スカイラーク3
E・E・スミス/川口正吉訳
目 次
一 デュケーンふたたび宇宙へ
二 ダナークの地球訪問
三 スカイラーク出発す
四 力場帯テスト
五 最初の流血
六 平和会議
七 デュケーンの航行
八 ダゾールのイルカ人間
九 ノルラミンへようこそ
一〇 ノルラミンの科学
一一 太陽の真っ只中へ
一二 立体投映《プロジェクション》でこんにちは!
一三 宣戦布告
一四 恒星間絶滅戦
一五 銀河系の決闘
あとがき 野田宏一郎
[#改ページ]
登場人物
[#ここから1字下げ]
リチャード(ディック)・シートン……希少金属研究所の博士
ドロシイ(ドット、ドッチー)……リチャード・シートンの妻
マーチン(マート)・レーノルズ・クレーン……リチャードの友人
マーガレット(ペッギー、ペッグ)……マーチンの妻
シロー……リチャードの部下
マーク・デュケーン……リチャードの同僚
≪ベビー・ドール≫ローアリング……デュケーンの副操縦士
ブルッキングズ……ワールド・スチールの支店長
ダナーク……コンダールの皇太子
シタール……ダナークの妃
ローバン……コンダールの皇帝
タルナン……コンダールの教主
サクネル・カルフォン……ダゾールの議会議長
オルロン……ノルラミンの第一天文学哲
ロヴォル……ノルラミンの第一光線学哲
カスロル……ノルラミンの第一機械学哲
ドラスニック……ノルラミンの第一心理学哲
フェノール……フェナクローンの皇帝
フェニモル……フェナクローンの将軍
ラヴィダウ……フェナクローンの科学者
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]
一 デュケーンふたたび宇宙へ
ワールド・スチール社のいちばん奥の個室でいま、がっしりしたデスクを挟《はさ》んで、ブルッキングズとデュケーンが睨《にら》みあっていた。デュケーンの声は氷のように冷たい。その浅黒い皮膚の額に険《けわ》しい条《すじ》がよせられている。
「呑むんだ、ブルッキングズ、まっすぐに呑むんだ。ぼくは今晩十二時半に宇宙へ出発する。あんたに言っておくことは、絶対にリチャード・シートンに手を出すなということだ。何もしてはいけない。何もだぞ! あんたの頭脳に二つの単語をはっきりと刻みつけておくんだ。≪あらゆることを差し控える≫、とな。ぼくが戻ってくるまで――どんなに長くかかろうと、だ――絶対に何もしてはいけない」
「あんたの気持が変ったとは驚いたね、博士。たった一度の血戦でそんなに怖気《おじけ》づくようなあんただとは思わなかった」
「それ以上の阿呆《あほう》になるのはよせ、ブルッキングズ。怖気づくということと、無駄な努力に気づくことは、月とスッポンほども違うのだ。あんたも憶えているだろうが、ぼくは宇宙船から牽引《けんいん》ビームを使って、シートン夫人を吊りだし、誘拐しようとした。ぼくを止めるものは何もなかったはずなのだ。ところが、やつらがぼくを探知した。おそらく、自動式のオスノームの電子放射探知機を使ったのだろうが……。そしてぼくがまだ、やつより二百マイル以上も上にいる間に、ぼくの宇宙船を真っ赤に焼いた。あのときぼくははっきりと、奴らがこのぼくを制止《ストップ》したと悟ったのだ。ぼくとしては、もう元の計画に戻り、誘拐はよして、≪奴ら全部を殺す≫――これ以外に道はないと悟ったのだ。ぼくの計画は時間がかかるというので、あんたは反対した。そして飛行機をやって、やつらに五百ポンドの爆弾を一発落とした。ところが、飛行機も爆弾も、その他一切が、瞬時に消滅してしまったじゃないか。爆発せず、ただ閃光《せんこう》を発して消えただけだった。憶えているか? するとあんたは、凝《こ》り性もなく愚劣なアイデアをいくつか持ち出してきた。長距離爆撃その他――愚劣な攻撃計画をだ。どれひとつとして有効だったものがあるか? それなのにまだあんたは、ふつうのガンマンを使って奴らを討《う》ち取れるなどと、呆れた神経で主張している!
ぼくはあんたに、図面を描き、数字を書いて教えてやった――ぼくはいやになるほど詳しくあんたに説明した、やさしい一音節の用語だけで、噛《か》んでふくめるように、われわれの立ち向かう敵がどんな奴かということを、教えてやった。いまもう一度、ぼくはあんたの頭脳へ叩きこんでやる――奴らは≪何ものか≫を手に入れているんだ。あんたにシラミの脳ほどの頭脳《あたま》があれば、ぼくが宇宙船を使ってもできない仕事は、ケチなギャングなどを何百人使ってもできっこないということがわかるはずだ。いいかねブルッキングズ、何度でも繰り返すが、ギャングなどの手には負えんのだ! 有効なのは、ぼくの方法だけだ、それ以外には絶対にないのだ」
「しかし、五年というのは、どうも!」
「ぼくは六ヵ月で帰ってくるかもしれない。しかしこうした宇宙旅行では、どんな突発事故が降って湧《わ》くかもわからんのだ。だからゆとりをみて五年という計画で出発するのだ。五年でも充分じゃないかもしれん――だから、十年分の補給物資を携行する。地下室にあるぼくのあの箱、いまから十年|経《た》たないうちは、絶対に開けてはいかん」
「しかし博士。あれくらいの邪魔ものは二、三週間もあれば大丈夫片づけられるよ。いつもそれで行っていけたんだ」
「おお、冗談も休み休み言ってくれんか、ブルッキングズ! 寝言を言っている時機《とき》じゃないんだ。あんたがシートンを殺せるチャンスなんてものは、まるで……」
「博士、博士、たのむからそんな乱暴な言葉は使わんでくれよ!」
「まだビクついているのか? あんたの弱腰には、ぼくはいつも腹が立ってくる。ぼくは直接的な行動を主張する。言葉と同時に実行――一回こっきりの勝負、いつもそうだ。繰り返すが、あんたにシートンを殺せる確率なんてものは盲《めくら》の仔猫《こねこ》がシートンを殺せるよりも少ないんだ」
「どうしてそんな結論がでたんです、博士? あんたは事あるごとに、われわれの力を過小評価するのが大好きなようだが。わたし個人の見積りでは、二、三週もあれば必ず目的を達することができる――あんたがそんな途方もない宇宙旅行から帰るずっと以前に、目的を達することができることだけは確かだ。あんたはあけすけに言うのが大好きだから言うが、シートンはあんたを≪脅《おど》した≫んだ――あんたの得意の言い回しを借用すればね。いわゆるオスノームの素晴らしい科学的アイデアなど、十中九は理論的にも不可能なしろものだと、ちゃんとわたしは専門家に確かめている。残りの十分の一も、ただあんたの想像のなかにあるに過ぎん。飛行機から投下した爆弾が欠陥があって早発だったのは、まったくシートンの幸運というものだ。あんたの宇宙船が熱くなったというが、無茶なスピードで大気を通過したからだ。けっきょく、われわれは、あんたが帰って来る前に、ぜんぶ事をかたづけているよ」
「そんなことができたら、ぼくはあんたに、ワールド・スチール社の支配株数を進呈しよう。そしてぼくは精薄老婆たちのホームで小使いかなんかのポストに坐ろう。あんたの無智、あんたの新しいアイデアを信じたがらない頑固さも、事実そのものを変えることはできんのだ。あんたも気づいたように、オスノームに行く以前だって、シートンという男はちょっとやそっとで討ち取れる玉《たま》じゃなかったんだ。オスノーム行きで、やつは新知識をしこたま仕入れた。だから尋常《じんじょう》の手段では殺せないんだ。あんたの差し向けるギャングを片っぱしから殺されてみて、はじめてあんたは目が覚める。万一|襲撃《しゅうげき》するにしても、絶対奴の女房を殺さんようにしないといかんのだ。傷を負わせてもいかんのだ。故意でなく、偶然でもいかんのだ。シートンを殺さないうちは、絶対にそれをしてはいかん!」
「そりゃそうですよ、そんなことをしたら、誘拐という手がなくなってしまう」
「手がなくなるというのは、誘拐ばかりじゃない。われわれの実験所での爆発、憶えているだろう? 山ひとつがぜんぶ土煙りになって吹っ飛んだ……。あんたの心のなかに、はっきりと絵を描いてみるんだ。あの十倍もの爆発が起こるということだ。ぼくたちの工場のどれにもだ。このビルディングにもだ。ぼくはわかっている――あんたは度し難《がた》い低能児だから、ぼくがいくら注意しても、自分のアイデアで仕事を行なおうとする。ぼくはまだ、ワールド・スチール社を牛耳《ぎゅうじ》っておらんから、公式的にはあんたに禁止命令を出すわけにはいかん。しかしあんたは、ぼくが自分で言っていることは責任をもって言うんだということを、わからんといかんな。もう一度言うが、あんたはまたも大きなミスを犯そうとしている。一つのことが、何百年も日常生活の上でなされたことがないからといって、できないとは限らんのだ。それをあんたはどうしても信じようとせん。シートンとクレーンがわれわれの持っておらん何かを手に入れたということを、あんたにわからせる方法がないものかな、まったく? いずれにしろ、われわれの工場を守るために、また当然それはあんたの利益を擁護《ようご》するためでもあるが、あんたは、ひとつだけしっかりと心に畳《たた》みこんでないといかん。それを忘れたら、高場もぶっ飛んでしまうばかりか、あんた自身も原子になって飛散する。何を始めるにしろ、まずシートンを殺すことが最優先だ。ドロシイ・シートンの赤い髪一本に触れる前に、やつが決定的に、完全に、絶対確実に死んだことを確認せんといかん。やつがまだ息を吸っているうちに、ドロシイに触れたら――ドカーンだ!」そう言って気難しい科学者は、両手を振って拡げ、全面的大破壊の仕草《しぐさ》をしてみせた。
「たぶん、あんたの言うとおりでしょう。それはね」ブルッキングズがすこし蒼白になって言った。「たしかに、シートンはそう出るだろう。とにかく、彼を首尾よく除去するまでは、用心しないといけないね」
「つまらん心配するな、どうせあんたに除去などできっこないのだから。ぼくは、帰り次第、細かい計画を練ってやる。シートン、クレーン、その家族たち、やつらの工場の重役や従業員、やつらの研究ノートと溶液を保管しているに相違ない信託銀行――要するに、ぼくと≪X≫金属の独占ということとの間に立ちはだかる一切の邪魔ものは、人間であろうと物体であろうと、みんなお陀仏《だぶつ》になる」
「それは空《そら》おそろしい計画だね、博士。死んだパーキンスの考えだした誘拐計画のほうが、ずっと安全で手っとり早いんじゃないかね?」
「そのとおり――ただし残念ながら、実行できん。もう顔が青くなるほど、力《りき》んで喋った。はじめに彼を殺さないでは、ドロシイを誘拐できないということ、しかもあんたには彼に指一本|触《さわ》れないということ、それを口が酸《す》っぱくなるほど説いて聴かせた。成功するのはぼくの計画ただひとつだ。シートンだけが何でも知っているんじゃない。ぼくのほうがずっといろんなことを知っている。そのぼくは、特に一つの事を知っている。地球とオスノームの住民のうち、とにかくこれまで、そのことを多少とも知っていたのは他にたった四人だけだった。ところがその四人は死んで、頭脳は読めないまでに腐敗してしまった。こうして、そのことは、ぼくの狙う金穴になっているんだ。ぼくは断固としてそれを獲《と》る。獲《と》ったら、ぼくは攻勢に出る。それまでは、じっと我慢しているんだ」
「帰ってきたら、戦いの火蓋《ひぶた》を切るというんだね?」
「戦いはもう、ぼくが牽引ビームで女二人をさらおうとしたときから始まっているんだ。だからぼくはこうして真夜中に出発するんだ。やつは十一時半にベッドへもぐる。やつが眼覚めるまでに、ぼくはやつの対物コンパスの有効距離から抜けだす。シートンとぼくは、たがいに相手を知りつくしている。つぎに会うときは、どちらかが超顕微鏡的な微粒子に粉砕《ふんさい》されて宇宙空間へ素っ飛ぶことを知っている。ただやつは、素っ飛ぶのはやつのほうだということを知らんのだ。出発前の、ぼくの最後の言葉はこれだ――≪手を出すな!≫手を出したら、あんたも、あんたの≪有能な専門科学者たち≫も、ああそうだったかと気がつく、それじゃ遅いんだ」
「あんたの行先なり計画なりを、もっと詳しく教えてくれませんか、博士?」
「ダメだ。じゃ、さよなら」
[#改ページ]
二 ダナークの地球訪問
マーチン・クレーンは大椅子にゆったりと背を埋めていた。そして右手の指を、そっと左手の指に触れながら、熱心に聴きいっていた。リチャード・シートンは友人の前の床を、行ったり来たりしている。櫛《くし》も入れない褐色の毛は逆立《さかだ》っている。一束の書類を振りまわしながら、ヤニ臭い古びたブライア・パイプをくわえた歯のすき間から、彼はいま獰猛《どうもう》な勢いで激情を迸《ほとばし》らせている。
「マート、ぼくたちは行きづまった。二進《にっち》も三進《さっち》もいかなかった。ぼくの頭が、コチコチになった青いトウモロコシの練粉《ねりこ》からしか出来上っているんでなかったら、ぼくはこうなる以前に、ここから抜けだす方法を考えだしていたはずだった。だが、ダメだった。あの力場帯《ゾーン・オヴ・フォース》さえあれば、スカイラーク号は何もかも手に入る。だが力場帯がなければ、ぼくたちはここに立ち往生だ。力場帯はものすごい威力だ――「すごい」の一語に尽きる。その可能性は想像を絶する。ぼくはボンクラのコチコチ頭で、あの力場帯の有効な使い方がわからない。有効どころか、てんで使い方がわからない。力場帯は、その性質からして、いかなる存在形態の物質も、またその物質をどんな方法で適用しても、絶対に透過することはできないんだ。そして、この計算では……」と一束の研究ノートを憎々しげに振りながら、「力場帯はいかなる波動にも不透過とはっきりと出ているんだ。空気中であろうとエーテル媒質《ばいしつ》を搬送される波であろうと、下は宇宙線まで、この力場帯を透過することは絶対できないんだ。だがその裏の理論を、ぼくたちはまるで知らない。盲も同然だ。だから使い方がわからない。それを考えると、いても立ってもいられないんだ! 考えてみろよ、マート――五感にも計器にも不感知な、非物質的の純粋力だよ。しかも厚みゼロの、幾何学的な面に沿ってこの力場帯はひろがるんだ。それでいて、一億光年の超距離を飛んできて、二十七フィート厚の鉛板をまるで真空のように貫通しちまうすごい放射線を、びしっとストップできるんだ。ぼくはこれだけのでっかいものに立ち向かっているんだ! しかし、とにかくぼくは、あのぼくのつくった力場帯発生装置のモデルを実地に試験してみるよ、マート。たったいま着手するんだ。さあやろう!」
「君はまたすこし白痴的になってきたね、ディック」クレーンが冷静にたしなめた。顔の筋《すじ》ひとつ動かさない落ち着きかたである。「君自身がぼくよりずっとよくわかっているはずじゃないか? 君の扱っているのが、前代未聞の、エネルギーの集中エッセンスだということが。その力場帯というものの発生は、おそらく自然の……」
「おそらく、自然にそんな力はない!」シートンが噛みつくように反駁《はんばく》した。「この椅子のように、自然にそんな力がないことは厳然たる事実なんだ」そう言って、粗末な一脚を部屋の半分ほども遠くへ蹴《け》とばした。「君があのとき許してくれたら、ぼくはモデルを昨日は実験して見せてやったのだが」
「そうだったね。それが、あらゆる物質、あらゆる既知《きち》の周波数に対して不貫通・不透過ということは認めるよ。しかし重力と磁力に対しても不貫通だったらどうする? 重力、磁力などという現象は、おそらくはエーテル媒質によるものらしいが、われわれにはまったくその性質がわからない。エーテルの性質もわからない。だから、君の計算はじゅうぶん包括的ではあるが、力場帯が重力や磁力にどういう効果をもつか、予測することができない。力場帯が実際にエーテル中で障壁をつくり、重力、磁力、その他これに関連した現象を無効化するものと仮定したらどうなるかね? 動力バー、牽引ビーム、斥力《せきりょく》ビームなどが力場帯に阻《はば》まれて透過できないと仮定したら、どういうことになる? いや、やっぱり、力場帯をぼくに実験してみせるなんてことは、到底できることじゃないな。まるで素手で自分の身体を宇宙空間へ飛びださせるみたいに、不可能なことだよ。だって仮りに、君の実験が成功して、力場帯を張ったとすると、動力も使えなくなるし、手も足も出させないということになる。やっぱりダメだよ。それよりか、もっと基本的な理論を突っ込んでみるべきだな。それまでは、たとえ小規模の実験にしろ、差し控えたほうがよさそうだ」
「おお、馬鹿な! 君は極端に用心深すぎるぞ、マート。実験に何の故障がある。重力がゼロになったとしても、ぼくはただゆっくりと起きあがれる。鉛直線から、ぼくたちの緯度と同じ角度で――それは三十九度だが――南へ向けて背のびをする。そこらの麻薬中毒患者が主張するみたいに、接面上で素っ飛ぶことなんかあり得ないよ。ちゃんと慣性があるんだから、自転する地球とほぼ速度を合わせて起きあがればいい。ゆっくりと起きあがるんだ――接面が地表の曲面から外れていく速さと同じ程度にゆっくりとだよ。その速さがどれくらいか、計算をしてみたことはないが、かなりゆっくりしたものだろう」
「かなりゆっくりだって?」クレーンがにやにやした。「計算してみたまえ」
「ああいいとも――でも賭けてもいいぞ、玩具《おもちゃ》の風船玉が上昇する速度よりは遅いだろうって」シートンは研究ノートを投げだし、計算尺を拾いあげた。三角函数十進法両面型、二十インチという長い計算尺である。「最初の近似値を出すのに、地球の軌道速度の半径という要素は無視することは許されるね? それとも、これも計算しなければならないかな?」
「ああ、その因子は無視してよかろう」
「よし、それでは、と。ワシントンでの自転の回転半径は、赤道半径に掛けることの、緯度のコサインとなる。もちろんだいたいだよ――まあ三千二百マイルを読むか? 自転角速度は一時間に十五度だ。それからセカント十五度マイナス一、掛けるの三千二百マイルを出す。それでいいんだろう? セカントはコサイン分の一に等しい――うーむ、む、む、一ポイント・ゼロ三五となる。それから、ポイント・ゼロ三五に掛けることの三千二百。第一時間目は、百二十マイルだ。太陽に対しては恒常速度で、出発地点に対しては加速度を……。ああ痛い! 君の勝ちだよ、マート。ぼくは降りる! うむ、じゃこうしたらどうだろう? 宇宙服を着て、食糧を携行して、ぼくたちがスカイラーク第一号を建造する前に、ほら、ぼくが試験飛行に使ったあの装備、馬具みたいなやつ、あれを宇宙服の外部からつける――それに新しい力場帯発生機をつける。それで力場帯のスイッチを入れる。するとどうなるだろう? 離陸に激しい動揺などあるわけはなかろう。それで、同じ装備で地球へ無事に戻って来れないかい、たとえ木星まで飛んだとしても?」
クレーンは坐ったまま黙りこくっている。速度、加速度、慣性など、運動のあらゆる側面を彼一流の鋭い頭脳が深刻に、正確に計算しているのだ。危機に際してのシートンの驚異的な気転と知恵のまわりかた、彼の肉体的、精神的力のつよさなどはすでに充分に考慮に入れている。
「まあぼくの見るかぎりでは、そうしたほうが安全のようだね」とようやくクレーンはうなずいた。「その実験で初めて、純粋理論の他に、力場帯《ゾーン・オヴ・フォース》というものについて、ちょっぴり情報が得られる」
「けっこう! すぐとりかかる――五分間で用意をととのえる。女たちを呼んでくれんか? 彼女たちに内密で一つでも新しいことを試みると、彼女たちからえらいタックルを食うからな」
数分後、≪女たち≫がクレーン私設飛行場へ出てきた。腕を組みあっている。ドロシイ・シートンの紫色の眼と艶《つや》のよい輝くような血色を豪華な金褐色の髪が縁《ふち》どっている。マーガレット・クレーンは黒髪で、クリクリした黒い瞳だ。
「ブルブルブル――寒いわ!」ドロシイが震えて、コートの前をしっかりと合わせた。「こんな寒い日ってワシントンでも数年ないことだわ」
「ほんとに寒いわね」とマーガレットが調子を合わせた。「こんな日に、ここで何をやりだそうと言うんでしょう?」
そこへ二人の男性が、≪試験小屋≫から出て寄ってきた。試験小屋というのは、オスノームで建設された宇宙船スカイラーク2を格納している巨大な建物のことである。シートンはクレーンの宇宙服を着ているので、不格好な、ひきずるような歩き方である。クレーンの宇宙服は、毛皮、カンバス、金属、透明シリカなどの材料を使い、銅線の金網《かなあみ》が骨組みになっている。それに空気タンクと電熱器がつく。宇宙服を身に着ければ、いちおう外気の温度と圧力条件からは独立系となる。シートンは宇宙服の上から、重い皮革製の馬具のようなものをつけた。これをハーネスという。ハーネスは胴体、肩、両脚にしっかりと尾錠《びじょう》で締めつけている。馬具のところどころには、無数の握り、スイッチ、ダイヤル、ベークライト製の小箱、その他七つ道具が取りつけてある。それだけでは足りない。ハーネスにがっしりと、頑丈なアルミ製の枠が取りつけられ、この枠の上に、小さな動力バーの自在ベアリングが飛びだしている。それが、ちょうどグロテスクなヘルメットの上に、ちょっぴり首を突き出しているのである。
「そんなおかしなものを着て、いったい何をしようというの、ディッキー?」ドロシイがヘルメットのそばから大声で訊いた。夫の耳には彼女の声が入らないと悟って、クレーンの方へ振り向いて、「あなた、いまからあたしの大切な夫に何をさせようというの、マーチン? なにか大変なことをしでかしそうな服装《いでたち》だわね?」
ドロシイが喋っている間に、シートンはフェース・プレートの取外し装置のボタンを押した。
「たいしたことはないんだよ。ドッチー。君たち女に力場帯を見せてやろうというんだ。宇宙空間へ一年旅行するだけの食糧から武器一切を積まなければ、マーチンは絶対にぼくを発《た》たせないというんだ」
「ドット、力場帯って何?」マーガレットがそっと訊いた。
「ああ、ほらあのオスノーム惑星で、ひどい戦争のときにディックがふと頭のなかに閃《ひらめ》いた何かのアイデアなのよ。ディックったら、帰って以来、あのことばかり考えて、他に手がつかないの。あなたは牽引ビームと斥力ビームの作用は知ってるでしょ? そうなの、ディックがあの時、マルドナーレ人がある種の波長で彼らを爆撃していたとき、一切の器物がどうもおかしい行動や反応をしめすの、そこに何か変なものがあると気づいたのよ。それで、そのおかしい行動や反応の原因となっている振動数を、ついに彼はぴたりと見つけだしたの。それで、もしこの振動数の波動が充分に強ければ、牽引ビームと斥力ビームを一緒にしたような仕事ができることを、うちの夫《ハズ》は発見したの。事実、それはほんとに強いから、それがデンと坐っていたら、前からだって後からだって、どんなものも突破できないすごい障壁になるのよ。ついでに、もしそれが突き当れば、どんなものだって、まるでカミソリでバターを截《き》るみたいな切れ味で、真っ二つにされるのよ。ところが、おかしいったらないじゃない、ペッグ。そこには何もないの、ぜんぜん何もないの。でもディックが説明していたわ――何でも、そこで互いの力がぶつかり合う、とか何とかすると、あたかもほんとに何かすごいものがそこに存在するかのごとく、振る舞わせるんですって。わかった?」
「うーん、ちょっとね……」マーガレットが狐《きつね》につままれたような顔で、とにかくうなずいた。そのときクレーンが最後の調整を終えて、二人のほうへやってきた。シートンから安全距離を置いて立ちどまり、手を振った。
とたんにシートンの姿が消えた。そして、たった今シートンが立っていた場所を中心として、直径二十フィートばかりの、チラチラと微光をはなつ球があらわれた。表面が鏡のようにつややかに光っている完全な球形であったが、それは現われるのと同時に、弾丸のような勢いで、上方そして南方を指して飛んでいき、あっと息を呑むひまもなく、消えていったのである。それに代わって、シートンの姿が現われた。シートンは半球型の大きな土壌《どじょう》のかたまりの上に乗っている。シートンは地上で見ている人たちのほうに矢のようにダッシュしてきた。土の塊《かたまり》はシートンの足もとから離れ、四分の一マイルも先の地上へ、ぐわしゃーんと大きな音を立てて落下した。土の塊から飛び離れたシートンの身体は、呆気にとられている一同のほうへ、地上数フィートの低空を、矢のように飛んで来た。見ている三人の頭上はるかなところに、さっきの鏡面球が忽然《こつぜん》と現われ、シートンの身体を包んだ。そしてまたも、上方、南方を指して弾丸のように飛んだ。これと同じことが五度繰り返されると、シートンは上空から舞い降り、一同の前にそっと安着してヘルメットを開けた。
「ぼくたちが考えていたのと同じだ、もっと悪い」シートンがきびきびとした調子で言った。「あれを使っては何もできやしない。重力は遮断されてしまって働かんし、動力バーの力も貫通しない。みんなストップされてしまう。暗いだと? 闇《やみ》だよ、君たち! 君たちはほんとうの闇というもの、見たことがないだろう。ほんとうの無音状態というのも聞いたことがないだろう。やあ、ぼくはすっかり怯気《おじけ》づいた!」
「可哀そうな坊や――闇を恐がるなんて!」ドロシイが叫んだ。「あたしたち、宇宙空間で絶対の暗黒に出会ったじゃないの」
「しかし、いまみたいな暗黒じゃなかったよ。ぼくはうまれてはじめていま、絶対の暗黒と絶対の沈黙というものを経験したのだ。ぼくの想像をはるかに超えた、すごいものだ。ぼくといっしょに来てごらん、見せてあげるから」
「だめよ、そんなこと!」シートンの妻は悲鳴をあげてクレーンのほうに逃げ腰になった。「またいつかの機会《おり》にお願いするわ、たぶん」
シートンはハーネスを脱ぎ、離陸した地点へちらと一瞥《いちべつ》をくれた。そこにはいま、半球型の大きな穴ができていた。
「どんな痕跡《きずあと》を残したか、調べてみようよ、マート」
二人は穴の縁《ふち》に立って下を覗きこんだ。驚いたことに、えぐられた表面は完全な滑面で、ガラスのように光っている。ザラザラした粗面や不整面はまったくない。ごく小さな砂粒ですら、一個一個が横にきれいに削《そ》がれている。その面の角度は半球凹形表面の数学的数値とぴったり一致している。崩壊する銅バーの想像も思考も及ばない凄絶《せいぜつ》な力で切り離されたのである。
「うむ、これで確実に理論が……」
そのとき警報ベルが鳴った。
シートンは振り向きもせず、ドロシイを抱きあげ、試験小屋のなかへ退避した。床へ妻を投げだすように降ろすと、巨大な立体投映器《プロジェクター》に附随している望遠照準鏡をのぞいた。警報ベルを作動したのは、解放された原子力の放射線である。そして照準鏡はすでに自動的に、どこかわからないが遠方の原子力解放が起こったその地点へぴたりと指向していたのである。
シートンは一方の手でスイッチを握り、厳しい顔に冷酷な決意をひそませながら、彼の発生機の出すすさまじい威力ビームを怪しい目標物に浴びせかける前に、果たして近づいてくる宇宙船がそれかどうかを確かめるため、じっと照準鏡を覗きながら待った。
「デュケーンの奴――懲《こ》りもせずにまたやるだろうとは思っていた……」シートンは、まだ二百マイル先の宇宙船をしっかりと見きわめようと眼をこらしながら、歯ぎしりするように言った。「やつは君をさらいにきたんだよ、ドット。今度という今度は、前みたいにブン殴って脅かして逃がしてはやらん。やつにうんと痛い力を加えてやる……。マート、こんな小さな望遠鏡じゃ、やつを確かめることができんよ。大きな望遠鏡をやつに指向して、合図をしてくれんか?」
「ぼくには見えるよ、ディック。しかしあれはデュケーンの船じゃないね。コンダール号みたいに、透明アレナック金属でできた船だ。まさかとは思うが、コンダール号に違いない」
「そうかもしれん。そしてデュケーンが作ったものかもしれんぞ――それとも盗んできたか。しかし、いま気がついたんだが、あのデュケーンが、失敗した同じ方法で、またもぼくたちを襲うほど馬鹿だとは思えない――といって油断はできないが。……オーケー、やっぱりコンダール号だ。こんどはぼくの眼にも、ダナークとシタールの姿が見える」
透明宇宙船はほどなくクレーン私設飛行場に近づいた。
四人の地球人はオスノームの友達を迎えに飛行場へ歩きだしていった。アレナック金属の外殻をとおして、制御盤に坐っているコンダールの皇太子ダナークの姿が見えた。ダナークの美しい妃シタールが壁のそばの座席のひとつに横臥《おうが》しているのが見える。と、シタールが挨拶しようと立ち上りかけたが、強大な荷重に圧しつけられているかのように、ひどく苦しそうな動作である。
地球人が見ていると、ダナークはヘルメットをかぶり、妻にもヘルメットをかぶせ、ボタンを押した。ドアの一つが開いた。ダナークが妻を抱くようにして、戸口へ進んできた。
「あの人たち、出てきちゃいけないわ、ディック!」ドロシイが狼狽《ろうばい》の悲鳴をあげた。「衣類をつけないで外へ出てきたら、五分間で凍《こご》え死んでしまうわ!」
「そうだ。シタールなどは、地球重力に抵抗して足を立てることもできんだろう――ダナークだって、長くは無理だろう」言うが早いかシートンは宇宙船のほうへ、出てきちゃいけない、と手を振りながら駆けて行った。
しかしダナークはシートンの手合図を誤解し、出てきた。戸口を、重力に抗しながら苦しそうに歩いて出て来たと思うと、すぐその場にへたりこんだ。シタールは凍《い》てついた地上へ崩折《くずお》れた。ダナークは妻を助け起こそうと、膝をはんぶん妻の上にかがんで折りかけた。緑色の皮膚がひどい寒気に触れて黄色っぽい脱色したような生気のなさに変わった。シートンは飛んでいって、シタールを抱きあげた。まるで幼児を抱くように軽々と。
「ダナークを戻してやってくれ、マート」シートンが鋭く言った。「走ってこい、女たち! この人たちを、住めるところへつれ戻してやらなければならん」
シートンがコンダール号のドアを閉めた。みんながそれぞれの座席に身を横たえた。クレーンが制御盤に向かい、動力をひと刻みだけ入れた。巨船はすさまじい勢いで天空をめざして舞い上った。数百マイルの高度をとると、クレーンは宇宙船に停止をかけ、繋船《けいせん》牽引ビームを地面へ照射し、船をしっかりと空間に定着させた。
「これでよかろう」クレーンが静かにつぶやいた。「このあたりだったろ、重力はほぼオスノーム惑星のそれと同じだろう」
「そうだ」シートンが、四方八方へ衣服をかなぐり棄てながら和した。「それからみんなに注意する。物理法則のゆるす限り早く、いやもっと早く、衣服を脱いだほうがいいぞ。オスノーム式の快適な暖かさは閉口だが、肉体露出まで全部|剥《は》げば、どうやら耐えられそうだ。彼らはぼくたちの低温にはとても耐えられんけど」
シタールが元気を回復して、嬉しそうに飛びあがった。三人の女性は抱きあって再会の感激に浸った。
「なんという恐ろしい、こわい世界なんでしょう!」地球での生まれて初めての経験を思いだしながら、シタールが眼を丸くして言った。「みなさんは大好きですけど、とても二度とみなさんを訪問する気になれませんわ。これまであたしは、どうしてみなさん地球人が、いわゆる≪衣服≫というものを着るのか、まるで合点がいかなかったのですわ。それから、どうしてみなさんが、あんなにすごい力持ちなのかも理解できなかったのですわ。それが今初めてわかりました。あたし、さっきのこの世界の恐ろしい寒気に緊めつけられた記憶、おそらく死ぬまで抜けませんわ!」
「それほどひどくはないよ、シタール」ダナークと堅い握手を交わしていたシートンが、肩ごしに言った。「すべては、どこで育ったかによるんだ。ぼくたちはこのほうがいい。オスノームではぼくたち病気になっちまう。だけど君、あわれな坊や――」とダナークに向かい、「その頭蓋骨の内側にぼくの頭脳をぜんぶ入れて持って歩いているんだから、どんな土地に着陸するのかぐらい、気づきそうなものじゃないか」
「そのとおりなんです、ある意味では」とダナークが素直にうなずいた。「でも、あなたの頭脳は、ワシントンは≪暑い≫って私に言いました。私はあなたのおっしゃった華氏温度を、私たちの≪ロロ単位温度≫に計算してみることは考えたんですが……ところが、たった四十七度でしたよ。そして、ずいぶん寒いことは寒いけど、何とか耐えられるつもりだったんです――あっ、ちょっと待って。わかりかけてきました。こちらには、あなたのおっしゃる≪季節≫というものがあるんでしたね。じゃ、いまは、あなたのおっしゃる≪冬≫なんだ。正しいですね?」
「はじめて、正しい。ぼくの頭蓋骨のなかの君の頭脳もそれと同じ思考をたどった。ぼくも、何でも起こった後では理屈はつくんだが、事前にはとても。その点、ぼくに君を責める資格はない。しかしぼくの知りたいのは、君たちどうやってここへ来たかということだ。とてもぼくの頭脳能力以上の難題だ。オスノーム近くから、ぼくたちの太陽が見えるわけはないのに、たとえどっちの方角を捜すか正確に知っていたにしろ……」
「やさしかったですよ。憶《おぼ》えていますか、≪スカイラーク2≫を作るとき、あなたは毀《こわ》れた計器類を≪スカイラーク≫から船外へ放っぽりだしたでしょう?」ダナークの頭脳には、シートンの頭脳の立体配置が細部まで刻みつけられている。だからふつうの場合の、英語をしゃべるときは、ダナークも、シートン独特のざっくばらんな喋り方だ。しかし深い瞑想《めいそう》とか、難しい問題の議論とかになると、シートンと同じように、慎重に用語を選び、確実に使い方を知っている言い回しだけしかできない。「それで、どの計器も修理不可能なものはなかったのです。しかもそのほとんどは、動力源がまだついていました。その一つに、地球を指向する対物コンパスがあったんです。私たちはただ、ベアリングを修理し、小さな改良を施《ほどこ》しただけで立派に使えたんです。それで、ここへ来ました」
それからこんどは、いきなりコンダール語に変えて、「みんなゆっくり坐りましょうよ。私は、なぜここへやって来たかを説明します。私たちは二つのものがぜひ必要だったのです。それも、あなただけしか供給することができない。それは≪塩≫と、不思議な金属≪X≫です。塩はあなたがたくさん持っていらっしゃる。しかし金属はごく少ないことを私は知っていました。あなたは、たった一つのコンパスしか、あの惑星に当てていらっしゃらないんですか?」
「そう、一つだけだよ。しかし、≪X≫は三トン近く貯蔵できた。よかったら、みんなやってもいい」
「ぜんぶいただこうとは思いませんが、たとえぜんぶでも、必要の半分にも満たないのです。私たちは、あなたの計量単位ですくなくとも一トンは欲しいのです。二トンなら、なおよいのですが」
「二トン! こりゃ驚いた。戦闘艦全部にメッキをほどこすつもりなのかい?」
「それどころか。一万平方マイルばかりの銅地域を≪X≫でメッキしたいのです。事実、私たち種族の生命そのものが、それの成否にかかっているのですから……」
「実はこうなんですよ……」四人の地球人の訝《いぶか》る視線をはねかえしながら、ダナークは事情を説明した。
「あなたたちがオスノームを去られてからすぐ、私たちは、私たちの第十四番目太陽の第三惑星の住人に侵入されました。幸いだったのは、彼らがマルドナーレに着陸したことです。侵入されてから二日の間に、オスノーム惑星の半分では、一人の生き残りもありませんでした。たった一度の会戦で、私たちの大艦隊は全滅してしまいました。このコンダール号と二、三の宇宙艦のおかげで、かろうじて彼らが宇宙の大洋を渡ってわが国に攻め入るのを防ぎとめることができたのです。しかし、全宇宙艦をあげて戦っても、彼らを打ち破ることはできませんでした。制式のコンダール兵器では、まったく彼らには歯が立たんのです。私たちは、オスノーム惑星全体に大地震をおこすほどの凄い、大型銅火薬爆弾を発射しましたが、敵の防衛陣を半身不随にすることはできませんでした。いっぽう、彼らの攻撃兵器はほとんど防ぐ手段がありません。彼らは、アレナック装甲板を、紙を焼くみたいに焼き切ってしまうすごい発生機をもっていたのです。それから、一連の殺人的な周波数の光線を投射してきました。これを防いだのは、こっちの銅駆動スクリーンでしたが、それすら長くは耐《も》ちませんでした」
「じゃ、どうして今日まで凌《しの》いでこれたのだ?」シートンが訊ねた。
「彼らにはスカイラーク号のようなものがなかったからです。それから、原子力の知識がありません。ですから、彼らの宇宙船はロケット型でした。それですから、会合《コンジャンクション》――あなたたちのほうではそう言うんでしょう?――の時機以外には――いや、会合というのは違いますね。二つの惑星が同じ太陽を公転しているというのではないんですから。会合の時機というよりは、いちばん接近したとき、と言い直しましょう。そのとき以外にはロケット型宇宙船ですから、惑星から惑星へ移ることができなかったんです。
ご存知のとおり、私たちの太陽系は複雑で、宇宙旅行をするとき、一時間以内までの正確さでタイミングをとらないかぎり、オスノーム着陸は不可能なんです。大きな中央太陽へ引かれて破壊されてしまうか、わきへ逸《そ》れて宇宙の迷児《まいご》になってしまうんです。みなさんはお気づきでなかったかもしれませんが、すこし考えればわかるでしょう――オスノームに限らず中央太陽の随伴惑星の住人は必然的にまったく天文学の知識がないんです。外部宇宙空間の神秘について、まったく無知なんです。従来私たちの知っているものと言えば、決して消えない太陽光線のなかでも肉眼で見えるような、強い反射光の、いちばん近い惑星だけ、それも数はほんのわずかでした。それで、わたしは、あなたたちがいらっしゃってからすぐ、わが国の優秀物理学者、数学者のグループに、あなたから授かった天文学の知識を教えてやりました。彼らはそれ以来、宇宙船に乗って天体の観測をつづけているんです。宇宙船は近いところで観測しています。天体観測値をオスノーム惑星までの距離の容易に換算できる程度に近くですね。ですけど、あなたのご注意にありましたように、天体が完全に≪見える≫くらいには遠くまで打上げているんです」
「ちょっと待ってくれ」シートンが困って口をはさんだ。「ぼくは天文学のことは何も知らんのだ。ブタが日曜日の礼拝を知っていると同じレベルだ」
「もちろん、あなたの知識は詳しいところは不完全です」ダナークがうなずいた。「しかし、地球の偉い天文学者のような詳しい知識では、かえってちっとも役に立たんのです。何しろ、地球からずいぶん離れているオスノームですから。しかし、あなたは、科学の基礎知識は実に明晰で、しっかりしていらっしゃる。私たちには、それがいちばん有難いのです」
「なるほど、そう言えばその通りかもしれん。ぼくは運動の一般理論は知っているし、天体運行の機構については実際経験があるしね。だけど、高等理論となると、おそろしく弱いんだよ。君がそこまで進めば、ハハーン、この人は弱いんだなと思うだろう」
「多分ですね。しかしとにかくそんなわけで、われわれの敵も天文学の知識はゼロですから、彼らのロケット船はその会合というたった一度の特定の時機を外したら発射できないんです。彼らの知らんような惑星や衛星がたくさん動いているものですから、ロケット船は針路をはずされてしまうんです。
彼らは、その戦争用具を動かす大切な物質的資材を、彼らの惑星から採掘しているらしいのです。というのは、彼らは攻撃をやめ、地中にもぐり、半永久的に頑張っているからです。彼らとしては、私たちが、宇宙船や原子力を使ってあんなに抵抗するとは予想もしなかったらしいんです。とにかく彼らは、あの金属資材を節約しました。つぎの会合《コンジャンクション》――他にいい述語が見つからないものですから――まで持ちこたえられるぐらいの資材を残しておいているのです。わが軍は武器を総動員して攻撃をつづけていますが、つぎの会合《コンジャンクション》が起こることが許されれば、コンダール全国民は絶滅です」
「どういう意味だ、≪つぎの会合が起こることが許される≫って? 誰も会合《コンジャンクション》をとめられるものはいない」
「私が止めます」ダナークが静かに言った。顔のあらゆる線に、つきつめた決意がにじみでている。「もう会合《コンジャンクション》は絶対起こさせません。そのために、塩と≪X≫が大量に必要なんです。私たちは、われわれの第七惑星の第一衛星の上と、第六惑星の上とにアレナック金属で橋台を建設中です。その橋台を活性銅の鈑金で被覆《ひふく》したいのです。そして、精密時計を置いて、精確な時間にスイッチを入れます。その精確な時間、勢力を当てる精確な場所、力の大きさなどはすでに計算ずみです。スイッチを押して、第六惑星をすこし軌道から外し、第七惑星の第一衛星が、第六惑星の引力を受けないようにするんです。すると惑星と衛星――二つの天体の運動が外れて衝突して別の一つの天体になり、これがわれわれの敵の惑星と正面衝突します。オスノームとのつぎの会合《コンジャンクション》が起きるずっと以前に正面衝突します。新天体と敵天体はほとんど等質量となるはずですから、前と後からほぼ同一速度で向かいあって衝突します。衝突の結果生まれた融合物質あるいはガス状物質は、ほぼ速度がゼロとなり、第十四太陽へ直接に振りそそぐでしょう」
「そんなややこしいことするより、敵惑星を銅火薬爆弾でつぶすほうが容易じゃないかな?」
「そうです、たしかに容易です。しかし、その方法ですと、われわれの太陽系の他の惑星にとって、ずっと危険が大きくなるんです。計画している二度の天体衝突の影響がどの程度か、正確には計算ができないんですが、敵惑星の全生物を殺す程度の爆発力を用いたら、太陽系全体の運動を乱し、危険に陥《おとしい》れます。そうなるのは、ほぼ確かです。これに対して、私たちの考えている方法をつかえば、敵惑星と一個の衛星を静かに屠《ほふ》るだけですから、同じ太陽に属す他の惑星は、やがて自然にそれぞれの運行を調整して、新しい条件に適応していき、太陽系全体としては、ほとんど影響をこうむりません――すくなくとも、私たちはそう信じているんです」
シートンは眼を細めた。このすごいプロジェクトに要する銅と≪X≫の所要量、技術的な特徴や問題点などをしきりに思いめぐらしているのである。クレーンの思考は、何よりも、これだけの規模と性質の人工衝突を起こすのに必要な、数学と計算のことであった。ドロシイの反応が純粋な恐怖であったことは言うまでもなかろう。
「できないわ、ディック! 彼にそんなことをさせちゃいけないわ! ひどすぎるんですもの! 凄惨《せいさん》すぎるんですもの! そんなこと、考えられもしないわ! と、と、とても、ただもう恐ろしいというよりほかないわ! おお怖い!」彼女の紫の眼が青い焔《ほのお》をあげて燃え立ちそうである。
「すごいおはなしじゃない? マーチン?」とマーガレットがドロシイに負けない悲鳴をあげた。「惑星全体を破壊するなんて! 一つの世界をまるまる潰《つぶ》してしまうなんて! 住んでいる人たちもいっしょに焼き殺してしまうなんて! ああ、考えただけでも総毛立つわ!」
ダナークがいきり立って、飛び上ったが、あやうくシートンに制せられた。
「言うな、ダナーク! 落ち着け! あとで後悔するようなことを口に出してはいけない――ぼくが女たちに言ってやる。君は口をつぐめ、ダナーク!」ダナークがなおもひと言叫びかけたので、シートンは大喝《だいかつ》して、「ぼくから言ってやると言ったろう? ぼくが言ってやれば、女たちはおとなしくなるんだ!……さあ君たち二人――よく聴いてくれ。君たちは、早のみ込みですぐかっとなる。君たち二人はどちらも、怖気づいている。ダナークがどれほどの苦境に立っていると君たちは思っているんだ? シャーマン将軍が回想記で戦争を記述したときは、≪アホダラ経≫を唄ったも同然なんだ。ダナークの直面している戦争は、われわれ地球ではまったく知られない、ケタはずれの凄惨《せいさん》な殺し合いなのだ。一民族を殺すとか殺さんとかいうことじゃない。どっちの民族を殺すかという問題なんだ。どっちかが滅びるんだ。忘れたのか、君たち――あの惑星の人たちが総力戦を戦ったのを? どちら側にも、われわれの持っているような慈悲とか憐れみとかいう感情や観念は、これっぽちもないのだ。もしダナークの計画が成功すれば、敵国民は掃滅《そうめつ》される。それはもちろん恐ろしいことだ。しかし他方からみれば、もしぼくたちが塩と≪X≫を補給しなければ、コンダール全国民は同じように徹底的に能率的に殲滅《せんめつ》される。いやもっと恐ろしいだろう。一人の男も一人の女も、子どもさえも生き残ることは許されまい。君たちは、どちらの国民を救いたいか、それが問題だ。ドット、君のヴァイオリンでそれを二回ゆっくりと弾いてみるのだ、結論を急いではいけないよ」
ドロシイは度肝《どぎも》を抜かれ、二度口を開けたり閉じたりしてからようやくものが言えた。
「でもディック、彼らはとてもそんなこと、できないでしょう? ≪一人残らず≫殺すですって、ディック? 絶対そんなことはしないわ――できっこないわ」
「するさ――できるさ。銀河系のあの空域では、皆殺しは立派な作戦とされているんだ。ダナークがたったいま、マルドナーレ全国民一人残らず、二十四時間で殺されたと、ぼくたちに教えたばかりじゃないか。コンダールにだって同じことをするに決っている。思い違いしちゃいかんよ、ディンプルズ――単純な阿呆になるな。あそこでは、戦争は社交《ピンク・ティー》の集まりとは違うんだ。ぼくの頭脳の半分は、オスノーム戦争三十年の歴史で詰まっている。ぼくは自分の言っていることは正確に知っているつもりだ。投票をしようや。ぼくはオスノームに加担する。マートは?」
「オスノームだ」
「ドロシイは? ペッギーは?」
どちらもしばらく黙っていた。やがて、ドロシイはマーガレットに向かい、
「あなた彼におっしゃいよ、ペッギー――あたしたちは同じ意見のはずだわ」
「ディック、あなたは、わたしたちがコンダール人が滅ぼされて欲しくないことはよく知っていらっしゃるわね――でもその種族というのは――何というのか、そう、すごい≪悪鬼≫みたいなものでしょう? 他に何かいい方法ないのかしら?」
「ないだろうね。しかし、もしあれば、ぼくは何をおいても、その方法をみつけ出す努力をするよ」とはっきり約束した。そして、「賛成になったようだな、ダナーク。これからあの≪X≫惑星へ飛んで、君の船にいっぱい積んでやろう」
ダナークはシートンの手をしっかりと握った。
「ありがとう、ディック」言葉につまった。「ですがシートン、さらにこの先、私を援助して下さる前に、そして私がたとえわずかでも偽旗を掲《かか》げて帆走する譏《そし》りを免れるために、私は一つだけあなたに申し上げなければなりません。たとえあなたが七つの円盤《ディスク》の帯綬者であろうとも、たとえあなたがオスノームの大公閣下であろうとも、たとえあなたが私の頭脳|同朋《きょうだい》であろうともです――万一あなたが私に不賛成を決定されたら、私にはただ死あるのみだったでありましょう。あの塩と≪X≫惑星を指向しているコンパスから私を遮《さえぎ》りえる力をもつものは、ただ死のみであったでしょう」
「そうだろうとも!」シートンが驚嘆して、感激して叫んだ。「当たり前だとも! それでフェアだ! 誰だって君と同じ行動をする。もうそのことクヨクヨ思うな!」
「あなたのプラチナの貯蔵量はいかがですか?」
「ずいぶん涸渇《こかつ》だ。すこし貰いにそっちへ飛ぼうとほぼ決めていたところだ。それから、君のところの、電気の教科書をすこし貰いたいんだが。君はプラチナも積んで来たね?」
「はい、数百トンあります。それから、あなたが興味をお持ちのような、いろいろの教科書も持参しました。それから、ラジウム一箱、各種宝石を数袋、そして、あなたの大公妃殿下がドレスにつくりたいとおっしゃったとシタールが言いますので、わが国の織物を少々。私たちは、ここに滞在中に、化学その他の本をすこし手に入れたいのですが」
「君が欲しいなら、国会図書館の本を全部あげる。その他何でも好きなもの、言いたまえ。よし、みんなで方々へ出かけよう。そしていろんなことをしよう! 先ず何だ、マート?」
「地球へ着陸して、荷役《ステベ》を使ってプラチナの荷卸《におろ》しをさせる。塩と本とその他を積む。それから、両船は≪X≫惑星へ行くから、どちらも≪X≫惑星に指向するコンパスが欲しいな。将来使う必要がでてくる。積み込みをやっている間に、計器類の改良にも着手したいね。うちの計量機類をダナークのところ並みにしたいね、ダナークの許可を得て。ここの計器類は驚異だよ、ディック――ぼくたちの見たあらゆる既成のものより数歩進んでいる。ほんとうに美しいものが見たかったら、来て、あれを見てみたまえ」
「いま行く。しかしマート、そのことも考えるが、この船にも力場帯装置を取り付けることを忘れちゃいけないよ。いまのところはまだ使いこなせもしないが、たしかにあれは防衛兵器としてすばらしいものになる見込みがある。力場帯に隠れて相手を傷めつけることができない代わりに、やられそうになったら、あれを繭《まゆ》にしてもぐっていれば絶対大丈夫だからな。敵も指一本触れることができん。ぼくたちの知っているどんな武器も、あれを透過するほど穿孔《せんこう》力のつよいものはないんだ」
「あたしがあなたと知りあって以来、力場帯というのは二つめのビッグ・アイデアだわね、ディッキー」ドロシイはそれからクレーンに微笑して、「彼、勝手にやらせていいと思う、クレーン?」
「あれは真物のアイデアだよ。われわれは将来ほんとにあれが必要になるかもしれないよ。われわれがどんなに努力しても力場帯の他の使い道が発見できないかもしれない。しかしいま据え付ける値打ちは充分あるんだよ」
「そうだよ、君のために値打ちがあるんだ、ドッチー。やつら、ぼくらに全面攻撃をかけているんだから、ぼくは何としても正真正銘の安全第一主義にならなけりゃならん、そうだろ、ドッチー?……他の計器類はどんな具合だ?」
三人の男性は、計器盤を囲んだ。ダナークは改良を施した個所を説明した。調べるのがシートンとクレーンのようなすぐれた科学者だから、説明以上に呑み込みが早い。コンダール号の計器盤は、およそ計器による制御装置としては完璧なものであることが明らかになった。なるほど、驚異の計器メーカーであるオスノーム人にして初めて可能な完全システムではある。新しい対物コンパスは、セットしてからアレナック金属のケースのなかに納められ、ケース内からは空気が抜かれ、絶対に近い真空にまで達している。発振《オシレーション》は、シートンが使用していた不器用なフィンガー・タッチ方式ではなく、一つの慎重に標準化された電気的インパルスで起こされるのである。ベアリングは、アレナック金属とオスノーム貴石が使用されており、トラックのアクスルほども強靭《きょうじん》でありながら、ほとんど完全に摩擦がない。
「私もこれは気に入っているのです」とダナークもいささか鼻をうごめかした。「負荷なしにですね、一次インパルスだけで針は千時間以上自由に回転します。前の型式ですと数分間もやっとだったのに。負荷があれば、その数千倍も感度がよくなります」
「うむ、君は眩《まばゆ》い閃光、耳をつんざく轟音だよ、エース!」シートンが声を大きくして賞めちぎった。「あのコンパスは、スカイラーク号がライト兄弟の最初の飛行機より進歩しているように、僕のモデルよりずっと進んでいる」
他の計器類もコンパスに劣らず優秀であった。ダナークはパーキンス電話システムを採用したが、ほとんど原型をとどめないまでに改良を施していた。有効範囲はほとんど無限大にまで拡大されていた。外郭《シェル》のすきまに、ベアリング上に装架された重装速射砲でさえ、照準も発射も計器盤上で遠隔操作できるように作り変えられていた。ダナークはまた完全自動|操舵《そうだ》コントロール・システムを発明していた。加速度、速度、距離、飛行角度などにはすべてメーターとレコーダーが付いていた。また潜水艦の潜望鏡ふうの監視システムを装置し、居ながらにして宇宙船の船殻外の模様が手にとるように見え、諸天のいかなる一点も、邪魔されずに監視できるようになっている。
「これがまた大いに目新しい発明だね、皇太子」シートンは計器盤の前に腰かけ、眼の前の大きな凹面形円盤を回し、レバーやダイヤルを実験してみながら感嘆の声をあげた。「これを潜望鏡などというケチな名前で呼んではいけないね? これはもう潜望鏡じゃない、ぼくがヒドラ類じゃないと同じだ。このプレートを覗くと、窓を開けて外を見る以上によく見える――視覚以上に左右がよく見える。これを見ていると、戸外へ出たとまったく同じ感じだ。ぼくは、一瞬だが、下界へ転落するんじゃないかと錯覚した。この機械は何と呼んでいるの、ダナーク?」
「クラロトと言います。英語に翻訳すれば……≪見る盤《プレート》≫というんですか? いや正確に字訳して、≪実視板《ヴィジィ・プレート》≫と言いましょうか」
「うむ、それはいい言葉だ、採用しよう。マート、完全無欠のレンズとプリズムの組み合せを見たいと思ったら、これを覗いてごらん」
クレーンは実視板《ヴィジィ・プレート》を覗いて、あまりの驚きに溜息をついた。宇宙船は消えている――眼下の地球を見降ろして立っている感じである!
「これは驚いた。色収差、球面収差、非点収差《アスティグマティズム》がぜんぜんない」とクレーンが言った。「屈折システムがぜんぜんない――眼とレンズの間に何も介在していないみたいだ。君は、オスノームを出てから、これをみんな作ったのですか、ダナーク? 君はひとりで優等学位を取った。ぼくなど、これと同じものを作れと言われても、一ヵ月かかってもできやしない。まして、これだけのものを発明など、とてもとても」
「私だって、決してひとりで作ったんじゃありませんよ。計器製作者協力会というのがありまして、私も会員なのですが、そこで百以上のシステムを試作して、テストしたのです。これは試作されたシステム全部のすぐれた特徴をぜんぶ採用しているのです。クレーン、これを複製する必要はありませんよ。私は、スカイラーク号のために、これとまったく同じものを二台持ってきています。それからコンパスも一ダースかそこら持ってきました。私は、この機械に採用されているような特徴は、あなたたちには考えつかないだろうと思って、これを持ってきたのです。あなたたち地球人は、私たちほど、複雑な計器製作には慣れていらっしゃらないから」
クレーンとシートンがこもごもに言った。
「うむ、よくそこまで考えてくれた、ダナーク。感謝するよ」
「これで君の戦功十字章には、さらに四本の掌状《しょうじょう》部をつけなければならんな、エース。いやほんとに有難う」
「ねえ、ディック」壁際の座席《シート》からドロシイが呼びかけた。
「地上へ降りるのだとすると、シタールはどうなるの?」
「静かに横臥して何もしないでいればいいと思います。宇宙船の暖かい部屋に閉じこもっていれば、地球滞在は短いんですから、大丈夫、しのげるはずです」ダナークが妻のために言った。「私もできるだけ妻を介抱しますから。でもどの程度の辛さかはまるで見当もつかんのですが……」
「じっと横臥しているだけでしょう、そんなにつらいことありませんわ」シタールが言った。「みなさんの地球って、あたしちっとも好かないけれど、ほんのすこしの間ですもの、我慢できますわ。どうせ、我慢しなければならないんです――心配なさることはないわ」
「よく言った、シタール!」シートンが励ました。「それからダナーク、君だが、シタールにならって時間を過ごしなさい――横臥して。地球へ着いてから、あまり動き回ったりすると、頭脳も肝臓もよじれてしまって収拾のつかん形になるおそれがある――だから、じっとおとなしくしている、水平になってね。ぼくたちは、機械工場にたくさん人間がいるから、こんな積荷など三時間で終らしてしまう。まして荷|卸《おろ》しなどは≪お茶の子さいさい≫だ。工員たちがこの荷を卸し、君の宇宙船に荷を積んでいる間、ぼくたちは力場帯装置を取り付け、君の船に対物コンパスを指向させ、同時に君のコンパスの一つをぼくたちの方へ指向させる。そしたら君は、この船をまた、このあたりまで戻してくる。ぼくたちはスカイラーク号の出発準備を完了したら、すぐ飛んで、ここへくる。すぐそれで二船で出発だ。どう、みんなスカッとわかったかい? マート、ロープを切って、宇宙船《バケツ》を降ろしてくれ!」
[#改ページ]
三 スカイラーク出発す
「ねえ、マート、ぼくはいま初めてしゃきんと眼が醒《さ》めた! ダナークが上空へ帰った今になってやっと、ぼく自身がダナークに劣らん計器メーカーだということに気がついた。いや、ほんとにダナークと同じことだ! ぼくは霊感がひらめいたのだ。君知ってるだろう、ぼくたちのコンパスの針――デュケーンに向けておいた――あれがこのところ、ぜんぜん動いておらん。コンパスが全然効かなくなったとはとても信じられん。おそらくは、デュケーンのやつ、どこかへ素っ飛んだのだ。あんまり遠くへ行っちまったので、針が彼を読むことができなくなったんだ。ぼくはコンパスを新しいケースに入れなおし、宝石ベアリングをつけなおし、何としても奴を見つけだしてやる……」
「いい考えだ。やっぱり君はデュケーンのことが心配なんだね。と言って、ぼくも……」
「やっぱり心配だろう? あんちきしょう、考えただけでも頭がヘンになる! あいつがドッチーをさらっていきやしないかと、ぼくは恐くって、恐くって、キリキリ舞いして、身体がよじれて、自分で自分の腰に噛みついちまった! 奴は何かを企んでいる――それは絶対だ。シャクにさわるのは、奴の狙《ねら》っているのが、女たちだということだ。ぼくたちや、この仕事を狙っているんじゃない」
「狙っていると言えば、誰だか知らんが君を狙う照準はずいぶん正確だね。こないだ君のアレナック宇宙服でストップできた銃弾の数から判断しても。ぼくはすこしでも君のヤキモキを分担してやりたいと願っているんだ、彼らはただもう君ばかり狙って攻撃を繰り返してくる……」
「そうなんだ。工場の敷地から、ちょっとでも音を出したら、銃弾が飛んでくる。でもへんだなア? 発電所としては、君のほうがぼくなどより重要人物なのに」
「そのわけもわからんのかい? 彼らはぼくのことなんか怖がっていないのだ。ぼくもファイトはあるにはあるが、あれだけの短い期間に四度もドッチーたちの誘拐を試みて、ぜんぶ失敗したのは君のピストルさばきの鮮やかさとスピードなんだよ。君の行動にふみきる爆発的エネルギーとスピードとは、神秘的といえるほど凄いんだ。ぼくはあれだけ抜き撃ち練習をしていながら、昨日なども、ピストルを抜いてみたときはもう、すべてのケリがついた後でしかなかった。プレスコット部長刑事のボディガードの他に、ぼくたちは四人も警官をつけていた。ぼくたちを≪護衛≫するために派遣されていたんだ、敵のガンマンが多すぎるから。ところが君は、警官が駆けつける前に、みんな消してしまった!」
「練習というよりは、素質だよ、マート。ぼくはいつも素早いんだ。反応は自動的なんだ。君はまず考える――だから必然的に遅い。あのお巡り連中は、お笑い草《ぐさ》だったな。何が何だかわからんでウロウロしているうちに、射ち合いは終っちまって、あとは囚人|輸送車《ワゴン》を呼ぶ仕事しか残っていなかった。これまでの最低だったな。奴らの撃った弾丸のひとつが、ぼくの左眼へ向かって素っ飛んでくるんだ――ちょっと変だったよ、弾丸が飛沫みたいな感じでね。それから、奴らの機関銃が撃ちまくったときは、ぼくはまるでリベット締め工場で鋲《びょう》打ち中のボイラーに入ったみたいな感じだった。敵の射撃が続いている間は、そりゃもう、こっちもテンヤワンヤだったよ。しかし、ぼくはこの事件に注目している世間にひとつだけ言ってやりたいことがある――ぼくたちは何も心配して縮《ちぢ》こまってばかりはいないんだという一事だ。奴らが送りこんだギャングどものうち何人が生きて帰れたかと言ってやりたいんだ。暁の星ほども寥々《りょうりょう》たるものじゃないか! 奴らが盛んにぼくたちを狙って撃ちまくるのに、こっちはぜんぜん倒れない――奴らはどんな気がしただろうな?
