアリングが制御室へ入っていくと、そこにいたのはロヴォルただ一人であった。
デュケーンは非常に急いでいた。そして、≪友人≫シートンを救わなければならないと、眦《まなじり》を決し、歯ぎしりして、早く早くとロヴォルを急《せ》き立ててきたのである。老いたノルラミンの科学者は、デュケーンの熱意にほだされ、感歎し、ただ夢中になって、地球の海賊の頭脳へ、その知識を注ぎこもうと努めた。ロヴォルにはそれ以外の時間がないほど、この知識注入の仕事に精を出してくれた。
だがロヴォルは、デュケーンの内心など露《つゆ》知らないのである。デュケーンは、老物理学者の心が幼児のように素直で、すこしも疑いを抱いていないことを知り尽くしていた。またデュケーンは、彼に協力してくれた数人のノルラミン人のうちのただ一人でも、特にドラスニックなどが、こんどの巨大宇宙船の旅行目的に気づいたならば、この宇宙旅行はとうてい実現しないことを知っていたのである。ドラスニックというのは炯眼《けいがん》な心理学者であって、おそらくはデュケーンの作り話には満足せず、徹底的な心理試験を経てでなければ、デュケーンを信用しなかったろう。ところがデュケーンは、そんな心理テストにはとうてい合格できないことを知っている。だから、デュケーンは、あらゆる手段を用いて、ドラスニックをはじめ、他の科学者たちの直接介入を避けた。こうして、デュケーンとローアリングの出発を見送るのはロヴォル一人だけであった。だがロヴォルは、見送り人の数が少ないことを、その真摯《しんし》さで埋め合わせてくれたとは言えるであろう。
「なにしろ情況があまりに切迫しているために、もっと使命の重大さにふさわしいお見送りができないのは、まことに残念です」と老科学者は真率《しんそつ》そのものの調子で言った。「しかしながら、わたしたちみんなの頭脳は、すこしでも役に立つことなら、何でも、協力してあげます、これはもう絶対に確かなことです。わたしたちは、あなたがたを注視しておりましょう。わたしたちにできるあらゆる方法で援助いたしましょう。どうか、≪不可知の超エネルギー≫が、あなたがたの小さな超エネルギーを導いて、この企てが無事に成功に終りますように! もしもあなたがたがこの冒険を乗り切ることが、円球に深く刻まれていることでありますならば、あなたがたが、まったく無事平穏にそれが乗り切れますように! わたしはすべてのノルラミン人の名において、あなたがたに確言いたします。われわれノルラミン人は、この企てが完璧な成功を見るまでは、決して決してそれを心の真ん中から取り除くことはあるまいと。では、わたしたちの種族を代表して、これでさよならを申します」
「さよなら、ロヴォル、わたしの友達、そしてわたしの恩人! さよなら、ノルラミンのみなさん!」とデュケーンは荘重な声で別れを述べた。「わたしはあなたに心の底から感謝いたします。あなたがわたしたちのために、そしてシートンのためにして下さったこと、これからもわたしたちのためにして下さることに対して、万腔《まんこう》の感謝を捧げます」
デュケーンがボタンに触れた。すると巨大な宇宙船のあらゆる方向に開いた無数の重いドアが音もなく締まり、多重密封《マニホルド・シール》が瞬時に確立された。
デュケーンの手が制御装置の上を軽やかに舞った。大きな船がゆっくりと上へ傾き、細くとがった船首が、まっすぐに天頂を目指した。すると、まるで風に乗った羽毛のようにふんわりと、想像を絶したその巨船は空中へ浮きあがった。それから次第に速力が増していった。次第に早く、巨船は進んだ。計測できる気圧の層を超えてはるかに遠く、緑色太陽系の最外側境界線を超えて遠く高く、それは進んでいった。やがて船はゆっくりと身を翻《ひるがえ》して予定針路へ入り、シートンとその同乗者たちが消えた方向、二つの宇宙船が消えた遠い宇宙のある一点を目指して、デュケーンの宇宙船は突進していった。
進んでいくうちに、徐々に加速度は増していった。すでに有限の心にとっては測ることのできない超高速になっていた。それでもなお加速度は増しつづけ、ついに計測不可能の数値にまで達した。速度の遅い間は広く離れ離れになって見えた星は、宇宙船のスピードが驚異の数値に近づくにつれて、しだいに近づき合い、密集していった。フェナクローン太陽系はまたたく間に通り過ぎてしまった。われわれの銀河系の最外縁部、そこに漂う星群さえも、もう通り越してしまっていった。それでもなおデュケーンの宇宙船は進む。広大な、絶対自由の宇宙空間の、未探検の、畏るべき深部へ、深部へと、巨大宇宙船は駆けていく。
宇宙船の背後では、われわれの島宇宙を構成している巨大な数の星群が、一枚のレンズに縮小していった。巨大な、燃えさかるレンズとなって遠ざかっていった。レンズは小さな、きらきらと輝いたレンズ状の星雲となり、それすらもなお次第に縮まっていって、ついにはごく淡い発光体としか見えないものになっていった。
すでに数日、ロヴォルとの通信は難しくなってきた。投射限界点が近づくにつれて、ロヴォルが操作する最強力の超エネルギーですら、宇宙船送受信投射ビームの焦点を合わせておくことが不可能になったからであった。
距離がなおも大きくなっていくにつれ、デュケーンの発する送受信投射ビームも同じような困難に遭遇していった。二本の投射ビームが遠くから相手を求めながら空間を伸びていった。だが、信号が次第に途切れがちになってくると、もう両者の接触が完全に断ち切られるのも間近いことと思われた。デュケーンは最後のメッセージをロヴォルへ送った。
「ビームが急速に離れていってるから、これ以上通信を続けていこうとしてもムリのようです。わたしはいま逆加速度にしています。スカイラーク2が動力を絶って慣性だけで進行しているとすれば、われわれの加速度が下って、スカイラーク2の巡航速度とわれわれのそれが、追つき地点で相等《あいひと》しくなるように、逆加速度を計算しました。あなたは、こちらの方向へ、できるだけ遠く、聴取アンテナを向けていてください。わたしは、何か見つけ次第、ビームを発信しますから。もし見つけられなかったら、これがさよならです、では!」
「気の毒なトンマ野郎だ!」デュケーンは発信器を切って、ローアリングのほうへ向きながら冷笑した。「あんまり瞞《だま》しやすくて、恥ずかしくなる。しかし、これでもう安心して進めるぞ」
「そうですよ!」ローアリングが眼を輝かせて相槌をうった。「こっちを見張っておれってのは、鮮やかでしたね、船長。やつは一生懸命に見張るでしょうよ。もちろん自分の労力でするわけじゃないだろうが。でも、あれでずっと地球のことはこれっぽっちも考えないでしょうな、こっちがすっかり準備がととのうまで」
「うん、いいところを衝《つ》いた、ドール。ぼくたちが地球へ向かっているんだと、すこしでも疑いを差しはさんだら、邪魔するだろうからな。こっちの船を停《と》めるなど、やっこさんには、わけはないんだから。しかし、早いとこ、≪太陽系≫の内側へ入ってしまえば、やっこさんとしてもどうにもならない」
デュケーンは宇宙船を回転させ、充分の下向加速度を加えた。船は長軸に沿って九十度回転し、巨大な弧を描いて回りはじめた。この宇宙船が去った銀河系空域とちょうど九十度をなす後方から、ふたたび銀河系へ向かったのである。
それからはもう、日は重なって週となり、週は重なって月となり、何ヵ月かが過ぎていった。その間は、退屈な、単調な宇宙巡航であった。二人の男は、それぞれの性分にかなった時間のつぶし方をした。もう宇宙船操縦の必要はなかったし、監視に立つ必要もなかった。数十億マイル、いやそれ以上の無限距離のあいだ、宇宙空間はまったくの空虚であったからである。
冷血動物のように無感情で、無頓着なローアリングは、おきまりの日課を最低限度に行ない、あとは食べ、眠り、タバコを喫うだけであった。時間をもてあますと、彼はただじっと坐っているだけで、事実上何もしない。しぶとい無為に甘んじている。デュケーンが何かの用を言いつけるまで、彼はいつまでもその姿勢を崩さないのである。
これに反して、ダイナミックで筋肉の一本一本までエネルギーに溢れたデュケーンは、一刻も無為に過ごすことができない。彼が新しく獲得した知識は厖大すぎて、そのなかを心で探り、頭脳のなかにカタログを作らなければならない。まさかのときに、ほんのわずかな情報の断片《きれはし》が、瞬時に描きだせるようにしておかなくては気がすまないのである。
ほとんど無限と言っていい複雑な鍵盤をもっている第五系列投射器は、彼の格好の研究対象であった。積分、順列および組合せ、あらゆる可能な操作を試みて、その複雑なメカニズムの機能を、ひとかけらの秘密も残らないまでに摂取しないでは気がすまない。ちょうどパイプ・オルガンの巨匠が、その鍵盤をいじくり回して飽くことをしらぬ貪欲《どんよく》なまでの研究心であった。そのうちに、遠い銀河系は巨大な燃え立つレンズの形をとって前方に見えだしてきた。デュケーンははじめて、かくて彼の長い宇宙旅行もようやく終りに近づいたことを知ったのである。
彼の新しい武器となった第五系列投射器のメカニズムをマスターした彼の知識にとっては、われわれの太陽系の位置を探すことは朝食前の容易さであった。そして彼の新しい宇宙船の威力とスピードにとっては、銀河系の辺縁から地球までの距離は、ちょっと買物にでも出かける程度の小旅行に過ぎなかった。
地球に近づいていくと、この惑星はやわらかい輝きをみせた緑色の半月であった。そこここに、羊毛のような雲の束が地表を曇らせていた。両極の雪冠だけが、白く輝いて見えた。地球は全体として息をのむような美しい眺めであった。だがデュケーンは、美景などにはまったくの無関心である。黄道の北にあたる虚空の果てから、彼の宇宙船はまっしぐらに近づいていった。ワシントンはいま朝の地帯であった。そしてやがて巨大宇宙船は、ワシントン上空に、地上からは見えないほどの高高度に、静止状態に漂っていた。
彼が地球に接近して最初にとった行動は、超出力の探知スクリーンを張ることであった。もちろん、自動引きはずし回路と自動密結合回路とのついた探知器である。彼はこのスクリーンで太陽系をすっぽりと包んだ。一番外側は冥王星軌道の遠日点よりもはるかに遠くであった。ところが探知スクリーンのどの部分も何の反応も示さなかった。ということは、この広遠な空間のなかに、ひとつの異物もないということである。ようやくデュケーンは、その険しい容貌の隅々に冷たい満足を浮かべながら、助手を振り向いた。
「ぜんぜん干渉がないよ、ドール。宇宙船も、投射結像も、スパイ光線も、何もかも無だ。これで安心して仕事に打ち込める。ぼくはしばらく君の協力が要らない。長いこと宇宙へ出ていたんだから、君も二、三週間男の友達や女友達と遊びまわりたいだろう。どうだ、お金の手当はついてるのか?」
「ええ、船長。ぼくはほんのちょっぴり憂《う》さ晴らしをしに、連中といっしょに二晩か三晩泊まればいいんですよ、あんたさえ差しつかえなかったら。金は、いま手許に二百ドルしかありませんが、ワールド・スチールのオフィスへ行けばすこし貰えます。何ヵ月分か溜っていますからね」
「オフィスへ行くことなんか心配するな。ブルッキングズに会ったらぼくは素晴らしいことを話してやるが、やっこさんどれくらい喜ぶか見当もつかんほどだ。それに君はぼくのために働いていたので、オフィスのためじゃない。金などあり余るほどある。取りあえず、ここに五千ドルある。それから三週間の休暇をやるから、みんな貰ったらいい。今日から三週間したら、つぎの仕事を命じる。それまで好きなように過ごしていい。どこへ降ろして貰いたいのだ、ドール? 今ごろの時間なら、パーキンス・カフェの屋上は誰もいないだろう?」
「ええ、大丈夫ですとも。ありがとう、船長」
そう言って、振り返ってデュケーンが制御盤に向かっていることを確かめさえせず、ローアリングは名重気密室《マニホルト・エアロック》を抜け、まるで自動車を降りるように平然と一万フィートの空中へ踏みだしていった。
デュケーンは牽引ビームで落下する人体をとらえ、パーキンス・カフェの人気のない屋上へ静かに降《おろ》してやった。(パーキンス・カフェというのは有名なレストランで、ワールド・スチール会社が謀略活動のための秘密本拠として建設し、使用しているのである)それから鍵盤に向かい、ワールド・スチール社の奥深い、ある個室へ結像ビームを投射した。はじめはビームのパターンを濃くせず、不可視にしておいて、ブルッキングズの様子を仔細に調べた。ブルッキングズはいま、タコのように八方へ手をのばしたマンモス大企業の社長になっていた。
大実業家は、昔どおり、豪華な彫刻をほどこした、どっしりとした大きなデスクに向かっていた。以前から彼の愛用しているデスクであった。椅子はふっくらとクッションのついた坐り心地のいい大椅子である。彼の個室はいま、秘密の専用通信波帯や、それ以上に秘密の保たれている専用有線通話網の中枢であり、焦点であった。ワールド・スチール社は成長してやまない巨大企業コンプレックスであり、その飽くことを知らない胃袋は、何としても満たしてやらなければならないからであった。
ブルッキングズにはただ一つのモットーしかない。≪奪《と》れ!≫というのが彼の処世の哲学である。≪奪る≫手段は、フェア・プレーの場合もなくはないが、ごく稀れである。多くは賄賂《わいろ》、買収、破壊工作などである。また必要によっては、殺人、放火、傷害――ほとんど手段を選ばない。要するに、ワールド・スチール社は≪奪ればいい≫のだ。
見つかりさえしなければ、どんなことをしても罪にはならない。また事実、ワールド・スチール社の場合は、たまたま摘発されても、すべて微罪であって、重大な処罰を課せられたことは一度もない。多少の罰は、これだけ手を拡げた大会社にとって、不可避の偶発事故と考えられている。会社は、それを防ぐために、世界でも最も慧敏な弁護士を多数抱えているばかりではない。強大な地下組織の工作班を維持しており、絶対清廉であるはずの法廷決定すら左右するのである。
もちろん、告発された訴因が重大であり、法律違反の程度が救いがたいものであることがある。また裁判所が誘惑の手に乗らない場合もあり得る。その場合、タコは仕方なしにごく端っこの触手を一本か二本犠牲にする。だが、ほんとうに罪のある黒幕は絶対に表面には出されないようになっている。
デュケーンはいま、この秘密通信網の中枢へ結像ビームを投射し、耳を澄ませた。この秘密の観察、立ち聞き、捜査を、日となく夜となく、一週間たっぷり続けた。結像ビームは絶えず、ブルッキングズのデスクに焦点を合わせられていた。一週間すると、デュケーンの膨れあがった強大な頭脳力は、長い留守中の出来事と現在の出来事とを微細な点まで把握していた。これと平行して、彼はこれからの行動を綿密に組み立てていた。こうして、ある日の午後、デュケーンは可聴周波《オーディオ》を繰りいれ、ブルッキングズに話しかけた。
「……もちろんぼくは、あんたがぼくを裏切ろうと画策していることは知っていたよ。しかし、そのぼくでさえ、あんたがこれほどの大馬鹿ものだとは知らなかった」
大実業家は、鋭い、切り裂くような辛辣《しんらつ》な声を聞いた。よく聞き知っている科学者デュケーンの声である。ブルッキングズはにわかに身体が縮んだように見えた。顔面から血の気が去り、土気色になった。
「デュケーン!」喘《あえ》ぐように言った。「ど、どこにいるんだ、あんたは?」
「あんたのすぐそばにいる。ここで一週間も見ていた」デュケーンは自分の姿の可視性を濃厚にし、完全にそこに姿を現わした。そしてぞっとする凄い冷笑を口もとに浮かべた。デスクの大実業家はためらいながらボタンのほうへ指をのばした。
「かまわん、押したまえ。何が起きるか、やってみるのも一興だろう。ぼくほどの頭脳をもった人間が、あんたみたいなドブネズミと一対一で事を構えると思うほど、あんたはアタマが狂っているのか? ところが、ぼくの頭脳は、ずっと前に地球を去ったときとは比較にならないケタはずれの優秀頭脳になっているんだぜ」
ブルッキングズは手をひっこめ、震えながら椅子へ腰を落とした。「いったいあんたは誰だ? デュケーンに似てはいるが、しかし……」声がオロオロと立ち消えた。
「ボタンを押さなかったのは賢明だった。それにしても、やりとげられないことは、初めっから手をつけないことだな、ブルッキングズ。あんたは度しがたい腰抜けだ。前からも臆病者だった。遠くから汚い仕事を操ることにかけては世界一の腕だ。しかし、直接手を下だすとなると、アコーディオンのように縮んでしまう。
ぼくがこうやってあんたに話しかけ、かつ見ている新装置は、技術的には立体投映《プロジェクション》というものなんだ。あんたは技術のことは、からきしわからんバカだから、たとえ説明してやっても理解できまい。ただあんたの幼稚なアタマに理解できることを一つだけ教えてやろう。この新装置は、ぼくが自分でここへ現われると同様の利点はぜんぶ持っている。それでいて、自分で現われることにつきものの、不便や不利の点はひとつもないのだ。≪ひとつもない≫――これをよくおぼえておくんだな。
さあ、いよいよ本腰の話に入ろう。ぼくがここを去って行ったとき、あんたに、しかと警告しておいたはずだ。小賢《こざか》しい悪知恵は差し控えろと言ったろう? ぼくが五年以内に、でっかいことをでっかく行なういい材料を携えて戻ってくるからと言っておいたろう? しかるに、あんたは五年どころか五日も待てなかった。いつもの癖でコソコソ、怖わごわと悪戯《わるさ》を始めだした。そしていつもの通りのヘマな結果だけしか得なかった。失敗を繕うどころか、綻《ほころ》びをますます大きくして、収拾がつかない混乱にはまりこんでしまった、そうだろう? ぼくはあんたの行動は逐一知っている。ぼくの未払いの給料すらごまかそうとしていたことも知っている」
「ち、ちがうよ、博士。あんたは間違っている、ぜんぜん間違っているよ、博士」ブルッキングズは調子よく弁解した。ふだんの冷静さと厚顔さを急速にとりもどしていった。彼の心は、独特の婉曲な回転の仕方をはじめていった。「われわれは、あんたの帰ってくるまで、あんたが言い残していった通りに事を進めようと努めていたのだ。もちろん、あんたの給料も、あれからずっと全額積み立ててある。いつでも引きだすことができるよ」
「そっちがどういう気だろうと、ぼくは自分の金は取る。しかし、ぼくはもう金なんかに興味はないんだ。金で買える力以外には、金に興味はない。金で買える以上の、途方もない力を手に入れて、ぼくは戻ってきたんだ。その上ぼくは、知識が力以上の力だということも学んできた。しかもだ――ぼくのいまの知識をこれ以上増やすためには、地球にある発電機全部の最高《ピーク》発電量の百万倍ものエネルギーがもうすぐ必要になる。ぼくのいま持っている知識を防衛するだけでも、それだけのエネルギーが必要なのだ。ぼくの計画実行の第一歩として、ぼくはたった今から、ワールド・スチール社の支配権を握る。ぼくの計画どおりに、ワールド・スチール社の全機能を動かす、よいな?」
「そ、そんなバカなことができるわけはないよ、博士!」ブルッキングズが大声で抗議した。「われわれはあんたに、あんたの欲しいものは何でもあげる――しかし……」
「しかし、何もせん、というんだろう?」デュケーンが遮った。「どうせぼくは、あんたにものを頼んだりはせん――ぼくはあんたに命令しているのだ!」
「と思っていればいい!」ブルッキングズはついに行動に駆り立てられ、思いきり強くボタンを押した。だがデュケーンは冷然と侮《あなど》りの表情でブルッキングズを見ている。
デスクの背後でさっとドアが開き、ライフルの一斉射撃が狭い空間の一点へ集中した。立体投映を構成する不思議な物質を、重装弾が貫通し、そのうしろの漆喰《しっくい》塗りの壁へ叩きこまれた。だが、デュケーンの冷笑はすこしも変化しない。デュケーンはゆっくりと前へ進みでた。両手を突きだしながら。ブルッキングズはひときわ大きい悲鳴をあげたが、すぐ咽喉《のど》のつまったような苦しい呻きに変わっていった。すさまじい力で、十本の指が、脂肪で膨れあがった大実業家の頸を絞めつけていったからである。
デスクの背後に立ったのは四人のライフルマンであったが、そのうち二人は銃を投げすて、銃弾で人が殺せなかったことにびっくり仰天して逃げていった。が、逃げる途中で死んだ。他の二人はライフルを棍棒に持ちかえ、デュケーンの頭上へ振りおろしたが、銃身も銃床も、不思議な超エネルギーパターンに弾《はじ》き返された。二人はナイフを閃かせて突き刺したが、傷は出来なかった。屈強な二人が跳りかかって無気味な人間の指をもぎとろうとしたが、超人的な握力の十本の指は、主人の咽喉へ食らいついたままで、引き離すことは到底できなかった。二人のボディガードはふーふー息をつき、呆けたようにそこに立ちすくんだままである。
「よくやった、おまえたち」とデュケーンが威厳のある声で二人に命令した。「おまえたちには度胸がある、だからぼくは殺さなかったのだ。ぼくがこのバカ者に一つか二つ物を教えるから、それが終ったら、おまえたちこの男を監視しろ。ブルッキングズ、おまえは……」とデュケーンは、哀れな大実業家が失神しない程度に絞め方をゆるめながら、「抵抗はムダだということを示すために、ライフル騒動は赦してやった。この映像には、本人が現われる場合のような不利な点は一切ないのだと、さっき特に強調してやったのに、ぼくの言う意味がわからんほど、おまえは低能になったと見える。さあ、これからぼくの指示どおりに従うかどうか、返事をしろ!」
「わかった、わかった――言われたことは何でもする――」ブルッキングズは苦しい息の下で誓った。
「よろしい」デュケーンは手を放し、デスクの前へ戻った。
「君はなぜぼくが手をゆるめず絞め殺さなかったか、不思議に思うだろう、殺すことなど屁《へ》とも思わんぼくを知っている君だから。よし、その理由を教えてやろう。殺さなかったのは、君を活用するためなのだ。ぼくはワールド・スチール社を強化して、ほんとの地球の政府にしたい。そうなれば、ワールド・スチールの社長は、事実上地球の独裁王だ。ぼくは自分では社長になりたくない。ぼくの権力を伸張し強化する仕事で忙しいし、その他やらなければならぬことが山ほどあるから、一つの惑星を統治するなどという細かい仕事にかかずらわっているヒマはないのだ。これは前にも言ったことがあるが、君はおそらくは、現存の管理者としては最高の手腕をもっていると思う。しかし政策を樹立するという能力では、君は完全にゼロの人間だ。だから、ぼくは君に世界独裁者の仕事を与える――一つの条件をつけてだ。それは、ぼくが命じる通りに、統治を行なうという条件だ」
「おお、すばらしい機会です、博士! やりますとも、わたしは誓って……」
「待て、ブルッキングズ! ぼくは君の心を、開いた書物のようによく読めるのだ。君はまだ、スキがあったらぼくを瞞《だま》せるものと考えている。いいか、ここではっきり言っておくから忘れるんじゃない、そんなことはできない相談だということを。ぼくは四六時中君に自動監視装置をつけておくのだ。君の出す命令、君の発信、受信するメッセージ、君の思考――そういったものを一つ一つ記録する装置だ。君がぼくに妙なことをしかけたら、もう終わりと思え。数分前ぼくが手加減した仕事を、ぼくはただちに実行してしまうから、わかったな? 何事もぼくと協調するように心掛けるんだ。そうすればその範囲で、君は自由に地球を操縦していける――ただし政策という広汎な点だけは、絶対にぼくの命令に従うのだ。ぼくを裏切ろうとすれば、君は消される。わかったろうな?」
「わかったよ、博士。こんどこそトコトンまであんたを理解できた」
ブルッキングズの敏捷な心は、デュケーンの途方もない野心計画の展望のことごとくを、稲妻のようにすばやく把握した。そしてすぐ、いつもの柔和で鋭敏なブルッキングズ自身に立ちもどっていた。「世界独裁者ともなれば、もちろん、現存の機構でワールド・スチール社が与え得る最高の地位よりはるかに上だ。だから、わたしは喜んであんたの申し出を受けます、無条件で受けます。さあ、よろしかったら、あんたの構想の輪郭だけでも教えて下さいよ。たしかに、わたしも初めは心のなかでは、まさかと思っていました。しかしあんたの荒療治で、あんたの言うことがコケ脅《おど》かしではないことがわかった」
「それはよかった。ぼくは、われわれの発電所、シートンの発電所のすべてを造り直して、ぼくの構想になる新しい一大発電機構に統合するつもりだ。その詳細計画をすでにここに持っている。世界中のこれという重要地点に必ず一個ずつ発電所を建設し、これらをしっかりと一つのシステムに組織するのだ。そら、これがその詳細計画だ」分厚い一冊の本が虚空で物質化され、デスクの上へ落ちた。データのいっぱい書かれた、青写真の無数にある書物であった。「ぼくが去ったらすぐ、君は技術スタッフの主任どもを呼び集めて、すぐ計画の実施に着手させるのだ」
「すこし障害じゃないかと思われるものが、二つ三つ散見しますが……」とブルッキングズは、手なれた眼つきで計画書の重要個所をパラパラとめくり、青写真を折り返してから、言った。「われわれはこれまで、シートンの発電所にはまったく手出しができませんでした。それなのにこの計画では、彼のところの最大発電所が、新組織網の中枢発電所になっていますね。それから、これだけの仕事をするには、まるで人手が不足だということです。もちろん人間の余る不況時期もあるでしょうが、世界中の失業者を全部傭っても、まだ足りますまい。それから、シートンはどうなったんですか? このところ、このあたりに姿を見せていませんが」
「君はシートンの発電所のことなど心配せんでよろしい。ぼくが自分でちゃんと、君のやりよいように、シートンの発電所を手なずけてやる。シートン自身については、やつは四次元へ追放されてしまっている。まだ三次元へ戻れない、おそらく永久に戻れまい。やつの発電所を接収したら、ぼくからやつの取りまきに説明して納得させる。人手の問題だが、ぼくは世界中の陸海軍をぜんぶ使う。君は、それだけでは足りんと思うだろう、その通りだ。しかし、君がその計画書をよく読めばわかるだろうが、超誘導エネルギーを適当に利用すれば労働力はいくらでも得られるんだ」
「世界中の陸軍と海軍を、どうやって手なずけるつもりなんですか?」
「それを細かく喋ったんでは時間がかかりすぎてかなわん。そこのラジオをひねって聴いてごらん、みんな学べるから。本当は、君は内々の人になっているんだから、他のものには読めない行間の意味まで読めるんだ。それから、ぼくがつぎにする仕事は実物教育だ。ほんとにぼくがその力を持っているかどうかについて、君の心のなかにまだ残っている疑惑を解くことだ」
宣言したとたんに、デュケーンの立体投映が消えた。それから数分すると、世界中にあるラジオ受信器が一台残らず、途方もない大声で我《が》鳴りだした。デュケーンが世界中へ同時放送をしたのである。使った波長は五メートルまでのあらゆるチャンネルが同時に使用された。その電波は強力で、二百万ワットの放送局ですら、送信塔の根元からして、放送電力が封殺された。
「地球の人民諸君、お聴き下さい!」と世界中のスピーカーが怒《ど》鳴った。「わたしはワールド・スチール社を代表して放送しております。ただ今より以後は、地球の各国民政府はワールド・スチール社から勧告と指導を受けることになります。わたしは長い間、現在の国民政府という愚劣な組織をどう処分しようかと、適当な方法を考えめぐらせてきました。みなさんの、景気と恐慌とを定期的に繰り返している現在の経済機構を矯正できる方法を種々考慮して参りました。
みなさんの大多数の方々は、このような憂慮すべき事態に対して、早急に何かの手を打たなければならないと、ずいぶん昔からご心配になっていられたことと思います。ところが、みなさんの立場はすこしも改善されておりません。みなさんは全体としての組織を欠いているだけではない、人種相互の不信感に祟《たた》られている。このために、新時代到来を叫ぶ我利我利亡者《がりがりもうじゃ》の煽動家にたやすく牛耳られてしまい、結局のところ、何らこの憂うべき世界の現情を改善することができなかったのであります。
人類の幸福という問題は、すこしも難しい問題ではないのであります。ただ、解決策を強力に実施するか否かに問題があるのであります。この点につき、わたしはついにその方法を発見いたしました。わたしはようやく巨大な動力源を開発することができました。これによって、世界中の武装を強制的に廃止することができます。現在武器を帯びている軍人の方々には生産的な職業が与えられます。失業者に適切な職場が与えられることは申すまでもありません。これまでに知られた、いかなる企業よりも高賃金を払い、しかも労働時間がずっと少なくてすみます。それからまた、わたしは、過去および現在の犯罪のことごとくを絶対確実に摘発する手段を開発いたしました。わたしは犯罪常習者を徹底的に撃砕する力と意志とを有しております。
わたしが遂行しようとする革命は何人《なんぴと》に対しても害を与えるものではありません。ただ困るのは、政治団体に巣喰っている寄生虫どもだけでありましょう。現在の国境と慣習はそのままに維持されます。諸国民の政府は、文明の進歩に障害となるときのみ、干渉されるに過ぎません。しかしながら、戦争は絶対に許されません。わたしは、戦闘を行なう兵士、軍人を殺して戦争を防止するのではありません。わたしの方法は、逃走を激発しようとたくらむ不逞《ふてい》の輩《やから》の存在を抹殺することによって、戦争を廃止するのであります。不逞の輩に対しては、その陰謀が熟するはるか以前に、わたしは情容赦なく、これを撲滅してしまいます。
商業、工業はますます奨励されます。雇傭率の上昇と高賃金によって、繁栄は世界中におよび、永続的となりましょう。わたしはみなさんに、以上申したことを信じて下さいとお願いするのではない。ただ、みなさんに宣言するだけなのであります。まあ、黙って見ていてごらんなさい。ほんの三十日足らずのうちに、わたしの予言が実現いたしますから。
わたしは、わたしの言うことが法螺《ほら》でないことを示すために、これから合衆国海軍の武力を、一兵も殺傷することなく、骨抜きにしてごらんに入れます。わたしはいまワシントン市上空、かなり低空に立っております。わたしは十七爆撃中隊がすでに、わたしに対して最重装爆弾を投下するために空中に飛び立ったことを知っています。わたしはこれからポトマック河上空へ移ります。爆弾の破片が市民を傷つけないようにするためであります。わたしはまた、報復はいたしません。わたしは中隊を殲滅《せんめつ》することはいと易《やす》いのですが、勇敢なる人びとを殺すことを潔《いさぎよ》しとしない。ただし、この勇敢なる人びとが、ボロ布地のように草疲《くたび》れた組織の命令に盲従していることは遺憾であります」
ワシントン上空をチェヴィチェーズからアナコスチアにかけて蔽っていた巨大宇宙船は、デュケーンの言葉とともにポトマック河に映った。これと較べたら虻《あぶ》のように小さい爆撃機の編隊がこれを追尾して移動していった。しばらくの後、世界最強のロケット弾が無数に爆発し、ポトマック一帯のワシントン郊外はすさまじい地響きに揺らいだ。だが、デュケーンの冷静で明晰な音声は変わらない調子で続いていった。
「爆撃中隊はベストを尽くしました。しかしわたしの宇宙船の装甲板にかすり傷を負わすことさえできませんでした。わたしはこれから、やろうと思えばこんなこともできるという威力をお目にかけようと思う。ケープ沖(ヴァージニア州チャールス岬)に陳腐化された戦艦が一隻繋留されていますが、これは海軍の標的艦として撃沈されるはずであった戦艦であります。いま、わたしはこの戦艦に、あるビームを照射します。……そら、この通りであります。戦艦は消滅しました。一瞬のうちに蒸発したのであります。
わたしはいまサンデーフック沖(ニュージャージー州)上空におります。しかし、ここの軍事施設を破壊しようというのではありません。人員を殺戮《さつりく》しないで基地を破壊することができないからであります。わたしはただ、施設の建物類を根こそぎにして、ミズリー州セントルイスの、ミシシッピー河の泥床にそっと移し変えようと思います。……はい、この通りであります。さてこんどは、地球表面の各所に浮かんでいる合衆国海軍の武装艦艇の一隻一隻に、わたしはいまビームを照射しております。
これらの艦艇を一隻ずつ上空に引きあげ、ユタ州ソルトレークシティへ移し変えております。非常なスピードではありますが、乗組員の安全は考慮して、手加減をしております。明朝、合衆国海軍の全艦隊がグレートソルト湖に浮かんでいることになりましょう。わたしの言葉を信じない方は、明朝の新聞をご覧になれば、わたしが全海軍を移し変えたことをご承知になりましょう。
明朝、わたしは、イギリス、フランス、イタリー、日本、その他諸国の海軍艦艇を同様な方法で処分いたします。それから陸軍と空軍とその基地群とを処分するつもりであります。
わたしはすでに、悪名の高い犯罪者と暴力組織の一群を取り除く仕事に着手しております。これらの無法者たちは、自己の利益のために民衆を恐喝し、厚顔にも白昼堂々と社会の害虫となっている徒党《やから》であります。無法者のうち七名はすでに殺されております。また十名は今晩殺されることになっております。ただいまから後は、みなさんの家庭に幼児誘拐の不安はなくなり、みなさんのビジネスは、強奪者の黒幕やその秘密工作団、ダイナマイト暴力組織などの脅威から完全に解放されるでありましょう。
みなさん、これを要するに、昔からしばしば約束されながら反故《ほご》にされた新時代がいまや初めて到来したのであります。言葉の上ではなく、現実となったのであります。それでは、みなさん、明日までさようなら」
デュケーンは立体投映ビームをブルッキングズのオフィスへ投射した。
「どうだ、ブルッキングズ。いまのが初まりだ。君もぼくの意図がようやくわかったろう。ぼくにその力があることも納得がいったろう」
「わかりました。あなたは大変な力をもっていらっしゃる。あなたは本当に正しい針路を決めてわれわれを指導して下さる。これまでは、われわれのすること一切に不平と反対ばかり唱えていた大多数の人びとも、あなたの方針に従うわれわれを支持してくれる。その自信が湧きましたよ。しかし、あの、ギャングや恐喝団の一掃という声明は、あなたの口から出たとすると、ちょっと可笑《おか》しい気がしますね」
「なぜ悪い? われわれはもうそんな段階を通り越しているんだ。世論の支持など、われわれの事業の成功にはまったく不必要だが、それでも世論というものには、バカにならない力がある。どんなに国民のためを考えたシステムでも、独裁制というものは一人残らず賛成を得るというわけにはいかないからだ。しかし、ぼくが輪郭を明らかにした針路をとれば、すくなくとも反対派の分裂には役立つだろう」
デュケーンはビームの類をカットし、くつろいで、制御盤の椅子にうずくまった。そして黒い瞳を無限の未来へ食い入らせた。
地球は彼のものになった。どう料理しようと、お好み次第だ。もうすぐに、好きなように地球の武装を強化する。そうすれば、地球をもって宇宙に対抗できる。ついに地球の支配者になり得た! 彼の驚くべき、破天荒の大野心は達せられた。
だが、はたして大野心は達せられたか? そうではないのだ。しょせん、地球はあまりにもちっぽけだ。地球は宇宙空間の微塵にすぎない。地球などでなく、どうして全銀河系の支配者を目指さないのだ? そう、もちろん、それにはノルラミンという存在を考慮しなくてはならない……
ノルラミン!
ノルラミンは、おそらくデュケーンの野心は気に入らないだろう。なんとかして、ノルラミンを軟化させる必要がある。
地球をまともに叩き直した彼は、ノルラミン対策を考えなくてはなるまい。
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一〇 捕まった!
「ディック!」ドロシーが鋭い悲鳴をあげて、シートンのそばへ跳んできた。
シートンは無駄な憶測は棄て、二個の不思議な生命個体らしきものへぐっと全心を振り向けた。スカイラーク号の制御室のなかに、ふわりふわりと漂っている二個の≪もののけ≫は、何とも言葉で表現できそうもない、それでいてぼんやりとではあるが、たしかにそれと識別できる≪ある存在≫であった。大きい存在だ。そして黒い。薄ぼんやりした、まったく艶《つや》を欠いた黒い影だ。どちらにも、四つの大きな、キラキラ光るレンズがついている。おそらく眼であろう。
「ディック! 何なの、あれ?」
「生命だろう、たぶん。マーチンがこの辺にいると予想した四次元の知性生物らしい。思考を送れるかどうか、やってみよう」
シートンは空中に浮かぶ無表情の八つのレンズへ、友好思考波をつぎからつぎへと送りこんだ。だが、無駄であった。シートンはこんどは、教育器械のスイッチを入れ、ヘッドセットをつけ、もう一つのセットを無気味な宇宙の訪問者に差し出し、このヘッドセットを眼のうしろにつけてごらんなさいと、手真似足真似で訴えてみた。しかしなんの手応えもない。シートンはあきらめて通話器をはずした。
「こんなの効力がないとわからなかったなんて!」シートンは自嘲した。「電気など役に立たんのだ! 速度が遅すぎるのだ。その上あんな真空管《チューブ》、この超時間のなかでは、十年絶たなければ熱くならないんだ。いや、どうせ初めっからダメだったんだろう――何だって、彼らの心は四次元だし、こっちは三次元だからな。彼らの心とぼくらの心を通わせる接触点、あるいは接触面というべきかもしれんが、あるのかもしれん。しかし、ぼくはないと思う。それにしても、彼ら、好戦的な生命でなくてよかった。こっちとしては、しばらく警戒して、彼らの出方を見るより他はない」
しかし、侵入者はシートンの言うように敵対的ではなかったにしても、さりとて友好的でもなかった。万一感情というものがあるなら、それは好奇心以外の何ものでもないようであった。彼らは、あっちこっちと滑空しながら浮遊しているだけだ。そして大きな眼を、あっちの物体に近づけたかと思うと、こんどはこっちの物に近づいて観察している。そのうちに、彼らはすッと球型宇宙船のアレナック金属の船殻を≪透過して≫漂っていき、見えなくなった。
シートンはすぐに妻へ向き直った。極度の緊張に崩れかかっているに相違ない妻をなだめようと思ったのである。ところが驚いたことに、妻は冷静で、ただ興味だけをつのらせている。
「おかしな姿の≪もの≫だったわね、ディック?」妻は急に元気づいて言った。まるで、四本の手のついた、途方もないサイズに拡大されたチェスの騎士《ナイト》みたいだったわ。でなければ、サイズは較《くら》べものにならないけど、水族館にいるタツノオトシゴみたいじゃなかったこと? 尻尾《しっぽ》の代わりにプロペラがついていたでしょう――あれ天然のものかしら、人工的なものかしら?」
「へーえ! 何の話だい? ぼくにはそんな細かいところはぜんぜん見えなかったが!」シートンはびっくりして叫んだ。
「あたしだって、見たというわけじゃないのよ、本当のことを言えば。ただ、あの直後に、彼らをどう見るか、その見方を会得《えとく》したのよ。あたしの方法が、峻厳な科学で縛られている人の心に応用できるものかどうか、あたしにはわからないわ。あたしにはあなたとマーチンの言う、四次元だとかいう数学的なことはまるで理解できないのよ。ですから、ここでは、何かを見透したいと思ったら、あたしはただ、四次元なんてものは絶対にないと心に決めて、じっと見つめるのよ。あたしはただ、あなたたちの言う三次元の表面だけを見るのよ――すると、ちゃんとした形が眼に映るの。たとえば、いまの心構えであなたを見れば、ちゃんとあたしのディックに見えるわよ、とても未来派の描く四次元の悪夢には見えないわ」
「的《まと》を射たよ、君は!」クレーンが叫んだ。彼は、ドロシーの喋っている間に、四次元の対象を三次元の物象として実視していたのである。「おそらくは、超存在をほんとうに多少とも認知できる方法はそれ以外にないんじゃないのかな」
「うん、できるできる!」とシートンも叫んだ。「おめでとう、ドット。君は科学に偉大な貢献をした。……だけどちょっと、これは何だろう? ぼくたち、どこかへ流れているようだ」
その通りだった。スカイラーク号は宇宙空間を自由に漂っていたのだが――もう五人の感官はずっと前からこの自由浮遊を落下感覚とは受けとらなくなっていた――いまや加速度を与えられているのである。ただし、きわめて軽い加速度で、制御室の床が≪下降していく≫ように見える程度のものだ。それにしても、こうした環境で加速度が出るとは! 二人の科学者は異常に神経をとがらせた。
「もちろん重力の加速度じゃない。でなかったら、ぼくたちもっと前から感じているはずだ。どう解釈すべきだと思う、マート? 彼らが牽引ビームでぼくたちを押さえて、悪戯《いたずら》をしているんじゃないかな?」
「あるいは、それかもしれん。実視板がまだ使えるかどうか怪しいものだが」クレーンは第一実視板のほうへ動いて、あっちこっちへダイヤルを回した。だが、船体外の絶対暗黒のなかには何も見えない。深淵に呑みこまれるような、手で掬《すく》えるような闇があるばかりである。
「実視板など効《き》かんだろう」とシートンが言った。「ここの、ぼくたちの時間を見てごらん。ぼくたちは光線の外へ、はるかに遠く、はみ出しているのに相違ない。第六系列投射器があるとしても、何も見えないんじゃないかな」
「でも、ここの内側の光線はどうですの?」とマーガレットが訊いた。「電灯は点《つ》いてるし、わたしたち、ものは見えるし」
「ぼくにはわからんのだよ、ペッグ」シートンが答えた。「ものはみんなぼくを素通りしているんだ。たぶん光線がぼくたちと一緒に動いているからかもしれない。前にも言ったとおり、ぼくたちは何も見てはいないんだよ――ただ感じているだけなんだ。電灯から出た光波はほとんど完全停止なんだ」
「あっ、何かがあるわよ!」とドロシーが叫んだ。彼女はさっきから実視板の前に坐り、壁のような暗闇のなかへ眼を凝らしていたのである。「ほら、ぴかッと閃《ひらめ》いているわ! あたしたち何か地上へ落下しているんだわ。あたしなんか見たこともないような変テコな惑星だわ。水平線がぜんぜん見えないし、完全に平坦な惑星だわ」
四人は実視板へ飛んだ。一瞬暗闇がへばりついていたあたりに、いま、起伏のない、真っ平らな超地面が無限の彼方まで拡がっていた。地面は平らというもおろか、幾何学的な純粋平面である。太陽はもたず、水から光を発しているように見える。強い紫色の光りであり、靄《もや》のように、ある程度厚みをもった感じである。すると彼らは、一隻の宇宙船がこっちの船を牽引していることに気がついた。宇宙船は菱《ひし》形である。そして超惑星の無気味な青ざめた≪光り≫を受けて、この世のものならぬ微光を放っている。見たところ軽度の重力に抗して、巨大なスカイラーク2を押さえつけておこうと、最大牽引ビームを投射しているらしい。だが努力も、虚しい足掻《あが》きにすぎないようである。
「うむ、ぼくたちが見ることができるのは、何らかの超光線によるものらしいな」シートンが考えた末の結論を言った。「すくなくとも第六系列の、いやひょっとすると第七系列の伝播速度に相違ない。でなければぼくたちは……」
「光線だとか、物が見えるとか、そんなこと心配しないで!」ドロシーがさえぎった。「あたしたち墜落していっているのよ、地面に衝突してしまうわ! 何とかならないんですの?」
「何ともならんようだね、小猫ちゃん」シートンが彼女を顧みて笑った。「でも、やるだけはやってみよう。あっ、やっぱりダメだ。どの装置も全然|効《き》かん。動力も、制御装置も、何もかも死んでいる。結局ぼくらの三次元へ戻るまでは、一切が働かんのじゃないかな。でも衝突なんか恐がるな。たとえ地面が固くとも、ここでは重力でも何でもみんな微弱だから、怪我なんかしないよ」
シートンが喋り終わらないうちに、スカイラーク号は地面に衝突した。衝突したというよりは、地面の≪なかへ≫ふんわりと漂って降りたという感じである。たとえ重力が微弱であっても、また他の船の牽引ビームで多少とも落下の勢いが減殺されているとはいえ、惑星(まだ本当に惑星かどうかはわからない)表面の固い岩石にスカイラーク号が衝突しても、そのまま静止とはならないのだ。船殻が岩石に接触するや否や、岩石はゆっくりと波を打って四辺へ後退し、スカイラーク号はズルズルと地底へ向かってめりこんでいった。数百フィート、垂直に降下し、内側のなめらかな井戸を掘ってからようやく、アレナック金属の球型宇宙船は静止となった。
オスノームの超金属は、四次元に入ったため、内側から押し出され、膨張し、正常密度よりははるかに低密度になっているとはいえ、それでも超惑星を構成する未知の物質よりははるかに重質量であったのだろう。まるで濃いジェリーのなかに銃弾が沈むように、惑星地殻へズルズルと沈没していったのである。
「よし、こうなったらこうなっただ!」とシートンは落ち着いて叫んだ。「稀薄と微弱というのがこの超物質の特徴らしい。ぼくたち、しばらくのんびりと、ここでキャンプしようや。やつら、ぼくたちを掘り出そうとするだろう。しかし掘り出される前に、こっちはズラかってしまう」
だがまたも、冒険好きで活動力にあふれた化学者は見当違いをしていたのである。超人間は微弱で稀薄ではあったが、好奇心はなおも煽《あお》られる結果となった。たちまち巨大なデリック起重機が組み立てられ、吊り索その他が用意され、スカイラーク号を地表へ持ち上げる作業が開始された。だが作業開始の前にすでに、超世界の神秘な住民が、二人までも四次元の井戸の大気を泳いで、地球の宇宙船がはまりこんでいる井戸底へやってきたのである。二人は宇宙船のアレナック外殻をすり抜け、制御室の宙空をひらひらと舞った。
「どうもまったく合点がいかないんだ、ディック」クレーンがディックに議論を挑んでいる。「もちろん、四次元空間のなかに三次元物体が存在すると仮定すれば、四次元の生物は三次元のなかへ自由に出入りできるだろう、ちょうど君の指がタバコ罐に自由に出入りできるようにね。しかしここでは、すべての物体は事実上、また必然的に、四次元のはずなんだから、この条件ひとつからしても、そんなことができるはずがない。ところが、君が罐を開けないで≪実際に≫中身のタバコが取り出せたんだから、またこの超生物がぼくたちの船へ≪実際に≫出たり入ったりできたんだから、結局こういう解釈になりはしないかね。つまり、ぼくたちも本質的には三次元の性質なんだと。無理やりに四次元空間を占めさせられたのは、一時的現象であって、ぼくたちの本質はあくまでも三次元なんだと、この解釈しかないと思うが……」
