レンズマン・シリーズ3
第二段階レンズマン
E・E・スミス/小西宏訳
目 次
一 召還《しょうかん》
二 超空間チューブによる攻撃
三 女家長制惑星ライレーン
四 捕えた相手は……
五 ロナバールのイロナ
六 ふたたびライレーンで
七 全開多面通信路
八 宝石商カーティフ
九 盗品故売人カーティフ
十 ブリーコと氷山
一一 スラールのアルコン
一二 ヘレン、北へ行く
一三 洞窟で
一四 ナドレックの活動
一五 惑星クロヴィア
一六 ガネル少尉の決闘
一七 未知の空間へ
一八 総理大臣フォステン
一九 スラールの独裁者ガネル
二〇 ガネル対フォステン
二一 クロヴィアの会戦
二二 スラール占領
二三 成就《じょうじゅ》
著者あとがき
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登場人物
キムボール・キニスン……地球人、本編の主人公、グレー・レンズマン
ヘインズ……地球人、銀河パトロール最高基地司令官
レーシー……地球人、銀河パトロール基地軍医総監
クラリッサ・マクドゥガル……地球人、銀河パトロール基地の美人看護婦長、レッド・レンズマン
ヘンリー・ヘンダスン……地球人、銀河パトロール隊員、チーフ・パイロット
ラ・ベルヌ・ソーンダイク……地球人、銀河パトロール隊員、技師長
バン・バスカーク……オランダ系バレリア人、パトロール隊員
ウォーゼル……ヴェランシア人、ドラゴンに似た有翼の爬虫異生物、レンズマン
トレゴンシー……リゲル人、ドラム罐状の異生物、レンズマン
ナドレック……パレイン人、冷血の異生物、レンズマン
ヘレン……ライレーン人、女家長制惑星の美しい長老
メンター……アリシア人、キニスンの師
フォステン……宇宙海賊ボスコーンの巨頭、スラール惑星の総理大臣
アルコン……宇宙海賊ボスコーンを代表するスラール惑星の独裁
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用語解説
[ビーム Beam] エネルギーを光に変えて集束したもの。攻撃用としては敵の物体を固定させる牽引《トラクター》ビーム、溶解性熱線を放射する大型から半携帯式デラメーター、携帯用の光線銃《レイ・ガン》まで、さまざまの形式がある。物体に穴をあける針光《ニードル》線もその一種。また通信用電波としても使用する。
[スクリーン Screen] 遮蔽膜《しゃへいまく》。強力なエネルギーを持つ磁場を展開して、敵のミサイルや攻撃ビームを防ぐ防御兵器。|防 御 壁《ウォール・シールド》(Wall-Shield)、|障 壁《バリヤー》(Barrier)などもこれと同工異曲のもので、小は人間や物体から、大は一つの惑星全体を包んで遮蔽効果を発揮する。
[宇宙船エネルギー Cosmic-energy] 太陽系から太陽系へ一瞬のうちに航行する超光速宇宙船の推進動力として開発されたもので、感受器《リセプター》で受け、変換器《コンバーター》を経て|蓄 積 器《アキュムレーター》に貯えられる。蓄積器は電気の場合のバッテリーに相当し、各種のビーム、スクリーンなどのエネルギー源にも使用する。原子力や化学燃料とちがって補給は無制限と考えられる。
[「自由」航法 Free, Inertialess drive] 惑星間飛行には、種々の方法があるが、これもその一つ。慣性を中立化し無慣性(無重力)状態を作り出して航行する。宇宙船を動かす大型ドライブと個人の身につけるドライブとがあり、有重力と無重力飛行を適宜切りかえて使用する。
[エーテル、サブ・エーテル Ether, Sub-Ether] 宇宙空間。サブ・エーテルは亜空間と訳される。これはアインシュタインの相対性原理にもとづく概念で、宇宙空間にある歪みを利用して通信ないし航行することにより、数百光年の距離を瞬時にしてカバーする。
[パーセク Parsec] 天体の距離を示す単位で視差が一秒になる距離。三二五九光年にあたる。
[ダイン Dyne] 力の絶対単位。質量一グラムの物体に作用して、一秒につき一センチの加速度を生じる力。
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第二段階レンズマン
一 召還《しょうかん》
「待て、若者よ!」アリシア人メンターの声なき声が、レンズマンの脳の奥でとどろいた。
彼は足を宙に止めて、身ぶるいしながら立ち止まった。彼の注意がさっとわきにそれたことをその目から見てとるや、マクドゥガル看護婦長の顔はさっと青ざめた。
「おまえはこれまでにもしばしば、軽率で混乱した思考上の誤りをおかしたが、こんどのことはそれにとどまらない」深くとどろく声なき声はつづけた。「これは思考ですらない。地球人キニスンよ、われわれは、ときとしておまえに絶望する。思考せよ、若者、思考せよ! 知るがよい、レンズマン。おまえの思考の明晰《めいせき》さと、知覚力の正確さとに、銀河パトロール隊と銀河文明との全未来がかかっているのだ。過去におけるいかなるときにもまして、そうなのだ」
「『思考せよ』とはどういう意味です?」キニスンは茫然として叫び返した。彼の心は沸きたつように混乱し、感情は驚きと当惑と懐疑とでごった返していた。
メンターは応えなかったので、グレー・レンズマンの心は数瞬のあいだ、せわしく回転した。懐疑は……不安に色づけされて……急激に反抗に変じた。
「おお、キム!」クラリッサは声をつまらせた。だれか見ている者があったとすれば、このふたりは、はなはだ奇妙な眺めだったろう。二つの制服姿がからだをこわばらせて棒立ちになり、看護婦長の両手はレンズマンの両手を握りしめている。彼女は彼と完全な精神感応状態にあったので、彼の心をかすめるどんな思考をも理解した。「おお、キム! あの人たち、わたくしたちにそんなひどいことをする権利はないわ……」
「権利なんかないとも!」キニスンは叫んだ。「クロノ神のタングステンの歯に誓って、ぼくはそんなことをするものか! きみとぼくと、ふたりは幸福になれる権利がある。ぼくらは……」
「ぼくらはどうだっていうの?」彼女はしずかにたずねた。彼女は、自分たちが直面しなければならないものを知っていた。そして、気の勝った女性だったから、彼よりも早くその事実に直面したのだ。「あなたは、たったいま出発したばかりだわ。わたくしもそうよ」
「そうらしいな」キニスンはむっつりといった。「いったいなぜ、ぼくはレンズマンでなければならないんだ? なぜただの市民でいられないんだ……?」
「それは、あなたがあなただからよ」娘はやさしくさえぎった。「キムボール・キニスン、わたくしの愛する人。あなたはそれ以外の者であるわけにはいかないんだわ」彼女は顔をきっと起こして、勇敢に自分と戦っていた。「それに、もしわたくしがレンズマンの配偶者にふさわしいとすれば、やはり、めそめそしてはいられないわ。こんなことは永久につづくわけじゃないのよ、キム。ちょっと長く待つ、ただそれだけのことよ」
銀灰色の目が、金茶色の目をじっと見おろした。「QX《オーケー》、クリス? ほんとにQX?」その謎めいた質問の中に、どれほどの意味がこもっていたことだろう!
「ほんとよ、キム」彼女はびくともせずに彼の目を見かえした。まったくなんの恐れもなかったとはいえないまでも、彼女の心は決意に満ちていた。「とことんまで覚悟ができているわ。最後の一ミリまでね。どんな苦しみだろうと――どんな道を進まなければならないとしても、そのはずれまで――そしてまたもどってくるまで、すっかり片《かた》がつくまで。わたくし、ここにいるわ。さもなければ、どこかべつのところにね、キム。そして待ってるわ」
男は心をはげまして息を深く吸いこんだ。ふたりは手をはなした――どちらも、自分たちのような性格の者には、肉体的接触が少ないほど無難《ぶなん》だということを、無意識的にも意識的にも知っていたからだ――そして独立レンズマン、キムボール・キニスンは問題を検討しはじめた。
彼はその巨大な知力をふりしぼって、真剣に思考しはじめた。そしてそれにつれて、アリシア人がいおうとしたこと――いおうとしたにちがいないこと――がわかりはじめた。彼、キニスンは、やっつけ仕事をしたのだ。彼はボスコーンとの闘争で大失態をおかした。彼は、メンターがいま沈黙はしていても、依然として、彼と精神感応状態にあることを知っていた。そして、事態を冷静に思考して論理的結論に到達したとき、つぎに来たるべきものを確認して、思わずぞっとした。そのとき、アリシア人の思考が伝達された。
「ふむ、おまえはやっと真実の一部を認識したな。おまえは、自分の混乱した表面的な思考によって、回復しがたいほどの損害がもたらされたことを知った。おまえたちのような若い種族の、おまえのような若い個体にあっては、感情がある種の役割と機能を果たすことは認めるが、おまえには、まだその感情を解放するときがきていないのだということを厳粛《げんしゅく》に教えておく。思考せよ、若者――思考せよ!」そしてアリシア人の長老は、精神感応をうち切った。
看護婦とレンズマンは、ひとこともかわさず、いいあわせたように、ついさっき出てきた部屋へとあともどりした。空港司令官ヘインズと軍医総監《ぐんいそうかん》レーシーとは、まだ看護婦長の部屋の長椅子に腰をおろして、彼らが巧妙にたくらんだ結婚についての、バラ色の計画を練っていた。
「もうもどってきたのか? 何か忘れものでもしたのかね、マクドゥガル?」レーシーはやさしくたずねた。しかし、ふたりの老人はたちまち、若いふたりの名状しがたい表情に気づいた。
「何が起こったのだ? 話したまえ、キム!」ヘインズが命令口調でいった。
「たっぷり起こりましたよ、閣下」キニスンはしずかに答えた。「わたしたちがエレベーターに乗るまえに、メンターが呼び止めたのです。彼は、わたしがボスコーン問題で大失策をやらかしたといいました。万事かたづいたどころか、わたしのへまのおかげで、われわれは出発点よりもずっと後退してしまったのだそうです」
「メンターだと!」
「きみに言った、だと!」
「後退した、だと!」
ふたりの老人はまったく偶然に、無意識のうちに、声をそろえて叫んだ。完全にあっけにとられていた。アリシア人はこれまで自分の殻《から》の中からでてきたことはなかったし、これからもそうだろう。だから、煉瓦の家が上に向かってくずれたという報知でも、この報知ほどは、ショックをあたえなかっただろう。彼らはこの若いふたりのロマンスを|いとも《ヽヽヽ》慎重に促進《そくしん》し、いとも正確にその時期を予定していたのに、いまやそれが一挙に水泡に帰してしまった――完全に彼らの手から取り上げられてしまったのだ。まず彼らの心をかすめたのは、そういう思いだった。つづいて、まるで電光のあとに落雷《らくらい》が起こるように、彼らの意識の中に、なにか想像もおよばぬような作用で、真に重大な認識が炸裂《さくれつ》した。ボスコーンに対するこれまでの戦果も、またすべて水泡に帰してしまったのだ。
すぐれた戦術家である空港司令官ヘインズは戦術家としての鋭い心眼で、細菌の戦闘のあらゆる面を検討してみたが、なんの欠陥も発見できなかった。
「どこにも手ぬかりはなかったと思うが」彼は大声でいった。「アリシア人は、われわれがどこでへまをやったと考えているのだ?」
「われわれがへまをやったのではありません。――わたしがやったのです」キニスンは率直にいった。「われわれがボミンガーをやっつけたとき――ご存知のように、ラデリックスの麻薬業者のボスです――わたしは、ボスコーンの組織が一つの単位ごとに、一つ以上の線で上部組織と連絡していることを知りました。多少とも重要性のある単位には、独立の観測員がついているのです。当時、わたしはその事実を徹底的に知ったものと思っていました。少なくとも、ボスコーンがブロンセカのプレリンのように地区監督をとおさずに直接の通信線を持っているものと想像しました。わたしはその段階で攻撃方法を変えたので、トレッシリア系第三惑星のクラウニンシールドの場合、彼が同様に、直接タッチしていない通信線があるかどうかを考える必要がありませんでした。そして、ジャルトの星団を通じてジャーヌボンのボスコーン自体へ攻めのぼっていくあいだも、そのことを完全に忘れていました。そういう可能性があることは、夢にも思わなかったのです。わたしがしくじったのはそこなのです」
「わたしにはまだわからん!」ヘインズは抗議した。「ボスコーンはトップだったはずだ!」
「そうですか?」キニスンはするどく聞き返した。「わたしもそう思ったのです――しかし、そうだということを証明してください」
「いや」空港司令官はためらった。「そうでないと考えるべき理由は何もなかった……そういう見方をしておった。アリシア人の干渉は決定的なようだが……しかし、それ以前には、なんの……」
「そうでないと考えるべき理由があったのです」キニスンは反対した。「しかし、当時のわたしはそれに気づきませんでした。わたしの頭はそこで狂ってしまったのです。気がつくべきでした。ほとんどが些細《ささい》なことですが、意味深長なのです。積極的証拠というよりは消極的証拠です。とくに重要なのは、ボスコーンがトップだという証拠がなにもないということです。この観念はわたしの希望的で低俗な思考の産物であって、事実や論理の基礎をもったく持っていません。しかも」と彼はにがにがしげに結論をくだした。「わたしの頭蓋骨《ずがいこつ》は、一つの観念がそれを通過するのに百年もかかるほど厚いのです――明々白々な事実でさえ、バレリア人の鉄槌《てっつい》で脳にぶちこまれないと、意味がつかめません――そのあいだに、われわれはあとかたもなく滅ぼされてしまうのです」
「待ってちょうだい、キム。わたくしたちはまだ滅ぼされていないわ」娘はすばやく訂正した。「アリシア人がすすんで人類と連絡をとったというのは、史上はじめてよ。これはたいしたことだわ――ほんとうにたいしたことよ。メンターは、あなたの思考を『軽率で混乱した』といったけれど、それにいつまでもこだわってはいなかったわ。彼が伝達する思考波、あらゆる部分が意味を持っているのよ――たくさんの意味をね」
「どういう意味だい?」三人の男は、実質的には同じ質問をほとんど同時にしたが、キニスンは反応が一番速かったので、質問も半音節くらい早かった。
「はっきりとはわかりませんけど」クラリッサは謙遜した。「わたくし、ふつうの心を持っているだけですし、それもいまは半分か、それ以下しか働いていません。でも、メンターの思考によれば、わたくしたちの損害は『ほとんど』回復しがたいとのことでした。彼は正確にありのままを表現したのです――それにちがいありません。もしそれが完全に回復しがたいものでしたら、彼はそのように表現したでしょうし、そればかりでなく、あなたがたがジャーヌボンを破壊するまえにそれをとめたはずです。わたくしにはそれがわかります。たしかに、このままほうっておけば、取りかえしがつかなくなったでしょう。もしわたくしたちが……」彼女は口ごもって赤くなったが、またつづけた。「……もしわたくしたちが、自分の個人的な問題にかまけていたとすればね。ですから、メンターはわたくしたちを止めたのです。彼はわたくしたちが戦いつづければ勝利をえられる、といったのです。これはあなたの任務だわ、キム……これを解決するのは、あなたの責任よ。それに、あなたにはそれができるわ――わたくしにはそれがわかっているの」
「だが、なぜメンターは、きみたちがボスコーンを破壊するまえにとめてくれなかったのだ?」レーシーは絶望的にたずねた。
「きみのいうとおりだと思うよ、クリス――きみのいうことは筋がとおっている」キニスンは考えこんで、そういってから、レーシーをふりむいた。
「その答えはかんたんですよ、先生。苦労して手に入れた知識は、ほんとうに身につきます。もしメンターが、わたしにあらかじめ未来の図式を描いてくれても、そんなことは、なんの役にも立たなかったでしょう。実際に問題にぶつかったとき、かえって動きがとれなくなってしまいます。きっとこういうことなのです。わたしはいかに思考すべきかを学ばなければならないのです。そのおかげで頭蓋骨が割れてしまうとしてもですね。|真に《ヽヽ》思考することです」彼は他の三人にというよりは、自分自身にむかってつづけた。「そのように思考することが大切なんです」
「ところで、われわれは何をすればいいのかね?」ヘインズは、のみこみが早かった――彼が現在の地位につき、それを維持するためには、そうならざるをえなかったのだ。「いや、もっと正確にいえば、きみは何をし、わしは何をすればいいのかね?」
「わたしがなすべきことについては、いささか思案する必要がありそうです」キニスンは慎重に答えた。「いま思いついたところでは、もっと多くの手がかりを発見して、それをたどるのが一番よいでしょう。閣下のお仕事は、もっとはっきりしています。閣下は宇宙旅行中に、こうおっしゃいました。ボスコーンは地球が非常に強力に防御されていることを知っている、とね。しかし、あのお言葉は、むろん、もうあたってはいません」
「ほう?」ヘインズは長椅子からなかば身を起こしたが、またうしろにもたれてたずねた。「なぜだね?」
「われわれがジャルトの惑星を抹殺するのに|負の球体《ネガスフィア》――反物質爆弾――を用いたからです。また、ジャーヌボンを二つの惑星にはさんで粉砕したからです」レンズマンは簡単に説明した。「地球の現在の防御は、この二種類の攻撃のどちらにも対抗できますか?」
「できんだろうな……いや、できん」空港司令官は認めた。「だが……」
「閣下、われわれは一つの『だが』も容認できません」キニスンはきびしい口調で、きっぱりいった。「われわれとしては、あのような兵器を使用した以上、ボスコーン――もっと正しい名称がわかるまではやはり『ボスコーン』と呼ぶべきだと思いますが――そのボスコーンの科学者たちが、あれらの兵器を記録にとって、すでに同様のものを製造しているでしょう。地球は、われわれがこれまで使用したあらゆる兵器に対してばかりでなく、敵が使用するだろうと考えられるあらゆる兵器に対しても、安全に防御されねばならないのです」
「きみのいうとおりだ……それはわかる」ヘインズはうなずいた。
「わたしたちはこれまでいつも、敵を過小評価してきました」キニスンはつづけた。「はじめは、彼らを単なる組織的無法者または海賊と考えました。それから、彼らがわれわれに匹敵しうる――ある点ではわれわれをしのいでいる――ということを、いやおうなしに知らされたときにもまだ、彼らがわれわれと同じ規模――銀河的な規模――を持っているということを認めようとしませんでした。そしていまや、彼らがわれわれ以上の規模を持っていることがわかりました。彼らの規模は銀河系間的《インター・ギャラクティック》なのです。われわれが、かれらの銀河系に知的生物が居住しているのか、またはそのような生物の居住が可能なのか、というようなことも知らないうちに、彼らはわれわれの銀河系へ侵入してきて、それをくわしく調査したのです。わたしの言い分はあたっていますか?」
「完全にあたっている。もっとも、わしはこれまで、そんなふうに考えたことはなかったがね」
「だれも考えませんでした――精神的|怯懦《きょうだ》です。しかも、彼らには利点があります」キニスンは容赦なくつづけた。「彼らは、われわれの最高基地が地球にあることを知っていますが、もしジャーヌボンが彼らの最高基地ではないとすると、こちらにはそれがどこにあるのかまるでわからないのです。それから、もう一つあります。彼らのあの艦隊は、惑星艦隊でしたか?」
「そう、ジャーヌボンは大きな惑星だったし、アイヒ族は非常に好戦的な種族だったからな」
「ちょっとあいまいな説明ではありませんか、閣下?」
「う、うむ」ヘインズは、いくらかどぎまぎしながら認めた。「一つの惑星があんな大艦隊を建造し維持しているというのは、ありそうもないことだ」
「では、それからどんなことが推定できますか?」
「反撃だ。大挙《たいきょ》しての反撃だ。やつらは、こっちへまわせる兵力を総動員するだろう。だが、やつらは艦隊を再建するほかに、新兵器を設計して建造する必要がある。おそらくわれわれには、充分準備する時間があるだろう。いますぐとりかかればな」
「だが、いずれにせよ、ジャーヌボンは、やつらの急所だったかもしれん」レーシーはひかえ目に意見をのべた。
「おそらくそんなことはないと思うが、もしそうだったとしても」空港司令官は、いまや確信をもってキニスンの意見に味方した。「そんなことはなんの意味もないのだよ、やぶ医者さん。もうやつらが地球を宇宙から抹殺《まっさつ》したとしても、それで銀河パトロール隊が破滅することにはならない。もちろん、傷は傷だが、重傷とはいえない。銀河文明の惑星が銀河パトロール隊をリードすることができるし、そうするにちがいないのだ」
「わたしの考えもまったく同じです」キニスンがいった。「小数点十九位までぴったりですよ」
「さあ、仕事がうんとあるから、すぐとりかかるとしよう」ヘインズとレーシーは立ちあがって行きかけた。「きみの都合のいいときに、わしの執務室で会えるかね?」
「クラリッサにグッドバイをいったら、すぐにうかがいます」
ヘインズとレーシーとが、マクドゥガル看護婦長の部屋へ出かけたころ、ヴェランシアのウォーゼルは大気を切って、一つの平屋根へむけて矢のように下降していた。皮質の翼がさっとひろがり、一陣の風とともにいつもながらのすさまじい着陸をやり――ヴェランシア人は地球の十一倍の重力に耐えられる――なにごともなかったかのように、平然と付近のシャフトを降下した。そして廊下へ出ると、快活に身をくねらせながら、旧友の技師長ラ・ベルヌ・ソーンダイクのオフィスへ向かっていった。
「ベルヌ、わたしは考えていたんだがね」彼は絨毯《じゅうたん》の上で、筋肉質のからだを二メートルばかりかたい|とぐろ《ヽヽヽ》にまき、無気味な柄のついた半ダースばかりの目を突きだしながらいった。
「きみが考えるのは、何もめずらしいことじゃない」ソーンダイクはやりかえした。ヴェランシア人が何週間もぶっつづけに一つの思考に集中する情熱というものは、およそ人間には同情も理解もできないことなのだ。「こんどは何を考えたのかね? なぜ考えたのかね?」
「それがきみたち地球人の欠陥だ」ウォーゼルは不服そうにいった。「きみたちは考え方を知らないばかりじゃなくて……」
「やめろよ!」ソーンダイクは無関心にさえぎった。「何かいうことがあったら、すぐいえばいいじゃないか? なぜ要点に達するまえに、全宇宙を遠まわりする必要があるんだい?」
「わたしは思考について考えていた……」
「それがどうしたっていうんだ?」技師はひやかすようにいった。「そいつはなお悪い。対数渦線(循環論法)ってものがあるとすれば、まさにそれだね」
「思考と――それからキニスンについてだ」ウォーゼルはきっぱりいった。
「キニスンだって? いや――そうなれば話は別だ。関心がある――大いにあるよ。つづけたまえ」
「それから、彼の武器についてだ。例のデラメーター・ビーム放射器さ」
「わからん。ぼくにはわからんてことは、先刻、承知のはずだ。それがどうしたんだ?」
「ごく……ごく……≪明白なこと≫なんだ」ヴェランシア人は、やっと正確な言葉を発見していった。「あの熱線《ビーム》放射器はひどく大きくひどくぶかっこうで、ひどく目ざわりだ。ひどく能率が低くて、ひどく動力を濫費《らんぴ》している。なんの精巧さもない――微妙さもない」
「だが、あれは、これまで開発されたどんな携帯兵器よりはるかにすぐれているんだ!」ソーンダイクは抗議した。
「それはそうだろう。だが、あの百万分の一の動力でも、効果的に応用すれば、少なくとも百万倍も致命的になる」
「どんな方法でやるんだい?」地球人はショックを受けたが、疑わしげにたずねた。
「わたしは、思考というものがどんな有機体にあっても、ある特定の有機化合物と関連しているにちがいないと判断したのだ――こういう化合物さ」ヴェランシア人が説明しているうちに、技師の心には、とほうもなく複雑な分子式があらわれた。式は、彼の心ばかりか、部屋全体を満たしているように思われた。「これが非常に大きな分子で、きわめて高い分子量を持っているということは、きみにもわかるだろう。だから、この分子は比較的不安定だ。その構成グループのどれ一つに共鳴振動を与えても、そこが破壊されて、その結果、思考は停止してしまう」
この恐るべき事実の真の意味がソーンダイクにすっかりわかるには、一分くらいかかった。やがて、彼はこのアイディアに全身で反発しながら、抗議しはじめた。
「だが、彼にはそんなものは不必要だよ、ウォーゼル。彼の知力はすでに……」
「知力で人を殺すには、たいへんなエネルギーが必要だ」ウォーゼルはしずかに口をはさんだ。
「その方法では、同時に二、三人を殺すのがせいぜいで、それもエネルギーをすりへらすような仕事だ。わたしが提案した方法なら、一ワットの何分の一というわずかな動力が必要なだけで、知力はほとんど使わなくてすむのだ」
「その方法は、相手を殺してしまう――そうならざるをえない。その反応は、逆にすることができない」
「もちろんだ」ウォーゼルは認めた。「わたしにはわからんな。きみたち人類は、頭も心も体も柔弱《にゅうじゃく》なくせに、なぜ敵を殺すのをいやがるのだ。敵をおどかすだけでは、なんの役にも立たないではないか?」
「QX《オーケー》――その話はやめよう」ソーンダイクは、まったく人類と異質なウォーゼルに、人類の倫理の基本的な正当さを理解させようと努めてもむだだと知っていたのだ。「しかし、そんな振動を発生する装置で、充分小型につくられたものは、これまでなかったよ」
「それはわかっている。そういう装置の設計と建造とに、きみの発明的能力が要求されるのだ。この装置は小型だということが大きな利点なのだ。キニスンはそれを指輪の中にでも、レンズの腕輪の中にでもつけられる。それは思考によって操作されるのだから、外科的には皮膚の下へ埋めることさえできる」
「逆動《バック・ファイア》はどうかね?」ソーンダイクは実際に身ぶるいしながらたずねた。「放射……遮蔽……」
「そんなことは枝葉|末節《まっせつ》だ――枝葉末節にすぎん」ウォーゼルは半月形の尾を気軽にぴくりとさせて、保証した。
「その装置は、濫用されるべきものじゃない」地球人は主張した。「それで殺されれば、なんで殺されたかわからないのじゃないかね?」
「おそらくわからんだろう」ウォーゼルはちょっと考えこんだ。「いや、きっとわかるまい。思考と関連しているその物質は、死因がなんだろうと、死の瞬間に分解してしまうにちがいない。それに、この装置は、きみが考えるように『濫用』されることはない。世間に知られることさえないだろう。もちろん、きみは一つつくるだけなのだから」
「ほう。じゃあ、きみはいらないのか?」
「いらないとも。わたしにそんなものが必要かね? キニスンだけさ――彼の護身用に必要なだけなのだ」
「キムならうまく扱えるだろう……だが、アリシア人をのぞけば、そんな装置を安心してゆだねられる生物は彼しかいない……QX、周波数、波形などについて教えてくれ。できるだけやってみよう」
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二 超空間チューブによる攻撃
銀河評議会の新任の議長であり、その二重の大任からして銀河文明中もっとも権力のある人物、空港司令官ヘインズは、考えられるかぎりの攻撃に対して地球を安全に防衛すべく、巨大な機構をただちに発動させた。まず戦略会議を召集した。同じように明敏な頭脳の持主である戦略家たちは、彼が第二銀河系への遠征計画と惑星ジャーヌボンに対するきわめて有効な攻撃計画をたてるのを補佐《ほさ》した。大艦隊を構成する各艦隊の多くは、まだ自分の惑星に到達していないが、彼らを召還すべきであるか? まだそうすべきではない――それには非常に時間がかかる。彼らはさしあたり自分の惑星へ帰還させるべきである。敵は反撃に出るまえに艦隊を再建しなければならないだろう。それに、そのほかに、もっとさし迫った問題がある。
もっとも重要なのは、偵察である。銀河系周辺近くの惑星がその任務にあたるべきである。事実、彼らは他の軍事活動をすべて放棄して、その任務にあたるべきである。銀河系へのあらゆる接近路――二つの銀河系のあいだの空間と、第二銀河系の中へ侵入するのに安全な圏内――は、探知網でカバーされるべきである。このようにすれば、不意をつかれる危険はないだろう。
キニスンは戦略会議のこの意見を聞いたとき、漠然と不安を感じた。彼は具体的な危険を予想したわけではなかった。そういうものがありそうでいて、実際にはなかった。彼の意識の底深く、識域《しきいき》よりわずか上のほうに、なにか無形の不安が突き出していた。が、彼はそれをなんとかして引っぱりだそうとしたが、どうしても捕捉《ほそく》できなかった。彼が思考すべき|何か《ヽヽ》があるのだが、それはいったいなんだろう? そこで、彼は、公言したように手がかりを求めてとびまわることはせず、最高基地にとどまって、参謀たちに協力していた――そして思考しつづけた。
やがて防衛計画BTTは、立案者の手をはなれて設計者の手へわたり、さらに技師の手に移った。こんどの戦闘は、原則的には惑星戦になるはずだった。船と船、艦隊と艦隊は対抗できる。しかし、戦術がどれほどすぐれていて、艦隊がどれほど強力でも、惑星の攻撃をくいとめることはできない。そのことはすでに証明されている。惑星は10の25乗キログラム台の質量と毎秒四十キロくらいの固有速度を持っている。もし敵の惑星が第二銀河系から誘導されてくるとすれば、地球との相対速度は毎秒百キロくらいだろう。その運動エネルギーは、およそ5×10の41乗エルグだ。どんな艦隊でも対抗できるような相手ではない。
また、攻撃用惑星は、もちろん最後の瞬間まで無重力だろう。だから、それらを敵がのぞむ瞬間にではなく、パトロール隊がのぞむ瞬間に、有重力にしなければならない。どうやって? ≪どのような方法で≫? それらの惑星に装置されたバーゲンホルム重力中立器は、ボスコーン人に可能なかぎりの手段で保護されているだろう。
この質問に対する技師たちの解答は、彼らが〈|超空飛ぶ鉄槌《スーパー・モーラー》〉と呼ぶものだった。それは巨大でのろくさかったが、無重力状態の惑星よりは、少しだけ速かった。ヘルマスの基地の宇宙要塞に似ていたが、それよりもっと大きかった。パトロール隊の特殊防御巡洋艦にも似ていたが、防御スクリーンがはるかに強力だった。ふつうの|空飛ぶ鉄槌《モーラー》にも似ていたが、攻撃兵器は一つしかない。その想像を絶する質量は、すべて一つの目的――動力――に集中されていた! それは自己を防御することができ、目的物に接近すれば、莫大な損害を与えることができた――そのおそるべき第一次ビーム放射器は、従来開発された兵器のうちで、Q型|螺旋《らせん》砲をまっ二つに切断しうる、ただ一つのものだった。
また、多くの太陽系では、生物がおらず無価値な惑星が、爆弾に変えられた。さまざまの質量や固有速度を持つ惑星爆弾が製造された。それらはつぎつぎにそれぞれの太陽系から離脱して、適当な位置――われわれの太陽系から遠すぎず近すぎないところ――に配置された。
いっぽう、キニスンは犬が骨を気にするように、例の漠然たる不安を思いめぐらしていたが、ついにそれを結晶化することができた。はなはだ散文的なことだが、この結晶反応の触媒《しょくばい》となり、結晶の核となったのは、けばけばしく波打つ、ひどく短いピンクのスカートだった。ピンク――ピンク色のチクラドリア人――航行士ジルピック――デルゴン貴族。こうして、思考の連鎖反応が起こった。
「ああ、そうなのか!」彼は声高く叫んだ。「≪超空間チューブ≫だ――ぜったいに確かだ!」彼はかすれた口笛を吹いてタクシーを呼び、自分でハンドルを握って、市の交通規制の大部分を破りながら――少なくとも、曲げながら――ヘインズのオフィスに到着した。
空港司令官はつねにいそがしかったが、どんなにいそがしいときでも、グレー・レンズマン、キニスンに面会しないことはなかった。とくに、キニスンがそのとき用いたような言葉で至急面会を求めた場合はなおさらだった。
「この防衛計画は完全にまとはずれです」キニスンは断言した。「わたしは、何か重要なことを見落としているとは思いましたが、それがなんであるかつきとめられませんでした。敵が銀河系空間を横断し、惑星に満ちた銀河内を六万パーセクも通過して攻撃をしかけてくるのはなぜでしょう? やつらはそうまでする必要はないのです」彼はつづけた。「補給路の長さをお考えください。しかも、どんなコースをとろうと、われわれの基地によって切断される箇所が百もあるのです。これは筋がとおりません。彼らがこんな遠征をしかけてくるからには、われわれよりはるかに攻撃力がすぐれているか、さもなければ、防御力がすぐれているか、どちらかでなければなりません」
「そのとおりだ」老戦士は平然として答えた。「きみがとうの昔にそういうことを見抜いていなかったとはおどろいたな。われわれは見抜いていた。彼らが攻撃をかけてくれば、わしとしては、むしろはなはだ意外だろうね」
「ですが閣下は、本腰で準備していらっしゃるではありませんか。まるで……」
「そうとも。何かが起こる≪かもしれん≫のだから、無防備で不意をつかれるわれにはいかん。それに、パトロールマンにとってはいい訓練だ。大いに士気を高めるからな」ヘインズは冷静な態度を保って、しばらくキニスンの顔をじっと見つめた。「だが、メンターの警告はただごとでない。そしてきみは、やつらが『そうまでする必要はない』といった。それに、もしやつらが銀河系をまわりこんで反対側へ出るとしても――考えられないほどの遠まわりだが――その場合も、われわれの備えはできている。地球は銀河系の充分内側にあるから、やつらはわれわれに不意打ちをくわすことはできんだろう。だから――きみが考えていることをぶちまけたまえ!」
「敵が超空間チューブを利用するとしたらどうです? やつらは、地球がどこにあるかを正確に知っていますからね」
「うむ……む……む」ヘインズはぎょっとした。「そいつは考えもしなかった……ありうることだ、確かにありうることだ。そして、たとえばデュオデック爆弾を地中に深々《ふかぶか》とぶちこむ……」
「たったいままで、だれもそのことを考えなかったのです」キニスンが口をはさんだ。「しかし、わたしはデュオデックについては心配していません――やつらがこの三次元的距離で充分正確にデュオデックを操作できるとは思えないのです。深すぎれば、まるで爆発しないかもしれません。わたしが気にしているのは、|負の球体《ネガスフィア》です。惑星が使われることも考えられます」
「それは単なる思いつきかね? 暗示かね?」司令官は、かみつくようにいった。
「ちがいます――わたしはそういう問題については何もわからないのです。レンズでカーディンジに連絡してみてはいかがです?」
「それがいい!」そして数秒のうちに、ふたりは地球でもっとも偉大な数学者サー・オースティン・カーディンジと連絡していた。
「キニスン、じゃましてはいかんと、何度いったらわかるのだ」老科学者の思考は怒りでぴりぴりしていた。「太陽系内の生意気な青二才どもが、つぎつぎに、こんなけしからんあつかましい割りこみをやるようでは、重要な問題に思考を集中することもできんじゃないか……」
「がまんしてください、サー・オースティン――なにもかもがまんしてください!」キニスンはなだめた。「申しわけありませんが、こうしておじゃましたのは、生死の問題だからです。ですが、もしボスコーン人が、木星くらいの大きさの惑星――または|負の球体《ネガスフィア》――を、例の超次元的過流を通じてあなたの書斎へ送りこんだとしたら、そのほうがもっとたちのわるい割りこみではありませんか? やつらは、そういうことをやろうとたくらんでいるにちがいないのです」
「なに、なに、なに?」カーディンジは爆竹のようにたてつづけに叫んだ。そしてふいにしずまると、考えはじめた。そして、サー・オースティン・カーディンジは、その気になれば、真に思考できる人物だった。宇宙に匹敵する者がいないほどの精密さで、深遠な純粋数学的思考をこらすことができるのだ。ふたりのレンズマンは、それらの思考を受けとることはできたが、理解することも、あとをたどることもできなかった。科学者協議会のメンバー以外は、だれにもできなかったろう。
「やつらにはそんなことはできん!」科学者はふいに軽蔑的《けいべつてき》な調子で叫んだ。「不可能だ――まったく不可能だ。こういう問題には、それを支配する法則というものがあるんだよ、キニスン。きみはまったくせっかちでわからず屋だ。そういう攻撃を加えるに必要な超空間チューブの末端《まったん》は、太陽の質量のすぐ近くに設置することはできん。それを証明するのは……」
「証明はかまいません――事実だけで充分なのです」キニスンはいそいでさえぎった。「それは太陽のどのくらい近くに設置することができますか?」
「いますぐはわからん」慎重な科学的解答がきた。「一天文単位以上だということは確かだが、正確な距離を計算するには、ちょっと時間がかかる。だが、これは小さな問題かもしれんが、なかなかおもしろい。きみが望むなら解いてやろう。そして、正確な最小距離を知らせてやるよ」
「そうねがいます――心から感謝します」そしてレンズマンは連絡を切った。
「うぬぼれ屋の老いぼれ山羊《やぎ》め!」ヘインズはうなった。「なぐり倒してやりたいくらいだ!」
「わたしもそう思ったことが何度もありましたが、そんなことをしてもむだでしょう。彼はお手やわらかに扱う必要があります――それにあれほどの頭脳を持った人間には、譲歩してやるべきです」
「そうだろうよ。ところで、例のいまいましいチューブはどうだ? あれが地球の内部やすぐ近くに設置できないとわかったので、いくらか安心したが、まだそれだけでは不充分だ。それがどこにあるかを知る必要がある――もしそれがあるとすればだな。そいつは探知できるかね?」
「できます。つまり、わたしにはできませんが、専門家にはできると思います。メドンのワイズは、あれについて誰よりもよく知っているでしょう。彼をここへ呼んではいかがです?」
「それがよかろう」そしてそういうことになった。
メドンのワイズは部下といっしょにきて、協議をすませ、そして帰って行った。
サー・オースティン・カーディンジは、いわゆる小さな問題を解決して、その結果を報告してきた。太陽の中心から、仮定された過流の末端の中心――事実上は、交差する平面である立体図の幾何学的原点――との最小距離は、ほぼ一、二六四七天文単位である。最後の数字は、木星の質量が急速に移動しているので、いくらか不正確である……。
ヘインズはそのテープを途中で切った。――数学的問題に一時間も耳をかたむけているひまはなかったのだ――そして、幕僚《ばくりょう》たちを呼びつけた。
「超空間チューブを徹底的に探知せよ」彼はてきぱき命令した。「キニスンはどうしてほしいかを正確に説明するはずだ。急げ!」
それからまもなく、多数の五人乗り快速艇が、新式の装置をぎっしり積んで、もっとも短時間にもっとも広範囲を探知できるように精密に計算されたコースへむけて、全速力で発進した。
無重力化された多数の惑星が、目だたないように太陽系に接近した。そして、指示されたいかなる場所へでも、少なくとも三、四個の惑星が一分以内に到達できるように配置された。大艦隊の外殻部隊も集中された。大艦隊はまだ事実上動員されてはいなかった――しかし、どの船も即座に行動に移れるように準備していた。
「証跡なし」メドン人の観測員たちから報告がはいった。ヘインズはひやかすようにキニスンを見やった。
「QX、閣下――安心しました」グレー・レンズマンは無言の質問に答えた。「そういうことなら、敵は計画を進行中なのです。あと二ヵ月ばかり、証跡はあらわれないだろうと思います。しかし、敵がそういう方法で攻撃してくることは、ほとんど確実です。そして、その時期がのびるほど、こちらには有利なのです――新式のビーム放射器の開発が可能ですが、それには多少時間がかかるでしょうから。わたしはちょっと飛んでこなければなりません――ドーントレス号を使わせていただけますか?」
「いいとも――なんでも必要なものを使いたまえ――どのみち、あの船はきみのものなのだ」
キニスンは出発した。そして、なんとも驚いたことに、サー・オースティン・カーディンジを同行したのである。強力なドーントレス号は、太陽系から太陽系、惑星から惑星へと、想像を絶する全速力で突進していった。こうして訪問したどの惑星にも、科学者協議会のメンバーのうちとくに協力的な――というより、比較的非協力的でない――科学者たちがいた。それらの、多少とも気まぐれだがすばらしい頭脳は、何日もかかって新しい難問と取り組んだ。彼らのつねとして、熱烈に喧嘩腰《けんかごし》で取り組んだ。もし平穏で学究的な協議などというものが可能だったとしても、これらの強力な知能の持主たちで、そうした協議を好むものは、ごくわずかしかいなかったろう。
やがてキニスンは、招待した科学者たちをそれぞれの惑星へ送り、空飛ぶ研究所を兼ねた戦艦を最高基地へもどした。そして、ドーントレス号が着陸するまえに、早くもまず数百隻の隕石《いんせき》採鉱艇が出動し、精密な設計にしたがって、鉄隕石からなる新しいアステロイド・ベルト(小惑星ベルト)の設置にビーバーのように働きはじめた。この隕石採鉱艇の数はたちまち数百万に増加した。
この仕事と並行して、宇宙空間のそこここに新しい構築物が出現しはじめた。それらは、パトロール隊の|空飛ぶ鉄槌《モーラー》に比較すれば小さかった。それに、防御スクリーンをのぞけば、なんの武装もない。見たところ、いずれも単なる発電所で、特異な設計の原子力モーター、励磁器、吸入装置、発生装置などがぎっしりつまっていた。げっそりやつれたソーンダイクと部下の専門家たちをのぞけば、これらの構築物に気をつける者はいなかった。彼らはこれらの奇妙な船から船へいそがしくとびまわった。それらはいずれも、太陽とのあいだに、緻密に計算された関係位置を保っているのであった。
火星の軌道と木星の軌道の中間では、新しいアステロイド・ベルトが、くっきりした輪を描いて回転していた。大艦隊の大部分は、巨大な中空の半球を形成していた。付近の宇宙空間一帯では、観測用の快速艇や軽飛行艇が目まぐるしく飛びかっていた。それらは、一見無用な行動のようだった。過流探知器の針は一本も、ゼロ点からゆれ動かなかったからだ。
大艦隊の中心に可能なかぎり近く、旗艦がただよっていた。この船は技術的にはZ9M9Z、一般的にはディレクトリクス、略称はGFHQと呼ばれ、百万にもおよぶ支艦隊の行動を統制するためにとくに建造されたものだった。その百万もプラグのついた制御盤のまえには、ずんぐりした胴と触角のような腕を持った二百人のリゲル人が立っていた――彼らはまったくすわる必要がなかったのだ。そして忍耐づよく身動きもせずに立っていた。
銀河系間空間《インター・ギャラクティック》は空虚のままだった。恒星系間《インターステラー》空間も同様だった。軽飛行艇は無益に飛びまわりつづけた。
しかし、危険を予想される宇宙空間が万事平穏に見えたとしても、旗艦Z9M9Zの中の事情はまったくべつだった。もっとも重い責任をになったヘインズとキニスンは、つよい不安を感じていた。
司令官は艦隊に隊形をとらせたものの、それがまるで気にいらなかった。この艦隊はあまりにも大きく、しまりなくかさばっていた。ボスコーン艦隊はどこに出現するかもわからなかったから、艦隊に戦闘隊形をとらせるのがまにあわないかもしれない。それが彼の悩みだった。時は一分一分とゆっくり過ぎて行く――いっそ、海賊が早く出現して、何かをはじめてくれればいい!
キニスンはヘインズ以上に不安だった。ボスコニアは|負の球体《ネガスフィア》を持っているかもしれないが、彼が恐れるのはそれではなく、要塞化された可動惑星だった。もちろん、|超空飛ぶ鉄槌《スーパー・モーラー》は巨大で強力だが、けっして惑星に匹敵することはできない。また、例の大規模な新装置は成功するかどうかわからない。彼はソーンダイクを呼びたてて悩ましたくはなかった――技師長自身が悩んでいるのだ――しかし、ソーンダイクからきた報告は、好ましいものではなかった。励磁がわるい、極板反応が不安定すぎる、スクリーン電圧が高すぎ、または低すぎる等々。ときにビームが集中することがあるが、拡散しないというだけのことで、強固なビームにはならない。そういうわけで、キニスンにとって、一分一分が一秒一秒のようにすっとんでいった――しかし、宇宙空間が晴朗なので、貴重な時間を一分一分かせぐことができているのだ。
そのとき、突然、事態が進展した。一つの過流探知器の針が目ざましくはねあがる。中継器がカチッと音をたて、まぶしい赤いライトがパッとともり、ゴングがしゃがれ声で警報を発した。敵を発見した快速艇が自動的にそのナンバーと位置を通報するやいなや、一万隻もの他の船でも一万ものゴングが鳴りひびいた。そしてそれらの船――すべて観測船――はその位置へむけて突進し、付近をがむしゃらに飛びまわった。彼らの任務は、できるだけ短時間に、出現区域の中心のおよその位置を決定することなのだ。
老練な戦術家である空港司令官ヘインズは、とうの昔に作戦をたてていた。それは彼の戦術用タンクの中では明白に予定されていた――敵の出現区域を完全に包囲して、敵が行動を開始するまえに撃滅してしまうのだ。もしボスコーン艦隊が出現するまえに包囲隊形をとることができれば、一方的な殲滅《せんめつ》戦になるだろう――しかし、そうでないと、べつの結果になるかもしれない。したがって、寸秒を争う問題なのだ。だからこそ、彼は高速度計算器を何週間もたてつづけに活動させて、敵が出現すると予想される中心位置を計算させてきたのだ。
「中心位置を知らせろ――早く!」ヘインズは、すでに能力を最大限に働かせている観測員たちにむかって叫んだ。
中心位置が算出された。主任計算員は、一連の数字をわめいた。指定のルース・リーフ・バインダーがひきだされ、ひきあけられ、大急ぎで一枚ずつ分配された。
「その位置に集結! とくに衝撃球隊を形成せよ!」空港司令官は叫んだ。
彼自身は戦闘を総括的に指揮できるにすぎず、細部は他の者にまかさねばならなかった。ディレクトリクスの操作タンクは、個々の船、艦隊、惑星、構造物その他の物体を示す、何百万というライトを相関的に収容する必要から、直径が七百フィートにも達せざるをえなかった。だから、その千七百立方フィートの空間を全体として知覚し、その中でじりじり移動したりひらめいたりしている多彩なライトの混沌《こんとん》とした迷路から、何かの意味をひきだすことは、ふつうの知力ではまったく不可能なのだ。
キニスンとウォーゼルは、ジャーヌボンの戦いのとき、大艦隊の操作をひきうけたが、そのさいに、助手を使うことができたということがわかっていた。そして、そのきわめて重要な任務のために、四人のリゲル人が、すでに数ヵ月も訓練を受けていたが、彼らはまだ充分ではなかった。そこでいまや、大艦隊操作タンクのそばでは、ふたりの老練な操作官と、ひとりの新しい操作官が活動していた。この三つの巨大な知能は、それぞれの他の欠点をおぎなっていた。地球のキニスンはその強力な行動力と、不屈の意志によって。ヴェランシアのウォーゼルは、レンズなしでも十一光年かなたの太陽系を知的に探査できるほどの広汎な把握力によって。そして、リゲル系第四惑星のトレゴンシーは、長い歴史を持った強固な種族に特有の確信と冷静さとによって。彼らはすべてアリシア人の高等訓練を卒業した第二段階レンズマンだった。彼らはいまや三つの心を基本的に交流させながら、表面的には独立して、それぞれこの巨大な任務のうち自己に割りあてられた三分の一を遂行《すいこう》しているのだった。
連結した三つの心は、司令官の指示にしたがって、円滑にたやすく働いた。命令は強固な思考波によって、何百というがっしりしたリゲル人のスイッチボード操作員に投射され、そこから通信ビームによって、あらゆる船のパイロット・ルームに伝達された。支艦隊、中隊、小隊は、あらたに指定された位置へよどみなく突進した。|超空飛ぶ鉄槌《スーパー・モーラー》もしずしずと自分の位置へ向かった。観測船は任務をおえて姿を消した。彼らはこれから起こることには関係がないのだ。快速艇は小型で攻撃兵器を持っていなかったが、彼らのスクリーンは、これから解放されようとしているエネルギーに対しては、真空と同様に有効だった。動力船もまた移動した。彼らはおたがいに太陽とのあいだに、謎めいた数学的相互関係をきびしく保ちながら、緊密な隕石ベルトと、目に見えないボスコーンの超空間チューブの口とを包囲するような、新しい位置についた。
そのとき、ヘインズが命じた新隊形が完成する直前に、ボスコーン艦隊が忽然としてあらわれた。まさに忽然としてだ――一瞬まえまで空虚だった宇宙空間は、つぎの瞬間には、戦艦でいっぱいになっていた。戦艦からなる巨大な球体。完全な戦闘隊形だ。彼らは無慣性ではなく、いつでも攻撃をかけられるように有重力状態にあった。
ボスコーン艦隊が、完全に戦闘配置についた地球艦隊にぶつかることを予期していたか、空虚な宇宙へ出て、無防備の地球へ降下することを予期していたかは、わかりもせず、わかるはずもなかった。しかし、彼らがどんな情況にも、もっともよく対応できるような隊形で出現したことは確かだった。また、もしボスコーン艦隊にパトロール隊の旗艦Z9M9Zに匹敵するような船があり、キニスン――ウォーゼル――トレゴンシーのような結合知能がその操作タンクを監督していたとすれば、戦闘の結果が異なっていたかもしれない、ということも確かである。
ボスコーン艦隊が方向を決定するには、二、三分かかったが、このふつうならなんでもないような遅延《ちえん》のおかげで、二百人のリゲル人操作員はパトロール艦隊を衝撃球隊の隊形につかせることができたのだ。
百万ものビームが、メドン式の胴体と絶縁体のみが耐えられる負荷《ふか》をかけて、いっせいに放射される。ボスコーンのスクリーンは、防御動力の極限まで強化される。固体と同様に強力な熱線は、それを打って打って打ちまくる。Q型螺旋砲はもみこみ、えぐり、かみつく。想像もおよばぬほど凝縮《ぎょうしゅく》された純粋の力場からなる棍棒、円錐、平面、はさみなどが、狂気のようにひっかき、ひきさき、すりつぶす。ぎっしりデュオデック爆薬をつめた魚雷が、ひるみかけた防御壁《ウォール・シールド》にむけて無数に発射され、付近の宇宙空間は、ほとんど惑星そのものに匹敵する密度の気体で満たされる。
何百、何千というスクリーンや防御壁がたてつづけに破壊される。この宇宙をひきさくようなおそるべき交戦の最初の数秒がすぎたとき、パトロール隊の全艦隊の八分の一は、破壊されるか、完全に消滅するかしていた。これは避けられない結果だった。この交戦はふつうの戦闘距離でおこなわれたのではなかったからだ。直射距離どころか、宇宙の戦艦同士は、スクリーンとスクリーンを接触させて戦ったのだ。
こうして、衝撃球の内側を構成していた宇宙船はほとんどすべて破壊されたが、要員にはひとりの死者もなかった――少なくともパトロール隊の側では。なぜなら、それらの船はすべてロボットが乗り組んだ自動式で、わずかに必要な監督は、リモート・コントロールでおこなわれていたからだ。事実、敵の衝撃球も同様に、ロボットが乗り組んだ船で形成されていた公算が大きい。
最初のすさまじい交戦がおこなわれているあいだに、パトロール隊の後続艦隊が戦場に到達した。旗艦Z9M9Zの操作の優越性がはっきりしたのは、このときだった。船対船、ビーム対ビーム、スクリーン対スクリーンという点ではボスコーン艦隊はパトロール艦隊に匹敵したかもしれない。しかし、彼らには、統一行動に必要な統御力が不足だった。戦場はあまりにも広大であり、交戦単位の数もあまりにも多かった。ところが、三人の第二段階のレンズマンの心はそれぞれ、巨大なタンクの中の自分に割りあてられた分野でのライトの動きを正しく読んで、有能な戦略家である空港司令官ヘインズのそばにある、ずっと小型の宇宙モデル《タンク》の中にその動きを正確に伝達したのである。ヘインズは戦場になっている宇宙間空間全体を見わたして、全般的な命令――おそらく百から五百の惑星艦隊に対する命令――を発する。キニスンたちはそれらの命令を操作員に伝達し、操作員たちは艦隊の司令官または副司令官に指示を与えるのだ。司令官たちは、各部隊に具体的な命令を与え、命令を正確に遂行することになれている戦列将校たちは、その命令に敏速にしたがうのだ。
そこには、なんの疑いも、不安も、ためらいもなかった。戦列将校はもちろん、司令官たちでさえ、戦闘全体の情況については、なにも知らなかったし、知りえなかった。しかし、彼らはすでに旗艦Z9M9Zの指揮のもとで戦ったことがあった。彼らは、名司令官ヘインズが戦闘全般について正しい見通しを持っていることを知っていた。彼がまるで、チェスの名人がチェス盤の上で駒を動かすように、慎重かつ巧妙に部下を動かすことを知っていた。キニスンやウォーゼルやトレゴンシーが、どんな困難な仕事でも遂行できることを知っていた。また、彼らは自分たちが不意打ちをくったり、予期しない無防備の方向から攻撃を受けたりするはずがないのを知っていた。そして、この何十万立方マイルの宇宙空間には、強力な敵艦が何十万といるかもしれないが、それらのどれ一隻として、パトロール艦隊に大打撃を与えられる位置にはいないし、いるはずもない、ということを知っていた。もしそのような危険区域があれば、パトロール艦隊は充分すみやかに、そこから離脱させられるだろう。つまり、彼らはこのような戦闘で戦艦に乗り組んでいる要員としては、期待できる限り安全なのだ。
そういうわけで、彼らはすみやかに、心から、効果的に、命令にしたがった。いっぽう、ボスコーン人は、いたるところで不意打ちをくらった。
なぜなら、すでに述べたように、敵には、パトロール艦隊のような円滑《えんかつ》な統制がなかったからだ。したがって、数個のパトロール艦隊は、完全な統一行動をとりながら、敵の一艦隊にくり返し攻撃を加え、付近のボスコーン艦隊が、味方がそのような危地におちいることを知るいとまもなく、それを包囲して撃滅し、待機位置にひきあげることができた。こうして、二つの大艦隊の交戦の第二段階も終わった。生き残った数千のボスコーン船は、艦隊の中心を形成している惑星方陣の上または近くに退避《たいひ》した。
惑星は七個あった。惑星にのみ可能なほど強力な武装と動力を備えているのだ。移動性の基地には設置不可能な兵器を設置し、惑星的規模の動力源のみが運転し供給しうるような吸収器と発生器を備えている。銀河パトロール隊の戦艦は後退した。完全武装された惑星を攻撃するのは、彼らの仕事ではない。彼らが後退すると、〈|超空飛ぶ鉄槌《スーパー・モーラー》〉がおもおもしくまえへ出て、仕事にとりかかった。これは彼らの仕事なのだ。彼らはこの仕事のために設計されたのだ。想像を絶するエネルギーのチューブ、槍、錐が、惑星の強力なスクリーンにそそぎかけられる。それらははねかえり、宇宙をひきさくような攻撃現象を起こしながら、もっとも近い地面に吸収される。宇宙の怪物たちは、惑星上の超強力防御をほどこされたドームの真上に確固たる位置をしめながら、たえまもなく攻撃をつづける。彼らの指揮官は、そのドームこそ、もっとも重要なバーゲンホルム重力中立器と制御装置をおおいかくしているのだということを知っている。つづいて、ビームを放射する。第一級戦艦の第一次ビームの最大出力に、たっぷり十秒は耐えうる耐熱材でつくられた放射筒をさえ、またたくまに焼き切ってしまうような、おそるべきエネルギーだ!
その結果、発生したビームはごく短時間しか持続しないが、まったく不可抗的な強烈さを持っていた。どんな物質も、一瞬といえどもそれに対抗できない。それは、パトロール隊の科学者たちが知るかぎりで、もっとも強固な防御壁を瞬間的に貫いた。Q型螺旋の強力きわまる組織を切断し破壊できるものは、現在知られているかぎりでは、これしかない。だから、その狂暴なエネルギーの針がボスコーンのドームを突きに突いたとき、パトロール隊の各将兵はもとより、キムボール・キニスンまでが、ドームの崩壊を期待したのは当然であった。
しかし、ドームは持ちこたえた。そして、惑星上に固定された放射器は、|超空飛ぶ鉄槌《スーパー・モーラー》たちに反撃を加え、そのすさまじい衝撃によって、防御スクリーンはスペクトルの色に沿って加熱され、そして崩壊した。
「後退! 彼らを後退させろ!」キニスンは蒼白な唇で命令した。|超空飛ぶ鉄槌《スーパー・モーラー》はしぶしぶ後退した。
「なぜだ?」ヘインズは歯がみして叫ぶ。「あれだけがたのみの綱なのだ」
「新しいやつをお忘れですか、閣下――とにかくやらせてください」
「どうして、あれならうまくいくと思うのだ?」老提督は痛切な思考を伝達する。「うまくいかんかもしれん――もしうまくいかんと……」
「うまくいかなかったとしても」若いレンズマンは答える。「いまより悪いことにはなりません。そのあとで、また|空飛ぶ鉄槌《モーラー》を使ってもいいわけです。しかし、太陽ビームを使うのは、惑星が集団をといて地球へ向かうまえ、つまり≪いま≫でなければなりません」
「QX」司令官は承認した。そして、パトロール隊の|空飛ぶ鉄槌《モーラー》が後退するやいなや、キニスンは思考を伝達した。
「ベルヌかい? われわれの力では、やつらのドームをぶちこわせない。どうやら、こいつはきみの仕事だ――どうかね?」
「応急処置ですからな――あの装置じゃ、シガレットに火がつくかどうかもわからん――だが、そらきたぜ!」
太陽はすさまじいまぶしさで輝いたかと思うと、ほとんど目に見えないほどの黒点となった。敵の戦艦はそれぞれ、ぱっと小さな閃光を発して消滅した。
そのとき、太陽ビームが惑星の膨大な質量に影響を与えるまもなく、技師たちはビームを失ってしまった。太陽は、ぱっと輝いた――黒ずんだ――輝いた――黒ずんだ――ゆらいだ。ビームは不規則に増減した。惑星は、おびえきった指揮官たちの指示で移動しはじめた。
無数のパトロール士官たちが、それぞれの映像プレートを緊張して見つめているうちに、げっそりやつれたソーンダイクと、汗まみれの部下たちは、ふたたび太陽ビームを捕捉した――そして、薄氷をふむ思いで、それを維持しつづけた。それは燃えあがった――火花を散らした――ふくれあがった――しかし、まもなく、惑星たちは、そのビームの進路からはずれるまえに、炎上しはじめた。極の氷冠が融《と》けて沸きたった。大洋も沸きかえり、その表面は爆発的に気化した。山脈が融けて、どろどろと谷を埋めはじめた。ボスコーンのドームは崩壊した。
「QX、キム――それまでだ」ヘインズが命じた。「やりすぎる必要はない。なかなか見てくれのいい惑星だ。何かに利用できるだろう」
太陽はいつもの輝きをとりもどし、惑星は目に見えて冷却しはじめた――いま作用したすさまじいエネルギーでさえ、それらの惑星の膨大な質量を表面的に熱したにすぎなかったのだ。
戦闘は終わった。
「いったい何をやられたのです、ヘインズ閣下、そしてどんな方法でやられたのです?」Z9M9Zの艦長がたずねた。
「ソーンダイクは、太陽系全体を真空管に使ったのだ!」ヘインズはうれしそうに説明した。「あそこにある動力ステーションは、モーターや吸収スクリーンを備えているが、一種の導線にすぎんのだ。アステロイド・ベルトと惑星のあるものは、グリッドと極盤《きょくばん》なのだ。太陽は……」
「待ってください、閣下!」キニスンが口をはさんだ。「それは正確ではありません。おわかりのように、設定された指向場は……」
「きみこそだまれ!」ヘインズはいきおいよくいった。「きみは科学的すぎる。やぶ医者のレーシーと同じだ。艦長もわしも、どのみちわかりっこない専門的な説明などいらんのだ。大事なのは、大ざっぱな結果だけさ――つまるところ、あの惑星は、太陽の総エネルギーのはけ口になったのだ。そうじゃないかね?」
「まあそんなところです」キニスンは譲歩した。「そのエネルギーはほぼ、毎秒四百十五万トンの物質が分解して発するエネルギーに等しいのです」
「ヒュー」艦長は口笛を吹いた。「惑星がジュウジュウいったのもふしぎはない」
「いまこそ、地球が強固に防御されている、といってもさしつかえない」ヘインズは断言した。「どうかね、キム?」
「やつらも、しばらくはお手あげだと思います」グレー・レンズマンは考えながらいった。「カーディンジは、チューブを通じて通信できませんから、やつらできんでしょう。しかし、もしやつらが、観測員をひとりでもチューブを通じて脱出させていれば、あとひと息で、われわれにひとあわふかせることができた、ということがわかるかもしれません。ところで、ベルヌの話では、二週間くらいかければ、太陽ビームの欠点を除去できるということです――そうなれば、こんど攻撃を受けるボスコーン人は、まったくぶったまげるでしょうよ」
「そうだろう」ヘインズはうなずいた。「さしあたり、このあたりに偵察員を巡回させて、艦隊をいくつか近くに配置しておこう。もちろん、全部ではない――交替制でやるのだ――だが、充分、役に立つくらいをな。それでまにあうだろう。どうかね?」
「そう思います――そうです」キニスンは慎重に答えた。「いましばらくは、やつらがここで何かをはじめる状態にないのは確かです。それに、わたしは自分の仕事にとりかかったほうがよさそうです――これにはちょっとばかり骨が折れるでしょう」
「わしもそう思う」ヘインズは認めた。
地球はいまや強固に防御されていた――そこで、キニスンは安心してまた例の捜査にとりかかれると感じた。この捜査の成否には、おそらくボスコニアと銀河文明の対決の結果がかかっているのだ。
[#改ページ]
三 女家長制惑星ライレーン
銀河パトロール隊はヘルマスの総基地を完全に破壊し、この銀河系内の二次的基地を探索して撃滅《げきめつ》したが、それによって銀河文明に対するボスコーンの軍事的拠点は、決定的な打撃を受けた。もちろん、小さな基地で破滅をまぬかれたものがいくつかあるかもしれなかった。事実、そういう基地があることは確実だった。なぜなら、われわれの島宇宙には、まだパトロール隊の惑星学者たちによって宇宙図に記録されていない部分が、比較的多かったからだ。しかし、そうした生き残りの基地が比較的少なく、重要性もないということも、同様に確かだった。なぜなら、戦艦は、きわめて大きいから、チョッキのポケットにかくし持って歩くというわけにはいかない――宇宙艦隊の基地には、巨大なアステロイド(小惑星)より小さくない天体が必要なのだ。このような基地は銀河文明の惑星の近くにあるかぎり、パトロール隊の探知器の探知をまぬかれることは不可能だった。
キニスンは麻薬組織を上へたどってボミンガー、ストロングハート、クラウニンシィールド、ジャルトから、恐るべきボスコーン評議会自体に到達したとき、麻薬シンジケートの背景も、軍事組織同様に破壊されたものと類推的に結論をくだしたが、これはもっともなことだった。しかし、彼の判断はあやまっていた。
シオナイト(麻薬)は、戦艦とちがって、チョッキのポケットにはいるような品物である。したがって、麻薬ボスの司令部も、宇宙戦隊の基地とはちがって、小規模で高度に移動性を持ったものでありうるし、事実そういうことが多いのだ。それに銀河系は広大であり、そこに存在する惑星は無数なので、麻薬中毒者の総数は、まったく想像を絶するほどである。キニスンは、麻薬組織を上下につらなる一直線と考えて、それを追求していったのだが、事実上、ボスコーンは麻薬組織を多数の平行線で構成することがいっそう有効だと知っていた。
キニスンは、はじめ麻薬組織を一本と考えたが、いつまでもそう考えてはいなかった。はじめ彼は、すでに麻薬組織を完全に捕捉したものと考え、ヘインズやラデリックス星のジェロンドにもそう話した。麻薬業者《ズウィルニク》の総司令部が破壊され、地区監督や惑星監督の多くが死んだり逮捕されたりした以上、麻薬取締官たちに残された仕事は、ふつうの小規模な密売を取り締まるだけだ、というわけだ。しかし、この点でも彼はまちがっていた。麻薬局員たちが一時ひまになったことは事実だが、ほんの数日か数週間もすると、まえとほとんど同じくらい多くの惑星上で、またもや麻薬取引きが横行しはじめたのだ。
地球をめぐる攻防戦の後、まもなく、グレー・レンズマンは、右にのべたような事実を知った。まったくのところ、そうした事実が彼にむかってどっと押しよせてきた。しかし、彼はこの減少に失望するよりもむしろほっとした。それによって手がかりがつかめるということがわかっていたからだ。もし彼のはじめの意見が正しく、麻薬業者《ズウィルニク》の未知の最高指導者と下部組織の連絡がすべて破壊されてしまったのだとすれば、彼の仕事は、ほとんど達成不可能なものになっていただろう。
ここで彼の初期の努力を、ことこまかに述べてもはじまらないだろう。それらは、基本的にいえば、まえに採用した方法のくり返しだった。彼は研究し、分析し、観察した。潜行し偵察した。格闘し、ときには殺した。やがて――そう長くたたないうちに――かぎを握っているにちがいないと思われる麻薬業者ズウィルニクをかぎつけた。それは、ブロンセカ、ラデリックス、チクラドリア、その他の遠くはなれた惑星ではなく、地球そのものの上でのことだった!
しかし、彼はその人物の居場所をつきとめることができなかった。地球上でその人物の姿を一度も見かけなかった。じつのところ、その人間を見かけたり、その人間について何か決定的なことを知っていたりする者さえ、ひとりも見つからなかった。もちろん、こうした事実は、その人間をつかまえようというキニスンの意欲を、いよいよあおりたてた。その人間は、特別の大物というのではないかもしれなかったが、これほど完全に身をかくしているということからしても、つかまえる値打ちのある獲物だということはあきらかだった。
しかし、この人物はノミのようにとらえどころがないということがわかった。キニスンが追いすがっていったとき、そこにいたためしがなかった。ロンドンでは二、三分おくれた。ベルリンでは一分ばかり早すぎ、その人物はまったく姿をあらわさなかった。パリでも、サン・フランシスコでも、シャンハイでも取りにがした。獲物はついにニューヨークにおりたが、グレー・レンズマンは、やはりわたりをつけられなかった――いつも、道がまちがっていたり、家がまちがっていたり、時間がまちがっていたりするのだった。
そこでキニスンは、細菌でも捕捉できるように罠《わな》を仕掛けた――そして、いまにも目的の麻薬業者をつかまえそうになった。相手がニューヨークの宇宙空港から発進したとき、彼はほんの一秒だけおくれて到着した。相手の船の閃光が見えるほど近かったので、逃走していく船へ向けて、いつも携帯《けいたい》しているCRX追跡光線を投射することができたのである。
しかし、不幸にして、レンズマンはそのとき私服で、賃借りの小艇を使っていた。彼専用の快速艇は――隠密の捜査に用いるには目立ちすぎるので――最高基地に置いてあった。いずれにせよ、彼はドーントレス号に乗っているとき以外は、快速艇を利用することをのぞまなかったのだ。こんどの場合、彼は必要とあれば大規模に追跡するつもりだった。彼は巨大な巡洋艦に呼びだしをかけ、それがやってくるあいだに、空港の要員に痛烈な質問をあびせかけた。
しかし、無益だった。彼の命令は、どんな船も発進させるなという部分をのぞけば、完全に実行されていた。彼がいま追跡している船の発進は、まったくやむをえないものだった――そういう種類の緊急発進だったのだ。その船は、デネブ系第五惑星からきたパトロール隊の快速艇で、登録番号はしかじかである。補給のために立ち寄ったということだった。北方ビームに乗って着陸し、正当に自己標識をした――デネブ系第五惑星のカーケンファル中尉と申告し、それはちゃんと照合していた……
もちろん照合するはずだ。キニスンがこれほど長いこと追跡してきた麻薬業者《ズウィルニク》は、虚偽の自己標識をするようなへまはやらないだろう。事実、その人間は、カーケンファル中尉そっくりだったにちがいない。
「彼は少しも急いでいませんでした」報告はつづく。「着陸許可を待ちながら旋回し、所定の傾斜を保って、補給ピットへ降下しました。しかし、あと百ヤードというところでふいに向きを変え、宇宙空港の向こうのすみにさっと胴体着陸しました。しかし、着陸したのはほんの一瞬です。だれもその船に接近するひまもないうちに――巡洋艦がビームを投射するひまもないうちに――彼は悪魔がしっぽにとりついたように発進しました。そのとき、あなたが到着されたのです。しかし、われわれは彼にCRX追跡光線を投射しました……」
「それなら、ぼく自身でやっている」キニスンはむずかしい顔でいった。「やつは、乗客をひとり拾いあげるあいだだけ着陸したのだ――もちろん、ぼくが追いかけている麻薬業者《ズウィルニク》さ――そして発進したのだ……そして、きみたちは、やつにまんまとしてやられたわけだ」
「しかし、われわれはそうせざるをえなかったのです」職員は抗議した。「いずれにせよ、彼にはおそらく時間がなかったでしょう……」
「いや、あったにちがいない。やつにどんなことができたかわかれば、きみはぶったまげるさ」
そのとき、ドーントレス号が到着し、即座に着陸することを請願するのではなく、要求した。
「諸君、おのぞみなら、さがしてみたまえ。だが、なんの手がかりも見つかるまい」キニスンは自分の戦艦が着陸したドックへ向けて駆けだしながら、うれしくない結論をくだした。「やつはしっぽをつかまえられるような|へま《ヽヽ》はしていないはずだ」
パトロール隊の巨大な宇宙船が成層圏を突破したとき、キニスンのCRX追跡光線は、強力で執拗ではあったが、かろうじて相手を捕捉しているだけだった。しかし、それで充分だった。チーフ・パイロットのヘンリー・ヘンダスンは、ドーントレス号の針のようにとがった船首をその線に定着し、推進ジェットに、その巨大な機構が吸収しうるかぎりの動力をそそぎこんだ。
こうして三日のあいだ、麻薬業者《ズウィルニク》を追跡したが、キニスンのCRXの反応は、いくらも強くならなかった。追いつき方がひどくのろいのだ。しかも、ドーントレス号は宇宙でもっとも速い船のはずだった。逃走する快速艇はおそろしく足が速いやつだ――全速力で突進しているにちがいない。これは長い追跡になるだろう。しかし、もし宇宙の超次元的彎曲に沿って最短線を追いつづけ、出発した地球へもどってこなければならないとしても、きっとやつをつかまえてやる!
もちろん、ドーントレス号は全宇宙を周航する必要はなかったが、獲物を映像プレトーにとらえたときには、ほとんど銀河系をはずれかけていた。もろもろの星は急激に希薄化していったが、まだ行く手の虚空には、オパール色の銀河がぼんやりのびている。
「どこへ来たんだい、ヘン――|裂け目《リフト》かい?」キニスンはたずねた。
「うむ、第九十四|裂け目《リフト》です」パイロットは答えた。「わたしの記憶が正しければ、あの前方の腕は、ダンスタン区域で、まだ探検されていません。チャート・ルームで照合させましょう」
「その必要はない。ぼくが自分で照合するよ――こんどのことは、ピンからキリまで興味があるんだ」
小型の宇宙船とちがって、ドーントレス号は完全に余地があったので、天文学、惑星学関係のすべての学界や事務局が発行している、あらゆる宇宙図を積むことができた――そして事実積んでいた。これは必要なことだった。この船に乗る人間は、いつどんな獲物や場所に興味を示すか予測がつかなかったからだ。だから、キニスンがその区域についてあるかぎりのわずかな情報を手にいれるには、いくらも時間がかからなかった。
ドーントレス号が接近しつつあるのは、やはり第九十四|裂け目《リフト》だった。これは恒星のほとんどない巨大な空隙《くうげき》で、銀河系の本体と、その巨大な螺旋《らせん》状の腕の一本からわかれている枝とのあいだに、横たわっているのだ。前方のオパール色はその枝――ダンスタン区域だった。ヘンダスンの言葉どおり、この区域はまだ探検されたことがなかった。
銀河測量部は、第一銀河系の本体をさえ、まだ完全には測量していなかったので、螺旋状の腕のような外縁部については、もちろん組織的な作業をしていなかった。そのような区域の中にも、よく知られていて充分測量されているのは事実だったが、それはそこの住民が自力で宇宙航行術を開発して、自発的にわれわれの銀河文明と接触するにいたったとか、個人的な探検によって有利な貿易路が開拓されたとかいう場合だった。しかし、ダンスタン区域は空白だった。そこに住んでいる住民が、自発的にわれわれと連絡をとったことはなかった。個人的探検がおこなわれたことがあるとしても、その結果、利用や開発の価値のあるものが発見されたことはなかった。また、銀河系の中心近くに植民に適当な無住の惑星が多数ある以上、こんな遠くまで植民する必要がないことも理の当然だった。
ドーントレス号は想像を絶する全速力で裂け目を突破し、ダンスタン区域に突入していった。時間が経過するにつれて、追跡ビームはいよいよ強固になり、逃走する快速艇の姿は、映像プレートの上でいよいよ大きく明瞭になった。オパール色にかすんだ螺旋状の腕は、星が形成する天蓋《てんがい》と変じ、その天蓋から一つの太陽が分離して浮かびあがった。一群のG型惑星が姿を現わす。
それらの惑星のうちの一つ、外側から二番目のものは、ひどく地球に似ていたので、観測員の中には、ホームシックを感じた者さえあった。両極にはおなじみの氷冠があり、大気圏、成層圏、つみかさなった波状の雲もあった。広大な青い大洋がひろがり、巨大な見なれない形の大陸は、葉緑素的な緑に燃えている。
要員たちは、分光器、抵抗温度計《ポロメーター》、その他の装置のまえで、いそがしく敏活に働いた。
「やつが第二惑星へむかってほしいな。きっと、そうなると思うよ」キニスンは観測の結果を調べながらいった。「あの惑星の住民は、十中の十まで地球人と同じだろう。やつが地球で気楽にやっていたのもふしぎはない……うん、第二惑星だ――そら、有重力になったぜ」
「あの船を操縦しているやつはだれかしらんが、一生のあいだに一日だけ学校へ行くと、その日が雨で教師がこない、というようなやつだな」ヘンダスンがばかにしたようにいった。「ところが、やつは尾部を下にしてバランス降下しようとしている――どうです、あのゆれ方は――まるで、ぶちこわしてくれと注文してるみたいだ!」
「だが、やつが無事に着陸するとなると、まずいな――大いにまずい」キニスンは考えながらいった。「われわれが着陸螺旋を描いて惑星のまわりを回転しているあいだに、やつはかなり時間をかせげるだろう」
「なぜ螺旋を描かなけりゃならんのです、キム? なぜ、やつのあとをつけていっちゃいかんのです、ええ? われわれの固有速度は、やつのより悪くはない――事実上、同じですよ」
「正気かい、ヘン。この船は超大型戦艦だよ――念のため教えておくがね」
「それがどうしたっていうんです? わたしは、あいつがあの快速艇を扱うより、よっぽどうまくこの超大型戦艦をあつかってみせますよ」パトロール隊のチーフ・パイロットのナンバー・ワンであるヘンリー・ヘンダスンは、ほらを吹いているのではなかった。彼にとって単純で明白な事実を口にしているだけのことだった。
「問題は質量だ。質量、体積、速度、慣性、動力。きみだって、こんな質量をあやつったことはあるまい、そうだろう?」
「ないですよ。でも、それがなんです? わたしは若いとき、ちゃんとパイロット・コースを習修しているんですよ」彼はいまや二十八歳のベテランだった。「わたしはあの飛行場の上で、あなたが指定する砂粒の上に尾部ジェットの中心パイプをすえて、その砂粒が融けるまで固定してみせますよ」
「きみができるっていうなら、やってみたまえ!」
「QX、こいつはおもしろいことになった!」ヘンダスンは、わが意をえたように挑戦を受け、一般警報マイクをいれた。「全員、有重力捜査のためベルト着用。尾部下方、第三級降下。尾部着陸。至急!」
バーゲンホルムが切られ、有重力状態に移行したとほうもない質量の超大型戦艦が、地球の固有速度を保ちつつ、一定角度で降下して行くにつれて、チーフ・パイロット・ナンバー・ワンは、その技倆《ぎりょう》を発揮した。目のまえの噴射キイやレバーに対して、オルガンに対するコンサート・オルガニストのような名手である彼の手足は、そここことひらめいた。聞こえるのは、音楽ではなかったか?――ジェットのすさまじい轟音は、それを聞いている宇宙ずれのした乗組員たちにとって≪音楽≫なのだ。そして、それらの噴射の正確な位置と厳密に調節された動力とに応じて、巨大な宇宙船はきりきりまいしてはね起きながら、そのものすごい質量を、下方の惑星と相対的に不動に保った。
キニスンは思った。これがつづいているかぎり、地球の三倍の重力が作用するのだ。しかし、それほどひどくない――四Gか五Gと思ったのに。三Gならば、からだを起こして映像プレートに注目していることができる。そこで彼はそうすることにした。
見たところ、この惑星の入口はそう稠密《ちゅうみつ》ではないらしい。都市はかなりあるが、みな赤道付近に集中している。温帯には何もない。探知ビームをいっぱいに投射しても、人工の建造物は一つも見あたらない。処女林と未開の原野。熱帯にはたくさんの道路や建造物があるが、その他の地域には何もない。快速艇は無器用で未熟な着陸をしたが、事故は起こらなかった。
彼らの目標である空港は、大きな都市のすぐ外側にある。おかしなことだ――これはまったく宇宙空港ではない。ドックもなく、ピットもなく、宇宙船もない。低い平らな建物がある――格納庫だ。では、飛行場なのか? しかし、キニスンが知っている飛行場とは似ても似つかない。あまり小さすぎる。オートジャイロ用か? ヘリコプター用か? そんなものは一機もない――みんな小型飛行機だ。籠《かご》みたいな旧式機――複葉機、三葉機。針金と布でできている。なんたるしろものだ! なんたるしろものだ!