しかし、ぼくはもうイライラも限度まできている。ぼくの癇癪玉《かんしゃくだま》が爆発せんかと心配になってきているんだ」シートンはなおも続けた。声は次第に凄愴《せいそう》の度を加え、真剣味を帯びている。「こういうメチャクチャな殴りあいと撃ちあい――ぼくはいやんなっちまったんだ。ぼくたち四人がしょっちゅう装甲宇宙服をつけていなきゃいけないなんて、好かんのだ。しょっちゅう護衛に取り巻かれていなきゃならんなんて、真っ平だ。ぼくはこういう殺し合いは嫌いだ。五秒間も目を離したらドロシイがさらわれていきゃしないかなんて、四六時中びくついていたら、いいかげん頭が狂ってくる。
それから、マート、君に本心を打ち明けるが、ぼくはやつらがすごい作戦を考え出しはしないかと、心配でしようがないんだ。もし奴らが本気で戦争するつもりで装甲と武器をふんだんに用意して挑《いど》んできたら、そりゃもう必ず女二人を掻《か》っぱらうか、男二人を殺すか、できる。デュケーンはそれをするだろうと思う。デュケーンを除いても、あのギャングども決して白痴じゃない。ぼくは、ぼくたち四人がスカイラーク号に乗るまでは、そしてずっと遠くへ去るまでは、ちっとも安心ができない。これから出発だと思えば、ぼくもほっと胸を撫《な》でおろす気持だ。ぼくは、デュケーンの奴を消さないうちは地球へ戻って来ない決心だ。どうしてもきゃつを消さなければならん。奴を消したら、ぼくはヤブ睨《にら》みの全世界へはっきりと宣言してやる。やつを消したということは、≪永久に≫消したことなんだと! 奴の頭のてっぺんから爪先まで、同じ町に彼の五体のうち二つの原子も残さんつもりだ。ぼくはそれを奴に、本気の約束として言ってやったのだ――≪多分≫の意味じゃないんだ」
「彼は百もそれを承知しているんだよ、ディック。彼は、いまとなっては、彼の生命《いのち》か、ぼくたちの生命《いのち》かだということを、はっきりと知っているのだよ。ほんとに彼は危険きわまりない人間になった。ワールド・スチール社を牛耳《ぎゅうじ》り、ぼくたちに宣戦布告したとき、彼は百パーセント眼を開けてしたことなんだ。彼の信念は固い――≪X≫を独占するか、しからざれば無か。そして彼は、≪X≫を得る道はただひとつ、この道だけだと信じている。しかしまた、君もぼくもよく知っている。万一こちらが降伏しても、彼は君もぼくも生かしてはおかんだろうということを」
「よし、本音を吐いたな、マート! だが、奴もおいおい、わかってくる――どえらいことを起こしたということが。それよりか、少してきぱき仕事をやろうか? あまりダナークを待たせておきたくないんだ」
「新しい計器を取りつけるぐらいのことしか残っていないよ、ディック。それもほとんど終りかけている。コンパスのケースの空気抜きは、出発してからでよかろう。君はすでに、地球戦争でもオスノーム戦争でも知られた攻撃武器と防禦《ぼうぎょ》兵器全部を取りつけてしまっている。コンダール上空の戦いで君が、ないないとこぼしていた動力発生機もスクリーン発生機もみんな取りつけたじゃないか。ぼくたちが、ちょっとでも使えそうだと考えついたものは残らず積み込んだはずだけどね」
「そうだ。あんまり家財道具いっぱい積みこんじゃって、寝る場所もないや。連れていくつもりでいるのはシローだけだろう、君?」
「違う。シローだって、ほんとは連れていく必要などぜんぜんないと思う。だが、シローはとても一緒に行きたがっている。連れていけば、結構役に立つかもしれない」
「そりゃ役に立つとも。ぼくたち四人の一人だって、真鍮《しんちゅう》を磨いたり、皿洗いなど愉しんでするものはおらん。それに、彼は花形コックだし、ナンバーワンの家政夫だ」
新しい計器類の据え付けは間もなく完了した。ドロシイとマーガレットが最後の出発準備に忙がしい間、二人の男は、≪シートン・クレーン技術工業会社≫の重役と部長たちを集めて会議を開いた。部長たちはかわるがわる簡単な事業報告を行なった。広大な新しい中央発電所の第一号基と第二号基はその後も絶えず好調に操業していた。第三号基はもうすぐ発電開始となる。第四号基は昼夜兼行で完成を急いでいる。第五号基の建設は進捗している。実験研究所は研究プログラムをつぎつぎと完遂《かんすい》している。各プログラムは遂行の上で遭遇するトラブルが予測されたよりずっと少なかった。財政的にも、新発電機構は金の鉱脈であった。ボイラーや燃料の費用が皆無だから、発電施設の投下資本も比較的少なく、かつ操業コストはきわめて低い。電力は従来|価格《レート》の六分の一で提供された。これほどの低廉価格をもってしても、新施設をどしどし建設することができた。第五号基が完成すれば、供給価格はさらに引き下げられよう。
「これを要するにですね、義父《ダッド》、万事快調で言うことなしです」一同が散会したあと、シートンがミスター・ヴェーンマンに言った。
「そのようだね、君の、できるだけ優秀な人材を最高給で傭いいれ、完璧な権限を与え、一つの責任を全うさせる――この計画はまさに百パーセント効いているね。わしも、これだけの大規模企業が、こんなに円滑に、こんなに見事な協力精神で運営されているのを見たことがない」
「ぼくたちの望んでいたとおりの動き方をしています。ぼくたちは重役級を選《え》りすぐりました。そしてあなたの指揮に委《ゆだ》ねました。きわめて厳密にですね。あなたは、重役を指導して、支配人たちに権限を委譲させました。支配人たちは、その権限を部下に委譲しました。従業員はすべて、自分のボスは支配人であり、支配人以外にはないことを知っています――ですから、安心して仕事に専心していけます」
「しかし、ディック――事業のほうは万事うまくいっているのだが、例のあのほうはどうだろう? いつ爆発するだろうか?」
「これまでのところは、ずっとぼくたちの勝ちでした。しかし、もうすぐ何かどえらいことが起こるんじゃないかと心配しているんです。ですから、ぼくは、しばらくドットを地球から離れさせておきたいのですよ。彼らの狙っているものが何か、おわかりでしょう?」
「わかりすぎるほど、わかっとる。ドッチーかクレーン夫人か、あるいは両方をだ。ドッチーの母親は、もうドッチーにサヨナラを言っている。彼女もわしも同意見じゃ――宇宙空間《あっち》にいっている危険は、ここに留《とど》まる危険よりずっと少ないと」
「あっちへ行っている危険ですって? スカイラーク号がごらんのとおり整備した今はドットはもう安全です。ベッドに寝ていらっしゃるあなたたちよりもずっとずっと安全です。あなたのお家は、たとえば地震でもあれば崩れるかもしれない」
「君のいうとおりだ、息子――わしは君を知っている。マーチン・クレーンを知っている。二人いっしょで、しかもスカイラーク号に乗っていたら、難攻不落じゃ」
「すっかり終って? ディック?」戸口へ現われたドロシイが言った。
「ああ終った。……ダッド、プレスコットその他みんなに伝えて下さい。ぼくたちは六ヵ月以内に帰ってくるかもしれません。また、何か調査を要するものに出会い、一年ぐらいも去っていなければならないかもしれません。ぼくたちが遠い遠い宇宙の果てへ――そう、たとえば三年も行っているとしても、帰ってくるまで決して心配なさらないように。ぼくたちは、三年以内には必ず帰ってきますから」
別離の言葉が交わされた。搭乗員は乗り込み、スカイラーク2は空間へ飛びでた。シートンは小型通信器セットを頭につけ、通話をはじめた。
「ダナークだね?……大宇宙へ出たら、X空域へ真っ直ぐに向かう……いや、そうじゃない。担当距離を飛ぶまでは、ずっと一方方向へ逸《そ》らしていたほうがいい……そう、ぼくは二十六ポイント・|〇《ゼロ》〇〇フィートに加速している……そうだ、ぼくのほうからときどき君に連絡する、君の針路をチェックするためにだ。無線電波が無効になるまで、君を呼びだすから……。その後は、最後の針路をずっと維持し、計算された所定の距離に達したら逆加速度にする。両船の速度が充分に低くなったころ、互いにコンパスで僚船を探査し合い、いっしょになって……そうだよ、そうだよ……うん、うん、その通り……よし、それで立派だ! じゃあね!」
両船が充分に接近した状態で進むようにするために、正にしろ負にしろ、正確に毎秒毎秒二十六フィートの加速度をたもつことに相談が決まった。この数値は、両種族の住む二つの惑星重力の調整数値である。現在の重力が地球表面の重力加速度よりかなり弱いにもかかわらず、地球人はほどなくこれに慣れることができた。また緑色人種の活動をいちじるしく損なうほどには、いまの重力加速度はオスノームのそれより大きくはなかった。
地球引力の影響をまったく脱したころ、シートンはあらゆるものが正しく機能していると確信することができた。急に長身をいっぱいにのばし、頭上高く腕をあげてゆっくりと振り、大きな大きな安堵《あんど》の溜息をついた。
「おいみんな――ぼくたちがこの苦境から抜けだして以来、いまはじめて、ぼくはほんとうに人心地がついた気だ。ぼくがいま、どんなにいい気持だか――ネコが一匹歩いてきて、ここへ登ってきて、この眼を引っ掻《か》いたとしても、ぼくは引っ掻き返してやらんだろうよ。えっよーッと! ぼくはシベリアの野性キャタマウント〔ネコ科の野獣〕になった、これはぼくの夜の叫びだ! ホエーエヤロー!」
ドロシイが陽気な、玉を転がすようないい声で笑った。
「あたしあんたにいつも言ってたでしょう、ペッギー、あの人の血管にはネコの血が混っているんだって? 雄ネコはみんなそうだけど、彼もときどき、前肢をぐっと伸ばして、吠えたてないと納まらないのよ。……でも、かまわないわよ、ディッキー、あたしあなたの吠えるの大好き――ここ数週間初めて聞く雄叫《おたけ》びだわね。あたしもいっしょに叫ぼうかしら!」
「ほんとに、心の重荷をおろして、わたしもグッタリしたわ。わたしだって、雌ネコぐらいの叫びはできてよ」とマーガレットが相槌《あいづち》を打った。クレーンはまったくくつろいだ長い姿勢になり、淡い紫煙をシガレットから舞いあがらせながら、二人の発言にうなずいてみせた。
「ディックの雄叫びは、ときどきものすごい表現力なんだよ」とクレーンが言った。「ぼくたちみんなも気持は同じなんだが、シートンみたいに鮮烈に鬱憤《うっぷん》を晴らすことができない。しかしもう就寝時間が過ぎてしまった。乗組員《クルー》の交替を決めなくてはならんが、前のとおりにしようか?」
「いや、その必要はないよ。すべてが自動操縦だからだ。動力バーはこれを誘導するコンパスに平行に保たれているし、警報ベルは計器がちょっとでも異常な振舞いをみせればすぐ鳴りだす。忘れちゃいかんよ、宇宙航行に関するあらゆる要因を、すくなくとも走行距離一メートルごとにチェックし記録する装置になっているんだから。この制御装置さえあれば、この前の宇宙旅行のときみたいな醜態にはぜったい陥《おちい》らん」
「しかし君はまさか、一晩中誰も制御盤についていなくともよいなどと言っているんじゃないだろうね」
「どっこい、そのつもりなんだ。制御盤に坐っていたって、百合《ゆり》でも描いているか、純金の金箔《きんぱく》細工でもするより仕様がないだろう。眼覚めていようが、眠っていようが、ベルのそばになど居る必要はない。自分でベルを鳴らして音を楽しみたい物好きは別だが。船内のどこにいったって、ベルは聞こえる。それに、帽子を賭けてもいいが、これから一週間、絶対にベルは鳴らんよ。ところがその上になお念を入れて、ぼくは警報ベルから導線を這わせ、ぼくのベッドの頭のところのブザーにつないであるんだ。だから、ぼくは自動的に不寝番《ねずのばん》をしていると同じことだ。忘れちゃいやだよ、マート、ここにある計器はみんな人間の感覚の数千倍も感度が高いんだから――ぼくたちが気づくずっと前に故障を発見してくれる。どんなに眼を血まなこにしていたって、この計器類には勝てんよ」
「もちろん、この計器類では、君のほうがぼくよりずっと詳しい。君が計器類を信用するんなら、ぼくも信用するよ。ではおやすみ」
シートンは腰をおろした。ドロシイがぴったりと寄り添っている。男の形のよい肩のカーブへ、頭をのせている。
「ねむい?」
「とんでもない! いま、とても眠れそうもないわ――あなたは?」
「ぼくも。眠ったって何にもならん」
彼の腕がドロシイをしっかりと抱いている。宇宙船は、乗っているものには静止しているように見えながら、刻々と増していく超速度で、なめらかに虚空を截《き》っていた。コトリとの物音もない。機械の唸りもない。ぜんぜん振動はない。ただ、がっしりとした万能ベアリングのなかの、磨きあげられた銅シリンダーを取りまく異様な紫色の輝燿《かがやき》だけが、この威力ある原子動力装置のなかで発生している数千キロワットという駆動力を示しているだけである。シートンは銅シリンダーのまわりの輝燿を考えぶかげに眺めていた。
「ねえ、ドッチー、あの紫色の燿《かがや》きと銅バーね、色と調子はすこし違うかもしれんが、君の眼の色、髪の色とそっくりだね」ようやく彼が言った。
「まあ、変な比較!」ドロシイのうっとりさせるような低声《こごえ》の忍び笑いが、言葉のあいまに水泡のように挟まった。「あなたって、ときどき気味の悪いことおっしゃるのね! たぶんそんなふうに見えるかもしれないわ――お月さまだって、いまと違う物質で出来ていて、色も違っていたら、グリーン・チーズに見えることよ! どう、そっちへ行ってお星さま見ましょうか?」
「あっ、元の姿勢へ、赤毛《ルーファス》くん!」シートンが厳しい声で命じた。「一ミリメートルも動いちゃダメ――いまの君の姿、ヴィナスみたいな完璧な美しさだった! 星なんぞ、君の好きなものは何でも持ってきてあげる、君のいるところへちゃんと揃えてあげる。どの星座が好きだい? 南十字星だって持ってこれるんだぜ――ワシントンの空で見たことのない南十字星……」
「もっと見慣れた星がいいわ。プレアデスか北斗七星か――いえ、大犬座を見せてちょうだい。≪穹窿《きゅうりゅう》の王冠、そがうちにてひときわ輝けるシリウスのまもるところ≫」と彼女は詩を引用した。「あそこよ! あなたに教わった天文学、みんな忘れちまったみたい。あなたは? 見つける自信あって?」
「あるとも。記憶ははっきりしているんだ――赤緯は約マイナス二十度、赤経は六時と七時の間。どれ、どこにあるだろう――ぼくたちの針路から見てどこだっけ?」
彼はちょっと考えていた。それから数個のレバーとダイヤルを回し、標識灯を消し、第一号外側実視板をくるりと二人の眼の前へ向けた。
「お……おう……何て見事!」彼女が叫んだ。「なんて素晴らしいんでしょう! わたしたち、宇宙の真っ只中に立っているみたい。船の中にいないみたい。……素敵、とても素敵だわ!」
シートンもドロシイも、深部宇宙空間が初めての素人ではない。だが、いかに百錬の空の観察者であろうとも、この景観を眼の前にしては、畏怖《いふ》を覚えずにはいられないであろう。このような絶勝の位置から、宇宙の驚異をかつて眺めた人類があっただろうか? 恒星間宇宙の深淵のような奥所へじっと眼を凝《こ》らした二人は、声もなく、ただ偉《おお》いなるものに圧しつぶされる畏怖にのみ、胸ふたがれていたのであった。地球の夜の闇は、大気の乱反射による淡い光線まで薄められている。星はまたたき、きらめくが、その光はやはり同じく空気の層でぼやかされている。だが、ここでは? 地球の暗黒と、なんという対照であろうか? 二人はいま、すべての光の奪われた、完全無欠の暗黒に見入っているのであった。このあやめも分《わ》かたぬ、形容を越えた闇のなかに、彼らは観ているのであった。巨大な太陽の、ほとんど眼には耐えられないような煌燿《こうよう》が凝縮され集中され、無限小の幾何学的点々になっているそれを、彼らはいま見ているのであった。シリウムは青白の豪華さに燃え、凡百の星座メンバーたちを圧倒していた。黒い天鵞絨《びろうど》の上に置かれた、小さいが強烈な輝きをもった一個のダイヤモンドであった。その光耀は、ひとつの瞬《またた》きも、わずかの歪曲もなしに、ただ燦然として完璧であった。
シートンは視野を移し、天球赤道と黄道のほうへ斜めに、機械の視野を動かしはじめた。彼らの見たのは、つぎは堂々たるリゲルである。眼のくらむような白い輝きをみせるデルタ・オリオンスを頂点とする天の川。赤いベテルギウス。航海者たちの友だちである塁《るい》を成したアルデバラン。天文学的に居坐って動かないプレアデス。
シートンの腕は屈縮し、ドロシイの身体をその抱擁のなかに把えた。唇はあわさり、じっと合わさっていた。
「すばらしいことじゃありません、あたしの恋人?」うめくように彼女がささやいた。「こんなに遠く宇宙の果てに二人で来て、あらゆる煩わしさや悩みから放たれていることって? ほんと、ほんとにすばらしいわ……あたし幸福よ、ディック」
「ぼくもだ、スイートハート」男性の腕はぎゅうと締めつけた。「ぼくは何も言えない、何も言おうとは思わない……」
「あたしは死の淵《ふち》に立ったわ、何度も何度も、彼らに撃たれたとき……」ドロシイの心は歩んできた苦患《くげん》の道へしばらく戻った。「あなたの装甲宇宙服が破れるとか、何かそんなことがあったとしてごらんなさい。……こんなに幸福なんですもの、あたしもっと生きたいなんて思わない、このまましずかに横になって死んでしまいたい」
「あれが破れないでよかった――そして彼らが君をぼくの手からさらっていかなくて、ほんとに、ほんとによかった……」顎《あご》は固く結ばれている。灰色の眼は憎悪で氷のようだ。「黒野郎《ブラッキー》のデュケーン、やつは天罰を受けている。これまでのところ、ぼくはいつも借りは返した。こんどこそ奴と貸し借りを清算しなくてはいけない――とことんまで……」
シートンは急に声をやわらかにして言った。「これはまたひどく話題を変えたもんだ。しかし人間の業《ごう》だから仕方がないさ。もしも幸福の絶頂でばかり暮していたら、スリルも何もありゃしない。ぼくたち結婚してからずいぶん長くなるけど、まだぼくは絶頂からこの上なしの喜びを見出すことができる」
「まあ、ずいぶん長くだなんて?」ドロシイは笑った。「もちろん、あたしたち喜びを見出すわ。あたしたちはそういう珍しい夫婦なのよ。もちろん誰だって、みんな自分たちを特別の夫婦と思っている。だけどあたしたちは思っているだけじゃない、真実《ほんと》に特別なカップルなんだわ。特別なカップルだってこと、あたしたち知っているんだわ。それからディック、あたしは知ってるわ――デュケーンのこと考えるから、あなたはしょっちゅう絶頂から引きずり降ろされるんだわ。ねえディック、そのクシャクシャになった髪の毛の横のあたまのなかにある、厄介な重荷、いまが卸してしまうのに絶好の時間じゃなくって?」
「たいして根拠のある……」
「ねえ、白状なさいよ、赤毛女《レッド・トップ》におっしゃいよ」
「さえぎっちゃダメだよ。言いかけていたんだ。たいして根拠のある考えじゃない、ただのカンかもしれんが――デュケーンは、どこかこのあたり、広大なひらけた宇宙空間にいるとぼくは見ているんだ。こういう場所では、人間は人間である以上に陰謀家になる。はたして彼がこの辺にいるんだったら、ぼくは奴を追う、足だって馬だって船だって使って、奴を追う……」
「あの対物コンパスは?」
「もちろんだ。わかってるだろう、ぼくはあれは自分で作ったからよくわかっている、毀《こわ》れてなんかいないんだ。コンパスはまだ奴にセットされてあるんだ。だがその場所を示さない。ということは、奴は、対物コンパスの達し得ない遠いところにいるということだ。あれだけ図体の大きな奴だから、一光年半ぐらいまでの距離だったらぼくは見つけられるはずだ。それが見つからない。一光年半以上といえば、論理的に目的地は出てくる――オスノームあたり以外にあるはずがない。多少とも長時間滞在できるところ、新しい知識を獲得できるところと言えば、あそこだけだ。奴はあそこで、何かを学んだに相違ない、ぼくたちみたいに。奴は目的もなしに漠然と出かけていくタイプじゃないから、この推定は動かんところだ。対物コンパスは奴の臭跡を尾《つ》けている――まもなく奴を捜しだす」
「あの新しいコンパス・ケースの空気を、何億兆京分の一までっていうの? とにかく空気をぜんぶ抜くのに、いつまでかかるの? たしかダナークが、望む程度の真空状態まで抜くには五百時間はかかると言ってたようだけど」
「彼には五百時間かかったろうさ。オスノーム人は物によっては天才だが、物によってはそれほどでもない。ぼくは排気するのに三つのポンプがあるんだ。それを段階的に使う。最初は、ロダブッシュ=マイカレック超真空ポンプだ。つぎはこれの補助として、ふつうの水銀蒸気ポンプを使う。最後に以上二つの補強として、センコ=ハイヴァックのモーター式油ポンプを使う。五十時間もすれば、コンパス・ケースのなかは、ダナークがやった以上の超真空になる。念には念を入れ、最後の極く微量の空気を抜くために――いわば百合《ゆり》を描く〔自然の美に人工の美を加えるという意味〕ためにだ、ぼくはゲッター〔電球や真空管内の残留ガスを吸収させるために内部に加熱蒸発させる物質のこと〕をぶちこんで焚《た》く。こうすれば、ケースのなかの空気は問題にならないほど稀薄になる。これは信用していいよ」
「信用するなと言ったって、してしまうわ。だって、科学知識の大半は、あたしの頭脳にはサーカスの天幕《テント》以上に高いんですもの。じゃあ、スカイラーク2は、もうしばらく気ままに散歩させておいて、あたしたちは、疲れたから≪自然の甘美な恢復者≫〔睡眠のこと〕を摂《と》りましょうっていうわけね?」
[#改ページ]
四 力場帯テスト
シートンは小さな長方形の箱をもって制御室へ入っていった。クレーンは『サイエンス』誌に出ている高遠な数学論文を読みながらデスクに坐っている。マーガレットは刺繍《ししゅう》をやっている。床にクッションを置き、片足を折って坐っているドロシイは読書をしている。だが、片手がときどきそばに置いたチョコレート化粧箱のほうへさまよっていく。
「ふふん、これは平和そのものの、家庭的雰囲気だな――この雰囲気をこわすのは残酷のようだが。たったいま、コンパス・ケースの密封を終り、空気を抜いたところだよ、マート。コンパスがはたして読んでくれるかどうか試そうと思って。どうだ、見るかい?」
シートンはまったく飾り気のないテーブルの上にコンパスを置いた。これでジャイロスコープで制御される水平鉛直環の上に、コンパスの最終指示方向が読まれるはずである。シートンは、同時にストップウォッチを始動させ、コンパスの針に小さな回路結合を行なわさせるボタンを押した。たちまち針は回転をはじめた。だが何分待っても、一次ベアリングにも二次ベアリングにも、眼に見えるほどの針の運動変化はない。
「結局、故障だと思うかい?」クレーンが、残念そうに訊いた。
「そうは思わん」シートンが考え込んでいる。「君も知っている。このコンパスはそんな遠い距離にいる人間みたいなちっぽけなものを指示するような設計にはなっていない。だからぼくは、インパルスといっしょに連続的に百万オームの抵抗を与えたのだ。これで、自由回転は三十分以内に納まり、感度が最高限度まで増大した。ほら、針が振動をやめようとしてるじゃないか!」
「そう、止まりかかっているね。まだ彼を指向しているのに相違ない」
ようやく、超感度の針が安定した。そこでシートンは距離を計算し、方角を読み、オスノーム惑星へのデータを計算した。
「奴はやっぱりあそこにいる。二つの方角が一致している。距離も、数光年の誤差で一致している。人間みたいなちっぽけなものを指向する場合、ぼくたちの望み得る最高の近似値だ。よおし、やっぱりそうだった――ぼくらはあそこへ着くまでは、何もできん。一つだけ確実なことがある、マート――≪X≫金属を採ってからもまっすぐ地球へは帰れそうもないということだ」
「そう。調査をしなければならんと出た」
「それでぼくは失業だ。何をしたらいいかな? 君みたいに研究などしたくないし、ペッグみたいに刺繍はできっこないし。あそこの床に、枕の上にあぐらをかいて、キャンデーを食べているブロンドの大女《タイタン》の真似はとてもできないしな。ああわかった――教育器械を一台作ろう。そして、シローにやっこさん独特のゴタマゼ言語じゃなく、ちゃんとした英語を喋るように教えこんでやろう。どうだろう、この考え?」
「そんなことしないで」ドロシイがはっきりと抗議してきた。「シローはあれで完璧だわ、彼の流儀があるんですもの。とくに、あなたの口真似をさせるんだったら、よしたほうがいいわ。それとも、あなたの書くとおりに話すこと教えることができて?」
「痛いところをつくね、君は! 汚い当てこすりというものだよ、そんなの。しかしミセス・シートン、ぼくは自分の喋り方を防衛することができるし、またその意志だよ。君もわかってるだろうが、喋る言葉というものは陽炎《かげろう》のようにあやふやなものだ。それに対して、思考のニュアンスは、いったん表現されて、消すことのできない印刷物になれば、改訂がきかない。粗雑でアケスケな表現だなんて後悔したって後の祭りだ。もっと繊細な、もっと優雅な翳《かげ》りを与えようなどと思ったって、もう追いつかんのだ。こう書いたら最後に引っこみがつかんという厳粛な掟《おきて》があるからして、ぼくは書くものは慎重でありたいんだ。用語の感じと意味をはっきりと把握し、正確な文法学者の指示にあくまでも忠実に従うなどという大変な精神的努力は、最後のドタン場まで印刷……」
ドロシイがさっと軽やかに身体をひねって、立ちあがりざま、彼に枕を投げつけてきたので、シートンは中断しなければならなかった。
「誰か彼の咽喉笛《のどぶえ》にボロ切れ突っ込んでちょうだい! 結局、あなた教育器械つくったらいいわ、ディック!」
「シローも喜ぶと思うよ、ディック。シローは大の勉強好きなんだ。しょっちゅう辞書を使わなければならんのだが、煩《わずら》わしくってしようがないらしい」
「ぼくやっこさんに訊いてみる。シロー!」
「お呼びでしたか、あなたさま?」シローが料理室から部屋へ入ってきて、低く低く頭を下げた。
「ああ。君は、あそこのクレーンみたいに、英語を上手に喋るのを習いたいかい――レッスンはとらないで?」
シローは真面目に聞くことができないらしく、妙に怪訝《けげん》な表情でニヤニヤしている。
「そうだ、それができるんだよ、シロー」とクレーンが言った。「シートン博士は、君さえその気なら、レッスンなどはしないで、即座に学習できる機械をつくることができるんだよ」
「はい、わたくし、とても、好きです、はい。わたくし、何年間も勉強し、引きました。しかし、名誉ある英語の辞書、日本語ととても違います――どうしようもありません。辞書はとても有益です、しかし……」シローは辞書をぺらぺらとめくり、「とても面倒くさいです。もし名誉あるシートン博士が、そんなことができるのでしたら、とてもとても……満足できることです」
また頭を下げ、にこりと笑うと、部屋を出ていった。
「それをしてやろうというんだ」とシートンが言った。「じゃ、みんな。ぼくは工作機械室《ショップ》へ行っているから……」
毎日毎日、スカイラーク号は休みなく、恒星間宇宙空間の果て、その広袤《こうぼう》を切り進んでいた。一秒ごとに、宇宙船はかならず秒速二十六フィートずつ、より速く進んでいた。日数が重なるにつれ、スカイラーク号の速度は、毎秒幾千マイル、幾万マイルなどと数字で称しても無意味なほどの高速に達していった。それにもかかわらず、船内にいる人びとにとっては、宇宙船はまったく静止しているように見えた。ただ地球の地表に停止している乗物と違う点といえば、この宇宙船に乗っている人は、自分の体重の十六分の三を失っているということだけであった。近い太陽と惑星とがつぎつぎに過ぎ去っていくその素速さによって、崩壊する銅バーの想像を絶した動力で驀進《ばくしん》を強いられている人間たちの恐るべきスピードが、わずかに窺知《きち》されるだけであった。
宇宙船が≪X≫までの距離のほぼ中間点近くなると、銅バーは逆にされ、加速度の表示灯にそのことが現われた。巨大なジャイロスコープを収蔵している不動の檻《おり》のまわりでは、真空の球形ケースは百八十度めぐった。しかし、表面的には、スカイラーク号はまったくの不動である。銅バーに逆にされる以前と、その振舞いはぜんぜん変わらない。だが事実においては、スカイラーク号はいま、ある方向に向かって≪ダウン≫しているらしい。そして、速度も、先の加速度量とまったく同じ量だけ、毎秒減少していっているのである。
銅バーが逆にされてから数日後、シートンは教育器械が完成したと宣言し、制御室へ持ちはこんだ。
教育器械と称するものは、大きさは大型ラジオぐらいしかなかった。しかし構造は較べものにならないほど複雑をきわめていた。特殊な設計になった多数のコイルはもちろんのこと、無数の真空管、真空《キノ》ランプ、光電管などをつけていた。数十個のダイヤルやノッブ、そして頭につける受信器が多数、附属していた。
「こんなのが、どうしてあんな複雑な作業をするのかね?」クレーンが訊いた。「作動することはわかっているんだが、これがぼくを教育した後だって、ぼくにはとても信じることができなかった」
「でも、ダナークが使っていたのと、まるで違うじゃない、ディック? どういうわけなの?」とドロシイが不平そうに訊いた。
「ドット、ぼくはまず君に答えよう。これは改良型なんだよ。ぼくの発明したものがずいぶん採り入れられているんだ。こんどはマートへの答えだ。これがどんなふうにして作動するかというんだな? なあに、理解してしまえば、不思議でも何でもない。その点はラジオと同じことだよ。光波で波長のいちばん長いもの、そして熱波、それから無線電波のうち最短波長のもの――その中間にある、或る周波数帯に搬送して作動するんだ。ここにある器械が、その周波数帯の発振器で、ひじょうに強力な電力増幅器だ。頭につける受信器は立体鏡的トランスミッターで、三次元観視を行なう。あるいは三次元実視電波を受信すると言ってもいい。つまり、あらゆる物質は、この周波数帯の波に対しては透過性である。たとえば、骨、髪、その他すべて、この波を通す。しかし、ここにセレブリンという物質がある。これは、頭脳の思考メカニズムに特殊な脳物質《セレブロサイド》であるが、セレブリンだけは、これらの波に対して不透過である。ダナークは化学者ではないから、教育器械がなぜ作動するか、あるいはどういう媒質によって作動するかがわからなかった。彼らはただ、実験によって、教育器械が有効であることを知っただけなんだ。ちょうどわれわれが、電気の本質についての知識はないながらも、実験でその有効性を知ったのと同じだ。この三次元のモデル、あるいは姿、まあ呼び方はいろいろあろうが、これが受信器のなかで電気に変換される。その結果生じる変調波が教育器械に帰る。教育器械のなかで、変調波はもう一つの波と混合される。この第二の周波数帯は幾千という試行錯誤ののちに発見されたものだが、ぼくは視神経に存在する周波数帯とまったく同一の周波数帯だと信じている。
とにかく、合成波は受信器へ送られる。変調されてはいるが、この波は、受信器のなかで整流《レクティフィケーション》されて三次元像を結ぶのだ。そして≪実視された≫ものを、そっくりそのまま再生する。もちろん再生過程に、大きさ、輪郭などは頭脳によって多少の差異があることは仕方がない。きみたち、教育器械を繋《つな》がれたとき、閃光みたいなものを感じたのを憶えているだろう。何かを観視したという感覚があったろう? そうなんだ、あれで見えたんだよ。視神経で脳に伝達されたと同じことなんだ。しかし何もかもがいっしょくたに再生されたもんだから、観視の印象は混乱している。しかし頭脳に印刻されたものは鮮明で、永久的に消えないんだ。ただ欠点は、君たちが学んだことも、視覚的記憶とはなっていないということだ。そのためせっかく得た知識を使うことができないことも間々《まま》ある。ある問題について、自分が何かの情報を知っているかどうかさえ気がつかない。頭脳のなかを、あれかこれかと捜しまわってみないうちは気がつかない、ということがあるんだ」
「なるほど」クレーンがうなずいた。
「ちっともわからない。泥みたいにゴチャゴチャ――ちっともわからないわ」とドロシイが我慢しきれずに割りこんだ。「元の器械にあなたが改良を施したって、どこなの?」
「そうだな、ぼくはこのメカニズムに大切な役割を果たしているのがセレブリンという物質だということを知っているだけ、ダナークより一歩上を行っている。この知識ひとつで、ダナークが彼の最初のモデルで行なったよりずっと深くまで、この器械の働きを押し進めることができたんだ。たとえばぼくは、ある人の思考を第三者に移すこともできるし、記録《レコード》にとることもできる。また、ダナークの器械では、抵抗に対しては処置なしだったんだ。学習する側で、自分の思考を棄《す》てようという意志をもたない場合は、器械も新しい思考を注入することができなかった。ところがこの器械では、強制的に注入が可能なんだ。増幅器のなかの陽極板の電圧とグリッドの電圧をあげれば、人間の頭脳を焼き切ることだってできるんだよ。昨日ぼくは、この器械をいろいろと実験していて、ぼくの頭脳の一区画を磁気テープに移そうとした。永久記録をとるためにだよ。そのときわかったんだが、電圧は低いけれども、ある一定の電圧以上になると、一種の拷問となることがわかった。いや、すごいのなんのって、これの恐ろしさにくらべたら、中世の宗教裁判の審問など、ペッティング・パーティもいいところだ」
「それでテープへの伝達はうまくいったの?」クレーンが非常な関心をしめして訊いた。
「いったとも。シローのボタンを押してごらん。どんなことが起きるか……」
シローが入って来た。にこにこと笑顔で、いつものようにお辞儀をした。
「きみたち、このスクリーンに向かって、受信器をつけてごらん。効果を高めるためには、きみたちの頭蓋《ずがい》のサイズを、バーニヤキャリパーで正確に測らねばならん」
測定を終わり、シートンは各種ダイヤルを調整し、電極を自分の頭部と、クレーン、シローの頭にもつけた。
「実験ついでに、日本語習いたいかい、マート? ぼくは習いたいが」
「ああ、どうぞ。ぼくは昔日本に行っていたとき、日本語を習おうとしたんだが、あんまり難しかったものだから……」
シートンは一つのスイッチを入れ、それを開け、さらに別のスイッチ二つを押し、それを開け、動力を切った。
「よし、これで全部終った」シートンはきびきびした調子で言った。そしてシローに向かって、爆発的に高音の一連の音節――それが日本語なのだろう――を叫んだ。文章の最後のほうは音程が尻上りになっていた。
「イエス・サー」と日本人が答えた。「あなたはとても上手に日本語を喋っています。まるで日本語以外のものは何も知っていらっしゃらないみたいです。わたし、とてもとても有難いです――もう辞書を捨ててもよさそうです」
「どうだい、きみたち女の人もやってみるか? 何でも、一度に習いたいことがあったら?」
「あたしはごめんだわ!」とドロシイがきっぱりと辞退した。「だって、この器械あんまり気味が悪すぎて、あたしに合いそうもないんだもの――それに、もしあたしが、あなたみたいに科学が詳しくなったら、あたしたちは議論ばっかりして、夫婦喧嘩が絶えないわ」
「わたしはやってみたってかまわないと思うわ」マーガレットが言いかけた。
が、そのとき警報ベルが鳴った。
「新しい客だ!」シートンが叫んだ。「あんな調子の音、聞いたことがない!」
シートンは驚いて計器盤の前に立った。計器盤に、非常に明るい紫色の標灯がゆっくりと瞬《またた》いている。
「こいつあ! あれは純オスノーム製の新兵器だ――一種の戦艦探知機なんだ。このあたり、どこかにたくさん悪い情報があることを示している。おい、みんな、実視板をつかめ、早く!」と叫びながらシートンは、食事の用意を知らせるのに使うシローの警鐘を鳴らした。「ぼくは、すぐ前の第一地区実視板をとる。マート、君は第二地区だ。ドットは第三。ペッグ第四、シロー第五。よく見張って!……何も前方に見えないかい? 何も見えないかい、みんな?」
誰にも、すこしも変なものなど見えない。しかし、紫色の標灯は瞬《またた》きつづけ、警報ベルは鳴りつづけている。シートンはベルをとめた。
「ぼくたち、X惑星にごく近い」とシートンは思わずひとり言を言った。「もう、百万マイルも離れてはいないようだ。ほとんど停止しかかっている。ぼくたちの前方に誰かいるのかしら? もっとも、ダナークのせいかな? どれ、呼んで訊いてみよう」スイッチをいれ、「ダナーク!」
「はい、ここです」とスピーカーに、皇太子の声が返ってきた。「力場発生帯を発生させているんですか?」
「違う違う――ただ、きみがそこにいるかどうか、確かめただけだ。どうだ、何か変わったこと発見していないか?」
「まだ何もありません。もっと近よって見たほうがよさそうです」
「そう。こっちへ斜めに近よってくれ。ぼくも進んで、会う。まだ逆加速度のままにしておいてくれ。このまま停止になるはずだから。何ものかはわからんが、たしかに真正面にある。まだかなりの距離はある。しかし、ぼくたちが、がっしり組んでいたほうがいい。あまり喋るな、こっちの周波数帯はじゅうぶん狭いけれども、やつらに盗聴されるおそれがあるから」
「それより、無線通信はぜんぶやめて下さい。近くなれば、互いに手言語が使えます。手言語、あなたはできるはずなんです。できないと思っていらっしゃるかもしれませんが。いちばん強い深照灯を私のほうへ向けて下さい――私もそちらへ照射します」
ダナークの動力が突然切られ、カチッという感覚がシートンの無線通話器に響いた。シートンは微笑して、自分も動力をカットした。
「手言語でいいんだよ、きみたち。ぼくたち、オスノームの戦争の際、何も聞こえなくなったとき、合図《サイン》言語を使ったじゃないか? しょっちゅうそればかりだった。ぼくは、英語以上に手言語を知ってるんだった、今、思いだしたよ」
シートンは、オスノーム人の宇宙船の針路を切るような角度へ、スカイラーク号の針路を移した。しばらくすると地球人たちは、星に対比して速かに動いている小さな光点を見つけた。コンダール号の深照灯と思われた。やがて二つの宇宙船は、舷々相摩《げんげんあいま》すといっていいほど接近した。そして互いに慎重に前進を続けていった。シートンは第六実視板の六十インチの抛物《ほうぶつ》面反射鏡を操《あやつ》りだし、一つのコイル上にその焦点を結ばせた。宇宙船は、なおも並んで驀進《ばくしん》していく。例の紫色の標灯は、いまだに瞬きつづけ、その明滅速度が増してきた。だがまだ何も起こらない。
「第六実視板を見てくれんか、マート? 第六は望遠鏡みたいなもので、二十インチ屈折望遠鏡と同威力なんだ。どの方向を見るか、もうすぐ教えるから」シートンは計器類をしらべ、ダイヤルを調整してから、「十九時四十三分と二百七十一度に第六をセットしてくれ。まだかなり遠いから、はっきりとは見えないが、それで完全に視界に入るはずだ」
「この第六実視板の放射線は有害ですの?」マーガレットが訊いた。
「まだ有害じゃない――弱いからだ。しかしもうすぐ感じるようになる。そうなったら、スクリーンを張って遮蔽《しゃへい》するから大丈夫だ。強くなると殺人効果があるから気をつけねばならん。マート、まだ見えんか?」
「何か見えるが、非常に薄ぼんやりしている。あっ、すこしはっきりしてきた。うむ、やっぱり宇宙船だ。飛行船のような格好をしている」
「まだ何か見えないか、ダナーク?」シートンが信号を送った。
「たった今、見えだしました。そちら、攻撃準備よろしいですか?」
「いや、ぼくは攻撃準備などしない。逃げるつもりだ。逃げようよ、ダナーク。速力をあげよう!」
ダナークはなおも執拗に攻撃に出ようと手合図信号してくる。シートンは頑固に、何度も何度もかぶりを振った。
「言うこときかないの?」とクレーン。
「そうなんだ。飛びかかろうといってきかないんだ。しかしぼくはあんな宇宙船と事を構えるのは真っ平だ――全長千フィートもあるでっかい奴だもの。地球のものでもないし、オスノームのものでもない。こっちがまだバラバラにならんうちに、≪三十六計逃ぐるに若《し》かず≫だ。きみの考えは?」
「絶対それだね」クレーンも、二人の女たちも賛成であった。
動力バーは逆方向に向けられ、スカイラーク号はそのまま勢いよく逆進した。コンダール号もスカイラーク号につづいた。だが、地球人には、ダナークがカンカンに怒っているのが見える。シートンは、第六実視板を回し、もう一度観測してから、こんどは無線通話器のスイッチをいれた。
「おい、ダナーク」シートンは憂鬱な声で言った。「きみの希望どおりになってきたぞ。あの宇宙船、こっちへやってくる。ぼくたちが、両方のモーターを全開にして出す加速度の、少なくとも二倍の加速度でやってくる。向こうは、ずうっとこっちを観測していたんだ。ぼくたちを待ち伏せしていたんだ」
「先へ進んで下さい。できれば、逃げて下さい。あなたの船は、私たちの船よりも高い加速度に耐えられるはずです。私たちは、できるだけ、あれを牽制《けんせい》します」
「逃げられるなら逃げるさ。しかし、ダメなんだ。あっちはずっと速い。こちらがどれだけ早く先発していても、あっちは追いつこうと思えば追いつけるんだ。それが、いま見ると追う決心のようだ。あっちが喧嘩をしかけてくるとすると、ぼくたち二船がいっしょになっていたほうが、別々にいるより抵抗ができるというものだ。もうすこし拡がろう。これが精いっぱいの速力だと見せかけるんだ。まず何をくれてやろうか?」
「あらゆるものを一度に浴びせかけよう。ビームを第六、第七、第八、第九、第十まで……」クレーンは、シートンとともに、急速にしかし正確に各種ビームの回路接続を行ないはじめていた。「熱波は二―七。誘導波五―八。発振はポイント・ゼロ六三以下のものは全部出す。それから、繰りだせるだけの銅爆弾を全部。そうだろう?」
「そうだ――それから、最悪の場合は、力場帯を忘れるな。まず射撃から行こう、平和意図かも知れんから。どうも月桂樹の枝には見えんけれど」
「きみのスクリーン二つとも出したかい?」
「そう、出した。マート、君は第二実視板を使って、銃撃のほうをやってくれ。ぼくは他の武器を操作するから。みんなしっかりと座席ベルトをつけたほうがいい。現在の情況からみると、そうとう荒れ模様になるらしい……」
シートンが喋ってる間にもう、チカチカと凄い花火大会のような閃光がスカイラーク号全体を包んだ。未知の宇宙船から発射された放射線が、スカイラーク号に張りめぐらされている無効化スクリーンに衝突し、その勢力をエーテル中へ放散させ、無害にされているからであった。
たちまちシートンは、冷却システムの全出力を投入し、彼の空飛ぶ超弩級《ちょうどきゅう》戦艦の誇る複雑な攻撃兵器群を作動するマスター・スイッチを入れた。主要動力バーと補助動力バーは、鮮烈濃密な紫の輝燿《かがやき》に包まれて見えなくなった。船内の到るところ、金属部分同士のあいだに長い弧光が飛び交った。空気そのものが次第に強度に帯電されていき、地球人は毛髪一本一本が逆立ちしようとするのを感じた。だがこの現象も、いまは数マイルの距離に近づいた未知の宇宙船へ投射された恐るべき破壊ビームに伴う、ごくわずかなコロナ損にすぎなかった。
シートンは第一実視板から眼を放さず、無数のレバー、ダイヤルを操作している。スカイラーク号は、避けながら、狂気のようにあっちこっちに飛び跳ねた。一方、自動焦点装置によって、恐るべき周波数帯の破壊ビームは絶えず敵に集中され、超威力の発生機が、ここを先途《せんど》と破壊ビームをバックアップした。動力バーが、常用負荷全キャパシティまであげられるとともに、それを含む強烈な紫色の輝燿《かがやき》は一段と凄さを増していった。敵宇宙船は電離して白い炎のように輝いた。だが敵はまだ抵抗を止めない。シートンは高温計を見た。冷却装置が金切り声をあげて作動しているのだが、スカイラーク号の船殻は恐るべき高温に達している。
「ダナーク、君のもっている全攻撃力を、一点に集中するんだ――やつの船首の鼻先へぶっつけろ!」
最初の砲弾が敵船に命中すると、シートンは手中のあらゆる攻撃力を敵選手の鼻先へ集中した。動力バーが炸裂《さくれつ》限界近くまで上げられるにつれ、スカイラーク号船内の空気は、パチパチ、シュッシュッと不気味な音を立て、強烈な紫光線が動力バーから飛び散った。未知の敵船の船首からは、めくらめく高輝度の、太陽の紅炎《プロミネンス》のような火炎が矢継《やつぎ》ばやに燃えあがった。シートンの放った銅爆弾が狙いたがわず命中し、瞬時に何千億キロワット時というエネルギーを解放したからである。紅炎《プロミネンス》は、そのひとつひとつが三隻の宇宙船を包み、宇宙空間数百マイル四方へ伸びた。だが敵は依然として健在である。つぎつぎと、固体状に凝縮された振動破壊ビームをスカイラーク号とコンダール号に浴びせかけてくる。
計器盤の上で、オレンジ色の閃光が瞬《またた》き、シートンははっと息を呑んだ。あわてて実視板を回転させて、わが宇宙船の外殻防衛状態を覗くと、驚くべし、難攻不落と信じられていた外側スクリーンはすでに落ちているではないか。スカイラーク号の威力ある銅原子崩壊動力発生機が全力をふりしぼって頑張ってくれているにもかかわらずである。外側スクリーンの、単に白熱的な輝きだけしかないはずのところに、黒いシミが現われ、それが急速に拡大していく! 内側スクリーンすらが危ない。すでにその放射線は紫外線《ウルトラ・バイオレット》となり、崩落は時間の問題と見える。内外両スクリーンを駆動している電力の、すさまじい強度を知悉《ちしつ》しているシートンは、いまわが宇宙船に加えられている敵ビームが、恐るべき超人間的な、想像を超えた威力のものであると信じないではいられなかった。彼の右手が飛んだ。力場帯《ゾーン・オヴ・フォース》を制御しているスイッチに手がかかった。シートンの反応は電光石火の速さであった。だが、彼の飛ぶ手が先のスイッチを閉じる前に、すでに瞠目《どうもく》すべき事態が発生していたのである。力場帯の回路が閉じられる前の間髪の短時間に、内側スクリーンの白熱輝耀に大きな穴があいた。そして、固体投射物とも見えるほどの高凝集エネルギービームが、そのわずか一部ではあるが、スカイラーク号の露出された船殻に到達したのである。その一瞬――耐火性のアレナック金属外板が、鮮烈な、めくらめく白光と変わり、四十八インチ厚アレナック外板の最初の一フートほどが、まるで酸素アセチレン・ガスを吹きつけられた雪のように融けていき、滴粒と煌《きら》めくガスになって飛散した。船殻の裏張りになっている冷却装置のコイルも、タイタンのような衝撃力をもつ集中エネルギーの前には全く役に立たなかったわけである。シートンが動力を切ると、深刻な闇と静寂が宇宙船内を占めた。彼はすぐ照明スイッチを入れた。
「第一ラウンドはこっちの負けだ!」シートンは、両眼をほとんど眼窩《がんか》から飛び出しそうに見開いてうめき、発生機へ飛んでいった。だが、彼は力場帯の副効果を度忘れしていたのだ。飛んだ拍子に身体は宙吊りになり、空中にグロテスクな形で漂うだけであった。ようやく、張られた手|摺《す》り用の綱へ手をのばした。
「手を出すな、ディック!」クレーンが鋭く叫んだ。シートンが動力バーのひとつへ屈《かが》みかかったからである。「何をするつもりなんだ?」
「発生機へ行く、発生機が耐えられるかぎりの重い動力バーを力場帯へ投入しようと思うんだ。そして突撃して行って、奴をつかまえる! オスノームのビームを使っても、ぼくたちの銅爆弾を使っても、奴を討ち取ることはできない。しかし勢力でなら、あのソーセージ、千の薄切りに細裂《こまざ》いてやれる、それをしようと思うんだ」
「落ち着くんだ――ムリしちゃいかん。君の言わんとすることはわかるが、忘れちゃいかんよ、ディック――あの力場帯は、武器として使う前に、いったん解除しなければならないってことを。それに何よりもまず、敵の正確な位置を見きわめなければ、力場帯は使えんだろう。充分に接近しなければ役に立たん。また、力場帯にかぶせてある防衛補助をぜんぶ取り去らなけりゃダメなんだよ、君。それで初めて武器として使える。そんなに接近した場合、まだ力場帯を武器として使用する寸前、はたしてぼくたちの防衛スクリーンは大丈夫かな、たとえ一秒間でも? さっき敵が使ったような強暴なビームを、持ちこたえるほど強くすることができるかい?」
「うむ……うむ……そこまでは気がつかなかったよ、マート」眼からは赤い炎は消え、がっくりとシートンが答えた。
「しかしこの戦い、どれほど続いたかな?」
「開始から終了まで、八秒と十分の二ぐらいだろう。しかし、君が力場帯を投入したとき、ちょうどその直前だったが、彼らは重装光線をわずか一秒の数分の一しか投射しなかった。最初にこっちの威力を見くびったものか、それとも重装光線発生機を作動するのに八秒ばかりも要したからか、おそらく見くびったのだろうね」
「しかしぼくたち何とかせにゃならんだろう――こうして、ただ坐って、指をひねくりまわしてばかりいるわけにはいかんだろう?」
「なぜ? なぜ指をひねくり回していちゃ悪い? ぼくは、そうしているのがいちばん賢いし、適切な態度だと思う。現在時点としては、指をひねくり回しているより仕様がないんだよ、ディック」
「おお、貴様、怖気《おじけ》づいたな! 力場帯をつけてたんじゃ、何にもできやしない――それなのに君は、ただじっと坐っている。奴ら、力場帯のことを知っていたらどうするんだ? 奴ら、力場帯を破ってきたらどうするつもりなんだ? ぼくらを穿孔《せんこう》してきたら?」
「君の反対点を順序を追って問題にしていこうか?」とクレーンは、シガレットに火を点け、考え考え、ふかしながら静かに言った。「まず彼らが力場帯のことを知っているかどうかの点だが。現在では、そのことは重要じゃない。第二は、彼らは、力場帯を知っている知っていないにかかわらず、これを破ることはできないことは確かだ。すでに力場帯が投入されてから三十分以上経過している。その間に、彼らとしては、おそらくは手持ちの兵器一切を集中したに相違ない。しかるに力場帯はまだ持ち耐《こた》えている。ぼくは実は、最初の数秒で力場帯がバラバラになると予測していた。それがこれだけ耐《も》ったということは、この先もいつまでも耐つという可能性があるということだ。第三に、彼らはとうていぼくらを穿孔できない、これにはいくつかの根拠がある。おそらく彼らは、一分間といえども彼らの攻撃にたえるような敵には遭遇したことがないのだ。たとえ遭遇したとしても、ごく稀《まれ》なことであったろうと思う。だから、敵はその経験にもとづいてしか行動しないだろう。それから彼らの宇宙船が、たとえわずかにしろ傷ついていると想定したほうが安全である。というのは、ぼくたちが彼らに直接加えたあれだけの力場帯を、敵がどれほど重装用であるにしろ、ぜんぜん無傷でしのげたということは、ぼくはあり得ないと信じるからだ。最後に、たとえ彼らが穿孔し得たとしても、その結果、何が起こる? ぼくたちショックを感じるだろうか? 力場帯、つまりエーテル内に築かれたあの障壁は穿孔力を通さないはずなのだ。だとすれば、衝撃を伝達できるはずがない。衝撃にたえる構造になっている宇宙船を、その程度の穿孔ショックでズタズタにできるものじゃないよ。未開拓の数学分野で、新しい問題を見つけだしてやりはじめたのは君じゃないか。二、三ヵ月休暇をとって、問題を徹底的に解決すべきだよ、ディック」
「うん、二、三ヵ月はかかるだろうな、多分。しかし君の意見は正しい。奴らはこっちに傷を負わすことはできん。頭脳も使いようだな、マート! ぼくはまたも、早のみ込みしちまった、クソッ! よし、おとなしくなる、みんなで話しあおう」
シートンはドロシイの顔を見た。蒼白だ。恐怖《パニック》を抑えようとして必死の様子が見える。シートンは近づいていって、しっかりと抱きあげてやった。
「元気だしな、赤毛娘《レッド・トップ》! この、男の戦争はまだ、始まってさえいないんだ!」
「始まってさえいないって? どういう意味なの? あなたとマーチンは、打つ手がないって嘆きあっていたじゃないの? それ、敗北の意味じゃないの?」
「敗北? ぼくたちがかい? どうしてそんなふうに思うんだい? 君みたいなやさしい、若々しい生命に溢《あふ》れた人が、敗北だなんて!」叫ぶように言った。シートンの呆れ顔が真物《ほんもの》だと知ると、彼女はとたんに元気になった。「ぼくたちはただ、穴を掘って、入りこんで、上から穴の蓋《ふた》をした、それだけじゃないか! みんな何もかもはっきりして、正しい判断ができて、ぼくたちが巧く使えるようになったら、やっこさんたちも、こっちを山猫みたいに手ごわいと悟るだろうよ!」
「マート、君はぼくたち仲間の思考源だ」シートンは、考えこみながらつづけた。「君は分析的な頭脳をもち、慎重きわまる性格だ。ぼくのまわりに、輪を描いて思慮遠謀《しりょえんぼう》をめぐらしてくれる。どうだい、マート。やっこさんたちの、影も形も見えはしなかったろうが? すくなくとも君の頭脳で判断して、どう思う?――やつらは誰だ? 何者だ? そしてどこから来た奴だ? ぼくにも多少のヒントの芽が出かかっている。芽を育てたら、はっきりわかってくるんじゃないかな?」
「うん、考えてみるよ」クレーンは口をとざして考えこんでいたが、「もちろん彼らは地球やオスノームから来たものではない。彼らが原子力に詳しいということも明らかだ。彼らの船は、ぼくたちのような駆動方式ではない。彼らは動力引出しを完璧の域にまで仕上げている。だから、そのエネルギーは、船体とその搭載物すべての微粒子ひとつひとつに作用している。……」
「なぜそんなことがわかる?」シートンが食いつくように訊いた。
「彼らが耐え得る加速度の大きさでわかる。あれだけの加速度には、いかなる準人類《セミ・ヒューマン》も、いやどんな生命ですらも、耐えられないはずだ。そうじゃないかね?」
「ううむ――それは考えつかなかった」
「それから、彼らはその棲息地から非常に離れて出てきている。なぜなら、もし彼らが近い空域のものだとしたら、オスノーム人たちが知らないはずはないと思う。とくに、あの千フィートという宇宙船の大きさから判断しても、あの種族には宇宙旅行は、われわれみたいに昨日今日開発されたものじゃあるまい。だいたいが、緑色太陽系はこの銀河系のほぼ中央に位している。だから、ひとつの作業仮説として、こう考えるのが妥当と思われる――つまり、彼らは銀河系中心からずっと離れた、おそらくは、銀河系外縁部のどこかにある太陽系から来たものだということだ。しかも彼らは明らかに、きわめて高度の知性をそなえている。非常にずる賢く、かつ無慈悲で……」
「なぜなの?」熱心に聞きいっていたドロシイが突然に訊いた。クレーンがさらにつづけた。
「それは彼らが、一見して比較にならぬほど小さな、しかも劣勢武装の平和目的の宇宙船にたいして、挑戦されることもなく攻撃してきたという事実から、彼らの性格を帰納して考えたわけだ。また、彼らの攻撃の性質から判断しても、当然同じ結論になる。あの宇宙船がただ一隻だけで游弋《ゆうよく》しているということは、偵察艇ないし探検船なのだろうと思う。おそらくは新惑星発見のための宇宙旅行、征服して植民できるような新しい惑星を捜すために出かけてきたものだと考えることは、決して妄想ではない……」
「地球の未来の隣人がか?――ずいぶんピンク色のありがたい見通しだが、たしかに正鵠《せいこく》を突いた見方だなア!」
「もしもこれらの推論がほぼ正しいとするなら、彼らは恐るべき隣人だ。つぎにはぼくの気になるのは、彼らが力場帯を知っているかどうか、はっきり言えるだろうか?」
「それは難問だなア。やつらの深い知識を考えると、どうしてやつらが力場帯を見落したのか、わけがわからない。また、力場帯をずっと前から知っていたのだとすれば、なぜあれを貫通できなかったのか、わからない。もちろん、力場帯というものは、エーテル中で本当に実在する剛性の障壁かもしれない。とすれば、ぼくたちが力場帯を張りめぐらしているかぎり、やつらもどうすることもできんと諦めていたのじゃないかな。君はどう考えるか知らんが、ぼくとしては、やつらは力場帯は知っていた、しかもぼくたち以上に詳しいと思う。エーテル中に確立される絶対不貫通の障壁だということを知っていたんだ!」
「ぼくもその意見に賛成だ。その仮説に立って進むことにしよう。すると彼らは、ぼくたちが力場帯を維持しているかぎり、向こうでもこっちに手が出ない――手詰りだということを承知していたのだね。同時に彼らは、力場帯を維持していくには途方もないエネルギー量が要るということも承知していた。さあ、乏しいデータのなかから、推論できるかぎりは推論した。妥当以上に推論し過ぎたかもしれない。こんどは、彼らの現在の活動が何かということについて、何らかの結論を出さなければなるまい。彼らの性格についてのぼくたちの推量がほぼ正しいとすると、彼らはじっと待っているのだよ。かなり接近した場所で待っているのだ、ぼくたちが力場帯を解除せざるを得なくなるまで待っているのだ、どんなに長くかかろうと待っているのだ。彼らは、この宇宙船の大きさから判断して、そんなに大量の銅は積んでいないだろうと思っている。だから、そういつまでも力場帯を維持できまいと思っている。どうだろう、この考え、合理的だろうか?」
「ぼくは小数点以下十九|桁《けた》まで君に賛成だよ、マート。君の言ってくれたことから、ぼくはますます確信を強めてきた――やつらの首を胴から引っこ抜けるということが。ぼくはいざとなったら迅速に行動できる。しかし今の考えは、やつらが少しくたびれるまで待つ、敵が弛《ゆる》んできたら、すかさず攻撃する、ということだ。それから、古く賢い思考タンクから、もうひとつ泡を出してくれ、そうしたら今日は解放してやる、マート。いったいいつ、やつらの警戒態勢が、いちばん低調になるだろうか? 難問だということはわかっている。しかし、これに答えてくれれば、もろもろが解決するんだ。もちろん、初発の攻撃がこちらの最大チャンスだろうな?」
「そう、第一撃で成功しなければならん。いまの君の質問に答えるには情報が少なすぎる」それから何分間もじっと考えこんでいたが、ようやく、「ここしばらくは、彼らは光線その他の武器を力場帯に浴びせかけ、いまにもぼくたちが力場帯を外すか、と考えているだろう。そのうちに、動力を無駄に消費していることに気づいて、攻撃を止め、一方あらゆる眼をぼくたちに固定し、あらゆる武器を発射用意にして、監視態勢に移るだろう。この監視期間が過ぎてようやく、通常の運行業務に戻るのじゃないかな? そのときは、おそらくは戦闘員の半分は勤務を解かれるだろう。というのは、たとえ彼らがぼくらの知らないような奇妙な有機体だとしても、少なくとも有機体である以上は睡眠をとらなければならない。あるいは睡眠と等価の休息をとらなければならない。勤務に就いているものたち――つまり正常戦闘力ということだが――は、しばらくのあいだ二倍の注意力を払っていなければならない。その間、こちらで彼らの疑惑を刺激するようなことを一切しなければ、注意力が弛《ゆる》んでくる。そして通常の用心深さ程度に低下する。この通常警戒状態の終期になると、戦闘の緊張と、勤務時間が異常に長く続いたのとで、彼らは用心深くなくなる。警戒態勢はかなり正常位を下回るようになろう。しかし、それがどれだけ続くかは、もっぱら、彼らの時間観念によるのだが、残念ながらぼくたちには、これについてはすこしも情報がない。これは地球とオスノームでの経験を土台に、ぼくの単なる臆測だが、十二時間ないし十三時間したら、ぼくたち攻撃に出られるかもしれない」
「それでぼくには充分だ。すごいぞ、マート。ありがとう。君はおそらく、このパーティの人たちの生命を救ったよ。さあ、これから十一時間か十二時間眠ろう」
「眠るって、ディック? 眠れるもんですか!」とドロシイが叫んだ。
[#改ページ]
五 最初の流血
つぎの十二時間の経過はおそろしくのろかった。みんな、できるだけ体力を蓄えなければならないとわかってはいるのだが、睡眠はできなかった。食べることも難しかった。シートンはスイッチ機構を電気|記秒時計《タイマー》に連結した各種の装置をつくった。そして自分の驚異的な筋肉反射のスピードをフルに使って、スイッチの≪開き≫と≪閉じ≫との時間をできるだけ少なくしようと、数時間もかかって苦心|惨憺《さんたん》した。そしてついに、たった一つのインパルスでスイッチを開閉できる強力な電磁気装置を作りあげた。これだと、電気回路の開いている時間はわずか千分の一秒に短縮された。こうして初めてシートンは満足を覚えた。
「視力の持続力があるから、千分の一秒あれば、じゅうぶん見回わしができる。しかも、やつらとしては、監視レコーダーをぼくたちに絶えずつけておかないかぎりぼくたちが見えないくらい、千分の一秒は短い。やつらがたとえビームを投射しつづけているとしても、千分の一秒などという短い照射時間では、ぼくたちのスクリーンを無効化することは、とうていできまい。どう、みんな、そう思うだろう? ぼくたちは実視板を五個使い、宇宙船球体の全表面をカバーする。もし君たちの誰でも、やつを見かけたら、すぐその実視板上の地点と輪郭をマークしたまえ。用意はいいかい?」
シートンはボタンを押した。一|刹那《せつな》、無数の星が闇黒の空漠のなかで閃き、消えた。
「ほら来たわよ、ディック!」マーガレットが金切り声をあげた。「ここんとこ――彼、実視板の半分も蔽《おお》っていたわ」
マーガレットは、彼女が見た物体の位置を示そうとして、シートンに苦心して輪郭を描いてみせた。
「いい仕事だ!」シートンは大喜びで叫んだ。「やつは、半マイル以内にいる。七分身を露出している――完璧だ! ぼくはまた、あんまり遠いから幾枚も写真を撮って位置を決めなけりゃならんかと思っていた。それに、やつはビーム一本こっちに照射しておらん。敵の監視員一人ひとりが発生機の制御装置に手をかけていて、四分の一秒以内に行動を起こさん限りは、鴨《かも》は料理されたも同然だ! おいみんな、座席にしがみついて――ぼく加速機《アクセル》を踏むから!」
みんながそれぞれの位置にストラップを緊《し》めつけて動かないようにしたのを確かめると、シートンは操縦席にバンドでわが身を緊縛し、動力バーを敵宇宙船の方向へセットし、動力バー全出力の三分の一を与えた。もちろん、スカイラーク号は動かない。戸惑いながらも彼は機敏につぎの行動に移った。顔を実視板へ動かさず貼《は》りつけたまま、眼にもとまらぬ速度で手を泳がせた。左手は力場帯を制御しているスイッチを閉じ、開いた。右手は船体のあるゆる点へつながっている操舵コントロールを動かした。巨大な宇宙船は、あっちへ、またこっちへとよろめいた。力場帯が投入されたかと思うとすぐ解除されたので、船体はぎゅうと緊張し、ものすごいいきおいで突っ走り、動力バーのすさまじい力が加えられるまま、中心針路のまわりを嘔吐《おうと》をもよおすような衝撃でジグザグに走った。一秒か二秒、この狂ったようなよろめきの後、シートンは動力を絶った。それから、内側スクリーン、外側スクリーンがともに最高定格で作動していることを確かめてから、力場帯を解除した。
「さあ、これで奴らをしばらくおとなしくさせておけるぞ。いまの闘いは、さっきのよりまだ短かった――それでいてずっと効目《ききめ》があった。どれ、投光照明をてらして、やっこさん、どの程度にバラバラになったかを見てみよう」
投光照明で見ると、力場帯は文字どおり敵宇宙船をハムのように薄切りにしていることがわかった。どの薄片も航行できるほど大きくはなく、危険を感じさせるほど厚くはない。どれも切断面は鋭い。まるで巨大な反身《そりみ》の刃物で裂かれたような切口である。ドロシイはシートンの腕のなかで、安堵し嗚咽《おえつ》している。クレーンは一方の腕を妻の腰にまわしながら、他方の手でシートンの手を握った。
「完全無欠だ、ディック。極度に物理的に困難な条件下に、協調とタイミングのよさとして、これほど完璧な事例に出会ったことがない」
「あなたほんとに、わたしたちの生命を救って下さったわ」とマーガレットがつけ加える。
「五分五分に過ぎんよ、ペッグ」シートンが真っ赤になりながら抗議した。「主としてマートがやってくれたんだよ、君も知ってるように。もしマートが初めっからぼくにやらしていたら、ぼくはヘマをして取り返しのつかないことをしたに違いないんだ。どれ、どんな敵だか調べてみよう」
シートンがレバーに触れた。スカイラーク号は緩《ゆる》い速度で半マイルばかり先の残骸のほうへ移動していった。切り裂かれた各断片は、相互の重力をうけて、互いに寄り集まりかけていた。探照灯をつけ、光芒をあちこちと動かした。大きな断片の一つが皎々《こうこう》と照らしだされたのを観察すると、巨大な頭巾《ずきん》をかぶったような格好の人影がいくつか見えた。数個の人影は金属破片の上に乗っている。他の人影は空間を漂いながら、ゆっくりと金属断片のほうへ近づいていっている。
「哀れな奴らだ――生き残る望みはあるまい……」シートンは良心の呵責に堪《た》えないふうにうめいた。「でも、殺すか殺されるかだったんだから――あっ、気をつけろ! 硝石の甘いアルコール〔亜硝酸エチルのアルコール溶液で発汗を促進する鎮静剤〕!」
シートンは呪詛《じゅそ》を叫ぶと制御盤に飛びすさった。彼が動力をいれるや否や、他のものたちは床へ投げだされた。シートンのとっさの行動は、頭巾をかぶった人影が、一人の合図とともに、いっせいにそれぞれ一つのチューブを構え、こちらの外側スクリーンがまたも白熱の炎を発したからであった。退避するスカイラーク号のなかで、シートンは、攻撃の合図をしたらしい一人の頭巾《ずきん》人体へ牽引ビームの焦点を合わせた。シートンはスカイラーク号を、小型のループを描いて一回転させた。牽引ビームの竿《さお》の先に釣りあげられた頭巾人体は他のグループから離され、くるりと宇宙船の反対側へ抛《ほう》りだされた。シートンは一本の補助牽引ビームで、この人体からチューブを奪い、他の補助ビームで頭部と脚部を縛りつけた。頭巾の囚人は筋肉ひとつ動かすことができない。そのうちに、クレーンと女たちは床からよろけながら立ちあがって、実視板のほうへ急いだ。
シートンは六、二―七、五―八の混合ビームを投射した。第六ビームは≪和らげるもの≫であるが、紫から紫外までにいたる周波数帯である。この光線は、十分の動力で駆動されれば、視力を破壊し、神経組織をダメにする。動力をさらにあげると、物質の分子構造そのものをガタガタにしてしまう。≪和らげるもの≫といわれる所以《ゆえん》である。第二―七光線は、可視赤色線よりはるかに低位の帯域で操作される。これは純熱線であって、これに照射されると、照射されているかぎり物質はかぎりなく高温となる。上限はただ温度の理論的極限にすぎない。第五―八光線は高電圧、高周波の交流電流である。その通路に置かれた導体は、アジャックス=ノースラップ誘導電気炉のなかに置かれたと同じ反応を示す。プラチナでさえ十秒間で沸騰《ふっとう》する! 以上三つの光線が組み合わわわされてビームをつくっているのだ。シートンはこのビームを、敵がなおも闘いを継続しようとして立てこもった金属塊に対して照射したわけである。しかも、このビームの背後にはオスノームの発明者が使った小エネルギーではなく、崩壊する銅原子の、百ポンドのバーから発生される数百万、数千万キロワットのエネルギーがバックアップしているのである!
こうして、超エネルギー・スクリーンで遮蔽《しゃへい》されない物体に対して、これらオスノーム発明の新兵器がいかなる効力をもつかの、恐るべき実験がいよいよ行なわれた。金属塊とそのなかに立てこもった人体――人体であるかどうかはまだわからない――は文字どおりに消滅したように見えた。一瞬、それらはビームのなかに鮮烈に輪郭を露呈《ろてい》した。そして眼を裂くような閃光の一瞬がたしかにあった。が、つぎの瞬間、ビームは、何ものにも妨げられずに空漠の真空中へ穿孔《せんこう》していった。蒸発した金属の一瞬凝結した粒滴《りゅうてき》が光芒にとらえられて小さな火花を散らせたほかは、何も眼に映らなかった。
「どうれ、やつら、すこしでも生きているかどうか?」シートンはビームをカットし、その焦点の痕《あと》へ探照灯を照らしながらつぶやいた。
生きている兆候も、活動の気配も見出されなかった。探照灯の光りは、宇宙の一人の囚人の上に照射されている。囚人は、牽引ビームの見えざる把握にとらえられて、不動|金縛《かなしば》りである。得意のマグネットの超エネルギーと斥力ビームの外向け推力スラストとが釣り合った地点で、身動きもできず浮かんでいる。シートンは牽引ビームを操作して、不審のチューブ型兵器を、外殻の小さな機密ドアから制御室へ持ち込み、好奇心のかたまりのような眼光でチューブを調べた。だが、手で触れることは差し控えた。
「光線銃などというものは聞いたこともない。だから、もうすこし知識が得られるまでは、いじらないほうがよいと思う」
「捕虜にしたのね、あなた?」マーガレットが言った。「これからどうするつもりですの?」
「ここへ引っぱってきて、心を読んでやろうと思う。あの宇宙船の乗組士官の一人だと思う。あんなでかい宇宙船、どんなにして作ったのか訊いてみたい。ぼくたちのスカイラーク号などもう、一九一〇年代の安自動車以上に骨董《こっとう》品だ。最新型を作りたいんだ。どう思う、マート? ぼくたち、これからも宇宙飛び歩きを続けるんだとしたら、ほんとに最新式のバリバリが欲しいんじゃないかい?」
「ほんとに新しいのを持ちたい。あの住人たちはとりわけ獰猛《どうもう》なようだ。ぼくたち、できるかぎり強力な、能率的な宇宙船をもっていないと危なくてしかたがない。いまのあの男、たった今だって危険なのかもしれない――いや、たしかに危険に違いない」
「よく言った、エース。ぼくはこんなのに触《さわ》るくらいなら、乾燥して粉末になった沃化《ようか》窒素一ポンドに触りたい。やっこさん、がんじがらめにされているから、ぼくが読んでしまうまでは、自分の頭脳を破壊しようにもできないんだ。だから、急いでどうこうしなくても害はないよ。しばらくそのままに放っておいて、砂漠の空気に熟《う》れさせてやろう。それより、みんなでコンダール号を捜そう。まさかあの出入りで、やつらコンダール号を討ち取りはしなかったろうな」
彼らは八台の探照灯の光りを垂直扇状に拡げ、そこからゆっくりと半球形だけ下へ掃射したが、何も見えなかった。そのとき、バラバラにされた球形宇宙船の残骸物の集ったなかに、シリンダー状の物体の叢《むれ》が見えた。クレーンがすぐそれに気づいた。
「コンダール号はやられたんだよ、ディック。あれがその残骸だ。積荷はほとんどが、南京袋につめた塩だった」
クレーンは喋りながらも、探照灯をそれに照射している。南京袋に、チカチカと緑色の閃光がまたたいた。シートンが安心して叫んだ。
「そうだ――やつら船体はやっつけた。しかしダナークとシタールは脱出した。まだ塩といっしょにいるぞ!」
スカイラーク号はコンダール号の残骸のほうへ移動していった。シートンは制御盤をクレーンに委《ゆだ》ね、みずからは宇宙服を着、主要機密室に入った。機密室を密封しているモーターを回転させ、圧力タンクに空気を戻し、外側ドアを開けた。それから軽い綱《つな》を二人へ投げてやり、しずかにドアの縁を押して宇宙遊泳で二人のほうへ近づいていった。それから、ごくわずかの間、手言語でダナークと会話をし、綱の一端をシタールに渡した。シタールが綱を握った。二人の男――シートンとダナーク――は不審宇宙船の残骸の間を泳いで、興味をそそる各種の器物を蒐集した。
制御室へ入ると、ダナークとシタールは、宇宙服内の気圧を地球宇宙船のそれと徐々に等圧にし、それからヘルメットのフェースプレートをはずした。
「おお、地球の大公! またも生命《いのち》を助けていただき……」言いはじめて息が切れ、喘《あえ》いだ。シートンが空気ゲージへ素っ飛び、詫びを言った。
「ごめん、ごめん。ぼくたちの大気圧が君たち二人にどんな影響があるか、ちっとも考えないでごめんなさい。ぼくたちは君たちの大気圧に耐えられるのだが、君たちは地球のそれでは失神に近くなる。……そう、これでずっと楽になったろう? 君たち、力場帯は投入しなかったの?」
「しました。スクリーンを維持できなくなったことがわかったとき、すぐ投入したのです」
オスノーム人の息づかいは、オスノーム惑星大気圧よりちょっと低い程度まで船内気圧があげられたので、ほぼ正常となっていた。
「それから、スクリーンの動力を制限量まで上げ、それだけ動力をあげればこんどはスクリーンも耐《も》つだろうと思い、いや、耐つかどうかを試す意味で、力場帯をちょっとだけ解除してみたんです。ほんの一瞬だけですよ。ところがその一瞬だけでもう、こっちはやられてしまったんです。そんなにものすごい超エネルギーのビームが出せるものとは想像もしなかった凝集ビームが敵のほうから侵入してきまして、外側スクリーンと内側スクリーンなどは、何もないかのように素通りし、船殻の四フィート厚アレナック装甲板を貫通し、中央部の機械室も素通りし、反対側の装甲板も突き抜けてしまったのです。さいわい、私とシタールは宇宙服を着て……」
「なあ、マート、ダナークの話、ぼくたちがうっかり見落していた重大ポイントだよ。それにすばらしいアイデアでもある。あの見知らぬ宇宙船の乗組員たち、常用装置として、宇宙服をしょっちゅう着ていたのだ。ぼくたち、こんど妙な宇宙騒動に捲《ま》きこまれたら、必ず宇宙服を着ていることだな。しょっちゅう手近に置いとかにゃならん。ああ、ごめん、ダナーク――先を続けてくれたまえ」
「私たちは宇宙服を着ていましたから、そのすごい攻撃光線がカットされるや否や(攻撃光線が侵入してきたのは、ほんの一瞬だけだったのです)、私は乗員に逃げろと通話命令し、私とシタールは船殻にあいた穴から外へ飛びだしました。穴から迸《ほとばし》り出る空気のいきおいで、私たちは数マイルも宇宙空間へ飛ばされてしまいましたので、塩の荷の微弱な引力で、そこまで引っぱられるのに、何時間もかかってしまいました。私たちは、数分間ばかり前に、南京袋にとりついたばかりだったのです。あの空気の噴流で救われたんですよ――彼らは私たちの宇宙船を破壊してしまいましたし、乗員は現場の割りあい近くで浮遊していましたから、敵はすぐ捜査隊を繰りだして、一時間ばかりで焼殺してしまいました。いや、それはそれは恐ろしい、すごい威力の殺人光線でしたよ。あんな威力を出す発生機、いったい製作できるものかどうか、不思議に思うくらいです。しかし、私たちには痛くも痒《かゆ》くもなかったんです。敵は殺人光線をとめ、しばらく待っていました。あなたが力場帯を解除なさったときは、私はあなたたちのほうを見ていなかったのです。力場帯が出ているなと、ちらッと思った瞬間、もう敵の宇宙船はバラバラにされていたんです。あとはあなたのご存知のとおりです」
「いやあ、ほんとによかった。君たちがあの穴から逃げられたのは! よし、どうだマート、あいつを引っぱってきて調べてみようか?」
シートンは捕虜を抑えている数本の牽引ビームを操作し、主要機密室と平行の地点まで運び、ついで斥力ビームの力を減じた。捕虜が機密室に近づくと、各種の制御装置が自動的に作動し、まもなく頭巾男は制御室のなかへ引っぱりこまれ、後ろの壁面に押しつけられ、身動きもできなくなっていた。クレーンは〇・五〇口径の象《ぞう》撃ち銃を構えて、頭巾男の真正面に立った。
「君たち女性は、どこか別の部屋へ行っていたほうがいい」クレーンが言った。
「と、とんでもないわ!」ドロシイがいきり立って叫んだ。眼をまるくし、興奮して顔を紅潮させ、手に自動拳銃を持ちながら、ドアの近くに立っている。「大農場ひとつくれるといわれたって、こんなチャンス、はずすものですか!」
「うむ、相当がっしりと押さえつけられているな」捕虜の身体にかけられているいろんな牽引ビーム、斥力ビームを丁寧に調べてから、シートンが言った。「それじゃ、宇宙服から中身を引きだそう。いや、ちょっと待って。やつの空気を、その温度、圧力、組成などを最初に調べたほうがいい」
重い装甲宇宙服のなかに入れられてあるので、捕虜の身体はまったく見えない。ただ、おそろしく背が低く、横幅の広い体躯《たいく》だということはわかる。装甲ヘドリル穿孔するには時間も、大変な道具立ても必要であったが、ともかくもできた。シートンは空気のサンプルを抜いて、オルサット分析器に入れ、その間クレーンは気圧と温度を読んだ。
「温度、百十度。圧力二十八ポンド。だいたいぼくたちのと同じだ。オスノーム人の苦痛がない程度にあげているから」
シートンの分析もすぐ終った。装甲宇宙服内の空気成分は、スカイラーク号のそれとほとんど同一であった。ただし、二酸化炭素が多く、水蒸気集中度が極度に高い。シートンは動力カッターを持ち出してきて、装甲宇宙宇宙服の前面と背面から、上下に切り裂いた。一方、クレーンは牽引ビーム、斥力ビームの制御盤にいて、捕虜を厳重に縛りつけていた。シートンはヘルメットをもぎとり、宇宙服全体をわきへ開き、緋色《ひいろ》のシルクに包まれた敵士官の全身を露出させた。
その男は背高は五フィートにも満たない。二本の足は太いところ、細いところという区別はなく、ただの|塊り《ブロック》である。長さも直径もほぼ同じで、ヘラクレスのような逞《たくま》しいトルソを支えるにふさわしい頑丈さである。腕は、地球人でいえばよほど逞しい男性の腿《もも》ほども太く、床に達する長さである。厚さ一ヤードになんなんとする驚異の両肩は、巨大な頭部を支え、それとひと塊りになっている。つまり頸部がないのだ。この生物は、鼻、耳、口らしいものを具えている。ただ驚くべきは頭部である。偉大な円屋根《ドーム》状の額と厖大《ぼうだい》な頭蓋とを見れば、そこに包蔵されているものがどれほど高度に発達をとげた巨脳であるかが察しられる。
しかし地球人の注意を惹《ひ》きつけて放さないのはその眼であった。巨眼である。黒い。海綿状のプラチナのような、鈍い、混濁した、光沢を欠いた漆黒《しっこく》である。瞳はやや光沢をおびた黒さ。そのなかに、ルビーのような赤い炎が燃えている。無慈悲、傲岸《ごうがん》、冷酷、そして嘲《あざけ》りをふくんでいる。その不吉な深淵のうちに読みとれるものは、無限の時間に積み重ねられた、測るべからざる狡智《こうち》ということである。情無用の冷酷さということである。そして恐ろしい威力が秘められているに相違ないのであり、同時に癒されることのない残忍性と兇暴性が汲みとられる。怪人のらんらんと光る眼光が四人の地球人をひとりひとり見回した。この眼光に出会うことは、脳天にすさまじい一撃を喰わせられるようなショックだ――事実、物質的なエネルギーなのであろう。このごつい頭脳によって発生され、赤く血ばしった冥府《めいふ》の巨眼を通じて投射される、冷酷無残、そして兇悪そのもののエネルギーなのであろう。
「とくべつに用がなければ、あたしとペッギーは階上《うえ》へ上っているわ、ディック」長い息づまる沈黙をドロシイが破った。
「それがいいよ、ドット。見ていて愉しい見世物じゃない。といって、やって面白いスポーツでもないが」
「あたし、あともう一分間ここにいたら、一生涯恐ろしい光景に悩まされますわ、そしてまた病気になってしまいますわ……サヨナラ」シタール自身、この場合、憐憫《れんびん》はなく復讐に燃えていたが、さすがに彼女も二人の地球女性といっしょに制御室を出ていった。
「女たちの前じゃ言えなかったが、君たちと二、三アイデアを相談したい。この男、自分の司令本部へ報告したと、君たち思うか?」
「ぼくもそのことを考えていたのだ」クレーンが沈鬱な調子で言った。ダナークがうなずいた。「あんなケタはずれの宇宙船を開発できる種族なら、必ずやそれにマッチした通信システムも開発しているに相違ないと思う」
「ぼくの推論と同じだ。だからして、ぼくはこいつの頭脳を読もうというんだ。たとえやつの頭脳を焼き切らなければならんとしても。こいつが、どれだけ故国《くに》から遠くやってきたものか、それから、ぼくたちについてどんな報告をしたか、みんな知っているのかどうか調べなくっちゃならん。それにまた、やつらの超近代的な宇宙船の設計図、駆動システム、武器装置などが知りたい。それはダナーク、君のところで、あんな大きな宇宙船が作れるようにだ。それと、あれと同じ宇宙船がこんどまたぼくたちを襲ったとき、あわてないで準備をしておくためにだ。スカイラーク号なんかに乗っていたんじゃ、とうてい勝ちめはない。しかし、やつらのような宇宙船をもっていれば、逃げきれる。闘う必要があれば闘うこともできる。ほかにアイデアは、君たち?」
クレーンにもダナークにも他にこれといういい提案が浮かばないので、シートンは教育器械をもってきて、怪物の眼をじっと見つめた。怪物の、動かすこともできない頭部へひとつの受信器をかぶせると、捕われの怪物は、侮蔑しきった冷笑を浮かべた。だが、教育器械のフタを開け、真空管やら変圧器などがぎゅうぎゅうつまった内部を見ると、怪物の冷笑は消えた。シートンがさらに、重負荷変圧器と五キロワット送信真空管を挿しこんで、超出力の段《ステージ》に器械性能をあげると、怪物の眼に、自制はしながらも、疑惑ないし恐怖の影がちらと現われたのを、シートンはたしかに見たように思った。
「こいつにとっちゃ、受信器は子供だましだろうさ。しかし、教育器械のほうは、あんまり好かんらしいな。でも、こいつを責めるわけにはいかん。ぼくだって、この接続図の受信側へ廻るのは真っ平ごめんだからな。やっこさんをレコーダーにかけ、実視化装置《ヴィジュアライザー》につなごう」シートンは導線のスプールを、複雑な機械装置のなかのテープ、ランプ、レンズなどに接続し、自分で受信器をかぶりながら、なおも喋りつづける。
「こんな頭脳の内容物を、ぼくの頭蓋のなかへ取りこむの、何だか厭だな――圧倒されちまうんじゃないかとこわいんだ。だから、ただ、覗く程度にしておこう。そして、何か欲しいものが見えたら、すぐにとっつかまえて、ぼくの頭脳へ入れる。そっと始めるよ、大きなチューブは使わん」
シートンは数個のスイッチを入れた。標灯がついた。導線とテープがマグネットの間へ繰り込まれていく。
「おっ、ぼくはやつの言語を習ったぞ、みんな。やつは自国語をぼくに習わせたがっているみたいだ。おお、そのなかには、ぼくの理解できない情報がワンサとつまっている。すこし英語を教えてやったほうがよさそうだな」
彼は接続をいくつか変更した。すると捕虜が喋りだした。きわめて深い、低音《バス》の声である。
「そのこころみはやめたほうがよろしい。なぜならば、おまえはおれからすこしも情報はえられないからだ。おまえたちの機械は、おれたちの機械より数千年もおくれている」
「よけいな口を叩くな、こいつ。叩くんだったら、理屈に合ったことを言え」シートンは冷然とたしなめた。「おまえに英語を教えたのは、ぼくの知りたい知識を頂戴《ちょうだい》するためなんだ。おまえはもうこの機械の働きは知っとるだろう。喋る用意ができたら、できたと言え。喋りたくなかったら、自分でそのスクリーンに指向をぶっつけてみろ。言うことをきかんと、電圧をあげて、その頭脳を焼き切ってやるぞ。忘れるなよ、おい、きさま――ぼくは死んだ頭脳でも生きた頭脳と同じくらいよく読めるんだから。しかしぼくは、おまえの知識だけでなく、その思想も知りたいのだ。厭だと言っても、必ず頂戴するからそう思え。もしおまえが自分で進んでいろいろと教えてくれたら、ぼくは救命艇を修理しておまえを乗せて、故郷へ返してやる。自由にしてやる。おまえが抵抗しても、ぼくは要るだけのものは取るんだから、そして、おまえは生きてこの船を去ることができん。どっちにするか、よく考えて決めろ!」
「おまえは子供っぽいことをいう。その機械はおれの意志をくじく力はまったくない。おれはいまから百年もまえ、やっと大人になりかかったときでさえ、そんな機械など卒業してしまっていた。こら、あわれなアメリカ人、よく聴け――われわれはフェナクローンの超人《スーパー・マン》である。大宇宙《ユニヴァース》の無限数の惑星上に、かぞえきれないくらい多数にある種族のなかで、幾百万幾千万と繁殖したあわれな劣等種族とは、くらべものにならない高等人類なのだ、おれたちは! おまえたちのその宇宙船はなんだ、いったい? そんな活力のない金属――それでもおまえたちはその金属よりは高等だな。それとおなじくらい、おれたちはおまえたちよりすぐれているのだ。大宇宙はおれたちのものなのだ。いまに大宇宙はおれたちが盗《と》る――ちょうど、いまにおれがこの宇宙船を盗るようにだ。さあ、最悪の処置をとってくれ、もうおれはしゃべらないぞ」
そう宣言した怪物の眼は炎を噴いて、シートンの両眼に、そして彼の脳髄《のうずい》の奥深くにまで、催眠効果のある強烈な視線を放射した。シートンの五感は、恐るべき精神エネルギーのインパクトに、瞬時ながら、よろめき揺《ゆ》らいだ。だが烈しい内的格闘のすえ、彼はそのすさまじい魔力の呪縛を振りきることができた。
「もうすこしだった、きさま! だが鐘を鳴らすまでじゃなかったぞ」シートンは巨眼を凝視しながら陰鬱な調子で言った。
「ぼくは心理的には低級らしい、しかしおまえの催眠術にかかって、逃げられてしまうほど弱くはないぞ。それに、他の分野では、きさまにひと泡吹かせてやる、それをこれから実物教育してやるから……。超人《スーパー・マン》だからって、おまえの部下はぼくのビームでやられたじゃないか。きさまだって同じことだ。超人であろうとなかろうと、その脳髄を救うことはできん。ぼくは、知力や心理の力にたよっているんじゃない――きさまの脳髄のいちばん柔いところへ、五千ボルトの電気を流すという、とっておきの切り札があるんだ。さあ、早くぼくの望むものを吐き出しはじめろ、早くだ。でないと、引っ裂いて奪《と》るぞ」
怪しい巨人は答えようともしない。傲然と、酸味のつよい憎悪をたぎらして睨みかえしているばかりである。
「よし、じゃ、これでも喰らえ!」シートンはどなりつけ、超出力の段《ステージ》に切り替え、ダイヤル、ノッブの類をあちこちと回し、シートンのいちばん興味を惹かれる脳領野はどこかと、未知の心のなかを深測しはじめた。すぐその領野をさがしあて、実視化《ヴィジュア》のスイッチをいれた。実視化装置というのは、シートン自身の頭脳レコーダーと併用される新機械で、三次元映像をキャビネットのなかの暗い空間――これを≪実視地域《ヴューイング・エリア》≫という――へ投射するものである。クレーンとダナークは張りつめ、声もなく、ふたつの強烈な意志の沈黙の闘いを観視していた。丁々発止《ちょうちょうはっし》の格闘は烈しさを増していった。片や、夢想さえ辞さぬ威力の恐るべき巨人的頭脳である。これに対決するものは、生命を賭《と》して、いや≪生が重貴《ちょうき》なるものと観じたすべてのもの≫を守ろうとして戦う、ひとりの強い男性である。その彼は、怪異で恐ろしい頭脳に対して、地球科学とオスノーム科学がかつて発明したあらゆる技術に裏打ちされ、超高圧電力によってつくりだされる、強大な武器をふるっているのであった。
シートンは増幅器の上に緊張した上半身をかがめていた。顎《あご》はがっしりと締められ、あらゆる筋肉がピアノ線のように張りきっていた。一つの計器から他のメーターへと彼の視線は飛んでいる。そして右手がゆるゆると電位差計《ポテンシオメーター》をまわしている。あの頑強に抵抗する怪物頭脳へ、シートンの高出力真空管の、焼け爛《ただ》らすような、拷問の笞《しもと》にも似た大出力が、まだか、まだかと喰いこまれていく。捕虜の巨人はまったくの硬直状態で突っ立ったままだ。眼は閉じている。あらゆる感覚と機能とが総動員されて、彼の心の最奥の聖域へ闖入《ちんにゅう》しようとする酷烈な貫通力をもつ攻撃に抵抗している。クレーンとダナークとは、実視化装置に映る三次元映像が、まったくの空白から、おぼろげな巨大宇宙船の輪郭へと徐々に変わっていくのを、息を呑みつつ観察していた。未知の怪人が必死で鋭い詰問に抵抗すると、三次元映像はぼやけ、消えかかった。だがシートンが電位差計をさらに押しすすめると、巨大宇宙船の映像はさっきよりも一段と明瞭になった。ついに、怪物の肉と血とは、もはやこの仮借なき審問に抗する力を失い、三次元映像はより鮮明に、より鋭くなっていった。艦長の姿が現われた。というのは、この男、単なる士官ではなかったのだ。巨大宇宙船の司令官であったのだ。艦長は、ばかにでかい会議テーブルに向かって腰かけている。大勢の高級士官たちが集っている。みんな非常に低い、強い金属製の立椅子に坐っている。彼らはいま、皇帝から命令をうけているのである。思考は翻訳を要しないから、皇帝の命令は、クレーンにもオスノーム人にもひとしくよく理解される。
「宇宙軍のおまえたち」と皇帝は荘重に発言している。「しばらく前に帰還した、われわれの予備探検隊は、所期の目的のすべてをたっせいし、われわれはいま、大宇宙征服というわれわれの宿命ともいうべき使命のすいこうを、いよいよ開始する用意がととのった。まずこの銀河系を征服しなければならない。われわれの作戦基地は、きわめてかがやきのつよい緑色太陽のグループに付属した最大の惑星オスノームである。緑色太陽グループは銀河系内のどの空域からもよく見え、そのほぼ中心にくらいするからである。われわれの天文学者たちは……」このとき艦長の思考が、宇宙空間の遥《はる》かな遠くにある、ある天体観測所へ短時間ながら移行した。それは、宇宙の様子を完全に見るためであった。たちまち、艦長の思考のなかに、巨大な反射望遠鏡が現われた。直径五マイルの反射鏡をそなえ、想像を絶した数万光年の宇宙空間を見透す威力をもった望遠鏡である。「……この銀河系にぞくする太陽、惑星、衛星のことごとくを観測表示している。おまえたちのひとりひとりには、すでに完全な空域地図が支給されており、探検すべき空域地図がわりあてられている。おまえたち、このことをけっして忘れてはいけない――こんどの第一次大探検は、純粋な調査探検のための宇宙旅行だということである。ほんらいの遠征旅行は、おまえたちが完全なる情報をたずさえて戻ったのちに、敢行されるはずである。おまえたちは、十年ごとに、メッセンジャー魚雷によって報告せよ。もちろん、われわれは大宇宙における最高の生命形態であるから、こんどの探検にさいして、重大なる困難に遭遇するとは、すこしも考えていない。しかし、まんいち不測のトラブルがあったら、ただちに報告せよ。その始末はわれわれのほうでおこなう。結論として、もういちど、おまえたちに警告する――けっしてわれわれの存在を他の惑星の生物に知らしめてはならぬ。征服は差し控えよ。偶然に、おまえたちを見たものは、必ずこれを破壊せよ。それでは、宇宙の勇士たち、いさんで出《い》で立つがよかろう」
艦長は小さな空中ボートに乗り、第一次探検隊の旗艦へと飛んだ。
艦長が広大な制御盤の前の自分の座につくと、戦艦はただちに、思考も及ばない超速力で宇宙空間へ発進していった。それだけの超高速でありながら、ごくわずかの肉体的ショックも伴わないのは偉とすべきであった。
ここまで来たとき、シートンは艦長の頭脳を強制して、地球人三人を巨大な戦艦内へと案内させた。地球人たちは、艦の構造、動力装置、制御装置などをつぶさに観察した。艦の造艦様式、操縦方法、維持保全などについて、こと細かに艦長の心からひきだした。ひきだされた情報は、ことごとくレコーダーに移され、実視化装置にかけられた。
探検旅行はきわめて長期間にわたるように思われた。だがようやくにして、緑色太陽の叢《むれ》が見えはじめてきた。フェナクローン人たちは、この探検艦隊の旗艦に割り当てられた空域に浮かぶ、緑色太陽系の調査探検にとりかかった。調査がはじまるか始らないうちにもう、旗艦は二隻の球型宇宙船を発見した。見られたらすぐ破壊してしまわなければならない。艦長は球型船の正確な位置を観測した。艦長は、旗艦をしばらく停止させ、すぐさま二隻の球型船攻撃を開始した。
三人の地球人は、息をのんで見ている。コンダール号が破壊されていっている。地球人はあっと驚異の叫びをあげた。艦長は、ダナークの乗員の一人を捕え、その脳内容を読破した。そして二隻の宇宙船に関する情報のことごとくを獲得した。それとともに、捕えられた乗員の思考をたどって、コンダール号を脱出した二人が数時間後に漂流しながら戻ってくることを知った。艦長は、この二人をしばらく放っておいた後、処分することに決定した。地球人たちは驚いた――こうした事実のすべてが、次回に発射されるメッセンジャー魚雷のなかに、報告書として印刷されていったことである。巨艦の内部、周辺に生起したすべての事実が、仔細に魚雷のなかへ記録貯蔵されたのである。
地球人が見ていると、艦長が魚雷に入れる報告書のなかに、自分の意見を吹きこんでいる――「太陽六四七三パイラローンの第三惑星における棲息人類は、異常なる発達をしめし、将来トラブルをおこすおそれあり。すでにかれらは威力金属の知識をもち、われわれの探検基地である中央太陽系へ不貫通性|遮蔽《しゃへい》スクリーンをもちこんでいるからである。特殊任務宇宙艦を急派し、この惑星を蒸発せしめるよう、勧告する」
地球人たちは、スカイラーク号への殺人光線攻撃を見た。艦長が命令を発している――
「しばらくビーム、照射をつづけよ。おそらくかの宇宙船は、わずかのあいだながら、遮蔽スクリーンをひらくであろう――さっきの宇宙船がひらいたように……」
やがて、しばらくためらってから、「……光線照射やめよ――動力がムダになる。かれらは、動力が尽きて、ついにはスクリーンをひらくにちがいない。みんな用意! ひらいたら、すぐやつらを破壊せよ」
場面が変わった。艦長は眠っている。と、警報ゴングが鳴り、ぱっちり巨眼を開いた。艦長は呆然としている。自分が旗艦残骸の真っ只中に漂流しているからである。魚雷発射口のついている破壊断片へ、艦長は噴射をふかしていった。魚雷を発射した。魚雷はどんどん速力を増しながら飛翔していく。起こった事件の詳細のことごとくを記録した報告書をいれたメッセンジャー魚雷が、フェナクローンの首都に向かって飛翔していく。
「これが知りたかったのだ」とシートンは思考して、はっと溜息をついた。「あの魚雷数個、全速力で帰還していったな。魚雷はどのくらいの距離を飛ぶのだろう? 首都へ着くには何時間かかるのか、それが知りたい。おいこら、きさま、パーセクってどのくらいの距離か知っとるだろう? パーセクといっても純粋に数学的観念に過ぎないんだから。おまえは時計か何か、持っているだろう? おまえの年時間をぼくたちの時間に換算できる何かの計器を? おまえを殺さなくてはならん破目になるのは好かんのだ。いま諦めて全部しゃべれば、生命《いのち》だけは助けてつかわす。どうせ、おれは知りたいだけは知るんだから! おまえ、もう数百ボルトあげれば、殺されてしまうこと、わかっとるだろう?」
地球人たちは、シートンの思考が受信されたのを知った。返答がもどってきた。
「もうこれ以上、おまえは知ることができん。いちばんたいせつな情報だから、おれは肉体崩壊まで、いやそのさきまで、あかしはせんぞ!」
シートンは電位差計をさらにあげた。頭脳像は鮮明になったりぼやけたりを繰り返した。しかしついに、いく度か瞬間的に頭脳像は強化され、メッセンジャー魚雷が約百五十五パーセク飛翔しなければならないこと、この超距離を飛ぶには二ヵ月を要することなどが明らかになった。さらに、魚雷の報告書に応えて進発してくる数隻の特殊任務戦艦が、魚雷なみの超速力をもつこと、艦長は宇宙服のなかに精密時計をもっていることなどが明瞭になった。フェナクローンの時計には七つのダイヤルがあり、各指針が、そのすぐ次ぎの指針より十倍速く回転すること、いちばん遅く回る指針はフェナクローン人の一年であること、などがわかった。シートンはすぐさま受信器を取り去り、動力スイッチを開いた。
「ストップウォッチを早くひっつかめ、マート!」シートンは叫ぶとともに、裂かれて床に捨てられた宇宙服へ飛びつき、フェナクローン独特の時計を捜しだした。二人でダイヤルの一つが一回転する正確な時間を測定し、それから大急ぎで計算した。
「思っていたよりよかった!」シートンが叫んだ。「かれらの一年は、ぼくたちの日数で約四百十日となった。これで、魚雷が着くまでに、八十二日かかるという計算になる――ぼくが想像していたよりも長い。それに、ぼくたちは戦わなけりゃならん、逃げるんじゃなくて。やつら、スカイラーク号を拿捕《だほ》し、地球を蒸発させる計画をしている。ようし、充分に時間をかけて、こいつの頭脳の完全記録をつくろう。将来に備えて、ぜひとも必要なことだ。たとえそのためにこいつを殺さなければならんとしても、ぼくは必ず情報をとってみせる」
シートンはふたたび教育器械の自分の位置に坐を占め、動力を入れた。そのとき彼の表情に暗い影が動いた。
「可哀そうに――やっこさん、エンジンがとまってしまった。苦痛に耐えきれなかったのだなア」なかば後悔するような調子で言った。「しかし、死んでしまったほうが、必要な情報をとるのに都合がいい。どうせ殺さなければならなくなっただろうと思う。死なすのはちょっと冷酷すぎて厭だったのだが……」
シートンは新しい導線のスプールを教育器械へ通した。それから三時間の間、数マイルの長さのテープがマグネットの間を通過し、シートンはこの怪物的な、すさまじい超頭脳のすみからすみまでを探索した。
「うむ、これでおしまいだ」ようやく彼は言った。情報の最後の一滴までがテープに記録されると、彼はフェナクローンの艦長の屍体を船外へ放りだし、ビームを照射して消してしまった。
「さあ、どうする?」
「この塩をどんなにしてオスノームへ運んだらいいでしょうか?」ダナークが訊いた。ダナークの心はいっときも貴重な薬品資材から離れていなかったのである。「あなたたちだけでも、もういっぱいだというのに、私とシタールが来て、なお狭くなりました。これ以上積荷のスペースはありません。といって、オスノームへ戻って別の船を頼むのでは、貴重な時間がかかりすぎますし……」
「そう、それにぼくたち、≪X≫金属をうんと積まなけりゃならんしな。結局、もう一隻ひっぱってくるより仕様があるまい。それから、あの巨艦の残骸も曳《ひ》いて行きたい――計器類とか、部分品などで使えるものがずいぶんあるだろうと思う」
「じゃ、そっちのほうを早くしようじゃないか」とクレーンが示唆《しさ》した。「あの全質量をオスノームへ向けて発進させる。このスカイラーク号ですこしばかり曳いていって、ある速度に達したとき離せば、自然と希望する時間に到着するようにできる。それからぼくたちはXを採《と》りに出かけられる。X材料は緑色太陽系附近にあると思うが……」
「君は正しい、エース――妥当な案だと思う。しかし、ちょっとダナーク、君、ぼくたちの食物をすこしとってみたらどうだね、厭んなったらよせばいい。とにかくいい練習のチャンスだ。それから、ぼくたち二人がこっちで計算している間に、君は残骸へ飛んで、故郷《くに》へ着くまでの二日間ぐらいの食料を運んできたらいい。材料をシローにやりたまえ。二度ほど講義をしてやれば、シローは大したオスノームの料理頭になれるんだから」
動員できるかぎりの牽引ビームで、フェナクローン探検艦隊の旗艦である巨大宇宙艦の残骸を曳行《えいこう》しながら、スカイラーク号はしだいに速力を増していった。あらかじめ計算された速度に達したとき、牽引ビームを解除した。身軽になったスカイラーク号は例のX惑星へ向かって驀進《ばくしん》していった。地球科学に知られたもっとも希少の貴金属であるX金属が、すくなくとも山の尾根一つをまるごと構成している、まだ石炭紀にある惑星である。自動操縦装置で宇宙船の針路を固定させておき、宇宙放浪者たちは、鳩首《きゅうしゅ》して相談をはじめた。フェナクローンという恐るべき、怪物的な文明をもった生物の企図している宇宙征服から、いかにしてわれわれの銀河系文明を護るか? 文明破壊の脅威を去らすには何をなすべきか、何をなすことができるか?
