レンズマン・シリーズ5
ファースト・レンズマン
E・E・スミス/小西宏訳
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目 次
一一
一二
一三
一四
一五
一六
一七
一八
一九
二十
エピローグ
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登場人物
バージル・サムス(バージ)……地球人、ファースト・レンズマン、太陽系評議員
ロデリック・キニスン(ロッド)……地球人、公安委員、銀河パトロール隊司令長官
バージリア・サムス(ジル)……地球人、サムスの娘、心理学者
ジャック・キニスン……地球人、ロデリックの息子、チーフ・パイロット
メースン・ノースロップ・(メース)……地球人、電子技師長
フレデリック・ロードブッシュ(フレッド)……地球人、物理学者、レンズマン
コンウェー・コスティガン(スパッド)……地球人、レンズマン
モーガン……地球人、北アメリカ上院議員
アイザークスン……恒星間宇宙交路会社の経営者
ジェームズ・F・タウン(ビッグ・ジム)……北アメリカのボス
オスメン……金星人、実業家
ルラリオン……木星人、レンズマン
ダルナルテン……金星人、レンズマン
ノボス……火星人、レンズマン
ネルス・バーゲンホルム……ミュータント的な物理学者
ドロンヴィル……リゲル人、レンズマン
メンター……アリシア人、導師
ジョージ・オルムステッド/レイ・オルムステッド……サムスのいとこ、一卵性双生児
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用語解説
[ビーム Beam] エネルギーを光に変えて集束したもの。攻撃用としては敵の物体を固定させる牽引《トラクター》ビーム、溶解性熱線を放射する大型から半携帯式デラメーター、携帯用の光線銃《レイ・ガン》まで、さまざまの形式がある。物体に穴をあける針光《ニードル》線もその一種。また通信用電波としても使用する。
[スクリーン Screen] 遮蔽膜《しゃへいまく》。強力なエネルギーを持つ磁場を展開して、敵のミサイルや攻撃ビームを防ぐ防御兵器。|防 御 壁《ウォール・シールド》(Wall-Shield)、|障 壁《バリヤー》(Barrier)などもこれと同工異曲のもので、小は人間や物体から、大は一つの惑星全体を包んで遮蔽効果を発揮する。
[宇宙船エネルギー Cosmic-energy] 太陽系から太陽系へ一瞬のうちに航行する超光速宇宙船の推進動力として開発されたもので、感受器《リセプター》で受け、変換器《コンバーター》を経て|蓄 積 器《アキュムレーター》に貯えられる。蓄積器は電気の場合のバッテリーに相当し、各種のビーム、スクリーンなどのエネルギー源にも使用する。原子力や化学燃料とちがって補給は無制限と考えられる。
[「自由」航法 Free, Inertialess drive] 惑星間飛行には、種々の方法があるが、これもその一つ。慣性を中立化し無慣性(無重力)状態を作り出して航行する。宇宙船を動かす大型ドライブと個人の身につけるドライブとがあり、有重力と無重力飛行を適宜切りかえて使用する。
[エーテル、サブ・エーテル Ether, Sub-Ether] 宇宙空間。サブ・エーテルは亜空間と訳される。これはアインシュタインの相対性原理にもとづく概念で、宇宙空間にある歪みを利用して通信ないし航行することにより、数百光年の距離を瞬時にしてカバーする。
[パーセク Parsec] 天体の距離を示す単位で視差が一秒になる距離。三二五九光年にあたる。
[ダイン Dyne] 力の絶対単位。質量一グラムの物体に作用して、一秒につき一センチの加速度を生じる力。
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ファースト・レンズマン
太陽系パトロール隊の総司令部で〈丘〉と呼ばれる大基地がある。訪問者はその中の、雑踏する中央研究所の構内を見とがめられずにとおりぬけ、電子光学ベンチにすわっている大きなノルウェー人の背後二メートルたらずに迫った。そして、自動ピストルを引き抜くなり、まだ気づかずにいるらしい科学者にむかって、できるかぎりの速さで七度引き金をひいた。二発は頭をつらぬき、五発は集中的に背骨をつらぬいた。
「ああ、エッドール人のガーレーンか。わたしに会いにくるだろうと思っていたよ。すわるがいい」ブロンドで目の青いネルス・バーゲンホルム博士は、弾丸に頭やからだを貫通されたことなど、いっこうに意に介さずに振りむくと、大きな片手でかたわらの椅子を示した。
「しかし、いまのは普通の弾丸ではなかったのだが!」訪問者はいまいましそうにいった。どちらの人間も――人間というより生物だが――周囲の人々がいま起こったことにまるで気づかずにいるのを、すこしも不思議としていなかったが、いっぽうが、自分の必殺の襲撃の失敗に驚いていることはあきらかだった。「あの弾丸は、おまえの肉体を発散させることができたはずだ――すくなくとも、おまえを出身地のアリシア星に吹きとばせたはずなのだ」
「普通とか普通でないということは問題ではない。すこしまえ、おまえはグレー・ロージャーのすがたを借りて、コンウェー・コスティガンにこういった。
『わしを殺そうとしても無駄だということをわからせるために、おまえにやらせたのだ』とな。
わたしもそれと同じせりふをおまえにいおう。いいかなガーレーン、これを最後に思い知るがいい。おまえはもう、銀河文明の支持者にたいしてはその者がどこにいようと、直接行動をくわえることを許されないのだ。われわれアリシア人は、おまえたちがたくらんでいる両銀河系の支配を身をもってさまたげることはすまい。輝かしい銀河文明を到来させるためには、緊張と闘争が必要であるからだ――だから、おまえも他のエッドール人も、身をもって銀河文明の到来をさまたげることをすまい。おまえはエッドール星へもどって、そこにとどまるのだ」
「おまえたちがそう思うのか?」ガーレーンはあざけるようにいった。「おまえたちは、われわれを恐れるあまり、地球の年にして二十億年以上も、自分たちのことをわれわれに知らそうとしなかったではないか? われわれを恐れるあまり、両銀河系のどの惑星においても、おまえたちの文明の芽が破壊されるのを避けるために、なんの行動をもとらなかったではないか? おれを恐れるあまり、現在でも心と心の交流をしようとせず、こうした、のろくさくてまだるっこい口頭の連絡にたよっているではないか?」
「おまえの思考はあいまいで混乱しているが、まさか、それが本音とは思えない。してみると自分がばかだとわたしに信じこませようとしているのかな」バーゲンホルムの声は平静だった。
「わたしは、おまえがエッドール星へもどるだろうと思っているのではない。そうなるのがわかっているのだ。おまえもある事実を知れば、それがわかるだろう。おまえは口頭《こうとう》の言語を用いることに反対している。そうすることが、おまえの必死にさがし求めている知識を手に入れさせないようにするのに、もっとも容易で確実な方法だということを知っているからだ。われわれの二つの心の交流についていうならば、おまえたち全種族が、とうの昔に忘れてしまったことをグレー・ロージャーとして行動しているおまえが、思い出す前に、ちゃんと交流しているのだ。その出会いの一つの結果として、わたしはおまえの生命のパターンの外形や振動をすっかり学びとっていた。だからエッドールのガーレーンという肩書きでおまえに呼びかけることができた。しかるに、おまえはわたしについて、わたしがアリシア人であるという、はじめからわかりきった事実しか知らないのだ」
ガーレーンはその場の情況を転換させようとして、それまで維持していた力場を解除した。が、アリシア人はそれをきわめて無雑作に受けとめたので、近くにいる人間は、なんの変化にも気づかなかった。
「われわれが長い年月にわたって、自分たちの存在をおまえたちからかくしてきたのは事実だ」バーゲンホルムは言葉をとぎらさずにつづけた。「われわれがそうしてきた理由がわかれば、おまえたちはいっそう混乱するだろうから、そのわけを話してやろう。おまえたちエッドール人が、もっと早くわれわれの存在を知っていれば、われわれの目的の達成をさまたげるに充分な威力を持つ兵器をつくりだすことができたろう。しかし、いまや、その目的の達成は確実になっているのだ。
おまえはウィーグル族のロー・サンとして行動したが、いかにも、その行動は抑制されなかった。ポントス王ミトリダテス(紀元前一世紀頃ローマに対抗したギリシアの覇者)として――ローマのスラ、マリウス、ネロとして――カルタゴのハンニバルとして――ギリシアのアルシクセルクセス、エジプトのメノコプテスのような僭主《せんしゅ》として――ジンギス・カン、アッティラ、カイゼル、ムッソリーニ、ヒトラー、アジアの暴君などとして――おまえたちはほしいままにふるまうことを許された。リゲル系第四惑星、ヴェランシア、パレイン系第七惑星などの上での同様な活動も、効果的な抵抗なしに遂行された。しかし、バージル・サムスの出現とともに、おまえたちの有害で破壊的な行動に終止符をうたれるべき時が到来した。だから、わたしはおまえと銀河文明の建設者たちのあいだに障壁《しょうへき》を設けたのだ。さもなければ、彼らはおまえに対してまったく無力だっただろう」
「だが、なぜいまさらそうするのだ? なぜ何千年もまえにそうしなかったのだ? また、なぜバージル・サムスの出現とともにそうするのだ?」
「それらの質問に答えれば、おまえに価値のあるデータを提供することになる。おまえはやがて、みずからその答えを発見するだろう――だが、そのときはもうおそいのだ。しかし、話をつづけよう。おまえはわたしやアリシア人全部を卑怯者とけなしたが、それはもちろん混乱した不適当な思考だ。思い出すがいい。おまえはロジャーの(小惑星)問題で完膚《かんぷ》なきまでに失敗した。あのとき以来おまえは何も達成していない。また、おまえが現在おかれている情況を見ろ。
おまえたちの種族の思考形態は、基本的に唯物的で機械的だ。そしておまえたちは、われわれの思考形態を『哲学的』とか『非現実的』とかいって軽蔑しているが、いまこそ思い知ったろう――そして大いに驚いたろう――おまえたちのもっとも破壊的な物理的兵器も、わたしの本質はおろか、わたしが現在活動させているこの肉体にさえ、影響をあたえることはできないのだ。
もしこの小事件が、エッドールの中心サークルにいる副司令の習慣的な思考の結果であるとすれば――いや、そうではない、わたしの洞察力はそれほどあやまるはずがない。おまえが失敗したのは、過信《かしん》のせいだ――相手を過小評価するのが暴君に固有の性癖なのだ。しかし、将来、真に重大な事件にさいして、こうした過信がこのようなあやまちをくり返すのではないかということを、わたしは極度に懸念《けねん》している」
「安心しろ、二度とくりかえすものか!」ガーレーンはあざけった。「おまえたちは臆病とはちがうのかもしれない――正確にはな。しかし、なにかそれに近いものだ。もしおまえたちが、過去においてわれわれに対して効果的に行動できたとすれば、そのように行動したはずだ。現在でも、われわれに効果的に対抗できるなら、しゃべらずに行動するはずだ。それが真相だ――明白な事実なのだ。あまりにも明白なので、おまえはそれを否定しようともしない――もし否定したとしても、わしが信じないことがわかっているからだ」冷酷《れいこく》な黒い目が、ノルウェー人の青い目をまともに見つめた。
「否定するだと? いや、否定はせん。だが、おまえが『公然《こうぜん》』という言葉のかわりに『効果的』という言葉を用いたのはうれしい。われわれは、これらのあらたに形成された惑星が適当に冷えて、知的生命の発達を促すようになって以来このかた、おまえたちに対して効果的に行動してきたのだからな」
「なんだと? おまえたちが? どのようにしてだ?」
「そのこともやがてわかるだろう――おそまきにな。わたしは、もういいたいだけのことをいった。これ以上は情報を与えない。成長したアリシア人は、エッドール人より数が多いから、すくなくともわれわれのひとりが、おまえたちのひとりの直接の干渉をさまたげるために、全力を集中することができる。おまえはすでにそのことを知っているのだから、おまえが立ち去ろうととどまろうと、わたしにとっては同じだということも、はっきりしているはずだ。わたしは、おまえがいるかぎりここにとどまっていることができるし、またそうするつもりだ。おまえがエッドールのスクリーンに保護されている宇宙空間の外に出れば、どこへ行こうと、おまえについて行くことができるし、またそうするつもりだ。どうとも勝手にするがいい」
ガーレーンはすがたを消した。そこでアリシア人もそうした――同時に。しかし、ネルス・バーゲンホルム博士は残っていた。彼はふりむいて、やりかけていた仕事にもどった。自分が何をしていたかも、これから何を仕上げればいいかも、正確に知っていた。彼は自分を見たり聞いたりできる範囲内にいるすべての人々の上に力場を展開していたが、それをきわめて巧妙に解放したので、誰もが異常なことが起こったことに全然気づかなかった。彼はそうしたことを承知のうえでやってのけたのだが、じつは三惑星連合軍《トリプラネタリー》の同僚たちが、ネルス・バーゲンホルムとして認識している肉体をそのとき活動させていたのは、建設者《モールダー》と呼ばれるアリシア人ドロウンリのすばらしく強力な心ではなかった。それは、これからべつのところで起ころうとしている事件にはなんの役にも立たないほどおさない、アリシア人の子どもの心だったのである。
アリシアでは、その事件に対する準備が完了していた。成長した思考または成長しかけた思考にたえるすべてのアリシア人の心は、行動の瞬間の到来とともに行動すべく待機していた。しかし、彼らは固くなってはいなかった。彼らがこれからやろうとしていることは、けっして日常的なものではなかったが、まえまえから予見されていたからである。彼らには、何を、いかになすべきかを正確に知っていた。そして待機していたのだ。
「ドロウンリが他の心とともに構成している融合体は、エッドールのガーレーンがグレー・ロージャーを活動させているとき彼を殺しませんでした。しかし、その事実から派生《はせい》する一連の事件に関しては、わたしの洞察《どうさつ》は充分明確ではありません」ユーコニドールと呼ばれる若い監視員は、集合したアリシア人たちの心に思考を投射した。「わたしの洞察力を拡大すべきこの無為の時間を、啓蒙《けいもう》と教育に利用してもよいでしょうか?」
「よろしい、若者よ」アリシアの長老たち――このはなはだ強力な種族の中でももっとも強力な知性は、いくつかの心を一個に融合して、ユーコニドールの要請《ようせい》を許可した。「それは有益な時間になるだろう。思考をつづけるがよい」
「ガーレーンはあのとき、他のエッドール人と銀河系間的距離によってへだてられていましたから、独立させて破壊することができたはずです」若者は集合した心の中で、自己の洞察力をひかえ目に拡大しながら指摘した。「原則的に見て、彼を破壊することは、エッドールをある程度弱体化することであり、その意味でわれわれに役立つものであります。したがって、彼を生存せしめることから、なんらかのより大きな危険が発生することはあきらかです。いくつかの問題は充分明白であります。すなわち、アリシア人の心の融合体は、ガーレーンを殺さなかったのですから、彼やその仲間は、アリシア人の心の融合体が彼を殺すことはできないのだと信ずるでしょう。また、エッドール人はわれわれの力を軽視《けいし》し、自分たちよりはるかに劣ったものと考えていますから、第三水準の思考波をふせぐ原子力による機械的スクリーンのような兵器を開発する方向へ駆りたてられることはありません。そのうちには、そうした装置でさえ彼らの種族を絶滅から救えなくなることでしょう。さらに、彼らは、まさに誕生せんとしている銀河パトロール隊が彼らの絶滅作戦《ぜつめつさくせん》で主動力を演ずるという事実にも気づくことさえないでしょう。しかし、このような事実を考慮するとき、なぜわれわれが、これからエッドールの上でひとりのエッドール人を殺すことが必要であるのかが明確ではありません。また、最後にエッドール人を一掃する際に用いられる手段についても、わたしは明晰《めいせき》に公式化し洞察することができません。わたしは、自分が生まれるよりはるか昔の時代に発生した事件や条件について、基本的なデータを欠いております。わたしは、自分の知覚力や記憶力が、それほど不完全なものとは信じられません――そのような基本的なデータは、現在まったく獲得できないのでしょうか。過去においても獲得できなかったのでしょうか?」
「若者よ、それが事実なのだ。未来に対するおまえの洞察力は、まだ今後長年にわたる精神的労働によって到達されるものほど詳細でも正確でもないのは当然だが、おまえの知識の基礎は、われわれのだれにも劣らぬほど完全なのだ」
「わかりました」ユーコニドールは、精神的にうなずく動作をして、完全に理解したことを示した。「それは必要なことです。そして下級のエッドール人――監視員――の死で充分でしょう。エッドールの中心サークルにとって、アリシア人の心の総結合体が、そのように比較的弱小なひとりのエッドール人を殺せたということは、驚異的でも警告的でもないでしょう。よくわかりました」
そして沈黙と待機がはじまった。何分か? 何日か? 何週間か? そんなことはだれにもわからないが、アリシア人にとって時間は問題ではないのだ。
やがて、ドロウンリが到着した。〈丘〉を立ち去ると同時に到達したのだ――銀河系間的距離でさえ、思考の速度のまえにはなんだろう? 彼は自分の心を、他の三人の文明|建設者《モールダー》の心と融合させた。用意をととのえて彼の到来だけを待っていたアリシア人の心の総結合体は、たちまち宇宙空間に突進した。この巨大な前代未聞の精神力の結合体は、ガーレーンとほとんど同時に、エッドールの外部スクリーンに到達した。しかし、エッドール人は抵抗なしに通過したが、アリシア人たちはそうはいかなかった。
二十億年ほど昔、二つの銀河系の遭遇が起こったとき――この事件により、すれちがった二つの銀河系には無数の惑星が誕生したのだが――すでにアリシア人は古い種族だった。非常に古かったので、そのときですら、惑星の偶然的な発生には影響を受けなかった。エッドール人は、もっと古い種族だと信じられている。アリシア人はわれわれの時空体系に固有の種族だが、エッドール人はそうではない。
エッドール星は巨大で密度が高く、そして熱かった――現在もそうである。そこの大気は、小さな緑色の地球に住むわれわれにおなじみの空気ではなく、人類には化学実験室の中でしか知られていないような、有毒な混合ガス体である。その水圏は、ある程度水分をふくんではいるが、有毒で悪臭のある、侵蝕性のべとべとした液体である。
そしてエッドール人は、エッドールが、われわれの時空体系に固有の惑星と異なっていると同様に、われわれが知っている、いかなる種族とも異なっていた。われわれの感覚からすれば、彼らはまったく怪物的で、ほとんど想像を絶するほどだった。彼らは無定形のアメーバ状生物で、無性だった。両性具備的でもなく単性生殖的でもなく、完全に無性だった。地球の生物では、イースト菌より高等なものには見られないような程度の無性だった。したがって、彼らは暴力による死をのぞけば、事実上不死だった。各個体は、地球の年にして何十万年も生きて、その生命と知能の極限に達すると、二つの新しい個体に分裂するからだ。そしてその新しい個体のおのおのは、親の知力と記憶と知識を完全に所有しているうえに、新しい活力と、すこぶる増強された知能とをそなえている。
彼らのあいだには、発生以来ずっと競争があった。権力のための競争だ。知識は、権力に貢献するものだけが価値を認められた。戦争がはじまり、たえまもなく継続した。彼らのような生物にのみ可能な、すさまじくも効果的な戦争である。彼らの心ははじめから非常に強力だったが、この殺し合いの圧力のもとで、いよいよ強化された。
しかし、平和は思いもよらなかった。闘争は、ますます高度の暴力をともなって継続され、ついに二つの事実があきらかになった。第一に、物理的暴力で殺せるエッドール人はすべて死んでしまった。生存者はすばらしく強力な心を獲得し、物理的・真理的な問題を完全に習得したので、物理的な力では殺せなくなった。第二に、彼らが殺し合いに努力を集中しているあいだに、彼らの太陽系の恒星は目だって冷却した。その結果、彼らの惑星はやがてひどく冷たくなり、彼らが正常な物理的生活を送ることが不可能になるだろうと思われた。
こうして、一種の妥協が成立した。エッドール人たちは協力して――それには摩擦《まさつ》がなくもなかったが――ある種の装置を開発し、それの力によって、彼らの惑星を宇宙空間を通じて移動させ、より若くて熱い太陽のそばへみちびいた。そのあと、エッドールではふたたび恒例《こうれい》の激烈な戦闘が再開された。こんどは心理的戦争で、それがエッドールの年にして十万年以上もつづいたが、最後の一万年のあいだには、ひとりのエッドール人も死ななかった。
比較的少数の生存者は、このような非生産的な努力の無益さをさとり、一種の平和を締結した。各人は、まったく飽《あ》くことを知らぬ権力欲の持ち主で、おたがいに征服し合い、殺しあうことができないということが明白になったので、各人が処理しうるかぎりの権力を享有《きょうゆう》できるに足るほどの惑星を――いや銀河系を――協力して征服することにした。
彼らの固有の宇宙には、それほど多数の惑星がなかったが、そんなことは問題ではない。宇宙は、ほかにもある。無数にある。それらの中には、二つか三つの惑星ではなく、何兆という惑星を持った宇宙があるということは、数学的に確実である。彼らは知力や機械力によって付近の宇宙を観測した。超空間チューブや無重力推進の技術を開発した。自分たちの惑星を宇宙船のように航行させて、宇宙から宇宙へ移動していった。
こうして、両銀河系の遭遇がはじまってまもなく、エッドールはわれわれの時空体系に侵入した。そして、そこにすでに多数の惑星が存在しており、その後も無数の惑星が発生することがわかったので、そこにとどまることにした。この時空体系こそ、彼らがはじめから求めていたものだった。ここには、飽くことを知らぬ権力欲をさえ満たすにたりるほど多数の惑星、つまり権力展開の場があった。もはや、彼らが、たがいに争う必要はなかった。彼らは、いまや心から協力できた――各人が獲得すべきものが存在するかぎり――いよいよ多く、いよいよ多く!
若いアリシア人のエンフィリソールは、いつもの習慣で、好奇心に満ちた心を外界にさまよわせているうちに、この宇宙空間で、はじめてエッドール人と接触した。彼は温和で純真だったので、エッドール人に親しみのこもった挨拶を送ったが、相手からこっぴどい返礼をうけてひどく驚いた。しかし、彼らの狂暴な心理的攻撃に対して心をとざす一瞬まえに、彼らについて前述のような事実を認識したのである。
しかし、アリシアの長老たちの融合された心は、驚かなかった。アリシア人はエッドール人ほど機械主義的ではなく、本質において平和的だったが、精神に関する純粋科学においては、エッドール人よりはるかに進歩していた。長老たちは、すでにずっとまえから、エッドール人のことや、彼らが征服欲に駆られて時空体系をつぎつぎにさまよっていることを知っていた。長老たちの全宇宙に対する洞察は、現在発生している侵略を、とっくの昔に恐るべき正確さで予見していた。彼らは何をなすべきかを先刻、承知していた。そして、それをやってのけた。彼らは、エッドール人がなんの抵抗も示さなかったほどこっそりとその心に侵入し、アリシアについてのあらゆる知識を封鎖《ふうさ》して、痕跡《こんせき》も残さずにひきあげた。
彼らがエッドール人についてあまり多くのデータを持ち合わせていなかったのは事実だが、当時は、それ以上を獲得することが不可能だったのだ。もしエッドール人の疑いぶかい心になんらかの警戒や疑惑の念を起こさせれば、エッドール人は、アリシア人がエッドール人を撃滅《げきめつ》する武器――まだ完全にしか構想ができていない銀河パトロール隊――をつくりあげるまえに、アリシア人をこの宇宙から駆逐《くちく》できるような兵器を開発する暇があっただろう。当時でさえ、アリシア人はエッドール人のほとんど全員を知力だけで殺すことができたが、最高者と中心サークルだけは、当時は貫通《かんつう》不能だった遮壁《しゃへき》の中に安全にひそんでいたので、殺せなかった。だから、アリシア人は、エッドール人を完全に一掃できないかぎり、攻撃を加えられなかったのだ――少なくとも当時は。
注目すべきことだが、アリシア人は自分たちのために戦っているのではなかった。彼らは個人としても種族としても、なんら恐るべき相手はいなかった。彼らは、どんな物理的な力を加えられても、エッドール人以上に不死身だった。精神科学に熟達していたので、エッドール人が知力をどれほど集中しても、自分たちをだれひとりとして殺せないということを知っていた。また、もし通常の宇宙空間から追い出されたとしても、問題はなかった。彼らのような知能にとっては、任意の宇宙空間でもまにあうのだ。
彼らは自分のためではなく、理想のために戦っているのだった。彼らは、平和で調和的で自由を愛する文明が、二つの巨大な島宇宙に成長し、やがてはその中の無数の惑星を完全におおいつくすことを予見していたのだ。また、彼らは重い責任を感じていた。それらの惑星に現存し、これからも出現してくるさまざまの種族はすべて、この宇宙に遍在《へんざい》しているアリシア人の生命因子から発生したものだったから、それらは根本的にはアリシア人だった。アリシア人がそれらの子孫を、このような貪欲《どんよく》で暴君的な、飽くことを知らぬ怪物どもの、永久的な支配にゆだねることは、まったく思いもよらぬことだった。
そこでアリシア人は戦った。ひそかに、しかし効果的に。彼らはエッドール人が惑星をつぎつぎに容赦《ようしゃ》なく征服し、文明をつぎつぎに崩壊していくのを、公然とはさまたげなかった――さまたげることができなかった。しかし、彼らは無数の惑星の上で、適当な配偶者を選択し、すぐれた血統を確立することによって、知能のレベルがたえず向上していくように配慮した。
四人の文明|建設者《モールダー》――ドロウンリ、クリーディガン、ネダニロール、ブロレンティーンの四人は、心をたがいに融合させて、一個の人格を形成し、すべてのレンズ愛用者から〈アリシアのメンター(導師)〉として知られるようになった――は、地球、リゲル系第四惑星、ヴェランシア、パレイン系第七惑星の四つの惑星の上で、アリシアの計画にしたがって文明を発達させるという仕事に対してそれぞれ責任をおった。ドロウンリは地球上に二つの血統を確立した。キニスン系は不断の男系で、地球の神話時代よりずっと昔までさかのぼっていた。アトランティスのキネクサはキニスン系の娘で、兄弟があったが、この一連の年代記の中であげられた血統の最初の人だった。が、当時この血統はすでに古かった。もう一つの血統も同じように古かった。そしてそのすばらしく長い歴史を通じて特徴的なのは、男も女もみごとな赤銅色の髪と、それと同様にめざましい金茶色の目を持っていることだった。
しかし、この二つの血統は混合しなかった。ドロウンリの配慮で、発展の極地《きょくち》の前段階に到達するまでは、両者が混合することが心理的に不可能なようにされていたからだ。
その段階までまだまだ間《ま》があるころ、バージル・サムスが出現した。そしてすべてのアリシア人は、エッドール人と心と心で公然対決すべきときが到来したことを知ったのだ。ロージャーの姿をかりたガーレーンは痛烈に妨害された。すべてのエッドール人は、どこで活動している者も、自分の努力があらゆる面で強固にさまたげられていることを知った。
すでに述べたように、ガーレーンは必殺の武器と信ずるものを製造して、自分を妨害しているアリシア人を攻撃したが、前述のような結果に終わった。この失敗によって、ガーレーンはなにか重大な手ぬかりがあることを知った。その手ぬかりは、地球の年にして二十億年以上もつづいてきたのだ。彼はその長い生涯のなかではじめてというほど愕然《がくぜん》として、仲間にこのことを警告し、今後の方策を協議すべく、エッドールへまいもどった。そして全アリシアの心の結合体は、彼よりほんの一瞬だけおくれてエッドールへ到達したのだ。
アリシア人はエッドールの最外郭のスクリーンを攻撃し、スクリーンは一瞬にして破壊された。それと同時に、エッドールの防衛者たちにまったくさとられることなく、アリシア軍は分裂した。建設者《モールダー》全員をふくむ長老たちは、そのスクリーンを操作していたエッドール人を捕え――その周囲に強靭《きょうじん》な力場の網を投じて――銀河系間空間へ運び去った。
それから、その不運なエッドール人のからだに容赦なく侵入して裏返しにした。そして犠牲者がその痛烈な探査で死ぬまえに、アリシアの長老たちは、そのエッドール人と先祖のすべてが知っていたことを完全に読みとった。その後、彼らは、若くて未熟なアリシア人たちが強力なエッドールを攻撃するにまかせて、アリシアにひきあげた。
この第二軍の攻撃が第二スクリーン、第三、第四または最内郭のスクリーンでくいとめられるか、それとも惑星自体に到達して多少の実害をあたえたのちに追い払われるか、そうしたことは問題ではなかった。エッドールには、この攻撃を容易に撃退させることが必要なのだ。これからしばらくのあいだ、エッドール人には、アリシアを恐れることはまったくないと信じさせておかなければならないのだ。
しかし、アリシアは実質上勝利をえていた。アリシアの洞察力はいまや充分に拡大され、ついに来たるべき決戦のあらゆる要素を描きだすことができるようになった。しかし、アリシア人が到達した結論は、けっしてあかるいものではなかった。彼らの洞察力が一致して認めたところでは、エッドール人を一掃できる唯一の手段たる銀河パトロール隊の登場とともに、アリシアは銀河文明の擁護者《ようごしゃ》としての役割を必然的に失わなければならないからだ。
しかし、そうした結末が必要だということが判明したので、アリシア人たちはそれをいさぎよく受け入れ、それにむかってためらいなく努力しはじめた。
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すでに述べたように、〈丘〉は三惑星連合軍《トリプラネタリー》の地球総司令部として建設され、現在なかば組織された太陽系パトロール隊の総司令部になっているのだが、これは山をけずって合金でおおった、蜂の巣状の要塞である。しかし、人間は、地下室がどれほど美しく照明され快適に空気調節されていても、地下に住むことを好まないから、敷地はそのとっつきのわるい灰色の鏡のようになめらかな金属の円錐《えんすい》のふもとから、ずっと遠くまでひろがっていた。その広大な敷地のはずれのあたりには、小さな都市があった。そしてそこには、何百もの生産的な農場があった。また、きょうのような上天気の五月の午後には、とくにふさわしいものだが、リクリエーション・パークが一つあって、そこには一ダースばかりのテニス・コートがもうけられていた。
それらのコートの一つは、三辺をスタンドで囲まれており、そこから二百人ばかりの人々が試合を見物していた。試合は、なにか地域的な重要性を持つものらしい。二十人くらい掛けられる一つのボックスに、ふたりの男がすわって、一組の男女を称賛するように見つめている。この一組は、〈丘〉の人々のあいだでおこなわれている混合ダブルスの選手権を、ストレートであっさり獲得しそうなようすだった。
「わたしが自分でいうのもおかしなものだが、あのふたりは腕のいいプレーヤーだというだけじゃなくて、似合いの一組だね、ロッド」選手たちがコートを変えたとき、太陽系評議員のバージル・サムスが、となりの男にいった。「だが、わたしはやはり気になる。あのおてんば娘は、もうすこし衣裳をつけるべきだよ――あの白いナイロンのショートパンツをはいていると、いつもより、なおさら露出的に見える。そのことをあの子にもいったのだが、ますます露出的になるばかりだ」
「もちろんさ」公安委員のロデリック・キニスンはしずかに笑った。「そんなことを期待してもむりだよ。あの子はきみの髪と目を受けついでいる。そうだとすれば、きみの頑固さも受けつがないはずがあるかね? もっとも、それは大いにいいことだよ――あの子は、あんなふうに露出するに値《あたい》するだけのからだを持っている。たいていの娘はそれがないがね。だがわしにわからんのは、なぜあのふたりが――」そこで口をつぐんだ。
「わたしにもわからん。じつのところ、われわれはあのふたりをかなり強引に押しつけてきた。そしてジャック・キニスンとジル・サムスは、確かにいい夫婦になるだろう。しかし、もしあのふたりが望まないなら――だが、まだわからん。あれたちはまだ若いのだし、とても仲がいいからな」
しかし、もし父親のサムスがボックスでなくコートに出ていたら、さぞ驚いたことだろう。若いキニスンは顔こそ微笑していたが、その美しいパートナーにむかって、友情の片鱗もないような言葉で話しかけていたからだ。
「いいかい、まぬけ屋さん!」彼は、低いがはげしい調子でののしった。「きみにも脳みそがあれば、たたき出してやりたいくらいだ! 自分の守備範囲を見張っていて、〈ぼくのに立ち入るな〉って、何度いったらわかるんだ! もしきみが自分の持場にいるか、ぼくの合図をキャッチするかすれば、フランクはあのサーティ・オールを取れなかったろう。それから、もしロイスがあのボールをネットしなかったら、きみは自分の持場から一キロもはなれたところでまんまとすきをつかれて、ジュースにされてしまったろう。きみは何をしてるつもりなんだ――テニスをしてるのか、それとも、きみの魅力で罪もない見物人を何人迷わせられるか、ためしているのか?」
「いうじゃない?」娘は美しい声であざけった。「いったい、だれがだれにむかって何をどうしろって教えようとしてるのか、考えてごらんなさい! チーフ・パイロット、ジョン・K・キニスンさん、あなたのご忠告に対していいますけどね、あのふたりは、わたしたちのいいお友だちよ。その人たちにときどき得点させてあげているあいだだけでも、あなたが〈殺し屋〉キニスンをやめていられないからって、わたしまでが〈殺し屋〉サムスにならなきゃならないことはないわ。それから、も一ついいますけどね――」
「きみからぼくにいうことはないよ、ジル――ぼくが≪きみに≫いうんだ! どんなことでも得点をゆずりはじめたら、いつのまにかゆずりすぎたことに気がつくものだ。ぼくはそんなゲームはけっしてやらん――きみもぼくといっしょにゲームしているかぎり、そんなまねはするな――さもないと――。もしきみがこのマッチをもう一度でもしくじったら、ぼくがこんどサーブするボールは、きみのその気まぐれなショートパンツのいちばん張り切ったところにぶつかるぞ――そのパンツにヒップ・ポケットがあるとすれば、そのあたりのところだ――そうすれば、痛いみみずばれができて、三日間ヒーヒーいうぞ。だから、気をつけろというのさ!」
「あなたって、がまんのならないうぬぼれ屋だわ! このラケットで頭をひっぱたいてやりたい! それをやってから、コートを出ていってしまうわ、もしあなたが――」
ホイッスルが鳴った。バージリア・サムスは顔いっぱいに微笑をうかべながら、爪先でベース・ラインをふむと、スムースな動作の化身のようになった。ボールはネットをすれすれにかすめて飛んだ――火を吐くようなサービス・エースだ。ゲームは続行した。
二、三分後、シャワー・ルームで、ジャック・キニスンがせっせとタオルを使いながら、快活に歌を口ずさんでいると、ひとりの大きな青年が大またに近よってきて、彼の肩甲骨のあいだをピシャッとたたいた。
「おめでとう、ジャック。だが、きみに聞きたいことが一つある。差し出がましいかな――?」
「いってしまえよ! ぼくらは何ヵ月も同じ皿のものをくった仲じゃないか? なぜ急に遠慮するんだい、メース? きみらしくもない」
「いや――それがね――きみも知ってるように、ぼくは読唇術ができるんだ」
「きまってるさ。ぼくらはみんなそうだ。それがどうしたっていうんだ?」
「こういうことさ――そう、ぼくはきみとミス・サムスが、あのコートでいいあっている言葉を読みとったんだ。あれが恋人同士の愛のささやきだったら、お目にかかるぜ」
「恋人同士だって? ぼくらが恋人同士だなんて、いったいだれがそんなことをいったんだ? そうか、きみはぼくのおやじのたわごとを聞いたんだな。恋人同士だって! ぼくとあの赤毛のおてんば娘が――あの頭の弱いじゃじゃ馬が? そんなことがあるもんか!」
「待てよ、ジャック」大男の士官の声は多少するどくなった。「きみはコースをはずれている――おそろしくはずれている。あの娘は満点だ。予約つきのしろものだ――りっぱなものだぜ!」
「へえ?」若いキニスンはびっくりしたようにタオルの手をとめて、相手を見つめた。「じゃあ、きみが彼女をほっといたのは、もっぱら――」〈きみがぼくの太陽系随一の親友だからなのかい?〉といいかけたのだが、それは言葉に出さなかった。
「そう汗顔《かんがん》のいたりだよ」相手もおたがいに真実だと百も承知のことを言葉に出さなかった。
「だが、もしきみがそうでなければ――きみがオー・ケーだというのなら、もちろん――」
「五秒だけ待ってくれ――きみを連れていってやる」
ジャックは制服をすばやく身につけた。二、三分後、しみ一つない黒と銀のパトロール隊の制服を着たふたりの士官は、婦人用更衣室のほうへ歩いていた。
「――だが、あの娘はやっぱりいいよ――だいたいにおいてね――と思う」キニスンはさっきいったことをなかば弁解するようにしゃべりだした。「臆病であほうだという点をのぞけば、なかなかいい娘だ。たしかに合格品だよ――たいていのときはね。だが、ぼくは景品つきでも彼女と結婚したくない。彼女のほうでも同様だろうがね。おたがいさまさ。きみも彼女に夢中になることにはならんだろうよ、メース。一週間もたたんうちに、きみは彼女の片足をひっこ抜いて、それで彼女をぶち殺したくなるだろう――だが、自分で経験するにしくはない」
まもなく、ミス・サムスがあらわれた。当時の流行にしたがって、ブラウスに短いスカートをつけ、さっきよりいくらか肌をかくしている。
「やあ、ジル! こちらはメースだ――こいつのことはきみに話したろう。ぼくと同じ船に乗っている。電子技師長のメースン・ノースロップだ」
「ええ、あなたのことは、何かとうかがっていましたわ、技師長さんね」彼女はあいそよく握手した。
「こいつがきみのあとを追いまわさなかったのはね、ジル、密猟になると思ったからだそうだよ。その意味がわかるかね? だけど、ぼくはすぐその誤解を正してやった。きみからも、その理由をこいつに話してくれ。こいつがきみの放射する電圧から絶縁されるようにな」
「あら、あなたが誤解をといてくれたの? なんてご親切に! でも、どうして――ああ、それね?」彼女は宇宙将校の制服につきものの、強力なプリズム双眼鏡を指さした。
「え、ええ」ノースロップは口ごもったが、なんとか持ちこたえた。
「もしわたしがあなたのように大きくてがっちりしていたら」と彼女は相手の六フィート二インチ、二百ポンドあまりの、ひきしまったからだを感心したように眺めながらいった。「この人の片足のくるぶしをつかまえて、頭の上で一まわりふりまわしてから、スタンドの十五列目まで投げとばしてやったでしょうに。この人について問題なのはね、メース、生まれてき方が何十世紀もおそかったっていうことなの。この人はピラミッドが建設されたときの、奴隷の監督になればよかったんだわ――奴隷が足を踏みちがえたというだけの理由で、鞭《むち》でひっぱたくのよ。それよりもっとふさわしいのは、去年発掘された、あのおもしろい古書に書かれていたような人になることよ――封建君主とかなんとかいったでしょう、おぼえていらっしゃる? 臣下、家族、農奴、下婢《かひ》などに対して、生殺与奪《せいさつよだつ》の権利を握っているんです――『高、中、低それぞれの正義』っていうわけね。正義かどうかわからないけど、≪とりわけ≫下婢に対してそういう権利を握っているの! この人が好きなのは、まるで骨がなくて、おばかさんみたいなふりをする、ちっちゃくてだきしめたいような、赤ちゃんじみた口をきく人よ――そうでしょ、ジャック?」
「もうたくさんだ、ジル――だが、ぼくも悪いのかもしれない。帳消しにしようじゃないか、ええ? きみたちふたりのなりゆきを見ているぜ」キニスンは背をむけて急ぎ足で立ち去った。
「あの人がなぜあんなに急いでにげだしたか、知りたくありません?」ジルは相手にほほえみかけた。あかるくすばやい微笑だ。「降参したからじゃないのよ。あそこにいるあのブロンド娘――まっかな服を着ているでしょう――あの人のためなの。ブロンドであんなはげしい色合いのものを着られる人は、いくらもいないわ。ディンプル・メーナードっていう人よ」
「で、あの人は――その――?」
「だきしめたいような、赤ちゃんじみた口をきく人かっておっしゃるの? まあね。あの人はいい人よ。わたしは口から出まかせをいっただけ。ジャックだってそうよ。あなたにもわかるでしょう、わたしたちはどっちも口でいう半分も本気じゃないんです――さもなければ、少なくとも――」
彼女は言葉をとぎらせた。
「わかっているかどうか知りませんがね」ノースロップはおずおずと、しかし率直に答えた。「あの悪口は相当なものでしたよ。ぼくにはまるでわからないんだが、なぜあなたがたふたりは――どっちもすばらしい人なのに――あんなにしてひっかきあわなきゃならんのです? そうじゃありませんか?」
「わたし、これまで、そのことをそんなふうに考えたことがなかったわ」ジルは下唇を歯でかんだ。「あの人はほんとにすてきよ。わたしあの人がとても好きだわ――いつもはね。わたしたち、たいていは仲よくやっていくの。あまり近寄りすぎないかぎりは、けんかなんかしないんです。でも近寄りすぎると、ことごとに衝突するの――そう、そんなことじゃないかしら? 電荷《でんか》みたいなもので、距離の自乗に反比例して反発するのかしら? そんなふうに思えるわ」
「そうかもしれません。ぼくはうれしいですよ」男の顔ははれやかになった。「そしてぼくは、逆符号の電荷なんです。さあ、いきましょう!」
地下深くにあるバージル・サムスの事務室では、銀河文明を通じて最強のふたりの男が、熱心に話しこんでいた。
「――こいつは、われわれ程度の人間四人を、何日も徹夜させるほどの難問だ」サムスの口調は軽かったが、目の色は暗くしずんでいた。「そりゃあ、きみは、手おくれにならないうちにやっつけられる。やつらはほとんどが太陽系の中にいるから、ちょっと飛べば手がとどく。言語も慣習もわかっている。だが、殺人が発生したり、海賊が宇宙船を略奪するとかしたあとで、その犯罪が発見されるまでには、百パーセクも遠くへ逃げられるというのでは、どうすれば――どのようにすれば――法律手続きを効果的に発動させることができるかね――効果的にどころか、多少とも発動させることが? われわれパトロール隊のことを何も知らない未知の惑星上で、地球の執行官が、どうして犯人を発見することができるかね? そこでは言語がまるでちがう――言語なぞ、まるでないかもしれん――地元の警察官が――もしいたとしても――それがだれで、どこにいるかを発見するためだけにさえ、何ヵ月もかかるのだ。だが、何か方法があるにちがいないよ、ロッド――〈なければならん〉のだ!」サムスは、指をひろげた片手で、デスクのむき出しの表面をつよくたたいた。「そしてわたしはそれを発見してみせる――やがて新しいパトロール隊が出現するだろう!」
「いつもながらの十字軍戦士サムスだな!」キニスンの声や表情には、ひやかすようなところは少しもなく、友情と称賛だけがあらわれていた。「きみはきっと発見するよ。きみの恒星間パトロール隊とやらも――」
「銀河パトロール隊だ。わたしには、その名称がどうなるかだけはわかっている。ほかのことはさておいてもな」
「――その銀河パトロール隊は、もうできあがったようなものだ。きみはそれだけの仕事をやってのけたよ、バージ。この太陽系全体と、ネヴィアのアルデバラン第二惑星その他の惑星上の植民地と、バレリアまでが、がっちり組織した。バレリアについておもしろいのは――」
キニスンはちょっと言葉を切ったが、それから、またつづけた。
「だが、ダイヤがとれるところなら、オランダ人はどこへでも出かけて行く。そして、オランダ人が行くところなら、オランダの女はどこへでも出かけていく。すると、医者がいくら忠告しても、オランダ人の赤ん坊が生まれる。おとなはうんと死んだが――地球の三倍の重力というのは、冗談ごとじゃないからな――赤ん坊はほとんど全部が生きつづけている。彼らは重力にふさわしい骨格と筋肉を発達させる――一年半で歩きだす――正常に生活を送っている――聞くところによると、三代目になれば、バレリアの条件に完全に適応するようだ」
「ということは、人間という動物が、従来一流の医者の中のある者が信じてきた以上に、適応性に富んでいる、というだけのことだ。話をそらさんでほしいな、ロッド。われわれがどんな問題に直面しているかは、きみもわし同様よく知っているはずだ。恒星間貿易がもたらしつつある新しい難問だ。たとえば、新しい悪習――麻薬――シオナイトがある。われわれは、あの麻薬がどこから持ちこまれているのか、まるでわかっていない。それから、宇宙海賊の横行で保険率が大幅にはねあがっていることは、いうまでもないことだ」
「そうとも――アルデバラン葉巻の価格を見たまえ。吸う値打ちのあるやつはあれしかないというのに! ところで、きみはアリシアが海賊の総司令部だという考えを捨てたのかね?」
「きっぱり捨てた。アリシアはそうじゃない。海賊たちは不定期貨物船の乗組員より、もっとあそこを恐れている。あそこは制限外だ――どうやら完全な立入禁止区域らしい――わたしの腕きき諜報員をふくめた、あらゆる種類の連中にとってな。あそこについてわれわれが知っているのは、名前だけだ――アリシアという名前だがね――われわれの惑星学者が命名したのだ。わたしがこれまで経験したかぎりでは、まったく理解できないものというのはあの惑星だけだ。時間ができしだい、自分であそこへ行ってみるつもりだ――わたしの腕ききの部下の手におえなかったことを自分ならできると期待しているわけじゃなく、これまでのあそこに関する情報がまちまちで矛盾しているからだ――だれもあの惑星に接近できなかったという事実をのぞけば、どの情報も一致していない――わたしは直接の情報が必要だと思うのだ。いっしょにくるかね?」
「くるなといっても行くさ!」
「だが、いずれにしても、それほど驚かされることはあるまい」サムスは考えながらつづけた。「われわれは問題の表面にとりついたばかりだが、なにか奇妙でまごつくような――まったくわけのわからないことにぶつかるだろうということは、想像できる。われわれの単純な経験では創造もおよばぬような事実、状況、出来事、または生物だ。事実、われわれはすでにそういうものにぶつかっている。もし十年前にだれかが、きみにリゲル人のような種類がいるということを話したとすれば、きみはどう思っただろう? きみも知るように、一隻の宇宙船があそこへ行った――一度だけね。地球人はリゲル人の都市に一時間いるか、リゲル人の自動車に一分間乗るかすれば――気ちがいになってしまうということだ」
「きみのいう意味はわかる」キニスンはうなずいた。「そんな話をきけば、わしはその人間の知能テストを命じただろう。それから、パレイン人はもっとわるい。冥王星プルートーに住んで、そこが〈気に入っている〉人間なんだからな――もし彼らを人間と呼べればだがね! 彼らはあまりにも異質な生物なので、わしが知るかぎりでは、だれも彼らを理解した者はいない。だが、不可解なものを追求する仕事ということなら、なにもそれほど遠くの例をひくことはない。グレー・ロージャーというのは、何者だね? そしてなぜ、どれだけの期間、この地球にいたんだね? それに劣らずふしぎなのは、きみのところにいるあの若いバーゲンホルムという男だ。ところで、きみはまだわしに真相を教えてくれていないが、あの銀河系横断貿易を可能ならしめて、われわれの頭痛の原因の十分の九までをつくりだした装置が、〈ロードブッシュ・クリーブランド〉ではなくて〈バーゲンホルム〉と名づけられたのはなぜかね? わしが聞いたところでは、バーゲンホルムは技師でさえなかった――いまもそうでない――というじゃないか?」
「きみに話さなかったかな? 話したように思ったが。彼は技師じゃなかったし、いまもそうじゃない。そうさ、なにしろ、あの装置の原型になったロードブッシュ・クリーブランド式無慣性推進装置は、危険きわまるしろものだった――」
「そうだったなあ、まったく!」キニスンは感慨をこめて叫んだ。
「ロードブッシュとクリーブランドは何ヵ月も骨身をけずって考えたが、結果はすこしもよくならなかった。するとある日、あのバーゲンホルムという若者が、彼らの研究室へ、のそのそはいってきた――大柄だが、無器用で足もともさだまらないような感じだった。彼は装置を二分ばかり無邪気なようすで見つめてからいった。
『鉄のかわりにウラニウムを使って、それをこんな波形を発声するように巻きなおして、突起をそことそこじゃなく、こことことにつければいいじゃありませんか?』そして彼は、二本の曲線をフリーハンドで、しかし非常にみごとにひいて見せた。
『なぜそうする必要があるんだ?』ふたりは彼にくってかかった。
『そうすれば、うまく動くからですよ』彼はそういうと、はいってきたときと同じように、無関心なようすでのそのそ出ていった。それ以上説明できなかったのか――それともしたくなかったのかわからんがね。
ふたりはやけくそになって、その方法でやってみた――すると、うまくいったのだ! それ以来、あの装置に故障が起きたことは一度もない。そういうわけで、ロードブッシュもクリーブランドも、あの装置を〈バーゲンホルム〉と名づけることを主張したのだ」
「わかった、その話は、わしがたったいまバーゲンホルムについていったことと、つじつまが合っている。だが、もし彼がそんな知的巨人だったとしたら、いま彼がとりくんでいるパトロール隊の認識用に用いる隕石《いんせき》の問題について、結論に到達していないのはなぜだね? それとも到達したのかね?」
「いや――少なくともゆうべまではな。だが、わたしの手帳には、彼がきょうのいつか、わたしに会いたがっていると記録してある――いま彼を呼ぼうか?」
「よかろう! もしきみも彼もさしつかえなければ、彼と話してみたい」
若い科学者が呼びよせられ、公安委員に紹介された。
「話したまえ、バーゲンホルム博士」サムスはうながした。「わたしひとりにむかって話すのと同じように、自由に話しても大丈夫だ」
「すでにご存知のように、わたしは霊媒《れいばい》だといわれています」バーゲンホルムはぶっきらぼうに話しはじめた。「うわさによると、わたしは幻像を見たり、幻声を聞いたりするのだそうです。予感にもとづいて行動するのだそうです。天才だそうです。しかし、わたしはけっして天才ではありません! その言葉の意味に対するわたしの理解が、他の人たちとちがわなければの話ですが」
バーゲンホルムは言葉を切った。サムスとキニスンは顔を見合わせたが、キニスンが短い沈黙を破った。
「評議員とわしがたったいま議論していたことだが、この宇宙にはわれわれが知らないことが無数にある。そして、われわれの活動が新しい分野にひろがるにつれて、想像もおよばぬことが起こるのは、ほとんど日常茶飯事だ。われわれは、きみがいわんとするどんなことでも、ひらかれた心で聞くことができると信じている」
「けっこうです。しかし、第一に知っていただきたいのは、わたしが科学者だということです。したがって、わたしは観察し、冷静、明確、分析的に考察し、あらゆる仮定を検討することになれています。わたしは、いわゆる超自然的なことをすこしも信じていません。この宇宙は自然で〈不変の〉法則にしたがわずしては、発生しなかったし、また存続もしないでしょう。わたしは〈不変の〉法則という言葉を用います。あらゆる現象は、これまでに起こったものも、いま起こっているものも、これから起こるものも、先行および後行の現象と統計的に関連しているのです。もしこのことを絶対的に信じなければ、わたしは科学的方法というものに対する信頼を、完全に失っていたでしょう。なぜなら、もしこれまでに『超自然的な』現象が一つでも起こるか存在するかしていれば、それはまったく予知できない現象をつくりだし、ひきつづき一群の――連続した――そのような現象をつくりだすでしょう。いかなる科学者も、そうしたものが秩序正しい宇宙の中に存在するとは、信じられないような情況です。
しかしそれと同時に、わたしは自分が一見奇跡的なことをやってのけた事実を認めます――おのぞみなら、そういう現象を発生させたといってもいいのですが。しかも、それらの現象は、われわれの科学に知られているどんな表記法をもってしても、あなたがたや他の人々に説明するわけにいかないのです。ところで、わたしがきょう、あなたとお話ししたいと申し出たのは、それらよりさらに不可解に思われることなのです――おのぞみなら、〈予感〉と呼んでいただいてもけっこうです」
「だが、きみは堂々めぐりしている」サムスは抗議した。「それとも、逆説をたてようとしているのかね?」
「どちらでもありません。ただ、これからいおうとしているいささか法外なことのために、下準備をしているのです。もちろんご存知のように、心というものは、処理できないような情況にぶつかったり、解決できないような非常に深刻なジレンマにおちいったりすると、破壊されてしまいます――挫折《ざせつ》感、現実逃避などにおちこむのです。また、わたしが自分自身の特異性について、他の誰よりもはやく気づいていたにちがいないということも、おわかりでしょう?」
「なるほど。わかった。そう、もちろんわかったよ」サムスはひどく興味をそそられて、身をのりだした。「だが、きみの現在の性格は、すばらしく調和している。それほど矛盾にみちた情況を、どうして克服できたのかね――それと妥協できたのかね?」
「あなたはわたしの血統をご存知でしたね?」サムスは明敏な男だったが、この大男のノルウェー人が、サムスの質問にたいして反問したことを異常だとは気づかなかった。
「知っている――ああ、わかりかけてきたぞ――だが、キニスン委員は、きみの経歴をまだ知っていない。話をつづけたまえ」
「わたしの父は、ヤルマル・バーゲンホルム博士です。母は結婚前はオルガ・ビョルンソン博士でした。どちらも核物理学者です――きわめて有能な科学者です。核物理学の先駆者と呼ばれてきました。その分野のもっとも新しい先端的な境界で働いてきたし、いまも働いています」
「そうか!」キニスンは叫んだ。「きみは突然変種《ミュータント》だというんだな? 透視力とか――なにかそんなものを持って生まれたというんだな?」
「歴史上で説明されている現象のような透視力ではありません。記録によれば、そうした能力で有能な科学的観察者を満足させるようなものはなかったそうです。わたしが持っているのは、何かべつのものです。この能力が変種から類型に定着するかどうかは、興味のある問題ですが、当面の問題とはなんの関係もありません。主題にもどりますが、わたしは例の難問を、ずっとまえに解決していました。わたしは精神の科学の存在を確信しています。それは、物質の科学と同様に明確で積極的な、不変の法則です。わたしはそのことをあなたに証明するつもりはまったくありませんが、そのような科学が存在していて、自分がすくなくとも、そのいくつかの要素を知覚する能力を持って生まれてきた、ということは〈知っています〉。
そこでパトロール隊員の認識標の問題に移ります。この認識標は、従来純粋に物理的なものでしたし、現在もそうです。海賊は、われわれの科学者と同様に有能な科学者を持っています。物質科学が工夫して合成したものは、物質科学が分析して模造することができます。しかし、物理科学が越えられない一線が存在するのです。わたしがごくあいまいに精神科学と呼んだものがつくりだした実体は、物質科学が分析することも模造することもできません。
サムス評議員、わたしは三惑星連合軍《トリプラネタリー》が必要としているものを知っています。それは、現在の隕石認識標よりはるかにすぐれたものでなければなりません。また、わたしは、パトロール隊の活動範囲が拡大するにつれて、その必要がいよいよ増大していくということも知っています。真に有効な認識標がないかぎり、太陽系パトロール隊は、三惑星連合軍《トリプラネタリー》以上に活動を妨害されるでしょう。太陽系パトロール隊が宇宙パトロール隊に発展することは論理的帰結です。その拡大された組織がなんと呼ばれようとも、そうした認識標なしには、組織の運営は不可能でしょう。われわれに必要なのは、銀河文明の代表者を、どんな場所ででも明白に誤りなく認識させるような〈あるもの〉です。それは複製も模造も不可能でなければならず、そのためには、それをいつわって着用しようとする無資格の生物を、殺すようなものでなければなりません。それは知能の程度にかかわらず、他の知的生物とその着用者とのあいだの精神感応装置《テレパス》として作用しなければなりません。そうすれば、物質的連絡手段よりはるかに明確で、かつすみやかな精神的連絡が、言語をまなぶ骨折りなしに可能になるからです。また、リゲル系第四惑星やパレイン系第七惑星の住民はどちらも高度に知的で、すでに精神感応に精通しているにちがいありませんが、そうした種族との精神的連絡も可能になります」
「きみは現在、わたしの心を読んでいるのかね? それとも、すでに読んでいるのかね?」サムスはしずかにたずねた。
「いいえ」バーゲンホルムは率直に答えた。「その必要は現在もありませんし、これまでもありませんでした。どんな人間でも、この問題を考えることができ、また、それを実際に考えた者ならば、また文明の発展を念じている者ならば、同じ結論に到達せざるをえなかったでしょう」
「おそらくそうだろう。だが、寄り道はそれくらいにしよう。きみはなんらかの解答を出したのだろう? さもなければ、ここにこなかったにちがいない。それはなんだね?」
「それは、太陽系評議員サムス、あなたができるだけ早くアリシアへ行かれるべきだ、ということです」
「アリシアだと!」サムスは叫んだ。キニスンもいった。
「アリシア! こともあろうに、なぜアリシアへ行くのだ? それに、どういう方法で接近すればいいのだ? きみは、あのいまいましい惑星には〈だれも〉近づけないということを知らんのかね?」
バーゲンホルムは処置なしといったように、肩をすくめ両手をひろげてみせた。
「どうしてきみにはわかるんだ――それも予感かね?」キニスンはつづけた。「それとも、だれかがきみになにかを話したのかね? 〈どこで〉それを知ったのだ?」
「予感ではありません」ノルウェー人はきっぱり答えた。「だれから何を聞いたわけでもありません。しかし、わたしは〈知っています〉――酸素の中で水素を爆発させれば、水が生じるのと同じくらい確実に知っています――アリシア人は、わたしが精神の科学と呼んだものに非常に精通しています。バージル・サムスがアリシアへ行けば、必要な認識標が手にはいります。それ以外の方法では、けっして手にはいりません。〈どんな方法で〉わたしがそういうことを知ったかについては――説明できません――ただ――知っているから知っているのです!」
バーゲンホルムはそれ以上一言もいわず、帰る挨拶もせずに背をむけると、急ぎ足で出ていった。サムスとキニスンは顔を見合わせた。
「どうだい?」キニスンはからかうようにたずねた。
「わたしは行くよ、すぐに。時間があろうとなかろうと、きみがわたしを狂っていると考えようと考えまいとな。わたしは彼の言葉をひとつ残らず信じる――それに、彼は無慣性推進装置を完成している。きみはどうだ? 行くかね?」
「行くとも。百パーセントかつがれたのかもしれんが、きみがいうように、無慣性推進装置は無視できない事実だ。それに、最悪の場合でも、やってみるべきだ。きみは何に乗って行くね? 艦隊じゃあるまい――ボイス号かね? それともシカゴ号かね?」キニスンは、いま公安委員として、軍の総司令官としてしゃべっていた。「シカゴ号がいいと思うな――宇宙でもっとも速く、もっとも強力な船だからな」
「きみの意見にしたがおう。あす十二時出発だ」
[#改ページ]
超大型戦艦シカゴ号は、これまでどんな船も通過を許されなかった、想像上の、しかし厳然たる境界に接近すると、有重力状態に移行して、じりじり前進していった。公安委員、評議員をはじめ全員が緊張していた。このアリシアについては、すこぶるまちまちでとほうもない噂が横行していたので、誰も何が起こるか見当がつかなかった。彼らは思いがけないことを期待していた――そしてそういうことにぶつかった。
「おお、地球人よ、おまえたちはちょうどよいときにきた」力強く断固として朗々たる擬似音声が、巨大な戦艦に乗り組んでいる各員の心の深所にひびきわたった。「パイロットおよび航行士、コースを一・七八―七・一二・五三に変更せよ。有重力状態のまま、一地球重力の加速度で、そのコースを維持せよ。これからバージル・サムスに面会を許す。彼は地球時間できっかり六時間後に、おまえたちの意識にもどるだろう」
シカゴ号の乗組員たちはすべて、はじめての精神感応のショックでほとんど茫然《ぼうぜん》としていたから、このダイヤのように明確な思考の語法に、なんら異常なものを感じなかった。しかし、サムスとキニスンは、言語について厳格なタイプだったので、それに気づいた。けれど、ふたりは催眠術か心理的暗示の兆候を探知しようと警戒し緊張していたが、どちらも、バージル・サムスが事実上シカゴ号をぬけだしはしないということには、まるで思いおよばなかった。
サムスは、自分が救命ボートに乗って、アリシアを包んでいるきらきらしたもやのほうへ飛んでいくのを〈知った〉。公安委員キニスンも、他の乗組員と同様に確実に、サムスがそれらのことをするのを〈知った〉。なぜなら、彼も士官も大部分の兵員も、サムスがそうするのを見たからだ。彼らは救命ボートが遠ざかって小さくなっていくのを見た。それが、もっとも強力なスパイ光線でも貫通《かんつう》しえない、特異な光輝をはなつ力場のベールの中に消えるのを見た。
彼らは待った。
そして、この出来事に関係した者はすべて、このとき起こったように思われたことが実際に起こったのだということを、生涯|露《つゆ》ほどの疑いもなく〈知っていた〉のだから、ここでもそのとおりに描写することにしよう。
やがて、バージル・サムスは、そのボートを駆ってアリシアのもっとも内側のスクリーンを通過し、地球の姉妹惑星ではないかと思われるほど地球に酷似《こくじ》した惑星を見いだした。白い万年雪があり、巨大な大洋があり、緑色の大陸があって、それらが部分的に羊毛のような雲でぼかされている。
都市があるだろうか、ないだろうか? 彼はどんなことが起こるかまるでわからなかったが、アリシアに大きな都市が存在するとは思わなかった。サムスがこれから会見しようとしているアリシア人は、|救いの神《デウス・エクス・マキナ》の役割を演ずるのだから、真のスーパーマン――普通の人間の知識や経験をまったく超越した知能を持つ存在――のはずである。そのような種族が、都市のようなものを必要とするだろうか? そんなことはあるまい。都市などないだろう。
事実、都市はなかった。救命ボートは下降した――速度をゆるめた――着陸ドックの中になめらかに着陸した。そこは、農場や森に囲まれた小さな村落のようなもののはずれだった。
「こちらへきなさい」声なき声が彼を二輪車のほうへみちびいた。その二輪車は、ディリンガムの道路車にひどく似ていた。
しかし、この車は、サムスがドアをしめると同時に、ひとりでに発進した。そして、他の交通がまったくない舗装されたハイウェーをなめらかに疾走し、農場や小屋のまえを通過して、低い巨大な建物のまえでひとりでに停止した。この建物は村の中央にあり、村はこの建物のために存在しているらしい。
「こちらへきなさい」サムスは指示にしたがって、自動的に開かれたドアをはいり、なんの家具もない短いホールをとおりぬけ、かなり大きな中央の部屋にはいった。そこには、一つの容器と、クッションのきいた椅子が一つ置いてある。
「すわりなさい」サムスはほっとしてすわった。もう立っていられそうもなかったからだ。
彼は、偉大な知能を持った生物と対面することを予期していたが、相手は彼のもっとも奔放《ほんぽう》な想像をさえはるかに越えていた。それは脳だった――それだけだ――それ以外の何者でもない。ほとんど球形で、直径は少なくとも十フィートはあり、芳香をはなつ液体の中にひたって、完全に平衡《へいこう》を保っている――〈脳そのもの〉なのだ!
「らくにしなさい」アリシア人はいたわるように命じた。すると、サムスはらくに〈できる〉ことを感じた。「おまえがバーゲンホルムとして知っている者を通じて、わたしはおまえの必要を聞き、おまえに指示をあたえるために、今回一度だけここへくることを許した」
「しかし、これは――こんなことはみんな――現実ではない――本当の〈はずがない〉!」サムスは叫んだ。「これは幻覚だ――そうにちがいない――だが、わたしは催眠術にかからないはずだ――かからないように心理的訓練をつんでいるのだ!」
「現実とはなにか?」アリシア人はしずかにたずねた。「おまえたちのもっとも深遠な思想家でさえ、その疑問に答えられなかった。わたしはおまえたちの種族の誰よりもはるかに年長で、はるかに有能な思想家だが、その真の答えをおまえにあたえようとは思わない。また、おまえの経験はきわめて制限されているから、わたしが思考または言語でどんな保障をあたえても、留保なしにそれを信じられるとは期待できない。したがって、おまえはみずから信じなければならない――おまえ自身の五官にしたがって明確に信ずるのだ――おまえのまわりの事物は、わたしもその他のものもすべて、おまえが現実だと理解するとおりに現実なのだ。おまえは村とこの建物を見、わたしという存在をやどらせている肉塊を見ている。おまえは自分自身の肉体を感じている。こぶしで木工品をたたけば、衝撃を感じ、その振動を音として感ずる。おまえはこの部屋にはいったとき、栄養液の芳香を知覚したにちがいない。わたしはこの液の中に住み、その栄養によって生きているのだ。あとは味覚の問題だけが残っている。ときに、おまえは空腹であるとか、のどがかわいているとかいうことはないか?」
「両方です」
「むこうの棚にはいっている大コップの中身を飲むがいい。何かの暗示があたえられたという疑いをさけるために、その内容については、それがおまえの体組織の化学的性質に完全に適応しているという事実以外は、何もいわないことにする」
サムスはおそるおそるコップを口もとへ持っていった――そして、それを両手でささえながら、中味をごっくりのみくだした。うまい! 味覚をそそるご馳走のすべての芳香が、一つにまぜあわされたような匂いだ。これまでに味わったもっともうまい料理の味を、すべてよせ集めたような味だ。これまでに飲んだどんな飲みものにもまして、それは渇《かわき》をいやした。しかし、彼はその比較的小さな容器をさえ空《から》にできなかった――その物質がどんなものかはわからないが、軽く焼いた濃厚なビフテキよりはるかに満腹感をあたえた!
サムスは、満足のため息とともにコップをもとにもどし、また風変わりな主人にむきなおった。
「納得がいきました。いまのものは現実でした。どんな精神的影響でも、あれほど空腹でのどがかわいていたわたしの、純粋に肉体的な要求を、あれほど完全に、あれほど確実に満たすことはできなかったでしょう。わたしがここへくるのを許してくださったことを大いに感謝します。ミスター――?」
「わたしをメンターと呼ぶがよい。わたしはおまえたちが理解しているような意味の名前を持っていない。では、おまえが当面している問題や困難について、おまえがこれまでになしとげたことや、これからなしとげようとしていることについて、すっかり思考しなさい――口に出していうにはおよばぬ」
サムスはすばやく説得的に思考した。三惑星連合軍《トリプラネタリー》の歴史と太陽系パトロール隊の創設を思考するには、二、三分で十分だった。それから三時間近くのあいだ、彼は自分が企図している銀河パトロール隊について、くわしく思考した。しかし、彼はついに現実にたちもどった。彼はとびあがると、床を行きつもどりつしながら、しゃべりだした。
「しかし、ここに致命的な欠陥があります。万事を不可能にしてしまうような、本質的できわめて破壊的な要素です!」彼はいどむように叫んだ。「それは、これほど強力な権力を、信頼してゆだねられるような個人も団体も存在しないということです。評議会もわたしも、これまで、すでにありとあらゆる仕事を要求されていますが、われわれがこれまでになしとげた仕事も、銀河パトロール隊がなしとげるべき仕事にくらべれば、ほとんどものの数ではないのです。だれに対してだろうと、このような権力をゆだねることは、わたし自身が第一に反対します。史上の独裁者はすべて、マケドニアのフィリップからアジアの暴君にいたるまで、徳行のみにしたがって行動していると主張してきました――おそらく、彼らもはじめはそうだったのでしょう。権力は、それをかちえたほとんどすべての者を堕落《だらく》させてきました。この未来の銀河委員会が、いやわたし自身さえが、そうした誘惑にうちかてるほどつよいということが、どうして考えられましょう? だれが監視者を監視すればよいのです?」
「そうした考え方をするからこそ、おまえは信頼にあたいするのだ」メンターはしずかに答えた。「おまえがここにきたのは、一つはそれによるのだ。おまえは、自分が事実上堕落する危険がないということを、自分の力では知りえない。しかし、わたしは知っている。そればかりでなく、おまえが現在不可能であると信じていることをまったく容易にしてしまうような機関があるのだ。手をのばしてみるがいい」
サムスはいわれたとおりにした。すると、その手首のまわりに、プラチナ・イリジゥム製の腕輪がぱちりとはまった。腕輪には、なにかレンズ状のものが、腕時計のようについている。地球人はあっけにとられてそれを見つめた。それは、何万――いや何百万――もの微細な宝石からなっており、そのおのおのが、スペクトルのあらゆる色彩を、脈動的に放射しているように見えた。それは、よじれあいもつれあう多彩の光を、激流のように投射――放送――しているのだった!
「三惑星連合軍《トリプラネタリー》の黄金隕石の後継者だ」メンターはおだやかにいった。「アリシアのレンズなのだ。なんらかの意味でふさわしくない者は、けっしてアリシアのレンズを着用できない。わたしの言葉をそのまま信用するがよい。やがて、おまえ自身の経験で、その事実が納得いくだろう。ここにもう一つ、おまえの友人キニスン委員のためのレンズがある。彼は直接アリシアへくる必要はない。見ればわかるが、これは絶縁容器の中にはいっていて、光をはなっていない。その表面にさわってみるがいい。だが、痛いから、軽く瞬間的にふれるのだ」
サムスは、にぶい灰色の宝石の表面に指先でかすかにふれた。その瞬間、彼は腕全体を思わずはねのけた。これまで経験したどんな痛みよりもっとはげしい痛みが、全身をつらぬいたのだ。
「なんということだ――これは生きている!」彼は叫んだ。
「いや、おまえが理解しているような意味で生きているのではない――」メンターは、地球人にまったく理解できないことをどう説明したものかと思案するみたいに、口をつぐんだ。「だが、これは一種の擬似生命ともいうべきものを賦与《ふよ》されている。そしてその力によって、それと完全に共鳴する生体――個性《エゴ》――と物理的回路を形成しているかぎり、固有の光を放射するのだ。レンズは輝いているあいだはまったく無害だ。それは完全な状態にある――飽和《ほうわ》している――満足している。しかし、暗い状態にあるときは、おまえがいま経験したように、きわめて危険なのだ。そういうとき、それは不完全な状態にある――不満なのだ――挫折しているのだ――さがし求め、要求しているといってもいい。その状態にあるとき、その擬似生命は、それと調和しない生命を強烈に排除するので、その生命は一瞬にして、この存在の平面または循環から抹殺《まっさつ》されてしまうのだ」
「では、あらゆる生体のうちでわたしだけが、この特定のレンズを着用できるのですか?」サムスは、自分の手首でいとも満足そうに輝いているレンズを見つめながら、くちびるをなめた。
「しかし、わたしが死ねば、これは永久に脅威の種となって残るのですか?」
「けっしてそんなことはない。レンズはそれに対応する生きた個性なしには存在しえない。おまえがこの存在体系から消滅するとすぐ、おまえのレンズも分解してしまうのだ」
「すばらしい!」サムスは畏怖《いふ》の念からあえいだ。「しかし、一つ問題があります――このレンズは――きわめて貴重なもので、おまけに何百万もつくる必要があるでしょう――あなたにはとても――」
「われわれがその対価として何を手に入れるかというのかね?」アリシア人は微笑したようだった。
「おっしゃるとおりです」サムスは顔を赤らめたが、ひるまずに答えた。「だれでも無償で何かをするものではありません。利他主義は理論としてはりっぱですが、実行されたためしがありません。わたしはレンズのために多大の代償を払いましょう――合理的で可能なかぎりどんな代償でも。しかし、その代償がどんなものかを知らねばなりません」
「その代償は、おまえが考える以上に、あるいは現在理解できる以上に、高価なものだろう。しかし、けっして恐れることはない」メンターの思考は、厳粛そのものだった。「アリシアのレンズを着用するものはすべて、弱い心のものにはたえられないような重荷をになうのだ。それは、劣弱な心を破壊してしまうような、権威と責任と知識との重荷だ。利他主義といったな? そんなものではない。また、おまえが確信しているような善悪の問題でもない。おまえは人間の心を、まばゆいほどの潔白さと救いがたい暗黒とに色わけして考えているが、それは正しくない。絶対的な悪も絶対的な善も存在していないし、存在しえないのだ」
「しかし、それではなお困ります!」サムスは抗議した。「そうだとすると、あなたがわれわれのために尽力《じんりょく》――努力――してくださる理由がまるでわかりません」
「ところが、充分に理由があるのだ。もっとも、わたしがのぞむほど明白に、それをおまえに理解させられるかどうか自信がない。事実上、三つの理由がある。そしてそのどれ一つでも、われわれがおまえたちの銀河パトロール隊にレンズを提供するという些細《ささい》な努力を払うことを妥当ならしめる――強制する――だけの価値があるのだ。第一に自由と束縛《そくばく》、デモクラシーと独裁主義《オートクラーシー》、行動の自由と絶対的拘束などのあいだには、本質的な善とか悪とかはまったく存在していない。しかし、最大多数の最大幸福、つまり、この存在体系が、広大で不可知な、森羅万象《しんらばんしょう》中で至高《しこう》の目標としているものへの極限《きょくげん》まで接近することは、個々の固体に公共の福祉と矛盾しないかぎり最大限の精神的物質的自由を保障することによって可能になるのだ。われわれのアリシアは、この存在体系の中の一小部分にすぎない。そして、全体が調子よく進行するときは、部分も多少とも調子よく進行するのだ。おまえはこの宇宙体系の一員として、そのような目標の達成だけでも、もっとはるかに大きな努力の充分な代償になると信じられないか?」
「わたしはこの問題を、そんな角度から考えたことがありませんでした――」サムスには、その概念を把握することは困難だった。それを完全には理解できなかった。「わかりかけてきたように思います――少なくとも、あなたのおっしゃることを信じます」
「第二の理由として、無数の惑星上の生物が、アリシアの生命因子から発生したという点で、われわれはいっそう特殊な責任を負っている。したがって、もしわれわれが行動をこばむならば、|親の立場《イン・ロコ・パレンティス》として、義務をおこたることになる。そして第三の理由だが、おまえたちは貴重な時間と多くの努力とをついやして、チェスを戦わせている。おまえたちは、なぜああいうことをするのか? あれからどんな代償をえているのか?」
「もちろん、わたしは――その――知的運動だと思います――わたしは好きです!」
「それだけのことだ。ところで、たしか、おまえたちのごく初期の哲学者のひとりが到達した結論だったと思うが、万能の精神ならば、任意の宇宙に属する一個の事実、一個の工芸品を研究しただけで、その宇宙を、創造の瞬間から終末まで、構成または洞察できるというのではなかったか?」
「そうです。少なくともそういう命題《めいだい》を聞いたことはありますが、そんなことが可能だとは思いませんでした」
「それが不可能なのは、万能の精神というものがこれまでも存在しなかったし、これからも存在しないからにすぎない。精神は無限の知識を獲得することによってのみ万能になりうるが、そのためには無限の能力とともに無限の時間が必要だ。しかし、われわれは、おまえたちのチェスに匹敵《ひってき》する遊戯を『宇宙万有の洞察《どうさつ》』と呼んでいる。わたしの洞察によれば、クラリッサ・マクドゥガルと呼ばれるおまえの子孫は、惑星上のブレンリーアと呼ばれる店で――いや、もっと手近な、おまえ個人に関係したことを考察しよう。そうすれば、その正確さが、おまえによって点検されるわけだからな。未来のある特定の時間に、おまえがどこにいて、どんなことをしているかということだ。五年後ということにしようか?」
「つづけてください。もしそんなことがおできになるのなら〈たいしたもの〉です」
「では、おまえがこの航行をおえて〈丘〉のスクリーンを通過した瞬間から、地球暦年にして五年後に、おまえは――少し考えさせてほしい――おまえは、現在まだ建っていない理髪店にはいっているだろう。その店の住所は、地球の北アメリカ大陸ワシントン、スポーケン一二番通り一五一五番になるだろう。その理髪師は、アントニオ・カーボネロという名で左利きだろう。彼はおまえの髪を刈っているだろう。というより、髪を刈る仕事がすんで、〈ジェンセン・キング・バード〉という商標《しょうひょう》のかみそりで、おまえの左耳の前方の短い毛をそっているだろう。そのとき、〈猫〉と呼ばれる比較的小柄で灰色縞のある四つ足の生物が――若い猫で、女性なのにトマスという男性名で呼ばれているだろうが――おまえのひざにとびあがって、おまえが部分的にしか理解できない言語で、うれしそうに語りかけるだろう。おまえたちはその言語をニヤニヤ、ゴロゴロと呼んでいるのだったな?」
「そうです」めんくらったサムスは、やっといった。「猫は鳴きます――ことに子猫がよく鳴くのです」
「そうか――よろしい。わたしは直接猫を見たことがないから、おまえがわしの洞察を確証してくれたことを感謝する。トマスというあやまった名前で呼ばれているこの若い牝は、跳躍の軌道計算がいささか不注意だったために、理髪師のひじを尾でかるくつつくだろう。そしてそれによって、おまえの左の頬骨《ほおぼね》のすぐ上に、それと平行した長さ三ミリくらいの浅い切り傷をおわせるだろう。そしてまさに問題の瞬間に、理髪師はその小さな傷に止血剤をつけているだろう。この予言は、充分に詳細《しょうさい》だから、おまえはその正確さや不正確さを用意に点検できると信ずるが、どうかな?」
「詳細ですと! 正確さですと!」サムスは考えることもできないほどだった。「ですが、お聞きください――ことさらあなたにさからうつもりはありませんが、理髪店で顔を切られるのはありがたいことではありません。そんなにわずかな傷だとしてもです。わたしはその住所を――その猫も――おぼえておいて、その場所へ足をふみいれないことにするでしょう!」
「あらゆる出来事は、その後の出来事の系列に影響をあたえる」メンターは平静に認めた。「この会見がなかったなら、おまえはそのときスポーケンのかわりにニューオルリーンズに行っていただろう。わたしはあらゆる関連的因子を考察してきた。おまえはそのときもいそがしい立場にいるだろう。だから、しばらくはこの問題をたびたび真剣に考えるだろうが、五年たたないうちに、すっかり忘れてしまうだろう。そして、止血剤をつけられてはじめて、そのことを思い出し、何か自分をののしる言葉を吐くだろう」
「それはそのはずです」サムスは歯を見せて笑った。あまりうれしそうな笑いではなかったが。彼はメンターがたったいまやってのけたようなことができる知力に驚嘆した。彼がいっそう驚嘆したのは、アリシア人が、自分のかくも詳細な予言が完全に実現するということを、冷静に確信している点だった。「もし、これだけスポーケンについて聞かされたあげく――虎縞《とらじま》の子猫がわたしのひざにとびのったら――左利きのトニー・カーボネロがわたしにけがをさせたら――いやはや! もしわたしがそんな目に会ったら、ばかといわれようが阿呆《あほう》といわれようが、なんといわれてもしかたがありませんな!」
「わたしがいまのべたのは、大まかな出来事だけで、未熟な思考者しかあつかわないような問題である」メンターは、サムスがその店へはけっしてはいるまいと決心していることにおかまいなくいった。「真に困難なのは、微妙な細部の洞察だ。たとえば、おまえの頭髪が刈られたときの一本一本の長さ、質量、それらが前掛けや床におちる正確な位置などがそれだ。それには、多くの因子が包含《ほうがん》されている。他の客たちの通過――ドアの開閉――気流――日光――風――気圧、気温、湿度など。それから、理髪師のはさみのあつかい方もあるが、それはそれでまた他の多くの因子に依存している――そのまえに彼が何をしていたか、なにを食べたり飲んだりしたか、彼の家庭生活が幸福だったかどうか――、これはわたしにとって、自分の洞察の正確さを点検する絶好の機会なのだが、おまえにはそのことがほとんどわかっていない。わたしはその問題について多くの時間をついやすだろう。もちろん、わたしは完全な正確さを獲得することはできない。わたしが合理的に期待する精度は、九九パーセント以下九が九個ならぶか――せいぜい十個ならぶかというところだ――」
「しかし、メンター!」サムスは抗議した。「わたしはそんな問題について、あなたに協力することはできません! 髪の毛一本一本の正確な質量、長さ、方向などをどうして知ることができますか?」
「おまえにはできない。しかし、おまえはそのときレンズを着用しているはずだから、わたしは、自分で自分の洞察を現実と微細《びさい》に比較できるだろう。というのは、レンズがどこにあろうと、すべてのアリシア人は、のぞみさえすればそこにいることができるからだ。ところで、おまえはそうした事実を知り、チェスその他の精神的運動によってえられる満足を知り、わたし自身の心を、いくらかのぞきこんだわけだが、それでもまだ、われわれアリシア人が、どれほど多数のレンズを要求されようと、そうした些細《ささい》な努力に対して完全に代償をえるだろうということを、いくらかでも疑うのか?」
「もう疑いません。しかし、このレンズは――わたしはいよいよ不安になってきます。これが完全な認識標だということはわかりました。これが完全な精神感応装置《テレパス》だということもわかりました。しかし、これは何かほかの作用もあるのですか? ほかの能力も持っているのですか――それはどんなものです?」
「それを教えることはできない、というより、教えることを欲しないのだ。わたしが、レンズのもっとも一般的な能力についてしかふれないことが、おまえ自身の向上にもっとも役立つのだ。レンズは確かに他の付随的能力を持っている。しかし、同じ能力を持った個体は二つと存在しないのだから、同じ能力を持ったレンズも二つと存在しない。厳密にいえば、レンズ自体は現実の能力を持っているのではない。それは、その着用者がすでに所有している能力を集中し、強化し、効果的にするのだ。おまえは自分自身の能力を向上しなければならない。われわれアリシア人は、レンズを提供することによって、われわれがなすべきことをすべてなしとげたことになるのだ」
「ごもっともです。それだけでも、われわれが期待する権利をはるかに越えています。ところで、ロデリック・キニスンのレンズはくださいましたが、他の者についてはどうすればよいのです? 彼らを選択するのはだれなのです?」
「さしあたりはおまえだ」サムスは抗議しようとしたが、メンターはそれをさえぎってつづけた。「おまえは、自分の判断が正しいことがわかるだろう。おまえがわれわれのところへ派遣する者のうち、レンズをあたえられない者はひとりきりだろう。そしてその者がここへ派遣されることは必要なのだ。おまえは候補者の選択と訓練のシステムを創設し、その基準は時とともに厳格になるだろう。このシステムが必要なのは、選択自体のためではない。選択は、レンズマンたちが赤ん坊としてゆりかごの中にいるあいだにでも、自分自身でできるのだ。このシステムが必要なのは、それをパスする少数の者ばかりでなく、パスしない多数のものにも、それによって利益があたえられるからだ。候補者の選択をはじめれば、ここへ派遣できる者がいかに少ないかを知ってがっかりするだろう。
おまえは、ファースト・レンズマン・サムスとして、その広大な視野と偉大な統率力によって銀河パトロール隊を誕生させた十字軍戦士として、歴史に残るだろう。もちろん、おまえは有能な援助者をえるだろう。不屈の実行力と意志とをもったキニスン父子、アイルランド人の頭脳と勇気をもっとも多くうけついだコスティガン、おまえのいとこのジョージとレイのオルムステッド、おまえの娘のバージリア――」
「バージリアですと! あれがこの事業の中でどんな役に立つのです? あなたはあれについて、何を知っていらっしゃるのです――そしていかにして?」
「おまえに瞬間的に接触しただけでも、おまえに二十三年間も付随してきた事実を洞察できないような心は、真に有能とはいえない。彼女は心理学の博士号を持っている。彼女は火星人やヴェネリア人の熟練者について――木星の名人にさえついて――人間の顔、手、その他の部分の、不随意《ふずいい》でほとんど意識されていない、それゆえに極度意識を暴露《ばくろ》する筋肉の作用を、集中的に研究してきた。おまえはかつて、彼女がポーカーでその能力を発揮したことをおぼえているだろう」
「もちろん、おぼえています」サムスはいささかてれくさそうに微笑した。「娘は、自分がこれからすることを、はっきり警告しておいて、われわれをすってんてんにしてしまったのです」
「それも当然だ。彼女はまったく意識していないが、自分がなすべく運命づけられた仕事のために、自分を訓練しているのだ。しかし、本題にもどろう。おまえは自分がファースト・レンズマンとしての能力や資格がないと感じるだろう――だが、それもレンズマンの負担の一部なのだ。おまえがはじめてロデリック・キニスンの心を検査すれば、自分ではなく彼のほうが、銀河パトロール隊の主導者となるべきだと感じるだろう。しかし、知るがいい。どんな心も、宇宙でもっとも有能な心でさえも、自己を真に洞察し、真に評価することはできないのだ。キニスン委員はおまえの心を検査すれば、真実を知って満足するだろう。だが、時間が迫ってきた。おまえはあと一分たらずで出発するのだ」
「心から感謝します――ありがとう」サムスは立ち上がったが、ためらうように足を止めた。「許していただけると思いますが――つまり、もし必要が起こったら、もう一度あなたにお目にかかることが――?」
「いけない」アリシア人は冷たく宣告した。「わたしの洞察によれば、おまえがもう一度わたし、または他のアリシア人と会見したり連絡したりすることは、必要でもなければ、望ましくもない」
まるで厚いカーテンがふたりのあいだにひかれたかのように、連絡がたえた。サムスは建物を出て、待っていた車に乗った。車は彼を救命ボートへ運んでいった。彼は発進し、シカゴ号の制御室に到達した。出発してからきっかり六時間たっていた。
「さあ、ロッド、もどってきたよ――」彼はそういいかけて口をつぐんだ。まったく話すことができなくなったのだ。相手の名を呼んだ瞬間、サムスのレンズは、彼の心を友人の心と完全な精神感応状態に置いた。そしてそれを知覚したとたん、彼は驚きのあまり、唖《おし》――文字どおり完全な唖――になってしまったのだ。
彼はつねにロッド・キニスンを愛し、称賛してきた。キニスンがすばらしく有能だということを、つねに認めてきた。大男で廉潔《れんけつ》で、射撃の名手で、世界でもっとも善良な男だということを知っていた。厳格な指揮官で、任務の遂行については、自分自身に対してと同様、部下に対しても容赦がなかった。しかし、いまやキニスンの全|個性《エゴ》が目のまえに展開され、その偉大な心を、現在、制御室に集まっている他の士官たち――いずれもやはりすぐれた男たちだったが――の心と比較してみると、ロデリック・キニスンが、実際にはどれほどの精神的巨人であるかを、かいもく理解してさえいなかったということに気づいた。
「どうしんだね、バージ?」キニスンは、両手をさしのべて駆けよりながら叫んだ。「まるで幽霊でも見てるようじゃないか! 彼らはきみにどんなことをしたんだ?」
「何も――たいしたことは――しなかった。だが、〈幽霊〉という言葉では、わたしがたったいま見てきたものを半分も説明していない。わしの部屋へくるかね、ロッド?」
委員と評議員とは、下級将校たちの好奇心に満ちた視線を無視して、評議員の部屋へはいった。そしてその部屋で、ふたりのレンズマンは地球へもどるまでのほとんどの時間を、熱心に協議しつづけた。事実、彼らは、シカゴ号が着陸して、地上車で〈丘〉へもどるあいだも、レンズを通じてまだ協議していた。
「だが、だれを最初に派遣するかね、バージ?」キニスンはたずねた。「もう少なくとも何人かは決定しているはずだ」
「適当だと思う者は五人、せいぜい六人しかいない」サムスは気むずかしくいった。「百人といいたいところだが、彼らは力量不足だ。最初の船で派遣するのは、ジャック、メースン・ノースロップ、コンウェー・コスティガンの三人だ。次は、ライマン・クリーブランド、フレッド・ロードブッシュ、それからたぶんバーゲンホルムも――あの男はこれまでつかまえどころがなかったが、レンズで検査すればわかるだろう。それで全部だ」
「それだけとはいえない。きみのいとこの一卵性双生児レイ・オルムステッドとジョージ・オルムステッドはどうだ、あの二重スパイというむずかしい仕事をやっているふたりは?」
「おそらく――いいだろう」
「それから、もしわしの判断がまちがっていなければ、クレートンとシュヴァイケルトも確実だ。艦隊司令官としてはふたりだけだがね。それにノボスとダルナルテン。ところで、ジルはどうだね?」
「ジルだって? いや、わたしは――もちろん、あれは資格があるが、だが――それがいけないということは、アリシア人もいわなかったが――わからん――」
「候補者を――ジルもいっしょに――呼んで、検討すればいいではないか?」
ふたりは若者たちを呼んで、アリシアで起こったことを告げ、問題点を指摘した。男たちの反応は同時的で一致していた。ジャック・キニスンがまずいった。
「だれかを派遣するとしたら、もちろんジルもやるべきです!」彼ははげしく叫んだ。「こんな能力を持っているのに、ジルをはずすんですって? そんなばかな!」
「まあ、ジャック! 〈あなた〉がそんなことをいうとは思わなかったわ」ジルは、ひどくびっくりしたような顔をした。「わたしがいやな娘でまぬけだってことについては、りっぱな証人があるのに。ばかなうえに、うぬぼれ屋だっていうのよ」
「そうさ、ほかにももっと悪いところがある」ジャックはふたりの父親たちのまえでさえ、すこしも遠慮しなかった。「きみは確かにまぬけだが、それでも並の人間よりは利口だ。それに、ぼくはきみの脳がそのしおらしそうな目の奥で、いざというときに機能できないなんてことも考えたこともない。レンズマンにどんな能力が必要だとしても」彼はサムスをふりむいた。「ジルはそれをわれわれに劣らないほど持っています」
「では、ジルが行くことに反対はないんだね?」サムスはたずねた。
なんの反対もなかった。
「どの船に乗って、いつ出発するのでありますか?」
「シカゴ号に乗れ。そしてすぐ出発だ」キニスンは指示した。「あの船はすっかり発進の準備ができている。われわれは行きも帰りも、なんの事件にもぶつからなかったから、たいした補給はいらない。出発!」
一行は出発した。巨大な戦艦は、はじめの航行と同様、無事に第二の航行をおこなった。シカゴ号の乗組員は、この若者たちがそれぞれひとりで救命ボートに乗ってべつべつに出発し、べつべつにもどってきたことを知っていた。しかし、三人の若いレンズマンとジルは、制御室ではなくキニスンの私室で顔を見合わせた。三人は困惑して落ちつかない様子だった。彼らはレンズを働かせていなかった――まったく。だれも自分のレンズでジルに話しかけようとはしなかった。彼女はレンズを持っていなかったからだ――ジルが短い沈黙をやぶった。
「これまであんな〈美しい〉女性を見たことがあって?」彼女はため息をついた。「背は七フィート以上もあったけれど、二十歳《はたち》くらいに見えたわ――目をのぞけばね――でも、あの人はあんなにいろんなことを知っているんですもの、百歳くらいにちがいないわ――だけど、あなたがた、なぜ顔を見合わせているの?」
「〈女性〉だって!」三人は同時に叫んだ。
「そうよ、女性よ。なぜなの? わたしたちがみんないっしょじゃなかったことはわかっているけど、なんとなく、わたしたちが会ったのは、同じ人だったような気がするわ。あなたがたは、何を見たの?」
三人は同時にしゃべりだしたが、声が衝突して、同時に口をつぐんだ。
「あなたからお話しなさいよ、スパッド。どんな男性または女性があなたと会って、どんなことをいったの?」コンウェー・コスティガンは、他の三人より二つ三つ年長だったが、みんな当然のことのように、彼をあだ名(スパッドはじゃがいもの意)で呼んでいた。
「国家警察本部――刑事局長さ」コスティガンはきっぱりいった。「年は四十三から五十五くらい。身長は六フィート半インチ、体重百七十五ポンド。厳格で明敏だ。一流の行政官というものがあれば、彼のことさ。ジル、きみのおやじさんにとてもよく似ていたよ。髪が同じように赤褐色で、ちょっと灰色になりかけていて、ひとみが同じように黄金色をおびているんだ。彼はぼくに仕事をやらせた。それからこのレンズを金庫からとりだして、ぼくの手首にはめ、二つの命令をあたえた――帰れ、そして二度とくるな、ってね」
ジャックとノースは、コスティガンとジルを見つめ、たがいに顔を見合わせた。そして、申し合わせたように口笛を吹いた。
「これはみんなまちまちの報告になりそうね、一つだけ小さな共通点があると思うけど」ジルはいった。「メース、次はあなただわ」
「ぼくは、アリシア大学の構内に着陸したんだ」ノースロップは率直にいった。「広大な場所でね――何十万という学生がいた。彼らはぼくを物理学部に連れていった――学部長自身の個人研究室だ。彼はメーターやゲージが百万もついている計器板を持っていて、ぼくの脳の構成要素を一つ一つ検査し測定した。それから、計器板と同じくらい複雑な切削《せっさく》機の上で一つの型をつくった。それから先はもちろんかんたんだ――歯医者が義歯をつくったり冶金《やきん》学者が実験用切片を埋めこんだりするのと同様さ。彼はぼくに二つばかり指示をあたえてから、『出ていけ!』といった。それだけさ?」
「確かにそれだけかね!」コスティガンがたずねた。「彼は『二度とくるな』とはいわなかったかい?」
「はっきりとはいわなかったが、そのつもりにきまっているさ」
「一つだけ共通点があるわ」ジルは指摘した。「こんどはあなたよ、ジャック。あなたはまるで、わたしたちみんなが拘束衣を着せられるにふさわしい気ちがいだとでもいうみたいに、わたしたちを見ていたわね」
「う、うん。気ちがいは〈ぼく〉かもしれん。ぼくは何も見なかった。惑星に着陸さえしなかった。ただ、あのスクリーンの内側を、軌道を描いてまわっただけだ。ぼくが話した相手は、一種の純粋エネルギーだった。このレンズは、腕輪もみんな、稀薄な空中からあらわれて、ぼくの手首にはまったのだ。だが、相手はごく短い時間のあいだに、いろんなことを告げた――その最後の言葉は、二度と訪問したり呼びかけたりするな、というのだった」
「ふむ――む――む」ジャックの話は、ジル・サムスにさえ、つかみどころのないものだった。
「大ざっぱにいえば」とコスティガンが口をきった。「われわれはみんな、自分が見ると予期していたものを見たわけだ」
「ちがうわ」ジルが否定した。「わたしは女の人を見るなんて予期していなかったわ――そうじゃないのよ。わたしたちが見たものは、それぞれにいちばん有益なもの――それぞれにいちばん役に立つもの――だったんだと思うわ。わたしは、あそこに何かが実在したかどうかさえわからないと思うの」
「それはそうかもしれん」ジャックは顔をしかめて考えこみながらいった。「だが、あそこには何かがあったにちがいない――なにしろ、このレンズは実在しているんだからね。だが、ぼくがしゃくにさわるのは、彼らがきみにレンズをくれなかったことだ。きみはわれわれのだれにも負けないくらい有能なんだ――もしむだだとわかっていなければ、ぼくはこれからすぐあそこへもどって――」
「そう怒るもんじゃないわ、ジャック!」しかし、ジルの目は光っていた。「あなたが本気なことはわかるわ。わたし、ときどきあなたが好きになるくらい――でも、わたしはレンズがいらないの。ほんとのところ、レンズがないほうが、うまくやっていけるのよ」
「やめろよ、ジル!」ジャック・キニスンは、ジルの目をじっと見つめた――しかし、まだレンズを使わずにいった。「だれかが、たちのわるい嘘をついて、きみにそんなことを信じさせようとしたにちがいない――それとも、きみはほんとに信じているのかい?」
「ほんとよ。本気ですとも。あのアリシア人はわたしより千倍も女らしくて、レンズなんかつけていなかったわ――これまでもつけたことがないんですって。女性の心とレンズは適合しないんですって。性的な不調和があるのね。レンズはひげと同じように男性的なんだわ――それに、男でも、ごくわずかの者しかレンズをつけられないのよ。あなたがた三人や、パパやキニスンおじさんみたいな、ごく特別な男性よ。偉大な知力や行動力や視野を持った男性よ。あなたがたはみんな|殺し屋《キラー》だわ、もちろん、それぞれべつの意味でだけれど。氷河みたいにストップがきかなくて、それより二倍も固く、十倍も冷たいの。女性は、とてもそんな心は持てないわ! いつか女性のレンズマンが誕生するでしょう――たったひとりだけ――でも、それはずっとあとのことよ。わたしはそんなタイプの女性じゃないわ。わたしのこの任務では――」
「さあ、つづけたまえ。きみがやがてすると確信しているその任務っていうのは、どんなしろものだい?」
「あら、わたし知らないのよ!」ジルは目を見はって叫んだ。「わたし知っているつもりだったけれど、おぼえていないわ! あなたがたは自分の任務をおぼえていて?」
彼らはひとりもおぼえていなかった。そして、みんながジルと同様その事実に驚いた。
「ところで、そのいつか出現するという女性レンズマンに話をもどしましょう。わたしが知っているところでは、その人はいくらか変種になるらしいわ。レンズの性的基本性格からして、そうならないわけにいかないの。メンターはこんなに言葉をたくさん使わなかったけれど、とてもはっきり説明してくれたわ――」
「メンターだって!」三人の男は叫んだ。だれもがメンターと会見してきたからだ!