「でかした、マート。それはいい着想だ! 君はやっぱり宇宙随一の思索家だ! その考え方で、ぼくが蒼くなるほど考え悩んでいたことが、たくさん説明がつくと思う。ぼくは比喩でも説明がつきそうなんだ。いいかい、二次元の人間を想像してごらん。幅が一センチ、長さが十センチか二十センチ、昔からある次元の説明によく例証される厚みのない地上人だよ。彼はその平面のなかに住んで、幸福で煩《わずら》いもないね。ところが外から一つの力がやってきて、やっこさんを、端っこのほうをつまみ、くるくると捲《ま》いたとするんだ。長さ一センチの筒型に捲いたとする。やっこさん、どう解釈していいか、とまどうだろうが、それでも現実には、二次元の人間が三次元の空間を占めているという事実は歴然たるものだ。
ここでもうひとつ、ぼくたちにその筒型に捲かれた人間が見えるとしよう。そんなことはあり得ないが、粗雑な比喩だから勘弁してくれ。ぼくたちもまた、彼をどう解釈していいか、とまどうだろう、そうだね? それと同じことを、いまぼくたちは実験しているんじゃないだろうか。ぼくたちも無性に好奇心を駆りたてられて、何だろう、何だろうと、なんとかその実態を見きわめたいと焦るだろう、それと同じことだよ。ぼくたちの感覚とあのセイウチの行動が、これですっかり説明がつく。――おっ! またやってきたぞ! ようこそ、ぼくたちの都市《まち》へ、旅のお方!」
だが、侵入者にはシートンのメッセージはまったく通じない。彼らは、理解もしないし、理解もできなかった。
彼らの四次元精神は、超空間で創造され、そこで育成され、進化した精神であり、超物体以外のものは一切知らないのだ。本質的に三次元的存在である地球人の頭脳から放射される思考波など、理解はおろか受信することもまったく不可能なのである。
地球人たちは、ドロシーが幸運にも発見した次元低減という方法を用いて、その超人類を見た。なるほど、ドロシーの言ったとおり、超人類は大きくなりすぎたタツノオトシゴ――地球動物学でいうヒッポカンプス・ヘプタゴヌスに似ていると言える。だがこのセイウチは、空中推進のプロペラのような尾がある。ぐるぐる回転する尾である。それから四本の骨ばった、長い腕がついている。腕の先端は把握力のある器用な無数の指で終っている。四本の腕の一つ一つに、一個の三叉《みつまた》ヤスをもっている。これは奇妙な四次元の超|鉗子《かんし》である。噛みあわせられた歯は互いに絶縁されているが、一見したところ電極のようである。地球の電気に似た超エネルギーを流す導体であるらしい。無感動、無表情の≪顔≫をもった二人の超人類は、制御盤のあたりをひらひらと舞っている。シートンとクレーンは手真似、足真似、無音劇のジェスチュアを使って、あらゆる有効的合図と友好的思考を繰り返し送った。
「警戒しろ、マート。やつら近づいてくる! ぼくは敵対などしたくない。しかし、あのガマを突き刺すヤスみたいな道具はぞっとせんな。もしやつら変な真似したら、あの魚みたいな細っ首ねじってやればいい!」
細っ首をねじるなどとはとうていできない相談であった。超人類は膂力《りょりょく》は弱く、無きにひとしい。そのなかを蝶のように舞っている稀薄な空気よりも、彼らの構造実質は密度が薄い。だが、それが何であろう。どだい超人類には肉体的な体力などは必要ないのだから。超人類が、彼らの想像を絶した地球人の肉体にひそむ彼らにとって考えることも難しい力に気づくまでには、なお若干の時間がかかった。
気づくや否や、四本のヤスがぐっと突き出してきた。抗《あらが》うすべもなく、ヤスは地球人の衣服を通し、皮膚を通し、肋骨を突き刺した。不可思議な、奇妙な超貫通力であった。ヤスはぐらつかない。着実に手応えがあった。だが受けるほうでは苦痛はなかった。やさしく突き刺してきた。そして人間の身体の致命的な中枢神経へぐさりと到達した。シートンは反撃に跳びかかろうとしたが、彼のような素早さでも役に立たなかった。彼が動くよりも早く、もう堪えがたい疼痛《とうつう》の波が五体を突っ走ったからである。彼が身体をゆるめると、疼痛はすみやかに、完全に去った。要するに、犯行は一切無用ということであった。料理人のシローも、肉切り包丁を振り上げて料理室から飛びだしてきたが、不思議なヤスで串刺しにされ、鎮静せざるを得なかった。
そのうちに、吊り上げ用のプラットホームが見えてきた。シートンとマーガレットは、抵抗のゆとりもなく、プラットホームに乗せられた。どうしようもない強制力である。反抗の筋肉がすこしでも動けば、超人類の責め道具でただちに封じられるのである。その責め道具の鋭さ、痛さは、とうてい人類がたとえ束《つか》の間でも耐え得るところではない。
「ムリするんじゃない、ドット、マート」シートンは吊り上げプラットホームで上昇しながら早口で叫んだ。「やつらの言うとおりにおとなしくするんだ、抵抗したってムダだから。ぼくとペッグが戻ってくるまでだ。おお、もちろん戻ってくるともさ! やつらも時たまは、肉刺し棒をぼくらの身体から引っこ抜かなければならんときがあるだろうよ。そのときこそ、地獄が爆発したとやつらも悟るだろうさ」
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一一 超世界《ハイパーランド》
リフトに乗せられ、シートンと彼の親友の妻とはゆっくりと上昇していった。腹の中は煮えくりかえっていたが、事実上まったくの無力であった。一方、クレーン、ドロシー、シローの三人はスカイラーク号の制御室にいた。グロテスクな捕獲者の許しがなければ、指一本動かすことができない有様であった。超人類は虚弱ではあったが、地球人が反抗のつもりで筋肉がひとつ動きかけると、ただちに三叉《みつまた》のヤスの絶縁歯牙から、耐えきれない疼痛《とうつう》の罰が放射された。抵抗などは考えるだけでもムダであった。
シートンですらそうである。性格からして向こうみずの戦闘家のシートンである。しかも愛するドロシーから離されたと考えただけでも憤怒にかられているシートンですら、絶縁歯牙の電気模様のショックには三度しか堪えられず、抵抗を断念していた。三度目の処罰はとくにひどかった。彼の五体のなかのいちばん繊細な中枢神経をヤスリでこするような、ねじ曲げるような、かなりの時間の拷問であった。彼は力が抜け、震えがきた。心のなかはたけりくるっていた。屈辱を強いられ、口惜しさで歯ぎしりしていた。まだ意志の力はあった。しかし何といっても、肉体が言うことをきかないのである。
こうして、超人類が臨時に施設したエレベーターは二人の従順な虜囚《りょしゅう》を球型のアレナック船殻のそばを擦りぬけて(船殻を通ってではなく)吊りあげていった。宇宙船が飛びこんだ巨大な竪坑を上へ上へと昇っていった。竪坑の周壁はガラスのように滑らかであった。もっと正確に表現すればスラグのようにツルツルしていた。
竪坑への落下は地球人の感覚にはきわめて容易に、緩慢に行なわれたように映ったが、実際は超惑星の奇妙に非物質的な岩盤が、宇宙船下降の摩擦熱で溶解したのであった。
また、超人類が、二人の地球人の肉体という、彼らにとっては途方もない重量を吊りあげるのは、よほどの困難と見えた。プラットホームは二、三フィート上がると休み、休んではまた上った。だが、とうとう竪坑の入口まで昇った。惨めな有様ではあったが、シートンはデリック起重機で持ち上げられているのだと知ると、にっこり笑うことができた。過荷重にあえぐデリックのエンジンは数人の機械工が操ってはいるが、一時に数フィートしか持ち上げることができない。エンジンは咳をし、悲鳴を訴え、やっとこさで二、三フィート持ち上げるが、終りになると速力が鈍る。そこでひと息をつくと、またいきおいづいて新たな運動に入り、充分のはずみを蓄えてから、よっこらさと数フィート持ち上げるといった調子であった。
直径四十フィートの竪坑の縁まわりには、起重機以外にも各種の機械が据えつけられていた。空中高く桁構《けたかまえ》が組まれていた。巨大なチェーンが鍛造《たんぞう》で出来あがっていた。いくつかの補助モーターが組み立てられていた。スカイラーク号を引き上げようとする涙ぐましい努力と思えた。巨大重量物を引き上げるということは、超人類にとっては頭の痛い工学技術の難問であるらしかった。
「こいつらのやることは、まったく笑止だよ、ペッグ。ぼくたち戻ったら、スカイラークはやっぱりここだろうさ」シートンはマーガレットを顧みて言った。「ぼくたち二人を持ち上げるのに、こんな大騒ぎを演じなければならなかったとしたら、スカイラークを持ち上げるのは大変な仕事だよ。やつらは何をいじろうとしているのか、知っちゃいないんだ。あんな機械、この辺一帯にずらりと並べたって、一ミリだってスカイラークを動かせるものか!」
「まあ、帰れることが自明みたいな科白《せりふ》ね」マーガレットが憮然《ぶぜん》とした調子で言った。「わたしもそんな楽天家になりたいわ!」
「帰れるともさ、ペッグ。ぼくはもうみんな計算ずみなんだ。誰だって百パーセントの警戒なんてできやしない。最後にやつらが与えた捻《ねじ》れから身体の調子が立ち直り次第、ぼくはすぐ全身を警戒へもっていく。チャンスが出たら最初のチャンスをつかむ、心配するこたないよ」
「わかるわ、その気持。でもチャンスが来ないとしたら?」
「いつかは来るものなんだ。ぼくがいま心配していることは、たった一つだ。いつ三次元へ戻れるようになるか、その予想がつかないことだよ。しかし、エーテル波のなかでは運動は一切探知できないから、ぼくたちが戻ってきて、スカイラーク号で逃げるまでには、まだ充分の時間があると、ぼくは想像する。まだ充分の時間といっても、相対的なはなしではあるが。あっ! ぼくたちを歩かせるつもりかと思ったが、そうじゃなかった。乗り物があるらしい。ほら、飛行船みたいなものがやって来るよ。逃げるチャンスは今らしいぞ」
巨大な飛行船がエレベーターの真上に浮遊している間も、超人類たちは一瞬たりとも二人の監視をゆるめなかった。昇降口のとびらが開き、短いタラップが船腹から飛びだした。痛いヤスに小突きまわされながら、二人の地球人捕虜は飛行船に乗った。ところが超人類が見たことも聞いたこともない超重量の二人である。巨大な飛行船は重みに耐えかねて、ズルズルと下降した。飛行船乗組員のあいだに、音のない、相談とも騒動とも言えるものが持ち上った。だがシートンにとって、まだ逃亡のチャンスは来なかった。ヤスの把握力は緩《ゆる》んではいないのである。そのうちにようやく、飛行船の士官たちはモーターの出力をあげることができたと見えて、飛行船は重量貨物を積んで超惑星の大気へ舞いあがっていった。
「よく四辺《あたり》を観察していなさい、ペッグ。帰り道がわかるようにね」シートンが注意を与え、飛行船の透明外皮をすかして、あちこちと指さした。「あそこの三つの頂上を見てごらん。見渡すかぎり、丘といえばあれだけだ。ぼくたちの針路は、手旗信号で右手二番の線から十二度ないし十五度はずれている。ほら、ぼくたちの下のほうに河らしいものが見えるね。あそこの曲がりが、だいたい線上にある。目標になるものが、何か見えたかい?」
「そうね、おかしな格好の島があるわね。心臓の形をした島。そして赤っぽいとんがり岩がひとつそびえている――ほら、あそこ!」
「ああ、あれはいい――あれを識別できないといけないな。河の曲がり、心臓の形をした島、ぼくたちの言葉で言えば上流の終端にある赤っぽい尖塔。さあ、ここからは何を目印にしよう? あっ、回るぞ! 上流へ行く。うまい航法だ! これからは、この河か湖か知らんものに、いつ、どこでサヨナラするか注意してなくちゃならんよ」
しかし飛行船は河流上流から逸《そ》れなかった。河流は数百マイル真っ直ぐに伸びていた。そのきらめく水面の上、数百フィートばかりの低空を、超人類の飛行船は数時間飛んだ。飛行船の速力はしだいに増し、ついには轟然《ごうぜん》と空気を切り裂いて飛ぶ発射体のものすごい速度に達した。
彼らの眼下は、地球の運河に似た四次元のしろものであって、水といい、風景といい、尋常の姿ではない。太陽はどこにも見えない。月もない。瞬《またた》く星影すらもない。諸天のあるとおぼしき場所は、ただ絶対の闇に占められている。妥協を許さない、恐ろしいような深い闇である。もし地上から、悪魔が髪を乱したような空恐ろしい植物が生えていなかったら、地球人たちは盲《めし》いたとすら錯覚したことであろう。悪魔の植物は、青紫色の微光を自ら発している。光線とは思えない無気味なかがやきである。そして四方八方に無限の距離と思われるほど遠くまで、地に這いつくばるように枝と葉を拡げているのであった。
「まあ、これはどうしたんでしょう、ディック?」マーガレットは震えながら訊かずにはいられなかった。「なんと恐ろしい、身の毛のよだつ、不安定な景色でしょう。眼で見えるものは、たとえどんなものであろうと言葉で記述できるはずなのじゃないかしら? でも、この景色だけは、とても……」震え声が滅入ってしまった。
「ふつうの場合はそうだよ、三次元風景ならばね。しかし、これは記述を超えている」シートンは彼女が狂っているのではないと保証してやった。「ね、覚えているかい? ぼくたちの頭脳と眼とは、準四次元になったのだ、だから、物体はそのあるがままの姿にぼくらの眼には見えるようになった。しかし、ぼくたちの個体――つまり知性というか、何というか――ぼくたちをぼくたちならしめている本質は依然として三次元なんだ。だから物体を理解もできないし、記述もできないのだよ。ぼくたちはただ、それらをおおざっぱに三次元的観念に置き換えて、かろうじて把握できるだけなんだ。だが、しょせん、それはごまかしであって、だから真実の近似観念ですら、ほんとは把握できないが、やむを得ない。地平線がないように見えるだろう。あれは、惑星が大きすぎて、無限の拡がりになっているからだ。おそらく、四次元の平坦さなのかもしれない――ぼくにもよくわからんよ!」
二人はそれきり黙ってしまった。そして、狂気の高速度で飛んでいる飛翔体の真下の、気味の悪い惑星表面をじっと見つめていた。飛行船は金切り声をあげて飛ぶ矢か何かのように、水路の右側上空を走っていた。二人の右にも左にも、眼路のかぎり遠くまで、この奇妙な超世界《ハイパーランド》の発光植物が、べったりと地をおおって伸びている。この濃密な妖しいジャングルの幹や葉蔭を、怪物的な動物が這いずり、跳躍し、そしておそらくは飛翔しているのが、眼にとらえられた。
シートンは眼をすがめて視力を凝《こ》らそうとしたが、飛行船の速度が早く、動物の動きも早い上に、照明がほとんどないのだから、四次元の動物の形態を三次元のそれに翻訳することはきわめて困難であった。そのため、いずれ彼がこの先、素手ででも、あるいは武器を帯びてでも、格闘しなければならなくなるであろう動物の形でさえ、またその大きささえ、知ることはできなかった。
「下界にいる動物たち、すこしはどんなものかわかるかい、ペッグ?」シートンが訊いた。「ほら、たったいま河のなかから一匹飛び出て、竹藪《たけやぶ》みたいな密林のなかへ入ったろう。ちらっとでも形がつかめたかい?」
「いいえ。だって、光線が弱い上に、何もかも恐ろしげで、ゆがんで見えるでしょう。ぜんぜん、どれがどうって見分けがつかないわ。でもなぜ? 彼らの何が?」
「このジャングルだよ。ぼくたちは、この道を戻っていかなければならない。歩いて戻らなければならんかもしれない。もちろん、ぼくは飛行船の強奪を企ててみるが、奪える見込みは薄い。たとえ奪っても、操縦できるかどうか、確かじゃない。しかし、足で歩くとなると、どんな動物に出会うか、それを知っておいたほうが、闘うにも好都合だからだ。あっ、速度がのろくなったぞ! あそこ、真っ正面にあるのは何だろう、さっきから気になっていたんだが。キオプスのピラミッドとライン川ビンゲン古城の間《あい》の子みたいな格好だが。しかし、ぼくは都市だと思う。あそこへ向かっているんじゃないかな、この飛行船?」
「この水は都市の城壁から流れだしているんでしょうか? それともわたしには本当に物が見えているのかしら?」
「そうだと思うよ――君の眼は確かだと思う。しかし、なぜ水が? ああ、大きな拱道《アーチウェイ》が見えるね。あれは発電か何かに使っているんだと思うが、そして、この水流は単にその放水路で……」
「あっ、ぶつかるわよ!」マーガレットは絶叫して、シートンの腕にしがみついた。
「ぶつかるようには見えるが、やつらはちゃんと操縦を心得ているんだよ」シートンは彼女の手をしっかりと握って安心させてやった。
「さあペッグ――どんな事態になろうと、ぼくのそばを離れちゃいけないよ!」
はたしてシートンの観察どおり、彼らが近づいていく都市は明らかに巨大なピラミッドの格好をしていった。だが都市を構成する建物のひとつひとつが堂々たる大建築物であり、上へ上へ、背後へ背後へと、銃眼模様をつくって重なり合い、全体として、恐ろしいまでの高さにそびえている。その巨大なピラミッドの基部に当たる、いくつかの建物から成る雄健《ゆうかん》な囲壁の中央に、大きな開口部があいている。高貴なかたちの金属と石材を用いたアーチ型がその上に架《か》けてある。優美なアーチ型の下の水路から奔流が流れ落ちている。それが、長路を飛行船が沿って走った川なのであった。この冒しがたい威容の開口部へ向かって飛行船はしずかに滑降し、徐行しつつ、そのなかへ入っていった。だが地球の二人を驚かしたのは、水路をなす巨大なトンネルが暗黒ではないということであった。左右の壁も、弧線をなす天井も、この国の万物の特徴らしい無気味な紫青色のウルトラ光線で輝いているのである。飛行船は、妖しい輝燿《かがやき》のなかを、しずしずと移動していった。トンネルのなかへ入ったとたんに、通り抜けてきた開口部は消えた。消えたというよりは、その四次元の黒ずんだ紫青色の背景と、識別ができぬまでに混じりあってしまったというべきであろう。
トンネルには曇りがなく、彼らの前後へ無限に真っ直ぐに伸びていた。壁も水面も磨きたてたように滑らかだった。しみも割れ目も波もなく、地球人の眼には、飛行船の速度を測る目印はひとつもとらえることができなかった。飛行船が動いているかどうかさえ、決めかねるほどであった。運動は認められないし、感じられない。時間感覚すらもかなり前から失われていた。シートンとマーガレットは、巨大なトンネルのなかを数インチ走ったのか数マイル走ったのかさえわからない。数秒間の旅だったか数週間の旅だったかさえわからない。だがそのうちに飛行船は、いつのまにか竜骨の下に現われだした金属製の船台《クレードル》の上に、微かな揺らぎを見せて停止した。ドアが開かれた。果てしなき旅(と地球人には思われた)のあいだ筋《すじ》一本動かさなかった超人類は、いかめしいヤスを握ったまま、ドアが開くと船を降りた。地球人が後に続いて船を降りなければならぬことは、態度その他ではっきりと示された。シートンとマーガレットは、護衛と案内役を兼ねた超人類の命令に従って、静かに、抵抗もせずに飛行船を降りていった。事実それ以外にどうすることもできない今の立場であった。
二人のために、長い歩行が待っていた。数えきれないほどあちこちと、廊下を通り、通路を歩かされた。どの道も、まったく目印や特徴を欠き、一様にすべすべとのっぺりしていた。そして一様にあの同じ薄気味の悪い、青白い光であふれており、舗装は超人類には石のように固いのだろうが、重い地球人が踏むと、やわらかい泥炭地のように応える弾力性の材料でできあがっていた。シートンは体じゅうに活力がみなぎっていたが、逸《はや》る心を一生懸命におさえつけていた。仮借ないヤスの、電撃のような小突《こづ》きまわしに抵抗することは一切やめ、むしろ、ヤスのつぎの動きを予測して、それに従うようにした。
それどころか、超人類の捕獲者は、シートンの心のなかを、ヤスのなかを走る電気的な接続で読みとっているおそれすらあった。だからシートンは、外向きの思考をおさえて、どこからみてもおとなしい捕虜だという外観をつくろった。だが、シートンの頭脳は、いまほど活発で鋭敏であったタメシがない。それにノルラミン人から与えられた剛健な精神力が、がっしりと彼の心の骨格を支えていた。廊下、通路、ドアの位置、曲がり具合、角度、交差の仕方などが、明瞭に彼の頭脳に印刻されていった。道程がどんなに混みいっていても、彼はあの長い水路に出る道順が手にとるようにわかった。
シートンの外観と外向けの思考はネコのようにおとなしかったが、内側の頭脳は、最高度に調整されていた。仮借ない処罰の鞭《むち》であるヤスを握った超人類の注意がすこしでも緩《ゆる》んだり、わきへ散ったりしたら、シートンの筋肉はただちに兇暴な活動へ転じるように、バネが畳まれていた。
だが、これまでのところ、超人類の警戒には一分のスキもなかった。超人類の知性は、妖光を発するヤスの穂先に集中されているようであった。捕虜の重量のため、二人を載せたエレベーターが上昇を渋ったときも、ヤスを握った捕獲者の警戒体制は微動だもしなかった。
超人類の発する音声なき命令が続いた。シートンとマーガレットは一本の螺旋《らせん》状に曲がっている斜道を昇っていった。どこまで続いているのかわからぬほどの、長い長い螺旋斜道であった。二人にとって、登りは数時間も続いたと思われた。斜道の床は岩と金属でできていたが、地球人の重い足は、一歩ごとに踝《くるぶし》まで床材料に埋まった。超人類は二人の背後を、空中を漂いながら、無言で急《せ》きたてた。尻尾が風車のようにクルクル回転し、超人類の推進と操舵を行なっているのであった。
ようやくにして、斜道は終わり、長い廊下へ続いていた。廊下の前方は岐《わか》れていた。主廊下が二つの側廊に岐れていた。右側の側廊は主廊と三十度の角度をなしている。しばらく行き、ついで左の別の側廊へ入る。これも第一の側廊と三十度の角度をなしている。最初の四十五度の曲がり角を左へ――三番目の曲がり角を右へ――右側の二番目の戸口へ。二人はとまった。ドアが開く。二人が中へ入った。そこは大きな、オフィスのような部屋であった。この四次元文明の、タツノオトシゴのような奇妙な超人類が多勢いた。あらゆるものが地球人の言語記述を超え、理解を超えているが、机らしいものが数個あった。複雑な機械らしいものが数台見えた。そして、棚状の変な容器が、段々に積み重ねられていた。何の容《い》れ物か、シートンもマーガレットにも、まるで見当がつかない。
しかし二人にとって、いちばんはっきりしていたことは超人類の眼、眼、眼であった。巨眼である。ギョロギョロした眼玉である。それらが不思議そうに地球人を見つめている。見つめながら、じわじわと近づいてくる。だが地球の男女は為すすべを知らない。動くことすらできず、そこに立ちすくんだままである。なるほど地球人の三次元的知性にとっては、眠ったように鈍い、無表情な、動きのない視線であった。だが、超人類にとっては、鋭い視力の器官であるのみか、言語を閃かせる高能率の感官でもあるのだろう。
だから部屋のなかはいま、多勢の人びとの喧々《けんけん》ごうごうたる言葉と手真似足真似で満ち充ちていたのだが、もちろんシートンにもマーガレットにも、それらは見えないし聞こえなかった。二人は、声、思考、パントマイムなど、およそ人間にできるあらゆる手段で両種族の意志疎通をはかろうと試みたが、もちろんムダであった。
そこへ奇妙な装置が部屋へ運びこまれてきて、身動きのできないでいる二人の捕虜の前に据えられた。レンズのたくさんついた機械である。機械レンズが二人を覗いた。そして多色光線が二人を探った。面積計《プラニメーター》、縮図器《パントグラフ》、|グラフ描針《プロッティング・ポイント》などが、二人の身体の細かい部分部分をトレースし、計測値を記録した。だが、まったく異質の知性をもった二つの種族は、互いに相手方を理解しようと努めたが、ついに不可能を認め、挫折した。もちろんシートンは、行き詰まりが何に起因しているかを知っている。三次元と四次元が根本的に両立し得ないことを知恣《ちしつ》しているシートンは、両種族間にコミュニケーションが成立しようとは期待していなかった。超人類がきわめて高度の知性に達した生物であることは認めながらも、そもそも両者の交流ということは不可能とシートンは諦めていたのである。
ところがである。超人類のほうではそうは取らなかった。彼らは三次元の実在が可能であるなどとは思ってさえみないのである。だから、この二人の異邦人とどうしても接触点を見つけだすことができないと知ると、彼らは超重量の異邦人は、こちらの伝達の合図に不感性であると解釈した。そして不感性は要するに、まったく知性を欠いているからだと推論したのである。
会議の議長は、いまの調査を指揮していたのだが、諦めて投げだしてしまった。そして機械装置の動力を切り、地球人を監視してきた護衛の大きい眼へ、ちらと一瞥《いちべつ》をくれ、この生物標本を片づけろと命令した。
「……そして、きわめて、注意深く、彼らを、監視するようにな」と巨眼が命令した。「ただちに、科学評議会を開催する。そしてかれらを、われわれが、できたよりも、もっともっと、くわしく調べるように」
「かしこまりました。お言葉のとおりに、とりおこなわさせます」護衛が命令を承り、ヤスをつきつけ、プロペラを回しながら、捕虜を引き立てていった。高いアーチの出口を通り、またもや廊下、通路、廊下の迷路へ入った。
シートンは、マーガレットの手を自分の腕へ挟みながら、大声で笑った。ヤスを揮う超人類の小役人に急き立てられながら、それを屁とも思わぬ大胆不敵さであった。
「皇后さまがおっしゃったとさ――『なんともおはなしにもならんトンマじゃ。はよう引きたてい!』と」
「どうしたのよ、ディック? 急にそんなに陽気になって。この惨めさ、ちっとも変わらないのに」とマーガレットがいぶかった。
「びっくりしたろう、ペッグ?」シートンが笑った。「たいへんな変わり様なんだよ。彼らは、ぼくたちが筋肉敵にある行動を示さないかぎり、こっちの心は読めない――それがぼくにわかったんだ。ぼくは、ぼくの心のなかを読みとられはしないかと警戒して、君に話しかけるときも、ぼくの心のなかをやつらに気どられないように注意した。だがその心配はまったくないことがわかった。ぼくはもう、遠慮しないでテキパキ行動するよ。このヤスマタなんぞ、とっくに処分の方法がわかっている。この男はぼくたちを牢屋へ入れるつもりなんだ。しかし、入れるとき、ヤスマタの握り方がちょっと弛《ゆる》む。弛んだら、ぼくはひったくる。それからはもう、こっちはラララ、タタタと逃げるだけだよ」
「牢屋へですって!」マーガレットが悲鳴に近い叫び声をあげた。「でも――わたしたちを一緒の房に入れてくれればいいけど!」
「そんなこと心配するな。ぼくのカンでは、いっしょであろうと、別々であろうと、ちっとも構わんのだ。このあたりでは、何から何まで非物質に近いんだ、わかっているだろう? 格闘となったら、君みたいな細腕でも、こいつらの五十人や百人相手にできる。ぼくだったら、この施設全体を束《たば》にして、根こそぎにできる」
「サムソンみたいに? あなただったらできるわね」と彼女は笑った。
「あたりまえさ。それよか、君はポール・バンヤン(米国西部森林および五大湖地方の材木伐出し人の間に伝わる伝説的巨人)を演じたらいい。ぼくはポール・バンヤンが発見したベーブになる。ばかでっかい青い牡牛さ。ぼくたち、このプロペラ尻尾のヘナヘナモンスターどもに、荒くれ男のスープ皿をつくるためにスペリオル湖をえぐりとったんだということを見せてやろう!」
「まあ、あなたの言葉で、わたし、すっかり元気が出たわ、ディック。わたしの覚えているのでは、ベーブって角と角との間の間隔が斧の柄《え》四十七本分もある怪物だから、いくらあなただって、ベーブになることはムリだけど」だがすぐ真顔になって、「ほら、とうとう来たわ、ここよ。おお、神様、かれがわたしを、あなたと一緒に置いてくれますように!」
二人は金属格子のそばで停った。格子の前に、もう一人の超人類が、プロペラ尻尾をゆっくりと振りながら立っていた。この男は、自分がシートンの看守になるはずだと思っていたのであろう。格子の戸を開けながら、シートンをつれてきた護衛と視覚会話を交わした。わずかの時間であったが、これぞシートンの待ちあぐねた一瞬であった。
「ははーん、これが外の空間からやってきたやつかい、肉体が固体金属よりはるかに密度が高いという?」看守になるはずの超人類が訊いた。「ずいぶん、てこずらせたかい?」
「いいや、ちっとも。ぼくは、こいつに、いちど触っただけだった。きみがここで監禁しておく、こいつだよ。第三段階の超エネルギーをむけただけで、しぼんでしまったよ。しかし、命令は厳格だ――たえずこいつらを監視しておれ、ということだ。こいつらは低能で、まるで感覚のない動物だよ。こいつらのおおきな図体や恰好から、だいたいの察しはつくだろうが……。こいつらは、最低レベルの知能さえないんだ。しかし体力はすごいようだ。ヤスマタの制御を破ったら、たいへんだよ、とんでもない暴れ方をするかもしれない」
「よしきた。交代時間まで、一刻も、目をはなさずに、こいつを監視しよう」
そう言って看守は、自分の持っていたヤスマタをすこし下げた。そして、長い、触手のような腕を、同僚の持っているヤスマタのほうへ伸ばし、その溝と瘤《こぶ》のついた柄をしっかりと握った。その間も、穂先の電極のような歯は、シートンの筋肉組織の奥深くに突き刺さっていたのである。
シートンには超人類の視覚会話には気づきもしなかったし、ぜんぜん感じもしなかった。だが彼は全身を警戒に緊張させていた。護衛のヤスマタの握りが、すこしでも弛むすきを狙って、彼の精神はぴんとバネのように張りきっていたのである。こうして無気味な個体から他の個体へと、管理の移管が行なわれたその一瞬こそ、彼の電光石火、超能率の行動の刹那であった。
彼は身体をひねり、飛びすさって、ヤスマタの歯牙から遠のいた。手は稲妻よりも早く動いてヤスマタの柄を握り、閃く弧を描いてもぎとった。それを力まかせに超人類のグロテスクな頭部へ叩きつけた。
武器やグロテスクな頭部の物質的な性質には、考えは及ばなかった。彼はただ、ヤスマタの縛りを振り切り、振り切った瞬間には打ち込まなければ永久に勝機は失われると決意していただけである。だがシートンの揮《ふる》っているのは、地球の棍棒でもオスノームの棍棒でもない。また彼の相手は人間のような肉体でもないし、三次元の物体でもない。
衝撃でヤスマタは粉々に飛び散った。だが、これを飛び散らせた背後の力が大きかったから、各断片は、看守の稀薄な体構を貫通した。体構はすぐさま、液状の塊りとなって床に崩れてしまった。シートンはヤスマタの、柄だけになったものを握っていた。その姿で、護衛へとびかかっていった。護衛はマーガレットを押さえつけ、ヤスマタの穂先を開きながら、彼のほうに進みでてきていたのである。
シートンは柄を投げつけた。護衛はするりと身をかわした。そのすきに、シートンは独房の鉄格子へ飛び、力まかせにドアを引っぱった。ドアの蝶番《ちょうつがい》を固定しているアンカー・ボルトが石壁から抜けた。シートンはドア全体を振り回した。鉄格子のドアは、やわらかい護衛の身体をサイコロのような断片に刻み、力は余って、独房の中を走り、反対側の壁にぶつかり、深くえぐり取るとともに、壁の大半を破壊した。
「大丈夫かい、ペッグ――やつは君に電気ショックを加えたかい?」
「大丈夫、らしいわ。かれ、いたずらをするヒマがなかったようよ」
「よかった。さあ、早く逃げよう。ちょっと待って、楯《たて》を二つ作ったほうがよさそうだ。あの電気ナマズを二度とぼくたちに突きつけられないようにしなくっちゃ。電気ナマズさえ触わらなければ、ぼくたち、ここでも自由に動けるんだ。あいつにやられると、まったくダラシがなくなってしまう」
しかしそのときもう、警戒は行きわたっていたのである。二人が通らなければならない廊下には、すでに重武装の一団が進んできていた。シートンは一歩進みかけたが、これだけ大勢のなかを、ヤスマタにひっかけられずに突破することは不可能と見て、とっさに作戦を変えた。彼はこわれたうしろの壁へ飛び、石壁のすきまに手をかけて、大きな石塊を引き抜いた。支えを失った独房の天井は、彼の身体へ落ちてきた。粉々に砕けた破片は、彼の固い身体に当たって、はねかえった。まるで無数のふわふわした枕が破れ、中身のフォームラバーが雪片のように飛び交ったようであった。降りしきる雪嵐の中を、シートンは小山のような石塊を持ち上げて、廊下をひしめいている超人類の一団へ向かって投げつけた。
密集部隊のど真ん中を、巨大な石塊が飛んだ。まるで歩兵の集団を、真っ正面から戦車が突破するようにである。石塊はひとつだけではない。
シートンは手当り次第に大石をつかみ、矢つぎ早に投げつけた。超人類は算を乱して逃走した。
超人類にとって、シートンは、幽霊のようなかぼそい生物に向かって、綿毛をちぎっては廊下へ投げている、血と肉の一個の人間ではなかった。彼らにとっては、シートンはどんな金属よりも硬い、密度の高い、強靭な何かの材料から出来あがっている一個のモンスターであった。その非武装の頭へ、石、煉瓦、構造鋼が雨霰《あめあられ》と降り注いでも擦り傷すら負わない、想像を絶した威力エンジンで駆動される一個の巨人であった。花崗岩とコンクリートと鉄と石とを手玉にとって、血と肉とでできた人間の隊伍へ向かって投げつける恐怖の怪物であった。
「さあ行こう、ペッグ!」シートンは歯ぎしりして言った。「もう邪魔者はいないと思う。馬面《うまづら》のタツノオトシゴどもに、人間さまを手籠《てご》めにするのは大変な仕事だということを見せてやろう。ぼくたちは勝った!」
液体のこぼれたような屍骸で埋まった廊下を二人はおっかなびっくりで急いだ。戦闘の場は過ぎ、交差点、十字路をつぎつぎと通り越した。はじめ二人は、八方に気を配り、こわごわともと来た道を急いだ。だが、待ち伏せはなかった。超人類たちは、恐ろしいモンスターに無事平穏な退去を願ったのか? とにかく、マーガレットの足が動くだけ早く、二人は帰路を急いだ。
だが、四次元空間都市の住人たちが、二人の追跡をまったく諦めたのではなかったことを、シートンはすぐに知らされた。柔い廊下の足許が突如として弛み、二人は陥穽《おとしあな》へ墜落したからである。だが地球上での墜落とは異なり、ふわふわと漂いながら静かに落下したのである。マーガレットはこわくなって悲鳴をあげたが、シートンは冷静であった。
「大丈夫だよ、ペッグ、穴ぼこの底まで落ちたほうがいい、歩く手数と時間が省ける。もっとも、あんまり景気よく落っこちて、そこに嵌《はま》りこんじゃって抜け出られなかったらコトだが。楯を拡げたほうがいいよ、ペッグ。楯の上へ落ちるようにするんだ。怪我はしないよ」
落下がゆっくりだったので、衝撃の身構えができた。シートンもマーガレットも宇宙空間の無重力状態には慣れていた。地底にぶつかるとき、二人は金属の遮蔽板を身体の下部にぴたりとくっつけていた。重い身体が地底の舗道に当たったので、楯はひしゃげ、こわれた。銀行の大金庫の鋼鉄のとびらが、固いコンクリート床へ片側を平らに斜角でぶつかって深くめりこんだら、こんなふうに歪《ゆが》むことであろう。
しかし楯は目的に役立った。地球人の身体が、地下牢の床深く、首まで埋まるのを防いでくれたからである。怪我さえしなかった。よろめきながら立ちあがると、そこは大きな洞窟のような部屋であった。深照灯のように、六個の投光器が、やわらかい、かすかにピンクづいた白光で彼ら二人を包んだ。
シートンは何が何だかわからず、四辺《あたり》を見まわした。超人類の一人が彼の視線にとらえられた。超人類は、ちょうどビームに照らし出されたところで、たちまちのうちにその身体は縮み、ふわふわと漂う数本の綿毛のような光った物体と変わり、それすら数秒のうちに消えてしまった。シートンたちを狙い損ったものらしい。
「ひゃあ! 殺人光線だ!」とシートンは叫んだ。「ぼくたちの本質が三次元でよかった! もし四次元だったら。何で殺されたかわからんうちに、消滅させられていただろう……どれ、すこし様子を探ろう――あの河はどこだろう? ああ、こっちだ。この楯持っていったほうがいいだろうか? 持たないほうがよさそうだな。こんなオンボロになった遮蔽板、棄てちまおう。途中でいいのを拾おうよ。君には、これに似た格子を見つけてやる、フレール(中世紀に用いられたからざお状の武器)に使えるようなのを」
「でも、あっちの側では、ドアはないわよ」
「なくったってかまうものか。歩きながらドアを作ってやる」
重い長靴で、眼の前の壁を蹴った。壁の一部がめりこんで崩れた。あと二た蹴りで、大きな壁穴が明き、二人はそこを通り抜け、通路をいくつも曲がりながら、川のほうへと急いだ。廊下を歩いていて、川があるとわかっている方向に通路があいていないと、シートンは勝手に壁を破って通り抜けていった。
二人の前進を阻《はば》むものはなかった。超人類たちは、想像を上まわる恐ろしい怪物たちが一刻も早くこの都市を去るのを望んだらしく、もう追手はなかった。こうしてすぐ、地下に埋めてある水路へ出ることができた。
だが、例の飛行船はどこにも見えない。といって、シートンは捜査に時間をつぶす気はない。彼は飛行船に乗っているときも、四次元の制御装置はどうしても理解ができなかったから、たとえ飛行船が見つかっても、拿捕《だほ》して、それに乗って逃亡できる見込みはほとんどなかった。で彼は、マーガレットの腰へ腕をまわし、いきなり激流のなかへ身をおどらせた。
「溺れてしまうわよ、ディック!」マーガレットは抗議した。「水は稀薄で、とても泳ぐなんて無理だわ。わたしたち石ころみたいに沈んでしまうわ!」
「沈むさ。だけど構わんじゃないか。どだい、ぼくたち三次元の空間を出てから、君は何度呼吸したと思う?」
「何度って、数千回でしょ? いや、そうじゃないわ。あなたがおっしゃるから考えたけど、呼吸した気持、まるでないわね。でも、私たち、四次元へ来てから、こんなに長い間……おお、わたし本当は何もわからないんだわ、どうしましょう?」
「君はぜんぜん呼吸していないんだよ」シートンは彼女に教えた。「呼吸していないのに、ちゃんとエネルギーを消費している。説明はただひとつ、――つまり、ここには四次元的な酸素があるに違いない。でなければ、とっくに窒息してしまっただろうからね。しかし、ぼくたちは三次元構造だから、その酸素を吸いこんで、細胞に酸素のご利益にあずからせることはできない。細胞が、じかに酸素をつかむんだと思う。ついでだが、それだからこそぼくはいま、狼みたいに腹が空いているんだと思う。しかし、食事は三次元空間へ戻るまで待たねばなるまい……」
シートンの予言どおり、二人は河底の金属床を何の苦もなく歩いていけた。シートンは、いまだに歪んでボロボロになった楯を構えていた。
トンネルの終端地殻では、鮫《さめ》に似た魚が一匹、恐ろしい歯のあごをあんぐりと開けながら、二人のそばを矢のように通りすぎた。シートンはとっさに左手でマーガレットを自分の背後へ隠し、右手で四次元の鉄格子を揮って深海のモンスターにぶつけた。叩きつけられ、怪魚は一片の紙くずみたいに揉《も》み縮まり、死んだまま流れに浮かんで去っていった。シートンはがっかりした様子で、漂っていく魚を見送りながら、
「殺す必要はなかったのに、おろかなことをした……」
「必要なかったですって? だって、わたしを咬もうとしたのよ!」
「そう。咬もうと≪思った≫のだ。だが咬めはしないんだよ。ちょうど地球の真物のサメが、戦艦のチルド鋳鋼の船首を噛み切ろうとしても、できっこないと同じだ。ほら、もう一匹やってきた。ぼくは腕を一本噛ませてやる。美味《おい》しがるかどうか、見てごらん!」
醜悪な海のモンスターは、すさまじい勢いでシートンに突っかかってきた。飛び出た鼻先が、差し出されたシートンの剥きだしの腕にぶつかりそうになった。だが、ぶつかる手前でぴたりと止まり、じっと動かなくなった。そして、こわごわと触ってから、逞しい尾をひと振りして逃げていった。
「ほらね、ペッグ。ぼくたちが美味しい食物じゃないとわかっているんだ。この世界の動物たちは、ぜんぜんぼくたちに害はしない。肉刺し棒をもった知性人だけだよ、ぼくたちが避けなければならんのは。ほら、岸に着いた。そっと昇ったほうがよさそうだ。あの砂地が固いかどうかわからんから。早く岸へ行ったほうがよさそうだな」
明るい照明の溢れた金属の舗道から、二人は自然の河床の砂地へ踏みだした。頭上は憂鬱な濃い闇であった。両岸にへばりついている青っぽい微光を放つ植物でかすかに弱められている、ビロードのような暗黒であった。注意して足を踏みだしたのだが、砂のなかへ腰まで埋もれた。悪戦苦闘のすえに、ようやく近い岸の、硬い地面へ移ることができた。
硬い地面へ着くと、二人は送れた時間を取り戻すことができた。足をはやめ、軽やかに下流へ向かってドンドン歩いた。何マイルも歩いたとき、とつぜん、まるで宇宙のスイッチが開かれたように、田園を蔽う植物の幽霊じみた微光が消え、想像もつかないような深い闇が降り立った。地球の夜のような、尋常の闇ではない。形容を絶した、完全な闇、あらゆる光の欠如である。
「ディック! あなたどこなの?」マーガレットが恐怖の金切り声をあげた。
「ここだよ、ペッグ――落ち着くんだ、落ち着くんだ」まさぐる二人の指がからみあった。「彼ら、また光りはじめるよ。多分これが彼らの夜らしいんだ。明るくならなければ、何もできはしない。こんな闇のなかじゃ、スカイラーク号も見つけられないし。手さぐりで下流へ行っても、曲がり地点の目印になっているあの小島は見つからんだろう。ほら、ここ――形のよい、柔かい岩がある。ぼくは岩に背をつけて坐っている。君はぼくの膝を枕にして横になれるよ。すこし仮睡をとろう。≪よく眠るもの、よく食す≫と言ったのはポルトス(アレキサンドル・デュマ『三銃士』の主人公の一人)じゃなかったかな? それともデュマの小説のなかの誰かだったか?」
「ディック、あなたってほんとに素敵な人ね、そんなふうに言うなんて?」マーガレットの声は感動で震えている。「あなたの心のなか、わかるわ、わたし。おお、神様、あの二人に何事もありませんように!」シートンはやさしい忠実な友だちではあるが、心はひたすらに、スカイラーク2にいるはずの愛するドロシーに向かっているだろうことを、マーガレットは知っているからである。それは、彼女の心をマーチン・クレーンがいっぱいに占めているのと同じであった。
「あの二人、大丈夫だとも。心配するな、ペッグ」逞しいシートンの身体に恐怖の震えがきたが、彼はすぐさま抑さえながら言った。「彼らは、スカイラーク号を井戸の底から引き揚げるまでの間、二人を船内にとどめておけると思っている。あのときぼくがいま程度に彼らについての知識があったら、とても彼らにこんな勝手な真似はさせなかったのだが……。まあ、泣きごとを言っても始まらない。しかしぼくは、何とかしなければと焦っている。早く第二号へ戻らないと、ぼくたちはこのまま三次元へ戻されてしまって、空っぽの宇宙空間へ放りだされかねないからだ。あっ、それとも、必ずしもそうはならないかな? 時間座標はもちろん変わる。変化すれば当然、ぼくたちは好むと好まざるとにかかわらず、転位の刹那にぼくたちのいた当初の位置に――ということはスカイラーク号内部に――戻されるんじゃないだろうか、この超空間超時間連続体のなかで、どこにいようとも。ああ、ぼくには難しすぎる、とても考えられない。マートが一緒にいてくれたら、彼が考えてくれるのだが……」
「おお、マート、マート!――マートが一緒にいてくれたら!」とマーガレットが震えながら叫んだ。
「まあ、ぼくたちは、第二号がぼくたちを放ったらかして逃げていきやしないと、タカをくくっていようや! たしかに、そういう可能性だってあるんだからな。ほかに何もできなければ、そう考えて気を安めていたほうがいい。さあ、お目々をつぶって、ねんねしなさい、ペッグ」
二人はそれきり黙りこくった。マーガレットはときどきウトウトし、この不可知のジャングルのなかを彷徨する動物たちの不機嫌な唸《うな》りに、びくっと眼をさました。シートンは眠れなかった。彼らが自動的に宇宙船へ戻れるという彼の考えだした仮定も、ほんとは自信も何もないのである。冴えかえっている彼の想像力は、宇宙船の装甲板の外の空無のなかで忽然《こつぜん》と三次元へ戻される恐ろしい可能性へと、ついつい走ってしまうのであった。また、その同じ想像力は、ドロシーを想い出させた。遠いオスノームで結婚して以来、こんなに長い間離れていたことは一度もない。愛する妻は、いま何をしているのか、どんなことになっているのか? 彼は何かをしなければならない、何でもいい。何かをしていないでは居ても立ってもいられない! 彼は狂いそうな行動への衝動と闘わなければならなかった。超空間の絶対の闇へ、行動を求めて飛び出してしまいたい気さえした。始めると同時に失敗に終わる暴挙であろうとも、この四次元の空間でスカイラーク号が消えてしまわないうちに、愛するドロシーのいるその宇宙船へ飛びだしていきたい! と彼は思った。
しだいに苛立ち、濃い絶望感に打ち沈んでいくシートンをよそに、超世界《ハイパーランド》の底知れぬ夜は無限の時を刻んでいった。どこまでも、終ることのない、這うような、のろのろとしか経過しない、深い深い夜が続いていった。
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一二 再会
超世界《ハイパーランド》は、暗くなったのも突然なら、明るくなるのも、それに劣らず突然であった。しだいに明るくなっていくとか、夜明け前の微光とかいうものではない。超空虚のプラチナ的暗黒のなかに、かすかな可視光線をもとめて盲《めし》いてしまいそうになっていた彼の眼に、突然、一瞬に爆発したように光線が溢れてきたのであった。田園風景の全体が、突如として鮮烈な輝燿《かがやき》のなかへ跳りだしたのである。光がくるとともに、シートンは大声で叫んで立ち上がった。
「わあーッ! 光をみてこんなに嬉しかったことは生まれて以来なかった、たとえ青っぽい妙な光だとしても! ペッグ、君だって眠れなかったんだろう?」
「眠れなかったですって! 二度と眠れるとは信じられないわ。まるで何週間も何週間も眠っていたみたい!」
「長い感じだったろうが、時間はこの世界にいるぼくたちには無意味なんだよ」
二人は水流に沿った狭い水ぎわを足早に歩きだした。長いあいだ、二人は口もきかなかった。と、突然マーガレットが、狂ったように叫んだ。
「ディック、わたし気が狂いそうだわ! もう狂っているんだと思うわ。わたしたち歩いているようだけど、ほんとは、歩いているんじゃないわ! 行けども行けども、どんなに早く歩いても、どこへも着かないじゃないの。永久に、永久にどこへも……」
「しっかり、ペッグ! じっと歯を食いしばるんだ! もちろん、ぼくたち、三次元の意味では、歩いているんじゃない。でもやっぱり、進んでいるんだ。一歩一歩近づいているんだ。ぼくたち、あの飛行船の半分ぐらいのスピードで移動しているんだよ。そう思えば心が明るくなるじゃないか! あんまり細かいことは考えないほうがいい。どうせぼくたちには何も理解できないんだから。ここじゃ、一切難しいことは考えないことにしよう、いくら考えたって一塁へは着けない。しかし、肉体的にはちゃんと着けるんだ! さあ、それでいこう!