やがて石炭紀の惑星に近づいたとき、シートンがたちあがった。
「ぼくの見るところではこんなふうになる。ぼくたちは壁を背に追いつめられている。ダナークもまた、たくさん悩みを抱えている。たとえ第三惑星がダナークを殺さないとしても、フェナクローンが彼を殺すだろう。しかし第三惑星のほうが、もっと差し迫った危険だ。だからいまはダナークの問題は一応|棚《たな》あげにしよう。ぼくたちには、フェナクローンがここへ戻ってくるまでに、六ヵ月ばかりのゆとりがある……」
「でも、どうやって彼ら、あたしたちを見つけられるの、あたしたちがここにいるにしろ、六ヵ月先にどこへ行っているにしろ?」とドロシイが訊いた。「戦争なんて、ずっとずっと先のことでしょう?」
「こちらが早く出し抜いたから、やつらもおそらくは、ぼくたちを見つけるなんてことはできんだろう」シートンが真剣な表情で答えた。「ぼくの考えているのは、ぼくたちのことじゃない。ぼくたちの故郷である世界のことだ。どうしたって、やつらの侵略は阻止せねばならん。二度と立ち上がれないように、挫《くじ》いてやらねばならん。それをするのに、ぼくたちには六ヵ月の時間しかない……オスノームには、ぼくがこれまで見たこともない最優秀の機械工具類と最能率の労務者がいる。……」シートンの声が立ち消えた。深く思索を練っているのである。
「そういったことは君の領分だからね、ディック」クレーンが相変わらず冷静、かつ慎重に言った。「ぼくはもちろん、ぼくとしてできるだけのことはする。しかし、君はもう大体の作戦計画をたてているんじゃないのかい?」
「まあな。ぼくらは、何よりもまず、この力場帯を通して行動できる技術を開発しなければならん。でないと痕跡も残さず轟沈《ごうちん》になってしまう。地球でたとえやつらのそれに匹敵する兵器、スクリーン、宇宙艦を持っているとしても、到底やつらが超弩級艦《ちょうどきゅうかん》を送って地球を破壊するのを防ぐことはできまい。とすれば、いずれはぼくたちも、やつらの餌食にされる運命にある。もちろんやつらは、ぼくたちの知らないようなすごい兵器をたくさん持っているだろう。たった一人の頭脳を調べただけでも、そのことは明瞭だ。やっこさんは有能なフェナクローン人だったが、他のフェナクローンのことを何から何まで知っていたわけじゃない。地球だって、たった一人で地球科学全部がわかっているという奴はおらんだろう。こう考えてくると、あの力場帯を制御することだけが、地球はもちろん、宇宙文明の生き残るチャンスだ。そして、やつらが持っていないとはっきり断言できるのは、あの力場帯だけだ。もちろん、不可能かもしれない。しかしぼくとしては、あらゆる可能性を探ってみないうちは、ダメだとは信じたくない。ダナーク、君は、君の宇宙船建造の人員の他に、フェナクローン宇宙船複製をつくるのに、ぼくたちにすこし人員を貸してくれないか?」
「お安いご用です。よろこんでお貸しします」
「よしきた。それじゃ、ダナークがそれをしている間、ぼくの提案としては、ここの第三惑星へ行ってそこの一流科学者を数人誘拐して、その頭脳を読んでみたらどうだろう? それから、高度文明のある惑星を見つけ次第、片っぱしから歴訪して、同じことをする。たくさんの惑星の戦争記録から、いいところだけを精選して組み合わせれば、何かの役に立つ素晴らしいものを開発するチャンスが出てくるんじゃないかしら」
「銅魚雷を発射して、かれらの惑星ぜんたいを破壊したらいいじゃないんですか?」
「それができないんだ。やつらの探知スクリーンは、十億マイルの先から魚雷をみつけ、事前に爆発させてしまうから、惑星には何の影響もない。ところが力場帯を併用すれば、銅魚雷は探知スクリーンは素通りし、防衛スクリーンすらも通過する。だから、まず力場帯だ。ねえ君たち、ぼくはあらゆる方面から攻めていったが、結局この力場帯へ行きついてしまう。どうにかして、これを物にしなければならんと思う!」
針路警報が鳴った。見ると、行手に一つの惑星があった。X惑星であった。充分の逆加速度が加えられ、着陸を容易にした。
「あの金属を二トンも引っ掻くなんて、そして一方で恐ろしい野獣と戦うなんて、ずいぶん時間のかかる仕事になるんじゃありません?」マーガレットは心配顔である。
「なあに、百万分の一秒ばかりしか、かからないんだよ、ペッグ。ぼくは力場帯でぐさッと噛《か》みとる。ちょうど、ぼくがぼくたちの私設飛行場から、土壌を一と噛み、噛みとったようにだ。惑星が自転するから、地表からおっ放りだされるだろう。すると力場帯を解除して、獲物を牽引ビームで掻っさらっていくんだ、わかったかい?」
X金属にセットされた対物コンパスの指向に導かれ、スカイラーク号は記憶も生々しいX金属の尾根へ向かって急速に降下していった。
「わたしたちがこの前着陸したのと、ぴったり同じ場所だわ」マーガレットが驚いて言った。ドロシイもつけ加えて、「そうよ。恐竜だか何だか知らないけど、あの動物を食った恐ろしい樹がここにあったんだわ。あなた、樹を爆破したと思ったけど、ディック?」
「そうだよ、ドッチー――原子にバラしたんだ。食肉樹の類には格好な土地らしい。それに、すごい早さで生長するんだ。同じ場合かどうかって、ペッグが訊いたが、同じ場所なんだ。対物レンズがずっとここへ向けてセットされていたんだ」
すべての様子は、彼らが第一回の宇宙旅行でここを訪れたときと、すこしも変わっていなかった。重苦しいほど熱い、じっと動かない空気のなかに、ムンムンするような青臭さを撒《ま》きちらしながら、おびただしい数の食肉樹が、密生している。強烈な鮮緑色である。神秘な、燃え立つ太陽から降りそそぐ、炎熱地獄のような光線から遮られた、ジャングルの涼しい深み。そこでは、原始世界に棲息する生きた夢魔ともいうべき怪獣奇獣がひっそりと憩《やす》んでいた。
「どうだい、ドット。可愛い友達にもう一度会ってみたいかい? 会いたいんだったら、一発投射して引っぱってきてやるが」
「おお、とんでもない! 一度見ただけでこりごりだわ。たとえ見たことがなかったとしても、絶対にいやだわ!」
「わかった――ぼくたち、この尾根からひと破片《かけら》引っつかんで逃げよう」
シートンは尾根に近く宇宙船を降ろし、尾根に向かって、繋船《けいせん》牽引ビームの焦点を結ばせた。そして力場帯を投射した。投射した瞬間に解除し、動力バーをオスノーム惑星を指向している対物コンパスへ平行に動かし、しずかに動力を加えていった。
「どのくらい取ったんです?」ダナークがびっくりして訊いた。「スカイラーク号より大きく見えますが!」
「そう、かなり大きいよ。ここにいる間に、たくさん取ったほうがいいと思ったんだ。だから力場帯を七十五フィート半径にセットした。あの金属は一立方フート半トン以上の重量だから、半球全体で五十万トンぐらいはあるだろう。しかし、取り扱いは小さな塊りの場合と変わらない。それに、大きな塊りをつかんでおいたほうが、全体として大質量になるから、あの残骸に追いついたとき、大きな残骸を抱えこむのに助けになるんだ」
オスノーム惑星への航行は無事平穏であった。彼らは、緑色太陽系へ近づくと、スケジュールどおりに、塩を積んだコンダール号の残骸と、フェナクローン巨大艦の残骸に追いつくことができた。そして数本の牽引ビームで残骸を抑《おさ》えこみ、X金属塊五十万トンのうしろに固定させて、航行した。
オスノーム惑星が眼下に大きく見えてくると、シートンがダナークに訊いた。
「このガラクタ、どこへ降ろすかな、ダナーク? 金属塊と、塩を積んだ宇宙船の破片はもちろん抑えておく。しかし、ここで手放さなければならんものも、ずいぶんとあるから……。投下するとき下に誰もいなければいいが! 君、下へ叫んでくれ、あたりを退《ど》けって。それから誰かに頼んでくれ、≪ぼくたち着陸したらすぐ、例の天文学のデータをもらえるように用意してくれ≫って!」
「閲兵場はいまごろは空《あ》いていますから、そこへ着陸すればいいんじゃないでしょうか? あれくらいの大きさの広場がないと、何もかも降ろすわけにはいかんだろうと思いますが……」
ダナークは腰の発信器に触れ、汎用《はんよう》暗号電波で首都の人びとにスカイラーク号の到着を告げ、閲兵場に立ち入らないように警告した。それから、公式暗号電波を使っていくつかの指令を発し、最後に、宇宙船を一隻か二隻上空へ送って、曳行《えいこう》物資を地上へ降らす手伝いをしてくれるように頼んだ。オスノーム電信特有の妙な会話である。ゆるやかに波のゆらぐような抑揚の会話が終ったころ、シートンが助けを求めた。
「おい君たち二人、こっちへ来て、牽引ビーム一つずつ掴んでくれよ! この分捕《ぶんどり》品、まっすぐにあんな狭いところへ降ろすんだろう――十二本の手があっても足りゃしない!」
高々度から見おろすと、閲兵場などといっても、針の先でつついたような狭隘《きょうあい》な一小点である。そこへ安全かつ容易にこれらのガラクタを抱いた宇宙船を着陸させるのは至難の業《わざ》と言っていい。各種の速度、超エネルギーなど、関係因子がこと細かに考慮され、もっとも容易な進入経路が計算された。X金属の半球塊と、塩を積んだコンダール号残骸は主要牽引ビームと、補助牽引ビーム一本でしっかりとスカイラーク号に固定されている。他の数本の補助牽引ビームはフェナクローン艦の薄切り区画《セクション》数個をつかんでいる。しかし、不整形の、ごちゃごちゃした金属断片が、磁石にすいつけられた鉄屑のようにぶら下っているのだから、空気抵抗がひどく、落下物体の弾道は複雑怪奇である。三人は牽引ビームをあっちこっちに動かして、てんやわんやである。暴れ馬のように横へそれて、街路へ流れでようとしたり、建物にぶつかろうとするやつを、適当に牽引ビームを操《あやつ》って、どの断片も勝手に落下しないようにしなければならない。そのうちに、ダナークの指令に応えて、コンダール号の姉妹船が二隻、上空にあらわれ、それぞれありったけの牽引ビームを投射して協力した。これだけみんなが大わらわになっても、小断片のいくつかが逸走して自由落下したことは止むを得なかった。地球人と皇太子の到着は、いち早く昼間ばかりのこの不思議な世界に伝えられ、史上空前の歓迎準備に国じゅうが鼎《かなえ》の沸くがごとき騒動を演じていた。
不格好な荷物を抱えこんだ三隻の宇宙船が大気圏の低層に達すると、市中の大砲がいっせいに歓迎の号砲をとどろかせた。旗や幟《のぼり》、長三角旗などが小波《さざなみ》のように揺れている。空気は、数百の投射器から投げだされた万華《まんげ》の色彩で気が狂いそうだ。いろんな香気や匂いで鼻が痛くなるほどである。そして三隻の宇宙船のまわりに、あらゆる機種、あらゆる大きさの航空機が無数に乱舞をつづけている。宇宙船の下の空間は用心して避けているが、上の空間はもとより、四方八方に飛び交うので、空中衝突が起こらないのが不思議である。一脚の椅子ほどもないような一人乗りのヘリコプター、美しい色彩と形をした娯楽飛行機、巨大な多翼定期船と運送機――あらゆる飛翔物体がすきを見てはスカイラーク号に衝突しそうなまでに接近して、彼らの皇太子《コフェディックス》ダナークと、彼らの敬愛する大公であり、彼らの国の最高勲章である七つの円盤《ディスク》をはめた指輪の帯綬者シートンに対し、敬礼の旗を振った。
ようやく厄介な荷物の投下はさしたる故障もなく終り、スカイラーク号は宮殿屋上にある着陸ドックへと翔んだ。着陸ドックでは、王家の人びと、多数の顕臣貴族たちが、燦《きらめ》く宝石のハーネスで身を飾りながら出迎えていた。ダナークとシタールがまず宇宙船を降り、ついで四人の地球人がタラップを降りて直立不動の姿勢をとった。シートンが皇帝ローバンに再度訪問の挨拶をした。
「しばらくです皇帝陛下。しかし、ぼくたち滞在はできません。一刻も滞在は許されません。ご存知のとおり、もっとも緊急の必要があり、陛下の屋根の下にしばらく憩いの喜びをもつことすら許さないのです。皇太子がほどなく、重大事の深刻さを報告いたしましょう。ぼくたちは、早く帰還できるように、できるだけの努力をいたします。それでは、しばらくの間、失礼します。さようなら」
「大公、朕《ちん》および全国民は心からあなたたちを迎える。そして間もなくわしたちが卿等《けいら》を饗《きょう》することができ、卿等と一緒にいることから多大の利益を得ることができることを期待しよう。あなたのして下さったことに対して、われわれは深い感謝を捧げる。偉大なる造物主が、帰還まで卿等の上に微笑《ほほえ》み給わんことを。さらば……」
[#改ページ]
六 平和会議
「マート、これが緑色太陽系の星図だ。全天体の運動、その他彼らが与えられるだけの情報がぜんぶ書きこんである。第十四太陽の第三惑星へは、どうやって航行する?」
「君がフェナクローンの超発生機を建造している間にかい?」
「そうだ、はじめての建造だけど。君の推論機械は、相変わらず八シリンダーで調子よく走っとるな。あの大型ビームはものすごい強力武器だ。それから、やつらのスクリーンもまた、故郷《くに》へ詳しく便りをするだけの値打ちがある」
「彼らのビームがどうして、あたしたちのより強力だというの、ディック?」ドロシイが好奇心にかられて訊いた。
「あたしたちはビームに関しては天下無敵だと、いつだったか、あなたたちおっしゃったんじゃなかった?」
「言ったように思う。しかし、あっちでぼくたちの出会った奴らは、二、三レコード破りをしているんだ。彼らは、ぼくたちとは全然異なった原理でビームを作っている。彼らは、彼らの金属を崩壊させ、そこから出る電子と陽子をもういちど結合させ、ミリカンの宇宙線のような、極度に波長の短い搬送波を発生させているんだ。そしてこの搬送波に、恐るべきエネルギーの純粋熱波を乗せている。ミリカン光線は、特殊スクリーンと力場帯以外のものは、どんなものでも貫通する。そして、無線電波が音響の周波数を運ぶように、熱線を運ぶ。触れるや否や、どんな物質でも蒸発してしまうすごい熱線をミリカン光線は運ぶんだ。……それから彼らのスクリーンも、ぼくたちのものよりずっと優れている。彼らは全スペクトルのスクリーンを発生できる。まったくすばらしいシステムだよ、あれは。ぼくたちが、ぼくたちの骨董品を作り直して彼らみたいなものを完成して、はじめて、第三惑星であの連中と対等のつきあいができる」
「それを作るのにどれくらいの時間がかかるだろうか?」ヴェガの『便覧《ハンドブック》』のページを器用に繰りながら針路を計算しているクレーンが訊いた。
「一日かそこら――せいぜい、三日か四日だろう。材料はぜんぶ揃っているし、オスノームの工作機械があるんだから、長くかかる道理はない。ぼくが終る前に、君がそこへ行ける針路を計算したとなると、君がすこし遊ばなくっちゃならんだろうな、時間つぶしに」
「君は動力装置を、宇宙船全体だけでなく、その搭載機械全部にも繋《つな》ごうというのかね?」
「違う――全体を設計しなおさなけりゃ、そんなことはできない。それに、この宇宙船はあともう少ししか使わんのだから、そんな短期使用のため、再設計なんてするのはムダだ」
ふつうの常識では、地球の機械工、電気工を一部隊使ったとしても、これだけの動力発生機を製作することは、長い日数を要しただろうし、また大変困難な仕事であったろう。しかし、シートンにとってはきわめて容易な小仕事でしかなかった。スカイラーク号の≪工作機械工場《ショップ》≫が拡張され、オスノームの機械装置が足の踏み場もないほどに収容された。オスノームの工作機械は、およそ人間に考えられるかぎりの複雑な工作も、まったく自動的に、そして精密に、迅速に行なうことのできる驚くべき優秀機械であった。彼は工作機械を一ダースもショップに入れて稼動させた。かくてスカイラーク号が目的地である第三惑星に到着するまでには、新しい攻撃兵器、防禦兵器の製作はもちろんのこと、据えつけから試運転まで一切が完了していたのである。シートンは第三のスクリーン発生機を製作して防衛陣を強化した。これでスクリーンは、外側、中間、内側の三スクリーンとなった。各スクリーンは、四百ポンド銅バーから発生する超出力で駆動される。またどのスクリーンも電磁波スペクトル全域をカバーできる。すなわち、超威力科学者《マスター・サイエンティスト》であるフェナクローン人に知られたどれほど凶暴な周波数のビームに対しても、これを無効化《ニュートライズ》することができるのである。こうしていま、スカイラーク号は、四フィート厚のアレナック外殻装甲と斥力ビーム発生機〔これはあらゆる型の物体的投射物を追いはらう威力をもつ〕の外に、三重のスクリーンで護られることになったわけである。
スカイラーク号が第十四太陽の第三惑星に近づくと、シートンは第六実視板を惑星にセットし、宇宙船を広大な陸軍基地へと導いていった。敵のすきをみて逆《さか》落としに急降下すると、一人の陸軍士官をさらって機密室へ入れ、ドアを閉じ、ふたたび宇宙空間へ舞いもどった。捕虜を制御室に入れ、補助牽引ビームで縛りつけて動けないようにし、武装解除した。それからシートンはすぐ陸軍士官の頭脳を読んだ。この捕虜からは、さしたる抵抗は受けなかった。読破は終り、牽引ビームを解くと、シートンは尋問をはじめた。
「どうぞ掛けて下さい、中尉」シートンは座椅子の一つを指してすすめながら、丁重な言葉で話しかけた。「われわれは平和の目的でやってきたのです。あなたを乱暴に扱った非礼はゆるしていただきたい。あなたの言語を習得し、あなたの司令官と接触するために、万|止《や》むを得ざる措置だったのですから」
捕虜の士官は、すぐさま殺されるとばかり思っていたのがそうでなかったので、仰天してしまって声も出ない。示された椅子にぐったりとなり、返事ができないでいる。シートンはなおも続けた。
「どうぞあなたの司令官に信号していただきたい。われわれはいま、ただちに平和会議のため上陸したいからと。あなたが厭なら、ぼくはあなたの信号が読めますから、こちらから発信してもいい」
士官は自分の服についていた器械をごく短時間操作した。信号である。たちまちスカイラーク号は要塞へ向かってしずかな下降をはじめた。
「ぼくはもちろん、あなたの宇宙艦が攻撃してくることは知っているのです」士官の眼に狡《ずる》がしこい輝きを読むと、シートンが言った。「ぼくは、しばらくの間、かれらにあらゆる兵器を使わせてみます。かれらの兵器がわれわれには無力だということを実証してみせるためです。その後で、あなたに、基地の人びとに何というべきかを教えましょう」
「おいディック、ほんとに安全と思うのかい?」巨大な宇宙艦の大編隊がスカイラーク号を迎撃《げいげき》に上昇してくるのを見て、クレーンが不安そうに訊ねた。
「死ぬことと税金以外は、絶対などというものはないよ、マート」シートンは陽気に返した。「しかし、忘れないでくれ、ぼくたちの装備はオスノーム方式ではなく、フェナクローン方式だってことを。彼らが、どんなビームも突っこみ得ないことは、賭けてもいい。外側スクリーンだって突破できはしないよ。紫色に変わりはじめるとしても――その前に、サクランボの赤色になるとさえぼくは思わんのだが――こっちはすぐ力場帯を繰りだす。そしてぼくたちは、どんな宇宙艦も到達できない空域へ自動的にのぼっていってしまう。いずれにしろ、やっこさんたちに接触して、ぼくたちの知っていないことを、やっこさんたち知っているなら、それを全部頂戴しないことにはどうにもならない。それにぼくは、ダナークが無茶してこの惑星を潰《つぶ》してしまうのを差し止めたいのだ。この惑星の連中の性質はダナークのそれと同じだからね。君も知っているとおり。ぼくはいわゆる南北戦争みたいなのは好かんのだ。他に示唆は? じゃ、いまの士官から眼を離さないでいてくれ。下降しよう」
スカイラーク号は大編隊のど真ん中へ下降していった。待っていたように、大編隊は、巨砲から威力ビーム発生機までを総動員して攻撃を加えてきた。シートンはスカイラーク号を空中に停止させ、実視板を覗きながら、右手で力場帯スイッチを握った。
「外側スクリーン、温度さえ上らんじゃないか」シートンがしばらくしてから、雀躍《こおどり》して叫んだ。第三惑星の編隊が撃ちだす砲弾は、外側スクリーンに達しないうちに斥力ビームではね返され、空中でムダに爆発していった。オスノーム式防衛スクリーンだったらひとたまりもなく剥ぎ落としてしまう強力な敵ビーム発生機全出力も、いまのスカイラーク号外側スクリーンに対しては、ただ鈍い赤色に輝かせただけである。無数の宇宙艦の投げかける、ありとあらゆる攻撃を、じっと耐えること十五分――ようやくシートンは捕虜の中尉に話しかけた。
「中尉、どうぞ第七二四宇宙艦の艦長に信号して下さい。これからぼくは、その艦を真っ二つに割ってやるからと。中央|区画《セクション》の乗員を艦首艦尾に移すよう、それから万一の場合にそなえて、パラシュートを用意するように。人命の殺傷はできるだけ避けたい……」
信号が発せられた。彼らの最大努力をもってしても、不審宇宙船のスクリーンを白熱放射させることさえできなかった事実に、すでに意気喪失していた艦長は、すぐ信号の指令に従った。シートンは、フェナクローン式超発生機の凶暴出力を投射した。不運な宇宙艦の防衛スクリーンは一瞬、閃光を発した。白熱|輝燿《きよう》の、火花散らすすさまじい大閃光である。つぎの一瞬、スクリーンは崩落し、それとほとんど同時に、宇宙艦の中央|区画《セクション》全体が、爆発し、放射線をまきちらし、蒸発して跡かたもなくなってしまった。
「中尉、どうぞ信号して下さい。全艦隊に、ただちに攻撃をやめ、ぼくについて下降しろと。命令に従わなければ、全艦隊を破壊すると言って下さい」
スカイラーク号は着地し、敵全艦隊もこれにならい、環状にスカイラーク号を取り囲んだ。攻撃は停止している。しかし攻撃の用意はととのえている。
「中尉、そのま発信装置を貸してくれませんか?」シートンが言った。「ただいまからは、あなたを介してではなく、ぼくが直接に交渉したほうがうまく行きます」
中尉は発信機を手渡しながら、ようやく言葉を発することができた。
「閣下、あなたは、わたしたちが聞き知っているオスノームの大公でしょう? わたしたちはオスノームの大公とは何者であろうかと不思議な存在と考えておりました。しかし、閣下こそ、その人に相違ありません。殺せる生命《いのち》を助けるなどということは、他のひとにできることではありません。あなたのような器量をもつ人といえば、大公以外にありません」
「そうです中尉、ぼくが大公です――しかもぼくは、オスノームの大公だけではなく、緑色太陽系全体の大公になる決心をしたんです」
それからシートンは、惑星全軍の最高司令官に発信し、すぐこちらへ来るようにと指令した。スカイラーク号は空中へ躍りあがり、第三惑星の首都へ向かった。地球の宇宙船が宮殿の広場に着陸するや否や、無数の宇宙船艦がこれを環状に取り巻いた。だが攻撃の気配はまったく示さない。シートンはふたたび発信器で呼びかけた。
「ウルヴァニア惑星軍最高司令官――緑色太陽系の大公より挨拶をおくります。どうかぼくの宇宙船へ、会見のため、単独にまた非武装で来ていただきたい。ぼくは平和目的できました。平和であれ戦争であれ、あなたは好きなように決定して差し支えない。しかしあなたがその司令部へ帰還するまでは、ぼくは決して害は加えません。よく考えてから返答して下さい」
「もしわたしが拒絶したら?」
「そのときは、ぼくを囲んでいる艦の一隻を破壊します。そして他の艦をつぎつぎに破壊します。十秒ごとに一隻の割です。あなたがイエスというまで続けます。それでもなおあなたが承知しないなら、ぼくはこの惑星の全軍を破壊します。さらに、現在オスノームへ派遣されているあなたの国の軍隊全部を破壊します。ぼくは流血と破壊はできるだけ避けたいのですが、止むを得ません。ぼくは言ったとおり実行する力があります、またその意志があります」
「そちらへ参ります」
最高司令官が宮殿広場へ出てきた。一小隊の兵士が護衛している。スカイラーク号から百フィートばかりのところで、将軍は護衛兵を止め、ただひとりで、堂々と軍人らしい態度で歩いてきた。シートンは宇宙船のドアの内側で将軍を迎えた。船内へ案内し、椅子をすすめた。
「わたしに何をおっしゃりたいのですか?」将軍は椅子にかけることを拒み、詰問するような調子で訊いた。
「いろんなことです。まず、ぼくは言いたい。あなたは勇敢な人だ。それ以上に賢い将軍だ――ここへ訪ねてこられたことがそれを証明している」
「いや、それは弱さの証明でしかない。しかし、わたしはあの報告を聞いたとき信じた。いまでも信じています――拒絶すればわれわれの兵員を相当数失うことになるだろうと」
「そうなったでしょうね。ぼくは重ねて言いますが、あなたの行動は弱さからではない、賢さからです。ぼくが第二に言わなければならないことは、ぼくはオスノームでも、またこの惑星でも、こういう措置に出ようなどという計画は、ぜんぜん持っていなかったということです。こういうことを計画するようになったのは、この銀河系の全文明が破局に直面していると知ったからです。この緑の太陽系に属す多くの世界ばかりじゃない、ぼく自身の遠い遠い世界ですら、いま重大な脅威にさらされていることに気づいたからなのです。第三に言いたいことは、あなたの種族にしろオスノーム人にしろ、ぼくがケタはずれの強大な威力をひっさげて乗り出してこないことには、われわれの共通の敵に対しての力を併せて防衛しなければならぬと、いくら口を酸っぱくして説いても、とうてい聴いてもらえないだろうということです。あなたたちは、数百世代もの昔から理由なき憎しみのなかに育《はぐく》まれてきたから、心がねじくれています。ですからぼくは、この緑の太陽系全部を支配することにしたんです、そしてあなたにどちらに決めるか迫っているわけです。ぼくたちと協力するか? でなければぼくたちに叩き潰されるか? だって、ぼくたちの注意が、さしせまったオスノーム惑星への侵略に向けられている間に、あなたたちのほうから攻めてきて、ぼくたちが叩き潰されてしまっては困るでしょう?」
「われわれは敵とは一切交渉しない。これを最後の言葉と思ってもらいたい」
「最後の言葉だなんて――いまそう思っているだけですよ、あなたは。ここに文書があります、ごらんなさい。ぼくが介入しなかったら、あなたの惑星がどうなるか、その数学的予言です」シートンは将軍にダナークの計画の概略書を見せ、くわしく説明してやった。「あなたのほうでオスノームを侵略すれば、オスノームがどう答えるか――ここに示されています。ぼくはこの惑星が破壊するのを見たくはない。しかし、あなたがわれわれの共通の敵に対して協同防衛を約束しないなら、破壊もまた止むを得んかもしれん。どうです、あなたは、この計画をダメにするほど強大な軍事力を持っているんですか?」
「持っていません。しかしわたしは、こんな、天体の軌道を変えさせるなどという途方もないことができるとは思わん。できるできないは別として、コケ脅《おど》かしに屈するわけにはいきません。どうかご明察ねがいたい」
「そりゃもちろんでしょう。しかしコケ脅かしじゃない。あなたは、ぼくの圧倒的軍事力に抵抗して数隻の戦艦とその乗員とを失うようなことを避けるだけの賢明さはおもちでしょう。つまり、あなたは賢明な方ですから、あなたの全種族を滅ぼすようなことはしまい。しかし、あなたがはっきりした決断を下す前に、ぼくはその銀河系を脅《おびや》かすものは何か、それを教えてあげよう」
シートンは将軍に受信器を貸し、レコードのうち、侵略者の計画をしめす部分をきかせた。それから、フェナクローンのもつ恐るべき軍事力を示すいくつかのテープ・セクションもききとらせた。
「われわれが力をあわせないかぎり、われわれすべてを待っている運命がこれです」
「で、あなたの条件は?」
「ぼくの要求する条件は、いまオスノームに派遣されているあなたの軍隊をぜんぶ、即時撤退させること、侵略者フェナクローンに対する来たるべき戦いに、ぼくと完全に協力してくれること、この二つです。その代わり、ぼくのほうからは、あなたたちにオスノーム人に最近与えたと同じ秘密知識を与えます。この宇宙船に装備してある動力装置と、攻撃用防御用兵器です」
「オスノーム人はいま、これに似た宇宙船を建造中なのですか?」
「このスカイラーク号の百倍の大きさの宇宙船をたくさん作っています。装備もそれに比例して厖大《ぼうだい》なものです」
「わたしとしては、あなたの条件に合意いたします。しかしながら、わが国では皇帝のお言葉が法律ですから」
「わかっています。じゃ、すぐ皇帝に拝謁《はいえつ》をおねがいするつもりでしょう? ぼくから提案があります。あなたと皇帝とがぼくと一緒に来ることです。そして三人で、オスノームの皇帝および最高司令官も呼んできて、五人でこのスカイラーク号のなかで平和会議を行ないましょう」
「さっそくそのようにします」
「中尉、あなたは将軍についていっていい。重ねてお詫びします。止むを得なかったとは言え、乱暴な取り扱いは赦して下さい」
二人のウルヴァニア人が宮殿へと急いで去ったあと、隣室でいまの会話を聞いていた三人の地球人が入ってきた。
「説得したらしいね、ディック。でもあの言語はぜんぜんコンダール語とは違う。ぼくたちにも教えてくれないか? そしてシローに教えてやれよ。えらいお客さんたちがぼくたちと一緒に行くとなったら、シローが料理もつくってやれ、話しかけることもできるようにさ」
シートンは教育器械を接続して、会談の内容を説明して、最後に、
「ぼくは緑の太陽系の内乱を止めさせたいのだ。ダナークにこの惑星を破壊するなんてことは思いとどまらせ、オスノームはオスノーム人のために残し、みんなでぼくたちに協力して、フェナクローンと戦わせる。とにかく、ここの種族はみんな殺すこと以外に考えない連中だから、話し合いはずいぶんと難しいと思う」
そのとき、護衛隊に囲まれた偉い人たちがスカイラーク号のほうへ近づいてきた。ドロシイがあわてて立ちあがりかけた。
「みんな、行かないでくれ。ぼくたちみんなで、彼らと話しができる」
「いや、君ひとりのほうがいいと思う」クレーンがちょっと考えてから言った。「彼らは専制権力に慣れているから、独裁方法以外には何も知らないんだよ。女たちとぼくは顔を出さないほうがいい」
「それもそうかもしれんな」
シートンがドアのほうへ行って、賓客《ひんきゃく》をむかえた。それから客人たちに、横臥するように指令し、客人の耐えられる程度に加速度をあげた。コンダールまではそう長くはかからなかった。コンダールへ着くと、皇帝ローバンと教王タルナンはシートンの招請を受諾して、非武装でスカイラーク号に乗り込んできた。ふたたび大宇宙へもどると、宇宙船を停止させ、シートンは両国の皇帝と最高司令官を紹介した。両者は互いにつんとすまして、ほとんど挨拶も交わさなかった。シートンはそれから、ひとりひとりに受信器を貸し与え、フェナクローンの頭脳内容を完全に記録したテープを回転させた。
「やめて下さい!」テープが流れはじめるか流れはじめないかに、もうローバン皇帝がいきり立って怒鳴った。「オスノームの大公たるあなたが、こんなに重大な秘密をオスノームの宿敵に明かそうとなさるのか?」
「そうです、陛下。いまの緊急事態が続くかぎり、ぼくは緑色太陽系全体の大公になっているつもりなんです。ぼくは緑色太陽系のなかの第十四太陽の兄弟である第三惑星と第六惑星が、相|鬩《せめ》ぐことは好かんのです」
とにかくテープは終った。シートンはしばらくのあいだ四人に話しかけ、説得しようと骨折ったが徒労であった。ローバンとタルナンは軽蔑の態度をてんから変えようとしない。二人はシートンに掴《つか》みかからんばかりに感情をたかぶらせている。緑色人種が五十人かかっても、彼らにとっての超人であるシートンの膂力《りょりょく》にはかなわないとわかっているから、かろうじて抑さえているに過ぎない。ウルヴァニアの二人もこれに劣らず頑迷である。このやさしい地球人は、四人にできるだけのことをしてやった。すべてを与えたと言っていい。だのに四人はシートンに一歩も譲らない。絶対に譲らない気構えに見えた。とうとう業《ごう》を煮やしたシートンは、雲つくばかりの巨体をせいいっぱいに立ちあがり、四人をぐっと睨みつけた。彼の眼に怒りと決意が燃えている。
「ぼくはあなたたち四人を、この中立空間の中立宇宙船に集めて、あなたたちの間に平和を打ちたてようとした。戦争ばかり繰り返して経済を消尽する愚かさにかわって、科学、知識、動力資源の応用を平和的に推進すれば、そこからどれだけの恩恵が得られるかを説いてやった。しかるにあなたたちは頑《かたく》なに眼をとじて、理性にもどろうとしない。オスノームの二人は、ぼくを恩知らずであり、裏切り者だときめつけた。あなたたちウルヴァニア人は、ぼくをアタマのふやけた、おセンチな弱虫だと見て、ぜんぜん無視しても害はあるまいと多寡《たか》をくくっている。それもみんな、ぼくがあなたたち二人のような心の狭い、頑固で我利我利《がりがり》の驕慢家より、ウルヴァニア惑星にすむ無数の人びとの幸福を大切と思っているからだ。
ようし、好きなように思うがいい。野獣的な力だけが君たちの論理なら、おれがその野獣的な力を使って見せてやる。この七つの円盤《ディスク》はお返しする」そう言って彼は腕輪をローバンの膝の上へ置いた。
「もしも君たち四人のリーダーが、つまらん敵愾心《てきがいしん》を楯《たて》にとって全文明国の幸福をわきへやるなら、ぼくはもう大公は辞退する。友情もこれでお終いにする。ぼくは君たちウルヴァニア人に、オスノーム人にやったのと正確に同じ情報――それ以下でもないし以上でもない――をくれてやった。しかしぼくの知っている知識全部をくれてやったのではない。その何でも知っている知識は、征服の時期到来までには、現在よりケタはずれに増えていくだろう。君たち四人が、現在ただいまここで、こんなバカバカしい戦争ごっこをやめて、君たち二つの世界のあいだに永久平和を固める誓いをしないなら、ぼくは君たちを放っておく。互いに殺しあい、破壊しあって滅びたとて、かまうものか。君たちはまだ、ぼくがくれてやった武器の威力がわかっちゃおらんのだ。それがわかったら、殺し合いは相互の絶滅になることは必至だと悟るだろう。ぼくはこれからもまだ他の惑星をあちこち廻って、まだぼくの到達していない完全無欠の威力兵器の秘密をさぐりつづける。必ず見つけだせる自信があるんだ。それが見つかったら、ぼくは君たちなどの力は借りず、ひとりでフェナクローンを叩きつぶしてやる。
君たちは何度も繰り返して、コケ脅《おど》かしには左右されんと豪語した。ぼくがこれから言うことはコケ脅かしではないから、よく聞け。これは約束で予言だ――それを実行する能力もあり意志もある人間の口から出た誓いだ。ぼくの最後の言葉を、よく身をほじくって聞け。もし君たちがこの戦争をつづけたら、そしてどちらか一方でも、完全に滅ぼされないで生き残ったら、ぼくがそいつを叩きつぶす。フェナクローンを抹殺したら、すぐぼくは帰ってきて、ぼくがここに突っ立っているよりも確実に、ぼくは造物主の意志に賭けて誓う――残りの君たち種族を滅ぼしてしまうからそのつもりでいろ。互いに力をあわせ、ぼくに協力していけば、われわれは必ずや生き残れる――互いに戦争をしかけたら、君たちの種族は最後の一人まで必ず死んでしまう。さあ、どっちにするか決めてくれ。おれの話はこれで終った」
ローバンは腕輪をとり、シートンの腕に結びつけた。「あなたは、これまで以上に、われわれの大公です。あなたはわれわれより賢い。そしてお強い。命令を出して下さい。命令は従われましょう」
「なぜそれを早く言わんのです、大公?」とウルヴァニアの皇帝は敬礼をし、にこにこと微笑《わら》いながら抗議した。「わたしたちは、いかなる運命が待ちかまえていようとも、名誉に賭けて弱虫には降参しないのです。いま、はっきりとあなたの強さを示されてみれば、わたしたちはあなたの指揮下で戦うことに何の屈辱も覚えない。あなたがこのつぎにわが国を訪問されるまでに、七つの徽章をつけた腕輪を拵《こしら》えさせて待ちましょう。オスノームのローバン、あんたはわたしの兄弟だ」
二人の皇帝は敬礼しあい、長い間じっと相手の瞳に喰い入っていた。シートンも、永久平和が結ばれたことを、ひしと感じることができた。四人が異口同音に叫んだ。
「大公――あなたの命令を待ちます」
「オスノームのダナークにはすでに、オスノームのなすべきことを教えてある。さらに彼に言ってくれ。もうぼくのために宇宙船をつくることは必要がないと。ウルヴァニア人にそれをさせるから。ウルヴァニアのウルヴァン、あなたはローバンといっしょにオスノームに行きなさい。お二人はただちに戦闘停止の命令を出しなさい。オスノームにはこの級の宇宙船がたくさんあります。それを借りて、ウルヴァン、あなたは兵員と武器をぜんぶ自分の惑星へ引き上げさせなさい。それから、ぼくのために、大急ぎで、フェナクローンの宇宙艦と同じものを一隻作ってもらいたい。ただ、大きさだけは、縦横高さ十倍にして下さい。そして計器類、制御装置、武器などはいっさい積み込まないで下さい」
「積み込まない? 宇宙艦はご指定どおりに作りますが、ではいったい何に使うのですか?」
「その空《あ》いているところは、ぼくが超兵器製造の秘密を探索する旅行から戻ってから埋めるのです。それからあなた、その艦はダガルを使って下さい。もうひとつ、オスノームの派遣軍司令官にダガル金属の精錬法を教えてやって下さい、ダガルのほうがアレナックよりよほど強靭《きょうじん》だから」
「しかし大公、わたしたちは……」
「わかっています。ぼくはこんど、オスノームへは貴重薬剤(塩)と動力用金属をふんだんに持ってきてやったのです。それをあなたにも頒《わ》けさせてやります。それからあなたに忠告しますが、フェナクローン型の戦艦をたくさん作ることです。万一ぼくが探索に失敗した場合、フェナクローンの侵略艦隊と闘えるためです。それからこれは当然のことですが、ぼくが帰ってきてすぐ必要の場合があり得るから、最優秀の機械工と職人を大勢、いつでも待機させておいて下さい」
「おっしゃったことは必ず実行いたします」
会談は終わり、四人の貴賓《きひん》はすぐさまオスノームへともどった。スカイラーク号はもう一度、その親しみ慣れた完全真空と絶対零度の外側空漠へと旅立っていった。
「あなた、ずいぶん乱暴な口きいたわね、ディック。あたし、本気で言っているのかと思いそうだった!」ドロシイがクックッと笑った。
「本気で言ったんだよ、ドット。あの連中は、脅《おど》かしを見抜く眼は鋭いんだ。ぼくが本気でなかったら、そして彼らがぼくが本気だと悟らなかったら、とうてい会談は成功しなかったろう」
「でも、本気のはずないわ、ディック! あなたがオスノーム人を破壊するなんて――自分でもできっこないとわかってるくせに」
「そうだ。しかし、ウルヴァニア人が勝ったとしたら、ぼくは生き残りのウルヴァニア人を叩き潰すだろう。それで会談の四人ぜんぶが、ぼくがどんな方法で言ったことを実行するか、ぼくが何をしでかすか――はっきりとわかったのだ。あの傲慢な蝸牛《かたつむり》連中も、それでとうとう角《つの》を引っ込めた」
「不成功だったらどんなことになったか、まるで見当がつかないわ」マーガレットが叫んだ。「どういうことになったんでしょうか?」
「ぼくが吹きこんでやった新知識を使えば、ウルヴァニア人がオスノーム人を一掃《いっそう》するだろうね。ウルヴァニアのほうが古い種族なんだ、だから科学でも機械工学でも、はるかに優れている。オスノーム人は、とうてい勝味がないだろうね、彼らもそれは知っていたんだ。ついでだが、だからぼくは新宇宙船の建造をウルヴァニア人のほうに頼んだ。彼らは、ダナークの技術者たちが見落すような新技術をふんだんに宇宙船へ盛りこむだろう。フェナクローンの知らない新技術だって、ひょっとすると使うかもしれない。ウルヴァニア人があらゆる点から見て強いようであるが、ウルヴァンは、ぼくが袖《そで》の下に何かすごいものを隠し持っていると信じたのだ。たとえ彼がオスノームを滅ぼしても、こんどはぼくが乗り出して、残りのウルヴァニア人を叩き潰すだろうと信じたのだ」
「まあ危なかった! ずいぶんきわどい綱《つな》渡りだったのね、ディック!」ドロシイがほんとうに恐ろしいものを見たような表情で叫んだ。
「ああいった連中を取り扱うには強腰でなけりゃならんのだ――ぼくは四十分の堅茹《かたゆ》でだったんだぞ、ドット。あの連中は、ぼくたちなんかとうていわからん奇妙な心理のひずみ、モラルの偏《かたよ》りをもっているんだ。協力なんていう観念は、彼らにはまったく新しい未知のもので、耳にしただけでも呆然となるほどなんだ」
「やっぱり戦争しあうと思うかい?」とクレーン。
「それは絶対にしないね。どちらの種族にも剛性《ごうせい》の名誉規程がある。コチコチなんだ。ウソをつくことは名誉規程に反するんだ。ぼくが彼らが好きなのもその点があるからだ。ぼく自身、ちょっとした馬鹿正直だからな。この両種族に関するかぎり、署名も保証金も要らんのだよ」
「つぎは何だね、ディック?」
「これから本当のトラブルが始まる。マート、君はあの問題に無限重量の大智能を集中していたが、答えが出たかい?」
「あの問題って?」とドロシイ。「あなた、あたしたちには問題などひとつも話してくれてないじゃないの?」
「そう。しかしマートには話してある。ぼくは、この緑色太陽系で随一《ずいいち》の物理学者が欲しいんだ。十七個の大洋のまわりには百二十五個の惑星しかないんだから、奇蹟的な頭脳をもつマートには、物理学者ひとりぐらい見つけるのは、かんたんなことだろう? いや、ぼくはマートが、≪初歩的だよ、ワトソン君、初歩的だよ!≫と言ってくれると思うんだ」
「初歩的というわけにはいかんよ、ディック。でも、ぼくは二、三の情報は考えた。おそらく百二十個のうち八十個ぐらいの惑星では、ぼくたちみたいな生物が住んでいる可能性がある。他の条件が等しければ、太陽が古ければ、その惑星も生物が生まれてからの期間が長いと考えていい。だから、古くて、もっと知性の高い生物が……」
「≪ハッハッ! 初歩的な推理だね≫とシャーロック・ホームズは言うよ」シートンが話をさえぎった。「すると、君はいちばん大きな、いちばん甘い、いちばん高い知性の人間がいる惑星へ直接に飛ぼうっていうわけか、ぼくに物理学者を捕まえさせるのに?」
「直接に、ではないよ。まずそれらしい空域へ飛び、そこで惑星をさがすのだ。そんなことは初歩的な知識だよ、ワトソン君」
「あっ、痛い! 急所へ当たったよ、マート。そのほうが本当だな」
「しかし君のほうが一歩先んじているよ、ディック――君がぼくのこれまで言ったことから推論するほど、それほど簡単じゃない。オスノームの天文学者たちは、あれだけの短期間にいくつかの驚異的業績をあげた。しかし彼らのデータは、とくに外側諸太陽にある惑星については、当然のことかもしれんが、ずいぶんと不完全だ。いちばん外側にある太陽がおそらくは最も古い太陽と思われるから、ぼくらも当然それにいちばん関心をもつ。そこには七つの惑星があり、気温と大気組成から見て、すくなくとも四つの惑星は人間が住んでいる可能性がある。しかし、その惑星の質量、運動、位置など何もまだ正確なことはわかっていない。だから、ぼくとしては、乏しいデータから考えて、いちばんわれわれに近い惑星へまず行ってみようと、針路を設定したわけだ。その惑星に知性人が住んでいれば、その近隣惑星についてもっと正確な情報を教えてくれるだろう。ぼくたちとしては、いまのところそうするのが最善の道だ」
「すごい最善の道だとも、親友《オールド・トップ》――百二十五個からたった四つに絞った。よし、そこへ行くまで何をする? みんなで歌でも唄うか、ぼくたち恐いものなしの四重唱《カルテット》が悪い声にならんように」
「でも何かを始める前に、ほんとにあの怪物たちに勝つ見込みあるのかどうか、訊きたいわ」とマーガレットが真剣な顔で言った。
「真面目に言って、勝てるんだよ。ぼくは大いに自信があるんだ。二年間あれば、やつらを冷たくしてやれると思う。スピードアップすれば、正味六ヵ月働けば、必要な秘密は手に入れられると思うよ」
「君が真面目に言っていることはわかるよ、ディック。しかし、ぼくはみんなの熱意に水を差すつもりはないんだが、楽観の根拠は少ないと思うんだ」クレーンはゆっくりと、そして考えぶかい調子で言った。「ぼくは君が力場帯を制御できるようになることを望んでいるが、君はいっこうに自分で研究しようとしない。君は、この太陽系のどこかに力場帯に詳しい種族がいることは確実だと思い込んでいるみたいだ。どういう理由でそう信じているのか、聞かしてくれないか?」
「この太陽系に住む人間じゃないかもしれない。ぼくたちみたいに、他処《よそ》ものかもしれない。しかしぼくは、彼らが緑色皮膚をしているから、この太陽系の住人だと信じる。君はぼく同様、オスノームの神話に詳しいだろう? とくに君たち女はオスノーム児童用の神話と伝説を数時間も読んでいるから、なお詳しいだろう? ところが同じ神話伝説がウルヴァニアにも流布しているんだ。ぼくはあの中尉の頭脳からそれを読んだ。実はぼく、それを捜していたとも言える。君たちも知っているように、民話は多少なりと事実に基づいている、いくら変形がひどくなっていても。じゃドッチー、オスノームが子どもだったころの神々の戦いのおはなしを、先生に言ってごらんなさい」
「神々は空から舞いおりてきました」ドロシイは暗誦したままに言った。「神々は人間とおなじように緑色をしていました。神々は、現われたり消えたりする、ピカピカした金属の、見えない鎧《よろい》をまとっていました。神々は鎧をきたまま、剣や火の槍をつかって、鎧の外で戦いました。神々と闘った人間たちは、剣で切って切って切り進みました。しかし神々は火の槍で人間を打ち、人間は気を失いました。こうして神々は遠い遠い昔に戦いました。そのうちに見えない鎧を着たまま、行って消えてしまいました。すると……」
「それでじゅうぶん」とシートンが手をあげた。「可愛い赤毛の女の子は宿題がよくできました。どうだいマート、わかったかい?」
「ううむ、わかったとは言えんな」
「だって、まるでナンセンスだもの」とマーガレットが膨《ふく》れっ面をした。
「よし、じゃぼくが講義をしてやろう。みんな、よく聞いて!」シートンの声がとたんに熱心になった。「ふたつの惑星を訪れた人たちは、宇宙空間からやってきたのだ。彼らは人間同様、緑色の皮膚をしていた。彼らは力場帯で武装していた。力場帯だから、点《つ》いたり消えたりした。彼らは力場帯の内側に立てこもり、その映像を力場帯の外側へ投射した。また、≪力場帯を通して≫武器を揮《ふる》った。映像と戦った人間たちは剣をふるって切って切って切りまくったが、映像は実物の存在ではないから、傷を負わせることはできなかった。しかも映像は、人間どもに超エネルギーを投射し、人間どもは気を失った。こうして神々が戦ったのは昔むかし、太古の時代だ。そして力場帯をつけたまま消えたのだ。……どうだ、これで?」
「君は途方もない想像力の持主だ――しかし根拠は薄いようだね、残念ながら」クレーンがゆっくりと言った。
「ところが、ぼくはこれを信じている。とくに一つの理由が重大だ。神話で特に、訪問者が原住民の≪気を失わせた≫と言っているところが肝腎《かんじん》だ。オスノーム人たちは、斬ったら必ず殺していたのだから、こんなことはまるで聞いたこともない新しい話だ。さて、この神話が幾百世代もの間、≪気を失う≫が≪殺される≫に変化しないで連綿と続いてきたとすれば、ぼくは喜んで二、三週間寿命が縮んでもいい――説話の他の部分も、そっくりそのまま伝わってきたものだと賭けよう。もちろん、その神々という訪問者がもっていたものは、ぼくたちの知っているような力場帯ではないかもしれない。だが、何かの種類の超純粋エネルギーであることは確かだ。しかも教育され、すばらしい働きをするように躾《しつ》けられた純粋超エネルギーなんだ。あんな悠久の昔にすら、誰かが何かを持っていたのだ。そして、そんな昔に何かを持っていたとしたら、今ならずいぶんと知識は深いに相違ない。だからぼくは≪神々≫という謎の種族を捜査しようと思うんだ。この問題解決を自分で努力しないという点については、ぼくなどの能力でわずか六ヵ月に何ほどのことができるかと、自分の無力に絶望しているからだ。地球の最高の物理学者が一ダースも集って二十年かかってもよいというなら、ぼくはやれと勧めたい。しかしぼくたちは、そんな悠長なことは言っておれんから、力場帯をすでに知っている種族を捜そうというわけだ」
「でも彼らがあたしたちを見つけ次第、殺そうとしたら?」ドロシイが抗議した。「それぐらいのこと、するかもしれないわよ、彼ら」
「そりゃできるだろう、しかし多分そんな気は起こさんよ。ちょうど、小枝を一本動かすのに手を貸してくれと蟻が頼んでいるのに、足で踏みつぶす人はいないようなもんだ。ぼくたちよりどの程度優れているかも、人間と蟻の比較が当てはまる。もちろん、いつかぼくたちは、ぼくたちを非物質化しかかった純粋心理個体に出会ったことがある。しかし、ぼくたちの捜している種族は、そこまでは進んでおらんよ。ところで、ついでだが、ぼくはあの純粋知性の生きた≪かたまり≫が何か、ひとつの直感が閃いているんだ」
「おお、教えてちょうだいよ、ディック!」マーガレットが笑いながらせがんだ。「あなたの直感、世界最高の頭脳|嵐《あらし》なんですもの」
「よし、教える――ぼくは、あの変な惑星へ取りつけた対物コンパスの空気を抜いて、ベアリングの宝石を取り替えた。それは、どうにも仕様がなくなったら、彼らを訪ねてみて、あのぼくたちと口論した妙ちきりんな陽炎《かげろう》野郎に、何とか助けてもらえんかと頼みこむこともできるんじゃないかと考えたんだ。頼んだぼくらを、まさか非物質化しやしないよ。だって、やっこさん、また面白い問題がでてきたと、あと千循環年考えこむ材料にするだろうからさ。
ところで冗談は別として、対物コンパスに新しい威力を加えたけれど、あの惑星はまだコンパスの手の届かんところにある。ということは、彼らが惑星を非物質化しないかぎり、最低限度としても百億光年の奥の奥だということだ。この途方もない距離を、一分間でも考えてみたまえ!……ぼくに閃いた直感というのは、やっこさんたちはこの銀河系に属していないんじゃないかということだ。やっこさんたち、どこか他の銀河系――惑星から何から何までひっくるめて――から来たんじゃないかな。ちょうどぼくたちがスカイラーク号に乗っているみたいに、その惑星に乗って散歩しているんじゃないかな。どうだい、健全なアタマに受け容れられるアイデアかい?」
「ムリだわね!」ドロシイが即答した。「あたしたち、ベッドへ帰ったほうがよさそうだわ。さっきの二つのアイデアに平行して、もうひとつそんなアイデア出したら、あなたの頭蓋骨、複雑骨折になるに決っているわ。おやすみなさい、クレーン家のお二人――愉しい夢をごらんなさいませ!」
[#改ページ]
七 デュケーンの航行
われわれの太陽系からはるかに距《へだた》った、ある空域で、一隻の葉巻型の宇宙船が、そのおそろしい加速度をゆるめた。二人の人間がたちあがり、麻痺した肉体に正常な血液循環をとりもどすため、体操をした。それから料理室へ行き、八時間前地球を出てから初めての食事をつくりにかかった。
彼が実行を決意した今度の宇宙旅行は、長期にわたるだけでなく、幾多の困難が予想される。そのためデュケーンは単独で仕事をするという習慣を放擲《ほうてき》して、人をつれていくことにした。たくさんの候補者を綿密に調べたすえに、ようやく一人の同乗者兼副操縦士を選びだした。選ばれた男は、≪ベビー・ドール≫ローアリングという男だった。カールを捲いた黄色い毛髪、真っ白な、すこし紅みのさした顔、無邪気にみえる碧眼、男としては平均よりは低めのすんなりした身体つき――こういう道具だてで≪ベビー・ドール≫などという渾名《あだな》がついているが、外観で人間の中味を判断してはいけないという戒《いまし》めがこれほどよく当てはまる男はいないのだ! 黄色い髪に包まれた頭蓋のなかには、鋭利で敏捷で硬質な頭脳が隠されている。小娘のようなピンクの顔は、どんなストレスの下でも絶対に青くなったり紅潮したりしない。その大きな碧《あお》い眼は、数えきれないほどの死を与えた銃身に沿って獲物を狙った、冷酷な眼なのだ。だから諸々方々で彼の首に捲きつけられるべき首吊り縄が何本|欠呻《あくび》をしているかわからない。優男《やさおとこ》のようなすんなりした身体は、一見|華奢《きゃしゃ》だが、中身は生皮と鯨骨で作られているといってよい。そして冷酷無暴なその頭脳のこまかい機能に瞬時に反応する敏捷さをひそめているのである。この男は、ワールド・スチール社の庇護をうけて大きな顔で生きのびている。そのお返しに、彼はもの静かに、きれいに、淡々として、彼がそのために傭われている独特の仕事をやってのけているのである。
二人が、ハムエッグズ、バタートースト、香りの高い濃いコーヒーという、すばらしい朝食のテーブルを囲んだとき、デュケーンがようやく長い間の沈黙を破った。
「いま、どの辺を走っているか知りたいか?」
「ひと晩中あんたのこのエレベーター、上昇ばかりつづけていたんだから、よほど故郷《くに》から遠いんでしょうな」
「地球から数千万マイルだ。しかも毎秒数百万マイルという速度でなおも遠去かりつつある」デュケーンは、驚くべき事実をしゃべりながら、若い相手を眼を細くしてじっと見つめた。同じような発言がかつてパーキンスに与えた深刻なショックを想いだしたデュケーンは、この若い男が、飲みかけたコーヒー・カップを空中で止めもせず、ためらいもせずに口へ持っていったのを見て、満足を覚えた。ローアリングは、飲みものの香りを愉しみ、ひと口うまそうに啜《すす》ってから、答えた。
「博士、あんたはいいコーヒーを淹《い》れますね。いいコーヒーは美味しい朝食の九割を占めますからな。いまどこかということですが――ぼくにとっちゃ、どこだっていいですよ。あんたさえよければ、ぼくはちっとも……」
「君は、ぼくたちがどこへ向かっている、なぜ向かっているか、知りたくはないのか?」
「ぼくもそれを考えていたんです。出発する前、ぼくは何も知りたくなかったんです。知らなければ、白状したなどと後で責められることはないですからね。しかし、ここまで来たからには、多少のことは知りたい――何かが起こった場合、気の利いた行動をとりたいですからね。しかし、あんたがそれは伏せておいて、必要なときだけ命令するという方針だったら、ぼくはそれでもいいんですよ。どうせ、あんたのパーティなんだから」
「君を連れてきたのは、一人だけで二十四時間ぶっつづけに勤務に就くわけにはいかんからだ。君はこの仕事に深くはまりこんだし、また危険な仕事でもあるから、知るだけのことは知っていたほうがいい。とにかく君は今や、最高幹部の一人だ。ぼくたち二人は互いに相手をよく理解していると思うが」
「ぼくもそう思います」
船首の制御室へもどると、デュケーンはさらに出力をあげた。だが自由な歩行が不可能になるほどは速力を出さなかった。
「すると昨夜のように、動力をあげる一方にする必要はないんですね」
「そう。すでにシートンの計器の探知有効距離を脱したからだ、それに自殺するのは愚かだからな。高加速度は人体にひどくこたえる。ぼくたちはしょっちゅう身体をベストコンディションにしておかなけりゃならん。まず手初めに、君は対物コンパスのこと、訊きたいだろうと思うが」
「ええ、コンパスその他……」
「対物コンパスというのは、要するに特殊処理をほどこした銅の指針だ。これをいったん、ある物体の方向へセットすると、それは常にその方向を指示する。シートンがぼくに対物コンパスを一つセットしていることは間違いがない。コンパスの針は敏感は敏感だが、こんな遠距離の、人間の肉体みたいなちっぽけなものに、いつまでも指向はできん。だからして、ぼくたちは真夜中に、奴がベッドへ行ったあと、出発したのだ。眼を醒《さ》ますまでには、有効距離外へ出ているためにだ。ぼくはやつにぼくを見失わせたかったのだ。ぼくがどこへ行ったかを知れば、奴は必ず邪魔してくるからな。さあ、もとへもどって、初めっから詳しいことを教えこんでやろう」
デュケーンの最初の恒星間宇宙旅行、つまり≪宇宙のスカイラーク号≫の旅行のはなしを、彼は短い言葉で、だが鮮明に語ってやった。聞き終ると、ローアリングは数分黙りこくって、タバコを喫《ふか》した。
「一時に頭のなかへ入れるのは難しいですね。たいへんな、いろいろのことがあるから。ぼくの頭のなかを整理するのに、二、三愚問を訊いてもかまいませんか?」
「かまわん――何なりと訊け。あのオスノームの新知識はたくさんあって、なかなか理解が難しい。一時に呑みこむのは困難だ」
「オスノームって遠いんですね。どんなにして見つけたんですか?」
「さっき話した対物コンパスの一つを取りつけておいたのだ。地球への帰路にとっておいたノートを元にして、宇宙航行を計画していたのだが、その必要はなかった。奴らはぼくが知るのを嫌って、何でも隠した。しかし、ぼくはコンパスのことは盗んで、奴らの機械工場で数個つくり、その一つをオスノームに取りつけておいたのだ。事実は、ぼくは奴らの知識はぜんぶ盗んだ。ただひとつ、爆発性銅銃弾の秘密だけは奪《と》れなかったが――これはこんどの旅行で奪《と》ってやる」
「彼らの着ているアレナック装甲宇宙服って、どんなものですか?」
「アレナックというのは、ほとんど完全透明に近い合成金属だ。空気と同じ程度の屈折率だから、事実上不可視といっていい。しかも、クローム・バナジウム銅の五百倍も強靭だ。降伏点まで曲げても、折れない。自然に曲って、手を放すと弾《は》ねかえる。ゴムみたいだ。しかし強さは失わない。あの全旅行でぼくが見聞したもののなかでも、もっとも驚くべき発明だ。彼らはアレナックを使って完全な宇宙服を作っている。もちろん着心地はよくない。しかし十分の一インチという薄さだから、着れば着れるわけだ」
「十分の一インチ厚で鋼鉄|尖頭《せんとう》の機関銃弾をはね返すというんですね?」
「はね返すとも! 十分の一インチ厚のアレナック板は、ぼくたちの最強、最剛の装甲鋼五十インチ厚の板よりも貫通が難しい。十六インチ装甲を貫通する投射物も、これは貫通できなかった。信じがたいが、事実だからしかたがない。シートンを銃弾で殺す方法としてただ一つ考えられるのは、充分に重装のものを使い、衝撃のショックで殺すより他はない。しかし、シートンはその場合も考慮して、牽引ビームで装甲宇宙服を固定し、振動を防止しているかもしれない。彼がそんな用心をしていないとしても、あの程度のガンで彼を殺し得る確率は、きわめて少ないのだ」
「そうでしょうね。彼が素速いとは、かねて聞いています」
「いや素速いなどという生ぬるいものじゃない。君は、ぼくが早射ちなのは知っとるだろう?」
「ええ、あんたはぼくより早い。こりゃ大したこってすよ。あんたは、鎖電《チェーン・ライトニング》〔長いジグザグの連鎖状にあらわれる稲妻〕だ」
「うむ、ところがシートンは、すくなくとも、ぼくが君より早い程度に、ぼくより早いんだ。君は彼の動きを眼にしたことはないだろう――ぼくはある。さっき言ったオスノームの宮殿のドックで、彼はぼくが射ち始める前にすでに一発射っていた。それにすぐ続いて、ぼくが三発射つ間に彼は四発射った。ぼくは、彼がすでに片側を撃ちつくしてしまってから丸一秒経ってからしか、撃てなかった。もっと悪いことに、ぼくは左手の一発はしくじった。彼はしくじらなかった。すくなくともオスノーム装備全部を動員するぐらいの威力のあるものでないと、リチャード・シートンは討ち取れない。ところが君も知っているように、ブルッキングズではいつも度しがたい低能だ。実物を見せられないうちは、新兵器は一切信じないんだ。まあ、ぼくは今晩あたり、彼はすっかり眼のウロコがとれているだろうと思う」
「そうですか、ぼくは拳銃《ロッド》じゃ絶対にやっこさんを追わんことにしよう。どうしてそんなに早くなったんです?」
「奴は生まれつき早いんだ。それから、ガキの時分から手品仕事の修練をつんでいる。奴はアメリカでも一、二と数えられるアマチュア奇術師だ。奴の、手品が巧いという特殊技術は、一度ならず彼の危急を救っている」
「あんたが何かすごいものを持ちたいという気持、たしかに鋭いところを突いていると思う。やつらがいいものを持っているのに、こちらはありきたりの武器しかないんだから。すると今度の旅行も、ぼくたちで何かいいものを手に入れる、その目的なんですね?」
「そのとおりだ。もう君も、ぼくたちの狙うものが何か、だいぶ理解がいってきたな。ぼくたちがオスノームへ向かっていると思っていたのか?」
「そう思っていたんです。しかし、オスノームへ行くだけだったら、一人で行っただろうと思ったから。だから、オスノーム行きは目的の半分だと思っていました。残りの半分が何かは、ぜんぜん見当がつきません。しかし、あんたははっきりした目標をきめている?」
「その推定でいい。君が鋭い男だとはわかっていた。オスノームへ行ったとき、ぼくは、ぼく以外には四人の男しか知っていないある大変なことを発見したんだ。その四人はみんな死んでいる。科学、ことに戦争の科学について、オスノーム人などよりずっと進んでいる一つの種族がいるんだ。彼らはオスノームよりずっと遠いところ――ある惑星に住んでいる。そこでぼくの計画というのはこうだ。
まずオスノームの宇宙艦を一隻盗み、スクリーン、発生機、大砲、その他あらゆる武器をそれに積みこむ。でなければ、彼らの宇宙船をぬすんで宇宙戦艦に改装する。しかし動力は、ふつうの動力は使わず、シートンのやっているように原子力を使う。原子力は事実上無限の動力を出すからだ。それから、シートンのもっているものを全部こっちも装備する。しかしそれだけでは足りない。奴を消してしまうためには、奴のもっている以上のものを持たなければならん。だから、宇宙船を満足のいくまで装備した後、ぼくたちはいまの見知らぬ惑星を訪ねていき、彼らと話し合いをする。それができなければ宇宙船を盗む。これでぼくらは、われわれとオスノームの武器の他に、彼らの武器をもつことになる。こうなったらシートンも長くはもたん」
「どんなふうにしてその情報を手に入れたのか、訊いて差し支えないですか?」
「かまわんとも。シートンと一緒にいるときの他は、ぼくはかなり自由気儘に行動したのだ。それで、運動のため、ずいぶん遠くまで歩いてみた。オスノーム人は体力が弱いからすぐ疲れる。あの惑星は重力が低いから、相当激しい労働をするか、散歩でもしないと身体の調子がよくないんだ。ぼくはすぐコンダール語をマスターし、守衛たちと仲良しになった。先方はぼくをすっかり信用して、ぼくを彼らの見える範囲に引き留めておくというんじゃなく、ぼくが遠くへ行っても干渉はしない。ぼくが帰ってくるまで宮殿敷地の端で待っているんだ。
それで、あるときぼくは首都から十五マイルかそこら遠出した。そのとき偶然に、ぼくから半マイルぐらいしか離れていないところで、一台の飛行機が森のなかに墜落したのだ。人家のない地域だから、誰も墜落に気づいたものはなかった。ぼくは現場へ行って調べてみたんだ。何か役に立つものを発見できないかと思ったわけだ。飛行機の機首部が切断されて、胴体から切りはなされている。ぼくはおかしいと思った。墜落の衝撃などではアレナック装甲板が破れるはずがないからだ。ぼくは胴体の開いた穴から中へ入ってみた。すぐわかったことは、この飛行機は戦闘能力をもった給仕船《テンダー》〔大型艦船にサービスする雑用船〕だったのだ――戦艦と修理工場を組み合わせたようなもので、ぼくがきみに話したような道具類、武器類をみんな搭載していたのだ。動力発生機は、原型をとどめないまでに焼けており、推進モーターと揚力モーターは毀《こわ》れてしまっている。ぼくはあちこちと見て歩いて、たくさんのすぐれた計器類を発見した。なかでもすごいものは、ダナークの新しく作った教育器械が一台あったことだ。しかも使用法を書いた完全な書類が揃っていた。それから屍体が三体あった。ぼくはもしかすると……」
「ちょっと待って下さい。戦艦のなかに屍体がたった三つですって? それから、乗員がみんな死んでいるとしたら、教育器械など役に立たないんじゃないですか?」
「そのときは三体だけだったが、あとでもう一体見つけた。ふつうの宇宙艦なら、三人の兵士と艦長というのがオスノームの乗員だ。何もかも自動的だから、そんな小人数ですむ。それから、乗員が死んでいたってちっともかまわんのだ――死んでからそう長く経っていなければ、生きている頭脳と同じに、読むことができる。ところが、いさぼくが読もうとすると、頭脳内容が空白《プランク》なんだ。頭脳が破壊されてしまって、読むことができない。ぼくの印象では、どうも怪しい。それでぼくは艦内を、檣上木冠《トラック》から内竜骨《キールスン》までシラミつぶしに捜してみた。するとようやく、もう一つの屍体が見つかった。それは空気ヘルメットをかぶっている。屍体は、制御室から離れたところにある物置きみたいな小室に入れてあったのだ。ぼくは屍体に教育器械を接続して……」
「だんだん面白くなってきますね。まるで、僕が子どものときに読んだ『アラビアン・ナイト』の一節みたいですよ。ブルッキングズがこんなような話を信じなかったのもむりじゃない」
「ぼくも言ったように、信じられないようなことがとても多いんだ。しかしぼくは君にはわかるまで説明してやる――みんな、いや、もっともっと教えてやる」
「いや、ぼくは信じますよ。ぼくはこの宇宙船に乗って、舷窓から外を覗いて以来は、何でもかんでも信じるようになったんです。しかし、死んだ人間の頭脳を読むというのは、ちょっと無茶のようですね」
「その惑星へ着いたら、君にも読ませてあげる。ぼくにも、どういう原理でそんなことができるのか、理解ができない。しかし操作方法は習っていたのだ。ところで、その四番目の屍体頭脳は良好だった。それを読んだぼくは大変なショックをうけた。その男の最近に受けた異常な経験というのは、こういうことだ。
――この乗員は、宇宙艦を駆って、編隊の先頭に出ようとして、非常な高空を翔んでいた。そのとき、この艦はある不可視の超エネルギーに捕えられ、上へ投げとばされた、いや上へ引きあげられたということかもしれん。この男は他の三人よりも思考の速度が早かったのだな。というのは、彼はすぐ空気ヘルメットをかぶり、いまのロッカーみたいなところへ飛んで入り、たくさんの歯車が噛みあった装置の下に隠れた。そして機械類を調整して、船殻の透明なアレナック装甲を透して外が見えるようにしたのだ。ところが、彼がロッカーに隠れたとたんに、艦首部分は猛烈な光の炎を吹いて飛んでしまった。艦の防衛スクリーンが全出力で張りめぐらされていたのにだよ。すでに彼らは高々度にいたから、艦首が吹きとばされたとき、他の三人は空気が欠乏して気を失ってしまった。そのうちに動力発生機もダメになった。それからすぐ、おかしな格好の人間が二人、艦内へ入ってきた。大きな頭巾のついた真空宇宙服を着て、非常に背が低く、横幅のひろい、ずんぐりした、ブロックのような太い脚をした人間で、見るからに異常な体力があるふうであった。この二人が自分たちの教育器械を携えてきたのだ。そして、三人の失神した男の頭脳を読んだ。それから、彼らは、この宇宙艦を数千フィート下まで降ろし、フラスコのなかから何か液体みたいなものを三人に服ませて、意識を回復させた」
「へえ! 強力な薬ですね? どんな薬か、わかったんですか? 近ごろぼくたちの使う薬はみんな、無意識にさせるものばかりですが」
「うん、何か非常に強力な薬らしいな。しかしオスノーム人は、その薬のことはぜんぜん知らなかった。それはとにかく、三人の男が意識を回復すると、そのずんぐりした二人の男は、性質がきわめて残忍で、身動きもできん哀れな人間を虐《いじ》めるのが好きなためらしいが、三人の男に、オスノーム語でこう答えたのだ。――おれたちは≪銀河系の辺縁近くにある別の世界から≫来たものだと。それからさらに、彼らは≪緑色太陽系全体を占領して≫、自分たちの自由にするからそう思えと言った。われわれの時間で二年ばかりのうちに、緑色太陽系の全住民を一掃して、これを基地に使うというようなことを言った。それから、面白半分に、自分たちの与える死と破壊というのはこんなふうなものだと、こと細かに説明してみせた。その内容は、細かすぎるから、今の段階ではまだ君に教えないが、彼らはビーム、超エネルギー武器、発生機、スクリーン等をもっている。どれもオスノーム人の聞いたこともないような、すごい威力のものばかりだ。それから、もちろん彼らは、ぼくたちのように原子力を持っている。いろいろなことをみんなに教えてから、三人の頭部に機械をつけて、苦しみながら死ぬのを眺めていたのだ。三人の頭脳が破壊されて、中身が空白になっていたのはそのためだったらしい。それから彼らは、ここには自分たちに関心のもてる機械や装置などはひとつもないといったふうに、きわめてあっさりと艦内を見回してから、モーター類を叩きこわし、宇宙空間の彼方へ去っていった。すると艦は超不可視エネルギーの把握を解かれ、森林へ墜落したのだ。もちろん、ロッカーに隠れていた男も墜落の衝撃で死んだ。ぼくは、四人を地中へ埋めてやった。他のものにこの男の頭脳を読まれてはおもしろくないと思ったからだ。ぼくがいちばん欲しいと思った装置はかくした。そして艦全体に偽装をほどこして、外部からまったく発見されないようにした。だから今でも、何から何まで、ちゃんとそこにあるはずだ。ぼくが今度の宇宙旅行を決心したのはその時だったのだ」
「うーむ、そうでしたか!」ローアリングの心は、この途方もない新事実を把握しようとして、必死に回転した。「博士《ドクター》――そのニュースはすごい! よもやそんなことが! 誰だって、ぼくたちの地球が唯一絶対のものだと信じているのに!」
「地球などは大宇宙《ユニヴァース》のなかの微粒子にすぎんのだ。たいていの人間は、学問的にはそれを知っている。しかし、この事実をいざ本当の、身近かのこととして真剣に考える人となると、ごくわずかしかおらんのだ。しかし今、君はぼくに教えられて、まったく別の世界があるということを知った。そこでは、ぼくたちが猿より偉いように、ぼくたちよりはるかに優れた科学をもつ種族が住んでいるということを知った。このことを、じっくりと考えてごらん――いったいどんな気がする?」
「彼らの知識を奪《と》らなければならんというあんたの考えには賛成です。しかし、彼らがあんまり偉すぎて、ぼくたちがとうていその惑星へ近よれもしない――そういう可能性があるように思うんですがね。それはそれとしてですね、あんたがこれから奪おうとするオスノーム人の宇宙艦と機械装置が、あんたのおっしゃるように優秀なものだとすればですね――それに乗った乗員が、どんな種類の奴か知れませんが、ちゃんとした栄養豊かな食事を食べていやがるんだったら、あんたとぼくみたいな二人が、すくなくともランチぐらいにありつけないことがあるものか、という気がしますね」
「フフフ、その言い方、気に入ったぞ、ローアリング。君とぼくは、こんどの旅行から帰ったらすぐ、手づかみで食べ放題の世界がひとつ手に入ることになるんだ。地球をどう料理するか――その実際上の手続きについては、もちろんぼくはまだ、はっきりしたプランはたてておらん。はっきりしたプランをたてるためには、まず地球へ戻って、情況を判断しなくてはならん。しかしいずれにしろ、ぼくたちが今度の旅行で空《か》ら手で帰るということはあり得ない」
「わあッ、すごいことをおっしゃった、船長《チーフ》!」
肉体的にはこれほど違ったタイプもないだろうこの二人――だが、心のなかではきわめて類似したものをもつ二人の男は、いま、ただ一つの目的を相互に力をあわせて追求することを誓いながら、かたく手を握りあっていた。
それからローアリングは、宇宙船の航法についての指示をあたえられ、二人の人間はその後は交替で制御盤の前に坐った。やがて、彼らはオスノーム惑星に近づいた。デュケーンは、大気圏へ入る前に、望遠鏡で慎重に惑星の様子をさぐった。
「この部分の半球は従来はマルドナーレだったのだ。いまはぜんぶコンダールになっていると思う。おや、そうじゃないらしい。まだ戦争があるらしい――すくなくとも、何らかの空気の擾乱《じょうらん》がみえる。この惑星では、それは戦争ということだ」
「何を捜しているんですか、正直なところ?」自分でも望遠鏡で惑星を観測していたローアリングが訊いた。
「彼らは、シートンのような球形宇宙船を数隻つくっている。一隻持っていることは知っているのだが……。うん、多分あのときから数隻を建造したのだな。彼ら自身の宇宙船では、ぼくたちに手を触れることも望めない。しかしあの球型宇宙船となると、いまのぼくたちの装備では、猛毒と同じだぞ。君、一隻も眼に入らんのか?」
「まだ見えません。遠すぎて、細かい点までわからんのです。しかし、あの小さい地点では、何かひどくざわついたものがあるようですね」
彼らはさらに下降して、ひとつの要塞のほうへ近づいてみた。そこでは、侵入してきた第十四太陽第三惑星の住民が頑強にその橋頭堡《きょうとうほ》要塞を防御中である。そしてコンダールの軍隊が猛攻につぐ猛攻を加えつつある。
「そら、こんどは彼らのやっていることが見えるだろう」そう言ってデュケーンは、牽引ビームを地表に投射し、宇宙船を固定させた。「ぼくは、あの球型船がみんな就役しているのかどうか見たいのだ。きみは、一万年も戦争ばかりしつづけた人類の闘いぶりがどんなか見たいんだろう?」
二人は、宇宙船を鮮明視度範囲の上限まで近よせ、眼下に展開している攻防のすさまじさをつぶさに観察した。彼らの見たものは一隻だけの球型宇宙艦ではない。実に千隻にも及ぶ球型艦が、高々度で巨大な円陣をつくって、地上の要塞を上から蔽《おお》うようにしているのである。よく見ると、戦闘線へ出て攻撃している艦は一隻もない。戦闘線から円陣までの間を、多数の艦が往復しているのである。何かの物資を運んでいるふうに見える。要塞というのは、ガラスのような透明物質でつくられた、厖大な円屋根《ドーム》のような構造物である。一部分は黒ずんで見えるが、平石でおおわれているのであろう。透明体を通して、中の様子がかなりよく見える。椀《わん》をふせたドームの中央地面には兵舎のようなものが整然と立ち並んでいる。またドームが地表を截《き》っている周辺部内側では、巨大な発生機、投影器、その他何の目的のものか想像さえもできない機械類がたくさん配列されている。ドームを中心として、二十マイル幅の輪型の前庭《エプロン》には、ドームと同一物質と思われる透明物質が敷かれている。ドームとその周縁であるエプロンの上には強力な防衛スクリーンが張られている。ときどきコンダール空軍の銅駆動ビームが穿孔《せんこう》をくわだてて投射されるたびに、スクリーンが紫色にチカチカと瞬くので、スクリーンの形がはっきりと看取《かんしゅ》できる。だが二人の地球人がしばらく見ていて驚かされたのは、ビーム投射は攻撃そのもののためではないということだ。スクリーンを絶えず緊張させておくために、ときどき思いだしたようにビームを投射しているものらしい。エプロンの縁《へり》がスクリーンの縁《へり》でもあるので、凶暴な穿孔ビームの威力をいちばん強く受け、いちばん烈しく抵抗しているようである。
防衛スクリーンの切れているところ、すなわちエプロンの先、数マイル幅の土壌は、すごいビームに加えて銅爆弾の斉射をうけて、無残にえぐりとられ、溶岩の渦巻く噴火口のような惨状である。土壌は掻きまぜられると同時に、つよい投射勢力の想像を絶した高熱で間断なく蒸気化され、それがまた銅爆弾の信じがたい爆破力で四方八方に数マイルも吹きあげられている。スクリーンで防衛されているエプロンのすぐ外縁の露出部へ向けて、これらのすさまじい銅爆弾は斉射されているらしい。惑星そのものを破壊する一歩手前の威力を持つ、最強力の投射物体である。それだけのすさまじい銅爆弾の威力で叩かれてもエプロンが崩れないのは、何かの力で、惑星の固い核芯そのものに定着されているのではあるまいか? 銅爆弾で穴があくと、溶岩がすぐ流れこんで穴をふさいでいる。攻撃のもっとも激しいところは、エプロンから四分の一マイルぐらいのあたりである。
しばらく見ていて二人が気づいたことは、そのエプロンから四分の一マイルほど離れている細い大円のところどころに、機械がせっせと稼動していることである。沸騰する溶岩、破壊しようとするビーム、叩きつぶそうとする銅爆弾という、このすさまじい地獄のるつぼのなかで、機械が悠々と運転しているとは驚くべきことであった。モグラのような土木機械は、エプロンを強化補修し、さらに外方へ拡げていっているのである。もちろん遅々《ちち》としか作業は進まない。しかし、着実にエプロンは拡大されていき、しかもエプロンの地下深くでの定着点は、モグラ機械の威力によって、確実に深くなっていく。事実、コンダール攻撃軍の恐るべき超エネルギー武器で、土壌と溶岩とが絶えず蒸気化され、空中へ飛び散っていくから、定着点が深くなっていかなければ、エプロンがくずれてしまうからである。すでに、エプロン周辺と、そのえぐられた溶岩の濠池《ほり》との表面は、このあたりの曠野の平均標高よりも一マイルがた低くなっているであろう。だがモグラ機械は孜々《しし》として働いているようだ。
ときどき、モグラ機械は、破壊兵器の集中攻撃をうけて、運転がとまってしまう。するとすぐ機械は撤回され、短時間のうちに修理されてもとへ戻されるか、あるいは別の機械がとって代わり、駸々乎《しんしんこ》としてモグラ作業はつづけられていく。被害甚大なのはむしろ攻撃側である。すでに要塞の周辺には、墜落した宇宙艦のバラバラになった船体が飛散している。宇宙空漠の雄である球型宇宙艦数百隻の穴だらけの船体は、この惑星へ侵入した未知の人類の戦争遂行の兇暴さと能率のよさとを端的に証明していた。
二人が見ている間にも、球型艦一隻が、何かの理由で防衛スクリーンを維持できなかったのか、あるいは下から加えられる猛烈な超エネルギーに圧倒されたのか、一瞬のうちに白熱状態となり、ついで光学スペクトルの紫外線までをつぎつぎに発して、まるで何かのブロブディングナッグ〔『ガリバー旅行記』に出てくる巨人国の名〕の曲射砲で打ちあけけられたかのように、上へはじき飛ばされた。その艦のドアがひとつ開き、火炎が渦巻いているその艦内から四つの人間の姿が飛びだし、ついでドアからは濛々《もうもう》たるオレンジ色の烟《けむ》りが噴きだした。味方艦がやられたと見るや、これに隣りあっていた一隻がやにわにその前方へ飛びだしていった。空中へ脱出した四人は、僚艦の牽引ビームに支えられ、同時に救援にかけつけた艦の船体そのものと防衛スクリーンとによって敵の攻撃ビームから護られつつ、しずかに敵基地より離れた地上へ降りることができた。そのとき巨大な戦艦が二隻、環状陣のはるか後方から急上昇してきて、破壊された味方艦をその強い牽引ビームで地上へゆっくりと引きおろしていった。
二人の地球人が手に汗を握って見守っていると、驚いたことに、地上へ漂いながら降りていった四人は、蟻《あり》のように見える地上警備員の群から、さっき地上へ引きずりおろされた味方艦へ飛びのった。そして味方艦はまるで無傷の新手のように、空中へ飛びあがり、敵要塞上空の戦争現場へ駆けつけていったのである。