ドーントレス号は、乗り捨てられた快速艇のすぐそばに着陸した。
「全員、待機」キニスンは注意した。「ここは、なんだかようすがおかしい。外へ出るまえに、ちょっと偵察してみる」
彼は、空港の内外の人間が、少なくとも小数点以下十位まで地球人と同じだということを知ったが、驚きはしなかった。惑星の状態のデータから、それを予期していたからだ。彼らは衣服をつけていなかったが、それにも驚かなかった。彼がとうの昔に知っていることだったが、人類、または人類に近い種族の大部分――とくに女性――は、少なくともなんらかの装飾をつけているが、衣裳を身につけることは、それがからだを保護するために必要な場合のほかは、一般的というより、むしろ例外的なのだ。火星人は、地球にいるときは、地球人の習慣を尊重して軽い衣服をつけるが、それと同じようにキニスンも、裸体が礼式になっている惑星を訪問したときは、当然のこととして服をぬぎ、むらなく日焼けした肌をあらわすのだ。彼はこれまでレンズだけを身につけて公式の宴会に出席したことが一度ならずあるが、そんなときも、なんのためらいや不安を感じなかった。
彼が驚いたのは、そのあたりのどこにも男性がひとりもいないという事実だった。彼の知覚力が到達しうるかぎり、男性はひとりもいないのだ。女性が労働し、女性が管理し、女性が機械を操作している。女性が飛行機を操縦し、整備している。オフィスにいるのも女性だ。待合室にも、空港の近くにパークしたり道路を走ったりしている自動車に似た乗物にも、みんな女性のおとな、子ども、赤ん坊があふれている。
そして、キニスンがスパイ光線のスイッチに手をのばし、乗組員に警告を発するまもなく、彼は異質な知力が自分の心に進入しようとしているのを感じた。
どっこい! こっちがふつうの心だったら、成功しただろう。だが、グレー・レンズマンの心に侵入しようとするのは、ヒョウのからだに、こっそりピンを差しこもうとするようなものだ。彼はたちまち自動的に強固な防壁を心にめぐらし、一瞬のうちには、思考はスクリーンが船全体をおおった。
「きみたちのうちだれか……」彼はたずねかけて言葉を切った。もちろん、彼らは感じなかったろう。彼らは脳を完全に読まれても、少しも感じないだろう。この船に乗っているレンズマンは彼ひとりなのだ。それに、レンズマンでさえ、大部分は感じなかっただろう――これは彼の仕事だ。しかし、このようにあきらかに文明がおくれている惑星上で、こんな知力を持った者がいるとは? 筋がとおらない。きっとあの麻薬業者《ズウィルニク》が……そうだ、これは、どうみても彼が処理すべき仕事だ!
「ぼくが思った以上におかしなことがある――思考波だ」彼はしずかに言葉をつづけた。「はだかになって出て行ったほうがいいと思ったが、それはやめよう。完全に宇宙服をつけて行きたいところだが、手を使ったり、すばやく動いたりする必要があるかもしれない。もし彼らがぼくの服に侮辱を感じたら、あとで弁解するさ」
「だが、キム、ひとりで出て行く手はない――ことに、宇宙服もつけずに!」
「できるとも。あぶない橋をわたるつもりはない。きみたちがあそこへ出て行っても、ぼくの助けにはならんが、ここにいれば助けになる。ヘリコプターを一機とばして、ぼくにスパイ光線をすえておいてくれ。ぼくが合図したら、細い針光《ニードル》線二本で仕事にかかってくれ。なんの援助もいらないと思うが、絶対にそうとはかぎらないからな」
宇宙船の気密室《エアー・ロック》が開き、キニスンは外へ出た。彼は強力な思考波スクリーンを持っていたが、その必要はなかった――少なくともいまのところは。また、彼はデラメーター式ビーム放射器を持っていた。そればかりでなく、この強力な携帯用放射器よりさらに致命的な武器を一つ持っていた。あまりにも致命的なので、これまで使ったことのない武器だ。が、いまさらテストしてみる必要はなかった――ウォーゼルが効果があるといった以上、効果があるにちがいなかったからだ。この武器の困るところは、相手を単に無力化することができない点だった。これは、一度用いたからには、完全に徹底的に相手を殺してしまうのだ。しかも、彼の背後には、ドーントレス号の恐るべき攻撃力がひかえている。何も心配することはないのだ。
宇宙船が、空港の打ち固められた地面に着陸すると、はじめて、そこで働いていた人々は、この空からの訪問者がいかに大きく、いかに重いかを知った。ほとんどすべての者が仕事をやめて宇宙船を見つめ、キニスンがオフィスへ向かって歩いて行くのを見おくった。レンズマンは、これまで多くの異質な惑星に着陸したことがあった。そして、さまざまの風俗や感情を経験していた。しかし、彼の存在がこの女たちにひき起こした感情は、これまでに例のないほどのものだった。その感情は彼女たちの顔にありありとあらわれており、彼女たちの湧きたつような思考の中では、いっそうはっきりと表現されていた。
憎悪、嫌悪、反発――三つのうちどれもがぴったりではないが、それぞれをいくらかずつ含んでいる。まるで彼が即座に撲殺《ぼくさつ》されるべき怪物、いまわしい化けものとでもいうようなのだ。たとえば、デカノア系第六惑星の住民であるおそろしくみにくいクモに似た生物は、彼の姿を見て身ぶるいしたが、彼らの思考でさえ、この女たちの思考にくらべればまだ温和なのだ。しかも、それはごく自然な感情である。そのような生物にとっては、どんな人間でも怪物に見えるはずだからだ。しかし、この女性たちは、彼と同じような人間である。まったくわけがわからない。
キニスンはドアをあけて、支配人と顔をあわせた。彼女は、われわれの世界の机にあたるものに向かっていた。彼女を見たとたん、彼の心の表面には、奇妙な感情が浮かびあがった。それは、彼がすでに無意識的に感じていたものだった。ここで彼は、なんの装身具もつけていない女性を、生まれてはじめて見たのだ。彼女は背が高く、均整がとれて、丈夫そうで美しかった。なめらかな肌は、ゆたかで、むらのない茶色に日やけしていた。そして、ほとんど潔癖すぎるほどに清潔だった。
しかし、彼女は宝石も腕輪もリボンも、まったくなんの装飾もつけていなかった。顔料《がんりょう》もおしろいも香水もつけていなかった。濃い眉毛は、これまで抜いたり剃ったりされたことがなかった。何本かの歯は巧妙につめものをされ、ブリッジをかけた歯も二本あったが、その技術は地球の歯医者としてもりっぱなものだった――しかし、その髪は! その髪も、その下の白い頭蓋骨と同様におそろしく清潔だったが、美術的にいえば、まったくめちゃめちゃだった。髪の房のあるものはほとんど肩までたれていたが、どうやら彼女は房のどれかがのびてじゃまになるたびに、それをひっぱって、ナイフでもはさみでも手あたりしだいの道具で、できるかぎり短く切ってしまうらしかった。
もちろん、こういう感想や一般的考察には、それほど時間がかかりはしなかった。キニスンは、支配人のデスクのほうへ二歩もふみださないうちに、一つの思考を投射した。
「太陽ソル系第三惑星のキニスン――独立レンズマンです。しかし、この惑星の住民は、地球もレンズも知らないのでしょうね」
「どちらも知らない。また、わたしたちライレーン人は、そんなものを知りたいとは思わない」彼女はひややかに答えた。彼女の脳は鋭く明晰《めいせき》であり、個性は活発で強烈だった。しかし、アリシア人に二度の訓練を受けたキニスンの心にくらべれば、彼女の心はあわれなほど遅鈍《ちどん》だった。彼は彼女が自分をその場で殺そうとして、精神的衝撃力を集中するのを知った。彼は相手のなすにまかせ、それから反撃した。致命的にでもなく、気絶するほどにでもなく、彼女がほとんど意識を失って近くの椅子にくずおれるに充分な程度に反撃したのだ。
「だれか男《マン》を攻撃する場合には、その人間の力量をはかってからにしたほうがいいね」彼は、彼女が意識を回復するのを待って忠告した。「ぼくの精神的防御の感じで、きみにはそれが破壊できないだろうということがわからなかったのかね?」
「そうらしいわ」彼女はよわよわしく認めた。「でも、わたしは、できることならおまえを殺さなければならなかったのだ。おまえのほうが強いから、もちろんわたしを殺すだろう」この奇妙な女性たちが何者だろうと、徹底した現実主義者にはちがいない。「やりなさい――かたづけてしまいなさい……でも、こんなはずはないわ!」彼女は思考のなかで悲鳴をあげて抗議した。「わたしには、おまえの〈男《マン》〉という思考がわからない。おまえは確かに男性《メイル》なのだ。単なる≪男性≫が人間《パースン》のように強力なはずがない」
キニスンはその思考を完全に理解して、ショックを受けた。彼女は自分自身を女とも女性とも考えていない。単に人間と考えているのだ。彼女は、キニスンが自分自身を男と呼んだのをまるで理解できなかった。彼女にとって、〈男《マン》〉と〈男性《メイル》〉は同義語なのだ。どちらもセックス以外のなにものも意味していないのだ。
「ぼくはきみを殺すつもりなどないし、この惑星上のだれも殺すつもりはない」キニスンはしずかに告げた。「どうしてもやむをえない場合のほかはね。だが、ぼくはあそこにある快速艇を、地球からずっと追いかけてきた。そして、あれをここまで操縦してきた男をつかまえるつもりなのだ。たとえそのために、きみたち住民の半分を抹殺しなければならないとしてもな。よくわかったかね?」
「よくわかっているわ、男性《メイル》」彼女の心は矛盾した感情でごったがえしていた。自分がすぐに殺されないですむという驚きと安心。このようないまわしい怪物的男性が、あつかもしくも存在するということに対する嫌悪と反発。彼の前例のないような精神的力に対するはげしい驚異。どうやら自分の知らないことが、この宇宙には存在しているらしいという、おぼろげな理解。これら無数の矛盾した思考が、彼女の心を駆けめぐっていた。「でも、おまえが〈快速艇〉と呼んだあの宇宙航行船には、男性などひとりも乗っていなかった」彼女は驚くべきことを告げた。
しかし、彼には、彼女が嘘をついているのでないとわかっていた。
「ちくしょう!」彼はつぶやいた。「また女闘士か!」
「では、その女はだれだ――つまり、その人間は?」彼は急いで思考を訂正した。
「あれはわたしの姉よ……」
キニスンは相手の思考を〈姉〉として受けとったが、その思考はじつは〈姉〉ではなかった。〈姉〉という言葉はあきらかに性的概念を含んでいるから、ライレーン系第二惑星の〈人間〉にとっては、まったく理解できないものだろう。彼女の思考はむしろ〈同じ血統の年長の子〉という意味だった。
「……それから、もうひとりの人間は、別世界から来たということだわ」彼女の思考はよどみなくつづく。「人間というよりは、生物ね。でも、おまえはもちろん、あんなものには関心はないでしょう」
「もちろん関心があるさ」キニスンは断言した。「事実、ぼくが関心を持っているのは、そのもうひとりの人間で、きみの年上の身内《みうち》ではないのだ。だが、きみはその者を人間ではなくて生物だといったね。どういうわけだね? 教えてくれたまえ」
「そのものは人間みたいに見えたけれど、そうではなかったのよ。知性は低いし、精神力は弱かった。そして、そいつの心が関心を持つのは……それの思考はひどく……」
キニスンはライレーン人が、彼女にまったく理解できないほど異質な思考を的確に表現しようと努めているのを知って微笑した。
「きみにはその生物がどんなものだったかわからないだろうが、ぼくにはわかるよ」彼は相手がまごついているのをさえぎった。「それは人間で、やはり女性だったのだろう。ちがうかね?」
「でも、人間が女性のはずはないわ――ないと思うわ!」彼女は抗議した。「だって、生物学的にみても、そんなことは筋がとおらないもの。女性なんていうものはないわ――あるはずがないわ!」キニスンは彼女の観点がはっきりわかった。彼女の社会観によれば、女性など存在するはずがないのだ。
「その問題はあとまわしにしよう」彼は告げた。「ぼくがいま関心を持っているのは、その女性の麻薬業者《ズウィルニク》だ。その女は――というよりその生物は――いまきみの年上の身内といっしょにいるのかね?」
「そうよ。ふたりはもうすぐホールで食事をするはずだわ」
「じゃまして悪いが、きみはぼくをふたりのところへ連れていってくれなければならない――いますぐにね」
「まあ、そうしていいの? わたしは自分ではおまえを殺せないのだから、おまえをあの人たちのところへ連れていって、殺させなければならない。どういう方法でおまえをあそこへひっぱっていったものかと、考えていたところだわ」彼女は率直に告げた。
「ヘンダスンかね?」レンズマンはマイクに向かっていった――もちろん思考波スクリーンは無線のじゃまにはならない。「ぼくはこれから麻薬業者《ズウィルニク》のところへ行くところだ。ヘリコプターをぼくの上に飛ばせて、ぼくが指示するものをいつでも針光《ニードル》線で穿孔《せんこう》できるようにしておいてくれ。ぼくがそこへ行っているあいだに、例の快速艇をくわしく検査して、必要なものをすっかり手にいれたら、破壊してしまってくれ。あれとドーントレス号だけが、この惑星にある宇宙船だ。この女たちは男嫌いで知力で人を殺せるから、思考波スクリーンをかけておきたまえ。一秒間もスクリーンをゆるめてはだめだ。なにしろ、この女たちはエネルギーがいっぱいで、檻《おり》にぎっしりつまった猫鷲《キャットイーグル》(惑星ラデリックスに住む狂暴な猛獣)みたいに、やさしくて、ききわけがいいからな。わかったかい?」
「わかりました、隊長」すぐに返事がきた。「しかし、あぶない橋はわたらんでくださいよ、キム。ほんとにひとりで料理できますか?」
「余裕たっぷりさ」キニスンはあっさり保証した。そして、地球人のヘリコプターが空中にとびあがると、また思考を支配人に投射した。
「行こう」彼は指示した。彼女は彼を案内して、パークしている地上車の列のところへ連れていった。彼女が二つのレバーを操作すると、小さな車はのろのろと、しかしなめらかに走りだした。
距離は遠く、速度はおそかった。女は自動的に運転しながら、あらゆる感覚を集中し、彼の精神的障壁になんかの弱点や割れ目を見つけて、精神的攻撃を加えようとていた。キニスンは相手の執拗さにおどろいた――当惑した。彼女は彼を殺そうと一筋に思いつめているのだ。彼をやっつけようとして、たえずすきをうかがっているのだ。
「ねえ、きみ」そんなことが二、三分つづいたあと、彼はほとんど訴えるような調子で彼女に思考を伝達した。「筋道をたてて考えようじゃないか。ぼくはきみを殺したくないといったろう。いったいどういうわけで、きみはそんなにむきになって、ぼくを殺そうとかかっているんだ? きみがおとなしくしないなら、むこう六ヵ月くらい頭が痛いような、こらしめをくわしてやるぜ。なぜそんなばかなまねをやめて、仲よくしないんだ?」
この思考はひどく彼女をいらだたせたとみえて、ふいに車をとめると、狂暴な目つきで彼をじっとにらみつけた。
「仲よくするだって? ≪男性≫と?」この思考は文字どおり男の脳を突き刺した。
「わからんのか!」キニスンは絶望的に叫んだ。「偏狭《へんきょう》な一惑星的偏見を忘れて、できることなら一分でもいいから考えろ――きみの頭蓋骨の中にちょっとでも脳味噌がはいっているなら、それを使って、ぼくを徹底的に憎む以外のことを考えてみろ。いいかね――きみは、女性というものが、まともな世界に存在するとすれば、こんな生物にちがいないと類推的に考えているが、きみはそんな意味の女性ではないし、ぼくもそんな意味の男性ではないのだ」
「まあ」ライレーン人は、このとんでもない説明にあっけにとられた。「でも、あのすごく大きな船に乗っているほかの者たちは、確かに男性だわ」彼女は断固としていった。
「わたしはおまえが無線電話で彼らに告げたことがわかったわ。あの船には、致命的な思考波に対する機械的障壁がもうけてある。おまえはそれを使う必要はないが、他の者は使わなければならない――彼らは確かに男性よ。おまえはかならずしも男性とはかぎらない。おまえの脳は、人間と同じくらいすぐれているのだわ」
「もっとすぐれているというつもりだろう」彼は訂正した。「だが、きみはまちがっている。船に乗っているのはみんな男だ――みんな同じだ。しかし、男は仕事にかかっているあいだ、自分の脳をたえず攻撃から守ることに意識を集中することはできない。だから、思考波スクリーンを用いているのだ。ぼくはきみたちに思考を伝達しなければならないから、スクリーンを使うわけにいかないのだ。わかったかね?」
「では、おまえはわたしたちをちっとも恐れていないの?」彼女は以前の憎悪をあらたによみがえらせて叫んだ。「では、おまえはわたしたちの力をそんなに軽く見ているの?」
「そうとも。そのとおりだ」彼はきっぱりいった。しかし、彼はかならずしもそう思っていなかった。この女は、長さ五フィート十一インチのとぐろをまいた毒蛇と同じくらいあつかいにくくて、その二倍も危険なのだ。
彼女は精神力によって彼を殺すことはできない。彼女の姉も――どんな女か知らないが――そしてその仲間たちも、彼を殺すことはできない。彼はそれを確信していた。しかし、もし彼女たちが精神衝撃によって彼を殺せないと知れば、暴力を用いることは目に見えている。そして暴力となると、彼女たちは確かにたっぷり持っている。彼のわきにいるこのじゃじゃ馬は、百六十五ポンドか百七十ポンドはあって、よくきたえられている。たくましくて、すばやい。格闘になれば、彼はこの女たちを三、四人――おそらく五、六人――は圧倒できるかもしれないが、相手がそれ以上多くなれば、殺すか殺されるかだろう。とんでもないことだ! 彼はこれまで女を殺したことはなかったが、いますぐにも、そういうことをはじめなければならないような情況になってきた。
「さあ、また出発だ」彼はうながした。「そうして、その途中で、われわれがなんらかの協調に到達できないか考えてみよう――一種の妥協的契約だね。きみは、ぼくが船の乗組員に与えた命令を理解したのだから、われわれの船が、この都市全体を数分で破壊できるような兵器を持っていることがわかっているだろう」キニスンの口調は質問ではなく断定だった。
「わかっているわ」彼女の思考は、やり場のない怒りにふるえていた。「兵器、兵器――いつも兵器なんだわ! ≪男性≫はいつもそうよ! もしおまえの大きな船がなくて、あのおかしな飛行機が頭の上でふらふらしていなかったら、この手でおまえの目をえぐりだして、しめ殺してやるんだけど」
「そんなことができるとすれば、たいしたものだ」彼は平然としてやりかえした。「だが聞きたまえ、欲求不満の人殺し女。きみはすでに、物質的事実のまえには現実主義者だということを証明したのだ。だのになぜ、精神的、知的事実にも同じような態度で直面しないのかね?」
「もちろん直面するわ。いつだって、そうしているわ!」
「そうじゃない」彼はするどくさえぎった。「きみの考えによれば、男性は二つの――二つだけの――属性を持っている。一つは生殖すること、いま一つは戦うことだ。彼らはおたがいに、またあらゆるものに対して、つまらない理由で死ぬまで戦うのだ。そうじゃないかね?」
「そうだわ、でも……」
「でも、なんぞどうでもいい――ぼくに話させてくれ。きみたちはなぜ、何百世代も前から、男性の闘争本能を除去するように飼育《しいく》しなかったのかね?」
「一度そうしようとしたのだけれど、種族が衰退《すいたい》しはじめたのよ」彼女はしぶしぶ答えた。
「そうだろうとも。きみたちのやり方は万事ゆがんでいる――バランスがとれていないのだ。きみはぼくを男性としてしか見ることができない――ぼくがきみたちとちがうというだけで、見かけしだい抹殺すべきものと考えている。だが、ぼくはきみを殺せるし、殺す理由が充分にあるのに、そうしなかった。われわれはきみたちを全滅させられるが、やむをえない場合でなければ、そうはしないつもりだ。きみはこれをどう思うかね?」
「わからないわ」彼女は率直に告白した。彼女の心に植えつけられた反感と嫌悪は消滅しなかったが、彼を殺したいという狂暴な欲求だけはおさまった。「おまえは……ほとんど人間《パースン》に近い素質を持っているみたいだわ」
「ぼくは人間《パーソン》だよ……」
「そんなことはないわ! おまえが身につけているばかげた被《おお》いもので、わたしをごまかせると思っているの?」
「待ちたまえ。ぼくは二つの平等なセックスを持つ種族に属する人間だ。両性はあらゆる意味で平等なのだ。数も平等だ――男ひとりに女ひとりの割合なのだ……」そして彼は言葉をつづけて、銀河文明の社会をできるだけわかりやすく説明した。
「信じられないわ!」彼女は叫ぶように思考を伝達した。
「ところが、事実なのだ」彼は保証した。「さあ、これで、きみはぼくにつっかかるのをやめて行儀よくするかね。それとも、きみの脳に、ちょっとばかりマッサージをしなければわからないかね? それとも、きみのその美しいからだを、二まわりばかり木にまきつけてやるかね? じつのところ、ぼくはきみのためを思っていってるんだぜ。ぼくのいうことを信じたまえ」
「信じるわ」彼女はふしぎそうに答えた。「わたし、信じはじめてきたわ……いずれにせよ――おまえは人間らしいわ――ある意味でね」
「そうとも、ぼくは人間さ――ぼくがさっきから一時間もかかってきみに教えこもうとしているのは、そのことなんだ。ところでその『ある意味で』っていうのも、やめたほうがいいね……」
「でも、教えてちょうだい」彼女はさえぎった。「おまえがいま『美しい』っていう思考を使ったわね。あの意味がわからないわ。『美しいからだ』っていうのは、どういうことなの?」
「こいつは驚いた!」もしキニスンがこれまでに驚いたことがあるとすれば、いまこそそうだった。この女……この女家長制の野蛮人……に、美とか音楽とか芸術とかを説明するには、どうしたらいいだろう? 生まれつきのめくらに、桜色をどう説明したらいいだろう? とくに、女性――広大な大宇宙を通じてどこにいるどんな女性だろうと――にむかって、彼女が美しいということを説明してやらなければならないということを、聞いたことがあるだろうか?
しかし、彼はやってみた。彼女の心に、彼がはじめて彼女を見たときの印象をひろげてみせた。優美な曲線、愛らしい輪郭、しなやかに流れるような線、完全な均整《きんせい》や肉付き、きず一つない、なめらかできめこまかい肌、全身のしなやかできたえぬかれた美しさ、彼はそういうものを彼女に指摘してみせた。しかし、無言だった。彼女は眉をひそめて理解しようとしたが、だめだった。まったく認識できないのだ。
「でも、おまえが指摘したのは、みんな、ただの効率《こうりつ》よ」彼女は断言した。「それだけのことだわ。わたしは、自分自身と子孫のために、そうならなければならないのよ。でも、わたしは、おまえのいう美しさっていうものが、いくらかわかったような気がするわ」そういって彼女は、彼の心に、奇妙にゆがんだ人間の女性の姿をひろげてみせた。キニスンは、それが自分の追跡している麻薬業者《ズウィルニク》にちがいない、と即座に判断した。
その女はもちろん宝石をつけているだろうが、あんなにたくさんではあるまい――馬でも運べないほどの量だ。それに、どんな女でも、あんなに厚化粧して、あんなに香水をぷんぷんさせ、眉毛をあんなに細く抜いて、あんなとてつもない髪をゆったりはしないはずだ。
「もしこういうものが≪美しさ≫だったら、わたしはちっともほしくないわ」ライレーン人は断言した。
キニスンはもう一度やってみた。こんどは彼女の心に、巨大な峡谷を落下する滝を展開し、それに適当な雲や風景をあしらった。すると女は、これはただの浸蝕地形《しんしょくちけい》だと断言した。地理学的気象学的現象だというのだ。美はまだ理解されなかった。彼女にとって、絵画は顔料《がんりょう》と油の浪費だった。無益で効果がわるい――何か記録の目的なら、カメラのほうがずっと速くて正確だ。音楽――大気の振動――は単なる音にすぎない。そして音は――どんな種類のものでも――無益のものだ。
「しようのないやつだな」レンズマンはとうとうあきらめた。「わからずやで、心がひからびているんだ。一番わるいのは、きみがそれでどんなに損をしているか理解していない――そして理解できない――という点だ」
「ばかばかしいわ」女は、はじめて笑った。「そんなくだらないことで大さわぎするなんて、ほんとにまぬけよ」
キニスンは思わずぞっとした。いまこそわかったのだが、彼と自分のわきにいるこの一見、地球人そっくりの生物とは、生活のあらゆる面で、銀河の両極ほどもへだたっているのだ。彼はこれまで女家長制種族のことを聞いたことはあったが、徹底した真の女家長制がどんなものかは、考えたこともなかったのだ。
これこそ、それだった。長い長い時代にわたって、事実上一つの性しか存在しなかった。男性的要素は、完全に支配的な女性を再生産するに必要な最低のレベル以上に、頭をもたげることを許さなかった。そして、その支配的な女性は、純粋に肉体的な必要以外のあらゆる点で、まったく無性になってしまったのだ。ライレーン系第二惑星の男は、身長三十インチばかりの小人《こびと》だった。彼らはラデリックスの猫鷲《キャットイーグル》のように狂暴な性格で、ザブリスカの生物フォンテマのように知能が低かった。彼らは生まれたときもそれからも、人間とは見なされない。人口を一定に維持するために、各人は平均してひとりを生む。男性の赤ん坊はときどき――百人にひとりくらい――生まれるが、まったく問題にされない。家庭で養われることさえなく、すぐに〈男性養育所《メール・トリウム》〉へ入れられて、成熟するまでそこで生活するのだ。
ひとりの男が年に百人かそこらの女に子をはらませて、それから死ぬ。その百人の女は、二十一歳か二十二歳で赤ん坊を生む――彼女たちは平均して百歳くらいまで生きる――それから、平然とその男性の心を破壊して、死体を処理する。男性は厳密にいえば、社会ののけ者ではない。人間社会に必要な付属物として黙認されてはいるが、けっしてその社会のメンバーではないのだ。
キニスンは、こうした事情を思いめぐらすにつれて、いよいよぞっとした。これらの人々は、肉体的にいえば、地球人のコーカサス系女性とほとんど区別がつかない。しかし、精神的、知的その他すべての点で、いかに異質なことだろう! 真の人類にあっては、無意識的にせよ潜在的にせよ、生活のあらゆる分野が、二つの協力的な性のあいだに平等に分割されているが、そうした人類にとって、これはまったく驚くべきことだ。ちょっと見たところでは、このような原因から、このような恐るべき結果が生じるとは思えないが、事実はかくのとおりなのだ。冷厳な事実として、これらの女たちは人間ではない……アイヒ族と同様に。
たとえば、ポセニア人、リゲル人、ヴェランシア人をとってみよう。家庭にひきこもっているふつうの地球人なら、夜の暗い通りでウォーゼルにぶつかれば、気絶してしまうだろう。しかし、爬虫類《はちゅうるい》のような外見のこの種族は、両性間の平等と協力という伝統を持っているというだけの理由で、このライレーン系第二惑星に住む、背の高いみごとな体格の、いとも美しい生物よりは、事実上人類に近いのだ!
「これがホールよ」車が灰色の石でできた大きな建物のまえに止まると、女がいった。「いっしょに来なさい」
「いいとも」ふたりはむきだしの地面を横切って行った。ふたりはならんで歩いたが二フィートばかりはなれていた。彼女は、小さな車の中では、やむをえずに彼のすぐそばにいたのだ。彼女はこの男性――どの男性でも――が自分のからだにふれたり、近よったりすることを好まなかった。彼女がキニスンの真の感情を知ればおどろいただろうが、この嫌悪感は相互的なものだった。キニスンとしても、彼女にふれるくらいなら、ボロバ星の粘膜《ねんまく》トカゲにふれるほうがましなくらいだったのだ。
ふたりは花崗岩の階段をのぼった。風化された門をとおり抜けた。彼らはやはりならんで歩いていた――しかし、いまやそのあいだは、たっぷり一ヤードくらい離れていた。
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四 捕えた相手は……
「おい、美しいが唖《おし》のガイドさん」キニスンは目的物に近づきながら、ライレーンの女に話しかけた。「きみはさっきおとなしくすると約束したのに、それを忘れて、またのぼせてきたね。これが最後の忠告だが、足もとに気をつけたほうがいいぜ。もしきみが、あの麻薬業者《ズウィルニク》にぼくが追跡していることをちょっぴりでも警告したりすれば、ただではおかないからな。これは本気でいっているんだよ」
「でも、年長者に、おまえを連れてきたことを知らさないわけにはいかないわ」彼女は答えた。「予告なしに侵入することはできないのよ。許されないことだわ」
「QX。じゃあ予告したまえ。だが、よけいなことを知らせると、きみを気絶させるぞ。念のために、きみといっしょに思考を伝達しよう」
しかし、彼はそれ以上のことをやってのけた。案内の女に話しかけながらも、これからはいっていく部屋に知覚力を投射したのだ。それは大きな部屋で、敷物も敷いていなかった。テーブルがいっぱいにならんでいたが、中央はあき地になっていて、ひとりのしなやかなからだの女が、アクロバット・ダンスらしいものをやっていた。女はおどりながらふいに動きをとめて、技術的に、きわめてむずかしいポーズをとったりした。テーブルには、百人ばかりのライレーン人がついて、食事をしている。
キニスンは、フロア・ショーにもライレーン人の集団にも関心がなかった。彼が追求しているのは、麻薬業者《ズウィルニク》なのだ。そう、そこにいた。ドアの近くのリングサイド・テーブル(四人掛けの四角い小さなテーブル)についている。彼女の背はドアをむいている――よろしい。彼女の左側には、フロアの中心を見わたせるような位置で、ひとりの赤毛女が回転椅子にかけている。そういう椅子はこの部屋に一つしかない。たぶん、この種族の大物――長老――にちがいない。そんなことはどうでもいい。彼は彼女にも関心がないのだ――少なくともいまのところは、彼は目ざす獲物に注意をもどしたが驚きのあまりあっけにとられた。
その女は、美貌の女|麻薬業者《ズウィルニク》デッサ・デスプレーンズと同じアルデバラン人で、デスプレーンズとまったく匹敵するほどの――ことによるとそれ以上の――美人だったからだ。麻薬シオナイトの夢の中にあらわれる美女があるとすれば、彼女こそまさにそれだった。しかも、その宝石ときたら! 彼のそばにいるライレーンの牝虎は、この麻薬業者《ズウィルニク》の印象を表現するについて、少なくともこの点では誇張しなかったわけだ。彼女の胸飾りは、金とプラチナの細線細工で、ダイヤ、エメラルド、ルビーなどが、精巧なデザインでちりばめられている。短ズボンというよりパンツは、何か光沢のある生地でできていて、やはり宝石で輝いている。巧妙にかくされた短剣には、宝石をちりばめた握りがついていて、小さいが鋭い刃をそなえている。指輪は親指にまではまっている。ネックレスはほとんどカラーといってもいいほどで、虹色に輝いている。腕輪、足輪、ひざ輪、深い編みあげブーツは、いちめんに宝石をちりばめてある。耳輪、髪は顕微鏡的正確さでゆいあげられ、少なくとも一ダースくらいの燦然《さんぜん》たる止め金、櫛、たぼ止めなどで固定されている。
「いやはや!」レンズマンは思わず口笛を吹いた。それらの宝石はすべて純良なものばかりだったからだ。「全部で五十万信用単位くらいの価値があるだろう!」
しかし、彼はこの着飾った女|麻薬業者《ズウィルニク》の装身具について、宝石商人的な関心を持ったわけではなかった。それよりはるかに重要な問題があった。そう、彼女は思考波スクリーンをつけているのだ。スクリーンは切られていて、バッテリーはひどくへっているが、まだ効果はある。彼が案内の女の警告を防止しておいたのはよかったのだ。女|麻薬業者《ズウィルニク》の歯にはうつろになったのが一本あるが、彼女があの中味を飲みこまないように気をつけなければならない。彼女はいろいろなことを知っているはずだ。せっかくここまで追跡してきたのに、あの歯にかくされているボスコーンの強力な麻薬で、彼女の記憶が失われてはたまらない。
キニスンと案内の女はドアについた。キニスンは相手のはげしい精神的抗議を無視して、精神的防壁を強化しながら、そのドアをさっと開いた。同時に、彼は麻薬業者《ズウィルニク》の心に圧倒的な力で侵入し、彼女が一筋の随意筋《ずいいきん》も動かせないようにしめつけた。それから、集まったライレーン人たちの驚きにはなんの注意も払わず、まっすぐアルデバラン人のところへ歩いて行って、自分のまげたひじの上に彼女の頭をあおむかせた。そして、容赦なく、しかしおだやかに、彼女の口を開かせ、親指と人差指で義歯をたくみに除去した。つぎには彼女を精神的にも肉体的にも解放し、手にいれた義歯をセメントの床に落とすと、固く重いかかとで粉々にふみ砕いた。
女|麻薬業者《ズウィルニク》は、はじめ激しい、つきさすような悲鳴をたてた。しかし、レンズマンもライレーン人の長老もなんの反応も示さないのを見ると、すばやくしずまって、抜け目なく見まもった。
キニスンは義歯《ぎし》をふみ砕いただけでは満足せず、二挺のデラメーター式ビーム放射器を引き抜くなり、単なる麻薬以上に危険な薬のはいっていたカプセルの残骸《ざんがい》を焼き払った。その強烈な熱線は、あっという間《ま》に床に深さ一フィートほどの穴をあけたが、彼はものともしなかった。そしてはじめて、彼は長老の席にすわっている赤毛女に注意をむけた。
彼は長老に注意をむけざるをえなかった――彼がこのように急激な、彼女がまったく予期しなかった暴力をふるっているあいだ、彼女は髪一筋動かさなかった。彼女は椅子を回転させて、彼にむきなおっていた。彼女の背はアクロバット・ダンサーにむけられていた。ダンサーは、いまや完全なポーズを保ちながら、まるで何も異常なことが起こらなかったかのように、ダンスをつづけようとしていた。長老はひじ掛けのない回転椅子に背をもたせ、右足を椅子の台座にかけていた。左のくるぶしは、右ひざにかさねられ、左のひざはかるくテーブルのはしにかかっていた。両手はうなじで組みあわされて、赤毛の頭をささえている。両ひじは、くつろいだ優美さでひろげられている。黒く見えるほど濃い緑の目は、まばたきもせずにレンズマンの眼を見つめている――先ずレンズマンの心に浮かんだ表現は、「横柄な」目つきという言葉だった。
キニスンは、芸術を解しないこの種族の首領が、いとも無意識につくりあげているすばらしく美しい構図を、感嘆して見つめながら考えた。もしこの長老が、称号のとおり年をとっているとすれば、まったく見かけによらないということになる。外見に関するかぎり、この女は完全に合格だ――必要なものはみんなたっぷり持っている。髪も本当の赤毛ではない。クラリッサの髪の色と同じような燃えるように豪華な赤褐色で、同じようにたっぷりしている。しかも、むちゃくちゃに刈られてもいない。もちろん偶然で、またこんどの仕事で髪がじゃまにならないせいだったにちがいないが、彼女の髪はかなりそろった肩までの長さの断髪《だんぱつ》になっていた。なんとゆたかな髪だ! おまけに、波打っている! いまのままで何も飾りたてなくても、彼女は人間の住むどの惑星へ行っても、第一級の美人としてとおるだろう。この麻薬業者《ズウィルニク》のほうもたいへんな美女で、すばらしくめかしたててはいるが、長老の美しさは、それをさえはるかにしのいでいる。しかし、この女王蜂は針を持っていて、いまだに彼の精神的防壁を突き破ろうとしている。そんなことはとても荷が重すぎるということを、この女に思い知らせてやったほうがよさそうだ。
「QX。ピカ一さん、武器をおさめたまえ!」彼はきっぱりいった。まったくのところ、「ピカ一」というのは賛辞だった。「やめたまえ――きみがいまやっているような精神的操作のことだ。ぼくがそれをいままでがまんしたのは、そんなことをしても無益だということをきみに知らせるためだ。しかし、もうたくさんだ」キニスンが強烈な思考切断力を発揮すると同時に、空港支配人がそれを他のライレーン人に中継したとみえて、部屋中のライレーン人の活動が停止した。これはまったく異常な事件だった。なぜなら、男性の心が――どんな男性の心でも――ライレーンのもっとも弱小な人間の心にさえ瞬間的にでも対抗できるというのは、ほとんど考えられぬことだったからだ。長老の優美なからだは緊張し、その目には疑惑と奇妙な不安の色が浮かんできた。しかし、恐怖の色はまったくなかった。これら無性のライレーン女たちは、むこうみずといってよいほどに勇敢なのだ。
「この女に教えるんだ、おばかさん」彼はかつてのガイドに命じた。「ぼくが本気だということをきみにわからせるには、おそろしく時間がかかったが、きみは彼女に話ができる――この女王陛下の頭に、なるべく早く真相をたたきこんでくれ」
それには対して時間がかからなかった。愛らしい暗緑色の目は、いっそう大きな不安をこめながらも、断罪をくだした。
「おまえを立ち去らせるよりは、いますぐ殺したほうがいいと思う……」彼女は思考を伝達しはじめた。
「ぼくを立ち去らせたほうがいいぜ!」キニスンは爆発した。「ぼくを殺すなんて、どうしてそんなばかな気を起こしたんだ? いったいだれが、ぼくの立ち去るのをひきとめるというんだ、姉御《あねご》?」
「これだ」その思考とともに、一瞬まえまで食堂にいなかったはずの複合的な怪物がキニスンののどにとびかかってきた。それは、ヒョウのからだに蛇の首をつけたような、爬虫類と猫族の最悪の特徴を融合した、いともおそろしいやつだった。そいつはものすごい爪をとぎすまし、狂暴な牙をむきだして、空中を突進してきた。
キニスンはこれまで、そうした攻撃にぶつかったことはなかったが、たちまちその正体を見抜いた――皮の服も宇宙服も防御スクリーンも、この攻撃をくいとめることはできないのだ。この怪物は女と彼自身にだけ実在のもので、他の者には見えもせず、存在もしていないのだ。しかも、この怪物はきわめて狂暴で、その爪か牙にかかれば、その場で死んでしまうだろう。
この殺害手段は、普通人にとってははなはだ有効だったが、レンズマンにとっては粗雑《そざつ》で幼稚だった。他者の心がつくりだしたこのような幻影は、彼がその到来を知り、彼の心がその危険を認識する――事実上は処理する――に充分な時間を与えられた場合には、彼を傷つけることはできなかった。そして、いまも、その時間のあいだに、彼の心はこの危険に対処することができたのだ。彼には二つの防御法があった。まず、その怪物の存在を否定することができる。その場合には、怪物は単に消滅してしまうのだ。もう一つは、もっとずっとむずかしいが、技術的にははるかにすぐれた手段で、怪物の制御ととってかわって、それを彼女にとびかからせるのだ。
キニスンはためらうことなく後者を選んだ。怪物は跳躍の途中で百八十度回転し、ライレーン人のゆったりくつろいだからだにとびかかっていった。彼女の反応はあやういところでまにあった。狂暴にのばされた爪が彼女の肌からほんの二、三インチに迫ったとき、怪物がぱっと消えうせたのだ。彼女の目は驚愕《きょうがく》に見開かれた。レンズマンの痛烈で巧妙な反撃に、深いショックを受けたことは確かだった。彼女はあきらかに努力して立ちなおった。
「やむをえなければ、この者たちを使うまでだ」彼女は思考をひろげて、部屋中のライレーン人を指示した。
「どういう方法でかね?」キニスンは鋭く問い返した。
「数の力でやるのだ。純粋に肉体的な暴力でやるのだ。おまえはもちろんその武器で、多数の者を殺せるだろうが、それほど多く、それほど速くは殺せない」
「最初に死ぬのはきみだぞ」彼は注意した。彼女は彼の心と完全な感応状態にあったので、それがおどかしではなく、苛烈《かれつ》な現実だということがわかった。
「それがどうしたというの?」彼にも、彼女がまったく本気だということがわかった。
彼はもう一つの武器を持っていたが、彼女は、それが実証されぬかぎり信じようとしないだろう。いくら相手がライレーン人でも、武装していない無防備の女に対して、あの武器を用いることはできない。
手づまりか?
いや、ヘリコプターがある。
「では、シバの女王、ぼくが部下に話すのを聞きたまえ」彼はマイクに向かって命じた。「ラルフかい? 針光《ニードル》線を一秒だけここの床に突きとおしてくれ。彼女がとびあがるくらい近く、だが、彼女の肌が火ぶくれにならないくらいはなしてな」
その言葉と同時に、細いが白熱的な破壊力を持つ光線が、屋根と床をつらぬいた。それは想像を絶するような高温だったので、もうほんのわずかでも太ければ、長老の椅子に引火するところだった。それは直接の通路にある、あらゆるものを貪欲《どんよく》に焼きつくし、スペクトルのあらゆる色彩の光を放射した。これは、たまらないことだった。赤褐色の髪の生物は、事実、われにもあらずとびあがった――ドアへ向かって、途中まで逃げかけた。それまで冷静だった他の者たちも、恐怖に駆られてそこここにより集まった。
「わかったかね、クレオパトラ」キニスンは、恐るべき針光線が消えるのを待って説明した。
「ぼくは使いたければ――またはその必要があれば――充分の武器を持っているのだ。空にいる部下は、ぼくが命令すれば、この部屋の中の誰の頭にでも、あんなぐあいに針光《ニードル》線を突き刺すだろう。ここにいるきみのトラ刈りの友だちにも説明したように、ぼくは必要がなければ、きみたちをだれも殺したくない。だが、ぼくはここから五体満足で出ていくつもりだし、このアルデバラン人も同じ状態で連れていくつもりだ。やむをえなければ、きみがたったいま見たような弾幕を張って、麻薬業者《ズウィルニク》とぼくだけが生きて出ていくようにするまでだ。どうかね?」
「おまえはこの異星人をどうするつもりか?」ライレーン人は問題をそらして問い返した。
「彼女から、いくらか情報を手にいれたいだけだ。なぜそんなことを聞くのかね? きみ自身、彼女をどうするつもりだったのだ?」
「わたしたちは、その者を殺すつもりだった――そしていまでもそのつもりだ」はげしい返事がきた。その返事より早く、致命的な精神衝撃がアルデバラン人に投射された。しかし、長老の攻撃は速かったが、グレー・レンズマンのほうがもっと速かった。彼は長老の精神衝撃を抹殺し、手をのばして、アルデバラン人の思考波スクリーンのスイッチをいれた。
「船に乗るまで、スイッチをいれておきたまえ」彼は娘の母国語でいった。「きみのバッテリーが弱っているのはわかっているが、それまでは充分もつよ。この牝鶏《めんどり》たちは、ひどく気があらいらしい」
「そうよ――あなたには、半分もわかっていないくらいだわ」彼女は、ゆたかなトレモロでささやいた。「ありがとう、キニスン」
「おい、赤毛の女王、そんなけちなまねをして、なんになると思うんだ?」レンズマンは文句をいった。「ぼくは、きみたちを無事にほうっておいてやろうと、できるだけのことをしてきたんだが、もう根気《こんき》がつきたよ。ぼくらはここから平穏に出ていけるのかい、それとも、きみやきみの部下を灰にして、その上をふんでいかなけりゃならないのかい? どっちでもきみしだいだ。だが、たったいま、ここできめてほしいね」
長老の顔はこわばり、目は火のように燃えていた。指は砕けるほど握りしめられている。「おまえをひきとめられないからには、勝手に行かせるよりほか、なさそうだ」彼女は、やり場のない怒りをおさえながら低くいった。「もし、わたしやここにいる全部の者の命を投げだして、おまえを殺せるものなら、たったいま殺してやるのに……でも、そうではないのだから、行くがいいわ」
「しかし、なぜそんなに腹を立てるんだい?」レンズマンは不思議そうにたずねた。「きみたちは全体的にいって、理性的な生物だと思われるんだが。とくにきみは、この麻薬業者《ズウィルニク》といっしょに地球へ行ってるから、わかってもいいはずだが……」
「わかっているわ」ライレーン人はさえぎった。「だからこそ、わたしはどんな犠牲を払ってでも、おまえが自分の惑星へもどるのをさまたげ、おまえの野蛮な仲間たちがここへ押しかけてくるのをさまたげたい……」
「ああ! そういうわけか?」キニスンは叫んだ。「きみは、われわれがここに移住したり、きみたちと取引きしたりしたがるだろうと思っているんだな?」
「そうよ」彼女はライレーン系第二惑星を賛美するように断言した。「わたしは、おまえたちのいわゆる文明に属する惑星や種族を見て、反感を覚えた。わたしたちは今後、けっしてライレーンを離れないし、できることなら、異星人をここにふみ入らせたくない」
「いいかね、べっぴんさん!」キニスンはつよくいった。「きみはラデリックスの猫鷲《キャットイーグル》みたいに狂暴だ――惑星トレンコのエーテルみたいに、ものの見方がゆがんでいる。ぼくの言葉を率直に受けとりたまえ、四千万の惑星に住むすべての、真に知的な生物にとって、きみたちライレーン人はまったく無縁の存在だ。きみたちは神に見捨てられている。精神的にも感情的にも飢えていて不毛だ。知的にも硬化していて、まったくお話にならない状態だ。ぼくは個人としても、きみたちやきみたちの惑星を二度と見たくない。そうなるまでには、あと二十七分かかるがね。ここにいるこの娘も、ぼくと同じように考えている。今後もし、だれかがライレーンのことを聞いて訪問したいという気を起こしたら、ぼくはそいつを思いとどまらせる――必要とあれば、尻をひっぱたいてでも、思いとどまらせる。わかったかね?」
「おお――すっかりわかったわ!」彼女は女学生のように歓声をあげた。レンズマンの非難は、彼女の怒りをあおるどころか、彼女の奇妙に偏狭《へんきょう》な心には、甘美な音楽のように聞こえたのだ。
「では、すぐ行って――早く! すこしでも早く! 車を自分の船まで運転できるの? それとも、だれかが運転してあげなければならないの?」
「ありがとう。車の運転はできるだろうが、その必要はない。ヘリコプターがぼくらを拾いあげてくれるだろう」
彼は抜け目なく見張っているラルフに声をかけてから、アルデバラン人といっしょにホールをあとにした。人々はあいだをおいて用心ぶかくついてきた。ヘリコプターは地上で待っていた。キニスンとアルデバラン人はそれに乗りこんだ。
「さようなら、人間《パースン》たち!」レンズマンは群集に手をふって挨拶し、ヘリコプターは空中へ飛びあがった。
それからドーントレス号へ。ドーントレス号は、ひとかたまりの融けた金属と化した麻薬業者《ズウィルニク》の快速艇をあとに残して、飛行場を発進した。キニスンは捕虜の白い顔を見つめてから、小さな筒を手渡した。
「思考波スクリーン発生器の新しいバッテリーだ。きみのほうはもう切れかけている」彼女はそれを受け取ろうとしなかったので、彼は自分で交換して、結果をテストした。スクリーンは作用した。
「どうしたんだね? きみは食事中につかまったから、腹がすいてるだろうな」
「すいているわ」娘は率直にいった。「どのみち、あそこでは食べられなかったわ。あの人たちがわたしを殺そうとしているのがわかっていたので、それで……食欲がなくなってしまったの」
「よかろう。じゃあ、ぐずぐずしていることはない。ぼくも腹ぺこだ――行って食べようじゃないか」
「あの人たちといっしょでも食べられなかったけど、あなたといっしょでもだめだわ。でも、わたしの命を助けてくれてありがとう、レンズマン。わたし本気よ。わたし、あのときもいまも、あのおそろしい女たちに殺されるよりは、あなたに殺されたほうがましだと思っていたわ。でも、あなたといっしょでは、とても食べられないの」
「しかし、ぼくはきみを殺そうなんて考えてもいないよ――それがわからないのかい? ぼくは女を相手に喧嘩《けんか》はしない。もうそういうことがわかってもいいはずだ」
「でも、あなたはそうしないわけにいかないわ」娘の声は低くてしずかだった。「確かにあなたはあのライレーン人を、ひとりも殺さなかったわ。でも、あなたが百万パーセクも追いかけたのは、あの人たちがお目あてじゃなかったんでしょう。あなたたちパトロールマンは、いつも人を死ぬまで拷問《ごうもん》するんだって、わたしたちは生まれたときから教えられてきたわ。わたし、あなたの心の中を二度ばかりのぞきこんだから、あなたがそんなことをするとは思わないわ。でも、わたし死んだってしゃべらないことよ。少なくとも、わたし、頑張れるつもりだわ」
「いいかね」キニスンは真剣にいった。「きみにはなんの危険もない。きみは宇宙神クロノのヒップ・ポケットにはいっているくらい安全だ。確かに、きみはぼくがほしがっている情報を持っている。そして、ぼくはそれを手にいれるつもりだ。しかし、そのためにきみをいためつけたり、精神的、肉体的な危害を加えたりすることはない。きみが受ける拷問は、いまみたいに、きみが自分自身に加える精神的拷問だけだ」
「でも、あなたはわたしを……麻薬業者《ズウィルニク》って呼んだわ。そして、パトロールマンは麻薬業者《ズウィルニク》とみれば、かならず殺すんだわ」彼女はいい返した。
「そうとはかぎらない。戦闘や襲撃のときはそうだが、つかまった者は、法廷で裁判されるのだ。有罪ときまれば、死刑室送りになる。ときにはそういうことがあるが、いつもそうではない。われわれには精神治療医というのがあって、なんらかの意味で救う価値のある心を治療することができるんだ」
「でもあなたは、そのひげをはやした石頭の精神治療医が、わたしの中に何か救う価値のあるものを見つけるかもしれないというわずかな希望にすがって、わたしが、裁判を受けるのを待つと思うの?」
「きみはそんな必要はないよ」キニスンは笑った。「きみの裁判はもうすんでいる――きみに有利にね。ぼくは警察官でも麻薬局員でもないが、うまいことに、裁判官、陪審《ばいしん》、刑執行官としての資格を与えられている。おまけにぼくは精神治療医でもある。ぼくはまえに、きみよりもっと悪質な女|麻薬業者《ズウィルニク》を助けたことがある。彼女はきみほど美人じゃなかったがね。さあ、食事をするかい?」
「ほんとう? あなたはただ……ただ、わたしをかついでいるだけじゃないの?」
レンズマンは彼女のスクリーンを切って、まちがいようのない証拠を示した。娘はこれまでのかたくなな態度を捨てて、わっと泣きだした。しかし、すぐに元気をとりもどして、キニスンのキャビンでもりもり食べた。
「シガレットをお持ち?」彼女はもう食べられないほど食べると、満足のため息をもらしていった。
「あるとも。アラスカンたばこ、ヴェネリアたばこ、地球たばこ、ほとんどそろっている――二百種類くらい積んでいるんだ。どれがいいね?」
「ぜひ地球たばこにしてちょうだい。いつか、キャマーフィールドを一箱手にいれたことがあったわ――とてもすてきだったわ。もしかして、あれを持ってらっしゃらない?」
「あるよ」彼はうけあった。「主計員! キャマーフィールドを一包とどけてくれたまえ」数秒のうちに、注文のものが真空チューブからとびだした。「さあ、やりたまえ」
きらびやかな娘は、香りの高い煙をふかぶかと吸いこんだ。
「ああ、おいしいわ! ありがとう、キニスン――なにもかもね。わたしをなだめて食べさせてくれてよかったわ。あんなおいしい食事はじめてよ。でも、わたしをおだてても、ききめはないわ。いままで白状しなかったけど、これからも白状しないつもりよ。もし白状すれば、自分自身にも他人にも、顔むけできなくなるんですもの」彼女は吸いさしを灰皿に押しつぶした。「じゃあ、拷問《ごうもん》をおはじめなさい。ゴム・ホースやライトや点滴罐《てんてきかん》を持ってくることね」
「きみはまだ勘ちがいしているよ」キニスンはあわれむようにいった。おとぎ話のように豪華な衣裳に包まれた彼女のふくよかなからだと、その暗い目つきとのあいだには、なんという大きなへだたりがあることだろう? 「拷問なんかありゃしない。ホースもライトも何もないんだ。実のところ、きみが充分に眠りをとるまでは、何かをきいたりするつもりはない。きみはもうひもじそうには見えないが、まだまだ調子が悪そうだ。ほんとうに眠らなくなってから、どのくらいたつんだい?」
「二週間くらいだと思うわ。ひと月かもしれない」
「そうだろう。来たまえ、寝るんだ」
娘は動かなかった。「だれと寝るの」彼女はしずかにたずねた。声はふるえていなかったが、彼女の心ははげしい恐怖に満ち、手は無意識に短剣のつかにはいよっていた。
「なんてことだ!」キニスンは驚きに目を見はって彼女を見つめながら叫んだ。「きみはハイエナの群れにつかまったとでも思ってるのか?」
「悪い事態に追いこまれたと思っているわ」娘はこわばった口調でいった。「最悪の事態ではないかもしれないけど、わたしの目から見れば、かなり悪い事態だわ。わたしもう覚悟しているの。パトロール隊からそれ以外のことが期待できて? わたしをだますことないわ、キニスン。わたし、拷問に耐えられるわ。そして、あからさまに拷問されるほうが、寝込みを襲われるよりずっとましよ」
「だれかがきみにそういうことを信じこましたとは、じつに罪ぶかい恥ずべきことだ」キニスンは同情をこめていった。「来たまえ」彼はいろいろな装置を取りあげてから、彼女の腕をとって、もう一つのりっぱな家具を備えたキャビンに連れていった。
「あのドアはね」彼はていねいに説明した。「がっちりしたクローム・タングステン・モリブデン鋼でできている。錠はこじあけることはできない。鍵は二つしかなくて、それがここにある。かんぬきもついていて、五百トンの水圧ジャッキか、原子水素切断器を使わなければこわせない。これは完全被覆スクリーンと、二十フィートのスパイ光線防止装置だ。快速艇から持ってきたきみの品物もある。助けがほしくなったときとか、食べものや飲みものやそのほか、この船でまにあいそうなものがほしくなったときには、通信機もついている。QX《オーケー》?」
「では、本気なの? わたしは……あなたは……つまり……」
「完全に本気だ」彼は受けあった。「それだけのことさ。きみは自分の運命の主人であり、自分の魂の船長なのだ。おやすみ」
「おやすみなさい、キニスン。それから、あ……ありがとう」娘はベッドにうつむきに身を投げると、はげしくむせび泣いた。
しかし、キニスンが自分のキャビンにもどりかけたとき、太いかんぬきがかちりとおりるのが聞こえ、防止スクリーンが働きだしたのが感じられた。
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五 ロナバールのイロナ
十二時間か十四時間後、アルデバラン娘が朝食をすませたあと、キニスンは彼女のキャビンに行った。
「やあ、かわいこちゃん、元気そうになったね。ところで、きみの名はなんていうんだい? 名を呼べるようにしてほしいね」
「イロナよ」
「イロナ、なんていうんだい?」
「あとはないの――イロナだけよ」
「じゃあ、ほかのイロナって女とどうして区別するんだい」
「ああ、あなたのいうのは、登録番号のことね。アルデバラン語には、姓はないのよ――だから『○○通りの製陶所に住む陶工《ポッター》ポーラケントの娘イロナ』っていわなけりゃならないの……」
「もうけっこうだよ――じゃあ、きみをイロナ・ポッターと呼ぶことにしよう」彼は相手を鋭く見つめた。「きみのアルデバラン語はあまり新しくないな――ぼくのほうがそれほど時代おくれになっているとは思えない。きみは長いことアルデバラン系第二惑星へ行ってないんじゃないか?」
「そうよ。わたしのうちは、わたしが六つくらいのときロナバールへ移住したの」
「ロナバールだって? 聞いたことがないな――あとで照合してみよう。きみの持物はここにあっただろう? あの赤毛女の物でもまぎれこんでいたかい?」
「あの人の持物ですって?」彼女は陽気にくすくす笑ったが、すぐ当惑したように真顔になった。「あの人はなにも持っていなかったわ。おそろしい人たちだと思うわ――ほんとにお行儀が悪いったら――あんな格好でとびまわるんですもの」
「ふむ……む。きみがその問題にふれてくれてよかったよ。この船の中では、もう少し着物をつけなければいけないぜ、わかるだろうが」
「わたしのこと?」彼女はきいた。「まあ、わたし、すっかり服をつけてるのよ……」彼女は言葉をとぎらせたが、たちまち身をちぢめた。「おお? 地球人――思い出したわ。からだをまるでおおいかくしてしまって! じゃ、つまり――わたしもあつかましくて行儀が悪いっておっしゃるの?」
「いや。そんなことはない――けっして」彼があきらかにまじめなのを知ると、イロナは、またからだをらくにした。「われわれの大部分は――とくに士官たちは――いろいろな惑星へ行って、いろいろな種類の生物に接触しているので、どんな習慣にもなれている。住民がはだかでいる惑星を訪問すれば、こちらも当然そうするし、息苦しいほどからだを包むところへ行けば、やはりそうする。『郷《ごう》に入っては郷に従え』というわけだ。問題は、この船ではわれわれが地元で、きみは訪問者だということだ。もちろん、習慣にすぎないが、これはかなり重要なものだ。そうは思わないかね?」
「からだを包む場合はそのとおりよ。でも、ぬぐのはべつだわ。ぜひそうしなければならない場合でも、できないわ! わたし、ライレーンでやってみようとしたけれど、≪まるはだか≫みたいな気がしたわ!」
「QX――仕立員に、ドレスを一つ二つ作らせよう。乗組員の中には、まだあまりいろいろな惑星へ行っていない者もある。そういう連中には、きみがひどく露出《ろしゅつ》して見えるだろう。きみは宝石やらなにやらどっさりつけているが、それでも地球の海水着にさえおよばないからね」
「じゃあ、いそいでドレスをつくらせてちょうだい。でもこれは宝石じゃないわ。これは……」
「そんなことはない。きれいだよ。ぼくだって金やプラチナくらい知っている。それから……」
「この金属は確かに高価なものよ」イロナは譲歩した。「これだけはね」彼女は精巧な胸飾りをかるくたたいた。「五日手間の仕事だわ。でも、卑金属だと、肌に青や緑や黒のしみがつくから、しかたがないでしょう? この玉ときたら、みんな合成よ――がらくただわ。お金のない娘たちは、自分で買うときには、宝石じゃなくて、こういう合成玉なのよ。これだけ買うのに、半日手間でまにあうんですもの」
「なんだって?」キニスンは問い返した。
「そうよ。金持の娘か、貧乏でも自分で働かない娘か、そういう人たちだけが、ほんとの宝石をつけるの。たとえば……アルデバラン語には、それにあたる言葉がないわ。あなたの心に思考を放射させてくださる?」
「残念だが、ぼくが知ってるのは一つもないな」キニスンは、多彩な美しい宝石についての一連の心象《しんしょう》を調べてから答えた。「これもファイルに分類しておく必要がありそうだな。しかし、きみがからだじゅうにつけているその『がらくた』のことだが――半日手間といったね――きみは働いているときは、なんで生計をたてているんだい?」
「わたしはダンサーよ――こんなことをするの」彼女はかるくとび立つと、ブーツをはいた左足を、ひらめくような速さでひゅっと耳より高くあげた。それから、たてつづけにからだを回転させたりねじったりした。レンズマンは、それらの動作の名称を知らなかったが、そのあいだ娘のからだは、骨がないようなしなやかさと優美さを発揮した。彼女は腰をおろしたが、精巧にゆいあげた髪はほとんど乱れず、止め金や腕輪もゆがまず、呼吸も早まっていない。
「みごとだ」彼は短くほめた。「ぼくにはそういう芸を見る目はないが――ぼくはきみをパイロットだと思っていた。しかし、保証するがね、地球ばかりじゃなくほかのどんな惑星でも、きみが身につけているその『がらくた』は――ざっと見つもって――五万日手間で売れるね」
「そんなはずはないわ!」
「いや、ほんとだ。だから、着陸するまえに、それをぼくに渡しておいたほうがいい。そうすれば、護衛つきできみの名義で銀行にあずけてやるよ」
「着陸したとき、わたしが生きていればね」キニスンが話しているあいだに、イロナの態度はかわり、内部のあかりが消えてしまったように暗くなった。「あなたがあまり親切で紳士的なので、わたし、自分の立場やこれからの運命を忘れていたわ。あとまわしにしても楽になるわけじゃないでしょう。そろそろはじめたほうがいいんじゃなくて?」
「ああ、尋問のことかい? それはすっかりすんでいるよ。とうの昔にね」
「なんですって?」彼女はほとんど悲鳴に近い声をあげた。「そんなことないわ。そんなはずはないわ!」
「本当だとも。ぼくは自分の知りたいことを、ゆうべのうちにほとんど手にいれた。きみの思考波スクリーンのバッテリーを交換しているあいだにね。きみのボスのメンジョ・ブリーコのことだのなんだの」
「そんなことはないわ! でも……あなたは知ってるにちがいない……でも、あなたはわたしを傷つけも何もしなかった……わたしを手術して心を変えてしまうことなんかできなかったはずだわ。わたしはすっかり記憶を保ってるんですもの……少なくともそう思えるわ……わたしはばかじゃないわ、つまりふつう以上に……」
「きみはたくさんのまっかな嘘と、ごくわずかの半分の真実を教えられていた」彼はしずかにいった。「たとえば、あのうつろの義歯の殻を破れば、きみにどういう作用をおよぼすといわれていたね?」
「わたしの心を白紙にしてしまうの。でも、わたしたちの医者がすぐ治療してくれて、記憶を完全に回復するような解毒剤《げどくざい》を飲ませるっていうことだったわ」
「それが半分の真実だ。あの薬は確かにきみの心を白紙にしてしまっただろうが、それはきみの記憶の大部分を完全に抹殺《まっさつ》してしまうことだったのだ。きみたちの精神治療医は、きみの本当の記憶のかわりに、他の記憶を『回復』するだろう――彼らがのぞむ記憶をね」
「おそろしいわ! ほんとにおそろしいことだわ! だからあなたは、あの義歯をまるで蛇みたいにふみつぶしたのね。わたし、あなたがいきりたっているのがおかしいと思ったのよ。でも、あなたがほんとのことをいってるってことが、どうしてわたしにわかるの?」
「いまはわからない」彼は認めた。「完全な情報を得た後で、きみ自身が判断するしかないのだ」
「あなたは精神治療医ね」彼女は用心深くいった。「でも、もしあなたがわたしの心を手術したとすれば、わたしを『救った』ことにならないわ。だって、わたしはまだ、パトロール隊やそれに関係のあることについて、これまでとまったく同じように考えているんですもの……それともわたしは? それともこれは……」彼女はおどろくべき可能性に思いあたって、目を見はった。
「いや、ぼくはきみの心を手術していない」彼は保証した。「そういう手術をすれば、傷跡が残らざるをえない――記憶の鎖の中断だ――そういうものは、自分の心を一分ものぞいてみればすぐわかる。きみの記憶の連鎖には、そんな中断や空白はまったくない」
「ないわ――少なくとも、わたしには見つからないわ」彼女は数分思考したのちに告げた。「でも、なぜ手術しなかったの? わたしをこのままで釈放するわけにはいかないでしょう――わたしは麻……社会の敵ですもの」
「言葉を≪たくわえる≫にはおよばないよ」彼は微笑した。「きみは絶対の善と絶対の悪というものを信じているだろう?」
「もちろんよ――きまってるわ! だれだってそのはずだわ!」
「そうとはかぎらない。宇宙最大の思想家の中には、そうでない者もあるのだ」彼の声はしずんだが、またあかるくなった。「しかし、そういうわけだから、きみが≪たくわえる≫必要があるのは、問題の両面についての経験、観察、知識なのだ。きみはちびのくせに、とんでもない大ペテン師だよ、自分でもわかっているだろうが」
「それ、どういう意味なの?」彼女はさっと赤くなってまばたきした。
「たいへんな、したたかものみたいなふりをするからさ。『まだ白状していない』なんていってね。一度も強制されたことがないのに、なぜ白状する必要があるんだい?」
「強制されたわ!」彼女は叫んだ。「わたしがこのナイフを、なんのために身につけていると思うの?」
「ああ、それかい」彼はその危険な小さい短剣にむかって、思考の上で肩をすくめながらいった。「きみは狼の皮をかぶった子羊さ……だが、きみの記憶は、からかい半分であつかうには重要すぎるようだ……この問題全体には、どこかおかしなところがある――おそろしくおかしい。お芝居はやめたまえ、赤ちゃん――なぜそんなことをするんだい?」
「そうするようにいわれたのよ」彼女はちょっともじもじしながら認めた。「したたかものらしく――ほんとにしたたかものらしく――行動しろって。まるでどこへでも行って、どんな……どんなことでもしてきた女冒険家みたいにね。あなたがたの社会では、あばれればあばれるほど、それだけうまくやっていけるっていうことだったのよ」
「そんなことだろうと思った。きみたち麻薬《ズウィル》――失礼、きみたちの惑星の住民は、とくにどういう目的でライレーンへ行くのかね?」
「知らないわ。ときたま耳にしたところでは、どこかの惑星――どこでも同じだと思うんだけれど――そこへ着陸して、だれかを待つことになっているんだということだったわ」
「きみ個人としては、何をすることになっていたんだい?」
「それも知らないわ――つまり、はっきりとはね。わたしはどこかで、ある種類の宇宙船をつかまえることになっていたの。でも、それが何かも、いつかも、どこかも、なぜかも、自分がひとりでいくのか、だれかを連れていくのかも、知らなかったわ。だれか知らないけれど、わたしたちが会うことになっていた人が、命令を与えるはずだったの」
「ライレーンの女たちは、どうしてきみの船の男たちを殺せたのかね? 彼らはきみと同じように、思考波スクリーンを持っていなかったのかね?」
「持っていなかったんです。あの人たちは諜報員じゃなかったの――ただの兵隊よ。はじめ着陸したとき、示威《じい》のつもりで、十人ばかりのライレーン人を射殺したんだけど、そのあと、倒れて死んでしまったんだわ」
「ふむ。まずいやり方だが、いかにもボスコーン式だ。じゃあ、地球へのきみたちの航行は、多少とも事故がともなったわけだ」
「そうよ。わたし、あのライレーン女に、わたしをロナバールまで連れていかせようとしたんだけど、あの人は聞きいれなかったの。どのみち、あの人は、わたしと同じにロナバールの位置を知らなかったから、できない相談だったんだけれど」
「ほう?」キニスンはふいにいった。「きみは、自分の惑星がどこにあるのか知らないのかい? いったいなんてパイロットだ!」
「あら、わたし、ほんとはパイロットじゃないのよ。ロナバールを出発してから、操縦を習わせられたの。あの航行ができるようにね。ロナバールの位置は、わたしたちが積んでいたどの宇宙図にも示されていなかったわ。ライレーンもそうよ――だからわたしは、地球からあそこへもどるのに、自分で宇宙図をつくらなければならなかったのよ」
「だが、きみは何か知ってるにちがいない!」キニスンはじれったそうにいった。「恒星とか? 星座とか? 銀河――天の河とかさ?」
「天の河はおぼえているわ。あの形から見ても、ロナバールの位置は、銀河系の中心近くじゃないわ。わたし、何か目だった星座がなかったかどうか思い出そうとしているんだけど、だめなの。わかるでしょう。そのころは、そんなものにちっとも興味がなかったのよ」
「あきれたもんだ! きみがそんなばかだなんてことがあるわけがない――だれだってそうだ! どんな地球人の子どもでも、口がきけるくらいになっていれば、大熊座か南十字星を知っているよ! 待ちたまえ――きみの心にはいって、自分でさがしてみる」
彼は彼女の心にはいった――しかし、何も見つからなかった。
「そうか、人間てものは、こうもばかでありうるんだな。きみは、まぎれもなくそうなんだから」彼は認めた。「さもなければ――ことによると、なにか、ほかの手がかりはないかね?」
「ほんとよ、レンズマン、わたし、わからないの。もちろん、たくさんの恒星があったわ……もし何か目だった星座があれば、気がついていたでしょうけど、気がつかなかったかもしれないわ。さっきもいったように、わたし、ちっとも興味がなかったんですもの」
「それはごくはっきりしている」キニスンはにがにがしくいったが、すぐ口調をやわらげた。「だが、許してくれたまえ。いい方が乱暴だった」
「乱暴ですって? もちろんよ」イロナはくすくす笑った。「ちっとも乱暴じゃないわ、他の人と比較すればね――それに、これまで、あやまった人なんかいなかったわ――なるべくなら、ほんとにお役に立ちたいんだけれど」
「それはわかっているよ。どうもありがとう。本題にもどることにして、トロイのヘレン(ライレーンの長老の赤毛女)は、なぜ地球へ行く気になったんだい?」
「わたしたちの心から、地球やパトロール隊のことを知ったからよ――ライレーン人たちはみんな、はじめのうちは、自分たちの惑星のほかに、知的生物が住んでいる惑星があるなんてことが信じられなかったのね――それで、直接それを確かめようっていう気になったのよ。あのおんなはわたしたちの船をとって、わたしに操縦させたの」
「なるほど。べつにおどろくほどのことじゃない。ぼくはあの快速艇の行動に、何か、おそろしく異常なところがあると思った――ひどく無目的で、ひどく無益《むえき》に思えた――しかし、その理由がわからなかった。そしてわれわれがあの船を息もつかせずに追求したので、彼女はライレーンにもどることにしたのだ。きみは彼女を見ることができたが、ほかの者はだれもできなかった――彼女はそれを望まなかったのだ。
「そうだったの。彼女は一つの強力な心にじゃまされているといっていたわ。もちろん、あなただったんでしょう?」
「ほかにもいたよ。よかろう、いまはそのくらいにしておこう」
彼は仕立員を呼んだ。仕立員は答えた。こんな娘のドレスをつくるような生地は持っていません。とくにこんな娘のはなおさらです。この娘はグラモレットを着るべきです。それも、薄い――ごく薄いやつを。そればかりでなく、レディーの衣裳については何も知りません。婦人服は若い頃から、ガウン一つ、つくったことがありません。店にあるのは、上着の裏地だけです。たぶん、ナイロンなら、なんとかまにあうでしょう。思い出しました。裏地にはむかないようなナイロンを一巻持っています――そう厚地でなくて、赤いやつです。もちろん重すぎますが、うまく形がつくでしょう。
うまく形がついた。一時間かそこらすると、彼女はさっそうともどってきた。スカートのヘリは、高い編みあげブーツのてっぺんをこすっていた。
「よくて?」彼女は陽気に回転しながらたずねた。
「すてきだ!」彼はほめたが、事実すてきだった。仕立員は、自分の能力や店の材料についてひどく卑下していたが、実際は、はるかによかった。
「さあ、いかが? わたしはもう、しょっちゅう部屋にとじこもっていなくてもいいんでしょう?」
「いいとも。これはきみの船だ。乗組員の全部と知りあいになってほしい。どこでも好きなところへ行きたまえ――ただし、乗組員の個室へ行くのはもちろんだめだよ――それから、制御室もね。乗組員たちはみんな、きみが自由だということを知っている」
「言葉が――でも、わたしいま英語を話しているわ!」
「そうとも。ぼくがきみの脳に教えこんだのだ。きみはぼくと同じように英語がわかるはずさ」
彼女は恐れに打たれたように彼を見つめたが、すぐ持ちまえの陽気さをとりもどし、手をふりながら部屋を出て行った。
そのあと、キニスンは腰をおろして考えこんだ。一財産の価値がある宝石を身につけた娘――まだ子どもっぽさの抜けきっていないようなほんの小娘が、どこかへ派遣された……何をするために? 完全な女家長制種族の住む、ライレーン系第二惑星。パトロール隊のどんな宇宙図にものっていない惑星ロナバール。そこの麻薬業者は、地球についてくわしく知っていて、ライレーンへ探検隊を派遣した。おそらく、目標は第二惑星とはかぎらず、その太陽系全体だろう。だが、なぜだ? なんのためだ? おとぎ話めいた価値を持つ奇妙な新宝石。こうした事実に、どんな脈絡があるのだ? いまのところはまったくわからない……データが不充分なのだ……。
そのとき、彼は心のもっとも外側のもっとも稀薄な周辺に、かすかな、波打つような刺激を感じた。想像もおよばぬほど遠い思考の、さぐり求めるような呼びかけだ。
「文明の男性……地球の人間……地球のキニスン……太陽《ソル》系第三惑星のレンズマン・キニスン……銀河パトロール隊のレンズ着用者……」ほとんど感じられないほど弱々しいが、せっぱつまった死物狂いの思考が、たえまなく訴えつづけた。
キニスンは緊張した。彼は精神力をいっぱいにのばして、その思考を捕捉し、それに同調して返答を投射した――彼の心が実際に思考を押し出すと、その思考は強力に伝達されるのだ。
「地球のキニスン、了解!」彼の思考はパチパチ音をたてんばかりだった。
「あなたはわたしの名を知らない」未知の思考は、いまや明瞭に伝達されてきた。「わたしはあなたが『姉御《あねご》』『赤毛』『シバの女王』『クレオパトラ』と呼んだ、ライレーン系第二惑星の長老だ。わたしをおぼえているか、地球のキニスン?」
「おぼえているとも!」彼は答えた。あの無性の女は、なんという脳――なんというおそるべき脳を持っていることだ!