時間のことは、ただもうすっぽりと頭から抜くんだ。ぼくたちにとっては、今のこの災難は、たとえ千年も続いたように見えても、本当はぼくたち自身の時間にしたら、数千分の一秒にも当たらない刹那の出来事なんだ。この信念を帽子に貼りつけて、絶対忘れないようにしたまえ。数千分の一秒! 数千分の一秒! と叫んで、ぴちんと指を鳴らして元気づける。わかったね? それに、おかしいのは君じゃない。君のまわりのあらゆるものがおかしいんだ。ほら、ユースタス卿とか言ったアタマのおかしな御仁《ごじん》がぼくに変なことを言ったね、覚えているかい? あれと同じだよ。『ねえ、シートン兄貴、このあたりの連中はわしを外国人と思っているようだが、とんでもないことだよ。外国人ばかりの国のなかで、わし一人が本国人だということ、彼らはわからんのだ』って」
シートンの至極《しごく》のんびりした講釈と励ましに、マーガレットは大笑いし、いつもの元気をとりもどした。こうして無限と思われる長旅が続いていった。水ぎわの行軍はあまりにも長くつづき、緊張と心痛で気もそぞろになったシートンは、赤石のオベリスクがある小島が見えないうちに、いまにもまたばったりと、あらゆる光線を奪われた夜が来はしないかと気を揉《も》んだ。
「うーむ、見えたぞ! あれで勇気百倍だ!」赤石のオベリスクが見えたので、シートンが雀躍《じゃくやく》して叫んだ。「もう二、三分だよ、ペッグ! おお、もう二、三分、昼が持ちこたえてくれますように!」
「大丈夫、持ちこたえるわよ!」マーガレットが自信を得て叫んだ。「こんなに近いんですもの。あの三つの頂上、どうやって針路を見失わないようにするの? あのジャングルのなかを通っていけば、見えなくなるでしょう?」
「なあに、井戸のなかの魚を狙い撃ちするよりも容易さ。ぼくがあのオベリスクみたいなものが見えて喜んだのは、ひとつはそれだよ。オベリスクは相当高いし、大きいから、ぼくの体重ぐらいは支えてくれる。だから、あそこに登れば、三つの頂きはすぐ見えるよ。ぼくが先に登って、君に手旗信号を送る。そして君を針路へ入れる。それから、針路にポールを立てる。それから断乎ジャングルへ踏み込むんだ。ジャングルを行きながら、つぎつぎと後視を設定していく。こうして一マイルかそこら歩けば、必ず三つの頂上が見えてくる。あとはスカイラーク2を見つけるのは何でもないよ」
「しかし、そのクレオパトラの針を登るのが大変よ。だって、真っ直ぐに突っ立っているんでしょ? どんなにしてよじのぼるの?」
「なあに、二本の熊手をつくればいいんだ――みててごらん」
シートンは楯に携えていた独房のドアから、鉄棒を三本もぎとり、撚《よ》りあわせて、頑丈な棒をこしらえた。棒の一端を折り曲げ、先端を両手でしごいて尖《とが》らせた。作業には、すさまじいシートンの筋力すべてを要したが、金属はゆっくりと撓《たわ》み、完全な形の鈎棒《かぎぼう》になった。全長七フィート、一端には鋭い鈎がついている。シートンはもう一本を作り、マーガレットに声をかけると、小島に向かって、靄《もや》のように稀薄な水流へと飛びだしていった。
彼はすぐオベリスクの根元へ達した。つるつるの円い表面へ、彼は鈎棒のひとつをひっかけた。だが打ち方が強すぎた。棒は、この不思議な世界で知られたもっとも剛性の金属で出来ているものの、オベリスクもまた硬い石であった。鈎棒は打ち返され、形が変わり、用をなさなくなった。
シートンはすぐ崩れた形を修理し、こんどは、もっと慎重に作業をはじめた。鈎棒がどの程度の圧力に耐えるかがすぐわかった。また鋭い鈎先をオベリスクの石へ打ちこむ最適の方法も習得した。やがて二本の鈎棒がしっかりと岩石に喰らいついたとき、彼は重い片足の先を石にかけ、よじ登っていった。
だが登りはじめると、右の鈎が石に刺さらなくなった。鈎先が磨滅してしまって、刺さらないのである。ちょっと考えたすえ、シートンは両脚をしっかりと石へ固定し、左の肱下に鈎棒をはさんで上体を支え、右手をのばして、鈎棒の下端をとらえて背に回した。こうして上体を左の鈎棒のループのなかに支えてから、自由になった両手で、右の鈎棒の先端を尖《とが》らしにかかった。
「気をつけて、ディック――落っこちるわよ!」とマーガレットが下から叫んだ。
「落っこちないように頑張ってみる」シートンは陽気に叫び返した。「ここまでに、ずいぶんとヒマと力をかけたから、捨てるのが惜しいんだ。落っこちても怪我はしないよ。でも、君は駆けつけて、地面から掘りだしてくれなければならんかもしれんが」
落ちはしなかった。鈎は故障なく、ふたたび先端を鋭く修理ができた。巨大な垂直の柱を、シートンは蠅《はえ》のように登っていった。それからなお四度、鈎棒をとがらせなければならなかった。が、ようやくオベリスクの頂点に突っ立つことができた。この高所から眺めると、三つの頂上はわけもなく見えた。それよりも、スカイラーク号が埋まっている巨大な竪坑の坑口のあたりに、超人類が群らがって忙しそうに働いているのさえ望むことができた。マーガレットが小さな立木を一本折った。シートンはオベリスクの頂点から、測量技師が主旗の据えつけを指揮するように、マーガレットに立木を立てる場所を教えた。
「左――ずっと左!」シートンは鈎棒を大きく振って合図した。
「ようし、ゆっくり!」左腕をあげた。
「ようし、一直線だ!」両腕を一度上下した。もう一度慎重にチェックしろ、の意味だ。
「ほんのわずか、うしろ!」右腕がうながすように前へ伸びた。「ようし、ぴたりだ――打ち込め!」両腕が二度上下した。女流旗手は、標柱を砂中ふかく押し込んだ。
「君、この下へ来ていてくれよ、ペッグ!」シートンは急いで降りはじめながら叫んだ。「鈎がなまくらになるまで、こうして降りていくが、あとは、わざと落っこちる――鈎をとがらすヒマがないんだ。君は助けに飛びださなければいけなくなる……」
三分の一も降りないうちに、一方の鈎が効《き》かなくなった。それから大股に数歩下へ足場をもとめたが、そのつぎの数歩はもう足がかりさえない。鈎も石もこそげる力さえない。すでに墜落の姿勢になりながらも、シートンは身体を引きしめ、曲がった二本の鈎棒を交叉させて真横に尻のほうへ渡し、ひらひらと漂いながら落下していった。地球で言えば五フィートの棚の上から飛び降りるより強く、地面を打った。それだけの衝撃でしかないのだが、柔かい超地面では、すごい衝撃なのである。三つ撚《よ》りの鉄棒も役に立たず、砂地へ数フィートも埋まってしまった。
しかし、幸いマーガレットが、格子板を持って下で待ちかまえていてくれた。彼女の助けで、彼はもがきながら地中から脱けだした。二人で川を渉り、マーガレットの立てた標柱のほうへ急いだ。そして、オベリスクと標柱で確立された直線に沿って、彼は濃密なジャングルのなかへ飛びこんだ。マーガレットが後についてきた。
ジャングルの植物群は、無気味な格好の灌木、蔓《つる》草の類、竹のような植物から成り立っていた。ジャングルの壁は厚く、強靭ではあったが、人間の重く固い肉体の進路を塞ぐほどの強さはなかった。それにしても邪魔っけな下生えでずいぶん進度を鈍らされたので、先に立ったシートンは、あたまにきてしまった。
「こんなこっちゃ大変だよ、ペッグ」立ち止って言った。「蔓草で、やがては君も立ち往生させられてしまう。それに、針路を見失ってしまう。どうしようか? よし、ぼくはこの魔法の杖で、道を切り抜いていく。草なんぞ、そう大して強そうにも見えん」
ふたたび歩きだした。シートンの持っている鉄格子はボロボロになって、とても牢獄のドアとは思えない。それでも彼はそれを右へ左へとふるって道を拓いていった。いわば鋭い大鎌に薙《な》ぎ倒されるように、植物は倒れていった。蔓《つる》や蔦《つた》が二人にからみつき、まつわりついた。裂けた木の幹が二人の頭上に漂い、粘っこい膠《にかわ》のような樹液を散らした。すでに想像も及ばない歳月のあいだ堆積した腐木の上へ、折れた樹身や樹液がさらにねばつき、もつれあい、折り重なり、道は二人にとって通り抜けるのがますます難しくなっていった。濃密な自然が束となり、洪水となって二人を取り囲み、包みこみ、じわじわと二人を疲れさせ、ついには倒し、呑みこもうとしているかのようであった。
道は阻まれたが、暗さと頼りなさが二人を恐怖で鞭《むち》打った。二人は無我夢中で樹海の底を突きすすんだ。ジャングルの薄気味のわるい微光の下には、彼らの前に無限の闇が続き、それはさらに長さを増していった。シートンは連棹《からさお》のように鉄格子をふるって、立ちはだかるジャングルの腹なかに径をあけ、マーガレットは、もつれあう下生えや、寄生植物の触手のからみつきを排しながら、彼の後につづいた。
シートンの巨躯《きょく》と肉体にひそむすさまじい活力は、敵意を秘めた、しつこい薮の抵抗を押しつぶして進むことができたが、ツタ類の際限のない引っ張りと絡《から》みつきとは、マーガレットの可憐な体力をやがて絞りつくしてしまっていた。
「待ってよ、ディック!」力が尽きかけ、彼女は消え入るような声で救いをもとめた。「わたし、追いつけていけないと告白するのは辛いわ、あなただけで、一生懸命に切り開いていって下さるのに。でももう、わたし、すこし休まなくては、歩けないみたい……」
「よし……」シートンが言いかけたが、前方を睨んで絶句した。「いや、休んじゃいけない。あと一分間頑張れ、ペッグ! もう三歩踏んばれば、悪魔のジャングルは突破なんだ」
「たったの三歩――それくらいなら行けるわ、もちろん。じゃ、行って、マックダフ!(シェイクスピアの『マクベス』から)」
それから数歩にして、彼らはようやくジャングルの厚い樹壁を抜け、手で掬《すく》えそうな闇のなかに飛び込んでいた。そこは広大な、ほぼ円型の地面で、厭わしい悪魔の植物は生えていなかった。地面のほぼ中央に、スカイラーク2の引揚げ作業を行なっている人びとの建物や構築物が、うっすらと青光りして見えた。竪坑の縁にはたくさんの四次元の機械が据えつけられていた。竪坑の広いエプロンとデリック起重機には、無数の超人類たちが集まっていた。
「ぼくのうしろに密着して、ベッグ!」情況を急速に、だが適確につかんだのちシートンがマーガレットに命令した。
「楯を振りあげ、いざとなったら振りおろせるように支えていたまえ。やつらは、ぼく一人であしらえる。しかし万が一、ぼくの背後へ回りそうな不心得者があったら、それでどしゃりと叩きつぶせばいいんだ。やつらの突き刺し棒は痛いから気をつけてね。二度とあれに刺されんようにしなければ」
「めったに刺されはしないことよ!」彼女は感情をこめて言った。「ちょっと待って、ディック――あなた一体どこなのよ? ぜんぜん眼が見えないわ」
「そうだ、見えないんだ。気がつかなかったが、光線がぜんぜんないんだ。あの植物の微光は、ここまでは届かない。ぼくたち、手を握り合って進んだほうがよさそうだ。あの仕事場へ充分接近して、すこしは何をやっているか見えるまで」
「でも、わたしは手が二本しかない――タツノオトシゴじゃないのよ。ドアと棒とそのほかで手は一杯だわ。あっ、でも、こんなもの、軽いんだから、脇にはさむわ。どれ、どこなの、あなた?」
二人はまさぐり合って手を握り、大胆にも暗闇の中央部の作業場へと進んでいった。闇は濃く、手で掻き分けられるほどであった。シートンにはマーガレットの姿も見えない。自分の持っている武器も楯も見えない。歩いている地面すら、ほとんど見分けがつかない。それでも彼は断乎として前へ前へと足を踏み出していった。女を、ほとんど身体につけて曳きずるようにして進んだ。そして眼は、目標物である、ぼんやりと幽鬼のように青く霞《かす》んでいる建物類のほうに固定していた。
「でもディック! そんなに早く歩かないでよ! わたし何も見えない――眼の前に手をかざしても見えないんですもの。何かにぶつからないかと、気になって仕様がないわ!」
「急がんといかんのだ、ペッグ!」シートンは足を緩めはしない。「ぼくたちとスカイラークの間には、大きな物体はない。でなければ、あの微かな光をバックにして、何かが見えるはずだ。たとえつまずいても、やわらかいものばかりだから、怪我することはない。しかし、あそこへたどりつく前に、また夜になったら大事《おおごと》だ」
「ほんと、そうだったわね。夜は突然やってくるのだったわね」マーガレットは盲滅法にシートンの前に飛びだしていった。地殻の割れ目のように恐ろしい夜への恐怖が、物の見えない怖さ、ものにつまずく怖さを圧倒して、彼女は遮二無二《しゃにむに》に走った。シートンは追いつくのに骨が折れた。
「かれら、わたしたちの近づくのを気づいたらどうするの?」
「気はつくだろうな。しかし、やつら、ぼくたちの姿は見えないと思うよ。もっとも、ぼくたちの知らん、どんな奇妙な感覚器官をもっているのかわからんが。どっちにしても、ぼくたちの襲撃を防ぐつもりなら、やつらも早く気づかなければどうにもならん」
超人類たちは二人の接近するのを見ることはできなかった。しかし、不可知のある方法で、すでに地球人の接近を警告されていたらしいのである。というのは、いくつかの探照灯が突然生き返り、青白い、無気味な光芒を投げかけたからである。濃い闇のなかを、幾条もの光芒が、地球人を捜しもとめて、ぐるぐると回り、交叉していった。
光条を見たシートンは、超人類も光線がなくては物は見えないのだと悟った。すぐ作戦があたまにひらめき、彼は闇のなかで不敵な微笑を浮かべながら、片手をマーガレットの腰にまわし、話しかけた――いや思考波を送った。
「ビームのひとつが、遅かれ早かれぼくたちを照らし出す。やつらはビームに沿って何かを送ってこよう。そうしたら、ぼくは飛び上がるから、君も飛ぶんだ。力いっぱい、真っ直ぐ上に、きれいに跳べ!」
まだ喋っているうちに、一本の光条が二人の姿をみつけ、まともに照らし出した。その瞬間、ビームに沿って、超人類の一隊が空中を飛んできた。みんな奇妙な武器をもっている。何に使うのか、二人の地球人には見当もつかない。
しかしそのときもう、シートンもマーガレットも飛び上がっていたのである。地球人の筋肉が出しうるだけの力を足にこめて、勢いよく飛び上がったのだ。超惑星の重力はごく微かだから、飛び上った二人の速度はすさまじく、超人類の眼から見たら、地球人がふと消えてしまったとしか映らない。
「ぼくたちがいたのを、おそらく地面の震動か何かで探知したのだろう。しかし、やつらは光線がなければこっちを見られない。そこを狙うのだ」シートンは、マーガレットと上へ上へと舞い上がりながら、気軽な調子で話しかけた。「いちばん高い起重機のあるところへ降りる。そこでやつらを、束にして処理する」
しかし、超人類たちが地面の振動で二人の存在を知ったというシートンの観察は誤っていた。三次元の地球人にはわからない摩訶《まか》不思議な手品で探知するものらしい。というのは、瞬時に地球人が消えても、探照灯の光条がもたついたのはほんの一瞬であったからだ。光条は上を照らし、逃げていく地球人の輪郭をさっきよりも鮮かに、青白い光のなかに浮き出させた。と同時に、光の道に沿って、人間飛行機ともいうべき超人類が数人急上昇してきた。ところがこんどは空中だから、いかに馬鹿力のある地球人といえども、横跳びに逃げることができない。
「よくないね、こりゃ」シートンが舌打ちした。「地面にとまっていたほうが良かったらしい。結局、やつらはぼくたちを追尾できるということだ。それに、この空気は、やつらの自然のホームグラウンドだからな。しかし、こうなった以上は、空中で闘わなくてはならない。背中と背中をぴったり合わせていよう、地上へ落ちるまで」
「でも、どうやって、背中同士あわせて置けるの? そうしようとすれば、すぐ離れちまうじゃない? 離ればなれになったら、彼ら、うしろから忍びよってきて、また捕まえてしまうわ!」
「それはそうだな――その角度から考えてみなかった。君、バンドをしていたね?」
「ええ」
「よかった! すこしゆるめてくれ。ぼくのバンドをそこへ通すから。バンドで繋ぎ、踝《くるぶし》と膝をからめて、離れないようにする。寄ってたかってくるタツノオトシゴの肋《あばら》を狙うんだ。君は楯を振り上げ、鉄格子を振りまわしているんだ。やつらを絨毯《じゅうたん》みたいに打ちたたくんだ」
喋っている間もシートンは忙しく用意をととのえていた。攻撃者が恐ろしいヤスマタを突きだしながら近づくと、二人は金属の楯と鉄格子と棒とで応戦した。空気のように柔かい超人間の肉体など、豆腐のように切り刻んでしまう難攻不落の鉄の壁である。超人類にとっては、見たことも聞いたこともない地球の怪物が二つ、背と背とを合わせ、足をからみあわせ、そうでなくてさえ重質重で硬質の肉体を、がっしりと固めているのであった。
しばらくの間、四次元の生物たちは、地球人に向かって体当りをしてきた。だが、ぶつかったとたん、四方八方へ投げとばされるばかりか、鉄に当ったものは細片《こまぎれ》になって飛び散っていった。マーガレットは全身でシートンの背後を守備している。シートンは、自分の前方ばかりか、左右、上下を固めていた。金属格子の目は細かい。それをやたらに、あらゆる方向に、目もとまらぬ速度で振りまわした。超人類の立場から見ると、すさまじい威力の万能兵器は、強力な遮蔽スクリーンをつくったように、どこにも同時にあって、つけ入るスキマがない。うっかり体当たりすれば、無気味な、バラバラ屍体に料理されて空中分解である。びっくりした生き残りの超人類たちは、効果のない自殺攻撃をやめて退散してしまった。
生物標本を生捕《いけど》りにすることを断念した超人類たちは、殺人光線を照射してきた。ビームは、最初はやわらかいピンク色の光束であったが、効果がないと見るや、しだいに真紅色と変わり、それから燃え立って光学スペクトルの端から端までの色に変わり、ついに紫色になった。しかし、その周波数がどれくらい高くとも、超人類の殺人光線は無力であった。竪坑の入口にひしめいていた大軍勢も、大きな超都市の軍勢同様、超自然力を発揮したかに見える二人の地球人に向かっては、まったく歯が立たなかった。
空中格闘のあいだに、二人は上昇頂点に達し、多色のビームに照らされながら、自然落下の態勢に移っていた。ふわりふわりと、しずかになめらかに降下し、シートンが初めから降下地点と狙っていた大きな起重機のほうへ落下していった。巨大起重機の太い支柱をこすりながら、二人は地面に着いた。しかしシートンは四次元の楯を下敷きにしていたので、超重機が一本の巨柱をこすられて大揺れに揺れたにもかかわらず、シートンもマーガレットも、かすり傷ひとつ受けなかった。
「羽根ぶとんの上から飛び上がり、また落っこちるようなものさ」シートンは腰をのばし、バンドの繋ぎをはずしながら陽気に言った。そして、マーガレットを案内して、地面の大穴のほうへ近づいた。超人類は退散し、何の抵抗もうけなかった。だがビームだけがうるさくつきまとっている。「もうやつら、ぼくたちと通行権を争う気はないらしいな」
「でも、どうやって穴の底へもぐります?」
「なあに、落っこちていけばいいさ。あっ、そうそう、やつらの仕掛けた鎖鋼で滑り降りたほうがいい。君は、このガラクタをみんな持ってくれ。ぼくは君を運ぶ。そうすれば君は何もしないでいい、自動車に乗ったようなものだ」
マーガレットを軽々と抱き、シートンは鎖のケーブルへ足をつけた。そして、下へ下へと両手で交互にケーブルを握りながら降りていった。超重量のアレナック金属の球体の下にかわれた巨大な引揚げ用|船台《クレードル》のそばを通りすぎ、地底まで着こうとした。
「ダメよ、わたしたち船台を通り抜けられるのよ! この四次元では、わたしたちを阻むものは何もないのよ!」とマーガレットが食ってかかった。
「いや、通り抜けられないのだ。阻むものはあるんだよ、お気の毒さま」シートンは冷静に答えた。「ぼくたちは、船台《クレードル》のそばを通ってブランコのようにまわり、下へ降りる。そして宇宙船の入口と同一水平面の足場へ出る、この鎖の端のところにつかまってだよ。ほら、こんなふうにだ!」言うが早いか、二人の身体は宙を舞って、スカイラーク2の制御室に立っていた。
制御室にはドロシイとクレーンとシローがいた。二人が出て行ったのはずっと以前だった。だのに、そのときと同じ位置に、同じ姿勢で三人はいた。まだヤスマタに把《とら》えられ、身動きもできず、沈黙のままであった。眼は虚《うつ》ろで、無表情だった。ドロシイもクレーンも、二人の最愛のものたちが、こんなに長いこと連れ去られたのに、それでも無事に帰ってきたことを、ぜんぜん知らないらしかった。まったく認知の徴候すら見せなかった。
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一三 空間へ帰る
シートンの視線は愛するドロシーへ飛んだ。身動きすらせず、まるで屍体に変わったように、彼女は硬直してそこに立っているのであった。三次元的表面だけを意識的に調べて四次元の物体を見るという手のこんだ技術にいまはもう慣れたシートンは、すぐさまドロシーの顔の変わりように気づいた。いつもは活発な、きびきびと反応した彼女の顔は、いまはまったく非人間的な、蝋《ろう》細工のような死面に変わりはてている。シートンは認めるとすぐ、気が狂ったように猛りたった。
それにぶら下って制御室へ飛びこんだ四次元の鎖が、まだそこに垂れている。彼は痙攣《けいれん》したように、震える手でそれを握り、野獣のような強暴さで床を蹴った。護衛の超人類に飛びかかっていったのである。武器も忘れ、楯をとることも忘れた。身の危険も、成功のおぼつかなさも顧慮するゆとりもなかった。彼の全宇宙の中心である愛するドロシーをこんな姿にした、憎むべき超人類への復讐の一念が、一切を忘れさせたのである。
彼の動きに憤怒がこめられていたので、鎖りは制御室の壁のところで、ぶっつりと切れてしまった。床を蹴って飛びかかっていった電光石火のすばやさで、超人類の護衛には身をかわすひまはなかった。考えるひまさえなかった。
その護衛兵は無事平穏に、ヤスマタで麻痺された女捕虜を監視していたのであった。すべてが静かで、事もなく過ぎていた。ところが天から降ったか地から湧いたか、突如として二人のモンスターが制御室に現われた。この二人は、首都へ連行されていったのではなかったか? 眼をパチクリする間にもう、その人が彼に飛びかかっていた。しかもそのモンスターの前に、宇宙船を引き吊っている太い鉄の鎖が閃いて飛んできた。鋼鉄の環ひとつでさえ、ふつうの超人類が、どうしても持ちあげることのできない大重量である。それが数珠《じゅず》つなぎになって、超世界では想像もできない猛スピードと猛勢力で飛来してきたのであるから、たまったものではない。
超人類のほとんど非物質ともいうべき稀薄な肉体が、おそろしい勢いで飛んで来る鉄塊に堪えられないのは、地球人がミサイルを身体で受けることができないのと同様である。大きな鎖は超人類の肉体を突きぬけ、それをグシャグシャの、かつて生命があったとは思えない、ゴムの燃えカスみたいなものに変えてしまっていた。鎖の引っぱりが強かったから、金属そのものも抵抗できず、鎖が皮鞭のように飛んだ一刹那に、五個の環がはずれ、血のしたたる超人類の肉片をつけたまま、スカイラーク号の外殻を破り、外の四次元空間へ飛んでいった。
クレーンとシローを監視していた超人類も、あっと叫ぶいとまさえなかった。彼はただ、同僚の姿が忽然と消えたのを見ただけである。だが、生きて見たのはそれが最後であったろう。ましてや手も足も動かす時間さえ与えられなかった。シートンの驚くべき能率的な新武器がもうひと振りされると、この護衛もまた四次元の空間に消えてしまった。こんどは、飛んだ鎖は長かったが、そんなことはどうでもよい。シートンは鎖を床に投げ棄て、ドロシーのところへ飛んで行った。殺された護衛の手を離れたヤスマタが彼女のそばから落ちるのと、ほとんど同時だった。
たちまち彼女は意識をとりもどし、驚いた表情をシートンに向けた。シートンは愛する妻が生きていたこと、かすり傷も負っていないことを知って、一時に安堵して声も出ず、シドロモドロである。彼はただもう、両腕に妻をしっかりと抱きしめていた。
「まあ、ディック、ほんとに、あたし大丈夫なのよ――大丈夫でないあたしなんて、あり得ないわ!」シートンの問いかけに、彼女は答え、戸惑いした怪訝《けげん》な表情で、やつれた夫の顔をしげしげと眺めた。「でも、あなたは大丈夫じゃないわね。何かあったのね? まあ、いったいどうして、そんなことが!」
「長いこと君のそばを離れるなんて、ぼくは罪を犯すよりも嫌だったよ、ディンプルズ。しかし、どうにも仕方がなかったのだ」シートンは息もつかず、一部始終を物語った。あまりに勢いこんで事情を訴えていたので、彼女の言葉の調子と態度に奇妙な徴候があらわれていることには気がつかなかった。
「ねえ、君、長い旅だったんだよ。あの肉刺し棒から逃れるチャンスはなかったのだ。かれらの都市へつれていかれ、検査されるまではね。ところが、やっと肉刺し棒から逃れたら、こんどは夜は歩けないことがわかった。昼間がすでに昏い、こんな曇った青い光しかないのだから。ところが夜ときたら、ぜんぜん光のない闇なんだ。月はない、星はない、何にもない絶対の暗黒で……」
「夜ですって? いったい何の話をしてんの、ディック?」ドロシーはシートンが最初に物を訊いたときから変だ変だと思っていたのだが、今初めて、話をさえぎって訊いた。「だって、あなた、ちっとも、どこへも行かないのに、一秒だって行かないのに。あたしたち、ずっとここにいたのに!」
「えっ?」シートンが叫んだ。「君は完全に狂っているよ、赤毛のお嬢さん。でなけりゃ……」
「ディックとわたし、すくなくとも一週間はどこかへ去《い》ってしまっていたのよ、ドッチー」クレーンと抱き合っていたマーガレットが割って入った。「そして、それはそれは怖い目にあったのよ!」
「ちょっと君たち!」シートンは熱心に聴いていたが、虚空へ眼を向け、叫んだ。「ぼくたち、もうすこし説明を続けなければならんよ。ぼくは、彼らがそうあっさり諦めたとは思わなかったのだ――ほら、来たぞ! どのくらいの時間かわからないが――とにかくぼくにはずいぶん長い間に思えた――ぼくたち二人はあっちへ連行されていった。その間に、彼らをやっつける方法がわかったのだ! ペッグのもっている剣と円楯《まるたて》を調べてごらん、マート。それほど役に立つ武器とは見えんだろうが、この辺じゃ、結構威力があるんだ。使い方は簡単なんだ、勢いよく振りまわして、やつらの電気ナマズがぼくたちの咽喉に触れないようにすれば、あとはこっちのものだ。でも、あんまり強く振っちゃいけないよ。強すぎると、こっぱみじんに砕けてしまう。ぼくたちの使いなれた鋼鉄などとは違った、脆《もろ》い材料なんだから。せいぜい、蠅たたきを振る程度に加減しなくっちゃいけない。それでも、こいつらプロペラ尻尾のハミングバードをリングの外へ叩き落とすには充分なんだ。ああ、もちろん、やつらは鉄砲やら何やら持ってるよ! 女たちはうしろへ隠れていてくれ、ぼくたちは、この楯で守るから。それからシロー、君はあの鎖をはずして、環を一つずつ投げつけてやれ――やつらをへこますには、それで充分なんだよ!」
数人の超人類が制御室に現われ、格闘がはじまった。だがこんどは用心して、超人類たちは盲滅法にヤスマタをふるって突入はして来ない。また無効とわかっているから殺人光線も使わない。こんど彼らが動員した武器は、金属の弾丸を発射する小火器である。またパールに似た形の投石器とカタパルトである。それから投げ槍を使った。これを腕っぷしの強いものが全力をふるって投げてくる。しかし銃丸も投げ槍も、シートンたちの四次元の楯にどさッどさッと突き当たるだけで全然貫通はしない。それも道理、楯は、彼らの牢獄についていた頑丈な鉄扉《てっぴ》で、もともとあらゆる四次元攻撃に対しては鉄壁の遮蔽力をもっているのである。投石器とカタパルトが吐きだす石や鉄片などは、シートンとクレーンが、飛んでくるのをつかんで、逆に攻撃者の群へ投げ返し、甚大な損害を与えた。シローは鎖の環をはずしては投げ、その他、手あたり次第に、そこらにある四次元の物体を殺到する超人類に投げつけて防いだ。
それでもなお超人類たちはじわじわと押してきた。やがて三人の男は、二人の女を中に囲む三角形をかたちづくった。三人のふるう武器が致命的な防衛圏を形成し、ここに触れた超人類は情容赦もなく解体され、殺されてしまう。しかし超人類は、あくまでも地球人を制圧しようと人海作戦で殺到してくる。たとえ超自然的な地球のモンスターも、疲れて動けなくなる時機があろうと予測しているかのようである。
戦闘は今や、たけなわであった。だが、シートンは妙なことに気がついた。すでに稀薄な超人類の肉体は、さらに幽霊のような淡白さに変わっていった。と同時に、彼自身も次第に戦闘力が尽きかけているのがわかった。風車のように振っていた致命的な鉄格子も、次第に回転がのろくなり、ついにはどんなに頑張ってみても、まったく動かなくなってしまった。
シートンは筋肉ひとつ動かすことさえできなくなった。そして一人の護衛兵が近づいてくるのを、絶望的な気分で見つめていた。ところがその護衛兵も、影のように淡く力がない。そしてヤスマタを構えているにもかかわらにず、シートンに刺し当てようとはしない。それどころか、シートンに見向きすらせず、超人類はすらりと彼のそばを通り抜けていった。と思う間もなく、超人類もヤスマタも忽然と消滅してしまった。
するとシートンの感覚に、空間を自分の全身が動いていることが感じられた。彼の意志とは無関係に、彼はいま制御室の空中に漂っているのであった。そして、五人の地球人を三次元空間から四次元の世界へ転位させた、あのスイッチのほうへ近づいているのであった。漂っているのはシートンだけではない。ドロシーもクレーン夫妻も、シローも、みんな一様に運動し、シートンが親スイッチを入れた瞬間に占めていた元の位置へ戻りつつあるのである。
五人は空間を漂いながら≪変化≫していった。スカイラーク2もまた変化を免れはしなかった。空無の球型宇宙船の内外にある、ありとあらゆる構成分子、構造原子が変化していったのである。
シートンの手が伸び、親スイッチのエボナイトの柄を握った。彼の五体が一種の停止を確立したとき、彼の全感覚は耐えられないほどの安堵感に襲われた。怒濤《どとう》のように押しよせる情動の波であった。と同時に、人工的であり不自然でもあった四次元世界への全存在の拡大が静かに、だが急速に崩れはじめていった。四次元への侵入が進行したときの緩慢さで、四次元からの復帰が進行していった。物質の究極的粒子がひとつひとつ、記述も理解も超えた遠近法的短縮のプロセスに入れられたのである。圧縮である。収斂《しゅうれん》である。よじれ、たわみながら静かに進行する配置替えである。配置がもどるにつれ、痛めつけられていた人間の肉体の部分部分はゾクゾクとする安堵を感じとっていった。
突然、三次元への復帰は終った。突然とも見えたが、同時にそれは無限の時間後とも見えた。シートンの手は、親スイッチのハンドルを握り、一インチの数分の一しかない残りの距離を押し切った。プランジャーが、ストップ・ブロックに噛みあう、カチッという音がシートンの耳に響いた。継電器スイッチの閉路が完了したのである。制御室内の見慣れた什器類が、三次元をとりもどして、くっきりと明瞭な輪郭をあらわしてきた。
ドロシーは、転位以前とまったく同じ姿勢で、すこし上体を前かがみにして、坐っている。華麗な赤ブロンズ色の髪はきちんとし、乱れてはいない。甘美なカーブをみせた両唇がかすかにひらいている。次元転換がどんな怖いことになろうかと、不安と期待に、紫の眼が大きく見開いている。要するに彼女はまったく変化はしていないのだ。だがシートンの変わり様はひどい。
彼もまた一瞬前、いや一ヵ月前かもしれない、坐っていたと同じ姿勢で坐っている。だが、顔はやつれ、太い皺《しわ》が刻まれている。いつもは見るからに頑丈な肉体が、いまは萎《しな》びて極度の疲労をまざまざと物語っている。マーガレットも憔悴《しょうすい》し、やせ衰えている。彼女の身につけた服装は、シートンのそれと同じく、次元から次元へ、異る機序の時間から時間への転位が完了する間、強制的に一種の秩序を保ち、ほんのごくわずかの間、健全のように見えた。
だが、転位が完了すると、衣服は字義通り千切《ちぎ》れた。長い苦しい旅の名残りである埃《ほこり》や垢《あか》、切り進んできたジャングルの樹々の粘っこい分泌物などはもちろん消えていた。おそらく、それは四次元物質で、転位のとき、四次元空間に残されたからであろう。しかし、超世界の植物の棘《とげ》皮や吸盤が衣服に与えた傷跡は、まざまざと現われていた。二人の地球人の超惑星での滞在がけっして無事平穏なものではなかったことを、それらは物語っていた。
ドロシーの眼は、シートンからマーガレットに移った。二人が堪えてきた苦患《くげん》がどれほどの爪跡をおとしているかに、ドロシーは口から出かかった悲鳴を一生懸命に抑えていた。彼女にはとうてい理解できないのだ。彼女自身が超時空連続体にいた間に経験したことと、いま眼の前のれっきとした証拠とを納得できるように縫合することができないのである。理解は及ばないながらも、彼女は、すべてのまことの女性のもつ昔からの本能に促がされて、可哀そうな夫へ両手をのばし、やさしく腕のなかに抱いてやった。だが、シートンが三次元に戻ってからの最初の思考は、四次元へ残してきた稀薄な肉体の生物のことであった。
「ぼくたち逃げおおせたのかい、マート?」まだスイッチに手をかけながら訊いた。だがクレーンの返事も待たずに、「逃げおおせたらしいぞ、でなかったら、いまごろはもう非物質化されているはずだ。さあ、激励歌三唱だ! ぼくたちは勝ったぞ!――ぼくたちは勝ったぞ!」
それからの数分間、四人は複雑で深刻な感動のとりこになっていた。もちろん、安堵と喜びが圧倒的な感情であった。ついに純粋知性人から逃げおおせた。生きたままで超空間を突破できた。
「だけど、ディック!」ドロシーはシートンを腕いっぱいの距離に見据え、やつれた皺《しわ》だらけの夫の顔をつくづくと眺めた。「ほんとうに細っそりして見えるわね、あなた!」
「見えるんじゃない、ほんとにそうなったんだ」とシートンは答えた。「ぼくたちは一週間もあっちへ行っていた。もうすこしで餓死するところだった。餓死どころか、渇いて渇いて死にそこねた。食べられないというのはつらいが、水がないというのは言語に絶する! ぼくの内側は乾燥した吸取紙みたいになっちゃった。おーい、ペッグ、ぼくたち、飲料水タンクを二つ空けようや」
二人は水を飲んだ。はじめはすこしずつ、休み休み飲んだが、しばらくたつと、ぐいぐいとあおった。
シートンはようやく水呑みコップを置いて、
「まだ充分じゃないが、それでも内側にすこしは水気がでてきた。こんどは食物を嚥下《えんげ》できると思う。マート、君がぼくたちの位置を調べてくれている間、ペッグとぼくは六食ないし八食分を平らげるから」
シートンとマーガレットは食事をした。水を飲むときと同じだ。初めは用心しいしい食べたが、あとではガツガツと食った。食っても食っても、まだ肉体は食物をもとめてやまなかった。ドロシーは怪訝そうに、二人のやせ細った顔を見、それから鏡へ自分のすこしも変わらない溌剌《はつらつ》とした豊頬を映して首をひねった。
「でもあたし、ぜんぜん合点がいかないわ、ディック!」とうとう堪らなくなって彼女は叫んだ。「あたしは渇いてもいないし、ひもじくもない。顔もちっとも変わっていないわ。マーチンだってそうだわ。だのに、あなたたち二人は何ポンドも何ポンドもやせ細ってしまって、まるで節穴から引き抜かれたみたい! あちらの様子、あたしたちに話していたときに、中断されてしまったのだわね。さあ、続きを教えてちょうだい! あたしが爆発しないうちに、辻褄《つじつま》のあう説明してよ。いったい全体、どうやったのよ?」
シートンは飢えが一時収まったので、マーガレットと彼がスカイラーク号を出てから起こったあらましを話して聞かせた。一応の事情説明が終わると、彼は理論づけに乗りだした。すぐドロシーがさえぎった。
「でもディック、そんな大それたことが、マートとあたしの知らない間に、あなたたちに起こったなんて、どうしたって辻褄が合わないわ! あたしたちは意識喪失じゃなかったのよ、ね、そうだわね、マーチン? あたしたちは、絶えず起こったことは見て知っていたわ、そうじゃなくって?」
「ぼくたちは意識喪失じゃなかった。まわりに起こったことは、中断なく、ひとつも余さずに知っていた」クレーンも驚くべき返答をした。しかも冷静なクレーンの口から出た確信にみちた返事である。クレーンは実視板に向かって坐っていたが、空虚な実視板に眼は向けず、シートンの話に聴きいっていたのである。「しかも、ノルラミンの心理学によれば、意識の喪失は、たとえどんなに短時間のものであっても、意識に刻みこまれるのだ。ごくふつうの力しかない心の意識にすら、間違いなく印刻されるのだ。ぼくはためらうことなく確信できる――すくなくともドロシーとぼくにとっては、意識喪失による時間の空白は、ぜんぜん起こらなかったし、起こったはずはないと」
「そうよ!」とドロシーも叫んだ。「あなたは、マーチンが自分の科学領域ではエキスパートだったことを認めなくてはいけないわよ、ディック! あなたは、意識喪失がなかったという、このれっきとした事実をどうするつもりなの?」
「ぼくにもわからんのだ――わかりたいと思っているんだ」シートンは思案に顔をしかめた。「だけどマートが口を滑らせたね、≪すくなくとも、ドロシーとぼくにとっては≫と。その通りなんだ。ペッグとぼくにとっては、時間はたしかに経過したのだ。長時間が経過したのだ。しかし、たしかにマートは自分の領域のことは知っているんだろう。この古い思考タンクにはいつも泡が立っているんだから。この男は、確信ある声明をそうやたらに出す人柄じゃない。しかしいったん口から出たら、彼は札束で裏づけるんだ。だから彼の言葉は絶対信用しなくっちゃならん。君たちはたしかに意識はあったし、君たちの時間は経過しなかった。だから、変チクリンなのは、君たちじゃなく、時間そのものなんだ。君たちにとって、時間はとてつもなく延長されたんだ、いや延長されていたのに違いない。
だが待てよ――そう考えるとどういうことになるか? そうなら、彼らの時間は、われわれの時間と異るだけでなく、本質的に可変的なのだと言える。だが、この考えには重大な反証がある。それは夜と昼との正確な交替だ。すくなくとも、ぼくとペッグが見た、光と闇との規則正しい交替だ。ぼくたちの見るかぎり、この交替があの超世界全体に歴然と物理的な影響を与えている。だから、彼らの世界で時間が長くなったり短くなったりするというこの考えはだめだ。
もしかすると、彼ら、君たちに一服盛ったんじゃないかな? 生気の一時的停止かなんかの……。いいや違う。この考えは正しい目印をもっていない。それに、もしそうだとしたら、マーチンのノルラミン心理学的頭脳に、ちゃんと生気停止の印刻がなされているはずだ。ところが、マーチンは、そんなものはないというからには、これもだめだ。こうなると、唯一の、ほんものらしい考え方は、≪ステー≫――ずっと、こんなこと、たとえ超人類にとってだって、ちょっと強すぎるんじゃないかな」
「ステーって何よ?」マーガレットが訊いた。「あなたが強いと形容するものだったら、どんなものでも傾聴に値するわ」
「時間の停止《ステーシス》ということだよ。もちろん、ちょっぴりホラめくがね、しかし……」
「しかし、ですって!」ドロシーが叫んだ。「あなたはいま、囈言《うわごと》言ってるわ、ディック!」
「いや、もちろんぼくは確信があって言っているわけじゃないが……」とシートンは頑強に主張した。「しかし、彼らは本当に時間を理解している、とぼくは思うんだ。ぼくは二本の指針を見つけた。時間停止には第六系列の力場を必要とするようだ……あっ、やっぱりそれだ。ぼくは相当の自信がでてきた。これで一つの考えが生まれる。彼らが、超時間のなかで時間停止ができるとしたら、ぼくたちだって、どうしてこの時間でそれができないことがあるものか!」
「ぼくは、そんな時間停止がどのようにして確立されたかがわからんのだが」とクレーン。「ぼくの考えから言うと、物質が存在するかぎりは、時間は流れなければならんという気がするがね。だって、時間は物質に依存する――いやむしろ、われわれが物質と呼ぶところのものの、空間における運動に依存すると言うべきか――というのは相当確立された真理だからだ」
「そうだとも――ぼくはそれが言いたかったんだ。時間と運動とは相対的なものなんだ。すべての運動を止めたら――絶対運動じゃなく、相対運動をだよ――それを止めたら、何が得られるか? 継起《スークエンス》あるいは継続《サクセション》のない永続《デュレーション》が得られるじゃないか? じゃあ継続のない永続って何だ?」
「それはやっぱり時間の停止ということだろうな、君の言うとおりの」とクレーンがしばらく考えてから相槌を打った。「しかし、どんなにして、それを達成するというの?」
「できるかどうかわからん――それはまた別の問題だからだ。ぼくたちはすでに、球表面に沿ってエーテルの停止を確立する方法を知っている。とすれば、ぼくがもっと第六系列に関するデータを蓄積していった暁《あかつき》には、エーテルおよびサブエーテルにおける容量《ヴォリューム》の停止を計算することも不可能ではあるまい。エーテルとサブエーテルの容量停止をどこまでも深化していくんだ。するとその中にふくまれる密度の高い物質は影響をこうむり、完全静止となり、そこに局所的に時間停止が実現される、そうだろう?」
「しかし、エーテルとサブエーテルの容量停止に影響された物質は、ただちに絶対零度となり、そこでは生命の存在が許されなくなるのではないだろうか?」
「そうは思わん。停止は原子下《サブ・アトミック》なのだ、そして瞬時だ。したがって、エネルギーの損失ないし転移はあり得ない。ぼくの見るかぎりでは、それは絶対完全な、生気の一時停止だ。君とドットはその状態を生き抜けてきたんじゃないか。ぼくは、彼らが君たちにそれをしたのだと信じる。ぼくは言う――やつらができるんだったら、ぼくたちにできないことはなかろう」
「≪そしてきみが≫」とマーガレットがふざけて言った。「≪そんなにしみじみと言うんだから、愉快なアイデアに違いない――どれ、みんなでそれを語ろうよ!≫」
「あとでその話もしよう、できるかどうか試してみよう!」とシートンは約束した。「ところで、仕事に戻るとして――マート、いい報せは? まだぼくたちの位置がわからんのか、ぼくたち、有名なフェナクローンのいわゆる≪遠い銀河系≫へ向かっているのか、いないのか?」
「向かっていないのだ」クレーンははっきりと否定した。「それどころか、ラヴィンダウのところの天文学者たちのつくった星図に示されるような、どんな宇宙空域へも向かっていないのだよ」
「へーえッ! 驚いたな!」シートンは、物理学者と並んで、その実視板を覗いた。そしていちばん強く輝いている星雲について完全な観測をした。
それから自分の星図を調べたが、結果はクレーンの調査結果と完全に同一であった。ということは、彼らはいま、われわれの銀河系からはるかに遠い宇宙空間にあるということである。それがどこであるかは、天文学と星雲間宇宙航行の巨匠《マスター》たちであるフェナクローン人種にとってさえ未知なのであった。
「でも、君の用心深い頭脳のおかげで、ぼくたち宇宙の迷子にならんですんだ」シートンは笑いながら、完全平面テーブルの上に載せられている対物コンパスのほうへ歩いていった。
対物コンパスは、その後改良に改良を重ね、四つの太陽系の科学技術に知られたあらゆる精緻な工夫が加えられていた。ほとんど摩擦のない宝石ベアリングの上に載った完全真空のなかで自由に振れる超感度の指針はいま、第一銀河系全体という想像を絶した巨大重量を指すようにセットされていた。第一銀河系の質量は厖大であり、数学上から説明されるとおり、この大宇宙空間のなかの、どんなに遠隔の地点にあっても、対物コンパスの指針に影響を与えるのである。このことは、保守的なクレーンでさえ、事実として述べるだろうほど確実な事実なのである。
シートンは指針に運動を与える微小作用力を作動させてみた。だが、指針は小さく振れはしなかった。一分二分とゆっくりと時間をかけ、指針はしずかに、しかし完全に自由に動いていき、いつも最後には死んだように停止してしまう。外力に影響されている兆候はまるで示さない。シートンは息をのみ、眼を信じることができずに眺めていた。それから対物コンパスの電流を調べ、その他の諸因子をチェックした。対物コンパスは完全に機能しており、完全な調整状態にあることを疑うことができなかった。彼は暗欝に口をつぐみ、何度も何度も振動テストを繰り返したが、結果はいつも同じ――完全に外力の影響なしと結論するほかはなかった。
「うむ、絶対に、決定的、最終的に、無条件に、これだ」クレーンを見つめながら言った。だが眼の神経は頭脳には通じていないのだ。心はめまぐるしく駆け回っているのだ。
「われわれの手に入れることのできる最高感度の針――その針ですら、何ものの存在も記録しないとは!」
「言いかえれば、われわれが迷子になったということだ」恐ろしい事実を述べながらも、クレーンの声は冷静である。
「われわれは、第一銀河系からはるかに遠く離れてしまった。そのために、宇宙空間に何があってもその反応を示すはずの対物コンパスが、役に立たなくなった」
「お気の毒だが、おっしゃることがわかりませんな、マート!」友人の言葉の裏にある深刻な意味には目もくれず、シートンは元気いっぱいに叫んだ。「銀河系全体を指向対象としているからには、この針は大宇宙の直径よりも大きな遠距離からだって、絶対に……」考えが詰まって絶句しかけた。
「続けたまえ。君は光明をみつけかけている!」クレーンが躍起になって励ました。
「そうだとも。ぼくがフェナクローンのメッセンジャー魚雷を追尾する曲線を描けなくなったのもムリはない。ぼくたちの根本想定が間違っていたんだ。簡単なことだよ――空間が湾曲しているとすれば、曲率直径は、いままでに提唱されたどんな数字よりも大きい。フェナクローンの天文学者ですら提唱しなかったほどの大きな数字になる。とすれば、われわれは絶対に、ぼくら自身の空間から千分の一秒も抜け出てはいなかったはずだ――いや、百万分の二秒も抜け出てはいなかったはずだ。とすれば、ぼくたちは襞《ひだ》のなかへ隠れたんじゃないかしら? 君はほんとに四次元に襞があると思うかい、マート?」
「そのアイデアは最近学界でも進められてきているね。しかし襞を考える必要は厳密にはないのだよ。また襞の理論は防衛が難しい。線形乖離《リニア・デパーチュア》と仮定したほうがずっと防衛しやすいとぼくは思っている。二平面が平行である必要はないんだ。それどころか、平行では≪ない≫ことが、ほとんど数学的に証明されているんだよ」
「そのとおりだ。その仮説で一切の説明がつく、もちろん。しかし、どうやって君たちは……」
「あなたたち何の話してるの?」ドロシーがたまらなくなってさえぎった。「あたしたち、そんなに遠く来たはず、ないでしょ――だって、スカイラーク号はずうっと地中に埋ったままなのよ!」
「赤毛のお嬢さん、君は物理学者としても大した美人コンクールの優勝者だよ」シートンはにやにや笑いながら、「君は忘れている。あれだけの速度で走っていたスカイラーク号は、停止するのに三ヵ月以上はかかるんだということ。ところが、見た眼は止まっているように見える。この点はどうなんだ、マート?」
「ぼくもそのことを考えていた。それは相対速度の問題だね。しかし、速度が相対的だとしても、いまのような窮地に陥るはずはないんだ。むしろ、三次元空間と四次元空間の乖離《かいり》の角度が極端に大きかったために、ぼくたちの三次元空間での現在位置がわからなくなってしまったのに相違ないんだ」
「極端に大きかったというのは正しい。しかしいまさら喚《わめ》いても始まらない。ぼくたちはただ、どこへでも行き、何でもしなければならない。それが問題だよ」
「どこへ行くんですって? 何をするんですの?」とドロシーが鋭く訊き返した。
「迷子なんだわ――宇宙の迷子になったんだわ!」マーガレットが溜息をついた。
自分たちの陥ったそら恐ろしい立場が意識の照明に当たると、彼女はブルブルッと震え、椅子の肱置きを痙攣したようにつかんだ。だが、勇気を出して、くつろごうと努めた。彼女の澄んだ褐色の眼には恐怖《パニック》の気配はなかった。
「でも、わたしたち、以前にも宇宙空間で迷子になったんじゃないこと、ドッチー? あのときは、マーチンもディックもわたしたちと一緒じゃなかったし、いまよりずっと絶望的だったわ」
「偉いぞ、ペッグ!」シートンが煽《あお》った。「迷子になったかもしれん――すくなくとも、一時的にはたしかに迷子だ。しかし、七千|畝《うね》のリンゴの木に賭けて、ぼくたち金輪際、ダメになったんじゃないからな!」
「ぼくは違う」とクレーンは冷静に言った。「君のような楽観的な見方をする根拠が、どうしてもぼくには見つからん。しかし、もちろん君は考えがあってのことだろう。何だい、アイデアは?」
「ぼくたちの航路にいちばん近い銀河系を決めるんだ。船にブレーキをかけて、その銀河系へ近づく……」シートンの機敏な心は、すでに宇宙の果てに馳《は》せている。「スカイラーク号はウラニウムをどっさり積んで、船腹が破れそうだ。われわれには燃料はあり余るほどある。あの銀河系まで着けば――きっと生命のある、いや人間の住んでいる惑星を伴《つ》れた太陽系があるに違いない。ぼくたちは、適当な惑星をみつけて、そこに着陸するんだ。それから、何をするか決めて、一生懸命にその何かに打ち込めばいい」
「たとえば、どんなこと?」とマーガレット。
「どういう路線のこと?」これはドロシーとクレーンの異口同音の問いであった。
「宇宙船建造だろうね、まず。スカイラーク2はちっぽけすぎて星雲間宇宙旅行には向かないからな。でなければ、第四、第五系列の投射器、いや第六系列の投射器をつくる。あるいはまた、変わった型のウルトラ・ウルトラ・ラジオか投射器をつくってもいい。ぼくだって、今からじゃわからんよ。とにかくだ、千も二千もすることがあろうさ。何から手をつけるかを心配するなんて、そこへ着くまで待とうや」
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一四 惑星を求む
シートンは制御盤へ大股に歩いていって、最大出力加速度を入れた。
「とにかく出発しておこうや」とクレーンに言った。クレーンはすでに約一時間、あらかじめ選んだ六つの星雲のひとつひとつに、第六実視板を向け、最高望遠率に絞って、分光分析、干渉観察、スペクトル光度測定などを行なっていたのである。「君がどの星雲に決めるにしろ、どうせマイナス加速度へ切りかえるまでには、うんとプラス加速度をくれてやらなければならんからな」
「その前に、準備工作として、現在の針路をおぼろげながらでも測っておくのがいいんじゃないのかね?」クレーンはいぶかしい眼付きで、冷やかに訊いた。「非両立で、比較の基準のない二空間が線型に乖離《かいり》しているという仮説については、君のほうがぼくよりずっと詳しい。だから、君はもうぼくたちの真実《ほんと》の針路を知っているんだろう?」
「痛い! 相棒、一本やられた!」シートンは大袈裟に心臓に手をあてて呻いた。そして自分で自分の耳をつかんで引っぱる格好をして、スイッチボードのほうへにじり寄った。そして、駆動力を切った。ただし、ほんのわずかの加速度、毎秒加わる三十二フィートの加速度だけは残しておいた。それでスカイラーク号の乗組員たちには、ほぼ正常の重力が与えられることになった。
「まあ、ディックったら、何という完全無欠な、バカバカしいお喋り!」ドロシーがクツクツと笑い声をたてた。「どうしたのよ、何でもないじゃないの、ディック! あなたはただ、その動力バーを……」
「バカバカしいお喋りだって?」シートンはまだ顔を恥ずかしそうに真っ赤にして、妻をさえぎった。「おい、赤毛女《レッド・トップ》。君は本当のこと半分も知っちゃいないんだぞ! ぼくはたったいま、ほんとにまざりけない、きれいな阿呆だった。マートはいとも婉曲に、ぼくにそのことを気づかせてくれたんだ。小割り板よりも細っこいサヤエンドウが、たったいまぼくに言った一言は、なるほどやんわりしたお叱言《こごと》だった。ところがどっこい、その絹手袋のなかには、やっこさん、ものすごい痛いコンクリの塊りを包んで持っていたんだよ。わかったかい、赤毛女《レッド・トップ》?」
「お喋りしないで、その動力バーを見てごらんなさいよ!」ドロシーがたしなめた。「みんなゼロを向いてるじゃないの。だから、あたしたち、まだドンドン真っ直ぐ上へ飛んでいるに違いないんだわ。あたしたちの銀河系にすこしでも近いところへ戻るつもりだったら、動力バーをぐるっと回さなければいけないんでしょ? いったい、どうしてあなたたち二人みたいな、頭のいい科学者が――あっ、それともあたし大事なこと見落しているのかしら?」
「いや、そうじゃないよ。君はあの有名な線型乖離ということは何も知らんのだから、罪にはならん。ところがぼくは知っていたんだから、言いわけがきかんのだ。ぼくはただ、盲ら射ちをやらかしただけなんだ。ねえ君、こうなるんだよ――たとえ四次元転位のあいだ、このコンパスどもがぜんぜん指す方向を変えなかったとしても、ほんとにそうだったかどうかはわからんが、銀河系へ戻るということについては、コンパスの方向なんか何の意味もないんだよ。
ぼくたちは、超空間を突破するのに、恐ろしいひと跳びをしたが、その一跳びが、上だったか下だったか横だったかを決める手掛りはまったくないんだ。……そう、またも、彼は正論を吐いた。スペクトル線の偏向、その他もろもろの方法で、彼がぼくたちの正しい針路を見つけだしてくれないうちは、結局ぼくたち、意味をなす仕事はひとつもできんのだ。どうだい、でたかい、マート?」
「正確な仕事には、写真が要《い》る。しかし、六回の予備観測は行なった、できるだけ直交座標を使って行なった。君はそこから取るべき進路の第一近似値を計算できるだろう。あとでもっと正確なデータが手に入るまでは、当分それでやっていける。それ、これがぼくの、スペクトルについての下書きだ」
「よしきた。君が写真を撮っている間に、ぼくは計算機に君の観測値をかけてみる。スペクトル線の偏向から判断すると、五度以内の正確さでぼくたちの針路を決定できるだろう。五度だったら、すくなくとも数日はそれでやっていける」
シートンは間もなく計算を終えた。それから、ジャイロスコープのわくについている、赤経・赤緯の目盛りが刻んである巨大な円環から、宇宙船の針路を読み、動力バーをそれにセットした。そして第一回目の露出シャッターをきったばかりのクレーンに向かって微笑した。
「ずいぶん外れているよ、マート。赤緯では約九十度マイナス、赤経ではプラス七時ばかりだ。だから、前のデータはみんな忘れて、初めっからやり直さなければならん。どうせ、どこにいるんだかわからんのだから、そうがっかりすることもあるまい。ぼくたちの宇宙船の針路は、あそこの星雲から右に十度かそこら傾いた方向へ進んでいる。これから星雲の左へ、たっぷり十度プラスをいれるよ。君はいまそれを読んだほうがいい。そして、一連の観測をして、そうだな、百時間間隔に観測したら、いつ加速度を逆にすべきかがわかる。君がそれをしている間に、ぼくは第四系列の投射器をつくれるかどうか研究をはじめよう。作るにはたいへん時間がかかるが、あの銀河系の内側へ入れば、どうしてもひとつ欲しいだから。どう思う、君?」
「その二つの考えは、まったく正しいと思う」とクレーンは答えた。二人はそれぞれの作業にとりかかった。
クレーンは、写真を撮り、改良を重ねた超精密機器類をつかって、六個の代表星雲の研究を行なっていった。スカイラーク号の針路と速度が決定され、加速度もわかっていたから、動力バーに自動可変制御機構をつけ、針路にもっとも近いレンズ状星雲へ真っ直ぐに速度を向けることができた。
それがすむと、一定間隔をおいて観測をつづけた。一回ごとに、観測誤差を少なくしていき、宇宙船が許容最終速度に見合った最短時間に、選ばれた銀河系に着くように、絶えず、動力と針路を調整した。