「わたし、わかりかけてきたわ」ジルは考えぶかくいった。「メンターっていうのは、ほんとの名前じゃないのよ。逐語的解釈《ちくごてきかいしゃく》を引用するわ――わたし、まえにふとしたことでその言葉を辞書でひいたんだけれど、いまその関連に気づいてびっくりしたわ――引用。メンター――賢明で誠実な相談役――引用おわり。みなさん、これについて何かいうことがあって? わたしはないわ。そして、青くなるほどこわくなってきたわ」
沈黙が落ちた。意識してアリシア人の心と会見した史上ただ二人の女性のひとりである娘と三人の若いレンズマン――彼らが考えれば考えるほど、沈黙はいよいよ深まった。
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「では、きみは、ネヴィア星の上ではだれも発見しなかったのか?」ロデリック・キニスンは立ち上がると、一インチばかりの葉巻の吸いがらを灰皿に捨て、べつの葉巻に火をつけた。それから、両手をズボンのポケットに深くつっこんで、部屋の中を歩きまわりはじめた。「驚いたことだ。わしの印象では、ネラドはB・T・O(一流の行政官)だった――彼は資格があるものと思っていたが」
「わたしもそう思っていた」サムスの口調は沈んでいた。「彼はB・T(一流)だ。そしてO(行政官)だ。だが、まだはるかに能力不足なのだ。わたしは――われわれはふたりとも――レンズマンにふさわしい人材が〈おそろしく少ない〉ことを発見しつつある。ネヴィアには現在ひとりもいないし、将来出現する見込みもまるでないのだ」
「困難な仕事だ――しかも、銀河系評議会には、可能なかぎり各種の太陽系からレンズマンを集めなければ、機能を発揮できないというきみの主張は、もちろん正しい。人材はおそろしくとぼしい――われわれが自分の所属する〈丘〉におらず、このニューヨークに出て来ている理由の一つは、それなのだ――人材が乏しいことはすでに判明した。われわれの太陽系のようにこんなに小さくて、比較的等質なグループの中でさえそうなのだ――太陽系評議会は、ほとんどがレンズマンで構成される必要があるばかりでなく、太陽系の惑星で知的生物の住んでいるものからは、すべて評議員が出なければならない――やがては、冥王星からさえもな。
ところで、きみのところのミスター・ソーンダースは、きみが彼の下から火星のノボスとダルナルテンをひきぬいてレンズマンにしたので、あまり喜んでいなかったよ――自分よりずっと上級になったわけだからな」
「いや、そんなことはない――絶対に。わたしは彼を納得させたのだ――だが、それでもソーンダース自身にはレンズマンとしての能力がないから、事情を彼に完全に理解させるのはいささか困難だったよ」
「きみはたやすくいうがね――わしにいわせれば、『困難』どころの話じゃない。だが、レンズマン狩りの問題にもどろう」キニスンは顔をしかめた。「まえにもいったように、非人類のレンズマンが必要で、それも多ければ多いほどいいというきみの意見には賛成だが、そういうレンズマンが見つかるチャンスは多くないと思うな。きみはなぜそう思わんのかね――いや、わかった――だが、ある種の知的能力と技術進歩とのあいだに、高度の相関関係があると推定することは、妥当かどうかね」
「そんな推定は必要じゃない。どこでもきみの好きなところからはじめたまえ、ロッド。そしてその推定は抜きにするのだ。ネヴィアもふくめてね」
「では、わかっている事実から出発しよう。われわれは恒星間航行をはじめてからいくらもたたない。まだそう遠くまで足をのばしていないし、観測した区域も多くはない。だが、われわれがもっともおなじみの八つの太陽系の中には、質量、大きさ、気候、大気、重力などの点で、地球ときわめてよく似た惑星が七つある――バレリアはべつだよ。そして、その七つのうち五つには、知的生物がいなかったので、容易に植民された。プロキオンとヴェガの中の地球的惑星は、われわれの親しい隣人になった――ネヴィアについてはいくらか知識がえられたのはありがたいことだ――それらの惑星には、すでに、高度に進歩した種族が住んでいたからだ。プロキアの住民は、われわれと同じような人類だ。ヴェギアの住民もしっぽさえなければそうだったろう。これらの太陽系の中にあるその他の多くの惑星には、多少とも知的な、非人類的種族が住んでいる。彼らがどの程度に知的かはまだわからないが、やがてレンズマンたちがそれをはっきりさせるだろう。
わしが強調したいのは、われわれがこれまでに発見したかぎりでは、原子力エネルギーや、なんらかの型式の宇宙推進の技術を持っている種族が、一つもなかったということだ。宇宙推進の技術を持っている種族との関係では、われわれはつねに発見者ではなく被発見者だった。われわれの植民惑星は、アルデバラン系第二惑星をのぞいて、すべて地球から二十六光年以内のところにある。アルデバラン系第二惑星は五十七光年のところにあるが、地球と酷似しているので、その距離に関係なく多数の人々をひきつけている。いっぽう、ネヴィア人はわれわれから百光年以上離れていたが、〈われわれを〉発見した――彼らはわれわれより古い種族で、技術もより高度に発達している――ところがたったいまきみは、彼らの中からは〈永久に〉レンズマンが出現しないだろうといった!」
「わたしもはじめてその点でとどまった。つづけたまえ、きみがわたしと同じ結論に達するかどうか見たい」
「そう――わしは――わしは」キニスンは考えを凝《こ》らしてからつづけた。「もちろん、ネヴィア人は植民をやっていないし、厳密にいえば、探検もやっていなかった。彼らは鉄を捜していたにすぎない――高度に組織化され、集中的に特殊化された作戦で、彼らにぜひ必要な原料を求めていたのだ」
「そのとおり」サムスが賛成した。
「しかし、リゲル人は〈観測〉をおこなっていた。しかも、リゲルはここから四百四十光年も離れている。われわれは彼らが必要とするもの、または望むものを持っていなかった。彼らはちょっとわれわれに挨拶しただけでとおり過ぎ、先へ進みつづけた。わしの論理は、まだきみのと一致しているかね?」
「完全に一致している。ところで、きみはパレイン人についてはどう考えるかね?」
「わかった――きみはパレイン人について何か期待しているな? パレインは非常に離れているので、それがどこにあるかさえ、だれも知らないしまつだ――たぶん、何千光年も離れているのだろう。だが、彼らはこの太陽系を探究しているだけでなく、われわれ白人がアメリカに植民したよりずっとまえに、冥王星に植民しているのだ。だがだめだよ、バージ、わしは気に入らんね――何から何まで。リゲル系第四惑星なら、きみのレンズでなんとかなるかもしれん――彼らのあのいまいましい自動車さえなんとかなるかもしれん。もしきみが運転手とがっちり精神感応状態を維持すればな。だが、パレインはだめだよ、バージ! 冥王星さえいいかげんひどいのだから、本家のパレインとなるときみにはできんよ。だれにもできん。まったく不可能なことだ!」
「容易でないことはわかっている」サムスは沈んだ口調で認めた。「だが、やる必要があることなら、やらねばならん。それに、まだ時間がなくて、きみに話していなかったが、ちょっとした情報も手に入れている。きみもおぼえているだろうが、われわれはまえに一度、冥王星のパレイン人と何かの連絡をとるにはどうしたらいいかを論じたことがあった。そのとき、きみは彼らの思考を理解できる者はいないといった。きみのあの主張は正しかった――あのときはね。だが、わたしはレンズをつけてから、彼らの脳波テープを再検査してみたら、まるでそれが厳密な英語で記録されているようにはっきり理解できた――つまり彼らの思考がだがね」
「なんだって?」キニスンは叫んだが、すぐ口をつぐんだ。サムスも沈黙をまもっていた。彼らがそのときアリシアのレンズについてどう考えていたかは、言語では表現できない。
「さあ、つづけたまえ」ついにキニスンがいった。「話の残りを教えてくれ――きみがとっておきの部分をな」
「メッセージは――メッセージとしては――簡単明瞭だった。しかし、その背景や含蓄《がんちく》や暗示はそうでなかった。彼らの慣習や規範《きはん》のあるものは、われわれのとはまったく異なっているようだ――あまりにとほうもなく異なっているので、彼らの知性はあきらかに高く、技術は高度に進歩しているのだが、そういうものを彼らの行動や倫理と結びつけては考えられなかった。しかし、彼らは少なくともある種の強力な心を持っているし、わたしが異常と考えた慣習や規範《きはん》にしても、レンズマンとしての資格をさまたげるようなものは一つもなかった。だから、わたしは冥王星へ行くつもりだ。そしてそこから――できることなら――パレイン系第七惑星へもな。そこにレンズマンにふさわしい能力の者がひとりでもいれば、それをつかまえるよ」
「きみならつかまるさ」キニスンは友人の能力をおだやかに称賛した。彼は友がそうした能力を持っていることを、他のだれよりもよく知っていたのだ。
「だが、わたしのことはこれで充分だ――きみはどんなぐあいにやっているかね?」
「現在の段階で期待できるかぎりのことをやっている。仕事は三つの重要な線に沿って進行している。第一は海賊だ。この種の仕事は、多少ともわしの専門だから、きみがだれかわしより適任の者を見つけるまでは、わし自身で処理するつもりだ。いまのところ、ジャックとコスティガンがわしの下で働いている。
第二は、麻薬その他の悪習だ。わしは、きみがだれか、この線を引き受ける者を見つけてくれることを期待している。率直にいえば、わしは負担過重なので、肩を抜きたいのだ。ノボスとダルナルテンのふたりが、この線について、惑星組織か惑星間組織が存在する証拠でもないかどうか発見しようと努めている。シッド・クレッチャーはレンズマンではないので、彼本来の仕事から公然と引き抜くわけにはいかないが、麻薬問題についてよく知っているので、事実上、全勤務時間をほかのふたりと協力して働いている。
第三は、純粋な――というより、きわめて不純な政治問題だ。わしは〈この問題〉を研究するにつれて、三つの中でも政治問題がもっとも困難で、大規模な問題だということが、ますますはっきりしてきた。この問題については、わしがなんの知識も持ち合わせないような要素が多すぎる。たとえば、きみの友人のモーガン上院議員だが、彼はわれわれの銀河パトロール隊がどんなことをしようとしているかがわかったとたんに、泡をふいてわめきたてるだろう。それをどう処理するかというようなことだ。だから、わしは政治の線はいっさい避けている。
ところで、きみもわし同様によく――おそらくいっそうよく――知っていることだが、モーガンは北アメリカ上院の有実活動委員会の委員にすぎない。彼のような人間が宇宙全体に何千といて、パトロール隊が宇宙的規模に拡大するまえに、われわれの首をしめようとかかるだろうことを想像すればわかるだろうが、この問題を処理するレンズマンは、辣腕《らつわん》の行政官であると同時に、〈すべての〉知識を持ち、充分に腹のすわった者でなければならない。わしには度胸《どきょう》はあるが、その他の高級な能力はまるで持ち合わせていない。ジルはほかのものはみんな持っているが、度胸がたりない。きみの親類でぴか一のフェアチャイルドは、レンズマンではないし、レンズマンになるだけの能力がない。だから、きみにはだれが政治問題を処理しなければならないかがはっきりわかるだろう?」
「きみのいうとおりかもしれん――だが、このレンズマン獲得の問題が先決だ――」サムスは考えこんでいたが、やがて顔をあかるくした。「たぶん――おそらく――こんどの航行で、われわれのだれよりも有能な者が見つかるだろう――たとえば、パレイン人だ」
キニスンは鼻をならした。「もし見つかれば、きみのおのぞみのものを、おごってやるよ」
「じゃあ、貯金をかき集めはじめたほうがいいな。わたしがパレイン人の知能についてすでに知っているところからすると、そういう結果になる公算がきわめて大きいからだ」サムスは言葉をとぎらせて、目をほそめた。「非太陽系の生物をわれわれの政治問題に介入させることが、モーガンのような連中を怒らせるかどうかは知らん――だが、少なくとも、それはなにか新奇なことだ。ところで、きみは政治を『避けている』といったが、ノースロップやジルやフェアチャイルドに、どんなことをやらせているのかね?」
「そう、二度ばかり討議したよ。もちろん、わしはジルやディックに命令することはできんから――」
「命令したくないというつもりなんだろう?」サムスは訂正した。
「できないのだ」キニスンはいいはった。「ジルはきみの娘で、レンズマン的能力を持っているということをのぞけば、三惑星連合軍《トリプラネタリー》とも太陽系パトロール隊とも公式の関係はない。そして、フェアチャイルドの所属する三惑星連合軍は、依然として三惑星連合軍だ。そして、きみが奇想天外の双生児――銀河評議会と銀河パトロール隊――を誕生させるに充分なレンズマンを発見できるまでは、三惑星連合軍のままでいなければならんだろう。ところで、ノースロップとフェアチャイルドは、目と耳を開いて口をとじているし、ジルはいろいろの政治的要素と麻薬とについて、かき集められるかぎりのものをかき集めている。彼らは、きみが注文しさえすれば、すぐに報告するだろう――事実、推定、助言などをな」
「よくやってくれたな、ロッド。感謝するよ。出かけるまえに、いまジルを呼んでみよう――あれはどこにいるかな?――だが待てよ――レンズがあれば、電話はいらんかもしれん。やってみよう」
「ジル!」彼はレンズにむかって思考を集中しながら、自分の美しい娘を心に描いた。ところが、驚いたことに、念を入れたり強調したりする必要はなかった。
「痛い!」彼の思考が完了するよりずっとまえに、ほとんど同時的な返答があった。「そんなにきつく思考しないでちょうだい、パパ、痛いわ――わたし、あやうくステップをまちがえるところだったわ」事実バージリアは彼といっしょにいた。彼の心の中にいて、これまでになかったほど密接に心を通じ合っていた。「もう帰るの? いま報告しましょうか。それとも、まだお仕事にかかる準備ができていないの?」
「わたしの現在の活動を中傷することは、さしあたりやめなさい――いくらか準備不足だ」サムスは思考の密度を会話程度にゆるめた。「ただ、おまえと打ち合わせようと思っただけだ。思考をむけたまえ、ロッド」彼は瞬間的な思考で、彼女にキニスンとのそれまでの話の内容を伝えた。
「ジル、おまえはロッドがたったいまわたしにいったことに賛成か?」
「ええ、完全に。男の子たちもそうよ」
「ではきまった――もちろん、もっと有効な代表が見つからなければのことだが」
「もちろんよ――でも、それを見るまでは信じないわ」
「いま、おまえはどこで何をしている?」
「ワシントンD・Cのヨーロッパ大使館よ。モーガン上院議員のナンバー・ワン秘書ハーキマー・ハーキマー三世とダンスしているの。わたし、彼に色目を使おうとしていたのよ――もちろん、完全にレディらしい方法でね――でも、その必要はなかったわ。彼はわたしの抵抗を突破できると考えているの」
「気をつけろよ、ジル! そういう種類のやつは――」
「ほんとに古くさいタイプなのよ、パパ。単純なの。それに、ハーキマー・ハーキマー三世は、色魔でもなんでもないわ。自分でそう思いこんでいるだけよ。ごらんなさい――レンズで見ることができるでしょ?」
「たぶんな――おお、できる。おまえが見ているのと同じようにその男が見える」彼は娘と完全な精神感応状態にあったので、彼女がわかちあたえたいと思うどんな刺激でも、彼女の心と同時に受け取ることができたのだ。するどい、整った目鼻立ちの、あさ黒い顔が、彼の顔からほんの数インチのところへうつむきかけているように見えた。「だが、こういうことは気に入らんな――その男のほうがもっと気に入らんが」
「それは、パパが娘ではないからよ」ジルは心の中でくすくす笑った。「このお芝居は、おもしろいわ。それに、相手をちっとも傷つけることにはならないのよ。わたしが彼の足もとにひれふさなかったら、彼の虚栄心はいささかそこなわれるでしょうけどね。おまけに、わたしは彼の筋肉から、いろんな情報を探知しているの。彼は自分がそんな情報をもらしているなんて、夢にも知らないことよ」
「わたしはおまえを知っているから、その言葉を信じるよ。だが――つまり――いや、〈充分〉気をつけて、指先にやけどなんかしないようにするんだぞ。その仕事は、そんな危険をおかす値打ちはない――少なくともいまのところはな」
「ご心配無用よ、パパ」彼女は屈託なく笑った。「こんなプレイボーイが相手だと、わたしは何百万オーム、何億オーム、何兆オームって抵抗力があるの。でも、モーガン上院議員が、ふとっていやらしいヴェネリア人といっしょにやってきたわ――彼は人に気づかれていないつもりの合図で、わたしのボーイ・フレンドを秘密の打ち合わせに呼び出したわ――そして、わたしの嗅覚神経は、スカンクの匂いみたいな濃厚な芳香《ほうこう》を知覚したわ――そうよ――わたし、太陽系評議員に通信を送っているなんて見られたくないけど、もし現在進行している事実を読みとるつもりなら――もちろんそのつもりだけれど――精神を集中しなければならないわ。パパ、もどってきたら、わたしたちを呼んでちょうだい、報告しますから、安心なさい、パパ!」
「それは、わたしじゃなく、おまえにいうべき言葉だ。大漁を祈るよ、ジル!」
サムスはまだゆったりとデスクについていたが、手をのばして、〈ガレージ〉としるされたボタンを押した。彼のオフィスは七十階にあり、ガレージは地下のずっと下のほうにあった。スクリーンがあかるくなり、鋭敏《えいびん》な若い顔の映像があらわれた。
「ごきげんよう、ジム。わたしの車をライト・スカイウェー支線へあげてくれないか?」
「すぐ手配いたします。七十五秒後に到着するでしょう」
サムはスイッチを切った。そして、キニスンと短い思考をとりかわしたのち、ホールへ出て〈下降〉シャフトへ歩いていった。そしてそこで無慣性状態に移行してから、ドアのないアーチ型の通路をとおって、一千フィート以上のシャフトを下降していった。ふつうのオフィス時間よりずっとおそかったが、シャフトはまだかなり混雑していた。しかし、そんなことは問題ではない――無慣性状態での衝突は、感じられないくらいだった。彼は弾丸のようにまず六階まで下降し、そこで瞬時に停止した。
シャフトを出ると、散っていく人々にまじって出口へ急いだ。念入りに眉《まゆ》をひき、あきれるような髪型にゆいあげたひとりの娘が彼のレンズに気づき、スラックスのポケットから両手を抜いて――エレベーターのかわりに、時速百マイルくらいでシャフトを上下するようになって以来、スカートはオフィス・ドレスとしては姿を消していた――友だちをつつきながら、興奮したようにささやいた。
「ご覧なさい! 早くよ! あたし、レンズマンをすぐ近くで見たことなかったわ、あなたは? 彼よ――彼そのものよ! ファースト・レンズマン・サムスよ!」
正門で、レンズマンは習慣どおり、カー・チェックをさしだしたが、そんな手続きはもう必要でなかった、というより不可能だった。だれもが、バージル・サムスを知っているか、知っていると思われたがっていた。
「四六五番車庫です、ファースト・レンズマン」制服の門番は、円板形のカー・チェックを見もせずにいった。
「ありがとう、トム」
「こちらどうぞ、ファースト・レンズマン」驚くほどまっ黒な顔の青年が、歯を白く光らせながら、指示された車庫のほうへ誇らしげにふみだし、車のドアを開いた。
「ありがとう、ダニー」サムスは、まるで自分の地上車がどこにあるのか知らなかったみたいに、感謝していった。
彼は車に乗った。ドアはひとりでに、そっとしまった。小型車――ディリンガム一一四〇――は、その二つのふとい柔軟《じゅうなん》なタイヤに乗って、なめらかに発進した。出口のアーチ型通路の中途までは四十マイルで進んだが、はるか上方の〈道路〉に通じるけわしい傾斜のカーブをのぼるときは、九十マイルだった。しかし、ショックも緊張もなかった。オートバイのように、しかし自動的に、〈ディリー〉はジャイロスコープに応じた正確な角度を保っていた。巨大な低圧タイヤは、弾力性の合成物質でできた舗道に、その構成要素であるかのように密着していた。交通が混雑する問題もなかった。この通路はヴァリック道路より六階上にあって、厳密にいえば、道路ではなかったからだ。この通路の入口は、サムスが利用したもの一つしかなく、出口も一つしかなかった――つまり、ライト・スカイウェーへの専用通路、専門スーパー・ハイウェーなのだ。
サムスは格別の関心もなく交通の迷路を眺めた。この通路は、その迷路のほんの一部をなしているにすぎない。迷路は地面からニューヨークの繁華街の高層建築より高いところまでひろがっている。
通路はけわしく上昇していった。サムスは右足でアクセルをさらにふみこんだ。ディリンガムはスピードをあげはじめた。移動式ラウド・スピーカーが彼に歌いかけ、わめきかけ、吠えかけたが、彼は耳もかさなかった。
スペクトルのあらゆる色彩をつくしてきらめきかがやく目もまばゆいネオンサイン――電気技師のみごとな成果――が心をひくような言葉や、目をとらえるような絵を展開したが、彼は目もくれなかった。アメリカアリクイから火星のジズモル(壜入り飲料)まですべてを売るために、専門家たちが工夫した広告である――しかし、ファースト・レンズマンは刺激には慣れっこになった都市居住者だった。彼の心はとうの昔から一種のフィルターのようになり、自分が知覚したいと思う現象だけを意識に受け入れるのだった。大都市の生活は、それによってはじめて耐えられるのだ。
スカイウェーに近づくと、彼は標識ライトをつけ、すこし速度をゆるめながら、背の低い小型車を車の流れの中にすべりこませた。標識ライトは一個が千五百ワットの光を投射したが、すこしもまぶしくなかった――偏極《へんきょく》レンズと風防のおかげでそうなっているのだ。彼は車をじりじり寄せて、左側の高速道路に出た。ライト・スカイウェーは、摩天楼地区の縁《へり》でけわしく地面へ下降しているが、そのあたりへきたとき、サムスの注意は右手遠方の何かにひきつけられた――青白色に光るものが、シュッと音をたてて空中へうちあげられたのだ。それは上昇するにつれて速度が弱まり、単調なきしり声はしだいに低くなった。そしてその光は、スペクトルの色彩に沿って赤色に変化していった。やがてそれは、地をゆるがすようなひびきをたてて爆発した。だが、爆発の電光のようなきらめきは、瞬間的に消滅するかわりに、人工雲となって低空にかかり、一つの絵と四つの言葉を形成した――ひげをはやした二つの顔と「スミス製薬のせきどめドロップ!」
「いまいましい!」サムスは強制的に広告を見たり聞いたりさせられてしまったことをくやしがり、声に出してぼやいた。「わたしは何もかもみたつもりだったが、〈あいつ〉はまったく新手《あらて》だわい!」
二十分後――距離にして五十マイル走ったのち――サムスは、かつてコネティカット州のサウス・ノーウォークだったところで、スカイウェーから離れた。この地区はいま広大な平地に変えられ、ニューヨーク宇宙空港になっている。
ニューヨーク宇宙空港は、最高基地が建設されるまで、銀河文明のあらゆる惑星を通じて、もっとも大きく、もっとも利用される宇宙空港だった。ニューヨーク市は長いこと地球の金融と商業の中心だったが、その後も太陽系経済の上で支配的な地位を維持し、恒星間貿易競争においても、シカゴ、ロンドン、スターリングラードなどの競争相手を、実質的にリードしているのだった。
そして、バージル・サムス自身も、海賊行為の脅威がたえず増大しているおりから、各宇宙空港の規模や重要さに応じて、三惑星連合パトロール隊の軍艦を配置する政策に、大きな責任を負っているのだった。したがって、彼はニューヨーク宇宙空港では局外者ではなかった。事実、彼はすぐれた心理学者でもあったので、宇宙空港に関係あるほとんどすべての人間を、ファーストネームでおぼえることにしていた。
ところが、彼が自分のディリンガムを笑顔《えがお》の係員にひきわたすとすぐ、これまで一度も見たことのない男に呼びかけられた。
「ミスター・サムスですな?」見知らぬ男はたずねた。
「そうです」サムスはレンズを作用させなかった。彼は、だれかが自分に接近してきた場合、どんな口実をかまえてこようと、相手の〈真の〉意図が何かということを発見するために、レンズで瞬間的に相手の心をさぐるという性向《せいこう》や技術を、まだ発達させていなかったのだ。
「わたしはアイザークスンです――」その男はまるで重大情報を提供したみたいにことばをとぎらせた。
「そうですか?」サムスは受け身だったが、心を動かされることはなかった。
「ご存じの、恒星間宇宙交路会社の経営者です。この二週間、あなたに会見しようと努力しましたが、あなたの秘書が通過させてくれなかったので、ここでわたし自身があなたをつかまえることにしたのです。しかし、われわれは、まるで、わたしかあなたのオフィスで会見しているのも同然に水入らずです――そう、もっとも水いらずかもしれん。わたしがあなたに相談したいのは、外郭宇宙の惑星や植民地をすべて包含する、独占的営業権をわれわれにあたえていただきたい、ということなんですがね」
「ちょっとお待ちなさい、ミスター・アイザークスン。あなたもご存じのはずだが、わたしはもはや評議会の中では、大臣の職さえ持っていません。そして、わたしの関心は、ほとんどすべてべつの方面へむけられており、これからも、しばらくはそうでしょう」
「おっしゃるとおりです――〈公式〉にはね」アイザークスンは太い声でいった。「だが、あなたは依然としてボスだ。評議会は、あなたが命じたことならなんでもやるでしょう。これまでは、もちろん、われわれはあなたと取引きを試みられなかったが、あなたの現在の地位ならば、これまでにおこなわれたうちで最大の取引きにあなたが関係するのを、さまたげる何ものもないわけです。ご存じのように、われわれは現存するうちで最大の会社であり、なおも成長をつづけています――急速にな。われわれはけちな方法で取引きはしないし、けちな人間とも取引きしません。そこで、ここに百万信用単位の小切手があります。これがおいやなら、あなたの名義で預金してもよろしいが――」
「わたしには関心がありませんな」
「これはほんの手つけです」相手は、まるでサムスのことばなど聞かなかったように、なめらかにつづけた。
「われわれの独占的営業権が許可されれば、その日に二千五百万追加します」
「やはり関心がありませんな」
「ない――で――すと――?」アイザークスンはレンズマンをじっと見つめた。いっぽうサムスは、いまやレンズをいっぱいに活動させながら、企業家を観察した。「いや――わたしは――われわれがあなたの協力を切に望んでいることは認めるが、あなたも充分に賢明だからおわかりだろう。われわれは、あなたの協力があろうがなかろうが、ほしいものはなんとでもして手に入れるのです。だが、あなたの協力があれば、事はいっそう容易に速く運ぶから、わたしは会社を代表して、あらためて提案しよう。その二千六百万信用単位のほかに――」彼は言葉をかみしめるようにいった。「宇宙交路の株二二・五パーセント。今日の市場で、それは五千万信用単位の値打ちがある。いまから十年すれば、五百億になるでしょう。これがわしの指し値だ。ぎりぎりの高値です」
「おもしろいことをうかがいました――だが、わたしには〈やはり〉関心がありませんな」そしてサムスは立ち去りながら、友のキニスンにレンズで呼びかけた。
「ロッドかね? バージルだ」彼はいまの顛末《てんまつ》を物語った。
「ヒュー!」キニスンは大げさに口笛を吹いた。「とにかく、やつはけちな賭博者《とばくしゃ》じゃないな、ええ? なんて〈うまそうな〉料理だ――ところが、きみはそいつをあっさり一ポンドのコーヒーみたいにつきかえしてしまうことができた――」
「きみだってできたさ、ロッド」
「できたかもしれん――」大男のレンズマンは考えこみながらいった。「だが、なんという 提携《ていけい》の申しこみだ! 完全に合法的で、それを支持するような有利な先例――それから主張――がたっぷりある。外郭宇宙の惑星か。すると、ケンタウルス座のアルファ星、シリウス、プロキオンといったところだ。独占――その交通がうみだす――」
「奴隷制度というつもりだろう?」サムスは叫んだ。「そんなことをすれば、文明は一千年も逆もどりしてしまう!」
「そのとおりだ。しかし、やつらがそんなことを気にかけるかね?」
「それはそうだ――やつもいっていた――そして事実そう信じていた――わたしの協力なしでも手に入れるとな――どういうつもりでいるのか、不思議に思わざるをえないな」
「考えてみれば簡単なことさ、バージ。やつはまだレンズマンがどんなものか知らない。レンズマンをのぞけば、だれも知らないのだ。そのことが知れわたるまでには、もうしばらくかかるだろう――」
「そのことが〈信じられる〉までには、もっと長くかかる」
「そのとおり。だが、恒星間宇宙交路が望んでいる独占権を手に入れられるかどうかについていえば、きみに指摘するまでもないことだと思うが、太陽系評議会のメンバーの半数以上がレンズマンであり、これから誕生する銀河評議員はすべて自動的にレンズマンでなければならない、ということが重要な意味を持ってくる。だから、最初の目的へ向かって直進したまえ。そしてアイザークスンや会社には、もう思考をむけないようにするのだ。きみが出かけているあいだは、われわれがその方面に多少目をむけておこう」
「その点で、わたしはいささか見落としていたようだな」サムスは安堵《あんど》のため息をつきながら、パトロール隊のオフィスにはいった。
受付のまえの列はあまり長くなかったが、それでもサムスは待つことを許されなかった。ひどくかざりたててはいるが、けっしてまぬけではない受付のブロンド娘は、やりかけの仕事を中途でうちきると、その魅力をフラッドライトのバッテリーみたいにさっと切りかえて、デスクの上のボタンを押しながら、目のまえの男とレンズマン自身に話しかけた。
「ちょっとお待ちください。ファースト・レンズマン・サムスさんでいらっしゃいますか?」
「なにかね、ミス・リーガン?」彼女の通信器――日常語でいわゆる〈がなり箱〉――が声をはさんだ。
「ファースト・レンズマン・サムスがこちらにおいでになりました。閣下」娘はそう告げて、スイッチを切った。
「ごきげんよう、シルヴィア。副司令官ワグナーかだれか、通関手続きを扱っている人をたのむ」サムスは娘の質問の先に答えた。
「いいえ、そうではございません。閣下の通関はもうすみました。クレートン司令官が閣下をお待ちだったのです――いまここへおいでになります」
「やあ、バージル!」クレートン准将は力をこめて握手した。顔に傷跡があり、鉄灰色の髪をした、大柄ながっしりした男で、カラーには、パトロール隊の大陸分遣艦隊の司令官であることを示す、二つの銀の星が光っている。「きみを送っていくよ。ミス・リーガン、甲虫《バッグ》を呼んでくれたまえ」
「いや、それにはおよばんよ、アレックス!」サムスは抗議した。「外へ出たら、自分で拾う」
「北アメリカのどのパトロール隊基地でも、そんなことはさせないよ、きみ。それから、わたしのひどい思いちがいでなければ、どこのパトロール隊基地でもね。今後は、レンズマンたちは絶対的な優先権を持つのだ。そして、みんながその意味を正確に理解することが早ければ早いほどいいのだ」
〈甲虫《バッグ》〉――ジープにいくらか似た車だが、もっと甲虫に似ている――は戸口で待っていた。ふたりの男はとびのった。
「シカゴ号へやってくれ――全速力!」クレートンはてきぱきと命令した。
運転手は命令にしたがった――文字どおりに。きわめて操作しやすい地上車が発進すると、タイヤの下から小石が飛び散った。車は悲鳴をあげて回転すると、名前にふさわしい有名なオークス(樫並木)通りに突入した。並木通りに沿って突進。門を通過。門衛がさっと敬礼する。兵営を通過。空港格納庫や滑走路を通過。ジェットの作用で傷つき黒ずんだ宇宙飛行場へ出る。ここには、惑星間宇宙や恒星間宇宙の真空空間を突破する、巨大な宇宙船用のドックが、広い間隔を置いて散在しているきりだ。宇宙船ドックは巨大なひらべったい建造物で、コンクリート、鋼鉄、石綿、超強力耐火材、絶縁材、真空ブレイクなどからなっている。完全に空気調節がなされていて、一時間に数千トンの氷を製造する冷却装置がある。補給、荷下ろし、荷積みなどをすみやかにおこなうばかりでなく、離着陸の激烈な噴射から資材や人員を保護するように設計されているのだ。
宇宙船ドックはずんぐりした巨大なシリンダーで、そのてっぺんのくぼみには、宇宙船の船体の下三分の一がぴったりおさまるようになっている。ちょうど、ベテランの野手の使いこんだクラブの〈ポケット〉に、ボールがすっぽりおさまるようなぐあいだ。そして、それらのドックの間隔がおそろしく広いので、ドック自体の大きさも、それにのっかっている宇宙船の大きさも、ずっと小さく見える。そういうわけで、シカゴ号も遠くから見ると、ごく小さくて無難なように見えた。
しかし、甲虫《バッグ》がドックからはみだした船体の下へ突入し、運転手がドックの入口の一つの前ではげしくブレーキをかけて車をとめると、サムスはいささかたじたじとならざるをえなかった。その無表情で灰色の、なめらかな曲線を描いた合金鋼鉄の船体は、信じられないほど高所にそびえていた――それをささえているドックの外方へ、おそろしいほど突き出していた。ドックはつぶれる寸前にちがいない!
サムスは、頭上にそびえている金属の巨大な塊《かたま》りをゆっくり眺めまわしてから、連れにむかって微笑した――いくらか努力しながらではあったが。
「アレックス、きみは、だれでも宇宙船が頭の上に落ちかかってきやしないかという心配をやがて克服できるようになると思うかもしれんが、わたしは克服していないね――少なくともいまのところは」
「そうだろう、たぶんきみは、いつまでたっても克服できまい。わたしも克服できてないのだ。古株のひとりだがね。そんなことは気にならないと主張する者もある――だが、嘘発見器のまえではそうじゃない。客船用のドックを客船より大きくしなければならないのは、そのためだ――これまでにたくさんの旅客が気絶して、担架《たんか》で運ばれている――航行をキャンセルした者もいる。しかし、彼らを地上でちぢみあがらせることには、一つの大きな利点があった。船内ではすっかり安心してしまうので、無慣性状態に移行したとき、腹痛をあまりひどく感じなかったのだよ」
「いずれにせよ、わたしは〈そいつ〉を克服せねばならん。さようなら、アレックス。感謝するよ」
サムスはドックにはいり、護衛士官にしたがわれながら、なめらかに上昇して、船長室へはいった。そして超短波映像盤にむきあって、クッションのきいた椅子に腰をおろした。通信スクリーンの上に一つの顔があらわれていった。
「ウィンフィールドより、ファースト・レンズマン・サムスへ――閣下は二十一時発進の準備がおできですか?」
「サムスより、ウィンフィールド艦長へ」とレンズマンは答えた。「準備よろしい」
サイレンが短く吠えた。この音は、ほんの形式的なものだということをサムスは知っていた。通関手続きはすんでいる。P1XNYステーションは、警報であたりの空気を満たしている。シカゴ号のドックのそばにあって、噴射の影響を受けるおそれのある要員や資材は、屋内にかくされていて安全である。
噴射はつづいている。映像盤は宇宙飛行場の眺めのかわりに、青白色の閃光をうつしている。戦艦は確かに無慣性状態に移行している。しかし、解放されるエネルギーがあまりにも大きいので、はげしく噴射される白熱したガス体が、ドックをはじめその周囲数百ヤード内にあるすべてのものに浴びせかけられているのだ。
映像盤は晴れた。シカゴ号は低空の濃密な気層を数秒で突破し、空気が稀薄になるにつれて、いよいよスピードをあげて上昇していく。下方の地球は凹面になる――つづいて凸面になる。完全な無慣性状態なので、船の各瞬間の速度は、船が突破して行く媒質《ばいしつ》の摩擦《まさつ》が船の推力と正確に匹敵する比率で増していくのだ。
そういうわけで、ひらけた宇宙空間へ出ると、地球は見る見る縮小し、太陽自体もおどろくべき率で、より小さく、より青白くなっていった。シカゴ号のスピードは一定の大きさに達した。人間の心では、まったく把握できないような大きさだった。
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バージル・サムスは、目のまえの映像盤を見るともなく見つめながら、何時間も身動きもせずにすわっていた。宇宙の眺望が見る値打がなかったからではない――宇宙の驚異、ところどころ霧におおわれた暗黒のビロードのような驚くべき宇宙空間を背景にして、想像もおよばぬほどきらびやかな、しかし遠近のわからない光の点がたえず変化し、つねに移動していくパノラマは、もっとも熟練した観測者をさえ、つねに驚嘆させずにはおかない――しかし、彼の心には重大な責任がのしかかっていた。彼は、一見解決不可能な問題を解決しなければならないのだ。いかにして――いかにして――いかにして、このしなければならないことをなしとげることができるだろうか?
しかし、ついに着陸の時間が接近したのがわかったので、彼は立ち上がって自分の推進器を開き、船室の空中をふわふわ泳いで、|たぐり綱《ハンド・ライン》につかまり、それを伝って制御室にはいった。もちろん、彼はまえにも、そのつもりになれば制御室へでかけることができた。しかし、宇宙船の士官たちが、実際には局外者にこの神聖な場所へ立ち入られることを好まないのを知っていたので、必要になるまでそこへ立ち入らなかったのだ。
ウィンフィールド艦長は、すでに司令盤のまえにからだを固定していた。パイロット、航行士、計算士たちは、それぞれの仕事に忙殺されている。
「いま、閣下をお呼びしようと思っていたところです。ファースト・レンズマン」ウィンフィールドは、自分の近くの椅子のほうへ手をふった。「副長の席におつきください」
それから二、三分して命令した。「ミスター・ホワイト、有重力状態に移行」
「全乗員、アテンション」副長ホワイトは、会話口調でマイクにむかっていった。「第三級有重力操作作用、おわり」
一つの計算盤上の一団の小さな赤色ライトが、ほとんど同時に緑色に変じた。ホワイトはバーゲンホルムを切った。そのとたん、バージル・サムスの質量は、ゼロから五百二十五ポンドに変化した――当時の軍艦には、人工重力のような非本質的な装置まで搭載する余地がなかったのだ。レンズマンは、その変化にそなえて緩衝《かんしょう》装置をつけていたが、口からフーッとはげしく息を吐いた。しかし、彼は進行していることに深い興味を感じていたので、二度ばかり骨折ってつばをのみこみ、二、三度ふかく息をついて、正常な状態にもどる努力をした。
チーフ・パイロットは、いまやその地位にふさわしい名人芸で活躍していた。困難な仕事を容易そうに見せるのが、その名人芸の一特質なのだ。彼はキーボードとペダルの上で、トリル、ラン、アルペジオ――ときにはまったくのグリサードよろしく、めまぐるしく指を動かしながら、超大型戦艦の巨大な動力を、マイクロメーター的な正確さで調節し、ニューヨーク宇宙空港を発進したときの固有速度を、はるか下方にある惑星表面の固有速度に同調させていった。
サムスは目のまえの映像盤を見つめていた。はじめは、とほうもなく熱い太陽が、とほうもなくちっぽけに見えていたが、やがて荒涼とした感じの惑星が見えてきた。船はいまその惑星へむけて、すさまじいスピードで降下しているのだった。
「信じられないほどだ――」彼はなかばウィンフィールドに、なかば自分自身につぶやいた。
「太陽があのくらいの大きさであれほど熱いというのは。リゲル系第四惑星とあの太陽の距離は、われわれの地球と太陽の距離の二百倍近くもある――百八十億マイルばかりだ――あの太陽は月から見た金星よりいくらも大きく見えない――ところが、この惑星はサハラ砂漠より熱いときている」
「そうです、青色巨星は大きくて熱いのです」艦長は当然のことのように答えた。「あの輻射《ふくしゃ》は、たいてい目に見えませんが、おそろしいものです。そして、リゲルはこの区域でいちばん大きいのです。しかし、これよりずっとたちの悪いのがあります。たとえば、ドラウスSですが、あれとくらべれば、このリゲルはローソクみたいなものです。わたしは近いうちに、あれをちょっと観測しに行くつもりです。しかし、天文学的雑談はもうこのくらいにしましょう――われわれは高度二十マイルまで降下し、閣下が訪問される市をほぼ停止状態におきました」
シカゴ号はじりじり速度をゆるめ、ジェットを下方におだやかに噴射させながら停止した。サムスは透視ビームを下方にむけ、それに沿って探索的な思考を送った。彼はこれまでリゲル人に直接会ったことがなかったので、その種族の誰かと精神感応状態に入るために必要な、知的イメージやパターンを形成することができなかった。しかし、彼は、自分が話したい相手が所有しているにちがいない心のタイプを知っていたので、リゲル人の都市をさぐりまわっているうちに、そういう心にぶつかった。精神感応は非常に不完全で、ほとんど接触も生じないほどだったが、自分の思考を相手にわからせることはできそうだった。
「この思考的侵入は、きみにとって不愉快なものだろうし、確かに不当ではあるが、許していただきたい」彼は、慎重にゆっくりと思考を伝達した。「わたしは、きみとある問題について話し合いたいと切望している。その問題は、宇宙のあらゆる惑星上の知的生物全体にとって、もっとも重大なものになる可能性があるのだ」
「地球人、きみを歓迎する」心と心とが、無数の点や回路で融合《ゆうごう》した。デスクの前に立っている、このリゲル人の社会学教授は、肉体的には怪物だった――ドラム罐《かん》のような胴体、四本のずんぐりした足、いくつにも分岐した触角状の腕、胴に固定して動かない頭、目や耳はまったくない――しかし、サムスの心は、彼自身の娘の心と融合したときのように、スムースにやすやすと、そしてほとんど同程度に完全に、怪物の心と融合したのだ!
しかも、なんという心だ! 超然たる落ちつき、おどろくほど膨大な包容力――びくともしない平静さ、至高の沈着、強固で静穏な確実さ、極度の安定性。それらは、人類または人類に近い種族にはまったく未知なものなのだ!
「ファースト・レンズマン・サムス、思考的侵入などを気にすることはない――もちろん、わたしは、きみたち人類について聞いたことはあったが、そのひとりと心と心で会合する可能性を、真剣に考慮したことはなかった。事実、従来の報告によれば、われわれの心は、きみたちの心と出会っても、きわめてかすかで不完全な接触しかできないとされていた。わたしはいま理解したが、この完全な精神同調を可能にしたのはレンズである。きみがここへきたのも、基本的には、そのレンズについてではないのか?」
「そうだ」そしてサムスは、銀河パトロール隊とはどのようなものであるべきか、どのようなものになるべきかについて、自分の概念を閃光的《せんこうてき》な思考で伝達した。それはごく容易だったが、レンズマンに必要な資格をくわしく説明する段になると、彼は行き詰まりはじめた。「もちろん、精神能力、推進力――射程力――威力――などは必要だ――しかし、とりわけ重要なのは、絶対的な廉潔《れんけつ》さ――極度の非買収性――」
彼はそのような心に出会って観察すれば、それを認識することはできたが、そのような心を発見するとなると――そのような心の持主は、枢要《すうよう》な地位にはいないかもしれない。彼自身の地位やロッド・キニスンの地位は、たまたま枢要だったが、コスティガンの地位は、そうではなかった――そして、ノボスもダルナルテンも、まったく目だたない存在だった――
「わかった」サムスにそれ以上説明できないことがはっきりすると、原地人はいった。「もちろん、わたしにその資格がないことはあきらかだし、資格がある者もまったく心当たりはない。しかし――」
「なに?」サムスはたずねた。「わたしは、きみの心に接触した感じで、確かにきみは――だが、きみは、そのように深くて広く、膨大な包容力と威力のある心を持っているのだから、腐敗することなどないはずだ!」
「そうだ」無感動な返事がきた。「われわれはみんな、そうなのだ。どんなリゲル人も、きみたちが考えるような意味で、『腐敗』することはないし、そういうことはありえない。事実、わたしは、きみの思考のあらゆる要素をもっとも精細に集中的に分析した結果、きみが意味するところを、なんとかわれわれに理解可能な概念に翻訳したのだ」
「では、何が――おお、わかった。わたしは、まちがったところから出発していた。しかし、わたしが自分たちの種族にもっとも欠けている素質をまず求めたのは、自然なことだと思う」
「もちろんだ。われわれの心は、充分の包容力と射程力と、そしておそらく充分の威力を持っている。しかし、きみが『能力』とか『推進力』とか呼んだ特性は、絶対的な精神的廉潔がきみたちの種族にとって稀《ま》れであるのと同様に、われわれの種族にとっても稀れなのだ。きみたちが『犯罪』として認識している概念は、われわれにはわからない。われわれは、いかなる種類の警察も政府も法律も組織的軍隊も持っていない。われわれは、ほとんどつねに、もっとも抵抗の少ない道を選ぶ。われわれは、きみたちの思考形式で表現すれば、持ちつ持たれつでやっている。われわれは、共通の福祉のために協力するのだ」
「ふむ――わたしは、ここでどんなものを発見するか予期していなかったが、それがこうしたものでなかったことは確かだ」サムスがこれまで完全に驚愕《きょうがく》し、狼狽したことがなかったとすれば、いまこそそのような状態にあった。「では、きみは可能性がまったくないと考えるのか?」
「さっきから考えているのだが、可能性はあるかもしれない――わずかだが、可能性にはちがいない」リゲル人はゆっくりいった。「たとえば、好奇心にかられて、はじめてきみたちの惑星を訪問した、あの青年だ。われわれの多くは、彼やその他のリゲル人をして、探検というようなまったく無益な計画のために、あれほどの時間や努力や富を浪費させる、心の奇妙な特性を、不思議に思ってきた。彼は、なんら実益がありえないような、それまで知られていなかったエネルギーとエンジンを開発しさえしたのだ!」
サムスは、リゲル人が恒星間宇宙探検の有益性を断固として否定したのにおどろいたが、執拗に自分の目的を追求した。
「どんなに可能性がわずかでも、わたしはその男を発見して話し合わねばならない。彼はいま深遠な宇宙のどこかに出ていると思うが、どこにいるか見当がつくかね?」
「彼はいま、自分の居住都市にいて、その無意味な活動のための基金を集め、燃料を製造している。その都市の名は――つまり、きみたちの英語で呼ぶとすればだが――サンタウンかサンバーグかな? いや、もっと明確なものにちがいない――リゲルスヴィルか、リゲル・シティーかな?」
「リゲルストンと翻訳してはどうか?」サムスは試《こころ》みに意見を述べた。
「そのとおり――リゲルストンだ」教授は、そのときウィンフィールド艦長と副長が検討していた球体惑星図よりはるかに正確で詳細な精神的球体惑星図の上で、その位置をしめした。
「ありがとう。ところで、きみはこの探検家と連絡をとって、彼の全乗組員およびその他の者で、わたしがたったいま概略を述べた計画に関心を持ちそうな人物を、会議に召集するように依頼することができるかね? それをしてくれるかね?」
「できるとも。そして、してあげよう。なにしろ、彼や彼の同類は、もちろん、かならずしも正気ではない。しかし、彼らも、きみの船の環境にすすんで入るほど狂気だとは思わない」
「彼らはわれわれの船にくる必要はない。会議はリゲルストンでひらいてもよい。必要とあれば、わたしはそうすることを主張する」
「そうかね? きみはそのつもりだな。奇妙なことだ――そう、想像外だ――きみたちは、闘争的で、反社会的で、邪悪で、矮小《わいしょう》で、低脳で、臆病で、神経質で、無意味に興奮しやすく、異常で、狂気じみていて、肉体的に怪物的であると同様に、精神的にも怪物的だ――」これらの言語道断な思考は、まるで天候でも話しているかのように、さりげなく非情に伝達された。それから思考をとぎらせたが、またつづけた。
「しかも、このようなまったく空想的な計画を推進するために、きみはわたしがきみの立場ならば、どんなことがあろうとも適応できないような条件にすれば、すすんで自己を従属させようとしている。おそらく――いや、確かに、わたしの心が、適当なデータを欠いていたために把握《はあく》できなかったような、共通の福祉《ふくし》のために協力して働くという原理の拡張的解釈が存在するのだろう。わたしはいま、探検家ドロンヴィルと精神感応状態にある」
「彼に、わたしに対して彼の正体を明かさないようにたのんでくれたまえ。わたしは、なんらかの先入観念を持ってその会議に参加したくないのだ」
「健全な思考だ」リゲル人は承認した。「だれかが空港に出ていて、探険家たちの宇宙船が、おそるべき着陸をするために、すでに荒廃している着陸区域を指示するだろう。ドロンヴィルは、だれかに依頼して、きみを空港でむかえさせ、会議の場所へ案内させるはずだ」
精神感応線が切断され、サムスは青ざめて汗ばんだ顔を、シカゴ号の艦長にむけた。
「やれやれ、なんという緊張だ! やむをえぬ場合以外は、精神感応を試みるべきではないな――とくに、このリゲル人のようにまったく〈異質な〉種族とはな!」
「ご心配なく。わたしはそんなまねはしませんよ」ウィンフィールドの言葉はまるで同情的ではなかったが、口調には同情がこもっていた。「あなたはまるで、とげのついた棍棒で脳をたたき出されたような顔をしていますよ。次はどこへ行くんです、ファースト・レンズマン?」
サムスは、船のチャートの上でリゲルストンの位置を示し、耳栓をつけ、特殊な、放射能防御式宇宙服を着た。宇宙服には、冷却器と、目を保護するための、とくに厚い鉛ガラスの、のぞき窓が装備されていた。
空港は、市のかなり外側にあり、航空機の離着陸がすこぶる頻繁《ひんぱん》だった。その位置はすぐ判明し、地球の宇宙船が着陸する地点も容易にわかった。宇宙船は、地球の二倍の重力に対抗してジェットを噴射しながら、かるがると、ゆっくり下降した。しかし、その噴射は、そのときそこに着陸していた宇宙船――おそらくシカゴ号の二十分の一くらいの質量と容積を持った魚雷型の巡洋艦がすでに着陸面にあたえていた破壊に、ほとんど何ものをも加えなかった。
超大型戦艦は着陸し、堅固な乾燥した地面に十フィートか十五フィート沈下して、はじめて停止した。サムスは、自分の案内者になるリゲル人と精神感応状態にはいり、自分の心ときわめて緊密に接触している心を、瞬間的に観察した。無益だった。この心は、レンズマンになれるような素質ではない。彼はおもおもしく梯子《はしご》をおりた。重力が地球の二倍なので、歩くのが多少困難だったが、彼がその後に受けることになったいくつかの試練にくらべれば、はるかに容易に耐えることができた。リゲル人の自動車に相当するものがそこで待っていて、ドアが誘うように開かれていた。
サムスは、どんな目に会うかを――概略的に――予想していた。二つの車輪にのった車体は、多少とも彼自身のディリンガム車に似ていた。車体は、細い魚雷型の鋼鉄製で、両端がにぶくとがっており、窓はなかった。しかし、二つの特徴は、予想に反しており、不愉快でもあった――車体をつくっている堅固な鋼鉄板は、十六分の一インチではなく、一インチ半もある。そして、その異常に装甲された車体でさえ、とくに前部と後部が、地球のぼろ車のフェンダーと同じくらいひどく、そして手あたりしだいに、へこんだり、ひっかき傷がついたりしているのだ!
レンズマンは、その陰気で親しみにくい暗い内部に、容易でもなく愉快でもなくはいりこんだ。暗いって? あまりにも暗かったので、舷窓のような出入口は、まるで光も通さないように思われたほどだ。深夜に石灰庫にいる魔女の黒猫よりもっと暗かった! サムスはひるんだが、心をはげまして、運転手に思考を伝えた。
「きみとの精神接触がずれてしまったように思われる。わたしは、礼儀や快適さにはずれるほど、強くきみにしがみつかねばなるまいと思う。視覚を奪われてしまうと、きみたちのような知覚力がないので、ほとんど手も足も出なくなってしまうのだ」
「いいとも、レンズマン。わたしの心にはいりたまえ。わたしは、きみと完全な精神接触を維持するようにはからったが、きみはそれを拒否したように思われる。おそらく、この誤解は、われわれが、おたがいの習慣的思考形態に慣れていないことによるのだろう。気を楽にして、わたしの心にはいりたまえ――そうだ! 状況が改善されたろう?」
「はるかに改善された。ありがとう」
そのとおりだった。暗黒は消滅した。サムスは、リゲル人の持っている不可解な知覚力を通じて、すべてのものを〈見る〉ことができた――周囲の圏のほとんど完全な三次元的展望を獲得した。自分の乗っている地上車や、自分が乗ってリゲル系第四惑星へやってきた巨大な宇宙船の内側も外側も見ることができた。車の内燃機関のベアリングやリスト・ピン、鋼鉄板を接合している溶接点の内部構造、外部の空港のいそがしい情況ばかりでなく、地下の深いところさえ、見ることができた。シカゴ号の原子力エンジンの、もっとも奥に埋めこまれ、もっとも厳重に遮蔽《しゃへい》された部分さえ、見ることができた。
しかし、こんなことは時間の浪費だ。厚くクッションをいれた椅子だって見ることができる。人体に適合するように設計されていて、一本の支柱に溶接されており、詰めものをした六本の固定ベルトがとりつけてある。彼はすばやくすわり、固定ベルトをしめた。
「いいかね?」
「よろしい」
ドアがはげしい音をたててとざされた。その音は、近くの雷鳴のように猛烈で、宇宙服や耳栓を通過してひびきわたった。これはほんの手はじめだった。エンジンがかかった――優に一千馬力以上ある内燃機関だが、英語のノイズ(騒音)やサウンド(音)に相当する言葉を持たない技術者が、もっとも効率がいいように設計したものだ。
車は発車したが、その加速度で、地球人はクッションに深くうずまった。酷使《こくし》されるタイヤの悲鳴と、いよいよ高まるエンジンの騒音とが結合して咆哮《ほうこう》となり、それが反響を起こしやすい金属の車体の内部で増幅され反響して、レンズマンの頭蓋骨の内側にある脳そのものまで破壊しそうになった。
「きみは苦しんでいるな!」運転手は、ひどく興味をひかれたらしく叫んだ。「わたしは、おだやかに発車し停車し、ゆっくり慎重に運転して、衝撃をかるくするように注意された。わたしは、きみが虚弱だと聞かされたし、自分でもその事実をみとめたので、できるだけ慎重にひかえめに運転したのだ。わたしに責任があるかね? 運転が乱暴すぎたのかね?」
「そんなことはない。それは問題ではないのだ。問題は、ひどい騒音だ」サムスは、自分の意味するところがリゲル人にはまったく理解できないことを知ったので、いそいでつけ加えた。「毎秒十六回から九千または一万回におよぶ大気の振動のことだがね」彼は一秒とは何かを説明した。
「わたしの神経組織は、そうした振動にたいしてとても敏感なのだ。しかし、わたしはこういうことを予期していたので、できるだけ適当に遮蔽してある。これ以上はどうすることもできないのだ。車を進めてくれたまえ」
「大気の振動だって? 〈大気の〉振動? 大気の〈振動〉?」運転者は、不思議そうにくり返し、このまったく新しい概念に思考を集中しながら――
1 鋼鉄の外被をかぶせたコンクリートの支柱のまわりを、少なくとも時速六十マイルの速度ですれすれに回転し、その外被の防御被膜を一皮《ひとかわ》そぎおとした。
2 猛烈に疾走していく貨物車を避けるために、サムスのからだが宇宙服ごと固定ベルトで切断されるかと思うほど乱暴にブレーキをかけた。
3 突進して行くこの小型車と、片側の巨大な鋼鉄の円柱との距離、そしてもう一方の側を疾走していく他の車との距離が、いずれも数分の一インチにしかすぎないほど狭いすきまに、とびこんだ。
4 二重の直角反転をやってのけ、反対方向に走って行く車と同方向に走って行く車とを、それぞれ髪の毛一筋の差で避けた。
5 この目ざましい気ちがい運転のクライマックスとして、すでに一台の車も割りこめないほど混雑しているように見える幹線に、全速力で突入した。しかし、車は割りこむことができた――かろうじてできた。ところが、こんどは、髪一筋の差でも、接触でもなく、本物の衝突――じつのところ、車体が一インチかそこらへこんだだけだから、問題にならないような小さな衝突だった――が起こり、すさまじい騒音が、連続的、集中的にあがった。
「わたしは、そうした振動が、どんな効果を持つのかまったくわからない」リゲル人はついにいった。何か異常なことが起こったなどとは、まるで意識していない様子だった。事実、彼にとっては、何も異常なことは起こらなかったのだ。「しかし、そんなものは、なんの役にも立たないにちがいない」
「きみたちの世界では、役に立たないだろう。そうとも、役に立つまい」サムスは、げっそりしたように認めた。「どの惑星でもそうだが、この惑星でも、大都市は交通の過剰で窒息しそうになっているな」
「そうだ。われわれはたえず道路を建設しているが、いつまでたっても充分にはならないのだ」
「道路に沿っている、あのたくさんの小山のようなものは何かね?」すこしまえから、サムスは、それらの長くて低い不透明な建造物に気づいていた。彼がそれらにひきつけられたのは、リゲル人の心の射程内で、それだけが不透明な物体だったからだ。「それとも、何かわたしが指摘してはならないものかね?」
「なんのことだ? ああ、あれか。そんなことはない」
近くの小山が、不透明でなくなった。それは、繊維でできているように思われるほど明確な、回転するエネルギーの縞《しま》模様、はげしく突進する名状しがたい形態の物体、まばゆくかがやく形象などで満たされた。サムスがおどろいたことに、その形象は意味を伝えた――しかも、リゲル人の心を通じてではなく、彼自身のレンズを通じてなのだ。
「ティーグミーの食品をたべたまえ!」
「広告か!」サムスは、いまいましげに思考を発した。
「広告だ。きみたちも、運転しながら広告にぶつからないかね?」これが、第一銀河系でもっとも進歩した二つの種族のあいだに樹立された、最初の結びつきだったのだ!
恐るべき運転はつづいた。騒音はいよいよひどくなった。できるものなら、想像してみたまえ。千五百万の住民を持つ都市の縦にも横にも、上にも下にも、どれほど猛烈な騒音をさえ、減少させるための努力がまったくなされていないのだ! 読者の想像力が充分にゆたかで、それを充分に働かせたとすれば、ファースト・レンズマン・サムスが、この日、強制的に聞かせられた騒音がどんなものだったかを、ほぼ想像できるだろう。
リゲル人の堅固な自動車は、ますます混雑する交通を縫って、両側にそびえ立つ窓のない鋼鉄の壁のあいだを、いよいよ上方の道路へと、他の車を突きのけ押しのけ、のぼって行った。車はついに停止した。地上から一千フィートばかりの高さで、まだ建設中の建物のわきだった。重いドアがガチャンと開き、ふたりは車をおりた。
そしてそれから――そのときは、たまたま昼間だったので――サムスが見たものは、視覚を持った生物には創造もおよばぬ色彩の混乱だった。赤、黄、青、緑、紫、その他ありとあらゆる中間色が、まったく手あたりしだいに、配置されたり塗りたくられたり自然に発生したりしていて、あたりに満ちた騒音が彼の耳を襲うのと同様なはげしさで、彼の目をくらませた。
彼はそのとき理解した。彼は自分の案内者の知覚を通じて、灰色のシェードの中だけで「見」ていたのだ。このリゲル人たちにとっては、「可視」光線は、電磁波的振動スペクトルのその他の帯域の光線と、波長の点でちがっているだけなのだ。
レンズマンは、緊張しながら、案内者のあとについてせまい通路を進み、鋲打工《びょううちこう》や溶接工が、せわしく働いている壁を抜けて、一つの部屋にはいった。部屋には窓がほとんどなく、天井には、巨大なI字型の梁《はり》が、幾層にも張り渡してあるだけだった。しかし、〈ここ〉は会議室で、百人近いリゲル人が集まっていた!
サムスがそのグループへ歩いていく途中、クレーン操作員が、彼のすぐ後ろの床の上に、八フィートないし十フィートの高さから、二トンばかりの鋼鉄板を落下させた。
「わたしは、あやうく宇宙服の中から飛びだしそうになった」サムス自身、そのときの反応をそう描写しているが、おそらくこれがもっとも適切な描写だろう。
いずれにせよ、彼は一瞬自制心を失ったが、それに対して、リゲル人はたしなめるような、いぶかしげな思考を投射した。リゲル人には、地球人の敏感さが理解できなかったのだ。それと同様、サムスにも、リゲル人にとっては肉体的侵害の概念さえまったく不可解だということが、理解できなかった。
この建設者たちは、地球的意味での労働者ではなかった。彼らはいずれも、週二、三時間を公共の福祉のために働いているリゲル人だった。彼らは、惑星の反対側にいるリゲル人たち同様、この会合にはなんの関係もない。
サムスは、雑然たる色彩の混乱に目をふさぎ、恐るべき騒音に対して気力をふるって耳をとざしながら、心のあらゆる組織を自分の使命に集中しようと努めた。
「諸君のうち、できるだけ多くの者が、わたしに心を同調していただきたい」彼はグループ全体にむけて思考し、それらの心とつぎつぎに精神感応状態にはいっていった。どの心も、何かが欠けていた。ある心は他の心より強力で、主動力も推進力も追求力も持っていたが、充分な能力の心は一つもなかった。しかしついに――
「ありがたい!」サムスは深い喜びと満足をおぼえ、もはや、混乱した色彩も騒音も気にならなくなった。「きみは、レンズマンの資格がある。おそらく、ドロンヴィルだろう」
「そうだ、バージル・サムス、わたしはドロンヴィルだ。そしてわたしは、自分が一生をかけて求めてきたものがなんであるかを、ついに知った。しかし、ここにいるわたしの友人たちはどうか? そのうちの何人かは、レンズマンの資格があるのではないか?」
「わたしにはわからないし、知る必要もない。あとは、きみが選択するのだ――」サムスは、おどろいて思考をとぎらせた。他のリゲル人たちはまだ部屋の中にいたが、精神的には、まったく彼とドロンヴィルだけになってしまったのだ。
「彼らはきみの思考を予想し、それが多少とも個人的な問題であることを知ったので、きみかわたしが呼びかけるまで、ふたりだけにしたのだ」
「そのほうが都合がいいし、感謝する。きみはアリシアへ行きたまえ。そこで自分のレンズをもらったら、ここへもどり、多少とも候補者を選択して、アリシアへ派遣するのだ。わたしは、きみがこれだけのことをしてくれることを、アリシアのレンズにかけて要請する。そのあとで、きみがわれわれの地球を訪問して、銀河評議会の評議員に就任してくれることを、強く希望する――ただし、これはけっして義務ではない。そうしてくれるかね?」
「そうしよう」ドロンヴィルは、ただちに結論をくだした。
会合は終わった。来るときサムスの運転者をつとめた同じリゲル人が、まえのように「ゆっくりと」「慎重に」運転して、彼をシカゴ号へ連れもどった。
サムスは、自分の丈夫な皮膚が、すでにほとんど完膚《かんぷ》なきまで打撲傷で変色しており、車が猛烈にぶつかったり傾いたりするたびに、そこへまた新しい打撲傷が加わっているということがわかっていたが、こんどはこの試練も、さしてこたえなかった。彼は成功した。そして、成功の喜びが、例によって鎮痛剤的効果をあたえたのだ。
シカゴ号の艦長は、気密境界《エアロック》で彼を迎えて、宇宙服をぬぐのを手伝った。
「確かに、大丈夫ですか、サムス?」ウィンフィールドは、形式ばった艦長としてではなく、友人としてたずねた。「あなたは救援の呼びかけをしませんでしたが、こちらは心配しはじめていたのです――あなたはまるで、バレリア人のどんちゃん騒ぎに仲間入りしていたみたいですよ。あなたは、あばら骨や左足がそんな目にあっても平気なようですが、わたしなら絶対ごめんですね。乗組員たちには、あなたが最高の状態で帰還したと知らせますが、念のために医者を呼んで、あなたの全身を検査させましょう」
ウィンフィールドは、乗組員たちに通知した。サムスは、そのニュースとともに、巨大な船の内部に、安堵感と喜びの波がひろがったことを、レンズを通じて、明白に感じることができた。彼は大いにおどろいた。〈なぜ〉、全乗組員が自分の生死をこれほど気にかけてくれるのか?
「わたしは、完全に大丈夫だ」サムスは抗議した。「二十四時間眠れば、すっかりもとどおりになるさ」
「そうかもしれません。しかし、やはりまず病室へいらしてください」ウィンフィールドは主張した。「それから、地球へ帰還することをお望みでしょう?」
「そうとも。それも急ぐのだ。なにしろ、次の火曜の晩には、大使舞踏会があるのでね。そして、あの行事には、どんな口実があっても、欠席するわけにいかんのだ」
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最大の年中行事の一つである大使舞踏会は、いまやたけなわだった。ひとかどの人間は、みなここに出席しているというのではなく、出席しているすべての者が、なんらかの意味で、きわめて重要な人物なのだった。したがって、もっと若くて美しい女性で、もっと若くてハンサムな男性が出席する行事はあったが、この行事以上に新しくて上等なガウン、より多くのリボンや装飾、より効果で洗練された宝石が誇示され、脂粉《しふん》の香をにおわせた肌がより広く露出される行事はなかったのである。
しかし、若い男女も、かなり出席していた。開拓は老人よりも青年にふさわしい仕事なので、植民惑星の代表者たちは若かった。それに、彼らの夫人や娘たちをはじめ、名士の第二夫人(第三、第四、ときには第五夫人)が加わるので、老人と青年の数はほとんど匹敵していた。
また、参加者は人類ばかりではなかった。もちろん、他の何百という太陽系出身の、混血で酸素呼吸者の怪物たちの数が、人類の出席者の数に匹敵する時代はまだきていなかった。しかし、フロアには、薄い伝統的衣裳をつけた火星人が二、三人いて、数学的な正確さでおどっていた。二、三の金星人は、おどるということをしないので、どっしりすわったり、おもおもしく歩きまわったりしていた。この太陽系ばかりでなく、その他の少なからぬ太陽系の多くの惑星からも、代表者が出席していた。
一組の男女が、この豪華な背景の中でさえ、ひときわ目だっていた。ふたりがどこにいても、人びとの目はそれを追いかけた。
娘は背が高く、すらりとして、しなやかで、シンフォニーのように均整がとれている。彼女が着ている、カリスト産のヴェクスト絹のドレスは、最新流行のきわめてあざやかな〈放射能〉グリーンで、燐光色《りんこうしょく》に光り、蛍光色《けいこうしょく》に輝いている。そのすそはフロアをかすめているが、ウェストの上では、魔法のように消えて、いくつかの小さい断片が胸もとの要所要所にまといついているばかりだ。それらの断片は、着ているからだの磁力だけで保持されているように思われる。
出席している女性の中で花をつけていないのは、ほとんど彼女ひとりだった。宝石といえば、粒のそろった大きなエメラルドでできたブローチが、むきだしの左肩に、いまにも落ちそうにとまっているだけ。髪は、他の女性が一筋の乱れもなくゆいあげているのに対し、燃えるような赤銅色の毛を、わざとかき乱してある。彼女のうるんだ瞳《ひとみ》は、この瞬間、娘らしい無邪気さと信頼を湧きださせる金茶色の泉のようだった――彼女、バージリア・サムスは、高度に訓練された両手を制御できると同様な完全さで、その目を制御できるのだった。
「でも、わたしも、あなたとこんどのダンスをおどるわけにはいかないわ、ハーキマー――〈ほんとに〉だめなのよ!」彼女は、若い男の腕の中にもうすこし身をすりよせながら訴えた。肉体的に見れば、その男は、彼女がいかにも女らしいのと同程度に、いかにも男らしかった。「ほんとは、あなたとおどりたいんだけど、そういうわけにいかないのよ。それは、あなたにもわかるでしょう」
「もちろん、きみには、お義理でおどらなけりゃならない相手が何人かあるさ――」
「何人かですって? わたしには、ここからあそこまでくらいの長さの、パートナー・リストがあるわ。もちろん、第一にモーガン上院議員、それから、アイザークスン氏、それから、ダンスはおどらずに、オスメン氏のお相手をしたわ――金星人にはがまんがならないんですもの、ぬるぬるして、ふとって、いやらしくて――それから、あの皮みたいな皮膚で角のはえたガマみたいな火星人と、カバみたいな木星人と――」
彼女はリストをならべたてた。そして、各パートナーの名前や特徴をあげながら、左手のべつの指は、自分の社会的義務を強調するように、パートナーの右手の甲を押しつけた。しかし、それらの熟練した指は、それよりも多くのことを――はるかに、はるかに多くのことを――していたのだ。
ハーキマー・ハーキマー三世は、少なからぬドンファンだったが、高度に洗練され、完全にきたえあげられた外交官でもあった。したがって、彼の目やその他の表情――とくに目は、彼の脳の中でどんな思考がおこなわれているかをすこしも洩らさないように、長年にわたって訓練されていた。彼が腕の中の美しい娘に何かの疑いをいだいていたとしても、また、彼女が彼から情報を吸いあげようと全力をつくしているのだということをだれかから聞かされていたとしても、彼は第一級の外交官のみが示せるような微笑を示していたことだろう。
彼は、バージリア・サムスを疑っていなかった。しかし、彼女がバージル・サムスの娘だというそれだけの理由で、彼は彼女が列挙したどの名前に対しても、不相応な関心を示さないように、とくに気をつけた。そればかりでなく、彼女は彼の目はおろか顔さえ見ていなかった。彼女の視線は、つつましく伏せられていて、彼のあごより上には、めったにそそがれなかったのである。
しかし、ハーキマー・ハーキマー三世が知らないことがあった。バージリア・サムスは、当代における、もっとも熟練した読筋術者だった。彼女が彼に身をすりよせているのは、その男性的魅力にひかれたためではなく、その位置にいてはじめて、最高の活動ができるからだ。彼女は目だけでも活動できたが、精一杯の結果を獲得することが必要な非常の場合には、きわめて鋭敏《えいびん》な指と、きわめて触角の発達した皮膚を用いなければならなかった。彼女はリストにあげられた人物のひとりひとりを徹底的に研究し、彼らの反応を一覧表にしていた。彼女はいま、ハーキマーを通じて、これらの反応を一定の型にあてはめていた。そして、ついに、その型は、殺人という深刻な形態をとりはじめたのだ!
バージリア・サムスは、いまや架空の銀河パトロール隊よりもはるかに緊急で、はるかに重大なことのために働いているのだったから、このハーキマーが彼女と同様の読筋術者でないことを切望した。なぜなら、彼女は自分が彼以上に完全に、自己の秘密を洩らしていることを知っていたのだ。事実、もし事情がいっそう悪くなれば、彼は彼女の心臓のはげしい鼓動《こどう》を感じずにはいないだろう――しかし、それは適当に身をよじらすことによって、容易に弁解することができる――いや、彼は読筋術者ではない。確かにちがう。彼は彼女のからだの適当な場所を見ていない。彼が見ているのは、ガウンのデザインで相手の目をひくように露出された場所だけだ――そして、彼の両手が置かれている部分には、思考を暴露するような筋肉はないのだ。
彼女の目や指や美しい胴が、彼女の鋭敏な脳にいよいよ多くの情報を送るにつれて、彼女はますます不安になった。殺人が企てられていることは確かだが、犠牲者はだれか? 父か? そうかもしれない。キニスンおじさんか? そうかもしれない。だれかほかの人間か? それはありそうもないことだ。ところで、いつ行なわれるのか? そしてどこで? そして、いかなる方法で?
彼女にはわからなかった? 確かめなければならない――名前を列挙するだけでは充分でない。特別の外見を示さなければ――なぜ父は姿を見せないのか――それとも、彼女は父がまったく出席しないことを望むのだろうか?
