レンズマン・シリーズ4
レンズの子ら
E・E・スミス/小西宏訳
目 次
未来へのメッセージ
一 キムとキット――ふたりのグレー・レンズマン
二 ウォーゼルとデルゴン貴族
三 キニスン、スペース・オペラを書く
四 パレイン系第七惑星ナドレックの活動
五 大統領の誘拐
六 トレゴンシー、カミラ、そして「X」
七 キャスリンの当直《とうちょく》
八 ブラック・レンズマン
九 アリシア人の教訓
一〇 コンスタンス、ウォーゼルを追い越す
一一 ナドレック、罠師を罠にかける
一二 惑星カロニアのクローズアップ
一三 クラリッサ、第二段階レンズマンとして活躍
一四 キニスン、麻薬業者サイロンにばける
一五 サイロン、手がかりを追求
一六 グレー服のレッド・レンズマン
一七 ナドレック対カンドロン
一八 探知者カミラ・キニスン
一九 宇宙の地獄穴
二〇 キニスンとブラック・レンズマン
二一 ライレーン上のレッド・レンズマン
二二 キット、エッドールへ侵入。そして――
二三 きわどい脱出
二四 討議
二五 アリシアの防衛
二七 プルーアの戦闘
二七 キニスン、罠にかかる
二八 エッドールの戦い
二九 愛の力
エピローグ
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登場人物
キムボール・キニスン……地球人、銀河調整官、第二段階レンズマン
クラリッサ・キニスン……地球人、キムボールの妻、レッド・レンズマン
クリストファー・キニスン(キット)……地球人、キムボールの息子、第三段階レンズマン
カレン(ケイ)、キャスリン(キャット)、カミラ(カム)、コンスタンス(コン)……地球人、キニスン家の娘たち、いずれも第三段階レンズマン
ウォーゼル……ヴェランシア人、ドラゴンに似た有翼の爬虫異生物、第二段階レンズマン
トレゴンシー……リゲル人、ドラム罐状の異生物、第二段階レンズマン
ナドレック……パレイン人、冷血の異生物、第二段階レンズマン
メンター……アリシア人、キニスンの師、銀河系の擁護者
カンドロン……暗黒惑星オンローの支配者
メラスニコフ……カロニア人、カロニア系惑星のブラック・レンズマン
メンドナイ……ボスコニア指揮官
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用語解説
[ビーム Beam] エネルギーを光に変えて集束したもの。攻撃用としては敵の物体を固定させる牽引《トラクター》ビーム、溶解性熱線を放射する大型から半携帯式デラメーター、携帯用の光線銃《レイ・ガン》まで、さまざまの形式がある。物体に穴をあける針光《ニードル》線もその一種。また通信用電波としても使用する。
[スクリーン Screen] 遮蔽膜《しゃへいまく》。強力なエネルギーを持つ磁場を展開して、敵のミサイルや攻撃ビームを防ぐ防御兵器。|防 御 壁《ウォール・シールド》(Wall-Shield)、|障 壁《バリヤー》(Barrier)などもこれと同工異曲のもので、小は人間や物体から、大は一つの惑星全体を包んで遮蔽効果を発揮する。
[宇宙船エネルギー Cosmic-energy] 太陽系から太陽系へ一瞬のうちに航行する超光速宇宙船の推進動力として開発されたもので、感受器《リセプター》で受け、変換器《コンバーター》を経て|蓄 積 器《アキュムレーター》に貯えられる。蓄積器は電気の場合のバッテリーに相当し、各種のビーム、スクリーンなどのエネルギー源にも使用する。原子力や化学燃料とちがって補給は無制限と考えられる。
[「自由」航法 Free, Inertialess drive] 惑星間飛行には、種々の方法があるが、これもその一つ。慣性を中立化し無慣性(無重力)状態を作り出して航行する。宇宙船を動かす大型ドライブと個人の身につけるドライブとがあり、有重力と無重力飛行を適宜切りかえて使用する。
[エーテル、サブ・エーテル Ether, Sub-Ether] 宇宙空間。サブ・エーテルは亜空間と訳される。これはアインシュタインの相対性原理にもとづく概念で、宇宙空間にある歪みを利用して通信ないし航行することにより、数百光年の距離を瞬時にしてカバーする。
[パーセク Parsec] 天体の距離を示す単位で視差が一秒になる距離。三二五九光年にあたる。
[ダイン Dyne] 力の絶対単位。質量一グラムの物体に作用して、一秒につき一センチの加速度を生じる力。
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レンズの子ら
未来へのメッセージ
主題 ボスコニア戦争の終結に関する報告。
惑星クロヴィアの第三段階レンズマン、クリストファー・K・キニスンより
これを入手し解読できる生物へ
この不朽《ふきゅう》の容器を入手し、封印《ふういん》を破壊してこのテープを解読できる第三水準の知的生物であるきみ、およびその同僚諸君に挨拶を送る。
のちにあきらかになるような理由から、この報告は、不定の、しかし非常に長い期間、だれの手にもはいらないだろう。宇宙万有に対するわたしの現在の洞察《どうさつ》は、そのような行為が必要になる時期までおよんでいない。したがって、銀河文明が経験した闘争のクライマックスにいたる初期の段階について、もっとも枢要《すうよう》な事実をかんたんに回顧《かいこ》することが望ましい。この情報は現在でこそ広く知られているが、未来のその時期においては、わたしの子孫の記憶にしか残っていないだろうからである。
銀河文明の初期においては、警察の行動範囲が限定されているのに反し、犯人のそれは限定されていなかったから、法律の効力は犯罪の伝播力《でんぱりょく》におよばなかった。技術的進歩がなされるたびにその条件はますます悪化し、ロードブッシュとクリーブランドが開発した不充分な無慣性宇宙推進装置を、バーゲンホルムが完全なものとして全銀河系的な貿易が現実化したときには、ついに犯罪が銀河文明の存在そのものをおびやかすにいたった。
もちろん、当時は、この犯罪について何か組織的統一的なもの、または大規模な目的があるという疑いは、持たれなかった。何世紀もたってはじめて、現在銀河調整官であるわたしの父、地球のキムボール・キニスンが、第一銀河系におけるほとんどすべての破壊活動の背後には、ボスコニア――銀河文明のあらゆる理想と正面から対立する専制的、独裁的文化――が存在するという事実を証明するにいたった。しかし、その彼でさえ、アリシア人対エッドール人の永劫《えいごう》の昔からの闘争や、銀河パトロール隊の存在理由《レゾン・デートル》については、想像もおよばなかった――この事実は、第三水準の圧力に対して本質的に安定している心の持主以外には知らせてはならないことなのである。
当時|三惑星連合軍《トリプラネタリー》の指導者だったバージル・サムスは一般的情況を洞察し、その必然的結果を予見した。彼は、自分の指導する機関が、だれにも偽造《ぎぞう》できないような認識票を獲得しないかぎり、警察活動は相対的に無効の状態にとどまるだろうということを理解した。地球の科学陣は最善の努力をつくして、三惑星連合軍のために黄金隕石を認識票として製造したが、その最善の努力でさえ、実は充分ではなかった。
バージル・サムスは、アリシア人に生命力を与えられている生身《なまみ》の人間であるネルス・バーゲンホルム博士を通じて、アリシアのレンズの最初の着用者となり、その後の生涯を捧げて、レンズを着用する資格のある者たちを厳選《げんせん》する仕事にとりかかった。何世紀かにわたって、パトロール隊は成長し、そして拡大した。やがて広く知れ渡ったことであるが、レンズは完全な精神感応装置であり、それが同調している自我《エゴ》を持った個人によって着用されている場合にのみ、多彩《たさい》な光を放射しているが、その他の生物がそれを着用しようとすれば、たちまち殺されてしまうのだった。レンズの着用者は、種族や形態にかかわりなく、銀河文明の象徴として認められていた。
レンズは単なる認識票や精神感応装置以上のものだったが、キムボール・キニスンは、そのことを理解した最初のレンズマンだった。こうして彼はレンズマンとしてはじめて再度アリシアへおもむき、レンズマンの第二段階訓練を受けた――この訓練に耐えられるのは、例外的な頭脳の持主だけであるが、それによって第二段階レンズマンは自分が必要とするすべての能力を与えられ、それらの能力を洞察し制御することができるのである。
ヴェランシアのレンズマン、ウォーゼルとリゲル系第四惑星のレンズマン、トレゴンシー――前者は翼のはえた爬虫人《はちゅうじん》であり、後者は四つ足で樽《たる》のような胴体を持った生物で、視覚の代わりに知覚力をそなえている――の援助によって、キムボール・キニスンは第一銀河系におけるボスコーンの軍事組織を追及し偵察した。彼は「ボスコーンの代弁者」ヘルマスの総司令部である総基地を攻撃する計画に協力した。彼は奇怪な惑星トレンコに産する致命的な麻薬シオナイトを総基地の制御ドームに充満させることによって、銀河文明の大艦隊が空港司令官ヘインズ指揮のもとにその基地を壊滅させることを可能ならしめた。そして、みずから肉弾戦によってヘルマスを倒した。
彼はデルゴン貴族を、ほとんど完全に絶滅《ぜつめつ》することにも貢献《こうけん》した。彼らは、知的生物の生命力をむさぼりくうサディスティックな爬虫人であって、のちに人類に対して最初に超空間チューブを使用することになった。
キニスンは一度ならず負傷したが、その治療を受けているあいだに、軍医総監《ぐんいそうかん》レーシーと、戦区看護婦長クラリッサ・マクドゥガルとに知りあった。クラリッサはのちに「レッド」レンズマンとして広く知られるようになり、さらにのちには、わたしの母になったのである。
しかしながら、ボスコニアは軍事的敗北をこうむったにもかかわらず、その真の組織は無傷だった。そこで、キニスンはさらに偵察《ていさつ》をつづけ、以後は第二銀河系と呼ばれるようになったランドマーク星雲へ侵入した。ボスコニアの攻撃を受けていた惑星メドンは敵の手から救われ、銀河系間空間を横断して第一銀河系に移動した。メドンは銀河文明に二つの顕著《けんちょ》な貢献をした。第一は、従来想像もおよばなかったような電圧と電流量とを処理できるような絶縁体《ぜつえんたい》、導体およびスイッチを提供したことであり、第二は、ポセニア人外科医のフィリップスが、人体の失われた器官を再生《さいせい》させることを可能ならしめる研究を、この惑星で完成させることができたことである。
キニスンは麻薬組織をたどるのがボスコーンに到達するにもっともすみやかで確実な線だと判断し、大酒飲みで麻薬ベントラム食いで早|撃《う》ちの宇宙ゴロ、ワイルド・ビル・ウィリアムズに変装《へんそう》した。彼はウィリアムズとして麻薬業者《ズウィルニク》の線を一段一段上方へたどり、ついに第二銀河系内の惑星ジャーヌボンをさぐりあてた。ジャーヌボンにはアイヒ族が住んでいた。これはデルゴン貴族とくらべてさえいっそう知的で、いっそう容赦《ようしゃ》なく、いっそうボスコニア的な冷血の怪物だった。
ともに第二段階レンズマンであるキニスンとウォーゼルとは、ジャーヌボンを偵察するために出発した。キニスンは捕えられ、拷問《ごうもん》され、片手を切断されたが、ウォーゼルはキニスンを心も知識も無傷のまま地球へ連れもどした――その知識とは、ジャーヌボンが九人のアイヒ族からなるボスコーンと呼ばれる評議会によって支配されている、というはなはだ重大なものだった。
キニスンはフィリップスの再生手術を受け、ふたたびクラリッサ・マクドゥガルが彼を看護して健康体にもどした。ふたりは愛しあったが、グレー・レンズマンの任務が完遂《かんすい》されるまでは、すなわち銀河文明がボスコニアにたいして勝利を博するまでは、結婚できなかった。
銀河パトロール隊は、数百万の支艦隊からなり旗艦《きかん》Z9M9Zに率いられる大艦隊を集結させた。大艦隊は攻撃した。第一銀河系におけるボスコニアの監督であるジャルトの惑星は、反物質爆弾によって消滅《しょうめつ》した。ジャーヌボンは二つの衝突《しょうとつ》する惑星のあいだで粉砕《ふんさい》された。この二個の惑星は無重力状態で適当な位置に選ばれたのち、ジャーヌボンを粉砕するために有重力化されたのだった。大艦隊は勝ち誇って帰還《きかん》した。
しかし、ボスコニアは反撃してきた。膨大な艦隊を、通常の宇宙空間ではなく、超空間チューブを通じて地球へむけて派遣したのである。だが、この接近手段は予期されていた。観測船や探知装置が展開され、パトロール隊の科学者たちは、数カ月まえから「太陽ビーム」を熱心に研究していた。――この装置は、太陽の全エネルギーを一本の恐るべきビームに集中するものだった。ただでさえ協力無比のパトロール隊の大艦隊は、この新兵器によっていっそう強化された結果、侵入軍は一掃《いっそう》された。
キニスンはふたたび、ボスコーン評議会よりいっそう上級のボスコーン人を追求する必要があった。彼は専用の超大型戦艦ドーントレス号に乗り、探知不能の非鉄金属性の快速艇を同艦に積みこんで出発し、ある麻薬業者《ズウィルニク》の足跡を発見してそれをたどりながら、第一銀河系の外縁にある、未探検でほとんど未知のダンスタン区域に接近し、ついにライレーン系第二惑星に到達した。そこには人類に近い肉体を持つ女家長制種族が住み、女王ヘレンによって支配されていた。
この惑星で、キニスンはかつてアルデバランのダンサーだったイロナ・ポッターを発見した。彼女はボスコニアの主人にそむき、自分が生涯のほとんどを過ごしたボスコニア側の惑星ロナバールについて知っていることを、すべてキニスンに告げた。ロナバールはパトロール隊には未知であり、イロナはその惑星の宇宙における位置をまったく知らなかった。しかし、彼女はそこの独特な宝石類について知っていた――それらの宝石は、銀河文明にはほとんどまったく知られていないものであった。
冷血生物の第二段階レンズマンであるパレイン系第七惑星のナドレックは、一個の宝石を鍵として、ロナバール発見に着手した。いっぽうキニスンは、女家長制種族のあいだでのボスコーン人の活動を偵察しはじめた。
しかし、ライレーン人は狂信的といっていいほど非協力的だった。彼女たちはあらゆる男性を憎み、あらゆる外来者を軽蔑し嫌悪した。キニスンはアリシア人メンターの承認と援助によって、クラリッサ・マクドゥガルを独立レンズマンとし、ライレーン系第二惑星で工作する任務を与えた。
ナドレックはロナバールを発見して、宇宙図にその位置を記入した。キニスンはボスコーン人として非の打ちどころのない経歴をつくるために、宝石商カーティフ――宝石泥棒、宝石詐欺師カーティフ――盗品売買人カーティフ――殺人犯カーティフ――ボスコニアの大物カーティフ――と変身《へんしん》した。彼はロナバールの独裁者メンジョ・ブリーコに挑戦《ちょうせん》して打倒し、彼を殺すまえにその心から、彼が知っていたすべての情報を奪った。
レッド・レンズマン《クラリッサ》は、デルゴン貴族の洞窟《どうくつ》がライレーン系第二惑星に存在しているという推定を裏付けるような情報を獲得した。パトロールマンはこの洞窟を襲撃破壊し、アイヒ族がライレーン系第七惑星に強力な基地を設けていることを知った。
すぐれた心理学者であるナドレックは、その基地にひそかに侵入し、アイヒ族が第二銀河系内のスラリス太陽系から指令を受けており、オンロー(スラリス系第九惑星)の冷血人カンドロンが、スラール(スラリス系第二惑星)の独裁者である人間アルコンにつぐ勢力を持っていることを知った。
キニスンはスラールへ、ナドレックはオンローへおもむき、両者の工作は第二銀河系へのパトロール隊の進攻によってカバーされた。この進攻でボスコニアの大艦隊は撃滅《げきめつ》され、惑星クロヴィアが占領されて要塞化《ようさいか》された。
キニスンはスラール人トラスカ・ガネルに変装し、アルコンの軍事組織の中で強引《ごういん》に昇進していった。彼は超空間チューブの中でわなにかけられ、宇宙万有を構成する無数の併存的《へいぞんてき》三次元空間のうちの未知の一つにほうりだされたが、地球の数学者サー・オースティン・カーディンジの脳を通じて指示するメンターによって救出された。
彼はスラールへもどると革命を企て、それによってアルコンを殺して、スラールの独裁者としての地位をついだ。そのとき彼は、自分の総理大臣のフォステンが、催眠帯域《さいみんたいいき》によって自己の正体を遮蔽《しゃへい》しており、アルコンの助言者ではなく上級者だったということを発見した。彼もフォステンも、まだ公然たる衝突には準備が不充分だったが、どちらもその衝突がおこった場合の自己の勝利を確信しつつ、暗闘を開始した。
ガネルとフォステンとは惑星クロヴィアへの攻撃を計画し、発進したが、交戦の直前、ふたりのボスコニア指導者のあいだの敵意が、支配権をめぐる公然たる闘争に発展した。恐るべき精神闘争ののち、キニスンは勝利をえた。その間に旗艦の全乗組員は死亡し、ボスコニア艦隊はパトロール艦隊のなすがままになった。
もちろんキニスンは当時ものちも知らなかったが、フォステンとは実はエッドールのガーレーンであり、フォステンを圧倒したのは事実上アリシアのメンターの力だった。キニスンは、フォステンが若いころ発狂したアリシア人であり、自分がだれの援助もなくフォステンを殺したのだと信じ、メンターは彼がそう信じこむようにしむけた。この時点では強調するまでもないことであるが、こうした情報はすべて、第三水準以下の知能に与えられてはならない。そのような事実が判明すれば、彼らの心に劣等感が植えつけられて、必然的にパトロール隊と銀河文明とが破壊されてしまうにちがいないということはあきらかだろうからである。
フォステンは死に、キニスンはすでにスラールの独裁者となっていたので、パトロール隊がスラールを占領するのは比較的容易だった。ナドレックはオンローの守備軍を発狂させ、相互に死ぬまで戦わせることによって、オンローの強力な防備《ぼうび》を完全に無力化した。
そのあと、キニスンはボスコニア戦争が終結したものと考え――事実、メンターは彼がそう考えるようにしむけた――クラリッサと結婚して、クロヴィアに自分の本部を設け、銀河調整官の任務についた。
キムボール・キニスンはけっして宇宙変種《ミュータント》ではなかったが、きわめて長期にわたって選択され育成された血統の、最高潮《さいこうちょう》に達する直前の世代だった。クラリッサ・マクドゥガルもまたそうだった。この二つの血統を現在のようなものにするために、アリシアの科学者がどのような方法を採用したかについて、わたしは推定はできるが、現実にはまだわかっていない。また、そのことは、この記録の目的にとってはとくに重要ではない。空港司令官ヘインズと軍医総監レーシーとは、自分たちがふたりをめぐりあわせて、そのロマンスを促進《そくしん》したものと考えていた。彼らにはそう思わせておけばよい――代行者としては、彼らはたしかにそういうことをしたのである。採用された方法がいかなるものだったにせよ、このふたりが結ばれることは、最初の、そして現在のところただひとりの第三段階レンズマンを生みだすために精確に必要だったのである。
わたしはクロヴィアで生まれた。四人の妹――二組の非一卵性双生児――も、銀河系標準年にして三年および四年後に、やはりそこで生まれた。わたしには幼児時代はほとんどなく、少年時代はまったくなかった。わたしたちは第二段階レンズマンを父母として、生まれたときからヴェランシアのウォーゼル、リゲル系第四惑星のトレゴンシー、パレイン系第七惑星のナドレックのような生物と、全開両面精神感応状態にあったので、当然のことと思われるだろうが、わたしたちは学校へかよわなかった。わたしたちは同じ年ごろの子供のようではなかった。しかし、ろくに歩くこともできないくらいの幼児が、「精神算術」として、高度に複雑な小惑星《アステロイド》軌道の計算をやるということが異常なことであるというのを理解するまえに、わたしたちは人類や銀河文明の大部分に対して、自分たちの異常さをかくしておかねばならないということを知っていた。
わたしはたびたび宇宙旅行をやった。父か母、またはその両方といっしょのときもあり、ひとりきりのときもあった。毎年少なくとも一度、わたしはアリシアへ訓練を受けに行った。そして、レンズマンになるまえの二年間を、肉体的訓練の目的だけで、クロヴィアのアカデミーではなしに、地球のレンズマン養成所ウェントワース・ホールで過ごした。地球ではキニスンという名前はすこしも異常ではないが、クロヴィアでは、「キット」キニスンが銀河調整官の息子だという事実はかくせそうもなかったからである。
わたしはレンズマン養成所を卒業した。そしてこの記録は、わたしがレンズを身につけたときから正式にはじまる。
わたしはこの資料をなるべく客観的に記録した。わたしも妹たちも、自分が特定の任務のために育成され訓練されたのであり、その任務をはたしたにすぎないということを完全に理解しているからである。この記録を読む諸君も、自分が特定の任務のために育成され訓練されたのだということを知れば、その任務を遂行するであろうように。
諸君に敬意をこめて。
クロヴィアの第三段階レンズマン
クリストファー・K・キニスン
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一 キムとキット――ふたりのグレー・レンズマン
銀河調整官キムボール・キニスンは、地球産コーヒーの二杯目を飲みおえて、朝食のテーブルから立ちあがり、放心したようなようすでそこらを歩きまわった。二十年あまりの歳月は、彼をほとんど変化させなかった。体重は同じか、二、三ポンドへった程度だったが、肉づきは、たくましい胸や肩からいくらか下方に移っていた。髪はまだ茶色で、きっぱりした顔にはかすかにしわがあらわれただけ。彼は成熟《せいじゅく》して、若い男には知りえないような成熟意識を持っていた。
「キム、あなたいつから自分の心をわたくしにかくしておくことができると思うようになったの?」クラリッサ・キニスンはもの静かに思考をむけた。歳月はグレー・レンズマンに対してと同様、レッド・レンズマンにもわずかしか影響を与えていなかった。彼女はかつては華麗《かれい》だったが、いまや豊麗《ほうれい》だった。「この部屋は、娘たちにたいしてさえ思考遮蔽《しこうしゃへい》されているのに」
「すまない、クリス――そんなつもりではなかったんだ」
「わかっているわ」彼女は笑った。「自動的なのね。でもあなたは、もうまるまる二週間も思考遮蔽しているわ。意識してそれを除去しているときのほかはね。つまり、あなたは常軌《じょうき》を逸《いっ》しているのよ」
「信じられないと思うかもしれないが、わたしは考えごとをしていたんだ」
「わかっているわ。何を考えていたのか教えてちょうだい、キム」
「QX《オーケー》――きみの注文だからな。このところ、いたるところで異常なことが起こっている、不可解な事件だ――原因も不明」
「たとえば?」
「名づけうるかぎりのほとんどありとあらゆる陰険な悪虐行為《あくぎゃくこうい》だ。不満、精神異常、集団ヒステリー、幻覚、そういうものが、なんの原因も理由も存在していないように思われる革命や反乱を起こして銀河文明全体にわたって伝染する兆候があるのだ」
「まあ、キム! そんなことってあるかしら? わたくし、そんなことすこしも聞かなかったわ!」
「一般的には知られていないのだ。どの太陽系でも、そうした事件を単なる地域的現象と考えているが、じつはそうではない。銀河調整官は全銀河系に対して広汎な視野を持っているから、われわれのオフィスは、もちろん、そうした現象をだれよりも早く発見できるわけだ。われわれはそれを発見したので、芽のうちにつみとろうとした――だが――」彼は肩をすくめて苦笑した。
「だが、どうしたっていうの?」クラリッサは問いつめた。
「つみとれなかったのだ。われわれは調査のためにレンズマンを派遣したが、だれひとりとして手がかりさえつかめなかった。で、わたしは第二段階レンズマン――ウォーゼル、ナドレック、トレゴンシー――に、何をおいてもその疑問を解決してくれるようにたのんだ。彼らはすぐ仕事にとりかかった。追求し現在も追求をつづけている。手がかりはわんさとあるが、今までのところ、なんの成果も得ていない」
「なんですって? それは〈あの人たち〉でも解決できない問題だとおっしゃるの?」
「いままでのところは解決していない、というのさ」彼はうわの空で訂正した。「そしてわたしは『そう思うだけで腹がたってたまらない』のだ」
「そうでしょうとも」彼女は認めた。「だから、あの人たちの仲間入りしたくてたまらないんでしょう。わたくしに相談してごらんなさい。そうすれば、そういう現象を相互に関係づける役に立つわ。あなたはまずわたくしといっしょに、それらのデータを調査すべきだったのよ」
「いまにわかるが、そうしないには、それなりの理由があったんだ。しかし、こうしてゆきづまってしまったのだから、そうするよ。話は、われわれが結婚する前まで、さかのぼらなければならない。第一に、メンターはわたしに『おまえの子孫だけが、現在おまえがおぼろげに知覚している任務を遂行《すいこう》できる』といった。第二に、これまでレンズなしにわたしの思考を読めたのはきみだけだった。第三に、メンターは、われわれが結婚してもQXかとたずねたとき、われわれの結婚は〈必要だ〉といった。あのとき、きみはその言葉づかいにいくらかこだわったが、わたしはそれが彼の森羅万象《しんらばんしょう》に対する洞察《どうさつ》と一致するという意味で用いたのだと説明した。第四に、パトロール隊の慣例《かんれい》として、どんな任務でもそれを遂行するにもっとも適した人間を派遣し、もしその人間が処理できなかった場合、そのときのレンズマン養成クラスで、首席の卒業生を派遣するということになっている。第五に、レンズマンたる者は、いかなる物でもいかなる人間でも、利用できるかぎり利用しなければならない。きみもおぼえているように、わたしはライレーン事件その他ではきみさえ利用した。第六に、サー・オースティン・カーディンジは、われわれが例の超空間チューブやわれわれに固有の宇宙空間から、故意に異質な空間にほうりだされたのだ、と、死ぬときまで信じていた」
「つづけてちょうだい。そういうデータのあいだに、なにか関連があるとしても、わたくしにはよくわからないわ」
「この六点をわれわれの現在の難局《なんきょく》と結びつけて考えれば、わかるさ。キットは来月卒業だが、全銀河文明を通じて首席になることはたしかだ」
「もちろんだわ。でも、どのみちあの子はレンズマンよ。何かの任務を割りあてられなければならないとすれば、その任務でいけないわけはないでしょう?」
「きみにはそれがどんな任務かわからないのだ。わたしは何週間もかけて二プラス二の答えを考えたが、四以外の答えを発見できなかった。もし二プラス二が四だとすると、キットはボスコーンを相手にしなければならない――〈真の〉ボスコーンだ。わたしはそれに到達しなかったし、これからも到達できないだろうがね」
「だめよ、キム――だめよ!」彼女はほとんど悲鳴に近い声をあげた。「キットはだめよ、キム――まだほんの子供ですもの!」
キニスンは無言で待った。
彼女は立ちあがり、部屋を横切って彼のそばへきた。彼は昔ながらの、しかしつねに新鮮な身ぶりで彼女のからだに腕をまわした。
「レンズマンたる者の責任だよ、クリス」彼は静かにいった。
「もちろんだわ」やがて彼女は同じように静かに答えた。「こんなに長く平穏な年がつづいたあとなので、はじめはショックだったわ、でも――もしそれが必要なら、そうしなければならないわ。けれど、あの子は――わたくしたち、あの子を手伝ってやれるんでしょう、キム?」
「そうとも」彼は腕の力を強めた。「キットが任務についたら、わたしは現役にもどる。ナドレックもウォーゼルもトレゴンシーもそうだ。きみだって、もし適当な任務が生じたらそうするのだ。そしてわれわれが防衛して、キットがボールを運ぶ――」彼の思考は中断した。
「わたくしもそう思うわ」彼女はため息をついた。それから、「でも、わかっているわ、あなたは絶対に、必要にならなければ――そしてあなたもキットも絶望的にならなければ――わたくしを呼びやしないでしょう――わたしたちはなぜレンズマンにならなければならなかったのかしら、キム?」彼女ははげしく抗議した。「なぜ地上の人間でいられなかったのかしら? わたくしがレンズとはどんなものかを本当に知るまえには、あなたはそういう思考をよくわたくしに訴えたものだったわ――」
「さよう、オーケストラでは、わしらのうちだれかが第一バイオリンにならねばならんのじゃ」キニスンはしいておどけた調子で、カーディンジ教授の言葉を引用した。「みんながみんなトロンボーンを吹くわけにはいかんのじゃ」
「それは本当だと思うわ」レッド・レンズマンの沈鬱《ちんうつ》は深まった。「どのみち、わたくしたちは、キットの卒業式を見に、きょう地球へ出発することになっているし。事情は変わらないわ」
離れた一室では、四人の背が高くてスタイルのいい赤毛娘が、ちょっとのあいだ顔を見あわせたのち、精神感応状態にはいった。彼女たちの母親は、朝食の部屋が彼女たちの心に対して遮蔽されているといったが、それは大きな誤りだった。彼女たちの心はどんなものにでも遮蔽されなかったし、され得なかった。彼女たちは、地球科学に知られているかぎりのどんな思考波スクリーンの上方からでも下方からでも、また充分に努力すれば、スクリーンの正面からでさえ、思考を通過させることができたのだ。彼女たちが興味をもった対象は、なにものも彼女たちからかくしおおせない。しかも、彼女たちはほとんどすべてのことに興味をいだいていた。
「ケイ、わたしたち仕事ができたわ!」カレンより何分か先に生まれたキャスリンは、年下の双生児カミラとコンスタンス――「カム」と「コン」――を故意に除外していった。
「やっとね!」カレンは叫んだ。「わたしいつも、わたしたちがなんのために生まれてきたのか、ふしぎに思っていたわ。わたしたちの心の十分の九は、キットをのぞけばだれにもその存在さえわからないほど深遠《しんえん》だし、わたしたち同士でも意識的に努力しなければ侵入できないほど厳重に遮蔽されているんですもの。これこそわたしたちの仕事よ。さあ、キャット、わたしたち、いろいろなところへ行って、いろいろなことをやりましょうね」
「あなたたち、いろいろなとこへ行っていろいろなことをするって、どういう意味なの?」コンが憤然《ふんぜん》としていった。「わたしたちの思考を遮蔽して、そういう楽しみからのけものにできるなんて思うの?」
「もちろんよ」キャットは平然といった。「あなたたちは若すぎるわ」
「でも、わたしたちが何をしているかは教えてあげるわ」ケイは度量《どりょう》を見せて譲歩《じょうほ》した。「あなたたちだって、ことによると、わたしたちに採用できるようなアイディアを提供してくれるかもしれないわね」
「アイディアですって――へえだ!」コンがひやかした。「本当のアイディアを提供したら、あなたたちふたりとも頭蓋骨《ずがいこつ》が破裂しちまうわ。あなたたちのプランなんて――」
「しっ――だまりなさい、みんな!」キャットが命じた。「この問題について何か価値のあるアイディアを案出するには、まだ新しすぎるわ。こういうことにしましょう――ドーントレス号に乗って地球へ半分くらいのところへ行くまで、この問題を充分に考えて、それからおたがいのノートを比較したうえで、どうするかをきめるのよ」
その日の午後、彼らはクロヴィアを出発した。キニスン専用の強力な超大型戦艦ドーントレス号――四代目――は、銀河系間空間を突破していった。時間は過ぎていく。四人の赤毛娘は集合した。
「わたし、すっかり計画をたてたわ!」キャットは他の三人の先を越して叫んだ。「四人の第二段階レンズマンが行動するはずだし、わたしたちも四人いるわ。わたしたちは宇宙全体を循環《じゅんかん》するのよ――滲透《しんとう》するといってもいいわ。そしてアイディアやデータをよせ集めて、グレー・レンズマンたちに供給《きょうきゅう》するの。あの人たちが自分でそういうものを集めたと思いこむようにこっそりやるのよ。わたしはパパをパートナーにするわ。ケイは――」
「そんなのだめよ!」みんなが騒ぎだしたが、コンの思考がいちばん強硬《きょうこう》だった。「あの人たち全員と無差別に協力するのでなかったら、だれをパートナーにするかは、くじ引きかサイコロできめましょう!」
「おだまりなさい、腰細さん!」キャットはものやわらかにいった。「赤ん坊の世話をするのはいいけど、わがままを聞いてはいけないっていう言葉は、ありふれているけど本当だわ。これは真剣な問題なのよ――」
「腰細ですって! 赤ん坊ですって!」コンは猛然とさえぎった。「よくって、腰太のおばあちゃん!」コンスタンスは長姉とくらべると、ヒップの周囲が四分の一インチばかり小さく、体重はほんの一ポンドほど少なかった。「もちろん、あなたとケイは、カムとわたしより一年だけ年長よ。一年前だったら、あなたたちの心のほうがわたしたちの心より強かったわ。でも、その条件はもう存在していない。わたしたちも成長したのよ。あなたの主張をテストするためにきくけど、あなたにできてわたしにできないことがあって?」
「これよ」キャスリンは何もつけてない腕をのばし、目を細めて思考を集中した。その手首に、一つのレンズが具象化した。それは金属の腕輪で取りつけられているのではなく、それ自体が腕輪で、なめらかなブロンズ色の肌にしっくりまといついている。「わたし、この仕事で必要が生じるときがあると感じたのよ。で、それに応じられるように練習したの。こんなことができて?」
彼女たちはできた。何秒かのうちに、他の三人も同様にレンズを着用していた。彼女たちはそれまでその必要を感じなかったが、キャスリンが示すと、ほとんど同時に、完全な知識を獲得したのだ。
キャットのレンズは消滅《しょうめつ》した。
他の三人のレンズも消滅した。だれもが、この知識や能力がわずかでも外に洩れてはならず、必要とあれば、いつでも銀河文明のレンズを着用できるということを知っていたからだ。
「じゃあ、論理でいきましょう。偶然じゃなく必然よ」キャットは戦術を変えた。「わたしのパートナーはやっぱりパパよ。みんなが、だれがだれと協力すればいちばん有効かを知っているわ。コン、あなたはこれまでずっとウォーゼルにつきまとってきたでしょう。あの人に馬みたいにのっかって――」
「いまでもそうだわ」ケイがくすくす笑った。「ちょっとまえ、彼は七重力発進のとき、いまにもこの人を二つに裂いてしまうところだったわ。そしてこの人ったら、それで腹をたてて彼をけとばしたのはいいけど、あぶなく爪をこわしてしまいそうになったのよ」
「ウォーゼルはすてきよ」コンは熱心に自己弁護した。「彼はたいていの人間よりもっとずっと賢いばかりじゃなく、もっと人間らしくて、もっとおもしろいわ。それよりケイ、あなたこそ人のことはいえないわ――だれだってわかることだけど、あのナドレックっていえば、宇宙服を着て二十フィート離れていても、わたしたちを凍らせてしまうほど冷血なのに――あなたもいまに彼みたいに冷酷《れいこく》になってしまってよ、もしあなたが――」
「それから、カムはトレゴンシーが五百パーセク以内のところにくるたびに、彼と沈黙の対話をはじめて、何がどうしたとかいうことを夢中になって考察するのよ」キャスリンはけなしあいをさえぎっていった。「そういうわけだから消去法《しょうきょほう》によって、パパはわたしのパートナーということになるんだわ」
全員が父親をパートナーにするわけにはいかなかったので、ついにキャスリンの主張が認められ、多くの議論ののち、試験的プランがたてられた。やがてドーントレス号は地球の最高基地に着陸した。キニスン一家はウェントワース・ホールへ行った。このクロミウムとガラスの高層建築は銀河パトロール隊の地球人候補生の養成所なのだ。一家は荘重な卒業式を参観した。そのあと、新しいレンズマンたちが「われらのパトロール隊」の雄壮《ゆうそう》な旋律《せんりつ》のうちに退場すると、グレー・レンズマンのキニスンは妻や娘たちをしたいようにさせておいて、自分の地球オフィスにむかった。
「レンズマン、クリストファー・K・キニスンが、お約束により来訪《らいほう》されました」秘書が報告し、キットがはいってくると、キニスンは立ちあがって不動の姿勢をとった。
「クロヴィアのクリストファー・K・キニスン、任務受領のため出頭いたしました」キットはきびきび敬礼した。
銀河調整官はきちんと答礼《とうれい》した。そして「休んでよろしい、キット。わたしはきみを誇りに思う。大いに誇りに思う。われわれはみんなそう思っている。女たちはきみを祝おうとしているが、わたしは二、三の事情を明確にするために、まずきみに会う必要があったのだ。それは説明でもあり、弁解でもあり、ある意味では同情でもある」
「弁解ですと?」キットはあっけにとられた。「思いもおよばぬことです――」
「きみをグレー・レンズマンとして卒業させなかったことに対する弁解だ。そういう前例は、これまでなかったが、それが理由ではない。きみの校長も、試験委員会も、空港司令官ラフォルジュも、みんながそうするようにすすめた。われわれのうちだれひとりとして、きみに命令や指示を与える資格がないというのが、みんなの一致した意見だった。しかし、わたしがそれをとめたのだ」
「もちろんです。銀河調整官の息子が、はじめての独立レンズマン卒業生になるというのでは、情実《じょうじつ》を疑われます――とくに、わたしの特異な能力を知っている者が少なければ少ないだけいいのですから。それはあとからでも、できることです」
「そう長いことではない」キニスンはいくらかむりに微笑した。「ここにきみの任務解除証と装具がある。それから、将来、発生するどんな事件にでも着手できる権限証だ。われわれは事件が第二銀河系のどこかで発生するだろうと考えているが、それは推測にすぎない」
「では、クロヴィアから出発しましょうか? けっこうです――わたしはご一緒に帰郷《ききょう》できます」
「それは一案だ。途中で情況を研究することもできる。われわれは分析と翻訳に最善の努力を払って、データをテープにとってある。データは現在までのものだが、一つだけ、けさわたしが手に入れたものがある――それがなにか意味のあるものかどうかわからないが、追加すべきものと思う――」キニスンは顔をしかめながら、部屋をいったりきたりした。
「わたしに話してくださってもけっこうです。テープを点検するとき、自分で挿入《そうにゅう》します」
「QX。とくに第二銀河系での異常な宇宙船事故について、きみはあまり聞いていないだろうな?」
「噂――ほんのゴシップだけです。直接聞かしていただきたいと思います」
「一部始終はテープにのっているから、要点だけを話す。宇宙船の喪失が通常より二五パーセントも多い。きわめて異常な難船が少数発見されている――それらの船は狂人によって破壊されたらしい。破壊されたばかりでなく、船体を破られ、あらゆる標識を除去されている。だから、その出発地や目的地を確認することさえできない。通常の喪失のほうが、異常な喪失より四対一の割合で多いからだ。テープでは、こうした難船は、きみがこれから知るようなその他の精神異常と一括して扱われている。しかし、けさ別の難船が発見された。その船のチーフ・パイロットは、映像プレートの一つに『宇宙の地獄穴に注意せよ』となぐり書きしていたのだ。他の難船と関係があるかどうかも不明だ。もしパイロットがそのメッセージを書いたときに正気だったとすれば、これは重大問題だ――だが、それはだれにもわからん。もし正気でなかったとすれば、問題ではない。テープに記録されているその他の何十というあきらかに無意味な――いや、一見無意味な、というべきだった――メッセージと同じことだ」
「ふむ――む。おもしろいですな。心にとめておいて、テープの適当な場所に記録しましょう。しかし、異常な事件といえば、わたしにもお話ししたいことがあります――任務解除をいただいたのがあまりにショックだったので、忘れるところでした。わたしはこれについて報告したのですが、だれも重要と考えなかったのです。たぶん――おそらく――重要ではないかもしれませんが。あなたの心の周波数を周波数帯域の最高まであげてください――そこです――その帯域で思考する種族のことを聞いたことがありますか?」
「初耳だぞ――ほとんど到達できないほどの高さだ。だが――きみは聞いたことがあるのか?」
「あるともないともいえます。一度だけ、それもほんの接触《せっしょく》でした。というよりは、爆発です。まるで堅固な精神障壁が破裂したか、その生物が急激な死をとげたかしたようでした。追跡できるほど接続もせず、二度とは感知できませんでした」
「なにか特徴はあったかね? 爆発は暴露的《ばくろてき》なことがあるものだが」
「二、三ありました。これはわたしが最後の訓練航行をやったとき、第二銀河系の惑星スラールの外側で経験したことです――このあたりです」キットは心に宇宙図を展開して、その一点を指摘した。「非常に高度の知能でした――精密学者の段階です――おそらく社会的必要性以上のものでしょう。というのは、その惑星は不毛の砂漠で、おそろしく高温だったからです。都市の観念はありませんでした。水の観念もありませんでした。もっとも、両者とも、その思考の爆発の中にはあらわれなかっただけで、実際には存在していたかもしれません。その生物の肉体的構造は、四|桁《けた》までRTSLでした。原始的な消化器官はありません――おそらく、大気食性かエネルギー転換性でしょう。太陽は青白巨星でした。もちろんスペクトル・データはありませんが、わたしの大ざっぱな推定では、B5かA0クラスあたりと思います。わかったのはそれだけでした」
「一つの思考爆発から獲得したにしてはたいしたものだ。いまのところ、わたしにはまったく無意味だが――しかし、気をつけていて、それをどこかで点検してみよう」
彼らはそのなぞめいた思考爆発を、いかに無造作に見すごしたことか! 有毒性の大気におおわれた惑星プルーアの夏の気象条件は、キットの表現どおり、まったく焦熱地獄的であり、キットの説明は、そうした気象条件によってそこの住民に強制された肉体的特徴に正確に一致していたのだが、もしふたりがこのときそのことを信ずべき事実として知らされたとしても、その情報はやはり彼らには重要なものと思われなかっただろう――その時点では。
「ほかに夜までに相談しておくことはなかったかな?」年長のレンズマンは中断なしにつづけた。
「わたしの知っているかぎりではありません」
「きみは任務解除がショックだったといったが、もう一つショックがあるぞ」
「覚悟しています――いってください!」
「ウォーゼル、トレゴンシー、ナドレック、わたしの四人は、現在の任務を辞《や》めて、ふたたびグレー・レンズマンになる。われわれの人生の主目的は、きみが召集をかけたとき全速力で応援にかけつけることなのだ」
「それはまさにショックです――ありがとう――思いもよりませんでした――まったく過分です。ところで、さきほど、わたしに〈同情する〉とかおっしゃいましたね?」キットは赤毛の頭をもたげた――クラリッサの子供は、みな彼女の目ざましい髪を受けついでいる――そして、灰色の目が、灰色の目をまっすぐに見つめた。
「ある意味ではそうだ。いまにわかるだろう――さあ、おかあさんと妹たちをさがしに行きなさい。どんちゃん騒ぎが終わったら――」
「それは省略したほうがよくはありませんか?」キットは熱心にたずねた。「わたしがすぐ出発したほうがいいとは思われませんか?」
「たのむから、そんなことはせんでくれ」キニスンはきっぱり反対した。「きみは、わたしがあの赤毛のモップに髪をひっぱられて、はげになりたがっているとでも思うのか? きみは、きょうの昼と夜は名士扱いされるにきまっているのだ。だから、男らしく運命を受け入れなさい。いまいうつもりだったのだが、今夜のばか騒ぎが終わったらすぐ、われわれはみんなでドーントレス号に乗り、クロヴィアへ発進だ。むこうへ着いたら、きみの仕度をととのえてやる。では、そのときまで――」二つの大きな手が握りあった。
「しかし、ホールでまた会いましょう!」キットは叫んだ。「あなたはまさか――」
「いや、わたしはどのみち、そんなことで時間をつぶしてはいられないのだ」キニスンは微笑した。「わたしもきみも密閉《みっぺい》され遮蔽《しゃへい》された部屋にいることにはならんだろう。だから――わたしはきみを誇りに思うよ」
「わたしもあなたを誇りに思います――そして本当にありがとう」キットは立ち去り、二、三分後に銀河調整官も立ち去った。
「ばか騒ぎ」は地球の社交行事の一つだったが、キニスン一家はそれを適当に楽しんだ。そのあとでドーントレス号は無事にクロヴィアへ帰還した。準備がととのえられた。やむを得ず、おおざっぱで弾力的なプランがたてられた。
ふたりの大きなグレーの服を着たレンズマンは、広大な宇宙空港で、二隻の黒く探知不可能な快速艇のあいだに立った。キニスンは成熟と経験と力量がもたらす平静さをたくわえて、たくましく毅然《きぜん》としている。キットは、若さと訓練の成果《せいか》である広い肩幅と細いウェストをそなえ、銀河文明の敵を捕捉《ほそく》すべく、鉄のように緊張し、火のように意気ごんでいた。
「忘れるなよ」キニスンは握手しながらいった。「われわれ四人――困難を切り抜けてきたベテランたち――がいつでも待機している。もしわれわれのうちのだれか、または全員を必要とすることがあったら、ためらうことはない――すぐ召集をかけるのだ」
「わかっています、おとうさん――ありがとう。その四人は、もっともすぐれた人たちです。あなたがたのうちだれかが、わたしより先に手がかりをつかむかもしれません。手がかりは何千とあり、そのときは、おたがいさまだということを忘れないでください。あなたがたのうちだれでも、わたしが必要になったら、いつでも、そちらから呼びかけてください」
「QX。連絡をたもつことにしよう。では晴朗な宇宙空間を、キット!」
「晴朗な宇宙空間を、おとうさん!」その≪|道中無事で《ボンボワイアージュ》≫という意味の標準的宇宙語のさりげない交換の中に、どれほど無量《むりょう》の思いがこめられていたことか!
キニスンは快速艇で宇宙を突破しながら、しばし息子のことだけを考えていた。彼は息子がどう感じているかを正確に知っていた。彼は、自分がはじめてグレー・レンズマンとして宇宙へ発進したときの歓喜《かんき》にみちた瞬間を、再体験していたのだ。しかし、キットには能力がある――その能力について、キニスンは何も知り得なかった――そしてキニスンには、彼自身の仕事がある。そこでキニスンはベテランにふさわしく整然と、その仕事にとりかかった。
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二 ウォーゼルとデルゴン貴族
ヴェランシア人ウォーゼルは、ヴェランシア人のつねとして、頑健《がんけん》で寿命《じゅみょう》が長かったから、地球の年にして二十年間ほとんど変化しなかった。彼は彼の種族で最初のレンズマンとして、また唯一の第二段階レンズマンとして、その二十年間をきわめて多忙に過ごした。
彼は、ヴェランシアを銀河文明に組み入れることに付随して起こったさまざまの技術的、行政的問題を解決してきた。また、銀河評議会の意見によって、彼の特異な能力に適合するとされた多くの仕事を処理した。そしてその「余暇」には、二つの銀河系の各所に広汎に四散しているデルゴン貴族の残党を追究し、容赦なく殺戮《さつりく》してきた。
しかし、彼はキニスンの子供たち、とくにキットと末娘のコンスタンスには、たえず教育的な深い関心を払ってきた。コンスタンスは、彼自身と驚くほど類似した知能を持っていたからだ。
キニスンの呼びかけがきたとき、彼はそれに応じた。彼はいまやドーントレス号ではなく、自分自身の船を指揮して宇宙に出ていた。しかもなんという船だろう! ヴェラン号の乗組員はすべて彼と同じ種族だった。船内の空気はヴェランシアの空気であり、気温も気圧も同じだった。とりわけ、この船は、ヴェランシア人が日常生活で採用しているすさまじい加速度で有重力操作できるように建造され、動力を与えられていた。したがって、ウォーゼルはこの船を熱愛しているのだった。
深遠な宇宙空間で、ウォーゼルは、二本の平行木のまわりに8の字形にいくえにもからだをまきつけて、ヴェランシア流にくつろぎながら、思考にふけっていた。キニスンの報告によると、陰険な悪行が横行《おうこう》しているという。不満、精神異常、集団ヒステリー、それから――おお、幸福な思考だ!――幻覚があらわれている。それから、ある種の革命や雑多な反乱。それらは、相当数の有名人の失踪《しっそう》と関連があるかもしれず、ないかもしれい。しかし、ヴェランシアのウォーゼルは、後者のような現象には興味がなかった。彼は、そうした露骨《ろこつ》な事件には、キニスンがとびついていくだろうということを、教えられるまでもなく知っていた。彼自身は、もっと自分の趣味にあった事件を処理したかった。
幻覚というのは、ウォーゼルの趣味にかなった。彼は幻覚の中で生まれ、幻覚の雰囲気の中で育ってきた。幻覚についてなら彼が知らないことでも、彼の鱗《うろこ》の一番小さいやつの上に、大活字で印刷されているはずだった。
そういうわけで、彼はその多数に区画された心の一区画を、他の区画からも肉体的制御からも分離しながら、船に伝達されるどんな幻覚的作用でも受容するために、それを鋭敏化《えいびんか》した。と同時に、他の二つの区画を動員して、そのおとりの区画を監視し、どんな知能作用が受容されようとも、それを研究し分析できるようにした。
それから、本来きわめて鋭敏で広範囲な感度、アリシア人によって与えられた高度の訓練、レンズの全能力といったものを総動員して、精神受容装置を宇宙に展開した。それがすむと、地球人やそれに近い生物の心にはまったく理解できないことだが、彼はくつろいだ。くる日もくる日も、ヴェラン号が宇宙を手あたりしだいに突破して行くあいだ、彼は楽しげにぐったりと棒にからだを巻きつけていた。彼の心の大部分は、名状しがたい思考の混沌《こんとん》だったが、ヴェランシア人にとって、そうした混沌にひたることは喜びなのだった。
はてしないほど時間がたったのち、突然一つの思考が侵入してきた。その思考の衝撃《しょうげき》によって、ウォーゼルのからだは発作的に緊張し、二本の棒は一フィートも引き寄せられた。デルゴン貴族だ! まぎれもなく、身も心も麻痺《まひ》させるようなデルゴン貴族の狩りの呼び声なのだ!
もちろん、乗組員たちはまだそれを感じていない。また感じることはないだろう。感じたとすれば、これから起こる戦闘において、役に立つどころか逆効果になるだろう。彼らはデルゴン貴族の有害な影響力に抵抗できないからだ。ウォーゼルはできる。ウォーゼルは抵抗できる唯一のヴェランシア人なのだ。
「全員思考波スクリーン着用!」彼は命令的思考を投射《とうしゃ》したが、その命令が実行されるまえに訂正した。「現在のまま!」
なぜなら、彼の心の中で貫通《かんつう》しがたく遮蔽された区画がただちに判断したところによると、これはふつうのデルゴン貴族の狩りの呼び声ではない。というより、それ以上のものなのだ。はるかにそれ以上のものなのだ。
ヴェランシア人が長い世代にわたって痛切に思い知らされてきた圧倒的な暗示と混合し重複しながら、彼が追求していたまさにそのものがあった――幻覚が! 乗組員を思考波遮蔽をしてはだめだ。彼自身を遮蔽するのも、とくに微妙な手段によるのでなければだめだ。どこにいるデルゴン貴族でも、自分たちより精神的に強力なヴェランシア人レンズマンが少なくともひとりはいるということを知っている。そして、彼らはこのレンズマンを猛烈に憎んでいるが、それ以上に恐れている。だから、デルゴン貴族にとって、ヴェランシア人はもっとも好ましい餌食《えじき》ではあるが、彼らの暗示に従わない能力が感知されたとたんに、怪物どもは思考波放射を完全に停止し、その広汎《こうはん》に展開された思考波網をただちにひっこめ、巧妙にかくされて探知できないように遮蔽された彼らの洞窟にとじこもってしまうだろう。
そこでウォーゼルは、乗組員全部の心ばかりでなく、自分自身の心の遮蔽されていない部分に対しても、邪悪な暗示の支配を許した。すると、暗示を受けているどの心も、変化を知覚できないような陰険さで、徐々《じょじょ》に価値観があいまいになり、現実が変化しはじめた。
忠誠心も団結心も希薄化《きはくか》した。家族愛や種族的自覚も色あせて無意味なものとなった。銀河文明や銀河パトロール隊に関する観念は、すべて無力で薄弱なものに堕した。そして、それらの従来強力だった動機に代わって、各ヴェランシア人のもっとも深刻で根本的な欲望に対する圧倒的な渇望《かつぼう》と、それを獲得するための明確な手段とがしのびこんできた。各乗組員はそれぞれの映像プレートを凝視《ぎょうし》した。彼らにとって、その存在はそれまでの自分の船の金属と同様に現実的で強固なのだ。各人はその映像プレートの上に、意識的にせよ無意識的にせよ、自分がもっとも見たいと思っているものを見た。そのものが高尚《こうしょう》だろうと下劣《げれつ》だろうと、知的だろうと肉体的だろうと、デルゴン貴族にとっては同じことだった。各犠牲者がもっとも欲するものがそこにあらわれたのだ。
しかし、仮構物は、ヴェランシア人にとってさえ、現実でも知覚可能でもなかった。それは宇宙の一定点から映像プレートに伝達された映像だった。その惑星の上には、実物が待っている。その惑星へむけて、ヴェラン号を全速力で推進させねばならない。そこでパイロットはなんの命令も受けないのに、そのコースへむけて全速力で船を推進させた。各乗組員は、実在しない映像プレートの上で、船がそのように推進されていることを見た。もし船がそのように推進されていなければ、もしパイロットがそうすることに反抗できたとすれば、乗組員は彼らをただちに殺してしまっただろう。しかしそんなことはなかったので、万事がうまくいった。
そしてウォーゼルは、自分の心の暗示にかけられた部分が、それらの幻覚を真実として受け入れるのを監視《かんし》し、その暗示のかけ方の完全無欠な巧妙さを率直に嘆賞《たんしょう》しながら、大いに満足していた。彼は、自分の心の一部と全身の制御力が保留されているという事実をあばかれる危険は、強固な探査思考波が自分に特定的に集中された場合だけだ、ということを知っていた。また、自分がへまをやらないかぎり、そのような探査がおこなわれないだろうということも知っていた。彼はへまをやらかすつもりはなかった。
人間やそれに近い生物の心では、ヴェランシア人の心がどのように作用するかを真に理解することはできない。地球人は訓練しだいでは、相互に関係のない二つまたはそれ以上の仕事を同時にできるようになる。しかし、どの仕事も完全にはできないし、それらは多少とも日常的なやさしい仕事でなければならない。創造的な仕事やむずかしい仕事をうまくやってのけるためには、その仕事に集中しなければならず、同時には一つの仕事に集中することしかできない。しかし、ヴェランシア人は、相互にまったく無関係な五つ六つの仕事を同時に集中できる。そして、手や目が多数あるおかげで、相互にまったく無関係な仕事を、おどろくほど多数同時に遂行できるのである。
しかし、ヴェランシア人の個性は、人間の頭を六つか八つも、一つのからだにくっつけたと仮定した場合のような、雑多なものではけっしてない。それは異なった個性が共存しているというようなものではない。脳の中の擬似個性的《ぎじこせいてき》区画全体を通じて、一つの自我《エゴ》が存在しているだけである。脊髄《せきずい》の神経束《しんけいそく》を通じて相互に矛盾した命令が発せられることはなく、そういうことは一般的にあり得ない。心の区画は、思考やある種の行動の制御については独立しているが、原則的基本的には一つの心なのである。
ウォーゼルは仲間のヴェランシア人より進歩していた。彼は異質でユニークだった。心のある区画を孤立させ、それらを真の自我《エゴ》から完全に分離する能力の必要を知覚したことは、彼をして彼の種族のうち唯一の第二段階レンズマンたらしめた理由の一つだった。
そういうわけで、第二段階レンズマンのウォーゼルは、超然《ちょうぜん》と自己を持して、進行中の事件を客観的に観察していた。そればかりでなく、彼は自分自身、多少の幻覚を楽しんだ。デルゴン貴族の暗示によれば、彼は架空の映像プレートを通じて名状《めいじょう》しがたいらんちき騒ぎを恍惚《こうこつ》と見つめながら、身動きもせずにいるべきはずだった。そこで彼は、自分の心の暗示にかかった部分と、それを通じてデルゴン貴族とに関するかぎりは、そのとおりにした。しかし、実際には、彼のからだは自己の断固たる意志だけで支配されながら主体的に動き、着陸の瞬間にそなえていた。
ウォーゼルは、敵がばかではないということを知っていた。彼らは危険をおかすのを最小限にとどめているにちがいない。彼らは、洞窟の所在が判明するとき、強力な兵器をそなえたヴェラン号を、できることなら宇宙船の射程距離以内に接近させないようにするだろう。ウォーゼルの仕事は、ヴェラン号を射程距離以内に接近させるばかりか、洞窟の入口まで接近させるように手配することなのだ。
突進する宇宙船は惑星に接近した――有重力化した――惑星の固有速度に同調した――着陸した。気密室《エアロック》が開かれた。乗組員はまっしぐらに外へ駆けだし、空へ飛びあがり、一団となって矢のように突進した。そこで、幻覚創造の名手であるウォーゼルは、快活に、しかし集中的に仕事にかかった。
その結果、彼は、他のヴェランシア人が暗示にかかって未知の地上を突進していく仲間入りをせずに、ヴェラン号の制御室にとどまっていた。巨大な宇宙船は軽々と空に浮きながら彼らのあとを追っていったにもかかわらず、ウォーゼルの心の暗示にかかった部分も、彼の仲間の心も、またそれらを通じて知覚するデルゴン貴族たちも、この二つのことが同時に進行しているのに気づかなかった。ウォーゼルの心のその部分にとって、彼のからだは完全に暗示にかかったまま、群れの中央で疲れを知らない翼をはためかせながら飛んでいた。また、その部分にとっても他のヴェランシア人にとっても、したがってデルゴン貴族たちにとっても、ヴェラン号は彼らよりはるか後方の岩の上に、不動のまま放棄されているはずだった。彼らはヴェラン号から遠ざかり、それが地平線のかなたに消滅《しょうめつ》するのを見たのだ! これは、はなはだきわどい操作《そうさ》で、デルゴン貴族自身さえ知覚できないほど、巧妙に彼らの暗示と同化させることが必要だった。しかし、ウォーゼルは熟練家だった。彼は自分にそれをやってのける能力があることをいささかも疑わず、自分の種族の宿敵《しゅくてき》を捕捉しようとする激烈《げきれつ》な欲求に身ぶるいしながら、仕事にとりかかったのだ。
飛んでいくヴェランシア人たちが下降し、山腹に丸石でカムフラージされた入口が口をあけた瞬間、ウォーゼルは接近して、思考波スクリーンの広汎な包括的帯域を展開した。デルゴン貴族の暗示は消滅した。ヴェランシア人たちはたちまち真相に気がつき、狂気のように船へ飛びもどった。彼らは気密室からなだれこみ、それぞれの持場に突進した。そのときにはすでに洞窟の口がとじていたが、怪物どもには、ヴェラン号の強力な兵器に対抗できる防御スクリーンがなかった。洞窟の口は崩壊した。防壁ばかりか山腹の相当部分がまぶしい蒸気となって蒸発し、あるいは溶岩のように溶け去った。宇宙服に身を固めたヴェランシア人は、いぶりたつ大気と灼熱《しゃくねつ》した破片をついて突撃した。
しかし、デルゴン貴族は賢明になっていた。この洞窟はかくされて精神的に防御されているばかりでなく、物理的にも防御されていた。金属と力場の内部防壁があり、武装して宇宙服をつけた守備兵がいた。彼らは完全に怪物どもに制御されていて、ロボットのように非情な狂暴《きょうぼう》さで戦ったが、事実上彼らはロボットなのだった。しかし、それらの抵抗にもかかわらず、攻撃側は容赦《ようしゃ》なく侵入して行った。陰惨な洞窟のせまい入口では、強力な半携帯式ビーム放射器が閃き、肉弾戦が果敢に遂行された。侵入者たちは、ビームが防御スクリーンにぶつかって発する、ぎらぎらした光をあびながら、溶解《ようかい》する壁からたちのぼる悪臭《あくしゅう》にみちた熱い蒸気をくぐって突撃した。守備兵はひとりひとり、一団また一団とその場で倒れ、ヴェランシア人は、それらの焼かれ切断された死体を踏みこえて前進して行った。
ついに洞窟に到達した。デルゴン貴族のいるところに。デルゴン貴族! 彼らは長い長い世代にわたって、無力なヴェランシア人をえじきにしてきた。ヴェランシア人のからだを死ぬまで拷問《ごうもん》し、その責めさいなまれたからだがもはや維持できなくなった生命力を、貪欲《どんよく》にむさぼり食らってきたのだ!
ウォーゼルも乗組員も、デラメーターを手ばなした。どのヴェランシア人もデルゴン貴族に対しては、絶対必要にならなければ人工的武器を用いない。そんなことをするにはあまりにも憤怒《ふんぬ》に燃え、狂暴になっているからだ。ヴェランシア人は、デルゴン貴族を骨の髄《ずい》まで恐れている。残虐《ざんぎゃく》にむさぼり食われた一千世代もの祖先の痛ましい苦悩が、彼らのからだの最奥の原子にまで、そうした恐怖を植えつけたのだ。しかし、その恐怖と対立し、それを圧倒しているのは、人間がかつて知らなかったような深刻で狂暴な憎悪だった。極度《きょくど》の暴力によってさえ――敵のからだをずたずたに引きちぎり、手で握りつぶし、爪で掻き裂き、からだでしめあげ、尾で切断して、デルゴン貴族の生命が失われるのを直接に感ずることによってさえ――部分的にしかいやされないような、真に激烈な憎悪である。
だから、この闘争については、あまり微細《びさい》に叙述しないほうがいい。百人近いデルゴン貴族がいたから、彼らは追いつめられるときわめて狂暴な戦士だったから、そして彼らの肉体的構造はヴェランシア人のそれに酷似《こくじ》していたから、ウォーゼルの部下も多数死んだ。しかし、ヴェラン号の乗組員は千五百名以上だったから、そしてその半数たらずが洞窟に侵入しただけだったから、宇宙船を操作して戦うに充分なだけの乗組員が残っていた。
ウォーゼルは、部下が敵の指揮官を殺さないよう極度に気を使った。戦闘は終わった。ヴェランシア人は、この唯一の生存者を彼自身の拷問台《ごうもんだい》に鎖でしばりつけ、動けないように引きのばした。それから、ウォーゼルは、その機械を即座に徹底的に作用させたいという激烈な欲求をかろうじて抑制《よくせい》しながら、自分の思考波スクリーンを切り、適当な足場に尾を二巻きさせて、ボスコーン人と鼻をつきあわせた。そして、柄《え》のついた八つの無気味な目を突きだしながら、怪物の精神障壁を排除《はいじょ》して探査思考波を投射《とうしゃ》した。
「その気になればこれを使うぞ――これでも――あるいは、これでも」ウォーゼルは満足そうにいいながら、さまざまの車輪やレバーに手をふれた。鎖がかすかにきしみ、火花が散り、固定されたからだがよじれた。「だが、まだ使わない――いまのところはな。おまえがまだ正気のうちに、あらゆる知識を奪ってやるのだ」
顔と顔、目と目、脳と脳をむきあわせて、沈黙不動のうちに激烈な戦闘が開始された。
すでに述べたように、ウォーゼルはこれまでに多くのデルゴン貴族を狩りたてて撃滅《げきめつ》していた。しかし、それは彼らを害虫のように駆除《くじょ》したのだった。彼は彼らを爆弾やビームで、爪や歯や尾で殺した。地球の年にして二十年以上も、デルゴン貴族と精神闘争をおこなったことがなかった。彼とパレイン系第七惑星のナドレックとが、ライレーン系第二惑星の洞窟にひそんで、女王ヘレンの女家長制種族をえじきとして銀河文明に戦いをいどんでいたデルゴン貴族の指導者を生けどりにして以来のことだ。また、彼は強力な援助なしに、デルゴン貴族と精神決闘をおこなったことがなかった。いつもはキニスンか、その他のレンズマンが近くにいたのだ。
ウォーゼルのレンズはいよいよあかるく輝き、陰惨《いんさん》な洞窟を脈動《みゃくどう》する多彩な光でみたし、ウォーゼルは相手のあらゆる詭計《きけい》にそなえ、あらゆる反撃を厳重に警戒しながら、たてつづけに精神衝撃を加えた。怪物の心を焼きこがすような力場で包囲した。容赦《ようしゃ》なく、すさまじい力でしめつけた。
デルゴン貴族は敗北《はいぼく》した。彼は従来、自分の心より強力な心や生命力に直面したことがなかったが、いまこそ敗北したことを知った。自分の仲間の怪物的種族のだれにも抵抗できなかった、例の半伝説的なヴェランシア人レンズマンとついにめぐりあったのだということを知った。このような立場におかれたこのような生物にのみ可能な深刻《しんこく》な恐怖とともに、彼は自分が他の多くの生物に与えたのと同様の、むごたらしく緩慢《かんまん》な死をとげねばならないということをまざまざと認識した。彼は復讐の念に燃えた狂暴なヴェランシア人の心に、なんの慈悲もためらいも読みとれなかった。彼はそうした感情が痕跡《こんせき》さえ留めていないことを完全に認識した。彼は絶望的な確実さでこれらのことを認め、心がひるんだ。
ことわざに、勇士は一度しか死なないが、臆病者は千度死ぬ、というのがある。デルゴン貴族は、その精神死闘の中で、かぞえる気にもなれないほどしばしば死んだ。しかし彼は抵抗した。彼の心は鋭利で強力だった。彼は包囲された自我《エゴ》を防御するために、動員しうるかぎりの戦術、詭計、エネルギーを総動員した。しかし無益だった。彼のあらゆる努力にもかかわらず、無慈悲なレンズマンはいよいよ深くねじこみ、うち砕き、切りたて、こじあけ、突きこんだ。デルゴン貴族は徐々に精神領域を奪われた。
「このステーションはここにある――この部隊はここにある――わたしはここにいる。そして――貿易に――銀河パトロール隊の――要員に――銀河文明のあらゆる面に――損害を――可能なかぎりの損害を与えるために――」デルゴン貴族は、ウォーゼルの精神圧力が耐えがたくなるにつれて、じりじりと譲歩《じょうほ》した。しかし、そうした譲歩はどれほど強制的になされ、その内容が啓示的《けいじてき》でも、まだ充分ではなかった。
ウォーゼルは敵が所有している全知識を欲しており、それ以下では満足しようとしなかった。そこで彼はなおも精神|衝撃《しょうげき》をつづけたので、ついにデルゴン貴族の精神障壁は、そのすさまじい打撃に耐えられなくなって、完全に崩壊し、彼の脳のあらゆるひだ、心のあらゆる陰影《いんえい》が露出《ろしゅつ》され、ウォーゼルの痛烈な探査にゆだねられた。そこでウォーゼルは、犠牲者を小気味よさげに眺めるまもなく探査した。
時が過ぎた。
ウォーゼルは、いまや明確になった一つの目標にむかって、宇宙を突進しながら、さきほど獲得した情報を研究し分析した。あのデルゴン貴族は、ボスコニアの組織や事業の上での上級者をだれも知らず、自分がだれかの命令に従っているとか、上級者を持っているとかいうことを意識していなかったが、ウォーゼルはそれを不思議とは思わなかった。ボスコニアのこうしたやり口は、いまではごくありふれていた。ボスコニアの心理学者は有能な精神手術者だ。彼らの潜在的暗示は複雑きわまるものだから、それを解読しようと努めることは、まったく時間の浪費なのだ。
しかし、デルゴン貴族がやっていたことは充分明白である。あの前進基地は事実、銀河文明の貿易に重大な害悪をおよぼしていた。宇宙船がつぎつぎにコースから誘導《ゆうどう》され、あの不毛の惑星へ着陸を強制された。それらの船のあるものは破壊され、あるものは昔の海賊がやったように略奪され、またあるものは船体、機械装置、貨物などにほとんど手をふれないまま、新しいコースへむけて発進させられた。しかし、乗組員や乗客が無傷《むきず》で脱出したことはなかった。もっとも、ウォーゼルがよく知っているデルゴン貴族式拷問によって殺された者は、一〇パーセントに過ぎなかった。
デルゴン貴族自身、なぜ犠牲者の全員を殺すことができなかったのか、不思議に思っていた。彼らはそうすることを充分に切望していた。生命力に対する彼らの貪欲《どんよく》さは飽《あ》くことを知らなかった。あのデルゴン貴族にわかっていたのは、〈何か〉が彼らを抑制《よくせい》して、獲物の殺戮《さつりく》を一〇パーセントにとどめていたということだけだった。
ウォーゼルは、彼らのように頑強な心にそのような暗示をかけうる心理学の能力に感嘆しながらも、その事実を考察しながら、すごい微笑をうかべた。あれはボスコニアの上級者の仕事で、混乱をいっそう広範囲にひろげることを目的にしているのだ。
その他の九〇パーセントは〈もてあそばれた〉だけだった――この処置は、デルゴン貴族にとっては犠牲者を殺す処置より不満足なものだったが、犠牲者の自我《エゴ》に関するかぎり、殺された場合とさして異ならない。この呵責《かしゃく》を通過した者はだれも、どんなことが起こったかということや、自分がだれか、またはなんだったかということについて、なんの記憶も持っていなかったからだ。彼らはみんながみんな完全な気ちがいになったわけではなく、部分的に気が狂っただけの者もいた。しかし、だれもが――変化していた。驚くほど変形されていた。同じように変化している者はひとりもなかった。どうやら、どのデルゴン貴族も、それまで陸でも海でも宇宙でも見られなかったような異様なばけものをつくりだすことにおいて仲間をしのごうとして、地獄的な能力をふりしぼったらしい。
ウォーゼルはそれらの問題を慎重に考察した。そして「宇宙の地獄穴」にむかうことに決定した。あの惑星や、彼がさっき殺戮したデルゴン貴族たちは、地獄穴ではない。彼らは地獄穴とはなんの関係もなかったはずだ――位置がちがっている。
しかし、彼は地獄穴がどんなものかをすでに知っていた。それはデルゴン貴族の洞窟だ――それ以外のものではあり得ない――そして、二つの銀河系を通じて最高のデルゴン貴族殺戮者である彼に配するに、部下と強力な宇宙船とをもってすれば、デルゴン貴族をいくらでも撃滅《げきめつ》できるのだ。その地獄穴はこの瞬間に崩壊したも同様だ。
ちょうどそのとき、強固でダイヤのように明確な思考が伝達された。
「ウォーゼル! わたしコンよ。そこでどんなことが起こっているの、蛇おじさま?」
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三 キニスン、スペース・オペラを書く
第二段階レンズマンの各人は、正確に同一の情報、同一のデータを持っていて、それにもとづいて理論をたて、結論を引きだした。おのおのが自分の発見や演繹《えんえき》や帰納《きのう》を、他の全員とわかちあった。彼らは心を全開四通状態《ぜんかいしつうじょうたい》において、ボスコニア問題のあらゆる面を詳細に論じあった。しかし、この問題の処理方法と攻撃点はそれぞれ独特だった。
キムボール・キニスンは生来、率直簡明だった。すでに述べたように、彼は必要とあれば迂回《うかい》行動をとることもできたが、直接行動のほうを好み、可能な場合にはつねにそうした行動をとった。彼はあいまいな手がかりよりは、簡明で疑問の余地のない手がかりのほうがはるかに好きだった。手がかりが明確で実際的なほどいいのだ。
だから彼は、まずアンティガン系第四惑星へむかった。暴力的犯罪の長い系列のうちで、もっとも新しく、一見もっとも法外《ほうがい》な事件が起こった場所だ。彼はその事件についてはよくは知らなかった。要請《ようせい》はレンズを通じてではなく、通常の通信チャンネルを通じてきた。彼にアンティガン系へきて、殺されたと思われる惑星大統領の事件の捜査を指揮してほしいというのである。
快速艇が宇宙空間を突破していくあいだ、グレー・レンズマンは、こうした犯罪の波状攻撃全般について思いめぐらした。犯罪の波は広汎に広がって行く。そして広がれば広がるほど、激化すれば激化するほど、一つの特徴がいよいよ顕著《けんちょ》になって行く。それは選択性――分配性――だ。スラール、ヴェランシア、地球、クロヴィア、パレインなどの太陽系は、影響を受けていない。スラール、地球、クロヴィアはレンズマンでいっぱいだ。ヴェランシア、リゲル、パレイン、そしてかなりの期間はクロヴィアも、第二段階レンズマンたちの行動本部である。だから、犯罪はその地区におけるレンズマンの数や能力とほぼ反比例しているように思われる。したがって、それはレンズマン――とくに第二段階レンズマン――がいては、つごうのわるいことなのだ。もちろんそういうことは、あらゆる犯罪についていえる。しかし、この現象は特殊ケースであるように思われるのだ。
彼が目的地に着くと、事実そうであることがわかった。惑星全体が混乱におちいっていた。商業や日常活動は、ほとんど麻痺《まひ》しているようだ。戒厳令《かいげんれい》がしかれ、街路は重武装した警備隊の群れをのぞけば、ほとんど人気《ひとけ》がない。外出している少数の人々は、恐怖にみちた目で一度にあらゆる方向を見まわそうと努めながら、急ぎ足でこそこそ歩きまわっていた。
「QX《オーケー》、ウェインライト、話したまえ」キニスンは、護衛のパトロール士官たちと遮蔽《しゃへい》された車に乗って、議事堂の構内に運ばれながら、てきぱきと命じた。「この事態全般にわたってひっこみ思案が多すぎたのだ」
「承知いたしました、閣下」そしてウェインライトは報告した。数カ月前から事件が起こりつづけていた。小さいが、たちのわるい事件だった。そのうちに、殺人、誘拐、不可解な失踪などが増加しはじめた。警察力はますます引きはなされた。例によって無能と腐敗《ふはい》を非難する叫びがあがったが、事態をいっそう混乱させるばかりだった。パンフレット――ビラなどが、惑星全体に横行《おうこう》したが、それがどこからくるのかは、だれにもわからなかった。もっとも敏腕《びんわん》の刑事たちでさえ、そういうビラをつくった製紙業者、印刷者、配布者などについて、なんの手がかりもつかめなかった。内容は例によって煽動的《せんどうてき》、破壊的なプロパガンダだった――「パトロール隊をぶったおせ!」「われらに自由をもどせ!」というようなものだ――しかし、すでに高度の社会的緊張が支配していたので、それらのプロパガンダは、市民全体の士気を、従来なかったほど効果的にくじいている。
「そして最後に、今度の事件です。ドリール月の三十四日――あなたはわれわれの暦《こよみ》をご存知ですね?――その真夜中に、レンウッド大統領が失踪《しっそう》するだろうという予言が、二週間にわたって全惑星を文字どおりおおいつくしたのです。二週間の予告期間です――そしてわれわれに全力をあげて対抗しろと挑戦《ちょうせん》したのです」ウェインライトはそこまで話して口をつぐんだ。
「つづけたまえ。彼が失踪したのは知っている。どんなぐあいだったのだ? きみたちはどんな防御手段を講じたのか? なぜかくすのだ?」
「もちろん、あなたがぜひとおっしゃるなら、申しあげないわけにはいきませんが、わたしは気がすすまないのです」ウェインライトは、まがわるそうに赤面《せきめん》した。「あなたはお信じにならないでしょう。だれだって信じられないと思います。わたしでも、自分自身その場にいあわせなかったら、信じないでしょう。むしろすこしお待ちいただいて、副大統領の口からお話しさせたいのです。その夜、監視にあたった財務官その他の者も同席させます」
「うむ――む――わかった――と思う」キニスンはせわしく思いめぐらした。「そういうわけで、だれもわたしにくわしいことを話そうとしなかったのだな? わたしが信じないだろうと心配したのだな――てっきり」彼は口をつぐんだ。「催眠術《さいみんじゅつ》にかけられたものと思われることを恐れたのだ」といおうとしたのだが、それは飛躍的な結論だった。もしそれが事実だとしても、その仮定を口外《こうがい》するのは賢明ではない――少なくともいまのところでは。
一行は行政府構内にはいってのち、大統領の専用区画にはいかず、財務省にはいり、この惑星でもっとも堅牢で難攻不落な金庫室のある地下へおりて行った。そしてそこで、この惑星におけるもっとも責任ある地位の公務員たちが、口ばかりでなく心をすべて開放して、事件の経過をキニスンに報告した。
その不吉な日には、業務はすべて停止されていた。行政府構内には、いかなる種類の訪問者も立ち入りを許されなかった。レンウッド大統領に接近することを許されたのは、誠実さになんの疑問もないような、古くて信用のおける職員だけだった。空は飛行機や宇宙船でみたされた。軍隊は半携帯式放射器で武装し、または固定された重火器に配置されて、地上をおおっていた。夜の十二時五分まえ、レンウッドは四人の秘密警察官につきそわれて金庫室へはいり、財務官が鍵をかけた。すべての閣僚《かくりょう》は彼らが金庫室へはいるのを見ていた。とくに選抜された親衛隊も見ていた。ところが、十二時五分過ぎ、財務官が金庫室を開くと、その五人は消滅していた。そのとき以来、彼らのだれについても、なんの痕跡《こんせき》も見つかっていないのだ。
「しかしそれが――なにからなにまで――事実なのです!」集合した人々の心は、レンズマンの心にむかって、無意識のうちにいっせいに叫んだ。
この報告のあいだずっと、キニスンは人々の心をつぎつぎに探索《たんさく》し、精神手術を受けた痕跡の有無《うむ》を精密に検査した。なんの痕跡も見つからなかった。なんの暗示もなかった。この事件は彼らが報告したとおり現実に起こったのだ。彼はその事実を確かめると、不吉な予感に目をくもらせながら、知覚力を投射《とうしゃ》して金庫室自体を調査した。彼はその巨大な建造物の内部を、一立方ミリずつ精細に検査した――コンクリート、新式炭素合金、鋼鉄、熱伝導体、警報器の複雑な配線をたどった。万事異状なし。万事機能を果たしている。なんの混乱もない。
この太陽系の太陽は、どちらかというと小型だが、非常に高温である。この第四惑星はかなり離れている。カーディンジ限界より充分外側にある。もちろん、超空間チューブだ――ぜったいにチューブにちがいない。キニスンは気が重くなった。不屈《ふくつ》のグレー・レンズマンも年齢なみの、いやそれ以上の老いをあらわした。
「わたしには、それが実際に起こったのだということがわかっている」彼はまだ信じられないでいる人々にむかって、沈痛《ちんつう》な口調でいった。「それがどのようにしておこなわれたかもわかっている。しかし、それだけのことだ」
「どのようにして、ですか?」彼らはいっせいにたずねた。
「超空間チューブだ」そしてキニスンは、三次元世界に極限《きょくげん》された非数学的な心には本質的に理解不可能な事物の機能について、できるかぎり説明しはじめた。
「しかし、われわれにしても、他のだれにしても、それに対してどんなことができるのです?」財務官はとほうにくれたようにきいた。
「どうすることもできない」キニスンはきっぱり答えた。「それはすでに消滅《しょうめつ》した以上、完全に消滅してしまったのだ。ランプが消えればその光はどこへいくかね? なんの痕跡も残らない。この銀河系には何億という惑星があり、第二銀河系にもそのくらいある。銀河系は何十億とある。それらはすべて一つの大宇宙――われわれの大宇宙――に含まれている。そして、超次元の中には、本のページのように、しかしそれよりもっと薄く、無数の――把握《はあく》することはおろか表現することさえできないほど多数の――大宇宙が存在している。だから、きみたちにも想像がつくだろうが、レンウッド大統領や、彼を奪ったボスコニア人を発見する可能性はきわめて少ない――完全なゼロと区別がつかないほどゼロに近いのだ」
財務官はがっかりした。「では、こういう攻撃を防ぐことは不可能だとおっしゃるのですか? やつらは今後も思うままにわれわれを片づけられるのですか? この惑星の住民は日ごとに狂っていきます――もう一度こんな事件が起これば、惑星全体が狂ってしまうでしょう」
「いや、そんなことはない――そんなことをいったのではない」緊張はやわらいだ。「ただ、大統領と護衛たちについては、どうすることもできないというのだ。チューブは存在しているあいだは探知できるし、それを通じてやってくる者も、姿が見えた瞬間に射殺《しゃさつ》できる。きみたちに必要なのは、ふたりばかりのリゲル人レンズマンかオルドヴィク人だ。きみたちに彼らを手に入れられるように手配しよう。彼らがいれば、やつらは二度とくり返すまい」彼は敵が、この触知《しょくち》しがたい力場を感知できるようなレンズマンに防御されていない他の惑星を攻撃するだろうということを知っていたが、その深刻な事実を人々には教えなかった。
レンズマンは沈鬱《ちんうつ》な思いで再び宇宙にもどった。彼がいないところで事件が起こり、彼が現場に到着したときには手のうちようがないというのは、恐ろしいことだった。ヒット・エンド・ラン――やみうち――見も感じもできない相手と、どうして戦うことができようか? しかし、指の爪をかじりにかじって、ひじまでかじるほど考えてみたところで、どうなるものでもない。なにか噛かみつくことができるものを見つけなければならない。それは何か?
前に用いたような追跡方法は、すべて効果がないだろう。彼はそう確信していた。現在相手にしているボスコニア人は、確かに頭のいいやつらだ。下級者たちは、上級者が選択する時と場所以外では、上級者について何も知るまい。しかも、そうした協議は、できるかぎり探知防止されているだろう。どうすればいいか?
なんでもないことだ。大物を行動の現場でつかまえるのだ。彼は自分にむかって苦笑した。いうのはやさしいが、おこなうとなると――しかし、不可能なことではない。ボスコニア人は超人ではない――彼以上の力量を持っているわけでもない。敵の立場になって考えてみよう――自分がもしボスコニアの大物だったらどうするか? 彼はその役割で多大の経験をつんできた。彼自身が同じような場合に採用するであろうような戦術と類似した戦術を採用している一連の特異な犯罪があるだろうか?