「わたしたちは、宇宙船に乗った人間のような生物に侵略されている。女らは思考波を防ぐスクリーンをつけ、なんの理由もなしにわたしたちを殺している。あなたの強力な船とあなたの強力な心で助けてくれないか?」
「ちょっと待ちたまえ、姉御――≪ヘンダスン≫!」命令が発せられた。ドーントレス号はくるりと逆むきになった。
「QX、トロイのヘレン」彼は報告した。「われわれは全力噴射であともどりしている。そうだ、この『トロイのヘレン』という名が、これまできみにつけたうちで一番適当だ。きみはもちろんその由来を知らないが、もうひとりのヘレンは、一千隻の船を救援に発進させた。きみは一隻しか発進させていないが、安心したまえ。ドーントレス号は相当な船だよ!」
「そうだと思うわ」長老は寄り道を無視して、例の独断的な態度で問題の核心に直行した。「わたしたちには援助を求める権利はない。あなたには、充分拒絶する理由がある……」
「そんなことは気にしなくてもいいよ、ヘレン。われわれはみんな気持ちの上ではボーイ・スカウトとおなじなのだ。われわれは毎日一つ善行をする義務があるが、このところしばらく、善行をしない日がつづいた」
「あなたは、あなたたちの言葉でいう『ふざけている』のだと思う」女家長制種族にユーモアのセンスを期待することはできない。「でも、わたしはあなたに嘘をいったり、心にもないふりをしたりはしない。わたしたちはあなたたちが好きでなかったし、いまも好きでなく、またこれからもけっして好きにならないだろう。しかし、いまのわたしたちにとって、あなたたちは二つのおそろしい害悪のうち、ずっと軽い害悪なのだ。もしあなたたちがいま、わたしたちを助けてくれれば、わたしたちはパトロール隊を受けいれよう。あなたたちの種族の他の仲間を、がまんして受けいれると約束してもよい」
「それはいしたことだよ、ヘレン、すばらしいことだ」レンズマンはつよく心を動かされた。ライレーン人の苦境はまったく絶望的なものであるにちがいない。「みんな、がんばりたまえ。われわれは戦闘準備をととのえて行く。しかものろくさ這《は》っているのではない」
確かに、ドーントレス号は這っているのではなかった。巨大な巡洋戦艦はすばらしい足を持っていて、それをフルに動かしていた。機関士たちは、推進機が受け入れられるかぎりの動力を投入していた。ドーントレス号は文字どおり宇宙に穴をあけていく。あまりにも速いので、恒星間空間に波動のようにただよっているにすぎない物質原子も、その行く手からのがれることができない。ドーントレス号の防御壁《ウォール・シールド》に衝突して消滅してしまうのだ。
そして、つねに戦闘に備えているパトロール船の内部では、顕微鏡的正確さで、戦闘準備がいっそう厳密にくり返し点検されている。
二、三時間後、イロナが元気いっぱいで、おどるようにしてキニスンの部屋にもどってきた。
「あの人たち、すてきよ、レンズマン!」彼女は叫んだ。「ほんとにすてき!」
「なにがすてきなんだい?」
「兵員たちよ」彼女は感謝したようにいった。「ひとりのこらずよ。あの人たちはこの船に乗りたいから乗っているんだわ――だって、士官たちが鞭《むち》を持ってないんですもの! あの人たちは、ほんとに士官を好いているわ! 小さなボタンやなんかを押している士官も、歩きまわって小さなガラス装置をのぞきこんでいる人たちも、四本の筋をつけた銀髪のおじいさんまで、みんな兵員たちに好かれているわ。それに、わたしが出て行くとき、兵員たちはみんな光線銃を身につけていたわ――あんなこと、聞いたこともないわ――そしてあの人たち、あなたにはほんとに首ったけよ。わたし、船がライレーンを出発したとたんにあなたが銃をはずして、それからずっと身のまわりに護衛をつけてないのを見て、とても変だと思ったわ。なぜって、きっとだれかが、あなたをうしろから突き刺すかなにかすると考えたからなの。でも、あの人たちは、そんなことをしようとも思っていないわ。それがすてきだっていうのよ。それに、ハンク・ヘンダスンが話してくださったんだけれど……」
「待ちたまえ!」彼は命じた。「しゃべりすぎるとヒューズがとぶよ」彼がイロナの心を手術しなかったのは正しかった――この娘は、ボスコーンの組織や統制法に関する情報を秘めた鉱山のようなものだ。しかも、彼女はまるでそれに気づいていない。「ぼくがわれわれの文明についてきみに教えようとしていたのはそのことなんだ。われわれの文明は、個人が公共の福祉《ふくし》に反しないかぎり、自分の望むことをできるという自由と、文明を構成する個人のあいだのできるかぎりの平等とにもとづいているのだ」
「ええ、あなたが教えてくれようとしたってことはわかるわ」彼女は陽気にうなずいたが、たちまちまじめになった。「でも、わたしにはわからなかったし、いまもわからないわ。信じられないくらいだわ。あなたたちがみんなあんなに――これがもしロナバールの船で、わたしがあっちこっちとびまわりながら、士官たちと同格みたいにしゃべったりすれば、どんなことになるか、わかるでしょう?」
「わからない――どうなるんだい?」
「そんなことは、もちろん考えられもしないことだわ。起こるはずがないわ。でも、もし起こったとすれば、わたしはおそろしい罰を受けるわ――でも、初犯だったら、二十傷の鞭打ちだけですむでしょうけど」キニスンがいぶかしげに眉《まゆ》をあげると、イロナは説明した。「一生消えない傷が二十残る鞭打ちのことよ」
「だから、わたしこんなに有頂天《うちょうてん》になっているんだと思うわ。わかるでしょう、わたし……」彼女は恥ずかしそうにためらった。「わたし、だれかと平等に扱われたことがないのよ。もちろん、わたしと同じようなほかの娘が相手のときはべつだけれど、ロナバールでは、だれも平等な者なんかいないわ。みんなが自分より上か下かどっちかなの。わたし、あなたたちのやり方になれれば、きっと好きになるわ」彼女は両手をひろげて周囲を示すような身ぶりをした。「わたし、この船も中にいるみんなも抱きしめたいわ――地球へ着いて本当に生きはじめるのが待ちきれないくらいなの!」
「さっきから困ってたのは、そのことなんだ」キニスンがうちあけると、娘はふしぎそうに彼の真剣な顔を見つめた。「われわれは戦闘にむかっているんだ。ところが、戦闘がはじまるまえに、きみをどこかでおろしてやる時間がないのさ」
「もちろんそんな時間はないはずよ。なぜそんなことをする必要があるの?」彼女は口をつぐんで、考えこんだ。「あなたは、わたしのことなんか気にしてるんじゃないでしょう? だって、あなたは高級士官ですもの! 士官っていうものは、娘がひとり殺されようと殺されまいと、問題になんか、しないんじゃないの?」この疑問は、彼女にとってまったく新奇なものにちがいなかった。
「われわれは問題にするのだ。お客さんを船にまねいておいて、その人を死なせてしまうというのでは、もてなしが悪すぎるからね。だが、ぼくにいえるのは、もしわれわれが死ぬとしても……ぼくはやっぱりこうするより仕方がなかったのじゃないか、ということだけさ」
「まあ……ありがとう、グレー・レンズマン。これまで、わたしにそんなふうに話してくれた人はだれもいないわ。でも、わたし、もし途中で着陸できたとしても、するつもりはないわ。わたし銀河文明が好きなの。もしあなたたちが……もしあなたたちが勝たなければ、わたしはどのみち地球へ行けないでしょう。だから、いっそこの船と運命をともにするわ。わたし、どんなことがあっても、二度とロナバールへもどらないつもりよ」
「勇敢な娘のために!」彼は片手をさしだした。彼女はとまどったようにその手を見つめたが、やがておずおず自分の手をのばした。しかし、彼女はすぐこつを理解して、短い握手のあいだにキニスンと同じ力で握り返した。「さあ、きみはもう行ったほうがいい。ぼくには仕事があるからな」
「てっぺんへ行ってもいいかしら? ハンク・ヘンダスンがわたしに第一次ビームを見せてくれるっていってるんだけど」
「いいとも。どこでも好きなところへ行きたまえ。ごたごたがはじまるまえに、きみを船の中央に連れていって、宇宙服を着せてやるから」
「ありがとう、レンズマン!」娘は急いで出て行った。キニスンはチーフ・パイロットにレンズで連絡した。
「ヘンダスンかい? キニスンだ。公式通達。イロナがたったいま第一次ビームを見せてもらうことを話した。それはQXだ――しかしエッチングはいけない」
「もちろん、わかっています」
「それから、ぼくに代わってみんなに伝えてくれたまえ。ぼくは彼女がこの船の乗組員でないことを、だれにも負けないくらいよく知っているが、彼女を戦闘に連れて行くことはやむをえないのだ。ぼくはできる限り早く彼女を下船させるつもりでいる。さしあたり、彼女はぼくの個人的責任で保護する。だから――彼女に色目をつかってはならん。彼女は厳密にオフ・リミットだ」
「みんなに伝達します」
「ありがとう」グレー・レンズマンは連絡を切り、ライレーンのヘレンとの通信にはいった。ヘレンは事件の概要《がいよう》を報告した。
二隻の船――巨大な宇宙巡行船――が空港の近くにあらわれた。だれもそれらが近づくのに気づかなかった。それほど速く接近したのだ。二隻は停止し、なんの警告や交渉もなく、ビームで付近の建物や人々を破壊した。ビームはキニスンたちの針光《ニードル》線に似ていたが、もっとずっと太かった。それから船は着陸して、男たちがおりてきた。ライレーン人は、直接の精神衝撃や精神的怪物を使って十人を殺したが、そのあと船から出てきた者は、みんな思考波スクリーンを着けていたので、ライレーン人は手も足も出なかった。敵は市の一部を焼き払ったのち、さらにライレーン人をおどしあげるために、百人の指導者を公開処刑する計画をたてた――つまり、ライレーン人に殺された男ひとりに対して十人ずつの割合で殺すというのだ。
思考波スクリーンのおかげで、相互の連絡はできないが、侵略者たちは、今後もし、すこしでも反抗や非協力の態度が見えれば、市全体をビームで破壊し、そこに住むあらゆる生物を抹殺する、という見解をあきらかにした。ヘレン自身はこれまでのところ逃げおおせている。彼女は市の地下室の一番奥にかくれている。彼女はもちろん敵が処刑しようと望んでいる指導者のひとりである。しかし、ライレーンの指導者たちをさがしだすことは、不可能でないまでも、きわめて困難だろう。敵は多くのライレーン人を強制して、いまだに捜索をつづけている。そして、指導者たちがつかまるまでは立ち去らないと宣言している。ライレーン人に市の石を一個一個くずさせてでも、指導者たちを見つけ出すというのだ。
「だが、敵には、きみたち指導者の見わけがどうしてつくのだ」キニスンはたずねた。
「たぶん、ライレーン人のだれかが、敵の拷問に負けてしまったのでしょう」ヘレンは冷静に答えた。「さもなければ、敵の中に強力な心を持ったものがいるのかもしれない。またそのほかの理由によるのかもしれない。でも、そんなことになんの問題があります? 重要なのは、彼らが知っているという事実です」
「もう一つ重要なことは、彼らがきみたちの捜査にかまけて、われわれが行くまでそこにひきとめられているだろうということだ」キニスンは思考した。「典型的なボスコーン方式だと思う。もう何時間のことでもない。できることなら、やつらをひきとめてくれたまえ」
「できると思うわ」冷静な答えがきた。「捜索の案内をしているライレーン人は、精神的接触によって、わたしたちがそれぞれどこにかくれているかを知り、そこへ案内するのを避けているのです」
「よろしい。では、その敵船について、大きさ、形、武装など、できるだけくわしく説明してくれたまえ」
彼女は、船の大きさについては、信頼できる情報を提供できないということがわかった。侵略者の船はドーントレス号より小さいようだが、確実ではない。彼女がおなじみの唯一の航空機械である小型飛行機にくらべれば、キニスンの船も現在ライレーンに着陸している船も、まったく論外に巨大なので、どちらがより大きいかを判断することは、無限大の二乗と三乗とのちがいを視覚化するのと同様に困難なことだったのだ。しかし、形状についてはずっとよくわかった。彼女は、レンズマンの心に、パトロール隊がこれから交戦しようとしている二隻の宇宙船の、正確な映像を投射してみせた。
形からいうと、それらの船は超快速型で、ドーントレス号にとてもよく似ていた。したがって、それらは|空飛ぶ鉄槌《モーラー》でないことは確かだ。また、パトロール隊の大艦隊を第二銀河系のへりでむかえうった艦隊を構成していたような、第二級戦艦でもないだろう。もちろん、パトロール隊はあの戦闘のとき、超快速で同時に超強力な船――このドーントレス号と同じようなもの――を持っていた。だから、パトロール隊がそうした船を設計し建造しているあいだに、ボスコーンも同様な船を設計し建造していたということは、充分ありうることだった。いっぽう、敵はダンスタン区域でパトロール隊の強力な攻撃を受けるとは予期していないだろうから、それらの船が二線級の旧式なものである可能性も多いにあった……。
「その二隻は、われわれが着陸したのと同じ飛行場に着陸しているのかね?」彼は思案しながらたずねた。
「そうよ」
「では、われわれの船と大きさのちがいが正確にわかるはずだ」彼は告げた。「われわれの船は、あの飛行場に、ほとんど船体全部が埋まる穴を残した。その穴をやつらの船とくらべると、どうだね?」
「わかると思うわ」そして彼女は、その比較をやり、ドーントレス号のほうが、ライレーン人の身長の十二倍くらい長い、と報告した。
「ありがとう、ヘレン」そこではじめて、キニスンは制御室で士官を集めて協議した。
彼は、これから攻撃しようとしているボスコーン船について、自分が手にいれた情報や、それにもとづいておこなった推論をすべて報告した。それからパトロールマンたちは、映像タンクの上に頭をよせて、戦略と戦術を論じはじめた。
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六 ふたたびライレーンで
ドーントレス号がライレーン系第二惑星に充分接近して、その惑星が映像プレートの上で円盤状に見えるようになると、観測員たちは探知器を注意ぶかく調べはじめた。何も探知できない。そこで、レンズマンがライレーンの長老と思考を短時間交換すると、二隻のボスコーン船がまだ着陸していることがわかった。事実、彼らは宣言したとおり、百人のライレーン指導者が発見され、処刑されるまでは着陸しているつもりらしかったが、指導者は、まだほとんどが安全にかくれていた。侵略者たちは、ライレーン人に指導者たちのかくれ場所を白状させようとして多くの者を殺し、これからも殺しそうだったが、真実の情報はほとんど手にはいっていなかった。
「強引な独裁的立場からすれば、いい戦術なのかもしれないが、わしはとほうもなくまずい戦術だと思うな」キニスンがこの情報を伝えると、ドーントレス号の艦長、銀髪のマルコム・クレーグがつぶやいた。
「まずい戦術だとも」レンズマンは賛成した。「やつらの中にヘルマスくらいのやつがひとりでもいれば、あの船の一隻は、宇宙を飛びまわって警戒にあたっているだろう」
「しかし、ここは銀河系の本体から九千パーセクもはなれているんですから、やつらが危険を予想しないのもむりはありませんよ」射撃長のチャトウェイがいった。
「しかし、あらゆる場合に危険を予想するべきだ――それが当然だよ」これはヘンダスンだった。
「どこへ着陸しますか、キム。適当な場所が見つかりましたか?」
「まだだ。いまやつらは惑星の裏側にいる。さいわい、こんどは地球の固有速度を除去するにはおよばない――この船の固有速度は、いまのままでも、あの惑星の固有速度に近いだろう」そしてそのとおりだった。
船の固有速度が惑星の固有速度に同調されるまもなく、観測員が、敵船の着陸している飛行場が地平線にあらわれたことを報告した。ドーントレス号は無慣性状態で突進し、麻薬業者《ズウィルニク》の船が射程内にはいると同時に、有重力状態に移行して攻撃を開始した。射程内にはいった敵船は一隻だけだ。ドーントレス号の攻撃は迅速だったが、ボスコーン船の一隻は機敏にもそれを探知して脱出したのだ。もう一隻は着陸したまま、脱出の機会を永久に失ってしまった。
パトロールマンたちは、長い訓練の成果を発揮して、完全なチームワークを保ちながら行動した。主任通信士のネルスンは、スパイ光線でボスコーン船の最初の反応を探知するやいなや、カーテルとサブ・エーテルの妨害幕を展開して、通信ビームや信号を送れないようにした。クレーグ艦長がマイクにむかって一声叫ぶと、集中できるかぎりの強力な第一次ビームが同時に火を吹いた。チーフ・パイロットのヘンダスンは、ちらりと下方を見やったのち、バーゲンホルムのスイッチをいれ、ジェットを調節して、ドーントレス号のとがった船首を追跡光線の方向にむけた。ボスコーン船を一目見ただけで充分だった。つぎに何をするか命令を受けるまでもなかった。ドーントレス号の乗組員ばかりでなく、ライレーン人たちにさえ、あきらかなことだったろうが、四分の三ほども破壊され融解《ゆうかい》したボスコーン船は、二度と脅威をふるうはずがなかった。ドーントレス号は着陸しなかった。停止さえしなかった。とおりすがりに敵の一隻を破壊したので、つづいてもう一隻の追跡にかかったのだ。
「こんどはどうします、キム?」クレーグ艦長がたずねた。「こっちは一隻ですから、敵船を包囲するわけにはいきません。そしてやつらは牽引ビーム切断器を積んでいることは確かです。新式の牽引ゾーンを使わなければならないと思いますが?」ふつうの場合なら、銀髪の艦長は自分で決定をくだしただろう。船の戦闘指揮をとるのは彼だけだからだ。しかし、これはふつうとは、ほど遠い情況だ。第一に、独立レンズマンはどこにいようとつねにボスである。第二に、牽引帯域は新兵器だ。ドーントレス号さえまだ私用したことがないほどの新兵器なのだ。第三に、この船は独立任務についていて、キニスンの意思どおりに行動するように指示されている。第四に、そのキニスンは、銀河評議会の信任があつく、現在の情況が新兵器の使用を妥当ならしめるようなものかどうかを知っているのだ。
「もし敵船が牽引ビームを切断できれば、牽引ゾーンを使用すべきだ」レンズマンは賛成した。「敵は一隻しかいない。離脱《りだつ》もできないし通信もできない――だから、牽引ゾーンを使っても、秘密のもれる危険はない。やりたまえ」
ドーントレス号はボスコーン船より速かった。しかも、スタートでほんの数秒おくれたきりだったので、たちまち射程内にはいった。牽引ビームが投射されて、敵船を捕捉したが、ほんの瞬間しか保持できなかった。捕捉と同時にすっぽり切断されてしまったのだ。しかし、だれも意外とはしなかった。現在ではすべてのボスコーン船が、牽引ビーム切断器を備えているだろうということは当然、予想されていたからだ。
この切断器は、もともとパトロール隊の科学者によって開発されたものだった。この発明の直後、その科学者たちは、ボスコーンがやがて同じものを開発するだろうことを見越して、戦闘用には牽引ビームと同様に有効で、しかも切断できないようなものを開発しにかかった。そして彼らはついにそれを開発した――球体の力場で、隕石防止スクリーンに非常に似ていたが、二つの位相を持っているという点だけがちがっていた。つまり、隕石防止スクリーンでは、外部から内部へ移動してくる物質を通過させないだけだったが、牽引ゾーンでは、内部から外部へ移動する物質も通過させないのだ。この新兵器の発生装置、大きさ、距離、制御などに関する詳細なデータがわかるとしても――もちろん極秘なのだが――それらをここでくわしく説明するのは無用だろう。ここでは、ドーントレス号が牽引ゾーンを備えていて、それを維持するに充分な力を持っているとだけいっておこう。
パトロール船は接近した。牽引ゾーンがボスコーン船の外側まで展開され、強化された。ヘンダスンはバーゲンホルムを切った。クレーグ艦長は命令を叫び、射撃長チャトウェイ以下が命令を実行した。
防御スクリーンが崩壊し、海賊船は無慣性状態のまま逃走をはかった。しかし無駄だった。牽引ゾーンの摩擦《まさつ》のない内側をすべりまわるだけなのだ。海賊船は回転し、きりきりまいした。そこで有重力状態に移行して、帯域《ゾーン》に衝突した。やはり無駄だった。海賊船は帯域《ゾーン》にぶつかってはね返った。その膨大な質量と全推進力をもってしてもはね返された。その衝撃はドーントレス号の全船体を震動させたが、帯域《ゾーン》の繋留《アンカレッジ》は一流の技術員たちによって計算され装置されていたので、この衝撃を持ちこたえた。帯域自体も持ちこたえた。多少ゆがみはしたが、崩壊はしなかった。海賊船の切断力場もそれを切断できなかった。
こうして逃走が不可能になったので海賊船は戦った。もちろん、理論的にいえば降服《こうふく》も可能だったが、その試みはまったくなされなかった。パトロール隊の兵力がどれほど強大な場合でも、海賊船が降服したことはこれまでなかったし、これからもなさそうだった。パトロール船がボスコーンに降服したこともなかった――またこれからもないだろう。これは、それぞれに銀河系的規模を持ち、正面から対立している二つの文明のあいだの、食うか食われるかの死闘を支配している、苛酷《かこく》な不文律なのだ。この闘争は、完全な徹底的な殲滅戦《せんめつせん》だった。個々の戦闘員や小さな集団ならば捕えられることもあったが、船が降服したことは一度もなかった。二つの文明のあいだの闘争は――つねにどこででも――どちらかが抹殺されるまで遂行されるのだ。
この戦闘もそうだった。敵船はこのタイプの船としてはよく武装されていたが、ドーントレス号の強固なスクリーンを破壊できるほどのビーム放射器は持っていなかった。また、パトロール船の恐るべき第一次ビームの強烈な攻撃に長く耐えられるほど強固なスクリーンも持っていなかった。
海賊船のスクリーンが崩壊するやいなや、射撃は中止された。まえからそういう命令が出ていたのだ。キニスンは情報がほしかった。宇宙図がほしかった。生きているボスコーン人をつかまえたかった。しかし、どれも手にはいらなかった。破壊された船内には、ひとりの生存者もなかった。宇宙図室《チャート・ルーム》には、灰の山が残っているきりだった。パトロール隊の役に立ちそうなものはすべて破壊されている。パトロール船のビームで破壊されたものもあるが、その他は、海賊が敗北を覚悟して自分で破壊したのだ。
「抹殺しろ」クレーグは命令した。ボスコーン船の残骸《ざんがい》は消滅した。
ドーントレス号はふたたびライレーン系第二惑星にむかい、キニスンはふたたび長老のヘレンと連絡をとった。彼女は地下室から出て、市で最大の建物の一番上の階――おそらく〈オフィス〉のことだろう――で、指揮をとっている。着陸していたボスコーン船が破壊されると同時に、ライレーン人指導者の捜索も、市民に対する拷問や虐殺も、市の破壊も、いっせいにやんだ。のちにわかったことだが、侵略者の指揮者は船の遮壁の中の〈安全な〉区域に残って指揮していたのだ。だから、その指揮が停止すると、その命令を実行していた部下たちの行動も停止してしまったのだ。彼らはむきだしの広場に不安そうにかたまっていたが、ドーントレス号がもどってきたのを見るなり、それぞれが、ひとりかふたりのライレーン人をつかまえて、手近の大きな建物に逃げこんだ。そして建物の中にバリケードをつくり、ライレーン人を人質兼人盾に使おうとしていることはあきらかだった。
ドーントレス号は市の上空に停止した。キニスンと士官たちは、スパイ光線を使って、敵軍の数、武装、配置などを観察した。百三十名いて、人間に近い生物だ。通常こうした部隊が携行するような携帯式兵器で武装している。彼らは、はじめは五、六挺の半携帯式ビーム放射器を持っていたが、そういう重火器は母船から動力を供給されねばならないので、ずっとまえに捨ててしまったのだ。おどろいたことに、彼らは完全に宇宙服をつけている。キニスンは、彼らが思考波スクリーンしかつけていないものと思っていた。ライレーン人は、精神衝撃のほかに攻撃兵器を持っていないからだ。どうやら、海賊どもはその事実を知らなかったのか、不意打ちに備えていたのかどちらからしい。
宇宙服は当時、重くてかさばるものだった――いまでもそうだ。迅速な行動のさまたげになるし、一般的にいって、やっかいなしろものだ。だから、ボスコーン人たちにしてみれば、それを着ないですますほうがよかったろう。パトロール隊が不意打ちをくわせたのは事実だが、それが予想されていたはずはない。事実、そういう攻撃が予想されていれば、ボスコーンのこの懲罰隊《ちょうばつたい》は地上に派遣されなかったろう。抜け目のないヘルマスなら、万事を疑ってかかるから、部下に宇宙服を着せただろうということもいえるが、彼なら不意打ちに対してはるかに万全を期しただろう――しかし、事実上ヘルマスほど慎重な指揮官はほとんどいないのだ。キニスンはそんなことを思いめぐらした。
「この仕事は、井戸の中の魚を射ち殺すようにやさしいだろう――しかし、やっぱり宇宙スカウトを派遣したほうがいい」彼はそういいながら、ピーター・バン・バスカーク中尉に、レンズで思考を伝達した。「バスかね? きみもぼくと同じものを見てるかい?」
「ええ、ちょっとばかりのぞき見してました」巨大なオランダ系バレリア人はうれしそうに答えた。
「QX。きみの手下に宇宙服を着用させろ。十分後に下方右舷メイン・ロックで会おう」彼は連絡を切ってから、伝令員をふりむいていった。「ぼくのG・Pケージを出してくれないかね、スパイク? それから、ヘリコプターが必要だ――発進準備をさせておいてくれ」
「しかし、キム!」そして、
「あなたにそんなことはできませんよ、キニスン!」チーフ・パイロットと艦長が同時に叫んだ。どちらも、このような場合に船を出られない立場にいる。このふたりは船の最高幹部なので、船にしばられているのだ。いっぽう、レンズマンは船の中でもふたりの上位にいるが、どんなことにも拘束《こうそく》されないし、またされえないのだ。
「できるとも――きみたちはねたんでるんだ、それだけのことさ」キニスンは陽気にやり返した。「ぼくはバレリア人たちといっしょに行けるばかりじゃなく、いかなきゃならんのだ。ぼくはたくさんの情報を必要としている。そして、死人の脳を読むことはできないんだ――いまのところはね」
突撃隊が集合しているあいだに、ドーントレス号は下降して、ボスコーンたちがかくれている建物のできるだけ近くに着陸した。町のその部分はすでに廃墟《はいきょ》と化していた。
下船したのは、百二名。キニスン、バン・バスカーク、そして百名のバレリア人だ。これらの剛勇な宇宙戦士は、いずれも身長七十八インチ、体重四百ポンド以上におよび、小さな地球の三倍にも達する表面重力を持った惑星の上で存在するに必要な、強力でたくましい骨格と筋肉を備えていた。
海賊どもがライレーン女を人質にとらえているので、バレリア人たちは機関銃とか半携帯式ビーム放射器のような重火器はまったく携行しなかった。彼らが身につけているのは、デラメーター式ビーム放射器と、それからもちろん宇宙斧だ。宇宙斧を持たないバレリア人戦士だって? そんなものは考えられない! 宇宙斧はまったく恐ろしい武器だ。戦斧、鎚矛《つちほこ》、棍棒、木こりの斧、そういうものの結合であり結晶である。強靭《きょうじん》な宇宙合金ででききていて、目方は三十ポンドもある。それを使うものの肉体的な力と敏捷《びんしょう》さしだいで、いくらでも効果を発揮する武器だ。そして、バン・バスカークのひきいるバレリア人たちは、その力と敏捷さとを備えていた――どちらもたっぷり。ドーントレス号の突撃隊に属するバレリア人のうちもっとも小柄な者でも、この恐るべき武器を片手で持ち、とてつもないほど強力な手首をちょっとひらめかしただけで、まるでフェンシングの名手が細身の剣を扱うように、またオーケストラの指揮者が指揮棒《バトン》をうちふるうように、やすやすと、そして彼らよりずっと迅速に、それをふりまわすことができるのだ。
バレリア人たちは、機械のような正確さで整列して前進していった。バン・バスカークが先頭に立ち、ヘリコプターが頭上を舞い、グレー・レンズマンは一番うしろについている。彼は地求人としては長身で重量があり、力もあれば敏捷でもあったが、とても第一線に立つ資格はなかった。そしてそのことをだれよりもよく自覚していた。この一隊のバレリア人のうち一番小さい者でも、完全に宇宙服をつけたまま、地球の重力に対抗して、十四フィート以上の立ち高飛びができる。そして、他の肉体的に弱小な人類にはまったく不可能なような、目にもとまらぬスピードで身をかわし、牽制し、受け流し、回転することができるのだ。
彼らは建物に接近すると、展開してそれを包囲した。そして、ヘリコプターが、包囲完成の信号を発すると同時に、攻撃がはじまった。もちろん、ドアや窓は錠をかけられ、バリケードでふさがれていた。だが、そんなことがなんだろう? 宇宙斧で二、三度たたき、デラメーターを二、三度放射すると、あっさりかたづいた。こうしてできた穴から、銀河パトロール隊の黒と銀の制服に身をかためた戦士たちが、どっとなだれこんでいった。バレリア人、肉弾戦で彼らより剛勇な戦士はかつてなかった――二本足の種族では。そしていかなる形状の種族でも、宇宙服をつけ宇宙斧を手にしたバレリア人と格闘するのを望むものはほとんどいないのだ!
だから、海賊どもは、自分から選んだのではなく、やむをえず、そしてまったく絶望的に、戦ったのだ。彼らの携帯式放射器の狂暴な熱線をあびて、部屋の石壁は無気味な赤色に輝き、ところどころが貫かれた。旧式なピストルが咆哮《ほうこう》し、鋼鉄におおわれた鉛を吐きだした。しかし、銀河パトロール隊の宇宙服は、半携帯式放射器の熱線より力が弱ければ、どんな熱線にも耐えられるようなスクリーンで防護されている。また、その装甲板は、大口径機関銃から発射される弾丸より力が弱ければ、どんな弾丸にも耐えられる。したがって、ボスコーン人の熱線は、バレリア人のスクリーンにはね帰って、人工の電光のように、また多彩に輝く花火のようにとび散った。彼らの弾丸は装甲板にぶつかって無益にそれとび、ゆがんだ金属塊と化した。
パトロールマンたちは、デラメーターを抜きさえせずに、断固として前進した。彼らは、海賊の宇宙服が自分たちのと同様に強力だということを知っていた。そして、女たちは、できることなら死なせたくなかった。彼らが前進するにつれて、敵は大きな部屋の中央に後退した。そしてライレーン人を外側に立たせてほぼ円陣をつくり、女たちの頭の上や、はだかのからだのあいだから射撃してくる。
キニスンは、その女たちを死なせたくなかった。しかし、もしパトロールマンたちが前進をつづければ、そのスクリーンからの強烈な反射によって、彼女たちは死をまぬかれないにちがいない。彼は敵の陣形をすばやく観察してから、命令を発した。
すると、バレリア人戦士にしてはじめて可能な、おどろくべき奇襲《きしゅう》が開始された。キニスンの命令と同時に、すべてのバレリア人が、すばらしい跳躍《ちょうやく》で床からとびあがったのだ。女たちの頭ごしに、敵の頭ごしに、とびこえながら、それぞれのパトロールマンは最大限のスピードと力で、ボスコーン人のヘルメットに宇宙斧をふりおろした。大部分の敵は即死した。このようなスピードと力でふるわれた宇宙斧に耐えられるようなヘルメットはないからだ。バレリア人たちは斧をふるったとき、空中九フィートか十フィートのところにいたが、そんなことは問題ではなかった。彼らは、どんな位置や姿勢にあろうと、重力があろうとなかろうと、慣性があろうとなかろうと、思うままにからだや武器をあつかえるように訓練された宇宙戦士なのだ。
「人間《パースン》たち――走れ! ぬけだせ! 逃げろ!」キニスンは、バレリア人が床からとびあがるやいなや、ライレーン人たちに向かって、はげしく思考を投射した。彼女たちは命令にしたがった――狂気のように。ドアから窓から、あらゆる方向へ、できるかぎりのスピードで逃げだした。
しかし、どのバレリア人も、敵をたたきふせようとはやりたつあまり、自分がとびおりる場所を、正確にどこにすべきかということには、まるで無関心だった。関心があったとしても、だれかが先にそこへとびおり、間一髪の差で自分がその同じ場所にとびおりるというようなことになった。そればかりでなく、彼らが全部円陣の中央に立つ余地はなかった。そういうわけで、何秒かはすさまじい混乱が支配し、ボイラー工場のような騒音が一マイル四方にひびきわたった。なにしろ、百一人の、とりわけ大きくとりわけ重量のある男たちが、宇宙服、斧などを身につけたまま一団となって、身をよじり、けとばし、引っぱりあい、彼らの半数をいれるにもたりない空間にすしづめになったのだ。どの戦士も痛烈なバレリア式の悪口や宇宙式の雑言《ぞうごん》を怒号しながら、仲間よりはやく起きあがって、海賊どもにつぎの一撃を加えようと身をもがいた。
このすさまじい乱闘のあいだに、海賊のなかにはスクリーンを切って自殺をはかった者もあった。部屋から脱出した者もあったが、わずかだった。しかし、彼らも遠くまでは逃げられなかった。ヘリコプターが彼らを処理したのだ。ヘリコプターには、ドーントレス号からエネルギーを供給されている針光線が積んであった。その光線は、まるでナイフがチーズを切るように、海賊の宇宙服のスクリーンを貫いた。
「待て、諸君――攻撃停止!」バレリア人のもつれあった集団が置きあがって攻撃姿勢をとったとき、キニスンは叫んだ。「もう斧は使うな――やつらに自殺させるな――生けどりにしろ!」
バレリア人は、すばやくやすやすと命令を実行した。じゃまな女たちがいなくなったので、彼らが敵のデラメーターの銃口に向かって突進するのをさまたげる何ものもなかった。敵は身をかわしたり駆けだしたりしたが、逃げおおせるに充分な半分の速さもなかった。装甲板におおわれた手が、彼らの武器をたたき落とした――その過程で腕や足が折れたところで、なんだというのだ?――獲物は身動きもできないほどおさえつけられ、つぎつぎにキニスンの前へひきだされて、心を読まれた。
なんの手がかりもない。まったく何もない。ゼロの連続だ。キニスンはにがい顔でだまりこんだまま、先に立ってドーントレス号へもどった。もちろん彼がのぞむ情報を知っていたのは、自殺したやつらだ。あたりまえのことだ。パトロール隊の士官たちも、同じような立場に追いこまれれば、同じように自殺したにちがいない。生存者たちは自分の惑星がどこにあるのか知らない。それが銀河系の中のどのあたりにあるかさえ、心象を与えられない。自分がどこへなんのために行くのかも知らない。だが、それがどうしたというのだ? どこの世界でも、独裁制の最下層にいる者たちのもっとも顕著《けんちょ》な特徴は、無知ではないか? 何かを知っている者は、自殺するような強制をうけていただろうし、実際に自殺してしまっただろう。
ドーントレス号の自室へもどると、彼の沈んだ気持はいくらかあかるくなった。彼はライレーンの長老を呼んだ。
「トロイのヘレンかい? こうなったからには、きみたちの心の平安、繁栄、福祉などのためにわれわれがしてやれる最良のことは、宇宙神クロノやバレリアの守護神ノシャブケミングが許すかぎり極力早く、ここから立ち去ることだと思うがね、どうだね?」
「あら、わたしは……あなたは……その……つまり……」長老は自分の気持に対するレンズマンの率直な推測にひどくうろたえた。彼女は相手の言葉を認めたくはなかったが、この男性たちに必要以上一秒だって長くいてほしくないことは事実だった。
「正直に言いたまえ。ぼくにもそのほうが都合がいいのだ――はっきりいっておくがね、姉さん、もしきみにもう一度会うことがあるとすれば、それはまったくやむをえない事情からだろうな」そしてチーフ・パイロットに、
「QX、ヘレン、発進してくれ――地球へもどるんだ」
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七 全開多面通信路
強力なドーントレス号は、時速八十パーセクばかりのゆったりした巡航速度――この船にしてはのことだが――でエーテルを突破しながら、帰途についた。技師たちは指針から噴射口にいたるまで、装置を調査し点検し、この巨大な船がたったいま切りぬけた戦闘によって、疲労やひずみのあらわれている部分はすべて補給し、修理し、交換した。それがすむと、彼らはくつろいで、いつもの時間つぶしをはじめた――つまり、いろいろな惑星でおこなわれているゲームをやったり、競争でほらの吹きあいをはじめたりしたのだ。
当直士官たちは、クッションのきいた椅子にぐったりもたれかかって、当直の交替というような些細な出来事にも、いちいち大さわぎした。バレリア人たちは、いつものように、自分たちの特別区画にそっとひきこもっていた。そこでは重力は、地球の正常重力九百八十ダインのかわりに二千七百ダインに定められ、気圧は一平方インチあたり四十ポンド、気温は華氏《かし》九十六度に保たれている。その特別区画で、バン・バスカークと部下の戦士たちは生活し活動し、想像を絶するほどの過激な訓練をしているのだ。すでにのべたように、彼らは剛勇無双ではあっても精神的にも知的にも巨人ではないから、他の種族ほど単調さによって退屈することがない。
いっぽうキニスンは、鏡のようにみがきあげたグレーのブーツをデスクのヘリに|でん《ヽヽ》とのせかけ、椅子をあぶなっかしく後ろにかたむけながら、深刻に思考を集中していた。まだ、まったく見通しがきかない。追求の情熱を駆りたてるに足る程度の鍵――鍵の破片――を手にいれたにすぎない。メンジョ・ブリーコという人間が、彼の求める相手だ。その人間はロナバールにいる。いっぽうを見つければ、もういっぽうも見つかるわけだが、そのどちらにしても、いったいどうして見つけだせばいいのか? 惑星ほど大きなものを発見できないというのはばかげているようだが――しかし、だれもまったくそれがどこにあるかを知らず、銀河系の中には無数の惑星があるのだから、手あたりしだいに探すというのはまったく無意味だ。もちろん、ブリーコは麻薬業者《ズウィルニク》であるか、さもなければ麻薬業者《ズウィルニク》とつながりがある。しかし、百万人の麻薬業者《ズウィルニク》の心を読んだとしても、よほど運がよくなければ、そのロナバール人となにかのつながりがあるとか、ロナバール人についてなんらかの知識を持っているとかいう心にはぶつからないかもしれない。
パトロール隊はすでにアルデバラン系第二惑星へ手をまわして、どんなにわずかでもロナバールに関係のある証拠があるかどうかを調べてみた――しかし、徒労だった。惑星学者たちは、ファイルや宇宙図や図書館を徹底的に調査した。しかし、ロナバールは見つからなかった。もちろん、彼らはその惑星をほかの名称で知っているかもしれないと指摘した――そんな指摘がなんになる! 彼自身はそうは考えなかった。銀河文明の広大な領域内の宝石商をしらみつぶしに調べたが、これまでのところでは、彼が描写してみせたような宝石を知っている者はひとりもいなかったからだ。
どんな思考経路をたどっても、キニスンはきっと宝石とイロナに到達した。イロナ。この無邪気でおてんばな小悪魔は、いまでは船の半分をわが物顔に横行し、乗組員の九割までの心をとらえていた。あの娘にちょっとでも脳味噌があれば、ロナバールの位置がわかるはずだ。どんな人間でも、自分の惑星の銀河座標を知らないほどばかではないはずだ。惑星の位置をつきとめるのに役立つようなことを≪なにも≫知らないほどばかではないはずだ。案外、あの娘はだれにも負けないくらい利口なのかもしれない――いや、銀河系全体をさがしても、マックのような心を持った女がふたりといるはずはない……
それから数分間、彼は当面の問題を棚上げにして、婚約者クラリッサ・マクドゥガルの完璧な精神と肉体の影像を脳裏に描いて楽しんだ。しかし、そんなことをしても結論は出ない。娘か宝石か――どっちだ? この二つこそ彼がつかんでいる実際の手がかりなのだ。
彼はイロナを呼んだ。二、三分すると、イロナがおどるような足どりではいってきた。彼女は以前とはなんと変わってしまったことだろう! 彼女をおびやかしていた恐怖は消え去っていた。彼女が子どものときから無意識的に反抗してきた階級的差別観も消滅していた。いまや彼女は≪自由≫だった。兵員たちも自由、だれもかれも自由なのだ! 彼女はとほうもなく陽気になっていた――くつろいでいた。いまや彼女は、まえには想像もできなかったような生活をしていた。一分一分が新しいおどろきだった。その黒い目は、かつてはひどくものうげだったが、いまや活気に輝き、生の喜びを放射していた。精巧《せいこう》にゆいあげられたまっ黒な髪さえ、いっそうつやをましたように見える。
「ごきげんよう、レンズマン!」彼女は、キニスンが挨拶の言葉や思考を伝える暇もないうちに、いきなりいった。「わたしを呼んでくださってちょうどよかったわ。きのうから、あなたにうかがいたいことがあったんですもの。みんなが演芸大会をやろうとしているの。そして、わたしにおどれっていうのよ。いいかしら?」
「QX。いけないわけがあるかい?」
「衣裳のことよ」彼女は説明した。「わたし、あの人たちに、ドレスを着ていてはおどれないっていったの。そうしたら、あの人たちは、ドレスをつける必要はないっていうの。地球でも、アクロバット・ダンサーはドレスをつけないんだから、わたしのもとの衣裳でちょうどいいんですって。わたし、あの人たちが、かつごうとしているんじゃないかってきいたら、そんなことはないって誓ったわ――そして、おやじにきいてみろって……」彼女はふいに言葉を切ると、両手を口にあてて、表情のゆたかな目をとまどったように見ひらいた。「あら、ごめんなさい」彼女は口ごもった。「わたし、そんなつもりじゃ……」
「どうしたんだい? なにをあわててるんだい」キニスンはたずねたが、すぐ了解した。「そうか――『おやじ』のことだね? QX、それはパトロール隊の標準用語なんだ。きみたちのあいだでは、そうじゃないらしいな?」
「そうじゃないわ」彼女はため息をついた。まるで、破局をあやういところでまぬかれたといったようすだった。「だれかがそんなことを考えているのをさとられただけでも、そのとたんに全乗組員が蒸気室へ送られてしまうわ。それに、もしわたしがメンジョ・ブリーコに向かって『ごきげんよう』なんてなれなれしくいったら……」彼女は身ぶるいした。
「大した連中だね」キニスンは感想をもらした。
「でも、ほんとうなの……わたしがこんなことをしゃべって、部下のだれかが困ったことになるようなことはないの?」彼女は訴えるようにいった。「だって、あの人たち、あなたに面と向かっては、そんな呼び方をしないんですもの」
「きみはまだこの船に乗ってまもないからわからないんだ」彼はうけあうようにいった。「当直中は、そういう呼び方はしない。それが規律なんだ――能率のために必要なんだ。それに、ぼくはこのところあまり士官室に出かけていない――いそがしすぎるんでね。しかし、その演芸大会のとき、彼らはきみがびっくりするような言葉でぼくを呼ぶだろう――ひょっとしてきみがそれを耳にすればね。きみは練習しているんだろう――調子をととのえるために?」
「ええ」彼女は白状した。「わたしの部屋で、スパイ光線防止器をいれてね」
「けっこうだ。だが、隠す必要はない。それに、練習しているときは、ドレスをつける必要もないよ――その点は部下たちのいうとおりだ。ところで、ぼくがきみを呼んだのは、手伝ってほしいからなんだ。いいかね?」
「もちろんよ。できることならなんでも――なんでもやりますわ」彼女は即座に答えた。
「きみがロナバールについて提供できるかぎりの情報を、どんなつまらないことでもいいから提供してほしいのだ。そこの習慣とか風俗とか、仕事とか遊びとか――貨幣とか宝石とか、あらゆることについてね」この最後のものは、あきらかにあとで思いついたものだ。「ところで、そうするためには、きみの自由意思で、ぼくの心をきみの心にはいらせてくれなければならない――きみの能力の限界まで、ぼくに協力してくれなければならない。QX?」
「けっこうよ、レンズマン」彼女ははずかしそうに承知した。「あなたがわたしを傷つけるつもりはないってことはわかってるわ」
イロナは、はじめこの調査を好まなかった。それはあきらかだった。それも無理はない。意識して他人に自分の心に侵入されるのは、ひどく不愉快なものだ。ことに、その他人が、グレー・レンズマン、キムボール・キニスンというような、ものすごく強力な心の持主である場合には、なおさらである。彼女は他人に知られたくないことがいろいろあった。そして、そういうことを意識にのぼせまいとするほど、それらがありありと意識の表面に浮かびあがってくるのだ。彼女は精神的にも肉体的にも身もだえした。何分かのあいだ、彼女の心は読みわけられないほど混乱していた。しかし、やがて落ちつき、この新奇な感覚になれると、彼女はすすんでその調査に協力した。彼女の心はロナバールの宝石に関する情報の鉱山のようだった。人は何かをたえず熱望していて、しかもそれが永久に手にはいらないことを知っているような場合は、そのものについての詳細な知識を持っていることが多いが、彼女もそのような意味で、ロナバールの宝石のことなら、なにからなにまで知っていた。
「ありがとう、イロナ」調査は完了した。レンズマンは、彼の求めるものになんらかの関係があるすべてのことについて、彼女と同様な知識を得た。「とても役に立った――もう行ってもいいよ」
「お役に立てばほんとにうれしいわ――いつでもおっしゃってちょうだい。じゃ、パーティでお目にかかりましょう。それまでご用がなければね」イロナは、はいってきたときよりずっとおとなしくなって部屋を出た。彼女はいつも、キニスンを少なからずおそれていた。彼のそばにいるだけで、ひどい不安を感じた。そして、いまの心の調査は、彼女のおそれをしずめるどころではなかった。悲鳴をあげたいくらいだった!
ひとりになったキニスンは、最高基地へタイト・ビームをつながせようとしたが、思いなおして、空港司令官ヘインズにレンズで思考を伝達した――慎重に、そして遠慮がちに。
「もちろんあいてるさ!」たちまち返答がきた。「きみに対しては、毎日二十四時間あいてるよ。話したまえ」
「できるかどうかわかりませんが、あることをやってみたいのです。思考が伝達できる範囲にいるレンズマン全員、とくに独立レンズマン全員のあいだで、レンズ対レンズの全開協議をやってみたいのです。できるでしょうか?」
「ヒュー!」ヘインズは口笛を吹いた。「百人くらいまでのそういう協議はやったことがある……きみのいうような協議ができんという理由はない。きみが協議を希望するレンズマンの大部分はわしを知っている。知らない者も、知っている者を通じてわしに同調できる。もし全員が同時にわしに同調すれば、われわれはみな相互に精神感応状態にはいれるわけだ」
「では、QXですね? わたしがこういうことをおねがいする理由は……」
「その必要はないよ。二度説明するのは無益だ――わしは他の者といっしょに聞くよ。とにかく手配しよう。ちょと時間がかかるだろうが……あすの二十時でいいかね?」
「けっこうです。感謝します、閣下」
次の日は、いつもいそがしいキニスンにとってさえ、時間の経《た》つのがのろかった。彼はあてもなくうろつきまわった。そして何度か美しいアルデバラン娘を見かけて、ある事実に気づいた。その事実は、彼が前日、彼女の心を調査したとき、はかならずも知ってしまった事実とぴったり一致した――つまり、彼女が男とふたり連れだっているときには、その男はいつもヘンリー・ヘンダスンなのだ。
「いかれちゃったのかい、ヘン?」キニスンは、士官室のすみでぼんやり目の前を見つめているチーフ・パイロットにぶつかったとき、さりげなくたずねた。
「完全にいかれました」ヘンダスンは認めた。「しかし、わたしは色目なんか使わなかったのです。もっとも、あなたにそんなことをいう必要はありませんがね」
確かにそんな必要はなかった。独立レンズマンというものは、最高の権威を持っているばかりでなく、最高に有能な読心術者だからだ。よけいな説明は不要だった。
「きみがそういうことをしなかったってことは知ってるよ」それから、相手の口に出さない質問に答えた。「いや、ぼくはきみの心を読んだりしなかったよ。イロナのほかには、誰の心も読んでいない。彼女の心はすみずみまで読んだがね」
「そうか……それで知ってるんですね……ところで、キム、ちょっと話したいですが。真剣な話です」
「いいとも。レンズでかい?」
「そのほうがいいでしょう」
「さあ話したまえ。アルデバラン生まれの美しい麻薬業者《ズウィルニク》イロナのことだろう」
「やめてください、キム」ヘンダスンは顔をしかめた。「彼女は確かに麻薬業者《ズウィルニク》じゃありません――そんなはずはない――わたしは有金をすっかりかけてもいいですよ。そうでしょう?」
「きみは主張してるのかい、それとも質問してるのかい?」
「わかりません」ヘンダスンはためらった。「あなたにきくつもりではいました……あなたは、われわれの知らないことをいろいろ知っていますからね……いったい彼女は……つまり、もしわたしが――ああ、どうもいえん! キム、わたしが……その……結婚しちゃいけないわけがありますか?」
「結婚すべき理由が無数にあるよ。だれだって結婚すべきだ」
「いけませんよ、キム! わたしがいいたいのはそんなことじゃない。あなたも知ってるでしょう?」
「じゃあ、率直にいいたまえ」
「QX。ではいいます。独立レンズマン、キムボール・キニスン、あなたは、わたしがイロナ・ポッターと結婚するのを承認してくださいますか? もしわたしにその資格があればのことですが」
りっぱなものだ。レンズマンはそう思った。パトロールマンたちは、こうしたことに女性的な態度をとることを非常にきらうので、彼はチーフ・パイロットがいまの質問を、どんないいまわしでするだろうと考えていたのだ。ヘンダスンは質問の形であざやかにやってのけた。いずれにせよ、この男はめめしい態度をとったりしないだろう。まわりくどい大時代な表現なんて、口舌《くぜつ》の徒《と》にはふさわしいが、ほかの者にはふさわしくない。そこでキニスンは答えた。
「ぼくが知ってるかぎりでは――恥ずかしいが、ぼくは何もかも知ってるんだ――その質問に対する答えはイエスだね」
「ありがたい!」ヘンダスンはたちまち元気を回復した。「ところで、もし……しかし、まさかあなたが……」思考は途中で消えた。
「ぼくはそんなことはしない。この上なく不道徳なことだからね。もっとも、ぼくはちょっとばかりごまかしをやるかもしれん。きみが彼女にプロポーズすれば、彼女はおそらく、そう悪い返事はしないだろう。いくら悪くても、二インチのスパナーできみの脳味噌をたたきだすくらいのところだ。だが、この船に乗っている二千百名ばかりの人員のうち半分くらいは、きみと張り合う方法を考えだそうとして、夜も眠らずにいるんだよ」
「へえ? あんなやつらがなんです? わたしの腕を見てください!」ヘンダスンはすっかり疑惑を晴らして、意気揚々と立ち去った。キニスンはもうすぐ二十時なのを知って、自分の部屋へもどった。
ふつうの心にとっては、他の心と完全に同調するということの意味を理解することは困難である。だから、十万、五十万あるいは百万のレンズマンの心――その日どれだけのレンズマンの心が同調したかはだれにもわからなかった――の融合《ゆうごう》の意味を理解することがいかに不可能に近いかがわかるだろう。それらの心は、ひとりの人間が一生かかっても訪問しきれないほど多くの種族を代表していたのだ! それらの半数近くは、人間にまるで似ていない生物だった。哺乳動物や温血動物でさえないものも多数いた。酸素呼吸者でないものさえ少なくなかった――彼らにとって、酸素は猛毒だったのだ。しかも、これらの生物のあいだには、多くの共通点があった。彼らはいずれも知的であり、大部分は高度に知的だった。彼らはいずれも、銀河文明の象徴であり、基礎である自由と平等の原理を信じていた。
この会合は、キニスンの心をさえたじろがせた。それは恐るべきものだった――しかし、同時にきわめて目ざましいものだった。それは、レンズマンの長い一生を通じて、最高かつ最大のスリルの一齣《ひとこま》だった。
「諸君、参加してくれたことを感謝します」彼は率直にはじめた。「ごくかんたんに説明します。ヘインズ閣下から聞かれたと思いますが、わたしは地球のキニスンです。もしわたしがある惑星を発見できれば、ボスコーン文明の中枢をつきとめるのに非常に役立つのです。わたしは、その惑星の名がロナバールだということしか知りません。そこの住民は、完全に地球人と同じです。そして、そこに算出するもっとも貴重な宝石は、このようなものです」そして彼は心の集合体に向かって、宝石の完全に正確な心象《しんしょう》を展開してみせた。「諸君のうちのどなたか、このような惑星を知りませんか? このような宝石を見たことがありませんか?」
沈黙――気が遠くなるほど長い沈黙。そのとき、かすかでひかえ目な思考があらわれた。それは、百万ものレンズマンの≪頭脳≫の融合体を構成する一細胞から、すこしずつにじみ出るようにあらわれた。
「わたしは、だれもほかに発言する者がないのを確かめるまで待ったのです。なぜなら、わたしの情報は、はなはだ微細で不充分であり、おまけに古いからです」思考は弁解がましくいった。
キニスンは驚いたが、なんとかその驚きを心の融合体からかくした。その思考はこれほど明晰《めいせき》で正確であるからには、第二段階レンズマンから伝達されたものにちがいない――しかも、ウォーゼルの思考でもトレゴンシーの思考でもないとすると、彼がまだ知らない第二段階レンズマンがいることになる!
「どんな種類の情報でも、大いに歓迎します」キニスンは一見なんのよどみもなく答えた。「発見しておられるのはどなたです?」
「パレイン系第七惑星の独立レンズマン、ナドレックです。わたしは、あなたが示された赤い宝石と同じような結晶――というより、極度に冷却された液体の一片――を、ずっと以前に手に入れ、現在も所有しています。この結晶は、スペクトルの〇・七〇〇を中心とする、ごくせまい帯域のほとんどあらゆる波動を発生します」
「しかし、あなたは、その宝石がどんな惑星からきたのか知らないのですね?」
「正確には知りません」ひかえ目な思考はつづけた。「わたしはその宝石を原産地の惑星の上で見つけたのです。しかし、不幸にして、それがなんという惑星でどこにあるかは知りません。われわれはそのとき探検航行中で、多くの惑星を訪問しました。われわれは酸素の大気を持つ惑星にまったく関心がないので、短時間立ち寄ったきりで、宇宙図にも記載しませんでした。わたしはその結晶の特異な濾過《ろか》効果に興味を持ったのです。単なる科学的好奇心にすぎません」
「あなたはその惑星をもう一度発見できますか?」
「われわれがそのとき宇宙図に記載した惑星を照合し、われわれの航路をたどりなおせばできると思います――そうです、確かにできます」
「パレイン系第七惑星のナドレックが、何かを確実だと認めた場合には」べつな思考がいった。「大宇宙を通じて、これ以上確実なことはありません」
「ありがとう、第六惑星の二十四号。きみの証言を感謝する」
「そしてわたしも、諸君全体に対して、またとくにあなたがたふたりに対して感謝します」キニスンは呼びかけた。数百万の知能は融合をといた。そしてキニスンとナドレックだけになるや、すぐにキニスンはたずねた。
「あなたは第二段階レンズマンですね?」
「そうです。わたしは高等訓練を受ける必要を感じたのです。わたしはあまりにも劣弱《れつじゃく》でした。ある計画を遂行することができませんでした。その計画が非常に危険で、個人的危害をこうむる可能性がつよかったからです。そこでメンターは、わたしに高等訓練を与えて、以前よりいくらか劣弱でないようにしてくれました」
「わかりました」
しかし、キニスンはじつのところ、まるでわからなかった。パレイン人の心と接触したのは、これがはじめてだったからだ。個人的危害があるという理由で、任務を回避《かいひ》するレンズマンなんて、はたしているだろうか? レンズマンはつねに任務を遂行する……どれほど恐れていようと、当然遂行するのだ……それがレンズマンの信条だ……つまり、地球人レンズマンの……しかし、宇宙には、彼の知らないことがわんさとある。他の種族の信条がちがうこともありうる――あるにちがいない。ただ、彼はこれほどのちがいがあるということに驚いたのだ。しかし、いずれにせよ、この相手は第二段階レンズマンなのだから、どんな欠点をおぎなってあまりあるだけの能力を持っていることは確かだ。キニスン自身、他の第二段階レンズマンの心に、どれほど不充分なものとしてうつっているかわからないではないか? 思考を通さない遮壁のかげで、こうした思考が彼の心にひらめいたが、ほんの一瞬の中断ののち、彼はなめらかに思考をつづけた。
「ぼくは自分のほかには、ヴェランシアのウォーゼルと、リゲル系第四惑星のトレゴンシーしか、第二段階レンズマンを知りません。われわれが三人でなく四人だということを、ぼくがどれほど喜んでいるかは、いうまでもありません。しかし、さしあたりは、惑星ロナバールがぼくの任務にとって何よりも重要だと思います。惑星の位置を図示して、データを最高基地のぼくあてに送ってもらえますか?」
「惑星の位置を図示して、そのデータをわたし自身、最高基地のあなたのところへとどけましょう。宝石の標本もお望みですか?」
「その必要はないと思います」キニスンはすばやく思考した。「いや、いただかないほうがいい。その宝石はいまは手に入れにくいでしょう。それをいただいては、あなたの好意に甘えすぎます。いまに自分で手にいれますよ。いつ来ていただけるか、ヘインズ閣下を通じて連絡してくれますか?」
「あなたに連絡します。すぐに急いでとりかかるつもりです」
「感謝します、ナドレック――ごきげんよう!」
船は航行をつづけ、そのあいだキニスンは思考しつづけた。彼は乗組員たちの「演芸大会」に出席した。ふだんなら、彼はそのばかさわぎを心から楽しんだろうが、こんどばかりは、若さと情熱にもかかわらず、雰囲気にとけこむことができなかった。なにもかもしっくりしない。なにか筋の通った予測がたてられるまでは、くつろぐ気になれなかった。彼は片耳で音楽を聞き、片目で曲芸《きょくげい》を見ていた。
しかし、会のおわりに、イロナ・ポッターがおどったときには、彼も、ほんのひと時懸案の問題を忘れた。ロナバールのアクロバット・ダンスは、地球のそれとは似ていなかった。というより、似てはいたが、もっと徹底していた――もっとずっと徹底していた。地球のアクロバットの名手でも、ロナバールへ行けば、駆け出しとさえいえないだろう。そして、イロナはロナバールの名手だったのだ。彼女はそれまでの半生を熱心に訓練にはげんできた。ロナバールの苛酷《かこく》な社会的、心理的環境の中にあってさえ、自分の仕事を愛していた。しかも、彼女はいまや、はじめて知った思想と行動の自由に陶酔《とうすい》し、ホールにぎっしりつまった宇宙人たちの心からの喝采にはげまされて、ひややかで非人間的な技術や柔軟《じゅうなん》さの展示以上のことをやってのけた。イロナがダンスの伴奏としてもっとも好んだのは、ドーントレス号のすばらしいオーケストラのレパートリーのうちで、『われらのパトロール隊』の感動的なメロディだったが、その事実が演技者と観客の感情をいやが上にも高めた。『われらのパトロール隊』。それは、パトロール隊の黒と銀の制服を身につけたことのある者にいわせれば、これまでにつくられ演奏され歌われた音楽のうちで、もっとも偉大で、もっとも光輝に満ちて、もっともすばらしい音楽なのだ! だから、おどり手がほんとうに『熱演し』、最初の演技の終わりにイロナの『ファン』たちが巨大な船の壁が崩れんばかりに拍手喝采したのは、なんのふしぎもなかった。
アンコールにつぐアンコールだったが、とうとう艦長がそれをとめた。ほうっておけば、彼女は死ぬまでおどりつづけるにちがいなかったからだ。「イロナはもうへとへとだよ」艦長はつよくいった。確かにそのとおりだった。彼女は身ぶるいしていた。あえいでいた。汗にぬれた髪ははげしく乱れていた。目は涙で星のように光っていた――うれし涙だ。そこで高級士官が短い賛辞をのべ、観客は演技者たちを慰労の席へ運んで行った――イロナの場合は、即席の玉座にのせて、文字どおり運ばれて行ったのだ。
キニスンは部屋へもどると、また自分の問題ととり組んだ。いまやロナバールについてはいくらかわかったが、ライレーンについてはどうか? あの惑星も何かのつながりがある――どこかに手がかりがひそんでいる。しかし、それを手にいれるためには、だれかがライレーン人に接触――ほんとうに友好的に――しなければならない。外側から観察するだけではだめだ。だれか、ライレーン人たちが信頼し信用するような人間でなければならない――だが、彼らは徹頭徹尾《てっとうてつび》、非協力的なのだ! 男では、真に重要な情報を手に入れることはできない――ライレーン人たちの心を強制的に読むことはできても、正しい情報をうることはできないのだ。ウォーゼルでもトレゴンシーでも、その他の非人類レンズマンでもだめだ。ライレーン人は銀河系的な観点というものをまったく持っていないからだ。そうだ、必要なのは女性のレンズマンだ。しかし、そういうものはひとりもいない……
その思考に彼はぎょっとした。胃の中がつめたくなった。マック! 彼女はすでに半ば以上レンズマンだ――レンズをつけていない人間で、彼の思考を読めたのは彼女だけだ……しかし、彼はそんな責任を彼女に負わせるような非情さは持ちあわせていない……それとも持ちあわせているだろうか? 仕事が第一だろうか? 彼女もそういう判断ができるくらい、おとなではないだろうか? きっとそうだろう! ヘインズやほかのレンズマンがどう思うかについては……いいように思わせておけ! この問題については、彼自身で判断しなければならない……
彼は判断をくだせなかった。彼はあごが痛くなるほど歯をくいしばり、こぶしを握りしめながら、一時間もすわっていた。
「ひとりでは判断できない」彼はついにため息をついた。「そうする半分の力もないんだ」彼ははるかはなれたアリシアの賢者メンターに思考を投射した。
「どうしても必要と思いますので、あえてうかがいます」彼は冷静に的確に思考した。「前例のないことですが、わたしにはこれをするのが賢明だと思われます。しかし、わたしには、判断の基礎となるデータがありません。それに、問題は重大です。そういうわけで、おたずねするのです――これは賢明な方法でしょうか?」
「おまえは、おまえ自身と女とに対する影響――結果については質問しないのか?」
「わたしがうかがいたいのは、質問したことだけです」
「地球のキニスンよ、おまえはみごとに成長している。おまえはついに思考することを学んだ。おまえが思考したようにすることは賢明である」そして精神感応は切れた。
キニスンはほっとして椅子にもたれこんだ。彼はどういう結果になるかわかっていなかった。もしアリシア人が叱責《しっせき》したとしても驚かなかったろう。ほめ言葉や明確な回答をもらえるなどとは思っていなかった。彼は、自分ひとりで解決できる問題については、メンターが力を貸してくれないということを知っていたが、いまや、自分の力が絶対的にも本質的にもおよばぬような問題については、アリシア人が援助してくれるということを理解しはじめた。
彼はわれに返って、軍医総監レーシーに思考を投射した。
「レーシー先生ですか? キニスンです。わたしは、戦区看護婦長クラリッサ・マクドゥガルをすぐに任務から解除していただきたいのです。なるべく早い機会に、彼女をランデブーで、ドーントレス号のわたしのところへ出頭させてください」
「なに? なんだって? そんなことは許せん……そんなことはしちゃいかん……」老レンズマンはうなるようにぶつぶついった。
「ええ、そうですとも。もうすぐパトロール隊じゅうにわかることですから、いまお知らせしましょう。わたしは彼女をレンズマンにするつもりなんです」
レーシーは爆発したが、キニスンはそれを予期していた。
「お待ちなさい!」彼は鋭くいった。「わたしは自分勝手にやろうというのではありません――アリシアのメンターが最終的決定をくだしたのです。おのぞみなら、わたしを訴えください。しかし、いまのところは、こちらの注文どおりにしていただきます」
ことはそれでかたづいた。
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八 宝石商カーティフ
クラリッサをキニスンのところへ連れてくる巡洋艦とランデブーする二、三時間まえ、ドーントレス号の探知器は、一隻の宇宙船を探知した。その船のコースは、こちらのコースと交差していることがわかった。一分ばかりすると、鋭い明晰《めいせき》な思考がキニスンのレンズを貫いた。
「キムかね? ラウールだ。アリシアのほうへ飛んでいたら、アリシア人がぼくを呼びつけて、きみあての包みを渡した。きみはそのことを予期しているということだったよ。QX?」
「やあ、宇宙犬! QX」キニスンはけっしてそんなことを予期していなかった――予期せずに最善をつくすつもりでいた――しかし、彼はそれがなにかを即座に理解して、喜びを感じた。
「有重力接触かね? それとも、ゆっくりできないのかい?」
「無慣性接触だ。これからランデブーをしなけりゃならん。有重力にしている時間がない――つまり、きみがこの包みを|まゆ玉《コクーン》の中で有重力化してくれればの話だがね。だが、こいつがきみの船に穴をあけちゃこまる」
「有重力化できるよ。じゃあ、無慣性接触といこう。操縦室! 接近中の船と無慣性接触用意。マグネット。送達員は無重力で来船」
二隻の船は、想像を絶するような速度で衝撃もなしに接触した。マグネット定着装置が働いて定着した。気密境界《エアロック》のドアがつぎつぎに開き、とじ、開いた。そしてキニスンは内部出入口でラウール・ラフォルジュと会った。レンズマンの養成所ウェントワース・ホールで四年間をともにすごしたクラスメートだ。短いが心からの挨拶がかわされた。しかし、訪問者はゆっくりできなかった。レンズマンたちはいそがしいのだ。
「会えてうれしいよ、キム――きっとそいつを有重力化してくれ――元気でな!」
「きみも元気でな。こいつは有重力化するとも――船の半分をぶちこわされちゃたまらんからな」
事実、レンズマンの最初の気づかいは、包みを有重力化することだった。それは無慣性状態ではおそろしく危険なしろものなのだ。包みの固有速度はアリシアの固有速度であり、船の固有速度はライレーン系第二惑星のそれである。両者の差は毎秒四、五十マイルはあるだろう。だから、もしドーントレス号が有重力状態に移行すると、その一見無害な包みは、船の中でたちまち隕石と化するのだ。彼はその速度に思いいたって考えこんだ。|まゆ玉《コクーン》はもちこたえるだろう――だが、レンズは? いや、大丈夫、メンターはどういうことになるかを知っているはずだ。レンズは有重力化に耐えられるように包装されているだろう。
キニスンは包みを厚いガーゼで包み、ばね鋼の網でそれをいくえにもくるんだ。そして太い鋼鉄のスプリングをその各|末端《まったん》に押しこみ、それ全体を直径一インチの合金のボルトでできた枠の中にとじこめた。つぎに二百ポンドの水銀を枠のてっぺんまでつぎこんだ。それからカバーをかけてボルトでとめた。こうしてできあがったものは〈|まゆ玉《コクーン》〉の中へいれられた。これは、クッションをいれ、厚くつめものをつめた袋で、パトロール隊の技術家たちに知られている最高の緩衝装置によって、四つの壁、天井、床から懸垂《けんすい》されている。
ドーントレス号がキニスンの命令で短時間、有重力状態に移行すると、|まゆ玉室《コクーン・ルーム》では、一群の象が音もたてずにあばれまわっているように思えた。有重力化される包みの重さは八オンスにもたりなかった――しかし、毎秒五十マイルの相対速度を与えられた八オンスの質量は、けっしてばかにできない運動エネルギーを持っている。
狂気のような動揺がおさまると、船は無慣性飛行にもどり、キニスンはさっきの手つづきを逆にくり返した。アリシアの包みははじめと同じに見えたが、もう無害だった。その固有速度は、船の中にある他のすべての物体と同じになったのだ。
そこでレンズマンは、絶縁手袋をはめて包みを開いた。予想どおり、包装物質は、濃厚な粘性の液体だった。それを外へあけると、レンズがあらわれた――クリスのレンズだ! 彼はそれをていねいにきよめてから、厚い絶縁物質で包んだ。実在する何百何千億という無数の生物のうち、この一見無害な宝石に危険なく肌をふれられるのは、クラリッサ・マクドゥガルだけなのだ。彼女がそれを着用しているかぎり、それがすばらしく多彩な冷たい光を放って輝いているかぎり、他の者がそれにふれても安全だが、彼女がそれを着用するまでは、そして着用していないかぎりは、それに同調しない生物がふれれば死んでしまうのだ。
それからしばらくして、もう一隻のパトロール船があらわれた。しかし、この会合はかんたんではなかった。なぜなら、看護婦長は、ドーントレス号へ移ってから有重力化されるわけにはいかないからだ。これまでにつくられたどんな装置もそれに耐えられなかった――しかもそれらの装置は、人間のからだよりはるかに丈夫なのだ。人間が|まゆ玉《コクーン》にはいって調整に耐えられる相対速度は、どんな頑強な宇宙人でも、毎秒フィート単位であって、マイル単位ではない。
二隻の船は、何百マイルもはなれているうちに有重力状態に移行し、それぞれのパイロットはおたがいの固有速度を同調させるために秘術をつくした。それでも、二隻の船は接触するにはほど遠かった。宇宙綱が投げられ、看護婦長と彼女の宇宙名簿は、はなはだ無造作に引きいれられた。
キニスンは彼女を出入口では出むかえず、自分の部屋で待っていた。その会合の詳細は記録されることはないだろう。彼らは若く、長いこと会っていなかった。そしておたがいにつよく愛しあっていた。だから、最初に触《ふ》れたのがパトロール隊の問題でなかったことはあきらかである。また、著者がこのふたりの性格を如実に描写するのに、部分的にでも成功しているとすれば、彼女がこれまでずっと女性にとざされてきた任務に、かくも一方的にひきずりこまれるべきかどうかについて、ふたりのあいだでおこなわれた議論をくだくだしく述べることは必要でもないし、また望ましいことでもない。要するに、彼は彼女にこんな負担をおわせたくなかったが、そうせざるをえなかった。そして彼女もそれを望まなかった――もっとも、彼とはまったく異なった理由からではあったが。
彼はレンズを包みからふりだし、絶縁布のはしを厚く折りかさねてそれをつまみ、彼女の指先にちょっとふれた。宝石全体に多彩な光が走った。彼は満足げにうなずいて、彼女の左手首にプラチナ・イリジウムのバンドをパチリとはめた。バンドは手首にぴったりはまった。
彼女は、レンズが左手首の上で神秘的な生命を与えられて、多彩な光をリズミカルに放っているのを、一分間ばかり見つめていた。そのつぶらな瞳には、畏怖と卑下の色があらわれていた。そして、
「わたくしだめだわ、キム。ほんとにだめよ。そんな資格はないわ」と口ごもった。
「ぼくらはみんなそうなんだよ、クリス。だれだって資格があるはずがない――しかし、やっぱりそうしなければならないんだ」
「そのとおりだと思うわ――もちろんそうでしょう……わたくしできるだけやるわ……でも、あなたはよく知ってるわね、キム、わたくしがほんとのレンズマンじゃないってことを――そうなれっこないってことを」
「なれるとも。またむしかえさなきゃならないのかい? もちろん、きみはぼくらが身につけてるような技術を備えることはできないだろう。しかし、きみはこれまでどのレンズマンよりも、すぐれた能力を持っているんだ。きみはほんとのレンズマンさ。気にすることはない――もしきみがそうじゃなかったら、アリシア人がきみのためにレンズをつくったと思うかい?」
「つくらなかったと思うわ……わたくしにはわからないけど、そうにちがいないわ。でも、そのほかにことについては、わたくし死ぬほどこわいのよ、キム」
「こわがる必要はない。つらいが、きみが耐えられないほどじゃない。まだ二、三日は、そんなことを気にしないほうがいい。きみがレンズの使用になれるまではね。連絡するよ、レンズマン!」そして彼はレンズ対レンズの通信をはじめ、通信路を徐々にひろげて、全開両面にした。
彼女ははじめ驚愕《きょうがく》したが、三十分ほどしてキニスンがレッスンをうちきったときには、有頂天《うちょうてん》になっていた。
「さしあたりは、これで充分だ。はじめからやりすぎても効果がない」
「そうだわ」彼女は賛成した。「このつぎまで、これをしまっといてくれない、キム? このことがもっとわかるまでは、しょっちゅうつけていたくないの」
「もっともだ。さしあたり、ぼくの新しいガール・フレンドと友だちになってほしいね」そして彼は、イロナ・ポッターを呼んだ。
「ガール・フレンドですって!」クラリッサは叫んだ。
「うん。彼女を研究したまえ。非常に勉強になる。それに、彼女は重要な存在かもしれない。あとで、彼女についてきみの観察をくらべてみたい。だから、彼女についてなんの予備知識も与えないよ――さあ、来た」
「マック、こちらはイロナだ」彼は気楽に紹介した。「きみの部屋を彼女の部屋のとなりにとるようにいいつけておいたよ」彼は看護婦長につけくわえていった。「きみといっしょに行って、用意がすっかりできてるかどうか確かめよう」
用意はすっかりできていた。レンズマンはふたりをのこして立ち去った。
「あなたがこの船にいらして、ほんとにうれしいわ」イロナははにかみながらいった。「あなたのことは、とてもいろいろうかがっていてよ、ミス……」
「ただ『マック』っておっしゃい――わたくしの友だちはみんなそう呼ぶわ」看護婦長はさえぎった。「ところで、あなたはわたくしの噂をなにもかも信じたくないような気持でしょう、とりわけこの船の中の噂はね」彼女のくちびるは微笑していたが、目はいくらか当惑していた。
「あら、すてきな噂だったわ」イロナは保証した。「あなたがどんなえらい人かってことや、あなたとレンズマン・キニスンがどんなにすばらしいカップルかってことや――だって、あなたほんとにあの人と愛しあっているんでしょう?」彼女は看護婦長の顔を見つめながら、不思議そうにたずねた。
「そうよ」看護婦長は率直に答えた。「そしてあなたも彼を愛しているんでしょう。だから……」
「まあ、ちがうわ!」アルデバラン人はクラリッサがとびあがったほどつよく叫んだ。
「なんですって? あなた愛してないの? ほんとうに?」金茶色の目が、黒い無邪気な目をじっとみつめた。看護婦長は、レンズをつけたままでいればよかった、と思った。そうすれば、この宝石で飾りたてたブルネット娘が真実をいっているかどうかわかっただろう。
「ほんとですとも。わたし本気でいってるのよ――わたし、死にそうなほどあの人がこわいの。彼は……あんまり力がありすぎるわ――わたしより途方もなく――偉大なのよ。わたし、どんな娘でも彼を愛せやしないと思っていたわ――でも、いまあなたを見たら、この人なら彼を愛せるだろうとわかったの。つまり、あなたもいくらか――おそろしいところがあるわ。あなたのことをただ『マック』って呼ぶかわりに『女王陛下』って呼びたいような気がしてよ」
「あら、わたくし、そんなたいそうなしろものじゃないわ!」クラリッサは叫んだが、その態度は目に見えてやわらいでいた。「わたくし、あなたがとても好きになりそうよ」
「まあ……ほ……ほ……ほんとう?」イロナはかん高い声をたてた。「うれしくて、ほんとうと思えないくらいだわ。あなたはとてもすてきよ。でも、もしあなたがわたしを好きになってくれるなら、銀河文明はほんとにすばらしいものだわ。わたし、それほどすばらしいはずがないんじゃないかって心配していたの――とても心配していたの」
これはもう、女レンズマンが女|麻薬業者《ズウィルニク》を尋問しているというようなものではなかった。ふたりの娘――ふたりの快活な人間の娘――が、たわいのないおしゃべりをしているのだった。
日が過ぎていった。クラリッサはレンズの使用法にいくらか慣れた。そこで、第二段階レンズマン、キムボール・キニスンは、本格的な訓練にかかった。こうした訓練については、べつのところでくわしくのべたから、ここではクラリッサ・マクドゥガルが、気ちがいにならずにその訓練を受けられるだけの精神的能力を持っていた、というだけで充分である。彼は彼女と同様に疲労した。精神的格闘がひとしきりすむと、彼は彼女と同じようにぐったりした。しかし、どちらも容赦なく訓練をつづけた。
もちろん、キニスンは彼女を第二段階レンズマンにしたわけではなかった。それはできない相談だった。まだ多くのことがらがあまりにあいまいであり、あてはまらないことはそれ以上に多かった。しかし、彼は、彼女に扱えるだろうと思われること、彼女がこれからすることに何かの役に立つだろうと思われることは、すべて彼女に教えた。その中には、知覚力も含まれていた。彼はわずかな援助を受けただけで、彼女に教えこむという難事業をやってのけた。一度か二度、どうすればいいかわからなかったり、わかっていてもそれをする能力がたりなかったりして、たじろいだり弱ったりしたときには、もっと強力な心がひかえていて、キニスンを助けてくれたのだ。
そしてついに地球がぐんぐん接近してきたとき、看護婦長とキニスンは最後の協議をした。ふたりのレンズマンが、かねて計画された高度に重要な作戦方針の細部について、最後のうちあわせをしたのだ。
「ライレーン系第二惑星が手がかりだというあなたの意見には賛成よ」彼女は慎重にいった。
「あの惑星にきた探検隊は、ロナバールともう一つの未知の惑星『X』から派遣されたにちがいないわ」
「『X』があることは確かだが、『Y』や『Z』やそのほかの惑星があるかもしれないということも、忘れちゃいけない」彼は指摘した。「われわれが確認しているのは、ライレーンとロナバールの関連性だけだ。そのいっぽうできみが働き、もういっぽうでぼくが働けば、何かもっと手がかりがつかめるにちがいない。ぼくはブリーコと交渉するために、もっともらしい経歴をつくるから、そのあいだにきみは、ライレーンのヘレンと心やすくなってくれたまえ。さしあたり、ぼくらが明確にたてられる計画はこれだけだ。この基礎作業はどれほど早くはじめても、早すぎるということはないからね」
「あなたにたびたび報告するわ――ほんとにたびたびよ」クラリッサは表情に富んだ目を見はって彼をみつめた。
「少なくともきみからはね」彼は賛成した。「ぼくはときどき連絡するよ」
「まあ、キム、レンズマンになるってのはすてきだわ!」彼女は近くにすり寄った。いつのまにか、協議は多少個人的色彩を帯びてきた。「精神感応状態にはいることは、いっしょにいるのと同じようにたのしいことでしょう――少なくともわたくしたちにとってはね」
「さぞ役に立つだろうよ。だが、ばかをいっちゃいけない。だから、ぼくはきみをレンズマンにするのをためらったんだ。ぼくは理性より感情のほうが先に立つんじゃないかと心配したんだ――ぼくに理性があればの話だがね」
「メンターがいなかったら、あなたの石頭よりは、やわらかい心臓のほうが先に立ったことは確かよ」彼女は幸福そうにため息をついた。「でも、そうじゃなかったから、万事うまくいったんだわ」
「イロナの調査はすっかりすんだかい?」
「すんだわ、あなた……彼女はほんとにかわいい娘よ、キム……そしてまったく情報の泉だわ。あなたとわたくしくらい、ボスコーン人の生活についてよく知っている者は、銀河文明の中にだれもいないわ。なんておそろしい生活でしよう! わたくしたちは勝たなきゃならないわ、キム……あらゆる生物のために、どうしたって勝たなけりゃ!」
「そうだとも」キニスンはきびしい調子でいった。
「でも、イロナのことにもどりましょう。彼女は、わたくしといっしょに行くわけにいかないわ。それに、ドーントレス号がわたくしをライレーンに連れて行くあいだ、ハンク《ヘンダスン》のそばにいることもできないし、あなたが彼女を見はるわけにもいかないわ。わたくし、彼女になにか悪いことが起こるのがいやなのよ、キム」
「そんな心配はない」彼は気楽に答えた。「興行師のイリオウィッツは、彼女をピカ一のソロ・ダンサーとして手にいれるまでは、夜も眠らんだろう――もっとも、彼女はもう生活のために働かなくてもいいんだが……」
「でも、彼女は働くと思うわ。そうじゃなくって?」
「たぶんね。いずれにせよ、ヘインズの秘書の娘をふたりばかり彼女の親友にして、どこへ行くにもついていかせることにしよう。彼女が地球の生活になれるまで、気をつけさせるんだ――そう長くはかかるまいがね。ぼくらは彼女にそれくらいのことをしてやる義理はあると思う」
「少なくともそれくらいはね。あなたは彼女の宝石を自分で売るつもり?」
「いや、それについては、一つ思いついたことがあるんだ。ぼくはあれを自分で買うつもりだ――というより、ぼくが化ける宝石商カーティフが買うんだ。イミテーションのほうは、いまつくっているがね。カーティフはどこかで本物を仕入れる必要がある。彼女のを買っていけないことはあるまい?」
「それは一案ね――たしかに卸売業者のストックにまにあうくらいはあるわ……『カーティフ』ですって――わたくし、その看板が目に見えるようだわ」彼女はくすくす笑った。「とっても大きな板ガラスの窓の右下のすみに、はっきりと、でも顕微鏡みたいな文字で書いてあるの。一エーカーくらいの黒ビロードのまんなかに宝石が一つだけ。カーティフは、銀河系で一番高級じゃないまでも一番かわった宝石商なの。そして、あなたとわたくしのほかには、だれもその秘密を知らないんだわ。おかしいじゃない?」
「いまに、みんながカーティフのことを知るようになるさ」彼はいった。「この計画に何か欠陥が見つかったかい?」
「欠陥一つないわ」彼女は首をふった。「つまり、パトロール隊が、やりすぎなければね。そして、そんなことはないと思うわ。いまから想像できてよ」彼女はおもしろそうに笑った。「殺人課の刑事たちが総がかりで、かわいそうなカーティフを追っかけるけど、いつまでたってもつかまらないというわけね!」