いっぽう、シートンは投射器の製作をはじめた。もちろん、この小型のスカイラーク2号に、スカイラーク3をまるで感覚をそなえた生物のように敏感にさせていた厖大な機械組織を移植することは、はじめっからできない相談であったから、しなかった。しかし、もちろん、力場帯変換器と選波器その他の必須装置は、できるだけ第二号に持ち込んであった。いちばん困ったのは、第五系列投射器の心臓部である、貴重なニュートロニウムのレンズは積むことが許されなかったことである。投射器製作の段になって、レンズを置いて来たことが、シートンの頭痛の種となってきた。
「どうしたの、ディッキー? 最後の一人の友達を亡くしたみたいな顔をしてるじゃないの?」ある日、彼がむつかしい顔をして、眼はものを見ず、狭い制御室のなかを行ったり来たりしていると、ドロシーが心配して言った。
「それほどじゃないさ。実は、ぼくは第四系列の投射器を終ったから、あれ以来、第五系列にとりかかろうと思って、第三号に置いてきたレンズの代用品を考えているんだが、うまいアイデアがなくて困っているんだ。代用品は絶対にないらしいのだ。原理的に不可能らしい」
「なくてはならないものだったら、どうして置いてきちゃったの?」
「できなかったのだ」
「なぜよ?」
「それを制御するものがないからさ。原子力より始末の悪いしろものとも言える。非常に不安定なもので、内部にものすごい圧力があるから、たとえばオマハで爆発したら、サンフランシスコからニューヨーク市まで、合衆国全体を吹き飛ばしてしまうだろう。その圧力を制御するためには、純粋アイノソン金属の三十フィート厚の壁か、完璧なエネルギー封じ込め装置かが要《い》るんだ。ぼくたちにはそのどちらもない。また作る時間もない。また、たとえ安全に制御してあったとしても、あの超空間は無事には通り抜けられなかったろうよ」
「ということは……」
「いや、絶望というのではない。ただし、またぞろ第四系列から再出発ということだ。幸い、立派な大型フェードンを二つ持ってきているから、ある白色|矮星《わいせい》から二十光年以内のところに、重くて地面の固い惑星がひとつ見つかりさえすればいい。そこへフルサイズの第四系列投射器を、据えつけられればいいんだ」
「まあ、たったそれだけのこと? じゃ、あなたたち二人で、できることだわ」
「すばらしいことじゃないかね、マーチン? 女房があんなに亭主に自信をもってくれるなんて!」第六実視板と第四系列投射器から、いま宇宙船がその端に位置している見慣れぬ銀河系の厖大な拡がりを観測しているクレーンに、シートンが述懐した。「もちろん、ぼくたちにできないことはないと思うが。そりゃ、まだ惑星みたいにちっぽけなものが網に入るほど近くはないさ。しかし、全体の見通しは、いまどうだろう?」
「きわめて有望だよ! この銀河系はぼくたちの銀河系と同じ規模のものらしい。それに……」
「有望だって、へーえ?」シートンがさえぎった。「君みたいなコチコチの悲観主義者がそんなおめでたい言葉を使うんだったら、もうすぐ惑星に着陸かもしれんな!」
「それに、同じタイプと種類の天体スペクトルをもっている……」クレーンは淡々とした調子で言った。「ぼくはすでに、すくなくとも六個の白色矮星と、四十個ばかりのG型黄色惑星を確実に識別している」
「うあーッ、すごい! 何でわかった?」シートンが雀躍《こおどり》して叫んだ。
「それをもう一度英語で言ってよ、ペギーとあたしが安心するように」とドロシーが夫にせがんだ。「G型矮星って何なの?」
「ぼくたち自身の太陽《ソル》のことだよ」シートンが説明した。「ぼくたちの地球にできるだけ似た惑星を捜しているんだから、われわれのと同じタイプの太陽がたくさん見つかったということは、とても嬉しいニュースなんだ。それから、白色矮星というのはこういうものだ……ぼくは、ぼくたちの着陸する惑星にかなり近いところに白色矮星が一つ要《い》るんだ。そのわけは、ぼくたちがロヴォルと連絡をとるためには、第六系列の投射器が要る。それを作るためには、まず第五系列の投射器をひとつ持っていなければならない。その第五系列投射器をつくるためには、ニュートロニウムを入手しなければならない。ニュートロニウムを入手するためには、白色矮星に近いところにいなければならない。わかったかい!」
「ふわーッ、明瞭かつ鮮明に近いわ――結局、何のことかわからないわ」ドロシーは顔をしかめて言った。「でもあたしは、星がたくさん見えて、とてもとても嬉しいわ。だって、幾世紀も絶対空無のなかに嵌《は》まりこんでいたみたいだったんですもの。ほんとは、あたし、四六時中、青白いラヴェンダーみたいにビクビクしてばかりいたんだわ。こんなに綺麗なたくさんの星に取りまかれてみると、固い地面に降り立ったみたいに嬉しいわ」
すでに銀河系の辺縁に達していたのではあったが、宇宙船の星雲間飛行超速度を、操縦性速度に減速するには、なお多くの日数を要した。それからさらに日数を重ねたすえに、ようやくクレーンが太陽を発見したと宣言した。矮星の一家族を抱いているばかりでなく、白色矮星との距離が指定数値以内の太陽がようやく見つかったというのである。
地球の天文学者なら、そのもっとも強力な光学機械をもってしてすら、いちばん近い恒星を直径もない小光点としか現わすことができないのだから、いまのような太陽の発見など思いもよらないことであろう。しかしクレーンは地球式の機器で観測していたのではないのだ。彼の使っていた第四系列投射器は、シートンの主たる関心である星雲間距離でこそまったく無力であったとはいえ、いかなる地球式の望遠鏡よりケタはずれに強力なのである。
棒状になったウラニウムの崩壊による全出力で作動される第四系列投射器は、二十光年の遠距離においてさえ、強力な投射ビームをしっかりと維持しておく力がある。まるで、眼の前の作業台にものを置いて熔接するように確実に、二十光年の遠方で熔接アークを操作することができるのである。しかも、いま行なっている投射器の作業は、惑星という巨大質量の物体を捜すというような、精密な制御を必要としない。だから、数百光年の遠距離に対しても、立派に役に立つわけだ。
こうして、多数惑星を随伴した、しかも近所に白色矮星が一つあるという理想的な太陽はいくばくもなく発見され、スカイラーク2は空無のエーテルを切り裂きつつ、その方向へ驀進していった。
投射器が細部まで暴《あば》きだすくらい接近したところ、シートンは手近の第一惑星の大気中に、四人の航行者の結像を投射した。惑星の大気は濃密で、きわ立った緑黄色の色合いを帯びている大気を通して、熱い太陽が毒々しいまでに不気味な光線を、死と不毛の地表へ惜しげもなく注いでいる。一見不毛の土地には、それでも、ところどころに青白い、怪物的な植物が点々と群落をつくっている。
「この距離では、詳細な分光分析は不可能だろうが、それでも何かわかったかね、ディック?」とクレーンが訊いた。「ぼくたちの長い宇宙旅行で、これに似た大気に出くわしたのは、二度しかないね」
「そうだ。二度目はご免こうむりたいところだが」分光器にとりついていたシートンが、顔をしかめながら言った。「塩素――結構だよ、それにすこしの弗素と、強い窒素の酸化物、酸化窒素基の塩化物、等々が混っていればね。ちょうど、あのとき、ぼくたちの銀河系で見た惑星のようであれば。あのとき気づいて以来ずっと忘れないんだが、あの惑星には、何かしら、はっきりと妖しい雰囲気が漂っていたな。ぼくは、この惑星も、どこか同じように、変テコリンなふしがあると思うんだが」
「じゃあ、これ以上の調査はよしましょうよ」とドロシーが言った。「早く、どこか別のところを捜しましょう」
「そう、よそを捜しましょうよ」マーガレットが同調した。「ことに、あなたがおっしゃったように、わたしたちの祖父《おじい》さんの全部の頬髯をカールさせて毛毬《けまり》にしてしまうような、妙な生命が棲んでいるんだったら、ほんとにご免だわ」
「ああ、別を捜すなんて何でもないさ。スカイラーク3の装置みたいな強力なものを持って来なかったら、ぼくだって、惑星の模様はよくわからないんだよ――君たちと同じことさ」
シートンはそう言って、投射器を回転させ、数億マイルにわたる宇宙空間をビームで捜し、その隣りの惑星へ当てた。この惑星の空気は、いくぶん曇って烟《けむ》っぽくはあるが、妙な鮮色は帯びていず、構成もふつうである。海洋は水であり、植物は緑色を呈している。
「見えるかい、マート? 何かしら変テコリンだとさっき言ったが、違っていたようだな。あんなことは、一度だってめったに起こらないんだ。まして再度起こってたまるか!」
「一般に認められた宇宙学によればだね、同じ太陽の惑星は、多かれ少なかれ同一組成の大気を持っていると考えられるんだ」クレーンは冷静な調子で同意した。「しかしながらだね――すでにこういうケースに二度出会ったとすると、惑星を伴った太陽はぼくたちの考えていたよりずっと多数であるばかりか、太陽同士が惑星を交換することということもあり得るんだな」
「たぶんな、今の件がそれで説明がつくから。しかし、この惑星をもっとよく観測しよう。着陸できるような地表があるかどうか調べなくっちゃ。ああ、固い地上に住んで、仕事ができるって、どんなに快適だろうなア!」
彼は、視力焦点を、見知らぬ惑星の日照面へゆっくりと這わせた。惑星の地表は、地球がそうであるように、部分的に雲がかかっている。雲のかたまりが、出たり消えたりしている。地表の大部分は大きな海洋になっている。残りの狭隘《きょうあい》な陸地は、妙に平坦で、ふつうの地形上の凸凹がまったくないように見えた。
非物質の乗物ともいうべき、四人の地球人の結像が真っすぐに下降して、見えているいちばん大きな陸塊へ近づいた。羊歯《しだ》のような、また竹のような植物が高く生え茂っているジャングルを真上から透過して、地上数フィートのところで結像は停止した。地表はたしかに堅固な地面ではない。と言って、地球での沼沢地のようなじめじめした泥地でもない。一面に、黒ずんだ、沸き立っているような粘性の泥である。腐植土や腐木が混っているというような泥ではない。ただ一面の泥である。そこから植物が幹を束ねて天空へ抜けだしている。しかも、泥中には、さまざまな動物が、のたうち、這いずり、ウジョウジョと集まりあっている。
「まあ、何ておかしな姿の泥イモリでしょう!」ドロシーが叫んだ。「この泥地、あなたのご覧になった、いちばん汚ない、いちばんねばねばした、いちばん厚い沼地じゃないこと?」
「まあそう言ったところだね」シートンは異常な好奇心をそそられながら、うなずいた。「しかし、動物どもはこの沼地に完全に適応しているようだね。平べったい海狸《ビーバー》のような尻尾。水かきのついた太くて短い四肢。ブタみたいな、泥を掘じくるみたいな鼻をつけた長っぽそい頭部。鋭い獰猛《どうもう》な門歯。動物どもは羊歯やなんかを食って生きているんだな、きっと。だから、下生えや、朽木というものが一切ないんだ。ほら、あそこの大きな竹の根元を這っている動物を見てごらん。一分間もたたないうちに、大きな竹を倒すよ――ほら倒れた!」
竹の大幹が地響きをともなって倒れた。と見る間に、そこへ飛びついた≪泥イモリ≫の巨群の重みで、あっという間に泥中に埋まって見えなくなった。
「ああ、そうだろうと思った!」とクレーンが溜息まじりに言った。「あの動物は、ティタノセリックの型だから、臼歯《きゅうし》は門歯に合ったものになっておらんのだよ。ぼくたちはふつう、含水炭素を栄養に摂《と》っているが、かれらはリグニンとセルローズを摂取してるのかもしれない。しかし、こんな地形じゃ、とてもぼくたちの目的に沿《そ》いそうもないね」
「そのようだな。ぼくはもうすこし捜して、どこかに高い地面がないか見てみようか。どうも、ムダなような気がするな。この濁った空気と亜硫酸ガスの吸収スペクトルを見ると、気持が悪いや――山があれば、ものすごい活火山で、硫黄をたくさん噴きだしていると、耳もとで囁《ささや》かれたような気がしてくる」
ようやく海洋のなかに、かなり大きな数個の島と、泥地ではない硬い土壌の大陸が二、三発見されたが、どれも例外なく火山性のものであった。しかも活火山である。絶えず噴煙をあげ、爆発をくりかえしている。緑の地球で見る間歇《かんけつ》的な、比較的おだやかな火山爆発ではない。間断なき、地軸をゆるがすような大爆発であり、格闘しあう原始エネルギーの発作的な活動である。おそらく白熱化したマグマの大きな核を消そうとて、無尽蔵の冷水が地中へと駆けつけては、熱せられて爆発するのであろう。どの円錐状の山頂からも、あるいはまたかつては円錐であった今はギザギザの噴火孔からも、蒸気、煙、土塵、熔岩、蒸気化した岩などが、信じがたい大きな巨柱となって噴きあげている。どの火山も、この惑星を人間の住める世界に変貌させるという与えられた任務を、着実に精力的に果たしているのであった。
「うむ、このあたりには、住めそうなところも、観測所の土台を打てそうな固いところも、見つからないよ」惑星の全表面を調査して、ついにシートンが結論をだした。「つぎの惑星へ行ってみたほうがよさそうだな。みんなの意見は?」
言うが早いか、シートンはつぎの最も近隣の惑星へビームを照射した。この惑星は太陽にもっとも近い軌道を公転する惑星であった。一瞥しただけで、地球人の目的に役立たない惑星と思われた。小さくて不毛である。水はなく、ほとんど空気はなく、したがって生命もない。地表は小噴口でアバタ面になっている。いたるところ鋸歯状の小丘が立っている。かつては豊饒《ほうじょう》な小世界であったものの、いまは燃えつきたカスにすぎなかった。
そのとき視力焦点は飛び、発光体の炎を噴く地獄絵を越して、もうひとつの、とある惑星の大気上層に落ちついた。
「あハ!」計器類をかんたんに調べてから、シートンが嬉しい声を出した。「こりゃまるで家へ帰ったみたいだ。スイートホームだ。窒素、酸素、わずかの炭酸ガス、水蒸気がちょっぴり、それから懐かしい稀少元素の痕跡もあるぞ。それからほら、あの海を見てみろ、あの雲の峰はどうだい! それからあの山々! すんばらしいじゃないか!」
結像が新世界の地表へ落下し、細かい様子がわかるようになると、そこに何か異常なものがあることが明らかになった。山々は噴火口があり、裂けている。谷の多くは、荒涼たる溶岩、擬灰岩、角礫岩などの拡がりにすぎない。気象状態が生物にとって快適なのに、動く生物の気配すらない。
いたるところが略奪の後のような無残な光景である。想像を絶した威力の嵐が、美しい世界を切り裂き、踏み荒らしたかのごとくである。自然が何世紀も何十世紀も、仮借なく収奪の鞭《むち》をふるったかのような荒れかたである。
すさまじい暴力で破壊されたのは、惑星そのものだけではない。とある大きな内陸湖の近くに、かつて大きな都市だったらしいものの、無残な廃墟がある。めちゃめちゃに蹂躙《じゅうりん》され、ほとんど形骸をとどめないほどである。石は埃《ほこり》となって砕け、金属は錆びて腐っている。その上に、おびただしい植物が繁茂《はんも》し、全体を蔽っている。高い知性をもった生物の築いたものを、長い歳月をかけて大自然がゆっくりと、情容赦もなく、冷酷に無に帰せしめてしまったらしい。
「うむ、む!」シートンがしゅんとして唸った。「惑星を伴った太陽同士の準衝突が≪あった≫んだな、マート。そしてあの塩素の惑星は太陽に捕えられたのだ。この惑星は準衝突のショックで荒廃に帰した……。しかし、かれらはたしかに、大惨事の近づくのを予測する程度の科学知識はあったのじゃないかな? 小数のものを大惨事後に生き残らせるような計画をもっていたに相違ないんじゃないかな?」
シートンは言ったきり口をつぐみ、臭跡を追う猟犬のように、視点をあっちへこっちへと移動していった。
「やっぱりそうだ!」四人の地球人のすぐ眼下に、もう一つの都市の廃墟が見えた。ビルディングも、街並も、構築物も、ギラギラと無気味に光るガラスのような岩滓《がんさい》に融けあわされてしまって、それがただ一面に拡がっている。奇妙な形の構造部材の破片が、溶融を免れて、ところどころに、にょきっと飛びだしたり、スラッグの中に半ば埋もれたりしている。
「この残骸はかなり新しいぞ。熱ビームにやられたのだな、マート。だけど、誰がこんなむごいことをしたのか? なぜしたのか? あっ、虫が知らせた! ぼくたち遅すぎたかもしれんぞ。やつら、みんなをもう殺してしまっているかもしれんぞ!」
険しく顔を曇らせ、シートンの結像は暗澹《あんたん》とした気持で大陸をのぼっていった。そしてついに、求めていたものを発見した。
「やっぱりそうだったか!」うめくように叫んだ。「塩素人があの惑星の文明をいっぺんに掃滅《そうめつ》したのだ。おそらく、ぼくたちみたいな文明人だったろうに。君たち、何とか言え――はっきりと、この暴虐へ挑戦の宣告をするか、それとも手をこまねいて……」
「やぶ睨みの世界にはっきり宣言するわ……われわれはぜひとも……あらゆる手段をもって……」ドロシー、マーガレット、クレーンが言い合わせたように決然と叫んだ。
「君たちが賛成してくれることはわかっていた。ようし、こうなったら……宇宙の到るところに散らばる全人類――ホモサピエンスが、宇宙の害敵すべてに対して乾坤一擲《けんこんいってき》の戦いを挑むのだ! そら行け、スカイラーク2、実力を発揮しろ!」
第二号が全駆動力をあげて、かく不運の惑星に向かって驀進《ばくしん》している間、シートンは計器盤の前にじっくり腰を落ち着け、闘争の跡をさぐり、対策を練った。視点の下に拡がっているものは、厳密な意味では都市ではなかった。それはむしろ、厖大な要塞コンプレックスともいうべきものであった。幾重にも外郭をめぐらした難攻不落の砦《とりで》であったらしい。だがその外縁|堡塁《ほうるい》は、空中に遊弋《ゆうよく》した巨大宇宙艦二隻の抗《あらが》いがたい攻撃に、無残に破壊されてしまっていたのである。かつて外縁堡塁が取りまかれていた環は、いまは沸きたつ溶岩の環状湖になっていた。そこからはむくむくと、地底の膿《うみ》がにじみ出し、噴煙と火炎の細い柱が立ちのぼっている。攻撃ビームの高熱で、溶岩は蒸気化し、燃え立つ滝となって四方八方へ散している。高性能爆弾の間断なき炸裂で、溶岩は凝固のいとますら与えられていないのである。環状湖に近い砦の一角が、ときどき思いだしたように、どさっどさっと、煮えたぎる熱湯のなかへ崩れ落ちていく。すさまじい侵略軍の攻撃エネルギーに、活動力を削《そ》がれ、穴だらけとなり、溶融され液化して倒れていくのである。
四人の地球人が息をつめて見ているうちにも、空飛ぶ弩級艦《どきゅうかん》のひとつから、凄絶な一条の火柱が立ち昇り、宇宙艦は沸きたつ溶岩のプールへ逆落としに墜落し、融解した岩滓《がんさい》を掻きまわし、その一部をとてつもない大きさに抉《えぐ》りながら、池中へ消えていった。
「ばんざい!」ドロシーが、本能的に防御側に声援して、金切り声をあげた。「とにかく、一つは叩き落としたわ!」
だが彼女の歓喜は尚早《しょうそう》であった。ずんぐりした、畸型の宇宙艦は、火炎をあげる環状湖の表面から、空中へ跳躍するイルカのように飛びだしてきた。白熱の溶岩をきらめく激湍《げきたん》のように滴《したた》らせながら、怪物艦はまったく無傷で、新たな行動へ移っていった。
「うむ、ぜんぶ第四系列の兵器だな、マート!」鍵盤と計器類に狂気のように取り組んでいたシートンが盟友へ報告した。「第五、第六系列の装置は、気配すらトレースできない。そこにぼくたちのつけ入るスキがある。ぼくたちにどんな術《すべ》があるか、まだわからん。しかし、何かできそうだ、ウソじゃない!」
「第四系列だって? ほんとうかい?」クレーンは信じないふうである。「第四系列の防衛スクリーンなら、不透明で、重力を遮断する一種の力場帯のはずだ。それなのに、あそこにつけているスクリーンは透明じゃないか。しかも重力に影響を与えていない」
「そう。しかしやつらは、ぼくたちのやってみたこともないような、新機軸を出しているんだ。戦闘に第四系列兵器を使ったことのないぼくたちの想像外の珍手《ちんて》だ。やつら、二度とも、重力帯を開きっぱなしにしている。おそらくは、重力帯が狭すぎて、そこを通せないからなんだろう。すくなくとも、あまり重装の兵器は通せないらしい。そこに、こっちの狙う穴がある」
「なぜ? あなた、かれら以上に詳しいつもりなの?」とドロシー。
「かれら、いったい何なの、誰なの、ディック?」とマーガレット。
「ぼくは彼ら以上に詳しいとも。ぼくは第五系列と第六系列を理解している。どの系列も、そのつぎの系列がわからなければ、あんまり役に立たんのだ。数学と同じだよ。誰だって、微積分がわかるまでは、三角法はものにならない、それと同じことだよ。彼が誰かということは――あの砦で防衛しているのは、もちろんこの惑星の住民だよ。多かれ少なかれ、ぼくたちと同じような人類だと思う。あの宇宙船に乗って攻撃しているやつらが、あの出しゃばり惑星の住民であることは、ほぼ間違いない。ぼくがさっき君たちに話していた生物だ。やつらを静かに眠らせるのは、このぼくたちしかない、できるかどうかは別としてだ。さあ、出かける用意ができたよ。まず宇宙船へ行ってみよう」
可視結像は消え、四人の結像はいま不可視の超エネルギー・パターンとなり、侵略艦の一隻の、制御室のなかに立っていた。制御室の空気は、塩素独特の、緑黄色の気味をうすく帯びている。四壁は段々になって、ダイヤル、メーター類、ブラウン管などが層々とつみあげられている。これらの制御装置にとりついているのは、塩素惑星の住民たちであった。這いつくばり、横臥《おうが》し、立ち、あるいはぶら下った生物たちである。どの個体も、みんな形状が違う。一人が眼を使っているとすれば、その生物個体には体じゅうに眼がついている。手を使っているものは、一ダースからの手がある。水気でふくらんだ、大蛇《だいじゃ》のような形の腕である。どの手にも、幾本もの形の違う指が、突き出ている。
だが、シートンたちののぞきこみも、ごくわずかで切りあげなければならなかった。不可視の訪問者が、制御室のなかを一瞥したかしないうちに、観視ビームがぴしゃりと切られてしまったからだ。それは、不思議な生物たちが、全遮蔽スクリーンを張りめぐらせたからであった。スクリーンは、不透明の球型鏡面であり、一種の力場帯である。それがいま宇宙艦をすっぽりと包んだ。包まれながら、艦は、上方へとびあがり、遠く走り去っていっている。重力にはまったく影響されない。また、せっかくの武器もいまは使えない。しかし、不思議な宇宙艦は、どのような物質形態に対しても不感性である。どのようなエーテル搬送波にも平気である。
「へーえ! ≪のぞかれるために来たんじゃねえ≫って言ってやがる」シートンが冷笑した。「アミーバ人間だ! でも便利は便利だろうな。要《い》るときに、眼でも腕でも耳でも、何でも飛び出して使うんだ。要らないときは、みんな引っこめて休ませ、無感覚の緑色のかたまりに縮んでいればいいんだ。さあと、これで攻撃側の生物を拝見した。防御側の住民がどんな生物か、見てみようか? こっちの住民は、こうかんたんに、ぼくたちの観視ビームを切断できんよ、砦も何もかも、空高く舞い上がらせてしまわなければ切断できないんだ」
そのとおりであった。観視ビームは、何らの妨害にもあわず、要塞の奥の聖域へするりと貫通していった。あばきだされたものは細長い制御テーブルである。そこに数人の人間が腰かけている。それは地球、ノルラミン、オスノーム、その他の惑星の住民とまったく同一形態の人類であった。疑いもなく、宇宙にばらまかれたホモサピエンスであった。
「君のいうとおりだったね、ディック」人類学者でもあるクレーンが言った。「質量、大気、温度が地球に似た惑星では、どこにあっても、みんな人類が誕生して進化しているらしいね。究極遺伝子は、大宇宙の空間そのものに充満しているのに違いない」
「うむ――合理的な考えだと思うな。しかし君、気づいたかい、ぼくたちが入ってきたとき、あのパネルに赤ランプが明滅したのを? 彼らは、探知ビームを力場帯のうえにかぶせているんだ。ほら、彼らの表情を見てごらん」
すでに制御テーブルに向かって坐った人びとは、すべて活動をやめ、椅子にぐったりともたれている。無念やるかたなき諦めの感情が、秀《ひい》でた大きな額にあらわれている。巨大な、平和愛好的な瞳が、またたきもせずに虚空を睨んでいる。皺《しわ》に刻まれた顔面、やせ衰えた体格のすみずみに、疲労困憊の跡が生まなましい。
「ああ、わかった!」シートンが叫んだ。「彼らは塩素人に監視されていると思っているんだ。塩素人はしょっちゅう彼らを監視していたに違いないんだ。しかし彼らとしてはどうにもできん。彼らだって、塩素人と同じように干渉波を送ることができそうに思うんだがな、それをしないところを見ると、もう絶望してるんだな。話が通じれば助けてやれるんだが、教育器械は見あたらんな……」額に精神力集中の縦じわをよせ、シートンはしばらく絶句した。「ぼくは、意志疎通の芸当をやってみるために、ぼくだけを可視にするからね。みんな、ぼくに話しかけんでくれよ、この芸当はぼくの頭脳力を総動員しなけりゃならんのだから」
シートンの結像が濃度を増して物質化すると、惑星人に与えたショックは真に驚くべきものがあった。
はじめ、彼らは狼狽のあまり、尻込みした。ついに敵どもが、狭い重力帯を突破して結像ビームを打ち込み、その完全物質化に出たものと思ったからであろう。そのうちに、彼らはシートンの姿が彼らの形態とは異なるが、一種の人間のそれであることに気づいた。彼らは飛びあがり、地球人にはわけのわからぬ言葉を発しつつ、シートンを取り囲んだ。
シートンは、しばらくの間は、こちらの意図を伝えようとして、手真似、足真似に努めた。だが、伝えようとする思想は、そんな単純なジェスチュアとは比較にならぬ複雑さである。結局、コミュニケーションは不可能であった。さりとて、言語学習の時間などするはずもない。そこでついに到達した手段は、シートンの結像の両眼から可視光線が飛びだして、テーブルの上部に出ているいくつかの眼へ深く食いこむという方法であった。
「ぼくをよく見て!」シートンは命令した。拳《こぶし》を握りしめ、全頭脳力を催眠術師のような、鋭い眼に集中した。彼の額には汗がにじみでて玉をなした。
睨まれた惑星人は必死に抵抗した。しかし、シートンは、すでに強力な自分の精神力の上に、徒《あだ》や疎《おろそ》かで、ノルラミンの第一心理学者ドラスニックの驚異的頭脳力の大半を二重焼きにしたわけではないのだ。強烈な精神体の力に遭っては、抵抗が無益《むやく》なのは自然の理であった。眼力の犠牲者は、やがて緊張をほぐし、受動的になってじっと坐った。その心はいまや完全にシートンの心に対して従順になっていった。そして催眠状態に似た神秘的な意識のなかで、並みいる同じ惑星人に話しかけていった。
「ここに現われた化象《けぞう》は、ある遠い太陽系から来た人類の群れのなかの、一人の超エネルギー像である」彼は自国語で喋った。
「彼らは友好的であって、われわれを援助する意図でやってきたのだ。彼らの宇宙船はいま、全速でわれわれに近づきつつあるが、到着までにはなお数日を要するだろう。しかし、彼らは、現身《うつしみ》をもって到着する以前にも、われわれを実質的に援助することができるという。この目的のため、彼はわれわれに指令している。この制御室に、われわれの力場帯、発信管、制御器、超エネルギー変換器など、重要機器のすべてを寄せ集めなければならないという。つまり、放射線実験所で使われるような全装置を集めろというんだ。……いや、そうではない。それは時間がかかりすぎるから、彼は、われわれの一人が、彼をわが国のそうした実験所のひとつへ案内してはどうかと示唆している……」
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一五 ヴァレロン
シートンの推理したとおり、ヴァレロン惑星に致命的な大災禍をもたらした二太陽の準衝突は、予告なしに来たわけではなかった。ヴァレロン惑星の文明は、すでに数千年にわたって高度の発達をとげていたからだ。ヴァレロンの天文学者たちは有能であり、その科学者たちは勤勉であり、各国民を統《す》べる政府は強力であり、かつ公平であった。幾年も前からすでに、天文学者たちは、準衝突は不可避であることを知っており、この予測される宇宙異変のあらゆる局面を、グラム、センチメートル、秒の単位まで計算しつくしていたのである。
しかしながら、彼らのもつ知力と物質力のすべてを寄せ集めても、ヴァレロンの人びとのできることは微々たるものであった。宇宙現象の無際限の威力に較べて、もともと人間の小さいエネルギーなど何ほどの効果があろうか? 宇宙を駆ける二つの太陽の理解を超えた超質量から、運命の惑星軌道を逸《そ》らそうとする人類の努力は、突進して来る機関車をその進路から逸らそうとする蟻の努力にも似た果敢《はか》ないものであった。
だがその微力な徒労ですら、試みるだけは試みたのである。科学的に、論理的に試みられたのである。まったく恐怖からの足掻《あが》きではなかったと言えないまでも、偏見なく人類の力として、為《な》し得るかぎりのことは為された。最小被害地域が数学的に割り出され、そこに地下壕が建設された。地下壕は、地殻震動の影響をできるだけ少なくするように、地下深く建設され、いかなる大地震にも耐え得る強靭な金属、強靭な構造が工夫されたのである。
選抜委員会はまず、極秘|裡《り》に地下壕の数を決定すると、冷徹無惨な任務にとりかかった。生き残るものを選抜するという仕事である。ヴァレロン惑星の厖大な人口のうち、生き残るべく選ばれるものは千人に一人に過ぎなかった。宇宙災禍の勃発時にちょうどもっとも生命力の盛んな青年期に達するはずの、当時の子どもたちのなかから候補者が選ばれたことは言うまでもなかった。
選ばれた子どもたちは惑星の≪選りすぐり≫であった。心身、遺伝ともに一点の瑕瑾《かきん》のない児童であった。彼らは、割り当てられた地下壕《シェルター》に近い特殊学校へ強制的に収容され、ヴァレロンの文明がまったく宇宙から消滅しないようにするための、あらゆる方策について徹底的な教育が施された。
だが、こうしたことは長く秘密が保たれるはずはない。破滅が来るということはだれもが知るところとなったが、そのあとで起こった混乱に関しては、ここではできるだけ軽く触れることにしよう。とにかく、このとき人間性というものは、自己犠牲的勇気の絶頂にかけのぼると同時に、また怯懦《きょうだ》と堕落の深淵にも落ちこんだのだ。
強い性格の持ち主はなおも強くなった。懦弱な性格の者は、正常の心では考えも及ばない肉欲のとりことなって人格が瓦解《がかい》していった。平和で遵法的な社会は一夜にして狂気を発し、筆舌に尽くしがたい犯罪と略奪の温床と変わった。ただちに戒厳令がしかれ、千人の狂人が情無用に射殺された後、あたまの健全な全市民は二者選一を迫られた。ある日ある時間に、銃殺隊によって死刑にされるか、たとえ生き残る見込みはわずかでも、とにかく来たるべき宇宙大災禍まで生きていくかのいずれかである。ただし、生きていこうとするものは、選抜された少数者を通じて、ヴァレロン文明が存続し得るよう、死までの期間、あらゆる個人的努力を文明のために捧げなければならないと定められたのである。
速《すみ》やかなる死を選んだものも多かった。富、身分に関係なく、即座に、かつ何らの感傷もなく処刑されたものも多かった。その他のものは働いた。あるものは確固たる目的意識をもって精を出し、あるものは絶望にうちひしがれ、やむなく勤労した。あるものは鈍重に、ただ現在のことのみを考えて働いた。あるものは人の目をぬすんで怠け、すきあらば地下壕《シェルター》のどれかへ受け入れられようとする、あらゆる狡猾な知恵をしぼりつつ働いた。だがとにかく、目的はどうであれ、人びとは働いたのである。
もともと人間の心は激しい緊張を無限に続けるようには出来あがっていない。したがって、こうした新体制はいつのまにか正常の生活として受け入れられ、人はいっさい怪しまなくなった。そして月が年にかわり、年が重なるにつれ、この日々の生活慣習は破られることなく続いていった。もちろん、ときどき発狂するものが出たが、それはすぐ射殺された。無報酬労働を拒むものも同様に処刑された。あるものは抵抗をあきらめ、自ら生命を絶った。同時に、いつも狡賢《ずるがしこ》い人間は跡を絶たなかった。地位をもとめ、賄賂を使い、人を陥《おとしい》れ、恐るべき運命を避けるためには手段を選ばないという人間も多かった。もちろん彼らは昂然とは卑劣手段を用いない。一見美しい果実のなかに潜むべき害虫のように彼らは穏微な方法を用いた。だが科学者たちのほとんどは忠実だった。考える訓練を積んだ彼らは、明晰に論理的に思考し、同じく忠実な精神の軍人と護衛艦に護《まも》られていた。老人や虚弱者たちは、大災禍の後では生きることは許さるべくもなかった。退避場はただ選ばれた少数の子どもたちのためにだけ存在するのである。他の人びとは救われない。贈収賄、恐喝、その他あらゆる形の不法行為は彼らには無力であった。死を覚悟した科学者にとって、富や権力が何の魅力であろう? 死刑の決まった科学者にとって、脅かしや強制が何の力があろう? こうして、狡猾手段によって科学者に近づこうとした卑怯者たちは、ことごとくが発見され、処刑された。
歳月が重なっていった。地下壕《シェルター》は出来上った。充分に文明の発達した世界を再建するために必要な一切のもの――物資、図書文献、科学機械装置、工具などが収蔵された。最後に、いまはもう血気盛んな若者や娘となっている≪子どもたち≫が、厳密な検査のすえに収容された。いったん、その巨大な地下壕の中へ入ったが最後、彼らは別の世界に属することになるのだ。
彼らは完全な知識を与えられ、完全な教育を受けていた。彼らは幼いときから、誰からの助けも干渉もうけずに、自分のことは自分で処理できるように訓練されていた。直面する惑星の大災禍がどのようなものであるかを知悉《ちしつ》していた。何をすべきか、どういう方法でそれをすべきか、彼らは知っていた。全員が収容されると、数層になった巨大な扉が溶接された。数立方マイルという砕石と土壌が、地下壕の上へ注ぎこまれた。
異変が近づくと、気温は日一日と上昇していった。サイクロンのような暴風雨が、ますます激しく荒れ狂い、絶えず稲妻と雷鳴とがこれにともなった。直面する宇宙エネルギーの烈しさをうけて、ヴァレロン惑星の芯部までが動揺し、震動、地震はますます激しく、大きくなっていった。
作業は終わった。いまや群衆はまったく手におえなくなった。狂乱した男どもに八裂きにされる献身者。狂気に駆り立てられる絶望者。未来がないことを知って、正気を奪われた頑固者――そのほかの狡猾な者は、ばらばらになっている暴徒の怒りを利用して、彼らの生きる唯一つの希望である地下壕《シェルター》を攻撃した。
地下壕《シェルター》の一つ一つに、暴徒が押しよせたが、最後の最後まで義務に忠実な護衛者と、愛すべき義務を果たし、ただ終焉をのみ待っている科学者たちの厚い壁にはね返された。護衛者と科学者たちは、ライフル、光線銃、刀剣で闘った。それすらも尽きると、彼らは棍棒、投石、拳、足、歯で地下壕《シェルター》を守った。何千倍という圧倒的攻勢に、彼らは苦闘むなしく斃《たお》れ、その屍《しかばね》の上に暴徒は殺到した。だが、地下壕《シェルター》は≪大自然≫の狂襲にそなえて設計され、建造されているのである。神聖な奥所の突破口を見出そうとする暴民の努力は、空しく弾《はじ》き返されただけであった。
こうしてその文明を救った高貴な精神の人々は死んでいった。だが、彼らの一人一人は、心底深く熱望した使命達成の満足感をその死の上に与えられたのである。彼らは自ら善《よ》しと信じた大義のために戦い、速やかに、無残に、だが莞爾《かんじ》として死んでいった。彼らは、恐怖に憑かれた、無意識の烏合《うごう》の衆のように……苦しみながら……迷いながら死んでいったのではなかった。だが、この凄惨な、人類の悲哀を尽くしたこの宇宙的な世界の蹂躙《じゅうりん》に伴う恐怖図と地獄絵とに対しては、この辺で温い忘却のベールをおろしたほうがよさそうである。
二つの太陽はすれ違い、それぞれの定められた道に沿って去っていった。宇宙エネルギーは絡みあうことをやめ、鞭打たれ蹂躙された惑星にようやく平和の時が訪れた。ヴァレロンの生き残った子どもたちは地下のシェルターから立ち現われ、挫《くじ》けることなく彼らの世界を建て直しにかかった。彼らは、この復活という大事業に、汲々として、能率的に働いたので、数百年のあいだに、ヴァレロン惑星には大宇宙にも比肩するものなき高度の文明文化が絢爛《けんらん》と花咲いたのであった。
なぜならば、新しい種族は、逆境のうちにその生育期を過ごしたからであった。新種族の先祖のなかにあった肉体的、精神的不具者や弱者、畸型や劣弱な滓《かす》は、その惑星の生命のほとんどを絶滅させた、あの宇宙災禍の業火のなかに焼滅されていたからであった。生き残った種族は、旧種族に較べて数こそ劣っていたが、肉体的、精神的、道徳的、知的水準においてははるかに旧種族を凌《しの》いでいた。
≪異変≫の直後、太陽系最外側の二つの惑星が消滅したことがわかった。代わって、一つの新惑星が公転を始めた。この珍現象は、惑星交換として学界に認められた。ただし、この現象に深い関心を寄せるものが天文学者だけであったことは言うまでもない。
大宇宙全域で、ヴァレロン人だけが唯一の知性ある生命であるとは、ほとんど数学的実証を経た事実であってみれば、他の惑星に生命があろうなどとは、ヴァレロン人のなかでもよほどのロマン主義者でなければ考えも及ばないことであった。また、たとえ他の惑星に生命がいるとしても、それが何であろうか? ヴァレロンとその最近隣惑星との間ですら、両者を隔てている空虚なエーテルの大距離は、これを渡ることはおろか、両者のコミュニケーションにとってさえ、越えがたい障壁となっていたのである。世代から世代へと文明継承のバトンが移るあいだも、あの出しゃばりの惑星に、嫌悪すべき知的生命が棲息していようとは、ましてヴァレロンの美しい惑星がその知的生命に悩まされようとは、ヴァレロンの誰ひとりとして夢みたものはなかった。
惑星間空間を飛んで来侵した異星人がヴァレロンで発見されたとき、このことをいち早く知らされた人たちのなかに、ヴァレロン第一の物理学者であるケドリン・ヴォルネルとその有名な息子、ケドリン・ラドノルがあった。
ケドリン・ヴォルネルは多年ある研究に従事していた。それは物質の究極構造は何かという、もっとも難解な、根源的な性格の研究だった。彼は、われわれが物質、エネルギー、エーテルなどと呼んでいるものの実体の奥深くに研究のメスをふるい、原子、電子、光子などの再配列に特徴的な、あるいはこれに関連した現象を広く深く研究していたのであった。
ケドリン・ラドノルは、独自のすぐれた才能をもつ科学者ではあったが、老ケドリンをして当代随一の科学的天才たらしめている驚異的頭脳力と深遠な分析的精神はもっていなかった。だが、息子は卓越したシンクロナイザーであって、学究的な純粋科学の開発した観念や発明から、偉大な効用性をもつ機械装置や生産工程を導きだすという特殊な才能に恵まれていた。
たとえば、われわれがヘルツ波として知っている振動波などは、ヴァレロンではずっと昔から、ラジオ(放送用、凝集ビーム用とともに)、テレビジョン、エネルギービーム送波、受信機なしの実視ビーム、またそれに対する遮蔽スクリーンなどに使われていた。老ケドリンが原子を破壊し、原子のもつすさまじいエネルギーを安全に解放しただけでなく、それまで科学に知られていなかった一連の振動波と微粒子のことごとくを研究して大成果をあげると、青年ケドリンはただちに父の研究成果を人類の福祉に役立てる応用研究に着手していった。
やがて原子内部にひそむエネルギーが、ヴァレロンで用いられる主原動機すべてを駆動するようになり、同時に短波長の電磁波が実用化され、その波長はしだいに短くなっていた。ケドリン・ラドノルは各種電磁波を組み合わせ、合成して、凝集ビーム、扇形ビーム、放送波などを他様化、高能率化し、またこれらの電磁波を使って、彼の惑星でこれまで知られたどんな機器よりも強力で、高精度で、高適用性の電気機器をつくりだしていった。
卓越した科学者である父子のために、二人が研究している実験所は、ヴァレロンのバルダイルの執務室と直接に私設通信ビームで結ばれていた。≪バルダイル≫というのは、直訳すれば、≪調整者《コーディネーター》≫ということであって、王、皇帝、大統領とは違う。その権威は至高絶大ではあるが、決して独裁者ではない。
逆説的に聞こえるかもしれないが、これは真実なのである。バルダイルの命令は、われわれの使っている意味での政府とか法律はもたず、すべて自ら自由意志にもとづいて全人類のために働いている男女の活動を、単に補導するだけのものである。だから、命令というよりは、要請、ないし示唆といったほうがより適切であろう。だからまた、バルダイルが人類の共通福祉に反した命令を発することができるとは到底考えられず、たとえ出されても国民はこれに従わないであろう。
実験所の壁にとりつけられているバルダイル連絡用のビーム通信器の同調ブザーが、押しつつまれたような軽音の警報を発した。ケドリンの有能な助手であるクリノール・シブリンが、自分のデスク通信器の上で、呼び出しに答えた。たくましい、若々しい顔がスクリーンに現われた。
「ラドノルはそこにいないようだね、シブリン?」画面の男は室内を見まわしながら訊いた。
「はい、閣下。もう一度試験飛行をしに、宇宙船へ行っておられます。しかし、ただ惑星を周回しているだけですから、お望みでしたらすぐ実視板に出てもらえますが……」
「そのほうがよさそうだね。非常に変わったことが起こったのだ、君たち三人にそのことについて情報を与えておきたい」
接続が完了すると、バルダイルが話をつづけた。
「モセリンの古代都市の廃墟の上に、珍しい半球形のエネルギードームが打ちたてられたのだ。廃墟はぜんぜん人の住まない地域にあるのだから、エネルギードームがいつからあそこにあったのかわからない。しかし、組成とパターンはまったくこれまで知られない類のものである。視力に対して不透明であり、われわれの実視板にも不透明にしか映らない。また物質に対して不透過性のようである。この現象は君たちの研究領野のものらしいから、三人ですぐ調査してみてはどうか、そして君たちが必要と考える措置をとるように」
「はい、わかりました、バルダイル」そう言ってシブリンはビームを切った。
それから助手は、最も強力な実視ビームを照射し、宇宙大異変以前には繁栄した大都市であったモセリン廃都のすぐ真上へ、実視ビームの視点を固定した。
ビームはまっすぐに下がっていき、緑がかった輝燿《かがやき》を発している巨大なエネルギー半球の真上へドライブしていった。ケドリンの強力発生機が全出力でその駆動を押し進める。すさまじい衝撃力によって、ビームは障壁を貫通した。だが、それもほんの束の間にすぎなかった。観察している三人の眼には、緑黄色の靄《もや》のような輝きがちらと見えただけで、細い部分が見えないうちに、ビームは絶ち切られてしまった。それは自動反応スクリーンらしく、ただちに侵入ビームを無効化するだけの動力を要請し、自動的にそれを供給されたらしいのである。
やがて、三人の物理学者はまったく度肝を抜かれたのだが、実視エネルギーのビームが照射されてきたのだ。彼らの不可視ビームに沿って、緑がかったドームから、その実視ビームは立ち昇り、測深するように不気味に揺らいだ。シブリンはただちに不可視ビームの動力を切って、ドアのほうへ飛んでいった。
「何者かはわからないが、嗅ぎつけているようです!」走りながら叫んだ。「この実験所を発見されてはたまりません。ですから、ぼくはすぐこれからロケット機で出て、牽制に出ます。ヴォルネル、もしご覧になるんでしたら、搬送ビームを使わず、遠方からスパイ光線で観視して下さい。ぼくは途中でラドノルと連絡をとります」
シブリンは、不思議な半球ドームに横から近づくべく、きわめて広角の弧を描いて飛んでいったが、ロケット機の速力はすさまじいから、ものの一時間もしないうちに、半球の要塞上空に達した。ラドノルの発している実視ビームをロケット機の実視板に同調させて、遠方の宇宙船にいるラドノルが経過を実視できるようにすると、彼はふたたび強力ビームを緑色エネルギーの不貫通性ドームへと照射した。
だが、ドームの自動反応は瞬時であった。強烈な灰色の火炎の舌が閃いたかと思うと、シブリンのロケット機は宙天でそれに捕えられた。片翼と側面装甲板一枚がきれいに剥《は》ぎとられ、シブリンはいきなり機外へ投げだされた。だが、墜落は許されなかった。シブリンの五体は、振動エネルギーの球殻のなかにすっぽりと包みこまれ、否応なしに巨大ドームのほうへ急速度に牽引されていった。彼の身体を容《い》れた球殻がドームの外壁に触れた瞬間、両者は合体したかに見えた。だが、融合したのではなかった。彼を包んだ殻はスムーズにドームを通り抜け、ドームの孔はすぐ閉じた。シブリンは殻のなかに閉じこめられ、そしてその殻はドームのなかに閉じこめられたのである。
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一六 クローラ人のドームの中で
シブリンは、最初の数分間、何が起こったのかわからなかった。またどうしてそれが起こったのかもわからなかった。堅牢な機内で、彼は一瞬の間に侵略者の緑色ドームへ強力ビームを指向し、≪牽制作戦≫を行なっていた。突然、ロケット機はバラバラに爆破した。彼の五体はキリもみ状態で落下する機の残骸から空中へほうりだされたのだった。
何かものすごく硬い物体の上に、有無《うむ》を言わせず坐らせられたような記憶がおぼろげに蘇《よみがえ》った。つぎの瞬間、直径二十フィートばかりの、妖しい緑色にきらめいている球体のなかに、彼は自分が力なく横倒しになっているのを、ぼんやりと感じた。球体は、チルド鋳鋼の硬さであった。だが、ほとんど完全といっていいほどの透明体で、不可視に近いほどの青ざめた緑色の炎から出来あがっているように見えた。と同時に、巨大なドームが恐怖をさそう超スピードで彼のほうへ突進してくるのを、放心した、靄《もや》のかかった意識のなかで、シブリンは観察したのであった。
だが彼はすぐショックから立ち直った。そして、いま自分が閉じこめられている不思議な球体が、一種のエネルギーの殻であって、ヴァレロンの科学者に知られたどんなものとも異質の組成と構造のものであることがわかった。意識が明晰となり、猛然と好奇心が湧き出てくるにつれ、彼はドームとなっているそのエネルギー障壁が、小さな球体と瞬時に合体し、道を譲り、なかに取りこむとすぐスムーズに孔を閉じたその驚くべきしくみに、科学者らしい感嘆の声を放ったのである。
ドームの内側に入れられた彼は、あたりを見まわし、驚いたばかりでなく、すくなからず畏怖を覚えた。巨大な半球の中央部、その地上に、フットボールのような格好をした、のっぺらぼうの構造体が横たわっている。これこそ、侵入者たちの使用した宇宙船と思われた。宇宙船の周囲には、さまざまの機械類や土木用構築物が点在していた。いずれも、その形状、目的は一見して明らかだった。削岩機、デリック起重機、竪坑屋上《シャットヘッド》、鉱石運搬車、揚鉱機、その他の穿孔、採鉱用の設備で埋まっていた。広大なドームの内張りからは、緑黄色の強い閃光がにじみ出て、塩素ガスの自然色を溶解じみた無気味さに強化している。ドームで囲まれた半球形体積のなかの空気を、塩素ガスが置換し、異星人の使用に供されているらしかった。
小球が異様な現場へ牽引されていくうちに、シブリンは眼下にさまざまの動く物を見た。彼の知識と経験に照らしても、まったく理解できず、どの経験に結びつけてよいかわからぬしろものであった。動きまわる物は無定形の生物らしかった。あるものは地面を流れて動く、変幻自在の物質のシミである。あるものは、転がっている。車輪ないし樽のように展転している。また、それらよりずっと多数の物体は、蛇かなにかのように、急速に匍匐《ほふく》している。またあるものは、動くパンケーキのように、一ダースばかりもある職種ふうの短い肢《あし》の上に乗って、扁平なかたちのまま、伸縮しつつ動き回っている。その他に、人間にやや似た生物が直立して歩いているが、これはきわめて小数であった。
厖大なフットボール型宇宙船の膨らんだ胴のかたわらに、ガラスの檻《おり》がひとつ立っていた。縦横八フィートの真四角、高さは七フィートであった。落下していく彼の直径二十フィートの殻が、そのガラスの檻に突き当たり、呑みこんだ。と思ったとたん、檻のドアが招くように開いた。シブリンは、この中に入ることを期待されていることがわかった。
事実、彼にはそれ以外の道はなかった。彼の乗物であり、防護物であった冷たい透明球の殻《シェル》は消え、檻のなかへ驚いて飛び込むか飛び込まないうちに、ドームに充満していた有毒な塩素ガスが殻《シェル》の占めていた空間へ侵入してきたからである。彼が檻へとびこむと同時に檻のドアはぴしゃりと閉まった。じわじわと、だが確実に、窒息死させられるのでろうか? そうではなかった。ガラス張りの檻にはきわめて能率的な酸素発生機と空気浄化器が据えつけられていたのである。それだけではない。ヴァレロンの食料と水すらあった。椅子とテーブルがあった。小さな狭い寝台さえついていた。だがもっと驚いたことに、トイレット設備一式と、着替えの衣類すら用意されてあった。
はるか上空、そびえたつ宇宙船の巨大なドアがひとつ開いた。檻が持ちあげられていく。何の支持物も、推進装置もないのに、檻はどんどん昇ってドアから入り、さらにいくつもの戸口、廊下、ホールを通り抜け、ついに宇宙船の深奥部にあるひとつの小室の床に安着した。制御室らしく、無数の機械類、制御パネルなどに囲まれている。そして気味の悪い、形をさまざまに変化させる生き物が、装置に取りついていた。しかし彼は、制御室の中央へ注意が惹かれて、機械類などを見ているひまがなかった。中央部に頑丈に補強された浅い金属カップが、がっしりした低い卓子に載っている。そのカップのなかに、彼は≪あるもの≫を見たのである。ヴァレロンの住民が侵入者の一人を間近かに見たのはこれが有史以来初めてのことであった。
≪あるもの≫は、固体でもないし、液体でもないし、ゼリー状物体でもない。だが、この三態の特徴をすこしずつは保有している不思議な形態である。部分的に透明ではあるが、妙に混濁した感じであり、さらに部分的に緑色がかった半透明体でもある。またよく見ると、ぜんぜん濁って不透明なところもある。全体として、ぞっとする凄《すご》さというべき感じである。肉体の細かい部分、器官にいたるまで、醜悪で忌《い》まわしい感じである。意識の力によって一種の物質的な妖気を放射しているのであるが、その刻々に変化する色調は、どの瞬間をとらえても厭らしい。とにかくそれは唾棄《だき》し嫌悪し、虫ずの走るような感覚を人間の本能に強制する。
しかしそれには、知覚力もあり知性もあるということについては一点の疑いもない。邪悪な精神の放射線が感知されるだけでなく、その頭脳もありありと見ることができた。頭脳は巨大である。複雑多岐な回転部をそなえた器官であって、しっかりした、しかし可塑《かそ》的なゼリー状物質のなかに宙吊りになっている。また、皮膚は一見して薄く、脆《もろ》いようではあるが、後で知ったところでは、地球上の動物の生皮よりも強靭であるばかりか、弾力性に富み、最良質のゴムよりも伸縮自在なのである。
その奇妙な皮膚が、床の上にぺったりと貼りつき、部分的には消え入らんばかりに薄くなっている。シブリンが総毛立って、ガラスの檻のなかからそれを凝視しているうちに、サイクロプス(ギリシャ神話の中の一つ目の巨人)のような巨大な眼がだんだんと現われてきた。だが、それは眼というより、人間にはない特殊な感覚を感じるための特殊な器官なのである。特殊な感覚とは、ふつうの視力と、きわめて大きな、貫通性のある、強力なある力とが結合したものである。言葉を変えていえば、視力の他に、催眠能力、テレパシー能力、思考伝達能力を兼ねそなえた一種の超機能である。視力以外のこうした超精神エネルギーは、本質的にはわれわれの感覚ないし機能を超越したものであって、ほんとうは言語で表現することができない。ところが、この生物の眼はそうした特殊感覚をすこしずつ頒《わ》けもって、視力のなかに結合しているのである。いま、その単一の≪眼≫から、強烈な超エネルギー・ビームが放射されている。ほとんど可視光線に近い、指先でさわれるほど凝縮された超エネルギー・ビームが、凝然《ぎょうぜん》と立ちすくんでいるヴァレロンの科学者の両眼を透過し、キリで揉むように、頭脳の奥深く穿孔《せんこう》してきた。強烈な精神エネルギー波の衝撃をうけて、シブリンの五感はふらふらと揺らいだが、意識を完全に失うことはなかった。
「≪おまえ≫がこの惑星でいちばん知性のあるやつのひとりだと――いちばん進歩した科学者のひとりだというんだな?」シブリンの心のなかに、冷笑的な一つの思考がはっきりと形成された。「われわれはもちろん知っている――この大宇宙ではわれわれが最高の生命形態なのだ。おまえの精神エネルギーの規模がそんなにひくいのをみると、なおさら、そのことがはっきりする。おまえたちのような有毒空気のなかで、たとえ低くとも、ほんものの知性生物が生きていられるなんて、おどろきだよ。偉大なるものたちの評議会へ、いい報告の材料ができたわい。この惑星は、われわれの求めている金属がふんだんにあるだけではない。生物もいるということだ――われわれの命令にしたがって、金属採集をおこなう程度には知能はあるが、トラブルをおこすほどには科学的に進歩していない、ふふん、これはいいわい!」
「なぜ、きみたちは平和な方法でやってこなかったのだ?」シブリンは思考波を返した。臆《おく》することはなかった。震えも来なかった。彼はただ異星の生命個体の臆面もない傲慢さに一驚しただけである。「そうすれば、われわれもできるだけ協力したろうに。すべての知性ある種族は、外形や精神の進歩段階がどうであろうと、たがいの進歩のために調和的に協力すべきじゃないのか? そんなことは自明のことだと思うが……」
「バカな!」アミーバ人間はにべもなくはねつけた。「そのことばは、弱者の言いぐさだよ。自分の劣等性を自認している低知性種族の泣きごとだ。ゆるしを乞うて泣きべそをかいているのだ。おい、脳なし野郎――おぼえておけ、クローラのわれわれはな」――発音もできなければ翻訳も不可能なアミーバ人間社会の思考イメージを、われわれに理解できる言語で代用すると、こんな表現になるのだ――「協力などは必要でもないし、求めもしないのだ。われわれは劣等生物の助力もいらないし、指図もいらない。おまえたちのような他種族はこっちの命令に従わせるか、滅ぼしてしまうか、そのどちらかだ。おれがおまえをこの船につれてきたのはな、おまえを惑星へ連れ返って、評議会の≪|偉大なるものたち《グレート・ワンズ》≫に、ヴァレロン随一という知性生物がこんなものだということを見せてやるためだ。
もしおまえたちがわれわれの命令におとなしく従い、けっしてわれわれの邪魔をしないならば、おまえたちを生かしておいてやる、われわれに奉仕させてな。奉仕というのは、たとえば、おまえたちの惑星には豊富だが、われわれの惑星には少ない鉱物を採掘するような仕事だ。
おまえ自身については、またすこし違う取り扱いになる。|偉大なるものたち《グレート・ワンズ》がおまえを調べたら、われわれの命令をおまえの仲間に伝えるメッセンジャーとしておまえを利用し、そのあとでおまえを殺す。おまえをつれていくまえに、ひとつ実物教育をしておこう。おまえたちのような弱い心に、はっきりと、抵抗はムダだということを教えこむためだ。よく見るがいい――外で起こることはみんなこの実視ボックスにしめされる」
シブリンには、船長の発する命令は聞こえなかった。その気配すら感じられなかったし、合図も見えなかった。しかし、離陸の準備は着々と調っていった。鉱山技術者はすでに乗船し、宇宙船は飛行のために堅く閉ざされた。航宙士と制御士官たちは操作盤についていた。シブリンは緊張して≪実視ボックス≫を覗いた。それは、クローラ宇宙船の近くに起こっていることが、ひとつ残らず忠実に鏡に映るように再現される、三次元の実視盤であった。