バージル・サムスが、舞踏会場にはいってきた。
「そして、パパはわたしにいったのよ、ハーキマー」彼女は甘い声でささやきながら、はじめて彼の目を一分以上見つめた。「わたしがその全部の人たちとおどらなければならないってね。だから、わかるでしょう――あら、パパがきたわ、あそこに! どこにとじこもっているのかと思ってたわ」彼女は入口のほうへうなずいてみせ、無邪気におしゃべりをつづけた。「パパはぜったいに、といっていいくらい遅刻しないのよ。だからわたし――」
彼はそのほうを見やり、ファースト・レンズマンと目を合わせた。ジルは、知りたくて知りたくてたまらなかった三つの事実を知った。犠牲者は、彼女の父。場所はここ。時間はいますぐだ。彼女は、自分がどうしてとり乱さないでいられたかわからなかったが、とにかくなんとか自制心を失わなかった。
外見には何もあらわれなかったが、彼女は内心、気が気でなく、これまでになかったほど、いらいらした。どうすればいいか?
事実はわかっているが、目に見える証拠はすこしもない。もし彼女がちょっとでもへまをやれば、たちまち破局的な結果になるだろう。
このダンスのあとでは、おそすぎる。フロアを去る口実はつくれるが、それは、あとになってひどく目立つだろう――また、彼女がハーキマーといっしょにいるあいだは、だれもレンズを彼女にむけないことは確かだ――騎士道精神なんか、くそくらえ! 父にもしばらく会っていないのだから、機会を見て、父に手を振って見せることはできる――いや、メースに合図するのが、いちばん危険が少ない。彼は機会あるごとに彼女を見ているから、彼にレンズを〈使わせる〉ことはできるだろう――
ノースロップは彼女を見やった。彼女は、ハーキマーの肩越しに、自分が痛切に感じている恐怖を訴える表情を、ほんの一瞬だけ浮かべた。
「ぼくに用かい、ジル?」彼のレンズを通じての思考は、彼女の心の外縁《がいえん》にだけふれた。完全な精神感応状態は、キス以上に親密なものだ。彼女の父をのぞけば、バージリア・サムスに向けてレンズの思考を完全に設定したものはいなかった。しかし、
「用があるのよ! こんなに人手を借りたいことは、生まれてはじめてよ! わたしの心にはいってちょうだい、メース――はやく――おねがいよ!」
彼は遠慮がちにはいってきたが、娘の情報に接触するやいなや、遠慮やプライバシーはあとかたもなく消滅した。
「ジャック! スパッド! キニスン閣下! サムス閣下!」彼は鋭敏で緊急な思考を、がむしゃらに伝達した。「注意!」
「落ちつけ、メース、わしが指揮をとる」ロデリック・キニスンの力強く平静な精神的声音がひびいた。「第一は銃の問題だ。わたし以外に拳銃を持っている者はだれか? スパッド、きみは持っているか?」
「はい、閣下」
「そうだろう。だが、ジャック、おまえとメースはどうか!」
「われわれは、ルーイストン式光線銃を持っています!」
「そうだろう。おまえはときにはへまをやるが、こんどは上出来だ。熱線放射器は、ある種の仕事にはじつに便利な武器だ。非常の場合には、もちろん何十人かの罪もない列席者を殺してもやむをえない。しかし、このような列席者たちの場合には、目標とする相手だけを殺すのが、はるかに望ましい。だから、きみたちふたりは、いますぐわしの車へとんでいって、拳銃と交換してこい――それも〈早く〉やるのだ」
だれでも知っていることだが、ロデリック・キニスンの車は、つねに車輪付きの兵器庫のようなものだった。「バージ、きみも制服を着ていればよかったが、もう間《ま》にあわん。北西のコーナーへ進みたまえ――ゆっくりとね。スパッド、きみも同様にするのだ」
「そんなことはありえない――まったく考えられん!」そして「わたし、確かなことは何もわからないんです、ほんとは――」サムスと娘はほとんど同時に抗議しはじめた。
「バージル、つべこべいうな。頭を働かせるまでは、だまっていろ。ジル、わしは、きみが知っていることについて、きっと充分の処置を講じる。きみはもう気を楽にしてよろしい――安心したまえ。われわれはバージルをカバーしているし、強力な救援を要請した。きみはもうすこし楽にしてもいい。よろしい! だれにもかくすつもりはないが、これから二、三分が決定的だろう。ジル、ハーキマーがかぎを握っているということは確かかね?」
「確かよ、おじさん」彼女はずっと気が落ちついてきた。いまや、レンズマンたちが警戒しているのだ! 「少なくとも、この場合についてはね」
「よろしい! では、何事かが起こるまでは、彼がきみに全部のダンスのパートナーになってくれと頼むにまかせたまえ。彼を監視《かんし》するのだ。彼は、合図と、だれが実際行動に出るかを知っているにちがいない。だから、もしきみがちょっとでもわれわれに予告をあたえてくれることができれば、大助かりだ。できるかね?」
「できると思うわ――ぜひ、そうしたいわ、〈でか〉おじさん!」娘の思考は、音訳すると多少混乱していたかもしれないが、キニスンは彼女の意味するところを正確に理解した。
「もう一つ聞きたいことがあるんだ、ジル。こまかなことだがね。むすこたちが帰ってきて、パートナーをこっちのほうへリードしているが、ハーキマーは、彼らが武器を交換したのに気がついているかね?」
「いいえ、気がついていないわ」ジルはちょっとあとに報告した。「でも、わたしも、違いがわからないので、それを捜しているところよ」
「それでも、相違はあるのさ。十七型と五型の相違は、外見以上のものだ」キニスンは鋭く答えた。「しかし、軍人でない者には、われわれほどはっきり見わけがつくまい。それだけ近づけば充分だ、諸君。近づきすぎてはいかん。さあ、バージ、心の一面ではジルと、多面ではわれわれと、強固な感応状態を形成するのだ。そうすれば、ジルが叫んだり指さしたりして、自分の正体や秘密を洩らさないでもすむ。そして――」
「だが、こいつはばかげている!」サムスは抗議した。
「ばかげているもくそもあるか」ロデリック・キニスンの思考は、やはり冷静だった。ただ、彼が舞踏会場にふさわしくない言語を用いはじめたという事実だけが、彼の緊張を多少とも洩らしている。「ばかばかしく強がるのはやめて、頭を使いたまえ。きみは五百億信用単位の賄賂《わいろ》を拒絶した。やつらは百信用単位も出せば、どんな人間でも殺させることができるのに、なぜそんな巨額の金を提供したと思う? そして、やつらが、きみの出方をどう処理すると思う?」
「だが、ロッド、やつらだって、大使舞踏会で、暗殺をやってのけることはできまい。おそらく〈できない〉だろう」
「公然とはできない。わしもはじめはそう考えた。だが、そういうきみ自身、ついこのあいだ、犯罪の技術が最近変化してきたということを指摘したじゃないか。そういう観点からすると、場所がにぎやかなほど混乱も大きいから、脱出の機会も多くなる。そんなばかげた考えはやめるんだ、赤毛のロバ!」
「ふむ――それも一理あるようだ――」サムスの思考は、ついに関心を示した。
「そんなことは、百も承知だろう。だが、みんな――とくにジャックとメース――固くなるな。コチコチに緊張していては、いい射撃はできないぞ。何かをしていろ――パートナーに話しかけるか、ジルに思考をむけるかしていろ――」
「閣下、それはお安いご用です」メースン・ノースロップが、かすかに微笑した。「それで、あることを思い出したんだがね、ジル。メンターは、きみがレンズを必要としないだろうといったそうだが、彼の――〈彼女〉か〈それ〉か、かもしれないがね――ことばは確かに図星《ずぼし》だね」
「へえ?」ジルは蓮っ葉にたずねた。「どういう関係があるのかわからないわ」
「わからないって? ほかのものにはだれだってわかるさ。どうです?」他のレンズマンたちは、サムスまでが、強く賛成した。「さあ、きみはやつらが、とくにハーキマー・ハーキマー三世のような人間が、制服を着た官憲《かんけん》を――たとえきみみたいな美人でも――自分の心を読みとらせるほど接近させると思うかい?」
「まあ――そのことは考えなかったけど、そのとおりね。よかったわ――でも、おじさん、『強力な救援』とかおっしゃったわね。それまでにどのくらいかかるかわかって? わたし、あなたがたみんなで救援してくれれば、持ちこたえられると思うけど、でも――」
「できるよ、ジル。あとせいぜい二、三分のことだ」
「救援だって? 強力な、それどういう意味だね?」サムスが鋭くたずねた。
「そのとおりの意味さ。完全な一部隊だ」キニスンが答えた。「わしは二つ星の准将《じゅんしょう》アレグザンダー・クレートンに、彼を椅子からとびあがらせるような思考を伝達したのだ。彼の手持ちの全兵力を、全速力で派遣するように命じたのだ。機械化部隊――八四型戦車――六六式超重砲――病院車として九〇六〇型戦車――陸空の完全護衛部隊――道路パトロール隊――ヘリコプター――巡洋艦および大型戦艦――つまり、機動部隊さ。わしは、もしできることなら、こんなことをする前に、きみといっしょに脱出しただろう。しかし、救援隊が到着しだい、われわれは脱出するのだ」
「もしできれば、ですって?」ジルはその思考にショックを受けてたずねた。
「そうさ、ジル。わしには思いきってできんのだ。もしやつらが何かをおっぱじめたら、われわれは最善をつくす。だが、やつらがおっぱじめないことを祈るよ」
しかし、キニスンの祈りは――もし祈ったとすればだが――無視された。ジルは、鋭いが、ごくありきたりの音を聞いた。だれかが、鉛筆を落としたのだ。彼女は、ごくかすかな筋肉のふるえを感じた。ハーキマーの首の筋肉が、それとわからぬほど緊張するのが見えた。もしその筋肉が行動することを許されれば、ハーキマーの頭はある方向へむいたことだろう。彼女の目はその線に沿って走り、一瞬すばやく偵察した。ひとりの男が、ハンカチを取りだそうとするように、目立たない身振りで手をポケットにさしこんでいた。しかし、大使舞踏会では、男は青のハンカチを持たないし、どんなに染められたどんな繊維も、自動拳銃の青色の鋼鉄に近い色はしていない。
そのとき、ジルは悲鳴をあげて指さすところだった。しかし、どちらをする余裕《よゆう》もなかった。彼女は父と精神感応状態にあったので、サムスと精神感応状態にあったレンズマンたちは、彼女が見るすべてのことを、彼女が見た瞬間に見ることができた。だから、彼女が叫んだり指さしたりすることはおろか、身動きさえしないうちに、五発の銃声がほとんど同時に鳴りひびいた。そのあとで、彼女は悲鳴をあげたが、その他の何十人かの女性も悲鳴をあげたので、問題にはならなかった――少なくともそのときには。
コンウェー・コスティガンは、俊敏な宇宙人で、長年にわたってガン・ファイトと格闘の経験をつんでいたので、まっ先にとび出した。暗殺者より速いほどだった。この日、バージル・サムスの生命を救ったのは、コスティガンのがむしゃらなスピードだった。なぜなら、暗殺者は、引き金を引きおえないうちに、弾丸で脳を砕かれて死にかけていたからだ。瀕死の手が上方によじれた。サムスの心臓をねらった弾丸は、上方へそれて、肩の肉を貫いた。
ロデリック・キニスンは年配のせいで、また、彼の息子とノースロップは未経験のせいで、千分の二、三秒おくれた。しかし、彼らは暗殺者の頭ではなくからだをねらった。そして、そのどの一つの傷も致命傷だった。男はぶっ倒れ、倒れたままだった。
サムスはよろめいたが、キニスンの父が、できるだけおだやかに支えて横たえるまでは、倒れなかった。
「さがれ! さがれ! 場所をあけてやれ!」人々は押しよせながら、叫びはじめた。
「みなさんは、さがってください。だれか行って、担架を持ってきてください。ご婦人たちは、こちらへきてください」キニスンの練兵場できたえた太い声が、その他の声をふきとばした。
「ここに医師のかたがいますかね?」
医師はいた。そして、武器を持っていないことを「手さぐり」で確かめられてのち、いそがしく仕事にかかった。
「ジョイ――ベティ――ジル――クリオ」キニスンは自分の妻と娘、バージリア・サムスとコスティガン夫人を呼んだ。「きみたち四人が最初だ。それから、きみ――きみ――きみ――きみ――」彼は極端なガウンをまとった太った女たちをつぎつぎに指さした。「彼をおおうようにして、ここへ立ちたまえ。だれも彼を射てないように、カバーするのだ。ほかのご婦人たちは、このご婦人たちの後ろや中間に立つ――もっと近く――すきまをびっしり埋めるのだ――そう! ジャック、そこに立ちなさい。メースはそこだ。コスティガンはむこうはし、わたしはこっちはしだ。さあ、みなさん、聞きたまえ。ご婦人たちがだれも腰から上に拳銃をおびていないことは一目瞭然だ。そして、あなたがたみんな、ロングスカートをつけている――舞踏服に感謝しますぞ。さあ、レンズマン諸君、もしこの女性たちのだれかがスカートを持ちあげようという身振りをちょっとでもしたら、質問するまでもなく、ただちにその女性の脳を吹きとばしてよろしい」
「閣下、わたくし、抗議いたしますわ! これは無法というものです!」老貴婦人のひとりが叫んだ。
「マダム、わたしもまったくあなたに賛成します。これは無法というものです」キニスンは、この状況下で可能なかぎり本気で微笑した。「しかし、これは〈必要な〉ことです。バージル・サムスをシカゴ号に乗せてしまったら、わたしはあなたがた淑女のみなさんにも、ドクター、あなたにも、おわびいたします――お望みなら、書面にもします。しかし、そのときまでは、自分の祖母でも信用しませんぞ」
医師が見上げた。「シカゴ号ですって? この傷は重くはありませんが、この人はすぐ病院へ運ぶ必要があります。おお、担架ですな。そう――どうぞ――やんわりと――そう、それでけっこう。すぐ病院車を呼んでください」
「呼びました。とうのむかしです。しかし、病院ではありませんよ。先生。病院の窓はみんな――公衆に開かれている――さもなければ、病院全体が爆破されるかもしれない――ぜったいにだめです。わたしはどんな危険もおかしません」
「自分の命以外はね!」ジルは父のかたわらから見あげながら、鋭く口をはさんだ。彼女は、ファースト・レンズマンが死ぬ危険がないと確信したので、ほかの問題に気をくばりだしたのだ。
「おじさんも大事なからだなのに、その開けっぴろげの場所に立っているなんて。もう一つの担架《たんか》を持ってこさせて、その上に横になっていらっしゃい。わたしたちが保護してあげるわ――忠告は、強情を張らずに受けるものよ!」彼女は、彼がためらっているのを見て、きびしくいった。
「必要とあれば強情ははらないが、その必要はないのだ。もし、やつらがサムスを殺していたら、その必要がある。おそらく、次にはわしがねらわれるだろう。だが、彼はほんのかすり傷しか受けなかったから、有力なナンバー・ツーを殺したところで意味はないのだ」
「かすり傷ですって!」ジルの思考は沸騰《ふっとう》した。「このおそろしい傷を、かすり傷だとおっしゃるの?」
「え? そりゃあ――そのとおりだよ――きみに感謝するよ」彼は正直におどろいて答えた。「骨は砕けていない――大事な血管は切れていない――肺はずれている――二週間もすれば、もとのように元気になるさ」
「ところで」と彼は声を高めていった。「ご婦人がた、この担架を持ちあげていただきたい。一団になって、ゆっくり、ドアのほうへ進むのです」
夫人たちはもう腹をたてていないどころか、衆目の的《まと》になっている気分を楽しんでいたので、この要請におとなしくしたがった。
「さあ、レンズマンたち」キニスンは、レンズで思考を伝達した。「もしわれわれが暗殺を妨害しなかったら、暗殺者を逃がすための予定の行動がおこなわれただろうか? きみたちのうちでだれか、そういう行動のしるしらしいものに気づいたかね――どうだ、コスティガン?」
「気づきません、閣下」コスティガンはきびきび返事した。「わたしに見える範囲では、まったくありません」
「ジャックとメース――きみたちも、見かけなかったろうな?」
ふたりとも見かけなかった――そんなことは考えてもみなかったことだ。
「いまにおぼえるさ。自動的にそういうことに気をまわすようになるまでには、こういう事件に二、三度ぶつかる必要がある。だが、わしもまったく気づかなかった。だから、そうした動きは、まったくなかったにちがいない。抜け目のないやつらだ――たちまち情況を見てとったのだ」
「閣下、わたしはしばらくボスコーン作戦を離れて、この問題をとりあげたほうがいいとは思われませんか?」コスティガンがたずねた。
「わしはそうは思わん」キニスンは、精神的に眉をひそめた。「この作戦は、お頭《つむ》のいい連中によって計画されたのだ。きみが現在発見できる手がかりは、どれも見せかけにちがいない。いや、この問題は正規部隊に調査させて、われわれは本来の――」
戸外でサイレンが悲鳴をあげた。キニスンは、探索的思考を投射した。
「アレックスかね?」
「そうです。医者と看護婦つきの、この九〇六〇病院車をどこへもっていきましょうか? 門からはいるには、幅が広すぎます」
「塀を突破しろ。芝生を横切るのだ。ドアのすぐそばまで持ってきたまえ。そこらへんにある飾りものは、気にすることはない――損害はパトロール隊に請求するように、副官を通じていわせるのだ。サムスは肩を射たれた。さほど重傷ではないが、彼を〈丘〉に連れて行くつもりだ。あそこなら、安全だからな。傘状の編隊のてっぺんにいる船は、ボイス号かね、シカゴ号かね? 上を見る時間がなかったのだ」
「両方です」
「上出来だ」
ジャック・キニスンは、怪物的なタンクにおどろいて、唇をなめた。タンクは、彫像、噴水、植木などを地中にめりこませながら、しずしずと芝生を横切ってきた。彼は兵士の集団が道路、地面、群集を「手さぐり」して行くのを見た――上空には、ヘリコプターが浮かんでいる――もっと高くには、八隻の軽巡洋艦が、公然と放射用意をととのえていた――さらにもっと高くには、長いジェットの火焔がなびいていたが、それはかつて人間によってつくられたうちで、もっとも強力な二隻の宇宙船の位置を示しているということを彼は知っていた――やがて、彼の顔は徐々に青ざめた。
「どういうことです、おとうさん!」彼は二度つばをのみこんだ。「思いもよらなかった――しかし、やつらならやるかもしれん」
「かもしれん、じゃない。やつらは、もしここへ強力な兵器をすみやかに集中できれば、かならずやるのだ」父キニスンは、一瞬もあごの筋肉をゆるめず、突き出した目も警戒をおこたらずに、レンズで思考を伝達した。「おまえたち若者が何もかも理解することを期待するのはむりだが、おまえたちはいま、急速に学んでいるのだ。いいかね――この言葉を鉄かぶとに張りつけておけ。〈バージル・サムスの生命は、この全宇宙でもっとも重要なのだ!〉 もしさっきやつらが彼を殺したとすれば、厳密にいえば、それはわしの責任ではない。しかし、現在やつらが彼を殺すとすれば、それはわしの責任なのだ」
陸の巡洋艦は、入口にがりがりと停止した。白衣の男がひとりとび出した。
「負傷者を診察させてください――」
「まだだめだ!」キニスンは鋭くさえぎった。「敵はだれかわからんが、やりかけた仕事を片づけようと望んでいる。そいつらとサムスとのあいだを、四インチの鋼鉄板がへだてるまではだめだ。きみたちの要員で彼を囲んで、車に乗せたまえ――急ぐのだ!」
サムスは、あらゆる部分を寸分のすきまもなく保護されながら、九〇六〇車に運びこまれた。そして、重いドアがガチャンととじたとき、キニスンは深い安堵のため息をついた。車は走り去った。
「われわれといっしょにこられますか、ロッド?」クレートン准将が呼びかけた。
「ああ。しかし、まだここで二分ばかり仕事がある。将校車を一台待たせておいてくれれば、仲間入りするよ」彼は三人の若いレンズマンとひとりの娘をふりむいた。「この事件でわれわれの計画はちょっとじゃまされたが、大したことはない――と期待する。マティース作戦とボスコーン作戦には、変更はない。ジル、きみとコスティガンは、計画どおりに進んでいい。ノースロップ、きみはズウィルニクについてジルに概要《がいよう》を知らせて、彼女が知っていることを発見するのだ。バージルは今夜この舞踏会がすんだあとでそれをするはずだったが、きみはもう、われわれのだれにもまけないほど多く、それについて知っている。ノボス、ダルナルテン、フレッチャーたちに照会するのだ――バージルが寝ているあいだ、きみとジャックは、ザブリスカとズウィルニクについて、働かなければなるまい――彼はきみにレンズで連絡するだろう。情報をえたら、きみが最善と考えるようにやりたまえ。かかれ!」彼は将校車が待っているほうへ歩き去った。
「ボスコーン? ズウィルニク?」ジルはたずねた。「どういう意味なの? なんのことなの、ジャック?」
「われわれにもまだわからない――たぶん、そういう名前の二つの惑星を発見する仕事じゃないかな――」
「ばかばかしい!」彼女はあざけるようにいった。「メース、あなたは筋の通った説明ができて? ボスコーンてなんのこと?」
「単純明瞭な発音しやすい新造語で、確か、バーゲンホルム博士が暗示したものであり――」彼はいいかけた。
「わたしのいう意味はわかるでしょう。わたしはね――」彼女はさえぎったが、ジャックがレンズで鋭い思考を伝達したので、沈黙した。彼の精神接触はごく軽く、やっと会話を可能にする程度だったが、それでも彼女はたじろいだ。
「頭を使うんだ、ジル。きみはちっとも考えていない――だからといって、きみを責めてるわけじゃない。話すのをやめるんだ。このあたりに、読唇術者か、強力な盗聴器があるかもしれない。妙な感じがするんだよ、そうだろう?」彼は精神的に身ぶるいしながらつづけた。「きみはもう、マティース作戦がどんなものか知っている。自分の受持ちだからね――政治問題のことだ。ズウィルニク作戦は、麻薬、悪習その他だ。ボスコーン作戦は、宇宙海賊だ。スパッドが受け持っている。ザブリスカ作戦はメースとぼくの受持ちで、サブ・エーテル内でのある奇妙な妨害現象を点検しているのだ。メース、ジルの心にはいって、きみの仕事をやりたまえ――あとで、船で会おう。さよなら、ジル!」
若いキニスンの心は彼女の心の周辺から消滅し、ノースロップの心が現われた。すると、なんという相違だ! 彼の心は、ジャックの心と同様慎重に彼女の心に接触し、すこしでも私的な思考にぶつかれば、ただちに退却できるようにしていた。しかし、ジャックの心は、はじめから彼女の心を逆《さか》なでしていた――ところが、メースの心はそうでなかった!
「さあ、そのズウィルニクの作戦について教えてちょうだい」ジルが口をひらいた。
「そのまえに、ほかのことがある。ぼくは気づかないわけにいかなかったんだが、あそこで、きみとジャックは――そう、正確にいえば、場ちがいでも時ちがいでもないが、いくらか――そう、まるで――」
「『狩りたてている』みたいっていうの?」彼女は指摘した。
「いや、そうでもない――『強制している』といったほうがいい――まるで、強固なビームが反発して分裂しようとするのを押しつけているみたいだ。じゃあ、きみ自身もそのことに気づいているのかい?」
「もちろんよ。でも、こうなるのは、ジャックとわたしのあいだでだけなんだと思うわ。黒板を爪でひっかいているみたいな感じ――がまんはできるけど、やめたくてたまらないわ――でも、わたし、ジャックが好きなのよ――離れていればね」
「ところが、きみとぼくは、正確に同調された回路みたいにぴったりしている。すると、ジャックがいったのは、ほんとだったんだ。彼はきみが――つまり、彼が――ぼくはいままでそれを完全には信じなかったけれど、もし――もちろん、きみは自分がこれまでに、ぼくにどういう態度をとってきたかを知っているね」
ジルの精神障壁はいっぱいに張りめぐらされた。彼女は眉をそびやかして、声を高めた。「あら、ちっともわからないわ!」
「もちろんわからないだろう。だから、きみは声を使っているのだ。ぼくも、自分の心で嘘をつくことはできないということがわかった。ぼくは目の前に山ほど仕事をひかえているので、気が気じゃないが、きみは何かいってくれなきゃだめだ。そうすれば――きみがなんといおうと――ぼくは全力をあげて仕事にぶつかれる。ぼくは、宇宙服なしに惑星間宇宙にほうり出されるような返事を聞かされるのかい、それとも、ちがう?」
「わたし、そうは思わないわ」ジルはさっと顔を赤らめたが、声はしっかりしていた。「あなたは、宇宙服を着て、他の惑星――他のゴール――に到達するのに充分な酸素を供給されるだけの資格があるわ。でも、わたしたち、もう仕事にとりかかったほうがいいと思わない?」
「そうだね。ジル、ほんとにありがとう。ぼくは自分がひどく本筋をはずれたことをしゃべっているのを知っている――だが、知らずにいられなかったんだ」彼は深いため息をついた。「ぼくの望みはそれだけだ――今のところはね。精神障壁を除去したまえ」
彼女は障壁を低めたが、こんどはそうするのがひどく容易なのを知った。父といっしょにいるときにいつもすると同じくらい低めることができた。彼は四つの作戦について自分が知っているすべてのことを、瞬間的に思考で伝達して、結論を加えた。
「ぼくは、ザブリスカ作戦を継続的に受け持つわけではない。きみのおとうさんが戦列に復帰したら、ぼくはきみといっしょにマティース作戦を受け持つことになるだろう。ぼくはどちらかといえば、連絡員として行動するはずだ――ノボスもダルナルテンも、きみにレンズで思考を伝達するほどよくきみを知らないからね。そうだろう?」
「そうよ。わたし、ノボス氏には一度しか会ったことがないし、ダルナルテン博士には、一度も会ってないわ」
「レンズを通じて彼らに会見する準備はできているかい?」
「できてるわ。やってちょうだい」
ふたりのレンズマンの心がはいってきた。それらは、彼の心にはいったが、彼女の心にははいらなかった。しかし、彼らの思考は、ノースロップの思考に映《うつ》されて、まるで四人が顔をあわせて話しているかのように明瞭に、彼女の心にはいってきた。
「なんて〈へんてこな〉感じでしょう!」ジルは叫んだ。「まあ、わたしこんなこと、想像もしなかったわ!」
「ミス・サムス、あなたをわずらわして恐縮です――」ジルはあらたにおどろかされた。彼女の心の奥にひびく沈黙の声は、火星人独特の音色をおびてはいた。しかし、どんな火星人がどれほど苦心して英語をしゃべっても、かならずといっていいほど粗雑な喉子音やシューシューいう歯擦音《しさつおん》があらわれるのに、この発音は完全無欠なのだった。
「あら、わたし、そんなつもりでいったんじゃありませんわ。ほんとに、ちっともわずらわしいことなんかありません。ただ、こういう精神感応にまだ慣れていないだけです」
「われわれはだれも、目だつほど慣れている者はありません。しかし、このような訪問をした理由は、ズウィルニクについてのわれわれのごくわずかな知識に、あなたがどれほどわずかでも新しい知識をつけ加えることができないかどうかをうかがうためです」
「ほんのわずかじゃないかと思います。そのわずかなものも、大部分は想像、推定、飛躍的結論なんです。父はあなたがたに、わたしが工作した方法を話しましたでしょう?」
「聞きました。正確なデータは期待するのがむりです。ヒント、指摘、考えられる手がかりといったものだけで、はかり知れないほど価値があります」
「では、お話ししますわ。わたし、ヨーロッパ大使館のパーティで、オスメンという名の、とても背が低くて、とても太った金星人に会ったのです。おふたりのうちどちらか、その人をご存知ですか?」
「わたしは知っています」金星のダルナルテンが答えた。「とても有名な商人で、地球上に多大の株を保有しているので、大部分の時間を地球ですごさなければならないのです。彼は、われわれのどのブラックリストにものっていません――もっとも、その事実には、なんの不思議もありませんがね。つづけてください、ミス・サムス」
「彼はモーガン上院議員といっしょにパーティにきたのではありませんが、その夜、モーガンとある種の協定を結びました。そして、わたしはその協定がシオナイトに関係があると信じています。わたしが知っている新しい情報はそれだけですわ」
「シオナイト!」三人のレンズマンは異口同音におどろいた。
「そうですわ。シオナイトです。まちがいなしにね」
「この点について、どのくらい〈確信〉していらっしゃるのですか、ミス・サムス?」ノボスは、きわめて熱心にたずねた。
「その協定がシオナイトに関係があるということを〈確信〉しているわけではありません。でも、十中九まではその可能性があります。けれど、モーガン上院議員とオスメンがシオナイトについてたくさんのことを知っていて、それをかくしたがっているということについては、確信がありますわ。どちらもとても高い陽性反応を示しました――六シグマ・ポイント以上の確率です」
ちょっと思考が中断した。やがて火星人が沈黙を破ったが、その思考は、三人のだれにむけられたものでもなかった。
「シド!」彼は呼びかけた。ジルでさえ、レンズを通じて思考が突進するのを感じた。
「ノボスかね? フレッチャーだ」
「きみが小惑星《アステロイド》ベルトでおさえた例の獲物《えもの》のことだが。ヘロインとハディヴとラドリアンだったね? シオナイトはどこにも含まれていなかったね?」
「シオナイトはなかった。しかし、ギャングの一部が逃走したことを忘れてはならない。だから、わたしに確実にいえるのは、われわれがシオナイトについて見も聞きもしなかったということだけだ。もちろん、噂はあったが、そんなものはいつでもあるからな」
「もちろんだ。ありがとう、シド」ジルは、火星人のきらきら光る精神装置が旋回して、カチッと音をたてるのを感じることができた。それから、彼は金星人と閃光的に思考を交換しはじめたので、彼女は数秒間そのあとをつけられなくなってしまった。
「ミス・サムス、もう一つ質問があります」ダルナルテンがたずねた。「あなたは、オスメンまたはモーガンと恒星間宇宙交路会社の職員または取締役のだれかとのあいだに、なんらかの連絡があるかもしれないという形跡を探知しませんでしたか?」
「宇宙交路ですって? アイザークスンの?」ジルは息をのんだ。「まあ――思いもよらぬことですわ――少なくとも、だれもそんなことをわたしにいった者はありませんわ――わたし、そんなテストをすることは、考えてもみませんでした」
「ちょっと前、あなたがシオナイトのことをおっしゃったとき、わたしはその可能性に思いあたったのです。もし何かの関係が存在するとしても、それを追求することは、きわめて困難でしょう。しかし、すべての政党ではないまでも、大部分の政党は、あなたのマティース作戦に包含されており、積極的証拠でも消極的証拠でも、きわめて有意義なのですから、あなたがこの点を心にとめておいてくださるように、あえてお願いします」
「もちろんですわ。喜んで」
「あなたのご好意と援助を感謝します。あなたの個性の精神パターンがわかりましたから、われわれのどちらか、または両方が、ときどきあなたと連絡します。不死の神グロロッセンが、あなたのお父上の傷をすみやかにいやしたまわんことを」
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その夜おそく――というより、翌朝ごく早く――モーガン上院議員と彼の第一秘書とは、二重にスパイ光線防御装置をほどこしたモーガンのオフィスで、密談していた。モーガンの太って重苦しい赤ら顔は、ふだんの血色をいくらか失っている。左手の指は、デスクの表面のガラス板を音もなくたたいている。しかし、彼の狡猾《こうかつ》なグレーの目は、いつもと同様に鋭く、抜け目がなかった。
「こいつはくさいよ、ハーキマー――ぷんぷん匂ってる――だが、わしには、まったくわけがわからん。あの作戦は、慎重に〈計画された〉のだ。絶対に失敗するはずがなかった。最後の瞬間まで、完全に進行していた。それから――おじゃんだ! 完全な失敗だ。パトロール隊が到着して、万事がその支配下におかれた。どこかで秘密が洩れたにちがいない――だが、いったいどこで洩れたんだ?」
「洩れたはずはありませんよ、ボス。それでは筋が通りません」秘書は組んでいた長い足をほどき、逆に組みなおしてから、半分吸ったシガレットを捨てて、別のをつけた。「もし秘密が洩れていれば、下級の暗殺員が殺されるだけではすまなかったでしょう。ご存知のように、ロッキー・キニスンは、地獄のこっち側では、いちばん食えないやつです。もしやつが何か知っていれば、あなたやわたしも含めて、目につくかぎりの者を、みな殺しにしていたでしょう。そればかりでなく、もし秘密が洩れていたとすれば、彼はサムスをあの場所から、一万マイル以内には接近させなかったでしょう――それは確かです。もう一つ確かなのは、万事が終わるまで待たずに、軍隊を到着させただろうということです。ボス、秘密が洩れているはずはありません。サムスかキニスンが何かをかぎつけたにしても、あの場でのことにちがいありません――おそらく、サムスでしょう。やつは、キニスンよりずっとスマートですからね。やつらは、ブレイナードが銃を抜きかけるのを目撃したにちがいありません」
「わしもそう思った。一つの事実がなかったら、その意見に賛成するだろう。おまえは、銃の発射とタンクの到着とのあいだの時間を計らなかったらしいな」
「残念ですが、ボス」ハーキマーの顔は無念そのものだった。「あれはひどいへまでした」
「そうだ、ひどいへまだった。一分五十八秒だ」
「なんですって!」
モーガンはだまっていた。
「もちろん、パトロール隊の行動は迅速《じんそく》です――そして、いつも出動準備ができている――重兵器の運搬は、自分たちの力ではなく牽引ビームでおこなう――だが、それにしても――五分はかかるでしょうね、ボス。最小限四分半」
「そのとおりだ。すると、どういう結論になるかね?」
「おっしゃる意味がわかりました。しかし、どういう結論にも到達できません。ただ、これだけのことははっきりしています。一連の事実によって、事前に秘密が洩れたことは確かであり、それは暗殺の合図が発せられるより二分半から三分くらい前に起こった。しかし、ボス、これで筋が通りますか?」
「通っていない。それで困っているのだ。おまえもいうように、事実と事実が矛盾しているように思われる。事件が起こるまえに、だれかが何かをかぎつけたにちがいない。しかし、そうだとすれば、なぜそれ以上の手を打たなかったのか? それから、マーガトロイドだ。もしやつらが彼のことを知らなかったら、なぜ宇宙船――とくに大型戦艦――を呼んだのか? そして、もしやつらが彼の船がどこかそのあたりにいると考えたなら、なぜ突きとめなかったのか?」
「そこでわたしにも質問があります。われわれのマーガトロイド氏は、なぜ何もしなかったのですか? それとも、海賊艦隊はこの問題に介入しないことになっていたのですか? おそらくそうでしょうね」
「わしの推定もおまえのと同じだ。ひとりで遂行する作戦、とくにこのように巧妙に計画されたものを、艦隊で支援する理由は考えられない。だが、われわれには関係のないことだ。こちらに関係があるのは、あのレンズマンたちだ。わしは一秒もぬからずにやつらを監視していた。サムスもキニスンも、あの二分間のあいだ何もしなかった」
「若いキニスンとノースロップは、どちらもそのころにホールから出て行きました」
「知っている。あのふたりは確かにホールから出ていった。あのどちらかが、パトロール隊を呼んだのかもしれん――だが、それが、バレリア星での牛肉のC・I・F価格となんの関係があるのかね?」
ハーキマーは、この荒っぽい質問をさりげなく受け流した。モーガンは数分間デスクを指でたたきながら考えていたが、やがてゆっくりつづけた。
「可能性は二つ、そして二つしかない。どちらも、はなはだありそうもないように思われる可能性だ。秘密が洩れた原因は、レンズかあの娘だった――そうだったにちがいないのだ」
「あの娘ですって? 考えてもごらんください、上院議員。わたしは、彼女がどこにいて何をしていたかを、はじめからおわりまで知っていました」
「それはわかってる」モーガンは、デスクをたたくのをやめて、皮肉に微笑した。「わしはおまえがあの娘をいつものように料理できんで、料理されているのを見ると、愉快でならんよ」
「そうですか?」ハーキマーの整った顔が固くなった。「あのゲームは、まだ終っていないですよ」
「それは〈おまえ〉の考えさ」上院議員はあざけった。「ハーキマーにたらしこまれない女がいるのを信じられないのか、ええ? いつもなら、六時間で女をくどきおとすところを、あの娘にはもう六週間もひっかかっているのに、まだなんの戦果もあげておらん」
「あげてみせますよ、上院議員」ハーキマーの鼻孔ははげしくふるえた。「なんとかしてあの娘をモノにしてみせます。どれほどやりにくいとしてもです」
「わしはおまえがモノにできんということで、八対五で賭けよう。六ヵ月が限度だ」
「五千信用単位で引き受けます。しかし、なぜあなたは、あの娘を警戒する必要があると思われるのです? 彼女は確かに熟練した心理学者ですが、わたしだってそうです。しかも、わたしは彼女より年長で、経験をつんでいます。すると、残りは例のヨガ修行だけです――彼女は、足を組み合わせてすわり、自分のへそを見つめながら、無限と同化しようと努める修行をしています。そんなもので、彼女がわたしに比肩《ひけん》できると思われるのですか?」
「そうは思わん。何もかも筋が通らない。だが、彼女はバージル・サムスの娘だ」
「それがどうしたのです? あなたは、ジョージ・オルムステッドを排斥《はいせき》なさらなかった――彼を拾いあげて、われわれの仕事のうちでもっとも困難な仕事をやらせました。血縁関係からいえば、やつらはバージリアと同じくらいバージル・サムスに近いのです。彼らは一つの卵からかえったといってもいいほどなのです」
「肉体的にはそうだ。しかし、精神的、心理学的には、そうではない。オルムステッドは現実主義者で、物質主義者だ。彼はあの世ではなくこの世での報酬を望んでいて、それを獲得するために働いている。そればかりでなく、彼はあの仕事で死ぬだろうし、死ななかったとしても、責任のある地位や、何かについて多くの知識をえられる地位にすえられることはない。いっぽう、バージル・サムスは――いや、〈やつ〉がどんな人間かを、おまえに説明する必要はない。しかし、おまえは、彼女が父親にそっくりということを理解していないらしい――彼女がおまえのまわりをたわむれているのは、おまえの圧倒的な魅力のせいではないのだぞ――」
「聞いてください、ボス。彼女は何も知らなかったし、何もしませんでした。わたしは、彼女とたえずおどっていました。こんなに接近して」と彼は両手をしっかり握り合わせた。「ですから、わたしは自分が何を話しているか心得ているつもりです。ですから、彼女がわたしから何かを探知できたとお考えなら、とんでもないことです。あなたもご存知のように、地球をはじめ、どこのどんな生物も、わたしの顔の表情を読むことはできません。それに、彼女はあのとき、はにかんだふりをしていました――わたしの顔さえ見ませんでした。ですから、彼女は除外してください」
「そうせざるをえないようだな」モーガンは、また音もなくデスクをたたきはじめた。「あの娘がおまえから情報をさぐりだした可能性がすこしでもあれば、わしはおまえを鉱山に送ってしまう。だが、その痕跡《こんせき》はまったくない――そうなると、残りはレンズだ。レンズのほうが娘よりくさいということは、はじめからわかっていた――だが、それは娘よりもっと架空的だ。レンズについて、何か新しいことがわかったか?」
「わかりません。わかっているのは、やつらが宣伝していることだけです。無線電話、自動言語変換器、精神感応器その他の作用の結合したものだというのです。警察組織の精鋭中の精鋭が着用するバッジだというのです。しかし、わたしはあのホールのフロアで考えついたのですが、やつらは自分が知っているレンズの機能を、全部公表していないのではないでしょうか」
「わしもそう思った。話してみろ」
「事件の三分前の状況を考えてごらんなさい。五人のレンズマン――それから、ジル・サムス――のほかに、現場は高級将校でいっぱいでした。地球その他の植民惑星の連合政府からきた提督、副提督たちは、いずれも盛装用の武器を身につけていました。そのときには、だれも暗殺計画を知りませんでした。その点では、われわれの意見は一致したわけです。しかし、それから数秒のうちに、だれかが何かを発見して、救援を求めたのです。レンズマンのひとりが、形跡を示さずに、それをやってのけることはできたでしょう。
しかし――事件の瞬間には、四人のレンズマンが全部拳銃を抜いていました――ルーイストン式光線銃ではなかった点にご注意ください――そして射撃したのです。ところが、その他の武装した将校たちはだれも、万事が終わってしまうまで、何が起こっているかを知らなかったのです。したがって、レンズがくさいということになります」
「わしもそう考えた。しかし、やはり疑問は残る。どのようにして秘密を察知したのか? 読心術か?」
「とんでもない!」ハーキマーは鼻を鳴らした。「わたしの心は読めませんよ」
「わしの心もそうだ」
「それに、もしやつらが心を読めたとすれば、最後の瞬間まで待たずに先手を打ったでしょう――そうだ、待ってください――ブレイナードは、最後の瞬間近くに、神経質な行動や表情を示しましたか? ご存じのように、わたしは彼の様子を見ないことになっていましたからね」
「たしかに神経質にはなっていなかった。だが、ちょっと緊張していた」
「では、そのせいです。やとわれの殺し屋はスマートではありません。ひとりのレンズマンが彼の固くなっているのを見て、疑いを起こしたのです。そして、一般原則にしたがって、警報を発し、他のレンズマンにいつでも行動を起こせるように注意したのです。しかし、そうだとしても、読心術らしくはありません――読心術だったら、もっとはやく彼を殺したでしょうからね。やつらは油断もすきもなくて、拳銃を抜くのが恐ろしく速いのです」
「そうかもしれん。わしがこれまでぶつかったうちで、いちばんうすっぺらで、もっともらしい弁解だが、事実にあてはまることは確かだ――そして、われわれふたりは、それでがまんできるが――しかし、気をつけろよ、色男。ある政党は、これではまるで納得せんだろう。事実、彼らはひどく腹を立てるにちがいない」
「そいつは、ごく内輪な評価ですな、ボス。しかし、この弁解には、一ついいところがありますよ」ハーキマーは狡猾ににやりと笑った。「こうすれば、ビッグ・ジム・タウンに責任をなすりつけられます。暗殺者にそんな弱虫を選んだということで、彼をとっちめることができます――そして、そうすることにしましょう!」
堅固に装甲された即席病院車の中で、バージル・サムスは起きあがって、友人のキニスンに思考を向けた。すると相手の心がはげしく混乱しているのに気づいた。
「どうしたんだ、ロッド?」
「がまんならん!」大男のレンズマンは憤然として答えた。「やつらは、とほうもなくわれわれの先を越していた――おそらく、いまもそうだろう。われわれが思いもよらない陰謀が、進行していたのだ。わしはまるで三歳の童女みたいに無邪気に突っ立ったまま、きみをその罠《わな》に踏みこませた――あんなふうに裏をかかれるのは、まったく腹が立つ。とびあがりたいくらいだ。これで事件はすっかりすんだかもしれんが、そうでないかもしれん――まるっきりそうでないかもしれん――だから、わしは次に何が起こるか、予想を立てようとしているのだ」
「で、どういうことを推定したね?」
「何もわからん。行き詰まりだ。だから、きみにまかせよう。それに、きみは頭を使うことで給料をもらっているのだからな。頭を使ってくれ。きみがやつらだったら、次はどんな手を打つかね?」
「わかった。では、きみは宇宙空港へもどるのに時間をかけてはまずいと考えているのだな?」
「そのとおり。だが――きみは移送にたえられるかね?」
「もちろんだ。包帯を肩に巻いて、腕を吊ってもらった。ショックはほとんど消えた。いくらか痛いが、大したことはない。歩いても倒れないよ」
「けっこうだ。おい、クレートン!」キニスンは活発な思考を伝達した。「観測員のだれかが、上空か遠方に何かを探知したか?」
「何も探知していません」
「よろしい。キニスンより、クレートン司令官へ命令。ヘリコプター一機を降下させて、サムスとわしを牽引ビームで拾いあげさせる。ボイス号と巡洋艦に指示して、厳重な警戒態勢を取らせる。シカゴ号に指示して、われわれを拾いあげさせる。シカゴ号とボイス号をきみの機動部隊から分離して、わしの指揮下におく。以上、おわり」
「クレートンより、キニスン長官へ。命令を受領して遂行中。おわり」
移送は無事におこなわれた。二隻の超大型戦艦は成層圏へ飛躍して、西方へ突進した。〈丘〉へ半分ほどきたところで、キニスンはフレデリック・ロードブッシュ博士に呼びかけた。
「フレッドかね? キニスンだ。クリーブとバーゲンホルムを、われわれと精神的に結合させてくれ。ところで――〈丘〉の外側では、ガイガー計数器はどんな反応を示しているか?」
「全部正常です」物理学者レンズマンは、しばらくして報告した。「なぜですか?」
キニスンは、ついさっきの事件をくわしく報告した。「だから、〈丘〉にあるすべての兵器を戦闘配置につけてくれ」
「なんということだ!」クリーブランドは叫んだ。「では、恒星間戦争の時代に逆もどりですか!」
「一つ、はっきりした相違がある」キニスンは指摘した。「攻撃があるとすれば、それは完全に最新式の攻撃だろう。しかし受けとめることができると思う。一ついいことは、〈丘〉が多大の質量を持っている点だ。どのくらいの放射能に耐えられるかね?」
「同素鉄ですか、ウラニウム二三五ですか、プルトニウムですか?」ロードブッシュは計算尺を取りながらきいた。
「どういう相違があるのかね?」
「実際的見地からすれば――ほとんどないでしょう。しかし、機動部隊が防衛していれば、それほど多くの爆弾が通過できないでしょう。ですから――」
「わしは、爆弾についてはそう心配していない」
「では、なんです?」
「アイソトープだ。濃密なアイソトープ塵の幕だ。速度がおそく、微細な粉末だから、われわれの船も〈丘〉の防御スクリーンも処理しようがない。第一に決定しなければならないのは、バージルが〈丘〉の中にいるのと、シカゴ号に乗って宇宙にいるのと、どっちが安全かということ。第二は、どれくらいの時間がかかるかということだ」
「わかりました――わたしの判断では〈丘〉の下にいらしたほうが安全だと思います。アイソトープにしてもこれほど深くまで到達するには、何ヵ月、おそらく何年もかかるでしょう。それに、〈いつでも〉外へ出られます。丘の表面がどれほど熱せられても、われわれには充分の防御スクリーン、重水、カドミウム、鉛、水銀、その他必要なものがそろっていますから、バージル閣下を無事に気密境界《エアロック》から通過させることができます」
「きみがそういうだろうと期待していた。ところで、防御のことだが――どうかね――みんなに、わしがヒステリックになっていると思われたくないが、また不意打ちをくらわされてはたまらんからな――」彼の思考はとぎれた。
「意見を述べてもよろしいですか、閣下?」バーゲンホルムの思考が、長い沈黙をやぶった。
「大歓迎だ――きみの意見は、これまでも、はったりだったことはない。また、虫の知らせかね?」
「いや、閣下、論理的帰結です。最後に非常呼集演習がおこなわれてから、何ヵ月かたっています。いまそういう呼集をやって、何も起こらなかったとすれば、これも不意打ちの演習だということができます。そして、もっとも優秀な部隊は表彰《ひょうしょう》して、進級させるか、一時的な賞をあたえ、劣った部隊はさらに訓練して、訓戒するのです」
「すばらしいぞ、バーゲンホルム博士!」サムスの明晰で機敏な心が、その思考をひったくってつづけた。「それに、これは絶好の機会だよ、ロッド。全大陸演習はおろか、全地球演習よりはるかに大規模で、重要な演習だ――これを、銀河パトロール隊の最初の作戦にしよう!」
「そうしたいところだがね、バージ、そうするわけにはいかないよ。わしの部下は用意ができているが、きみはできていない。最高指揮官の任命もおこなわれていないし、最高機関もないからな」
「そんな問題は、ほんの二、三分で処理できる。我々は、心理的効果のある瞬間を待っていたのだ。いまこそ、その好機だ。とりわけ、実際に何か問題が起こった場合にはね。きみ自身、攻撃を受けることを予期しているのだろう?」
「そうだ、わしは、なにごとでも、それをやり終える準備ができるまでは、スタートしたくない。それに、きみを殺そうと計画したのがだれだとしても、そいつが少なくともわしと同程度の戦略家でないと仮定すべき理由もない」
「ほかの者は――? バーゲンホルム博士はどうかね?」
「わたしの推定は、キニスン長官のとぴったり同じというわけではありませんが、結論は同じです。大兵力による攻撃がおこなわれるでしょう」
「ぴったり同じではないって?」キニスンはたずねた。「どんな点でだね?」
「長官、あなたは、ファースト・レンズマン、サムス閣下の暗殺計画が、包括的作戦の第一段階にすぎなかったかもしれないという可能性を、考察しておられないようです」
「わしは――いや、そうかもしれん。では、推進しよう、バージ――」
その思考は終結しなかった。サムスがすでに行動に移っていたからだ。ほとんど同時に他の八人のレンズマンの心が、地球人グループの心に結合した。サムスは、緊張した口調で、声高く友人に呼びかけた。
「いまや、銀河評議会が召集された。ロデリック・K・キニスン、きみは全宇宙にまたがるこの評議会の権威を、全力をあげて支持することを誓うか?」
「誓う」
「銀河評議会の議長であるわたしは、自分にゆだねられた権威にもとづいて、きみを銀河パトロール隊の司令長官に任命する。わたしの同僚の評議員たちは、いま彼らが代表する多大の太陽系の兵力を、銀河パトロール隊に編入しつつある――長くはかかるまい――さあ、指揮官を任命して、動員命令を出したまえ」
二隻の超大型戦艦は、いまや〈丘〉に接近していた。ボイス号は「上空」停止し、シカゴ号は降下した。シカゴ号は着陸してサムスをおろし、ふたたび上空に上昇したが、キニスンはそれらのことにほとんど注意を払わなかった。万事正確に管理されていることを知っていたからだ。彼は船室でひとりになり、いそがしく働いた。
「ただいま銀河パトロール隊に編入された全軍の将兵に告げる!」彼は、練兵場できたえた、よくひびく底力のある声で、超短波マイクを通じて呼びかけた。「司令長官、地球のキニスンより。各員は銀河パトロール隊に忠誠を誓ったか?」
彼らは、誓った、と答えた。
「休め。すでに諸君の手もとにある組織図は、現在をもって有効となる。航行日誌に、日時を記入せよ。昇進。地球、北アメリカのクレートン司令官――」
ニューヨーク宇宙空港のオフィスでは、クレートンが不動の姿勢をとって、きびきびと敬礼した。彼の目は輝き、深い傷跡のある顔は燃えていた。
「――第一銀河区域の司令官に任命する。地球、ヨーロッパのシュヴァイケルト司令官――」
ベルリンでは、きれいになでつけたブロンドの髪と青い目を持った、ほとんどにやけたといってもいい外見の、腰のひきしまった男が、腰から上を折って、きちんと敬礼した。
「――第一銀河区域の副司令官に任命する」
こうして、リストが下へ進んでいった。太陽《ソル》系の司令官と副司令官、太陽《ソル》系第三惑星の司令官と副司令官。これらの昇進は、ずっと前に予定されていたもので、上級者の昇進によってあいた席を埋めるためだった。
それから、他の惑星の司令官のリストになった――火星のレッドランドのギンドロス、金星のタレロンのセフセン、木星の準太陽系のレイモンド、アルファセントのニューマン、シリウスのウォルタース、バレリアのヴァンミーター、プロキオンのアダムズ、アルテアのロバーツ、フォマルホウトのバーテル、ヴェガのアーマンド、アルデバランのコイン――彼らはいずれも、事実上一つの惑星軍の司令官だったが、あらためてそれぞれの惑星の司令官に任命された。
「副司令官以上は、心をわしに同調せよ――その他は別れ!」キニスンは口で話すのをやめて、レンズで思考を伝達した。
「いまのは、記録用の発言だ。わしがこうすることができたのをどれほど喜んでいるかは、諸君に告げるまでもない。諸君はいずれも最高指揮官だ――いざというときには、甲乙をつけがたいほど頼りになる――」
「その言葉は、そのままあなたにあてはまります、閣下!」
「ロッド、あなたもそのとおりです!」
「ロッキー・ロッド、司令長官!」
思考の波が押しよせた。彼が多くの危険や困難をともにわけあったこのすばらしい男たちは、小学生のように歓喜にあふれていた。
「しかし、こうしたことを可能ならしめた状況は同じく、われわれの活動を要求して、きみたちに星をかせがせることになるかもしれない」キニスンは思考の波をおさえ、状況を概括的に説明して、結論をくだした。「したがって、これはただの演習になるかもしれない――しかし、そのいっぽう、敵の徒党は、その気になれば、自力で一艦隊を建造できるほど有力だし、予想外な第一級の支援を受けているかもしれん。そこで、われわれがこれまで経験したこともないような激戦が起こる可能性もある。したがって、〈あらゆる〉事態にそなえてくるのだ。これからは、記録できるように、声で伝達する。
キニスンより、銀河パトロール隊の全艦隊、支艦隊、機動部隊の指揮官に告げる。情報を伝達する。主題は戦術問題。規模、攻撃力、構成および国籍の不明な敵艦隊が、未知の方向より未知の時間に攻撃してくるのに対し、〈丘〉を防衛する。
キニスンより、クレートン司令官へ。命令。指揮を引きつげ。わしはボイス号とシカゴ号の指揮を引き渡す」
「クレートンより、キニスン司令長官へ。命令受領。指揮を引きつぎます。わたしはシカゴ号の右舷主要出入口におります。この軽艇の指揮官マスタースン少尉に指示して、閣下を〈丘〉にお連れするために待機させてあります」
「なんだと? ばかな――」
これは思考で、記録されなかった。
「お気の毒です、ロッド――まったくお気の毒です。わたしも、あなたをシカゴ号にお乗せしておきたいのは山々なのですが」これも思考だった。「しかし、これが正当な処置です。通常の司令官は、艦隊と同行しますが、司令長官は地上にとどまるべきです。わたしは閣下に報告し、閣下はリモート・コントロールで、指揮を――全般的に――とられるべきです」
「わかった」キニスンはそこで憤然たる思考をサムスに伝達した。「アレックスは、わしにこんな処置をすることはできん――しようとはせんはずだ――そして、もしそんなことをする勇気があったとしても、わしが彼を焼き殺しかねないことを百も承知だ。だから、これは、〈きみ〉のさしがねだ――いったいどういうつもりなんだ?」
「こんどは、だれが血気にはやっているのかね、ロッド?」サムスは冷静にたずねた。「こんどは、〈きみ〉が頭を使う番だ。そして、きみの持場であるここへおりてくるんだな」
キニスンは、しばらく心の中で戦ったあげく、精いっぱい自分をおさえておりてきた。パトロール隊の通常のオフィスどころではなく、いちばん下の地下室までおりたのだ。彼は、はじめのうちむっつりしていたが、なすべき仕事はうんとあった。大艦隊総司令部――〈彼の〉総司令部――が組織されつつあり、すでにきわめて強固な〈丘〉の防御を、いやがうえにも強力にするために、三つの惑星のなかでもっともすぐれた心の持主と、最良の技術者たちが、全力を投入していた。そして、いくらもたたないうちに、GFHQ(大艦隊総司令部)の映像盤は、クレートン司令官とシュヴァイケルト副司令官が、きわめてすぐれた手腕を発揮していることを示した。
真に強力な戦艦はすべて、地元の地球のもので、すでに配置についており、火星、金星、木星からきた、はるかに小規模な分遣艦隊も、位置についていた。そして、他の太陽系の諸艦隊――軽艇、偵察艇、少数の軽巡洋艦――は、編隊も組まず、コースを太陽《ソル》に向けてもいなかった。そうではなく、個々の船は、太陽系全体を光年単位の距離で包囲する隊形の一単位となるような位置へ、全速力で突進していった。そして、それらの突進して行く何百隻の船は、いっぱいに展開した探知ビームで、周囲の宇宙を文字どおり、シラミつぶしに探知していた。
「いいぞ」キニスンは、マスター映像盤の前で、自分のわきにいるサムスをふりむいた。「わし自身でも、これ以上はできなかったろう」
「これがすんだあとで、何も起こらなかったら、どうするつもりだね?」サムスはまだ多少懐疑的だった。「演習をどのくらいつづけられるんだ?」
「必要とあれば、若い少尉たちがみんな灰色のひげをはやすようになるまででもつづけるが、心配することはない――あの偵察艇が球形編隊をつくるまで何も起こらなかったら、わしは太陽系を通じて一番ぶったまげる男になるだろうよ」
そして、キニスンはぶったまげずにすんだ。完全な球体が形成されるまえに、一つのラウド・スピーカーが声を発したのだ。「旗艦シカゴ号より、大艦隊総司令部へ!」スピーカーは鋭く叫んだ。「敵艦隊を探知しました。RA十二時、赤緯プラス十二度、距離約三十光年!」
キニスンは何かいいかげたが、強《し》いて自分をおさえて、口をつぐんだ。彼は指揮を引きついで、部下に何をなすべきかを指示したいと切望したのだが、そうするわけにはいかなかった。彼はいまや総司令官なのだ――なんたる不運か! 彼は広汎な政策や一般的戦略を担当できるし、またそうすべきなのだが、それらの真に重大な決定がなされたのちは、具体的な仕事は、他の者たちによっておこなわれねばならない。彼には気にくわないことだ――しかし、そうあるべきものなのだ。こうした思考には、ほんの一瞬しかかからなかった。
「――これは極限の探知距離なので、兵力や構成はいまのところ判定できません。ひきつづき連絡をたもちます」
「了解」彼は、五本の銀線のはいった少佐の制服をつけている主任通信将校のランドルフに命じた。「指示なし」
彼は映像盤をふりむいた。クレートンに偵察隊を後退させるように命ずる必要はなかった。全偵察艦は、太陽と地球へむけて、全速力で突進していた。三つの一般的作戦が、参謀によって立案されていた。どの作戦にも長所があった――そして短所もあった。エイコーン作戦――長距離作戦――は、十二光年くらいの距離で交戦しようというものだ。敵の全兵力、とくに大型戦艦を〈丘〉へ接近させず、自動兵器を無効にしてしまう――ただし、大型戦艦が突破するか、自動兵器が思いがけないコースで侵入するか、その他の兵器が用いられるかしなければ、の話だ――それらのどの場合でも、〈丘〉はどんな恐るべき敗北をこうむることだろう!
キニスンは、自分の思考をたどっていたサムスにむかって苦笑しながらいった。「物質も破壊的交戦も通過できない、スミレ色の光の巨大な半球か」
「そうだ、その献辞《けんじ》は、いささか派手だが、まったく真実だった――同素鉄と多周期ドリルができるまではね。いまわたしはもう一つの献辞を引用しよう。『変化以外に永久的なものはない』というのだ」
「ふむ」そしてキニスンはまた思考をつづけた。アダック作戦は、中距離作戦だ。ふむ。参謀の中には、これを理想的な解決と考えているものもあるが、彼としては前も今も気にくわない。妥協的解決だ。他の二つの作戦の短所をすべて持っているくせに、どちらの長所も持っていない。これもやはりうまくない。敵艦隊がまったくとほうもない編成を持っているのでなければ、アダック作戦は問題にならない。
バージル・サムスは、しずかにシガレットをふかしながら、心の中で微笑した。ロッド・ザ・ロック(頑固なロッド)がなんらかの妥協策を選ぶことは、ほとんど考えられない。
そうなると、あとはアフィック作戦だけだ。近距離作戦である。これには、三つの大きな長所がある。第一は、〈丘〉自体の攻撃兵器だ――破壊されないかぎり使用できる。第二は、新式のロードブッシュ・バーゲンホルム式力場だ。第三は、隠密攻撃があればかならず探知して妨害できるという点だ。しかし、一つ大きな短所がある。何かの新兵器が多量に防御網を突破するかもしれない。超高速推進器、多周期ドリル、惑星全体を震動させるに充分なほど強力な核弾頭をそなえた自動兵器、ロボット、誘導弾などである。
しかし、あの新式の防御力場があるから、惑星全体を震動させる程度の破壊力では不十分だろう。バージル・サムスにとどくほど深く破壊するためには、ほとんど地球を破壊しなければならないだろう。そんなに強力な爆弾を製造できるものがいるだろうか? そうは思えない。地球の技術は、これまでに知られている全宇宙を通じて最高だし、地球の科学者の中でも北アメリカの科学者は、つねに先頭を切っている。
敵艦隊が基本的には北アメリカ人だと仮定しよう。さらに仮定をすすめて、彼らがアドリントンのようにすぐれた科学者を持っているとしよう――あるいは、彼らがアドリントンの頭脳、研究室、工場をスパイ光線で探知できたとしよう――その場合でも、惑星を破壊できるほど強力な爆弾をつくることはむりだ。アドリントン自身、あと数ヵ月しなければ、惑星破壊爆弾を完成できない。しかも、その爆弾は地下百マイルくらいまで送りこんでから爆発させなければならないのだが、それは容易なことではない。キニスンはサムスをふりむいた。
「アフィック作戦にきめよう、バージ。ただし、敵艦隊の編成が、これまで見たこともないほど極端に型破りでなかった場合だ」
「そうきめたかね? わたしはそれほど意外とは思わんね」
冷静な叙述と、それと同様に冷静な返答は、このふたりの男の親密な関係に特有のものだった。キニスンは助言を求めなかったし、サムスもそれを提供しなかった。キニスンは事実を分析したのちに、決断をくだした。サムスは、その決断があたえられたデータの範囲では最良のものであることを確信していたので、質問や批判なしにそれを受け入れたのである。
「まだ一、二分はある」キニスンはいった。「やつらの接近コースをどう解釈したものか、まるでわからん、髪の毛座を通過している。あのへんのことはなにも知らないが、きみはどうかね? やつらは遠まわりしたのかもしれん」
「わたしも知らん」サムスは眉をひそめて考えこんだ。「おそらく、遠まわりだろう」
「そのとおり」キニスンはランドルフをふりむいた。「なんでも知っていることを報告するように通報しろ。もう待っておれん――」
彼が話しているうちに、報告がはいった。
敵艦隊は多少とも正常な編成で、北アメリカ分遣艦隊よりはかなり大きいが、パトロール隊の現在の大艦隊よりは決定的に劣っている。大型戦艦は三、四隻――
「こちらには六隻ある!」キニスンは喜んで叫んだ。「われわれの二隻と、アジアのヒマラヤ号、アフリカのヨハンネスベルク号、南アメリカのボリヴァー号、ヨーロッパのオイローパ号」
――巡洋戦艦と重巡洋艦はだいたい通常の比率だが、偵察艦と軽巡洋艦の比率は、異常に高い。現在の距離でははっきり判別できない大型艦が二、三隻いるが、長距離観測員は目下それを観測中である。
「クレートンに伝達しろ」キニスンはランドルフに指示した。「アフィック作戦を遂行することにするから、その準備にかかるようにとな」
「報告をつづけます」スピーカーがまたしゃべりはじめた。「大型戦艦は三隻で、シカゴ号とほぼ同クラスと思いますが、球型ではなく、涙滴型《るいてきがた》であります――」
「いかん!」キニスンはサムスに思考を伝達した。「おもしろくないことだ。そういう形だと、戦闘力があるうえに、足が速いな」
「――巡洋戦艦も涙滴型。小型艦は魚雷型であります。依然として、等級を明確に判別できない大型艦が三隻あります。球型で非常に巨大ですが、武装も防御スクリーンもないもようで、輸送船らしく思われます――おそらく自動兵器でしょう。われわれはいま接触しつつあります――以上!」
ふたりのレンズマンは、目の前の映像盤をのぞきこむかわりに、クレートンと精神感応状態にはいって、すべてを彼の目を通じて見られるようにした。巨大な円錐形の戦闘隊形がすでに形成されていた。射撃命令が「用意」から「射て!」まで、きっかり二秒の間をおいて発せられた。すべてのパトロール艦のすべての射撃将校は、同時に発射ボタンを押した。巨大な円錐隊形の口からは、太さ数マイルもあるエネルギーの柱がほとばしった。それはきわめて強烈だったので、おぼろげながら目に見えるようにさえ思われたにちがいなかった。まったく形容を絶するすさまじさである。
この円錐の原形である三惑星連合軍《トリプラネタリー》の殲滅《せんめつ》シリンダーは、確かに、きわめて効果的な兵器だった。魚型をしたネヴィア人の宇宙巡洋艦の攻撃用ビームは、さらに強力だった。初代のボイス号が惑星ネヴィアへ向かう長い道中に艦内で開発されたクリーヴランド・ロードブッシュ放射器は、さらにもっと強力だった。しかし、銀河パトロール隊のこの艦隊が放射した合成ビームは、それらの兵器を極限まで改良したものだった。いよいよ知識を増した科学者や技師がくり返して設計し直し、いよいよ技術を増した技術員がくり返し製造し直したものだった。
戦艦や、もっとも大型の巡洋艦は、その恐るべきエネルギーに耐えられる防御スクリーン発生器を積むことができたが、小型艦はこの形容を絶する白熱した、なかば固体のエネルギー柱に捕捉されると、たちまち発光して消滅した。
しかし、射撃命令が発せられる一瞬前――まるで正確に時間を合わせたように、おそらく事実そのとおりだったのだろうが――つねに警戒をおこたらない観測員は、二つの新しい事実を認めた。その結果、新しい第一銀河区域司令官は、行動開始後二、三秒にして、その不可抗的な射撃を中止し、円錐形戦闘隊形を解体した。第一に、例の三隻の謎めいた輸送船は、ビームが到達する前に分解して、何百――いや何千――という小さな物体が、光の何倍ものスピードで、パトロール隊のビームの作用範囲より充分外まで、放射状に外方へ飛散した。第二に、キニスンの予言は適中した。すべて小型船ながら、一団の敵艦隊が――地球のどこかにかくれていたにちがいない――すでに南方から〈丘〉へむかって突進していたのだ。
「射撃やめ!」クレートンは、マイクロフォンへむかって叫んだ。恐るべきビームは消滅した。「円錐隊形を解除! 独立行動をとれ――軽巡洋艦、偵察艦は〈あの爆弾〉を捕捉せよ! 重巡洋艦および巡洋戦艦は、敵の同級艦となるべく二対一の割合で交戦せよ。シカゴ号とボイス号は、敵の一番艦を攻撃。ボリヴァーとヒマラヤは二番艦。オイローパとヨハンネスベルクは三番艦!」
宇宙空間は、電光のように突進し、はげしく交戦する軍艦で満たされた。敵の三隻の超大型戦艦は、同時に前面におどりだした。彼らのビームは、正確に同調されて、もっとも近くにいるパトロール隊の超大型戦艦ボイス号に集中される。このみごとに同調された強烈なエネルギーを浴びて、ボイス号の第一、第二、第三防御スクリーンのみか、防御壁そのものまで、スペクトルにしたがって色を変じ黒色になっていく。
しかし、ボイス号のチーフ・パイロットは敏速だ――きわめて敏速だった――そして、行動の時間は、一秒の何分の一かある。そこで、防御壁が崩壊したとたん、ボイス号は無慣性状態に移行した。ひどく穴をあけられて、戦闘力を失ったが、宇宙から消滅するにはいたらなかった。事実、四十人の要員を失っただけだということが、のちに判明した。
敵はそれほど幸運ではなかった。シカゴ号は僚艦を失ったので、ボリヴァーおよびヒマラヤと協力して、二番艦にビームを集中し、つづいて半秒のちには、他の二隻の超大型戦艦と協力して、三番艦にビームを集中した。そして、このごくわずかの時間のあいだに、敵の二隻の超大型戦艦は、まったく消滅した。
しかし、その二、三秒のあいだに、敵の一番艦はあやうく姿を消そうとしていた! 抜け目のない指揮官は、五対一の劣勢で戦う勇気はまったくなく、全速力で逃走することを命じたのだ。一番艦はすでに地球から六十分の一光年――約千億マイル――のところにいたのだが、いまや全力をあげて遠ざかりはじめたのだった。
「ボリヴァー! ヒマラヤ!」クレートンははげしく叫んだ。「一番艦を捕捉しろ!」彼は追跡に参加したくてたまらなかったが、そうするわけにはいかなかった。現場に残っていなければならないのだ。それに、いまいましがっている時間さえなかった。一瞬のとぎれもなく、彼の口からたてつづけに言葉がとびだした。「シカゴ! ヨハンネスベルク! オイローパ! 残存しているもっとも強力な敵艦を適宜《てきぎ》に攻撃せよ。やつらを撃滅するのだ!」
彼は歯ぎしりした。味方の偵察艦や軽巡洋艦は全力をつくしているが、三対一の劣勢だ――ちくしょう、なんと多数の敵艦が防御網を突破したことだ! 敵は〈丘〉と大型艦のあいだにはさまれているから、長くは持ちこたえられまい――だが、〈丘〉に大損害をあたえるほど長く持ちこたえるかもしれない――パトロール隊の防御網は、ふるいのように穴だらけだ! 彼は宇宙流の悪態を二つ三つ吐きだした。そして、〈丘〉がどのくらい残っているかたしかめるために、こわごわ映像盤を盗み見た。彼は見た――そして、四つの文字からなるアングロ・サクソンの悪態を、途中でのみこんだ。
彼が見たものは、筋が通らなかった。敵の爆弾は、〈丘〉の装甲をまるでネクタリンの皮でもむくようにひきはがして、それを、太平洋からミシシッピ川まで吹きとばしているはずだった。〈丘〉があったところには、深さ一マイルもの穴があいているはずだった。ところが、そうではなかった。〈丘〉はまだそこにあった!
多少縮小していたかもしれない――クレートンは、感覚を麻痺させ、地球全体を震動させる連続的な原子爆発の超白熱的な輻射のために、よく見ることができなかったのだ――
しかし、〈丘〉はまだそこにあった!
そして、彼がその表現を絶した恐るべきスペクタクルを、戦慄《せんりつ》しながら見つめているうちに、致命的な損害を受けた敵の一巡洋艦が、まったく信じられないほどの加速度で、その装甲された〈丘〉に落下した。巡洋艦は、〈丘〉に激突すると、予想されたように貫通もせず、飛散もせず、穴をあけもしなかった。それは、依然として装甲されているように見える〈丘〉のけわしい表面に、薄い層となって、一エーカーばかりにひろがった。
「あれを見たかね、アレックス? よろしい。さもなければ、信じられないほどだ」キニスンの声なき声が伝達された。「味方の全艦に、手を出さないように命じたまえ。〈丘〉の表面のあらゆる点に対して直角方向に、十万G以上の力が作用している。要員は、それをできるだけ減少させようと努力している――距離の三乗から四乗の中間の減少率でな――しかし、それでも、はなはだ強力な力だ。ボリヴァー号とヒマラヤ号の追跡はどうかね? 敵の旗艦を捕捉できるほど運がよくないかな?」
「わかりません。点検しましょう――だめです、閣下。二隻の報告によると、しだいに引き離されて、まもなく足跡を失いそうだということです」
「敵艦の形から見て、そんなことになるのではないかと思っていた。宇宙船にあの形が適当だと判断していたのは、ロードブッシュだけだった――設計をやり直して、あらたに建造しなければならん――」
司令長官キニスンは、以上の思考を伝達してまもなく、椅子の背によりかかって微笑した。戦闘は事実上終了した。〈丘〉は敵の攻撃に耐えぬいた。ロードブッシュ・バーゲンホルム式防御力場は、かつてどんな惑星もこうむったことのないような、またかつて人間の心が考えたこともないような、もっとも恐るべき原子爆弾の連続攻撃から〈丘〉をまもった。そして、カウンター・エネルギーは、内部の岩漿《がんしょう》が水のように流れ出すのを防いだ。これまでは上出来だった。
〈丘〉の基本的装甲は破壊されて、変質していた――何に? 表面から四百フィート奥でさえ、〈丘〉はハンフォーズ式溶鉱炉の反応鉱塊よりもっと熱していた。これを除去するのは、大仕事だろう。何百万立方フィートもの物質を牽引ビームで宇宙へ運びだし、数百年かけて冷やさねばならない。だが、それがどうしたというのだ?
通常の場合なら放射能が拡散するところだが、バーゲンホルムのいうところでは、防御力場にはそれを妨害する作用があるそうだ――だから、〈バージル・サムスはまだ安全なのだ!〉
「バージ、行こう」彼はファースト・レンズマンの負傷してないほうの腕を取って、椅子から立たせた。
「キニスン大先生がきみとわしにあたえる最上の処方は、大きくて厚くて、汁の多い上等のステーキだよ」
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バージル・サムスが暗殺されかけ、法律の新しい守護者であるレンズマンと、北アメリカ機動部隊の総兵力とがそれに反撃したことは、銀河系的重要性を持ったニュースだった。したがって、そのニュースは、一時間ばかり宇宙テレニュースのあらゆるチャンネルを満たした。それから、ますますセンセーショナルなニュースが、たてつづけにはいってきた。銀河パトロール隊の創設。銀河パトロール大艦隊の――演習をよそおった――動員。そして、〈丘〉に対する死物狂いの攻撃がきわどいところで撃退されたこと。
「視聴者のみなさん、もうすこしお待ちください。これまでだれも見たことがなく、またこれからも二度と見られないようなものをごらんにいれます。わたしたちはいま、法の許すかぎり現場に接近しています」
テレニュースのスター通信員の目と、カメラマンのテレビカメラのレンズは、テレビ用小型宇宙船から、三惑星連合軍《トリプラネタリー》の歴史的総司令部の表面がはげしく爆発し、白熱的火花を散らしているさまを見おろしていた。
いっぽう、何十という惑星の上では、何十億の住民が、何千万の映像盤やラウドスピーカーの前にひしめいて、おどろくべきニュースを見聞しようとしていた。
「ごらんください、みなさん――人間によって建設された唯一の、真に難攻不落な要塞であります! 多くの専門家たちは、この要塞が、とうの昔に時代おくれになったものときめつけていましたが、レンズマンたちは、通常の兵器のほかに、なんらかの新兵器をひそかに用意していたものと思われます! レンズマンについていえば、彼らは自己宣伝をしていませんので、われわれの大半は彼らにあまり注意を払っていません。しかし、本通信員は、レンズにはわれわれが考えていたより、はるかに多くの能力があるにちがいないということを、ここに申しあげたいと思います。敵のねらいは、ファースト・レンズマンを抹殺することにあると思われますが、もしレンズに偉大な能力がなければ、敵が多大の人命と費用をかけて、あのような行動に出ることはなかったでありましょう。
すこし前に申しあげましたように、銀河文明に属するすべての連合政府は、公式のメッセージを伝達して、この陰謀となんらの関係もないことを強調しました。事件は依然として、謎に包まれています。いや、ますます謎を深めるばかりです。敵艦隊の乗組員で生きて捕獲された者はひとりもおりません! 船体に穴をあけられただけの敵艦の中にさえ、おりません――自爆してしまったのです! そして、破壊されたどの敵艦の中にも、なんの制服も書類も――まったくなんの証拠も発見されませんでした!
ただいまより、史上最高のスクープをご紹介します! 宇宙テレニュースは、みなさんがよくご存知のふたりのトップ・レンズマン――バージル・サムスとロッド・ザ・ロック・キニスンとのインタビューの許可を獲得いたしました。わたしたちはいま、リモート・コントロールによって、銀河パトロール隊のオフィスの中へ、〈丘〉自体の中へ降下しつつあります。さあ、到着しました。どうぞもうすこしマイクにお近づきねがえませんか、ミスター・サムス、いや、そうお呼びするよりは――」
「〈ファースト・レンズマン・サムス〉と呼ぶべきだ」キニスンは、ぶっきらぼうにいった。
「おお、そうでしたな、ファースト・レンズマン・サムス。ありがとう、ミスター・キニスン。さて、ファースト・レンズマン・サムス、視聴者はみなさん、レンズについてすべてを知りたいと望んでおります。わたしたちはみんな、それがどんなことができるかを知っていますが、それの〈本質〉はどんなものなのでしょうか? だれが発明したのです? どのように機能するのです?」
キニスンは何かをいいかけたが、サムスは思考でとめた。
「その質問には、わたしから一つ質問することでお答えしよう」サムスは率直に微笑した。「きみは、海賊が三惑星連合軍《トリプラネタリー》の黄金隕石を偽造する方法を知った結果、どんなことが起こったかを、記憶しているかね?」
「ああ、わかりました」テレニュース通信員の花形は、厚かましくて鈍感だったが、飲みこみは速かった。「沈黙、沈黙ですな? トップ・シークレットというわけですか?」
「トップ・シークレットだ。大いにそうだ」サムスは確認した。「われわれは、レンズに関するある種の事実を、できるだけ長く秘密にしておくつもりだ」
「おっしゃるとおりです。視聴者のみなさん、残念ですが、みなさんもこの問題では、パトロール隊の主張が正しいということをお認めになるでしょう。では、ミスター・サムス、あなたを暗殺しようとしたのは、だれだったとお考えですか? そして、敵艦隊はどこからやってきたとお考えですか?」
「まるでわからない」サムスは、ゆっくりと慎重にいった。「そう。まったく心あたりがない」
「なんですって? そう確信しておいでなのですか? 多少は疑っておられても、外交上の理由から、それをかくしておられるのではありませんか?」
「わたしは何もかくしていない。そして、レンズを通じて、きみにその事実を確認させることもできる。レンズを通じての思考は、舌のような随意筋《ずいいきん》を通じてではなく、心自体から直接に伝達されるのだ。心は嘘をつかない――きみが『外交』と呼ぶような嘘さえもね」
レンズマンはレンズを通じて心を開示し、通信員は放送をつづけた。
「みなさん、彼はそう〈確信〉しています。わたしはこの事実に驚いて、一、二秒は言葉が出ませんでした――これはまったくおどろくべきことです。さて、ミスター・サムス、最後に質問があります。このレンズマン部隊は、実際にどんな活動をしているのですか? あなたがたレンズマン――それから、銀河評議会その他――は、実際にどんな任務をになっているのですか? もし口で話すと同時にレンズで思考を伝達することがおできでしたら、レンズでわたしにお答えください――みなさん、情報を心から直接に受けとり、それが直接だということを認識するのは、すばらしい感動です」
「私は、声とレンズで同時に応えることができるし、そうしよう。われわれの基本的目的は――」サムスはメンターがとどろくような精神的音声で自分の心にぬぐい去りがたくきざみつけた言葉を、一語一語引用した。「きみたちは、今日のどの世界にも、真の幸福、真の平和がいかに少ないかを知っているだろう。われわれは、この両者を増進することを目的としている。われわれが銀河パトロール隊によって獲得しようと望んでいるのは、われわれ自身の幸福と平和であり、自己にもっとも適した職業に、誇りをもって従事しているすべての善良な労働者に満足をあたえることである。何者かがわたしを暗殺しようとした理由についていえば、われわれレンズマンが擁護《ようご》している理想に反対するある団体、組織または種族が、われわれを抹殺しようと企て、まずわたしから手をつけた、というのが論理的帰結であるように思われる」
「ありがとう、ミスター・サムス。みなさんがこのインタビューを多いに喜んだことと確信します。さて、みなさん、こんどは、みなさんご存知の『|岩のロッド《ロッキー・ロッド》』または『|頑固なロッド《ロッド・ザ・ロッド》』キニスンをご紹介します――どうぞ、もうすこしお寄りください――ありがとう。あなたも、ミスター・サムスと同様、なんの疑いも持っておられないと思いますが――」
「わしは持っている!」キニスンは、五億の視聴者がとびあがったほど激烈な口調で叫んだ。「声を通じてかね、レンズを通じてかね、その両方を通じてかね?」そして、レンズで伝達した。「いいかね、わしは〈あらゆる人間を疑っている〉のだ!」
「どうぞ両方でおねがいします、ミスター・キニスン」宇宙テレニュースの花形通信員でさえ、大男のレンズマンの、冷静ではあるが強烈な怒りにショックをうけたが、そのためらいが感じられないほど素早く立ちなおった。「あなたがレンズで伝達された思考によると、あなたは〈あらゆる人間〉を疑っていらっしゃるのですね、ミスター・キニスン?」
「そのとおり。あらゆる人間をだ。わしは地球の北アメリカ連合政府を含めて、自分が知っているあらゆる世界のあらゆる連合政府を疑っている。あらゆる犯罪組織を疑っている。われわれがだれも聞いたことのないあらゆる国家、種族、世界を疑っている――宇宙のトップクラスの通信員であるきみをさえ疑っている」
「しかし、あなたは具体的な手がかりは何も持っていらっしゃらないのでしょう?」
「もしそんなものを持っていれば、ここにのほほんと突っ立って、きみと話していると思うかね?」
ファースト・レンズマン・サムスは、自分の私室に腰をおろして、考えていた。
リゲル系第四惑星のレンズマン、ドロンヴィルは、彼の後ろに立って、思考を助けていた。
司令長官キニスンは、その意力と気力をふりしぼって、調査、統一、拡張、再設計、再建造の包括的計画を開始した。
バージリア・サムスは、ほとんど毎晩パーティに出席した。踊り、お色気を発揮し、おしゃべりした。どれほどおしゃべりしたことか! 大部分は無意味な世間話だった――しかし、その間《かん》には、そのときのパートナーを完全に安心させないまでも、正面から疑惑をひきおこすことはないような、無邪気らしい質問や批評がちりばめられていた。
コンウェー・コスティガンは、レンズを袖の下にかくし、変装はしないが、目立たぬ姿で宇宙空間を乗りまわし、詳細に観察して、完全に報告した。
ジャック・キニスンは、同乗している友人のために、操縦し、測定し、計算した。
メースン・ノースロップは、きわめて複雑な受信装置に完全に包囲されながら、聴取し観測し、聴取し同調し、聴取し再構成し、そして――ついに――超鋭敏な環状線との方位を決定した。
ダルナルテンとノボスとは、数十人の有能な助手といっしょに、三つの惑星の記録をシラミつぶしに調査し、その副産物として、犯罪に関する詳細な〈人名録《フーズ・フー》〉ができた。
熟練した技術員たちは、現代の統計学者たちに知られているかぎりでもっとも可能的でもっとも完成した機械に、何百万というカードをつぎつぎに供給した。
そして、ネルス・バーゲンホルム博士は、正規の仕事を一時的に放棄《ほうき》して、それと密接に関連のある有機化学の分野での、高度に深遠な研究に、その独自な才能を傾けた。
バージル・サムスのオフィスの壁は、地図、グラフ、図表などでおおわれはじめた。図面、統計などが彼のデスクに積みかさねられ、床の上のバスケットにまであふれた。そしてついに、
「閣下、アルファセント星のレンズマン、オルムステッドがまいりました」とサムスの秘書が告げた。
「よろしい! 通してくれたまえ」
客がはいってきた。ふたりの男はたがいに三十秒ばかりじっと見つめ合ったのち、微笑して、勢いよく握手した。新来者の髪の毛が茶色だという点をのぞけば、ふたりは瓜二つだった!