「うん――まったく悲壮な場面だ。しかし、信号が出た。地球だよ。もうすぐ着陸だ」
「わたくし見たいわ!」彼女は立ちあがった。
「じゃあ、見たまえ」キニスンは彼女をひっぱって、もとの位置にかけさせた。「きみはもう知覚力を持っているんだよ。それを忘れちゃいけない。映像プレートなんか必要ないんだ」
ふたりのレンズマンは、椅子にならんで、たがいのからだに腕をまわしながら、巨大な船の着陸を見まもった。
船は着陸した。宝石商たちが入念に調製した装身具を持って船にやってきた。イロナはその金属が肌にしみをつけないのを確かめたので、喜んで自分の装身具と交換した。彼女にとって、飾り玉は飾り玉だった。彼女は、自分がだれにたよらなくても金持だということが、ほとんど信じられなかった――事実、彼女はイリオウィッツが彼女のダンスを見てからは、自分の金のことをすっかり忘れてしまったのだ。
「わかるでしょう」彼女はキニスンに説明した。「わたし、ハンクがもどってくるまでに、二つしたいことがあったわ――あちこちまわってあるくことと、あなたたちの文明について、できるだけたくさん勉強すること。それから、ダンスもしたかったんだけど、どうすればできるかわからなかったわ。ところが、その三つがみんなできて、おまけにそれをすることで、お金をもらえるようになったのよ――すてきじゃない?――そして、ミスター・イリオウィッツ、あなたがそれをQXしたっていったわ。ほんとう?」
「ほんとうだとも」そしてイロナは立ち去った。
ドーントレス号は補給を受け、クラリッサははるかかなたのライレーンに向かった。
レンズマン、キニスンも、どこかへ出かけたことになり、そのかわりにカーティフがあらわれた。超一流、最高級の宝石商カーティフ! カーティフは宣伝しなかった。彼は、上流社会のえりぬきの連中しか相手にしないという噂が急速にひろがった。カーティフの客に対する基調《キーノート》は、単純な威厳《いげん》だった。彼が客にそれとなく要求する資格は、莫大な富と非の打ちどころのない社会的地位にもとづく、威厳のある単純さだった。
しかし、彼の実際の行動は、どこか微妙にくいちがっていた。彼の単純さは、髪の毛ほどずれていたし、威厳は不自然で、きざなものだった。確かに、財産が百万信用単位以下の者は、彼のドアを通してもらえなかった。しかし、カーティフの客は、地球の真のエリートではなく、その選ばれた階層に所属しているふりをする者や、そこにはいりこみたいと努めている者たちだった。カーティフは|えせ紳士《スノッブ》中の|えせ紳士《スノッブ》であり、彼の常客はやはり|えせ紳士《スノッブ》だった。そして彼は、完全無欠と称する宝石を売る以上に、同様に純度の高い|えせ紳士主義《スノッバリー》を売りものにしていたのだ。
そのうちに、パレイン系第七惑星の第二段階レンズマン、ナドレックがやってきた。キニスンは彼と最高基地でひそかに面会した。キニスンは、このパレイン人がその長い腕に劣らぬ、長い業績の記録を持っていることを知っていたが、ナドレックは、相変わらず言葉使いがものやわらかで、弁解がましく、ひかえ目だった。しかし、これは演技でもなく、気どりでもなかった。これは種族的特徴にすぎないのだ。パレイン人は、知的で文化的な生物ではあったが、人類とは似ても似つかない。まったく驚くべきほど非人間的だった。ナドレックの呼吸に酸素はまったく含まれず、からだには液状の血は流れていなかった。彼のノーマルな体温では、液体の水もガス体の酸素も存在しえないのだ。
どんな太陽系でも、内側から七番目の惑星といえば、もちろん寒冷だろう。しかし、キニスンは、客の高度に絶縁された宇宙服からの、こおりつくような輻射《ふくしゃ》を感じたり、その宇宙服の冷却器が、内部温度を低く保つためにはげしく活動しているのを知覚するまでは、その点をとくに考えなかった。
「もし、よろしければ、わたしはすぐ出発したいのです」ナドレックはテープとメッセージを提供するとすぐ、訴えるようにいった。「わたしの熱解消器は強力ではありますが、ここのおそろしい高温には長く耐えられません」
「QX、ナドレック、お引きとめしますまい。心から感謝します。こうしてあなたと面会できたことをうれしく思います。今後、われわれはたびたび会うでしょう。この問題はすべて、レンズマン以外の者には秘密だということをお忘れなく」
「勿論ですとも、キニスン。しかし、あなたも理解されるにちがいないと思いますが、われわれの種族は、だれひとりロナバールに関心を持っていません――あの惑星は一般的にいって、地球と同様に熱く有害なのです!」無気味な小さい怪物は、足ばやに立ち去って行った。
キニスンはカーティフにもどった。そのあとすぐ、カーティフがいかさま師だという噂がひろがった。彼は詐欺師《さぎし》で嘘つきで泥棒だ。彼の宝石は合成であり、彼はそれを自分で作るのだ。噂はいよいよふくれあがった。彼は密輸をやっている。彼の店にある宝石はみんな不正取引きで手にいれたものだ。彼は麻薬業者《ズウィルニク》であり、大それた海賊である。みずから手をくだす殺人者であって、もうすでに銀河パトロール隊のブラック・リストにのっているにちがいないが、そうでないとしたら、当然のせられるべきやつだ。これらの噂は単なるゴシップではなかった。カーティフの言語道断な所業を直接見たという者が何人もいて、だれもがそういう連中の話を聞いていたからだ。
こうしてカーティフは逮捕された。しかし彼は裁判にかけられるまえに脱走した。そして、ニュース関係者たちは、彼の目ざましくも血なまぐさい脱獄ぶりを賑やかに報道した。カーティフに殺された死体を見た者はだれもいなかった。しかし、だれもがテレビ・ニュースで、粉砕された壁と布でおおわれた姿を見ていた。このような写真はつねに実物同様に信憑性《しんぴょうせい》があるので、だれもがその廃墟の中にはたくさんのいたましい死体があり、カーティフは殺人脱走犯だということを信じた。また、彼らは、パトロール隊が殺人犯を容赦しないということも知っていた。
そういうわけで、宝石商で殺人者のカーティフに対する捜査が惑星から惑星へ、区域から区域へと展開されたのは当然のことだった。捜査はそれほどあからさまではないが、容赦なく展開された。そしてとうとう、この問題に関心のある者なら、一億もあるどの惑星の上でも、パトロール隊がこれこれの人相のカーティフという人間を、第一級殺人の容疑で追求しているという明白な形跡を見いだせるまでにいたった。
パトロール隊のやり方は徹底していた。カーティフがどこへどのような方法で逃げようと、彼らはなんとかして彼をかぎつけた。はじめのうち、彼は変装して名前を変え、彼が知っている唯一の商売である宝石取引きを合法的につづけようとした。しかし、彼は商売をはじめることさえできなかった。店を開くか開かないうちに発見され、また逃走しなければならなくなるのだった。
彼はいよいよ犯罪社会の深みにしずんでいった。彼はいまや故売《こばい》人だった――しかし、依然として宝石に固執していた。法律の番犬たちは、たえず彼のうしろから吠えかかった。彼がどんな名前を用いようと、パトロール隊は鼻先でそれを払いのけて「カーティフ!」と吠えたてた。その吠え声があまりに高いので、ついに十億もの惑星が、このにくむべき名前を知るにいたった。
彼はやむをえず移動|故売《こばい》人になり、たえず移動しながら商売をつづけていった。彼は超大型戦艦のような攻撃力と防御力を備えた超高速のまっ黒な船に乗っていた。乗組員は――ニュースの報道によれば――既知の宇宙でもっとも手強《てごわ》いギャングどもだということだった。彼は多くの惑星を通じて、もっとも血なまぐさく、もっとも陰惨《いんさん》な歴史を持つ宝石を取引きし、またそういう取引きをしていることを誇示した。そして、そのような取引きをつづけることによって、パトロール隊にまっこうから挑戦し、もっとも狡猾《こうかつ》かつ凶悪な文明の敵としての悪名を高めながら、惑星ロナバールがある未探検の渦の尾のほうへ、ジグザグコースで、目だたないように接近して行った。そして、太陽系からいよいよ離れるにつれて、彼の宝石のストックは変化しはじめた。彼はつねに真珠を愛好し、保存してきた――きわめて地球的な愛らしい代物《しろもの》だ。しかし、彼は、ダイヤやエメラルドを、ルビーやサファイアなどは手離した。そして、ボロバ産のファイア・ストーン、マナルカ産のスター・ドロップ、その他の豪華《ごうか》な宝石をたくわえた。それらはいずれも、彼が目標とする惑星の上では安っぽい〈ビーズ〉とは見なされないようなものばかりだった。
彼は進むにつれていよいよ速度をはやめた。パトロール隊は追いつきようのないほど差をつけられてしまった。しかし、彼は万一のために注意をおこたらなかった。凶悪な乗組員たちは船を守備し、彼がどこへ行くにも用心棒がついてまわった――彼が歩いているときには、周囲をとりまき、食事をしているときにはうしろに立ち、眠っているときにはベッドの両側に立っていた。彼はいまや犯罪王だった。
ある晩、彼が、きらびやかに飾りたてたレストランで、そんなぐあいに食事にかかろうとしていると、誰かに声をかけられた。一分《いちぶ》のすきもないイブニングをつけた男が近づいてきた。両腕をわきにたらし、「撃《う》つつもりはない」というしるしに指を折りまげている。
「カーティフ船長とお見うけします。あなたのテーブルについてもよろしいですか?」未知の男は、宇宙の混成語で丁重にたずねた。
キニスンは知覚力を働かせて、相手が武器をかくし持っていないかどうかをすばやく調べた。何も持っていない。「あなたをお客にできてさいわいです」カーティフはやはり丁重に返事した。
見知らぬ男は腰をおろし、ナプキンをひろげて、それを優雅にひざの上に落としたが、そのあいだ一瞬といえども、両手をテーブルの下にかくさなかった。老練な拳銃使いにちがいない。ぜいたくな食事のあいだ、ふたりの男は、とりとめもない世間話を調子よくとりかわした。食事がすむと、キニスンは|差しむかい《ビ・ザ・ビ》の男の異議をおさえて勘定《かんじょう》を払った。すると客がいった。
「おわかりでしょうが、わたしはただの使者にすぎません。第一号はあなたのことをずっと調査していましたが、取引きを許可することに決定しました。彼は今夜あなたを引見《いんけん》します。もちろん、双方ともに護衛つきです――案内はわたしがいたします」
「ご好意ありがとう」キニスンの心はすばやく働いた。この第一号というのは何者だ? 向かいの男は思考波スクリーンをつけているから、心を読むことはできない。しかし、こんなに早く、れっきとした大物にぶつかるはずはない――とすれば小物をからかうのは無益だ。「よろしく伝えてください。残念ながらうかがえませんとな」
「なんですと?」相手は問い返した。丁重さの仮面をぬぎすて、目を細め、けわしい表情でにらんでいる。
「あなたはこのあたりで、単独の商売人がどういう目にあうか知っておいでですか? われわれと戦えると思うのですか?」
「戦いはしませんよ」レンズマンは、それとなくあくびをかみころしてみせた。もう手がかりをつかんだのだ。「無視するだけのことです――もしあなたがたが行動に出れば、南京虫のようにたたきつぶすまでのこと。あなたの第一号に伝えてください。わたしはだれとも獲物を山分けしたりしないとね。それから、これまで見つけたどの惑星よりましなところを捜しだして、店開きするつもりだとね。もしこのあたりでそういう場所が見つからなかったら、もっと先まで行くでしょう。そしてそういう場所が見つかったら、だれが反対しようが、そこを手にいれますよ」
見知らぬ男は、はげしい怒りをおさえながら立ちあがったが、両手はまだテーブルの上に出していた。「では、決戦しようというのですな、カーティフ船長!」と歯ぎしりしながらいった。
「『船長』はやめてください」キニスンは片手の指先を上品にフィンガー・ボールにひたしながらいった。「あなたさえよければ、『カーティフ』だけにしてください。単純と威厳、これがわたしのモットーです」
「それも長いことはありますまい」相手は予言した。「第一号は、あなたが宝石を一つでも取引きするまえに、あなたを片づけてしまいますよ」
「パトロール隊は、しばらくまえから、わたしを片づけようとしているが、わたしはまだごらんのとおりぴんぴんしている」キニスンはおだやかに指摘した。「第一号には、わたしを片づけるつもりなら、船一隻でなく、船隊でかかってくるように伝えてください。そして、わたしに手をかけるまえに、パトロール隊の第一次ビームより、もっと熱いやつの洗礼を受けることになると、忠告しておくんですな」
キニスンは、ボディー・ガードたちに囲まれてレストランを出ながら考えた。うまいぐあいだ。この情報はすぐに伝わるだろう。あの第一号はブリーコのはずはないが、ロナバールのボスや側近は、このニュースをたちどころに知るにちがいない。これでロナバール行きの下ごしらえができた。しかし、もう何日かはまわり道をしよう――いまの麻薬業者《ズウィルニク》一味が、彼の言葉をはったりと考えて挑戦する気なら、売られた喧嘩は買ってやろうじゃないか――そのあとでロナバールへ行くのだ。
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九 盗品故売人カーティフ
キニスンは、いくらも行かないうちに思いなおしてあともどりした。見知らぬ男はまだレストランの中にいた。
「じゃあ、ちっとは目が見えるようになって、おとなしくわれわれの申込みを受けることにしたのかい?」未知の男は、レンズマンが口を開くまえに、あざけるようにいった。「だが、こっちの申込みが、まだ有効かどうかはわからないぜ」
「そうじゃない――忠告しておくが、へらず口をたたかんほうが身のためだ。さもないと、だれかに足をひっこ抜かれて、そいつを口に押しこまれるぞ」キニスンの口調は冷静だった。「わたしがもどってきたのは、第一号にこっちから挑戦するということを、おまえから伝えさせるためだ。おまえはチェカスターを知っているか?」
「もちろんだ」麻薬業者《ズウィルニク》はあきらかに狼狽していた。
「では、わたしが、からいばりしているんじゃないということをわからせてやるから、いっしょにこい」
ふたりはテレビ電話室へ行き、麻薬業者《ズウィルニク》がチェカスターを映像プレートに呼びだした。
「チェカスター、わたしはカーティフだ」キニスンの言葉で、相手の顔には驚きと期待の表情があらわれた。カーティフという名前が広く知れわたっている証拠だ。「わたしは明後日の夜のいまごろ、きみの古い倉庫に出かける。もし、まともな取引きがむずかしいほど危険な品物を持っている連中がいたら、わたしがそれを買うからと伝えてくれ。支払いは、パトロール隊の信用単位でも、プラチナ棒でも望みしだいだ」
彼はそれから使者をふりむいた。「わたったか、ちんぴら?」
男はうなずいた。
「第一号に伝えるのだ」キニスンは命令して立ち去った。そして、こんどは船に乗り、ただちに発進した。
カーティフは武器を身につけない習慣だったし、彼の護衛たちも、早|撃《う》ちにはちがいなかったが、武器は光線銃だけらしかった。だから、第一号がこの成り上がり者のカーティフを部下に片づけさせるのは、造作もないと考えたのは当然だった。しかし、彼は予想を裏切られて驚いた。カーティフは徒歩でもなく、無武装でもなくやってきたからだ。
なわ張りあらしの盗品故売人を乗せて、古い倉庫のトラック口からはいりこんできたのは、一台の装甲車だった。無限軌道ではなく車輪で走るという点をのぞけば、車というよりは、二十トンのタンクだった。宇宙船のように強力な防御スクリーンをめぐらし、ビーム放射器をつけていた。その放射器も、目のきく者が見れば、そういう防御スクリーンでないかぎり防げないということがはっきりわかるほど強力なものだった。装甲車はしずかに停止し、ドアの一つがさっと開いてキニスンが姿をあらわした。いまや彼は無武装でもなく無防備でもなかった。彼はパトロール隊の宇宙服によく似た宇宙服をつけ、半携帯式放射器を持っていた。
「諸君は、わたしが一見礼儀にはずれた行動をとったことを許してくれると思う」彼は告げた。「じつは、第一号とかいう人物が、わたしがこの惑星で宝石一個取引きするひまもなく、わたしを片づけると通告したのだ。やつが本気なのか、それともはったりをきかせただけなのかわかるまでは、離れて立っていてくれたまえ。さあ、第一号、ここに来ているなら、出て来て始めるがいい!」
挑戦された相手はいないように見えた。公然たる動きがまったくなかったからだ。キニスンの知覚力が到達しうる範囲内でも、敵対的な行動は何も感じられなかった。読心はできなかった。倉庫内にいる人間は、例によって仮面をつけて、思考波スクリーンをかけていたからだ。
はじめのうち、取引きははかどらなかった。そこにいた連中は小心で、レンズマンが圧倒的に優勢な武装をしているのを見て、彼の意図をひどく恐れたからだ。事実、多くの者は、装甲車を見るなり、あわただしく逃げだした。そのうちには、二度ともどってこない者もかなりいた――第一号の部下の暗殺隊にちがいなかった。しかし、ほかの者は、戦闘がおこなわれないと見てとるや、臆病さを貪欲心でおさえつけて、すこしずつもどってきた。そして、カーティフの武装がもっぱら防御のためのものであり、彼は宝石を買ったり交換したりするために来たのであって、殺したり奪ったりするために来たのではない、ということがわかるにつれて、商売はいよいよ活発になり、その惑星上ではもっとも危険な宝石が取引きされるようになった。
彼は一瞬も場ちがいな行動をしなかった。彼はつねに盗品故売のカーティフだった。きびしい取引きをしたが、きびしすぎるほどではなかった。彼はすでに宝石について完全な知識を持ち、取引き上の約束を充分に心得ていたので、それを厳格に守った。たとえば、五千信用単位の価値のある宝石でも、それが官憲によってきびしく追求されており、現在の所有者が安全に処分できないような場合には、それに対して、銀河文明のどの惑星の上でも通用するパトロール隊貨幣、またはいたるところで通用するプラチナ棒で、一千信用単位を支払った。また、交換の場合には、その宝石に対して、千五百信用単位ていどの価値のある宝石で、それほど危険性のないもの――少なくともその惑星では――を与えた。充分公正な取引きだ――そういうわけで、装甲車がしずかに引きあげて、まっ黒な宇宙船内の車庫にすべりこんだときは、ほとんど朝になっていた。
そのあと、カーティフとその一味の姿は、第一号やパトロール隊や、銀河文明のまえから、完全に消えてしまった。麻薬業者《ズウィルニク》の中間ボスは、あらゆる手をつくして宇宙を捜索させたのち、さもカーティフを追い払ったかのように誇称した。パトロール隊はいつものようにおくればせに彼のあとを追いかけていった。そのうちに、一般大衆はべつのセンセーショナルな事件に気をひかれて、彼のことをすっかり忘れてしまった。
その頃、彼は銀河系のへりのかなり近くにいたが、そのへりに向かう途中で探知されるような危険はまったくおかさなかった。第八十五|裂け目《リフト》の向こう側の渦の腕は未探検区域だ。そこは文明にほとんど関係がないので、宇宙図の上でも各部分の名称さえつけられていない。そしてレンズマンは、少なくとも現在のところ、その区域をその状態のまま放置しておきたいと思ったのだ。そこで彼は、いかなる商業ルートからの探知範囲内にもはいらないように、なるべく天底線に近いコースをとって銀河系を離れた。それから、巨大な宙返りをして、天底の方角から渦の腕にはいって行った。そして、ナドレックの宇宙図をパイロット・タンクに入れ、その三次元図の中で自分の船を表示する光点を正確に決定するのに必要な計算をはじめた。
この仕事については、チーフ・パイロットが適切に援助してくれた。いまやキニスンには、ヘンダスンこそついていなかったが、ワトスンがついていた。ワトスンは、試験官最高会議によって、髪の毛一筋の差で第二位と評価された男である。このような髪の毛一筋の差はもちろん必要だった。さもなければ、パトロール隊のマスター・パイロットの最初の五十人については、なんの差異もつけられなかったろう。ましてや、最初の三、四人についてはなおさらである。そして、他の乗組員たちも、できるかぎりの手伝いをしていた。
カーティフの乗組員が凶悪な海賊だというのは、ニュース報道の解説にすぎなかった。彼らは事実上パトロールマンの中からの志願者《ヽヽヽ》だった。そして、パトロールマンにとってその言葉が意味するものは、だれもが知っていたから、彼らがよりぬきの精鋭であることはいうまでもない。
もちろん、ナドレックの宇宙図はスケッチ的で不完全だったから、記録されていない恒星は何百、何千とあった。しかし、ナドレックは、パイロットたちが航路を算定するに充分な基準点を指摘してくれていた。もうこの未探検の宇宙区域では、探知を恐れる必要はなかったから、彼らはロナバールへの直行コースをたどって行った。
ロナバールの陸地線が見わけられるようになるとすぐ、キニスンは船の制御をひきうけた。乗組員の中でロナバールの地勢に通じているのは彼だけだったからだ。彼はイロナがロナバールについて知っていることをすべて知っていた。彼女は宇宙航行者としては落第だったが、ロナバールの地理には通じていたのだ。
キニスンはロニアの空港に公然と着陸した。ロニアは、ロナバール最大の都市で、その首府でもあった。彼は同様に公然と、空港の登録書類に「カーティフ」と記入した――必ずしも真実ではなかったが。そして装甲車が車庫から引きだされ、ロニア最大の銀行へ向かい、そこで驚くべき量のプラチナ棒と、堅固な灰色鋼鉄製の多数の金庫をおろした。それらの金庫はキニスン自身の護衛たちが武器をかまえて見まもる中で直接、個人用金庫室に運ばれた。
装甲車はすぐ空港にひき返し、カーティフの宇宙船はただちに発進した――補給の必要はなかった――名目上の目的地は、パトロール隊に未知の、もう一つの惑星だったが、事実上は、数秒のうちにキニスンの呼びかけに応じられるほどの近さで、ロナバールの周囲に軌道を描きながら、有重力状態で旋回していたのだ。
莫大な富があれば、工事は促進される。そういうわけで、カーティフは数日のうちにまた開店した。彼のサロンは、地球の店と同様だが、より大規模で豪華だった。それは単純で威厳があり、いかにも金をかけたという感じだった。高価な絨毯《じゅうたん》が床をおおい、申し分のない芸術品が壁を飾っていた。そして、一|分《ぶ》のすきもない身支度をした三人の店員が、カーティフの商品を見ようとする人々に向かって、それらの商品を丁重に展示した。カーティフ自身も、店の奥にある、ガラスと黄金の豪華なオフィスにおさまって姿を見せてはいたが、ふつうは客と直接の交渉を持たなかった。彼はあることを待っていたのだ。そして、いくらも待たないうちに、予期していたことが起こった。
非の打ちどころないほど洗練された店員のひとりが、マイクに向かって軽く咳ばらいした。
「お客さまが折りいってお目にかかりたいそうです」彼は告げた。
「よろしい。すぐお目にかかろう。ご案内しなさい」
そして、訪問者はうやうやしく案内された。
「非常にけっこうな場所を選ばれましたな。ミスター・カーティフ。しかし、お気づきかどうか存じませんが――」
「そんなことは気づきもしなかったし、これからも気づかんでしょう」キニスンはさえぎった。彼はまだ椅子にくつろいでいたが、目は霜のように冷たく、声には氷のような苛烈さが含まれていた。「わたしは、小物を相手にすることは、とうの昔にやめている。それとも、きみはメンジョ・ブリーコのところからきたのかね?」
訪問者は目を見はった。そして、その名を口にするだけでも、とほうもない冒涜《ぼうとく》だといわんばかりにあえいだ。「ちがいます。しかし、第――」
「だまれ、まぬけ――」その痛烈だが静かな命令にふくまれたひややかな悪意に、相手はたじたじとなった。「わたしはもうそんなせりふは聞きあきた。中途半端な麻薬業者《ズウィルニク》どもは、けちな手下をやとえるぐらい小金をかすめると、たちまち思いあがって、第一号とか自称するのだ。おまえのやくざなボスが名前を持っているなら、それを使うがいい。だが、その『第一号』だけはやめにしろ。わたしの手帳には、全宇宙を通じて第一号などという者はいない。おまえたちは、まだカーティフの真価を知らんのか?」
「それがどうした?」訪問者はなけなしの勇気をふりしぼっていった。「強力な爆弾さえあれば――」
「だまれ、ちんぴら!」レンズマンの声はまだ低くて静かだったが、その口調は鋭く、言葉は刺すようだった。「この店のことか?」彼は豪奢なホールへ、ぐるっと手をふってみせた。「あんなものは、ばかを釣るおとりにすぎん。全体の費用はたったの十万だ。ヒヨコの餌《えさ》さ。おまえたちが、こんなものを十軒吹きとばしたところで、こっちはびくともしない。爆破したければ、いつでもするがいい。だが、注意しておくが、そういうことをすれば、わたしは腹をたてるぞ――とことんまで腹をたてる――そして、それに対する報復をするぞ。わたしがねらうのは大きな獲物だ。おまえたちがねらうようなけちな獲物ではない。ガマがわたしの行く手にのさばれば、ふみつぶすまでだ。帰って報告するがいい」――口調はいっそう痛烈になった――「おまえたちの第一号とやらに報告するのだ。仕事をはじめるまえに、もっと相手をよく見ろとな。とっとと帰れ。さもないと、おまえの死体をネズミの餌《えさ》にするぞ!」
キニスンは、ギャングが完全にどぎもを抜かれてこそこそ退却するのを見送り、にやりと笑った。上出来だ。あの爆薬が炸裂するのに時間はかかるまい。第一号のような小物なら、反撃に出る勇気はないかもしれないが、ブリーコは反撃に出ないわけにいくまい。それはなりゆきえ、自明の理だ。こんどはブリーコが動くことはまちがいない。唯一の疑問点は、ブリーコがまず何をするか――説得に出るか、実力行動に出るか――ということだった。彼は説得に出るだろう、とレンズマンはにらんだ。ボスであることの最高の利益は、人々にそれを思い知らせて頭を下げさせることだからだ。そういうわけで、カーティフのサロンは、どんな形の暴力にも完全に備えができていたが、キニスンはメンジョ・ブリーコが暴力に訴えるまえに、使者を派遣するだろうことを確信していた。
事実、ブリーコは使者を派遣してよこした。それもすぐに。使者は大きながっしりした男だった。無限の権力にもとづく優越感を、後光のように意識して身につけていた。彼は単純に店にはいってきたのではなかった――役者のように登場したのだ。三人の店員はいずれも文字どおりちぢみあがり、彼が当然のことのようにくだす命令にしたがって、すでに不安を感じていた客たちを店から追いだし、ドアをとざした。そしてそのうちのひとりが、自分の主人にさえ示そうとしなかったような卑屈さで、カーティフの意向さえ確かめようとせずに、訪問者をカーティフの私室に案内した。
キニスンは一目見ただけで、この男がブリーコの右腕といわれるグンドリス・カルスだということを知った。カルス。この悪名高い男は、メンジョ・ブリーコにだけは膝を屈すが、それ以外は、ロナバールやロナバールに従属する惑星上のすべての者が彼に膝を屈するのだ。訪問者が片手をふると、店員はしどろもどろで退散した。
「立て、うじ虫、そしてわしにその――」カルスは横柄に口をきった。
「だまれ、あほう! 聞くのだ!」キニスンは、使者があっけにとられて、思わず命令にしたがったほど圧倒的な調子で低くいった。すぐれた心理学者であるレンズマンは、この男が二十年にわたってブリーコのあらゆる命令に盲従してきた結果、確固として自信にみちた反抗を処理できないということを知っていたのだ。「おまえはここに長いことすわっていることはできない。かりにわたしがそれを許したとしてもな。そしてわたしは絶対に許さんのだ。おまえがここに来たのは、わたしにある指示と命令を与えるためだ。しかし、おまえには聞くことしか許されない。わたしだけが話すのだ。
第一 おまえがここにはいってきたとき即座に死ななかった理由は、ただ一つしかないが、その理由は、おまえもメンジョ・ブリーコも知らないのだ。今後こういう形でわたしに接近する者は、その場で死ぬだろう。
第二 わたしは、メンジョ・ブリーコという思いあがった吸血鬼の頭脳と称するものの作用を知っているから、現在、彼がわれわれにスパイ光線を投射していることを知っている。わたしがそれを防止しないのは、わたしがいうすべてのことを、いつわりなく彼に知らせたいからだ――おまえが彼に、事実をありのままに伝える勇気がないこともわかっている。
第三 わたしは自分の気にいる惑星を長いこと捜してきた。そしてこれがその惑星だ。わたしはできるだけ長くここに滞在するつもりだ。ここには、わたしとメンジョ・ブリーコのふたりが衝突せずにやっていけるだけの余地がある。
第四 わたしは元来平和な人間で、平和的にここへ到来し、平和的な協定を望んでいる。しかし、すでに死んだ者だろうと、現在、生きている者だろうと、これから生まれてくる者だろうと、どんな人間にも生物にも、頭をさげはしないということをはっきりさせておこう。
第五 ブリーコに、氷山についてそのあらゆる要素を慎重詳細に考察するように伝えろ。いいたいのはそれだけだ――出て行くがいい。
「だ、だ、だが」大男は口ごもった。「氷山だと?」
「そう、氷山だ――そのとおり」キニスンは断言した。「おまえが自分で考察しようと努めるにはおよばない。おまえにはそんな知力はないからだ。しかし、ブリーコは知的、道徳的に下劣きわまるやつではあるが、考えることはできる――少なくとも、狡《ずる》くて利己的な方法でな――だから、わたしは彼がそうするように心からすすめる。さあ、尻の下の椅子を焼かれんうちに、とっとと出ていけ」
カルスは、自尊心のかけらを精いっぱいかき集めて立ちあがった。そのあいだ、店員たちは茫然として見つめていた。やがて彼らはからだを寄せあいながら、あらたな敬意――恐怖のまじった服従心――をこめて、店主を眺めやった。
「諸君、いつもどおり商売だ」彼は陽気にうながした。「やつらも、暗くなるまでは店を爆破したりせんだろう」店員たちは職場にもどって商売をはじめたが、店がしまるころになっても、いつものような平静さをとりもどせなかった。
「ちょっと待て」店主は店員たちを集め、ポケットから紙幣をとりだして分配した。「朝になって店がなくなっていたら、わたしが声をかけるまでは、有給休暇と考えることだ」
店員たちは立ち去った。キニスンはオフィスへもどった。彼がまずやったのは、スパイ光線防止スクリーンをめぐらすことだった――このスクリーン発生装置は、ロナバールで買ったものだから、ブリーコのスパイ光線を通過させることは確実だった。そのあと、彼は一見気がかりらしいようすでオフィスの中を歩きまわった。しかし、ブリーコのスパイたちにはわからなかったが、彼がそうして歩きまわっているあいだに、まえもってひそかにとりつけておいたある装置が、彼の体重で操作を開始し、彼がついに店を立ち去ったときには、店の周囲の区画を破壊するほど強力な爆発でなければ、店に重大な損害を与えられないようになっていた。もちろん、正面の壁は破壊されるだろう。彼はそうなることを望んだ。さもなければ、彼がこの数日間計画してきたあることをやってのける口実がたたなくなるのだ。
カーティフはスケジュールを正確にたてて生活し、部屋にはスパイ光線防止装置をつけていなかったから、ブリーコの有能な観測員たちは、カーティフが眠るとすぐスパイ光線を切ることにしていた。ところが、今夜のキニスンは実際には眠っておらず、光線が切られるやいなや、行動を開始した。服を着て通りへ出ると、タクシーをつかまえて、ある空港へ向かった。そして、そこで待機していたプロペラ・ロケット機に乗りこんだのである。
すばらしく強力な小型機は、悲鳴をあげるプロペラに引っぱられながら、弾丸のように垂直上昇して行った。そして空気の欠乏によって速度が落ちはじめると、ロケットがとって代わった。やがて、牽引《トラクター》ビームがのびて、機をおだやかに捕捉した。機は翼をひっこめ、カーティフの巨大な宇宙船の中に引きこまれた。二、三分後、宇宙船はロナバールでもっとも大きく、もっとも豊富な宝石鉱山の上空に停止していた。
この鉱山は、メンジョ・ブリーコの個人財産だった。過剰生産は市場をだぶつかせるので、昼間、一交替だけで操業されていた。もうまっ暗なので、構内にいる人間は、いつもの守衛だけだった。巨大な黒い宇宙船は、その上空に停止して待機していた。
「しかし、やつらがやらなかったらどうします、キム?」ワトスンがたずねた。
「そしたら、やつらがやるまで、毎夜ここで待機するのだ」キニスンはむずかしい顔で答えた。「だが、やつらはきっと今夜やるよ。ブリーコの面目にかけても、やらないわけにいかんのだ」
事実、彼らはやってのけた。二時間ほどして、強力映像プレートのまえの要員が、カーティフのサロンが粉砕されたことを報告したのだ。そこでパトロールマンたちは行動を開始した。
ブリーコの部下は、これまでのところ、カーティフの店員をだれも殺していなかったので、地球人たちはこの鉱山で人を殺すことを望まなかった。そこで、十個の巨大なビーム誘導魚雷が慎重に縦穴へ送りこまれ、鉱山のもっとも奥まったトンネルに配置されているあいだに、守衛たちに警告が発せられた。もし大急ぎで飛行機に乗って逃げれば、魚雷が爆発するまでに五十マイルは離れられるから安全だろうというのだ。守衛たちはあわてて警告にしたがった。
時間がくると、魚雷は同時に爆発した。デュオデックの爆発のショックで、惑星全体が震動した。それらの恐るべき魚雷には、慎重な計算にしたがって、もっとも大きな破壊をもたらすように配置されていたのだ。それらの想像もおよばぬほど激烈な爆発の中心付近にあった岩は、どんな堅固なものも、一挙に消滅してしまった。それが多量のデュオデックの作用なのだ。デュオデックの爆発の最初の数瞬は、物質は吹きとばされない。物質の固有の慣性が、それを許さないのだ。
次の瞬間、魚雷と魚雷の中間にある岩石は大部分粉砕された。つづいて、ゆがんだ球体の爆発前線があらわれた。言語を絶する総圧力が、ほとんど純粋な上昇力として作用したのだ。つづいて、坑道の上側の地面が、はじめはほとんど一団をなして上昇した。しかし、それは一団でいることができなかった。一団をなしていては、充分速く運動できないし、そこに作用する圧力に対抗するに必要な張力の微分子をさえ持っていなかったからだ。その圧力は、つまり爆発力は、まったく不可抗的だった。地殻はほとんど瞬間的に分解された。岩石は岩石と衝突し、全質量がまばたきするあいだに微細な粉末と化した。
つづいて、すさまじく圧縮された爆発ガスが、あらゆる物質を吹きとばしながら、上方へ外方へとひろがった。大きな破片は数マイルもすっとび、気も遠くなるほど多量の塵が、成層圏にまで吹きあがった。
その恐るべき塵雲《じんうん》がただよい去ると、うすれゆく雲をすかして、すさまじく変形した地形があらわれた。ブリーコのもっとも豊富な鉱山は、建造物も施設もあとかたもなくなっていた。人間によって建設されたもの、または人間にかかわりのあるものが、かつてそこに存在していたという痕跡は少しも残っていなかった。鉱山があったところには、いまやまったく無表情な火口がぽっかり口をあけていた。地質学的火口と全く同じようなその穴は、そこに作用した破壊力のすさまじさをさまざまと物語っている。
キニスンは暗い顔で火口を見おろしていた。よい行為をりっぱにやってのけた満足感などは少しもなかった。彼はこの仕事がいやだった――胸がむかむかするほどいやだった。しかし、やらなければならないことだから、やってのけたのだ。いずれにせよ、いったいなぜ、おれはレンズマンになる必要があったのか?
レンズマンは不機嫌にロニアへもどり、ベッドにはいった。
そして次の朝早く、作業員たちがカーティフの営業所の再建にとりかかった。
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十 ブリーコと氷山
キニスンがめぐらした強固なエネルギーの防壁のおかげで、損害は店の正面だけにとどまっていた。だから、カーティフの店が再開するまでに長くはかからなかった。商売は依然として好調だった。爆破事件のためばかりでなく、カーティフの傲慢《ごうまん》なえせ紳士ぶりが、一種独特に階層づけられたロナバール人の上流社会にとっては、抗しがたい魅力を持っていたからだ。しかし、レンズマンは、商売にはほとんど注意を払わなかった。彼は横柄《おうへい》な威厳を示して、飾りたてたデスクについており、一見平静そのものに見えたが、内心はそれどころではなかった。
もし彼の情況判断が正しければ、そして彼はそれを確信していたが、次に行動に出るのは、ブリーコであり、それも平和的な行動であるはずだった。しかし、それについては、レンズマンをいくらか神経質にする程度の疑いもあった。また、多少とも重要性のある者が、すべて思考波スクリーンを着用している事実からすれば、彼らが例のレンズマン――すでにボスコーンに多くの損害をもたらした、憎んでもあまりあるレンズマン――を警戒し、追求していることは明白だった。彼らはいまのところ、そのレンズマンは陰にひそんだ未知の指揮官であると思いこみ、現実の行動員とは考えていなかった。もし彼が一つでもミスをおかせば、たちまちやられてしまうだろう。
いまのところ、彼はミスをおかしていないし、敵も彼を疑っていない。その点は確かだった。彼らにとって、疑うことは行動することだ。キニスンの船は、あらゆる科学的探知装置を備えて、この惑星の周囲を旋回しているから、もし惑星の上か付近で何か不都合な動きがあれば、ただちに彼に報告しているはずだ。彼がブリーコと競争しているのは、要するにごく自然でもっともなことなのだ。ボス同士が手あたりしだいの武器で殺しあうというのは、ボスコーン文明の特徴ではないか。下級者はつねに上級者を殺そうと努めている。もし上級者が自分の地位を保つに充分なほど強くなければ、どういう目にあってもしかたがないのだ。たしかに苛酷《かこく》な哲学だが、これが銀河文明の宿敵《しゅくてき》の特徴といえる。
それよりさらに上級の者たちは、けっして干渉しない。彼らが関心を持つのは、自分の立場だけだ。キニスンの判断では、彼らは自己の保全のために、たぶん彼の経歴を調査するだろうが、彼が外見どおりの名声と富の梯子《はしご》をしゃにむによじのぼろうとしている若い野心家だということを信じれば、どちらにも味方しないだろう。調査させればいい――カーティフの過去の経歴は、まさにそのような調査に耐えられるようにつくりあげられたものだ。その調査がどれほど厳格なものであろうとも!
そういうわけで、キニスンはできるかぎり平静にブリーコの行動を待っていた。ことさら、あわてる必要はない。とりわけ、クリスのほうも難行しているのだから。ふたりは少なくとも日に一度、たいていはもっと多く、連絡をとっていた。そして、クラリッサは、あのヘレンという赤毛女がなかなか手なずけにくいということを、活発な男性的思考で報告してきていたのだ。
キニスンは、ライレーン系第二惑星のことを思い出すたびににが笑いした。あの女家長制種族はまったく奇妙な連中だ。彼女たちは石頭で視野のせまい頑固ものぞろいだ。汎銀河的な寛容の精神がなく、惑星ラデリックスの猫鷲《キャット・イーグル》の群れのように、近視眼的で反社会的だ。いっそ彼が手を貸して――いや、そうはしないほうがいい――彼は立ち入るべきではない。もしクリスが、あれだけの能力と魅力、行動力と意志力、精神力とレンズの力をもってしても、ライレーン人たちの心の殻を破れないとすれば、銀河文明を通じて、他のどんな生物に成功の可能性があるというのか? 彼はライレーン人たちの美しい首をしめあげてやりたいくらいだったが、そんなことをしても、なんの効果もあるまい。彼女がライレーン人たちの心の殻を破るまで待つほかはない――それに、彼女はきっとやってのけるだろう――そうすれば、しめたものだ。
そこでキニスンは待った……待った……待った。そして待ちくたびれると、有望なロナバールの青年に、えせ紳士ぶりや自己保全の技巧について教えこんだりした。この青年は、彼がこの商売と手を切ったら、事業をぴんからきりまで――もし≪のれん≫があるとすれば、それもふくめて――受けつがせるつもりで、選びだしたのだった。そして彼はさらに待った。やがて、ブリーコは彼の無言の圧力に耐えきれなくなって、行動に出た。
それは公然たる非友好的な行動ではなかった――ブリーコは彼をテレビ電話に呼びだしたのだ。
「おまえは何をするつもりなのだ?」ブリーコは、あさ黒い顔を怒りでいっそう黒ずませて詰問した。
「おまえは」キニスンは簡潔《かんけつ》に答えた。「氷山の諸相について考察せよという、わたしの忠告を受けいれるべきだったのだ」
「なんだと!」相手はあざけるようにいった。「あんなばかげたことをか?」
「おまえが考えるほどばかげたことではない。ブリーコ、あれは、表面にあらわれているのが、わたしの真の力のほんの一部でしかないということを暗示する警告だったのだ。しかし、おまえは教訓だけでは理解できなかった。あるいは理解しようとしなかった。おまえはひどい目にあわなければならなかった。しかし、そのおかげで、どうやら理解したらしい。おまえがわたしの兵力をつきとめることができなかったということは確かだ。おまえがわたしに二度と手をくだそうとしないだろうことも同様に確かだ。少なくとも、おまえが現在知らないことを知るまではな。しかし、もうおまえに時間を与えることはできない――平和だろうと戦争だろうと、おまえは、いま決定しなければならないのだ。わたしはまだ、獲物を平等に分割するという条件で平和的協定を望んでいるが、もしおまえが戦争を望むなら、それでもかまわん」
「わたしは平和的協定を結ぶことに決心した」ロナバール人は息づまるような声でいった。「ロナバールの至高者たるメンジョ・ブリーコは、おまえに対等の地位を提供しよう。平和協定について相談したいから、すぐわしのところにくるがいい」
「いま協議しようではないか」キニスンは主張した。
「そんなことは不可能だ! この部屋は遮蔽されているし……」
「不可能だろう」キニスンはうなずきながらさえぎった。「おまえがたった今したような譲歩をすることはな」
「……わたしはこの通信線を充分信用していないのだ。いますぐわしのところへくるならば、平和協定を結ぼう。いますぐわしのところへこないならば、徹底的な戦争だ」
「それは公正ないい分だ」キニスンは認めた。「いずれにせよ、おまえには体面があるが、わたしにはない――いまのところはな。それに、もしわたしがおまえと手を握るとすれば、いつまでもおまえの宮殿を訪問せずにいるわけにはいかない。しかし、わたしはそこへ行くまえに、おまえに三つのことをいいたい――注意と助言と警告だ。注意というのは、われわれの最初の儀礼的交歓が、おまえにはわたしより千倍も高くついたということだ。助言というのは、氷山についてもう一度、そしてこんどはもっと慎重に考察しろということだ。警告というのは、もしわれわれがもう一度衝突すれば、おまえは鉱山ばかりでなく、おまえの生命も含めて、あらゆるものを失うだろうということだ。だから、わたしに対して罠《わな》をしかけたりしないようにすることだな。では行くぞ」
彼は店のなかに出て行って「わたしに代わってくれ」と例の子分にいった。「わたしはメンジョ・ブリーコに会いに行く。もしわたしが二時間のうちにもどらず、ブリーコが破滅したという情報がはいったら、わたしがこの店に残していくものは、すべておまえのものだ。わたしがもどってきて、おまえからそれを取りあげるまではな」
「気をつけて管理しますよ、ボス――ありがとうございます」レンズマンは、この青年が真にロナバール式の感謝をこめて、はやくも心中ひそかに鋭利なナイフを彼の肋骨のあいだに突きたてているのを知った。
キニスンはなんの不安もなく、しかしあらゆる感覚を極度に緊張させて、あらゆる変事に即座に応じられるように備えながら、タクシーを拾って、ブリーコの宮殿に着き、厳重に護衛された門をはいった。彼は自分がブリーコの部屋にはいるまでは、敵が攻撃をしかけてくることはあるまいと確信していた――その部屋こそ、彼の処刑室にちがいない。しかし、彼は油断しなかった。自分の知覚力の範囲内にいる護衛で、ちょっとでも不穏な行動をするものがあれば、即座に殺せるように待機していた。彼は自分に向けられたビームを通過するずっとまえに、それらは彼が武器をかくし持っていないかどうかを探知するためのスパイ光線で、殺人光線ではないということを確かめていた。
それらのビームを通過すると、どのビームも、彼が武器を持っていないことを示した。もちろん、指輪、ネクタイピンその他の装身具はあった。しかし、大宝石商であるカーティフが、きわめて大きな高価な宝石を身につけていることは当然だろう。そして、それまでに投射された光線では、ウォーゼルが設計し、ソーンダイクがつくったエネルギーの遮壁を透過して、それらの燦然《さんぜん》たる宝石の一つが外見とはちがうということを暴露することはできなかったのだ。
キニスンは一立方ミリずつ精査されたあげく、重武装した四人の親衛隊員に護送されて、ブリーコの私室にはいった。四人は彼がはいいっていくあいだ頭をさげていた――しかし、彼らは彼のあとから部屋にふみこみ、ドアをしめて錠をおろした。
「ばかめ!」ブリーコはどっしりしたデスクの向こう側から満足げに叫んだ。彼の顔は、サディスティックな喜びと期待に輝いていた。「お人よしのまぬけめ! わしはおまえを、おあつらえむきのわなにかけたのだ。なんとたわいのないことだ! なんとやさしいことだ! この建物は全体がスクリーンと遮壁でおおわれている――わしのスクリーンと遮壁でな。おまえの友人か共犯者どもがどこにいようと、おまえがどんな目にあっているか、見ることも知ることもできんのだ。もしおまえの船がおまえを救出しようとすれば、撃破されるだけのことだ。わしは、この手でおまえの目をえぐり、爪をもぎとり、皮をひっぱいでやる……」ブリーコは、いまや狂喜のあまり、口から泡をふかんばかりだった。
「それができるとすれば、おもしろいことだろうよ」キニスンはひややかにいった。「だが、じつのところ、おまえは脳と証する一パイントの青い塊りを働かそうとさえしなかった。わたしが、そんなとほうもないあほうだと思うのか? わたしはちょっとしたお芝居をやった。すると、おまえがそれにとびついてきた……」
「そいつをつかまえろ! おしゃべりをやめさせろ――舌をひっこ抜くのだ!」ブリーコは、発作にかかったように椅子からとびあがりながらわめいた。
護衛は勇敢に命令にしたがおうとしたが、彼のからだにふれるまもなく――いや、一歩ふみだすまもなく――その場にくずおれた。物体や目に見えるビームに接触されたわけではなく、目ざす獲物が筋肉一筋動かしたわけでもないのに、彼らは死んで倒れたのだ。まったくの即死である。生命の維持に一瞬も欠くことのできない化合物のあらゆる分子を瞬時に分解されて、あっさり、なんの苦痛もなく死んだのだ。自分が死ぬということさえ知らずに死んだのだ。
ブリーコはぎょっとしたが、まだへこたれなかった。部屋の壁の背後には、いずれも腕ききの針光線放射員が配置されていた。いまや獲物を拷問で殺すという独裁者の意図はくじかれた。即座に殺すということでがまんしなければならない。彼は陰にひそんだ射手たちに信号を送ったが、その命令も実行されなかった。なぜなら、キニスンはとっくの昔に、射手たちがひそんでいることを知覚し、彼らがねらいをさだめてボタンを押す前に、生命を奪ってしまったからだ。ブリーコは通信機のスイッチをいれて、命令を叫んだ。しかし無理だった。死がひと足早く伝播《でんぱ》していたからだ。交換器についている要員たちは、その命令の意味を把握するまもなく、思考することをやめてしまった。
「地獄の犬め!」ブリーコは狼狽のあまり狂気のようにわめくと、引出しをこじあけて、自分の武器をつかみだそうとした。しかしおそかった。レンズマンはすでに跳躍し、落下しながら打撃を加えた――なまやさしい打撃ではない。ロナバールの暴君は、身をよじらせて厚い絨毯《じゅうたん》の上にくず折れた。しかし、完全に意識を失いはしなかった。キニスンの目的にかなうためには、意識を失ってはまずい。完全に意識を保持していなければならないのだ。
レンズマンは、たくましい片腕をブリーコの首にがっしりまわし、その思考波スクリーンのスイッチを切った。いくらもがいても無駄だった。攻撃者は、そのような反抗を封ずるためには、どの神経をどうすればいいかということを正確に知っていた。また、地球人の圧倒的に優勢な精神力のまえには、精神的抵抗も同様に無益だった。キニスンは相手がおとなしくなったのを見すまして、相手の心に自分の心を同調させ、情報の探査をはじめた。はじめるやいなや――ちくしょう。こんなはずはない……まったく筋がとおらない……しかし、事実は事実だった。
ブリーコは、銀河文明に対抗している膨大な文明の組織について、何も知っていないのだ。彼は自分が鉄の手で支配してきたロナバール以下の領土については知っている。また、人類や銀河文明についても、多くのことを――多すぎるくらいに――知っている。彼がそうした知識を獲得した手段も、逆に銀河文明から自分たちについて情報を獲得されないために採用した過激ながら効果的な手段も、彼の心からはっきり読みとれる。
キニスンは眉をひそめた。彼の推理がそれほどあやまっているはずはない……それに、この男がボスコーンのトップで、すべてを自己の裁量でやってのけたと考えることも不合理だ……彼はブリーコの空虚な顔を見るともなしにみつめながら思考をめぐらした。そのうちに、|はめ《ヽヽ》絵の幾片かがある図形をとりはじめた。
そこで彼は、極度の慎重さと、できるかぎりの精密さで、ふたたび自分の心を独裁者の心に同調させ、記憶の糸を一本ずつたどりはじめた。それらの深く埋没《まいぼつ》した時の小道を、前後に探索し検査しているうちに、とうとう中断と傷痕が見つかった。彼がイロナにいったように、過激な精神的手術をすればきっと痕跡が残るのだ。かつて、寒冷で親しみがたい惑星ジャーヌボンの上で、ウォーゼルがキニスンの心にそのような手術をほどこしたのち、キニスン自身がそのような処置のおこなわれたことを自覚できなかったのは事実だ。しかし、あれはキニスンの心に実際の変化が生じる前であり、ウォーゼルの暗示が効果を発する前だったことを忘れてはならない。ウォーゼルによって与えられた虚偽《きょぎ》の記憶は、いまだに潜在的なもので、真の記憶の連鎖は、まだ完全につながっていたのだ。
キニスンは、いまやはっきり理解した。この男の脳は専門家の手で手術されたのだ。いかなる暗示または思考刺激を与えれば、現在存在していない知識が回復するかについては、まったく手がかりがなかった。ブリーコ自身、それを潜在的にさえ意識していないのだ。それは一種の外部的刺激にちがいない。ボスコーンの上級者は、ブリーコを使いたいときには、ブリーコの心に、ある思考形式を与えるのだ。しかし、その問題を解決しようとして時間をついやすことは、まったく無益だ。また、そうした暗示がどのようにして与えられ、また与えることができるかを知ることもできない。もしブリーコがボスコーンの上級者から直接指令を受けているとすれば、銀河系間通信機がなければならないはずだ。そしてそれは、このブリーコの私室にあるにちがいない。しかし球体エネルギーも、それに代わるようなものも、何一つ見つからない。だから、ブリーコはおそらく区域監督のひとりに過ぎず、この第一銀河系内のだれかから指令を受けているのだろう。
ライレーンか? その可能性はキニスンをぎょっとさせた。だが、それはまだ確実ではない。彼の不安から生じた一個の可能性にすぎないのだ。そんなことをくよくよしてみてもはじまらない――いまのところは。
ブリーコの心の調査は、ボスコーンに関するデータという点では無益だったが、一つの重要な事実をあきらかにした。ロナバールの独裁者は、少なくとも一度ライレーン系第二惑星に探検隊を派遣している。しかし、現在のブリーコの心には、自分がそういうことをしたという記憶はまったくないのだ。キニスンは慎重にその筋をたどった結果、ブリーコは、ライレーン系第二惑星というような惑星が存在していることさえ知らないということを確かめた。
この推定がまちがっているということは、ありうるだろうか? メンジョ・ブリーコ以外のだれかが、イロナが乗っていたあの船を派遣したのだろうか? それともあの二隻の船も? なぜなら、あの航行がただ一度のものではないということは、充分ありうることだからだ。いや、ちがう。彼は即座に判断した。イロナの知識はあまりにも詳細で正確だ。あれほど重要なことが、ロナバールの独裁者の承認なしにおこなわれるとは考えられない。そして、ブリーコがそれを記憶していないということは、大いに意味深長だ。それは、新しいボスコーンまたはボスコーンの背後にいるだれかが、ライレーンの太陽系をすこぶる重視して、銀河パトロール隊のにくむべき恐るべきレンズマン指導者スター・A・スターが絶対にそれに関する知識を手に入れないように配慮したことを意味する――それにちがいないのだ! しかも、マックはライレーン系第二惑星にいる――ひとりで! 彼女はこれまでは無事だった、しかし……
「クリス!」彼は彼女にはげしく思考を伝達した。
「どうしたの、キム?」反射的に返事がとどく。
「ありがたい! じゃ、QX《オーケー》なんだな?」
「もちろんよ。どうしてけさのわたくしと同じじゃないわけがあるの?」
「あのときとは事情が変わったんだ」彼は深刻にいった。「ぼくはここでついに目的を達したんだが、ロナバールが袋小路だということがわかっただけだ。ここはライレーンへの足がかりにすぎない。もちろんまだ確実ではないが、ライレーンが鍵だという可能性は大いにある。もしそうだとすれば、きみが非常に危険な場所にいるということはいうまでもあるまい。だから、きみがいま何をしていてもかまわんから、そいつをほっぽりだして逃げたまえ。かくれるんだ。穴へ這いこんで、ふたをしてしまうんだ。ヘレンの地下室の一番奥にもぐりこんで、だれかを戸口で見張らせるんだ。それも、いますぐやりたまえ――五分前にやったほうがよかったくらいだ」
「まあ、キム!」彼女はくすくす笑った。「ここでは、何もかも今までどおりよ。それに、あなただって、レンズマンを逃げかくれさせたくないでしょう? あなた自身逃げかくれしたくないでしょう?」
この質問が答えられないものだということは、ふたりとも知っていた。「それは別問題だ」彼はもちろん反対したが、別問題ではないことを知っていた。「いずれにせよ、用心することだよ」彼は忠告した。「細心周到の用心をするのだ。きみの持っているあらゆる能力を使って、何か異常なことが起こったら、どんなに小さなことでも、すぐぼくに知らせたまえ」
「そうするわ。もちろんあなたもここへくるのね」それは質問ではなく断定だった。
「行くとも――大挙してね! あばよ、クリス――用心したまえ」彼は連絡を切った。することがうんとある。すみやかに、あやまりなく行動しなければならない――一日がかりで決心したりしてはいられないのだ。
彼は自分がやってのけたことをすばやくふり返った。証拠を抹殺《まっさつ》することができるかどうか? できるとしても、すべきだろうか? すべきでもあり、すべきでなくもある。カーティフの残した証拠を抹殺しようとさえ努めないほうがいい、と彼は決心した。痕跡はそのまま公然と残しておこう――ある段階までは。その段階とはここだ。カーティフはこのブリーコの宮殿で消滅するのだ。
いずれにせよ、カーティフとは縁が切れた。敵はもちろん、くさいとにらむだろう――天まで匂うくらいくさいのだ。彼らはカーティフが宮殿の廃墟の中で死んだとは信じないかもしれない――信じようとはしないだろう。しかし、彼が死ななかったということも確実にはわかるまい。そして彼らは、彼がブリーコの脳から、何も発見できなかったと思うだろうが、できるだけ長くそう思わせておいたほうが都合がいいのだ。カーティフの座を受けついだ若者も、まったく無意識的に彼の意図を助けることになるだろう。若者はもちろん彼の名前と地位を引きついで、彼の教訓にしたがいながら商売するだろう。それが助けになるわけだ――キニスンは、それがいかに大きな助けになるかを思って微笑した。
真のカーティフは、人間に可能なかぎり完全に、あとかたもなく消滅しなければならない。敵はそのうちに、カーティフが宮殿の中でやってのけたことを想像するだろうが、それがどのような方法でなされたかを、敵にさとられないようにすることが必要だ。そこで彼はメンジョの心から、今後役に立つと思われるようなあらゆる知識を吸収した。そのあと、メンジョ・ブリーコは死に、レンズマンは宮殿の廊下づたいに、階段をおりていった。彼が行くところ、常に死神が同行するのだ。
この殺戮《さつりく》は、キニスンの心をはげしくなやましたが、やらないわけにはいかなかった。銀河文明の運命は、この日の彼の殺戮が完全であるか否《いな》かに、彼がたったいまやってのけたことについて、どれほどかすかでもなんらかの光明を投げかけられるような敵を、ひとり残らず容赦なく殲滅《せんめつ》するか否かにかかっているという可能性が大いにあったのだ。
彼は宮殿の兵器庫へ直行し、一つの貯蔵箱に手ばやく爆弾を満たした。さらに一分ほどで時限装置をとりつけると、もうできあがりだ。彼は宮殿から駆けだした。だれひとり彼をひきとめず、彼が脱出したということを、のちになって報告できるようなものもひとりもいなかった。彼は一台の車から死体をひきずりおろし、その車に乗って、がむしゃらにすっとばした。しかし、それでも手おくれになるところだった――爆破された宮殿から吹きとばされた石は、悲鳴をあげて突進する車の百メートルたらず後に落下したのだ。
彼は宇宙空港に向かったが、やがて気を変えて急停車しながらワトスンにレンズで指示を送った。その宇宙空港でも、宇宙船を着陸させるための規則というものがあるから、それを破って強行着陸し、彼を拾いあげるということになれば、空港を破壊する可能性が大きかった。しかし彼はそういうことにためらいを感じたわけではなかった。また、追跡を恐れたのでもなかった。この惑星の大物は、大部分死んでしまった。生存者や小物たちは、一宇宙空港での事故にかかずらわるにはいそがしすぎる。だから、だれも追跡の命令を発するような者はいないだろう。そして、明白な命令がなければ、ロナバールの士官たちは行動を起こしはしない。だから、追跡はおこなわれないだろう。しかし、キニスンが追求している相手は、そのような異常事件の意味を正確に理解するだろうから、異常事件は、なに一つ起こしてはならないのだ。
そういうわけで、突進する地上軍が無人のハイウェイにさしかかって、四方になんの姿も見えなくなったとき、一隻の宇宙船が下部ジェットを抑制《よくせい》しながら、ゆっくり下降することになった。牽引ビームが投射され、車も人も上方へ引きあげられ、船倉へひきこまれた。キニスンは車などほしくなかったが、それを地上に放置しておくわけにはいかなかった。ブリーコの宮殿といっしょに、多くの車が破壊されていたから、この車が消滅するのはごく自然のことなのだ。しかし、この車が郊外に放置されているというのは、はなはだ異常であり、敵に真相をさとられてしまう。
黒い宇宙船は大気圏を抜け、成層圏を突破して上昇し、恒星間宇宙空間に突入した。そして、ワトスンが、ほっそりした宇宙船のすぐれた能力をいやがうえにも発揮している間《かん》に、キニスンは自分の部屋にはいって、最高基地の空港司令官ヘインズに思考を伝達した。
「キニスンです。おいそがしくなければ、二分ばかりいただきたいのですが」
「きみはいつでも優先権を持っているんだよ、キム。それはきみも知っているだろう――現にきみは銀河系でもっとも重要な人物なのだ」ヘインズは真剣にいった。
「どのみち、一分かそこらは大して問題ではないでしょう――それほどはね」キニスンは、照れくさそうに答えた。「わたしは必要がなければ、閣下にレンズ連絡をしたくないのです」そして彼は報告をはじめた。
しかし、報告をはじめるかはじめないうちに、彼は自分のレンズに刺激を感じた。クラリッサがライレーン系第二惑星から呼びかけているのだ。
「ちょっとお待ちください。閣下! いいよ、クリス――ヘインズ閣下と三面連絡するんだ!」
「あなたは、ここで何か異常なことが起こったら、どんなことでも報告しろとおっしゃったわね」娘ははじめた。「ところで、わたくしはとうとうヘレンと親しくなって、あの人が真実をうちあけてくれるようになったの。少しまえから、飛行機事故による死亡率が急増して、まだ増加しつづけているんですって。あなたの指示どおり、事実を報告するのよ」
「ふむ……む……む。どういう事故なんだい?」キニスンはたずねた。
「それがおかしいの。だれにもわからないんですって――ただ消滅してしまうの」
「なんだって?」キニスンは思考の上ではげしく叫んだ。クラリッサもヘインズも、その衝撃で顔をしかめた。
「そうなのよ」彼女は無邪気に――いくらか無邪気すぎるくらいに――答えた。「でも、それが何を意味するかということになると……」
「きみはその意味を知ってるんだろう?」キニスンはつよくたずねた。
「わたくし何も知らないわ。もちろん、ある程度推定はできるけれど、さしあたりは個人的意見ではなくて、事実を報告しているのよ」
「QX。その事実が意味するのは、きみがいますぐライレーンで、もっとも奥まって、もっとも完全に思考波スクリーンで遮蔽された穴へもぐりこみ、ぼくが自分できみを掘りだすまでは、そこにとどまっているべきだ、ということなんだ」彼はきびしく答えた。「ヘインズ閣下、この事実は、わたしがウォーゼルとトレゴンシーにできるだけ早く来てほしいということを意味します――もちろんこれは命令ではありませんが、非常に、非常に緊急な要請です。それから、わたしは閣下ができるだけ早くバン・バスカーク以下のバレリア人突撃隊、ならびにダンスタン区域に容易に到達できる距離にいる艦隊を派遣してくださることを望みます。それから、もう一つの望みは……」
「なぜそんなに興奮しとるんだね、キム?」ヘインズはたずねた。「きみたちふたりは、わしよりずっと先走りしとる。説明してくれたまえ!」
「わたしは何も≪知って≫おりません」キニスンは動詞を思いきって強調した。「ですが、大いに疑っています。アイヒ族に端を発するあらゆる事をです。これはデルゴン貴族がからんでいると思います。どうしてそうなったのかはわかりませんが――クリス、きみはどう思うかね?」
「わたくしが考えていることは、言葉に出せないほど空想的なんです――森羅万象を洞察したところでは、こんどもアイヒとデルゴン貴族の連盟だと思います」
「ぼくもありうることだと思う。つまり……」
「だが、やつらはみんな殲滅《せんめつ》させられたのではなかったかね?」ヘインズがさえぎった。
「それどころではありません」こんどは看護婦が答えた。「地球が破壊されたからといって、全人類が滅亡するでしょうか? わたくしは、アイヒ族とボスコニアの関係は、わたくしたちと銀河文明の関係とちょうど同じなのではないかと思いはじめました」
「ぼくもそうだ」キニスンが賛成した。「そういうわけだから、ぼくはパレイン系第七惑星のナドレックと連絡するつもりだ――ぼくは、彼の思考パターンをよく知っているから、ここから彼にレンズで連絡できると思う」
「ナドレックですって? あなたの新しい遊び仲間ね! なぜなの?」クラリッサは好奇心を起こした。
「なぜなら、彼は冷血で、有毒ガス呼吸者で、第二段階レンズマンだからさ」キニスンは説明した。「そういうわけで、彼はわれわれよりもあらゆる点でアイヒ族にずっと近いのだ。だから、われわれとはちがった視点を持っている可能性が大いにある」そして二、三分もすると、パレイン人のレンズマンも、このグループと精神感応状態にはいった。
「確かに興味深い展開ですな」情況が説明されると、彼の温和な思考がおずおずと伝達された。「わたしはなんの役にも立たないのではないかと思いますが、さしあたり重要な仕事は何もしていませんから、微力なわたしにできるかぎりのわずかな協力でもよろしければ、喜んで提供しましょう。全速力でライレーン系第二惑星へ向かいます」
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一一 スラールのアルコン
キニスンは、彼にはまだ正体がわからない敵の能力を過小評価しなかった。彼が真に思考することを学びはじめたのは、彼自身にとってもパトロール隊にとってもよいことだった。なぜなら、すでにあきらかにされたように、この闘争は本質的には物理的なものではなかったからだ。物質的衝突が起きたのは事実だが、それらは比較的重要ではなかった。基本的にいえば、これは頭脳対頭脳の衝突だった。二つの心――というより、二群の心――が、相手の目から姿をくらましながらも、お互いに相手を抹殺しようとして行なっている、予備的な、しかし激烈《げきれつ》な闘争だった。
それぞれが、ある利点を持っていた。
ボスコニア――われわれはすでに、ボスコーンが銀河文明と鋭く対立している暗黒文明の主動力ではないことを知っているが、それはやはり「ボスコニア」と呼ばれているのだ――は、長いことイニシアチブをとって、パトロール隊を防御いっぽうに追いこんでいた。ボスコニアは銀河文明がボスコニアについて知っているよりはるかに多くのことを銀河文明について知っていた。ボスコニアは銀河文明のほとんど完全な無知を利用して、不意打ちをくわせることができた。ボスコニアの兵力は、銀河文明には未知の基地から、正確に測定された対象に向かって作戦することができたし、事実そのようにしてきた。また、ボスコニアは、銀河文明の科学者協議会が超空間チューブの謎を解決するよりずっとまえに、それを利用していた。そして、パトロール隊がそれを使用できるようになってのちも、それを使用すべき肝心《かんじん》な対象が発見されないかぎりは、銀河文明になんの利益ももたらさないのだった。
しかし、銀河文明にはレンズがあった。そしてアリシア人の援助もあった。もっとも、その援助は、しばしばじれったくなるほど不完全で不充分に見えることがあった。また、銀河文明には、キムボール・キニスンをはじめ、真に効果的に思考することを学びはじめた少数の生物がいた。とりわけ、銀河文明では、共通の目標を目ざす集団精神が、士気の支柱となっていた。これは、専制政治の下で鞭《むち》によって駆りたてられている兵士たちの及びえないものであり、鞭《むち》をふるう指導者たちの理解しえないところだった。
やがて、キニスンは自分自身の心をはじめ、友人や協力者の心を結集して、ボスコニアにおける真に枢要な知能の所在をつきとめにかかった。その知能を抹殺すれば、強大なボスコニア帝国は崩壊しはじめるにちがいないのだ。いっぽう、敵のその知能もまた、銀河文明がボスコニアの侵略軍を第二銀河系へ退却させることを可能ならしめた一要因であると理論的に推定される知能、すなわちキニスンを発見し抹殺することに全力をつくしていた。
ところで、われわれは時空体系上有利な立場にいるので、キムボール・キニスンが推定するしかないさまざまのことを詳細に観察することができる。キニスンが確実に知っていることは、ボスコニア組織が惑星ジャーヌボンの陥落によって崩壊しなかったという事実だけである。
しかし、われわれは、惑星スラールと、その苛酷な暴君スラールのアルコンについて、すべてのことを知っている。惑星スラール――惑星地理学的にいえば、スラリス系第二惑星――は、地球によく似ているので、その住民は、横暴なアルコンをも含めて、ほとんど地球人そっくりである。われわれはまた、惑星オンロー、すなわちスラリス系第九惑星と、その怪物的な住民についても知っている。ボスコーン評議会の任務と権威とは、スラールのアルコンによって受けつがれた。彼はスラールの人類とオンローの怪物とに対して、完全な支配力を持っているので、そうした地位を保っていられるのだ。
残念ながら、オンロー族を人間に説明することは、アイヒ族同様まったく不可能である。これは、すでに多少とも知られているように、こうした零度以下の非液体血液を持ち、非酸素ガスを呼吸する生物が、必然的に超次元へ変形的に延長しているという事実にもとづいている。この事実からして、彼らの三次元的外見でさえ、厳密に三次元的な心には把握できないのだ。
しかし、このような種族がすべてボスコニアに属しているのではないということも断っておこう。基本的にいえば、アイヒ族やオンロー族と同様な生物でも、たとえばパレイン系第七惑星の住民のように、はじめから銀河文明に所属しているものも多数ある。事実、われわれが銀河文明と証するもののもっとも重要な基準は、性的平等であるということが、主張されてきた。しかし、これは生物学的論文ではないから、この点については単に触《ふ》れるだけで、論ずることはしない。
そういうわけで、オンロー人は、われわれ人類には理解しがたい存在ではあるが、アイヒ族に酷似《こくじ》している――つまり、パレイン人の知覚においては、ポセニア人と地球人が似かよっていると同程度に似ているのだ。ということは、ほとんど同一だということを意味する。なぜなら、あの寒冷な生物のわれわれには理解しがたい知覚からすれば、ポセニア人が四本の腕と八本の手を持ち、目がまったくついていないのに、地球人は手足を二本ずつしか持っていないという事実などは、無視していいほどのわずかな相違なのである。
しかし、物語の本筋にもどろう。われわれはキニスンが知らない事実を自由に知ることができるのだ。とりわけここでは、のちに忍耐づよい調査によって詳細に復元されたある会議を傍聴《ぼうちょう》することにしよう。場所は寒冷暗黒な惑星オンローの、しびれるほど寒い一室である。この部屋は通常はまったく暗黒なのだが、いまはおぼろな青い光によってわずかに照らされている。時間は、キニスンがロナバールを去ってライレーン系第二惑星へ向かった直後である。会議の出席者は、スラールのアルコンと、彼の部下であるオンロー一族閣僚だ。部屋がかすかながら照明されているのは、アルコンに敬意を表してのことだが、その当人は宇宙服をつけて、安楽椅子にもたれていた。爬虫類的怪物たちは、長く低い石のベンチに、名状しがたい格好で、うずくまっている。
「実際問題として」オンロー一族のひとりが痛烈に発言していた。「あの銀河系におけるわれわれの機関は、思考できなかったのか、しようとしなかったのか、あるいは単にしなかったのか、そのいずれかであります。長年にわたって事態がはなはだ好調に進展していたので、だれも思考する必要がなかったのです。慎重にたてられた大計画が完全に成功する見込みは充分にありました。われわれの計画が劣弱な人類に察知されるまえに、全銀河系がわれわれの支配に帰し、パトロール隊が撃滅されてしまうことは、必然的であると思われたのであります。
「われわれの計画は、多少とも重要性のあるあらゆる既知の因子を計算に入れていました。ところが、未知の予見しがたい因子、すなわちパトロール隊のレンズが重要な役割をはたすにいたるや、われわれの計画は当然、挫折しました。予見されなかった因子を認知すると同時に、計画は変更されるべきでありました。その因子が評価され無力化されるまでは、あらゆる行動を停止すべきだったのです。しかしそうではありませんでした――あの銀河系におけるわれわれの指導者も、その問題を担当している者も、ひとりとしてそのような手段を思考しませんでした……」
「そういうおまえこそ思考不充分だ」スラールの独裁者がさえぎった。「もし下級者がそのような提案をすれば、おまえ自身が、まずその者の抹殺を要求しただろう。計画が変更されるべきだったのは事実だが、罪は下級者にはない。罪はまさにボスコーン評議会にあるのだ……ところで、ジャーヌボンが破壊されたとき、超空間チューブで脱出したあの六人の評議員の処置はすんだろうな?」
「彼らは解体されました」もうひとりの閣僚《かくりょう》が答えた。
「よろしい。彼らは思考すべきであった。計画に固有の欠陥があったというよりは、彼らが手おくれになるまで情況を処理もせず、おまえたちの注意をうながそうともしなかったという事実こそが、現在のがまんならん情況をもたらしたのである。
「下級者は思考すべきではない。彼らは事実を報告すべきであり、もし要求された場合には、意見と推定を述べるべきである。あの銀河系におけるわれわれの代行者たちは、よく訓練されて有能だった。彼らは正確に報告したが、それが彼らに要求されるすべてだったのである。ボスコーンはヘルマスの報告を信用しなかったが、彼の報告は真実だった。プレリンも、クラウニンシールドも、ジャルトもそうだった。しかしアイヒ族は、監督と連絡の義務をおこたった。だからこそ、彼らの指導者は処罰され、また遂行すべきである任務をあえて引きうけたのである。
「敵を過小評価するのは致命的な誤りであるということを注意しておく。アイヒ族のランは、まさにこの点について長広舌をふるったが、結局においてパトロール隊の原動力と本質について、重大な過小評価をおかした。それによっていかなる災厄が生じたかは、われわれのよく知るところである。彼は、純粋に哲学的概念の産物であるレンズを、思考によって分析しようとはせず、数学的に分析しようとした。また、われわれの軍事面の指導者たちも、思考が不充分だった。さもなければ、彼らはあらたな未知の因子が解決されるまで、地球を攻撃しようとしなかったであろう。われわれの遠征軍は――第一次ビーム、反物質爆弾、不可抗的と考えられた惑星爆弾などをそなえていたにもかかわらず――なんらの通信も信号も発することなく消滅した。そして地球は依然として太陽《ソル》の周囲を回転している。この情況はまことに耐えがたいものである。しかし、余がつねに主張しているように、≪大計画≫がレンズを充分考慮にいれて改善されるまでは、いかなる積極的行動にも出るべきではない……アリシアについてはどうか?」彼は三番目の閣僚にたずねた。
「現在のところ、アリシアについては、なにも手を出せないのではないかと思います」その生物は答えた。「遠征隊が派遣されましたが、彼らはアイヒ族のランやアンプと同様、あっさり効果的に処理されました。惑星爆弾も発射されましたが、パトロール隊に察知され、敵の遠距離誘導惑星によってはねとばされました。しかしながら、わたしの結論によれば、アリシアはそれ自体としては、当面もっとも重要ではありません。レンズはアリシア人によって作られたものであるという可能性が、きわめて大きいことは事実です。したがって、アリシアおよびその住民の撃滅が大いに望ましいことも事実であります。それによって、レンズの生産が停止されることが確実だからです。しかしながら、アリシアを破壊しても、現在すでに使用されている無数のレンズを破壊することはできません。その着用者たちは、われわれに対して強力に対抗しているのです。私見によれば、われわれのもっとも緊急な仕事は、すべてのレンズマンを狩りたてて、これを絶滅することであります。とくに重要なのは、ジャルトが≪あの≫レンズマンと呼んだ者、アイヒミルがレンズマン、モーガンから知らされた者、他のレンズマンたちにさえ、スター・A・スターとしてしか知られていない者であります。その点について、わたしが疑問に思わざるをえないことがあります――スター・A・スターは事実一個の存在でしょうか?」
「その問題は、わしもおまえたちの主任心理学者も考慮した」アルコンは答えた。「率直にいって、われわれにはわからない。事実を基礎づけるにたりるデータがないのだ。しかし、それはどうでもいいことだ。ひとりだろうとふたりだろうと千人だろうと、われわれがふたたび宇宙征服にとりかかれるようになるまでは、じゃまものを発見して抹殺しなければならぬ。また、アリシアという障害を除去するための計画も、ひきつづきたてねばならぬ。とりわけ、われわれがもっとも留意すべきことは、われわれに関するいかなる情報も、銀河パトロール隊のいかなるメンバーにも洩れないようにすることである――余はわれわれの二つの惑星が、現在のジャーヌボンのようになることを望まないのだ」
「おおせのとおりです! わたしも望みません!」オンロー族たちの思考がいっせいに答えたが、ちょうどそのとき、光り輝く球体エネルギーからなる銀河系間通信機の一個が通信波を発して、彼らの思考をさえぎった。
「何か? こちらアルコン」独裁者は呼びかけに答えた。
それは、はるか離れたロナバールの麻薬業者《ズウィルニク》からの通信で、カーティフがやってのけたすべてのことを、ライレーン系第八惑星を通じて報告してきたところのだった。「わたしはこの事実が異常であるか否《いな》か、また重要であるか否かを知りません――まったく判断がつかないのです」観測員は報告を結んだ。「しかしながら、わたしはのちに重要と判明するかもしれない一つの情報を漏らすよりは、重要でない十の情報を提供することを選ぶものであります」
「よろしい。報告受領」そして、はげしい論議が戦わされた。これは外見どおりの単純な事件にすぎないのか、それとも、例の憎んでもあまりあるレンズマンの所業の一つなのであるか?
ふたたび観測員が呼びだされた。指令が与えられ、実行された。その結果、次のようなことが判明した。ブリーコの宮殿は、その中味ごと完全に破壊されてしまったこと。カーティフはまったく姿を消してしまったこと。彼がどのようにして、いつ姿を消したかについて、なんらかの知識を持っている者はロナバールにひとりもいないこと。こうして、もう万事が手おくれになったあとで、これが≪例の≫レンズマンの仕事にちがいないということが決定されたのだった。ロナバールの観測員に対して腹をたてても無益だった。このような事件を、これほど上級の機関に、これ以上早く報告することはできない相談だった。一億もの惑星上で、毎日のように起こる事件を、これほど上級の機関で判断しているわけにはいかないのだ。しかも、このレンズマンは同じ手を二度と用いないのだから――彼の行動は、破壊的な終局までは、平凡単調なものにすぎないという点をのぞけば、つねに異なっている――ボスコーンの観測員たちは、これまでも彼の行動を適時に報告できなかったが、これからもできないだろうと思われた。
「しかし、こんどばかりは、彼もなんの情報も手にいれられなかったと確信します」主任心理学者が誇らしげにいった。
「どうしてそう確信できるのか?」アルコンはかみつくようにいった。
「なぜなら、ロナバールのメンジョ・ブリーコは、われわれのひとりが彼の心を制御するときを除けば、こちらの行動や組織について何も知らなかったからです」科学者は満足そうに述べた。
「わたしとわたしの助手たちは、アイヒ族の粗雑《そざつ》な睡眠術者たちには思いもおよばぬような、精神手術をおこなうことができます。われわれの最下級の行動員ですら、わたしの部下の精神医たちに心の手術を受けると同時に、例の無器用で信頼度の低い義歯《ぎし》を除去されています」
「しかし、おまえは現在でさえ、過小評価の罪をおかしている」アルコンは彼をきびしく責めながら、球体エネルギーの通信機を作用させた。「ロナバールで工作したレンズマンが――おそらくまったくの偶然から――あの惑星とライレーンとの関連を発見するということも多いにありうるのだ……」
アイヒ族の冷静で断固とした思考が、独裁者の呼びかけに応じた。
「ライレーンのおまえたちは、何か異常な事件、または微候にぶつかったか?」アルコンはたずねた。
「まだぶつかっておりません」
「では、ぶつかるものと予期せよ」そして、スラールの独裁者は、あらたな事態の進展について詳細に伝達した。
「われわれはつねに、新奇で異常な事態を予想しています」そのアイヒ族はあざけるように答えた。「われわれは、スター・A・スターや、その他のレンズマンの来訪から、銀河パトロール隊の大艦隊の総攻撃にいたるまで、あらゆる不測の事態に備えています。そのほかに何かご指示がございますか、陛下《へいか》?」
「いや、ない。余はおまえの自信には感服するが、おまえの判断の妥当性《だとうせい》については、はなはだ信用しておらぬ。いうことはそれだけだ」アルコンは心理学者に注意をむけた。「おまえは、あのアイヒたちや自称デルゴン貴族どもの心を、メンジョ・ブリーコの心と同様に手術したのか?」
「していません!」精神外科医は息がとまるほど驚いた。「そんなことは不可能です! 肉体的には不可能ではないでしょうが、しかし、そのような処置は、彼らの任務に重大な影響をおよぼして……」
「それはおまえの問題だ――解決せよ」アルコンは簡潔に命じた。「どのように解するにせよ、彼らの心にわれわれとの関連がなんの痕跡も残らないようにするのだ。われわれがたったいま受信したような思考のできる心は信用できぬ」
前記の会議がおこなわれているあいだ、前カーティフのキニスンは、すでに述べたように、ライレーン系第二惑星へ向かっていた。航行のあいだ、彼はたえずクラリッサと連絡を保ちつづけた。はじめのうち、彼はあらゆる外交手段、甘言、脅迫《きょうはく》などを動員して、彼女をかくれさせようとしたが、効果がなかった。そこで、ついに独立レンズマンの超越的な権威に訴えて、彼女にすぐにかくれることを命令した。
やはり無効だった。彼女はいきりたって質問した。どうしてわたくしを子供あつかいして、ああしろこうしろと命令するの? わたくしだってレンズマンだわ! この問題を解決するのは、わたくしの任務よ――ほかのだれの任務でもないわ――自分でこれをやってのけるつもりよ。特命を受けているんだわ――それも、あなた自身の特命だってことを忘れないでちょうだい――この任務が川下りのピクニックみたいに安全なものじゃないってことが、あなたにわかったからといって、わたくしに手を引かせるなんていうのは承知できないわ。そんな子供だましみたいなことをいうなんて、ずうずうしいにもほどがあるわ。あなたはほかのレンズマンにも、そんなことをさせるほどあつかましくなれるの?