巨大な半球型の超エネルギードームの下辺部が収縮をはじめていた。モセリン廃墟をなめるようにして縮んでいっているのか、廃墟の周辺を回りながら縮んでいっているのか、シブリンには決しかねた。とにかく、旧都市の地面を抱きこむようにして、もしくは刳《く》り抜くようにして、しかもドーム内部の貴重な塩素ガスがすこしでもヴァレロンの大気中に逃げないようにして、すっぽりと縮んでいったのである。宇宙船はドームを突きぬけ、すさまじい勢いで空中へ上昇した。ドームの縮みはじめていた裾《すそ》は、眼下の地上で、しだいに輪をつぼめていき、やがて輪はまったく消えた。いまや、かつての巨大なドームは、巨大な空洞球体となり、その超エネルギー障壁のなかに、侵略者の大気そのものを、あますところなく包みこんだのである。
クローラの宇宙船は、惑星地表上の高空を翔び、いちばん近いヴァレロンの都市へ向かった。それは小さな村落であった。悲運の村落の真上に来ると、厚顔無恥のアミーバ人間は、宇宙船を空中に停止させ、死のカーテンを降ろした。
スクリーンはスカートのように拡がり、半球型の障壁となって降りていった。降りながら、村落の空気を一ミリリットルまでも吹き払い、代わって、クローラの有毒大気を吹きこんだ。塩素ガスの少量を吸ったことのあるものには、ヴァレロンの村人たちの死にざまを、事こまかに記述する必要はあるまい。塩素ガスを吸った経験のない人には、どんな記述も理解を助けはしないだろう。ただ、村人たちが、恐ろしい死にざまをしたと言うだけで、ご勘弁ねがいたい。
超エネルギー障壁はふたたび舞いあがって、こんどは宇宙船の外殻すれすれまでに捲きあげられた。途中で、塩素ガスは液化され、貯蔵タンクへ戻されていった。すると障壁はまったく消え、略奪の宇宙船はくっきりとその輪郭を空中に現わした。そして、憤りながらも無力なクリノル・シブリンにさらに強烈な印象を強いるために、「ビームをぶっつけろ!」とアミーバ船長が命令した。各職種の士官たちが、それぞれの制御盤へ、鞭の先のような、細い触手をのばしていった。
投射器が下へ向いた。投射器|頸部《けいぶ》の白熱化した耐火物質のチューブから、緑色の濃密なエネルギー火柱が発射された。緑の火柱が当たったものはただちに、シュウシュウ、ジュウジュウと無気味な音をたてながら、熔解ガラスその他に変化していった。火柱は、村の全地域を組織的になめつくしていった。植物、人体、腐蝕植物など一切の有機物質は瞬時に炎をあげて燃えつくし、破壊されない灰だけがビルディングの溶融した金属や石材、土壌内の鉱物と混和し、村全域が地獄のような湖となってしまった。
「ちきしょう、この化けものめ!」シブリンが金切り声をふりしぼった。蒼白となり、震え、ほとんど気が狂いかけていた。「言葉にも何にも尽くせない悪魔のモンスターめ! 無辜《むこ》の人間を殺して何の益がある? 彼らはおまえに何の……」
「害はしない、しようとしてもできるはずがない。それはたしかだ」とクローラ人は厚顔にもさえぎった。「だが、かれらはおれにはなんの価値も、なんの意味もないただのモノにすぎん。おれはただ、おまえの種族のものに、実物教育をしてやるために、この都市をわざわざ手間をかけて滅《ほろ》ぼしてやったのだ。おまえたちなど、われわれにはどんな無力な、ちっぽけなものかということを、はっきり教えこむためにだ。いまこそ、はっきりとその眼でたしかめたろうが。おまえたちの種族ぜんたいは、子供っぽくて、やわらかくて、センチで、とてもほんとうの進歩など望めないやつらだ。それに反して、おれたちは宇宙の支配者で、くだらない禁止慣習や、ばかばかしい気の弱さに煩わされることはないのだ」
これらの言葉とともに、巨眼は薄れ、初めの鋭い輪郭が徐々にぼやけていき、ついに消えてしまった。それとともに、アミーバ人間の高度に専門化した各部分、各器官に形態変化がはじまり、いつとはなしに全体が不定形の膠化体となっていった。と、アミーバ人間は、巨大なカップから、蜂蜜が滴り落ちるようにたれ落ちてきた。膠化《こうか》体はしたたり落ちながらドーナツのような輪形となり、ころころ転がりながら部屋から出ていった。
クローラの船長が去ってしまうと、シブリンは狭い寝台へ自分の身体を投げだし、自制力を失うまいとして烈しい内的葛藤を耐えた。逃げなければならない――彼の心のなかに、この思考が幾十、幾百回となく繰り返された。この牢獄のガラス壁だけが、醜悪な死から彼を護ってくれている。クローラ人の物のなかには、どこにも彼を救ってくれそうなものはない。彼がいま連れ去られようとしている、あの毒ガスの充満した惑星では、どの片隅にだって、一瞬たりとも彼の生命を護ってくれるところはない。ただ、捕獲者の手によって絶えず酸素を供給しつづけているこのガラスの牢獄だけが、彼の生命を維持してくれている。だが、そこから逃げなければ助かったことにはならない。それにしたところで、道具がないじゃないか。遮蔽カバーをつくる材料がないじゃないか。空気を選ぶ方法がないじゃないか。このガラスを破ることさえできないではないか、それはただちに死を意味するからだ。
苦しみ疲れ、彼はようやく眠った。仮睡までもいかない浅い眠りだった。眼覚めたとき、すでに宇宙船は惑星間宇宙空間の奥深くへ進んでいた。彼の捕獲者たちは、あれ以来まったく彼をほうりっぱなしであった。彼には空気と食物と水が与えられていた。たとえ自殺をはかろうとしても、かまっては貰えないだろうと思われた。シブリンは、さっきよりは冷静に考えるゆとりがでてきて、いまの窮状をあらゆる角度から研究してみた。
逃亡できる可能性はゼロであった。外部から救助が来るなどということは問題外であった。だが彼は、しめているベルトでヴァレロンと交信ができた。ベルトは小さな発受信器であって、ケドリン父子の実験所の電気機器に集束ビームで結ばれていたからである。このペンシル・ビームがもし発見されたら、彼は即座に殺されるだろう。だが人類のために、この危険は冒さなくてはならない。横臥しながら、彼は下向きの耳へプラグをそっと入れ、ベルトの小発信器を操作した。
「ケドリン・ラドノル……ケドリン・ラドノル……」数分間呼出しを続けたが、応答はなかった。しかしながら、対個人に話すことは、本当は必要ではないのだ。メッセージが記録されさえすればよいのだから。彼はクローラ人について、クローラ人の軍事力、その生命メカニズムなどについて、彼が観察したことを残らず喋っていった。正確に、詳細に、科学的に、むだな言葉を混じえずに報告していった。
「……われわれはいま、惑星に近づきつつあります」いまシブリンは、実視ボックスに見るままを実況報告している観察者であった。「惑星表面は主として陸地のようであります。極地の氷冠が二つあります。大きいほうを北極と呼ぶことにします。海洋だと思うのですが、ひとつの黒ずんだ地域があります。いまのところ、目立つものといえば、これです。ダイヤモンド型で、長軸は南北にのびていますが、長さは海洋周線の約四分の一です。短軸はほとんど赤道に沿っています。われわれはいま、この海洋の上空高く東へ進んでいます。海洋の東、周線の約五分の一の距離のところに、非常に大きな湖がひとつあります。形状はほぼ楕円形で、長径は北東、南西にのびています。われわれはいま、この湖の南東岸、上下端からほぼ同距離にある大きな都市へ降下しつつあります。
どんな事態になりましても、決してわたしを救出しようなどとしないで下さい。絶対不可能なんですから。逃亡も不可能です、大気が恐しく有毒だからです。しかしながら、民族への伝令としてヴァレロンへ帰れる可能性があります。強い可能性です。これだけが、わたしの帰れる一縷《いちる》の望みです。わたしは、送れるかぎり、このデータを送ります。このモンスターどもの侵略から、われわれの支配を護るために母国の人びとが取るべき方策の決定に役立たせたい、それがわたしの目的です。
われわれはいま、大きな半球型の超エネルギードームの近くに繋船《けいせん》しようとしております……いま、わたしの独房は、大気を通って、このドームのほうへ運搬されつつあります。……あっ、ドームが開きました。このビームがドームの障壁を貫通できるかどうかわかりませんが、発信はつづけます。……ドームの内部です。大きなビルディングがあります。その方へ、漂いながら進んでいます。……いまのビルディングの内部へはいっていきます。ひとつのガラス張りの部屋の中へ入りました。部屋は空気で満たされているようです。……ええ、ちゃんとした空気です。というのは、内部へ入る生物が、透明な材料でできた遮蔽服を着ているからです。彼らの身体はいま球形になっています。いま歩いています。短い三本足で歩いています。あっ、一人が眼を現わしました。さっきわたしが説明したのと同じような……」
しゃべっている最中にシブリンのメッセージが途切れた。全貌を呈した巨眼に睨まれ、無気味な催眠術のような力に把握され、哀れなヴァレロン人は、とたんにまったくの無能力と化したからであった。彼は一人の|偉大なる者《グレート・ワン》の精神感応的命令に従い、大きな部屋へ入り、乏しい衣類を脱ぎすてた。一人のモンスターが、彼のベルトをしばらく調べ、通信機器を発見した。そしてふふんと鼻であしらうように、通信機器をもぎとり、部屋の片隅へすてた。そのため、ちょうどそのとき、ケドリン・ラドノルからの緊急メッセージが受信されていたのだが、シブリンもシブリンの捕獲者も、まったくそのことを知らずに終った。
検閲と調査が終わると、怪物たちはほどなく、処分を決定した。
「積荷を降ろし次第、こいつをすぐあの惑星へ返してやれ」と通信器を投げすてた偉大なる者、アミーバ人間の船長が言った。「どうせ、つぎの惑星を探索するとちゅうで、あの惑星のそばをとおらなければならん。それで、われわれのメッセージをわざわざ運ばせるひまと手間がはぶける」
宇宙空間へふたたび出発し、遠いヴァレロンへ驀進している間、ふたたび船長とシブリンの交信が始まった。
「おれは、おまえの都市のひとつそばに、おまえを着陸させてやるから、すぐおまえのところのバルダイルと連絡しろ。おまえはもう、おまえの種族に割りあてられた仕事は知っているな、おまえの檻に、おまえたちが採鉱する鉱石の標本があるな。われわれが建設した鉱山から、この船いっぱいの積荷を掘るのに、おまえの惑星で二十日間の猶予をあたえる。量は一万トンだ。全量が純鉱でなければならん。わすれるなよ、低品位鉱石や廃石はおことわりだぞ。全量を二十日間でホッパーへそそぎこまなければならない。万一できない場合は、おまえの惑星の都市、町、村のぜんぶを破壊するから、そのつもりでいろ」
「でも、その鉱石は稀少金属です!」とシブリンは真っ向から抗議を叫んだ。「そんな大量を、そんな短期間に掘るなんて、物理的に不可能です」
「命令はわかったな――そのとおりにするか、死ぬかのどちらかだ!」
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一七 ケドリン・ラドノルの反撃
宇宙規模で言えばヴァレロンにごく近かった。だが、マイル数で測れば途方もない遠距離である。従って、ケドリン・ラドノルはまだひとつとして積極的行動のとれる時機になかった。彼はただ制御盤に向かい、実視盤をじっと見つめているほかはなかった。クリノル・シブリンがロケット機を駆って舞いあがる以前、すでにラドノルは宇宙船出力を全開にしていたのだ。それ以来、この宇宙船の許す最高速力で母国へ驀進して来たのである。彼としてはするだけのことはした。いまはただ、じっと坐って実視盤を凝視する以外にはなかった。
ただ見ているだけである。切歯扼腕《せっしやくわん》とはこのことである。シブリンの、徒労ではあったが、あの驚くべき勇敢な攻撃を、彼はただ手をこまねいて見る以外にはなかった。ロケット機の悲愴な破壊も息をつめて凝視した。勇敢で無鉄砲なパイロットが敵に捕えられるのを見た。クローラのドームが裾を捲《ま》き、収縮するのを見た。遠い母惑星の一村落が、人間も動植物もいっさいが殲滅《せんめつ》されるのを歯ぎしりしながら見つめなければならなかった。侵略宇宙船の出発を、彼は溜息をつきながら見守った。心は恐怖と怒りで燃えていた。
大気中を金切り声をあげて降下し、外板は摩擦熱で白光を発した。前進ロケット発射管が、すさまじい漸強音《ぜんきょうおん》に堪えた。ラドノルはブレーキを踏み、宇宙船は、それが建造された機械工場のそばの船渠《ドック》に着陸した。長い帰還の宇宙航行中も、彼の頭脳はめまぐるしく働いていた。平和のためにつくられたこの宇宙船を空無《ヴォイド》の超弩級艦に改装するための、概略スケッチや作業図面はすっかりもう出来あがっていた。
改装は、思ったほど難しいことではなかった。この宇宙船には、すでにありあまるほどの動力装置があった。発生機も変換機も、現在の最高能率の数百倍以上の動力を供給する能力があった。それに、隕石との衝突の危険が絶えずあったので、宇宙船には斥力スクリーンが装備されており、自動始動の力場帯《ゾーン・オブ・フォース》が装置されていた。だから、超弩級艦への改装は、ただ攻撃兵器の積み込みだけで足りたのである。攻撃兵器といえば、ビーム投射器、魚雷発射管、力場《フィールズ・オブ・フォース》、制御装置その他であって、原子力エネルギーの究極的破壊力ともいうべき爆発性を日常目的に応用することのできた稀有の優秀頭脳にとっては、こうした兵器の設計など朝食前の容易さであった。
ラドノルがまず心をくだいたのは、機械工場の総監督、技師長、職長などが、彼の描いたスケッチを充分に理解し、工作方法を正確に知るようにすることであった。作業が進み、新しいビーム投射器が作動することをたしかめ、前人未踏の酸素爆弾が、理論的な威力をもつことを確信すると、ラドノルは急遽バルダイルの執務室へ駆けつけた。すでに各方面の大物たちが集まっていた。ヴァレロンのコーディネーター(調整者)はもちろんのこと、科学者、技術者、建築家、ビーム専門家たち、さらに芸術家、教師、哲学者の面々が参集していた。≪非常事態会議≫と呼ばれるこのグループは、多勢ではないが、ヴァレロンの精神的、知的、科学的教養のえりすぐりであった。各メンバーは一様に、常ならぬ緊迫した表情と物腰である。それも道理、いまこの世界がどれほどの恐怖に直面しているかを心の底から知っているからである。警告は、クローラ人たちがここの村落に与えた、理屈も条理もない、まったくの気紛れともいうべき大破壊であった。これにより、闘争がほとんど思考の対象とならないくらいのすぐれた平和技術に長く慣らされてきたヴァレロンの高度文明が、戦争という憂鬱で憎むべきビジネスに、これから全力を注がねばならなくなったことを、各メンバーは心の底から知っていたのである。
「やあ、しばらく、ケドリン・ラドノル!」とバルダイルは発音をはじめた。「君のヴァレロン防衛計画を採用することにした。他の技術専門家の示唆によって、若干の変更と追加は行なったが。しかしながら、クローラへおもむいて罰を加えるという君の提案は不承認となった。現在の情況では、それは単に報復と復讐の宇宙旅行となってしまい、それではわれわれの正義の立場が泣くからだ」
「たいへん結構です、バルダイル! その決定は……」幼児から協力を躾《しつ》けられているラドノルは、グループの決定を当然のこととして受け入れ、それをいま言いかけて絶句した。自分の実験所から緊急呼出しがあり、遮られたのである。
一人の助手が、わずかのあいだ誰もいなくなっていた実験所へ戻ってみると、クリノル・シブリンからのメッセージが録音されていた。助手は、すぐさまこれをラドノルに伝えなければならぬと思ったのである。
「うむ、そのメッセージを、ここにいるみなさんにすぐ伝えてくれたまえ」ラドノルは助手に言った。長いメッセージの再伝達が終わると、
「委員諸兄、わたしは、このクリノル・シブリンからの言葉で、クローラ遠征というわたしの提案を否決されたみなさんのお考えが変わるものと信じます。ただいまの報告は事実、データともに完全ではありますが、これを土台として、わたしは敵の攻防システムをかなりまで正確に研究することができます。それにより、われわれの軍備を測り知るべからざる程度に強化することが可能となりましょう。さらに、シブリンはすくなくともメッセージ発信のときは生きていたのです。従って、その報告の絶望的な内容にもかかわらず、まだ彼を救う可能性がわずかでもないとは言えません」
バルダイルは緊張した顔、顔、顔を一度見まわし、その表情から全員が賛成しているのを見てとった。
「ケドリン委員――君の主張は正しい。必要な知識を得るために、君の遠征旅行は承認される」とバルダイルはゆっくりと言った。「ただし、一つの条件がある。非常に重大な条件である。それは、君がわれわれに、君が無事帰還できることを信じさせてくれれば、ということだ。クリノル・シブリンは、もちろん自分が捕えられるなどとは思っていなかった。ところがクローラ人は彼を捕虜にした。おそらくすでに落命していることと思われる。また君は、必ず成功疑いないと信じないかぎり、彼の救出などを企てて自分の生命を危険にさらすことはないということを、誓わなければならない。君は、来たるべき闘争において、君自身の科学的能力がヴァレロン防術のため、無限の重要性をもっていることを固く信じており、闘争が必ず勝利に終わるべきことを主張している。それだけに、君自身の生命は万難を排して保存されなればならない」
「わたしの信じるかぎり、わたしは必ず無事帰還いたします。」ラドノルははっきりと自信をしめした。「シブリンのロケット機は低速の大気旅行にしか使えないものであったため、クローラ人の攻撃で簡単に撃墜されたのです。それに対して、わたしの宇宙船は、宇宙空間を飛ぶ設計であり、いつ何どき、超高速で衝突する隕石に対しても完璧の防衛手段が講じてあります。宇宙船はまた、高出力の斥力スクリーンを四重にそなえております。最内側斥力スクリーンが破壊されれば、自動的に力場帯が宇宙船のまわりに張りめぐらされることになっています。
みなさんもほとんどがご存知のように、この力場帯は、エーテルそのものの停止を確立いたします。それにより、いかなる物質的物体が、どのように衝突してこようとも、絶対に不貫通性であり、かつ無影響であります。そればかりでなく、エーテル搬送のいかなる振動ないし波動形態に対しても不透過であります。以上の防衛施設のほかに、わたしは目下、わたしの存じているどのような攻撃エネルギーに対しても、これを無効化する力のあるスクリーンを設備しています。その他、すでにみなさんの手中に計画ができあがっている一般防衛手段はことごとくこれを設備いたします。
わたしはまた、みなさんの第二の条件にも賛成であります」
「では、そういう条件で、君の遠征はここに承認された」とバルダイルがおごそかに宣した。
ラドノルはすぐさま機械工場へ戻った。
機械工場へ戻った彼はまず、シブリンの発信ビームを把えようとした。だが、あらゆる呼びかけにも応答はなかった。応答するはずのウルトラ発受信器は、そのとき遠いクローラ惑星上の、とある空気の充満されたガラス張りの檻の片隅に投げ棄てられていたのである。超小型の発受信器は無音の音を受信して囁いていたのではあるが、シブリンの耳には届くべくもなかった。シブリンから発信があったらすぐに自分に届くように、ラドノルは自分の受信器に継電警報器を取りつけると、宇宙船の改装に全力をあげている技術者たちのほうへ歩いていった。
わずかの期間に、改装は完了した。振動兵器、固体兵器、ガス体兵器などで全艦すきまなく武装された宇宙戦艦は、ラドノルの手でただちに宇宙空間へ打ち上げられ、敵地に戦争を持ち込むという、彼にとっては忍びがたい憂鬱な征路《せいろ》にのぼっていった。
彼の世界とは違い、敵の諸都市は非武装ではないと見込みをつけ、さらに、彼の知らないような警報装置と探知スクリーンを持っているかもしれないとおそれたラドノルは、慎重に敵惑星へ接近していった。有毒大気の最外側層に高く停止したまま、眼下の世界の様子を長時間観察した。
彼は、強力な実視ビームは使わず、ふつうの旧式の望遠鏡を用いて観測した。それは実視ビームのほうが無限の威力があり、かつ操縦性が高いのではあるが、超エネルギービームを送れば敵に探知される恐れがあり、純粋の光学機器ではまったくその懸念がないからであった。ダイヤモンド型海洋と楕円型湖とは容易に発見できた。彼は慎重に宇宙船を操縦し、あらゆるエネルギー放射をカットして敵の探知を避け、重力の影響下に宇宙船を自由落下させていった。
都市の真上上空に達すると、逆噴射ロケットを噴《ふ》かした。ロケット・ブレーキが断続的な轟音を発している間、彼の手はさっと制御装置へ伸びた。一瞬にして、数発の爆弾が投下され、と同時に爆弾の放散するガスを閉じこめるために広大な半球型超エネルギードームを張りめぐらせ、スパイ光線を投射し、強烈な攻撃ビーム発生機を始動させた。
爆弾というのは、言ってみれば大きな金属製容器にすぎない。地表に衝突すると容器が壊れ、酸素ガスが放散する仕掛けになっているだけである。だが、酸素は、五千ヴァレロン気圧というものすごい圧力で容器に圧縮されている。地球で言えば、一平方インチあたり七万五千ポンドという高圧であって、ふつう高圧実験所以外には扱えないものである。拡がった敵都市の全域をカバーするため、爆弾は広く散らばらせられた。地上に達した容器は、恐るべき高性能爆弾に劣らぬ爆発威力を発揮した。
だが、酸素爆弾の威力は、大型破壊爆弾のそれだけではない。活性酸素七千五百万立方フィートが、強大なスピードで地表へ向かって突進し、容器破壊と同時にラドノルの超エネルギードームが地上に垂れさがって、クローラの全都市を蔽い、酸素が大気中へ拡散するのを防いだ。ドーム内は殺人的な濃度となった。ちょうど侵略軍の塩素のなかでヴァレロンの村民が殲滅されたように、市内いたるところに酸素は濔漫《びまん》し、アミーバ人間はことごとく殺された。アミーバ人間にとって酸素は、ハロゲンがわれわれにとって有毒である以上に殺人的有毒であったからである。
酸素爆弾が地上に達するずっと前に、ラドノルは市中央部の巨大ドームへスパイ光線を送って調べつつあった。クリノル・シブリンのメッセージが、かすかながらこのドーム内から発信されていたのである。ところがいま、スパイ光線がドームを貫通できなくなった。敵がシブリンのビームを探知して、周波数帯をすべて干渉したのか、でなければ、ドーム内の敵の作戦本部周辺にさらに補強的な障壁を、早くも張りめぐらせたのかもしれなかった。
無力となった実視ビームは止め、こんどは強力な攻撃ビームを最小直径濃度に絞ってドームへ投射した。ラドノルの全動力をもって駆動される殲滅的ペンシルの威力をもってしても、不気味な緑色にキラキラと輝く超エネルギー半球には歯が立たなかった。攻撃ビームの先端は放射線により、めくらめく白熱光を発しているが、ドームを突破した徴候は示していない。
だが、これ以外にシブリンを救出する方法はないのだ。かてて加えて、救出のためそう長く時間を取ってはいられないと知った彼は、接触火点から発する放射線を光度計が記録し、分析できる程度に、やや長くビームを照射しつづけた。それが終わると、攻撃ビームをドームからわきへそらし、全駆動力をかけ、かつ最大口径で操作しつつ、首都の非ドーム地帯を舐《な》めまわし、たぎり立ち、白煙をあげるガラス状の液体|岩滓《スラッグ》と化せしめた。ドーム内のアミーバ人間には攻撃の手は及ばなかったが、その他はことごとく掃滅《そうめつ》された。あるものは爆弾の破片でやられて木端微塵《こっぱみじん》となり、あるものは殺人酸素の洪水に呑まれ、あるものはラドノルの殺人光線の怒りにふれて瞬時に焼殺された。
だが、超エネルギードームの下には強大な要塞が安固に隠されていたのである。しかもこの要塞にはおびただしい攻撃兵器が装備されていた。もっとも、攻撃兵器は、数年前、奴隷の反乱を粉砕したときに使用されて以来、使われたことはなかった。さらに、攻撃兵器を操作するクローラの士官たちは、ラドノルの攻撃があまりに突然で、かつ意想外であったため、いささか寝込みを襲われた感があった。これをたとえていうならば、地球のハンターたちが、もし下等動物であるウサギが毛皮の前肢にライフル銃をとって立ち向かってきたら、どんなにびっくり仰天するであろうか?
しかしクローラの士官たちが攻撃兵器の操作捜査に着手するのには長い時間がかからなかった。しかも攻撃兵器は、ラドノルの宇宙船のそれのようなちっぽけな機関で駆動されているのではない。固定式の武器であり、要塞の常備装置の一部となっている攻撃兵器は、その種類から言ってもトン数から言っても、ふつうの宇宙船などに据えつけられているそれとは比較にならない。加えて、クローラの超エネルギー発生機は、大きさと数で優れているばかりでなく、原子力の変換とその利用において、ヴァレロンの科学に当時知られた、いかなる同種装置よりも格段に高能力であったのである。
したがって、はたしてラドノルが予想したとおり、彼は長く攻撃を続けていることは許されなかった。眼下のドームから、信じがたい高威力の超エネルギーアームが、ほとんど宇宙船を抱擁するばかりの太さでゆっくりと伸びあがってきた。超エネルギービームが当たった瞬間、ラドノルの第一(あるいは最外側)スクリーンは可視スペクトルの端から端までの輝きにうちふるえ、眼をまたたくひまもなく消え去ってしまった。第一スクリーンは四層のうち最も弱いものではあるが、これまでのラドノルの荷重試験では、どんなに苛酷なビーム照射をうけても悲鳴にも似た放射線を発することはなかったのである。いまラドノルは、計器盤に向かって、緊張の極にあり、しかも分析力を縦横に脳中に働かせながら、息をつめて実視盤に見入っていた。その間も、タイタンのようにすさまじい敵ビームは彼の第二スクリーンを粉砕し、狂気のように第三スクリーンに襲いかかっていた。
この日、実にヴァレロンは幸運であった。というのは、ラドノルは、遭遇を期待されるいかなる攻撃力にも耐えるよう、その宇宙船を強化していただけでなく、考えられるかぎりの非常事態に備えて、彼の科学者的精神と能力をふり絞っていたからであった。かくて、すでに述べたように、彼の第一スクリーンはすくなくともテスト上は、いかなる考えられる攻撃力にも耐えられるはずであったばかりか、第二、第三、第四スクリーンもまた幾何級数的に防御力を増強されていたのであった。しかもその上に、最終的用心として、万一第四スクリーンが崩れた場合は、自動的にこれこそは絶対不貫通という最終力場帯が発動されることになっていたのである。
こうした慎重な科学的配慮がいま、ラドノルの生命を救っただけでなく、ヴァレロンの文明全体をも救ったのであった。というのは、宇宙船の重装変換器をあげて生産される想像を絶した全キャパティ動力によって発生されるさしも強大な第四スクリーンも、恐るべきクローラ攻撃ビームの突き刺しをとどめることはできなかったからである。第四スクリーンは、数分、攻撃ビームを必死に喰いとめた。形容も言葉も及ばない白熱の花火術をきらめかせながら、第四スクリーンはふるえ、きらめき、燃え、耐えた。数分間の長きにわたって! だが、クローラ人たちは、これでもか、これでもかと、その大要塞の豊富な発電能力をあげて、この攻撃ビーム一本へ叩きこんだ。ついに第四スクリーンはより強烈に、より鮮烈に紫外線の放射線を発し、もはやその陥落は避けることができるとは思われなかった。
ついに第四スクリーンは落ちた。だが落ちた瞬間、力場帯が発動された。エーテルそのものの完全停止状態がこれであって、物質であれエネルギーであれ、いかなるものもこの力場帯を透過することは許されない。透過しないはずなのだ。だが、はたして透過しないであろうか? ラドノルは歯を食いしばって、じっと待った。はたしてサブエーテルなるものが、存在するかどうかは、理論上議論のあるところであって、純粋科学の上での興味にとどまっていたのである。
だが、たとえ、そのような媒質の存在を許しても、またサブエーテル媒質内を伝播する極微周期の振動波を仮定するとしても、その振動波の上に、ふつうの周波数の波動を混合することがたとえ理論の上だけでも、そもそも可能なのであろうか? そして、これらの不定形アミーバー人間どもが、人類にはわずかに漠然とした仮説の上にだけしか知られない新理論を実用化しているほど科学が進んでいるのであろうか?
一分、一分が無限の時間のように過ぎていった。その間、ヴァレロンの科学者は生きていた。宇宙船は無傷だった。いま宇宙船は、無慣性絶対速度をとり、惑星重力には引っぱられず、クローラの惑星から高く遠く飛び退《の》いているのであった。ラドノルの面上に、ようやく莞爾《かんじ》たる微笑が浮かんだ。エーテル水準の下にどんな媒質が潜んでいるにしろ、それが振動波であろうと、はたまた極微の物質であろうと、クローラ人がそれに対して、彼がそうであると同様に無力であることがはっきりといま、示されたからであった。
半時間、ラドノルは、不貫通性遮蔽につつまれた宇宙船を空間に漂わせていた。大気圏を完全に脱したと知ると、彼は防衛スクリーン四層を張りめぐらし、それが全出力であることをたしかめてから、力場帯を切った。たちまち彼の四層スクリーンは、彼を追跡して来た敵二艦の投げかける攻撃ビームに、めくらめく白熱球へと変色していった。だが今度は、クローラの攻撃ビームを第三スクリーンで食いとめることができた。敵にそのビーム強度を正確に測る時間がなかったものか、それとも計測などには値しないと多寡《たか》をくくったものか?
とにかく敵は、この計測を怠ったことにより、多すぎる犠牲を強いられたのである。ラドノルのビームがいま、純粋エネルギーの突き刺すキリとなって、地殻の一艦に照射された。不運な宇宙艦には、地上要塞のそれのような強力発生機は装備されていない。ラドノルが宇宙船に装備した全発生動力をもって駆動される憤怒の火槍は、敵スクリーンと金属外板とを、まるで数枚の紙かなんぞよりもたやすく突き破っていった。たちまち、強大な宇宙艦は一片の雲となって蒸発し、巨雲は宇宙空間に拡大しつつ消えていった。凶暴な攻撃ビームはいま残りの一艦へ指向された。だが、一瞬遅すぎた。アミーバ人間の艦長は僚艦の悲運に学び、いちはやく力場帯を発動させていたからであった。
ヴァレロン防衛についての死活的知識をしこたま袋にいれたラドノルは、母惑星への帰還が何らの障害に阻まれないことを知っていた。彼は全出力加速度を加え、ヴァレロンへ向かってひたすら航行していった。暗欝な、硬い表情を制御盤にかざしながら、彼はいま全脳力を一つの問題に集中していた。出しゃばりを好むクローラ惑星の住人に対して、不可避の絶滅戦を、いかにせば有利に戦いうるであろうかと。
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一八 ヴァレロン対クローラ
前にも言ったように、シブリンのメッセージに答えたラドノルの返事は、彼には聞こえなかった。彼の貴重な超小型ウルトラ通信器はすでに彼のバンドには挿《はさ》まれていず、シブリンが仮借なき検査をうけていた部屋の片隅に転がされていたからである。檻に入れられたままのヴァレロン人が、短時間そこから出されたあと、すぐまた宇宙船へ差し戻されたときも、ウルトラ通信器は宇宙船のなかにあった。そして彼が乗せられた宇宙船はドックから飛びあがり、遠いヴァレロンへ向かって驀進していった。
シブリンの帰還の初めのころ、ちょうどラドノルもまたエーテル中にあり、ヴァレロンからクローラへ飛びつつあったのである。どちらも、一方へ、最も経済的時間と動力をもって突き進んでいたのではあるが、遭遇はしなかった。原因は、軌道、速度、そして何よりも距離であった。彼らがいちばん近づいたときですら、想像を絶した大距離に隔てられており、どちらの宇宙船も相手の発した超感度の電子工学的探知スクリーンに接触することはなかったのである。
シブリンを乗せた宇宙船の船長は、ヴァレロンの大気圏に入るまでは、虫ケラのような捕虜には一顧も与えなかった。
「このまえ、お前にいったとおり、おれはこれから、おまえをヴァレロンの一都市へおろしてやる」アミーバ人間はそうシブリンに教えた。「すぐさまお前のところのバルダイルと連絡をとり、われわれの指令を彼に伝えるのだ。おまえはすでに鉱石のサンプルを与えられており、する仕事も教えられておる。指令に従わない場合は、どんな言いわけも聴きいれられない。しかし、われわれのいう意味をどうしてもお前たち野蛮人に信じさせることができないとお前が思うなら、実物教育をして、おまえの都市を一つか二つ破壊してやろうか?」
「それには及びません。わたしの国の人びとは、わたしの言うことを信じるでしょうから」とシブリンは思考波を返した。それから、おそらくは無駄ではあろうけれども、もう一度、高い知性をもちながら身震いするほど傲慢なアミーバ人間を翻意させようとした。
「しかし、わたしはもう一度繰り返したい。あなたの要求はまったく理性の限界を超えたものです。あの鉱石はとても小量しか発見できません。それを、そんな短期間に、そんなに多量に採掘することは不可能です。われわれが、はじめっから不可能とわかっている仕事がやりとげられないからといって、すぐ殺してしまうよりも、もうすこし時間を与えて仕事を完了させたほうが理屈にあっているじゃありませんか? あなたの立場から言っても有利じゃありませんか。屍体になったら、人間もあなたの鉱山で働くことができないのですよ」
「おれたちはあの鉱石がお前のところにとても多いことを知っている。またお前たちの知性も能力も知っている」船長は冷淡に答えたが、それは間違った答えであった。「おれたちが残していった機械類をつかい、しょっちゅう全人口を稼働させれば、できるはずだ。おれは今つぎの惑星の探検にでかけるが、明日からお前の時間で二十回朝を重ねた日の夜明けに鉱山へもどってくる。そのとき一万トンの鉱石が積み込みできるようになっていないといけない。それができなければ、お前の種族はぜんぶ絶滅させられてしまう。おれたちには奴隷がたくさんいるから、お前たちが生きようと死のうと、ちっともかまわんのだ。お前たちがおれたちの命令をこまかいところまで忠実に守れば、生かしておいてやる。でなければ殺してしまう」
宇宙船は難なく着陸した。シブリンは檻ごと、前と同じ不可視の方法で持ち上げられ、いくつもの廊下、戸口を通って運ばれ、とある街の広場の真ん中へ、無造作に落とされた。宇宙船が虚空へ去っていくと、シブリンはガラスの檻のドアを自分で開けた。物見高い群衆がたくさん檻のそばに集まっていた。人ごみをかきわけ、彼はいちばん近い実視通信ステーションへ急いだ。シブリンが名乗るとすぐに、他の一切の通信はストップされ、彼はただちにヴァレロンのバルダイルに、通信器を通しての謁見をすることができた。
「クリノル・シブリン――ふたたび君に会えて、われわれは非常に嬉しい」とヴァレロンのコーディネーター(調整者)は笑顔で迎えてくれた。「ことに、いまクローラから帰還の途にあるケドリン・ラドノルから、君を救出しようと努力したが徒労に終ったという報告があったばかりだから、なおさらだ。彼は非常な強敵に遭遇したらしく、力場帯を張りめぐらせて、かろうじて脱出したそうだ。ところで君はさだめし重大な情報を携えてやってきたのだろう。どれ、すぐ始めたらよかろう」
シブリンは一部始終をきびきびと簡潔に述べた。重要なポイントはひとつも抜かなかった。シブリンが報告を終わると、バルダイル《コーディネーター》が言った――。
「うむ、まったく言語道断というも愚かな畸型進化の生物だな――実に実に乱暴きわまる、非条理の種族だ」コーディネーターは数秒間深い瞑想を凝らしたすえ、なおも言いつづけた。「さきほどからこちらで非常事態会議が始まっている。君をすぐここの会議へ出席させることにしよう。君が着くころには、ケドリン・ラドノルもここへ到着しよう。君たち二人が出席すれば、君の実視通信レポートではわからなかった細かい点までいちいち明瞭になるだろう。どれ、君が大至急ここへ駆けつけられるように手配しよう。必要な特殊装置は何なりと君が使えるように、そこの運輸局長にはすぐ指令をだすから」
バルダイルはぐずぐずした性格ではなかった。同様に、シブリンが着陸した都市の運輸局長も機敏な男であった。だから、シブリンが実視通信ステーションから出てくると、既に一台の二輪自動運搬車が彼を待っていた。運搬車の前部ガラスには、オレンジ色の発光塗料で、≪クリノル・シブリン専用≫とはっきり書かれている。二輪車は、ジャイロスコープで停止状態になっている奇妙な格好の乗り物である。彼は乗り込んだ。眼の前に一台のナンバリングマシンがある。そのいくつかの鍵《キー》を押して、彼は≪9―2―6―4―3―8≫という数字をつくった。行先の空港の位置を示す番号であった。番号をつくってから、赤いボタンを押すと、珍しい乗物は自然と滑べるように進んでいった。
乗物はいくつかの曲がり角を間違いなくカーブして、地下道へダイビングするように潜《もぐ》っていった。地下道のなかの一つの橋の上へ飛びあがった。橋もまた、自動装置が間違いなく、いくつもの橋のなかから選んだのである。橋は無限といっていいほど長く続いていた。乗物は一本の超エネルギーペンシルで誘導されており、このまま空港へ一直線に進むのである。乗物の速度はめざましい。橋は無限の距離へ直線に伸びていた。速力はいま時速百マイル以上であった。
交通の混雑はまったくなかった。停止線もほとんどなかった。それは橋の一つ一つが独立したレベルとなって、交叉はないからである。停止したのは、橋から主幹線へ移るとき、主幹線がすでに乗物で充満しているので、しばらく乗入口で待たされたからであった。この都市の交通はきわめて整然としていた。事故や衝突はひとつもなかった。高速度で走る数千、数万の乗物は、すべて超エネルギーペンシルで制御されているのである。地球の自動車運転とは違って、超エネルギーペンシル制御には、疲労はない。一瞬のゆるみもなく警戒が保たれている。もちろん酔っ払い運転などはあり得ない。
こうして無事にシブリンが空港へ着くと、すでに特別機が待機していた。これもまた自動式であって、ロボットが操縦する。高高度飛行のため、機内は気密になっている。快適な旅行のための設備は、痒《かゆ》いところへ手がとどくようである。彼は美味しいご馳走を心ゆくまで賞美し、飛行機で九万フィートの上空に達し、時速八百マイルで遠い首都上空をめざして巡航している間、よごれた衣服を脱ぎ、ベッドに入った。ここ数日以来はじめてという、爽快な睡眠をむさぼった。
すでにおわかりのとおり、シブリンは一刻の遅れもなく、予定どおりに行動したのである。乗物の連絡その他にわずかな遅れすらなかった。それなのに、彼が会議室へ案内されて入っていくと、もう科学者のケドリン・ラドノルがクローラから帰還してそこに同席していた。すでに、実視通信レポートが各会議員によって徹底的に研究しつくされていた。だからシブリンが椅子に腰をおろすや否や、矢継ぎ早に多くの委員から質問が浴びせられ、シブリンは異常な体験を述べた。一語ごとに会議室の緊張は高まっていった。だが会議の進行はきわめて秩序正しく、ひとつひとつが徹底的に検討された。こうして、現在の非常事態に、何をなすべきか、何が可能であるかが論議しつくされていったのである。
「さてみなさん」と最後にバルダイルが一同を見まわした。「われわれみんなの意見は、ひとつにまとまったようである。こんどの新発展では、もっとも悲惨な奴隷状態に甘んじるか、しからざれば死かという二者択一を突きつけられたのであって、われわれがすでに決定していた情況判断にはいささかも変化はない。ただ、防衛計画に対してはっきりと期限が与えられたというのが、こんどの重大変化である。われわれが国をあげて努力すれば、指定された量の鉱物も採掘は可能であろう。しかしながら、おそらくは不当の要求は今回だけで終わるものではあるまい。つぎつぎと無限に要求は繰り返され、われわれの生活はやがて堪えがたいまでの苦痛に陥るべきは必定である。
われわれは合意に達した。無慈悲の異星人にこき使われ、絶えざる苦役によって、かろうじて虫ケラのような生存を許される――それすら、クローラ人の気まぐれによって、いつ何時《なんどき》取り消されて亡ぼされるかわからないのだ。そのようなみじめな生存を購《あがな》うよりは、むしろ潔《いさぎよ》く、わが種族全体のすみやかなる絶滅をこそ、われらは選ぼうと思う。
したがって、異星人がその正体を現わした後すぐ開始され、いま着々と進捗中の防衛計画は、このまま進めることにしよう。ここに出席の大部分の諸君は、防衛計画が何であるかはよくご承知である。だが、まだご存知でない一、二の方々のため、かつまた同時に国民に対するニュース放送をも兼ねて、わたしはここに、われわれの現在の立場を簡単に、ただし一点の疑いも残さない程度に明瞭に概説しようと思う。
われわれは、この都市――われわれの最大の都市を防衛するつもりである。防衛に必要なあらゆる補給資材、機械装置がここへ集中されつつある。またできるだけ多数の人びとをここへ集め、相互に干渉しないで防衛活動ができるようにする。それ以外の市民は、勝敗が決するまでの間、それぞれの家を離れ、各地に散らばって設けられた臨時の避難所へ疎開することとなる。疎開はどうしても必要である。敵はわれわれのこの要塞都市へ攻撃を集中するだろうからである。ここを根こそぎにしないかぎり、まだヴァレロン惑星ではわれわれが主人であることを、敵は忘れないのだ。
しかし疎開が決定されたのは他にも理由がある。敵はまったく気紛れか、あるいは抵抗に業《ごう》を煮やしてかは問うところではない。とにかく人口の密集した非武装地域を破壊する挙に出ると信じられるからだ。また、疎開によって、たとえこの要塞が粉砕されても――それは決してあり得ないことではないことをよく心に留めておくように――、われわれの種族が生き残る可能性がでてくるということである。
都市そのものの防衛については、ひとつの超エネルギードームをかぶせる。ドームの周辺に、いくつかの輪《リング》をつくり、ここへ武装を集中する。われわれの力で建設できるもっとも強力な攻撃兵器、防衛兵器のことごとくを、この輪《リング》内に収容する。
われわれは常に平和を愛好する国民であったが、現在の情況も決して絶望というのではないから、悲観は禁物である。戦争に不可欠なものは武力である。しかも、われわれに武力の欠乏はない。しかもまた、その武力を使用する技術と知識がなければ、戦争は敗北であるが、われわれにはその応用技術と知識が備わっている。われわれの平和利用の機械設備の多くは、すぐさま強力な破壊エンジンに転換されるであろう。ケドリン・ラドノルは、旧来の機械類を新しい目的に活用することにかけては、独得の能力をもっている。それだけでなく、彼は敵が使用している超エネルギーの諸|形態《パターン》を徹底的に研究した。超エネルギーパターンの発生方法、その利用法、無効化方式を彼は完全に理解している。
最後に、クローラ人の鉱山機械と掘削機械とは取り外して徹底的に研究され、新しい工夫や特徴をいくつか採用して、われわれの新機械に組みいれてある。これだけの採掘をするのに、二十日間というのは長い時間ではないが、それだけの時間しか許されていないのだから止むを得ない。ケドリン、君は質問があるのだろう?」
「あります。どうしても二十日間以上の余裕は与えられないのでしょうか。鉱石を積む宇宙船は、必ず二十日以内にやってくるでしょうが、鉱石船は当方で容易に破壊することができるのです。鉱石船にかぎらず、彼らの保有する普通型の宇宙船は、とてもわれわれの敵ではありません。わたしの経験した宇宙空間での闘いでも、敵はわたしを追跡すらしなかったほどですから、それはもう絶対に確実なことです。それで、敵はおそらくは、はるかに強力な大宇宙船の建造にかかっていると思われます。この大宇宙船がこちらへ侵入してくるまでは、われわれは安心できると思うのですが、どうでしょうか?」
「ケドリン、君はわれらの敵の知力を過小評価している」コーディネーターのバルダイルが答えた。「敵はこちらが防衛に狂奔していることを知っているのだ。おそらくは知っているのだ。万一、彼らの宇宙船が、君のそれよりも優れていたら、われわれはすでに絶滅を喫《きつ》していたはずだった。だから敵は前回に懲りて、成功の自信がある強大宇宙船を建造するや否や、かならず攻撃してくる。こちらの防衛計画が完成しないうちに、攻撃を始めるということも、充分ありうることだ。われわれはぜったいにその時機に遅れてはいけないのだ。
この武装競争の速度という点に関しては、われわれのほうに二つ有利なことがある。第一は、彼らは基地から遠く出動しなければならず、しかもそれは長遠の距離だから、作戦は必然的にわれわれに比して大規模のものとならざるを得ない。ところがこちらは、ホームグラウンドで戦うのだから、能率がずっとよい。第二には、こちらは敵よりも早く防衛計画に着手しておるということだ。もっとも、この第二の点は、敵のほうが戦争諸要素の建設を、われわれよりはるかに能率よく行なうかもしれないから、あまり当てにはできないが。
最初の第一船は重要ではない。その宇宙船は鉱石の積み込みを要求するかもしれないが、また、しないかもしれない。むしろ、この不可避の攻撃に自ら参加するかもしれないし、そうでないかもしれない。とにかく、ただひとつ確実なことは、その宇宙船がわれわれの鉱山に着陸する以前に、われわれが防衛計画を完遂していなければならないということだ。一切をあげて、この大事業に叩きこまなければならない。われわれは、われわれの手にある精神的、物質的、機械的力の最後の一オンスまでこれに捧げつくさなければならない。おのおのが、その尽くすべきベストを尽くさなければならない。……では、本日の会議はこれをもって無期延会とする」
つづいて開始された国をあげての活動は、この惑星の歴史あって以来のものであった。かの宇宙大異変に先立つ前の数年間は、同じようなテンヤワンヤの大活動があった。だが当時は、見当違いの努力がなされ、無駄な精力が消耗され、混乱と紛糾とが幾たびも起こった。ただ小数の頭脳明晰な、正しく思考する人々の力によって、かろうじて、わずかばかりの成功が混乱のなかから拾いあげられただけであった。だが今度は、ヴァレロンは以前に幾層倍する厳しい危機に直面しているわけである。準備期間は以前の数年というのではなく、数十日である。しかし以前はごく少数のビジョンをもった人たちしかおらず、無智で、あたまが混乱して、恐怖に憑かれた無能力の群衆を指導し管理することが極度に難しかったのに対し、今度は明徹な思考力をもった人が多勢おり、他人の指図や統制をまたずに、自発的に共通の利益のために働いたのであった。
こうして、都市の内外では活発な生産活動が唸りをあげて続いているのに、そこにいささかの混乱も無秩序もみられなかった。仕事があれば必ずそこに人間がおり、働く人には絶えず資材と機械器具があてがわれる。齟齬《そご》や感違い、遅延や摩擦はまったくなかった。誰もが自分の仕事を心得ており、自分の仕事が全体にどうつながるかを承知している。ヴァレロンの種族は、宇宙大暴変以来、教育により協働と協調の精神を徹底的に身につけていた。それがいま物を言い、精神発達の低い人間たちにはとうてい不可能な能率とスピードとで、人びとはそれぞれの任務を遂行していった。
一人一人のヴァレロン人が最善をつくした結果、≪運命の日≫の夜明け頃には、クローラ人の侵略に対する一切の防衛態勢ができあがっていた。巨大な要塞は完成し、巨大な発生機、変換機の林のような砲列から、いちばん遠隔の地にある実視ビームの視力点に到るまで、あらゆるものがテストされ尽くしていた。動力設備、防衛兵器の据えつけ、機械装備、補給、貯蔵、守備隊の運営――一切は完了した。都市という都市は人っ子ひとりいなくなった。住民はすべて、惑星表面の隔辺の地へ疎開し、ヴァレロンの誇るべき文明が勝利を得るか斃死《へいし》するかが決まるときまで、それぞれの隔離された群れとして生きのびることとなった。
夜明けとともに、クローラの探検船が人気《ひとけ》のない鉱山に現われた。積載ホッパーが空《から》っぽなのを見ると、敵は喚きもせず、鉱山にいちばん近い都市へ進み、ビームで掃滅作業をはじめた。だが、その都市にすでに住民がいないと知ると、敵はビームを切断し、強力なスパイ光線を照射し、その上に探知器を備えつけた。スパイ光線はまざまざと巨大な要塞を暴《あば》きだしてみせた。この前ここに来たときにはなかった要塞であった。船長はすぐ要塞へ憎しげに攻撃を加えた。アミーバ人間の特徴ともみえる傲慢な侮《あなど》りをこめて、無造作に、不注意に攻撃に出たのである。
だが、この自殺的な企ては、はたしてアミーバ人間独得の傲慢から発したものであろうか? それとも、探検船の船長が、それとなく、|偉大なるものたち《グレート・ワンズ》から自殺行為の命令をうけ、その結果によってグレート・ワンズはヴァレロンの防衛力を測定しようとしたのではないだろうか? だとしたら、なぜアミーバ船長は、そもそも鉱山などへ最初に行ったのであろうか? なぜ要塞のあることを、事前に知らなかったのであろうか? 知らないかのごとく見せかけたのであろうか? 何でも知っているクローラのグレート・ワンズが要塞のありかもその防衛力も知っているとしたら、なぜいったい船長はこの朝、うっかりと攻撃など企てたのであろうか? すべてこれらのことは、ヴァレロンの誰一人として想像し得たものはなかった。
いずれにしろ、アミーバ探検船は、攻撃ビームを照射したのである。ただ一本の、ただ一度の攻撃であった。ビームの照射があると、ケドリン・ラドノルがすかさず接点《コンタクト》のボタンを押した。たちまち、すさまじい火炎のビームが要塞から宇宙船へ向けて走り、アミーバー人間は制御盤に手を触れるひまさえもなく、したがってまた、彼の力場帯の自動始動装置――もしこの宇宙船に自動始動装置があったとして――も、自動的に反応する時間がなかった。早くも凶暴な要塞の攻撃ビームはスクリーンを突きやぶり、ほとんど瞬時に、アミーバの探検宇宙船は溶融、蒸発し、四散し、消滅してしまった。だが、ヴァレロン要塞では、凱歌の喜びはなかった。バルダイル以下将兵の末端にいたるまで、真物の攻撃はまだこれからだということ、それがもう間近いということを、骨の髄《ずい》まで知っていたからである。
はたしてその通りであった。ヴァレロンの厖大な砦《とりで》に降伏を強いるべく、はるばると飛んできたものは、人類がこれまでに見たことも聞いたこともない形の宇宙船であった。全金属製の巨大な構造物が二個、虚空に姿を現わしたのである。字義どおり、それは空飛ぶ要塞ともいうべきモンスターであった。その巨体はあまりに途方もなく、とてもこれだけの超質量が空中に浮遊する力があり得ようとは、およそ人間の想像力を絶していた。それがいま悠然と、はるかなる天空から舞いおりてきたのである。
浮遊する二つの巨城は、同時にビームを照射した。空飛ぶ要塞の発生しうる、照射しうる最強度のビーム火柱を、下界の防衛ドームへ集中してきたのである。恐るべき痛撃をうけて、ヴァレロンの雄健な発生機は狂ったような断音をわめき、ずっしりと重厚な防衛スクリーンは強烈な、服を切り裂くような紫閃を放射した。だが、防衛障壁は持ちこたえたのである。ヴァレロンの強力な頭脳が結集して、彼らの平和のための機械力とエネルギーとを戦争のエンジンに化せしめたのは、そもそも何のためであったか。ヴァレロンの惑星をあげて、老いも若きも、心と筋力とをあわせ、あたかも一人の人間のように、スムーズに能率的に、二十日の長きにわたって立ち働いたのは、そもそも何のためであったか? いまこそそれが試されたのであった。ヴァレロンのタイタンのごとき防衛施設も、これだけの凶猛な荷重を、容易には耐えたのではなかった。だが、それでも、耐えはしたのである。
その直後にラドノルは接近してきた一隻の超巨艦へ憤怒の炎のごとき集中ビームを照射した。まるで、神話のジュピター神が雷電《らいでん》を投げつけたかのごとき凄絶さであった。いや、このヴァレロンのビームと較べたら、いかなる自然現象としての雷電も稲妻も、若い恋人の最初のキッスのように、甘美でやさしい、無害の抱擁でしかなかったであろう。さもあろう、このビームの背後には、ラドノルの攻撃ビーム発生機が造出することのできる、あらゆるボルトとアンペアとが籠《こ》められていたからである。
クローラ戦艦の防衛スクリーンもまた巨大な荷重に暫時うめいた。だが、このスクリーンもまた絶えたのでる。これを皮切りに、狂暴と憤怒のスペクタキュラーな争闘が数時間続いた。ビーム、ロッド、平面《プレーン》、ニードル、あらゆる形態の超エネルギー武器、あらゆる使用可能の周波数振動エネルギーが、相互の不貫通性無効化スクリーンに叩きつけられた。地球のわれわれに知られたどんな威力兵器をも遥かにしのぐ速力と爆発力をもった巨弾が打ち出された。無線操縦魚雷が発射された。ロボット搭乗|穿孔《せんこう》飛行機、その他多数種類の超科学兵器が総動員された。これらのすべてが、最初の数時間に、めったやたらに、気違いのように、互いに投げつけられたのである。やがて一ラウンド、あらゆる手が尽くされると、互いに相手の防衛手段が、こちらのあらゆる攻撃に耐えるものであることがわかってきた。こうして両者の戦争はやたらな殴り合いから、ジリジリとした消耗戦に行き詰まっていった。
ラドノルを頂上とするヴァレロン科学陣はもっぱら新型攻撃兵器、より強力な攻撃兵器の開発に専念した。クローラ人たちは中央ドームへの無駄な攻撃は断念し、その攻撃力を二つの半円の弧に集中した。彼らのビームは真っ逆さまに上から、ヴァレロン要塞を取り囲む地域へ注ぎこんだ。絶えず、組織的に注入される巨大エネルギーの洪水という新攻撃法であった。
アミーバ人間たちは、ヴァレロンの集結軍事力を排して、その防衛障壁へ穿孔することはできなかった。その代わり、彼らはブクブクと熔岩の湧きたつ環状湖をドームのまわりに掘り下げた。そして要塞の外縁部が徐々にこの湖のなかへ崩れ落ち、融けはじめていった。この破壊方法は、速度はのろいが確実であった。クローラ人たちは、ヴァレロンの唯一つの砦《とりで》を討ちとるべく、根気づよく、しつこく、冷酷にこの作業をつづけていった。
いったい敵はどうして、こんなにおびただしいエネルギーの要る攻撃を際限なく続けられるのであろうかと、バルダイル自身声に出して訝《いぶか》しんだ。すぐわかったことは、敵は四隻の空飛ぶ要塞を動員しているということであった。ときどき、攻撃ラウンドを終わった二隻が後退し、まったく瓜《うり》二つの二隻が新手のエネルギー攻撃をはじめるのである。攻撃を終わった二隻は、何かの動力源資材を補給するためにクローラへ引き返していくらしい。何を動力源に使うかわからないが、おそらくは、ある金属原子の崩壊からあれだけのエネルギーを出してくるものであることだけは、間違いがなかった。
仮借なき、絶え間なきクローラ戦艦の攻撃によって、ヴァレロンの要塞は、頑強に必死に抵抗しながらも、徐々にではあるが、周縁から崩されかかっていった。時間が経つにつれ、周縁の遠隔環状拠点は緩《ゆる》み、崩れ、たぎりたつ熔岩の湖へ炎をあげながら落ちていき、巨大な中央ドームは、四辺から一フィート、一フィートと切り崩されていった。
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一九 救援へ
ヴァレロンは最後の弧塁に立っていた。ヴァレロンの背は壁につきつけられていた。クローラ人のつくる環状岩湖は徐々に、着実にその幅員を増していき、攻撃の刃先はしだいに要塞の内側へ内側へと迫っていった。もはや環状湖の内円と都市を蔽っている巨大な超エネルギー・ドームとの間には、かぼそい一と筋の防衛構築物しか残されていなかった。おそらくは一週間とは耐《も》つまい。三日か四日のうちに、貪食《どんしょく》の熔岩洪水は、この最後の外縁防衛地帯へも食いこみ、一片の岩滓《スラッグ》と化せしめてしまうであろう。そのとき、ヴァレロンはどうなるであろうか?
