レンズマン・シリーズ2
グレー・レンズマン
E・E・スミス/小西宏訳
目 次
まえがき
一 第一の手がかり
二 往復精神感応
三 |結びの神《デウス・エクス・マキナ》
四 惑星メドン
五 麻薬業者《ズウィルニク》デッサ・デスプレーンズ
六 乱闘
七 待ちぶせ
八 猫鷲
九 アイヒとアリシア人
一〇 |負の球体《ネガスフィア》
一一 |追いはぎ《ハイ・ジャッカー》
一二 隕石坑夫ワイルド・ビル・ウィリアムス
一三 麻薬一味《ズウィルニク》の会合
一四 アイヒとデルゴン貴族
一五 デルゴン貴族
一六 超宇宙へ
一七 |超空間チューブ《ハイパー・スペイシアル》を通過して
一八 娯楽場クラウン・オン・シールド
一九 プレリンの破滅
二〇 災厄《さいやく》
二一 切断
二二 再生
二三 絶滅
二四 アイヒ族の滅亡
二五 独立から従属へ
E・E・スミスについて
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登場人物
キムボール・キニスン……地球人、本編の主人公、グレー・レンズマン
ヘインズ……地球人、銀河パトロール最高基地司令官
フォン・ホーヘンドルフ……地球人、レンズマン候補生学校長
レーシー……地球人、銀河パトロール基地軍医総監
クラリッサ・マクドゥガル……地球人、銀河パトロール基地の美人看護婦長
ヘンリー・ヘンダスン……地球人、銀河パトロール隊員、チーフ・パイロット
ラ・ベルヌ・ソーンダイク……地球人、銀河パトロール隊員、技師長
バン・バスカーク……オランダ系バレリア人、パトロール隊員
ウォーゼル……ヴェランシア人、ドラゴンに似た有翼の爬虫異生物、レンズマン
トレゴンシー……リゲル人、ドラム缶状の異生物、レンズマン
メンター(導師)……アリシア人、キニスンの師
アイヒラン……アイヒ族、宇宙海賊ボスコーンの首席
アイヒミル……アイヒ族、宇宙海賊ボスコーンの副首席
グラディス・フォレスター……地球人、億万長者の娘、アボンドリン公爵夫人
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用語解説
[ビーム Beam] エネルギーを光に変えて集束したもの。攻撃用としては敵の物体を固定させる牽引《トラクター》ビーム、溶解性熱線を放射する大型から半携帯式デラメーター、携帯用の光線銃《レイ・ガン》まで、さまざまの形式がある。物体に穴をあける針光《ニードル》線もその一種。また通信用電波としても使用する。
[スクリーン Screen] 遮蔽膜《しゃへいまく》。強力なエネルギーを持つ磁場を展開して、敵のミサイルや攻撃ビームを防ぐ防御兵器。|防 御 壁《ウォール・シールド》(Wall-Shield)、|障 壁《バリヤー》(Barrier)などもこれと同工異曲のもので、小は人間や物体から、大は一つの惑星全体を包んで遮蔽効果を発揮する。
[宇宙船エネルギー Cosmic-energy] 太陽系から太陽系へ一瞬のうちに航行する超光速宇宙船の推進動力として開発されたもので、感受器《リセプター》で受け、変換器《コンバーター》を経て|蓄 積 器《アキュムレーター》に貯えられる。蓄積器は電気の場合のバッテリーに相当し、各種のビーム、スクリーンなどのエネルギー源にも使用する。原子力や化学燃料とちがって補給は無制限と考えられる。
[「自由」航法 Free, Inertialess drive] 惑星間飛行には、種々の方法があるが、これもその一つ。慣性を中立化し無慣性(無重力)状態を作り出して航行する。宇宙船を動かす大型ドライブと個人の身につけるドライブとがあり、有重力と無重力飛行を適宜切りかえて使用する。
[エーテル、サブ・エーテル Ether, Sub-Ether] 宇宙空間。サブ・エーテルは亜空間と訳される。これはアインシュタインの相対性原理にもとづく概念で、宇宙空間にある歪みを利用して通信ないし航行することにより、数百光年の距離を瞬時にしてカバーする。