その言葉で彼ははっとした――ひやりとした。レンズマンたちはいつでも任務に直進する。それが信条なのだ。どんな地球人レンズマンでも、何か個人的危険を理由にして任務を回避するなどということは、まったく考えられない。彼にとって彼女が宇宙の女性のすべてであるという事実も、まったく問題ではない。それは、これまで彼が逆の立場におかれたとき、任務を回避することが許されなかったのと同様なのだ。彼女の主張は正しい。つらいが、避けられないことだ。これは、メンターが予見していた結果のうちの一つ――ほんの一つ――にすぎない。キニスンもまた、おぼろげながらそれを予見していた。いまやそれが現実のものとなったのだから、受けいれるしかないのだ。QX。
「だが、とにかく用心してくれ」彼は譲歩《じょうほ》した。「極度に用心するんだ――ぼくが用心するのと同じくらいにね」
「わたくし、あなたよりもっとずっと用心深くなって、おまけに勇敢にやれるわ」魅力のあるクスクス笑いが、まるで彼女が目のまえにいるかのように聞こえた。「ところでね、キム、わたくし、どんどんグレー・レンズマンになっているってことを話したかしら?」
「きみはいつだってそうだったさ――ほかのものになれっこないよ」
「そうじゃないわ――わたくしのいうのは、ほんとの灰色《グレー》のことよ。あなた、この異質な惑星の上での洗濯の問題を考えたことがあって?」
「クリス、きみにはあきれるな――なぜ洗濯の必要があるんだ」彼は愛情をこめてひやかした。「きみはたったいま、ぼくがレンズマン精神を充分に理解していないといってさんざんやっつけたくせに、レンズマンの最高規則の一つをおかしている――地元の惑星の風俗習慣にしたがうという規則さ。反省したまえ!」
無限の宇宙空間をへだてているにもかかわらず、彼はクラリッサが赤面するのを感じた。
「はじめはやってみたのよ、キム。でも、ひどかったわ、そうじゃない?」
「きみはレンズマンの生き方を学ばなければならん。さもなければ、さっきみたいに、えらそうな口をきくのはやめることだ。口答えはやめたまえ。でないと、レンズをとりあげて、営倉《えいそう》へほうりこんでしまうよ」
「あなただけじゃ、そんなことはできないわ。バレリア人を一連隊くらい連れてこなけりゃ。それに、どっちでも同じことだわ」彼女は勝ち誇ったように説明した。「わたくしが何を着ても着なくても、この女家長制種族は、わたくしをちっとも好きにならないのよ」
時は過ぎていった。キニスンの大きな不安にもかかわらず、なにごとも起こらなかった。パトロール船は予定どおりにライレーンの空港のへりに着陸した。クラリッサは服を着て待っていた。看護婦の白衣ではなく、まったく目立たない、グレーのシャツとスラックスだった。
「わたくしの地位にふさわしいグレーのレザー・スーツじゃなくて、ただのうすよごれた色よ」彼女は最初の熱烈な挨拶のあとで、キニスンに説明した。「ここの女性たちは、はだかだけれど、ほんとに清潔よ。でも、わたくし、適当な服をまるで持っていないの。あなたの船の洗濯所は開いている?」
開いていた。そしてまもなく、戦区看護婦長クラリッサ・マクドゥガルは、いつものように純白で、のりのよくきいた制服姿であらわれた。彼女は、資格のあるグレーの制服を着ようとしなかった。また、疑いもなく彼女のものである種々の特権についても――キニスンに反抗するときのほかは――権利を主張しようともしなかった。彼女にいわせると、わたくしは≪本当の≫レンズマンではないし、これからもそうはなれないわ。せいぜい、合成か――イミテーションか――アマチュアか――〈レッド〉・レンズマンというところよ――ある種の小仕事には便利かもしれないけれど、絶対に断固として正規のレンズマンではないわ、というのである。レッド・レンズマンが銀河文明全域を通じて、レンズマン、パトロールマン、一般人たちに受けいれられるばかりでなく、愛されているのは、彼女のこうした態度のおかげだった。
船は空港から上昇して北へ向かい、住民のいない温帯にはいった。女家長制種族たちは、地球人が必要とするものや望むものを何も持っていなかった。しかも、ライレーン人は訪問者を公然と嫌悪していたから、彼らが住んでいる熱帯を立ち去ることが、唯一最良の方法だったのだ。
ドーントレス号は一日おくれて到着し、ウォーゼルとトレゴンシーを運んできた。そのあとすぐ、ナドレックが極度に冷却した快速艇で到着した。そこで、五人のレンズマンは、クラリッサがつくっておいたライレーン系第二惑星の球体図を熱心に検討した。酸素呼吸者である四人のレンズマンは、現実に球体図を囲んでいたが、ナドレックは心だけで参加していた。彼の肉体は、快適な零度以下の成層圏に離れていたが、心は彼らと感応状態にはいっていた。彼の知覚力は、球体図を彼らと同様な正確さで検査していた。
「わたくしがピンクに着色したこのベルトは」と女性レンズマンは説明した。「ほぼ熱帯に対応していて、ライレーン系第二惑星の居住区域なのです。ほかの部分にはだれも住んでいません。わたくしは、これまでに判明しているすべての不可解な失踪を、その上に記入しておきました。黒十字は、そういう人が住んでいた場所です。黒十時と黒線で結ばれている黒丸は、その人が最後に姿を見られた地点です。黒丸が黒十時を囲んでいる場合は、その人が家で最後に姿を見かけられたことを意味しています」
黒十字は居住区域全体にわたって、ほぼ均等にばらまかれていた。しかし、黒丸は居住区域の北のへりにいちじるしく集中していた。とくに、黒丸で囲まれた黒十字は、ほとんどすべてが居住区域の北のへりすれすれのところにある。
「黒線は、ほとんど全部が、この点で交差しています」彼女は球体の北極近くを指先で示しながらつづけた。「その点を通らない線も少数ありますが、それは観測の誤差か、さもければ、その人が実際に失踪《しっそう》するよりまえに目撃されたのかもしれません。もしこれがデルゴン貴族のしわざとすれば、彼らの洞窟は、わたくしがマークした点から五十キロ以内にあるにちがいありません。けれど、アイヒ族がここにきたという証拠は、まだ一つも見つかっていません。もし彼らがここにきていないとすれば、デルゴン貴族がどういう方法でここにきたのかもわかりません。第二段階レンズマンのみなさん、これがわたくしの報告です。完全でも決定的でもないとは思いますけれど」
「そんなことはありません、レンズマン、マクドゥガル」ナドレックがまず口をきった。「あなたの報告は完全でもあり、決定的でもあります。はなはだ学問的で、高度に情報的です。そうではありませんか、同志ウォーゼル?」
「そうです――まったくです」ヴェランシア人は賛成したが、三十フィートにおよぶ筋肉質のからだ全体を戦慄《せんりつ》が走った。「わたしはいろんなことを予期していたが、こんなことは予期しなかった――こんな離れたところで、こんなことが起ころうとは、全然予期しなかったよ」
「ぼくもだ」トレゴンシーは、角質の唇を持った歯のない四つの口をぱくぱくさせ、鋼のような腕をよじらせながらいった。
「ぼくもさ」キニスンがいった。「もしぼくが予期していれば、きみにレンズなんかつけさせなかったろうよ、クラリッサ・メイ・マクドゥガル」
彼女は、彼がこんなに深刻な口調で話すのを聞いたことがなかった。彼は自分の思考が他のレンズマンたちに立体写真のように明瞭に映っているのを完全に忘れて、彼女の愛らしいからだが拷問に身もだえし、ひきのばされ、よじられ、へし折られるさまを想像していたのだ。
「もし、やつらがきみを察知したとすれば……きみのような心と生命力を吸いとるために、やつらがどんなことをしたかがわかるだろう……」
彼は身ぶるいして、深く安堵のため息をついた。「だが、さいわいに、やつらは探知しなかった。もしぼくらにいつか子供ができて、いまの話を聞かしてやってもピンとこなかったら、ほんとにふるえあがるような話を聞かせてやるよ」
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一二 ヘレン、北へ行く
「でも、キム!」クラリッサは抗議した。「あなたがた四人はみんな、わたくしが的《まと》の中心を射たと考えているのね。わたくし、たぶんまちがっていないとは思うけれど、でも、わたくし、アイヒの痕跡《こんせき》をまるで見つけられなかったんですもの、もっと議論が出るものと思っていたわ」
「議論の余地はない」キニスンは保証した。「きみはやつらのやり方を知っているだろう。やつらはだれかの心に同調する。その心がつよくて生命力があるほどいいのだ。その点からいえば、ヘレンがまだ無事だというのはふしぎだな――失踪したのは、上級の連中だったんだろう?」
彼女はちょっと考えた。「そういわれれば、そうだわ。確かに、ほとんどがそうだわ」
「そうだろうと思った。それで結論が出た。もし結論を出す必要があればね。ところで、やつらは獲物の心に同調して、それからまっしぐらに洞窟にひっぱりこむのだ」
「でも、とても明白だこと!」彼女は異議をとなえた。
「クラリッサ、この問題はきみの工作によって明白になったが、それまでは明白ではなかったのだよ」トレゴンシーがいった。「わたしはここでいいたいのだが、この任務を達成できる者は、銀河文明を通じて、きみ以外にはいなかっただろう」
「ありがとう、トレゴンシー。でも、彼らは抜け目がないわ……少なくとも、洞窟への直線コースを避けるくらいは、戦術を変更するでしょう」
「おそらくやつらにはそれができまい」キニスンは断定した。「長い世代を通じて、やつらに植えつけられた種族的本能だ。やつらはいつもあの方法でやってきた。たぶん、ほかの方法ではできないのだろう。アイヒ族は、やつらにあの気ちがいじみた行事《ぎょうじ》をやめるようにすすめたにちがいないが、やつらはおそらくやめられなかったのだ――あの悪徳は、中止するには慢性化しすぎているのだろうと思う。いずれにせよ、こんどのことが、デルゴン貴族のしわざだという点で、われわれは意見が一致したわけだね?」
一致していた。
「次に何をなすべきかについて疑問の余地はないね?」
まったくなかった。二隻の巨大な宇宙船、無敵のドーントレス号と、カーティフに化けたキニスンに大いに役立ってくれた偽装《ぎそう》戦艦とは、成層圏に上昇して北部へ向かった。レンズマンは、自分たちの存在を宣伝したくはなかったし、さほど急ぐ必要もなかったので、どちらの船も思考波スクリーンを展開し、ジェットを抑制して進んでいった。
ドーントレス号の乗組員はほとんどすべて、デルゴン貴族を実際に見ていた。デルゴン貴族を見たうえで、生きながらえてそのことを報告できた人間というのは、判明しているかぎりでは彼らしかいなかった。彼らの同僚二十二人は、デルゴン貴族を見たのち殺されていた。キニスンとウォーゼルとバン・バスカークとは、超空間チューブという想像を絶する環境の中で、スクリーンなしの肉弾戦をおこない、デルゴン貴族たちを殺戮《さつりく》していた――あの無気味な媒質《ばいしつ》の中では、人間と怪物とはおたがいに接触することなく、同時におなじ空間を占めることができた。空気または擬似空気は濃厚でねばねばしていた。しかし、デュレウムという物質――膨大な質量と慣性を持つように処理され飽和《ほうわ》させられた合成物質――だけは、その二組の次元に共通に存在し、したがって戦闘の目的に使用できたのだ。
だから、次の仕事がデルゴン貴族の絶滅であるというニュースが伝わったとき、乗組員たちのあいだに、どのような感情が湧きおこったかは、想像にあまりある。
「どうです、キム、デュオデック魚雷を二、三発その洞窟の中へ送りこんで――ボイーン!――ときれいに片づけてやったら?」ヘンダスンが提案した。
「いや、そんなことはさせんでください、キム!」デルゴン貴族殺戮者のひとりとして制御室に呼ばれていたバン・バスカークが抗議した。「こんどは超空間チューブの中で戦うことにはならないんでしょう、キム。惑星上の洞窟の中です――宇宙斧にはもってこいだ。わたしたちにスクリーンを着《つ》けさせて、やつらのいまいましい頭蓋骨をたたき割らせてください――いかがです?」
「デュオデックはだめだよ、ヘン……いまのところはね」キニスンは判定した。「宇宙斧だがね、バス――こいつはいいかもしれんし、よくないかもしれん。情況しだいだな。ある情報を手にいれるために、やつらのうちの何人かをいけどりにしたいのだ……だが、きみたちはそのためにも役に立つ。だから、部屋へもどって、みんなに仕度をはじめさせてくれ」彼は爬虫人の同志に思考をむけた。
「どう思うね、ウォーゼル、やつらの洞窟は強力に武装されているかね、それともただかくされているだけかね?」
「わたしのやつらに対する知識からすれば、かくされているだけだと思うね――巧妙にかくされているだろう」ヴェランシア人は即座に答えた。「やつらがいちじるしく変化していなければのことだが、わたしもきみと同じに、やつらのように古い種族は、それほど変化できないと信ずる。わたしはやつらの心に同調できるが、そんなことをすれば、役に立つより害になるばかりだろう」
「きっとそうだろうな」キニスンは、ヴェランシア人がデルゴン貴族にとって最上のご馳走であることを、ウォーゼルと同様によく知っていた。しかし、ふたりはまた、敵の精神能力についても充分に知っていた。ヴェランシア人が、さそいをかけるようにライレーン系第二惑星にあらわれたとすれば、デルゴン貴族たちはそれを、自分たちに危害を加えるために提供されたおとりと考えて、手を出そうとしないにちがいない。そして、彼らはウォーゼルを洞窟へさそいこもうとしないだけでなく、そのおとりや仲間が、ライレーン系を立ち去ったということが確実になるまでは、通常の活動さえ停止して、彼らを発見することを不可能にしてしまうにちがいない。「いや、現在われわれに必要なおとりは、意志のつよい優秀なライレーン人だよ」
「あともどりしてひとり連れてきましょうか? ほんの二、三分ですみますよ」ヘンダスンは制御室のまえでからだを起こしながら、提案した。
「う、うむ」キニスンはあいまいに答えた。「その方法も、やつらに疑われるかもしれん。そう思わんかね、諸君?」ウォーゼルとトレゴンシーが賛成して、そのような行動は望ましくないといった。
「どうにか役に立ちそうな提案があるのですがね」ナドレックがひかえ目にいった。
「どうぞ――提案してください」
「最近、ライレーン人が失踪している確率からすれば、次の犠牲者が自力でこのあたりへやってくるまでに、それほど長く持たないでもすむ。いやしむべきやつらは、獲物を自分で捕獲し、自分で催眠術にかけて自分たちのところへ強制的にこさせるわけですから、彼らはなんの疑いも起こさないでしょう」
「そいつは一案ですな、ナドレック――確かに一案だ!」キニスンは称賛した。「上昇してくれないか、ヘン? もう少し上昇して、あの直線の交差区域の中心あたりの上空をただようんだ。全映像プレートに観測員を配置して、全観測員と通信を密接にする。彼らの半数には周囲の空をできるだけ遠くまで監視させて、飛行中の飛行機をさがさせる。残りの半数には、下方の土地の地表および地下をスパイ光線でしらみつぶしに探知させ、自然または人工の洞窟をさがさせるのだ」
「キニスン、彼らはどんな種類の情報を持っていると思うね?」リゲル人トレゴンシーがたずねた。
「わからない」キニスンは数分考えこんだ。「だれかが――このあたりのどこかにいて――ボスコニアのかなり上位にある個人またはグループとなんらかの関連を持っている。それについてはかなり確信がある。ブリーコはここへ宇宙船を派遣している――一隻が快速艇だということはたしかだが、それ一度きりだと考えるべき理由はない……」
「それ一度きりでない、という証拠もないな」トレゴンシーはしずかにいった。「そして快速艇は、この北極の近くではなく、居住地域に着陸した。なぜか? 女を何人か捕獲するためか?」リゲル人はキニスンに反論しているのではなかった。全員が知っているように、彼は問題のあらゆる面を検討しやすいようにまとめているのだ。
「そうかもしれない――だが、ここは中継点だ」キニスンは指摘《してき》した。「イロナが、ここからどこかへ出発するはずだったのを忘れてはならない。それから、あの二隻の船だが……彼女に会いにきたのか、おたがいに会いにきたのか、それとも……」
「それとも、快速艇の乗組員の呼びかけで、救援にきたのかもしれない」トレゴンシーが思考をおぎなった。
「一隻はそうかもしれないが、もう一隻はそうではなかったということも大いにありえます」ナドレックは指摘した。「デルゴン貴族が、ボスコーンと関連がある可能性は充分に大きいから、彼らの心を読むためにいけどりにする価値がある、ということで、わたしたちの意見は一致したわけですな?」
彼らは一致した。そこで論議は、この容易でない任務をいかにして達成するか、という問題におのずとむけられた。二隻のパトロール船は、上昇してゆっくり大きな輪を描いて旋回していた。スパイ光線係その他の観測員は緊張して活動していた。しかし、彼らが地上または地下に何かを発見するより早く、「飛行機発見!」の報告がはいった。二隻の船は、思考波スクリーンも展開して、しずかにななめ下降にはいった。そして、のろいライレーン機のはるか上空に出ると、同時に旋回して、飛行機とコースをあわせ、速度を同程度にゆるめた。
「おねがいよ、金――あのライレーン人をデルゴン貴族の手に渡さないで!」クラリッサは叫んだ。彼女は他のレンズマンたちと感応状態にあったので、非人類的なウォーゼルも、怪物的なナドレックも、無力なライレーン人が犠牲になるのをなんとも思っていないのがわかった。また、キニスンもトレゴンシーも、まだその点にまるで気をくばっていないのもわかった。「ねえ、キム、あの人を殺させる必要はないでしょう? 洞窟の入口か何かがわかれば、それで充分なんでしょう? あの人が洞窟にはいりかけたときに、なんとかする工夫ができない?」
「そうだな……うん……できるだろう」キニスンは映像プレートから注意をねじむけた。「できるとも、クリス。ヘン! もうちょっと降下してくれ。そして、ぼくが命令したら、例の籠を二本の牽引ビームで捕捉《ほそく》させるようにするんだ」
飛行機はコースを保って、低い不毛の荒涼たる山脈へまっすぐに向かっていった。そしてそこに接近すると、けわしい岩だらけの山腹に着陸しようとするかのように高度をさげた。
「あんな場所に着陸はできない」キニスンはつぶやいた。「デルゴン貴族なら、彼女をいけどりにしたがるはずだ……ぼくの推定がまるでまちがっていたのかな? 用意しろ!」彼は叫んだ。
「飛行機を最後の瞬間に捕捉するんだ――衝突するまえにな――そら!」
命令と同時に、強力な牽引ビームが放射され、運命きわまった飛行機を、やわらかに、しかし、しっかりと捕捉した。しかし、そうでなかったとしても、ライレーン機は衝突しなかっただろう。なぜなら、最後の一瞬に、けわしい山腹の一部が内側に落ちこんだからだ。小さな飛行機は、そのおそるべき入口すれすれのところに瞬間的に宙づりになった。
「あの女をつかまえろ、早く!」キニスンは命令した。ライレーン人が、いまにも飛行機からとびおりようとしたからだ。デルゴン貴族の暗示は強力だった。彼女は実際にとびおりた。パラシュートもなく、何が自分の落下をやわらげてくれるかを知りもせず、気にもかけずにとびおりたのだ。しかし、彼女が地面にぶつかるまもなく、一本の牽引ビームが彼女を捕え、無抵抗の飛行機と、はげしく反抗するパイロットは、急速に引きあげられた。
「まあ、キム、ヘレンよ!」クラリッサは驚きの叫びをたてたが、すぐに声や態度を変えた。
「かわいそうな人」とやさしくいった。「あの人を六号出入口に連れてきてちょうだい。わたくしが出迎えるわ――あなたがた男性は近よらないでね。彼女はいまショックを受けているわ――おまけに、こんなたくさんの男性を見れば――そのショックで気絶してしまうにちがいなくてよ」
ライレーンのヘレンは、ドーントレス号をとり囲んでいる思考波スクリーンの内側へ引きこまれたとたんに、もがくのをやめた。彼女はずっと意識を失っていなかった。彼女は自分がしていることをはっきり知っていた。そしてそれをすることだけを切望し、それ以外のことは何も望まなかった――デルゴン貴族の精神力はこのように陰険なのだ。彼女の心は完全に目かくしをされてしまっていたので、価値の転倒《てんとう》、不合理性などが、まるで理解できなかったのだ。しかし、思考波スクリーンでデルゴン貴族の制御力が切断され、われに返ってみると、自分がやったこと――やらされたこと――の恐ろしさが突然わかった。そのショックは、肉体的打撃のようにはげしかった。いや、肉体的打撃よりわるかった。ふつうの肉体的打撃ならば、理解できるからだ。
しかし、彼女は、この災厄の真の意味を理解しはじめてさえいなかった。それはまったく理解を絶することだった。彼女は外面的な出来事は知っていた。自分の心が、あるものすごく異質で想像もできないほど強力な知能によって、彼女にはまったくわからないある目的のために支配されていたことは知っていた。しかし、彼女の偏狭《へんきょう》な生活哲学や、一惑星的な単純な視野をもってしては、そのような目的を持ったそのような心が、どこかに存在しうるというそのこと自体が、まったくありえないことに思えたのだ。まして、そのようなものが、彼女自身の惑星ライレーン系第二惑星に現実に存在するなどということは、想像もおよばぬことだった。
彼女はもちろん、ドーントレス号を記憶していなかった。彼女にとって、宇宙船はみんな同じだった。それらはすべて、敵を満載した侵略的戦艦なのだ。ライレーン系第二惑星以外の場所からきたものは、物体でも生物でも、すべて必然的に敵だった。あの横暴な男性たち、地球人レンズマンと部下の一隊は、敵意がないふりをしてみせたし、彼女たちによく似ているが、奇妙な白いものを巻きつけたあの女地球人も、ライレーン人の失踪《しっそう》を調査しようとして彼女にとりいり、やはり敵意のないふりをしてみせたが、彼女はそのどちらをも信用していなかった。
彼女はいまや、仲間のライレーン人が失踪した理由はわからないまでも、どのようにして失踪したかを知った。いかなる運命が待ちかまえていたのかは知らないが、宇宙船の牽引ビームは、彼女をあわやというところで救った。しかし、彼女は少しも感謝の念をおぼえなかった。いっぽうの敵の手に移っただけだ。なんのちがいがあるのか? だから、彼女はスクリーンを通過して精神の支配を回復すると、戦いの心がまえをした。強力な心と、しなやかできたえ抜かれた牝虎のようなからだと、その全力をふりしぼって戦うのだ。気密境界《エアロック》のドアがつぎつぎに開閉した――そして彼女が向きあったのは、武装した殺し屋の男性ではなく、彼女が非ライレーン人の中ではもっともよく知っている、例の白布に包まれた地球人だった。
「まあ、ヘレン!」娘はなかばむせび泣きながら、両腕をヘレンのからだにまわした。「あなたにまた会ってほんとによかったわ! もう失踪は起こらないでしょう――みんながそういう手を打つのよ!」
ヘレンは、非利己的な友情というものを知らなかった。しかし、看護婦長が、自分の心と彼女の心を全開両面感応状態にしておいたので、この地球人たちが、彼女の仲間の幸福を望んでいるということを、なんの疑いもなく理解した。彼女がたったいま経験した多くのショックに、そのショックが加わったので、さすがの彼女も耐えきれなかった。ライレーンのヘレンは、その過激で多忙な生活を通じて、はじめて気絶した。地球娘の腕に抱かれたまま、死んだように気絶した。
看護婦長はそれが大したことでないのを知っていた。事実、彼女は職業的にはヘレンが失神したことを歓迎した。そこでライレーン人の息を吹き返させるかわりに、しなやかなからだを背中にかついだ――すでに述べたように、クラリッサ・マクドゥガルは、精神的に弱者でなかったばかりでなく、肉体的にも弱者ではなかったのだ――そして、付添人や担架を待つまでもなく、やすやすと自分の私室へ運んで行った。
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一三 洞窟で
そのあいだも、ドーントレス号の戦闘員たちは怠けていなかった。洞窟のドアが開いた瞬間、船長のスピーカーが命令を伝えた。そして、ライレーン人が火線からそれるやいなや、目の鋭い針光《ニードル》線放射員が活動して、ドアがとじられないように機構を破壊した。ドーントレス号は下降して、洞窟の入口のまえに着陸した。岩だらけのけわしい地形も、ドーントレス号には問題ではなかった。やすりのように固い不屈の装甲板でおおわれた胴体が、船の膨大な質量で地表にめりこんでいくと、もっと固く、もっとも尖《とが》った岩石でさえ、たちまち粉砕された。つづいて、俊敏な放射員たちが入口を監視している中で、スパイ光線員が洞窟に他の出入口がないかどうかを調査した。もっとも、キニスンもウォーゼルも、そのような出入口がないことをすでに確信していた。そしてそのあいだに、突撃隊が攻撃体勢をととのえた。
ウォーゼルは武者ぶるいせんばかりだった。デルゴン貴族に対する彼の敵意は、他のだれよりもはるかにはげしかった。そしてそれも、しごく当然のことだった。というのはデルゴン星と彼の生まれた惑星ヴェランシアとは、同じ太陽の周囲を回転している姉妹星だった。ヴェランシア人が宇宙航行を開始して以来、デルゴン貴族はヴェランシア人を餌食《えじき》にしつづけた。事実、最初のヴェランシア宇宙船は、デルゴン貴族がヴェランシア人を刺激してつくらせたものらしい。デルゴン貴族は、真空の宇宙空間を通じて、不断の思考波によってヴェランシア人に呼びかけたのだ。彼らはヴェランシア人を拷問《ごうもん》スクリーンに固定し、生きながら皮をはいだり、八つ裂きにしたりした。それは長い長い時代にわたって拷問の芸術を専攻してきたこのサディスティックな種族によって考案されてきたものである。無数の緩慢《かんまん》でいまわしい拷問を加えて、ヴェランシア人を殺戮《さつりく》した。そして、犠牲者が長い苦痛のはてに息をひきとろうとするとき、デルゴン貴族たちは、そのずたずたにされた肉体がもはや維持できなくなった生命力を、文明人にはまったく理解できないようなおぞましくも根深い貪欲さで、むさぼりつくすのだった。
こうした恐るべき寄生生活が、長い時代にわたってつづいた。ヴェランシア人は抵抗したが、無益だった。彼らの粗雑《そざつ》な思考波スクリーンは、デルゴン貴族に対してほとんど無力だったが、ついにパトロール隊が到来した。そこでウォーゼルは、効果のある思考波スクリーン、優秀な宇宙船、強力な武器などを用いて、デルゴン貴族の一掃《いっそう》を指揮したのである。彼はもちろん恐れた。どんなヴェランシア人でも、デルゴン貴族のことを考えただけで、からだの心《しん》までぞっとするのだ。それは避けられない恐怖だ。遺伝化され、肉体の化学構造の中に植えつけられた恐怖だ。おぞましい拷問を受けた無数の祖先の冷酷な恐怖は、否定することも、放棄することもできないのだ。
もちろん、多くのデルゴン貴族は、デルゴンを脱出することに成功した。ある者は犠牲者を運んできた宇宙船に乗って逃げ、ある者はアイヒ族によって他の太陽系へ移された。残りの者は殺戮された。そして、ヴェランシア人がデルゴン貴族を殺せるという認識は強まり、ヴェランシア人の心に発生した抑圧者に対する感情は、文字どおり名状しがたいものになった。恐怖は依然として多量に残存していた――それは、まったく除去しがたいものだったのだ。嫌悪と反感もあった。それから、苛烈な燃えるような憎悪。そして、それらすべての感情にも増して強烈で、ほとんど固定観念にまで達しているのは、触知しうるほど濃密で、わめきたて、歯ぎしりし、駆りたてるような復讐の欲求である。ウォーゼルはじりじりして待機しながら、それらすべての感情、いやそれ以上のものを感じていた。
バレリア人が洞窟に侵入することを望んだのは、それが肉弾戦になることを意味しているからだ。戦闘は彼らの職業であり、スポーツであり、娯楽だった。彼らは、単純に心を打ちこんで闘争のために闘争を愛した。戦いながら死ぬことは、バレリア人の戦士にとって、自然で望ましい最期だった。平和に死ぬことは、不名誉で罪悪だった。彼らは、ちょうど大学生がデートの相手に会いに出かけると同じような喜びをもって、戦闘におもむくのだ。しかも、肉体的闘争をいやがうえにも楽しくするものとして、彼らはいまや半携帯式の牽引ビーム放射器と圧迫ビーム放射器を携行していた。真の殺戮は、戦闘が事実上終了するまでははじまらないのだ。デルゴン貴族たちを光線銃で殺戮することは単純そのものだ。しかし、知識や情報をあらいざらい白状するまでは、敵を殺してはならないのだ。
パレインのナドレックが行きたがったのは、すでに所有している膨大な知識をいっそう増すことだけが目的だった。事実に対する彼の欲求は、純粋に科学的なものだった。その欲求を満足させる方法などは、まったくどうでもよかった。事実、銀河文明に所属するものをも含めてすべての冷血種族が、苦痛に対して示す平静な冷淡さ、完全な無関心というものを人類に理解させることは不可能である。とくにその苦痛をこうむるのが敵である場合にはなおさらだ。ナドレックは〈後悔〉〈同情〉〈潔癖〉などという言葉のだいたいの意味を、読書を通じて、学問的哲学的に理解してはいたが、デルゴン貴族の心からデータを抽出《ちゅうしゅつ》するというような機械的な作業について、その過程で不幸な犠牲者がどんな目に合わねばならないとしても、それに対してそうした言葉が適用されると知ったならば、とほうもなく驚いたことだろう。
トレゴンシーが洞窟にはいったのは、キニスンがはいったからで、それ以外の理由はない――つまり、地球人が彼を必要とする場合に、それに応じるためなのだ。
キニスンがはいったのは、はいる必要があると感じたからだった。彼は、これから起こることが少しも愉快なものではないということを完全に知っていた。これから起こることがぴんからきりまで気に入るはずがなかった。また実際、気に入らなかった。事実、彼は、この仕事がはじまるまえに気分が悪くなればいいと思った――猛烈に気分が悪くなればいいと思った。ナドレックは、彼の精神的肉体的苦悩を知覚した。
「同志キニスン、あなたがいる必要はないのに、なぜ洞窟に残っているのです?」彼はキニスンがのちによく知るようになった驚くべき平静さで、それでもいくらかおもしろそうに、またふしぎそうにたずねた。「わたしの力は確かに卑小ですが、あなたが知りたいと望んでいる情報を獲得して、それを正確に伝達するというような、些細な問題を処理するには、充分な能力があると思います。わたしにはあなたの感情が理解できませんが、それらがあなたを構成する本質的要素であることは完全にわかります。あなたはそのような心理的抑圧や苦痛を、不必要に自分に課する必要はありません」
キニスンもトレゴンシーも、パレイン人の言葉の妥当性を認め、残虐《ざんぎゃく》な場面に立ち会わないですむ適当な口実がみつかったことを喜びながら、ただちに船へひきあげた。
その陰惨な洞窟の奥で、実際にどんなことが起こったかを詳細に述べる必要はない。仕事は長くかかり、なまやさしいものではなかった。デルゴン貴族が圧倒されるまでの戦闘自体が、どの地球人の目にも充分苛烈なものだった。バレリア人たちは堅固な宇宙服に身を固めていたが、死んだ者はひとりにとどまらなかった。怪物的なデルゴン貴族が最後のひとりまで、拷問スクリーンに固定されて身動きもできなくなるまでには、ウォーゼルも宇宙服は破れ、皮のように固い肉がひき裂かれ、焼けこげ、ずたずたになるというしまつだった。ナドレックだけが無傷ですんだ――彼は、自分が無傷ですんだのは、戦闘に加わらずに観戦していたからだと説明したが、事実そのとおりだった。
しかし、戦闘のあとにきたものは、もっとずっと悪かった。すでにのべたように、デルゴン貴族は、自分たち自身に対してさえ苛烈で冷酷で無慈悲だった。彼らは極度に無情で、頑固で不屈《ふくつ》だった。したがって、彼らがたやすく説得に応じなかったということは、協調するまでもあるまい。是が非でも必要な情報が、彼らの頑強《がんきょう》な心から洩らされるまでには、彼ら自身の拷問用具が徹底的に用いられねばならなかった。憤怒《ふんぬ》に燃えたヴェランシア人のウォーゼルは、復讐心と憎悪に駆りたてられながら、それらの拷問用具を用いたが、それは少なくともある程度理解できることだった。しかし、ナドレックは冷静に効果的に無情に拷問用具を使った。キニスンはナドレックのその態度を考えるだけで、氷のような戦慄が背筋を上下するのを感じた。
ついに仕事は完了した。損害をこうむったパトロール軍は、戦利品や負傷者とともにドーントレス号に引きあげた。洞窟はその中味もろとも抹殺された。二隻の船は離陸した。カーティフの重武装した〈商船〉は、地球へ向かって長い航行にのぼるのだ。ドーントレス号はヘレンと彼女の飛行機を彼女の空港におろし、それからすでに第九十七|裂け目《リフト》に集結しつつあるパトロール艦隊と合流する予定だった。
「ここへきてくれない、キム?」クラリッサの思考が呼びかけた。「わたくし、ヘレンをしきりにとめたんだけど、彼女は船からおりるまえに、あなたとお話したいというの――ほんとに、そういってきかないのよ」
「ふむ――そいつはたいしたことだ!」レンズマンは叫んで、看護婦長のキャビンに急いで出かけた。
そこには、ライレーンの女王が立っていた。五フィート六インチのクラリッサより、たっぷり五インチは高く、体重もクラリッサの百四十五ポンドというかなりの目方より、三十五ポンドも重いのだ。堂々と美しくしなやかに、彼女は直立していた。あわいブロンズ色のきわめて優美な彫刻のようだ。炎のような髪は、はなやかに乱れている。彼女は顔を誇らしげに保ち、わずかにあおむいて、地球人の静かで同情的な目を見つめた。
「ありがとう、キニスン、あなたやあなたの部下が、わたしやわたしの人民にしてくれたすべてのことを感謝します」彼女は簡潔にいうと、地球人の作法にしたがって、右手を差しだした。
「いいよ、ヘレン」キニスンは、差しだされた手を握ろうともせずに、おだやかに首をふった――ヘレンはほっとしたようすで、いそいで手をひっこめた。「けっこうだ。まったくたいしたことだと思うよ。だが、ぼくたち男性をそう早く好きになろうと努めることはない。徐々になれることだ。ぼくらはきみが好きだし、それ以上に尊敬している。しかし、ぼくらは宇宙をあちこち見ているのに、きみは見ていない。きみはまだ、ぼくと握手するほど親しみを持てないはずだ――事実、きみにはまだ、そんな負担に耐えるだけの準備がないのだ――だが、こんどは、きみがぼくと握手しようと考えたことを、実際に握手したものと考えよう。だが、実際にそうするように努力をつづけたまえ。そうすれば、いまにできるようになる。さしあたり、ぼくらはもっぱらきみたちを援助する。もし何か援助が必要になったら、きみの飛行機に通信機を取り付けておいたから、それで連絡したまえ。じゃあ、ごきげんよう!」
「ごきげんよう、マクドゥガルとキニスン!」ヘレンの目は、ふたりの地球人がこれまで見たこともないほどなごやかだった。「あなたがいったことは、ある程度、賢明で効果的だと思うわ。おそらく……ことによると……あなたがたの文明は、たぶん、たぶん――いずれにせよ、ありがとう――本当にありがとう。こんどは本気よ――さようなら」
ヘレンの飛行機はすでに船からおろされていた。ヘレンは船からおりて、そのわきに立った。そして、名状しがたい奇妙な表情を浮かべながら、巨大な宇宙船を、その姿が見えなくなるまで見送っていた。
「彼女にとっては、ぼくと親しくすることは、歯を抜かれるようにつらいことだったんだ」キニスンはフィアンセに笑いかけた。「だが、彼女はついにその苦痛を克服した。彼女は、あのヘレンは、えらい女だ。彼女なりの特異にゆがんだ意味でだがね」
「まあ、キム!」クラリッサは抗議した。「彼女はほんとにすてきよ。よくつきあってみればわかるわ。それに、びっくりするくらい、まぶしいくらい、美しいわ!」
「う、うん」キニスンは、まるで気乗りのしないようすで賛成した。「彼女をステンレスの鋳物に仕立ててみたまえ――鋳物にするまでもなく、同じようなものだがね――そうすれば、すばらしい像ができあがるさ」
「キムったら! なんてことをいうの!」彼女は叫んだ。「あの人は、わたくしがこれまでに見たうちで、完全無欠に美しいわ!」彼女は声をやわらげた。「わたくし、あの人みたいになりたい」彼女はうらやましそうにつけ加えた。
「もちろん、彼女はきれいさ――彼女なりにね」彼はまったく無感動に認めた。「だが、それならば、ラデリックスの猫鷲《キャットイーグル》だってそうだし、装甲板を貫徹《かんてつ》する長さ六フィートの穿孔器だってそうだ。きみは彼女みたいになりたいってことだが――そいつはまったくばかげたことだよ、クリス。そしてきみだって、それを知っている。きみとくらべれば、これまでにいた全部のヘレンをあわせても、クレオパトラやデッサ・デスプレーンズやイロナをみんなよせ集めたって、およびもつかない……」
もちろん、彼女は、彼にそういってもらいたかったのだ。そのあとのことは、ここでとくに描写するにはおよばない。
ドーントレス号が成層圏を突破してまもなく、ナドレックがデータの整理をおえたことを報告した。キニスンは、レンズマンたちを自分の部屋に召集して、極秘会議を開いた。ウォーゼルはまだ手術室にいるらしい。
「どうですか、先生?」キニスンは気軽にたずねた。彼は何も心配することはないと知っていた――ウォーゼルは自力で洞窟から出てきたのだし、ヴェランシア人は即死さえしなければ、どんな傷からでも驚くべき早さで回復するのだ。「縫い合わせに骨が折れますかね?」
「折れますとも!」医者はぶつぶついった。「電気ドリルで穴をあけて、架線工夫のプライヤを使わなければならんのです。だが、もうほとんどすみました――二分ほどしたら、そちらへ行くでしょう」そうして、予定の時間よりいくらも長くかからないで、ヴェランシア人は他のレンズマンといっしょになった。
彼は、からだに包帯やテープを巻かれていて、いつものようなすごい速度では動かなかったが、さも満足げなようすだった。彼は、惑星デルゴン上の最後の洞窟を一掃して以来、こんなに気持がよかったことははじめてだと断言した。
キニスンは思考の交換を中止して、レンズマン用映写機の映写をはじめた。この機械は立体映写機に似ているが、音と立体原色写真を映写するかわりに、純粋の思考を通じて捜査する。あるときはデルゴン貴族の思考であり、あるときはデルゴン貴族の心に記録されたアイヒ族又はその他の生物の思考であり、またあるときは、先行の思考を増幅《ぞうふく》したり、そのとき映写されている映像の細部を説明するナドレックやウォーゼルの思考だった。現在検討されているテープは、他のテープとともに、彼らがやってのけたことについてのレンズマン記録を構成するのだ。この記録は、レンズマン〈秘〉として、つまり、レンズマンだけが扱ったり見たりできるものとして、最高基地に送られる。のちに緊急事態が経過した後で、それらのコピーが多くの中央図書館に分配され、資格のある学生たちが参照できるようになるのだ。事実、本書のように真実性のある詳細な歴史を編集することができたのは、明敏で論理的で真実を追求するレンズマンたちが現場で即座に作成した、このような記録があったからこそなのだ。著者がもっとも誇りとするところは、自分が、レンズマンをのぞけば、この貴重な記録の大部分を研究することを許された最初の人間だということである。
ウォーゼルは報告の要旨《ようし》を知っていた。編集者であるナドレックはすべてを知っていた。しかし、キニスン、クラリッサ、トレゴンシーにとっては、テープに記録されたニュースは大きなショックだった。なぜなら、事実上、デルゴン貴族はキニスンのもっとも大胆な想像以上のことを知っており、ライレーン系には、キニスンのもっとも大胆な想像以上の秘密がひそんでいたのだ。この太陽系は、膨大な規模を持つボスコーン事業の主要な焦点の一つだった。ライレーン系第二惑星は、集会所であり、発送所であり、神経節であって、そこから何千という目に見えない連絡網が、温血の酸素呼吸者の住む何千という惑星に通じているのだ。メンジョ・ブリーコは、一回どころか何百回も、ライレーン系第二惑星へ宇宙船を派遣していた。イロナとその護衛たちの事件は、まったくとるにたりない出来事だったのだ。
しかし、デルゴン貴族たちは、第二銀河系のボスコーン組織については何も知らなかった。彼らはどこにも上級者を持たなかった。デルゴン貴族より上級の者がどこかにいるというような考えは思いもよらぬことだった。しかし、彼らは永久に暗黒なライレーン系第八惑星上に住むアイヒ族と協力していた――これはじつに驚くべき事実だった――このアイヒ族は、デルゴン貴族が温血で光を好む種族たちに対すると同じような形で、この区域に住む冷血で非酸素呼吸のボスコーン人たちを管理していた。デルゴン貴族とアイヒの協力をいっそう容易で効果的にするために、二つの惑星は超空間チューブで連結されていた。
「ちょっと待ちたまえ!」キニスンは機械をとめながら口をはさんだ。「デルゴン貴族たちは自分をごまかしていたと思う――そうだったにちがいない。もしやつらが第二銀河系かそのほかの上級機関に報告し、そこから命令を受けていたのでなければ、アイヒがそうだったにちがいない。洞窟の中には、そういう記録や証拠がなかったのだから、第八惑星のアイヒがそれを持っているはずだ。だから、デルゴン貴族が知っていたかどうかは別として、やつらはアイヒ族の下にいて、その命令を受けていたにちがいない。そうじゃないかね?」
「そうです」ナドレックが賛成した。「ウォーゼルとわたしは、彼らはその事実を知っていたが、体面上自分たち自身の心をさえいつわっていたのだ、と判断しました。われわれの結論とその基礎になったデータは、序章にあります――別のテープです。出しましょうか?」
「けっこうです――その点がはっきりすれば充分なのです。ありがとう」そして映写はつづけられた。
ライレーン系が、そのように重要な司令部に選ばれたおもな理由は、それがパトロール隊の科学者たちにまったく知られていない、遠隔にあるごく少数の太陽系の一つであって、そこでは、アイヒ族もデルゴン貴族も、自然的環境の中で生活できるからだった。ライレーン系第八惑星は、もちろん酷寒の地だった。しかし、この性質はめずらしくない。第八惑星というものは、どこの太陽系にあっても、ほとんどすべて寒冷だからだ。この惑星の特徴は、大気が惑星ジャーヌボンとほとんど同じだという点にあった。
また、ライレーン系第二惑星は、デルゴン貴族に完全に適していた。温度、重力、大気が適当であるというだけでなく、それよりずっとまれな条件として、デルゴン貴族が洞窟を長期間いとなむのに欠くことのできないものがあったからだ――それは、彼らの餌食に適当な、強力で生命力に富んだ心を持つ原住民である。
データはもっともっとあったが、それらは当面の問題に直接関係はなかった。テープがおわると、キニスンは映写機を切り、五人のレンズマンは、五面感応状態にはいって協議をはじめた。
ライレーン系第二惑星は、なぜ防御されていなかったのか? ウォーゼルとキニスンは、この疑問に対する解答をすでに持っていた。デルゴン貴族は、物質的防御施設ではなく、隠密性と精神力とをつねに自然の防御としてきたからだ。なぜアイヒ族が干渉しなかったのか? その解答も容易だ。アイヒ族は自己防衛に専念している――もしデルゴン貴族が自己防衛できなければ、それはデルゴン貴族の責任なのだ。イロナたちの快速艇の救援にきて、復讐のためにとどまっていた二隻の船は、確かに第八惑星からきたものではない。彼らの乗組員は酸素呼吸者だったからだ。おそらくランデブーにきたのだろう――いずれにしても重要ではない。なぜ全太陽系が前進基地とスクリーンで囲まれていなかったのか? わかりきったことだ。なぜドーントレス号は探知されなかったか? 探知波中立器を備えていたからだ。もし短距離用の電磁波探知器で探知されたとしても、ボスコーン船とまちがえられたのだろう。ドーントレス号が第八惑星上に何も異常なものを探知しなかったのは、あの惑星に分析器を向けることを、だれも思いつかなかったからだ。もし分析器を向けていれば、第八惑星が強力に防衛されていることがわかったろう。アイヒ族は、充分の防御施設をつくる時間があったろうか? あったにちがいない。さもなければ、彼らはあの惑星にいないだろう――彼らはそういう危険はおかさないにちがいない。ところで、ドーントレス号は大艦隊と旗艦Z9M9Zに合流するまえに、ちょっと第八惑星を偵察したほうがよくはないか? そのほうがよろしい。
そこで、ドーントレス号は船首をめぐらしてコースを逆行し、いまや高度に重要な存在と判明したライレーン系へ向かった。まえにライレーン系へ接近したときにも、付近をうろついているかもしれないボスコーン船に発見されることを避けるために、通常の注意を払ったが、いまやその警戒は徹底的に強化された。ライレーン系第八惑星にアイヒ族自身によって防衛されている基地があることがわかったからだ。
巨大な宇宙船が探知波中立器をいっぱいに働かし、探知や接受《せつじゅ》のあらゆる装置を、まるで深夜に暗い小道をしのび歩く牝猫の頬ひげのように鋭敏に展開しながら、じりじり目標に接近して行く間《かん》に、レンズマンたちはふたたび頭脳を結集して協議を開いた。
相手はアイヒ族だ。けっして容易な仕事ではない。接近さえ髪の毛一筋まで計算されねばなるまい。なぜなら、ボスコーン人は、太陽系全体をスクリーンでおおうのはまずい戦術だと判断した以上、自己の惑星は、その非人類的な天才が案出しうるかぎりの手段で武装し防御しているにちがいないからだ。ドーントレス号は電磁探知器の有効範囲のすぐ外側で停止しなければならないだろう。ボスコーン人は、電磁探知網を五百パーセント重複させているにちがいないからだ。探知波中立器は、電磁波をもある程度中立するだろうが、あまり危険をおかすのは無益だ。まえにライレーン系第二惑星へ直行コースで往復したときには、二つの理由から、そういう用心をする必要がなかった――そのコースが第八惑星から電磁波探知器で正確に探知するに離れすぎていたばかりでなく、ドーントレス号がボスコーンの船とまちがわれただろうからだ。しかし、第八惑星へコースを向けるとなると、まったく別問題だ。ボスコーン船なら、二つの惑星を結ぶ超空間チューブを使うだろうが、ドーントレス号としては、そのチューブの位置を知っていたとしても、それを使う気はなかったからだ。
あとは光学探知器の問題が残る。宇宙船は惑星間的距離からすれば、すこぶる小さな目標だが、電子望遠鏡というようなしろものがあるから、星一つが船影でおおいかくされただけでも、重大な結果を生ずるかもしれない。そこでキニスンは、チーフ・パイロットを呼びだした。
「ヘン、このあたりでは、星が稀薄な部分があるはずだな。恒星やあかるい星雲を一つもおおいかくさないで接近できるようなコースを見つけられるんじゃないか?」
「できると思いますよ、キム……ちょっと待ってください、調べますから――そう、らくにできます。とくに天底のあたりに暗黒の背景が、たっぷりあります」そこで協議がつづけられた。
キニスン専用の、本質的に探知不可能な黒い快速艇に乗れば、スクリーンを突破できるだろう。それはQXだが、あの快速艇はまったく戦闘力がない――マッチをつけるにたるビームさえ備えていないのだ。そればかりでなく、思考波スクリーンや、そのほかレンズマンたちには未知の新装置を敵がもっている公算が大きい。
キニスンはまったく楽観しなかった。彼は、自分が惑星ジャーヌボン上のアイヒの基地を偵察したときにぶつかったことを、まざまざと記憶していた。あのとき彼があやうく――まったくあやうく死をまぬかれたのは、ウォーゼルの救援があったからこそなのだ。しかも、ジャーヌボンの防衛者たちは、おそらく通常の警戒をおこなっていただけだったろうが、こんどの敵は≪例の≫レンズマンに対して特別警戒するように、知恵をつけられているにちがいない。彼はもちろん、こんども潜入するつもりだったが、そうすればおそらく足を先にして、つまり死んで出てくることになるだろう――彼は前回と同程度しか敵の防御については知らない。そして、それはとるに足りぬ……。
「割りこんで失礼ですが」ナドレックの思考が弁解した。「しかし、彼らのうちもっとも多く情報を持っている者をひとりさそいだして、われわれのところへ来させるほうが、もっと望ましいことのように思われますが、どうでしょう?」
「なんですって?」キニスンは問い返した。「もちろんのことです――しかし、いっいどんな方法でそれをやるのです?」
「みなさんもご存知のように、わたしは能力の乏しい者です」ナドレックは例によって、婉曲《えんきょく》に答えた。「また、質量も力もほとんど問題になりません。勇気として知られている能力となると、痕跡《こんせき》さえとどめていません――事実、わたしは、この自分に理解できない素質について長いこと考察した結果、それがわたしの存在体系の中にまったく位置を占めていないと判断したのです。わたしは、必要な任務を、もっとも容易で、できるかぎり安全な方法で遂行するほうが、はるかに安全だということを知りました。その方法とは、通常の場合、隠密、詭計《きけい》、間接操作、その他の臆病な手段です」
「そのどれを使っても、あるいは全部を使ってもQXです」キニスンは受けあった。「アイヒが相手であるかぎり、どんな方法でも大歓迎です。ただ、ぼくにわからんのは、どうしてそれをやってのけるかということです」
「わたしの方法にとって非常にじゃまになるのは、思考波スクリーンでした」パレイン人は説明した。「そこでわたしは、スクリーン発生器を破壊することなく、スクリーンに穴をあける方法を工夫せざるをえなかったのです。この装置は一般には知られていません」キニスンも知らなかった。他のレンズマンも同様だった。
「あなたがた四人が加熱宇宙服をつけて、船倉にあるわたしの快速艇へきてもらえますか? わたしの装置をあなたの快速艇に移すには、多少時間がかかるでしょう」
「それは非鉄製ですか――つまり、非探知性ですか」キニスンはたずねた。
「もちろんです」ナドレックは驚いたように答えた。「さっきもいったように、わたしは隠密に行動します。わたしの艇は、種族的差異にもとづく必然的な相違点をのぞけば、あなたの艇とそっくりです」
「じゃあ、なぜそういわなかったんです?」キニスンは反問した。「なぜ装置をわざわざ移動させるんです? なぜきみの快速艇を使わないんです?」
「質問されなかったからです。手数をかける必要はありません。あなたの艇を使う唯一の理由はあなたがたに宇宙服を着用する不快をまぬがれさせるためです」ナドレックは明白に答えた。
「では、ぼくの艇を使うのはやめなさい」キニスンは指示した。「きみはわれわれといっしょのときは、いつも宇宙服をつけている――しばらく交替するのもQXでしょう。いずれにせよ、そのほうがいい。この偵察隊の指揮者は当然きみで、われわれではありませんからね。そうでしょう?」
「あなたの許可を受けて、そういうことにしましょう」ナドレックは賛成した。「それに、あなたがたは、わたしの装置の効果が増すような改良を、示唆《しさ》してくれることができるでしょう」
「それはどうかな」この謙遜《けんそん》で言葉使いのやさしい『臆病な』レンズマンに対する地球人の尊敬の念はいよいよふかくなった。「しかし、われわれはそれを研究したい。そして、もしきみが許してくれれば、同じものをつくりたいのです」
「いいですとも」そこで、そういうことになった。
ドーントレス号は暗黒な背景をもったコースをとって慎重に進み、ついに停止した。ナドレック、ウォーゼル、キニスンの三人は、パレイン人の快速艇に乗りこんだ――偵察には三人で充分だったし、クラリッサもトレゴンシーもむりに同行しようとしなかったのだ。
快速艇はジェットを抑制しながら母船を離れ、深く重複して張りめぐらされた電磁波探知網を通過した。それから、まだほかに張りめぐらされているかもしれない何かの防止スクリーンを警戒しながら、宇宙的速度としては超鈍速でじりじり進んで行った。
この三人のレンズマンは、いずれも事実上探知器だった――アリシア人に与えられた特殊な知覚力のおかげで、エーテル振動ばかりかサブ・エーテル振動まで、目に見、肌にふれるように知覚することができるのだ――しかし、彼らは肉体的な知覚力だけに依存しなかった。快速艇には、従来の宇宙航行技術に未知の装置が積まれていたが、レンズマンたちはそれらを充分に活用した。スクリーンに到達すると、その発生装置がなんの警報をも発しないようにこっそりそれに穴をあけた。隕石スクリーンは、どんな物体をも通過させないように設計されているはずだが、それさえナドレックの巧妙な処理によって苦もなく克服した。
パレイン人の快速艇は、完全に光を吸収するその黒い船体を、ほとんど手にふれられそうなほど濃密な暗黒の空間に沈めながら、ライレーン系第八惑星上のボスコーン要塞に向かって、ひそかにゆっくりと下降して行った。
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一四 ナドレックの活動
ここで、惑星ロナバールが銀河文明の庇護《ひご》下にはいったもように、かんたんにふれておいたほうがいいだろう。それについては詳述するつもりはないし、そんなことはできるものでもない。なぜなら、それについて充分に説明しようとすれば、ゆうに一冊の本になってしまうし――事実、この問題の諸相について、すでに多くの書物が書かれている――この物語の本旨でもないからだ。しかし、このような惑星を文明化する方式についてある程度知ることは、この物語を充分に理解する上で大いに望ましいことである。銀河調整官キニスンとその協力者たちは、第二銀河系を確保するまでに、多数の惑星を同様な方式で文明化しなければならなかったからだ。
カーティフに化けたキニスンが姿を消すやいなや、パトロール隊がロナバールに進出してきた。もしロナバールが強力に防衛されていれば、適当な規模の艦隊が道を切り開かなければならなかったろう。しかしそうではなかったので、着陸したのは艦隊ではなく輸送船団で、以後のすべての闘争はまったく防衛一方にかぎられた。
広報員が先頭に立った。つぎに心理学者。つぎに言語ばかりでなくあらゆる人間関係の処理に通じたレンズマンたち。銀河文明の事情が明確に反復して述べられ、専制政治の誤りと欠陥が指摘された。行政府の中核が形成された。行政府の中核が形成された。銀河文明から輸入された政府ではなく、レンズマンによる能力や信頼度のテストに合格したロナバール市民の政府である。
この地域的政府のもとに、擬似民主制がおぼつかなく発足した。はじめのうち進歩はうんざりするほどのろかったが、パトロール隊の仕事を真に理解する市民が増加するにつれて、進歩のペースは速まった。この侵略者たちは、言論の自由と法的自由を許した――いや促進した――ばかりでなく、古い独裁制の廃墟のうえに、なんらかの新しい独裁制を建設しようと努める個人や党派を容赦なく弾圧した。この噂はすみやかにひろまった。そして、どれほど深く埋没していようと、すべての知的生物にかならず存在する自己表現の欲求は、つねにそして強力に銀河文明に味方した。
もちろん、反抗はあった。旧制度のもとで利益をえていた者たちはほとんどすべて、旧制度の継続をつよく望んだ。抑圧されていた者たちの中にも、あまりにも長く盲目的に抑圧されつづけてきたために、旧制度以外の制度を理解できない者も多数いた。彼らにあっては、上述の自己表現の欲求がいためつけられ、しいたげられて、ほとんど消滅してしまったのだ。彼らは積極的に文明に反抗はしなかった――彼らにとっては、いずれにしても、主人の交替にすぎなかったからだ――しかし、旧制度によって彼らをふたたび奴隷化しようとする者たちは、文明の真の敵だった。
メンジョ・ブリーコの追従者や手先は、労働か餓死かを要求された。この寄生者たちは、新制度を支持することを許された――さもなければ餓死しなければならないのだ。無力な大衆を餌食にして搾取しようとした者は、逮捕され裁判にかけられた。ある者は洗脳され、ある者は追放され、ある者は死刑に処せられた。
しかし、無知な大衆はどうしようもなかった。彼らには、知性のひらめきがごくわずかしか見られなかったのだ。新政府はそのひらめきを助成しながら、旧政府と同様に頑固として、しかしそれほど苛酷でなく、彼らを支配した。レンズマンたちは、それらの不幸な民衆の子どもか、そのまた子どもの世代になれば、このひらめきが巨大な白熱的炎にまで燃えあがることを確信しながら、この若い文明の苦闘を後援した。
この制度が真のデモクラシーではなく、また今後長いこと真のデモクラシーになりえないだろうことはあきらかである。これは事実、啓蒙的専制政治で、一種の自治制度ではあったが、銀河評議会によって、その代表であるレンズマンを通じて監督されているのだった。しかし、それは従来ロナバール人に知られていたいかなる制度より、はるかに自由主義的で、政治的|天啓《てんけい》といってもよいほどだった。政府の堕落は、宇宙を通じてデモクラシーにつきものの欠陥であるが、そうしたものがつけいる余地はまったくなかったので、真のデモクラシーと文明の原理は、年とともに根を深くおろしていった。
物語の本筋にもどろう。ナドレックの探知不可能な快速艇は、ボスコーン要塞の中央ドームからはるかに離れた地面に着陸した。広く展開されたスクリーンの手前だ。レンズマンたちは、そのドームの外側にはだれもいず、どんな知覚力をもってしてもそれらのスクリーンを通過しえない、ということを知っていた。しかし、敵がそのほかに探知や攻撃や防御のどんな装置を持っているかわからなかったので、効果的に活動できる限度で、最大限の距離を保つことが、もっとものぞましかったのだ。
「活動的な心に、まったく思考するなと要求するのは無駄であるということはわかっています」ナドレックは、さまざまの装置を操作しながらいった。「しかし、われわれの仕事の性質上、あなたがたもすでにご承知のように、われわれの思考が外部に洩れれば、はかりしれない損害をもたらすでしょう。したがって、なにごとが起ころうとも、つねに思考波スクリーンを働かせているようにねがいます。しかし、わたしは、いつ助言や忠告が必要になるかもしれませんから、あなたがたに連絡ができるようにしておかねばなりません。そのために、これらの電極を身につけていください。これは一種の受信機につながっています。どうぞ、おたがいにでもわたしにでも、自由に話しかけてください。しかし、言語だけを使っていただきたい。わたしはここでレンズ思考を使いたくないのです。賛成してくれますか? 用意はいいですか?」
彼らは賛成して、用意した。ナドレックは特異なドリルを働かせた――ある程度Q型螺旋に似たエネルギー・チューブだが、思考波の周波帯域内で操作されるという点がちがっていた――そして、ほとんど無限小の増加率でパワーを増加しはじめた。一見なにごとも起こらないようだったが、やがてパレイン人の装置はスクリーンを穿孔したことを示した。
「これはけっして安全な仕事ではありません」パレイン人は、信じられぬほど精密な作業から少しも注意をそらすことなく、いくつにも区画された脳の一部を働かせていった。「キニスン、わたしの臆病な流儀で提案したいのですが、あなたは制御盤について、いつでも全速力で予告なしにこの惑星から離脱できるように待機していてくれませんか?」
「いいですとも!」地球人はすばやく指示にしたがった。「いまこそ臆病が必要なのだ――たっぷりとね」
しかし、中空のドリルは、敵に気づかれることなくつぎつぎにスクリーンを貫き、ついにそのトンネルから異質な思考がかすかに洩れはじめた。ナドレックは一旦《いったん》、ドリルを停止してから、少しずつトンネルをひろげて、思考が明瞭に流出するようにした――日常の作業をおこなっているアイヒ族の思考だ。この自信にみちた怪物どもは、完全に遮蔽されたドームの中なので、個人用思考波スクリーンを着用していなかった。これは、銀河文明にとってさいわいなことだった。
レンズマンたちは、あらかじめアイヒ族の心理学者の心を偵察することにきめていた。そこで、パレイン人は思考波を投射したが、それは、そのような心にのみ作用して、そのほかの心にはほとんど知覚されないようなものだった。それは極度に微弱で、知覚の表面をかすかにかすめるだけだった。きわめてかすかで無定形で未完なので、キニスンは、それを思考として認識するのに、知覚力を極度に集中しなければならなかった。事実、ナドレックの心も獲物の心も、あまりにも非人類的なので、地球人としては、それを認識するのが精いっぱいだったのだ。それは、造物主の性質と構造、基本的な自我《エゴ》、その存在理由、その動機、その分化、万物の原始起源という恐るべき概念といったものと、微妙に関係を持っているのだった。
ナドレックは驚くほどの忍耐づよさで、思考波の力を増しもせず、そののろいテンポをはやめもしなかった。彼は一分一分と根気よくそれを維持しながら、原子噴霧器から原子霧をふりまくように、広大なドーム全体にそれをふりまいた。そしてついに手ごたえがあった。一つの心が、そのものほしげにさまよう原始的な思考を捕捉し、それを自己の思考としたのだ。その心はその思考を強化し、拡大し、組み立てた。ナドレックはそれを追跡した。
彼はむりをしなかった。その思考がナドレックのものだという疑いを相手に起こさせるようなことはなにもしなかった。しかし、アイヒはその思考に集中している間に、無意識のうちにナドレックが自分の心に侵入してくることを許してしまった。
それから、パレイン人はアイヒの心に完全に同調しながら、なにかを忘れたのではないか、なにかちょっとした仕事を怠ったのではないか、というかすかな不安の観念を暗示した。これは最初の危険な瞬間だった。なぜなら、ナドレックは獲物の義務がなんであり、どんなことをし忘れる可能性があるかというようなことについて、何も知らなかったからだ。その仕事は、アイヒをドームから出させて、パトロールマンたちの快速艇のほうへ来させるものでなければならなかったが、それを、アイヒ自身に思いつかせる必要があった。ナドレックとしては、この段階でこのような距離をへだてては、部分的な制御を試みることさえできなかったのだ。
キニスンは歯をくいしばり、息をつめ、大きな手で制御ハンドルをかたく握りしめていた。ウォーゼルも、知らず知らずそのしなやかなからだをいよいよ小さく、いよいよかたく、とぐろにまきしめていた。
「ああ!」キニスンははげしく息をついた。「成功したぞ!」心理学者は、ナドレックの微妙な暗示にしたがって、とうとうある仕事を思いついたのだ。それは、一台の思考波スクリーン発生器がちょっとした故障を起こしていて、事実もっとまえに点検すべきことだったのだ。
そのアイヒは、ひどくつかまえにくい思考をついに思い出したことに軽い満足をおぼえながら、ドームの強固なドアの一つを開いて、レンズマンたちが待っているほうへ無心に直進してきた。彼が近づくにつれて、ナドレックは心の制御力を対数的に増加した。
「なにか手ちがいが起きて、彼が離脱しようとしたら、思考波スクリーンを切って、わたしに同調できるようにしておいてください」ナドレックは注意したが、なにも手ちがいは起こらなかった。
アイヒは快速艇に気づかずに、そのすぐわきまできて立ち止まった。ドリルは消滅した。思考波スクリーンがこの一団をしっかり包囲した。キニスンとウォーゼルは個人用スクリーンを切って、アイヒの心に同調した。キニスンはちょっと失望した。彼らがアイヒの心に発見した情報は、ひどく乏しかったからだ。
そのアイヒは、第一銀河系内のボスコーン組織の行動については、多くのことを知っていた。しかし、そのことなら、レンズマンたちも知っているのだ。彼らはそんなことには関心はなかった。また、現在のところ、ファイルや記録にも関心はなかった。アイヒは、上級者については、ふたりしか知らなかった。彼は、カンドロンという名の、いくらかアイヒ族に似た生物から、銀河系間通信機によって命令を受け、またその生物に報告していた。そして、このカンドロンがときおり不用意に洩らす思考から、彼はカンドロンの背後にアルコンと呼ばれる人物がいることをおぼろげに理解していた。彼はそれらの上級者のいる惑星が第二銀河系にあるものと想像していたが、それでさえ確実ではなかった。彼はそのどちらにも会ったことはなかった。自分も仲間のアイヒたちも、このふたりに会うことは許されまいと確信していた。彼はふたりの居所をつきとめる方法もなく、そうする意向もまったくなかった。彼が正確に知っている事実は、カンドロンが不定期にこのアイヒ基地と連絡をとるということだけだった。
アイヒの知識はそれで全部だった。キニスンとウォーゼルは、アイヒの心から離脱した。ナドレックは、ここでくわしく述べるのもわずらわしいほどこまかな注意を払って、まだ何も気づかずにいる怪物をドームへもどした。アイヒは、自分がどこへなんのために出かけたかを完全に認識していた。彼はスクリーン発生器を検査し、それが調子がよいことを知ったのだ。その間《かん》、経過した時間は、一秒のちがいもなく説明がついた。彼は、自分の心や自分の周囲で、何か異常なことが起こったなどとは、夢にも思わなかった。
快速艇は惑星に接近したときと同様の慎重さで、そこを立ち去った。艇がドーントレス号へもどると、キニスンは、大艦隊の旗艦Z9M9Zにいる空港司令官ヘインズに、強固な通信ビームを向けた。そして、それまでに起こったことを、てきぱきと報告した。
「ですから、最良の方法は艦隊ができるだけ早くそこから発進することです」キニスンは結論した。「第九十四|裂け目《リフト》へ直行し、渦の腕と銀河本体とからできるだけ離れていてください。動員可能の全測定スクリーンを動員してください――そして、ライレーンと第二銀河系を結ぶ線に沿って操作するのです。その線をできるだけ早く延長して、スクリーン上のすべての破れ目を図に記録してください。われわれは全速力で艦隊に合流し、Z9M9Zに移ります――旗艦のタンクは、われわれがしなければならない仕事におあつらえむきなのです」
「よろしい、きみがそういうなら、そういうことにせずばなるまい」ヘインズは不服そうにいった。彼は、キニスンの勧告がどういうものになるかがわかりはじめてから、ずっとぶつぶつうなりつづけだったのだ。「わしは、ボスコーンのやつらをのさばらせて待機しているのが気にいらん、ブロンセカのプレリンのときのようにな。あんなことは、一度で、もうこりごりだ」
「しかし、結局はやつらを片づけたでしょう」キニスンは陽気に答えた。「そして、このアイヒどもも片づけられますよ――いつかは」
「そうあってほしいものだ」ヘインズはしぶしぶ認めた。「QX――だが、なるべく急いでくれ。きみがこの船から仕事をすませて、出て行くのが早ければ早いほど、われわれはそれだけ早くあともどりして、そのいまいましい巣を片づけられるというものだ」
キニスンは通信ビームを切りながらにやりと笑った。彼は空港司令官が、ライレーン系第八惑星を攻撃できるまでには、まだかなり時間がかかることを知っていた。しかし、その彼でさえ、それにどのくらい時間がかかるかはわからなかった。
思ったより時間がかかったのは、敵の銀河系間通信機がときたましか操作されないという事実によるものではなかった。非常に多くの測定スクリーンが、非常に広範囲に展開され、通信波による破れ目が非常に精密に測定され配列されたので、通信が中断している期間も、ほとんど時間のロスにはならなかったのだ。また、測定範囲が大きいということによるものでもなかった。なぜなら、すでに述べたように、銀河系間空間では、物質の速度がきわめて稀薄なので、宇宙船は恒星間空間を満たしているはるかに濃密な媒質におけるよりも、ずっと大きな速度で航行できたからだ。
そうではなかった。ライレーン系第八惑星のボスコーン要塞が、長いこと執行猶予を与えられたのは、通信ビームによる破れ目によって決定された方向のせいだった。レンズマンたちは類推的判断からして、その直線が、第二銀河系の本体からかなり離れた天頂か、天底にある星団に通じているだろうと考えていた。しかし、そうではなかった。パトロール隊の観測員が、誤差が非常に少なくなるほど接近してみると、彼らの目標が第二銀河系自体の中にあることがあきらかになったからだ。
「どうもこの線はいささか気にいりませんな、閣下」キニスンは司令官にいった。「こんな大きな艦隊を、敵にとって最重要にちがいない通信線に沿って、敵の本拠である銀河系に乗りこませれば、たちまち疑われてしまうでしょう」
「いかにもそうだ」空港司令官ヘインズは賛成した。「これまではQXだが、これからが大いに危険だ。やつらがわれわれの測定スクリーンについて知っているかどうかはわからんが、知っているものと仮定しなければならん。もし知っているとすれば、やつらはこの通信線をはしからはしまで警戒しているだろう。そして、われわれを探知したとたんに、通信線を完全に切ってしまうだろう。そうなれば、どうすればいいのだ?」
「また、ふり出しに逆もどりです――わたしはそれを心配しているのです。もっと悪いことには、われわれが追求している相手は、この線のはずれ近くにはいないだろうということです」
「ほう? なぜそう思うんだね?」ヘインズはたずねた。
「論理的必然です。われわれがこれからぶつかる相手は、真に思考することを知っています。われわれはすでに、彼らがわれわれのビーム追跡器や探知波中立器について知っているものと推定しました。彼らは、われわれが本質的に探知不可能な船や、ほとんど完全に光を吸収する被覆剤《ひふくざい》を持っていることも、知っている可能性があるのではないでしょうか? そうだとすると、どういう結論になりますか?」
「うむ……む……む。わかった。ビームの性質を変えることはできないから、やつらは一連の中継装置を使うだろう……それぞれの中継線の末端には、やつらが思いつくかぎりの探知装置をつける……そして妨害の徴候があらわれたとたんに、おそらく銀河系の中途で、スイッチを切る。それに、何も探知しなくても、一般原則として、ときどきスイッチを切りかえるかもしれん」
「そのとおりです。ですから、閣下は艦隊をつれてお帰りください。ナドレックとわたしは、われわれの快速艇で、この線の残りの部分を追求しますから」
「ばかをいえ。きみはもうすこし頭が働くはずだ」ヘインズは若者をひやかすように凝視《ぎょうし》した。
「ほかに何がありますか? どこに手おちがありますか?」キニスンはたずねた。
「こんなことは戦術の初歩だよ、きみ」司令官は教えた。「小規模で隠密な作戦を、大規模な陽動作戦でカバーするのだ。だからわしは一戦区で偵察をやろうと思うときには、別の戦区で大攻撃をおこなうことにしているのだ」
「しかし、それがなんの役に立ちますか?」キニスンは忠告した。「大攻撃には損害がつきものですが、それをおぎなうだけの利益がありますか?」
「利益だと? あるとも! いいかね」ヘインズのもじゃもじゃした銀髪は、むきになったあまり、逆立った。「われわれは長いこと守勢に立っていた。敵は地球攻撃の損害で弱体化しているにちがいない。やつらが兵力を再建するまえのいまこそ、攻撃のときだ。わしがいったように、きみたちの作戦をカバーするために牽制作戦をするのはいいが、わしはそれ以上のことを望んでおる。われわれはこれから本格的な進攻を開始すべきだ。強力な攻撃が可能な場合には、それが最良の防御なのだ――一般的にいってもな。しかも、こちらはすっかり準備ができている。われわれは、まずこの艦隊で進攻を開始し、敵が反撃するだけの充分な力がないことが判明すると同時に、動員できるかぎりの兵力で進攻する。敵が通信機のような些細《ささい》な問題にかかずらわっていられないほど、痛烈に打撃を加えるのだ」
「ふむ……む。そういう角度から考えたことはありませんでしたが、名案です。いずれにせよ、いつかはあそこを攻撃するのですから――いまだっていいわけです。閣下は銀河系のへりか、渦の腕から進攻をはじめて、全銀河系を征服するかのように見せかけるおつもりですね?」
「『かのように』ではない」ヘインズはきっぱりいった。「実際にそうするつもりなのだ。渦の腕の外縁になるべく地球に似た惑星を発見する」
「そして、それをなるべく地球のように整備して、『調整』作業の総司令部に使えるようにするのですね」キニスンは微笑した。
「これは空想ではなくて現実だよ、きみ。そういう惑星を見つけて接収する。シラミつぶしにボスコーン組織を除去する。そして、宇宙で最大最強の基地にするのだ――ジャーヌボンよりもっと強大な基地にな。われわれは持っている総力を投入し、その惑星を足場にして勢力を拡大し、拡大しながら障害を除去していくのだ。第二銀河系を文明化するのだ!」
こうして、超長距離通信で協議をかさねたのち、銀河パトロール隊が攻勢に転ずることが決定された。
ヘインズは大艦隊を集結させた。それから、二隻の黒い快速艇が、ひそかに通信線を追求しているあいだに、銀河文明の無敵艦隊《アルマダ》は数千パーセク横に移動したのち、通常の巡航噴射で第二銀河系のもっとも手前のへりに向かった。
この作戦では隠密性はまったく不要だった。艦隊の配列を除けば、とくに手数のかかることはなかった。まず、偵察巡洋艦隊が、不規則な形の巨大な円錐編隊をなして先頭に立った。これらの船は比較的小型で、とくに重武装でも重防備でもなかったが、超高速で、現存するもっとも強力な探知器、位置測定器などを備えていた。彼らは編隊に束縛されることなく、個々の指揮官の判断にしたがって、旗艦Z9M9Zの大艦隊操作官の直接の監督のもと、たえず各方向へ飛びまわっていた――そして、探索し、観察し、記録し、報告していた。
偵察隊の二番手に、軽巡洋艦、巡洋爆撃艦がきた――後者は、敵に接近して反物質爆弾を投ずるように設計された、新しいタイプの船である。三番目につづくのは、重防御巡洋艦。これらの船は、銀河系内のボスコーン海賊船を狩りたてるために、とくに設計されたものだった。彼らはほとんど貫通不可能なスクリーンを装備していて、超大型戦艦をさえ捕捉することができた。これまで大艦隊に編入されたことはなかったが、いまや牽引ゾーンと爆弾チューブを装備していたので、理論的戦術上、この位置が有効ということになったのだ。
次に真打ちの戦艦隊がきた――|空飛ぶ鉄槌《モーラー》からなる強固な方陣だ。これまでにあげた各種の船はすべて、程度の差こそあれ、行動の自由を持っていた。偵察艦は、ほとんど完全に自由だった。戦闘は彼らの任務ではないのだ。彼らはやむをえない場合には多少戦うことができたが、離脱が可能な場合には、どの方向へでも臨機応変に離脱するのだ。巡洋爆撃艦は、情況に応じて戦闘してもよいし、回避してもよい――つまり、軽巡洋艦となら戦うが、相手が大型艦なら、応戦しながら逃げるのだ。重巡洋艦は|空飛ぶ鉄槌《モーラー》以外のどんな船とも戦うが、編隊を組みつづける必要はない。いつでも編隊をといて、船対船の一騎打ちをやる。
しかし、|空飛ぶ鉄槌《モーラー》からなる恐るべき戦闘集団は、まったく行動の自由を持たない。彼らには一つの進行方向しかない――直進である。無慣性化された惑星には道をゆずるが、それより小さなものには、けっしてゆずらない。そして、方向を変える場合にも、個々にではなく、全体として行動するのだ。この集団の任務は、先行の、より小型の船のスクリーンが、敵によって破壊され分散させられた場合、その敵を突然――直撃突破――することだ。この強力な戦闘集団が対抗できないと考えられる唯一の兵器は、太陽ビームしかない。パトロールマンたちは、ボスコーンが太陽ビームを持っていないことを切望した。
もちろん、同じように強力な|空飛ぶ鉄槌《モーラー》の同様な集団ならば、この集団を撃滅できるかもしれない。この問題は、理論的結果と演習場の結果とが一致していないし、実戦で解決されたこともない。一つだけ確実なことがある――もしそのような実戦が起こった場合には、不可抗的な力と不動の物体との衝突の結果が予測できないと同様に、すこぶる興味ぶかい副産物が多量にえられるにちがいない。
空飛ぶ鉄槌《モーラー》の側面には、戦艦と超大型戦艦が、美しい抛物線《ほうぶつせん》状の円錐をなして配置されている。そして、空飛ぶ要塞が形成する防壁の真後《まうし》ろには、大型戦艦の防御スクリーンに保護されて、旗艦Z9M9Z――全艦隊の脳髄――が浮かんでいる。
しかし、無慣性惑星も惑星的規模の反物質球も、太陽ビームもない。そうしたものは、最高基地の防衛とか、そのような基地に対する徹底的破壊攻撃には有効だが、速度がおそくてかさばりすぎる。だから、それらの超強力兵器は、パトロール隊がボスコーンのあらゆる攻撃に対抗して維持すべき惑星を選択したのちに運ばれるのだ。この遠征では、防衛すべき惑星もないし、破壊すべき惑星もない。これは第二銀河系の中に適当な足場を求めるための、銀河文明の前衛部隊であり、その進路をはばむほどの機動性のあるどんな兵力にも、対抗できるように装備されているのだ。
まえにも述べたように、この遠征軍が第二銀河系へ接近するにつれて、隠密性はまったく不必要だったが、不当ににぎやかで露骨だったわけではない。不注意な行動や誇張した行動をとることは、まずい戦術だ。銀河文明の大艦隊は通常の警戒態勢をとりながら、整然と前進して行った。探知波中立器は完全に操作されず、すべての防御スクリーンは展開され、各船の各映像プレートは、機敏で目のきく観測員によって、監視されていた。
しかし、空港司令官ヘインズ、参謀将校をはじめ、ほとんどすべての士官は、遠征艦隊が、現在むかいつつある第二銀河系の外縁に到達するよりずっとまえに敵に探知されるものと覚悟していた。艦隊を構成する膨大な量の鉄金属を隠蔽することは不可能だった。また、どんな工夫をこらそうとも、空間を占めている通常の物体であると偽装することもできなかった。
大宇宙船の激烈な閃光を遮蔽することはできない。大艦隊の閃光の膨大な総量は、多数の観測所の電子望遠鏡の注意をひきつけるに充分な天体現象となるだろう。そして、驚くべき解像力を持つそうした望遠鏡のうち、とくに近くにあるもの、船全体の閃光の比較的あかるい背景の中で、ほとんど船の一隻一隻まで捕捉するだろう。
しかし、パトロールマンたちは、それを問題にしなかった。これは公然たる進攻なのだ。波状攻撃の第一波なのだ。この波状攻撃は、銀河パトロール隊が第二銀河系のボスコーン勢力を一掃するまで停止されないだろう。
大艦隊はしずしずと前進をつづけた。恐るべき自己の力を確信し、何がこようとびくともしない意気ごみで、まさにその瞬間、敵が防御力のすべてを結集して迎撃しようとしていることをものともせずに進んで行った。
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一五 惑星クロヴィア
ヘインズや銀河評議会がすでに推定したように、ボスコニアは、いまやまったく守勢にまわっていた。ボスコニアは要塞堅固な地球に攻撃を加え、いま少しというところで完敗したが、あれが精いっぱいの努力だったのだ。すでに見たように、攻撃はきわどいところで成功しかけたのだが、ボスコーンの首脳部はそれを知らなかったし、また知りえなかった。超空間チューブを通じての通信は不可能だった。通常の通信ビームは、パトロール隊の通信妨害を排除しえなかった。ボスコーンの観測員も、出来事を観察したり記録したりできるほど現場近くに配置されえなかった。そして、地球があやうく滅亡するところだった情況を報告できるような一隻のボスコーン船も、ひとりのボスコーン人も、生きのびられなかったのだ。
しかし結局のところ、もしスラールのアルコンがそれを知ったとしても、彼にとっては同じことだった。完全な成功でないものは完全な失敗なのだ。もう少しで成功するところだったというようなことは無意味なのだ。地球攻撃は失敗した。彼らはあの大作戦に総力を投入した。有金《ありがね》を残らずつぎこんだが、それでも充分ではなかったのだ。したがって、彼らはさしあたり人類の銀河系を完全に放棄し、壊滅した兵力の再建と、企てもおよばなかったほど強力な兵器の設計建造とに、奔命《ほんめい》していたのだ。
しかし、彼らは、銀河文明の大艦隊の進攻を向かえうつに適当な準備をするには、まったく時間がたりなかった。|空飛ぶ鉄槌《モーラー》や空飛ぶ要塞のような大型宇宙船を建造するには時間がかかる――うんとかかる。そして彼らは、その時間を持つことを許されなかったのだ。小型宇宙船は多量に持っていた。何百万というボスコーン系の惑星は、効果的に使用できる限度以上の巡洋艦や第一線級の戦艦をさえ、ほんの数時間のうちに、動員することができたが、兵力の背骨をなす大型宇宙船についは、みじめなほど弱体だったのだ。
|空飛ぶ鉄槌《モーラー》の堅固な集団を破壊することは、理論的にはほとんど不可能だから、ボスコニアも銀河パトロール隊も、このような宇宙船については、多量の予備を持っていなかった。建造なかばでは戦うことができないのだ。
ボスコニアは多くの誘導惑星を持っていたが、それらはあまりにも巨大すぎた。すでに見たように、惑星はあまりにもかさばっていて動作がにぶいから、機動性があって適切に操作されている艦隊を相手にするには不適当なのだ。
いっぽう、パトロール隊の大艦隊は、最好調で、完全にバランスがとれていた。地球の最高基地の防衛戦で損害をこうむったのは事実だが、それらの損失は比較的小型の船だったから、銀河文明の惑星は、ボスコニアの惑星と同様に、すみやかにそれらを補充できた。
したがって、ボスコニアの艦隊は、第二銀河系のすぐ外側でパトロール隊を迎撃したものの、非常に不利な立場に立たされていた。事実、ボスコニアは二つの点で不利だった。ボスコニアはレンズマンも旗艦Z9M9Zも持っていなかったからだ。しかも、老練な策略家であるヘインズが、その両者を統制しているのだ。
大艦隊は、これまで直線コースを維持してきたので、ボスコニアの防御もこの線に沿って配置されていた。しかし、いまやヘインズはコースを斜めに変えて、敵に陣形を変えることを強要した。ボスコニア艦隊はパトロール艦隊と交戦しなければならなかったが、パトロール艦隊はボスコニア艦隊と交戦する必要はなかった。ボスコニア艦隊は陣形を変えた――ヘインズが予想し期待したように混乱している――そこでヘインズは、またコースを変えた。もう一度、そしてもう一度、コースが変わるたびに、敵の陣形はいよいよ救いようのないほど混乱した。
偵察艦はたえず報告していた。Z9M9Zの直径七百フィートのレンズ型タンクの中では、敵の各艦隊の配置が正確に映写されていた。いまや完全に訓練されて、仕事を日常茶飯事のようにできるようになった四人のリゲル人レンズマンは、その映像を圧縮――要約――して、ヘインズ専用の直径十フィートの戦略タンクに再現した。ついに両艦隊がもはや方向転換できないほど接近し、パトロール艦隊の堅固な中核集団のコースが、敵の混乱した中核を指向したとき、ヘインズは戦闘開始を命じた。
無慣性状態のままでいた偵察艦は、さっとわきへよけて、あらかじめさだめられていた観測位置についた。その他の艦はすべて有重力状態に移行して直進した。軽巡洋艦と巡洋爆撃艦が最初に敵と接触した。そのとき、ヘインズは敵が反物質爆弾を持っていることを知って、たくましい胸につめたい衝撃をおぼえた。
この点については、多くの論議が戦わされていた。一つの意見は、ボスコニアが反物質爆弾を所有しているだろうというのだった。ボスコニア人は反物質爆弾を実際に見ているし、彼らの科学者は銀河文明の科学者と同様に有能だからだ。もう一つの意見は、このような爆弾の製造と使用には、科学者協議会の全知能を結集することが必要だったのだし、ボスコニア人は銀河文明人のように協力的ではないらしいから、反物質爆弾を所有しえないだろうというのだった。
大艦隊の軽巡洋艦の約半数は爆撃艦で、これは計画的に編成されたことだった。新兵器の使用にあたっては、理論的戦術では解決できないような種々の問題が含まれているからだ。理論的にいえば、爆撃艦は同じトン数のふつうの軽巡洋艦を、かならず破ることができる。ただし、爆撃艦が爆弾を敵の枢要部に投射するまえに、敵に破壊されなかったと仮定しての話だ――ここに問題がある! なぜなら、新装置を装備するためには、それまでの装置のうち、どれかを犠牲にしなければならないからだ。動力とか、武装とか、第一次ビームとか第二次ビームとか、防御スクリーンとか。さもなければ、船の大きさや質量が増加し、軽巡洋艦ではなく、重巡洋艦になってしまう。
そして、パトロール隊の心理学者たちは、キニスンやイロナをはじめ、多くのテープなどから集めた事実にもとづいて、一つの判断に到達していた――その判断によれば、銀河文明の軽巡洋艦は、敵の軽巡洋艦より堅固なスクリーンと強力なビームを持っているので、敵の軽巡洋艦が反物質爆撃艦だとしても、それを撃滅できる公算が大きいというのである。
したがって、軽巡洋艦と巡洋爆撃艦の比率は半々にされたのだった。しかし、ヘインズは、心理学者たちの判断を必ずしも信用しなかったので、標準型軽巡洋艦の指揮官たちは、きわめて明確な命令を与えられていた。もしボスコニア船が反物質爆弾を所有していて、学者たちの判断が当たっていなかった場合には、指示を受けるまでもなく背を向けて離脱せよ、というのだ。
ヘインズは、敵が反物質爆弾を所有しているとは思っていなかった。反物質爆弾はきわめて新しく、処理がむずかしい兵器だからだ。彼は心理学者たちの判断を暗黙のうちに信じたかった――しかしそれができなかったのだ。だから、敵が反物質爆弾を持っていることを知るやいなや、しばらくタンクのそばを離れて、そのとき行動を開始しつつあった一隻の普通型軽巡洋艦の制御室と映像プレートを通じて、完全な連絡をとった。
彼が見ていると、軽巡洋艦はボスコニア艦が反物質爆弾を投射しようとしているのへ向かって勇敢に突進して行った。そして敏速な小型艦は牽引ゾーンを展開した。反物質爆弾はその帯域に接触してはね返った。牽引ビーム係は行動に移り、心理学者たちの判断はみごとに実現された。なぜなら、つづいて起こったことは、物質的打撃力の勝利ではなく、士気の勝利だったからだ。心理学者たちは、ボスコニアの爆撃員たちが下積みで奴隷のようにこき使われている結果、牽引ビームを圧迫ビームとして使用することをためらうだろうから、そのあいだにパトロール艦のほうは、反物質爆弾を反発できるだろうといっていたが、その言葉が実証されたのだ。
記憶すべきことだが、反物質というのは、通常の物質と正反対のものである。反物質にとって、引くことは押すことになる。牽引ビームは通常の物質は放射器のほうへ引きつけるが、反物質は排斥するのだ。
パトロールマンたちは、その事実を完全に知っていた。彼らは自分が何をしているのか、なぜそれをしているのかをすっかり知っていた。イロナが気づいて驚いたように、彼らはみずから欲してその持場にいるのであり、士官たちに駆りたてられて働くのではなく、士官たちといっしょに働いているのだった。パトロール隊の射撃員たちにとっては、どの組が最初の爆弾を捕捉するか、またもっとも多くの爆弾を捕捉するのかが競争だった。
ボスコニア艦では、事情がなんと異なっていたことか! 兵員たちは盲従的な家畜のように何をするかを命ぜられ、その理由を教えられなかった。彼らは爆弾チューブを機械的に操作しているだけで、その基礎的構造を知らず、それが本質的には牽引ビーム放射器だということを知らなかった。しかし、彼らは、牽引ビームが物体を引きつけるということは知っていたので、パトロール艦がみごとに反発した反物質爆弾に、通常の牽引ビームを投射することを命ぜられると、鞭でおびやかされながらも数秒間ためらった。
そのためらいが致命的だった。ヘインズ指揮下の射撃員たちは、特殊照準器を見つめて待ちかまえていたので、数秒間でこと足りた。彼らがはげしく放射する牽引ビームは危険な爆弾を宇宙空間で捕捉し、ボスコニアの射撃員たちが唯一の可能な反撃手段を駆りたてられるよりまえに、その爆弾を投射した艦へ向けて投げ返した。通常の防御スクリーンは、反物質爆弾に対して効果がない。反発スクリーン、隕石スクリーン、防御壁《ウォール・シールド》などは、反物質爆弾をいっそう内側へ引きつけるだけなのだった。
通常の物質は反物質と接触して、存在することはできない。接触した瞬間、両者は結合して消滅し、多量の強烈な放射能を発生する。一個の反物質爆弾は、どんな巡洋艦をも行動不能におちいらせるに充分である。しかもこの場合は、一隻の巡洋艦に対して平均三、四個の反物質爆弾が命中した。十個も命中したものもあった。一隻の船の全質量を消滅せしめるに充分なほどの反物質だ。
反物質爆弾は、命中したとたんに物質にくいいっていく。堅固な装甲板にくいいる。艦内の空気が噴出するが、途中で消滅する――空気もまた、普通の物質だからだ。無気味な|負の球体《ネガスフィア》は、ビームや索具に沿っても、気まぐれに進行していくが、ふつうは質量の大きな物質の方向に進行する。それは貪欲に吸着する。支柱に沿って進行する。通過したあとには何も残らず、付近の空間は殺人的な放射能で満たされる。変換器《コンバーター》に侵入し通過する。圧力タンクに侵入して、それをはげしく爆発させる。人間のからだは好みにあわないらしい――質量が不足だからだろう――しかし、提供されればこばみはしない。ひとりのボスコニア人は、消滅した空気を求めて半狂乱になっていたが、反物質爆弾を狂暴になぐるつけたとたんに、手も腕も最初から存在していなかったかのように、瞬時にして肩のつけ根まで消滅してしまったのを見て、完全に気が狂ってしまった。
ヘインズは満足して注意をタンクにもどした。大部分の軽巡洋艦は危険を切り抜け、続々報告してきた。損失はごくわずかだ。普通型の軽巡洋艦は、ヘインズが見ていたように、敵の爆弾を利用するか、自己の優越した武装や防御にものをいわせて勝利をえた。爆撃艦はほとんどすべて勝利をえた。彼らは武装や装備の点で敵とほとんど同程度だったから、勝ったのは物質的戦闘力のおかげではなく、人員の質がはるかにすぐれていたせいだった。つまるところ、ボスコニアの軽巡洋艦で離脱できたのは、ほんのひと握りだった。
重巡洋艦が接近し、編隊をといて戦闘を開始した。彼らは食いとめ役だった。それぞれが敵の船一隻――重巡洋艦または戦艦――を捕捉しておさえつけた。敵はあらゆる兵員を動員して、パトロール隊の重巡洋艦を撃滅しようとした。この重巡洋艦は、敵を撃破することはできなかったが、味方の戦艦か何か、強力な攻撃力を持った船が到着してとどめを刺すまで、敵にくいさがっていることができた。
つづいて、戦艦と超大型戦艦が大挙して接近した。それらはすべてスクリーンとスクリーンを接触させて堅固な球状を形成していた。
|空飛ぶ鉄槌《モーラー》の集団が、有重力状態で、おもおもしく接近してきた。ボスコニアの|空飛ぶ鉄槌《モーラー》と空飛ぶ要塞はいちじるしく劣勢で、まばらに散在していた。したがって、この超重量級宇宙船同士の激突は戦闘ではなく、一方的殺戮だった。パトロール隊の巨艦は、十隻以上が敵の不運な一隻に攻撃を集中することができた。その結果がいかに戦慄《せんりつ》すべきものであったかは、くわしく述べるまでもあるまい。
巨大な空飛ぶ要塞は、仕事をすますとZ9M9Zを球状に護衛し、それまで護衛にあたっていた戦艦を掃蕩《そうとう》戦に参加させた。しかし、残りの仕事はごくわずかだった。銀河文明はふたたび勝利をえた。しかも、こんどの損害はきわめて軽微だった。もちろん、海賊船の中には離脱したものもあったし、遠方に配置された観測員が、探知器や記録器で戦闘の全経過を観測していたことも確かだったろうが、いかなる情報がどのように伝達されたにせよ、スラールのアルコンをはじめとするボスコニアの指導者たちは、この重大な日の出来事によって、ほとんどなぐさめられるところはなかっただろう。
「よろしい、これまでだろう――少なくともさしあたりはな。そうじゃないかね」ヘインズは軍事評議会にたずねた。
そのとおりだという結論が出た。つまり、もしボスコニアが、第二銀河系の防衛作戦で、もっと強力な戦闘中核を形成しえなかったとすれば、ここ数ヵ月は、実際に有効な攻撃を加えてくることはできないだろう、というのだ。
そこで大艦隊はふたたび編隊を組んだ。こんどは純粋に防衛的探検的編隊だった。中央には、もちろんZ9M9Zがいた。旗艦の周囲には|空飛ぶ鉄槌《モーラー》が四重の緊密な球状を形成していた。その外側には、超大型戦艦、戦艦、重巡洋艦、軽巡洋艦が、順次に球状をつくっていた。それから、偵察艦が、球形ではなく広範囲に配置されていた。こうして、膨大な編隊は、第二銀河系のもっとも手前の渦の腕のへりに侵入し、それに沿って極度にゆるい速度で進んで行った。通りがかりのあらゆる太陽系のあらゆる惑星を、偵察艦が完全に観測できるようにするためだ。
やがて地球に似た惑星が発見された。それまでにも地球に似た惑星が数個発見され、候補地として記録されていたが、この惑星は完全に地球的だったので、探索はそこで打ちきられた。これは、大陸の形が地球のそれとはちがっていて、陸の面積が少なく、海の面積が多いという点をのぞけば、ほとんど地球そっくりだった。予想されたように、ここの住民は、ほぼ地球人と同じだった。しかし、まったく意外なことに、この惑星クロヴィア――これが英語流のなるべく近い発音なのだ――は、ボスコニアに所属していなかった。住民はボスコーン人のことを聞いたこともなく、ボスコーン人が訪れたこともなかった。ここの住民にとって、宇宙航行は原子エネルギーと同様、理論的に可能というにすぎなかった。
彼らには全惑星的な組織はなく、政治的にはまだ多数の主権国家に分裂していて、それらがたえず争っていた。事実、最近世界戦争が終結したばかりで、その激烈な戦争を通じて生き残った住民は、ほんの一部しかいなかった。もちろん、勝利者はいなかった。すべての国家がすべてを失った――各国家の生存者は、組織も施設も失ってしまったが、かつて所有していたものの形骸《けいがい》だけでも再建しようと必死に努めていた。
パトロール隊の心理学者たちは、これらの事実を知って安堵のため息をついた。このような情況を秩序立てることはできる。この惑星を文明化するのは、きわめてかんたんだった。そして事実そうだった。クロヴィア人に優越した力を示して威圧する必要はなかった。この恐るべき殺しあいの戦争が起こるまえ、クロヴィアは高度に工業化された世界だったので、少数の生存者たちは、銀河文明が提供してくれるものを理解し、競争相手の隣国が優位を占めることもなく、全惑星的規模で生産が可能なかぎり、すみやかに再開されることを知るやいなや、かぎりなく安心し、また喜んだ。
こうしてパトロール隊は、クロヴィアを難なく接収した。しかし、この惑星の建設は大至急やらなければならないということを、レンズマンたちは知っていた。ボスコニアは大型艦を必要なだけ建造すると同時に、クロヴィアをその施設もろとも抹殺すべく、断固たる決意をもって攻撃をしかけてくるだろう。ボスコニアが、いままでこの惑星について何も知らなかったとしても、彼らが現在も依然としてその存在を知らず、そこで何がおこなわれているかも知らないだろうと期待するのはまちがっている。
ヘインズがまず配慮したのは、銀河パトロール隊が所有しているもっとも強力な兵器――無重力惑星、|負の球体《ネガスフィア》、すなわち反物質爆弾、太陽ビーム、空飛ぶ要塞など――を、全速力でクロヴィアへ運ばせることだった。それからパトロール隊は、住民のうち雇用可能なものをすべて、これまで以上の高給で仕事につかせると同時に、第一銀河系内の地球に似た何百という惑星から、何億という男女、子どもを植民させた。
しかし、植民者たちは何も知らずに来たのではなかった。彼らは、本来、クロヴィアが従来建設されたうちで、もっとも強力な軍事基地になるということを承知で来たのだ。また、クロヴィアが、ボスコーンのすさまじい攻撃を受けるだろうこと、そして陥落するかもしれないことを知っていた。しかし、男も女も多数やってきた。自分たちがこれからすることに誇りを持ち、勇気と決意に満ちてやってきた。やってきたのは、そのような誇りを持った人々ばかりだった。クロヴィアに今日の繁栄があるのは、その事実に負うことが少なくない。
人々は到着し、働き、移住した。貿易や商業がすばらしく発展した。そして、このかつてほとんどが壊滅した惑星上に、七十あまりの巨大な防御施設が出現するにつれて、強力探知器をフルに展開した偵察艦のスクリーンが、いよいよ惑星の外郭へひろがっていった。
いっぽう、キニスンと冷血生物のナドレックは、通信線を骨を折ってたどりながら、オンローへ、そしてスラールへと迫っていた。この作業をくわしく述べるだけでも一冊の本になってしまうだろうが、不幸にして本書では、紙数が最小限におさえられねばならないので、ほとんど説明らしい説明もできない。キニスンやヘインズが予見したように、この通信線は複雑に中継されていた。しかし、さいわいなことに、その中継は、再発見できないほど急速に切りかえられることはなかった。ボスコーン人たちは、ヘインズが期待したように、他のより重要な問題に忙殺されていたのだ。それらの中継点の操作は効果的であり、まったく巧妙なものも多かった――『臆病な』バレイン人の技術と精神能力を、ぎりぎりまでテストするほど巧妙だった。しかし、それらはすべて看破された。ふたりのレンズマンは、それらの落とし穴をつぎつぎにきり抜けて通信線にしがみつき、ついにその末端にたどりついた。ナドレックは、惑星オンローの上またはその付近にとどまって、そのものすごい環境の中で、自分と生物学的に非常に近似した怪物たちに対して工作をつづけた。いっぽう、地球人は、惑星スラールの独裁者アルコンと対決しに出かけて行った。
彼はまたしても、非の打ちどころのない経歴をでっちあげなければならなかったが、ここでは彼に協力してくれるような多数の友人はいなかった。彼は、アルコンに対立したり、またはなんらかの意味でわずかでも疑惑をひき起こしたりすることなしに、その身辺に――ほんとうに身辺に――接近しなければならなかった。キニスンはその問題を何日も検討した。まえに使った手をくり返したとしても、成功するはずはない。しかも、早くやってのけることが必要なのだ。
一つ方法がある。容易ではないが、てっとりばやくて、もし成功すれば、完全に成功する方法だ。二、三ヵ月まえだったら、キニスンでもそれほどの危険をおかす気にはなれなかったろうが、いまは、それをやってのけられるという確信があった。
彼は、自分と同じくらいの大きさで、姿の似ている軍人が必要だった――こまかな点はどうでもいい。その人間は、アルコンの親衛隊に所属していてはいけないが、親衛隊への昇進が自然であるような、それに隣接した部隊に所属していなければならない。その人間は比較的目立たない存在でなければならないが、今後に起こる急速な昇進と矛盾しないような経歴を持っているか、少なくともそういう潜在能力を持っていなければならない。
この|人間狩り《マンハント》は、くわしく述べれば興味深いのだが、ここではとくに重要な問題ではない。本質的にいえば、従来、詳細に述べられた捜査と異なるものではないからだ。彼はそういう人間を発見した――近衛《このえ》師団の少尉だ――そして慎重で隠密な心理検査がおこなわれた。事実、レンズマンはその男の記憶の連鎖をほとんどすべて記憶した。そのあと、その士官は定期の休暇で帰郷した――しかし彼はそこに到達しなかった。
そのかわりに、スラール近衛師団の豪華な制服をつけてスラール人の知友に、本人そっくりのようすで挨拶したのは、キムボール・キニスンだった。それらのうちの何人かは、彼に休暇後はじめて会ったとき、彼の外貌が変わっているのをふしぎに感じたり、彼が別人ではないかと思ったりした。しかし、そういう者はごくわずかで、それもごく短期間のことだった。なぜなら、レンズマンの知覚力は鋭敏で、心は強力だったからだ。したがって、それら少数の者も、自分がこの男の同一性について、多少とも疑いを持ったことをたちまち忘れ、この男は自分が長いこと知っているトラスカ・ガネルであると、ごく自然に思いこんだのであった。
こうして、生きている人間は苦もなくだますことができたが、真のガネルを知っていたすべての人間に接触できないという事実だけは、どうしようもなかった。しかし、彼は最善をつくした。多くの土地へ出かけて、知人の大部分に会った――ほんとうに重要な知人と思われる者には残らず会った。
いっぽう、記録、写真、テープなどはまったく別ものだった。彼はその目的で、ずっとまえにウォーゼルを呼び寄せておいた。そして、近衛師団の記録に関しては、ガネルが休暇で帰郷するまえにQX(万事解決)していた。その作業はいささかまわりくどかったが、さほど困難なものではなかった。ある暗い夜、ある照明回線が切れて、多くの建物が停電した。異常を認めた歩哨も少数いたが、彼らはそのことをまったく記憶していなかった。ところで、パトロール隊の諜報機関の専門家たちの手にかかれば、どんな記録でも完全に変造できるのだ!