彼自身としては、直接行動にでて、力ずくで攻撃するほうが好きだった。しかし、必要とあれば、敵の内側から穴をあける仕事も巧妙にやってのけてきた。武力からいえば、とくに第一銀河系では、パトロール隊のほうが圧倒的に優勢なのだから、ボスコニア人は内側から穴をあける以外にないだろう。どのようにしてか? どのような方法でか? 彼はレンズマンだが、彼らはそうではない。いや、待て! 彼らもレンズマンになっているのではないか? この期《ご》におよんで彼らがレンズマンになっていないということがどうしてわかるか? フォステンは反逆したアリシア人だった――自分をあざむいてはいけない。フォステンはアリシア人メンターと同様に、よくレンズのことを知っていて、メンターでさえ知らないような組織をつくりあげていたかもしれないのだ。それとも、メンターは、頭のわるいグレー・レンズマンに、この問題を自分で解決させたほうがいいと考えているのかもしれない。それならそれでQXだ。
彼は、自分が一時的に離れているオフィスの全指揮を代行している副調整官メートランドを呼びだした。
「クリフかね? キムだ。たったいま、ある計画を思いついたところだ」彼はその計画をすばやく説明した。「たぶん、なんの関係もないかもしれん。しかし、用心するに越したことない。部下に指示して、各方面、とくに混乱している区域を点検させてほしい。もしレンズマン精神が薄らいだり腐敗《ふはい》したりしている痕跡《こんせき》がどこかで見つかったら、レンズが表面にあらわれていようといなかろうと、すぐわたしに報告してくれ。QX?――ありがとう」
この新しい観点からすれば、アンティガン系第四惑星のレンウッド大統領は愛国者でも犠牲者でもなく、裏切り者かもしれない。超空間チューブは、神秘なクライマックスをもりあげるために利用された補助的手段にすぎなかったのかもしれない。四人の誠実で献身的《けんしんてき》な護衛は、被害者だったのだ。レンウッド――だかなんだか、その正体は知らないが――は、全惑星の士気を内側から破壊する目的を達成したのち、その有害な活動を継続するために、べつのところへ出かけていっただけのことかもしれない。悪魔的な巧妙《こうみょう》さだ。劇的な結末《けつまつ》は、まったく小説もどきだ。しかし、事件全体はその手ぎわの点で、彼自身がスラールの独裁者になる際にやってのけたことと非常に類似している。こじつけが過ぎるだろうか? いや、そんなことはない。彼はすでにボスコニアの指揮官は超人《ちょうじん》ではないと判断していた。彼自身も超人ではない。敵が彼自身と同程度に有能である可能性が大いにあるということは、認めねばならない。彼自身にできることが、彼らにできないと判断するのは、まったくばかげている。
とすると、彼はどこへ行けばいいか? クロノ神の黄金の〈えら〉にかけて、ラデリックスだ! 適当な大きさの惑星。かなり重要だが、重要すぎるほどではない。住民は人類だ。混乱も比較的わずかしか起こっていない――少なくともいまのところは、レンズマンはごく少数で、トップはジェロンドだ。ふむ――む。ジェロンド。レンズマンとしてはそれほど優秀ではないし、いささかお高くとまるくせがある。つぎの攻撃目的は、どうしてもラデリックスだ。
彼はラデリックスに行ったが、ドーントレス号にも乗らず、グレー・スーツも着用していなかった。彼は豪華客船の乗客であり、宇宙航路の冒険物語の新作を書くために地方色を取材している作家だった。作家シブリー・ホワイトは完全な経歴を持っていた――パトロール隊がもっとも慎重《しんちょう》につくりあげた架空の経歴である。彼の雑食性《ざっしょくせい》の好奇心と底抜けのあつかましさは、職業的特性である――作家はあらゆる現象を〈えさ〉にするのだ。
そういうわけで、シブリー・ホワイトはラデリックスじゅうをうろつきまわった。勤勉に、しかしはたから見れば無目的に。彼は赤いレザーのノートブックを持って、昼夜の別なく、いたるところに姿をあらわした。宇宙空港を訪問し、貨物船を見学し、宇宙人の酒場で、いわゆる運まかせの勝負をやって小銭をとられたりした。そうかと思うと、社交界のエリートにせっせととりいったり、さまざまの社交的|催《もよお》しにこっそりと、あるいはあつかましく出席したりした。また、政治家、銀行家、豪商《ごうしょう》、大実業家、その他さまざまの名士のオフィスへダニのように食い入った。
ある日、彼はある実業界の大物のオフィスの控室でひきとめられた。「出て行って、二度とこないでくれ」と義足《ぎそく》をつけた護衛がいった。「ボスはあんたの作品を一つも読んでいないが、おれは読んだ。そしてボスとおれは、どっちもあんたと話したくない。資料だって、ええ? あんたのくだらないスペース・オペラ書くのに、原子猫や原子ブルドーザーについて、どんな資料が必要だっていうんだ? 貨物船の荷あげ人夫になって直接資料を手に入れればいいじゃないか? 宇宙灯でにせの宇宙焼けをつくるかわりに、本物の宇宙焼けになりな。労働して脂肪をおとすんだな!」作家のホワイトは従来のキニスンよりはるかにふとって、いくらかぶよぶよしていた。彼は厚い眼鏡ごしに、フクロウのように相手を見つめた。さいわいその眼鏡は彼の知覚力を妨げなかった。「そうすれば、あんたの愚作《ぐさく》もいくらか読めるようになるだろうさ――出て行きな!」
「わかりました。ありがとう。おっしゃるとおりです」キニスンはおとなしく頭をさげると、ノートブックにせっせと書きこみながら、こそこそひきあげた。しかし、彼は自分が知りたいことを知った。そのボスは、彼が求めている相手ではなかったのだ。
彼はあるレセプションで、著名な政治家に食いさがったが、これも求める相手ではなかった。
「あんたがわしにインタビューなさる意味がわかりませんな」名士はひややかに告げた。「わしは――つまり――あんたが書いておられるような作品に適当な素材《そざい》ではありません」
「いや、そんなことはわかりません」キニスンはいった。「わたしは作品を書きはじめるまでは、そこにどんな人物や事物が登場するか、まるで知らないのです。ときには、書きはじめてからさえ知らないことがあります」政治家はにらみつけた。キニスンはしどろもどろ退却した。
キニスンは役柄《やくがら》にふさわしいように、実際に小説を書いた。それはのちにシブリー・ホワイトの作品中の傑作《けっさく》と認められた。
「水星人カドゴップは、からだをぴったり伏せて身をずらせながら、輸送船の後部胴体のまわりをまわった。純粋のニュートロニウム合金でできた厚さ数メートルの装甲板《そうこうばん》に、つぎつぎに爪をたてていった。クスメックスに似たおそろしい先端《せんたん》が固着する。ジモロースのように分裂した舌がかみつき、食いこみ、けずりたてる。ザリッ! ザリッ! やすりのような一撃ごとに、輸送船の装甲板のみぞは深まり、カドゴップはいよいよ狂暴ににらみつけた。ばかどもが! 絶対宇宙の真空性、絶対零度に達する極寒《ごっかん》、純粋ニュートロニウムの堅牢性《けんろうせい》、そんな程度のもので〈水星人カドゴップ〉をはばめると思うのか? そして密航者である人間娘のシンシアは、この薄くてもろい壁のすぐむこう側で、恐怖におののいている――」キニスンが冗長な描写をテープに吹きこんでいたとき、はじめて真の手がかりがつかめた。
映像フォーン板の上に黄色い「注意」灯が光り、抑制したチャイムが鳴って、重要なメッセージが惑星全体に放送されることを伝えた。キニスンがスイッチを入れると、憲兵司令官の鋭い顔がスクリーンにあらわれた。
「アテンション・プリーズ」映像は口をきった。「ラデリックスの各市民に、この惑星の諸都市にあらわれはじめた煽動的《せんどうてき》破壊的文書の根元《こんげん》を監視《かんし》するよう要請《ようせい》します。われわれ治安要員は、同時にいたるところにいることはできませんが、市民諸君はいたるところにいます。われわれの惑星の平和と安全に対するこの脅威《きょうい》が、重大事態になるまえに、諸君の協力的警戒によって除去され、戒厳令の発布が避けられることを期待します」
このメッセージは、ラデリックス人の大部分にとって、極度の、または緊急な重要性を持っていなかったが、キニスンにとっては、深刻で特異な意味を持っていた。彼の判断は正しかった。彼の推定は一〇〇パーセント的中したのだ。彼はつぎにどんなことが、どんなぐあいに起こるかを知っていた。ラデリックスの治安要員も市民の協力も、それを防止できないことを知っていた。彼らには、それを緩和《かんわ》することさえできないだろう。レンズマンの一隊ならば防止できる――しかし、そうしたところで、事件の真の原因である犯人を捕えるか殺すかしなければ、パトロール隊にとってはなんの利益もない。敵に警戒を与えてはいけないのだ。
事件のクライマックスがくるまえに何か手をうてるかどうかは、多くの要素に依存《いぞん》している。そのクライマックスがどんなものか、だれがどのような脅威《きょうい》を受けるのか、その被脅迫者がじつはボスコニア人であるかいなか、というような要素だ。多大の調査をする必要がある。
敵は同じ方法を反復しそうに思われるが、もしそうだとすれば、犠牲者は大統領だろう。もし彼キニスンが、敵の計画がクライマックスに達するまえに、敵の大物をつきとめることができなければ、事件は失踪《しっそう》の段階まで発展させなければならない。そのときホワイトが姿をあらわすのでは、好ましくない注意をひきつけることになる。いけない――彼はそのときまでに、目だたない存在になるほど、うろつきまわっていなければならないのだ。
そこで彼は、官庁にできるだけ近い区域に移動し、カドゴップと美しいがばかなシンシアの物語を、満足な結末に持っていくために、公然と饒舌《じょうぜつ》に活動をはじめた。
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四 パレイン系第七惑星ナドレックの活動
これらの事件と、それにつづく事件を理解するためには、二十年ばかり前にさかのぼって、寒冷で暗黒な惑星オンローの上でおこなわれた、怪物カンドロンとボスコーン組織における彼の上級者であるスラールの独裁者アルコンとの、短い会見を考察《こうさつ》することが必要である。その会見のおわり近くで、カンドロンは自分の基地がスター・A・スターのひそかな工作をこうむっている可能性があると指摘《してき》した。(「第二段階レンズマン」第一六章参照)
「おまえは、オンローが敵にひそかに侵入され偵察《ていさつ》されているというのか?」アルコンは思考のなかで歯ぎしりした。
「そうです」カンドロンは冷静に答えた。「わたしはそういうことがおこなわれているとは信じませんが、その可能性があることは否定できません。科学にできることは、科学によって裏をかくことができます。いいですか、彼らの究極《きゅうきょく》の目標はオンローやわたしではなく、スラールとあなたです。とりわけあなたでしょう」
「おまえのいうとおりかもしれぬ。しかし、スター・A・スターの正体については、なんのデータもないし、彼がこれまで現実にやってのけた仕事が、どのようにして可能だったかを証明すべき理論が存在しない以上、空論は無意味だ」こうしてアルコンは会話をうちきり、ただちにスラールへ帰還したのだった。
独裁者が帰ってのち、カンドロンは思考をつづけた。そして考えれば考えるほど不安になった。パトロール隊の究極の目標がアルコンとスラールであることは、疑いもなく真実である。しかし、その目的が達成されたならば、自分とオンローが見のがされると考えることは妥当《だとう》だろうか? 妥当ではない。アルコンにもっと警告すべきだろうか? その必要はない。あれほど警告したのに、独裁者が自己のおちいっている危険を認識できなかったとすれば、救ってやる価値はない。もしアルコンが現状のまま戦うつもりなら、それは彼の責任だ。カンドロンとしては、自分のきわめて貴重な生命を危険にさらすことを望まなかった。
では、自分の部下に警告すべきだろうか? どうしてそんなことができるか? 彼らはみな有能で、きたえぬかれた戦士だ。どんな警告をしてみたところで、彼らがすでに準備している以上に効果的に要塞《ようさい》や彼ら自身の生命を、防御させることはできない。どんなことをいってみたところで、危険の基本的性格さえまったく未知なのだから、それにそなえるのになんの効果もありはしない。そればかりでなく、この仮定的侵入は実際におこなわれなかったのかもしれず、今後もまったくおこなわれないかもしれない。そうだとすれば、架空の敵を恐れることは、彼の信用を増すゆえんではないのだ。
その必要はない。彼はオンローに極限《きょくげん》されない大規模な問題を担当しているから、他の惑星へ呼ばれるだろう。どんなことが起こるにしても、それが起こってしまうまで、他の惑星に行っていよう。今後二、三週間のあいだになにごとも起こらなかったら、公式の出張から帰還《きかん》すれば、万事うまくいくだろう。
彼はオンローの防備を完全に点検し、自分のやむをえない不在のあいだ予想される、あらゆる非常事態に対して、警戒を怠らぬように、士官たちに反復して厳重に注意を与えた。それから、よりぬきの乗組員を配置した艦隊を率いて、慎重《しんちょう》に計画された秘密の避難作戦《ひなんさくせん》に出発した。
彼は安全な場所から、熟練した観測員の目と器具とを通じて、事件の一部始終を目撃した。スラールが陥落《かんらく》し、オンローも陥落した。パトロール隊は勝利を得た。そこでカンドロンは、ボスコニアがこうむった損害の全規模を知り、彼の種族特有の非情な受動性で、その事実を受け入れたのち、ある信号を発し、彼の上級者――すなわちアルコンの上級者――のひとりは彼と連絡をとった。彼は簡潔《かんけつ》に報告した。ふたりは協議した。彼は命令を与えられ、それを遂行《すいこう》するために、地球の年にして二十年以上、忙しく活動した。
彼は、オンローが何者かによって、想像を絶するほど巧妙に痕跡も残さず侵入されていたということを知った。オンローは、防衛側が強力な兵器を一つとして活動させることなく陥落した。スラールの陥落とその手段は充分に明白だった。人間の仕事だ。疑いもなく人間レンズマンの仕事だ。おそらく、スター・A・スターとしばしば関連づけられる、人間レンズマンの仕事だろう。
しかしオンローはどうだ! あの複雑にジグザグ中継された通信線に沿って設けた罠《わな》は、カンドロン自身がしかけたものだ。彼はあの罠の効力を知っている。オンローの思考波スクリーンや防御スクリーンは、カンドロン自身が装置したものだ。彼はその威力《いりょく》を知っている。スラールへ通じる通信線は他にないのだから、あの通信線が追求され、あのスクリーンが貫通されたことはたしかだが、一つの警報装置も反応しなかった。そういう事件が現実に起こったのだ。そこでカンドロンは、その強力な心を働かせて、あのような仕事をやってのけられる生物は、精神的にはどのような存在であるか、このスター・A・スター――彼以外のものであるはずがない――の心の本質はどのようなものであるか、ということを洞察《どうさつ》する仕事にとりかかった。
彼はその仕事に成功した。彼はパレイン系第七惑星のナドレックを、ほとんど完全に推定し、こうして洞察されたスター・A・スターに対して、両銀河系を通じて罠《わな》をしかけた。それらの罠はスター・A・スターを殺すかもしれず、殺さないかもしれなかった。しかし、相手をただちに殺すことは必ずしも重要ではなかった。その問題は、カンドロンみずから処理できるようになるまで待ってもいい。重要なのは、スター・A・スターが、ボスコニアの上級者への真の導線《どうせん》を、けっして発見できないようにすることだ。
カンドロンはあざけりと自己満足をこめて、さまざまの命令を発したのち、粉砕《ふんさい》されたボスコニア帝国を、銀河文明を破滅できるほど強力なものに再建する仕事に、全力をあげて着手した。
そういうわけで、パレイン系第七惑星のナドレックが、二十年以上にわたってごくわずかの成果しかおさめられなかったのも不思議はなかった。彼はしばしば、あやうく死をまぬかれた。事実、彼がどうにか生きのびてきたのは、彼がその技術、能力、冷静《れいせい》な打算《ださん》などを最大限に発揮したからにすぎない。彼は、銀河文明のために有効な打撃を敵に加えたことも二、三度はあったが、ほとんどの場合、いつも守勢に立たされていた。彼が追求する手がかりは、すべてなにかの罠に巧妙《こうみょう》に導かれているようだった。彼がたどるコースはすべて、形容的にはつねに、またあまりにもしばしば文字どおりに彼を抹殺《まっさつ》しようと待ちかまえている半携帯式放射器でみたされた袋小路に終わっていた。
年がたつにつれて、彼は知覚も探知もできないが、強力な敵が存在していることを、いよいよ意識するようになった。その特定の敵は、彼の行動をことごとに妨害し、彼を抹殺しようと決意しているのだ。そして年ごとに資料が集積《しゅうせき》するにつれて、その危険な敵が事実上、かつてオンローにいたカンドロンであるということが、いよいよ確実になった。
そういうわけで、キットが宇宙に発進し、キニスンがナドレックに協議を呼びかけたとき、ふだんは無口なパレイン人は、話をしようと待ちかまえていた。彼はグレー・レンズマンに、かつてのオンローの支配者について知っていること推定したり疑ったりしていることをすべて告げた。
「オンローのカンドロンだって!」キニスンは、思考波が通過するサブ・エーテルを燃焼させそうなはげしさで叫んだ。「聖なるクロノ神のガドリニウムの内臓にかけて! それなのにきみはおっとりかまえて、カンドロンがオンローできみの攻撃からまぬかれたということを、わたしに話すことができるのか? きみはそれを知っていたくせに、自分自身で何もしなかったばかりか、われわれが何かの手をうてるように、わたしか他の物に報告することさえしなかったのか? なんていうことだ!」
「そのとおりだ。行動が必要になるまえに、何かをする必要があるかね?」ナドレックは地球人の激情によって影響を受けることは、まったくなかった。「わたしの力量は明らかに小さく、知能は劣弱だ。しかし、そのわたしにさえ、あの当時カンドロンが重要な存在でなかったことは、当時もあきらかだったし、現在もあきらかだ。わたしの任務は、オンローを陥落《かんらく》させることだった。わたしはそれを陥落させた。そのときカンドロンがそこにいたかどうかは、当時の任務となんの関係もなかったし、現在も関係がない。カンドロンは別の、まったく異質な問題だ」
キニスンは宇宙的な悪態を吐きかけたが、やっとのことで口をつぐんだ。ナドレックは人間ではないのだから、彼を人間的基準、またはそれに近い基準で判断しようとしても無駄だ。彼は根本的に徹底的に異質なのだ。それに、彼がそうだということは、人間にとってもさいわいなのだ。もしきわめて有能なこの種族が、その能力のほかに人類的な性格をもそなえていたら、銀河文明は現在のように基本的に人類的であるかわりに、基本的にパレイン人的にならざるを得なかっただろう。「QX」彼はついにうなるようにいった。「その問題はもうやめよう」
「しかし、カンドロンは長年にわたってわたしの行動を妨害してきたし、きみもまた彼の作戦に関心を持ちはじめているから、彼は注目に値いする存在となったのだ」ナドレックは冷静につづけた。彼はキニスンが彼の観点を理解できないのと同様、地球人の観点を理解できなかった。
「したがって、きみの承認のもとに、わたしはこのカンドロンを発見しよう――そして抹殺《まっさつ》しよう」
「やってくれたまえ」キニスンはため息をつきながら、いまいましげにいった――それは無益なことだったのだが。「晴朗《せいろう》な宇宙空間を」
この協議がおこなわれているあいだ、カンドロンはその司令部の、寒冷でまったく照明のない一室にくつろぎながら、かつて恐れられていた銀河パトロール隊のスター・A・スターにちがいないパレイン系第七惑星のナドレックを苦境《くきょう》に追いこんだことについて、満足そうに思いめぐらしていた。このレンズマンがまだ生きているのは事実だ。おそらくカンドロン自身がみずから手をくだす時間ができるまでは生きつづけるだろう。カンドロンは愉快そうに考えた。あのレンズマンは有能ではあるが、すでに手のうちを見すかされてしまったのだから、真に危険な存在ではない。スラールの陥落以来のことになるが、もっと重大な問題がある。ボスコニアの大計画は改善されて好調に進行している。彼が例の人間レンズマンの問題を解決したらすぐ――プルーア人は指摘《してき》していたが――長いことスター・A・スターとしてだけ知られてきたレンズマンが、パレインのナドレックでないということがありうるだろうか? スター・A・スターは、じつは人間レンズマンなのだろうか――?
カンドロンは自分の助手が、この人間レンズマンの問題について、まもなく報告してくる時間だということを、ある不可思議な感覚の作用によって知った。彼が信号を発すると、もうひとりのオンロー人がはいってきた。
「例の人間レンズマンの問題だが」カンドロンはきびしく思考を投射した。「おまえはあの問題が解決されたと報告しにきたのではあるまい?」
「残念ですが、あなたの推定は当たっております」相手はさして従順とはいえない態度で思考を返した。「あなたは例の人間レンズマンの知能を計算し、図形を作成して、われわれに提示されましたが、アンティガン系第四惑星のわなは、その知能に適合するように、とくに設けられたものです。あのわなは露骨《ろこつ》すぎたと思われますか? それとも、露骨さが不充分だったでしょうか? あるいはまた、銀河系が巨大なので、彼がそれに気づくのがまにあわなかったのでしょうか? つぎの試みでは、どの程度の露骨さが必要で、どの程度の反復が望ましいでしょうか?」
「アンティガン事件については、技術的に欠陥はなかった」カンドロンは断定した。「おまえが推測したように、彼はまにあわなかったのだ。さもなければ、彼をいけどりにできただろう。彼は熟練した工作者で、工作をおえるまでは、露骨《ろこつ》な仮面のかげにかくれているのがつねだ。そういうわけで、われわれはきわめて幸運にめぐまれた場合をのぞいては、彼を行動以前に捕獲できなかった。彼をわれわれのところにさそいだすことが必要だ。彼がさそいだされるまでは、試みをつづけねばならぬ。事実、彼を現在捕獲しても――幾多の惑星上で銀河文明を破壊していくことは必要なのだから、その過程で彼を捕獲できる好機が訪れるということは、まったく幸運な偶然である。
「アンティガンで用いた戦術を反復することについていえば、それを正確に反復すべきではない――いや、待て! そのほうがよいかもしれない。ある戦術を反復することは、もちろん劣弱《れつじゃく》な心を証明するものだ。しかし、もしその人間レンズマンに、われわれの心が劣弱だと信じさせることができれば、そのほうが好都合だ。戦術を反復し、指示にしたがって報告せよ。彼をいけどりにせねばならぬということを銘記《めいき》せよ。彼の生きた頭脳から、われわれがまだ獲得できない秘密をあばきだすのだ。わたしが回想することを要求するまでは、わしおよびわれわれの関係についてのあらゆる事実を、この部屋を出た瞬間に忘却《ぼうきゃく》せよ。行くがいい」
部下は出て行った。カンドロンは、彼がもっとも適当に処理できる仕事にふたたび着手した。彼としては、ナドレックの足跡《そくせき》を自分で追求したかった。彼なら、あの捕捉《ほそく》しがたい生物を捕獲して抹殺できるし、その仕事は愉快なものだろう。また、例の憎むべきスター・A・スターかもしれない――そうでないかもしれないあのなぞめいた人間レンズマンの捕獲も監督したかった。これもはなはだ愉快な仕事だ。しかし、それらより、はるかに緊急《きんきゅう》な仕事がある。もし大計画が成功するならば、それは、必ず成功させねばならず、また成功するだろうが、すべてのボスコーン人は、それぞれ割りあてられた任務を遂行しなければならない。ナドレックとその仮定的共犯者間の問題は枝葉末節《しようまっせつ》だ。カンドロンの任務は、ある種の精神異常と混乱を惹起《じゃっき》し促進《そくしん》することだ。こうした一連のすさまじい精神的疾病の育成について、彼は高度の技術を持っている。それらの疾病は、銀河文明の基礎を破壊するのに、効果的かつ安全に役立つだろう。それが彼の役割なのだから、全力をあげて遂行しなければならない。個人的で非本質的なその他の問題はあとまわしだ。
そこでカンドロンは出発し、迅速《じんそく》に遠くまで航行した。彼が行ったところではどこでも、すでに広汎《こうはん》に広がっていた災厄《さいやく》が、いっそう激烈に拡大した。それは、人類の医者や精神医が処理できないような恐るべき疾病であり、長いこと銀河文明の基礎をむしばんできた侵蝕的な疾病のうちでも、おそらく最悪のものだった。
そして第二段階レンズマンのナドレックは、かつてのオンローの支配者を発見して抹殺《まっさつ》することを決意し、例によって急ぎはしないが高度に着実な手段で仕事に着手《ちゃくしゅ》した。彼はカンドロンの居場所をつきとめたり、足跡をたどったりしようとはしなかった。それはまずいやり方だ――ばかげている。もっとわるいことに、無効だろう。もっとわるいことに、不可能だろう。そうではなく、カンドロンが将来出現すると思われる場所を発見して、そこで待ち伏せるのだ。
その目的のためにナドレックは、四人の第二段階レンズマンが徹底的に検討した事件や現象に関して、膨大な資料を集めた。彼は各資料を分析し、いまでは充分に認識するにいたった敵将の刻印《こくいん》を押されたものをよりわけた。カンドロンの技術の内部的特性は疑問の余地がなかった。ナドレックはこのオンロー人の陰険《いんけん》な行為がきわめて多数にのぼることを知ったが、もはやそれに驚かなかった。
デシルヴァ系第三惑星の総理大臣の事件があった。彼は閣議で元首と十一名の大臣を射殺したのち、自殺をとげたのだ。ヴィリドンの大統領は、記者会見の席上で、壁から半月刀をひったくってあばれまわり、なんの警戒心も持っていなかった記者たちをずたずたに斬り殺したが、ついに取りおさえられると、毒を飲んだ。
同じ主題の変奏《へんそう》として、いっそうカンドロンらしいやり口だったのは、エドマンドスンと呼ばれる地球人実業化が、大洋航行中に十五名の女性常客を海に投げこみ、そのあとから自分も鉛をつめた救命具をつけただけでとびこんだ、という興味深いエピソードだ。同じように不可解なタイプの事件は、セントラル宇宙交通の尊敬すべき営業部長がやってのけたものだ。この実力者は、六十階にある自分のオフィスに秘書をひとりずつ呼びつけ、ひとりずつ無雑作に窓からつきおとした。そして屋上でジーグ・ダンスをおどったあげく、彼らのあとから街路へとびおりたのだ。
ナドレックの目から見てとくに興味深いのは、ナルコル基地病院で起こった事件だった。その惑星でもっともすぐれた外科医の四人が、その場にいあわせた他のすべての人々――患者、看護婦、つきそいその他、年齢、性別、職業等にまったく関係なく――の首を切断し、その首をタイルの床の上に「復讐《ふくしゅう》」という言葉を描くように、南をむけて上向きにならべてから、手術刀でおたがいに斬りあって死んだのだ。
ナドレックはこれらの事件をはじめ、その他一千以上もの類似の事件を一覧表にして、統計的分析をおこなった。非常に広大な範囲にわたって分散しているので、これらの事件は一般的混乱をひき起こすこともなく、銀河文明全体として注目されてもいないが、集積《しゅうせき》すると、まことに驚くべき、戦慄的《せんりつてき》総計に達する。しかし、ナドレックは本質的に驚愕したり、戦慄したりすることがなかった。同情心や、やさしさをひと握りでも持っている生物ならば、そのいまわしい総計の集積的恐怖によって、骨の髄《ずい》までふるえあがっただろうが、ナドレックにとっては、そうした資料は、心理学上数学上の興味深く、さして難解《なんかい》でない問題にすぎなかった。
彼は各事件を空間と時間に応じて配列し、時空行列式の中で相互に関連づけた。それらの中心の軌跡《きせき》を決定し、もっとも可能性のある運動の等式を導きだした。その軌跡をその等式と適合する外挿法《がいそうほう》によって拡張した。それから、自分の誤差《ごさ》の限界が可能なかぎり小さいことを確信して、自分がカンドロンを待ちうける準備をととのえるに充分なだけ先の時点で、オンロー人が訪問する可能性がもっとも大きいと思われる惑星へ出発した。
その惑星は、人類に近い生物が住んでおり、温暖で日射が強く、大気は酸素に富んでいた。ナドレックはその惑星がいやだった。彼にとって理想的に住みやすい惑星というのは、これとまったく逆の条件のものだったからだ。しかし、さいわいにも、彼はカンドロンの到着までは――おそらく到着後も――その惑星に着陸する必要はなさそうだった。また、彼がねらっている獲物は、彼自身と同様に、冷血で非酸素呼吸者だったから、探知は容易だった。
ナドレックは探知不能な快速艇を、惑星から快適なだけの距離をおいて、その周囲に円形軌道をえがかせながら、繊細《せんさい》で極度に鋭敏《えいびん》なスクリーンをつぎつぎに展開した。類型分析を精密におこなう必要はもちろんなかった。惑星へ公式に出入りする要員はすべて、温血の酸素呼吸者だろうから、その分類にはいらない訪問者はカンドロンということになる。冷血の訪問者はすべて検査しなければならない。だから、彼の分析スクリーンは、ほとんどあらゆる点で、銀河系の両極ほども相違している二種の生物を区別できさえすればいいのだ。ナドレックは、このように明白な分類をおこなうには、監査は不必要だということを知っていた。彼としては、電子報知器がカンドロンの接近を伝えるまでは――あるいはまた予定の時間が経過して、オンロー人がこの惑星にこないということがわかるまでは――それ以上何もすることがないのだ。
ナドレックは数学者なので、外挿法によってえられたデータの価値が疑わしいということを知っていた。したがって、カンドロンがここにやってくる実際の可能性は、数学的可能性よりもいくらか小さいということも知っていた。しかし、彼はできるかぎりの準備をととのえたのち、彼のような種族にのみ可能な怪物的非人間的忍耐で待機した。
一日一日、一週間一週間、快速艇は惑星とそれを支配する巨大で熱い太陽の周囲を回転した。そしてそのあいだ、孤独の航行者は思索《しさく》にふけった。彼はいっそう多くのデータをいっそう精密に分析した。そして、この作戦が従来の多くの作戦と同様に失敗に終わった場合、つぎに打つべき手を決定するために、その豊富な知識をいよいよ深く掘りさげた。
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五 大統領の誘拐
作家キニスンは、なんらかの意味で人に監視《かんし》されているときは、いつでも、そしてその他の時間でも、人々の疑惑《ぎわく》を避けるに充分なだけ、せっせとスペース・オペラを書きつづけた。事実彼は、気まぐれな作家として評判のシブリー・ホワイトにふさわしいだけ働いた。また、上下それぞれの階層の人々にインタビューして、いたるところでノートをとるほかに、作家の茶話会にも出席して、自分の作品中の人物が自分の思うように行動してくれないということを、雄弁かつ痛烈にののしった。髪の短い女性や髪の長い男性といっしょになって、自分たちがそれぞれに持っているユニークな天才を乱費させる公衆の頑迷《がんめい》さをなげいた。彼がとくに同情したのは、ある太った女性推理作家だった。彼女のきわめて非現実的ながらすばらしくポピュラーなグレー・レンズマンの主人公は、十作二千万部にわたって生き長らえていた。
彼女はキニスンに打ちあけた。彼女の本領はドラマだが、そこらの三文作家がひねりだすような三文推理小説のたぐいを書いているのではない。彼女は多くのグレー・レンズマンを〈とても〉親密に知っていて、彼女の作品は細部にいたるまで現実生活から引きだされたものだというのだ!
彼の第一の注意は、惑星の大統領を監視することだった。これは骨の折れる仕事だが、彼はそれをやってのけた。彼は大統領の心をすみからすみまで調査したが、なんの結果も得られなかった。精神手術の傷あともなく、手を加えた痕跡《こんせき》もなかった。彼は援助を求めて大統領の過去を調べた。やはりなんの効果もなかった。すべてが照合していた。では、ボスコーン人が内部から穴をあけにかかっているのではない。彼の第一の仮定はまちがっていた。この混乱は外部からひき起こされたものだ。どのようにしてか?
例の第一のアジ・ビラにつづいて別のアジ・ビラがあらわれた。その内容は一回ごとに激烈になっている。どうやら、それらのビラは、空虚な成層圏からあらわれるらしい。少なくとも、ビラが降ってきたあと、付近に宇宙船を探知することはできない。しかし、それも不思議はない。どんな宇宙船でも無慣性推進で逃走すれば、ビラが大気圏に接触するまえに、何パーセクも遠くへ行ってしまえる。そうでなくても、ほとんどどんな遠距離からでも、爆弾でビラを投下することもできる。また、キニスンがもっともありそうなことだと考えていることだが、超空間チューブの口から吐きだすこともできるのだ。いずれにせよ、方法は問題ではない。重要なのは結果だけだ。レンズマンはその結果が、外見上の原因とはまったく比較にならないほど大きいのを知った。もちろん煽動的《せんどうてき》文書はある程度の効果は持っているが、本質的にいえば、それは目かくしにちがいない。匿名の印刷物をどれほどまいたところで、これほど全般的な士気喪失をひき起こすことはできないはずだ。
さまざまの種類の気ちがいじみた団体がいたるところに発生し、絶対主義から無政府主義にいたるまで、さまざまの主張を宣伝した。奇妙な宗教が生まれ、自由恋愛、世界の終末の接近、その他の常軌《じょうき》を逸したことを説いた。もちろん、作家連盟は、強力で独断的な心の持主を比較的多く包含していたから、同程度の規模のどんな団体よりひどく影響された。それは一つの急進的グループになる代わりに、一ダースにも分裂した。
キニスンは例の「すべてを打倒《だとう》せよ!」グループの一つに、指導者としてではなく、追随者として参加した。あまりに羊のような追随者ではなく、平均的地位を保つためにやっと充分な程度に目だたない存在だ。そして彼は前列の中ほどに身をひそめて、仲間の無政府主義者たちの心を一つ一つ調査した。それらの心が変化するのを観察し、その変化をひき起こした張本人を発見した。キニスンが変化する番がきたとき、彼はすっかり戦闘準備をととのえていた。強力な知能と闘争することを予期していた。彼としては、フォステンの場合と同じように、催眠的暗示帯域《さいみんてきあんじたいいき》のかげにひそんでいる狂気のアリシア人と対決することになっても、さして驚かなかっただろう。事実彼は、ほとんどあらゆる場合を予期していたが、実際に発見したことだけは予期に反していた――相手はごく平凡なラデリックス人の精神医にすぎなかった。もちろんこの男は、充分抜け目のない手術者にはちがいなかったが、きわめて微弱《びじゃく》な抵抗にあっても、それを圧倒して仕事をすることができなかった。そういうわけで、グレー・レンズマンは、なんの精神闘争もなしに、相手が知っているすべての情報を獲得し、その心から離脱《りだつ》する際、シブリー・ホワイトは、もう相手の要求どおりの工作者になったという知識を植えつけた。
問題は、その精神医が何も知っていないということだった。この必ずしも予期されなかったことではない事態は、キニスンの心に三つの疑問をひき起こした。ボスコニアの上級者は、こんな小物と連絡をとるだろうか? それとも、ただ一連の命令を与えただけで連絡を断《た》ってしまうのか? それがわかるまで、このラデリックス人の心にとどまっているべきか? もし精神医の心を支配しているとき、ボスコニアの上級者が連絡してきた場合、発見をまぬかれるに充分な能力が自分にあるだろうか? 危険な仕事だ。とにかくまず惑星全体の情況を偵察したほうがいい。ひと飛びしてこよう。
彼は黒い快速艇で百万マイルも飛びまわった。赤道の周囲をまわり、極から極へ飛びまわって、ラデリックスをくまなく調査した。いたるところで同様な情況が見いだされた。惑星は文字どおり扇動者《せんどうしゃ》たちによっておおわれていた。その数があまりに多いので、彼は否定的結論に達せざるを得なかった。これほど多数の扇動者と真の大物とのあいだに、関係や連絡があるはずがない。彼らは遂行するか死ぬかという二者択一的な一連の命令を与えられているにちがいない――彼らが遂行《すいこう》するか死ぬかは問題ではないのだ。キニスンは実験的な意味で二、三の指導者を監禁《かんきん》させてみたが、なにごとも起こらなかった。
ついに戒厳令《かいげれい》がしかれたが、この手段は運動を地下に追いこむに役立っただけだった。破壊的団体が数において失ったものは、絶望的暴力がおぎなってあまりあった。犯罪は抑制しようもなく激増《げきぞう》し、殺人は日常茶飯事となり、狂気が横行した。いまやキニスンは、事態がクライマックスに達するまでは大物への道は開かれないものと知り、惑星の崩壊が進行していくのを、歯をくいしばって見守っていた。
トンプスン大統領とレンズマンのジェロンドは、最高基地とクロヴィアにつぎつぎにメッセージを送って、援助を要請《ようせい》した。これらの要請に対する回答はいつも同様だった。その問題は銀河評議会と銀河調整官に通達されている。打つべき手はすべて打ってある、というのだ。そして、どちらのオフィスも、銀河系全体がこのような混乱状態にある以上、各惑星は自己の問題を解決するのに最善をつくさねばならない、というようなことしかいえないのだった。
事態はいまわしい終局《しゅうきょく》にむかってもりあがっていった。ジェロンドは下町のホテルの一室に、大統領をまねいて協議した。そして、精密な小型テスト装置をひざの上に開いて、そのダイアルをときどき見やりながら、
「たったいま、すばらしいニュースを受けとりましたよ、トンプスンさん」ジェロンドはふいにいった。「キニスンが何週間もまえから、このラデリックスにきているのです」
「なに? キニスンだって? どこにいるのかね? なぜ彼は――?」
「そうです、キニスンです。クロヴィアのキニスンです。銀河調整官その人です。わたしは彼がどこにいるのか、どこにいたのかも知りません。聞きもしなかったのです」レンズマンはちらりと微笑した。「ご承知のように、彼の居場所はだれにもわからないのです。彼はわたしと情況を詳細に討議しました。わたしは、まだびっくりしているんですが――」
「では、彼はなぜこの情況を停止させないのかね?」大統領はたずねた。「それとも、彼には停止させられないのか?」
「わたしがこれから説明しようとしているのも、そのことなのです。彼のいうところでは、最後の一瞬まで、どうすることもできないだろうと――」
「なぜできないのだ? いいかね、もしこの事態を停止できるものなら、停止させねばならん。どんな犠牲を払っても――」
「お待ちなさい!」ジェロンドはぴしゃりといった。「あなたが混乱しているのはわかります――わたしだって、ラデリックスが崩壊するのを見たくないのは、あなたと同様です――しかし、あなたにももうわかってもいいころと思うのですが、銀河調整官のキムボール・キニスンは、どのような手を打ったらいいのかを知るには、宇宙のだれよりもすぐれた立場にいます。そればかりでなく、彼の言葉は至上権《しじょうけん》を持っています。彼がいうことは、おこなわれるのです」
「もちろんだ」トンプスンは弁解した。「わたしは過労《かろう》でまいっている――だが、われわれの惑星が目のまえで崩壊し、社会制度や長い世紀にわたる事業が破壊され、何百万という人命が失われているのだ――みんな無益に――それを傍観しているのは――」
「もしわれわれが、各自義務を果たしていれば、そんなことにはならないだろうと彼はいっています。それに、あなたの役割がとくに重要なのです」
「わしが? どういうわけかね?」
「アンティガン系第四惑星で起こったことをご承知ですか?」
「いや、知らん。あの惑星で何かごたごたがあったのはおぼえているが、しかし――」
「それです。だからこの事態を進行させねばならないのです。どの惑星も、他の惑星で起こったことについてとくに注意していませんが、キニスンは全般的に注意を払っています。もしここの事態を現在停止させれば、他の惑星へ飛び火するだけのことです。ところが事態がクライマックスまで進展することを許せば、こうした事件を絶滅させる可能性があるのです」
「だが、それがわしとなんの関係があるのだ? わし個人として、どんなことができるのだ?」
「うんとあります。アンティガン系第四惑星の全住民を狂気におとしいれた最後の事件というのは、惑星大統領レンウッドの誘拐《ゆうかい》でした。その後、彼についてはなんの痕跡《こんせき》も発見されませんから、殺されたものと思われます」
「おお」老人は両手を握りしめたが、やがてそれをゆるめた。「わしは喜んで死ぬ――もしも――わしの死によってキニスンが確実に――」
「そこまで発展することはありますまい。キニスンはその直前に手を打つつもりでいます。彼と彼の協力者たちは――それがだれかはわかりませんが――発見できたかぎりの敵の工作員をリストにのせておいて、同時に処分するのです。彼の信ずるところでは、ボスコーンはあなたを誘拐する正確な時間を予告するでしょう。アンティガンでもそうだったのです」
「パトロール隊の手からさえ奪取《だっしゅ》するというのかね?」
「主要基地そのものからさえです。キニスン調整官は、彼が最後の瞬間にはじめて活動させるある武器がなかったら、やつらがそれをやってのけるだろうと確信しています。ついでにいえば、わたしが彼から受けとったこの探知器を手にして、ここであなたと協議を開いたのもそのためなのです。彼は、我々の基地では情報が洩れるだろうと警戒しています」
「そういうことなら――彼はなぜ――」大統領は口をつぐんだ。
「わたしにわかっているのは、あなたにある種の宇宙服を着せて、やつらが予告した時間より二、三分まえに、わたしのオフィスに入れるということだけです。われわれと護衛は二分まえにオフィスを立ち去り、一分まえに二十四号室の正面にくるような速さで廊下を歩いて行きます。われわれは、そのタイミングが完全になるまで、練習することになっています。それからどんなことが起こるかは知りませんが、〈何か〉が起こることは確かです」
時間が過ぎていった。ボスコニアの浸透作戦《しんとうさくせん》は計画どおり進行した。ラデリックスは、アンティガンが壊滅したのと同様の状態になるのではないかと思われた。しかし、裏面では、大きな相違があった。ラデリックスに到着する船はすべて、少なくともひとり以上の人間をあとに残していった。それらの訪問者の中には、長身でやせた者もあり、背が低くて太った者もあった。年とった者も若い者もいた。青白い者も、強烈な宇宙線で古びた皮のような色に焼けた者もいた。彼らに共通しているのは、冷静な目の中にある「鷲《わし》のような表情」だけだった。彼らはいずれも着陸すると、自分の表面上の仕事であちこちに活動するだけで、その他の問題にはまったく関心を示さなかった。
やがてボスコニア人は、惑星大統領トンプスンが誘拐される正確な時間を予告し、ふたたびパトロール隊に対する軽蔑《けいべつ》を誇示した。予告時間はこんども真夜中だった。
キニスンがしばしば述べたように、レンズマンのジェロンド代将《だいしょう》は、いくらか権威主義的なところがあった。彼は自分の基地が、調整官の考えているほど弱体《じゃくたい》だとは信じなかったし、信じることができなかった。キニスンは、通常の防御がすべて無益であることを知っていたから、それについては指示することさえしなかった。ジェロンドは、それまで無敵《むてき》だった兵器や、難攻不落だった防御装置が、突然無意味になったとは信じられなかったので、自己の意志でそれらを総動員した。
すべての休暇は取り消された。すべての探知器、すべてのビーム放射器、すべての攻撃防御装置には、完全に要員が配置された。全員が緊張し警戒していた。ジェロンドは異常な事件が起ころうとしていることを感じはしたが、そのベテランらしい頑固な心の中では、自分や部下に充分の戦闘力があるものと確信していた。
夜の十二時二分前、宇宙服をつけた大統領と護衛たちは、ジェロンドのオフィスを出た。一分後、彼らは指定された部屋のドアのまえを通りすぎた。彼らの後方で一発の爆弾が破裂したと思うと、後方の枝廊下から、宇宙服をつけた男たちが叫び声をあげながらとびだした。だれもが立ち止まってふりむいた。目に見えないで空間にただよっている三次元的超空間サークルの中にいる、目に見えない観測員もそうしただろう。姿をかくしているキニスンはそう確信した。
キニスンはドアをさっと開くと、説明的思考を大統領にすばやく投射《とうしゃ》するなり、彼を部屋に引き入れ、パトロール隊基地でさえも通常は見かけないような兵器で武装した一団のレンズマンのただなかに押しこんだ。ドアがぱたりととざされると、一瞬まえまで大統領が立っていた場所には、大統領が着用していたと同じ宇宙服姿のキニスンが立っていた。この交換には一秒たらずしかかからなかった。
「QX、ジェロンドおよび諸君!」キニスンは思考を投射した。「大統領は安全だ――わたしが交替する。二倍速度で直進《ちょくしん》――急げ――! 離脱《りだつ》――われわれに兵器を使用するチャンスを与えるのだ!」
宇宙服を着用していない人々は駆けだした。そのとたん、二十四号室のドアがさっと開き、開ききりになった。他のドアからも枝廊下からも兵器が噴射《ふんしゃ》した。事実上、超空間チューブの末端をなしている超空間サークルが、しだいに濃く浮きあがってきた。
しかし、それは実体化しなかった。目を思いきりこらしてはじめて、霧よりもっと薄い影のように見わけられるだけだった。宇宙船らしいものの中にいる乗組員は、空中に描いた筋のようにかすかで、細部は区別できない。それらはすべて実体化することはなかったが、ただ一つだけ固体化しつつあるのは、キニスンをねらって下降《かこう》してくる真っ黒い物体、巨大なはさみ道具と目のあらい重い網とを組みあわせた物体だった。
キニスンのデラメーター式放射器は、最大の強度と最小の開口で火を吐いた。が効果がない。その物体はデュレウムだった。信じられないほど密度が大きく、極端《きょくたん》に耐火性の合成物質で、純粋エネルギーで飽和させられており、通常の空間と超空間チューブを構成している擬似《ぎじ》空間との中で共通に存在できる唯一の物質なのだ。レンズマンは慣性中立器のスイッチを入れ、無慣性状態に移行した。しかしその操作も敵に予想されていた。ボスコニアの技術員は、彼がするすべての動作にほとんど同時に対応し、網は彼を包囲した。
そのとき、半携帯式放射器が火を吐いた――強力な熱線だ――しかし、それらも発射されなかったと同様だった。熱線はデュレウムの鎖を切断することができなかった。目標の幽霊《ゆうれい》のような侵入者に、害も与えずに通過した――貫通したのではない。キニスンはボスコニア船に運びこまれた。通常の空間から擬似空間に移行するにつれて、船体、装置、乗組員などが、しだいに強固に実体的に感じられるようになった。
擬似世界が現実化するにつれて、後方の基地の現実性は、非現実性へと希薄化していった。数秒のうちに、基地は完全に消滅《しょうめつ》した。キニスンは、自分が味方の人々の感覚から消滅したことを知った。しかしこの船は、充分に現実性をそなえていた。彼の捕獲者《ほかくしゃ》もまたそうだった。
網が開き、レンズマンは不名誉にも床にぶちまけられた。牽引ビームが彼の火を吐くデラメーターをもぎとった――手や腕がそれといっしょにもぎとられるか否《いな》かは、彼の意志しだいだった。牽引ビームと圧迫ビームが彼をぐっとひき起こし、部屋の鋼鉄の壁にたたきつけて、身動きできないようにした。
彼は憤然《ふんぜん》として、もっとも致命的《ちめいてき》な武器を投射した。ウォーゼルが考案し、ソーンダイクがつくった、精神で操作される思考波で、思考と生命に不可欠な分子を分解してしまうのだ。しかし、なにごとも起こらなかった。彼は探知して、自分の知覚力さえ、人間に似た敵のからだのどの部分からも、一フィートくらい手前で停止するのを知った。彼は心をおちつけて思考した。ふいにある事実があきらかになった。彼は、はっと胸をつかれた。
ただの市民を捕獲するためだったら、こんなに巧妙《こうみょう》で強力な準備をすることはあるまい。大統領は老人で、肉体的にも弱く、心もとくに強力ではない。そうだ――これら一連の事件は計画的なものだ――ボスコニアの上級者の計画だ。もちろん、彼らにとって、惑星を壊滅させるのはそれ自体望ましいことだが、それは主要な目的ではないはずだ。
だれか真に強力な頭脳の持主が、四人の第二段階レンズマンを追求しているのだ。そして、そいつはなまけてはいないのだ。もしナドレック、ウォーゼル、トレゴンシー、彼自身が全部消滅すれば、パトロール隊は愕然《がくぜん》とするだろう。しかし待て――四人のうち彼をのぞけば、だれがこの罠《わな》にひっかかるか? だれもひっかかるまい。しかし敵は、他の三人も罠にかけようとしているのではないか? たしかにそうだ――そうにちがいない。おお、三人に警告できればいいが――しかし、どのみち、それがなんの役に立つか? 四人はみんな罠を警戒するようにくり返し警告しあってきたし、たえず警戒してきた。どれほど警戒したところで、各人の性格に、これほど微細《びさい》に適合させてしかけた罠を避けることができようか?
しかし、彼はまだへこたれなかった。敵は彼が知っている事実を知る必要がある。彼がどのような仕事をどのようにしてやってのけたか、彼に上級者があるのかないのか、あるとすれば何者か、というようなことだ。したがって、敵は、彼が多くのボスコニア幹部《かんぶ》をいけどりにしなければならなかったと同様に、彼をいけどりにしなければならなかったのだ。そして敵は彼が生きているかぎりは、じつに危険な丸のこぎりだということを思い知るだろう。
船長かだれか、指揮官は彼を呼びつけるだろう。それは当然の帰結だ。指揮官は、自分が捕獲した者の正体を知る必要があるはずだ。なんらかの報告をしなければならないはずだ。そのうちに、だれかがへまをしでかすだろう。一〇〇パーセントの警戒は不可能だ。どんなわずかなへまでも、それにつけこむ用意をしていよう。
しかし、捕獲者たちは、キニスンを船長のところへ連れて行かなかった。その代わり、船長のほうが、五、六名の宇宙服をつけていない人間をしたがえてやってきた。
「白状しろ。それも早くやるのだ」ボスコーン人は、宇宙服をつけた兵士たちがわきへよけるのを待って、宇宙の共通語でてきぱき命令した。「わしが知りたいのは、おまえがだれで、どんなことをしたかということと、おまえやパトロール隊に関するすべてのことだ。話せ――それとも、この牽引ビームで、宇宙服ごと八つ裂きにされたいか?」
キニスンはそれにはなんの注意も払わず、指揮官にむけて精神力と殺人波を集中した。防止された。この相手も、全身に思考波スクリーンを着用しているのだ。
船長の腰には、指で操作できるスイッチがついている。からだを動かせさえしたら! あのスイッチを切るのはごくやさしいのだが! または何かを投げつけられれば――または他の人間のからだを、船長のからだにこすりつけさせることができれば――または船長が椅子のひじかけにもっとすれすれにすわれば――または何かの愛玩動物《あいがんどうぶつ》でもいれば――またはクモかウジ虫かブヨでもいれば――
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六 トレゴンシー、カミラ、そして「X」
リゲル系第四惑星の第二段階レンズマン、トレゴンシーは、キニスンの呼びかけに応じて、ボスコーン人をあわてて追求しようとはしなかった。あわてることはトレゴンシーのやり方ではない。彼は、必要とあれば迅速《じんそく》に行動できたが、行動するまえには、どのようにして、どこで、なぜ行動するかが、はっきりわかっていなければならなかった。
彼は三人の同僚《どうりょう》と協議し、彼らに自分が知っているデータをすっかり提供《ていきょう》し、すべての事実を総合するのを援助した。他の者はその総合の結果に満足して、それぞれのやり方で仕事に着手したが、トレゴンシーは満足しなかった。彼は獲得された部分的事実から、統一的な全体を具象化することができなかった。したがって、キニスンがアンティガン系第四惑星の壊滅を調査しているあいだ、トレゴンシーはじっとすわって――というより立ったままで――思考していた。キニスンがラデリックスにでかけたときも、依然としてじっと立ったまま思考していた。
やがて、その思考を援助してもらうために、ひとりの助手に呼びかけた。トレゴンシーは二つの銀河系を通じてアリシアを除けば、他のどんな生物の意見よりも、カミラ・キニスンの意見を尊重していた。彼はキニスンの五人の子供全部の教育に協力してきたが、とくにカミラが自分に近い心を持っていることに気づいていた。彼は他の三人の同僚のだれよりも、価値に対する正確な知覚力にめぐまれていたので、生徒たちがとうの昔に先生たちを追いこしているということを、彼だけが理解していた。トレゴンシーの冷静な心は、そのことを理解してもすこしの嫉妬も感ぜず、ただ驚異にうたれるだけだったが、それは彼の資質《ししつ》によるのだった。彼は、この驚くべきレンズの子らが、どんな能力を持っているかを知らなかったが、彼らが――とくにカミラが――異常な能力を持っているということはわかっていた。
彼は、このまだ育ちきってさえいないほどの女性の心に、自分がはかり知ることのできない深さ、漠然《ばくぜん》とさえ把握《はあく》できないような広さを知覚した。彼はその深さをさぐろうとも、広さを観測しようともしなかった。どの子供からも、その子供がすすんで提示するもの以外は、さぐりだそうと努めなかった。自分の心の中で、彼らの能力を分類しようと試みはしたが、その仕方が結局、自分の力にあまるものだということを理解していたから、その事実を、自然におけるその他の無数の不可解な事実と同様に、平静に受け入れた。トレゴンシーは、第二段階レンズマンのだれよりも真実に近づいていたが、その彼でさえ、エッドール人の存在には思いおよばなかった。
双生児の姉妹コンスタンスがにぎやかなのと対照的に、もの静かなカミラは、自分の快速艇をリゲル人の宇宙船のゆったりした船倉《せんそう》に停《と》めたのち、船の制御室でリゲル人と面会した。
「あなたは、パパの論理がまちがっていて、推定も狂っていると判断しているのね?」彼女はさりげない挨拶をすませたあとで、思考を伝達した。「わたし不思議とは思わないわ。わたしもそう判断してるんですもの。パパは結論に飛躍してしまったんだわ。でも、パパだってそれがわかっているのよ」
「いや、わたしは必ずしもそういうつもりではない。しかし、わたしの考えでは」トレゴンシーは慎重《しんちょう》にこたえた。「彼は、アンティガンのレンウッド大統領が、ボスコニアの工作員であるか否《いな》かについて、決定的な結論を出すには充分なほど基本的資料を持っていなかった。わたしがきみとまず協議したいのはその点だ」
カムは思考を集中した。「レンウッドがそうだろうとそうでなかろうと、基本的には問題ではないと思うわ」彼女はついに判断をくだした。「方法がちがうだけで、動機は同じよ。興味深い問題でしょうけれど、重要ではないわ。いずれにしても、オンローのカンドロンかだれか、そのほかの生物が原動力で、そいつを撃滅《げきめつ》しなければならないというのはたしかよ」
「もちろんそうだ。しかし、それは第一段階にすぎない。第二段階、第三段階についてはどうするのか? 手段が重要だ。ナドレックはカンドロンだけに気をとられて、カンドロン的表象だけを一覧表《いちらんひょう》にして研究している。彼はカンドロンを抹殺するかもしれない――おそらくするだろう。しかし、その段階で充分だという保障はまったくない。事実、わたしの予備的調査によれば、より強大でより邪悪な要素が、無傷のまま放任されることになる多少の可能性がある。だからわれわれは、さしあたりナドレックの発見を無視して、獲得できるかぎりのデータを、もう一度研究しなおしたほうがいい」
「あなたの意見に賛成よ」カミラは、そろった白い歯で下唇《したくちびる》をかんだ。「まったくそのとおりよ。レンウッドは忠実な市民だという可能性があるわ。その推定を裏付ける要素と、それに矛盾する要素とをすっかり考察してみましょう――」
ふたりは、それぞれの思考が言葉に分解できないほど、密接に心と心を接触《せっしょく》させた。ふつうの頭脳なら、そのような状態でいれば二、三分で疲れきってしまっただろうが、ふたりは四時間もそうしていた。そしてその協議ののち、二、三の仮定的結論に到達した。
キニスンは、超空間チューブが消滅すれば、その痕跡《こんせき》を追求することは不可能だといった。二つの銀河系には、何百万という惑星が存在している。不定数の、おそらく無数の並立的空間が共存していて、チューブはそれらのうちどの空間へ通じているかもわからない。キニスンはそれらの事実にもとづいて、そうした分野で追求が成功する可能性は無限に小さいと判断した。
トレゴンシーとカミラは、同じ事実から出発して、まったく異なった結論に到達した。多数の空間が並存しているのは事実だが、どの空間の住民もその空間に所属しているのだから、他の空間を恒久的に征服《せいふく》することに関心を持ちはしないだろう。したがって、異質な空間は考慮する必要がない。銀河文明にとって危険な敵は一つしかない。ボスコニアだ。したがって、おそらくオンローのカンドロンに指揮されるボスコニアが攻撃者である。チューブ自体は追跡できない。惑星が何百万とあることもたしかだが、そうした事実は重要ではない。
なぜ重要ではないのか? なぜなら、カンドロンかもしれず、そうでないかもしれない指揮官「X」は、固定した司令部から指揮しながら、実際に工作する部下から報告を受けているというわけではないからだ。ふたり以外には、ほとんどできる者がいないほど、厳密な哲学的分析の結果判明したところによると、「X」はみずから工作をおこないながら、太陽系から太陽系へ移動している。守備隊全員が同時に発狂したあの集団精神異常、多数の市民が不可解な精神異常におちいったあの集団的ヒステリーなどは、平凡な能力の心がひき起こせるものではない。銀河文明を通じてあれだけの能力を持っているのは、パレイン系第七惑星のナドレックだけだ。ボスコニアにそのような心の持主が多数いると考えるのは合理的だろうか? そうではない。「X」は個人であるか少数グループであるかどちらかだ。
では、どちらか? その点を決定することができるか? もうすこしデータが加わればできる。ふたりは結合した心をウォーゼル、ナドレック、キニスンおよび最高基地の主任統計官の心と、感応状態においた。
ふたりはナドレックがつくった異常現象の軌跡《きせき》のほかに、二種類の軌跡を作成した――一つは異常現象全体についてのもので、もう一つは、ナドレックが計算に採用しなかった現象についてのものだ。最後に徹底的分析をおこなった結果、ボスコーン人のそうした工作を指揮している最高の知能は、少なくともふたり、そしておそらくふたりだけいるということが判明した。ふたりは、そのふたりの指揮官のどちらをも確認しようとは試みなかった。そして自分たちの結論をナドレックに通信した。
「わたしはカンドロンを目標にして工作している」パレイン人は明確に答えた。「他の最高指揮者があるかどうかについては、なんの推定もおこなわなかった。その点は無関係だからだ。きみたちの情報は興味深く、おそらく価値のあるものだろう。わたしはそれについてきみたちに感謝する――しかし、わたしの現在の任務は、オンローのカンドロンを発見して抹殺《まっさつ》することだ」
そこで、トレゴンシーとカミラとは、「X」の発見に着手した。これは明確な現実的または推定的存在ではないが、ある密接に関連し高度に特徴的な現象、すなわち集団精神異常と集団ヒステリーをひき起こした犯人なのだ。ふたりは最近|被害《ひがい》を受けた二、三の惑星を、被害が起こった順に訪問した。彼らはあらゆる状況のあらゆる面を調査した。彼らの行動は緩慢だが確実だった――彼らはそう期待し、そう信じた。しかしふたりともそのときには、「X」のうしろに惑星プルーアがあり、プルーアのうしろにエッドールがあるということは夢にも思わなかった。
最後に攻撃された惑星を調査したのち、ふたりはつぎに攻撃される惑星を決定するのに、それを一つに限定しようとはしなかった。十個か十二個の惑星のうち、どれが攻撃されるかわからないのだ。そこで、ふたりは数学的論理的確率をまったく無視して、それらすべてを監視することにし、それぞれ六つずつの惑星を受け持った。どちらも破壊的活動のきざしがあらわれれば、ただちにそれを知覚できるように警戒しながら、惑星から惑星にとびまわった。トレゴンシーは、引退した高官が銀河系を見物しながら晩年を送っているふりをした。カミラは地球人のビジネス・ガールが休暇で遊んでいるふりをした。
いつの時代でも同じことだが、若くて美しい無邪気《むじゃき》そうな娘がひとり旅をしているのは、人類の住むどんな惑星のドンファンにとってもいい獲物だ。カミラがホテル・グランドに宿をとるまもなく、身なりのいい、うぬぼれのつよそうな道楽者が近寄った。
「やあ、べっぴんさん! ぼくをおぼえてないかね――トム・トマスだよ。フェイアリンを一本いっしょに飲まないか、そして旧交を――」彼は口をつぐんだ。赤毛の美女の反応がありきたりではなかったからだ。彼女は相手の存在をひややかに無視するのでもなかった。はにかむでもなく、腹をたてるでもなく、恐れるでもなく、軽蔑《けいべつ》するでもなかった。ただ、ひどくおもしろがっていたのだ。
「では、おまえはわたしが人間で、気にいったと思うのね?」彼女の微笑は破壊的だった。「オレノールのカンスリップのことを聞いたことがあって?」彼女自身その瞬間まで、そんな怪物のことを聞いたこともなかったが、このちょっとした嘘に、べつにこだわらなかった。
「い――いや、聞いたことがないようだ」男はこの新しい抵抗にひどく驚いたものの、まだ退却《たいきゃく》しなかった。「きみは、ぼくをどんなぐあいに振るつもりなんだい?」
「振る、ですって? わたしの本当の姿をごらん。そして、わたしがゆうべ食べたばかりでいま空腹《くうふく》でないのを、おまえが信じるどんな神にでも感謝するがいい」男の視覚の中で、彼女の緑色の目はまっ黒に変じ、その中の金色の斑点がまたたいて火花を吐きはじめた。髪はすさまじくつかみかかる触手《しょくしゅ》の集団と変じた。歯は牙《きば》と化し、指は猛獣《もうじゅう》の爪と化し、美しく均整《きんせい》のとれたからだは、地獄の底からあらわれた怪物の胴体に変じた。
一瞬ののち、彼女はそのすさまじい映像を消して、魅力的な本来の姿にもどり、自分の意志力を働かせて、色男が失神するのを防いだ。
「お望みなら、支配人を呼びなさい。彼はこちらを見ていたけれど、おまえが青ざめて冷汗を流しているのしか見えなかった。わたしがおまえの友だちで、おまえに何かわるいニュースを知らせたとでも思っているだろう。これから二、三週間、隔離室《かくりしつ》ですごしたいなら、ばかな警察にわたしのことを知らせるがいい。一日か二日したら、もう一度おまえに会いたいわ。そのころにはまた空腹になっているだろうから」彼女は、男が二度と目のまえにあらわれようとはしないだろうことを確信しながら歩き去った。
彼女は男の自我《エゴ》に恒久的《こうきゅうてき》な傷害を与えなかった――彼は神経質なタイプではなかった――しかし、男がけっして忘れないような衝撃《しょうげき》を与えた。カミラ・キニスンも彼女の姉妹たちも、どんな惑星にはびこっている男性であろうと、どんな宇宙をうろついている男性であろうと、恐れる必要はなかった。
待望の事件が起こった。トレゴンシーとカミラは着陸して追求を開始した。最初の焦点は惑星純潔連盟らしく思われた。そこでふたりはその社会団体の会合に出席した。それは失策だった。トレゴンシーは、強固な思考波スクリーンのかげにひそんで、宇宙にとどまっているべきだったのだ。
なぜなら、カミラは人に知られていない。そればかりでなく、彼女の心は第三水準の圧力に対して本質的に安定している。それ以下の心は、彼女の精神スクリーンは貫通《かんつう》し得ないし、貫通し得なかった場合も、その事実を認識できない。しかし、トレゴンシーは文明化された宇宙全体に知られている。もちろん彼はレンズを着用していないが、彼の姿そのものだけで疑われてしまう。もっとわるいのは、彼が「X」ほど強力な心に探知された場合、自分の心が、引退したリゲル人紳士の心とは似ても似つかないという事実をかくせないことだった。
そういうわけで、カミラはこの作戦が失敗だということを事前に知っていた。彼女はそれについて極力ほのめかしてみたが、頑固《がんこ》なトレゴンシーに、すでに決定された方針を変更《へんこう》させるためには、彼から永久にかくしておかねばならない事実をあかさないわけにいかなかった。だから彼女は妥協《だきょう》したのだが、どんな結果になるかはわかっていた。
そういうわけで、侵入してきた〈知能〉が会衆をそっと包囲し、真に強力な心の放射を探知するやただちに退却《たいきゃく》したとき、カムはあやういところで行動に移ることができた。彼女は侵入してきた思考と同調し、それを分析して根源を追求しはじめた。どちらの操作も完全に成功するほど時間がなかったが、一つの線を捕捉できた。異質な思考が消滅すると、彼女はトレゴンシーに通信を投射し、ふたりは迅速《じんそく》に出発した。
捕捉された線に沿って突進しながら、トレゴンシーの心は混乱しきっていた。その思考は、カミラにとっては印刷物のように鮮明《せんめい》だった。彼女は気まりわるそうに赤面した――もちろん彼女は意のままに赤面できたのである。
「わたし、あなたが考えている半分くらいも超人《ちょうじん》じゃないわ」彼女はいった。それはたしかに事実だった。アリシア人をのぞけば、超人はありえない。「あなたはとても有名だけれど、わたしはそうじゃないわ――侵入者があなたの心を検査しているあいだに、わたしは瞬間的にだけど工作できたのよ。あなたにはその時間がなかったんだわ」
「それは事実かもしれない」トレゴンシーには目がなかったが、カミラは彼が自分をまじまじと、しかし探索的《たんさくてき》にではなく、眺めているのがわかった。彼女は精神障壁を低めて、彼にそれがすっかりさげられていると思えるようにした。「しかし、きみは非凡《ひぼん》でまったく不可解な能力を持っている――だが、キムボール・キニスンとクラリッサ・キニスンの娘なのだから――」
「そうだと思うわ」彼女は言葉を切ったが、やがて娘らしいむきな調子でつづけた。「わたし、何かの能力を持っているわ。本当に思考できるわ。でも、その能力がどんなものだか、それをどう利用したらいいかわからないの。きっと五十年もたったらわかるでしょうけど」
これもまた充分真実に近かったのでトレゴンシーにいつもの平静さを回復させるのに役立った。
「そうだとしても、これからはきみが助言してくれたらそれにしたがうよ」
「わたしが助言するのをやめさせようたってだめよ――助言するのが好きなんですもの」彼女は気どらずに笑った。「これからの助言は、あまり効果がないかもしれないけど」
それから彼女は、抜け目のないリゲル人の疑惑をさらに押えるために、制御板のところへ歩いて行って、コースをチェックした。そのあと、彼女はそのコースを中心にして、探知波を全力展開した。そしてCRX追跡光線で、遠方の宇宙船が思いどおりの位置にいることをつきとめると、ちょっと得意そうにふんぞり返ってみせた。この行動は、彼女をトレゴンシーの心の中の映像と同程度に縮小《しゅくしょう》するだろう。
「では、きみは『X』があの船の中にいると思うのかね?」彼は静かにたずねた。
「たぶんいないでしょうね」彼女はあまりとぼけることができなかった――彼女は第二段階レンズマンをすこしならだませるが、うんとだますことなど、だれにもできはしないからだ。「でも、手がかりはつかめるわ」
「『X』があの船にいないことはほぼ確実だ」トレゴンシーは思考を伝達した。「事実、あれは罠かもしれない。しかし、あの船を捕獲するために、通常の手配をしなければならない」
カムはうなずいた。そこでリゲル人の通信員が、長距離通信ビームを放射した。逃走して行く船のはるか前方に、そのコースを中心として、銀河パトロール隊の快速巡洋艦が巨大なカップ型編隊を形成しはじめた。数時間たつと――予想されないことではなかったが――トレゴンシーの超大型戦艦はボスコニア船に急速に追いついた。
獲物はコースを変えもせず、かわしもしなかった。カップの口へまっしぐらに突入して行った。牽引ビームと圧迫ビームが投射されて吸着したが、反撥《はんぱつ》も切断もされなかった。奇妙な船は有重力状態にも移行せず、防御スクリーンも展開せず、熱戦も放射しなかった。信号にも応答しない。スパイ光線が、とがった船首から推進ジェットまであらゆる区画を検査したが、船内には生物の痕跡《こんせき》はまったくない。
カミラの美しくなめらかな頬には、ピンクの斑点があらわれた。目ははげしく燃えた。「やられたわ、トリッグおじさん――なんてひどくやられたんでしょう!」彼女は叫んだ。彼女のくやしがりようは見せかけではなかった。このような大失敗は、まったく予想外だったのだ。
「『X』のやつ、一点せしめたな」トレゴンシーがいった。彼は平静に見えたばかりでなく、事実、平静だった。「あともどりして、それたところからやりなおそう」
ふたりはこの問題を討議しなかったし、「X」がどのようにして離脱《りだつ》したかを不思議がりもしなかった。事件のあと、ふたりともその真相をはっきり知ったのだ。少なくとも二隻、船があったにちがいない。そして少なくともそのうちの一隻は、本質的に探知不可能で、思考に対して遮蔽《しゃへい》されていたのだ。「X」はその後者に乗って、彼らが追跡した船と不確定の角度のコースで逃走したのだ。
「X」はすでに安全な距離にいる。
「X」は、けっしてばかではないのだ。
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七 キャスリンの当直《とうちょく》
キャスリン・キニスンは、ひきしまってすらりとしたからだに、黒のグラモレットをつけ、陽気な曲をハミングしながら、朝食室にはいって行った。彼女は全身鏡のまえで立ちどまると、しゃれた小さな黒いふちなし帽子を、いっそう気どった角度で左の目の上方へかたむけた。カールした髪を二度ばかりなでつけたのち、満足したように自分の姿を眺めながら、両手をなめらかにふくれたヒップにあてて、生きているのがうれしくてたまらないように、からだを――「のたくらせた」というのが、唯一の適当な表現である。
「キャスリン――」クラリッサ・キニスンは、おだやかにたしなめた。「あまり挑発的《ちょうはつてき》な格好をしてはだめよ」重大な時をのぞけば、キニスン家の女性たちはふつうの会話をしている。彼女たちの表現によれば、「慣れておくため」なのだ。
「なぜいけないの? おもしろいのに」背の高い娘は、身をかがめて母の耳たぶにキスした。「ママはきれいよ、わかっていて? だれよりもすてきだわ――うふっ! ベーコン・エッグね? いいわ!」
年上の女は、長女が消化やふとることをまるで気にかけないように無造作で食べるのを、いくらかうらやましそうに眺めた。彼女は牝鶏《めんどり》が何も知らずに卵からかえしたアヒルのひよこたちを理解できないと同様、自分の子供たちを理解できなかった。そしてこの比較は、クラリッサ・キニスンが考えるより、はるかにふさわしかったのだ。彼女はすでに、自分が子供たちをけっして理解できないだろうということを、不本意ながら認めていた。
彼女は息子のクリストファーが、誕生以来きびしく育成《いくせい》されてきたことについて、公然と抗議したことはなかった。それが必要だということがわかっていたからだ。キットがレンズマンにならないなどとは思いもよらぬことだった。だから、彼はレンズマンになる男子として、受容できるかぎりのものを教えこまれる必要があったのだ。しかし、彼女は、ほかの四人の子供が女だったのがひどくうれしかった。娘たちはレンズマンになることはないはずだ。彼女自身がレンズマンの責任の重さを長いこと痛感してきたのだから、娘たちがレンズマンにならないように気をつけるのだ。彼女は本来、女性的な女性だったから、娘たちを自分に似せて育てるためにあらゆる手をつくした。しかし、彼女はそれに失敗したのだ。
娘たちは人形遊びもしなければ、他の少女たちとままごと遊びもしなかった。そのかわり、娘たちは、彼女の判断では、レンズマンたちの「じゃまをする」ことをやりたがった。それもなるべくなら第二段階レンズマンのだれかが近くにいれば、そのほうがいいのだ。彼女たちはおもちゃのかわりに原子エンジンや飛行機で遊び、のちには快速艇や宇宙船で遊んだ。幼年用教科書のかわりに銀河百科辞典を読んだ。現在のようにだれかひとりが家にいることもあり、みんながいることもあり、だれもいないこともあった。彼女は、娘たちがどういうことになるのか、まるでわからなかった。
しかし、娘たちはけっして不従順《ふじゅうじゅん》ではなかった。他のどんな母親も経験したことがないような深い愛情で母親を愛した。母親が自分たちのことを心配しないように、できるだけ努力した。どこへ行っても、母親と連絡を保った――その場所は、地球であることもあり、スラールやアラスカンや、その他、銀河系間空間の未知の区域であることもあった――そして、自分たちがしているあらゆることについて、一見なんのかくしごともなく母親に報告した。母親を愛すると同じような深さで、父親や兄やおたがいや自分自身を愛した。つねに模範的《もはんてき》に行動した。彼女たちのうちだれひとりとして、無数の少年や男のだれに対しても、わずかの関心さえ示しも感じもしなかった。この特徴は、じつをいえば、クラリッサにいちばん理解できないものだった。
いや、彼女たちについて根本的に困る唯一の点は、彼女たちがよちよち歩きをするようになると同時に判明した事実だが、彼女たちがどのような精神制御をどのように加えられても、すこしもそれに影響されないということだった。
キャスリンはやっと食事をおえて、母親にちらりとあかるい微笑を投げた。「ごめんなさい、ママ。いまにきっとわたしたちが手におえなくなって、さじを投げると思うわ」彼女は色の点だけをのぞけば、とても母親の目に似ている美しい目をくもらせながらつづけた。「ほんとにごめんなさい、ママ。わたしたち、ママが望んでいるようなものにはなれないのよ。うんと努力したんだけど、できないんだわ。こことここにある何かのせいなのよ」彼女はピンクの人差し指で一方のこめかみをたたき、おでこのまんなかをついた。「宿命論とでもなんとでも呼んでいいけれど、わたしたちはいつか、何かの仕事をするために、運命づけられていると思うの。わたしたちのだれも、それがどんな仕事になるか、まるでわからないけれど」
クラリッサは青ざめた。「わたくしもそれと同じことを何年も考えてきたわ――それを口にすることばかりじゃなく、考えることさえこわかったわ――あなたがたはキムの子供で、わたくしの子供よ――もし完全で運命づけられていた結婚というものがあるとすれば、わたくしたちの結婚がそれだわ――そしてメンターは、わたくしたちの結婚が必要だといった――」彼女は言葉をとぎらせた。そしてその瞬間に真実をほとんど知覚した。彼女は従来なかったほど、また今後もないほど、真実に接近していた。しかし、その真実は、彼女の心で把握するにはあまりにも膨大《ぼうだい》すぎた。彼女は言葉をつづけた。「でも、いま知っているようなことをすっかり知っていたとしても、もう一度結婚するわ、キャスリン。わかるでしょう、『偉大な報酬《ほうしゅう》』なのよ――」
「もちろんそうでしょう」キャットはさえぎった。「もう一度結婚しないような女はばかだわ。わたしがパパみたいな男性に会ったら、どうしたって結婚する。もしそのためにケイの目をほじくり出し、カムとコンの頭の毛をすっかりむしらなければならなかったとしてもね。ところで、パパっていえば、ラデリックスの事件はどう思って?」
ふたりの女性は、うきうきした調子をすっかりひそめて、立ちあがった。金色をまじえた褐色の目が、金色をまじえた暗緑色の目をじっと見つめた。
「わからないわ」クラリッサはゆっくり慎重にいった。「あなたはわかるの?」
「わからないわ。わかればいいと思うけど」キャスリンの声は年頃の娘のそれのようではなく、復讐《ふくしゅう》の天使のそれのようだった。「キットがいうように、わたしもあの事件の背後にだれがいるかがわかるなら、前歯四本と右足をひざまでやってもいいわ。でもわたしはそうはしない。あそこへ飛んで行きたくてたまらないの」
「そうなの?」クラリッサは言葉をとぎらせた。「わたくしはうれしいわ。もしわたくしにできることがあれば、パパがなんとおっしゃろうと自分で行きたいんだけど――もしこれがあなたのいっていた仕事だとすれば――おお、できるだけのことをしてちょうだい。パパをわたくしのところへ確実にもどす役に立つのだったら、どんなことでも!」
「もちろんよ、ママ」キャスリンは母親の激情《げきじょう》を、ほとんど力ずくでふり切った。「わたしはこれが自分の任務だとは思わないわ。少なくとも、その効果について宇宙的な予感なんかないわ。でも、心配しないでちようだい。ママの若々しい肌にしわがよるわ。わたし、ほんのちょっとばかり偵察《ていさつ》して、何がどうなっているかわかるまでがんばるわ。そしてその結果をすっかりママに知らせる。バイ、バイ」
キャスリンは、探知不能な快速艇を高速度で駆って、ラデリックスに達し、その惑星の周囲を回転したり着陸したりして、ひそかな調査をおこなった。そして事件の真相の一部を知り、その他の部分を推定したが、事件全体としては、おぼろげにさえ把握できなかった。しかし、わかっている部分については、事態は充分に明白だった。
彼女は第三水準の行動者なので、超空間チューブにはいるためには、その明瞭《めいりょう》な末端《まったん》にいる必要はなかった。このようなチューブを通じて空間から空間への通信をするのも、チューブの内側からどちらの空間へ通信するのも不可能だが、チューブの性質は妨害にならない、ということを彼女は知っていた。妨害《ぼうがい》になるのは接触面なのだ。そこで彼女は、まずどんなことが起こるのかを知り、事件全体を解決するために努力しながら、待機していた。
彼女はキニスンの誘拐《ゆうかい》を見守っていた。彼女としては、それをどうすることもできなかった。そのときには、銀河パトロール隊の全組織を破壊しかねないような反動をもたらすことなしに、事件を防止できなかったのだ。しかし、ボスコニアの船が消滅したとき、彼女はチューブを探知してそれを追求した。彼女はそのチューブを末端《まったん》から末端へ追求しながら、事故なり偶然なりに帰せられうるようなかたちで援助を提供しようと努めた。なぜなら、彼女はキニスンの捕獲者たちがへまをしでかすことはないだろうし、また彼のあらゆる能力は、あらかじめ割引されているだろうということを熟知《じゅくち》していたからだ。
そういうわけで、キニスンの注意がボスコニアの船長の思考波スクリーンを制御《せいぎょ》するスイッチに集中されたとき、彼女は準備がととのっていた。愛玩動物《あいがんどうぶつ》やクモやウジ虫はおろか、ブヨさえいなかったが、船長はすわる可能性があった。そこで彼女は、彼のスクリーンのまわりに強固な思考波を投射し、海賊もレンズマンもその存在を知らないあるチャンネルから侵入した。そしてたちまち船長の心全体を支配した。彼はキニスンが熱望していたように、椅子の肘かけにほんの何分の一インチか接近しすぎるように腰をおろした。スイッチは切れ、キャスリンはすばやく心を離脱《りだつ》させた。彼女は、父がこのきわどい幸運を、まったく偶然と考えるだろうと確信していた。キニスンの有能な手腕をもってすれば、少なくともさしあたりはこの情況が安全だということも、同様に確信していた。彼女は艇の速度をゆるめ、両船の距離を増大させた。しかし、彼女は有効距離を保った。不測の事態が起こるかもしれなかったからだ。
スイッチが切れた瞬間、船長の心はキニスンの心になった。彼は命令によって船の指揮権を引き継ごうとしたが、部下の心と接触するや計画を変更した。船長は命令を発するかわりに椅子からとびあがって、ビーム制御装置のほうへ突進した。
それも一瞬さえ早すぎなかった。他の乗組員たちは起こったことを見、いわずと知れたカチリというスイッチの音を聞いていた。全員が、そうした事故やその他の事故について、警告を受けていた。船長がとびあがるやいなや、部下のひとりは拳銃を引き抜いて、冷静に船長の頭を撃ち抜いた。
グレー・レンズマンは、その弾丸のショックと、自分の心が支配している心の死によって、骨の髄《ずい》までゆさぶられた。まるで自分自身が射殺されたかのようだった。しかし、意志力をふりしぼって持ちこたえた。死んだからだに最後の三歩を歩かせ、自分を身動きもできなくさせているビームの主要回路を、死んだ手で切らせた。
彼は自由になるやいなや前へとびだした。しかし彼だけではなかった。乗組員たちも、同じ制御装置目がけて突進した。キニスンが最初に到達した――ほんのわずかの差で――そして到達すると同時に、宇宙服のこぶしを振りまわした。
デュレウムを埋めこまれた手袋が、キムボール・キニスンの体重と宇宙服のはずみをつけて、たくましい右腕と強力な胴によってふりまわされたとき、その直撃を受けた人間の頭がどうなるかは、くわしくのべる必要はない。その頭は文字どおり粉砕《ふんさい》された。キニスンはすばやくからだをまわすと、かさばる宇宙服を考慮にいれながら、足をはげしく蹴《け》りあげた。彼の鋼鉄の靴は、つぎの敵の腹部にふくらはぎまで突きささった。さらに二度、まったく抵抗できない打撃を加えて、さらにふたりのボスコーン人を片づけた。残ったふたりは身をひるがえして一目散に逃げだした。しかし、そのときすでに、レンズマンは余裕を回復していた。ひとりの男は、強力なD2P圧迫ビームで隔壁《かくへき》にたたきつけられると、ぐしゃぐしゃの残骸となった。
キニスンは自分のデラメーターを拾いあげ、スイッチを入れて調子を調べた。これまでのところはうまくいった。しかし、この船には、なかにも乗組員がいる――どれくらいいるか、調べたほうがいい――そのうちの少なくとも何人かは、彼の宇宙服と同様に、強力なデュレウム入り宇宙服を着用しているだろう。
キャスリンは、自分の快速艇の中で、情況がうまく進行するものと判断し、父の武勇《ぶゆう》を誇らしく思った。彼女は気のよわい娘ではなかった。この第三段階レンズマンは、銀河文明の敵に対していささかの容赦もしなかった。彼女自身でも、グレー・レンズマンと同様、冷酷にビームを投射《とうしゃ》しただろう。彼女はキニスンに、つぎになすべきことを告げることができ、彼の心にひそかにその知識を挿入《そうにゅう》することさえできたが、勇を鼓《こ》してそれをがまんした。できるかぎり、彼自身の方法で処理させようとしたのだ。
グレー・レンズマンは知覚力を投射した。乗組員はほかに二十名いる――船はそう大きくないのだ。十名は宇宙服をつけて船尾にいる。六名はやはり宇宙服をつけて船首にいる。四名は宇宙服をつけずに制御室にいる。この制御室がいちばん問題だが、まず船尾へ行こう。彼は自分のまわりを調査した――彼らはきっと、デュレウムの宇宙斧を持っているのではないか? そうだ、あそこにあった。彼はそれらを持ちあげてみて、適当な目方とバランスのやつを選んだ。それから昇降路をくだって士官室へはいった。ドアをさっと開いて踏みこむ。
彼がまず留意《りゅうい》したのは、デラメーターで通信パネルを破壊することだった。それによって敵の応援がおくれるだろう。ひとりの男が独力でこの船を占領しようとしていることに、制御室は少なくともしばらくは気づくまい。つぎに彼は、敵の携帯兵器《けいたいへいき》のビームが、自分の防御スクリーンにはねかえって、まぶしく輝くのをものともせず、鋼鉄のドアを脇柱に溶接した。それから自分のビーム放射器をケースにしまい、宇宙斧をふりあげて容赦《ようしゃ》なく仕事に着手した。彼は、もしいま斧使いの第一人者バン・バスカークが背後にひかえていてくれれば、どれほど力強いことだろうと、瞬間的に考えた。しかし、キニスンとてもふつうの斧をふりまわすのに、年をとりすぎてもふとりすぎてもいなかった。しかも、さいわいなことに、この区画のボスコーン人たちは、宇宙斧を持っていなかった。宇宙斧は重くてかさばるので、非常用にだけ使用されるのだ。ヴァレリア人の場合は、宇宙斧が宇宙服の一部をなしているが、この船の乗組員の場合は、そうではなかった。
最初の敵はキニスンが斧をふりおろすと、思わず自分のデラメーターをふりあげた。斧の湾曲した刃は、レンズマンの力に可能なかぎりのはげしさで熱線銃にぶつかったが、そこで停止はしなかった。斧は銃を切断し、断片は床に落ちた。
デュレウムを埋めこんだ敵の手袋は持ちこたえた。そして手袋と斧とがいっしょにヘルメットにぶつかった。ボスコーン人はどっと倒れたが、片腕を折った程度で、さして重傷をおわなかった。どんな宇宙服でも、人間が自力で動くためには、全部をデュレウムでつくるわけにはいかない。そこでキニスンは、もう一度武器をふりあげ、埋めこまれたデュレウムの切片の中間を、慎重にねらってふりおろした。斧の鋭い先端は鋼鉄と頭蓋と脳を切断し、デュレウムの切片に、はげしいひびきをたてて衝突《しょうとつ》して、はじめて停止した。
敵はいまやデラメーターばかりでなく、鉄棒、スパナ、棍棒《こんぼう》など、手あたりしだいの武器で彼におそいかかってきた。QX――彼の宇宙服はそういう武器の攻撃になら、いくらでも耐えられる。へこむかもしれないが、切断されることはあるまい。彼は片足を倒れた敵のヘルメットにがっちりかけ、斧を肉と骨と金属とからこじりとった――斧がこわれる心配はない。ヴァレリア人がそのばか力をふりしぼっても、宇宙斧の柄《え》を折ることはできないのだ――そしてまたたたきつけた。もう一度――もう一度。
彼はドアへむかって血路を開いた――生存者のうちふたりは、ドアを開いて脱出しようとした。彼らは失敗した。そして失敗しながら死んだ。残った敵のうちふたりは、盲目的な恐怖に悲鳴をあげて走り、ものかげにかくれようと努めた。他の者は絶望的に戦いつづけた。しかし、逃げ走ろうと戦おうと、パトロールマンが生き残るとすれば、帰結は一つしかなかった。ひとりの敵もあとに生かしてはおけない。彼の宇宙服の防御スクリーンで防ぎきれないようなエネルギーを放射する半携帯式武器を、背後からむけられてはたまらない。
陰惨な仕事が片づくと、キニスンはあえぎながらすこし休んだ。これは二十年来はじめての肉弾戦《にくだんせん》だ。老兵としては――おまけに、銀河調整官としてデスクの仕事をしている人間としては――そうわるくなかったと彼は思った。おそろしく骨の折れる仕事だったし、いささか息ぎれがしたが、すこしも弱っていない。ここまではQXだ。
そして愛らしいキャスリンは、充分離れて、しかし遠すぎないところで、父のあらゆる思考をさとられないように読みながら、父に熱烈に賛成した。彼女は父親コンプレックスは持っていなかったが、姉妹同様、父親の本質を正確に知っていた。また、他の男性についても同様に正確に知っていた。キニスンの娘たちは、いずれも父親に匹敵する程度の男性でなければ、わずかでも関心を寄せることは、肉体的にも心理的にも不可能だということを知っていた。彼女たちはそれぞれ、自分に肉体的にも精神的にも匹敵《ひってき》する男性にめぐりあうことを夢想していたが、まだだれも、そのような男性がすでに存在しているという証拠にぶつからなかった。
キニスンはドアを切り開き、ふたたび知覚力を投射した。そして知覚力を前方に展開しながら、もときた通路を逆にたどった。制御室の連中はなにかの処置をとったが、彼にはそれがどういうものかわからなかった。彼らのうちふたりは、一台の通信パネルをいじりまわしていた。おそらく、士官室へ通じるパネルだろう。彼らはたぶん船尾で事件が起きたと考えているのだろう。それとも、ほんとうに考えているだろうか? なぜ調査をしなかったのか?