「きみに会えてうれしいよ、ジョージ。もちろん、バーゲンホルムは、きみを合格させたろう?」
「そうです。彼はあなたの髪を、白髪の一本一本まで、わたしの髪と同じにできるといっていました。そして彼はわたしに、かつら師が夢に描くようなかつらをつくってくれました」
「きみは結婚しているかね?」サムスの心は飛躍して、起こりうる混乱を予想した。
「あなたと同様に男やもめです。そして――」
「ちょっと待ちたまえ――検査はこれだけで充分だろう」彼はレンズでつぎつぎに呼びかけた。宇宙のさまざまな場所にいるレンズマンたちが、彼と精神感応状態にはいり、それによって相互に精神感応状態にはいった。
「レンズマン諸君――とくにロッド――ここにジョージ・オルムステッドがいて、彼の弟のレイも働ける。わたしは仕事にかかるつもりだ」
「わしは〈やはり〉その計画が気にくわん?」キニスンは抗議した。「あまりにも危険すぎる。わしはきみを護衛しつづけるつもりだということを、本気で宇宙に宣言したのだ!」
「だからこそ、完全に安全なのだ。つまり、もしバーゲンホルムが、複製を充分似せられると〈確信〉するなら――」
「わたしは確信しています」バーゲンホルムの、ひびきわたるような擬似音声は、結合しているどの心にも、すこしの疑いも残さなかった。「替え玉は見破られないでしょう」
「――それに、ジョージ、きみがレンズを持っているということは、だれも知らないし、想像さえしないだろう」
「わたしはそう確信しています」オルムステッドは静かに笑った。「それから、われわれとあなたの秘書をのぞけば、わたしがここにいるということは、だれも知りません。わたしは長年にわたってその種の仕事を専門にやってきました。写真、指紋などすべてに注意を払ってあります」
「よろしい。わたしはここにいては効果的に働くことはできない」サムスは、だれもが明白な事実として知っていることを述べた。「ドロヴィルは、わたしよりはるかにすぐれた分析合成の能力の持主だ。重要な相関関係が把握できれば、彼はすぐにその意味を理解するだろう。われわれは、タウン=モーガン一味、マッケンジー動力会社、オスメン工業会社、恒星間宇宙交路会社が手を組んで、それとシオナイトが関係があるということを知ったが、それ以上のことはわかっていない。シオナイトによる死亡と、宇宙交路の特定の客船の太陽系への到着とのあいだには、かすかな――やっと認められる程度の――相関関係がある。
地球防御スクリーン部隊のある職員たちが、給与よりかなり多額の金を消費しているという事実は、彼らが宇宙船または宇宙船からのボートの非合法な着陸を許しているという、かすかながらも決定的な可能性を示している。それらの密輸業者は、禁制品を運んでいるが、それがシオナイトかどうかはあきらかでない。つもり、われわれはあらゆる方面で基礎的データを欠いているのだ。したがって、いまこそわたしがそれを手に入れるために自分の役割を果たすべきときなのだ」
「わしは賛成せんね、バージ」キニスン家の人間は、おとなしく引きさがったことがない。「オルムステッドは、すこぶる有能な工作者だ。そして――きみは、われわれの最高指揮官だ。彼にひきつづき二重スパイをやらせて――きみが自分でやろうとしている仕事をやらせて、きみはここで指揮したらいいではないか?」
「そのことも充分考えたが――」
「オルムステッドにはそれができないからだ」それまで沈黙していた一つの心が、断定的な口調でさえぎった。「わたしはそう判断する。わたしは北極木星のルラリオンだ。この仕事には、心理的因子が問題だ。複雑な状況の構成要素を分析し評価する能力。ためらうことなく正確な決断をくだす能力。その他多くの要約しては表現しがたいが、総合的に精神力と称しうるような能力。地球のバーゲンホルム、どう思うか? きみにたずねるわけは、きみの心がある点で、わたし自身の心に匹敵するような哲学的心理学的深さを持っていることを知覚したからだ」
このとほうもなく思いあがった宣言は、木星人にとっては、明白な真実を明白に述べたにすぎなかった。そしてバーゲンホルムも、それをそのまま受け入れた。
「賛成だ。オルムステッドでは、成功できない」
「では、サムスにはできるのか?」キニスンがたずねた。
「そんなことはわかりません」バーゲンホルムは精神的に肩をすくめて答えた。それと同時に、「わたしにできるかどうかは、だれにもわからない。しかし、わたしはやってみるつもりだ」とサムスはいって、バーゲンホルムと他のふたりのレンズマンに自分のオフィスにくるように求め、自分のレンズをはずして、論議をうち切った――うち切りかけた。
「そら、そのもう一つのことが気にくわんのだ」キニスンは最後の反対を試みた。「レンズをつけていないと、どんなことが起こるかわからんぞ」
「いや、レンズなしでいるのは、それほど長いことではない。それに、レンズがないほうが――ある場合には――いっそうよく働けるというのは、サムス家の中でバージリアだけではないのだ」
レンズマンたちがやってきて、おどろくほど短時間でまた出ていった。二、三分後、ふたりのレンズマンが、サムスの奥のオフィスから外のオフィスに出てきた。
「さようなら、ジョージ」赤毛の男が声高くいった。「幸運を祈るよ」
「あなたもご幸運を祈ります。閣下」そして、茶色の髪の男は立ち去った。
秘書のノーマは、すばしこくて観察力のするどい娘だった。立場上、そうならないわけにいかなかったのだ。彼女の目は出ていく男を見送ってから、目前のレンズマンを、爪先から頭のてっぺんまで眺めまわした。
「こんなことって、見たこともございませんわ、ミスター・サムス」彼女はやっといった。「髪の色がちがうのと、いくらか――そう、からだが前かがみだということ――をのぞけば、あの人はあなたの一卵性双生児といえますわ。あなたがたおふたりは、そう遠くない昔に、共通の祖先を一つ――またはいくつか――持っていらっしゃるのじゃございません?」
「そのとおりだ。われわれふたりは、いわば四重の〈またいとこ〉なのだ。われわれは何年も前からたがいに知っていたが顔を合わせたのは、これがはじめてさ」
「四重の〈またいとこ〉ですって? それはどういう意味ですの? どうしてそういうことになりますの?」
「むかし、アルバートとチェスターというふたりの男がいた――」
「なんですって? パットとマイクというふたりのアイルランド人の話じゃありませんの? まちがいですわ、閣下」娘はいたずらっぽく微笑した。いそがしいときには、彼女はいつも迅速で冷静で有能な秘書だったが、ひまなときには、ファースト・レンズマンの専用オフィスでは、このような冗談がかわされるのがつねだった。「閣下のいつものやり方とはずれていますわ」
「わたしはいま、おとぎ話の語り手としてではなく、系図学者としてしゃべっているからさ。だがつづけよう。チェスターとアルバートには、それぞれ四人の子供がいた。どちらの子供も、ふたりが男の子、ふたりが女の子という、二組の一卵性双生児だった。そして彼らが成長したとき――つまり、半分そだったとき――」
「まさか、その一卵性双生児がみんな、おたがいに結婚したというんではないでしょうね?」
「そのとおりなんだ。なぜいけないのかね?」
「あら、そんなことをすれば、可能性の法則がすっかりゆがめられてしまいますもの。でも、おつづけになってください――どういうことになるのか、わかるような気がしますわ」
「その四組の夫婦は、それぞれひとりだけ子供を持っていた。その四人の子供を、ジム・サムス、サリー・オルムステッド、ジョン・オルムステッド、アイリーン・サムスと呼ぶことにしよう」
娘のふざけた調子はなくなった。「ジェームズ・アレグザンダー・サムスとサラ・オルムステッド・サムス。これが閣下のご両親ですわ。いずれにしても、あたし、どうなるのかわかっていませんでした。では、あのジョージ・オルムステッドは、あなたの――」
「いずれにせよ、事実はそのとおりだ。わたしにも、この関係をなんと呼んでいいかわからない――いつか系図学を調べてみれば、わかるだろう。だが、そういうわけだから、われわれが似ているのも不思議はない。そして、われわれはふたりではなく、三人だ――ジョージには、一卵性双生児の兄弟がいる」
赤毛のレンズマンは、奥のオフィスへもどってドアをしめると、バージル・サムスに思考を伝達した。
「成功しましたよ、バージル! わたしは彼女のデスクによりかかるようにして、たっぷり五分間も話しましたが、彼女は気づきませんでした! バーゲンホルムのこのかつらが、〈彼女を〉こんなに完全にだませるとすれば、彼があなたに加えた細工も、〈だれにも〉見破られないでしょう!」
「よろしい! わたしも、とくに目のきく男たちを相手にテストしてみたが、これまでのところ、すこしも気づかれた様子はない」
サムスは、最後まで残っていたかすかな疑問も解決したので、〈丘〉へ出入りする唯一の手段である、放射能遮蔽、中性子遮蔽をほどこした重い近距離往復艇に乗りこんだ。それから、快速の巡洋艦が彼をナムパに運んだ。そこでは、オルムステッドが乗っていて、「偶然に」故障した、大陸間連絡宇宙船が修理中だった。オルムステッドは、この市をごく短時間あけていただけだったので、だれも彼の不在に気づかなかった。サムスは、オルムステッドになりすまし、オルムステッドの切符の残額の払いもどしを受けた。そしてニューヨークに行き、ヘリコプターでモーガン上院議員のオフィスへ行った。ハーキマー・ハーキマー三世の専用オフィスに案内された。
「アルファセント星のオルムステッド」
「そうかね?」ハーキマーの手が、デスクの表面でごくかすかに動いた。
「さあ」レンズマンは、その手から一インチ以内のところに一つの封筒を落とした。
「ここに指紋を押したまえ」ハーキマーにいわれて、サムスは指紋を押した。「あそこで手を洗うのだ」ハーキマーは一つのボタンを押して命令した。「この指紋を全部、ファイルと照合しろ。二つに裂いた紙片の半分ずつを、繊維ごとに照合するのだ」それから自分のデスクの前に落ちついて立っているレンズのないレンズマンをふりむいた。「おきまりの手続きだ。きみの場合は、形式だけだが、やはり必要なのだ」
「ごもっとも」
それから数秒間、ふたりの抜け目のない男は、おたがいの目の奥を見つめ合った。
「きみならできるだろう、オルムステッド。われわれは、きみが非常に有能だという報告を受けている。だが、きみはこれまでシオナイトに関係したことはないのだろう?」
「ない、シオナイトを見たことさえない」
「なぜシオナイトの仕事をやりたいと考えたのだ?」
「きみたちの調査員は、わたしを徹底的に調査した。彼らはどういう報告をしたかね? ありきたりの動機さ――兵卒から将校への昇進――自分と組織に対して多少ともつごうのいい地位につくことだ」
「自分が第一で、組織は二の次か?」
「そうでなくてどうだというのかね? きみたちはみんなそうではないか。わたしだけがなぜそうではいけないのか?」
こんどは、ふたりの目がさっきより長くからみあった。ひとりの目はいぶかるように光り、もうひとりの金色をおびた茶色の目は、氷のように冷静だった。
「確かに、いけないわけはない」ハーキマーはうす笑いを浮かべた。「だが、われわれはそれを公然とは口にしないのだ」
「外部では、わたしもそうだ。しかし、ここでは、手の内をすっかり見せているのだ」
「わかった。きみならできるさ、オルムステッド。もし生きていればな。ところで、きみも知っているように、テストがある」
「そうだろうということだった」
「どんなテストか知りたくないかね?」
「それほどでもない。きみはそのテストにパスしたのか?」
「そのせりふは、どういうつもりだ?」ハーキマーはとびあがった。それまでくすぶっていた目が、燃えあがった。
「言葉どおりの意味さ。それ以上でも以下でもない。どう解釈しようと、きみの勝手だ」サムスの声は、目と同様に冷静だった。「きみは、わたしの能力に目をつけて、わたしをひき抜いた。きみは、わたしを昇進させれば、わたしがきみにおべっかを使うとでも思ったのか?」
「そんなことはない」ハーキマーは腰をおろすと、一つの引出しから透明でカプセルのような形をした小さなチューブを二つとりだした。そのどちらにも、赤紫色の粉末がすこしずつはいっている。「これがなんだかわかるかね?」
「想像はつく」
「どちらも純良で強烈なシオナイトであり、強い心臓を持った強い男が耐えられうるぎりぎりの許容量だ。一つのカプセルのカバーをはずして、一方の鼻の穴にさしこみ、放射装置を押して、息を吸いこみたまえ。もう一つのカプセルは、このデスクの上に置いておくが、はじめの一服を吸収したあと、きみがそれに手をふれずにいられたら、命が助かって、テストに合格したことになる。それができなければ、死ぬのだ」
サムスは腰をおろし、カプセルのカバーをはずし、放射装置を押して、吸入した。
彼の両腕は、どさっとデスクに落ちた。両手はかたく握りしめられ、腱《けん》はひきつってふくれあがった。顔は蒼白に変じた。目はとびだした。あごの筋肉は帯状やこぶ状にふくれあがり、歯はかたく食いしばられた。からだじゅうのあらゆる随意筋は、死後|硬直《こうちょく》のように極度に硬直した。心臓ははげしくはずみ、呼吸はあえぐようになった。
この症状は、シオナイト特有の恐るべき〈筋肉閉鎖〉だった。あらゆる欲求が極度に充足されて、筋肉がけいれん的に硬直するのだ。
いまや、サムスにとって、銀河パトロール隊は現実のものとなった。存在するかぎりの時空体系の中にある、あらゆる大宇宙の、あらゆる銀河系のあらゆる惑星に恒久的に偏在《へんざい》する力となった。彼は、レンズとはどんなもので、なんのためにあるかを知った。時間と空間を理解した。絶対的な原初《げんしょ》と究極的《きゅうきょくてき》な終末を知った。
彼はまた、さまざまのものを見、さまざまのことをしたが、それについては、あからさまに述べないほうがいい。なぜなら、これまでバージル・サムスがいだいたすべての欲望――精神的なものも肉体的なものも、解放されたものもきびしく抑圧されたものも、高貴なものも下劣なものも――が、完全に満たされたからだ。すべての欲求が。
サムスがそこに身動きもせずにすわったまま、歓喜の絶頂のうちに死の境をさまよっているうちに、ドアが開いて、モーガン上院議員がはいってきた。ハーキマーはふりむいて、ほとんどそれとわからないくらいぎくりとした。その茶色の目には、一瞬、罪の意識がひらめいたかに見えたが、それはたちまち抑制され、完全に明晰で率直な表情がもどった。
「やあ、ボス、おすわりください。ようこそいらっしゃいました――これはけっして楽しみにやっているのではありません」
「そうか? おまえはいつになったらサディストでなくなるんだ?」上院議員は部下のデスクのわきに腰をおろすと、左手の指でデスクを音もなくたたきはじめた。「おまえはまさか、とんでもない考えを持っていたのじゃなかろうな、つまり――」彼は意味ありげに口をつぐんだ。
「とんでもない」ハーキマーの演技――もしこれを演技と呼ぶとすれば――は、完全無欠だった。
「この男は、殺すには惜しい能力を持っています」
「それはわかっているが、おまえのやり方を見ていると、それがわかっているとは思えない。わしは、おまえが会談で、こんなに貫禄《かんろく》負けをしたのを見たのは、はじめてだ――おまえがこういうことをしたのは、この男の虎のように有能さ――だからこそ、この男はこの仕事に選抜されたのだが――それをおまえがはじめから知らなかったからではない。この男に、ほんのもうすこし多くシオナイトを吸入させることも容易だったろうよ」
「ボス、それは筋の通らない推測です。あなたもご存知でしょう」
「そうかね? しかし、この男をおまえのかわりに、抜擢《ばってき》したわけではないのだから、おまえがねたむわけもない。この男はおまえの上席につくこともないし、空席は充分にある。どういうわけだったのだ? おまえがいくら血に飢《う》えているからといって、このような状況のもとで、これほどやりすぎるはずはない。はっきり弁明するんだな、ハーキマー」
「では、いいます――わたしは、この男が属しているいまいましい一族全体がにくらしいのです!」ハーキマーは、にくにくしげに叫んだ。
「わかった。それで説明がつく」モーガンの顔はあかるくなり、指は動きをとめた。「おまえはサムスの娘をものにできず、かといって、あの娘の皮を生きながらひんむける立場にもいないので、あの娘の親族全体がにくらしくなったのだ。それで説明がついたが、一つ注意しておく」彼の平静な声には、普通人の脅迫以上の凄味《すごみ》が含まれていた。「色事を仕事と区別して、そのサディスティックな趣味を抑制するのだ。こんなまねは二度とするな」
「しません、ボス。わたしは羽目をはずしてしまいました――しかし、この男がわたしをカンカンに怒らせたのです!」
「そうだ。それこそ、この男のねらいだったのだ。わかりきったことさ。おまえをちっぽけに見せられれば、それによって自分を大きく見させることになる。この男はまさにそういう手を使ったのだ。だが、気をつけろ、正気にかえってきたぞ」
サムスの筋肉はゆるんだ。彼は酒の酔いからさめたように目を開いたが、自分の醜態《しゅうたい》を理解すると、羞恥《しゅうち》の情が、波のように意識をおおった。彼はまた目をとじて身ぶるいした。彼はつねに自分をかなり高く評価していた。その自分が、どうしてこのようにいまわしい、腐敗、悪徳、極度の道徳的堕落の深淵に沈むことができたのか? しかも、彼のからだの全細胞は、より多くのシオナイトを激しく欲求している。彼の心も肉体も、痛烈に享受した極度の快感をふたたび経験したいという圧倒的な熱望にひたされていた。
シオナイト吸飲者は、シオナイトを吸飲したあと、それ以上のシオナイトを手に入れるためには、かなりの肉体的努力が必要なように配慮するのがつねである。そのような努力をしているうちに、正常の意識にもどって、欲求を抑制することができるからだ。
しかし、サムスの目の前のデスクの上には、もう一服の強力なシオナイトがのっていた。もしこの一服を吸飲すれば、死んでしまうだろう。それがどうしたというのだ? 死がなんだというのだ? たったいま経験し、いままた経験しようとしているあの快感を享受するのでなければ、人生になんの意義があるか? そればかりでなく、シオナイトは、〈彼〉を殺すことはできない。彼は超人だった。たったいま彼はそれを証明したではないか!
彼はからだを起こして、カプセルに手をのばした。その肉体的努力はわずかなものだったが、ファースト・レンズマン・バージル・サムスに、自制力を回復させるには充分だった。しかし、欲求は減少しなかった。むしろ増大した。
彼が、シオナイトそのものはおろか、その赤紫色を想像するだけで、息がけいれんするようにつまったり、全身の筋肉が硬直したりすることがなくなるまでには、これから何ヵ月もかかるだろう。また、自分の心の暗いすみずみにひそんでいる、これまでは思いもよらなかったような意識を、部分的にでも忘れることができるようになるまでには、何年もかかるだろう。
しかし、彼は、彼をバージル・サムスたらしめている何ものかの中から力をしぼりだした。親指と人差し指でカプセルにふれたが、それをつまみあげるかわりに、ハーキマーのほうへ押しやった。
「しまってくれ、坊や。そいつをもう一息吸えば、おしまいだからな」彼はさりげない表情で秘書を見つめてから、モーガンをふりむいてうなずいた。「いずれにせよ、彼は自分がこういうテストなりその他のテストに通過したとはいいませんでした。わたしがそれを聞いたとき、否定しなかったのです」
ハーキマーはかろうじて沈黙をまもったが、モーガンはだまっていなかった。
「口がすぎるぞ、オルムステッド。もう立てるか?」
サムスは両手でデスクをつかんで、からだを持ちあげた。部屋が、ぐるぐるまわって見えた。その中のあらゆるものは、さまざまの奇妙な軌道を描いて動いていた。すでにひびだらけになったような感じの頭蓋骨は、いまにも爆弾のように破裂しそうだった。視界は、黒白の点や多彩な閃光《せんこう》で満たされた。彼は片手をもぎとるようにはなし、次にもう一方の手をはなした――そして、椅子にくずれおちた。「まだだめです――まるでいかん」と、こわばった唇を動かして認めた。
モーガンはさりげないふうをよそおってはいたが、内心、仰天《ぎょうてん》していた――オルムステッドがくずおれたからではなく、これほどすぐに、一インチでもからだを持ちあげられたからだ。このオルムステッドは、〈虎〉どころではない。八分の七までは恐竜《ディノザウルス》のような化けものにちがいない。
「回復するまでに数分はかかる。それより長くかかる者もいるし、それほどかからない者もいる」モーガンはものやわらかにいった。「しかし、なぜおまえは、ここにいるハーキマーが、いまと同じようなテストを受けたことがないと考えたのだ?」
「なぜですって?」また二組の目が視線をからみあわせた。こんどの暗闇は、さっきよりもっと時間が長く、もっと意味深長だった。「あなたはどうお考えです? どうしてわたしがこの年まで生きのびたと思います? まぬけだったからですか?」
モーガンは、金星葉巻を取りだして、気持よさそうに歯のあいだにはさみ、火をつけて三度ゆっくりくゆらせてから答えた。
「なるほど、おまえは学者だ。分析能力を持っている」と平静な調子で――一見――無関心らしくいった。「さしあたり、ハーキマーのことはやめにしよう。わしがこのテストを受けたと思うかね?」
「どうしてその必要があります? わたしが聞いたところによると、あなたはいつも上層部にいたそうですから、あのテストに合格できるかどうかを証明する必要はなかったでしょう。しかし、わたしの推定では、あなたなら合格すると思います」
「調子のいいおせじかね」モーガンは、表情と声に慎重に計算された少量の軽蔑をふくませた。「世渡りの第一課だ。ボスの機嫌をとれ、というわけさ」
「鋭い指摘ですな、上院議員。しかし、残念ながら、その指摘はまるでちがっています」サムスは、すでにほとんど正常に復し、親しげに微笑した。「もしわたしがまだ幼稚園の生徒みたいに子どもだったら、ここへきてはいないはずですよ」
「出すぎたせりふだが見のがしてやろう――こんどだけはな」モーガンは、部下たちをいつもちぢみあがらせるような表情と声でいったが、オルムステッドは、ちぢみあがるような男ではなかった。「二度とくり返すな。身の安全にかかわるぞ」
「いや、大丈夫、安全ですよ――少なくともきょうはね。あなたが故意に無視している二つの要点があるからです。第一に、わたしはまだ任務を受け入れてはいません」
「もし、わしがおまえを受け入れなかったとしても、この建物から生きて出ていけると思うほど、おめでたいのか?」
「そういうことをおめでたいといわれるのならば、そのとおりです。もちろん、いたるところに銃が配置されているのは知っていますが、そんなことは問題ではありません」
「そうかね?」モーガンの声は、絹のようにものやわらかな中に毒を含んでいた。
「そうですとも」オルムステッドは、びくともしなかった。「あなた自身をわたしの立場に置いてごらんなさい。わたしは長いこと経験をつんでいます。それも、母親のそばで経験をつんだのではありません。乳ばなれは、とうのむかしにすませました」
「わかった。おまえはすこしも恐れていない。それが第一点だ。そしておまえは、わしをテストしている。わしがおまえをテストしているようにな。それが第二点だ。おまえが気に入りはじめたぞ、ジョージ。おまえがいう第二の要点というのもわかっているつもりだが、記録にだけとどめておくことにする」
「あなたにはおわかりだと思います。わたしのボスになる人間は、少なくともわたし自身と同程度の能力がなければなりません。さもなければ、わたしはその人間の地位をとりあげます」
「もっともだ。まったくおまえが気に入ったよ、オルムステッド」モーガンは大きな顔をゆがめて微笑しながら立ち上がると、歩み寄って、勢いよく握手した。サムスは相手の表情を鋭くさぐったが、その熱烈さが――もしあるとしても――どれくらいまで本音《ほんね》なのか、見当すらつかなかった。「おまえは仕事をやりたいのだな? そしていつからとりかかれるね?」
「そうです、やりたいのです。もう二時間もまえからとりかかっています」
「それはいい!」モーガンは叫んだ。彼は表立っては何も言わなかったが、相手の口調が変化したことに気づき、その理由を理解していた。「仕事がどんなものか、報酬がどれだけかも知らずにかね?」
「さしあたりは、どちらも問題ではありません」サムスは握手するためにらくらくと立ち上がっていたが、ここでためすように頭をふってみた。何もがたがたしていない。よろしい――もうかなり回復した。「仕事についていえば、わたしはそれをやってのけることができるか、さもなければ、それができない理由を発見できます。報酬についていえば、あなたはいろいろなあだ名で呼ばれていますが、〈けちん坊〉というのは、そのなかにはありませんでした」
「よろしい。おまえはぐんぐん昇進することを予言しておこう」モーガンはまたレンズマンの手を握ったが、サムスは、こんども上院議員の真意をはかりかねた。「火曜日の午後。ニューヨーク宇宙空港。宇宙船ヴァージン・クイーン号。十四時にドック・オフィスのウィロービー船長のところへ出頭。帰りがけに、会計オフィスへ寄って行きたまえ。グッド・バイ」
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宇宙海賊が横行していた。しかし、彼らの行動に何か非常に大きな目的があるということは思いもよらなかったし、それから先も長いことわからなかった。マーガトロイドは、宇宙の海賊キッドのようなものにすぎないと考えられていた。もし彼が実際に銀河宇宙交路会社と関連があったとしても、その事実は、さしておどろくには足りない。そのような黒い霧は、いつの時代にも存在したからだ。古代世界でもっとも狂暴な恐るべき海賊たち、その世界の一流の権力者たちと密接な関連を持っていたのだ。
バージル・サムスは、モーガン上院議員のオフィスを去るとき、海賊と海賊行為について考えていた。ロデリック・キニスンに会見のもようを報告するあいだも、やはりそのことを考えていた。そういうわけで、
「しかし、この問題とわたしについては、これで充分だよ、ロッド。ボスコーン作戦について、最新の情報を教えてくれ」
「果てしもなくひろがっていくよ。宇宙交路が海賊によって損害を受けているという報告は、おそらく虚偽だろう、というきみの推定は正しかった。しかし、われわれに真の情報を提供したのは、〈周知の〉海賊行為――つまり、被害を受けた船が発見されて、その要員の一分または大部分が生きていた場合――ではなかった。それは、どれも似たりよったりだった。しかし、船が完全に消滅した場合を調査したところ、まことに重要な事実が判明した」
「話のつじつまが合わんな。しかし聞いているよ」
「そのほうがいい。きみが想像していたより深刻なのだ。痕跡もなく消滅した船の乗客名簿や乗組員名を知るのは、なんの手数もいらなかった。彼らの親戚や友人は、移動がはげしくて所在不明になっている少数の者をのぞけば、みんな居所をつきとめることができた――われわれは、主として妻を調査した。きみも知っているように、宇宙人は平均して年が若く、その妻はいっそう若い。だから、そういう若い細君たちは仕事について、大部分が再婚している。つまり、これが正常な場合なのだ」
「ところが、宇宙交路の船の場合は、正常でないのかね?」
「どうみても正常ではない。第一に、おどろくべきことだが、乗客名簿はごくわずかしか公表されていないし、乗組員名簿にいたっては、まったく公表されていないのだ。それらの資料をどうやって手に入れたか、くわしく説明する必要はないが、とにかくわれわれは入手した。しかし、彼らの妻たちの十分の九は姿を消していて、再婚した者はひとりもいない。われわれが発見できた少数の妻というのは、夫が生きていたあいだでさえ、夫に会おうが会うまいが気にしないような連中ばかりだった。しかし、大きな手がかりがあった――例の女学校の巡航船が消滅したのをおぼえているかね?」
「もちろんだ。大さわぎしたものだ」
「あの巡航船と関連して注目すべき点は、船が発進する二日前に、学校が盗難に会ったことだ。金庫室がテルミットで焼き切られ、管理事務所全体が焼失した。学校の記録はすべて抹殺された。そういうわけで、行方不明者のリストは、友人、親類などの証言によって作成されなければならなかったのだ」
「なにかそんなことがあったのをおぼえている。しかし、わたしの記憶では、宇宙船の会社が乗客名簿を提供――おお!」サムスの思考は鋭敏化した。「あの事件は、宇宙交路が陰にいるというのか?」
「確実にそうだ。われわれの推定によれば、あの当時は、あの事件だけでなく、女性の乗客の乗った船が消滅するという事件がかなり起こっていた。オースティン女学校は、あの年、例年になく多数の生徒がいた。あの巡航に出かけたのは、正規学生ではなく、臨時学生だった。彼女たちは、普通の失踪人《しっそうにん》になるよりも、宇宙で失踪するほうが便利だと考えたわけだ」
「しかし、ロッド! それはつまり――だが、彼女たちはどこへ行ったのだ?」
「つまり、そういうことなのだ。『どこへ行ったか』を発見することは、大仕事だろう。この銀河系には、二十億以上の太陽があり、信頼すべき推定によれば、多少とも人類に近いタイプの生物が居住できるような惑星は、それ以上あると思われる。銀河系のどのくらいの部分がこれまでに探検され、その残りを探検する仕事がどのくらいの速度で進行しているかは、きみも知っているだろう。失踪した宇宙人、技術者、彼らの妻やガール・フレンドなどが、現在どこにいるかということについてのきみの推定は、わしの推定と同様に正しい。ところで、わしは四つのことを確信しているが、そのどれについても証拠はまったくない。第一、彼らは宇宙で死んだのではない。第二、彼らは地球に類似した、快適で設備のゆきとどいた惑星に着陸した。第三、彼らはそこで艦隊を建造した。第四、その艦隊が、〈丘〉を攻撃した」
「きみはあれが、マーガトロイドの艦隊だと思うのかね?」サムスは、キニスンのとてつもない報告におどろきはしたが、狼狽はしなかった。
「わからん。データがないのだ――いまのところはな」
「そして、彼らは艦隊の建造をつづけているだろう」サムスはいった。「彼らは、予想以上に大きな艦隊にぶつかった。だからいまは、われわれの連合艦隊より大きな艦隊を建造しているだろう。そして、政治家たちは、われわれがしていることをつねに知っているから――おそらく――もしかすると――?」
「ためらう必要はない」キニスンは強くいった。
「それはどういう意味かね?」
「きみが考えているとおりの意味さ。地球からいちばん近い銀河系の周縁で、大きな裂け目が切れこんでいるところを知っているだろう?」
「知っている」
「あの裂け目のむこう側で、一千年くらいは探検されないような部分に、地球の双生児といってもいい惑星がある。原子エネルギーも宇宙航行も知らないが、高度に工業化されていて、われわれを歓迎したがっている。この惑星を開発するのが、ベネット計画だ。非常に、非常に急がれている。レンズマンをのぞけば、だれもこれについては知らない。ドロンヴィルのふたりの友人――敏腕な指揮者が指揮をとっている。この惑星は、銀河パトロール隊の造船|工廠《こうしょう》になるのだ」
「しかし、ロッド――」サムスは、友人がごく簡単に輪郭をのべた計画に付随する無数の問題や、多大な困難を思いめぐらしながら、抗議しはじめた。
「心配はやめたまえ、バージ」キニスンがさえぎった。「もちろん、容易ではなかろうが、彼らができることならわれわれにもできる。いや、いっそううまくできる。きみは安心して自分の仕事を推進したまえ。必要が生じたときには――いいかね『ときには』で『ならば』ではないんだよ――われわれにはすばらしい陰の艦隊ができているだろう。その艦隊にくらべれば、公式の大艦隊も、一機動部隊のように小さく見えるのだ。ところで、きみはランデブーするんだったな。そら、ジルがやってきた。彼女にわしから『よろしく』といってくれたまえ。そして、ヴェガ人がいうように『しっぽをあげて敬礼!』とな」
サムスは、ホテルの豪華なロビーにいた。制服を着たふたりのボーイと、ジル・サムスが近づいてきた。娘がいちばん先に彼のそばにきた。
「では、すぐわたしだとわかったんだね」
「すぐわかりましたわ、ジョージ叔父《おじ》さま」彼女は形式的にキスした。ボーイたちは立ち去った。
「お目にかかれてほんとにうれしいわ――叔父さまのことは、とってもたくさんうかがっていますの。マリーン・ルームっておっしゃいましたわね?」
「そうだ。テーブルを一つ予約しておいた」
この有名なレストランは、市内でももっともさわがしく、もっとも混雑した夜の娯楽場だったが、ふたりはここで完全なプライバシーを保障されながら、ひかえ目に飲み、そうひかえ目でなく食べ、まるでひかえ目でなく話し合った。
「ここは完全に安全だと思って?」ジルは最初にたずねた。
「完全だ。超鋭敏なマイクでも、何も聞くことはできない。それに、とても暗いから、読唇術者がわれわれの唇の動きを読むことができたとしても、十二インチの夜間用双眼鏡を使わなければなるまい」
「すてきだわ! バーゲンホルムはすばらしい手ぎわね、パパ。もしパパの――そう、パパの個性を感じられなかったら、いまだって見わけがつかないくらいよ」
「では、わたしが完全だと思うかい?」
「絶対よ」
「では、仕事の話にはいろう。きみもノボスもダルナルテンも、みんな鋭敏で強力な心を持っている。きみたちがみんなまちがうはずはない。とすると宇宙交路は、タウン=モーガン一味ともシオナイトとも、関係があることになる。その論理的帰結は、ダルは口に出してはいわなかったが、確かにそれを考えていた――それはおそらく――」サムスは言葉をとぎらせた。
「そのとおりよ。あの悪名高いマーガトロイドは、ただの海賊じゃなく、ほんとうは宇宙交路のために働いて、タウン=モーガン=アイザークスン一味に属しているのよ。でも、パパ――なんていうことでしょう? そんなに 腐敗《ふはい》することってあるかしら?」
「それ以上に腐敗しているかもしれん。ところで、次の問題だが。きみの判断では、だれがほんとうのボスだと思う?」
「ハーキマー・ハーキマー三世でないことは確かよ」ジルは、ピンクの人差指で彼を除外するしぐさをした。彼女は意見を求められた。そこで、説明やためらいなしに述べはじめた。「彼は――せいぜい――ホットドッグのお店の問題を指図できる程度だわ。クランダもボスじゃないわ。彼は小魚どころか、ミジンコにもおよばないくらいよ。例の金星人や火星人がそうじゃないということも、同じくらい確かよ。彼らは惑星的規模の問題を指図しているかもしれないけれど、それ以上の大物ではないわ。わたしはもちろん、マーガトロイドに会ったことはないけれど、いくつかの評価からして、彼はタウンにおよばないと思うわ。それから、ビッグ・ジムが最高指揮者でないことも、ほぼ確実よ――これはわたしも意外だったけれど、パパもびっくりしたでしょう」彼女はたずねるように彼を見つめた。
「きのうならば大いにおどろいただろうが、きょうからはおどろかない――それについては、いずれ話すがね」
「それで安心したわ。わたし、パパが反対するものと予想していたし、自分でも自分の結論の正しさに疑いを持っていたの。だって、この結論は、一般の知識――というより、知識と考えられているもの――と一致しないのですもの。すると、残りは、アイザークスンとモーガン上院議員よ」
ジルは当惑したように眉をひそめ、はじめて自信のないようすをしめした。「アイザークスンは、もちろん大物だわ。有能で情報に通じていて、とても強力で、最高の経営者よ。宇宙交路を経営するためには、そうでなければならないのよ。いっぽう、わたしはいつも、モーガンのことを口先だけの山師だと考えていたんだけれど――」ジルは話をやめて、思考を宙にさまよわせた。
「わたしもそう思っていた――きょうまではな」サムスはむずかしい顔で賛成した。「やつは、とびぬけて腐敗した貪欲な扇動政治家にすぎんと考えていた。彼に対するわれわれの評価は、大きく改めなければならないかもしれない」
サムスの心はせわしく働いた。ジルと彼とは、二つのまったく異なった角度から追求して、同一の結論に到達した。しかし、もしモーガンが真のボスだったら、オルムステッドのような小物に、個人的に面会を許すだろうか? それとも、オルムステッドの任務は、彼サムスが想像していたよりも重大なのか?
「きみと照合すべきことがまだ十くらいあるが」彼はほとんど中断なしにつづけた。「しかし、このだれがボスかという問題でだけは、わたしの経験がきみの判断に影響をあたえると思われるので、きょう起こったことを、きみに話しておいたほうがいいだろう――」
火曜日の十四時がきて、サムスは宇宙空港のドック・オフィスにはいって行った。大きな整頓されたデスクに、がっしりした銀髪の男がついている。
「ウィロービー船長ですか?」
「そうだ」
「ジョージ・オルムステッド出頭しました」
「きみは四等士官だ」船長は一つのボタンを押した。重い防音ドアがとじて錠がかかった。
「四等士官ですと? 新しい階級ですな。任務の内容はどんなものですか?」
「新しい特殊な任務だ。ここに契約条項がある。読んでサインしたまえ」彼は「条項に不満があれば」とはつけ加えなかった。その必要はなかったのだ。ウィロービー船長は、元来無口なところへもってきてこの新しい部下に対しては、とくに口数を少なくしようとしているのは明白だった。
サムスは読んだ「――四等士官は――上記の宇宙船の操作――貨物の保存――にはなんらの義務も責任もおわない――」その次にきた条項は、ほとんど紙面からとびだして、目にぶつかったような気がした。「上記宇宙船の船体外において分遣隊を指揮する際には、死刑その他、彼が適当と判断する処罰をもって、部下の行動を強制するものとす――」
レンズマンは全身をゆさぶられたように感じたが、それを表面には出さなかった。そして、船長のペンを取って――オルムステッド自身のペンには消滅インクが満たされていると、ウィロービーが判断するかもしれなかったからだ――ジョージ・オルムステッドその人の、勢いよく流れるような書体で、ジョージ・オルムステッドとサインした。
そのあと、ウィロービーは、彼を優秀船ヴァージン・クイーン号に乗船させ、船室へ案内した。
「これがきみの部屋だ、オルムステッド。貨物監督やきみの部下たちと顔を合わせるほかは、二、三日なんの任務もないだろう。船内どこへ行ってもいいが、一つだけ例外がある。わしが呼ぶまでは、制御室に立ち入らないように。わかったかね?」
「わかりました」ウィロービーが出ていくと、サムスは私物袋を棚に投げこんだのち、部屋を点検した。
部屋はもちろん非常に小さかったが、質量の貴重さを考慮に入れれば、ぜいたくに設備されているといってよかった。本棚というより、きっちりした本ばさみがあった。太陽灯、カード棚、運動器具、ゲーム用具があった。宇宙のほとんどあらゆる場所からの放送プログラムを受信できる受信器があった。しかし、この部屋には、一つだけ欠けているものがあった。超短波映像盤がなかったのだ。これはべつにおどろくべきことではなかった。「彼ら」は、ジョージ・オルムステッドに、自分がどこへつれて行かれるかを知らせるはずがなかったからだ。
しかし、サムスは、自分が直接指揮する部下たちに顔をあわせたときにはおどろいた。部下はひとりかせいぜいふたりだと思っていたら、なんと四十人もいたのだ。彼らを一目見たとたんに、どれもこれも宇宙最低の安酒場をうろついているようなクズばかりだと思った。しかし、まもなく彼らが全部が全部、宇宙のクズばかりではないということがわかった。彼らのうち六人――肉体的にもっとも強健で、精神的にももっとも堅固な者たち――は、死刑室からの逃亡者で、殺人犯やそれ以上悪質な連中だった。彼はその六人の中でももっとも柄《がら》が大きくタフな男――ドリルのように鋭い目を持った赤毛の巨人にたずねた。
「トウォーン、おまえの仕事はどんなものだと聞かされているね?」
「何も聞かされませんでした。ただ、仕事はひどく危険だが、ボスが命令するとおりにして、それ以外のことを何もしないようにすれば、けがさえしないですむかもしれないということでね。で、あっしは来週はのんびりできることになってます。そういうわけなんです、ボス」
「わかった」こうして、すぐれた心理学者であるバージル・サムスは、雑多な部下をひとりひとり観察し分析しているうちに、制御室に呼ばれた。
航行用タンクはおおいかくされ、一つの宇宙図も目につかなかった。一つだけ「生きている」映像盤には、一つの惑星と、強烈な青白色の太陽がうつっていた。
「わしの命令は、きみがなすべきことと、トレンコと呼ばれるあの惑星とについて、わしが知っているかぎりのことを、この位置できみに伝達することにある」
銀河文明の信奉者でトレンコの名を聞いたのは、バージル・サムスがはじめてだったから、彼にはこの名の意味するところがまるでわからなかった。「きみは四、五人の部下をつれて、あの惑星に降下し、できるだけ多く植物の葉を採集するのだ。葉の色は緑ではなく、赤紫色をおびている。広葉と呼ばれるものが最良だ。この葉は、長さ二フィート、幅一フィートばかりある。しかし、それほど選択する必要はない。手近なところに広葉がなかったら、手あたりしだいに採集するのだ」
「この仕事に対する妨害はなんですか?」サムスは冷静にたずねた。「敵がそれほど強力なのは、どんな能力を持っているからですか?」
「敵などはいない。住民さえいないのだ。妨害は、惑星自体だ。あの惑星は、アリシアについで、宇宙でもっとも危険な惑星だ。わしはこれ以上あの惑星に接近したことはないし、今後もそうだろう。だから、あれについては、聞かされたこと以外はなにも知らない。しかし、あそこには、人を殺したり狂気に追いやったりする何かがあるのだ。われわれは各航行ごとに、七、八隻のボートと三十五人から四十人の人員を失うが、これまでにもっとも多く葉を採集した場合でも、二百ポンド以下にすぎない。まったく採集できなかったことも、たびたびあるのだ」
「気が狂うのですか?」サムスは自制したにもかかわらず、青ざめた。しかし、アリシアほどのことはないはずだ。「気が狂った者たちの症状はどんなです? どんなことをしゃべるのです?」
「いろいろだ。主な現象としては、視力が失われるらしい。盲目になるのではなく、どこに何があるのか見えなくなったり、そこにないものが見えたりするのだ。また、毎夜四十フィート以上の雨が降るが、朝になると、すっかり干《ひ》あがってしまう。宇宙で最悪の雷雨があり、風速は八百マイル時以上に達する――それについては、気象図もある」
「ほう! 時間はどれだけありますか? 許可をいただければ、着陸のまえに観測したいですな」
「賢明な方法だ。きみのほかにもそういう予備観測をやった者がふたりばかりいたが、それも無駄だった――彼らは帰還しなかったのだ。時間は、地球時間にして二日――いや三日――あたえる。それまでに帰還しなかったら、死亡したものと判断して、他のボートを派遣する。五人の部下を選択して、ためしてみろ」
ボートが降下して行くと、ウィロービーの声が、スピーカーから歯ぎれよくひびいてきた。
「わしはおまえたち五人が反乱をたくらんでいることを知っている。その計画を断念しろ。四等士官オルムステッドは、彼の命令に即座にしたがわない者の腹に、半オンスの弾丸をうちこむ権能と命令をあたえられているのだ。また、そのボートがなにか異常な行動をとれば、ビーム放射器で抹殺する。収穫を期待する!」
眠る時間だけをのぞいて、地球時間にして四十八時間のあいだ、サムスは惑星トレンコを観察し測定したが、観測すればするほど、ますます異常な様相を呈してきた。
トレンコは、まったく特異な惑星だった。その大気の半分と水圏の大部分は、一種の化合物で、気化熱はごく低く、沸点は華氏七十五度くらいである。トレンコの昼間は猛烈に熱く、夜は苛酷《かこく》に寒い。
したがって、夜には雨が降るが、これにくらべれば、一時間に一インチという地球のどしゃ降りなど、足もとにもおよばない。トレンコでは真に〈雨が降る〉――トレンコの一年を通じて毎夜のように、四十七フィート五インチの降水量があるのだ。そして、ガスから液体への、このとほうもない凝縮の結果、もちろん嵐が起こる。ウィロービーのグラフは正確だった。トレンコの両極点をのぞけば、惑星上のどの地点でも、地球の疾風などそれにくらべればごくおだやかな凪《なぎ》になってしまうような風が吹く。そして、赤道上では、日出日没ごとに、昼側から夜側にむけて、地球上の猛烈なハリケーンやサイクロンもはるかにおよばないような風が吹くのだ。
したがって、電光もはげしい。気象温和な地球に住むわれわれが知っているような、ときどきひらめくおとなしい電光ではなく、普通の太陽をしのぐような連続的閃光で、そのとどろきわたる何兆ボルトの放電のおかげで、暗黒が消滅するばかりでなく、空間それ自体が、見分けがつかないほどゆがめられるのだ。そのとほうもなくゆがんだ媒質《ばいしつ》の中では、視覚はほとんどまったく無効である。探知用超ビームも同様だ。
昼側へ着陸することは、正午をのぞけば、風のために不可能だろうし、着陸しても、二、三分以上は一ヵ所に停止していられそうもない。夜側に着陸するのも、同じくらい危険だ。ボートがおそろしい電圧を生じるからだ――漏電器に転用できるようなものが何か必要だ。あるか? ある。
極から極へ、真夜中から二四時間ぶっとおし、サムスはトレンコの見せかけの表面へ、くり返して映像ビームやスパイ光線を投射したが、いつも無意味な、ありえないような結果しかえられなかった。惑星はかたむき、よろめき、旋回し、飛躍した。いくつもの塊りに分解し、そのおのおのが、数学的に不可能な軌跡《きせき》を描きだした。
ついに彼はやけくそになって、ビームを投射したまま、それをしばらく放置しておいた。また惑星が分解したように見えたが、こんどはビームを投射しつづけた。彼は、ボートが惑星から二百マイルもはなれた成層圏外にいることを知っていた。しかし、一個の巨大な岩石が、すさまじい速度で自分の小さなボートめがけてまっしぐらに落下してくるのが見えたのだ!
彼はすでに乗組員たちにあまり注意を払っていなかったが、不幸にして彼らもこの光景を見た。そしてそのひとりは、けもののようなわめき声をあげるなり、制御装置についているサムスにとびかかった。サムスがピストルと棍棒に手をやりながらふりむいたとき、例の赤毛の大男が、とびかかろうとした男の首すじを手刀ではげしく打って気絶させたのが見えた。
「ありがとう、トウォーン。なぜ助けてくれたのかね?」
「あっしはこの仕事から生きて帰りたいんだが、こいつのやるままにしておけば、あっしらは十五分で地獄行きになっちまうからですよ。あんたはあっしらよりずっとよく事情がわかってるから、あっしはあんたにしたがうことにしたんです。わかりましたか?」
「わかった。きみは棍棒が使えるか?」
「達者でさあ」大男は、つつましく認めた。「だれかをどれだけの時間眠らしておけといいなされば、一分以上はおそくも早くもなく眠らせてみせますよ。だが、この野郎はいますぐ脳みそをたたき出しておいたほうがいいですぜ。なんの役にも立たねえやつだから」
「その男が役に立たないかどうか、はっきりするまではいかん。きみはプロキオン人だな?」
「そうです。ミッドランドなんで――北中部の」
「何をやったのかね?」
「はじめは、大したことじゃなかったんです。殺す必要のあるやつを殺しただけだったんだが、そのシラミ野郎がうんとこさ金を持っていたんで、二十五年くらいこみました。腹立ちまぎれにあばれてやったら、独房に入れられた――足かせやら、拘束衣やら着せられてね。そこで、脱獄をくわだてた――看守を六人か八人か、たぶん一ダースくらい殺した――しかし成功しなかったんです。そこで、死刑囚のリストにのせられた。それだけのことでさあ、ボス」
「きみをいまから班長に昇格させてやる。さあ、棍棒だ」彼はトウォーンに自分の棍棒をわたした。
「みんなを見張っていてくれ――わたしはいそがしすぎる。この着陸はむずかしいことになりそうだ」
「わかりやした、ボス」トウォーンは棍棒で自分の足をたたいてためしながらいった。「安心してやってください。この連中のことなら、いないも同然です」
サムスは、ついにこの企《くわだ》てをきめた。彼は朝側の明暗界線を測定し、小さな船を真夜中よりいくらか明け方に近いところで停止させた。すばやく太陽の位置を読むと、映像盤を切り、圧力計とジャイロスコープだけをにらみながら、ボートを降下させた。
水銀柱百ミリ。三百ミリ。五百ミリ。彼はボートの速度をゆるめた。ボートは稀薄な液体にぶつかるはずだが、あまりつよくぶつければ、ボートが破壊されることだろう。それに、彼はトレンコの表面の気圧がどのくらいか、まるで知らなかった。六百ミリ。こんなに夜おそくだが、地球の気圧よりは大きいかもしれない――また、少ないかもしれないのだ。七百ミリ。
彼は速度をいよいよゆるめて降下していった。彼の緊張は、圧力計の針よりもはるかにすみやかに上昇した。これこそ、徹底的な計器着陸だ! 八百ミリ。乗組員たちはこの着陸に対して、どういう気持でいるだろうか? トウォーンは何人くらいを気絶させたか? 彼はすばやく見まわした。ひとりも気絶させていない! 彼らは映像盤にあらわれる幻覚的映像を見ることができないので、まったく恐怖を感じていないのだ――緊張を感じているのは彼だけなのだ!
九百ミリ――九百四十ミリ。ボートは、はげしい衝撃とともに、しぶきをあげて〈水に〉ぶつかった。しかし、ボートの速度は充分おそく、液体は充分に深かったので、なんの損傷も受けなかった。サムスはちょっと推進力をかけて、ボートのとがった先端を、太陽のほうへふりむけた。ボートをできるだけ液面すれすれにたもちながら、ゆっくり前進した。ボートは、川の蒸気船が泥の川底にのりあげるようにやんわり着地した。信じられないほどの豪雨が減じた。レンズマンは、第二の危機が迫っていることを知った。
「この風でボートがどういう影響を受けるか判明するまで、全員、安全ベルト着用」
音速よりはるかに大きな速度で移動している大気は、事実上気体ではなく固体のような衝撃力を持っていた。宇宙ボートは、堅固な合金板でおおわれ、安定装置をそなえてはいたが、これからぶつかる風にはたえられそうもない。有重力状態にあれば、船体が割れて、ビスケットのように粉砕されるだろう。サムスの指はボタンを押した。バーゲンホルムが活動を開始し、ボートが無慣性状態に移行したその瞬間、固体に近い蒸気の衝撃が、ボートを大気中に吹きとばした。
二回目の降下は、前回のよりずっとすみやかで、容易だった。こんどは、サムスはボートを液体の表面にとどめず、岸にむかって前進もしなかった。彼は、この液体の海がボートを破壊するほど深くないことがわかったので、ボートを底まで沈めた。そればかりでなく、ボートを横たおしにして、水平角度で推進させ、右舷の出入口の縁が、海底とすれすれの高さになるほど深くもぐらせた。こうして待機していたが、こんどは風もボートを吹きとばさなかった。
サムスは、純粋に理論的根拠からして、視覚の異様なゆがみは、距離の作用にちがいないと推定していた。そして、これまでの観測は、その仮定と一致する。彼はゆっくり慎重に映像ビームを投射した。十フィート――二十――四十――まったく明瞭だ。五十フィートになると、視界はいちじるしく悪くなり、六十フィートでは、識別不能になった。彼は四十フィートに短縮して、植物を観察しはじめた。それらはおどろくべき速さで成長しており、強風で地面に押しつけられ、重い根で地面につなぎとめられている葉は、すでに数インチの長さに達していた。また、一種の動物らしく思われるものもいたが、サムスは、さしあたりトレンコの動物学には関心がなかった。
「わしらが採集しようっていう植物はあれですかね、ボス?」トウォーンは、サムスの肩越しに映像盤をのぞきこみながらたずねた。「これから外へ出て、採集をはじめるんですか?」
「まだだ。出入口をあけられたとしても、突風でボートが破壊されてしまうだろう。それに、頭を出したとたんに、縁板すれすれのところでもぎとられてしまう。この風はしばらくするとやむはずだ。正午すこし前に外へ出ることにする。いまはその準備をととのえよう。みんなに装備を取り出させろ。十二番支柱二組、定着装置と鎖、牽引ブロック四組、太い宇宙ロープ百フィート――
「よろしい」彼は命令が実行されるのを待ってからつづけた。「ウィンチに巻いた宇宙ロープを、こことここと、ここの牽引ブロックに通せ。わたしがおまえたちを風にさからって引きもどすためだ。おまえたちがそれをやっているあいだに、わたしはウィンチにリモート・コントロールを装備する」
トレンコの強烈な青白の太陽が子午線に到達する少し前、六人は宇宙服を着用して、サムスが慎重に気密境界《エアロック》のドアを開いた。ドアはうまく機能した。風はもう地球のハリケーンよりいくらも強くない程度になっていた。はげしくばたつく広葉植物は、上方へ成長しながら、ほとんど四十五度くらいまで起きなおっていた。葉は、ほぼ完全に成長しているように見える。
四人の男は、宇宙服を宇宙ロープに定着させた。ロープはのびきった。各人は、手がとどくかぎりでもっとも大きく厚く赤紫色の葉を二枚ずつ選び取った。サムスは彼らを引きもどして、収穫を受けとった。トウォーンはそれをしまいこんだ。もう一度――もう一度――もう一度。
正午になると、二、三分の凪《なぎ》がおとずれた。風はさまざまの方向に吹いたが、がっちりした男なら、それに抵抗して立っていることができた。地面から噴きとばされることなしに動きまわることもできた。そこで、この二、三分間には、六人が全部で葉を採集した。しかし、その時間はごく短かった。風は午前中とは反対の方向に一定し、いよいよはげしく吹きつのってきた。ウィンチと宇宙ローブがまた動きだした。そして、三十分とたたないうちに、ロープははげしい負荷のために音楽的なうなりをたてはじめたので、サムスは作業をうち切ることに決心した。
「きょうはそれまでだ」と宣言した。「もう二回も作業をくり返せば、ロープは切断されるだろう。おまえたちは、よく働いたから、失いたくない。ボートへもどれ」
「宇宙服をぬいでもいいですか?」トウォーンがたずねた。
「そうしないほうがいいだろう」サムスはちょっと考えてからいった。「いや、いかん。危険をおかすのはよそう。ここの空気は何か知らないが、おそらくシアン化物のように猛毒だろう。宇宙服を着用したままでいよう」
時間がすぎた。〈夜〉がきた。雨と洪水。地面はやわらかになった。サムスはボートを推進させて泥からぬけだし、惑星からはなれた。彼はブリーダー・バルブを開き、それから二つの気密境界を開いた。汚染された空気は、惑星間宇宙の極度に寒冷な真空と交換された。彼はヴァージン・クイーン号に信号を発し、ボートは収容された。
「速かったな、オルムステッド」ウィロービーはお祝いをいった。「帰還しただけでもおどろきなのに、これほど収穫をおさめて、しかもひとりも失わなかったのだからな。貨物監督、目方をはやく報告しろ!」
「三百四十ポンドであります」貨物監督が報告した。
「いやはや! しかも、みんな純粋の広葉だ! いままでに、だれもこんな成績をあげた者はいない! どんなぐあいにやったのかね、オルムステッド?」
「これがあなたの任務に関係があるかないかはわかりません」サムスの態度は侮蔑的ではなく、考えぶかいだけだった。「秘密にするわけではありませんが、わたしの方法は、ほかの者にはあまり役に立たないかもしれません。まず本部に報告して、本部から発表させるようにしたほうがいいと思います。公正でしょうか?」
「公正だとも」船長はいさぎよく譲歩した。「なんという収穫だ! おまけに、なんの損失もないのだ!」
「損失は、ボート一杯の空気だけですが、空気はここでは貴重ですからな」サムスはわざと指摘した。
「空気だって!」ウィロービーは叫んだ。「あの葉一枚のためなら、いつでも百杯分の空気と交換してやるさ!」サムスはそれが知りたかったのだ。
ウィロービーは抜け目のない男だった。彼は出世の方法を知っていた。下級者を利用し踏み台にするいっぽう、上級者をひきずりおろして取って代わる。そして、それができないほど強力な上級者には、おべっかを使うのだ。彼はこのオルムステッドが大物になれる素質があるのを知った。そこで、
「船がトレンコへ着くまでは、きみに航路を知らさないようにしておけという命令だったのだ」彼はヴァージン・クイーン号がトレンコ太陽系から発進したのちまもなく、四等士官にむかって、弁解がましくいった。「しかし、トレンコ到着後のことについては、何も命令を受けていない――おそらく、いつものように、きみはもう生還しないと考えたのだろう――だが、いずれにせよ、きみが希望するなら、この制御室にいてもかまわんよ」
「ありがとう、船長。しかし、この航行の最後まで命令にしたがったほうがよくはありませんか?」彼はそれとなく他の高級士官たちのほうに頭を傾けて見せた。「わたしは船がどこにいようと興味はありませんし、だれかに疑われたくもありませんから」
「もちろん、そのほうがずっといい――わしに関するかぎり、きみをすっかり信用しているということを知っていてさえもらえばな」
「ありがとう、ウィロービー。そのことはおぼえておきます」
サムスは、船長に対して完全に率直ではなかった。航行に要した時間から判断して、彼は太陽からトレンコまでの距離を数パーセク内の誤差で知っていた。しかし、方向はわからない。距離がとても大きいので、見おぼえのある恒星や星座を発見できなかったからだ。けれども、船のそのときのコースはわかっていたから、これから先のコースと距離はわかるだろう。彼は充分満足していた。
二、三日がこともなく過ぎたのち、サムスはまた制御室に呼ばれた。船が三つ太陽のある太陽系に接近しているのが見えた。
「ここに着陸するのですか?」彼は無関心らしくきいた。
「着陸はしないのだ」ウィロービーがいった。「きみは広葉をボートに積んで、指定の地点にそれをパラシュートで投下できるところまで降下するのだ。パイロット、ここで充分だ。有重力状態に移行して、惑星の固有速度に同調しろ。さあ、オルムステッド、見たまえ。こんな太陽系を見たことがあるか?」
「ありませんが、聞いたことはあります。あの二つの太陽は、外見よりはるかに大きく、はるかに遠方にあり、この太陽はずっと小さくて、ずっと外縁にあるのです。あの大きな太陽には、惑星があるのですか?」
「それぞれ五個と六個あるということだ。どれも地獄のドアよりもっと熱して乾燥している。この太陽には七個あるが、第二惑星――〈カヴェンダ〉と呼ばれている――だけが、この太陽系の中で、地球に近い惑星だ。最初に捜すのは、ダイヤ形をした大きな大陸だ――その形のは一つしかない――そら、あそこだ。一端が他のはしより大きいだろう――あれが北だ。大陸を二分する線を引き、北端からその線の長さの三分の一の地点を測定する。船がいまむかっているのは、その地点だ――あの火口が見えるかね?」
「見えます」ヴァージン・クイーン号は、まだ数百マイル上空にいたが、急激に速度をゆるめつつあった。「きっと大きな火口ですな」
「直径五十マイルはある。広葉を入れた箱が、あの火口壁内のどこかに確実に落下するところまで降下するのだ。それから投下する。パラシュートと送信器は自動式だ。わかったかね?」
「わかりました」そしてサムスは出発した。
しかし、彼は広葉を送達する仕事よりも、恒星の観測に、はるかに関心を持っていた。いまどこにいるにしても、太陽の直接むこうにある星座は、それとわかるはずだ。その形はずっと小さく、多少ともゆがんで見えるだろう。それを構成する星は、地球からは近いのではっきり見えるが、ここからはかすかで、ほとんど見えないかもしれない。天体図は、付近にある未知のまばゆい恒星の影響で、なおさら混乱して見えるだろうが、カノープス、リゲル、ベテルギウス、デネブなどの巨星は、見わけがつきさえすれば、はっきり目に見えるにちがいない。トレンコからの観測は失敗したが、彼はまだあきらめなかった。
かすかながら見おぼえのある恒星があった! 彼は精神的努力で汗を流しながら、近すぎまぶしすぎる恒星を除外して、残ったものを熱心に観測した。青白色の恒星と赤い恒星がもっとも目立っている。リゲルとベテルギウスか? あの星座はオリオンだろうか? 雲状体はごくかすかだが存在している。シリウスはあのあたりに、ポルックスはあのあたりにあるはずだ。そして、この距離では、ほぼ同程度にあかるいだろう。あった。アルデバランはオレンジ色で、ポルックスより一等級くらいあかるいだろう。そして、カペラは黄色で、さらに半等級あかるいだろう。あった! それらがあるべき位置に近すぎはしないが、充分に近い――オリオンだ! すると、このシオナイト用中継ステーションは、赤経十七時で、赤緯プラス十度の近くのどこかにあるのだ!
サムスが帰還すると、ヴァージン・クイーン号は出発した。サムスはごくわずかしか質問せず、ウィロービーも、ごくわずかしか情報を提供しなかったが、ファースト・レンズマンは、仲間の海賊のだれにも想像がつかないほど多くのことを学んだ。彼はすこぶる超然として口数が少なく、仕事をしていないときはいつも、自分の船室ですごしているように見えたが、つねに目と耳を働かせていた。そして、すでに述べたように、バージル・サムスは頭を持っていた。
ヴァージン・クイーン号は、高速力でカヴェンダからヴェジアにむかい、きっかり時間どおりに到達した。積荷をおろし、その代わりに地球向けの貨物を積み補給を受けたのち、迅速に航行して地球へ帰還し、ニューヨーク宇宙空港のドックにはいった。バージル・サムスは、平凡な外見の休息室に無雑作にはいって行った。そして、本物のジョージ・オルムステッドが、完全に知識をさずけられたのち、無雑作に出て行った。
サムスはできるだけはやく、ノースロップとジャック・キニスンにレンズで連絡した。
「閣下、われわれは無数の信号を調査しました」ノースロップは報告した。「しかし、メッセージを伝達したものは、一つしかなく、それも意味が通じませんでした」
「なぜ通じないのか?」サムスは鋭くたずねた。「レンズを用いれば、どんな種類のメッセージでも、たとえそれがどれほど変形され、暗号化され、妨害されていても、意味が通じるはずだ」
「いや、メッセージの内容はわかりました」ジャックが思考をはさんだ。「しかし、表現が不充分なのです。反復して、準備よし――準備よし――準備よし、といっただけなのです」
「なんだって!」サムスは叫んだ。ふたりの青年は、彼の心が活動しているのを感じることができた。「ひょっとすると、その信号の発信地は、赤経十七時、赤緯プラス十度の近くではなかったかね?」
「とても近いです。なぜです? どうして知っておいでなのです?」
「それならば、意味が通じる!」サムスはそう叫んで、レンズマンの総会を召集した。
「その通信線に沿って調査をつづけたまえ」サムスは最後に指令した。「レイ・オルムステッドを、わたしの代わりに〈丘〉に置いてくれ。わたしは、冥王星へ行き、それからバレイン系第七惑星へ行くつもりだ」
ロデリック・キニスンはもちろん反対した。しかし、彼の反対はもちろん権限外のことだった。
[#改ページ]
冥王星と太陽の距離は、平均すれば、地球と太陽の距離の四十倍くらいある。地球表面の一平方ヤードが太陽から受ける熱は、冥王星の表面が受ける熱の約千六百倍に達する。冥王星から見た太陽は、かすかな青ざめた点にすぎない。地球の年にして二百四十八年に一度めぐってくる近日点の正午の赤道上でさえ、冥王星の表面における気象条件は、温血で酸素を呼吸する人類には想像を絶するほど猛烈に寒いのである。
バージル・サムスが冥王星を訪問するとき着用した宇宙服を完成するには、パトロール隊の最高の技術者の手で六ヵ月以上もかかったが、この事実によって、冥王星の気象条件はいちばん明瞭に理解できるだろう。普通の宇宙服では役に立たないのだ。宇宙自体は寒くはない。熱は、ほとんど完全な真空への輻射《ふくしゃ》またはそれを通じての輻射によって失われるにすぎない。しかし、冥王星の岩と金属からなる表面に接触すれば、熱伝導が起こる。そして、その結果、必然的に起こる熱喪失の量は、地球の科学者たちを茫然とさせるほど巨大なのだ。
「足もとに気をつけろよ、バージ」というのが、ロデリック・キニスンの最後に主張した思考だった。「あの心理学者たちのことを忘れるなよ――もし彼らが五分間あの地表と接触していれば、くるぶしまで凍ってしまっただろう。科学者たちがだめだというのではないが、すべりどめの杖をついていても、すべることはよくあるものだ。もし足が冷えはじめたら、何をしていてもかまわんから、ほうりだして全速力でもどってくるんだ!」
バージル・サムスは着陸した。彼の足はひきつづきあたたかだった。やがて、宇宙服のヒーターが負荷を継続的に負担できることが確実になったので、彼は着陸点の近くにある居住地区に徒歩で出かけていった。そしてそこではじめて、パレイン人に会ったのである。
というより、厳密にいえば、はじめてパレイン人の一部を見たのだ。なぜなら、いかなる三次元的生物も、寒血で有毒性の気体を呼吸する種族を完全に見ることはできないからだ。われわれが知っているような生物――有機的、三次元的生物――は、液体性の水とガス体の酸素を基礎としているので、気温が絶対温度数度にすぎないような惑星上では、そのような生命は発生しないし、また発生しえない。これらの超寒冷な惑星の多く、おそらく大部分には、一種の大気があるが、まったく大気がないものもある。
しかし、大気があってもなくても、また酸素や水がまったくなくても、そのような無数の惑星では、生物――高度に知的な生物――が発達している。もっとも、それらの生物は、厳密には三次元的ではない。それらの生物は、もっとも低級なものでさえ、必然的に超次元的延長を持っている。そして、このような極限的上限のもとで生命が存在しうるのは、まさにこの変形的延長のおかげなのだ。
この延長の結果、人類の目からすると、パレイン人の姿は、たえず変形する不定形の液体としか見えない。それが彼らの、その瞬間における三次元的形態なのである。したがって、彼らの形態を描写することは、まったく不可能なのだ。
バージル・サムスはパレイン人を見つめて、その形態を捕捉《ほそく》しようとした。彼にはそれが、目か触角《しょっかく》を持っているかどうかわからなかった。足、腕、触手、歯、くちばし、爪、皮膚、うろこ、羽毛などを持っているかどうかもわからなかった。この生物は、それまでにレンズマンが見たり感じたり想像したりしたどんな生物にも、かすかにさえ似ていなかった。彼は観察をあきらめて、探知的思考を投射した。
「わたしは、地求人のバージル・サムスです」彼はその生物の心の外縁に接触したのち、ゆっくり慎重に伝達した。「あなたは男性か女性か知りませんが、少し時間をさいていただくことは可能ですか?」
「もちろん可能です、レンズマン・サムス。わたしの時間は、まったくとるにたりないものですから」
怪物の心は、サムスをぎょっとさせるほどの速度と正確さで、彼の心に同調した。つまり、怪物の心の一部が、彼の心の一部と感応状態にはいったのだ。ファースト・レンズマンでさえ、パレイン人について、この最初の精神接触で知ったのよりずっと多くのことを知るようになるまでには、それから何年もかかった。そして、レンズの子らをのぞけば、どんな人類にも、パレイン人の心の迷路のように入りくんだ複雑さを、おぼろげにさえ理解できないのだ。
「わたしを『女性《マダム》』と呼ぶのが正当でしょう」パレイン人の思考はなめらかにつづいた。「わたしの名は、あなたがたの表現法でいえば、第十二ピリニプシです。わたしは、教育、訓練、職業の点で、主任デクシトロボーパーです。わたしは、あなたが確かにあの地獄のように熱い第三惑星の住人であることを確認しました。長いあいだ、あの惑星には生物が存在しえないと考えられていたのです。そして、これまでのところ、あなたの種族との連絡はほとんど不可能だったのです――なるほど、そのレンズのおかげで、連絡が可能になったのですね。まったく巧妙な装置です。それを着用できるのはあなただけだという明白な事実がなかったら、あなたを抹殺《まっさつ》して、それを手に入れるところです」
「なんですと!」狼狽《ろうばい》と驚愕《きょうがく》がサムスの心を満たした。「あなたはすでに、レンズを知っていたのですか?」
「いや、知りませんでした。あなたのレンズが、われわれのはじめて知覚したレンズです。しかし、そのものの機構、数学、基本的哲学は明白です」
「なんですと!」サムスはまた叫んだ。「では、あなたはレンズを自分でつくれるのですか?」
「あなたがた地球人にできないと同様、わたしたちにもできません。どのパレイン人にも、発達させることも発生させることも制御することもできないような、マグニチュード、変数、決定因子、力などが要求されるからです」
「わかりました」レンズマンは自制をとりもどした。ファースト・レンズマンとしては、まったく醜態《しゅうたい》をさらしたものだ――
「そんなことはありません」怪物は彼の心を読んで、保証するようにいった。「あなたはみずから進んで無謀にも、はなはだ異質な環境にとびこんできたわけですが、そのことを考慮に入れれば、あなたの心はよく統合されていて、強力です。さもなければ、心が粉砕されてしまったでしょう。もしわたしたちの立場を逆にすれば、あなたの地球の灼熱を想像しただけで――それ以上近よらないでください!」怪物は消滅し、数ヤードむこうにふたたび姿をあらわした。恐怖と嫌悪におののいている。「しかし、話をつづけましょう。わたしはあなたの来訪の目的を分析し理解しようとつとめましたが、成功しませんでした。もちろん、その失敗も不思議ではありません。わたしの心は薄弱で、総能力は微小だからです。あなたの使命を、できるだけ簡単に説明してください」
薄弱? 微小? 怪物がたったいま示した精神力から判断して、サムスは、彼女がいっているのは皮肉か、それとも口先だけのことだと思って、相手の心をさぐってみた。しかし、そのような痕跡はまったくなかった。
そこで彼は、たっぷり十五分もかけて、銀河パトロール隊について説明したが、結局パレイン人の唯一の反応は、まったくの無理解だけだった。
「わたしは、そのような組織の効用、または必要を、まったく理解できません」彼女は率直に述べた。「その博愛主義ですが――それがなんの役に立つのです? 他の種族がわたしたちの種族のために、なんらかの危険をおかすとか、なんらかの努力をするとかいうことは、わたしたちが他の種族のためにそういう行動をとることと同様に、まったく考えられません。あなたもすでに知っているはずですが、無視し、無視されて存在するというのが、至高の教義なのです」
「しかし、あなたがたの惑星とわれわれの惑星のあいだには、わずかながら交渉があります。あなたがたはわれわれの心理学者たちを無視しなかったし、あなたはわたしを無視していないではありませんか」サムスは指摘した。
「おお、わたしたちは、だれひとりとして完全ではありません」ピリニプシは精神的に肩をすくめ、多数の触手をそよがせるような身ぶりをして答えた。「この理想も、他の理想と同様に、漸近線のように接近できるだけで、到達することはできません。それに、わたしは薄弱で不正確であるばかりでなく、いくらか愚鈍なので、他のほとんどの者よりはるかに不完全なのです」
サムスはあきれて、べつの方法をこころみた。「もしわたしがあなたについてもっとよく知れば、自分の立場をもっと明白にできるかもしれません。わたしはあなたの名前を知り、あなたがパレイン系第七惑星の婦人であることを知っています」――サムスは実際に相手を単なる「牝」ではなく、「婦人」と考えたのだった――「しかし、あなたの職業についてわかっているのは、あなたがわたしに教えてくれた名称だけです。主任デクシトロボーパーとは何をするのです?」
「彼女――または彼――またはそれ――は、デクシトロボープの仕事の監督です」この思考は、完全に明瞭ではあったが、サムスにとってはまったく無意味だった。そしてパレイン人もそのことを知っていた。彼女はまた説明を試みた。「デクシトロボープの対象は――栄養? いや――栄養物です」
「なるほど、農耕――農業ですな」サムスは思考したが、こんどはパレイン人のほうが、その概念を把握できなかった。「狩猟ですか? 漁業ですか?」そうでもなかった。「では、実演してみせてください」
彼女は実演を試みたが、やはり無駄だった。サムスには、パレイン人の行動がまったく無目的に思われたのだ。特異に流動的で微妙に変化する生物は、前に進んだり後ろにしりぞいたり、もりあがったり沈んだり、出現したり消滅したりしながら、形態、大きさ、外見、組織などについて、周期的変化をくりかえした。彼女はあるときはとげだらけになり、あるときは触手を出し、あるときはうろこを生じ、あるときは羽毛に似た無気味な葉状体におおわれながら、たえず真紅の粘液をしみ出させた。しかし、一見何もしていないように見えた。すべての活動の総計は、ゼロであるように思われた。
「さあ、すみました」ピリニプシの思考は、また明瞭になった。「観測して理解しましたか? 理解していませんね。奇妙です――困ったことです。レンズは、わたしたち相互の通信と理解をすばらしく進歩させたので、肉体的方面にもそれがおよぶかと期待したのです。しかし、ここには何か基本的な相違があるにちがいありません。その本質はいまのところ不明瞭ですが、ことによると――わたしもレンズを持っていれば――いや、そうではない――」
「いや、そうです!」サムスは熱心に思考をはさんだ。「なぜアリシアへ行って、レンズをつくってもらえるかどうかためしてみないのです? あなたは強力な、真に〈雄大な心〉を持っている。一つの点をのぞけば、あらゆる点でレンズマンの資格を持っている――ただ、あなたはその点を働かせようとしないのです」
「わたしが? アリシアへ行くのですって?」その思考は、地球人にしてみれば、嘲笑に近いものだった。「なんとばかげたことでしょう――なんととほうもなく愚劣な! レンズを着用すれば、個人的不快感、おそらく個人的危険があるでしょう。それに、レンズが二個あったところで、わたしたち二個の存在のあいだの相違を解消するには、一個の場合以上には、ほとんど、またはまったく効果がないでしょう。その相違は、おそらく実際に調和しがたいものなのです」
「よろしい、では」とサムスは憤然として思考した。「あなたよりもっと愚鈍なだれかを紹介してくれませんか?」
「この冥王星には、わたしより愚鈍な者はいません」パレイン人は少しも腹をたてなかった。「だからこそ、わたしはもっと前にきた地球人来訪者と会見し、現在もあなたと思考を交換しているのです。他の者たちは、あなたを避けました」
「わかりました」サムスの思考は深刻だった。「では、本拠のパレイン星はどうですか」
「あそこなら、確かにいます。事実、そのような者たちのグループまたはクラブがあるのです。もちろん、彼らはあなたほど狂気――異常――ではないが、わたしよりは、はるかに異常です」
「そのクラブのメンバーの中で、だれがレンズマンになることにもっとも関心を持つと思いますか?」
「わたしがパレイン系第七惑星を去ったときは、新思想クラブの中でも、タリクがもっとも不安定で、クラゼックスがそれについでいました。もちろん、その後、変化はあったでしょう。けれど、そのタリクでさえ――タリクがいちばん異常なときでさえ――あなたのパトロール隊に参加するほど異常だとは思えません」
「いずれにせよ、わたしはタリクに会わねばならない。ここからパレイン系第七惑星への航路図を示してくれませんか?」
「示してあげましょう。あなたがこれまで思考したことはすべて、わたしにはなんの役にも立たない。ですから、そうしてあげるのが、あなたを追い払うのにもっとも容易ですみやかな方法です」
パレイン人はサムスの心に、詳細な航路図を展開して見せたのち、精神感応線を切断して、もうサムスにはなんの関心も示さずに、例の不可解な仕事にとりかかった。
サムスは混乱した心でボートへもどり、離陸した。船が光年また光年、パーセクまたパーセクと突進して行くあいだ、サムスは無益な思考の渦《うず》にいよいよ深く巻きこまれていった。あのパレイン人とは――実際に――何者だろう? 彼らはどうして、現在存在しているような形で――現実に――存在できるのか? そしてなぜ、あのデクシトロボーパー?――いったいなんの意味だ?――の思考は、あれほど鋭敏明晰に伝達されるのに、他の者たちは――?
彼は、自分のレンズが、どんな思考やメッセージでも、それらがどれほど暗号化されていようと、またどのように伝達され中継されようと、それらを受信して、自分の言語に変化させることを知っていた。レンズに欠点はない。彼の言語に欠点があるのだ。ある種の概念――事物――現実――現象は、地球人の経験に対してきわめて異質なので、それの対応物が存在しない。したがって、人間の心には、それらを把握するチャンネルや機構が欠けているのだ。
彼とロデリック・キニスンとは、人類がなんの共通点も持てないように異質な知的生物と接触する可能性について、あれこれと論じ合ったことがある。しかし、サムスがたったいま経験したことからすれば、その可能性は、彼や友人が信じたよりもっと大きかったのだ。彼は自分がパレイン人との部分的接触でいかに狼狽したかを思いながら、その可能性が現実のものとならないことを、切に希望した。
パレイン太陽系も、第七惑星も、容易に発見できた。もちろん、この惑星は、太陽に面した側も反対側と同様に暗かったが、ここの住民には、光の必要がなかった。しかし、ピリニプシの指示は詳細で正確だったので、サムスはほとんど手数をかけずに、首都の位置をつきとめた――この惑星には、真の意味で都市がなかったから、都市というよりは村落といったほうがよかった。この惑星ただ一つの宇宙空港も見つかった。しかし、なんという〈空港〉だ! 彼は冥王星の主任デクシトロボーパーと会見したときに、空港について受けとった思考を正確に思い返してみた。
「宇宙船が着陸する場所」と言うのが、彼女がその位置を、町の位置に関連づけて正確に示したときの思考だった。彼女の思考はそれだけで、それ以外のものではなかった。その観念に、ドック、船受台、補給車、職員その他、サムスが知っているどの宇宙空港にもつきものの設備を付加したのは、彼の心であって、彼女の心ではなかった。パレイン人はサムスが彼女の観念に付加した付属物に気づかなかったのか、それとも彼の誤解を訂正してやるまでもないと考えたのか、彼にはわからなかった。
その区域はすべて、彼の手のひらのようにのっぺらぼうだった。ただ、あちこちにえぐられたり焼けただれたりしたところがあり、このように想像がつかないほど寒冷な岩や金属に対しても、ジェットの噴射がどんな影響をあたえるかを示していたが、その点をのぞけば、パレインの宇宙空港は、この惑星のまったく殺風景な表面のその他の部分と、すこしも区別がなかった。
なんの信号もなかった。彼は着陸の慣習について、彼女から何も教えてもらわなかった。どうやら、誰もが勝手に着陸するらしい。そこで、サムスの船は強力な着陸灯を照射し、その助けによって無事に着陸した。彼は宇宙服をつけて気密境界に歩いて行ったが、途中で気を変えて、荷物積載口へ行った。船から出て歩いて行くつもりだったのだが、空港がでこぼこで人気《ひとけ》がなく、空港と町のあいだにはまったく未知の土地が横たわっていることを考慮に入れて、〈這行車《クリープ》〉に乗って行くことにきめたのだ。
この車はのろかったが、どこへでも――文字どおり――行くことができた。車体はマグネシウム合金でできた葉巻型であり、大きく柔軟《じゅうなん》で丈夫なタイヤを持っているばかりでなく、空気と水兼用のプロペラ、折りたたみ式翼、推進、ブレーキ、方向転換用のジェットもそなえていた。この車は、火星の砂漠、金星の大洋や沼地、地球のクレバスだらけの氷河、鉄からなる小惑星《アステロイド》の寒冷な表面、月の火口におおわれたでこぼこの表面など、同じ速度ではないまでも、同じような安全さで横断することができた。
サムスは車を運転して、貨物積載口の気密境界にはいりながら、船へもどってきたときは、内側のドアを開くまえに、気密境界内の空気を宇宙へ排出しなければならないと考えた。傾斜路が船内へ引きこまれ、貨物積載口がとざされた。さあ、出た!
ヘッドライトをつけるべきか否《いな》か? パレイン人が光に対してどういう反応または態度を示すかわからなかった。冥王星にいるときには、そのことを質問するのに気づかなかったが、それは大事なことかもしれない。船の着陸灯をつけたことも、すでに取り返しのつかない悪結果をもたらしているかもしれない。やむをえなければ、星あかりで運転することもできる――しかし、彼には光が必要だし、これまでのところ、まだ一つの生物も動くものも見かけていなかった。数マイル以内にパレイン人がいるらしい気配はまったくなかった。彼はパレインが暗いだろうことは、頭で理解していたが、建物、交通――地上車、航空機そして少なくとも数隻の宇宙船――などを見ることを予測していた。このように見わたすかぎり何もないとは、思いもよらなかったのだ。
いくら何もないにしても、パレインの主要都市から唯一の宇宙空港へ通じる道路が一本はあるはずだ。しかし、サムスは船からそれを見かけなかったし、いまも見つけ出せなかった。少なくとも、それを認識できなかった。そこで彼は牽引推進のクラッチを入れ、町へむけてまっすぐに進みはじめた。地面は、でこぼこどころの話ではなかった――まったくぎざぎざである――しかし、這行車《クリープ》はひどい衝撃に耐えられるようにつくられていたし、操縦席は、それ相当にスプリングやクッションがきいていた。そういうわけで、コース自体は、リゲルストンへむかうなめらかに舗装された道路よりはるかにわるかったが、サムスはこの小旅行で受けた打撲傷は、まえの場合よりずっと少なかった。
村に接近すると、彼は道路灯を弱めて、速度をおとした。村のはずれについてからは、まったくライトを消し、星あかりだけをたよりに、じりじり前進して行った。
なんという町だ! バージル・サムスは、それまでに銀河文明に属するほとんどすべての惑星上の居住地区を見てきていた。円形、扇形、日食形、三角形、正方形、平方六面体など――ほとんどあらゆる幾何学図形――に設計された都市を見てきていた。あらゆる形や大きさの建築――細い摩天楼、広大な一階建て、多面体、ドーム、球体、半円筒、直立または倒立した完全円錐または先端を切断した円錐、ピラミッドなど――を見てきていた。しかし、それらの居住地区は、どのように配置され、個々の建築がどのような形をしていようと、すべて理解することができた。ところが、これはどうだ?
サムスは目がすっかり暗がりになれていたので、かなりよく見ることができたが、見れば見るほどわからなかった。なんの都市計画もなく、なんの総合性や統一性もないのだ。まるで、何か巨大な手が、形も大きさも構造もとほうもなく雑多な数百の建築を、がらんとした平地に投げ出し、個々の建築は落下したままの位置と姿勢でほうりっぱなしにされているかのようだった。そこここに、三つまたはそれ以上のまったく不調和な建築が、ごたごたと積みかさねられていた。かなりきちんと配置された建築も二、三あった。ところどころに、不規則な形をした、広大な、はだかの地面があった。道路――少なくとも、それと認められるようなもの――はなかった。
サムスは這行車《クリープ》を、その空地の一つへもっていって停止させた――牽引プロペラのクラッチを切り、ブレーキをかけ、エンジンをとめた。
「さあ、ゆっくりいこうぜ」彼は自分にいいきかせた。「デクシトロボーパーが働いている場合は、実際にどんなことをしているのかがわかるまでは、じゃましたり、損害をあたえたりする危険をおかさんことだ!」
寒血で有毒気体を呼吸する生物が、厳密な意味では三次元的ではないということは、どのレンズマンも知らなかった――少なくともそのときには。しかし、サムスは、理解できないものを現実に見たことは知っていた。彼とキニスンは、このような場合について冷静に論じ合ったことがあるが、その現実は、銀河文明のファースト・レンズマンの心をさえゆさぶるに充分だった。
いずれにせよ、彼はそれほど接近する必要はなかった。彼はパレイン人の精神パターンを充分に学んでいたので、現在の距離よりはるかにはなれていても、彼らにレンズで連絡することができた。彼の個人的なパレイン首都の訪問は、友好的態度を示すためであって、必要にかられてするのではない。
「タリク? クラゼックス?」彼は質問的思考を投射した。「太陽系第三惑星のレンズマン、バージル・サムスより、パレイン系第七惑星のタリクおよびクラゼックスへ」
「クラゼックス了解、バージル・サムス」ピリニプシの思考と同様に、ダイヤのように明晰で正確な思考がはね返ってきた。
「タリクはここにいるのか? それとも、この惑星上のどこかにいるのか?」
「彼はここにいるが、現在エモフォーズしている。まもなくわれわれに参加するだろう」
やれやれ! またわけのわからない概念が出てきた。はじめは「デクシトロボープ」で、こんどはこれだ!