軍隊以前の記録も同様に変造された。ガネルはある病院で生まれていた。QX――その病院に手がまわされ、ガネルの赤ん坊時代の足型は、キニスンのそれに変えられた。ガネルはある学校にかよっていた――すると、それらの学校の記録も、新しい事実に適合するようにつくりなおされた。
しかし、写真については、どうしようもなかった。どんな人間でも、自分が何回写真をとり、だれがそのネガを持っており、だれに自分の写真をやり、どの新聞、書物、その他の印刷物に自分の写真が出たか、などということを、残らず記憶していることはできない。
比較的古い写真は問題ではない、とキニスンは判断した。そういう写真が精密なものだったとしても、彼はガネルにかなりよく似ているから、その写真の少年または青年が成長して、写真の中でキニスンとして通用するようなおとなになることは、実際におとなのガネルになったことと同様に可能だろう。では、その境界線をどこに引くか? 陸軍士官学校を卒業したときだ、とレンズマンは判断した――というより、判断せざるをえなかった。
陸軍士官学校の年報があり、その中に卒業生の各員のかなり大きな写真が出ていた。年報は一千部ほど印刷され、いまでは宇宙全体に散在していた。それを全部訂正することは、考えるだけでもうんざらさせられたので、キニスンは一枚も訂正する気になれなかった。彼はその写真を長いこと観察した。あまり気にいらない写真だった。写真の中の若者は、もうすぐ一人前になろうというところで、キニスンよりは本人のガネルにだいぶ近かった。しかし、その表情はぎこちなくて、ポーズはこわばっていた――それに、いずれにせよ、古い年報などはめったに見られないものだ。この点については、危険をおかさないわけにいくまい。その後の写真は修整しなければならない――それも公式のものだけで、スナップ写真にまでは手がまわらない。
こうして、いくつかの写真スタジオがひそかに襲撃された。いくつかのネガが取りだされ、巧妙に修整された。そのネガからプリントがつくられ、ガネルの故郷の町の数十ヵ所で、アルバムや額の写真がひそかに交換された。
ガネルの休暇はほとんど終わりかけていた。キニスンは、それまでにできるかぎりのことをやってのけた。もちろん欠陥はある――ないわけにいかなかったのだ――しかし、それらはごく些細なものだから、へまさえしなければ、ばれることはないだろう。しかし、念のために、ウォーゼルを二週間ばかり近くに待機させて、その後の事態の発展を観察させたり、何か弱点があらわれたらそれを補修させたりしたほうがいい。ヴェランシア人がスラールにいても疑惑をまねくことはない――彼と同じような生物が多数、惑星から惑星へ飛びまわっているからだ――それに、もしだれかがウォーゼルに多少の疑いを持ったとしても、かえって好都合なくらいだ。
しかし、アリシア人メンターは、地球人キニスンが知らない多くのことを知っており、キニスンには想像もつかないような力を持っていた。メンターは、独裁者アルコンの玉座の背後にどんな人物が存在しているか、その人物がどんな能力を持っていて、どんなことをするかということを正確に知り、いまこそ銀河文明の長い歴史のうちで、もっとも重大な瞬間の一つであることを知っていた。
そういうわけで、トラスカ・ガネルの肖像写真のあらゆるネガが、それからつくられたあらゆるプリントが修正された。そして、現在のトラスカ・ガネルが、誕生以来その名をになってきた人間ではないという証拠は、無限の時空体系を通じて、どこにもまったく存在しなくなったのだ。
こうした作業が片づいたのち、近衛師団少尉トラスカ・ガネルは帰任した。
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一六 ガネル少尉の決闘
キニスンは大胆な行動で準備を完全にととのえたが、隠密行動に長じたパレイン人ナドレックは、彼独特の奇妙にひかえ目な手段で同様に完全に準備をととのえた。地球人的な目で見れば、ナドレックは確かに臆病であり、同時に怠惰だった。しかし、彼らパレイン人にとっては、これらの特性はすぐれたもので、事実、彼の偉大な成功の記録はそうした特性にもとづいているのだ。彼は自己の安全に非常に気をくばっているので、これまでも生き長らえたし、これからも生き長らえるだろう。また、万事を可能なかぎり容易な方法でやってのけるので、余力をたくわえてきたのだ。なぜ貴重な生命を危険にさらすことがあるのか? ある仕事を何か容易な方法でやってのけられる場合に、なぜわざわざ骨を負って能率のわるい方法をとることがあるのか?
そこで、ナドレックはまったく隠密裏にオンローに侵入した。彼はオンロー人に非常によく似た冷静で精密な心を展開して、感知されないようにオンロー人の心と感応状態にはいった。そして、彼らの防御を一つずつ研究し分析し、中立化していった。それから、まっ黒な快速艇を彼らの探知装置や知覚力からは安全な、しかし制御ドームへ容易に働きかけられるところに安全にかくし、やわらかなクッションのある休息所におちついて、組織的かつ効果的に仕事にとりかかった。
こうして、スラールのアルコンが次にオンローの怪物的な部下を訪れたとき、ナドレックがスイッチをいれると、ボスコニア人の会議のすべての思考が継続的に記録されはじめた。
「カンドロン、おまえは例のレンズマンに対してどういう手を打ったか?」独裁者はあらあらしくたずねた。「彼についてどんな結論を出したか?」
「非常にわずかなことしかできませんでした」主任心理学者は冷静に答えた。「少数のレンズマンを抹殺したにすぎません――そのうちのどれかが、われわれの最近の後退になんらかの指導的役割をはたしたという証拠はまったくありません――われわれの諜報員はなんの成果もあげませんでした。結論についていえば、はなはだ否定的なもの以外は何もできませんでした。すなわち、従来、情況判断をおこなったボスコニアの心理学者は、いずれもなんらかの意味で重大な錯誤をおかしているのであります」
「そして、おまえだけが正しいというのか!」アルコンはあざけるようにいった。「それはなぜか?」
「わたしが正しいのは、自分がなんら確実な結論をひきだせないということを認める点だけです」カンドロンは平然として答えた。「獲得されたデータは、積極的結論を裏づけるにはあまりにも乏しく、不確実で、とりわけ矛盾しています。従来起こった事件については、主としてふたりのレンズマンが関係している可能性があります。そのうちのひとり、比較的弱小なほうは、おそらく――『おそらく』であって『確実に』ではないのにご注意ください――おそらく地球人、アルデバラン人、またはその他の決定的に人類的生物でしょう。もうひとりのはるかに強力なほうは、その所業をのぞけば、まったく未知であるように思われます」
「それがスター・A・スターだ」アルコンが断定した。
「お望みなら、そう呼んでもけっこうです」カンドロンはそっけなく賛成した。「しかし、このスター・A・スターは、かげで糸をあやつっている存在です。彼はレンズマンの指導者であるとされていますが、まったく空想の産物に過ぎません」
「しかし、この情報は、レンズマン、モーガンからあたえられたものだ!」アルコンは反論した。「真実告白剤で尋問されたのだ。あやうく死ぬところまで拷問されたのだ。デルゴン貴族は彼の生命力をほとんど吸収したのだぞ!」
「どうして、そうしたことが確実だとわかりますか?」カンドロンはびくともせずに反問した。「証拠といえば、デルゴン貴族の報告と、アイヒ族のひとりのはなはだ疑わしい証言だけです。そのアイヒは、もっとも重大な時間にその場にいあわせなかったのです」
「では、おまえの推定では……」アルコンは目に見えて動揺しながら口をはさんだ。
「そうです」心理学者は鋭く答えた。「わたしのつよい推定によれば、現在われわれに対して工作をしかけているのは、わたし自身の心よりわずかしか劣らないほど強力な心の持主です。その心は、デルゴン貴族の心を圧倒できるばかりか、少なくとも疑われず、したがって反抗されなかった場合には、有能と認められているアイヒの心をさえあざむくことができます。わたしの推定では、レンズマン、モーガンなる者は、もし実在したとしても、単なるあやつり人形ではないかと思います。アイヒは彼をあまりにもやすやすと捕獲しました。したがって、彼が肉体的に実在性を持っていないという可能性が大いにあります……」
「なんだと! ばかを申せ!」アルコンは、かみつくようにいった。「ボスコーンの全員がその場に立ち会ったのだぞ! 彼の手もレンズも残存しているのだぞ!」
「わたしの推定はまちがいかもしれません――しかし、正しい可能性もあるのです」カンドロンは主張した。「さしあたり彼が実在で、片手を失ったものと認めましょう――しかし、その手とレンズは、もっともらしい証拠として持ちこまれ残されたものだ、という可能性もあることを思い出していただきたいのです。そのレンズが、その手に順応しているかどうかも確実ではありません。しかし、そうしたことを全部事実と認めたとしても、わたしはやはり、レンズマン、モーガンが、その他の点では拷問もされず生命力も失わず、事実上無傷で、わたしがすでに述べた未知のレンズマンとともに、自分の銀河系へ帰還したものと判断します。しかも、彼らは単に帰還しただけでなく、のちにパトロール隊がジャーヌボンを撃滅するのに役立った情報を持っていったにちがいありません」
「とほうもないことだ!」アルコンはあざけった。「どんな事実にもとづいて、そんなばかげた結論を組みたてたのだ? 証明できるものならしてみせるがいい」
「喜んでいたします」カンドロンは答えた。「わたしは真に確実な結論に到達することはできませんでした。あなたの新しい観点が加われば、わたしの独力でおよばなかったところがおぎなわれるかもしれません。ですから、わたしはもっとも意味深長と思われるデータを、ごくかんたんに要約します。どうぞご傾聴ください。
ご承知のように、長年にわたって万事が順調に進行しました。われわれの最初の挫折がおとずれたのは、地球人とバレリア人が乗り組んだ一隻の地球宇宙船がわれわれの最新最強の宇宙船の一隻を、ほとんど無傷で捕獲するのに成功したときであります。知的能力に関するかぎり、バレリア人は考慮から除外してもよいと思います。少なくともひとりの地球人が、われわれの難破漂流中の船に乗って脱走しました。ヘルマスはこの地球人を『特定の』レンズマンと判断して、そのように報告しましたが、この地球人は、あらゆる追求の手をのがれてヴェランシアへ赴《おもむ》き、その惑星上に施設を建設して、彼を狩りたてるために派遣されたわれわれの船を六隻そっくり捕獲しました。そしてそれらの船に乗り組んで、ヘルマスとその配下のあらゆる追跡にもかかわらず、無事地球へ帰還したのであります。
そのあと、アルデバラン系第一惑星の車輪人間に関して、二つの事件がありました。第一の事件では、地球人レンズマンは敗北しました――おそらく殺されたのでしょう。第二の事件では、われわれの基地が破壊されました――あとかたもなしにです。しかし、ここで注目すべきは、その基地の一段上級の基地は、われわれの知るかぎりでは、侵入も受けず、損害もこうむらなかったことです。
それから、ボイッシア基地の事件があります。このとき、ブレークスリーと呼ばれる男が、種々の予想外の行動をしました。彼がはるかに強力な心の支配を受けて行動したことはあきらかですが、その心の持主は、ついに姿を現わしませんでした。
次に、われわれ自身の銀河系で事件が起こりました――惑星メドンが突然不可解にも消滅したのです。そして、ふたたび彼らの銀河系へ話がもどります――シングヴォルスとアンティガンであいついで不名誉な敗北をこうむったのです。どちらの基地もあとかたもなく消滅しましたが、こんどもすぐ上級の基地は無傷でした」
ナドレックはこれを聞いて微笑した。もしパレイン人について微笑ということがいえればの話だが。それらの事件はまったく彼の仕事だった。彼は要求されたことをやってのけたのだ――完全に――しかし、それらの上級の基地を攻撃することは必要でもなく望ましくもなかった。
「それから、惑星ラデリックスの事件です」カンドロンの要約は簡潔につづく。
「女性の諜報員も、ボミンガーも、カロニア人の観測員も――いずれも一掃されました。人間レンズマンの仕事であるかないか? チェスター・Q・フォーダイスから宇宙空港と一労働者にいたるまで、すべてが疑わしい人物ですが、確実なことは何もわかりませんでした。わが宇宙船二七L四六二Pの乗組員の不可解な発狂――基地ワイノール、グラントリアの、これまたあとかたもとどめぬ壊滅。理由は不明であり、なんの証拠もなく、また事件のつづきも起こりませんでした」
ナドレックはこの事件についてちょっと考えこんだ。彼はこんな事件は何も知らなかったし、キニスンが知らないことも確かだった。どうやら問題のレンズマンは、偶然に、または内部の敵によってひき起こされたにちがいない事件の責任まで負わされているらしい。それもQXだろう。ナドレックはまた耳を傾けた。
「惑星ブロンセカの事件では、多数のレンズマンが参加しているので、特定のレンズマンをつきとめることは不可能です。この場合も、上級の基地は追求されませんでした。そのあと話は、小惑星《アステロイド》ユーフロジーヌの隕石坑夫宿泊所と、アルデバラン系第二惑星出身の隕石坑夫ワイルド・ビル・ウィリアムスにとぶことになります。隕石坑夫ビル・ウィリアムスは、紳士ウィリアム・ウィリアムスとなって、ユーフロジーヌにある、われわれの組織より一級上の組織があるトレッシリアへ行きましたが、もしこれを偶然とすれば、まことに驚くべき偶然です――もっとも、このウィリアムスは、われわれの組織の会議がおこなわれたとき、麻薬に酔いしれて、身動きすることも、知覚を働かすこともできなくなっていたということであります。
ジャルトの司令部は見おとされたように見えますが、レンズマンの侵入を受けたにちがいありません――痕跡をとどめずにです――なぜなら、あの司令部はトレッシリアとジャーヌボンを結ぶ中間機関であり、ジャーヌボンは発見され破壊されたからです。
ところで、もっと最近の事件を分析するまえに、あなたはこれらの事実から、どのようなことを推定されますか?」カンドロンはたずねた。
独裁者が考えをめぐらしているあいだに、ナドレックは多少の満足をおぼえた。この心理学者は、確実にわかっている事実から完全な論理にしたがって出発し、このように誤った結論に到達しているのだ! しかし、ナドレックは、自分の業績とキニスンがひそかにやってのけた業績に、いまカンドロンが述べた他のだれかの業績を加えれば、まことに目ざましい結果になると自認せざるをえなかった。
「おまえの推定は正しいかもしれない」アルコンはついに認めた。「少なくともふたりのまったく異なった人物と、二つのまったく異なった方法がある。おまえが述べたような条件を満たすためには、ふたりのレンズマンが必要だ……そして、われわれにわかるかぎりでは、ふたりで充分である。その必要なふたりのうち、ひとりは人間で、いまひとりは未知である。カーティフはもちろん人間のレンズマンだった。あれは巧妙な仕事だった――しかし、パトロール隊の協力をもってすれば、可能などころか容易なことである。この人間はつねに姿をあらわしているが、非常にぬけめなく正体をかくしているので、精密に調査する必要があるほど重要な存在だということがわかったためしがないのだ。さもなければ……おそらく……」
「その推定のほうがより正しいのです」カンドロンは指摘した。「さきほどわたしは、地求人レンズマンが『おそらく』真に重要な存在かもしれないが、『確実に』そうとはいえないと慎重を期していいましたが、あなたもその理由がわかっていらしたのです」
「だが、やつはそうにちがいないのだ!」アルコンは反対した。「パトロール隊基地のわが諜報員を裁判して処刑したのは、人間レンズマンだった。カーティフも人間だった――二つの例で充分だ」
「もちろんです」カンドロンはなかば軽蔑するように認めた。「しかし、それらの人間が、彼らの所業とされていることを、自己の意思で実際におこなったという証拠は何もありません。あなたがいま指摘された裁判で、人間レンズマンが『読心光線放射器』を使用したということが喧伝《けんでん》されていますが、あの装置がスポットライトのバッテリーにすぎなかったことはほとんど確実です――あれを操作していた人間レンズマンが、それ以上何もしなかったということは大いにありえます。同様な意味で、カーティフも問題のレンズマンにあやつられた、単なるギャングだったのかもしれません――そのレンズマンをスター・A・スターと呼んでもかまいません――さもなければ、カーティフは他のレンズマンかパトロールマンであり、スター・A・スターが実際の仕事を隠密裏にやっている間、注意をそらすために≪目つぶし≫として行動していたのかもしれません」
「その証拠があるか?」独裁者ははげしくたずねた。
「証拠はありません――可能性があるというだけです」オンロー人はそっけなく答えた。「しかし、われわれは、ブレークスリーがヘルマスの部下だったということを確実に知っています――映像盤や長距離通信機に催眠術をかけることはできないからです。また、彼が平凡な能力の、従順なボスコーン人であったのに、突如として、従来所有していなかったような強力な精神的能力を持った敵に変じたということも知っています」
「わかった」アルコンは考えこみながらいった。「はなはだもっともらしい推定だ。おまえの判断では、ふたりのレンズマンがあるときは協力して、あるときは個々に活動しているのではなく、真は重要な心はただ一つで、その心がときには地球人とともに、または地球人をあやつって行動しているというのだな?」
「しかし、特定の地球人とはかぎりません――必ずしも。そして、スター・A・スターの正体や種族を暗示するような証拠はなにもないのです。彼が酸素呼吸者であるかどうかを推定することさえできません……これははなはだ困ったことです」
「困ったことだ」独裁者は認めた。「スター・A・スターかカーティフが、それともその両者が、ロナバールを発見した。それから、デルゴン貴族について情報をえた。少なくともライレーン系第二惑星について……」
「彼らがロナバールでその情報をえたとすれば、まったくの偶然によるものにちがいありません」カンドロンは主張した。「彼らはメンジョ・ブリーコの心から、なんの情報もえられなかったはずです。ブリーコの心には、なんの情報も存在していなかったのですから」
「偶然だろうがなかろうが、なんのちがいがあるか?」アルコンは、心理学者の抗議をじれったそうに排除した。「彼らはブリーコを発見して殺した。そのあとすぐに、ライレーン系第二惑星のデルゴン貴族の洞窟が攻撃された。デルゴン貴族からライレーン系第八惑星のアイヒ族に送られた報道によれば、その攻撃には、二隻のパトロール艦が関係していた。一隻はカーティフの船らしいが確実ではなかった。そして、これは実際の攻撃には参加しなかった。もう一隻は超大型戦艦ドーントレス号で、これが単独で攻撃をおこなった。ドーントレス号には、地球人、バレリア人のほかに、少なくともひとりのヴェランシア人が乗り組んでいた。彼らはわざわざデルゴン貴族をいけどりにしたのだから、デルゴン貴族を殺して洞窟を破壊するまえに、デルゴン貴族が持っているすべての情報を獲得したものと考えるべきではないか?」
「それは、少なくとも大いにありうることです」カンドロンは認めた。
「つまり、われわれには疑問が多く、解答が少ないわけだ」独裁者は、青い照明でかすかに照らされた部屋の中を、行きつもどりつした。「これらの事実からすれば、ライレーン系第二惑星が従来のように攻撃の終点とされるものと判断するのは、はなはだ甘い考えだ。スター・A・スターは、ライレーン系第八惑星に手をのばしただろうか? もしのばしていないなら、なぜおくれているのか? もしのばしたとすれば、アイヒの防御陣を貫通するのに成功したか否か? アイヒたちは、スター・A・スターでも、自分たちの防御陣を貫通できるはずがないと断言している……」
「彼らのいうとおりでしょう」カンドロンはあざけるようにいった。「しかし、それらの質問をなさるなら、なぜパトロール隊が、われわれの大艦隊を一掃するほどの兵力で、この銀河系に現在侵入してきた理由を、問われないのです? なぜ彼らは、われわれボスコニアの最高指導部が、彼らを撃退するためにすべての注意を集中しなければならないほど強力な基地を建設しているのです?」
「なんだと!」アルコンは叫んだが、たちまち気を静めて、しばらく考えた。「すると、おまえの推定では……」彼は思考をとぎらせた。
「わたしはそう推定するのです」カンドロンの思考は深刻だった。「ライレーン系第八惑星のアイヒ族が、カロニア人ジャルトと同様、スター・A・スターの侵入に抵抗しえないということは大いにありえます――蓋然的《がいぜんてき》でさえあります。また、この強力な進攻は、問題のレンズマンが、われわれの通信線またはその他の筋を、ひそかにたどるのをカバーするように、時間を見はからっておこなわれたのかもしれないのです」
「だが、われわれには、罠《わな》がある――警報装置も――防御スクリーンも――防御|帯域《ゾーン》もある!」
「ご承知のように、一つの警報装置も発動せず、一つの罠《わな》も反応しませんでした」カンドロンは静かに答えた。「われわれのこの基地がまだ攻撃を受けないのには、理由があるかもしれないし、ないのかもしれません。オンローが非常に強固に防御されているばかりでなく、またオンローが銀河系の中心部にあるので、彼らの通信線が維持できないというばかりでなく……」
「おまえは、敵にひそかに侵入されて偵察されているというのか」アルコンは思考のなかで歯ぎしりした。
「そうです」心理学者は冷静に答えた。「わたしは、そういうことがおこなわれているとは信じませんが、その可能性があることは否定できません。われわれは万全の手配をしました。しかし、科学にできることは、科学によって裏をかくことができます。わたしの結論的思考を申しあげれば、彼らの最高の目標はオンローやわたしではなく、スラールとあなたです。とりわけあなたでしょう」
「おまえのいうとおりかもしれない。おそらくおまえは正しいだろう。しかし、スター・A・スターの正体についてはなんのデータもないし、彼が実際にやってのけたことをどのようにしてやってのけたかについても、筋の通った説明がつかない以上、空論をもてあそぶことは無益だ」
このはなはだ不満足な言葉によって、会見は終わった。独裁者アルコンはスラールに帰還したが、宮殿にはいったとき、彼の仇敵の一メートルたらずのところを通過した。なぜなら、スター・A・スターすなわちキニスンが化けたトラスカ・ガネルは、アルコン自身がいみじくもいったように、姿をあらわしながら、巧妙な変装のかげにかくれていたからである。
キニスンは公然と姿をあらわしてはいたが、きわめて多忙だった。近衛師団の少尉として、地上を警備する小隊の指揮をしていたから、ごくわずかしか行動の自由を持たなかった。彼の直属の上官である同じ部隊の中尉も、その点では似たりよったりだった。しかし、大尉は地上軍ばかりでなく空軍の指揮もとるので、もっと権力もあり行動の自由もきいた。先任後任の差を無視すれば、次にくる上官は少佐、中佐、大佐の順で、最後が将軍だった。将軍は、スラールの首都の常備軍の総指揮をとっていた。アルコンの親衛隊はもちろん独立の組織だったが、キニスンはそれには関心がなかった――少なくともさしあたりは。
少佐まで昇進すれば充分だ、とキニスンは判断した。そうすれば、かなりの権力と行動の自由がえられるが、ありがたくない注目をひくほど重職でもない。
彼の上官の中尉は、もっさりして、万事大まかな男だから、問題ではなかった。この中尉の頭をとびこえて大尉になっても、危険はあるまい。実際のガネルは、いかにもボスコニア人らしいやり方で、この大尉を憎み、遠まわしの術策でおとしいれようと努めていた。にせのガネルは、大尉を憎むと同時に軽蔑し、彼をおとしいれるために、真のガネルが所有していたより、はるかに強大な能力を発揮した。
典型的なボスコニア式昇進手段は、自分に直属のスパイや諜報員を慎重に養成して、ひそかに奸計《かんけい》をしかけるやり方である。真のガネルはすでにそのような腹心を養成し、折りを見て中尉を暗殺すべき人間を選択していた。キニスンはガネルの腹心をそのまま維持したが、作戦をそれとわからぬほど変化させた。彼はほとんど公然と行動した。心身ともに大尉に傾倒しているとわかっているふたりの男の聞いているところで、みずから大尉をきびしく批判した。
これはすみやかな結果をもたらした。彼は大尉のオフィスへ呼びつけられたが、大尉がそこで彼を暗殺するはずがないとわかっていたので、平然と出かけていった。オフィスには十人ばかりの人間がいた。あきらかに、大尉は彼を一同の面前で叱責《しっせき》して、なりあがろうとする連中に警告を与えようとしているのだ。
「トラスカ・ガネル少尉、わしはしばらくまえから、おまえの反逆的な行動に目をつけていた」大尉はしゃべりはじめた。「一般規則第七百二十四条第五項にしたがって要求する。もし弁解があるなら、するがいい。さもないと、不服従の理由で兵卒に降等するぞ」
「いろいろ申しあげたいことがあります」キニスンは平然として答えた。「あなたのスパイがなんと報告したかは知りませんが、わたしがそれにつけ加えていいたいのは、あなたがここでこうした集会を開いたということ自体、あなたの頭が、腹と同じくらいに、ふやけていることを証拠だてるものだということです……」
「だまれ! おい、この男を逮捕しろ!」大尉は激怒して命じた。彼は実際には太っていなかった。腹がほんの一インチくらいつきだしている程度だったが、そのわずかなふくらみが彼の痛いところだったのだ。「武装を解除するのだ!」
「動いた者はその場で死ぬぞ!」キニスンはやり返した。そのひややかですさまじい口調に、一同は身動きもできなくなった。彼は、いくらかデラメーター熱線銃に似た携帯兵器を二挺、身につけていたが、いまや両手はその握りにかるくのせられている。「あなたもよくご承知のように、わたしは実際に降等されるまでは、武装解除させられません。そして降等にはけっしてならないでしょう。なぜなら、もしあなたがわたしを降等すれば、わたしは自分の権利にしたがって、軍事法廷に訴えます。そしてそこで、あなたがばかで無能で臆病で、指揮官として全般的に不適格だということを証明します。あなたは事実そのとおりであって、自分でもそれを知っています。あなたの規律はだれていて、不公平に満ちています。あなたの賞罰の基準は、論理ではなく、気まぐれ、激情、個人的偏見などです。どんな法廷でも、あなたを能力相応の兵卒に降等し、わたしをあなたの地位につけるでしょう。もしこれが不服従で、それを理由にわたしをどうにかしたいのだったら、やってみるがいいのだ。臆病でまぬけの脂肪太り野郎めが!」
ののしられた大尉は、椅子のひじかけをかたく握りしめて、なかば立ちあがったが、すぐにまた狡猾《こうかつ》に腰をおとした。彼は、自分がまずいことをしたのがわかったのだ。ガネルの訴えで、厳格な裁判がおこなわれれば、とても勝ち目はない。しかし、逃げ道はあった。これを純粋に個人的な争いにすれば、決闘で決着をつけることができる。そして、ボスコニアの決闘規則では、武器の選択権を持っているのは、挑戦された側ではなく、上級者なのだ。彼はサーベルの名手で、小隊試合では、いつもガネルに勝っていた。そこで彼は怒りをぐっと押さえた。
「この個人的侮辱は、無法で虚偽のものだから、わしの名誉にかかわる」彼は流暢《りゅうちょう》に宣言した。「あすの日没三十分まえに、剣技場で会おう。武器はサーベルだ」
「承知しました」キニスンは礼式を厳格に守っていった。「血が流れるまでですか、死ぬまでですか?」この質問はよけいだった――これほど多人数のまえでレンズマンによって与えられた侮辱は、ちょっと血を流しただけで消え去るはずがない。
「死ぬまでだ」大尉は短く答えた。
「けっこうです、大尉殿!」キニスンはきちんと敬礼すると、きびきびまわれ右して、部屋を立ち去った。
QX。これでいい――まさに方式どおりだ。もちろん大尉は剣の名手だが、キニスンも、のろまではない。殺人思考ビームの助けを借りる必要があるとは思わなかった。彼は闘技について、五年間集中的な訓練をつんでいた。棒、棍棒、ナイフ、短剣、サーベル、広刃の剣、半月刀、銃剣等々――レンズマンたるものは、素手の格闘術同様、ほとんどあらゆる武器の技術に長じなければならないのだ。
剣技場は円形の競技場で、周囲をクッションのきいた座席がいくえにもとり囲んでいた。座席は、制服の軍人、平服の市民、流行の衣裳をつけた女性などでぎっしりだった。このような決闘は、最高のスポーツだったからである。
鎖帷子《くさりかたびら》などをこっそり着こむのを防ぐ意味で、決闘者はほとんど裸体になる。どちらも絹のトランクスと低い靴だけを身につける。靴底はしなやかな合成物質ででき、ぎざぎざがついているし競技場の床はコルク状の物質でできていて、表面に波形がついているから、滑る心配はない。
この決闘の立会人たる大佐は、ふたりに向かって形ばかりの質問をした。そう、和解は不可能である。そう、被挑戦者は謝罪するつもりはない。そう、挑戦者の名誉は生死の決闘以外では回復されない、と。つづいて大佐は従卒から二本のサーベルを受けとり、正確に同じ長さであることを確かめた。次に、熟練した指先で、つばもとから切先まで刃の鋭利さをテストした。重いテスト用棍棒で、それぞれのつばを強くたたいた。最後に、やはり観衆の目のまえで、それぞれの切先に先留をつけ、体重を刀身にかけた。刀身は驚くほどまがったが、どちらも折れずに、もとの形にピンともどった。こうして、二本の美しい武器は、どちらもスパイや諜報員に細工されたりしていないということが、衆目にはっきりわかった。
大佐は先留を取り去り、もう一度ほっそりした致命的な切先を調べてから、サーベルをふたりの決闘者に一本ずつ手渡した。そして一本のバトンを肩の高さで水平にさしだした。ガネルと大尉は刀身を交差させた。大佐はバトンをさっと払い、決闘が開始された。
キニスンはガネルそっくりに身をかがめ、あらゆる癖を発揮して戦った。しかし、彼は従来のガネルよりほんのわずかだけすばやかった――ガネルが持っていたあらゆる技術を発揮することによって、最初の五分間のはげしい剣戟《けんげき》のあいだ、なんとか大尉の刀身を、自分の肉ではなく刀身で受けとめる程度に早くしたのだ。相手は確かに達人だった。そのサーベルは、キニスンのサーベルをはねとばそうとしてからんできた。キニスンはたくましい手首をひらめかせた。鋼鉄と鋼鉄がこすれあい、深いつばとつばが、ガッとかみあった。二本の力づよい右腕が、ぎりぎりまで突きあげられた。ふたりの剣士はもりあがった胸と胸をあわせ、左腕をそりかえった背に押しつけ、床をふまえた足から、がっちりした肩にいたるまで、全身の筋肉を緊張させて、数秒間、身動きもせず絵のようにつっ立っていた。
キニスンは、相手のからだがぶよぶよしていないのを知った。大尉の筋肉は材木のようにひきしまっていた。いずれにせよ、かんたんに片づけられるほど太ってはいないが、おそらく長く持ちこたえられるほどしまってもいない――疲れ負けさせることができるだろう。キニスンは瞬間的に考えた。もし最悪の事態になったら、精神力を働かせるべきだろうか? そうしたくはない――だが、そうせざるをえぬかもしれぬ。それとも、そうなったときでも、はたして使おうとするだろうか――そうできるだろうか? しかし、そんなことを考えてもはじまらない。相手の肉体の検査をしたところで、なんの利益もない。相手はこちらと同じくらいたくましいのだ。
ふたりはわかれた。そしてその瞬間、キニスンはまったく新手のカットを、身をもってまなんだ。彼はそのカットがくるのがわかったが、完全には受け流せなかった。大尉の剣の切先が、ガネルのトランクスに突き入り、ガネルの左足から血がしたたり落ちると、群衆は、どっと歓声をあげた。
踏みこみ! 踏みこみ! カット、突き、牽制《フェイント》、受け流し、恐ろしい競技はつづいた。キニスンは秘術をつくしたが、ふたたび傷を受けた。こんどは心臓をねらった突きによるものだった。しかし、彼はうしろへとびさがったので、切先は左肩の肉に半インチばかりはいっただけだった。しかし、血がはげしく流れたので、群集は、殺せ、殺せ、と絶叫した。そしてもう一度、こんどは右足のふくらはぎをやられた――どうやってやられたのか、はっきりわからなかった。血に飢えた群衆は、いっそうはげしくわめいた。
そのうちに、大尉の恐るべき攻撃がにぶりはじめ、キニスンは攻勢に立つことができた。彼は敵を不利な態勢に追いこみ、刀身を横に払って、首に鋭く切りつけた。しかし、スラール人は一部分カバーすることができた。剣で受け流しながらも、がむしゃらに身をかわしたのだ。鋼鉄が鳴りひびき、火花がとんだ。しかし、レンズマンの腕の力を完全に受けとめることはできなかった。キニスンの鋭利な武器は、相手の首を切り落としはしなかったが、片耳と一房の毛を斬りおとした。
観衆はまたもや狂わしく喝采した。彼らは、血さえ流れれば、どちらの血だろうとかまわなかったのだ。そしてかくも技術の接近したふたりのすぐれた剣士の決闘は、ここ何年来もっとも見ごたえのあるものだった。事実、これは目ざましい流血のショーであり、まだまだつづきそうだった。
ふたりの決闘者は電光のようなスピードでくり返して剣をあわせ、ふたたび双方が血を流したが、このとき大佐が笛を鳴らした。
手当てのための休憩だ。決闘者を出血で死なせたり弱らせたりすることは、慣習に反しているからだ。ふだんの試合のときと同様、大尉は四対二のわりで、少尉よりポイントをリードしていたが、いまやその得点で安心しているわけにはいかなかった。彼は疲れはじめているのに、ガネルははじめと同じように元気で、敏捷《びんしょう》のように見えたからだ。
外科医が応急の効果的な処置をほどこし、刃の欠けたサーベルの代わりに新しいサーベルが渡されて、凄惨《せいさん》な競技は続行された。大尉は徐々に、しかし確実に疲労していった。ガネルは、いよいよ公然と、いよいよ痛烈に攻撃に移った。
決闘が終わると、キニスンはサーベルを巧みに投じて、大尉の死体のかたわらの弾力性のある床に深く突き立てた。そして、その柄《つか》が弧《こ》を描いてゆっくり前後にゆれているあいだに、満足した群衆の一画にむきなおり、きびきびと大佐に敬礼した。
「大佐どの、わたしはわが中隊の大尉となる適格を審査されるべき権利を、公正に獲得したと信じますが、いかがでしょう?」彼は型どおりにたずねた。
「きみは権利を獲得した」大佐も同様に型どおりに答えた。
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一七 未知の空間へ
キニスンの傷は表面的なものだったので、急速になおった。彼は進級試験に手ぎわよく合格した。それもそのはずだ。試験は厳格で広範囲なものだったが、本物のトラスカ・ガネルでも合格できたろうし、キニスンは、ガネルが知っていたすべてのことを知っていたばかりでなく、彼自身が膨大な知識を持っていたからだ。それに、もし必要なら、試験官の心から解答を読むこともできた。
本物のガネルは、もし大尉になれば、近衛隊を指揮するきたえぬかれたベテランたちの精鋭グループの中でさえ目立つほどの、厳格で優秀な指揮官だっただろう。そこでキニスンは、そういう指揮官になった。事実、大部分の士官より、ずっとすぐれた指揮官になった。彼は苛酷で無慈悲で頑固だったが、絶対に公平でもあった。特定の規律違反に対して、あるときは二十回の鞭打ちを加え、あるときは単に叱責するにとどめるというようなことはしなかった。違反者がだれだろうと、つねに十五回のきびしい鞭打ちを加えるのだ。法規によってある罰に相当する者には、きっとその罰を即座に容赦なく加えた。ある褒賞《ほうしょう》にあたいする者には、同様な迅速さでその褒賞を与えた。そしていつの場合も、毎日の閲兵の際、その事実を明確に説明するのだった。
彼の部下たちは、もちろん彼を憎んだ。下士官、少尉、中尉などは憎むばかりでなく、終始、彼を没落させようと試みた。しかし、すべての部下が彼を畏敬し、遅延やためらいなしに命令に従った。これはボスコニアの士官が部下から期待しうる最高の態度で、大部分の士官には、とうてい望めないことだった。
キニスンはこうして足場を固めたのち、少佐の足をすくってそれに取って代わる仕事にとりかかった。アルコンは独裁者の例にもれず、つねに陰謀や革命を恐れていたので、ほとんどたえず演習をおこなわせていた。将軍自身が計画を立案し、いろいろな将校が宇宙、空、陸等を通じて、直接攻撃を仕かけるのである。そして、攻撃軍よりはるかに劣勢な近衛師団と親衛隊が、つねに防御にまわる。ずっと前から、精密な採点法が工夫されていて、参謀将校たちは、判明した防御上の弱点を、その採点法にしたがって詳細に研究することができた。
「ガネル大尉、おまえは第二十五、二十六および二十七関門を守備せよ」とくに重要な演習がおこなわれるまえの晩、少佐はあきらかに気がかりらしいようすで、キニスンに命じた。レンズマンは驚かなかった。この思いつきは、彼自身が上官の心にひそかに吹きこんだものだったからだ。そればかりでなく、彼はすでに、少佐が防御側の指揮をとるということと、攻撃軍を指揮する大佐が主力を第二十七関門にむける決心をしたということを、集中的なスパイ活動によって探知していた。
「けっこうです、少佐殿」キニスンは答えた。「しかし、自分はこの命令に公式に抗議いたします。その三つの関門を、二小隊の歩兵と一中隊の快速艇で守備することは、あきらかに不可能であります。一つ提案を述べさせていただけますか……」
「いかん」少佐はさえぎった。「われわれの推定によれば、真の攻撃は北方からおこなわれ、おまえの戦区における敵の活動は、すべて陽動作戦にすぎないだろう。命令は命令だぞ、大尉!」
「承知いたしました、少佐殿」キニスンは従順に答え、彼のなすべきことが詳細に述べられている厚い命令書にサインした。
翌日、キニスンは、与えられた命令を完全に無視して勝利をえたが、晩になって参謀会議に呼びつけられた。彼はこのことも予想していたが、どういう結果になるかは、はっきりわからなかった。だから、いささか不安な気持で、高級将校の巣窟へはいっていった。
「来たな!」副官が呼びかけた。「おまえを召喚したのは……」
「召喚されたわけはわかっています」キニスンはそっけなくさえぎった。「しかし、その問題にはいるまえに、わたしは将軍に対して、デリオス少佐を愚鈍、無能、非能率として告発したいと思います」
部屋中に無言の驚愕がひろがったが、ついに将軍が口を切った。
「それはじつに重大な告発だぞ、ガネル少尉。だが、理由を述べるがいい」
「感謝いたします、閣下。第一点、愚鈍。少佐は正午になっても、まだ攻撃が通常の形式に従わずにおこなわれるだろうということを察知せず、北方からの牽制攻撃にそなえるために、わたしの航空兵力をすべてとりあげました。第二点、無能。少佐がわたしにあたえた命令では、わたしが防衛をゆだねられたどの関門からの本格的な攻撃も、くいとめることはできなかったでしょう。第三点、非能率。能率的な指揮官ならば、昨夜、少佐がわたしの提案を拒絶したように、部下の士官からの提案を拒絶することはなかったでありましょう」
「少佐、おまえの弁明はどうか?」そして参謀将校たちは、少佐が命令に対する盲従にもとづく弁明をするのを聞いた。
「この問題は慎重審議しよう」将軍は宣言した。「大尉、おまえは、なぜ大佐が第二十七関門から攻撃するだろうと判断したのか?」
「そう判断したわけではありません」キニスンは、なにくわぬ顔で答えた。「しかし、三つの関門のどれを攻撃するにしても、この谷をくだる必要があります」彼は人差し指で地図をたどった。
「そこでわたしは、全兵力をこの第五百六十二高地に待機させました。空からの偵察で敵の接近を通報させれば、どの関門にでも敵より先に到達できるとわかっていたからであります」
「なるほど。では、おまえの空軍が他の方面にまわされたときはどうしたのか?」
「わたしは小型艇を一隻徴発しました――ついでながら、わたし自身の艇です――そして、それを探知されないほど高空に待機させました。それから、オートバイの偵察員を派遣して、わざと敵に捕獲させました。攻撃隊や偵察隊の指揮官に、わたしがまだ敵の情勢をまったく知らないと思わせるためです」
「うむ……抜け目のないやり方だ。で、次にどうしたか?」
「偵察艇が谷の中の敵の動きを報告すると同時に、わたしは部隊に発進準備をさせました。そして、敵の目標が第二十七関門だということが判明すると、関門全体をカバーする、あらかじめ選択された地点に全兵力を投入しました。そこで敵がわなに踏みこんできたので、その主力を殲滅《せんめつ》したのであります。しかし、それをするについて、味方の理論上の損失は四分の三にのぼりました」彼はにがにがしくいった。「もしわたしが防御を指揮していれば、二パーセント以下の損失で、敵の空陸兵力を全滅させていたでしょう」これは大言壮語だった。
「ガネル大尉、おまえはこれがまったくの不服従だということを知っているのか?」将軍はきびしくたずねた。「おまえは、わしがこのような無能な攻撃を計画し命令したということで、事実上わしをも非難しているのだぞ」
「けっしてそうではありません、閣下」キニスンは即答した。「閣下が、われわれ下級将校に思考の重要性を指摘する目的で、故意にこのような攻撃を計画し命令されたことは明白であります。未熟な戦術家は奇襲をくわだてることがありますが、そのような攻撃はすぐれた戦術に対抗されると、必然的に弱点をあらわします。すなわち、正攻法が真にすぐれた戦術なのであります。閣下はそのようなご意向ではありませんでしたか?」
そのような意向だったにせよ、そうでなかったにせよ、この観点は将校に逃げ道を与えた。そして彼はすばやくそれに便乗した。彼は、デリオス少佐が事実愚鈍で無能で非能率だったことをその場で認め、つねに従順な参謀将校たちはそれに賛成した。こうして、ガネル大尉は以後ガネル少佐となった。
そこでレンズマンは仕事がやりやすくなった。彼は巧妙に種々の昇進や配置転換をおこない、ついにふたたび完全に服従的な腹心の部下にとり囲まれるようになり、大佐に働きかける準備がととのった。しかし、彼はそうする代わりに、またボスコニアの慣習を破って、ふつうなら自分が取って代わろうと勤めるはずの相手に率直に話しかけた。
「大佐殿、あなたはわたしを殺せないということがおわかりになったはずです」彼は部屋が完全に探知から遮蔽されているのを確かめたのち、上官にいった。「また、わたしがあなたを完全に殺せるということもおわかりでしょう。ご承知のように、わたしはあなたより知識があります――あなたがたがのらくらしているあいだに、たえず勉強し研究していたからです――わたしはあなたを殺さないまでも、すぐにもあなたの地位を奪うことができます。しかし、そうしたくはありません」
「したくはない、だと!」大佐は目を細めて相手を見つめた。「では、何をしたいのだ?」彼はもちろん、ガネルが何かをのぞんでいることを知っている。
「あなたの援助です」キニスンは率直に認めた。「わたしはアルコンの親衛隊に補佐官としてはいりたいのです。わたしの経験と訓練をもってすれば、この近衛隊にいるより親衛隊にはいったほうが、実力を発揮できると思うのです。そこで一つ提案があります――もしわたしが作戦計画の作成をはじめとして、一般的問題について、できるだけあなたを援助すれば、あなたは将軍と総理大臣フォステンに対する大きな影響力を利用して、わたしを親衛隊に移れるようにしてくれますか?」
「してくれるかだと? するとも!」大佐は熱心に賛成した。彼は「もしおまえを殺せなかったら」とつけ加えはしなかった――それはわかりきったことなのだ。
そしてキニスンは事実、大佐を援助した。大佐が思いもよらなかった軍事知識を教え、ボスコーン人には従来まったく知られていなかった戦術の奥義を示した。キニスンが教えれば教えるほど、大佐はいよいよ熱心にキニスンを排除しようと努めた。大佐ははじめ疑惑を持ってしぶしぶ協力していたが、自分の教師を殺すことができないということがわかり、もしもガネルが近衛師団にとどまりつづければ、そのすばらしい業績によって、ほんの数日のうちに――せいぜい数週間のうちに――否応《いやおう》なしに大佐に昇進してしまうだろうということもわかると、とどくかぎりの手づるをつかんで、キニスンを親衛隊に移籍させようとした。
しかし、移籍が実行されるまえに、キニスンはナドレックから連絡を受けた。
「あなたをわずらわせるのを許してください」パレイン人は弁解した。「しかし、あなたが興味を持ちそうな新事実が発生したのです。ここのカンドロンが、アルコンから命令を受けて、超空間チューブを横断することになりました。チューブの末端は、現在からスラールの日にして七日目の十一時に、座標二一七――四九三――二八の空間にあらわれます」
「上出来だ! で、きみはやつを追跡するつもりですね?」キニスンは結論に飛躍した。「結構です――やりたまえ。ぼくはそこできみとおちあいます。何か口実をつくってここから抜けだします。そしてふたりしてやつを追跡して……」
「わたしは追跡しません」ナドレックはきっぱりさえぎった。「もし、ここの仕事をほうりだせば、万事が中途半端になってしまうでしょう。それに、追跡するのは危険です――無謀です。チューブの向こうはしに何があるかわからないのですから、計画もたてられず、安全や成功の保障もありません。あなたも行くべきではありません――それはむこう見ずです。わたしがこのことを報告するのは、あなたがこれを重大と考えて、死なせても惜しくない程度の観測員を派遣する可能性があると考えたからです」
「おお……う、うむ……わかりました。感謝します、ナドレック」キニスンは連絡を切るまでは、自分の真の思考を洩らさないように気をつけた。それから、
「変わったやつだな、あのナドレックは」とヘインズを呼びだしながらつぶやいた。「彼の考え方はまるでわからん――まったく理解のほかだ……ヘインズ閣下ですか? キニスンです」そして彼はすっかり報告した。
「ドーントレス号は必要な発生器や装置を完全に備えています。そして場所は充分離れていますから、なんの危険もなく接近できます」レンズマンは結論をくだした。「その超空間チューブの向こうはしに何があろうと、撃滅できます。できるだけ多くのベテランを派遣してください。カーディンジも同行させられるだけ時間があればいいのですが――ご老体はこの追跡に参加させられなかったことを知れば、猿みたいにほえたてるでしょう――しかし、一週間の余裕しかありません……」
「カーディンジはここにいる」ヘインズがさえぎった。「彼はソーンダイクと協力して、太陽ビームについてある種の改良を考案しているのだ。しかし、もう仕事は完成しているから、同行したがるにちがいない」
「けっこうです!」そして、ランデブーのための正確な打ちあわせがおこなわれた。
キニスンにとって、日常勤務を離れることを正当化するのは、さして困難ではなかった。偵察員や観測員が、ある通信線について、不可解な妨害があらわれていることを報告していた。上層部の連中は、例のレンズマンに対して神経をとがらしていたし、ガネルの勇敢さと機敏さはすでに証明ずみだったから、その妨害現象を調査するために派遣してほしいという意思を、あらためて示す必要もないほどだった。
彼はこの調査に自分の腹心の部下を同行させなかった。その代わり、大隊の中でもっとも勇敢な兵士五人を選抜して、このきわめて危険と考えられる使命に同行させた。彼はまったく気づかないふりをしていたが、じつはその五人のうち、ふたりは大佐に、ふたりは将軍に、ひとりは彼の後任の大尉に、それぞれ個人的に所属していたのだ。
大佐は≪例の≫レンズマンが、少しでも早くガネルを殺してくれることを切望しながらも、言葉の上ではガネルの幸運を祈った。キニスンは、くそまじめな顔で感謝して出発した。しかし、彼はどの通信線の近くにも行かなかった。ところが、彼の行動をスパイしている乗組員たちは、その事実を理解しなかった。彼らはなにごとも理解しなかった。彼らは、スラールを発進してのち五分以内に意識を失ったのだが、その事実さえ知らなかった。
乗組員たちが意識を失っているあいだに、彼らの乗った快速艇は、ドーントレス号の大きな船倉に引きこまれた。彼らはドーントレス号の中にいるあいだずっと、その病室に入れられて熟練した看護を受けながら、無意識のままでいた。
パトロール隊のパイロットは、カンドロンの宇宙船を容易に探知し、探知波中立器をフルに働かせながら、らくらくと追跡して行った。カンドロンの船が速力をゆるめて超空間チューブの末端に近づくと、ドーントレス号も速度をゆるめて、推進ジェットの閃光を抑制しながら、電磁波探知器の有効範囲ぎりぎりのところまで接近した。目標が三次元空間から消滅すると、その消滅点が正確に測定され、パトロール隊は数秒のうちにその点に到達した。
通常の推進ジェットは停止され、特殊な発生器が働きはじめた。そして、艦の力場がボスコニアの陸上ステーションの力場と反応すると、パトロールマンたちは、ふたたびあの次元間加速度の無気味な感覚を、いやというほど感じさせられた。その感覚は、文字どおり名状しがたいものだった。よく訓練された人間ならば、船酔い、飛行機酔い、宇宙船酔いなどを克服できる。無慣性化する際に起こる吐き気をおさえ、はてしなく落下していくような不快感に慣れることができる。無慣性化にともなう肉体的精神的障害を抑制することができる。しかし、次元間加速度の不快感に慣れることができた者は、まだだれもいないのだ。
この感覚は圧迫感にもっともよく似ている。全体として圧迫されるのでなく、原子ごとに圧迫されるような感じだ。また、からだをよじられているような感じもする――いまいる場所から動くことも、そこにとどまることもできないような奇妙な方法でよじられているような感じなのだ。苦痛はないが、きわめて不快な変化で、それが一連の波をなして進行する。からだの各細胞が、通常は存在していない未知の方向へむけて再配置され、よじれあい、もつれあいしてゆがめられ、不可解な方法で押しやられていく感じなのだ。
加速時が過ぎると、ドーントレス号はどういう方向かわからないが、チューブのみちびくほうへ、一定の速度で航行しはじめた。乗組員は、はなはだ不快で不安ながらも、またからだを動かして働けるようになった。とくにサー・オースティン・カーディンジは、自分専用の計器盤にとりつけられた種々の自動記録装置を見てまわりながら、ひどく楽しげに熱中していた。彼はいつもやせっぽちで灰色の牡猫に似ているが、いまはなおさらそう見える、とキニスンは思った――ほおひげをなめて、ごろごろ鳴きはじめるのではないかとさえ思われるくらいだ。
「いいかね、もの知らずのお若いの」科学者は、記録ペンの一本が方眼紙の上をはげしく動くのを見ながら、ほとんどのどを鳴らさんばかりだった。「わしがいったとおりだ――このきわめて複雑な現象にあっては、微細な因子について正確なデータが欠けているだけでも、致命的なのだ。わしのノートはあきらかに完全無欠だったが、実験チューブは完全には機能しなかった。時間因子が一致しなかったのだ――あらゆる点でそうだった。通常空間から出発する時間や、そこへ帰還する時間さえもな――しかも、基本的単位の一つである時間が、本質的に多様であるというのは、考えられないことだ……」
「そう思いますか?」キニスンがさえぎった。「あれをごらんなさい」そしてもっとも精密な計時器である、カーディンジ自身の三重式クロノメーターを指さした。「第一号によれば、チューブにはいってから一時間たったことになりますが、第二号によれば、九分ちょっとです。そして第三号によれば、出発時より二十分まえということになります――第三号は逆行しているにちがいありません――これをどう解釈なさいます?」
「おお……ああ……えへん」しかし、サー・オースティンは瞬間的に狼狽《ろうばい》しただけだった。「うむ、わしはずっと正しかったのだ!」彼はうれしそうにからから笑った。「わしが誤りをおかしたり、なんらかの可能性を見のがしたりすることはありえないと思っていたが、いまこそそのとおりだとわかった。時間はこの超空間領域または条件の中では、本質的に多様なのだ、それも法外にな!」
「それがなんの役に立つのです?」キニスンはあからさまにたずねた。
「うんと役に立つよ。せっかちなお若いの、うんとな」カーディンジは答えた。「われわれは観察し、事実をノートにとる。そしてその観察と事実とから推定し、それによって、やがて時間の本質をつきとめるのだ」
「それはあなたのご希望でしょう」レンズマンは疑わしげにいった。そして事実、彼の疑惑が正しく、サー・オースティンはまちがっていた。なぜなら、時間の本質と機能は、依然として神秘に包まれているからだ。少なくとも、未解決のままなのだ。アリシア人は時間を理解しているだろう――おそらく――しかし、他の種族には理解できないのだ。
したがって、ある人間、ある時計またはその他の計時装置にとっては、時間は非常に長く思えた――それとも事実そうだったのだろうか? いっぽう他の類似した人間や装置にとっては、短く思われた――あるいは実際にそうだった。だが、時間が短かろうと長かろうと、ドーントレス号は超空間チューブの向こうはしに到達しなかった。
航行中に、押しつぶし、よじりあげるような感覚がおそってきたと思うと、ふいに想像もおよばぬほど恐ろしい次元間加速が生じた――加速時と同様に、肉体的にも精神的にも不快な減速である。
超空間チューブの中にとじこめられているあいだ、ドーントレス号の監視装置はすべて盲目だった。あらゆる周波数のあらゆるビームは、可視的だろうと不可視的だろうと、エーテル波だろうと、それよりはるかに速いサブ・エーテル波だろうと、すべて超空間の闇を貫くことができなかった。どの映像プレートも同じように、にぶいブランク状態を示していた。おぼろで無気味に変動する、準固体的な、不定形無組織の灰色の幕だ。光も暗黒もない。恒星も星座も星雲もない。おなじみの深淵な宇宙の暗黒もない――何ものもないのだ。
減速過程は終わった。人々はふたたび正常な擬似重力の、おなじみの安定感をおぼえた。それと同時に、映像プレートの灰色の霧が消えて、多彩な光点を平面的にちりばめた暗黒面があらわれた。おなじみの宇宙とおなじみの星たちだ。
しかし、星たちはおなじみのものだろうか? この銀河系は、われわれの銀河系か、それともそれに似た他のものだろうか? 星たちはおなじみのものではなかった。銀河系はわれわれの銀河系ではなかった。キニスンはあっけにとられて映像プレートを見つめた。
第二銀河系のどこかにある三次元空間に出たのなら、彼も驚かなかっただろう。その場合は、天の川が見えたはずだ。そして、その形状、見かけの大きさ、組成などから、数分のうちに自分の位置をかなり正確に判定できただろう。ところが、ドーントレス号はレンズ状銀河系の中にいるのではなかった――どこにも天の川の姿が見えないのだ!
彼は、自分の船が銀河系間空間にほうりだされているのを知ったとしても、それほど驚かなかったろう。その場合は、一面の暗黒のところどころに、レンズ状の銀河系が散在しているのが見えるはずだ。自分の位置を知るのはまえの場合より困難だろうが、パトロール隊の宇宙図の助けを借りれば、不可能ではない。しかし、ここには一つの銀河系もない――一つの星雲もないのだ!
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一八 総理大臣フォステン
この宇宙では、星雲状のものがまったくない暗黒を背景にして、多数の恒星が燦然《さんぜん》と輝いている――そして恒星以外には何も見えないのだ。見かけの光度がマイナス三くらいの星が二、三百ある。マイナス二かそこらの星がほぼ同数あり、さらに明るいものもあるが、このまったく不可解な空には、見かけの光度が四以上の恒星、その他の天体は一つもないようだ。
「これをどう判断しますか、サー・オースティン?」キニスンは冷静にたずねた。「交通信号が赤になったみたいに、身動きがとれませんな」
数学者が駆けよってきたので、レンズマンは驚いて見つめた。彼はそれまで、カーディンジが駆けるのを見たことがなかった――事実、いま数学者は、実際に駆けているのではなかった。彼の足はまばたきするほどの速さで動いていたが、じつは歩いているのだった。そしてキニスンに近づくにつれて、そのペースはしだいにゆるんで、正常にもどった。
「ああ――ここでも視覚がゆがんでいるのですね」レンズマンはいった。「あそこをごらんなさい――あの連中はあんなに速く動いているのに、こっちの連中はあんなにのろく動いていますよ」
「なるほど。おもしろい――非常におもしろい。実際、きわめて注目すべき、興味ぶかい現象だ」数学者は熱中していった。
「しかし、問題はそのことではありません。この映像プレート――視覚映像盤ですが――こいつを外側にぐるりと回転させて、星の配置をごらんなさい。どう思いますか?」
「特異だ――ユニークだといってもいい」科学者は観測をすませてから結論した。「わしが見なれた正常な星の配置とはまるでちがう。熟考すべきだが、まずデータを確認したほうがよくはないかな? たとえば、どれか太陽系へ接近して、組織的な観測をおこなうのだ」
「なるほど」キニスンは感嘆したようすで、小柄な物理学者を見なおした。これこそ≪男≫だ!