彼は、その問題がさし迫って重要ではないものと考えて、やりすごした。他のふたりは、別のパネルで何かをしている。何か? 彼にはまるでわからなかった――いまいましい思考波スクリーンだ! もしナドレックの考案したスクリーン穿孔器《せんこうき》を携帯《けいたい》していたとしても、スクリーンが完全に固定していなければ、効果がないだろう。まあいい。いずれにせよ、たいした相違ではない。彼らは船首のほうの乗組員を呼び返していて、その連中がやってくるところだった。キニスンは、広い部屋より廊下で、彼らをむかえうちたかった。そうすれば、ずっと容易に片づけられるだろう――
しかし、緊張して監視《かんし》しているキャスリンはくちびるをかみしめた。父に告げるべきだろうか、それとも父の心を制御すべきだろうか? いけない。そうすべきではない――そうすることはできない――少なくともいまのところは。父はあの制御室の罠を、彼女の援助なしに発見できるだろう――それに、彼女の頭脳をもってしても、チューブの末端にある――あるにちがいない――危険について、または現在すでにチューブに沿ってボスコニア船に迫りつつある危険について、明確には洞察《どうさつ》できないのだ――
キニスンは、通路をやってくる六人に遭遇して、彼らを撃滅《げきめつ》した。彼らはすでに警告を受けており、やはり宇宙斧で武装していたから、さっきのより骨が折れたが、同様に徹底的に撃滅した。キニスンは、自分がほとんど無傷《むきず》で切り抜けたのを、驚くべきこととは考えなかった――彼の宇宙服はでこぼこになり、ところどころ穴があいたが、かすり傷を二、三ヵ所受けただけだった。敵が一時にひとりずつしか攻撃できない場所で敵を迎えたのだ。彼は宇宙戦闘に用いられるあらゆる武器について、依然《いぜん》として熟達していた。なにか外部の影響力が、通常は迅速《じんそく》な働きをするボスコーン人の心を妨害していたというようなことには、思いいたらなかった。
彼は、例の制御室をどう処理すべきかという問題に直面したとき、自信と闘志にみち、まだまだ疲労していなかった。制御室の敵は手ごわいだろう――これまでぶつかった相手より手ごわいだろう――
キャスリンは快速艇の中で歯をくいしばり、両手をかたく握りしめた。これはいけない――とてもとても、いけない――しかも、もっとわるくなるだろう。彼女は急速に接近しながら、きわめてレディーらしからぬ、はげしい叫び声をたてた。
パパはわからないのか――おばかさんのパパには知覚できないのか――いまにも時間切れになろうとしているのが?
彼女は決断に迷うあまり身もだえした。第三レンズマンが決断に迷うということは、まったくめずらしい現象なのだ。彼女は父親の心を制御したくてたまらなかったが、もしそれをやれば、敵に自分の存在を悟らせずにおく方法があるだろうか?
まったくない――いまのところは。
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八 ブラック・レンズマン
しかし、キニスンの心は娘の心より機能がおそく、能力ははるかに劣ってはいたが、やはり確実だった。制御室の中の四人のボスコーン人は、彼のあらゆる精神力に対して、スクリーンを着用しているから、さっきのような幸運をもう一度期待するのはばかげている。彼らはいまや宇宙服を着用し、機関銃と半携帯式ビーム放射器をそなえている。彼らは防御物に身をかくしている。どうやら、チューブの末端《まったん》まで持ちこたえれば、レンズマンに勝味がなくなるということを知って、ひきのばし戦術をとるらしい。船内にある移動可能な武器のうち、使用できるかぎりでもっとも強力なもので武装し、四対一の優勢なのだから、彼らは容易に勝てるものと考えているにちがいない。
が、キニスンはそうは考えなかった。彼らに対して精神力を用いることができない以上、手あたりしだいのもので戦おう。それに、この船はこうした使命で出撃したのだから、多量の武器を積んでいるだろう――しかも、あの四人は、それらすべてを処理する時間がなかったはずだ。反物質爆弾だってみつかるかもしれない。
そこで彼はスパイ光線防止スクリーンを展開し、調査を開始した。敵はもう彼を見ることができない。もしだれかが知覚力を持っていたとしても、それを働かすために一瞬でも思考波スクリーンを切れば、戦闘はそれで終わったようなものだ。また、彼らが突撃してくるとすれば、なおさら都合がいい。しかし彼が予想したように、敵は制御室にたてこもっていたので、彼は平穏に捜索《そうさく》をつづけた。興味深い構造のさまざまの殺人兵器があったが、彼はその内部構造をざっと知覚しただけで見すごした。彼は兵器を知っていた――これらの兵器は固定されているのだ。彼は兵器庫へいった。
反物質爆弾はみつからなかったが、現在制御室にそなえつけられている兵器と同じような兵器で、破壊されていないものが多数あった。機関銃は優秀だった。大口径の水冷式で、それぞれに厚いデュレウムの防御板と一重の防御スクリーンがついている。それぞれが熱線も放射できるが、機関銃の熱線はそう強力ではない。いっぽう、半携帯式放射器は多量の防御スクリーンをそなえているが、デュレウムの防御壁は薄い。キニスンは機関銃を一挺と、半携帯式放射器を二挺、運搬台を使って制御室の隣室に運んでいった。そして制御盤が火線から充分はずれるように装置した。
キニスンにとって都合がよかったのは、敵の武器がドアにむけられていたことだった。どうやら彼らは、レンズマンが一インチ半の高合金鋼の壁を破壊して、側面をつく可能性を考慮に入れていなかったらしい。キニスンは、彼らが磁石定着装置の方向を変えるまえに、彼らを側面からなぎたおせるほど迅速《じんそく》に壁を破壊できるかどうかわからなかったが、いちかばちか、やってみるつもりだった。はなはだきわどい仕事にはちがいない。レンズマンはヘルメットの防御板の背後で、不敵な微笑を浮かべながら、できるだけ時間を節約《せつやく》するように武器を配置した。
キニスンは、二挺の半携帯式放射器のうち一挺で、床から三フィートばかり上方の一点をねらい、もう一挺でもうすこし下方をねらって、それらを全力放射させ、そのままに放置した。彼は機関銃の熱線を放射し――すこしでも効果を高めるためだ――防御スクリーンを「フル」に展開し、デュレウムの防御壁の背後のサドルに身をかがめた。弾丸はとうの昔に点検してある。充分に用意があるのだ。
壁面の二つの大きな点と一つの小さな点が、短時間発煙して赤熱《しゃくねつ》しはじめた。それらはまぶしい赤色に変じ、さらに茶色に変じ、たがいに接続して、一個の目もくらむような点になった。金属の壁が融《と》けはじめた。はじめはどろどろと、それから水のように、さらに火のように。強力な熱線が食い入るにつれて、まぶしい閃光が狂気のようにほとばしる。突き抜けた!
最初の小さな穴は、キニスンの機関銃と敵の銃の一挺との間を結ぶ直線上に開いた。それが開いた瞬間、パトロールマンの武器はけたたましい断続音をたてはじめた。ボスコーン人たちは壁面の赤熱した斑点に気づき、たちまちその意味をさとると、デュレウムの防御壁でその正面をさえぎり、銃をその方向へむけるように銃座《じゅうざ》を回転させようと、死物狂いで働きはじめた。彼らはいまにもそれに成功するところだった。キニスンは、敵のひとりの宇宙服の胴が目にはいったきりだったが、それで充分だった。金属の流れの運動エネルギーは、その男を銃座のサドルからもぎとった。男はまだ空中にあるうちに文字どおり寸断された。さらに二度はげしい連射があびせられると、半携帯式放射器とその射手たちが片づけられた――すでに述べたように、半携帯式放射器の防御壁は、キニスンが用いているタイプの武器に抵抗できるようには設計されていないのである。
その結果、機関銃対機関銃、一対一の戦いになった。レンズマンは、こうして同じ機関銃でおたがいの防御スクリーンを射撃しあっていては、一時間たっても大きな損害を与えることができないということを知った。しかし、こちらには一つの大きな利点があった。彼は隔壁《かくへき》の近くにいたので、ボスコーン人よりも火線を下方にむけることができた。そうすることによって、彼は敵の銃座の磁石《じしゃく》定着装置をねらった。定着装置は、そういう種類の打撃には、さほど耐えられるようにできていない。前部定着装置の一方が破壊され、つづいてもう一方も破壊された。後ろの二つは射撃できなかったが、レンズマンはそれをどうしたらいいかもわかっていた。彼は火線をふたたび上にむけて、デュレウムの防御板の上縁《じょうえん》を攻撃した。その恐るべき鋼鉄の流れのすさまじい衝撃力によって、破壊された前部定着装置は床から持ちあげられた。銃座は後部定着装置の強力な定着力によって、滑ることを抑制されているので、後部定着装置だけで立ちあがった。そして直後にひっくりかえり、射手はキニスンの火線に全身をさらした。それで決定的におしまいだった。
キャスリンは安堵《あんど》のため息をついた。彼女が「見る」ことができるかぎりでは、チューブはまだ空虚《くうきょ》だった。「やっぱりわたしのパパだわ!」彼女は心の中で称賛した。「さあ」彼女はつぶやいた。「パパに何かがこのチューブをくだってパパにおそいかかろうとしていることを感じるほど能力があって――そしてそれがパパをつかまえるまえに引き返すくらいの分別があればいいんだけど!」
キニスンは、チューブの中に何かの危険が存在しているとはまったく思わなかった。しかし、彼はひとりで敵船に乗ったまま、敵の基地のまっただなかに着陸したくはなかったし、そんなつもりもなかった。そればかりでなく、彼はまえに超空間チューブの中にいるとき、チューブが切断されたおかげで、未知の空間に永久に閉じこめられかけたことが一度あったが、そんなことは一度で、もうこりごりだ。また、彼はたったいま大失敗をするところだったが、そんなことも一度でもうたくさんだ。したがって、彼の唯一の希望は、できるかぎりすみやかに自己の空間に帰還《きかん》することだった。そこで、反抗が沈黙させられるとすぐ、彼は制御室にとびこんで、船の推進を逆行《ぎゃっこう》させた。
キャスリンは、彼の後方で快速艇を逆向きにして退却の先に立った。彼女はチューブを手前で脱出した――「手前で」というのは、きわめてあいまいで不正確な言葉だが、ほかのどんな言葉よりもよく意味を伝えている――そして彼女は基地に帰還《きかん》した。彼女はひとりの士官に「撤退《てったい》」警報《けいほう》を出させてから、宇宙に停止して熱心に監視した。キニスンがチューブの末端からでなければチューブを脱出できず、したがって建物自体の内部で実体化せざるを得ないだろうということを彼女は知っていた。彼女は、二つの濃密《のうみつ》で堅固《けんご》な固体が同時に同一の三次元空間を占めようとすれば、どういうことが起こるかについて聞いてはいたが、彼女が宇宙にとどまっているのは、その現象を見るためではなかった。彼女はチューブの中に何かがいるかどうか現実には知らなかったが、もし何かがいて、それが通常の空間まで父を追跡してくるとすれば、彼女でさえ全力をふりしぼらねばならないだろうということをはっきり知っていたのだ。
キニスンはボスコニアの巡洋艦をあやつって、デュレウム以外は通常空間でも擬似空間でも固体が存在していない中間領域で、かろうじて知覚される通常空間への出口に停止しながらも、すでに着陸の問題に多大の思考をついやしていた。船は宇宙船としては小型だったが、それでも通常の建物のどんな廊下よりもはるかに大きかった。こうした廊下の壁や床は厚くて、多量の鋼鉄を含んでいる。いっぽう船体のほうは堅固な合金製だ。彼は金属の中に金属が実体化するのを見たことがなかったが、率直にいって、その現象が起こるときには、たとえGP宇宙服を着用していても、その近くにいたくなかった。また、船内には多量の爆発物や原子力エンジンがあり、彼のからだから二、三フィートたらずのところで、原子渦動が解放される可能性も軽視できない。
彼はすでにマスター・スイッチへの導線《どうせん》を装着《そうちゃく》しておいた。そして、チューブの大きさが許すかぎり、船のデュレウム製の通路を建物廊下の床に接近させて動力を切り、制御を逆行させたのち、まっさかさまに脱出する身がまえをした。もちろん彼は、ラデリックスの重力を感じられなかったが、境界面を突破するに充分なほど遠くまで飛躍《ひやく》できると確信していた。彼は短い距離を駆け、導線《どうせん》をぐっと引き、宇宙船の非物質的な壁を通じて身をおどらせた。船は消滅した。
境界面を突破するのは、レンズマンが予期した以上にはげしいショックだった。次元間加速度は、きわめて緩慢《かんまん》にかけられるのがふつうだが、その場合でさえ、何度経験しても馴れないような不快感をもたらす。それをこれほど急激にかけたのだから、キニスンはからだの内側と外側が逆転したような感じがした。彼は、このような宇宙服操作としては完全無欠の技術を必要とする回転衝撃で着陸するつもりだった。しかし、事実上、どのようにして着陸したかまるでわからなかった。ただ一つわかっているのは、自分がボイラー工場のような騒音をたてて着陸し、廊下のむこうの壁にすさまじいひびきとともにぶつかって停止したということだけだった。しかし、それまでにたっぷり受けた軽傷のほかに、すり傷や打撲傷《だぼくしょう》を二、三加えた以外は、たいした傷を受けなかった。
われにかえるや否《いな》や彼はとびおきて、命令をたてつづけに叫んだ。「牽引《けんいん》ビーム――圧迫ビーム――切断ビーム! 重火器、定着装置でなく錨《いかり》で固定! 急げ!」彼はいまや何に直面すべきかを知っていた。もし敵がふたたび攻撃してくる気なら、やつらの空虚《くうきょ》な首根っこの一本一本をへし折るくらい速く、例の空虚なチューブから連中を引きずりだしてやるのだ。
キャスリンは依然《いぜん》として熱心に監視《かんし》しながら微笑した。パパは抜け目のないベテランだけれど、いまはその知能を充分に働かせていない――敵がまた攻撃してくる〈かもしれない〉と考えるとは、惑星トレンコのエーテルのように判断がゆがんでいる。もしあの超空間サークルから何かがとびだすとすれば、その何かに対しては、彼が動員しているどんな兵器も、稀薄《きはく》な空気と同様に効果がないだろう。しかし、彼女はまだ、自分がそれほど恐れているものについて、具体的な観念を持っていなかった。それが本質的に物的なものでないのはたしかだ。精神的なものにちがいない。しかし、だれが、あるいは何が、それを遂行できるのか! またどのようにして? とくに重大な問題として、敵がその手段で攻撃してきた場合、彼女にはどんな手が打てるか?
彼女は目を細め眉根《まゆね》にしわをよせて、これまでになかったほど集中的に思考した。しかし、思考すればするほど、情況はいよいよ雲に包まれた。彼女のそれまでの生涯は勝利にみちていたが、いまやはじめて彼女は自分を小さく――弱く――無能に――感じた。キャスリン・キニスンが真に成熟したのは、そのときだった。
チューブは消滅した。彼女はほっと安堵のため息をついた。敵はだれだったにせよ、キニスンを捕獲《ほかく》するのに失敗した――少なくともこんどは――そして彼を追跡《ついせき》してはこなかった――少なくともこんどは。目的を達するまでつづけるほど重要でないゲームだというのか? いや、そうではない。たぶん彼らは準備ができていなかったのだ。しかしこの次には――
アリシアのメンターは、彼女が最後に会見したとき、おまえがあらゆることを知っているわけではないということがわかったら、もう一度きなさい、とそっけなく告げた。彼女の心の底では、そんな時がくるとは予期していなかった。しかし、いまやその時がきたのだ。この脱出は――もし脱出だったとすれば――彼女に実に多くのことを教えた。
「ママ!」彼女ははるか離れたクロヴィアに呼びかけた。「わたしラデリックスにいるの。万事好調よ。パパはついさっき、ボスコーン人の一団を片づけて元気に帰還《きかん》したわ。でも、わたし家へ帰るまえに、ちょっと行くところがあるの。バイバイ」
キニスンは、超空間チューブが消滅《しょうめつ》してのち四日間にわたって、断続的に監視《かんし》に立ったが、ついにあきらめて、次の指《さ》し手について深刻に思考した。
彼はシブリー・ホワイトに変装《へんそう》しつづけることができるか、またできたとしても、そうすべきであるか? できるし、そうすべきである、と彼は判断した。彼は、ホワイトの不在を人に気づかれるほど長く留守にしていなかった。ホワイトとキニスンを関連づけるものは何もない。もし自分が何をしているかが本当によくわかっていれば、もっと特殊な変名のほうがいいかもしれないが、単にかぎまわっているかぎりは、ホワイトの変名を用いるのが一番いい。どこへでも行けるし、どんなことでもできるし、だれにでもどんなことでもたずねられるし、そういうことをするについて、充分口実がなりたつのだ。
そこで彼はシブリー・ホワイトとして何日も何週間もうろついた――しかし、予想どおり何も発見できなかった。彼がもっとも関心を抱いているタイプのボスコニア活動は、彼が超空間チューブから帰還すると同時に、停止してしまったように思われた。それが何を意味するのかはわからなかった。彼らがキニスンの捕獲をあきらめてしまったということも考えられるが、何か新しい計略をめぐらしているというほうが可能性が大きかった。そして不活動な状態の挫折感《ざせつかん》と、次に何が起こるかを推定するための努力とが、彼をしだいに焦燥におとしいれた。
そのとき、そうした沈滞《ちんたい》を打破して、メートランドから呼びだしがかかった。
「キムかい? 何か異常な事件が起こったら、すぐレンズで連絡しろということだったね。これがそれかどうかはわからん。その男はことによると――おそらく――気ちがいなのだろう。その男について報告してきたコンクリンにもわからなかった。コンクリンの報告だけでは、わたしにもわからん。だれかを特派するかね、きみ自身行くかね、それとも何か?」
「わたしがひき受けよう」キニスンはただちに決定した。コンクリンもメートランドも、どちらもグレー・レンズマンだが、もし彼らに判断できないとすれば、ほかの者を派遣しても無駄だ。
「どこのだれだね?」
「惑星はメネアス系第二惑星。きみが現在いるところからそう遠くない。市はメネアテレス、一一六―三―二九、四五―二二―一七。地点はゴールド・ストリートとサファイア・ストリートの角にある隕石坑夫のたまり場ジャックス・ハーヴェン。人物は『エディー』と呼ばれる男だ」
「ありがとう、調査してみる」メートランドはそれ以上情報を送らず、キニスンもそれを望まなかった。銀河調整官はこの事件を自分で調査しようというのだから、直接偏見なしに事実を、とくに印象を獲得すべきだということを、ふたりとも知っていたのだ。
シブリー・ホワイトは、ノートブックをひけらかしながら、メネアス系第二惑星へ、そしてジャックス・ハーヴェンへとでかけた。そこはありふれた宇宙人酒場とわかった――ボミンガーの経営していたラデリックスの宇宙空港酒場より高級で、小惑星ユーフロジーヌの悪名高い坑夫休養所よりはるかにおとなしかった。
「エディーという名の人物にインタビューしたいんだが」彼は酒を一びん買いながらいった。「その男が、わたしの小説にとりいれる価値のあるような宇宙冒険をやったことがある、ということを聞きこんだんでね」
「エディーかい? へえ!」酒場の主人はそうぞうしく笑った。「あの宇宙ジラミかい? だれかにかつがれたんだね、だんな。やつは、ただのおちぶれた隕石坑夫でさ――宇宙ジラミがどんなものかってことは、知ってなさるだろう――わしらはやつが食いはぐれないように、たんつぼ掃除とか雑用をやらしてるんだ。ほかの宇宙ジラミはたたきだすことにしてるんだが、やつをたたきださないのは、やつがちょっとばかり変わってるんでね。やつは一時間おきかそこらに発作を起こすんだが、それがお客さんを喜ばすのさ」
ホワイトのせんさく好きな態度は変化しなかった。その表情は、キニスンがこの無情な言葉を聞いて感じたことをすこしも示していなかった。キニスンは宇宙ジラミがどんなものかということを痛切に知っていた。それどころか、何が人を宇宙ジラミにするかということも知っていた。彼自身かつて隕石坑夫に変装したことがあったので、宇宙の恐るべき深奥、たえまのない危険、窮乏、孤独、挫折感といったものが、充分に統合されていない心に、どのような影響を与えるかを知っていた。強者だけが生存し、弱者は滅亡するということを知っていた。そして、それらの弱者が、いかに悲惨な廃物《はいぶつ》になるかについて、いたましい追憶を持っていた。しかし、そうしたことを、いまさら聞く必要はなかったにもかかわらず、キニスンはたずねた。
「エディーはいまどこにいるんだい?」
「そこのすみにいるあいつでさ。ところで、やつはガタガタしているから、もうすぐ発作を起こしますぜ」
足もともおぼつかないみじめな男は、テーブルにさそわれると、貪欲《どんよく》にそれに応じ、おごられた酒を一息に飲みほした。するとその一杯がきっかけになったように、男のぐったりしたからだはぴくりと緊張し、表情がよじれはじめた。
「猫鷲《ねこわし》だ!」彼は悲鳴をあげた。目が回転し、呼吸があえぐようにはげしくなる。「猫鷲の群れだ! 何千もいる! おれをずたずたに引き裂こうというんだ! レンズマンがいる! やつらをけしかけてる! わっ! わあっ!」彼はわけのわからない悲鳴をあげて、床に身を投げた。そしてけいれんしてごろごろころがりながら、猛獣の爪のようにまげた両手で目や耳や鼻やのどを、同時におおいかくそうと不可能な努力をつづけた。
キニスンはひしめきあう見物人を無視して、目のまえの無力な心に侵入した。彼は男の心にわだかまっている醜悪《しゅうあく》な映像を一見して、内心に眉《まゆ》をひそめた。それからホワイトはせっせとノートになぐり書きしながら、はるかかなたのクロヴィアに思考を投射した。
「クリフ! いまジャックス・ハーヴェンで、エディーのデータを手に入れた。きみとコンクリンはどう判断した? もちろん、あのレンズマンが難点《なんてん》だということで意見が一致したのだろう?」
「そのとおりだ。そのほかはみんなありきたりの宇宙ジラミだ。われわれの判断では、エディーが創造するようなレンズマンはいない――いる〈はずがない〉――という事実が、やつが宇宙ジラミだという証拠だと思う。われわれがきみに連絡したのは、百万分の一の危険を考えたからだ――誤報《ごほう》できみを呼びたてて、すまなかった。だが、きみが念には念を入れろということだったから」
「すまながる必要はない」キニスンの思考は、クリフォード・メートランドがかつて感じたこともないほど深刻《しんこく》だった。「エディーはありきたりの宇宙ジラミじゃない。わたしも、きみもコンクリンも知らない一つの事実を知っている。きみは女に気づいたか? 映像の背景にごくかすかに見える女に?」
「そういわれれば――気がついたよ。手がかりになるにはあまり遠くて幽《かす》かすぎた。ほとんどの宇宙人が愛人のことをたえず心に思っている――そういう愛人がうんといることもある――というのはきみも知ってるだろう。わたしはあのおんなは重要でないと思うな」
「あの女がふつうの女ではなく、ライレーン人だという事実がなかったら、わたしもそう思うだろうが――」
「ライレーン人だって!」メートランドはさえぎった。キニスンは副官《ふくかん》の思考がはげしく働くのを感じた。「あの複雑な生物か――だが、キム、エディーはいったいどうしてライレーンへ到達できたんだ――もし到達したとしても、どうして無事に脱出したんだ?」
「わからんよ、クリフ」キニスンの心もはげしく作用していた。「だが、まだすっかり情報が手にはいったわけじゃない。だが、確実なところ、わたしはあの女を個人的に知っている――あれは、わたしがライレーン系第二惑星にいるあいだ、ずっとわたしを殺そうとして全力をつくした空港マネージャーだ」
「ふむ――む――む」メートランドは、この不可解な事実を理解しようと努めた。努めたが失敗した。「すると、そのレンズマンも実在しているということになりそうだな――少なくとも、調査する価値はある――レンズマンがそんなに横道にそれる可能性があるなどということを、考えたくはないがね」メートランドの信念は消えなかった。「じゃあ、この問題はきみ自身で処理するね?」
「そうだ。少なくとも援助はする。わたしより適当な者がいるかもしれん。その連中に処理させよう。ありがとう、クリフ――晴朗《せいろう》な宇宙空間を」
彼は妻に思考を伝達し、短時間の親密な接触ののち、事件を告げた。
「だから、わかるだろう」彼は結論づけた。「きみの希望が実現したのだ。わたしがきみをひきこまずにおこうと思っても、そういうわけにはいくまい。だから、娘たちと協議して、レンズを着用するのだ。そして服をぬぎすてて仕事にかかりたまえ」
「そうするわ」クラリッサは笑った。彼女の昂揚《こうよう》した心が彼の心をみたした。「ありがとう、あなた」
そこではじめて、すぐれた精神手術者であるキムボール・キニスンは、床の上でからだをこわばらせている男に注意をむけた。しかし、あのホワイトがノートブックをたたんでその場を立ち去るとき、廃人《はいじん》は安静《あんせい》になっていた。男の発作《ほっさ》は、スペース・オペラの流行作家がなおしたのだと勘ぐられない程度に、充分、間をおいてから、なおるはずだった。そればかりでなく、エディーはふたたび健康になって宇宙へもどり、これまでとはちがった者――りっぱな隕石坑夫――になるだろう。
レンズマンは、クモやウジ虫にさえ報酬《ほうしゅう》を払うのだ。
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九 アリシア人の教訓
キャスリン・キニスンは、超空間チューブの中での冒険で、多くのことを学んだ。自分のいたらなさを理解し、どう対処すればいいかを知っていたので、彼女は快速艇をとばして、アリシアにむかった。第二段階レンズマンたちとちがって、彼女は惑星の障壁《しょうへき》に接近しても速度をゆるめさえせず、訪問を許可されることを確信しながら、標識的思考を前方へ投射《とうしゃ》した。
「ああ、キャスリンか、おまえはまたちょうどいいときにきた」いつものように、まったく無感動なアリシア人の思考には感情――歓迎どころか愛情――の痕跡《こんせき》が感じられなかったろうか?
「いつものように着陸せよ」
彼女は、着陸エンジンの強力なビームが、自分の小さな船を捕捉《ほそく》したのを感じとると、制御装置を中立化した。これまでの訪問のとき、彼女は何も質問しなかった――こんどは彼女は〈何もかも〉質問した。自分は実際に着陸しているのだろうか? 彼女は精神力を内側に集中して、自分の心を底の底までまさぐった。確かに彼女は自分の心を完全に支配している――どんな心でも、彼女の心をこれほど痕跡もなく支配することはできない。それでは、彼女は現実に着陸しつつあるのだ。
彼女は着陸した。彼女が踏む地面は現実のものだった。彼女を宇宙空港からおなじみの目的地に運んで行く自動地上車――飛行機でもヘリコプターでもない――も現実のものだった。目的地は広大な病院の敷地内にある質素な住居だ。小石を敷いた小路、花を咲かせた茂み、名状《めいじょう》しがたいほど芳烈な香気、みんな現実だ。針のように鋭いとげが、彼女の不注意な指を刺したときの、ちりとする痛みも血のにじみも現実だ。
彼女は自動開閉ドアを通過して、メンターの書斎であるおなじみの、快適で本に埋まった部屋へはいった。そしてそこには、メンターがすこしも変わらないで、大きなデスクについていた。彼女の父にとても似ているが、もっと年とっている――ずっと年とっている。六十以上とは見えなかったが、彼女はいつも九十くらいだろうと考えていた。しかし、こんどは彼女はメンターの心をさぐってみた――そして生まれてはじめてというほどのショックを受けた。彼女の思考は防止された――厳然と――それが優越した精神力によってならば、彼女も冷静に受けとめられただろうが、そうではなく、一見ふつうの思考波スクリーンによってなのだ。彼女の強固に統合された士気《しき》は目に見えておとろえはじめた。
「これはみんな――その――現実なんですの?」彼女はついに叫んだ。「もし本当じゃなければ、わたし気がちがってしまうわ!」
「おまえがテストしてみたものは――わたしも含めて――おまえがそれらの現実性を理解した瞬間には現実なのだ。現在のように進歩した段階にあるおまえの心は、こうした基本的事実についてはあざむかれることはない」
「でも、まえにはみんな実在していなかったんですの? それとも、その質問には答えたくないっておっしゃるの?」
「それを知ることはおまえの成長に役立つから、答えてやろう。まえには実在していなかったのだ。おまえの快速艇が現実にアリシアに着陸したのは、これがはじめてだ」
娘はぎょっとしてちぢみあがった。「あなたは、わたしがそうしたことを完全には知らないということに気づいたらもどってこいと、おっしゃいました」彼女はついに心をはげましていった。「わたしはチューブの中でそのことに気づきました。でも、自分が何も知らないということは、たったいままでわかりませんでした。メンター、わたしを導くことに意味がありますの?」彼女は悲痛な声を出した。
「大いに意味がある」彼はうけあった。「おまえの進歩は、はなはだ満足すべきものだった。そしておまえの現在の心の状態は必要にして充分だ」
「まあ、わたしったら――」キャスリンは無意味な感嘆詞をのみこんで、眉《まゆ》をひそめた。「では、わたしが何もかも知っていると思っていたとき、わたしにどんな教育をしていらっしゃったんですの?」
「心力を育てていたのだ」彼は告げた。「総合力、貫通力《かんつうりょく》、制御力。深度、速度その他、おまえがすでに熟知しているその他の要素を育てていたのだ」
「でも、そのほかに何がありましたの? あることはわかっています――たくさん――でも、それがどんなものかはわかりません」
「包容力だ」メンターはおごそかに答えた。「それらの心的素質や特性は、すべて思考の全領域を包括《ほうかつ》できるほど拡大されねばならない。それが意味するものについては、言葉も思考も適当な概念《がいねん》を与えることはできない。実際的な全開両面精神感応力が必要だ。これはおまえの現在の心の未熟《みじゅく》な極限《きょくげん》では遂行できない。だから、わたしの心に全心を投入するがいい」
彼女はいわれたとおりにした。そして、その恐るべき精神接触を一分たらずつづけただけで、ぐったりして床にくずおれた。
アリシア人はすこしも変わらず、平然として身動きもせずに彼女をみつめていた。ついに彼女は身動きしはじめた。
「あれは――メンターさま、あれは――」彼女はまばたきし、はげしく首を振り、完全に意識を回復しようと努めた。「あれはショックでしたわ」
「そうだ」彼はうなずいた。「おまえが理解する以上にそうなのだ。あのショックで即座《そくざ》に殺されない生物は、全銀河文明を通じて、おまえの兄とおまえだけだ。おまえはもう『包容力』という言葉の意味がわかった。そして、最後の訓練を受ける準備ができたのだ。その訓練の過程で、わたしは知識の道程に沿って、自分の心がたどれるかぎりまで、おまえの心を導いてやろう」
「でも、その意味は――あなたがおっしゃるのは――でも、メンター、わたしの心があなたの心よりまさっているはずはありませんわ! どんな心だって、きっと――ほんとに空恐ろしいことだわ!」
「だが真実なのだ。いまのはほんの初歩の訓練にすぎなかったのだが、おまえがそのショックから回復するあいだ、従来不明瞭だったいくつかの点を説明しておこう。もちろん、おまえは自分たち五人が、他の子供とちがっていることをずっと前から知っていた。おまえたちは、多くの知識をまなぶでもなく、はじめから身につけていた。おまえたちは、あらゆる思考波帯域にわたって思考している。おまえたちの知覚、視覚、聴覚、触角は、完全に融合して一つの感覚になっているので、おまえたちは、どんな平面や次元の振動によるどんな表象でも、意のままに知覚できる。また、これは明白な現象ではないから、おまえたちは異常とは感じなかったかもしれないが、おまえたちは、いくつかの重要な点で、肉体的に他の人間と異なっている。おまえたちは肉体的病気のどんな軽い症状《しょうじょう》も、頭痛や歯痛さえ経験したことがない。おまえたちは事実上睡眠を必要としない。予防注射も種痘《しゅとう》も『つく』ことがない。どれほど有害な病原菌も、どれほど激烈な毒も――」
「待ってください、メンター!」キャスリンは青ざめながらあえぐようにいった。「わかりませんわ――じゃあ、わたしたちが人間ではないとおっしゃるの?」
「その問題に立ち入るまえに、その背景についてある程度教えておこう。われわれアリシア人の洞察力《どうさつりょく》は、銀河文明が誕生するよりずっとまえに、その興隆《こうりゅう》と没落を予言していた。たとえばアトランティス文明だ。わたしはみずからあの文明に関与していたが、その没落を防止することはできなかった」メンターはいまや感情を示して〈いた〉。彼の思考は沈痛《ちんつう》だった。
「わたしがそれを防止できると期待していたわけではない」彼はつづけた。「敵対勢力を最終的に除去するためには、われわれよりあらゆる点ですぐれた種族を養成する必要があるということが、はるか昔からわかっていたのだ」
「第一銀河系として知られているこの銀河系の中にいる、もっとも強力な四つの種族のそれぞれにおいて、血統が選択された。それらの血統について、弱点を可能なかぎり除去し、すぐれた点を強調するための要請計画が設定された。優生学に関するおまえの知識から判断しても、この仕事の困難さが理解できるだろう。それを達成するための努力についてくわしく述べるのは、時間の無駄だ。おまえの父と母とは、長い――非常に長い――血統のクライマックスの直前の段階だった。彼らの生殖細胞が融合すれば、多少とも劣弱な遺伝因子はすべて除去されるようになっていた。いいかえれば、おまえたちは、人類がこれまでに所有したかぎりの強力な遺伝因子をすべて所有しているのだ。したがって、おまえたちは外見上は人間だが、すべての要素において人間ではない。わたし自身よりもっと人間的ではないのだ」
「では、これはどれくらい人間的なんですの?」キャスリンはかっとして、もっとも貫通力のある精神探査波を、アリシア人のスクリーンにのばした。
「それはもっとあとのことだ。いまはいけない。そのことは、おまえの教育の最後の段階でわかる。最初の段階ではわからない」
「そうだろうと思っていたわ」彼女は絶望的に目を見開きながら、アリシア人を見つめた。その目には、努力に反して涙があふれていた。「あなたは怪物《かいぶつ》よ。そしてわたしはもっとひどい怪物なんだわ――いまにそうなるんだわ。怪物――そして、百万年も生きなきゃならないんだわ――ひとりぼっちで――なぜなの? メンター、なぜわたしをそんな目にあわせなけりゃならないの?」
「おちつきなさい。そのショックははげしいが、やがて過ぎ去る。おまえは何も失うことなく、多くのものを手に入れたのだ」
「手に入れたのですって? まあ!」娘の思考は悲しみとあざけりに満ちていた。「わたし両親を失ったわ――パパやママが死んでからも、ずっと娘のままでいることでしょう。わたし、愛がほしいわ――夫も――子供も――でも、そのどれも永久に手に入れられないんだわ。そうでなくても、わたしはこれまで好ましい男に出会ったことがないのに、これからも、だれも愛することはできないんだわ。わたし、百万年も生きたくないわ、メンター――とりわけ、ひとりぼっちなんかで!」彼女の思考は絶望的な悲鳴だった。
「そのような混乱した幼稚な思考を停止すべきときだ」しかし、メンターの思考は、おだやかにたしなめる程度にすぎなかった。「そうした反応はまったく自然だが、おまえの結論はまったく誤っている。一度だけ明晰《めいせき》に思考してみれば、おまえが現在、心理的、知的、感情的、肉体的に、おぎなうべき欠陥《けっかん》をまったく持っていないということがわかるはずなのだ」
「それは本当よ――」彼女は不思議そうにいった。「でも、わたしくらいの年頃の娘たちは――」
「そのとおりだ」メンターは無感動に答えた。「おまえは自分をホモ・サピエンス(人類)の成人と考えて、誤った基準で自己を判断している。事実、おまえは未成年で成人ではない。おまえはやがてひとりの男性を愛するようになり、その男性もおまえを愛するようになるだろう。その愛の熱烈さと深さとは、現在のおまえにはおぼろげにさえ理解できないのだ」
「でも、まだわたしの両親の問題があるわ」キャスリンはずっと心が静まってきた。「もちろん、わたしは帽子をかぶるみたいにたやすく年をとれるけれど――でも、わたしはほんとに両親を愛しているんですもの。ママは娘たちがみんな――ママの考えでは――オールドミスになると思ったら、心臓がはりさけてしまうでしょう」
「その点についても安心するがいい。わたしはその配慮もしておいた。キニスンもクラリッサも、おまえの生命周期が自分たちの周期よりはるかに長いということを、どうして知ったかは知らないながら、ちゃんと知っているのだ。ふたりはいずれも、自分たちが孫を見るまで生存しないだろうことを知っている。しかし安心するがいい。彼らはこの存在周期から次の存在周期へ移行するまえに――次の周期については、わたしも何も知らない――自分たちの血統がやがて最高に繁栄するだろうことを知るだろう。もっとも、銀河系文明全体についていえば、文明はおまえたち五人で終結するのだ」
「わたしたちで終結するんですって? それはどういう意味ですの?」
「おまえたちには一つの宿命《しゅくめい》があるが、その本質については、おまえの心はまだ受容する能力がない。やがてその知識はおまえのものとなるだろう。いまは、おまえの生涯にとって今後四、五十年間が、ほんの一瞬にしかすぎないということを告げておけば充分だ。しかし、さしあたっては、時間が切迫している。おまえはもう完全に回復しているから、わたしから受ける最後の訓練期間にはいらねばならぬ。それが終われば、おまえはこれまで妹たちとの完全な精神接触に容易に耐えられたように、わたしの心との完全密接な接触にも耐えられるようになるだろう。その訓練をはじめよう」
彼らは訓練をはじめた。キャスリンはそれらのすさまじい処置をつぎつぎに克服し、ついにチンパンジーが相対性原理を理解できないのと同様、第三水準以下のどんな心にも理解できないような力と規模の心の持主となったのである。
「おまえの心の進歩は自然ではなく、強制的におこなわれたのは事実だ」アリシア人は娘が立ち去るまえにおごそかにいった。「おまえは、おまえたちの年にして数百万年も自然の進歩に先行している。しかし、おまえはその強制の必要を理解している。また、わたしが、もうおまえに公式には教える余地がないということも理解している。わたしはつねにおまえとともにいるか、呼びかけに応じる態勢《たいせい》にいて、危急《ききゅう》の際には援助するだろう。しかし、より大きな問題について、おまえがさらに進歩するか否《いな》かは、おまえしだいだ」
キャスリンは身ぶるいした。「わかっています。そしてこわくてたまらないわ――とくに、あなたが、ごくおぼろげに暗示した闘争が。わたしにその準備ができるように、それについて少なくとも〈何か〉教えてくださればいいのに!」
「それができないのだ」キャスリンの経験でははじめてだが、アリシア人メンターは、あいまいな声を出した。
「われわれが手おくれになっていないことは確かだ。しかしエッドール人の心はわれわれの心より劣っているとしても、ごくわずかなくらい強力なのだから、われわれが確実に推定できない要素は多々ある。おまえに誤った助言をすると、回復しがたい損害《そんがい》をこうむるだろう。わたしにいえるのは次のようなことだけだ。おまえは、自分でとくに努力しなくても、わたし以外のだれかから、『プルーア』と呼ばれる惑星が現実に存在しているということを知って、充分な警告を受けるだろう――その名前は、現在のおまえには無意味な表象に過ぎないのだが。さあ、キャスリン、行くがよい、そして働くのだ」
キャスリンは、アリシア人が語るべきことをすべて語ったということを悟って、立ち去った。事実、彼は、彼女が知らせてもらえるだろうと期待したより、はるかに多くのことを告げてくれた。そして彼女は骨の髄《ずい》までぞっとした。これまでずっとアリシア人を半ば神のように尊敬してきた自分が、これからは彼らの同僚として――おそらくある意味では上級者として――行動することを期待されているのだ! 快速艇が、はるかかなたのクロヴィアへむけて宇宙を突破して行くあいだ、彼女は自己と戦いながら、自分の新しい自我を、以前の個性と同様に統一された個性におちつけようと努力した。その仕事がまだ完全には成功しないうちに、彼女は一つの思考を感じた。
「救援を求む! わたしの船が故障した。わたしの呼びかけを受け、修理器具を携行している者は救援にきてほしい。そのような器具がなければ、わたしの船を、わたしがただちにおもむく必要のある場所に曳行《えいこう》していくだけの力のある船でもよろしい」
キャスリンは内省的集中《ないせいてきしゅうちゅう》から愕然《がくぜん》とさめた。その思考波は驚くほど高い周波帯域だった――これほど高い帯域を使用している種族を、彼女は知らなかった。ふつうの人間の心では、送ることも受けることもできないほど高い。その語法は奇異《きい》だが、おそろしく精確だ――この思考を発した心は、言語学者程度に精密にちがいない。彼女は相手の帯域で応答し、位置決定ビームを投射した。よろしい――相手はそう遠くない。彼女は難船のほうへ突進し、安全な距離で艇の固有速度を相手の船の固有速度に同調し、探査を開始したが、全船がスパイ光線防止スクリーンでおおわれているのを知った! 彼女にとって、そのスクリーンは穴だらけだった――しかし、相手が自分のスクリーンを強固と考えているなら、そう思わせておけばいい。こんどは相手の番だ。
「何を持っているのだ?」相手の思考は、どなりつけんばかりだった。「わたしがきみを導入できるように接近してくれ」
「まだよ」キャスリンは叫び返した。「あなたの船がどんなものかわかるように、スクリーンを切ってちょうだい。わたしはいろいろな状況に応じられるような装置を持っているけれど、移乗するまえに、あなたの船の装置がどんなものかを知って、それに適当な準備をしなければならないわ。わたしのスクリーンがおろしてあるのはわかるでしょう」
「もちろんだ。許してほしい――わたしはきみがわれわれと同じ――」文字にもあらわせず発音もできないような一つの名称についての思考が伝達された。「――だと思ったのだ。われわれより下等な生物は、われわれの思考を直接に受けとれないからだ。きみは道具を持って移乗できるか?」
「できるわ」未知の相手の船の照明は強烈だった。そのエネルギーの九八パーセントまでは視覚を越えている。照明灯はビーム放射原子器にほかならなかった。しかし、ガンマ線は非常に少なく、ニュートロンも少なかった。これなら容易に防御できると彼女は判断しながら、防熱宇宙服と、ほとんど不透明でダイヤのように固い、プラスチック製のヘルメットを着用した。
キャスリンは力場の棒に沿って、両船のあいだの宇宙空間をゆっくりただよいながら、相手の男性――または女性――をはじめて仔細《しさい》に調べた。彼女ははじめその女性――またはそいつ――が、ディリア人にいくらか似ていると思った。ずんぐりしてたくましい象のような胴体《どうたい》が、四本の太い足の上にのっている。巨大な二重の肩と巨大な腕。ドーム型のほとんど動かない頭。しかし、似ているのはそれだけだ。頭は一つしかない――思考用の頭だ。そしてその頭には目が一つもなく、骨でおおわれてもいない。食事用の頭はない――この生物は食うことも呼吸することもできないのだ。象鼻状の鼻もない。そしてなんという皮膚だ!
それはじつのところ、獣皮《じゅうひ》よりわるかった――火星人の皮膚よりわるいくらいだ。キャスリンは、そのような皮膚を見たことがなかった。信じられないほど厚く、乾燥していて柔軟だ。半液体性、半ガス性の何かの細胞でみたされているが、それは外皮自体の繊維より、もっと完全な絶縁体だということがわかった。
「R―T―S―L―Q―P型だわ」彼女はその生物の六つの特徴をすばやく分類してから、停止して額にしわをよせた。「七番目の特徴――あのとほうもない皮膚――は何かしら? Sかな? Rかな? Tかな? Rにちがいない――」
「きみは必要な道具を持っているな」生物は、キャスリンが自分の快速艇より大きくない未知の快速艇の中央区画にはいって行くと、彼女に挨拶しながらいった。「わたしはきみに、どうすればいいかを教えることができる。もし――」
「どうすればいいかわかってるわ」彼女は故障した装置のカバーをはずし、レンチ、ケーブル、継ぎ手、照明灯をすばやく操作して、十分のうちに仕事をすませた。「あなたはあきらかに知能が高くて、こんな小さな事故を自分で修理するに充分なだけの知識を持っているわ。それなのに、こんな小さな船に乗って、なんの道具も持たず、自分の惑星から出るなんて、筋が通らないわね。事故やショートはいつ起こるかわかったもんじゃないわ」
「この船は――」キャスリンはまた例の発音できない表象を感じた。「――の船ではない。われわれ高等生物は労働をおこなわないということを知るがいい。われわれは思考し、命令する。下等な生物は労働し、よく働けばいいが、さもないと相当の罰を受けるのだ。このような事故が起こったのは、九・四周期以来はじめてのことで、これが最後になるだろう。わたしはこの事故に責任のある技師に厳罰を加えるから、それによって事故が根絶できるだろう。わたしは最後には彼の生命を奪うつもりだ」
「まあ、いけないわ!」キャスリンは反対した。「こんなことは、生死にかかわる問題じゃ――」
「だまれ!」簡潔な命令がきた。「下等生物がわれわれに命令するのは許せ――」
「あなたこそおだまり!」反響の強烈さに、その生物は肉体的にも精神的にもたじろいだ。「わたしがこのくだらない仕事をしてあげたのは、あなたが自分ではできないことがはっきりしていたからよ。わたしはあなたが当然と考えているやり方について、反対したのじゃないわ。ある種族はそういうふうにできていて、そうしないわけにいかないからよ。でも、あなたがどんな基準で生物に階級をつけていようと、自分のほうがわたしより高等だと主張するのなら、わたしはレディーぶるのはやめるわ――善良なガール・スカウトとして行動するのさえやめるわ――そして、目に物、見せてやるから、あなたがそうしてほしいという表示がありしだいはじめるわよ。覚悟して、いつはじめたらいいかおっしゃい!」
未知の生物はひどく驚き、思考の触角を電光のように投射したが、娘の光沢《こうたく》のある宇宙服からたっぷり一フィートも手前で、きっぱり防止された。これは人類の女性だ――はたしてそうだろうか? そうではない。人類がかつてこのような心を持っていたことはないし、将来もないだろう。そこで、
「わたしは大きな誤りをおかした」生物は率直に謝罪《しゃざい》した。「きみが少なくともわたしに匹敵する生物だとは思わなかったのだ。わたしの謝罪を受けいれてくれるかね?」
「もちろんよ――もしあなたが、ああいうことをくり返さなければね。でも、わたし、やっぱりあなたがあんな問題で技師を拷問《ごうもん》するのはいやよ――」彼女は唇を歯のあいだでかんで思考を集中した。「きっと方法があるわ。あなたはどこへ行く途中で、いつそこへ着くつもりなの?」
「わたしの故郷の惑星だ」彼は銀河系の中でのその惑星の位置を精神的に指示した。「わたしは二百銀河時間内にそこに到着せねばならない」
「わかったわ」キャスリンはうなずいた。「あなたは到着できてよ――もしその技師に罰を加えないと約束すればね。そして、わたしには、あなたが本当にそのつもりなのかどうかわかるのよ」
「わたしは約束した以上そのとおりにする。だが、もし約束しなかった場合は?」
「その場合は、十万銀河年くらいしてそこに着くことになるわ。なぜって、わたしはあなたの船のバーゲンホルム重力中立器を融《と》かして金属のかたまりにしてしまい、船の出入口を船体へ溶接してから、七百年間持続する思考波スクリーン発生器を船外に取りつけるからよ。約束するか、それか。どちらがいいの?」
「わたしは技師をどんな方法でも罰しないと約束する」彼はしぶしぶ譲歩《じょうほ》し、キャスリンがその約束がまもられるかどうかを確かめるために彼の心に侵入するのに、なんの反抗もなかった。
彼女は、以前なら接触できなかったような強力な心を容易に征服したことで有頂天になり、自分のとほうもなく拡大された心を調整するのに没頭していたから、この偶然、出会った未知の知能の奥底に、検査する価値のあるような何かがひそんでいることに気づかなかったのも不思議はない。
彼女は自分の快速艇にもどり、宇宙服を脱いで出発した。そのとき、ずっと後方にとり残された未知の快速艇からは、強固な思考ビームがはるか離れた恐るべき惑星プルーアにむけて投射されていたが、彼女はそれに気づかなかった。それは彼女の心の平和のためには、よいことだった。
「――しかし、たしかに人間の女性ではなかった。わたしはその心に接触できなかった。あれはのろうべきアリシア人のひとりだったかもしれない。だが、わたしは相手の疑惑をひきおこすようなことは何もしなかったから、容易に離脱《りだつ》することができた。警告を伝達せよ!」
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一〇 コンスタンス、ウォーゼルを追い越す
キャスリン・キニスンが超空間チューブの中で父を援助し、アリシアでメンターの訓練を受けているあいだ、また、カミラとトレゴンシーが不可知な「X」を探査しているあいだ、コンスタンスも活動していた。彼女はあおむけに寝て、筋肉一つ動かさなかったが、これまでにないほど活動していた。彼女は専用の探知不能な快速艇をずっとまえから偶然自動制御に切りかえていた。彼女はいまや自分や艇がどこにおり、どこにむかっているかを知りもせず気にもかけず、肉体的にすっかりくつろぎながら、その「知覚力」を巨大な有効範囲いっぱいに展開して、何時間もその状態を保っていた。彼女は、ウォーゼルと同じように、何か特定の対象を意識的に知覚しているのではなかった。すでに膨大な知識をいっそう増大させているだけなのだ。彼女の心は一〇〇パーセント受容的《じゅようてき》に保たれ、自分の肉体の脳にだけ従属《じゅうぞく》させ、それとだけ関連しながら、自在に活動し、そのもっとも稀薄《きはく》な周辺に接触するあらゆる現象をサンプルに取り、テストし、分析し、分類していた。彼女の心は何千という太陽系を通過し、なんらかの価値のある、またはなんの価値もない何十億という生物を通過した。
ふいに彼女を肉体的にぴくりとさせるようなものに接触した。思考波帯域のうちであまり高いので、いつもはほとんど空白な部分に、一つの思考波が突然出現したのだ。彼女は緊張して起きあがり、アラスカンたばこをつけてから、ポットにコーヒーをわかした。
「これは重要だと思うわ」彼女は熟考した。「まだ新しいうちに調査するほうがいいでしょう」
彼女はウォーゼルに同調した思考を伝達したが、応答がないのにびっくりした。検査した結果、ヴェランシア人のスクリーンがいっぱいに展開され、強固に保持されているのがわかった――ウォーゼルはデルゴン貴族と激闘していたので、彼女の思考を感じなかったのだ。この戦闘に力を貸すべきだろうか? そうすべきではない。彼女はそう判断して、ちらりと微笑した。彼女のかつての教師は、この比較的小さな仕事に援助を必要としないだろう。彼が忙しくなくなるまで待つことにしよう。
「ウォーゼル! コンよ。そこではどんなことが起こっているの、蛇おじさま?」彼女はついに思考を投射《とうしゃ》した。
「知ってるのにしらばくれるな?」ウォーゼルは応答した。「きみとはしばらく会わなかったな――こっちの船へこないか?」
「全速力で行くわ」彼女はそうした。
しかし、彼女はウォーゼルの船ヴェラン号に移乗するまえに、重力緩和器のスイッチを入れて、九百八十センチに固定した。彼女は元気でタフで柔軟《じゅうなん》だったが、ヴェランシア人がいたるところで使用し享楽するすさまじい加速度は、ありがたくなかったのだ。
「あなたはあの思考波の突発《とっぱつ》をどう思って?」彼女は挨拶がわりにたずねた。「それとも、あまりたのしい思いをしていたので、気がつかなかったの?」
「なんの突発だい?」そしてコンスタンスの説明を聞いてから、「わたしは忙しかったが、たのしんでいたんじゃない」
「あなたのことを知らないだれかさんなら、その言葉を信用するかもしれないわね」娘はひやかした。「あの思考波は重要だと思うわ――あなたがいまやっていたデルゴン貴族との〈いちゃつき〉よりずっとね。その思考波帯域はとても高いの――ここのところよ」彼女は思考で図示した。
「ほう?」ウォーゼルは、彼のように口のきけない種族としては、できるだけ口笛に近い音をたてた。「どんな体型だね?」
「四けたまでWZYよ」コンは思考を集中した。「多足性。性格には甲殻性《こうかくせい》じゃないけど、かなりそれに近いの。それに有刺性《ゆうしせい》だと思うわ。居住惑星は寒冷で暗黒で不毛《ふもう》だけれど、極寒《ごっかん》ではない。でも、彼は――それは――酸素呼吸者らしくはなかったわ――温血のパレイン人というような生物を想像できれば、いくらかそれに似ているの。知能は非常に高度――言語学者的段階――都市の観念はなし。太陽は典型的な黄色矮小星《こうしょくわいしょうせい》。これで何か思いあたることがあって?」
「ない」ウォーゼルは数分間熱心に思考した。コンスタンスもそうした。ふたりとも気づかなかった――そのときには――だが、彼女が描写しているのは、惑星プルーアの恐るべき生物が秋期に採用する形態だったのだ!
「これはたしかに重要かもしれない」ウォーゼルは思考的沈黙を破った。「いっしょに調査しようか?」
「しましょう」ふたりは必要な思考波帯域に同調した。「それもいっぱいに展開するのよ――そら!」
複合された精神的ネットはぐんぐん外へ展開された。稀薄で微弱《びじゃく》な、まったく不可解な振動に接触した。接触したと思うと――ほんのかすかな接触だけで――消滅《しょうめつ》した。コンのほとんど同時的な反応さえ、方向についてかすかな暗示しか得られないうちに消滅した。そしてどちらの観測者も、その振動のどの部分をも読むことができなかった。
この事態はまったく予想外だった。ウォーゼルは長いからだを岩のようにかたく緊張《きんちょう》させながら、精神力を集中して精神的ネットを展開した。しかし何も発見できなかったので、彼はついにからだをゆるめた。
「レンズマンはどこにいようと、どんな思考でも、どれほど混乱し、どのように表象されていようと、それを読んで理解することができる」彼はコンスタンスに思考を伝達した。「また、わたしは自分が知覚したどんなものについても、正確な方向を決定することができた。しかし、この振動については、どこかあの方向からきたらしいということしかわからない。きみにはもっとわかったかい?」
「わかったとしても、あなたよりいくらも多くないわ」この現象がウォーゼルにとって不思議だったとすれば、彼女にとってはまったく驚異そのものだった。彼女は自分の心力の大きさを知っていたので、自分自身にだけ――ヴェランシア人にではなく――思考した。「おまえ、この現象を慎重に記憶しておくのよ!」
方向の指標《しひょう》はかすかだったが、ヴェラン号は指示されたコースに沿って、全速力で突進して行った。ヴェラン号は精神的ネットをはるか前方に展開し、その他の各方向には、いっそう遠くまで展開しながら、何日も飛びつづけた。彼らは求めるものを発見しなかったが、ほかのものを発見した――あるものを。
「それはなんだ?」ウォーゼルはその報告を精神感応でおこなった観測員にたずねた。
「知りません。例の超高帯域ではなく、それよりだいぶ下――そこであります。たしかにデルゴン貴族ではありませんが、彼らと同様に非友好的らしく思われます」
「アイヒ族だ!」ウォーゼルとコンは精神的に叫んだ。そしてコンはつづけた。「もちろん、パトロール隊がジャーヌボンで彼らを全滅できなかったのは確かだけれど、これまで生存者については報告がなかったわ――とにかくどこにいるのかしら? だれか宇宙図を取ってちょうだい――これはノヴェナ系第九惑星ね――QX――ウォーゼル、重兵器の準備をしてちょうだい――指揮官をいけどりにできればいいんだけど、そんな幸運を期待するのはちょっとむりね」
ヴェランシア人は、指示された惑星へむけて全力推進するように、ただちに命令を発したものの、一瞬とまどった。キニスンの娘は、きたるべき戦闘の結果について、なんの疑問も持っていない――ところが、彼女はアイヒ族を近くで見たことがないのだ。彼は見たことがあった。彼女の父もそうだった。キニスンはあの事件では、きわめてみじめな敗北を喫《きっ》した。そしてウォーゼルは、自分がキニスンと同程度にはできたとしても、それ以上はできなかっただろうということを知っていた。しかし、あのときは惑星ジャーヌボンのもっとも強力な要塞の内部でのことだったし、彼もキニスンも準備が不充分だった。
「どんな作戦なの、ウォーゼル?」コンは、はずんだ口調でたずねた。「どういうふうにして彼らを撃滅するつもり?」
「やつらの力しだいだ。もし恒久的な基地だったら、ラフォルジュに報告して、われわれの仕事を継続するほかはない。従来報告がなかったところから見て、新設の基地だという可能性のほうが大きいと思うが、もしそうだったら――それとも、着陸している宇宙船にすぎないのだったら――われわれ自身で攻撃するのだ。もうすぐ敵の正体がわかるくらい接近するだろう」
「QX」そしてコンのいきいきした顔を微笑がかすめた。彼女はとくに「ウォーゼルを追い越す」能力を開発するために、アリシア人メンターから、長いこと訓練を受けてきた。いまこそ、そのきびしい訓練の成果《せいか》をテストするのに絶好の機会ではないか。
そこで、ヴェランシア人は催眠術《さいみんじゅつ》の大家ではあったが、クロヴィア生まれの同僚コンに、彼がその存在をさえ知らない思考波チャンネルを通じて、彼の心のあらゆる区画を制御されたときも、その事実をまったく理解しなかった。また、乗組員たちも、彼女が彼らの心を制御するという、はるかに容易な仕事をやってのけたとき、何かがおかしいということを、個人個人としても全体としても、まったく感じなかった。また、不運なアイヒ族も、ヴェラン号が彼らの惑星に接近して、彼らの施設が、ボスコニア戦艦を中核《ちゅうかく》としてその周囲に建設された、ごく新しい基地だということを見てとったとき、その事実に気づかなかった。彼らは指揮官をのぞいて即死《そくし》した――のちになって、コンは自分がこの戦闘をこのようにひとりで処理してしまったことを、痛切に後悔するはめになるのである。
着陸していた戦艦は、まったく強力な要塞そのものだった。ヴェランシア人たちは、自分たちの船の防御壁そのものが、要塞《ようさい》の攻撃ビームの強烈な衝撃《しょうげき》によって、すみれ色に熱せられるのを見た。いっぽう、ヴェラン号の強力な第二次ビームは、ボスコニア要塞の内部スクリーンで防止された。敵の宇宙船要塞が破壊されるまでには、第一次ビームの想像を絶するエネルギーが使用されねばならなかった。そしてここまでの戦闘は現実のものだった。装置テープと記録テープは適当に調製できるし、実際に調整されているが、第一次ビーム放射器の使用されて廃物になった放射筒は、ごまかしがきかない。それに、この超大型戦艦と完成したばかりの基地が無傷で残存するのは、考えられないことだった。
そこで、恐るべき第一次ビームがアイヒの主要兵器を沈黙させ、地上施設を炎々たる溶岩のプールと化してのち、針《ニードル》ビームが副次的制御装置を破壊する仕事にとりかかった。こうして巨大な戦艦が戦闘単位としてまったく無力化すると、ウォーゼルと百戦錬磨の乗組員たちは――思考波スクリーンを展開し、完全に宇宙服を着用し、半携帯式放射器とデラメーターで武装して――各自が熱望している肉弾戦にいさみたって出撃した、と思った。ウォーゼルともっとも強力なふたりの部下は、武装し宇宙服を着用したボスコニア船長を攻撃した。満足できるほど熱烈な戦闘がおこなわれた。その戦闘で三人のヴェランシア人――とそのほかの何人か――は、適当に火傷と創傷《そうしょう》をうけた。しかし、彼らはついに敵船長を圧倒し、彼を生きたままヴェラン号の制御室に運びこんだ。この場面もまた現実のものだった。船長をヴェラン号に運びこんでいるあいだに、ボスコニア船は完全に融解《ゆうかい》されたが、これも事実だった。
それから、コンは自分の心がウォーゼルの心に侵入していた痕跡《こんせき》をまったく残さずに、ウォーゼルの心から自分の心を抜きだすという、きわめて微妙《びみょう》な作業にとりかかった。そのとき、まったく思いがけないことが起こった。彼女が全然予期していなかったことだ。捕虜《ほりょ》の船長の心は、まるでゆるく握ったステッキが手からやすやすとひったくられると同様にやすやすと、彼女の制御からひきもぎられた。それと同時に、彼女の貫通不能な精神障壁に対して、アイヒの心から投射《とうしゃ》されるはずがないほど強力な精神衝撃が投射された!
もし彼女の心が自由だったら、この情況を処理することができただろうが、そうではなかった。彼女はウォーゼルの心を制御していなければならなかった――もしそうでないと、どういうことが起こるかを、彼女は冷厳《れいげん》に認識していた。乗組員はどうか? 彼らは一時的に思考停止させることができる――ウォーゼルとはちがって、彼らはその思考停止が時計上で認識できるほど長くつづかなければ、自分がそのような状態にあったことを感じさえしないだろう。しかし、その操作には、この貴重な時間が千分の一秒かそこら奪われる。そして、ウォーゼルの心から痕跡《こんせき》を残さずに自分の心を引き抜くには、かなり長い時間が必要だ。こうして、彼女がその驚くほど強力な知能の攻撃から、自分自身とヴェランシア人を守る以外に、手を打てないでいるうちに、その知能の痕跡は完全に消滅し、捕虜について残ったものは、その死体だけだった。
ウォーゼルとコンスタンスは、数秒間言葉もなく顔を見あわせた。ヴェランシア人はその瞬間までに起こったすべてのことについて、完全で正確な記憶を持っていた。充分に明確でない唯一の問題は、骨折って捕えた捕虜が死んでいるという事実だった。娘の心は、その驚くべき事実を矛盾なく説明する口実を考えだすために、せわしく働いた。しかし、ウォーゼル自身が彼女の手数をはぶいてくれた。
「いうまでもないことだが」彼はやがて彼女に思考を伝達した。「充分な力を持った心ならば、それが居住している肉体を意志力だけで破壊できる。わたしはこれまでアイヒ族と関連してこの問題を考えたことはなかったが、きみのおとうさんとわたしがジャーヌボンで経験したかぎりでは、彼らがそれに必要な精神力を持っていないと主張することはできない――また、きょうの戦闘は純粋に肉体的なものだったから、この問題にはなんの光明も投げてくれない――あのような心を抑止することができただろうか? つまり、もしわれわれが間《ま》にあっていたら――」
「そうだと思うわ」コンは生まれて初めて、もっとも法外な一連の嘘をつこうとして、あけすけこの上ない微笑をうかべた。「でも、あれを抑止することができるとは思わないわ――少なくともわたしには抑止できない。あなたも知ってるように、わたしはあなたより一瞬はやく彼の心に侵入したんだけど、その瞬間にこんなふうに」ウォーゼルには聴力がないのに、彼女は指を音高く鳴らしてみせた。「これよりもっとはやいくらいに、死んでしまったのよ。あなたが指摘《してき》するまで思いつかなかったけれど、きっと、あなたのいうとおりよ――この男は自分の知ってることを、わたしたちに発見されるのを防ごうとして自殺したんだわ」
ウォーゼルはいまや一個でなく、六個の目で彼女をみつめた。錐状《きりじょう》の精神的探針は、彼女の精神障壁をそれとなくかすめた。彼は意識的に彼女の精神障壁を破壊しようとはしなかった――彼が知覚力をいっぱいに働かせても、彼女の精神障壁はすでにおろされていた。なんの障壁も残っていない。彼はたったいま経過した事件の細部を、意識的に構成または再構成しようとは努めなかった――どの部分にもどの瞬間にも、わずかの虚偽《きょぎ》も認められなかった。しかし、ヴェランシアのウォーゼルを彼たらしめているあの特異な能力の奥底で、かすかな不安が静まろうとしなかった。事態はあまりにも――あまりにも――ウォーゼルの意識は次の言葉をつくりだすことができなかった。
あまりにも容易すぎたというのか? けっしてそんなことはなかった。彼が完全に疲労し、乗組員たちが負傷《ふしょう》しているという事実が、その意見を否定している。彼自身のからだが創傷や火傷を受けているという事実も、第一次ビームの放射筒の廃物《はいぶつ》も、かつて敵の要塞だったものが濛々《もうもう》たる鉱滓《こうし》の山と化しているという事実も、それを否定している。
また、彼はそれまで自分や乗組員が、たったいま遂行《すいこう》されたようなことを遂行するに充分な力があるとは考えていなかったが、だれかが、たとえアリシア人でも、彼に知らせずに彼を援助できるなどということは、まったく考えられなかった。ましてやこの少女が、キムボール・キニスンの娘だとはいえ、彼ヴェランシアのウォーゼルにさとられることなく、彼の守護天使の役割を演ずるに充分な能力を持っているなどということがあり得るだろうか?
彼はレンズマンの子供たちの真の能力を評価するについては、五人の第二段階レンズマンの中でもっと劣っていたから、事件の真相については、そのときもその後も、まったく理解しなかった。しかし、コンスタンスは彼の混乱した思考を正確に読みながら、その快活で無邪気な表情のはるか奥では、身ぶるいしていた。なぜなら、ウォーゼルは他の第二段階レンズマンの誰よりも、解決されない謎によって影響を受けるだろうからだ。彼はその謎をどちらかに解決するまでは、それにかかりきりになるだろう。この問題は〈現在〉処理しなければならない。それには一つの方法――いい方法――があるのだ。
「でも、わたしはあなたを助けたのよ、でかのいばり屋さん!」彼女はブーツをはいた足で足ぶみしながら強調した。「わたしはずっとあそこにいて、手あたりしだいの物でなぐりとばしていたのよ。わたしがいたのを感じもしなかったの、おばかさん?」彼女は一つの思考を明確にさせ、信じられないような驚きをこめて目を見はった。「感じなかったのね!」彼女ははげしく非難した。「あなたはあのデルゴン貴族の洞窟のときみたいに、いやらしくも肉弾戦のスリルに熱中しすぎて、思考をD2P圧迫ビームでたたきこまれてさえ感じられなかったのね! もしわたしがあそこにいて、危険な瞬間にあっちこっちで敵の武器をにぶらせなかったら、あなたはひどい目にあっていたところよ! わたしすぐ出発するわ。そして生きてるかぎり、二度とあなたに会いたくないわ!」
この痛烈な反撃はまったくの虚偽《きょぎ》だったが、事実と正確に一致したので、ウォーゼルの疑惑《ぎわく》の芽は消滅《しょうめつ》した。そればかりでなく、彼は、コンスタンスがはなはだ効果的に用いた女性的な武器に対しては、人間の男性よりもっと弱かった。そこでヴェランシア人はおとなしく降服《こうふく》し、彼女は激昂《げっこう》をしずめて、いつものように陽気でいたずらっぽい娘にもどった。
しかし、ヴェラン号がふたたびコースについたとき、彼女は自室にひっこんだが、それは眠るためではなかった。そうではなく、思考するためだった。あの知能は、彼女がそれより少しまえに捕捉した突発的思考波の主《ぬし》と同じ種族だろうか? 彼女は決定できなかった――データが不充分だ。はじめの突発的思考は無意識的で露出的だった。あとの思考は単なる殺人兵器で、思い出すだけでぞっとするような痛烈さで投射《とうしゃ》されたのだ。しかし、両者は同じものだということもあり得る。彼女が精神感応状態にはいっていた心は、さっき彼女が感じたような精神衝撃を発生する可能性が大いにある。もし両者が同じものだとすれば、集中的に、そしてただちに研究する必要がある。それなのに、彼女はその研究をする唯一の機会をみずからけとばしてしまったのだ。自分のおろかさを告白するようなものだが、この事件のことをだれかに相談して、有効な助言を受けたほうがいい。だれに告げるか?
キットか? いけない。彼が彼女をはりたおすからではない――彼女は、はりたおされるべきだ――そうではなく、彼の頭脳が彼女の頭脳より充分役に立つほどよくないからだ。事実、彼の頭脳は彼女のよりすこしもすぐれていない。
メンターか? 彼女はそう考えただけで、精神的にも肉体的にも身ぶるいした。もし効果があるなら、彼女は自分がどういう目にあうかに関係なく、すぐにもメンターに呼びかけるだろうが、そうしても効果はあるまい。彼女はそれを確信していた。メンターはキットのように彼女をはりたおしはしないだろうが、彼女に助言を与えることもしないだろう。メンターは冷然《れいぜん》とすわったまま、彼女がわれとわが身を責めるのを軽蔑的《けいべつてき》に眺めているだろう――
「コンスタンスよ、おまえの考えは子供っぽくひねくれて、はなはだ誇張《こちょう》されてはいるが、誤ってはいない」アリシア人の思考が、彼女の愕然《がくぜん》とした心にとどろきわたった。「おまえは自分でその穴に落ちこんだのだから、自分でぬけだすがよい。しかし、わたしは一つの有望な事実を認めた――まれであり、おくれはしたが、おまえはついに真に思考しはじめたのだ」
コンスタンス・キニスンは、その時間に成長したのだった。
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一一 ナドレック、罠師を罠にかける
人間レンズマンや人間に近い生物のレンズマンならだれでも、ナドレックの長い見張りのすさまじい孤独さに戦慄《せんりつ》しただろう。そして、自分が待ちぶせている生物がその惑星にやってこないということを認めざるを得なくなったときには、ほとんどだれでも口ぎたなくののしることだろう。
しかし、まったく非人間的なナドレックは、孤独を感じなかった。事実、彼の種族の語彙《ごい》には、定義、内包、含蓄《がんちく》において、孤独という言葉にかすかでも類似《るいじ》した言葉は一つもなかった。彼は銀河系全体にわたる研究の結果、そのような感情または情緒《じょうちょ》について、あいまいで不完全な観念をつかんだが、その感情を理解しはじめることはできなかった。また、彼はカンドロンがあらわれないという事実によって、いささかも心を乱されなかった。彼は目ざす獲物があらわれないだろうという数学的確率が〇・九九九になる瞬間まで、快速艇の軌道《きどう》を維持しつづけた。それから、まるで昼食のために三十分時間をかけたとでもいうような、ごくあたりまえの態度で持場を捨て、この事態のために慎重に計画されていたコースについたのだった。
その後の手がかりをつかむための捜索《そうさく》は、長くて単調だったが、怪物的非人間的に忍耐づよいナドレックは捜索をつづけ、ついに一つの手がかりをつかんだ。じつのところ、それはほとんど存在していないといってもいいほどかすかな手がかりだった――ボスコニアの指令のささやきの断片《だんぺん》にすぎなかった――しかし、そこには、カンドロンのまぎれもない特徴があらわれていた。パレイン人はそれ以上を期待しなかった。カンドロンはへまをやらないだろう。故障した機械からの瞬間的|漏洩《ろうえい》は、ときどき発生せざるを得ないだろうが、カンドロンの機械はしばしば故障したり、一時に長時間故障したりすることはあるまい。
しかし、ナドレックは準備をととのえていた。これまでに考案されたうちでもっともデリケートな位置決定スクリーンが、何週間にもわたってつぎつぎに展開された。また、追跡器、放射能吸収器、その他当時の科学に知られているかぎりの隠密《おんみつ》な位置決定装置も展開された。標準的探知器はもちろん空白のままだった――オンロー人の船はナドレック自身の快速艇同様、ふつうの探知装置では探知できないだろう。そしてパレイン人の快速艇が、もっとも可能性のありそうなコースに沿って突進して行くうちに、その船首にある五十ばかりのデリケートな装置が、地球の酒樽《さかだる》が浮いていても探知されずにはいないような一定パターンの力場の針で、そのあたり一隊の宇宙空間を突き刺しはじめていた。
こうしてボスコニア船――本質的に探知不能な快速艇――は探知された。そしてその瞬間、三本の調節されたCRX追跡ビームに突き刺された。そこでナドレックは有重力状態に移行し、相手の快速艇のコースを図示しはじめた。彼はそのコースが予知できないということをすぐに知った。統計的にまったく任意に操作されている。では、これも罠《わな》だったのだ。
ナドレックはこのことを知っても、従来二十年あまりのあいだに多少とも似かよった事件にぶつかったときと同様、動揺しなかった。彼は、通信の漏洩《ろうえい》が偶然によることもあると同様、故意によることもあるということを理解していた。彼はカンドロンの能力を過小評価したことはなかった。カンドロンがいつか彼を過小評価することがあるかどうかは、未来になってみなければわからない。彼はこの罠を追求していくことにした――これが罠師をひっかける罠に逆用される機会もあるかもしれない。
ナドレックは無意味に曲折するコースをつぎつぎに追求して行ったが、ついにやがて起こるだろうと期待していたことが起こった――快速艇が確率上純粋の偶然に帰せられうる以上のパーセクのあいだ、直線コースを維持《いじ》したのだ。ナドレックはそれが何を意味するのかを知っていた。快速艇は補給のために基地へ帰還《きかん》しつつあるのだ。これこそ、彼が期待していた出来事だった。彼が求めているのは、快速艇ではなく基地だった。その基地は考えうるどんな情況のもとでも、探知可能な量の追跡可能放射能を放射することはあるまい。そこで、ナドレックはその基地へむけて小型宇宙船を追って行った。彼が基地へ接近しながら、警戒を厳《げん》にしていたのはいうまでもない。彼は力場ビームを少なくとも一本、おそらくは多数、放射するつもりだった。そうすることは、敵の防御スクリーンに関する充分な情報を獲得するために、ほとんど確実に必要だろう。それは必要だった――しかし、その放射が敵の防御スクリーンに到達したとき、ナドレックはすでにべつの場所にいて、冷静《れいせい》にデータを分析していた。そのデータは、さっきの短い接触《せっしょく》によってボスコニアの放射器が活動を開始しているあいだに、彼の装置によって獲得されたのだった。
ナドレックの接触はごく軽く、ごく短時間で、ごく例外的だったので、いまや運命きわまった基地の要員《よういん》たちは、だれか訪問者が実際にあったということを確実には知り得なかっただろう。もし訪問者があったとしても、彼らの論理的推定にしたがえば、訪問者もその船も、放射器によって構成原子に分解されているはずなのだ。しかし、ナドレックは自分の接触によって激発された特別の警戒が、通常の警戒にしずまるだろうと思われるときまで待った――すでに述べたように、彼は待つことが得意だったのだ。それから行動を開始した。
はじめのうち、この行動は超緩慢《ちょうかんまん》だった。彼のドリルは一時間に一ミリずつ前進した。ドリルはスクリーンと完全に同調されており、攻撃されているスクリーン発生器にとりつけられたどんな探知器を反応させるに必要な干渉よりも、はるかに低いレベルの干渉が起きた場合、それで警報を発するように保護されていた。
ナドレックは防御をつぎつぎに貫通《かんつう》して、慎重にひそかにドームへ接近して行った。基地はこうした補給基地のつねとして小規模であり、予想どおりオンローから脱出した連中によって守備されていた。彼らはほとんどが〈くず〉だった。ナドレックがカンドロンの指揮するオンロー要塞《ようさい》で工作した連中より、さらに下劣《げれつ》で狂暴な性情《せいじょう》の生物だ。この扱いにくい生物たちを、残酷なほど長い当直期間を通じて秩序を保たせる必要から、精神医が基地司令官につぐ権威を与えられていた。パレイン人はそのことを知り、要員を配置されたドームが一つしかない事実を認めると、笑いを知らないパレイン人としては可能なかぎり、快心の微笑に近い表情をうかべた。
精神医はもちろん多重式思考波スクリーンを着用していたし、他の要員も全部そうしていたが、ナドレックは当惑しなかった。キニスンにしても、このようなスクリーンをたびたび除去したことがあった。自分の手でスイッチを切ったばかりでなく、犬の牙、クモの足や口、ウジ虫のしなやかなからだまで利用したのだ。そういうわけで、ナドレックの自我《エゴ》は、三次元空間に生きる人間には文字どおり想像を絶する第四次元的生物を利用して、まもなく精神医の心の中に快適《かいてき》におさまってしまった。
この精神医は、各要員のあらゆる弱点を詳細《しょうさい》に知っていた。彼の仕事は、こうした弱点を監視し、それを抑制し、摩擦《まさつ》や衝突を最小限にするように各員を制御することだった。しかし、いまや彼はそれとまったく正反対のことをしはじめた。要員たちは相互に憎みあっていた。その憎悪は激烈な固定観念となり、憎悪の対象を抹殺《まっさつ》する手段について、あらゆる努力を集中することを要求した。彼らは相互に恐れていた。その恐怖は焼きこがすように心にくいいり、正常な判断や理性を破壊した。この激情は、それ自体をえじきにしていよいよ強まり、とほうもなく拡大して侵蝕する害悪をもたらした。
ドームの中に存在する醜悪《しゅうあく》で有害な感情や特性を列挙することは、悪徳についての完全なリストを読みあげるに等しかった。そしてナドレックは、冷静に容赦《ようしゃ》なく、びくともせず、超効果的にそれらを操作した。彼は悪魔的なオルガンを演奏しているかのように、ここの神経あそこの神経伝達部、またべつのチャンネルと、つぎつぎに接触し、司令官だけを除いて、全要員を同時に爆発点に持って行った。しかし、この完全な工作の痕跡《こんせき》は、外見的には明白でなかった。なぜなら、要員たちはすべてボスコニアの鉄の規律の下で長いこと生活してきたので、その規律にすこしでも違反すればどういうことになるかを、くわしく知っていたからなのだ。
激情が理性を支配する瞬間がやってきた。ひとりの怪物がよろめいて、べつの怪物を突ついた。相手の過敏《かびん》になった心には、その接触がもっとも憎むべき敵による致命的な攻撃と感じられた。禁断の放射器が狂暴に火を吐いた。挑発《ちょうはつ》された怪物は、自分の渇望《かつぼう》をみたすのに熱中するあまり、その攻撃が逆に自分自身の生命をもぎとったのにも気づかないほどだった。この事故がきっかけとなり、基地の要員全部が一時に爆発した。放射器が瞬間的に荒れ狂い、ナイフや剣が切り裂き、即席《そくせき》の棍棒《こんぼう》が予定された目標にたたきつけられ、鋭い爪のはえた手足がえぐりこみ、かき裂いた。ナドレックはずっとまえに精神医の心から離脱していたが、ストップ・ウォッチでこの陰惨《いんさん》な事件全体の継続時間を測定した。最初の衝突《しょうとつ》から、司令官の閉鎖され防御された部屋の外部にいる最後のオンロー人が死ぬまでに、九八・三秒。よろしい――上出来だ。
司令官は危険がなくなると同時に、防御された部屋からとびだして、調査しようとした。彼はたったいま目撃した。まったく不可解な現象に狼狽しきっていたので、パレイン人のレンズマンのたやすいえじきとなった。ナドレックは彼の心に侵入し、チャンネルごとに検査したが、このナンバー・ワンは、何も興味深いことを知っていなかった――それは予期されないことではなかった。
ナドレックは基地を破壊しなかった。その代わり、司令官の私室に小さな装置をとりつけたのち、その不運な男を自分の快速艇に乗せて宇宙に発進した。彼は捕虜《ほりょ》を動けなくしておいた。束縛《そくばく》したのではなく、二、三の神経幹線を巧妙に切断したのだ。それから、オンロー人の心を本格的に――こんどは細胞を一つ一つシラミつぶしに――調査しはじめた。その心は熟練した精神医――おそらくカンドロン自身――によって手術されていた。手術の痕跡《こんせき》はすこしも残っていなかった。起動刺激が何かを示すような手がかりはまるでない。この男が現在知っているのは、自分の基地をあらゆる形態の侵入から守り、例の快速艇を、偶然指示装置によってできるだけ多くの時間宇宙じゅうをとびまわらせ、ときどきある信号を漏洩《ろうえい》させるのが自分の任務だということだけなのだ。
この顕微鏡的な再検査にもかかわらず、司令官はカンドロンについてもオンローやスラールについても、ボスコニアの組織、活動などについても、何もわからなかった。ナドレックはがっかりはしたが、狼狽《ろうばい》はしなかった。この罠は、きっと罠師をひっかけるのに利用できるだろう、と彼は考えた。彼が例の基地に装置した中継器を通じて、何かの呼びかけがくるまでは、この太陽系の諸惑星を監視《かんし》していよう。
監視しているあいだに、カレン・キニスンから、一つの思考波が彼のレンズに投射《とうしゃ》された。彼女は彼が真に愛好し、または尊敬している、少数の温血生物のひとりである。
「忙しいの、ナドレック?」彼女はついさっき彼と別れたばかりみたいに、さりげなくたずねた。
「全般的にいえば忙しい。細部的に現在の瞬間を標準にすれば忙しくない。わたしが援助できるようなささやかな問題があるのかね?」
「ささやかじゃないわ――大きいの。わたし、たったいま、これまで聞いたこともないほど奇妙な難船信号を聞いたわ。周波数帯域が高いの――とてもとても高いの――このあたり。こんな帯域で思考する種族を知っていて?」
「知らないように思う」彼は一瞬思考した。「たしかに知らないな」
「わたしも知らないわ。その信号は放送じゃなくて、特異な――とても特異な――種族のだれかに向けられたものなの。分類は十か十二|桁《けた》までずっと。彼女は――またはそれは――そういうふうに指定しようと努めていたようよ」
「極度の冷血種族で、絶対温度一度くらいの環境に適応しているのだ」
「そうよ。あなたに似ているけど、もっと極端な生物だわ」ケイは言葉をとぎらせて、自分の、まだまったく三次元的な知性では本質的に受容も認識もできない形象を、明白な思考に移行させようと努めた。「アイヒ族にもいくらか似ているけれど、それほどではないわ。視覚的外見は不明瞭で流動的――無定形――不確定かな?――やめましょう――わたし、それを表現することはおろか、正確に知覚することさえできないわ。あなたがあの思考を捕捉《ほそく》していればよかったと思うの」
「わたしもそう思う――非常に興味がある。しかし、教えてくれ――もしその思考が放送されたのではなく、特定の対象にむけられたのだったら、きみはどうしてそれを受信できたのだ?」
「それがいちばん奇妙な点なのよ」ナドレックは、娘が眉《まゆ》をひそめて思考を集中するのを感じた。
「その思考波は、各方面から同時にわたしに到達したの――あんなことを感じたのははじめてだわ。わたし、当然その根源《こんげん》を捕捉《ほそく》しようとはじめたの――でも、その根源の一般的方向さえ知覚できないうちに、それは――それは――そうよ、それは消滅《しょうめつ》も弱化もしなかったけれど、何かがそれに起こったの。わたし、もうそれを読むことができなかったわ――そして、そのことがほんとに残念だったわ」彼女は言葉をとぎらせてから、またつづけた。「それは遠ざかるというよりも〈低下〉するみたいだったわ。それから、どこへ行くというのでもなく、完全に消滅してしまったの。わたし、自分でもはっきりしていないんだけれど――はっきりさせられないのよ――でも、わたしの報告から、何か推定できるような手がかりがあるかしら?」
「残念ながら、何も推定できない」
彼が推定できないのには、もっともな理由があった。この娘は、自分自身おぼろげにさえ理解していない、また理解できないような強度と規模と有効範囲の心を持っていた。そうした心を完全に理解することは、彼女のように第三水準の知能を持った成人にしかできなかったのだ。彼女の心は、事実、純粋に第四次元的な思考を正確に捕捉《ほそく》したのだった。もしナドレックがそれを捕捉したとしても、アリシア人から高等訓練を受けていなかったならば、それを理解し認識することはできなかったろう――他のパレイン人はだれもそれができなかっただろう――そして彼にとっては、温血で、したがって厳密に三次元的な生物が、そのような思考を捕捉できるというのは、または捕捉したとしても、それを多少とも理解できるというのは、まったく考えられないことだったろう。しかし、もし彼が娘の説明に心の全能力を集中していたなら、それがそうした思考に対するもっとも明確な三次元的描写であるということを認識し、そのことから、レンズマンの子供たちを完全に理解することができただろう。
しかし、彼はそれほど心を集中しなかった。彼にとっては、現在の特定任務に直接関係のないことに真の精神的努力を払うことは、本質的に不可能なのだった。したがって、彼もカレン・キニスンも、ずっとのちになるまで知らなかったが、彼女はそのとき、銀河文明にとってもっとも恐るべく、もっともあい入れがたい敵のひとりと、精神感応状態にあったのだった。彼女が透視的感応的正確さで知覚したのは、あの狂暴な敵対的世界、形容を絶する惑星プルーアの怪物的住民が冬期に採用する、三次元的には本質的に表現不可能な形態であったのだ!