「ちょっと待っていただきたい」サムスはさえぎった。「あなたの思考の意味が把握できないのだ」
「わたしもそれを認めた。問題はもちろんわたしが、自分の心をあなたの心に完全に同調できない点にある。あなたの心の質や強度に対する非難とは受けとらないでほしい」
「もちろんだ。わたしはあなたが会った、はじめての地球人か?」
「そうだ」
「わたしはもうひとりのパレイン人と思考を交換したが、いまと同様の困難が存在した。わたしには、それを理解することも説明することもできない。しかし、われわれのあいだには、きわめて本質的な相違があって、ある問題については、相互理解が事実上不可能であるように思われる」
「それはすぐれた判断であり、疑いもなく正当な判断だ。では、このエモフォーズは――もしわたしがあなたの心を読みちがえていないとすれば、あなたの種族には、性が二つしかないのか?」
「そのとおりだ」
「わたしには理解できない。類推さえできない。しかし、エモフォーズは、生殖に関係があるのだ」
「わかった」サムスにわかったのは、パレイン人の生殖行為に対する観念が、彼がこれまで経験したこともないほど率直であるということだけでなく、レンズの能力とその限界についての新たな考察もわかったのだ。
レンズは本質的にきわめて正確な機能を持っている。それは思考を受けとって、正確に英語に翻訳する。時間のずれはあるが、大したことはない。もしある思考について、きわめて近い対応物が英語になかった場合には、レンズはそれをまったく翻訳しないで、これまでは意味をなさなかった単語をあたえる――この単語は、そのとき以後、いたるところのあらゆるレンズによって、その概念とだけ結合するのだ。サムスは、自分がいつか、デクシトロボーパーが実際にどんなことをして、エモフォーズという行動が実際にどんなものかということを理解するかもしれないが、おそらくそういうことはあるまい、と思った。
そのとき、タリクが参加してきたので、サムスはこれまでに何度もやってきたように、自分が夢想し計画している銀河パトロール隊について、熱心に述べた。クラゼックスは、ピリニプシと同じくらいぶっきらぼうに、そのような問題に関係したくないと答えたが、タリクはためらった――そして迷った。
「わたしが必ずしも正気でないということは、広く知られている」彼は自認した。「わたしがレンズをひどくほしがっているという事実は、その証拠かもしれない。しかし、あなたの話から推《お》すと、純粋に利己的な目的に使用するのでは、レンズをもらえないのでしょうな?」
「わたしはそう解釈している」サムスは承認した。
「そうではないかと思った」タリクの表情は――「悲しみに沈んだ」と形容するよりほかなかった。
「わたしにはなすべき仕事がある。困難な、きわめて複雑で広範な仕事であり、ときには危険さえともなっている。レンズがあれば、非常に役に立つだろう」
「どんなぐあいにかね?」サムスはたずねた。「もしあなたの仕事が、多数の人々にとって重要なものならば、メンターは確かにあなたにレンズをあたえるだろう」
「この仕事は、わたしの、わたしだけの利益になるのだ。あなたもおそらくすでに知っているように、われわれパレイン人は利己的で、卑劣で、小心で、臆病で、陰険で、狡猾《こうかつ》だ。あなたがたが『勇気』と呼ぶものは、われわれには爪のアカほどもない。われわれは、隠密に、間接に、謀略と欺瞞《ぎまん》で目的を達する」レンズはパレイン人のあらゆる思考を容赦のない正確さで英語に翻訳してバージル・サムスに伝えた。「われわれは、公然と工作しなければならない場合には、できるかぎり個人的危険を減少させて工作する。このような態度や性格の結果、われわれ種族はすべて、レンズマンになる可能性がまったくないにちがいない」
「そうとはかぎらない」
そうとはかぎらない! バージル・サムスは知らなかったが、これは銀河パトロール隊誕生の過程で、もっともきわどい瞬間だった。ファースト・レンズマンは、意識的なはげしい努力で、人間経験の偏狭で不寛容な先入主をおさえ、地球人的な心ではなく、メンターのアリシア人的な心によってすべてを見ようと努めた。バージル・サムスが部分的にでもそういうことをやってのける能力を持って生まれた最初の人間であるということは、彼が最初のレンズ着用者になった理由の一つだった。
「そうとはかぎらない」ファースト・レンズマン・バージル・サムスは本心から述べた。彼は、この非人間的な怪物が、かくも率直に容赦なく自己を評価したことで、名状しがたいほどショックを受けた――人間的な組織のすべてをゆさぶられた。しかし、人類が理解できないような多くのことがある。そして、タリクが真に強力な心を持っていることには、いささかの疑いもない。
「あなたは、自分の心が劣弱だといった。もしそうなら、わたしの心の劣弱さは、形容を絶するほどだ。わたしは、この問題について、純粋に人類的な一面だけを理解することができる。広い目で見れば、あなたの動機は、わたしの動機と少なくとも同程度に『高貴』だという可能性は充分にある。だから、議論はこれでうち切ることにするが、あなたは、他のパレイン人といっしょに、共通の目的のために働いているのではないか?」
「ときにはそうだ」
「では、非パレイン人と協力して、両種族の利益になるような目的のために働くことの望ましさを理解できないか?」
「そのような目的が存在するとすれば、理解できる。しかし、わたしはそのような目的を洞察することができない。あなたは何か特定の計画を心に持っているのか?」
「現在はない」サムスは質問をそらした。彼はすでに弾薬をうちつくしてしまったのだ。「しかし、あなたがアリシアへ行けば、そのような計画について知らされることは確かだ」
しばらく沈黙があった。やがて、
「わたしはアリシアへ行くつもりだ!」タリクは陽気に叫んだ。「わたしはあなたの友メンターと取引きしよう。わたしは、自分の計画に投入する時間と努力のうち――そう、五〇パーセントか四〇パーセント――を彼にあたえよう!」
「それなら行きたまえ、タリク」サムスはパレイン人の意図に対する真の意見を力いっぱいかくした。「いつ行けるか? いますぐ行けるかね?」
「そうはいかない。まず、この計画をしあげなければならない。一年くらい――もっと多くか、もっと少ないかもしれない」
タリクは通信を切った。サムスは眉をしかめた。パレイン系第七惑星の一年の長さは正確には知らなかったが、それが長い――非常に長い――ということだけは、はっきりしていた。
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一一
チーフ・パイロット、ジョン・K・キニスンと、電子技師長メースン・M・ノースロップが共同で指揮する黒い小型偵察船は、赤経十七度、赤緯プラス十度にきわめて近いコースで航行していた。しかし、この船は、装備や人員の点で、ふつうの偵察船ではなかった。制御室には、電子工学装置や計算機が、足のふみ場もないほど配置されていた。この船の測定器類は、銀河観測隊の大型船にしか見られないほど大きくて精密だった。そして、乗組員は、ふつうなら二十人あまりいるはずなのに――七人(コックひとり、技師三人、当直士官三人)しかいなかった。そのとき当直についていた三等士官が、しばらく前から映像盤で何かを観測して、目の前の図架にとめられた宇宙図と念入りに比較していた。やがて彼は、わざとひどく大げさな敬意を示しながら、ふたりのレンズマンをふりむいた。
「両閣下、この瞬間において、あなた方のうちどちらが、このがらくたのつまった船の公式の指揮官でありますか?」
「この男さ」ジャックはシガレットでさし示した。「上唇に、もじゃもじゃの眉毛みたいなひげをはやしているこの男さ。十六時になるまでは、ぼくの当直じゃない――空間および時間の過去未来において、いともはるかな地球の美人たちのことを夢みる貴重な時間が、まだ一分は残っているわけだ」
「へえ? 美人たちだって? 複数かい? この船のいたるところに写真がべたべたはりつけてある当人にこんど出会ったら、きみの一夫多妻的な思考を報告してやるよ。だが、ぼくのひげについての暴言は、無視してやる。きみには、ひげをはやせないんだからな。ぼくはきみ自体も無視しているんだ――こんなぐあいにだ、どうだい?」
ノースロップは椅子にもたれたキニスンにこれ見よがしに背をむけて、三つ四つの配線板を用心ぶかくまたぎ越え、当直士官の肩越しに、映像盤をのぞきこんだ。つぎに彼は宇宙図を調べた。「|何が起こったんだい《ヴァス・イスト・ロース》、スチュー? 何も見えないぜ」
「これは、きみよりはジャックむきの仕事だよ、メース。われわれがむかっている太陽系は三太陽系だが、宇宙図によると、二太陽系だ。しかし、もちろん当然のことさ。この区域全体は未探検だから、宇宙図も天文学的観測で作成したもので、実地観測によるものではない。しかし、そのおかげで、われわれは最初の発見者になる。そして指揮官は――規則によれば、『指揮官』で『指揮官達』ではないよ――義務として――」
「さあ、ぼくの当直だ」ジャックが宣言して、もったいぶった足どりで映像盤に近寄った。「えへん、おほん。〈わしが〉この太陽系に名をつける。〈わしが〉報告する。〈わしが〉歴史に名をとどめて――」
「子どもはひっこんでいろ。きみは発見の瞬間には当直じゃなかったんだぞ」ノースロップは、大きな手のひらをジャックの顔にあてて、かるく押し返した。「きみが〈ぼくの〉お株をうばうつもりなら、確かに名をとどめることになるだろう――ただし、歴史にじゃなくて、墓石にな。それに、きみはあの太陽系に『えくぼ』なんていう名をつけるだろう――なんてとほうもない思いつきだ!」
「じゃあ、きみはなんと名をつける? 『バージリア』じゃないのか?」
「おあいにくさまさ、坊や」彼はまさにそうつもりだったのだが、こうなると、そうする勇気はなかった。「もちろん、われわれの作戦にちなんでつけるのさ。われわれが目標にしている惑星は、ザブリスカだ。三つの太陽は、大きさの順にザブリスカ、A、B、Cだ。そして、発見時の当直士官L・スチュアート・ローリングズ中尉は、すべての主要データを航行日誌に記録する。ジャック、ここからあの三つの太陽の種類を判別できるかね?」
「ある程度推定できる――観測作業には充分近いようだ」そして二、三分のち、「二つは巨星だ。一つは青白色で一つは青黄色。そしてもう一つは黄色の小星だ」
「小星はトロージャンの中にあるのか?」
「それがぼくの推定だ、小星が長期間滞留できる位置はそこだけだからね。しかし、一見しただけでは、そう多くのことはわからない。もっとも、一つだけいえることがある――きみの捜すザブリスカが、この太陽系のまっすぐむこう側にあるのでなければ、あの巨星の一つに付属する惑星にちがいない。ところがきみ、あの太陽は〈超高熱〉なんだぜ!」
「この太陽系にちがいないよ、ジャック。ぼくは大学二年生のときから、ビームを読むことにかけては、それほど間違いをしたことがないからな」
「きみを信用するよ――さあ、充分接近したようだ」ジャックは推進ジェットを切ったが、バーゲンホルムは切らなかった。無慣性状態の宇宙船は、瞬時に宇宙空間で停止した。「さあ、あの十二個から十五個の惑星のうちのどれが、最後のメッセージが送られたときの線に乗っているかを決定しなければならん――もう充分安定したろう。カメラを開くんだ、メース。十五分間で第一の感光板を抜いてくれ。そうすれば、ぼくが仕事にとりかかるのに充分な軌跡がわかるはずだ。ぼくらは、あの黄道から広角度のところにいるからな」
作業は一時間かそこらつづいた。
「地球の方角から、なにかがやってくる」当直士官が報告した。「大きくて速い。呼びかけるかね?」
「そのほうがよかろう」だが、相手のほうが先に呼びかけた。
「宇宙船シカゴ号、NA2AAより。貴船は故障中か? 船名を知らされたし」
「宇宙船NA774J了解。故障ではない――」
「ノースロップ! ジャック!」バージル・サムスの、ひどく心配そうな思考が伝達された。超大型戦艦は、たちまち偵察船のわき二、三百マイルのところに到達して停止した。「なぜ、こんなところに停止しているのか?」
「ここが、信号が発せられたところなのであります」
「そうか」多くの思考がサムスの心をかすめたが、あまりにすみやかで断片的なので、知覚できなかった。「きみたちは計算をやっているのだな。わたしが移乗できるように、その船を有重力状態にして固有速度を同調させるのは、仕事のじゃまになるかね?」
「なりません。さしあたり必要なことはすべてわかりました」
サムスは移乗してきた。三人のレンズマンは宇宙図を調べた。
「カヴェンダはあそこだ」サムスは指摘した。「トレンコは一方へよったあそこだ。わたしは、きみたちが捕捉した信号が、カヴェンダで発信されたものと確信していた。しかし、このザブリスカは、ほとんど同じ線上にあって、地球からは半分たらずの距離だ」
彼はふたりの若いレンズマンが、自分たちの発見に確信を持っているかどうかをたずねなかった。彼はすでに知っていたのだ。「このことは、わたしの好奇心をますますかきたてる――これは、シオナイト問題を複雑化するにすぎないのか、それともまったく新しい問題を提起しているのか? きみたちがこれからどういう行動をとるつもりにしても、仕事をつづけたまえ」
ジャックはすでに、求める惑星が内側から二つ目、つまりザブリスカA太陽の第二惑星だと判断していた。彼は偵察船を前進させて、惑星に対する完全な探知感度を失わない限度で、できるだけ惑星に接近して、惑星と太陽《ソル》をむすぶ線上で停止した。
「このまましばらく待機です」彼は答えた。「最近の周期性から判断すれば、四時間以上、十時間以内に、次の信号があります。次の信号と同時に、その発信器の位置を数フィートの誤差で突き止められます。メース、位置決定スクリーンを完全に展開してあるかね?」
「最近の周期性だと?」サムスは叫んだ。「では、最近になって増加したのか?」
「非常に増加しました」
「それは、はなはだ参考になる。ジョージ・オルムステッドが広葉を採集した以上は、そうなるはずだからな。しかし、その点はまだ問題だ。待機しているあいだに、この惑星を多少調査しようか?」
彼らは惑星を検査したが、このザブリスカA系第二惑星は、まったく荒涼たる惑星だということがわかった。小さくて水も空気もなく、地形らしいものがまるでない、完全に不毛の惑星だった。隆起も陥没もなく、目立った目標は何も――隕石《いんせき》火口さえ――見あたらなかった。その表面のどの一平方ヤードを取ってみても、他の一平方ヤードとまったく同じように見えた」
「自転もありません」ジャックは抵抗微熱計から顔をあげて報告した。「あの砂丘は生物が住んでいませんし、これからも住まないでしょう。なんだか、自信がなくなってきました」
「わたしもそうです」ノースロップも認めた。「あの信号がこの線上のこの距離から発せられたということは、まだ確信していますが、どうやら船から発せられたように思われます。そうだとすれば、われわれ――とくにシカゴ号が――ここにいる以上、もう信号は発せられないでしょう」
「そうとはかぎらんよ」サムスの心は、またしても地球的な経験や知識を超越した。彼はデータの真実性を疑いはしなかったが、結論に飛躍することをしなかった。「こんな惑星上にも、高度に知的な生物がいるかもしれない」
彼らは待機した。二、三時間後、一つの通信ビームが活動を開始した。
「準備よし――準備よし――準備よし――」信号は明瞭に告げた。一分たらずのあいだだったが、それで充分だった。
ノースロップは一連の数字を叫び、ジャックは小型船を前方へ降下させた。三人の当直士官は、映像盤を鋭く見つめながら、視覚ビーム、超ビーム、スパイ光線を指示された線に沿って投射した。
「必要なら、惑星を貫通しろ――発信源は反対側かもしれないぞ!」ジャックはするどく注意した。
「ちがう――こちら側だ!」ローリングズが最初に発見した。「しかし、大したものじゃない――中継ステーションのようだ」
「中継器だって! ちくしょう――」ジャックは、不穏な言葉を口にしかけたが、途中で口をつぐんだ。若い軍人は、ファースト・レンズマンの前では、悪態を口にしないものだ。「いずれにしても、着陸して現場を調査いたしましょう、閣下」
「もちろんだ」
彼らは着陸し、慎重に船から出た。地平線は、実際には地球よりずっと近かったが、地表はなめらかで固く、ぎらぎら反射する地獄のように熱い白砂におおわれているきりで、その幾何学的単調さを破る何ものも――木も茂みも岩も小岩も、わずかな凹凸さえ――ないので、はるか遠くに見えた。サムスは、はじめひどく疑問に思った。四百五十度という地表温度は、なまやさしいものではない。あの超高熱の青白色の太陽の顔つきはまったく気にくわなかった。これはまったく想像したこともないほど荒涼たる砂漠だった。しかし、彼らの宇宙服は、とくに足の部分で非常に絶縁性が高く、表面が高度にみがかれていた。また大気はなくてほとんど完全な真空だった。だから、しばらくはこの熱に耐えられそうだった。
中継ステーションをおさめた箱は、非鉄金属でできており、一辺五フィートくらいの立方体をなしていた。箱は、上縁が地表とすれすれになるように埋められていた。蓋《ふた》は周囲の砂と見わけがつかないような色で、ボルトでとめたり溶接したりしてあるのではなく、ただ上からかぶせてあるだけだった。
あらかじめスパイ光線で検査した結果、箱に爆薬などが仕掛けてないことがわかっていたので、ジャックは蓋の一方のはしを持ちあげた。三人のレンズマンは装置を間近で調査したが、何も新しい発見はなかった。きわめて鋭敏な、非方向性受信器、高度の方向性を持つ送信器、正確きわまるウラニウムと形式指示器、そして、「永久」動力源。それ以外には何もなかった。
「次は何をいたしますか、閣下?」ノースロップがたずねた。「おそらく、二、三日のうちに送信があるでしょう。ここに待機していて、それがカヴェンダから発進されたものかどうかを確かめましょうか?」
「そうだ、きみとジャックは待機したほうがいい」サムスは数分のちに思考を伝達した。「こうなってみると、わたしは信号がカヴェンダからくるとも、二度同じ方向からくるとも思えないが、確かめる必要はある。しかし、どういうわけか、さっぱりわからん!」
「わたしには、わかるような気がします」この分野は、ノースロップの専門だった。「どんな宇宙船でも、シングル・エンデッド・ビームでここから地球へ的中させることは、偶然以外にはできません。また、ダブル・エンデッド・ビームを使うこともできません。それは常時放射されていなければならないので、ミシシッピ川のように容易に追跡されてしまうからです。しかし、この惑星は、ずっと前から自転をやめています――それだからこそ、彼らはこの惑星を選んだにちがいありません――それに、あの指示器は、マーチャンティ式です――わたしがマーチャンティを見たのは、これが二度目です」
「〈それ〉はいったいなんだい?」ジャックがさえぎった。サムスさえ、質問的思考を投射した。
「これまでにつくられたうちで、もっとも精密な装置です」専門家は説明した。「精度は相対的運動の測定精度によってだけ限定されます。あの装置に、あのテープがやっているように充分正確な方程式を供給して、二つの照準投射をすれば、十八インチのビームを、地球上の直径二フィートのカップにそそぎこむことができます。わたしの推定では、この装置は、太陽系の惑星のどれかの上にある、特殊なバケツ型アンテナをねらっています。ねらいをはずさせることは容易ですが、それは閣下のお望みではないでしょう」
「もちろんだ。われわれは、絶対やむをえない場合のほかは、疑いを起こすような行動を避けながら、やつらを追跡せねばならん。やつらはこのステーションに補給するために――テープを交換するとか、そのほか必要な処置をするために、どのくらいの頻度《ひんど》でここへくる必要があると思うかね?」
「必要なのは、テープの交換だけです。あのリールの大きさからすれば、そう頻繁《ひんぱん》ではないでしょう。もし彼らがこの相対運動を充分正確に知っていれば、望むだけ将来まで計算できるでしょう。わたしはさっきから、あのリールの回転速度をはかっていたのですが――まだ三ヵ月近くは残っているでしょう」
「そして、それ以上のぶんが、これまでに使用されてきたのだ。われわれに何も発見できなかったのも、ふしぎはない」サムスはからだをのばして、すさまじい砂漠を見渡した。「見たまえ――何か動いているようだ――動いているぞ!」
「それよりもっと近くにも、何か動いています。じつにへんてこなものだ」ジャックは大笑いした。「軸からなにからそろっている旧式な川蒸気の外輪みたいなものが、およそ無造作にごろごろやってくる。このまま進めば、わたしから四フィートとはずれないでしょうが、少しも向きを変えません。行く手をさえぎって、どうするか見てやります」
「気をつけろよ、ジャック」サムスはするどく注意した。「さわってはいかん――電圧がかかっているか、もっとわるいことがあるかもしれん」
ジャックは、さっきから手にしていた金属の蓋を砂に立てて、前後に動かしながら、そのものの行く手に直角に、垂直の壁をつくった。外輪みたいなものは、それになんの注意も払わず、一時間二マイルばかりの着実なペースをたもって進んできた。それの全長は十二インチばかりで、外輪に似た両端は、幅二インチ、直径三インチくらいあった。
「閣下、こいつは実際に〈生きている〉と思われますか? こんな場所で?」
「確かに生きている。油断なく観察しろ」
それは障壁にぶつかって停止した。つまり、前進運動はとまったが、回転はとまらないのだ。その回転速度は変化しなかった。車輪がなめらかで固い砂の上でスリップして、垂直の金属板をのぼることもできず、少しも進めないでいるのに、そのことを知りもせず、気にもかけないようだった。
「なんていう頭脳だ!」ノースロップはさらに近寄ってうずくまりながら、くすくす笑った。「なぜ、後退するか向きを変えるかしないんだ? こいつは生きているかもしれんが、確かに、あまり利口じゃありませんな」
その生物は、〈トロンシスト〉式ヘルメットがつくる影の中にはいると、ふいに回転速度がにぶった――ぐったりした――その場に動かなくなった。
「光線をさえぎるな!」ジャックはそう叫んで、友人を乱暴につきのけた。強烈な日光があたると、生物は元気を回復して、以前と同様にせっせと回転しはじめた。「わかった。おかしなことだが――こんな生物は聞いたこともないが――こいつは、エネルギー変換器のような作用をしているんだ。エネルギーをなまのまま食っている。貯蔵能力はない――この世界では、その必要もないのだ――こいつは、もう二、三秒も影の中にいたら、死んでしまったろう。だが、ここには影というものがない。だから、こいつにとって危険なことはないわけです」
彼は手をのばして、回転しているシャフトの中央にさわった。何も起こらなかった。そこで、それの向きを変えて、板と直角にした。生物は新しい方向にすっかり満足して、まっすぐにころげていった。彼はまたそれをつかまえると、シャフトのすぐ前、一方の外輪のすぐ内側の砂に、テスト針をさしこんだ。生物はそのなめらかな針のまわりを果てしもなく回転しつづけ、このように単純な罠《わな》からさえ抜けだせないように思われた。これからの生涯、その小さな輪を描いてすごすことですっかり満足しているようだった。
「メース、きみが『なんていう頭脳だ!』といったのは、あたっているぞ」ジャックは叫んだ。
「なんていう頭脳だ!」
「おどろくべきことだ、まったくおどろくべきことだ。われわれの科学にとって、まったく新奇なものだ」サムスの思考は、興味深そうだった。「この生物の心か意識にふれることができるかどうかためしてみよう。いっしょにやってみないか?」
「もちろんです!」
サムスは、思考の周波数をさげながら探知していった。ジャックとメースも彼に同調した。このものは確かに生きていて、活力で脈動し振動していた。あまり知的でないということも、同様に確かだった。しかし、この生物は、自分の存在に対する明確な意識を持っており、したがって、きわめて微小で原始的ながらも、心を持っていた。その未発達の自我《エゴ》は、思考を受信することも発信することもできなかったが、それは自分がフォンテマという生物であるということ、自分がたえず回転し、回転しつづけなければならないということ、そして断乎として回転しつづけることによって、自分の種族が持続し繁殖していくことを知っていた。
「いやはや、これは記録ものですな!」ジャックは叫んだが、サムスは恍惚《こうこつ》たる面持《おもも》ちでいった。
「もう一匹か二匹見つけたいものだ――時間はかかると思うが、きみたち、見あたらんかね?」
「見あたりません。しかし、見つかりますよ――スチュー!」ノースロップが叫んだ。
「なんだい?」
「見まわしてくれないか? そして、このフォンテマというやつが二、三匹見つかったら、牽引ビームでここへ運んできてくれ」
「きたぞ!」それらは、二、三秒のうちに運びよせられた。
「ランス、こいつの写真をとっているかね?」サムスは、シカゴ号の主任通信将校に呼びかけた。
「とっております、閣下――全部とりました。ところで、そいつらはなんでありますか? 動物ですか、植物ですか、それとも鉱物ですか?」
「わからん。厳密にいえば、おそらくそのどれでもあるまい。二、三匹地球へ持って帰りたいが、原子ランプをあてておいても死んでしまうかもしれん。科学協会へ報告しよう」
ジャックは自分がつかまえていたフォンテマを解放して、新しくきた一匹の二、三フィート以内を通るようにしたが、二匹のフォンテマは相互に無視し合わなかった。二匹は向きを変えて、車輪と車輪がむきあうようにした。シャフトはたがいに内側に折れまがって、直角になった。その角と角が接触して融合した。融合点は急速にふくれて、こぶしの二倍くらいの塊りになった。半分のシャフトは二倍の長さにのびた。塊りは四つに分裂して、四つの完全な車輪になった。四匹の完全に成長したフォンテマは、二匹が出会った地点から、ころげ去っていった。彼らのコースは、二本の直角に交わった直線をなしている。
「みごとなもんだ!」サムスは叫んだ。「それに、見たまえ、あれで近親繁殖が避けられるのだ。このように完全になめらかな惑星上では、あの四匹のうちの二匹が再会することは絶対にないし、彼らの第一代の子孫同士が出会う可能性も、無に等しい。しかし、どうやら時間をむだにしていたようだ。わたしをシカゴ号へもどしてくれたまえ。自分の仕事をつづけねばならん」
「閣下は少しも楽観しておられないようですな」NA774Jがシカゴ号に接近して行くあいだに、ジャックは思いきってたずねてみた。
「残念ながらそうだ。信号が、予期できない方向から、そして、超高速の巡洋艦でも探知するに充分なほどは接近できないくらい遠方にある船から発信されることは、ほとんど確実だ――ちょっと待て、ロッド!」彼はふたりの若いレンズマンがとびあがったほどはげしく、老キニスンにレンズで呼びかけた。
「なんだい、バージ?」
サムスはすばやく説明して、結論を加えた。「だから、このザブリスカ系全体を、偵察艦で球状に包囲してほしいのだ。ザブリスカの一デテット(原注、宇宙船が他の宇宙船を探知できる限界距離。著者)外側に、相互に一デテットずつはなれて配置し、この惑星にどんな方向からビームを投射するどんな船でも、牽引ビームで捕捉できるようにするのだ。それには、あまり多くの偵察艦は必要ではあるまい?」
「そうだ。しかし、そんなことをしても、無駄だろう?」
「なぜだ?」
「そんなことをしても、われわれがすでに知っていること――つまり、宇宙航路がシオナイト取引きに関係しているということ以外には、何も証明されないだろうというのさ。その船には、ほかになんの証拠もあるまい。べつの中継器というだけのことだ」
「ふむ。おそらくきみのいうとおりだろう」バージル・サムスが、自分の思いつきを無造作に片づけられたことに、少しでも腹を立てたにしても、そんなことは片鱗《へんりん》も見せなかった。彼は二、三分、集中的に思考した。「きみのいうとおりだ。わたしは、カヴェンダの手がかりからはじめる必要がある。ベネット作戦はどんなぐあいだね?」
「上乗だ!」キニスンは勢いこんでいった。「二、三日余裕があったら、やってきてみたまえ。ここはすばらしい惑星だよ、バージ。やがて用意ができるだろう!」
「そのうちに行ってみるよ」サムスは連絡を切って、ドロンヴィルに呼びかけた。
「ここでの唯一の変化は、情勢が悪化したということだけだ」リゲル人は簡潔に報告した。「シオナイトによる死亡と、宇宙航路の船の到着とのあいだにあった微弱な関連は消滅した」
この、ありのままの報告について、くわしく話し合う必要はなかった。どちらのレンズマンも、それが何を意味するかを知っていたからだ。敵は、統計的分析を受けることを予期したのか、経済的理由によるのか、薬の少量の供給を抑制しているのだ。
いっぽう、ダルナルテンは、いつもの冷静さには似ても似つかなかった。彼は陰気で不機嫌だった。それがあまりひどいので、報告をさせるのにさえ、再三うながさなければならないほどだった。
「きみも知るように、われわれは惑星間交通路に、最高の諜報員を配置した」彼はむっつりしたようすで報告した。「われわれは、大量のデータを獲得した。しかし、事実が集積するにつれて、ますます結論がとほうもない方向へむかっていく。きみは、地球と火星、火星と金星、金星と地球のあいだのシオナイトの輸出量と輸入量が、相互にまったく同じであることについて、何か妥当な理由を考えられるかね?」
「なんだって!」
「まさにそのとおりなのだ。だから、ノボスもわたしも、いまだに予備的報告さえ提出できずにいるのだ」
次はジルだった。「これまでと同じように証明はできないんだけれど、モーガンがボスだということは、だいたい確実よ。アイザークスンがボスだと仮定して、いろいろな図式を考えてみたんだけれど、どれもあてはまらないの。そうじゃない?」彼女は反問するように思考をとぎらせた。
「わたしは、すでにその見解を受け入れる気になっている。少なくとも、現段階での仮定としてはな。つづけなさい」
「事実として、モーガンはこれまでずっと、国民党の左翼指導者たちを抱きこんでいたように思うの。いま、彼と忠僕フライデーみたいなフリアース下院議員は、上院と下院のすべての急進主義者や、わたしたちの側に属するいわゆる自由主義者たちに、さそいの手をのべているわ――新しい手よ――そして、もっともらしい〈えさ〉をたっぷり提供しているの。ニュース解説者たちは、あれこれ推測しているけれど、わたしとしては、モーガンがこんどの選挙と、わたしたちの銀河パトロール隊をねらっていることは、絶対まちがいないと思うわ」
「で、きみとドロンヴィルはもちろん、のほほんと腰をおろして、何もせんでいるんだろうな?」
「もちろんよ!」ジルはくすくす笑ったが、すぐまじめな調子にもどった。「彼は、とってもとっても巧妙な工作者よ、パパ。もちろん、わたしたちは組織して、わたしたちなりの宣伝をやっているけれど、わたしたちが実際にできることは、かわいそうなくらい少ないわ――ちょっとこれを見てごらんなさい。わたしのいう意味がわかるから」
ジルは、遠くはなれた自分の部屋で、リールを操作して、スイッチをひねった。一つの映像盤がよみがえり、熱をおびて汗ばんでいるモーガンの大きな顔をうつし出した。
「――いずれにせよ、このレンズマンとは何ものであるか?」モーガンの声が、一音節ごとに熱烈な確信をこめて叫んだ。「彼らは、階級の雇い人、暗殺者、ペテン師、ならず者、〈無慈悲なる富の道具〉である! 彼らは、惑星間銀行家ども、かのいまだに一般民衆の顔を鉄のかかとで泥土の中へふみにじっている、言語道断な社会の寄生虫どもの番犬である! 彼らは、デモクラシーの仮面をかぶって、この宇宙前代未聞の圧政を樹立せんと企てている――」ジルはスイッチを手荒に切った。
「そして、たくさんの人たちがこれを〈うのみ〉にしているのよ――このたわごとを!」彼女はうなるようにいった。「もしあの人たちの頭が――メースから聞いたザブリスカのフォンテマくらいも働けば、そんなことはないのに、でもそうなのよ!」
「そうなのはわかっている。モーガンが腕のいい役者だということは前から知っていたが、いまや彼がそれ以上のものだということがわかったよ」
「そうよ。そして、民衆の理性に訴えてみても、心理的対抗手段をとってみても、効果がないということがわかってきているのよ。ドロンヴィルとわたしは意見が一致したんだけれど、パパは、自分で何ヵ月かびっしり遊説《ゆうぜい》できるような条件をつくらなければだめよ。自分で遊説するのよ」
「やがてそういうことになるかもしれんが、その前にやるべきことが山ほどある」
サムスは連絡を切って、考えこんだ。彼はふたりの青年を意識的に排除しようとしたわけではなかったが、彼の心が、きわめて迅速に、そして飛躍的に働いていたので、ふたりは断片的な思考を捕捉できたにすぎなかった。宇宙の想像を絶する広大さ――追跡――探知――カヴェンダの周囲を迅速に回転しているただ一つの月――やはり断乎として〈探知〉あるのみだ。
「メース」やがてサムスは慎重に思考を伝達した。「この方面の専門家としてのきみに聞くが、ごく小型の偵察艦の探知器――いや救命ボートの探知器でさえ――もっとも大型の客船や戦艦の探知器と同じ有効範囲を持っているのはなぜかね?」
「原子力装置から生じるノイズ・レベルとハッシュのためであります」
「しかし、そういうものは、遮蔽《しゃへい》できないのかね?」
「受容を完全に阻止しなければ、完全には遮蔽できません」
「わかった。では、船上の原子力装置を全部停止し、必要な熱と光をうるには、貯蔵バッテリーまたは主要バッテリーからの電気、さもなければ、内燃モーターまたは熱エンジンによって駆動される発電器からの電気を使用すると仮定する。そうすれば、探知器の有効範囲は増大するかね?」
「すばらしく増大します。わたしの推定では、その場合の抑制的因子は、宇宙線だけでしょう」
「きみのいうとおりであってほしいな。次の信号がはいってくるのを待つあいだに、そういう探知器の予備的設計をしておいてほしい。もしわたしが想像するように、このザブリスカが袋小路だとすれば、ザブリスカ作戦はここで終了し――ズウィルニク作戦の一部となる。そして、きみたちふたりは、わたしのあとを追って、全速力で地球へ帰還するのだ。ジャック、きみはボスコーン作戦できわめて切実に要求されている。メース、きみとわたしは、パトロール隊のJ級船について、適当な改造をほどこすことにしよう」
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一二
バージル・サムスは、改造をほどこしたまっ黒な偵察艦に乗って、カヴェンダに接近すると、推進ジェットを切り、原子力装置を切ってから、超強力探知器のスイッチを入れた。あらゆる方向へ五デテットにもわたって(つまり、直径十デテットの球体を通じて)、宇宙空間には船の痕跡はなかった。正面の惑星上には、ある種の活動が明白に探知されたが、ファースト・レンズマンはそれを気にかけなかった。惑星上に宇宙船が一隻も着陸していなかったとしても――おそらく着陸しているだろうが――麻薬業者の工場には、もちろん原子力装置があるだろう。彼が気にしているのは、探知されることだった。多数の探知器があるだろう。それらはおそらく自動的で、通常のサブ・エーテル式ばかりでなく、電磁式やレーダーもあるはずだ。
彼は一・二五デテット内に接近しては停止し、もう一度点検した。宇宙空間はやはり空虚だ。それから、一連の観測をしてのち、船を無慣性状態に移行させて、惑星の固有速度に充分近いと思われる固有速度にした。そしてまた原子力装置を切り、その代わりに最善の努力をしてくれるはずの十六気筒ディーゼル・エンジンを始動した。
最善の努力も大したことはなかったが、なんとか、まにあいそうだった。ディーゼル・エンジンでは、バーゲンホルムを駆動するほかに、有重力の物質によってえられる最大限の速度よりも何倍も速い速度を出すのに充分な推進力を供給することができた。それは毎分、多量の酸素を消費したが、そう何分も運転しないですむはずだった。船は原子力装置を停止しているから、一般に使用されている長距離探知器の映像盤に映ることはないだろう。しかも、船は光より速く運行しているから、電磁波探知網もレーダーも、「見る」ことはできない。充分好都合だ。
サムスは、太陽系随一の計算員でもないし、太陽系随一の優秀な計算装置をそなえているわけでもなかった。位置の誤差は容易に訂正できる。しかし、カヴェンダをめぐる小さな一つの月のかげにかくれながら、カヴェンダに接近して行くにつれて、自分がほとんど推定で決定した固有速度について、どのくらいの誤差を許容すべきかということが、いよいよ疑わしくなってきた。それに、もう一つ変数がある。いつバーゲンホルムを切るかの問題だ。彼は船の速度を一光速度よりわずか速い程度にゆるめたが、その比較的のろい速度でさえ、バーゲンホルムを切るときの千分の一秒の誤差は、二百マイルのずれを生じるのだ!
彼はバーゲンホルムの切断回路に検路器をはさみ、それを三百マイルに設定して、制御装置の前で緊張しながら待機した。
中継器がカチリといい、推進力が消滅して、船は有重力状態に移行した。サムスは、計器から計器をすばやく見まわして、事態がそれほどわるくなかったことを知った。彼が設定した固有速度は、彼が期待したほどぴったりでもなく、恐れたほど低くもなく、その両者のほとんど中間――ちょっとはずれた程度――だった。彼はその事実にあぶないところで気づいた。もう一秒か二秒おくれていれば、探知波を防いでくれる月の輪郭の外側へとびだして、カヴェンダから探知できるようになっただろう。彼は船をまた無感性状態に移行させ、安全区域内の反対側へとびもどってから、有重力状態に移行させた。そして、吠えたてるディーゼルの全力をあげて、固有速度の誤差を訂正させながら、たえず高度をさげていった。彼はこの操作を何度もたゆみなくくり返して、ついに船を着陸させた。
はなはだありがたいことに、衛星の表面は、地球の月の表面よりさらにでこぼこで、岩と火口だらけだった。このような地勢の上でならば、移動している船でさえ――もしそれが慎重に移動していれば――探知することは不可能に近いだろう。
無慣性状態で慎重に短距離の跳躍をくり返すことによって――地面と有重力状態で衝突するたびに、固有速度を訂正しながら――彼はカヴェンダの巨大な球形が頭の真上にくるような位置に船を持っていった。彼は深い安堵のため息をついて大きなエンジンを切り、完全に充電された蓄電器を働かせて、探知器とスパイ光線のスイッチを入れた。目につくものなら、なんでも見てやるつもりだった。
探知器で調べた結果、惑星全体で活動しているのは一ヵ所だけだということがわかった。そこで、スパイ光線の力を最小限にしぼって、慎重に一ヤード、一ヤードとその地点へ接近させていった。すると防止された! 半ば以上予期していたことだが、スパイ光線防止スクリーンがあるのだ。直径二マイル近くもある巨大なものだ。もう三時間もすれば、ほぼ真下に――というより真上に――くるだろう。
サムスは、偵察艦の光学的映像盤よりずっと強力な望遠鏡を船に積みこんでいた。この月の表面重力は小さいので――地球の重力の五分の一たらずだった――部品を船外に持ち出して組み立てるのは簡単だった。
しかし、その望遠鏡でさえ、あまり効果がなかった。月は、天文学的距離としては、カヴェンダに近かった――しかし、ほんとうに有効な天文学的光学機械は、携帯可能ではない。したがって、レンズマンが見たものは、充分想像力を働かしたうえで、なんとか工場らしく思われるものにすぎなかった。彼は視野のじれったい限界で目をこらしながら、無法者の宇宙船らしく思われる、爪楊枝《つまようじ》のような物体と、黒っぽい円形の水滴状物体を見たような気さえした。しかし、二つの事実は確実だった。すなわちカヴェンダには、真の都市は存在していない。近代的な宇宙空港どころか、飛行場さえ存在していないのだ。
彼は望遠鏡を分解してしまいこみ、探知器を作用させて待機した。もちろん、ときどき眠らなければならなかったが、普通のどんな探知装置でも、状況の変化と同時に警報音を発するように設定できる――しかも、サムスの探知器は普通のものではなかった。そういうわけで、麻薬業者の船が離陸すると、サムスはカヴェンダに接近したときと同様、ひそかにそこを去り、その船の航跡を追っていった。
サムスの戦術は、ひきつづき成功していた。無法者の船に一デテットより少しだけ多い距離まで迫ったら、ディーゼル・エンジンに切りかえて、全速力で追跡して行く。敵船の航跡を失いそうになったら、原子力推進に切りかえて、一デテットから二デテットの中間の距離まで接近し、またディーゼル・エンジンに切りかえて点検する。この過程を、必要なかぎり継続していくのだ。
レンズマンたちが知るかぎりでは、宇宙航路はいつもこの仕事に通常の客船や輸送船を用いていた。ところが、この偵察艦は、それらのどの船よりはるかに足が速かった。かりに敵船が彼の船より速かったとしても――ほとんどありそうもないことだが――その目的地がどこであるにせよ、それが目的地へ着いたときには、依然としてこの探知器の有効範囲内にあるにちがいない。しかし、サムスの判断はいかにまちがっていたことか!
最初の点検では、獲物は二デテット以下ではなく、三・五デテットのところにいた。第二の点検では、四・五デテットになり、第三の点検では、ほとんど五デテットだった。
サムスは眉をひそめながら、かつて映像盤上にまぶしく光っていた点が、暗黒の中へかすんでいくのを見つめた。すると、彼が惑星上に見たと思った円形の点は、やはり宇宙船だったわけだが、それは彼が想像したように球形ではなかったのだ。あの宇宙船は、涙滴《るいてき》型で、とがった尾部を地面に突きさしていたのだ。超高速宇宙船だ。それでこういうことになったのだ。しかし、前にも名案が浮かんだのだから、また名案が浮かぶだろう。彼は原子力推進にもどり、司令長官と打ち合わせして、なるべく早い機会にシカゴ号とランデブーして、彼に会うことにした。
「あの船の航路には、何があるかね?」彼は超大型戦艦に移乗する前に、そのチーフ・パイロットにたずねた。
「われわれが知っているようなものは何もありません」パイロットは宇宙図を調査したのち報告した。
彼は巨大な軍艦に移乗すると、キニスンといっしょに、その宇宙図をくわしく調べた。
「いちばん可能性があるのは、エリダンだと思う」キニスンは最後に結論をくだした。「きみが追跡していた航路からあまり近くはないが、やつらが一日分くらい航路をそらすほうが有利だと考えることは、充分にありうる。それに、きみも知るように、あの惑星は地軸から地殻まで、宇宙航路が所有している――現在わかっているかぎりで、もっとも豊富なウラニウム鉱区なのだ。おあつらえむきさ。だれだって、ウラニウム船を疑いはしない。エリダンの周囲に、探知網をめぐらしてはどうだね?」
サムスは数分間思考した。「いや――少なくとも、まだ早い。まだ情報が不充分だ」
「それはわかっている――だからこそ、何か情報を手に入れるのに適当なときと場所だと思うのだ」キニスンは主張した。「われわれは、超高速の宇宙船がシオナイトを積んで、そこへたったいま着陸したことを知っている――少なくとも、知っているというに近い。これは、われわれがこれまでにかぎつけたうちで、もっとも有力な手がかりだ。だから、あの惑星を包囲し、戒厳令をしき、それが手にはいるまでは、何ものも出入りさせないようにしろ、というのだ。あそこにいるだれかが、われわれが知っているよりはるかに多くのことを知っているにちがいない。そいつを狩り出して、しゃべらせろというのだ」
「きみはせっかちすぎるよ、ロッド。小物を二、三人とっつかまえるだけではだめなんだ、それは、きみもよく知っているはずだ。大物をやっつけられるようになるまでは、公然と動くべきではない」
「それはわかっているつもりだ」キニスンは不満そうにいった。「だが、われわれには、いまいましいほどわずかしか、わかっておらんのだよ、バージ!」
「確かにわずかしかわかっていない」サムスは賛成した。「三つの主要部門で、多少とも明確なのは、政界情勢だけだ。麻薬部門では、シオナイトがどこで産出されて、どこで加工されるかということがわかっている。そして、エリダンはその次の手がかりになるかもしれない――おそらくそうだろう。いっぽう、麻薬の小売人については、多くのことがわかっているし、仲介人についても多少わかっている――しかし、それ以上の組織についてはわからない。上級者がだれで、どのように活動しているのかについては、実際にはとんとわかっていない。しかも、われわれがねらっているのは、そういうボスどもなのだ。海賊に関しては、さらにわずかしかわかっていない。〈マーガトロイド〉というのは、〈ズウィルニク〉同様、人名ではないかもしれないのだ――」
「きみは当面の問題からはずれすぎている。エリダンについては、どうするつもりだ?」
「さしあたりは、何もしないのが最良の方法だと思う。しかし、ノボスとダルナルテンは、宇宙航路の客船に対する監視をやめて、エリダンから三つの内郭惑星へむかうウラニウム船に監視を切りかえるべきだ。賛成するかね?」
「賛成だ。とくに、その解釈によって、あの二人が長いことやってきた堂々めぐりがみごとに説明される――あの二人は同じ麻薬ケースを、ケースのかどがすりへるほど、たびたび、行ったりきたりして追いかけまわしていたのだ。ボスどもをつかまえねばならんが、やつらは抜け目がない。それで思い出したが――モーガンが大ボスだとすると、彼が〈丘〉を調査しようとしたとき、きみとフェアチャイルドにあっさり撃退されたのは、つじつまがあわん。ほら吹きのペテン師的政治家なら、政党ボスや権力取引やコーラスガールや、火星産テッキル・コートなどについて、金庫にいっぱい証拠書類を持っているかもしれんが、われわれが追求している人間は、絶対にそういうものを持っていないだろう」
「そんなことはわかってる」この点は、はなはだ痛いところだったので、サムスはまた独白調にもどった。
「あの金庫は、こっちで一週間も前に中味を探知しているはずだったのを、障害にぶつかったのだ。もう何かわかったかどうかきいてみよう。ロッド、同調したまえ。レイ!」
「なんです、バージ?」
「もうあの金庫をスパイ光線で探知したかね?」
「ちょうどいいところでした。ゆうべ探知しました。からっぽです。社交界へ出る前の娘の頭脳みたいにからっぽです――ただし、特殊な原子力装置がついていて、そいつを中和するには、バーゲンホルムの研究所が総力をあげて一週間もかかりました」
「わかった。ありがとう。以上」サムスはキニスンをふりむいた。「どうだね?」
「けっこうだ。またく。きみは〈やり手〉だな」キニスンは惜しみなくほめた。「これで、きみの推定を信用するよ――なんというやつだ! ところで――わしは話をあともどりさせた――きみが海賊について話しかけていたことはなんだね?」
「先へ進めるような情報がごくわずかしかわかっていないということさ。ただし、やつらがいちばん好きな獲物の種類はわかっている。そして、最近は、ある種の貨物については、武装した護衛船がついていても、保護できない。護衛船もいっしょに消滅してしまうのだ。しかし、こうした事実を基礎にすれば、何か計画を立てられるように思う。たとえばこんな――」
一隻の快速輸送船と一隻の巨大な巡洋艦が、恒星間宇宙を突進していた。商船は、莫大な価値の貨物を積んでいた。金銀塊とか宝石とか金銀食器とかではなく、文字どおり価値を絶した品物――最高の精度を持つ工作機械、精密な光学装置、電気装置、精巧な時計、クロノメーターなどだった。この船はまた、ファースト・レンズマン・サムスも乗せていた。そして、軍艦には、ロデリック・キニスンが乗っていた。
史上はじめて、ただの巡洋艦に、鎮守府司令長官の旗がひるがえったのだ。
二隻の船の探知機が探知しうる範囲では、空間には宇宙船の姿はなかった。しかし、ふたりのレンズマンは、この付近にいるのが自分たちの船だけではないことを知っていた。一・五デテット後方には、六隻の巨大な涙滴型宇宙船が、正面が開いた半球形の編隊を組んで、輸送船と同じ速度をたもちながら、同一コースをとって航行していた。それらの超大型戦艦が護衛にあたっているということは、地球の政府も植民惑星の政府も露ほども知らなかった。これまで人間によって建造されたうちで、もっとも速くもっとも強力な宇宙船――ベネット作戦の最初の成果なのだ。それらの船も、レンズマンたち(コスティガン、ジャック・キニスン、ノースロップ、リゲル系第四惑星のドロンヴィル、ロードブッシュ、クリーブランド)を乗せていた。探知器の必要はなかった。八人のレンズマンは、同じ部屋にいるかのように、密接な連絡をたもっていたからだ。
「待機していたまえ」サムスの冷静な思考が伝達された。「われわれは、住民のいないある太陽系から、光速度で数分以内のところを通過しようとしている。地球に似た惑星はまったくない。これが問題の太陽系かもしれない。一方でキニスンの心に同調し、他方で自分の船の艦長に同調しているように。ロッド、指揮を引きついでくれ」
その瞬間には、宇宙空間はあらゆる方向に一デテットまったく空虚だった。が、次の瞬間、映像盤には、三つの非常に明瞭な光点が、すぐ近くの無人惑星と一線をなして出現した。
これは思いがけない事態だった。海賊船は二隻だけで、一隻が護衛船を攻撃し、一隻が商船を攻撃するものと予想されていたからだ。海賊は、慎重を期したのか、疑いをいだいたのか、三隻の超大型戦艦を派遣してきたのだったが、この事実は、パトロール隊の戦術を変換させなかった。なぜなら、海賊船団の真の指揮官は、輸送船を攻撃する船に乗っているものとサムスは判断し、ドロンヴィルもバーゲンホルムも、木星のルラリオンもそれに同意見だったからだ。
そういうわけで――各レンズマンは、ロデリック・キニスンが海賊船を発見すると同時に、同じものを発見したので――その次の瞬間には、おとりの輸送船と護衛の巡洋艦の映像盤に、さらに六つの白く輝く光点が出現した。
「ジャックとメース、先頭艦を捕捉せよ」キニスンは思考を投射した。「ドロンヴィルとコスティガンは右翼艦――あれが輸送船をねらっているやつだ。フレッドとライマンは左翼艦。急げ!」
海賊船は、エーテルとサブ・エーテルを強固な妨害波で満たして、救助信号が伝達されないようにしながら接近した。二隻の超大型戦艦は巡洋艦へ、一隻は輸送船へ。もちろん、巡洋艦は形ばかりの抵抗以上の抵抗をすることが予期されていた。パトロール隊の巡洋艦は攻撃力、防御力ともに強大で、パトロール隊員が勇士ぞろいだということも、周知の事実だった。
しかし、輸送船を攻撃した海賊船の指揮官は、まったく愕然《がくぜん》とした。彼の船の攻撃ビームは、輸送船の貴重な貨物をおさめた部分よりずっと前方に放射され、防御スクリーン、防御壁、船体に対して、まるで白熱した火かき棒を、やわらかいバターの塊りにさしこむような破壊力を発揮するはずだった。制御室をふくめた船首全体が、金属の溶解した破片やガス化した雲となって宇宙に消しとぶはずだった。ところが、そんなことはまるで起こらなかった――この商船は、なまやさしい獲物ではないのだ!
この輸送船とファースト・レンズマン、サムスを保護している防御スクリーンは、ただのスクリーンではなかった――ロデリック・キニスンは徹底的にその手配をしたのだ。この船の貨物は重かったが、防御スクリーン発生器の総質量は、その貨物全量の二倍もあった。海賊の攻撃ビームは、衝撃し、ひっかき、からみついた――しかし無益だった。防御スクリーンを貫通しないのだ。驚愕《きょうがく》した攻撃側は、ビームの出力をぎりぎりまで高めたが、それは地球輸送船のはげしくかがやく防御スクリーンからあらゆる方向へ散乱するエネルギーの花火を、いっそうはげしくするだけだった。
そしてその後、数秒とたたないうちに、他の二隻の海賊船の指揮官も、同様に愕然とした。巡洋艦の防御スクリーンは、二隻の超大型戦艦の総力を結集しても、崩壊しなかったのだ! しかも、この巡洋艦は、マッチに火をつけるほどの攻撃ビームも持っていない――〈防御スクリーンのかたまり〉にちがいない! 無法者たちは獲物をわなにかけたのではなく、わなにかけられたのだ。彼らがそのことに気づいて、驚愕しながらもなにも手を打てないでいるうちに、三人全部がまた驚かされた。そしてそれが彼らの最後の驚愕だった。六隻の巨大な涙滴型宇宙船――彼らの船より、はるかに大きく快速で強力な船――が、一瞬前に彼らがやったと同様に、効果的にすべての通信チャンネルを妨害しながら、おそいかかってきたのだ。
惑星ベネットからきた新来艦のうち四隻は、敵を捕獲するためではなく、殺戮《さつりく》するためだけに出撃したので、巡洋艦を攻撃していた二隻の敵艦を、あっというまに一掃した。彼らは敵に接近するなり、架空の四面体の四つ角で有重力状態に移行し、持てるかぎりの攻撃力を投入した――そして彼らは多大の攻撃力を持っていた。かつてこの宇宙戦よりもっと短時間の宇宙戦が、どこかで行なわれた可能性はある――ごくわずかな可能性だ。しかし、これ以上に激烈な宇宙戦は確かに史上空前であった。
それから四隻は、二隻の姉妹艦とともに、一隻だけ残った海賊船のあとを追った。海賊船は、なんとか交戦を避けようとして、死にものぐるいの力をふりしぼっていた。しかし、相手は六隻で、そのおのおのが自分よりはるかに強力であり、その六隻が八面隊の六つの頂点にいて、自分はその幾何学的中心にとじこめられているために、牽引ビームを切断して、二本の反対方向の圧迫ビームのあいだから「すり抜け」ようとする努力も、なんの効果もなかった。海賊船は包囲されたのだ。というより、このように少数の戦闘単位からなる作戦では、「箱詰めにされた」というほうが適当だろう。
一隻だけ残った海賊船を宇宙から抹殺することは、まったく容易だったが、それはまさしくパトロール隊が望まないことだった。彼らは情報を望んでいるのだ。そこで、各パトロール艦は、一ダースばかりの攻撃ビームを敵艦の閃光を発する防御スクリーンに放射して、スクリーンの表面が直撃にさらされるようにした。各ビームのエネルギーは、スクリーン全体の力の均衡が失われない範囲で、できるだけ速く高められ、ついに海賊船のスクリーンは、はげしいスミレ色の白熱光を発しはじめて、崩壊の寸前にあることを示した。その瞬間、針《ニードル》ビームが痛烈に活動しはじめた。スクリーンはすでにぎりぎりまで負荷されていた。これ以上防御エネルギーを供給することは不可能だった。こうして、部分的に超過負荷となったスクリーンは、その部分で超スミレ色から黒色に変じて崩壊した。そして、強烈な貫通力を持つ純粋力場の剣は、貫き貫きまた貫いた。
まずエンジン室が破壊された。もっとも、枢要な装置に到達するまでには、海賊船の船体にまっすぐ百フィートも穴をあけねばならなかった。やがて船体の損傷がひどくなり、スパイ光線で船内を透視できるようになると、それからの仕事は正確迅速におこなわれた。数秒のうちに、海賊船の船体は無力になって横たわり、パトロールマンたちは、さながらオレンジの皮でもむくように――というより、素人コックがじゃがいもの皮を無器用にむくように――その船体をむいていった。不可抗的なエネルギーのナイフは、船首、船尾、上部、下部、舷側と、つぎつぎにそぎおとし、それから、残った部分の四すみをけずりおとしたので、ついに制御室はほとんどすっかり宇宙に露出してしまった。
そして、敵船の固有速度と同調するやいなや、斬り込みだ! 先頭には、リゲル系第四惑星のドロンヴィル、それにすぐつづいて、コスティガン、ノースロップ、若いキニスン、そして武装して宇宙服をつけた宇宙海兵隊員たち!
サムスとふたりの科学者は、これからはじまるような乱闘には参加しなかったが、それを前から知っていた。老キニスンも参加しなかったが、それを知らされてはいなかった。事実は、彼は自分の船にとどまらねばならないことをひどくいまいましがった――しかし、彼はとどまっていた。
いっぽう、ドロンヴィルは、戦闘を好まなかった。彼は現実に「肉弾あい撃つ戦い」のことを考えただけで、からだじゅうの組織が反発した。しかし、スパイ光線が報告したことと、すべてのレンズマンが海賊の心理について知っていることとから判断すれば、ドロンヴィルが敵の制御室にだれよりも早く、しかも〈すみやかに〉侵入する必要があった。そして、彼は戦わねばならないときには、戦うことができた。
しかも、肉体的には、まさにそのような行動にすばらしく適していた。彼の膨大な体力は、地球の重力の二倍の重力に対抗する必要から、自然に生じたものだったが、その彼の力にとっては、地球人戦士にはひどいじゃまものになる宇宙服も、ほとんどさまたげにならなかった。彼の知覚力は、物質によって妨害されることがないので、付近で起こるあらゆる事態を充分に認識することができた。彼は文字どおり想像を絶するスピードを持っているので、自分にむけられた攻撃を受け流すことができるばかりでなく、攻撃者が打撃の動作を開始する前に、その人間の脳をたたきつぶすことができた。また、人間は同時に一本の宇宙斧か二挺の光線銃をあつかえるにすぎないが、このリゲル人は、一本や二本ではなく、四本の宇宙|斧《おの》を、ぐにゃぐにゃしているがすばらしく強力な四本の触手形の手で、一本ずつふりまわしながら、海賊船の残骸へむけて宇宙を突進して行った。
なぜ、斧などを使うのか? なぜ、リューイストン式光線銃かライフルかピストルを使わないのか? なぜなら、この当時の宇宙服は、二挺か三挺の携帯式ビーム放射器のエネルギーには、ほとんど無限に抵抗できたし、宇宙服の防御力場の抵抗力は、それを攻撃する弾丸の速度の三乗に比例して変化したからである。こうして、はなはだ奇妙なことだが、科学が進歩しすぎた結果、例のずっとむかしに廃棄された武器を、ふたたび採用しなければならなくなったのである。
もちろん、海賊の大部分は、船が解体されるときに死んでいた。さらに、針《ニードル》ビームでねらい撃ちされた者もいた。しかし、制御室には、よりすぐった衛兵の一隊が、指揮官や士官たちを囲んでぎっしりかたまっていたから、針《ニードル》ビームを用いるわけにはいかなかった。この一団は、肉弾戦で掃蕩《そうとう》しなければならないのだ。
もしパトロール隊の攻撃が戸口からだけおこなわれたならば、海賊たちは正面のパトロールマンひとりかふたりに攻撃を集中できるから、指揮官はやむをえずしようとしていたこと、すなわち自殺をする時間があっただろう。しかし、パトロール隊の攻撃隊がまだ宇宙にいるうちに、力場の平面が制御室の一側面全体をそぎとり、牽引ビームが分離した壁をひき離した。そして、攻撃隊がどっとなだれこんだ。
無重力状態でおこなわれる戦闘は、われわれ地上に重力でしばりつけられている人間が知っている体操などとは似ても似つかない。その技術は、体操よりはるかに身につけにくい。そして、切迫した場合には、筋肉は重力場で習慣づけられた動作をひとりでにとってしまう。そういうわけで、両軍の戦士たちの大半の者の努力は、その激烈で勇猛な意図にもかかわらず、ほとんど喜劇的なほど効果がなかった。たちまちのうちに、はげしく格闘する姿が、壁から天井へ、天井から床へとただよったり、猛烈になぐりつけたり、ふりかぶったはずみに、あおむけにすっとんだりしはじめた。
しかし、地球人レンズマンはもっと訓練されて、その教訓をもっとよく記憶していた。ジャック・キニスンは、制御室へとびこむと、最初に手がとどいた固形物、一本の柱をつかんだ。そして、からだをひきよせて両足を床にふんばると、いちばん近い敵にねらいをつけて斧をふりかぶり、すさまじい一撃をあたえた。彼のタイミングがきわめてよかったので、ものすごく効果的な武器の先端は、もっとも力がこもった瞬間に、海賊のヘルメットにぶつかった――そして、それでおしまいだった。彼は斧をもぎはなすと、死体を一方へ押しやり、その反動を利用して、壁と床の接合部にからだをもたせて、同じ戦法をくり返そうと身がまえた。
メースン・ノースロップは、友人より重くて力が強かったので、彼の戦法は大いにちがっていた。彼は宇宙図テーブルにとびついた。それはもちろん床に接合されていた。彼は鋼鉄の金具をうった片足をテーブルの足の一本にひっかけ、もう一方の足をテーブルのてっぺんにつっぱった。無重力ではあるが、有慣性なので、からだの位置は垂直だろうが水平だろうが、その中間だろうが、問題ではなかった。このように有利な場所をしめているうえに、からだが大きく、腕が長く、斧を手にしているので、彼は広大な空間をカバーすることができた。彼は手をのばして、斧のはしを、敵の宇宙服のベルト、宇宙ロープ用スナップ、装甲板の接合部などに引っかけてひっぱった。そして、海賊が手も足も出ずにもがきながら彼の前をただよって行くのへ、斧をふりかぶって打撃を加えた。そして、この場合も、それでおしまいだった。
リゲル系第四惑星のドロンヴィルは、攻撃を急がなかった。彼はこれまでに興奮したり怒ったりしたことがなく、いまもそうだった。事実、彼は怒りや興奮がどんなものかということを、経験論的に知っているだけだった。どんな種類の戦闘もしたことがなかった。そこで彼は、状況を分析し、自分にとってもっとも効果的な作戦を決定するために、数秒間立ち止まった。海賊の船長の心に働きかけるためには、船長と肉体的接触を持つ必要はなかったが、現在よりは接近しなければならず、また心を集中しているあいだは、肉体的攻撃を受けないようにしなければならなかった。彼はキニスン、コスティガン、ノースロップたちがやっていることを知覚し、彼らがなぜそれぞれちがった方法で戦っているかを理解した。彼はその知識を自分の質量、筋肉組織、腕の長さと力(そのおのおのが象の鼻の二倍の長さと十倍の力をそなえている)などに適用した。そして、力と梃子《てこ》率、作用と反作用、作用点、応力とひずみなどを計算した。
彼は二本の斧を投げ捨てた。二本の自由な腕をのばすと、それぞれをひとりの海賊の首に巻きつけた。二本の斧が、敵の首をしめつけている腕すれすれにひらめいた。あまりすれすれなので、斧のするどい刃が、リゲル人自身の宇宙服を切り裂かないのが、信じられないほどだった。二つの頭が二つのからだから離れてただよい、ドロンヴィルはさらに腕をのばして、べつのふたりを捕えた。またふたり、またふたり、またふたり。冷静に非情に、しかし、一つの動作も千分の一秒の時間もむだにせず、ドロンヴィルは室内にいるパトロール全員が殺した以上の敵を、より少ない時間で殺してのけた。
「コスティガン、ノースロップ、キニスン、聞いてくれ!」彼は思考を投射した。「わたしには、もう殺している時間がない。指揮官は自分でつけた傷で死にかけており、わたしには重要な仕事がある。わたしがそれをしているあいだ、生き残りの海賊たちがわたしを攻撃しないようにしてくれ」
ドロンヴィルは心を海賊の指揮官の心にむけて、探査した。船長は死にかけていたにもかかわらずはげしく抵抗したが、リゲル人はひとりではなかった。地球で最強の二つの心が、彼の心と同調して密接に働きながら、どんなリゲル人もこれまで持たなかったし、これからも持たないような力と質を賦与していたのだ。それは、人類のすべての精神的遺産を集積したような推進力と不屈の意志と超絶的な圧力をそなえて、ロッド・ザ・ロック・キニスンの心と、ファースト・レンズマンとしてすべての能力をそなえたバージル・サムスの心だった。
「言え!」一つに融合されたすさまじい三つの心は、有無をいわせぬ力で要求した。「おまえはどこからきたのか? おまえ自身の抵抗だろうと、おまえが奉仕している者たちの抵抗だろうと、抵抗は無駄だ。おまえたちの基地も兵力も、われわれのよりは弱小だ。なぜなら宇宙交路は企業にすぎないが、われわれは銀河パトロール隊だからだ。言え! 〈おまえのボス〉はだれか? 言え、言え!」
この不可抗的な圧力に負けて、船長の心には、武装化された一つの惑星の像があらわれた。おぼろで、名称や宇宙座標についてはまったく知識がない。パトロール隊自体の基地惑星ベネットに非常に似ているが、それより小規模だ。そして――
ふたりの男の姿が、いっそうおぼろだが、顔つきはまぎれもなく見わけられる程度にあらわれた。一人は、海賊の狩猟マーガトロイドで、キニスンもサムスもまったく見おぼえがなかった。そして――
マーガトロイドの後ろ上方にあらわれた姿は――
ビッグ・ジム・タウン!
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一三
「まず、マーガトロイドの問題だ」〈丘〉のオフィスで、ロデリック・キニスンはファースト・レンズマンに大声で話しかけた。「彼に対して、いかなる手をうつべきだと思うかね?」
「マーガトロイドか。ふむ、む、む」サムスは煙を口いっぱいに吸いこんでからゆっくり吐きだし、それが空中に散っていくのを見つめた。「ああ、なるほど、マーガトロイドか」彼は同じ動作をくり返した。「当面はほうっておくというのが、わたしの考えだ」
「賛成だね」キニスンはいった。サムスが友人の賛成におどろいたにしても、表情にはすこしもあらわれなかった。「しかしなぜか? その理由がきみと一致しているかどうか検討してみよう」
「なぜなら、彼はもっとも重要な人物とは思われないからだ。もし彼を発見できたとしても――ところで、われわれの諜報員が彼を発見する可能性はどのくらいあると思う?」
「彼らの諜報員が、サムスとオルムステッドの〈交替〉や、われわれの基地惑星ベネットを発見する可能性とちょうど同じくらいだ。つまりきわめて小さい。ゼロといってもいい」
「そのとおりだ。そして、もし彼を発見できたとしても――彼らの秘密基地はわれわれのと同様に巧妙にかくされていることは確かだが、それを発見できたとしても――さしあたりはなんの役にも立たない。われわれとしては、すぐに積極的行動をとるわけにいかないからだ。われわれは枢要な事実を把握したと思う。つまり、タウンが事実上マーガトロイドの上級者だということだ」
「わしもそう見ている。もう敵の組織図がほとんど判明したわけだ」
「『ほとんど』とはいえない」サムスはなかば残念そうに微笑した。「空白の部分が残っている。そして、アイザークスンの正体も、まだ不明な点が多い。わたしは十回あまりも組織図を引いてみたが、まだ情報が不充分だ。なにせ、不正確な図は、何もないより、かえって始末がわるいからな。正確な図が引けるようになりしだい、きみに見せるよ。しかし、さしあたり、われわれの友人ジェームズ・F・タウンの地位は明白になった。彼は事実上、海賊組織と政治組織の両方のボスだ。これで状況はいちじるしく明確になったが、わたしはこの事実に驚いたね」
「わしもだ。一つ有利な点がある。彼の所在ははっきりしているから、わざわざ捜索するにはおよばないという点だ。きみは、彼を長いこと探知していたね?」
「そうだ。しかし、この新しい関係によって、これまで不明だった多くの点があきらかになる。また、アイザークスンが麻薬組織の事実上のボスだというわれわれの仮定も、この関係によって裏づけられる――この仮定は、もちろんまだ証明できないがね。アイザークスンは、いわば麻薬組織の副首領なのだ」
「ほう? その仮定は、わしには初耳だ。わけがわからんね」
「トップにモーガンがいるということについては、ほとんど疑問の余地がない。彼はしばらく前から、北アメリカの真のボスだった。大統領ウィザースプーンは彼の下にいて、おそらく直接命令を受けているのだ」
「それは確かだ。国民党はまぎれもない黒幕で、ウィザースプーンは、腐敗政治家の見本みたいな男だ。モーガンはその黒幕の張本人だ。そこのところから話をはじめよう」
「われわれは、ボスのジムが、やはり敵軍隊のトップにいることを知っている――おそらく総司令官だろう。これは類推によってそう判断するのだ。そして、アイザークスンは、モーガンのすぐ下で、タウンと同じレベルにいるらしいから――」
「同じレベルに三人いることにはならないか? ウィザースプーンはどうだ?」
「わたしはそうではないと思う。現在の判断では、彼は少なくとも一レベル下だと思う。つまり、比較的小物なのだ」
「そうかもしれん――きみの判断を信用するよ。みごとな組織図だな、バージ。それに、きれいに均斉がとれている。最高権力者モーガン、軍事長官タウンと麻薬長官アイザークスン。そして彼らはそれぞれ、政治の楽隊車を強力にあと押ししているのだ。非常にみごとな組織図だ。こうなると、マティース作戦はいよいよむずかしくなる――三倍もむずかしくなる。これはわしの仕事じゃないときみにことわっておいてよかった――今になって手を引く手数がいらないからな」
「そうさ。きみがむずかしい仕事を避ける傾向があることは気がついているよ」サムスはしずかに微笑した。「しかし、わたしの判断がいつもより狂っているのでなければ、きみはこの作戦が片づく前に、そのあまり小さくない耳もとまで、この作戦にどっぷりつかることになるだろうよ」
「ほう? なぜかね」キニスンは問いただした。
「その理由は、もうすぐあきらかになるだろう」サムスはシガレットの吸いさしを捨てて、別のをつけた。「基本的問題は、ごく単純に説明できる。地球のもろもろの主権国家――とくに北アメリカ大陸――をどう説得して、銀河パトロール隊が享有する必要のある莫大な力と権威を認めさせるか、ということだ」
「みごとな判断だな、バージ。そして慎重だ。事態の核心をはずれていない。しかし、ちょっとばかり大げさすぎないか? 反対はあるとしても、わずかだろう。パトロール隊は優に太陽系間的規模になるだろう――そしてもちろん、必要な惑星間的および大陸間的――それから――うむ――む――」
「そのとおりだ」
「だが、バージ、これはまったく論理的なことで、古代史の中にもわんさと前例がある。宇宙旅行がおこなわれる以前のことだ。当時、人類は原子エネルギーを使いはじめたばかりで、警戒しなければならない麻薬は、コカイン、モルヒネ、ヘロインその他、純粋に地球の産物だけだった。わしはそのことを、このあいだ読んだばかりなのだ」
キニスンはからだをねじむけて、表装をそろえた蔵書の中から一冊の本を抜きだし、ページをぱらぱらとめくった。「ロシアは当時、世界の問題児だった――いわゆる鉄のカーテンをおろしていた――隣り近所の子どもたちと遊ぼうとしないで、自分のおはじきをかきあつめて家へひっこんでしまった。それでもやはり――さあここだ。出典は不明だが――いくつかの資料が、フーバーという人物の報告をとりあげている。西暦一九四〇年から五〇年ごろのことだ。聞きたまえ。『この議定書は』――フーバーは世界的規模での麻薬取締りに関する協定のことをいっているのだ――『五十二ヵ国によって署名された。その中には、U・S・S・R』――これはロシアのことだ――『および、その衛星諸国も含まれていた。国際的協定に対して共産主義諸国が』――共産主義については、きみのほうがよく知っているだろう」
「独裁の一形態で、失敗に終わったということだけは知っている」
「『――共産主義諸国が単なる言葉以上の協力を示したのは、これがはじめてだった。この協定が維持されたことは、当時の政治情勢を考慮に入れれば、全加盟国が次のような五つの注目すべき点で、国家主権を放棄する義務を負ったわけであり、まことにおどろくべきことである。
『第一 他の全加盟国の麻薬取締官をして、すべての地域および水域に、自由、秘密かつ無登録で入国し、無制限に旅行し、かつ退去することを許す。
『第二 要求に応じて、既知の犯罪者および密輸品が妨害なしに領土に出入りすることを許す。
『第三 他のどの加盟国が立てた麻薬取締計画にも、主導者としてではなく、従属者として、完全に協力する。
『第四 要求に応じて、いかなる麻薬取締作戦に関しても、完全な秘密をまもる。そして、
『第五 上記の事項すべてについて、中央麻薬取締局に完全かつ継続的に情報を提供する』
しかもだな、バージ、これは成功したらしいのだ。もし、これほどむかしにそういうことができたのなら、われわれにも、パトロール隊を同様に働かすことができるにちがいない」
「きみは情況が当時と匹敵するかのように話しているが、そうではない。こんどは、国家主権の取るにたりぬ一部を放棄するのとちがって、すべての国家が事実上すべての主権を放棄しなければならないのだ。各国家は、思考の観点を、国家的なものから銀河的なものにかえ、かつて都が州の単位であり、州が国家の単位であったのと同様に、銀河文明の単位とならねばならないだろう。銀河パトロール隊は、太陽系間的問題について最高唯一の権力となるということだけでとどまることはできない。それは、太陽系内的、惑星内的、国内的問題についても、そうならざるをえないのだ。結局、それは、都市警察のような純粋に地域的組織をのぞけば、〈唯一の〉権力とならざるをえないし、またそうなるだろう」
「勇大な計画だな」キニスンは数分間だまって思考した。「だが、わしはやはり、きみにはりっぱにやってのけられると信じているよ」
「やってのけるまでは、努力をつづけるのだ。われわれにつごうのよいことは、全レンズマン太陽系評議会がすでに存在していて、円滑に機能しており、北アメリカ政府の司法権は、国境外にはまったくおよばない、という点だ。したがって、モーガンは北アメリカのボスとして、また事実上、太陽系間的規模の組織の首領として、超法律的な力を持っているとしても、太陽系評議会が銀河評議会に拡大されたという事実を、どうすることもできない。事実、彼はこの動きを大いに歓迎している――われわれと同程度にな」
「話が飛躍しすぎて、わしにはついていけん。どうしてそう判断するのだ?」
「われわれはパトロール隊を、自由で独立な種族の調整者とすることを理想にしているが、モーガンはそれとちがって、パトロール隊を銀河的独裁のための完全な道具と考えている。だから、次のようなことになる。まず、北アメリカは、地球でもっとも強力な国家だ。他の諸国は、北アメリカの指導にしたがうだろう――したがわなければ、強制的にしたがわせることもできる。地球は、太陽系に属する他の惑星を容易に支配できるし、太陽系は、他の太陽系が発見され植民化されるにつれて、それらの上に支配を拡張することができる。したがって、北アメリカ大陸を支配する者は、全宇宙を支配することになるのだ」
「わかった。ありうることだ。モーガンはレンズマンをほうりだして、自分の手先をその代わりにすえようというのだな。だが、やつはそれをどういう方法でやるつもりだろう? はなれ技《わざ》でか? ちがう。こんどの選挙、というのがわしの推定だ。もしそうなら、こんどの選挙は、史上もっとも重要な選挙になる」
「やつらが次の選挙まで待つとすれば、そのとおりだ。きみはやつらがそれより早く行動しないと確信しているようだが、わたしにはそれほど確信が持てない」
「やつらはそれより早く行動できないのだ」キニスンは断言した。「やつらがそうできると考える理由を、一つでもあげてみたまえ。わしはそれを標的以上に穴だらけにしてみせるよ」
「やつらにはできる。そして、わたしは、やつらがそうするのではないかと大いに心配しているのだ」サムスは深刻に答えた。「モーガンは、いつでも望むときに、条約を廃棄して、自分の評議会を任命できる――もちろん、北アメリカ政府を通じてだがね」
「わしの部下――パトロール隊の背骨であり精髄《せいずい》であるばかりでなく、北アメリカの背骨であり精髄である彼ら――なしにそういうことができるというのかね? ばかをいうな、バージ。彼らは〈忠誠〉だよ」
「それは認める――だが、それと同時に、彼らは北アメリカの通貨で給与を受けている。もちろん、われわれはまもなくパトロール隊自体の信用制度をつくらせるが――」
「それにどんな相違があるというんだ?」キニスンは、くってかかった。「もしやつらがそんな手段に訴えたら、次の支払日まで権力を維持できると思うのか? きみはわしがどんなことをすると思う? クレートンやシュヴァイケルトやその他の連中が、どんなことをすると思う? 太ったしりを落ちつけて、ビールのコップのまえで泣いているとでも思うのかい?」
「きみたちは何もしないだろう。わたしとしては、違法な行動を許可することは――」
「許可だと!」キニスンはとびあがって叫んだ。「許可なんぞ――くそくらえだ! きみは、わしがきみの許可を求めるだろうとか、許可が必要だろうとか考えるほど、まぬけなのか? いいかね、サムス!」司令長官の声は、友人がこれまで聞いたことがないような響きをおびた。「わしのする最初のことは、きみのレンズをはずして、きみを――とくにきみの口を――幅三インチ長さ十七ヤードの接着テープでしばりあげて、監禁室へほうりこむことだ。第二にすることは、ベネットで建造中の船で飛べるものまでふくめて、あらゆる兵力を動員し、戒厳令を敷くことだ。第三にすることは、モーガンを筆頭に一味のやつらを即決裁判で処刑することだ。そして、わしが信ずるようにモーガンが多少とも頭を持っているとすれば、やつはどんなことが起こるかを〈正確に〉知っているはずだ」
「そうか」サムスはひどく驚いたものの、心の底から感動した。「わたしはそれほど過激な手段を考慮しなかったが、きみならおそらくやるだろう――」
「『おそらく』ではない」キニスンはきびしく訂正した。「『確実に』だ」
「――そしてモーガンはそれを知っている――もちろん、ベネット計画はべつだが――そして彼が秘密軍を動員しないことは明白だ。きみの判断は正しいよ、ロッド。やつらがねらうのは、次の選挙だろう」
「決定的だ。そして彼らの基本的戦略がどんなものかも明白だ」キニスンはすっかり気をしずめて腰をおろし、べつの葉巻をつけた。「彼の国民党はいま政権を握っている。しかし、例の不法でけがれた反憲法的な条件を批准《ひじゅん》することによって、親愛なる〈人民〉に卑劣にも政権をひそかにゆずり渡したのは――全北アメリカを裏切って、貪欲な富そのものの爪牙《そうが》にかけさせたのは――われわれ宇宙党の前政府なのだ! 神聖な信頼を裏切ったのだ! 大衆扇動家のモーガンがどれほどその点を力説することだろう――やつは、ここを先途《せんど》と、がなりたてるだろう」
キニスンは、デマゴーグのよく響くどら声をまねしてつづけた。「『彼らには人民の生得権を一杯のスープと取引きする委任権はない。したがって、かの邪悪で卑劣な条約は、|〈明白〉に《ア・プリマ・ブイスタ》、|〈事実〉として《イプソ・ファクト》、|〈先験的〉に《ア・プリオリ》、完全に、必然的に、絶対的に無効である。地球の人民よ、立て! 立ちあがれ! 自力で立って、この愚劣にして堕落せる金力の束縛を切断せよ――この独裁的、専制的で富に支配された、不法で怪物的な、いわゆるレンズマンの評議会を打倒せよ! 選挙において勝利をえよ! 諸君自身の選択にもとづいて評議会を選挙せよ――レンズマンの評議会ではなく、諸君やわたしのような一般民衆の評議会だ。かのいまわしき束縛を切断せよ!』――そして彼はここで猛烈に泡をふきはじめるのだ――『かくして、人民の、人民による、人民のための政府を、地球から消滅させてはならないのである!』
やつはこの古いながらも正確な結びのことばを、あまりにもたびたび使っているので、ほとんどすべての人間が、彼がいい出した文句だと思っている。そして、この言葉は、多くの喝采《かっさい》をもたらす効果があるから、彼はいつまでも使いつづけるだろう」
「きみの分析は明快で説得的、現実的だよ、ロッド――だが、状況は冗談ごとではない」
「わしは、状況を冗談ごとと考えているように演技したかね? そうだとすれば、わしはとほうもない大根役者だ。わしはあの〈血に飢えたヒル〉を、地球からアンドロメダ大星雲にけとばしてやりたいと思っているのだ。機会さえあれば断然そうしてやるぞ!」
「おもしろいが、いささか見当はずれな思いつきだな」サムスは友人の激昂《げっこう》を見て微笑した。「だが、つづけたまえ。これまでのところ、原則的にはきみに賛成だ。そして、きみの観点は――少なくとも――新鮮だよ」
「モーガンは、選挙のときまでに、親愛なる〈人民〉を完全に催眠術にかけているだろうから、彼があの背骨のないまぬけのウィザースプーンを、次期の北アメリカ大統領に再指名し、紋切型の後任候補者名簿をくっつけても、人民はそれが自分たちの考えだったと思いこむだろう。そして、彼らが選挙に勝てば、北アメリカの政府が――モーガン=タウン=アイザークスン一味がではなく、万事合法的に、委任権にもとづいて、また政党の綱領に厳密にしたがって――条約を廃棄し、新しく自分の評議会を任命するだろうな。そうなったら、わしは部下をひきいて仕事にとりかかるのだ」
「その場合には、きみはそうはしないだろう。よく考えてみたまえ、ロッド」
「なぜしないのだ?」キニスンは問い返したが、その声にはあまり確信がなかった。
「われわれのほうが不正だということになるからさ。モーガン一味も世論に反しては行動できないが、われわれはなおさらできん」
「〈何か〉するさ――そいつを思いついたぞ!」キニスンはこぶしでデスクをたたいた。「これはまったく一方的行動だ。北アメリカは孤立するだろう」
「もちろんだ」
「だから、われわれはすべての宇宙党支持者《コスモタラート》と友人を、北アメリカから引き抜いて――ベネットかどこかへ移住させる――そして、モーガン一味に、北アメリカを献上する。彼らが秘密軍の動員を決意しないかぎり、われわれは戒厳令も敷かず、だれも殺さない。大陸全体を孤立させるだけだ――スクリーンを周囲にも上空にもめぐらして、細菌一匹通り抜けられないようにする――これにくらべれば、わしがさっき読んだ例の〈鉄のカーテン〉も、花嫁のベールみたいに薄く思われるだろう――そして、われわれは、やつらが頭を下げて協定をむすぶまで、やつらを〈孤立させつづける〉のだ。厳密に合法的で、完全な解決法だ。いますぐ部下に概要を通達してはどうかね?」
「まだいけない」しかし、サムスの表情は目だってあかるくなっていた。「そんな手段は考えたことがなかった――うまくいくかもしれん。いくだろう。しかし、まったく最後の手段としてでなければ、推薦できない。その手段に、少なくとも二つ、重大な欠陥がある」
「それはわかっている。しかし――」
「その手段をとれば、北アメリカは従来どんな国家も経験したことがないほど破壊されて、おそらく復興不能になるだろう。そればかりでなく、きみ自身や子どもたちを含めて、どれだけ多くの人々が、北アメリカの市民権を放棄して、北アメリカの土地から恒久的かつ最終的に移住することを望むかね?」
「うむ――む――む。そういわれれば、あまりいい方法でもないようだな。だが、ほかにどんな方法があるんだ?」
「われわれが現在計画中のことを遂行するまでさ。われわれは選挙に勝たねばならないのだ」
「ほう?」キニスンは口をぽかんとあけんばかりだった。「いやにやさしそうにいうね。どうやって勝つのだ? だれを候補者に立てるのだ? いったいモーガンより、はったりがきいて、空手形を切れるほど口のまわる人間を、見つけ出せると思うのか? それに、やつの政党組織に匹敵するような組織をつくれるというのか?」
「彼の組織に匹敵するどころか、それよりすぐれたものをつくることができる。民衆によって愛され崇拝され尊敬される人間が、彼らに理解し評価できるような言葉で真実を告げれば、モーガンの空手形よりは魅力があるはずだ。その真実自体が、モーガンの虚偽をあばくだろう」
「よろしい、つづけたまえ。きみはある意味で、わしの質問に答えたが、肝心の問題が残っている。銀河評議会は、その重責をになうだけの力量を持った人間が評議会にいると考えるかね?」
「満場一致だ。彼らはまた、そういう人間がひとりしかいないという点でも、満場一致だった。その人間が誰だか思いつかないか?」
「まるで思いつかんね」キニスンは眉をしかめて考えこんだが、やがて、顔をあかるくして微笑しながら叫んだ。「わしは何たるまぬけだ――もちろん、〈きみ〉のことだ!」
「ちがう。評議会は、わたしをまともに考慮さえしなかった。わたしでは選挙に勝てないというのが、一致した意見だった。わたしは、仕事の性質上、公衆の目からずっとかくれていた。一般民衆がわたしのことを考えることがあっても、それは、自分たちからかけはなれたもの――象牙《ぞうげ》の塔にこもった存在としてなのだ」
「そうかもしれないな。だが、そうなると、いよいよ好奇心がかきたてられる。そんな能力の人間が、そんなに前からいたとすれば、なぜわしがそれに気づかなかったのか?」
「きみは知っているさ。わたしが午後いっぱい動きまわったのも、そのためだったのだ。それはきみのことだ」
「ほう?」キニスンは、急所に一撃受けたように、口をぽかんとあけた。「わしかね? わしだって? いや――はや――どうも!」
「そのとおり。きみさ」サムスは、キニスンが口ごもりながら抗議しかけるのをさえぎってつづけた。「第一に、きみはたった今わたしに話したような調子で、聴衆に話すことが容易にできる」
「もちろんだ――しかし、わしは送信器を焼き切りそうな言葉を使ったことがあるかね? 自分ではわからんが」
「わたしにもわからない。おそらく使ったろう。しかし、それは何も新しいことではない。テレニュースはまだ、それが理由できみの放送をカットしたことはないからな。問題はこういうことだ。
きみは、自分では理解していないが、モーガン以上の雄弁家で扇動家《せんどうか》だ。何かに駆りたてられた場合にはね――たとえばさっきのようにだ。それから、政治組織については、パトロール隊以上に優秀なものがありうるかね? パトロール隊の関係者はすべて、きみを徹底的に支持するだろう――そのことはきみも知っている」
「いや、わしは――そう――おそらくそうだろう」
「なぜだかわかるかね?」
「わかるとは断言できないが、わしは彼らを公正に扱っているから、彼らもわしに対して、同様の態度をとっているということではないのか?」
「そのとおりだ。だれもがきみを好いているとはいわんが、きみを尊敬していない人間があるとは思えん。それに、もっとも大事なのは、だれもが――宇宙中のものが――〈|岩のロッド《ロッド・ザ・ロック》〉キニスンを知っていて、なぜそう呼ばれるかも知っているということだ」
「しかし、〈軍閥政治家〉というような不利なレッテルをはられるかもしれないぞ、バージ」
「かもしれない――多少はな――しかし、その点は心配していない。それから、最後の問題として、きみはさっき、モーガンを地球からアンドロメダへすっとばしたいといったが、パナマ・シティから北極まですっとばすのはどうかね?」
「確かにそういったが、あのときは、まだそれだけの準備ができてなかった。そうしてみたいね」大男のレンズマンの鼻が広がり、唇がひきしめられた。「バージ、断然やるぞ!」
「ありがとう、ロッド」サムスは、自分の深い感動を少しも面《おもて》には示さず、さりげなく次の問題に移った。「こんどは、エリダンの問題だ。彼らが何か発見したかどうかたずねてみよう」
ノボスとダルナルテンの報告は、簡潔で正確だった。彼らが発見したところによると――その発見は、だらだらと列挙すれば、優に一冊の本を満たしてしまうほどだったが――宇宙交路のウラニウム輸送船が、エリダンから太陽系内の諸惑星にシオナイトを運んでいることは、疑いの余地がなかった。スパイ光線でエリダンを探知しても無効だったので、彼らは直接着陸して偵察しようかとも考えたが、結局、そのような行動は不適当だと判断した。エリダンは、ウラニウム社によって厳重に守られている。住民は一〇〇パーセント地球人である。ダルナルテンもノボスも、そこで工作できるほど、うまく変装することはできない。どちらが先入しても、たちまち捕えられて、ただちに射殺されるだろう。
「ありがとう、諸君」簡潔な報告が終了したのが判明するとサムスは、いった。それから、キニスンにむかって、「すると、この仕事は、コンウェー・コスティガンが適任だ。それから、ジャックか? メースか? それとも、その両方か?」
「両方だ」キニスンは決定した。「それから、彼らに必要な部下はだれでもな」
「わたしが指令しよう」サムスは思考を伝達した。「ところで、わたしの娘は現在、何をしているかな? あれのことがちょっとばかり気がかりなんだよ、ロッド。あれは自分の技巧――または力量――について、ひどくうぬぼれている。いまに、自分の手におえない仕事にとりかかるだろう。もうとりかかっているかもしれん。モーガンの正体がわかるにつれて、わたしは、娘がハーキマー・ハーキマー三世に働きかけるのが、気がかりになってきた。もう十回以上もあれに注意したのだが、もちろん、いっこうに効果がないのだ」
「そうだろうよ。歯を成長させるには、噛《か》むしかない。きみもそうだった。わしもそうだった。われわれの子どもたちもそうせざるをえないだろう。われわれは試練に耐えた。彼らも耐えるだろう。ハーキマー三世のことは――」と、ちょっと考えこんでからつづけた。「きみのいうとおりだ。しかし、これまでのところ、彼女は他のだれにもできなかったことをやってのけている。とはいえ、もしわれわれのレンズがないとしたら、わしはぜひ、彼女に手をひかせるようにすすめるね。たとえあの若いおてんば娘を監禁室にほうりこまなければならんとしてもな。しかし、われわれはレンズで彼女と連絡できるし、きみは彼女を慎重に監視しているし――ましてや頼もしいメースン・ノースロップがついているのだから――彼女がへまをしたり、深入りしすぎたりするとは思えんね。きみはどうだ?」
「そうだ。わたしも同感だ」サムスは認めたが、気づかわしげな表情は消えなかった。それから娘にレンズで連絡した。予想どおり、彼女はパーティに出席していた。そして、心配したとおり、モーガン上院議員のナンバーワンの秘書とダンスしていた。
「まあ、パパ!」彼女はパートナーのほうに熱烈にむけた顔の表情を少しも変えずに、快活に挨拶した。「おめでたいことに、万事きわめて好調よ」
「ところで、わたしが警告したことに、多少とも注意を払っているのか?」
「あら、とっても払っているわ」彼女は受けあった。「わたし、たくさん情報を集めたのよ。このひとはある意味では、自分で思いこんでいるのと同じくらい色魔だけれど、わたしはまだたらしこまれていないわ。いつもパパにいっているように、これはほんのゲームよ。そして、わたしたちは、どっちも厳密に規則にしたがって遊んでいるのよ」
「それはけっこうだ。ずっとその調子でやっておくれ」サムスは連絡を切り、彼の娘は色男の秘書に全身の注意をむけなおした――注意がそれていたことは、すこしも外見にあらわれなかったが。
夜はふけていった。ミス・サムスは、すべてのダンスをおどった。ときには、名士のだれかれといっしょだったが、たいていは、ハーキマー・ハーキマー三世とおどった。
「何か飲みますか?」彼はたずねた。「小さなグラスで冷たいやつを?」
「そう小さくないグラスで、うんと冷たいのをね」彼女は熱心に賛成した。
ハーキマーは、グラスを手にしながら、近くの戸口を示した。「たったいま聞いたのですが、ここの主人が、とても古い、みごとなブロンズ像を手に入れたそうです――海神《ネプチューン》の像をね。ちょっと見てみませんか?」
「ぜひ拝見したいわ」彼女はまた賛成した。
しかし、うす暗い戸口を通りぬけたとたんに、男の首がさっと右をむいた。「あなたが本当に見るべきものがありますよ、ジル!」彼は叫んだ。「ごらんなさい!」
彼女は見た。彼女と同じ身長とからだつきで、彼女と同じように燃えるような色の髪を持ち、髪型からドレス、装身具までそっくりな若い娘が、やはりグラスを手にして、舞踏会場のほうへゆるやかにもどってくるではないか!