ヴァレロン惑星の全科学者は、夜に日をついで研究に死力を尽くしたが、たいしたことはできなかった。絞めつける破壊の帯を何とか食いとめようとして、つぎからつぎへ新しい工夫が凝らされたが、いずれも最初の使用でその無効性をさらけ出さなければならなかった。
「こちらの手をあんなに早く封じるからには、敵はわれわれのすることを逐一見知っているのではなかろうか?」危機の迫ったある日、ふとケドリン・ラドノルにこの考えが浮かんだ。「彼らは、われわれのドーム内へは、さしたる実視ビームの視力点を確立することができないはずである。とすれば彼らは、おそらくあの狭い重力帯だけを使うスパイ光線を操作できるのではあるまいか? もしそうだとしたら、これはヴァレロンの科学者たちがこれまでいかに頑張っても達成できなかった新機軸である。もし彼らが、あんなに狭い重大帯を通して超純水エネルギーの視力点を投射確立できるとすれば、彼らはさらに、ビームを投射し、それを完全物質化し、かくてわれわれを破壊できるのではあるまいか?……だが待てよ、あの重力帯は、そんなことができるほど広くはないはずだ。ごくごく狭いはずなんだ」
ラドノルは一連の推理に勇気を得て、重力帯のなかにふくまれている、ごくわずかの非重力エネルギーを拡大視することができる探知器を開発した。すぐわかったことは、彼の惧《おそ》れていたことがズバリ当たったという悲痛な事実であった。彼らは、狭い重力帯の隙間を通して凶暴な超エネルギーを注入して物質的な損害を与えることはできないながらも、その隙間からスパイ光線を通し、ヴァレロンの超エネルギードーム内に、ある視力点を確立して、こちらの動きを逐一監視し、こっちの新手に対して裏をかくことができるということであった。
ドームに囲まれた地下の奥深くに、一つの部屋がある。完全に密閉されているだけでなく、あらゆる保安措置の講じてある密室であった。そこにいま、九人の人が長いテーブルを囲んで腰かけていた。テーブルの上端にバルダイルが坐っている。
「……それで、対抗策はできないというのだな?」コーディネーターは暗澹《あんたん》とした表情で訊ねた。「防衛スクリーンの周縁部を保護する方法はまったくないというのか?」
「ありません」ラドノルの声には張りがなく単調であった。顔も肉体も、疲労の色が濃かった。全身全霊の努力も無効と知って、彼はすでに神経切断点の一歩手前まで追いつめられていた。「強力な基礎工事がないかぎり、ドーム周縁を維持することはできません。土壌と岩盤は熔解し、いずれ瓦解《がかい》します。熔解がドームに達すれば万事休すです。われわれの超エネルギー吸収器《アブソーバ》の管端そのものが高熱で熔融していっています。絶えずドームの裾に吹きつけられるエネルギーを放散させる方法はありません。ドームの裾が熔けたら、われわれは死にます。一瞬にして殺されてしまいます」
「しかし、あなたは何か新しい方法を実験していらしたと思いますが……。われわれの体重のほとんどを突然無くする何かでしたね?」ともう一人のメンバーが訊ねた。
「そう。わたしは重力帯をできるだけ狭小にしました。ほんのわずかしか残していません。もしこれさえ閉ざせば、重力はまったく通らなくなり、われわれは惑星表面から浮きあがってしまいます。重力帯をそんなに狭くしたのは、敵のスパイ光線の透過を防ぎ、それによって、われわれの最後の……」突然パネルに鮮烈な赤ランプが点いたので、ラドノルは絶句した。「違います。それすら役に立ちません。あの赤ランプをご覧になりましたか? 重力帯につないである探知器のパイロット・ランプなのです。クローラ人たちは、まだわれわれを監視しています。われわれにはもう何もできることはありません。もしあの重力帯を完全に閉じてしまえば、われわれはヴァレロン惑星から宇宙空間へ漂流して、死んでしまいます」
絶望的な声明であった。会議議員たちは沮喪し、ぐったりと力が抜け、死んだように椅子の背へのけぞった。物を言うものもなかった。事実、発言すべき何が残っていよう! 結局、なかば予期したことではある。予想された不可避の事態が、予想どおり到来したというに過ぎないのだ。いまにして思えば、平和なヴァレロン人が、優秀な戦争専門家であるクローラ人を向こうにまわして勝利を占められるとは、このテーブルに坐った九人のうち、ほんとは誰も考えてはいなかったのだと言える。
彼らはテーブルに坐り、むなしく虚空の一角を眺め、絶望を噛みしめていた。そのとき突如として、空中に、シートンの投射結像が出現したのであった。結像がどのようにして観視されるかについてはすでに述べたから、ここではただ、シートンの強烈な精神力の波動とその食い込みを受信したものがバルダイルその人であるとだけ言えば足りるであろう。地球人がその意図と希望とを明らかにするや否や、ラドノルはまるで人が変わったかのように元気づいて立ちあがった。
「放射線実験所ですって!」炎のような希望が燃えたち、ラドノルは疲労も意気沮喪も忘れて絶叫した。「わたしはすぐ彼を、放射線の実験所へ案内します。わたしも、助手もみんな、喜んで何から何まで彼の望むとおりに協力します」
突然の地球人の訪問者のすぐ後から、ラドノルは躍るような足どりでついていった。狭い廊下を通って大きな部屋へ入った。そこには棚といわず、テーブルといわず、作業台《ベンチ》といわず、床の上といわず、いたるところに、考えられるかぎりの種類とタイプの機械装置が詰まっていた。すべて、超エーテル搬送エネルギーの発生と投射に関する装置であった。
シートンの機敏な眼がさっと部屋のうちを見回した。そして一瞬のうちに雑多な無数機器のカタログを頭のなかにつくり、分類した。ラドノルが信じられないといった表情で眼を丸くして呆気にとられているうちに、その物質的接触力を得た半固体の超エネルギービームは、ヴァレロン人には奇蹟としか考えられない早業《はやわざ》を行なった。超エネルギービームは、眼にもとまらぬ速さで、真空管、変圧器、コイル、コンデンサー、その他をつかみ、つぎつぎと連結していき、たちまちのうちに一つのアンサンブルを作りあげた。いったい何に使う装置なのか、有能なヴァレロン第一の科学者にも見当がつかなかった。
教育器械の組み立てが終わると、シートンの結像は、多層ヘッドホンより成る装置のひとつを自分の頭につけ、もう一つをラドノルの頭に装着した。すでに眩暈《めまい》を感じていたラドノルの驚愕した脳髄のなかへ、電撃のような鋭い叱咤《しった》が鳴りひびき、彼は思わず、ヘッドセットをつかんで投げつけかけた。叱咤と思ったのは、単にシートンがヴァレロン人に話しかけることを要求した穏やかな一語にすぎなかったのである。
「そう、その調子、その調子!」シートンが叫んだ。シートンが叫んだというのは、事実この結像は、その意図と善意において、シートン以外の何ものでもあり得なかったからである。「さあ、ぼくたち、こうして会話ができるのだから、もうすぐ、クローラ人のやつらに、故郷《くに》でおとなしく暮らしておればよかったのにと、思い知らせることができるよ」
「でも彼らは、あなたのなさることを一部始終監視しております」ラドノルが反駁《はんばく》した。「わたしたちは、重力をぜんぶ切らなければ、彼らの攻撃を阻止できないんです。ですから、彼らは、わたしたちの作る新しい機械は何でも盗み見てしまい、こちらの新手に対してすぐ防御方法を工夫するのです」
「なあに、やつらはそう思っているだけだよ」シートンは渋面《じゅうめん》をつくった。「ぼくだって重力帯を完全作動にしたら、とんでもない災難になる。それは君と同じことだ。しかしぼくは、やつらの使うスパイ光線を見つけることができる。それに沿って、こちらから乱振動を送り返してやるんだ。それでやつらは眼が焼けてしまう。あのね、第四系列の周縁には、君たちもクローラ人もまだ知らない、たくさんの秘密が潜んでいるんだ。君たちは、それを研究する時間が数千年足りなかったのだ」
喋りながら、シートンは小型発生機をものすごい速度で組み立てていった。それが完成すると、スイッチをいれてみた。
「もしやつらがこれを侵《おか》してこっちが見えるんだったら、ぼくの考えていたより、はるかにアタマがいいということになる」シートンはにやりと笑った。「ぼくが組み立てている間、やつらが監視していて、ぼくのすることがたとえわかったとしても、やつらには少しも役に立たんのだ。この機械は君、重力帯を透過してやつらが送りこむビームをぜんぶ干渉してしまうんだから」
「あなたの該博な知識には敬服します。ほんとのところ」とラドノルが真剣な表情で言った。「しかし、一つ質問を許して下さい。あなたは、わたしたちの出している十分の一以下という弱い重力帯を透過して、投射ビームの完全物質化を行なわれました――われわれは昔からずっと、とうてい不可能と考えられていた奇蹟です。しかしクローラ人が、あなたのビーム・パターンを分析して、同じ奇蹟を真似《まね》るおそれはないでしょうか?」
「まあないね」シートンは半信半疑のヴァレロンの科学者を安心させてやった。「ぼくの使っているこのビームは凝集ビームで、凝集度がきわめて高いから、分析だの干渉はできないんだよ。君たちやクローラ人が使っているビームを改良して、いまのぼくのこのビームまで仕上げるには、ノルラミン人の知力にまたなければならなかったのだ。ノルラミンというのは強力な思考家の種族なんだ。そのノルラミンの科学が八千年以上かかって成し遂げたものだ。なんでクローラ人が一週間かそこらで真似できるものかね。しかし、ゆっくりしてはいられない。みんなで大急ぎで働こう。君がいま早急に必要なものは、あの超エネルギー表面が、君の防衛ドームの裾に達して、君の超エネルギー放散装置の管端を詰める前に、あれをストップする何か、だろう?」
「まったくそのとおりです!」
「よろしい。ぼくたちはこれから、四方向《フォア・ウェイ》の、第四系列投射器をつくる。完全物質化を行なう放射器だ。敵が焦《あせ》って、攻撃計画を二重にするかもしれない。その容易に四方向の攻撃に対抗するようにするんだ。その投射器を使えばクローラ戦艦の動力室へ君自身の活動結像を投射することができる。そしてやつらの変換器の二次コイルに短絡磁場を叩きつけてやれるんだ。もちろんやつらは勢力帯で、君の結像ビームを遮断することはできる。やつらの力場帯発生機を君が潰す前に、君を探知できればだが。
しかし、こっちにとっては、いっこう痛痒《つうよう》を感じないのだ。なぜなら、力場帯発生機を作動しているかぎりは、やつらとしては他に何もできないからだ。さあ、ヘッドセットをつけたまえ。投射器についてのデータを教えてやるから。それから、レコーダーも接続したほうがいい。データはすこし複雑で、頭脳のなかに長く銘記しておくことは難しいだろうから」
レコーダーが運びこまれた。シートンの頭脳からレコーダーへ、レコーダーからラドノルの頭脳へと、新装置の基本理念、完全な方程式群、詳細な操作指令などが流れこんでいった。ヴァレロン科学者の顔に、はじめはまったく呆けた驚きの表情が現われ、やがて理解の曙光がきざし、最後には純粋な驚異と畏怖の相貌になっていった。データがすっかり入りこむと、彼はヘッドセットを外し、しどろもどろの、感謝やら讃辞やらをわめいた。だがシートンはすばやく相手をさえぎって、「お礼などいいんだよ、ラドノル。もし立場が逆だったら、君もぼくと同じ出方をしたに相違ないのだ。人類は団結して、全宇宙の害敵どもに立ち向かわなければならない。しかし、さしあたっては、いまのこの惨状を何とか解決したい。ぼくはもうしばらく君と一緒にいて、手助けしてやりたい。君は疲れきっているが、クローラ人がやっつけられるまでは休む気がせんだろう。無理もない。ぼくだって君の立場になったらそうだ。ところがぼくはフランス菊のように新鮮だ。よし、行こう!」
数時間のうちに複雑な装置は完成した。ラドノルとシブリンは二セットの制御装置にとりつき、助手の物理学者たちもそれぞれの制御盤に対した。
「ぼくには、君たちと同じく、クローラ人の会話はさっぱりわからんから、どうしろこうしろと細かい指図はできないよ、それを承知で操作してくれ」シートンは最後の指令を与えた。「しかし、何をするにしても、決して、一次コイルをいじってはいけない。一次コイルをショートさせたら、やつらの原子力解放器《リベレーター》が過負荷になって、この太陽系が全部つぎの惑星へ吹っ飛んでしまうのだから、時間をかけても充分慎重に、やつらの主要変換器の二次コイルかどうかを確かめてから攻撃にとりかかるんだ。見つけたら、やつらが力場帯で阻止しないうちに、できるだけたくさんの二次コイルに短絡をぶっつけるんだ。あのくらいの大きさの宇宙船になると、解放器変換器セットがたくさんあると思う。力場帯発生機に動力を補給しているセットを潰したら、やつらは牛肉も同然だ」
「この分野にかけては、あなたはわたしたちよりはるかにお詳しい」とラドノルが心の底から言った。「いかがです、いっしょにいらっしゃいませんか?」
「行きたいが、不可能だ。これはぼくじゃないんだ、わかっているね。ええと……と……もちろん、君たちについていけはするんだが、しかしあんまり……だが、待てよ……」
「ああ、もちろんです」ラドノルは謝った。「こんなに長く、こんなに打ちとけて、あなたと一緒に働いていたものですから、あなたがご自分の身柄のまま、ここに来ていらっしゃるんじゃないことを、つい度忘れしたんです」
「残念ながら、一緒に行けないらしい……」シートンは投射結像の再投射結像という、これまで研究してみたこともない難題にまだ思考を奪《と》られながら、顔をしかめて言った。
「何しろ、二十万以上の継電器が要《い》る仕事だ――それからええと同期化装置――神経と筋肉のだ――がこれには付いていない。しかし、原理的にできないことかどうかな? いつか考究してみねばなるまい。……ああ、ごめん、ラドノル、すっかり自分の考えに憑かれちまって。さあ、用意はできたかい? ぼくは君の後を追尾する。そしていつでも助言を与える。君に助言が要るというわけじゃないが。射て!」
ラドノルは動力を入れた。ラドノルと助手が投射結像ビームを敵の空飛ぶ要塞の一つへぶっつけた。シブリンとその同僚がもう一隻を受け持った。巨大な構造物の隔室から隔室へと、不可視の結像は貫通していって、動力室を捜した。動力室は巨大構造の船底全部に拡がっていたから、発見は容易であった。いくつもの、筒型天井のある洞窟のような部屋であった。そのなかに、マストドンのような巨大機械が対をなして数珠《じゅず》つなぎになっていた。これぞ原子力解放器変換器の全セットである。対の一方の機械の端にある重厚な絶縁物で蔽われた開口部から、優美なかたちの弧を描いて、五本の大きな母線が飛びだしていた。ラドノルとシブリンはすぐ、変換器の二次コイルだと見てとった。変換器とは、原子力解放器から生《な》まの原子エネルギーを受けとり、これを制御と利用の可能な動力に変換する複雑な巨人的メカニズムであった。
ラドノルもシブリンも、五相エネルギーというものは聞いたことがなかった。それにもかかわらず、この五本の弧が、目指す二次コイルであることは一点の疑いもなかった。そこで四人の結像は、五層の母線にむかって、携えてきた完全伝導力場を浴びせかけた。四基の変換器は苦しい金切り声をあげ、頑丈な土台からそれ自身の図体をもぎとろうとするかのように動揺した。絶縁皮覆は烟《けむ》りをあげ、割れたような黄炎を発した太い母線は白熱化し、熔融をはじめた。数秒のうちに、巨大な機械の半身ずつが、なかば熔け、まったく無用の金属塊となってフローアへ崩れていった。
空飛ぶ要塞二基の、つぎの二台が同様にしてスクラップとなった。つづいてつぎの二台が。そのとき、クローラ人の不貫通性力場帯が照射され、ラドノルの二つの結像ビームは鋭くカットされた。だがそのときはすでに、空飛ぶ要塞は、すべてのビーム、勢力が操作不能に陥り、宇宙空間にみじめに漂いはじめていた。
シブリンとその協力者とは、もっと幸運であった。宇宙戦艦を指揮していたアミーバ艦長は、力場帯スイッチを閉じたが、機械はウンともスンともいわなかった。それも道理、すでに力場帯発生機の動力源は破壊されていたからであった。二人のヴァレロンの結像は、悠々と変換器の砲列へわけ入り、片っぱしからたたきこわしていった。狂気の憤怒を発したアミーバ怪物が、二人の進路を阻もうとしても、どうにもなるものではなかった。
その間も、ヴァレロンの地上ドームから発した破壊ビームは、空飛ぶ要塞へ間断なく照射しつづけ、クローラの防衛スクリーンを穿孔すべくそのヘラクレス的頑張りを持続していたのである。いまや虚空を漂う要塞の数基の変換器が、つぎからつぎへと焼け切っていくと、さしも重装を誇った敵の防衛スクリーンも、しだいに輝燿《かがやき》を烈しくして、ついに紫外線を発した。やがてスクリーンは力つきて落ち、防衛力のない金属の肌を殲滅《せんめつ》ビームの怒れる突き刺しにさらけだした。この強暴なビームにかかっては、いかなる金属もプラスチックも、それと同容積の真空ほどの抵抗力も示し得ないのであった。
突如として、すさまじい閃光とともに大爆発が起こった。そのめくらめく煌《きらめ》きは、落ちくずれるスクリーンの発する白熱の放射線をさえ昏くするほどであった。ヴァレロンの威力ビームはほとんど無抵抗に穿孔し、マストドン的構造物が一瞬前に浮遊していたその地点には、ただ淡い蒸気が数本|痕《あと》を曳いているだけであった。
「きれいな掃除だった、君たち――よくやった!」シートンはラドノルの肩へ大きな手をかけ、やさしく揺すった。「さあこうなったら、誰でもやつらを料理できる。君は一週間の休養をとって、遅れた睡眠をとり返すがいいぞ。ぼくはひとりでやれる。君はぼくより長く仕事にかかってくたびれている」
「ちょっと待って――まだ行かんで下さい」ラドノルは狼狽して言った。「だって、わたしたちの全種族が、あなたのお蔭で生き延びることができたんです。せめて、バルダイルの感謝の一語をお聴きになるまで待って下さい」
「そんな必要はないよ、ラドノル。お礼はこっちから言いたいくらいだ。そんな儀礼のために行くわけにはいかない、君だっておなじだろう。それに、ぼくは数日中に肉体をつけてここへ現われ、彼と歓談するから。じゃ、あとで!」たちまちシートンの結像は消えてしまっていた。
やがて約束の日に、スカイラーク第二号は、会議室のホールに近い大遊歩道へ軽く着陸した。宇宙船はたちまち大群衆にかこまれた。こんなちっぽけな宇宙船がヴァレロンの運命を救ったのかと、群衆は口々に囁きあった。四人の地球人はヴァレロン人の歓迎をうけて宇宙船から踏み降り、シブリン、ラドノル、バルダイルに迎えられた。
「この前お目にかかったときは、ずいぶんあなたを乱暴に取り扱っちゃって、ほんとにごめんなさい」コーディネーターに会って口をついて出たシートンの最初の言葉はそれであった。「コミュニケーションを確立するためには、ああいった非常手段も止むを得なかったとご承知ねがって、おゆるし下さい」
「何をおっしゃる、リチャード・シートン。わたしはただちょっと不便を感じたまでで、あなたの頭脳のような強力な頭脳におめにかかる得難い経験とくらべれば、何でもないことです。あなたがヴァレロンに対して尽くされた功績に対して、われわれ民族の深い感謝は、とうてい言葉や行為では表現ができません。
あなたは法外な賛辞は好かれないと聞いています。しかし、およそ人間の頭脳が考え得るどんな表情も言葉も、あなたについて述べる場合、とうてい正鵠《せいこく》を得ない、まして法外や大袈裟《おおげさ》などではあり得ない。これはもうわが国民全体の気持であることを信じていただきたい。これが決して口先だけの言葉ではない証拠として、何かあなたにお返ししたいのだが、たとえどんなに小さいことでも、それすらわたしの力には到底及びがたい」
「いや、あなたはやれますよ、閣下」シートンは驚くべき返答をした。「ぼくたちは宇宙空間の迷子になって途方に暮れているのです。多量の物資と、機械器具の援助がなければ、母惑星はおろか、われわれの銀河系すらその位置を確かめることができないんです」
この一語に、乗った人びとは呆れ顔で大きな溜息をついた。そしてただちに、ヴァレロンの全資源をどうぞ心のままに利用していただきたいという確言が、はっきりした言葉で返された。
ある程度ヴァレロン一般の人気の焦点になることはこのさい止むを得ないことであった。しかし、シートンとクレーンは、新しいプロジェクトの仕事が差し迫っているからと、ラドノルの実験所に籠《こも》って人目を避け、妻たちにヴァレロン人たちのあいさつや賞賛を一手に引きうけさせた。
「ヒロインになった気分はどうだい、ドット?」ある夕方、ドロシーがマーガレットと連れだって、別の都市での盛大な歓迎会《レセプション》から帰ってきたとき、シートンは妻に訊いてみた。
「ええ、ただもう大いに愉しんだわ、だってあたしたち、本当は何ひとつしなかったんですもの。それはそれは豪華|絢爛《けんらん》、言語に絶するレセプションだったわ」ドロシーは恥ずかしげもなく答えた。「とくにペッギーが悠々と堪能したわよ」虫も殺さない淑《しとや》かな表情のマーガレットへ悪戯《いたずら》っぽい目配せをし、そっとシートンにウィンクした。「彼女、あなたに見せたかったわ。彼女はレセプションをフォークにつっかけて、くるくると捲いて、あっさり食べたのよ、まるで柔かいファッジみたいに、平気で無造作に!」
第五系列投射器の製作については、その科学的、技術的詳細を、すでにどこかで述べたから、ここで繰り返すことはよそう。シートンは近くの白色|矮星《わいせい》の芯部でニュートロニウムのレンズを製作した。ちょうど、ロヴォルが遠いノルラミンで製作したのと同じ方式によってである。シートンはレンズをヴァレロン惑星へ運び、このレンズを心臓部として、そのまわりに巨大な投射器を作った。これは、彼らが大きなスカイラーク第三号から、四次元を通じて、スカイラーク第二号へ飛び込んだとき、三号へ残してこなければならなかったレンズおよび投射器と同一型式のものであった。
「これはお節介といわれるかもしれないが」と仕事の合間をみて、シートンは好奇心からラドノルに訊ねてみた。「どうして、君たちは、クローラの宇宙船を、力場帯を出しきらせて撃ち落とすだけなの? なぜ、君の投射結像に乗って行って、惑星そのものを、お隣りの太陽系へ吹きとばさせないんだ? ぼくが君だったら、とっくにそうしているがね」
「一度、そんな意図を抱いて、クローラへ行ってみたことがあるんです。しかし、みじめな失敗だったんです」とラドノルは恥ずかしそうに言った。「ほら、シブリンがあなたにわかっていただこうとして、一生懸命に説明していたでしょう? クローラ人の特殊感覚である、精神力というの、憶えていますか? あれです、わたしたちには、あの力は強すぎて太刀《たち》打ちできないんです。わたしの父は、ヴァレロンでも一、二を争う強力な精神力の持ち主ですが、父は結像になって向こうへ行って、椅子に腰かけていたのです。ところが彼らは父を完全に制圧してしまいました。わたしたちはあわてて動力をカットし、父の結像を引っこめなければなりませんでした。でないと、あなたがわたしたちに伝授して下さった知識伝達の方法――そのとき、わたしたちはそれを使っていたのですが――を父の心からもぎとられるところだったのです」
「へーえ、そんなことがあったのか!」シートンは興味を逸《そ》らされた。「ぼくがこの第五系列装置を完成ししだい、やつらをどう処理できるか研究してみねばなるまい――」
宣言のとおり、新しい装置が出来あがると、シートンはまずこれを攻撃用に使ってみた。彼はまず、そのとき宇宙空間を飛んでいたクローラの飛翔物を捜しだし、破壊した。敵の張りめぐらす力場帯は、エーテル搬送の波動現象にこそ不貫通性であったが、エーテルの奥の媒質であるサブエーテルを伝わって伝播する第五系列勢力に対しては、まったく抵抗を示さなかった。それからケドリン父子を待機させて、万一自分が睨み返されたら動力をカットするように頼み、シートンは全クローラの聖域中の聖域である最高グレート・ワンその人の個室へと侵入していった。そして、クローラ惑星の支配者であるアミーバ人間の巨大な≪眼≫をまばたきもせず、じっと凝視した。
眼と眼の、凝視の決闘がはじまった。精神勢力というのが可視であるなら、これはさぞかしスペクタキュラーな決闘であったことであろう。≪眼≫はだんだんと巨きくなっていき、搏動《はくどう》を刻み、透けて見える、見るからに恐ろしげなる頭脳が発生する強烈なエネルギーのことごとくを発射した。しかしシートンはヴァレロン人の結像ではない。また第四系列投射結像の不完全性に煩わされてもいない。彼はいま第五系列投射器の発する全口径ビームに搬送して結像されているのである。彼の厖大な複合頭脳に全幅にマッチすることのできる驚異のメカニズムによって発動されているのである。
彼がいま用いている頭脳の貴重部分は、主として、古い国であるノルラミンの第一心理学者ドラスニックから受け継いだものであった。彼が第五系列の全口径ビームに乗せて注入しているものこそ、ドラスニックの無抵抗性精神エネルギーの全体であり、精髄である。そして、銀河系の持つもっとも深刻な精神体の学究たちの、一万世代にも及ぶ学殖が累積されて凝固した強烈な精神勢力なのである。
相手のアミーバ人間は、生まれてはじめてマインドのマスターに遭遇したことを悟って、痛切なSOS放射線を吐出したのであろう。その聖域の個室に、アミーバ人間の一群が、グジョグジョとむらがってきたからである。そして各々が巨眼を開いて、すでにシートンに対抗している同惑星人の精神体へ、それぞれの精神体を二重焼付けにして加勢した。だが足りない。彼らの混合精神勢力の強烈をもってしても、シートンの眼力の刺し通す輝燿《かがやき》を逸《そ》らすことができない、撥ね返すことができない。苦しみもだえるグレート・ワンの精神体を、シートンの輝燿の万力のような把握から解きほぐしてやることができない。
いまや精神武器の無益《むやく》を悟ったアミーバ人間たちは、純粋な物質的、物理学的手段に訴えてきた。シートンの結像に向かって、最高威力の光線銃が発射された。バー、槍、斧、その他ありとあらゆる武器が、すさまじい勢いで結像めがけて投げつけられたが、結像にシミひとつ与えることもなく撥ね返され、ひんまがり、折れ、撓《たわ》んだ。それもそのはず、このシートンの姿は、われわれの理解している言葉の意味の物質ではないのである。それは純粋エネルギーなのである。崩壊する物質から発する理解を超えた力によって、触知可能のかたちに強化され、物質剛性へまで凝縮された、純乎たるエネルギーなのである。それに手向かっては、いかなる機械的、人工的な威力も、ないしはその適用も、あたかもアザミの冠毛をもってジブラルタルを打とうとするごとく、まるで無効、無役なのである。
こうして世紀の決闘は呆気なく終った。他の凝集するアミーバ人間どもがやたらに繰り出す精神的、物質的兵器には目もくれず、シートンは犠牲者を強制して、しぶしぶと人間の形に変えさせた。これまで、クローラ人が蔑視してやまなかった人類の姿をとらせたのである。そして憎悪に燃えた巨眼を通じ、その奥の打ちふるえているジェリー状の頭脳へ、シートンはまともに強烈な凝視の痛撃を喰らわせつつ、彼自身の思考を注入してやった。
「≪|偉大なるもの《グレート・ワン》≫と呼ばれる、そこなる、アミーバ人間よ、いまこそよっく悟れ! 宇宙のどこに住まおうと、おまえが人類の一種族を襲えば、それは同時に全銀河系のすべての惑星に住む、全人類を襲ったことになるのだぞ! すでにおまえもわかったろうが、おれはヴァレロン惑星のものではない。この太陽系のものではない。この銀河系のものではない。おれとおれの仲間たちは、おまえが大胆不敵にも襲いかかったこの人類の一種族に援助の手を差しのべるべく、はるばるとやってきたのだ。
おれはおまえにはっきりと目にもの見せてやった。おれたちが、科学的にも、機械力的にもそうであるばかりか、精神的にもおまえたちの支配者だということを! ヴァレロンを攻撃したおまえの仲間は破壊された。攻撃の途上にあったものたちは、宇宙空間で殲滅された。おまえたち自身の、有毒大気圏外へ出ようとするすべての遠征隊もまた同様な運命に遭わせられるであろう。
おまえたちの文明のような唾棄すべき文明でさえも、偉大なる≪森羅万象の企画図≫のなかではその適宜なる位置を与えられるであろうから、おまえたちが自分の惑星およびその近くにとどまるかぎり、われわれはおまえたちの惑星を破壊しもしないし、種族を滅ぼしもしない。ただし、人類の福祉のため、おまえたちを滅ぼすことが必要な場合はこの限りではない。われわれが、おまえたちをどう処分するか考察をめぐらせている間に、おまえはいまのおれの警告をよく噛みしめてみるがいい!」
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二〇 第一宇宙の地図完成す
四人の地球人は、それからしばらくの間、クローラ惑星とそのアミーバ人間たちの処分について相談し合った。
「第一級ジレンマの角《つの》の先へ追いあげられたみたいだわね、ディック?」ドロシーが最後に言った。「かれら、放っておけば、ここの人たちにどんな悪さをするかわからないわ。かといって、殺してしまうなんて、あんまりだわね。だって、かれらとしては、こうなるよりほか仕方がないんですもの。このジレンマから抜けだせる? ディック」
「たぶん道はある――一種のカンは閃いているんだが、まだまとまったアイディアに固まらないんだ。地球へ帰る道を捜すのに、どうせ第六系列の投射器を手に入れなければならないが、いまの問題も、その投射器で解決できる。第六系列をものにするまでは、このアミーバ人間たちを、自業自得の苦しみのなかで、しばらく放ってくよりほかあるまいさ」
「そう、それで第六系列が出来あがったら?」とドロシーが急《せ》き立てた。
「まだ海のものとも山のものとも固まらんと言ったろう? 基本的な細かいデータを集めてみないうちには計画は立たんのだよ……」シートンはちょっと口をつぐみ、それからまた切りだした。こんどは自信のない口調であった。「うむ、あまりに突然すぎる――どうもわからん……」
「でも、そろそろ、どういうことかおっしゃらなければだめよ、ディック!」こんどはマーガレットが急き立てた。
「そうだわ」とドロシー。「あなたはいつも、まともな人たちの頭が妙な輪を描いて回転するような、突飛なアイデアが一杯だけれど、みんなをあっと言わせるほどの奇抜なのがないから、尻ごみして喋らないでいたんだわ。でもこんどのは、宇宙第一の、とっておきの思いつきでしょ?――さあ赤毛《レッド・トップ》ちゃんに白状してしまいなさいよ!」
「よし、教えてやる。だが半焼けだよ。君が喋れ喋れと急がせるから、仕方なく白状するんだから。ぼくはやつらを、惑星ごと、やつらの太陽系へ突き戻してやる方法を考えめぐらしているんだ」
「まあ!」マーガレットが叫んだ。
ドロシーは言葉は言わず、口笛で表現した低い音で長く口笛をふいた。とても信じられないわ、という雄弁な抗議であった。
「温度の維持はどうするの? 時間は? 動力は? そして制御方法は?」あくまでも冷静沈着なクレーンは、奇抜なアイデアを実行に移す場合の四大要素を間違いなく数えあげた。
「その最初の三要素は簡単に解決がつくんだよ」シートンが自信ありげに答えた。「力場帯を通っても、温度は下らないんだ――ぼくたちの発見だよ。時間はサブエーテルの完全停止でストップできる。動力は、宇宙放射線のエネルギーは事実上無制限かつ永久的だ。それの利用方法は、ぼくたち、純粋知性からすでに学んでいる。しかし制御だけは難問だ。現在のところは不可能な計算と演算をしなければならんからだ。しかしこれも、ぼくたちの機械頭脳《メカニカル・プレーン》を完成すれば、難しい計算問題も解けるようになると思う」
「何なの、その機械頭脳ってのは?」とドロシーが訊いた。
「われわれの第六系列投射器を動かす頭脳だよ。それだけの頭脳になると大きすぎ、複雑すぎて、とても手動では制御ができない。それに思考は――すくなくとも人間の思考というものは――第六系列のひとつの周波数帯で搬送されるんだ。だから、論理上とうぜんのこととして、人工頭脳を作らなければならんということになる。投射器全部を扱うのに、たったひとつの周波数帯だけでなく、第六系列の、あらゆる周波数帯に乗って思考することのできる人工頭脳が必要なんだ。わかったかい?」
「ちっともわからないわ」ドロシーは即答した。「でも、実物を見せられればわかるかもしれないわ。つぎの予定は何なの?」
「そうだな――この人工頭脳を作るのが大変な仕事だから、これをまず片づけなければならん。第一、人工頭脳ができなければ、スカイラーク4ができない……」
「ディック、あたしは反対だわ!」ドロシーが血相を変えた。「≪宇宙のスカイラーク≫というのはほんとにいい名前だったのに……」
「当たりまえさ、君が自分で名づけたんだからそう思うのさ」シートンが、邪気のない微笑とともにさえぎった。
「待って、ディッキー、あたしに最後まで言わせてよ。スカイラーク2ってのもひどかったわ。でもまだあたし、がまんできたの。あたしの歯並びをヤスリにかけたように磨り減らして、どうにかこうにかスカイラーク3は口にのぼせることができたわ。でも、スカイラーク4になったら、もう我慢できないことよ。だって、あんな素晴らしい可愛いものにそんな名前をつけるなんて、考えただけでもゾッとする。これまで人類が夢みた、どんなすばらしいものともぜんぜん違った、気高い宇宙船になるんでしょ、それ? それにどうして、カップ争奪戦のモーターボートか何かみたいなシリーズ番号をつけるの? だって、まるで、言葉というものに対する完全な無知低能だわ、そんなの!」
「しかし宇宙船は、どう呼んだってスカイラークはスカイラークだろう? そんなこと、わかってるじゃないか、ドット?」
「それはそうよ。でも、もっと何か意味のある名をつけてやってよ――すこしは可愛いお嬢ちゃんらしく響く名前を! たとえば、この惑星に因《ちな》んだ名はどうなの? ≪ヴァレロンのスカイラーク≫――どう、これ?」
「ああ、ぼくはいいよ。君は、ペッグ? マートは?」
クレーン夫妻は大|乗気《のりき》の大賛成だった。で、シートンは続けて結論をくだした。
「よし、こういうことだ。玉葱《たまねぎ》は、どんな名前で呼ばれようとも、いずれ香《か》ぐわしいことに変わりはないんだ。それと同様、ヴァレロンのスカイラーク建造は、スカイラーク4の建造と同じぐらい大変な仕事なんだ。だからぼくがさっき言ったとおり、そして何度でもこれから言うとおり、ぼくたちはすぐ、全力をあげて、この仕事に取りかかったほうがいい」
第五系列投射器は都市のはずれにつくられた。というのは市中には、これだけの大きなものを建造する空地はなかったからである。シートンとクレーンは、投射器の双子型コンソールの前に坐り、数段のバンクに収められた鍵盤の上に両手をめまぐるしく動かした。数分間は何事も起こらなかったが、やがて、二人の前方の、広大な平地に、忽然とすごいものが出現した。平地というのは、つい数週間前までは熔岩のグツグツとたぎりたっていた環状池であったところを地均《じなら》ししたのである。そこに、桁《けた》と格子で組まれた頑丈な基礎構造物が瞬時に現われたのである。物質構造としてもっとも堅固な分子構造をもつ、宇宙最強、最剛、最強靭のアイノソン金属より成る構橋フレームである。その基礎構造物は、なんと一平方マイルの広域に拡がり、惑星そのものすら支えそうな強さに思われた。
基礎工事が終わると、シートンは支柱や壁体の建設をクレーンに委せ、自身は別の分担仕事に取りかかった。基礎の上に、支柱や壁体がつぎつぎに組まれていき、そこにまるで海綿の気孔のような無数の隔室や隙間が生じていくと、シートンは矢継《やつぎ》ばやにその収蔵物を製作していった。彼が最初に製作したものは、コイル、磁場、超エネルギーレンズなど多数の部品を組み立てた、手にも乗るほどの小型の機械であった。これが、巨大な機械頭脳のなかに納まる、いわば脳細胞の第一号であったことは言うまでもない。彼はつぎに、これとすこし反応調子の異なる脳細胞を製作した。さまざまの反応調子の脳細胞が、つぎからつぎへと出来あがっていった。
シートンはつぎに、これら各種細胞を複製する超エネルギー単子をセットした。超エネルギー単子は自動的に数が増えていった。ついに、すべての超エネルギー単子は、一秒間で合計五万個の脳細胞を複製し、つくると同時に隙間や隔室へ嵌《は》めこんでいった。しかも、これだけの脳細胞は、それぞれ自分を複製してくれた超エネルギー単子に接続し、それによって支配されるのである。無数の脳細胞群のところどころに投射器、力場、宇宙エネルギー受容器、宇宙エネルギー変換器、力場帯、各種形状の多数のレンズ、フェードンの外装中に入れられたニュートロニウム製の幾何学図形などが斑様《はんよう》体に嵌めこまれ、しかもこれらの道具立ては、巨大頭脳のどこでも、いつでも見出されるほど多かった。
各細胞から繊細な絶縁ワイヤが数百本出ている。あまり細くて、肉眼ではとうてい見られない。ワイヤは≪神経中枢≫へ延長し、そこから更に、数百万の投射器へつながっている。逆に投射器からは、別のワイヤが伸びている。投射器のワイヤは幾本も撚《よ》り合わさって、太い撚糸《ねんし》となり、それがまた数本も集まってさらに太い撚糸をつくり、最後には、およそ数百本のマンモス・ケーブルとなる。その太さはちょっと想像外で、人間の胴体ぐらいはある。それらのケーブルは、小川がたくさん湖水へ注ぎこむように、内部頭脳へ集中している。内部頭脳は巨大な半球型の機械・電気頭脳であって、ギラギラと眼を射るような妖《あや》しさに輝いていた。
作業は、ヴァレロンの地球よりはすこし長い一日で、正味四十日間、昼夜兼行で続いた。地球時間に換算して、千時間をはるかに越える長期間であった。四十日すると、建設作業は自然に終了した。きらめく半球型の内部頭脳の中央部から、奇妙なかたちのものが垂れ下っていた。縦横に導線のからみついたヘルメットあるいは、信じがたいまでに複雑な構造をもったヘッドセットとでも呼ぶよりほかに形容のできない奇態な道具である。たしかにそれはヘッドセットであった。しかも百万乗の出力にあげられたヘッドセットであったのである。
ヘッドセットは内部頭脳を励振《エナージャイズ》し、これを制御する器械《コントロール》である。そして内部頭脳は、いまのところ不活性の一立方マイルという巨大容積の人工頭脳を動かす作用機関である。そして一立方マイルの巨大頭脳は数百兆の頭脳細胞のアセンブリであり、もうすぐ、かつて人類の発明したもっとも強大な思考力となるはずのものであった。
ヘッドセットが垂れ下がると、シートンはそれを頭につけ、じっと坐っていた。一時間、二時間彼は身動きもせずに坐ったままであった。眼は閉じられていた。蒼白となり、険しく緊張した表情であった。全身が、催眠状態のような張りつめた精神集中を現わして小刻みに震えていた。たっぷり四時間たったとき、ドロシーが、思い決したようにシートンのそばへ近づいてきた。だが、クレーンは手真似で彼女を追い返した。
「いまはきわめて重大な瞬間なんだよ、ドロシー」と厳しい表情で彼女に言った。「いま、ものすごい精神集中を行なっているから、殴ったり、蹴ったりしないかぎり、注意が外へ逸《そ》れないとは思うが、それにしても邪魔しないのが第一だよ。いま邪魔が入ると、何もかも初めっからやり直さなければならなくなるんだ」
それからさらに一時間以上もしたころ、シートンはようやく眼を開け、壮大な背伸びをしながら立ちあがった。だが、その表情には安堵《あんど》と勝利が晴ればれと入り混じっていた。
「まあディック、いったい何をしていたの? まるで幽霊みたいよ!」とドロシーが心から心配そうに夫の顔を見上げた。
「考えていたのさ、赤毛ちゃん。これは難しい仕事だったんだ。ウソだと思ったら、いつかやってみるといい。ぼくはもうしなくともいいんだ――機械がぼくの代わりに考えてくれるようになったからだ」
「まあ、ぜんぶ終ったの?」
「とてもとても。でも、かなりまで進んでいるから、あとは機械が自分で完了するだろうさ。たったいままで、することを教えていたのだ」
「教えていた? まあ、ディックたら、まるで人間に言ってるみたい!」
「人間? 人間以上だよ、ずっとずっと人間以上なんだ。純粋知性人以上に思考するし、やりとげる。詩人が感歎して謳《うた》ったように、≪相当のものだ!≫君。あの第五系列投射器に乗ったときはスリルだったろう、これはあれ以上だよ。まあ、どんなすごい離れ業《わざ》がやれるか、すこし待ってごらん。ちょっとまあこの機械の規模を想像してごらんよ、ドッティー」言いながら、機械頭脳を考えだしたシートン自身が、そのすばらしさにしばし畏怖《いふ》を覚えた。「これは君、ぼく自身の頭脳の延長なんだ。銀河系間超距離をほとんど瞬間的につっ走る超波動を使うんだ。これを使えば、どこにあろうと、見たいものはすぐ見る。聞きたいものはすぐ聞ける。この機械はまた、ぼくの頭脳が考えているどんな物体でも、すぐ建設できる、すぐ製作できる。どんなことでもすぐ行動できるんだ」
「それはもちろん、そのとおりなんだが……」クレーンがゆっくりと言った。ドロシーの上ずった熱気が、クレーンの気真面目な態度でいっぺんに冷水を浴びせられた。「それにしても、ぼくは疑問に思うんだが……」と、深い憂愁にとらわれながら、シートンを凝視した。
「わかっているよ、マート。ぼくはできるかぎりがんばってスピードをあげている」シートンはクレーンの言葉にではなく、言葉にはならない思考へ答えた。「しかし、やつらに勝手に来させたらいい――ぼくら、やつらを討ち取れる。ぼくは、あらゆる道具立てを、引きはずし、装置にかけてある。いざとなれば発条《ばね》がはずれる」
「あなたたち、いったい何のこと話しているのよ?」ドロシーが焦《じ》れて言った。
「マートはぼくに慨嘆すべき事実を指摘しているんだよ。ぼくの思考スピードが、一月の蜜蜂クラスののろさで、芝生の上を競争している老いぼれ蝸牛《かたつむり》の軍隊のようだと言っているんだ。ぼくは彼の意見に賛成した。しかし同時に、つけ加えて言ってやったんだ。純粋知性人がぼくたちをタックルしてきたら――それはもう絶対やって来るに違いないんだ――ぼくはぼくの思考を時間経過以上にスピードアップできるとネ」
「のろい、ですって?」ドロシーはびっくりして訊き返した。
「あなたがヴァレロンのスカイラーク号全体の設計その他もろもろを、たった五時間で完成したというのに、のろいって?」
「そうだよ、可愛い嬢ちゃん――のろすぎるんだよ。憶えているかい、ほら、はじめのスカイラーク号にいたとき、別れを惜んだ友だちのエイト――あれとはじめて会ったときのこと? ぼくたち四人の肉体を、分子構造の末端にいたるまでそっくりに複製してみせたのを覚えているだろう? あれは、開始から完成まで一秒もかからなかったんだよ。あの離れ業《わざ》に較べたら、ぼくがいま完成した仕事は、小学校の一年生よりものろいんだ。五時間もかかったからね――彼だったら、ゼロ秒フラットでやりとげただろうさ。
しかし、君はそんなことあんまり心配しないほうがいい。ぼくは絶対彼らのスピードには、かないっこない、なにしろぼくはまだ、あのスピードを出すのに必要な数百万年という修練は積んでいないからね。しかし、ぼくたちが物質的肉体をもっているってことは、ほかの点では、たいした利点を持つんだ。マートは言わないがね。なにしろ、マートはぼくの弱点にいちばんの関心があるんだから。どうだマート、そうだろう?」
「そうだよ。しかしぼくは、物質的肉体だということは、一方において利点もあり、思考スピードののろさを埋め合せるとは思うよ」
「聞いたかい、ドッティー? 慎重居士のマートが認めたからには、ぼくたちもう、勝ったも同然なんだ」シートンは勝ちほこったように言う。「よおし、ぼくたちの新しい機械頭脳が自動的に成長して完成に近づいている間に、ぼくたちはホールへ戻って、クローラ人どもを、やつらの本来の巣へ追っぱらったほうがよさそうだな。頭脳はもう、今朝ぼくに方程式を解いてくれている」
ラドノルとバルダイルはすでに、ヴァレロンの古代記録を調べて、宇宙異変に関する完全な観測データ一切を確保していた。この資料をもとにして研究したところ、クローラ惑星のもともと属している太陽の現在位置を見出すことは易しい仕事であった。正確な最終軌道をみちびきだすための、諸エネルギーを精密に計算することは、きわめて複雑な過程であった。だが、シートンが予想したとおり、機械頭脳の厖大な分析綜合力にとって、それらは堪えがたい障害ではあり得なかった。
こうして、あらゆる準備をととのえたところで、二人の地球の科学者は、力場帯と時間停止帯とで敵性惑星を包囲した。それから、惑星の周囲に数個の勢力制御ステーションを建て、微妙かつ精密なコントロールと調整をおこない、惑星をそれがかつて母太陽のまわりを回っていた軌道に乗せることにした。正しい位置と速度とが得られ次第、制御ステーションと力場帯、時間停止帯は消滅することになっている。
眼の痛いほどの反射力をもった、不透明の鏡面が、かくてすっぽりと、渋る世界を包んだ。巨大な不透明球体は動きだし、次第に速力を増していく。これらの操作過程を息を詰め、信じられないといった驚異の表情で凝視していたバルダイルは、ここではじめて安堵の溜息をついた。
「ああ、これでほっとしました――胸をなでおろしました!」とバルダイルが上ずって叫んだ。
「どのくらい時間がかかるんでしょう?」ドロシーが好奇心をつのらせた。
「それはずいぶんとかかります――わたしたちの時間で四百年以上はかかるでしょう。しかしぜんぜん心配は要らんのです。彼らは、それについてはまったく盲同然なんですから。超エネルギーがかかりはじめると、それはもう、そのままいつまでも続いてかかっていくのです。彼らの出発したところから始まって、ずっと力が続いていくのです。彼らは、時間がたったなどとはとうていわからんのです。彼らは、突然に、自分たちが異《ちが》った太陽のまわりを回っていると気がつく――それだけです。
もしも彼らの古文書がはっきりと読めれば、彼らは、おや、昔の太陽のまわりを回っているな、と気がつくかもしれません。そして、どうして元の位置に戻ったんだろうと、不思議に思うでしょう。それまでは一つの太陽を回っている! もちろん、彼らは、わたしたちの仕業《しわざ》だと気づくでしょうが、わたしたちが何をしたのか、どんなにしてそれを行なったか、とても彼らには解決困難な理論が必要なのですから。それから、彼らは、彼との時間で数百年間|外《はず》れてしまうはずですが、その惑星のなかでそれに気づくものは一人もおらんでしょうから、事実上、何の時間変化もなかったと同じことです」