「うむ、こいつはすごい!」デュケーンが叫んだ。「あれでぼくにひとつのアイデアが浮かんだぞ、ローアリング。あの地上でのすばらしいチームワークから判断すると、コンダールのあの艦ではああいうことはかなり頻繁に起こることなのに違いない。どうだろう、空中で待っていて、もう一隻戦闘能力を失った艦が放りあげられてきたら、乗員が脱出して空っぽになっている間に、こっちへ頂戴してしまったら? あんな艦、こんなボロ宇宙船の千倍も値打ちがある、たとえオスノームのあらゆる武器がここに積まれているにしても」
「それこそ真物《ほんもの》のアイデアです――あの艦はたしかにすごい威力ですね」ローアリングがうなずいた。そしてデュケーンとなおも腰を据えて下の戦闘を注視しながら、「なるほど、この辺での戦争って、こんなのだったんですか? ほんとにあんたの言ったとおりだ。もしシートンがこの半分の武器でも持っていたら、地球中の陸軍と海軍をぶっつぶすことができよう。しかし、その点じゃ、ぼくはブルッキングズをあんまり責めることができない。誰だって、実際その眼で見なけりゃ、この半分だって信じられませんよ」
「どうも解《げ》せんのだ」デュケーンが全体の情況を考えてみながら顔をしかめた。「攻撃側はコンダール人だ、それはわかる――あの戦艦はスカイラーク号の改良設計だから。しかし、ぼくにはあの要塞がぜんぜんわからない――あれが他の惑星からやって来た例の侵略者なのだろう? そうは思えんが……まだ二年間は来るはずがないのだから。こんな事態じゃ、コンダール側はあと一分間も耐《も》たんだろう。ひょっとすると、あれはマルドナーレの生き残りじゃないのかな?――あんなすごい武器を持っているとは聞いたこともないが、最後にもうダメだという土壇場《どたんば》で発明した新兵器かもしれん。そうだ、たしかにそれだ」デュケーンの額の皺《しわ》がなくなった。「それ以外には考えられん」
二人は、航行不能に陥ったコンダール戦艦が空中へ放りあげられるのを待った。辛抱づよく待った酬《むく》いはすぐあった。つぎの一隻が、敵ビームの集中攻撃をうけ、不具にされて空中高く投げあげられてきた。デュケーンは手持ちの最強力の牽引ビームで不具艦を押さえ、宇宙空間へものすごい速力で曳行《えいこう》していった。眼にもとまらぬ速力だから、コンダール人の眼には、ただ僚艦が忽然と消えたとしか映らなかっただろう。デュケーンは遠い宇宙空間へ不具艦を引っぱってきて、長時間、移乗してもだいじょうぶと思われるまで船体が冷却するのを待った。透明なアレナック装甲をすかして調べても、乗員のいる気配はなかった。デュケーンは宇宙服を着て地球船の気密室のなかに立った。ローアリングが鋼鉄製の地球船をコンダール戦艦へ接近させ、両船を接触のまま固定させた。デュケーンは戦艦の開いたドアから軽々と艦内へ飛び移った。ドアを緊め、補助空気タンクを開き、ゲージを艦内の空気が一気圧になるように調整した。
常圧になると、彼は宇宙服を脱ぎ、艦内をくまなく調べて歩いた。それからローアリングに合図して、この艦について来いと言った。それから間もなく二つの宇宙船――葉巻型船と球型船――はコンダール王国の上空に来ていた。ただし、高々度なので、地上からこの両船は絶対に見えない。デュケーンは、彼がこの前、コンダールの墜落宇宙艦を隠しておいた森林をめざして、いまの不具艦を弾丸のようないきおいで落下させていった。地上に近づくと突如として落下速力をゆるめ、安全に着地した。デュケーンがオスノーム惑星の土壌に足を印《しる》したころ、ローアリングも地球船をデュケーンに劣らず巧みに操縦して安全に着陸した。
「これで大いに厄介ごとが省けたな、ローアリング。たしかに、これは大宇宙《ユニヴァース》の最優秀艦のひとつだ。こんなのを使ったら、それこそ何でもできる」
「どうして航行不能になったんでしょう?」
「何週間も休みなく使ったために、スクリーン発生機のひとつがすこし弱まったらしい。それで、敵ビームのいくらかがスクリーンを突破して、艦内は何もかもが高熱になった。それで乗員は脱出した。脱出しなければ黒|焦《こ》げにされるからだ。しかし、アレナック金属が融けはじめる前に空中高く放りあげられ、敵ビームの有効距離を脱したから、艦そのものはどこも損傷しておらん。もちろん、斥力発生銅帯はイカれている。使われていた動力バーのほとんどは溶融してしまっている。それでも主要バーはまだいくぶんか残っているから、艦の推進には事欠かない。溶融したバーはすぐ取り替ればいい。他にはどこも傷《いた》んでいないのだ。この艦の構造で、高熱で灼けるというものは、ひとつもないのだ。コイルと発生機のなかの絶縁材料でさえ、磁器の融解点よりも高いのだ。また銅も、ぜんぶがぜんぶ融けているわけではない。貯蔵室のいくつかは、内張りが二フィート厚の耐熱材だ。中には銅バーと銅爆弾火薬が山と積まれている」
「じゃ、さっき見えたオレンジ色の烟りは何でしょう?」
「あれは彼らの食糧が燃えたんだ。灰になってしまっただろうよ。それから彼らの水は沸騰して、蒸気は安全弁から逃げた。安全弁で、大量の熱を一、二秒で消すことができるのだ!」
「ぼくたち二人で、あの斥力発生銅帯を取りつけることができるでしょうか? この艦、直径は七十五フィートもありますが……」
「うん、スカイラーク号よりはるかに大型だ。彼らの最新型宇宙艦だ。でなければ、前線へ投入されるはずがない。斥力発生帯をつけることは――こりゃ容易だ。あの型の宇宙艦は、しゃべること以外は何でもできるという万能工作機械を、スペースの半分も満載しているんだ。ぼくはそのほとんどの使用法を知っている。使っているのを見ているからだ。残りの工作機械の使用法も、だいたい見当がつく」
人跡未踏のこの森林のあたりは、空中から発見される危険はほとんどなかった。地上から探知されるおそれは皆無であった。オスノーム惑星では、地上旅行というものは事実上まったく行なわれていないのである。それにもかかわらず、二人は極度に用心して宇宙船を隠し、よほど慧敏《えいびん》な眼で、その気になってじかに調べなければ絶対に発見されないようにした。こうしておいて、二人は修理と据えつけ作業に全力をだし、わずかの時間で完成へもっていった。銅の斥力発生帯は取りつけられた。すでに充分すぎるほどの設備をそなえた工作機械工場に、さらに多数の補助機械が追加された。それが終ると二人は、食糧、飲料水、ベッド、計器類、その他必要なものないしは葉巻型地球船とコンダールの球型不具艦とから移して使いたいもの一切を、彼らの新しい、隠しておいた宇宙船へと積み替えた。有用なもので見落しはないかと最後の点検を終えた後、二人はそれに乗り移った。
「この両船、誰か捜しだすと思いますか? 彼らは、ぼくらのしたことを探りだすでしょう」
「たぶん、いずれはな。だから、二つとも破壊したほうがいい。だがその前に、ちょっとひと跳びして、装置をテストしてみなけりゃならん。君はこの型の艦の制御装置には慣れていないから、練習する必要がある。あそこにある月まで行って、ひとまわりしてここへ帰って来てみてくれ」
「わあーッ、こりゃいい船《ポート》だわい。まるで自転車よりも容易だ」月へ行って戻り、軽々と着地させながらローアリングが叫んだ。「ぼくたちもう、古いやつを焼却しても大丈夫ですよ。もうあんなものは要らない、蛇《へび》が去年の皮が要らんのと同じです」
「操縦性はいいはずだ。あのふたつの船を消さなければならんが、ここでやってはならない。ビームで山火事を起こしたら大変だ。それに融けた金属が地上であっちこっちに凝縮してしまう。わずかの痕跡も残したくない。だから、宇宙空間まで引っぱりあげてから破壊しよう。宇宙空間で破棄してもいいが、君は光線銃を使ったことがないのだから、破壊作業はまたとない練習になる。それに、地球で最|強靭《きょうじん》の装甲板も、アレナックに較べたらどんなに脆《もろ》いか、君自身テストしてみるといい」
両船を遠く宇宙空間へ引っぱり出した後、ローアリングは、彼らの新しい宇宙艦の複雑な装備に関してデュケーンから教わったことを実習してみた。彼はビーム投射器を振ってコンダールの不具宇宙船へ向け、三つのボタンを押した。一秒間もしないうちに、船体が眩《くら》めく白光を発した。だが、耐熱性のきわめて高い金属が蒸発するには、なお数秒を要した。金属はわずか一インチ以下の厚みだが、その形状と強度を執拗なまでに保持し、きわめて徐々にしか消滅しなかった。消滅するときは、白熱ガスを噴出して、火炎のうちに失くなった。
「あれだ、一インチのアレナックがどれほど強いか、その眼で見ただろう?」完全に破壊が終ったときデュケーンが言った。「よし、今度はぼくたちのオンボロバスの六十インチ・クローム・バナジウム鋼装甲の船体へ投射してごらん。どんなことになるか?」
ローアリングがビームを投射した。ビームが装甲板に接触したとたん、鋼板はパッとすさまじい放射線の炎を発して消滅した。ローアリングが、船首から船尾まで、さっと弧《こ》を描いてビームを振ると、もう葉巻型地球船の姿はどこにも残っていなかった。ゴム風船に火をつけたみたいだった。ローアリングがびっくりして口笛を吹いた。
「うおう! 何ちゅう違いだ! ところがこんどのぼくたちの艦は、六フィート厚のアレナック装甲だ!」
「そうだ。ぼくたちが古いバスに乗っているかぎり、ぼくが誰ともあげつらうのを好まなかった理由《わけ》が、ようやくわかったか?」
「ほんとによくわかりました。しかし、ぼくにはまだ、こっちのいろんな装置の威力がわかっていません。こんなの、三隻じゃなく、二十隻も持っていたら、たいしたものでしょうね?」
「二十隻もあれば、あのずんぐりした異星の人間でさえやっつけることができると思う」
「あんたとぼくと二人でですね。しかし、博士、どんな船にも名前があるでしょう。こんどのぼくたちの艦、美人でおとなしくて、素直な可愛い娘でしょう――≪バイオレット≫と名づけたらどうでしょうか?」
デュケーンはバイオレット号を、好戦的な種族の占領している太陽系へ向けて発進させた。だが、彼は急がなかった。デュケーンとローアリングは、何日も何日も、バイオレット号の制御装置の取扱いを練習した。一刻も休まずに練習を続けた。一つの方向へ矢のように走らせたかと思うと、つぎの瞬間は別の方向へ驀進《ばくしん》していった。加速度をぐんとあげて、速度計は毎秒数十万マイルという驚異数値を示した。そして突然にまたレバーを逆にして加速度をゼロにし、さらに逆加速度におろした。制御装置、警報システムを徹底的に研究した。ついにあらゆる計器、あらゆる標示灯、警報ベルのあらゆる調子までも完全にマスターした。立体投映器、発生機を単独に、また組みあわせて、操作を練習した。実視板の訓練も当然に行なった。あらゆるレバー、あらゆるダイヤルが彼らの手や足のように自由に調整できるようになった。デュケーンもローアリングも、複雑な装置をトコトンまで知りつくそうとした。こうして最後には、彼らの操作はほとんど自動的と言えるほどの神業《かみわざ》にまで精妙化した。ここまで行って初めてデュケーンは進発を口にしたのである。想像も思考も超えた遠距離にある彼らの目標へ、いよいよ重大決意をもって乗りだしていこうと宣言したのである。
だが、いくばくも行かないうちに、警報ベルがけたたましく鳴り、計器盤の上に、つよい緑灯が点滅をはじめた。
「うむ……む」デュケーンは動力バーを逆にしながら顔をしかめ、呻《うめ》いた。「外に、原子力駆動の探知ビームがあるぞ! 何者かが、あそこで原子力を使っている。方向、ほぼ真正面――真下だ。何が見えるか、気をつけていろ!」
デュケーンは第六実視板を、やや低い空域へ回した。二人は受像器にじっと見入っていた。かなりの時間が経った。突然に、ひとつの鮮鋭《せんえい》な閃光が見えた。非常に遠方にである。それと同時に、別の警報ベル三個が鳴り、三個の色灯が短時間またたいた。
「何者かが、大変なエーテル擾乱《じょうらん》を与えたのだ! 三本の勢力波が同時に作動した。三秒ないし四秒」デュケーンがローアリングに告げ、逆加速度をなおも強化した。
「いったい何の目的だろうか?」しばらくしてデュケーンが叫んだ。一個の鈍い輝燿《かがやき》が観測され、それが一分か二分続いたからである。警灯の点滅はゆっくりとなり、しかも輝度がしだいに減じていった。やがてバイオレット号はもとの針路を回復した。だが、バイオレット号がなおも驀進《ばくしん》していくと、原子力解放を告げる警報システムはますます強くけたたましさを加え、また点滅が烈しくなっていった。二人は擾乱の発源が何であろうかと、前方を鋭く注視した。いっぽう、バイオレット号の速力は時速数百マイルに落とされてしまっていた。突然標示器の針が大きく揺らぎ、艦の後方を指示した。何ものかはわからない、だが艦がエーテル擾乱の発源物体を通過したことは確かであった。デュケーンは動力をあげ、同時に探照灯のスイッチをいれた。
「小さすぎて、通過のときも見えないぐらいだったから、何も恐れることはない。探照灯で見つけることができよう」
暫時《ざんじ》、捜査がつづいた。ようやく宇宙空間に漂う小物体を探照灯の光芒がとらえた。それは一つの宇宙服であった!
「あんたかぼくが、気密室へ入りましょうか? それとも牽引ビームでひっぱりましょうか?」ローアリングが訊いた。
「絶対に牽引ビームだ。二本ないし三本のビームを使え。それから斥力帯も。何であろうとかまわん、がんじがらめにするのだ。決して油断してはいかん。オスノーム人かもしれんが、わからん。ひょっとすると、好戦異星人の一人かもしれん。やつらが数週間以前にこの辺にいたことはわかっている。それに、ぼくたちとオスノーム人以外に原子力をもっているのは、やつらだけだ」
「ああ、オスノーム人じゃないな」宇宙服の人体を気密室へビームで引っぱり入れながら、デュケーンが続けた。「胴まわりがオスノーム人四人分もある。だが背はきわめて低い。例の奴だ! あいつには油断は禁物だぞ」
宇宙服の異星人が制御室へ引き入れられ、牽引ビームと斥力帯で、頭、手、足を縛られて身動きもできなくされた。そうしてから初めてデュケーンが近づいていった。それからデュケーンは、宇宙服内の空気の温度と気圧を調べ、余剰空気をゆっくりと放出させ、宇宙服を脱がせた。フェナクローン人が全貌を現わした。眼を閉じている。失神しているのか、あるいは死んでいるのか?
デュケーンは教育器械へ飛び、ローアリングに受信器をひとつ渡した。
「早くこれをつけてみろ。ただの意識喪失らしい。眼をさましたら、やつからひとことも得られんかもしれない」
ローアリングは受信器をかぶった。怪物的な異星人の体躯《たいく》から、驚異の――畏怖をすらまじえた――眼を離すことができないでいる。いっぽうデュケーンは、ひたすらに、求める知識ないし情報以外には、モンスターの恰好などまったく眼中にない。大急ぎで教育器械の制御装置を操作した。デュケーンとしては、何よりもまず武器と装備のことが知りたいのだ。だが、それは失望以外の何ものでもなかった。この捕虜は航行技術者の一人で、デュケーンの最大関心事については詳しい知識をもっていなかったからである。しかし驚異的なフェナクローンの推進装置については完全な知識をもっていた。デュケーンは慎重に、この知識を自分の脳に移しとった。それが終ると、この空恐ろしい思考器官の他の領野を矢つぎばやに探索していった。
二人の眼の前に、巨大な非人間的な頭脳がいま繰りひろげられていた。デュケーンとローアリングは、フェナクローンの言語、習慣、文化だけでなく、過去の出来事、将来の計画などのことごとくを読んでいった。二人はこの男の心のなかにはっきりと、どうして宇宙の空漠のなかに漂流するに到ったかを読みとることができた。フェナクローン探検艦隊の旗艦が、二隻の球型艦を待ち伏せている図が鮮明に二人の心に映しだされた。捕虜の眼にあてられている(当時、あてられたいたのである)異常なまでに強力な望遠鏡に映しだされた光景を、二人はじっと見ていた。球型艦二隻はそんなこととは露《つゆ》知らず、近づいてくる。デュケーンは見た。一隻はスカイラーク号であり、五人が乗り組んでいた。もう一隻はコンダール号でダナークとシタールが乗っている。フェナクローンの望遠鏡は驚異の光学器械であった。デュケーンの眼の前のこの技師長の心のなかに、驚くほどの鮮明さで、それらの映像は印刻されているのである。攻撃、そして必死の戦いがはじまった。スカイラーク号が力場帯を投射して攻撃している。この、最後に生き残ってデュケーンの捕虜となったフェナクローン人は、巨大な投射スプリングと一直線になって突っ立っている。投射スプリングには数千ポンドの張力がかけられている。突然、スプリングが力場帯で切断された。切断されたスプリングの一方の端が、弾《は》ねかかえってフェナクローン人のヘルメットに当った。だが、すさまじい衝撃力に抗して、重厚なヘルメットがどれほど内側の頭脳を保護し得たか疑問である。とにかく、頭部にはげしい一撃をうけて、フェナクローン技師長のずんぐりした体が、大きくあけられた外殻の亀裂から、外部空間へ数百マイルも弾《はじ》きとばされたのである。
突如として――フェナクローン頭脳の鮮明な視像がチカチカとした。ぼやけ、意味を失い、それまではスムーズに流れていた知識の洪水がとまってしまった。
デュケーンとローアリングはほっと一と息ついた。そのうちに、眼下のフェナクローン技師長は意識を回復した。捕虜は、巨大な体力をふりしぼって、彼を締めつけている不可視、不可触の呪縛をふりきろうとした。だが、彼を包む勢力の威力はつよく、身動きすら叶わない。筋肉がピクピクと動いていることで、彼がまだ渾身《こんしん》の力で脱出をあせっていることが察しられるだけである。彼はあたりをキョロキョロと見まわし、数本の牽引ビームと数本の斥力帯ビームが彼を縛りつけていることに気づき、脱出をあきらめ、その邪悪な視力のすべてを、すぐその上の黒い二つの瞳へ放射してきた。だがデュケーンの心は、すでに完全な自己抑制をそなえており、その上この捕虜のもつ知識と精神エネルギーのかなりまでを取り入れて自己を強化していたので、崩れるどころか、たじろぎすらしなかった。異星人の催眠力のある巨眼の凝視をぐっと食いとめたのである。
「わかったろうが、あがいても徒労《むだ》だよ」デュケーンは好戦的異星人の言語で冷淡に言って、辛辣《しんらつ》な微笑を浮かべた。「おまえは完全な絶望状態だ。しかし、おまえたちフェナクローン人とは違い、われわれの人種は、ただ異種族だからといって、見つけ次第に殺すというようなことはしない。おまえがぼくに、特別に時間と労力をかける値打ちのある貴重な情報を与えてくれるなら、ぼくはおまえの生命《いのち》は助けてやる」
「おれがおまえの子どもっぽい努力に抵抗できないでいるあいだに、おまえはおれの心を読んだろう。おれの旗艦を破壊したおまえとは、おれはぜったいに話などしない。おまえがおれの心のたとえ一部分でも理解できるていどの理解力をもっておるなら――おれはおおいにそれをうたがうが――おまえはすでに、おまえを待ちかまえている運命を知ったろうが……。さあ、このおれをすきなように処分しろ!」
デュケーンは、答えを発するまえに、ずいぶんと長く考えこんでいたが。この見知らぬモンスターに、真相を打ち明けたほうが得か損かをじっと練っていたのである。ようやく結論に達した。
「なあおまえ、おまえの戦艦が破壊されたことと、ぼくは何の関係もない。この船も何の関係もない。ぼくたちの探知装置が、何もない空間に漂流していたおまえの姿を見つけ出しただけなのだ。ぼくたちはわざわざ船をとめて、おまえを死から救ってやったのだ。ぼくたちは、いましがたおまえの頭脳に描いてあった映像以外には、ぜんぜん何も見ていないのだ。ぼくは知っている――おまえはおまえの種族の常として、良心も名誉を重んじる気持もないことを知っている。良心、名誉はぼくたちの言葉であって、おまえたちにはその観念はないのだ。おまえは生まれつき、また訓練と教育で、自動的な虚言家《うそつき》だ。考えるときはいつも、ウソがいちばん役に立つというのがおまえの思想だ。だが、そんなおまえだって、単純な真実なら、聞けば理解できる程度の知性はあるだろう? ぼくたちがおまえの旗艦を破壊したものたちと同じ種族であることは、もうわかったろう? そしてぼくたちが同じ穴のムジナだと思っているだろう。ところが、それは思い違いだ。ぼくはあの連中を知ってはいるが、彼らはぼくの敵なのだ。ぼくは、あいつらを殺すために来たので、助けるために来たのではない。おまえはすでに、一つだけぼくを助けてくれた――、不貫通性の勢力遮蔽のことは敵以上によく知ることができた。もしぼくがおまえをこのまま、おまえの惑星へ返してやったら、おまえは、おまえのところの宇宙艦を一隻盗むのを手助ってくれるか? あの地球船を叩きつぶすためにだ」
フェナクローンは、名誉を重んじる心とかウソをつかない正直な心とか、デュケーンの棘《とげ》のある評言をぜんぜん無視して、瞬時もためらわずに答えた。
「手助けなどはしない。われわれ、フェナクローンのスーパーマンは、大宇宙の他の種族には知られない秘密を積んだわれわれの艦を、むざむざおまえのような劣等種族の手にわたすほどばかではないのだ」
「よし、おまえはいまウソをつこうとしなかったな。しかし、ちょっと考えてみろ。ぼくの敵のシートンは、すでにおまえのところの艦一隻分の断片をもっている。奴がそのバラバラの艦をひとつにまとめて返すほど、またその秘密をぜんぶ奪ってしまわないほど、愚かな人間だと思うのか? それから、こういうことも考えてみろ――ぼくはすでにおまえの心を読んでしまったから、おまえなどいなくとも、やっていける。それでもおまえが協力すれば、ずいぶんと助かると思うから、協力の代わりに生命《いのち》を助けようと言っているのだ。それから、おまえはなるほど超人《スーパーマン》かもしれんが、ぼくがおまえに向けた超エネルギービームに対しては、おまえの精神力も歯が立たんということも考えてみたらいい。いくらスーパーマンだって、ぼくがおまえの宇宙服を剥《は》いで真空中へ放りだせば、おまえの生命《いのち》はいっぺんに消えてしまうのだ」
「おれはいのちを愛するふつうの気持はもっているし、たとえいのちをうしなっても、できることと、できないことがあるのだ。フェナクローンの艦をぬすむなどというバカげたことも、そのひとつだ。しかし、おれはここまでは譲歩してやろう。もしおまえが、おれをおれの惑星へかえしてくれれば、おまえたちを客として、われわれの艦の一つにのせ、フェナクローンが敵にくわえる報復のものすごさを目撃させてやろう。それから、おまえたちは、じぶんの艦にかえり、ぶじに出発がゆるされる」
「そら、口から出まかせのウソをついている――ぼくにはおまえがどう出るかは、ちゃんとわかっているんだ。すぐそんな愚かな考えは、アタマのなかから無くしてしまえ。おまえを縛りつけている牽引ビームは、おまえが素直に言うことをきかぬうちは解《と》かれないのだ。ぼくの言うことを肯《うなず》くならば、そのときはじめておまえをおまえの惑星へ、ぼくの首を危険にさらさないで、返してやる方法を工夫してやろう。ついでに警告しておくが、ぼくをすこしでもチョロまかそうなどとくわだてたら、そのときは即座におまえはお陀仏《だぶつ》だぞ」
捕虜は一言も発しない。いまの情況をあらゆる角度から分析しているらしい。デュケーンは冷たい調子で続けた。
「それからもうひとつ、おまえに考えてほしいことがある。もし協力しないなら、ぼくはおまえを殺し、シートンを捜しだし、この来たるべき戦争の間だけ、平和協定を結ぶ――これを妨げる何ものもないのだ。おまえの旗艦の断片を彼は持っている。ぼくはおまえの心のなかから知識を獲得し、さらに殺したおまえの頭脳でそれを補強する。そのうえ、緑色太陽系の全惑星の資源が後楯《うしろだて》になる。そうなったら、おまえたちがいくらあせってみても、とうていわれわれを滅ぼすことはできんと思うが、どうだ。ついに、ぼくたちがおまえの全種族を破壊することが可能となる。いや高い確率になる。しかし、ぼくが緑色太陽系など構ってはいないことを、理解したらいい。おまえがぼくの頼むことをやってくれるなら、おまえはこっちの味方だ。もしやらんというなら、ぼくは彼らに警告を与え、彼らを助ける。緑色太陽系が可愛いからじゃない。ぼくの世界――いまぼくの私有財産となっている地球――を護《まも》るために、彼らを助けるというのだ」
「われわれの武器と装置をやるかわりに、われわれのことを緑色太陽系へ警告しないと約束するというのか? おまえの心のなかには、おまえの敵の死がいちばんねがわしいことだというのか?」異星人は考え考え、つぶやくように言った。「……うむ、そう考えれば、おれにも、おまえの見かたが、すこしはわかる。しかし、おれがおまえの動力装置を、われわれの方式に改装し、おまえたちを案内して、われわれの惑星へつれていったとして、おまえがことばどおり、おれを釈放するという、なんの保証があるか?」
「何もない――ただそう約束をしただけだ。しかし、ぼくがおまえを信用しないと同様、おまえがこっちを信用するとはとうてい思えんから、もう約束はしない。これ以上、問答無用だ! ぼくがここのマスターだ、ぼくが条件を決める。ぼくたちは、おまえなど要らない。だから、てきぱきと返答しろ、すぐここで死ぬか――そうだ、この宇宙空間でいますぐ死ぬのだ。でなければ、ぼくの要求どおり、ぼくたちを助け、故郷《くに》へ帰るまで生きのびる――少なくともそのあいだ人生を楽しむ。そしておまえの惑星の大気圏で釈放される望みは、それが一縷《いちる》の望みか大きな確率か、そんなこと知るものか、とにかく勝手に想像して生きてだけはいられる。さあ、どっちだ?」
「ちょっと、船長《チーフ》!」ローアリングが捕虜に背をむけ、英語で言った。「あんたが言ったように、こいつを殺して、シートンと緑色太陽のところへ帰ったほうが得じゃないですか?」
「違う」デュケーンもまた、フェナクローン人の読心力のある凝視を避けて、顔の向きを変えてから言った。「あれはまったくの脅《おど》かしだ。こやつの艦の武器を積むまでは、シートンの百万マイル以内には近づきたくないんだ。たとえしようと思っても、いまはシートンとは和睦できない。また、しようなどという気はさらさらないんだ。ぼくは、出会い次第やつを殺すつもりなんだ。ぼくたちの計画はこうだ――第一に、はるばると求めてきたものを必ず取る。それからスカイラーク号を見つけ、宇宙空間から消してしまう。そしてあのフェナクローン艦の断片を接収する。それから緑色太陽系へ向かい、オスノーム人の武器と、ぼくたちがくれてやる武器とで、彼らはフェナクローンに相当痛い目を見させるだろう。だが、やがてはフェナクローンがオスノーム人を破壊する、もしできればだ。そうなったら、仕方がないから、緑色世界は、フェナクローンにまかせる。これがこっちの腹だ」デュケーンは捕虜へ向き直った。「どうだ、決心がついたか?」
「降伏する。おまえが約束をまもることを、期待してだ。それ以外には死しかないからだ」
それから捕虜は、なお牽引ビームでゆるやかに縛られながら、そしてデュケーンとローアリングに油断なく監視されながら、オスノーム艦の動力装置を、空間と距離とをゼロ化するフェナクローン駆動方式に改装する仕事にとりかかっていった。捕虜はまた、裏切り者とはならなかった。裏切る必要を認めなかったからである。それは、デュケーンが大急ぎで彼の頭脳を調べたが、彼の眼色のように複雑な脳の襞《ひだ》から、デュケーンが一つの重大なる事実を見落したことを、捕虜は慧眼《けいがん》にも見抜いていたからである。それは彼の遠い太陽系に張りめぐらされている探知スクリーンの内部へ入ったら、こんな地球人など、攻撃軍を向けるまでもなく、ひとたまりもないという事実である。それよりも、時間がいま死活の貴重さとなった。フェナクローン種族のために、彼はバイオレット号を情《なさけ》容赦もない超スピードで飛ばさなければならない。そしてすでに数時間前に発射されたあのメッセンジャー魚雷に追いつかなければならない。フェナクローンの長い歴史上初めて、フェナクローンの戦艦が敗北を喫し、その強大な恒星間戦争の破壊エンジンのひとつが、敵に拿捕《だほ》されたという驚くべきニュースを積んで、魚雷は発射されていたのである。
その改装工事の複雑さから判断すれば、驚くべき短時間といわざるを得ない。とにかく捕虜の技師長の努力により、動力装置の改装は完了した。すでに最終防御兵器と考えられている斥力発生帯も、賦活《ふかつ》銅一万ポンドによって補強され、数百万マイルの有効距離をもつようになった。モンスター的な航行技術者は、パイロットとなって、銅バーをセットし、二重動力制御装置の両レバーをその極限位まで操《あやつ》り動かした。
運動ないし加速度はすこしも感じられなかった。なぜならば、新しい推進システムでは、銅バーの作用半径内(それは全船殻を包含するようセットされている)の、あらゆる物質分子に推力が作用するのだからである。乗っているものは、まったくの無重力と、それに伴う、すでに彼らの習熟した異常感覚に見舞われただけである。一見、運動が皆無のようでありながら、その実バイオレット号は、恒星間宇宙の測深すべからざる深部を、光速の五倍という、想像もなにも超えた驚異的加速度で驀進《ばくしん》していたのである。
[#改ページ]
八 ダゾールのイルカ人間
「あそこへ着くのに、どのくらいかかると思う、マート?」シートンが隅から呼びかけた。彼はいま、機械装置テーブルの上へかがみこんでいる。
「いまの加速度で三日というところだろうね。女たちに最大安全率と思う加速度にセットしている。もっと増そうか?」
「いや、その必要はないだろう――三日なら悪くはない。一日節約しようと思ったら、加速度を倍にしなければならんもの。このままで行こうや。どんな具合だ、ペッグ?」
「一トン近い体重だけど、慣れてきたわ。わたしの膝《ひざ》、今朝一度崩れただけだわ、歩こうとするとき膝を見守ること忘れたからなの。でも、みなさんの邪魔すると悪いから、失礼するわ。わたしのために遅くなっちゃ困るから、ベッドへ行って、おとなしくしていようっと!」
「寝るなんて勘定に合わんよ。もっと時間を有効に使えるんだ。ここをマート――ぼくは、彼らの船からとったこの装置を調べていたんだが、君が夢中になりそうなものが出てきた。彼らはこれを地図《チャート》などと呼んでいるが、これは三次元だよ、信じがたいしろものだ。理解できたなどとは言えん。しかし、調べてみると面白くてしようがないんだ。もう二時間ばかり研究してみたんだが、まだ始めたような気もしない。しかしぼくには、われわれの太陽系が見つからん――緑の太陽系も、ぼくたち自身の太陽系も。いまの加速度だから、装置が重くなっちゃって、ちょっとやそっとでは動かせない――こっちへ来て見てくれよ、マート」
≪地図《チャート》≫というのはフィルムである。おそらく、長さ数マイルであろう。それが機械の両端のリールに捲かれている。フィルムの一区画がつねに観視機構のなかに挿入してある。それは、シートンたちの実視板に似たプレートのなかへ、歪《ゆが》みのない鮮明な画像を投影する光学装置である。レバーを押すと、小型モーターが動き、フィルムを投影器へ送りこむ。
フィルムはふつうの星図とは異なり、三次元であり、超立体像である。眼には扁平な画像ではなく、銀河系中心から眺めた、きわめて狭い宇宙空間の、切りとられた一角が実際に見ているように映るのである。近い星は、ひとつひとつが鮮明に、空間内のほんとうの位置と、前後の距離関係がはっきりと観取される。また、どの星にもはっきりと番号が打ってある。背景には淡い星屑と光の雲状の塊《かたま》りがあり、遠すぎて一つひとつの星には解像されない。いずれにしろ、実際の天空を忠実に模写したものだ。二人は魅せられたようにプレートを覗きこんでいた。シートンがレバーに触れると、切りとられた扇状型の中心線に沿って、先へ先へと旅行していくと同じ感覚である。見ているうちに、近い星は輝きを増し、大きくなり、やがてはっきりと太陽の相貌を呈し、惑星を伴っている。惑星の衛星すら手にとるように見える。そしてついに観取者の背後へ、視界から消えていく。それにつれて、淡い星は明るくなり、太陽となり、太陽系となり、またも後方へ去っていく。地図はなおも流れていく。雲状の光りの塊りが近づいてきた。みると、淡い光の星が無数に集まっている。それもやがて太陽となって、彼らの背後へ去っていった。
ついに、彼らの後方では、実視板全面に、銀河系の姿ぜんぶが満たされた。彼らは銀河系の最外側の端に到達したのである。もう前方には星影は見えない。彼らの眼前には、思考も及ばないほど遠くまで、無限の空虚が伸びているだけである。だが、その形容を絶した無の広袤《こうぼう》の奥に、シートンとクレーンとは、幽《かす》かなレンズをいくつかと、鈍い光点のいくつかを見てとることができた。それらにも名称が印刷されていた。二人はそれらが別の銀河系であることを知った。それらは、フェナクローン天文学者たちの無限の科学力によって地図に映しだされたものだ。だが、そのフェナクローン人たちも、ここは探検していないのである。魔法の絵巻物はなおも繰りひろげられ、遠くを近くへたぐりよせている。彼らはまたも銀河系の中心に来ていた。彼らがいま横断したばかりの銀河系に隣りあった巨大レンズの中心から、外方に向かって進んでいるのであった。シートンはモーターをとめ、額の汗を拭った。
「マート、きみは踝《くるぶし》のあたりから崩折《くずお》れないかい? こんなもの、可能だと考えたことがあるかい?」
「いいや、ない。どの巻枠《リール》にも、それぞれ数マイルのフィルムがある。しかも、あのキャビネットのなかは巻枠《リール》でいっぱいだ。インデックスかマスター・チャートがあるに違いない」
「そう、この隙間《スロット》のなかに小冊子がある。しかし、名前や番号がぜんぜん意味がわからない――ちょっと待って! 彼ら、あの魚雷で、ぼくたちの地球を何と報告しているかな? 太陽六四何とか何とか、パイラローンの第三惑星とか言ったな? どれ、記録を見てみよう」
「六四七三パイラローンだった」
「パイラローン?……はてな?……」シートンは索引表を研究しながら言った。「リール二十、場面五十一とある、よし、翻訳してやる」
二人は巻枠《リール》を見つけだした。≪場面五十一≫は、なるほどわれわれの太陽系のある宇宙空域を示していた。シートンは、恒星六四七三がいちばん近距離に来たとき、地図《チャート》をストップした。そこにわれわれの太陽があった。七つの惑星、それらに随伴した多くの衛星などが正しく三次元の映像の上に現わされ、また正確に記述されていた。
「うむ、彼らは正しい知識をもっている。彼ら自身の努力と思わなけりゃならん。ぼくはあの頭脳記録を訂正していたんだ。紛《まぎ》らわしい描写を正しく直し、使えるように彼の知識を訂正していた。あの頭脳記録のなかには、こういった種類の新知識がたくさんある。これだけの知識と頭脳記録をもった人間がどこからやって来たものか、推理できたとしたらどうなる?」
「そう、たしかに有益なことだ。おそらく、オスノームの知識以上に、緑色太陽系についての完全情報が得られるだろう、きわめて実用価値の高い。君の言うとおりだ――ぼくはこの材料にひどく興味を感じている。もし君が特に今、それを研究しようという気持がないなら、ぼくがこれから研究を始めなければならんと思うが」
「引き継いでくれ。ぼくはあの頭脳記録をもうすこし研究してみる。人間の頭脳があれだけのものをことごとく受容できるかどうかわからんが、とくに全部を一時に吸収できるかどうかわからんが、しかし餌箱のまわりを突っついて、ほんとうに要る情報だけを拾ってみる。あの怪物《ワンパス》からはずいぶん情報を得た」
それから六十時間ばかり経ったころ、第六実視板でその惑星を観察していたドロシイが、フェナクローン人の頭脳記録にまだ打ち込んでいるシートンを呼んだ。
「ちょっと来てよ、ディッキー! まだあなたの頭蓋のなかに、あの知識全部詰め終っていないの?」
「まだだよ。やっこさんの頭脳はぼくの三倍か四倍も大きいんだ、安物のゴム靴がいっぱい詰っているんだ。ぼくは端のほうからぽつぽつと齧《かじ》っているんだ」
「人間の頭脳でもその受容能力は無限ですって、わたし、しょっちゅう聞いたけど、ほんとかしら?」マーガレットが訊いた。
「多分そうだろうね、知識というものが幾世代もにわたって徐々に築きあげられたものだとすればね。ぼくも、これだけの知識を自分の脳へ貯蔵できるだろうとは思う、しかし大変な仕事は仕事だな」
「彼らの頭、ほんとうにぼくが見て察したように、ぼくたちよりずっと進んでいるのかしらね?」とクレーン。
「それは難しい質問だな。差はないよ。彼らがぼくたちよりも高い知性だとは言えないと思う。ぼくたちよりも余計知っている領野もあるし、少ない領野もある。しかし、ぼくたちと共通なものはきわめて少ない。彼らが天才的な≪人類《ホモ》≫とはとうてい言えんだろう。ぼくたちのような類人猿との共通祖先から分かれたものではなく、ネコ属と食肉爬虫類という動物王国でのいちばん獰猛《どうもう》で残忍な二分枝の、いちばん悪い形質を組み合わせた、ある属から進化してきたものだろう。進化するにつれて良い方向へ進むのではなく、だんだん悪くなっていった。すくなくとも獰猛と残忍という形質では。
しかし彼らは特に知識が豊富というわけじゃない。君も一ヵ月かそこら時間のゆとりがあったら、この受信器をつけて彼の知識を吸収するといい。ただし、彼の心理的形質の吸収は避けること、その他の用心をしてな。それから、地球へ帰還したら、ぼくら、獲た知識はいったんご破算にして、もう一度組み直そう。君が、その頭蓋のなかへこの知識を移植してみたら、ぼくの言う意味がわかると思うよ、マート。しかし講義はこのくらいにして、どうした、ドッチー・ディンプル、何を考えてる?」
「マーチンの選んだこの惑星、びしょ濡れだわよ、文字どおり。視界はよく利《き》いているわ――雲はほとんどないし――でも地表の半分はまったくの海洋じゃないの。島があっても、ずいぶんちっぽけだわ」
四人は一様に受像器に見入った。大きな拡大装置をつけたので、実視板全体はほとんど惑星だけで占められている。刷毛《はけ》で掃いたような雲がすこし浮かんでいるだけである。四人が見ている全地表は、銅の多い太陽系の海洋に特有の、いまは見慣れた荘厳な濃紺である。そして、島のようなものはぜんぜん見えない。
「何と解釈する、マート? あれは水は水だが、硫酸銅の溶液なんだ。オスノームの海洋、ウルヴァニアの海洋と同じだ。ほかに何も見えない。この辺から見えるには、島は最低どのくらいの大きさでなければならないのかしら?」
「島の形とか性質によることだから、それは何とも言えんね。低い島で、緑青色の植物が繁茂《はんも》している場合は、相当大きな島でも眼には見えんだろう。ところが丘が多く、植物のない島だったら、直径数マイルぐらいの小島でも見えるだろう」
「自転しているんだし、だんだん近づいていってるんなら、見えるものは見えてくるだろう。監視を交替でやったらいいと思うが」
交替で監視に立つことに決った。そのうちに、スカイラーク号はまだ遠いのだが、数個の島が見えてきた。惑星の自転周期は約五十時間と計算された。そのとき制御盤についていたマーガレットは、見える島のうちで最も大きいものを選び、その方向へ動力バーを指向させた。目標地点へ近づいていくと、空気の組成がほぼオスノーム惑星の大気と同様であることがわかった。だが、気圧はわずか水銀柱七十八センチメーターしかない。さらに惑星の地表重力は地球の百分の九十五という計算が出た。
「見事な計算ぶりだ」シートンが大喜びに言った。「まるで地球みたいだね。しかし、びしょ濡れにならんで着陸できそうな空地がないみたいだな、そうじゃないかい? あの反射鏡はたぶん太陽発電機だろう。すぐぼくらの真下の礁湖以外の、ほとんど全土を蔽っているじゃないか」
島は全長約十マイル、幅五マイルほどで、全地表が巨大な抛物《ほうぶつ》線状反射鏡で蔽われている。非常に密集して並んでいるので、隙間の地面が見えないほどである。どの反射鏡も、中心におかれた一物体に集光されているらしい。物体は螺旋状の物体で、反射鏡の焦点内で真珠色に、またオパールのような輝きに燃え、身悶《みもだ》えしているように見える。
「うむ、ここじゃ大したものは見えん――もっと下降しよう」シートンは言って、スカイラーク号を島の海岸線へ翔ばさせ、水面間近まで降ろした。
だが、ここでも、島そのものの様子は、ぜんぜん見えない。その代わりに、島は巨大な機構に囲まれている。水ぎわに張りめぐらされた壁である。継目なしの金属でつくられた一枚板の壁が水ぎわに直立しているのだ。壁のところどころには縦に細隙《さいげき》がいくつかあいており、一定間隔に案内装置《ガイド》が縦に走っている。壁は主としてガイドを支える目的のようである。ガイドとガイドとの間に金属製のフロートが幾個もはさまれており、海面に浮いている。この大型フロートの上に、金属性の桁《けた》と三角結構《トラス》が載っており、それらが壁の細隙スロットを通って、真っ暗な内部へ伸びている。シートンがなおも近づいてみると、大型フロートがガイドに沿って、ゆっくりとではあるが着実に上昇しているのが見てとれた。いっぽう、その外側にはたくさんの小型のフロートが浮游しており、このほうは沖から波が押しよせるたびに上下運動を繰り返している。
「固定式発電機、潮力発電機、波浪発電機――いちどに三つだ!」シートンが叫んだ。「≪何かの≫発電所だ! おいみんな、ぼくたち内部へ突入しなければならんとすれば、まずあれをよく調べなくっちゃ!」
スカイラーク号は島を一周してみたが、どこにもドアはないし、開口部もない。三十マイルの周囲はぜんぶ巨大な発電装置が並列して固めているのである。スカイラーク号は出発点に戻り、発電機構の壁を飛び越え、抛物線状反射鏡の林を越え、中央の小さな礁湖の上空へ出た。水面近く下がってみると、反射鏡の屋根の下では宇宙船の動きまわるスペースがあることがわかった。また、この島全体が無数の潮力発電機を支える固定台であることもわかった。細長い礁湖の一端に一つの金属構造物が建っている。島で唯一のビルディングである。シートンは宇宙船を操縦し、ビルディングの広大な開口部へ滑りこんでいった。ビルディングには窓というものはなく、開口部が唯一の入口であった。建物の内部へ入ってみると、壁の前面につきだして、長い管状の照明具が部屋じゅうに横に張りめぐらされている。壁というのは全部スイッチボードである。計器類の列がある。列の上にまた列がある。数列が一つの段をかたちづくり、その段が層々と積み重ねられている。導線の類や母線《パス・バー》の類はまったく見えない。だが全体の計器類が、厖大な容量をもつ電気メーターであり、現在フルに運転されていることは一見して明らかである。計器類の列の前には必ず、一個の狭い歩橋《ウォーク》が横走している。ところどころ、歩橋は段階になり、礁湖の水面へ降りていっている。広大な部屋は隅から隅まで丸見えであるが、この膨大な計器盤を監視している人員は一人もいない。
「どう思う、ディック?」クレーンがゆっくりとした調子で訊いた。
「配線がない――凝集ビーム送電だな。フェナクローンは、二個の整合周波数分離装置《マッチド・フリークエンシー》でこれを行なっているんだ。何百万キロワット、何千万キロワット、だろうな。しかも絶対的な自動制御だ。でなかったら……」シートンが絶句した。
「でなかったら何なの?」とドロシイ。
「うむ、ただのカンだよ。これはもしかすると……」
「よして、ディック! この前あなたのそのカンが出たとき、あたしがあなたをベッドへ送りこまなければならなかったこと、忘れたの?」
「でも、出たものは仕様がない」とドロシイの抗議を無視して、「マート、惑星が年をとりすぎて、陸地がぜんぶ侵蝕されてしまい、海面以下になったとしたら、進化は論理的にどういう経路をたどるだろうか? 君はこんな爺さん惑星を選んじゃった、それはかまわんが――あんまり爺さんすぎて、陸地がひとつも残っとらんじゃないか。高度文明になった人間は魚類になるんだろうか? ぼくにはそれは退化だとしか考えられんが、でも他にどういう解答がある?」
「多分、ほんものの魚になるわけはあるまいね――何らかの魚類的形質は、容易に発達させてはいくだろうけれど。しかし、みんな鰓《えら》や冷血に戻るとは信じられないね」
「お二人、いったい何しゃべっているの?」マーガレットが割り込んできた。「あなたたち、ここには人間じゃなくて、おサカナが住んでいると思うっていうの? おサカナがみんな、こんなもの作ったというの?」眼をまるくしながら、彼らを取りかこむ複雑な機械と装置へ手を振った。
「いや、ほんとの魚というわけじゃない」クレーンが言いかけたが、考え込んでしまった。「人工|淘汰《とうた》と自然淘汰で、その肉体を環境に順応して変化させた人類ということだよ。ぼくたち、最初の宇宙旅行のとき――そうぼくが君に出会った直後のだよ――ちょうどこれと同じ問題を論じ合ったじゃないか? そのときぼくは、大宇宙《ユニヴァース》は到るところ生命に満ちているに相違ないが、大多数はぼくたちの理解できない生物だろうと言った。すると君が答えた。理解できないからって、恐ろしいものと考えるのは理屈に合わないって。ちょうど、これがあのケースかもしれない」
「よし、ぼくがそれを確かめてやる」シートンが宣言するように言った。コイル、真空管、その他の道具類をいっぱい箱に詰めて二人の前に現われたのである。
「どんなふうにして?」ドロシイが好奇心の眼差《まなざ》しで訊いた。
「まず特殊探知器をひとつ組み立てる。そしてビームを一本投射して、それについていくんだ。まずビームの周波数をたしかめ、方向をはっきり見きわめて、探知器ビームでその先端のところを拾う。そしてビームの行くところへ、どこまでもついていく。もちろん、どんなところも突き抜けるだろう、ビームは。ビームがたとえどんなに凝集されて固くなっていても、ぼくは何とか探知器でそれを手なずけて、そのあとを追っていく。これは君、あの頭脳記録から学んだ技術のひとつだよ」
シートンは器用に、てきぱきと作業をした。やがて特殊な探知器が一台出来上り、それを計器の列の前の、ある位置に据えると、探知器のなかに明るい緋色《ひいろ》の光線が現われた。探知器の大円環《グレート・サークル》の上の目盛でその方角を確かめ、スカイラーク号を正確にその追跡線に沿って進ませた。宇宙船は反射鏡の林の上を飛び、島の外へ出た。そして宇宙船が真下へ下降していくままに委《まか》せた。
「さあみんな、ぼくのやり方が正しければ、赤い閃光が出るはずなんだ」
シートンが喋り終らないうちに、探知器にまた、爆発するような緋色の輝きが出た。シートンは動力バーを追跡線の方向へセットし、わずかに動力を入れた。この操作によって、探知器の緋色の輝きは、絶えず続き、しかもいちばん濃い緋色になったままである。他の三人は魅せられたように、緋色の輝きを見つめている。
「このビームは、何か動くものに当っているよ、マート。一秒間でも眼が放せない。眼を放したら見失ってしまうからだ。どうだい、わかるかい、ぼくたちどこへ向かっているか?」
「水面にぶつかりそうじゃないか」クレーンが静かに答えた。
「水!」マーガレットが叫んだ。
「じゅうぶんに公平じゃないか――どうして悪い?」
「ああ、ほんとだったわね――スカイラーク号が航空機と同時に潜水艦だってこと、忘れてたわ」
クレーンは第六実視板を飛行線にぴったりと合わせ、暗い水中を見つめた。
「深度は、マート?」しばらくの後、シートンが訊いた。
「わずか百フィートほどだ。これ以上深く潜《もぐ》れないように見えるが」
「それでいいんだ。このビーム、地殻を突き抜けて、惑星の反対側の発電所《ステーション》へ行っちまうんじゃないかと心配だ。だとすると、ぼくたち引き返して、別の道から追跡しなくちゃならん。水はどんなに深くとも通れるが、岩を突き抜けるわけにはいかんからな。照明|要《い》るかい?」
「もっと深くなるまでは要らん」
それから二時間、シートンはエネルギーの凝集ビームに探知器のビームを載せつづけ、時速百マイルで宇宙船を進ませた。ビームを保持するには、百マイルが最高スピードである。
「空中へ出て、あたしたちの進むのを見てみたいわ。背後に水を沸騰《ふっとう》させてるんじゃないこと?」ドロシイが言った。
「そう、かなり水を蹴《け》立てていると思う。こんな非流線型の不格好なものを、これだけ濡れているところを走らせるには、かなりの動力が要るんだ」
「速力をゆるめて!」クレーンが命じた。「前方に潜水艦が見える。はじめ鯨《くじら》かと思ったが、船だった。まさしくぼくたちの捜していたものだ。君、絶えず方向転換して、追跡線を見失うなよ」
「オーケー」シートンは動力を減じ、実視板を自分の前へ回した。たちまち探知器の緋色の標灯が消えた。「ビームがひょろひょろと動いて次はどこかと心配するより、眼に見えるものを追跡するほうがずっとらくだ。さあ先導しろ、マクダフ〔シェクスピア『マクベス』からの引用〕! おまえのすぐ後を、おれは追うぞ!」
スカイラーク号は潜航艇らしいもののすぐ後に続き、シートンはあくまでも見失うまいと、実視板の凝視をつづけた。するとやがて、奇妙な艇は停止し、水面へ浮かびあがって行った。そこはちょうど、なかば水に沈んだフロートの列と列との間であった。フロートの列が鉛筆を横に並べたように四方八方に続いている。望遠鏡で見えるかぎり、果てしなくどこまでも続いている。
「さあドット、どこかは知らんが、来るところへ来たぞ」
「何でしょう、これ? 大きな浮きドックみたいだけど。あなたが大好きな空想科学雑誌に、よくこんなの出てくるわね」
「たぶん……もしそうなら、彼らは魚じゃない。さあ行こう――調べてみなくっちゃ」
スカイラーク号が水中から空中へ出るとき、すさまじい水|飛沫《しぶき》があがった。宇宙船は文字どおり浮かんだ都市ともいうべき大きな島の上空へ出た。
浮上都市は長さ約六マイル、幅約四マイルの長方形をしていた。ここでも、さっき訪れた小島をおおいつくした太陽発電機と同じものが、無数の屋根を拡げていた。だが、あの小島のようには密集していない。それから、無数の入江が割られていた。長方形の都市周辺の水際は波浪発電機がぎっしりと詰まっている。高空に浮かんでいるスカイラーク号から、地球人たちは、ときどき潜航艇がゆっくりと浮上都市の下を潜《もぐ》って走るのが見えた。また入江には、小さな水上船が相当のスピードで行き交っているのが眺められた。見ていると、一隻の水上飛行艇が入江のひとつから飛びたち、海洋上空へ去っていった。鴎《かもめ》の翼のように折れ曲った、厚くて短い翼をもった水上飛行艇であった。
「たいしたところだな!」シートンは入江へのひとつへ実視板を回しながら言った。「潜水艦、快速艇、快速水上機と……。魚だろうとなかろうと、≪とろい奴≫じゃない。どれ、ここの連中をひとり捕まえて、どの程度の知能か調べてみよう。平和種族かしら、それとも好戦的かしら?」
「平和的に見えるが、諺《ことわざ》は知っているだろうね?」クレーンがせっかちな友人をたしなめた。
「ああ。これからぼくは廿日鼠《はつかねずみ》みたいに臆病になるつもりなんだ」シートンが言った。
スカイラーク号は都市の縁《へり》に近いひとつの入江に向かって急降下していった。
「いまのは、ギャグ・ブックに載せるべきだわ、ディック」ドロシイがわらった。「あと一時間したら、臆病になる仕掛け、忘れるに決っているわ」
「そんなことあるもんか、赤毛の娘さん! もし彼らが指一本ぼくたちに向けたら、ぼくは分速百万マイルで逃げる」
しかし、スカイラーク号がしだいに降下していっても、都市からは何も敵対行為の気配は見えなかった。シートンは片手を力場帯を作動するスイッチにしずかに置いたまま、ゆっくりと宇宙船を降下させ、ひと叢《むら》の反射発電機の林を越し、入江の水面に着水した。実視板を見ていると、岸のほうから人の群れがこちらへやってくる。入江を泳いで近づくものもあり、狭い道路をひしめいて近づくものもある。人影はみんな同じ大きさであり、武器は帯びていない。
「彼ら、完全に平和的のようだな。ただ物珍しいだけなんだよ、マート。ぼくはもう斥力帯を近距離用に調節して待っている。彼らを束にして遮断できると思う?」
「光線スクリーンはどうだろう?」
「ああ、それも三重に張ってある。しかし光線スクリーンは固体の動きには干渉しない。また害は与えない。光線攻撃だったら、どんな強いものでもストップするが。その他は、このアレナック装甲だけでたいていのものは防御できるよ。この計器盤みていてくれ。ぼくは彼らと交渉できるかどうか試してみるから」
シートンが宇宙船のドアを開けた。とたんに、人間らしいものの影が無数に水中へ飛びこんで消えた。代わって、五十フィート足らずのところに、一隻の潜水艦がしずかに浮上してきた。見ると珍しい管状武器と巨大なビーム投射器がスカイラーク号に向けて構えてある。シートンはじっと立った。右手をあげた。宇宙どこへ行っても共通の平和的身振りであろうと望みながら。だが左手は、腰のX爆発銃弾を装填《そうてん》した自動拳銃を握っている。一方、制御盤についたクレーンは、フェナクローンの超威力ガンの照準をあわせ、手はスイッチにかけてある。スイッチが回路を閉じれば、潜水艦は一瞬にして蒸発し、同時に浮上都市の端から端まで白熱の破壊の痕《あと》が細長く一本刻まれるはずである。
しばらく不気味な沈黙と不活動とがスカイラーク号と潜水艦との間に続いた。そのうちに潜水艦のハッチから開き、ひとつの人影が現われ、甲板に立った。人影とシートンとは会話を行なおうとしたが、全然通じない。仕方なくシートンは教育器械をもってきて、前へ差し出し、相手の検閲《けんえつ》をさそうふうに、こっちへ来いと手で招いた。すると相手は水中に飛びこみ、潜水してシートンのすぐ足許で水面へ浮かびあがった。シートンは手をのばして、助けながら、スカイラーク号のなかへ連れこんだ。シートンも背が高く、がっしりした体つきだが、相手はシートンよりも数インチ高く、目方といえば倍もありそうである。皮膚は犀《さい》の皮のように厚く、オスノーム特有の緑色にくすんでいる。眼はふつうの黒い瞳だ。毛髪は一本もない。肩は広く見るからに逞しいが、ひどい撫《な》で肩で、尖っていない。腕は短い。これだけの体躯の人間だったら、この倍の長さの腕でなかったら妙な姿であろう。短いが強そうな腕ではある。手と足はばかにでかく、ばかに広い。指にも足指にも立派な水|掻《か》きが張られている。額は広く秀《ひい》でているが、頭髪がまったくない禿《はげ》頭だから、いっそう広く秀でて見える。つんつるてんの頭部を別とすれば、容貌はまあふつうの人間並みであり、目鼻はととのっていると言えよう。挙手動作は軽快で、動きは優美でさえある。しかし制御室へ入ってくる様子は、どこか司令業務などに慣れたらしい一種の威厳をもち、他の三人の地球人におごそかな敬礼をした。そしてすばやく制御室を見回し、宇宙船の駆動装置をみつけると、紛う余地もない嬉しそうな表情をみせた。言語は、教育器械によりすぐ相互に理解された。相手の男の声はシートンよりもはるかに低音であった。
「わたしたちの都市と惑星の名において、あなたたちにご挨拶いたします。いや、惑星の名においてというよりも、われわれの太陽系の名においてと改めましょう。なぜなら、あなたたちは、わたしたちの緑の太陽系以外から来られたものだということが、きわめて明瞭ですから。わたしたちの習慣に従って、みなさんに冷たい飲物《のみもの》をさしあげたいのですが、みなさんのお身体の化学が、わたしたちの飲食物には合わないのではないかと思いますから遠慮します。もしわたしたちでお役に立つことがあれば、わたしたちの資源は自由にお使い下さい。それから、お発《た》ちになる前に、あなたたちに大きな贈物をおねだりしたいと思います」
「感謝します。ぼくたちは、ぼくたちがまだ制御できないでいる勢力について、くわしい知識を求めているんです。あなたたちの使っている動力発生機構、あなたたちの太陽と惑星の組成などから見ると、こちらには動力源になる金属はないように思います。ですから、あなたたちが非常に欲しがっているのは、そういう金属じゃないんですか?」
「そうです。われわれは、動力だけが足りないのです。わたしたちは、入手できる材料や知識をつかって、できるだけの動力を得ていますが、決して十分ではありません。われわれの発展は阻《はば》まれますし、出生率も最小限度にしておかなければなりません。また、新しい都市の建設や新しいプロジェクトに手をつけることができません。みんな動力が欠乏しているからです。こちらの銅シリンダーの上に鍍金《メッキ》してある金属を拝見しましたが、あんな金属が存在するなどとは、ダゾール惑星の科学者はこれっぽっちも考えておりません。あんな金属が一グラムでもあれば、われわれはほとんどどんなことでもできるのですが……。いや実は、他の手段がぜんぶ無効であったら、あなたたちを襲おうかとすら考えたのです。わたしたちの動力をぜんぶ使っても、あなたたちの外側スクリーンすら貫通できないとはわかりませんでしたから。また、あなたたちが、もしその気ならこの惑星全体を蒸発させてしまうことだってできる、ということも知りませんでしたから」
「え、こりゃ!」シートンは、びっくりして、丁寧な口調から逸脱《いつだつ》してしまった。「するとあなたたちは、はじめっから、こっちを調べ抜いていたのか?」
「われわれは電気学、化学、物理学、数学にはきわめて詳しいのです。ご存知のように、われわれはあなたたちより数百万年も古い種族です」
「うむ、あなたは、ぼくの捜し求めていた人らしい。ぼくたちはこの金属はふんだんにありますから、すこしお頒《わけ》してやってもいいかもしれんです。でも、その前に、あなたを紹介しましょう。君たち、この人はダゾール惑星の議会議長、サクネル・カルフォンという人だ。彼らはずっとぼくたちを観察していたのだそうだ。それで、ぼくたちがこの都市――第六都市というんだ――へ向かうと、彼は首都から、警察艦隊の旗艦に乗って、ぼくたちを歓迎にか、戦争するためにか、来たんだそうだ。歓迎か戦争かはぼくたちの出方ひとつだったらしい。カルフォン、こちらがマーチン・クレーンです……ああ、紹介などより、受信器をつけよう、一人ひとりが、そうすればすぐ相手がわかる」
紹介がすみ、受信器が片づけられた。シートンは貯蔵室へ行って、X金属の塊りを約百ポンドばかり持ってきた。
「カルフォン――もう今からは、発電所などいくらでも建設できる材料があることになった、安心なさい。それから、あなた、潜水艦など帰らせたほうが時間の節約になる。あなたが案内してくれれば、この宇宙船で、ずっと早く第一都市へ着く……」
カルフォンは脇の下にある袋から小型発信器を取り出し、簡単に指令をだした。それからシートンに針路を教えた。第一都市上空へは数分で着いた。スカイラーク号は都市の一端にある入江の水面へ急速に降下していった。第六都市から首都へは短い旅行であったが、すでに興奮した物見高い群衆が彼らを待ちかまえていた。入江の中央あたりには小型水上船が無数にむらがっている。また、岸壁に近いところの海岸道路と海とは、金属製の壁で仕切られているが、芋《いも》の子を洗うような水泳者の群衆で埋っている。地球で言えば警笛、警鐘、ゴングといった鳴物が、耳を聾《ろう》するばかりの喧噪《けんそう》をきわめている。群衆は叫び、喚《わめ》き、怒鳴り、囃《はや》し、地球のこういった場合の熱狂ぶりとすこしも異ならない。シートンはスカイラーク号を停止させ、愛妻の肩をつかみ、実視板の前へ立たせた。
「あれを見てごらん、ドット。高速輸送ってこれだよ! 彼らはニューヨーク地下鉄に助走スタートさせておいて、手もなく追いついてしまう!」
ドロシイは実視板を見て、息がつまった。岩壁の海岸道路に沿って、平行した六本の太いパイプが重なりあって走っている。パイプのなかは海水が詰っている。海水はパイプのなかを時速五十マイルで流れ、入江へ滝のように流れ落ちている。パイプの内部は皎々《こうこう》たる照明である。中は人でいっぱいだ。他人の頭と自分の足がくっつきあって、鰯《サーディン》の罐詰以上の混み方だが、みんな平気で、泥水のなかに漬《つか》りながら運ばれている。パイプの出口近くなり、日光が射してくると、彼らは、何かの目標をえらんで、直立の姿勢をとる。濁流といっしょに海中へドブン。それから二度か三度手で掻くと、彼らはもう水面に浮かんでいるか、でなければプラットホームへ通じる階段の一段目か二段目に立っている。しかし、パイプの出口を出るとき、動こうともしない≪ものぐさ≫な乗客も少くはない。たまたま背中を下に横になって押し流されたのであれば、そのまま寝た姿で海中に入り、起き上ろうともしなければ、目標を選ぼうともしない。そのまま十数フィートも海中へ沈んでから、ようやく立ちあがるのであろう。
「まあ、驚いたわ、ディック! あの人たち自殺するつもりなのかしら、溺《おぼ》れてしまわない?」
「大丈夫なんだよ、やっこさんたちは。あの皮膚を見たかい? セイウチみたいな厚い皮で、しかもすごい厚味の皮下脂肪があるんだ。頭だって同じように保護されている。君が野球バットで力まかせに殴《なぐ》りつけても、怪我さえさせられないんだ。溺れるってことはだね、泳げない奴のはなしだよ。連中は魚以上に泳ぎが巧い。空気を吸いに上ってこなくたって一時間以上水中にいられるんだ。あの子供だって、呼吸ひとつせずに都市の端から端まで泳いでいけるんだ」
「あのパイプの水流は、どうしてあんなに速くできるのですか、カルフォン?」クレーンが訊いた。
「ポンプで圧力を加えているのです。市中いたるところにこういった水路が走っております。そして各パイプ内を走る水の量と、パイプの数は、交通量によって自動的に調整されています。パイプのどの区画《セクション》でも、乗客が一人もいなくなれば、水量は止まります――動力を節約しているのです。各交差点に、配人塔と自動乗客勘定器が据《す》えてありまして、その瞬間瞬間の流量と運転パイプ数とを調整しています。この入江は交通量の少ない水面でして、それは居住区域だからであります。それから、この水路ですが――水路はあなたたちのお国では道路に当りますが――片道六本のパイプしか通っておりません。この水路のあちら側へ行ってごらんになればわかりますが、下町へ伸びているパイプの入口管端がみられます」
シートンは実視板を回して、別のほうを見た。そこには急速に走っている階段が見える。どの階段も人で溢れている。階段は海面から金属製の塔のトップまで昇っていっている。塔のトップへ運ばれた乗客は、真っ逆《さか》さまに下の、ホッパーのような形の大きな箱へ落とされる。大きな箱はその下のパイプに通じているのである。
「うむ、人間を扱うのに、≪ちょっとした≫システムだなア!」シートンが感銘して唸《うな》った。「この運送システムの能率はどんなものですか?」
「全圧流走ならば六本のパイプで一分間に五千人を運ぶことができます。しかしそんな全容量を使うことはごく稀《まれ》で、今日のような特殊の場合に限られます。市の中央部の水路では、ひとつの水路で二十本のパイプをもったものがあります。これですと、市の端から端まで十分以内で行けます」
「混んで詰《つ》まることはないんですの?」ドロシイが好奇心で訊いた。「あたしニューヨーク地下鉄で、一度以上詰まったことがありますわ、それもひどい詰まり方で、圧しつぶされるところでした。そのくせ一分間に一万人も運べないんですのよ」
「詰まるということは一度も起こったことはありません。パイプは内側が完全滑面ですし、照明が充分でありますから。それから、曲がり角や交差点はまるくしてあります。制御機械が、各パイプに入る人数を制限しているのです。快適な乗り心地が保証される以上に、他の人たちがむりに乗りこみますと、その人たちは余剰人員となりますから、自動的にシュートを滑っていき、泳走路か海岸道路かへ押し出され、そこでしばらく待つか、つぎの交差点まで泳ぐかするわけです」
「そこんところは今、ひどい混み方にみえるが」シートンが受け入れプールのほうを指でしめした。受け入れプールは、六本の巨大パイプが人間の詰まった濁流を吐出《としゅつ》しているあたりの外は、ギューギューに混雑して、乗客の体と体が密着して全体がひとつの塊りになって見える。
「新しく来たものが、水面に空地を見つけられなかったら、よそのプールへ泳いでいけばいいのです」カルフォンは平然と肩をすくめた。「わたしの住居は、この水路の右側の第五小区画にあります。われわれの習慣としまして、あなたたちは、わたしの家のもてなしを受けなければなりません。たとえ短時間でも、また蒸留水いっぱいのもてなしでも。ふつうの訪問者はみな、わたしの事務所《オフィス》へ来るのですが、あなたたちは特別の賓客ですから、どうしても、わたしの家へ一歩足をふみ入れなければなりません」
シートンは、押しくらまんじゅうの水泳群衆で前後左右を取り囲まれたスカイラーク号を慎重に離水させ、指示されたカルフォンの住宅へ向かった。建物の隅から水面へ長い階段が降りている。シートンは、スカイラーク号のドアのひとつがその階段のトップにぴたりと来るように、ビームで宇宙船を定着させた。カルフォンがまず降り立ち、建物のとびらを開け、客を招じいれた。部屋は広く、真四角である。非腐食性の合成金属でつくられているが、もともと都市全体がこの材料でできているのだ。壁は多種類の色彩をもった金属を貼りあわせ、鮮やかな幾何学模様に飾られている。なかなかに良き趣味を思わせる。フロアには、やわらかい、金属繊維を織った絨毯が敷きつめられている。隣りの部屋へ通じるドアが三つ見える。あちこちに珍しい家具が置いてある。床の中央に直径四フィートばかりの円形の刳《く》りぬきができている。床より数インチ下っているが、それが海面であった。
カルフォンは賓客たちを細君に紹介した。カルフォン自身と瓜《うり》二つの女性であるが、カルフォンのような英雄的な逞しさはもちろんない。
「セブンは遠くへ行っていないんだろう?」カルフォンが細君に訊いた。
「たぶん外ですわ、空飛ぶ球のそばかなんかへ……。球が降りてきて以来触ったことがないというんですの。他の強いこどもたちがきっと邪魔して触《さわ》らせなかったのですわ。ほんとに、子どもたちって、ねえ……」とドロシイのほうを笑顔で顧みながら、「子どもの性質はどこでも同じことでしょうね、ほんとに……」
「ちょっとごめんあそばせ、でも≪セブン≫ってなぜ?」ドロシイが微笑を返しながら訊いた。
「あれは男子直系で二千三百四十七番目のサクネル・カルフォンなんですの」細君が説明した。「たぶん、そんなことシックスがみなさんに申しませんでしたでしょう? わたしたちの人口は増えることが許されておりません。ですから夫婦は二人以上の子供をもつことはできないんですの。それではじめに男の子が生まれ、父親の名をつけるのが習慣になっています。女の子は必ず二番目で、母親の名をもらいます」
「それもこれから変更されるよ」カルフォンが感慨をこめて言った。「この方々が、われわれに秘密の力を与えて下さったのだ。だからわれわれは、新しい都市を作ることができる。ダゾールの人口も増やすことができる」
「ほんと?……」言いかけて細君は興奮を自制した。だが、眼がキラキラと輝き、賓客に喋る言葉の調子が乱れているので、その狼狽《ろうばい》ぶりがわかる。「そ、それは、それは、ほんとにみなさまにお礼のことばもございませんわ。たぶんよその国のみなさんにはこの気持おわかりになりませんでしょうけど、自分の肉体を頒《わ》けた子どもを半ダースも儲《もう》けたいというのに、たった二人しか許されないなんて――わたしたちにはとても……おお、セブンを呼んでまいりますわ」
細君がボタンを押すと、部屋の中央にある刳《く》りぬきから、かなり大きい少年が現われた。すごい勢いで泳いできたので、穴の縁《ふち》へ手をかけもせずに、いきなり床に立った。少年は四人のお客さんたちをちらと見たが、すぐシートンとクレーンのそばへ駆けよってきた。
「ねえ、おじさん、おねがい――ぼく、乗っていい、ほんのちょっとでいいから、帰るまえにあの船に乗らせてよ」
「セブン!」カルフォンが轟《とどろ》くような声で叱り、はしゃいでいた子どもは静かになった。
「ごめんなさい、おじさん、こうふんしちまって……」
「かまわないんだよ、坊や、わるいことしたわけじゃないんだから。ご両親さえ許して下されば、きっとスカイラーク号へ乗せてあげるよ」シートンはそれからカルフォンへ向かって、「ぼく自身、坊ちゃんの年からそう離れていないものですから、あの気持よくわかるんです。そう言えば、あなたもそうじゃないんですか、こりゃ違ったかな?」
「そんなふうに言っていただいて、ほんとに嬉しく思います。せがれは、ごいっしょに事務所へ連れていかれたら、さぞかし喜ぶことでしょう。一生忘れない経験になることでしょう」
「お嬢ちゃんもあるんでしょう?」
「ええ――逢って下さいますか? いま眠っていますけど」誇り高きダゾールの母親は、ドロシイの返事も待たず、寝室へ案内した。と言って、ベッドが一個でもあるわけではなかった。ダゾール人は自動温度調節装置のついた水タンクのなかで眠るのだ。好む温度に調節して、浮かびながら眠る。その寝心地のよさは、とうてい地球のスプリングやマットレスの及ぶところではない。寝室のすみの小さなタンクに、一人の赤ん坊がスヤスヤと寝《やす》んでいる。まだ一歳ぐらいの女の子である。ドロシイとマーガレットは赤ん坊の上へかがみこんで覗きながら、宇宙広しと言えども変わることなき、喜悦と承認との、女性的儀式をおこなった。
居間へ戻ると、活発な会話が交わされた。ダゾール惑星と地球、そこに住む種族などについて、幾多の貴重な情報が交換されたあと、カルフォンは六個の酒杯《ゴブレット》に蒸留水を満たし、一同にまわした。六人は輪をつくりながら立ち、杯を触れあってから飲みほした。
それから一同は宇宙船へ戻った。クレーンはスカイラーク号を操縦して、水路に沿いながら、議会のあるビルディングへ向かった。その間、ドロシイとマーガレットは、熱心なセブンをつれ、船内を案内してみせた。シートンはカルフォンに別の話をした。いま大宇宙《ユニヴァース》が破局的な危機に見舞われていること、これまでシートンが行なってきた対策は何であったか、これからの計画は何か、などをカルフォンに打ち明けた。
「シートン博士、あなたに謝罪したいと思います」シートンが語り終ると、ダゾール人が言った。「あなたが陸棲《りくせい》動物ですから、わたしはあなたを、知性の低い種族と考えていたのです。たしかにあなたの若い文明はいろいろの点で欠陥があります。しかしあなたが、われわれ古い文明のものが近づき得ないような深いビジョンと、想像力の豊かさと、的確な情勢把握を示されたことは確かであります。わたしは、あなたの結論が正しいと信じます。われわれは、この惑星上に、あなたの持っていらっしゃるような勢力やスクリーンは持っておりません。しかし、われわれの太陽の第六惑星は持っております。五十年ばかり前、まだわたしが子どものころでしたが、そのような立体投映《プロジェクション》が、わたしの父を訪ねてきたことがありました。その結像は、われわれをこの水ばかりの惑星から≪救出する≫と申し出ました。そして、ロケット船を建造して、第三惑星へ移住させてやると申し出てきました。第三惑星というのは、それでも陸地が半分もあり、ごく低進化の動物しか棲《す》んでいない惑星なのです」
「それで、お父さんは受諾したのですか?」
「絶対に受諾しませんでした。その当時も現在とおなじように、わたしたちに欠けているものはただ動力源だけなのでした。ところがその異星人の結像は、われわれの動力源となる資源を増やす方法は示さなかったのであります。おそらく、その種族は、われわれ程度の動力しか持っていなかったのでしょう。また相互交信《コミュニケーション》が困難なため、われわれの要求がじゅうぶんにはっきりと先方へ伝わらなかったからでしょう。
しかし、もちろん、わたしたちは第三惑星へなど移住することは望みませんでした。それにわたしたちは、ロケット船などは幾百世代も前から持っていたのです。わたしたちは彼らといっしょに、第六惑星へは到達できませんでしたが、第三惑星はずっと昔訪ねたことがあります。しかしあそこへ行ったものは、みんなすぐ戻って来ました。その土地がまったく気に入らなかったからです。硬い、不毛な、非友好的な土地でした。それなのに、わたしたちはこのダゾールで、何もかも豊富なのですから。食料は豊富です、合成食料であれ天然食料であれ、お好み次第です。われわれの水の多い惑星は、一つの例外は除いて、わたしたちの必要と希望のすべてを満たしてくれています。一つの例外というのは動力源でしたが、あなたたちが動力源を与えて下さって今は、この一つの例外すら無くなりました。ダゾールは実は楽園《パラダイス》そのものになったのであります。わたしたちはもう、自然が与えてくれた寿命を生き、わたしたちの能力のかぎり働き、あそぶことができます。どうしてこのわたしたちの世界を、大宇宙《ユニヴァース》の残りぜんぶをやると言われても、棄《す》てることができましょう」
「ぼくはそんな角度からこの問題を考えたことはなかった」とシートンも心から同感を表した。「あなたたちはたしかに、その環境に理想的に適応しています。それはそれとして、ぼくはどんな方法でその第六惑星へ行ったらいいでしょうか? 惑星間距離を標準にとっても、恐るべき遠距離ですね。ダゾール惑星が太陽の軌道の外へ逸《そ》れるまでは、あなたたちには夜というものは来ない。だからそのときまでは、あなたたちには第六惑星は見えない。それはぼくたちの最強力の望遠鏡をもってしても、この昼ばかりの世界からは見ることは不可能です」
「わたし自身、よくわからないのです。でも、天文学部長を呼んできましょう。彼にオフィスまで来てもらって、わたしたちに会ってもらいましょう。彼はあなたに地図と正確な航路を教えてくれるでしょう」
地球人たちは議会で公式の歓迎をうけた。ダゾール惑星を支配している九人の人びとがそこに集っている。歓迎の挨拶は終り、第六惑星に到る航路が精密に計画《プロット》された。閉会のちょっと前、カルフォンはスカイラーク号のドアの外に立ち、しばしの別れを惜しみながら言った。
「地球の人たち――今日あなたたちがわれわれにして下さったことに対し、心からお礼を申し上げます。どうか次のことを忘れないで下さい――空っぽのお世辞で言っているのではありません――これからやって来る戦いで、もし少しでもわたしたちがお役に立つことがありましたら、この惑星の資源は、どうぞご自由にお使い下さい。わたしたちはオスノームをはじめ、この太陽系の他の惑星と声をあわせて、シートン博士、あなたをわれわれの大公とお呼びいたします」
[#改ページ]
九 ノルラミンへようこそ
スカイラーク号が第六惑星へ向かって驀進していたある日のこと、シートンは実視板と制御盤に、いつもの用心深い点検を加え終ったあと、三人の仲間入りをしてお喋りをはじめた。
「まだ魚人間のこと話しているのかい、ドッチー・ディンプル?」棍棒《こんぼう》のように恐ろしげなパイプの火を掻きたてながら、シートンが言った。「イルカ科の特殊種族だな、あれは。だけど、やっこさんはぼくの気に入った! これまで会ったいろんな種族のなかで、重要な点では、彼らはまったくぼくたちに似た種族だよ。それどころか、ぼくたちの知っている厭な人間どもよりはずっとぼくたちに近い連中だ」
「あたし、あの人たちとても好き……」
「しかし他の点じゃ好きになれるはずがないだろう、第一あの大きさ……」
「あれはひどい、ほんとにひどいわ、ディック! あたしは物にこだわらない性分《たち》だけど、あの滑稽な類似には我慢できなかったわ。でも格好は噴飯《ふんぱん》を誘うけど、ほんとにあの人たち完全な紳士淑女だったわ。ミセス・カルフォンは、そりゃセイウチみたいなみっともない姿だったけど、ただもう可愛い、やさしい人だった。それから、あのちっちゃなアザラシみたいな赤ちゃんの奮《ふる》いつきたくなるほどの可愛らしさはどう? 言葉で表現はできないわね。それから、あのセブン少年、辛子《からし》みたいに鋭敏じゃなくって?」
「そうなけりゃいかんはずだよ」クレーンがあっさり言った。「彼はあれで、ぼくたちの誰にも劣らん知能をもっていると思う」
「ほんとにそう思う?」とマーガレット。「ふつうの子どもと変わらないやんちゃなところはあったけど、たしかにいろいろのこと、よく理解しているのね」
「理解しているとも。彼らはたいていのことで、ぼくたちより進んでいるんだ」シートンは二人の女性へ謎のような視線をやり、クレーンへ振り向いてから、「それから、彼らの禿《はげ》頭だが、マート、ぼくたちの二人の女性が大いに自慢にしている、房々とした見事な頭髪が、こんどというこんどは、ちっともヒットじゃなかったな。おそらく彼らはペッグの黒髪やドットの鳶《とび》色のモップなど、野蛮な先史時代の遺物と考えていただろうよ――ちょうどぼくらがネアンデルタールの毛むくじゃらの皮膚を野蛮だと思うようにね」
「そうかもしれないわね」ドロシイが関係ないといった表情で答えた。「でも、あたしたち、あそこに住むつもりじゃないんでしょ? だったらそんな下らないこと心配しないで! いずれにしろ、あたし、かれら大好きだわ、そしてかれらもあたしたちを好いてくれたと信じるわ」
「すくなくともそう見えた。しかし、なあマート、あの惑星が、陸地がみんな侵蝕されて無くなってしまうほど古いんだとしたら、あんなに水がたくさん残ったのはなぜだろう? それから、大気もずいぶんたくさんある」
「気圧は、地球のいまの大気圧より大きいことは大きいが、もとは、おそらくは水銀柱三メートルぐらいもあったんじゃないかと思う。侵蝕だが、あの惑星はもともと地球よりずっと水が多かったのだろう」
「多分それでいいんだろう」
「わたし、あなたたち科学者にお訊ねしたいことがあるの」とマーガレット。「わたしたちがどこへ行っても、あのシートンが≪彷徨《さまよ》える惑星≫って表現した世界だけは別だけど、みんな人類によく似た知性のある生物がいましたわね。これはどう解釈したらいいんですの?」
「いい質問が出た。巨大な知性が思案すべき大問題だぞ、マート」シートンがクレーンに挑《いど》むように言った。そして、クレーンが黙りこんでこの問題に思いをこらしている間、シートンはなおも、「まず、ぼくの解釈を言ってみよう。ぼくは言う、そんなことは当然のことじゃないかと。なぜって、いいかね、人間は地球の生物のなかでは最高の生命形態だ――すくなくとも、われわれの意見ではそう自惚《うぬぼ》れている。われわれの≪知っている限り≫は、そうだ。しかし、ぼくたちの宇宙放浪で、ぼくたちは空気の組成、温度が、そして質量の点でも地球によく似た惑星をいくつも訪れた。そういう棲息条件の同じところでは、同じ結果が出てくるのは当然なんだ。どうだいマート? 合理的かしら?」
「もっともらしい解釈だが、しかしおそらく宇宙のどこへ行っても真理というわけじゃあるまい」
「そりゃそうさ――そんなことはあり得ないさ。あらゆる種類の知性生物の棲む、いろんな惑星に出くわすことは当然だろうよ。いまのぼくたちには想像もできんような畸型《きけい》の知性生物だっているだろう。しかし、そうした生物は、大気組成、気温、質量など基本条件のぜんぜん違う惑星だろう」