「あなたは確かにたのもしい人です。自分でそのことをご承知ですか?」彼は称賛するようにたずねた。そして、カーディンジがいぶかしげに彼を見つめているあいだに、レンズで思考を投射した。
「急いでくれ。ぼくの思考がわかるかい、ヘンダスン?」
「わかります」
「あの比較的近い恒星のどれかへ接近して停止し、そして有重力状態に移行してくれ」
「QX、隊長」パイロットは命令にしたがった。
そして有重力状態に移行した瞬間、ふたりが見つめていた映像プレートは暗黒になった。一瞬まえまで何千という星をちりばめていた空は、はじめから何もなかったかのように消滅した。
「おやっ……どうしたんだ……いったいどういうわけで、こんなことになったんだ?」キニスンはつぶやいた。
カーディンジは一言もいわずに手をのばすと、映像プレートの受像装置を〈視覚〉から〈超視覚〉に切りかえた。そのとたん、星は消滅したときと同様に、突如としてふたたびあらわれた。
「どこかで何かが狂ってるんだ!」レンズマンは不平そうにいった。「光速度より速い有重力速度がえられるはずがない――不可能なことだ!」
「決定的に不可能だといえるようなことは、もしあるとしても、わずかしかない。万事は相対的で、絶対的ではないのだ」老科学者は尊大《そんだい》に宣言した。「たとえば、この宇宙空間だ。きみにはまだわかっていないが、われわれは、従来われわれが存在していたような三次元空間にいるのではないのだ」
キニスンは口をつぐんだ。いまの言葉にも抗議したかったのだが、カーディンジが少しも狼狽《ろうばい》せずにこの事実を受けいれているのを見て、心にあることがいえなくなってしまったのだ。
「そのほうがいい」老人は論じつづけた。「興奮してはいかん――そうすると、判断力がにぶるからな。なにごとも自明のこととして受けとってはならんし、結論に飛躍することもいかん――そういう誤りをおかすと、成功への大きな障害になる。お若いの、仮説をたてる場合には、正確に決定された事実に立脚《りっきゃく》せねばならん。単なる推測、迷信、個人的偏見の産物などに立脚してはならんのだ」
「し――し――しかし……QX――やめましょう!」ドーントレス号の乗組員の十分の九までは、この出来事を知れば、その衝撃で自制心を失っただろう。キニスンの強力な心さえ、はげしく動揺した。しかし、カーディンジは、自分の静かな書斎にいるかのように、平静で自足していた――そう見えるのではなく、実際にそうなのだった。「なるべく平易な言葉で説明していただけませんか?」
「われわれの大胆な学者たちが、何世紀にもわたって考察してきたことだが、多数の異なった空間が、仮定的な超連続の中で、境《さかい》を接して同時に存在している可能性があるのだ。わしはこれまで、そうした時間つぶしに没頭したことはなかったが、こうして現実の確証的データが手にはいるようになったからには、これは非常にみのり多い研究分野だということを認めるにやぶさかではない。すでに二つの、きわめて意味深長な事実があきらかになっている。時間の多様性と、われわれが運動『法則』と証するものの非適応性だ。空間が異なれば、法則もまた異なるもののように思われる」
「しかし、まえに超空間チューブの中で発生器を切ったときは、われわれはもとの空間にもどりましたよ」キニスンは抗議した。「その点はどう説明なさいます?」
「わしはまだその点の説明をしようとは思わん!」カーディンジはぴしりといった。「きみのか弱い頭にさえ、すでに二つのすこぶる明白な可能性が判明しているはずだ。第一は、まえの場合、発生器を切ったとき、きみの船は、偶然われわれの空間にもどされたのではないかということだ。第二は、船の力場を切れば、つねに最初の空間にもどるが、陸上ステーションの力場が切られたときは、船はつねにどこか他の空間に押しやられるのではないか、ということだ。第二の仮定があたっているとすると、チューブの向こうはしの人物または生物は、われわれがカンドロンを追跡していることを察知して、彼が着陸するやいなや、われわれを通常の空間からほうりだすために、わざとステーションの力場を切ったと考えるほうが筋が通っている。彼らは、比較的能力の乏しい連中がこういう目にあうと、二度ともとの空間へもどれないということさえ知っていたのかもしれない。しかし、こういう仮定を信じすぎてはいかん。真実はまったく別なところにひそんでいる可能性もあるのだからな。忘れてならんことだが、われわれは、なんらかの理論を形成するようなデータを、まだごくわずかしか持っていないし、真実は慎重かつ精密かつ完全な考察によってのみ、あきらかにされるのだ。また、もう一つ気をつけてもらいたいのは、われわれの超空間チューブに関するわしの研究はまだ不充分なのだが、その研究をつづけていく過程で、わしがきっとこれら未知の要素を発見し評価するだろうということと、わしがここでもその研究をつづけていて、すでに顕著な進歩をとげたということだ」
キニスンはこの言葉にまったく驚嘆した――この男は確かにすごい! 彼はチーフ・パイロットを呼んだ。「ヘン、無慣性状態に移行して、どれかの惑星へ向かってくれ――われわれの空間へもどるまえに、どこかへ着陸しなけりゃならん。適当な惑星が見つかったら、無慣性着陸するんだ。そして無慣性状態をたもって、バーゲンホルムに気を付けていてくれ――もしバーゲンホルムが停止したら、どんなことになるかは、いうまでもないだろう」
それからソーンダイクに呼びかけた。「ベルヌかい? 個人用重力中立器をいくつか取りだしてくれ。船の外で、ちょっとした建設作業をやらなければならんのだ――無慣性状態でね」そして、ふたりに向かって、どんなことが起き、どんなことをしなければならないかを思考で瞬間的に伝達した。
「きみは基本的観念を理解しているな、キニスン」カーディンジは認めた。「われわれは、この船に乗ったまま、正常な環境へもどろうとしているわけだが、そのためには、この船の外部にステーションをつくることが必要だ。しかし、きみはそれを建設する士官として惑星、衛星、小惑星アステロイドというような天体を発見する必要があると主張しているが、その点で、大きな誤りを犯している」
「なぜです?」キニスンは反問した。
「ドーントレス号をチューブの発生ステーションに利用して、救命艇で帰還することも充分可能だ――いや、実際的でさえある」カーディンジは指摘した。
「なんですって? この船を見捨てるんですか? そして全部の救命ボートを改造するために、時間をつぶすんですか?」
「できれば惑星を見つけたほうが、有効で、てっとりばやいのはもちろんだ」科学者は譲歩《じょうほ》した。「しかし、それが必ずしも必要でないこともあきらかだ。きみの論理は不合理で、用語はなっておらん。わしがきみの誤りを指摘するのは、きみに思考と叙述の科学的正確さを教えこめる見込みが、かすかながらもあると思うからだ」
「いやはや! なんて男だ!」キニスンは英雄的努力で討論を『打ち切り』ながら、つぶやいた。
いささか意外なことに、パイロットは着陸に適した惑星を発見した――キニスンは、この宇宙には惑星がないものとなかばあきらめていたのだ。それはじつに奇妙な惑星だった。正常に動きもせず、正常に見えもせず、正常に感じられもしなかった。水もなく空気もなく、荒涼としていた。地表はぎざぎざで、ほとんど金属性だった。温度は暑くも寒くもなかった――じつのところ、固有の温度がまったくないように思われた。この惑星には正常なものは何もないとキニスンは断言した。
「いや、ありますよ!」ソーンダイクが反対した。「ここでは時間が一定しています。その絶対率がどんなものかはわかりませんがね。それに、この金属は作業につごうがいいし、絶縁体になる物質もいくらかあります。それとも、その点は考えなかったのですか? 光速度の十五倍の固有速度をゼロにおとすのと、この惑星の固有減量からチューブ放射器をつくるのと、どっちが早いと思います? それに、光速度を同調させたとしても、われわれの空間へもどったら、どうなります?」
「う、うむ。この惑星の物質を利用したほうが早いだろう――おそらくずっとな。しかし、用心してくれよ、みんな!」
事実、用心が必要だった。建設には、船からの物質が一分子も使用されないように、惑星の物質が一分子も船にまぎれこんだりしないように、最高の注意を払わねばならなかった。
作業自体はごくかんたんだった。カーディンジは、なにをすればいいかを正確に知っていた。ソーンダイクは、どのようにすればいいかを正確に知っていた。地球で、まったく同じような実験用チューブ発生器を建造したことがあったからだ。彼には一団の専門技師がついていた。ドーントレス号は、どの船にも負けない工作室と設備を備えているのだ。原材料は豊富だったし、放射器やモーターを建造するための無重力室を構築するのは、容易なことだった。そしてそれらは、建造されるとすぐ作動した。
そういうわけで、キニスンがへたばったのは、作業そのもののせいではなく、それにともなう緊張のせいだった。バーゲンホルムや個人用重力中立器が、一瞬も停止しないように、たえず監視していなければならないことから生ずる、身をすりへらすような継続的緊張だ。彼はひとりの部下も失わなかったが、だれかが惑星の金属性の固い表面に、光速の十五倍の相対速度で衝突するすさまじい光景が、くり返し彼の心にひらめいた! そしてまた、船と惑星とのあいだに、どれほどわずかでも物質の交換がおこなわれないように、たえず点検することから生ずる緊張。
とりわけきびしい緊張は、他の者がだれも知らないらしいあることを、知っていることから生ずるものだった。つまり、カーディンジは、その数学的知識を総動員しても、もとの空間へもどる方法を見つけられないかもしれないのだ! 彼はそのことを科学者にいわなかった。いう必要はなかった。彼は、われわれの正常な空間の基本的特性について、なんの知識もなかった――魚が水の基本的組成や構造について知らないより、もっと知らないくらいだった――しかし、ドーントレス号がまったくの偶然以外には、もとの空間へもどり得ないだろうことを知っていたのだ。そして、カーディンジが、このまったく解決不可能な問題にいよいよ深く没頭していくにつれて、グレー・レンズマンは、いよいよ不安になっていった。しかし、この最後の困難は、まったく思いがけない方法で、最初に解決されたのである。
「おお、地球のキニスンよ、おまえはそこにいた――わたしはおまえたちの時間にして二十九秒ばかり、おまえの問題を考慮していた」忘れようのない底力のある声が、彼の脳に反響したのだ。
「メンター!」彼は叫んだ。そして、安堵感の衝撃があまりに強かったので、すんでのところ気絶しかかった。「ようこそわれわれを発見してくださいました! どうしておできになったのです? われわれは、どうすればここから脱出できるでしょう?」
「おまえたちを発見することはかんたんだった」アリシア人は静かに答えた。「おまえが固有の環境にいない以上、どこか別の環境にいるのにちがいなかった。論理的発展、事実上の必然的発展を認識するには、わずかの思考しか必要でなかった。そういうわけで、どのようなことがどのようにして、なぜ起こったか、またおまえたちが現在どこにいるはずか、ということを決定するのにも、ごくわずかの努力しか必要でなかった。そこから脱出する問題についていえば、おまえたちの機械的装置は正しく妥当である。わたしはなお必要な情報を提供できるが、それはいささか技術的に専門化されていて、分量も少なくない。そしておまえの脳は無制限に有能ではないから、おまえが直接必要のない数学的知識によって脳の一部をふさがないほうがいい。そこで、サー・オースティン・カーディンジの心と感応状態にはいりなさい。そのあと、わたしも感応状態にはいるから」
キニスンはいわれたとおりにした。こうして心と心が出会うと、キニスンにはほんの要点さえ理解できないような会話がはじまった。なぜなら、すでに述べたように、カーディンジは、数学という万能語で考えることができたからだ。この神秘な表現法を部分的にでもマスターできる者は、ごく少数しかいないのだ。レンズマンには、まるでちんぷんかんぷんだった。彼にわかったのは、アリシア人が、彼にはまったく無意味なその表現の中で、同時に共存する多数の空間の顕著な特徴を、精密かつ完全に物理学者に説明しているということだけだった。
レンズマンは畏怖に打たれながら考えた。アリシア人は、「いささか」技術的な問題といったが、しからば、ほんとうに深遠な問題というのは、どれほど難解なものだろう? そんなことを理解したいというのではない! この数学的魔法使いたちは、気ちがいにちがいない――脳がいかれているのだ――こんな知識を半分でも持っていたらキ印になっちまう、たいへんなことだ!
しかし、サー・オースティンは、まるで猫がクリームをなめるかカナリヤをおもちゃにするかのように、アリシア人の説明を受けいれた。彼は目に見えて快活になり、得意げになった。そして、アリシア人が彼の心と接触を絶つと、技師たちがすでにつくりあげていた精密なメーターや制御装置を、慎重に調整しながら、雄鶏《おんどり》のように身づくろいして、意気揚々と歩きまわった。
準備は完了し、カーディンジはスイッチをいれた。そして、ドーントレス号に属する物が一つ残らず運びこまれた――つまり、この異質な空間の物質によって汚染されていないことが証明されたすべての物だ。惑星上で着用された宇宙服をはじめ、汚染されていないことが確証されなかったものは、すべて廃棄《はいき》された。人々は、長いこと慎重に着用してきた重力中立器を、深い安堵のため息とともにとりはずした。船は試験的に短時間、有重力化された。QX――光より速い隕石が船内から船体をぶち抜くようなことはなかった。これまでのところは無事だ。
つづいて船の発生器が働かされ、巨大な戦艦は、なめらかにらくらくと次元間航行に突入した。予期されてはいたが、ほとんどたえられないほど不快な加速が起こった。単調でつかまえどころのない灰色の中での、知覚しがたく名状しがたい航行。おそろしい減速。そして映像プレートの上に星が美しく輝きはじめた。
「うまくいったぞ!」キニスンはほっとして叫んだ。船は第二銀河系内の「真の」空間にもどったのだ。出発点からほんの数パーセク離れているきりだ。「サー・オースティン、計算がぴったりでしたね! こんどの火曜日の学界で、競争相手のワインガルデを徹底的にやっつけるんでしょう? おめでとう!」
「基本的データがある以上、解決と適用は必然的に――自動的に――唯一的に――導かれたのだ」科学者は尊大《そんだい》にいった。彼は大いに満足し、レンズマンの熱烈な称賛にすっかり気をよくしていたが、その感情をあらわに示そうとはしなかったのだ。
「さて、まず何日の何時かを確かめるのがよさそうだな」キニスンはクロヴィアのパトロール司令部へ通信ビームを向けながらいった。
「何年かも確かめたほうがいいでしょう」ヘンダスンが悲観的にいった――彼はイロナが恋しくてたまらなかったのだ――しかし、情況はそれほど悪くはなかった。
事実、少しも悪くはなかった。スラールの時間にして、一週間ちょっとしか経過していなかったのだ。キニスンはこのことを知って大いに喜んだ。一ヵ月くらいもたっているのではないかと心配していたからだ。一週間の偵察航行なら充分弁解できるが、二週間以上となるとむずかしかっただろう。
スラールの快速艇に積んだ消費材は、時間の経過にぴったり適合され、ウォーゼルとキニスンは、五人の意識不明のスラール人の心に、ガネル少佐がスラールを出発して以来やったことについての詳細な――しかし完全につくりものの――記憶をきざみこんだ。もちろん、五人の記憶は正確には一致していなかった――各人が、異なる任務と異なる経験を持っていたし、ふたりの観察者が同じ事件を見た場合でも、全く同じ印象を受けることはないからだ――しかし、それらの記憶は、きわめてもっともらしいものだった。また、さいわいなことに、この精神手術によって、わずかな傷跡さえ残らなかった。この場合には、記憶の糸をどの点ででも切断する必要がなかったからだ。
ドーントレス号は、クロヴィアへ向かい、キニスンの快速艇はスラールへ向かった。キニスンの乗組員たちは目をさました――しかし、自分が意識を失っていたとか、最近の出来事についての自分の記憶が事実と一致していないということなどは、思いもおよばなかった――そして彼らは任務を続行した。
スラールに帰還するとすぐ、キニスンはこんどの使命に関する公式報告書を提出した。それは可もなく不可もない程度のものだった。彼らは十一号通信線の付近で、一隻のパトロール偵察艇を発見した。そしてそれを、これこれのコースにしたがって追跡したあげく、交戦を余儀なくさせた。彼らは偵察艇に損害を与えて乗りこみ、つぎのような資料を奪取した。その資料は宇宙諜報局に提出された、等々。キニスンには自信があった。この報告なら通用するだろう。そして乗組員たちが、それぞれの真のボスに対してする内密の報告によって、完全に裏付けられるだろう。
いっぽう、大佐のほうも成功した。トラスカ・ガネル少佐は、相応な儀礼をもって親衛隊に編入されたのだ。彼はスパイ光線を通過させないシガレット・ケースを与えられた。アルコンがもっとも信頼する士官たちは、こういうケースの中に秘密の徽章を入れて持ち歩くことを許されるのだ。キニスンはそれを手に入れたことを喜んだ――もしこれが本当にスパイ光線を遮蔽できるなら、レンズを入れて持って歩くことができる。レンズはいま、市の境界外に、罐《かん》に入れて埋めてあるのだ。
レンズマンは心を極度に緊張させて、首脳会議との最初の対決にのぞんだ。彼はそうたびたびアルコンに接近したことはなかったが、独裁者が精神的手術を受けていない人間には望めないほど、強固な精神遮蔽マインド・シールドを持っていることを知っていた。彼はこの強力な遮蔽のすぐそばで、芝居を演じなければならないのだ――彼はどんなボスコニア人にも心を読まれたくなかった。しかし自分もまた貫通不能な遮蔽を持っているという事実を暴露し、疑惑をまねくことも望まなかった。
閣議に近づいたとき、彼はエネルギー帯に踏みこんで、ほとんどとびのこうとした。彼は頭をきっと起こした。精神遮蔽をおろしつづける以外に手はなかった。この力場は一般的なもので、とくに彼にむけられたものではない――これを操作している催眠術者と戦うことは、その操作を探知し、それに抵抗できる唯一の人間として相手の注意をひき、すべてを暴露させることになるだろう。そこで彼は、その力場に自分の心を把握させた――ただし留保つきでだ。彼はそれを考察した。分析した。視覚だけにするか? QX――アルコンには表面的な精神支配を許そう。ただし、目で見たものはあまり信用しないことにするのだ。
彼は部屋にはいった。そして、紹介やあいさつがおこなわれているあいだに、こっそりと視覚を働かせて、相手に感知されないようにして心につぎつぎと接触した。普通、閣僚はみな似たりよったりだ。こんどは総理大臣をためしてみよう。このフォステンについては、いろいろうわさには聞いていたが、会ったことはなかった――この男が実際にどんな能力を持っているか見てやろう。
しかし、彼にはわからなかった。相手の心に接触することさえできなかった。この大物も自動遮蔽を持っていたからだ。アルコンやキニスン自身のと同じくらい効果的な遮蔽である。
視覚は頼りにならない。では知覚力ではどうか? 彼はアルコンの足、腕、胴などに、それをきわめて慎重に働かせた。アルコンは肉体として実在している。次は総理大臣だ――彼はぎょっとして知覚力をひっこめた。知覚力は、彼の目が相手の皮膚だと判断したもののところで遮蔽されたのだ!
思いがけないことだ――まったく思いがけないことだ。これはいったい何を意味するのか? 彼は知覚力を遮蔽できるものとしては、思考波スクリーン以外に知らなかった。彼は深刻に思考した。アルコンの心は充分悪質だ。確かに手術を受けている。あのような精神遮蔽は、人類や人類に近い生物には、自然に発生するものではない。おそらく、アイヒ族か、カンドロンが属するスーパー・アイヒ族ならば、あのような精神手術をおこないうるだろう。しかし、フォステンはもっと悪質なのだ。
フォステンはアルコンのボスだ! おそらく、まるで人間ではあるまい。さきほどのエネルギー帯を展開していたのは、アルコンではなくてフォステンだということはあきらかだ。アイヒ族だろうか? いや、これは温血の酸素呼吸者だ。冷血の超大物なら、アルコンを呼びつけるだろう。しかし、怪物であることはほとんど確実だ。たぶん、キニスンがまだみたことのないタイプの怪物だろう。リモート・コントロールされているのか? そうかもしれないが、そうともかぎらない。だれもが総理大臣と信じている人形または仮面の中にかくれて、ここに実在しているということもありうるのだ――おそらくそうだろう――そうだ、そうにちがいない――。
「ガネル少佐、おまえはどう考えるか?」総理大臣はよどみなくたずねながら、自分の心をキニスンの心に侵入させた。
キニスンは、彼らが第一銀河系への侵入について論議しているのを知っていたが、考えこんだかのようにためらってみせた。事実、彼は考えていた。それもきわめて慎重に。もしこの怪物が試験的に彼の心をさぐりにきたのなら、二度とさぐりにはこないだろう――QX、フォステンは、ガネルがこれからいおうとしていることを、ガネルの真の思考と照合しようとしているだけなのだ。
「わたしはこの閣議ではまったくの新参ですから、自分の意見が重視されるとは思いません」キニスンは、ほどほどの追従をこめていった――そして思考した。「しかし、わたしはこの問題に関しては、決定的な意見を持っています。われわれがまずこの銀河系において、足場を強固にするほうがよいと確信するものであります」
「では、おまえは地球に対する直接行動には反対するというのだな」総理大臣はたずねた。「それはなぜか?」
「わたしは断固としてそう主張します。不用意な性急さにもとづくところの、あの近視眼的手段こそが、われわれの最近の敗退の原因であると思います。時間は重要な因子ではありません――≪大計画≫は日や年を単位としてではなく、世紀を単位として作成させられたものです――したがって、われわれが自己の足場を確保してのち攻勢に転じ、われわれが攻撃する惑星を、パトロール隊のあらゆる攻撃に対して難攻不落のものとしつつ、徐々に拡大していくべきであるのは、自明の理であると思われます」
「おまえは、軍事行動の総指揮をとっている参謀本部を批判しているわけだが、その点を心得ているのか?」アルコンは毒々しくたずねた。
「完全に心得ております」レンズマンは冷静に答えた。「わたしがあえてこうした意見を具申《ぐしん》するのは、ご指命でたずねられたからです。参謀首脳部は失敗されました、そうではございませんか? もし成功されたのなら、批判は適切でもなく必要でもありません。しかし、そうではないのですから、参謀首脳部の行動、能力、戦術などについて、単に批判するだけでは充分でないと信じます。彼らは罰せられるべきであります。現職者より有能で能率的な、新しい首脳部が選任されるべきであります」
これは爆弾的発言だった。反対がはげしく叫ばれたが、その混乱の中で、レンズマンは総理大臣から冷静な賛辞を与えられた。
こうして、トラスカ・ガネル少佐は自分の宿舎に引きあげたが、すでに二つのことがきわめて明白になっていた。
第一 彼はアルコンを打倒して、みずからスラールの独裁者にならねばならない。この惑星を攻撃したり破壊したりすることは賢明ではない。ここにはあまりにも多くの有望な手がかりがある――筋の通らないことがあまりにも多すぎる――とりわけ、ひとりの心では一生かかっても調査できないほど、多量の情報があるのだ。
第二 もし生きつづけるつもりなら、探知網を最大限に展開しつづけることだ――この総理大臣は、百キロのドライ沃化窒素と同じくらい危険な代物《しろもの》なのだ!
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一九 スラールの独裁者ガネル
パレイン人レンズマンのナドレックは、現在の任務から一時でも離れれば、それを完遂《かんすい》できなくなるといったが、その言葉は誇張ではなかった。
すでに述べたように、ナドレックは臆病で怠惰であり、人類の目からすれば、ふつうは高貴とは見なされないような性格を備えていた。しかし、彼は有能だった。そしていまや、これまでひとりのレンズマンによって企図されたうちでもっとも大規模な仕事の一つに従事していたのだ。これは特徴的なことだが、彼は自分が何をしようとしているかをだれにも、ヘインズやキニスンにさえ告げなかった――つねに、仕事が片づくまでは、それについて語らなかった。そしていざ語るときでも、通常はテープ化されレンズマン〈秘〉とされた事実本位の簡潔な報告にかぎられていた。現在彼についてわかっていることといえば、彼がオンローを『監視している』ということだけである。
オンローは、おそらく当時、宇宙でもっとも強固に防衛された惑星だっただろう。その総合的防御力にくらべれば、ジャーヌボンでさえおよばなかった。地球などは、太陽ビームと宇宙防御施設をのぞけば、子どもだましのようなものだ。オンローの防御施設はすべて惑星的規模といってよかった。カンドロンの戦術は、ヘインズのそれとはちがって、いかなる攻撃兵力でも、ほとんど地上に引きつけてから撃滅するというものだった。
そういうわけで、オンローは事実上一個の強力な要塞だった。その有害な大気のうち一立方フィートといえども、ビーム放射器の射程外にあるものはなく、しかもそのビームたるや、移動可能の物体に装備しうる、いかなる防御スクリーンでも、理論的には穿孔できるのだ。
ところが、いまやあの臆病で謙遜《けんそん》で弁解がましいナドレックが、そのオンローに手をのばしているのだ――しかもひとりで!
彼はライレーン系第八惑星のアイヒ要塞にひそかに侵入して、大成功をおさめたが、それに関係してすでに述べられた手段を用いて、彼はオンローの防御スクリーンを突破し、巨大なドームの一つのそばにゆっくり身をひそめた。それから、時間などまったく問題ではないといった悠長《ゆうちょう》さで、オンロー人要員の探知にとりかかった。彼は各員の固有的心理パターンを学びとり、各員を心理的、知的、感情的に分析した。そしてその結果を、パレイン式の牽引カードに記入してのち、それらのカードをきわめて慎重に分類した。
同様にして、彼はドームをつぎつぎに歴訪して、要員の個性調査をおこなった。だれひとりとして彼が接近したことを知らず、彼は一見何もしなかったかのようだったが、どのドームでも、彼が立ち去ったあとには、不和や反目の種がまかれていた。そしてそれらは、慎重に計算された未来の一定時期に、痛烈な実をむすぶのであった。
どんな心に、なんらかの弱点がある。どんな知性にも、人に知られたくない欠陥がある。アキレスにアキレス腱《けん》があるようなものだ。このことは、グレー・レンズマンたちにさえあてはまる――しかも、オンロー人は、ボスコニア的な遺伝や環境からして、レンズマンになりうるようなすぐれた素質の持主ではけっしてなかったのだ。
こうして、ナドレックは、この高貴とはほど遠い種族のもっとも下劣な熱情や、もっともいやしむべき特性に対して、ひそかに冷静に無慈悲に働きかけた。嫉妬、疑惑、恐怖、貪欲、怨恨《えんこん》――彼はそれらの感情をグループにまとめ、各グループに、すさまじい刺激的な思考をつぎつぎに送りこんだ。
嫉妬はつねに存在していたが、それがいまや法外に膨張した。モグラ塚は一夜にして山に変じた。さりげない言葉が、念の入った侮辱と受けとられるようになった。しかし、だれもその不平をあらわにはしなかった。つねに、いたるところに恐怖が支配していたからだ――処罰の恐怖、報復の恐怖、密告の恐怖、裏切りの恐怖。どの怪物も陰険な思考にしずんだ。すべての者が不当で耐えがたい迫害を痛切に意識した。このような爆発性物質に点火するには、ほんの一片の火花でこと足りる!
ナドレックは、総司令部ドームを最後に立ち去った。ある意味では、ここの仕事はもっともむずかしく、またべつの意味では、もっともやさしかった。むずかしかったというのは、ここの怪物たちが下級ドームの怪物たちより、強力な心を持っていたという点だ。彼らの心は、より高度に訓練され、正確な思考と論理的解釈によって熟達していた。しかし、やさしかったというのは、彼らの心が、すでにほとんど完全な戦闘状態にあったという点である――彼らは上級者を打倒しようとして、あるいは下級者の攻撃をはね返そうとして、たがいに争っていたのだ。このドームの中のあらゆる心は、すでにたがいに憎悪し、疑い、嫉妬しあっていたのだ。
こうしてナドレックが、遠まわしに奇跡的事業をなしとげようとしている間《かん》に、キニスンは惑星スラールの上で、はるかに平凡な直接的手段で前進していた。彼がまず気をくばったのは、もちろん、例のスパイや腹心の部下たちを周囲に集めることだった。
キニスンは、このグループの選択について、長いこと真剣に思考した。彼が部下をアルコンや総理大臣の諜報機関に潜入させられなかったのは、当然である。このふたりとも読心力を持っているからだ。しかし、このふたりが、自分の諜報員をキニスンの諜報機関に潜入させられないというのは不自然だ。そういう連中をあまり完全にしめだせば、ふたりの疑惑をまねいて、精神検査がおこなわれるだろう。いまのところ、そんなことをされてはたまらない。これまで同様、特殊の精神力を持っていることを疑われないように、とぼけて行動するほかはなかろう。
しかしそれでも、彼は多くのことができた。スパイがだれかはわかっているので、自分の信頼のおける部下たちをあやつって、その連中に不利な証拠をたびたび発見させ、スパイの烙印《らくいん》を押すことができた。それからもちろん、暗殺も妥当だった。また、強い疑惑でさえ、明白な証拠がなくても、決闘の理由には充分だった。
こうしてキニスンは取巻きをつくり、その中にスパイが潜入することを比較的よく防止したし、また、奇妙なことに、それらのスパイは、レンズマンが知られたくないことは、何も知ることができなかった。
強力な個人的組織をつくることも、もう容易だった。キニスンはついに、ボスコニアのほんとうの大物になったのだ。彼は親衛隊の少佐として、人々からへつらわれ、おもねられた。独裁者アルコンの特別補佐官としての彼の意思にさからうことは、どんな犠牲を払っても避けねばならなかった。戦術家としては、参謀首脳部を大胆に、しかも全般的に批判し、それによって、権勢ならびない総理大臣にさえ目をかけられたということで、出世コースにあることが明白に認められ、彼の上着のすそにしがみついているのが賢明だとされた。つまり、キニスンは大成功――いや超大成功――をおさめたのだ。
このような権力を手にいれた以上、対決のときを長くのばしているわけにはいかない。アルコンはすでに、ガネルが自分を目標にしていることを知っている。彼はキニスンの
〈私設〉諜報機関の要員を、はっきり知っており、その各員の心を意のままに読むことができるのだから、ガネルがほとんどの切り札を手にしていることに、急速に気づきはじめている。独裁者はしばしば少佐の心を読もうとしたが、少佐はいつも口実をもうけては、相手になんの情報も与えずに身をかわした。しかし、いまやアルコンは強力な尋問ビームを働かせて、なんらかの情報を手に入れようと断固たる決意を固めているのだった。
アルコンは情報を手に入れた。しかし、スラール人にとって不幸なことに、それはなんの役にも立たないものだった。なぜなら、キニスンは、独裁者に心をすっかり読ませたり、あまりにも露骨な精神障壁をかかげたりするかわりに、彼の同世代にはならぶ者もないほど強力な生来の意志力にたよったのだ。彼は全面的な否定に意志力を集中した。それは事実上、かなり有効な遮蔽となり、しかもきわめて自然だった。
「アルコン、わたしはあなたが何をなさるおつもりなのか知りません」彼は独裁者にきっぱり告げた。「しかし、それがなんだろうと、わたしには気にいりません。あなたはわたしを催眠術にかけようとしておられるのでしょう。もしそうでしたら、それは不可能だとお知りください。どんな催眠力も、わたしの断固として抵抗する意志を克服できないのです」
「ガネル少佐、おまえは……」独裁者は話しかけ口をつぐんだ。彼はまだこの将来の王位|簒奪《さんだつ》者を相手に公然と戦う用意ができていなかったのだ。そればかりでなく、いまやガネルが通常の心を持っているにすぎないということがあきらかになった。ガネルは、自分の心が以前から検査されていたことを感じてさえいない。そしていま放射された強力な尋問ビームが、どんなものかということさえ知らない。漠然とそれを知覚して、催眠術の試みだなどと考えているのだ!
アルコンは、もう二、三日のうちに、この男を片づけようと考えた。そこで口調を変えて、さりげなくいった。「ガネル少佐、これは催眠術ではなくて、おまえには理解できない一種の精神感応なのだ。しかし、これは必要なことなのだ。自明なことだが、おまえのように高い地位を占めている人間については、われわれに対して、いかなる秘密を持つことも許されない――いかなる種類の精神的留保も許されないのだ。この処置の正当性と必要性がわかるだろうな?」
キニスンにはわかった。また、アルコンが、超人的といってもいいほど忍耐づよいこともわかった。そればかりでなく、独裁者がきわめて慎重にかくしていること――彼が異常に寛容である真の理由――もわかった。
「あなたのおっしゃるとおりだとは思いますが、やはりわたしは気にいりません」ガネルは不平そうにいった。そして、アルコンが精神検査をする権利を否定も承認もせず、自分の宿舎にもどった。
そしてそこで――またはそのあたりで――ずっとまえからやりかけていた仕事に、せっせととりかかった。彼は自分の腹心が、アルコンに対しては無力だということを、前々から知っていたので、この公然たる部下たちとはまったくべつに、彼らにはまったく知らせずに、一つの組織をつくりあげていた。この極秘の組織は、スパイや追従者からなっているのではなかった。そのメンバーは、ひと癖ある徹底的に検討ずみの男たちばかりで、いずれもアルコンの現職大臣のどれかにとって代わる能力と野心を持っていた。キニスンは彼らのひとりずつと精神感応状態にはいり、ある明確な命令を与えた。
それから、彼は思考波スクリーン発生器を着用した。このスクリーンを使用したからといって、総理大臣が従来以上の疑惑を彼に対していだくはずはなかったし、彼がガネル少佐でいるためには、こうするほかはなかったのだ。このスクリーンは、ロナバールのものと同様、すき間があるという点では、まったく通過性だった。しかし、ブリーコのスクリーンでは、すき間が一定の周波数に固定されていたが、このスクリーンの空白チャンネルは、幅の点でも周波数の点でも、キニスンが望むように変化させることができた。
キニスンはこのように身仕度したうえで、閣議に出席した。そして、それによって会議を分裂させたといっても誇張ではない。もちろん他の閣僚たちは、何も異常を感じなかったが、アルコンと総理大臣はひどく驚き、会議はきわめて短時間で打ち切られた。他の大臣たちは、なんの説明も与えられず、即座に退席させられた。独裁者は激怒しており、総理大臣は緊張して観察していた。
「わたしはこれまで以上に、肉体的なプライバシーを認められるものとは期待していませんでした」キニスンはアルコンのはげしい罵言を一、二分静かに聞いていたのち、皮肉たっぷりにいった。「人間や機械によってたえずスパイされることは、真の人間の自尊心にとって侮辱的で不快ではあります。が、がまんはできます――かろうじてです。しかし、わずかながらもわたしの心に残っているプライバシーの痕跡までもあけ渡すような極度の侮辱にたいし、強《し》いて身を屈することは不可能であるとわかりました。おのぞみなら、わたしは補佐官を辞任し、戦列将校に復帰しますが、あなたがわたしの自尊心の最後の火花まで消してしまおうとされるのは、がまんできませんでした」彼は断固としていいきった。
「辞任だと? 復帰だと? わしがおまえをそれほどやすやすと許すと思うのか、ばかめ!」アルコンはあざけった。「わしがおまえをどういう目にあわすつもりなのかわからんのか? わしは、おまえがじりじり苦しみながら死ぬのを見たいのだ。さもなければ、この場で片づけてやるところなのだぞ!」
「わたしはそんな死に方はしませんし、あなたもわたしを殺せません」ガネルは驚くべき冷静さで答えた。「もしあなたが自分の能力に核心があれば、口に出すかわりに行動にでているはずです」彼はさっと敬礼すると、背を向けて出て行った。
読者もすでにご承知のように、この総理大臣は、外見をはるかにしのぐ存在だった。彼は非常に巧妙に行動していたので、独裁者自身は、自分が人形にすぎないことを理解していなかったが、真の権力者はアルコンではなく彼なのだ。
そういうわけで、ガネルが立ち去ると、総理大臣は短時間、しかし集中的に思考した。この少佐はきれる――きれすぎる。有能すぎる。知りすぎている。彼の昇進はいささかはやすぎた。あの思考波スクリーンはまったく思いがけなかった。あの背後の心もまったく思いがけなかった――すき間からちらりと見ただけで、ガネル少佐がふつうのスラール人にないような能力を持っているらしい、ということを思わせるひらめきが感じられた。スラールの独裁者に対するこの公然たる反抗は真実らしくない――自然とは思えない。もしあれがはったりだったら、上出来すぎる――あまりにも上出来だ。はったりでないとすると、やつのうしろ楯《だて》はどこにあるのか? フォステンが知らないあいだに、ガネルはどうやってあれほど強力になれたのか?
もしガネル少佐が本物なら、万事問題はない。ボスコニアには、なるべく強力な指導者が必要だ。もし、だれかがアルコンよりすぐれていることがあきらかになれば、アルコンは死ぬべきである。しかし、きわどい可能性もある――ガネルは、はたして本物だろうか? この問題はただちに解決されねばならない。そこでフォステンは、激怒している独裁者を侮蔑の情をこめて検査したのち、反抗的な謎に包まれた人物ガネルを部屋へ追って行った。
彼はノックして迎え入れられた。まったく無意味な前置きの会話がかわされた。そのあとで訪問者は鋭くたずねた。
「おまえはいつ≪サークル≫を出たのか?」
「なんのために知りたいのです?」キニスンはやり返した。この質問の意味は、彼にはまるでわからなかった。相手にとっても無意味な言葉かもしれなかった――ただ、かまをかけただけかもしれない――しかし、彼はこの人物がしかけてくるどんな質問にも、分析の材料になるような返事を与えるつもりはなかったのだ。
事実彼は、それから三十分ほどつづいたはげしい言葉のやりとりのあいだ、そのような返事を与えなかった。会話は無意味どころではなかったが、まったくなんの収穫も得られなかった。フォステンは会話がおわってから、失望し、深く考えこみながら、ガネルの部屋を出た。彼はそこから記録室に行き、少佐の経歴書類を求めた。そして自分の書斎へもどると、きわめて懐疑心のつよい彼の種族の科学者たちに知られているあらゆる手段を使って、それらの記録をテストした。
写真は細部にいたるまで一致した。陽画は、彼自身が二十四時間とたたない前に実物からつくったものと、正確に一致した。タイプは本物だった。インクも本物だった。すべてが照合している。どうして照合しないことがあろうか? インクも紙も繊維もフィルムも、事実そうあるべきとおりのものだった。けずられた跡も、変更された跡もなかった。すべてが正確な日数だけ古くなっている。なぜなら、キニスンは、こうした点検がくることを予期していたから、かりにパトロール隊の専門家たちは、誤りをおかすことがあるとしても、アリシアのメンターはそういうことがないからだ。
総理大臣は期待したとおりのことを発見したわけだったが、疑惑はうすれるよりかえって強まった。スラールには、彼自身の心のほかに現在、二つだけ、読むことのできない心がある。じつは一つであるべきなのだ。彼はアルコンの心がどのようにして手術されたかを知っていた――ガネルの心が自然発生的なものだということがありうるだろうか? もし自然発生的でないとしたなら、いったい誰が、なんのために手術したのか?
可能性は三つ、そして三つしかなかった。べつなエッドール人、側近サークルに属する別のメンバーが、彼に対抗して工作しているのか? おそらくそうではあるまい。この出来事はあまりにも重要である。エッドールの至高者は、そのような干渉を許すまい。では、彼を長いこと邪魔してきたアリシア人か? この可能性のほうがずっと大きい。それともスター・A・スターか? もっともありそうなことだ。
データが不充分だ……しかし、いずれにせよ、慎重を期すことが大いに必要だ。対決の時と場所は、敵ではなく彼自身が選ぶべきだ。
そこで彼は宮殿を出て、士官学校の儀式に参加するという名目でそこへ行った。そしてそこでも、すべてが点検された。彼はガネルが生まれた町を訪問した――誕生記録にもなんの異常も発見されなかった。彼は、ガネルがこれまでの生涯の過半をすごした都市に出かけ、学校記録、クラブ記録、写真、ネガまでが、すべて照合しているのを確かめた。
彼は、ガネルを子どものころから知っている六人の人間の心を検査した。彼らは一様に、現在のトラスカ・ガネルは、真のトラスカ・ガネルで、その他の人間ではまったくありえないということを認めた。彼は、彼らの記憶の糸を綿密に調べたが、傷跡とか断絶とか、その他、手術を受けた痕跡はまったく発見されなかった。事実、何も存在していないはずだった。なぜなら、彼らの心を手術したパトロール隊精神科医たちは、幼年時代のガネルについて彼らが持っている、一番はじめの記憶にまでさかのぼったからだ。
これほど徹底的に調査されたデータが、すべて正確に照合しているという事実にもかかわらず――いやむしろそれゆえにこそ――総理大臣はいまや、ガネルがなんらかの意味でまったくのにせものであることを確信した。ガネルの経歴のうちで枝葉末節の事項では、おそらく真相が暴露されるだろうが、そこまで掘りさげるべきだろうか? そう、掘りさげるべきだ。彼はアリシアのメンターのみが予期した細部を掘りさげた。なんの異常も発見されなかった。が、彼は依然として満足しなかった。こうした記録を、これほど完全無欠に偽造したというものは――もし事実偽造されているとすれば――じつにみごとにやってのけたことになる。彼自身がやったような、あざやかな仕事だ。彼自身がやっても痕跡を残さなかっただろうが、この未知の心も痕跡を残さなかったにちがいない。
では、それはだれで、なぜやったのか? これは、アルコンを打倒するための、ありきたりの陰謀などというものではない。もっと大きくもっと根が深く、はるかに無気味だ。これほど巧妙で効果的な計画が、もしスラールの上で誕生したとすれば、彼に知れずに、少なくとも彼の暗黙の了解なしに、展開され遂行されるはずがない。エッドール人の仕事ではありえないとすれば、可能性は二つにしぼられる――アリシア人か、スター・A・スターだ。
彼の心はひらめくようにさかのぼって、あの神秘なレンズマン指導者のしわざとされるすべてのことを再吟味《さいぎんみ》した。何かが思いあたった。
≪ブレークスリー!≫
もちろん、これはブレークスリー事件(「銀河パトロール隊」参照)よりはるかによくできている。はるかに巧妙で、はるかに洗練されている。あの事件のように露骨ではないが、しかし、やはり基本的類似性は存在する。この類似性は偶然だろうか? いや――そんなことはありえない。この企画については、偶然を除外して考えるべきだ――絶対にそうだ。なされたことはすべて、故意に、慎重な準備をへてなされたのだ。
しかし、スター・A・スターはけっして同じ手を使わない……だからこそ、こんどは、アルコンや部下の心理学者たちを出し抜くために、故意に同じ手を使ったのだ。しかし、フォステンは、これほど賢明な戦術をもってしても、だまされるものか。
そうだとなると、ブレクースリーが真のブレークスリーだったと同様に、ガネルも真のガネルだということになる。ブレークスリーは、あきらかに他の心に制御されていた。しかし、この場合は二つの可能性がある。第一は、ガネルが同様に、他の心の制御をうけているかもしれないということだ。第二は、スター・A・スターが、ガネルの心を徹底的に手術して、まったく別人につくり変えてしまったのかもしれないということだ。どちらを仮定した場合でも、ガネルがごく表面的な精神検査以外は、すべての精神検査を極度にきらう理由になる。ガネルは、アルコンが自分を公然と攻撃することを恐れていると冷静に確信しているが、どちらの過程でも、その説明がつく。この二つの仮定のどちらが正しいかは、いずれ決定できるだろう。とにかく、それはどちらでもいいことだ。どちらにしても、これまで不可解だったガネルの精神力の説明がつくからだ。
いずれの場合にせよ、ガネルに、いつものガネルならできないような行動をとらせたのは、ガネル自身の心ではなく、例のレンズマンの心なのだ。どちらの場合でも、どこかこのあたりに、ボスコニアの仇敵が実際にひそんでいるのだ。ボスコニアが他の何者よりも破壊したがっている心、これまで一度も見られたことも聞かれたことも知覚されたこともないレンズマン、その正体については何も知られていない、恐るべく憎むべきレンズマンだ。
そのレンズマンの正体がなんだろうと、彼はついに好敵手にめぐりあったのだ。ガネル自体はなんの重要性もない。単なる手先なのだ。しかし、ガネルの背後に立っている者……ああ!……彼、ガーレーンはそいつを待ちかまえて見張っていよう。そして、まさにもっとも適当な機会をねらって襲撃するのだ!
いっぽうキニスンは、総理大臣の不在のあいだに、迅速確実に行動した。十二人の人間が死に、彼らが死ぬと同時に、非常事態にそなえて完全に装備をととのえていた他の十二人がとって代わった。そして、それとまったく同じ時間に、キニスンはアルコンの私室にふみこんで行った。
独裁者は護衛に命令を発した――しかしその命令は実行されなかった。そこで彼は自分の武器に手をのばした。彼はすばやかった――しかし、キニスンはもっとすばやかった。アルコンの銃と両手は消滅した。地球人は胸をむかつかせながらも、アルコンをなぐって気絶させた。そして、スラール人の心から、断固として容赦なく、あらゆる情報を奪ったのち、殺し、ただちにスラールの独裁者としての称号と権威を身につけた。
この革命は、従来の革命とちがって、流血もごくわずかで、政府の日常事務もほとんど阻害されずに遂行された。事実、多少の変化があったとすれば、ほとんどあらゆる分野で改善がなされたことだった。なぜなら、新しい要人たちは、前任者よりいっそう完全に訓練され、いっそう有能だったからだ。また、彼らは問題をあらかじめ整理しておいたので、事務の継承は最小限の摩擦のもとでおこなわれた。
彼らは今のところ、キニスンとボスコニアとに対して忠実だった。そこでレンズマンは、彼らが自分を打倒しようというような気まぐれを起こさず、現在の状態を維持するように説得できるかもしれないと、かすかな期待をいだいて、会議を召集した。
「おまえたちは、どのようにして現在の地位につけたかを知っているはずだ」彼は冷酷に話しはじめた。「おまえたちは、現在はわたしに忠実である。おまえたちも知るように、最大の成果をうる唯一の方法は真の協力であるが、大臣たちが個々に、または団結して支配者を打倒しようと試みているような体制の中では、真の協力は存在しえない。
おまえたちのうちのある者は、近い将来に、わたしのためや、わたしと協力してではなく、わたしに反抗して行動しようという気まぐれを起こすだろう。わたしはおまえたちに、このような行動をつつしむように訴えるものでもなく、わたしがおまえたちにしてやったことに対する感謝の念から、そうしてほしいと望むものでもない。わたしは単純な事実としておまえたちに告げるが、このような不忠実な行動に出た者は、だれだろうと全員だろうと、ただちに死ぬだろう。それに関連していうが、おまえたちはすべて、自分の前任者が、なぜあれほど都合よく死んでくれたかを知ろうとして全力をつくしたが、だれもそれに成功しなかったはずだ」
閣僚はひとりひとりそれを認めた。
「それは、今後も永久にわかるまい。注意しておくが、わたしはアルコンよりはるかに多くのことを知っており、はるかに強力である。アルコンはけっして劣弱ではなかったが、いかに支配すべきかを知らなかった。わたしは知っている。アルコンの情報源は乏しく、不確実だったが、わたしのは包括的で確実である。アルコンは何か自分に不利なことがたくらまれた場合、それがかなり進行するまで気づかないことがしばしばあったが、わたしは妨害的な動きが生じた瞬間に、それを察知する。アルコンは騒ぎたて、脅迫し、警告し、拷問した。違反者を殺すまえに、反省の機会を与えることがあった。わたしはそうしたことはいっさいしない。わたしは脅迫も警告も拷問もしない。とくに、陰謀者が、わたしに二度目の攻撃を加えるチャンスを与えるようなことはけっしてしない。わたしは裏切り者を処刑するのに騒ぎたてたりはしない。わたしは、おまえたちがわたしの言葉を、一語残らず信用することを、おまえたちのために衷心から忠告する」
彼らはこそこそ退出した。しかし、ボスコニア的慣習は根づよかった。そういうわけで、それから三日のあいだに、キニスンが新たに任命した閣僚のうち三人が死んだ。彼はふたたび閣議を召集した。
「死んだ三人の後任者たちは、第一回閣議のレコードを聞いているから、わたしはまえにいったことを反復するにおよばない」独裁者は、聞き手がぞっとするような、ものやわらかなすごみのある声で告げた。「さらにつけ加えたいのは、わたしが完全な協力を、そして協力だけを欲しているということだけだ。もしおまえたちや、おまえたちの後任者をすべて殺さなければならないとしても、わたしはそのような協力を要求する。退出してよろしい」
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二〇 ガネル対フォステン
この殺戮《さつりく》はキニスンを不快にした。肉体的にも精神的にも、むかむかさせた。無慈悲で卑怯な殺戮だった。人を背中から突き刺すよりもっと悪かった。不運な相手には、まったく勝ち目がなかったのだ。しかし、彼はそれをやってのけた。
彼が、はじめてアルデバラン系第一惑星の車輪人間の要塞に侵入したときには、ほとんど考えずに行動した。レンズマンたるものは、成功の可能性さえあれば行動に出るべきものと考えていたのだ。ジャーヌボンを偵察したときは、それよりいくらか考えた。あのとき彼は、確かにウォーゼルを同伴した――そしてそれは幸いだった――しかし、彼はパトロール隊の中に、この問題を処理するについて、自分よりもっと適当な人間がいるのではないかというようなことを反省などはしなかった。これは自分の問題で、これを解決することは自分の責任だと考えたのだ。
しかし、いまや彼は、そうした比較的無思慮な方法で行動するわけにはいかないということを痛切に知っていた。自尊心や名声を犠牲にしても、地球人レンズマンの鉄則を変更せざるをえなかった。心苦しいことだが、ナドレックは正しかった。中途までやりかけて命を捨てるのでは充分ではない。自分に全面的にゆだねられた仕事を完全にやり終えるために、生きのびなければならないのだ。この仕事全体のあらゆる因子を分析し評価するために、思考しなければならない。したがって、個人的な感情などは考慮の外において、最小限の危険で仕事を達成するために、もっとも適当な方法を採用しなければならないのだ。
こうしてキニスンは、無事にスラールの独裁者の座につき、総理大臣は宮殿へ帰還して、その事実を知った。総理大臣は情況のあらゆる面を慎重に考察してのち、新しい主権者に会見を求めた。
「お祝いを述べさせてもらおう、独裁者ガネル」彼は、よどみなくいった。「わしは意外とは思わない。しばらくまえから、きみやきみの行動について考察してきたからだ――しかもあきらかに肯定的にな。きみはわしの期待をかなえた――おそらく期待以上だろう。きみの政治体制はみごとに働いている。きみはきわめて短期間に、まったく異常ともいえるほどの組織の円滑さと団結心を確立した。しかし、きみがかならずしも精通していない事項もありうるだろう」
「ありうることだ」キニスンはかすかな皮肉をこめて承認した。「たとえば?」
「いい機会だからいっておこう。このスラールでは、だれが真の権力者か知っているかね?」
「知っている。だれが真の権力者≪だった≫かな」地球人は最後の言葉に、かすかに感じられる程度の力をこめて訂正した。「しかし、きみは、部分的にそうだったにすぎない。もし、きみが全面的に気をくばっていれば、死んだアルコンは、あれほどたびたび、あれほど重大な誤りをおかさなかったろう」
「感謝する。きみはもちろんその理由を知っているだろう。わしはスラールの独裁者がスラールで最強の人物であることを欲する。そしてお世辞でなしにいうが、わしは現在の独裁者がそうだと信じている。ところで、わしに話しかけるときは、『陛下』という言葉をつけ加えるように忠告する」
「こんどはわたしからきみに感謝する。きみがわたしを『至上』と呼んだら、きみをそう呼ぼう――それよりまえには呼ばない」
「この問題はさしあたりあとまわしにして、きみの質問にもどろう。きみはどうやら知らないらしいが、スラールの独裁者はだれでもわたしに心を読ませるのだ」
「わたしは、そのような事情が過去に存在したのではないかと思っていた。しかし、断っておくが、わたしはわたしを完全に信頼する者だけを完全に信頼するのだ。わたしの短い生涯では、これまでのところ、そのような人物はほとんどいなかった。きみも認めるだろうが、わたしはきみに、わたしの視覚をだましつづけることを許しているという点で、まだきみのプライバシーを尊重しているのだ。それは、わたしがきみを信頼しているからではなく、きみの真の姿がどういうものかは、わたしにとってまったく関心のないことだからだ。わたしは、きみがわたしに心を開いて見せれば、それとちょうど同じだけ、わたしの心をきみに開いて見せよう――それ以上は開かない」
「ああ……無知ほど怖いものはないな。わしの思ったとおりだ。ガネル、きみにはわかっていないが、わたしはいつでも好みの瞬間にきみを殺せるし、きみがいま少し不遜《ふそん》な言葉を吐けば、容赦しないぞ」フォステンは声を高めはしなかったが、その口調には露骨に脅迫が含まれていた。
「わたしにはわからないし、きみにもわかっていない。ついこのあいだ、まさにこの部屋で、わたしが当時の独裁者アルコンにいったようにな。わたしは、きみがあの言葉の中に含まれている意味を容易に理解するだろうと信じている」キニスンの声も低くて静かだったが、その一語一語には、自分の力に対する確固たる自信があふれていた。「わたしはきみが、相互に心を開こうというわたしの提案を受けいれないだろうと確信しているが、それがなぜか知りたいかね?」
「大いに知りたい」
「なぜなら、わたしはきみが銀河パトロール隊のスター・A・スターそのものであるか、ないしは彼と関係があるのではないかと疑っているからだ」フォステンは、この驚くべき告発にも少しも動じなかった。「わたしはまだこの疑惑を裏づける証拠を手にいれることはできないが、もし手に入れたら、きみを殺すことを約束しておく。思考力を用いてではなく、わたしの光線銃によってな」
「ああ――きみは妙にわしの興味をかきたてるな」総理大臣はそういうと、目だたないボタンへ向けて、それとわからぬように手をさまよわせた。
「そのスイッチに触れるな!」キニスンはぴしりといった。彼はフォステンが、なぜその動作を彼の目に見えるようにやったのかわからなかったが、いずれにせよフォステンは攻撃してくるだろう。
「なぜいかんのかね? これはただの……」
「それがなんだかはわかっている。だが、わたしは思考波スクリーンを好まない。自分の心を自由に動かしたいのだ」
こんどはフォステンが思考をせわしく働かせた。独裁者は警戒しているのだから、これはどうも要領をえない。これは、ガネルがスター・A・スターに制御されているか、彼と連絡をとっていることを示すものかもしれない――が、またそうではないのかもしれない。
「ばかげたことをいうのはやめたまえ」彼はたしなめるようにいった。「きみはその非難が根も葉もないことを、わしと同様によく知っているはずだ。だが、考えなおしてみると、われわれがおたがいに無条件で相手を信用していないという事実は、われわれがボスコニアのために協力して働くにあたって、越えがたい障害にはならないかもしれぬ。わしは、いまやきみの心がスラール人のうちでもっとも強力なものであり、したがって独裁者の権力をふるうにふさわしいものであるということを、いっそう強く感じている。きみを不必要に抹殺するのは避けるべきだ。とくに、きみは、さっきわしが指摘したことの合理性を、自発的に理解するようになる可能性もあるのだからな」
「可能性はある」キニスンは認めた。「しかし、蓋然《がいぜん》性はない」彼は相手が下手《したて》に出たわけがわかっているつもりだったが、確信はなかった。「われわれはお互いの態度を明確にし、武装的平和を保つことに決定したわけだ。だから、完全に平和的な相互不信にもとづいて、ボスコニアのために協力することをさまたげる理由はないと考える。わたしの見るところ、われわれがまずなすべきことは、惑星クロヴィアと、そこを基地とするパトロール隊の全兵力の撃滅に、全力をかたむけることだ」
「そのとおりだ」フォステンは独裁者の率直さを疑っていたかもしれないが、それを色にあらわさなかった。そして会話は純粋に技術的なものになった。
「われわれは完全に準備ができるまでは攻撃してはならぬ」というのがキニスンの最初の言葉だった。そして彼はその後も、参謀首脳部との頻繁《ひんぱん》な協議で、しばしばそれをくり返したので、この言葉はスローガンのようになった。
総理大臣は、キニスンがそう主張する主要な目的が、パトロール隊に充分の時間を与えて、クロヴィアをまったく難攻不落にさせるためだということを知らなかった。フォステンは、パトロール隊の太陽ビームについて、何も知りえなかった。この兵器に対抗しては、人間が建造しうるもっとも強力な空の要塞でも、もっとも軽量でもっとももろい遊覧ヨットとほとんど同程度にしか抵抗できないのだ。
そういうわけで、総理大臣は一週間一週間といよいよ当惑し、いよいよまごついた。独裁者ガネルが、ボスコニアの全知能をしぼって、もっとも強力で、理論上もっとも完全な船隊を建造することを主張しつづけたからだ。フォステンは一、二度批判や提案をしてみた。それらはある意味では妥当だが、実際上は彼らの打撃力を弱めるものだった。ガネルはそれらの提案をまっこうから否定した。そして、必要とあれば共同支配者との正面衝突も辞せずに、可能なかぎり強力な無敵艦隊《アルマダ》の建造を主張した。
独裁者は、あらゆる兵器について、より多くより大きいことを要求し、そうしたものを保有せねばならないと主張した。より多数のより重い空飛ぶ要塞、より多数のより強力な戦艦および超大型戦艦、より多数のより速い巡洋艦と偵察艦、より多数のより破壊的な兵器。
「われわれはあらゆる艦種について、操作官が戦闘で操作しうる以上に保有することを欲する」彼はくり返して宣言し、ついにそれだけの艦隊を完成させた。それから、
「操作官たちは艦隊の操作方法を習得せよ!」と命じた。
総理大臣さえこれに反対したが、ついに艦隊操作方式が完成された。フォステンは真の思考者だった。キニスンもより小規模な意味でそうだった。そしてふたりは、一つの操作システムをつくりあげた。それはZ9M9Zにくらべれば、粗雑で非能率そのものだったが、従来ボスコニア人に知られていたいかなる方式よりも、はるかにすぐれていたので、だれもが喜んだ。懐疑的で皮肉なフォステンでさえ、自己の判断の正当さについて、いささか疑いをいだくしまつだった。いずれにせよ、独裁者ガネルは、彼の支配下で働かせたほうがいいだろう。
フォステンのそうした疑いは、独裁者が大艦隊の訓練をすすめるにつれて、急速に強まった。ガネルは要員、とくに操作官たちを、容赦なく駆使したばかりでなく、自分自身をも同様に容赦なく駆使した。彼はけっして満足しなかった。能率に対する彼の熱意と欲求はあくことを知らない。叱責は痛烈なほど正確だった。彼は、いやがうえにも複雑で人間的に困難な捜査訓練の過程で、操作官たちを片っぱしから入れかえ、ついに、このもっとも重要な地位に、まちがいなくもっとも適している人間ばかりを揃えた。そしてある日、
「QX、キム、やってきたまえ――こっちの準備はできた」ヘインズがレンズで簡潔に思考を伝達した。
キニスンは空港司令官と毎日連絡をとっていた。彼は、総理大臣がレンズを通じての思考を探知できないということはまえから知っていた。とくにレンズマンが思考波スクリーンを着用しているときはなおさらだ。しかも、彼はほとんどつねにスクリーンを着用していたのだ。そういうわけで、パトロール隊の戦術家たちは、ボスコニア人のあらゆる行動について、キニスンと同様によく通じていたのだ。
そこでキニスンはフォステンを呼び、総理大臣がはいってきたときには、暗い表情で目のまえを見つめていた。
「さて、これで準備できるだけのことはしたように思うが」独裁者は悲観的にいった。「何か助言か批判か、その他の提案があるかね? どんなわずかなことでもいいが」
「何もない。きみはまったくよくやった」
「ふむ」ガネルは冷淡にいった。「きみは、わたしがパトロール隊基地への実際の接近手段については、わずかしか口にしていないのに気づいているはずだ」
事実、総理大臣は、その奇妙な手落ちに気づいていたので、その旨を答えた。ここに罠《わな》があるにちがいない、と彼は思った。スター・A・スターの手先は、ここで細工をするだろう。
「わたしはそれについて徹底的に考えた」キニスンは依然として思案顔でいった。「しかし、わたしは自分の能力の限界を認識し、許容する程度の知識は持っている。わたしは戦略と戦術を知っているから、これまでは既知の目的に向かって既知の手段でやってきた。しかし、そのような条件は、もはや存在していない。単純な事実をいえば、わたしは接近路としての超空間チューブの可能性、技術、潜在能力、利益、不利益などについて、なんらかの意味で妥当な結論を出せるほど知識を持ちあわせていないのだ。そこでわたしは、もし、この問題について、きみに方針があるならば、きみに全権を与えて、きみの欲する方法で接近の指揮をさせようと決心したのだ。実際の戦闘はもちろんわたしが指揮をとる。そうなれば、これはまたわたしの畑だからな」
総理大臣はあっけにとられた。これは信じられないことだが、このような決心をするとなれば、ガネルは結局、ほんとうにボスコニアのために働いているのだ。フォステンはこのようなおどろくべき事態の進展を予期していなかったので、まだ半信半疑のまま、どっちつかずの態度をとった。
「チューブを通じての接近には、不利な――非常に不利な――点が二つある」彼は大声でいった。「われわれは、チューブの外側で何が起こっているかを知る手段がまったくない。前回のそうした試みは、完全な失敗に終わったのだから、われわれの計画や予想に反して、敵は不意をつかれなかったものと判断しなければならぬ」
「そのとおりだ」キニスンは無表情に承認した。
「いっぽう、オープン・スペースを通じての接近は、われわれふたりの生命の維持には役立つかもしれないが、遠方から探知されて、それ相応の艦隊に迎撃されるにちがいない」
「そのとおりだ」無表情であたりさわりのない賛成がきた。
「きみは何かちょっとした思いつきもないのか?」フォステンは信じられないようにたずねた。
「何もない」独裁者は冷淡に答えた。「もしそんな思いつきでもあれば、自分の望みの方法で接近を命じるだろう。何もないからこそ、きみに全権を委任するのだ。わたしが権限を委任する場合には、なんの留保もなしにそうするのだ」
これはだめ押しのノックアウトだった。
「では、オープン・スペースにしよう」総理大臣はついに決定した。
「では、そうしよう」そしてそういうことになった。
大艦隊を構成する各支艦隊は付近の基地へ出かけて、補給を受けた。機構や装置の各部分はくり返し点検された。消耗品は補充された。そして弾薬も――とくに弾薬が。それから、強力な無敵艦隊《アルマダ》、かつてボスコニアのために結集された最強力な艦隊――政治家たちの演説によれば、宇宙を通じてもっとも強力な艦隊は――ふたたび編隊を組んで、クロヴィアへ向かって発進した。そして艦隊が宇宙を横切って大艦隊と接触する直前、総理大臣はキニスンを制御室へ呼んだ。
「ガネル、わしにはきみがまったくわからない」彼は五分ばかり彼をじっと見つめたのちにいった。「きみはなんの助言もしなかった。わしの艦隊操作になんの干渉もしなかった。しかし、わしはまだ、きみが詭計《きけい》をめぐらすのではないかと疑っている。わしは最初からきみを疑っていた……」
「なんの根拠もなしにな」キニスンはひややかに指摘した。
「なんだと? 根拠ならいくらでもある!」フォステンは断言した。「きみは、わしに心を露出するのをたえず拒絶しつづけたではないか?」
「もちろんだ。なぜいけないのか? また問題をむし返す必要があるのか? 真の姿をわたしに露出することをさえこばむような者を、どうしてそれほど信頼する必要があるのだ?」
「それはきみ自身のためだ。きみにはいいたくなかったことだが、実をいえば、どんな人間でも、わたしの真の姿を見て正気を保つことはできないのだ」
フォステンのエッドール的精神は、あわただしく働いた。地球人たちに実体がわかるほど露骨に、真の肉体を暴露すべきだろうか? それは不可能だ。フォステンがスラール人でないと同様、スター・A・スターのガネルは地球人ではない。ガネルは肉体を知覚しただけで満足せず、心にまでふみこんでくるだろう。
「わたしはその危険をおかしてみよう」キニスンは懐疑的に答えた。「わたしはこれまでに多くの怪物を見ているが、まだ正気を失っていない」
「きみは青二才のばかさ加減で、そんなことをしゃべっているのだ。きみたち短命な種族だけが持っている、底の知れない無知からくる大胆さだ」フォステンの声は深まり、いっそうつよく反響した。キニスンは、実在のものではないとわかっている不可解な目をのぞきこみながら、無気味な予感に身ぶるいした。その声の音色と調子は、そのときは思い出せなかったあるものを、不安な気持ちを連想させた。「わしがおまえを罰するのを我慢しているのは、おまえが疑っているように、わしにその能力がないせいではない。おまえを力づくで圧倒すれば、おまえの有用性が失われるということがはっきりわかっているからだ。いっぽう、おまえが自発的にわしと協力すれば、おまえはボスコニアがかつて持ったうちで、もっとも強力で有能な指導者になることは確実だ。このことをよく考えてみるがいい、おお、独裁者よ」
「考えてみよう」レンズマンは実際に意図していたよりもっと真剣に賛成した。「しかし、いったいなにがきみに、わたしが能力の最善をつくしてボスコニアのために働いているのではないと信じさせたのだ?」
「すべてがそうだ」フォステンは要約した。「わしはおまえの行動になんらかの欠陥も発見できなかったが、それらの行動は、おまえがわしに、おまえの心の中に何があるかを読ませることを許さない不可解な沈黙と一致しないのだ。そればかりでなく、おまえは外見よりはるかに底の深い芝居を演じているという非難を、否定さえしなかった」
「その沈黙の理由は、わたしがくり返し説明したように、圧倒的な嫌悪だ――なんなら病的な嫌悪感と呼んでもいい」キニスンは、うんざりしたようにやり返した。「わたしはきみの非難を否定できないし、否定しようとも思わない。きみにはそれがわからないのだから、否定しても無益だったろう。きみはわたしが、ボスコニアに心から忠実なのか、それとも事実はスター・A・スターそのものなのかをいえるはずだ――自分が神聖視するすべてのものにかけて誓うだろう――と信じているのか?」
「おそらく信じないだろう」フォステンは慎重に答えた。「いや、確かに信じない。人間というものは――とくにおまえのように権力の獲得に容赦なく努めている人間は――嘘つきだ……ああ、ことによると、おまえが強情をはっている理由は、厚かましくもわしにとって代わろうという、気ちがいじみた野心をいだいているからなのか?」
キニスンは精神的にとびあがるほど驚いた。わかった――これは重大な情報だ。この人間――この物――生物――存在――その実態がなんであるにせよ――これは単にボスコニアの大物のひとりというだけでなく、正真正銘――本物――≪ボスコーン自体≫にちがいない! 仕事の最終目的はまさにここにあるのだ! これこそ、彼が長いこと追求してきた真の頭脳だ――そうにちがいない。ここに、眼前一メートルたらずのところに、彼が対決しようとあれほど熱望してきた生物がすわっているのだ!
「その理由はわたしがいったとおりだ」地球人は静かに述べた。「しかし、わたしは、きみがすでに推測している事実を秘密にしようとは思わない。もしきみがスラールの独裁者より大きな権威を持っていることがあきらかになれば、わたしはそれをきみから奪うだろう。なぜそれがいけないのか? わたしはすでにここまでよじのぼってきたのだから、あらゆる地位のうちで最高の地位につくべく努力していけないわけがあろうか?」
「ふふふふむ!」怪物――キニスンはもう相手をフォステンとも総理大臣とも、人間に近い生物とも、考えられなかった――は、レンズマンのたくましい精神さえ畏縮《いしゅく》するような、痛烈な軽蔑をこめてあざけった。「おまえはそのご自慢の体力を、有重力状態の惑星の運動量と対抗させたほうがましだ。若者よ、やめるがいい。妥協の時期は過ぎた。まえにもいったように、わしはおまえを生かしておいて、わしの副王として、ボスコニアのこの部分を支配させたい。しかし知るがいい。おまえはけっして本質的存在ではない。もしおまえが現在ここでその心を完全にわたしにゆだねないなら、戦闘がはじまるまえに、かならず死ぬであろう」その断固として確信にみちた冷静な宣言を聞いて、グレー・レンズマンは、身内につめたい戦慄をおぼえた。
フォステンと称するこの怪物……これはいったいだれなのか、何物なのか? この怪物は彼に何かを思い出させる、それはなにか?
この怪物の思考や話し方は、だれかに似ている……似ている……≪メンター≫に! しかし、これがアリシア人ということはありえない――それでは筋がとおらない……しかし、どのみち、どう見ようと、筋のとおらないことなのだ……これがだれだろうと、非常な力を持っていることは確かだ――バレリアの北極から輸送船を持ちあげるほどの力を……それを思いあわすと、彼の現在の話し方は筋がとおらない――彼が忍耐づよく説得するかわりに、とっくの昔に真の対決を迫らなかったのには、なにか充分な理由があるにちがいない――それはなんだろう? ああ、もちろんそうだ――もう二、三分ひきのばしさえすればいい。たぶんもう少しねばれば、最後の対決をそのくらいはのばせるだろう――このボスコニア人に、自分が彼の靴をなめるだろうと思わせることは、くそいまいましいが……
「きみの寛容は嘆称すべきものですな、陛下」独裁者は一見無意識に敬称をつけ、それで自信たっぷりにすわっていた席から立ちあがって、制御室の中を、神経質に行きつもどりつしはじめた。それを見ると、総理大臣の尊大な表情は、目に見えてやわらいだ。「しかし、いささかおかしなことです。筋がとおらない。これまでに判明した事実とかならずしも照応しない。きみのいうとおり、わたしは無知なのかもしれない。自分の能力を極度に過大評価しているのかもしれない。しかし、わたしのような性格の人間には、あなたの要求するような卑屈な態度で屈服することは不快だ――ほとんど耐えられないくらい不快です。わたしの考えでは、もしあなたが一歩譲って自分の正体をあらわし、それによって、いまのところ証拠のない言葉や推定や疑惑などにとどまらざるをえないでいる事実を明白にしてくだされば、と思うのですが」
「だが、まえにもいったし、いまもくり返していうように、わしの真の姿を見れば、おまえは気が狂ってしまうのだ!」怪物はいらだたしげにいった。
「わたしが正気でいようがいまいが、よけいなお世話だ?」キニスンは、これが彼の精神の最後の反発ととられることを期待しながら、ついに攻撃の矢を放った。もうほとんど時間切れだった。いまから一分たらずのうちに、偵察艦のスクリーンが接触するだろう。そして、彼か総理大臣か、またはその両方が、二つの大艦隊の決戦に、脳細胞のすべてを集中しなければならなくなるのだ。そしてまさにその瞬間に、彼はバーゲンホルムをきかなくして、旗艦を有重力状態にしなければならない。「きみは、わたしの心がなぜ現在のように強力になったのか、その理由を知らねばならないのだ。それなのに、もし精神力によってわたしの精神遮蔽を破壊すれば、きみが自己の安全のために必要な知識までも破壊されてしまう。きみの不可解な寛容の真の理由はそれではないのか?」
これははったりだった。キニスンは依然として部屋を行きつもどりつしていたが、そうしながら、ある制御盤にしだいに接近して行った。彼は思考波スクリーンを着用していたが、もうそれを信頼することはできなかったので、その背後で膨大な知力と意志力のありったけを結集した。もう数秒だ。左の手はズボンのポケットにつっこまれ、レンズがはいっているシガレット・ケースを握りしめていた。右手は光線銃を引き抜いて発射すべく待ちかまえていた。
「では死ぬがいい! おまえの仕事の完全無欠さから、おまえの正体を知るべきであった――おまえはスター・A・スターだな!」
怪物の精神衝撃は最初の言葉よりさきに投射されていたが、待ちかまえていたグレー・レンズマンは、すでに行動に移っていた。あごをぐっと突きだすと、思考波スクリーンが消えた。遮蔽されたシガレット・ケースがさっとあけられ、彼のたくましい手首には、擬似生命を持ったレンズがふたたび輝いた。光線銃はケースからとびだすよりはやく、破壊光線をほとばしらせた――狂暴に白熱した貪欲な舌は、バーゲンホルムの制御盤と、そのまえにむらがっている操作員を、またたくまになめつくした。船は有重力状態になった――ボスコニアの旗艦がふたたび無慣性航行できるまでには大仕事だろう!
これらの仕事には、ほんの一瞬を要したのみだった。それ以上時間がかからなかったのは、実際よいことだった。総理大臣の精神攻撃はいやがうえにも狂暴になり、精神的自動遮蔽だけでは、それがいかに強力でも、対抗できなくなったからだ。しかし、レンズマンちゅうのレンズマン、グレー・レンズマン、キムボール・キニスンは、それ以上のものを――はるかにそれ以上のものを――持っていた!
彼はさっとふり向くと、くいしばった歯をちらりと見せて、不敵に微笑した。いまこそ、このボスコーン人が何者で、どんな能力を持っているかを見てやろう。結果に対するいかなる恐怖もいかなる疑惑も、彼の心に生じなかった。彼はこの宇宙ばかりでなく、あらゆる宇宙を通じて、もっとも強力な知性のひとりであるメンターが、投射できるかぎりの精神衝撃を受けとめることを学ぶ過程で、ほとんどどんな心も耐えたことのないような試練に耐えてきたのだ。この未知の怪物はもちろん有能な操作員だが、キニスンは≪彼の≫攻撃を払いのけるにたりるほど堅固な防御力を持っている!
レンズマンはそう思いながら、自分も精神衝撃を投射した。十人の人間を殺すに充分なほど強力な衝撃である――しかし驚くべし、それは総理大臣の強靭《きょうじん》な遮蔽によって空《むな》しくはね返された。
ふたりの決闘者のどちらが、相手以上に驚いたかは、きめにくい。どちらも、自分の心を難攻不落であり強力無比だと考えていたからだ。いまや総理大臣は恐るべき有能な敵に直面したことをさとり、エッドールの至高者へ向けて思考を伝達した。
しかし妨害された!
では、スター・A・スターとアリシア人は、ふたりではなく同一人なのか!
彼は当直の士官に、独裁者を射殺するように命じた。無駄だった。なぜなら、この必死の闘争のごくはじめの段階でさえ、彼は第三者を有効に制御できるだけの心の余力がなかったのだ。しかも、数秒のうちに、その制御室全体を通じて、制御しうるような状態の心はすでに残っていなかったのだ。
怪物の精神衝撃がキニスンの精神遮蔽に反射してとび散ったとたん、周囲の者はすべて心に激烈な傷害を受けたのだ。それからの反射は知能に対して致命的に――名状しがたいほど致命的に――有害で破壊的だったのだ。その転化物でさえ、射程内にいたすべての者の神経組織に、重大な影響を与えたのだ。
その数瞬後、彼らは、自分たちの支配者の手首に、憎むべく恐るべきレンズが不吉にまたたくのを見て、まったく言語に絶するショックを受けた。士官の中には、光線銃に手をのばしかけた者もいたが、時すでにおそかった。彼らの痙攣《けいれん》し麻痺した筋肉は働こうとしなかったのだ。そのあとほとんどすぐ、いっそうひどいショックがつづいた。総理大臣は、キニスンの痛烈な攻撃が想像もおよばぬほど強化されていくのを知るや、全力を相手に集中する必要を感じた。フォステンの肉体は解消し、キニスンを除いたすべての者の目のまえに、総理大臣の真の姿が暴露された――いかなる人間も彼の正体を見れば気を失うと彼が、いったのは、さほど誇張ではなかった。大部分のボスコニア人は即座に発狂した。しかし、彼らは駆けまわりもせず、悲鳴もあげなかった。彼らは自分の意のままに動くことができず、床に異様な格好で横たわり、はげしく身をふるわせたりよじったりしているだけだった。わめきも叫びもせず、口をぱくぱくあけて、意味のないたわごとをつぶやいているきりだった。
そして、キニスンがその強大な意志力、不屈の気力のすべてを、レンズを通じて、頑強きわまる敵に向かって投射するにつれて、レンズはいやがうえにもまぶしく輝いた。これは彼のこれまでの生涯でもっともはげしい戦いだった。エーテルもサブ・エーテルも、そこに開放された恐るべきエネルギーによって、目に見えずにわきたち、にえ返った。制御室の人間は、すべて身動きもせずに横たわっていた。すべての生命がもぎとられたのだ。いまや死は巨大な宇宙船全体に広がっていた。
グレー・レンズマンは、その攻撃力を、不屈に容赦なく、想像を絶する烈しさに維持しつづけた。彼のレンズは、すさまじくまばゆい多彩の光で部屋を満たした。彼は、自分がどのようにしてこの戦闘を戦っているかを知らなかったし、のちになっても思い出せなかった。彼は、自分がひとりでないとは思わなかった。しかし、彼のレンズは、このもっとも必要な瞬間に、自己の意思で無数の宇宙空間に手をのばし、そこからなにか余分な力をひきだしているかのようだった。戦闘がどのようにしておこなわれたにせよ、キニスンもレンズも持ちこたえた。そして、その恐るべきエネルギーの集中のもとに、怪物の防御は徐々に弱まって崩壊しはじめた。
やがてキニスンの視覚と知覚のまえに、ところどころ姿をあらわしたのは――一個の――一個の――一個の≪脳だった!≫
もちろん、一種のからだはあった――その巨大で頭蓋骨の薄い頭を支持することだけが目的の、首のない奇妙な胴体だ。手足に相当する付属器官、栄養や運動をつかさどる器官もあったが、怪物はほとんどすべてが脳だけといってよかった。
キニスンは、これがアリシア人であることを、はっきり知っていた――まるで老メンターの双子《ふたご》の兄弟のように見えた。彼は、どれほど心をひるますような情況をも無視するほど、勝つことに集中していたが、さもなかったら、たじろいだことだろう。当面の仕事に対する彼の集中は非常に徹底的だったので、何者も――文字どおり何者も――彼をさまたげえなかったのだ。
キニスンは、短くぎこちない足どりで一歩一歩進んだ。充分接近すると、その巨大な頭の側面のある部分を選んで、大きくたくましい二つの平手で仕事にとりかかった。右、左、右、左、彼はそのはりだしたこめかみを容赦なくたたきつけた。無気味な頭といとわしいからだは、一撃ごとに振子《ふりこ》のようにゆれ動いた。
鉄拳《てっけん》を使えば、その薄い頭蓋骨を粉砕し、巨大な脳の軟らかい組織に、こぶしを深くめりこますことができただろう。しかし、キニスンは、この不可解な敵を殺すことを望まなかった――少なくともいまのところは。彼はまず、こいつの正体を知らねばならなかったのだ。
彼は気をゆるめれば、いまにも気絶するとわかっていたので、怪物が数時間は完全に行動不能におちいるくらいまで、その意識を混濁《こんだく》させるつもりだった――そうすれば、そのあいだに、レンズマンは元気を回復できるだろう。
彼は目的を達した。
キニスンは完全には気絶しなかった。しかし、周囲に散乱している死人たちと同じように、ぐったりと床に寝そべらなければならなかった。
こうして、二つの膨大な大艦隊が会戦したとき、ボスコニア旗艦は、千五百の死体と、一個の意識を失った頭脳と、そして完全に精魂尽《せいこんつ》きはてたグレー・レンズマンとを乗せたまま、有重力状態で、沈黙のうちに宇宙空間をただよっていた。
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二一 クロヴィアの会戦
すでに述べたように、ボスコニアの大艦隊は膨大だった。が、船の総数においては、パトロール隊の大艦隊ほど多くはなかった。通常の頭脳では、それらをいかに結合したとしても、それほど多数の艦船の行動を調整し指示することはできなかったからだ。しかし、ボスコニア艦隊の中核は、パトロール隊のそれより重く、数と総トン数においては、まったく抵抗不能の|超空飛ぶ鉄槌《スーパー・モーラー》からなっていた。
キニスンは艦隊操作員の訓練について、一つの手ぬかりもおかさなかった。総理大臣フォステンのあまりにも鋭敏な疑惑をまねくような虚偽の行動は一つもしなかった。ボスコニアの大艦隊は、全体として緩慢に操作された。これほど膨大な兵力を操作するには、こうした方法しかないことはあきらかだった。キニスンと部下の操作員たちは、小艦隊の司令官たちをきびしく訓練して、自己の兵力に匹敵するか、それよりも小さい敵の兵力を圧倒する、さまざまの戦術をたたきこんだのだ。
それが訓練のすべてだった。そして、ボスコニア人にとっては、フォステンにとってさえ、それで充分と思われたのだ。それが可能なかぎりのすべてであることはあきらかだった。彼らはだれも気づかなかったが、独裁者ガネルは、たとえばふつうの心や装置では操作できないほど多数かつ広範囲に展開している三、四百の小艦隊が、五十くらいの敵の小艦隊を、敵の指揮官たちが相互に連絡をとるいとまもなく包囲して、瞬時に撃滅するというような中間的作戦があるということを口にするのを、慎重にさけていた。この技術は、いまのところパトロール隊とZ9M9Zの独占なのだ。
そして、ボスコニア人には未知のこの作戦こそ、パトロール隊の圧倒的利点である――と戦術上推定されていた。なぜなら、ヘインズは、四人の高度に専門化されたリゲル人レンズマンと、その部下の二百人のリゲル人操作計算員を通じて、意のままにどんな中間的規模の作戦でも遂行することができたからだ。膨大な大艦隊全体をも、またその部分をも、まるで熟練したチェス競技者が自分の駒を動かすように、効果的に迅速に、そして容易に操作できる――と彼は推定していた。これらの推定はいささか食いちがっていたが、それについては、キニスンもヘインズも責められるべきではない。この戦闘が彼らの計画どおりには戦われないだろうということを推定するには、アリシア人のような能力が必要だったろう。
ヘインズは、もう一つ大きな利益を持っていた。彼が対抗する相手の艦隊の重要な単位の数、種類、配置、コース、速度などについて正確に知っていたのだ。そして第三に、彼は太陽ビームを持っていた。敵はそれについては何も知らず、しかもこの装置は、いまや調子よく機能するようになっていたのだ。
いうまでもないことだが、太陽ビーム発生器は、すでに正確な一線に沿って、その不可抗的な破壊光線を投射すべく設置されており、ヘインズの大艦隊の陣形は、この特定の兵器を計算にいれて組まれていた。それは通常の陣形ではなかった。通常の宇宙戦においては、まったく自殺も同然だったろう。しかし、空港司令官はその長い戦歴をとおしてはじめて、敵についてのあらゆる枢要事実を正確に知っていたので、自分がなすべきことを正確に理解していた。
彼の艦隊は敵を迎撃するために前進することなく有重力状態のまま、クロヴィアの太陽系内に、ほとんど動かずにとどまっていた。中核集団は中央に集中されることなく、巨大な輪形に配置されていた。中央部には、重巡洋艦の被覆スクリーンを除けば、なにもない。
偵察巡洋艦の広く展開されたスクリーンがたがいに接触すると、中央線付近のパトロール偵察艦は、戦わずにすばやくわきへ退避した。軽巡洋艦も重巡洋艦も戦艦もそれにならう。ボスコニア艦隊の巨大な中核は抵抗なしに突入した――なにもないところに。
しかし、彼らは前進しつづけた。彼らは命令なしにはそうする以外になかった。しかも旗艦からは、なんの命令も発せられなかった。小艦隊の指揮官たちは大艦隊操作員と連絡をとろうと努めたが、それができなかったので、はじめの指示どおりに前進しつづけた。彼らは旗艦に起った事件の背後にパトロール隊の手先がいるとは夢にも知らなかったし、また知りえなかった。旗艦はできるだけ安全な場所にいたし、まだなんの攻撃も加えられていなかったからだ。彼らはおそらく、旗艦がいったいどんな故障を起こして動けなくなり、まったく沈黙してしまったのかと、いたずらに疑っただろうが、それは彼らに関係のないことだった――厳密にいえばだ。彼らは、万難を排してクロヴィアへ直進し、それを破損するようにという厳命を受けていた。そういうわけで、彼らは迷いながらも前進をつづけた。彼らは攻撃コースに乗っていた。彼らはそのコースを保持し、行く手をはばむものがあれば、どんなものでも撃滅するのだ。クロヴィアに到達し、それを徹底的に粉砕するのだ。
こうして、ボスコニア艦隊の中核は虚無の宇宙空間に突入し、ついにヘインズはリゲル人操作員を通じて、その中核が充分接近したことを知った。やがて、クロヴィアの燦々《さんさん》と輝く太陽が、ほとんど消滅するほどに黒ずんだ。パトロール艦のまったく存在しない中心線に沿って、太陽ビームが出現した――そのほとんど固体に近い光線の棒の中には、毎秒四百万トン以上の分解物質の全エネルギーが圧縮されているのだ。
その強烈な光線の中で、ボスコニアの偵察艦や巡洋艦は、溶鉱炉からとび散る花火のように、一瞬ひらめいて消滅した。戦艦も超大型戦艦も同様だった。空飛ぶ要塞と|空飛ぶ鉄槌《モーラー》とからなる堅固な中核も、まったく無力だった。これまでに考察されたどんなスクリーンも、この地獄のような負荷に耐えることはできなかった。考えうるかぎりのどんな物質も、太陽ビームの超高熱には、一瞬間しか抵抗できなかった。毎秒四百万トンの物質が分解する際に解放されるエネルギーは、文字どおり不可抗力で、理解の限度を越えたものだった。
武装され防御された誘導惑星は、消滅しなかった。それらの質量はあまりにも大きいので、想像を絶する強力な太陽ビームをもってしても、数秒のうちに蒸発させることはできなかったのだ。しかし、それらの惑星の表面は融解して沸騰《ふっとう》した。制御装置も動力装置も融解して金属のプールと化した。こうしてそれらは有重力化され、動かなくなり、無力化されて、もはやクロヴィアに脅威を与えることはできなくなったのだ。
負の球体も太陽ビームによって無力化された。もちろんそれらの反物質量は減少しなかった――事実、反物質量は太陽ビームの熱によっていくらか増大しただろう――しかし、制御装置が蒸発し去ってしまったので、負の球体は、パトロール軍よりもボスコニア軍に脅威を与えるにいたった。事実、その恐るべき存在のいくつかは、破壊された惑星と接触した。負の球体と惑星は相互に侵蝕しあい、付近の宇宙空間一帯に、致命的な強烈な放射能をあふれさせた。
太陽ビームはまばたきして消え、クロヴィアの太陽はふたたび輝きはじめた。太陽ビームはかさばって、きわめて扱いにくかった――そして現在もそうである。しかし、太陽ビームの役割はすんだ。いまやパトロール隊の大艦隊の各構成単位は、その仕事にとりかかった。
クロヴィアの会戦については――まるでこの歴戦の惑星がこれまでに戦った唯一の戦闘であるかのように、いまだにそう呼ばれているのだが――二つの銀河系のほとんどすべての文明化された惑星の教室で教えられているから、そのもようをここでくわしく述べるまでもないだろう。
この戦闘はもちろん比較を絶するものだった。このような戦闘は、空前にして絶後であって――そして今後も永久にそうありたいものだ。この戦闘は多くの戦術家によって研究され、彼らは空港司令官ヘインズがとるべきであったさまざまの手段を何千と列挙している。しかし、この戦闘が深く人々の心に訴える原因は、それが正統な手段で戦われなかったという点にこそあるのだ。技術的に正統的な宇宙戦闘においては、肉弾戦もなく、純粋に個人的な英雄主義もなく、個人的な勇敢さもない。問題になるのは、論理と数学と科学だけである。より弱小な敵をつぎつぎに捕捉して、優越した火力を集中するのだ。宇宙船の防御スクリーンが崩壊した場合、その船は破滅であり、乗組員は記憶に残るだけになる。
しかし、この戦闘では、いかに異なっていることか! ボスコニア艦隊では、旗艦との連絡が断絶しているはずなのに、支艦隊は編隊を組んで前進をつづけた。しかし、中核の壊滅とともに、艦隊全体としての組織や統一はまったく失われた。すべての参謀将校は、もはや旗艦から命令が発せられないだろうことを知っていた。だれもが脱出も救援もありえないということを恐怖のうちに理解した。各艦の艦長は、自分のほうが支艦隊の司令官よりはるかに情況に通じていることを確信して、思い思いに戦闘を開始した。その結果はまったくとてつもないもので、Z9M9Zの熟練した艦隊操作員たちも手のつけようがなかった。科学も戦術も無数の通信線も、敵が船対船、人間対人間の戦闘をいどんでいる以上、なんの役にも立たなかった!