「まあ、何という無気味な!」ドロシーが叫んだ。「生涯の真ん中の、脂の乗ったあたりを、四百年間もえぐりとられて、それでちっとも気がつかないなんて!」
「いや、ぼくはむしろ、進歩の停止という方向から考えたいね」とクレーンが瞑想しながら言った。「前からその太陽を回っていた他の惑星の進化と、戻ってきたドラ息子の進化との比較ということだよ」
「そうとも、ずいぶん面白いことだろうになあ」とシートンが応じた。「残念ながら、ぼくたち、それまでは生きておれない。ところで、ぼくたち、しなければならん仕事が山ほどある。このゴチャゴチャをすっきりと治してやれたのだから、そろそろここの人たちにサヨナラをしようや。第二号に乗って、ドット命名の≪ヴァレロンのスカイラーク≫が物質化するはずの地点へひと跳びすることにしよう……」
ヴァレロンの人たちとの別離は、短い別れであったが、涙がなくはなかった。
「しかし、このサヨナラはほんとのサヨナラじゃないんだ」クレーンが結論を言った。「新発見の、第六系列超エネルギーという新技術ができたんだから、これからは各惑星に住むあらゆる人類は隣りの町みたいになるんだ。まるで一惑星の都市同士のような交流が行われるコミュニケーションのネットワークができるからだよ」
そのうちにも、スカイラーク2は、上へ上へ、外へ外へと驀進し、ヴァレロン惑星の乗っている軌道から充分離れたある軌道上に落ち着いた。そのとき、シートンは自分自身の投射結像を、ヴァレロン首都へ投射した。彼の頭上にある巨大な内部頭脳の制御装置を調整すると、シートンの結像はふたたび第二号へ笑いながら戻ってきた。
「時間を調整してきたんだよ、兄貴」シートンが報告した。「ヴァレロンのスカイラークはつい一時間足らず前に出来あがっていた。さあ、みんな一緒に集って、どんな出来ばえになっているか、拝見しようや」
シートンが信号を送ると、四人が実視盤を覗くうちに、新しい宇宙船の核になるはずの構造物が、軽々と空中へ飛びあがるのが見えた。数百万トンもの重さをもつ物体が、小さいスカイラーク2よりも軽快に、空気のない宇宙空間へ飛びだしてきた。その構造物は、スカイラーク2から数百マイル離れた空域に位置をしめ、球形の超エネルギー・スクリーンを発射し、それに囲まれたエーテルのなかから、偶然に漂流している可能性のある一切の宇宙塵を除去した。スクリーン球形の内部に、きらきらしたアイノソン金属の船体が出現していった。見ている人たちを驚かせる、まるで惑星なみの直径をもった巨大な構造物であった。
「うわ――すごい! 大きいわね!」ドロシーが叫んだ。「あなたたち、何を容《い》れるつもりでこんなに大きくしたの? あたしたちに見せびらかせるため? それとも何か?」
「とんでもない? あの船は、これでもできるだけ小さくしたんだ。小さくても性能は変わらんように作ったんだ。君たちもわかるだろうが、ぼくたちの銀河系を捜しだすには、これまで一宇宙に計算上与えられていた直径などよりは、はるかに大きな距離へビームを送らなけりゃならん。それだけの強力ビームを正確に制御するとなったら、その動作基礎や赤経赤緯円環の直径は、それぞれ四光年ぐらいの長さになってしまう。そんな大きな宇宙船なんて作れるわけはないから、マートとぼくで、すこし計算をして、直径千キロメートルの赤経赤緯円環にしたのだ。こんなに小型でも、ぼくたちの捜す銀河系をちゃんと突きとめる程度に正確に、無数の惑星の地図がつくられる性能がある。しかし、直径千キロメートルから、赤経赤緯円環ともなれば、その演習には、百分の一ミリメートルの刻み目盛が相当多数できることぐらいは、君たちにも想像がつくだろう? またその赤経赤緯円環が、緑色太陽系ぐらいもある空間容積の放送結像を支えて、もちこたえる程度の大きさになることも想像ができるだろう? だからぼくたちは、千キロの大小円環を収容できる程度の大きさに、≪ヴァレロンのスカイラーク≫を作ったんだよ」
スカイラーク2が、息をのむような巨大な小惑星に近づいていくと、大きな気密室のドアが開いた。第二号の前で、五十個の重厚なゲートがさっと開かれ、第二号が、つめたい香《か》ぐわしい空気のなかに飛びこみ、内部の人工太陽照明を浴びた瞬間、ゲートは閉じた。第二号はそのまま、広大な緑の草の生えた公園の上を、四人の記憶に焼きついている懐かしい建物のほうへ漂っていった。
「まあ、ディック!」ドロシーが嬉しい悲鳴をあげた。「あたしたちの家が見えるわ――それからマーチンの家も! でも、二軒並んでいると、ちょっと奇妙な感じだわね。室内も同じかしら? あの、二軒の間にはさまっている、小さな低い建物は何なの?」
「ああ、二軒とも原型どおりに作ったんだよ。もちろん、中に入れる家具類は、ここで要らないものは省いたけれど。住宅の間に見えてるのは制御室なんだ。あのなかに、機械頭脳のマスター・ヘッドセットと監視器がしまってあるんだ。機械頭脳は、ぼくたちの使いなれた言葉で言えば地下室だよ。小惑星の外殻の内部にある」
小宇宙船は、ふんわりと着陸した。四人の宇宙放浪者たちは、芝生の上へ降り立った。短く刈り均《なら》された、春先のような新鮮な芝生であった。ドロシーは、びっくりしてしまって、膝を崩しかけた。
「あら、無重力ではないのね、ディック? この重力は自然のものじゃない――自然であるはずがないわ。重力もあなたたちが作ったんでしょう?」
「そうさ、マートとぼくで苦心して作ったんだよ。ぼくたちは純粋知性人からも、超空間からもたくさんの知識を獲たことは獲たが、この第六系列装置を完了するまでは、根本の方程式も誘導できなかったし、せっかく獲得した知識も宝の持ち腐れで、応用ができなかったんだ。しかしもう、これができたから、どんな重力でも作ってやれる。大きい重力、小さい重力――お好み次第だよ」
「まあ、すばらしい! ほんとに素敵だわ、あなたたち!」ドロシーが溜息をついている。「あたしって、いつも無重力なので、ムリして身体を張っていたんだわ。愉しい我が家はあるし、何から何まで揃っているし、あたしたち、ほんとに完全にすばらしい生活がエンジョイできるわね!」
「ここがダイニング・ルームだよ」シートンがてきぱきと説明してくれる。「君がディナーを注文するときとか、調理部でできるものなら何でも注文するとき、頭につけるヘッドセットはこれだよ。ほら、この家にもキッチンはあるが、純粋に装飾的なもので、使いたいときなら使っていいが、ふだんは使わないんだよ」
「ちょっと待って、ディック」ドロシーの声が急に緊張をしめした。「あなたがあの頭脳のことを説明して以来、あたしビクついてばかりきたけど、説明と聞けば聞くほど、あたし恐くなることよ。だって、突飛もない、デタラメの思考をした場合、どんなひどい被害があるのか、考えてごらんなさいな。ふつうの人間なら、変なこと考えまいと焦《あせ》れば焦るほど、かえって考えてしまうでしょ? ほんと、あたしまだ、それを避ける心構えができていないわ――あたしはヘッドセットに手を触れるの、ご免こうむるわ!」
「わかってるよ、スイートハート」シートンが彼女にまわした腕にぐっと力を入れた。「しかし、君はぼくの話を最後まで聞いとらんのだ。家のなかに浮かんでいるたくさんのヘッドセットはね、そのあたりで必要なルーティンの仕事をするだけで、ほかには何もできないのだ。たとえば、このダイニング・ルームは、君が大いに利用していたノルラミンのダイニング・ルームと寸分違わない作りになっている。ただ、ずっと簡略化してある。たくさんの鍵盤や超エネルギー・チューブは使わないで、ただヘルメットのなかへ思考を送りこめばいい。ディナーが欲しいと思えば、すぐディナーが出てくる。テーブルを片づけたいと思えば、皿もフォークもみんな消えてしまう。この部屋のなかで、何かして欲しいと思えば、そう考えれば、すぐできる。それだけのことだよ。
君の心配を取りのぞくために、もうすこし説明しよう。機械頭脳は、しようと思えば、宇宙でこれほど凄いものはないという、恐ろしい破壊兵器にもなる――それはマートもぼくもよく知っている。だから、小惑星についている制御装置は、二つは別として、どれも機能を制限してある。ただ二つのマスター制御装置だけは制限なしの能力があり、また反応力がひどく高い。だから、その一つはクレーンの思考にだけ反応する、他はぼくの思考にだけ反応する――そう決めてある。ぼくたち二人はすこし暇ができ次第、すぐ二台の補助制御装置の製作にかかる。君たち|女の子《ガール》を訓練する制御装置で、脱線思考に対して自動ストップのついた装置だ。赤毛の嬢ちゃん、君以上にぼくたち二人もわかっているんだよ、君たちがまだ無制限能力の制御装置を扱えるほど訓練はつんでいないということは」
「あたしは訓練はつんでいないわよ」ドロシーは感慨をこめてうなずいた。「それでずっと気が軽くなったわ――でも他のことだったらとても上手に扱える自信があるわ」
「扱えるとも。よし、じゃクレーン夫妻も呼んで制御室へ入ってみよう。早く訓練を始めれば、それだけ早く慣れる」
ドロシーは、スカイラーク二号の制御室にある雑多な道具立て、鍵盤やスイッチやダイヤルやメーターやその他のバンクや段々には慣れていた。だが、ヴァレロンのスカイラークの制御室へ一歩踏みこんだ彼女は度肝を抜かれた。これまでの制御室とはまったく様子が違っていたからである。重厚な材料で、厳重に絶縁されたドアをこわごわくぐって中へ入ると、制御室はまるで空っぽであったからだ。灰色の四壁、灰色の天井、灰色の厚い絨氈、それだけである。そして、低い、ゆったりとした椅子が二脚とヘッドセットが二脚つってあるだけである。
「これが君の坐席だよ、ドッティー、ぼくの隣に坐るんだ。それから、これが君のヘッドセット。実視セットでね、進行状態がそっくり見える。制御器じゃないんだよ」とシートンは大急ぎで妻に安心を与えた。「眼は開けていたほうが、物が見える気がするものなんだ――一種の錯覚だな。だから、室内はすべてカラーなしの灰色にしてある。しかし、やっぱり君たちガールには照明のないほうがいいだろう。さあ、消すよ」
特定の光源から出ている感じではなく、ただどこからともなく部屋全体に満ち溢れているような照明であったが、それがすうと消えて、あたりは真っ暗になった。真の闇という厳然たる事実にもかかわらず、ドロシーにはすべてがはっきりと見えた。しかも、地球人の眼には不可能な、視力の奥行きとも言うべきものがあり、鮮明な視覚が感じられた。彼女にはすべてが同時に見えた。二軒の家屋、その内部の様子、巨大な球体である小惑星《プラネトイド》(ヴァレロンのスカイラーク)の内部と外部、太陽を回っているヴァレロンとその姉妹惑星、弓なりにしなった諸天の完全球体――それらが無限の詳しさで、無限の精確さで、彼女の視覚にはっきりと映じたのであった。
彼女は、夫が自分のそばで身動きもせずに坐っていることを知っている。それでいて同時に、夫がスカイラーク二号の制御室で物質化しているのを、彼女は見た。夫はキャビネットに両手をかけている。フェナクローンの宇宙空間チャートの入っているキャビネットである。あの恐ろしい、きわめて高度に進化した科学的人類であるフェナクローンの、強力な望遠鏡と投射器とで観測できた、あらゆる惑星を撮しだしたフィルムの書庫がそれであった。
キャビネットはたちまちに、いわば一種の多岐導管走査機《マニホルド・スキャンナー》に変わった。包含されるリールが一つになって閃いた。キャビネットの上の空中に、フィルムにリストされたあらゆる島宇宙の三次元モデルが同時に出現した。圧縮されたモデルであって、たとえば第一銀河系は、他の銀河系と較べたらものすごい大きさではありながら、一個の小さなレンズ状の丸薬ぐらいでしかない。数百巻のフェナクローンのフィルムに収められた全宇宙空間は、圧縮されて、バスケットボールほどの大きさでしかなかった。それでいて、一つ一つの錠剤、つまり銀河系には、それとわかるはっきりした特徴が紛《まご》うかたなく観取されるのである。
そのときドロシーは、自分の肉体が無窮限の宇宙の果てへほうりだされるかのような感覚にとらわれた。瞬《またた》くひまもなく、彼女は幾千という銀河系の間を通過しているのである。ひとつひとつの銀河系の赤経も赤緯も距離も、ことごとくが彼女の明瞭に知っている既知の事実であった。しかも、それらが眼に見えている。彼女の肉体が実際に坐っている巨大な宇宙船のがらんとした部屋のなか、その三次元のモデルのなかで、はっきりと位置を示されて、各銀河系は彼女の眼に再現されているのである。
宇宙図の整理は続いていった。人間の頭脳と手の労働に委《まか》せたら、幾千年幾万年とかかる仕事であったろう。ところが、ここでは、これだけの作業がものの数時間で行なわれた。人間の頭脳ではないからである。機械頭脳は、光年ないしパーセクで測られるほどの距離に対して反応し、機能する。それだけではない。機械頭脳のもつ搬送波の、第六系列的速度は想像を絶している。一つの太陽が誕生したときに発した可視光線が、その太陽が寿命を終えて消滅したときに、ようやく観測地点に到達するほどの、気の遠くなるような広遠な宇宙空間も、ほとんど瞬時に機械頭脳はカバーするのである。
「うん、当分のあいだ、君にはその程度で充分だろう」シートンはまるでごく当たり前のことを述べるかのように、あっさりと言った。「どうしても初めは、これだけの小量でも長くかかるんだ――すこし慣れれば早くなるよ」
「あなたは慣れているのだわね――あたしは……」絶句した。回転の早い彼女の舌も、言葉を失って途方に暮れている。
「言葉で言いあらわそうったって無理だよ――よしたまえ」シートンが注意してやった。「さあ、戸外へ出て、モデルの進行状態を見ようや」
モデルはすでに、レンズ状のパターンをとりはじめていた。四人の観察者には、驚異というよりは畏怖の感情が先立った。すでに各銀河系は、それらを構成している恒星の並び方も正しく、全体として秩序正しく出来あがっていた。それらは≪まさしく≫それぞれに宇宙であり、レンズ状であった。大胆不敵で敢為《かんい》の精神にとんだ宇宙科学者や宇宙哲学者たちが漠然と憶測を逞しくしたとおりであった。昔からの学説は、ここにはっきりと確認された。
一時間、一時間と、モデルは成長をつづけていき、シートンの表情はますます真剣味を帯びていった。宇宙図の四分の三ないしそれ以上が出来あがったら、シートンの待っていたベルが鳴った。フェナクローンの宇宙図に描かれたものとまったく同一の、全宇宙の統一図が完成に近づいているとの報せであった。
「大変だ!」シートンが豪快な溜息とともに叫んだ。「ぼくたち自身の宇宙から完全に抜けだしてしまったらたいへんだ――そんなことになったら取り返しがつかん。宇宙図の完成など待っておれん――さあ行こう!」
他の三人と制御室へ飛びこみ、ヘルメットをつけ、いまや容易に識別できるまでに明らかになった第一銀河系のなかへ、彼は投射結像を投射した。緑色太陽系は難なく見つかった。しかし、投射ビームをがっしりとそれに照射しておくことができない。遠大な距離なので、巨人的第六系列装置が絞りだす限りの繊細なコントロールをもってしても、視力点はじっと落ち着かず、カンテラの光のように先が動き、緑色太陽の前後、左右、上下へ、何億マイルもでたらめに跳躍する。
しかしシートンはこのことを予想していたし、対策もできていた。彼はすでに放送結像を送っていたのである。緑色太陽系で使われているどんな受信器にも感知されるだけの幅広い周波帯域で搬送され、かつどんなに強力な他の送信器をも圧倒してしまう強さの動力を使って送信したのである。この放送結像によってシートンはいま、ノルラミンの科学者たちに緊急メッセージを大声で呼びかけたのであった。
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二一 ダナークの参加
絢爛《けんらん》と宝石のちりばめられた大天井、同じく無数の宝石にきらめく金属のタペストリがずっしりと蔽っている広大な四壁――ここはコンダール帝国皇帝の居室であった。そこにいま、オスノームの惑星の三人の実力者、ローバン皇帝、ダナーク皇太子、国軍司令長官タルナンの三人が熱心に討議をつづけている。三人が身にまとっている≪衣服≫は、オスノーム一般の象徴的装身具であって、肩綬《けんじゅ》、鎖《くさり》、金属バンドの三部から成っている。それもギラギラするような大きな宝石が堆《うずたか》く打ってあり、各種のすさまじい殺傷力をもつ携帯武器が吊ってある。オスノーム人は、これら三つの装身具をつけていないと、裸の感じがするのである。彼らの顔は緑色であり、例外なく尖《とが》ったワシ鼻をしている。装身具以外は全裸であるが、緑色の皮膚でおおわれた肉体の輪郭はひきしまり、すかッとしている。オスノーム人は生まれてから死ぬまで厳格な肉体訓練に明け暮れているので、その効果がはっきりと肉体の曲線に現われているのである。
「父上、タルナンの考えが正しいようです」と皇太子ダナークが真面目な調子で言った。「私たちはあまりに野蛮、生まれつき流血を好むようです。殺すことに異常な嗜好をおぼえすぎるようです。高い目的への手段としての殺戮《さつりく》ではなく、ただ殺すことが面白いという……。シートン大公もそうお考えだし、ノルラミン人もそう見ています。ダゾール人もそういう観察をしている。私も近頃はそんな気がしてきました。ほんとうの文明種族はみな、私たちを野蛮人に毛が生えたものとしか見ていない。私も全部とは言いませんが、その考えに賛成です。しかし、われわれも、これから研究と生産の仕事に専心していけば、必ずや太陽系のどの種族にも劣らないものになれると思います。もちろん、ノルラミン人みたいになることは無理ですが」
「おまえの言うことにも一理あるかもしれん」皇帝が言った。「しかし、それはわれわれ種族の先人の教えに背くことじゃ。そんなことをしたら、男性のエネルギーの捌《は》け口はどうなるのじゃ?」
「破壊的努力のかわりに、建設的努力へ向ければいいでしょう」教王《カルビックス》が言った。「元気のありあまる男性たちには、建設、研究、学習、進歩の方向へ努力を向けさせましょう。わたしたちが、重要な各種の領野で、この太陽系の他の種族に比して、ずいぶん遅れているというのは歴然たる事実ですからな」
「しかし、ウルヴァニア惑星とその住民はどうなのじゃ?」ローバン皇帝は取っておきの強力爆弾を持ちだした。「彼らもわれわれと同じくらい野蛮ではないか。われわれ以上ではないとしても、なるほどおまえの言うように、マルドナーレの破壊によって、惑星内での戦争継続の必要はまったく失くなった。しかし、ウルヴァニア惑星からの攻撃に対して、わが惑星全体を無防備に放っておけると思うか?」
「いや、彼らのほうから攻めてくることはありませんよ」とタルナンが断乎たる調子で言った。「それは、こちらが先制攻撃するなどという気持がまったくないのと同じことです。シートン大公が残していかれた掟《おきて》は、いまもはっきりと生きています。われわれ二種族のうち、先に手を出したほうが、ただちに根絶やしにされる、と。大公のお言葉はいい加減な口から出まかせではないはずですぞ」
「しかしシートン大公は久しくこちらへお見えにはなっとらんじゃないか。おそらく遠いところへ去っていられるのじゃろう。ウルヴァニア人どもは、これを絶好の機会として、いまにも艦隊を差し向けてくるやも知れない。しかしながら、わしに一つの提案がある。この重要問題に断を下す前に、おまえたち二人がウルヴァンの宮廷へ公式訪問を行なったらどうであろうか? ウルヴァンとその教王《カルビックス》に、わしに説いたとおりに、協力を説くのじゃ、共存共栄を説くのじゃ。もし彼らが協力を約してくれれば、こちらも喜んで協力しよう」
しかしながら、第十四太陽の第三惑星であるウルヴァニアへの長い旅行中に、皇太子と国軍司令長官タルナンの熱意はかなり冷めていった。とくに若い皇太子の失望は目に見えるほどであった。ウルヴァンの宮廷に滞在中すぐ明瞭になったことは、ウルヴァニア人の好戦的な心に、平和文明の愛好心をいくら教えこんでも、とうてい無駄なことだということであった。幾千世代もの、絶えざる戦争で培《つちか》われた骨の髄《ずい》からの闘争心は、そう簡単には平和愛好へと切り変えられないのである。
二人のオスノーム人と二人のウルヴァニア人とが公式に卓子を囲んでみると、会談の雰囲気はのっけから非友好的であった。まるで互いに見知らぬ犬同士が牙をむき、毛を逆立て噛みつこうとするかように、オスノーム人とウルヴァニア人は顔を合せた瞬間から相互に敵意を放射した。タルナンが相互協力と相互理解とを提案すると、それは決定的な不信感で迎えられ、冷嘲はあからさまであった。
「きみたちの種族がわれわれとの協力を望むというのはもっとも至極《しごく》のことじゃ」とウルヴァニアの皇帝は、冷笑をかくそうとすらしない。「あの自称大公が脅迫さえしなければ、きみたちなどはとっくに存在を消されていたのだからな。それに今、あの思い上がった男はどうしているのじゃ? どこへ行っているか、何をしているか、きみたちには知る由もあるまいが? われわれ二種族のことなど、とっくに忘れてしまっていることだろうよ。きみたちはまだ気がつかんのか――やつがここの太陽系を去ったのは、こちらを攻撃するためだということを。やつはすでに攻撃計画を完了しているのじゃ。われわれは、自衛のため、おまえたちの種族を先ず滅ぼさなくてはならないことになろう。そっちから攻撃をかけられないためにだ。いずれにしても、おまえたちの訴えは、あきらかに、悪質な策略だ――懦弱《だじゃく》な卑怯者の種族にかぎって、こんな見えすいたトリックを……」
「懦弱だって? 卑怯者だって? この私たちがか? こいつめ、何という思いあがったヒキガエル!」それまでは、ただただ強い意志の力ひとつで我慢をしてきたダナークも、ついに堪忍袋の緒を切って爆発した。飛びあがり、椅子がうしろへ倒れた。「いますぐこの場で名誉の決闘をしろ、名誉とは何か、おまえたちにわかるなら!」
怒りに狂い立った四人の男は、武器を抜き放ち、さっと左右に別れた。がそのとき、空中に一人の超エネルギー像が物質化し、四人は万力で締められたように身動きができなくなった。物質化したのは、白髯をなびかせたノルラミンの老人の姿であった。
「平和じゃ、子どもたち、静かにしなさい!」結像がきびしく命令した。「この太陽系にはもう一切の戦争は無くなったのだ。大公の掟は一言一句強行されるのだ。落ち着いてよく聞きなさい。いいかね、きみたち、わしはよっくわかっているのだ。きみたちは、ほんとうは今、心にもないことを言っていたのだ。オスノームのきみたちは、相互援助ということに多大の利益を認めて、はるばるここまで旅をしてそれを説きにやってきた。ウルヴァニアのきみたちも、内心は相互援助に大賛成なのだ。ただきみたちはどちらも、それを認めるほど心が強くない。
きみたち、見栄っぱりで、剛情な子どもたちよ――きみたちが見せているのは心の強さではない、心の弱さをさらけだしているのだ。しかし、君たちのそのガムシャラな勇気と好戦本能とはこれからは全人類の一般福祉のために使うことができるのだ。さあきみたち、この大きな目的のために、手を携《たずさ》え、ともどもに闘おうではないか?」
「そういたします」と四人が異口同音に叫んだ。
四人は醜態を心から恥じた。面子《めんつ》を失わないで争いを棄てられるこの機会を、四人は大いに喜び迎えた。
「たいへん結構だ! われわれノルラミンのものは、大宇宙文明の最大の仇敵に、うかうかと武器をくれてやったことを悔《くや》んでいる。大公の武器に匹敵するほどの強大な武器を渡してしまったのだ。その仇敵は今も、文明がこれまでに成しとげた成果を滅ぼそうとして一生懸命に画策している。オスノームのきみたち、ウルヴァニアのきみたち、この人類共通の敵に対する遠征計画に加担してはくれまいか?」
「喜んで参加いたします!」と四人は交《こ》もごも叫んだ。
ダナークが続けさまに訊いた。「誰です、その仇敵というのは? どこにいるんです?」
「仇敵は、地球の、マーク・C・デュケーン博士だ」
「えっ、デュケーンですって?」とダナークが咆《ほ》えるように叫んだ。「私は、フェナクローンがデュケーンを殺したと思っていましたが、違うんですか? とにかくわれわれはすぐさま遠征に加わります。私が殺せば、≪生き返ること≫はありません!」
「急ぐでない、息子よ」結像がダナークの逸《はや》る心へ手綱をかけた。「デュケーンは地球の周辺に防衛スクリーンを張りめぐらせたのだ。きみたちがどう焦っても、その武器では刃が立たないのだ。だからまず、きみたちそれぞれが、精鋭百人ずつを率いて、ノルラミンへ来るがよい。われわれは、きみたちにある装置を作ってあげよう。その装置で必ず勝てるとは保証できないが、必ず無事に帰還できることは確約できる。それから、現在きみたちの航路からそう離れてはいないから、来るときにダゾールに立ち寄って来るといい。そしてサクネル・カルフォンを連れてくるのだ。行動の機敏な、学問のある人物だから、必ずやきみたちの助けとなると思われる」
「しかし、≪あのデュケーン≫が!」事の次第をいち早く察知したダナークは歯ぎしりして唸った。「なぜまたあなたは、奴を見たときすぐに焼き殺してしまわなかったのですか? あいつは生まれつきもその後の修業からしても、大ウソつきで大泥棒だと見抜けなかったのですか?」
「そのときは、きみと同様にデュケーンは死亡したものと思い、誰であるかも疑わなかったのだ。彼はシートンの友達という触れ込みで、偽名をつかってやってきた。知識は深く、言うこともまともで立派であった。しかし、そのことについては、あとで話そう。とにかく、早くノルラミンへやって来い。われわれは、きみたちに超エネルギーを送るから、それを制御して来なさい。それを使えば、正確に航行できるし、また速力も早い」
ダゾールの海洋だけの惑星へ着いてみると、そこの両棲人類は、数十世紀のあいだの夢が現実化して、国をあげて喜びに浸っていた。スカイラーク号がこの惑星を訪れ、強力金属ロヴォロンというものを補給してくれなかったら、おそらく今日《こんにち》のダゾールはなかったであろう。惑星の波浪の上には、いまロヴォロン金属の都市がにょきにょきと、到るところにそびえ立っていた。大気圏には、飛行機、ヘリコプターが飛んでいた。岸というものの一切ない、縹渺《ひょうびょう》たる海のひろがりを、艀《はしけ》やヨットが走っていた。また海中と海底には大きな潜水貨物船が悠々と航行しつつあった。
サクネル・カルフォンというのは、髪の毛一本も生えていない、イルカのような格好をしたダゾールの評議会員であった。全裸である。彼は六フィート半、五百ポンドの巨体を悠々と持ち運びながら、ダナークの宇宙船へ乗りこみ、オスノームの皇太子殿下に荘重かつ友好的に挨拶をした。
「そうです、ともだち、ダゾールは万事好調で、いうことなしです」とダナークの質問に答えて言った。「われわれにただひとつ欠けていたのは動力でした。ですがその問題も、いまは解決されました。ですから、われわれの寿命も、従来は割当てでやむをえず制限を加えていましたが、これからはフルに生きることができるようになりました。しかし、このノルラミンからのニュースはショックですね。あなたの知っていらっしゃることを教えてください」ノルラミンへの航行中、三人のリーダーたちは互いに熱論をたたかわし、計画を立てるとともに、ノルラミン惑星の五人委員会としばしば電波で会談を持ち、遠征計画を練った。だからこの古い惑星へ到着したときには、三人は遠征計画については完全な知識をもつに至っていた。惑星へ着くと、ロヴォルとドラスニックは、第五系列超エネルギーの使用法を伝授した。各人の性格と能力に応じて、第五系列超エネルギーは違っていた。
サクネル・カルフォンは遠征軍司令官に指名され、これからは人類文明の希望を託されて征途にのぼる宇宙船の動力装置、機械器具、操縦方法などについて、痒《かゆ》いところへ手のとどくような懇切詳細な説明が与えられた。オスノーム人のうち、もっとも冷静沈着な人物であるタルナンには、これよりは制限された知識が授けられた。しかし、ダナークとウルヴァンには、ただ武器操縦法しか教えられず、武器の性質とか構造とかの基礎知識は与えられなかった。
「これは必要な考慮でね、お二人は怒ってはいないと信じるが……」ドラスニックは恐る恐る釈明した。「あなたたちはまだ根本的には野蛮の息を脱しておらず、流血を好む性質だ。しかし、お二人とも非常に努力はしている。それは大変結構なことと思う。わたしたちも、もうすこし後になってから、よろこんでお二人に数個の心理的操作を伝授するつもりでいるが、それができるようになれば、お二人はそれぞれの国民を率いて文明への大行進の先頭に立つことができましょう」
五人委員会の委員長で、王者の風格をもったフォダンが征途の戦士たちを宇宙戦艦へ案内していった。なんという途方もない宇宙戦艦だろうか! 縦横《たてよこ》高さ、あらゆる寸法がスカイラーク三号の倍につくられた巨艦がそこに横たわっていた。動力と武力とをいっぱいに積み、遠い敵対的な地球へひと飛びするのに、ただ遠征軍司令官のボタン・タッチだけを待っているのであった。
だが遠征軍はあまりに遅すぎた。デュケーンはもうずっと前から、その地位を固めていたのである。連結された動力ステーションの網が地球を取りまいていた。各大陸政府はあるが、名目のみである。地球全体を牛耳《ぎゅうじ》っているのはワールド・スチール社であり、デュケーンの権力は絶大であった。独裁政治もまだほとんどトラブルはなかった。戦争の脅威はなくなり、ギャングスターの地下組織は粉砕された。みんな高賃金をもらって愉しく勤労にいそしんでいる。何の不平もあるはずがなかった。もちろん有識の士で、真実を見抜き警告を発しはしたが、救おうとする人民そのものから逆に圧殺され、沈黙を強いられる始末であった。
ダナークとウルヴァンが空飛ぶ超弩級艦を駆って殴りこみをかけたのは、こうした難攻不落の一惑星に対してであったのである。超弩級艦は超弩級艦であり、宇宙空間のモンスターである。だが、デュケーンはすでにこのことあるを炯眼《けいがん》にも察知し、全地球の資源を総動員して、いかなる攻撃にも対処していた。この級の超戦艦が百隻|束《たば》になって襲いかかっても、いや千隻が舳艫《じくろ》相銜《あいふく》んで襲来しても、彼は用意ありと叫んだであろう。
地球攻撃は失敗であっただけではない、惨《みじ》めに撥ねかえされたのである。デュケーンは発生機の大集団を駆って、ノルラミンの宇宙艦へ、信じ難い強度の剛性ビームを照射した。ノルラミン側では、威力ビームを無効化するために、限りあるウラニウム動力を湯水のように消費しなければならなかった。動力ウラニウムの貯蔵量は一秒ごとに、眼に見えて減少していく。カルフォンは二十秒ばかり、儘《まま》ならぬ悪戦苦闘を続けたが、ウラニウムの消耗があんまり急速なので、びっくり仰天して攻撃を断念し、ダナークとダナーク以上に怒髪《どはつ》天を衝いた副官の抗議も無視して、中央太陽系へ逃げていった。
完全な制御室をも兼ねている自分の個室で、デュケーンはブルッキングズに微笑みかけた。冷酷な微笑である。
「やっとわかったろう? 今日までおれが多大の時間と金をこの防衛計画に注ぎこまなかったら、どうなった?」
「うん、だがなぜやつらに追討ちをかけないんです? とにかく、脅かしてやらないんですか?」
「そんなことをしても無駄だからだ」デュケーンはにべもなくはねつけた。「あの艦は、現在おれたちが搭載している武器よりずっと多数の武器を積んでいる。それに、ダナークに脅かしは効かない。殺せるかもしれんが、脅かすことはできないんだ――度胸の坐ったやつだから」
「へえ、じゃあどうするんです? あんたはノルラミンを攻略しようとして、あらゆる武器を使って頑張ってきた――爆弾、自動操縦飛行機、投射器と。それなのに、まだファースト・ベースへすらたどりつけないじゃありませんか。彼らの外側スクリーンすら突破できないじゃありませんか。どうするつもりなんです、手詰まりのまま、放っておくんですか?」
「とんでもない!」デュケーンは薄ら笑いを浮かべた。「自分の計画を明かさないのがおれの主義だが、二つ三つ君に教えてやろう。君がもっと理解と自信をもって仕事に精が出せるようにだ。いいかい、シートンはもうダメになったんだ。でなければ、こんなことをする前に、やつがやって来たはずだ。フェナクローンはみんな消滅しちまったのだ。ダナークだのその仲間などはぜんぜん歯牙にかけるにも及ばん。おれと銀河系支配との間にある障害はたったひとつ――それはノルラミンだ。だから、ノルラミンを征服するか破壊するかしなくてはならん。征服というのはとても厄介な仕事だから、おれは破壊することにする」
「ノルラミンを破壊する――その方法は?」
古い貴重な文明をもったあの惑星を宇宙から消してしまうと考えても、別にブルッキングズは驚かなかった。この男の無神経な心には、いささかの感慨も湧かなかった。
「これまでの仕事は、破壊作業の第一段階にすぎなかったのだ」デュケーンは冷静に言った。「これからはいよいよ第二段階へ移る。君は知っているかどうか――冥王星はウラニウムが豊富な惑星だ。われわれが今建造している船団は、数百万トンのウラニウムを積んで、ノルラミンからそう遠くない無人の大惑星へ運ぶのだ。その惑星に駆動装置を据えつける。惑星を飛行体にして、ノルラミンへぶっつけるのだ。やつらの超エネルギー貯蔵量全体をもってしてもストップできない大スピードで、惑星をぶっつけて、ノルラミンをその太陽のなかへぶち込んでやるのだ」
心は猛《たけ》りながらも、ダナークは無力のままノルラミンへ運ばれてきた。到着したころには、かなり怒りは鎮まっていたが、挫折感はどうしようもない重さだった。彼はそのまま、ウルヴァン、サクネル・カルフォン、各領野の第一学哲たちに伴って、五人委員会との会議に向かった。
一行はあちこちと建物敷地や庭園を通り、鮮烈な原色にきらめく噴水のそばを過ぎた。行くほどに、幻想的な幾何学的形状にととのえられた垣や塀があった。すべて貴金属でつくられており、複雑な彫刻や装飾がほどこされていた。また、建物の外壁や廊下の内壁には、妖しい光を放つ宝石がちりばめられていた。宝石はまるであちこち細かく飛びまわっているように見え、そばを通る人びとの眼には、微妙な線と色彩とで構成された万華鏡にも似た絵模様に見えた。サクネル・カルフォンは、さりげない眼の合図でドラスニックを見、二人はしだいに他の人びとより遅れて歩いた。
「われわれは、あんなふうに牽制作戦をおこないましたが、あれで成功なんでしょうね? あなたは、計画していたことは、ぜんぶ、やれたんでしょうね?」
立ち聞きされない程度に一行に遅れたとき、カルフォンがしずかにドラスニックに訊いた。カルフォンの副将である、気性の荒い、激情家のダナークとウルヴァンとは、敗退は敗退として額面どおりに受けとり、何の疑いももたなかった。だが司令官である巨躯《きょく》のイルカ人間カルフォンはそうではなかった。遠征軍の出発のときにすでに、彼は対デュケーン攻撃が必ず失敗に終わることを見抜いていたのである。それだけではない。彼らの宇宙艦は強力ではあるが、そして優れた攻撃兵器を搭載はしているが、とても地球の防衛施設を粉砕できないことを、ノルラミン人たちがはじめっから承知で送りだしたのだということが、いまとなると、ますますはっきりと司令官には呑みこめてきたのである。
「もちろん、あなたが真相を見抜くだろうとは、われわれにもわかっていた」第一心理学哲ドラスニックは、カルフォンに劣らず冷静に答えた。「われわれはまた、あなたが、なぜわれわれがあなたに一切を打ち明けなかったかの理由もわかってくれるだろうと期待していた……おっしゃるとおり、われわれは大成功だったのだよ。デュケーンは、あなたの遠征軍を迎撃して、物質的な力で撃退することに全神経を集中した。これこそこっちの思う壺だったのだ。お蔭でこちらは、他の方法では入手できない幾多の貴重な情報を手に入れることができた。もう一つ貴重なことは、われわれの友だちのダナークとウルヴァンである。したたか手痛い目には遭っただろうが、それが大変な実物教育だったのだ。彼らは、生まれてはじめて、自分自身の姿というものを直視することができた。共通の目的のために、しかも負けるとわかった戦さをともに戦ってみて、彼らはもう敵同士ではなく、心の通じあう血盟となった。これでやっと、あの未開な惑星に、ほんとうの文明へ進む有効なプログラムを植えつけることが可能となったのだよ」
五人委員会の会議室で、王者の風格をもつ委員長は立ち上って、こんどの遠征の労苦をねぎらい、最後に結論を述べた。
「武力戦としては、遠征は成功とは言えなかった。しかし角度を変えてみれば、これはとうてい失敗どころのはなしではありません。こんどの遠征で、われわれは多くのことを学ぶことができた。わしは、いまこそ自信をもってみなさんに言える。あの敵を、あのままのさばらせておくわけにはいきません。文明があくまでも進まなければならぬとは、聖なる円球に深く刻みこまれている絶対の摂理であります……」
「ちょっと質問をお赦し下さいませんでしょうか、閣下?」ウルヴァンが訊いた。好戦的な行動で貫かれた彼の生涯で、いまはじめて彼はおずおずとした調子で物を言ったのである。「地球に対してはどうしても、本当に強力な奇襲隊を降下させる方法はないのでしょうか? このまま半永久的にデュケーンに地球占領を許さなければならないのでしょうか?」
「待たなければならないのだよ、息子、そして努力しなければならないのだ」委員長は、ノルラミン種族特有の、宿命的ともいうべき冷静さで答えた。「現在としては、われわれもどうすることもできない、しかしやがては……」
言いかけたとき、耳を聾《ろう》するばかりの轟音《ごうおん》で彼は遮られた。ものすごい大きさに増幅されたリチャード・シートンその人の声であった。
「こちらはスカイラーク、ノルラミンのロヴォルに呼びかけます……スカイラーク、ノルラミンのロヴォルに呼びかけます……」同じ呼びかけが、何度も何度も繰り返された。シートンの放送電波が宇宙空間をとおるとき激しく振動するたびに、シートンの声は轟音になったり、囁くような低声に落ちたりした。
ロヴォルはもっとも近い発信器にビームを送り、話しかけた。
「わしはここですよ、息子。どうかしたのかね?」
「ああ、よかった。ぼくはとても遠く、ここに……」
「そのまま、ディック!」ダナークが我にもあらず叫んだ。ダナークはノルラミンへ帰還して以来、すっかり卑屈になり、怏々《おうおう》として楽しまなかった。自分を取り巻いている偉大な頭脳の人たちと較べて、自分があまりに何も知らなすぎること、ついこのあいだ見せつけられた兇暴なエネルギーと較べて、故郷のオスノームの全住民がいかに無力であるかを、彼はいま骨身に沁みて思い知らされていたのであった。しかしいま、シートンの声が響きわたり、ロヴォルとその頭脳兄弟であるシートンとが、まるで子ども同士のように無邪気に、デュケーンの耳にはとうてい達しないと多寡《たか》をくくって、誰はばかることなく話し合っているのを聞くと、ダナークは急に元気が百倍してきた。彼は居ても立ってもいられない。言葉は抑制がきかず、肺腑をつらぬいて口にのぼってきた。
「デュケーンは生きているんです。地球を完全に武装しました。私たちの使うあらゆる武器をはね返しました」ダナークは早口に続けた。「彼は私たちの持っている武器は何でも持っています。それ以上です。彼は私たちの喋っていることを、みんな盗聴しているに違いありません。ですから、マルドナーレ語で喋って下さい。デュケーンはマルドナーレ語はよくわからないんです。こちらに教育器械がありますから、私はすぐロヴォルにそれを使わせます――そら、これでいいです。どうぞ喋って下さい」
「ぼくはいま銀河系の外にいる」シートンの声は続いた。今度は、最近滅亡したオスノーム惑星のある種族の言語で喋った。「幾十億パーセクという超距離だから、オルロン以外には君たちの誰一人として見当もつくまい。この送波スピードが速いのは、われわれが最近完成した第六系列の投射器を使っているからだ。第五じゃないよ、第六系列だ。君のほうには長距離飛行に耐える大きな船はないのか? スカイラーク第三号ぐらいか、もっと大きな……」
「あります。第三号の倍の大きさの宇宙艦です」
「結構だ。装備をして、すぐ出発してくれ。アンドロメダのなかの大星雲へ向かうんだ。オルロンがよく知っている。大星雲は、いまはぼくの針路にそう近くはないが、君が装置を据えつける頃までには、かなり近づこう。ぼくはロヴォル、ドラスニック、オルロンの参加が是非とも欲しい。それからフォダンにも来てもらいたい。君は好きな人を誰でも連れてきていい。ぼくは一時間以内にもう一度信号を送る――そうしたら、君は出発してくれ」
名指しされた四人のノルラミン人の他に、第一機械学哲カスロル、第一エネルギー学哲アストロンもまたこの壮絶な宇宙旅行に参加を申し出た。≪若人の国≫から来た多数の≪若者≫たちもまた参加した。もちろんダナークは残されることを承知しない。その点は冒険好きのウルヴァンも同じである。最後はダゾール人のサクネル・カルフォンであるが、イルカに似た巨漢は、「子供連中のシツケをみなければならんし、年よりの教授連中が操縦を忘れたとき、船をあつかうために」、是非にと言ってきかなかった。一時間後、宇宙艦がかなり進んだときに、シートンの声がまた聞こえてきた。
「よろしい。ぼくの言うことをレコーダーに取りたまえ、データを教えてあげるから」信号が確実に受信されたところで、シートンの声が指令した。
「デュケーンは私たちに殺人光線を照射しようとしていました。私たちを追ってくるかもしれません」ダナークが遮った。
「好きなようにさせておけ」シートンが冷たく返事を返した。それから英語になって、デュケーンに向かい、「デュケーン、君はぼくの会話を盗聴していると、ダナークが言っている。君はこのノルラミンの宇宙船を追って来てよろしい。それを心から望むわけではないが、追うならすぐのほうがいい。追うつもりなら、とても長い旅程だから、そのつもりでいろ!」
シートンはそれからまたダナークたちに呼びかけ、スカイラーク第二号の遺棄以来の事件経過を簡単に説明した。それが終わると、突然に、第六系列現象と勢力に関する根本理論と応用技術の説明に入っていった。
ダナークには、難しい超数学的な論述は、最初の文章からして全然理解できなかった。サクネル・カルフォンは、あちらこちら一、二の理念はおぼろげながらもつかめたらしい。しかしノルラミン人たちは寛《くつろ》いで微笑をうかべてうなずきながら、シートンの講義に聴き入っていた。彼らの天才的な頭脳は、シートンが早口に述べる深遠な数学的、物理的理論を貪欲なまでにむさぼりもとめ、聴取するや完全に消化していった。そしてこの信じがたいほどの新発見――科学史上画期的な驚異的発見の論述が終わっても、ノルラミン人の誰一人として、レコーダーのテープに不審の個所を確かめようとさえしなかった。
「おお、すばらしい――すばらしいことだ!」ロヴォルが歓喜して叫んだ。超人的な彼の冷静さもついに破られることがあり得ることをしめした。「そんなことができるとは! われわれの知識が微視的方向と巨視的方向へ、一位相ずつフルに延長された。偉大な業績だ! しかもたった一人の頭脳――それも若い人がこれだけのものを成しとげたとは! 異常な出来事と言うべきか! これでわれわれは宇宙を普通時間で横断できるかもしれない。スカイラーク第三号の積載したウラニウム貯蔵量を、わずか四十時間で消費しつくした、あの無限の力――宇宙放射能のあの事実上無窮限の力を、あのすばらしい頭脳がついに制御し得たからには! おお、奇蹟的と言うべし! 驚天動地の偉業と言うべし!」
「しかし、あの若い人の頭脳が多数の頭脳から合成されたものであることを忘れてはなるまいが……」フォダンが深い思索に沈みながら言った。「とりわけ、きみとドラスニックの頭脳が刻み込まれている。シートン自身が、第六系列問題の解決に、きみとドラスニックの頭脳の組合せが特に強力に作用したと告白している。ああ、もちろん、そう言ったからといって、あの若い頭脳の評価を低めているわけでないことは、きみもわかるだろう。わしはただヒントを申したまでだ――いろいろと広い分野にわたって、各領域の特殊頭脳を綜合していけば、他にも注目すべき新発見がつぎつぎと行なわれるのではないかと」
「それはたしかに面白い考えだね。ほんとにいい結果が出てくるかもしれない」第一天文学哲のオルロンが同意を唸った。「しかし、いまはあまりその話に夢中になって、時間をつぶしてはなるまいよ、わし自身、自分の内的意識を鋭くして宇宙の全銀河系の通景を直観したいと意気込んでいるのじゃ」
かく言いあわせた五人の白髭の科学者たちは、しずかに彼らの第五系列施設の多重コンソールに向かい、嬉々として仕事に取りかかっていった。彼らがいま挑もうとしている高遠な真実の超絶性も、彼らの巨人的な頭脳をたじろがせはしなかった。彼らの精神は、むしろ、普通人の精神なら、考えてみただけでも悲鳴をあげそうな大量《マグニチュード》、距離、超エネルギー、物体、減少などと四つに取り組む機会に、歓喜とスリルと生き甲斐とを見出しているようであった。
五人のノルラミンの碩学《せきがく》は、心を豊かにして、協同作業を続けた。彼らの指は生きもののように機敏に、誤りなく正確に動いた。やがていろいろな驚異の超エネルギーがそこから生みだされていった。彼ら自身の宇宙艦の内部に、あのシートンのそれと同じ偉大な機械的電気的頭脳と同じものを作りあげる、驚くべき諸勢力が創造されていった。一方、シートンの偉大な機械頭脳は、惑星並みの巨大サイズをもつ宇宙艦を駆動し制御しつつ、ノルラミンへと推しすすめつつあった。速力は計測不可能な数値へと急速に増大していった。なぜならば、その駆動力は、宇宙空間《コスミック・スペース》のあらゆる宇宙《ユニヴァース》の、あらゆる銀河系の、あらゆる太陽の、あらゆる物質の崩壊によって解放されるエネルギーであったからである!
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二二 純粋知性人を罠に!
その比類なき頭脳の強さと手先の器用さとをもってしても、その第五系列装置の放出するすべての超エネルギーのすさまじさをもってしても、五人のノルラミン科学者にとって、第六系列制御装置製作は並み大抵の努力ですむことではなかった。しかも、もし彼らが宇宙の空間を千年単位で測れる程度の短時間で横断しようとするならば、どうしてもその宇宙船は第六系列のコントロールを備えけつけなければならないのである。だが、不撓不屈《ふとうふくつ》のノルラミン人たちは、ついにこの偉業を完成した!