「でもフェナクローン惑星はぜんぜん違うタイプよ」ドロシイが議論を吹っかけてきた。「それなのに住んでいるものは人間に似ているわ。まず二足獣でしょ? 目鼻口はちゃんとあるし。あたし、あの頭脳記録をあなたと一緒に研究していたでしょう――彼らの世界は地球の何倍も質量があって、重力なんてすごいわ!」
「あの程度の違いは小さな差異なんだ。ほんとに根本的な差異というわけにはいかない。ぼくの言っている差異というのは、百倍二百倍、あるいは百分の一、二百分の一というような大きな違いを言ってるんだ。重力ひとつだけで、彼らの肉体構造にあれだけ大きな差を出しているじゃないか。それがたとえば五十倍も違っていたとしてごらん――どんな姿になっていたと思う? ところがフェナクローンでは、他の条件、大気組成は地球とほとんど同様、気温もまあまあ耐えられるものだった。大気組成と気温が何よりも、進化に関係しているというのがぼくの意見なんだ。惑星質量はそれほど重要じゃない」
「その意見でいいかもしれない」クレーンがうなずいた。「しかし君は、不充分な前提から議論しているように思う」
「そりゃそうさ――もともと前提なんかほとんどないんだから。小川のなかの三個の小石から、大山脈の地質構造を帰納するのと同じだった。しかし時間さえかければ、いつかは考えがまとまってくるのだがな」
「どういう方法で?」
「覚えているかい、ぼくたちが最初に宇宙旅行したときぶつかった、あの塩素ガスの大気の惑星? ぼくたちは無知だったから、あんなところでは生命の存在は不可能だと断定しちまって、行ってみなかったけど、でも、行ってみないでよかったのかもしれない。もしスクリーンと武器で防衛してあそこへ戻ってみたら、生命はたしかにあるだろうと思う。たくさんの生物が棲んでいるだろうと思う。ぼくのカンだが、君の祖父《じい》さんの鼻髭《はなひげ》がカールしてまん丸くなるほどの、変わった生命形態だろうさ、きっと」
「また奇妙なアイデア出したのね、ディック!」ドロシイが不平を言った。「あそこを探検しようなどと言い出さないでね、あなたのカンの正しさを証明したいばっかりに!」
「そこまでは考えなかった、ドット。でも、いまは手いっぱいで、いずれにしろ行けやしないんだよ。しかしこのフェナクローン問題を片づけたら、あの程度のことはしなければいけないんだよ、なあ、そうだろう、マート? あの純粋知性野郎が、ぼくたちを非物質化してやるといきりたったときの言葉じゃないが、≪科学がそれを要求する≫んだ」
「それはしなければならない。ぼくたちは、まだ手さえつけられていない分野で、科学に貢献しなければならない、そういう立場だ。シートンの言うような諸点を調査することは、いわば至上命令だよ」
「そんなに言うんだったら二人だけで行けばいいわ、ねえペッギー?」
「絶対だわ! わたしたちもう、かなりのクラスの恐ろしいものを見たんですものねえ! もしわたしたちの二人の男性が、あんな恐ろしいものを正常《ノーマル》な生物というんだったら、そしてもっと怪物的なものでなくちゃ満足できないと言って、またも探検しようというんだったら、あなたとわたしは、絶対におうちにいましょうよね!」
「へえ? あっさり言ったね、ペッグ。ところがそうはいかないんだよ――弾《はじ》き返されたよ、ペッグ――君はゴムの壁にぶつかったのだ。こら赤毛《ルーファス》、貴様はこましゃくれた詐欺師だぞ! ぼくが角かどのドラッグストアへ、たばこ一罐買いに行くのにさえ、あくまでついて来なければ承知しない女房だってこと、自分で百も知っているくせに!」
「まあ、あんたはヤブ睨みの……」ドロシイはいきりたって叫びかけたが、突然に絶句し、呻《うめ》き声を出した――「まあ、いったい、あれは何?」
「何が何だって! ぼくは見えなかったが」
「あなたを通り抜けたのよ! おかしな小さい雲みたいなもの――煙か何かみたい。天井を火花のように通り抜けて降りてきたわ――あなたの身体を貫いて、床へ落ちて逃げていつた。ほら、また来た!」
四人の地球人のびっくりした眼前で、形の定《さだ》かならぬ、黒雲みたいな、煙みたいな何ものかが、とつぜん床から上へゆらゆらと立ち昇り、天井をすり抜けて消えていった。
「大丈夫、大丈夫、きみたち――ぼくはこんなの知っている」
「早く射って、あなた!」ドロシイが哀願するように言った。
「あれは立体投映《プロジェクション》のひとつなんだよ。ぼくたちが向かっている空域から投影されたものなんだ、ぼくたちまでの射程を決めようとして。こんなに退屈で憂鬱な毎日を過ごしているぼくたちだもの。ぼくたちの疲れきった眼には、歓迎すべきいい保養なんだよ。ぼくたちの動力装置から出ている放射線で、やっこさんたち、こっちを見つけたのかもしれない。しかしぼくたちはまだ、彼らからすごい遠距離だ。しかも、恐ろしい稲妻のようなスピードで飛んでいるから、やっこさんたち、ぼくたちを押さえるのに苦労しているらしい。彼らは友好的なんだよ――それはもうこっちにはわかっているんだ。ぼくたちと話がしたいといっているのかもしれん。ぼくたち、動力をとめて、恒常速度で漂游したほうが、彼らには近づきやすいかもしれない。しかし、それだと貴重な時間をムダにするし、ぼくたちの計算がみんなオシャカになってしまう。むしろ、彼らをぼくたちの加速度に合わさせたほうがいい。やっこさんたちにそれができれば、偉いものだが……」
また、そのお化けのような、亡霊のような立体投映《プロジェクション》が現われてきた。前後にゆらゆらと、不規則な揺《ゆ》らぎかたをしている。アレナック金属の船殻、家具、計器盤などをするりと通り抜ける。頑丈そのものの動力装置ですら、空気かなにかのようにたやすく貫通して、揺曳《ようえい》している。だがついに、そのものは、制御室の床から一フートかそこら離れた中空にやや固定しかけた。おやと眼を疑ううちに、その黒い煙みたいなものは濃度を増し、あきらかに人間の姿になって四人の前に立った。皮膚は緑色太陽にかこわれた惑星住民と同じような緑色である。背が高く、地球標準でいっても均斉のとれた姿態であるが、頭部だけは変だ。頭が大きすぎ、しかも眼の上の部分、そして耳のうしろの方が異常に質量が大きい感じである。明らかに高齢者のようである。というのは顔は小さいが、クシャクシャに皺《しわ》だらけだからだ。そして髪と髭が真っ白で、ごくわずか緑の調子《トーン》を帯びている。白髪は長くて房々している。白髭《はくぜん》はカットされ、一ヤードもあり、眼のさめるような白さだ。
透明とはさらさら言えない。半透明というのも当たらない。それにもかかわらず、この幽霊、血と肉とからできあがっているとは絶対に言えた義理ではない。老人は四人の地球人をしばらくじっと見まわしていた。それから、教育器械の置いてある装置テーブルのほうを指さした。シートンが奇妙な宇宙訪問者の前へ装置テーブルをひっぱってきていたのである。シートンは受信器をかぶり、ひとつを老人に渡した。老人はシートンを睨んでいる。これから英語の知識が吹きこまれることを、自分の意識のなかへ、印象づけようと努力しているもののようである。シートンがレバーを押し下げた。するとシートンの心に、何ものにも煩《わずら》わされない平静さ、きわめて落ち着いた平和と安定と閑雅といったふうな感覚がひびいてきた。やがて映像が喋りだした。
「シートン博士、ミスター・クレーン、そして貴婦人たち――ノルラミンへようこそ、あなたがたはいま、ノルラミンへ向かって飛んでいるのだ。われわれは、あなたがたの時間で五千年以上も待っていたのだ。この太陽系の外から、誰かが、いくら少量であろうとも、ロヴォロンをもってやってくることは、数学的に確定されておった。円球《スフェア》に深く刻まれておったのだ。何? ロヴォロンとは動力源金属のことだ。わたしのところの計器はすでに五千年も以前からずっと、振動を探知すべくセットされておった。ロヴォロンを使用する種族が来訪する前触れの振動だ。ようやくあなたがたは来訪した。しかもロヴォロンを大量にもってきた。あなたがたは真理の探求者だから、よろこんでわれわれにその金属を頒《わ》けてくれるだろう。われわれも喜んで、そちらの知りたいと思うだけのことを何でも教えて進ぜる。どれ、わしにその教育器械を操作させてごらん。わしはあなたがたの心を凝視し、わしの心をあなたがたの眼で見えるようにして進ぜよう。しかし、はじめに断っておくが、あなたがたの器械は初歩すぎてよく作動しないようだ。お許しを得て、ちょっとした変更をしてあげたいが……」
シートンがうなずいた。すると幽霊のような老人の眼から、手先から、可視の超エネルギー流が飛びだしてきた。超エネルギー流は、変圧器、コイル、真空管などに絡《まつわ》りつき、改良し、接続しなおし、シートンが驚異の眼を丸くして見守っているその前で、まったく以前のものとは異なったメカニズムに変わっていってしまった。
「ああ、わかった!」シートンは呻《うめ》くように叫んだ。「いったい、あなたは何者ですか?」
「ごめん、ごめん。熱心のあまり、わしとしたことが……。わしはオルロンというもので、ノルラミンの第一天文学哲だ。わしの惑星地表にあるわしの天体観測所で研究をしておる。あなたがたのいま見ておるこのわしは、わしの立体投映《プロジェクション》に過ぎん。これはただ、あなたがたの言語では名前のついておらないある超エネルギーから構成されておるのだ。あなたがたは、そのスクリーンでわしの立体投映を消すことができる。そのスクリーンはわしの眼から見ても、驚くべき高性能のものだ。さあ、もう教育器械はよく働くようになった。その改良したヘルメットを、四人とも、つけてごらん」
地球人は言われるままにヘルメットをかぶった。すると、鋭い超エネルギー流が動きだして、人間の手も及ばない的確さと速度とで、レバー、スイッチ、ダイヤルを操作していった。ダイヤルが回ると、四人の頭脳ははっきりと、わかりやすく、ノルラミン住民の言語、風俗、習慣の知識を受容していった。四人の心は、これまで夢想だにしなかったほどの、ゆったりとした、測るべからざる広闊《こうかつ》さの心の平和、冷静な心の力、深くて広い精神的ビジョンに浸透され、あふれていった。四人は老人の心の奥底へ覗きこみ、静穏で深い水のように落ち着いた安定を感じとった。また、無限とすら感じられる精神力と学識とを見て、測ることすらもできない深い叡智《えいち》を認めることができた。
するうちにこんどは、老人の心から四人の心へと、絹を曳《ひ》くように滑らかに、知識が流れこんでいった。宇宙的現象の理解という、厖大な知識の大河であった。四人は夢見るような心地のうちにはっきりと観取した。まず無限小の単子《ユニット》が、寄り集まり、群がりあって、ふわふわとした、徘徊する小編成をなし、それらが事実上直径も定かならぬ極小の複合体を形成していった。すると複合体は複合体同士で結びあわさり、やや大きな塊りとなった。同じような綜合と結びつきとが、あとからあとからと、いや次から次へと長い連続のうちに進んでいき、やがて巨大な塊へと成長していった。はっと四人が息をつめて見守ると、巨大な天体とも見えたものは実は電子であった。地球の科学では認識され得る最小ユニットの電子がこんな途方もない大きさなのであった。彼らは鮮烈に、微粒子が寄り集って原子を形成する過程を理解することができた。そして原子が集って分子を作りあげるやりかた、分子から物質が構成される過程をはっきりと認知することができた。物理学、電気、重力、化学などの基本法則が数学的な思考で四人の前にひろげられていった。だが深遠な思考は、シートンにもクレーンにもごく漠然としかわからなかった。彼らは物質の球形質量を見た。太陽の随伴している惑星を見た。それらがさまざまの星系を構成するさまを看取した。それぞれの不変不易の法則にしたがって、それらの星系は集団として銀河系となった。銀河系がこんどは――ここで突然に、弁《バルブ》が閉じられたように、知識の洪水が、流れるのをやめた。
「ああ、ごめん。あなたがたの頭脳は、あなたがたが最も使いたいと思う知識、もっとも役に立つ知識だけを貯蔵すべきだった。なぜなら、あなたがたの心的能力は、わし自身のそれよりも格段に小さいのだったから。わしがあなたがたを蔑視して言っているのではないことを理解して下さい。それはただ、あなたがたの種族が、差別なくあらゆる知識を吸収できるためには、これからまだ数千世代を経過せねばなるまいからだ。われわれでさえ、とうていまだそういう段階に達しておらない。しかもそのわれわれは、あなたがたよりも数百万年も古い種族なのだ。しかしながら――」と、老人は感慨をこめて述懐した。「わしはあなたがたが羨ましい。知識などは、もちろん相対的なものだ。このわしだって、≪いかに乏しい≫知識しかもっておらぬことか! われわれの種族のなかの、もっとも透徹した心に対してすら、時間と空間はその幽遠な神秘のひとかけらすらも露《あら》わにしていないのだ。それから、われわれが無限に小なるもののまたその下へと、驚きあきれつつ掘り下げていくにしろ、また無限に大なるものを上へ上へと無我夢中に、絶望に虐《さいな》まれながら詮索していくにしろ、しょせんは同じものにつきあたる。無限は≪無限なるもの≫にしか理解できないのだ。≪無限なるもの≫――大宇宙《ユニヴァース》を指揮し統制している全造物的なる≪超エネルギー≫、そして不可知の≪円球《スフェア》≫にしか理解できぬ。われわれが知れば知るほど、調査を待つ広大な処女地帯が大きくひらけてくる。それはともかく、わしは、あなたがたのもっと重要な活動を差し控えさせておるのかもしれぬ。もうすこしノルラミンに近づいたら、わしはあなたがたを、わしの観測所へ案内しよう。あなたがたが、わしの寿命のある間に訪れてくれて、心から嬉しく思う。わしは、わしの生身の肉体で、あなたがたをお迎えできる機会を心待ちにしていよう。この存在循環のうちに、わしに残された歳月はすでにわずかだ。わしはあなたがたが訪ねてくれるのを、ほとんど諦めかけていたのだ」
立体投映《プロジェクション》は、言い終ると忽然と消えた。四人は信じがたいことを目撃し、肝《きも》をつぶし、呆然として顔を見あわせた。打ちのめされたような沈黙を、はじめて破ったのはシートンであった。
「うむ、ぼくはもうたまらん、小さいアカダニ〔ブドウや綿の大害虫〕にも蹴り殺されそうだ!」シートンが叫んだ。「マート、君はぼくが見たと同じものを見たかい? ぼくは、あんなふうなものを期待していた――と思うんだ、いや、望んでいたといったらいいかな? しかし、まさかあんなのが――あれを想像しただけでも、ぼ、ぼくは踝《くるぶし》から崩れて倒れそうだ!」
クレーンは答えず、黙って教育器械のほうへ歩いていった。改変されたコイル、変圧器などを触ってみた。それから巨大な動力真空管の新しい絶縁基部をしずかに振ってみた。まだ黙りこくって戻ってきた。計器盤のまわりを歩き、メーター類を読み、もとへ戻り、またも教育器械を仔細《しさい》に調べた。
「現実だ。はじめ疑っていたように、高度に発達した催眠術ではなかった」とクレーンは真剣な声で報告した。「催眠術も極度に発展すると、あんなふうな効果をあらわし、ぼくたちに未知の言語を教えこんだりすることができる。しかしそれだって、銅、鋼鉄、ベークライト、ガラスなどにあんな変化を及ぼすことができるはずはない。たしかに現実のものだった。ぼくにはまだ理解の曙光《しょこう》すら見えないが、シートン、君の優れた想像力がほんとうにその威力を発揮したとは言えるな。あんな芸当を行なえる種族だったら、どんなことだってできないことはあるまい。まったく、はじめっから君の言うとおりだった」
「じゃ、あなたたち、あの恐ろしいフェナクローンを負かすことができるのね!」ドロシイが感きわまって叫び、夫の腕のなかへダイビングした。
「憶えていて、ディック? ほら、いつか私があなたを、サンサルバドルに立ったコロンブスだって言ったことがあるのを?」マーガレットが、クレーンの抱擁のなかから、悶《もだ》えるように叫んだ。「想像力の底の底のなかから考えだして、何百万という宇宙の世界の文明全体を救う方法を工夫した人は、いったい何と呼んだらいいかしら?」
「そ、そんな言い方、よしてくれよ、君たち」シートンは明らかに困りきった調子で言った。真っ赤になり、小学校の生徒のように羞《はずか》しがって身をよじり、額の生えぎわまで、赤く上気している。「マートがほとんど一人でしたんだ。それにしたって、ぼくたちまだ森のなかから抜けでてはいない――林檎の樹がもう四十七列もあるんだよ」
「でも君は認めるだろう?――ぼくたちすくなくとも森を抜け出る道はみつけたと。そして、君自身がよほど気が楽になっていることを?」とクレーンが訊いた。
「気が楽になったとも! ぼくたち、ノルラミン人が後押ししてくれたら、必ずやつらを打ち負かせるはずだ。たとえノルラミン人が、ぼくたちの要る武器をまだ持っていないとしても、作る方法は知っているに違いない。あの力場帯がほんとに不貫通性なんだとしても、彼らなら必ずや何らかの解決法を工夫してくれるよ。気が楽になったか、って? それどころの話じゃないよ、君。ぼくは、首にしがみついて離れない≪海のおじいさん≫〔アラビアンナイトのシンドバッドに河を渡してくれとつきまとった老人〕を河の中へ放りこんだような、いい気分だよ。君たち女は、胡弓《フィドル》とギターを持ちだしてこいよ、一緒に唄おうじゃないか? ぼくはスカッとした気分なんだ。やつらがぼくを苦しめていた、それがいっぺんに吹っ飛んじゃった。あの戦艦を引き裂いてやって以来、初めて唄うような爽快な気分になった」
ドロシイが≪胡弓《フィドル》≫を持ってきた。それはストラディヴァリウスの名器だった。もとクレーンの持ち物だったが、ドロシイに贈ったのである。マーガレットはギターを下げてきた。彼らはつぎからつぎへと陽気な歌を唄った。決してメトロポリタン・オペラ四重唱団《クォルテット》ではないが、四人の声はそれぞれ素人はだしだった。それに何度もいっしょに唄いなれているので、すぐさま四声が諧調した。
「どうしてあなた、ほんとの音楽|奏《や》ってくれないの、ドッチー?」しばらくしてマーガレットが言った。「あなた、ずいぶん演奏してないわね?」
「そうだ、そうだ。ぼくたちの四重唱団《クォルテット》、あんまり一流じゃないや」とシートンが和した。「シロー以外に聴衆がいたら、いまごろは卵がジャンジャン飛んできているぞ」
「このところ、あんまり演奏の気分じゃなかったのよ、でも今日はやるわ」ドロシイが立ち上って、弦を弓でひと振りした。世界に知られた名器を奏するものは、卓越した音楽家である音楽博士ドロシイ・シートンである。しかもその彼女は、フェナクローンの侵略という悪夢の恐ろしさから解放されて、身も心も軽くなっている。すぐれたヴァイオリンは、彼女の思いの微妙なニュアンスまで、残る隅《くま》なく音に表現してくれた。
彼女は、巨匠の作曲になる狂想曲、頌歌、独奏曲をつぎつぎと演奏した。彼女は活発なダンス曲、それから≪トロイメライ≫、≪|愛の夢《リーベシュトロイメ》≫を弾いた。そして最後にはあの不朽の器楽小曲≪メディテーション≫のなかへと身と心とを融かし込んでいった。弦の最後の余韻がまだ続いている間に、シートンの拡げた腕へダイビングした。
「君はめくらめく閃光、耳を聾《ろう》する轟音だ、ドッチー・ディンプル。ぼくは君を愛している」シートンが感動して言った。そしてその言い足りない言葉や意味は、彼の眼と逞しい腕とが、千万無量、残りなく補っていた。
ノルラミン惑星が近くなり、その映像が第六実視板をいっぱいに満たしたとき、四人の宇宙放浪者たちはいまさらながら感慨をこめて、惑星の姿を見た。地表は一部雲でぼかされていた。極地方は二つとも雪冠をギラギラと輝かせていた。だが、ノルラミン全体はすばらしい景観であった。もう数ヵ月して惑星が、この複雑な太陽系の中心太陽である巨大発光体を遠回りにまわって、自分の大洋の軌道内へ踏みこむころには、雪で白く光っている二つの極地も緑色に変わっていくだろう。四人はキラキラと瞬《またた》くような紺碧の海洋を見た。不規則な輪郭をした巨大な緑の大陸を見た。宇宙船の速度がものすごいので、惑星の映像は、みるみる大きくなっていった。やがて実視板の視界は、惑星円盤の全体を包みきれなくなった。
「うむ、もうすぐオルロンが見えるだろうと思う」シートンが言った。するとやがて、制御室の空中にオルロンの立体投映《プロジェクション》が現われた。
「ようこそ、地球人!」老人が迎えた。「お許しを得て、わしが飛行を導いて進ぜようか」
承諾が与えられると、映像は部屋を漂っていって計器盤の上へいった。超エネルギー光束が実視板に集中し、動力バーの指示方向をすこし変え、逆加速度をわずかに減じた。それから映像は超エネルギー流を発し、操舵メカニズムへこれを向けた。
「いまから七千四百二十八秒で、ノルラミン地表のわしの天文台の敷地へ着陸する」と老人はやがて告げた。「天文台は、着くときにはノルラミンの暗黒面にくるはずだった。しかし、わしは超エネルギーを一本操舵装置につけておいたから、これが宇宙船を操って、必要な彎曲航路をたどらせてくれよう。わしは着陸まで、いっしょにいて、あなたがたに興味のある話題のはなしをしよう」
「ぼくたちは、あなたも同様にたいへん関心があると思われる問題を特に話しあいたいと思って、あなたを捜していたのです。しかし、その話をはじめたらあまり長くなりますから――とにかくそれをお見せします」
シートンは磁気テープの頭脳記録をもってきて、教育器械にかけ、老天文学者に受信器を渡した。オルロンはそれをかぶり、レバーに触れた。それから約一時間、沈黙が破られずに続いた。磁気テープは動きつづけた。繰り返しは必要ではなかった。オルロンの頭脳は、記録テープが走ると同時に消化吸収し、恐るべき情報をあらゆる微細点まで完全に理解していったのである。
ようやくテープの終端に着くと、オルロンの顔に暗い影が走った。
「これは実に邪悪非道の進化だ――これだけ優秀な頭脳が、かくも歪曲されて使われるとは、考えるだに悲しいことだ。彼らにはあながたに劣らぬ力がある。しかもそれを破壊に使おうとする意志が強い、この点がわしに合点のいかぬところだ。しかしながら、われわれが通過《パス》すべく円球《スフェア》に深く刻まれているとするならば、わしたちは、つぎの存在位相でわれわれの探究を続けなければならぬ。われわれの今もっているよりも、よりよき道具類、より偉大なる理解が得られることを祈ろう」
「えっ、何ですって?」シートンが声を荒げた。「横になって、それを忍ぼうというんですか? すこしも戦いをしないというんですか?」
「われわれに何ができよう。暴力はわしたちの性質とは反対のものだ。ノルラミン人はすべて、受身の抵抗しかすることができん」
「しかし、あんたは、やる気持があれば、いくらでも戦うことができる。もう一度この受信器をつけて、ぼくの計画を読んで下さい。そしてあなたの、ぼくよりはるかに優れた心で示唆できることを言って下さい」
地球の科学者が作戦計画を老天文学者の頭脳へ流しこむと、オルロンの憂鬱な表情がはれた。
「フェナクローンは滅びるべきことが、円球《スフェア》に深く刻まれているのだ」とようやく老人は言った。「あなたがわしに頼んだことは、われわれは行なうことができよう。わしは光線については、わずかに一般的な知識しかない。オルロン家には光線学の領野はない。しかし、わしの研究者のロヴォルは、≪光線学のロヴォル≫として知られた家系のものだから、そのような現象については何もかも知っとるだろう。明日わしはロヴォルとあなたを一緒に会わせよう。必ずやロヴォルが、あなたのその動力金属の助けをかりて、あなたの問題を解決してくれるだろう」
「あたし、おっしゃることがよくわかりませんが」とドロシイが首をかしげながら訊いた。「一つの家系が一つの学問を研究するというのはわかりますが、どうしてたったひとりしか研究者がいないのですか?」
「うむ、すこし説明してやらねばわからんだろう。第一に、ノルラミンの男性はみな研究者だということを知っていただかねばならぬ。われわれにとっては≪労働≫は精神的骨折りであった、これすなわち研究だ。われわれは、肉体的労働や精神的労働は、体操あるいは、娯楽として以外は行なわない。すべて、超エネルギーがわれわれの機械的な仕事はやってくれるからだ。こういう習慣が数千年数万年と続いたのだから、もうずっと昔から専門化ということが確立されてき――つまり努力の重複を避け、あらゆる分野を残りなく研究するようにするためには、どうしても研究の専門化ということが必要となったのだ。それからすぐ明らかにされたことは、つぎの一事だ――つまり、各研究分野において、進歩はきわめて少ない。それは、いかに分野を狭く限り、高度に専門化しても、すでに学ばれた知識を吸収するだけで一生涯が費やされてしまうからだ。それから数年間、各方面からこの問題を検討した結果、ぜんぜん同じ研究が以前にも、その以前にも行われていた、つまり努力がダブっていた、しかも忘れられ、見落されていたからそういう不始末になったということがわかったのだ。この憂うべき事態を匡正《きょうせい》するためには、どうしても教育器械を開発しなければならぬ、ということになった。教育器械が完成すると、まったく新しいシステムがとられることになった。科学研究の小さな下位分野のひとつひとつに、一人の人間を当てる。その人間が専門的にこれを深く研究するというシステムだ。研究者が年をとってくると後継者を選ぶ――ふつうは息子だが――そして自分の知識を後継者に伝える。それから、自分の頭脳内容の完全記録を作成する。ちょうど、あなたがたが、フェナクローンの頭脳内容を金属テープに記録したと同じやり方だ。これらの頭脳記録はすべて、大きな中央図書館に貯蔵され、永久参考文献として保存される。
以上のようなことが実現されたので、いまは若いものたちは、ただ基本教育だけを終わらせればよい。ただ思考する力を養うだけの教育を受ければよいのだ。それにはせいぜい二十年か三十年もあれば足りる。その後は、実際の研究業務に着手する。自分の専門研究に着手する前に、彼は一日だけを費して、過去数千、数万年の間に先輩たちが蓄積した専門分野の知識を吸収するのだ」
「ひゅーう!」シートンが口笛を吹いた。「あんたんとこの人たちが知識があるわけだ! そんなスタートを切るんだったら、ぼくだって多少は知識がもてるというもんだ! ところで、あなたは天文学者ですが、この星図と装置に興味がありますか――それとも、もうご存知ですか?」
「いや知らなかった。フェナクローン人は、この天文学分野ではわれわれよりはるかに進んでおる。彼らの天体観測所はひらけた宇宙空間内に建設してあり、その巨大な反射望遠鏡は、すこしでも大気があっては使用ができないからだ。それから、なおわれわれにとって不利なのは、夜が短いことである。一時に数時間しか暗黒が得られない。それも、われわれの惑星が、この全太陽系の大きな中央太陽のまわりをまわる、われわれの太陽の軌道外へ出る冬期のあいだだけである。しかしながら、あなたがたが携《たずさ》えてきたロヴォロン金属をつかって、われわれは立派な観測所を、遠い宇宙空間へ移動させることができる。この一事については、わしは言葉では尽くせないくらい大恩を蒙《こうむ》るわけだ。星図のことは、あなたが≪光線学のロヴォル≫と会談している間に、ゆっくりと研究させてもらおう」
「光線学を研究しているのは幾家系あるんですか? たった一家系だけですか?」
「光線一種類に一家系ある。ということは、光線学家系のものはみな、エーテルの各種振動ということについては該博な知識があるが、それを踏まえて、さらに狭い分野で専門の研究をしているわけだ。たとえば、あなたのもっとも関心をもつ光線をとってみなさい。力場帯を貫通する光線のことだ。わしの貧弱な知識からでも、そのような光線はどうしても第五|系列《オーダー》の光線でなければならんということがわかる。第五系列の光線はきわめて新しい研究で、調査をはじめてからまだ数千年しか経っておらない。そしてこれについて詳しいのは、いまのところロヴォル研究者ただひとりだ。光線の系列ということについては、むしろ教育器械で説明したほうが徹底すると思うが、どうかな?」
「どうぞ、どうぞ。あなたは、ぼくたちが実際以上に深い知識があると過大評価していらっしゃる。すこし説明していただきたいんです」
「すべてのふつうの振動――ということは、光、熱、電波その他のような、分子振動と物質振動をいうのだが、これらは恣意《しい》的に第一系列の波動と呼ばれておる。こう呼ぶわけは、これを第二系列の波動と区別するためである。第二系列波動といえば、あなたがたのほうで陽子、電子と呼んでいる第二次の微粒子が、原始を形成するために結合しようとして起こす波動である。あなたがたのところのミリカンがこうした光線を発見した。あなたがたの言語では、ミリカン光線、あるいは宇宙線として知られておる。
それからしばらく後に、第一および第二レベルの下位電子《サブ・エレクトロン》が発見されたとき、下位電子の結合あるいは分裂によって起こされるエネルギーは、それぞれ第三および第四系列の光線と呼ばれるに到った。この光線はもっとも面白い、また有用である。事実、われわれの機械的仕事をぜんぶやってくれているのは、この第三、第四系列光線である。この二つは一つの種類にして、原始電気《プロテレクトリシティ》と呼ばれ、ふつうの電気に対して、ちょうど、電気がトルクに対してもっていると同じ関係にある。どちらも純粋エネルギーであって、相互変換が可能である。しかしながら、電気と違うところは、原始電気は、超エネルギー場によって多くの異なった形態に変換されうるということである。それはちょうど、白日光がプリズムを通してさまざまの色彩光線に分解されるようなものである。もっと適切な比喩で言えば、交流電流が、電動発電機セットによって、直流電流しかも性質の変化する直流電流に変えられるのと似ている。どちらにも、完全なスペクトルがあり、それぞれ、五百周波帯、千五百周波帯がある。各周波帯の異なるは、あたかも赤色が緑色と異なるがごとしだ。こうして、あなたがたの宇宙船、牽引ビーム、斥力帯、対物コンパス、力場帯などを駆動するものは、すべてこれ、第四系列光線スペクトル千五百周波数帯のなかの、ほんの数個の周波数帯に過ぎない。これらの装置はすべて、いずれはあなたがたが自身で開発できたはずのものである。それで、わしは第五系列――最初のサブエーテル・レベルの系列だが、これについてはほとんど何も知らないし、それがあなたがたの最大関心事だから、わしはこの点は全部ロヴォルに委せることにしよう」
「あなたの知らない≪ほとんど何も≫の、たとえ一部分でもぼくが知っていたら、ぼくは大学者なんだが……。でも、この第五系列ですが――これが最後のものですか?」
「わしはの知識は薄く、かつ非常に概略的だ。わし自身の研究題目を理解する補助として、という程度の知識だ。しかし、第五系列が最後のものでないことだけはたしかだ。第五系列など、ほんの初まりに過ぎぬ。わしたちが現在もっている知識によれば、系列は無限小まで行っておる。いうなれば、無数の銀河系が集ってより大きな集団をつくるが、それすら、無限に大きな造物企画図《スキーム》から見たら、ただの微小構成分に過ぎぬようなものだ。
六千年以上も以前に、最後の第四系列光線が開発された。第四系列光線の行動の、ある奇妙な特性に目をつけたその当時のロヴォルは、第五系列の存在をおぼろげに信じるに到った。それから幾世代かのロヴォルが、第五系列光線の存在を証明し、その解放の条件を決定し、ついに動力金属だけが、第五系列光線を使用可能量程度に開放する、唯一の触媒であることに気づいたのだ。動力金属はロヴォルに因《ちな》んでロヴォロンと命名されたのだが、まず理論的基盤で記述され、ついで後日に到って、分光学によって、ある種の恒星、特にわずか八光年しか離れていない一つの恒星に存在することが発見されたのだ。また、隕石から、わずか数ミリグラムが採集されておる。それだけでも、研究には充分であり、事実、数回のテストが行われたが、とても実用に供せるような量ではない」
「ああ……わかり……ました。じゃ、あの訪問というのは≪本当だった≫のですね――あなたたちノルラミン人が、力場帯を使って、オスノームとウルヴァニアに働きかけたというのは?」
「ごく稀薄な程度に、イエスだ。あなたのような宇宙訪問者の注意をひこうとして、あの二つの惑星、その他へ働きかけた。そして、あのとき以来、ロヴォル家系では、第五系列の理論の完成に努め、あなたの来訪を待っておった。いまのロヴォルは、わしと同じように熱心に、またわしもその組だが、研究がすでに停滞した多くの老人たちと同じように熱心に、あなたを待って待って待ちこがれている。スカイラーク号がわれわれの惑星に着陸するや否や、ロヴォルが迎えるはずだ」
「あなたのロケット船や立体投映をつかっても、ロヴォロンは入手できなかったのですか」
「さっきも申したように、ごく微量以外はだめだった。だいたい百年ほどの間隔で、誰かがいつも新しい型のロケットを開発する。ロヴォロンを包蔵している太陽系への宇宙旅行が、多少でも可能性をもつようなロケットを開発するのだ。しかしそうした冒険好きの若者で、宇宙の果てから帰還したものはひとりもおらぬ。太陽に惑星がなかったか、ロケット船が故障したか、いずれかだ。われわれの立体投映は、われわれの現在の搬送波ではきわめて近距離しか到達しないから、この役には立たぬ。第五系列の搬送波さえあれば、この銀河系のいかなる空域へも立体投映を駆動できる。第五系列搬送波の速度は光速の数百万倍であり、従って投映に要する動力も削減できるからだ。しかし、さっきも申したように、そんな波は、ロヴォロン金属がなくては発生できないのだ」
「お話が面白くて一週間でも聞いていたいので、中断したくないのですが、もうすぐ着陸ですね。しかも着陸はそうとうむつかしそうです」
「もうすぐ着陸だ、しかし難しくなどない」
オルロンは自信ありげに答えたが、果たして老人の予言のとおりであった。スカイラーク号は落下速度を次第に減じてはいったが、それでも高速力なので、内部の観察者からみると、まるで巨大な、照明|皎々《こうこう》たるビルディングへ向かってまっしぐらに墜落し、その屋根を突き抜けて土台へ衝突しそうな錯覚をおこさせた。しかし、スカイラーク号は天文台に衝突などしなかった。ノルラミンの天文学者の航路計算が信じがたいほど正確であり、動力バーにセットした制御が人間ばなれした精密さであったから、宇宙船は、天文台のドームの屋根をすれすれにかすめた後、乗員に突如たる加速度の減少を感じさせただけで、無事に着地した。その感じは、エレベーターが急速に落下して、突如速力を減じ、停止した程度でしかなかった。
「では、わしは、すぐ後で、自身でおめにかかる」オルロンが言うと、その立体投映は忽然として消えた。
「さあみんな、いよいよ別の新世界へ到着したんだぞ。でも最初の新世界へ到着したときほどのスリルはないな、え?」シートンはドアのほうへ歩きだした。
「大気組成、濃度、重力、気温その他は調べないのかね?」クレーンが訊いた。「二、三テストしなければならんだろう?」
「教育器械でわかったんじゃなかったのか? 君が取ったと思ったけど。重力は十分の七よりちょっと低目。空気組成はオスノーム、ダゾールと同じ。気圧は地球とオスノームの中間点。気温は年中オスノーム並みだが、冬のほうがしのぎよい。極地にはいま雪があるが、この天文台は赤道からわずか十度のところだから……。ここではハンド・カーに振って止めさせる旗の布地ほども衣類は着ないんだ、儀式とかそんな場合は別として。じゃ行こう」
シートンがドアを開けた。四人の宇宙旅行者は短く刈りとられた芝生へ降り立った。青緑色の芝生のやわらかさは、東洋絨毯も顔負けである。このあたり一帯に緑色の光があふれている。光源がどこかはわからない。しかし豊かな、柔和な、それでいて強い緑色の溢光である。四人が立ち止って見まわすと、スカイラーク号は直径百ヤードばかりの円形の芝地のちょうど真ん中に安着しているのであった。芝地の周辺は幾列にも植えられた灌木、そして彫像や噴水で飾られている。芝生のみならず、周囲のこうした庭園の添景物や植込みも、しずかに調子《トーン》を変えていく柔和な照明にふっくらと包まれている。整然とした芝生の円さが、たった一ヵ所破られている。植込みの生垣がそこだけはあいているのである。そして生垣は低い壁のように左右に岐《わか》れて小径を挿み、それがうねうねと長く続いている先に天文台があった。クリーム色と緑とのまじった大理石づくりの壮大な建築物で、その上に巨大なガラスの円屋根が載っている。オルロンの天体観測所がそれであった。
「ノルラミンへほんとうにようこそ――地球のみなさん」老天文学者の深い声が静かな調子で四人を迎えた。肉体になったオルロンは、四人につぎつぎとアメリカ式に慇懃《いんぎん》に握手を交わし、それぞれの頸に水晶のように煌《きらめ》く鎖をかけた。鎖の中央から、小さなノルラミンの精密時計兼小型通話器が吊ってあった。オルロンの背後には四人の老人が立っていた。
「この四人は、すでにあなたがたの一人一人をよく存じておる。しかしあなたがたはまだご存知あるまい。この人がフォダン。ノルラミン五人委員会の委員長だ。この人が、あなたがたのよくご存じのロヴォル。こちらが第一エネルギー学哲アストロン、第一化学学哲サトラゾン……」
オルロンはシートンのそばに寄りそい、一同は天文台のほうへ静かに歩きだした。行くほどに地球人は眼を見張るばかり、地球上とはまるで違った、庭園の天上的な美しさに見惚れたのである。小径の両側に植えられた灌木の生垣は、背が十フィートから二十フィートもあったが、背後のものすべてを蔽い隠している。樹々は光沢のある冴えた緑色か鮮烈な緋色の葉をつけている。一枚の葉、一本の小枝にいたるまで執拗なまでの丁寧さで、位置と形を考慮して剪定《せんてい》され、それぞれの樹、また樹々の茂みが幻想的な幾何学模様の色彩配列、ないし構造図形に組み合わされている。生垣に沿って、超等身の塑像が無数に並んで一行を見送っている。あるものは男性ないし女性の単身立像である。あるものは胸像である。あるものは自然のポーズに、あるいは何かの観念を暗示するポーズをとっている彫像のあいだに、ところどころ噴水がはさまれたり、この不思議な惑星の海洋動物をかたどった、巨大な青銅と玻璃の彫刻が置かれてあったりした。それらの造型へ、水が働きかける。彫刻と塑像とは、幾何学図形に調整された噴霧のしぶきや、水|簾《すだれ》、水柱などに挑まれて、それぞれの姿態を生き生きと躍動させている。彫塑と噴水のあいだを、つつましやかに低い壁が這っている。くねくねと縫いとるようにして匍匐《ほふく》しているのである。そして噴水にも、これらの壁にも、驚くほど多種多様の光と色とが乱舞している。色彩は洪水のように溢れ、激流のきらめきにも似た絢爛《けんらん》さをみせている。奔流か瀑布かとも見まごう溢光は、快い諧調に混ぜあわされ、見る眼をたのしませた。赤、青、黄、緑――ここの惑星に特有な緑色光線のスペクトルにあらわれるすべての色彩が、それらの無限の混色と組合せとが、落水の厚い躍動する簾《すだれ》やきらめく壁のうえに、それこそ形容もことばをも圧倒する華麗さをもりあげて、踊り跳ね、身をくねらせ、炎のように燃えたっているのであった。
みんなで小径へ一歩踏み入れてみたとき、シートンが驚いたのは、壁と思ったものが、近づいてみると、壁でも何でもなかったことである。すくなくとも、ふつうの意味での壁ではない。それは数千数万の、ひとつひとつが美しくきらめく宝石からできあがった牆壁《しょうへき》である。しかも、宝石の大多数は、それぞれが自己発光体である。何かに嵌《は》めこまれているのでもなければ、吊るされているのでもない。まったく自由に宙に浮いているのだ。それらは、出たり引っこんだり、宝石どうしの間を飛びまわったり、ここかしこを織るように、飛び交《か》い、またひどく複雑な軌跡を描いて徘徊している。しかも、それぞれの運動は綿密に計算された進路をたどっているようである。
「何でしょう、これ一体?」ドロシイがシートンにささやいた。シートンは案内役の老科学者に向かい、
「ぼくの好奇心をおゆるしください、オルロン――あの動く壁のことを説明してくれませんか?」
「ああ、お安いご用だ。この庭園は数千年来オルロン家の閑静な私邸であったのだ。この家が建てられて以来、代々の主婦が庭園を装ってきた。気がつかれただろうが、彫像はきわめて古いものでな。最近数百年はああしたものは作られておらぬ。近代美術はむしろ色彩とタペストリ牆壁に力がそそがれているわけだ。宝石のひとつひとつは、微細な超エネルギーペンシルの先端で維持されており、ペンシルはすべて一つの機械で制御されておる。牆壁《しょうへき》のなかの宝石には、ひとつひとつ鍵があり、その機械のなかで、鍵が操作されるのだ。だから、鍵は幾千幾万とある」
万事条理に叶わなければ満足しないクレーンは、無数にまたたく宝石をじっと見つめていたが、「こういうものをおつくりになるには大変な時間がかかったでしょうな?」とオルロンに訊いた。
「いや、まだ完成というにはほど遠い、事実始まったばかりだ。そう四百年ばかり前から始めたかな?」
「四百年も!」ドロシイがびっくりして叫んだ。「あなた、そんなに長生きなさいましたの? これを完成するのに、あと何年かかりますの? できあがったときは、どんなになりますの?」
「わしたちは誰も、百六十年ばかりの寿命しかない――だいたいそのくらいの年齢になると、みんなつぎの世へ旅立つ決心をする。このタペストリ牆壁ができあがれば、単なる形状と色彩の芸術品ではない。この惑星がはじめに冷却しだして以来の歴史をしめす絵図となるのだ。そうだな、完成までにはあと数千年を要するだろう。もうおわかりだろうが、時間はわれわれにはあまり重要ではない。出来|栄《ば》えだけがすべてだ。わしの伴侶《かない》がこれからも続けて完成をめざそう、わしたち夫婦が旅立つ決心をするまで。わしの息子の伴侶《かない》がまたその後を引き受けよう。いずれにしても、オルロン家の数百数千世代の女どもが、完成までこれを綴《つづ》り織ることだろう。完成のあかつきには、ノルラミン惑星のあるかぎり、すぐれた美術品となって残るであろう」
「でも、あなたの息子さんの奥さんが、そんなに優れた美術家でなかったとしたら、どうなります? 音楽とか絵画、その他のものをやりたいと考えるとしたら?」ドロシイがなおも物好きから訊いた。
「そういうことは充分ありうる。幸い、われわれの他の芸術は、音楽などと違い、まだほんとうに知的なものにはなっておらぬからだ。オルロン家の邸内には、未完成の美術プロジェクトがたくさんある。だから、もしわしの息子の伴侶《かない》が、自分の気にいったプロジェクトがないときは、何でも自分の好きなものをやったらいい、すでに始めたものを続けるのもよかろうし、まったく新規にプロジェクトを始めてもよい」
「じゃ、あなたには家族がおありですのね?」とマーガレット。「教育器械でお聞きしたとき、おっしゃったことで理解できなかったことが多かったんですけど……」
「教育器械に慣れておいでと思ったから、あのときわしはすこし早く話しすぎた。あなたはまだ思想伝達のメカニズムをよくご存知ないようだから、言葉で説明して進ぜよう。五人委員会というのが、惑星全体の必要な統治をおこなう。委員会の政令は、自明の真理にもとづいているのだから、法律である。人口は惑星の必要に応じて統制されておる。現在たくさんの仕事が進行中であるから、五人委員会は人口増加の勧告をだしておる。したがって、伴侶《かない》とわしには、従来の二人ではなく、三人の子どもがある。籤《くじ》で、わしたちには二人の男の子と一人の娘とが割当てとなった。息子のうち一人は、わしが死んだ後、わしの仕事を継ぐ。他の一人は、科学の各分枝が複雑になってきて、とても一人では研究できなくなった新しい専門領域の研究に従事することになる。もう息子は、自分の専門分野を選んでおるよ。そして承認をうけておる。彼は第九百六十七化学学哲となるはずだ。非対称の炭素原子の研究で、こんどから、これが彼の専門分野となる。彼はその研究者というわけだ。
すでに昔から確立されている常識によれば、もっとも優秀な子どもは、両親の精神能力がもっとも旺盛な年齢でできた子どもということになる。これはだいたい百歳前後だ。それゆえ、われわれの世界では、百歳が一世代ということだ。子どもは、生まれてから二十年間は両親といっしょに家庭で育てられ、共同学校で初等教育をうける。それから少年も少女も、≪若人の国≫へ移って、二十五年間|鍛《きた》えられる。ここで好きな研究題目を選んで、これによって頭脳を発達させ、創意力を開発するのだ。ノルラミン人は、だいたいその年齢になると、宇宙の難問を自分は自分なりで解決しておる。ただ後年に到って、その解決が間違いであったことを悟るのだ。しかし実際は、≪若人の国≫で真に優れた業績があげられることが多い。それは、処女性の心だから、旧弊にとらわれない、きわめて公平な見解がとられるからだろう。また、たいていが、若人の国で生涯の伴侶《はんりょ》をみつける。伴侶というものは、男性でも女性でも、とうてい単独では実現することのできない≪生の完成≫をめざすものなのだ。これによって、≪単なる存在≫が≪完全なる生≫となる。わしはここで、愛の奇蹟や、愛がもたらす生の完成や充実などのことを講義する必要はないだろう。すでにあなたがたは、まだ子どもではあるけれども、愛のなんたるかは十二分に存じていられるだろうから。
男性は五十歳になると、すでに精神的に成熟しているから、その家系の家へ呼びもどされる。家では、父親の頭脳がそろそろ活力と鋭敏さを失いかけているからだ。父親は息子に、教育器械をつかって、仕事を引き継がせる。一万世代の研究によって蓄積された重い知識が息子の頭脳にしっかりと印刻されたとき、父親の役目は終るのだ」
「それからは、父親は何をして暮らすんですか?」
「父親は、さっきも申したような頭脳記録をつくり、父親とその伴侶とは隠退する。母親もまた父親と同じ方法で、自分の後継者となる女性に仕事を引き継がせてしまっているからだ。隠退の場所は≪老人の国≫で、百年間の苦労の後、ここで安静と休息を得るのだ。彼らは老人の国で何をしてもよい。好きなことをして暮らすのだ。最後に、子どもたちが立派にやっておることがはっきりわかった後は、彼らはいよいよ≪変化≫の時機だと心を決める。そこで、長年ともに苦労をしてきたとおり、いっしょに≪|死ぬ《パス》≫のだ」
ドロシイは天体観測所の出入り口のドアへ行き、そこに立ちすくみ、シートンのそばで小さく縮んでいた。眼だけがオルロンに向けられて大きく見開かれている。
「これ娘、われわれが何で≪変化≫を恐れる理由があろう?」ドロシイの口には出されなかった偉《おお》いなる疑問に答えて、老オルロンは静かに諭《さと》すように言った。低い声の抑揚にはすみずみまで静穏で悟りきった安定感があった。
「生命原則は有限な心には知るべくもない。≪全統制的勢力≫の意図が不可知であると同じことだ。しかし、たとえ生命原則が向かいつつある至高の目標についてわれわれが何も知らなくとも、≪変化≫を間近にひかえた成熟した個人はすべて、生命原則を解放することができるのだ、そしてもちろん、解放することになるのだ――生命原則が何ものにも妨げられることなく、なおその先へと進むことができるように……」
天体観測所の広壮なその大部屋、そこで地球人たちと、彼らの招待主たちである四人のノルラミン人は、長時間研究と討論とを続けていた。ようやくそれらは一段落となり、シートンは起ちあがってドロシイへ手を差しのべた。そしてオルロンに向かって、
「あと二十分であなたの≪睡眠期間≫が始まります。ぼくたちも三十時間起きていましたが、ぼくたちにとっても大変な長時間でした。ぼくたちはこれからスカイラーク号へ帰ります。≪労働時間≫が始まるまでに十時間ありますが、ぼくは眠ったら、ロヴォルの実験所へ行きます。クレーンがここへ戻ってあなたと仕事をします。それでどうでしょう?」
「宇宙船へもどる必要はないだろう。あそこの狭苦しい居住区が、相当不快なものになっているのは、わしにはよくわかっとる。われわれ、ここで一緒に軽い食事をとり、それからそれぞれに退いて、また明日会うことにしよう」
オルロンの言葉が終らないうちにもう、食欲をそそる皿をのせたお盆が、地球人それぞれの眼の前の、空中に現われた。シートンが椅子へ戻ると、お盆がついてくる。いつも、手近かなところに浮かんでシートンを待っている。
クレーンが物問いたげにシートンのほうへ視線をやった。第一化学学哲のサトラゾンが、クレーンが問いかける前に答えを出してくれた。
「みなさんの眼の前の食物は、わたしたちの食物と違って、あなたがたの身体に適したものです。銅、砒素、重金属などは含んでおりません。簡単に言えば、みなさんの肉体の化学にすこしでも害のあるものは何も入っておりません。含水炭素、蛋白質、脂肪、砂糖などバランスのとれた栄養分で、各種の補助栄養素も適切な割合で包含しております。味もまた、みなさんそれぞれに適していると思いますが、どうでしょう?」
「合成食品ですね? ぼくたちを分析したんですね」シートンが、訊ねるというよりは、事実を述べるような調子で言った。そしてナイフ、フォークで、料理をつつきにかかった。お盆は空中に浮かんだままだが、固定されていてぐらつかない。そこに載《の》っているのは、見事な色合いに炙《あぶ》られた、極上等の厚いステーキである。マッシュルームその他の、うまそうな付け合わせが添えられている。見ると、ノルラミン人たちは、地球からの賓客に渡された食器類とはまるで違う道具で食事をしている。
「全部が合成です」とサトラゾンが答えた。「ただ塩化ナトリウムだけは別です。すでにご存知でもありましょうが、ナトリウムと塩素とはわが太陽系ではきわめて希少の元素です。それですから、超食品補給エネルギーが、あなたがたの宇宙船から、料理に必要なだけの分量を取ってきました。われわれは原子を合成することができません。ロヴォロン金属がないために、労働が阻害されているからです。疎外といえば、原子合成にかぎらず、ずいぶん多くの仕事が、このために妨げられています。しかしこれからは、わたしの科学も順調に進歩しましょう。この点については、同僚科学者ともども、あなたのご親切に深く感謝しております」
「いや、こちらこそお礼を言いたいんです。ぼくたちにできる奉仕などは、そちらからいただくものに較べたら、ものの数ではありません。しかしあなたはいま、超食品補給エネルギーなどと、ずいぶん人間とは無関係みたいな言い方をされましたね。この肉類や野菜は、あなたが料理を指図したんじゃないんですか?」
「いや、違いますよ。わたしはただ、あなたの筋肉組織を分析し、あなたが持ってこられた食糧をしらべ、一人ひとりの嗜好《しこう》を見い出し、コンソールのなかへ必要な積分式をセットしただけです。あとは超エネルギーがやってくれたのです。この惑星は滞在していらっしゃる間は、いつもそういう手続きなのですよ」
「あたしはフルーツサラダが大好きですの」ドロシイがひと口、ふた口食べてみてから言った。「でも、このフルーツサラダは珍味だわ! こんなおいしい果物、これまで初めてです。昔の異教徒の神々がしょっちゅう口にしていた神饌《しんせん》って、これじゃないかしら?」
「あなたのなさったことが積分式をたてるだけだとしますと、このつぎの食事のときは何を出すか、どうしてわかるのですか?」クレーンが訊いた。
「わたしたちは、各料理の形、味、栄養成分などについては何も知りません」驚くべき答えが返ってきた。「わたしたちの知っていることはただ、風味が好ましいことであること、それが材料の形と組成とよく適合していること、それから、組成が化学的にバランスがとれていること――それだけです。おわかりでしょう?――味、形、繊維その他の細かい点は、あなたのところの百色眼鏡《カレイドスコープ》によく似た装置で制御されているのです。積分式は、不健全、不快、非均衡の組成をたとえわずかでも引きおこすということは不可能なのです。いっさいがコンソールのメカニズムに委《まか》せられる。メカニズムは純然たる偶然によって料理の種類を決めるのです」
「うむ、何ちゅうすごいシステムだ!」シートンは感嘆の呻きをあげ、遅くなった晩餐へ猛烈な攻撃をかけていった。
食事が終ると、地球の賓客はそれぞれの個室へ案内され、夢もみない、深い深い眠りにおちていった。
[#改ページ]
一〇 ノルラミンの科学
朝食が終ったとき、シートンは眼の前のトレーの行動をじっと見守っていた。空《から》の容器を載せた盆はシートンの前から空中を漂いながら去り、壁にあいた開口部へするりと入って消えた。
「どうしてこんなことができるんです、オルロン?」シートンがたまらなくなって訊いた。「この眼で見た後だって、とても信じられん!」
「盆は超エネルギーのビームないしはロッドの末端の上で運ばれ、それによって固く支持されておる。ビームは、あなたの胸についている小計器の発する特有の波動に同調しておる。であるから、超発信エネルギーが作動されるや否や、あなたの盆は当然あなたの眼前、それもあらかじめ指定された距離に置かれることになるのだ。食事を終ると、ビームが短くなる。盆が食料作業室へ運ばれると、他の超エネルギーがさまざまの食器類を洗い、つぎの食事の用意に貯蔵される。この惑星ならどこへ行かれようと、この同じメカニズムで食事をあなたの眼の前へ運ばせることなどは、きわめて容易である。ただ、あなたの肉体と食料作業室の通路をはっきりとプロットさえすればよいのだから」
「ありがとう――しかし、決してこんなことしていただくには及びません。ぼくたちは、たいていの場合、スカイラーク号へ戻って食事をすることにします。料理頭を不機嫌にさせては≪こと≫だからです。そう、ロヴォルがそろそろ着陸ですから、これで失礼します。……おい、いっしょに来いよ、ドット。それとも何か考えごとでもあるのかい?」
「あたし、しばらくあなたを解放させてあげるわ。あたしって、ほんとにラジオだってぜんぜん理解ができないのよ。あなたたちが追いかけている、おかしな、七面倒くさい光線とかなんだとかかんだとか、考えただけでも頭のなかがおかしくなってくるわ。ミセス・オルロンがあたしたちを若人《わこうど》の国へつれていって下さるのよ。彼女は言うのよ――マーガレットとあたしは、彼女の娘とそのお友達といっしょに、愉快に遊んだほうがいいって、あなたたち科学者が難しいお仕事に取りくんでいる間」
「わかった。じゃ、今晩までお別れだ」シートンは言って庭園へ出た。そこに第一光線学哲が待っていた。
飛行機は、シートンにはわからない透明なガラス状材料でできた魚雷型のもので、円形の戸口がひとつある他は船体がすきまもなく装甲されていた。中央部は直径五フィートばかりの円筒で、クッションの厚くしかれた座席が四つ、快適な乗り心地を保証していた。船体はこの中央部から流線型に先細になって、両端の針先のような先端で終っている。シートンが乗ってクッションのなかへ身体を埋めると、ロヴォルがレバーに触れた。たちまち透明ドアが滑りだし、船体表面と一面となって、しっかりと閉ざされた。ついで機は空中へ舞いあがり、矢のように走った。数分間どちらも喋らなかった。シートンは眼下の地形を観察した。農地、都市などはひとつも見えなかった。地表は濃密な森林と広大な牧場でおおわれ、ところどころに、優雅な、公園のような緑地に囲まれた巨大な建物が点在しているばかりであった。ようやくロヴォルが沈黙を破った。
「オルロンが、あなたから得た思考のぜんぶをわたしに移し替えましたから、わたしはあなたの悩んでいる問題はわかっているつもりです。あなたが提供されたロヴォロン金属のおかげで、われわれが、いろんな難問を一挙に解決できるものと、わたしは自信をもっております。ここからわたしの実験所までは数分間かかる。まだあなたの心のなかで明瞭でない点があったら、何でも訊いて下さい。よろこんでお答えします」
「それで大分気が楽になった」シートンが笑った。「しかし、ぼくの感情を傷つけまいと気など使わんで下さい。ぼくは自分でわかっているんです――あなたに較べたら、ぼくなんかどれほど無智で低能かということ。ぼくが理解できないことはたくさんあります。まず第一に、そしていちばん手近かのことは、この空中ボートです。これは動力装置がぜんぜんありませんね。ぼくは、他のこの国のいろんな機械と同じに、これも勢力ロッドの端に乗っているんだと推測したんですが……」
「そのとおりです。ビームはわたしの実験室で発生され、維持されています。この飛行機のなかで必要なものは、遠隔制御のための小さな発受信器だけです」
「動力はどんなにして得るんです? 太陽発電機と潮力発電機でしょう? あなたのところの作業はみんな原始電気《プロテレクトリシティ》で行なわれていることは知っています。それから、あなたが第三系列の全部、第四系列のほとんどを開発したことも知っています。しかしオルロンはその動力源のことは教えてくれませんでした」
「そんな不能率な発電機は、もう数千年使っておりません。ずっと昔に、遠い宇宙空間でエネルギーが豊富に発生されつつあるという事実が、研究の結果判明していました。そして、それらのエネルギーは、第六系列のものまでは、それにマッチし同期された装置であれば、収集して、すこしのロスもなくこの惑星地表まで運んでこられることもわかっていました。それで、そうした集電器を数百万個つくって、宇宙空間へ発射し、ノルラミン惑星の小衛星にしているわけです」
「どんなふうにして、そんなにたくさんの集電器を遠くまで送れたのですか?」
「最初の数個は、電流の変換によって生じる超エネルギービームに乗せて必要な距離まで送りました。このときの電力は、タービン、太陽発電機、潮力発電機などから発生させたものです。しかし数個が空間に設置されると、そこから、もっとたくさんの集電器を送りこむ電力が容易に得られました。ですから今は、わたしたちは誰でも、自分の使える電力よりも多量に電力が必要な場合は、単に必要なだけ集電器を宇宙空間へ送りだせばよいのです」
「こんどは力場帯を貫通する第五系列の光線のことですが、これはエーテル波ではないのだと教えられましたが……」
「エーテル波ではありません。第四系列光線が、エーテルを通じて伝播《でんぱん》し得る最短波長の振動です。というのは、エーテルそのものが連続的な媒質ではないからです。エーテルの性質は正確にはわかりませんが、一種の実体であることは確かで、第四の系列分離微粒子から構成されているのです。ところで超エネルギー帯は、それ自体が第四系列の現象でありますから、エーテルを構成している分離微粒子のなかに、ひとつの停滞状態をもたらすのです。これらの微粒子は比較的まばらなものですから、第五系列の光線と微粒子は何ら邪魔されることなく、停滞状態の分離微粒子帯を通過できるのです。したがって、もしもエーテルの分離微粒子同士のあいだの広いすきまに、何ものかが介在しているとすれば、それはつまり下位エーテル、あるいはこんな用語を使っていいかどうかわかりませんが、下位エーテルでなければならないということになります。この≪もの≫が何であるかは、現在われわれの間に烈しい議論が交わされているところなのです。わたしたちは、これらの≪もの≫をまだ充分に調査することができないでいるのです。エーテルのような比較的まばらな微粒子集合体ですらまだ充分に調査が行なわれていません。しかしいまやロヴォロンが入手しましたから、われわれの知識をさらに上位および下位の多くの系列にまで拡げるのに、この先、数千年などはかからないでしょう」
「そのロヴォロン金属はどのようにして、役に立つというのですか?」
「ロヴォロンによって、われわれは第九マグニチュードのエネルギーを発生させることができる。あなたがきわめて適切な名前をつけられた≪力場帯≫というものを効果的に研究するには、それだけの大きさのエネルギーが必要なのです。またこの金属はわれわれに第五系列光線の動力源を与えましょう。いや、それどころか、おそらくは第五系列以上の振動の動力源すら与えるでしょう。第五系列以上の振動などは、たとえ宇宙空間には発生しているにしても、現在のわれわれにはとうてい手のとどかないものだったのです。ある種の機械装置を遮蔽してエーテル振動から護《まも》るためには、力場帯が必要であります。それは、制御している力場のなかに、そのようなエーテル振動があると、より高い系列の光線の観測なり制御なりを不可能にしてしまうからです」
「うむ……む。なるほど――なるほど、ぼくはこりゃ、たいしたことを学びつつある……」シートンは心の底からうめいた。「ちょうどラジオ・セットが高出力だとすると、それだけ遮蔽を完全にしなければならんのと同じ理屈ですね?」
「そうです。あるいはまた、ほんのわずかのガスも、あなたのもっとも高感度の真空管の有用性を破壊してしまうのと同じです。また、不完全な遮蔽により、干渉波《かんしょうは》が感受性の高い電気器具に入ってしまうのと同じです。それと同じことで、きわめて微弱なエーテル振動ですら、極度に高感度の超エネルギー場や超エネルギーレンズの作用に悪影響を及ぼしますし、高系列の超エネルギーを制御するには、どうしても高感度の超エネルギー場と超エネルギーレンズを使わなければなりませんからね」
「オルロンが言っていましたが、あなたは、第五系列をかなり有効に働かせているそうですね?」
「われわれは、勢力とは何であるか、それをいかにすれば解放し、制御し、使用できるか――それはきわめてよく知っているのです。早い話が、今日わたしたちが始めるはずの作業では、わたしたちは、ふつうの動力はほとんど用いません。主として、ロヴォロンの助けをかりて、あなたがわたしに下さった銅から解放されたエネルギーを用いて作業を行ないます。……しかし、もう実験所に着きました。最善の学習法は実行だということは、もうおわかりでしょうな。ではすぐ始めましょう」
飛行機は芝生へ着陸した。そこはオルロンの天文台の前庭に酷似した庭園であった。ロヴォルは地球の賓客《ひんきゃく》たちを案内して、彼の実験所であるガラス張りの広壮な部屋へとつれていった。壁ぎわに大きな作業ベンチが並んでいた。数百のダイヤル、メーカー、チューブ、変圧器、その他シートンには使用目的を想像することすらできない計器類や機械装置が無数にあった。
ロヴォルはまず、濃い黄金いろの、透明で柔軟な材料からできた衣服に着替え、シートンにも同じものを着ろと指図した。ロヴォルの説明によると、今日の作業は危険な周波数と高圧を取り扱うから、この作業服が必要だという。作業服は、電気、熱、音響に対して完全な絶縁物であるばかりか、光線フィルターでもあり、危険な放射能を遮蔽するという。ヘルメットには無線通話器がついており、会話にはすこしも支障がなかった。
ロヴォルは小型の閃光《フラッシュ》ペンシルをとりあげ、巧みにロヴォロンを切りとった。顕微鏡ともいえるほどの微小な断片である。彼はこれを大きな、ピカピカに磨きあげた銅のブロックに載せ、これに一本の超エネルギーを浴びせた。ロヴォルが二つのレバーを操作すると、もう二本の超エネルギービームがロヴォロン金属を金槌《かなづち》で叩いたように薄くし、銅ブロックの表面いっぱいに拡げさせた。こうして超エネルギービームの圧力によって、ロヴォロン箔《はく》の各分子が、いたるところで銅分子と接触することになった。完全な鍍金《メッキ》方法であると言えた。しかも、あっという間に済んだのである。ロヴォロンはそれから、このように表面処理された銅ブロックから豆ほどの大きさの小片を切りとり、これに他の超エネルギーをかけた。銅片のまわりにはコイルと金属管よりなる、やや複雑な可愛い構造ができあがった。彼はこれを、細い超エネルギービームの一端で空中に吊るした。銅ブロックをこんどは二つ割りにした。そしてロヴォルの器用な指先は目もとまらぬ速さで働いて、機械の鍵を操作した。たくさんの鍵の埋めてあるその機械は、会計用計算機に似た形をしているが、ただずっと大きく、ものすごく複雑であった。無数の超エネルギー線、超エネルギー・ペンシルがまたたき、カチカチと音をたてた。シートンは声を呑んだ。ここにもはや、一台の完全な動力発生装置ができ上っているではないか! 数分間前には、大きな金属製の作業ベンチの上の何でもなかった空間に、鍍金《メッキ》銅二百ポンドの塊を中心にして、諸材料は完全な発生機に作りかえられてしまっていたのである。ロヴォルの十本の指が蜂鳥《はちどり》のように、鍵からダイヤルへ、ダイヤルから鍵へと往復した。すると突然、野球の球ほどの大きな力場帯が、空中に吊られた装置のまわりに張りめぐらされた。
「しかし、それ、すっ飛んじゃいますよ、どんなものでも止めることができませんよ!」シートンが険《けわ》しい顔で抗議した。果たして、可愛い宙吊りの装置は目もとまらぬ速さで天井へ飛んでいった。
老人はなおも制御盤を操作している。ちょっと首をかしげただけである。シートンはゲッと喘《あえ》いだ。その宙吊りの、純粋エネルギーの、きらめく球型ミラーのような飛球へ、九本のすさまじい超エネルギービームが投げかけられ、逸走する飛球をがっしりと掴《つか》んだ。そしてぐいと引っぱり下げたかと思うが早いか、抵抗のひまさえ与えず、シートンの大きく剥がれた眼のすぐ下で、複雑な幾何学的立体へ、自由自在に変形されていったからである。
強烈な紫光が部屋を満たした。シートンはバーへ眼をやった。あの二百ポンドの銅塊が見る見る萎縮していっているではないか! 巨大な超エネルギーがそこから抜きとられていくうちに、一刻一刻と縮まっていく。シートンのつけたヘルメットの色彩フィルターがなかったら、その切り裂くような、めくらめく紫光線は彼の眼を焼いたことであろう。作業ベンチの安全《リリーフ》ポイントから接地棒へと、ものすごい稲妻が飛び交った。接地棒は間断なきインパクトを受けて高熱となり、青白色に光りかがやいている。このコロナ損が、使用されている動力の大きさからすればコンマ以下の微量にすぎないことを知ったシートンの心は、眼の前の頑強なエネルギーの球にかけられている勢力の巨大量《マグニチュード》を理解しようともがきながら、しばしよろめいていた。
老科学者は、われわれの意味するような道具というものを一切使わなかった。彼の実験所そのものが動力室であった。宇宙空間を飛んでいる無数の小衛星集電器のすべてが彼の支配のもとにある。加えて、崩壊する銅バーから発生する第四系列、第九マグニチュードの超エネルギーがここに動員されている。数百万、数千万キロボルト電圧の電気と原始電気とは、この数千数万年の科学研究の蓄積知識を包蔵した驚異の頭脳の命令一下、思いのままに乱れ飛んだのである。老物理学者の仕事ぶりを見ながら、シートンは自分自身を小学校の児童に較べていた。化学薬品の性質も知らぬままに、やたらにそれを掻きまわして、ほんの偶然の幸運で、ときたまひとつの化学反応を得て有頂天になっている子どもと、何と自分は似てはいないか! シートンが小学校の生徒流に原子力をいじくったのに対して、いま眼の前の巨匠は、あらゆる試薬、あらゆる反応を知りつくし、それらの徹底的に馴れ親しんだ化学薬品を自由自在につかって、正確に予見された実験結果を抽《ひ》きだしている。しかもシートンが、自分の実験室で、塩化バリウム溶液と硫酸との化学当量を混合して硫化バリウムの沈殿物を得るときのような平静な態度で、老巨匠はこれらのことをやり遂げているのである。
老ロヴォルは時間の経過すらも忘れたかのごとく、幾時間もぶっつづけに熱中して働いた。その一方、作業を続けながら、シートンへ噛んで含めるような懇切な教え方をした。シートンは作業の一段階ごとを異常なまでの熱意で注視し、老巨匠を助けて、できるだけの協力をした。実験室の真ん中に、巨大な構造物がしだいに高く築きあげられていった。がっしりとした金属製の土台が、ひとつの巨大な複式ベアリングを支持している。ベアリングの上には、金属を格子のように、網のように組みあわせた大口径の管状のものが載っている。ちょうど、大きな望遠鏡が架台にのったような格好である。この斜めに上を向いた、すかし細工の太い管の上端近く、九本の超エネルギービームが、力場をがっしりと押さえている。力場の軸で押さえているのである。下端に操作員のための二つの座席と制御盤がある。この巨大な投映器を作動し制御する――複雑な、超エネルギーと発動機との無数の組みあわせを自在に操作する――制御盤である。捜査員座席に坐ってすぐ上を見ると、大きな円環《サークル》が横に流れている。これらの円環は、直径四十フィートはある箍《たが》のような形のもので、網目円筒を斜めに取り巻いて自由自在に動いている。操作員はこの円環の帯の上に刻まれた目盛で赤経赤緯を読むことができる。目盛は信じがたい精密さで、円弧の秒の小数点以下何ケタもよめるほど細かいものである。どの円環も、可変モーターで駆動される。その伝達中間に、歯車をいくつか組み合わせた装置と連接装置とがあるので、歯車の歯面と歯面とは寸分のすきまもなく密着し、ガタやズレは絶対極小値にとどめられている。
ロヴォルが制御盤にとりつける最後の計器類のひとつを拵《こしら》えているとき、建物内に爽《さわ》やかな機械音が鳴った。ロヴォルはすぐ仕事をやめ、この部屋の動力装置のマスター・スイッチを開いた。
「あなたはほんとうによくやった、若い方」老科学者は作業服を脱ぎはじめながら、地球人の助手をねぎらった。「あなたに助けていただかなくては、これだけの量の作業をわずか一労働期間では、ほぼ完了まで持っていくことはできなかったでしょう。もうすぐ体操期間と休憩期間になりますから、これで廃《や》めて、オルロンの家へ戻りましょう。あそこでみんな集って、明日の作業の英気を養いましょう」
「でも、もうすこしで完成するんじゃないんですか?」シートンが抗議した。「やっちまいましょうよ。ちょっとばかり動力を流しこんで、動くかどうか、テストしてみましょうよ」
「それが若者のせっかちと苛立《いらだ》ちというものですよ」老科学者は、シートンの服を脱がしてやりながら静かにたしなめ、待機している空中ボートへ案内していった。「あなたの心のなかにはっきりと読めます――あなたは、休みなく労働を続け、頭脳が鋭さを失ってもまだ働こうとする悪いくせがおありのようだ。ここではっきりと改めなさい。そんなやり方は、愚かというよりもっと悪い――犯罪的だとさえいえる。消耗した力の回復するゆとりもなく一定時間以上労働すれば、その結果は力のロスとなります。それが続けば頭脳に永久的な障害を与えることになり、ひとつも得はありません。わたしたちは、しなければならない仕事を完成するのに必要以上にじゅうぶんな時間があります。第五系列の投映器は、警報魚雷がフェナクローン惑星に到着する以前にかならず完成します。ですから、過労はまったく理屈に合わない。……テストですか? テストの必要なのは、ゆきあたりばったりの不器用ものが作った機械だけです。正しく作った機械は正しく働くから、テストなんか要りません」
「でもぼくは、機械が作動するのを、一度だけでも見たかったんです」小型機が空気を切り裂いて、天文台へ急ぐ間も、シートンは不平たらたらである。
「あなたは平静心を養わなければならんな。そして、くつろぐ技術を習得しなくっちゃいけない。この二つの性質を発達させれば、あなたたちの種族は働ける寿命を容易に、現在の倍にすることができよう。肉体の筋肉組織をベスト・コンディションに保つための体操と運動、精神労働のあとで心をくつろがせ、休ませること――これらが長寿と生産的な生命との秘訣です。あなたはなぜ、能率的に作業ができる以上に働こうとするのですか? 明日という日があるではありませんか。わたしも、ロヴォル家の幾世代がいまのこの装置の建設を期待しつづけてきたのですから、あなたなどより遥かに高い関心があります。しかし、われわれの福祉のため、かつまた文明の進歩のためには、今日の仕事を、今日の労働期間以上に延長させてはならないことを悟っています。どんなプロジェクトでも、もうすこしで完成というあたりになると、一歩先へ行っても、すぐまた先があります。もし、ここで停止しないで働きつづければ、それが終るとまたその先まで行きたくなり、果てしがない」
「ぼくもそう思う――たぶん、あなたのおっしゃるとおりでしょう」性急な化学者もようやく兜《かぶと》をぬいだ。二人を乗せた空中ボートはもう天文台の前庭に来ていた。
クレーンとオルロンは、さっきから居間に現われていた。シートンの顔馴染《かおなじみ》の科学者たちも来ていた。その他地球人にまだ紹介されていない女性たちや子どもたちもいた。数分すると、オルロンの伴侶である威厳のある白髪の婦人が入ってきた。ドロシイ、マーガレット、その他≪若人の国≫から来た元気のよい、笑いさざめく男女の群が、ミセス・オルロンといっしょに室内へ入ってきた。紹介がすむと、シートンがクレーンを振り向いて言った。
「こまごました用事は、みんなどんな具合だった、マート?」
「言うことなしだよ。ぼくたちはいま宇宙空間に天体観測所を建設中だ――いや、ぼくたちというより、オルロンが建てていて、ぼくはただ、自分でできる程度の手伝いをしているだけだ。数日中にぼくたちはフェナクローン惑星の位置を決定できるはずだ。君のほうの進捗ぶりは?」
「仔猫の耳以上にうまくいっている。大きな第四系列投映器がもうすこしで完成する。これで第四系列の超エネルギーを投映して、高密度の物質――純粋ニュートロニウムにごく近いものを何か――をつかんでこようというんだ。この辺には、中央太陽の芯にだって、じゅうぶんに高密度の物質はない。だから結局、どこか白色|矮星《わいせい》へ行かなけりゃならんと思う。シリウスの伴星によく似た星だよ。その星の核の中からじゅうぶん密度の高い物質をもってきて、ぼくたちの発信器《センダー》を第五系列の機械に改装するんだ。それからが大変だ。ずいぶん忙しくなる――いろんなところへ行ったり、いろんなことをしたり」
「ニュートロニウムだって? 純粋質量だと? ぼくは、そんなものは存在しないという印象をもっているんだが。そんな物質、何に使うのかね?」
「まったく純粋なニュートロニウムというんじゃない。それに近いものというんだ。比重二百五十万ばかりのものだ。それを採ってきてレンズと制御装置をつくり、第五系列超エネルギーに使う。この光線はそれ以下の密度のものなら、ほとんど屈折なしに透過してしまうんだ。しかしロヴォルはぼくを不機嫌な面《つら》にしたようだ。彼がぼくのボスだよ、その仕事では。こんな話は、一種の仕事だから、休憩期間に厳禁だと思うが。そうでしょう?」
「ああ、厳禁だね」ロヴォルが笑いながらうなずいた。
「わかりました、ボス。でも、違反をもうちょっぴり。あとは貝みたいに黙りますから。……女たちは何をしていたんだろう?」
「あたしたちは、それはすばらしく愉快に遊んできたわよ!」ドロシイが大声で言った。「織物や装飾品や、宝石や、その他もろもろのデザインをしたの。見せてあげるまで待っててね――見たら卒倒するわよ!」
「そりゃよかった!……よし、オルロン、あんたの命令に従います」
「ああ、いまは運動期間だから、運動もいろいろの方法があるが、ほとんどご存知ないものばかりだ。しかし、みなさんは水泳はするだろう。水泳は最良の運動だから、それじゃみんなで泳ぐとするか」
「すぐつれていって下さい!」シートンが叫んだ。が、すぐ声の調子を変えて、「ちょっと待って――硫酸銅の溶液中で泳ぐのは、いったい……」
「塩類のなかで泳ぐ場合もあるが、真水で泳ぐことも多いのだ。しかしプールは蒸留水で満たしてあるから」
地球人たちはすぐ海水着をつけて、天文台の建物のなかを通り、奇妙な異国美をもつ緋色と緑の灌木で囲まれた、曲がりくねった小径を行き、≪プール≫へ出た。プールと言うよりは人工湖であり、百エーカーもある広大なものである。底も岸も、磨きたてられた金属でできている。そこに宝石と光るタイルとで美しい象眼《ぞうがん》の模様がつけてある。宝石とタイルの輝きの質を対照させて、見事な、大胆な装飾効果をあげている。自分の好きな水深が誰にも選べる。浮標でそれが示してある。浅いところは幼児のための浅瀬で、フェンスが張ってある。それからいろいろの水深があり、深いところは二十フィートの水晶のような澄みきった水を満々と湛《たた》えている。そこは飛び込みをする人のための深場で、飛び込み板、吊り輪、カタパルトなどの設備がたくさん、岸からすこし離れたところに空中高くそびえている。
オルロンその他老齢世代は、ただぽちゃんと水に入るだけで、反対の岸へ泳いでいく。みな速力の早い両手抜きをやっている。それからプールのなかを大きな輪を描いて泳ぎ、水に浮かんでいる小島の施設の上へ這いあがって、そこから規則的に小飛びこみをしたり、体操をしている。オルロンがほのめかしたように、彼らは運動として水泳していることは明らかである。彼らにとっては、運動は必要な筋肉労働の一形態であって、徹底的に、また熱心にやっている。しかしもちろん、自分たちの専門として選んだ分野での精神労働にみせるような、全身全霊的な打ち込みかたではない。
しかし≪若人の国≫から来た連中は活気があった。腕を組んで飛んできて、四人の地球人を取り囲み、口ぐちに、「グループ・ダイビングをしましょう!」と誘いかける。
「これからどんなことになるか、それほどわたし水泳巧くないわ」マーガレットが心配そうにクレーンにささやいた。二人はこっそりプールへ逃げこみ、水中からこっちをにこにこと見ている。シートンとドロシイはどちらも水泳の達人だから、すぐに腕を組み、笑いながら、緑色の皮膚の若者たちの円陣に囲まれ、ドックのような構築物の一端へつれていかれ、そこのカタパルトの上に立った。
「しっかりつかまって、みんな!」誰かが叫んだ。組んだ腕、つっぱった脚が、緑の皮膚の身体、白い皮膚の身体を、直立不動の立体群像に強く一つにまとめた。そのときすさまじいカタパルトの力が働いて、彼らを空中へ、そして五十フィート下のプールの深場へと投げとばした。ものすごい水|飛沫《しぶき》があがり、小型の潮波《しおなみ》が起こって岸へ拡がっていった。飛沫の真ん中へ人体のマッスが頭を先にして突っこみ、水面から消えた。まだ一つにかたまっている。底近くまで沈んで組みあっていた腕が解かれ、いっせいにバラバラに、水面へ浮かびでてきた。それから地獄のふたを開けたような大喝采が湧きおこった。すぐつづいて、元気いっぱいの、勝手気儘の遊びが始まった。水球を沈めようと競ったり、人形を水のなかへ押しこめようとしたりした。大きな、水球を相手の陣地へ押しこもうとするプッシュボールのゲームが始まったが、どっちがどっちへ押しているのかもわからなかったし、気にもしなかった。水中格闘、それから潜水競争。みんな羽目をはずし、メチャクチャに陽気に、はしゃぎまわった。≪城攻め競技≫はシートン一人に、攻めるは多勢の女性たち。人魚のような肢体の緑色皮膚が、陣地を守っているシートンに絡《から》みついてきて、かんたんに投げとばされた。その娘はそれでもシートンの上腕の二頭筋に可愛い手をまわし、水球ほどもある大きな力瘤《ちからこぶ》をなでさすり、ノルラミンには見られない男性的逞しさにキャッキャッと叫んだ。ふざけてシートンを水中に引きずりこもうとしたが、逆にもぐらされそうになって黄色い悲鳴をあげた。助けて――!