「あなたにも推定できないんじゃないかと思っていたわ」ケイの思考が明確に伝達された。「だから、これはなおさら重要なことだわ――あなたがいま何をしていても、それをほうりだして、わたしといっしょにこの問題を、とことんまで追求する価値があるほど重要よ。もしあなたにそうさせることができればの話だけど、もちろんできない相談だわね」
「わたしはいま、カンドロンを捕獲《ほかく》しようとしている。いまのところ、宇宙を通じて、これほど重要な問題はありえない」ナドレックは当然のことのように平静に述べた。「きみはここに横たわっているものを観察しただろうな?」
「したわ」カレンは、ナドレックと精神感応状態にあるので、もちろん捕虜《ほりょ》には気がついていたが、その怪物について口にしようとはしなかった。彼女はナドレックと交渉するときには、女性としての特質をすべて無視して、この無感動なレンズマン自身と同様に、ほとんど好奇心を示さなかった。「あなたが公然と質問を求めたのだからきくけれど、なぜそれを生かしておくの――というより、死なないようにしておくの?」
「これがカンドロンへの確実な手がかりだからだ」もしナドレックが満足げにしゃべることがあるとすれば、いまこそそれだった。「これはカンドロンの部下で、わたしを抹殺《まっさつ》するための工作員として、カンドロン自身によって配置されたやつだ。こいつの記憶を回復するのに必要な暗示は、カンドロンの脳だけが保持している。未来のいつか――一秒後かもしれず、数年後かもしれない――カンドロンはその暗示を用いて、部下の行動を知ろうとするだろう。カンドロンの思考波は、敵基地のドームの中にあるわたしの中継器《ちゅうけいき》を反応させる。そして、彼の暗示は、このまだ生きている脳に伝達されるのだ。しかし、この脳はわたしの快速艇の中にあるので、あの破壊された要塞《ようさい》の中にあるのではない。これできみも、わたしがこの生物の基地からあまり遠くへ行けないわけがわかるだろう。わたしがきみのところへ行くのではなく、きみがわたしのところへくるべきなのだ」
「ちがうわ、そうとはかぎらないわ」カレンはきっぱり答えた。「わたし、こんなだいじな問題を見すごして、これから十年間も何もせずに、一つの軌道《きどう》をぐるぐるまわることについやしたりしたくないわ。でも、ある程度までは、あなたの意見に賛成よ――いつか、もしほんとに何かが起こったら、わたしに呼びかけてちょうだい。飛んで行くから」
ふたりはいつもとちがって、別れの挨拶なしに連絡を切った。ナドレックは自分の道を進んだ。カレンも自分の道を進んだ。しかし、彼女は自分が計画していたコースを遠くまでは行かなかった。追求を開始したと思うまもなく、彼女は、兄かアリシア人しか投射《とうしゃ》できないようなタイプの思考を感じた。それはキットだった。
「やあ、ケイ!」兄らしいあたたか味のある接触だ。「どんなぐあいだい――成長しているかね?」
「もちろん成長してるわ! なんてことをきくの!」
「怒るなよ、ケイ、これにはわけがあるんだ。確認しなけりゃならん」彼はおどけた調子をすっかり消して、彼女の心を容赦《ようしゃ》なく検査した。「子供にしてはそうわるくないな。パパがきみの心をこんなぐあいに探知できれば、きみの心はダイヤのドリルよりもっと固いということだろう。この仕事にはたいへんな能力がいる。真の仕事がはじまるころには、きみはきっと準備ができていることだろう」
「ばか話はやめてよ、キット!」彼女はぴしりといって、痛烈な精神衝撃を投射した。キットは妹の以前の精神衝撃を処理したと同様に、容易にそれに対抗したかどうかについて、その事実を洩らさなかった。「どんな仕事なの? どんな仕事のことを話しているの? わたし、ナドレックのためにも捨てないような仕事にとりかかっているんだから、兄さんのためにだって、捨てるつもりはないわ」
「捨てないわけにいくまいよ」キットの思考は深刻だった。「ママが、ライレーン系第二惑星で仕事をはじめなければならなくなったんだ。あそこには、ママが処理できないような何ものかが現在いるか、将来あらわれる可能性がきわめて大きい。リモート・コントロールはだめだ。さもなければ、ぼくが自分でやるんだが。それに、ぼくは、自分でライレーン系第二惑星で工作するわけにはいかん。これが総合的情況だ――全体的に判断してくれ。きみが選ばれたわけがわかるだろう。さっそく着手してくれ」
「いやよ!」彼女は叫んだ。「できないわ――忙しすぎるのよ。コンかキャットかカムにたのんだらどう?」
「彼女たちは、この問題には適任じゃない」彼は根気よく――彼としては――説明した。「きみ自身もわかるように、この場合は困難が予想されるのだ」
「困難ですって、ばかばかしい!」彼女はあざけった。「ライレーンのラドラを扱うのが? 彼女が自分のことをハードボイルドだとうぬぼれてることは知ってるけど、でも――」
「いいかね、おばかさん!」キットははげしくさえぎった。「きみは問題を故意にぼかしている――そういうことはやめろ! 情況の全貌を展開して見せてやる――きみもぼくと同じくらいよく知っているように、まだ何も確定的なものはないが、この問題は処理する必要があり、きみがそれを処理すべきなのだ。それなのにきみはいやだという――ぼくがきみに何かを指摘したり頼んだりすると、きみはいつでも強情を張るのだ――」
「静かにせよ、子供たち、そして聞くがよい!」メンターがふたりのあいだに割りこんできた。ふたりはひどく狼狽《ろうばい》した。「われわれアリシア人のうち比較的|劣弱《れつじゃく》な思考者の中には、おまえたちを見かぎりはじめた者もいるが、おまえたちの進歩に対するわたしの洞察《どうさつ》は、依然として明確である。おまえたちのような性格を充分に、しかし充分すぎぬように形成するのは、はなはだ微妙《びみょう》な仕事だが、これはなされねばならず、またなされるであろう。クリストファー、すぐ自身でわたしのところへくるがよい。カレン、おまえはライレーンへ行き、おまえが必要と認めたことをするがよい」
「いやです――わたしは、やっぱりいまのこの仕事をしなければなりません!」カレンはアリシアの賢者にさえ反抗した。
「娘よ、それはまだ待てるし、待つべきなのだ。わたしは事実として厳粛《げんしゅく》に告げるが、おまえがもしライレーンへ行かないならば、現在求めているもののかすかな手がかりさえつかむことはできないであろう」
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一二 惑星カロニアのクローズアップ
クリストファー・キニスンは、のぼせあがってアリシアへ突進した。あのいまいましい妹たちは、なぜ頭脳に匹敵《ひってき》する分別《ふんべつ》を持っていないのか――あるいはまた、なぜ自分には兄弟がなかったのか? とりわけ――ついさっきの――ケイだ。もし彼女が惑星ザブリスカに住むフォンテマほどの分別でも持っていれば、この仕事が重要だということを知って、宇宙じゅうをあてもなく追いかけっこをする代わりに、この仕事にとびついたことだろう。もし自分がメンターだったら、彼女をたたきなおしてやるのだが。彼はかつて、自分で彼女をたたきなおしてやろうと決心したことがあった。そして、それがどういう結果に終わったかを思い出して苦笑《くしょう》した。メンターは、彼に対してはじめからまったく厳格だったのだ。自分がこんど手のとどくところまでいったら、彼女が歯をカチカチいわせるほどの目にあわしてやる。
いや、そんなことをするだろうか? いや、いや。どれほど想像をたくましくしても、妹たちをいためつける場面を思いえがくことはできない。彼女たちはとびきりの娘だ――事実、彼が知っているうちでも、もっともすばらしい娘たちだ。もちろん、彼は妹たちと何度もとっくみあいをやった――彼はそれが好きだったし、妹たちも好きだった。彼は妹たちのだれでもやっつけることができた――彼は肉と骨と軟骨《なんこつ》とからなる自分の二百ポンド以上のからだを眺めたが、いつもの満足を感じられなかった――彼は妹たちより五、六十ポンド重いのだから、勝てるのは当然だ。しかし勝つのは容易ではなかった。妹たちはバレリア人より、もっと始末《しまつ》がわるかった――まるで大蛇と猫鷲をいっしょに相手にするようなものだ――キャットとコンにいっしょにかかってこられると、彼はパルプのようにたたきのめされてしまうのだった。
しかし待て! 彼ら兄妹のあいだ以外でなら、ウェイトは問題ではない。彼はこれまでに出会ったどんなバレリア人でも、百秒以内に両肩をマットに押しつけることができた。しかも、彼らのうちもっとも小さい者でも、彼の二倍も重かったのだ。逆に、妹たちは、彼の打撃を受けても、かすり傷さえおわなかったが、もしそうした打撃をふつうの女性が受ければ、複雑骨折のかたまりになってしまっただろう。彼はこれまで、そういうことを考えたことがなかった。妹たちは出来《でき》がちがうのだ――そうにちがいない。
彼の思考はべつの方向にむかった。妹たちは他の点でも特異だ。彼は最近そのことに気づいたが、とくに注意を払わなかった。妹たちのひとりとおどったあとでは、ふつうの娘はパテでできたロボットみたいに感じられた。妹たちの肉は異質なのだ。ふつうの娘たちの肉より強靭《きょうじん》で繊細で、はるかに敏感《びんかん》だ。個々の細胞が、きらめくような生命を与えられているように思われる。その生命は彼自身の細胞の生命と結合して、彼らの肉体を、彼らの完全に同調された心と同様に、緊密に一体化するのだ。
しかし、妹たちのあの分別の欠除はどうしたものだろう? QX《オーケー》、妹たちはいい娘だ。QX、彼は妹たちの脳を、肉体的にも精神的にもたたきだすわけにはいかない。しかし困ったことだ。妹たちの厚くて固い頭蓋骨《ずがいこつ》を通じて、多少とも常識をたたきこむ方法が〈何か〉あってもいいはずだが!
こうして、キットはひどく混乱した心理状態でアリシアに接近した。彼は速度もゆるめず、予告もせずに、障壁を突破した。船を有重力化し、惑星をめぐる軌道《きどう》にのせた。軌道全体が、アリシアのもっとも内側のスクリーンの内側に、すっぽりはいっていさえすれば、形は問題ではなかった。なぜなら、若いキニスンは、それらのスクリーンがどのようなものでも、なんのためにあるかを、正確に知っていたからだ。距離自体にはなんの意味もないのだ――メンターはだれにでも、十億パーセク離れていようと、目のまえにいるのと同様に、効果的に初歩の精神訓練でも高等な精神訓練でも与えることができる。スクリーンを展開したり、生徒にみずからアリシアを訪問させたりするのは、アリシア人と同様に有能な心を持っていると思われるエッドール人のためだった。大宇宙の無限の空間を通じて、この究極的《きゅうきょくてき》な敵の探知的知覚から確実に保護されているのは、この高度に特異なスクリーンの内側だけなのだ。
「クリストファー、わしがおまえに与え得る最後の訓練の時がきた」キットが自分の軌道を点検《てんけん》し終えるやいなや、メンターは前置なしに宣告した。
「おお――こんなに早くですか? わたしはケイとけんかしたので、あなたがわたしの耳を引っぱるために呼びつけたのだと思いました――わたしはあほうです!」
「それは小さな問題だが、かんたんに触れておく価値がある。なぜなら、この問題は、おまえたちのような心を抑制しすぎずに発育させていく計画が、本質的に困難であることを示しているからだ。おまえはここへくる途中で、情況をみごとに総括《そうかつ》したが、一つだけ大きな誤りをおかした」
「はあ? どんな誤りですか? わたしはくまなく検討したのですが」
「おまえは妹たちに対してはいつもそうだが、自分が非のうちどころなく正しい、と考えている。自分の結論だけが妥当《だとう》で、妹たちはいつもまちがっている、とはじめからおわりまで考えていたし、いまもそう考えている」
「しかし、彼女たちは事実まちがっているのです! ですから、あなたはケイをライレーンに派遣したのです!」
「これまでおまえが妹たちとした衝突のうち、半分くらいはおまえが正しかった」メンターは告げた。
「ですが、妹たち同士のけんかはどうです?」
「おまえはそういう衝突を知っているのか?」
「もちろん――いや――知っているとはいえません」キットの驚きは明白だった。「しかし、妹たちはわたしとあんなにけんかするのですから、自分たち同士でも――」
「それは当然でもないし、それには相当な理由がある。われわれはその理由を現在論じておいたほうがいい。それはおまえが受けようとしている教育の必要な一部をなしているからだ。おまえがすでに知っているように、妹たちは相互に非常に異なっている。若者よ、いまこそ知るがいい。彼女たちはいずれも相互に衝突を起こすような可能性がまったくないように、完全に育成されたのだ」
「ふむ――む――」キットがこの知識を消化するには、しばらく時間がかかった。「では、妹たちがみんな、まるで示し合わせたみたいに、いっせいに、わたしとけんかするのはなぜです?」
「残念なことだが、それもまたさけられないのだ。おまえも気づいているだろうが、妹たちはいずれも、きたるべき闘争の中で、きわめて重大な役割を演ずることになっている。レンズマンもわれわれアリシア人も、すべて貢献《こうけん》するが、おまえたちレンズマンの子らには――とくに娘たちには――いっそう大きな負担がかかるだろう。おまえたち兄妹の任務は、全体を調製することだ。この任務は、アリシア人のだれにも遂行する資格がないし、あり得ないものなのだ。おまえは妹たちの努力を方向づけ、敵のはげしい攻撃点をおまえの無比の心力によって補強し、妹たちを適材適所に配置しなければなるまい。副次的《ふくじてき》問題として、おまえはまたわれわれアリシア人、レンズマン、パトロール隊、その他われわれが動員しうる劣弱な力の劣弱な努力を調整する必要があるだろう」
「聖なる――クロノ神の――爪に誓って!」キットは魚のようにあえいだ。「メンター、いったい、わたしのどこに、そんな負担に耐えられる能力があるとお考えなのです? それに、妹たちを調製するとなると――それはだめです。わたしが妹たちのだれにでもちょこっとでも指示をすれば、妹は戦闘のことはすっかり忘れて、わたしにつかみかかってくるでしょう――いけません、その仕事はお断りします。情況が困難になればなるほど、妹たちはますます反抗するでしょう」
「そのとおりだ。つねにそうだろう。さあ、若者よ、おまえはこうした事実を知ったのだから、予備的訓練として、それらの問題をわたしに説明してみなさい」
「わかったような気がします」キットは熱心に思考した。「妹たちがたがいにけんかしないのは、重複している点がないからです。あれたちがわたしとけんかするのは、わたしの精神的中心があれたちと全部重複しているからです。あれたちは、ほかのだれとも衝突する可能性がありません。わたしもそうです。なぜなら、ほかのだれにとっても、われわれの見解はつねに正しく、ほかの者はそれを知っているからです――ただし、パレイン人のように、われわれとは異なる線に沿って思考する生物は例外です。だから、ケイはナドレックと衝突することがありません。あれはナドレックが自分の思考線からはずれれば、彼を無視して、自分の仕事にとりかかるのです。しかし、妹たちとわたしの場合は――われわれは協議するとかなんとかすることを学ばねばならないと思います――」彼の思考は尻切れとんぼになった。
「未成熟の証拠だ。成熟はすみやかに近づいているが、それとともに彼女たちも及第するだろう。では、訓練をはじめよう」
「ちょっとお待ちください!」キットはさえぎった。「この調製の仕事についてです。わたしにはできません。まだ子供すぎます――そんな仕事には、千年たっても準備ができないでしょう!」
「できねばならないのだ」メンターの思考は容赦《ようしゃ》なかった。「そして、時がくればできるのだ。さあ、若者よ、わたしの心に完全に侵入するがいい」
アリシア人の超教育の過程《かてい》を詳細に反復して述べる必要はない。とりわけ、そうした細部のもっとも重要な部分は、どれほど正確に描写しても、本質的に無意味なのだ。ついにキットはアリシアを立ち去る準備ができた。彼はそれまでよりはるかに年をとり、はるかに成熟したように見えた。彼自身も外見よりはるかに年とったような気がした。しかし、この訪問の最後の会話は、記録する価値がある。
「クリストファー、いまこそわかったであろう」メンターは思考した。「おまえたちレンズマンの子らがどのようなもので、いかにして生まれてきたかということが。おまえたちは、長い世代にわたる工作の所産なのだ。わたしはいま、それらの世代が無益についやされなかったことを、明確に知覚して、深い満足をおぼえる」
「あなたの世代が無益ではなかったとおっしゃるのでしょう」キットは当惑していたが、なお一つの疑問になやまされていた。「父が母とめぐりあって結婚したのはわかりますが、他のレンズマンたちはどうなのです? トレゴンシーやウォーゼルやナドレックは? 彼らとそれに対応する女性は――もちろん、ナドレックについては、女性という言葉は文字どおりにはあてはまりませんが――やはりわれわれの血統と同じように、長い血統の絶頂の前の世代でした。あなたがたアリシア人は、人類が最良の種族と判断したので、他の種族の第二段階レンズマンはだれも理想的配偶者にめぐりあいませんでした。もちろん、だからといって、彼らの価値が変わるというのではありませんが、あの三人のあなたの生徒は、不愉快だろうと思います」
「ああ、若者よ、おまえがその点を指摘《してき》してくれたのは大いにうれしい」アリシア人の思考は明白に喜ばしげだった。「では、おまえは、自分がアリシアのメンターとして知っているこのわたしについて、何か奇妙なことに気づかなかったのか?」
「もちろん気づきませんでした。どうして気づけましょう? というより、なぜ気づく必要があるのです?」
「おまえのような知能とほとんど完全な同調関係にあれば、われわれの側でどんなわずかな手ちがいがあっても、おまえがメンターとして知っているわたしが、じつは個人ではなく、四人だということをおまえにさとられたはずだ。われわれは実験的問題についてはすべて個人として行動したが、絶頂前の世代、または絶頂の世代のだれかと交渉するときは、融合体《ゆうごうたい》として行動したのだ。これは、おまえたちが可能なかぎり完全に発達するために必要だったばかりでなく、われわれのおのおのが、真実の微細《びさい》な側面のすべてについて完全なデータを確実に所有するためにも、必要だった。メンターの複数性をおまえにかくしておくことは、仕事自体には重要なことではなかったから、とくにおまえが成熟した現在、おまえにそれをかくしておくことができたという事実は、われわれの作業が真に完全に遂行されたことを示している」
キットは口笛を吹いた。長くかすかな口笛で、その意味を知っている者にとっては、充分な賛辞《さんじ》だった。彼は自分のいいたいことを知ってはいたが、それを表現するに充分な言葉も思考もなかったのだ。
「しかし、あなたはメンターのままでいられるおつもりでしょう?」彼はきいた。
「そのつもりだ。おまえも知っているように、真の仕事はこれからなのだから」
「QX。あなたはわたしが成熟したとおっしゃいました。わたしは成熟していません。あなたは、わたしが能力の点であなたより数段上だとほのめかされました。もしあのお言葉が真剣でなかったら、わたしは笑いだしたことでしょう。なぜといって、あなたがたアリシア人はだれでも、わたしが知っている以上のことを知っていて、わたしを蝶結びに結んでしまえるのですから!」
「おまえの思考には多少の真実がある。しかし、おまえがいまや成熟したということは、完全な力を獲得したことではない。ただ、おまえが自分の持っている力を効果的に利用することができ、他のより大きな力を獲得しうるということにすぎないのだ」
「しかし、その力というのは、どんなものです?」キットはたずねた。「あなたはその点について、千度も暗示されましたが、わたしはおっしゃる意味がまえよりすこしもよくわかりません」
「おまえは、自己の力を発展させねばならぬ」メンターの思考は、運命のように決定的だった。「おまえの心は、潜在的にはわしの心よりはるかに有能だ。おまえはやがて、わたしの心を完全に知る事になるだろうが、わたしはおまえの心を完全に知ることはできまい。より小さいが充実した心が、より大きいが空虚な心に方法論的な指示を与えようと試みることは、そのより大きな心を過小な鋳型《いがた》に押しこみ、それよってその心に回復しがたい害を与えることなのだ。おまえは能力を持っている。おまえは自分でその能力を発展させねばならぬ。その技術については、わしはおまえになんの指示も与えることができない」
「ですが、なんらかの暗示を与えてくださることはできるはずです!」キットは訴えた。「わたしはほんの子供です――どうやって、どこから始めたらいいのかさえわかりません!」
キットが精神的に驚きの目を見はっているうちに、メンターはふいに四つの部分に分裂した。それらの部分は、見わけがたいほど複雑に、また迅速に、思考のパターンによって結合されていた。部分は融合《ゆうごう》し、メンターはふたたび語りはじめた。
「わしはその方法をもっとも広汎で、もっとも一般的な言葉で指摘《してき》することができる。しかし、わたしは一つの暗示を――もっと正確にいえば、一つの表象を与えることができる、ということが決定された。われわれに知られているかぎりでもっとも確実な知識テストは、森羅万象《しんらばんしょう》の洞察《どうさつ》だ。おまえも知るように、科学はすべて一つのものである。力への真の鍵は、事件の継起《けいき》の底にひそんでいる法則を知ることにある。もしそれが純粋の因果関係であれば――すなわち、もし任意の現象がそれより一瞬前に存在していた減少の必然的結果として継起するならば――大宇宙の全過程は、それが発生した瞬間において、永遠にわたって決定されたことになる。この周知の概念は、初期の多くの思考者が挫折《ざせつ》した最大の障害だったが、われわれは、いまやそれが虚偽であることを知っている。いっぽう、もし純粋の偶然性が支配するならば、われわれが認識しているような自然法則は存在しえない。こうして、純粋因果関係も純粋偶然も、それだけでは事件の継起を支配できないのである。
「では、真実はその両者の中間のどこかに存在しているにちがいない。巨視的《きょしてき》宇宙にあっては、因果関係が優越し、微視的《びしてき》宇宙にあっては、偶然性が優越している。そしてともに、数学的確率の法則にしたがっているのだ。最大の問題が存在しているのは、両者の中間の区域――媒介的《ばいかいてき》帯域、いうなれば接触面――である。おまえも知るように、なんらかの理論の妥当性を証明するのは、それを使用することによって可能となる予言の正確さである。そしてわれわれの最大の思想家たちが示したところによると、森羅万象《しんらばんしょう》に対する洞察《どうさつ》の完全性と真実性は、その接触面における構成要素の定義の明晰《めいせき》さに関する線形函数によっても表わされる。その不確定な帯域を完全に理解するには、無限の精神能力と、統計的に完全な洞察が必要である。しかし、そうしたことはけっして実現されないであろう。なぜなら、その完全な知識を獲得するには、無限の時間を必要とするからである。
「わたしからおまえにいえることはそれだけだ。それは適当に研究されるならば、充分有効である。わたしはおまえの心の中に強固な基礎を設定した。その基礎の上に、敵対する力に耐えるに充分なほど堅固《けんご》な建物を建設するのは、おまえだけの仕事なのだ。おまえが最近経験したところからすれば、おまえがエッドール人の問題を超克《ちょうこく》しがたい困難と見なすのは、おそらく当然であろう。しかし、現実にはそうではない。そのことは、おまえが今後二、三週間を自己の再統一についやしたのちに理解するだろう。おまえは失敗してはならない。失敗しないだろう。そしてわたしの明晰《めいせき》な洞察《どうさつ》によれば、失敗しないのだ」
連絡はたえた。キットはよろよろしながら制御盤のところへ行き、船を無慣性状態に移行させて、クロヴィアへむかった。彼は教育を完全に終了したものとされたが、それにしてはなんの保証もなく、まるですべてを失ってしまったような感じだった。彼が助言を求めて得たものは――何か? 哲学、数学、物理学などに関するご高説だ――メンターが目ざしているものがわかれば、おそらく充分有効な助言になるだろうが、さしあたりはあまり役に立たない。彼は新しい能力を頭いっぱいつめこんだ――しかし、それについては、まだ半分も知っていない――それを整理することが必要だ。「寝ながら」考えてみよう。
彼はそうしてみた。ベッドにしずかに横たわっているうちに、途方もないほど複雑なはめ絵の小さな一片一片が、適当な場所におさまりはじめた。ふつうのボスコーン人――小物たちはみんなぴったりおさまった。デルゴン貴族。カロニア人――ふむ――この角度については、パパと協議したほうがいい。アイヒ族――こちらの支配下にある。オンローのカンドロンも同様だ。「X」は手中にある。カムは、すでに足もとに気をつけるように警告されている。プルーアと呼ばれるある惑星――いったいメンターは、あのなぞめいた言葉で何を意味したのか? いずれにせよ、その小片はどこにもあてはまらない――いまのところは。残るところはエッドールだ――そのことを思うと、若いレンズマンの背すじを、つめたい波がたてつづけに上下した。しかし、エッドールは彼の獲物だ――彼のもので、ほかのだれのものでもない。メンターはそれを充分明白にした。アリシア人が無限の歳月にわたってやってきたことはすべて、エッドール人を目的としていたのだ。彼らは自分をこのショーの司会者に選んだ――しかし、自分が何も知らない相手に対する攻撃を、どのようにして統括できるのか? そして、エッドールやそこの住民を知る唯一の方法は、そこへ行くことなのだ。妹たちを召集すべきだろうか? すべきではない。彼女たちはそれぞれ、自分自身の仕事、自己を最大限に発展させるという仕事で手いっぱいだ。彼には彼の仕事がある。彼がこの問題を研究すればするほど、自分の自己発展プログラムの第一は、銀河文明の最高の敵の住む惑星を、単身偵察することであるということが、いよいよあきらかになった。
彼はベッドからとびだして船のコースを変え、父にむかって思考を投射《とうしゃ》した。
「パパですか? キットです。アリシアから出発したところですが、あることを思いついて、それについてうかがいたいんです。カロニア人のことです。彼らについて、どういうことをご存知ですか?」
「彼らは皮膚が青くて――」
「わたしのいうのは、そのことじゃないんです」
「わかっている。ヘルマス、ジャルト、プレリン、クラウニンシールドなどというやつらがいた――みんな一瞬のうちに思いうかべることができる。腕ききの工作員で抜け目のないやつらだ。しかし、みんな昔の話だ――待て! たぶん新しいカロニア人も知っているぞ――隕石坑夫のエディーが出会ったレンズマンだ。彼の心の映像の中で明確だったのはレンズだけだ。エディーは、自分が出会う何百種類の種族のタイプに、分析的な関心を持ったことがないからだ。しかし、あのレンズマンには何かがあった――彼の映像を思い出して、できるだけ焦点をあわせてみよう――さあ」ふたりはグレー・レンズマンの心の中でポーズしている、ぼやけた映像を調査した。
「彼がカロニア人だという可能性はないかな?」
「ありますね。それ以上のことはいいたくありませんが。しかし、あのレンズですが――あれを正確に検査しましたか? 鮮明《せんめい》です――もちろん、あの情況ではそのはずですが」
「そのとおりだ! あらゆる点で異質だ――リズムも色も内容も霊気《れいき》も。確かにアリシアのレンズではない。だからボスコニアのレンズなのだ。それが問題だ――それがわたしの恐れていたことなのだ」
「そのとおりです。そして、わたしがいまパパを呼んだのもその点と関係があります。それは、パパやわたしもふくめて、だれもが見おとしていたように思われることです。わたしは五時間にわたって記憶をたどっていました――わたしの記憶がどんなものかはご存知でしょう――そして、ほかにふたりのカロニア人について聞いたことがあるのを思い出しました。彼らも高級指揮官でした。惑星自体については聞いたことがありません。信頼できるものもそうでないものもふくめて、わたしがカロニアについて持っている全情報は、この惑星出身のボスコニア高級指揮官が七人もいて、そのうち六人は、わたしが生まれる前に活動していたということだけですが、これはわたしにとって驚くべき事実です。以上」
キットは父のあごが驚きのあまりがくんと落ちるのを感じた。
「そうだ、わたしもその惑星について耳にしたおぼえはない」年長者はついに答えた。「だが、おまえの求めるすべての情報を、十五分以内にきっと手に入れてやる。賭《か》けてもいい」
「十五分よりは、十五日にずっと近くかかるということで、一ミロ〈信用賭け〉することにします。しかし、それがだれかにできることなら、パパにはきっとできます――だからパパに相談したんです。グレー・レンズマンに命令を与えるように見られたくありませんが」――キニスン家では、この冗談《じょうだん》めいた前置きが一種の慣例になっていた――「このまったく未知の惑星と、われわれがボスコニアについて知らないでいるある事項とのあいだには、何かの関連があるかもしれません。その点ということを、ぼくはごくひかえめに指摘したいのです」
「ひかえめにだと! きみがか?」グレー・レンズマンは心から笑った。「水素爆弾のように、だろう! わたしはすぐカロニアの捜査をはじめる。きみがいった十五日で信用賭けのことだが、きみの金を取るのは気がひける。きみはわれわれの図書館員や図書館システムを知らん。わたしがいまから五銀河標準日以内に作戦データを獲得するということで、十ミロずつ平等に賭《か》けよう。やるかね?」
「やりましょう。ぼくはその貨幣をグレー・レンズマンに対する勝利のメダルとして上着につけますよ。ぼくはこの二つの銀河系の大きさを本当に知っているんです!」
「QX――では賭けたぞ。情報が手にはいったら、レンズで知らせる。ところで、キット、きみは、わたしの気にいりの息子だということをおぼえていてくれ」
「あなたもわるい父親ではありません。ぼくが父親を変えてもらうために、ママにあなたと離婚《りこん》してほしいときには、いつでもママにそのことをいいますよ」この一見気軽なやりとりの中に、どれほど多くの意味がこめられていたことだろう! 「晴朗な宇宙空間を祈ります、パパ!」
「晴朗な宇宙空間を、キット!」
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一三 クラリッサ、第二段階レンズマンとして活躍
クリストファー・キニスンが、一個の事実または器物の考察から、それの所属する全宇宙を洞察《どうさつ》し心象化する能力を育成するまでには、まだまだ数千年の歳月が必要だった。彼が、惑星カロニアについての入手できるかぎりのデータをボスコニア帝国に対する洞察の中に包括するまでは、単身でエッドールへ侵入する計画を詳細《しょうさい》にたてることさえできなかった。未知の惑星プルーアは彼の心象をいちじるしく曇らせた。このようにまったく未知の二つの要素があっては、概括的《がいかつてき》な洞察《どうさつ》さえ不可能だった。
彼は決心した。いずれにせよ、敵の要《かなめ》の惑星を偵察するまえに、もう一つ仕事がある。そして、カロニアについての情報を待っているいまこそ、それをするには最適のときだ。そこで彼は母に思考を伝達した。
「もしもし、宇宙のファースト・レディー! そなたとの会話を切望しているのは、そなたの長男なり。現在急ぎの仕事か重要な仕事に従事中なりや?」
「従事中にあらず、キット」クラリッサの特徴あるふくみ笑いは、いつものように伝染的で、生の喜びに満ちていた。「いずれにせよ同じことよ――されど、われはなんじの諧謔《かいぎゃく》のそこに、深刻なる基調音を知覚したり。うちあけなさい」
「それより、ランデブーにしましょう」彼は提案した。「ぼくたちはかなり近いでしょう――こんなに近くなったことはひさしぶりです。正確なところ、どこにいますね?」
「あら! ランデブーできるの? すてきだわ!」彼女は自分の位置と速度を彼の心に標示した。彼女は、息子と直接顔をあわせられる喜びを、かくそうとはしなかった。彼女は息子に一番先に処理すべき問題をあとまわしにさせようと努めたことはなかったし、これからもそんなつもりはなかった。彼女はこの戦争が終結するまでは、息子に対面することはあるまいと覚悟していた。しかし、もしそれができるとすれば――
「QX。コースと速度を維持してください。八十三分後に会いましょう。それまでは、通信しないほうがいいでしょう、レンズでさえ――」
「なぜなの、キット?」
「べつに、はっきりしたことではありません――そういう予感がするだけです。バイ、ママ!」
二隻の快速艇はたがいに接近した――有重力化した――固有速度を同調させた――無慣性化した――接触した――クラリッサ艇のコースに沿って、いっしょに突進して行く。
「やあ、ママ!」キットは映像プレートに話しかけた。「もちろんぼくからママのほうへ行くべきだけれども、もしママがこっちへきてくれれば、そのほうがいい。ぼくはある特殊な装置をここに設定してあるので、それをほったらかして行きたくないんです。QX?」彼は話しながら特殊装置の一つにスイッチを入れた――彼が自分でつくり、自分でとりつけた装置だ。それは当然現在の宇宙で、もっとも効果的な思考波スクリーン発生器だった。
「まあ、もちろんよ!」彼女はキットの艇にやってきた。そして、背の高い息子のはげしい抱擁《ほうよう》に足をすくわれた。彼女も同じような熱烈さで挨拶を返す。
「ママ、また会えてうれしいよ」言葉はおろか思考でさえ〈ひどく〉不充分だった。キットの声はいくらかふるえ、目は完全にはかわいていなかった。
「そう。すてきよ」彼女はそのすばらしい頭を、息子の胸にいっそうつよく押しつけながら、賛意を表した。「精神接触でも、なにもないよりはましだわ、もちろん。でも、こういう面会は完全よ!」
「ママは、あいかわらず宇宙人を悩ませるほどきれいだ」彼は腕をいっぱいのばして彼女をささえながら、わざと非難するように頭をふった。「他の女性が、何か一つのものにさえわずかしか恵まれていないというのに、ひとりの女性がすべてのものについてたっぷり恵まれているっていうのは、公平だと思う?」
「正直なところ、そうは思わないわ」彼女とキットは、いつも例外的に親密だった。いまやこのすばらしい息子、第一子に対する彼女の愛と誇りは、まったく否定しがたいものだった。「あなたが冗談をいってるのはわかるけれど、おもしろがるにしては深刻《しんこく》すぎるわ。わたくし、夜中に目をさまして、なぜ自分がすべての女性の中でこんなに幸福なのか、とりわけ夫と子供たちに恵まれているのか、って不思議に思うことがあるわ――QX、この話はもうやめましょう」キットは照れていた――彼女は、自分も息子もともにその存在をよく知っている深い愛情に、言葉で触れようとしたりしてはいけないことを知っているべきだったのだ。
「本題にもどりましょう、ママ。ぼくのいう意味がわかるでしょう。いつか鏡に自分を映してごらんなさい――それとも、もう映している?」
「ときどき一回――二回かしら」彼女は気取らずに笑った。「あなたは、こういう魅力や美しさが、努力なしに得られるとは思わないでしょう? でも、あなたこそ本題にもどったほうがいいわ――まさかママにお世辞をいうために、はるばるここまできたわけじゃないんでしょう――でも、いまのお世辞ですっかりうれしくなったのは事実だけれど」
「図星《ずぼし》ですよ、そのものズバリだ」キットはにやりとしたが、すぐ真顔になった。「ぼくはライレーンと、ママがあそこでするつもりでいる仕事について話したかったんです」
「なぜなの?」彼女はたずねた。「あなたはそれについて何か知っているの?」
「残念ながら知りません」キットが眉をひそめて思考を集中している様子は、彼の父親の特徴的なしかめっつらを、彼女につよく連想させた。「推定――疑惑――理論――充分な予感というほどでもないんです。しかし、ぼくは思うんだが――不思議だと思うんだが――」彼は小学生のように当惑《とうわく》して言葉をとぎらせたが、やがて早口につづけた。「ぼくがとても個人的な問題に立ち入ったら、ひどく気にしますか?」
「わたくしがそんなことを気にしないのは、わかっているでしょう」キットの思考はふだんは明白で正確だったが、それに反していまの質問はひどくあいまいだった。しかし、クラリッサは、いずれにもあてはまるように答えた。「わたしの生活についても、あなたの生活についても、あなたとすっかりうちあけて話しあえないほど、秘密だとか個人的だとかいう問題や事件や行動なんて、考えられないわ。あなたは考えられて?」
「いや、考えられません――しかし、これはべつなんです。あなたは女性として最高です――これまででもっとも美しくて、もっともすぐれています」この言葉は、三角形には三つの角があるという叙述《じょじゅつ》と同じように、ごくあたりまえの口調でいわれたが、クラリッサは心底《しんそこ》からぞくぞくした。
「グレー・レンズマンとしても、他のグレー・レンズマンより、はるかにぬきんでています。しかし、あなたは第二段階に完全にふさわしくなるべきです。そして――そう、いつか手におえないようなことにぶつかったら、ぼくが――つまり、あなたは――」
「わたくしが第二段階レンズマンの資格がないっていうの?」彼女はしずかにたずねた。「わたくしは、自分にその資格がないのをよく知っているわ。そして、明白な事実を認めることは、ちっとも感情を傷つけるものじゃないのよ。いわせてちょうだい」キットが抗議しはじめようとしたので、「ほんとに、わたくしがふつうのレンズマンに任じられるだけでも、とんでもなく厚かましいことだわ――わたくし、いつも悩んでいたのよ、キット――考えてもごらんなさい、レンズマンたちはみんな、どんなにすばらしい人たちで、それぞれがレンズを手に入れるまでに、どんな試練を通過しなければならなかったでしょう。独立レンズマンについてはいうまでもないわ。あなたもわたくしと同様よく知っているように、わたくしはレンズを獲得するにふさわしいことは何もしていないのよ。わたくしのレンズは、銀の大皿にのせてもらったようなものだわ。わたくしはレンズにふさわしくないのよ、キット。真のレンズマンたちは、みんなそのことを知っているわ。あの人たちはそれを知ってるはずよ、キット――そう感じているはずよ!」
「あなたはこれまで、だれかにそんなふうに告白したことがありますか? ないでしょう」キットは汗を流しながら口をつぐんだ。これは彼が心配したよりもやさしそうだ。
「そんなことできなかったのよ、キット。あんまり深刻な問題ですもの。でも、さっきもいったように、あなたとなら、どんなことでも話しあえるわ」
「QX。この問題は、ママが一つの質問に答えてくれただけで解決しますよ。あなたは自分がレンズにまったくふさわしくないのにレンズを与えられたと、本気で信じてるんですか? 完全に――あらゆる瞬間に――そう信じていますか?」
「あら、そんなふうに考えたことはなかったけど――たぶんそうは信じてないわ――そうよ、たしかに信じてないわ」クラリッサの沈んだ表情は、目に見えてあかるくなった。「でもやっぱりわからないわ。どうして、なぜ――」
「はっきりしていますよ」キットがさえぎった。「あなたは、ほかの人たちが熱心に努力して手に入れなければならないものを、生まれつき持っているんです――これまで、どこのどんな女性も持ったことのない能力をね」
「もちろん、わたくしの娘たちは別でしょう」クラリッサは、なかばうわの空で訂正した。
「妹たちは別です」彼は賛成した。自明の事実について母の言葉に賛成することはさしつかえない。「ぼくの言葉を信用してください。ぼくは他のレンズマンが、あなたに充分、能力があるのを認めているということを知っています。彼らは、アリシア人がレンズマンに必要な能力を持っていない者のためにレンズをつくったりはしないということを、百も承知しています。だから、ぼくはある作戦について、あなたと相談するためにここへきたわけですが、いまその作戦にそなえる意味で基礎工作をやったのです。あなたに資格がないというような問題ではありません。あなたは、あらゆる点で資格があるんですから。あなたは当然持つべき能力が、ちょっと未熟だというだけのことです。あなたはほんとうは第二段階レンズマンです――それは知っているでしょう、ママ――しかし、あなたは第二段階レンズマンの訓練を受けにアリシアへ行ったことがありません。この仕事は、たいへんな仕事になるかもしれません。ぼくは、あなたが完全な準備をととのえずに、そういう仕事にとびこんで行くのに反対です。ことにあなたは、そういう訓練を受ける能力が充分にあるんですから。メンターは二、三時間滞在で、あなたを訓練してくれるでしょう。いますぐアリシアへ行きませんか、それともぼくが案内しましょうか?」
「いやよ――行けないわ!」クラリッサはあとずさりしながら、強調するように頭をふった。「ぜったいにだめ! できないわ、キット――とっても!」
「なぜだめなんです?」キットは驚いた。「なんだ、ママ、ほんとにふるえていますね!」
「知ってるわ――ふるえずにいられないの。だからなのよ。大宇宙を通じて、わたくしがほんとうにこわいのはメンターだけだわ。メンターについて話すだけなら平気だけれど、実際に彼と同席するとなると、考えただけで身ぶるいがでるわ――それだけのことよ」
「わかりました――でも、そうすればきっと効果があるんだがな。パパはそのことを知ってますか?」
「知っているわ――というより、わたくしがメンターを恐れていることは知っているけれど、あなたが知っているような意味では知らないわ――本当のことはわかっていないのよ。キムは、わたくしが臆病だとか泣虫だとかいうことが、思いもよらないんだわ。わたくしも、キムにそう思われたくないのよ、キット。だから、どうぞ知らさないでちょうだい」
「知らせやしません――そんなことをいおうものなら、パパはぼくを張り倒すでしょう。じつのところ、ぼくもあなたの自画像にはまったく納得がいきません。冷厳《れいげん》な事実として、あなたが臆病者でも泣虫でもないことはあきらかですからね――それはママがこれまでにしでかした、いちばんばかげたあやまちですよ。あなたの考えは一種の固定観念です。もしそいつが除去できないとすると――」
「できないわ」彼女はきっぱりいった。「あなたが生まれるまえから、ときどき努力してみたの。いずれにしても、これは恒久的《こうきゅうてき》に植えつけられた観念で、根が深いのよ。わたくしは、キムが仕事をすっかりまかせてくれないのを、ずっとまえから知っていたわ――あの人にはそれができなかったのよ――それで、わたくしは自分でアリシアへ行くか、少なくともそのことについて、メンターに呼びかけるかしようと、何度も努めたんだけれど、できないのよ、キット――とてもできないのよ!」
「わかります」キットはうなずいた。彼はいま理解したのだ。彼女が感じているのは、本質的に根本的には恐怖ではない。それは恐怖よりもっとはげしく、もっと根深いものだ。それは真の嫌悪だ。生命力にみちた人間の女性が、無限の歳月にわたって性的思考をまったく持たなかった神秘的怪物に対していだく、基本的で無意識的な、性に根ざした反応なのだ。彼女は自分の感情を分析することも理解することもできないが、それは生命の潮《うしお》そのものと同様に不変で、根づよく、古いものなのだ。
「しかし、それと同じくらい効果のある別の方法があります――あなたについては、もっと効果があるかもしれません。ママはぼくがこわくないでしょう?」
「なんて愚問でしょう! もちろんこわくないわ――まあ、じゃあ〈あなた〉が――」彼女は表情ゆたかな目を見開いた。「あなたたちは――とくにあなたは――わたくしたちよりはるかにすぐれているわ――それは当然のことだけれど――でも、あなたできるの、キット? ほんとに?」
キットは自分の心の一部を超高帯域にあげた。「メンター、わたくしは精神訓練の技術を知っていますが、まずうかがいたいのは、母に対してそれをするべきかどうかということです」
「若者よ、するべきだ。それが必要なときがきたのだ」
「第二に、――わたしはこれまでこういうことをやったことがありませんし、対象はわたしの母です。もしわたしがへまをやって、母の心に害を与えれば、わたしは自分を許せないでしょう。あなたが立ち会って、わたしが失敗しないように気をつけてくださいますか? そして警戒にあたってくださいますか?」
「立ち会って、警戒にあたろう」
「ほんとうにできますとも、ママ」キットは、それとわかるほどの中断もなく、彼女の質問に答えた。「つまり、もしあなたが、自分の持っている全能力をすすんで集中すればね。ぼくの心をあなたの心に侵入させるだけでは充分ではありません。血の汗を流さなければならないでしょう――ハンマー工場に送りこまれるか、デルゴン貴族の拷問《ごうもん》スクリーンに引きのばされるかしているような思いをするでしょう」
「それは心配しないでもいいわ、キット」クラリッサのふるえをおびた声には、彼女の全情熱がこめられていた。「わたくしがどれほどそれを望んでいるか、教えてあげたいくらいだわ――がんばるわ。あなたが与えるどんなことでも耐えられるわ」
「ぼくもそれを確信しています。そして、あなたをだまして仕事をしないように、ぼくがなぜ、そのことを知っているかを、話したほうがいいでしょう。メンターがぼくにやり方を教え、それをするように告げたのです」
「メンターですって!」
「メンターです」キットはうなずいた。「メンターは、あなたが彼の訓練を受けるのは心理的に不可能だが、ぼくの訓練なら受けられるし、受けるだろうということを知っていたのです。そこでメンターは、ぼくにその仕事を委任したのです」クラリッサはこの情報に、不可避的《ふかひてき》なショックを受けてしまった。そこで、彼は母に、落ちつく時間を与えるためにつづけた。
「メンターはまた、あなたもぼくも知るように、あなたが彼を恐れてはいるが、彼の本質と銀河文明に対する彼の役割とを、理解しているということも知っています。ぼくは、自分が一人前の仕事をはじめたばかりの、かけ出しの若造ではないということを、あなたに知ってもらうために、このことを告げなければならなかったのです」
「待ってちょうだい、キット! わたくしはあなたについて、ときどき的《まと》はずれのことを考えてきたかもしれないけれど、『かけ出し』なんて考えたことはないわ。それはあなた自身の思いすごしで、わたくしの考えじゃなくてよ」
「ごもっともです」キットは苦笑した。「ぼくの自我《エゴ》は、いま程度の冷酷《れいこく》さには絶えられます。しかし、この仕事は愉快なものじゃないでしょう。あなたを無慈悲にたたきのめす予想を楽しむにしては、あなたはあまりすばらしい女性だし、ぼくはあまりあなたのことを思いすぎていますからね」
「まあ、キット!」彼女の気分は、たちまち変化して、いつものいたずらっぽい微笑が顔いっぱいにもどってきた。「あなた、気がくじけたんじゃないの? 手をささえてあげましょうか?」
「ええ――おじけづきました」彼は認めた。「それにしても、手をささえるのは名案かもしれない。肉体的連結だ。さあ、ぼくの用意はいいですよ――あなたの用意ができたら、そういってください。どうせ倒れますから、腰かけていたほうがいいですよ」
「QX、キット――いらっしゃい」
キットは、彼女の心に侵入した。そして、彼の心がレッド・レンズマンの心に最初のすさまじい衝撃を与えたとき、彼女は息をつめ、すべての筋肉をこわばらせ、苦痛のあまり、いまにも悲鳴をあげそうになった。彼女の手はキットの手をつかみ、痙攣的《けいれんてき》に握りしめたので、彼は指の力を強めねばならなかった。彼女はどんな衝撃《しょうげき》がくるのか知っているつもりだったが、現実は異なっていた――はるかに異なっていた。彼女はだれにもしゃべったことはなかったが、ライレーン系第二惑星で、火傷や創傷《そうしょう》や打撲傷《だぼくしょう》を受けたことがあった。彼女は五人の子供を妊娠《にんしん》した。しかし、この衝撃は、過去に経験したあらゆる苦痛が一丸となり、それが極度に強められ、彼女の存在のもっとも深くもっとも柔軟《じゅうなん》でもっとも敏感《びんかん》な中枢を、容赦《ようしゃ》なく突き刺しているかのようだった。
そしてキットは、いよいよ深く彼女の心に突き入りながら、なすべきことを正確に心得ていた。彼は、開始した以上なされねばならないことを、たじろがず正確に推進した。彼は彼女の心を、彼女が思いもよらなかったほど押しひろげた。ぎっしりつまった小さな区画を、それぞれ相互に完全に分離した。彼女にこの驚くべき拡大の余地をどのようにしてつくるべきかを示し、彼女の肉体と脳のあらゆる細胞、あらゆる繊維《せんい》が悲鳴をあげて抵抗するのをおさえつけながら、それをおこなうのを監視した。彼はいたるところにチャンネルを貫通《かんつう》し、きわめて鋭敏《えいびん》で想像を絶するほど複雑な通信システムを設定した。彼は、自分が彼女をどういう目にあわしているかを、正確に知っていた。自分が最近、同じ目にあっていたからだ。しかし、彼は仕事がおわるまで容赦《ようしゃ》なくつづけた。完全におわるまで。
それから、ふたりは協力して整理し、名称をつけ分類し、目録をつくった。点検し再点検した。ついに彼女は、自分の心のこれまで測定されなかったすべての深所を知り、自分の脳のすべての細胞を知った。そしてキットは、彼女がそれらを知ったことを知った。彼女がこれまでに獲得し、これから獲得するであろうすべての素質、性格、知識は、瞬間的にやすやすと彼女に支配されるだろう。そこではじめて、キットは自分の心を彼女の心から引き抜いた。
「あなたはわたくしが〈ほんのちょっと〉力不足だっていったわね、キット?」彼女はよろよろ立ちあがって、顔をぬぐった。そこには、わずかなそばかすが、蒼白《そうはく》な地肌の上におどろくほどはっきり浮きだしていた。「わたくし、がたがたよ――自分の船へもどってそして――」
「ちょっと待ってください――フェイアリンの壜《びん》をあけますから。これはお祝いする価値があるとは思いませんか?」
「大いにそうだわ」彼女は、刺激性のかおりのよい赤い液体をすすっているうちに、生色がもどってきた。「わたくし、この何年間というもの、何かものたりない気がしていたけれど、それも不思議はないわ。ありがとう、キット。わたくしほんとに感謝するわ。あなたは――」
「いわないでください、ママ」彼は母をだき起こして、かたく抱きしめた。彼は母の汗にまみれた顔や乱れ髪に、ほとんど気づかなかったが、彼女は気づいた。
「まあ、キット、わたしほんとに〈鬼ばば〉みたい!」彼女は叫んだ。「あちらへ行って新しい顔をつくらなけりゃ!」
「QX。ぼくもそう元気だとは思いません。しかし、ぼくがほしいのは、厚くてうまいステーキです。いっしょにやりませんか?」
「まあ。こんなときに、食べることなんか考えられるの?」
「かつてのインディアンみたいに、戦闘準備の絵の具を塗ったり、羽根かざりをつけたりしたくなる人もあるでしょう。人によって反応はさまざまなんです。QX、十五分か二十分したら、あなたの船に会いに行きますよ。おいでなさい!」
彼女はキットの艇を去った。彼は爆発するような安堵のため息をついた。彼女があまりいろいろな質問をしなかったのは、大いにいいことだった――もし彼女がほんとうに好奇心を起こしていたら、このような種類の作業は、アリシアの堅固なスクリーンの外でおこなわれたことはなかったし、これからもないだろうという事実をかくすために、ひどく骨を折らねばならなかったろう。彼は食事をし、洗面し、髪に櫛《くし》を走らせ、母の準備ができるのを待って、彼女の快速艇へ移乗した。
「ヒュー――ヒューユー」キットは表情たっぷりに口笛を吹いた。「なんてきれいだ! ママはいったいライレーン系第二惑星で、だれを気絶《きぜつ》させるつもりなんです?」
「だれも気絶させやしないわ」彼女は笑った。「これはみんなあなたのためよ――それに、いくらかわたくし自身のためもあるわ」
「びっくりした。ママを見てると、まぶしくて耳ががんがんしてくる。でも、ぼくは行かなきゃならない。じゃ、晴朗《せいろう》な――」
「待ってちょうだい――行っちゃだめよ! わたくしのこの新しい精神ネットワークや何かのことを、あなたに聞かなくちゃ。こういうものを、どうあつかえばいいの?」
「わるいけれど――ママが自分で発達させなければならないんです。そのことはもうわかっているでしょう」
「いくらかはね。でもわたくし、あなたに甘えて、ちょっと援助してもらえるかもしれないと思ったのよ。そんなことわかっているべきだったのに――でも教えてちょうだい、どのレンズマンも、みんなこんな心を持っているわけじゃないんでしょう?」
「そうです。彼らの心は、あなたのまえの心と同じようですが、それほどよくはありません。もちろん他の第二段階レンズマン――パパ、ウォーゼル、トレゴンシー、ナドレック――は別ですがね。彼らの心は、多少とも現在のあなたの心に似ていますが、あなたには彼らにない能力がたくさんあります」
「そうなの?」彼女はたずねた。「たとえば?」
「ずっと奥のほう――そこです」彼は彼女に示した。「あなたはその能力を自分でつくりあげたんです。ぼくはあまり立ち入らずに、その方法を教えただけです」
「なぜ? あら、わかったわ――あなたがそうしたのももっともね。生命力のようなものでしょう。もちろんわたくしは、それをうんと持っているわ」彼女は赤面しなかったが、キットはした。「生命力のようなもの」というのは、銀河文明を通じて唯一の母親レンズマンが、多量に持っているものを表現するには、ひどく不適当な言葉だったが、ふたりともそれが何かをよく知っていた。キットは首をすくめた。
「レンズを見れば、そのレンズマンのことがすっかりわかります。レンズはその着用者の心全体の発信グラフなのです。ママはもちろん、パパのレンズを研究したんでしょう」
「したわ。ふつうのレンズ――わたくしのレンズ――より三倍も大きくて、ずっと美しく、ずっとあかるいわ。でも、わたくしのはそうじゃないでしょう、キット?」
「そうじゃなかったのです。いま見てごらんなさい」
彼女は引出しをあけて手をさし入れ、レンズを見つめた。彼女の両目と口は、驚きのあまり三つのO字形になった。彼女はいままで、こんなレンズを見たことがなかった。それは彼女のより三倍も大きく、七倍も美しく複雑で、十倍も輝いていた。
「まあ、これ、わたくしのじゃないわ!」彼女はあえぐようにいった。「でも、わたくしのにちがいないはずだけど――」
「くしゃみをなさい」キットは助言した。「そうすれば、クモの巣がふっとんで、よく見えるようになりますよ。ママはちっとも考えないんですね。ママの心が変わったので、レンズも変化しないわけにいかなかったのです。わかりましたか?」
「もちろんよ――わたくし考えなかったわ。それは事実よ。あなたのをみせてちょうだい、キット――あなたは着用してないようだけど――卒業後、見たことがないわ」
「いいですとも。なぜ着用しなけりゃいけないんです?」彼はポケットに手を入れた。「ぼくはママのまねをしてるんです。ぼくらはどっちも、レンズを見せびらかしていばりたいなんて、考えていませんからね」
彼のレンズは手首に輝いた。それはクラリッサのより直径が大きく、厚さも厚かった。その組織はいっそう精密で、色彩はいっそう輝かしくはげしく、いっそう〈固体的〉に見えた。ふたりはしばらく二つのレンズを見つめていたが、やがてキットが母の手をつかみ、自分の手首のところへ持っていって、見くらべた。
「そうだ」彼はつぶやいた。「そうだ――そうなんだ。クロノ神に歯と爪があるのと同じように、たしかなことだ」
「なにがそうなの? なにがわかるの?」彼女はたずねた。
「自分がどうやって、なぜ現在のようになったかがわかるのです――もし妹たちがレンズを持っていれば、あれたちのも同じでしょう。パパのレンズをおぼえていますか? あなたのレンズの優性《ゆうせい》をごらんなさい――それがみんなぼくのレンズの中で複写《ふくしゃ》されているでしょう。それらをぼくのレンズから消去して、残ったものを見てごらんなさい――純粋なキムボール・キニスンです。しかしそのほかに充分他の因子もあって、そのおかげで、ぼくは単なる両親のコピーでなく、独特な個性になっているのです。ふむ――ふむ――たしかに、これが両親にレンズマンを持っている結果なんだ。ぼくらが変わり種なのも不思議はない! それがぼくの気に入るかどうかは別の問題だ――アリシア人がこれ以上女性レンズマンをつくるべきだとは思わないな、そうじゃありませんか? だから彼らは、これまでママのほかに女性レンズマンをつくらなかったのだろう」
「冗談はよしてちょうだい」彼女はなじったが、顔にはまたえくぼが浮いてきた。「もしその結果、あなたやあなたの妹たちのような子供がもっと生まれてくるなら、わたくしは大いに賛成よ。でも、なぜかわからないけど、そういうことにはならないのじゃないかと思うわ。あなたが行きたがってもじもじしているのは知っていてよ。だから、もうひきとめやしないわ。あなたがレンズについて発見したことはおもしろいわ。そのほかのことは――いいわ――ありがとう、キット。そして晴朗な宇宙空間を祈るわ」
「ママにも晴朗な宇宙空間を。顔をあわせるのもいいけれど、こうしてすぐ別れなけりゃならないのがつらい。でも、またすぐに、たびたび会いましょう。もし困ることがあったら、声をかけてください。妹たちのだれかかぼくが――さもなければみんなが――すぐ応援にきますから」
彼は母をすばやくしっかり抱きしめ、熱情的にキスしてから出発した。彼は彼女に知らさなかったし、彼女もまったく気づかなかったが、彼がレンズの秘密を一つ「発見」したのは、彼女が、彼にも答えられない質問をするのを防ぐためだったのだ。
レッド・レンズマンは、ライレーン系第二惑星へ着くまでに、自分の新しい心を整理する時間がないのではないかと心配したが、彼女は生来、家事の処理がうまかったので、整理することができた。そればかりでなく、彼女の心はいまや、とてもすみやかに楽々と働いていたので、その惑星上における自分のそれまでの活動のあらゆる面を観察し分析し、今後の最初の行動方針を全体的に設定《せってい》する時間さえあった。彼女ははじめのうちはお手柔《てやわ》らかにいこうと決心した。彼女が前以上の能力を持っているのを、人々に気づかせないようにするのだ。ヘレンはいいが、他の多くは、とくに例の空港支配人は、まったくたちのわるい女狐《めぎつね》だ。はじめはお手柔らかにやるが、このまえのように、泥沼にふみこまないように気をつけよう。
彼女はライレーンの成層圏《せいそうけん》にそって降下し、自分がよくおぼえている都市の上空に停止した。
「ライレーンのヘレン!」彼女は鋭く明晰《めいせき》な思考を伝達した。「これがあなたの名前でないことは知っているけれど、ほかの名前は知らないから――」
彼女は思考を中断して、全神経を緊張させた。いまのはヘレンの思考だろうか、そうでないだろうか? 形をなすまえに、防止スクリーンで切断され、除去されてしまったが。
「異境人《いきょうじん》よ、あなたはだれで、何が望みなのか?」かつてのヘレンの席だったデスクについている人物から、ほとんど同時に思考がきた。
クラリッサは思考の発信者を眺め、その顔に見おぼえがあるとおもった。彼女の精神チャンネルは瞬間的に機能し、彼女は委細《いさい》をすべて思い出した。
「以前太陽系第三惑星にいたレンズマン、クラリッサです。独立レンズマンよ。わたくしあなたをおぼえているわ、ラドラ。わたくしがここにいたとき、あなたはまだほんの子供だったけれど。わたくしをおぼえていて?」
「おぼえているわ。くり返してきくけれど、何が望みなの?」昔の思い出も、ラドラの敵意をやわらげなかった。
「まえの長老とお話をしたいの、もしできるならね」
「できないわ。あの人はもうここにはいない。すぐ立ち去りなさい。さもないと、うち落とします」
「考えなおしてちょうだい、ラドラ」クラリッサは平静な調子でつづけた。「あなたは、ドーントレス号とその能力を忘れるほど、記憶がわるくないはずよ」
「おぼえているわ。あなたがわたしの前任者と話したいことがあったら、わたしと話しなさい」
「あなたは、何年も前のボスコーン人の侵略を知っているわね。彼らがあらたに全銀河系的な侵略を計画して、この惑星がその計画にいくらかまきこまれているらしいのよ。わたくしは情況を調査するためにここへきたの」
「調査はわたしたちが自分でします」ラドラはそっけなく宣言した。「わたしたちは、あなたやその他すべての異境人が、この惑星に立ち入らないように要求します」
「〈あなたたち〉が銀河系的情況を調査するんですって?」クラリッサはわれにもあらず、その質問の言外の意味を、いまにも悟られそうになった。「もしわたくしが着陸するのを許してくれれば、ひとりで着陸するわ。もし許してくれなければ、ドーントレス号を呼んで、力ずくで着陸するわ。好きなほうをお選びなさい」
「では、ひとりで着陸しなさい。もし着陸しなければならないのなら」ラドラはいまいましげに譲歩した。「市の空港に着陸しなさい」
「あんな火器にねらわれながらですって? ありがたくおことわりするわ。わたくしは不死身じゃないんですもの。自分の好きなところに着陸するわ」
彼女は着陸した。まえに訪問したときも、彼女はここの強情《ごうじょう》な女家長制種族から、多少の援助を得るのにひどく骨を折ったが、こんども、まったく狂信的な非協力的態度にぶつかって、すっかり当惑してしまった。連中はだれも、彼女をどんな手段ででも、害しようとはしなかったが、だれひとりとして協力はしなかった。あらゆる思考が、もっとも友好的な思考さえ、完全|被覆《ひふく》思考波防止スクリーンによって防止された。挨拶さえされなかった。
「そのつもりになれば、あの防止スクリーンをかんたんに破壊できるんだけど」彼女は失敗つづきのある晩、鏡にむかっていった。「でも、もしあの人たちがこういうことをあまり長くつづければ、クロノ神のエメラルド製の胃袋《いぶくろ》に誓って、きっと破壊してやるから」
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一四 キニスン、麻薬業者サイロンにばける
キムボール・キニスンが息子の呼びかけを受けたとき、彼はクロヴィアにあるパトロール隊の大基地、超最高基地で、自分の船に乗りこもうとしていた。彼は文字どおり足を空中にとめて立ちどまったが、彼がそのとき話しかけていた副官《ふくかん》は、彼の表情や目から、何も読みとることはできなかったが、レンズを通じてのこうした協議をたびたび目撃したことがあり、それらの内容についてはまったく無知だったとはいうものの、それらに対して関心を持っていたので、そうした協議が、たいていは重要なものだということを知っていた。だから、副官は、レンズマンがくるりとふりむいて出口へもどりはじめたときも驚かなかった。
「船を格納《かくのう》してくれたまえ。いずれにせよ、わたしはしばらく宇宙へ出ない」キニスンはかんたんに説明した。「どのくらいの期間かわからんが」
快速の地上車が、彼を銀河調整官のオフィスであるステンレスとガラスでできた百階のビルへ運んだ。彼は廊下づたいに歩いて、なんのマークもついていない一つのドアからはいった。
「やあ、フィリス――ボスはいるかね?」
「これは、キニスン調整官! はい、閣下――いえ、つまり――」秘書がびっくりした様子でボタンを押すと、一つのドアが開いた。彼の専用オフィスのドアだ。
「やあ、キム――もうもどってきたのかい?」副調整官のメートランドも驚きを示しながら、大きなデスクから立ちあがり、親しげに握手した。「よろしい! 引きつぐかね?」
「いや、断然《だんぜん》引きつがない。まだはじめたばかりだ。きみの通信盤に自由強力波があったら、使わせてもらおうと思って寄っただけさ。QXかね?」
「いいとも。もし自由強力波がなくても、すぐ自由化できるよ」
「通信員」そういってキニスンは一つのボタンにふれた。「スラールを出してくれるかね? 第一資料室、資料室長ネダイン・アーンリー。通信盤から通信盤へ直結だ」
この要請《ようせい》は、事情を知っている者にはまったく驚くべきものだった。調整官は、レンズマン、それも通常は独立レンズマンをのぞいては、他の要員と直接に交渉を持つことはほとんどなく、したがってキニスンが通常の通信チャンネルを用いるのは、きわめてめずらしいことだったのだ。連結ができると、おさえつけたささやきやさまざまのきしり音がきこえた。相手方がひどく興奮《こうふん》している証拠《しょうこ》だ。
「ミセス・アーンリーはすぐ出ます、閣下」通信員の仕事はすんだ。彼女の明晰《めいせき》な声はやんだが、背後の雑音は目だって増加した。
「しっ――しっ――しっ! グレー・レンズマンご自身よ!」クロヴィア、地球、スラールその他多くの惑星上では、姓をつけずに「グレー・レンズマン」といえば、彼を指すことにきまっていた。
「グレー・レンズマンじゃないわ!」
「そんなはずはないわ!」
「ほんとうにそうなのよ――わたし彼を知ってるわ――実際に会ったことがあるのよ!」
「わたしに見せて、――ちょっとでいいから!」
「しっ――しっ! 彼に聞こえるわ」
「映像を出したまえ。時間があれば、知りあいになっておこう」キニスンが指示すると、映像プレートの上に、ブロンドやブリュネットや赤毛の娘たちの群れがあわてふためいている光景が、ぱっとあらわれた。「やあ、マッジ! 残念だが、ほかの人たちは知らない。しかし、きみたちみんなに会うと約束するよ――たぶんそうたたないうちにね。行かなくてもよろしい」資料室長が駆け足でやってきたのだ。「きみたちみんなに関係のあることだ。やあ、ネダイン! 長いこと会わなかったね。きみがわたしのために集めてくれた、あのリスのえさのことはおぼえてるかい?」
「おぼえていますわ、閣下」なんという質問だ! まるでネダイン・アーンリー旧姓ホステッターが、全銀河文明を通じて最大の科学者たち五十三人が集合したあの有名な会議に関係したことを、忘れられるとでもいうのかしら!「すみません、お呼びになったとき、資料庫にいたものですから」
「QX――われわれはみんな、ときには働かなければならないと思うよ。きみを呼びだしたのは、きみやそこにいるスマートな娘さんたちに、大仕事をやってもらいたいからだ。いつかの仕事といくらか似ているが、もっとずっと大仕事だ。カロニアという名前の惑星について、できるだけ多くの情報を、できるだけ早く集めてもらいたい。この仕事がとりわけ困難なのは、わたし自身この惑星について聞いたこともなく、聞いたことのある人間にも会ったことがないという点なのだ。その惑星には百万も別名があるかもしれず、そういう名前の別の惑星が百万もあるかもしれないが、われわれにはそのどれもがわかっていない。わたしにわかっているのはこれだけだ」彼は総括《そうかつ》して結論を出した。「もしきみがその情報を今から四・九五銀河標準日以内に手に入れてくれれば、きみにマナルカ産の宝石スター・ドロップをやるよ、ネダイン。そして部下の娘さんたちには、ブレンリーアの店へいって腕時計か何か自分の好きなものを選ばせていい。そしてわたしはそれに『キムボール・キニスンより感謝をこめて』と彫《ほ》らせよう。これは重大な仕事なんだ――息子のキットは、われわれがそんなに早くできないということで、十ミロ賭《か》けたんでね」
「十ミロですって!」四、五人の娘が同時に叫んだ。
「そうだ」彼は真剣にうなずいた。「だから、資料が手にはいったら、すぐ通信員に報告したまえ――いや、わたしが自分で指示するから聞いていたまえ。この線に連結している全通信員、傾聴《けいちょう》せよ!」彼らは傾聴した。「わたしはこの数日内に、この資料員たちがわたしに直接呼びかけることを期待している。呼びかけがあったら、昼夜を問わず、どんな時間でも、またわたしやその他のだれが何をしていようとも、その呼びかけは宇宙のその他のあらゆる問題に優先する。おわり!」映像プレートは切れた。そして第一資料室では、
「でも、あれはきっと冗談よ!」
「十ミロ!――それからスター・ドロップ――まあ、スラールじゅうさがしても、一ダース以上はないのよ!」
「腕時計――か何か――グレー・レンズマンの贈りもの!」
「みんな静かに!」マッジは叫んだ。「わたし、いまわかったわ。ネダインが、いつもがまんのならないほど自慢して、みんなの目の色を変えさせるあの腕時計は、ああして手に入れたのよ。でも、わたし、あの十ミロっていうばかげた賭けはわからないわ――わかります、ネダイン?」
「わかるような気がするわ。彼はとっても気のきいたことをするのよ――だれも思いつかないようなことをね。あなたたちみんな、ブレンリーアの店にあるレッド・レンズマンの証明書を見ているわね」これは質問ではなく断定だった。彼女たちは感動をもって、それを見たことがあった。
「その百分の一信用単位の貨幣が、一千信用単位の額に入れられて、わたしたちの名前と『彼女たちの助けにより、キムボール・キニスンが、クリストファー・キニスンより獲得したもの』という由来つきで、わたしたちのこのメイン・ホールに飾られるのはすてきじゃなくって? きっと彼はそんな計画を持っているんだと思うわ」
それにつづいた歓声は、彼女たちにその思いつきが気に入ったことを示していた。
「彼は、わたしたちにそれが気に入るということを知っているのよ。そして、そうすれば、わたしたちに、これまでにないほど資料をあさらせることになるというのを知っているのよ。もちろん、彼はどのみち、わたしたちに時計やなんかをくれるつもりよ。でも、わたしたちはその百分の一貨幣をかちとるのじゃなければ、もらわないことにしましょう。だから、仕事にかかりましょうよ。ほかの仕事は終わっていなくても、選択機械からはずしなさい。マッジ、あなたはラニオンやそのほかの人たちにインタビューする仕事からはじめなさい――いえ、それはわたしが自分でやったほうがいいわ。あなたはわたしより宇宙百科辞典になれているからね。英語の区画をKからはじめて全部調査しなさい。そして見つけられるかぎりの手がかりを、どんなわずかなものでも追求するんです。ベティー、あなたは同義語を分析できるわね。カロニアの同義語をスラール語からはじめて、その他のボスコニア系惑星の言語について、シラミつぶしに調べなさい。その仕事には変形器つきの選択器を六台使ってね。フランシス、あなたは、プレリンとブロンセカ関係の資料を調査しなさい。ジョーン、レオナ、エドナ――あなたたちは、ジャルト、ヘルマス、クラウニンシールド関係の資料よ。ベス、あなたはいちばんの言語学者だから、いちばん役に立つわ。あなたの知っているかぎりの言語と、わたしたちほかの者が発見できるかぎりの言語について、カロニアという発音をするすべての写本を走査《そうさ》してちょうだい。それであと何人残って? 充分じゃないわね――ボスコニア系惑星のリストの調査には、各自がせいいっぱい手を広げなけりゃ――」
こうして、資料室長アーンリーが組織した調査にくらべれば、「乾草の山の中で針をさがす」ということわざも、一ブッシェルの桶の中のフットボールを発見するくらいに容易だった。こうして彼女と部下の娘たちは働いた。彼女たちはなんと働いたことか! こうして、四日と三時間で、キニスンが指令《しれい》した最優先の直接呼びだしが通じた。カロニアは、もはや神秘の惑星ではなかった。
「みんな、よくやった! それをテープにとってくれ。わたしがもらいに行く」
それから彼はクロヴィアを出発した――あわただしく。キットはランデブーに適当な距離内にいなかったので、キニスンは息子に――カロニアについて判明した要点を知らせたのち――百分の一信用単位貨幣を一枚、私用便でスラールのブレンリーア宛てに送るように指示した。彼はブレンリーアにそれが到着しだい、どうすればいいかを告げた。彼は着陸した。約束のスター・ドロップを贈った。彼が宝石商カーティフに変装《へんそう》していたときに集めた宝石の一つだ。彼は娘たちに会い、それぞれに希望の報酬《ほうしゅう》を与えたのち、出発した。
彼は宇宙へ出てから、テープをざっと調べたが、深刻《しんこく》なしかめつらをして考えこんだ。カロニアが二十年以上にわたって銀河文明に未知のままだったのも不思議はない。そのテープには多量の情報がつめこまれていた――しかも、そのすべてが意味ありげだ――しかし、それらはスラールのボスコニア資料室にある八十億以上のカードから、些細《ささい》な事実を一つ一つ寄せ集めたものであり、ほんとうに意味深い事項はすべて、これまで有声化されたことのない発声写本から発見されたものなのだ。
銀河文明全体としては、スラールがボスコニア帝国の最上層部の拠点だったのだから、その後の敵対的行動は惰性的《だせいてき》なものにすぎない、と考えてきた。キニスンと彼の友人たちは、その考えに疑惑《ぎわく》を持っていたが、スラールよりも上級の機関が、スラールに命令を発していたというような証拠は、まったく発見できなかった。しかし、グレー・レンズマンはいまや、スラールが最高機関ではなかったということを知った。カロニアもそうではなかった。このテープの情報は、貧弱で断片的で偶発的ではあるが、その事実を驚くほど明白に示している。スラールとカロニアとは、同じ系列の中にあったのではなかった。どちらも相手に命令を与えていなかった――事実、両者は驚くほど関係が乏しかった。スラールはかつて五十万前後の惑星の活動を指揮していた――そしてカロニアは、現在もなおほぼ同数の惑星を支配しているらしい――しかし、両者の活動範囲は、どの点でも重複していなかった。
彼がスラールを征服したことは、大勝利として喧伝《けんでん》されたが、彼はそれによって真の問題の解決には少しも接近できなかった。彼は同じような方法でカロニアを征服することはできるかもしれないが、それによってどんな利益があるというのか! 何もない。スラールからその上級機関へ到達する手がかりがなかったのと同様、カロニアからその上級機関への手がかりもないだろう。いったい、どうやってこの問題を解決したものだろうか?
徹底的な分析をおこなったが、可能な処理方法は、ただ一つしか見つからなかった。発声写本の一つの中で――それは二十一年前につくられ、資料員で言語学者のベスによってはじめて暴露《ばくろ》されたものだか――ひとりの発言者が、新しいカロニア人レンズマンはよく活躍しているようだと、さりげなく発言し、他のふたりがそれに賛成していたのだ。資料はそれだけだ。しかし、それで充分かもしれない。なぜなら、その結果、エディーが会ったレンズマンが事実カロニア人だったという可能性が多くなったわけだし、たとえブラック・レンズマンでも、自分がどこでレンズを手に入れたかを知っているにちがいないからだ。彼は、ボスコニアのアリシアに相当する惑星にでかけていく計画を考えてたじろいだが、それもほんの一瞬だった。侵入することはおろか、肉体的に接近することさえももちろん不可能だろう。しかし、どんな惑星でも、アリシア自体でさえ、破壊することはできる。もしその惑星を発見できれば、破壊することもできるだろう。それを発見しなければならない――おそらく、メンターが、たえず彼にすることを望んでいたのもこのことだろう! だが、いかなる方法でか?