[パーセク Parsec] 天体の距離を示す単位で視差が一秒になる距離。三二五九光年にあたる。
[ダイン Dyne] 力の絶対単位。質量一グラムの物体に作用して、一秒につき一センチの加速度を生じる力。
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グレー・レンズマン
まえがき
二十億年ほど前、二つの銀河系がすれちがって合体《がったい》し、それまでほんの一握りしか惑星がなかったところに、無数の惑星が発生した。そのとき、二種族の生物は、すでに古くから存在していた。数千万年の記録された歴史を持っていたほど古かった。どちらも非常に古かったので、生活の場である惑星が偶然《ぐうぜん》に変形されたことからくる影響を自力で脱出した。どちらもそれぞれ独自《どくじ》の方法で、環境に対する制御《せいぎょ》手段を獲得した。アリシア人は知力のみによって、またエッドール人は知力と機械力とを用いることによって。
アリシア人は、このわれわれにおなじみの時空の連続に固有の生物だった。彼らは、想像を絶する大昔から、その中で生活してきた。そして、本来のアリシア星は、質量、組成、大きさ、大気、気候などの点で非常に地球に似ていた。そういうわけで、この宇宙全体には、アリシア人の生命の因子《いんし》がまき散らされ、その結果、地球に似たすべての惑星の上に、多少とも初期のアリシア人に似かよった生物の種族が発生した。もちろん、地球人以外は人類《ホモ・サピエンス》ではなく、人属《ジーナス・ホモ》に分類される生物さえほとんどいなかったが、何千万という惑星の上には、≪ひと≫という大きな部類に属すると、かすかながらも認められるような種族が住んでいた。
いっぽう、エッドール人は外来者だった――侵入者だった。彼らは、われわれの時空体系に固有の存在ではなく、どこかほかの、きわめて異質な時空体系からやってきたのだった。事実、彼らは大|永劫《えいごう》の昔から宇宙の森羅万象を探検し、自分たちの惑星を時空体系から時空体系へ移動しながらさがし求めていくうちに、ついに求めるものを発見したのである――その時空体系は多数の惑星をふくみ、知的生物がただちに住むに適しているという点で、エッドール人の征服欲をさえ満足させるものだった。彼らは、われわれのこの時空体系に腰をおちつけ、それを支配しようと望んだのだ。
しかし、アリシア人の中でももっともすぐれた思索家である長老たちは、すでにはるか昔からエッドール人を知って、彼らを研究していた。彼らは宇宙の森羅万象を総合的に洞察《どうさつ》することによって、これから起こるべきことを見抜いた。アリシア人同様、エッドール人も、いかなる物理的手段によっても殺すことはできなかった。また、アリシア人の知力をもってしても、助けを借りずに、すべての侵入者を殺すことはできなかった。エッドールの至高者と側近者たちは、超強力|遮蔽城塞《しゃへいじょうさい》のかげにひそんでいるので、きわめて巨大な知的|衝撃《しょうげき》によってしか破壊できないものだった。この知力を発生する者は後に銀河パトロール隊として二つの銀河系にあまねく知られるようになったのだが、この組織を建設するためには、アリシア人の長い一生をいくつか重ねるほどの年数を要したのである。
その建設は容易ではなかった。エッドール人には、有効な対策をたてるのがまにあわないようになるまで、アリシアについても、その未来の協力者についても気づかせないようにしなければならなかった。また、知能が第三段階以下の生物には、たとえパトロール隊員でも――というより、パトロール隊員にはとくにか?――真相を知らされなかった。なぜなら、それを知ったために劣等感がひきおこされ、その結果、この組織から所期の能力が失われる危険があったからだ。
それにもかかわらず、アリシア人は建設にとりかかった。第一銀河系のもっとも有望な四つの惑星――われわれの地球つまり太陽《ソル》系第三惑星、ヴェランシア星、リゲル系第四惑星およびパレイン系第七惑星――の上で、知的生物が発生しはじめるやいなや、各種族がその潜在的《せんざいてき》能力を持つ最高の知性に到達するように、養成計画が開始された。