彼らの厖大な宇宙船の中央部フレームは、そびえ立つ巨大な機械的電気的頭脳でほぼ完全に塞がれてしまった。空間それ自体のもつ自由エネルギーを取り扱う受容器と変換器とが据えつけられた。五光年の加速度しか出せない彼らの原子力宇宙駆動力に代わって、シートンの新開発になる第六系列の宇宙エネルギー駆動力が取りつけられた。このシートン駆動力では、考えられる限りの、また計算可能な限りの加速度が得られるのである。宇宙船とその搭乗物に何の動揺もひずみをも伴わずに、これだけの超加速度が出せるのである。
ノルラミン宇宙船は、ヴァレロンのスカイラークに向かって、恐るべき最大出力で宇宙空間を驀進すること数十日に及んだ。スカイラークもまた同じ狂気のスピードで、われわれの銀河系に向かって飛んで行った。両者のあいだに今、わずか数千光年の距離しかなくなったので、シートンは駆動力にブレーキをかけ、比較的小型のノルラミン宇宙船の頭脳コントロールへ自分自身の結像を実現させ、数分間、ノルラミン宇宙船の頭脳へ思考を注入した。これで必要な指令は済んだのである。
「さあ、これでぼくたち用意ができたぞ!」シートンはヴァレロンのスカイラーク号の制御室のなかで、ヘルメットを外してわきに置き、額の汗を拭いながら、がっくりした調子で言った。「罠《わな》には餌がつけられ、撥《は》ねるばかりになった。こっちが準備完了しないうちに、やつらの方から飛びかかってくるのではないかと、ここ一週間ばかり、死ぬほどの心配をした」
「ちっとも差し支えないんじゃありません?」マーガレットが怪訝そうに訊いた。「だって、わたしたちは第六系列のスクリーンが張りめぐらしてあるのですもの、どうせ彼らはわたしたちに損害を与えることなんてできないんでしょう?」
「できないんだよ、ペッグ。しかし、やつらにこっちへ損害を与えさせないだけでは充分じゃないんだ。それから、拿捕《だほ》ができるようにするには、やつらの船が、ロヴォルの宇宙船とぼくたちの宇宙船の間に、まっすぐに入って来なければダメなんだ。ほら、両方の宇宙船から中空の半球型の勢力スクリーンを出し合って、その中へ包みこむ必要があるんだ。宇宙船が片方だけではダメだ。また、やっこさんがちょうど真ん中に挟まってくれなければうまくいかない。やつらの防衛スクリーンは、ぼくたちの超エネルギー・スクリーンとぜんぜん同一の速度で拡がるんだ。
それから、ぼくたちの投射器は一時に一つの半球型にしか直接働かない。それ以上に働かせるにはいったんビームをカットしなければならないから、同時に二つということにはならない。それから継電ステーションを通じて半球型スクリーンを働かすことができない理屈も、君はわかっているだろうね? 継電器を使って速力が遅くなるということはないが、継電器で接続通信《カットイン》するとき、そのすきまから純粋知性人が逃げてしまうんだよ。ほかに質問は?」
「ええ、ひとつあるわ」とドロシーが割り入った。「あなた、この人工頭脳は、あなた自身の頭脳が考え得ることだったら何でもできると言ったわね? あなたはもう、ちゃんと一つここに作ってあるのに、どうして二個持たなければいけないの?」
「うん、これはきわめて特別のケースなんでね。普通の場合なら、ぼくが前に言ったことで正しいんだ。しかし今の場合は違う。ペッグに説明したとおり、ぼくと同じくらいにスピーディに考えたり行動できる敵に対して働かなければならんからなんだ」
「ちょっと苦しい説明だわね? それはそうと、餌は何を使ったの?」
「思考波を使った。ぼくたちはいま、両宇宙船の中間地点から、思考波を放送している。やつらは、第六系列のインパルスでさえあれば何だろうと、感知したらすぐ調査しようと血眼《ちまなこ》になっている。それはわかっているね? だからぼくたち、これまでは、ぼくたちの情報発信はぜんぶ凝集ビームだけで送るようにしていたんだ。それで、餌として今は、きわめて特殊なタイプの思考波を発信しているんだ。やつらがどこにいようと、これに飛びついて走ってくるに相違ないんだ」
「一分間でいいから、それを聴取させてよ、ね?」ドロシーが懇願した。
「ウーン!……さあ、かまわないかな?」シートンはちらと半信半疑に妻を一瞥した。「一分間なんてむりだ。だめだよ。ぼく自身が、完全品になった思考波には耳を傾けようなんて、できんのだ。純粋知性人だってこれには抵抗はおぼつかない。それほど極度に特殊なタイプの思考波なんだから、人類だったら、すぐ頭脳がすごい短絡で焼け切ってしまうんだ。まあ、君だったら、十分の一秒ぐらいなら、聴き入ってもいいかもしれない」
シートンはヘルメットを下げていき、彼女の期待に震えている頭脳にちょっと触れたかと思うと、すぐ取り去った。ほんの一瞬だったが、それだけでも、大変な効果であった。彼女の紫色の両眼が狂気を発したように大きく見開いた。驚き、鋭い恐怖感、歓喜の絶頂、法悦感――そういうものの交わるがわる混じり合った複雑な表情に顔をゆがめ、全身がガタガタと震え出してとまらない。
「ディック! おおディック!」金切り声をあげた。しばらくたって、やや昂奮から醒め、「おお恐《こわ》! なんて変な、薄気味のわるい! なんて完全無欠、絶妙な! 何なの、それ? だって――あたし、赤ん坊が生まれさせてくれ、生まれさせてくれって、せがむのが聞こえたのよ! 地獄へ堕ちていったわ! それから、たくさんの心が、それを宿《やど》している肉体を喪ってしまって、どうしていいか、ただもう途方に暮れて、宇宙全体に鳴り響くような高い声で、苦悩、絶望、理由なき絶対恐怖を叫んでいるのが聞こえたのよ! それから喜悦と愉楽、そして有頂天の狂喜、それらが圧縮されて、まるで拷問みたいになっていたわ! そのほかにもいろんなことが、たくさん――恐ろしい、言葉にも表わすことのできない、想像すらも許されない、とてもひどいことが! ええ、ほんとよディック、あたし、もう気が違ったみたい!」
「落ちつけ、落ちつくんだ」シートンが妻をなだめた。「君の経験したのはみんな真物《ほんもの》なんだ。ほんもの以上なんだ。君に言ったろう、これは悪魔のクスリだって? どんな人間の心も、これにかかったら粉々に切り裂かれてしまう」
シートンは、いま放送されつつあるこの悪魔のクスリともいうべき恐ろしい信号波を、どう的確に説明したものかと、しばらく用語をまさぐっていたが、やがて思いついたように、
「いいかい――生きているにしろ死んでいるにしろ、あらゆる森羅《しんら》万象の、全進化過程に起こるすべての苦しみ、すべての歓喜、すべての思想、すべての感情が、ぜんぶここに包含されているんだ。無限の時間の永劫の昔から生滅したすべてのもの、時間というものの測り知れない未来の終わりに到るまで生滅するであろうすべてのもののだよ。渾沌のなかに、かすかに胎動し始めた最初の世界の物質の渣《かす》に、はじめて現われた単細胞。それはわかるだろう? その単細胞のなかに淡く動きだした生命のかけらから始まって、あらゆる生物を文字どおり全部カバーしているんだ。無限の将来に、ついに死すべく運命づけられた最後の知性ある有機個体の、今《いま》わの際《きわ》の認識すら、このなかに一括されるんだ。
われわれ現在の人類はもちろん含まれる。受胎から、生誕、一生涯の生活、死、死後の生活まで、ぜんぶが含まれる。無生物の進化もまた包括される。究極微粒子と波動とから始まって、考えられるかぎりのエネルギーおよび物質の、考えられるかぎりの現象形態の、その生誕と生と死滅と再生までもだ。
マートだってぼくだって、とても考えつけるものじゃない。ぼくたちは、できるかぎりのものを全部叩きこんだ。そのあとは≪頭脳≫が引きうけた。頭脳がそれを、論理的帰結へまで持っていってくれた。どこまでか、どんな帰結か、とうていぼくらにはわからないし、蹤《つ》いてなど行けない。頭脳は、そこまで働いて、それから今度は、それの持つすべてのデータを組織化した。そして、純粋思考の精髄に集中圧縮したんだ。いま放送しているのは、この精髄だ。これだけのものだから、必ずや純粋知性人を惹きつける。君のあたまに十分の一秒間閃かせただけだから、君は多分、その人類に関する部分だけしか、理解できなかっただろうだが、それだけやれば全部やったと同じこった」
「全部やったと同じだわ!」ドロシーが救われたように何度もうなずいた。「もう二度と聴きたくないわ。たとえ百万分の一秒でもまっぴらだわ、百万ドルもらってもご免だわ。でも一度はやってみなかったら承知しなかったでしょうよ、たとえ百万ドルやるから止せって言われてもね。ペッグにどう奨《すす》めたらいいかわからないわ――聴くのよしなさいと言うべきかしら? ぜひ聴いてちょうだいって頼むべきかしら?」
「余計なこと心配しないでよ」とマーガレットは青くなりながら首を振った。「あんなにひどいヒステリックな癇癪《かんしゃく》おこすものなんか、わたし絶対にご免こうむるわ。でも癇癪はいっさいお断りというのも、何かこう味気ない気が……」
「あっ、やつらをつかまえたぞ!――ぜんぶやっつけた!」シートンが突然叫んだ。「さあ、もうよろしい、みんなヘッドセットをつけていい」
警報灯が煌《きらめ》いたのである。それは、完全同期化状態で作動していた二個の雄偉《ゆうい》なる人工頭脳が、為すべく期待されていたすべての作業を、瞬時に完遂したことを意味していた。
「彼らをつかまえたって――ほんとに確かかい、ディック?」
「絶対に確かだ。電球のヒラメントが温まるよりも短時間につかまえた。当てにしていいよ――七人ともぜんぶ袋のネズミだ。ぼくは早まって、さんざん失敗をやらかしたが、頭脳はそうじゃない。失敗しようたってできんのだ」
シートンの言うとおりであった。ずっとずっと遠いところで――宇宙距離の標準から言ってさえ、気の遠くなるほど遠い空域で、純粋知性人たちはシートンの放送思考を感知したのであった。そして彼らに可能な最高速力でその発振源へ矢のように飛んで出ていたのであった。というのは、彼らの長い長い一生の間でも、またその絶えざる宇宙放浪の間でも、彼らは、これほど広汎な、これほど適切な、またこれほど強力な思考波に遭遇したことはなかったからである。
肉体をもたない純粋思考主体は、精神エネルギーの驚異的パターンに近づいていった。これほどの強い力で、彼らに呼びかけるように伝播してくる思考波が何だろうと、彼らは急スピードで接近していった。するとその瞬間、向かい合う二つの巨大頭脳から、二個の紅茶カップのような中空半球型のスクリーンが発射された。
二つの宇宙船を極として、スクリーンは伸びていった。第六系列エネルギーだけに可能な電光石火のスピードで伸びていった。二個のカップはあらゆる第六系列エネルギーにとっては不貫通性の障壁である。それでいて、このカップ型スクリーンは、人間の五感が認知できる物質のどんな顕示形態に対しても、いささかの効果をも与えないし、またそれから影響を受けることもないのである。だからスクリーンは、宇宙の空莫に浮かぶ無数の太陽系をさながらに無視して、恒星のニュートロニウムの核すらも空無のなかのように通過して、するすると瞬時に拡大していったのである。
半球型スクリーンの拡げられた外縁は、それぞれに数百光年の直径であった。だが、これだけの巨大なカップが、両方から迫ってきて、びしッと嵌合《かんごう》したのである。するすると、まるで外縁同士が互いに相《あい》求めるかのごとく、自動的に、瞬間的に、ぴったりとくっつきあって、そこに完全な、思考的気密ともいうべき球型を形成した。するとただちに、それまで純粋知性人たちの好奇の心を著しく刺激していた強烈な放射性の思考パターンは、ぽつんと消滅した。同時に、巨大な中空球体の赤道面に沿って、両極から凄絶な熔接弧光が飛びだした。耳をつんざき、目をくらますような烈しさである。しかも襲撃されるものは、超感受性の、肉体なき思考主体ときているのだ。
以上、矢つぎばやに起こった諸現象は、純粋知性人の感じたものが、感じたとおりのものではなかったという、ペテンの始まりにすぎなかった。肉体なき知性そのものの有機体は、欺かれたと知り、ただちに怒り狂う大活動を開始した。だが気づきかたが、間髪の差で遅すぎたのである。罠《わな》の掛け金は弾《はじ》き、球体は蟻の入るすきまもない不貫通性となった。純粋知性の生きたかたまりは、シートンがスクリーンを解くまでは、文字どおり巨大球体のなかに幽閉されたのであった。
球形牢獄のなかには、かなり多数の太陽があった。また牢獄の容積は数千立方パーセクに及んだ。しかも、これだけの大容積のなかには、相当量の宇宙エネルギーが詰まっているはずであり、純粋知性人はこれを動員することができた。純粋知性人は、支配できるだけの強大なエネルギーを球体の壁にぶっつけて反撃を試みた。集中的に壁面突破を企てた。だが、彼らの立ち向かっていたのは、人間の頭脳に対してではなかった。有機的な、有限の頭脳に対してではなかった。シートンの心は第一銀河系の誇る最強の知性によって力づよく創成されてはいたが、その背後にある機械頭脳から見れば、単なる主要インパルスに過ぎない。シートンの心のインパルスがグリッドに刻印され、好きなだけの大きさに増幅されるその想像を絶した威力の実体こそ、二立方マイルの巨大容積をもつ冷厳無比、完全能率の、機械的・電気的人工頭脳であったのである。
だから、さしもの純粋知性人も、いくらジタバタ騒いでみたところで、籠《かご》に入れられたネズミ同然であった。彼らの狂気のあがきを尻目にかけて、球体はじわじわと収縮していった。収縮するにつれ、空間容積は少なくなり、知性人の動員できる宇宙エネルギー量は減っていった。彼らの抵抗もしだいに弱まっていった。中空球体の直径がわずか数百マイルとなり、両宇宙船が相対的静止状態となると、シートンは球体周辺に補助ステーションを設備し、制御を完全にした。
まるい牢獄は急速に縮んで、もはや玩具の風船ぐらいの大きさでしかなかった。風船はスカイラーク号のアイノソン金属外壁の内部に持ちこまれ、機械頭脳室の上の空中に動かないように固定された。そのまわりには複雑な超エネルギー構造体が張りめぐらされ、またそれを囲んでアイノソンの金属格子が支えられているものは、ずっしりと太い十六本のウラニウムの金属棒であった。
シートンはヘルメットを脱ぎ、豪快な溜息をついた。
「これでいい、しばらくこのまま閉じ込めておけるだろう」
「彼らを、これからどうするの?」マーガレットが訊いた。
「そんなこと知らんよ、ペッグ。やつらの捕獲方法を考えはじめて以来、ぼくを悩ましている難問なんだ。やつら、殺すわけにもいかんし、さりとて釈放するわけにもいかん。とにかく扱い方の厄介な代物《しろもの》ではある。だから、やつらを永久に葬る方法が見つかるまで、当分の間、牢屋に入れておくんだ」
「まあ、ディックたら、何という残酷な!」ドロシーが必死になって抗議した。
「えっ? 今度はやさしい|憐れみ《ハート》ときたね、赤毛ちゃん、こちこちの屁理屈じゃなくて! やつらを釈放して、ぼくたち四人を非物質化させるつもりかい? それも結構なはなしだよ。耳に響くほどは悪いアイディアじゃないな。こっちには、彼らのまわりに時間停止帯を張りめぐらすという手があるから。そうやって、百七十億年放っておくことができる。やつらの知性でも、そんなことに気づきっこない――だってやつらには、そもそも時間経過ということはあり得ないんだから」
「うーむ、それはだめよ、もちろん。無条件釈放なんて」ドロシーもしぶしぶ首を縦に振った。「でもあたしたち――いや、あたし――いやそうじゃない、あなただわ。彼らと交渉して取引はできないこと? 自由を与えるかわりに、彼らは遠くへ逃げ去り、あたしたちに害は与えないという? だって彼らは自由精神の≪こりかたまり≫でしょ? 永久に瓶詰《びんづめ》にされるくらいなら、この条件、よろこんで呑むわよ」
「そもそも、やつらは純粋知性そのものだよ。だから不死なんだ。ぼくたちと取引などするかどうか、はなはだ疑問だな。時間なんて、彼らには、はじめっから無意味なんだ。しかし、せっかくの君の提案だから、時間停止をゆるめて、やつらと話し合ってみようか」
虜囚《りょしゅう》の純粋知性人がその存在を維持している周波数帯よりも、はるかに低いレベルの数波を合成して、きわめて薄い一個の投射波ができあがった。投射波は障壁スクリーンを透過して、純粋知性人のほうへ潜行した。シートンはこれに搬送して、≪ワン≫として知られる個体へ、彼の思考で呼びかけた。
「君たちは高度知性の持主だから、ぼくたちが君たちよりもはるかに強い生物だということは認めただろうと思うが、どうだ? 肉体があるということは、非物質的存在に勝る利点が数多くあるのだ。その一つは、ぼくたちは第四次元を通過できるということだ。ところが、君たちのパターンは、純粋三次元的で非伸延性だから、第四次元は通過できない。僕たちは、超空間にいる間に、たくさんのことを学んだ。とりわけ、時間、空間、物質の根本的性質とそれらの相互関係について、非常にたくさんの知識を得た。これで、あらゆる自然現象についての基本的知識を確保した。三次元生物などがこれまで持っていたどんな知識よりも、ずっとずっと偉大な知識だ。
君たちの物質化、非物質化と同じように、ぼくたちも物質とエネルギーを自由自在に変換できる。それだけではなく、ぼくたちは、君たちの到達できない幾多のレベルで働けるから、君たちよりずっと上手《うわて》だ。たとえば、ぼくは自分自身の結像を、このスクリーンを透過して投射できる。君たちにはそんな芸当は思いもよらない。スクリーンの搬送波は、君たちの到達できるもっとも低いレベルよりもっと低いんだから。
しかしこれだけ偉大な知識をもっているぼくも、君たちを殺すことができないのは認めざるを得ない。ぼくがこの力場帯を圧縮しても、君たちは、幾何学状の点みたいに小さく縮むことができるからだ。力場帯が最後に完全融合してしまえば、君たちはもちろん逃げてしまう。一方、君たちもその球体に閉じこめられては手も足も出ないことがわかるだろう。球体が限られているから、君たちの使える宇宙エネルギーはゼロに等しいからだ。
ぼくは、いくらでも長期に、君たちをそこに閉じこめておける。それにいろいろな超エネルギーをセットしておいて、ウラニウムの二百キログラム鋳塊が一ミリグラム以下に縮むまでも、君たちを出さないでおける。ウラニウムの半減期は、だいたい十の九乗の五倍という年数だから、君たちもどのくらいの期間幽閉されるのか、計算できるだろう。
しかし、ぼくの妻は、君たちをそんなに長く閉じこめておくのは可哀そうだと、純粋にセンチメンタルな反対を唱えている。そして君たちと話しあって協定に達することを望んでいる。だからぼくは、君たちを自由にしてやる、ぼくたちの現在の存在を危険に陥れるような出方はしない、という条件つきでだ。もし君たちが永久にこの大宇宙を去ると約束してくれれば、ぼくたちは喜んで君たちを釈放する。もちろんぼくは、君たちが感情や情緒、およそ情動というものは持っていないことは知っている。それを知りながらこんな提案をするのは、純粋に論理的な根拠からだ。つまり――
君たちはぼくたちを、そしてわれわれの大宇宙を、完全に放っておく。われわれが救われようと地獄へ堕《お》ちようと、われわれの自由に委せる意志があるか? それとも、ぼくが君たちをその勢力球体に閉じこめて、動力バーが消尽されるまで放っておくか? 二者いずれを選ぶか、答える前によく考えてくれ。ぼくたちは、肉体なしの、非物質的知性のかたまりになって永劫に存在するよりは、たとえ寿命は短くとも、肉と血の存在でいたほうがずっと有難いんだ。有難いだけじゃない、ぼくたちはほんとにその気で、絶対にそうなるんだ!」
「われわれは協定も結ばないし、約束もしないのだ」と≪ワン≫が答えた。「きみたちはわれわれの遭遇したもっとも強力な精神体だ――われわれの一人に匹敵するくらい強力だ。おれはそれを認める」
「何? おまえは、認めると≪思う≫だけだろう?」シートンは大喝《だいかつ》した。「真実《ほんとう》のアイディアをまるでキャッチしとらんじゃないか。ぼくはおまえたちの周囲に、時間絶対停止帯を張りめぐらせ、おまえたちが閉じこめられていることを気づかないのみか、抜け出る方法も工夫できない状態にできるのだぞ。他にもたくさん大切な問題がある。それを片付けるまで、君たちを放っておけるのだぞ。それが終わると、ぼくは特殊な方法を案出して、君たちをこの大宇宙から移して、遠くへ追っぽりだす。ここへ戻って来ようと頑張っても、それに要する時間は永遠だ。すくなくとも人類に関するかぎり、無限の時間がかかる。そうなんだ。だから、おまえたち、はっきりわかったろうが――おまえたちは、金輪際《こんりんざい》、ぼくたちの精神体を捕えることなんかできないんだということが?」
「おまえのような強力な精神体が、そんな支離滅裂な思考をするとは思わなかった」≪ワン≫がシートンを責めた。「ほんとは、おまえはそうは考えてはおらん。時間時間とおれたちを脅かしているが、そんな時間など、ほんとは一|刹那《せつな》にすぎないことを、おまえだってよく知っているはずだ。おまえの銀河系などは小さすぎておはなしにならん。おまえの大宇宙《ユニヴァース》のなかの超顕微鏡的シミにすぎない。おれたちはそんなものにはまったく興味がない。おまえの頭脳にさえ出くわさなかったら、こうなる以前に、とっくに去っていたのだ。とにかくおまえの頭脳は、おれの見た実体化した頭脳のなかでは最高のものだ。その頭脳の精神体は貴重だ。おれはその精神体をちょうだいする」
「なんべん言ったらわかるんだ? おまえは精神体など取れないっていうのに!」シートンはいささか≪暖簾《のれん》に腕押し≫的問答に苛《い》らだってきた。「おまえがその檻から抜けだす前に、ぼくはもうとっくの昔に死んでいるんだ、まだわからんか、この阿呆!」
「またもやおかしな支離滅裂、混乱思考だ。意図はわかるが、ぜんぜん意味をなさない」≪ワン≫が反駁した。「おまえはわかっているだろうがな――おまえの精神体は死滅しないっていうことが? 精神体は未来永劫にその生気を喪うことなく生きつづけるのだよ。おまえは知識への鍵をもっている。知識はおまえの後に来るすべての世代を通じて、未来へ手渡しされるのだ。惑星、太陽系、銀河系――そんなものは来ては、また去る。そもそも時間というものが存在した初めから、繰り返されたことだ。しかし、おまえの子孫は永遠だ。惑星が老化して住み心地がわるくなったら、捨てて、もっと若い、もっと快適な世界へ移住していくんだ。他の太陽系へでも。他の惑星へでも。他の大宇宙へだって移住していくんだ。
おまえが考えるほど、おれたちが多くの時間を喪うなんて、とても信じられん。おまえは大胆無謀な憶測をくわだてた――おまえの精神体が、それは有能は有能だろうが、たとえ短時間でもおれの精神体を幽閉できるなんて、途方もない寝言だ。まあとにかく、すきなようにしてくれ――おれたちは約束もしないし、協定も結ばないよ」
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二三 長い長い旅路
ノルラミンの宇宙船は巨大ではあったが、これを小惑星《プラネトイド》(ヴァレロンのスカイラーク)のなかへ引き入れることは、機械頭脳にとって、わけのないことであった。ヴァレロンのスカイラーク号の内部では、一個の巨大なドームが膨れ上がってきて、空気を排除してゆき、スカイラークの多層外壁の一部で円型のセクションが消えて孔となった。ロヴォルの魚雷型宇宙船が孔から漂いながら内部へ入ると、孔は閉じ、外壁には割れ目ひとつ見えなくなった。小型宇宙船は、そのすんなりした体躯《たいく》にぴったりと合った、巨きな着陸|船台《クレードル》へ軽々と安着した。
オスノームの皇太子がまず宇宙船から降り立った。武器は帯びていない。戦争に明け暮れた生涯で、彼は今初めて自発的にあらゆる携行武器を棄てたのである。
「再会できて嬉しいです、ディック」短い挨拶ではあったが、シートンの手を両手で握ったその強さに、言葉では言えない感激が示されていた。「私たちは、彼らがあなたを殺したとばかり思って悲観しておりました。それなのに今のあなたは、以前よりずっと大きく、ずっと健康に見えます。受ける災難がひどければひどいだけ、あなたは強くおなりになるんですね?」
シートンはダナークの両手を力一杯に振った。「ああ。≪ラッキー≫というのが、ぼくのミドル・ネームなんだ。ぼくは糞溜《ふんだ》めへ降っこちても、身体じゅうに滑石粉をふんだんにまぶして、菫《すみれ》の花束よりもいい匂いをさせて、這い上がれるんだよ。しかし君も、ぼく以上に進歩したじゃないか」ダナークの腰のあたりをちらと見ながら言った。例の、殺人武器がたくさん吊ってあったバンドは、まったくの丸腰である。「君はだんだん立派になっていく、かわいい坊や――ぼくたちが背後《うしろ》で見ていてあげるから」
シートンは他の新来の客へ振り向き、丁重かつ心から歓迎の意をのべた。それから一同は制御室へ入っていった。
ヴァレロンから第一銀河系までの長途を、針路とか速力とかを気にするものはなかった。機械頭脳のなかの一握りの脳細胞が、どんなに優れた人間の操縦士よりも巧みにスカイラーク号を操縦してくれたからであった。ノルラミンの科学者はどれも、自分の専門分野の新研究に、嬉々としていそしんでいった。オルソンは第一惑星の星図をつくった。ロヴォルは、第六系列の微粒子と波動の研究をつづけた。アストロンは宇宙放射線の無限のエネルギーを研究した等々である。
シートンは来る日も来る日も、機械頭脳に侍《はべ》り、ただひとつの目的のために、計算し、演算した。そしてこれまでは絶対不可能であった明晰さと適切さで思考を続けた。ひとつの目的とは何か? この始末に終えない、業っ腹の純粋知性人をどう処分するか、どう処分≪できるか≫である。クレーン、フォダン、ドラスニックの三人は、宇宙のどこに住もうが拘《こだわ》りなく、あらゆる知性ある種族のために、完全なる政府を立案していた。惑星政府、太陽系政府、銀河系政府、大宇宙政府。彼らはその時間をあげて、これらの構想に没頭した。
サクネル・カルフォンは、機械学哲カスロルと、静かな、しかし深遠な勉強をした。学哲の知識から、彼の水ばっかりの惑星を開発するための、新しいアイデアを無数に学んでいった。ダナークとウルヴァンとは、新しい世界を見聞して、火のように怒りっぽい活力がめっきりと鎮静し、端《はた》でみるのも気の毒なくらい従順《おとな》しくなった。そして、従来戦争逐行に頭を使った以上の熱意で、平和産業と芸術の問題に没頭した。
こうして時間は早く過ぎていった。それはあまりに早く過ぎ、宇宙旅行者たちが気づいたときにはもう、厖大な小惑星《プラネトイド》は、われわれの銀河系に群がる無数の恒星の間を、あたかも足許をさぐりながら歩行するように、慎重に航行していった。その惑星間航行速度の想像を絶した速さに較べれば、蝸牛《かたつむり》の歩みにも似たのろさであったが、それでもいま、小惑星ともいうべきヴァレロンのスカイラークは、二重太陽のそばを通りすぎた。この一つはかつてフェナクローンの惑星であったものである。スカイラークは中央太陽系を過ぎ、さらに暗黒星雲のそばを通過した。暗黒星雲の恐るべき引力も、スカイラークの宇宙エネルギー駆動力にほとんど影響を与えなかった。こうして小惑星は地球をめざして驀進していった。地球の、憎むべきマスターとなっているデュケーンを討ち取るために……
そのデュケーンは、もうずっと以前からこの小惑星《プラネトイド》を探知していた。そして、ロボット搭乗の数艦がシートンの宇宙艦と決戦を試みるべく、宇宙空間へ乗りだしていた。だが戦闘はなかったのである。シートンはそんなものにかかずらっている気分ではなかった。シートンはひたすらにデュケーンそのものを目指していたからである。デュケーンのめぐらした厖大な防衛スクリーンの準位よりはるかに低いレベルで、機械頭脳の指向した宇宙エネルギーは、無抵抗にスクリーンを透過し、ワールド・スチール社の宇宙艦隊を動かしている動力バーに突きあたり、全艦隊がすさまじい輝燿《かがやき》の閃光を発して爆発した。スカイラーク号は防衛スクリーンに接近し、停止した。
「デュケーン! おまえがおれを監視していたことはちゃんと知っていたぞ。おまえの魂胆もちゃんとわかっている。気の毒だが、おまえにはそれはできない」シートンは頭脳の制御盤に就《つ》きながら、大声で話しかけた。「おまえは心得ているな?――もし力場帯を張りめぐらせれば、そのあおりで地球をその軌道から外してしまうことが?」
「わかっている。しかし、その必要があれば、もちろん俺は力場帯を張りめぐらす」デュケーンの冷酷なアクセントが返ってきた。「君を片づけてから、軌道へ戻せばすむことだ」
「きさま、まだわかっちゃいないんだな、この飲んだくれ野郎! きさまなど、手も足も出ん、何もできんということが!」シートンは大喝した。「わからんのか、こいつ奴《め》。こっちには、おまえなどのまるで知らん武器が揃っているんだ。おまえは、まだ盗めないから――盗むチャンスがないから、わからんのだ。もうおまえは進歩がとまっている。おれの進歩に較べたら、ストップもいいところだ。おれはいつでも、おまえより二《ふ》た跳び、進んでいる。おれは、たったいま、おまえを催眠術で金縛りにして、おれの言わせたいことを何でも言わせられる。しかし、おれはそれはしない。おまえにはっきりと覚醒していて欲しいからだ。これから起こることも、ちゃんとその眼に拝ませてやりたいからだ。その力場帯をつけてみろ、その気があったら。おれは地球を、その軌道上で停止させてみせる。さあ、何かやってみろ、このでっかい黒猿め!」
デュケーンの発電施設をあげての全出力で照射されたビームが、スカイラークのスクリーンに当たり、スクリーンは赫々《あかあか》と輝いた。ビームの背後には、地球をめぐるワールド・スチール社の超発電所ネットワークがあった。だが、シートンの防衛スクリーンは単に輝いただけである。すさまじいビームの突撃をうけても、スクリーンは放射線すら吐きださなかった。それもそのはず――前にも言ったように、スカイラークの動力は原子力ではない、宇宙エネルギーなのである。だからスクリーンは、放射線などという泣き言にも似た悲鳴は発しないのだ。むしろ、デュケーンの投射器の凶暴な衝撃力が、かえってスカイラーク号の受容器と変換器に動力を培《つちか》っただけである。
小惑星《プラネトイド》の威力遮蔽幕は、デュケーンの送りこむありとあらゆる超エネルギーを、静かに受けとめただけでなく、受け容れて、かえってわが遮蔽スクリーンの強化に利用した。それからシートンは、遮蔽スクリーンを縮めはじめた。縮めていって、このスクリーンの第四系列層のなかに、狭い帯一本を開けておいた。地球の重力が、この隙間をとおって作用するようにしたのである。シートンは隙間を開けたままにしておいただけではない。どんなデュケーンの全出力力場帯も、この隙間を閉じることができないように、わずかな隙間《スリット》の開扉を固定したのである。
だがデュケーンが図に乗って、地球に張りめぐらされた力場帯の出力を上げ、シートンの隙間を閉じた。隙間が閉じられると、史上かつて知られない深刻な闇が地球全体を包んだ。ふつうの月も星もない闇夜の暗さではない。あらゆる天体からの可視波長の光線のまったくない、絶対の闇であった。この突如たる暗黒が降りたち、いっこうに明るくならないと知ると、地球の人類は言語に絶した恐怖、暴行、犯罪の坩堝《るつぼ》のなかに狂いかかっていった。
だが、たとえいかにすさまじくとも、恐怖の時間は短く、人類は軽くこの恐怖を凌《しの》いでいくことができた。というのは、これとともに、我慾もしくは私利でこり固まった個人あるいはグループによって、地球が独裁性の鞭《むち》の下で呻吟する惧《おそ》れは絶ちきられたからである。そして、ノルラミンの賢者がやがて地球の人びとに与えようとしているように、暴力によってではなく、民衆が心の底から望む正義の政府が樹立される坦々たる大道《だいどう》が、これによって踏み固められたからである。
巨大な宇宙船の障壁と、地球の防衛スクリーンとを透過して、シートンは自分自身の第六系列結像を投射した。もちろん、結像投射装置は宇宙的距離にわたって有効であるように作られたのではあるが、僅々《きんきん》数マイルの短距離でも、同じようにそれは能率的であった。なぜなら、その制御は純粋に心理的なものであったからである。こうして、シートンの結像は、固体的な擬似実質と可視外観とを具《そな》えて、デュケーンの内奥の資質にそれ自身を出現させた。デュケーンはドロシーの父、そして母の背後に立っていた。デュケーンの手に握られた重装の自動拳銃が、ヴェーンマン夫妻の背に擬せられていた。
「張本人は君だろうと思っていた」デュケーンは薄ら笑いを浮かべながら言った。「俺に指一本でも触れてみろ、おまえの愛する義父義母の生命がないぞ。ところがおまえは、気持ちがやさしい男だから、とてもそれはできないときている。すこしでも動いてみろ、俺の指が引金をひくぞ。おまえがこの太陽系から出て、二度と戻ってくるのでないかぎり、俺はいつだって、たったいまでも、引金をひく。俺がこのシチュエーションを牛耳《ぎゅうじ》っている、わかるな?」
「何も牛耳ってなどおらん、この人殺しの狒々《ひひ》野郎!」
言葉が終わるか終わらないかに、もうシートンの結像は行動を起こしていた。デュケーンも、デュケーンらしく素速かった。しかし、いくら速いといっても、たかが人間の神経と筋肉の反射の速力でしかない。とうてい思考の超スピードには較べられない。デュケーンの網膜が、シートンの結像が動いたという事実を記録した。いや、記録しないうちにもう、彼の拳銃は叩きおとされていたのである。そしてデュケーンの身体は不可抗のすさまじい力で、その場で釘づけになった。それもそのはず、すさまじい力は宇宙エネルギーから駆動されたものであった。
デュケーンは、ぽいと個室の空中へ持ちあげられ、エネルギー球体のなかに包まれ、ビルディングから弾《はじ》きとばされた。粉砕された石材やコンクリート、連棹《からざお》のように打ち震える鉄骨、飛散する構造鋼――それらのめまぐるしい渦巻と乱雲のなかを、超エネルギー球体はすさまじい勢いで飛びだし、大気を突きぬけ、成層圏を突破し、真空を跳躍して、ヴァレロンのスカイラーク号の制御室へ転がり込んだ。デュケーンの肉体を閉じこめた勢力外殻は忽然と消えた。シートンは制御ヘルメットをかなぐり棄てていた。シートンがヘルメットを乱暴に取り去ったのも道理である。彼の心の周縁部、その入口の閾《しきい》のところで、あらゆる激情、憎悪が津波のように溢れかかっていたからである。また、もうわずか一秒でも長くこのヘッドセットをつけていたら、彼自身の沸騰する思考波で作動されている機械頭脳そのものが、無感情に、無慈悲にその威力を発揮して、シートンの眼の前で、デュケーンを焼き殺してしまっただろうからである。
こうしてようやく――長い長い空白の後に――身体つきは酷似しながら、心のなかではこれほど異質の人もいないと思われるほどの二人の男性が、いま対面していた。険《けわ》しい灰色の眼が、断じて屈しない漆黒の眸《ひとみ》へ、仮借なく喰いこんでいった。シートンは怒りに狂わんばかりになっている。デュケーンは依然として冷静であり、自分を制御している。そして、隙あらばこの苦境から逃げだそうと眼を八方へ見開いている。
「デュケーン、貴様に言うことがある」シートンは食いしばった歯のすきまから咆《ほ》えるように発声した。「その耳を振り立ててよく聴け! おれとおまえは、これからあの投射結像ビームに乗ってあっちへ現われる。おまえは、全ステーションに休戦命令を発するのだ。そして、みんなにはっきりと宣言しろ――デュケーンは完敗した。人間的な政府が交替する、とな」
「厭だと言ったら?」
「厭だと言ったら、いま、ただちにおれは実行する。貴様があの晩、クレーンの屋敷から宇宙空間へ舞い上ったとき以来、やってやろうと思いつづけてきたことを実行する。おまえの肉体を構成する原子のことごとくを、ここから飛ばして、ヴァレロンに撒《ま》き散らしてやる」
「でもディック……」ドロシーが言いかけた。
「出しゃばるな、ドット!」冷酷で棘《とげ》をふくんだその声は、ドロシーがかつてシートンの口から聞いたことのないものであった。シートンの顔もまた、彼女にはこれほど険しく、これほど非妥協的に見えたことはなかった。「同情も適切な場所では結構だ。しかしこれは対決なんだ、ドット。人間の形をしたこの一片の機械人形――やさしく扱う時期はとっくに過ぎ去った。こいつは長い間、殺される必要があったのだ。いまこいつが、即座に、そして慎重にぼくの命令に従わないかぎり、ぼくはこいつをたったいま殺す」
「おいこら、デュケーン」とシートンはふたたび虜囚をきっと見据え、「きさまの利益のために忠告してやる。おれがただ雑音をたてるために喋っているのじゃないことを信じたほうがいいぞ。これは脅迫ではない、約束だ――わかったか?」
「シートン、君にはとてもできっこない、君はあまりに……」二人の視線はまたも絡みあい、必死の闘いを続けた。だがデュケーンの瞳に、自信喪失の影が忍びこんできた。「うむ、君はやる――君がやることを信じる!」と彼はようやく叫んだ。
「余計な科白《せりふ》を言うな。はっきり言え――イエスかノーか?」
「イエス」デュケーンは降参の時機《しおどき》を心得ていたと言える。だが彼の気性として、「君の勝ちだ――すくなくとも当座はな」とつけ加えないではいられなかった。
二人の結像が地球へ飛んだ。シートンの指定した命令が発せられた。ふたたび、陽光、月光、星の光が昔どおり地球の表面をやわらかく包んだ。デュケーンは、クッションのついた椅子にくつろいで、クレーンのシガレットを喫《す》っている。シートンは暗欝に顔をしかめて立っている。やがて、両手をポケットに突っこみ、並みいるノルラミン人たちに呼びかけた。
「みなさん、わかるだろう? ぼくが進退きわまっているのが……」彼はこぼすような口調で訴えた。「ぼくがこいつをどうしようと考えたか――それを言えば、ぼくは刑法ものだ。あいつは殺されてしかるべき人間だが、ぼくにはそれができないんだ。たとえ半分でもその口実をやつがぼくに与えない限り、ぼくの手は硬《こわ》ばってだめなんだ。ところが、やつは慎重だから、口実を与えない。どうしたらいいか?」
「その男、ほんとうにすぐれた頭脳をもっているね、ただちょっと歪《ゆが》んでいるな」ドラスニックが助け船を出してくれた。
「しかし、修理不可能じゃないと思うよ。一連の心理的手術を施したら、社会の価値あるメンバーになるかもしれんね」
「それが疑わしいんです」シートンはまだ渋面を解いてはいない。「こいつは、サーカスの三個所のリングで同時にショーをやらなければ満足しないんです。お偉方になるだけじゃ充分じゃない――|おお大将《プーバー》にならなければだめなんです。やつは生来反社会的な人物です。しょっちゅうトラブルを起こし、ほんとうに文明開化した世界には、ぴったりと嵌《はま》らんのです。やつはすばらしい頭脳はもっている。ただし、人間じゃない……あっそうだ、いいアイデアがあります!」波形鉄板のような額の皺《しわ》が魔術の仕業《しわざ》かなんかのように、突然となくなり、煮えたぎっている怒りがウソのように忘れられていた。
「おい黒助《ブラッキー》! どうだい貴様、純粋知性人になるの嫌《きら》いか? 肉体をもたん知性のかたまりだ。非物質で、不死だ。純粋知識と純粋権力のみを追求する――全|宇宙《コスモス》にわたり、未来永劫に追求できる。仲間は、他に七人の純粋知性個体がいる」
「おれをどうしようと言うんだ。揶揄《からか》うつもりか?」デュケーンが鼻であしらった。「おれに服《の》ませる丸薬に糖衣《とうい》は要らん。おれを一方交通の宇宙旅行につれだすというんだな――よろしい、やってくれ。だがウソはつくなよ」
「ウソじゃない。本気のはなしだ。覚えているか、ほら最初のスカイラーク号で、ぼくたちが出会った純粋知性人? そう、やつをおれは捕えた、他の六人もいっしょに。おまえを非物質化して七人の仲間入りをさせるのは造作もないことだ。ぼくがあいつらを連れてくるから、きさま、自分で話し合ってみろ」
純粋知性人が制御室につれてこられ、時間停止が解かれた。デュケーンは投射結像ビームを通じて、≪ワン≫と長いあいだ会談した。
「こりゃ素晴らしい人生だ!」とデュケーンが雀躍《おおどり》して叫んだ。「肉体の人生などより百万倍も快適だ――理想的存在形式だ。おれを殺さんで、やれるのか、シートン?」
「やれるとも――おれは歌詞も音譜も心得ているんだ」
デュケーンと、檻《おり》に入ったままの七人の純粋知性人とが空中で静止した。シートンは檻とデュケーンを含めて力場帯を張りめぐらした。檻――つまり内側の力場帯――は、もちろん消えた。同時にデュケーンの肉体も消滅した。ただ彼の知性だけは、新しい檻のなかに生きつづけた。
「シートン、君はひどい間違いをした。フフフフ、こんなひどい間違いは君には初めてだよ」デュケーンが同一レベル思考波に立ったシートンの結像に言った。相変わらず、冷嘲的な、傲岸なデュケーンである。「間違いというのは、やり返しがきかんからだ。きみはもうこの俺を殺すことができん。ザマ見ろ! ところが、俺は君をやっつけられる――俺がどんなことをしようと、邪魔立てできる奴は誰もおらん」
「おれが邪魔立てできるんだ、このゴロツキ野郎」シートンが愉快そうに思考波を送った。「ついさっき、君に言ったろう? おれがどんなことができるか、見て、びっくり仰天するなって。この宣言はいまも効力があるんだ。しかし驚いたな、貴様の憎しみと執念ぶかさには! まだ貴様のケチな敵愾心《てきがいしん》が生き残っているとは!……どう思いますか、ドラスニック? 単なる二日酔いみたいなものか、それともこの男の場合は、永久に悪感情のシコリが残るんでしょうか?」
「永久ということはないよ」ドラスニックが思考波を返した。「まだ、変化した存在様式に馴れていないから、というだけのことだろう。だいたい、あんな感情などは、純粋心理とはまったく相容れないものだ、すぐ消えてしまうだろう」
「でしょうね。ぼくはこいつに、たとえ一分間たりとも、ぼくがこいつのケースでしくじったなどと思わせてはいけないんです」シートンははっきりと宣言した。「こら、よく聴け、貴様! おれは、貴様を自由に扱える絶対の自信がなかったら、非物質化するなんて面倒は省いて、ただちに殺してしまったんだぞ! おれがまだ貴様を殺せないなどと、たとえ頭が狂っても考えるなよ、この生意気野郎! 自由エネルギーの全然ない力場帯を計算して出すことだって不可能じゃないのだ。自由エネルギーが無くなったら、貴様は餓死だぞ。だが、そうびくつくな――いざというときでなければ、それはしないから」
「いったい、どんなことをしようというんだ?」
「あそこにある模型の宇宙船、見えるか? ぼくはこれから、この小さい球形カプセルにおまえと七人の仲間を入れて、時間停止帯で囲んでしまう。そして君たちを宇宙空間へ放つ。銀河系を出たところで、ここについている動力バーが動いて、宇宙エネルギー駆動になる。動力バーそのものの動力は使わんのだ、わかるな。ただ、宇宙エネルギーを指向し制御するために、バーの正常放射能を使う。それで、君たちは、約十の十二乗の三倍のセンチメートルという秒速が毎秒加わる加速度をもって、未知の宇宙現場へ出発することになる。この小さなバーが無くなるまで、その加速度で飛ぶ。バーは千億年以上|耐《も》つはずである。しかし千億年といっても、≪ワン≫が指摘したように一瞬にすぎない。
それから、こっちにある大きなバーは、まだ消耗されないから動力が出るが、これは君たちのカプセルを四次元へ転位させるのに使う。四次元転位が望ましいのは、それでさらに追加距離が得られるばかりでなく、時間停止となり、すでに相当な遠距離を走っているにもかかわらず、まだ多少の帰巣本能《オリエンテーション》が残っているかもしれない、それを徹底的につぶす必要があるからだ。もし君たちのカプセルが三次元空間へ戻ってくるとすると、すでに君たちはここから途方もない遠距離となっているので、ここへ帰還するには、残っている永遠時間の残部ほとんどを必要とするだろう」それから、ノルラミンの老物理学哲ロヴォルに向かって、「いまの説明でいいんですね、ロヴォル?」と賛成をもとめた。
「うむ、非常に優れた学者的要約です」とロヴォルが感歎して言った。
「よくやった、息子」と王者の風格のあるフォダンが荘重な口調でつけ加えた。「一個の生命を断つということは恐ろしいことじゃ、決してすべきではない。それどころか、不可知の勢力が、これら非肉体的純粋心理個体を指示していることは確実じゃ。それは円球摂理に刻まれたパターンの勢力ではあろうが、われわれのごとき有限の感覚からは永久に隠されているものに相違ない」
シートンは数秒間ヘッドセットに思考波を送っていたが、やがてふたたび自分の精神体をカプセルのなかへ投射した。
「さあ君たち、出発の用意はいいかね? あまり硬ばらんように。幾億年宇宙旅行が続こうとも、君たちにはぜんぜんわからんことだ。じゃ、無事到着を祈る!」
小さな牢獄の宇宙船は、肉体なき純粋知性人を、形容を超えた超宇宙の果ての果てへ運ぶために飛び立った。宇宙全体《コスミック・オール》の奥の奥へである。彼らのような不老不死、非物質的な生命にだけしか、想像と理解を超えた巨大な純粋心理個体にだけしか、知られることのない、無究限の宇宙の果てに向かって飛び立ったのである。
かつての大公とそのお妃とは、彼らの家の質素な大長椅子《ダヴェン・ポート》の上にくつろいでいた。人間の手でつくられた暖炉には、自然が営々として育てあげた木の丸太が、快《こころよ》い音をたてながら燃えていた。ドロシーが、物憂く、満ち足りた表情で身をよじらせた。その豪華とさえいえる金褐色の髪の頭部を、さらに暢々《のびのび》と気持よくシートンの肩の快適なくぼみに持たせかけ、豊満な胴と腰とをシートンの抱擁へ、さらにもぴったりと押しつけていった。
「ねえ、恋人、けっきょくこんなふうに万事が落着したなんて、何だか夢みたいな、おかしい気がするわね? 宇宙船からふつうの投射器、ふつうの超エネルギー、それから何かにと、それは結構だわ。でもあなたが、あの恐ろしい機械頭脳をノルラミンの銀河系会議へ送ってやり、今度はもうあんなの作らないっておっしゃって、あたしほんとにほっとしたわ。多分、あたしとしては、そんなわがまま言っちゃいけないんでしょうけど、でも本心よ。あなたがただの普通の男性でいて下すったほうが、ずっとずっと嬉しいのよ――神様みたいな、それとも何か恐い人にならなくて……」
「ぼくも同じ気持だよ、ドット。ぼくはポーズを保っていることができなかった。ぼくがデュケーンを見て、狂いそうになったみたいに思って、あのヘッドセットを投げすてたとき、ぼくはつくづく思ったんだ。自分は、あんな凄いダイナマイトを預けられる器量じゃないな、と悟ったんだ」
「あたしたちは真実《ほんと》に人間だわね、あたしそれが嬉しいの」それから夢みるような優しい口調で続けた。「おかしくはないこと――あたしたち、やたらに飛び回っていたくせに、ずいぶんいろんなことを見落としてしまったの? ここから数千の太陽系を飛んでオスノームへ行ったでしょう? ノルラミンから数千の銀河系を越えてヴァレロンへ行ったでしょ? それなのに、あたしたちのお隣りの住人、火星も金星も見なかったんですもの。地球にだって、まだ見ていないところが沢山あるわ、あたしたちのお家の裏庭にだってまだ素晴らしいものがたくさん残っていてよ」
「うむ、当分はここに落ち着くつもりだから、そのうちにあちこちを旅行して取り返すとするかな」
「まあ嬉しい、その考えに協調して下すって。だって、あなたの行くところへは、あたしも行く。もしあたしが行けなければ、あなたも行けない、ね? ですからあなたは、ここしばらくは地球におとなしくしていなければならないのよ、だってリチャード・ボーリンガー・シートン二世が、ここで誕生しかかっているんですもの、宇宙空間のどこかじゃなくって!」
「そうだとも、スイートハート。ぼくも、いつでも君といっしょにいるよ、いつまでも。君はきらめく閃光、耳を聾《ろう》する轟音だよ。そして、もう前にも仄《ほの》めかしたかもしれないけれど、ぼくは君を愛しているよ」
「ほんとね……あたしもあなたを愛しているわ……素敵だわ、あなたとあたしと……おお、何という仕合せ……もっとたくさんの人たちに、あたしたちのように幸福になって欲しい。ほんとに夫婦が協力すればどれほどのことができるかを悟ったとき、もっとたくさんの人びとがあたしたちみたいに幸福になれるわ、ね、そうだわね?」
「そうなるはずだね。もちろん、時間はかかる。人種的憎悪や恐怖は一朝一夕には克服できないからね。しかし古きよき地球の人たちは、やがてそれがわからんほど阿呆じゃないよ」
金褐色の頭が褐色の頭とぴったりと寄り添った。二人は無言のうちに眼と眼とを合わせ、そこに火花のような情熱が燃えた。不思議な、奇蹟のように満ち足りた、静かな沈黙があった。
二人にとって、人生に難しい問題は少なかった。あっても小さく、取るに足りなかった。(完)
[#改ページ]
スカイラークと宇宙飛行の系譜
人間はいつごろから、他の天体へ行ってみたいと――つまり宇宙旅行をしたいと考えていたのか、その淵源《えんげん》をたどってみると、最後には飛行術の歴史とオーバー・ラップしてしまうのだが、今日、宇宙飛行物語の形で残されているのは、ルキアノス(西紀一二〇〜八〇頃)の『イカロメニッパス』と『本当の話』の二編が最古とされている。しかし諸民族に残存する口碑のたぐいまでを追跡して行くと、さらにはるか昔にまでさかのぼることができるらしい。
宇宙旅行――といってもそのころは月か太陽しかなかったから、他の惑星旅行はもちろん、ひとつもない。それで、人間がどうやって月や太陽に行ったのかというと、まず、行きたくもないのに、なにかの拍子に持って行かれてしまったというケースがある。史上最古の宇宙旅行小説である『本当の話』の主人公は、海上で大嵐に遭って月まで吹きあげられているし、その他夢の中で持っていかれたとか、魔女の呪いでもって行かれたとかいうパターンは枚挙にいとまがなく、二十世紀に入ってからではエドガー・ライス・バローズのご存知ジョン・カーター(「火星シリーズ」の主人公)をこのジャンルに入れねばなるまい。
もうひとつのケースは、もちろん、なんとかして月へ行ってみたいものと散々知恵をしぼりにしぼる話で、ルキアノスの『イカロメニッパス』の方では、かのダイダロスとイカロスの飛行の故事にならい、主人公が両腕に翼をくっつけて月に到達したことになっている。それ以後にあらわれたパターンをごく大ざっぱにわけてみると、精神力あるいはテレキネシスのたぐい、鳥、乗りものの三つになる。
鳥を利用したのではゴドウィン僧正の『ゴンザレスの月旅行』があるし、精神力ではケプラーの『ソムニウム』などもある。そしてごくゆっくりではあるが着々と進歩して行く技術につれて、乗りものの方も≪進歩≫して行く。たとえばシラノ・ド・ベルジュラックの『月と太陽諸国の滑稽譚』に出てくるもので、鉄の箱に乗って、手で磁石の玉を抛《ほう》り上げる。すると、磁石は引かれて箱は上へとひき上げられる。球に追いついたところで磁石の球をはずしてさらに上へ抛り上げると、箱はさらに磁石にひかれて……というのや、霧をいっぱい入れたガラスビンを腰にくっつけておくと、日の出とともに朝露となり、太陽へと引かれて……などというものもある。
また特殊な材料を使って――というのでは、牛の髄《ずい》が月に引かれるというので体に塗りつける、というのが出てくるが、これなどはH・G・ウェルズの『月世界最初の人間』に登場するケイヴァーリットから、さらにこの≪スカイラーク≫のX金属へのひとつの系列を型作っていると言えるだろう。
十九世紀に入ってからの、特殊物質と並ぶ宇宙旅行の妙手は、いうまでもなく弾丸である。ジュール・ヴェルヌの『月世界旅行』がこの代表であることはいうまでもない。噴射推進方式そのものは、兵器としてかなり古くから利用されていたにもかかわらず、宇宙船として使われたのは二十世紀に入ってから、それも一九三〇年代になってからである。
それからもうひとつ、気球を利用する――という考えも、十五、六世紀からあらわれている。フランスシスコ・デ・ラナの気球船の話からポーの『ハンス・プファールの比類なき大冒険』、そして十九世紀末にアメリカで大流行したダイム・ノヴェルというひとつの流れがある。
二十世紀に入ると、いまさら大砲でもあるまいし、風船を利用するのはあんまりお粗末だし、さりとてゴダードも≪まだ≫ロケットの実験はやっていない……というわけで、全盛をきわめたのは前にも挙げた特殊物質というやつである。たとえば一九〇一年にジョージ・グリフィスの書いた『大宇宙新婚旅行』、一九〇九年にギャレット・P・サーヴィスの書いた『宇宙のコロンブス』、一九一一年のマーク・ウイックの『月経由火星へ』にしても、すべて反重力物質の類いを利用している。
結局わがスカイラーク号は使用機関の系譜から行くとこれに属するわけであって、現代SFにおけるその代表的なものだといってさしつかえない。また宇宙旅行の動機とでもいった観点から考えると、第一作の頃にはまだ、エクスプロレーションとエクスカーションが分化しておらず、なんともはや、大変にたのしいムードにみちていることはご承知の通りである。
今日活躍している中堅から大家クラスのSF作家のうちで、この≪スカイラーク≫シリーズからなにかの影響をまったくうけていない人をさがすのは至難のことだといえるだろう。J・W・キャンベル然《しか》り、A・C・クラーク然り……。
彼らが≪スカイラーク≫のいったいどこに影響をうけたのかというと、それはあの大仕掛けな宇宙戦争だとか、律儀というか、ばか正直というか、とにかくびっしりと書きこまれた≪架空科学の論理≫など、他にもいろいろとあるだろうが、なんといってもその最たるものはスカイラーク号が銀河系から他の島宇宙へと最初の船出を敢行したという事実であろう。島宇宙から島宇宙へと、まるで横丁から横丁へすっとぶような気軽さで航行をつづけるその発想は、今日の我々の眼からしてさまざまな異論もあるだろうが、とにかくこの作品がSF史上不朽の名作とされている最大の理由はそこにある。
今日の宇宙旅行は、噴射推進方式がその主流を占めている。何度も書いたことだけれど、大量の灯油をもやした勢いで、二人や三人の男をようやっと大気圏外へ、そして月面へ≪押し出そう≫としかかっている今日の現状は、光輝あふれるホモ・サピエンスの一員としてまことに恥ずかしいことだと赤面の至りである。一刻も早く、現実のリチャード・シートン氏に特殊金属Xを開発してもらって、数百人乗りの大宇宙船を地表から堂々と進発させたいものだと願わずにはいられない。(野田宏一郎)