彼は、これまでボスコニアに対しておこなったさまざまの作戦の中で、有閑紳士《ゆうかんしんし》、宇宙空港人夫、隕石坑夫その他、さまざまの人物に変装した。彼がすでに用いた変名は、どれもカロニアでは通用しないだろう。それに、同じ手を使うことは、とくに相手がこのように高いレベルの場合は、はなはだまずい。カロニアで身分を疑われないためには、なにかの工作員にならねばならない――あまり小物ではいけないが、適当な経歴をあまり長くない期間にでっちあげられないほどの大物でもだめだ。麻薬業者《ズウィルニク》――真に価値のある船荷を持った実際の麻薬業者――がいちばんよかろう。
グレー・レンズマンは行動の方針を決定すると、召集をはじめた。まずキットを呼び、長い協議をおこなった。次に自分の専用である戦艦ドーントレス号の艦長を呼んで、多くの複雑な命令を与えた。さらに、副調整官メートランドをはじめ、その他の多くの独立レンズマンを呼んだ。彼らは麻薬局《まやくきょく》、公共関係局、犯罪捜査局、宇宙航空局、殺人局その他、一見相互になんの関係もなさそうな銀河パトロール隊の諸機関で、重要な役割を果たしていた。キニスンはまる十時間も心力をつくして活動したのち、たっぷり食事をとり、クラリッサに――彼は彼女を最後に呼んだ――これからベッドにはいって銀河標準時間でまる一週間眠ると告げた。
こうして、ブラッドロー・サイロンという名前が、銀河的規模で人々の意識にのぼりはじめた。その名前はパトロール隊が追求している犯罪人の長いブラック・リストの上で、七、八年間、なかほどに位置していたが、いまやずっとトップに近くなっていた。この悪名高い麻薬業者とその凶悪な部下たちは、第一銀河系のはしからはしまで追われていた。二、三カ月のあいだは、彼らが宇宙から抹殺《まっさつ》されたものと思われていたが、いまや、彼が第二銀河系で活動しているということが明白になった。そして、彼とその狂暴な手下たちはいずれも――彼らは何千という生命を凶器で奪った悪魔だった――海賊行為、麻薬売買、第一級殺人などの罪で追求されていた。パトロール隊の立場からすると、この追跡は、はなはだ困難だった。銀河パトロール隊の惑星学者は、第二銀河系の惑星については、ごく少数しか宇宙図を作成しておらず、それらの中でも銀河文明の信奉者が住んでいる惑星は、わずかしかなかったからだ。
そういうわけで、しばらく時間がかかったが、ついにキニスンが待ちに待った通報がきた。座標軸《ざひょうじく》しかじかのところにある、フレスティン系第二惑星のネルト市にいるボスコーンの大物で、麻薬ボスのハークルロイという男が、カロニアから近すぎず遠すぎないところにいる中級の仲買人「T」に買付けを命じた、というのである。キニスンはすでにずっとまえに、地元の隕石坑夫からこの区域《くいき》の宇宙混合語を学んでいたので、行動の準備はできていた。
第一に、彼は強力なドーントレス号が、彼が必要とするときに彼の望む位置にいるように、確実に手配した。それから、自分の快速艇の通信器の前にすわり、通常チャンネルを通じてボスコーン人に呼びかけた。
「ハークルロイかね? きみの気に入るような取引きがあるんだが、どこでいつ会見したいかね?」
「いったいどういうわけで、わしがおまえに会見したがると思うのだ?」一つの声がどなり、映像プレートに大きな狂暴な顔があらわれた。「おまえはだれだ?」
「わたしがだれだろうと、よけいなお世話だ――きみがそのやくざな口にふたをしないと、そこへおりていって、手袋をのどへ押しこむぞ」
麻薬業者《ズウィルニク》は、この痛烈な反撃を受けるやいなや、目に見えてふくれはじめたが、数秒のうちに、相手がブラッドロー・サイロンだということを認めた。キニスンはそれを見てとった。海賊サイロンなら、だれに対してでもいい返すことができるし、また、それで通るのだ。
「はじめは、きみとわからなかったのだ」ハークルロイは、ほとんど言いわけせんばかりだった。「取引きをすることにしよう。品物はなんだ?」
「コカイン、ヘロイン、ベントラム、ハシッシュ、ニトロラーブ――混血の酸素呼吸者がほしがるものはなんでもある。だが、肝心《かんじん》なのは、二キログラムの良質シオナイトだ」
「シオナイト――二キログラムだと!」フレスティン人の目が光った。「どこでどんなぐあいに手に入れたのだ?」
「惑星トレンコのレンズマンに、とくに注文してつくらせたのさ」
「とぼけるつもりか?」キニスンはハークルロイの脳が働くのを見ることができた。サイロンには、あとで本音をはかしてやる、とハークルロイは考えているのだ。「それなら取引きになる。すぐここへおりてこい」
「おりていくが、気をつけるがいい!」レンズマンの目は麻薬業者《ズウィルニク》の目をくいいるようにみつめた。「わたしはきみが計画していることを知っている。いまのうちに警告しておくが、もし死にたくなかったら、それをやるのはやめることだ。きみも知っているように、わたしが惑星に着陸するのは、これがはじめてではない。きみに頭があればわかるはずだが、きみよりはずっと抜け目のない連中が、わたしを出し抜こうとした――だが、わたしはまだ生きている。だから足もとに気をつけることだ!」
レンズマンは着陸した。そして、いくらか大きすぎるが、ごくふつうに見える軽宇宙服を着用して、ハークルロイの私用オフィスにむかった。しかし、その宇宙服は軽くもなければふつうでもなかった。それは暑さ四分の一インチのデュレウムでできた動力室のようなものだった。キニスンはそれを着て歩いているのではなかった。彼は二千馬力のモーターを操作する技師にすぎなかった。モーターの力がなかったら、彼はその宇宙服の片足を地面から持ちあげることさえできなかったろう。
予想どおり、彼が顔をあわせた相手は、すべて思考波スクリーンを着用していた。また、ホールでがんがんひびくラウドスピーカーに呼びとめられたのにも驚かなかった。なぜなら、麻薬業者《ズウィルニク》の探知ビームは、彼の宇宙服から四フィートも離れたところで防止されていたからだ。
「止まれ! 防止スクリーンを切れ。さもないとその場で射殺するぞ!」
「そうかね? ハークルロイ、分別《ふんべつ》を働かせろよ。さっきわたしは、武器のほかに用意しているものがあるといったが、あれは本気だぞ。ここにこうしてきていようと、どこかほかへ行って、半気ちがいのように行動するほどこの品物をほしがっているだれかと取引きしようとな。どうした――わたしを片づけられる放射器がないと心配しているのか?」
このあざけりは相手の胸にひどくこたえた。訪問者は進むことを許された。しかし、私用オフィスへはいると、ハークルロイの手が一つのスイッチの近くに置かれているのが見えた。あのスイッチを入れれば、二十人以上のかくれた射手たちに、彼を射殺しろという信号が発せられるのだ。彼らは品物が彼の身につけられているか、ないしは、すぐ外にある彼の快速艇の中にあるものと考えているのだ。時間は少ししかない。
「わたしがぺこぺこする――それがきみの要求する作法だね?」キニスンは頭を一ミリもさげずにあざけった。
ハークルロイの指はボタンにふれた。
「ドーントレス! 降下《こうか》せよ!」キニスンは命令を発した。
キニスンのビームをあびて、ハークルロイの片手とボタンとデスクの一部が消滅《しょうめつ》した。壁のかくし戸が開き、放射器と機関銃が振動性の破壊力と固体の破壊力を吐きだした。キニスンはデスクへむかって跳躍した。彼がボスコーン人に接近してつかまえると、攻撃は緩和され停止《ていし》した。強烈なビームが短時間ひらめいて、敵の思考波スクリーン発生器を、融けた金属のかたまりと化した。ハークルロイは射手たちに攻撃を再開するようにわめいたが、弾丸やビームが麻薬業者《ズウィルニク》の生命を奪うまえに、キニスンはもっとも知りたいことを知った。
この男は、ブラック・レンズマンについて、ある程度知っていた。レンズがどこでつくられたかは知らなかったが、レンズマンたちがどのようにして選抜されるかを知っていた。そればかりでなく、ハークルロイはひとりのレンズマンを直接知っていた――メラスニコフという男で、カロニア系第三惑星のカドシル市にオフィスを持っているのだ。
キニスンは踵《きびす》をかえして脱出した――警報が発せられて、敵は彼の宇宙服でさえ防げないほど、強力な兵器を持ちだしつつあったからだ。しかし、ドーントレス号はすでに着陸しつつあり、その過程で市の五|区画《ブロック》を粉砕《ふんさい》していた。ドーントレス号は着陸した。そして、デュレウムの宇宙服を着用したグレー・レンズマンが、ハークルロイの要塞から血路を切り開いているあいだに、ピーター・バン・バスカーク少佐とバレリア人の一大隊が、宇宙斧と半携帯式放射器で武装して、突撃を開始していた。
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一五 サイロン、手がかりを追求
キニスンは死体の散乱《さんらん》した廊下に沿って、一インチ一インチ、一フィート一フィート血路を切り開いていった。彼の防御スクリーンは、敵の強烈なエネルギーをあびて花火のように輝いたが、破壊されはしなかった。はげしくそそぎかけられる金属の弾丸は、堅固なデュレウムの宇宙服にぶつかって、すさまじいひびきをたてたが、これももちこたえた。デュレウムは考えられないほど重く、信じられないほど強靭《きょうじん》で、想像もおよばないほど固いのだ――デュレウムのこうした特質と、この事実上のタンクを動かし、そのスクリーンにエネルギーを供給している二千馬力とに対しては、麻薬業者《ズウィルニク》の攻撃は、フラッシュで照らしたり紙つぶてを投げつけているのも同然だった。当面の敵は彼に歯がたたなかったが、ボスコーン人たちは彼にとって、いささかありがたくない予備兵器を持ちだそうとしていた。彼のスクリーンでも防ぎきれないほどのエネルギーを持った可動式放射器である。
しかし、彼は敵に対して、一つの大きな利点を持っていた。彼には知覚力があるが、彼らにはないのだ。彼は敵を見ることができるが、敵は彼を見ることができない。彼としては、バン・バスカークと部下のバレリア人たちが、自分のほうへ熱心に押し進めている可動式スクリーンのかげへ安全にかくれるまで、敵との間に、少なくとも一枚の不透明な壁をおくようにしさえすればいいのだ。そのスクリーンは、ドーントレス号のすばらしく強力な発生器によって、エネルギーを供給《きょうきゅう》されている。彼は壁を通過する際に、近くにドアがあればそれを使ったが、ドアがない場合は、壁そのものを破壊した。
バレリア人は勇猛に戦い、急速に接近しつつあった。この二つの言葉は、この種族について用いられる場合には、バレリア人の活動を見たことがない者にはまったく信じられないようなことを意味していた。彼らは平均して身長七フィートたらず、体重四百ポンド以上で、地球の重力のほとんど三倍もあるバレリアの重力に抵抗できるような筋肉、骨格《こっかく》、腱《けん》をそなえていた。バン・バスカークの部下のもっとも劣弱《れつじゃく》な戦士でも、そっくり宇宙服を着用したまま、地球の重力に抵抗して、十四フィートも立ち高とびをすることができた。また自分自身のからだと三十ポンドのものすごい宇宙斧とを、目もくらむような速さと、見る者をぞっとさせるような破壊的効果とで扱うことができた。彼らは、知られているかぎりでもっとも勇猛な肉弾戦士だった。そして、高度に進歩した知的生物としては、信じられないように思われるかもしれないが、彼らはその種類の戦闘を楽しんでいたし、現在もなお楽しんでいるのである。
バレリア人の潮《うしお》は、戦っているグレー・レンズマンに到達し、彼をとりかこんだ。
「やあ――ちびの――地球人――閣下!」ピーター・バン・バスカーク少佐は、そのまったく抵抗不能な武器をふりまわして、それに調子をあわせながら、親しみのこもった思考、歓喜の叫びを伝達した。彼のリズムはくずれた――恐るべき斧が敵のからだにくいこんで、抜けなくなってしまったのだ。デュレウムを埋めこんだ宇宙服でさえ、この、ぶんぶんふりまわされる斧の刃をくいとめることはできなかった。しかし、ときとして宇宙服のために刃が引き抜きにくくなることがあったのだ。巨人は引っぱり、よじった――かえり血をあびたブーツを敵のたたきつぶされた宇宙服の胸板《むないた》にかけ――巨大な背をかがめた――はげしくりきんだ。武器はふつうの人間の腕なら折れてしまうようなはずみをつけてひっこ抜けたが、バレリア人の思考はなだらかに伝達された。「愉快じゃありませんか?」
「やあ、バス、でかのバレリア猿!」キニスンは同じ調子でやり返した。「きみたちが必要になるだろうと思っていたよ――ありがとう。だが、はやく離脱しよう」
バレリア人たちは、作戦が成功裏に終了したのちでさえ後退《こうたい》することを好まなかったが、後退のしかたは知っていた。そういうわけで数分のうちに生存者はすべて――そして損害はおどろくほど少なかった――ドーントレス号の内部にもどった。
「フランク、わたしの快速艇を拾いあげてくれたろうね」キニスンが「大装置盤」についている若いレンズマンにむけた思考は、質問ではなく断定《だんてい》だった。
「もちろんです。閣下。やつらは急速に集結しましたが、閣下がおっしゃったとおり、敵対的行動はとりませんでした」フランクは映像プレートにむかって、おちついた態度でうなずいた。映像プレートは、空に戦闘用宇宙船が散開していることを示していた。
「|空飛ぶ鉄槌《モーラー》はいないかね?」
「探知されるかぎりではまだおりません」
「QX。はじめの命令どおりにしてくれたまえ。|空飛ぶ鉄槌《モーラー》を一隻でも探知したら、エイブル作戦を遂行する。エイブル作戦が発令されれば、わたしは即座《そくざ》に自動的に指揮権を失うが、そのような発令があるまでは、わたしが指令を与える。彼らがどのようなものであるかについては、わたしもまったく想像がつかない。彼らの指揮官がどういう行動に出る決定をするか、それしだいだ――こんどは敵が手をうつ番だ」
最後の言葉が合図になったかのように、スピーカーから騒音が爆発した――乗組員のうちレンズをつけていない者には、「ブラッドロー・サイロン」という言葉が聞きわけられるだけだった。しかし、その名前のおかげで、なぜ自分たちが攻撃を受けていないのか――少なくともまだ――という理由がわかった。カロニア人たちは、この非妥協的《ひだきょうてき》で頑強《がんきょう》な海賊と、彼の船のとほうもない強力さについて、多くのことを聞いていた。そしてキニスンは、敵が彼よりも彼の船のほうを、はるかに警戒しているのを知っていた。
「きみのいうことはわからない!」グレー・レンズマンは、つい最近おぼえた混成語《こんせいご》で叫び返した。「共通語で話せ!」
「よろしい。きみはわれわれが報告を受けたとおり、ブラッドロー・サイロンだ。この不法な攻撃はどうしたことだ? 降服《こうふく》せよ! 部下を武装解除させ、宇宙服をぬがせて、船から離脱《りだつ》させよ。さもないと、その場で撃破するぞ――副司令官メンドナイより!」
「失礼した」キニスンのサイロンは嘲笑《ちょうしょう》しなかった――まったく――そしてその頑固《がんこ》な頭をたぶん十六分の一インチくらいさげたが、はなはだ簡略に発せられた指令にしたがおうとはしなかった。そのかわり、
「それはとにかく、これはいったいどういう惑星なのか?」彼ははげしく反問した。「わたしがこのいまいましいハークルロイに会いにきたのは、やつが大物で、わたしの系統の商売に関心を持っているから、相当な取引きができるだろうと友人に教えられたからだ。それに、わたしは、やつにちゃんと警告を与えた――わたしが場数をふんでいるから、へたな細工をすれば、鉛筆書きの線みたいに抹殺《まっさつ》してしまうと、はっきり警告したのだ。その結果どういうことが起こったか? わたしがきびしく警告したにもかかわらず、やつは卑怯《ひきょう》な手を使おうとしたので、わたしはやつを抹殺した。やつは自業自得なのだ。すると、わたしが法律でもおかしたというように、きみたちがちっぽけなブリキ張りの船でやってきたのだ。きみたちは自分をなんだと思っているのだ? どんな権利があって、個人的な問題にくちばしをつっこむのだ?」
「そうか、そういう説明は聞いていなかった」映像プレートに映像があらわれた。典型的なカロニア人の顔だ――青く冷酷《れいこく》で鋭い。「ハークルロイは警告を受けたというのだな? 明確に?」
「明確にだ。彼の専用オフィスにいるどの麻薬業者《ズウィルニク》にでも聞いてみるがいい。彼らはほとんどが生きていて、警告を聞いているはずだ」
映像プレートはくもり、話し手はまたわけのわからない言葉でしゃべりだした。しかし、レンズマンは、上空にいる船隊の指揮官が、実際にハークルロイの護衛たちに尋問しているのを知っていた。彼らはキニスンの話が完全に事実と一致していることを知っている。
「きみはおもしろい男だ」ボスコーン人の言葉は、またドーントレス号の全乗組員に理解できるようになった。「ハークルロイのことは忘れよう――おろかさにはそれ相応のむくいがある。物質的損害は現在のところ、問題ではない。われわれがきみについて知り得たところによれば、きみはいわゆる銀河文明に所属していたことがない。また、きみがわれわれの一員ではないし、これまでもそうだったことはないということも知っている。きみはいかなる方法で行きのびることができたのか? そしてなぜ単独で行動しているのか?」
「『いかなる方法で』というのは容易なことだ――わたしがここのきみの友人にやってのけたように、相手より一歩だけ先んじることと、いい技師を使って、自分の船に他の船が持っているあらゆる装備はもちろん、考案し得るかぎりの装備を持たせることが秘訣《ひけつ》だ。『なぜ』という問題も単純だ。わたしはだれも信用しない。自分がしようとしていることをだれにも知らせないから、だれにも背中から突き刺されることはない――わかるかね? これまでのところは、それがうまくいったのさ。わたしはまだぴんぴんしてとびまわっている。他人を信用する連中はそうはいかない」
「わかった。粗雑《そざつ》だが筋はとおっている。きみを研究すればするほど、きみがわれわれの戦力に有効な援軍《えんぐん》になるにちがいないと思うようになった――」
「そんな取引きはいやだよ、メンドナイ」キニスンは櫛《くし》を入れてない頭をつよくふってさえぎった。「わたしはこれまでボスから命令を受けたことはないし、これからも受けるつもりはない」
「それはきみの誤解だ、サイロン」メンドナイは奇妙に忍耐づよかった。キニスンは侮蔑《ぶべつ》的に彼の称号を省略したのだから、相手はロケットのように爆発してもしかるべきだったのだ。「わたしはきみを部下ではなく、同盟者にしようと考えているのだ。まったく独立な同盟者として、相互に有利な、ある事業に協力するのだ」
「たとえば?」キニスンは、はじめてちょっぴり関心を示した。「きみはいまのところ、もっともなことをしゃべっているようだが、わたしにはどんな利益があるんだね? たっぷりなけりゃだめだぜ」
「たっぷりあるだろう。きみがすでに示した能力と、きみの背後にあるわれわれの膨大《ぼうだい》な資源をもってすれば、きみはこれまで一年間に獲得した以上の利益を、毎週獲得できるだろう」
「ほう? きみたちのような連中が、わたしのような人間とそういう仕事をしたがるとはな。ところで、|きみ《ヽヽ》はその仕事でどういう利益を得るつもりなのだ?」キニスンは反問しながら、装置盤の前にいる若いレンズマンに、鋭敏《えいびん》な思考をレンズで伝達した。
「注意しろ、フランク。やつは何かを用意している。|空飛ぶ鉄槌《モーラー》にちがいない」
「まだ何も探知できません」
「もちろん、われわれは利益を得ることを望んでいる」海賊はものやわらかに認めた。「たとえば、きみの船のある部分は、われわれの宇宙船設計者の興味をひくかもしれない――わかるだろうが、これは一つの可能性で、ほんの一例にすぎない。また、きみの船が異常に高温の第一次ビーム放射器をそなえているということも聞いている。そうしたものについていま教えてくれるか、少なくともきみの魅力的でなくもない顔のほかに、何かが見えるように、映像プレートの焦点を変えてくれてもいい」
「そんなつもりはない。この船の装備はわたしのためのもので、これからもそうなのだ」
「きみと協力しても、われわれはきみからそういうことしか期待できないのか?」司令官の声はまだ低く冷静だったが、脅迫的《きょうはくてき》なひややかさをふくんでいた。
「協力も何もあるか!」海賊の首領はびくともしなかった。「きみの取引きがなんだろうと、それから利益をひきだしたあとでなら、一つか二つ教えてやるが、それより一秒早くてもだめだ――自分のことは自分でするものだ!」
指揮官はにらみつけた。「もうこんな交渉《こうしょう》にはあきあきした。結局きみは、これほど手数をかける価値がないのだろう。いま片づけるものもあとで片づけるのも同じことだ。きみも承知のはずだが、わたしはきみを片づけられるし、そうするつもりだ」
「わたしが承知しているだと?」キニスンはこんどは明らさまに嘲笑《ちょうしょう》した。「分別を持てよな、兄弟。あのあほうのハークルロイにいったように、わたしが惑星に着陸したのはこれがはじめてじゃないし、最後にもなるまいよ。|空飛ぶ鉄槌《モーラー》を呼ぶのはやめろ」ボスコーン人指揮官の手が、ボタンの列のほうへほとんどそれとわからないほど移動したのだ。「もし呼べば、映像プレートに捕捉《ほそく》しだい攻撃を開始する。探知網は現在いっぱいに展開されているのだ」
「攻撃を開始するだと?」ボスコーン人の驚愕《きょうがく》は明白だったが、手は動きをとめた。
「そうだ。そこにいるきみの艦隊はちっとも気にならんが、|空飛ぶ鉄槌《モーラー》は料理できない。わたしはそれを白状することを恐れはしない。そのことはきみがすでに知っているはずだから。きみがどうしても呼ぶつもりなら、それをとめるわけにはいかんが、耳をひろげてよく聞くがいい――わたしの船は|空飛ぶ鉄槌《モーラー》より足が速いし、きみは、わたしが離脱《りだつ》するのを生きて見ることができないのは、保証してもいい。なぜだというのか? わたしは行きがけに、まずきみの船を片づけるからだ。そして、ほかのぼろ船がこの船をひきとめようとしてへばりついていれば、わたしは、きみの|空飛ぶ鉄槌《モーラー》が接近して、それから離脱しなければならなくなるまでに、二十五隻か三十隻くらいを片づけることができる。さあ、きみの脳がハークルロイの脳と同じような青っぽい泥でできているのなら、小細工をはじめるがいい!」
これはむずかしい瞬間だった。キニスンは相手にやらせたいことは知っていたが、相手にそれを指示することはおろか、暗示をあたえただけでも、自分の手のうちを見すかされることになるのだ。指揮官はあきらかに迷っていた。彼はこの巨大で伝説的な船と戦闘を開始したくなかった。かりにこの船を破壊できるとしても、そのような手段に訴えることは考えられなかった――事実、破壊行動そのものによって、この船が難攻不落だという情報が虚偽《きょぎ》だということが証明され、彼が召喚されるにちがいない軍法会議での有利な証拠がつくられないかぎりは、である。しかし、彼はその噂が虚偽でないのではないかと恐れた――その噂の正しさは、サイロンが自分を包囲しているボスコーンの軍艦に対して露骨《ろこつ》な軽蔑を示していることからも、また自分より強力な船との交戦を避《さ》ける意志を同様の率直さで宣言していることからも、強力に裏づけされている。しかし、ボスコーン人指揮官は、ついに一つの矛盾を発見した。
「きみの船が自慢するほど強力だとすれば、なぜいますぐ攻撃を開始しないのか?」彼は疑わしげに反問した。
「そうしたくないからだ。頭を働かせることだな、兄弟」これは都合がよくなってきた。メンドナイは、レンズマンがいくらか誘導できるような線に会話を移行させてきたからだ。「わたしが第一銀河系を見捨てたのは、危険が迫ってきたからだが、この第二銀河系では、まだなんの交渉《こうしょう》も持っていない。きみたちは、わたしが持っているある種の品物がほしいし、私は君たちが持っている別の種類の品物がほしい。だから、きみたちが望むならば、われわれはボロい取引きができるわけだ。いま言ったように、そういうわけで、わたしはハークルロイに会いにきたのだ。わたしはきみたちの仲間と取引きをしたいが、たったいま手ひどくかみつかれたばかりだから、こんど取引きするときは、きみたちがペテンではなく、本当の取引きをするつもりでいるという確実な保証がなければだめだ。わかったかね?」
「わかった。その思いつきはいいが、実行は困難だ。わたしはきみに約束する。そして、わたしがこれまで約束を破ったことがないということを保証する」
「笑わせるな」キニスンはあざけった。「きみはわたしの約束を信用するのか?」
「それは別問題だ。わたしはきみの約束を信用しない。しかし、きみの主張はよくわかる。上級裁判所の保護ではどうか? きみが要求するどんな裁判所からでも、変更《へんこう》不能令状を取ってやろう」
「だめだ」グレー・レンズマンは拒絶《きょぜつ》した。「かげでうまい汁を吸っている大物の命令をきかなかった裁判所なんか、あったためしがないし、弁護士というやつは、宇宙でいちばん不正な連中だ。もっと名案を考えなければだめさ」
「では、レンズマンではどうか? きみはレンズマンのことを知っているか?」
「レンズマンだって!」キニスンはあっけにとられたふりをして、はげしく首をふった。「きみは完全なあほうか、それともわたしを完全なあほうだと思っているのか? レンズマンならもちろん知ってるとも――ひとりのレンズマンに、アラスカン星からヴァンデマール星へ追跡されたことがあった。運がよかったから助かったようなものの、さもなければ、やられていただろう。わたしはレンズマンのやつらのおかげで、第一銀河系から追いだされたのだ――どういうわけで、わたしがここへきたと思うのだ? 頭を使うことだ。頭を使え!」
「きみが考えているのは、銀河文明のレンズマン、とくに、グレー・レンズマンだ」メンドナイは、サイロンの激情を興味深げに観察しながらいった。「われわれのレンズマンは、銀河文明のレンズマンとはちがう――まったくちがっている。彼らは銀河文明のレンズマンと同様に、いやさらに有能だが、その能力の使い方がちがっている。彼らはわれわれに協力しているのだ。事実彼らは最近、グレー・レンズマンたちを各所で抹殺《まっさつ》している」
「そのレンズマンは、たとえばきみやわたしの心を暴露《ばくろ》して、おたがいに相手が不正をたくらんでいるのでないということを、わからせられるというのか? われわれがやろうとしている取引きで、一種のレフェリーの役を果たすというのか? きみはそういうレンズマンを、個人的に知っているのか?」
「彼はそういうことができるし、やってくれるだろう。わたしが個人的に知っているレンズマンがいる。メラスニコフという名前で、彼の事務所はここからひと飛びのところにある第三惑星に置かれている。彼は現在事務所にいないかもしれないが、わたしが呼びかければやってくる。それではどうか――すぐ彼を呼ぼうか?」
「あわてることはない。しかし、安全な会見方法があれば、それも一案かもしれん。きみとそのレンズマンが、宇宙空間にいるわたしの船まで出向くわけにはいかないのか?」
「問題にならん。きみだって、われわれがそうするとは思うまい?」
「出かけてくるのはあまり利口ではないだろうな。わたしは取引きをやりたいから、こっちから出かけていかねばならんだろう。こういう方法ではどうか? きみは艦隊を射程距離外におく。わたしの船はレンズマンのオフィスの上空に停止する。わたしはこの惑星でやったように、快速艇でおりて行って、オフィスの中で彼ときみに会見する。わたしは宇宙服を着用して行く――それは本物の宇宙服だ。わたしがそういう以上、からいばりではない」
「きみの案には、ちょっとした欠陥が一つだけある」ボスコーン人は、相互に満足できるような解決策を、真剣に案出しようとしていた。「しかし、レンズマンは、会議中にわれわれが|空飛ぶ鉄槌《モーラー》その他の強力艦を呼びよせたりする意図がないという証拠に、こちらの心をきみに展開して見せるだろう」
「そうなれば、きみがそんなまねをしないほうがよかったということもわかるだろう」キニスンはすごい微笑をうかべた。
「どういう意味かね?」メンドナイが質問した。
「わたしの船には、この惑星を粉砕《ふんさい》するにたる超原子爆弾が積んである。そして、きみたちがあやしい行動をとったとたんに、投下することになっているのだ。取引きをするからには、多少の危険はおかさねばならないが、それもごくわずかな危険だ。なにしろ、わたしが死ねば、きみたちも死ぬのだからな。きみも、きみのレンズマンも、きみの艦隊も、その惑星上のあらゆる生物が抹殺《まっさつ》されるのだ。しかも、きみのボスたちは、わたしの船の秘密をまったく知り得ない。だから、そんな小細工はしないほうがいいぞ」
「しないとも」メンドナイは大胆《だいたん》な男だったが、それでも戦慄《せんりつ》した。「きみが提案した方法は満足だ」
「QX。発進する用意はいいか?」
「よろしい」
「ではレンズマンに呼びかけて、案内してくれ。乗組員、船を上昇させろ!」
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一六 グレー服のレッド・レンズマン
カレン・キニスンは心を悩ましていた。彼女はいつも自信にみちていたが、この何週間というもの、ある感情がしだいに増大していくのを意識していた――この感情はなんだろう? 自制が失われたというのでもない――一種の〈変化〉だ――この感情は、無意味な――まったくばかげた――発作的反抗となって、いよいよ頻繁《ひんぱん》にあらわれるようになった。そしてその反抗がむけられる相手はいつも――人もあろうに――彼女の兄なのだった。彼女は姉妹とは完全に協調していた。ちょっとした言い争いはあっても、おたがいの心にさざ波さえたてない程度のものだった。ところが、彼女の行動方針がキットのそれと交差するときには、彼女の存在の最深部が、デュオデック爆弾の爆発のように反発するのだった。その感情は、無意味でばかげているというよりもっとひどくて、まったく不可解なものだった。五人の兄妹が相互にいだいている感情は、通常の兄妹のあいだに存在する感情よりも、はるかに深遠だったからだ。
彼女はキットと争いたくなかった。彼が好きだった! 自分の心が彼の心と感応状態にはいったのを感じるのが好きであり、また彼とダンスをするのも同様に好きだった。彼らのからだは心と同様、完全に調和していた。どんなにむずかしいステップや動作の変化を、どんなに急激におこなっても、相手は不意をつかれたりせず、らくらくと一ミリの狂いもなくそれに応ずるのだった。彼女は、ほかの男が相手なら、その男のからだが結び目のようになり、骨が折れてしまうような動作でも、キットなら相手にすることができた。他の男性はどれも〈でくのぼう〉だった。キットは他のどんな男性よりも、比較にならないほどすぐれていた。もし彼女がキットだったら、彼女の心を徹底的に検査するだろう。そうすれば――それとも、彼でさえできないのでは――
そう思うと、彼女は身内がつめたくなった。彼にはできないだろう。キットの強大な精神力をもってしても、彼女の心の堅固《けんご》な障壁《しょうへき》にぶつかれば、はね返されてしまうだろう。この障壁を貫通《かんつう》できる者はひとりしかいない――人間ではなく、実在物だ。それは彼女を殺すかもしれない。しかし、それでも、自分の心の中で、自分が制御することも理解することもできない怪物が成長しつづけるにまかせるよりはましだ。彼女の現在位置はどこで、ライレーンはどこにあり、アリシアはどこにあるのか? よろしい――それほどコースをはずれてはいない。途中でアリシアへ寄って行こう。
彼女はアリシアへ寄り、病院の敷地内のメンターのオフィスにむかった。そして自分の悩みを告げた。
「キットと争うのはいやなことでした」彼女は話を結んだ。「でも、メンター、わたしがあなたに反抗しはじめるときは、その問題について何か重要なことがなしとげられたときです。キットはなぜわたしをたたきのめさなかったんでしょう? あなたはなぜわたしを教育しなかったんです? あなたは、キットに、もっと教育が必要だと明確に指摘《してき》して呼びつけたでしょう――それなのに、なぜ、わたしも呼びつけて、いくらかでも分別を頭にたたきこんでくださらなかったんです?」
「クリストファーは、おまえに関しては明確な指示を受けていて、それに従ったのだ。わたしがおまえの心に触れなかったのは、おまえをここへ呼びつけなかったと同じ理由によるのだ。どちらの方法でも、なんの効果もなかっただろうからだ。カレン、おまえの心は独自なのだ。その最大の特質の一つは、ほとんど絶対といってもいいほどの不屈《ふくつ》さにある――事実、その特質のおかげで、おまえはきたるべきドラマにおいて、もっとも重要な役割を果たすのだ。おまえの心は、ことによると、破壊されるかもしれないが、想像し得るかぎりのどんな外力によっても強制されることはない。そういうわけで、おまえ自身が自分の心の発達の不充分さに気づくまでは、その特質の頑強《がんきょう》な自己主張を、どうすることもできないということは、はじめから避《さ》けられなかったのだ。いっても無駄なことだが、おまえたちは子どものころは、ほとんどなんの努力もしなかった。おまえたち五人の育成は大仕事だったといっても過言ではない。しかし、いまわたしは、得られた結果がその努力の大きさにふさわしいものであるということを、同様な確実さをもって断言できる。おまえたちレンズの子らが、ひとりひとり適当な時期に、最後の訓練を受けにやってくるときに、わたしが感ずる満足――充足感、成就感《じょうじゅかん》、妥当感《だとうかん》――は、表現を絶するほどだ」
「まあ――では、わたしのことは何も心配はないとおっしゃるんですか?」カレンは気丈《きじょう》だったが、おそろしい緊張がゆるむのを感じて、思わず身ぶるいした。「わたしはそのように行動するものと、予定されていたんですか? そして、そのことを、ありのままキットに知らせてもいいんですか?」
「その必要はない。おまえの兄は、それが過渡的現象だということを知っている。まもなく、彼はそれが過ぎ去ったということを知るだろう。おまえは、これまで行動してきたように行動することを『予定されていた』のではない。そうせざるを得なかったのだ。おまえの兄もわたしもそうだった。しかし、これからは、おまえは完全に自己の心の主人だ。さあ、カレン、わたしの心に没入《ぼつにゅう》するがいい」
彼女はいわれたとおりにした。そして、まもなく彼女の「公式教育」は完了した。
「わたし、まるでわからないことが一つあるんですけど――」彼女は快速艇に乗る直前に口をきった。
「自分で考えるがいい。おまえにはきっと理解できる」メンターははげました。「どんなことでもいいから、わたしに説明してみなさい」
「QX――やってみます。スラールの総理大臣フォステンとパパについてのことなんです」カレンは考えながらいった。「フォステンはもちろんガーレーンです――あなたがパパに、ガーレーンを気が狂ったアリシア人と思いこませたのは、みごとなものでした。ちろん、あなたがどういう方法でやったかはわかります――原理的にいえば、フォステンの『正体』を、パパがアリシアで見たあなたのような形にしたのです。でも、彼がフォステンの外形をかりて行動したのは――」
「つづけなさい。おまえの洞察《どうさつ》は妥当《だとう》だと信じる」
「フォステンとして行動していたあいだ、彼はスラール人らしく行動しなければならなかったんです」彼女は性急《せいきゅう》に結論をくだした。「彼はいたるところで監視《かんし》され、自分でもそれを知っていました。彼の真の力を発揮することは、かえってまずかったのです。あなたがたアリシア人と同様に、彼らも下級の生物の心に劣等感を植えつけて、万事をおじゃんにするのを避ける為に、そのような形式を採用しなければならなかったんです。ですから、フォステンとしてのガーレーンの行動は制限されていました。ずっと昔、彼がグレー・ロージャーだったときも、彼の行動は同じように制限されていました――ただし、そのとき彼は、ファースト・レンズマンのサムスや部下たちを故意に当惑させる目的で、非人間的な寿命《じゅみょう》を明示《めいじ》しました。それと同じようにあなたも――きっと――バージル・サムスを指導したにちがいありません。そして、何人かのアリシア人は、人間として〈存在していた〉んです!」
「そうだ。われわれは人間として生活し活動し、人間として死んだように見せかけた」
「でも、まさかあなたは、バージル・サムスじゃなかったんでしょう!」カレンはほとんど訴えるようにいった。「もしそうだったら、がっかりするというのではなく、そうあってほしくないんです」
「そうではない。サムスはわれわれの変身ではなかった」メンターはうけあった。「クリーヴランドもロードブッシュもコスティガンも、クリオ・マースデンでさえ、そうではなかった。われわれはある小さな問題について、これらの人々と協力した――おまえは『指導』という言葉を用いたが――しかし、われわれは彼らと一体をなしたことは一度もなかった。もっとも、ネルス・バーゲンホルムはわれわれのひとりだった。当時は完全な無慣性宇宙飛行が必要になっていた。そして、ロードブッシュかクリーヴランドに、バーゲンホルムが完成したような装置を完成する能力を突然発展させることは、まずいやり方だっただろう」
「QX。しかし、バーゲンホルムは問題ではありません――彼は単なる発明家でした。フォステンの問題にもどりましょう。彼がパパといっしょに旗艦《きかん》に乗りこんで、全能力を発揮できる立場に立ったときは、もうおそすぎました――あなたがたアリシア人が仕事にかかっていたからです。でも、これから先は、あなたに説明していただかなければなりません。もうわたしの能力ではおよばないのです」
「それはおまえにデータが欠けているせいだ。あの最後の瞬間、ガーレーンはキムボール・キニスンがひとりでもなく、孤立無援でもないということを知った。ガーレーンは援助を求めたが、援助はこなかった。彼は孤立していたので、彼の仲間は、援助を求める呼びかけを受けることができなかったのだ。また、彼はあのとき活力を与えていた肉体から脱出することもできなかった。わたし自身がそのように手を打ったのだ」カレンは、これまでアリシア人が感情を発露《はつろ》するのを感じたことがなかったが、いまやメンターの思考は深刻《しんこく》だった。「エッドールのガーレーンは、おまえの父が知覚し得なかったあの形態から、存在の次の位相《いそう》へ移行したのだ」
カレンは身ぶるいした。「それはガーレーンが受けるべき当然のむくいでした――これですっかりはっきりしたと思います。でも、ほんとにそうなんですか、メンター」彼女は心細そうにいった。「ほんとに、あなたはこれまで教えてくださった以上のことを、教えてくださることはできないんですか? それとも、教えるべきではないんですか? わたし――とても『力量不足』な気がするんです。これでもごく内輪《うちわ》な表現なんです」
「おまえの心のように強力で大規模な心が、現在のような発展段階にある以上、そうした感情は避《さ》けられない。おまえ自身をのぞけば、それをどうすることもできないのだ。これからは、おまえの発展は自分自身の仕事だ。それは平静な慰安《いあん》だが、きびしい現実でもある。まったくおまえだけの仕事なのだ。すでにクリストファーとキャスリンには告げたことで、もうすぐカミラとコンスタンスにも告げることだが、おまえはアリシア人の最終訓練を受けたのだ。わたしは、いついかなる場合でも、おまえたちのだれの呼びかけに対しても、必要に応じて、援助や誘導《ゆうどう》を与えるが、公式の教育としては、これが最後なのだ」
カレンはアリシアを立ち去って、ライレーンへむかったが、思考は混乱しきっていた。思考の時間があまりにも短かすぎた。彼女は故意《こい》に船の速度をゆるめ、コースを大きく遠まわりさせて、着陸するまでに、自分の心の広大で混沌とした倉庫を、多少とも整理しようと努めた。
ライレーンに着くと、彼女はふたたび外見上はまったく幸福で気楽な娘になって、熱狂的に母を抱きしめた。
「ママ、とってもすてきだわ!」カレンは叫んだ。「ママがまた、生まれたままの姿でいるのを見るのは、ほんとにうれしいわ――」
「なぜそんなことを持ちだすの?」クラリッサは、ライレーン人式に全裸《ぜんら》で行動するのにやっと慣なれはじめたばかりだった。
「そんなつもりでいったんじゃないわ。ママだってわかるでしょう」ケイはくすくす笑った。「しょってるわ――ママの年で賛美してもらおうなんて!」彼女は母の抗議を無視してつづけた。「冗談はやめにするわ。ママはほんとに女性美の典型よ。ほめてもほめきれないわ。実際をいって、わたしたちは〈いかす〉一組よ。わたしママも自分も好きだわ。もちろん、わたしは服を着てもいなくても、すこしも気にしたことがないから、その点でママより有利だけれど。ところで、どんな調子?」
「あまりよくないわ――もちろん、ここへきて、それほどたっていないけれどね」クラリッサは裸体《らたい》であることも忘れて、眉《まゆ》をひそめた。「まだヘレンに会っていないの。なぜヘレンが退位《たいい》したのかもわかっていないわ。いますぐ圧力をかけたものか、もうすこし待ったものかも、まるで決められないの。新しい長老のラドラは――よくわからないけれど――あら、ラドラがやってくるわ。よかった――あなたに彼女と会ってほしいのよ」
しかし、ラドラはカレンに会ってうれしいかどうかを表情にあらわさなかった。ふたりは、たがいに相手を観察した。ごく短い時間だったが、多量の情報を獲得するに充分だった。ラドラは前女王のヘレンと同様に、長身で、均斉がとれ、皮膚《ひふ》や容貌《ようぼう》には一点のきずもなく、美しかった。しかし、ラドラが驚き、たちまちかっとしたことには、目の前のピンクの肌をした未知の生物は、ほとんどあらゆる点で彼女よりいっそうすぐれていた。そこで、ライレーン人はほとんど瞬間的に、痛烈な精神衝撃を投射《とうしゃ》したが、これまで経験したこともないような驚愕《きょうがく》におそわれたにすぎなかった。
彼女は、太陽系《ソル》第三惑星のクラリッサという、この自分たちに近い奇妙な生物の能力を、まだ知らなかったが、クラリッサの温和な行動から、大したことはないと甘く見ていた。そこで、クラリッサより若くて経験も少ないはずのこの娘は、かんたんに料理できると判断したのだ。
しかし、ラドラの精神衝撃は、彼女が投射しうるかぎりでもっとも強力なものだったにもかかわらず、目ざす獲物《えもの》の精神障壁の最外郭をさえ貫通《かんつう》できなかった。そして、ほとんど同時に相手から投射された反撃は、きわめて痛烈であり、ライレーン人の強固な精神障壁をあとかたもなく破壊し去った。その衝撃は、女家長制人種の脳の内側に作用して、地獄的な苦痛をもたらしたので、ラドラはすべてを忘れて、狂気のように悲鳴をあげようと努めた。しかし、できなかった。顔や、からだの筋肉一つ動かすこともできなかった。倒れることさえできなかった。彼女はこの未知の生物の心を瞬間的にのぞきこんだだけで、それが白熱的な憤怒《ふんぬ》に燃えあがっているのを知った。彼女はこれまでどんな生物に対しても、いささかの恐怖もおぼえたことはなかったが、いまや恐怖とはどのようなものかを完全に思い知らされた。
「わたしはおまえの脳と称するものを、ほんのおなぐさみに点検してやりたいところだわ」カレンは怒りをおさえながらいった。ラドラは、カレンがそうするのを無抵抗に見ていた。「でも、このいまいましい惑星は、全部ママの仕事で、わたしのじゃないから、わたしがちょっかいを出したりすれば、ママはわたしを黒こげにしてしまうでしょう――まえにもそういうことがあったのよ」カレンはいっそう冷静になった――目に見えて。「それでも、おまえは、おまえなりのひねくれた方法でだけれど、そう無能じゃないわね――ただ、もっといい方法を知らないのよ。そこで、おまえにはよくものが見えないから、忠告しておいたほうがいいと思うわ、おばかさん。おまえはこれまでママをじゃまものあつかいしてきたけれど、それは、原子|過流《かりゅう》にじゃれているようなものなのよ。これ以上すこしでもそんなまねをすれば、ママは、いまわたしがおこったよりもっとおこるわ。そうすれば、おまえは生まれなければよかったと思うくらいひどい目にあうから。ママは本気で爆発するまでは何も面《おもて》にあらわさないけれど、わたしより年上なだけに、もっと手きびしくて容赦《ようしゃ》がないということは断っておくわ。ママが腹をたてた相手に与える罰は、その相手が蛇だって、わたしが二度と見たくないくらいひどいのよ。ママはおまえをつかまえて輪みたいに巻きあげ、腕をひっこ抜き、足をのどにつっこみ、あの原っぱを輪《わ》まわしの輪みたいにころがすでしょう。それから先、ママがどうするかはわからないわ――爆発するまでにどれくらい圧力が高まっているか、それしだいね。でも一つだけいっておくけど、ママはいつもあとではかわいそうに思うのよ。そして、やっつけた相手の葬式に参列したり、費用をすっかり払うっていいはったりするのよ!」
彼女は、こうした痛烈な思考を投射したのち、クラリッサに情熱的な別れのキスをした。
「さっきもいったように、ゆっくりしていられないの――出発しなけりゃならないわ――『こうしちゃいられない』ってわけね――ママをだきしめるために、百パーセクもやってきたけれど、その価値があったわ――さようなら!」
彼女は出発した。そのときのクラリッサは、レンズマンではなく、目をうるませた愛情にあふれる母親だった。そして、まだすっかり混乱しているライレーン人をふりむいた。クラリッサは、どういうことが起こったのかまるで知らなかった。カレンが母に知らさないように、非常に慎重《しんちょう》に行動したからだった。
「わたくしの娘よ」クラリッサは、ラドラにともなく自分にともなく思考した。「四人のうちのひとりなの。四人とも、くらべるものもないくらい、やさしくてきれいでかわいい娘だわ。わたくしときどき、自分みたいに限界がせまくて欠点の多い女が、どうしてこんな子供たちを生むことができたのか不思議になるのよ」
ライレーンのラドラは、すべてのライレーン人同様、ユーモアを解せず、想像力に乏しかったので、クラリッサの思考を額面どおり受けとり、その内容や含蓄《がんちく》を、自分があの「やさしくてかわいい」娘の心の中に見たものや、あの娘がおこなったりいったりしたことと関連づけて考えた。すると、この自分たちによく似たいまいましい生物の「限界」や「欠点」の本質が明白になった。ライレーン人は、自分の思考が真実であることを知覚したので、文字どおりちぢみあがった。
「ご承知のように、わたしはあなたの希望どおり、あなたの活動を支持すべきかどうかについて、疑問を持っていたのです」ラドラは、クラリッサといっしょに飛行場を横切って、地上車の列のほうへむかいながらいった。「あなたを支持すれば、わたしたちの種族の安全ばかりか、存在そのものが危険にさらされるのは確実です。しかし、あなたがいうように、状況は、わたしたちが何もしなければ、ますます悪化して行くという可能性もあります。どちらを選ぶかを決定するのは、容易なことではなかったのです」ラドラは、もうお高くとまってはいなかった。正直におびえていたのだ。彼女はしゃべることで時間をかせぎながら、自分がずっと前に求めた援助が間《ま》にあってくれることを期待していた。「わたしはあなたの心の外郭《がいかく》に接触したことしかありません。明確に決定するまえに、あなたの心の本質を調べたいのですが、おこらないで許してくれませんか?」ラドラはそう頼むと同時に、精神的|探針《たんしん》を力いっぱい投射《とうしゃ》した。
「それは許しません」ラドラの精神的探針は、彼女にはカレンの精神障壁とまったく同じと思われる精神障壁によってはね返された。彼女の種族の中には、このような能力を持っている者はひとりもいない。これまでに、このような能力にぶつかったことはなかった――いや、ある――何年も昔、彼女がまだ子供だったころ、あの集会場で――あのまったく憎むべき男性、地球のキニスンだ! 地球――太陽系第三惑星! では、太陽系第三惑星のクラリッサは、ライレーン人に近い生物ではなく、〈女性〉――キニスンと同じ種族の女性――なのか! 肉体的にはライレーン人に似ていても、精神的には、得体《えたい》が知れず、どんなことをするかもしれない、あの不可解な怪物、女性なのか! ラドラは妥協《だきょう》した。
「ごめんなさい。あなたの意思に反してあなたの心に侵入するつもりはなかったのです」彼女はなめらかな口調で弁解した。「あなたが、わたしの協力を、きわめて困難《こんなん》にするような態度をとるので、まだはっきりした約束はできません。あなたがまず知りたいことはなんですか?」
「あなたの前任者に会見したいのです。わたしたちがヘレンと呼んでいた人です」クラリッサは、活動的な娘と短時間ながら直接会ったことで、奇妙に元気づけられていた。いまやライレーンの女王に直面しているのは、キムボール・キニスン夫人ではなく、レッド・レンズマンだった。この力にあふれた第二段階レンズマンは、理性や論理や常識に訴えたところで、この女性に似た強情な生物に対しては、さしたる効果がないのを知ったので、ついに力ずくで圧倒《あっとう》するときがきたと決心したのである。「そればかりでなく、わたしはあの人にすぐ会見したいのです。あなたが気まぐれから適当と判断するような、不定の未来ではいけません」
ラドラは最後の絶望的な救援信号を発し、全力をふりしぼって妨害者に抵抗した。しかし、彼女の心は迅速で強力ではあったが、レッド・レンズマンの心は、いっそう迅速《じんそく》で強力だった。ライレーン人の精神防御は展開した瞬間に破壊され、狂暴にもがく心は完全に支配された。援助は到来した――しかし無駄だった。クラリッサのあらたに拡大された心は、戦闘的には利用されていなかったが、すばらしく鋭敏で、きわめて確実だったからだ。また、危急の際には、彼女の心の温和な側面が、心やからだの活動をにぶらせるようなこともなかった。レンズマンの責任をになっているかぎり、彼女は極度《きょくど》に冷酷《れいこく》なナドレックと同様、銀河文明の敵に対して、すこしの容赦もしなかった。
彼女は頭をきっとふり起こし、金茶色の目をきらきらさせながら、一瞬その場に立ち、好戦的なライレーン人たちが投射し得るかぎりの精神衝撃を、自分の精神障壁で受けとめた。そればかりでなく、彼女はより強力な反撃を加えた。そのすさまじい精神衝撃のもとに、多くの攻撃者が死んだ。それから、彼女はなおも精神障壁を維持したまま、反抗する捕虜《ほりょ》をひきたてて飛行場を横切り、繊維《せんい》と針金でつくった奇妙な小型飛行機の列へむかった。ライレーンでは、こうした飛行機がいまだに唯一の航空機関だったのである。
クラリッサは、ライレーン人が近代的な攻撃防御兵器を持っていないことを知っていた。しかし、空港には、かなり優秀な火砲があった。彼女は駆けながら切望《せつぼう》した。飛行機を二、三分は使用しなければならないだろうが、そのあいだにライレーン人たちが、彼女の飛行機にむける高射砲のねらいや起爆装置《きばくそうち》――さいわいにも、彼らは接近起爆装置を開発していなかった――を狂わせるだけの能力が自分にあればいいが。幸運なことに、彼女の快速艇が着陸している、小さくて重要でない空港には、対空火器はなかった。
「さあ着いたわ。この三葉機に乗りましょう――これがここでいちばん速いのよ!」
クラリッサはもちろん三葉機を操縦《そうじゅう》できる――ラドラが持っている能力はすべて、永久的にレッド・レンズマンのものになっていたからだ。彼女は奇妙なエンジンを始動《しどう》した。そして、強力な小型機がプロペラにひっぱられて爆音とともに空中に飛びあがると、対空火器の問題に対して、心の余力を傾注した。全射撃員の心を制御することはできなかったが、大部分の火器について主要な射撃員の心を制御することはできた。そういうわけで、ほとんどすべての弾丸は、ねらいがそれたり、手前で爆発したりした。また、操作を妨害《ぼうがい》できない少数の火器の照準はすべてわかっていたので、予定された発射の瞬間に、その照準点《しょうじゅんてん》にいないようにすることで、それらの弾丸を避《さ》けた。
こうして、飛行機は乗客もろとも無傷で脱出し、数分のうちに目的地に着いた。そこのライレーン人たちはもちろん警告を受けていたが、彼らは数も少なく、おまけに、この赤毛の擬似《ぎじ》ライレーン人が風変わりな宇宙船に乗りこむのを妨げるためには、精神力ではなく物理力が必要だということを知らされていなかった。
そこで、さらに二、三分もすると、クラリッサと捕虜《ほりょ》は、成層圏に飛びあがっていた。クラリッサは骨折ってラドラを座席に着け、安全バンドで固定した。
「その座席におとなしくして、思考を自分の心に限定しておきなさい」彼女は簡潔に命令した。「そうでないと、この世では二度と身動きも思考もできなくなりますよ」彼女は引戸をあけ、マナルカ産のグラモレットでつくった下着をつけてから、ドレスに手をのばしたが、ふと手をとめた。そして目を輝かしながら、あっさりしたグレーのレザースーツをものほしそうにみつめた。まだこのスーツを着てみたことさえなかったのだ。着るべきか否《いな》か?
彼女はふつうのドレスを着ていれば、効果的に――最大限に――活動できた。裸体《らたい》は好きでなかったが、それでも同様に活動できた。しかし、グレースーツを着れば、必要な場合まったく最大限の活動ができるだろう。彼女がグレースーツを着用する権利があることは、疑問の余地がない。唯一の障害は、彼女の極度の潔癖《けっぺき》だった。
二十年以上にわたって、彼女はただひとり自分のグレー・レンズマンとしての資格を否定してきた。彼女はしばしば自問した。自分のような模造《もぞう》レンズマン、合成《ごうせい》レンズマン、アマチュア・レンズマン、「レッド」・レンズマンに、あれほど多くの人にとってあれほど重要な意味を持つ制服を着用する、どんな権利があるのか? しかし、その年月のあいだに、彼女の心は、全グレー・レンズマン部隊を通じて、もっとも優秀で強力な五つの心の一つであるということが、いよいよ広汎に知られるようになった。そして、銀河調整官キニスンが、彼女を独立の地位で現役《げんえき》に復帰《ふっき》させたときには、グレー・レンズマン部隊は、彼女を自分たちの仲間に加える決議を、満場一致で通過させたのだ。すべては心理的問題だった。グレー・レンズマンたちは、満場一致以外では不充分だということを知っていた。もし彼女がグレー・レンズマンになるについて、彼らのあいだにわずかでも不満や反感や、彼女が本質的にグレー・レンズマンに所属していないという感情などがあれば、彼女は、銀河文明の信奉者《しんぽうしゃ》たちがあれほど尊重し、彼女自身つねに心の底で切望しているその制服を、けっして着用しないだろうということを知っていた。グレー・レンズマン部隊は、彼女にこのグレースーツを送ってきた。そして、キットは、母がその制服を着用する資格があるということを、彼女に確信させたのだった。
たしかに、彼女はグレースーツを着用すべきだった。そして着用したかった。
身内をぞくぞくさせながら、彼女はグレースーツを着用した。そして、キムが何度もやるのを見かけた、あのすばやい小さな身ぶりをしてみた。グレーのシール。銀河パトロール隊、独立レンズマンの単純《たんじゅん》なグレースーツは、どれほど着なれた者でも、身につけるたびに心を動かされずにはいなかったし、これからもそうだろう。
彼女は両手を腰にあてながら、鏡を通じて視覚で、そしてまた視覚よりはるかに有効な知覚力で、自分の姿をしげしげと満足そうに観察した。そして自分が、長女の同じような身ぶりを「露出症的」と非難《ひなん》したことを思い出しながら、ちょっと身をよじって、心の中でくすくす笑った。
グレースーツは完全に身についていた。多少露出的だったが、彼女の姿態《したい》はまだ美しかった――事実、非常に美しかった。一点のシミやくもりもない。デラメーター式熱線銃は完全に装填《そうてん》されている。彼女は完全に準備ができたように見えた――そしてそう感じた。一瞬のうちに最大限の力を発揮《はっき》できるだろう。いざとなれば、女だからとてひけはとらない。彼女は呼びかけを送った。
「ライレーンのヘレン! わたくしは、あなたがどこかこの近くにとじこめられていることを知っています。もし監視者のだれかがこの思考を遮蔽《しゃへい》しようとすれば、その脳を焼きつくしてやります。太陽系第三惑星のクラリッサより呼びかけ。応答しなさい、ヘレン!」
「クラリッサ!」こんどはなんの妨害もなかった。ヘレンの思考には、歓迎の情があふれていた。「あなたはどこにいるのです?」
「ずっと上空にいます。その位置は――」クラリッサは位置を指示した。「自分の快速艇の中にいますから、数分のうちに、この惑星のどの地点にでも行けます。もっと大事なのは、あなたがどこにいるかということです。そして、なぜそういうことになったのです?」
「わたしのアパートに監禁《かんきん》されているのです」女王ともなれば、宮殿に住んでいるはずだが、ライレーンの支配者はそうではなかった。万事が厳密《げんみつ》に実利的だったのだ。「町角の塔です。おぼえていますか? 最上階です。『なぜそういうことになったか』については、いま話すのは長すぎます――時間があるうちに、あなたが知るべきことをなるべく多く話したいと思います」
「時間ですって? あなたは危険におちいっているのですか?」
「そうです。ラドラは、できればとうの昔にわたしを殺していたでしょう。わたしの追従《ついじゅう》者は日に日に少なくなり、ボスコニアの追従者は日々に強大になっています。監視《かんし》人たちはすでに援助を求めました。彼らはわたしを殺しにやってきます」
「彼らの思うようにはさせないわ!」クラリッサはすでに現場に到着していた。彼女は思いのままの速度を出すことができたから、空間をつんざいて急降下した。「彼らがそのあたりに対空火器をそなえているかどうか、わかりますか?」
「そなえているとは思いません――そのような思考を感じませんから」
「QX。窓から離れなさい」もし彼らがすでに行動に移っていれば、もう絶対そうはさせない。レッド・レンズマンはそれを確信していた。
彼女は火器の射程距離内にはいった――彼女のほうの射程距離だ。まにあったのだ。地上では、数人の射撃員が火器にむかって駆けつけていたが、だれも到達できなかった。快速艇は艇体をたいらに起こし、その鋭く堅固《けんご》な艇首《ていしゅ》を指示された部屋に突きこんで、部屋をほとんど貫いた。と同時に、強化コンクリート、鋼鉄棒、ガラスなどが艇体にそそぎかかった。艇の出入口がさっと開いた。ヘレンがとびこむと、クラリッサはラドラを艇外へほうりだした。
「ラドラをひきもどしてちょうだい!」ヘレンは要求した。「あれの命をとってやります!」
「だめよ!」クラリッサは叫んだ。「わたくしは、彼女が知っていることをみんな知ったわ。わたくしたちにはべつな獲物《えもの》があるのよ」
重いドアがはげしくとじた。快速艇は直進して、堅固なコンクリートの壁を突破した。クラリッサの船はベリリウム合金で厳密《げんみつ》に建造され、はげしい打撃に耐えられるように設計されていた。そして艇は、そうした打撃に耐えたのだ。
宇宙空間へ出ると、クラリッサは艇を無重力状態に移行させ、人工重力を正常に保った。ヘレンは立ちあがると、クラリッサの手を取って、かたく握りしめた。その身ぶりに、レッド・レンズマンは息がつまるほど感動した。
ライレーンのヘレンは、地球女よりもっと変わっていなかった。彼女はまだ身長六フィートで、姿勢がよく、しなやかで、均整がとれていた。体重も、二十年あまり昔の百八十ポンドから一ポンドも増していなかった。つややかな褐色《かっしょく》の髪には、一筋の白髪《しらが》もまじっていない。目は同じように澄《す》んで誇らしく、肌は同じように冴えて張りつめていた。
「すると、あなたひとりなの?」ヘレンの思考はわれ知らず安堵《あんど》の色を示していた。
「そうよ。夫は――キムボール・キニスンは、べつのところでとてもいそがしいの」クラリッサには、ヘレンの気持が完全にわかった。ヘレンは二十年間考えに考えたすえ、ほんとうに彼女が好きになっていたが、男性となると、キムでさえやはり耐えられないのだ。それと同様にクラリッサも、ライレーン人が仲間の三人称に「それ」という中性代名詞を用いる習慣に自己を適応させることができなかった。そう、できなかった。ヘレンを見た者ならだれでも、この生物を「彼女」として考えざるを得ないだろう! しかし、そんなことはもう考える必要がない――たぶん千分の一秒くらいのものだったろうが。
「わたくしたちが完全に協力するのをさまたげるものは何もないわ」クラリッサは思考を伝達した。「ラドラはいくらも知らなかったけれど、あなたはたくさん知っているわ。だから、どこからはじめたらいいか決定できるように、すっかり話してちょうだい」
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一七 ナドレック対カンドロン
カンドロンが例の小さな無名の基地にいる部下を呼びだして、パレイン人レンズマンを罠《わな》にかけるのに成功したかどうかをたずねたとき、ナドレックの中継器《ちゅうけいき》は完全作用し、またナドレックは捕虜《ほりょ》の心を非常に完全に支配していたので、カンドロンは何も異常を感じることができなかった。カンドロンは極度に疑い深かったが、彼が最後にその基地の指揮官を呼びだして以来、そこで何か事件が起こったということを暗示するようなものはまったくなかった。指揮官の潜在意識は、キーとして作用する刺激に対して、正当に反応した。心は意識と記憶を回復し、一連の検査質問に正しく答えた。
こういうことが起こったのは、指揮官がまだ生きていたからだった。彼の自我《エゴ》、彼の個性の様式や型態は、依然《いぜん》として存在し、なんの変化も受けていなかった。カンドロンは察しなかったし、察することができなかったが、指揮官の自我《エゴ》はもはやその心、脳、肉体を制御しておらず、それ自体の意志で独立に思考することも、一個の体細胞を刺激することも、まったくできなかったのだ。指揮官の自我《エゴ》は存在していた――かろうじて存在していた――しかし、それがすべてだった。その自我《エゴ》を導体として、つまりまったく受動的な変圧器として、カンドロンの呼びかけに応じたのは、ナドレックだった。ナドレックは検査質問に対して、完全に正確な回答をした。彼はいまや、自分が破滅《はめつ》したことについて、詳細《しょうさい》な――しかしまったく虚偽の――報告をする準備ができていた。
ナドレックの特殊追跡器はすでに展開され、通信線とその密度を決定しつつあった。除去器と分析器は通信ビームの周縁《しゅうえん》でいそがしく働いて、主要ビームにともなった断片的な多くの副次思考の一つ一つを分析し孤立させていた。じつのところ、これらの副次思考がナドレックの主要な関心事なのだった。第二段階レンズマンは、どんな生物も――おそらくアリシア人をのぞけば――思考ビームを一本の純粋な連続線にまでしぼることはできないということを学んでいた。しかし、四人のうちナドレックだけが、こうした副次帯域の中に豊富な研究|領域《りょういき》が存在することを認めていた。彼だけが、その領域を分析する装置を設計し開発していたのだ。
心が強力で明晰《めいせき》になるにつれて、断片的な副次思考は、より少なく、より不完全になる。しかし、ナドレックは、カンドロンの心でさえ、そうした非本質的な附随思考をかなりともなっているだろうということを知っていた。そして、ナドレックは、まるで有能な考古学者が一片の化石化した骨から先史時代の動物を再現するように、そうした断片的思考から連続した思考全体を再現できるのである。
こうしてナドレックが完全に準備をととのえていたとき、カンドロンは横柄《おうへい》な調子で、はじめてまともな質問をした。
「例のレンズマンを殺すのには成功しなかったろうな?」
「いや、閣下、成功いたしました」ナドレックは、カンドロンの驚きを感じることができた。装置を使わないでも、カンドロンが自分に対してしかけて失敗に終わった何百という罠について、すばやく思いをめぐらしているのを感じることができた。オンロー人が信じられないでいるのはあきらかだった。
「詳細《しょうさい》に報告せよ!」カンドロンは命じた。
ナドレックは、自分の力場の探針《たんしん》がボスコーン人の警報器に接触した瞬間までのことを、厳密に事実に即して報告した。それから、
「警報が発せられた瞬間に撮影《さつえい》されたスパイ光線写真には、閣下が予想されましたように、乗組員をひとりだけ乗せた探知不能の快速艇がうつっておりました。その乗組員の写真を慎重に調査した結果、次のようなことが判明しました。第一に、彼はその瞬間には明白に生きており、投影でも人工装置でもありませんでした。第二に、彼の肉体的特徴は、閣下がパレイン系第七惑星のナドレックの特徴として指示された明細と、正確に一致しておりました。あの熱線放射器の配置は、閣下がみずから計算し指示されたものでありますからおわかりと思いますが」ナドレックはよどみなくつづけた。「どんな物体でも、無重力状態にあろうと、有重力状態にあろうと、破滅《はめつ》をまぬかれ得る可能性はゼロに等しいほどわずかであります。念のため、わたしは付近の宇宙空間から任意に七百二十九のサンプルをとって分析しました。サンプル採集に要した正確な時間、細片、分子集合、原子集合の分散《ぶんさん》、気温、圧力その他、作用していると考えられるすべての因子を適当に考慮にいれた結果、われわれの熱線が集中した中心には、約四六七八・〇メートルトンの物質が存在していたという結論に達しました。閣下もお気づきのように、この数値は、長距離飛行のために設計された探知不能快速艇のもっとも効果的な質量と、ほぼ一致いたします」
この数字は事実ほぼ一致していた。ナドレックは自分の船の実際の質量を、ほとんど正確に述べたのである。
「その物質の精密《せいみつ》な組成はどうか?」カンドロンは質問した。
ナドレックは、元素と数値をたてつづけに列挙した。それらも、優秀な分析者の測定誤差以内の誤差で事実と一致していた。基地司令官は、ナドレックの快速艇の組成を知っていなかったが、抜け目のないカンドロンが知っている可能性は充分にあった。事実彼は知っていた。カンドロンは、いまや自分のもっとも有能で危険な敵が、ついに抹殺《まっさつ》されたことをほとんど信じたが、まだわずかに疑問が残っていた。
「おまえの仕事を点検させよ」カンドロンは指示した。
「承知しました、閣下」慎重なナドレックは、こうした極度のテストにさえそなえていた。カンドロンは、徹底的に奴隷化された部下の怪物の目を通じて、ナドレックが作成した写真、宇宙図、グラフ、四百ページ以上におよぶ数学的、物理的、化学的ノートなどをくり返し点検したが、どこにも欠陥《けっかん》を見つけだせなかった。
ついにカンドロンは、ナドレックが実際に消滅したということを信じかけた。しかし、この仕事は彼自身がやったのではなかった。死体は残っていない。もし彼自身がパレイン人を殺したのだったら、もし彼自身、自分の触角の把握《はあく》の中でレンズマンの生命が絶えるのを現実に感じたのだったら、そのときはじめて、彼はナドレックが死んだことを得心《とくしん》しただろう。しかし、そうではなかったから、この仕事は彼の指示どおりに遂行されたとはいうものの、微細《びさい》な不確実さが残っていた。そこで、
「作戦区域をX―一七四、Y―二四〇、Z―一六に移動せよ。こんどのことがあったからといって、すこしでも警戒をゆるめてはならぬ」彼は何かが起こった場合に、部下に自分を呼ぶことを許そうかと瞬間的に考えたが、その考えをうち消した。「要員は位置についているか?」
「はい、閣下。彼らはきわめて好調であります」
質問はつづいた。「はい、閣下、心理学者は非常に有能に働いております。はい、閣下――はい――はい――はい――」
会見はいかにもカンドロン的に終結した。ナドレックは知る必要のあることを残らず知った。カンドロンがどこにいて何をしているかを知った。この二十年間にカンドロンがやってのけたことについて、多くを知った。それらの事件については、ナドレック自身高度に推定していたから、その他の問題に関する推定の正しさを点検《てんけん》するのに、大いに役立った。彼はまた、カンドロンの船の構造、武装をはじめ、出入口をふくめたさまざまの巧妙《こうみょう》な装置を知った。カンドロンの私的生活について、これまでどんな外部の人間も知らなかったようなことを知った。カンドロンが次にどこへ行き、そこで何をするつもりなのかということも知った。次の一世紀にカンドロンが計画していることの概略《がいりゃく》を知った。
こうして充分情報が集まると、ナドレックは快速艇を、カンドロンが次の目標にしている銀河文明側の惑星にむけた。彼は急がなかった。カンドロンはその惑星全体に狂気と殺戮《さつりく》をひき起こそうと計画していたが、この恐ろしい計画を妨害することは、ナドレックの意図にまったくなかった。オンロー人を殺すと同時に惑星を救おうと努めるなどということは、夢にも考えなかった。ナドレックはナドレックらしく、なんのためらいもなしに、もっとも安全でもっとも確実な手段を選んだのだ。
ナドレックは、カンドロンが自分の船を惑星のまわりに軌道を描いて旋回させておき、惑星の住民のあいだに自分が連絡し制御できる心を捕捉するのに必要な訪問のためには、小型ボート――軽艇――を利用するだろうということを知っていた。もちろん、船も軽艇も探知不能だろう。しかし、ナドレックはその船を容易に発見し、軽艇が母船を離れるのを知った。それから、パレイン人はもっとも微弱で隠密《おんみつ》なスパイ光線を用い、ボスコニア船に乗りこむという、いとも微妙《びみょう》な仕事にとりかかった。
この仕事は、それだけで一つの物語になるほど困難だった。カンドロンは無警戒で船を立ち去りはしなかったからだ。しかし、カンドロンはもっぱら自己の安全だけを考えていたので、まったく無意識のうちに、自分の難攻不落《なんこうふらく》と考えられる要塞へ侵入するキーを洩《も》らしてしまった。カンドロンが、例のレンズマンが実際に死んだかどうかと迷っているあいだに、そしてとくにレンズマンが死んだにちがいないと信じたのちに、オンロー人の思考は、それと密接な関連を持つ多くの問題にすばやく接触《せっしょく》した。いつも身の安全のために厄介な警戒をしており、それが長年にわたって非常に効果的だったが、そうした警戒をといても安全だろうか? 彼がそれらの警戒について考えたとき、一つ一つが少なくとも部分的には思考の中にひらめいた。ナドレックにとっては、重要な部分ならどんなものでも、全体と同様に価値があった。そういうわけで、カンドロンの防御装置は防御の役を果たさなかった。侵入者に対して発射されるように装置されたビーム放射器は沈黙していた。
出入口が開いた。さまざまな不可視ビームが放射されていて、それに接触すればありがたくない結果が生ずるようになっていたが、ナドレックがいろいろなボタンを押すと、それらのビームは消滅《しょうめつ》した。つまるところ、ナドレックはすべての回答を知っていたのだ。もし自分の情報が完全なものだということを確信していなかったら、彼はまったく行動しなかっただろう。
船内にはいって彼がまずしたことは、カンドロンが予想外に早くもどってきたときに警報を与えるような、探知装置を放射することだった。それから、装置盤やパネルのうしろの修理空間とか、接合ボックスの中とか、その他さまざまの風変わりな場所にはいりこみ、導線のあいだにわりこんで電線を通し、何週間もかかってつくりあげたさまざまの装置を、つぎつぎに取りつけた。彼はじゃまされずに仕事をやりおえた。彼はくり返して回路を点検し、船の主要な制御導線のおのおのが、たったいま取りつけた装置の少なくとも一つを通過していることを確認した。彼は自分の訪問の目に見える証跡《しょうせき》をすべて念入りに抹消《まっしょう》した。そして、やってきたときと同様に慎重に離脱しながら、カンドロンの警報装置をすべて完全に回復させた。
カンドロンは帰還《きかん》し、いつものように船にはいり、軽艇を格納《かくのう》し、パネルの上のスイッチの列に触手をのばした。
「カンドロン、どれにも手を触《ふ》れてはいけない」自分自身の思考と同様に冷酷な思考の助言をカンドロンは受けた。そして、オンロー人の映像プレートに相当するものの上に、彼がもっとも予期していない、もっとも知覚したくない姿があらわれた。
「パレイン系第七惑星のナドレック――スター・A・スター――〈例の〉レンズマン!」オンロー人は肉体的にも感情的にも驚愕《きょうがく》することはできなかったが、彼の思考はまさにそれだった。「では、おまえはこの船に配線して爆薬をしかけたのか」
中継器が低く音をたてた。バーゲンホルム式重力中立器が作用しはじめ、快速艇はくるりとむきを変えて、二キロダインの推力で突進した。
「そうだ。わたしはパレイン系第七惑星のナドレックだ。おまえたちはレンズマン集団の共同活動を、スター・A・スターとか〈例の〉レンズマンの活動と考えているが、わたしはそのひとりにすぎない。おまえが推定したように、おまえの船には爆薬がしかけてある。おまえが船にはいった瞬間に死ななかった唯一の理由は、そこで死ぬのがオンローのカンドロンで、ほかのだれでもないということを、統計的にばかりでなく、現実に確認したかったからだ」
「あのとほうもないばか者め!」カンドロンは、やり場のない怒りに身をふるわせた。「ああ、時間をかけて、自分の手でおまえを殺せばよかった!」
「もしおまえが自分でその仕事をしていれば、わたしがここで採用した手段は採用できなかったろうし、おまえが現在危険におちいることもなかったろう」ナドレックは平静に認めた。「わたしの能力は小さく、知能は劣弱《れつじゃく》だが、こうすればこうなっただろうというような仮定は、現在の問題と関係はない。しかし、わたしはおまえの結論の妥当《だとう》さに疑問を持ちたい。周知のように、おまえはわたしに対する闘争を、二十年以上も指揮してきて、しかも成功しなかったが、わたしは半年たらずで、おまえに対して成功をおさめたからだ――わたしの分析はいまや完全だ。おまえはもう、どの制御装置に触《ふ》れてもよい。ところで、おまえは自分がオンローのカンドロンであることを否定しないだろうな?」
この怪物的生物たちは、どちらも慈悲を口にせず、考えさえしなかった。どちらの種族の言語にも、そのような内容の言葉や概念は存在していなかったのだ。
「そんな質問は無意味だ。おまえは、わたしがおまえの思考パターンを知っていると同じようによく、わたしの思考パターンを知っている――だが、わからないのは、おまえがどうしてあの警報装置を突破したか――」
「おまえにわかる必要はない。自分でそのスイッチを入れるか、それともわたしが入れようか?」
カンドロンは、さっきから自分の苦境《くきょう》を、あらゆる面で考察していた。彼はナドレックの能力を知っていたので、自分の立場がどれほど絶望的かということを知っていた。しかし、ごく小さなチャンスが一つ――一つだけ――あった。彼が入ってきた経路は危険がない。危険のない唯一《ゆいいつ》の経路なのだ。そこで、彼は時間を一瞬でもかせぐために、一つのスイッチに手をのばすふりをしながら、その巨大な力を集中して一躍し、部屋を横切って軽艇のほうへすっとんだ。
しかし、だめだった。ナドレックはすでに小さい触手の一本を一つのスイッチにまきつけて、緊張して待ちかまえていた。カンドロンがまだ空中にいるうちに、一つの中継器《ちゅうけいき》がカチリととじ、デュオデック爆薬をつめた四つの筒が同時に爆発した。デュオデカプリラトメート、この恐るべき爆薬の破壊力は、核分裂の破壊力につぐものである!
すさまじい白熱光が目もくらむばかりにひらめいたと思うと、それが千分の何秒というあいだに白熱したガラスの巨大な球体にふくれあがった。ガスと蒸気の球体は、真空に近い惑星間空間に急速にひろがりながら冷却し、暗くなってやがて消滅《しょうめつ》した。ナドレックは発散する全ガス体に分析波と探知波を投射しつづけ、ついにカンドロンとその宇宙船については、直径五ミクロン以上の物質が一つも残っていないことを確認した。それから、キニスンにむかって呼びかけた。
「キニスンかね? パレイン系第七惑星のナドレックだ。わたしの任務が遂行《すいこう》されたことを報告する。オンローのカンドロンを抹殺したのだ」
「いいぞ! 上出来だ! どんなことがわかったかね? 彼は上級組織について何か知っていたにちがいない――知っていたかね? それとも、彼も一つの袋小路《ふくろこうじ》だったのか?」
「わたしはその点に立ち入らなかった」
「なに? なぜ立ち入らなかったのだ?」キニスンは思考に怒りをみなぎらせてなじった。
「計画に包含されていなかったからだ」ナドレックはおちついて説明した。「きみもすでに知るように、効果的に行動するためには集中しなければならない。必要最小限の情報を確実に手に入れるためには、彼の思考をただ一組のチャンネルにむけて操作しなければならなかった。もちろん、異質な副次帯域《ふくじたいいき》もいくつかあった。そしてそのうちのどれかが、いまきみがおくればせに紹介した新しい問題に関係があったのかもしれない――いや、そのような副次帯域はなかった」
「なんたることだ!」キニスンは爆発したが、力をふりしぼって自分をおさえた。「QX、その問題はとばそう。だが、聞きたまえ、とげだらけの殺し屋さん。こういうことをおぼえていてほしい――頭蓋骨の内側に、大きな字でほりこんでおくのだ――われわれがほしいのは、〈情報〉であって、単なる殺戮《さつりく》ではない。カンドロンは大物だったにちがいないが、こんど彼のような大物をつかまえたときは、第一に、一味の真の首領はだれかということについて、何かの手がかりを得るまでは、または、第二に彼がそういうことを知らないということを確認するまでは、彼を殺してはならない。それからなら、思うままに殺してもいいが、まず〈彼が知っていることを知る〉のだ。こんどははっきりわかったかね?」
「わかった。そして、銀河調整官としてのきみの指示には従うべきだし、従うことにする。しかし、注意しておくが、一つの問題について多くの目的を導入することは、その問題の統一性を破壊するばかりでなく、それを解決するのに必要な時間と、そこに含まれている個人的な危険とを、いちじるしく増大させるのだ」
「それがどうしたというのかね?」キニスンはできるだけ平静に反問した。「その方法でいけば、いつかは解答を得られるかもしれない。きみの方法では、けっして得られないだろう。だが、もうすんだことだ――いまさらわめいたりほえたりしてもはじまらない。次になすべきことについて、何か案があるかね?」
「ない。きみが望むことをやってみよう」
「他の第二段階レンズマンに相談してみよう」彼はそうしたが、妻に相談するまでは、名案は得られなかった。
「キム、ごきげんよう!」クラリッサの意気揚々たる思考が伝達された。そして、短いが親密な挨拶ののち、「呼びかけてくださってよかったわ。まだ公式に報告するにたりるほど確定的なことは何もないけれど、ライレーン系第九惑星が重要かもしれないという徴候《ちょうこう》があるわ――」
「第九だって?」キニスンはさえぎった。「また第八じゃないのか?」
「第九よ」彼女は断言した。「新しい問題なの。だから、近日中に行ってみるわ」
「いけない」彼は否定した。「ライレーン系第九はきみの手におえまい。手をつけてはいけない」
「なぜなの?」彼女は反問した。「この問題はまえにも話しあったわ、キム。あなたがわたくしに、できることとできないことを話したときよ」
「そうだ。そしてわたしは、次善《じぜん》の策《さく》をとったのだ」キニスンは微笑した。「しかし、いまは、銀河調整官として、第二段階レンズマンにさえ指示を与え、彼らはそれに従っている。だから、わたしはきみがライレーン系第九惑星に手をつけてはならないと公式に指示する。あの惑星はパレイン人の心臓よりもつめたいからだ。あれはあきらかにきみの課題ではなく、ナドレックの課題だ。それから、こういうこともつけ加えておく――もしきみがおとなしくしていないと、そこへでかけて行って、相当な体刑をくわえるぞ」
「おいでなさい――おもしろいわ!」クラリッサはくすくす笑ったが、すぐ、まじめになった。「でも、ほんとのところ、あなたのほうが正しいと思うわ――こんどはね。いつも連絡をとってくださる?」
「とるよ。さようなら、クリス!」そして彼はパレイン人をふりむいた。
「――ごらんのように、これがきみの課題だ。着手したまえ、ちびさん」
「行くよ、キニスン」
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一八 探知者カミラ・キニスン
カミラとトレゴンシーは、逃げ足のはやい「X」の問題を、べつべつに数時間も考えめぐらしたが、効果がなかった。それから、カミラは、リゲル人が知覚することも使用することもできないような方法で、彼の心を観察したのち、精神的沈黙を破った。
「トリッグおじさん、わたし、自分でも驚くような結論に達したわ。『X』が逃走したのは、あなたの心じゃなく、〈わたしの〉心と接触したためだなんてことが考えられて?」
「それが唯一の筋の通った結論だ。わたしは自分の心の能力を知っているが、きみの心の可能性を推定できたためしがない。少なくともわたしは、われわれの敵を過小評価していたのではないかと思う」
「わたしも自分が敵を過小評価して、ひどくまちがっていたことを知っているわ。それに、あなたを、ちょっとでもだましたりすべきじゃなかったんだわ。わたしの中には、ふつうの人には示すことができないような、ある能力があるんだけど、あなたはべつよ――あなたはほんとにすばらしい人だわ!」
「信頼してくれてありがとう、カミラ」わかりきったことなので、彼はその信頼にふさわしく行動するつもりだということを口にしなかった。「わたしは、ふたりの第二段階レンズマンのあいだに生まれたきみたち五人が、根本的にわたしの理解を越えているという事実を認めている。きみは自分の能力をまだ完全には理解していないようだ。しかし、きみはある行動方針をきめているな」
「まあ――とても助かったわ! そうよ、きめているわ。でも、その問題にはいるまえに、わたし、まだ『X』の問題が解決できていないのよ。それに、もっとデータがなければ、解決できないということがわかったわ。だから、あなたにもできないのよ。そうでしょう?」
「まだそういう結論に達していないが、きみの言葉を真実と認める」
「あなたがさっきいった、わたしの異常な能力の一つは、巨大な集団から極微の構成要素におよぶ広範囲な知覚力よ。もう一つの能力、というより同じ能力の他の一面は、そういう微細な要素を分解し、分析したのち、補挿《ほそう》と外挿《がいそう》のプロセスによって、論理的、本質的全体を構成できるということなの」
「きみのような心には、そういうことが可能だと信じるよ。つづけたまえ」
「そういうわけで、わたしは自分が『X』を過小評価したということがわかったの。彼がどんな生物であるにしても、わたしには彼の思考の構造を解決することがまるでできないわ。わたし、自分が彼の思考について知っていることを、すっかりあなたに伝えたのよ。もう一度観察してちょうだい――念入りにね。こんどは何かわかって?」
「はじめのときとまったく同じだ。ある聴取者《ちょうしゅしゃ》にむけられた単純な導入的思考の断片にすぎない。それだけのことだ」
「わたしにわかるのもそれだけよ。そして、それが不思議でならないの」それまで冷静だったカミラは立ちあがって、床を行ったりきたりしはじめた。「あの思考波は、一見絶対に強固だわ。でも、そんな状態があるはずがないから、事実は、あの構造が微細《びさい》すぎて、わたしにはそれを構成要素に分解することができないのよ。つまり、わたしは、自分が考えていたほど有能ではないのね。あなたやパパやほかの第二段階レンズマンは、そういう行きづまりにぶつかると、アリシアへ行ったわ。わたしも同じことをすることにしたの」
「その決心は健全だと思うな」
「ありがとう、トリッグおじさん――そういってくれると思っていたわ。なにしろ、わたしアリシアへ行ったことがないから、ちょっと心配だったのよ。じゃ、行ってくるわ!」
カミラとメンターの会見については、くわしく述べる必要はない。カレンの心と同様、彼女の心は真に効果的な訓練を受けられるようになるまえに、それ自体で成熟《せいじゅく》しなければならなかったが、ひとたび成熟すると、キャスリンが多くの訓練過程を通じて獲得したと同じものを、一回の過程で獲得した。彼女はリゲル人に、アリシアまで同行するようにすすめなかった。ふたりとも、トレゴンシーがすでに獲得できるかぎりのものを獲得したということを知っていたからだ。彼女はトレゴンシーのところにもどると、ほんの数時間でかけてきたかのように、さりげなく挨拶した。
「トリッグおじさん、メンターがわたしにした訓練は、惑星デルゴンの怪物キャトラットにするのさえかわいそうなほどきびしかったわ。でも、その痕跡《こんせき》は、それほどあらわれていないと思うの――そうでしょう?」
「まるであらわれていない」彼はカミラを、肉体的にも精神的にも、しげしげと観察した。「全体としては、なんの変化も認められない。だが、細部的には、変化したよ。進歩した」
「そうよ、自分でも可能だと信じられなかったほどだわ。現在あの思考波についてはごく貧弱なデータしかなくて、いちばん重要な細部が欠けているから、たいしたことはできないわ。別の思考波を捕捉《ほそく》しなけりゃならないでしょう。こんどは、すっかり捕捉するわ」
「だが、きみはきっとあの思考波について、何かわかったにちがいない。何か展開可能な特徴――一種の潜在的効果――が存在していたはずだ」
「ちょっとね。ほんとにあそこに存在していたものにくらべれば、ほとんど無限小だわ。肉体的にいえば、あの生物の類型は四けたまでTUUVよ。わかるでしょうけど、ちょっぴりネヴィア人に似ているのよ。彼の居住惑星は巨大で、ほとんど液体でおおわれているわ。真の都市は存在していなくて、なかば埋没した一時的建造物の集団があるだけ。知能はとても高いけれど、わたしたちはもうそのことを知っているわね。彼は通常とても短い波長で思考するわ。とても短くて、あのとき働かせていた波長でもいちばん長いくらい。彼の惑星が属する太陽はかなり熱い主要連続恒星で、スペクトルはFのあたり。そして、変化の徴候《ちょうこう》がはっきりあらわれていたから、多少とも変化性恒星だと思うわ。でも、それはごくありきたりじゃなくって?」
獲得されたデータの量や種類によって限定された限界内では、カミラの観測と分析は完全であり、再構成には欠陥がなかった。しかし、彼女はそのとき、『X』が、じつは春季のプルーア人だということを思いもよらなかった。そればかりでなく、彼女はメンターから一度聞いたことをのぞけば、プルーアというような惑星が存在しているということさえ知らなかった。
「もちろんだ。さまざまの太陽の惑星の住民は、自分たちのような種類の恒星だけが惑星を持つに適していると考えている。きみはその変化の性質を再構成できないかね?」
「できないわ。もっとわるいことに、わたしは彼の惑星が宇宙のどこにあるのかさえ、まるっきりわからないの――でも、完全で新しい思考を研究できたとしても、どのみちわからなかったでしょうね」
「おそらくわからなかったろう。リゲルについて無知な者にとっては、『リゲル系第四惑星』といっても、まったく無意味の思考だ。それに、異邦人《いほうじん》に指示する場合のように、意識的に努力する場合をのぞけば、リゲル系第四惑星の位置を銀河座標軸で考えることはない。自分の居住惑星の位置は、いつも当然のこととして考えているのだと思う。つまり、われわれは『X』の捜索については以前と同様なところにとり残されているらしいが、きみはこれからは、彼の思考をほとんど意のままに捕捉できる能力を獲得したわけだ。説明してくれたまえ」
「わたしの能力じゃないわ――わたしたちのよ」カミラは確信をこめて微笑した。「わたしひとりではできなかったし、あなたひとりでもできなかったけれど、ふたりが協力すれば、手におえないほどじゃないでしょう。あなたは完全に平静で強固な確実さで、宇宙のどのすみにでも思考を投射できるわ。そして、それを一定の原子の上に固定しておくことができるのよ。わたしにはそういうまねはできないけれど、現在の探知分析能力をもってすれば、彼から数パーセク以内に接近できさえすれば、とり逃す心配はないと思うの。だから、わたしが考えているのは、一種のシラミつぶし捜査よ。あなたはわたしを精神的に運ぶの。ちょうどウォーゼルがコンを肉体的に運ぶみたいにね。それならうまくいくと思うわ。そうじゃない?」
「確実だ」頑強なリゲル人は大いに喜んだ。「では、きみの心とわたしの心を結合させて、仕事にとりかかろう。もしきみにもっといい計画がなければ、彼を見失った点から出発して、外側へむかってしだいに範囲《はんい》を広げていこう」
「それがいちばんだわ。わたしはあなたが行くところについていってよ」
トレゴンシーは思考波を投射した。その思考波は、光速度を基準にしてさえ測定できないような速さで、宇宙空間をたえず拡大していく球状の表面を活性化した。そしてその思考とともに、それと一体をなして、カミラは想像を絶するほど微妙《びみょう》で敏感《びんかん》な探知波網を展開した。リゲル人は非人間的な忍耐力を持っていたから、必要とあれば全宇宙空間を捜索しただろうし、すでに成熟したカミラは、彼について行っただろう。しかし、忍耐づよいふたりは、全宇宙をシラミつぶしに調べるにはおよばなかった。数時間のうちに、娘のほとんど無限に稀薄《きはく》な探知波は、極度に微弱《びじゃく》な力で、極度に短時間ではあったが、それが慎重《しんちょう》に同調させておいたとおりの思考構造に接触した。
「止まれ!」彼女は命令した。トレゴンシーの強力な超大型戦艦は、指示されたコースにむかって全速力で突進した。
「もちろん、きみは現在、彼に直接思考波を投射していたわけではないが、彼がきみの探知波を感知しなかったということは、どの程度確実かね?」トレゴンシーがたずねた。
「充分確実よ」娘は答えた。「百万倍|増幅《ぞうふく》しても、自分でさえ感じられないわ。わかるでしょうけど、ほんとに微妙な探知波網で、分析器や記録器で捕捉《ほそく》できるほど強固じゃないのよ。わたし、彼の心にはまったく接触しなかったわ。でも、効果的に工作できるほど接近したら――そうなるのは五日くらいしてでしょうけど、そうなったら、彼に接触しなければならないわ。彼がわたしたちと同じくらい敏感だと仮定すれば、わたしたちを知覚するでしょう。だから、わたしたちはある明確な計画にしたがって、迅速《じんそく》に行動しなければならないわ。どんな計画をたてればいいと思って?」
「あとで一つ二つ意見を述べるかもしれないが、指導権はきみにゆずるよ。きみはもう計画をたてているんだろう?」
「ほんの骨組だけよ。細部はいっしょに構成しなければ。彼がきらったのは、わたしの思考波だという点で、わたしたちは意見が一致したんだから、はじめの接触はあなたがする必要があるわ」
「もちろんだ。しかし、思考の作用はほとんど同時的だから、最初の接触で彼がわたしを圧倒した場合、きみは自分を防御できる自信があるかね?」リゲル人がそのような場合の自己の運命について考えているかどうかは、なんの痕跡《こんせき》もあらわれなかった。
「わたしの精神障壁は堅固だわ。わたし、わたしたちふたりを防御できる自信があるけれど、そのおかげで心の作用がちょっとのろくなるかもしれないわ。そして、一瞬のおくれでも、わたしたちが望む情報を獲得するのをさまたげるかもしれないわ。だから、キットを呼んだほうがいいと思うの。ケイのほうがもっといいかもしれないわ。ねえさんなら超原子爆弾でも防止できるわ。ケイにわたしたちをカバーしていてもらえば、ふたりとも自由に働けるでしょう」
彼らはまた心を結合して、考察し、判断し、分析し、排除《はいじょ》し、そして――二、三度――受容した。そしてついに五日の期限以内に、完全に詳細な行動計画を作成した。
しかし、その時間はなんと無益に空費されたことだろう! なぜなら、彼らの工作は、慎重に作成された計画にしたがって進行する代わりに、ほとんど開始された瞬間に終了してしまったからだ。
計画にしたがって、トレゴンシーは行動範囲内にはいると同時に、『X』の精神パターンに自分の心を同調させ、できるかぎり微妙に思考波をのばした。彼の最善の努力は非常に精巧だった。が、むしろ全力で打撃を与えたほうがよかった。なぜなら彼の思考波はきわめて微弱だったにもかかわらず、それが相手の心の周辺に接触したとたん、相手の心の周囲には、堅固な精神障壁が出現し、同時に、トレゴンシーが全力をしぼって展開する精神障壁でも、苦もなく貫通《かんつう》したであろうような、すさまじく強力な精神衝撃がはね返ってきた。しかし、その衝撃はトレゴンシーの障壁にぶつからなかった。その代わり、それはカレン・キニスンの精神障壁にぶつかった。彼女の障壁の堅固さについては、すでに述べたとおりである。
衝撃ははね返りもせず、付着もせず、予期されたように一瞬といえども停滞《ていたい》して戦おうともしなかった。それは単に消滅した。まるで、敵にとってはそのわずかな瞬間だけで、まったく予期しなかった抵抗にぶつかったショックから回復し、精神障壁の組成を分析し、その分析からして障壁の所有者の全能力を推定し、そのように推定された生物と交渉を持たないほうがいいと決心し、そして最後に、有効に退却《たいきゃく》するという過程を経るのに、充分だったかのようだった。
しかし、敵の退却は有効ではなかった。こんどはカミラは、あらかじめ断言していたように、あらゆる事態――文字どおりあらゆる事態――に対して準備ができていたのだ。彼女は全能力――彼女は多大の能力を持っていた――を緊張させて待機していた。彼女は最高の防御力を持つカレンが防御にあたってくれていることを知っていたので、その瞬間に完全に自由に全精神力を投射《とうしゃ》することができた。しかし、彼女の精神的探針の先端が未知の生物の精神スクリーンに接触するやいなや、そのスクリーンも、「X」自身も、彼の船も、それに付着していたと思われるその他のものも、付近の宇宙空間に存在する知覚可能なあらゆるものも、すべてが超原子爆弾の想像を絶するように激烈で破壊的な爆発によって、一瞬のうちに消滅してしまったのだ。
おそらく一般には知られていないかもしれないが「完全解放」爆弾、または「超原子」爆弾は、百万分の一秒の六千九百分の一の瞬間に、その全質量の恒星エネルギーを一〇〇パーセント解放する。そういうわけで、この爆弾の破壊力は、S―ドラドゥスの輻射《ふくしゃ》が地球の衛星、月の輻射と格段《かくだん》の相違があるように、核分裂エネルギーを解放するにすぎない従来のタイプの原子爆弾の破壊力とは、程度も種類も、格段に相違している。その爆発体は、数百万度を基準としてのみ測定しうるような高温を獲得し、その温度を多少の時間維持する。この爆弾のまったく信じられないような破壊力は、主としてその事実にもとづくものである。
その第一次爆発の圏内にある有重力物体は、吹きとばされはじめるまもなく、原子以下の構成要素に粉砕《ふんさい》され、それによっていっそう破壊を促進《そくしん》する。爆発の第二段階がはじまるまでは、何も見えない。そのうちに、その恐るべき爆発圏は直径数千ヤードに拡大し、その拡大によって冷却《れいきゃく》するにつれて、放射光線は可視的なスミレ色となる。そして、致命的な放射能といえば――放射能はあるし、致命的なのだ。
「X」との闘争は、千分の二秒くらいかかった。爆発圏が拡大しはじめて一秒か二秒のち、カレンは精神障壁を低めた。
「さあ、片づいたわね」彼女は口をきった。「わたしは自分の仕事にもどるわ。カム、知りたいことがわかって?」
「爆発前の瞬間に、ちょっとわかったわ。たいしたことはないけれど」カミラは深く考えこみながらいった。「再構成するのは大仕事になりそうだわ。でも、あなたに関係のあることが一つあってよ。あの『X』は一時的に妨害行為をやめて、ライレーン系第九惑星にもどるところだったの。彼はあの惑星で、ある重要な――」
「第九ですって?」カレンは鋭くたずねた。「第八じゃないの? あなたも知っているように、わたしは第八を監視してきたのよ――第九なんて考えもしなかったわ」
「絶対に第九よ。その思考は明晰だったわ。ときどき第九を調査したほうがいいわ。ママは、どんなぐあいにやっていて?」
「ママはすてきな仕事をしているわ。それに、あのヘレンも有能な工作員よ。わたしはたいしたことはしていないわ――あっちこっちにあたってみるだけ――第九でどんなことができるか、ためしてみるわ。でも、わたしはあなたみたいな調査員や探知者じゃないのよ――あなたも来たほうがいいわ。そう思わない?」
「そう思うわ――そうでしょう、トリッグおじさん?」トレゴンシーもそう思った。「わたしたちは途中でちょっと捜査をするわ。でもわたし、探知網について特定のパターンを知らないから、接近するまではたいしたことはできないかもしれない。さよなら、ケイ」
「『X』の思考構造はこうよ。わたしはこれを分解して分析できるわ」カミラは二、三時間、集中的に志向したのち、トレゴンシーに告げた。「はじめのときのぼやけた潜在的イメージの代わりに、明晰《めいせき》な外在的特徴がすこしばかりわかるわ。だけど、やはり居住惑星の位置は指示されていないわ。彼の肉体的類型は四ヵ所でなく十ヵ所わかるし、太陽の変化、季節、その性格なんかについても、もっとくわしくわかるわ。ほとんどが、わたしたちにとってあまり重要でないようなことばかりだけれど。でも、一つだけ、新しくて重要なことがわかったわ。わたしの再構成によれば、ライレーン系第九惑星での彼の仕事は、ボスコニアのレンズマンを養成することよ――パパが疑ったとおりの〈ブラック〉・レンズマンよ、トレゴンシー!」
「そうだとすると、彼はボスコニアでのアリシア人に相当する存在、つまり最上層部のひとりだったにちがいない。きみとカレンは、わたしが彼を自分で処理しないでもすむようにしてくれたが、これはまったくありがたいことだ――きみのおとうさんは、われわれがついに頂上に到達したことを知れば、大いに喜ぶだろう――」
カミラはリゲル人の思考に、自分の心のほんの一部の注意を払っているにすぎなかった。彼女の心の大部分は、兄との個人的会話に集中されていた。
「――だからわかるでしょう、キット。彼はある潜在的暗示を受けていたのよ。彼は自分の心より明白に優越した心によって、攻撃を受けたとたんに、自分自身も船も、その中の何もかも、破壊しないわけにいかなかったんだわ。だから、彼はエッドール人じゃなく、やはり仲介的存在に過ぎないのよ。わたし、あまり役に立たなかったわね」
「役に立ったとも、カム! きみは多大の情報を獲得した。それから、ライレーン系第九惑星と、そこでおこなわれていることについての、とても重要な手がかりもそうだ。ぼくはいまエッドールへむかっている。ぼくらは、エッドールから下方へ工作し、ライレーン系第九惑星から上方へ工作していけば、失敗するはずがない。さようなら、妹!」
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一九 宇宙の地獄穴
コンスタンス・キニスンは、自分を責めて多くの時間を空費《くうひ》したりしなかった。彼女はついに、自分がまだ充分に有能ではないということを理解し、自分に何が欠けているかを正確に認識することができたので、最後の訓練を受けるために、アリシアにでかけた。彼女はその訓練を受け、それによって、兄や姉たちと同様に、完全に統合された個体となった。
もちろん、彼女は兄や姉たち同様、あらゆる能力を多少ともそなえていたが、第二段階レンズマンのうち、ウォーゼルと彼女とをいちばん親密にさせている特徴的性格は、ヴェランシア人のそれと酷似《こくじ》していた。彼女の心はウォーゼルの心と同様、迅速で機敏なうえに、異常に強力で作用範囲が広かった。彼女は父が持っているような、はげしい行動力や不屈の意志力は、それほど持っていなかった。五人の兄妹のうちで、極度の努力を長期間持ちこたえる能力はもっとも乏しかった。しかし、彼女の最高能力は、兄や姉たちよりずっと高かった。彼女の能力は、ほとんど完全に攻撃的だった。五人のうちでずば抜けて恐ろしい闘士だった。兄妹のうちで彼女だけは、純粋の殺戮者《さつりくしゃ》的本能を多量に持っていた。そして闘志をいっぱいにかきたてられると、彼女の精神衝撃は、超原子爆弾の第一次爆発圏のように、まったく想像を絶して効果的な武器となるのである。
コンスタンスが治療を受けるためにアリシアへ行くといい残して、ヴェラン号を出発するやいなや、ウォーゼルは「宇宙の地獄穴」の問題を詳細に論ずるために幕僚《ばくりょう》を集めた。
会議は長くもなく、白熱もしなかった。この現象は、まだ発見されていないデルゴン貴族の洞窟の一つに過ぎない――そうにちがいない――ということで全員の意見が一致したからである。
ウォーゼルと彼の部下たちは、二十年以上にわたってデルゴン貴族どもを狩りたて殺戮《さつりく》してきたという事実からして、彼らにとって唯一の論理的行動方針は、彼らの種族の宿敵《しゅくてき》のおそらく唯一の大規模な残存集団と思われるこの集団をも、同様に処理するということだった。また、ヴェランシア人は、自分たちにそうした能力があることを、だれひとり疑わなかった。
しかし、彼らはいかにまちがっていたことだろう!