その結果は、軍事科学の年代記の上でも、もっとも大規模な乱戦になった。船という船が――おそらくパトロール艦もボスコニア艦と同様にのぼせあがって――ビーム放射器を切り、防御スクリーンを切って敵艦に衝突し、乗り移り、敵と格闘した。偵察艦対偵察艦、巡洋艦対巡洋艦、戦艦対戦艦と、気ちがいじみた乱戦は拡大した。ヘインズや参謀たちははげしくののしり、リゲル人要員は命令をはげしく投射したが、それらはまったく、ききめがなかった。乱戦はいよいよ拡大し、ついにクロヴィアの全太陽系の六分の一あまりに展開した。
乗船そして突撃! 宇宙服――熱線銃――宇宙斧! 肉弾戦の気違いじみた血みどろの興奮、われわれが海賊の祖先から受けついだ野蛮な情熱、そうしたものが何百万倍されて、何兆立方マイルの宇宙空間に拡散し充満したのだ。
ヘインズをはじめとする参謀たちは、多数のすぐれたパトロールマンが殺戮《さつりく》され、多数のすぐれた船が破壊されるのをさまたげるすべもなく、なすところなく突っ立ったまま、はずかしさも忘れて泣いた。すさまじかった――恐ろしかった――これは≪戦争≫なのだ!
この混乱と殺戮の場からはるかに離れて、ボスコニアの巨大な旗艦がただよっていた。そしてその制御室では、キニスンが回復しはじめていた。彼はよろめきながら起きあがった。はげしく脈打つ頭を二度ばかりためすようにゆすってみた。何もこわれていない。QX――ぬれ雑巾《ぞうきん》のようにへばってはいるが、異常はないらしい。レンズでさえ弱々しい感じだ。いつもはまぶしい光も、どんよりしてにぶい。すっかりエネルギーをすりへらしてしまったのだ、と彼は冷静に、さっきの闘争を思い返した。しかし、まだ命があったとはありがたい。だが、バッテリーを充電したほうがいい。いまの状態では、部屋のはしからはしまで思考を働かせることさえできない。こんな混乱を整理できる頭脳は、彼の知っているかぎりでは、宇宙に一つしかない。
レンズマンは、目のまえのはなはだ危険な頭脳が、まだしばらくは正常に機能できないのを確かめてから、炊事室へ向かった。もうよろめかずに歩ける――いいぞ! 炊事室へ着くと、大きくて厚い生焼けのステーキを焼いた――彼の場合、肉体的不調に対しては、かならずきく処方なのだ――そして、スラール・コーヒーを湧かして、ほとんどしびれるほどつよくした。食べたり飲んだりしているうちに、生まれ変わったように頭がすっきりしてきた。精力が波をなしてよみがえってきた。レンズはいつもの輝きをとりもどした。彼は思いきり身をのばし、二、三度深く息を吸いこんだ。もうQXだ。
制御室へもどると、まだ意識を失っている頭脳をもう一度点検したのち――彼はこのフォステンに少しでも意識があるうちは不安だったのだ――はるかかなたのアリシアにいる老賢者メンターへ向けて思考を投射した。
「アリシア人がこの第二銀河系で、パトロール隊に敵対して工作しているというのは、どういうわけでしょう? なぜわれわれを出し抜こうとしているのですか?」彼は興奮してたずねた。そしてたったいま起こったことを、一瞬の思考で報告した。
「地球のキニスンよ、じつのところ、わしの心はかならずしも全能ではない」深く反響する擬似《ぎじ》言語が、ゆったりとキニスンの脳の中にひびきわたった。アリシア人はけっしてあわてなかった。どんな問題も、このように破局的な事件でさえ、彼を狼狽《ろうばい》させたり興奮させたりすることはなかった。「わしの仲間のだれかが、第二銀河系にいるとか、銀河パトロール隊に敵対行動をとっているとかいうことは、現在わしが森羅万象に対していただいている洞察とは、一致しないように思われる。しかしながら、仮説、理論、洞察などが、既知の、または観察された事実に適合しなければならないのは、当然のことである。そして、おまえの未熟な心でさえ、事実をありのままに報告するについては充分有能である。しかし、わしが自分の洞察を、このあきらかに奇怪な情況に適合させることを試みるまえに、われわれは事実を充分に確認せねばならない。若者よ、おまえは、自分が打撃を加えて意識を失わせたその生物が、アリシア人だということを確信するか?」
「絶対に確信します!」キニスンは、かみつくように答えた。「彼は、あなたといっしょに一つの卵からかえったように、あなたにそっくりです。ごらんなさい!」彼はアリシア人が、かつてスラールのフォステンだった者のからだを、内外からくまなく検査しているのを知った。
「ああ、これならアリシア人に見えるだろう」メンターはついに認めた。「おまえのいうように、彼は老齢らしい――おそらくわしと同じくらい老齢だろう。わしは自分の種族の全員を一人残らず知っているつもりだったから、この問題については多少思考する必要がある――だから、いささか時間を与えてほしい」アリシア人は沈黙したが、やがて言葉をつづけた。
「わかった。数百万年前――あまりに昔なので、思い出すのに多少骨が折れた――わしがまだ子どもだったころ、わし自身よりすこし年長の若者がアリシアから姿を消した。彼は常軌《じょうき》を逸《いっ》した――つまり発狂したものと判断された。ところで、病気におかされて混乱した心の非論理的な行動を予言することは、一年前でさえも、異常に有能な心でなければ不可能だから、その常軌を逸した若者が、わたしの洞察の中で、とおの昔に消滅していたのは不思議ではない。また、わしが、おまえの眼前にいる生物が彼であることに気がつかなかったのも不思議ではない」
「わたしが彼を負かせたことが不思議だとは思われませんか?」キニスンは子どもっぽくたずねた。彼は事実、メンターが彼の武勇をほめてくれるものと期待していた。肩を二、三度軽くたたかれるくらいのねうちはあると考えていた。しかしいまや、老メンターは自分の思いにふけって、アリシア人を打倒することなどいともたやすいような態度をとっている。冗談じゃない、たやすいものか!
「不思議ではない」きっぱりした返答がきた。「おまえは意志力を持っている。総合的集中的能力、精神的心理的推進力を持っている。それらの可能性について、おまえは完全に理解してもいないし、理解することもできないのだ。わしはおまえのレンズを調製したとき、そうした潜在能力を知覚した。そして、おまえを向上させるとき、それらの能力をも向上させたのだ。そうした能力が存在していたからこそ、わしは、おまえがそれの向上のために、アリシアを再訪するだろうことを確信したのだ。そうした能力こそ、おまえの特質であるのだ」
「QX――その問題はもうやめましょう。それより、この生物をどうしましょうか? あなたがどうお考えになろうと、われわれにとって、彼を生かしたまま無傷でアリシアまで連れていくことは、たいへんな仕事です」
「われわれは彼を必要としない」メンターは無感動に答えた。「彼はわれわれの社会では、現在も未来もふさわしい地位がない。また、いかに考察してみても、彼にとって、森羅万象中で許容しうるべき地位があるとは知覚しえない。彼の役割は終わった。それゆえ、おまえたちに甚大《じんだい》な損害がふりかからぬよう、彼が意識を回復するまえに、ただちに抹殺するがいい」
「あなたのお言葉を信じます、メンター。何よりの助言をいただきました。感謝いたします」そして通信は終わった。
レンズマンの光線銃は一瞬ひらめき、そこに横たわっていたものは、煙をあげる形のない堆積と化した。
そのときキニスンは、通信パネルの上で呼びだしライトがまぶしく輝いているのに気づいた。この事件は、彼が予期したより長くかかったにちがいない。戦闘は終わってしまったのだろう。さもなければ、宇宙はまだ通信波妨害に満たされていて、長距離通信ビームを送ることができないはずだ――ことによると、ボスコニア艦隊が……いや、それは考えられないことだ……パトロール艦隊が勝ったにちがいない。ヘインズが呼んでいるのだ……
そのとおりだった。おそるべきクロヴィアの戦闘は終わった。多くのパトロール艦は、ボスコニア艦の挑戦に、すすんでまたは強制的に応じたが、大部分は応じなかった。そして、挑戦に応じたものも、過半数が勝ったのだ。
このボスコニア艦隊のように、無数の艦が勝手に行動し、広範囲に分散している場合には、それに対して既成の陣形で戦うことはもちろん論外だが、ヘインズとその助手たちは、一種の戦術をあみだすことができた。支艦隊の司令官に対して一般命令が発せられ、司令官たちはそれを視覚ビームによって各艦長に中継した。そこで、個々の艦は自分と対等かまたはそれより劣る敵艦を牽引ゾーンで捕捉した――自分より強力な敵艦は慎重に避けたのだ。もし捕捉した敵艦を撃滅できれば、それはそれでQXだ。もしできなければ、相手を捕捉しつづける。そのうちにパトロール隊の|空飛ぶ鉄槌《モーラー》のどれか――彼らに対抗すべき敵の同級艦はすでになかったのだ――が接近する。そしてそれらの強力な第一次ビームが放射されれば、それではっきり片がつくのだった。
こうして、ボスコニアの大艦隊は宇宙から消滅した。
宇宙を満たしていた通信波妨害は停止され、空港司令官ヘインズは制御盤のまえにすわって、呼びだし信号を発した。レンズを用いることは、いまがキニスンにとってきわどい瞬間かもしれないという気づかいから、わざと避けたのだ。やがてスイッチをいれっぱなしにした。そして、一分また一分と、なんの応答もない映像プレートを見つめているうちに、彼の顔は灰色になってげっそり老《ふ》けこんできた。
ついに彼が心をきめて、なにが起ころうと、キニスンにレンズで呼びだしをかけてみようと決心したとき、映像プレートがあかるくなって、彼がほとんど望みを失いかけていた当人の、宇宙焼けした顔が微笑しながらあらわれた。
「ありがたい!」ヘインズの叫びはまったく衷心からほとばしったものだった。彼の緊張した老顔は、十秒間のうちに二十歳も老けていた。「ありがたい、無事だったのか。では、うまくやったのか?」
「そう思います。しかし、間一髪のところでした――わたしは半分も余力がありませんでした。相手はボスコーンそのものでした。で、閣下のほうはいかがです?」
「完勝だ――百ポイント・ゼロ・ゼロ・ゼロパーセントというわけだ」
「すてきです!」キニスンは歓声をあげた。「では、万事完全に片づいたわけです――おいでください!」
そこでパトロール隊の大艦隊は出動した。
Z9M9Zは接近し、有重力化し、推進ジェットをいっぱいに噴射しながら、固有速度をボスコニア旗艦――広大な宇宙空間に残っているただ一隻のボスコニア艦――の固有速度に同調した。牽引ビームと圧迫ビームが定着されバランスされた。柔軟な――というよりもっと正確にいえば、完全に硬直ではない――連続チューブが押しだされ、ボスコニア旗艦の出入口に定着された。何百、何千という人員――スラール軍の制服に身をかためた人員――がそれらのチューブを通じてボスコニア旗艦に乗り移った。Z9M9Zは連結を断ち、別の戦艦がそれに代わった。この操作が何回かくり返され、ついにさしも巨大なボスコニア旗艦も、それ以上の人員を収容できないほどになった。
これらの人員は、すべて人類または人類に近い生物だった――少なくとも、一見しただけでは、スラール人として通用するくらい人類に近かった。もっと特異なことは、彼らの中に、おどろくほど多数のレンズマンが含まれている点だった。これほど小さい空間に、これほど多くのレンズマンが集合したことは史上空前のことだった。しかし、彼らがレンズマンであるという事実は、はた目にはわからなかった。彼らのレンズは、手首ではなく腕のつけ根近くにとりつけられ、いくら念入りに見ても、短い袖の奥にかくれて見えないようになっていたからだ。
それから、捕獲された旗艦はバーゲンホルムをふたたび修理され、Z9M9Zや、すでにボスコニア艦の固有速度と同調していた戦艦隊とともに、宇宙空間に展開した。各艦は、きわめてあざやかな赤光で、自分の船体をおおっていた。コースと推進力に関する命令が発せられた。その命令とともに、目ざましい閃光が宇宙を満たし、大艦隊はそれらの赤い標識灯に導かれながら、みごとに一体をなした大規模な操作のもとに、その固有速度を標識艦のそれに同調させた。
ついにすべての固有速度が完全に一致させられると、大艦隊は編隊を組みなおした。この『組みなおす』という言葉は、厳密に用いられている。こんどの編隊は、戦闘隊形ではなかったからだ。なぜなら。トラスカ・ガネルは、ずっとまえに首府へ向けてメッセージを送っていたのだ。それは簡潔で正確なメッセージだったが、非常に誤解されやすかった。次のようなものだ。
「わが軍は勝利をえ、敵は最後の一員にいたるまで撃滅された。宮殿時間本日十時に、スラールとオンローを含む両世界放送の準備をせよ」
そういうわけで、編隊は戦闘用のそれではなく。勝利を誇るためのものだった。それは、ボスコニアの大艦隊が、自分をおびやかすすべての敵を宇宙から抹殺してしまったことを確信し、当然の称賛を人民から受けるべく、祖国へ引きあげていく際の、誇らかな凱旋《がいせん》の編隊だった。
はるか先頭には――ただ一隻だけ昂然《こうぜん》として――旗艦がいた。この船はスラールで考案され、旗艦として建造されたものだから、一目でそれと見わけられるだろう。その後からは、支艦隊が巨大な同軸円錐をなしてつづいた。それらはいまや船の種類ではなく、惑星単位まで分類されていた。たいていの支艦隊は、一隻か二隻の|空飛ぶ鉄槌《モーラー》、四、五隻から十隻あまりの戦艦、相当数の巡洋艦および偵察艦からなり、緊密な小集団をなして飛んでいた。
しかし、パトロール隊の無敵艦隊《アルマダ》は、全部がこの隊形を組んでいたわけではなかった。ボスコニアの大艦隊が、出発したときより四十パーセントも多くなって帰還するのは、はなはだまずいやり方だろう。それに、Z9M9Zは、ボスコニアの監視所の探知範囲内まで接近させるわけにはいかなかった。この船は従来の他の船とはまったく似ていない。その正体を見破られることはあるまいが、スラールやその他のボスコニア惑星に属する船でないことは、どんなうかつな観測員にでも、はっきりわかるだろう。
したがって、Z9M9Zは後方に――はるか後方に――ひっこんで、独裁者の大艦隊に組み入れえない多数の船によって護衛され包囲されていた。
スラールから発進した支艦隊は、なんの疑惑もひき起こさずに、難なく着陸できるだろう。もちろん、ボスコニア艦とパトロール艦の設計は同一ではないが、技術上の要求からして、外観は本質的に同様である。そして、個々の船は、いまやスラールの認識記号をつけていた。わずかな相違点は、船が着陸してからでなければ、識別されないだろう。そのときは――スラール人にとっては――もう間《ま》にあわないのだ。
スラール時間の十時になった。キニスンは制御室全体を長いこと綿密に点検したのち、ふたたびスラールの独裁者トラスカ・ガネルになった。彼は手を振った。彼の前の走査器が輝いた。たっぷり一分ほど、彼は傲然《ごうぜん》たる態度でその中を見つめ、無数の臣民に、恐るべき独裁者の畏怖すべき風貌を、充分に見る機会を与えた。
彼は走査器が、自分の背後の制御室をくまなくうつしだすことを知っていたが、万事手ぬかりはなかった。だれかが、どこかの席に、見なれた顔がないのに気づく危険はなかった。彼の顔以外はだれの顔も見えないようになっていたからだ。彼の背後では、ふりむく顔はなく、四半分の横顔さえ見せる者はいない。スラールの独裁者が臣民に呼びかけているとき、だれかの顔がどれほどわずかでもいっしょに脚光をあびることは、もっとも許しがたい不敬罪なのである。こうして、独裁者ガネルは、冷静に断固として口をひらいた。
「≪わが≫臣民よ! おまえたちもすでに知るごとく、わが軍は完全な勝利をえた。これは余の先見と指導とによって、必然的にもたらされたものである。この前進は、余がすでにより小さな規模においてなしとげた多くの前進を、いっそう雄大に反復したものにすぎない。余が自分の大計画を成功させるために慎重に採用している手段の、拡大と継続なのである。
その計画的前進の一部として、余は弱小なアルコンを除去した。そして、抑圧、偏見、腐敗、不公平、貪欲等にもとづく彼の体制に代えるに、公平と万人のための協力を基調とする恩恵的な体制をもってしたのである。
余はいまや、自分の計画における次の一歩を大きくふみだした。余の大計画の展開と完成をさまたげる可能性のある敵兵力を、完全に撃滅したのである。
余は宮殿に帰還すると同時に、次の一歩をふみだすであろう。余が計画していることを、現在おまえたちにくわしく説明する必要はない。しかし、概括的にいえば、余は次のようにおまえたちに次げることを喜ぶものである。すなわち、すべての抵抗を撃破した結果、余はいまや政治、行政および司法において、幾多の変革をおこなうことができ、ただちにそれにとりかかるであろう。余は断言するが、これらの変革はすべて、社会の敵を除き、万人の幸福に貢献するものである。
やがて余の部下たちが、種々の指令をたずさえて、おまえたちのあいだへはいって行くだろう。それらの指令の中には、従来スラールでは公布されなかったような種類のものもあるはずだ。しかし、余はおまえたちが、余の部下に、全面的かつ自発的に協力するように警告する。そのように協力した者は、生き長らえて繁栄するであろう。協力しない者は、歴代のスラールの拷問者が考案したなかで、もっとも緩慢《かんまん》な、恐るべき方法で殺されるであろう」
[#改ページ]
二二 スラール占領
現在までのところ、キニスンの革命、独裁制への前進は、完全に正常で、ボスコニアの最良の教義に完全に一致していた。だが、すべての高官がそれを心から承認していた、と主張するわけにはいかない――彼らはそれぞれ独裁者の地位を望んでいた――しかし、彼らのうちだれひとりとして、さしあたり独裁者に効果的に挑戦するほど強力ではないし、効果的でない挑戦は確実な死を意味するということをだれもが知っていた。つまり、だれもが機会を待っていたのだ。ガネルは失策をおかすだろう。自信過剰で油断するだろう――そしてそれが、ガネルの最期となるのだ。
しかし、彼らはボスコニアに忠実だった。強力で容赦のない人間の支配なら大歓迎だった。彼らはそれが正当であることを盲目的に信じていた。彼らは、そのような奴隷的服従を彼らに要求するほど強力な者に、膝を屈したのだ。またいっぽうでは、自分が生殺与奪の権を、法律上ではないまでも事実上保有する人間に対しては、いっそう卑屈な服従を容赦なく要求したのである。
そういうわけで、キニスンは、自分がボスコニア人であることを閣僚たちに信じこませることができるうちは、内閣を容易に操縦できるということを知った。そうした条件のもとでは、彼らのあいだに真の統一というものはなかったし、ありうるはずもなかった。彼らはそれぞれが、独裁者を打倒しようと努めると同時に、相互に争っているのだ。しかし、彼らは、いずれもパトロール隊とそれが擁護している文明とを、銀河文明に所属する者には理解できないような激烈さで憎んでいた。だから、万一ガネルが、パトロール隊と関係があるということがわかったら、彼らはたちまち協同して反抗するだろう。まず彼を殺し、そのあとで相互に独裁者の地位を争うという暗黙の了解が、自動的に成立するだろう。
そしてその共同的反抗は、まことにすさまじいものだろう。彼らは確かに有能である。したたかであると同時に賢明で狡猾《こうかつ》なのだ。彼らは陰謀の名人であって、けっしてあなどれない。もしトラスカ・ガネルがボスコニアの裏切り者であるという事実が伝われば、あらゆる歴史を通じて、もっとも血なまぐさい革命を顔色なからしめるような反抗が起こるだろう。そして、あらゆるものが破壊されるのだ。
また、レンズマンとしては、パトロール隊の兵力で、スラールに正面攻撃をかけるわけにもいかなかった。スラールがきわめて堅固であるというばかりでなく、スラールには貴重な記録が保存されている。それらの記録を失ってしまえば、パトロール隊が自己の安全のために必要な情報をうるために、何世紀もついやさねばならないだろう。
いや、いかにもキニスンは底辺近くから出発してよじのぼっていったわけだが、こんどはてっぺんから出発して、底辺まで働きかけていかなければならない。そして、彼らがレンズマンの働きかけを妨害するのが間《ま》にあわなくなるまでは、警戒の念を起こされないように、大いに用心しなければならない。彼は、自分にそれだけの仕事をやってのける力があるかどうかを知らなかった――問題は、彼がこの十二人の閣僚を啓蒙できるかいなかにかかっている――しかし、パトロール隊の心理学者たちが立案した計画は巧妙なものだから、彼としては全力をつくしてやってみるほかはない。
やがて大艦隊は速力をゆるめた。そして、旗艦を首府の恐るべき防御兵器の射程のすぐ外側に置いて停止した。六隻の|空飛ぶ鉄槌《モーラー》が、探知不能で不可視的な黒っぽい物体を引きながら接近して停止した。独裁者は安全な制御室から、会議室にいる閣僚に呼びかけた。
「わたしはそう長い日数、留守にしていたわけではない」彼は映像プレートを通じて弁舌さわやかに述べた。「そして、もちろんおまえたちひとりひとりを信用しているが、着陸するまえにはっきりさせておくことがある。ひょっとしておまえたちのだれかが、わたしに対して罠《わな》をしかけようとしていることはないか?」話し手の声には、多少の皮肉が含まれていたかもしれない。
閣僚たちは、そんなことは考えたこともない、と口をそろえて断言した。
「よろしい。では、おまえたちはだれも気づかなかっただろうが、わたしはこの惑星の無慣性化装置の錠《じょう》と組合せを変え、ある、きわめて複雑な性質の、目立たないが本質的な機構を破壊または除去し――そしてまた、ある機構は交換して――おまえたちのだれにもこの惑星を無慣性化できないようにしておいたのだ。わたしはこの惑星に等しい反質量の|負の球体《ネガスフィア》を持ち帰った。これはおまえたちの力では抵抗しようのないものだ。わたしのかたわらの宇宙空間にあるから、よく眺めるがよい。おまえたちに告げるまでもないことだが、わたしがスラールにいるのと同じように効果的に、ボスコニアを支配できる惑星は無数にある。また、わたしは、自分の故郷である惑星や、その上にあるすべてのものを破壊したくはないが、その拳に出るか、あるいはわたしの生死や地位を失うか、そのいずれかを選択する必要に迫られた場合には、そうすることをためらわないのだ」
閣僚たちはこの言葉を信じた。それはきわめて賢明なやり方だった。彼らがガネルと同じ立場にあれば、同じようにしただろう。だから、彼らは、ガネルが警告したとおりのことをやるつもりでいる――もしそれが可能ならば――ということを知っていた。そして、ガネルが示した無気味な切り札を調査した結果、それが可能であるということを知った。なぜなら、彼らは独裁者がきわめて効果的に、スラールの重力中立装置を破壊したので、彼が帰還するまえにそれを修理することはできそうもないということを、みずから確認したのだ。したがって、修理は開始されなかった――彼らは、そのような行動が致命的な結果をもたらすことを知っていたからだ。
ガネルは閣僚の意図を見抜き、先手を打つことにおいて、またもや支配者としてのすぐれた能力を発揮した。彼らは畏敬をこめてその事実を認めた。事実、彼らは、こうして示された彼の能力ゆえに、いっそう彼を称賛したのだ。彼らのうちだれひとりとして、公然たる行動には出なかった。機会を待ったほうがいいと考えたのだ。ガネルが失策をおかすことはまだありうる――宮殿へはいるまえにさえあるかもしれない。彼らは、独裁者が、彼らのもっとも隠密な計画さえ意のままに読みとることができるということを知らずに、そう考えた。そしてそう考えながら、各人が無条件の言葉で忠誠をあらたに誓った。
「よろしい」独裁者は彼らの誓言《せいごん》を一言も信用していなかったし、彼らのほうで、彼が信用していないことをよく知っていた。「おまえたちには、忠誠な閣僚として、歓迎者の最前列につらなる名誉を与えよう。おまえたちとおまえたちの護衛は、貴賓スタンドの正面ボックスにつくのだ。おまえたちの周囲の席は、すべての宮廷関係者が占める――わたしは自分が着陸するとき、宮殿内部はもちろん、構内にさえ、護衛のほかはだれも残ることを望まない。これらの席の背後には、親衛隊と近衛師団を配置する。残りのスタンドとふつうのあき地は、一般人の席である――早いもの勝ちだ。
しかし、一言注意がある。おまえたちは平常のように光線銃を身につけてよろしい。しかし、宇宙服は通常の服装でもなく、制服の一部でもないということを忘れてはならない。宇宙服を着用した者が歓迎者たちのあいだにまじっていれば、その者は、わたしが着陸するまえに、針光《ニードル》線によって抹殺される。また、わたし自身は完全に宇宙服を着用していることを注意しておく。そしてまた、わたしが宮殿の私室にはいって、みずから命令するまでは、艦隊の船は一隻も着陸しないことになっているのだ」
この条件もまた難題だったが、彼らは、これも受けいれないわけにはいかなかった。これをまぬがれる方法はなかった。これもまた完全にボスコニア式の支配だった。そういうわけで、歓迎準備は、まったくトラスカ・ガネルが指示したとおりにおこなわれた。
旗艦はとほうもない重荷を積みこんでいるので、下部ジェットを異常にはげしく噴射しながら下降した。船が下降しているあいだに、キニスンは見なれた地上をざっと見わたした。広大な宇宙空港には宇宙船ドックが散在し、コンクリートと鋼鉄で舗装された空港面は焼けただれ、傷つき、あばたになっている。宮殿にもっとも近い北端の中央には、旗艦の碇泊所である第一号ドックがある。ドックの真北八分の――下部ジェットのすさまじい噴射を避けるのに必要な最短距離――一マイルのところに宮殿構内への入口がある。空港の西側の北端に、第一号ドックからは四分の三マイル、宮殿の門からはそれよりいくらか多く離れて、儀式用スタンドがある。こうした配置のおかげで、レンズマンは絶対有利な立場にいるのだ。
旗艦は着陸した。はげしく噴射していたジェットは消えた。元首の重要者がしずしずと接近した。旗艦の気密境界《エアロック》が開いた。キニスンとボディー・ガードたちは車に乗った。ヘリコプターが数機あらわれ、スタンドの上空と空港の西端にむらがった群集の上空で、監視するようにゆっくりただよいはじめた。
つづいて、旗艦からは、武装して宇宙服を着用した兵員が、信じられないほど多数あらわれた。そのうちの一部分は一団をなし、元首乗用車がゆっくり進んで行くあとから行進して行ったが、それよりはるかに多数の者が、宮殿構内へ通じる堂々たる門へ直接むかい、その中へはいって行った。スタンド付近に集まって主要な行進を眺めていた一般民衆は、こうした情況に無関心だった――スラールの独裁者がどういう気まぐれを起こそうが、それを気にすることがあろうか?――しかし、ガネルの閣僚たちにとっては、この異常な情況はきわめて不安だった。けれど、大スタンドにいる彼らには、どうすることもできなかった。そして彼らは、上空にいるヘリコプターが、群集の中に反抗や混乱が起きた場合、どのようなことをするように命令を受けているかということを、いやというほど理解していた。
元首乗用車は、柵でさえぎられた群集が熱狂的に歓呼するまえを、ゆっくり進んで行った。そのあとからは、はなやかに演奏するバンドと、宇宙服に身をかためた一団の宇宙人が、きびきび行進して行った。これらより抜きの兵士が実はスラール人ではなく、そのうちの千人以上が銀河パトロール隊のレンズマンであるということを暗示するようなものはなにもなかった。キニスンは車の中に直立し、右腕をさしのべながら、人民におもおもしく答えた。
凱旋車は、もっとも前方へせりだして、もっとも飾りたてられたスタンドのまえで停止し、独裁者は十二人の閣僚に向かって、ラウド・スピーカーで呼びかけ、特別の名誉として、彼といっしょに車に乗って宮殿へ向かうように招待した。大きな乗用車には、ちょうど十二の空席があった。閣僚たちは自分のボディー・ガードを残して、ひとりで独裁者の車に同乗しなければならなかった。もしほかに余分な席があったとしても、独裁者以外の者のボディー・ガードが、独裁者の車に同乗するなどというようなことは、思いもよらなかった。閣僚たちはぞっとした。群集がなんと思おうと、これは名誉どころではない――むしろ死刑の宣告のようなものだ。しかし、どうすることができようか? 彼らは宇宙服を着ていない自分のボディー・ガードたちを見やり、次にガネル自身のボディー・ガードが宇宙服を着用して、半携帯式ビーム放射器を携行しているのを見やった。しかもいまやヘリコプターは、針光《ニードル》線放射器のとがった先端をはっきりのぞかせながら、頭上に集中している。
彼らは独裁者の招待を受けいれた。
したがって、宮殿の華麗な構内へ乗りこんで行く彼らの心は、平静ではなかった。会議室へはいると、なんの説明もなく逮捕されて武装を解除された。彼らはいよいよ不安になった。そして、独裁者ガネルが、レンズを手首に輝かせ、宇宙服の中から姿をあらわしたときには、足もとの大地がくずれ落ちたように愕然《がくぜん》とした。
「そうだ、わたしはレンズマンだ」キニスンは、ボスコニア人たちが驚愕しながらも、たじろがずにいるほうへ向かって、おごそかに告げた。「だからこそわたしは、きみたちの十二人全部が、わたしの警告や実際の行動を無視して、わたしの留守ちゅうに、わたしを打倒しようと試みていたことを知っているのだ。もしわたしが、依然としてトラスカ・ガネルのふりをしていることが必要だったとすれば、わたしは、陰謀を企てたことを理由にして、きみたちを、現在この場で殺さなければならなかったろう。しかし、すでにその段階は終わった。
きみたちが、『例の』レンズマン、またはスター・A・スターの仕事と考えているものは、じつは多数のレンズマンの協力的活動の成果であり、わたしはそのレンズマン集団のひとりにすぎない。わたしといっしょに宮殿にはいった者たちは、すべてレンズマンである。宮殿の外にいる者たちはすべて、レンズマンまたは銀河パトロール隊のきたえぬかれたベテランである。この惑星を包囲している艦隊は、パトロール隊の大艦隊である。ボスコニア艦隊は、クロヴィアへ到達するまえに、完全に――旗艦以外は一兵一船にいたるまで――撃滅された。すなわち、ボスコニアの兵力は永久に破壊されたのだ。今後は、銀河文明が二つの銀河系を支配するのである。
きみたち十二人は、この惑星のみならず、おそらく暗黒なボスコニア文明を通じて、もっとも強力でもっとも有能な人物である。きみたちはわれわれに協力して、従来のボスコニア帝国を銀河文明の原理のもとに支配することに同意するか、それとも死を選ぶか?」
スラール人たちは、光線銃で射殺されることを覚悟して、からだをこわばらせたが、ひとりだけが口をきった。「レンズマン、おまえがわれわれを拷問しないという点で、われわれは少なくとも幸運なわけだ」彼は反攻的な、はげしいあざけりをこめて唇をゆがめながら、ひややかにいった。
「よろしい!」レンズマンはまともに微笑した。「わたしの期待したとおりだ。それを最低の足場にすれば、あと必要なのは、きみたちの誤解を除去して観点を修正し、そして……」
「おまえは、おまえたちの精神医がわれわれを治療して、おまえたちの文明様式に適応させることができるなどと、とんでもないことを考えているのか?」ボスコニアの代弁者は、かみつくように質問した。
「わたしは考える必要はないんだよ、ラニオン――ちゃんとわかっているのだ」キニスンは受けあった。「諸君、この者たちを連れて行って監禁したまえ――場所はわかっているな。万事、計画どおり運ぶだろう」
そのとおりだった。
パトロール隊の巨大な軍艦が、つぎつぎに宇宙空港に着陸し、多数のレンズマンが、スラールの組織を下部にむけて、しだいにスラール人にとって代わっているあいだに、キニスンはウォーゼルとトレゴンシーを連れて、さいぜんの率直なスラール人閣僚が監禁されている独房へ出かけて行った。
「おまえたちがわたしの脳を手術するのを防げるかどうかわからない」スラールのラニオンは毒づいた。「しかし、おれはやってみるつもりだ。そういう手術の結果、悲惨な廃人になった連中をおれは知っている。おれは連中のようになりたくない。そればかりではない、おまえたちがおれを釈放した瞬間に自殺するという固定観念を、おれの潜在意識から根絶できるような科学が存在しうるとは思わない。だからレンズマン、いますぐおれを殺して、時間や手間をはぶくがいい」
「きみは正しくもあり、まちがってもいる」キニスンはしずかに答えた。「そのような固定観念を除去することは、確かに不可能かもしれない」彼は自分がそのような固定観念を除去できることを知っていたが、それをラニオンに知らせてはならなかった。銀河文明には、これら十二人の厳しい明敏な頭脳が必要だったから、彼としては、彼らに劣等感を植えつけて、能力を弱めたりしたくなかったのだ。「しかし、われわれはきみを手術するつもりはない。ただ、教育しようとしているだけだ。きみは一瞬も意識を失うことはない。つねに自分の心を完全に制御し、自分がそのような状態にあることを確実に意識しているだろう。われわれは、きみが現在ボスコニアの文明について所有している知識と平行に、銀河文明においてそれに相当する知識を植えつけるのだ」
レンズマンたちはそのとおりのことをやってのけた。それは短時間の仕事ではなく、容易でもなかったが、ついに完全に遂行された。そこでキニスンはいった。
「きみはもう、ボスコニアと銀河文明について、完全に詳細な知識を持っている。このような二つの知識体系の結合を所有している知能はきわめて少ない。きみも知るように、われわれはきみの心の原形を変えもせず、接触さえしなかった。きみはわれわれと完全な精神感応状態にあるから、われわれの銀河文明について、できるかぎり偏見のない観念をきみに与えたことがわかるはずだ。また、きみは新しい知識を完全に同化している」
「それは事実だ」ラニオンは認めた。「驚くべきことだが、事実だ。おれはずっとおれのままだった。おれはそのことを確かめるためにたえず点検していた。おれは依然として自分が望むときに自殺できる」
「そのとおりだ」キニスンは、ラニオンの意図が無意識に変化しているのを知ったが、精神的にさえ微笑しなかった。「いまやすべての命題は、一つの明白な質問に帰着させることができ、きみはそれに対して同様に明白な解答を与えることができる。ラニオン、きみ個人としては、これまでのように個人的権力を求めて努力しつづけるほうが望ましいかね、それとも、他人と協力して万人の幸福のために努力したいかね?」
スラール人はしばしば思考したが、そのうちに、彼のけわしい顔に驚愕の色が広がった。「きみのいう意味は、実際に――個人的に――きみたちのいわゆる愛他主義とか、そのほかの幼稚な弱さをすっかり考慮の外において、ということか?」彼は反抗的に反問した。
「そのとおりだ」キニスンは受けあった。「きみはどっちを≪より≫欲するかね? 個人的にどっちのほうが楽しいかね――愉快かね?」
ラニオンのブロンズ色の顔には、心中のはげしい葛藤《かっとう》がありありとあらわれた。その葛藤がどのようなものかも明白だった。
「いや……わたしは……けっして……いまいましい! きみの勝ちだ、レンズマン!」そして、前ボスコニア指導者は手を差しだした。もちろん、彼はこういう言葉を使ったのではないが、なるべく意味の近い地球語になおせばこうなるのだ。彼の最終的判断はまさにそういう意味だった。そして彼の十一人の同僚がつぎつぎにくだした判断も、ほぼ同じようなものだった。
こうして、銀河文明は十二人の新兵の教育に成功した。彼らはスラールの無血征服に大きな役割をはたし、のちに第二銀河系の文明化に目ざましい貢献をすることになった。なぜなら、彼らはボスコニアについて頂上から底辺まで、はしからはしまで、そのあらゆる分野あらゆる組織について、確実な知識を持っており、所期の目的を達成するためには、どこでいつどのように活動すればいいかを、正確に知っていたからだ。そして彼らは活動した――いかに活動したことか!――しかし、ここでは、彼らの活動に立ち入っている余裕はない。
百種類にもおよぶ銀河パトロール隊のスペシャリストがスラールに集まった。そして、平和と安全が確保されてのち、彼らは記録保管所の膨大なファイルの調査にとりかかった。キニスンはついにヘインズの主張に譲歩して、Z9M9Zに移った。
「もうそろそろよかろう、きみ!」空港司令官はかみつくようにいった。「わしは爪をかみにかんで、ひじまでとどくほど考えつめたが、オンローを撃滅する方法をまだ考えつかん。きみになにか思いつきがあるかね?」
「スラールが第一です」キニスンは指摘した。「ここの準備は万事たしかにQXですか?」
「完全だ」ヘインズはじれったそうにいった。「地球やクロヴィアと同様に強力に防御されている。第一次ビーム、Q型螺旋砲、超牽引ビーム、重力中立器《バーゲンホルム》、太陽ビーム――万事そろっている。雌鳥に歯が必要ないと同様、ここではもうわれわれを必要としない。大艦隊は完全に発進準備ができているが、われわれは効果的な作戦をたてることができん状態だ。最上の手段は艦隊をまったく用いずに、太陽ビームだけで攻撃することだ――しかし、太陽を移動させることはできんし、ソーンダイクも、ビームをオンローまで集中的に維持することはできん。|負の球体《ネガスフィア》を使うわけにもいかんと思うが?」
「わたしもそう思います」キニスンは考えこんだ。「われわれが|負の球体《ネガスフィア》を使って以来ずっと、やつらはあれに対して備えています。わたしは、ナドレックがどんなぐあいにやったかわかるまで、待っていたほうがいいと思います。彼は、賢明な男です――あなたになんと報告していますか?」
「なにも報告しとらん。まったくなにもしとらん」ヘインズは微苦笑をうかべた。「彼が報告するのは、依然として『観察』しているということだけだ――それがどういう意味かは知らんがな。きみはなぜ彼にきいてみんのだ? きみは、わしよりよく彼を知っとるし、将来もそうだろう」
「そうしたところで、まずいことないでしょうが」キニスンは認めた。「しかし、おそらくなんの利益もありますまい。ナドレックはおかしなやつです。もし彼の腕のうち十四本をむすびあわせて、彼を困らせることができれば、そうしてやりたいところですが、そうされても彼は困らんでしょう――まったくタフなやつです」しかし、彼はレンズでナドレックに呼びかけた。すると、ただちに応答があった。
「ああ、キニスンですか、ごきげんよう。わたしはいまスラールのディレクトリクス(Z9M9Zの通称)報告に向かう途中なのです」
「そうですか? そいつはいい!」キニスンは叫んだ。「どんな結果でした?」
「失敗はしませんでした――厳密にいえばですね――しかし、仕事は非常に不完全で、まずい仕上げでした」ナドレックは弁解した。そのあいだ、地球人の心は、パレイン人が地球人のはげしい赤面に相当する態度を示したのを強く感じた。「この問題に関するわたしの報告は、レンズマン〈秘に〉編入されるべきものです」
「しかし、きみは何をしたのです?」ふたりの地球人は同時にたずねた。
「こんな拙劣な結果をどう報告したらいいか、わからないほどです」そしてナドレックは実際に身もだえした。「わたしの羞恥《しゅうち》を記録テープに残すことを許してはくれないでしょうね?」
ふたりは許すわけにいかなかったので、その旨を告げた。
「あなたがたがそうする必要があるのなら、わたしは譲歩します。わたしの計画は、オンロー人を相互に抹殺させようというものでした。これは理論的には妥当で単純でしたが、実行のほうは、はなはだしく不完全でした。わたしの仕事が非常に不手ぎわだったので、三つのドームの指揮官がひとりずつ生き残り、わたしはみずから粗雑な実力を行使して、その三人を殺さねばなりませんでした。わたしはこの仕事の仕上げの不完全さを、はなはだ遺憾に思い、それを深く謝罪します。わたしは、あなたがたがこの報告を、公表しないようにするものと信じます」パレイン人は心理的に汗を流し、まことにはずかしそうに弁解したのち、通信を切った。
ヘインズとキニスンはしばらくのあいだ、唖然として顔を見あわせていた。空港司令官が最初に沈黙を破った。
「いやはや――なんたる――ことだ!」彼はやっと、しぼりだすようにいうと、戦術タンクをびっしり満たしている無数の光点に手を振った。「大艦隊の全力をもってしてもできんことを、彼はひとりでやってのけた。しかも、まるで教室のすみに立たされるか、夕食抜きでベッドに追いやられるかするのが当然だとでもいうように、謝罪しておるのだ!」
「そうです、あれが彼のやり方です」キニスンは畏怖に打たれたようにため息をついた。「なんという頭脳だ!……なんというえらいやつだ!」
ナドレックの黒い快速艇が到着し、三面感応協議がおこなわれた。ヘインズもキニスンも、ナドレックに、その真に偉大な成果を詳細に報告するように迫ったが、ナドレックは、それについて述べることを頭からこばんだ。
「この問題は処理されました――終結したのです」彼は怒りと自責に満ちた態度で断言した。ふたりの地球人は、この柔和で科学的な怪物が、そのような態度をとろうとは思いもよらなかった。
「わたしは事実上失敗したのです。これはわたしが幼年時代以来おかした失敗のうちで、もっともみじめなものです。わたしは、この問題が二度と話題にされないように希望し、また要求します。もしあなたがたが未来のための計画をたてられるつもりなら、わたしは自分の卑小な能力を喜んで提供します――いまやわたしの能力は、自分が想像していた以上に卑小なものであることが証明されたのです――しかし、もしあなたがたがわたしの大失敗を話題にすることを主張されるなら、わたしはただちに帰郷します。これを話題にしたくないのです。この記録は永久にレンズマン〈秘〉としてください。これがわたしの最後の言葉です」
そしてそのとおりになった。ふたりの地球人が、どちらも二度とこの問題を話題にしなかったのはもちろんだが、他の多くの人々は――この物語の著者も含めて――この問題をとりあげた。しかし、それからの試みはまったく失敗におわった。オンロー陥落の真相について、くわしいことが何も知られていないというのは、恥ずべきことであり、まったく言語道断である。人類の心では、ナドレックがその記録を公開しようとしない理由を理解することはできないが、彼が公開を絶対にこばんだという事実だけは、明白にわかっているのだ。
そういうわけで、あの怪物的なオンロー人が、どのようにして相互に殺戮《さつりく》しあったか、ナドレックがどのようにしてオンロー要塞のドームの防御スクリーンを貫通《かんつう》したか、また彼がどのような方法で生き残りの三人の指揮官を攻撃したか、というようなことは、永久に公表されることはないだろう。それらの事実は、他のおそらく同様に興味深く重要な事実とともに、はなはだ叙事詩的な内容を持っているに相違ない。だから、そうした諸事件がここに記録されなかったということは、ボスコニアに対する闘争を通してもっとも重大な事件の一つであるこの出来事が、ごく大ざっぱにしか述べえなかったということとともに、まさに宇宙的犯罪というべきである。しかし、ナドレックが譲歩しないかぎり――彼がけっして譲歩しないことはあきらかだ――これが悲しむべき事実なのである。
そのあと、他のレンズマンをはじめ、提督、将軍その他の幕僚が召集された。銀河文明兵力の一部を構成する冷血の有毒気体呼吸種族が乗り組んだ数艦隊を、ただちにオンローに派遣して、要塞に要員を配置することが決定された。この決定はナドレックに影響されるところが多かった。彼は次のように主張した。
「オンローは美しい惑星であります。大気は完全で、気候は理想的です。これはわれわれパレイン系第七惑星人にとってばかりでなく、他の多くの惑星の住民にとってもそうなのです。たとえば……」といって彼は二十ばかりの惑星名をあげた。「わたし個人は戦士ではありませんが、戦士である人々もいます。そこで、好戦的性格の人々がオンローの防御装置および攻撃兵器の要員となるいっぽう、わたしは同僚の研究員とともに、あなたがた混血の酸素呼吸者がおこなっていると同種の仕事を、他の場所で続行するのがよいと思います」
この、はなはだ賢明な提案はただちに採用され、会議は散会した。選抜された支艦隊は発進した。キニスンはヘインズに会いに行った。
「閣下、つまりその……わたしの希望ですがいかが――でしょう? わたしはちょっと休暇をとってもいいころではないでしょうか?」グレー・レンズマンの顔は、渋い顔をしていた。
「それがわかればいいと思うんだがね……だがわからん」ヘインズの目も口もひどく当惑していた。「きみは休暇をとってしかるべきだ……わしはそう期待する……だが、きみも知るように、その審判者はきみだけだ」
「ええ……つまり、それを知る方法はわかっているんですが……しかし、こわいんです――彼がいけないというかと思うとこわいのです。しかし、わたしはまずクリスに会います――彼女とよく話しあってみます。車で病院へ行ってもいいですか?」
彼はフィアンセを発見するために、そう遠くまで航行する必要はなかった。彼女はライレーンを去ってのちスラールが陥落するまで、当然の経過として、病院船パスツール号の看護婦長になっていた。そして、スラールの文明化とともに、そこにあるパトロール基地病院の看護婦長に自動的に転任していたのだ。
「いいとも、キム――なんでも望みのものを、望みのときに使いたまえ」
「ありがとうございます、閣下……ところで、このごたごたも、とうとう片づいたわけですね――もしそうだとすると――閣下も銀河評議会の議長にもどらなければならないわけですね?」
「そうらしい――きみが長らく攻撃をひかえさせてきたライレーン系第八惑星を撃滅したあとでな――しかし、そのことは考えたくない。ところできみも銀河調整官キニスンにもどるわけだ」
「え、ええ」キニスンは情なさそうにいった。「宇宙神クロノに誓って、わたしはグレーの制服を脱ぐのがいやです! それに、わたしは、ふたりが結婚して本当にその仕事に腰をおちつけるまでは、脱がないつもりです」
「もちろんさ。きみはまだしばらくグレーの制服を着ることになると思う」ヘインズの口調にははっきり羨望《せんぼう》の色がこもっていた。「きみの仕事が日常的な事務になるまでには、まだまだ長くかかるだろう――その仕事が実際にどういうものになるかがわかるまでにだって、何年もかかるだろうよ」
「それもそうですね」キニスンは目に見えて快活になった。「では行ってきます、ヘインズ議長」彼は背を向けると、歯のあいだで調子はずれに――事実いくらかしゃがれた音で口笛を吹きながら出て行った。
[#改ページ]
二三 成就《じょうじゅ》
基地病院では深夜だった。スラールの四つの月のうち大きいほうの二つが、ほとんど満月で天頂に接近してかかり、星をちりばめた雲のない空から、美しい庭園を明るく照らしていた。
噴水はしぶきをあげて、音楽的な音をたてていた。まがりくねった小道に沿った茂みは、花をいっぱいに咲かせ、むせかえるほど濃厚な香気で空気を満たしていた。深夜にスラールのイバラの花の芳香を一度でもかいだことのある者は、それを二度と忘れることはできないだろう――それは野生の紫沈香花《はしどい》の刺すように甘い香りに、ジャスミンのしっとりした魅惑的な匂いと、鈴蘭の刺激的な香気とをまぜあわせたような芳香である。何エーカーにもおよぶ、短く刈りこまれた弾力性のある芝生のところどころには、つややかな白い石や、きらきら光る金属でつくられた彫像が立っていた。高くはないが幹が太く、葉をすばらしく広く濃く茂らせた木々が、見すかせない黒い影を投げていた。
「QXかい、クリス?」キニスンは庭園にはいりながら、レンズで思考を伝達した。彼女は彼が近づいていることを知っていた。「ちょっとおそいが、きみに会いたくなったんだ。でも時間をむりすることはない」
「もちろんいいわ、キム」そして彼女の発作的なくすくす笑いがわき起こった。「レッド・レンズマンでいる必要がほかにあるかしら? ちょうどいい時間だわ――あなたはこれ以上早くはこれなかったんだし、あしたではおそすぎたかも――ずっとおそすぎたわ」
ふたりは戸口で出会い、腕をおたがいのからだにまわして、無言のまま歩道をたどって行った。弾力性のある芝生を横切り、枝をひろげた木の下にあるベンチに行った。
キニスンは両腕で彼女を抱きかかえた。彼女の両腕は、彼の首にしっかりまきつけられた。ふたりがこうして立ち、婦長の白衣がレンズマンのグレーの制服に押しつけられたのは、なんと久しぶり、まったく久しぶりのことではないか!
ふたりのレンズマンには、視覚は必要ではなかった。また言葉も必要でなかった。したがって、言葉というものはあわれなほど不充分だから、この再会の歓喜を叙述するのはやめにしよう。しかしついに、
「またいっしょになれたね。もうけっして離さないぞ」と男は声高くいった。
「もしまたひき離されたら、わたくしの心臓は破れてしまうわ」クラリッサは賛成した。しかし、彼女は女性らしく事実に直面し、男をも直面させた。「すわりましょうよ、キム。そしてこの問題を解決しましょう。あなたもわかるでしよう、わたくしたちは勝手に先へ進めないわ、もし……もし……そうなのよ」
「ぼくにはそんなことはわからん」キニスンはきっぱりいった。「ぼくらは、いくらか幸福になれる権利がある。きみもぼくもね。ぼくらを永久にひき離しておくわけにはいかん――こんどこそ、ぼくらは断固としてやってのけるんだ」
「だめよ、キム」彼女は美しい顔をふりながら、やさしく否定した。「もしこのまえのとき、わたくしたちが、あのおそろしいスラール人に銀河文明を破壊するままにまかせて結婚していたら、どんなことになったでしょう」
「だが、あのときはメンターがとめたんだ」キニスンは主張した。心の底では、もしアリシア人が呼べば応答しないわけにはいかないということを知っていたが、やはり主張したのだ。「もし仕事がまだ片づいていないなら、彼は、ぼくらがここまでこないうちにとめていただろう――そう思うよ」
「と思いたい、という意味でしょう」娘は反対した。「彼は式がはじまるまで待たないだろうとあなたが思うのは――もしほんとに思うのなら――なぜなの?」
「なぜということもないさ、彼は待つかもしれない」キニスンは不機嫌に告白した。
「あなた、彼にたずねるのがこわいんじゃないの?」
「だが、仕事は片づいたにちがいないんだ!」彼は質問を避けながらいい張った。「総理大臣は――あのフォステンは――トップだったにちがいない。ボスコーンの黒幕として、アリシア人より大きな存在はあるわけがない。そんなことは考えられん! ボスコニアには、なんの軍事組織も残っていない――シガレットに火をつけるほどの熱線ビームも、花火をくいとめるほどの防御スクリーンもないんだ。われわれは彼らの記録を全部手に入れた――なにもかもだ。もうパトロールマンたちは、やつらの組織を太陽系から太陽系、惑星から惑星へと根絶して行くのに、なんの手数もかからないんだ」
「そうね」彼女は暗闇の中で彼を鋭く見つめた。「筋が通っているわ。ほんとに、はっきりしている。水晶と同じようにすきとおっているわ――でも、二倍ももろそうね。あなたがもしそんなに確信があるのなら、なぜいますぐメンターを呼んでたずねないの? わたくしはメンターに呼びかけるだけでもこわいけれど、あなたはそうじゃないはずよ。彼が何をいうかがこわいのよ」
「ぼくはこれから先、どこでどんな仕事をするにしても、そのまえにきみと結婚するつもりだ」彼は頑固に主張した。
「あなたがそういうのは、からいばりしているだけだってことはわかるけど、やっぱりうれしいわ!」彼女は彼の腕の輪の中に、いよいよ深く身をすりよせながらいった。「わたくしもそうしたいと思うわ。でも、わたくしたちにはよくわかってるのよ。もしメンターがとめたら……結婚式の祭壇のまえででも……」彼女の思考はおそくなり、緊張した。「わたくしたちはレンズマンよ、キム、あなたもわたくしも。わたくしたちは、どちらもその意味を正確に知っているわ。わたくしたちは、その責任を背負うだけの力を、なんとかしてふるい起こさなけりゃならないんだわ。いっしょに彼に呼びかけましょうよ、キム。知らないでいるのはがまんできないわ……できないわ、キム……できないのよ!」クラリッサ・マクドゥガルのような女性は、めったに涙を見せることはない――しかし、彼女は涙を見せた――にがい涙だった。
「QX、クリス」キニスンは、彼女の背と、みごとな髪を軽くたたいた。「やろう――だが、いまのうちに断っておくけれど、もし彼が『いけない』といったら、ぼくは彼に、宇宙のへりへ行って銀河系間空間へ身投げしろ、といってやるよ」
彼女は彼と心を結合させ、熱烈な、なかば責めるような調子で思考した。「わたくしもそういいたいくらいだわ、キム。でも、それはばかげたことだし、あなたもそれを知ってるわ。そんなこと、とても……」彼がアリシアの長老にふたりの結合された思考を投射したとき、彼女は思考をとぎらせて、あわただしくつづけた。
「キム、あなたが思考を伝達してね。わたくし、ただ聞いているわ。わたくし、ちぢこまって、ぶるぶる震えるほど、あのひとがこわいの!」
「QX、クリス」彼はまた答えた。そして「わたしたちがこれからしようとしていることをするのを、許していただけますか?」彼はアリシアの老賢者にきっぱりたずねた。
「ああ、キニスンとマクドゥガルだな。おまえたちは、かつては地球に属していたが、今後はクロヴィアに属するのだ」平静で少しの動揺もない思考が伝達された。「おまえたちがそろそろ連絡してくるころだと思っていた。どれほど不完全な心でも、この出来事は完全に洞察できたろう。おまえたちが思考していることは、許されるばかりでなく、いまや必要になった」そして、いつものように、ぶっきらぼうに、別れの言葉もなく、メンターは連絡を断った。
ふたりは数分間、恍惚《こうこつ》として抱擁しあっていたが、看護婦長の心に、ある種の不安が頭をもたげた。
「でも、彼は『必要になった』と思考したでしょう、キム?」彼女は述べるというより、たずねるようにいった。「あの思考の中には、どこかに不吉な意味があるんじゃない? どういうつもりだったんでしょう?」
「なんでもないさ――まったくなんでもないんだよ」キニスンは安心させるようにいった。「彼は心の中に、大宇宙の完全な映像を持っている――彼はそれを『森羅万象の映像』といっているがね――そして、その映像の中で、われわれがいま結婚することになってるのさ。ぼくがきみに、そうするつもりだといっていたとおりにね。彼は自分の映像にわずかでも一致しないことがあると、とてつもなく気になるものだから、われわれの結婚が≪必要≫だと強調したのさ。わかったかい?」
「え、ええ……まあ、わたくしうれしいわ!」彼女は叫んだ。「これで、わたくしが彼をどれほどこわがっているかわかったでしょう」そして、ふたりの思考と行動は熱狂的になった。それらが多分に個人的歓喜と満足をともなうものだったことは疑いないが、それをここでくわしく述べる必要はない。
クラリッサ・マクドゥガルは翌日、よけいな形式やお祭り騒ぎなしに退職した。つまり、彼女は、自分がそういうふうに退職したと思い、退職がなんの摩擦もなくおこなわれたのを不思議に思ったのだが、実は自分が独立レンズマンとなった瞬間に、あらゆる人工的束縛から自動的に解放されているということは、とんと気づかなかったのだ。これは、彼女にとって理解しにくいレッスンの一つだった。というより、理解しようと努めることさえこばみつづけた、唯一のレッスンだったのだ。
彼女は、ジャーヌボン陥落ののち十五分間だけパトロール隊を退職し、そのとき一万信用単位の退職金を約束されたが、それについてはなにも口にせず、また、しようともしなかった。彼女はちょっとそのことを考えたが、本当に損をしたという気はしなかった。なんとなく、金は重要なものとは思えなかった。いずれにせよ、彼女は地球の銀行にいくらかの預金――限度はあるにしても、かなりすてきな結婚衣裳を買うに充分な預金――を持っていたのだ。
彼女はレンズをはずして、それをポケットに押しこんだ。これはあまりいいものではない、と思った。かさばるし、おまけに落ちるかもしれない。そして、だれかがそれにさわれば、死んでしまうのだ。彼女はバッグを持っていなかった。事実、彼女は私服をまったく持っていなかったのだ。そこで彼女はまたレンズをつけ、そうしながらふと手をとめて、左手の中指にまばゆい光を放っている、マナルカ産の|星のしずく《スター・ドロップ》を嘆賞した。カーティフの宝石の全ストックのうちで、これがもっとも美しかったのだ。
銀行は遠くなかったので、彼女はウィンドー・ショッピングをやりながら歩いて行った。こうして職務から解放されているというのは奇妙な感じだった――しかし、悪い感じではない――銀行へ着くと、驚いたことに、銀行では彼女をよく知っていて、待ちかまえていた。これまで会ったこともない幹部職員が、彼女を丁重に迎えて、私室に案内した。
「われわれとしては、あなたがたが、なぜ自分の小切手帳を受けとりにこられなかったのか、不思議に思っていたんですよ、レンズマン・マクドゥガル」男はてきぱきといった。「ここにサインして、このプラスティックのテープをはがしてから、この区画に右手の親指を押しつけてください。そうです」彼女は活発な流れるような書体でサインし、プラスティックのテープをはぎ、親指を押しつけた。そして、パトロール駐留軍の制服と同じ青灰色の地に、自分の親指の指紋がくっきりと黒く浮きだすのに見とれていた。「これで、あなたの地球の預金は、パトロール隊の一般基金に移されるのです。さあ、これにサインと指紋を押して、複写を四通つくってください――ありがとう。これがあなたの小切手帳です。この切取りページがなくなったら、どこのどの銀行やパトロール・ステーションででも、別のを受けとれます。あなたにお目にかかれてほんとに愉快でしたよ、レンズマン・マクドゥガル。スラールにいらしたら、いつでもおたち寄りください」男は彼女を導きいれたときと同様に、きびきびと送り出した。
クラリッサは、ちょっと目まいを感じた。彼女が銀行へ行ったのは、自分の全財産である二百信用単位を受けとるためだった。しかし、自分の預金を受けとる代わりに、それをあっさりパトロール隊にひき渡してしまった――そして何をもらったのか? 彼女は小さい帳面を開いてみた。青白色の切り抜きページが百枚ある。紙幣より小さいくらいの紙片だ。ちょっとした印刷、記入のための二本線、数字を記入する余白、サインの余白、そして、プラスティックのテープを張りつけた指紋用の長方形区画。それだけだ――しかし、このそれだけは、たいへんなことだ! 彼女は知っていた。このどの一枚でも、彼女がひきだしたいだけの預金、または買いたいだけの品物の価値を、文句なしに持っているのだ。どんなものでも――まったくどんなものでも! 半信用単位のストッキングから、五十万信用単位以上の宇宙船にいたるまで。どんなものでも! そう思うと、彼女は浮き浮きした心がちぢみあがり、買物をしたいという情熱が消えてしまった。
「キム、わたくし、こまるわ!」彼女はレンズを通じて訴えた。「わたくし自身のお金をくれて、好きなように使わせてくれたほうがいいのに」
「待ちたまえクリス――すぐ行くよ」彼はすぐに行かなかった――しかし、それほどおくれもしなかった。「きみはほしいだけ金が使えるんだ――金額を書きこんで渡しさえすればいいんだよ」
「わかってるわ。でもわたくし、自分のお金がほしいの。こんなものをくださいって頼んだんじゃないわ!」
「そんなこといっちゃいけないよ、クリス――きみはレンズマンになったら、そのやり方にしたがわなければならない。それに、もしきみがこれからの一生を、ばかばかしいことに金を使って過ごしたとしても、パトロール隊は、きみがライレーン系第二惑星でやってのけたことに対して、きみに依然として負債を負っているんだ。どこから買物をはじめるかね?」
「ブレンリーアの店にするわ」彼女はなかば納得したのちにきめた。「あそこは一番大きな店じゃないけど、いい品物を公正な値段で売るのよ」
店では、すぐふたりのレンズマンに気づいて、店主のブレンリーア自身がサービスした。
「衣裳よ」娘は簡潔にいって、店内にぐるっと手を振ってみせた。「白の制服以外の全部の衣裳よ」
ふたりは個室へ案内されたが、マネキンたちがさまざまの衣裳をつけてあらわれはじめると、キニスンはもじもじした。
「ここはぼくにはむかん」彼は断言した。「あとで会おう、クリス。どのくらいかかるかね――三十分かそこらかい?」
「三十分ですって?」看護婦長はくすくす笑った。そして、
「お客さまはきょうから一週間、ほとんどの時間こちらでお過ごしになります」店主はおごそかに告げた――そして、まさにそのとおりだった。
「まあ、キム、わたくしとっても楽しいわ!」二、三日して、彼女は興奮したように告げた。
「でも、パトロール隊のお金をどれだけ使っているかと思うと、気になって」
「それは≪きみ≫だけの考えさ」
「あら! それはどういう意味なの?」彼女はたずねたが、彼は語ろうとしなかった。
しかし彼女は、衣裳を選択し、組みあわせ、デザインし、からだにあわせる長い仕事がすんだあとで、その理由を知った。
「あなたは、わたくしがまともな服を着ているのを、一度しか見たことがないわ。そして、あのときは、わたくしをろくに見もしなかったわ。こんどはおまけに、美容院ですっかりおめかししてきたのよ」彼女は挑発的にポーズした。「わたくしが気にいって、キム?」
「気にいったかだって!」男はほとんどものもいえなかった。彼女は色のさめた綾《あや》織り綿布のズボンと、つぎのあたったシャツを着ていてさえ、宇宙に大騒ぎをひき起こすほどきれいだった。制服姿の彼女は、麻薬シオナイトの夢にあらわれる幻影のように魅惑的だった。ところがいまや――彼女の好きなダーク・グリーンに統一された衣裳をつけた姿は、後光を放つほど美しかった……「何もいえないよ、クリス。思考でも表現できない。ちぢこまって働かなくなっちまったんだ。ぼくにいえるのは、宇宙最高ってことだけさ……」
そして――そのあと――ふたりはブレンリーアに会った。
「わたくしは、お客さまがたいへんな恩恵をほどこしてくださったと申しあげたいのです」ブレンリーアは、娘が差しだした青白色の小切手帳の余白を満たそうともせずに、ためらいがちにいった。「もしこれらの品物の代金をお支払いくださる代わりに、この証書の上に日付けと、『わたくしの秋向き衣裳をはじめ大部分の衣裳は、スラールのブレンリーアでつくりました』という言葉をお書きくだされば……」彼の言葉は、期待をこめるようにとぎれた。
「まあ……わたくし、そんなこと考えてもみなかったわ……正しいことだと思って、キム」
「きみは、この店が値段にふさわしいものを売るといった。だから、いけないわけはないと思う……ぼくらに何もはらわせようとしない店も多かったんだ……」それからブレンリーアに向かって、「彼女がそんな人気者だとは、考えたこともなかったよ――きみはその証明書を、四フィート四方くらいの金とプラチナの額にいれて、麗々《れいれい》しく展示しようっていうんだろう」
ブレンリーアはうなずいた。「まずそんなところです。もしご承知くだされば、これは、てまえのような立場の者にとって、またとない幸運でございます」
「いけないとは思わないな」キニスンはまたいった。「クリス、きみは彼にその幸運を与えてもいいだろう。まずかったのは、きみのサインと指紋の価値を考えずに、ここでこんな多くの買物をしたということだ」
彼女は証明書を書き、ふたりは外へ出た。
「あなたのいう意味は、わたくしがとても……とても……」
「有名だというのかい? 悪名が高いというのかい?」彼が言葉をおぎなった。
「え、ええ。そんな意味の言葉よ」彼女の輝かしい目に、おびえたような影が走った。
「それだけじゃなく、まだある。きみが一軒の店であんなに買いこむとどういうことになるかという点に、ぼくは気がつかなかった。だが、その事実は、惑星牽引器のような牽引力を持っているんだ。ぼくたちふつうのレンズマンの場合もかなりひどい――ぼくらが発行する小切手の半分は現金化されることがないほどだ――だが、きみのはまったくユニークだ。最初の婦人レンズマン――唯一のレッド・レンズマン――それも、なんというレンズマンだ! いやはや! ぼくの考えるところでは、もしきみがサインした小切手が現金化されることがあるとすれば、その一枚は百枚分の値うちが出るよ。きみも知ってるように、収集家というやつは、銀河文明はじまって以来――いや、たぶんそれよりまえから――存在しているからね」
「でも、そんなこといやだわ!」彼女は腹立たしげにいった。
「だからといって、事実は事実である」彼は哲学者めかして、まぜ返した。「出発の用意はいいかい? ドーントレス号が待っているそうだ」
「いいわ、わたくしの持物はもう積みこんであるの」そして間《ま》もなくふたりは、クロヴィアへ向かった。
航行は無事だった。そして、彼らが変形された惑星へ到着するまえでさえ、その惑星が北極から南極まで、ふたりの到着を歓迎しているということがはっきりわかった。彼らの船は、さまざまのタイプと大きさの宇宙船の群れに迎えられた。それらは、にぎやかで目ざましい歓迎隊形を形成していた。宇宙空港にひしめいている群衆は、ドーントレス号の猛烈な着陸噴射の範囲外にくいとめられないほどだった。ふたりのレンズマンが船から出ると、この惑星の全ブラスバンドの半ばを集めたかと思われる大ブラスバンドが、『われらのパトロール隊』をいっせいに演奏しはじめた。ふたりが乗った地上車も、車がゆっくり進んで行く道路も、濃青色の花でいちめんに飾られていた。
「イバラの花だわ!」クラリッサは息づまるような声でいった。「スラールのイバラの花よ、キム――どうしてここに?」
「この花はここでもスラールと同じように育つんだ。きみがこの花を好きだと知って、宇宙船で輸入してくれたのさ」そしてキニスン自身も、熱い塊りをのみくだした。
クロヴィアでの短期間の滞在は、まったく熱狂的だった。公式、非公式のパーティー、舞踊会、そしてテレビ・ニュースのためにポーズをとることが、少なくとも日に十回くらいあった。レセプションでは、一千もの惑星から集まった名士や高官が出席し、色とりどりの制服、ローブ、ガウンなどは、太陽のスペクトルをあざむくほどきらびやかだった。
また、何万という惑星から集まってきたレンズマンたちは、銀河調整官キニスンと旧交をあたため、花嫁レンズマンを自分たちの仲間に加えたことを祝福した。もちろん、地球からは、もっとも多くのレンズマンが、もっとも意気ごんでやってきたが、その他の惑星もそれほど劣りはしなかった。マナルカ、ヴェランシア、チクラドリア、アラスカン、ヴァンデマールなどの惑星、カノプス、ヴェガ、アンタレスなどの各太陽系に属する惑星、その他、銀河系のいたるところからレンズマンがやってきた。人類も、人類に近いものも、非人類も、怪物的生物もいた。冷血のレンズマンさえ多数、短時間ながら姿をあらわしたが、彼らの冷却器がはげしく作動するおかげで、その絶縁された宇宙服の周囲数ヤードの空気が冷えあがった。これらさまざまの生物はすべて、共通の目的、共通の意図でやってきたのだった――すなわち、地球のキニスンの結婚を祝し、彼のレンズマン配偶者に、宇宙の全幸福を祈るためだ。
キニスンは、彼らが自分を称賛する熱烈さに驚かされた。彼らがクラリッサを、彼らの仲間として受けいれる率直さと熱心さに驚かされた。彼は、自分が彼女をレンズマンにして、先例を破ったことについて、えこひいきとして自分を責めるレンズマンもいるのではないかと心配していたのだ。彼は憎悪や悪意を心配していた。男性の誇りがふみにじられたということで、性的対立が起こるのではないかと心配していた。しかし、もしそうした感情が存在していたとしても、彼があらゆる知覚力を働かせてさえ、それらを感じとることはできなかった。
それどころか、人類レンズマンは、文字どおり彼女のまわりに押しよせて祝福した。どんなパーティーも、どこでなんのためにもよおされようと、彼女を欠いては完全ではなかった。彼女につきまとう取りまき護衛の男性が十人以下に減ったときは、ほとんどなかった。彼らのおかげで、彼女はへとへとにさせられ、靴がすりへるまでおどらされ、げんなりするまでごちそうされ、眠ることもできず、金魚ほどのプライバシーしか与えられなかった――しかし、彼女はそうした喧騒《けんそう》一秒一秒を心から愛した。
彼女は、だいぶまえにヘインズとレーシーにいったように、盛大な結婚式をのぞんでいたが、この式はすでに常軌を逸し、一分ごとに大規模になっていった。式を教会であげるという案は、とっくの昔に放棄《ほうき》されていた。ところがいまや、クロヴィア最大の練兵場でさえ、遠くから集まってきた名士や高官はいうにおよばず、レンズマンの半数をさえ収容できないということがわかった。そこで、スタジアムでなければならないということになった。
しかし、その巨大な建物でさえ、充分の人を収容できなかったので、スピーカーや映像プレートが、宇宙空港の柵のところまで配置された。そして、本人はどちらも知らなかったが、この結婚は一般大衆の関心を非常にあおりたてたので、宇宙テレビ・ニュースでは、式の実況を銀河文明の全惑星に中継する番組を組んでいた。そういうわけで、この結婚式のもようを見聞した生物の数はおよそ、いや、その数はあまりとほうもないから、ここでくり返すのはやめよう。
しかし、式はけっして見世物めいたものではなかった。家族や教会や寺院でこれまでにもよおされたどんな式も、これほどおごそかなものはなかった。なぜなら、五十万のレンズマンが厳粛を旨《むね》として行動する以上、そうなるのは当然なのだ。
巨大なスタジアム全体は花々で飾られた――これほど多くの花を提供するためには、一つの州の花がすっかり切りとられてしまったにちがいないと思われるほどだった――そして、シダと白いリボンがいたるところに飾られた。一台の巨大なオルガンがすえられ、新郎新婦の行列が通路をくだってくるとともに、勝利のメロディを高らかに鳴らしはじめ、新郎新婦が白い綿でおおわれた階段をのぼって、花輪でびっしりおおわれた野天の小さな教会堂の中で、レンズマン従軍牧師と向きあったときには、音をひそめて軽快な伴奏に移った。牧師は両手を差しのべた。パトロールマンと看護婦の集団が直立不動の姿勢をとった。
「愛する者よ……」古式にのっとった誦句――短く単純だが、きわめて荘重なもの――はすぐすんだ。そしてキニスンが妻にキスすると、五十万のレンズマンたちは、手を差しのべて、沈黙の祝賀をおこなった。
新郎新婦は、レンズが両側に輝く通路を抜けて、宇宙空港の閉鎖され護衛された門に到着した。空港にはドーントレス号――超大型「ヨット」――が待っている。キニスン夫妻はこれに乗って、はるか離れた地球へハネムーンに出発するのだ。門が開いた。ふたりは、空港司令官と軍医総監につきそわれて、車にのりこんだ。車は戦艦へ向けて走り出した。それと同時に、群集はおさえつけていた感情を爆発させて、長い喝采《かっさい》を送った。
新婚のふたりが渡り板をのぼりはじめたとき、キニスンはふりむいて、ヘインズに向かってレンズで思考を投射した。
「閣下はライレーン系第八惑星を攻撃したがって、うずうずしておいででしたね――申しあげるのを忘れていました――どうぞ発進して片づけてください!」
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著者あとがき
銀河パトロール隊の歴史を綴ったわたくしにとって、身にあまる賛辞を受けることは本意ではない。多数の人間や異生物のみごとな協力なくしては、現在の形のものよりも、はるかに価値なく、また重要性を欠くものとなったにちがいないことを、ここでお断りしておきたいのである。
いうまでもなく、まず第一に、多数のレンズマンが協力してくれた。ただ、パレイン系第七惑星のナドレックに、オンロー陥落《かんらく》の記録を公開するなり、あるいは、他の業績について詳述《しょうじゅつ》するように説得できなかったことは、まことに遺憾《いかん》であった。
しかし、キニスンの同僚であるヴェランシアのウォーゼルとリゲル系第四惑星のトレゴンシーは、すばらしい協力ぶりを示して、従来、公表されることのなかった、きわめて有益な材料を本人との直接の対談の際に、あたえてくれた。優雅《ゆうが》で気品のあるレッド・レンズマンもまた、多大の援助を惜しまなかった。
ジェイムス・R・エンライト博士は豊富かつ巧妙《こうみょう》に、実際に起きたにちがいない諸事件とその後の結果を推理してくれた。もし博士の推論がなかったならば、こうした事件は、かならずや世に出ることなく埋《う》もれたはずである。著者は≪精神≫に関する≪ドクター・ジム≫の深遠な知識に負うところが大であることを、ここに感謝したい。
|銀河の放浪者《ギャラクティック・ローマー》といわれる剛胆《ごうたん》なスーペース・マンたちも、すくなからず貢献《こうけん》してくれた。すなわち彼らの主任通信将校エヴァレット・エヴァンス、F・エドウイン・カウンツ、ポール・リービー・ジュニア、アルフレッド・アシュリーなどで、数人の名前を挙げるにとどめるが、彼らは資料の選択、整理、公開を助けてくれた。
優秀な女性鑑定家ベルナ・トレストレイルはロナバールの宝石に関する知識によってだけでなくイロナ・ポッターに関する多くの事柄の解釈についても知恵を貸してくれた。そうしたことを現在のイロナ・ヘンダスンは――特徴的なことだが――語らないだろう。
右に述べたかたがた、ならびに、これに近い援助をしてくれた他の多くのかたに、著者は深甚なる感謝を捧げるものである。
エドワード・E・スミス