ジルは抵抗しようとしたが、できなかった。彼女が一瞬立ちすくんでいるあいだに、銃口がふくらんだP銃が、彼女の背骨にそって、腰から首筋まで放射されたのだ。彼女は倒れなかった――彼はごく軽く放射したのだ――しかし、どれほどいきりたっても、彼女はもがくことも悲鳴をあげることもできなかった。そしてそうなってからはじめて、彼女は事態に気がついた。
しかし、彼がこんな武器を持っているはずがない――ありえないことだ! ネヴィア人が発明した麻痺《まひ》銃は、ヴィー2・ガスと同様に、法律で禁止された武器だ! しかし、彼はそれを持っていた。
その瞬間、清潔で純白の白衣を着て、フードのついたオーバーを持ったひとりの女があらわれた――そして、ハーキマーはいまや、あごひげをつけて、太い角縁の眼鏡をかけていた。こうして、まもなく、バージリア・サムスは、自分がまったく無力になり、完全に目立たない格好で、職業的な医者とよく気のつく看護婦のあいだにはさまれながら、ぎこちない足どりで家の外へ歩きだしているのを知った。
「まだ、わたしがつきそっている必要がございますか、マレー先生?」女は患者を慎重に手ぎわよく、近くの車の席におさめた。
「ありがとう。もう必要ないよ、ミス・チャイルズ」ジルは背筋が冷たくなる思いでさとった。この会話は、門番と運転手の手前をつくろうためなのだ。どんな調査をうけても、暴露《ばくろ》されないだろう。「ハーマン夫人の容態は――ああ、そう、大したことはないようだよ」
車は通りへ走り出た。ジルは勝利つづきの生涯ではじめての敗北に愕然《がくぜん》とし、狼狽の波に圧倒されていた。フードが目の上にすべりおちているので、何も見えなかった。一筋の随意筋も動かせなかった。しかし、車がボルトン通りを西へ数ブロック――六ブロックと思われた――進んでから、左へ曲がったのがわかった。
なぜ、だれもレンズで連絡してこないのか? 父が明日まで連絡しないことはわかっている。キニスン父子も、スパッドも――彼らは、直接ジルからうながさなければ、レンズで連絡したことがないのだ。しかし、メースは、ベッドにはいる前にするだろう――するだろうか? もう彼の就寝時間はすぎている。それに、つい昨夜は、彼女がきわめてデリケートな本を読んでいたときに連絡してきたので、彼女はひどくいらいらしたのだ。しかし、彼は連絡するだろう――するにちがいない!
「メース! メース! メース!」
そしてついに、メースは連絡してきた。
ロデリック・キニスンは、〈丘〉の地下深くにいたので、その強烈な放射能を放っている山から、すみやかにとび出すことが物理的に不可能なのを、無性《むしょう》にじれったがった。しかし、メースン・ノースロップとジャック・キニスンは、ニューヨーク宇宙空港にいたので、急ぐことができたし、事実急行した。
「ジル、きみはどこにいるんだ?」ノースロップがたずねた。「どんな車の中にいるんだ?」
「スタンホープ環状道路の、すぐそばよ」ジルは、やっと友人たちと連絡がとれたので、いつもの冷静さをとりもどした。「きっと、八ブロックから十ブロック以内だわ。黒いウィルフォード・セダンの去年の型の車よ。ナンバーを見るチャンスはなかったわ」
「それだけじゃ、なんにもならん!」ジャックはかみつくようにどなった。「半径十ブロックの円といえば、おそろしく広いし、町の車の半分は、黒のウィルフォード・セダンなんだ」
「だまるんだ、ジャック! つづけたまえ、ジル――できるかぎりのことを知らせて、役に立ちそうなことはなんでも伝達するんだ」
「わたし、右折と左折と距離をずっと測定していたの――二十ブロックばかりだわ――だから、スタンホープ環状道路のあたりだと思うの。でも、ハーキマーが何度環状道路をまわったか、そこを出てからどっちの方向へむかったかはわからないわ。環状道路を抜けてからは交通がとても少なくなって、いまはほとんどないわ。それが最新情報よ。次に何が起こるかは、わたしの目を通じてごらんなさい」
ふたりのレンズマンは、ジルの目を通して、ハーキマーが車を道路のわきに寄せて止めるのを見た――後方に車のないところにパークした。彼は車をおりて、娘のぐったりしたからだを運び出し、フードをあけて、彼女の片目だけが見えるようにした。よろしい! ほかの車は一台しか見えない。あかるい黄色のコンヴァーティブルが、半ブロックばかり前方の、道路の反対側にパークしている。道路にはサインが出ている。
「こちら側には、七時から十時まで駐車禁止」
ハーキマーが彼女を運んで行く建物は、三階以上の高さで、ナンバーは――一四――彼がもう少し彼女のからだをまわしさえすれば、あとの数字も見えるのに――一四七九だ!
「ラッシュトン通りだと思わないか、メース?」
「そうかもしれん。一四七九は、下町側だ。発進!」
ハーキマーがジルを運んでビルにはいると、覆面したふたりの男がドアをしめて錠をおろし、かんぬきをかけた。「そのまま錠をおろしておけ!」ハーキマーは命令した。「わたしが下へもどってくるまで、何をすればいいかはわかっているな」
エレベーターに乗って上に行く。どっしりした二重ドアから一つの部屋へはいる。いちばん目立つ家具は、床にボルトでとめられた鋼鉄の椅子だ。覆面の男がふたり立ち上がって、その椅子の後ろについた。
ジルのからだは急速に回復していたが、まにあうほど急速ではなかった。オーバーがとられた。彼女の両くるぶしは、それぞれ椅子の前足に固くしばりつけられた。ハーキマーは、彼女の胴を椅子の背ごとロープで四巻き、きっちりしばって、かたくむすんだ。それから、やはり一言もいわずに立ち上がって一歩さがると、シガレットに火をつけた。ジルのからだの麻痺はすっかり消滅していた。彼女ははげしく身をもがいた。無駄だったが、それをつづけることも許されなかった。
「両腕を背中へねじあげろ」ハーキマーは命じた。「だが、この段階では、まだ骨を折ってはならん。それはあとのことだ」
ジルはそれまで恐怖より怒りのほうがはげしかったが、圧力が増すにつれて、悲鳴をこらえるために歯をくいしばった。苦痛をやわらげるために前へかがむことができないのだ。身動きもできない。ただ歯をくいしばって、にらみつけているしかなかった。しかし、彼女は、これから起こることを理解しはじめた。ハーキマー・ハーキマー三世は、彼女がこれまで知らなかったような怪物なのだ。
彼はしずかに前へ進むと、ジルの衣装を片手にいっぱい握りしめてひっぱった。ストラップも背中もないドレスは、このような外力に耐えるようにデザインされてはいないので、ロープの上端のところでびりりと裂けた。彼はシガレットを吸って赤く燃やした――それを指でつまんだ――じゅっと音がして、肉のこげるかすかな悪臭がただよい、娘の左のわきの下のなめらかな皮膚の上で、赤い燃えさしが消えた。ジルはからだをちぢめて絶叫したが、拷問者は無慈悲に少しも動かされなかった。
「おまえは、おれが本気かどうか疑っているかもしらんが、いまのは、その疑いをとくだけのためだ。もうおまえのまわりでうろちょろするのはうんざりした。知りたいことが二つある。第一は、レンズについておまえが知っているすべてのことだ。あれはどこからきたか? 本質はどのようなものなのか? おまえらの新聞担当官が宣伝しているほかに、どんな機能を持っているのか? 第二は、大使舞踏会で実際にどんなことが起こったのかだ。白状しろ。早くしゃべれば、それだけけがをしないですむのだ」
「こんなことをすれば、ただではすまないわよ、ハーキマー」ジルは混乱した神経をしずめようと努めた。「わたしのいないのがわかって――捜査されるわ――」彼女ははっとして口をつぐんだ。もしレンズマンが彼女と完全に継続的に連絡を取っていることを彼に告げれば――そして彼がそれを信じれば――ただちに彼女は殺されるだろう。彼女はたちまち戦術を変えた。「あの替え玉は、わたしをほんとによく知っている人たちをだませるほど似ていないわ」
「そんな必要はないのだ」男は邪悪な笑いを浮かべた。「おまえを知っている人間はだれも、あの娘とおまえの相違を見破るほど近寄ることはない。これは、その場の思いつきでやったことじゃないんだぞ、ジル。計画したことなんだ――精密にな。おまえは、地獄にほうりこまれたセルロイドの犬ほども助かるチャンスがないのだ」
「ジル!」ジャック・キニスンの思考は突き刺すようだった。「ラッシュトン通りじゃない――一四七九は二階建てだ。ほかのどんな通りかな?」
「わからないわ――」彼女は、思考するには、あまり適当な状態ではなかった。
「ちくしょう! このあたりのことをよく知っている人間をだれかつかまえなきゃならん。スパッド、環状道路でタクシー運転手をつかまえてくれ。ぼくはパーカーにレンズで連絡する」――ジャックが地区のレンズマンに思考を同調すると同時に、ジルとの連絡はたえた。
ジルはがっかりした。手おくれにならないうちに、レンズマンたちが彼女を発見できないことは確実だった。
「エディ、もう少ししめあげろ。ボッブ、おまえもだ」
「やめて! おねがいだから、やめて!」耐えられないような苦痛は、いくらかうすらいだ。彼女は、第二の燃えさしが自分の右のわきの下に近づいてくるのを、恐怖に凍《こ》おりついたような目で見つめた。
「わたしが話しても、どのみちわたしを殺すんでしょう。こうなったら、わたしを帰すことはできないわ」
「おまえを殺すだって、かわいい子? おとなしくいうことをきけば、殺しはしないさ。われわれは、パトロール隊が聞いたこともないような惑星をうんと持っている。そして、おまえは、本当にその気になれば、長いこと男を楽しませることができる女だ。おまえが心からたのむなら、チャンスをあたえてやってもいい。しかし、おれはおまえを殺すことでも、ほかの方法でも同じように楽しむことができるのだから、どちらでもおまえしだいさ。もちろん、あっさり殺すんじゃない。いまやっているように、はじめはちょっとずつだ。もう二、三回あっちこっちに暖かいのでさわったら――そら!
好きなだけわめくがいい。おれはそれが楽しいんだ。それに、この部屋は防音されている。おまえたち、もう一度やれ。こんどは半インチばかり高くあげるんだ――もっと――そのまま――おろせ。三十分ばかり、こうして痛めつけてやろう」ハーキマーは、この身ぶるいしている敏感で想像力のゆたかな娘にとって、彼の言葉が、むごたらしい苛責《かしゃく》そのものと同じくらい苦痛をあたえることを知っていたのだ。「それから、おまえの手の爪と脚の爪にいろいろな細工をする。それから目を――いや、それは最後まで残しておいてやろう。二匹の金星産根切り虫が両足をはいのぼって行き、一匹の火星産穴掘り虫が、むきだしの腹に食いこんでいくのを見られるようにな」
彼はジルの髪を左手で固く握りしめ、力づくであおむかせて、頭が、がっちりねじあげられた両手にふれるくらいまでひきさげた。右手には何かをかくし持って、彼女の張りつめたのどに近づいた。彼はそれが何かをいわなかったが、形容を絶しておそろしい道具らしかった。
「しゃべるなりしゃべらないなり、好きなようにしろ」その声は完全に非情で、彼女がいまや切望している死そのもののように冷たかった。「だが、聞け。もししゃべることにきめたら、真実をしゃべるのだ。一度でも嘘をついたらそれまでだ。十までかぞえよう。一」
ジルは、絞殺されるときのような、しゃがれ声を発した。ハーキマーは彼女の頭を少し起こした。
「これで口がきけるか?」
「きけるわ」
「二」
ジルは手も足も出ず、想像を絶する恐怖の深淵につきおとされながらも、もみくちゃにされた心を狂気の寸前からひきもどそうと努め、青ざめた舌で血の色のあせた唇をやっとなめた。キニスンおじさんはいつも、人間は一度しか死なない、といっていたが、彼は知らないのだ――船上では一度死ぬだけかもしれない――だが、彼女はもう十度も死んだ――けれど、一言でもしゃべるくらいなら、永久に死につづけよう。しかし――
「しゃべるんだ、ジル!」ノースロップの思考が、彼女の心を打った。彼は彼女を愛しているから、彼女の肉体的精神的苦痛に対する憤怒と同情で、恥も外聞も忘れて狂気のようになっていた。
「これで十九度目だ。やつにしゃべりたまえ! たったいま、きみの居場所をつきとめた――ハンコック通りだ――あと二分で行くぞ!」
「そうだ、ジル。強情をはるのはやめて、やつにしゃべるんだ!」ジャック・キニスンの思考が深く突きささったが、ふしぎなことに、彼女はいつものような反発を感じなかった。愛人のようでもなく、兄弟のようでもなく、戦友のような感じだった。彼女は同志なのだ。彼女がこの危険から無事に脱出しなければ、彼らも生きて帰らないつもりなのだ。「そのいまいましいネズミに、本当のことをいってしまうんだ!」ジャックの思考は強制した。「どっちにしても変わりはない――やつは、その情報を伝達するまでは生きやしないのだ!」
「でも、できないわ――いやよ」ジルは精神的に叫んだ。「だって、キニスンおじさんはきっと――」
「こんどはそんなことはいわんぞ、ジル!」鎮守府司令長官の痛烈な思考は、サムスの思考を押しのけた。「きみがしゃべっても、実害はない――そいつは、まったく、自分の趣味でそうしたことをやっているのだ――もしモーガンがこのことに気づいていたら、まずそいつを殺しただろう。しゃべるんだ、さもないと、尻が赤くはれるほどひっぱたいてやるぞ!」
レンズマンたちは、後刻、彼のこの脅迫の場ちがいなことを笑うことになるのだが、それは現実に効果をもたらした。
「九」ハーキマーは、サディスティックな期待で、猿のように笑いながらいった。
「やめて――言うわ!」彼女は悲鳴をあげた。「やめて――それをのけてちようだい――耐えられないわ――言いますから!」彼女は、ひきさかれたようにむせび泣きはじめた。
「おちつけ」ハーキマーは何かをポケットにしまうと、彼女のチョークのように青ざめた頬を、赤いみみずばれがうきあがるほど強くひっぱたいた。「わめくのをやめろ。まだなにもしていないんだぞ。あのレンズのことはどうだ」
彼女は二度つばをのみこんで、やっとものが言えるようになった。「あれは――ごくり!――アリシアからきたのよ。わたしは自分では持ってないから、直接知ってることは――ごくり!――あまりないけど。でも、若いレンズマンから聞いたところでは、確かに――」
ビルの外では、三人の黒い姿が、上空から矢のように降下してきた。ノースロップと若いキニスンは、六階で停止した。コスティガンは、守衛を処理するために降下しつづけた。
「ビームじゃなく、弾丸でやるんだ」アイルランド人は、年下のふたりの仲間に注意した。「ごたごたのあとを少しも残さんようにしなけりゃならん。だから、絶対必要なだけしか物質的損害をあたえないようにするのだ」
ふたりとも答えなかった。どちらも忙しすぎたのだ。鋼鉄の椅子の後ろに立っていたふたりのギャングは、公然と武装していたので、まず倒された。つづいて、ジャックがハーキマーの頭に弾丸をうちこんだ。しかし、ノースロップはそれで満足しなかった。彼はピンを「完全自動」にずらして、死体が床に倒れるまで、さらに十発の弾丸をうちこんだ。
三度刃がひらめくと、娘は自由になった。
「ジル!」
「メース!」
ふたりは、たがいにかたく抱きあった。第三者には、これが最初のキスだとは信じられなかったろう。しかし、これが最後のキスでないだろうということは、確実に――そう、一目瞭然に明白だった。
ジャックはまっかになってオーバーを取りあげると、われを忘れているふたりに投げかけた。
「しっ! しっ! ジル! からだを包むんだ!」彼はあわててささやいた。「宇宙の高級将校が、ひとり残らず全速力でここへむかっている――いまにもそこらじゅうごった返しになるだろう――メース! いまいましいまぬけめ、離れるんだ! サムス閣下はいつも、ジルが半分はだかで人中へ出るのを、口に泡をふいて怒っている。ジルがこんなかっこうで――とくに〈きみ〉といっしょにいるのを見たら、それこそたいへんだぞ! きみはからだじゅうに百万も黒あざをこしらえて、監獄へ百年間ほうりこまれるだろう! そうだ、それならいい――さあ、あばよ――ニューヨーク宇宙空港で会おうぜ」
ジャック・キニスンは手近の窓へ駆けよってあけはなし、まっさかさまにビルから身をおどらせた。
[#改ページ]
一四
従業員が数十万に達する企業の雇傭事務所というものは、その経営する工場がすべて地球上にあり、労働条件がその種のものとしては理想的に近い場合でも、じつに忙しい場所である。しかし、事業が植民惑星にまたがっていて、労働条件が奴隷制度とほとんど変わらないような場合には、従業員の獲得は、第一級に困難な問題となる。その人事課は、従業員数を現状にとどめておくためには、ふしぎの国のアリスのように、できるかぎり速く運営されねばならない。そういうわけで、ウラニウム社の誇大で狡猾な〈求人〉広告は全地球をおおい、ウラニウム社の雇傭事務所は、日に十二時間ずつ毎週七日間、求職者で満たされていた――彼らの大部分は、地球の屑のような人間だった。
もちろん、例外もあった。その例外のひとりが、順番を待っている雑多な群衆をかきわけて進み、一枚のカードを〈受付〉の小窓につき出した。ずんぐりした体格の男だった。五フィート九インチという実際の身長より低く見えるのは、百九十ポンドの体重のせいだ――しかし、その一ポンド一ポンドは、からだのもっとも効果的な部分についていた。彼の風体は――そう、無精たらしくて――顔つきは、むっつりしている。
「バーケンフェルドさんに――約束で来たんです」彼は感じがいいといってもいいくらいの太い声で、小窓越しにいった。
冷淡で能率的なブロンド娘が、電話のプラグを操作した。「ジョージ・W・ジョーンズ氏が約束でおいでです――承知いたしました」そして、ジョーンズ氏は、バーケンフェルド氏の専用オフィスに案内された。
「かけたまえ、ミスター――ええ――ジョーンズ」
「じゃあ、わしを知っているんですか?」
「知っているとも。きみのような教育と訓練を受け、能力を証明された人物が、自分からすすんで求人に応ずるということは稀《まれ》だ。そこで、非常に徹底的な調査が要求されるわけだ」
「では、なんのために、わしを呼んだんです?」訪問者はあらあらしく問い返した。「手紙でわしを断ったってよかったはずだ。わしが刑務所から出てきて以来、どこの会社でも、そうしやがったんだから」
「きみをここへ呼んだのは、われわれのように辺境惑星で仕事をしている会社としては、求職者の過去の経歴を理由にして、その人間を拒絶するわけにいかないからだ。もしその過去が、その人間が将来有益になる可能性をさまたげるようなものでない場合にはね。きみの過去は、さまたげにならない。そして、きみのような場合については、われわれは将来に深い関心を持っているのだ」幹部職員は刺すような目で見つめた。
コンウェー・コスティガンは、これまで正面ではなばなしく活躍したことはなかった。それと逆に、彼は目立たない活動を好み、それが巧妙だった。大使舞踏会で起こったような暴力的場面でさえ、彼はうまく人目に立たないでいた。彼のレンズは、人に見られたことがなかった。レンズマンの仲間――そしてクリオとジル――をのぞけば、だれも彼がレンズを持っていることを知らなかった。そして、レンズマンの仲間――そしてクリオとジル――は、その秘密をもらさなかった。彼はこのバーケンフェルドがふつうの面接官ではないことを確信していたが、ウラニウム社の調査員たちが彼の経歴について発見したのは、パトロール隊がわざと彼らに発見させようと望んだことだけだということも、これまた確信していた。
「そうですかね?」ジョーンズの態度は微妙に変化したが、それは相手の鋭い視線のせいではなかった。「わしの望みもそれだけです――チャンスをあたえてくれさえすればいいんだ。あんたのいうように、底の底から出発しますよ」
「われわれの広告には、エリダンで成功する可能性は無限に大きいと書いてあるが、あれは事実だ」バーケンフェルドは慎重に言葉を選んだ。「きみの場合、その可能性は、まったくきみの心がけしだいで、無限にもなればゼロにもなる」
「わかりました」ジョーンズ氏の虚構の経歴の中には、無口ということは含まれていなかった。「どういう可能性なのか、くわしく説明してくれるにはおよびません」
「きみは成功するだろう」面接官は大きくうなずいた。「しかし、われわれの立場を完全に明確にしておく必要がある。もし何かへまをやらかして、もしそれが偶然だった場合には――きみはひきつづきわれわれのところで働くことができる。だが、もしごまかしをやれば、長つづきはしないし、見のがされることもないだろう」
「ごもっともで」
「きみが底から出発したいというのは、けっこうなことだ。そして、一兵卒からたたきあげてきた者が最良の幹部になるというのは、少なくともわれわれのあいだでは、事実なのだ。きみはどのくらい底から出発したいかね?」
「どのくらい下があるんです?」
「選鉱夫なら充分低いと思う。それに、きみの体格と、みごとな体力とからすれば、それは理にかなった仕事だよ」
「選鉱夫ですって?」
「鉱山の中で鉱石をよりわける仕事だ。きみの場合も、受け入れや輸送については、例外のあつかいをするわけにはいかん」
「もちろんです」
「この伝票を六二一七号室のカルキンス氏のところへ持っていきたまえ。彼がきみを訓練するだろう」
そしてその夜、うす暗い宿舎の一室で、ジョージ・ワシントン・ジョーンズ氏は、あらゆる方向を綿密に観測して危険がないのを確かめたのち、でこぼこのスーツケースにはいっているスパイ光線防止スクリーンつきの容器に、大きくていささかよごれた手をのばし、中のレンズにふれた。
「クリオかね?」すばらしい子どもたちの母である、愛らしい妻の姿が心に浮かんだ。「うまくいったよ。少しも疑われなかった。しばらくはレンズ連絡をしない――そう長いことではないと思うがね――じゃあ――元気でな、クリオ」
「安心してちょうだい、スパッド。そして、気をつけてね」彼女の思考はあかるかったが、その背後にある恐怖感をかくすことができなかった。「ああ、わたしもいきたいわ!」
「きみがいっしょならいいと思うよ、トゥーティ」結合したふたつの心は、ネヴィア星の水におおわれた巨大な球体の赤味をおびた暗黒の中で、自分たちがしたことを瞬間的に思い出した――しかし、そのような思考は不適当だった。「だが、仲間がわたしと連絡をたもって、きみに情報を提供してくれるだろう。それに、赤ん坊のお守りを見つけるのがどんなにむずかしいか、わかっているだろうね!」
奇妙なことだが、金属鉱脈の採掘法は、基本的には、むかしからほとんど変わっていなかった。しかし、奇妙だろうか? 鉱脈は、惑星の地殻とともに形成される。それらは地学的時間の経過によってはじめて、目立つほど変化する。もちろん、古代の鉱山では、鉱脈をそれほど深く掘りさげることはできなかった。水が多くて、空気が少なすぎたからだ。蒸気エンジンは、水を除去し空気を供給することによって、質的ではないまでも量的変化をもたらした。道具が進歩した――単なる金属棒から、つるはし、シャベル、ローソク、ドリル、ハンマー、力の弱い爆薬、アセチレン灯、サリヴァン破砕機、強力弾薬、電灯、選鉱機、回転機、粉砕機などをへて、現代の複雑な装置になった――しかし、基本的には、どんな変化があるのか?
人間は依然として、鉱脈があるところへ蛇のように這い進んでいく。依然として、純然たる腕力で貴重な鉱石を採掘し、われわれが誇称する自動装置が把握できるところまで持っていく。そして、われわれが誇称する文明を支えているそれらの鉱石を供給する鉱山では、依然として、多数の人々が世間に知られずに無惨な死をとげ、その数が無情に記録されるのだ。
しかし、物語の本筋にもどろう。ジョージ・ワシントン・ジョーンズは、一般労働者、選鉱夫としてエリダンへ行った。彼はスキップの脇をただよいながら、四千八百フィートばかり地下におりて行った――〈スキップ〉というのは、坑道エレベーターのことである。鉱石車に乗って水平に八マイルばかり進み、まぶしいほど照明された洞窟に着いた。そこは、第十二層つまり最下層のステーションだった。彼はこれから十五日間眠るべき寝床を割りあてられた。基本的地下労働契約には、「十五日間は地下労働、三日間は地上休業」と書いてあった。
彼は四百ヤードほど歩いて、「ヤッホー!」と叫び、のぼり坂の坑道――やっと彼の肩幅くらいしかない個所がしばしばあった――をじりじり進んで、三百フィートばかり上の採鉱場についた。彼は自分のすぐ上のボスになる鉱夫に報告してから、選鉱器に背をかがめた――選鉱器は、シャベルとはおよそ似ていなかったが、やはりはげしい肉体的労働を要求した。彼はすでに鉱石について知っていた――金属的光沢を持ったまっ黒なウラニナイトとピッチブレンド。黄色のオータナイトとカーノタイト、複雑な緑色をしたトパーナイト。ジョーンズの選鉱器は正確に仕事をはじめ、価値のある鉱石が、がっしりした材木で組み立てられ鋼鉄のたがをはめた廃石ポケットへ落とされることはまったくなく、価値のない岩が坑道をおろされることもほとんどなかった。
彼は仕事に慣れはじめ、特異に重苦しくかわいて油くさい圧搾空気を呼吸することにも慣れた。そして、数日後、彼の「ヤッホー!」という高い叫び声が「ヤッホホノホー!」という叫びをよび起こし、一握りの小石が投げつけられたとき、彼は自分が、暗黙のうちに、しかし、はっきりと鉱夫仲間に受け入れられたことを知った。彼は彼らの仲間になったのだ。
彼は目立たないでいる方針を捨てなければならないことを知っていたので、数日考えたのち、どのようにしてそうするかを決心した。そこで、〈地上休業〉期間の第一日目、仲間といっしょに、ダナポリス市でもっとも下等でさわがしい酒場へ出かけた。もちろん、どぎつい化粧をし、あくどい香水をつけて、笑ったりわめいたりする一群の女たちに迎えられた――すると、ここで若いジョーンズの行動は、きわめて常軌をはずれたものになった。
「何か飲ましてくれない? そしてダンスはどう?」
「勝手にしな、ねえさん」彼はしつこい女を払いのけた。「おれは地下でさんざんダンスをやってきたんだ。それに、おまえにはちっともいいとこがないや」
女は、顔に〈用心棒〉と大きく書いてあるようなふたりのがっちりした男と、意味ありげな目くばせをかわしたが、この型破りの選鉱夫は、それに気づかないようすで、かざりたてた長いバーにあゆみよった。
「パイナップル・ジュースをくれ」彼はぶっきらぼうに注文した。「それから、地球たばこだ――サンシャインがいいな」
「パ、パ、パイン――?」バーテンはおどろきのあまり、二の句がつげなかった。
用心棒たちはすばやかったが、コスティガンはもっとはやかった。固い片ひざがひとりの太陽神経|叢《そう》をうち、固い片ひじがもうひとりのあごを、首が折れんばかりにつきあげた。ひとりのバーテンがシェーカーをふりまわそうとしたが、たちまち一つのテーブルのほうへ宙をとんだ。人間もテーブルも飲物も、床にたたきつけられた。
「おれはひとりでいるのが好きなんだ。そして、自分が飲みたいものを飲むのさ」ジョーンズは舌打ちしながら宣言した。「そのまぬけやろうどもは、だれもけがしちゃいない」そういって、けわしい目でおどすように部屋を見まわした。「だが、おれは気が立ってるから、こんど手を出すやつは、修理工場で手入れしてもらうことになるか、さもなきゃ死体置場行きだぞ。わかったか?」
これはもちろん、がまんのならない挑発だった。十人ばかりの喧嘩ずれした無法者たちが、エリダン中の男の顔をつぶしたこの不心得者を片づけようととびかかった。それから、六、七人のバーテンが警報器を狂気のように鳴らしているあいだに、目では追いつけないほど速い格闘がたてつづけに起こった。パトロール隊きっての手と足が速い男のひとりコンウェー・コスティガンは、自分の身を守ることに努めて、それに成功した。
「いったいなにごとが起こったのだ?」横柄なしゃがれ声がいっせいに叫んで、十六人の警官が警棒を手にかざしながらとびこんできた。この辺境惑星では、警官は単独ではなく集団で行動するのだ。ついに、ジョージ・ワシントン・ジョーンズは、人の山の下からひきだされた。彼はたくさんのすりむき傷と少なからぬ打撲傷をうけていたが、骨一本、折れておらず、皮膚もほとんど無事だった。
事件についての彼の陳述が不適当だったばかりでなく、喧嘩に加わらなかった証人の陳述ともいくつかの重要な点でくいちがっていたので、彼は休暇の残りを監獄ですごしたが、彼はこの経過が完全に満足だった。
労働が――そして時間が――過ぎていった。彼はたてつづけにぐんぐん昇進した。選鉱夫長、鉱夫ピンプ(ピンプというのは、本来男妾という意味だが、鉱山の方言では〈助手《ヘルパー》〉の意味で使われているにすぎない)、鉱夫、鉱夫長、そしてそれから組長――これは大変な出世だ!
そのとき、鉱害が起こった。鉱害は一般に突発的だが、この場合もそうだった。ラウドスピーカーが短時間わめきたてた――「爆発! 陥没! 溢水! 火災! ガス! 放射能! 有毒ガス!」――そして沈黙した。ショートしたのだ。これらの恐ろしい警告のうち、どれが真実なのかわからなかった。
動力がとまり、照明も消えた。バルブから空気がしゅうしゅうもれる音は、いつもなら、たえず単調にどこにでもひびいているから、耳が慣れてすぐ聞こえなくなってしまうが、いまやその音が低くなってきたので、耳につきはじめた。それから数秒すると、不快な轟音と震動があり、つづいて、木材がぽきぽき折れる音と、それよりも鋭い、いつまでも耳に残るような、鋼鉄の裂け、ちぎれる悲鳴が聞こえた。このような状況下でよくあるように、人々は狂乱し、わめいたりののしったりしながら、照明のない暗黒の中を、坑道があると思われる方向に、思い思いに駆けだした。
組長が非常用バッテリー・ランプをとりだしてつけるのに二秒ばかりかかり、鉄拳や脚や二フィートのエア・ホースを使って多少とも秩序を回復するには、さらに三、四秒かかった。四人が死んだが、これは、それほどわるくはなかった――状況を考慮にいれればである。
「あそこへあがれ! 吊り壁の下だ!」彼はするどく命令した。「あれは倒れない――山全体が陥没しないかぎり大丈夫だ。さあ、自分の非常安全箱を身につけているのは何人だ、十二人か――二十六人のうち――なんていうまぬけだ! ガス・マスクをつけろ。マスクをつけていない者はここに残るんだ――しばらくは安全だろう――と思う」
それからしばらくして、「さしあたり、これ以上変化はあるまい」彼はライトで下方を照らした。太い鋼鉄構材はもう身もだえせず、折れ砕けた木材は静止していた。
「あの坑道は、廃石でなく堅固な岩盤を貫いているから、まだ通じているかもしれん。見てこよう。ライト、おまえは無傷なんだろうな?」
「そうだと思います――そうです」
「ここで指揮をとれ。おれは坑道へおりてみる。もし坑道が通じていたら、合図する。マスクをつけた者を一度にひとりずつ下へ送れ。棍棒を持っていって、だれかまた気ちがいさわぎを起こしたら、そいつの頭をぶちわるんだ」
ジョーンズも、心の中では口でいうほど勇敢ではなかった。鉱害がもたらす恐怖は、特に痛烈なものなのだ。しかし、彼は坑道をくだり、それが通じているのを発見して、合図を送った。それから、かんたんな命令を出したのち、先頭に立って暗い沈黙した坑道とステーションにむかった。そのあいだも、彼はステーションの当直員を口ぎたなくののしった。
あそこには、多くの非常装置がつねに用意されているのに、彼らはなぜ手を打たなかったのか? 一行はいくつかの陥没にぶつかったが、掘り抜けないようなものはなかった。
ステーションも沈黙していて暗かった。ジョーンズはヘッドランプで非常パネルを照らし、ガラスを砕いてドアをあけると、ボタンを押した。ライトがぱっとついた。警報はひらめき、ほえ、鳴りひびいた。回転式エアポンプは、ふたたびいつものように低いうなり声をたてはじめた。しかし、水ポンプは!
身ぶるいし、うめき、いまにも停止しそうだ――しかし、この世界に、ジョーンズが処理できないことはなかった――少なくともこれまでは。
ステーション自体は、合金鋼鉄で、がっちり扶壁《ふへき》や支柱をほどこされていて、同量の岩盤と同じくらい圧縮されにくいので、損害はなかったが、生き残っている者はひとりもなかった。四人の男とひとりの女――看護婦――は、それぞれの位置でからだをこわばらせたまま身動きしない。どうやら、警報を発するいとまもなく、ステーションへの導線がふっとんだらしい。そして、主要トンネルから這いこんでくる煙は、一分ごとに濃くなった。ジョーンズはべつのボタンを押した。アスベスト、タングステン、ガラス状耐火煉瓦などでできた厚さ一フィートもある障壁が、なめらかにすべりだして、トンネルの口をふさいだ。彼は外側にだれか生き残っているかもしれないと考えて、気の毒に思ったが、そこまで捜しにいく気にはなれなかった。もしだれか生きていれば、防火壁の外側にボタンがあるのだ。渦巻いていた煙は消滅した。信号灯は消え、エヤホーンやベルは沈黙した。組長はいまや第十二層の総監督になったらしい。彼はマスクをはずすと、ステーションの携帯用電話器を見つけて、スイッチを入れた。呼びかけては耳をかたむけていたが、やがて一連の名前を呼んだ――だれからも返事がない。
「ライトとほかに五名」彼は冷静をたもっていられそうな鉱夫たちを選び出した。「この銃を持て。必要があれば撃つんだ。しかし、必要がなければ、うってはならん。選鉱夫たちを使って、とおりぬけるに充分なだけ坑道を通じさせろ。第六十採掘場に、組長が十九人の組員といっしょにいる。坑道がふさがっているんだ。むこうでは、照明と動力と空気がまた供給されるようになって、坑道の開通にとりかかっているが、上から開通させるのは、おそろしく手間がかかる。ライト、おまえたちは、下から応援してやれ。ほかの者は横坑道に沿って最後の採鉱跡まで開通するんだ。縦坑道が全部開通しているかどうか確かめる――採掘場や採鉱跡を全部点検する――そして、生き残っている者はみんな、おれのところに報告させるように――」
「それがなんの役に立つんだ!」ひとりの男がわめいた。「どっちみち、おれたちはみんな助からないんだ――おれは水がほしい。それから――」
「だまれ、あほう!」こぶしが肉にぶつかる音がして、わめき声がしずまった。「水はたっぷりある――タンクに何杯でもな」銀髪の鉱夫がボスをふりむいて、活動している水ポンプを頭で示した。「水のふえ方が早すぎるんじゃないかね?」
「ふしぎはないさ――だが、急ぐんだ!」
指令を受けた男たちが整然と姿を消すと、ジョーンズはマイクを取って、ダイヤルの位置を変えた。
「地上にだれかいるか」彼はきびきび呼びかけた。「地上――」
「まあ、第十二層でだれか生きているわ!」娘のかん高い声が彼の耳に聞こえた。「ミスター・クランシー! ミスター・エドワーズ!」
「クランシーもエドワーズもくそくらえだ!」ジョーンズは叫んだ。「技師長と主任測量士を出してくれ。それもすぐにだ」
「クランシーより、第十二ステーションへ」鉱山支配人クランシーが、ジョーンズの痛烈な言葉を聞いたとしても、そして聞いたにちがいないが、彼はそれを問題にしなかった。「スタンリーとエマースンはもうすぐここにくる。ところで、だれがしゃべっているのだ? おまえの声には聞きおぼえがない。それに、ずっと前から――」
「ジョーンズです。第五十九採掘場の組長。このステーションへつくまでに、ちょっと骨が折れたんです」
「なに? ペノイヤーはどこにいる? それから、ライレーは? それから――?」
「死にました。全員です。有毒ガスのせいです。なんの警報もありませんでした」
「どの非常装置を入れる時間もなかったのか――空気清浄装置さえ?」
「全然です」
「おまえはどこにいる?」
「採掘場にいます」
「なんだと!」クランシーにとって、この情報は充分に有益だった。
「ですが、そんなことはどうでもいい。何が、どこで起こったんです?」
「第七ステーションで、スキップいっぱいの高性能爆薬が爆発し、つづいて火薬庫が爆発したのだ――おまえも知っているように、あのステーションは、主要堅坑《メイン・シャフト》のところにある」ジョーンズは鉱山のその部分に行ったことがなかったので、知らなかったが、状況を想像することはできた。
「主要堅坑《メイン・シャフト》は、第七層の上まで埋まった。非常用堅坑もふさがれた。第六層の第一か第七層の第二が――事故を起こしたにちがいない――だが、技師長のスタンリーがきた」鉱山支配人は、それほどしぶらずにマイクをゆずった。
ひとりの鉱夫が駆けあがってきたので、ジョーンズはマイクにふたをしてたずねた。「採鉱跡はどうだった?」
「四つともがっちりふさがってます――振動粉砕器で第十一層まで開通しました」
「ごくろう」それから、スタンリーの声が聞こえてくるやいなや、
「おれが知りたいのは、このいまいましい水ポンプがなぜ過負荷になっているかってことです。回路はなんです?」
「きみはきっと――そうだ、ポンプに対する圧力が大きすぎるんだ。その層から五層上までは停止している。だから――」
「停止ですって? だれも救助できないんですか?」
「いまのところはな。だから、きみは第十一層、第十層などの停止した圧力機を通じて、ポンプを働かせているのだ。きみのポンプの過負荷抑制バルブが開けば――」
「抑制バルブだって!」ジョーンズの声は悲鳴にちかかった。「そのいまいましいしろものを開けますか?」
「いや、それは内部にあるのだ」
「ちくしょう、なんて設計だ――鉄のやすり屑を一握り食って吐きだしたって、もっといい非常ポンプができるさ」
「そのバルブが開けば」スタンリーは頑固につづけた。「水は側管を通って坑底にもどるだろう。だから、採鉱跡の一つを貫通したほうが――」
「頭を冷やせ、とんま!」ジョーンズは叫んだ。「そんなことをしている時間があると思うのか? 電話を代われ――エマースンを出してくれ!」
「エマースンだ」
「坑内図がありますか?」
「ある」
「第十一層まで坑道の陥没個所を開通しなければなりません――すぐにです――さもないと、おぼれてしまう。最短距離を教えてくれませんか?」
「よろしい」主任測量士は命令を発した。「一分間でできる。下に頭のある人間がいてさいわいだった」
「非常装置のボタンを押すくらい、超人的な頭脳がなくてもできますよ」
「きみは意外に思うだろうが、きみが指摘した採鉱跡は非常にいい位置にあった――ポンプが停止すれば、いくらも時間の余裕があるまい。水がステーションに達したら――」
「わかっています。その手はみんなもう打ってあります――早くやり方を教えてください」
「これがそうだ。第五十九採掘場の最高点から出発。反復したまえ」
「第五十九採掘場」ジョーンズはその言葉を叫びながら、片手をはげしく振った。ぎっしりかたまっていた鉱夫たちは、そのほうへ走りだした。組長は、携帯用電話器を持ってそのあとにつづいたが、たのしげにうなっている水ポンプのそばを通りかかると、いまいましげにそれをけとばした。
「垂直線から三十二度――三十度から三十五度のあいだならどこでもよろしい」
「垂直線から三十ないし三十五度」
「方向――コンパスはあるか?」
「あります」
「青をゼロにすえる。コース、二百七十五度」
「青をゼロに。コース二百七十五」
「距離六十九・二フィート。そうすれば、第十一層の選鉱場にでる――広いから、はずれるはずはない」
「距離六十九・二――それだけですか? いいぞ! たぶん成功するだろう。もちろん、上では堅坑を掘っていますね。どこからです?」
「第六層の四マイルばかり内側だ。時間がかかるだろう」
「おれたちは第十一層に到達すれば、充分時間がある――第十二層の採鉱場が溢水《いっすい》するまでには、一週間以上かかるでしょう。ところで、ポンプの排水量と坑底の容積から計算して、おれたちには、どのくらい時間の余裕があるのか、なるべく正確に見つもってくれませんか? 少なくとも一時間はほしいが、それだけないんじゃないかと思うんでね」
「よろしい。わかったら連絡する」
組長は人の群れをかきわけて進み、電話器を後ろにひきずりながら、身をくねらせて堅坑道をのぼって行った。
「ライト!」彼がわめく声は、細い坑道のはしからはしまで、つんぼになりそうなほど反響した。「おれの先にいるのか?」
「そうです!」ライトはわめき返した。
「思ったより生き残っている――どれくらいだ――半分くらいか?」
「ちょうどそのくらいです」
「よろしい。そこにいる連中を、業種別分類してくれ」それから、いまやまぶしく照明されている採鉱場へ姿をあらわすと、「坑木助手はどこだ?」
「あそこです」
「坑木を集めろ。見つかるかぎりの坑木はみんな、どこにあるものでも、ここへ持ってくるんだ。幅十二インチ、長さ六フィートの鋼材も集めろ。坑木夫は、その材料を使って、ここで仕事をはじめるんだ。選鉱夫は選鉱器を二台設置して、廃石を投げおとして、基底部と石畳を吊り壁まで埋めるんだ。自分で自分の逃げ道をふさがないように、水門溝を一本、あの廃石ポケットの中に通すのだ。急げ、みんな。だが、がっちり築くんだ――そこにどんな大きな力がかかるか、それがこわれたらどんなことが起こるかわかっているはずだからな」
彼らにはわかっていた。彼らはなすべきことを知っていて、せっせと、しかし、慎重正確にやってのけた。
「組長、どのくらいの幅の坑道を計画してるんです?」坑木夫長がたずねた。「どっちにしても、吊り壁まで、八フィートの石畳ですね?」
「よし。いますぐ教えてやる」
測量士が電話をよこした。「時間の余裕は四十一分、それが、いちばん正確な推定だ」
「いつからです?」
「ポンプが停止してからだ」
「それは四分――五分近く――前です。そして、坑道を掘りはじめるまでには、あと五分かかる。四十一マイナス十は三十一だ。三十一で六十九・二を割ると――」
「わしの計算尺では、一分に二・二三フィートだ」
「ありがとう。おい、ライト、この種類の岩の中に一分間二・二五フィートのわりで、なるべく広い坑道を掘るとしたら、どのくらいだ?」
「うむ、む、む」鉱夫は、ひげにおおわれたあごをかいた。「そいつはむずかしい仕事ですな、ボス。一フィート掘るのに百ポンド近くのエアが必要ですから、二百二十五ポンドってことになります。だがロータリー機はバーリー機の助けがなければ、それだけのエアを吸収できません。一フィートも掘らないうちに停止してしまうでしょう。で、バーリーを同行させるとなると、ロータリーは二倍近くの広さの坑道を掘らなければなりません。内径七フィート――ですから、どう考えてみても、一分で二フィート掘ることはできません」
「おまえの見積りがおれの見積りと一致しなけりゃいいと思っていたが、あいにく一致したな。そうなると、内径五フィートの坑道を掘ることにしよう。坑木をそれに応じて切断しろ。そのバーリー機を手で持つことにするんだ」
ライトは疑わしそうに首をふった。「わしらだって、こんな地下で死にたくはありませんよ、ボス。だから、できるだけのことはしますがね。しかし、いったいどうして、バーリーを手で持って運転できると思うんです?」
「横木をとりつけるんだ。担架《たんか》を切って、カンバスとつめものをとりだせ。反動ははげしいだろうが、人間というものは、死ぬか生きるかというまぎわになれば、短時間ならどんなことにも耐えられる」
そして、しばらくは――正確にいうと二分間で、そのあいだに、ロータリー機は五フィートの内径で岩をかみくだき、吐きだしつづけた――仕事はじつにうまく進行した。ロータリーは、いつもは三人で操作するが、ふたりでも操作できた。つまり、複雑な移動式空気ジャッキを操作できたのだ。この装置は、鑿岩《さくがん》機を幾何学的に振動させるばかりでなく、それをたえず強大な圧力で岩面に押しつけながら、二万ポンド以上の荷重に耐えて、ほとんど垂直に上昇していく。
手甲をつけた手が、上へ! という合図を送った――声はまったく用をなさなかったからだ。バルブがカチッというと、大きい扁平な鋼鉄の足場が持ち上がった。坑木がさしこまれ、足場がロータリーの反動でたたきつけられるたびに、きしんだりうめいたりした。上へ――もう一回! 上へ――三回目! 十八秒――一分の三分の一たらず――で、十インチ進んだのだ! そして、容易なことではなかったが、バーリー機はふたりで保持できた――一分交替で。
すでに述べたように、この機械はロータリーを〈補助《ピンプ》〉するのだ。ロボット的献身以外には不可能な集中度で、ロータリーに奉仕し、そのあらゆる要求に応じる。ロータリーの歯を掃除し、連動を解消し、汽門を開通し、吐きだし、口につまった岩の破片を除去する。それどころか、ロータリーが全力操作中に、そのダイヤの先端のついたカッターを交換しさえする――そしてこのことは、新炭素合金の硬度と超特殊鋼の張力を知らない者には、まったく信じられないようなはなれわざなのだ。
バーリーもロータリーもきわめて効果的だが、どちらも静かでもおとなしくもなかった。それらは、もっとも静かに運転しているときでも、悲鳴をあげ、うなり、わめきたて、大砲の射撃音より弱い音だと聞きとれないような音量を発揮する。しかし、ロータリーの歯を交換する場合には、バーリーの〈指〉は堅固な岩の中に突きこまれる――両方の機械にとって、これはしごくあたりまえの仕事だ――ので、その結果発生する音は、描写することはおろか、想像することさえできないほどだった。
そして、両方の機械は、微細な粉末からこぶし大にいたるまでの破片を、たえず滝のように吐き出していた。
坑道が深くなり、足場が高くなるにつれて、仕事のテンポはおそくなってきた。はじめにかせいでおいた時間が失われはじめた。人間はたくさんいたが、坑道がせまいので、充分な人数が働く余地がなかった。坑木夫たちは、砂の嵐と岩のなだれの中でも足場を築くことはできたが、速さが不充分だった――上方で働いている人間が多すぎたからだ。ひとりへらす必要があった。ロータリーをひとりで操作することはとてもできないから、バーリーを操作する人員をひとりにしなければならない。
彼らはつぎつぎにためしてみた。だめだった。ひとりではたたきつぶされてしまうのだ。ロータリーは、二百三十ポンドのエアのおそるべき圧力によって歯をすっかりつぶされ、チャンネルや吐き出し口をつまらせて、空転するばかりだった。坑木夫たちが働く余地はできた――しかし、仕事がなかった。ジョーンズは、数分前から、口ひげをかみながら、携帯式電話器が、けたたましくわめきたてるのを無視していたが、深刻な表情で時計とテープを見つめた。あと三分しかないのに、まだ八フィート以上掘らねばならない。
「その防護服を貸せ!」彼は叫んで、足場にのぼった。「エアを開け! 二百五十ポンドいっぱい供給するんだ! 降りろ、マック、あとはおれがやる!」
彼は即席の横木に両肩をあて、足をふんばって立ちあがった。バーリーは悲鳴をあげ、わめき吠えたてながら、楽しげに仕事をはじめた――両刀使い――なんという負担だ! ロータリーは解放され清掃されて、前以上にはげしく岩をかみはじめた。手甲をつけた片手が足をたたいた。あげろ! という合図だ。彼はその足を持ちあげ、さっきより二インチ上におろした。もう一方の足。四インチ。六インチ。一フィート。二フィート。三フィート。なんということだ! この苦痛は一生つづいたような気がしたが、ほんとうにたったの一分間なのか? おれはバーリーを保持していないのか――このいまいましい機械は掘るのをやめてしまったのか? いや、まだ掘っている――岩の破片は、さっきと同じようにはげしく多量に、ヘルメットにぶつかってはね返っている。彼は坑木夫たちが急ピッチのジャッキを働かせつづけるために、交替で猛烈に活動しているのを感じる、というより知覚した。
だめだ。まだ一分しかたっていない。いままでの二倍だけ掘るのだ。くそ! これほど苛酷《かこく》な労働はありえない――牡《おす》の象でさえも耐えられないだろう――だが、宇宙のすべての神と地獄のすべての悪魔にかけて、この坑道が突き抜けるまではがんばるのだ。そして、レンズマン、コンウェー・コスティガンは、不撓不屈《ふとうふくつ》の意志をもって、しまいには十分の九まで意識を失いながらも、もちこたえた。
いっぽう、はるか下方の採鉱場では、これまでとはちがういかめしい声が、スピーカーから叫んだ。
「ジョーンズ! 返答しろ! もしジョーンズがいなければ、だれか答えろ! だれでもいい」
「なんですか?」ライトはその厳然たる呼びかけに答えるのがこわかったが、答えないのはもっとこわかった。
「ジョーンズか? クランシーだ」
「ちがいます。ジョーンズではありません。ライト――鉱夫長です」
「ジョーンズはどこだ?」
「上の坑道にいます。バーリーを保持しているのです――ひとりで」
「ひとりでだと? なんたることだ! 彼に伝えろ――ロータリーには何人ついているのだ?」
「ふたりです。それしか余地がありません」
「彼にやめるように伝えろ――だれかほかの者にやらせるのだ――彼を殺すわけにはいかん!」
「ひとりでバーリーを保持できるのは、彼だけなのです。でも、そう伝えます」指示が信号で伝達され、信号で返事が返ってきた。
「お許しください、支配人。ジョーンズは、あなたに、地獄へ行け、と伝えろといいました。このいまいましい坑道が突き抜けるか、ぶったおれるかするまでは、おしゃべりしているひまはない、ということで」
スピーカーからは、ののしりの言葉が、とてつもない勢いで吐きだされた。ライトはすっかりあわをくって、携帯用電話器をほうりだした。その瞬間、ロータリーが坑道を突き抜けた。
ジョーンズは、すさまじい努力のためにへとへとになり、ほとんど意識を失いながら、ヘルメットの厚いガラスごしに、ぼんやり目の前を見つめた。そのあいだに、坑木夫たちはさらに数段の坑木をさしこみ、ロータリーはバーリーをひきずって坑道を上へ抜け出した。彼はぎこちなくよじのぼり、坑道から上方へ光の柱が突き立っているのをながめているうちに、胸がむかむかしてきた。
「あのいまいましい測量士は、どういうつもりであんな嘘をつきやがったんだ?」彼はつぶやいた。「時間はいくらでもあった――死ぬほど働くにはおよばなかったんだ――水はまだ十二層に達していない――なんてとほうもない――」
彼がよわよわしくよろめいて一歩ふみだしたとたん、ライトが消えた。測量士の推定には、偶然とはいえ、あくまでも正確だったのだ。いくらか時間の余裕はあったが、それは秒単位でかぞえられる程度だった。
ジョーンズは、なかば錯乱《さくらん》した状態で、ほとんど触知《しょくち》できるほど濃い暗黒の中に立って、よろめきながら思考した。もしある人間が目を大きく見開いているのに何も見えないとすれば、それは盲目なのか意識を失っているのかどちらかだ。彼は盲目ではないから、意識を失っているのに、それに気づかないでいるにちがいない。彼はよわよわしくほっとしたようにため息をついてくずおれた。
バッテリーの照明がすぐ接続され、人々は行動が貫通したことを知った。もう恐怖は起こらなかった。そして、組長は完全に意識を回復する前に、早くも横坑道をたどって、第一ステーションのほうへ歩いていった。
この陰惨な事件について、これ以上述べる必要はない。鉱層は一層ずつ回復された。そして、鉱山では、下層から上層へ掘り上げるほうが、上層から下層へ掘り下げるよりはるかに能率がよいので、上下の発掘家は、第八層で合流した。さもなければ全員が死亡するところだったのが、半数が助かり――ウラニウム社の見地からすれば、それよりはるかに重要なこととして――現存するなかでもっとも大きく、もっとも豊富なウラニウム鉱山の、とくに豊富な下半分が、一年かそれ以上も生産を停止する代わりに、二週間以内に完全に操業を再開できることになった。
そして、ジョージ・ワシントン・ジョーンズは、はげしい試練のあとでまだ多少ふらふらしているところを、中央オフィスに呼ばれた。しかし、彼がそこへ着く前に、
「わたしは彼を鉱山副支配人にするつもりです」クランシーがひとりの人物に宣言した。その人物は答えた。
「それは適当ではないと考える」
「ですが、ミスター・アイザークスン――おねがいいたします! わたしが発見した人材をみんなさらっていかけたのでは、どうやって幹部を養成すればいいのです?」
「彼を発見したのは、おまえではない。バーケンフェルドだ。彼がここへ配属されたのは、テストを受けるためにすぎない。彼はQ局へ行くのだ」
クランシーは、なおも抗議しようとして口を開いていたが、無言でそれをとざした。彼は知っていた。Q局は――
〈Q局〉なのだ!
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一五
コスティガンは、ウラニウム社の豪華な会議室にはいって、自分がバーケンフェルドとして知っていた人間がそこにいるのに気づいたが、意外とは思わなかった。しかし、そこにアイザークスンがいるとは、予期していなかった。もちろん、彼は宇宙交路がウラニウム社と惑星エリダンを完全に所有していることを知っていたが、彼の謙遜な心では、自分の問題が、宇宙交路の総帥の個人的関心をひき起こすほど重要なものだとは夢にも思わなかったのだ。そういうわけで、ジョーンズと称する男は、アイザークスンの柔和でつかまえどころのない顔を見ると、一時的な不安以上のものを感じた。アイザークスンはトップ・クラスで、彼とは段ちがいだ。この任務は、バージル・サムスがひきうけるべきものだ。しかし、彼がひきうけなかったのだから――
ところが、この会議は、査問会議《さもんかいぎ》ではなく、はじめから友好的でくつろいでいた。出席者たちは、ジョーンズの判断の妥当さと決定の正確さについて賛辞をのべた。彼らは言葉で彼に感謝したばかりでなく、かなりの賞与をあたえた。彼らはコスティガンに経歴を語るようにすすめたが、裁判めいたことや反対尋問はまったくおこなわれなかった。最後の質問は、会議全体を象徴するようなものだった。
「ジョーンズ、もう一つ、わしにはいささか合点できないことがある」アイザークスンは、まったく魅力たっぷりな微笑をうかべていった。「おまえは酒も飲まず、女との――つまり――交際を求めもしないのに、なぜ〈かみなりジャック〉の酒場へ行ったのかな?」
「それには、二つ理由があります」ジョーンズは、いくらかてれたような笑いを浮かべた。「小さいほうの理由は、説明しにくいのですが、しかし、――そうです、わたしは地球であまり楽な思いをしてこなかったので――それについては、どなたもご存知でしょうな?」
彼らは知っていた。
「だから、わたしは気がむしゃくしゃしていたのです。で、思いきってあばれれば、むしゃくしゃがふっ飛ぶと思いました。いつもそうなんです」
「わかった。そして、大きなほうの理由は?」
「もちろん、わたしは自分が見習い中だということを知っていました。そこで、はやく昇進しないと、いつまでも下積みのままだと考えました。はやく昇進するには、上級者にとりいって引きたててもらうか、いっしょに働いている連中から押しあげてもらうか、どっちかです。荒っぽい鉱夫仲間で人気をとるには、彼らを何人かやっつけるのがいちばんです――もちろん、労働時間外に、公正な勝負をしてですが――そして、一度に大勢やっつければ、それだけ、効果があります。わたしは格闘はかなり特異なので、一博打《ひとばくち》うって、あまりひどい目にあわないうちに、警官にひきわけさせるようにしたのです。そしてわたしは賭に勝ちました」
「わかった」アイザークスンは、まったく無関心な口調でいった。事実、彼は納得したのだ。
「昇進するのには、第一の技術が広く利用されているので、わしは第二の技術の可能性に思いあたらなかった。上出来だ――非常に上出来だ」彼は会議の他のメンバーをふりむいた。「これで、会議の議題は終了したわけだな?」
どういうわけか、アイザークスンはこの質問をしながら、かるくうなずいた。そして、他の出席者たちも、それに賛成するように、ひとりひとりうなずいた。会議は解散になった。しかし、大物はドアの外へ出ても、自分の仕事をしに行こうとはせず、またジョーンズを仕事に行かせもしなかった。そして、
「わしはきみに、工場の地上部分を見せたいのだが、どうかね?」
「ご希望にしたがいます。興味のあることです」
銀河文明最大のウラニウム工場について、貯蔵庫、粉砕機、ウィルフレー・テーブル、粘液タンク、洗鉱機、還元機をはじめ、溶解、結晶、再結晶、最終酸化、最終還元などの工程のことを詳細に述べる必要はない。ただ、アイザークスンが、ウラニウム社の第一工場の巨大な内部をくまなく見せたということだけで充分である。
見学は、そびえたつ管理ビルの最上階で終わった。そこは、厳重にスパイ光線防止スクリーンをめぐらした一室で、デスクが一つ、椅子が二つ、巨大な金庫が一つ置いてあった。
「たばこをやりたまえ」アイザークスンは、ジョーンズが好きな種類のシガレットの箱を指さし、自分は葉巻をつけた。「きみは自分がテストを受けていることを知っている。しかし、どこからどこまでがテストかわかっているかね?」
「なにもかもです」ジョーンズはにやりとした。「もちろん、あの大爆発以外はね」
「もちろんだ」
「自然の事故にしては、多種多様な、つごうのいい偶然が多すぎました。しかし、お断りしておきますが――わたしはあの五十万を持ち逃げできましたよ」
「それはできたろう」おどろいたことに、アイザークスンは、わなが見かけ以上に巧妙だということを口に出さなかった。「だが、それだけの価値はあった。なぜ持ち逃げしなかったのだ?」
「もう少しがんばって、もっと儲《もう》けるつもりだからです。その儲けを使えるくらいは生きのびられるでしょう」
「合理的な思考だ――まったく合理的だ。ところで――もちろん、会議の最後の投票には気がついたろうな?」
ジョーンズは気づいていた。そして、そのことを口には出さなかったが、さっきからずっと不思議に思っていたのだ。アイザークスンは金庫のところへゆっくり歩いて行って、それを開いた。中には、あきれるほど小さな包みが一つだけはいっている。
「きみは満場一致で合格した。きみはいま、きみが知る必要があることを教えられているのだ。われわれがきみを無条件で信用したからではない。きみはこれから長期間にわたって監視される。そして、ごまかしをやろうとすれば、それをやる前に命がなくなるのだ」
「それはけっこうなことだと思います」
「きみがそういう見方をするのはいい――われわれはきみがそうだろうと思っていた。きみは工場を見た。大した施設だと思わなかったかね?」
「大したものです。あんな大規模なものは見たことがありません」
「では、このオフィスがわれわれの真の総司令部で、あそこにあるあの小さな包みが、われわれの真の商売だといったら、どう思うかね?」彼は金庫のドアをぱたんとしめて、ノッブをまわした。
「二時間前だったら、大いに驚くべきことだったでしょう」コスティガンは、何も知らないふりをすることも、知りすぎているふりをすることもできなかった。きわめて困難ながら、その中間の態度をとる必要があったのだ。「しかし、この芝居のクライマックスをあえて経験したあとでは、それもありえないこととは思えません。裏には裏があるというわけです――たっぷりね!」
「機敏だ!」アイザークスンはほめた。「では、あの包みの中には何がはいっていると思うかね? この部屋は、スパイ防止スクリーンがめぐらしてある」
「銀河パトロール隊が持っているどんな探知装置に対してもですか?」
「そうだ」
「では、それはこの文字ではじまる〈あるもの〉かもしれません」彼は二本の指を目にもとまらない速さで組み合わせてTの字を示し、言葉をとぎらせずにつづけた。「モルヒネのはじめの字がMだというような意味でね」
「きみの慎重さと控えめな表現はあっぱれだ。これまできみの能力について多少の疑いが残っていたとしても、もうすっかり消滅した」アイザークスンは眉をひそめて口をつぐんだ。能力に対する信頼が増すにつれて、誠実さに対する信頼が減少した。こうした疑惑は、新しい幹部にQ局の秘密をあかす際には、いつも存在した。懐疑の判断はほぼ正しかった。誤ったことは二度しかなく、その二度の誤りも容易に訂正された。この男はすでに一度警告を受けている。だから、それで充分だろう。そこで彼は思いきって前進した。
「きみは自分の任務を理解するまでは、ここで工場副支配人として働くのだ。それから、地球工場の副支配人として転属される。しかし、きみの主要任務は、Q局に関連している――うまくやれば、やがてその局の長になるだろう。ところで、ほんのついでにいっておくが、きみが地球へ行くときには、金庫の中のあの包みのような包みを持っていくのだ」
「なるほど――わかりました。うまくやってみせます」ジョーンズはあごの筋肉をひきしめて、アイザークスンに決意のほどを示した。「仕事をおぼえるまではちょっとかかるかもしれませんが、きっとおぼえますよ」
「わしもそう信じる。それでは、こんどは、もっと大きな問題に移ろう――」
バージル・サムスは、自分が知った諸事実を確認しなければならなかった。さらに、それらの事実を、検察官たちが納得するまで証明するばかりでなく、皮肉で懐疑的な陪審員の中でももっとも頭の固いメンバーでさえ、なんの合理的疑惑も持ちえないほどに証明する必要があった。そこで、ジャック・キニスンとメースン・ノースロップは、シオナイト輸送の航跡追求を、ジョージ・オルムステッドがカヴェンダの大気圏で放棄せざるをえなかったまさにその地点から、再開した。さいわいなことに、準備はそれほど必要ではなかった。
すでに述べたように、カヴェンダは原始的な惑星だった。その原住民は人類に似たタイプの生物で、文化程度はある点ではコロンブス当時の北アメリカ・インディアンに近く、またある点ではアラビアの古代遊牧民に近かった。パラシュートからつりさげられた一つの箱が、空をただよいながら地上へおりてきたとき、こうした原住民の放浪者ふたりが、冷淡で無関係な態度でそれを見つめていた。彼らはよごれた嵐よけの毛布を身にまとい、それと同じくらいの厚さの脂や垢《あか》におおわれていて、どんな顔かも見わけがつかなかった。ふたりが粗野な乗用動物に乗ってあとを追ううちに、箱は地上に達して、白人の村に持ちこまれた。他の原住民たちは、村へのそのそはいりこんで行っては、岩や壁によりかかりながら順番を待ち、二、三時間かんたんな労働をして、その報酬に新奇な強い飲料をもらうのだが、このふたりはそういうことをしなかった。しかし、ふたりは、この悪魔が乗り移ったような奇妙な白人たちがするすべてのことを、たえず詳細に探知していた。〈翼なしに飛ぶ巨大な物体〉が離陸する二、三日前、この擬似《ぎじ》原住民のひとりは砂漠へさまよい去り、もうひとりもすぐそのあとを追った。
こうして、シオナイトを積んだ宇宙船がエリダンへ到着することが記録されたのと同様に、その船がカヴェンダを出発することも記録された。パトロール隊の技師たちにとって、その船の出発から到着までを、相手に疑われないように追跡する方法を工夫することは、きわめて困難だったが、不可能ではなかった。
そしてジャック・キニスンは、ダナポリス宇宙空港をのんびりと優雅にぶらつきながら、ひそかにじりじりしていた。彼はその朝、探知器入りのカプセルを呑みこんでおいたので、自分が二時間以上前から、たえずスパイ光線の検査を受けていることを知っていた。彼は自分の正体を暴露《ばくろ》していなかった――ほとんどすべての者が上着の内ポケットと尻ポケットをスパイ光線防止スクリーンでおおっていたし、レンズから足に通じる、猫のひげのような導線は見えるはずがなかった。
「メース!」彼はものうげな表情を少しも変えずに思考を伝達した。「ぼくは依然としてスパイ光線でカバーされている。きみはどうだ?」
「カバーされているだって!」鼻をならすような調子の思考がもどってきた。「ぼくは潜水艦が水にカバーされるようにカバーされているよ!」
「同調していてくれ、スパッドを呼んでみるから、スパッド!」
「やあ、ジャック」コンウェー・コスティガンは、ひとりでQ局の奥まった部屋にいて、忙しそうには見えなかったが、じつは忙しかった。
「われわれがひきずって歩けといわれた燻製鰊《くんせいにしん》は赤すぎたよ。やつらの兵力を探知するのは、起爆剤にふれるのより危険にちがいない――メースもぼくも手も足も出ない始末だ。だれかほかの者もカバーされているかね?」
「いや。みんな大丈夫だよ」
「よろしい。彼らに、ズウィルニクの防止器がわれわれを妨害していると伝えてくれ」
「承知した。問題は距離だけだ。それとも、だれかがきみを尾行しているか?」
「だれかだ。〈すてきなしろもの〉だよ。イカすからだつきのかわいいブロンド娘で、こっちへいらっしゃいというような大きな目をしている。本当とは思えないくらいきれいだ。とくに、にせものにしてはね。からだに配線しているぜ――近くへ寄って見たことはないが、彼女の鼻の穴がほんのちょっぴりひろがりすぎていても、不思議とは思わない。ぼくはスパイ光線検査をやりたいんだが――使っても安全かね、フレッド?」キニスンは、ある宇宙船の中でせかせか歩きまわっている銀髪の技師にたずねた。その船は、キニスンとノースロップが乗ってエリダンへきたのとはべつのものだった。
「絶対にいかん。その仕事は、わし自身でできるし、まだ達者なものだ――いや、わしはその女を知らん。もちろん、不思議なことではない。ここの警察は、左手がしていることを右手に知らせないほどだからな。メース、きみはどうかね? やっぱり、ちいさいガール・フレンドがくっついているかい?」
「うん、もちろんだ。だが、小さくはない。ぼくより大きいよ」ノースロップは、背の高いほっそりしたブルネット娘が、職業モデルのような、意識的に無意識な態度をよそおって気楽に歩きまわっているのを指さした。
「ふむ、む、む。その娘にも見おぼえがないな」コスティガンは報告した。「しかし、どっちも四インチのスパイ光線防止スクリーンをつけて、たぶんクリスマス・ツリーのように配線されているのだろう。推定によれば、P銃防止装置を装着している。もちろん、透視はできないが、適当な視点からのぞくことはできるだろう――ジャック、きみの判断どおりだ。鼻の穴には栓がしてある。シオナイト防止、ヴィー2防止、万能防止栓《アンチ・エヴリシング》だ。事実、反社会的《アンチ・ソシアル》でもある。このふたりの映像をみんなの心に映写して、だれかどちらかを知っている者がいないかどうか確かめてみよう」
彼はそうした。そして、百人以上の、パトロール隊でももっとも頭のきれる諜報員たちが、その映像を観察して思考した――いまや、北アメリカのパトロール隊は、大挙してエリダンに侵入していたのだ。背の高いブルネットはだれも知らなかった。しかし――
「ぼくはブロンド娘を知っている」これは、二十五年間にわたって諜報局のナンバー・ワンだった、ワシントンのパーカーだった。「〈|じゃじゃ馬《ヘルキャット》〉ヘイズル・デフォースといって、いちばん食えない女スパイだ。彼女が近くにいたら、足もとに気をつけろよ。銃も達者だが、ナイフや眠り薬も同じくらい達者なんだ」
「ありがとう、パーカー。彼女のことなら、聞いたことがある」コスティガンはすばやく思考した。「フリーランス(無所属)のスパイだ。いまのところは、彼女がだれの依頼で働いているのかわからん」
「うんと金を持ったやつの依頼にちがいない、ということだけか確かだ。彼女の報酬は高いからな。知りたいのはそれだけかね?」
「それだけだ」そして、ジャックとノースロップにむかって、「ぼくの判断では、相手はきみたちふたりよりはるかに優勢だ――人数の点でも、武装の点でもな。きみらは宇宙服をつけていないから、たやすい獲物《えもの》だ。もしきみらが何かのスクリーンを展開すれば、やつらはたちまち目をつけて、きみたちをつかまえるだろう――殺してしまうかもしれん。全速力で脱出したほうがいい。現在の状況では、ここにいても何もできないのだから」
「できるとも!」キニスンは抗議した。「きみは牽制運動をしてほしいのだろう?」
「そうだ。だが、きみらはもう――」
「われわれがこれまでにしたことは、これからできることにくらべれば、ものの数ではない。われわれは、味方の諜報員がシオナイト運搬人のかかとにくっついて歩いても、だれも注意を払わないような牽制運動をやってみせるよ。ところで、きみはまだ、だれがシオナイトを運んでいるかわからないのか?」
「わからん。まるで透視できないのだ」
「もうすぐわかるさ。細工は流々《りゅうりゅう》だよ!」
「なにをするつもりなんだ?」コスティガンはするどくたずねた。
「こういうことさ」ジャックは説明した。「とめないでくれよ。こっちのことは、こっちでやるからな」
「なる――ほ――ど――そいつはよさそうだ。もし成功すれば、すばらしく役に立つだろう。やってくれ」
とりすました美しいブロンド娘は、がっかりしたように告知板を見つめた。そこには、すでに三時間遅れている宇宙船の到着が、さらに三十分のびたことが報じられていた。彼女は一冊の本を取りあげ、そのカバーをちらりと見ただけで下へおいた。彼女の手は雑誌にのびたが、またひっこめられて、ものうげにひざのあいだに落ちた。彼女はため息をつくと、つつましくあくびをかみころし、席の背によりかかって、目をとじた――ジャックは、それが彼のほうから彼女の鼻孔をのぞけないような姿勢であることに気づいた。そして、ジャック・キニスンは心をきめたようすで、彼女のわきに腰をおろした。
「失礼ですが、お嬢さん、ぼくもあなたと同じように退屈しているんです。われわれふたりは、いつ着くかわからない船を待って、この待合室にへばりついているわけですが、こういうとき、社会の因習は、なぜひとりぼっちで退屈していろと命じるのでしょう? ふたりでいっしょに退屈すれば、ずっと楽しいはずなんですがね」
娘はゆっくり目を開いた。彼女はおどろきも恐れもしなかった。関心も示さなかった――ように見えた。事実、彼女があまりに無関心な態度で、あまりに長く彼を見つめているので、彼は疑わしくなってきた――この娘は、最後まで無邪気なふりをするつもりなのだろうか?