彼らは「地獄穴」をさがす必要はなかった。ずっと前から、そのおそろしい犠牲をくい止めるために、その影響力の外縁からすべての交通を遠ざけるよう、ロボット警護船の警戒線が球状に配置されていたのだ。警護船は危険空間への侵入を警告するだけで、物理的には制止できなかったから、ウォーゼルは警護船やその信号に、なんの注意も払わないで、ヴェラン号に警戒網《けいかいもう》を突破させた。彼は自分の計画には隙《すき》がないものと考えていた。彼の船は無重力状態だった。速度は、ヴェランシア人の基準からすれば、非常に遅かった。各乗組員は完全に思考波スクリーンを着用していた。もしウォーゼルの副次的《ふくじてき》な手の一つが、スプリングつき制御装置をつよく握るかゆるめるかすれば、個人用思考波スクリーンと同質だが、それよりはるかに強力なスクリーンが、船全体を包むことになっていた。だからウォーゼルは、どんなことが起こっても大丈夫だと思っていた。
しかし、「宇宙の地獄穴」は、デルゴン貴族の洞窟ではなかった。その宇宙圏には、太陽も惑星も物質的なものは何も存在していなかった。しかし、そこには〈何か〉があった。ヴェラン号の速度は遅かったが、それでもはるかに速すぎた。数秒のうちに、貫通不能《かんつうふのう》と考えられていた思考波スクリーンを通じて、すさまじく邪悪な強烈さを持った攻撃が突入してきたのだ。その衝撃《しょうげき》は、ウォーゼルが想像したこともないようなはげしさで彼の心を引き裂いた。耐えがたい苦痛を与えるその力は、一マイルごとに倍加するように思われた。
ヴェラン号全体を包囲するスクリーンが展開された――しかし無駄だった。その強力なスクリーンも、より劣弱《れつじゃく》な個人用スクリーンと同様に、なんの抵抗もできなかった。高度に邪悪な思考波は、それらの障壁《しょうへき》をやすやすと通過した。アリシア人かレンズの子のだれかならば、その周波帯域を知覚して防止できただろうが、それ以下の知能ではできなかった。
ウォーゼルは精神的にも肉体的にも強固で迅速だったが、彼の行動はかろうじてまにあうしまつだった。彼は抵抗力のありったけをふりしぼって、自分の肉体に対する心の制御力を維持し、船を一回転させて、全速力で離脱《りだつ》した。驚いたことに、苦痛は距離とともに増加したときと同様、急速に減少し、ヴェラン号がついさっき通過した警戒網に達すると、完全に消滅してしまった。
ヴェランシア人レンズマンはふらふらになり、胸をむかつかせ、身ぶるいしながら、支持棒からぐったりぶらさがっていたが、乗組員たちが精神的肉体的狂乱におちいっているのに気づいて奮起《ふんき》した。彼らのうち住人は地獄穴の中で死に、さらに六人は、彼が部下の狂った格闘を停止するだけの力を回復できるまえに、ずたずたに引き裂かれていた。それから、すぐれた精神医であるウォーゼルは、仕事にとりかかり、生存者をひとりひとり正気にもどした。恐怖の記憶は残っていたが、彼はそれらを耐えられる程度にやわらげた。
彼は次にキニスンを呼んだ。「――しかし、あの思考波はデルゴン貴族から予期されるような個性的なものだったとは思えない」彼はかんたんな報告の終わりにいった。「あれはわれわれに集中もせず、われわれを捕捉《ほそく》もせず、われわれが離脱するとき、追求もしなかった。その強度は、距離によってのみ変化するように思われた――おそらく距離の自乗に反比例するのだろう。一つのセンターから放射されているということは大いにあり得る。あれは、わたしがこれまで感じたどんなものとも似ていないが、やはりデルゴン貴族にまちがいないと思う――たぶん、きみやわたしが第二段階レンズマンであるのと同様に、一種の第二段階デルゴン貴族なのだろう。デルゴン貴族どもは、われわれがきみに会うまでは、われわれにとって手ごわすぎたが、それと同じように、彼はいまのわたしにとって手ごわすぎる。しかし、それと同じ理由からして、もしきみがここへきてくれれば、きみとわたしで、協力して敵を撃滅《げきめつ》する方法を考案できると確信する。どうかね?」
「きわめて興味深い問題だし、わたしもやってみたいが、ちょうどいま、やりかけの仕事があるのだ」キニスンはそう答え、言葉をつづけて、自分がブラッドロー・サイロンとしてどんなことをやってのけ、これからどんなことをしなければならないのかを、大急ぎで説明した。「手がすいたらすぐでかける。さしあたりはそこから手をひいていたまえ。ひと飛びするんだ――そして、わたしが協力できるようになるまで、なにかほかのおもしろいことを見つけるんだね」
ウォーゼルはそうすることにした。そして二、三日たったとき――それとも二、三週間か? ヴェランシア人にとっては、無為《むい》の時というのはほとんど問題にならない――レンズを通じての鋭敏《えいびん》な思考が伝達された。
「援助を求む! 一レンズマンより援助を求む! この思考波に沿って迅速《じんそく》に来援《らいえん》を乞う――」メッセージは、はじまったときと同様に急激にとだえた。ウォーゼルは瞬間的に一種の苦痛を感じた。だれかわからないが、いまのレンズマンが死んだのだ。
その思考波は放送ではあったが、強力で明晰だったので、ウォーゼルは送信者が近くにいたことを知った。送信時間はごく短かったが、彼はなんとかその方向を捕捉することができた。その方向へヴェラン号の鋭い船首を転じ、文字どおり想像を絶する全速力で突進した。グレー・レンズマンがしばしばいうように、このヴェランシアの超大型戦艦は、ムカデ以上の足を持っていたが、いまやその足をすべて使っているのだ。そういうわけで、数分のうちに、ヴェラン号の映像プレートには、戦闘場面が大きくあらわれた。
パトロール船は敵船より決定的に小型だったので、もう数分しかもちそうになかった。パトロール船のスクリーンは破壊され、防御|壁《へき》そのものも機能を停止していた。ボスコニア船の針《ニードル》ビームが、パトロール船の残存した小数の制御装置を一掃していくにつれて、舷側には赤い斑点《はんてん》が浮きだしはじめていた。ウォーゼルが絶望的な怒りに燃え、頭の中でヴェランシア流の悪態を吐きちらしながら見つめているうちに、敵は乗り込みの準備をしていたが、彼の船がまっしぐらに――それもすさまじい速度で――接近してくるのを見たせいらしく、突然その作戦を変更した。圧倒されたパトロール隊の巡洋艦は、デュオデックの目もくらむような爆発の中で消滅した。勝利者は全速力で逃走にかかりながら、さまざまの爆発物をまき散らした。しかし、それらの兵器は、有重力状態だろうと無重力状態だろうと、ヴェラン号の戦闘になれた乗組員にとっては、旧式で単純なしろものだった。ヴェラン号は位置測定ビームと探知ビームをいっぱいに展開すると同時に、敵の熱線を解消する正面扇形力場を展開した。
そういうわけで、ボスコニア船の兵器は、ヴェラン号にまったく接触せず、また全速力をあげても、離脱《りだつ》できなかった。事実、ウォーゼルの強力な船と何パーセクも競争できる宇宙船はわずかしかなく、この不運な海賊船は、そのような船ではなかった。ヴェラン号はぐんぐん突進し、両船の距離は一秒ごとにちぢまった。牽引ビームが投射《とうしゃ》されて定着し、強力な動力源をいっぱいに活動させて短時間ひきとめた。
短時間だったが、それで充分だった。ウォーゼルが期待したように、この痛烈な引きつけにより、ボスコニア船の指揮官がそれと察して牽引ビームを切断するに要したわずかの時間のあいだに、二隻の無重力状態にある軍艦は、ほとんど防御スクリーンを接するほどひきつけられた。
「第一次ビーム! 放射!」ウォーゼルは牽引ビームが切断されるまえに思考を投射した。彼は長時間の戦闘をするつもりはまったくなかった。第二次ビーム、針《ニードル》ビーム、すばらしく強力な短距離兵器、その他の通常兵器を用いても、勝つことはできたろう。だが、彼は危険をおかさなかった。
一撃! 二撃! 三撃! ボスコニア船の三重の防御スクリーンは、またたくまに部分的に過負重状態におちいり、まぶしく輝いたと思うと黒く崩壊《ほうかい》した。
さらに一撃! 防御壁の強固な組織も、スクリーンよりわずかに長く抵抗しただけで崩壊し、ボスコニア船の船体の金属が露出された――周知のように、考えられるかぎりのどんな物質でも、第一次熱線のような力場に接触されては、一瞬にして消滅してしまうのだ。
熱線が船体を貫き、主要火器が沈黙した。ウォーゼルの針《ニードル》ビームは組織的に作用して、あらゆる制御パネルや救命艇を破壊し、巨大な宇宙船を完全に無力な廃船と化した。
「注意!」ひとりの観測員が思考を投射した。「第八格納所がからっぽです――第八救命ボートが脱出しました!」
「ちくしょう!」ウォーゼルは、宇宙服をつけて武装した突撃隊の先頭に立って、彼らと同様に敵との肉弾戦を切望していたが、しばし立ちどまった。「追跡ビームで追跡しろ――できるか?」
「追跡しました。わたしの追跡器は、十五分か二十分は捕捉《ほそく》していられるでしょう。二十分以上はだめです」
ウォーゼルは集中的に思考した。船と救命ボートと、どっちが先か? 船だ、と彼は決心した。船の資料のほうがはるかに多く、要員は大部分無傷だろう。すこしでも敵に時間を与えれば、第一次ビームを応急修理されるかもしれない。そうなるとまずい――非常にまずい。それに、突撃隊は敵の船の乗組員より多いから、ボスコニア船の船長が自分の生命を救うために、船と乗組員を見捨てたとしても、救命ボートを追跡する時間は充分ある。
「その救命ボートを追跡ビームで捕捉しておけ」彼は観測員に指示した。「船のほうは十分で片づく」
そしてそのとおりだった。ボスコーン人は――樽《たる》のような胴《どう》とずんぐりした手足を持った怪物で、人間にもヴェランシア人にも、同程度に似ていなかったが――宇宙服を着用し、携帯兵器《けいたいへいき》を使って狂暴《きょうぼう》に戦った。彼らは二、三挺の半携帯式放射器さえ応急修理していたが、どれも熱線を放射することができなかった。ヴェランシア人のスパイ光線観測員も、針《ニードル》ビーム放射員も、警戒を怠らなかったからだ。したがって、戦闘はすべて肉弾戦で、携帯式兵器だけで戦われた。なぜなら、ヴェランシア人はすべて、殺戮《さつりく》を切望《せつぼう》していたが、情報採集が第一で、殺戮の喜びは二の次だということを、二十年間にわたって教えこまれてきていたからだ。
ウォーゼル自身は、指揮をとっているボスコーン人士官にまっしぐらにおそいかかった。士官はふたりの護衛を連れていたが、そんなものは問題ではなかった――針《ニードル》ビーム放射員が片づけたからだ。士官はまた二挺の強力な携帯式放射器を持っていて、それをたてつづけにヴェランシア人にそそぎかけた。ウォーゼルはしばし立ち止まり、自分の防御スクリーンが、適当に作用していることを確かめたのち、尾をひらめかして制御室のドアをとざすなり、敵めがけて十重力の加速度でからだを水平にしてとびかかった。ボスコーン人は身をかわそうとしたが、できなかった。ウォーゼルのおそるべき衝突《しょうとつ》は敵を殺しはしなかったが、重傷をおわせた。いっぽう、ウォーゼルはびくともしなかった。ヴェランシア人は頑健で持続力があり、人間の骨なら粉砕されてしまうような打撃にも、生まれたときからならされているのだ。
ウォーゼルはボスコーン人の熱線銃を、宇宙服の手甲をはめた手ではげしくなぐりとばしながら、銃が鋼鉄の壁にすさまじく衝突して、その内部構造が破壊されたものと判断した。それから、敵と自分のスクリーンを切ってのち、ボスコーン人のヘルメットを、はじめは試験的に、次に全力をあげてなぐりつけた。しかし、困ったことに、ヘルメットは持ちこたえた。思考波スクリーンも持ちこたえた。しかも、外部に制御装置はなかった。いまいましくも、宇宙服は優秀なしろものなのだ!
ウォーゼルは天井《てんじょう》へ飛びあがると、からだの全質量を敵の胸部装甲板《きょうぶそうこうばん》に、自分の頭が傷つくほどはげしくたたきつけた。それでもだめだった。彼は二本の太い支柱《しちゅう》の間にからだを割りこませ、ボスコーン人の足に尾を巻きつけて投げとばした。宇宙服をつけた姿は部屋を横切ってとび、厚い鋼鉄の壁にぶつかってはね返り、そして落下した。宇宙服の胴はその衝撃《しょうげき》でぺちゃんこになり、壁にはくぼみができた――しかし、思考波スクリーンはまだ持ちこたえた!
ウォーゼルは急速に時間がなくなりかけていた。敵がもしすでに死んでいないとしても、これ以上手荒く扱えば、死んでしまう。敵をヴェラン号に移すわけにはいかない。このスクリーンをいまここで、切らなければならないのだ! 敵の宇宙服がどのように接合されているかはわかる。だが、彼は宇宙服を着用しているので、敵の宇宙服を分解できない。それに、船内はすべて真空になってしまったから、自分の宇宙服を開くことはできない。
いや、できるのではないか? できる。必要なことをするのに充分な時間だけ、宇宙空間で呼吸することができる。彼は自分の空気ポンプを切り、手を四、五本出せるだけ装甲板をゆるめ、肺がはげしくあえぐのをものともせずに、あわただしく仕事にかかった。ボスコーン人の宇宙服を分解して、思考波スクリーンを切る。中の生物はまだ完全には死んでいない――うまいぞ! しかし、生物は何も知らないし、部下も何も知っていない――だが――ひとりの地上生活の生物が――ひとりの大物が――脱出した。彼は何者か?
「言え!」ウォーゼルは技巧をつくして全速力で探求しながら、精神力とレンズの力をふりしぼって要求した。「言うのだ!」
しかし、ボスコニア人は急速に死にかけていた。手荒い扱いと空気の欠乏のせいだ。彼の精神パターンは一秒ごとにいよいよ速く解体していった。無意味にぼやけたイメージは、ウォーゼルの容赦ない追求によって、何かレンズのように思われるものに凝縮《ぎょうしゅく》した。
レンズマンだと? ありえないことだ――まったく考えられない! だが、待て――すこし前、キムはブラック・レンズマンというようなものが存在するかもしれないと、ほのめかしたではないか?
しかし、ウォーゼル自身がすでにあまり調子がよくなかった。なかば意識を失っていた。彼の一つ一つの目の前には、赤、黒、紫などの斑点がおどっていた。彼は宇宙服をとざし、空気ポンプを入れて、あえぎながらよろめいた。いちばん近くにいたふたりのヴェランシア人は、はじめからずっと彼と精神感応状態にあったので、助けに駆けつけたが、彼はそのときすでに完全に自分を回復していた。
「全員ヴェラン号へもどれ!」彼は命じた。「これ以上楽しんでいるひまはない――あの救命ボートを捕捉するのだ!」そして、その命令が実行に移されるやいなや、「あの船体を爆破せよ――よし! 発進!」
救命ボートに追いつくには、そう時間がかからなかった。ボートを牽引ビームで捕捉し、ヴェラン号に引きつけるのは、数秒ですんだ。ウォーゼルは全速力で行動したにもかかわらず、ボートの中に見つかったのは、かつてデルゴン貴族のレンズマンだったらしいと思われる残骸だけだった。その生物は自殺したのだ。しかし、爬虫類特有の強靭《きょうじん》な生命力のおかげで、まだ完全には死にきっていなかった。そのレンズマンは、まだときどきひらめきを発し、解体しつつある心も、完全にはパターンを失っていなかった。ウォーゼルは生命の痕跡がまったく消滅するまで、その心を研究した。それから、キニスンに呼びかけた。
「――だから、わたしの推定がまちがっていたということがわかるだろう。レンズは判読するにはぼやけすぎていたが、彼はブラック・レンズマンだったにちがいない。彼の心の中で判読できた唯一の思考は、ライレーン系第九惑星についての、きわめてあいまいな思考だけだった。仕事をこんなに台無しにしたのは残念だ。とくに、二対一の割で正しい推定をくだせるチャンスがあったのだから」
「いまさらくやんでもはじまらない――」キニスンは思考を中断した。「それに、やつはどのみち自殺できただろうし、そうしただろう。きみはさほどへまをやったわけではない。きみは、カロニア人でないボスコーン・レンズマンを発見した。そして、ボスコーン人がライレーン系第九惑星に関心を持っていることを確認したのだ。それ以上どんなことを望むんだね? 地獄穴の付近にうろついていてくれ。わたしもなるべく早くそこへでかける」
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二〇 キニスンとブラック・レンズマン
「上昇!」サイロンに化けたキニスンは命じた。巨大な海賊船――じつは変装したドーントレス号――はゆっくり上昇し、メンドナイの乗った旗艦のすぐ後ろの位置についた。三重の防御スクリーンは完全に展開され、スパイ光線防止スクリーンも思考波スクリーンも、船全体をおおっていた。
艦長が緊密《きんみつ》な編隊をつくってカロニア系第三惑星へむかう途中、ボスコニアの技師たちは、ドーントレス号の防御装置を徹底的にテストした結果、それが水も洩らさぬほど完璧なのを知った。どんな侵入も不可能だった。開設された唯一のチャンネルは、サイロンの映像プレートだったが、それもひどくぼかされていて、サイロンの顔のほかは何も見えなかった。メンドナイはその事実を確認すると、席に身をおちつけながら、怒りに燃えた。カロニア人特有の、からだ全体をおおう青さはいよいよ深まって、彼の深刻な憤怒《ふんぬ》を示していた。
彼はこれまでの生涯を通じて、これほど痛烈に侮辱されたことはなかった。この問題について、どうにか――どうにか――しようがあるか? どうしようもない。サイロンには手のつけようがない――いまのところは――そして、この無法者が厚かましくも大胆にも、自分の船をボスコニア艦隊のまっただなかに置いたという事実は、彼が艦隊をすこしも恐れていないということを、すべてのボスコーン人の心に明確に認識させた。
そういうわけで、カロニア人指揮官は憤怒《ふんぬ》に燃え、彼の部下たちは足ぶみにも気をつけて、厳格なボスコニア流の規律に、いやがうえにも従順にしたがった。なぜなら、噂は迅速に伝わって、いまでは全艦隊が、司令官がひどい侮辱を受けたので、そのうっぷんをはらす口実を与えた最初の者は、生きながら皮をひんむかれるどころではないだろうということを知っていたからである。
艦隊がカロニアの大気の上層で展開して、有重力状態に移行したとき、キニスンは、まだ若いレンズマンをふりむいていった。
「フランク、最後に注意しておく。わたしはすべてにぬかりはないと信じている――多数の有能な者が、この問題に取りくんだのだからな。しかし、思いがけないことが起こるかもしれない。だから、わたしはデータを手に入れたら、できるだけ早くきみに伝達する。前にいったことを忘れないでくれ――必要な情報を手に入れてしまえば、わたしはどうなってもいい。そしてその情報を基地へ持って帰るのは、きみの仕事だ。感傷的になることはない。わかるね?」
「はい、閣下」若いレンズマンは息をのんだ。「しかし、わたしはそんなことにならないことを期待します――」
「わたしもそうだ」キニスンは、デュレウム製のかさばった宇宙服にもぐりこみながら微笑した。「そうなる危険は百万分の一くらいなものだ。だから、着陸するのだ」
キニスンとメンドナイは、それぞれの快速艇に乗って長い距離を降下し、肩をならべてブラック・レンズマン、メラスニコフのオフィスにはいった。メラスニコフも厚い宇宙服を着用していたが、機械的思考波スクリーンはつけていなかった。彼はすさまじい精神力を持っているので、そうしたスクリーンを必要としないのだ。サイロンはもちろん思考波スクリーンを着用していた。メラスニコフはその事実にすぐ気づいた。
「スクリーンを開放しろ」彼はぶっきらぼうに命じた。
「まだだ――そうあわてるな」サイロンはたしなめた。「ここの状況があまりぴんとこない。スクリーンを開放するまえに、ちょっと話しあわないとな」
「話なぞない。とくにおまえの話は無意味だ。わしがおまえからほしいのは真実で、話ではない。そしてわしはそれを手に入れるつもりだ。そのスクリーンを切れ!」
美しいキャスリンは快速艇に乗って、そう遠くないところにいたが、このとき、緊張して呼びかけを送った。
「キット――ケイ――カム――コン――手がすいている?」彼らはその瞬間には手がすいていた。
「みんな待機してちょうだい。きっと何かが起こると思うの。上級者が干渉しなければ、パパはこのメラスニコフをらくに処理できるけれど、上級者はたぶん干渉すると思うわ。彼らのレンズマンは、保護に値するだけ重要でしょう。そうじゃない?」
「そのとおり」
「だから、パパが目的を達しはじめたらすぐ、その保護者が介入するでしょう」キャスリンはつづけた。「そしてわたしがひとりでその上級者を処理できるかどうかは、どのくらいの上級者が介入してくるかということにかかっているのよ。そこで念のために一、二分間は、あなたたちみんなに待機していてほしいの」
いまのキャスリンの態度は、超空間チューブの中での態度と、なんとちがっていることだろう! そしてそのことは、銀河文明にとってなんと幸運だったろう!
「待て、みんな。ぼくに考えがあるんだ」キットが提案した。「ぼくらは重大問題を処理する方法を学んでから、チームワークを組んだことがなかった。だから、いつかはそれを実習しておかなくちゃならない。この機会に心を結合してみようじゃないか?」
「いいわ!」「やりましょう!」「指導してちょうだい、キット!」三つの賛成が同時にきた。そして、
「QX、キット」ちょっとおくれて、キャスリンのあまり乗り気でない賛成がきた。できればひとりでやりたかったのだからむりもないが、彼女は、兄の計画がよりすぐれていることを認めないわけにはいかなかった。
キットは精神的基盤を設定し、四人の娘は心をその中へはめこんだ。みんなはちょっと精神的にもがいて心をしっかりおちつけたが、たちまち五人とも驚異のあまり息をのんだ。これは新しい経験だった――まったく新しい。これまで、みんなはそれぞれ自分が完全な能力を持っていると考えていた。そして、グループとして効果的に協同できるようになるまでには、多くの練習と、そして少なくともいくらかの協調が必要だろうと思っていた。しかし、これはどうだ? これは到達できるとは思いもよらなかったような境地――完全そのもの――だ! これは〈統一〉だ。充実して円満具足だ。練習は必要ではないし、これからも必要はないだろう。どんなにわずかな疑問や不安も存在しないだろうし、存在するはずがない。これは〈統一〉だ。形容の言葉もないようなあるもの、したがって、想像を絶して古いアリシア人の四重頭脳の中の、純粋に理論的な概念として以外は、夢にも考えられないようなあるものだ。
「ううむ」キットは、のどにつきあげてくるこぶしのようなかたまりをのみくだした。「こいつはまったく――」
「おお、子供たち、とうとうやったな」メンターの思考がなめらかに伝達された。「いまこそ、わたしがおまえたちのだれにも〈統一〉の説明を企図し得なかったわけがわかったろう。これはわたしの生涯の絶頂の瞬間だ――いや、われわれの生涯といってもいい。おまえたちの理解を越えた歳月を通じてはじめて、われわれはついに自分たちの生涯が無益ではなかったということを確信した。だが、気をつけよ――おまえたちが待機しているものがやがて到来するだろう」
「それはなんです?」「だれです?」「教えてください、どうすればいいか――」
「われわれにはできない」四人の分離したアリシア人は同時に微笑した。いうにいわれぬ祝福の波が、五人の心をひたした。「その統一を可能ならしめたわれわれは、それが持つ高度の機能の詳細については、ほとんどまったく無知なのだ。しかし、それがわれわれの、より劣弱な心の援助をまったく必要としないことは確実だ。それは、この宇宙がかつて見たうちでもっとも強力で、もっとも完全に近い創造なのだ」
アリシア人の思考は消滅した。そして、キムボール・キニスンが思考波スクリーンを開放するいとまもなく、まったく探知し得ないような、しかもすべてに滲透《しんとう》する、謎めいた異質な思考が出現した。
ブラック・レンズマンを援助するためか?
このじゃまな新しい要素を検査するためか? それとも単に観測するためか? それともなんのためなのか? ただ一つ確実なのは、その思考が、銀河文明に対しては、冷酷に明確に高度に敵意をいだいていることだった。
ふたたび、万事が一瞬のうちに起こった。カレンの貫通不能な精神障壁が出現した――異質な思考の出現の直後にではなく、それと同時だった。コンスタンスも同様に、これまで思いもよらなかったような規模と力の精神衝撃を結集して同時に投射した。探知者、走査者たるカミラは、コンスタンスの攻撃的思考に同調して、自分の思考を投射した。そしてキャスリンとキットは、人類に遺伝されたすべての精神力、すべての意志力、すべての行動力をふりしぼって応援した。
これらの作用はすべて、個々人の意識的努力ではなかった。レンズの子らは、いまや五人ではなくひとりだった。これは五人の心の〈統一体〉が、最初の統一行動をしているのだった。どんなことが起こったかを描写することは文字どおり不可能だった。しかし、五人はそれぞれ、このブラック・レンズマンを保護しようとした存在が、時空体系のどこにいたにせよ、二度と思考することはあるまいということを知った。数秒が過ぎた。統一体は緊張して反撃を待った。反撃はこなかった。
「上出来だ、みんな!」キットは結合を解いた。娘たちは兄がつよく背中をたたくのを感じた。
「この場合は、あれだけが保護者だったんだと思う――当直の警戒者は、あれひとりだったにちがいない。きみたちはすてきだ。気に入ったよ――ぼくらはなんて有能になったことだろう!」
「でも、やさしすぎたわ、キット」キャスリンが抗議した。「あれがエッドール人にしては、あんまりやさしすぎたわ。わたしたち、それほど有能じゃないわ。だってあれなら、わたしひとりでも処理できたでしょう――と思うわ」彼女はいそいでつけ加えた。自分が統一体の不可欠の部分ではあるが、それの真の意味をまだ真に理解していないということを知っていたからだ。
「〈と希望する〉、っていう意味でしょう?」コンスタンスがひやかした。「もしあの精神衝撃が予想したほど強烈だったら、あれがぶつかるものはなんでも、やさしく片づけられるんじゃないかしら。キット、なぜわたしたちの力を緩和しなかったの? あなたはわたしたちの〈脳髄〉とみなされているのよ。あなたが力を緩和しなかったから、わたしたちはどんなことが起こったのかまるでわからなかったわ。とにかく、あれはなにものだったの?」
「時間がなかったよ」キットは微笑した。「万事が手におえなかったんだ。ぼくらはみんな、自分自身の情熱がありあまって、いくらか酔っぱらっていたんじゃないかと思う。しかし、ぼくらはもう自分の速度がわかったんだから、こんどはもっと緩和しよう――もしそうしたければね。コン、きみの最後の質問だがね、きみは質問する相手をまちがえているよ。カム、あれはエッドール人だったのかい、そうじゃなかったのかい?」
「それにどういうちがいがあるの?」カレンがたずねた。
「実際的な面では何もちがいはない。しかし、イメージを完全にするという意味では、大いにちがいがあるだろう。カム、話したまえ」
「あれはエッドール人じゃなかったわ」カミラは断定した。「あれはアリシア人と同程度どころか、それに近い程度でさえなかったわ。残念だけど、キット、あれはあなたが小さな黒いノートの一ページに記録した、あの高周波帯域で思考する種族のひとりよ」
「ぼくもそうだろうと思った。カロニアとエッドールの中間の空白だ。たしかに、メンターがしきりに口にしていた、あのあいまいな惑星プルーアだ。ちぇ、いまいましい!」
「なぜいまいましいの?」コンスタンスは陽気にたずねた。「統一体になって、その惑星を見つけて片づけてしまいましょうよ。おもしろいわ」
「分別を働かせな、赤ちゃん」キットはたしなめた。「プルーアは禁物なんだ――そのことは、きみもぼくと同じくらいよく知っているだろう。メンターはぼくらみんなに、あの惑星を積極的に捜してはいけない――そのうちにひとりでにわかる――といった。だから、いまにわかるだろう。ぼくはちょっとまえ、あの惑星を自分で捜索するつもりだとメンターにいった。彼は、もしぼくがそんなことをすれば、ぼくの足を首のまわりに比翼《ひよく》結びにしてしまうというような意味のことをいったんだ。ぼくはときどき、あのおいぼれをたたきつぶしてやりたくなるが、彼がこれまでにいったことは、何もかも的《まと》のまん中を射抜いている。ぼくらは彼の言葉を受け入れて、そうするように努力しなければならない」
キニスンは、自分の思考波スクリーンを切りたくてたまらなかった。スクリーンを通じてでは、ここでなすべきことをすることができなかったからだ。しかし、彼は自分の能力を過信していなかった。彼はこのブラック・レンズマンを――どのブラック・レンズマンでも――処理できるということを知っていた。また、精神現象一般についても、またレンズマンの本質についても、よく心得ていたから自分が何も知らないような予備軍を、メラスニコフが呼べば答える範囲内に持っている可能性が充分にあるということも理解できた。彼は自分がこの作戦の勝算について、若いレンズマンのフランクに大嘘をついたことを知っていた。勝算は百万対一ではなく、実際には一対一かそれ以下なのだ。
しかし、彼は満足していた。フランクにむかって、自分はどうなってもいいといったが、それは嘘でも誇張でもなかった。だからこそ、現在フランクとドーントレス号が上空にいるのだ。重要なのは、情報を獲得して、それを基地に持ち帰ることだ。ほかに重要なことは何もない。
彼は、このカロニア人レンズマンと心と心で対決すれば、メラスニコフが持っているすべての情報を獲得できるということを、冷静に確信していた。また、どんなボスコーン人の心力や兵器をもってしても、彼がそうするのを妨げるほど自分を強烈に支配したり、迅速に殺したりすることはできないということを信じていた。そして彼は、その情報を獲得すると同様の速さでフランクに伝達できるし、事実そのつもりでいた。そのあと離脱できる可能性は一対一――いずれにせよ、ほぼ一対一――だ。できればQXだが、できなければ――そう、それでもQXだ。
キニスンは思考波スクリーンのスイッチを切った。つづいてサブ・エーテルを沸きたたせるような意志の闘争が起こった。カロニア人は、この地獄的に有能な種族の中でも、もっとも強力で堅固で、有能な部類に属している。そして、彼が自己の完全な不死身を絶対的に確信しているという事実が、彼の本来の強大な力を二倍にも四倍にも強めていた。
いっぽう、キムボール・キニスンは、銀河パトロール隊の第二段階レンズマンである。
ブラック・レンズマンの精神防御区域は、一インチ一インチ、一フィート一フィートと後退して、ついに自分の心の中にめりこんでしまった。しかし、驚くべきことに、キニスンはそこに価値のあるものをほとんど何も見いださなかった。
ボスコニア組織の上層部については、なんの知識もなかった。ブラック・レンズマンの真の組織が存在しているという、なんの痕跡もなかった。知識といっては、彼がライレーン系第九惑星でそのレンズを拾ったという、奇妙にあいまいな事実だけだ。彼はレンズを文字どおり「拾った」のだ。彼はそこにいるあいだだれにも会わず、だれの声も聞かず、だれともどんな関係も持たなかった。
宇宙服を着《つ》けた二つの姿は、どちらも身動きもせずに立っていたので、ふたりのあいだに、はげしい精神闘争がおこなわれている兆候は、どこにもあらわれていなかった。したがって、ボスコーン人たちは、ブラック・レンズマンが次のようにいうのを聞いても、すこしも驚かなかった。
「よろしい、サイロン、きみはこの予備検査に合格した。さしあたり知る必要のあることはみんなわかった。きみの船に同行して、そこで検査を完了しよう。案内したまえ」
キニスンはそのとおりにした。そして、快速艇がドーントレス号の内側におさまると、ブラック・レンズマンは、副司令官メンドナイに映像プレートを通じて呼びかけた。
「わしはブラッドロー・サイロンを、船ごと第四惑星の宇宙空港に連れて行き、そこで真に徹底的な調査をおこなう。きみの本来の任務にもどり、それを遂行せよ」
「承知しました、閣下、しかし――しかしわたしは――わたしがその船を発見したのであります!」メンドナイは抗議した。
「それはそうだ」ブラック・レンズマンはあざけるようにいった。「おまえがしたことは、わしの報告の中でちゃんと記録してやるから安心しろ。しかし、発見の事実は、おまえが現在のような行動をとる口実とはならんぞ。行け――さっきの功に免じて、いまの許しがたい不服従を処罰するのをこらえてやるから、ありがたいと思え」
「承知いたしました、閣下。まいります」彼はこんどこそ本当に恐れ入っていた。そして艦隊は立ち去った。
それから、強力なドーントレス号が無事にカロニアを離れ、ヴェラン号とのランデブーにむかうと、キニスンはまた、捕虜の心を、組織ごと細胞ごとに検査しはじめた。やはり同じことだった。やはりライレーン系第九惑星であり、やはりなんの意味もなさない。ボスコーン人たちは超人でないことは確かだから、自力でレンズをつくりだすことはできないだろう。したがって、彼らは、ボスコニアにおけるアリシアに相当する惑星から、レンズを手に入れたにちがいない。したがって、ライレーン系第九惑星が〈それ〉にちがいない――だが、この結論はあきらかに不合理だ。ばかげている――矛盾している――まったく――筋が通らない。ライレーン系第九惑星はボスコニアの超種族《スーパー・レイス》の居住地だったことはないし、現在もそうではないし、将来もそうではあるまい。しかし、メラスニコフがレンズをそこで手に入れたのは、明確な事実だ。また、レンズマンたる者は特別の訓練を受けなければならないはずだが、メラスニコフはそういう訓練を受けたにしても、なんの記憶も持っていない。しかも、彼の心には精神手術を受けた傷あとはまったくない。なんと不思議なことだ!
このような混沌《こんとん》たる矛盾に筋を通すことが〈だれに〉できようか?
つねに監視をおこたらないキャスリンは、いまや目を細めて心を集中していた。彼女はキニスンにその理由を教えてやることができたが、そうはしなかった。彼女の洞察はしだいに明確化してきた。ライレーンはだめだ。プルーアもだめだ。レンズはエッドールでつくられている。それは確かだ。ブラック・レンズマンの訓練は潜在意識的におこなわれているが、その事実は、彼らが究極的な力を発揮するに必要な特性そのものを弱めている――しかし、エッドール人もプルーア人も、ボスコニア的なゆがんだ価値感覚に立っているので、そのことを理解していないのだ。ブラック・レンズマンが、銀河文明にとって深刻な問題になることはないだろう。QX。
キニスンは、メラスニコフを構成原子に分解するという、不愉快だが必要な作業をすませてのち、レンズマン副官をふりむいた。
「フランク、わたしがもどるまで、現状のまま待機していてくれ。この仕事にはそう長くかからんだろう」
そのとおりだった。しかし、その結果は、グレー・レンズマンが予期していたものとはまるでちがっていた。
キニスンとウォーゼルは、有重力状態の快速艇に同乗して、時速数マイル程度で地獄穴の警戒網を通過し、それからさらに速度をゆるめた。艇は、どちらかのレンズマンがちょっとでも指を動かせば、全速力で無重力前進できるようにすべての装置を設定しながら、ブレーキをかけて後退していった。キニスンは何も感じることができなかった。しかし、ウォーゼルと精神感応状態にあったので、友人がまもなくはげしい苦痛を感じはじめたのを知った。
「離脱しよう」グレー・レンズマンは提案して、推進スイッチを入れた。「ぼくは自分の心の限界まで検査したが、どんなものにもふれることも感じることもできなかった。きみはいやというほど感じたらしいな?」
「充分以上だ――あれ以上は耐えられなかったろう」
ふたりはそれぞれの船にもどった。そしてドーントレス号とヴェラン号がはるかはなれたライレーンへむけて宇宙空間を突破して行くあいだ、キニスンはまゆをひそめて考えこみながら、部屋の中を行きつもどりつしていた。読心術者が彼の心を読んだとすれば、彼の思考が論理的でも明確でもないということを知っただろう。
「ライレーン第九――ライレーン第九――ライレーン第九――ライレーン第九――そして、おれが感ずることも知覚することもできないあるものが、ほかのすべての者を殺す――クロノ神のタングステンの歯と鋭い合金の爪に誓って、わけがわからん!」
[#改ページ]
二一 ライレーン上のレッド・レンズマン
ヘレンの物語は、短いが苦悩にみちていた。人類または人類に近い形態のボスコーン人が、ライレーン系第二惑星にやってきて、惑星全体に陰険なプロパガンダをひろめた。ライレーンの女家長制種族は孤立主義政策を捨てるべきである。女家長制種族は生命の最高形態である。女家長制は現存の政体のうち、もっとも完全なものである――それは当然、銀河系宇宙全体を支配する権利を持っているのに、なぜ小さな一惑星にとじこもっているのか? 現状では、長老はひとりしかいない。ほかのライレーン人はすべて、現在の長老より能力があるのに、無視されている――などなど。本来ならば、各ライレーン人は、一つの惑星の長老、いやおそらく一つの太陽系全体の長老になれるはずなのに――などなど。そして、訪問者たちは、ライレーン人が女性でないのと同様自分たちも男性ではないと主張し、ライレーン人を指導してやろうというのだった。ライレーン人たちは、ボスコーン人の指導をうければ、この計画を驚くほど容易に実現できるというのだ。
ヘレンは能力のありったけをふりしぼって、侵入者たちと戦った。彼女は自分の種族の男性を軽蔑し、他の種族の男性を憎悪した。彼女は、キニスンもボスコーン人も他の女家長制種族を知らないように思われたところから、自分の種族が唯一の女家長制種族であることを信じ、他の種族と長く交渉を持っていれば、その結果は、女家長制の勝利ではなく、その滅亡に終わるのは確実だと考えた。彼女はそうした確信をありのままに――そして痛烈に――公言したばかりでなく、その確信にしたがって、痛烈に行動した。
ライレーン人の思考に植えつけられた女家長制的保守性のおかげで、ヘレンは表面的な反抗を比較的容易に鎮圧できた。そして、彼女は一本気な性格だったので、すべての問題が解決したものと考えた。ところが、運動は地下へ追いこまれたにすぎず、そこですさまじく成長した。もちろん、若い世代は、偏狭《へんきょう》で苔《こけ》のはえた反動的な古い世代に対して反抗的なのがつねだから、群れをなして地下運動に参加した。古い世代も強固ではなかった。事実、古い世代にも多数の離脱者が出た。彼らは現在の社会では目ざましい地位を獲得することができないので、ボスコニアのきらびやかなプロパガンダが実現するものと信じこんだのである。
やがて、不満は急速に、しかもひそかに拡大し、ついに慎重に計画された反逆が起こって、ヘレンは前女王となり、監禁されて、喜劇的な裁判と死刑を待つことになった。
「わかったわ」クラリッサは歯で唇をかんだ。「でも、ひどくおかしいわ――あなたはライレーン人の首謀者を指摘もしなかったし、心あたりもない――あなたの精神感能力で彼らを捕捉できなかったというのは不思議だわ――いや、むしろ当然かもしれない――でも、わたくしが知りたくてたまらないことが一つあるわ。彼女が実際に指導者かどうかは知らないけれど、何かの意味でボスコニアのレンズマンと交渉があると思うの。彼女の名前は知らないけれど、キムとわたしがここにきたとき、空港の管理をしていた女――じゃなく人間よ――」
「クレオニーのこと? わたし考えたこともなかったわ――でも、そうかもしれない――そうだわ、思い出してみると――」
「そうよ、過去のイメージのほうが未来のイメージよりずっと正確なものよ」レッド・レンズマンは微笑した。「わたくし自分でもそれをたびたび経験したわ」
「そうだわ! あれが指導者だわ!」ヘレンは怒りにもえて断言した。「あの嫉妬ぶかい猫の命を取ってやる――血にうえた、陰険なシラミめ!」
「彼女はあなたが考えている以上にそういう人間なのよ」クラリッサは賛成して、ライレーン人の心に廃人エディーの物語を展開してみせた。「だから、わたしたちはクレオニーから出発しなければならないのよ。彼女がどこにいるか、心あたりがあって?」
「わたし、最近クレオニーに会ったこともないし、あれについて何か聞いたこともないわ」ヘレンは思考をとぎらせた。「でも、あれがあのばかな子供のラドラをあやつっている原動力のひとりにちがいないと思うけれど、もしそうだとすれば、この惑星を一時に長いことあけているはずはないでしょう。どういう方法で発見するかということになると、まるでわからない――だれでも、わたしを見つけたとたんに射撃するでしょう――あなた、このおかしな飛行機を、わたしたちの都市の近くまで降下させることができる?」
「もちろんよ。この惑星に、わたしの防御スクリーンや力場で防ぎきれないような攻撃兵器があるとは思わないわ。なぜなの?」
「クレオニーがいそうな場所をいくつか知っているからよ。もしそこへ充分近づければ、あれがどんなに身をかくしても、発見できるわ。でも、あなたをあんまり危険な目にあわせたくないし、わたしもせっかく助けられたのだから、殺されたくはないわ――少なくとも、クレオニーとラドラを殺すまではね」
「QX。じゃあ、なぜのんびりしているの? どっちへ行きましょうか、ヘレン?」
「はじめにわたしのいた市へもどりましょう。これにはいくつかの理由があるのよ。たぶんクレオニーはあそこにいないでしょうけれど、確かめる必要があるわ。それに、わたしの銃がほしいし――」
「銃ですって? いらないわ。デラメーター放射器のほうがいいわ。わたし何挺もあるのよ」
クラリッサは瞬間的な精神接触で、ライレーン人にデラメーターについて知っておくべきことをすっかり教えた。その精神操作は、武器の性質や能力よりもっとヘレンを驚かせた。
「なんていう心でしょう!」彼女は叫んだ。「このまえあなたに会ったときは、そんな能力は持っていなかったわね。それとも――いえ、ちがうわ、かくしていたわけじゃないわ」
「そのとおりよ。わたし、あのときから、かなり進歩したの。でも、銃のことだけれど――なぜ必要なの?」
「あのばかのラドラとずるいクレオニーを見つけて、あなたの用がすみしだい、射殺するためよ」
「でも、なぜ銃を使うの? なぜ、いつも使っている精神力を使わないの?」
「不意うちでなければ、殺せないからよ」ヘレンは率直に認めた。「成熟したライレーン人はみんな、ほとんど同等の精神力を持っているの。力といえば、こんなに小さい船があの巨大なボスコニア船の攻撃を受けとめていられるなんて、不思議だわ――」
「あら、そんなことできないわ! なぜできると思うの?」
「あなたが自分でいったじゃない――それとも、あなたはライレーン人からの攻撃だけを予想していたの? もちろん、ラドラはあなたが牙《きば》を見せたとたんに、クレオニーを呼ぶわ。そしてクレオニーが、ボスコニアのレンズマンか、ほかのボスコニア人を呼ぶことも、同じように確実よ。彼らはそう遠くないところに軍艦を待機させているにちがいないわ」
「まあ! それは思いもよらなかったわ!」
クラリッサは短時間思考した。キムを呼んでも無駄だ。ドーントレス号とヴェラン号は全速力で接近中だが、到着するまでにはまだ一日かそこらかかるだろう。それに、キムは彼女に手を出さないようにいうだろうが、それこそ彼女が望ましくないことだ。彼女は女家長制人に思考をもどした。
「わたくしたちの船のうちでいちばん優秀なのが二隻、この惑星へむかっているわ。それが先に到着すると思うの。そのあいだに、手早く仕事をして、探知器をいっぱいに展開しておきましょう。どのみち、クレオニーはわたくしが捜していることを知らないでしょう――わたくし、あなた意外はだれにも、彼女のことを口に出さなかったから」
「知らないかしら?」ヘレンは悲観的だった。「クレオニーは、わたしが捜していることを知っているわ。そして、いまでは、わたしがあなたといっしょにいることを知っているから、わたしたちがあれを狩りたてていなくても、狩りたてていると思っていることよ。でも、もう市に充分近づいたわ。思考を集中しなければ。市の上空をうんと低く飛びまわってちょうだい」
「QX。わたくしもあなたの思考波に同調するわ。『二本立て』にするのよ」クラリッサは、ヘレンが心を集中しているあいだに、クレオニーの精神パターンを学んでそれに同調し、市をシラミつぶしに調査した。
「あの思考波スクリーンのかげにかくれているのでなければ、彼女はここにはいないわ」レッド・レンズマンはいった。「あなたにわかる?」
「思考波スクリーンですって! ボスコーン人は持っていたけれど、わたくしたちは、これまでだれも持っていなかったわ。なぜ思考波スクリーンがわかるの? それはどこにあるの?」
「あそこに一つ――あそこに二つよ。白い幕の上の黒い斑点みたいに浮きあがって見えるわ。あなたには見えないの? わたくし、あなたの走査器はわたくしのと同じだと思っていたら、あきらかにちがうわね。スパイ光線ですぱやくのぞいてごらんなさい――こういうふうに操作するのよ。スパイ光線防止スクリーンも展開していたら、あそこへ降下して、熱線で破壊しなけりゃならないわ」
「ただの政治家たちよ」ヘレンは、たちまち習熟した装置をちょっと操作したのち報告した。「もちろん、一般原則からすれば、あれたちも殺す必要があるけれど、いまはそんなことで時間をつぶさないほうがいいと思うわ。つぎに捜査する場所は、ここから北へ二、三度東寄りよ」
しかし、クレオニーはその市にいなかった。つぎの市にも、そのつぎの市にもいなかった。しかし、快速艇の探知器スクリーンは空白のままだった。肉体的にきわめて類似し、精神的にきわめて異なったふたりの同盟者は、捜索をつづけた。もちろん、抵抗はあった――この惑星に可能なかぎりの抵抗だ――しかし、クラリッサの第二段階の心には、快速艇の防御装置が処理できないような少数の兵器を制御した。
ついに、二つの事件がほとんど同時に起こった。クラリッサはクレオニーを発見し、ヘレンは探知盤の左下のすみにぼやけた白い斑点を発見したのだ。
「わたくしたちの船のはずがないわ」クラリッサは即座に判断した。「ほとんど絶対に敵の船よ。ボスコーン人だわ。十分か――せいぜい十二分のうちには――離脱しなけりゃ。でも、時間は充分よ――たぶん――わたくしたちが手早くやれば」
彼女は艇を有重力状態に移行させ、固有速度を惑星の固有速度に同調させながら急降下した。ふつうのパイロットにとっては、自殺行為にひとしいようなはなれ技《わざ》だ。そして魚雷型をしたベリリウム・ブロンズの艇体を、ほとんど窓のない堅固な建物の一階の壁に突きこんだ――このどっしりした何階もある建造物も、確実に放射されるにちがいない強力な熱線に対しては役に立つまいということがわかっていた。つづいてボスコーン人に指導されたライレーン人の、これまでかくされていたすべての攻撃兵器が、悲鳴をあげて空を切り、市街に沿ってひびきをたてながら集中されているあいだに、クラリッサは探索し、探索し、探索した。クレオニーは、この建物の最下層の文字どおり地下室にとじこもっていた。彼女も思考波スクリーンを着用していたが、どんなことが起こっているかを知ろうとして、一度に一瞬間ずつそれをゆるめていた。その一瞬間だけで充分だった――スクリーンは二度と作用しようとしなかった。彼女は必要な場合には自殺する用意をしていた。しかし、彼女のフルに充填《じゅうてん》された武器は、堅固な錠にむかってむなしく発射され、彼女は毒のびんを廊下ごしに、からっぽの小部屋にほうりこんだ。
ここまではいい。だが、彼女をそこから出すにはどうするか? 身をもって接近することは論外だ。このあたりには、だれかがどこかに、鍵や〈かねのこぎり〉や大ハンマーを持っているにちがいない。そら――酸素アセチレン発炎灯だ! クラリッサに操《あやつ》られたふたりのライレーン人技師は、まったく自己の意志に反して、運搬車を廊下沿いにころがし、エレベーターにのせた。エレベーターは四階降下して、技師は太い鋼鉄の棒を焼き切りはじめた。
そのときは、建物全体が、爆撃機の投下した高性能爆薬の爆発でゆらいでいた。こんな爆薬をもっと多く使われれば、クラリッサの艇は破片の山で埋められてしまうだろう。クラリッサはすでに六人の頑強な心を制御していたし、ボスコニアの軍艦は急速に接近しつつあった。ここから離脱できるかどうかまったくわからない。
しかし、レッド・レンズマンは、彼女を独自なものにしている測定しがたい深所から、いよいよ多くの力をひきだした。キニスンはかつて、ふたりのレンズマンの心ともうひとりのレンズマンの心の一部を制御するという難事をやってのけたことがあったから、愛する妻がこの日、実際にどんな仕事をなしとげたかを推定したが、彼女はそれについては、あえて語ろうとはしなかった。
ほんの二、三フィートのところにいるヘレンさえ、どんなことが起こっているか理解できなかった。ライレーン人はずっと前から、はるかにとりのこされてしまって、なんの援助もできず、棒立ちになって驚いているばかりだった。彼女は、この奇妙に強力な地球人レンズマンが――制御盤の前に身動きもせずすわったまま、色青ざめ、汗を流し、いまにもはち切れそうに緊張して――何か恐るべき巨大な力を発揮していることがわかった。上空を旋回している爆撃機のうち、もっとも強力な機が、方向を転じて衝突するのがわかった。つい二、三区画むこうにある移動式ビーム放射器がそれ以上接近しないのがわかった。クレオニーが、頑強なライレーン的意志をふりしぼって抵抗しているにもかかわらず、快速艇のほうにひきよせられているのがわかった。多くのライレーン人たちが、クレオニーの前進をくい止めるか、彼女を射殺するかしようと、はげしく努力しながらも、肉体的に行動できないでいるのがわかった。しかし、そうした精神制御がどのようにしておこなえるのかは、まるでわからなかった。
クレオニーは快速艇に乗りこみ、クラリッサは精神集中状態から脱却した。快速艇は破壊された要塞《ようさい》を突きくずしてとびだし、抵抗のつよい気層を突破して、宇宙空間におどりだした。クラリッサは頭をふり、顔をぬぐいながら、いまやボスコニア船をはっきりうつしだしている映像プレートとむかいあった、もう一つの映像プレートの隅にあらわれた小さな点を調べてから、制御装置を固定した。
「まにあうでしょう――と思うわ」彼女は告げた。「この艇は探知不能だけれど、ボスコニア船はもちろんわたくしたちのコースを知っているし、こちらよりずっと速いから、まもなく視覚探知器でわたくしたちを発見できるでしょう。でも、彼らはもうパトロール船を探知しているにちがいないから、わたくしたちに損害を与えるほど長く追跡するつもりはないと思うわ。ヘレン、わたくしクレオニーがどういうことを知っているかを検査するから、そのあいだ情況に気をつけていてちょうだい。そういえば、あなたの本当の名前はなんていうの? こちらが勝手につけた名前で、あなたを呼びつづけるのは、礼儀にはずれているわ」
「ヘレンっていう名前はね」ライレーン人は思いがけない返事をした。「気にいったから、自分の本名にしたわ――公式にね」
「まあ――それはキムにもわたくしにも、ほんとにうれしいことだわ。ありがとう」
そこでレッド・レンズマンは捕虜に注意をむけたが、自分の心を相手の心にぴったり適合させると同時に、その目が喜びに輝きはじめた。クレオニーはすばらしい獲物《えもの》だった。この一見重要でなさそうなライレーン人は、パトロール隊の支持者が聞いたこともないようなことについて、多くを――きわめて多くのことを――知っていた。そして、クラリッサ・キニスンは、すべてのグレー・レンズマンのうちで最初に、そうした知識を獲得しようとしているのだ! そこで彼女は、充分に時間をかけて、この奇妙な、しかし興味深い絵物語の歴史を、すみからすみまで自分の心にきざみこんだ。
このとき、カレンとカミラは、トレゴンシーの船の中で顔を見あわせて、すばやく思考をとりかわした。クラリッサがすべての知識を獲得するのを妨害すべきだろうか? これまではその必要がなかったが、いまやそうしなければならないような情況になってきた――母がもしあのことを理解すれば、心が破壊されてしまうだろう。たぶんクレオニーと同様に理解できないだろうが――しかし、理解できたとしても、母は父よりもっとはるかに固有の精神安定性があるから、無事にその知識を受け入れられるかもしれない。そして、彼女はそのことを父にさえ洩《も》らさないだろう――しかも、さいわいなことに、父は根掘り葉掘りせんさくするたちではない。だが、おそらく、安全のために、あの問題は遮蔽《しゃへい》しておいて、必要なら少しだけ知らせるようにしたほうがいいだろう。そこでふたりの娘はまったく気づかれないように、自分たちの心を母の心とクレオニーの心に同調して、「聞き耳をたてた」。
時は想像もおよばぬほど遠い過去であり、場所は想像もおよばぬほど離れた宇宙だった。一個の巨大な惑星が、冷却しつつある恒星の周囲をゆっくりまわっていた。その大気は空気ではなく、その液体は水ではなかった。どちらも有毒であり、その大部分が、人間には化学実験室の中でしか知られていない化合物からなっていた。
しかし、そこにも生命があった。そのときでさえすでに長い歴史を持った種族である。この種族はセックスを持たなかった。男女同体ではなく、絶対的に無性なのだ。彼らは、肉体的、精神的暴力によって殺される多くの者をのぞけば、無限に存在する。各個体は生活し認識する能力を獲得してのち何十万年もたってから、二つの個体に分裂する。そのおのおのは、親の記憶、知識、技能、力量などを完全に保有しているばかりでなく、能力がいっそう更新し、増大している。
そして、彼らが発生して以来ずっと競争がおこなわれてきた。権力をめぐる競争だ。知識は権力に役立つものだけが望ましかった。個人――グループ――都市――のための権力だ。戦争が猛威をふるった――なんという戦争だ! ――そして、そうした殺しあいの闘争が継続するうちに、多くの惑星が誕生し老化し死滅した。だがついに、生存者たちのあいだに平和がおとずれた。彼らは相互に殺戮《さつりく》できなくなったので、力を結集して外部に投射した――協力して太陽系を――局部宇宙を――銀河系そのものを――大宇宙全体を――征服し支配しようというのだ!
彼らは宇宙の深淵《しんえん》を横断し、他の種族を奴隷化して自分たちの指示のもとに使役《しえき》するために、いよいよ心を働かせた。彼らは本質上および選択上、自己の惑星に束縛されていた。事実、この種族が生活できる惑星は、ごく少なかったのだ。そういうわけで、彼らはピラミッド型の下部組織を代理として、他の惑星上で生活し支配し、そうした惑星をますます増加させていった。
彼らは自分たちの無性性が特異なもので、有性生物が宇宙を支配しているということを、ずっと前から知っていたが、この認識は、彼らが宇宙を支配するばかりでなく、宇宙の生命形態を自分たちのそれに適合させようという決意を強化させるのに役立ったにすぎなかった。彼らは依然《いぜん》として、より適当な代理種族を捜し求めていた。無性に近い種族ほど適当なのだ。カロニア人は、女性がただ一つの機能――男性の生産――しか持っていないので、その理想に近かった。
いまや、彼らはライレーンの女家長制種族のことを知った。ライレーン人が肉体的には女性だというようなことは問題ではなかった。エッドール人にとっては、どちらの性でも同じようによかった――あるいは悪かった――のだ。ライレーン人は精神的に強固だった。彼女たちは、両性の平等を信じているすべての種族を特徴づけているように思われる、あの柔弱さを少しも持っていなかった。ライレーンの科学は、男性の必要を完全に除去しようと何世紀も努力してきたのだ。ある程度の援助を与えれば、もう二、三世代でその目標が達成され、完全な代理種族が誕生するだろう。
この歴史は、ここに述べられたように明確に認識できたのではなかった。それはぼやけて混乱していた。クレオニーはそれを理解していなかった。クラリッサはいくらかよく理解した。その名称のわからない未知の種族は、ボスコーンの最上層組織であり、ボスコニア組織におけるカロニア人の地位も、ここに明白になったのだ。
クラリッサが調べたところでは……
「わたしがおまえにこの歴史を告げるのは」とカロニア人のブラック・レンズマンは、クレオニーにひややかな調子でいった。「わたしの自由意志によるのではなく、そうせざるをえないからだ。わたしがおまえをどういう目にあわせたいかは、おまえにも想像できるだろう。しかし、わたしはおまえの種族に一つの可能性を与えるために、おまえを旅行につれて行って、もし可能ならば、レンズマンにしなければならないのだ。いっしょにこい」そして、クレオニーは、ヘレンに対する嫉妬と、はげしい野心と、そしてもし真相がわかっていたとすれば、おそらくエッドール人の心によってつき動かされて、出かけて行った。
この恐るべき、いとわしい旅行については、くわしく述べる必要はない。隕石《いんせき》坑夫エディーの事件は、この旅行における小さな一エピソードに過ぎなかった。クレオニーが非常にすぐれたボスコニア的素質を持っていて、すみやかに学び、すべてのテストを順調に通過したということを述べれば充分だろう。
「これで全部すんだ」ブラック・レンズマンはそのあとで告げた。「おまえと縁が切れてよかった。そのうちに、ライレーン系第九惑星へ行って、レンズを拾うように指示があるだろう。行ってしまえ――おまえに出あった最初のグレー・レンズマンが、レンズをおまえののどにぶちこんで、おまえのからだを裏返しにしてしまうことを期待する」
「おまえがそれと同じ目にあうことを期待するわ、それもすぐにね」クレオニーはあざけった。「もっといいのは、わたしの種族がおまえの種族にとって代わって、権力の代行者になったとき、それと同じことをわたしが自分でおまえにしてやることだわ」
「クラリッサ! クラリッサ! 注意してちょうだい!」レッド・レンズマンは、はっとわれに返った――数秒まえから、ヘレンが彼女に思考を投射して、その力をしだいにつよめていたのだ。ヴェラン号は映像プレートの半分をみたしていた。
それから数分後には、クラリッサたちはドーントレス号内のキニスンの私室にいた。あたたかい精神的挨拶がかわされていた。肉体的標示はそのあとでおこなわれるのだ。そのとき、ウォーゼルが思考をはさんだ。
「失礼するよ、キム。だが、寸秒を争う問題なのだ。われわれは分離したほうがいいとは思わないか? きみはクラリッサからこのあたりの状況を聞いて、処置をとりたまえ。わたしは、あのボスコニア船を追跡する。やつは逃走している――大あわてでな」
「QX」そしてヴェラン号は姿を消した。
「ヘレン、あなたはもちろんキムをおぼえているわね」キニスンは高い声でそういう妻にすばやく微笑を投げながら、ヘレンに頭をさげた。ライレーン人は身をかがめないように努めながら、なかば手をさしのべたが、キニスンがその手をとろうとしないのを見ると、二十年前と同様、ひどくほっとしたようすで手をひっこめた。
「それから、これはクレオニーよ。あの――わたしがあなたに話したあの女。まえに会ったことがあるわね」
「うん。あまり変わってないな――やっぱり前と同じように髪がもじゃもじゃだ。クリス、きみの望む情報が手にはいったら、この女は――」
「キムボール・キニスン、わたしはクレオニーの命を要求します!」ヘレンの振動する思考が伝達された。彼女はクラリッサのデラメーターをひったくって、クレオニーにねらいをつけたが、そのとたんに万力《まんりき》のような力でひきとめられた。
「気の毒だがね、ヘレン」グレー・レンズマンの思考はかなり凄味《すごみ》があった。「きれいな娘はそんな乱暴をするものじゃない。すまんな、クリス、きみの仕事に首をつっこんだりして。ひきついでくれ」
「本気なの、キム?」
「そうだ。これはきみの肉だ――厚く切ろうと薄く切ろうとお好みしだいさ」
「逃がしてやってもいいの?」
「もちろんさ。ほかにどんなことができる? 救命ボートに乗せてやるのだ――操縦法をこのじゃじゃ馬に教えてやってもいい」
「まあ――キム――」
「主計官! キニスンだ。十二号救命ボートを点検して、発進させろ。ライレーン系第二惑星のクレオニーに貸与してやるのだ」
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二二 キット、エッドールへ侵入。そして――
キットはずっと前から、惑星エッドールを偵察するのは自分の仕事だと決心していた。自分だけの仕事だ。彼はエッドールへむかう途上だということを何人かの人々に告げていたし、ある意味ではそのとおりだったが、あわててはいなかった。ひとたびその仕事に着手したからには、絶対に冷静に遂行しなければならない。それに、これまではあまりにも多くの事件が突発した。しかし、いまや心象化の働きによって、自由な時間が二、三週間あることがわかった。偵察にはそれで充分だった。彼は、自分が一人前の仕事ができるほど成熟しているかどうか確かではなかったし、メンターも教えてくれようとしなかった。これはそれを確かめる最良の方法だ。もし成熟していれば、QXだ。そうでなかったら、退却して時を待ち、もう一度試みるまでだ。
妹たちはもちろん同行したがった。
「ねえ、キット、ばかなまねはしないでよ」コンスタンスが、彼らの長い生涯のうちで最後のはげしい口論となった協議の口火を切った。「集団行動をとりましょう――考えてもごらんなさい。わたしたち統一体にとってはすばらしい仕事だわ!」
「そうじゃないよ、コン。気の毒だが、それはこのまえ協議したときと同様、計画にはずれている」彼は説得するようにいった。
「あのとき、わたしたちは賛成しなかったわ」ケイがはげしく口をはさんだ。「そして、わたしとしては、いまも賛成しないわ。あなたはきょう偵察をする必要はないわ。実際、もっとあとのほうがいいのよ。どのみちね、キット、いまはっきりいっておくけれど、もしあなたがひとりで出かけるなら、わたしたちもみんな行くわ。統一体としてじゃなくても、ひとりひとりでね」
「子供っぽいこというんじゃないよ、ケイ」キットはたしなめた。「理性的に判断するんだ。この惑星は、宇宙を通じて、遠距離から工作できないただ二つの惑星の一つだ。そして、きみたちがここに着くころには、ぼくは仕事をすませているだろう。だから、きみたちが賛成しようがしまいが、どんなちがいがあるというんだ? ぼくはいま侵入するし、それもひとりでやるつもりだ。手を出しちゃいけない!」
カレンは、はっとして思いとどまった――みんなは、カレンでさえ、エッドールの防御スクリーンに対して無益な示威行動をとって、キットの偵察を危険にするようなことはしないということを知っていた――しかし、議論はなおもつづけられた。のちになって、キットは、妹たちの主張にも一理あることを知るにいたったが、このときにはそれがわからなかった。彼は妹たちの主張が一つも筋が通っていないと断言し、しだいに忍耐がうすれてきた。
「ちがう、カム――ちがう! 現在または近い将来に、ぼくらがみんな一つのことに時間をさくわけにはいかないということは、きみだってわかっているだろう。ケイは問題を山ほどかかえているし、きみたちはみんなそのことを知っている。現在こそ、ぼくがこれまでに持った最良の機会なんだ――
だまれ、キャット――きみはそんなあほうなのか! 統一体をつくって行動すれば、万事が公然たるものになってしまう。ぼくがひとりで侵入しても、〈何か〉の警報装置に触れないですます可能性はない。それにしても、ぼくひとりなら、それほど気づかれることはないだろうが、統一体では、おおっぴらな警報を発することになって、大さわぎが起こるだろう。それとも、きみはほんとうに大あほうで、アリシア人の意見に正面から反対して、われわれが正面からの対決の準備ができていると思うのか?――待て、みんな! 静かにするんだ!」彼はついにどなりつけた。「きみたちは頭をはりとばされなけりゃわからんのか? ぼくだって、正体がまるでわからない相手に対する攻撃を調整できやしないんだ。頭を使え、みんな――たのむから、頭を使ってくれ!」
彼はついに妹たちを説得した。カレンさえ。そして、快速艇が最後の航程を突進しているあいだに分析を完成した。
彼は集められるかぎりの情報を集めていた――事実、集められるかぎりの情報を――しかし、それらはひどく乏しくて、細部的には混乱し矛盾していた。彼はアリシア人をひとりひとり直接知っていた。そして、究極《きゅうきょく》の敵に対するアリシア人の洞察を、集団的にも個人的にも研究していた。エッドールの歴史について、プルーア人の説明からライレーン人が受けた印象を知っていた――プルーア! 単なる名称にすぎない。メンターがボスコニアに関する現実から峻別《しゅんべつ》してきた一個の象徴だ――プルーアは、カロニアとエッドールを結ぶ、|失われた環《ミッシング・リンク》にちがいない――そして、彼はそれについてほとんどすべてのことを知っていたが、二つだけ真に重要な事実がわからなかった――それが実際に失われた環であるかどうか、そして、百十億パーセクの宇宙のどこにそれが存在するのか!
彼も妹たちも最善をつくした。多くの資料員もそうだった。彼は少しも不思議とは思わなかったが、どんなに包括的、専門的な資料庫にも、エッドールやエッドール人に関する情報や推定は、〈うの毛〉ほども発見されなかった。
こうして、彼は多くの推測、仮定、理論、洞察などを持っていたが、それらはどれ一つとして一致もせず、信頼性もなかった。明確な事実はまったくわからなかった。メンターは、エッドール人の心の強力さからすればそのような事態になるのは避けられないと告げたが、それはもっともなことだった。しかし、キット・キニスンは、恐るべき惑星エッドールに接近しながら、そうした事態を少しも是認《ぜにん》できなかった。彼は現実にどのようなことが起こるのかを思うと、戦慄《せんりつ》を禁じ得なかった。
エッドールがふくまれている星団の境界に接近すると、艇の速度をおとして、這うように前進して行った。星団全体は外郭スクリーンに包まれていることがわかった。しかし、中間防御層がいくつかあり、それらがどこにあってどのようなものかというようなことは、だれにもわからなかった。そしてその情報は、彼が獲得しなければならぬ情報のほんの一部でしかない。
ほとんどゼロにちかい強度で広汎に展開した艇の探知網が、敵の警報装置を刺激することなくスクリーンに接触して停止した。彼は快速艇を停止させた。あらゆるものが停止した。
統一体の基盤であり中心要素であるクリストファー・キニスンは、アリシアのメンターでさえ詳細には何も知らないような道具や装置を持っていた。それらについては、エッドール人はまったく知らないものと期待され、また信じられた。彼は心の中の道具箱の奥をさぐって、適当な道具を順次に選びだし、そして仕事にかかった。
彼は探知網を展開し、それを一時に無限小ずつ強化していって、ついに障壁を知覚することができた。が、それを分析しようとは努めなかった。そのような機能をはたすにたりるほど強固な組織や構造なら、きっと警報装置を触発《しょくはつ》するにちがいないということを知っていたからだ。分析するのは、この外郭スクリーンの発生器が、機械ないしは生きた頭脳を発見してからでもいい。
彼はスクリーンに沿ってさぐって行った――ゆっくりと――慎重に。一つの区画の外郭を完全にたどって、その接合部がどのように接合されているか、そしてその区画がどのように支持され捜査されているかを調べた。それから、複雑きわまるスクリーンの構造に、精神的探針をできるかぎり微妙に同調させて、それを供給ビームに沿ってすべりこませていくと、発声器ステーションに到達した。発生器は機械だ――では、エッドール人は、アリシア人同様、外郭スクリーンに生きたエッドール人の頭脳を浪費していないのだ。QX。
精密に同調された力場の被膜《ひまく》が快速艇をおおった――その被膜はスクリーン自体と区別しがたいほど融合し、事実、スクリーンの構成部分となった。快速艇は這うように前進した。スクリーンは――なんの変化も影響もうけずに――快速艇の後になった。人と艇は通過したのだ!
キットは深い安堵のため息をついて休息した。もちろん、これはたいしたことではない。ナドレックはカンドロンをおとしいれるとき、ほとんど同様なことをやってのけている――ただし、パレイン人では、このようなスクリーンを分析することも合成することもできないだろう。真のテストはこれからだ。しかし、これはまことにいい実習だった。
真のテストは五番目の最内層スクリーンで起こった。スクリーンは、内側のものになるほど敏感さも複雑さも強度も増加してきたが、いずれも機械的に発生させられていたので、第一のスクリーンと、程度はちがうが質は同じ問題を提起したにすぎなかった。ところが、第五のスクリーンは高度に有能な生きた頭脳によって発生させられており、他のスクリーンとは程度ばかりでなく、質においてもちがっていた。エッドール人は妨害に対してと同様、形態に対しても敏感だろう。エッドール人をなんとか処理できなければ、被膜は使えない――しかも、快速艇は被膜をつくらなければスクリーンを通過できない。
そればかりでなく、このスクリーンには、視覚探知器と電磁波探知器が、細菌一匹通過させないように配置されている。宇宙要塞、|空飛ぶ鉄槌《モーラー》、戦艦その他の軽艦艇がある。ビーム放射器、機雷、超原子爆弾のついた自動魚雷その他の兵器がある。こうしたものは、完全にこのエッドール人警戒員の知覚に依存《いぞん》しているのかどうか?
そうではなかった。もちろん、士官たちは――大部分がカロニア人だったが、警戒員の信号と同時に行動にでるだろうが、危急のさいには、指示なしに行動できるだろう。巧妙な機構だ――非常に砕《くだ》きにくいクルミだ! 暗示帯域を用いねばなるまい。そのほかの方法では効《き》き目がない。
彼は、その付近からもっとも大きな要塞で、比較的大きな防御区域を持つものをえらび、自分の心をつぎつぎに観測員の心に侵入させていった。そして二、三分して、それらの心をぬけだした。彼はまもなく警報を触発するわけだが、これらの観測員たちは、それに対してなんの反応も示さないだろう。彼らは生きていて、完全に意識を保っており、自分があらゆる点で完全に正常でないと指摘されれば、ひどく腹をたてることだろう。しかし、どんなライトがひらめこうと、映像プレートにどんな映像があらわれようと、スピーカーからどんな音がわめきたてようと、彼らの意識内では、空白で沈黙しているのだ。また、記録テープも、どんなことが起こったかをのちになって暴露することはあるまい。記録装置は、渦動部分が二本の安定した指針によって制御されている場合には、震動を記録することができないからだ。
つぎはエッドール人だ。キットは、そいつの心全部を支配することは、自分の現在の力にあまるということを知っていた。しかし、部分的に暗示帯域を設定することはできる――そして若いキニスンの心は、それまで不可能だったそのようなことをやってのけられるようにとくに発展させられていた。こうして、警戒員は自分では気づかずに、部分的盲目におちいった。その状態は、快速艇がスクリーンを通過するに必要な瞬間だけ継続した。そして、厄介な記録器もなかった。エッドール人は眠ることもなく、警戒をゆるめることもないので、自己の能力になんの疑問も持たず、自己の行為の結果を点検する必要もなかったのだ。
レンズの子クリストファー・キニスンは、エッドールの最内層防御圏内にはいった。アリシア人は、無数の年月のあいだ、ここを起点とする一連の事件にそなえ、それを警戒してきたのだ。キットはここに長くいるわけにはいかなかった。それはメンターが強調したことだったが、そうでなくとも、キットにはそれがわかっただろう。何もしないでいるかぎり彼は安全だが、偵察を開始したとたんに探知にさらされることになり、たちまちエッドール人のだれかが、彼の心の枠《わく》をのぼってくるだろう。そうしたら、精神的格闘だ――何か情報がつかめるかもしれず、たくさん、つかめるかもしれず、何もつかめないかもしれない。そうしたら――勝っても負けても引きわけになっても――脱出しなければならない。まったく自分の力だけで、宇宙にかつて生存したうちで、もっとも強力で容赦のない不定数の生物と戦うのだ。アリシア人も妹たちも、ここへ侵入してキットを援助することはできない。だれにもできない。まったく彼ひとりで処理しなければならないのだ。
しばらくのあいだ、彼の心はひるんでいた。敵は優勢すぎる。責任は重すぎる。彼にはそれを遂行する半分の能力もない。メンターのように賢明な生物が、なぜ自分のような無能な青二才をもってして全エッドールに対抗できると考えたのか?