「このひと、水|潜《くぐ》り必要なのよ。何百年も水にもぐったことのない家鴨《あひる》なんだから!」ドロシイが叫ぶと、彼女といっしょに大勢の女がわあーッとシートンへ身を投げかけてきた。水中――彼の頭上、彼のまわりにしなやかな女体が乱舞した。取り巻いた男どもは誰かまわずに水をかけて応援した。≪城攻め競技≫の最中に信号ベルが鳴った。運動期間がこれで終了となったのである。
「ベルで助かった!」はんぶん溺れかけ、岸へ向かって抜き手を切りながらシートンが笑った。
一同が天文台の居間へもどり、椅子に腰かけたとき、オルロンが小型の光線投射器をとりだした。万年筆ほどの大きさしかない。それを、壁に嵌《は》めてある何百というボタンのような大きさのレンズへ向けて投射した。たちまちに、それぞれの椅子がゆるやかな寝椅子に変わり、一同に完全な寛《くつろ》ぎを誘《いざな》うような招きを見せた。
「あなたがた地球人は、これから、つまり寛ぎと憩いの期間中、われわれの音楽を愉しまれると思う――あなたがたの音楽とはよほど変わったものだよ」オルロンが言って、手にした小さな勢力チューブを操作した。
照明がつぎつぎに消えていき、空気のなかに底深い振動が感じられた。音調はあまりに低く、耳に聞こえるというよりは、肌で感じられそうである。それと同時に、完全な暗さに、ごくわずか濃い赤味がさした。だが、あまりに幽《かす》かで、まだほとんど真っ暗といってよい。それとともに、室内の空気に、えもいわれぬ神々しい芳烈《ほうれつ》が浸みとおってきた。音楽は急速に可聴周波数の全幅《ぜんぷく》を走り、それと同じテンポで、さまざまの色彩光線がスペクトルの端から端までを流れていった。と、打ちくだくような弦音がひびき、それに和して鮮烈な混合照明が閃《ひらめ》いた。それが始まりであった。音響と色彩との絶妙なシンフォニーが、より遅い、変化する中間色の連続に伴われつつ鳴りひびいていったのである。
音調の高ぶりは、いまや大きなオーケストラのそれであり、またつぎの瞬間には完全なブラスバンドのそれであった。それが、はたと止んだあとを、不思議な未知の楽器の独奏がひきうけた。まるで作曲家がどんな楽器のどんな倍音でも変転自在に操っているかのようであった。耳を疑いたくなるような混交音響の縹渺《ひょうびょう》の上へ、甘い旋律の綴《つづ》れ織が織りこまれていった。和音が続くと、寄り添うように照明の芸術がついていった。音楽にしろ照明にしろ、それとわかるような源から来るのではなかった。音楽が人間の指では達し得ないほどの速度で流れるときは、鮮明な細い光のペンシルが、すさまじい速度で飛び交いながら、くっきりと輝いた模様を暗い空中に描きながら明滅した。テンポがゆるくなると、ビームは柔和に、広くなり、たがいに混ぜあわされて、陽炎《かげろう》のように薄い、霞《かすみ》のように定かならぬ、くねくねとよじれる絵模様を描き、そのとらえどころのない不確かさが無限の快さへと人びとを惹きこむのであった。
「どうだね、ミセス・シートン?」交響曲が終ったとき、オルロンが訊いた。
「すてきですわ!」ドロシイが感に堪えぬように息をついた。「とてもこれほどとは想像もいたしませんでしたわ。どれほど気に入ったか、声に出すことさえできないんです。こんなに完璧な演奏だなんて、夢にも思いませんでした。あの、照明がテーマに伴っていく幽玄な快感はまったく言葉では現わせません! すばらしい、信じられないくらいすばらしい!」
「すばらしい――そうだろうとも。完璧な演奏――そうだろうとも。しかしあなたは、感情の深さ、あるいは情動的な訴求《そきゅう》力というものについては、ひと言もおっしゃらなんだな?」
ドロシイが顔を赤らめて、何か言おうとしたが、オルロンはかまわず続けた。「いや、詫びることはない。わしがそう言ったのには理由がある。というのはわしは、あなたを本当の音楽家と認めておるね。ところがわしたちの音楽は、実は完全に感情を抜いてあるのだ。これはわれわれの古い文明の必然の結果だ。われわれの種族はきわめて古いから、われわれの音楽は純粋に知的になってきておる。情緒的というよりは完全に機械的になってきておる。完全ではある。しかし他のわれわれの芸術一般とおなじく、ほとんど感情というものは廃棄してあるのだ」
「でもあなたたちの彫刻、すてきですわ!」
「さっきも申したように、あの彫刻は数千年以前に作られたものだ。その頃には、われわれにもまことの音楽があった。しかし彫刻とは異なり、音楽は当時は後世に保存する技術がなかった。これもまた、あなたがたがわれわれに与えてくれたもう一つの恩恵である。……あれをみなさい!」
四人の地球人たちは、自分たちがスカイラーク号の制御室にいるのを、部屋の一端にある三次元スクリーンの上に見つけだした。彼らは見、また聴いた。マーガレットがギターを持ちだし、イ調の和音を四つ弾いた。それから地球人が、自分たちが遠い宇宙の果てで≪ザ・ブルフロッグ≫その他たくさんの歌を唄うのを聞いた。彼らはマーガレットがドロシイに、何か≪真物《ほんもの》の音楽≫をきかせてくれとたのむのを聞いた。またシートンの四重唱団への自己批評も聞いた。
「若い人――あなたのあの批評はまったく違っている」とオルロンは映像を一時消してから言った。「わしたちの惑星全体があなたたちに、きわめて熱心に耳を傾けていたのだ――われわれは、数千年以上も、これほど音楽を愉しんだことがなかったのだ」
「惑星全体ですって?」マーガレットが息をつめて叫んだ。
「放送したのですか? どうしてそんなことが?」
「たやすいことだよ」シートンが微笑《わら》った。「この人たちは、ほとんど、どんなことでもできるんだ」
「あなたたち、いつか労働期間のあいだに暇ができたら、もういちど四人で唄って下さらんか? われわれはとてもあの唄が好きだ。現在なら、原音どおりに録音して保存することができる。しかし、ミセス・シートン――四重唱も愉しかったが、ほんとうはあなたのあのヴァイオリン演奏だ。あれにはほんとうに度肝を抜かれた。さっそく明日から、わしの家内があなたにお願いするつもりだ、できるだけ多数期間を家内といっしょにいて、われわれの録音のために演奏していただきたい。わしたちはもうこれから、あなたの音楽を家宝としてもつことができる」
「あたしの音楽、そんなにお気に入りでしたら、前に演奏しなかったのを演奏してあげましょうか?」
「それは大変な労力だ。われわれは決して……」
「そんな!」ドロシイがさえぎった。「ほんとに音楽を愉しんで下さる人のために、あたしが今すぐ演奏できるってこと、おわかりにならないの? レコーダーの前なんかで弾《ひ》いたら、ぜんぜんおざなりの演奏になってしまいますのよ」
「偉いぞ、ドット! ぼくも胡弓《フィドル》もってくる」
「あなたはじっと坐っていなさい」オルロンがシートンを叱る間にも、ストラディヴァリウスの入ったケースが、超エネルギーペンシルの先で運ばれて、ドロシイの前に現われた。
「そういう気持は、わしなどにはとうてい理解し難いが、真の芸術家的精神というものは、たしかに、そんなふうに作動するものなのだろう。うむ、お聴きしましょう」
ドロシイは≪ヘ調のしらべ≫を弾きだした。その精妙な名器から、心に浸みとおる美しい旋律が流れだすと、すぐ彼女は聴衆の心を魅《み》している自信が持てた。彼ら自身はあまりにも知性的であったために真に感情の琴線にふれるような音楽をつくりだすことはできなかったけれども、精神進化のより低い種族には期待することもできない深い理解を音楽に示し、かつそれを賞美することができるのであった。彼らが彼女の演奏をこれほどまでに聞き惚れているその陶酔の深度が、ノルラミン人の精神感応力(ほとんど催眠術能力とすら言えるほどの)によって、彼女の心に焼きつくほどの強さで伝達され、彼女はかつてないほどの高度の演奏境地に達することができた。彼女は霊感にいざなわれ、華麗なる独奏から幽玄なる奏独へと弾きすすめていった。聴衆をうっとりさせ、感情の弦に強烈な戦慄を与え、それによって聴者をより深い、より豊かな、純粋な情動的調和の世界へと高めていった。くつろぎの期間は終っていたが、ふつうその終了を告げるベルは、この場合鳴らなかった。ここ数千年という長い間にいま初めて、ノルラミンの惑星は、比類なきヴァイオリンにその芸術家魂のすべてを注ぎこんだこの地球女性の名技に聴き惚《ほ》れるために、厳格な生活紀律を一擲《いってき》したのであった。
≪思い出≫の最後の旋律が漸次《ぜんじ》弱奏の長鳴のなかに退潮していくと、奏者はシートンの腕のなかで崩れかかった。続いて起こった深い沈黙はどんな喝采よりも印象的であった。その沈黙をドロシイが破るように叫んだ。
「もういいの、ディック、あたし大丈夫よ。しばらく、自制ができなかったの。あの人たち、あれを録音しておいてくれたらよかったと思う。もう千年生きていたって、あんな演奏、二度とできる自信ないわ」
「レコードにとったよ。あらゆる旋律、あらゆる音調の変化が、あなたの演奏したままの姿で保存されたのだ」オルロンが彼女を安心させた。「それがわれわれの唯一の贖罪《つぐない》だ、あなたが力尽きるまで弾きつづけるのを放っておいたわれわれの罪の。われわれは、あなたのような個性的タイプの芸術家的精神を心底からは理解できないながらも、あなたが一曲一曲に示したその技巧のキメの細かさは、どんな音楽家も――あなたすらも――二度とあのように絶妙には演奏することができないほどのものだということは、よくわかるのだ。それゆえわれわれは、あなたの創造的霊感が耐え得るかぎり、演奏を続けることを許した、いや、励ましさえしたのだ。それを聴くわれわれ自身の喜び、それは、たとえようもなく大きくはあったが、その喜びのためだけではない。われわれの音楽研究家が将来、あなたの演奏を慎重に分析して、情動的音楽と知的音楽とを区別する正確な振動数と基音を量的に決定させたいと思うからだ」
[#改ページ]
一一 太陽の真っ只中へ
労働期間がはじまり、ロヴォルとシートンを乗せた機が、物理学実験所へ近づいていくと、別の一人を乗せた小型空中ボートが彼らの後からついてきて、同じように着陸した。機から出た男は、やはり白髭の老人で、ロヴォルに恭々《うやうや》しく挨拶をした。そしてシートンに、「第一機械学哲カスロル」と紹介された。
「いやまったく、これは長いノルラミン科学の歴史でも画期的な出来事だね、わしの若い友達」カスロルは笑いながら挨拶した。「あんたは、われわれの祖先が長い長い退屈な幾循環年、理論の上だけで研究してきた多くのことを実行に移す機会をつくってくれた」それからロヴォルのほうへ向かって、「あんたが、とくべつに正確な指向メカニズムを求めていることはよくわかる。極度に精密で繊細な思考メカニズムでなければならんこともよくわかるよ。何しろ、あんたが作った制御装置は、われわれの太陽系の局限以外では、どんな一点にも、それがどれほど早く動いていようと、ちゃんとしっかと指向するものでなけりゃいかんのだからね」
「われわれは、わたしがこれまで建設したものの百万倍も精密な制御装置が要るのだ。それであなたの卓越した技能の協力をもとめたわけだ。わたしのようなものが手をつけたら失敗するに決っている仕事に、自分が手を出すことは意味がない。われわれは第五系列の立体投映《プロジェクション》を、想像を超えた速度で伝送させたいのだ。それによって、銀河系中のいかなる空域も、いちばん近い姉妹惑星を訪問するくらい手っとり早く訪問できるようにしたい。われわれの銀河系の大きさをあなたはご存知だろう――だから、その最外側の小点を指向して狂わない機械ということになったら、どれほど精密なものでなければならんかがわかっとるだろう」
「いやまったく、人間の頭脳としてやり甲斐のある仕事だね」カスロルはちょっと首をひねってから、そう答えた。そして、角度の精密な測定機構としてはこれこそ究極のものだとシートンが考えていた、直径四十フィートの赤経赤緯円環を指さして、「こんなちっぽけな円環じゃまったく役に立たんしなア。よし、わたしはもっと大きな、もっと正確な円環を作ってやらなければならんということだな。漸動《クリープ》、滑り、あそび、ゆるみ、もどりなどのぜんぜんない、安心できる緩速自在の運動体をつくるためには、どうしても純粋|回転体《トルク》が必要だね――無限小の増加単位量で増加している回転体《トルク》だ」
カスロルはしばらく思案していたが、やがて続けた。「どんな機械装置をつくっても、機械というものはみんな、たとえわずかでも何がしかの運動の≪あそび≫というものができるから、歯車装置や鎖《くさり》伝動装置じゃだめだね。われわれの目的のためには、駆動メカニズムにいささかの運動のあそびも許されんのだ。われわれ、どうしても純粋|回転体《トルク》をもたねばならん。この要件を満たす唯一の超エネルギーは、第四系列の一四六七番周波帯だが、ロヴォロン金属があるから、やれる自信がある。もちろん、導波器は完全な天球赤道儀ふうの装架法によらねばならん。円環は直径大略二百五十フィートぐらいか。あんたの投映器チューブは、正しい設計にするためにはそれより長くならなければならんね?」
「うむ、それだけあれば充分だろう」
「装架法だが、各平面に、完全円弧を描いて回転できるものであることが必要だね。そして、不規則なわれわれの惑星運動のひずみをゼロになるような、回転をするものでないといかん。それ以上の緩速運動は、もちろん装置を目盛り円環の上で回転させることによって得られる。これは操作者の意志どおりに回転するように作る。内側チューブ、つまり投映器チューブは相当の大きさでなければならんというのが、わたしのアイデアだが……。それで、次元はそれぞれ、X37、B42、J867ぐらいにすれば充分だろうと思う」
「それだけの大きさなら、完全だ。すでに装置全体が頭のなかに出来上っているんじゃないかな?」
「しかし作るとすると、多少時間がかかるぞ。あんたは、この装置、急ぐのかね?」
「他にもすることがたくさんある。二労働期間ぐらいでどうだろう。必要なら、三期間やってもかまわんが」
「二期間あれば充分だろう。わたしは、あんたたちが、今日すぐ要るんじゃないかと思ったものだから。一労働期間じゃむりだからね。もちろん、装架は≪実験地域≫で準備する。じゃあとで」
カスロルの空中ボートが空中に消えていったあと、シートンはロヴォルに訊いた。「それじゃ、最終的な投射器はここでは作らないんですね?」
「いや、ここで作るのですよ。作ってから≪実験地域≫へ運びます。そこにある操縦性格納庫に収容するのです。あそこのほうが多勢の関係者に便利だし、必要な工具、装置、資源がそろっているからです。それからもうひとつは――これも、今のような長期にわたる作業には、とても重要なことなのだが、あそこだと、≪実験地域≫全体が、惑星の固い地殻に動かないように定着されているから、われわれの超エネルギービーム――これはもちろん非常に長いものになります――の方向に悪影響を与えるような基礎の振動がまったくないからです」
ロヴォルは動力装置の親スイッチ類を入れ、中断した仕事を始めた。制御盤はすぐ完成した。ロヴォルはそれから、巨大な銅シリンダーに鍍金《メッキ》をほどこし、それを動力装置に挿入した。つぎは、まったく新しいシステムの、耐火性安全点の設定と、追加設置棒の据えつけであった。ロヴォルはシートンに説明しながら、床を突き破り、地下の固い地盤へ設置棒を固定し、絶縁を施した。
「おわかりだね、われわれは、全エネルギーの一パーセントの千分の一は必ずロスを見なければならん。この実験所を破壊から守るためには、これだけの電流がうまく散逸してくれる防護装置がぜひとも必要である。余分な電力を処分するのに、この空隙抵抗によるのが最適なのだ」
「しかし、宇宙空間へ出てからは、余分電力の廃棄処分はどうするんですか? ぼくたちのスカイラーク号での経験では、ずいぶんひどい電荷が溜りましたよ。あんまりひどいもんだから、放電させるのに電離層で停止していなければならんことが何度かありました。スカイラーク号などは数オンスの銅しか使わんのに、これだけの大きさの装置となると、何トンと食うんだから、そりゃひどい静電容量となるんじゃないですか?」
「われわれの計画する宇宙船では、あらゆるエネルギーをロスがなく活用するために、変換器をたくさん取りつけねばならない。変換器は、取付け場所によって、ひとつひとつ違う設計になっていなければなりません。その上、要求される精度もまた相当のものです。だから、いまのこれみたいな、まったくの間に合わせの装置をつくることは、ほんとうは意味がないのだが、作らないと危険だから止むを得ない」
実験所の四壁のところどころに穴をあけ、換気用送風機が作成された。いたるところに、冷却用コイルが取りつけられた。巨大なチューブの内部にまで、また実視板の背面にまで、冷却用コイルが設置された。燃えやすい物体を全部取り片づけ、それを確認した後、二人の科学者はヘルメットをつけた。保護眼鏡のレンズは必要によっていくらでも厚くできるよう設計されている。ロヴォルがひとつのスイッチを入れた。たちまち実験室から外へ、黄金色の輝きを帯びた放射線が巨大な半球形をなして出ていった。放射線の輝きは、あらゆる方向へ幾マイルにも伸びている。
「どうしてそんな照明をつけたんです?」シートンが訊いた。
「警報の意味です。この範囲の全地域に危険な放射線が充満することになる。色彩光線は、この作業地域に大きな時間的ゆとりを与えるために、絶縁服を着ていない労務者に警告を与える」
「なるほど。つぎは何をします?」
「あとはもうレンズ材料をもって、≪実験地域≫へでかけることだけ」そう言いながら、ロヴォルは棚へ行って、シートンの見たことのある宝石――大きなフェードンの一塊をもってきた。
「ああ、これを使おうというんですか? ぼくは以前から、この宝石のこと、訊こう訊こうと思っていたんです。実験をするためにすこし地球へ持ち帰ったことがあるんです。考えられるかぎりのものを作用させてみましたが、ぜんぜん変化しません。温度すら変えることができませんでした。いったい何ですか、フェードンって?」
「これは、ふつうの意味での物質ではない。純粋エネルギーの結晶に近いものです。もちろん、あなたは透明のようだと思っとるだろう。ところが透明ではないのです。一ミクロンの百万分の一も、この表面から中を見ることはできない。透明に見えるのは、純然たる表面的な現象であって、この類の実態の存在形態に特異の性質なのです。前にもあなたに言ったが、エーテルもまた第四系列の実体である。しかし、エーテルがおそらく液状ないし無定形の実体であるのに対し、フェードンは結晶である。これを結晶化されたエーテルと称しても、そんなに誤りではない」
「でも、それは何トンもあるはずでしょう? それなのに空気ほども重くはない。あっ、これは違う――ちょっと待って下さいよ。ええと重力もまた第四系列の現象である。だからこれもぜんぜん重量はないかもしれない――しかし、ものすごい質量はあるだろう――それともないのかな、陽子をもっておらんのだから? 結晶化されたエーテルは液状エーテルに代置することができるだろう、だからこれは――ああ、投げました! ぼくには難しすぎてわからない!」
「その理論は深遠であって、わたしも、すこしもくわしくお教えすることができない、ただ第四系列第五系列についての、すくなくとも作業知識ぐらいを教えたあと、多少の説明は可能だろう。純粋の第四系列の物質は重量も質量ももたない。しかし、天然に発見されるこれらの結晶は完全に純粋ということはない。岩漿《がんしょう》から結晶化するときに、他の系列の物質をかなり包含するから、あなたの見られたような性質を持つのです。しかし不純物もそう多くはないから、フェードンの本来の性質を失わせるほどではなく、どんな化学薬品を加えても、まったく変化しない」
「しかし、どんなにして、こんな物質ができたんでしょうね?」
「こういうものは、われわれの緑色太陽系のような厖大な天体の中でなければ絶対に形成されない。ずっと昔、緑色太陽系を構成していたすべての質量が、ただ一個の巨大な太陽であった頃、形成されたのです。そういう巨大太陽の内核の状態を想像してごらんなさい。温度は理論的極限の高温に達していよう。あなたたちの摂氏温度で測ったら七百万度ぐらいだろうか。電子はすべて陽子から分離され、太陽の中心部はニュートロニウムがひとつの固体状に凝結していよう。そして陽子そのものを破壊しないかぎり、これ以上圧縮できない極限まで縮まっているだろう。温度は、すでに理論的極限値に達しているから、それ以上、上昇することができない。とすればどうなると思います?」
「爆発でしょう」
「まさしくそれである。ところが、まさにその爆発の瞬間にである――太陽、惑星、衛星を数千万数百万マイルの宇宙空間へ放りだすすさまじい勢力が発生する。まさにその一刹那に、想像を絶した高温、高圧の結果として、フェードンが形成されるのです。フェードンの形成されるのはごく瞬間的に存在する絶対極限温度と高圧のときばかりである。それ以外には、たとえ考えるかぎりの最大質量の内部でも、形成されることはない」
「それでは、フェードンからレンズをどうやって作ります? 加工は不可能なんじゃないですか?」
「ふつうの方法では不可能です。しかしわれわれはこの結晶を白色矮星の深部へ挿入する。フェードンを生む高熱高圧より、ごくわずか低い温度と圧力を得るためです。そこへ挿入したフェードンに勢力を投射する。そうすれば自由に加工できる」
「そうそう……そ……う……! それが見たい! さあやりましょう!」
二人は計器盤の前へ坐った。ロヴォルが、無数の鍵《キー》、レバー、ダイヤルの類を操作しはじめた。たちまち、可視超エネルギーの複雑な構造物が、巨大望遠鏡のような形の網目のチューブの先端に現われた。複雑な構造物とは、ロッド、ビーム、扁平面などである。いずれも、緋色に燃えさかるエネルギーのパターンである。
「なぜ赤いんでしょう?」
「単に可視にするために、赤くした。不可視の道具を使っては仕事ができない。だから、わたしは超エネルギーの不可視周波帯に、色彩光線の周波数をかぶせたのです。われわれは必要に応じて、さまざまの色彩光線を使うことができます」
ロヴォルがそう説明している間も、各超エネルギーは異なった色彩を帯び、投映器の先端は、めくらめく色彩の洪水もしくは色彩の反乱に圧倒されて、見えなくなるほどである。
超可視エネルギーの複雑な構造物――それが二次投映器であることをシートンは知っていた――が、あたかも感覚と意志のある生物か何かのように、くるりと下のほうへ向きを変えた。その先端から、一個の緑色ビームが伸び、フェードンの塊りをつまみあげた。ビームはぐいと伸び、フェードン宝石を、実験室の開口壁から外へ千ヤードばかり突きだした。ロヴォルはさらに別のダイヤル、レバー、スイッチ類を操作した。すると、超エネルギー構造物は、大きな弧を描いて振れ、元の方向にもどってチューブと平行となり、その先端にフェードンの塊りを掴んだまま、実験室の壁の開口部から上へ伸びている隙間のあいだを走って、千ヤードの緑色ビームを維持した。
「さあ、いよいよ立体投映を発射する準備ができた。作業服と防護メガネが完全に気密であるよう、よく点検しなさい。われわれは、いったい自分たちが何を行なっているかを、よくこの眼で見なければならないから、搬送波には色彩光線を混ぜることにしましょう。いずれにしろ、非常に危険な作業です。われわれの動力発生機から出る放射線はもとよりのこと、われわれがこれから訪れようとする太陽からの危険な周波帯で、この辺一帯の空気は濃密に汚染されることになります」
「大丈夫です! 作業服、メガネ、完全気密です。その太陽までは十光年と言いましたね? どのくらい時間がかかりますか?」
「約十分間。このくらいの距離はふつうなら十秒以内で行けるのですが、フェードンをいっしょに運ばなければならないから、こんなにかかる。フェードンは質量はほとんどゼロに等しいが、加速するのに莫大なエネルギーが要るのです。もちろん、われわれの立体投映は無質量で、要るのはただ伝送のエネルギーだけ……」
ロヴォルが指を動かした。頑丈な一双のプランジャー型スイッチがそのソケットに嵌《はま》った。その瞬間、計器盤について実視板を見つめていたシートンは、自分がいま二重人格であることを知って愕然となった。彼自身はいま、実験室の床に剛結《リギッド》定着してある機械底部の操作席にじっと坐っているのである。そのことを彼は≪知っている≫。眼を実視板から離してあたりを見まわしても、実験室内の一切の事物はもとのまま何の変化もない。動力バーの火花だけがさっきとは違って異常な強度を加えているだけである。ところが今、もう一度実視板に眼を移すと、≪彼自身≫が宇宙空間のなかへ飛びだしているのであった。すさまじい空間を切るその速力! それに較べたら、彼がこれまでに出したスカイラーク号の最大速力など、蝸牛《かたつむり》の匍匐《ほふく》以下である。制御装置を操作して、背後を見ると、驚くではないか! 彼自身の翔んでいる速度があまりにケタ外れだから、もう緑色太陽系ははるか宇宙の果てにあり、淡い光りを弱々しく放っている、ほとんど眼にとまるかとまらないかの緑色星に過ぎなかった!
ふたたび制御装置を手動して前方を見ると、恐ろしいまでの白光の巨星は、すでに不動の穹窿《きゅうりゅう》から離れて浮き出して見える。彼自身が坐乗している超エネルギー構造物に、巨星はいま余りに近く、すでに肉眼でその円盤が見えている。数瞬の後、紫白の輝燿《かがやき》はめくらめく烈しさとなり、二人の観察者は、つぎつぎと防護メガネのフィルター層を厚く重ねていかなければならなかった。なおも近づき、その白熱光の地獄の≪るつぼ≫の真っ只中へ、想像を超えた超高速で突入していくと、いまだかつて人類がその眼で見る特権をもたなかった怪異の光景が眼前にひろがっていった。白色矮星へ逆落しに落下しつつ、彼らはその聞いたことも夢みたこともない瞬時の旅行の間、あらゆる可視光景を見た。生きているかぎり網膜にこびりついてはなれないであろう凄絶な風景をその眼で見た! 彼らは見た――数十万数百万マイルの空間へ飛びだす太陽|紅炎《プロミネンス》の壮大な絶景をその眼で見た。彼らは巨大な黒点を、進路のすぐ前に直視した。黒点は、眼を焼く白熱のガス状液状媒質をもった、火山爆発とサイクロン暴風との形容を絶した結合であった。
「黒点は避けたほうがよさそうですね、ロヴォル? こちらを邪魔する第四系列の周波を発生しているんじゃないでしょうか?」
「たしかに第四系列の光線を発生している。しかし、われわれが、ノルラミンから送られているビームの各成分を制御しているかぎり、めったに第四系列の光線もわれわれに干渉などできぬはず……」
すさまじい速度はいささかも感じぬまま、白色矮星を囲繞《いにょう》する白熱の高温層、火炎を噴きあげる光球へ突入したとき、シートンはおもわず狂わんばかりにハンドレールにしがみつき、身体中を毬《まり》のように小さくした。二人はそのまま光球を突きぬけ、まっすぐに、恐るべき巨大マッスの、想像もなにも超えた未知の太陽内部へと飛びこんでいった。シートンは黄金色の遮蔽金属壁を透して超エネルギー構造物を見ることができた。彼自身である別の彼が、その超エネルギー構造物のなかにいるのである。彼はまた、超エネルギー構造物の突端につかまれているフェードンを見ることができた。まるで澄みきった水のなかできらめいているダイヤモンドとそっくりに、その輪郭も同じ宝石は輝いて見えた。二人の見かけ上の運動は急速にのろくなった。彼らを取り囲む物質は濃密となり、ますます不透明になっていった。フェードンはするするとこちらへ向けて滑ってきた。ついに投射器そのものに触れるばかりに近づいた。彼らをからむ巨大質量のなかに、すでに渦巻きが見え、細かい線条《すじ》が見えていたが、二人が太陽内部を進むうちに、渦巻きと線条の運動はますます緩慢となった。
「どうしたんでしょう? 何かおかしいんじゃないでしょうか?」
「ちっともおかしいことはない。すべては完全に働いている。われわれを取りまく物質が、しだいに密度が高くなった。だから第四系列の光線がそれを貫通できず、それで物質が不透明に見えてきたまでのこと。従ってわれわれは今、物質中を摩擦抵抗なく突き進んでいるのではなく、われわれ自身が媒体物質を部分的に排除して進んでいるのです。やがてわれわれが、ほとんど何も見えない地点へ差しかかる。それは、われわれを運んでいる搬送波が、極度に進行を妨げられるため、乗せている混合成分である光波が完全な≪ひずみ≫を生じるからです。その地点で、われわれは自動的に停止する。われわれの停止するその深部では、周囲物質の密度が、第五系列光線を正しい角度に屈折するだけ高くなるのです」
「どうして、ぼくたちの超エネルギー構造物がそれに耐えられるんですか? 周囲物質は、いまですら、すでにプラチナ密度の百倍も高密度に相違ない。そこを突き抜けて進むとしたら、大変な負荷を押していることになるんじゃないですか?」
「われわれは、この構造物にも、またノルラミン惑星へも、すこしも超エネルギーなどを無理してくわえていない。超エネルギーは、われわれの実験室の動力装置からこの太陽のなかの二次投射器へ、なんらの送電ロスもなく送られてきている。ここでは、送られてきた超エネルギーは、われわれを周囲物質のなかを前方へ引っぱっていくだけの正しい周波帯となって解放される。われわれの前方にある全質量を支柱《アンカレジ》に使って、われわれを前方へ引っぱる。われわれは、もし引き返そうと思えば、この≪引っぱり≫を≪押し≫に変えさえすればよいのです。あっ? とうとう停止してしまった――これからが大変になる。この計画で、いちばん難しい時点にさしかかった」
一切の見かけ上の運動は停止した。シートンの眼には、ただおぼろげにフェードンのダイヤ型の輪郭がすぐ彼の眼前に見えるだけである。超エネルギー架構の先端は飴《あめ》のようにゆっくりと曲がり、二つに割れ、万力で挿むように、フェードンを掴んだ。ロヴォルがレバーを押し下げた。彼らの後方、ノルラミン惑星のロヴォルの実験室で、巨大なプランジャー型スイッチ四個が、回路をがっしりと閉じた。それに応じて、シートンの眼の前に剃刀《かみそり》のように鋭い一個の平面があらわれた。純粋エネルギーの平面である。この沸《たぎ》りたつ太陽の内核という、形容を超えた白熱のるつぼのなかでさえ、その平面は、すさまじい火炎を噴きつつ閃いた。あっと叫ぶ間もなく、純粋エネルギーの平面が、眼の前のフェードンをきれいに二つに切断した。十本の巨人的なビームが伸び、五本ずつがフェードンの各一片にとりつき、眼もとまらぬ早業のうちに、宝石の一片ずつを幾何学的完全さのレンズへと加工していった。超エネルギー架構の先端が閉じ、二個のレンズは合わされた。レンズの縁がぴったりと重なり合っている。たちまち、エネルギー平面と、超エネルギービームとが二本の相対峙する超エネルギーチューブに変形した。こまかく振動し、妖しい輝きをみせている二つのチューブ。それらの先端が互いに接近してきて接触した。接触面は、二つのレンズの間にできた眼に見えない隙間と一致した。
これら計測もできないほど莫大な、抵抗すべからざる二つの超エネルギーは、電気抵抗をN乗にあげられた溶接アークのように、真正面から接触した。そこに生起したものは、信じられないほどの兇暴な力と力との衝突ということである。ためにこの巨星の、紫白色に燃える重密度の全質量が、根底から、揺さぶりくずされるような大地震が発生した。火球の表面に、従来にはなかった大きさの太陽黒点が現われはじめ、紅炎《プロミネンス》は正常距離の数百倍もの上空まで噴きあがった。内核にいた二人の科学者には、太陽表面に何が起こっているか知るべくもなかった。だが、太陽は仮借ない拷問に鞭《むち》打たれていたのである。瘧《おこり》のような痙攣《けいれん》があとからあとからと巨大な火球を振動させた。溶融して液体となった表面物質、蒸発してガス化した厖大な物質量が、火球そのものから暴力的にもぎとられ、遠い宇宙空間へ、竜巻のような勢いで投げ飛ばされていたのである。
シートンは自分の補給空気が熱くなるのを覚えた。するとまた突然に、空気は氷のように冷くなった。ロヴォルが冷却装置を始動させたことを知った。シートンはこの凄絶なレンズ溶接作業から眼をはなし、実験室のほうへ振り返った。振り返ったときに彼の心のなかに、すべての了解と理解とが稲妻のように閃いた。ロヴォルの博大な知識が了解された。安全点と接地棒という新しい工夫の意味がわかった。途方もない規模の冷却計画の必要性が理解された。
まったく透明度を失ったかに見える厚いフィルターの防護メガネを通じてすら、シートンは実験室全体がすさまじい電光の塊りと化しているのを見てとることができた。崩壊する動力バーから出る鬱積《うっせき》された電力損が、あらゆる金属片の突端から、出っぱりから、凄壮《せいそう》な放電を繰り返し、接地棒は眼を焼くような青白色にきらめき、急速に蒸発しつつあった。実験室の空気そのものが、送風機の涙ぐましい努力でつぎからつぎへと入れ替えられているにもかかわらず、高度にイオン化したコロナで真珠色に輝きはじめていた。動力バーははっきりと見える。だが、それはもはや通常のバーではない。純粋な紫光線を放射する、キラキラと瞬《またた》きする、怒りくるった小悪魔の形相をすら呈していた。あの太い銅の質量が見る見る減少し収縮しているのを看取すると、シートンの心のなかに恐怖の戦慄が走った。作業が終らないうちに銅が消尽しつくされるのではないか?
だがそれは杞憂《きゆう》であった。老物理学者の計算は狂ってはいなかった。レンズ形成とその溶接とは、数百ポンドの銅を残して完了していた。そして、準ニュートロニウムの貴重材料から成る、幾何学的な美形となったレンズは、二次投映器を滑り降り、急速に緑色太陽系へ帰還しつつあった。ロヴォルは操作席を離れ、作業服を脱いだ。そしてシートンにも脱げと手で合図した。
「あんたに最大賛辞を奉《たてまつ》らなけりゃならん、エース! あんたこそ目くらめく閃光、耳を聾《ろう》する轟音だ!」シートンはそう叫び、絶縁服のなかから身をよじって飛びだした。「木の節穴から身体をはんぶん引きずりだされ、頭と足をリペットで打ちつけられたような感じだ! それはそうと、レンズはどれくらいの大きさに作ったんです? 二リットルも入るぐらいに大きいようですが……いや三リットルも入るかな?」
「体積からいえば、正確には三リットルほどです」
「ううう……う。七千五百万キログラムだ! 八千トン! 一ガロン罐に詰めるには、ちょっとした質量ですね。もちろんフェードンのなかへ埋められているのだから、ぜんぜん重量はないのだが、だが慣性は決して……。ああ、それで、それをフェードンをここまで持ってくるのにこんなに時間がかかったとおっしゃるんですね?」
「そのとおり。投映器が自動的にレンズを実験所へ運びいれてくれる。もう、われわれが見てやらなくともよい。さあ、労働期間がそろそろ終りかけている。明日、仕事に取りかかるときは、レンズがちゃんとわたしたちを待っていてくれるでしょう」
「冷却はどのくらいかかるんです? 加工に着手なさる前には摂氏四千万ないし五千万度ほどの高温だったと思いますが、加工が終った後は、ずいぶんの高温でしょうね?」
「またあなたは忘れているね。あの高熱の高密度の物質は外包のなかにすっぽりと包まれているのです。外包は第五系列以上に長い波長の振動波に対しては、まったく不透過なのです。もう触っても、ぜんぜん熱いとも冷たいとも感じないでしょう」
「ああ、そうでしたね――すっかり忘れていた。フェードンを電孤から取りだしても、暖かくさえないはずだった。それがなぜかどうしてもわからなかったが、いまやっとわかりましたよ。するとレンズの内側にある物質はいままでも、今のようにものすごい高温でいるわけなのですね! わあ! レンズ、絶対に爆発しないように祈る! おっ、ベルが鳴っている――生まれてはじめてだ、笛が鳴ったらゲームをやめる気になったのは」そう言って、若い地球の化学者と、老いたノルラミンの物理学者とは、腕を組みながら、待っている空中ボートのほうへ歩きだしていった。
[#改ページ]
一二 立体投映《プロジェクション》でこんにちは!