「ええ、因習ってものは、ときにはばかげていますわ」彼女はやっと答えた。愛らしい唇がそりかえって、ほほえみかけている。低くてやさしい声は、魅力的な容姿にぴったりだった。「ですけど、ごく品のいい人たちでも、船の中では気楽に交際しますわ。待合室でそうしてはいけないことはないでしょう?」
「まったくです。で、ぼくはごく品のいい人間です。その点は保証します。名前はウィリー・ボーデンです。友人たちには、ビルと呼ばれています。あなたのお名前は?」
「ビアトリス・ベーリー、短くいうとビーですわ。あなたは何がお好きですの。そのことをお話ししましょう」
「なぜ話しだけするんです? いっしょに食事しましょう。ぼくは友人といっしょでしてね。彼はどこかこのあたりにいます――黒いちょびひげをはやした、でかいやつです。きっと、あなたもごらんになったでしょう。すこし前に、ぼくと話していましたから」
「そうおっしゃられれば、お見かけしたように思いますわ。大きなかた――とっても大きなかたね」娘はさりげなくいったが、ジャック・キニスンがちょうどいい大きさだということをはっきりほのめかした。「なぜですの?」
「ぼくは彼に、いっしょに食事をしようといったのです。彼を捜しだして、三人で食事をしませんか?」
「もちろんけっこうですわ。そのかたはおひとりですの?」
「ぼくが最後に会ったときは、ひとりでした」ジャック・キニスンは、ノースロップがどこで、だれといっしょにいるかを正確に知っていたが、大事をとる必要があった。この〈ビー・ベーリー〉が実際にどのくらい知っているかわからなかったからだ。「しかし、彼はここではぼくよりずっと知人が多いので、いまはひとりではないかもしれません。荷物をお持ちしましょうか?」
「ありがとう――この本を持ってくださいな。でも、空港はとても広いわ――そのかたがうまく見つかるかしら? それとも、そのかたがどこにいらっしゃるかご存知なの?」
「いや、知りませんよ!」彼はつよく否定した。これは決定的な瞬間だった。彼女は確かに疑っていないらしい――まだ――しかし、彼女は出かけて行きたくないような態度を示しかけていた。もし行くのをことわったら――「じつのところ、彼が見つかろうと見つかるまいとかまわないんです。彼をまいてしまいたいという気持がだんだんつよくなってきました。ですから、こうしたらいかがです? 第三ドックへちょっとだけ寄ってみるんです――彼を捜したといういいわけがたつようにね――そしてすぐここへもどってきましょう。それともふたりだけで食事をするのはおいやですか?」
「その質問に答えるのはおことわりしますわ。弁護士の助言にしたがってね」娘は陽気に笑ったが、答えは明らかだった。
ふたりは急がなかった。キニスンは、ノースロップを捜さなかった――少なくとも目では。しかし、第三ドックの南端で、二組の若い男女は顔を合わせた。
「ぼくのいとこのグレース・ジェームスだよ」ノースロップは声もふるわさずにいった。「グレース、この男はワイルド・ウィリー・ボーデンです――いつもは、髪のせいで|禿げ頭《ボールディー》って呼ばれています」
娘同志が紹介された。どちらも、まったくさりげない微笑とありきたりの挨拶をかわした。このふたりは、事実、見かけどおり完全な他人なのだろうか? それとも、ふたりの若いレンズマンと同様、密接に協力して活動しているのだろうか? もしお芝居をしているのだったら、みごとな演技だ。ふたりの男は、ふたりの娘の態度に少しの破綻《はたん》も探知できなかった。
「どこへ行くかね、パイロット?」ジャックは少しも間をおかずにいった。「きみはこのあたりのことをすっかり知っている。いい場所へ案内してくれ」
「こっちへきたまえ」ノースロップは、大げさな身ぶりで先に立った。ジャックはまた緊張した。そのコースは、一見、人気《ひとけ》のない三等ドックのすぐわきを通っている。ドックにはいっているのは、一隻の超高速船だけだった。もしなにごとも起こらなければ、あと十五秒で――
なにごとも起こらなかった。四人は笑ったりしゃべったりしながら、戸口を通りかかった。ドアがさっと開き、レンズマンたちは行動に移った。
彼らは女性に暴力をふるうことを好まなかったが、迅速《じんそく》に事を運ぶのが第一要件であり、安全性もそれについで重要だった。そして、厳重に武装した強靭《きょうじん》な女を意識のあるまま、手も足も歯も銃もナイフも使わせないようにして迅速に運ぶことは不可能だった。いっぽう、意識を失った女ならば、たやすく安全に運ぶことができる。そこで、ジャックは、自分のパートナーのからだをくるりとまわして、その両手を自分の片手でおさえた。自由なほうの手が彼女の首のあたりにひらめき、固い指があやまりなくある神経節を圧迫した。娘はぐったりした。ふたりの犠牲者はすばやく船に運びこまれ、船はスクリーンをいっぱいに展開して発進した。
キニスンは、船やそのコースに注意を払わなかった。命令はずっと前に発せられており、そのとおり遂行されるはずだったからだ。彼は荷物を床におろすと、たいらに寝かせて、配線、装置、攻撃防御装置などをつぎつぎに除去した。彼は彼女をはだかにはしなかった――完全には――しかし、この若いレディに残された武器が、自然によって賦与《ふよ》された肉体だけであることを完全に確かめた。そして、ノースロップも同様の完全さで、いとこと称する女を処理してのち、小火器が運びだされて、部屋の二つのドアはかたくとざされた。
「さあ、〈|じゃじゃ馬《ヘルキャット》〉ヘイズル・デフォース」キニスンはうちとけた調子でいった。「いつでも意識を回復していいよ――きみは少なくとも二分前から正常な状態にもどっている。きみの有名なセックス・アピールが効果がないということがわかったろう。きみが手にとれるような得物《えもの》は何もないし、ぼくと素手でわたりあうほど、きみはばかじゃない。きみたちのチームのキャプテンはだれだい? きみかね、それともこの物干しみたいなレディかね?」
「物干しですって!」大柄のブルネット娘は叫んだが、彼女の抗議は聞きとれなかった。ブロンド娘のほうがもっと大声で、もっと速く、もっと乱暴に話すことができたし、事実そうしたからだ。
「〈こんなこと〉をやってうまくいく、と思っているの?」彼女は叫んだ。「まあ、あんたなんか――」その、いかがわしく痛烈で躍如としたののしり言葉は、四重のアスベスト壁を焼き切りそうだった。「いったいあたしをどうするつもりなのさ?」
「第一の質問については、ぼくはうまくいくと思っているよ」キニスンは、悪態を無視して答えた。「第二の質問については――いまのところわからない。逆の立場だったら、きみはどうするね?」
「あんたをビームで灰にしてやるわ――さもなければ、ナイフで――」
「ヘイズル!」ブルネット娘が語気するどく注意した。「気をつけなさい! この人たちを怒らせると――」
「おだまり、ジェーン! こいつらは今まであたしたちを傷つけなかったけど、これからだって傷つけやしないわ。心理学的に不可能なことよ。そうじゃなくて、お巡《まわ》りさん?」ヘイズルはシガレットに火をつけてふかく吸いこみ、煙をキニスンの顔に吹きつけた。
「そうらしいな」レンズマンは率直に認めた。「だが、きみたちを、一生監禁しておくことはできるんだよ」
「宇宙ぼけしたの?それとも、あたしがそうだと思うの?」彼女はあざけった。「どういう理由で起訴するの? あたしたちは、神様のポケットにはいっているみたいに安全だわ。それに、あたしたちの立場は、もうすぐ逆になるわ。あんたは知らないかもしれないけど、宇宙でいちばん速い船が、いまこの船を追いかけているのよ」
「きみは、はじめてまちがった。この船は充分足が速いし、機動部隊とランデブーするために突進しているんだ。だが、こんなおしゃべりはもうたくさんだ。ぼくが知りたいのは、きみたちがどんな任務を受けていて、なぜわれわれに目をつけたかということだ。いいたまえ」
「あら、そんなこと?」ヘイズルは、あまったれた声でにくにくしげにいった。「かわいい兵隊坊や、ママのひざにおすわりなさいよ。そうしたらあんたが知りたいことを、みんな話してあげるわ」
そこで、ふたりのレンズマンは、精神力を集中してふたりの女の心を探査したが、価値のあることは何もわからなかった。彼女たちはパトロールマンが何をしようとしているかを知らなかったが、彼らに非常な敵意を持っていたので、彼女たちの精神障壁は、無意識的なものではあったが、もっとも隠密な精神探査に対して、完全に展開された思考波スクリーンと同様の効果をあげているのだった。
「彼女たちのハンドバッグの中には、何かないかい、メース?」ジャックはついにたずねた。
「調べてみよう――たいしたものはない――これだけだ」ノースロップの声の単調さ自体が、ジャックを、さっとふりむかせた。
「ボーイ・フレンドからの手紙よ」ヘイズルは肩をすくめた。「ちっとも熱烈じゃないわ。温かくさえないのよ――読んでみなさい」
「その内容には関心がないが、透明インクか何かで、何か書いてあるかもしれないから、封筒からなにから、すっかり現像してみたほうがいいだろう」彼はそうした。それだけの時間をかける価値があると考えたからだ。彼はかくされたメッセージをすでに知っていた。しかし、アリシアのレンズを着用している者は、あらゆる知性の伝達を、それがどれほど暗号化され、どんな手段で伝達されようと、完全に解読できるという事実は、パトロールマン以外の者に知られてはならなかったからだ。
「いいかね、ヘイズル」キニスンは、かすかに文字があらわれた紙片をつまみあげていった。「『三六二号』――これはきみのことで、きみは班長らしいが――『さきにあげた人物を調査すること、三九八号を任命』――ジェーン、これはきっときみのことだな――『そして彼らと交際すること。十八時までに特別の指示がないときは、彼らをただちに抹殺せよ。第一分隊』」
ブロンドの諜報員は、はじめて鉄面皮な自制心を失った。「あら――その暗号は〈解読不能〉なのに」と、あえぐように叫んだ。
「またまちがっているよ、おしとやかなお嬢さん。われわれの中には、暗号解読の専門家がいるんだ」彼はノースロップに思考をむけた。「これでいささか事情が変わったな、メース。ぼくはこの女たちを釈放するつもりだったが、こうなると、どうすればいいかわからない。彼女たちのボスを相手にしたほうがいいとは思わないか?」
「も――ち――ろ――ん――だ!」
サムスが呼び出され、問題を一分ほど考慮した。「ジャック、きみの最初の案が正しい。彼女たちを釈放しろ。そのメッセージは有益だが、女たちは役に立たない。何も知らないからだ。燻製鰊《レッド・へリング》作戦の完全な成功を祝うよ」
「やれやれ!」ジャックは、ファースト・レンズマンが連絡を切ると、同僚にむかって精神的にしかめつらをした。「彼女たちは、きみとぼくを片づけに出動するくらい事情を知っているのに、彼にいわせると、そんなことは重大じゃないんだとさ!」
「そうさ、坊や」ノースロップは微笑で答えた。「もし彼女たちがぼくらを片づけたとすれば、多少は重大だったかもしれんが、いまの彼女たちにはそれができないのだから、ちっとも重大じゃないわけだ。レンズマンたちが着陸しているから、もうこっちのものだ。それは、わかりきってるよ」
「そのとおり。じゃあ、そうすることにしよう」ジャックはブロンド娘をふりむいた。「さあ、ヘイズル。釈放だ。第四号救命ボートに乗って行け。おとなしく出て行くかね。それとも、もう一発、首にお見舞いしようか?」
「首よりもっとおもしろい場所を思いつけそうなものね」彼女は立ち上がると、唇をそらしながら、彼の目を正面から見つめた。「つまり、あんたが純情なボーイスカウトじゃなくて、一人前の〈男〉だったら、ということよ」
キニスンは一言もいわずにふりむいて、ドアの錠をはずした。ヘイズルは、つんとしてふみだしたが、背の高い娘はためらった。「確かに空気があるのかしら――そして、味方があたしたちを拾いあげてくれるのかしら? この人たちは、あたしたちをはだかで宇宙へほうりだすつもりかもしれないわ――」
「あら。こいつらには、そんな度胸はないわよ」ヘイズルはあざけるようにいった。「いらっしゃい、ジェーン。坊や、第四号救命ボートっていったわね?」
彼女は先に立って歩いた。キニスンは救命ボートの出入口を開いた。ジェーンは急いで乗りこんだが、ヘイズルは立ちどまって、両手をさしだした。
「坊や、ママにさよならのキスもしないつもり?」と、ひやかした。
「あまり時間をむだにしないほうがいいぞ。出入口をとじていようが開いていようが、あと十五秒でボートで発進させるからな」キニスンは、自分がどんなに努力して声を平静にたもっているかを、このあばずれ女に知られまいとした。
彼女は彼を見つめて何かいいかけ、また見つめた。彼女は安全なぎりぎりの限界まできたことを知ったので、ボートにふみこんで、レバーに手をのばした。バルブがなめらかにとざされるとき、男たちは、つららが鋼鉄の鐘にぶつかるような鋭い笑い声を聞いた。
「ち――く――しょう!」キニスンは救命ボートが発進したのを見送って、額をぬぐった。彼にとって、ヘイズルは、まったく新しいタイプの相手だった。この現象は、彼の教育や訓練や経験では処理できなかった。「虎のしっぽをつかまえたやつについて、聞いたことがあるが――」彼の思考は、とまどったように中断した。
「まったくだ」ノースロップも同様な状態だった。「ぼくらは勝った――と思う――技術的にはね――そうだろう? まったくひどい目にあったな」
「とにかく生きのびたがね――パーカーに、彼の情報は小数点二十位まで正確だったといってやろう。ところで、ぼくらは危機をまぬかれたんだから、スパッドに呼びかけて、どんなことになったかきいてみよう」
ジョーンズにばけたコスティガンは、万事非常に好転したと保証した。シオナイトの積荷はなんの苦もなく、宇宙船からジョーンズ自身のオフィスまで追跡された。そしてそれはいま、Q局の金庫に入れられて、ジョーンズ自身の監督下にある。キニスンとノースロップが判断したとおり、彼らが牽制行動を開始すると、圧力はいちじるしく軽減された。コスティガンは、牽制行動の経過を平静に聞いた。
「彼女を射殺〈すべきだった〉かね?」ジャックはたずねた。「射殺〈できたかどうか〉ではない――ぼくにはできなかった――だが、〈すべき〉だったかね、スパッド」
「わからん」コスティガンは数分間思考した。「だが、射殺すべきだったとは思わない。そうだ――そんな冷酷なことはすべきではない。ぼくも、もし射殺できたとしても、しなかったろう。そうするだけの価値がない。いまに、だれかが彼女を殺すだろうが、それはわれわれの仲間ではない――もちろん、戦闘になれば別だが」
「ありがとう、スパッド。それで気が楽になった。おわり」
ジョーンズすなわちコスティガンのデスクは、すでにきれいに片づいていた。Q局での彼の地位には、書類はほとんど無関係だったからだ。したがって、彼の出発準備は簡単だった。彼は金庫を開いて包みをポケットにしまい、金庫をとじて錠をおろしただけで、会社の地上車で宇宙空港にむかった。
彼が惑星を去るについても、やっかいな手続きは不要だった。もちろん、エリダンには一種の税関があったが、ウラニウム社はエリダンを独占的に所有しているので、その税関は、会社の船や低い数字の番号の金バッジをつけた会社幹部には、なんの干渉もしなかった。ジョーンズも、切符、パスポート、ビザなどの必要はなかった。会社の人間は、どこにある惑星とでも、会社の船で自由に往来できるのだ。
そういうわけで、新しい地位にともなう権威――と三十八号の金バッジ――を身につけたジョージ・W・ジョーンズは、ただちにウラニウム輸送船に運ばれて、自分の船室に案内された。
エリダンから地球への航行がまったく無事だったのも、ふしぎではなかった。この船は、ウラニウムを定期的に運んでいるふつうの輸送船だった。積荷はもちろん価値のあるもの――恒星間貿易に不可欠のもの――だったが、貴重ではなかった。海賊をひきつけるような獲物ではなかった。しかも、この航行がその前後の航行とちがっているということを知っているのは、ふたりだけだった。この船が護衛されているかどうかは不明だった。そして、パトロール隊の船は、四デテット以内には接近しなかった――バージル・サムスとロデリック・キニスンが、そう手配したのだ。
しかし、航行は退屈ではなかった。ジョーンズは一分のひまもなかった。事実、アイザークスンが彼にあたえた資料――地球にある第十八工場の配置図、生産工程一覧表、組織図など――を消化するのに、時間がたりないほどだった。
そして、船が第十八工場の一部をなしている専用宇宙空港についたとき、ジョーンズは、この北アメリカ入国港の税関員が、エリダンの税関員と同じように従順なのを知ったが、べつに驚きはしなかった(彼はいまや、数週間前よりは多くのことを知っていたし、一般人よりは、はるかに多くのことを知っていた)。税関員たちは、貨物の内部を検査することはおろか、個数をかぞえさえしなかった。彼らは船の書類を読みも照合もせずに、それにスタンプを押した。彼らは乗組員や船室について形式だけの調査をしたが、ここでも低番号の金バッジは魔よけのような効果を持っていた。彼も彼の荷物も、神聖にしておかすべからざるもののように、列の先頭にいる地上車にうやうやしく運ばれた。
「管理ビルへやってくれ」
ジョーンズ、すなわちコスティガンは運転手に命じ、それだけのことだった。
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一六
エッドール人の根本的衝動は、権力に対する情熱であると述べてきたが、この観念は、くわしく説明して、多少修正する必要がある。彼らの闘争、致命的な陰謀などは、彼らの心の巨大さと能力――そして限界――からして、必然的なものだった。どんな惑星でも、一つだけでは、彼らのような心を部分的にさえ満足させることはできなかった。彼らは宇宙万有の無限の可能性を、哲学的に静思するだけでは満足できなかった。彼らは何かをしている必要があった。というより、他の劣弱な生物を働かせて、物理的宇宙を、宇宙はかくあるべきものとする彼らの理想に適合させる必要があったのだ。
彼らの最初の配慮は、支配のために、多数の階級組織をピラミッド型に設定することだった。ピラミッドの頂点をなす彼らのすぐ下の第二階級は、もちろんもっとも重要なので、彼らは二つの銀河系宇宙を観察したのち、この高い名誉をプルーア人にあたえることに決した。
現在ではすでによく知られていることだが、プルーアは、きわめて変化のはげしい太陽に属する惑星であり、そのため、プルーア人は、一年のあいだに生ずるおどろくべき気象的変化に順応して生き抜くために、急激な肉体的変化を周期的にこうむらざるをえなかった。しかし、エッドール人にとっては、肉体的変化は無意味だった。彼らの住む惑星にかすかにでも似たような惑星は、われわれのこの正常な宇宙空間に存在していなかったから、彼らのような肉体を持った生物も存在しえなかった。そして、プルーア人の精神的要素は、およそ好ましいものではなかった。
第三階級には、さまざまの種族がいたが、その中でも、寒血で有毒気体を呼吸するアイヒ族がおそらくもっとも有能でもっとも無慈悲だった。そして第四階級には何億という多種多様な種族を代表する何兆という生物がいた。
そういうわけで、バージル・サムスとロデリック・キニスンの時代によって象徴される歴史的時点において、エッドール人は忙しく、もしそのような言葉が用いられるとすれば、幸福でもあった。エッドールの支配者である至高者につぐ地位にいるガーレーンは、個々の惑星や個々の種族にはほとんど注意を払わなかった。彼のような強大な心でさえ、二千万、六千万、一億というように多数の惑星を包括する問題を処理している場合には、注意が散漫にならざるをえなかったのだ。
したがって、いまやガーレーンのところにたえず増大しながら流れこんでくる情報は、諸種の惑星集団、太陽系集団、銀河区域集団に関係していた。ある階級の代表としてある惑星の名称があげられることはあっても、プルーア人より下級の種族について、個人が名をあげられたり論じられたりすることはなかった。ガーレーンはそれらの膨大な報告を対照し、消化し、比較し、調整し、事態の推移や、もっとも可能性の大きい結論を判断した。ガーレーンは多くの命令を発した。それらを遂行することによって、銀河系全体が彼らの〈大計画〉に、いよいよ正確に適合することになるのである。
しかし、すでに指摘したように、ボスコーンのシステムには、一つの本質的欠陥があった。下級者たちは、自己の失敗をごまかし、自己の無能をカバーすることが多かった。そういうわけで、ガーレーンはとくに審理する理由がなかったので、かつて他のすべての惑星を合わせたよりも、もっと彼をなやませた厄介な太陽《ソル》系の第三惑星で、不都合なことが起こっていることを知らなかったのだ。
あとになってみれば、彼が地球を個人的に監視しつづけるべきだったと口でいうことは容易だが、その見解は妥当だろうか? 自尊心がつよく傲慢《ごうまん》なガーレーンは、地球を徹底的にたたきのめして自分たちの陣営に服従させたということを知っていた。地球はいまや他の同級の惑星と同じだった。そればかりでなく、彼が地球を例外的に監視する必要を認めたとしても、はたしてアリシア人の長老たちの融合体が干渉しなかっただろうか?
いずれにせよ、ガーレーンは、あらたに誕生した銀河パトロール隊が、三惑星連合軍《トリプラネタリー》の総司令部である〈丘〉を、敵艦隊の攻撃から守るのに成功したことを知らなかった。担当のプルーア人副指揮官も知らなかった。そのときすでにボスコーン評議会と自称していた、恐るべきアイヒ族グループのどのメンバーも知らなかった。この大失敗を知っている範囲で最高の地位にあるボスコーン人は、自己の能力を確信していたので、この小さな挫折《ざせつ》を、自分の直接の上級者に報ずるほど重要なものとは考えなかった。彼は、すでに状況を改善するための手を打っていた。事実、現在の情況は、それによってパトロール隊が自己の優勢を信じこむという点で、むしろ好都合だった――しかし、この自信は、選挙の際に致命的結果をもたらすことになるだろう。
この生物は、かすかながら見まちがいようのない青味をおびた皮膚の色をのぞけば、人間の同類だった。彼は二時間ばかり前から、モーガン上院議員と密談していた。
「これまでの範囲では、おまえの報告は完全で、かつ決定的だった」訪問者はきっぱりいった。
「だが、まだレンズに関する報告がない」
「故意に報告しなかったのです。われわれは目下レンズを調査中ですが、現在の知識を基礎とした報告はすべて、部分的で非決定的なものになると思います」
「わかった。通常の場合なら、充分妥当な処置だ。しかし、この現象に関する情報は、おまえが考えている以上に重要だ。そしてわしは、この問題を審理して、自分で処理すべきか否《いな》かを決定するように命令されたのだ」
「わたしの能力は充分に――」
「それをきめるのは、おまえではなくわしだ」モーガンは口をつぐんだ。「したがって、部分的にせよ報告が必要だ。報告せよ」
「あなたに提出して許可をいただいた手続きにしたがって、ひとりのレンズマンを生けどりにしました。レンズには精神感応力があり短時間に遂行されました。レンズはパトロールマンの腕から除去されると同時に光輝を失い、そのレンズに触れたわれわれの諜報員《ちょうほういん》は死亡しました。
ひきつづいて、他の四人の人間に強制的にレンズを着用させました――いずれも、重要性のまったくない労働者です。この四人はすべて死亡し、その結果、諜報員の死が偶然でなかったことが完全に照明されました。レンズの断片を分析する試みもなされましたが、不成功でした。それはまったく化学変化を起こさないようでした。放電によっても、準原子爆発によっても、可能なかぎりの高温によっても、影響されませんでした。いっぽう、そのレンズマンももちろん、真実告白剤やビームによって尋問されました。彼の心は、レンズの本質については何も知識がないことを告白しました。わたしは、その事実を信じたい気持です。彼の心は、彼がレンズを惑星アリシアで手に入れたことを確信しています。わたしの意見を申しあげれば、パトロール隊の幹部は、レンズの真の起源を隠蔽《いんぺい》するために、催眠術を用いているのだと思います」
「その意見は参考のために受け入れよう」
「そのレンズマンは、尋問中に死亡しました。彼が死亡してから二分後、レンズは消滅しました」
「消滅しただと? それはどういう意味か? 飛び去ったのか? 消え去ったのか? 盗まれたのか? 解体したのか?」
「ちがいます。蒸発か昇華《しょうか》に似ていましたが、量が徐々に減少するのではなく、また固体、液体、ガス体などの残存物も探知できませんでした。プラチナ合金の腕輪だけが、無変化で残りました」
「それからどうしたか?」
「パトロール隊が大挙して攻撃を加え、われわれの調査隊は撃滅されました」
「それらの観察事実は確実なものか?」
「わたしは詳細な記録を保存しています。ごらんになりますか?」
「わしのオフィスへ送付せよ。それで、レンズ問題に関するおまえの責任をすべて解除する。事実、わしでさえ、この問題を、さらに上級に移送することに決定するかもしれない。かならずしも事実でなくてもいいが、その他に関連のありそうな資料はないか?」
「ありません」モーガンは答えた。上院議員は、自分の第一秘書と数人の凶悪なギャングが、あとかたもなく消滅したことを報告する価値があるとは考えなかったが、これはバージリア・サムスにとって幸運なことだった。モーガンの判断によれば、あの事件には、きわめて偶然にレンズが関係したのであって、それ以上の意味はない。ハーキマーは、彼の忠告や命令を無視して、あの娘に強引な手段を用いたので、サムスの部下に抹殺《まっさつ》されたのだろう。自業自得というものだ。
「おまえの仕事については、いまのところいうことはない。とくに、シオナイトについては調子よくやっている。もちろん、主要人事に関しては、とくに注意しているだろうな?」
「もちろんです。徹底的テストと継続的監視をおこなっています。いま、アイザークスンは、非常に満足すべき能力を示した男を昇進させようとしています。あの方針でやらせておきましょう。では失礼します」
訪問者は立ち去った。
モーガンは一つのスイッチに手をのばしたが、途中でそれをひっこめた。いけない。彼はこれからはじまる会見に参加したかったが、その時間がなかった。彼はこれまでに、オルムステッドをくり返し個人的にテストしていたから、オルムステッドがどんな人間かを知っていた。これはアイザークスンの仕事だ。アイザークスンに処理させよう。彼自身は、彼にしかできない仕事に全力をそそがなければならない。国民党は、次期の選挙にはぜひ勝たねばならないし、勝つだろう。
恒星間宇宙交路の社長室では、アイザークスンが立ち上がって、ジョージ・オルムステッドと握手した。
「きみを呼んだのは、二つの理由からだ。第一は、きみがもっと大きな仕事に着手する用意ができているというメッセージをよこしたのに答えるためだ。なぜきみは、そういう仕事があると考えたのかね?」
「その質問に答える必要がありますか?」
「たぶんないだろう――そう、ないね」大物は微笑した。モーガンの意見は正しい。この男はばかではないのだ。「そういう仕事があって、きみはそれに着手する用意ができている。そして、植物採集の仕事については、後任者の訓練をすませたわけだな。第二に、なぜきみは一航行ごとの広葉の採集量を、命令どおりに増加させずに、減少させたのかね? これは重大な問題だぞ、オルムステッド」
「理由は説明したはずです。ああしなければ、もっと深刻な問題が起こっていたでしょう。あなたは、わたしが自分のしゃべっていることを知っている、というのを信じなかったのですか?」
「きみの説明は、伝達の途中でゆがめられたかもしれん。直接きみの口から聞きたい」
「けっこうです。採集を欲張るのは、利口なことではありません。ある限度までくると、それまで単なるじゃまものだったものが、〈一掃されねばならないもの〉に変化するのです。わたしは、パトロール隊が宇宙から抹殺したあの輸送船の乗組員のような目にあいたくなかったので、採集量を減じたのです。そして、それをひきつづき減少させておくように忠告します。あなたが現在手に入れているものは、これまでよりはるかに多く、何もないのにくらべれば、〈途方もなく〉はるかにまさっています。この点をよくお考えください」
「わかった。きみはどのような根拠に立って、あの採集量を算出したのかね?」
「単なる推定にすぎません。私は、従来の月平均採集量の三〇〇パーセントあれば、分別を失うほど貪欲《どんよく》でない者は満足すべきであり、それ以上採集すれば、われわれが音をたてたくない場所で、ベルが高々と鳴りひびくことになるだろうと推定したのです。そこでわたしは、三〇〇パーセントに採集量を減じ、ファーディーにも、三〇〇パーセントを維持するか、さもなければ、命があるうちにやめろ、と忠告したわけです」
「きみは権限を逸脱した――そして不服従だった――だが、きみの判断が正しかったとしても、わしは意外とは思わん。確かにきみは原理的には正しいし、採集量は統計的心理的分析によって決定できる。しかし、目下のところ、生産を増加するように、強力な圧力が上からかけられているのだ」
「わかっています。だが、圧力などくそくらえです。あなたもご存知のとおり、わたしのいとこのバージルは、気ちがいじみたやつです。彼は空想的な理想主義者で、あなたやわたしのような人間がいなくなれば、この宇宙はどんなによくなるかということについて、けっこうな夢が頭いっぱいにつまっています。だが、彼をまぬけと片づけるのはまちがいです。それに、ロッド・キニスンがどんな人間かということは、あなたのほうがわたしよりよくご存知でしょう。わたしがあなただったら、圧力をかけているのがだれだろうと、彼らが歯をへし折られる前に、そのいまいましい口をとじさせてやります」
「わしも大いにきみの助言を受け入れたいところだよ。ところで、増産計画についてだが、きみはもちろん、われわれがノースポートでおこなっている作業を、概略知っているだろうな?」
「地球最大のウラニウム工場については、〈何か〉を知らないわけにはいきません。しかし、わたしは有能な技術幹部になれるほど詳細には知っていません」
「それほど知る必要はない。われわれはきみを、Q局として知られていて、いよいよ重要性を増しつつある新しい部門の長にしようと思うのだ。この局は、生産にもウラニウムにも関係はない」
「Qというと、たとえば〈静粛《クワイアット》〉の頭文字のQのような意味ですな? 大いに興味があります。この――つまり――地位にはどんな義務が付随しているのです? わたしはどんなことをするのです?」
二組の鋭い目が、たがいに相手の目の奥をまじろぎもせずにのぞきこみながら、視線をからませた。
「きみは、ウラニウム以外の貨物が、ときどきノースポートに到着すると知っても、さして意外とは思わんだろうな」
「さほど意外とは思いません」オルムステッドは冷淡に答えた。「それをわたしはどう処理するのです?」
「現在ここでその点に立ち入る必要はない。わしはきみにその地位を提供するのだ」
「承知しました」
「よろしい。きみをノースポートへ案内するから、その途中で話をつづけよう」
そしてふたりは、宇宙交路所有の成層圏用旅客機に乗りこみ、スパイ光線防止スクリーンにおおわれ、防音装置をほどこされた部屋の中で、話をつづけた。
「ミスター・アイザークスン、参考のために知りたいのですが、この地位については、わたしの前に何人前任者があり、彼らはどうなたのです? パトロール隊にやられたのですか?」
「前任者はふたりだ。彼らはパトロール隊にやられたのではない。これまでのところ、サムス一派がわれわれを疑っている証拠はまったくないのだ。ふたりとも、この仕事には能力不足で、要員を使いこなせなかった。ひとりは頭がおかしくなり、もうひとりは過労で倒れた。もしきみが頭がおかしくなったり、倒れたりしなければ、洋々たる未来が開けるだろう――〈実際に〉洋々たる未来だ」
「もしわたしがそのどっちかになれば、わたし自身いささか意外に思うでしょう」オルムステッドの顔には、容赦のない断固とした微笑が浮かんだ。
「わしもそう思う」アイザークスンはうなずいた。
彼はこの男がどんな能力を持っていて、どれほど豪胆《ごうたん》かを知っていた。この男がハーキマー――あの秘書も弱くはなかった――をこっぴどくやっつけたあとで、モーガンその人と五|分《ぶ》にわたり合ったことを知っていた。アイザークスンは、あの秘書が最近謎の失踪をとげたことを思い出して、一瞬、当面の問題を忘れた。あの事件の底にひそんでいるのはなんだろう――レンズかそれとも女か? それともその両方か? もし自分がモーガンだったら――だが、自分はモーガンではない。自分には自分なりの厄介な問題がうんとあるのだから、モーガンのぶんまで気にかけることはない。
彼は、オルムステッドが、かすかにあざけるような底の知れない微笑をうかべているのを見やって、自分が賢明な判断をくだしたことを知った。
「わたしはシオナイト輸送の第一次ルートの主要な一環になるわけですな。どういう技術で、どのように正体をくらますのです?」
「技術が第一だ。きみは釣りに行くのだ。きみはそのほうの専門家だったね?」
「そういってもいいでしょう。釣りについては、ほらをふく必要はありません」
「さしあたりは特定の終末に、しばらくたったら〈週末ごとに〉、きみはどこかの湖で気に入りのスポーツに熱中してほしい。きみは弁当箱の中におきまりのたべものや飲みものを入れて行く。そして、たべおわったら、その弁当箱を船から投げ捨てるのだ」
「それだけですか?」
「それだけだ」
「では、弁当箱は、いささか特殊なものでしょうな?」
「多少ともね。しかし、外見はごくありきたりだ。ところで、カムフラージ用の職名だが、〈研究部長〉ではどうかね?」
「わかりませんな。研究員たちがどんな仕事をしているか、それによります。わたしは技師になる前、一種の科学者でしたが、それはずっとむかしのことですし、専門家になったことはありません」
「わしがきみを適当だと考える理由の一つはそれなのだ。われわれは多くの専門家を持っている――多すぎると思うことがときどきあるほどだ。彼らは、てんでんばらばらに飛びだしていく。われわれが望むのは、全般的状況を把握するのに充分な科学的訓練をへた人間だ。しかし、その人間にいちばん必要なのは、堅固な常識と、専門家たちの足を地につけて協力させるに充分な能力――精神力といってもいいが――そういったものなのだ。もしきみにそれができれば――きみにできると思わなければ、わしはこういう話しをしないが――それができれば、部下はみんな、きみが報酬にふさわしい仕事をしているとさとるだろう。きみのふたりの前任者についていうならば、われわれも彼らがそれだけの仕事をしていないという事実を、部下たちからかくすことはできなかったのだ」
「では、そういう職名にしておきましょう。わたしは、その仕事が処理できたとしても、意外とは思いません」
会話はつづいたが、その他の部分は、ここでは重要ではない。航空機は着陸した。アイザークスンは、新任の研究部長を工場支配人のランドに紹介し、ランドは研究部長を数人の科学者と彼の個人秘書になるはずの、みごとな赤毛のすらりとした娘に紹介した。
研究部が統制しにくいということは、はじめからはっきりしていた。上級の部員は反抗的であり、中級部員は陰険であり、下級部員は陰険であると同時に卑屈だった。秘書は形のいい両肩をつんとそびやかしていた。男の部員も女の部員も、六ヵ月たらずのあいだに三度も、「新任者はよく働く」という古いしゃれが実現することを期待し、彼に、なんでもやれるならやってみろといわんばかりの態度を示した。そういうわけで、彼らは新しいボスが、まる二週間というもの、報告を読んで部内の事情を知る以外のことを何もしないのを見て、ひどく驚いた。
「あなたの新しいボスはどうなの、メイ?」ほかの秘書が休憩時間にたずねた。
「あら、そうわるくない――と思うわ」メイの口調はひどくひかえ目だった。「彼はしずかだわ――いくらか固苦しくて――いいよったりなんかちっともしないわ――わたし、やっと、いくらかでも有能なボスにぶつかったのかもしれないわ。おかしいじゃない? でも、あんたは知ってるわね、モリー?」赤毛娘はふいにくすくす笑った。「はじめのボスはカメラ気ちがいで、百万信用単位もするステレオ・カメラやなんかを持っていたし、次のボスはゴルフ気ちがいだったわ。このオルムステッド博士は、あまったお金を何に使うのかしら?」
「きっといまにわかるわよ」モリーの口調は言葉の論理的な意味に多少異なった意味をあたえた。
「わたし、そうなってほしいわ、モリー。〈ほんとに〉そうなってほしいわ」メイの口調も、使われた言葉どおりの意味以外の意味を含んでいた。「ボスの生活はつらいにちがいないわ。一ヵ月に一千信用単位かそこらのけちな給料で、日に六時間か七時間もデスクにつくか、会議に出席するかしなければならないんて――どこかで遊んでいるとき以外はね。あの人たちは、どうしてそんな生活をするんでしょう?」
「わかりきったことだわ、メイ。〈ほんとに〉わかりきったことよ。でも、わたしたちだって、同じようなものじゃない?」
時間がすぎていった。ジョージ・オルムステッドは、報告をつぎつぎに調べた。彼はある報告を読むと、眉をひそめながらもう一度読み返した。それを他の報告と詳細に比較してから、赤毛娘のメイを呼んで、二週間ばかり前に読んだ報告を取ってこさせた。彼はその夕方それを宿舎に持ち帰り、次の朝、三つのボタンを押した。三人の若い男が、呼び出しに応じて、しゃっちょこばってあらわれた。
「おはようございます、オルムステッド博士」
「おはよう諸君。わたしはこの三つの報告のどれについても、基本的理論に通じているわけではないが、これとこれとこれを結合すると」三つの書類上の鉛筆でしるしをつけた個所を指摘しながら、「最終の純化分離工程を四分の三くらい節減できるような工程を、考案できるのではないか?」
彼らにはわからなかった。それを知ることは、三人のうちのだれの仕事でもなく、三人共同の仕事でもなかったからだ。
「いまからこれをきみたちの仕事にする。いまやりかけていることを中止して、三人の頭を集めて研究するのだ。第一に理論で、それから小規模な研究室実験をやる。それがすんだら、すぐもどってきたまえ」
「承知しました」そして二、三日のうちに、三人はもどってきた。
「うまくいくかね?」
「理論的にはそのはずですし、研究室の実験でもそうなります」三人の若い男は、いっそうしゃっちょこばって答えた。研究部長が自分にできない仕事で点をかせぐのは、これがはじめてでもなければ、最後でもない。
「よろしい。ミス・リード、ランド支配人をたのむ。
――支配人ですか? オルムステッドです。三人のわたしの部員が、年間、数十億信用単位の利益になる工程を考案しました。
――わたしがやったかというのですか? とんでもない。彼らと話してください。わたしには、三つの部門のどれ一つもわからないのですから、こんな発明ができないことはいうまでもありません。現在から、彼らにパイロット・プラントで最高の優先権をあたえてください。もし彼らがそれを実際に開発できたら、わたしはできると確信しますが、そうなれば、わたしは彼らの写真をノースポート・ニュースに掲載させ、彼らにそれぞれ二千信用単位の賞与をあたえ、その金でたのしめるように二週間の休暇をやります――わかりました、彼らを派遣します」彼はあっけにとられている三人をふりむいた。「資料を所長に報告しろ。いますぐにだ。彼にきみたちの研究の成果を示したら、パイロット・プラントへとんで行って、仕事にかかるのだ」
しばらくして、モリーとメイはまた化粧室で顔をあわせた。
「だから、あなたの新しいボスは、釣り気ちがいなのよ!」モリーはあざけるようにいった。「彼はリール一つに二百信用単位以上払ったんですって! あなたのいうとおりだったわね、メイ。ボスの生活はつらいにちがいないわ。それに、彼は工場のどの幹部よりぶらぶらしているっていうことね」
「だれがそんなことをいったの? とんでもない嘘つきだわ」赤毛娘は、自分が前にいったことと正反対のことをいっているのを、まるで意識せずに叫んだ。「そんなことはないんだけれど、もしそうだったとしても、彼はじっとすわっているきりで、工場中のどんなボスが一分間に四十パーセクのスピードでとびまわって働くより、もっと多くの仕事ができるのよ!」
ジョージ・オルムステッドは、給料にふさわしい仕事をしていた。
彼の地位が完全に固まった二、三日後、研究部全体に興奮した動揺が起こった。「聞け、みんな! ミスター・アイザークスンが――自分で――やってくる――ここへだ! なんのためだろう? 彼はもう部長をわれわれから取りあげにくるのか?」
アイザークスンはやってきた。はじめて研究部をすみずみまで視察した。彼はくわしく観察し、自分が見たことを理解した。
オルムステッドは、大ボスを自分の専用オフィスに案内して、一つのスイッチを入れた。それによって、この密室はあらゆる方式の探知、盗聴、侵入、通信などから防護されることになっていた。しかし、レンズマンたちが使用している、いっそう精密なチャンネルは閉鎖されなかった。
「上出来だよ、オルムステッド。あまり上出来なので、きみをQ局からすっかり引き抜いて、ヴェジアにある新工場の支配人にしようと思う。訓練してきみの地位を引きつがせられそうな人間は見つかったかね?」
「Q局を含めた地位ですか? そういう人間はいません」オルムステッドは、おもてにはあらわさなかったが、「ヴェジア」という言葉を聞いて失望した。彼はそれよりもはるかに高い地位――ほかならぬボスコニア軍の秘密惑星での地位――をねらっていたのだ。しかし、まだそこへの移動を獲得する時間は残されているだろう。
「Q局は除外してだ。その地位には、もうひとり適任者を見つけた。ジョーンズだ。しかし、彼はヴェジアに派遣できるほど大物ではない」
「それなら、後任者があります。新工程を開発した部員のひとり、ホイットワース博士です。しかし、多少時間がかかります。最低三週間です」
「では、三週間にしよう。きょうは金曜だ。ところで、週末休暇がとれるように手配しておいたろうな?」
「そのつもりでいます。しかし、わたしは自分が行くつもりだった場所へ行くことにはならないのでしょうね?」
「おそらくそうだ。二七三号線沿いにあるチェサンクック湖だ。未開地で、ホテルは四等以下のしろものだが、大漁はまちがいない」
「それは結構です。釣りをする以上は、何かつかまえたいのです」
「そうでなかったら、あやしまれる。自給食堂に弁当箱が用意してあるのは知っているだろう。サンドイッチや何かがぎっしりつまったやつを、秘書に持ってこさせるのだ。わしが帰ったら、午後なるべく早く出発したまえ。出発する前に、弁当箱を持って、ジョーンズと会うのを忘れないように。じゃあ、行ってきたまえ」
「ミス・リード、ホイットワースを呼んでくれたまえ。それから、自給食堂へいって、わたしのために弁当箱を一つ持ってきてほしい。サンドイッチとコーヒー入りの魔法瓶だ。びしょぬれになって腹をすかした漁師には、持ってこいの弁当だからな」
「はい、部長!」もう秘書は肩をそびやかしはしなかった。赤毛娘のボスは、全工場最高のボスなのだ。
「さあ、ネッド。玉座にすわりたまえ」オルムステッドは、からっぽになっている大きなデスクの後ろの席へ手を振りながらいった。「わたしがもどるまで、そこにすわっていてくれ。たぶん月曜だろう」
「釣りですか?」ホイットワースの態度からも、ぎこちなさや陰険さや敵意はすっかり影をひそめていた。「釣り気ちがいは幸福ですなあ!」
「そうだよ。きみはまだ若くてぴちぴちしているが、いまに年をとって太ってくれば、やはり釣りに行くようになるさ。そんなことは、だれにもわからんよ。あばよ」
オルムステッドは、弁当箱とかさばった釣道具を持って、工場副支配人ジョーンズのオフィスへむかって、陽気に廊下を歩いていった。彼はどういうことになるか予想はしていなかったが、ジョーンズのサイド・テーブルの上に、自分のとそっくりの弁当箱を見つけても、驚かなかった。彼は自分の弁当箱をそのわきに置いた。
「やあ、オルムステッド」どちらのレンズマンも、場ちがいな表情は〈うの毛〉ほども示さなかった。「もう出発かね?」
「そうだ。月曜まではもどらんから、そのことを本部に知らせておこうと思って寄ったのさ」
「オーケー。わたしもそうだが、もっと急ぐ。チュムクワサバンティクック湖だ」
「そいつは発音かね、くしゃみかね? だが、楽しんできたまえ。わたしのほうは仕事と楽しみを兼ねているんだ――ホイットワースをわたしの後任に訓練するためにね。あのトリックは一時間ばかりで爆発するから、彼はびっくりぎょうてんするだろう。だが、いずれにしても月曜まではつづくはずだ。彼がそれをうまく処理すれば、訓練ができたというものだ」
ジョーンズはにやりと笑った。「ちょっと残酷かもしれんが、発見するには確実な方法だ。あばよ」
「元気でな」オルムステッドはまちがった弁当箱を取りあげて、建物を出ていった。
彼はディリンガム車を命じ、弁当箱を無造作に車にほうりこんだ。まるで、その中に、数千万信用単位の純良なアンカットのシオナイトがはいっていないかのように。
「よい週末をおすごしください」操車係はオルムステッドを手つだって、荷物と釣り道具を車にしまいながらいった。
「ありがとう、オットー。月曜日には、二、三匹魚を持ってきてやるよ、もしそんなに大漁だったらな」
ついでにいうならば、彼は操車係りに魚を持ってきてやった。レンズマンというものは、どんな状況下でどんなにさりげなく約束したものでも、それを守るのだ。
金曜の午後三時ごろなので、交通はすでに混雑していた。もちろん、ノースポートは大都市ではなかったが、その代わり、大都市にあるような多層式、一方交通の無信号道路がなかった。しかし、オルムステッドは急がなかった。彼は目もまばゆい車――色はまぶしく輝くクローム・グリーンで、ぴかぴか光るクロームめっきの飾り金具がいたるところについている車を進めて市を横切り、北へむかう超ハイウェーにはいった。そうなってからでさえ、彼は急がなかった。猟場の縁にある検問所を、夕方に通過するつもりだった。時速九十マイルで行けばそうなるだろう。彼は九十マイル帯に乗り入れ、その帯の上を走っている他の車と、相対的に不動の状態にはいった。
それは奇妙な感覚だった。すべての車が停止していて、道路が後方へ流れていくように思われた。追い越しも交差も割りこみも抜け出しもなかった。ただときどき、どの車かが、ほとんどそれとわからぬほど右か左へ寄ったり、規定の速度に一致させるために速度を速めたりゆるめたりするにつれて、車同士の位置が変化するだけだった。
晴れた午後で、暑すぎも寒すぎもしなかった。オルムステッドはドライブを心から楽しみ、予定どおり分岐点に到着した。広くなめらかな道路をそれると、急激に速度をおとした。ディリンガム超スポーツ車でも、チェサンクック湖へむかうせまくてでこぼこのけわしい道路では、スピードを出すわけにはいかなかったからだ。
夕方、検問所についた。彼は道路上で停車せずに、道路をはずれて車を降り、せいいっぱい背のびしてから、足のひきつれをなおすために、軍楽隊長のように足ぶみをやった。
「遠くからきたのか?」スマートな制服をつけた衛兵がいった。「銃はないかね?」
「銃はない」オルムステッドは、検問をうけるために荷物を開きながらいった。「ノースポートからきたんだ。とくに急いでいるわけでもないのに、なかなかストップできないんだから、おかしな話さ。ここで食事にしよう――いっしょにやらないか? サンドイッチに熱いコーヒーか、さもなければ、冷たいレモンジュースかチェリーソーダがあるよ」
「ありがとう。自分の夕食を持っている。ちょうど食おうとしていたんだ。だが、〈冷たい〉レモンジュースっていったね?」
「うむ。氷みたいにひえてる。摂氏零度さ」
「じゃあ、ごちそうになるよ。ありがとう」
オルムステッドは、霜のおりた氷室をあけて、半リットル壜を二本とりだし、それと開いた弁当箱を、低い石垣の上にさそうように置いた。
「ふむ、む、む。あんたはすごい車を持ってるね」衛兵は豪華な二輪のスポーツカーを称賛するように見詰めながら、ほとんど聞きとれないかすかなエンジンのひびきに、感心したように耳をかたむけた。「この新型スポーツカーのことは聞いていたが、見るのははじめてだ。すばらしいな。家のなかと同じように快適なんだろう?」
「まあそうだ。そのサンドイッチをたいらげるのを手つだってくれないか? いたんでしまうから」
ふたりの男は石垣に腰をおろして、食べながら話をした。もしこの衛兵が、自分の足のわきの弁当箱の中に、何がはいっているかを知ったなら、驚きのあまり後ろへひっくり返ったことだろう。しかし、彼にどうして疑うことができようか? ボスコーンの高級工作員の手ぎわには、まぬけなところや粗雑なところはまったくないのだ。
オルムステッドは、湖に着いて、あばら屋のようなホテルの予約した部屋に泊まった。彼はぐっすり眠り、翌朝早く起きて魚を釣った――この方面では、実際に楽しんだ。彼は腕|利《き》きの釣り師で、魚は大きくて抜け目のない元気なやつがいた。彼は愉快だった。
正午になると、食事をして、〈からっぽの〉弁当箱をまったく公然と水の窪みにおとした。もし魚がたっぷりとれなかったとしても、彼は安い弁当箱を町に持って帰るようなタイプではなかった。午後いっぱいを底抜けに楽しんだ。そして、太陽が地平線にふれてから、ボートのエンジンをかけてドックにもどった。
ノースロップが緊張して報告した。例のものはまだ放射能を発していないが、発することは確実だ。そして彼らはそのときにそなえているのだ。そのあたり一帯には、犬の毛よりもっと多くのレンズマンとパトロールマンが待機していた。
そして、ジョージ・オルムステッドは、疲れたようにため息をつきながらも、あと一日楽しいスポーツができるという期待に胸をふくらませて、道具と魚をまとめてホテルへもどって行った。
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一七
地球の中心から四万マイル離れた宇宙で、超大型戦艦シカゴ号は、有慣性状態のまま、時速わずか一万マイルで、円形を描きながらただよっていた。このおそい速度の結果、シカゴ号は地球表面の一点の上方に、ほとんど固定しているのも同然だったが、これは偶然そうしているのではなかった。また、この船にバージル・サムスとロデリック・キニスンが乗っているのも、偶然ではなかった。巡洋艦などからなる十隻あまりのその他の船では、士官たちが航行日誌をつけることで時間をつぶしており、それらの船は目標もなく飛びまわっているようだったが、旗艦から遠くへ離れることはなかった。
そして、そのもっと外側――かなり外側――では、ディーゼル・エンジンで推進する偵察艦からなる警戒線が、その探知器の広大な有効範囲ぎりぎりまでの宇宙空間を探知していた。これらの船の航行士は、各船の位置とコースを精密に知っており、予定外の航跡が一つでもあらわれれば、慎重に計画された一連の行動が継続的に開始されることになっていた。
そしてはるか下方の大気圏内では、シカゴ号と地球の中心を結ぶ直線からつねにそう遠く離れることなく、豪華な空中ヨットがただよっていた。そして、このヨットには、ひとりやふたりではなく、八人のレンズマンが乗っており、そのうちのふたりは、それぞれの観測用映像盤に目を固定していた。彼らは、湖の底に沈んでいる弁当箱を監視しているのだ。
「まだ放射能を発生しないか?」ロデリック・キニスンがたずねた。「それとも、何かが接近するか、箱自体が移動するかしないか?」
「まだです」ライマン・クリーヴランドがきびきび答えた。「ノースロップの装置もわたしのも、なんの活動も示していません」
彼はそれ以上説明しなかったし、その必要もなかった。メースン・ノースロップは技師長で、クリーヴランドはおそらく地球で最高の専門家である。そのどちらもが、放射能を探知していない。|だから《エルゴ》、放射能はまったくあらわれていないのだ。
箱が動きも動かされもせず、何かが接近してもいないのは、同様に確実だった。「なんの変化もありませんな、ロッド」フレデリック・ロードブッシュが確信のこもった思考をレンズで伝達した。「われわれ六人は、五分交替で映像盤を監視しています」
しかし、数分後、「おもしろそうな事実がある」金星人ダルナルテンが、自分のからだに数パイントの水を吹きつけながら報告した。「金星人が水中や水上にいるのを好むのは、もちろんごく自然なことだ――わたし自身あの湖の水上か水中にいれば、大いに楽しいだろう――しかし、例の金星人オスメンが、この湖をこの時間に訪問しているのは、必ずしも偶然でないかもしれない」
「なんだって!」九人のレンズマンは、ほとんど同時に思考的叫びをあげた。
「いかにも。オスメンなのだ」金星人レンズマンが、二十語も三十語もついやさずに、二語だけ使ったということは、彼の関心の深さを示すものだった。「黄色い帆をかかげた赤いボートの中にいる」
「なにか探知装置が見えるかね?」サムスがたずねた。
「彼にはそんなものは必要あるまい」ダルナルテンは答えた。「彼にはあの箱が見えるだろう。それとも、あの箱に小量のコレインがぬりつけてあれば、地球人にはまったく知覚できないが、金星人ならば、あの湖のはしからはしまで離れていても、かぎつけることができる」
「なるほど。その点は考えていなかった。どのみち、あの箱には、発信器はついていないだろう」
「そうかもしれないが、とにかく、聴取をつづけろ」司令長官は命じた。「映像盤を一台オスメンにむけ、さらに二台を他のボートにむけろ。だが、オスメンは疑わしい装備をしていないというのかね、ジャック? スパイ光線防止スクリーンさえつけていないのか?」
「彼が防止スクリーンをつけるはずはありませんよ、パパ。この地球でそんなものをつければ、怪しまれるにきまっていますからね。エリダンでは、彼らの諜報員はどんな装備でもできましたが、われわれは無装備でいなければなりませんでした。それと同じことですよ」彼は〈|じゃじゃ馬《ヘルキャット》〉ヘイズルとの対決を思い出しただけで精神的にひるんだ。ノースロップも同じだった。
「そのとおりです、ロッド」オルムステッドは湖上のボートの中で賛成し、コンウェー・コスティガンは、ノースポートの自室で賛成した。敵の高級工作員は、安全を保持するために、粗雑で危険な機械装置ではなく、巧妙な行動に依存しているのだ。
「よろしい、きみたちがみんなそれほど確信するなら、それを信用しよう」そして待機がつづけられた。
赤いボートは、気まぐれな微風に押されて、水面をゆっくり横切って行った。船尾には、うっとりもの思いにふけっているようなひとりの青年が、ボートのゆくえなど少しも気にとめないようすで、左腕を舵柄にかけてすわっていた。オスメンも同様に無関心だった。彼は、釣り師たちのじゃまにならないようにすることだけを心がけているように見えた。彼の水中散歩は、金星人としても長かった。そして彼は、金星人――またはアザラシ――だけができるようななめらかさで、水にはいったり出たりした。
「だが、彼は、カプセル入りのスパイ光線探知器を呑みこんでいるかもしれません」やがてジャックが意見をのべた。「それとも、金星人は、調理場のストーブより一インチくらい小さいものならなんでも呑みこめますから、分析器をまるまる胃の中におさめているかもしれません。まだだれも彼に探知ビームをあてていないでしょう?」
だれもあてていなかった。
「あてないほうが賢明かもしれん。望遠鏡で監視しろ――そして、彼が箱に接近したら、箱にあてている探知ビームを切ったほうがいい。ダルナルテン、きみが湖にもぐることはあまり賢明ではないだろうな?」
「絶対賢明ではない。だからこそ、わたしは上空にいて、からだをかわかしているのだ。だれも箱に接近しないほうがいい」
彼らは待機した。そしてついに、オスメンは一見無造作に遊泳しながら、多くの地球人の注目の的《まと》になっている湖底の一点に接近していった。彼は捨てられた弁当箱を、沈んでいる他の多くの物体を見ると同じように無関心に眺め、同じように無関心にその上を泳ぎ過ぎた――彼の実際の行動を捕捉したのは、超カメラだけだった。彼は平然と泳ぎつづけた。
「箱はまだあります」スパイ光線員が報告した。「しかし、中の包みはなくなりました」
「よろしい!」キニスンは叫んだ。「望遠鏡員、彼が包みを身につけているのが見えるか?」
「十中九まで見えないでしょう」ジャックがいった。「彼は包みを呑みこんだのです。ぼくは、彼が箱ごと呑みこむと思っていましたがね」
「見えません、閣下。呑みこんだにちがいありません」
「確認せよ」
「承知しました――彼はいまボートにもどりました。われわれは彼をあらゆる角度から観測しています。彼は空身《からみ》です――外側には何もつけていません」
「よろしい! つまり、やつは人ごみの中で包みを誰かに手渡すつもりはない。これからはふつうの尾行行動だから、上空監視編隊をひっこめよう」
偵察艦が呼び戻された。シカゴ号その他の軍艦は、それぞれの基地に帰還した。空中ヨットはただよい去った。しかし、いっぽう湖の岸から一マイルかそこら離れた森林内では、爆発的な行動が開始された。キャンプがひき払われた。ハイキング隊はもう充分遊んだというので、引き返しはじめた。思い思いのことをやっていた元気な青年たちは、それを中止して、いちばん近くの踏みつけ道にむかった。
父親のキニスンは、あとの仕事はふつうの尾行だけだといったが、それはいささかまちがっていた。ふつうの尾行では不充分だった。獲物がこのようにほとんど袋の中にはいった以上、絶対に疑惑をひき起こさないように処置しなければならない。しかも、サムスは事実をつかむ必要があった。有無をいわせぬドンピシャリの事実だ。白痴以上の知能ならば事実と認めざるをえないような、明々白々《めいめいはくはく》たる事実だ。
そういうわけで、金星人オスメンは、それから先はずっとひとりではなかった。湖からホテルへ、ホテルから車へ、道路上で、列車や航空機の中で、その乗り降りで、そしてニューヨークの平凡な商業区にあるごく平凡なビルに着くまで、彼は〈一度も〉ひとりではなかった。旅行者が少ないところでは、パトロール隊の工作員たちも少なくて、あまり金星人のそばへ寄らなかったが、大都市のステーションのように旅行者が多いところでは、彼らは金星人を三重に包囲した。
オスメンは、日曜の夜に目的地についた。そこはもちろんスパイ光線防止スクリーンがめぐらしてあった。彼は中へはいって、少ししてから出てきた。
「彼にスパイ光線をあてますか、バージ? 尾行しますか? どうするのです?」
「スパイ光線はあてるな。尾行するのだ。彼を毛布のように包囲しろ。適当な時期に適当なスパイ光線検査をしろ。しかし、それまではいかん。こんどは、完全にやるのだ。彼が包みを身にもつけておらず、呑みこんでもおらず、家の中や周囲にもないということを確実に調べるのだ」
「今夜は何も手を出さないのですね?」
「そうだ。今夜では、目立ちすぎる。だから、フレッドとライマン、きみたちふたりで最初の張り込みをやれ。われわれほかの者は一眠りする」
月曜になってビルが開かれると、レンズマンたちは、火星のノボスを含む数十人の新手《あらて》といっしょにもどってきた。また、付近には、地球でももっとも抜け目なく有能な諜報員たちが、文字どおり数百人ひかえていた。
「では、〈ここが〉やつらの司令部なんだな――少なくともその一つなのだ」火星人は、少数の人間がビルに出入りするのを観察しながら、思考を伝達した。「ダル、われわれが思ったとおりだ。だから、われわれはここを発見できなかったのだ。だから、卸売業者までたどっていくことができなかったのだ。一段階ごとに要員を完全に変更するのだ。おそらく、惑星間的単位だろう。そして長期間鳴りをひそめている。そうだろう?」
「そうだ。だが、こんどこそやつらを押さえたぞ」
「そうかね?」ジャック・キニスンはひやかすようにいった。彼の見地からすれば、自分の判断のほうがより確実だった。卸売業者たちは、じつに賢明な工作員だからだ。
しかし、ノボスとダルナルテンは、長いこと負けいくさをつづけてきていたので、彼らのいっそう専門的な見地からすれば、この仕事はそれほど困難ではなかった。ふたりの手勢はみごとに組織され統制されていた。彼らの数は圧倒的に多いので、相手がどれほど警戒心がつよくても、その人間が尾行されていることを勘づくよりずっと前に、〈しっぽ〉つまり尾行者を交換することができた。また、尾行者同士がどんなに目立たない合図でも、それを交換したり、交替時に容疑者を指示したりする必要はなかった。レンズを通じての思考が、なんの混乱や錯誤もなく、あらゆる行動を指揮していたからだ。
それから、大きな凸レンズを持った小型カメラがあった。この〈遠目〉は、五百フィートの距離で、髪の毛一筋が見えるほどクローズアップできるのだ。そのほか、ここにあげるには多すぎるほど、多種多様な装置や道具や設備があった。
こうして、卸売業者たちが尾行され、彼らが小売業者たちと取引きするようすが記録された。そうなってみると、ジャック・キニスンでさえ、事が順調に運んでいるということを認めざるをえなかった。小物たちはそれほど抜け目なくはなく、彼らのお得意たちはいっそう不注意だった。スパイ光線防止スクリーンや探知器その他の装備を持っている者は、まったくなかった。彼らのあらゆる取引きは、パトロール隊の超探知装置で、数マイルの距離から記録することができたし、事実記録された。
記録されたのは、取引きばかりではなかった。買い手は、購入から吸飲まで尾行された。そして、その間の時間は、いつも長くはなかった。シオナイトの買い手たちは、当時も現在と同様に、小売業者から買うと、すぐそれを吸飲していたのだ。そして、そのおぞましい場景は、すっかりテープとフィルムにおさめられた。シオナイトに対するけいれん的でヒステリックな欲求。貨幣と薬の交換。ひとりになれる場所への突進。はげしい筋肉硬直と極度の恍惚状態。衰弱したなやましい覚醒または恍惚状態での死。それらがすべて記録された。
このような情況を記録しなければならないというのは、無惨なことだった。事実、観測員が気分がわるくなって、交替しなければならなくなったことも、一度ではきかなかった。しかし、バージル・サムスとしては、具体的、積極的で、反論の余地のない証拠が必要だった。そして彼はそれを手に入れた。どんな陪審員でも、この証拠を見れば、それが真実であることを知るだろう。どんな陪審員でも、この証拠を見たあとでは『有罪』以外の答申を出すことはできないだろう。
奇妙なことに、この長く骨の折れる作戦を通じての被害者は、ジャック・キニスンひとりだけだった。そのときまで疑われてさえいなかったひとりの男――のちに暗黒街の中級ボスだということがわかった――が、どうしたわけか、ジャックに尾行されていると勘ちがいした。おそらく、レンズマンが持っていた長距離カメラの一部を見られたのだろう。有効な長距離レンズというやつは、かくすにはひどくつごうのわるいものなのだ。いずれにせよ、そのギャングは、自分のボディーガードだけでは不充分だった場合のために、救援を求めた。たちまち、彼の手下どもが駆けつけた。
彼らの目的は二つあった。一つは、若いキニスンののどに、横からナイフをすばやく静かに突き通すこと。もう一つは、長距離カメラをあばいて、数平方インチの超鋭敏感光紙を日光にさらすことだった。しかし、カメラマンはひとりではなく、ボスからつい数フィートのところにいる、けんか好きらしい大男もパトロールマンだったのだ。もしボスがそのことを知っていれば、ギャングどもは目的を果たしただろう。
四人のギャングのうちふたりは、他のふたりよりほんの一瞬だけ早くジャックに迫って、ひとりはカメラをひったくろうとし、もうひとりはナイフをふりかざした。しかし、ジャック・キニスンも速かった。頭の働きも、神経や筋肉の働きも速かった。彼はギャングどもがおそってくるのを見た。電光のような動作で、遠距離カメラの胴を、第一の男の頭の側面にたたきつけ、はげしくふりおろされたナイフを、きわどいところでかわすなり、長靴の先端を、プロボクサーが好んでパンチをあびせるあの急所にたたきこんだ。ふたりの襲撃者はたちまち意識を失った。ひとりのほうは、永久に失ってしまった。遠距離カメラのレンズ筒は、重くて非常に〈非常に〉固かったからだ。
ジャックがまだ姿勢をたてなおさないうちに、他のふたりのギャングが駆けつけた――しかし、メースン・ノースロップも駆けつけた。メースは、ジャックほどすばやくはなかったが、すでに指摘したように、ジャックより大きくて、ずっと力がつよかった。彼が両手でひとりの男をなぐりつけると、その男はぶったおれた。男は、二十ポンドのハンマーが九十七・五フィートの高さから落下するのを受けとめたのと同じだったのだ。
もちろん、レンズマンたちも救援を求めていたし、パトロール隊の快速艇は、州内の一地点から他のどんな地点へでも、一瞬にして到達することができた。そしてその快速艇が街の数ブロックをエネルギー帯で包囲して、弾丸もビームも貫通できないようにするには、まったく時間がかからなかった。したがって、戦闘は開始したときと同様に突然終結し、それ以上のギャングどもが、自動小銃や携帯式ビーム放射器を持って、現場へ駆けつけるひまもなかった。
息子のキニスンは、その日、武器を携帯することを禁じた命令について、口をきわめてののしり、これからは少なくともビーム放射器を二挺つけてでなければ、ベッドから出ないと断言した。しかし、結局、不平をいうべきではないということを認めないわけにはいかなかった。父のキニスンはきわめて忍耐づよく――彼としては――説明した。ジャックはこの小ぜりあいで唇を切っただけで、若いノースロップは髪を乱しさえしなかった。もし全員が銃を持っていたら、ジャックのような血迷った若いばか者が射撃をはじめて、万事おじゃんになってしまったろう――サムスの全計画は、取り返しのつかないほど破壊されてしまったろう。だから、もうわめくのはやめて、とっとと出て行ってくれないか?
ジャックはとっとと出て行った。
「これでシオナイト問題は片づいたと思わんかね?」ロッド・キニスンはたずねた。「しかし法律家連中が、事件に目鼻をつけて裁判にかけられるようにするまでには、いいかげん時間がかかるだろうな」
「片づいたともいえるし、片づかんともいえる」サムスは精神的に眉をひそめた。「〈証拠〉は、生産者から最終消費者にいたるまで、完全にそろっている。だが、わたしの推定によれば、ほんとうに重要な黒幕をつかまえるまでには、何年もかかるだろう」
「なぜだね? きみが選挙の三週間前にクライマックスをもっていこうと計画したとき、わしはきみがやつらに時間をあたえすぎると思ったのだ」
「なぜかというと、麻薬一味は彼らのほんの一小部分にすぎないからだ。なにせ、われわれは彼らを一挙に撃滅しようというのだ。そして、マティース作戦は、はるかに大規模な問題を対象にしている――殺人、誘拐、買収、腐敗、職権乱用――ほとんど考えられるかぎりの犯罪だ」
「知っているが、それがどうしたのだ?」
「とくに問題なのは、司法権だ。大統領、国会議員の過半数、多数の司法官、政界ボスや警察幹部のほとんどすべてが、同時に起訴されるとなると、法律的問題は想像がつかないほど困難になる。パトロール隊の法務局は、この問題について、昼夜兼行で研究しているが、彼らに確実なのは、苛烈な法律論争が継続的にくり返されるということだけなようだ。まったく前例がないからだ」
「前例なんぞ、くそくらえだ! やつらが有罪なことは、だれでも知っている。法律を適当に変更して――」
「それはいかん!」サムスは鋭くさえぎった。「われわれは、人間ではなく法律によって支配される政府を欲するし、またそのような政府を持つだろう。人間によって支配される政府はもうたくさんだ。問題なのはスピードではなく、断固として正義なのだ」
「あい変わらず〈十字軍戦士《クルセーダー》〉サムスだな! だが、きみに賛成するよ、バージ――さあ、地球へもどろう。ズウィルニク作戦は完了した。マティース作戦は好調に進行している。ザブリスカ作戦はズウィルニク作戦に吸収された。残るのはボスコーン作戦だが、こいつはまだ目鼻がまるでついていないようだな」
ファースト・レンズマンは答えなかった。キニスンのいうとおりで、ふたりともそのことを知っていたからだ。パトロール隊のもっとも機敏で有能で熟練した諜報員たちが、全力を集中してこの壁にいどんだが、はね返されるだけだった。低い段階での試みでは、なんの手がかりもえられなかった。中程度の段階でも同様だった。ジョージ・オルムステッドは、できるかぎり高い段階で工作した結果、手がかりを発見したと確信したが、それをどうすることもできなかった。
「この問題について、評議会を召集してはどうかね?」ついにキニスンがいった。「さもなければ、少なくともバーゲンホルムに相談してはどうだ? 彼なら例の予感が働くかもしれん」
「わたしは、彼ら全員とも討議したのだ。ちょうど、きみと討議したようにな。しかし、きみの現在のやり方でベネット作戦を推進するということ以外には、だれも建設的意見を提供しなかった。ボスコーン人は、われわれが彼らの軍事力について知っていると同程度に、こちらの軍事力について知っている、というのが、彼らの一致した意見だった――それだけだ」
「〈丘〉に対するやつらの攻撃で、われわれがえた教訓からすれば、やつらはわれわれを、公式の大艦隊だけに依存しているほどばかだと考えている。それほどのばかだと期待するのは、楽観的にすぎるようだ」キニスンは認めた。
「そうだ。わたしがいちばん心配しているのは、やつらが先手をとっている点だ」
「そんなことは問題ではない」司令長官は断言した。「われわれは生産の点でも戦闘の点でもやつらをしのいでいる」
「楽観しすぎてはいけない。彼らが少なくともわれわれに匹敵する程度の頭脳、能力、人的物的資源を持っていることは、きみも否定できまい」
「否定する必要はないさ」キニスンは依然として楽観的だった。「問題は士気だよ、きみ。もちろん、人的資源も、総トン数も、火力も重要だが、史上の戦いでは、士気がつねに勝利をもたらしている。そして現在のわれわれの士気は、猫の背よりも高い――ジョン・ポール・ジョーンズ以来もっとも高い――そして日ごとに高まっている」
「そうかね?」この質問は短いが、するどかった。
「そうとも。本気さ――そうだとも。やつらの組織についてわかっているところから判断するとやつらには、われわれのような士気を持てるはずがない。やつらができることなら、われわれはもっと多く、もっとよくできる。きみは悪質な神経衰弱にかかっているんだよ、バージ。わしがたびたびすすめたのに、きみはまだベネットへ行ったことがない。いますぐ時間をつくって、いっしょにきたまえ――きみの病気にいい薬になる。それに、ベネットにとってもパトロール隊にとっても、非常にいいことだ――きみはあそこで異邦人のようには感じないだろう」
「きみのいうとおりかもしれん――行ってみよう」
司令長官とファースト・レンズマンは、シカゴ号でもほかの超大型戦艦でもなく、ふたり乗りの快速艇でベネットへ出かけた。この惑星へ航行する者は、レンズマンを除けば、厳密に片道航行だったので、こうする必要があったのだ。どんな事情どんな理由があろうとも、レンズマン以外はベネットから立ち去ることができなかった。外界むけの郵便も貨物もなかった。ベネットに属する艦隊が、壜《びん》のようにスクリーンで包囲された太陽系の外側で演習をするときでさえ、各艦は許可のない通信ができないようにスクリーンで包囲された。
「いいかえれば」とキニスンは説明の終わりにいった。「われわれは、バーゲンホルムやルラリオンをも含めて、あらゆる人間に考えられるかぎりの手を打っているわけだ。そして、そいつが大したものだということは、請け合ってもいいよ」
「だが、こういう厳格な制限自体が、士気に影響することはないかね? 監禁ということが、他のあらゆることと同様、純粋に相対的なものだというのは、心理学的に自明なことだからな」
「そうだ、わしがルラリオンにいったのもその点だ。ただし、もっと単純で荒っぽい言葉を使ったがね。敵は自分がまちがっているときでさえ、ひどく皮肉で横柄だが、それを知っているかね?」
「知っているとも!」
「それで、彼は、自分が正しいときには、まったくがまんならんほどだ。まるで白痴学校の総代を相手にしているみたいにしゃべるのだ。惑星の原住民が宇宙旅行というようなものがあることを知りもせず、自分たちが宇宙で唯一の知的生物ではないということに気づきもしなかったあいだは、万事好調だった。惑星に束縛されているという観念はまったくなかった。存在するかぎりの空間を占有しているつもりだった。しかし、われわれに会って、いろいろな知識を吸収すると、果てしもなく欲求が増大してきた。もちろん、これはあのうぬぼれ屋がわしに話したことを、極度に圧縮して話しているのだ。しかし、彼は解決策を考え出したので、わしはそれをおとなしく受け入れたのだ」
「どんな解決策だ?」
「きみが忙しすぎて、この惑星へこられなかったというのは、残念なことだ。着陸すればわかるさ」
しかし、バージル・サムスは理解が早かった。彼は着陸しないうちに理解した。快速艇が大気圏に近づいて速度をゆるめたとき、彼は、ある信号が雲の上でくり返して記号を描きだすのを見た。着陸すると、同じ記号が、あらゆる雲の上ばかりでなく、飛行船、繋留《けいりゅう》気球、吹き流し、建物の屋根や壁の上に――地上の多彩な岩や花壇の上にさえ――表示されているのが見えた。
「ヘレス月二十日」サムスは翻訳して、考えこんだ。「ベネットの暦日の一日だ。ことによると、今年の地球の十一月十四日にあたるんじゃないかね?」
「えらい!」キニスンはほめた。「きみが察するとは思っていたが、こんなに速いとは思わなかった。そうさ――選挙日だよ」
「わかった。では、彼らはどんな事情かを知っているのだな!」
「重要なことはみんな知っている。彼らは、われわれが何を相手に勝負を争っているかを知っている。彼らは、あの日を〈解放日〉と呼んでいる。そして、惑星上のあらゆることが、その日を目ざして進行している。わしは、はじめいささか心配した。しかし、もしスクリーンが実際に堅固だったら、どれだけ多くの人間が事実を知っていようと問題ではないし、スクリーンが堅固でなければ、情報はどのみち洩《も》れてしまうだろう。そして、この方法は現実に成功している――わしはここへくるたびに、ますます意気があがるのだ」
「これがどういう成果をあげるか、想像できるよ」
ベネットは、質量、大気、気候などの点において、地球そっくりで、原住民は肉体的にも精神的にも地球人の同類だった。ファースト・レンズマンは、友人といっしょに惑星を視察しているうちに、地球では十字軍以来忘れられている情熱が、この世界に燃えていることを知った。パトロール隊のもっとも賢明で機敏な心理学者たちは、真実を率直に住民に知らせることによって、大成功をおさめたものだ。
ベネットの住民は、自分たちの惑星が、銀河文明の兵器廠《へいきしょう》であり、宇宙船工廠であることを知り、それを誇りに思っていた。その工場は、かつてなかったほど活発に活動し、あらゆる会社あらゆる商店あらゆる農場は、一〇〇パーセントの能力を発揮していた。ベネットには、すでに完成した宇宙空港が各所に散在し、さらに数百の宇宙空港が完成を急いでいた。それらの空港を足場にして、すでにおどろくべき数の軍艦が活動していたが、その数はいっそう超近代的、超高速、超強力な船によって、一時間ごとに増大していた。
これらの船の建造に協力することは名誉であり、その乗組員となることは、いっそうの名誉だった。競争試験がたえずおこなわれていた。応募者は、すべてが土着のベネット人というわけではなかった。
サムスは、それらの青年が、どの惑星からきたかを問うまでもなかった。彼は知っていた。彼らは、銀河文明に属するあらゆる惑星からきていた。あらたに発見された惑星でおこなわれる極秘の新計画に関連して、よい仕事を高給で提供するという慎重な広告に応募してきたのだ。そのような広告は、何百とあった。大部分はおそらくパトロール隊の広告で、この惑星と関連していた。宇宙交路とウラニウム社の広告も多く、その他の商社の広告もあった。それらの広告のあるものが、現在ボスコニアと呼ばれているものに関連している可能性も徹底的に検査されたが、否定的結論しか出なかった。何十人というレンズマンが、パトロール隊以外の商社が出した広告に応募してみたが、それらはいずれも本物だということが判明した。
結論はただ一つだった――ボスコーンは、アリシアのレンズの着用者たちが知らない惑星上で人的資源を補給しているのだ。いっぽう、少なからぬボスコーン人がパトロール隊の広告に応募してきたが、サムスは、彼らがひとりも採用されていないことを、ほぼ確信していた。最後の選択はレンズマンがおこない、そうした問題については、レンズマンは重大な誤りをほとんどおかさないからだ。
ベネットの住民は、ファースト・レンズマンの来訪を知らされていた。そしてキニスンは、サムスがベネットで異邦人あつかいされないだろうといったが、それは大変な過小評価だということがわかった。サムスは、どこへ行っても、熱狂的な群集に包囲された。彼は演説を求められ、そのクライマックスには、「解放日のために!」という大喝采が起こるのが常だった。
「ここには、レンズマン資格者はいないというのかね、ロッド?」サムスは、最初の都市で、町をあげての歓迎がすんだあとでたずねた。彼の生涯を通じて最高の関心事の一つは、そのことだったのだ。「こんな情熱を持っているというのに? 確かかね?」
「きみに報告するほど有能な人材は、まだ見つからない。しかし、二、三年して、いまの若い世代がもう少し成人すれば、きっと見つかるだろう」
「なるほど」視察旅行が終わると、ふたりのレンズマンは地球にむけて出発した。
「さて、きみはひどく懐疑的悲観的だったが、わしの言葉は嘘だったかね?」キニスンは、快速艇の出入口が閉鎖されると同時にたずねた。「ボスコーン人はあれに対抗できるかね?」
「きみは嘘をいわなかった――そして、ボスコーン人が対抗できるとは思わん。あれほどの情熱にはぶつかったことがない。もちろん、専制政治のもとでも、パレードや喝采やデモンストレーションはあるが、それらはいつも強制的――人為的――だ。ベネット人のは自然発生的だった」
「そればかりでなく、その情熱は長つづきがする。われわれはやがて準備ができるだろう。ところで、例の遊説だが――地球へもどったら、なるべく早くはじめたほうがいいというんだっけな?」
「二、三日うちにはじめてほしい」
「もっともだ。では、この時間を利用して、選挙戦の計画をたてよう。わしの考えでは、まず手はじめに――」
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一八
コンウェー・コスティガンは、ズウィルニク作戦が成功裏に終結したあとになるべく早く、いずれもあやまった結論に導く何十という手がかりを残して、ウラニウム社との関係を断《た》った。ズウィルニク作戦は技術的作戦だった。この作戦が大きくクローズアップされた法律戦争は、長年にわたってつづいたので、〈ズウィルニク〉という言葉は、ついに普通名詞、普通形容詞として通用するようになった。
彼は例によって目立たずに地球へもどり、いまや最高潮に達しているマティース作戦で、目立たないが、きわめて積極的な役割に参加した。
「いまや善良で忠実な人間は、みんな党を援助すべきときなのね?」クリオ・コスティガンはくすくす笑った。
「その言葉は、電気オルガンをひくみたいに、それも二本指じゃなく全部の指を使ってひくみたいに、にぎやかに宣伝したほうがいい。きょうわれわれのボスが演説したのを聞いたんだな?」
「そうよ」彼女のおどけは影をひそめた。「でも、相手はとてもきたないわ、〈スパッド〉さん――わたしはほんとに心配よ」
「ぼくもそうだ。しかし、われわれは必要とあれば、それほどきれいごとではすまさないつもりだし、やつらを毛布みたいに包囲している――キニスンとサムスのふたりでね」
「それはいいわね」
「それに関係のあることだが、ぼくは今夜も夜中まで帰れない。いいかね?」
「もちろんよ。あなたが百万光年も遠くじゃなく家にいるだけでも、うっとりするくらいうれしいわ」
いたずらっぽいコスティガン夫人の言葉は、その真意をはかりかねることがしばしばあった。コスティガンは彼女を見つめたが、彼女が自分をかつごうとしているのだと判断して、いちばん効果のある場所に二度ばかり音高くキスした。それから、もう一度長いキスをして家を出た。このところ、彼は自分自身のためにも愛する妻のためにも、ごくわずかしか時間がなかった。
なぜなら、ロデリック・キニスンの選挙戦は、強引に、そしてそれほどきれいでなく開始されたが、進行するにつれてますます強引に、ますますきれいでなくなってきたからだ。モーガン一味は、考えつくかぎりの手段で、その真実性や説得性がどれほどとぼしくともおかまいなしに、キニスンを中傷した。そして〈|岩のロッド《ロッド・ザ・ロック》〉は、右の頬を打たれたら左の頬をむけよ、という従順な教訓を原理的にさえ認めたことはなかった。彼はむしろ旧約聖書信者で、泥試合にも新米ではなかった。彼は若いころ、からだを張った乱闘で相手をたたきのめす技術に熟練した工作員として、太陽系内の惑星や月にある下等な酒場で、多くの喧嘩に勝利をえてきた。彼はこのような経歴を持っているうえに、ものおぼえが早く、バージル・サムス、ネルス・バーゲンホルム、北極木星のルラリオンなどのすぐれた指導をうけたので、この非肉体的ながら、どんな手でも許される政治的格闘のさまざまな技術を身につけるのに、長くはかからなかった。
そして、パトロール隊の〈少年少女〉は、アナグマのようにせっせと働いて、あっちこっちで資料や事実や情報をほじくり返しながら、最後の審判がおこなわれる日にそなえた。彼らは超短波走査器、スパイ光線、長距離カメラ、スパイなど――考えつくかぎりの手段――を利用した。そして彼らは、いつも妨害されたり獲物に逃げられたりするとはかぎらなかった。
「証拠を手に入れましたよ、ボス――すぐ使いましょう!」
「いや。とっておけ! がっちりしまっておくのだ! 事実を集めろ――名前、日時、場所、数量などをな。まず証拠をかためる――それから保管するのだ!」
≪証明せよ≫! 保管せよ! この一組の指令は、あまりたびたびくり返されたので、スローガンとなって、そのまま受け入れられた。しかし、多くのスローガンとちがって、それは慎重かつ勤勉に実行された。工作員たちは、証明し保管し、証明し保管し、また証明し保管した。その惜しみない努力と非利己的な献身は、彼ら自身にしかわからないものだった。
キニスンは大陸中を遊説してまわった。彼はすべての州、すべての大都市、大部分の町、多くの村落を訪問した。そして彼が行くところではいつも、デモンストレーションの一部として、レンズの作用が聴衆に紹介されるのだった。
「わたしをごらんなさい。諸君も知っているように、どんな個人もふたりと同じものはいないし、同じではありえません。ロバート・ジョンスンはフレッド・スミスと同じではない。ジョー・ジョーンズは、ジョン・ブラウンとはまったく異なっている。もう一度わたしをごらんなさい。諸君は、わたしをロデリック・キニスンという個人として認識している。その表象がどんなものであるにしても、それに意識を集中してください。そうすれば、諸君のひとりひとりは、わたしの心と諸君の心が一つであるかのように密接に、わたしと接触するでしょう。
わたしはいましゃべっていません。諸君はわたしの心を読んでいるのです。諸君はわたしの心を読んでいるのだから、わたしが〈真実に〉考えていることを、よかれあしかれ、正確に知っています。わたしの心が諸君の心に嘘をいうことは不可能です。わたしは、自分の個性の基本的パターンや思考の基本的方式を変化させることができないからです。できるとしても、わたしは変えようとは思いません。諸君はわたし心の中にいるのだから、そのことをすでに知っている。わたしの基本的特質がどんなものかを知っている。わたしの友人たちは、それを力とか勇気と呼んでいます。海賊ボスのモーガンと手下のギャングどもは、それとはちがういろいろな呼び方をしています。
いずれにせよ、諸君は、ご自分がわたしを大統領に望むかどうかを知っています。わたしは、諸君の意見を左右することはできません。諸君は自分の心が知覚したことを真実であると知っているからです。これがレンズの作用であります。レンズはわたしの心の底を諸君の心に開いて見せ、逆に諸君の思考をわたしに理解させてくれるのです。
しかし、モーガンはおろかにも、これが催眠術だと諸君に信じこませようと努めていますが、けっしてそんなものではありません。モーガンもわれわれと同様によく知っているように、どれほど熟練した催眠術師がどんな装置を用いても、〈断固として抵抗する強固な意志〉に影響をあたえることはできません。したがって、もし彼のいうことを認めるとすれば、現在この思考を受けている諸君のひとりひとりは、そうした強固な意志を持たない弱虫だということになります――しかし、諸君は諸君なりの結論をくだすことでしょう。
最後に、おぼえておいていただきたいことがあります――この事実を忘れないように、肝《きも》に銘じておいてください――健全な心は〈嘘をつくことができない〉のです。口は嘘をつくことができ、事実、嘘をつきます。タイプライターも同様です。しかし心は――〈けっして〉嘘をつけません! わたしは諸君と精神感応状態にあっても、自分の思考を諸君からかくすことができます。こういうふうに――しかし、〈諸君に嘘をつくことはできません〉。だからこそ、諸君の最高行政官はすべて、政治家や外交官やぺてん師や収賄者ではなく、レンズマンにならなければならないのです。ご静聴を感謝します」
この想像もおよばぬほど激烈な長い選挙戦が終末に近づくにつれて、緊張はいやがうえにも高まった。そして、サムスの家の一室でも、三人の若いレンズマンとひとりの赤毛娘が緊張していた。四人ともげっそりやつれていた。ジャック・キニスンが話していた。
「――党というよりは、親父《おやじ》だ。親父は素手で喧嘩をはじめたが、いまでは、とげのはえた真鍮の手甲で、やつらをなぐりとばしている」
「そのとおりだ」コスティガンが賛成した。
「まったく、おやじさんはやつらをたたきのめしているな」ノースロップが称賛するようにいった。
「あなたたちは、ゆうべ彼がキャスパーでやった演説を聞いた?」
彼らは聞いていなかった。忙しすぎたからだ。
「演説の内容は、あなたたちのレンズを通じて伝達できるけれど、あの調子は再現できないわ――相手のつらの皮をひんむいて、痛いところに塩をなすりつけるような手ぎわだったわ。あなたたちも知っているように、彼は興奮すると、思考を伝達するだけじゃなく、声も使わずにいられなくなるのよ。だから、わたし、演説の一部を記録にとっておいたわ。彼は、いつものように、はじめはおだやかな調子でしゃべって、それから声を使わずに、レンズで思考を伝達していたんだけれど、そのうちに、思考すると同時に叫びはじめたのよ。聞いてごらんなさい」
「諸君はレンズマンの大統領を持つべきであります。諸君は、レンズマンがすべて清廉潔白であり、事実問題として、そう〈ならざるをえない〉、ということを信じないかもしれません。諸君自身、わたしの心を読んでわかるように、わたしはそのことを信じていますが、諸君にそれを〈証明する〉ことはできません。時間のみがそれを証明できるのであります。
しかしながら、レンズマンの大統領が、言葉または文書以外では諸君に嘘をつけないということは、自明の事実であり、そのことは諸君自身感じることができます。諸君はいつでも、またどのような問題についても、彼からレンズによる説明を聞くことができます。彼は、ある種の公的問題については、返答をこばむことができ、またこばむべきですが、道徳的退廃に関する問題については、こばむことができず、またこばむべきではありません。彼が返答した場合には、諸君は事実を知るでしょう。彼が返事をこばんだ場合には、諸君はその理由を知って、その場で弾劾《だんがい》手続きを開始することができるのです。
過去においては、大統領がその高い地位を低い目的に利用したことがありました。彼らのことを思い出しただけで、不正行為と腐敗の匂いがするほどです。ひとりは告発され、ほかの連中は告発されるべきでした。ウィザースプーンは選出されるべきではありませんでした。ウィザースプーンは、就任した翌日に告発されるべきだったのであります。ウィザースプーンは、いま弾劾されるべきであります。ウィザースプーンは、モーガン、タウン、アイザークスン一味の手先にすぎず、彼らの命令に応じて、北アメリカや太陽系の利益を無視して、そのときどきでもっとも大きな利益を提供した団体と『いちゃつく』のであります。
われわれはその事実を知っており、今夜から三週間後に、ニューヨークの宇宙空港での大集会で、その事実を証明するつもりであります。ウィザースプーンはギャングであり、ぺてん師であり、いまわしい嘘つきですが、実際にはほんの小物で、賄賂《わいろ》に目のないまぬけにすぎません。モーガンこそ真のボス、真の脅威であります。彼こそ、殺人者、強盗、収賄者、売春業者、偽証者、その他国家の寄生虫からなる暗黒組織の指導者であります。彼こそ、いわゆる文明政府をはずかしめた暗黒組織のうちでも、もっとも低劣でもっともいまわしく、もっとも不潔でもっとも腐敗した、暗黒組織の指導者であります。ご静聴を感謝します」
「大当たりだ!」ジャック・キニスンが叫んだ。「彼としても上出来だよ!」
「待ってちょうだい、ジャック」ジルが注意した。「裏側もあるのよ。モーガン上院議員の演説のさわりを聞いてごらんなさい」
「レンズは厳密には催眠術ではなく、それよりはかり知れないほどわるいものであります。それは諸君の心自体を奪い、聴衆をして、白を黄色とも赤とも紫とも緑とも信じこませるのです。われわれの科学者がこの脅威を解明し、われわれがこのいまわしいレンズの着用者をすべて、鉄格子の奥にとじこめるまでは、彼らの言葉に耳を傾けないように、衷心《ちゅうしん》より勧告します。もし耳を傾けるならば、諸君の心はそれと気づかぬうちに解体され、破壊されることは確実です。そして、ついには狂人となって、隔離室でたわごとをわめきながら一生をおえるのであります。
ところで、殺人はどうでありましょうか? 殺人! ギャングどもはわれわれの政府にほとんど一掃されましたが、なおそのわずかな生き残りが、年に一、二の殺人を犯すことはありましょう。そして、その犯人は逮捕され裁判され処罰されます。しかし、ロデリック・キニスンは、あるいはみずから、あるいは彼の制服姿の奴隷どもを通じて、諸君の息子や娘をどれほど多く殺してきたことでしょう? 考えてもごらんなさい! 記録を読んでごらんなさい! そのうえで、もし彼が弁明できるとすれば、弁明させるのです。しかし、諸君の心を破壊する嘘つきのレンズに耳を傾けてはなりません。
デモクラシーについてはどうか? あきれたものです! 〈|岩のロッド《ロッド・ザ・ロック》〉キニスンは、われわれの世界の長い歴史を通じて、もっとも横暴で邪悪な暴君であり、もっとも冷酷で無慈悲な将軍であります――その彼が、デモクラシーについて何を知っているか? 何も知りはしません! 彼が理解するのは、力だけです。どんな小さな問題についてだろうと、彼に反対する者、または彼を説得しようとする者は、記録も痕跡《こんせき》もなく死んでしまいます。もし彼を逮捕し裁判にかけて処刑しないならば、そうした人々は依然として、痕跡も残さず裁判も受けずに、死につづけるでありましょう。
しかし、彼は真相を理解するほど賢明ではありませんが、結局のところ、彼自身も無慈悲で略奪的な富、すなわち〈金権〉があやつる多数の道具の一つにすぎません。
親愛なる諸君、彼らは活動を停止することはありません。彼らは唯一の神、唯一の教義、唯一の信条を持っているだけです――すなわち、全能なる通貨、〈信用単位〉であります。それこそ、彼らが追求しているものであります。ごらんなさい。彼らは、いかに巧妙に隠密に収奪をつづけていることでしょう。かのいわゆる銀河評議会のどこに、諸君の代表者がおりますか? この犯罪的な、この邪悪な、この言語道断に反憲法的な、この無責任で手におえない専制的な怪物は、いかにして誕生したのか? 諸君は、この思いあがった怪物に、自己の通貨制度を樹立する権利――宇宙でもっとも確実な通貨である北アメリカの通貨を、惑星間および恒星間貿易から閉め出すという、とほうもない暴挙を遂行する権利――を、いつ、いかにしてあたえたのか?