彼はこわかった。骨の髄《ずい》までこわかった。これまで経験したことがないほど、これからも経験することがないだろうほどこわかった。口はからからにかわき、舌は綿になったようだった。指はぶるぶるふるえ、握りしめてとめようとしてもとまらなかった。彼は長い生涯の最後まで、その恐怖をまざまざと記憶していた。自分がその恐怖に負けて、来たときと同じように、探知されずに退却できるうちにひき返そうと決心したことを記憶していた。
そうだ、なぜ退却してはいけないのか? だれが文句をいうものか? そしてそれがどうしたというのだ? アリシア人だと? ばかばかしい! 準備不足なのに彼を派遣したのは、みんな彼らの責任なのだ。
両親だと? 両親はこの真相を知らないから、気にかけはしないだろう。そして、どんなことが起こっても、彼の味方になってくれるだろう。妹たちだと?――妹たち! おお――おお――妹たち!」
彼女たちは、彼がひとりで偵察に行くのを思いとどまらせようとした。自分たちを同行させようとして、山猫のように論争した。そして彼はそれを説伏した。いまもし彼がしっぽをまいてこそこそひきあげていったら、彼女たちはどう受けとるだろう? どうするだろう? どう思うだろう? そして、彼が万事をおじゃんにして、アリシア人もパトロール隊も全銀河文明も破滅させたとすれば――そうすればどうなるのだ? 妹たちは、どうしてなぜそういうことになったのかを正確に知るだろう。彼は自己弁護しようとしてもできないし、またする気にはなれないだろう。あの四人の赤毛の妹たちが、どれほど痛烈な軽蔑を示すか想像したことがあるか? もし彼女たちが軽蔑を示さなかったとしても――事後検討の結果――妹らしい思いやりを示したとしても、それは軽蔑よりは十億倍もわるい。それに、彼自身はどう考えるだろう? いけない。絶対に駄目だ。エッドール人は彼を一度殺すことができるだけだ。QX。
彼は急降下しながら、自分の知覚が明晰《めいせき》で、手もふるえず、舌も正常にうるおっていることを自覚した。まだこわくはあったが、もう心身が麻痺《まひ》するようなことはなかった。
充分降下したのち、彼はあらゆる知覚力を投射した――するとたちまち、めっぽういそがしくなって、何かを気になぞしていられなくなった。ここには、新しい情報が多量にあった――それらをみんな手に入れるだけの時間さえあれば!
しかし、彼には時間がなかった。一秒かそこらたったかと思うと、彼の知覚波は探知され、ひとりのエッドール人が検査のために思考を投射してきた。キットは全心力を投入し、完全に不意をうたれたエッドール人が死ぬまでの短い瞬間に、これまで全アリシア人がエッドールおよびボスコニア帝国について発見したよりも、もっと多くの真実を獲得した。そのきわめて密接な精神|融合《ゆうごう》の瞬間に、彼はエッドールの歴史をほとんど完全に知った。敵の文明を知り、彼らがどのように行動しているか、またなぜそうしているのかを知った。彼らの理想とイデオロギーを知った。彼らの組織について、攻撃および防御のシステムについて知った。彼らの強味について、そしてもっとも重要なことは、彼らの弱味についても知った。もし銀河文明が勝利を博すとすれば、その勝利はいかにして獲得されねばならないかを知った。
このことは、信じられないように思われる――というより、信じられないことだ。しかし、事実は事実である。このような緊急事態のもとでは、エッドール人の心が、想像を絶するような短時間に、想像を絶するような多量の知識を吐きだし、クリストファー・キニスンのような強力な心が、それを吸収するということは可能なのだ。
キットはすでに制御装置につき、すべての思考波スクリーンを展開した。これらのスクリーンは、まさに投射されようとしている精神衝撃に対していくらか効果があるだろうが、たいしたことはない――現在、銀河文明に知られているかぎりのどんな機械的スクリーンでも、第三段階の思考波を防止することはできないのだ。彼は、自分と快速艇が、熱線や爆弾の攻撃を受ける危険のない唯一の小さな区域――そこにある宇宙要塞の観測員は、どんな異常が起こっても、それを知覚し得ないのだ――にむかって、全速力で突進した。彼は物理的追跡を恐れはしなかった。彼の快速艇は宇宙でもっとも速かったからだ。
一秒かそこらは、さして問題ではなかった。もうひとりのエッドール人が、疑惑を持って警戒のために思考波を投射してきた。キットはそれを精神衝撃で殺した――そしてその過程で、いっそう多くの情報を獲得した――しかし、エッドール人が極度に暴露的な呼びかけを発して援助を求めるのを妨げることはできなかった。エッドール人たちは、物理的侵入というような驚くべき事件が実際に起こっているということを、ほとんど理解できないほどだったが、だからといって、彼らの反撃はおくれもせず、彼らの怒りも弱まりはしなかった。
キットが無難《ぶなん》な宇宙要塞のそばを通過したときには、もう、彼が受けとめられる極限に近い精神衝撃が加えられていた。そしていよいよ多くのエッドール人が参加してきた。第四スクリーンに到達したときは、いっそうひどくなり、第三では、まったく能力の限界まで圧力が加えられたと感じられた。しかし、彼はこれまで思いもよらなかった心の深所から、なんとか余力をひきだして、その地獄的な圧力にさらにもうすこし耐えた。
がんばれ、キット、がんばれ! あと二つスクリーンを通過しさえすればいいのだ。一つかもしれない。いや、もっと少ないかもしれない。もちろん、いまや機械的発生器ではなく、エッドール人の生きた頭脳がすべてのスクリーンを捜査していた。しかし、もしアリシア人の洞察が思考者にふさわしく透徹《とうてつ》していれば、彼らはいまごろはもう第一スクリーンを破壊して、第二スクリーンにとりかかっているだろう。がんばれ、キット、死力を尽すのだ!
レンズの子らの最年長者であるクリストファー・キニスンは、目標へむかって断固として、頑強に、死にもの狂いで、がんばった。
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二三 きわどい脱出
もしこの歴史の著者が、登場人物の性格や能力を描写することに成功しているならば、キットがエッドールから脱出するのにどんな危険をおかしたかを、くわしく述べる必要はあるまい。成功していなければ、くわしく述べても無益である。したがって若いレンズマンがあらゆる能力をふりしぼってがんばり、脱出路を切り開いたということを述べれば充分である。
アリシア人は、まさに適切なときに行動を開始していた。エッドール人の警戒員が第一スクリーンの操作を開始したと思うまもなく、アリシア人の強力な思考波がそれを圧倒した。しかし、アリシア人の集団的思考波がエッドールの防御装置に投射されたのは、これがはじめてでないということを、忘れてはならない。エッドール人は、その当時から現在までのあいだに、アリシア人の攻撃防御技術を徹底的に分析することによって、多くのことを学んでいた。したがって、キットが第二スクリーンに接近しつつあったとき、アリシア人の攻撃はそこでほとんど食い止められていた。スクリーンは波うち、移動し、必要とあればへこみ、可能になればはね返った。
しかし、アリシア人の強力な集中攻撃をうけたスクリーンは、突進してくる快速艇の真正面の区域が弱まっていた。二、三本の熱線が、めくらめっぽうに放射されたが、なんの効果もなかった。エッドール人がアリシア人の攻撃に対して、主要スクリーンを完全に保持することができなかったとすれば、射撃員の心のような取るにたりないものをどうして防御することができようか? 小さな宇宙船は弱まったスクリーンを突破し、アリシア人が形成した貫通不能、滲透不能の思考圏にとびこんだ。
キットは、すさまじい精神闘争が突然終了したショックで――努力が最高からゼロへ瞬間的に移行したショックで――制御椅子の中で失神した。彼はぐったりと昏睡《こんすい》状態におちいったが、その状態はやがて深い自然な眠りに移行していった。そして、眠っている男を乗せた無重力状態の快速艇が、全巡航速力で宇宙空間を横断して行くあいだ、その奇妙な思考圏は依然として彼を包み、保護していた。
やがてキットは息をふき返しはじめた。まずぼんやりあらわれた思考は、空腹だという意識だった――そのうちに、完全に意識が回復して記憶がもどり、レバーをつかんだ。
「静かに休みなさい。そして腹いっぱいたべるがいい」おごそかで鳴りひびくような擬似《ぎじ》声音が安心させるようにいった。「万事きわめて順調だ」
「おお、メンター――いや、いや、昔なじみのユーコニドールじゃないか! ごきげんよう! なぜ、そんな調子のいいことをいうんだい? ぼくにはなすべき仕事があるというのに、一週間も眠ることを許す――というより、強制する――とは、どういうわけなんだ?」
「少なくともさしあたりは、きみの任務は遂行されたのだ。しかも非常にうまくね」
「ありがとう――だが」キットはまっかになって思考をとぎらせた。
「自分やわれわれを責めるのをやめるのだ。そして、最高性能を持つ精密機械の製造工程を復誦《ふくしょう》してみたまえ」
「適当な合金。加熱工程――それから冷却工程も。鍛造《たんぞう》――加熱――冷却――圧延《あつえん》――」
「それで充分だ。もし鋼鉄に感覚があったとすれば、そのような処理を喜ぶと思うかね? しかし、喜ばないにしても、その必要は認めるだろう。きみはもう、きたえられた完成された道具なのだ」
「そうか――きみのいうことには一理ある。だが、ぼくが最高性能だなどというのは、お笑いぐさだ」キットの思考には少しもおどけた調子がなかった。「その概念と臆病とは一致させることができない」
「一致させる必要はないのだ。最高という言葉は、熟考の上で用いられたもので、依然として有効だ。しかし、それは完全な状態を意味するものではない。そのような状態は到達不可能だからだ。わたしはきみに忘れるようにすすめもしないし、忘却《ぼうきゃく》を強制しようとも思わない。きみの心はもう、わたしが動員し得るどんな力をもってしても、強制し得ないからだ。いまの事件を気にやむことはない。事実、きみの心は他のどんな心もこうむったことがないような圧力を受けたが、圧倒されなかった。それどころか、きみはわれわれアリシア人が獲得できなかったような情報を獲得し、それを持ち帰ったのだ。この情報は事実、きみたちの文明を保持するのに役立つだろう」
「ぼくには信じられない――つまり、どう見ても」キットは自分の思考が混乱していることを知って思考を中断し、心をはげました。あの情報はあまりにも圧倒的で驚異的だが、真実にちがいない。真実なのだ!
「そうだ、あれは真実だ。われわれアリシア人はときによって矛盾した説明をして、レンズマンたちを誤った結論に導いたりしたが、きみには、われわれが嘘をついたのではないということがわかっているはずだ」
「そうだ、わかっている」キットはアリシア人の心を見抜いた。「ぼくはあの情報で、いささか度を失ってしまったのだ――一口に飲みこむには大きすぎるかたまりだった」
「そうだ。わたしがここへきたのは、一つにはきみにあれが真実だということを信じさせるためなのだ。さもなければ、きみは完全には信じられなかったろう。さらには、きみの休息が乱されないようにするためだ。さもなければ、きみの心は傷害をこうむっただろう。そしてまた、きみがエッドール人によって恒久《こうきゅう》的な傷害をこうむらないように警戒するためなのだ」
「ぼくはそういう傷害をこうむらなかった――少なくとも、こうむったとは思わない――そうだろう?」
「そうだ」
「よろしい。一つ気になることがあるのだが――もちろん、メンターはいまのところ、われわれと接触しているだろうから、きみにたずねよう――ぼくは最善の努力をしたが、彼らはぼくの精神パターンをある程度|把握《はあく》したにちがいないから、今後はぼくのあとを追求しつづけるだろう。したがって、ぼくはたえず強固な精神障壁を保持しなければならないのではないか?」
「彼らはきみを追求することはないよ、クリストファー。したがって、きみは精神障壁を保持する必要はない。きみたちがメンターとして知っている人々に指導されて、わたし自身がそのように工作したのだ。しかし、時間が迫ってきた――わたしは同僚のところへ復帰しなければならない」
「そのまえに、もう一つ聞きたいことがある。きみは、ぼくが信じたくてたまらないようなことを、ぼくに信じさせようとした。だが、そんなことは無駄だよ。ユーコニドール、妹たちは、ぼくがとほうもない臆病ぶりを発揮したことを知るだろう。あれたちはそれについてどう思うだろうか?」
「きみの質問はそれだけかね?」ユーコニドールの思考はほとんど笑っていた。「そのことなら、彼女たちがもうすぐはっきりさせるだろう」
アリシア人のその思考圏も消滅し、四つの思考波が歓声をあげてとびこんできた。
「まあ、キット、わたしたちとってもうれしいわ!」「わたしたち、手つだおうとしたんだけど、アリシア人が許してくれなかったのよ!」「頭ごなしにやっつけられたわ!」「ほんとよ、キット!」「おお、わたしたちもあそこにいればよかったのに!」
「だまりなさい、みんな! お待ちなさいったら!」キットには、それがコンだということがわかったが、コンはまったく生まれ変わったようだった。「カム、これまでやったことがないほど念入りに、キムの心を検査してちょうだい。もし兄さんの脳細胞が一つでも破壊されていたら、わたしすぐメンターを捜しだして、あのいまいましい歯を一本一本へし折ってやるわ!」
「それから聞いてちょうだい、キット!」これはキャスリンの思考で、やはり奇妙に変化していたが、怒りに燃えた口調には、妹らしい思いやり以上に、あふれるような愛情がこもっていた。
「兄さんがどんな目にあうかがちょっとでもわかっていたら、アリシア人だろうがエッドール人だろうが、大宇宙のどんな怪物が全部かかっても、わたしたちをひきとめることはできなかったわ。そのことは信じてちょうだい、キット――信じられる?」
「もちろんさ――公理を証明する必要はない。みんな、ちょっとだまってくれ。きみたちは第一級だ――完全なトップだ。だが、ぼくは――きみたちは――つまり――」彼は思考を中断して考えをまとめた。
彼は、妹たちがさっき起こったことを詳細に知っていることを知っていた。しかも、彼女たちは、みんな彼をすばらしいと評価している。彼女たちは一様に、自分もあそこにいて、彼が受けたような圧力に耐え、彼が行動したように行動したかったと考えていた!
「ぼくにわからないのは、きみたちがぼくの身に起こったことについて、自分を責めようとしていることだ。きみたちはあのときずっと手がふさがっていた。きみたちは、あそこにいるわけにはいかなかったのだ。そんなことをすれば、万事がおじゃんになってしまっただろう。きみたちには、あのときそのことがわかっていたし、いまはもっとよくわかっているはずだ。それから、ぼくが臆病風を吹かしたこともわかっている。そのことも〈記録〉されているんだろう?」
「あら、あんなこと!」ほとんど同一の、完全に否定的な思考が同時に伝達された。そしてカレンが思考をつづけた。
「兄さんはどういう危険があるかを正確に知っていたんだから、わたしたちは、兄さんがよく侵入して行ったものだと、びっくりしているのよ――ほかの者にはとてもできなかったでしょう。それから、侵入して実際にあそこにあるものを見たときに、そのまま離脱しなかったのも驚きだわ。ほんとよ、兄さん、りっぱなものだわ!」
キットは胸がいっぱいになった。これはありがたすぎる。だが、そのおかげで彼はすっかり安心した。妹たちは――宇宙で最高の生物なのだ――
彼がそう考えているうちに、部分的な思考波障壁が無意識裏に出現した。なぜなら、この美しくもすばらしい妹たちは、いまになってさえ、彼が確実に認識していること――彼女たちのひとりひとりが、もうすぐ彼と同じような試練を受けねばならないということ――に気づいていないのだ。もっと悪いことに、彼は、妹たちがそうした試練につぎつぎにふみこんでいくのを、傍観していなければならないのだ。妹たちが受けようとしている試練を除去してやるか、少なくともやわらげてやることはできないものだろうか? できない。もちろん、彼の現在の力をもってすれば、介入《かいにゅう》することはできる――しかし、そのために銀河文明がどれほど大きな犠牲を払わなければならないかは、全銀河文明を通じて彼クリストファー・キニスンだけが知っている。いけない。介入することはできない。絶対に駄目だ。現在彼女たちが彼のところへきてくれたように、彼女たちの試練がおわったあとで、彼女たちのところへ行っていたわってやることはできるが、それがせいいっぱいだ――しかし、一つちがいがある。彼女たちはその試練について、あらかじめ何も知っていない。それはきびしい試練だ――彼はなんとかしてやることができるだろうか? できない
いっぽう、有毒の大気と液体におおわれたエッドールでは、アリシア人の攻撃がしりぞけられ、事態が正常に復してのち、最高司令部の会議が開かれた。彼らはだれひとりとして類似した形態を持っていなかった。ひとつのいまわしい形態から別のいまわしい形態に変化しつづけているものもあった。すべてが表現を絶するほど怪物的だった。彼らはいずれも、突然提起された問題に思考を集中していた。それぞれが他の者に対して、また他の者といっしょに、思考していた。相互にからみあった思考の複雑な迷路を正確に認識することは不可能であるから、そこここで要点を拾いあげるのが最善の方法である。
「これは、プルーア人やカロニア人がひどく恐れているスター・A・スターの仕事だ」
「惑星スラールを支配していたわれわれの工作員が失敗し、スラールが陥落したのも彼の仕事だ」
「われわれが最近こうむっている深刻な敗北もそうだ」
「愚鈍で、始末におえぬほど低脳な下級者どもが!」
「はじめからわれわれに援助を求めればよかったのだ!」
「きみたちはあの生物の精神パターンを、細部をのぞけば、分析することはとにかく、知覚することだけでもできたのか?」
「できなかった」
「わしもできなかった。はなはだ象徴的で驚くべき状況だ」
「アリシア人だ。というより、アリシア人の発展物にちがいない。銀河文明を通じて、他のどんな生物にも、あのようなことができるわけがない。また、われわれが知っているようなアリシア人にもできないことだ」
「彼らは、われわれが洞察《どうさつ》していなかったようなあるものを、ごく最近開発したのだ――」
「キニスンの息子か? ふむ! 彼らが、通常の肉体を活力化するという古くさい手で、われわれをあざむこうと考えているとでもいうのか?」
「キニスン――彼の息子――ナドレック――ウォーゼル――トレゴンシー――それがどうしたというのだ?」
「さもなければ、われわれが現在知っているように、完全に仮定的なスター・A・スターか」
「われわれは思考を改めねばならぬ」とくに強力に複合した心が結論をくだした。「理論と計画を改めねばならぬ。この新しい事態の展開により、行動をおくらすのでなく、はやめる必要が生ずる可能性がある。もしわれわれに有能な代理種族があれば、たえず情報に通じていることができただろうから、このような事件は生じなかっただろう。深刻になる可能性のある事態を改善すると同時に、もっとも充実した最近の情報を獲得するために、われわれは現在プルーアでおこなわれている会議に出席せねばならぬ」
彼らはそうした。それとわかるほど時間も経過せず、情況も変化しないまま、エッドール人の心は、現在洪水期にある例の惑星上の会議室に移行した。プルーア人は現在両棲的生態にあり、人類が知っているどんな生物よりもネヴィア人に似ていた。彼らはつめものをしたベンチにくつろいで、白熱した議論を戦わしていた。彼らは、エッドール人がたったいま考察していたのと同じ問題について、低いレベルで議論しているのだった。
スター・A・スターの問題だ。キニスンは容易に捕獲《ほかく》されたが、脱出できないはずの罠から、ほとんどすぐに脱出してしまった。べつの罠がしかけられたが、はたして捕獲できるだろうか? 捕獲できたにしても、また脱出しないだろうか? キニスンはスター・A・スターである――そうにちがいない。いや、そんなはずはない。彼とは無関係で、同時に発生した事件が多すぎる。キニスンも、ナドレックも、クラリッサも、ウォーゼルも、トレゴンシーも、キニスンの若い息子でさえ、みんながときとして不可解な力を発揮する。キニスンがとりわけそうだ。ボスコニアが長期間にわたって連続的敗北をこうむりはじめた時期は、キニスンがレンズマンとして登場した時期に一致しているが、これは注目すべき事実である。
情況はわるい。回復できないほどではないが、重大だ。責任はアイヒ族にある。そしておそらく、オンローのカンドロンにもある。なんたる愚鈍さ! なんたる無能! ああした下部組織の工作員どもは、状況が手におえなくなるまえに事態をプルーアに報告するくらいの頭があってもよいではないか。しかるに、彼らはそうしなかった。だから、このざまだ。しかし、プルーア人たちはだれひとりとして、現在の状況が、すでに自分たちの手におえないようになっているという思考を表示することもなく、現在の状況がエッドール人の手にさえおえなくなるまえに、それをエッドールへ報告しようと提案することもなかった。
「ばか者! あほう! われわれエッドール人は、おまえたちの予見や設定を通じないでも、すでにここにきておる。おまえたちはいま、下級者の行動をしきりに責めていたが、それと同じ行動について、おまえたちにも罪があるということを知るがいい」エッドール人もプルーア人も理解しなかったが、この欠点はボスコニアの組織に固有のもので、組織の絶頂から発しているのだった。
「なんたる愚鈍! なんたる過信! こうしたものが、われわれの最近の敗北の原因なのだ!」
「しかし、総統」ひとりのプルーア人が弁解した。「われわれが下級者の仕事を引きついだ結果、ボスコニアは着々と勝利を得つつあります。銀河文明は急激に分裂しております。もう二、三年もすれば、完全に粉砕《ふんさい》されてしまうでしょう」
「敵はおまえたちにそう思いこまそうとしているのだ。彼らは時間をかせいでいる。おまえたちの失策によって、敵は充分の時間をかせぎ、われわれのスクリーンを貫通し得る物体または生物を開発した。その結果、エッドールは不名誉にも物理的侵入を受けたのだ。この侵入は短時間で、不成功だったことは確かだが、侵入は侵入である――これは、われわれの長い歴史を通じてはじめてのことだ」
「ですが、総統――」
「だまれ! われわれがここに来たのは、責任のなすりあいをやるためではなく、事実を確認するためである。おまえたちは、宇宙におけるエッドールの位置を知らないから、無意識的にもせよ、その情報を敵に洩らしたのでないことは確実である。したがって、侵入者が何者であったかは、基本的には明瞭だ――」
「スター・A・スターですか?」グループのあいだに質問の波がひろがった。
「名称はどうでもいいが、それがアリシア人、または彼らの創造物であることはほとんど確実だ。おまえたちとしては、それが、おまえたちの心を束《たば》にしてかかっても手におえないものだということを知れば充分である。おまえたちが認識するかぎりで、プルーアは物理的または精神的に侵入されたことがあるか?」
「ありません、総統。そのようなことは信じられないことで――」
「そうか?」エッドール人はあざけるようにいった。「われわれのスクリーンも、エッドール人の警戒員もなんの警報をも発しなかった。われわれは、そのアリシア人がエッドールの表面で、われわれの心を探知しようと企てたときにはじめて、彼の存在に気づいたしまつだ。すると、おまえたちのスクリーンや心は、われわれのスクリーンや心より、それほどすぐれておるのか?」
「われわれがまちがっていました、総統。恐縮であります。われわれがどうすることをお望みでしょうか?」
「よろしい。詳細な計画ができたら、通報してやる。おまえたちがプルーアの上でなんの事件も経験しなかったという事実はまったく無意味だが、おまえたちの存在がまだ知られていないという可能性もある。しかし、キニスンがスター・A・スターであるとの確信のもとに、おまえたちがキニスンに対してしかけた罠は、これからわれわれのひとりが管理を引きつぐことにする」
「確信でありますか、総統? 彼がスター・A・スターであるということは、確実なのですか?」
「本質的にはそうだ。しかし正確にはそうでない。キニスンは、アリシア人がときとして操作する人形に過ぎないことはたしかだ。しかし、もしおまえたちがキニスンをあの罠に捕獲すれば、おまえたちがスター・A・スターと呼ぶ生物は、おまえたちを全滅させるにちがいない」
「ですが、総統――」
「まだいうか。だまれ、ばか者!」痛烈な思考が伝達された。「キニスンが、どれほど容易におまえたちから脱出したのかを忘れたか? あのとき、敵がさらに一歩を進めておまえたちを撃滅しなかったのは、真実を探知するためのもっとも賢明な処置だったのだ。おまえたちがスター・A・スターと呼ぶ者に対しては、おまえたちはまったく無力である。しかし、それより劣弱な敵に対しては、勝利を得られるだろう――しかも、そのような敵だけが、おまえたちを攻撃する可能性が大なのだ。用意はできているか?」
「できております、総統」プルーア人は、ついに自分の得意な問題に直面した。「われわれを攻撃するには、通常の兵器では無効でありますから、敵はそうした兵器を用いようとはしないでしょう。とりわけ、彼らは特殊な不可抗的と考えられる攻撃兵器を三種類開発しています。第一は、反物質からなる爆弾で、とくに惑星的規模のものです。第二は、浮遊《ふゆう》惑星で、無重力状態で推進されますが、その固有速度が、衝突を不可避ならしめるような位置で有重力化されます。第三のもっとも強力な兵器は、太陽ビームであります。これらの兵器、とくに第三のものは、いささか厄介な問題を提起しましたが、それらはすでに解決されました。もし三つのうちどれか、またはそのすべてがわれわれに対して用いられるならば、銀河パトロール隊に災厄がふりかかることは確実であります。また、われわれの対抗手段は、それにとどまりません。われわれの心理学者は技術者と協力して、いわゆる第二段階レンズマンの能力を徹底的に分析した結果、彼らが今後一世紀のあいだに開発するはずのあらゆる超兵器に対する対抗手段を開発しました」
「たとえば、どのようなものか?」エッドール人は冷淡にたずねた。
「もっとも可能性のある超兵器は、太陽ビームの拡張であり、遠方の太陽、なるべくは新星《ノーバ》から操作するものです。われわれは現在、特殊な電場と電極を装置していますが、それを用いれば、パトロール隊ではなくわれわれが、そのビームを操作できるでしょう」
「おもしろい――もし事実とすればな。われわれの心には、おまえたちが予見したことや、自己防衛のために採用した手段がすべて詳細に展開している」
それは、思考の速度をもってしても長くかかる操作だった。結局のところ、エッドール人は懐疑的、悲観的だった。
「われわれの洞察によれば、つぎの一世紀のあいだに銀河文明軍が開発すべき新兵器は、そのほかにも数種類ある」エッドール人はひややかに思考を伝達した。「その二、三のものについてデータを集めて、おまえたちの研究資料としよう。われわれはごく近いうちに最終命令を発するから、それまでは、いつでも行動できるように待機せよ」
「承知いたしました、総統」そしてエッドール人たちは、出発したときと同様にやすやすと自分の惑星にもどり、会議の結論を出した。
「――キニスンが例の罠にはいることは確実である。彼はそうせざるを得ないのだ。キニスンの保護者は、だれまたはなんであろうとも、その者は彼といっしょに罠にはいるかもしれず、はいらないかもしれない。また、彼といっしょに捕獲されるかもしれず、されないかもしれない。アリシア人の新しい創造物が捕獲されようとされまいと、キムボール・キニスンは殺さねばならぬ。彼は銀河パトロール隊の核心である。われわれが彼を殺したことを宣伝すれば、彼の死とともにパトロール隊は瓦解《がかい》するであろう。アリシア人は自分では一般人に正体をあらわさないから、別の人形の再製に努めざるを得まい。しかし、キニスンの息子にしても、その他のどんな人間にしても、英雄崇拝的で無知な銀河文明大衆によって、キニスンと同等の評価を受けることはできないだろう。罠の操作は、きみ自身で監督せよ。そしてきみ自身で彼を殺すのだ」
「いまいわれたことに全面的に賛成ですが、一つだけ例外があります。わたしは、彼を殺すことで解決がつくとは確信が持てません。しかし、キニスンは、なんらかの方法で効果的に処分しましょう」
「処分するだと? 殺せというのだ!」
「わかっています。しかし、わたしはやはり、単なる死では不充分だと思います。この問題は徹底的に考慮したうえ、結論と勧告を提出して、あなたの考慮と承認を求めます」
エッドール人はだれも知らなかったが、第二段階レンズマンの攻撃に対して、プルーア人に、はたして自己の惑星を防衛する能力があるかどうか、その点についてエッドール人がいだいた不安は、当時すでに実証されつつあった。キムボール・キニスンは、何時間も床を行きつもどりつしたのち、息子に呼びかけた。
「キット、わたしはこの何ヵ月来、一つの問題を研究してきて、ある結論に達したのだが、それが妥当なものかどうかわからない。この問題は万事きみにかかっているようだ。しかし、その問題にはいるまえに考慮することは、われわれがボスコニアの最上級惑星を発見した場合、それを宇宙から消滅させねばならないことはもちろんだが、これまで使用してきたような兵器は使用できないだろうということだ。賛成かね?」
「どちらの点も賛成です」キットは数分間、真剣に思考した。「また、その際に使う兵器は、われわれが持っているどんな兵器よりも、速くなければなりません」
「まったく同感だ。有効な兵器を思いついたつもりだが、カーディンジ老博士とアリシアのメンターをのぞけば――」
「待ってください、パパ。ちょっと偵察して、ある思考波遮蔽をしますから――QX、つづけてください」
「あのふたりをのぞけば、この問題に包含されている数学について、なにもわからなかった。サー・オースティンでさえ、メンターの指示を理解できる程度しかわからなかった――彼自身は本質的な仕事をしたわけではない。現在の科学者評議会には、この問題の手がかりをつかめるものさえいない。それは、われわれがかつて超空間チューブを通じてほうりだされた、いわゆる多次元空間という異質な空間なのだ。きみはそういう種類の問題について、アリシア人たちといっしょに多くの研究をしてきた――彼らの協力を得れば、船をあの空間へ連れて行って、またもどってこさせられるようなチューブを計算できるのではないか?」
「ふむ――む。ちょっと考えさせてください。そう、できます。いつまでに必要なんです?」
「きょうだ――あすでもいい」
「それは早すぎますね。二日はかかるでしょうが、それでも、パパが船を仕立てて、乗組員や船に積む装置をととのえるよりずっと前に仕上がるでしょう」
「船の準備には、そんなに時間はかからんよ、キット。われわれが前に乗ったのと同じ船だ。あの船はまだ就役《しゅうえき》中だからな――現在の名称は、第十二宇宙研究船だ。特殊発生器、道具、装置、みんなそろっている。二日のうちには準備ができるよ」
そのとおりだった。キットは技師長のラ・ヴェルヌ・ソーンダイク代将をはじめ、父のかつての乗組員の生き残りたちに挨拶しながら微笑した。
「おえら方がそろってますね!」あとでキットはキムにいった。「一隻の船に、こんなにおえら方が乗ったのは見たことがありません。しかし、一つだけ確かなのは、彼らが現在の地位を実力でかち得たということです。あのころはパパも〈人〉を見る目があっていらしたにちがいありません」
「『あのころ』とはどういう意味だい、礼儀知らずの青二才が! わたしは、いまだって〈人〉を見る目があるぞ!」キムはキットに微笑を返したが、すぐ真剣な調子にもどった。「これには、外見以上の意味があるのだ。連中は一度あの試練を通過したことがあって、それがどういうものかを知っている。彼らは試練に耐えてほとんど全員が帰還するだろう。若い乗組員では、二〇パーセントがせいぜいだがね」
船が太陽系の外側に出るやいなや、キットはまた驚かされた。彼らは高級将校で、乗組員を基準にすれば、〈ご老体〉だったが、常客のようにおさまってはいなかった。彼らは昔なじみのドーントレス号に乗って空港から遠く離れると、喜びいさんで金ぴかの制服をぬぎ捨てた。そして、いずれも二十年前の階級の制服を着用して、仕事にかかった。正規の乗組員は、宇宙船の正規乗組員がすべてそうであるように若かったので、はじめのうちは、こんな高級将校たちに監視されながら仕事をするのは、いいものかわるいものかわからなかったが、すぐにいいものだということを知った。高級将校たちも宇宙人だったのだ。
しかし、当直パイロットが若くなければならないというのは、宇宙航行の鉄則である。かつてのチーフ・パイロット、ヘンリー・ヘンダスンは、この鉄則をいまいましげにののしりながら、息子のヘンリーが、昔、自分がすわった操縦席についてあざやかにやってのけているようすを、いくらかねたましそうに、しかし誇らしげにみつめていた。
船は目的地に接近した――ジェットを切った――超空間チューブの口をさがした――発見した――特殊発生器のスイッチを入れた。すると、船の力場がチューブのそれに反応するにつれて、各乗組員は、かつてどんな生物も馴れることができなかった例の不快感を経験した。大部分の人間は、船酔いや飛行機酔いはもちろん、宇宙船酔いにさえ比較的早く馴れるものだ。しかし、次元間加速度は、それらとはいささかちがっている。異質なのだ――いかに異質かは、それを経験したことのない者には説明できない。ほとんど耐えられないほどの加速が止んだ。船は超空間チューブの中にはいっていた。すべての映像プレートが空白だった。いたるところが単調で混沌《こんとん》とした灰色だった。光も暗黒もない。あるのはただ名状しがたいものばかり――空虚な宇宙空間さえなかった。
キットは一つのスイッチを切った。ねじまげられるようなショックにつづいて、加速と同様に不快な減速が起こった。減速は止んだ。船は、かつての乗組員たちがよくおぼえている、あの奇妙な多次元空間にいた。ここでは、いわゆる「自然法則」の多くが通用しないのだ。時間は、あのときと同様、一見、気まぐれに速く進行したり停止したり後退したりした。有重力状態の物体は、光速度よりはるかに速い固有速度を持っていた――などなど。ベテランたちは、このまったく異質な環境に進んで漂着しようというのだったが、着陸の準備をしながら深く息を吸いこみ、肩を怒《いか》らせた。
「みごとな計算だよ、キット!」キニスンは映像プレートをちらりと見てから、そう称賛した。「あそこにあるのは、われわれが前に工作したのと同じ惑星だ。われわれが設置した機械も装置もそのままになっている。もう少し時間がずれていれば、衝突したところだ。キット、たしかに万事QXかね?」
「たしかですよ、パパ」
「QX。では諸君、わたしは諸君といっしょにここにとどまりたいし、キットもそうなのだが、われわれには処理しなければならない仕事がある。いまさら、きみたちに用心するようにいう必要はないはずだが、それでもわたしはいいたい。くれぐれも用心してくれ! そして、仕事がすんだら、できるだけ早く帰還するのだ。晴朗な宇宙空間を祈るよ、諸君!」
「晴朗な宇宙空間を祈ります、キム!」
レンズマンの父とレンズマンの息子は、快速艇に乗って立ち去った。彼らは超空間チューブを横断して、正常空間にあらわれた。そのあいだ、ふたりは一語もかわさなかった。
「キット」ついに父親がいった。「やはり気がかりでたまらん。彼らのうちだれかが――それとも全員が――あそこで殺されたとしたら? これはそれだけの価値のあることかな? 自分の案だということはわかっているが、しかし、こんな危険をおかすほどの必要があるのだろうか?」
「あると思います、パパ。メンターはそういっているんです」
そして、そのとおりだった。
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二四 討議
キットができるだけ早く正常空間へもどりたがったのは、まえに妹たちが彼をはげましたように彼女たちをはげまして、元気を回復させるためだった。案の定《じょう》、彼は妹たちのどの心にも、なんの傷も発見できなかった。しかし、メンターは発見するかもしれなかったので、メンターが妹たちの心を検査しているあいだ、彼はわきにひかえて見守っていた。
キニスンが帰らなければならなかったのは、さし迫った仕事がわんさとあったからだ。しかし、彼はついに時間の都合をつけて、第二段階レンズマン全員と彼の子どもたちを会議に召集した。この会議は、奇妙なことに、レンズを通じてではなく、直接、顔をあわしておこなわれることになっていた。
「もちろん、厳密には必要なことではない」グレー・レンズマンは、快速艇がドーントレス号に接近して行くあいだ、なかば弁解するようにいった。「しかし、これはやはり名案だと思う。とりわけ、われわれはライレーンのすぐ近くにいるのだからな」
「ぼくもそう思います。われわれがみんな集まるのは、まったくひさしぶりですね」
ふたりはドーントレス号に移った。出入口のすぐ内側で、クラリッサがキニスンに正面からとびついた。娘たちは、いくらか遠慮してさがっていた。そのあいだに、キットは四人を同時に抱きしめるという、肉体的に不可能なことをやろうとしていた。
五人は共通の取りきめで目だけを使って話した。表には何もあらわれなかった。しかし、娘たちはいきいきと顔を赤らめ、キットの顔は微苦笑でゆがんだ。
「だが、ぼくらが苦しい思いをしたのはよいことだった――と思う」キットは、まるで確信のない口ぶりだった。「あのやかまし屋のメンターでさえ、ぼくが成熟したということを六度以上もいった――少なくとも、そういう意味にとれることをいった。それから、ユーコニドールは、ぼくのことを『完成した道具』だといった。どういう意味かは知らんがね。ぼくの考えるところでは、彼らはぼくらが、これまでうぬぼれてきた半分も価値がないということを理解するのにどのくらい時間がかかるか、傍観しているんだと思う。どうだい?」
「たぶんそんなことよ。わたしたち、自分が完成品かどうかって考えるたびに身ぶるいが出るわ」
「わたしたちは学ぶべきことを学んだのよ――そうだと思うわ」カレンは強情だったが、肉体的に身ぶるいした。「もしそうじゃなかったら――しっ――パパが会議をはじめたわ」
「――では、みんな着席してくれたまえ。会議をはじめよう」
なんというグループだ! リゲル系第四惑星のトレゴンシーは身動きもしない――頑丈なずんぐりしたからだつきで、これが銀河文明はじまって以来最高の思考者のひとりだとはとても見えない。極度に敏感だが、まったく非情なヴェランシア人のウォーゼルは、コンスタンスが彼のしっぽのとぐろを二つ三つ足でのばして快適な長椅子をつくり、こうしてできた席に無造作に腰をおろしてアラスカン惑星産のシガレットに火をつけるさまを、三、四本の目を突きだしてものうげに眺めている。クラリッサ・キニスンはグレーの制服を燦然《さんぜん》と身につけ、娘たちより年上とは思えないような若々しさで、キャスリンのわきにすわり、おたがいに相手のからだに腕をまわしている。カレンとカミラは、どちらも「可憐な」という形容詞では表現できないような美しさで、キットといっしょに長椅子にすわり、できるだけ彼に身をすりよせている。そして、いちばんはずれのすみには、パレイン系第七惑星のナドレックが、堅固に装甲され厳重に絶縁された宇宙服につつまれて、周囲数ヤードの空気を冷えこませている。
「QXかね?」キニスンははじめた。「ナドレックはここにいるのが肉体的に困難だから、まず彼に発言させて、すぐ退席させよう――そのあと、彼は外部からわれわれと接触をたもつのだ。ナドレック、報告したまえ」
「わたしはライレーン系第九惑星を〈完全に〉調査した」ナドレックはそういって思考を中断した。彼がこのような言葉を用いるのは、重大な意味を持っていた。ここにいる人々は、彼がある言葉を強調するのを聞いたことがなかったが、いま〈完全に〉という言葉を強調した以上、彼は惑星をほとんど原子ごとに検査したにちがいなかった。「しかし、われわれが興味を持つような知的レベルの生物は、惑星の表面にも地下にも空中にも、発見されなかった。また、そのような生物が、定住者としてなり一時的訪問者としてそこにいたという証跡も発見できなかった」
「ナドレックが何かをあのように明確に断定した以上、そのことは確定したのだ」キニスンはパレイン人が退席すると同時にいった。「つぎに、わたしが報告しよう。きみたちはみんな、わたしがカロニアやその他でやったことを知っている。わたしが発見できた唯一の目ぼしい事実――つまりボスコニアの上級組織へ通じる唯一の手がかり――は、ブラック・レンズマンのメラスニコフが、レンズをライレーン系第九惑星で手に入れたということだ。精神手術を受けた痕跡はまったくなかった。この事実に対しては、わたしには二つの解釈しか考えられない。わたしに探知できないような精神手術の方法があるのか、さもなければ、ライレーン系第九惑星の訪問者が訪問の痕跡をまったく残さなかったのか、どちらかだ。さらに報告が進めば、どちらかに決定できるかもしれない。ウォーゼルはどうかね?」
他のふたりの第二段階レンズマンがつぎつぎに報告した。ウォーゼルもトレゴンシーも、ライレーン系第九惑星への手がかりを発見して、その惑星を慎重に検査していたが、どちらもナドレック同様、なんの証跡も発見できなかった。
「キットはどうかね?」キニスンはたずねた。「きみや妹たちは?」
「ぼくらは、ライレーン系第九惑星に訪問者があったものと信じています。その生物は、彼らが何者でどこから来たかということについて、なんの証跡も残さないことができるほど、強力な心を持っているのです。われわれはまた、この生物と直接の交渉を持ったブラック・レンズマンその他の者は、精神手術こそ受けていないが、きわめて微妙な工作――探知不可能な潜在的暗示――を受けていると信じています。こうした見解は、ぼくらの経験と推定とにもとづいているのです。もしこの判断が正しければ、ライレーンは外見上ばかりでなく実際にも袋小路ですから、放棄されるべきです。またぼくらは、ブラック・レンズマンがこれまでも重要でなかったし、これからも重要になるはずがないと信じています」
銀河調整官は驚いたが、キットと妹たちが自分たちの発見や推定を詳細に述べおわると、リゲル人をふりむいた。
「では、つぎはどうするかね、トレゴンシー?」
「ライレーン系第九がだめなら、もっとも有望な目標は、あのように高い周波数帯域で思考する例の生物と、『宇宙の地獄穴』と呼ばれる例の現象の二つだと思うな。わたしはその二つのうち前者を選んだが、そのうちに、カミラの調査の結果、つぎのようなことが判明した。すなわち、彼女が精神的に再構成したその生命形態は、調整官たるきみにほかの者が報告した生命形態と同一なものとして推定されているが、その推定は獲得されるデータと一致し得ないのだ。しかし、それらのデータは、乏しくて偶然的なものだった。だから、わたしは、われわれがここにいるあいだに、この問題をいっそう精密に再検討するように提案する。そうすれば、追加的情報によって、なんとか明確な結論に到達できると期待するからだ。これはカミラが調査していることだから、彼女が指導すべきだろう」
「はじめに質問があります」カミラははじめた。「周期的に、太陽としてほとんど可能なかぎりの形態をとるほど変化のはげしい太陽を想像してください。この太陽には一つの惑星があり、その大気や液体の性質、太陽との距離などの関係で、表面の温度は真夏には二百度くらいにのぼり、真冬には絶対温度の五度くらいにさがるのです。春には、その表面はほとんど完全に液体に没します。春、夏、秋には、すさまじい暴風雨がありますが、秋のが最悪です。このような惑星に、このように激変する環境のもとで、肉体的様相を極度に変化させることによって、継続的に生を維持していけるような知的生物がいるということを、だれかここにいる人たちの中で、聞いたかたがありますか?」
沈黙がつづいたが、ついにナドレックが思考をはさんだ。
「わたしはそのような惑星を二つ知っている。パレイン系の近くにきわめて変化のはげしい太陽があり、その惑星のうち二つには、生物が住んでいる。高等な生命形態はすべて、外形的にばかりでなく、組織的にも、周期的に極端な変化をこうむる。それらの生命形態のうち、もっとも高等なものは、はなはだ知的である」
「ありがとう、ナドレック。おかげでわたしの報告は信じられそうだわ。問題の生物のひとりの思考から、わたしはそのような太陽系を再構成したんです。そればかりでなく、その生物自身が、そのような種族に属していました。その再構成は、ほんとにすばらしく明確でした」カミラは訴えるようにつづけた。「そして、他の生命形態、とくにキャットの『四季』にぴったり一致していました。キャット、その証拠をみせましょう――いまだけ精神障壁を崩壊しなさい――あなたは自分が知覚したあの生命形態の分類を、だれにも七部分以上は話したことがないでしょう? 考えたこともないんじゃない?」
「ないわ」キャスリンの心は、警告を受けた瞬間から、読めなくなっていた。
「その七部分をあげてごらんなさい。RTSL以下をね。つぎの三つはS―T―Rだったわね。あたっている?」
「あたっているわ」
「だが、それでは生命形態が一定しているじゃないか!」キットが叫んだ。
「わたしもはじめはそう思ったわ――ついにボスコーンをつきとめたとね。でもね、キャット、あなたがあの生命形態にぶつかるよりずっとまえに、トレゴンシーとわたしが『X』をはじめて感じたときは、彼の形態分類はTUUVだったわ。キャットのを夏の形態とすれば、それは春の形態にぴったりよ。でも、筋がとおらない点は、少しまえ彼が自殺したときは、夏期形態はとうに存在し得ない時期だったし――春期形態はいうまでもないのに――彼の形態分類は、やっぱりTUUVだったことよ。十部分までTUUVWYXXWTだったわ」
「よろしい、つづけなさい」キニスンがうながした。「だからどうしたというのかね?」
「明白な解釈としては、これらの生物のひとりまたは全部が、とくにわたしたちに対してではなく、すべての有能な観測者に対して――わたしたちは比較的知られていないでしょうからね――一定の思考を植えつけられていたということだわ。もしそうだとすると、彼らはなんの意味もないわ」カミラはいま、自己の力を過大評価したり、ボスコニアの力を過小評価したりしていなかった。「これほど明白ではないけれど、ほかに二、三の事実が、同じ結論に通じているわ。でも、トレゴンシーはそのどれも信用しようとしないし、わたしもそうよ。わたしたちのデータがまちがっていないと仮定して、もう一つ説明しなければならないのは、宇宙での位置が――」
「カム、形態分類を離れるのはちょっと待ってちょうだい」コンスタンスがさえぎった。「わたしは精神障壁を展開しているわ――わたしが知覚した、生命形態の十部分までの分類はどうだった?」
「VWZYTXSYZYよ」カミラはよどみなく答えた。
「そのとおりよ。でも、わたしは、それが植えつけられた思考だとは思わないわ。だから――」
「ちょっといわせてほしい」キットが思考をはさんだ。「きみがその周波数帯域の思考波にぶつかっているとは知らなかった。ぼくは卒業前でさえ、そのRTSLにぶつかったんだ――」
「まあ! どんなRTSLなの?」カムが鋭く思考をはさんだ。
「わたしの責任だ」キニスンがいった。「カムがわたしにデータを求めたとき、すっかり忘れていたのだ。われわれはみんな、たったいままでそれを重要な問題だと考えていなかった。キット、カムに話しなさい」
キットは自分の経験を告げて、つぎのように結論した。
「四部分以上はひどくぼやけていたが、胸と足はQPらしかった――デイリア人もそうだったな?――それから、皮膚はR型らしかった。すると、キャットとぼくのは、彼らの年で一年へだたっているが、どちらも夏期形態だったにちがいない。ぼくが感じたその生物は、自分の惑星にいて、そこで死んだのだ。そして、ぼくが知覚した思考が、植えつけられたものでなかったことは確かだ。その位置は――」
「待ってちょうだい、キット」カミラがさえぎった。「はじめに時間の点をはっきりさせましょう。わたし、ある仮説をたてたけれど、みんなから意見を聞きたいわ」
「こんなことじゃないかしら?」クラリッサは二、三分の沈黙のあとでいった。「完全に変態する生物の場合、変化は温度に依存している場合が多いわ。温度が一定であるかぎり、変化は起こらないのよ。そのTUUVの生物は、一定温度の宇宙船に乗って飛びまわっていたのかもしれない。カム、この仮説はあてはまらない?」
「あとはまるとも!」キニスンが叫んだ。「そうだよ、クリス、まちがいない!」
「わたしもそういう理論だったわ」カミラはまだあやふやにいった。「でも、それがあてはまるという証拠はないわ。ナドレック、あなたの近くの惑星の生物について、この理論があてはまるかしら?」
「残念ながらわからない。だが、調査すればわかる――必要なら実験をおこなってね」
「それは名案だ」キニスンはうながした。「つづけなさい、カム」
「それが事実だとしても、まだ場所の問題が残るわ。この問題は、キットのいまの説明でさえ、まえよりずっとこんがらかってしまったのよ。コンのとわたしのとはひどくあいまいだったから、特定のどんな座標とでも結びつくでしょう。でもキット、あなたのはキャットのと同じくらい明確だから、どうしても矛盾してしまうわ。どっちにしても、形態分類上十部分まで類似した生物が住んでいる惑星はうんとあるわ。もし四つの異なった種族があるとすると、そのどれも、わたしたちが追求している種族じゃないのよ」
「ぼくはそうは思わない」キットは反対した。「あんな特異な周波数帯域で思考する生物は、そんなにいるものじゃない。ぼくは自分の情報には確信を持っているから、キャットの情報について、キャットを反対尋問してみたい。QXかい、キャット?」
「もちろんよ、キット。どんなことでもきいてちょうだい」
「あの心はいずれも非常に強力だった――それがきみに集中されていないということが、どうしてわかったんだ? きみは検査するために思考を投射してみたかい? たしかに彼の真の姿を見たと思うかい?」
「彼の姿については、確信があるわ!」キャスリンはきっぱり答えた。「もしあのまわりに精神的暗示帯域があったら、すぐそれを感じて疑ったでしょう」
「そうかもしれないし、そうでないかもしれない」キットは反対した。「それは、その暗示帯域を展開している生物の能力しだいだよ」
「そんなことはないわ!」キャスリンははげしくやり返した。「でも、彼が自分の惑星について真実を告げたかどうかということになると――そうね――その点は確信がないわ。彼の思考波チャンネルを点検することもしなかったわ。あのときは別のことを考えていたのよ」兄妹は、彼女があのときメンターに訓練を受けて帰るところだったのだということを知っていた。「でも、彼はなぜ、あんなことについて嘘をいおうとしたのかしら――でも、それが当然だわ。ボスコニア式のやり方ね?」
「そうとも。パパ、銀河調整官としての公式の立場から、どうお考えです?」
「その四つの生命形態が、みんな一つの惑星に所属している可能性がある。キャット、きみがその生物から得た惑星の位置は虚偽だったにちがいない――銀河系さえ虚偽だったかもしれない。トレンコに近すぎる。あまりにもね――トレゴンシーもわたしも、あの区域を一冊の本のように知っているが、あの付近にはそんな変光星はない。われわれはその惑星についてすべてのことを知らねばならない――それもすぐにだ。ウォーゼル、キットが指摘した区域の宇宙図を持ってきてくれないか? キット、クロヴィアの惑星学者と協力して、きみがこのあたりだと思う区域の近くにある変光星と、それがいくつか惑星を持っているかということを調べてくれないか? わたしは地球を呼ぶから」
宇宙図が検査され、やがて惑星学者の報告も到着した。クロヴィアの科学者は、指定された宇宙空間に四つの長期変光星があることを報告し、それぞれの変光星の宇宙座標とカタログ・ナンバー、およびそれらに付属する惑星についてのあらゆるデータを提供した。地球の惑星学者が報告してきた変光星は三つだけで、詳細な資料もずっと少なかった。しかし、太陽にも惑星にも、すべて名称がついていた。
「地球のほうは、どの変光星をはぶいたのかな?」キニスンは二枚の透明図をかさねあわせながら、聞こえるようにつぶやいた。「このアートノンというのには惑星がない。ダンリーには二つある。アバブとダンスターだ。特徴はしかじか。ロンティエフの惑星は一つだが、彼らがつけた名称以外はなにもわかっていない。ばかばかしい名前だな――文字を勝手にならべたんだろう?――プルーアか――」
プルーア! ついにわかった! 五人の兄妹は同時に反応した。そのおかげで、プルーアの真の意味に関する甲高《かんだか》い思考を、第二段階レンズマンの結合した心からおおいかくすことができた。キットは妹たちとすばやく思考を交換したのち、よどみなく会議の主導権をとった。
「惑星プルーアは第一に検査されるべきだと思います」彼は注意を一瞬そらさなかったかのように、なに食わぬ顔で列席者と連絡を回復した。「これは、あの思考突発の原点としてもっとも可能性のある位置からもっとも近い惑星です。また、変光星の周期と惑星の距離は、他のどの変光星や惑星よりも、われわれの観測と類推《るいすい》に一致しています。異論がありますか?」
異論はなかった。全員が賛成した。ただ、キニスンはただちに直接行動をとることを要求した。
「調査しよう!」彼は叫んだ。「ドーントレス号とZ9M9Zと大艦隊と、それから例の新兵器を切り札にするのだ!」
「待ってください、パパ!」キットは反対した。「このデータによれば、プルーア人こそボスコニア組織の頂上らしく思われますが、もしそうだとすると、それだけの準備をしていっても充分ではないでしょう」
「きみのいうとおりかもしれん――おそらくそうだろう。では、どうするのか? トレゴンシー、きみの意見は?」
「艦隊作戦はいい」リゲル人は賛成した。「それから、きみが暗示しただけで明確にいわなかったことだが、われわれ五人の第二段階レンズマンがいろいろな技術を動員して、独立に、しかし相関的に行動するのだ。しかし、わたしはきみの子どもたちを先頭に――断然先頭に立てて指揮をとらせるように提案する」
「抗議します――わたしたちは能力が不充分です――」
「抗議を却下する!」キニスンは決定をくだすのに考える必要はなかった。彼は知っていたのだ。「ほかに異議はあるかね?――確定した。では、ただちにクリフ・メートランドを呼んで、作戦を進行させよう」
しかし、その呼びかけは発せられなかった。なぜなら、その瞬間に、アリシアのメンターの心が列席者の心をみたしたからだ。
「みなの者、聞くがいい! 遅延を許さないような事態が起こったので、この介入が必要になったのだ。いまやボスコニアは、過去二十年以上にわたって準備してきた攻撃を開始しようとしている。第一の攻撃目標はアリシアだ。キニスン、トレゴンシー、ウォーゼル、およびナドレックは、防衛のため、ただちに銀河パトロール隊の大艦隊を集結せしめよ。わたしはキニスンの子らと詳細に協議する。おまえたちも知っているように、エッドール人は」とメンターはレンズの子らにむかってつづけた。「第一に物理的、物質的力の効果を信じている。彼らは真に強力な心を持っているが、その心を、主として、いっそう有効な機械装置を開発するための道具として使用している。いっぽう、われわれアリシア人はの心の優越性を信じている。完全に有能な心は、すべての物質を直接制御できるから、物質的装置の必要はないであろう。われわれはその目的へむかってある程度前進し、おまえたちは、きたるべき時期において、いっそうの進歩をとげるだろうが、銀河文明は現在物質に依存しているし、これからもしばらくはそうだろう。したがって、銀河パトロール隊と大艦隊が必要なのだ。
エッドール人はついに、われわれのもっとも貫徹力のある思考をさえ防止する機械的思考波スクリーン発生器の発明に成功した。彼らはそのように防御された宇宙船によって、われわれの惑星を破壊できるものと絶対的に信じている。われわれの惑星を破壊すれば、われわれが彼らに撃滅されるほど弱体化すると信じているのだろう。しかし、おまえたちレンズの子らは、われわれもエッドール人も、物理力では撃滅されないということを、推定しているのではないか?」
「そうです――結論として、エッドールを多次元空間からの惑星で攻撃する提案はまったくなされませんでした」
「おまえたちも知るように、われわれアリシア人は、われわれ自身の心よりはるかに有能な心を開発するために、自然を援助してきた。おまえたちの心はまだ完全に発達しきってはいないが、パトロール隊の力を利用してアリシアを防衛し、ボスコニア艦隊を撃滅することができる。われわれ自身にそれができないことは、わたしの言《げん》から想像できるだろう」
「ですが、そうだとすると――これはあなたが以前から暗示していた対決なのですか?」
「そんなことはない。もちろん、重要な闘争ではあるが、真の対決への予備にすぎない。真の対決は、われわれがエッドールへ進攻するときに起こるのだ。われわれは、もしアリシアが現在破壊されれば、銀河パトロール隊の士気に与えられる打撃を回復することは困難だと判断しているが、おまえたちも同意見かな?」
「困難ですって? 不可能です!」
「そうとはかぎらない。しかし、われわれは事態を徹底的に考察し、現在ボスコニアに成功を許すことは、銀河文明の利益にならないと判断したのだ」
「わたしもそう思います――あなたの言葉はとてもひかえめです! それに、アリシアの防衛に成功することくらい、パトロール隊自身のためになることはないでしょう」
「そのとおりだ。では行け、子供たち。そしてその目的のために戦うのだ」
「ですが、メンター、どうすればいいのですか――どうすれば?」
「もう一度いうが、わたしはその方法を知らない。おまえたちはわたしには思いもおよばぬような力を――個々にも、集団的にも、統一体としても――持っている。それを用いるのだ!」
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二五 アリシアの防衛
俗称「|おえら方《ビッグ・ノイズ》」――一般的名称ディレクトリクス、技術的名称Z9M9Z――と呼ばれるパトロール大艦隊の旗艦は、|空飛ぶ鉄槌《モーラー》の大集団がスクリーンとスクリーンを接触させるほど密集して形成した中空の球形の中心をただよっていた。この船は、さえぎるもののない千七百万立方フィートの空間からなる「タンク」を中心にして建造されている――タンクとは、三次元宇宙図で、その中ではさまざまの色のライトが、太陽系、宇宙船、浮遊惑星、反物質球その他、大艦隊操作本部が関心を持つあらゆる物体の位置や運動を代表して、停止したり移動したりしていた。二千フィート以上あるタンクの周囲には、何百万というプラグを持った操作盤があり、リゲル人の操作員が配置されていた。そのひとりの操作員と一つの操作盤が、百万以上の戦闘単位を操作できるのである。
船内の一小室には、「縮小器」と呼ばれる比較的小型の十フィート・タンクが設置されていた。ここでは、メイン・タンク上で連続的に変化する状況の概略が圧縮され、ひとりの人間が戦闘の全局を理解し指揮できるようになっている。
Z9M9Zが重大な戦闘に参加したのはこれまでにただ一度で、そのときは空港司令官ヘインズがこの縮小器を観察して、全般的命令を発したのだったが、このたびはキムボール・キニスンが総指揮をとっていた。前回の戦闘では、キニスンとウォーゼルがメイン・タンクと制御盤の監督にあたったが、こんどはクラリッサ、ウォーゼル、トレゴンシーとレンズの子らがそこにいた。また、ナドレックも、つくりつけの完全に有効な冷却器の中にはいっていた。空港司令官ラウール・ラフォルジュと副調整官のクリフォード・メートランドは、たったいま乗船してきたところだった。
ほかにだれか必要な人間はいるだろうか、とキニスンは考えた。だれも思いつけない――銀河文明のトップ・クラスをほとんど集めてあるのだ。もちろん、クリフとラフは第二段階レンズマンではないが、非常に優秀だ――おまけに好ましい! 同期生の四人目がここにいないのは残念だ――勇敢なウィーデル・ホルムバーグは殉職してしまった――しかし、四人のうち三人生き残っているというのは、率が高い――非常に高い――
「やあ、クリフ――やあ、ラフ!」「やあ、キム!」
三人の旧友は心から握手した。そのあと、ふたりの新来者は、巨大な宇宙図の中で無数のライトがひらめいたり、またたいたりしているのを数分間みつめた。
「あれを判別する仕事をしないですむのは助かるよ」ラフォルジュが、やがて口を開いた。「演習と実戦はまるでちがうようだ。きみはぼくに、あの正面の管区を指揮してほしいというんだね?」
「そうだ。全体の状況は、下の縮小器のほうがはっきりわかる。白い星はアリシアだ。めだつ黄色のライトは、恒星その他の固定点、たとえばあそこからあそこにいたる銀河系の周辺に沿ってつけられた目標などだ。ボスコニア船は赤だが、もう少し接近すれば見えるだろう。緑はわれわれの船だ。上の大タンクではなにもかも区別できるが、このタンクでは、細部を示す余地がない――緑のライトは、それぞれが支船隊全体の位置を示している。あそこの緑色の輪の集団は、きみの管区だ。深さが約八十パーセクで、アリシアと第二銀河系を結ぶ線上の二時間以内で到達できる範囲――つまり二五〇パーセク――内のすべてのものを捕捉できるようになっている。もちろん現在は非常に散漫だが、赤いライトが出現したとたんに、きみの望みどおり集結させたり移動させたりできる。きみには、リゲル人の伝達員をつけてやる――彼はいまここにいる――何かさせたいことがあったら、彼に思考を伝達したまえ。そうすれば、彼が制御盤の適当なパネルにそれを伝達する。QXかね?」
「そうらしいな。ちょっと練習してみよう」
「クリフ、こんどはきみだ。アリシアと正面管区の中間にあるあの緑色の十字がきみの管区だ。きみの管区はラフの管区ほど深くないが、範囲がもっと広い。緑の四面体はわたしの管区だ。見ればわかるように、この管区はアリシアを包んで、第二の防御壁まで宇宙空間をみたしているのだ」
「きみやわたしに何かする必要があると思うのかい?」メートランドは、ラフォルジュの膨大な防衛管区のほうへ手をふってたずねた。
「必要がないことを期待できればいいとおもうが、できないね。敵は総力を投入してくるだろうからな」
数週間のあいだ、大艦隊は訓練し演習した。アリシアから一〇パーセク以内の宇宙空間に立方体に分割され、そのおのおのに参照番号がつけられた。各艦隊は、その宇宙空間内のどんな点にでも、少なくとも一つの艦隊が、三十秒以内に到達できるように配置された。
訓練がつづくうちに、ついにきたるべきものがきた。そのとき当直についていたコンスタンスは、宇宙空間がかすかに「凝縮」するのを感じた。超空間チューブの末端が出現する前兆だ。彼女は、ただちに警告を発した。キットも他の妹たちも、全アリシア人も、同時に反応した――この攻撃は、五人兄妹でさえ援助なしには処理できないようなものだろうということを、みんなが知っていた。
出現したチューブは、一つでも百でも千でもなかった。少なくとも二十万のチューブが、ほとんど同時に出現したのだ。キットは一秒ごとに十人のリゲル人操作員に警告し指示することができた。妹たちも同じことができた。しかし、アリシアを攻撃できる範囲内にあるすべてのチューブを、それが出現してから三十秒以内に妨害するか塞《ふさ》ぐかする必要があったので、文字どおり想像を絶するような最初の二、三分間、チューブの位置をつきとめる仕事は、ほとんどすべてアリシア人がやってのけた。
もしボスコニア軍がチューブの出現と同時にその末端から出現できたとすれば、どんな方法をもってしても、アリシアを救えなかったかもしれない。しかし、そうではなく、敵はチューブを通過するために数秒、ときには数分を要したので、防衛者は貴重な時をかせぐことができた。
ボスコニア艦隊はチューブの末端に到達するやいなや、牽引ビームと圧迫ビームを用いて、強固にしかし無重力状態のままで編隊を組んだ。そのあと、もし時間があれば、海賊はまず負の物質爆弾をアリシアに命中するような固有速度で送りこむのが筋だから、適当に装備された浮遊惑星をチューブの「こちら側」から突き入れることになる。しかし、敵は最初に武装惑星か浮遊惑星を送りこむ可能性もあるから、パトロール隊の艦隊司令官は通常反物質爆弾をも投げこむのである。
超空間チューブの「内部」を形成している未知の媒質《ばいしつ》の中で、惑星と負の物質爆弾が衝突したとき、どんなことが起こるかは、確実にはわからない。この問題については、いくつかの、はなはだ難解な数学論文と、多くのいささか無気味なSFが書かれている――しかし、それらはどれも、ここではなんの関係もない。
もしパトロール艦隊がそこへ最初に到着しなかったら、事件の経過はちがったものになっていたろう。その相違の程度は、敵がどれほどの時間を持っていたかにかかっている。よくあるように、もし艦隊がはじめに超空間チューブを通過してくれば、超原子爆弾を投射し、チューブの末端を包囲した機動部隊が、第一次ビームを総動員して集中放火をあびせるのだ。その結果がいかに恐るべきものであるかは、くわしく述べる必要もないし望ましくもない。もし惑星がチューブから出現してきたら、負の物質球をぶつけてやる――
負の物質球が惑星にぶつかったのを見たことがあるだろうか?
負の物質球は負物質でつくられている。この物質――というより反物質――は、通常空間の通常物質とはあらゆる点で正反対である。それは電子の代わりに陽電子を持っている。負の物質にとっては、どんな強烈な排斥も牽引《けんいん》であり、牽引は排斥である。負物質が正物質に接触した場合は、ふつうの意味での衝突は起こらない。一個の電子は一個の陽電子と中和しあって消滅し、きわめて強力な倍量の放射能を発生する。
したがって、負の物質球の表面をなしている球体の超平面が、浮遊惑星がすでに存在している三次元空間を占めようとしたとき、現実の衝突は起こらなかった。その代わり、接触が起こるべき表面に沿って両方の物質が消滅し、それとともに純粋なエネルギーが爆発的にいよいよはげしく放射された。惑星の物質の原子も分子も消滅した。負の物質球の反物質をなす物理的に不可解な組織は、通常空間に変化した。そして、周囲の宇宙空間は、言語に絶する致命的な放射能でみたされた。適当に遮蔽《しゃへい》されていなければ、どんな生物でも放射能におかされたことを理解するいとまもなく死んでしまうほど致命的なのだ。
もちろん、重力は影響を受けなかった。惑星の質量が突然消滅したことによって、膨大な力の不均衡が生じた。虚無の球体が惑星の物質を急速に侵蝕《しんしょく》していくにつれて、熟した濃厚な液状の岩漿《がんしょう》が噴出しようとしたが、一粒子も移動することはできなかった。それらは単純に消滅した。山脈が崩壊した。大洋が流出した。幅数マイル、深さ数十マイル、長さ数百マイルの地割れがあらわれた。惑星は動揺した――振動した――解体した――消滅した。
エッドール人が数学的に成功すると確信していたアリシアに対する急襲は、ほぼ六分間で終了した。キニスン、メートランド、ラフォルジュたちは、自分の持場でやっきになっているばかりで、何もしなかった。ボスコニアはおそらく総力を投入したのだろう。だから、このような攻撃が再度おこなわれる可能性は、ないに等しかった。しかし、キニスンの機動部隊の一部はひきつづき警戒にあたり、アリシア人の分遣隊は付近の宇宙空間を精査していた。
「わたし、つぎは何をすればいいの、キット?」カミラがたずねた。「コニーがあのスクリーンを破壊するのを手伝う?」
キットは、いちばん下の妹が、からだをたいらにのばして、極度の努力にからだじゅうの筋肉を緊張させているのを見やった。
「いや」彼は結論をくだした。「もしコンがあれをひとりで破壊できなければ、われわれ四人がかかっても、あまり助けにならないだろう。それに、コンがあれを破壊できるとは思わない。なにしろあれは原子力発生器で操作される機械的スクリーンだ。ぼくの推定では、あれは破壊するのでなく〈解決〉されなければならないと思う。そして、その解決には時間がかかるだろう。ケイ、コンがあの努力をゆるめたら、そのことを話して、きみたちふたりで解決にとりかかるんだ。ぼくらほかの者には、べつに仕事がある。ボスコニアの後続部隊は大挙してやってくる。それに、ぼくらなりアリシア人なりが、一週間以内にあのスクリーンに対する対抗法を案出できる見込みはない。だから、この戦闘の残りの部分は、通常の方式で戦わなければならないだろう。ぼくらとしていちばんいいやり方は、大タンクの中にボスコニア船の位置を表示してやって、第二段階レンズマンが、それをパパやほかの司令官たちに伝え、彼らがこの戦闘を都合《つごう》よく遂行できるようにすることだと思う――われわれの偵察艦は、ボスコニア船を五パーセントも捕捉していないからね。カム、もちろんきみが位置決定をするんだ。キャットとぼくはそれを後援する。それから、もしきみが自分の思考をトレゴンシーの思考に乗せることを考えていたら――! うまくいくと思わないか?」
「もちろん、うまくいくわ!」
こうして、膨大なタンクの空間の三分の一ほどにわたって、赤いライトがまるで魔法のように出現した。そして、三人の名軍師は、どのような方法がとられているかを報告されて、深い安堵のため息をついた。彼らはいまや真の指揮がとれるようになった。味方の機動部隊の位置ばかりでなく、敵の機動部隊〈全部〉の正確な位置がわかるようになったのだ。そればかりでなく、三人とも心の中で情報を希望するだけで、個々の艦隊、支艦隊、小艦隊の正確な構成や実力を、ほとんど瞬時に知ることができた。
キットとふたりの妹は、寄り集まって身動きもせずに立ち、頭をたれ、からだをふれあわさんばかりにして、腕を組みあわせていた。キニスンは、娘たちの手首に、キットのレンズと同じように大きくて輝かしいレンズが輝いているのに気づいて一驚した。そして、三つの赤褐色の頭のまわりの空気そのものが濃縮し脈動し、銀河パトロール隊のレンズをいみじくも特長づけている、多彩で名状しがたい光輝をはなちはじめるにつれて、彼の驚異は畏怖《いふ》に変じた。しかしキニスンには、なすべき仕事があった。そして彼はそれを遂行した。
いまやZ9M9Zは、この船のもっとも楽観的な設計者でさえ期待しなかったほど有効に活動していたので、戦闘は戦略的に戦うことができた。つまり、味方の損害をなるべく小さくして、敵の損害をなるべく大きくするように戦うことができたのだ。それはスポーツ的ではなかった。社交的ではなかった。騎士道的要素はまったくなかった。それは殺戮《さつりく》だった――虐殺だった――戦争だった。
それは船対船の戦闘ではなかった。艦隊対艦隊でもなかった。十または二十のパトロール機動部隊が、確実な操作のもとに突進し、ボスコニアの一艦隊を射程距離ぎりぎりのところで包囲した。それから、敵の司令官が状況を把握できないでいるうちに、彼の全艦隊は数百発いや数千発の超原子爆弾の衝撃の中心となり、それよりもはるかに多数で、しかもそれに劣らぬほど強烈な第一次ビームの集中攻撃の焦点となった。包囲された艦隊からは、一隻の船も一隻の偵察艦も、一隻の救命ボートも脱出できなかった。事実、堅固な合金やデュレウムの破片や小滴でさえ、液化しただけですむか、のちに凝固できるかしたものは、ほとんどなかった。
ボスコニア軍は、一艦隊一艦隊と宇宙空間から抹殺《まっさつ》され、大タンクと縮小器の中の赤いライトは一つ一つ消えていった。そしてついに殲滅《せんめつ》が終わった。
キットと、いまはレンズが消滅したふたりの妹は、結合をといた。カレンとコンスタンスは休息にやってきて、キットが提出した問題を解決する方法はわかったが、解決するには時間がかかると報告した。クラリッサは、はげしい努力で蒼白になって身ぶるいしており、気分がわるそうに見えるばかりでなく、実際に気分がわるかった。キニスンもそうだった。他のふたりの司令官も、この戦闘からなんの喜びも得ていなかった。トレゴンシーも不愉快だった。レンズをつけたすべての要員のうち、楽しんでいるのはウォーゼルだけだった。彼は近距離でも遠距離でも敵を殺すのが好きで、傷つきやすい感情などというものには理解も同情もなかった。もちろん、ナドレックはこの戦闘のどの部分についても、好きでもきらいでもなかった。彼にとっては、自分の役割は、最小の肉体的、精神的努力で巧妙に遂行されるべき仕事の一種にすぎなかった。
「つぎはどうするかね?」やがてキニスンが、グループ全体にむかってたずねた。「わたしはプルーア人をやっつけるべきだと思う。彼らはいまの敵のようにもろくはあるまい――いまの敵は、彼らが派遣したのだろう。〈彼ら〉が張本人だ!」
「それにちがいない!」
「プルーアだ!」
「絶対にプルーアだ!」
「しかし、このアリシアの防衛はどうするのかね?」メートランドがたずねた。
「大丈夫だ」キニスンが答えた。「強力な護衛艦隊と予備タンクを残していく――あとはアリシア人が処理するだろう」
膨大な艦隊が整備をおえてプルーアへむけて発進するとすぐ、キニスン家の七人は全部小さな食堂にひっこんで、祝宴を張った。彼らは食後のコーヒーを飲んだ。大部分の者がタバコを吸った。そして、宇宙の地獄穴の問題について、長いこと、そうおとなしくなく議論した。そしてついに、「あれが罠だということは、きみたちと同様よくわかっている」キニスンはテーブルから立ちあがると、両手をズボンのポケットにつっこんで、床を往復しはじめた。
「でかい看板文字で、いたるところに〈罠〉と書いてあるようなものだ。しかし、それがどうした? あそこへはいって行けるのはわたしだけだから、プルーアを撃滅したあともまだあれが残っていたら、わたしがはいって行かねばならん。そして、あれはきっと残っているだろう。プルーア人が全部プルーアにいるとはかぎらないからな」
四人の若いキニスンは、キャスリンに思考を投射した。キャスリンは眉をひそめて唇をかんだ。彼女はあの穴に全力で精神衝撃を与えたが、あっさりはねかえされたのだ。もちろん、彼女は穴から発せられる放射能を防止することはできたが、そのためには、自分のスクリーンで自分の知覚力がふさがれてしまうほど強固な障壁をめぐらさねばならなかった。あれがエッドール人だということは疑いない――彼女自身のもう一つのチューブ内での活動によって警告されたのだ――もちろんプルーア人だ――そして、父は手をかえ品をかえて捕獲する価値がある人物だ――
「きみたちはわたしを行かせたがらないが、わたしだって同じように行きたくないのだ」大レンズマンはつづけた。「だが、わたしがはいって行かないための正当な理由がみつからないかぎり、わたしはプルーア撃滅のあと、できるかぎり早くはいってみるつもりだ」
キニスンの保護者を自任しているキャスリンは、どうしても彼をひきとめられないことを知っていた。また、ほかの者も、クラリッサでさえ、彼をひきとめようとはしなかった。彼らはみんなレンズマンだったので、彼がはいって行かねばならないことを知っていたのだ。
五人の子どもにとって、状況はさほど深刻ではなかった。キニスンは無傷で穴から出てくるだろう。もちろん、エッドール人は彼を捕獲できる。しかし、捕獲したあとで、彼に何か危害を与えることができるか否《いな》かは、その間《かん》にキニスンの子どもたちがなにをするかにかかっている――そしてそれで充分だ。キニスンがチューブへはいるのを彼らがあまりおくらせれば、エッドール人に疑われるだろうが、アリシアをせきたてることはできるし、また、そうするつもりだった。そして、アリシアが後援する準備ができたときは、彼がすでにチューブにはいっているという可能性もあるが、もしそうだとしても、チューブのむこうはしではいろいろなことができる。こんどこそは、あのアメーバ状の怪物どもは、奴隷たちの生命ではなく、自己の貴重な生命をかけて戦うことになるだろう。そして五人は、エッドール人を息もつかさず攻めたてて、キムボール・キニスンのことで時間をつぶしていられないようにしてやろうと、たがいに誓いあった。
しかし、クラリッサ・キニスンは、彼女の生涯でもっともつらい心の戦いをしていた。彼女は、これまでどんな女性もいだいたことがないほど深くはげしい愛情でキムを愛していた。彼女は、もし彼があの罠へはいって行けば、そこで死ぬことになるだろうということを、いたましい確信をこめて知っていた。彼女の全身、全脳細胞を通じて知っていた。しかも、彼女は夫を行かせなければならなかった。そしてもっとわるいことには、微笑をもって彼を送りださねばならない――死へむけて――のだった。彼に行かないようにとたのむことはできない。彼がはいって行く必要がないというなんらかの可能性を暗示することさえできない。彼ははいって行かなければならない。そうせねばならないのだ――
レンズマンの責任が彼の肩に重くのしかかっているとすれば、彼女の場合は、それがほとんど耐えられないほど重かった。彼の立場ははるかに楽だ。彼は死にさえすればいいのだが、彼女は生きなければならない。彼女は生きつづけなければならない――キムなしに――死んだような生の営《いとな》みをつづけなければならない。そして自分の心に防壁をめぐらして、顔ばかりでなく心全体で笑ってみせなければならないのだ。もちろん、彼女は彼自身と同じように恐れたり心配したりすることはできる。心から彼の帰還を望むことはできる。しかし、もし夫が、彼女の真の感情の千分の一にでも気づけば、彼の心は傷つけられるだろう。また、それはなんの役にも立たない。彼は彼女がレンズマンの厳格な規則に反したことを知って、どれほど心を傷つけられたにしても、やはりはいって行くだろう。彼はキムボール・キニスン以外の人間ではあり得ないのだ。
クラリッサはできるだけ早く離れた部屋にいき、完全な精神障壁をめぐらした。そしてベッドに身を投げると、枕に顔をうずめて、手を握りしめながら身もだえした。
キムが死んだ場合、生きつづけずに自分も死ぬ方法はないだろうか――あり得ないだろうか? ない。問題はそれほど単純ではないのだ。
彼女は彼を行かせなければならない――
微笑をうかべて――
喜んでではないまでも、誇らかに、意欲的に――パトロール隊のために――
≪パトロール隊なんかどうでもいい!≫
クラリッサ・キニスンは、歯をくいしばって身もだえした。
彼女は夫にも子供たちにも、少しの悲しみさえ示さずに、彼があの恐ろしい罠にはいっていくのを――絶対確実な死にふみこんで行くのを――見送らねばならないのだ。彼女の夫、彼女のキムは死なねばならない――そして彼女は――生き――ねば――なら――ない――
彼女は起きあがって試みに微笑し、精神障壁を除去した。それから、実際に微笑し、確信のこもったようすで、廊下を歩いていった。
レンズマンの責任とは、このようなものなのだ。
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二七 プルーアの戦闘
二十年ばかりまえ、当時のドーントレス号とその乗組員たちが、超空間チューブから例の不可解な多次元宇宙にほうりだされたとき、ラ・ヴェルヌ・ソーンダイクは技師長だった。アリシアのメンターは彼らを発見し、非凡な数学者サー・オースティン・カーディンジの心に、通常空間へ帰還する方法をいかにして発見すればよいかを教えた。ソーンダイクは、神経をすりへらすような困難と闘いながら、船をもとの正常空間へもどす機械の建造を指導した。彼は機械の建造に成功し、船は帰還した。
彼はいままた指揮をとり、現在の部下はすべて、以前の部下だったものばかりだった。もちろん、彼は宇宙船や正規乗組員の指揮はしなかったが、彼らは問題ではなかった。それらの正規乗組員は、第十二宇宙研究船が無重力状態のまま接着している、はなはだ危険な惑星に足をおろすことを許されなかった。
当時とくらべるといっそう年をとり、やせて髪が灰色になったソーンダイクは、いまや当時よりもっと、銀河文明の技師界の長老だった。いやしくも建造可能なものならば、「ソーニー」ソーンダイクにできないことはなかった。建造不可能なものならば、彼はそれと同程度に効果のある別のものを建造できた。
彼は部下を集めて点検した。彼らの多くは現在のボスと同程度の地位を持ち、同程度の期間、人々の上に立ってきていたが、この数日来、自分の管理職的地位や責任をできるだけ忘れて働いてきた。各員は個人用重力中立器を一個でなく三個着用していた。一個は宇宙服の内部に、二個は外部に。ソーンダイクは列に沿って歩きながら、それぞれの中立器をテスターでテストした。それから自分自身のをテストした。QX――全部完全だ。
「諸君」彼はいった。「きみたちはみんな、この前のことを記憶しているだろう。こんども同じだが、前よりもっと危険でもっと時間が長い。この前、どうしてなんの事故もなくやってのけられたかは、まったく納得がいかないほどだ。もしまた無事にやってのけられれば、奇跡というほかはない。この前は、小さな発生器を二つと、いくつかの制御装置を、惑星自体の原料から製造するだけでよかったのだが、それでも仕事はそうやさしくはなかった。こんどは、まず惑星全体を無慣性状態にできるほど大きなバーゲンホルムを建造し、そのあとでバーゲンホルム、超空間チューブ発生器、原子力ジェットその他、われわれが持ってきた装置をとりつけなければならない。
しかし、惑星自体の原料を使ってつくるバーゲンホルムが第一級の難関だ。それが機能を開始するまでは、危険このうえない。その危険をまぬかれる唯一の方法は、すべての物、すべての行動について、点検に点検をかさねることだ。点検、点検、また点検、そしてあともどりしてまた点検するのだ。
おぼえていてほしいのは、この多次元空間の基本的特性として、有重力物質が光より速く運動できるということだ。そして、もう一つ、一秒も忘れてならないのは、この空間に固定している物体と比較したわれわれの固有速度が、光速度の十五倍くらいだということだ。きみたちのひとりが、もし自分が有重力化したらどうなるかを考えてほしい。側方か上方にとびだすこともあるだろう――しかし、そうならないかもしれないのだ。そういうことが起これば、それをやった者が死ぬだけではすまない。われわれの無事故記録に傷がつくだけではすまない。われわれ全員が死んで、われわれの全装置が、融解した金属の沸《わ》きかえる火口と化する可能性も大いにあるのだ。だから、用心してくれ! そしてまた、この惑星の物質をどんなに小さいものでも、うっかりしてドーントレス号にもちこめば、ドーントレス号が破壊されてしまうかもしれないということを、心にきざんでほしい。何か質問があるかね?」
「もしこの空間の基本的性格――常数――がそれほど異質ならば、装置がここで正常に作用するということがなぜわかるのですか?」
「われわれが前回ここで建造した装置が正常に作用したからだ。アリシア人がキット・キニスンに告げたところによると、質量と長さという二つの基本的性格はほぼ正常なのだ。時間は非常に異質だから、動力対質量の比率その他を計算することはできないが、いずれにせよ、必要などんな速度でも出せるだけの動力はある」
「わかりました。実際に気まぐれな要素は無視するのですね?」
「そのとおり。さあ、早く着手すればそれだけ早く仕上がる。はじめよう」
その惑星は空気も水もなく不毛だった。さまざまの金属の巨大な断片が、非金属層の中にはさまっていた。その状況はまるで、遊び好きな宇宙巨人の子供が、銀、鉄、銅その他の純粋金属の破片を、何か別の物質のはいったタンクに投げこみ――それから遊びにあきて、その中味をすっかりぶちまけたかのようだった!