「つぎは何をします?」ロヴォルといっしょに実験室に入ったとき、シートンが訊いた。「この第四系列投映器をぶっこわして、大きなやつに取り組みますか? レンズが来ましたね、予定どおり」
「この機械はもっと使い道がある。すくなくとも、この高密度の材料をつかったレンズがもうひとつ必要だ。他の科学者たちも、一つか二つ要《い》るかもしれない。それから新しい投射器の建造だが、大きい投射器だから、とてもこんな部屋ではだめです」
ロヴォルは言いながら、制御デスクの前に腰かけ、コンソールの無数の鍵《キー》へ指を泳がせた。実験室の四壁がたちまちに消え、幾百本という超エネルギービームが飛び交って、材料を掴んではこれを加工していった。出入口のところには、巨大な鍵盤とそれを支えるパネルが出来上っていった。シートンが、頭の調子がいちばん狂ったときでも想像もしたことのないような巨大なパネルとその上の鍵《キー》の叢《むれ》であった。タイプライターのキーのような形の鍵《キー》の群が、その上へその上へと積み重ねられていった。鍵、ペダル、ストップなどの列がどこまでも伸びていった。全体が巨大なパイプ・オルガンのコンソールのような道具立てであった。メーター盤がつぎつぎと上へ重ねられていく。スイッチも同様、ダイヤルもこれぞと思う個所へ矢つぎ早に取りつけられた。すべてが、深いクッションの入った二つの椅子のまわりに据《す》えつけられ、操作者がちょっと手をのばせば、そのことごとくへ指が着く便利さである。
「ひゅーう! 鋳込植字機の操作員と、パイプ・オルガン演奏者と、コチコチの無線ハムの大群が集まったみたいだ! まるで挽き肉パイのお化けだ!」据えつけが完了したとき、シートンが叫んだ。「出来上ったですね、こんどはこれをどうするんです?」
「従来この国では、第五系列光線の、立体投映《プロジェクション》という問題は単に学問的な興味にすぎなかったから、ノルラミンのどこにも、わたしたちが作ろうとしている大きな機構の製作に適した制御システムがなかった。だからまず、大きな制御システムを作る必要があったわけです。わたしは大いに自信がある。この制御メカニズムなら、われわれの要求するどんな作業もうまくこなせるだけの広い適用範囲をもつはずです」
「背後《うしろ》にかくれて坐っている人間が、曲の演奏法を知ってさえいれば、そんなこともできそうに見えるが、このでっかい機械! しかし、あの座席がぼく用だったら、ぼくは外して下さい。十五秒ばかりはあんたについていけましたが、あとは完全に何が何だかわかりません」
「もちろん――それは真実《ほんと》です。わたし自身もうっかりその点を見逃していた」ロヴォルはちょっと考えこんだ。それから座席から立ち、部屋を横切って制御デスクのほうへ行き、「機械をとりこわし、それと平行してもう一度作りなおさなければならん」
「そんな、だめです――大変な仕事になりますよ。もうほとんど終りかけているんじゃないですか、そうでしょう?」
「いや、まだ手をつけていないも同然です。これに二十万個からの超エネルギー周波帯を連絡しなければならん。一個一個が正しい場所に接続されなければならん。しかも、あなたに、この投映器の細々したところまで、徹底的に理解してもらわなくっちゃ意味がない」
「なぜです? ぼくは恥ずかしいが、あっさり兜《かぶと》をぬぎますよ。こんなとてつもないもの、理解するなんていう頭脳は持ちあわせておらんです」
「いや、あなたは充分な頭脳容量をもっていられる。ただ、未発達なだけのはなしです。あなたがスカイラーク号以上にこの機構に習熟していなければならんというには、二つの理由があります。いいですか、第一は、これと似た制御装置を、あなたの新しい宇宙船に据えつけることになるからです。他の制御システムでは不可能なことが、このシステムでは可能となるからなのです。そしてあなたは、操作を完全にマスターしなければならん。第二はもっと重大な理由だが、わたしも、他のノルラミン人も誰も、どんなに意志を奮い立たせても、人間の生命を奪うような光線を当てることは忍び得ないからです」
ロヴォルが製作工程を逆に進行させていくと、巨大な制御装置は片っ端から分解され、部品や部分は整然と室内の壁ぎわへ積み上げられていった。
「ううう……う……う。そこまでは考えなかった。あんたのおっしゃるとおりだ。ぼくの厚い頭蓋骨をとおして、どんなにして教えこむつもりです? 教育器械をつかうんですね?」
「そのとおり」
ロヴォルは高度に複雑化された教育器械へ超エネルギービームを送った。ダイヤル、電極の数が調整され、接続がつぎつぎと完結されていった。超エネルギービーム、超エネルギーペンシルが、巨大な中央制御装置の再建設をはじめた。もうこの頃になると、シートンは当惑した傍観者ではない。みずから進んで、ロヴォルに協力し、仕事に参加していった。鍵《キー》がひとつずつ、メーターが一個ずつ綿密に製作され、取りつけられていった。そのたびにシートンの頭脳のなかへ、その部品がなぜ必要か、どんな機能をもつかが、消すことのできない強烈さで印刻されていった。制御装置そのものが完成し、ついで、変成器の出力勢力周波数帯へ制御装置を連絡するという、際限のないような長たらしい作業がはじまったころには、シートンの頭脳のなかには完全な理解ができあがっていた。いまいじくっているものは何であるか? 彼が長く熱望していた目的が達成されるために、どんな手段が、どんな手続きが必要であるかが、わかってきた。老科学者にとっては、自分の行なっているいまの作業などはまったくありきたりの手続きで、考えることもなく、無意識の反射で行なっているに過ぎなかった。だから老ロヴォルの注意力は、彼がもっている厖大な知識を、この若い助手の小さな頭脳へ吸収するだけ吸収させることに集中されていた。仕事はますます快調に、速力を増していった。巨大な知識の洪水がシートンの頭脳へ流れこんでいった。一時間もして、必要な接続はほぼ終わり、あとは自動的な超エネルギーを指向するだけで仕事が完結、ということになって、ロヴォルとシートンとは実験室を出てロヴォルの居間に入っていった。歩きながらも、教育器械は稼動している。超エネルギービームに搬送されて、シートンとロヴォルの頭脳は連結されている。
「あなたの頭脳は実によく働いている。そのちっぽけなサイズから推《お》して、わしが想像していたよりもはるかによい。事実、わたしがあなたに有益と判断する知識をぜんぶ、その頭脳のなかへ移しこむことも可能かもしれません。だからあなたを、実験室からつれだしてきたわけなのだが……。どう考えるね、この考えは?」
「われわれ地球の心理学者が口ぐせのように言っていることでは、人間は脳の実際容量のほんの一部分しか使っておらんそうです」シートンはしばらく考えてから、そう答えた。「もしあなたが、あなたの知識の数パーセントでも、ぼくを殺さないで注《つ》ぎ込むことができると思ったら、そうして下さい。ぼくがどんなに嬉しいか、言わんでもわかってるでしょう?」
「そう言うだろうと思ったから、わたしはもう、第一心理学哲のドラスニックに、ここへ来てくれと頼んでおいた。その彼がいま着いた」ロヴォルが答えているうちに、その心理学者が居間へ入ってきた。
一部始終を聞き終った心理学者は何度もうなずいて、
「そりゃできることだとも」と熱心に言った。「喜んでお手伝いしよう」
「ちょっと聴いて下さい!」シートンが遮った。「そんなことをしたら、ぼくの人格が全部変わってしまうんじゃないですか――ロヴォルの脳はぼくの三倍もある!」
「いや、そんなバカなことはないよ、君」ドラスニックがシートンをとがめた。「君も言ったように、君の活動能力のある脳質量の一部分しか使っとらんじゃないか。わたしたちだって同じこった。いまもっている脳をいっぱいに満たすには数百万循環年が必要なんだよ」
「じゃ、あんたたちの脳はなぜそんなにでかいんです?」
「自然の摂理にすぎん。どんなに知識を吸収しても、貯蔵庫が小さすぎないようにしたんだろう。さあ、用意はいいね?」
三人が受信器を着けた。超精神エネルギーの波動がシートンの心のなかへ流れていった。すさまじい超エネルギーの波動で、その衝撃をうけて地球人の感覚そのものが萎《な》え凋《しぼ》むほどであった。卒倒したわけではない。意識を失ったわけではない。彼の頭脳全体が第一心理学哲の強力な精神威力の支配に服し、老物理学者の知識が印刻される、純粋に受容的な、柔軟な媒質となってしまったため、シートンはわれとわが神経と心の筋金《すじがね》との統制を失ってしまったのであった。
二時間も三時間も知識の注入は続いた。シートンはあたかも生命が抜けたかのように、身体の緊張がなくなり、寝椅子に横たわっていた。二人のノルラミン人は緊張し、硬直させ、この無智な、処女のように純潔な頭脳へ、すさまじい凝視にのせて全精神力を集中した。ようやく注入作業は終り、シートンは不気味な、催眠術的な、巨大な精神の呪縛から完全に解放され、全身をおののかせ、ふらつきながら立ち上った。
「これは驚いたな!」驚異に眼を丸くして叫んだ。「大宇宙《ユニヴァース》全体に、こんなにたくさん学ぶべきことがあるとは思わなかった、それをみんな学んだなんて! ありがとう、みなさん百万遍でも礼を言います。だけどちょっと、すこしスペースを残しておいてくれましたか? 考えようによっては、前よりも知識が少なくなったみたいだ――もっと発見しなくてはならないことが沢山あるんですから。もっと学ぶことができましょうか? それとももう限界いっぱいなんですか?」
雀躍《こおどり》してわめく若者の喜びを、自分でも嬉しさを隠しきれず、黙って聴いていた心理学者は、やがて静かに言った。
「大丈夫。自分でいままでどれほど無智だったかがわかるということは、もっと学べるという証拠だよ、君。無駄なスペースは失くなったが、学習能力は以前よりずっと大きくなった。いや、実は、わたしもロヴォルもびっくりしたのさ――君にすこしでも役立ちそうな知識はぜんぶくれてやってしまったんだからな。その上、わたしの領域の知識まですこしオマケしてしまった。しかもなおだ、理論的にいえば、君はいまの知識全部の九倍も、もっと詰めこむ能力がある」
心理学者はそう言い残して去《さ》ってしまった。ロヴォルとシートンは実験室へもどった。そこではまだ超エネルギーがたゆみなく仕事をつづけていた。接続を急ぐことは要らなかった。何もすることはひとつもなかった。ぜんぶ超エネルギーがやってくれているからであった。こうして二人が、マンモス投映器を実際に作る仕事に取りかかったのは、そのつぎの労働期間の後半でしかなかった。だが一度着手すると、びっくりするようなスピードで作業ははかどっていった。すでに作業のシステムをすっかり会得したシートンは、ある作業を行なう場合には、この超エネルギーとあの超エネルギーとを組み合わせて始動すればよいという神秘なやり方もすこしも不思議には感じられなくなっていた。また、指先をちょっと鍵《キー》に触れるだけで、一本の超エネルギーが、数百マイルも離れたある工場へ伸びる。そこでは他の無数の超エネルギーがめまぐるしい作業を続けている。そしてシートンの鍵一本の操作で伸びた超エネルギーが、この工場内で製作されている透明な紫色金属、第五系列投映器の骨格にされるはずの角型バー数百本をいっぺんに掴む。こんな途方もないことも、いまの彼にはまったく日常茶飯事になってしまった。さらにこの超エネルギーは自動的な超エネルギーだから、特に何の指令を与えられなくとも、まるで探照灯の光芒が空を横切るように、数百本の角型バーを空中に弧を描いて彼のところへ運んできて、実験室内の適当な場所にそっと置いてくれる。置いたとたんにパッと消える、はじめっから何もなかったかのように超エネルギーは消える! こういう摩訶《まか》不思議な工具類を自在に操りながらの作業だから、真物《ほんもの》の投射器の製作は数時間しかかからなかった。地球だったら、設計と製作に数年を要する大計画だったろう。
出来上った投射器は二百五十フィートという、途方もない、聳《そび》えたつ大構築物であった。格子模様に組んだI型金属ビームをつなぎあわせ、それに横|棧《さん》を入れて補強し、この網のようなものを巨大なチューブ型に巻いたものが投射器の要《かなめ》であった。この構造物は、基部での直径が五十フィート、二百五十フィートの先端までしだいに細くなり、先端は直径十フィートとなる。地球の最剛鋼鉄の数千倍も強く硬い金属でつくられたチューブは、こんなケタ外れの図体ながら、すこしも不格好ではない。それでいて、絶対剛性といってよいほどの強靭機構なのである。先端口径の真ん中に、十本の威力超エネルギーがニュートロニウムのレンズをしっかりと支えている。先端から基部までのところどころ一定間隔に、同じような威力超エネルギーが各種形状のレンズとプリズムとをしっかりと固定している。どれも、先端のレンズと同じように、超エネルギー帯によって白色矮星の核内で成型されたものである。基底部の中央部、あるいは聳《そび》えたつ構造物の床といったらいいであろうか、そこには一双の制御装置が据えつけられ、いずれも操作者にむかって万能実視板を具えている。
「ここまではどうやら巧くいった」最後の接続を行ないながら、シートンが言った。「さあ、ぼくたち座席へつきましょう。≪実験地域≫へ運ぶのに、女房に試乗させてやりましょうか? もうカスロルが架構を作っているでしょう。この労働期間に試運転する時間、充分にありますね」
「もうすこし待ちなさい。ニュートロニウムがすこし足りないから、それを取りに、あの矮星へ第四系列立体投映を送るから」
その作業も終わり、こんどはシートンが操縦して、マンモス・チューブを≪実験地域≫へ送ることになった。シートンは第一回の太陽内核への旅行経験から、制御の仕方を知っているから、ロヴォルの監督など要らなかった。この前と同じことを繰り返せばいいのである。新しい制御装置の座席へ腰かけると、彼は一本の鍵《キー》を押しながら言った。
「はーい、ドッチー、何してる?」
「べつに」ドロシイの澄んだ声が聞こえてきた。「出来あがったの? あたし見にいっていい?」
「いいとも――約束だもの。いま君のところに飛行機送るから」
シートンの言葉が終るか終らないかに、ロヴォル所有の空中カーが飛び立っていった。これもシートンが鍵《キー》を押して超エネルギーで遠隔操縦しているのである。二分間で空中カーはもどってきて、突然速力をゆるめ、実験所の庭園に安着した。ドロシイが顔いっぱいを微笑で輝かしながら機から降りてきた。シートンが抱きしめると、それに劣らず強く応《こた》え、それからようやく声を出した。
「あなた――あたしをここへ連れてくるのにすごいスピード違反だったわよ。捕まるの、こわくないの?」
「ここでは、そんなことないよ。それに、ぼく、ロヴォルを待たしておきたくなかったんだ。もう飛ぶ用意できているんだよ。ここにいっしょに乗りなさい。この左の制御装置はぼくのだ」
ロヴォルがマンモス・チューブに入り、もうひとつの制御装置について、手を振った。シートンの十本の指が無数の鍵《キー》の上をはなやかに舞った。巨大な構造物ぜんたいが、ふわりと空中へ浮かびあがった。マンモス・チューブはまだ真っ直ぐの姿勢である。その姿勢のまま、幾本かの巨大超エネルギーロッドに乗った。超エネルギーロッドの束は≪実験地域≫へ伸びている。実験地域へは、またたく間に到着した。≪地域≫は幻想にしか現われないような珍しい機械装置ですきまもなく蔽《おお》われているが、めざす≪実験地域≫だということは一見して明らかであった。というのは地域の中央に巨大なチューブ状の構造物がそびえていたからである。金属の格子細工でつくった空洞のチューブが立っている。それを支えているものは、望遠鏡の架台のような、すさまじい架構である。それらがシートンたちのマンモス投射器のためのものであることは疑いようもなかった。シートンは自分たちの乗った投映器を慎重に操縦して、投映器全体を巨大空洞の先端から内部へ滑りこませた。大きな筒のなかへ小さな筒がすっぽりと嵌《はま》ったのである。内部の筒を、光軸上に正確に定着した。超エネルギービームが乱れ飛び、同じような紫色金属の角材や格子材をつかって、内外二個の筒をしっかりと溶接し、固定させた。可変モーターの端子が制御装置に接続された。まったくの短時間に、第一次テストの準備が成った。
「運転するのに特にご注意はないでしょうか?」投射器のなかへ入ってきていた第一機械学哲カスロルに、シートンが訊いた。
「特にないね。この制御子は赤経時間の運動を制御する。こっちのは赤緯角度だ。電位差計は微動ダイヤルの回転を統制する。どんな比例値でも得られるよ――直接駆動から始まって、メモリダイヤルを一億回≪完全に≫回転させてそれで円弧一秒が得られる、というふうにもできる」
「たいへん結構ですな。どうもありがとう、エース。……どっちへ行きます。ロヴォル――心当たりはありませんか?」
「好きなところへ行きなさい。どうせ試乗なんだから」
「よし。じゃ惑星へ飛んでいって、ダナークに『こんにちは』と言ってくるか」
マンモス・チューブはゆっくりと回り、オスノーム惑星へ指向された。シートンが、強くペダルを踏みつけた。たちまち彼らは宇宙空間へ数億マイルも彼方へ飛ばされているような感覚を覚えた。緑色太陽系がはるかかなたに淡い緑色星となって霞《かす》んでしまっていたからである。
「わあーッ、この光線は速いんだな!」地球人の操縦士は口惜しそうに叫んだ。「百光年ばかり飛びすぎちゃった。もう一度やりなおしだ。こんどはずっと動力を落とさなくちゃならん」
シートンは眼前のダイヤルとメーター類を再調整し、再セットした。立体投映が、指で触っただけで何百万マイルも飛ぶような無茶苦茶から脱するためには、何度も何度も調整が必要であった。しかしようやくにして、シートンは新しい技術に熟練するようになり、マンモス投映器の完全制御ができるようになった。やがて彼らの立体投映は、かつてマルドナーレ王国であった地域の上空を游戈《ゆうよく》していた。すでに戦闘の跡はまったくなくなっていた。シートンは静かに制御子を回転させ、結像をオスノーム惑星をめぐる海洋上を飛ばさせ、宮殿の難攻不落であるはずの厚い壁を貫通させ、ローバンの居室へ侵入させた。見ると皇帝、タルナン教王、ダナークが鳩首《きゅうしゅ》して協議中である。
「よし、さあ着いたぞ」とシートンが言った。「すこし可視性を増して、ここの連中を驚かしてやろう」
「しーッ」ドロシイが低い声でたしなめた。「聞こえるわよ、ディック――あたしたち家宅侵入なのよ」
「いや、聞こえやせんよ。だってまだ搬送波に可聴周波かぶせていないんだもの。家宅侵入だなんて、じゃ、ぼくたち何のためにここへ来たんだ?」
シートンは想像を超えた高周波の搬送波に可聴周波発生装置を作動させ、オスノーム人の言葉で話しかけた。
「こんにちは、ローバン、ダナーク、タルナン。シートンです」三人がびっくり仰天して立ちあがり、他に誰もいない部屋のなかを見回している。「ここへ肉体で来たんじゃない。ぼくの立体投映をあんたたちへ発射したんだ。ちょっと待って、すこし可視性を増すから」
シートンは別の超エネルギーをいくつか作動させた。広壮なホールのなかに実物そっくりの像が現われた。制御装置についている三人の人間の映像であった。紹介と挨拶がすむと、シートンが簡単にこれまでの経過を話した。
「ぼくたちは、はるばる求めてきたものをみんな得た。得られるとは想像もしなかったものまでもらった。みなさんはもうフェナクローンを恐れる必要はない。ぼくたちが彼らに優《まさ》る科学を発見したからだ。しかしもちろんまだ、これからなすべきことは山ほどある。ぼくたちはあまり時間がないんだ、ただすこし頼みたいことがあって、やってきた」
「大公はただ命令をお下しになればよろしい」とローバン皇帝が答えた。
「いや、命令じゃない。みんなで、共通の大義のために協力するんだから。その大義のためにひとつお願いがあるんだ、ダナーク。君はすぐぼくのところへ来てくれ。それからタルナンと、それから君の選ぶ誰でもいい、連れてきてくれ。ぼくがきみの船の制御装置へ超エネルギーを一本おくる。君の船は、それの超エネルギーに導かれて走る。ここへ来るとき、ダゾールの第一都市へ寄ってくれ。もうひとつの惑星だ。そこにサクネル・カルフォンという禿頭の人が君の来るのを待っているから、彼も連れてきてくれ」
「ご指令のとおり、ただちに実行いたします」
シートンはさらに映像を隣りのウルヴァニア惑星へ送った。そこでは、彼が注文しておいた巨大宇宙艦がすでに完成されていた。彼はウルヴァンとその最高司令官に、宇宙艦をすぐノルラミンへ持ってきてくれと頼んだ。シートンはそれからダゾールへひと飛びし、カルフォンに会った。イルカ人間たちの全面協力が確約された。
「さあ、これでいいんだ、みなさん」シートンは動力を切りながら言った。「あの人たちがここへ作戦会議にやってくるまでは、数日間は何もすることがない。どうでしょう、ロヴォル、あんたが細々したものをきれいに完成している間に、ぼくがもうすこしこの装置の操縦を練習したら? それからオルロンにも言ってやってくれませんか? オルロンがぼくたちの来賓をここへ案内してくれれば有難いって」
ロヴォルが高いところにある操縦席から、ふわりと地上へ飛びおりたころ、クレーンとマーガレットが現われた。シートンは二人を助けて、物理学者の坐っていた席へ腰かけさせた。
「どうだったマート、ドサ回りは? 君は相当の天文学者になったって聞いたが……」
「そう、オルロンと第一心理学哲のおかげでだいぶ物知りになった。オルロンは、われわれ地球人の知識を増やすのに熱心のようだ。これまで知ろうと望んでいた以上に、いろいろなことを学ばせられた」
「ぼくもだよ。君はもう、ぼくたちの船を操縦して、何のトラブルもなしにフェナクローン太陽系へ行けるよ。君は他にも人種学とか、その他いろいろの科学を吸収したはずだ。……君、どう思う? ダナークとウルヴァンをいっしょに連れていくんだったら、このまま進んでいいかしら? それとも、緑色太陽系の他の惑星種族のどれかともうすこし知り合いになって知識を増やすまで、実行を延ばしたほうがいいかしら?」
「延ばすことは危険だ、すでに残る時間が短いのだ」クレーンが答えた。「もうぼくたちの知識はこれで充分だと思う。これ以上知識を入れても、それだけ助けになるかどうか、大いに疑問だ。ノルラミン人たちは、フェナクローン太陽系をかなり徹底的に調査している。どこの惑星にだって、ここのノルラミン人ほどの高度の知識に達した種族はいそうもない」
「そのとおりだ――ぼくもそうあってくれればと願っていた。やっこさん達が来次第、攻撃に出発しよう。それまでの間、ここの投映器に乗せたいと思って、君を呼んだんだ。すごいぞ、この機械は。最初にフェナクローン太陽へ飛んでみたい気はするが、あえて飛ぶ気はないな」
「あえて、ですって?」マーガレットが嘲《あざけ》るように言った。「どうしたんです?」
「≪あえて≫は取り消そう――≪望まない≫と言い直そう。でもなぜというんだろう? 理由は、やつらはまだ超エネルギー帯を突破して攻撃は加えられないだろうが、やつらのなかの真物《ほんもの》の科学者が――それはワンサといるんだから、ぼくたちの捕まえた頑固あたまの兵隊じゃなくって。彼らが第五系列の新兵器を探知できるかもしれない。探知しても、それをどうこうするわけにはいかんかもしれんが、探知すれば当然、警戒が厳重になる」
「まあ、妥当な推理のようだね、ディック」クレーンが賛成した。「そこにノルラミンの物理学者が顔を出している。決して、ぼくの仲良しの無鉄砲家リチャード・シートンではない」
「そんなことわからんよ――前にも言ったろう、ぼくが二十日鼠《はつかねずみ》みたいに臆病になったって。それはともかく、まあここへ坐って、ぼくたちの親指を動かしてみよう。いろんなところへ行き、いろんなことをしてみせる。どっちへ行く? 裏庭なんかじゃなくて、すこし遠いところへ行ってみたいな」
「もちろん、地球へ帰るんだわ」とドロシイ。「おバカさんね、いちいち言わなければわからないの?」
「そうだ――それは考えなかった」シートンが言った。そしてしばらく頭のなかですばやい算術をしてから、巨大なチューブを回し、数個のダイヤルをてきぱきと調整し、励振ペダルを蹴《け》った。突如、想像を絶した速度に乗って空間を漂う感じがあった。みると、彼らは宇宙空間のどこかに来ていた。
「ふふ、最初のとき、ぼくがどんなにヘマしたかわからんだろう?」一同の電気に撃たれたような沈黙を、シートンのきびきびした声が破った。「あれはぼくたちの太陽じゃないかと思うが……ほら、左のほうにある。そうじゃないかい、マート?」
「そうだね。距離の見当はほぼ正しかったようだね。一光年の数分の一というところか。まあ、きわめて近いと言える」
「これだけ精密な制御装置を使ってじゃ、ぜんぜん落第だ。正確なデータが欠けているから計測できないが、相対運動、軌道運動、その他の運動の効果を別とすれば、これくらいの距離だったら、虻《あぶ》の左の眼に命中しなければウソなんだ。データ不足による不確定があっても、誤差は二、三百フィート以上ではないはずなんだ。うん、違う――ちょっと焦《あせ》りすぎたようだ。急ぎすぎて、ゆっくりした微動送りの整定《セッティング》を早くまわしちまったんだ。戻って、もう一度やり直す」
こんどは微動ダイヤルをきわめて慎重に調整し、それから動力を入れた。ふたたび、想像も及ばない超速度で動かされているという、ほとんど認知できないほどの瞬間感覚があった。彼らはクレーン私設飛行場のわずか五十フィート上空、それも≪試験小屋≫の真上に来ているのだった。シートンは手早く可変モーターを調整し、四人の映像は地表に対して相対的安定に落ち着いた。
「だいぶよくなった」クレーンが批評を下した。
「ああ――もっとよくできるはずなんだ。そのうちにこの銃の撃ち方、ならうさ」
彼らは屋根を突き抜け、実験室の床へ着陸した。そこではいまマクスウェルが主任で、何かの反応を調べながら、ノートをとっていた。
「はーい、マックス! こちらシートンだよ、テレビジョンでご挨拶だ。射程わかったかい?」
「ええ、はっきりと出ましたよ、これらしいです。あなたの声はよく聞こえるんですが、何も見えません」マクスウェルが虚空《こくう》をきょろきょろと見回している。
「もうすぐ見えるよ。君に見られないようにしていたんだ。脅かして成長が一年間停止したら可哀そうだと思って」それからシートンが映像の密度を増し、四人の姿がはっきり見えるまでになった。
「ヴェーンマン氏に電話して、君がぼくたちと連絡がついたと言ってくれないか」挨拶が終ったあとシートンが言った。「それより、君がそっとニュースを教えたあと、ドットがヴェーンマン夫妻に話をする。それからぼくたちが会いに行く――そうしよう」
電話が通じ、ドロシイの映像が電話器へ漂《ただよ》っていった。
「お母さん? これ、お母さんの想像もできない薄気味の悪いことなのよ。あたしたち、本当はここに来ているんじゃないんです――ほんとはノルラミンにいるんです。いいえ、ディックがただ、あたしたちのトーキー映画みたいなものを地球のここへ発信して、お父さんとお母さんに会えるようにしたんです。……いいえ、違うの、あたしはちっとも知識がないの――でも言ってみればテレビジョンのようなもの、いやもっと進歩したものだわ。むしろ、ここにいるあたしは、あたし自身だと言ったらいいわ。リハーサルも何もなしによ……いきなりお父さんお母さんに話しかけたらびっくりなさるでしょ、ですから差し控えたのよ。だって、あたしたちの幽霊見ているとお思いになるに決ってるでしょ? あたしたち、みんなとても元気よ……あたしたち、とっても愉しい旅行しているの、お母さんなんか想像もできない、すばらしい豪華旅行だわ。……まあ、あたしったら、すっかり興奮してしまって、ちっとも説明できないわ。もっともどんなにして説明していいのかわからないんですけど。あたしたちみんなで、もうすぐ、そちらへ行きます。一秒ぐらいのうちによ、そしてお話します。さようなら!」
事実、一秒以内の素早さであった。ヴェーンマン夫人が受話器を台にかけようとしているともう、ドロシイの実家の居間に、彼女の結像が現われたのである。
「こんにちは、お母さん、お父さん」シートンの声は明るく弾《はず》んでいるのだが、ふだんと変わらぬシートンらしい率直さである。「これを濃くします、一分以内に。もっとぼくたちをよく見えるように。でもぼくたちが肉体で来ていると思わんで下さい。ただ三次元の超エネルギー映像を見ていらっしゃるんですから」
それからかなりの時間、ヴェーンマン夫妻は、宇宙の果てからの四人の訪問者とお喋りをした。シートンはこの驚異的な立体投映器が完全に働くのを知って嬉しくてしようがなかった。
「さあそろそろ時間が終りです」シートンはついに訪問を切り上げなければならない。「あと五分間で中止の笛が鳴ります。ぼくたちの来ているここでは、彼ら超過勤務するの厭がるんですよ。ぼくたち、またいつか、帰る前にまた会いにやってきますから……」
「あなたたち、いつ帰れるか、もうわかっていらっしゃるの?」ヴェーンマン夫人が訊いた。
「いいえぜんぜんです、お母さん、ぼくたちが出発したときわかっていなかったのと同じです。でも、みんな元気でやっていますから。生涯で最良の日々ですよ。それに、たくさん勉強しているんです。じゃ、またね!」
シートンは動力をとめた。
四人は投映器から降り、待っている空中ボートのほうへ歩いていった。シートンはロヴォルと並んで歩いた。
「わかっていますね、彼ら、ぼくたちのダガル金属製の新しい宇宙船を作りましたよ。こっちへ輸送中です。ダガルも優れた金属です。しかしあんたんとこのアイノソンほどじゃありません。何て言ったって、アイノソンは分子構造をもつ形式の物質としては理論的に究極の強度金属ですから。どうでしょう、宇宙船が来たら、アイノソン金属に作り直したら?」
「それはすばらしいアイデアです。ぜひそれを実行しよう。それからわたし気がついたのだが、機械学のカスロル、エネルギー学のアストロン、化学のサトラゾン、わたし、それに一人か二人を加えて、協同作業で、新しいスカイラーク号に完全無欠の第五系列投映器を装備したらいいと思うが。もちろん他にも望ましい装置は全部積みこむとして。大宇宙《ユニヴァース》の安泰は、あなたがた地球人とその宇宙船の能力と性能にかかっているかもしれない。だから、われわれとしては、できることは全部しなければならない。やり残して臍《ほぞ》をかんでも後の祭りですから」
「それは大変助かります。ぼくたちほんとに感謝します。それをお願いします。その間、ぼくたちはフェナクローン艦隊撃滅の予備作戦を練ります」
それからしばらくの後、他の諸惑星からの増援部隊が駆けつけた。マンモス宇宙艦は着陸前からみんなの注目を惹いた。無数の小宇宙船がこれを曳行してきたのだが、まるでたくさんの蟻《あり》に引っぱられている芋虫《いもむし》のような風景であった。地面にそそり立つその宇宙艦をみると、こんな巨大構造物がいったい自蔵の動力装置で動くのだろうかと疑いたくなる。巨大な金属マッスは遠く田舎まで二マイルに及んで伸びている。長さに比して幅員が小さいが、それでも直径千五百フィートの巨体は、その周囲のあらゆるものを小人か蟻のように小さく見せる。しかしロヴォルもその協力科学者たちも大きさには驚かない。ただ嬉々としてその図体を賞美し、さっそくそれぞれの鍵盤を据えつけ、全体が一個の意志であるかのように能率的なチームワークを見せていった。
一方、会議テーブルを囲んで、一群の人びとが真剣な討議に入った。いまだかつて、ひとつの惑星にこれだけ偉い人びとが大勢集ったことはなかった。まず、ノルラミン五人委員会の議長フォダンである。大きな頭をもたげ、ライオンのようなたてがみをゆさぶり、すだれのような白髯をしごいている。それからオスノームのダナーク、ウルヴァニアのウルヴァン――どちらも艶々《つやつや》した顔色をした鋭敏な男、戦争にかけては勇猛果敢、無謀なまでの闘士である。それから巨大な、イルカのような、禿頭で身体に毛一本生えていないダゾールの第二千三百四十六代目サクネル・カルフォン。最後はわが地球文明を代表するシートンとクレーン。
まずシートンが会議の皮きりに、一同に受信器を渡し、フェナクローンの宇宙征服計画を録音録画したフィルムを回転させた。略奪艦の艦長の頭脳からとった記録だけでなく、ノルラミンの第一心理学哲がこの非人間的頭脳を研究して、そこから演繹《えんえき》したあらゆる推理と解釈とがフィルムのなかには含まれていた。それが終るとシートンは、頭脳記録のフィルムを外し、彼自身の作戦計画案をしめした。受信器を取り去り、一同は自由討議に移った。論議すべき問題は無数にあり、活発なやりとりが行なわれた。一人ひとりがアイデアをもっている。それを机上にさらけだし、一同が仮借なき批判と検討を加えた。議論は冷静に行なわれた。会議はすすみ、多くの点で合意が達せられ、残るは一点のみとなった。これに議論が集中された。問題は深刻であり、議論はしだいに激しくなり、ついに白熱化し、誰もが大声で怒鳴《どな》った。
「お静かに!」シートンが拳《こぶし》でテーブルを叩いて一同をたしなめた。「オスノームとウルヴァニアは無警告攻撃を主張している。ノルラミンとダゾールは公式に宣戦布告すべきだと言う。かくて地球が決定票を握るかたちとなった。どっちへ投票する、マート?」
「ぼくは公式警告を支持したい。理由は二つあります。すくなくともその一つは、ここにいるダナークすら承知してくれるだろうと思います。第一の理由は、これが公平な措置だからです。言うまでもなく、この理由はノルラミン人にとってはこれ以上には考えられない当然の措置である。しかるにオスノームはぜんぜん考慮しようとはしない。フェナクローンにいたっては、公平などと言っても何のことか、てんで理解すらできないだろうとは思いますが。第二の理由は、フェナクローンは警告を与えられて、ただ怒りだすだけだろうと思う。そしてわれわれに対して挑《いど》んでくることは疑いないと信じます。警告をうけた彼らはどういう出方をするでしょうか? みなさんはすでに、彼らの探検艦の数隻しか発見できなかったと言っておられる。もしわれわれが宣戦布告したならば、彼らはその戦艦すべてに魚雷通信を送るでしょう。これはもう絶対といってもいいほど確実です。そうすればわれわれは、魚雷を追尾して、彼らの戦艦ことごとくを発見し、撃滅することができることになります」
「うむ、これで決定だ」賛成の叫びがあがったとき、議長が裁定を下した。「これで休会に入り、ただちに立体投映器に向かい、フェナクローンへ警告を送ることにしましょう。ぼくは、彼らの艦がぼくたちによって破壊されたということを報告しに飛んでいるメッセンジャー魚雷に、すでに追跡信号ビームをつけております。その魚雷はもうすぐフェナクローンに到着するはずです。こちらからの宣戦布告は、彼らの独裁王が、最初の敗北のニュースを受けとった直後がいちばんいいと思う」
一同は投射器に乗った。ロヴォル、オルロン、その他ノルラミンの多数の≪第一学哲≫もこれに乗り込んだ。シートンはスイッチを押し、飛翔している報告魚雷へ立体投映を送った。第五系列搬送波ビームが、フェナクローン惑星の宇宙空間に張りめぐらされた防衛スクリーンを、いささきかの摩擦もなく通り抜けたとき、シートンはクレーンを顧みて莞爾《かんじ》と微笑んだ。彼らの結像は、驀進《ばくしん》するメッセンジャー魚雷のすぐ後に追尾していた。いくばくもなく、温暖な、霧の多い、濃い大気層を突きぬけている感覚があった。やがて、巨大な円錐形構造物の壁にできている受入れ|隠し通路《トラップ》を突破し、一同は電信室へ入っていった。一同が見ていると、一人の操作手が、メッセンジャー魚雷からテープの数巻を外し、それを磁気発信器に取りつけている。操作手の喋るのが聞こえた。
「ごめん下さい、陛下――ただいま艦隊四十二の旗艦Y427Wから、第一次警急魚雷を受領しました。よろしゅうございますか?」
「こちらへ繋《つな》げ、会議室だ」底深い声が答えた。
「やつがあれを放送するとなると、ぼくたちには大変な獲物さがしになるな」シートンが言った。「あっ! やつは凝集ビームで発信する。こりゃ助かったわい。追跡できるぞ」
シートンは細い探知ビームを発射し、敵の不可視の伝送ビームを追跡しながら、会議室へ入っていった。
「変だな……。ここは、ぼくにはとてもよく知っている場所みたいな気がする。誓ってもいい、ぼくは前にも見たことがある、何度もだ。一度ならず、中に入ったことがある」シートンは怪訝《けげん》な表情でつぶやきながら憂鬱なこの広い室内を見回した。鈍い色の金属を張った四壁。そこには地図、作戦図、スクリーン、スピーカーなどが貼られ、またかけられている。背のひくい、どっしりした家具類も見覚えがある。
「ああ、あれか! フェナクローン艦長《キャプテン》の頭脳を研究したときに覚えたんだった! よし、どえらい陛下が凶報を噛みしめている間に、もう一度作戦を練りあげよう。カルフォン、あんたはわかりのよい言葉をぼくたちの聞いたこともないような大声でしゃべれる特殊技能の持主だから、スピーチを頼む。ぼくが、『やれ!』と言ったら始めてくれ。さあ、みんな、よく聴いてくれ。カルフォンが喋っている間に、ぼくは回路の両方向に可聴周波を混入しなければならん。そうするとやっこさんたちは、ぼくらがどんな音を出しても聞こえるから、カルフォン以外は絶対に静かにしていてくれ、どんなことが起こっても、何が見えても、音を出さないでくれ。カルフォンが演説をやめたらすぐ、ぼくは可聴周波を切って、もうやつらに聞こえなくなったよ、と合図をする。わかったね?」
「警告のしかたについてですが、わたしひとつ気になることがあるんですが」カルフォンがブーンというようなすさまじい唸り声で言った。「もしぜんぜん何も見えない空っぽの虚空から、直接話しかけようとする彼らのほうへ警告を与えたら、敵にわれわれの方法を感づかせる惧《おそ》れがあるでしょう。それは望ましくないことですね……」
「ううう……う。それは考えてみなかった。……たしかに手のうちを見られるね、そして望ましいことじゃない。どれ、どうするかな?……よし、放送で行こう。やつらはきわめて完璧なスピーカー・システムを使っているね。一人の男がどんなにたくさんの個人用周波数帯スピーカーを持っていても、必ず汎用《はんよう》周波数帯スピーカーはひとつ持っているはずだ。汎用は、国民に広く関心のある重大アナウンスに使われる。だから、ぼくはあんたの演説を汎用周波で放送する。惑星中の汎用周波帯スピーカーがそれで励振される。そうすれば、ぼくたちが遠くから放送しているように聞こえる。この方式で喋ってくれ」
「もう一分間余裕があったら、私にもひとつお訊きしたいことがあるんですが」ダナークが、それから続いた沈黙を破って言った。「私たちはここへ来て、起こっていることは何でも見えます。壁でも惑星でも、太陽ですら、わたしたちの視界を遮《さえぎ》りません。私たちが第五系列の搬送波に乗っているからです。しかし私には、ほんの少ししか理解できません。いったい、私たちは、ここでどうして物が見えるのですか? 私はいつも、自分はすこしは通信、テレビジョン中継、テレビジョン技術は知っている自信がありました。ところが、まるで盲だったことを今、知ったのです。実視される対象物に接近してその光波をキャッチする集波器あるいは受信器というものがなけりゃいかんのじゃないですか、光の干渉をする不透明さのまったくない? そして対象物からくる光が第五系列搬送波に混入されて、私たちのほうへ伝送される、ということになるんじゃないですか? それなのに、あちら側には受信器もないし発信器もないのに、どうしてここでこんなふしぎな手品ができるんです?」
「手品じゃないよ」シートンがダナークを安心させた。「あっち側の端には、ちゃんと受信器も発信器もあるのだ。その他たくさんの機械装置があるんだ。あっちにあるぼくたちの二次投映器は超エネルギーから出来上っている。超可視エネルギー、不可視超エネルギーどちらも使える。その超エネルギーの一部一部がそれぞれに受信器、実視板、発信器の役目をするんだ。超エネルギー力は物質じゃない。それはそうだが、れっきとした実体なんだ。他の、ラジオ、テレビジョン、電話その他現存のどんな通信方法よりも、遥かに遥かに能率的なんだ。ラジオやテレビジョンを作動させるのは勢力だね、君も知っているように? 物質である銅線、絶縁材料、そのほかの物質はただ、いろんな超エネルギーを導き、統制する役割を果たしているにすぎないんだ。ノルラミン人は、厄介で不細工で故障だらけの物質的材料などは一切使わないで、純粋超エネルギー力を指図し、統制する方法を発見したんだ」
魚雷から出るレコード通信が突然にとまり、操作手の声がスピーカーから流れてきたので、シートンは口をつぐんだ。
「フェニモル閣下! 探知|空域《ゾーン》をパトロール中の偵察艇K3296が、閣下に緊急報告を申しあげたいとのぞんでおります。じぶんは、偵察艇に、閣下はただいま皇帝と会議中であるといってやりましたが、かれは、どんなに重大会議であろうと、すぐやめて、報告をきいていただきたいと、答えました。かれらは艇内に、旗艦Y427Wの生存者技師一名をのせております。それから、旗艦を破壊した敵と同一種族の二人を捕獲し、処刑いたしました。かれらは閣下が、一刻のおくれもなく報告をきいてくださるよう、たのんでおります」
「よし、きこう」皇帝から合図をうけ、将軍は吠えるように言った。「すぐこちらへつないでくれ。魚雷報告ののこりは、そのあとからつづけてくれ」
投映器の底で、シートンは一瞬クレーンを睨んだ。するとすぐ、暗欝な了解のひかりが、彼の険しい顔全体にひろがっていった。
「もちろん、デュケーンだ。地球人でこんなに遠いところまで出かけてくる奴は、彼以外には絶対にない――首を賭けてもいい。あいつもとうとう殺されたか!……あの憐れむべき悪魔――ぼくは気の毒でしようがない。奴はすごくいい奴だったんだ――何かの拍子で狂った奴なんだ、可哀そうに。しかし、こっちが奴に殺される前に、どうせぼくたちの手で彼を殺していただろうから。だったら、フェナクローンの手にかかって殺されたって、同じことだった。……みんな耳の穴をほじくってよく聴いてくれ。注意して見ていてくれ。この情報、ぜんぶ聞かなければならんぞ!」
[#改ページ]
一三 宣戦布告
フェナクローンの首都は周囲を高い山脈に囲まれたジャングルの平原の真ん中にある。都市設計は完全な円形であり、めざましい広さの地域である。ビルディングはすべて同じ高さ、同じ鈍い灰色の半透明金属がつかわれており、木の株にあらわれる年輪のように同心円状に並んでいる。年輪と年輪との間に人工湖、芝生、森がある。人工湖は微温の、不機嫌に湯気を発している水が満たされている。芝生というのは、密生した藺草《いぐさ》の類と湿った苔類とでおおわれた毛氈《もうせん》のように滑らかな原っぱである。森林は、椰子《やし》、巨大な羊歯《しだ》科植物、竹類、それから地球の植物学では知られていないさまざまな熱帯植物が繁茂している。ジャングルは都市の辺縁に接して、そこから無際限に伸びている。果てしない、濃密な植物の壁、そして原始林だ。この惑星のような気象条件にしてはじめて可能な、踏み越えることも、征服することもできないジャングルである。風はまったくない。直射日光もない。ただときどき、霧を透して、太陽の姿が見られる。この湿潤で悪臭のたちこめた世界の太陽が、蒼ざめた死人のような円盤《ディスク》を見せるだけである。大気は常時熱い。むかつくように熱く、じっとりとした水蒸気を飽和点までふくんでいる。
首都の中心部に壮大な建造物がそびえている。ビルディングが、段丘をつけた円錐状に集まったもので、巨大な円筒がいくつも、しだいに直径の小さい円筒が上へ上へと重ねられたような形である。これは住宅アパートメントであって、このなかにフェナクローンの王侯貴族と高級官僚が住んでいるのだ。惑星を低空までおおいつくしている濃い霧のために、この建造物の頂上は見えない。だがこの頂上の小円筒形が、この怪物的な種族の皇帝一族のアパートメントなのである。
フェナクローンの皇帝フェノール、最高司令官フェニモル将軍、それにこの惑星の十一人会議の全委員が、会議室のばかでかいテーブルを取り囲んでいる背の低い、頑丈な金属製の立椅子に坐っていた。この十三人の向かっているテーブルのすこし上のほうに、一つの三次元映像が現われている。映像は動き、かつ喋っている。スカイラーク第二号を攻撃し、逆にシートンの超エネルギー帯でハムのように薄切りにされた旗艦Y427Wのただ一人の生存者である技師長、そして後で宇宙空間を漂っているところをデュケーンらに生け捕《ど》られた技師長の報告がいま、偵察艇K3296からの緊急報告となって、ここに再現されているのだ。技師長が目撃した事件の全貌が、事件の発生順序に、戦闘の詳細、征服者がどんな種族であったか、どんなことをしたかが、いま会議室の一同に示されている。まるで一同が、実際の戦闘場面をいま経験していると錯覚するばかりの、鮮明な三次元映像である。十三人のフェナクローンの首脳者はいま、敵に捕虜になった技師長が息を吹きかえすところを見ている。そして、続いて起こった技師長とデュケーンとローアリングの間に交わされた会話を、はっきりとその耳で聞いている。
バイオレット号に乗ったフェナクローン人とその捕獲者たちは、何日も、何週間も、フェナクローン太陽系へ向かって驀進していった。速度はしだいに上げられていった。ようやく動力を逆にし、彼らはフェナクローン惑星に近づいた。円盤《ディスク》が大きくなっていった。バイオレット号は惑星をとりかこむ探知スクリーンの内側へ入った。
捕虜の身体から一刻たりとも解かれたことのない牽引ビームの呪縛を、デュケーンはまた強化した。フェナクローン人の技師はまたも壁ぎわへ押しつけられ、身動きもできなくなった。
「変な真似をしようとすると、いけないからだ」デュケーンが冷酷な調子で説明した。「これまでのところは、おまえはよくやった。しかしこれからは、ぼくが船を操縦する、おまえにぼくたちを罠《わな》のあるところへ連れていけないためだ。さあ教えろ、おまえの偵察艇一隻、どんな方法で奪ったらいいか。それを奪ってから、おまえの釈放を考えてやろう」
「バカなやつ! おまえは遅すぎたんだ! たとえずっと前、まだひらけた宇宙空間にいたとき、このおれを殺してしまっていたとしても、やっぱり遅すぎたんだ。おまえは知らなかっただけだ。いまだって、おまえは死んだと同然だ。おれたちのパトロールが、おまえに襲いかかってくる!」
そのとたん、デュケーンは身を翻えして、鋭い啀《いが》み声を発し、彼の自動拳銃《ピストル》とローアリングのそれとが前方へ飛びだして行った。だが、遅すぎた。すさまじい加速度が二人を床へ叩きつけ、踏みつけた。超磁気エネルギーがのびて、二人の武器を奪いとり、一本の熱ビームが二人の人間を小さな灰の塊りに変えてしまっていた。すぐそのあと、偵察艇から出た一本の超エネルギーが、捕虜を縛りつけていた牽引ビームを無力化し、救援にかけつけたその偵察艇へフェナクローン人の捕虜は移乗されていった。……
偵察艇K3296からの緊急報告がそこで終った。すぐ続いて、「ただいまより、旗艦Y427Wからの魚雷メッセージを、中断地点より再開いたします」という操作手のアナウンスとともに、不運のY427W戦艦の報告が再生されていった。報告は艦の破棄まで来て、ぷつりと切れてしまった。だが、この不幸な出来事は、さっきの偵察艇緊急報告で余すところなく語られていたので、すでに真相は明らかになっていた。
その間、フェナクローンのフェノールはテーブルから飛びあがり、血走った巨眼をらんらんと輝かせながらあたりを見回していた。電信柱のような太い脚の上で、彼は抑えきれぬ憤怒でよろめいていた。だがよろめきながらも、この二つの報告が完全に終るまでは、一秒たりともそこから集中力を離してはいなかったのである。終ると彼は、いちばん近い物体をつかんだ。それは彼のかけていた椅子であった。力まかせに椅子を床へ叩きつけた。椅子はねじくれ、不様《ぶざま》な金属の一塊となってそこに横たわった。
「うん、こんなひどいことをしやがった罰あたりのやつらの種族全体を、このとおりに叩きつぶしてくれようぞ!」割れるような声で怒鳴った。広壮な部屋中に、そのだみ声が何度も谺《こだま》をくりかえした。「拷問じゃ、手足をバラバラに切り裂いてやる、一人残らず殲滅《せんめつ》じゃ!……」
だが、そのときである――
「フェナクローンのフェノールよ!」すさまじい、ブァーンという別の声が鳴り響いた。フェノール皇帝の恐ろしいまでの嗄《しゃが》れ声よりも一オクターブも低い、すごい声である。この濃度の高い空気のなかでは、鼓膜を破るようなすさまじい音量と音質である。それがいきなり汎用周波スピーカーからがなりだし、皇帝の荒れ狂った声を圧倒し、その他の人びとの叫びやささやきなどは蹴散らして、耳を聾《ろう》する強度で、人びとの聴覚神経を搏《う》ってきた。
「フェナクローンのフェノール、よく聴け! おまえが聞こえることはわたしにはわかっている。おまえの蒸風呂のような熱気の惑星では、いたるところの汎用周波帯スピーカーが、いま、このわたしの言葉を放送しているのだ。よく聴け、この警告は二度と繰り返しはしない。わたしは、おまえたちのことばで、われわれの銀河系の中央太陽系と呼んでいる緑色太陽系の大公の権威により、またその権威をもって警告しているのだ。われわれの多くの惑星のなかでは、おまえたちを≪無警告で即座に撃滅してしまえ≫という声もある。しかし、大公は、もしおまえたちがこの先大公の命令に従うならば、おまえたちに引き続き生存を許してやろうとおっしゃっているのだ。わたしは大公の指示により、いまその命令をおまえたちに伝える。
おまえたちはただいまより直ちに、大宇宙征服などという、言葉だけは壮大だがまったく空疎な、無意味な計画を棄てなければならん。計算された期限のうちに確たる返答がない場合は、大公はおまえたちが戦いを挑んだものと見なされ、おまえたち全種族は一人残らず斃死《へいし》しなければならん。大公はよく存じていられる――おまえたちの存在そのものが、真の文明すべてに対する公然たる侮辱であると。そう考えながらも、大公は、おまえたちのような邪心と悪意の権化みたいな種族すら、この≪万象の偉《おお》いなる図式≫においては、何ほどかの目立たない隅に生存を許されると考えていられるのだ。だからおまえたちが、この悪臭にみちた、むし暑い世界にじっとおとなしく暮しているかぎり、おまえたちを殺そうとはなさらん。大公は、このわたし、ダゾール惑星の二千三百四十六代目のサクネル・カルフォンの口をかりて、いまここに最初にして最後、ただひとつの警告を発した。その一語一語をよく噛みしめて、これに服従せよ、さもなければこれを公式の宣戦布告と心得て完全絶滅を覚悟せよ!」
畏怖をしいる大|音声《おんじょう》は止んだ。たちまち会議室は地獄のふたをあけたような大混乱に陥った。フェナクローンの一人一人が、同じ刺激に電気をかけられたように立ち上った。巨大な腕を高く揚げ、激怒と反抗とをいっせいに怒号した。フェノールが大喝すると、一同はしゅんと静かになり、皇帝は命令をつぎつぎと唸《うな》り立てていった。
「操作手! ただちに再集命令魚雷を全出動艦艇へ発射せよ!」それから個人用周波帯スピーカーのひとつのほうへ行き、「X―794―PW! EブランクE以上の全艦艇を戦闘位置に集中するよう一般召集を発信せよ! 全出力防衛スクリーンを張りめぐらし、探知スクリーン全系列を極限まで投射せよ! 侵攻計画XB―218にもとづき、哨戒艇《しょうかいてい》と偵察艇を出動させろ!」
「応急措置はとったぞ、おまえら!」と皇帝はまだすこしも怒りを衰えさせずに、委員一同を睨みつけた。「いまだかつて、われわれフェナクローンの超人《スーパーマン》が、これほどの侮辱と挑戦をうけたことがあろうか? あの成上りものの大公め、死の瞬間まで、生意気な広言を後悔しようぞ。やつの死は、一寸だめしの、むごたらしく、長いものにしてやる。おまえら委員の面々は、こういう非常のときの、それぞれの義務はこころえているな――いまこそ、その義務をはたすときだ、さっそくここを出ていくがいい。フェニモル将軍、おまえはわしのところにいろ。わしといっしょに、こまかい打合せをしよう」
他の委員たちが出ていったあと、皇帝は将軍に向かって言った。
「さしあたっての作戦につき、なにか示唆はないか?」
「科学研究所長ラヴィンダウを、ただちにおよびなされてしかるべしと思います。彼も、敵のあの警告はきいているでしょう。どんな方法であの声が送られたものか、またどの空域から送られたか――これについて、彼なら多少の光明を投げかけることもできようかとぞんじます」
皇帝は別の発信器に命令を与えた。するとすぐ、その科学者が会議室へ入ってきた。青い標灯のついている小さな装置を手にしている。
「ここでは喋らないでください。あの自称大公とかいうやつに盗聴されるおそれがある」科学者は厳しい口調で命令するように言い、数階|下《した》にある自分の専用実験室へ、皇帝と将軍を案内して降りていった。光線遮蔽装置のほどこされた小さな仕切り部屋へ、三人は入った。
「あなたがわれわれの惑星と全フェナクローン人とを、このような悲運に落としたのだ!」開口一番、ラヴィンダウは声を荒げて詰《なじ》った。
「おまえの主権者であるわしに、本気でそんな口のききかたをするのか?」フェノールは吠《ほ》えるように言った。
「本気でいっている」科学者は冷静である。「惑星の文明ぜんたいが、その王家の暗愚と飽くなき侵略欲の犠牲となって、破滅の危険にさらされているときは、王家への忠誠などは消えてしまうのだ。ここにすわりなさい!」激怒して突っ立っている皇帝へ、科学研究所長は大喝した。「あなたはいま皇帝の部屋にいるのではない。卑屈な護衛兵や自動装置にかこまれているのではない。≪わたし≫の実験室にいるのだ。わたしの指がすこしでもうごけば、あなたは永劫の闇のなかへ、投げすてられるのだ!」
いまにして、敵の与えた警告が、自分の思っていたよりも遥かに深刻なものであると悟ったフェニモル将軍は、科学者へ激しく突っかかっていった。
「忠誠心などは今、どうだっていいではないか! 種族そのものの安全が第一だろう? 情勢はそれほど重大と考えるべきなのかい?」
「重大どころではない――絶望だ。かろうじて、最後の勝利をうるただひとつの道は、われわれできるだけ多数のものが、ただちに、この銀河系から抜け出ることだ。これ以外には、ぜったいにない。緑色太陽系の大公のやつが、われわれを攻撃するためにもちいる、ある種の爆発からのがれるためにだ!」
「きみはまったくバカげたことをいうなア。われわれフェナクローンの科学は、大宇宙のどの種族よりもはるかにすぐれている≪はず≫なのだぞ」
「さっきの警告をきくまでは、わたしもそう思っていた。しかしわたしはあの警告を研究してみた。その結果わかったことは、われわれはいま、われわれよりケタはずれに優秀な科学に敵対しているということだ」
「あの殺された二人の虫ケラがか? われわれのところの、いちばんちっぽけな偵察艇一隻が、戦闘すらまじえずに、船からなにまで、そっくり拿捕《だほ》したのだぞ。あの虫ケラみたいなやつらが、どうしてそんなに? やつらの科学のどの点が、われわれの科学と比較できるというんだ?」
「あんな虫ケラのことをいっているのではない。自分で思いあがって大公などと称している、あいつのことをいっているのだ。あいつは、われわれ科学者からみると、偉大な博士なのだ。かれは不貫通性の超エネルギー遮蔽幕を貫通して、その奥へ、純粋超エネルギーでできた機構を運転することができる。下位光線《インフラ・レイズ》を混和し、発信し、使用することができる。われわれが、ごく最近までは、その存在をすら疑っていた下位光線をだ。あの警告を発しているあいだ、あいつはあなたがたを見、かつ聴いたにちがいないのだ。すぐ眼のまえでだよ。科学に素人のあなたがたは、あの警告はエーテルを媒体として送られてきた、だから彼はこの太陽系の近くにいる、と考えているだろう。そうではないのだ。彼はおそらくは、中央太陽系の故郷《くに》にいるのだ。そしていまも、われわれに仕向けるいろいろな超エネルギーを準備しつつある……」
皇帝は自信と尊大がいちどに冷《さ》めて、ぐったりと椅子へ身体をくずした。しかし将軍は闘志を湧かせて硬化し、急所をついた。
「そんなことがどうしてわかるのだ?」
「主として推理だ。われわれ科学屋は、あなたがたにくりかえし、注意をうながしてきた。≪征服の日≫を、われわれが準光線《サブ・レイズ》と下位光線《インフラ・レイズ》の神秘を解くまで延期しなさいと。しかるにあなたたち戦争屋は、この忠告を無視して、侵略計画をおしすすめた。われわれは黙々と研究をつづけた。われわれは、日常つかっている準光線の本質を、ほとんど知らない。下位光線にかんしては、ぜんぜん無知だ。われわれは、外側宇宙空間からこの惑星へ、微量にとんでくる下位光線、またわれわれの動力装置で解放される下位光線を探知する装置を開発した。当時は、たんに科学的な好奇心にもとづく実験装置と考えられていた。それが今日、真価を発揮したのだ。わたしのもっているこの小型器械が、その探知器だ。あなたがたが、いま見ているとおり、下位光線による正常効果では、標示灯は青である。しかるに、あの警告が響くすこし前には、標示灯は高輝度の赤であった。それは、ちかいところに、強烈な下位光線がはたらいていた証拠である。超エネルギーの進行方向を計算して、わたしは光線が会議室の空中にあり、会議テーブルのほぼ直上方向にある、と判断した。したがって、その搬送波は、われわれの防衛スクリーン機構のすべてを貫通して、しかもなんの痕跡も示さずに、侵入してきた、ということになる。この一事だけでも、それが下位光線である証拠だ。それだけではない。その下位光線は防衛スクリーンを貫通して、会議室のなかに、きわめて複雑多岐な超エネルギーシステムを解放した。
それがどれほど複雑多岐かは、そうした純粋超エネルギーだけから、なんらの物質的手段をもかりずに、われわれの汎用放送スピーカーを励振するのに必要な、ぴたりの周波数の変調波を放送することができたことでしられよう。
わたしは、この事実を認知するとすぐ、会議室の外側へ、ある防衛スクリーンをはった。このスクリーンは、下位光線よりは波長の長いものはことごとくさえぎる超エネルギースクリーンなのである。しかるに、あの警告は、依然としてつづいた。そのときわしは、われわれ科学屋のもっともおそれていたことが、あまりに真実であったことに愕然《がくぜん》としたのだ。この銀河系のどこかに、すくなくとも科学の分野で、われわれよりはるかにすぐれている種族がいるということ、そしてわれわれの破壊は、たんに時間の問題である。いや、分《ふん》をもってかぞえられる短時間に終了するだろう、という確信とおそれだ」
「その下位光線というのは、そんなに危険な性質のものなのか? わしはまた、無限といっていいほどの高周波だから、実用にはならないとばかり思っておった」
「わたしは数年来、下位光線の性質を知ろうと努力してきた。しかし、その探知と分析以外には、とうてい進まなかった。しかしそれらが、エーテル・レベルの下にあること、したがって伝播速度が光速の何千倍も大きいということは、絶対的な確実さで言える。とすれば、あなたがたのような科学の素人にも察しがつくだろう。そんな下位光線を導波し、制御できるようなすぐれた科学にとっては、またそれを搬送波としてつかって、そこにどんな周波帯をもすきなように混入することのできる偉大な化学――事実、大公は今日それをやってみせたのだ――にとっては、われわれのもつどんな防衛手段も、真空のようにやすやすと突破する威力武器をもっているのは、当然だということが……。ちょっとのあいだ、落ち着いて考えてみなさい。われわれは、日常つかっている準光線《サブ・レイズ》についてすら、根本的なことはなにも知っておらんのだ。もしそれがわかっていたら、数千数万の利用法があるはずなのだ。
それがほんの二、三種以外には、まるでないではないか。われわれは、ただ経験的に、数種の利用法を知っているにすぎない。しかるに敵は、全スペクトルを思いのまま駆使しているのだ。何千何百という周波帯を、ぜんぶ心得ているのだ。われわれにはまったく未知の、おそるべき可能性をふくんだ超エネルギーのすべてを、敵は知っているのだ」
「しかし、奴は、われわれの確たる返答をするまえに、計算された時間が必要だといっていたじゃないか。とすれば、奴らのつかっているのはエーテル中の振動波だろう」
「かならずしもそうではない――いやその可能性はまったくない。いや、そんな手に乗って、この敵に、われわれがそのような幼稚な超エネルギーしかもっていないことをわざわざ暴露しようというのか? 子供っぽいことをいうのはよしなさい。だめだよ、フェニモル。フェナクローンのフェノール――とうてい、われわれは助からない。いますぐここから脱走すること、それがただひとつの道だ。そして将来の、最後の勝利をはかる道だ。いちばん遠い銀河系へとぶのだ。この銀河系のどこにも、あの自称大公の下位光線からまぬがれる空域はないからだ」
「この泣きベソの臆病者め! 腰抜けの蠧魚《しみ》野郎!」科学者がその恐怖の理由を説明している間、フェノールはいつもの傲岸と自惚《うぬぼ》れをとりもどしていた。「そんなつくりばなしのような薄っぺらの証拠で、われわれのような優秀種族に、負け犬みたいに尻尾をまいて逃げろというつもりか? 妙な振動波をひとつ探知したからといって、超自然能力をもったどこかの種族がすぐ侵入してきてわれわれを殲滅《せんめつ》するなどとわめいているのか、あきれた奴だ、おまえは! おまえのような泣きごとばかりならべている科学者どもが、われわれの≪征服の日≫を、一年一年とのばしているのだ。あの警告を捏造《ねつぞう》して放送したのはおまえたち科学者じゃないのか? わしをおどして≪征服の日≫をのばさせようと、おまえと腰抜け科学者と裏切り野郎どもが浅知恵にもたくらんだ陰謀じゃないのか、これは?
こら、きさま、この骨なしの弱虫め! わしからはっきりと教えてやる――時期は熟したのだ。強大無比のフェナクローンは、これから宇宙征服の攻撃を開始するのだ!……おまえには死をくれてやる。自分の皇帝を悪《あ》しざまにののしった、この不忠者め! 野良犬のようにくたばりやがれ!」皇帝の短衣《チュニック》へ入っていた手が動き、振動破壊銃《バイブレーター》が猛然と火を噴きはじめた。
「わたしは臆病かもしれない、腰抜けかもしれない、泣虫かもしれない」科学者は昂然と嘯《うそぶ》いた。「しかしわたしは、おまえとはちがい、愚者ではない。この四つの壁、この部屋の空気そのもの――それはおまえが向けようとする超エネルギーを伝達しない力場なのだ。堕落|淫靡《いんび》の家系をついだこの低能児め! 厚顔で横暴で貪欲で、無知|迷妄《めいもう》の王族の子孫め! きさまの頭脳は貧弱すぎて、正しい時機到来よりも数百年も前に、この大宇宙征服へとびついたことがわからんのだ! その自惚《うぬぼ》れと愚劣なあたまで、おれたちの愛する惑星を滅ぼしかけている。この恵みぶかいまでに高温の、このすばらしい湿度と煙霧《えんむ》とをそなえた、銀河系随一の完璧な惑星、そしてわれわれ全種族とを、滅亡の悲運へ突きおとしている。だから、きさまこそ死なねばならぬ。そのあきれはてた暗愚と間抜けさかげんにもかかわらず、死なねばならぬ。すでにきさまの王位期間は長すぎたのだ!」
科学者は指をはじいた。皇帝はすさまじい電流に貫かれたように一瞬身震いし、そのまま倒れて冷たくなった。
「われわれの独裁者であったこの男は、殺す必要があったのだ」ラヴィンダウが将軍に説明した。「わたしは以前から、あなたが≪征服≫をこんなに早急におし進めることには賛成でなかったことを知っている。だからわたしはあんなに長々と喋った。あなたは知っていよう――わたしはフェナクローンの栄光を第一に考える男だということを? わたしの計画がすべて、わが種族の、最終勝利をめざしていることを?」
「それはわかっている。しかし警告がきてから、わしにも疑惑がわいてきた。ところで君のその計画は、ちっともおこなわれていなかったのじゃないのかね?」
「いや、計画はずっと数年以前から進めてきている。早急計画が決定されていらい、わたしは、自分の計画の実行手段となる科学兵器をくみたて、人員を組織してきたのだ。ほんとうは、大宇宙艦隊が、さいごの探検に出発した直後に、わたしはこの惑星を去っていてよかったのだ。フェノールが無暴にも大公に挑《いど》んだから、決心をしたのではない。あれはただ、わたしの予定の行動を促進する役目をはたしたにすぎない」
「これからどうするのだ?」
「わたしは、フェノールが自慢していた、かれの最大宇宙艦の倍もある大宇宙艦をもっているのだ。高加速度で百年間も飛行できる食糧、武器爆薬、動力源をつんでいる。わたしは、この宇宙艦を、ジャングルのなかに隠してある。遠いところに、人目のつかぬように隠匿《いんとく》してある。わたしはその艦に、一グループのわが種族をのせることにきめてある。優秀なひとたちだ。もっともすぐれた頭脳をもった、最高教育をうけた、知性のたかい男性、女性、そのこどもたちのグループだ。われわれは超速度で艦を駆って、ある遠い銀河系へいく。そこで、この惑星と大気組成、気温、質量のほぼおなじ惑星をさがす。そこでわれわれは繁殖して、われわれの科学研究をつづけていく。われわれがじゅうぶんな科学知識のレベルにたっしたとき、その惑星からわれわれは飛びたってくる。そしてこの銀河系の、中央太陽系で、フェナクローン人の復讐を遂げるのだ。復讐は、おくれただけ、それだけ恨みはつもり、成就の涙は甘かろう」
「しかし学術図書、機械装置類はどうなる? 知識を完全にするまでながく生きられないとすると? たった一隻で、しかもひとにぎりの人間だけで、どうしてあの罰当りの大公と、奴の宇宙|空漠《くうばく》の大軍に対抗できるのだ?」
「書物はつんである。機械や装置の類もたくさんつんである。もっていけないものは現地でつくる。わたしのいった知識レベルは、あなたやわたしの一生では達成できないかもしれない。しかしフェナクローン種族の集団記憶というものは残るだろう。あなたも知っているように、われわれの子孫がそのあたらしい惑星にはびこるほど多数になるまでは、必要な科学的難問は解決されないかもしれない。それでもよいのだ。われわれの子孫があの憎悪の的《まと》である大公の種族へ復讐の刃《やいば》を打ちおろすのだ。かれらが大宇宙の征服を順調におし進めないうちにだ。もちろん、いろいろと多数の難問がおこるだろう。しかし、やがてはそれは解決できる。さあ、これだけ言ったらもういいだろう? 時間がどんどんたっている。わたしが喋りすぎたのだ。しかし、この貴重な時間を、わたしはあなたを説得するためにつかった。われわれの組織には軍人がいない。フェナクローンの将来は、あなたの戦争にかんするおびただしい知識を必要としているのだ。どうだ、われわれと行をともにするだろう?」
「行こう」
「よろしい」ラヴィンダウは将軍の前へ立ってドアを排し、実験室の外のテラスに待機している空中ボートに乗った。
「あなたの家へ飛ばしてくれ。あなたの家族をつれていこう」
フェニモルが計器盤に就き、超エネルギーペンシルを自分の住宅のほうへ向けた。超エネルギービームは二重目的を果たす。超エネルギーペンシルは機を指定された針路に保ち、粘《ねば》つく厚い霧のなかを飛行させるとともに、他の空中ボートとの衝突を避けさせるのである。二機の超エネルギーペンシルは相互に斥力となって作用するから、空中衝突になるような針路は避けるからである。こういう自動操縦装置はフェナクローンでは早くから開発されていた。この惑星では、飛翔体はすべて、同じ空間ゼロ化駆動方式を使っているのである。この駆動方式では、どんな長遠距離もわずか数瞬でカバーしてしまう。これだけの恐ろしい超スピードになると、それこそ衝突は機体はもちろんのこと、もろもろの物質のゼロ化以外の何ものでもないのである。
「あんたのやり方はわかった。計画をすぐ実行に移せる準備が完了しないうちは、軍部の一人を信用させることはできないと考えたわけだな?」将軍は大きくうなずきながら言った。
「惑星を去る準備にどれくらいかかる? あんたは、絶対火急だといったが――だから、すでにほかの乗組員にも出発は告げてあるんだろう?」
「会議室であなたとフェノールにあう前に、すでに非常信号を発してある。探検隊のひとりひとりは、どこにいようと、その信号を受けている。もう今頃は、家族をつれて隠れた宇宙船へむかっただろう。われわれはただいまからすくなくとも十五分以内に、この惑星を去らねばならない。ぜったいに必要というのでないかぎり、一秒でも長びくことは許されない」
将軍の家族は驚くひまもなく大急ぎで空中ボートに乗せられた。空中ボートはただちに、秘密の会合の場所へと飛び立っていった。
人跡の絶えた荒涼たる惑星の辺境、鬱蒼《うっそう》と生い茂るジャングルの深みに隠された、マンモス宇宙艦が乗員の祝福を受けていた。たくさんの空中ボートが、ものすごいスピードで濃い霧を掻き裂いて飛来してきた。彼らの制御ビームの許すかぎり、踵《くびす》を接するようにして、一見通過不可能と思われるジャングルの壁を冒《おか》して突入してきた。飛びながら、誘導ビームに乗せて信号を送りながら、続々と巨大宇宙艦のなかへ突入していった。
発射時間が近づくにつれ、宇宙艦の人びとの緊張は痛いまでに高まり、警戒は極度に尖《とが》らされていった。ドアというドアは密閉され、誰も一歩も外へは出ることが許されない。信号ひとつですぐ発射できるように、すべてのものが緊縛されてその瞬間を待った。最後に一人の化学者とその家族とが惑星の反対側の地域から飛んできて、これで全員が揃った。ラヴィンダウが信号を発すると、巨大宇宙艦は胴ぶるいもせずに艦首をかすかに動かした。それから二十七分間、艦首は大きく持ちあがり、船体はほぼ鉛直を指し、予定されたある角度に、その巨大な長身を直立させた。暫時《ざんじ》、艦はそのままの姿勢を維持していた。と、つぎの一瞬間、それは消えて見えなくなった。ただ、兇暴な力でもぎとられ、地面から根こそぎにされた植物の厖大な柱《はしら》が、宇宙艦の消えた真空状態を埋めようと殺到する空気に吹きまくられて、竜巻のように空中へ上昇していった。それが、すさまじい飛翔体の通り道を示すただひとつの名残りであった。
フェナクローンの宇宙艦は宇宙空間をまっしぐらに飛んでいった。恐るべき速度は刻々に増していった。一時間また一時間と飛翔はつづき、星屑の次第にまばらになる宇宙の空漠を切り裂いて進んでいった。ついに最後の星もはるか後方に去った。彼らの前に横たわるものは、完全に光をうばわれた真の空虚であった。彼らの背後の銀河系は、はっきりとした輪郭のレンズ状を帯びはじめていた。そのときになってはじめて、ラヴィンダウは計器盤から離れ、激しい労働と辛苦《しんく》のはてに与えられた休息を取りに行った。
日が過ぎ、週が過ぎていった。だがフェナクローンの宇宙艦は出発のときの加速度を緩《ゆる》めてはいない。ラヴィンダウとフェニモルは制御キャビンに坐り、放心したように実視板から艦外を見ていた。観視の必要はないのだ。だから彼らは事実、何も見てはいないのだ。いや、見るべき何ものも彼らの行く手には存在しないのだ。われわれの地球がそのなかの極微小のしみにすぎない銀河系、昔の天文学者が大宇宙と考えていた銀河系――それはすでに遠く過ぎ去って、いまはただ鈍く霞《かす》んだ小さな一光点に過ぎなかった。あらゆる方向に存在する無数の銀河系も、今ははや鈍色の光の点々と成り果てて、空漠の絶対的黒色のなかに、識別さえ困難を覚えるほどになっていた。彼らがめざして驚くべき速度で飛んでいる銀河系は、まだあまりに遠く距《へだ》たり、肉眼ではとうてい見ることができない。彼らのまわり、数千光年の範囲はまったくの空《くう》の空《くう》である。星はない、隕石もない。宇宙塵の微粒子さえない――完全な無の空間である。絶対の真空状態である。絶対のゼロである。絶対の無である。最高度に訓練された人間の心によってすら、本質的に把握することのできない≪無≫の世界である。
いまの二人は、遺伝と教育により、良心のひとかけらすらない、一片の慈悲心すらない怪物的な種族であった。だが、そうした二人をすら、一切空無の畏るべき膨大さは圧倒しないでは止《や》まなかった。ラヴィンダウは険しい顔、真剣な顔をしている。フェニモルは沈鬱である。やがてフェニモルが声をかけた。
「もしもわれわれに、故郷で実際起こったことがわかれば、まだ耐えられる。こんなことがいったい必要なことだったのかどうか、そうであるにせよ、そうでないにせよ、われわれにはっきりと知ることさえできれば、まだ耐えられるのだが……」
「いまにはっきりと知ることができるよ、将軍。わたしは、自分の心では確信があるのだ。もうすこししたら、われわれの新しい惑星に落ち着き、大公が警戒をすこし緩《ゆる》めたとき、あなたはこの宇宙艦か、別の同じような艦でフェナクローンの太陽系へ帰れる。そこであなたが何を見るか、≪わたし≫には、はっきりわかっている。だが、≪あなた≫には、いったん太陽系へ帰らせて、その眼で見させてやるよ。かつてのわれわれの惑星は、いまや煮えたぎる太陽になっているだろう。フェナクローンがまだそのまわりを公転している母太陽の輝きに近いような、すさまじい輝きの太陽になっているはずだ」
「こうしているいまも、われわれは安全なのか? 追ってくることはないのか?」フェニモルが訊いた。怪物じみた、血走った黒色の深淵――それがラヴィンダウの眼であった――から、彼が返事をするとき、手で触れられるような鮮烈な炎が噴きだした。
「安全どころではない。しかし、一刻一刻われわれが強くなっていっていることはたしかだ。われわれの世界がかつて持った、もっともすぐれた頭脳が五十個そろったのだ。惑星を出発していらい、この五十人はひとつの路線の調査を開始している。あの自称大公のやつがやってきたときに、わたしの計器が記録したデータのなかから、わたしが思いついた、ある重大調査だ。それがなにかは、まだあなたに言えない。しかし、≪征服の日≫がわれわれの想像していたような遠い未来のことでないことだけはたしかだ」
[#改ページ]
一四 恒星間絶滅戦
「この会議室を離れるのは厭なんだが――たいした情報だから」フェノールがすべての游弋《ゆうよく》艦艇へ再集命令を下したとき、シートンは魚雷室へ飛びおりながら言った。「しかし、この機械は同時に二つの場所に投映することを許さん。それができればいいんだがな……。このいざこざが終ったら、二ヵ所の同時結像みたいなものを開発して装置できるかもしれない」
フェナクローンの操作手がレバーに触った。彼が腰かけている椅子が、それと一体につくりつけてある制御装置もろとも、床をすばやく壁のほうへ滑っていった。壁は一見なにもないようであったが、操作手が壁に近づくと、小さな窓が開き、中から金属製の巻物が出てきた。そこに探知|空域《ゾーン》以遠へ出勤しているフェナクローン艦艇の全部の、番号と最終位置とが示されているのである。床が割れ、厖大な魚雷マガジンが出てきて彼のそばで止まった。マガジンには操作手が一発を発射すると、すぐその手の下へ魚雷をひとつずつ送りこむ自動装弾器がついている。
「ペッグを早くここへ連れてきてくれ、マート――速記嬢が要《い》るんだ! 彼女がここへ来るまで、あの番号をできるだけ書きとってくれ、巻物の終りがこないうちに。あっ、違う! そのままでいい! ぼくには、あれを全部レコーダーへ写し取る制御装置があるんだった。あとでひまなときに調べればいい」
大急ぎでする必要があった。操作手はこの世のものならぬ、目もとまらぬ早さで魚雷を発射しているからである。巻物をちらと一瞥――魚雷のダイヤルを電光石火で調整――小さなボタンを押す――メッセンジャー魚雷はそのまま発射されていく。しかし、操作手も早いが、シートンの指先はなお早い。だから魚雷がエーテル・ゲートをくぐらないうちに、操作手の手をはなれた全部の魚雷に、ひとつひとつ第五系列の追跡標識が結びつけられていった。この標識はノルラミンの投映器の巨大な制御盤のうえで、それを搬送する超エネルギーが接続を解かれないうちは、どこまでも魚雷を追っていくのである。一分間がまたたく間に経った。すでに七十本のメッセンジャー魚雷が発射されていた。そのとき、シートンが言った。
「いったい、やつらは何隻外へ出しているんだろうな? 頭脳記録からはそんな情報はひとつも取れなかった。ロヴォル、いずれにしろ、この制御盤にもっとたくさん追跡標識ビームを取り付けてくれませんか? ぼくのところにはたった二百本しかない。これでは足らんかもしれんです。両手をフルに使っているんで、自分で取り付けができないんです」
ロヴォルが若い科学者のそばに、巨大なオルガンに向かったもう一人の奏者のような格好で坐った。シートンの敏捷な指がここかしこに飛び、いくつかの鍵《キー》を押し、いくつかの制御子を操作し、必要な組み合わせ超エネルギービームを、つぎに発射される魚雷へぴたりと焦点を合わせた。シートンはそれから小さなスイッチを押した。すると、先端が赤く塗ってある、番号のついたプランジャー型ストップのずらりと並んだパネルの上で、一連番号のつぎの番号のプランジャー・ストップが回路にはまり、焦点をあわせられた組合わせ超エネルギービームがプランジャーの支配に移された。ロヴォルの十本の指も宙を飛んでいる。だが、彼の扱う超エネルギーは、他の超エネルギーをも動かすが、同時に材料を掴《つか》んで成型していく能力がある。ノルラミンの科学者は一つの積分式をセットし、ペダルを踏んだ。すると、さっきと同じような、先端を赤く塗った、番号のついたプランジャー型ストップがひとつ、シートンの左手のパネル上に、まるで魔術かなにかのように現われた。それと同じ形のストップがつぎつぎと現われ、順次に番号が入れられていく。ロヴォルは悠然と椅子の背にもたれた。だが赤いストップは、一分間に七十個の割合で、つぎつぎとパネル上に現われつづけ、一列がいっぱいになると、またつぎの列を埋めていく。
ロヴォルは若い弟子へ謎めいた一瞥をくれた。シートンは火がついたように真赤になり、手早く積分式をセットし、自分も椅子にもたれたが、顔の赤味はいっこうに減らず、なお赤くなっていった。
「そのほうがいい。同じことを二度繰り返すのは時間のむだだということを絶対に忘れないようになさい。それから、為《な》すべきことを正確に知っていれば、自分の手を使う必要は絶対にないのです。超エネルギーのほうが人の手よりも早く動く。それに、疲れないし、間違わない」
「ありがとう、ロヴォル――この練習で、いまのことがぼくの心にしっかりと喰いこむと思います」
「あなたはまだ持っている知識をみんな使うことに習熟していない。しかし慣れれば自然とそうなる。二、三週間もすれば、超エネルギーについてはわたし以上の専門家になるでしょう」
「そうありたいんですが。でも、ぼくには無理みたいだ」
やがて最後の魚雷が発射され、発射管が閉じられた。シートンは結像を会議室へ戻した。が、誰もいなくなっている。
「よし、会議は終ったんだな。それに、ぼくたちにはもっと大事な、フライにする魚がある。両方で戦争が宣言されたんだ。これからが忙しいぞ。やつらは九百六ぱいの船をもっている。ぼくたちが毎晩枕を高くして眠れるようになるには、こいつらを海魔《デーヴィ・ジョーンズ》の海底《ロッカー》へ叩きこんでやらねばならん。ぼくの仕事はまず、この九百六ぱいの縺《もつ》れをバラバラにほぐして一つずつ識別することだ。そして一隻ずつ針路をみつけ、魚雷が到着しないうちに、艦艇へぼくの立体投映《プロジェクション》を送れるかどうか見ることだ。マート、君とオルロン、それからぼくらの天文学者たち――各艦の最終報告位置を計算してくれ。どの辺を捜査したらいいか知るためだ。ロヴォル――あんたは直径数光年の探知スクリーンを発射してくれませんか? 早いやつがぼくたちに襲って来れないように、じゅうぶん広いスクリーンを。ここからすぐ開始して、だんだん拡げていって、スクリーン以内にはフェナクローンがいないようにして下さい。それからぼくたちは、あの惑星のどこかに銅のひとかけらを見つけ、それに彼ら自身のX金属をすこし拾って鍍金《メッキ》し、やつらを天国へ吹きとばしてやる」
「ひとつ提案があるんだが、話していいかね?」第一心理学哲ドラスニックが言った。
「絶対だ――あんたの言ったことで、これまで冗談だったことは一度もない」
「もちろん、あんたも知っていることだが、フェナクローンにも本当の科学者がいる。あんた自身も言ったね――彼らはなるほど超エネルギー帯を貫通もできんし、第五系列光線の使用法も知らんが、理論的には知っているかもしれん、だから、それが使われているときは、探知できるかもしれん、と。すこし前、あんたがあそこへ行ったときに、彼らの本当の科学者がひとり、あんたの超エネルギーを探知したかもしれない。もしそうだと仮定すると、その科学者は何をすると思う?」
「さあ?……どうするでしょうか?」
「その科学者のやりそうなことはいくつかある。しかし、わたしが彼らの性質を正しく判断しているとすれば、その科学者はおそらく数人の男女――できるだけ大勢がいいが――をつれて、他の惑星への移住を企てると思うね。なぜかというと、その科学者は、あんたが第五系列の光線を搬送波に使ったという事実を、たちまちのうちに把握したに違いないからだ。そして、把握したからには、あんたの破壊力を減殺できると思う。それからまた彼は、短い時間では、第五系列のような彼らにとって未知の超エネルギーを制御する方法を開発することは難しいと悟るだろうね。それで、彼の性格から言って、きわめて獰猛《どうもう》野蛮で復讐心がつよく、種族優越感の旺盛な人柄なんだから、彼は必ずや、あらゆる手段を用いて種族を生き残らせ、仕返しをしようとするだろう。どう、わしの考えでいいだろうか?」
シートンは制御盤を乱暴にまわし、ダイヤルと鍵《キー》を操作した。
「まっすぐに降る雨のように正しいです、ドラスニック。いまぼくは大慌てで第五系列の探知スクリーンを、彼らのフェナクローン太陽系のまわりへ張りめぐらせました。やつはまさかこのスクリーンを無効化し得ないでしょう。探知スクリーン内に入ったものへは、追跡標識ビームをおっかぶせます。しかし宣戦布告してから、もう半時間も経っちゃった。遅すぎたかしら? もう幾人かはすでに、惑星へ逃げだしたかもしれませんね。男女たった一組でも逃げだしたら、千年かそこらしたら、ぼくたちまた初めっからやり直さなけりゃならん。あんたは実際すごい智力がありますね、ドラスニック? ぼくたち、どうしたらいいでしょうか? まさか銀河系全体へ探知スクリーンを張るわけにはいかんし……」
「じゃ提案しよう。あんたはもう、これ以上の脱出を塞《ふさ》ぐ措置をとったから、しばらくは惑星を破壊する必要はないだろう。ロヴォルとその協力者たちがもう一台の投映器をほとんど完成している。それが出来上ったら、わしをフェナクローン惑星へ投射しなさい。わしが徹底的な心理調査を行なって進ぜよう。あんたが侵略空軍をあしらう頃には、わしは知る必要のあることはぜんぶ知り尽くしているだろうから」
「そりゃいい――じゃすぐ飛んで下さい。あんたの思考タンクにたくさんの泡が立つように祈ります。みなさん、その他ぼくが見逃したような抜け穴はなかったろうかな?」
他に示唆はなかった。みんなが与えられた仕事に精進していた。クレーンは銀河系の星図を調べている。オルロンはフェナクローン操作手の魚雷発射票をみながら、フェナクローン艦艇のおおよその位置を計算し、厖大な銀河系モデルに点々と緑色の小電球で印をつけている。銀河系モデルは、すでに彼らが投映器基部の空中に、いろいろな超エネルギーをつかって、据えつけておいたのである。すぐ明瞭になったことは、敵の艦隊のなかには、フェナクローン太陽系のすぐ近くを探検しているものがあるということだ。こんなに近いとすると、その艦隊へは、あと二、三時間で、あの超速力のメッセンジャー魚雷は着くかもしれない。
シートンは、いちばんはじめに目的の艦隊へ着きそうな魚雷につけてある追跡標識ビームのストップの番号を確かめ、パネルからそれを追尾していった。光速の数倍で走っているメッセンジャー魚雷は、もちろん肉眼では見えない。しかし第五系列超エネルギーの上に混入された光線にとっては、魚雷はあたかも静止しているようにはっきり見えた。その飛翔物体の試論に正確に方向を合わせ、シートンは自らの結像をその進路へ乗せた。そして、同時に映像の両側へ半光年距離に平べったい探知スクリーンを張らせた。シートンが制御子をセットすると、彼の映像は閃光のように直進した。探知スクリーンは、探検中の敵艦の動力装置の放射線をとらえた瞬間、自動的にシートンの結像の進行をとめた。発振器オシレーターが金切り声をあげ、それがしだいに高くなっていく。シートンはゆっくりと制御子を移し替えた。ついに彼は敵艦の制御室に立った。
フェナクローンの宇宙艦は全長千フィート、胴体直径百フィートという巨大さである。それがいま、一個の輝いた青白星へ向かって、宇宙空間を裂きながら進んでいる。乗員は戦闘部署についている。航行士官たちは熱心に実視板を覗いている。彼らのど真ん中に、一人の見知らぬ人間が立っているとは露《つゆ》知らない。
「うむ、これが最初の鴨か。こんなことをするのは大嫌いなんだが――生まれたばかりのヒヨコを小川へ押しこむみたいな仕事。しかし、どうせ汚い仕事をやらねばならんのだから……」
オルロンと他のまだ残っていたノルラミン人たちは、いっせいに投射器のなかから地面へとび下りた。
「そう来るだろうと思った」シートンが顔をしかめた。「彼らは、こんなこと考えただけでも怯気《おじけ》づくんだ――でも責めることはできん。カルフォン、どうだい? もし気持が悪かったら出てもいいよ」
「わたしは、その諸超エネルギーがどう働くのか見たいのです。破壊は好みませんが、あなたと同じく奮《ふる》いたって、耐えることはできます」
兇暴で流血を好むオスノームの皇太子であるダナークは、眼を血走らせながら立ちあがった。
「そこんところがどうしてもわからないんです、ディック!」とダナークは英語で叫んだ。「あなたのような鋭い頭脳をもった人が、どうしてそんなに甘く――そんな≪お涙ちょうだい≫みたいなセンチメンタルになるのか、わたしにはてんで合点がいきません。あなたは私に、トウモロコシ粥《かゆ》の入った食器を連想させる。あなたは、耳のあたりまで感傷に浸っているじゃありませんか。何ちゅう! 失うのは彼らの生命《いのち》ですか、私たちの生命ですか? どのボタンを押すのか教えて下さい。私は喜んで押しますよ。そんな女の子みたいな感傷は止して下さい。ほんとに、じゃんじゃんやりましょうよ」
「よくぞ申した、ダナーク! それ、ここの連中にはこたえる科白《せりふ》だ! しかし、ぼくは大丈夫だよ――よろこんで君に押させよう。ぼくが≪発射≫と言ったら、そこのプランジャーを押すんだ。ナンバー六三だ」