彼らの目的は明白であります。彼らは諸君に、奴隷的、致命的重税を課そうとしているのです。親愛なる諸君、課税する権能は破壊する権能であるということを、一瞬といえども忘れてはなりません。〈課税する権能は破壊する権能である〉。われわれの父祖は、代表権なき課税を認めないという原理を確立するために戦い、血を流し、そして死んだのであります――」
「こんな調子で、まる一時間もつづくのよ!」ジルはスイッチを乱暴に切りながら、あざけるようにいった。「あなたたち、これをどう思って?」
「ち――く――しょう!」これはジャックだった。そして、何秒かしてから、
「いまいましい――まったく実にいまいましい」これはノースロップだった。「スパッド、きみがいささか、ばてているように見えるのもふしぎはないな。ボディガードの責任者の仕事は、最近ますます大変になってきているにちがいない」
「きみのおしゃべりは見当ちがいじゃないよ、坊や」コスティガンは深刻な顔で、ぶっきらぼうに答えた。「ぼくはこのあいだから増援を求めている――大部隊の増援をね」
「ぼくもそうだ。いますぐ、もう一度求めるつもりだ」ジャックは断言した。「親父がモーガンを殺すつもりかどうかはわからん――どっちでもかまわんがね――しかし、モーガンは、親父を殺すことに全力をあげているにちがいない。やつらが爆弾の作り方を忘れていなければな」
彼はレンズで、バーゲンホルムに呼びかけた。
「ああ。ジャックかね? きみをルラリオンにまわそう。きみはこの問題を前から考察していた」
「そうとも、ジョン・キニスン。わたしはその問題を考察して、行動を起こしている」木星人の平静で確信に満ちた思考が、レンズのないジルをふくめて全員の心に伝達された。「きみは要点を把握している。大集会が暴力沙汰でひっかきまわされないようにするためには、スパイ光線員その他の工作員が数千人――おそらく五千人――くらい必要だというのが、きみの思考だった」
「そうだった」ジャックは簡潔に答えた。「そしていまもそうだよ」
「きみは、起こる可能性のある不慮の事件や、必要な作戦区域の広さを考慮に入れなかった点で、まちがっている。工作員の数は、一万九千人近くになるだろう。わたしはクレートン司令官にそう助言した。そして現在、彼の参謀は、わたしの提案にしたがって行動計画を立てている。コンウェー・コスティガン、きみはロデリック・キニスンのからだを直接、護るように提案したが、その提案は実行に移された。そしてきみは、いまからその責任を解除される。きみたち四人は行動を継続したいのだろうな?」
木星人の推理は正しかった。
「では、きみたちはクレートン司令官と協議して、彼の保安計画の中で適当な役割を受け持つようにしたまえ。わたしは、きみたち以外のレンズマンや、その他の能力ある要員たちで、より緊急な任務に従事していない者にはすべて、同様の助言をするつもりだ」
ルラリオンは連絡を切った。ジャックは深刻に顔をしかめた。「大集会は、選挙日の三週間前に開かれることになっているが、ぼくはやっぱり気にくわん。ぼくは選挙の前夜まで待ったほうがいいと思う――最後の瞬間にやつらをたたきのめすのだ」
「それはだめだよ、ジャック。チーフのほうが正しい」コスティガンは主張した。「それには二つ理由がある。第一に、われわれにはそういう仕事はできない。第二に、こうすれば、やつらに自分で自分の首をしめさせることができるのだ」
「うむ――そうかもしれん」ジャックは、キニスン一族にふさわしく、なかなか納得しなかった。
「だが、そういうことになるなら、クレートンを呼ぼう」
「その前に」コスティガンがさえぎった。「ジル、説明してくれないか? なぜキニスンみたいな大物を、大統領なんてつまらない地位につけなきゃならないんだ? きみも知ってるように、ぼくは田舎《いなか》にいたので、事情を知らないのだ――どうも筋が通らん」
「そのわけは、選挙でモーガン一味を負かせる人間が彼しかいないからよ」ジルは単純な事実を説明した。「パトロール隊は、彼が大統領を一期つとめるだけなら、そのあいだ彼なしでもやっていけるわ。そのあとは、どっちでも同じことよ」
「だが、モーガンは陰で仕事をしている。なぜキニスンもそうしないんだ」
「心理的条件がまるでちがっているわ。モーガンは〈ボス〉よ。キニスンおじさんはそうじゃないわ。彼は〈指導者〉なのよ。わかって?」
「なるほど――わかったと思う――そうだ。じゃあ、やろう」
ニューヨーク宇宙空港は、外見上には目立つほどの変化を見せなかった。ここでは、昼夜をわかたず、何千という人間があてもなく歩きまわっているので、さらに百人かそこらの人間がふえても、それとわかるほどの相違はなかったのだ。それに、宇宙空港は作戦の終局の目標にすぎなかった。パトロール隊の活動は、地球の首都から何千マイルも、何万マイルも、何億マイルも、何兆マイルも、離れたところで開始されていたのだ。
砂粒ほどの隕石《いんせき》でも探知されずには通過できないような探知網が張りめぐらされた。地球へむかうすべての宇宙船には、この作戦がなければ乗船しなかったはずの乗客が少なくともひとりは乗っていた。それらの乗客は、レンズを着用していない者でも、当面の任務に必要な諜報装置を携行していた。ガイガー計数器をはじめ、それよりはるかに複雑な装置類が、宇宙のあらゆる方向から地球へむかい、地球のあらゆる交通網を通じて、ニューヨークへ流れこんできた。ニューヨーク市へ接近してくるものは、列車、航空機、バス、ボート、車など、あらゆる交通機関から歩行者にいたるまで残らず、徹底的に、しかも隠密裏に検査された。そして、ニューヨーク宇宙空港へ接近するものは、交通機関でも人間でも、文字どおり一立方ミリずつシラミつぶしに検査された。
逮捕はまったくおこなわれなかった。荷物類は、公衆預り所の棚にあるものも、個人オフィスや秘密のかくし場所にあるものも、没収はおろか、かきまわされさえしなかった。敵の目から見たかぎりでは、パトロール隊は何か異常なことが進行しているのを、まるで勘づいていないようだった。つまり、最後の瞬間までは、である。
そのとき、すらりとした長身で宇宙焼けのしたベテランが、まるでひとりごとのように、おだやかな口調でいった。
「スパイ光線防止スクリーン――通信妨害波――護衛編隊――行動開始。報告せよ」
その声は低くておだやかだったが、半径一千マイルの円内にあるすべての諜報用受信器と、あらゆる場所にいるあらゆるレンズマンによって聴取された。そして数秒のうちに返事がきた。
「スパイ光線防止スクリーン展開」
「通信妨害波展開」
「護衛編隊展開」
巨大な空港のどの部分にも、スパイ光線を貫通させることはできなかった。通信ビームにせよ破壊ビームにせよ、いかなるビームもその付近で作用することはできなかった。敵はいまになってはじめて、何かがおかしいことに気づくだろうが、それをどうすることもできないのだ。
「報告受領」宇宙焼けした男はやはり冷静にいった。「ザンク作戦は計画どおり進行の予定」
そして、四百七十一人の熟練した男たちは、二重鍵および、その他必要な諸装置を携行して、形も大きさもさまざまな四百七十一個の物体を所有した。そして、集まった群衆の中では、二、三の混乱が起こり、二、三台の救急車がせわしく右往左往した。数人の女が気絶したと報告されているが、それにふしぎはない。気絶する女はいつでもいるものなのだ。
コンウェー・コスティガンは、ひとりのポーターがロッカーからかさばった手荷物を取りだして手押し車に積んでいるのを、それとわからぬように見ていたが、男と手押し車のあとをつけて、待合室にはいって行った。彼はポーターに近寄ってたずねた。
「その荷物をどこへ持って行くんだ?」
「第一号傾斜路から上げるんでさあ」男はあわてもせずに答えた。「このばか騒ぎのおかげで、九十便の離陸がおくれるんで、こいつをあそこへ上げて、用意しといてくれっていうんで」
「それを下ろして――」
何年にもわたって、多くの男たちが、コンウェー・コスティガンに不意打ちをくわせて、なぐり合いか射ち合いで彼を負かそうとした――しかし、その結果は一様に失敗だった。レンズマンのこぶしは、ほんの七インチだけ移動した。ポーターをよそおっていた男は、ぽっかり口をあけると、七フィートばかり移動して――というより後ろへよろめいて、舗道にくずおれ、意識を失って横たわった。
「清掃だ」コスティガンはぐったりした男のからだを持ちあげて、手押車いっぱいのスーツケースの上に乗せながら、空気の交換かなにかをするようにいった。「ディーク。正面と中央。第四十六区。FXクラス――地獄の放水路より熱いぞ」
「ディークをお呼びですか?」ひとりの男が走り寄ってきた。「FX六――十九。これですか?」
「そうだ。ポーターも荷物もきみの担当だ。持って行きたまえ」
コスティガンはゆっくり歩いて行くうちに、ジャック・キニスンに会った。ジャックは、左目の下にあざができて、それがどんどん濃くなっていた。
「〈それ〉はどうしたんだ、ジャック?」彼は鋭くたずねた。「なにかまずいことでも起こったのか?」
「そうでもない」キニスンはしょげたように微笑した。「最低に運がわるかった! ひとりの女が――それも婆さんさ――ぼくを強盗と勘ちがいして、ハンドバッグでなぐりつけたんだ――左手で後ろからね。きみが調子はずれのハープみたいに笑うんなら、あごに一発お見舞いするぞ!」
「笑いやせんよ」コスティガンは保証した。そして――かならずしも――笑わなかった。どういうことになったかな? やつらはもう報告しているはずだ――しっ! はじまるぞ!」
〈清掃〉は完全だった。ザンク作戦は一〇〇パーセント成功で、一つの事故もなかった。
「ただし、目のふちにあざをこしらえた者がひとりだけいます」コスティガンは、そうつけ加えずにいられなかった。しかし、彼のレンズと諜報装置は休止してあった。もし彼がそのどれかを作用させていたら、ジャックは彼の頭をたたきつぶしたことだろう。
ふたりの若いレンズマンは、腕を組み合わせながら、目的地である第四号傾斜路のほうへ歩いていった。
そこには、地球がかつて見たうちでもっとも大きな群集が集まっていた。このクライマックス的な政治集会が、なぜ選挙の三週間前にもよおされたかについては、だれもが、とくに国民党員たちが、疑問に思っていたが、彼らの好奇心は満足させられなかった。そればかりでなく、この集会は、従来になかったほど宣伝されていた。これを、それまでに催されたうちで最大の集会にするためには、手数も費用も惜しまれなかった。あらゆる通信チャンネルを通じて、何週間も前から宣伝がおこなわれたばかりでなく、サムスの工作員たちは、忙しく活動して噂を流した。それらの噂は、一般に噂がそうであるように、それらの生みの親でさえ見わけがつかないほどふくれあがった。国民党は狼狽して、噂をもみ消そうとしたが、そのために事情がいっそうわるくなった。関心は北アメリカから他の大陸へ、他の惑星へ、他の太陽系へと広がっていった。
そういうわけで、銀河文明に属するあらゆる生物が、宇宙党の大集会に関心を持ち、耳を傾けていたといっても、さほど誇張ではなかった。
ロデリック・キニスンは、マイクの砲列の前にふみだし、特定のスクリーンが切られた。
「銀河文明の生物諸君、ならびにその他のみなさん、一国家の政治集会を他の国家に放送したり他の惑星に伝達することは奇妙に思われるでしょうが、この場合はそうすることが必要だったのであります。これから述べるメッセージは、地球の北アメリカ大陸の政治問題に立ち入っていますが、根本的には、それよりはるかに大きな問題にかかわっております。この問題は、あらゆる惑星のあらゆる知的生物にとって、最高の重要性を持っています。諸君は、自分の心をわたしの心に同調する方法を知っています。いまこそ、それをおこなってください」
彼は、あまりにも多くの心とほとんど同時に接触したショックで、精神的によろめいたが、気力をふるい起こして、レンズによる思考の伝達をつづけた。
「わたしの第一のメッセージの相手は、わが宇宙党員諸君でもなく、地球の同胞諸君でもなく、銀河文明の信奉者諸君でもなく、〈敵〉であります。わたしが敵というのは、政治的対立者である国民党員のことではありません。彼らもまた忠実な北アメリカ国民です。わたしが敵というのは、国民党の指導者たちを、はるかに大規模な陰謀の手先に使っている生物どものことであります。
〈敵〉よ、わたしはおまえたちがこのメッセージを聞いていることを知っている。おまえたちがこの聴衆の中に暗殺者をしのばせて、わたしとわたしの上級者を殺そうとしていたことを知っている。しかし、彼らがすでに無力だということを知るがいい。わたしはおまえたちが原子爆弾を用意して、この集会をこの区域もろとも抹殺しようとしていたことを知っている。しかし、それらはすでに分解され保管されている。わたしは、おまえたちが放射能塵を多量に用意していたことを知っている。それらはいま、ウィーホーケンのパトロール隊地下倉庫におさめられている。おまえたちが使用しようとした兵器はすべて暴露され、一つを除いてはすべて無効にされるか、没収されるかしてしまったのだ。
その一つの例外とは、おまえたちの宇宙船隊だ。おまえたちは、それがパトロール隊の全兵力を一掃するに充分な兵力だと考えている。おまえたちは、われわれ宇宙党がこんどの選挙に勝利をえた場合に、その艦隊を用いるつもりでいた。いまそれを用いてもかまわない。お望みならばそうするがいい。しかし、おまえたちは、この集会を妨害するために何もできないのだ。銀河文明の敵よ、おまえたちにいうべきことはこれだけだ。
こんどは、わたしの正当な聴衆諸君。わたしがここに立ったのは、諸君に約束した演説をするためではなく、真の演説者――ファースト・レンズマン・サムス――を紹介するためにすぎません――」
数十億の聴衆が、精神的にあっけにとられたようすが、まざまざと感じられた。
「――そうです――諸君がよく知っているファースト・レンズマン・サムスです。彼が従来、政治集会に出席しなかったのは、彼の助言者であるわれわれが、それをとめたからです。なぜか? 次に述べるような事実があるからです。彼は、恒星間宇宙交路のアーチボルド・アイザークスンから、数年のうちに五百億信用単位に達するはずの賄賂を提供されました。これは、いかなる個人もかつて所有したことがないような富です。つづいて、彼の暗殺が企てられたが、われわれは――かろうじて――それをくいとめることができました。われわれは彼を〈丘〉へ連れていった。地球には他に安全な場所がないとわかっていたからです。それから何が起こったか、そして〈丘〉が現在どんな状態にあるかは、諸君もご存知でしょう。この攻撃は、海賊によるものとされました。
しかしながら、あの膨大な作戦は、ただひとりの男――バージル・サムス――を殺すための無益な企てだったのであります。敵もわれわれも、サムスがこれまでに生存したすべての人間のうちで、もっとも偉大な人間であることを知っていました。彼の名は、銀河文明が存続するかぎり忘れられないでしょう。なぜなら、銀河文明が存続することを可能ならしめたのは彼だからであります。
わたしはなぜ殺されなかったか? なぜ選挙演説をしつづけることが許されたか? なぜなら、わたしは重要ではないからです。わたしは、ウィザースプーンが敵にとってそれほど重要ではないのと同様に、銀河文明にとってそれほど重要ではないのです。
わたしは馬車《ばしゃ》馬であります。諸君はみんなわたしを知っています――わたしはハードボイルドのロッド・ザ・ロック・キニスンです。わたしは、自分が正しいと〈知っている〉ことのために、立ち上がって戦うだけの勇気を持っています。相手が人間であれ動物であれ悪魔であれ、立ち上がって、とことんまで戦い抜くだけの勇気と欲求を持っています。
わたしはよい大統領になるつもりであり、事実〈なるでありましょう〉。わたしは諸君に選挙されたのちも、戦いつづける勇気と欲求を持っています。黒幕があやつるぺてん師どもは、政府を、それが現在陥っている悪臭に満ちた泥沼にひきとめておこうと努めていますが、わたしはそれらのぺてん師どもを、ひとり残らずたたきつぶすことを神の前に誓います。
わたしは頑張り屋で強打者ですが、バージル・サムスの本質をなしている霊感的天才のすばらしいひらめきは、かけらほどもありません。わたしのような種類の人間は重要ではありますが、わたし個人は重要ではありません。わたしのような種類の人間はきわめて多いのです! もし敵がわたしを殺したとしても、他の強打者がわたしのあとをひきつぎますから、われわれの仕事はなんの影響もこうむらないでしょう。
しかしながら、バージル・サムスはかけがえがありません。そして敵もそれを知っているのです。彼は全歴史を通じてユニークな存在であります。彼の仕事は、ほかのだれにもできません。もし彼が目標としている原理が確立される前に彼が殺されれば、文明は崩壊して、野蛮時代に逆行するでありましょう。そして、一度崩壊した文明は、ふたたび彼のような心の持主が出現するまでは、回復しないでしょう。そのような人物が出現する可能性がいかに乏しいかは、諸君の想像にまかせます。
こうした理由からして、バージル・サムスはここへ出席していません。また、〈丘〉にもいません。なぜなら、敵はすでに、従来、難攻不落だったあの要塞ばかりでなく、全地球を破壊するにたるほど、強力な兵器を所有しているかもしれないからです。地球を破壊することによって、ファースト・レンズマンを殺せるとなれば、敵はなんのためらいもなくそうするでしょう。
そういうわけで、サムスは現在はるかかなたの宇宙にいます。われわれの艦隊は、敵の攻撃を待機しています。われわれが勝てば、銀河パトロール隊は持続するでしょう。もしわれわれが負ければ、諸君は、われわれがむだ死はしなかったとさとるだろうということを期待します」
「死ぬだと? なぜ〈あんた〉が死ぬのだ? あんたは安全な地球にいるじゃないか!」
「ほう、暴漢のひとりが思考を伝達してきたな。もしわれわれの艦隊が敗北すれば、あらゆるレンズマンが一週間とは生きていないだろう。敵がそのような処置をとるからだ。
わたしがいうことはこれだけです。わたしの心にひきつづき同調していてください。ファースト・レンズマン・バージル・サムス、わたしの心にはいってください――ひきつぎをたのみます」
バージル・サムスにとっては、キニスンがたったいま使ったような言葉を使うことは、心理的に不可能だった。また、彼がそのような言葉を使うことは、必要でもなく、望ましくもなかった。地ならしはすんだのだ。そこで彼は、シオナイト組織に関するおそるべき物語を、あますところなく告げた――冷静に、客観的に、論理的に、説得的に。彼はパトロール隊の不撓不屈《ふとうふくつ》の諜報員たちが摘発したもっとも重要な事実を、人名、場所、日時、取引き、数量などを列挙しながら暴露した。彼が多少とも興奮したのは、最後の二分間だけだった。
「これはけっしてきたない選挙戦術でもなく、問題を混乱させ、理由もなしに選挙だけを目あてにして政敵をののしるための、無根拠な非難でもありません。これは事実であります。現在、正式の告発が用意されています。さきに名前をあげた者たちを含む多数の人間が、早急に逮捕されるでしょう。もし彼らのうちに多少とも無実の者があれば、その者に対する告発は、選挙日までの三週間以内に取り下げられます。この集会がこの時期に開かれたのは、そのためなのです。
しかし、彼らはひとりとして無罪ではありません。彼らはすべて有罪であり、われわれがそれを証明することができ、また証明するであろうことを知っていますから、引きのばしと泥試合の戦術を採用するでしょう。われわれの法廷はだいたいにおいて公正ですから、被告は裁判と証拠の提出を、選挙日のあとまでひきのばすことができるでしょう。しかしながら、諸君はこうした予告を受けるならば、裁判がひきのばされなければならなかった理由が正確にわかり、被告がいつわりの陳述でごまかそうとしても、真実がどこに存在しているかを理解するでしょう。そして諸君は、いかに投票すべきかを知るでしょう。諸君はロデリック・キニスンと彼を支持する人々のために投票するでしょう。
司令長官キニスンの性格について、わたしがくわしく述べる必要はありません。諸君はわたし同様によく、彼を知っています。彼は正直で廉潔で勇敢です。諸君は、彼が史上最良の大統領になることを知っています。もしまだそれを知らない人があったら、われわれのパトロール隊において、彼の下で働いている数十万の、強く有能で明敏な若い男女に聞いてごらんなさい。
聴衆のみなさん、ご静聴を感謝します」
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一九
クレートンとシュヴァイケルトが、それぞれ北アメリカ艦隊とヨーロッパ艦隊の司令官であったときは、彼らの行動は、たまの休暇旅行をのぞけば、地球の比較的近くに限定されていた。しかし、銀河パトロール隊が結成され、ふたりがそれぞれに第一銀河区艦隊の司令官と副司令官になり、レンズを着用すると、彼らの行動半径はいちじるしく増大した。ふたりのうちどちらかは、つねにニューヨーク空港の大艦隊司令部にいたが、ふたりとも同時にそこにいることは、めったになかった。そして、司令部にいないほうの司令官が地球にいなかったとしても、不思議はなかった。第一銀河区は銀河文明に属するすべての太陽系、すべての惑星を包含しているから、司令部にいないほうは、任務からいって、ほとんどどんなところにいても不思議はなかったのだ。
しかし、司令部にいないほうの司令官は、世間に知られている惑星ではなく、ベネットにいるのがふつうだった――そして、そこで士官たちと接触したり、大艦隊が新しい戦術の演習をするのを観察したり、高等戦術のクラスで講義したり、全般的に頭脳訓練を指導したりしていた。それは骨が折れる地味な仕事だったが、結局、非常に役に立った。ふたりは部下を知り、部下はふたりを知った。彼らは、それがなければ不可能なような迅速さ、円滑さ、正確さで、協力できるようになった。即席に輸入された指揮官では、部下とのなじみがうすいので、高い士気に欠くことのできない深い尊敬や熱心な服従を、かちえることができないからだ。
クレートンとシュヴァイケルトは、その両方をかちえた。彼らはその両方をかちえるに充分なほどの勤勉と能力を持っていた。そういうわけで、予定された日にふたりの提督がそろってベネットを訪問すると、土着のベネット人であるかのように、熱烈な歓迎を受けた。そして、すべてのベネット人が待ちに待っていた命令をクレートンが発すると、ふたりの歓迎会は、全惑星をあげての祝賀会に発展した。ベネット人は、ついにベネットから解放されることになったのだ!
銀河パトロール隊の大艦隊を構成する戦闘単位は、グループごとに、支艦隊ごとに、つぎつぎに離陸していった。彼らは宇宙で集結し、編隊を組み、新しい戦術を演習したのち、太陽系へむかって発進した。膨大な無敵艦隊《アルマダ》が太陽系に接近すると、モーガン一味がすでに知っている公式のパトロール隊がこれに合体した――というより参加して、ずっと前から定められていた位置についた。銀河文明に属するあらゆる惑星は、防御スクリーンを展開し、攻撃ビームを放射できる全船舶を派遣していたが、大艦隊の軍艦の数があまりにも膨大なので、この増援艦隊の数も多かったにもかかわらず、全体としては目立つほど増大はしなかった。
大集会の日、大艦隊は地球の付近に待機していた。ロデリック・キニスンは、会場で熱心な聴衆にサムスを紹介するとすぐ、会場から消えうせた。じつは地上車を走らせて空港のむこうはしに行き、軽巡洋艦で地球を去ったのだが、聴衆はサムスの言葉にすっかり気をとられていたので、キニスンが消えうせたとしか思えなかったのだ。サムスはすでにボイス号に乗っていた。司令長官は旗艦シカゴ号に移乗した。敵の観測員が彼の航跡を追跡しようと企てている場合を考慮して、彼の航跡は追跡できないようにしてあった。クリーブランド、ノースロップ、ルラリオン、その他パトロール隊の精鋭たちが、そのように手配したのである。
もちろん、サムスもキニスンも、みずから大艦隊に同行する義務はなく、ふたりともそのことを知っていた。しかし、ふたりが同行している理由は、だれもが知っており、ふたりのトップ・レンズマンが、彼らの艦隊と生死をともにしようと決心していることを喜んでいた。もし大艦隊が勝てば、ふたりはおそらく生き残るだろうが、負ければ、確実に死ぬのだ――船が花火のように発光して解体する中で死ななかったとしても、数日のうちに地上で死ぬのだ。大艦隊にとって、ふたりが同行していることは、士気の向上に大いに役立った。ふたりが危険をおかすだけの価値は充分にあった。
クレートンとシュヴァイケルトもいっしょではなく、たがいに近くにもいなかった。サムス、キニスン、それにふたりの提督は、たがいにできるだけ離れていたが、それでも、大艦隊の円筒形戦闘編隊の中にいた。
円筒形? そうだ。パトロール隊の戦術会議は、敵が在来の円錐形戦闘編隊で攻撃してくるものと推定し、また円錐編隊同士の交戦は、長くかかって損害が大きいことを知っていたので、数ヵ月も前から、戦術タンクの中で模擬戦闘をやり、よりよい戦闘編隊を研究していたのだ。そして彼らはそれを発見した。理論的にいえば、適当な構成要素からなる円筒編隊は、考えられるかぎりでもっともすぐれた円錐編隊でも、問題にならないほどわずかな損害で、ごく短時間に撃滅することができた。この編隊の欠点は、理論的にいって効果的な円筒を構成する船が、高度に専門化されている必要があることだった。しかし、ベネットの資源が、すべて大艦隊の建造に投入された結果、この困難は克服しがたいものではなくなった。
もちろん、もし円筒編隊と円筒編隊がぶつかったならば――もし敵の戦術家たちが、やはり同様な結論に到達していたとすれば――どういうことになるか、という問題が提起され、その問題の解答は出ていなかった。というより、解答が多すぎて、それらがたがいに矛盾していたのだ。いわば、不可抗的な力が不動の物体にぶつかったらどうなるか、という古典的質問に対する解答のようなものである。きわめて興味深い副産物が多量にえられることだろう!
木星のルラリオンでさえ、明確な結論に達しなかった。バーゲンホルムもそうだった。彼は、比較的目立たない若いレンズマン科学者で、銀河評議会のメンバーでもなかったが、ある種の奇妙に直接的な思考過程で正しい結論に到達するという独特の能力を持っていたので、しばしば協議に呼びだされたのだ。
「よろしい」司令長官キニスンはついに結論を出した。「もし、敵も円筒編隊だったら、こっちは円筒を短く太くして、運を天にまかせるばかりだ」
「クレートンより、キニスン長官へ」チャンネルを通じての通信がきた。「何か追加的命令か指示はありますか?」
「キニスンより、クレートン司令官へ。なにもない」司令長官は公式に回答してから、レンズを通じてつづけた。「わしが助言したり批評したりする余地はないよ、アレックス。きみたちはこれまで万事やってきたのだから、これからもずっとやりたまえ。探知網はどのくらい展開しているかね?」
「十二デテット――ディーゼル偵察艦で三重に球状包囲しています。長いこと何もしないで待機していると、兵員が気をくさらせますから、閣下もバージも反対なさらなければ、ちょっとした演習をやろうと思います。彼らには確かに演習が必要です。そうすれば、彼らの緊張をたもつのに効果があるでしょう。しかし、敵船隊としては――われわれが待ちくたびれて士気がおとろえるまで、行動を延期するかもしれません。閣下はどう思います?」
「わしも同じことを心配していた。演習は効果があるだろうが、それだけで充分かどうかはわからん。バージ、きみはどう思う? 敵は故意に攻撃を延期するか、それとも速攻でくるか?」
「速攻だ」ファースト・レンズマンは即座にきっぱり答えた。「できるだけ早く攻撃してくるだろう。それにはいくつかの理由がある。彼らは、われわれが彼らの兵力を知らないと同様、われわれの真の兵力を知らない。しかし、彼らは、われわれが信じているように、自分のほうが相手よりいっそう効果的で、いっそう強力だと信じているにちがいない。彼らは自分たちが演習を必要とすることからして、われわれも演習を必要とするということを知るだろう。彼らは、われわれほど士気というものに重きをおかない。彼らの体制の本質自体によってそうならざるをえないのだ。また、われわれが公然と挑戦したので、彼らはそれに応ぜざるをえない。彼らにとっては、われわれにとって以上に、面子《めんつ》が大事だからだ。彼らはできるだけ早く、できるだけ痛烈に攻撃してくるだろう」
大艦隊の機動演習が開始されたが、一日かそこらで警報が伝達された。敵を探知したのだ。敵艦隊は、前の敵艦隊と同様に、〈髪の毛座〉の方向から接近してきた。計算器がカチカチ、ブンブン音をたて、命令が飛び、短い一連の数字が読みあげられた。艦船は何百隻、何千隻の集団をなして、所定の位置に突進して行った。
というより、もっと正確にいえば、〈ほぼ〉その位置に突進した。ほとんどの船の航行士やパイロットは、最初の試みで正確に所定の位置につけるほど練習をつんでいなかった。軸方向での急激な方向転換が必要だったからだ。しかし、彼らはかなりうまくやったので、二、三分調製しただけで充分だった。クレートンとシュヴァイケルトはちょっとののしった――もちろん、レンズを通じて、仲間のレンズマンたちにだけ――しかし、サムスとキニスンは充分に喜んだ。編隊を組むに要した時間は満足すべきほど短く、円錐形はスムーズで左右が均衡し、厚さも均一だった。
予備編隊は、円錐形で円筒形ではなかった。しかし、それは標準的構成ではなく、規模も大きいうえに、その大きさにくらべてさえ、船の数が多すぎるという点で、ふつうの円錐形戦闘編隊とはちがっていた。けれども、外観はふつうの円錐形だったので、敵が本質的な相違に気づいたころには、もうなにをするのもまにあわなくなっているにちがいない。いずれにせよ、そのころには円筒が形成されているだろう。そして、敵はそれに対抗する時間も知識も装備もないにちがいない――少なくとも、そうあってほしい。
キニスンはクレートンと精神感応状態をたもって、クレートンの司令映像盤に敵の円錐戦闘編隊が拡大されてくるのを見つめながら、ひとりで微笑した。敵の円錐は大きくて強力だったが、パトロール隊の公式兵力だったら、地獄にほうりこまれた雪のボールほどの勝味もなかったろう。しかし、と司令長官は考えた。敵は効果的な円筒編隊を組むに充分なほど大きくないし、パトロール隊の真の兵力を圧倒できるほど大きくもない――そして、敵があと一、二秒のうちに編隊を変えないかぎり、何をするのも手遅れになるだろう。
まるで魔法でも使ったように、パトロール隊の膨大な円錐編隊の九五パーセントばかりが、緊密な二重円筒編隊に変化した。この機動は、はじめの機動よりはるかにかんたんだったので、完全に実施された。円錐の口はすぼまって長くなり、先端は口を開いて短くなった。牽引ビームと圧迫ビームが船から船へ投射され、これまで離ればなれだった無数の戦闘単位を、その巨大さに比較してさえ、片持式|橋梁《きょうりょう》と同じような堅固さで一体に結合した。そしてそのシリンダーは、相手の攻撃を静止して待っている代わりに、無慣性状態のまま全速力で前進していった。
攻撃兵器のむごたらしい威力は、歴史を通じてたえず増大してきた。防御兵器もそれに歩調をあわせて進歩した。しかし、一つの基本的事実は時代を通じて変化していなかった。交戦が強制され、外部から救援がなかった場合には、ある力を持った三つ以上の戦闘単位は、一つの戦闘単位をつねに圧倒できるし、二つの戦闘単位でも、一つの戦闘単位をほとんどつねに圧倒できる。したがって、戦術の基本原則は、味方の二つまたはそれ以上の戦闘単位が、敵の一戦闘単位を攻撃できるような新しい工夫と技術を開発し、いっぽう、敵には同様の手段で反撃する機会をなるべく少なくすることにあったし、現在もまたそうなのである。
パトロール隊の大艦隊は、敵の円錐編隊の軸にほとんど沿って前進した。敵の思うつぼだ――少なくとも、敵はそう考えた。大艦隊は、敵の円錐編隊のぽっかり開いた口に突入していった。その口はいまや、地獄に関するもっとも奔放な想像をさえ色あせるほどの攻撃ビームを放射していた。しかし、大艦隊はその猛威をふるう軸に沿って円錐の頂点へと、たがいに正反対の方向へむかうところから生じる、すさまじい速度で突入していった。しかし、敵艦隊の司令部が驚愕《きょうがく》したことに、なにごとも起こらなかった。なぜなら、すでに指摘したように、この円筒編隊は、通常の構成ではなかったからだ。
事実、この円筒編隊には、通常の軍艦はまったくいなかった。円筒の外側と両端は、純粋に防御的だった。それらの船は、それぞれの防御力場が現実に接触するほど接近していて、それぞれがすべて防御スクリーンからなっており、どれ一隻として、マッチに火をつけるほどの攻撃ビームも持っていなかった。いっぽう、円筒の内側、すなわち〈戦列〉は、ほとんど攻撃兵器そのもののような船からなっていた。それらの船は、なんの防御力も持っていなかった。だから、あらゆる点で防御される必要があった――しかし、なんという攻撃力を持っていたことか!
円筒編隊の前端と後端――いわば巨大なパイプの両端――は、もちろん敵艦隊の攻撃の主力を受けるはずだった。そして、パトロール隊の戦術家たちがもっとも深刻な関心を払ったのも、この点だった。したがって、先端の十層と後端の六層の二重の輪形を構成している船は、まったく特殊だった。それらは、すべて防御スクリーンだった――それ以外には何もなかった。それらは、リモート・コントロールで操作される無線操縦船で、生物をまったく乗せていなかった。もしパトロール隊の損害が、はじめの接触で八層の二重輪形にくいとめられ、二度目の接触で四層にくいとめられるとすれば――理論的計算では、六層と二層だった――それでサムスたちは充分満足だった。
もちろん、すべてのパトロール隊は、いわゆる〈すみれ色〉力場、〈緑色〉力場、〈赤色〉力場をはじめ、超原子爆弾《デュオデック》、通常の原子爆弾、誘導魚雷、破砕器、切断器、多周期ドリルなどの標準的兵器を持っていたが、この戦闘で主要な役割を果たしたのは、かつて〈マクロ・ビーム〉と呼ばれた(現在は単に〈ビーム〉と呼ばれている)圧倒的に強力な攻撃兵器だった。そればかりでなく、この想像を絶する白熱的な戦闘区域の中では――円筒は円錐のもっとも強力な部分を攻撃することになっていた――どんな物質的弾丸も、母船の防御スクリーンの外へ出てからは、一瞬間も存在しえなかった。そのような弾丸は充分速く飛ぶことができ、超ビーム追跡器で、充分速く充分正確に操縦できただろう。しかし、それは超光速度的スピードを持っていたとしても、一フィートも進まないうちに、完全に消滅してしまっただろう。超粒子的構成粒子と波動に分解されてしまっただろう。敵艦隊の円錐形戦闘編隊の軸部を満たしている力場の中では、どんな物質も、一瞬間さえ存在できなかった。その力場に比較すれば、数兆ボルトの放電区域も、死のように平静に思われただろう。
しかし、その力場がぶつかったのは、物質ではなかった。パトロール隊の〈スクリーン艦〉は、まさにこのような想像を絶する状況に耐えられるように設計されており、スクリーンが互いに四〇〇パーセントも重複するほど密接に結合していた。そしてほとんどすべてのスクリーン艦がもちこたえた。一瞬のうちに、円筒の先端は、敵の円錐形戦闘編隊の頂点部をパイプのようにすっぽり呑みこみ、それまで何もしていなかった円筒内側の戦列を構成する〈攻撃艦〉が活動を開始した。
それらの各艦は、それぞれ一台の強力な圧迫ビーム放射器を持ち、それぞれのビームは、円筒の軸へむけて、その船と軸を通る垂直面より十五度だけ後方に、たがいに同じ圧力で圧迫していた。したがって、敵艦はどこからどのようにパトロール隊の円筒にはいろうと軸上に押しやられた。軸に沿って後方へ、いやおうなしに送られるのだった。しかし、どの敵艦も、それほど奥までは到達しなかった。彼らは強制的に一列に並ばせられ、その一隻一隻が、巨大な攻撃艦からなる輪形の少なくとも一つと対抗しなければならなかった。
いっぽう、攻撃艦は、防御には気を使う必要なしに、その膨大なエネルギーのすべてを、攻撃ビームに集中することができた。こうして、味方と敵の数の比は、二対一または三対一どころではなく、少なくとも八十対一で、二百対一以上になることもしばしばだった。
円筒に呑みこまれた船の防御スクリーンは、この想像を絶した力場の豪雨の衝撃にあうと、ほとんど一瞬のうちにスペクトルのあらゆる色彩を発光して崩壊した。スクリーンが二層でも、三層でも、四層でも同じことだった――事実、観測員の超高速分析器でも区別がつかなかった。そして次の瞬間には、防御壁――そのときまでに人間によって開発されたもっとも強力なエネルギー組織――も崩壊した。つづいて、それらの貪欲な力場は無防御になったはだかの金属を打ち、船とその中味を構成する無機、有機すべての分子は、その結果をもたらした攻撃者をさえたじろがせるように、痛烈なエネルギーの爆発的発光のうちに消滅した。それは単なる蒸散よりはるかに痛烈なものだった。のちに推定されたところによると、敵艦自身が積んでいた爆弾の不安定な爆発性アイソトープが、パトロール隊の準固体的ビームのすさまじい高熱によって連鎖反応を起こし、その結果、ふつうならまったく安定した元素の原子核の相当部分が、核分裂を起こしたのだった。
円筒編隊は停止し、レンズマンたちは点検した。円筒の先端の侵蝕深度は、平均して無線操縦船の二重輪形のほぼ六層に達していた。場所によっては、第六層は無傷だったが、とくにビームの集中攻撃を受けた部分は、第七層まで侵蝕されていた。また、要員が乗っていた軍艦の一パーセントたらずが消滅していた。交戦時間は短かったが、敵は攻撃円筒の外壁を、数ヵ所で焼き切るのに充分なビームを集中できたのだ。
この最初の接触で、二、三百隻以上の敵艦を撃滅することは期待されていなかった。しかし、参謀本部としては、撃滅した船の中には、敵の司令官を乗せた船をふくめて、もっとも危険な船がはいっているにちがいないと確信していた。ふつうの円錐形戦闘編隊では、頂点の中心部がもっとも安全なのがつねだった。したがって、敵の司令官たちもそこにいたはずだから、彼らはもう生きていないわけだった。
かりに敵の司令部が残存しているとしても、それはもう効果的に機能できない状態にあるということが、二、三秒のうちにあきらかになった。円筒編隊があとに残してきた敵の円錐編隊では、一部の船がてんでんばらばらながら、依然としてビームを放射していた。パトロール隊の円筒編隊を攻撃するつもりらしく、新しい編隊を組もうと努めている船もあった。どの敵船も、決断に迷っていることがあきらかだった。
この巨大な破壊的円筒を方向転換させるとすれば、何時間もかかっただろうが、その必要はなかった。各艦は牽引ビームと圧迫ビームを切って反転し、ふたたびビームで連結したのち、はじめのコースをほとんどそのまま逆行した。そして、もう一度、一団の敵艦を「パイプにつめ」、ビームで撃滅した。もう一度、もう一度。そして今回は、敵がひどく混乱してビーム攻撃がひどく弱化していたため、パトロール艦は一隻も失われなかった。数分前まであれほど威風堂々としていた敵艦隊は、完全に四散してしまった。
「これで充分だ。そうは思わんかね、ロッド?」サムスが思考を伝達した。「クレートンに行動中止を命じてくれたまえ。われわれが敵の先任将校と会談できるようにな」
「会談なぞくそくらえだ!」キニスンは思考のなかでどなった。「やつらが逃げるのを捕捉せねばならん――立ちなおる前に一掃するのだ! 会談もへちまもあるものか!」
「軍事行動はある段階をすぎると、弁護の余地のない一方的|殺戮《さつりく》になる。われわれ銀河パトロール隊は、そのような誤りをおかしてはならん。もうその段階に到達したのだ。もしきみが賛成しなければ、評議会を召集してどちらが正しいかをきめよう」
「その必要はない。きみのいうとおりだ――わしがファースト・レンズマンにならなかった理由の一つはそれだ」司令長官は怒りと興奮をしずめて、命令を発した。パトロール艦隊は宇宙に停止した。「バージ、銀河評議会議長として、指揮を引きついでくれ」
スパイ光線が敵艦を捜査し、通信ビームが伝達された。バージル・サムスは、宇宙の共通語で声高く呼びかけた。
「貴艦隊の先任将校に連絡してくれたまえ」
サムスの映像盤に、ハンサムでなくもない鋭い顔があらわれた。その顔には、強い男が死に直面したときの絶望感が、深くきざまれていた。
「きみたちは勝った。われわれにとどめをさすがいい」
「きみたちがそのように教えこまれていることは、予期されていた。しかし、わたしは、きみたちがわれわれの目的、倫理、道徳、行動基準などすべての点において、まっかな嘘を教えられていたということを、納得させたいのだ。それが困難だとは思わない。きみより上級の将校で、ほかに生存している者があるのではないか?」
「他に十人の中将が生存しているが、指揮をとっているのはわたしだ。彼らはわたしの命令に従うか、それがいやなら死ぬまでだ」
「だが、彼らにも聞かす必要がある。有慣性状態に移行し、われわれの固有速度に同調して、十一人とも移乗してくれたまえ。われわれは、きみたちの世界とわれわれの世界の間に永続的平和をむすぶ可能性を、きみたち全員と研究したいのだ」
「平和だと? ばかな! なぜ嘘をつくのか?」指揮官の表情は変化しなかった。「わたしはきみたちがどんな種族で、被征服種族をどんな目にあわすかを知っている。われわれは、きみたちの拷問室や実験室で受けるような死よりも、ビームによるいさぎよくすみやかな死をえらぶ。攻撃するがいい――わたしは編隊を組みなおししだい、きみたちを攻撃するつもりだ」
「くり返していう。きみたちは、まっかな恐ろしい、驚くほどの虚偽を教えられているのだ」サムスの声は平静で、目は相手の目にじっとすえられていた。「われわれは文明人で、野蛮人や未開人ではない。われわれがこのように早く攻撃を中止したことについて、何か感じないか?」
未知の男の顔は、はじめてかすかに変化した。サムスはそのわずかな隙《すき》につけこんだ。
「きみが何かを感じていることはわかる。もしきみがわたしと、心と心で話しあうつもりならば――」ファースト・レンズマンは、相手の自我《エゴ》に心で接触して、それと同調しはじめたが、これは度が過ぎた。
「いやだ!」敵指揮官は強固な精神障壁をめぐらした。「わたしは、きみのいまわしいレンズと関係は持ちたくない。それがどんなものかは知っている。まっぴらだ!」
「そんなことがなんの役に立つのだ、バージ!」キニスンは叫んだ。「攻撃を開始しよう」
「大いに役に立つよ、ロッド」サムスは静かに答えた。「ここが分れ目だ。わたしはまちがっていないはずだ――それほどまちがうはずがない」そしてまた敵の指揮官に注意をむけた。
「よろしい。ではやはり口で話すことにしよう。くり返していう。十人の他の中将といっしょに、この船にきたまえ。降服を要求しはしない。携帯武器をつけたままでいいのだ――それを使用する意志さえなければな。きみたちとわれわれが合意に達しなくても、きみたちは無事に自分の船にもどって、戦争を再開できるのだ」
「なに? 携帯武器だと? 船にもどれるだと? きみはそれを誓うか?」
「銀河評議会の議長として、銀河パトロール隊の最高幹部たちを証人として、わたしはそれを誓う」
「では移乗しよう」
「よろしい。ここには、わたしのほかにレンズマンと将校を十人同席させることにする」
もちろん、ボイス号がはじめに有慣性状態に移行した。つづいて、シカゴ号と惑星ベネットからきた巨大な涙滴《るいてき》型宇宙船がそれにならった。司令長官キニスンと他の九人のレンズマンは、ボイス号の司令室でサムスといっしょになった。十一隻のパトロール艦からなる緊密な編隊は、宇宙の礼儀にしたがって、同様に緊密な敵の編隊と固有速度を中間で同調させるために、いっせいに推進した。
やがて、二つの小艦隊は、相対的に静止した。敵艦隊から、十一隻のボートが発射された。十一人の敵の中将が移乗してきて、友好国の提督が訪問するときにあたえられるならわしの、栄誉礼で迎えられた。いずれも、パトロール隊が現在使っている携帯式ビーム放射器リューイストン十七型そっくりの放射器で武装している。先頭には、サムスと交渉していた、長身でがっしりした銀髪の男が、依然として反抗的に、依然として不機嫌に、依然として絶望をきびしく押しかくして歩いていた。彼の精神的障壁は、依然として全力で展開されていた。
二番目の男は、指令官よりずっと若かったが、ずっと冷静でずっと熱心だった。サムスはこの男の自我《エゴ》に接触し、それと同調したが、たちまち非常なショックを受けた。この敵中将の心は、彼がまったく予期していなかったようなものだった――それは、あらゆる点で、レンズマンの資格があったのだ!
「おお――なぜだ? あなたは話していないのに――わかった――レンズのせいだ――レンズ!」未知の男の心は数秒間名状しがたい混乱におちいった。そこでは、安心、感謝、大きな期待などがわれがちにせめぎあっていた。
次の二、三秒間、訪問者たちが会議テーブルにつきさえしないうちに、バージル・サムスと、この男ペトリン惑星のコランダーとは、言葉で述べれば数千語を必要とするような思考を交換した。しかし、ここでは、そのうちの二、三しか必要ではない。
「〈レンズ〉――わたしはそのようなものを空想したが、実現の希望も可能性もなかった。われわれはなんと誤ったことを教えられていたことか? では、そのレンズは、実際にあなたの世界で手にはいるのか、地球のサムス?」
「正確にはそうではない。そして、だれでもレンズが手にはいるというのではない」サムスは、これまでに何度も説明したように説明した。「きみは自分が考えるよりはやく、レンズを着用することになるだろう。しかし、この戦闘を終結させる問題に移ろう。きみたちの生存者は、ほとんどすべてきみと同じ世界、ペトリンの原住民なのか?」
「『ほとんど』ではない。われわれはみなペトリン人だ。『指導者たち』はみな、円錐編隊の中央にいた。ペトリンやその付近の惑星には、まだ彼らが多数残っているが、ここにはひとりも生き残っていない」
「では、指揮をとっているオーランサーもペトリン人か? あまり頭が固いので、そうではなかろうと思っていたが。彼が障害になるだろう。彼は事実、最高指揮官なのか?」
「このように異常な情況の場合は、われわれの賛成と協力が必要だ。彼は反動的でないタイプの頑固な軍人だ。彼は通常の場合なら最高指揮官になるだろうし、指導者がだれかいれば、その支持を受けられただろう。しかし、わたしは自分の艦隊を自分が適当と思うように指揮できるから、その権利を足場にして、彼や指揮者の権威に挑戦するつもりだ。他の何人かもそうすると思う。だから、会議を開きたまえ」
「諸君、着席していただきたい」全員がきちんと敬礼して腰をおろした。「さて、オーランサー中将――」
「きみとは初対面なのに、なぜわたしの名を知っているのか?」
「わたしは多くのことを知っている。わたしはここに一つの提案を持っている。もしきみたちペトリン人がそれを受け入れるならば、戦闘を終結できるだろう。第一に信じていただきたいのは、われわれには、きみたちの惑星に危害を加えるつもりはないということだ。また、きみたちを背後であやつっている生物の理念や文明によって、救いがたいほど汚染されている者たちを除けば、住民のだれとも争うつもりはない。きみたちが『指導者』と呼んでいる連中が、おそらくその黒幕だろう。きみたちは自分が戦っている相手がどのようなものかも、なぜ戦っているのかも知らなかったのだ」これは質問的要素が少しもない断定だった。
「われわれが真実のすべてを知らなかったことはわかった」オーランサーはしぶしぶ認めた。「われわれは、きみたちが宇宙の怪物――貪欲で冷酷で他のあらゆる知的生物に対して侵略的な怪物――だということを信じるにたりるだけの証拠を示されていた」
「われわれはそういうことを予期していた。他の諸君も同じ意見かね? コランダー中将?」
「そうだ。われわれは詳細な記録的証拠を示された。戦闘のステレオ記録で、それによると、きみたちは降服を認めなかった。われわれは、太陽系がつぎつぎに征服され、惑星がつぎつぎに破壊されるのを見た。われわれは、自分たちが生存するためには、宇宙できみたちと対決して撃滅する以外にはないということを信じこまされた。きみたちがペトリンへ手をのばすことを許せば、男も女も子どももその場で殺されるか、拷問で殺されるか、どちらかだというのだ。わたしはいま、それらの証拠がまったく卑劣な虚偽だということを知った」
「そうだ。そうした虚偽の宣伝をひろめた連中や、彼らの組織を支持した者たちは、すべて根絶されねばならないし、また根絶してやる。ペトリンは、自由で独立した協力的な諸惑星からなる、銀河共同体の中で、正当な地位を占めなければならないし、また占めさせよう。住民が、独裁や専制の代わりに、銀河文明を支持しようと欲するすべての惑星は、そうならなければならない。この目的を推進するために、われわれレンズマンは、きみたちが艦隊を再編成してアリシアへむかうように助言する」
「アリシア!」オーランサーはためらった。
「アリシアだ!」サムスは主張した。「きみたちはアリシアを去るときは、いまよりもずっと多くのことがわかっているだろうから、自分の惑星へもどって、必要とわかった処置をとればいいのだ」
「われわれは、きみたちのレンズが催眠術的装置だと教えられた」オーランサーはあざけるようにいった。「きみたちのいうことに耳を傾けたすべての心を奪って、破壊する装置だというのだ。わたしは〈それ〉を完全に信じている。わたしはアリシアへ行かないし、ペトリン大艦隊のどの一部も行かせない。わたしは自分の惑星を攻撃するつもりはない。自分の仲間に対して戦争をしかけるつもりはない。これは決定的なことだ」
「わたしは、きみたちにそういうことをやれとはいっていないし、そんなつもりもない。しかし、きみは理性に対して心をとざしつづけている。コランダー中将、きみはどうかね? それから、他の諸君は?」
瞬間的な沈黙のあいだに、サムスは他の提督たちと精神感応状態にはいり、その結果知ったことで、非常な喜びをおぼえた。
「わたしはオーランサー中将に賛成しない」コランダーはきっぱりいった。「彼が指揮しているのは、大艦隊ではなく、われわれと同様、自分の支艦隊だけだ。わたしは自分の支艦隊をアリシアへ連れていく」
「裏切り者!」オーランサーは叫んだ。彼はとびあがってビーム放射器を引き抜いたが、発射するよりはやく、一本の牽引ビームが彼の手からそれをもぎとった。
「きみは携帯武器をつけることを許されたが、使うことは許されなかった」サムスは静かにいった。「コランダーに賛成する者は何人で、オーランサーに賛成する者は何人か?」
九人とも、若いほうの男に賛成した。
「よろしい。オーランサー、きみはコランダーにしたがうなり、いますぐこの会議から退席して、自分の支艦隊を直接ペトリンへ連れて行くなり、好きにしたまえ。どちらを選ぶかをいまきめるのだ」
「きみはこうなってさえ、わたしを殺さないというのか? 指揮権を奪いもせず、逮捕もしないというのか?」
「そのとおりだ。どちらにきめるかね?」
「それならば――わたしがまちがっていた――そうにちがいない。わたしはコランダーにしたがう」
「賢明な選択だ。コランダー、きみはすでに何を期待すべきかを知っている。ただし、いまここにいるペトリン人のうち四、五人は、ペトリンでなすべきことを決定するについてばかりでなく、それを実行するについても、きみを援助するだろう。この会議はこれで散会としよう」
「しかし――報復はないのですか?」コランダーは新しい知識をえていたにもかかわらず、信じられずに、ほとんど茫然とした。「征服も占領もないのですか? パトロール隊に対する賠償金も不要なのですか? われわれや部下や家族を処罰することもないのですか?」
「何もない」
「それは通常の軍事慣習にさえ反していますな」
「わかっている。しかし、それはわれわれの島宇宙全体に拡大すべき銀河パトロール隊の政策に合致しているのだ」
「われわれをあなたの指示にしたがわせるために、あなたの艦隊または強力な支艦隊を、われわれに同行させることさえしないのですか?」
「その必要はない。もし何かの援助が必要になったら、わたしがいまきみたちと会話しているように、レンズを通じて要求を伝達すれば、どんな要求でもかなえてあげよう。しかし、そのような呼びかけが必要になるとは思わない。きみたちは状況を処理する能力を持っている。きみたちはやがて真実を知り、それが真実であることを知るだろう。そしてきみたちの惑星の大掃除がすんだら、われわれはきみたちが銀河評議会へ代表を送る申請を考慮しよう。では、ごめん」
こうして、レンズマンたち――とくにファースト・レンズマン、バージル・サムス――は、銀河系内の新しい区域を、銀河文明の傘下《さんか》におさめたのだった。
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二十
大集会のあと数日は、サムスもキニスンも地球にいなかった。宇宙党の大統領候補とファースト・レンズマンが、ともに大艦隊に同行していることは、秘密ではなかった。事実、そのことは宣伝された。すべての者がふたりが宇宙にでている理由を知らされ、ほとんどすべての者がその理由を認めていた。
それに、ふたりの不在は気にならなかった。事態の急激な進展で、人々の注意が奪われてしまったからだ。宇宙党の雄弁家たちは、北アメリカのあらゆる州で旗を振り、北アメリカの最良の政治的伝統を誇らかに指摘し、それを擁護するように警告した。しかし、とりわけ目立ったのは、大集会の翌日の開店時に、大陸中の新聞売場や書店に、こまかな活字で印刷した千八百ページ以上の本があらわれたことだった。この本の出版については、サムス自身、少なからず心配した。
「しかし、わたしは気がかりだ」サムスはそのとき抗議した。「〈われわれ〉は、これが事実だということを知っているが、ほとんど各ページに、史上最大の名誉|毀損《きそん》訴訟の種になるようなことが書かれているぞ!」
「わかっています」禿げ頭で太鼓腹のレンズマン弁護士は答えた。「たっぷり書かれています。わたしは、やつらがわれわれに対して行動に出ることを希望しますが、やつらがそうしないことは絶対確かです」
「彼らが行動に出ることを希望するというのか?」
「そうです。もし彼らが先に訴訟すれば、彼らとしては、われわれが証拠を完全に提出するのを妨げるわけにいきません。裁判所がどれほど腐敗していたとしても、その訴訟でわれわれを勝たせないはずはありません。彼らが望み、また必要なのは、ひきのばしです。選挙後まで、あらゆる訴訟を避けることです」
「わかった」サムスはなっとくした。
パトロール隊の大艦隊の位置は、味方と敵とを問わず、太陽系内の全住民からかくされていたが、戦闘のクライマックス――そのときには、宇宙自体の組織をゆがめるに充分なほどのエネルギーが放射された――は、かくすことも否定することも、過小に扱うこともできなかった。けれども、それは宣伝されもせず、公表もされなかった。当時も現在も同じことで、ニュース記者は、保安の任にあたる当局が公表するよりもはるかに多くのことを、ただちに遠距離通信機を通じて知りたがった。そして当局は、できるかぎりひかえ目に公表するのだった。
パトロール隊が大勝利をえたことは、だれもが知っていたが、敵が何者だったかは、だれも知らなかった。現実には敵艦隊のごく一部が撃破されただけだということは、一般将兵も知っていたから、だれもがそのことを知っていたが、残った敵艦がどこへ行き、何をしたかは、だれも知らなかった。パトロール隊の驚くほど膨大な大艦隊の九五パーセントくらいは、惑星ベネットからきて現在そこへむけて帰還しつつあるということは、だれもが知っていたし、ベネットが〈どんなものか〉〉ということも、ほぼ知っていた――二、三週間もすれば、ベネット人が宇宙のいたるところをとびまわるようになるはずだったからだ――しかし、それが〈なんのために〉あるかということは、だれも知らなかった。
したがって、大艦隊の北アメリカ支艦隊が、ニューヨーク宇宙空港に着陸すると、ニュース記者たちの手が届くほとんどすべてのパトロールマンたちは、文字どおり集中攻撃を受けた。しかし、賢明な年寄りのフクロウについての警句のとおり、もっともわずかしか知らない連中がもっとも多くしゃべった。ところが、前にキニスンとサムスにインタビューしたテレニュースの花形記者は、小物にかかずらわって時間をむだにしなかった。彼はふたりのトップ・レンズマンに会見することを主張し、会見できるまで主張しつづけた。
「何もいうことはない」キニスンはにべもなくいった。彼が本気でそういっていることは、疑いの余地がなかった。「話は――もしあるとすれば――みんなファースト・レンズマン・サムスがするだろう」
「さて、数十億のテレニュース聴視者のみなさん、わたしはいまファースト・レンズマン・サムスと会見しております。ファースト・レンズマン、どうぞもう少しお寄りください。まず、だれもがもっとも知りたがっていることをおたずねします――敵は何者なのですか?」
「知りません」
「ご存知ないのですって? レンズによってもですか?」
「レンズによってもです。やはりわからないのです」
「なるほど。しかし、何か疑惑か想像をお持ちではありませんか? 推定できるのではありませんか?」
「推定はできます。しかし、それだけです――推定にすぎません」
「みなさん、わたしの推定によれば、彼の推定は高度に確実な推定だと思います。ファースト・レンズマン・サムス、あなたの推定を公衆に知らせていただけませんか?」
「お知らせしましょう」
ニュース記者がこの返事に驚いたとすれば、サムスをもっともよく知っているキニスンその他の者たちは、まったくとびあがらんばかりに驚いた。しかし、これは冷静に計算された政治的行動だった。
「詳細で反論の余地のない証拠が手にはいるには数週間かかるだろうが、敵艦隊がモーガン、タウン、アイザークスン一味によって建造され指揮されていたということは、わたしの熟考をへた意見です。彼らは、征服と奴隷化の計画を推進するために、われわれのだれにも知られないように、一つまたはいくつかの惑星を誘惑し、堕落させ、引きずりこんだのです。彼らは武力に訴えて北アメリカ大陸を侵略し、それによって全地球を、そして銀河文明を支持する他のすべての惑星を侵略しようと企てたのです。彼らはすべてのレンズマンを狩りたてて抹殺し、銀河評議会を破壊することによって、自己の目的を達成しようと企てたのです。きみが希望したことはこれですか?」
「けっこうです――〈まさに〉われわれが希望したことです。しかし、もう一つだけうかがいたいことがあります」ニュース記者は、予期したよりはるかに多くのことを聞き出したが、有能な記者らしく、さらに知りたがったのだ。「ミスター・サムス、もしよろしかったら、例の裁判と白書について、一言おねがいできませんか?」
「わたし、すでに申しあげたことと、あの白書に書かれていることに、わずかしか加えられないのではないかと思う。そしてそのわずかなことも、『すでに申しあげた』種類に属するのです。われわれはあの犯罪者どもを裁判にひきだし、彼らが末梢《まっしょう》的な遅延戦術を果てしもなくくり返すのを停止させるべく努力しているし、その努力をつづけるつもりです。われわれは、法的手続きに訴えて、われわれが告発した各人に、法廷で宣誓のうえ、自己を弁護させることを望み、そうする決心でいます。しかし、モーガン一味は、法的手続きを避けようとして全力をつくしています。彼らは、われわれがわれわれのあらゆる主張を証明できるし、証明するだろうことを知っているからです」
テレニュースの花形記者は放送終了を告げ、サムスとキニスンは、それぞれのオフィスに行き、国中から集まった宇宙党の弁士たちは、野外演説会をもよおした。彼らは意気天をつくばかりだった。いずれも皮でできたような肺を持った雄弁家たちだったが、自党とそのすべての公認候補者たちの、非のうちどころのない廉潔さと、けがれない完全さを指摘するいっぽう、政敵の不倶戴天《ふぐたいてん》の悪徳に対する反発とで、のどをからしていた。
いっぽう、国民党は、まったく思いもかけない痛烈な打撃を受けたにもかかわらず、全力を集中して、政治的奇跡ともいえるほどの反撃に出た。モーガンと彼の手先たちはわめきたて吠えたてた。キニスン一派は公的地位を利用してわれわれを攻撃しているのだ。われわれは金権の犠牲者なのだ。彼らのわれわれに対する告発はすべてでっちあげだ――一片の真実も含んでいない、まったく邪悪な虚偽だ。対決を迫っているのは、パトロール隊ではなくわれわれなのだ。われわれは、選挙日前に、自己の潔白を証明し、あの形容を絶して不埒《ふらち》なレンズマンどもを論破しようと努めているのだ。そしてわれわれはそれに成功しつつある! さもなければ、なぜあの数万人におよぶ被告発者のうち、ただのひとりも逮捕されていないのか! あの嘘つきのファースト・レンズマン・バージル・サムスにたずねてみよう! あの岩のような心臓と鉄のような頭を持った良心のない殺人者ロデリック・キニスンにたずねてみよう。しかし、たとえ気が狂いそうになっても、心をあのレンズに明け渡してはならないのだ!
ところで、読者は疑問に思われるだろう。なぜ、名前をあげられた者たちのうち何人かは、選挙日前に逮捕されなかったのか? しかし、著者は、自分にもわからない、と率直に答えるほかはない。わたしは法律家ではない。当時上級裁判所のどれかでおこなわれていた法律闘争について、少なくともある日の状況だけでも詳細に述べ、数千ページにのぼる記録のなかから少なくとも数ページだけでも逐語的に引用することは――ある種の読者たちにとっては――興味があるかもしれないが、大部分の読者にとっては、その中に含まれている専門的問題が退屈すぎることだろう。
しかし、有権者たちは、どちらが攻撃側でどちらが防御側かを、容易に見わけられなかったのだろうか? どちらが対決を強要し、どちらが引きのばしをはかっているか、わからなかったのだろうか? もし彼らが、事件の基本的問題について、必要な注意を払いさえすれば、容易にわかっただろうが、だれもが忙しすぎて、ほかのことをする余裕がなかった。それに、他人の意見を受け入れるほうが、はるかに容易だった。そして最後の理由として、〈思考すること〉に熟練した頭脳というのは、きわめて少ないものなのだ。
しかし、モーガンはいま、わめいても吠えてもラッパを吹いてもいなかった。彼はかすかに青味をおびた皮膚の上級者と協議していた。この上級者は、味方艦隊の壊滅的敗北を知るやいなや、血相変えてやってきたのだった。このカロニア人は、懸念のあまり、特殊な皮膚の色が、徐々に微妙な緑色をおびはじめていた。
「どうして〈こんなこと〉になったのだ? どうしてこんなことが起こりえたのだ? なぜわしにパトロール隊の実力を報告しなかったのだ――おまえはどうしてそれほどまぬけでありえたのか? わしはアイヒ族のスクルワンに報告しなければならん。彼は容赦のない男だ――そして、もしこの破局がプルーアに伝えられたら!――」
「ファーナルド、頭をお冷やしなさい」モーガンはかみつくようにやり返した。「わたしに責任をなすりつけたりせんでほしい――わたしはおとなしくしていませんぞ。こういうことになったのは、敵がわれわれより大きな艦隊を建造できたからです。これはあなたの責任です――何から何まで、あなたはわれわれがやっていることを知っていて、それを認めていた――何から何まで。あなたはわたしと同じように、こっぴどくしてやられたのだ。わたしがあなたに報告しなかったのは何も知らなかったからだ――わたしは、彼らがわれわれのペトリンについて知りえなかったと同様に、彼らのベネットについて知りえなかった。上級者に報告するといわれるなら、もちろんあなたの勝手です。しかし、本当にけがをするまでは、あまりわめかんようになさい。この戦いはまだ終わっていないのですぞ」
カロニア人は、ひどく狼狽していた。彼がこの無礼きわまる地球人を即座に抹殺しなかったのは、そのときの心理状態を示すものである。しかし、モーガンが依然としておちつき、自信たっぷりなので、カロニア人も平静を回復した。彼の皮膚はふたたび通常の青白色にもどった。
「目撃者がなかったから、いまのおまえの不服従は見のがしてやるが、二度とわしにむかってあんな言葉を使うな」彼は不機嫌にいった。「わたしおまえの楽観主義に根拠を認めることができん。おまえに残された唯一の機会は、選挙に勝つことだが、どうやってその目的を達することができるのか? おまえの地歩は、たえず急激に失われている――そうにちがいない」
「あなたが考えられるほどではありません」モーガンは、精密に描かれた大きな図表をとりだした。「この線は、頑固な国民党支持者をあらわしています。われわれがどんなことをしようと、彼らが党から離れることはありません。こっちの線は、同様に頑固な宇宙党支持者です。いつでも同じですが、力の均衡は、中立票にかかっています。しかし、中立票の多くは、想像されるほど中立的ではありません。われわれは、彼らの半数を買収するか、圧力をかけるかすることができます――すると、中立票はこの大きさにちぢまります。そういうわけで、パトロール隊が何をしようと、この比較的小さな集団に影響をあたえられるだけです。そして、われわれがねらっているのも、この集団なのです。
確かにわれわれは、徐々に多少の地歩を失っています。われわれが裁判をなるべく延期しようと努力している事実は、半分でも脳味噌を持っている者には、かくしようがないからです。しかし、ここに実際に測定された感情グラフがあります。きのうまでの心理的指数から決定されたものです。これは、選挙日までの予想グラフです。この予想によれば、われわれは全投票数の四九パーセントよりわずかに欠ける程度を獲得できます」
「それがめでたいことなのか?」ファーナルドはひややかにたずねた。
「そうですとも!」モーガンの大きな顔には、投票者にはけっして見せたことがない嘲笑が浮かんだ。「この図表があつかっているのは、公式に登録された、真正の有権者だけです。まったく公正な選挙によって、それほどすれすれまで持っていけるなら、われわれがやろうとしているようなやり方で戦えば、負けるはずがないではありませんか? ご承知のように、われわれは政権を握っています。また、黒幕組織を持っていて、それをいかに使うべきかを知っています」
「なるほど、思い出した――かすかにな。おまえは数年前、北アメリカの政治について報告したことがあった。死人投票、替え玉投票、二重投票、不正投票などのことだったな?」
「そうです。『など』です!」モーガンは力説した。「こんどはすべての方法が採用されます。われわれは、北アメリカの歴史上最大の勝利をおさめるでしょう」
「では、選挙後まで処置をひかえることにしよう」
「それが賢明というものです。そのときになれば、処置も報告も必要なくなるでしょう」この自信たっぷりな言葉で協議は終わった。
事実、モーガンは外見どおり自信を持っていた。彼の図表は現実的で実際的だった。彼は金の力と圧力の効果を知っていた。自分の黒幕組織の種々の工作単位の能力を知っていた。しかし、彼は二つのことを知らなかった。バージル・サムスがきわめてひそかに組織している選挙粛清連盟と、銀河パトロール隊全体を満たした熱烈な愛国心である。したがって、彼は慎重に計算された扇動演説を吠えたて、わめきたてるあいまに、自分の効果的な組織の狡猾《こうかつ》な工作を泰然《たいぜん》と満足して眺めていた。
彼が泰然と満足していたのは、選挙の前日までだった。その日になると、多数の青年男女が突然、迅速に行動を開始した。彼らは、全国のすべての選挙区に少なくとも四人、姿をあらわした。彼らはあらゆる場所にある、あらゆる住居を訪問したようだった。彼らは質問し、記録をとって姿を消した。黒幕組織の工作員が警報を受けてとんで行っても、若い男女もノートも発見できなかった。
いっぽう、銀河パトロール隊は、従来は選挙にまったく関心を示さなかったが、こんどは隊員の中で北アメリカの市民権を持っているすべての者に、充分の休暇をあたえた。北アメリカ支艦隊の軍艦は全部着陸して、その要員はほとんどいなくなった。基地やステーションもからっぽになった。そして、はるか離れた惑星からさえ、北アメリカの選挙区に登録しているパトロールマンたちが、残らず家で一日をすごしにもどってきた。
モーガンは、はじめて心配しはじめたが、どうすることもできなかった――それともできたろうか? もし民間の青年男女が選挙人名簿を点検したとしても――彼らは実際にしたのだが――それは法律的に認められたことだった。もし制服の青年男女が残らず投票のために帰宅したとしても――彼らは実際にしたのだが――それもまた彼らの不可侵の権利だった。
しかし、青年男女は事故を起こしたり、誘惑にひっかかったりすることが多い――ところが、モーガンはその手を使おうとして、また驚かされた。こんどはまったくひどいショックをうけたのだ。かつて大集会をあれほど効果的に守った組織が、こんどははるかに大きな規模で、ふたたび活動していたのだ。こうして、モーガン一派は、眠られないひどく不安な一夜をすごした。
選挙日の朝は晴れて涼しく、記録的な投票率が予想された。投票は朝早くから異常な高率でおこなわれ、投票所は混雑した。しかし、混乱はほとんどなかった。宇宙党の監視員たちは、従来の買収されやすい連中とはちがって、目が鋭く、買収のきかない男女であり、選挙区内の有権者を見知っているらしかったが、それにしては、混乱が驚くほどわずかだった。彼らは、投票権を主張する替え玉投票者、死人投票者、二重投票者などを一目で見わけて、ためらいなしに異議を提出した。そしてそれらの異議は、いずれも慎重に照合された名簿に基づいているので、すべて支持された。
もちろん、とくに大都市では、立ち会いの警察官がすべて疑惑の余地がないとはかぎらなかった。しかし、彼らのだれかが黒幕組織と取引きをしそうになると、そばにいるパトロールマンが、冷静な態度で、さりげなくいうのだった。
「きみ、この選挙は、名簿とサインに厳密にしたがって公正にやったほうがいいよ――さもないと、きみはほかの違反者たちといっしょに、リストにのせられることになるぜ」
黒幕組織が事態の進行を是認したわけでもなく、選挙破りの暴力団がいなかったわけでもなかった。しかし、どこでも、そしていつでも、暴力団より多くのパトロールマンがいた。そしてそれらのパトロールマンは、どれほど年少に見えるものでも、宇宙焼けのしたベテランであり、きたえあげられた戦士であって、最新式のビーム放射器――リューイストン十七型――で武装していた。
もちろん、そのパトロールマンの友人や隣人にとっては、彼のリューイストンはないも同然だった。それは、彼のズボンと同様、服装の一部にすぎなかった。それは、巡回中の親しいアイルランド人巡査のピストルや警棒と同様に、何も威嚇《いかく》的な意味を持っていなかった。しかし、暴力団員は、パトロールマンを友人とは見なかった。彼は、パトロールマンの澄んでするどい明敏な目、長くしっかりした指、速度と力を雄弁に物語るしなやかな筋肉を見た。リューイストンを、それ本来の機能で見た。人類に知られているうちでもっとも致命的でもっとも破壊的な携帯武器なのだ。とりわけ暴力団員が見たのは、数の差だった。四人か五人か六人の暴力団員に対して、六人か七人か八人のパトロールマンがいた。ギャングが増援されると、パトロールマンも増援された。ギャングの一部が立ち去ると、黒と銀の制服を着たパトロールマンが、それに相応するだけ立ち去った。
「ここにへばりついてばかりいて、退屈しないかね、ジョージ?」ギャングのひとりが、パトロールマンのひとりになれなれしくたずねた。「おれは退屈しちゃったよ。おれたちとあんたたちで、女の子をさそって遊びにいこうじゃないか?」
「いや、だめだ」ジョージは拒絶した。彼の口調は陽気でさりげなかったが、目は冷たく澄んでいた。「おれの伯父《おじ》さんのいとこの継子《ままこ》が、野犬捕獲員の第二助手に立候補してるんで、そいつが勝つかどうかわかるまでは、ここをあけられないのさ」
そういうわけで、なにごとも起こらなかった。そういうわけで、目には見えないがきびしい緊張は、公然たる戦闘に爆発しなかった。そういうわけで、北アメリカの長い歴史を通じてはじめて、大統領選挙は九九・九九パーセント公正におこなわれたのだ!
夕方がきた。投票場は閉鎖された。宇宙党の選挙司令部であるヴァン・デア・ヴォールト・ホテルの大舞踏室は、ここへ立ち寄る機会があると考えたすべてのパトロールマンの目的地になった。もちろん、キニスンは一日中そこにいた。彼の妻のジョイについては、残念ながらこの年代記の中でとりあげる余地がなかったが、彼女もずっとここにいた。ふたりの娘のベティは、早くからきていた。彼女には、がっしりして風采《ふうさい》のいい若い中尉がつきそっていたが、彼についてもこの物語ではふれなかった。ジャック・キニスンは、ディンプル・メーナード――おどろくほど赤い絹のドレスを着たまぶしいようなブロンド娘――といっしょにやってきた。彼女はどこへ行っても無視されることはなかったが、この本では、やはり気の毒なほど無視されてしまった。
「ぼくがはじめて彼女に会ったとき」とジャックは、そう言うのがつねだった。「ぼくはとたんに水平|錐《きり》もみ状態におちいって、ぐるぐるまわりしたあげく、自分の腰の後ろにかみついて、四時間身動きがとれなかったよ!」
ミス・メーナードを特別にとりあげるべきだということは、少しも不思議ではない。彼女はキニスン家の者と結婚して、キニスン家の子どもを生むからである。
ファースト・レンズマンは、選挙本部から出たりはいったりしていたが、いまやはいってきて、そのままとどまった。ジルと、彼女とは切っても切れないメースン・ノースロップも、そうだった。ひとり、またはふたり、または三人でやってきたほかの連中もそうだった。レンズマンとその妻たちだ。コンウェー・コスティガンとクリオ・コスティガン、ロードブッシュ博士と夫人、クリーブランド、クレートン提督と夫人、シュヴァイケルト提督、ネルス・バーゲンホルム博士。そしてその他の人々。彼らは北アメリカ人とはかぎらず、地球人とさえかぎらなかった。ルラリオンがいた。リゲル系第四惑星のずんぐりして頑丈なドロンヴィルもいた。ドロンヴィルのような怪物的レンズマンはもとより、どのレンズマンが考えていることも、外部の人間にはわからなかった――しかし、このホテルは、いかなる選挙本部よりも厳重に警護されていた。
開票結果が判明しはじめ、はげしいシーソー・ゲームがくり返された。テンポはますます速くなった。沿岸区域は五分五分だった。メーン、ニュー・ハンプシャー、ヴァーモントは宇宙党。ニューヨーク北部は宇宙党。ニューヨーク市は、中間的だがきわめて意味深い開票結果から判断して、国民党が圧倒的多数を占めつつあった。ペンシルベニア――労働者が多いので――国民党。オハイオ――農民が多いので――宇宙党。南部十二州は六対六だった。シカゴは例によってモーガン一派を支持した。ケベック、オッタワ、モントリオール、トロント、デトロイト、カンサス・シティ、セントルイス、ニューオーリンズ、デンヴァーも同様だった。
やがて、北部、西部、南端部の諸州の結果が判明して、同点となった。サスカチェワン、アルベルタ、プリトコル、アラスカはいずれも宇宙党を支持した。ワシントン、アイダホ、モンタナオレゴン、ネヴァダ、ユタ、アリゾナ、ニューメキシコおよびメキシコの大部分の州もそうだった。
朝の三時になると、宇宙党はわずかながら決定的なリードを奪い、最後までそれを維持した。四時になると、リードはいっそう大きくなったが、カリフォルニアはまだ不明だった――カリフォルニアのおかげで万事がおじゃんになるかもしれない。カリフォルニアはどのような結果になるか? とくに、カリフォルニアの二つの大都市区域はどうか――この二大都市は全国的にもっとも中立的で自由な立場にいるだけに、もっとも予想しにくいのだ――彼らはどう動くだろうか?
「もうこっちのものだ! 祝賀会をはじめよう!」だれかが叫び、他の人々もこれに和した。
「待て! まだいかん!」練兵場できたえたキニスンの声が騒ぎをしずめた。「結果が確実になるか、ウィザースプーンが敗北を認めるかするまでは、祝賀会をはじめるべきではないし、また、はじまらないのだ!」
二つの結果が、ほとんど同時に判明した。ウィザースプーンが敗北を認め、それから二、三分後に、彼の勝利が数学的にも不可能になったのだ。こうして祝賀会がはじまり、果てしもなくつづけられた。しかし、キニスンは、最初の機会にサムスの腕をとって、一言もいわずに小さなオフィスに連れこみ、ドアをしめた。サムスも何もいわずに回転椅子に腰をおろし、両足をデスクにのせると、シガレットをつけて深く吸いこんだ。
「どうだい、バージ――満足かね?」やがてキニスンが沈黙を破った。彼のレンズははずされていた。「われわれは軌道に乗ったのだ」
「そうだ、ロッド。完全に満足した。ついにな」彼も友人と同じで、自分が充分によく知っている相手の心の奥を、レンズでさぐる気にはなれなかった。「これで銀河パトロール隊は前進していくだろう――自分の力でな――これからは、銀河パトロール隊にとって、かけがえのない個人はいなくなる――何ものもパトロール隊の前進をとどめることはできないのだ!」
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エピローグ
モーガン上院議員が、自分の専用オフィスで殺されていた事件は、ついに解決されなかった。これがもし選挙前に起こっていたら、疑いはロデリック・キニスンにかかったにちがいないが、そうではなかったので、そうはならなかった。どれほど想像をたくましくしてみても、〈|岩のロッド《ロッド・ザ・ロック》〉が、なぐり倒した相手をさらにけとばすということは、だれにも考えられなかったのだ。モーガンは、暗黒街に強力で執念ぶかい敵がいなかったわけではない。そのような敵があまりに多すぎて、特定のひとりと犯罪を結びつけることが不可能だったのだ。
公式には、キニスンは銀河パトロール隊から五年の休暇をとり、司令長官のオフィスは艦隊から完全に分離されて、北アメリカ大統領のオフィスとなった。しかし、実際には、あらゆる重大問題について、ロデリック・キニスンは依然として司令長官であり、彼が死ぬか銀河評議会が彼を免職させるかするまでは、その地位にとどまるわけだった。
公式には、キニスンは、自分がみごとに果たしてきた仕事から、短い休暇を取った。しかし、実際には、ペトリンの新レンズマンたちと顔を合わせ、彼らがどんな仕事をしているかを見るために、ペトリンへ短い訪問に出かけたのだった。そればかりでなく、ペトリンにはすでにバージル・サムスがいっていた。
彼はペトリンに到着した。新レンズマンたちと顔を合わせた。そして満足した。
「いっしょに地球へもどらんかね、バージ?」彼は訪問の目的を果たしたあとでたずねた。「わしは演説をやらねばならん。きみがわしの頭をささえていてくれればありがたいのだ」
「いいとも」そしてシカゴ号は発進した。
彼らが地球に接近したとき、北アメリカの半分は暗かった。そして、その全体が雲におおわれているように見えた。船の位置を知っているのは、航行士だけだったが、どちらのレンズマンもそんなことに関心はなかった。ふたりは、それぞれの孫の才能や能力についての自慢話に、夢中になっていたのだ。
シカゴ号は着陸した。一台の地上車が待っていた。ふたりのレンズマンは、なんの命令もあたえずに、運ばれていった。サムスは演説がどこでおこなわれるかをたずねていなかったし、キニスンも、自分がそれについて何も告げていないことに気づかなかった。そういうわけで、サムスはたったいまワシントンのスポーケ宇宙空港を出発したということに、少しも気づかなかった。
地上車は、ひらけた田園地帯を数マイル走ったのち、市に到着した。車は速度をゆるめて、あかるく照明されたメープル通りにはいり、〈キャノン・ヒル〉とかなんとか書かれた標識のかたわらを通過した――どちらの名称も、ふたりのレンズマンにとっては、なんの意味もなかった。
キニスンは友人の赤毛の頭を見やってから、自分の腕時計に目を移した。
「きみを見ていて思い出した――わしは髪を刈らなきゃならん」彼はいった。「船で刈っておけばよかったが、思いつかなかったのだ。ジョイは、わしが髪を刈らんで家へもどったら、わしの髪を弁髪《べんぱつ》に編んで、ピンクのリボンをむすびつけるといっていた。ところが、きみはわし以上にのびている。髪を刈るか、バイオリンを買って音楽家になるかしなけりゃなるまい。これから刈らないか?」
「時間は充分あるかね?」
「充分だ」そこで、運転手にむかって、「床屋が目につきしだい、とめてくれたまえ」
「はい、閣下。数ブロック先にいい店があります」
地上車はメープル通りをくだり、ぐっと曲がって、一二番通りとはっきり標識の出た通りへはいった。どちらのレンズマンも、その標識を見なかった。
「ここです、閣下」
「ありがとう」
理髪師がふたりいて、椅子が二つあり、どちらもあいていた。ふたりのレンズマンは、店がきちんと清潔にたもたれているのを見ながら、腰をおろして、ふたりのきわめて非凡な赤ん坊についての話をつづけた。理髪師はせっせと仕事にとりかかった。
「しかし、きみの娘がわしの息子と結婚しなかったのもよかったよ――じつはそのほうがよかった」キニスンは結論をくだした。「そのおかげで、われわれはそれぞれ孫がひとりずつできた――ひとりだけの孫を〈きみ〉と共有するんじゃつまらんからな」
サムスは、この冗談に笑えなかった。あることが起こっていたからだ。この色が白く髪が黄色で目の青い理髪師が左利きだという事実は、サムスの注意をとくにひかなかった――左利きの理髪師はいくらでもいる。彼は猫が近づくのを見もしなかったし、聞きもしなかった――それは半分もそだっていないグレーの虎猫だった――その猫は、後ろ足で立ち上がって、彼のナイロン靴下をはいたくるぶしをうれしそうにかいだのち、ほとんど聞こえないほどの小さな声で「ニャオ」と二度鳴いてから、たのしそうにゴロゴロのどを鳴らしはじめていたのだ。小猫は小さいがしっかりした足を緊張させて身をかがめ、ほとんど垂直にとびあがった。そのしっぽが、理髪師のひじにぶつかった。
理髪師はあわてて猫を払いのけ、自分の失策と猫の出現について、さんざん謝った――これまでこんなことをしでかしたことがありませんでしたのに、この猫はすぐ水にほうりこんでしまいます――そして、止血剤を傷口にあてたとたん、サムスはあることを思い出して、杭打ち機で打たれたような衝撃をおぼえた。
「うむ、ちくしょう――」サムスは、まったく彼らしくもない明確な悪罵を発した。それは、メンターがずっとむかしに予言したように、自分自身とその状況に対するののしりだった。そのとたんに、すっかり記憶がよみがえって、彼は言葉を途中でのみこんだ。
「許してくれたまえ、ミスター・カーボネロ。こんなにとり乱してしまって。傷は問題ではないし、きみにはなんの責任もない。きみがどうしても、結局は――」
「わたしの名前をご存知で?」理髪師は驚いて口をはさんだ。
「そうだ。きみを――その――ある友人が――推薦してくれたのだ――」サムスがどうごまかしても、事情は混乱するばかりだ。とほうもない真相だが、少なくともその一部は話さないわけにいくまい。「きみはイタリア人らしく見えないが、予言を信じる種族的遺伝は充分に受けついでいるんだろうね?」
「もちろんです。これまでに予言者はたくさんいました――〈真の〉予言者が」
「よろしい。この事件は、くわしく予言されていた。あまりくわしいところまでぴったりあったので、わたしはひどくショックを受けたのだ。小猫についてさえ当っていた。この名前はトマスだね」
「はい、トマス・アキナスといいます」
「こいつは実際は牝《めす》だ。ここへはいれ、トマシーナ!」小猫は熱狂的に彼のひざに這いのぼっていたが、彼がポケットをさそうように開くと、その中へとびこんで腰をおちつけ、幸福そうにごろごろ鳴きはじめた。理髪師とキニスンが目をまるくしているうちに、サムスは話をつづけた。
「こいつはわたしにもらわれる運命にあるのだ。それに、こんな愛情に答えないのはすまんことだ。こいつをゆずってくれないかね――そう、十信用単位で?」
「十信用単位ですって! ただでも喜んでさしあげます!」
「では、十信用単位にしよう。もう一つすることがある。ロッド、きみはいつもポケット定規を持っていたな。このかすり傷をはかってくれないか? 長さ三ミリに近いことがわかるだろう」
「『近い』どころじゃないよ、バージ――この副尺ではかれるかぎりでは、きっかり三ミリだ」
「そして、鎖骨のすぐ上で、それと平行しているだろう」
「そのとおりだ。すぐ上で、まるで製図工がはかったみたいに平行だ」
「うん、それでいい。理髪をすましてしまおう。きみが演説におくれんようにな」理髪師たちの心中は読者の想像にまかせるが、彼らは、中断された仕事にかかった。
「わけを話してくれ、バージ!」キニスンはさっきからおさえていた思考を、レンズで伝達した。サムスをまったく知らないカーボネロが、いまの出来事に驚かされたとすれば、サムスをあれほどむかしから、あれほどよく知っているキニスンは、文字通り完全に茫然自失の態《てい》だった。「この出来事にかげには、いったい何があるんだ。どういう来歴があるんだ? 教えてくれ!」
サムスはキニスンに真相を告げた。ふたりのあいだに、精神的沈黙がおとずれた。思考でははかれないほど深い沈黙だった。ふたりとも、アリシアのメンターが実際には何ものであるかは永久にわかるまいということを、理解しはじめたのである。