金属も非金属も、熱くも冷たくもなかった。温度計や宇宙服の「触角」に対しても、なんの温度も示さなかった。彼らがずっと前に建造した機械は、少しも変化していなかった。それらは、やはり完全に機能した。どの部分にも、さびや腐蝕があらわれていなかった。これは少なくとも朗報だった。
さまざまの機械が、無慣性状態に保っておくための装置をたっぷり取りつけられたまま、「陸揚げ」された。これらの機械は、二度と船へもどれないことになっていた。キニスンは、多次元空間の物質を第十二宇宙研究船に持ちこむような不必要な危険をおかさないようにくり返し厳命していたので、そのような処置がとられたのだ。
宇宙服を着用したまま、いつまでも働きつづけることはできないから、各員を定期的に交替させなければならなかった。しかし、それらの交替はすぺて大仕事だった。交替者の宇宙服は惑星を去るまえに洗滌《せんじょう》され、乾燥された。船の気密境界《エア・ロック》にはいると、外部ドアがとじられるまえに、もう一度、空気洗滌がおこなわれた。そして、宇宙服は気密室で脱ぎすてられた――つまり、多次元空間の物質と接触したものは、すべて惑星の表面に残すか、船がまた有重力化するまえに廃棄するかどちらかになっていたのだ。不必要な用心だろうか? そうかもしれない――しかし、そのおかげで、ソーンダイクも部下も、無傷の船に乗って無事に通常空間へ帰還したのだ。
バーゲンホルムはついに完成した。「ソーニー」ソーンダイクだけにできる即席的処置や、まにあわせのたまものだった。しかし、彼らがどれほど努力し精力をすりへらしたかは、そのやつれたからだやこけた顔に、はっきりあらわれていた。これらの専門家たち、とくにソーンダイクにとっては、この仕事はすぐれたできばえではなかった。装置の運転は静かでもなくなめらかでもなかった。静力学的、動力学的、電気的にバランスもとれてもいなかった。技師長にとっては、千五百分の一のメーター・ジャンプは、つねに重大な不都合だったから、装置のメーターが、とほうもない動きをしているのを知ると、さまざまの宇宙語でののしった。
彼は深刻なしかめつらをした。いつかどこかでこれ以上無細工な機械が造られたことはあるかもしれない――だが、彼としては、こんなひどいのを見たことはない!
しかし、即席のバーゲンホルムは運転し、運転しつづけた。惑星は無慣性状態に移行し、その状態をたもった。そこで、ソーンダイクは、何時間もかけて巨大な装置をすみずみまでまわり、各部分の機能をテストしたり点検したりした。そしてついに装置からおりてきて、待っていた部下に報告した。
「QX、諸君、よくやった。事実、諸種の条件を考慮に入れれば、りっぱなできばえだ――これがわれわれの目から見て、よくできた機械でないことは、みんな知っているがね。もちろん、あのメーター・ジャンプの一部は、装置の各部がバランスがとれていないという事実にもとづいている。しかし、大部分はこのゆがんだエーテルのせいにちがいない。いずれにせよ、通常の原因――絶縁不全――によるものは一つもない。だから、わたしの推定によれば、あのバーゲンホルムは、われわれがほかの仕事をしているあいだ、機能しつづけるだろう。一つ確かなのは、あれほど猛烈なノッキングでも、機械が分解することはないという点だ。また、振動によって惑星から分離することもないと思う」
ソーンダイクが自分の頭脳の所産をいくらかひかえめに承認したのち、この異質な空間への冒険者たちは、計画の第二段階に着手した。惑星用バーゲンホルムがおろされ、設置された。そのメーターもジャンプしたが、技師たちはもう気にしなかった。この機械は無限に運転しつづけるだろう。縦穴が掘られた。原子力ジェットその他のエンジンをはじめ、多くのきわめて複雑な装置や機械が設置された。惑星の表面に二、三トンの外界物質が存在することは、もう問題にならなかったが、惑星の物質が宇宙に持ちこまれる危険に対しての、極度の用心はゆるめられなかった。
その仕事がすむと、清掃をはじめるまえに、ソーンダイクが部下を集めて協議した。
「諸君、わたしは、きみたちがどれほどの負担に耐えたかを知っている。われわれはみんな、デルゴン人の拷問《ごうもん》を受けていたようにへとへとだ。しかし、一つ話したいことがある。キニスンは、もしわれわれがこの惑星をそれほど骨を折らずに処理できたら、もう一つ処理してもらえば非常に好都合だといった。どう思うかね? もう骨を折るのはたくさんだと思うかね?」
彼は期待していたとおりの反応を得た。
「やらせてください!」
「適当な惑星を選んでください!」
「骨折りですって? そんなことはありません! もしわれわれがつくったこのがらくたが、これほど長くもつとすれば、あれは何年でも運転しているでしょう。あれを牽引ビームと圧迫ビームで運んで、定着ドライバーで固有速度を同調すれば、どこへでも取りつけることができます!」
そこで、金属塊がちりばめられた、不毛で生物のいないもう一つの惑星が発見され、処置をほどこされた。そこまではなんの問題も起こらなかったが、それからソーンダイクは、第十二宇宙研究船が通常空間に帰還したのち、彼とヘンダスンといっしょに、二隻の救命ボートに乗って、二個の浮遊惑星の付近にしばらく残留するふたりの人間を選抜するという問題を提起した。だれもが残留することを望んだ。そして、もしそのために階級を下げられても、残留するつもりだった!
「待て!」ソーンダイクが命じた。「では、この前にやったように、くじ引きにしよう。主計官アラーダイス――」
「絶対にだめです!」かつて一級原子技術員だったウーレンフートがつよく反対し、何人かがそれを支持した。「彼は指が達者すぎます――彼が前回にやったことをごらんなさい――べつに、あのときのことを文句をいっているのじゃありません――あのときはちょっとした細工もQXでした――しかし、こんどは公平じゃなければだめです」
「そういわれて思い出したが、くじ運はいくらか手心を加えられる、というのを聞いたことがある」ソーンダイクは顔いっぱい微笑をうかべた。「ではウーレンフート、きみが壺《つぼ》を持っていたまえ、ハンクとわたしがそれぞれ一枚ずつ名札をとるから」
そのとおりにくじ引きがおこなわれた。ヘンダスンはウーレンフートを引きあて、ウーレンフートは大喜びした。ソーンダイクは、かつての主任通信員ネルスンを引きあてた。二隻の救命ボートは母船を離れ、それぞれ「浮遊」惑星の付近に滞留して、すべての装置が完全に機能するように監視することになった。彼らは、原子力ジェットが活動を開始して、アリシア人がその巨大な球体を多次元空間の中で移行させ、まもなく二つの超空間チューブが出現するはずの場所へ持っていくのに、なんの助力もいらないということがあきらかになるまで、そこに残留するのである。
パトロール隊の大艦隊の先遣《せんけん》偵察隊が、プルーアを観測できる距離にはいるよりずっとまえに、キットと妹たちは、戦略タンクの中に、プルーアの防衛体制の詳細な図を表示していた。白い星はプルーアの太陽を代表している。白い球体は惑星自体だ。白いライヤースン光線は、惑星の軌道の一部を表わしている。白い球体に赤い光線で連結された白い光点は、付近の恒星の方向と、装置されて準備のできたサンビームの存在を示している。ピンクの球は浮遊惑星、紫の球は負の物質球、赤い光点は以前と同様ボスコニアの機動部隊だ。青い光帯は可動性の宇宙要塞、カナリヤ黄色と琥珀《こはく》色の光帯は、大洋ビーム極板と方向転換装置の位置を示している。
光った白い球体は、ピンク、紫、青などの光の層で、ほとんどおおいかくされている。同じ種類の色だが、それほど濃くない光の層が、全太陽系を包んでいる。黄色と琥珀《こはく》色の光帯はいたるところにある。
キニスンはこの様子をかんたんに眺めたのち、歯のあいだから調子はずれの口笛を吹いた。この図は非常になじみ深いものだった。パトロール隊の超最高基地クロヴィア周辺の防衛図と、ほとんどあらゆる点で同じだったからだ。このような防衛体制は、これまで実戦に用いられた可動性のどんな兵器を集中しても、破壊することができない。
「われわれが予想したとおりだ」キニスンはグループ全体に思考を伝達した。「新しい兵器もいくつかあるが、そう多くはない。キットやほかの者に聞きたいのだが、われわれの新兵器に対抗するために設けられているように思われる装置があるかね? わたしが見るところでは、何もないが」
「ありません」キットは断言した。「ぼくらはすっかり偵察しました。いずれにせよ、あるはずがありません。あれは処理しようがありません。あとになってふり返ってみれば、彼らも、あれがどのようにしてなされたかを再構成できるでしょうが、事前にはどうでしょう? だめです。メンターでさえできなかったのです――メンターはあの合成ヴェクトルを計算するためには、何百万年も超高等数学を研究してきた同僚の援助を受けなければならなかったのです」
キットが用いた「彼ら」という言葉は、妹たち以外の者にとっては、もちろんプルーア人を意味していたが、キットはそれによって、プルーアの防衛にはエッドール人があたっているという事実をかくしたのだった。あのスクリーンを操作しているのは、エッドール人なのだ。あの広汎に配置された機動部隊を、やがてキニスンが認識するような正確さで指揮し、関連づけているのも、エッドール人なのだ。
「これまで見たよりずっとあざやかだ」キニスンは感想を述べた。「彼らはZ9M9Zを開発したのかな?」
「そうかもしれません。彼らはわれわれが発明したものをなんでもまねしましたからね、これだってまねしないはずはありません」キットはまた例のあいまいな「彼ら」という言葉を用いた。「しかし、アリシア攻撃をかけてきたときは、そんな様子はありませんでした――あそこでは必要がないと思ったのかもしれません」
「もっとありそうなこととして、彼らは自分の根拠地から遠くへだたったところで、危険をおかしたくなかったのかもしれない。掃蕩《そうとう》戦がはじまればわかるだろう。だが、きみの情報が正しいとすれば、もう充分接近したわけだ。きみは多次元空間の部隊に警告したまえ。わたしはメンターを呼ぶ」キニスンは多次元宇宙に思考波を伝達することができなかったが、キットができるということは秘密ではなかった。
パトロール隊の超空間チューブの末端が、プルーアに近い宇宙空間に突出した。このような事態を敵が予期していたことは明白だった――ボスコニアの一艦隊がただちに移動して、そこを巧妙に包囲したのだ。しかし、これはアリシア人が計算し、装置、操作しているチューブだった。それは三秒しか存在しないことになっていたから、艦隊が同時にそこへ到達したとしても、どうすることもできなかった。
Z9M9Zの観測員たちには、その三秒間が、はてしなく長いように思われた。光速度の十五倍以上という、想像を絶する固有速度を持つあのまったく異質な惑星が、通常空間にとびだして有重力化したらどうなるか? それはだれにも、アリシア人にさえわからなかった。
そこにいる者はみんな、とるにたりない質量の宇宙船が、光速度のわずか百分の一くらいの速度で航行していて、小惑星と衝突したときにどんなことが起こるかを見たことがあった。それでさえ、かなりすさまじい衝突だ。しかし、この惑星爆弾は8×10の21乗――八のあとにゼロを二十一ならべただけ――トンの質量を持ち、宇宙船の千五百倍の速度で航行している。そして、運動エネルギーは質量と速度の自乗との積《せき》である。
質量は瞬間的にある高次の無限大に変化するから、通常空間の全物質が瞬間的にそれと合体する理論的可能性はあるように思われた。しかし、メンターは、操作器がそのような現象をさまたげるように作用するから、厄介な事態は半径十パーセクから十五パーセク以内に極限されるだろうとキットに保証した。メンターはこの問題を細部まで解決することができたが、その解決にはクロヴィアの年にして二百年くらい必要なのに、事件はそれから二週間後に起こることになっていたのだ――
「超最高基地の大計算器ではどうだろうか?」キニスンは無邪気にたずねた。「あの機械の機能は知っているだろう?」
「二千年はかかりますね――あの機械でそういう種類の数学ができればの話ですが、できないんです」キットはそう答えた。そしてこの問題はとりやめになった。
ついに起こった。何が起こったのか? その事実が終わったあとでさえ、どの観測員にも何もわからなかった。第三段階レンズマンを除けば、ほかのだれにもわからなかった。すべての記録器や分析器の回路のヒューズは同時に切れた。針は最上限まで一気にはねあがり、針止めにからみついた。宇宙図や超感光フィルムには、一瞬のうちに原点から末端まで直線や曲線が走った。プルーアもその周囲のすべてのものも、抑制しがたい強烈な純粋エネルギーの、まったく表現や理解を絶する爆発の中で消滅した。そのエネルギーの無限小の部分をなす可視《かし》的エネルギーは、そのまま超感光フィルムに受像され、そのままスクリーンに映写されたが、目を焼くほど映像プレートを輝かせた。
そして、もしプルーアにむけられた惑星によってひき起こされた事件が表現を絶するものだったとすれば、プルーアの太陽にむけられた惑星によってひき起こされた事件を、どう表現できようか?
太陽の内部で発生する熱がその有効表面から放射できる以上になると、その表面が膨張《ぼうちょう》する。膨張が充分に早くないと、太陽内の物質が多少とも爆発し、それによって放射表面を、平衡を回復するに必要なだけ強制的に増大させる。通常、新星《ノーバ》はこのようにして誕生する。この太陽は、二、三日か二、三週間のあいだ、ふだんより数十万倍も大きなエネルギーを放射するのである。ふつうの新星《ノーバ》は、惑星を太陽に衝突させることによってつくられるから、パトロール隊の科学者たちは、それにともなって起こるすべての現象についての研究を、ずっと前に完成していた。
しかし、超新星の機構については、充分には知られないままだった。自然発生的にときどき起こる超新星を、徹底的に調査する方法は、開発されていなかった。超新星が人工的につくりだされたことはなかった――銀河文明は、質量、原子エネルギー、宇宙線エネルギー、太陽ビームなどを総動員しても、それに充分な動力を集結することができなかったのだ。
第二の浮遊惑星が想像を絶する速度で衝突すると同時に、プルーアの太陽は超新星に変じた。惑星がどのくらい深く突入したのか、太陽の質量のうちどのくらいが爆発したのかは測定されなかったし、これからも測定されることはないだろう。しかし、その爆発のはげしさは、クロヴィアの天文学者が――二、三年後に――報告したところによると、五億五千万個の太陽にひとしいエネルギーを発生したほどだったという。
したがって、多次元空間からの惑星がボスコニアの太陽に衝突したときに起こったことを表現するのはやめにしよう。それは表現不能の三乗ほどに表現不能だったのだ。
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二七 キニスン、罠にかかる
もちろん、プルーアを防衛していたボスコニア艦隊は、全部が全部撃滅されたわけではなかった。船は無重力状態にあった。超新星の出現にともなって起こった減少は、光速度以上の速度で伝播《でんぱ》したものはなかった。宇宙船の速度にくらべれば、這っているような速度だ。
しかし、生存者は混乱におちいった。彼らは、プルーアがこのようにすさまじい方法で抹殺されたのを見て、士気を喪失《そうしつ》した。また、彼らは上級司令部のほとんどすべてを失った。なぜなら、司令官たちは、パトロール隊の司令官のように宇宙に進出することをせず、安全と思われる司令部に残って、遠方から指揮をとっていたからだ。メンターとその同僚たちは、プルーア人の姿をしていたエッドール人を、駆逐していた。アリシア人は、エッドールとプルーア防衛軍の生存者とのあいだの通信を切断していた。
そういうわけで、大艦隊は掃蕩《そうとう》戦にとりかかり、しばらくはアリシアの付近と同じ戦闘がくり返された。ZX9M9Zからの明確なコース命令にしたがって、十以上のパトロール艦隊が短い突進をやった。そして指定されたコースの末端まで行くと、敵の一機動部隊を包囲していることがわかるのだった。爆撃、ビーム放射!
同じことが反復された――突進、爆撃、放射!
しかし、ボスコニアの一高級将校は、行動すべき時間と権限を持っていた。一千ほどの艦隊が集結し、最強力な兵器を投射し、スクリーンとスクリーンを接して、球形の防衛編隊をとった。
「ヘインズ閣下の説では、昔はあの方法もいい戦法だった」キニスンは注釈した。「だが、浮遊惑星や負の物質球に対しては無効だ」
六個の浮遊惑星が、ボスコニア艦隊の形成する球の中心で有重力状態で衝突するように、配置され投射された。それから数分後、多量の反物質からなる負の物質球十個が、同様に投射された。その十六個の爆弾が仕事をすませ、その結果がある程度平衡に達したのちは、掃蕩の仕事はごくわずかしか残っていなかった。
ボスコニアの観測員は有能だった。いまやボスコニアの司令官たちは、成功のチャンスがまったくないことを知った。残留することは撃滅されることだ。生きのびる唯一の可能性は、脱出することだった。そこで、ボスコニアの生き残った司令官たちはすべて、おそらく他の者と短時間協議したのち、配下の艦隊に、基地惑星へむけて全速力で逃走することを命じた。
「やつらを個々に追跡しても、意味があるまい、キット?」キニスンは真の戦闘が終わって、すべての抵抗が終結したことがタンクの中で明瞭になったときたずねた。「やつらはもう何もないし、こういう種類の殲滅《せんめつ》は気分がわるい。それに、わたしにはほかに仕事があるのだ」
「意味がありませんね。ぼくにとっても不愉快です。わたしにも仕事があります」キットは父にすっかり賛成した。
ボスコニア艦隊が残らず探知範囲外に離脱してしまうとすぐ、パトロール隊の大艦隊は分散して、個々の艦隊はそれぞれの基地惑星へ出発した。
「例の地獄穴はまだ存在しているな、キット」グレー・レンズマンは深刻にいった。「もしプルーアがトップだとすると――トップがないのではないかというような気がしてきたが――あの地獄穴はプルーア人が設置した自動装置か、まだどこかに生きているプルーア人の仕事かということになる。もしプルーアがトップでないとすると、これはわれわれの唯一の手がかりのようだ。いずれにせよ、わたしが処理しなければならない。そうだろう?」
「さあ、ぼくは――」キットは答えをさけようとしたができなかった。「そうです、パパ、そうだろうと思います」
二つの大きな手が握りあわされた。キニスンは妻に別れを告げにいった。
このふたりが何をいい、何をしたかをくわしく述べる必要はない。彼は自分が危険の中へふみこんで行くことを、そして帰ってこられないかもしれないということを知っていた。つまり、彼は副次的な問題として、経験的にも理論的にも、自分が死ぬかもしれないということを知っていた。しかし、実際にそうは信じていたわけではない。どんな人間でも、自分がある事件で死ぬというようなことを、本気で信じることはできないものだ。
キニスンは、自分が捕獲され、監禁され、尋問され、拷問されることを覚悟していた。こうしたことをすべて理解でき、そのどれ一つとして好まなかった。彼が少なからず恐れていて、これまで以上に彼女と別れていくことをいやがっているのは、どちらもごく自然だった――彼女に対しては何もかくすことはなかった。
いっぽう、彼女はキムが二度ともどってこないことを確信していた。自分が空虚で孤独な余生を送らねばならないことを知っていた。だから、彼女は彼に対して多くのことをかくさねばならなかった。彼女は彼と同じようにおそれて懸念《けねん》せねばならないが、それ以上はいけない。彼と同じように幸福がつづくように望まねばならないが、それ以上はいけない。彼と同じように熱烈に愛さねばならないが、それ以上はいけない。ここに試練があった。彼女は、彼がちょっとした危険にふみこんで行く場合のように、別れのキスをしなければならなかった。彼女は、自分が身内の凍るような思いで真実だと確信していることにしたがって行動したいという、抵抗しがたい欲求に負けてはならなかった。彼女は二度と――二度と――二度とキムにキスすることはないのだ!
彼女は成功した。夫が地獄穴の境界に近づいて、彼女には夫の最後の挨拶《あいさつ》とわかっている思考を伝達してきたときにさえ、気がくじけなかったのは、レッド・レンズマンとしての能力のおかげだった。
「さあ着いた――もう一秒くらいだ。心配することはない――すぐもどってくるよ。ごきげんよう、クリス!」
彼の快速艇は特殊な超空間チューブ発生器を装置していなかったし、その必要もなかった。彼と船はその罠の中に、まるで大渦巻《メイルストローム》の中に巻きこまれるように巻きこまれた。
彼はまた次元間加速度の混乱した苦痛を経験した。チューブを構成している三次元的には存在不可能な物質、形もなく組織もなく空間もない空虚な灰色をまた知覚した。一瞬ののち、新しい異質な加速度を経験した――〈チューブの中で〉速度が増しているのだ! そのあとすぐ、何も感じられなくなった。驚いて検査のためにとび起きようとしたが、身動きもできないのがわかった。渾身《こんしん》の意志力をふりしぼっても、指一本、まぶた一筋動かすことができない。まったく〈かなしばり〉にあってしまったのだ。感じることもできなかった。からだが、だれか他人のものになってしまったように知覚がない。もっとわるいことに、心臓が脈打っていない。呼吸もしていない。見ることもできない。運動神経も知覚神経も随意神経も不随意神経も、すべての神経が個々に麻痺してしまったようだ。まだ考えることはできたが、それがすべてだった。知覚力もまだ働いている。
彼は自分がまだ加速されているのかどうかわからなかったので、それを知ろうと努めた。できなかった。動いているのか止まっているのかわからなかった。点検すべき基準がなかった。この不可解な灰色の媒質《ばいしつ》は、どこもかしこも同じだった。
おそらく彼は数学的にはまったく動いていないのだろう。彼がいるこの体系の中では、質量も長さも時間も、したがって慣性も無慣性も速度も加速度も、無意味な言葉だったからだ。
彼は空間と時間の外側にいた。しかし、有効に移動していた。物質的なものが到達したことがないような加速度で移動していた。彼と彼の船は、エッドールの一個の原子プラントが発生しうるかぎりの動力で、チューブの中を運ばれているのだった。彼の速度はずっとまえから想像もおよばないほどだったが、いまや計算を絶するほどになった。
すべての過程が終了した。エッドールの原子力プラントも無限ではなかったのだ。そして動力と速度が絶頂に達したとき、快速艇の質量と速度から生じるすべての力、すべての惰性《だせい》、すべての運動エネルギーが、キニスンのからだに集中された。彼はあることを感じて、身もだえしようとしたができなかった。彼が時間であると思った短い瞬間に、彼は衣服やレンズを突き破ったのでなく〈通過し〉、宇宙服を突き破ったのでなく〈通過し〉、堅固なベリリウム合金の船体を突き破ったのではなく〈通過した〉。彼は超空間チューブの多次元的中間層を突破したのでなく通過した。
キニスンは知らなかったが、これはエッドール人の極限的努力だった。エッドール人は捕虜を可能なかぎり遠くまで運び、およぶかぎりの力を集中して、まったく未知の世界へ彼を押しやったのだった。エッドール人は、レンズマンの裸体の航行のベクトルについて何も知らなかった。キニスンがどこへ行こうと問題にしなかった。犠牲者がどこへ到達するかを計算することもできず、想像することさえできなかった。
キニスンは、宇宙人としての時間感覚から一秒と判断される時間のあいだに、二億の異質な空間を通過した。どうして正確な数がわかったかはわからなかったが、わかったことは確かだった。そこで、彼はパトロール隊の測定基準にしたがって、それぞれ一億の空間グループをかぞえはじめた。二、三日すると、速度がゆるんで、百万のグループを数えられるようになった。それから千単位――百単位――十単位となり、ついに個々の空間がつぎの空間に取って代わられるまでに、その特長を知覚できるようになった。
どうしてこういうことが可能だったのか?
彼は疑問を持ったが、意識はあいまいではなかった。彼の心はこれまでと同様に明晰《めいせき》で強固だった。空間は共存的で並列的ではなかった。第四次元では、空間は扁平《へんぺい》だった。本のページに似ているが、もっと薄かった。これは何もかもひどかった。あり得ないほどひどかった。起こるはずがないことだから、起こっていないのだった。麻薬を飲まされてはいないし、そのはずもない。だから、プルーア人が彼に暗示をかけているにちがいない。なんという暗示だ? なんという有能な工作者だ!
しかし、これは現実だった――何もかも。キニスンはそのときもそのあとも知らなかったが、彼は実際に空間の境界の外にあり、実際に時間の制度の外にあった。それらの空間や時間を突破するのでなく、通過していたのだ。
彼はいまや各空間をある程度観察できるほど長くそこにいた。それらの空間より無限の遠方にいたので、球体をなした多くの超宇宙を知覚することができた。そのそれぞれは、何十億というレンズ状の銀河系宇宙から成っていた。
また空間があらわれた。ずんずん接近してくる。銀河系だけだ。おなじみの集団が対照性に欠けているのは、キニスンの観測力の限界によるのだ。彼はまだ停止するには速く進行しすぎている。
つぎの空間で、キニスンは自分がある太陽系の付近にいるのを知り、精神力をふりしぼってその上の知的生物のだれかと――だれでもいい――連絡をとろうとした。が、それに成功するまえに太陽系は消滅し、彼は数千キロメートルの高度から、温暖な緑色の世界へ落下していた。その世界はあまりにも地球に似ているので、彼は一瞬、自分が宇宙を一周して地球へもどってきたのにちがいないと思ったほどだった。全体的外観、氷冠《ひょうかん》、雲の状況などは同様だった。しかし、太陽は似ていたがちがっており、大陸もちがっていた。山脈はより大きく、よりけわしかった。
彼はあまりにも速く落下していた。無限大の距離から無重力落下しても、これほどの速度には達しないだろう!
この事件全体は、彼が前に判断したように、まったくあり得ないことだった。裸体の人間が、ましてや血の循環や呼吸もなしに、彼のように宇宙で何週間もすごしてまだ生きていることができるなどというのは、まったくばかげたことだった。彼は自分が生きていることを〈知っていた〉。だから、こんなことがあるはずがなかった。しかも、彼は自分が生きていることを確実に知っているのと同様、確実に自分が落下していることを知っていた。
「しっかりしろ、レンズマン!」彼は自分にむかって痛烈に思考し、その思考を大声で叫ぼうと努めた。
もしこれを自分に信じさせるとしても、これは致命的な状態だった。これほどの高度から落下していることを信じるとすれば、着陸した瞬間に死ぬだろう。彼のからだはもとの場所から移動していないのだろう。けれども、このまったく空想的な衝突のショックだけで、彼の肉体が実際にあの山脈の巨大で扁平な岩の表面にたたきつけられたと同じように、即死してしまうことだろう。
「親愛なるプルーア人、まったくきわどいところだが、完全に的中しているとはいえないぞ」彼は痛烈に思考しながら、精神力をふりしぼって、暗示帯域を破壊しようと努めた。「だから、念のためにいっておくが、わたしを殺そうと思ったら、物理的に殺さなければならない。だが、おまえたちにはそれだけの能力がないのだ。暗示帯域を除去したほうがいいぞ。こういうことは前にも専門家がわたしにしかけたことがあるが、成功しなかったのだ」
彼は、森にかこまれた小さな流れがうねり流れている山腹の草地にむけて、足を下に落下しているように思われた。いまでは非常に接近していて、個々の草の葉や流れの中の小魚が見わけられるほどだった。そして彼はやはり極限的速度で落下しているのだった。
宇宙人として無重力落下の訓練を経ていなかったら、彼は着陸するまえに死んでいただろう。しかし、単なるスピードは彼になんの影響も与えなかった。彼は光速度からの即時停止になれていた。ただ一つ気にかかるのは、慣性の問題だった。彼は有重力状態だろうか無重力状態だろうか?
彼は自分が無重力状態にあると自分にいいきかせた。というより、自分がずっと不動だったし、いまも不動で、今後もずっと不動のままだろうといいきかせた。このようなことが実際に起こるというのは、物理的にも数学的にも本質的にも不可能だ。これはみんな単純な暗示だ。そして彼――グレー・レンズマン、キムボール・キニスン――は、こんなことで負けてはならない。彼はそう信じながら、精神的に歯をくいしばり、断乎としてもちこたえた。はだしの片足が草の葉に触れ、彼の全身はなんのショックもなく停止した。彼はほっとして微笑した――こういうことを望んではいたが、まったく予想してはいなかったのだ。しかし、そのあとすぐに、まったく予想外のことが起こった。
彼の停止はほんの瞬間だった。停止した次の瞬間、八インチか十インチ地面にめりこみはじめたのだ。彼は宇宙的に訓練されたひざでとびあがり、衝撃を受けとめた。左手は自動的に重力中立器のスイッチがあるべき場所に、さっと伸びた。足も腕も動いた。
彼は自分の目で見ることができた。自分の肌で感じることができた。通常空間をぬけだしてからはじめて、息を吸いこんだ。これは不当に深い呼吸ではなかった――酸素の欠乏は感じられなかった。心臓は一度も停止しなかったかのように正常に打っていた。異常に空腹でも、のどがかわいてもいなかった。しかし、そんなことはあとまわしでいい――あのいまいましいプルーア人はどこにいるのか?
キニスンは、いつでも戦闘できるような覚悟で着陸した。手ごろな岩や棍棒はなかったが、こぶしや足や歯はある。何かもっといい武器を見つけるか作るまでは、それでまにあうだろう。しかし、戦うべき相手はまったくいなかった。知覚力を投射しても、鹿以上に大きな動物も、知的な動物も発見できない。
事態はますます不可解になった。暗示は、そもそも有効であるためには、理路整然たるものでなければならない。暗示を受ける対象の経験や知識にすみずみまで適合しなければならない。ところが、これは何にもどこにも適合しない。近接さえしていない。しかし、技術的には驚くべき巧妙さだ。なんの痕跡も探知できない。この草は現実のものに見えるし、そう感じられる。水ぎわに歩いていくと、はだしの足に小石がちくちくあたって、顔をしかめたくなる。彼はたっぷり飲んだ。水は本物かどうかわからないが、冷たくて澄んでいて、とてもうまい。
「聞け、ばかもの!」彼はさぐるように思考を投射した。「あとでどんなことをしようとたくらんでいるのか知らんが、それをいまのうちにはっきりさせろ。もしこれが暗示でなければ、完全な失敗だぞ。SFだとしても、あまり変わりない。スペース・オペラだとしても、すべての基本原則を破っている。わたしはもっとましたものを書いた――カドゴップとシンシアの物語のほうがはるかにもっともらしいぞ」彼はちょっと待ってからつづけた。
「こんなに雄大なスペース・オペラの主人公が、地球そっくりの惑星に漂着して、なにごとも起こらないなどというのを聞いたことがあるか? 超人間的な力とすばやさを持ったすごい怪物を、二匹ばかり登場させたらどうだ。鋼鉄の爪がはえたこの指でひきさいてやるから」
彼は待ちかまえるように、あたりを見まわした。なんの怪物もあらわれない。
「では、わたしを死よりも悪い運命から救いだしてくれる女はどうだ? ふたりのほうがいい――安全のためにな――ブロンドとブリュネットだ。赤毛はこまる」
彼はまた待った。
「QX、女はやめろ。こっちの注文どおりだ。だが、味のいい肉は忘れないでほしいな。やむを得なければ魚でも食うが、おまえたちがこの主人公を喜ばせるつもりなら、厚さ三センチ、重さ一キロのステーキを、地球のバターでなま焼きにして、最上のヴェネリア・マッシュルームをまぶしたやつを、大皿にのせてここへ出してみろ」
ステーキはあらわれなかった。グレー・レンズマンは、起こったと思われる事件の詳細を思い出して、徹底的に研究してみた。やはり、起こりそうもないことだった。夢にも想像できないことだ。暗示や催眠術ではあり得なかった。あらゆる点で筋がとおらない。
しかし、実際問題として、キニスンが最初にくだした断片的な結論はまちがっていた。彼の記憶は、現実の出来事の現実の記録だった。この無名の惑星にいるあいだ、彼は食事をとることはできるが、食物は自分で獲得しなければならないのだ。彼を攻撃するものも、なやますものもいないだろう。なぜなら、エッドール人の呪縛《じゅばく》は――この言葉にはのろいが含まれているから、この状態を表現するにはもっとも適当な言葉だろう――グレー・レンズマンがなんの肉体的傷害もこうむらないような状態と環境のもとでのみ、時空体系へ帰還できるようなものだから、彼は少なくとも五十年間は、健康で生きつづけなければならないのだ。
そしてクラリッサ・キニスンは、自分の部屋で緊張しながら、夫の死の瞬間を待っていた。キニスンと彼女とは、他のどんな男女も知らなかったような意味で一心同体だった。どんな原因にせよ、いっぽうが死ねば、もうひとりはそれを感じるのだ。
彼女は待った。五分――十分――十五分――三十分――一時間。彼女はほっとしはじめた。握りしめたこぶしはゆるみ、せわしかった呼吸は深くなった。
二時間。キムは〈〉まだ生きている! 幸福な安心感が波のように心をみたした。目は輝き、きらめいた。二時間以内に敵がキムを殺せなかったとすれば、いつまでたっても殺せないだろう。キムは充分な能力を持っている。
ボスコニアの最高の頭脳でさえ、キムを殺すことはできないのだ!
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二八 エッドールの戦い
アリシア人とレンズの子らは、プルーアが陥落したあと、早急《さっきゅう》にエッドールを攻撃しなければならないことを知っていた。彼らは、異次元空間の惑星を爆弾として用いる方法が新しいものであることを、かなり確信していたが、エッドール人がまもなくその過程に関する概念、基本方程式、本質的操作装置などを類推《るいすい》することもまちがいない。多次元空間またはそれに類するものを発見するのに一日、多くても二日とはかかるまい。敵の奴隷はこの兵器を三週間以内で模造するだろう。そうなればすぐ、超最高基地も最高基地も、クロヴィアも地球も、宇宙空間から吹きとばされるだろう。アリシアも同様だ――おそらくアリシアが最初だろう。エッドール人は、アリシア人のように正確に惑星のねらいをつけることはできないだろうが、努力して早く知識を手に入れるだろう。
この兵器はまったく究極的な破壊力を持っている。これを防御することは不可能だ。これに応用される理論も、これを防止するように拡張できる理論もない。アリシア人の大数学者でさえ、この異質な空間の物質が正常空間の物質に衝突したときに発生するエネルギーを処理できるような理論や技術を、まだ開発できずにいるのだ。
したがって、キットはアリシア人をせきたてるつもりだといったが、その必要はなかった。アリシア人はもちろんあわててはいなかったが、時間を空費していたわけではない。すべてのアリシア人は、もっとも若い監視員からもっとも年長の哲学者にいたるまで、心の一部をメンターに同調し、他の一部をリストにのっている何百万のレンズマンのひとりに同調して、思考を伝達した。
「レンズマン、注意せよ――おまえの心をアリシアのメンターの精神パターンに同調させよ。彼は全員が待機すると同時に話すであろう」
このメッセージは第一銀河系、銀河系間空間、第二銀河系内の銀河文明に接触した部分全体に行きわたった。アラスカンへも、ヴァンデマールへもクロヴィアへも、スラールへも、地球へも、リゲル系第四惑星へも、火星へも、ヴェランシアへも、パレイン系第七惑星へも、メドンへも、金星へも、セントラリアへも到達した。小艇へも、戦艦へも、浮遊惑星へも到達した。小惑星《アステロイド》へも小衛星へも、大小の惑星へも到達した。あらたに卒業したレンズマンへも、とっくの昔に隠退したレンズマンへも、勤務中のレンズマンへも、遊戯中のレンズマンへも到達した。銀河パトロール隊の第一段階レンズマンへも、ひとり残らず到達した。
メッセージが到達したところでは、どこでも混乱がおきた。あらゆるレンズマンが相互に質問した。
「どういうわけだい、フレッド?」
「ぼくと同じメッセージを受けとったか?」
「メンターだって! いったいなにごとが起こったんだ?」
「わからん! だが、メンターが乗りだすんだから、重大問題にちがいない」
「重大だとも! とほうもなく重大だ! これまでアリシア人が介入したことがあるかい?」
「重大だ! とてつもなく重大だ! メンターは、第二段階レンズマンをのぞけば、二度話しかけてきたことはないんだ。そうだろう?」
レンズを通じての何百万という質問が、パトロール隊のすべての基地、すべてのオフィスをみたした。だれひとりとして、副調整官でさえ、その理由がわからなかった。
「これがどういうことなのかについて、質問をよこすのはやめたまえ。われわれも、きみたち同様、何も知らないのだ」メートランドはついに全員にメッセージを送った。「レンズ着用者はすべて、同じ思考を伝達されたことは確かだ。わたしにいえるのは、これが最高の緊急問題にちがいないということだけだ。現在、生死の問題に直面していない者はすべて、万障を繰り合わせて待機したまえ」
メンターは高度の緊張を望み、またそれが必要だった。そうした緊張状態は獲得された。なにごとも起こらない時間がつづき、史上はじめてパトロール隊の機能が緩和され、ほとんど停止するにつれて、緊張はいよいよ高まってきた。
そして、四人の赤毛娘とひとりの赤毛の青年が乗り組んだ小型巡洋艦の中でも、やはり緊張が高まっていた。エッドール人が開発した機械的思考波スクリーンの問題は、ずっと前に解決されていた。原子動力の反発生器が装備され、ボタンに手をふれると同時に敵の機械的スクリーンを中和して、心対心の闘争を開始できるようになっていた。彼らは、エッドール人の警報装置を反応させない範囲で、できるだけエッドールを含む星団に接近していた。数時間は待つ以外になんの仕事もなかった彼らは、全宇宙を通じて、おそらく他のいかなるレンズマンより高度に緊張していたといえよう。
キットは、キニスンの息子らしく、タバコをたてつづけにふかしながら、床を行ったりきたりしていた。コンスタンスは交互に立ちあがったり腰をおろしたりしていた。彼女もまたタバコを吸っていた、というよりタバコに火をつけては捨てていた。キャスリンはからだをこわばらせて腰をおろし、腕にレンズを出現させていた。そのレンズはまず両手首にあらわれ、両腕を肩まで駆けのぼっては消滅するのだった。カレンは一枚の白紙にピンで慎重に穴をあけ、複雑で無意味な模様をつくっていた。カミラだけがいくらか平静をよそおっていたが、その平静さもガラスのように見えすいていた。彼女は小説を読むふりをしていた。しかし、一目で各ページの内容を完全に吸収する代わりに、一語一語半ページくらい読んでも、何が書いてあるのかまるでわからなかった。
「用意はできているかな、子どもたち?」ついにメンターの思考が伝達された。
「できています!」五人はどうしてそうしたのか自分でもわからないうちに、部屋の中央に立って、からだをすりよせていた。
「まあ、キット、わたし、尻ふりダンサーみたいに、からだがふるえてしようがないわ!」コンスタンスが訴えた。「わたしのおかげで、この闘争がすっかりおじゃんになってしまうような気がするの!」
「QX、赤ちゃん、ぼくらはみんな同じようになやんでいるんだ。ぼくの歯がカチカチいっているのが聞こえないか? そんなことはなんでもない。優秀なチームも――チャンピオンも――大試合の開始前には、みんな同じように感じるんだ――そしてこれは、史上空前の大試合だ――落ち着くんだ、みんな。ホイッスルが鳴れば、とたんにしゃんとする――と思う――」
「しいっ!」キャスリンがささやいた。「お聞きなさい!」
「銀河パトロール隊のレンズマンたちよ」メンターの朗々たる擬似《ぎじ》声音が全宇宙をみたした。「わたし、アリシアのメンターがおまえたちを召集したのは、レンズマンより劣弱な力をもっては処理し得ない危機に対応するためである。おまえたちはすでにプルーアの問題について知っている。プルーアが破壊され、プルーア人がすでに肉体的に存在していないのは事実である。しかし、おまえたちレンズの着用者がすでにおぼろげながら知っているように、肉体的存在だけがすべてではない。いまこそ知るがいい。全宇宙の物理的兵器を総動員してもまったく効果のないような、非物質的邪悪が残存している。この邪悪の根源は本質的に凶悪であって、パトロール隊のすべての根本理念とは厳しく対立している。それは惑星プルーアの破滅とともに活動を開始した。われわれアリシア人は、助けを借りずにそれを処理できるほど強力ではないが、おまえたちの心を集結して立ちむかえば、それを完全に破壊できるであろう。もしおまえたちが望むならば、わたしはおまえたちの精神力を指揮して、この脅威《きょうい》を完全に除去する仕事を指導しよう。もっとも厳密な意味でいうが、この脅威は、ボスコニアが銀河文明に対してさしむけ得る最後の武器である。銀河文明の長い歴史を通じてはじめて一つに結合した銀河パトロール隊のレンズマンたちよ、おまえたちの意志はどうか?」
何百万という種類の言葉で表現された怒濤《どとう》のような思考波が、レンズマンたちの意志をきわめて明瞭に示した。彼らはそうしたことがどのようにしておこなわれ得るかを知らなかったが、ボスコーン人が何者であるにせよ、それらに対する闘争をメンターが指導することを、心から望んだのである。
「わたしが希望し信じていたように、おまえたちの意志は完全に一致した。これはよいことである。おまえたちひとりひとりの役割は単純ではあるが、容易ではない。おまえたちはそれぞれ、二つのことを、二つのことだけを考えるのだ。第一に、パトロール隊に対する愛と誇りと忠誠について。第二に、銀河文明はボスコニアにたいして勝利を得ねばならないし、また勝利を得るであろうという明白な事実について。おまえたちのおのおのが、自己の中に存在するすべての力をふりしぼって、これらのことを思考するのだ。
それらの思考を意識的に方向づける必要はない。この精神力はわたしの精神パターンに同調されているから、わたしの指示にしたがって流れるのだ。それがおまえたちから流出するにつれて、おまえたちはそれぞれの能力に応じてそれを補充するのだ。これはおまえたちが遂行したうちで、もっとも苛烈《かれつ》な仕事だということがわかるだろうが、だれの心にも永久的傷害を与えることはないし、長く継続することもない。用意はできたか?」
「用意はできました!」尻上がりにつよまる思考波が、銀河系を極から極までみたした。
「子どもたち――攻撃せよ!」
反発生器が作用を開始した――機械的スクリーンは崩壊した――五人が形成する統一体は攻撃した。最外層の精神的スクリーンが崩壊した。統一体はほとんど同時に第二の精神衝撃を与えた。第二のスクリーンが崩壊した。第三も。第四も。
これらの広汎《こうはん》に展開されたスクリーンをそれぞれ操作しているエッドール人警戒員を探知し分析し、その位置を正確につきとめているのは、カミラではなく、完全無欠の統一体だった。エッドール人が堅固に維持する精神障壁のおのおのに先導孔を貫通させ、それを工作孔にまで拡大しているのは、キャスリンとキットではなく、統一体だった。このような侵入の過程で獲得された微細な円形の足場を貫通しがたい精神障壁で頑強に確保しているのは、カレンではなく、統一体だった。精神力を集中し、精神衝撃を投射してエッドール人を殺戮《さつりく》しているのは、コンスタンスではなく、統一体だった。協議や決断のために時間をついやすことはまったくなかった。行動は即時的であるばかりでなく、知覚と同時的だった。レンズの子らは、いまや五人ではなくひとりだった。〈統一体〉だった。
「参加してください、メンター!」そのとき、キットが思考を伝達した。「アリシア人もレンズマンも全員参加してください。目標を限定することはありません――スクリーン全体に衝撃を加えるのです。この第五スクリーンは頑強です――これを操作しているのは、ひとりの心ではなく、二十人の心で、しかも最高能力者ばかりです。最善の戦術は、われわれ五人が、一、二秒手をひいて、こちらの防衛線にある戦力を見せ、その隙《すき》にあなたがた全部が打撃を加えることです!」
アリシア人とレンズマンの集団は精神衝撃を加えた。そのすさまじい威力を持った波状攻撃のもとに、第五スクリーンはつぶれて、惑星の表面に落ちこんだ。もちろん、個々のレンズマンの力は、個々のエッドール人の力にくらべれば小さかったが、銀河パトロール隊のすべてのレンズマンが、それぞれの力に応じて参加したので、ひとりのレンズマンの力は、そのとき参加した無数のレンズマンの力と総合して、めざましい力になったのだった。
無数? そうだ。いかに多くの心がこの膨大な精神衝撃に参加したかは、メンターしか知らなかった。第一銀河系だけでも、一千億以上の太陽があるということに注目してほしい。その太陽の一つ一つが平均して一個以上の惑星を持っており、そのうち三千七百分の一の惑星には、知的生物が住んでいる。そして、このときには、それらの惑星の約半分が銀河文明に属していた。また、平均的惑星である地球では、毎年百人のレンズマンが誕生するのである。
「キット、これまでは成功だったわ」コンスタンスはあえいだ。彼女はもうふるえていなかったが、まだひどく興奮していた。「でも、わたし――わたしたち――あんな精神衝撃をあと何回くらい投射する余力があるかわからないわ」
「上出来よ、コニー」カミラがなぐさめるようにいった。
「そうとも、赤ちゃん。きみは充分能力がある」キットが賛成した。極度の緊張の瞬間をのぞけば、こうして副次的思考を個人的に交換しても、統一体の円滑な機能をさまたげることはなかった。「みんな上出来だよ。敵の攻撃がはじまったら、たちまちふるえがとまると思っていたんだ――」
「気をつけて!」カミラが叫んだ。「衝撃がくるわ。ケイ、しっかりたのむわよ。キット、わたしたちを強固に結合してちょうだい!」
敵の精神衝撃がやってきた。エッドール人が投射できるかぎりの衝撃だ。統一体の精神障壁はびくともしなかった。一秒ののち――それは通常の戦闘において、原子爆弾攻撃を数日受けるのに匹敵するような時間だった――からだをこわばらせて身動きもせずに立っていたカレンが、緊張をゆるめはじめた。
「あんまり、あんまりやさしすぎるわ」彼女は断言した。「だれがわたしを手つだってくれたの? 何も感じられなかったけれど、自分がこんな能力を持っていないことはよくわかっているわ。カム、あなたなの――それとも、あなたたちみんななの?」五人ともまだ、統一体の機能特性を完全には理解していなかった。
「わたしたちみんなが多少とも手つだっているけれど、大部分はキットよ」カミラはちょっと考えてからいった。「キットは有重力状態の惑星みたいに強固だわ」
「ぼくじゃない」キットが勢いこんで反対した。「きみたちに違いない。ぼくには、大部分がキャットらしく思われる。ぼくがしていることは、きみたちによりかかって待機しているだけだ――万一の場合にそなえてね。ぼくはこれまで何もしちゃいない」
「あら、そう? そうでしょうとも!」キャスリンは、母親ゆずりの、もしくはそれをまねた伝染性のあるくすくす笑いをした。「わたしたちにはわかってるわ、キット。あなたは自分が何かしていると思えるときでも、そう思いたくないのよ。どっちにしても、わたしたちは兄さんがここにいるのがありがたいわ!」
「QX、みんな、おしゃべりはやめよう。彼らがぼくらを圧倒できないということがこれで、わかったし、彼らもそのことがわかったわけだから、仕事にとりかかろう」
いまや統一体は継続的に攻撃を受けていたから、これまでとはまったく別の手段を採用する必要があった。精神障壁を無限小の瞬間だけ解除して、そのあいだに敵を探知し、精神衝撃を投射しなければならなかった。というより、精神衝撃は、統一体の精神障壁が開かれているあいだに投射しなければならなかったのだ。また、その精神障壁は、精神衝撃が投射される前後にほとんど一瞬の間もないように開かれねばならなかった。このときの敵の精神衝撃と統一体の力との関係は、推進火薬の継続的な圧力と、デュオデック爆弾の突発的な破壊力との関係によく似ていた。とはいえ、敵の精神衝撃が多少とも五人の心に到達すれば、かなりの損害を与えたことであろう。
それに、この技術は、パラシュート降下のように練習するわけにはいかないものだ。タイミングがほとんど絶対的に正確でなければならなかったので、最初の二回の攻撃は目標を完全にはずれた。しかし、統一体はすみやかに習熟した。エッドール人はつぎつぎに死んでいった。
「援助を求む、至高者、援助を求む!」ひとりの上級エッドール人がついに訴えた。
「どうしたのだ?」至高者はこのような非礼が極度の絶望にもとづくことを知っていたので、呼びかけに応じた。
「この新しいアリシア人が――」
「ばかもの、これは個人ではなく融合体だ」短い叱責《しっせき》がきた。「その点は、ずっと前からはっきりしている」
「個人であります!」指揮官は狼狽《ろうばい》のあまり至高者の尊称をぬかすという、ゆるしがたい非礼を犯した。「融合体では、このように完全なタイミングや同調は不可能です。われわれの最高の融合体は、これに対抗しようとして失敗しました。あのスクリーンは貫通不能です。あの精神衝撃は防止できません。お願いです、この個人の問題をすみやかに解決してください。もしそれができなければ、われわれは全滅です。最内層のあなたがたも滅亡です」
「そう思うのか?」思考はあざけった。「おまえたちの融合体がアリシア人の融合体に匹敵できなければ、おまえたちは死ぬまでだ。われわれには大した損害ではない」
第五スクリーンが崩壊した。エッドールはアリシア人の心に対して露出した。もちろん、内部防御はあったが、キットはそのすべてを、強味も弱味も知っていた。彼は前々からメンターの心に正確で完全に詳細な図を展開してみせ、詳細な策戦計画をたてていた。しかし、キットはメンターに助言せずにはいられなかった。
「脱出しようとする者は、残らずねらい打ちしてください。B区域からはじめるのです。しかし、K区域は手をつけないでください。さもないと、やけどすることになりますから」
「計画どおりにやっている」メンターは保証した。「子どもたち、ほんとうによくやった。ひと休みして、これからくる大仕事のために力をたくわえるがいい」
「QX。みんな、結合をとくんだ。からだを楽にしたまえ。フェイアリンを二、三本あけて、みんなで〈えさ〉をつめこんだほうがいい――コン、きみは特にその必要があるぞ」
「〈食べる〉んですって! まあ、食べられないわ――」しかし、兄がむりにすすめるので、彼女はためしにひと口たべた。「あら、やっぱり腹ぺこだわ!」
「そのはずだ。うんとエネルギーを使ったからな。それに、もっと大仕事があるんだ。さあ、みんな休みたまえ」
彼らは休息した。いささか驚いたことに、彼らは休息できた。コンスタンスでさえも。しかし、休息は短かった。エッドール人で生き残っているのは、K区域にいる者だけになったのだ。ここはボスコニア帝国の至高者と側近サークルの総司令部であり、最後の避難所だった。
しかしキットは、こここそ最難関だということを知っていた。無限の歳月にわたってアリシア人を近寄らせなかったのがここなのだ。これまでのところはすべて、アリシア人自身でできた。しかし、アリシア人が全員、心を結集してこのK区域を攻撃しても、はね返されてしまうだろう。
K区域を破壊するには、二つのものが必要だ。レンズの子らの統一体と、想像を絶する数のレンズマンの心の集合体である。
キットはこの状況について、メンターよりよく知っていたので、また痛いほどの恐怖を感じたが、なんとかそれをふり捨てた。
「みんな、まだ強固に結合することはない」キットは組織者としての仕事に、ためらいなくとりかかった。「個々の努力だけでいい――たぶん、だれかが要請したときには瞬間的に融合する必要があるだろうが、ぼくが命令するまでは、統一体をつくらなくていい。つくるときには、あらゆる能力をそそぎこむのだ。カム、あのスクリーンを分析して、われわれにその精神パターンを教えてくれ――かなりむずかしい仕事だということがわかるだろう。あれが完全に同質かどうかを調べてくれ――そしてもし弱点があれば、それを見つけてほしい。コン、精神|針波《ニードル》をできるだけ細めて、穿孔《せんこう》を開始してくれ。あまり強烈にやらなくていい――疲れないようにね――敵の防御壁の構造を触知《しょくち》して、敵を刺激しておくだけでいい。ケイ、われわれの警戒をユーコニドールから引きついで、彼が他のアリシア人に合流できるようにしてくれ。キャット、ぼくといっしょにきてくれ――ぼくが統一体へ参加するように呼びかけるまで、きみはアリシア人を援助する必要がある。
メンター以外のアリシア人諸君、このドームを包囲してください。それよりも薄く――もっと強固に――そうです。まだちょっとバランスがとれていない――ぼくのいるこちら側に、もう少し力を加えてください。QX――そのまま保持してください! よし、〈圧縮〉! キャット、監視していてくれ。エッドール人が包囲膜のどこからも突出できないことが確実になるまで、現状のまま包囲膜のバランスをたもってほしい。
さあ、メンター、こんどはあなたとレンズマンたちです。つぎの五秒間、彼らに発揮できるかぎりの力をわたしたちに提供するように命じてください。彼らの力がピークに達したら、わたしたちを全力で打ってください。わたしたちの中心をです。手心を加える必要はありません。用意していますから。
コン、精神|針波《ニードル》をあそこに突きこむ用意をしてくれ――敵はまた試験的な小突きだと思うだろう――そこを、これまでやったことがないくらい、痛烈に衝撃を加えるのだ。ケイ、そのスクリーンを除去して、精神|針波《ニードル》を強化する用意をしてくれ――メンターの精神ハンマーがぼくらの背中をたたくときは、お手やわらかじゃないからな。ぼくら三人は、そのショックで五人が死なないように、きみたちふたりを精神的に抱きしめる。さあ、くるぞ――統一体をつくれ!――そら!」
統一体は精神衝撃をくわえた。純粋エネルギーからなる精神|針波《ニードル》は、エッドール人が絶対的に貫通不能だと信じる精神障壁にむかって投射された。統一体の精神衝撃はもちろんそれ自体、前代未聞のものだった。レンズマンたちの精神|杭打《くいうち》器――全銀河パトロール隊の各レンズマンの最高の精神的努力の結合された総体――もそれ自体不可抗的だったのだ。いかなるものも圧倒されないわけにはいかない。
一瞬なにごとも起こっていないかのように、また起こらないかのように思われた。五人ははげしい精神的努力を集中して、若くたくましい腕を組みあわせて一体となり、彫像のように身動きもせずに立っていた。彼らのからだの周囲には一個の巨大なレンズが出現し、その光輝は部屋全体をみたした。
その恐るべき力の集中の前には、いかなるものも圧倒されないわけにはいかなかった。統一体はもちこたえた。アリシア人はもちこたえた。レンズマンたちはもちこたえた。極限まで強化された精神|針波《ニードル》は、曲がりもせず折れもしなかった。そこで、エッドール人のスクリーンが貫通された。貫通の瞬間、スクリーンは泡が破裂するように消滅した。
掃蕩《そうとう》の必要はなかった。要塞の中には、すさまじいエネルギーの激流がなだれこんだので、障壁が崩壊したつぎの瞬間には、その中にいたすべての生命が抹殺されたのだった。
ボスコニア戦争は終了した。
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二九 愛の力
「きみたちは無事にやり終えたか?」恐るべき戦闘は終わり、すさまじい緊張が過去のものになったとき、キットはまず妹たちに思考を投射した。
彼らは無傷だった。五人とも精神的疲労以外はなんの傷害もこうむらなかった。回復はすみやかだった。
「あの超空間チューブを捜査して、パパを救出したほうがいいとは思わないか?」キットが提案した。
「この事件について、もっともらしいつくり話を考えてある?」カミラがたずねた。
「二、三の微細な点をのぞいては、万事できている。不備な点はあとでおぎなえばいい」
四人の娘は兄となめらかに心を結合させた。統一体の思考は、付近一帯の宇宙を容易に観測した。そこには、一本の超空間チューブもなく、それがあった痕跡もなかった。統一体はキニスンの精神パターンに同調し、正常空間と現在ばかりでなく、無数のほかの空間や過去および未来を捜索したが、グレー・レンズマンはどこにも発見されなかった。
統一体は思考波をくり返していよいよ遠くまで投射し、ついにその非凡な射程の極限に達した。どの空間もどの時間も空虚だった。レンズの子らは結合をといて、驚愕《きょうがく》のうちに顔を見あわせた。
彼らはこれが何を意味するかを明確に知っていたが、その結論は考えられないことだった。キニスン――彼らの父――宇宙の核心――銀河文明の基礎をなす不変不動の岩――その彼が死ぬ〈はずはない〉。兄妹は論理的帰結を真実のものとして受け入れることができなかった。
兄妹が身ぶるいしながら思考に沈んでいると、彼らの母であるレッド・レンズマンから呼びかけがきた。
「みんないっしょなの? ちょうどいいわ! わたくし、キムが罠にはいって行ったのをひどく心配しているの。キムと連絡をとろうとしているんだけれど、できないのよ。あなたがたは心力が大きいのだから――」
彼女は、五人の子供の思考が現わしている恐ろしい意味があきらかになると同時に、思考をとぎらせた。はじめは彼女も身ぶるいしたが、やがてはげしく反対した。
「ばかげているわ!」彼女は望ましくない事実を否定するためばかりでなく、その知識が事実ではないし、事実ではあり得ないという確信にみちて叫んだ。「キムボール・キニスンは生きているわ。あの人が行方《ゆくえ》不明になったのは知っているわ――わたくしがあの人から最後の通信を受けたのは、あの人があのチューブにはいる直前よ――でも、あの人は死んでいないわ! もし死ねば、きっとそれを感じるはずよ。だから、あなたがたもばかなことは考えないでちょうだい。思考するのよ――〈本当に〉思考するのよ! わたくし、何かをするつもりよ――なんとかして――でも、何をすればいいの? メンターですって? わたくし、彼に呼びかけたこともないし、彼は何もしてくれないんじゃないかとひどく心配なの。アリシアへ出かけて、彼に何かをさせることはできるかもしれないけど、それにはとても時間がかかるでしょう――どうすればいいかしら? どんなことがわたくしにできるかしら?」
「どうしたってメンターです」キットは断定した。「彼は何かしてくれるでしょう――してくれるにちがいありません。しかし、ママが自分でアリシアへ行く必要はありません」いまやエッドール人が消滅したので、銀河系間空間もアリシア人の思考にはなんの障害にもならなかったが、キットはその方法をとらなかった。「あなたの心をぼくらの心と結合させてください」
クラリッサはそのとおりにした。
「アリシアのメンター!」明晰な思考が投射された。「クロヴィアのキムボール・キニスンはこの正常時空体系にもいないし、そのほか、わたしたちが到達できるかぎりの時空体系にもいません。援助を求めます」
「おお、レンズマン・クラリッサと五人の子らだな」たちまち、メンターの冷静な心が彼らの心に合流した。「わたしはその問題になんの注意も払わなかったし、また森羅万象に対する自分の洞察を点検することもしなかった。したがって、キムボール・キニスンはおそらくこの存在面から――」
「そんなことはありません! そんな可能性は考えるだけでもばかげています!」レッド・レンズマンははげしくさえぎった。その思考は肉体的衝撃のようにはげしかった。メンターも五人の子らも、彼女の目がきらめくのを見ることができた。彼女がその情熱的確信をいっそうつよく表現しようとして、つんざくような声で叫ぶのを聞くことができた。「キムは生きています! わたくしは子供たちにそういいましたし、あなたにもそういいます。キムがどんな空間や時間にいようとも、大宇宙内のどんな超次元的空間やプラス・マイナス無限大の時間内のどんな点にいようとも、わたくしが知らないうちに、死ぬはずはありません――絶対に死ぬはずはありません。ですから、どうぞキムをみつけてください――どうぞあの人をみつけてください。メンター――どんな小さな暗示でもいいから与えてください。そうすれば、わたくしが自分でみつけます!」
五人は茫然《ぼうぜん》とした。とくにキットは、そうだった。妹たちは知らなかったが、彼は母がいつもメンターをどれほど恐れているかを知っていたからだ。どんなアリシア人に対してでも、このような思考をむけることは、思いもよらぬことだった。しかし、メンターは興味深そうな反応を示したにとどまった。
「娘よ、おまえの思考には多くの真実がある」彼はゆっくり思考を返した。「人類の愛情は、最高の発露《はつろ》においては、まことにすさまじい力となり得る。おまえのいだいているような愛の能力や可能性は、まだ完全には検討されていない真理の分野である。この問題のさまざまの局面を考察する時間を少々あたえてほしい」
この考察には少々以上かかった。前にキニスンが超空間チューブを通じて多次元空間にほうりだされたときにも、これと似た問題が起こり、アリシア人はそれを解決するのに二十九秒かけたが、こんどはもっとかかった。事実、メンターが通信を回復するまでには、たっぷり三十分かかった。そして彼の通信はグループ全体に対してではなく、五人の子らだけに対して、レッド・レンズマンの心が同調できないような超高周波を用いておこなわれた。
「わたしは彼の精神パターンに接触できなかった。おまえたちにできないことだから、この問題が単純でないことはわかっていたが、事実、はなはだ困難であるということを知った。すでに述べたように、エッドール人の心力は非常に大きかったので、彼らに直接関連した問題については、わたしの洞察は完全には明確でなかった。いっぽう、われわれに対する彼らの洞察は、いっそうあいまいだったであろう。したがって、われわれ相互の分析は推定程度以上に確実ではなかったし、また、そうではあり得なかったのだ。
しかし、おまえたちの父に対して、超空間チューブの罠をしかけたのがプルーア人だという推定が正しいことは確かである。ボスコニアの下級および中級組織が彼を殺し得なかったという事実からして、プルーア人は彼をいけどりにする必要を確信した。この事実は、われわれにとってはなんの不思議もない。なぜなら、キャスリン、おまえが父の護衛にあたっていたからだ。そればかりでなく、キャスリンひとりが手ちがいをおかしたとしても、彼らが、おまえたち五人の結合した力に対抗することが不可能なのは明白である。しかし、ある不明の時期に、エッドール人がその仕事を引きついだ。このことは、おまえたち全部が彼の行方をつきとめることができないという事実が示している。いまさら指摘するまでもないことだが、プルーア人は、おまえたちの父を、おまえたちが到達できないようなところに運ぶこともできず、彼の死をもふくめて、おまえたちには解決できないような問題を提出することもできない。したがって、キニスンを殺すかどこかへ運ぶかしたのが、ひとり、または多数のエッドール人だということは確実である。また、プルーア人が彼を一度は捕獲してほとんど手中におさめたのち、彼が容易に脱出した事実からして、エッドール人は、プルーア人がキムボール・キニスンから情報を獲得する代わりにすべての情報を奪われてしまうだろうということを恐れて、プルーア人に彼を処理させようとしなかったということも、これまた事実である」
「彼らは、わたしがあのチューブの中にいたことを知っていたのでしょうか?」キャスリンがたずねた。「彼らは、わたしたちの存在を推定していたでしょうか、それとも、パパを超人と思ったのでしょうか?」
「それは多くのあいまいな点の一つだ。しかし、そのことは、事件の前にせよ後にせよ、また彼らにとってもわれわれにとっても、同じことだった。それはおまえにもわかるだろう」
「もちろんです。彼らは、第三段階の心が、少なくとも一つ活動しているということを知っていました。それがアリシア人の仕事だということも推定していたにちがいありません。それが父自身だろうと、危急の際、父を援助にくるものだろうと、どちらでも同じことでした。彼らは父が銀河文明の中核であり、父を抹殺するのが最良の作戦だということをよく知っていました。ですから、なぜ彼らが父を公然と殺して処理してしまわなかったのか、その点がわかりません――もし殺していなければのことですが」
「正確にはわたしにもわからない――その点がもっとも不明確なのだ。彼がまだ生きているかどうかも明確ではない。エッドール人が非論理的に思考したり行動したりすることがあると考えるのは、まったくばかげている。したがって、もしキニスンがまだ死んでいないとすれば、彼に対してなされたことは、死そのものよりもっと決定的なことだと推定される。この推定を採用するとすれば、彼らは、われわれが隣接する存在体系について充分の知識を持っていて、キニスンをそこから救出することができるかもしれないと考慮したという結論に達せざるを得ない」
キットは眉をひそめた。「あなたは、まだ父が死んだかもしれないと考えているのですね。あなたの洞察はそこまではおよばないのですか?」
「エッドール人が操作したために、およばないのだ。わたしは、まだおまえたちの父の死の可能性を意識的に強調してはいない。それを考慮しているにすぎないのだ――この場合、相互に排斥《はいせき》する二つの事態が仮定できるが、そのいずれもが起こったことは証明され得ないので、両者とも慎重に検討する必要がある。さしあたり、おまえたちの母の理論が真実で、キニスンがまだ生きているものと仮定してみよう。その場合は、彼に対してどのようなことがどのようにしてなされたかは、まったく明白である」
「明白ですって? わたしたちには明白ではありません!」五人はいっせいにいった。
「エッドール人はわれわれの心力を正確には知らなかったが、彼らもわれわれも越えることのできない限界を設定することはできた。彼らは機械力を偏重しているから、キニスンをそうした限界外のある点まで移動させるに充分なエネルギーを支配していた、と推定することは合理的である。彼らは偶然コース指示器に制御をゆだねて、キニスンの究極的到達点を不可知にしたのだろう。彼はもちろん安全に着陸するだろう――」
「どういう方法でです? どうしてそんなことができたのです――?」
「やがておまえたちには、そのことがわかるようになるだろう。だが、いまは駄目だ。いま述べた仮定が真実であろうとなかろうと、われわれが直面している事実は、キムボール・キニスンが、わたしに現在検査できるかぎりのどんな区域にもいないということだ」
五人は暗い思いにとざされた。
「わたしはこの問題が解決不可能だというのではない。しかし、これにはエッドール人の心が関与しているから、おまえたちもすでにわかっているように、この解決には数百万の要因の分析が必要で、かなりの歳月を費やさねばなるまい――」
「何世代もかかるっていうんですか!」性急な若い思考がわりこんだ。「まあ、それでは、その問題を解決するよりずっと前に――」
「落ち着くがいい、コンスタンス」メンターはやさしくたしなめた。「わたしは、すべての内包や含蓄《がんちく》を充分理解している。わたしがいま言おうとしていたのは、ある意味でアリシア人やエッドール人の心力をはるかに超越している力を利用するように、おまえたちの母に助言するのが望ましいかもしれないということだ」彼はレッド・レンズマンの思考が包含されるように思考波の周波数帯域をひろげ、まるでたったいま熟考しおえたかのようにつづけた。
「子どもたちよ、この問題を通常の手段で解決するには、不都合なほど時間がかかるだろう。そればかりでなく、ここには、われわれの知識を増すための貴重な、おそらく唯一の機会が提供されている。しかし、クラリッサ、注意しておくが、この計画を遂行する場合、おまえの生命が失われる可能性が大きいのだぞ」
「おやめなさい、ママ。メンターがあのようなことをいう場合には、自殺と同じに危険なんです。ぼくらはママまでなくしたくありません」キットが訴え、四人の娘も言葉をそえた。
クラリッサは、自殺がレンズマンの憲章に反することを知っていた――しかし、ある行為が純然たる自殺でないかぎりは、レンズマンが自己の使命にふみこんで行くということも知っていた。
「正確にいえば、その可能性はどのくらい大きいのですか?」彼女は、はずんだ口調でたずねた。「確実ではないんでしょう――そんなはずはありませんもの!」
「いかにもな、娘、確実ではない」
「QX、ではやりますわ。どんなことがあっても思いとまりませんわ」
「よろしい。クラリッサ、わたしとの結合を強化するがいい。おまえの仕事は、夫があらゆる空間、あらゆる時間のどこにいようと、彼にむけて思考を投射することだ。これがもし可能なことならば、おまえにはきっとできる。あらゆる生物のうちで、おまえだけができるのだ。わたしはおまえの探求を援助することも導くこともできない。しかし、われわれは目的の人物キニスンと特別の関係を持っており、おまえは彼と一体をなしているから、おまえには援助も誘導も必要ではあるまい。わたしの役割は、おまえに追従していって、彼を帰還させる手段を工夫することだ。しかし、真の仕事はおまえひとりのものであり、そうならざるを得ない。したがって、その努力のために心の用意をするがいい。小さな努力ではないだろうからだ。精魂を傾けるのだ、娘よ」
一同は、クラリッサが離れた部屋へひきとって、ベッドにぐったり身を投げるのを見つめた。彼女は目をとじ、鼻を掛けぶとんにうずめ、わきの手すりを両手でかたく握った。
「わたしたちも手つだうことはできないのですか?」五人はいっせいにたずねた。
「わからない」メンターの思考は運命の声のように非情だった。「わたしは、おまえたちが、これから起こる事態になんらかの影響を与えるような力を持っているかどうかを知らない。しかし、わたしはおまえたちの力の全容を知らないから、おまえたちもわれわれに同行して、援助ができるような機会があれば、ただちに援助するように待機していたほうがいいだろう。用意はできたかな、クラリッサ?」
「できました」そしてレッド・レンズマンは思考を投射した。
クラリッサ・キニスンは、自分がどんなことをしたか、またどのようにしてそれをしたかについて、そのときもその後もまったく知らなかったし、片鱗《へんりん》すら推定できなかった。また、五人の子供たちも、遺伝、愛、同情などのきずなで彼女と結びつけられ、強力な心を持っていたが、この複雑な多くの現象を理解できたのは、何世紀もたってからだった。そして、アリシアの老賢者メンターは永久に理解できなかった。
彼らにわかったことといえば、無限の愛情をいだき、はげしくなやんでいるひとりの女性が、ベッドの上にからだをこわばらせて横たわり、あらゆる能力をふりしぼった熱烈な探求の思考を、空間と時間の中へ投射しているということだけだった。
レッド・レンズマン、クラリッサ・キニスンは多くの能力を持っていた――そしてその膨大な能力のすべてが、彼女のキム――ただひとりのキム――を気づかい、恋|慕《した》い、はげしく要求していた。彼女の夫キム、彼女の子供たちの父キム、彼女の愛人キム、彼女の半身キム、長い歳月を通じて彼女のすべてだったキム。
「キム! キム! どんな空間や時間にいるにしても、聞いてちょうだい、キム! 聞いて答えてちょうだい! 聞いてちょうだい――わたくしの呼びかけを〈ぜひ〉聞いてちょうだい――わたくし、心の底からあなたが必要なのよ、キム――キム! わたくしのキム! キム!!」
その哀切な思考は、女性の懸念《けねん》、希望、すべてを超越する愛に駆りたてられ、すばらしい女性の率直にむきだされた心の不可抗的な力によって、いよいよ広汎《こうはん》に押しひろげられながら、無数の空間、無数の時間を通じて馳《は》せめぐった。
いよいよ外側へ――いよいよ遠く――いよいよ遠く――いよいよ遠く――
クラリッサのからだはベッドの上でぐったりした。心臓の鼓動はおそくなり、呼吸はほとんど停止した。キットはすばやく精神的深針をさしこみ、彼がこれまであえてのぞき見ようとしなかった彼女の神秘な脳細胞が、ほとんど空虚になっていることを知った。レッド・レンズマンの膨大な生命力でさえ、涸渇《こかつ》してしまったのだ。
「おかあさん、帰ってください!」
「わたしたちのところへもどってきて!」
「おねがい、おねがいだから、帰ってきてちょうだい!」
「子供たち、おまえたちはそれほど母親を理解していないのか?」
彼らは母親を理解していた。彼女はひとりではもどってこないだろう。自分の身にどんな危険があろうとも、生命そのものさえおびやかされようとも、キムを発見するまではもどるまい。
「でも、メンター、なんとかしてください――なんとかしてください!」
「何をするというのだ? どうすることもできない。探求するに必要な超時空体系の量と、彼女の膨大な生命力と、どちらが大きいかというそれだけの問題だ――」
「おだまりなさい!」キットは叫んだ。「わたしたちが、なんとかします! さあ、みんな、やってみよう――」
「統一体よ!」キャスリンが叫んだ。「はやく結合しましょう! カム、ママの精神パターンに同調してちょうだい――いそぐのよ!! 結合しましょう――ママも加えて、六重統一体をつくるのよ――ママを割りこませて、統合するの! できたわ! さあ、キット、推進してちょうだい――わたしたちを推進してちょうだい!」
キットは推進した。統一体の生命力が、クラリッサのぐったりしたからだに一定量送りこまれると、彼女はいくらか力を回復し、それ以上は衰弱しなかった。しかし、子供たちは衰弱した。メンターはクラリッサの死が目前に迫っていることにはまったく無感動だったが、いまや深い憂色を示した。
「子供たち、帰還せよ!」彼ははじめは命令したが、つづいて懇願《こんがん》した。「おまえたちは自己の生命を放棄するばかりでなく、われわれが長い世代にわたってついやしてきた集中的な努力を放棄しているのだ!」
しかし子供たちはなんの注意も払わなかった。この子供たちは、母親同様、こうした使命を達成せずに中途で放棄しようとはしなかった。キニスン家の七人が全員帰還するか、さもなければひとりも帰還しないかどちらかなのだ。
四重融合体のアリシア人はしばらく思考したのち、愁眉《しゅうび》を開いた。従来、不可能だった統一体が形成されたので、いまや情勢は変化した。局面は有利に転換したのだ。これまでの統一体では、精神探知網の精密さや推進力が不充分だった、というより、この仕事を遂行するには時間がかかりすぎたのだ。しかし、レッド・レンズマンの夫に対する愛着が加われば――そうだ、統一体はきっと成功するだろう。
事実、成功した。五人が危険なほど衰弱するまえに、統一体はふたたび五重になって帰還した。すべての空間とすぺての時間を勇敢にも充満させようと努めていたクラリッサの生命力は、彼女の中に逆流しはじめた。想像を絶するほどよじれた一本の強固な多次元ビームが、無限のかなたへ走って消滅したように見えた。
「まことに学問的な仕事だったな、子供たち」メンターは称賛した。「わたしは彼を帰還させる手段を案出した」
「ありがとう、子供たち。ありがとう、メンター」クラリッサは気絶するかわりにベッドからとび起きて直立した。顔を赤らめてあえぎながら目を輝かしている彼女の姿は、どの子供も、これまで見たことがないほど生命力にあふれていた。あとで反動がくるかもしれない――きっとくるだろう。しかし、いまの彼女は喜びに心を昂揚させた一個の女だった。「キムはわたくしたちの空間のどこに、いつもどってくるんです?」
「この部屋でおまえの前に、そしていますぐだ」
キニスンが実体化した。レッド・レンズマンとグレー・レンズマンはかたく抱きあった。その間《かん》に、メンターと五人の子供たちは、未来に注意をむけた。
「第一には、われわれが『宇宙の地獄穴』と呼んでいた超空間チューブの問題だ」とキットは切り出した。「われわれは銀河文明のあらゆる生物の心に、プルーア人がボスコニアの頂上だったという事実を確立しなければならない。わわれがつくりあげた物語によれば、プルーアはボスコニアの頂上であり、第二段階レンズマンたちの努力によって破壊された――これは、はからずも真実なのだ。『地獄穴』はプルーア人の『残党』によって操作されていたものと説明され、すべてのレンズマンはそのことを認識して忘れないだろう。パパがいた空間は、前に投げこまれた空間と程度の差があるだけで、種類の差はないものとする。われわれを除くすべての者にとっては、エッドール人は存在しなかったことにする。何か異議があるかね? この説明で大丈夫かね?」
この説明で委曲をつくしているということに、全員の意見が一致した。
「それなら、いい機会がきたわ」カレンが思考を投射した。「わたしたちの存在理由と生活目的についての重大な問題を検討しましょう。メンター、あなたはアリシア人が銀河文明|擁護《ようご》の役をひいて、わたしたちがそのあとを引きつぐのだということをくり返していいました。そしてわたしはたったいま、アリシア人があなたがた四人だけで、ほかの人たちは、みんなすでに立ち去ってしまったという驚くべき事実に気づきました。メンター、わたしたちは用意ができていません。そのことはあなたもご存知です――そう思うと、わたしはこわくて身ぶるいがします」
「子供たちよ、おまえたちは今後なされねばならぬすべてのことに対して用意ができている。もちろん、おまえたちは完全な成熟と能力には到達していない。その段階は、時とともにはじめて訪れるのだ。しかし、いまおまえたちを残してわれわれが立ち去ることは最良なのだ。おまえたちの種族は潜在的にはわれわれの種族よりはるかに強力で有能である。われわれは少し前に、われわれが到達し得べき最高点に到達した。われわれは、もはやますます複雑化していく生活に自己を適応させていくことができない。おまえたちの若く新しい種族は、推定可能な時間内のいかなる非常事態にも自己を適応させる能力を持っているから、そのように行動することができるだろう。おまえたちは能力においても素質においても、われわれが到達したところからスタートするのだ」
「でもわたしたちは――あなたが教えてくれたように――ほとんど何も知っていませんわ!」コンスタンスが抗議した。
「わたしは、おまえたちにちょうど必要なだけ教えた。今後どのような変化を予期すべきかについて、わたしが正確には知らないのは、われわれの種族が時代おくれだという事実によって明白である。これ以上アリシア人が教示することは、おまえたちを時代おくれなアリシア的|鋳型《いがた》にはめこみ、それによって、われわれのすべての目的をそこなうことになりかねない。くり返して告げたように、われわれ自身、おまえたちがどのような余剰資質《よじょうししつ》をそなえているかを知らないのだ。したがって、わたしはおまえたちに、その新しい資質やそれの利用法について教える能力はまったくない。しかし、おまえたちがそうした余剰資質を持っていることは確かだ。そして、それらの資質を完全に発展させる能力を持っていることも、これまた確かだ。わたしは、おまえたちが、そうした能力を完全に発展させる確実な道におまえたちを導いたのだ」
「しかし、それには長い時間がかかるでしょう」キットは思考した。「あなたが、いまわたしたちを置き去りにしてしまえば、わたしたちにはその時間がないでしょう」
「おまえたちには充分時間がある」
「あら――では、わたしたち、いますぐそうしないでいいんですの?」コンスタンスが思考をはさんだ。「それならいいわ!」
「それじゃ、わたしたち、みんなよかったと思うわ」カミラはつけ加えた。「だってあなたがたアリシア人が生きてきたような生活を送ることを予想して楽しむには、わたしたち、あんまり自分の生活にかまけていて、新しい経験をとり入れることに熱中しているんですもの。わたしたち自身が発達するにつれて、あなたがたと同じような生活をしなければならないようになると考えていいのかしら?」
「おまえの混乱した思考はまた真実をゆがめた」メンターは彼女をいましめた。「おまえたちはそうした生き方を強制されることはまったくないだろう。すべてを得て、なにものも失わないだろう。おまえたちは、たったいま眼前に開けはじめた展望の深さや広さについて、まったく理解していない。おまえたちの生活は、これまでこの宇宙に存在したどんな生活よりも、はかり知れないほど充実した、高く偉大なものになるだろう。能力が増すにつれて、おまえたちは、自分より能力の劣る生物との交渉を望まなくなるだろう」
「でも、わたし、永久に生きることなんか望まなくてよ!」コンスタンスが訴えた。
「それも混乱した思考だ」メンターの思考は――彼としては――いくらかいらだたしげだった。「現在の瞬間においては、許しがたいほど混乱している。おまえたちは自分が不死でないのを知っている。無限の知識を獲得するには無限の時間が必要だということを知るべきだ。おまえたちの寿命は、自分の生活し学ぶ能力にくらべれば、ホモ・サピエンス(人類)の寿命と同じように短い。時がくれば、おまえたちは生活様式を変化させることを望むだろうし、また、そうすることが必要になるだろう」
「それはいつのことですの?」キャスリンがたずねた。「それがわかっていれば、心がまえをするのに便利でしょう」
「その点については、わたしの洞察は明確だから、教えることはできるが、そうはすまい。五十年――百年――千年――そんなことは問題ではないではないか? 自己の顕在《けんざい》的能力、潜在的能力、未成熟能力を発展させながら生きるのだ。なんらかの必要が生じるよりずっと前に、おまえたちは自分が選択したある惑星のうえに住みつき、どんなことが起ころうとも、それに対してあらゆる点で用意ができているだろう」
「あなたのおっしゃるとおりです――そうにちがいありません」キットは認めた。「しかし、たったいま起こったことや、両銀河系の混乱した状況を考慮に入れれば、あなたがたがすべての後見役《こうけんやく》を放棄するのは適当な時期ではないと思います」
「いまや敵対的行動は完全に解体された。キニスンとパトロール隊はそれを容易に処理できる。真の闘争は終了した。二、三年の空白を気にすることはない。おまえたちも知るように、レンズ製造器は完全に自動的で、保持や整備の必要はない。選抜されたレンズマンの特殊訓練にあてたいと思う時間は、おまえたちが自己を後見役として発展させる真剣な仕事の合間からとればよいのだ」
「わたしたちはやはり能力がないような気がします」五人は主張した。「あなたは、わたしたちに必要なすべての指示を与えたと確信しますか?」
「確信する。ついさっき、最高の危急のさいにおいて、わたしの洞察はあいまいで、行動はあまりにもおそかったが、わたしは、おまえたちがその事実にもとづいて、わたしの能力に疑惑をいだいているのを知覚する。しかし、わたしの洞察はすべての本質的因子について、明瞭《めいりょう》であり、われわれの行動がおそすぎたことはないということを思い出すがいい。事実、われわれのタイミングは完全に正確だった――これより少ない試練では、おまえたちを現在のように用意させることができなかったろう。
わたしはいま立ち去ろうとしている。おまえたちの子孫も、われわれと同様、自分が銀河文明の擁護者としての地位をたもちつづける能力が不充分だということを理解するときがくるだろう。彼らの洞察は、われわれの洞察と同様、不完全になるかもしれない。そうなれば、彼らはそのとき存在している最高の種族から、より有能な新しい擁護者を発達させるときがきたということを悟るだろう。そして彼らは、わたしの同僚がすでにやり、わたしがこれからやろうとしているように、自己の意志でつぎの存在へ移行するだろう。しかし、それは遠い未来のことだ。子供たちよ、おまえたちはいま当然のことながら疑惑にみちてためらっているが、わたしがいま告げたことが真実だということを、そしてわれわれアリシア人はすでにこの宇宙にいないが、われわれにとっても、おまえたちにとっても、銀河文明全体にとっても、すべてが順調にはこぶだろうということを、暗黙のうちに信じているのだ」
深く反響する擬似声音はやんだ。そしてキニスン一家は、アリシア人の最後のひとりであるメンターが、この宇宙から立ち去ったことを知った。
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エピローグ
この報告を通読した諸君に、ふたたび挨拶を送る。
この報告を編集したわたしは、まだ未熟で、名ばかりの擁護者にすぎず、したがって、この力場の容器が開かれる時期もその必要も、概括的にさえ洞察することができないから、この報告を読むにいたった諸君の肉体的形態や精神能力については想像もおよばない。
諸君は銀河文明がふたたび深刻な脅威に直面していることをすでに知っている。おそらくその脅威の基本的性格についてもある程度知っているだろう。諸君はこのテープを研究しているあいだに、現在の状況がはなはだ深刻であり、ある種の心を選択して、これをあらかじめ第三段階レンズマンに養成することがふたたび必要となったということを知った。
諸君はすでに、古代にあっては、いくたの文明が野蛮の水準からいくらも向上しないうちに、つぎつぎに没落したことを学んだ。諸君は、諸君に先行するわれわれやその他の擁護者たちが、〈われわれの〉文明が没落しないように配慮したということを知っている。まもなくわれわれにとって代わるべき諸君の種族の任務も、われわれの文明が没落しないように配慮することだと知るがいい。
諸君がこの報告の事実、含蓄、内包を理解すると同時に、われわれのひとりが諸君と精神感応状態にはいるだろう。諸君の心を精神接触のためにそなえたまえ。
クリストファー・K・キニスン