シートンが制御子を操作すると、超エネルギーの二つの電極が挿入された。それぞれ、敵艦の巨大な動力バーの両端にしっかりと結《ゆわ》いつけられた。それから、加減抵抗《レオスタット》器と超エネルギーとを調整して、ずっしりした銅シリンダーのなかを破壊電流が流れるばかりにした。「発射!」とシートンが叫ぶと、ダナークは獰猛な形相になってプランジャー型スイッチを押した。まるで、憎んでもあまりある敵の乗員の一人へ、急所めがけて剣を突きおとすようなすさまじさであった。たちまち、彼らのまわりに大宇宙が爆発したかと思われるほどの大異変が起こった。巨大な銅シリンダーが瞬時に溶解して、この銅金属がそこから出発して現在の形をとった元の純粋エネルギーに還り、爆発は眼を焼く白熱の、凄絶な輝燿《かがやき》となって宇宙空間を照らした。
シートンとダナークはよろめきながら実視板から離れた。すさまじい閃光で眼がくらんだのである。銀河系モデルをいじっていたクレーンですら、放射線の強さに眼をまたたかせた。二人の男が痛めつけられた眼を実視板に返すまでには数分間が過ぎていた。
「うあお! すごい――こいつはすごい!」めくらめく炎の渦《うず》と火球が乱れとぶなかに、もろもろの物象の姿がゆっくりと認められるようになり、視力が永久に失われたのではないことを知ると、シートンが絶叫をあげた。「ぼくの度しがたい不注意からでもある。混合波のなかには、見えるために、可視スペクトルも入れてあることを忘れちゃっていた。百トン重量の銅が崩壊して、惑星をここからアルクトゥールスまで飛ばしてしまうほどのエネルギーを解放したんだから、当然ぼくたちの実視板にも大騒動を起こさすはずだったんだ。どうだった、ダナーク? まだ眼が利かんかい?」
「よくなりかけているようです。でも二分ばかり、盲になったかとハラハラしました」
「こんどは巧くするから。≪発射≫の前に可視光線は切っておく。そして赤外線を変換、再変換する。そうすれば眼に悪影響なしに、起こったことが見られる。つぎにいちばん近い艦にあてたぼくの超エネルギー番号は何番だったかな、マート?」
「二十九番」
シートンは、追跡ビーム・パネルのナンバー二九ストップへ探知光線を当て、ビームの超エネルギーペンシルに沿って、魚雷へ達しさせた。メッセンジャー魚雷はいま、つぎの悲運の宇宙艦へ向かって真っすぐに飛んでいっている。前にしたように、その針路へ自分の立体投映を送り、彼は艦をみつけた。またも巨大な駆動バーに超エネルギー電極を結びつけた。ダナークが起爆スイッチを押すと、すさまじい爆発が起こり、遠い恒星間宇宙のその荒涼たる空域に、狂乱した白熱の大閃光がまたたいた。だが実視板を見ていたシートンたちの眼は、高周波で焼かれはしなかった。すべてが鮮明に観視できた。ある瞬間、たしかに巨艦が宇宙空漠を切り裂いて走っていた。恐るべき任務についたフェナクローンの宇宙艦である。地獄の全乗務員が、規定の業務を果たしつつあった。だが、つぎの瞬間、閃光があがった。めくらめく火球はあらゆる方向に何千マイルの彼方まで拡大していった。閃光は発生と同時にすみやかに消え失せた。そしてフェナクローン艦のあったその空域には何も残っていなかった。装甲板一板、断片ひとつ、溶解または破壊された金属の一滴すら、一片すらなかった。凝縮されたガス塊すらもなかった。巨大銅質量が瞬時に分解し、そこから解放された超エネルギーはあまりにすさまじく、あまりに信じがたいほど大きく、あまりに想像を超えて威力的であったために、宇宙艦を構成していた金属物質の原子が、動力バーとともに吹き飛んだのである。そして放射線となって四散したのである。それらの放射線は、いつか遠い未来に、どこか宇宙の孤絶の涯《はて》で、他の放射線と結合して、ふたたび物質を形成し、≪大自然≫の変わることなき輪廻《りんね》の法則に従うことであろう。
かの無敵の驕《おご》れる宇宙艦隊の、一隻また一隻が破壊されていった。そして、ひとつの脅威が消されるごとに、銀河系モデルの緑点は消え、バラ色がかった赤色灯に変わっていった。数時間のうちに、フェナクローン太陽系周辺の空間は、まったく艦影を見ないまでに掃除された。そして次第に破壊のテンポはのろくなった。艦艇とそれを追うメッセンジャー魚雷との距《へだ》たりが大きくなるにつれ、艦の発見がますます困難となっていったからである。シートンは一再ならずその探知スクリーンをひっさげて宇宙空間へ映像となって飛びだした。魚雷の飛行針路は、これ以上にはできないというほど慎重に計算されている。その長大の針路に乗り、探知スクリーンを、拡げられるほど遠くまで拡げた。彼の結像が、艦の占めるはずの現在位置よりはるかに遠くまで飛びだしても、拡げた探知スクリーンから何の反応も得られなかった。舌打ちし、またメッセンジャーの魚雷にもどり、映像針路をごくわずか変更して、再び前方へ飛んだ。だが、やっぱり艦影をとらえることができない。いちばん近い敵艦に探知スクリーンを接触させようと、十回、二十回、三十回と無駄な試行を繰り返し、ついに投げてしまった。傷だらけの、悪臭のつよいブライア・パイプに、彼の大好きな、香りの高いブレンドをいっぱいに詰め、投映器の底部の床を往ったり来たりした。その眼はものを見ていない。両手を深くポケットに突っこみ、顎《あご》を突きだし、パイプの柄をしっかりと噛みながら、咽《む》せるような匂いの濃厚な紫煙をパッパッと噴きあげた。
「あら、若い師匠がものを考えているようですわ」ドロシイが空中ボートから降り、投映器のなかへ入りながら甘い声で言った。「あなたはぜんぜん物が見えなくなっちゃったの? ベルを鳴らしても聞こえないようだし、どうしたの? あなたを呼びに来たのよ――お食事の時間よ!」
「偉い、ドット! 食べることは決して忘れない女だ! いや、ありがと」言葉とともに、シートンは見た眼にも努力して、いまの難問を忘れ去ろうとした。
「これは大変な仕事になりそうだ、マート」空中ボートに坐って、≪家庭≫へ飛び立ったとき、もう難問に戻っていた。
「方位角をすこしずつ移していけば、三万光年ぐらいまでの距離までは、やつらを捕《つか》まえることができる。だがそれ以上になると、正確に方位角を移すのはとても難しくなるんだ。十万光年ぐらいになると、ほとんど不可能だね。当てずっぽうになってしまう。制御装置の欠陥じゃない。だって制御装置は五十万光年までは、しっかりと一点を指し示すことができるんだから。もちろん、ぼくたちが見る後視《バック・サイト》はかなり短い。しかし、方位角の移りは、後視の誤差でわかる数値の百倍以上なんだ。しかも調整法には、ぼくが推定できるような一定の方法、系統的な方法はまるでないんだ。しかし……いや、ぼくは知らん。……もちろん空間は四次元で彎曲しているよ。……ああ、もしかすると……うう……う……う」黙りこんでしまった。
ドロシイが口を開きかけたが、クレーンがすぐ眼で合図して何も言うなと言った。彼女はおかしみを感じ、口をつぐんだ。それからは、目的地へ着くまでは口を開かなかった。≪家庭≫へ着くと、
「謎は解けたの、ディッキー?」
「そうは思わん――かえって、ますますわからなくなったらしい」それから、特に誰に訴えるというのではなく、独り言のように言った。
「宇宙は四次元で彎曲している。だから、あれだけの速度をもつ第五系列の追跡ビームは、四次元では光の進むのと同じ通路を進まないかもしれない――いや、進まないはずだ。この追跡ビームの通路を計算しなければならんとすると、五元連立方程式を解かなければならない。各方程式は完全系であり、かつ一般系であって、しかも五次方程式だ。それからさらに最後の項に、未知量のある指数級数を解かなければならん。これではじめて四次元の概念が得られる。……うむ……う……。ダメだ――ぼくたち、ノルラミン理論が扱ったことのないような何かにぶつかっちゃった」
「驚かせるなよ」とクレーン。「彼らはあらゆるものを解決していると思ったけど」
「第五系列のものについては違うんだ。結局、ぼくたち、あのメッセンジャー魚雷がぜんぶ、母艦の近くのどこかへたどりつくまで、捜しまわらなけりゃならんような気がしてきた。そんなことはしたくないしな――魚雷が銀河系外へ出ている艦艇へ着くにはずいぶんと時間がかかるんだから。食事のときに先生がたに訊いてみねばなるまい。彼ら、二、三分なら時間超過になってもぼくに質問させてくれるだろう、とくに、ぼくが言わんとすることがわかってくれたら」
シートンは、食事中に白髪の科学者グループにこの現象を説明した。シートンが驚いたことに、冷静なロヴォル老が昂奮して熱心にぶつかってきた。
「えらいぞ、坊や!」とささやくように言った。「見上げたものだ! 幾年も深遠な研究に没頭して、考えに考え抜いてはじめて出せるくらいの完全な項目です。完全です!」
「でも、ぼくたち、これをどうやったらいいですか? ぼくたちは、ここにうろうろして、拇《おや》指をもてあそびながら、あの魚雷どもがどこを目指しているにしろ、その標的へ着くのを一年間も待っていたくないんですよ」
「わたしたちにだってどうにもできません、ただ待って研究するだけです。その問題は、あなたもわかっただろうが、とても素晴らしい難問題なのです。その解決には、数年どころか、一生涯をいくつか積みかさねなければならんでしょう。しかし、一年やそこら早くたって遅くたって何の違いがあります? どうせ、いずれはフェナクローンを破壊できるのじゃありませんか。その期待で満足しなさい」
「しかし、期待で満足というのは、とてもぼくにはできない芸当なんですよ」シートンがはっきりと強調した。「ぼくはそれをしたいのです。≪いま≫したいのです」
「じゃひとつ示唆を申しあげてみようかね」とカスロル機械学哲がおずおずと言いだした。ロヴォルとシートンが驚いてその方を見ると、カスロルは、「わしを誤解なさらんように頼みますぞ。わしは、いま議論になっている数学問題について言うつもりはない。わしはまったくの門外漢だからのう。しかし、あの魚雷というものは自分の意思で動いている知性ある個体ではない。彼ら自身の秩序だった心的過程の結果として行動しているのではない――そういうことをみなさん、考えたことがありますかな? 魚雷はただの機械に過ぎん。わしの専門分野に属する機械に過ぎん。だからわしは絶対の自信をもって言える――魚雷は、彼らの針路上に横たわる船から発信された、何らかの性質の超エネルギー流によって、その目標へ誘導されておるんじゃ」
「≪へりくだったホームズ≫の言うとおりだ!」シートンが自分のこめかみのあたりを叱るように叩きながら叫んだ。
「そのとおりです、エース――ぼくはこの頭、いまから帽子用以外には使うことをやめようかと思っていたところです、まったくそれ以外に使い道がないようだ。ありがとう、そのアイデア――それでぼくはひとつ噛みついて歯を入れるものが出てきた。それにロヴォルはあと百年かそこら研究する問題を手にいれたし、みんな言うことなしですね」
「だけど、どうしてそれで助かるというんだ、ディック?」とクレーンが不審顔である。「もちろん、超エネルギーの線など可視でないことは驚くに足りない。しかし、君の探知スクリーンは、もしそのような誘導ビームがあるとすれば、とっくに探知できたはずじゃないのかね?」
「ふつうの周波帯で、相当の動力をもっているものなら、そのとおりだ。しかし、追跡光線にも、ぼくが使っているようなスクリーンには反応を与えないようなものが多数あるはずだ。きわめて軽く、微弱で、ただものすごい超速力だ。そしてものすごい動力バーの超エネルギーに接触したときだけ自動的にキャッチされる――そういう設計になっている追跡光線だ。おそらく彼らがふつうこういった誘導の仕事に使っているような種類の小エネルギーのビームには、ぜんぜん反応しないんだよ。カスロルの説はたしかにあたっている。彼らは、ほとんど無限小の力しかない弱い追跡ビームで、あの魚雷を誘導している。それが魚雷にはいると増幅されて用をする。ぼく自身使っている方法だ。その装置をつくるにはすこしひまがかかる。しかし、どうしても作る。そしてあの魚雷にそのまま誘導を許す。四次元修正はぜんぜん必要ない」
ベルが鳴って、つぎの労働期間の始まりを告げた。シートンと彼の共働者たちは待機の≪実験地域≫に入り、仕事はすぐ始められた。
「これをどうするつもりなんだ、ディック?」とクレーン。
「まず魚雷の先端部《ノーズ》を調べてみて、魚雷が事実どんなビームを受けて動いているかを確かめる。それから超高速のそのビームをとらえる追跡ビーム探知器を製作する。とにかく、とても信じられない――いちばん初めにそれに気づくはずのロヴォルとぼくが、そんなに簡単なことがわからなかったなんて。あの魚雷がちゃんと誘導されているという、わかりきったことに気づかなかったなんて、信じられるかい?」
「それは簡単に説明がつく。君たち二人は空間の彎曲に気をとられていただけでなく、問題があまりに身近だったからだ。ほら、木を見て森を見ずというあれだよ」
「多分な。だけどカスロルがヒントを与えてくれたらすぐわかった」
話しながらシートンはすでに、昨日何度も何度もその針路に乗ったメッセンジャー魚雷へ、ふたたび自分の結像を投射していた。光速の数千倍という驚異の速度で走っている魚雷の中へはいり、その小さな計器室のなかで彼は仕事をはじめた。超自動エネルギーをセットし、計器室のなかで、自分の身体が動かないよう、固定させた。計器室を見まわすと、探知メカニズムはすぐ見つかった。短波コイルと増幅器を組み合わせた装置である。すこし調べただけですぐ彼に、指向性環状探知器と、空飛ぶ砲弾を追跡ビームの通路に沿って誘導している制御装置とを支配する原理が了解された。それから彼は、魚雷ノーズのすぐ前方に、純粋超エネルギーの探知機構を作り、その周波数をいろいろに変えて、眼の前の計器盤のひとつにあるメーターを見つめた。やがて彼の探知機構は追跡ビームの周波数に完全に同調した。それから彼は、その誘導する超エネルギーペンシルに沿って、魚雷の前方へ進んでいった。
「できましたね?」ダナークが眼を輝かせた。
「まあまあだな。しかしあそこに出ているぼくの導波器はあまり強くないんだ。ぼくはどこか制御におっかなびっくりのところがある。あまり臆病だから、全速力あたりまで上げると、ぼくは暴走に陥る危険がある。でも、すこし実地にやってみれば、この欠陥を治せると思う」
彼は言いながら、制御装置にそっと触れた。数個の鍵《キー》を押し、すでに百万分の一の微動率になっているひとつの微細調整ダイヤルの微動率を千万分の一に下げた。それから速度を徐々に上げていった。導波器は故障なく超速度を出し、フェナクローン宇宙艦ないし魚雷がいまだかつて達したこともないほどの、いや、それよりもはるかに大きな速度になっていった。だが、彼の第五系列立体投映の全速力に近い速度は、とうてい長く保つことができなかった。
こうして一日に数時間、そして来る日も来る日も、シートンは執拗にこの問題を追及していった。その間に、フェナクローン艦艇数百隻がシートンの手で破壊されていった。日数が過ぎていった。彼の頭脳のなかには、振動波分野での優秀なエキスパートが数百代かかって蓄積された知識が、そっくりそのまま取り入れられている。それにもかかわらず、彼がその全頭脳能力を動員して研究し、思索して得た結論は悲観的であった。エーテル波を、彼が望むような速度で追跡することは原理的に不可能である、というのがそれであった。
「どうしてもダメらしい、マート」口惜《くや》しそうに彼は告白した。「ね、ある点までは実にうまく行くんだ。しかし、その点から先になるとぜんぜんだめだ。ぼくはその理由がわかったし、これはぼくがした科学への一大貢献だよ。光速よりずっと低い速度では、可視光線はごくわずかながら偏向《シフト》する。光速、さらにそれ以上、フェナクローン艦艇が最長遠距離の宇宙航行でも達し得ない超速度になっても、可視光線の偏向はまだそれほど大きくはない。ぼくたちがスカイラーク号で好きなだけいくら速く走っても、まだぼくたちは物が見えるよ、それは保証できる。それは、エーテル振動波の見かけ上の速度は、発信源あるいは受信源の速度に影響されないという定説からも当然予期されることでもある。ところが、だ――この速度原理は、第五系列の伝播速度よりずっと低い速度では適用しなくなるのだ。第五系列伝播速度の何千分の一というような低速度では、ぼくが追跡している追跡標識ビームはひどく歪曲されてしまって、標識ビームはまったく消えて見えなくなってしまう。それでぼくは標識ビームの歪曲をもとへ戻してまっすぐにしなければならない。それは大したことではない。しかし、ぼくが使おうとする、第五系列伝播速度の一パーセントぐらいまでに速度を落とすと、標識ビームの歪曲をなおして、認知し得る程度の振動波携帯へ戻させる仕事をする超エネルギーの計算が、ぼくにはできなくなってしまうのだ。これは君、ロヴォルがもう百年ばかり思案できる、別のいい宿題だよ」
「もちろん、それでフェナクローンの銀河系を掃除する仕事が遅れる。だからと言って、別に心配するようなことはなかろう。君は、魚雷が標的に到着するのを待っていた場合に比べたら、比較にならないほど早く掃除仕事をやっている。ぼくには現在の情況はきわめて満足すべきものに思えるが……」クレーンはそう言って、銀河系モデルのほうへ手を振ってみせた。すでにモデル容量の四分の三は、緑灯は赤灯に変えられている。
「ああ、その点はまあまあだ――もう十日かそこらで掃除は一段落する。しかしぼくは、ひょんな問題にぶつかって、それに勝てないのが業っ腹なんだ。しかしまあ、泣き言はやめて仕事、仕事」
やがて日数は経ち、九百六番目のフェナクローン宇宙艦も、銀河系モデルの赤灯に変えられた。二人の地球人はドラスニックを捜しに行った。老心理学者は研究室にいた。自分をとりまく虚空に、たくさんのデータ、事実、アイデアを投映して、それらを綜合し、分析していた。
「やあ、しばらく。ぼくたちの第一の仕事は終りましたよ」とシートンは話しかけた。「どうです? あなたのほうは、みんなに吹聴《ふいちょう》してまわりたいようないい結果が出ましたか?」
「わしの調査もほぼ完了した」第一心理学哲は荘重な声で答えた。「わしはたくさんのフェナクローン人の頭脳を探索してみた。彼らの頭脳は、われわれの誰一人にも想像できんような、すごい恐怖密室だ、ひとつの例外もなく……。しかしあんたは彼らの心理などに興味はないだろう。あなたの問題に関係のある事実のほうが、ずっと重大だろう。そういう事実は少ないが、しかし二、三面白いことを発見している。わしは彼らの行動を、公けの場、またこっそり忍びで行くような潜《ひそ》み場でも探知してみた。わしはそれらを個々に分析し、また全体を綜合してみた。はっきりした事実は少ないから、主としてわしの想像、あるいは推理からだが、わしは一つの推理を導きだすことができた。まず、わかっている事実から披露しよう。彼らの科学者たちは、エーテルを通って伝播しない光線は指向できないし、制御できない。しかし、彼らが≪下位光線《インフラ・レイズ》≫と称している周波、あるいは周波帯は、彼らも探知できる。この周波数はエーテルのすぐ下の第一レベルにあるものだから、おそらくは第五系列の光線だと思われる。彼らの用いている探知器はランプ型のもので、宇宙空間あるいはふつうの動力装置から出てくる下位光線の、ふつうの強度のものであれば、それを感知して青灯を点ずる。強度が強いと赤灯を出す」
「うむむ、それで大丈夫だと思います。ロヴォルの祖父《おじいさん》の曾祖父《ひおじいさん》がそれを発見していました。ぼくもその光線のことはよく知っています」シートンがドラスニックを激励した。ドラスニックは怪訝《けげん》な表情で口を閉ざしていたのである。「ぼくは、その探知器がどんなにして、またどういう原理で作動するか、正確に知っています。ぼくたちは、その探知器で、やつらに気どられてしまったんですよ。ぼくたちは、ここからあそこへは、凝集ビームに乗って結像していたが、ぼくたちの二次投射器は、あそこへ行くと、放射線を出すんです。それで、やつらの百万マイル以内にある探知器にはぜんぶ感じられてしまう」
「もうひとつの興味|津々《しんしん》たる事実は、非常に多数の人間が、理由もなく、なんの痕跡もなく、突然にいなくなったという事実だ。その数はおそらく五百人、いや、もっと多数かもしれない。彼らのいなくなったのは、われわれの通信――あの警告が全国にアナウンスされた直後のことらしい。皇帝フェノールも失踪した一人だ。皇帝の家族は残っている。皇太子が代わって国を治め、皇帝の政策を継承しておる。消えた他の人間たちは、どれも似たりよったりだが、非常に奇妙なフシが感じられる。第一に、消えたものは一人残らず≪延期党≫の党員だということだ。これはフェナクローンの小数政党で、≪制服≫は時期尚早と考えている連中だ。第二は、どの一人も何らかの有用な頭脳活動の第一人者だということだ。各方面で、すくなくとも一人の失踪者が出ている。軍ですら、最高司令官のフェニモル将軍とその全家族で失踪しておる。第三には、これは実に注目すべきことだが、失踪者はみんな、家族ぐるみで、子どもや孫まで、どんなに幼くとも、いなくなっているということだ。
もうひとつわかった事実は、フェナクローンの宇宙航行省が、国内の全宇宙船、とくに僻遠《へきえん》、宇宙空間を航行できる宇宙船をシラミつぶしに調べておる。船艇はすべて登録を求められ、どこを航行していても、個々の追跡標識で現在位置がチェックされている。しかるにいまのところ、フェナクローン宇宙船で行方不明のものは一隻もないのだ。
それから少しは、うわさ話や憶測の類を調べてみた。そのうちのいくつかは、いまの失踪事件に関係がある。一説によれば、失踪者は実はフェナクローンの秘密警察の手で処刑され、皇帝はその復讐に暗殺されたというのだ。しかしいちばん流布《るふ》しているのは、みんな脱走したのだという説だ。みんなジャングルのどこか遠いところに潜《ひそ》んでいる――そう考えているものもある。きびしい船艇登録制で長期の宇宙旅行は不可能になっているし、惑星を出る船があればすぐ探知器で見つかってしまうから、というのがこの根拠だ。
また別の噂によれば、フェニモルとかラヴィンダウというような実力者なら、航行省にも知られず、承認を得ないでも、好きな宇宙船が作れるという。あるいは、こういう有力者が宇宙艦を一隻盗み、その記録を破棄したのではないか。ラヴィンダウなら探知スクリーンを無効化できるだろうから、警報が出ないのも怪しむに足りないという。この説をなすものは、失踪者はどこか別の太陽系、ないし同じ太陽系の別の惑星へ移住したと信じている。一人の老将軍だが、自分の意見だといって力説していた――卑怯な売国奴どもは銀河系外へ逃げたのに相違ない。だから、残りの延期党の連中を銀河系外へおっぽりだすがいいんだと。簡単だが、だいたい以上が、少しの調査した事実で、あんたの問題に関係のありそうなことだ」
「非常に有益なヒントだ――みんな一定方向を暗示しています」シートンが言った。「しかし、≪延期党≫のやつらも、他のやつら同様、大宇宙征服の狂的な信奉者なんだ――ただ、もっと慎重にしなければならんというだけの違いだ。絶対にギャンブルは犯さないと。しかし、あんたは推理を導き出したとおっしゃったが、それはどんなことですか?」
「以上の事実および憶測の分析を、ここでは時間がないから述べなかったが、わしの純然たる心理学的指標と照らし合わせて、わしはつぎのような結論を出しておる。彼らはおそらくは、こうした緊急事態に備えて以前から大きな宇宙船を作っておき、それに乗って彼らの太陽系を去ったものに違いない。わしは彼らの行き先については自信がない。しかし個人的意見を言えば、彼らはこの銀河系を去った。そして別の銀河系のどこか適当な惑星へ移り、そこで新規|撒《ま》き直しを計画しているのだ。将来いつの日か、彼らはその惑星を出て、はじめの計画どおり大宇宙征服に乗りだすのではないかと思う」
「そんな途方もない!」シートンが叫んだ。「そんなことできるはずがない――百万年は不可能だ!」だが、ちょっと考えてから、もっと冷静になった。「しかし、できるかもしれない――それに、やつらの気質からして、やりかねない。あんたは百パーセント正しいと思う。ぼくたち、いまこそほんとうに、やつらを狩りだす重荷が肩にかかってきた。じゃどうも。ありがとう」
投映器へもどったシートンは憂鬱な、放心に近い精神集中の状態で床を往き来した。猛烈なパイプが周囲空気を濛々《もうもう》と汚染している。だが、クレーンはいつものように冷静かつ泰然として、親友の機敏な頭脳がめまぐるしく回転し、いま彼らを取り巻いている障壁を、搦《から》め手からにしろ正面からにしろ、ひとつの突破口を見つけるのを待っていた。
「できたぞ、マート!」シートンは叫び、制御盤へ素っ飛び、積分式をつぎつぎとセットした。「もしやつらが宇宙船で惑星を脱出したのなら、航行を監視できるはずだ。とにかく何をやらかそうと、やつらのしたことは何でも見てとれる」
「どんな方法で? もう一ヵ月も経っているよ」クレーンが詰《なじ》った。
「半時間以内に、やつらの出発時間が正確にわかる。ぼくたちはただ、やつらの出発時間から今までに光が走った距離を走るだけの話だ。発射された光線を収集し、数十億倍に増幅し、起こったことを見る」
「しかしぼくらは、どの惑星空域を捜すのかわからんじゃないか? 彼らが出発したのが夜だったか昼間だったかもわからんじゃないか!」
「やつらの会議室へ行くんだ。そこから出来事を追跡していくんだ。夜か昼かなど問題じゃない――いずれにしろ、この霧だから、ぼくたちは赤外線をつかわなけりゃならん。赤外線なら夜間だって昼間以上によく見えるんだ。どんな惑星にも絶対の暗黒などというものはないんだ。われわれは、夜であろうと日中であろうと、どんなことだって起こったことを可視にするだけの強い力をもっている。マート、ぼくはここから、同じ方法で、エジプトのピラミッドの建造を見、写真に撮ることだってできるんだよ――数千年も前に建造されたピラミッドのだ」
「なに、そんな! 何というすごい可能性だ!」クレーンが溜息をついた。「でも君には……」
「できるとも。ぼくにはいろんなことができるんだ」シートンは乱暴にクレーンの言葉をさえぎった。「しかし、たったいまは、もっと別のフライにしなけりゃならん魚がある。ほら、ぼくはいまあの首都を掴《つか》んだ。ぼくらがあそこにいた頃の、過去のあの部屋だ。失踪したというフェニモル将軍は、たったいま、あそこの会議室にいなければならん。ぼくは、投射結像をすこし遅らすようにするよ――時間が早く経過してしまうらしいから。ぼくたちはあそこへちょいと出かける。そしてこれから起こることを見る。ぼくはビームを混合し、組み合わせ、また組み合わせ、あたかもぼくたちが実際の光景を見ているようにする。もちろん実際はずいぶん複雑な手続きだよ、追跡して、増幅してだからね。しかし、ちゃんとうまくいくはずなんだ」
「とても信じられないよ、ディック。過去に起こったことを実際に見るなんてことが!」
「そう、ずいぶんと難しいことは難しい。ドットなら言うだろうが、≪あまりに完全に、罰当りにとてつもない≫ことだ。しかし、ぼくたちやるよ、な、やるだろう! ぼくが方法、原理を知っている。いつかヒマなときに、君の頭脳へこの方法を注射してやる。ほら来た!」
実視板を覗きながら、二人の地球人はフェナクローン首都中央にある巨大な円錐型建築の真上に浮かんだ。赤外線で見ているのだから、濃い霧もまったく視界の妨げとはならない。同心円環状都市の、形容の言葉すらない美しさと、都市の周囲の鬱蒼《うっそう》たるジャングルの偉観が鮮明に大きな実視板上に映しだされている。彼らは一挙に皇帝の会議室へ飛びおりた。そこに、フェノール、ラヴィンダウ、フェニモルの三人が熟議《じゅくぎ》を凝らしている。
「それだけあらゆる手品と記述と魔法の奥儀をきわめていながら、どうして彼らの会議を再構成して可聴《かちょう》にしてくれないのだ!」クレーンが挑《いど》むようにシートンを見た。
「うん、≪疑いぶかいトーマス≫のマート――可聴にするのも絶対に不可能というわけじゃないかもしれんが……。しかしそれには二つの投映器が要るんだ。音波と光波のスピードが異なるからだ。理論的には、音波はどこまでも空気中を走るはずだが、実際問題としては喋ったあと一時間かそこらすれば、声の再構成ということは、どんな探知器と増幅器をつかっても、まあ不可能だろう。しかしもしかすると――うむ、これはいずれ後日の宿題にしておこう。しかし、たしか君は読唇術はエキスパートだったな。できるだけ、会話を読んでみてくれ」
まるで、実際に起こっていることを、実際に見ているようである。もちろん、見ていると≪言える≫という意味である。二人は出来事をみんな見た。フェノールが死んだのも見た。将軍の家族が空中ボートに乗るのも見た。ラヴィンダウの組織の人びとの整然たる乗艦ぶりも見た。そして最後に、史上最初の星雲間宇宙船のすさまじい発進ぶりを見たとき、シートンは行動に移っていた。彼は第五系列ビームの速力をあげ、脱出する宇宙艦の航跡を追った。ついに、彼の探知変換器が、彼らの追っているエーテル波を保持できないまでに、ビーム速度はあげられた。数分、シートンはじっと実視板に眼を凝《こ》らし、針路を算定し、諸超エネルギーを計算し、それからクレーンへ向き直った。
「うむ、マート、気高いぼくの親友! 失踪の謎を解決するのは案外たやすかった。しかしフェナクローンの生き残りを一掃する仕事は、いっこうに容易にもならんし、早くもならん」
「計器類のデータから判断すると、彼らは銀河系を去って真っ直ぐに宇宙空間へ去ったらしい。彼ら、最高加速度を使っていると思えるが」
「そのようだ。やつらは絶対空間へ出てしまったらしい。脇目もふらず去ってしまった。動力を逆転するつもりも、速度を落とすつもりもなかった。惑星を出発以来ずっと、毎秒加速度を絶対トップで増しつづけた。いずれにしろ、やつらあんまり遠くへ行っちゃって、探知器すらやつらをつかまえておれん。いわんやぼくの制御できる超エネルギーなんか、もう役に立たん。よし、急ごうぜ、相棒――わが道を行くとしよう!」
「待て、ディック! 焦《あせ》っちゃいかん。どういう計画なんだい?」
「計画もクソもあるか! 計画などどうだっていい。他のやつらが逃げ出さんうちに、あの惑星を爆発させるんだ。それからあの艦を追っかけるんだ――必要なら、アンドロメダまでも。さあ行こう!」
「落ち着け、ディック――また君はヒステリーを起こしている。彼らは光速の五倍という最大加速度で行っているんだ。その点はぼくたちも同じだ。彼らの駆動方式を採用したんだから。しかし彼らは一ヵ月先に発《た》っている。追いつくのにどれくらいかかると思う?」
「うん、そうだ、また君にやられた――どうもぼくはあわて者でいかん」シートンはしばらく考えてから口惜しそうに言った。「彼らは毎秒ぼくらより百万倍かそこらも早く走っている。そして幾何級数的に駆け離している。どう思う? 君の考えは?」
「惑星を破壊する時機が来たことは、ぼくも認める。星雲間宇宙で、あの艦を追うことは、これは君の問題だ。君はこっちの加速度を増す方法をなにか考えつかなくてはならない。この推進方式はたしかに能率的ではあるが、ぼくはノルラミン人の知識でもっと改良できると思う。加速度をちょっと増しただけでも、必ずいつかは彼らに追いつけるんだから」
「うう……うう……う」もう苛立ちは冷《さ》め、シートンは深い思案に耽《ふけ》っている。「どのくらい遠く行かなければならんかしら?」
「じゅうぶん彼らに近づいて立体投映を使えるところまで行くんだから――まあ五十万光年というところかな?」
「しかし、いつかはやつらもストップするだろうな」
「もちろんだよ――しかし、何年もストップせずに走るかもしれない。百年分の動力と補給品を積んでいる。憶えているね? そして≪遠い銀河系≫へ行くと言った。ラヴィンダウのような男が、いい加減に≪遠い≫銀河系などと言うはずがない。いちばん近い銀河系だって、遠いことはほんとうに遠いんだから」
「しかし、ぼくたちの天文学者どもが信じるところによると……それとも連中、違っているかな?」
「彼らの推定値は、例外なく真実よりはるかに低い。もちろん、正確に測れるような規模の距離ではあり得ないが」
「よし、それじゃあの惑星をまず片づけてからにしよう」
シートンはすでに、フェナクローンの戦艦の用いていた動力バーの貯蔵してある火薬庫の位置を見つけていた。フェナクローン惑星の大気層で、二次投映器を確立するのは短時間の仕事でしかなかった。この二次投映器から超エネルギービームが幾本か伸びて、鍍金《メッキ》銅のずっしりした大口径シリンダーの一本を掴んだ。そしてシートンの操縦に従って、ビームは銅シリンダーを惑星の北極へ急速に運んだ。超エネルギー電極が銅シリンダーにとりつけられた。同じようにして、さらに十七本の銅バーがフェナクローン惑星地表に、それぞれ等間隔に分けて据えつけられた。銅バー十八本が同時に爆発すると、下向きの超エネルギーは惑星中心部で互いに抵抗し合い、惑星全体を炸裂することになる。すべての準備が終ると、シートンの手がプランジャースイッチにかかり、回路を閉した。シートンは血の気を失い、脂汗を流し、手を落とした。
「だめだ、マート――ぼくにはできない。ぼくは首を抜かれてしまう。君にもできないことはわかっている。誰かに頼もう」
「赤外線に乗せましたか?」シートンの呼びかけに応じて、すぐ投映器のなかに入ってきたダナークは落ち着いた声で訊いた。「私は自分の眼で、みんな見たいんです」
「赤外線に乗せた――好きなだけ見てくれ」
地球人二人が投映器から出ていったとき、巨大な装置全体が、強烈な、だが抑制された輝燿《かがやき》で一瞬照らしだされた。ダナークが数分間、食い入るように実視板を見ていた。信じがたい爆発力をもった十八個の巨大な火薬によって加えられた、すさまじい宇宙異変を眺めながら、ダナークの兇暴な緑色皮膚の顔に残忍な満足の笑みが浮かんだ。
「すごい――きれいな大掃除でした、ディック」オスノームの皇太子が実視板から眼を放しながら言った。「惑星が太陽のようになりました。もとの太陽は、すばらしい二重星になっています。ぜんぶ蒸発してしまいました。最外側スクリーンの外、はるかに遠くまで、何もかも無くなりました」
「どうせしなければならなかったことだ――やつらが、でなければ宇宙全体がやられたのだ」シートンが震える声でつぶやいた。「しかし、惑星がなくなっても、仕事はちっともやさしくなりはしない。よし、もうこんな投映器など要らん。これからは、純然たるぼくたちだけの仕事だ。スカイラーク第五の仕事だ。おい、早くあっちへ行ってみよう、宇宙船が出来上ったかどうか?――彼ら、今日までに仕上げると約束していたんだ、そうだったな?」
一同は黙りこくったまま、小さな空中ボートに乗った。目的地までの中ほどのところで、シートンは急に憂鬱なムードから抜け出して、大声で叫んだ。
「マート、突きとめたぞ! ぼくたちのスカイラークに、やつらのよりはるかに大きな加速度を与えることができる――それに、ノルラミン人全部の頭脳の援助なしにできる」
「どんなやりかたで?」
「非常な重金属を燃料に使うんだ。解放されるエネルギー量は原子量、原子番号、密度の函数だ。しかし解放という事実は原子の構造によるのだ――ずっと以前、君とぼくで考えてみたじゃないか。しかし当時は、ぼくたちの思考もその先は進まなかった。そのはずだ、ぼくたちは何も知っちゃいなかったんだから。銅はふつうの励起《エキサイテーション》によって崩壊する希少の金属のうち、いちばん効率の高いものだった。しかし、特別の励起機《エキサイター》を使って、分裂過程をひき起こすに必要な全エネルギー系列を送れば、ぼくたちはどんな金属だって動力燃料に使えるんだ。オスノームはラジウム、ウラニウムをふくめもっとも重い金属をほとんど無限に地下埋蔵している。もちろんぼくたちはラジウムを使って、しかも生命を全《まっと》うするわけにはいかない。しかしウラニウムは使えるし、また使おうと思うんだ。ウラニウムだと、銅で得られるものより四倍もの加速度が得られる。ダナーク、君は大急ぎでオスノームへ飛んでウラニウムを一立方マイルばかり精錬してきてくれんか? いや、ちょっと待て、ぼくはこの仕事に超エネルギーを一大隊動員する。超エネルギーのほうがずっと早く仕事をする。ぼくは超エネルギーに注文物品を納入させる。ウラニウム・バーは明日、積込みの用意ができる。これだけ動力があれば、ぼくたち一生かかっても、やつらを追跡できる?」
投映器にもどり、シートンは、厖大な必要量を精錬、運搬するに充分な複雑な超エネルギーシステムを起動した。三人がふたたび空中ボートに乗りこんだころには、投射器のなかの動力バーは、遠いオスノームのウラン鉱によって、その上にかけられた厖大な荷重で紫の白熱光に輝いていた。
スカイラーク号は、彼らがこの前見たとおり、田園の地上二マイル以上に伸びて横たわっていた。だが前のように水のような澄んだ透明色ではなく、全長一万フィートの宇宙艦は、キラキラと光る、透明な、紫色の金属アイノソンの継目なしの流線型構造物であった。開いたドアの一つから、彼らは内部へ入ってエレベーターに乗った。たちまち制御室へ運ばれた。そこには年とった白髯のノルラミンの研究者たちが集っていた。すでに千人以上もが、バンク〔自転車競技などの走路の、土手のようになった傾斜部分〕状に並び、段状に重ねられた鍵《キー》の巨群を囲んで集っていた。これがシートンに約束された、異常なまでの完璧さを誇る第五系列投映器の運転機構であるに違いない、とシートンは思った。
「ああ、若い人たち――ちょうど間にあいましたね。一切が完成しました。われわれはこれから積込みを始めようかと話しあっていたところです」
「ロヴォル、すみませんが、二つばかり変更をお願いしたいんです。励起機《エキサイター》を作りかえるか、でなかったら新しいのを作って下さい」シートンは早速クレーンと相談し合った兵器の内容、作戦内容を説明した。
「もちろんウラニウムははるかに効率のよい動力源です」とロヴォルは大賛成であった。「あなたがたが、それに考えついたのは、ほんとにおめでとう。この惑星では、あの高効率グループの重金属はきわめて希少だから、わしたちの誰ひとりとして、そこに考えが及ばなかったのもむりはない。ウラニウムの励起機をひとつ新しく作るのなど、簡単な仕事です。それから、コロナ損のための変換器は作りかえる必要はないですね、もちろん――変換器の作用は、放出されるロスの周波数にだけよるので、ロスの大きさによるのではないから」
「みなさんは、フェナクローンの生き残りが一生涯われわれを追いまわすかもしれんとは、お考えになりませんでしたか?」ダナークが真剣な表情で訊いている。
「われわれそういうことにはすこしも考えつかなかったな」五人委員会議長が一同を代表して答えた。「あなたたちも、年をとるにつれて、トラブルや心配事を見越してくよくよしなくなってくるだろう。まだ起こりもしないことを、早くからあれこれと心配するのは、まったくむだな苦労というものだ。われわれの若い友達シートンは、さすがにまことの学者らしい態度で杞憂《きゆう》に陥らない修業を積んでおられる」
やがて、幾本もの超エネルギーが投映器から飛びだして、ウラニウム原子崩壊を促す複合励起機を作り終えたとき、シートンが言った。
「じゃ、これですっかり完成ですね、ロヴォル? 船体の余分のスペース全部を満たすだけのウラニウム金属が、明日ここへ到着します。あなたは、クレーンとぼくにこの投映器の操作法を教えてくれませんか? ≪実験地域≫の投映器よりもケタ外れに複雑のようですね?」
「これはノルラミンでもかつてみない完璧な機械《しろもの》ですよ」ロヴォルは笑いながら、「わたしたち一人一人が、すこしでも役に立つと考えたものは全部このなかに作りこんだ。それにわれわれの専門領域を合わせたら、ずいぶん広いものになるから、この投映器はまったくもって万能というか、すごい応用範囲になっています」
一同が複合受話器をかぶった。ノルラミン人の頭脳ひとつひとつから、二人の地球人の頭脳へ完全にして細密な知識が注入された。彼らの眼の前のこの巨大な複雑機構に収蔵された、驚異の超エネルギーコントロールの使用法、そのあらゆる可能な適用法が教えこまれた。
「うむ、ちょっとした装置だ!」教育が終ると、シートンが驚いて叫んだ。躍りだしそうな嬉しい表情である。「卵を生む以外のことなら何でもできる――おっと、卵だって生まんとはぼくは保証できない! よし、女たちを呼んで、見せて回ろう――この船が、しばらくは彼女たちの家庭になるんだから」
女性たちを待つ間、ダナークがシートンをそばへ呼んだ。
「ディック、この宇宙旅行に、私を連れていかないんですか? もちろん私は、あなたがウルヴァン、カルフォンその他みんなを惑星《くに》へ帰らせたのに、私だけは帰らせなかったのは、何かあるんだとは思っていましたが……」「いや、ぼくたち二人だけじゃだめなんだ。厭なら別だが、君も来てくれ。あとでゆっくり君だけに話すから、それまでこの辺にいてくれないか。君とぼくは頭脳を交換し合った仲だし、それにたくさん、悲しいこと、辛いことに一緒に出会っている。ほくがここで得た知識を君にもぜんぶ頒《わ》けてやらんのは済まんと思っている。しかし、実際はぼくも、こんなもの詰めこむのは嫌いなんだ、わかるね?」
「わかるですって? そんなことは、あなた以上によくわかっていますよ。私もこれをつめこまれるの嫌いですですから、つめこまれるのを避けて、すこし離れて見ていたのです。私の種族の誰一人として、私自身にしろ、こんなものつめこんではいけないぐらいの理屈は、わかりますよ。われわれも進歩してそれを受け入れられるほどのアタマができたら、自然に私たちもこんなもの扱うことができるでしょうが、それまではむりです」
二人の頭脳兄弟は強く手を握りあった。しばらくしてダナークはもっと明るい調子になって、「一つの世界をつくるにはいろいろの種類の人が要ります。宇宙をつくるにも、いろいろの種類の種族が要ります、フェナクローンみたいなのは除いて。マルドナーレが消されたいま、オスノームの進化も急速に進むでしょう。私たちはとうてい≪究極目標≫までは到達できないかもしれません。しかし、私はあなたから、いろいろのことを教わりました。われわれの進歩を相当に早くできるだけのことを教わりました」
「君がわかってくれるだろうとは信じていた。しかし、どうしてもこの胸のなかのモヤモヤを晴らしたかったのだよ。さあ、女たちがきた。シタールもだ。どれ、案内してまわろう」
シートンの最大の関心は、宇宙艦の頭脳、つまり永遠の宝石を薄くした包装のなかに忍ばされているニュートロニウムの貴重レンズのことであった。これなくしては、さすが威力の第五系列光線のビームも指向できないからである。シートンが捜すと、貴重レンズは針先のように鋭い艦首から四分の一マイルのところにあった。船体の長軸にぴたりと沿って据えつけられていた。そして難攻不落のアイノソン金属でつくった隔壁につぐ隔壁で保護されている。いかなる攻撃に対しても絶対といっていいほど安全に保護されている。シートンはこれで満足して、新しい宇宙艦の広大なあちこちを探検している他のものたちのほうへ歩いていった。
艦は巨大ではあるが、空間のむだはまったくない。すぐれた懐中時計のようなコンパクトな設計である。居住区は中央コンパートメントに接近して集められている。中央コンパートメントのなかには、動力装置、多数の発生機や投映器、そして第五系列超エネルギーの投映と操縦のための、無限といっていいほどの制御子をそなえた制御機構が収蔵されている。数個の大きなコンパートメントは艦の補助部門に向けられている。冷却機、ヒーター、水と空気の発生機と浄化器、その他この宇宙船を、熱なく光なく空気なく物質なき星雲間宇宙空漠のなかにおいて、無敵の戦闘艦たらしめるばかりでなく、快適で安全な家《ホーム》とするための、あらゆる装置と機械が無数に備えつけられていた。食料貯蔵のためには多くのコンパートメントが当てられていた。シートンたちが見回っている間も、無数の超エネルギーが第一化学学哲のサトラゾンの指図《さしず》のもとに、せっせと食料の積み込みをやっている。
「家庭の楽しみのすべてがある、ラベルまでがこれだ」
シートンは≪ドール♯1≫と書いた商標をみて苦笑した。数千光年も離れたこんなところに、ハワイ諸島のパイナップルの罐詰があるのはおどろきであった。過去数千年人間以外にはどんな動物も棲息したことのないノルラミン惑星から、新鮮な食肉が四半身、四半身と冷凍室へ入れられているのを、シートンは見た。残りの数百万立方フィートが動力用ウラニウムの貯蔵スペースであった。また数室にはすでに、修理用のアイノソンのインゴットがいっぱいに入れてあった。
船体を無数の気密|区画《セクション》に分割している多数の壁の隙間にも、また艦を宇宙航行の悪条件に耐える堅固さに保護している同心性応力外板(いかに数百フィート厚のアイノソン装甲でも、どのような原因で、どのような方向に、絶対に裂けないとはいえないからだ)のあいだの間隙にも――つまり船内のありとあらゆる隙間に、ウラニウム金属が貯蔵されるのである。それがどれほどの厖大《ぼうだい》な量になるかは、あの貪欲な発生機をみればわかる。いかに航行が長期にわたろうと、いかに動力への要求が激しかろうと、この発生機をしょっちゅう満腹にしてやらなければならないからだ。各室は数系統の筒状トンネルで連絡されている。超エネルギー駆動車やエレベーターがトンネルのなかを滑らかに往復する。チューブを構成する壁は、破裂の際、どの点でも気密になるよう、周囲から中央落下してそこで閉塞《へいそく》されるような設計になっている。
広壮な制御室へもどる途中、彼らはあるものに気づいた。前は、あまり小さくて眼に入らなかったのである。制御室の二重になった床の外側甲板からすこし離れて、特別設計になる球型の発射スペースに、スカイラーク2があったのであ
る。すでに完全装備され、いつでも自前の星雲間宇宙航行へ飛びたてるように待機中である。
「まあ、こんにちは、懐しいスカイラーク号!」マーガレットが感激して呼びかけた。「ラヴォル、あなたのお心、やさしいわ! 懐しいスカイラークがなかったら、家庭《ホーム》は決して家庭じゃありませんもの、そうじゃない、マート?」
「真心のこもった思想であるとともに、実際的な思想だね」とクレーンが反応した。「この大きい宇宙艦には不向きなちょっとした旅行に、たしかにこれに乗って方々へ行けるチャンスはあるね」
「そうだわ、小さなボートを乗せていない外洋船など聞いたことあって?」当然ドロシイの出る幕であった。「彼女、あまりに完全に罰当りにチャーミングで、言葉がないわ、そこに坐っている可愛い姿!」
[#改ページ]
一五 銀河系の決闘
外板が膨《ふく》れるほどもぎっしりとウラニウム・バーを詰めこまれ、ノルラミンの偉大な知性が総動員して予見する、きわめて小さな可能性しかもたないどんな緊急事態にも対処できる完全装備をほどこされ、スイカラーク3は静かに地上に憩っていた。静かに――だが、巨体には威力がはちきれているのだ。シートンの張りつめた心には、スカイラーク3が早く宇宙へ飛びたちたい彼の衝動を頒《わ》けもっているように感じられた。この不自然な、この不快な大気という環境、物質的な実質に煩わされた惑星環境を抜けでて、宇宙空間へ遠く高く昇り、あの絶対ゼロ温度と気圧との世界、あの彼女の性に合った棲《す》みなれた媒質である純粋無垢のエーテルのなかに羽ばたきたいと、必死に願いながらも許されぬまま、その中立制御《ニュートラル》の無為のなかに、彼女は静かに息をひそめて横たわっているかのように見えた。
五人の人たちは、宇宙艦のひとつのドアのそばに集った。彼らの前に、年老いたノルラミンの科学者たちが立っていた。この大宇宙を脅かす怪物的な種族を叩きつぶす彼らの企図に協力して、あれほど長く、日々|倦《あ》くことなく働きつづけた科学者たちであった。長老科学者たちに混って、≪若人の国≫から来た、地球人のたくさんの友達の姿も見えていた。巨大な宇宙艦を遠くから取り囲んで、無数のノルラミンの大群が集っていた。平方マイル単位でしか測れないような広域が、これらの群衆でぎゅうと埋められていた。惑星の各地から、一日の仕事を解放されてこれを見るために集った頭脳労働者たち、≪若人の国≫を空っぽにするほども集った若者たち。生涯の労働を終え、いまは平安な≪老人の国≫の涅槃《ニルヴァナ》に退いている人たちも、巨大な平和の船の航行安全を祈ろうとして、一日を割《さ》いてこの≪学びの国≫へ帰ってきていた。
堂々たる威風のフェダン、五人委員会の議長が送別の辞を述べて結んだ。
「……そして≪不可知の勢力≫が、みなさんの卑小なる勢力を導いて、首尾よくその任務を完遂させ給わんことを祈ります。しかしながら他方において、もしも何らかの予測し得ざる偶然にもとづいて、みなさんがこの至高の大冒険のうちに通過《パス》することが、円球《スクエヤ》に深く刻まれておりますならば、願わくばその死が完全なる静安のうちに行なわれますように! なぜならば、われわれ全種族の知的大衆は、ここにわたしを推して、フェナクローンの宇宙支配が決して許されるべきでないことを、断固として宣言することを求めているからであります。すべてのノルラミン人の名において、これをみなさんへの別れのことばといたします、さようなら」
クレーンが一同を代表して簡単に答辞をのべ、地球からの宇宙放浪者たちはエレベーターに足を踏みいれた。制御室へ急ぐ間、ドアまたドアが彼らの背後から、ぴしッぴしッと快い音をたてて閉じ、多重密封を確保していった。シートンの手が制御盤の上に舞うと、厖大な宇宙空無のクルーザーはかすかに艦首を上へ向けて徐々に傾き、ついに光った先端がほとんど天の極点を真っ直ぐに指さんばかりに直立した。やがて、はじめはきわめてゆるやかに、想像をはるかに超えた巨大マッスが、かるく空中に浮かびあがった。まだごくわずかの加速度しか加えられていなかった。やがて速力を増し、さらに速く、より早く、彼女は翔んでいった。計測のできる大気層はすぐさま突破され、緑色太陽系の最外側リミットはまたたく間に越えられていた。
やがて恒星間宇宙の広域へ出ると、シートンは、超出力の探知、斥力両スクリーンを張りめぐらし、一本の超エネルギーで自分の身体を駆動コンソールの上に支え、動力制御子を≪分子≫にセットした。超推進エネルギーはこの宇宙船とその全内容物のとあらゆる構成≪分子≫にひとしく作用し、重力と加速度の感覚はまったく失われた。彼がプランジャー・スイッチを閉じると、ウラニウム・バー駆動マッスの理論的に可能な全動力が、ひとかけらも残すことなく、この船の推力に注ぎこまれた。
シートンはじっと実視板に眼を注ぎ、ときどき円弧の一秒の数百万の一ずつ針路を修整した。やがて正しい針路が得られて満足すると、彼は超自動エネルギーへ操縦を任せた。超自動エネルギーは巨艦を忠実に誘導していく。もしも針路上あるいは針路近くに予期されなかった数千個の太陽が横たわっているという思わぬ障害物があれば、超自動エネルギーはわずかに針路を変え、迂回して進めてくれる。安心して超エネルギーに操縦を任し、シートンは身体と両足とを支えていた超抑制エネルギーを解き、ふわふわと空中を漂いながら、クレーンと二人の女性のそばへやってきた。
「ええと、諸君」彼はいつもと変わらぬそっけない調子で言った。「針路に乗った。しばらくこのままで進むんだから、慣れたほうがいい。すこしお喋りしたいかい?」
「彼らをつかまえるのにどれくらいかかるの? こんなふうにして旅行するの、すこし重力を入れてくれて、下に押さえてもらうのと較べたら、半分もつまらないわね」とドロシイ。
「どのくらいって、ちょっと言えんよ、ドッチー。ぼくたちがやつらの正確に四倍の加速度があるとして、そして同じ地点から出発したとすれば、ちょうどやつらがぼくたちに先立っただけの時間で追いつく。ぼくたちは、やつらに二十九日遅れて出発した。それだけじゃなく、五十万光年ばかり出発地点が遅れている。やつらの出発点へ達するだけでも多少の日数が要る。それだって、そう正確には測れん。この銀河系を出るまで今の加速度を減らさなければならないかもしれんからだ。ぼくたちの探知器と斥力発生帯をすこし遅くして、星その他バラバラの小天体がそれに反応するヒマを与えてやるためにだ。探知スクリーンも斥力スクリーンも反応は早いが、この混雑している銀河系では、ぼくたちの使える速度は制限をこうむる。銀河系を越えて豁《ひら》けた空間へ出れば、また全開にする。それから、ぼくたちの加速度は正確に四倍じゃない。たった三・九一八六倍しかない。それから大事なことは、やつらを叩くのに、なにも追いつく必要はないのだ。五十万光年ぐらいの距離からなら、かなり綺麗に戦える。だから、君たちがこのままでいる期間は――多分三十九日間か四十一日間のあいだだ。もっとも一日かそこら、出入りがあるかもしれないが……」
「彼らが銅を使っているってこと、どうしてわかるの? 彼らの科学者たちがウラニウムを貯蔵していて、その使い方も知っているってこともあり得るでしょう?」とマーガレット。
「それか――ほぼ確実なことなんだよ。第一に、マートとぼくは、やつらの艦に銅バーだけしか見なかった。第二に、銅はやつらの惑星にふんだんにある、最も効率的な金属だ。第三、たとえやつらがウラニウムあるいはそのクラスの他の金属をもっているにしても、第四系列と第五系列の光線についての知識が完全で、またその扱い方を知らなければ、使うことができないんだ」
「じゃ、君の考えでは、フェナクローンの最後の艦を破壊するのは、他の艦艇を破壊したのと同じくらい容易だというんだね?」クレーンが鋭く衝《つ》いてきた。
「うう……う。そんな角度から考えたことはなかったよ、マート。……君はやっぱりこの遠征隊随一の、地上の、そして宇宙の高き思索家だ。君がそれを言い出したからだが、最後のモヒカン族もたしかにぜんぜん歯も爪もないとはいえんかもしれんな。それにしてもマート、ぼくはどうしてこうも無鉄砲でせっかちな性質が治らないんだろう? ロヴォルはゆっくり慎重に考える偏屈じいさんだが、その老人の知識をぜんぶ頂戴しても、ぼくはちっとも前と変わらない」
「変わらないのは君だけじゃないよ。君の性質もぼくの性質も、ちっとも変わってはいない。気質は根本的な遺伝形質だから、知識を得たからって、また知識が増えたからって、変わるものじゃない。君はロヴォル、ドラスニックその他の知識を得た。ぼくも同じだ。それでも依然として、君は閃光のような頭の回転の早い天才で、ぼくは君の鉤合《つりあ》い輪《ぐるま》さ。フェナクローンに歯と爪があるかどうかだが、君もそこに気づいた今、この問題どう思う?」
「難しい。やつらは第五系列を使う方法を知らなかった。でなかったら逃げるはずはなかった。しかしやつらはどえらい頭脳の持ち主だし、この問題に取り組むのに七十日ばかりの余裕がある。七十日で大したことを発見するとは思えないが、それでもやつらの探知器に新しい装置をつけて、ぼくたちの力場を分析し、ぼくらがやつらのところで使う二次投映器のメカニズムを計算することはできるかもしれない。もしそれができれば、やつらが相当こっちを悩ますような新しいことを考えつくのに手間ひまはかからんだろう。
しかし、ぼくはどうしても、やつらにそれだけの知識があるとは思えんのだが。実際のところ、ぼくはどう考えるべきか、わからんのだ。やつらは簡単かもしれん、簡単でないかもしれん。しかし、殺すのが簡単か難しいかは別として、ぼくたちには断固《だんこ》戦う決意がある。ぼくは信じるよ――必ずやつらを討ち取れると」
「ぼくも本当はその決心だ。しかし、あらゆる不測の場合を考えないといけない。ぼくたちは、すくなくとも彼らが第五系列放射線の探知器をもっていることを……」
「もし分析探知器をもっているとしたら、ぼくたちが銀河系外へ鼻先を出したとたん、やつらは打ってかかるだろう!」
「かもしれんな――実際に攻撃をしかけてくる可能性は、ぼくはないと見ているんだが、それでも、対策は考えておいたほうがいい」
「そのとおりだ――それだけのことはするよ!」
無事平穏の日々が過ぎていった。シートンの計算したとおり、出発のときの恐ろしいまでの加速度はいつまでも維持しているわけにはいかなかった。銀河系外縁部に達する数日前、分子駆動をカットし、地球表面の重力に等しい加速度で進むことが必要になってきた。無重力状態の毎日、それに伴う数々の不快と不便を耐え忍んできた彼らには、分子駆動をカットされてからの数日は、短いだけに充分にその快適さを堪能《たんのう》することができた――だが、いかにも短かった。スカイラーク3の、針のように光った艦首の前方で、星の数が急に少なくなった。前方がひらけてきたことがわかるや否や、シートンはふたたび、威力バーを最高出力にあげ、コンソールにしっかりと取りつき、長く複雑な積分式を組み立てた。混合され綜合された諸勢力をプランジャーに流そうとしかけ、ふと手を止め、彼はしばらく考えていた。それからクレーンへ向き直った。
「すこし智恵を借りたいんだ、マート。ぼくは五重の防衛スクリーンを三層あるいは四層に張ろうと考えたんだ。そして各層の外へ探知スクリーンを張り、その上へ斥力スクリーンをかぶせ、さらに全|隠蔽《いんぺい》エーテル・スクリーンを張り、それを超エネルギー帯でおおう。各層の裏打ちには全隠蔽第五系列スクリーンをつかう。これら全部を鍵盤上に調節し、だがまだその動力はいれておかないで、一方広域探知スクリーンを入れる。するとこの広域探知スクリーンは、これを突破しようとするあらゆる刺激に対して敏感に反応するんだ。そして自動的に、広域探知スクリーンが必要と認める防衛スクリーンを、二層でも三層でも、あるいは四層でも起動してくれるんだ」
「ずいぶん念の入った防衛措置のようだね。しかしぼくは光線専門化じゃないから、意見は言えない。智恵を貸せとは、どの点のことなんだい?」
「防衛スクリーンを鍵盤上に調節しっ放しでいいかどうかということだ。というのは、自動的軌道はいいんだが、欠点は絶対的な同時起動ではないということだ。第五系列光線ですら、一層のスクリーンを発動するのに百万分の一秒かかる。さて、もしやつらがエーテル波を使っているとすれば、こっちは充分に防衛時間があるから問題はない。しかし、万一やつらが第五系列波を使っているとすると、ぼくたちの広域探知スクリーンのインパルスがここへ到着しないうちに、敵の第五系列波がここへ到着してしまうんだ。もっとも、こっちの防衛スクリーンが落ちてしまう前に、やつらがひどい振動をこちらに与えることは万々あるまいとは思うが。……いや、これはすこし考え過ぎたかな? どうもぼくは今度はひどく慎重居士の気質を涵養《かんよう》したらしい、時間があまるとこうなる。……ぼくたちウラニウムはふんだんにあるからかまわなかったんだ。よし、じゃ、一層だけスクリーンを起動するよ」
「四層か五層、いっぺんに出せないのか?」
「できないことはないが、まあ慎重を期そう。ぼくはエーテル・スクリーンに穴を残しておいて、可視光線をとおし――いや、そんなことやめた。第五系列に可視光線が混合してあるんだから、直接に壁にはめこまれた実視板の上でだって、物が見えるんだった。だから、エーテル・スクリーンは全部閉じよう、絶対密閉にしよう。穴をあけておかなくっちゃならんところは、一つだけ、きわめて狭い帯状|隙間《すきま》だけだ――ここを通してぼくたちの投映器を操作するんだから。そして帯状隙間は探知スクリーン一枚で防衛しよう。それから、防衛スクリーンは一層だけじゃなく、四層全部を発動しよう――それで大丈夫、ぼくたちは間違っていないんだ。ぼくはちゃんとわかっているんだ」
「彼らが、たとえどんなに狭くとも、その帯状隙間を見つけたら、どうなる? もちろん防衛スクリーンが自動的に隙間を閉じてくれれば、ぼくたち安全だが。しかし、ぼくたち、その隙間のコントロールを自動装置に委《まか》せっきりということはないだろうね?」
「必ずしもそうはならない。わかったよ、君は教育器械でこのことはまだじゅうぶん習っていなかったよな? 前の投映器はそうだったんだ。幾千とある周波帯のなかから、特定の一個でしか働かなかった。しかしこれはそうじゃない。これはウルトラ投映器だ。最後の段で、発明されたすごい改良投映器だよ。その搬送波は第五系列の一周波帯から、別のどんな周波帯へも切り換えができる。これだけは、フェナクローンも持っていないだろうことは、首を賭けてもいい! 他に何かいい提案は?……よし、じゃ始めるぞ」
五重スクリーン四層が張られた先へ、一枚の軽い、迅速反応探知スクリーンが投映された。ついでまたシートンの指は鍵《キー》のうえを飛び、一枚の探知スクリーンをつくりだした。非常に稀薄なスクリーンで、全出力銅バーのエネルギー以下の弱いものにはぜんぜん反応しない。また抵抗がゼロに近く、彼のウルトラ投映器の強いる全速力で駆動される。ついで、クレーンが計器盤をじっと観察している間に、またドロシイとマーガレットが夫たちの顔を淡い関心で見守っているうちに、シートンはプランジャー・スイッチを入れた。たちまち彼らの先方へ探知スクリーンが飛びだしていき、ますます拡大されていく。光速の数百万倍という想像もつかない超速度で拡がっていく。約五分、広く張りめぐらされた探知スクリーンが、ウラニウム・バーの最高出力で駆動されるかぎり遠くまで達し、従ってまた極度に稀薄になったとき、二人の男性はじっと計器を見つめた。だが、何の反応も現われない。シートンが肩をすくめた。
「カンが湧いた」とにやりと笑い、「やつらはちっともこっちなど待ってはいないのだ。『そんなケチなものは要らんよ、こっちは何だってあるんだから』――とやつらは見くびっているのだ。やつらは真っ直ぐに飛び去っている、全速でだ。ストップするつもりもないし、ゆるめるつもりもない」
「そんなこと、なぜわかるの?」とドロシイ。「距離で? どのくらいの距離なの?」
「いま投映したスクリーンで何も見つからなかったことでわかるんだよ、赤毛くん。距離が無意味なほど、パーセクで勘定しても無意味なほど、スクリーンは伸びたんだが、ちっともやつらには到達できない。うん、厳しい捜査というものは、ことわざにも言うとおり、長い捜査なんだ。この捜査も例外ではないらしい」
シートンは八時間毎に、この全抱擁型のウルトラ探知スクリーンを投映した。だが来る日も来る日も、張られた巨大ネットに虫一匹かからない。徒労は果てしなく続き、各計器は押し黙って静かだった。彼らの後ろにした銀河系は、日々に小さくなっていった。全天を埋めつくす星屑の大群から、それはかすかに輝く小さな楕円に収縮していった。八時間前のスクリーン投映のときは、それは、小さくはあるが、まだはっきりと見えていた。だが今、ドロシイとシートンが当番で、二人きりで広い制御室にじっと坐り、ふと実視板を覗いてみると、彼らは慄然として眼を疑った。われわれの銀河系はもう、他の小さな光のシミと識別すらつかぬ微光の小点になってしまっていたからである。他のどの星雲とも同じような、遠く淡い、めだたない存在でしかなくなっていた。
「おそろしいことだわ、ディック……怕《こわ》いほどだわ。あたしグリーンピースみたいに青くなってしまう!」ドロシイはぶるぶるっと身震いして夫のそばへにじりよった。彼の両腕がしっかりと妻を抱いてやった。
「大丈夫だよ、ドッチー。落ち着きたまえ。あんな光景には誰だってぞっとする。ぼくだって紫色に怯気《おじけ》づくよ。有限の心には、こういうのは理解の外なんだ。しかし、それを埋め合わせてくれる要素がある――ぼくたちが一緒だということ……」
「でなかったら、あたし耐えられないわ」ドロシイは昔のような情熱と憧憬とで、夫の抱擁にさらに強く応えて武者《むしゃ》ぶりついた。「やっとすこし落ち着いた。あなたが参っても、あたしは大丈夫、大丈夫って励ましたでしょうね。あたし、自分が臆病《イエロー》な性《たち》かしらと悲観しかかっていたのよ……でも、あなたはあたしをからかっていたんだわね?」彼女は夫の肩にあてた両腕をのばして、しげしげとシートンの眼に見入り、やがて安堵《あんど》したように、また逞しい腕の中へ身を投げ入れた。
「違う――あなたもこわがっている」それから必然的に、彼女の豪華な金褐色の髪のあたまは、彼の肩の居心地のよい彎曲部に、その休息の場所を見出していた。
「臆病《イエロー》だって!……君がかい?」シートンは妻をさらに強く引き抱き、大きな声で笑った。「たぶんね……だけど、ピクリン酸だって黄色だよ、TNTだって黄色《イエロー》だよ、純金だってそうだ」
「まあ、殺し文句ね!」クックッと、低い、魅するような忍び笑いがつづいた。「でも、あたしがとても嬉しがるってこと、知っているのね。キスしてあげるわ、ご褒美《ほうび》に!」
「ここはほんとうに孤絶っていう感じだわね、星ひとつ見えないんだから」しばらくして彼女は続け、また笑った。「もしクレーン夫妻とシローがいっしょでなかったら、あたしたち本当に≪やっとのことで二人きり≫だわね、フフフ」
「そのとおりだ! でも、それで思いだした。ぼくの計算では、さっきのウルトラ型スクリーン投映でフェナクローンを探知できたかもしれなかったんだが、だめだった。交替する前にもう一度やってみよう」
シートンはふたたび稀薄な勢力ネットを投映した。その先端部が、走行距離の極限に達したとき、マイクロ電流計の針が、かすかに揺れた。ゼロ標点をごくわずかに逸《そ》れた。
「うわーァ! やった!」シートンが叫んだ。「マート、つかまえたぞ!」
「近いかい?」クレーンが急に元気づいて制御室へ入ってきて訊いた。
「近いはずがないじゃないか。かすかにさわった。感度を百万ばかりに上げて、はじめてマイクロ・アンペアの千分の一以下の微弱電流を感じた。しかし、ぼくたちの考えが正しかったことが証明された」
翌日――
スカイラーク3は、北アメリカ合衆国の東部標準時間にもとづいて驀進《ばくしん》していた。二人の数学者は、計算やグラフで埋った紙片を、つぎからつぎへと重ねていった。数値を点検・再点検した後、ようやくシートンは動力を切り、分子駆動をやめ、毎秒二九・六〇二フィートの加速度を投入した。ほぼ正常の重力が戻ってきたとき、五人の人間はいっせいに安堵の溜息を吐いた。
「どうして緩《ゆる》めたの?」とドロシイ。「彼らはまだ、気の遠くなるほど遠方じゃないこと? どうして急いで、捕まえないの?」
「ぼくたちがやつらより無限に速く走っているからだ。全加速度を続けると、早くやつらを通り越してしまって、戦争にも何にもならない。これだけ遅くしても、近くなったとき、まだやつらよりずっと速いんだ。しかし、必要に応じて一戦を支えられないほどは速くはない。もう一度やつらに探知スクリーンをかけてやらなけりゃ……」
「その必要はないと思うが」クレーンが考えながら言った。
「結局、彼らも多少は機械類を完成しているかもしれないが、昨夜ぼくたちの接触スクリーンの極度に微弱なタッチまでは探知できなかったのかもしれんじゃないか。だとしたら、わざわざ警戒させるようなことはしないほうがいいだろう」
「スクリーンを送られなくとも、絶えず警戒はしているだろうとは思うが――それでも、君の考えは健全だ。それと同じ考えに立って、ぼくは第五系列のスクリーンを投映してみよう、これは、およそスクリーンとしては最高速のものなんだ。ぼくたちは今、ほぼ、軽い銅駆動ビームなら、その到達距離内にいる。しかし重い銅駆動ビームだったら、とてもここまでは届きっこない。それをぼくたちの自惚《うぬぼ》れと敵が考えているなら、なおさら好都合だ」
「さあ」と彼は、鍵盤に数分間指を走らせた後に、また口を開いた。「みんなセットした。敵がこっちに探知ビームを投映してきたら、火炎サイレンのようなひどい音を出す超エネルギーをセットしておいたからすぐわかる。君に問いつめられたら、すこし用心をしすぎていることは認める。正気の絶対零度以下一万度ぐらいも、慎重を期したといわれても仕方がない。しかしぼくはシャツを賭けてもいいよ――やつらは、こっちが起爆してやらんうちは、絶対気がつかんから。それに……」
シートンの話の後半は、けたたましいベルの漸強音で聞こえなかった。まだ制御盤についていたシートンは、ベルを消し、メーター類を仔細に調べた。そして意味ありげに笑いながらクレーンへ向き直った。
「君はシャツを獲《と》ったよ、マート。つぎの水曜日、クリーニング屋から新しいのが来たら、君にやる。第五系列の探知スクリーンだ――その周波帯四七五〇に見事に接触したなァ」
「彼らに何か投射しないの?」ドロシイが訊いた。
「いいや――意味ないもの。ぼくはやつらの心がちゃんと読めるんだ、自分の心以上に。たぶんやつらもそれを知っているんだろう。もし知らないんなら、こっちはメリーさんの小山羊《こやぎ》みたいに無邪気に近づいていると思い込ませられるが、とにかくやつらのあのビームは稀薄すぎて、何も怕いものは搬送していないんだ。すこしでも、ビームを重厚にするようだったら、ぼくはすぐ斧《おの》をふるって断ち切ってやれる」調整装置や鍵《キー》のうえへ指を舞わせながら、シートンは軽快で陽気な口笛を吹いた。
「おや、ディック――あなた、いまのを喜んでいるように見えるけど」マーガレットは明らかに不安そうである。
「そうだよ。ぼくはベビーの仔猫を溺死させるのは好かんのだ。たとえ相手がフェナクローンでも、≪背後からひと刺し≫というのはぼくの性《しょう》に合わない。しかし正面からの戦いだったら、ぼくは落ち着いてやつらを宇宙空間の外へ吹きとばしてやれる、身震いひとつするこっちゃない」
「でも彼ら、猛烈に反撃してきたら?」
「それはできっこないんだ――起こり得る最悪の事態は、ぼくたちがやつらを潰《つぶ》せないということだ。やつらは絶対にこっちを潰せない、こっちの速力が大きいから。もしぼくたちだけじゃ討ち取れなかったら、ノルラミンへ戻って援軍を引っぱってくる」
「ぼくにはそんなに自信はないな」クレーンがゆっくりと洩《も》らした。「第六系列の超エネルギーが理論的に存在する可能性があるとぼくは信じる。第五系列光線を使う探知方法を拡大応用すれば、ぼくたちを探知できるだろう?」
「≪第六系列≫だって? 硝石の甘いアルコール! そんなもの、誰も知らない。しかしぼくはもう一度前にも第五系列でショックを受けているから、君のその示唆も、響きかたほどは狂ったものじゃあるまい。まだどちら側も、第六系列に搬送させるのだったら別のこと、それ以外のもので投映できるまでには、三日か四日ある。その間にぼくはこの問題を考えてみる」
シートンは言うが早いか研究にとりかかった。それからの三日間、彼はぜんぜん休憩をとらずに没頭した。やがて――
「よし、マート」ようやく彼は宣言した。「第六系列はやっぱり存在する。しかもぼくはそれを探知できる。これを見てくれ」小さな受信器を指さした。受信器には小さなランプが強い緋色をだして輝いている。
「彼ら第六系列を送っているの?」
「幸い、そうじゃなかった。第六系列はぼくたちのバーから来ているんだ。ほら、ぼくがバーからのそれを遮《さえぎ》ると、ランプは青くなる。そしてまた、やつらの探知光線に受信器を当てておけば、ランプはずっと青のままだ」
「君は第六系列を指向できたのか?」
「絶対にだめだ。一生、いや一生を幾つ重ねて研究したってむりだろう。誰かが、かなり完全な第六系列エネルギーのパターンにごく近いものを使っていて、ぼくがそれを分析できるというのでないかぎり。その点、微積分学の発見と同じことだ。まず、第六系列のパターンを得るだけでも幾千年かかるんじゃなかろうか? しかし、すでにそれを知っている誰かがその動きかたを示してくれれば、かなり易《やさ》しいだろう」
「じゃ、フェナクローンは、ぼくたちの向こうへ投映した第五系列のパターンを分析して、きわめて急速に第五系列の扱いを習得しないかしらね?」
「ぼくたちの二次投映器を使った≪あれ≫だったら、そのとおりだね。やつらはすでにニュートリウムを多少持っているかもしれない。もっとも持っていないとしたらおかしいことだな――ずっと昔から原子力をもっているやつらのことだもの」
シートンは急に物を言わなくなり、暗欝な表情でコンソールの前に坐っていた。そして一時間ばかり、ウルトラ投映器の供給する、ほとんど無尽蔵の鍵《キー》のうえへ、複雑な超エネルギーパターンを描きつづけていたが、急にプランジャーに手をかけた。
「何をしているんだい? ぼくは数百|段階《ステップ》ぐらいまでは君のしていることについていけたが、もうわからなくなった」
「いや、ただ、安全第一の装置をつくっているだけなんだ。万一やつらが真物《ほんもの》の第六系列エネルギーのパターンを送ってきたら、この装置はそれを分析する。そして完全な分析結果を記録し、パターンのあらゆる周波数に対してスクリーンを投射し、分子駆動に切り替え、ぼくたちを銀河系のほうへ向けて全加速度で引っぱりもどしてくれる。一方、ぼくたちの搬送波の周波数を千倍に切り換えて、敵が強烈なビームをぼくたちの狭い帯状隙間から送りこむのを阻止してくれる。……これだけの仕事を百万分の一秒でやってくれる。……あッあッ……やつらビームを閉じたぞ――ぼくたちがビームを叩いたことを知っているのだ。よおし、これで本当の宣戦布告だ――どうなるか」
綜合ビームをプランジャーに移し、彼は二次立体投映を最高速度にしてフェナクローン宇宙艦に向けて投映した。広域探知スクリーンのすぐネット裏である。シートンはすぐ敵宇宙艦を見つけた。だが距離が遠すぎて、敵艦付近に、一定地点に立体投映《プロジェクション》を保持していることができない。シートンとクレーンの映像は先へ出たり、艦内をつきぬけたり、左へはずれたり、右へそれたりした。制御子全部をあげての精巧な操作をもってしても、動力装置のような比較的小さな物体上に保持できないことはもちろん、巨大な船体そのものにさえ映像を固定できない。何度も戦艦を突き抜けているうちに、彼らは敵艦の恐るべき武装と、何かはわからぬが恐ろしい破壊エンジンの制御盤に戦闘配置についている数百人の乗員とを、小刻みに、おぼろげながら見ることができた。突然、見えなくなった。すぐ背後に敵の防衛スクリーンが張られたからである。二人の地球人は瞬間、理由なき恐怖を覚えた。彼らの奇妙な二重人格の片一方が突然に消滅したような奇態な間隔であった。シートンが笑った。
「おかしな感じだったな、え? 木に登って、その木を自分で引っこ抜いたようなものだ」
「どうもこの賭けは気に入らんな」クレーンの顔つきは真剣そのものだ。「彼らには数百人の乗員がいる、みんな訓練のできたものたちだ。こっちはたった二人だ。いや、一人だ――だって、ぼくは制御装置のことは何もわからんもの」
「だから、かえっていいんだよ、マート。この制御盤は、人数の差を補って余りある。もちろんやつらはたくさんの武器を持っているが、こんなすごい制御システムはぜんぜん持っていない。艦長がいちいち命令を出さなければならん。こっちは、全部がぼくの手のすぐ下にある。やつらが考えるほど差はありやしない!」
ついに両者が戦闘距離内に入ると、シートンは直接超エネルギーの最大集中ビームを投映した。フェナクローンの防衛スクリーンは三層とも、その衝撃をうけて、スペクトルを走り紫色外まで通りぬけ、黒色化してしまった。ここで集中的な直接力の攻撃は止められた(それがどれほどの犠牲を強いたかを知るのは、敵のみであった)。たちまちフェナクローンは、まったく予期しない反撃方法に出た。第五系列スクリーンには前にも述べたように狭い隙間があいており、シートンはここから結像投映を操作しているのであるが、操作の瞬間は千分の一秒足らずしか開いていないから、また結像投映に完全同期しているから、その隙間を彼の投映ビームが通ったとしても、スクリーンは輝燿《かがやき》すら発しない。だが、敵はこの隙間から巨大な混合超エネルギーをスカイラーク号の艦首にもろにぶつけてきた。針のように鋭い艦首先端の近くであった。ために強靭なアイノソン金属もその刹那めくらめく白光に煌《きら》めき、タイタンのような衝撃をうけて白熱ガスの無数の小噴流となって宇宙空間に飛び散ったのである。凶暴な敵ビームは、理論的極限値の強度、剛性、抵抗力をもつ四層のアイノソン装甲をつぎつぎに貫通し、あわやというところで自動反応の探知ビームが狭い隙間を閉じ、同時に、威力的なウラニウム・バーで駆動される不貫通性の防衛スクリーンが敵ビームを遮断して白熱に輝いた。二人は押しもどされたが、かろうじて持ち耐えた。フェナクローン人はこの攻撃を無効と見て、ビーム駆動の動力を切った。
「うおう! やつら本当に相当のものを持ってやがる!」シートンが率直に舌をまいて叫んだ。「何とすごいパンチだ! さあぼくたち、こうしてはいられない、修理をしなくっちゃ。それからぼくたちの狭い隙間は一キロサイクルの帯域幅に縮める、そんなに狭い周波数帯域をつかって操作する方法も考えなくちゃならんが。それから周波数変更《ミフティング》スピードを十万分の一秒にあげなくなくちゃならん。この艦の装甲を多層にしてもらって本当によかった。もしあのビームが艦内に入ったら大変なことになった。マート、あの穴を溶接してくれないか、ぼくはここでやることを考えるから」
それからシートンは一つの座席に、蒼白になって抱きあって震えている二人の女性に気がついた。
「どうした? 元気だせよ、お嬢ちゃんたち。君たちはまだ何も見ちゃいないじゃないか。あんなのは君、小手ならしの頬っぺた叩きにすぎんよ。ボクサーが二人、第一ラウンドの最初の十秒間で相手をさぐり合ったようなものさ」
「小手ならしの頬っぺた叩きですって?」ドロシイが、シートンの顔をじっと見つめ、そこにどこ吹く風以上の静かなる自信を認めて安心すると、「でも、かれらあたしたちを撲《ぶ》ったじゃない? ひどく痛めつけたじゃない――スカイラークにお家みたいな大きな穴があいたじゃないの? 四層、五層の装甲だって貫通したじゃないの?」
「そう、でも大した傷じゃないよ。あんなの、すぐ修理できる。それに何も損失はない。ただアイノソンとウラニウムが数トン消えただけだ。金属のスペアはうんとあるんだ。ぼくたちがどれほどの損害を敵に与えたが――ぼくにすらわからない。やつらもこっちにどんな傷を負わせたかもわからない。もう一枚のシャツを賭けてもいいよ――やっこさんたち、小突《こづ》かれたことだけは知っているさ」
修理は完了し、立体投映《プロジェクション》の方法に変更がなされた。シートンは急速変更隙間を発動し、そこを通して敵艦を覗いてみた。敵のスクリーンがまだ張りめぐらされていることがわかったので、シートンは四本の動力バーを使って、スクリーンに全包覆攻撃をかけた。残りの動力発生機全部の全出力を一つの周波数帯域に集中し、この周波数をスペクトルの上から上へと変更《シフト》し、この耐えきれないほど強烈なエネルギーの厖大ビームで探測した。スクリーンの全表面に、すこしでも割目はないかと、どんな小さい割目でも、見つかりさえすれば、彼はそこからでも切断用超エネルギーシートを挿しいれ、破壊力を集中することができるのである。
フェナクローンは、スカイラークの連続攻撃を防ぐため手持ち動力のすくなからざる部分をこの方に集中しなければならなかった。それにもかかわらず、彼らは負けずに連続防衛をつづけた。シートンの隙間がきわめて狭いにもかかわらず、また隙間の周波数がつぎからつぎへと超速度で変わるにもかかわらず、かなりの量の敵の兇暴勢力が隙間を突破し、超動力駆動の防衛スクリーンを衝撃して、すさまじい紫光線を放射させた。集中ビームの威力の前には冷却システムの全能力もまったく無力であることが証明された。瞬間的に開閉する隙間から洩れたわずかな敵超エネルギーで、スカイラークの最外層および第二層装甲から、アイノソン金属の巨大マッスがつぎからつぎへと、文字どおり吹きとばされていったからである。
シートンは凄愴な顔つきで計器類を睨んでいたが、ちらとクレーンのほうへ眼をやった。クレーンは冷静な表情でコンソールについて、損害個所を、毀《こわ》れるや否や修理していっている。だがさすがに警戒は怠っていない。
「やつら、ますます多量に送ってくるな、マート。しかもだんだん強烈になる。ということは、やつら投映器をどんどん作っているということだ。投映器ゲームで負けちゃいられない、まあマート。それより、やつら、燃料予備を急速に使いはたしつつある。こっちはやつらのより図体が大きいから、金属の積載量はずっと大きい。それに何たって、高効率金属だ。だからこの手詰《てづ》まり状態から抜けだす唯一の方法は――君どう思う?――どんなに動力金属食ってもかまわんから、新しい発生機をじゃんじゃん作って、その動力全部使って、やつらをコテンコテンに圧倒してしまおうか?」
「どうしてあの恐ろしい銅爆弾を使わないの? それとも、あたしたちそんなに近くはないの?」ドロシイの低声《こごえ》もはっきりと聞こえる。それほどこの凄絶な決闘は、いっさい音というものを伴わない静けさなのだ。
「近いだって! ぼくたちはまだ二十万光年も離れているんだよ! 大宇宙のどこかでは、これより長い攻撃射程の交戦もあったかもしれんが、しかしぼくはこんなのはなかったと思う。それから銅爆弾だが、たとえやつらに投げつれられるにしても、いま両方で射ちあっている武器に較べたら、あんなのは飴《あめ》ン棒をしゃぶらせるような、たわいないもんだ。可愛いガール、両艦からは超エネルギー場が数千マイルも拡がって張ってあるんだ。それに較べたら、君が見たことのあるいちばんでっかい稲妻のど真ん中だって、不感地域《デッド・エリアー》みたいなもんだよ」
シートンは一連の積分式をたてた。スカイラークの第四層装甲の内側――急速に消耗されて無くなっていくウラニウムの貯蔵スペースに、一台また一台と新しい巨大発生機が並んでいった。すでに敵にむけて注ぎこまれている想像を超えたエネルギーの流れに、新しい発生機のつくりだす動力がまた追加されていった。送られるエネルギー洪水が増すにつれて、敵の攻撃力はしだいに弱っていき、ついにまったく停止してしまった。敵は残る動力を防衛スクリーンの維持に廻さなければならず、攻撃を諦めたものと見える。しかしスカイラークから発射される超エネルギー流は着実に増大している。敵の攻撃が歇《や》んだので、シートンは周波数帯隙間を大きく拡げ、周波数変更もやめた。その恐るべき攻撃兵器の効率をさらに高めようがためである。険しい顔だ。凶暴な眼の色。彼は、いまや無抵抗となった超エネルギーを、深く深くと駆動していった。コンソールの鍵《キー》の上を、十本の指がおどっている。彼の鋭敏な仮借しない眼は、いまや悲運に直面したフェナクローン戦艦にごく近い、二次立体投映のなかで爛々と光り、恐るべき攻撃をピアニストのような巧みさで指揮している。彼の発生機の出力が増すにつれて、シートンはフェナクローンの狂気のように打ち震え緊張した防衛スクリーンへ、切り裂き、焼きただらす狂熱エネルギーの全包覆中空球体を、じわじわと収縮していった。すでに毎秒数トンの割で消費される巨大銅バーによって駆動される、もっとも重厚な敵防衛スクリーンは、一層また一層と、悲鳴をあげるかのように赤熱し、この不可抗にも似たる全包覆攻撃の緊《し》めつけに、ついに光学スペクトルの全範囲へ千変万化して、紫外線をすら発しだしていった。ついに、仮借ない超攻撃エネルギーの球体はなおもなおもと縮められていくうちに、防衛者たちの必死の努力も、その艦外へ長く防衛スクリーンを維持していくことができなくなった。フェナクローン巨艦の船首、船尾が同時に恐るべき超エネルギー場にさらされた。そこではいかなる存在形態の物質も、瞬時といえどもその原形を保つことは許されないのである。
突然――いっさいの抵抗は歇《や》んだ。その一刹那、タイタンのような超攻撃エネルギーは、すべてが球の中心へ指向され、そこへ焦点があわせられた。超攻撃エネルギーの背後には、瞬間爆発ともいえるくらいの速度で崩壊していっているウラニウム四十万トンの、想像すらもおよばない巨大エネルギーが後押ししていたのである。
ウラニウム崩壊とほとんど同時に、フェナクローン宇宙艦の厖大な動力銅バーのかたまりもまた、スカイラーク号の想像を絶した力場に接触し、船体およびその搭載物一切とともに爆発して、純粋エネルギーに化した。
その恐怖の一刹那、シートンが動力を遮断する寸前、彼にはまるで宇宙空間そのものが、不可知の、計測を超えた超エネルギーの解放とその集中によって、抹殺されたかと思われた。怪物的なフェナクローン文明最後の生き残りが、≪大宇宙平和≫の防衛者に対して必死の抵抗をこころみた空間の一点から、百万マイルの数百万倍の遠距離までを、すさまじい白熱光をもって満たした放射線の場のなかで――そのまさに記述と形容を超えた燦然《さんぜん》たる光輝のなかで、宇宙空間そのものが嚥《の》みこまれ、喪われてしまったかのように、シートンには思われた。(完)
[#改ページ]
あとがき
『スカイラーク3』について
スカイラーク・シリーズの第一作『宇宙のスカイラーク』が発表されたのは一九二八年のこと、≪アメージング・ストーリーズ誌≫の八月号から三回にわたって連載されたのだが、その反響のあまりの大きさにおどろいた編集者のヒューゴー・ガーンズバックはすぐさまその続篇の執筆をE・E・スミスに依頼したのだった。まだ第一作が完結もしないうちのことである。
今日我々が読んでみれば、いろいろ物言いのつけたいところがたくさんあるのはたしかだが、一九二八年(昭和二年)という時代のことを考えてみれば、この作品がそんなにもてはやされた意味もわかろうというものである。
この『スカイラーク3』は、『バレロンのスカイラーク』そして『スカイラーク・デュケーン』とつづく一方、E・E・スミスは『三星連合』につづく大長篇〈レンズマン・シリーズ〉の執筆に入るわけである。スカイラーク・シリーズをずっと通読してみて、私は妙なことに気がついた。作品の内容は一作ごとに、彼なりに、密度が高くなっていることに間違いはない。だがそれは、妙なたとえだが、イギリスのスポーツ・カー、MGがTCに始まってTD、TFと性能的には確実に向上しながらも、端正なクラシックの味を失っていったのと同じように、スカイラーク・シリーズもまた、いわゆる≪クラシック≫の味みたいなものはその第一作『宇宙のスカイラーク』につきているのではあるまいかという感想なのである。MGがMGAになって完全にクラシックのスタイルを放棄したのが時代の要求であったように、つい昨年書かれた第四作『スカイラーク・デュケーン』ではガラリとタッチが変わったのもまた無理のないことかもしれない。
この『スカイラーク3』は、書いてから八年間も売れなかった『宇宙のスカイラーク』が陽の目をみたとたんまき起った反響に、すっかり自信をつけたE・E・スミスが二年近い時間を費やして書き上げた作品である。科学的(!)記述がいささか難渋すぎて閉口だが、それでも次々とあらわれる様々な装置に、読者が唸らされるさまが彷彿《ほうふつ》としないではいられない。
第一作『宇宙のスカイラーク』の挿絵はF・R・ポールであったが、この第二作はH・W・ウエソロフスキーである。これは、その前年、つまり一九二九年の二月にガーンズバックが≪アメージング・ストーリーズ誌≫を手ばなした折、ポールも同行して≪サイエンス・ワンダー・ストーリーズ誌≫に参画してしまったからであろう。このウエソロフスキーという人は後に≪アスタウンディング誌≫の表紙を一手にひきうけた人で、F・R・ポールとともにSFイラスト界を二分していた人である。(野田宏一郎)