われわれの地球では、二つの血統が選ばれた。なぜなら、人間には二つのセックスしかなかったからだ。一つは直径の男系血統で、その子孫はつねにキニスンまたはその同義語で呼ばれた。幾多の文明が興隆し、そして没落した。アリシア人はそれらをそっとひかえめに援助し、エッドール人は、それらが自分たちに望ましくない形に発達するやいなや、冷酷《れいこく》に打ち倒した。悪疫、戦争、飢餓、虐殺、災害などがおそいかかり、人類の総人口は再三、減少したが、キニスンの名をになった直系の男系血統の子孫は絶えなかった。
もう一つの血統は、あるときは女性になり、あるときは男性になったが、アリシア人の計画では、女性において最高潮に達するはずだった。この血統も同様に持続性があり、その多数の世代を通じて、特異な赤銅色の髪と、同様に特異な黄金色をおびた褐色の目とできわだっていた。アトランティス大陸は陥没《かんぼつ》したが、フリジェス船長の赤毛で目の黄色い子どもは北部マヤに送られて生き延びた。また赤毛の剣闘士パトロクルスは、斬り倒される前に、赤毛の娘をもうけた。このようにして血統はつづいていった。
第一次、第二次および第三次の世界大戦は、アリシア人やエッドール人の時間を標準にすれば、ほんの一瞬にしかすぎなかったから、彼らの永遠につづくゲームの中では、単なる一小事件だった。しかしこの小事件は重要な意味を持っていた。なぜなら、この直後、エッドール人のガーレーンはある失策をおかしたからだ。彼はアリシア人についても、また彼らが人類の知能水準を高めるために努力してきたことについても何も知らなかったので、大戦によって地球が完全に破壊されるのを見て、これならば地球の年にして何千年かのあいだは放置しておいてもよかろうと考え、他の惑星、すなわちリゲル系第四惑星、パレイン系第七惑星、ヴェランシア系第二惑星、デルゴン星などへ移動してしまったのである。そしてデルゴンでは、自分が養成している生物であるデルゴン人貴族の発達が満足すべきでないということを知った。彼はそこで多少の時間を費やしたが、そのあいだに地球人はアリシア人にほとんど公然と援助されて、原子力戦争の災害からめざましく復興し、社会組織についても科学技術についても、驚くべき進歩をなしとげた。
バージル・サムスは、赤褐色の髪と黄金色の目を持った十字軍的戦士で、アリシア人のレンズの最初の着用者になったのだが、社会全体の堕落を契機として、真に効果的な警察力の組織にとりかかった。やがて、惑星間飛行時代の到来とともに、彼は惑星間連盟の成立に力をつくした。彼は三惑星連盟軍の長として、ネビア人との短期間の戦争に指導的な役割をはたした。ネビア人というのは高度に知的な両棲種族で、同位鉄を原子力源(*)として使用していた。
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*(原注)この点に関するくわしい説明は「三惑星連合軍」を参照されたい。なお、この作品には、無慣性――すなわち「自由」――宇宙推進、ネビア戦争、アリシア人メンターとエッドール人ガーレーンとの知力対知力の出会いなどもふくまれている。
[#ここで字下げ終わり]
エッドールのガーレーンは、グレー・ロージャーとして太陽系へもどってきた。彼は、宇宙に災厄をもたらす、謎めいた、ほとんど不死の存在であったが、その彼も、自分のあらゆる行動が妨害されるのに気づいただけだった――妨害は非常に強力で完全であり、彼はコンウェー・コスティガンおよびクトオ・マースデンというふたりの平凡な人間を殺すことさえできなかった。このふたりは何か非凡な存在であるように信じるむきもあったが、じつは見かけどおりの平凡な人間にすぎなかった。彼らはどちらも、自分がだれかに保護されているなどとはまったく気づかなかったが、じつはガーレーンの妨害はアリシア人の結合体なのだった――四重の知性で、後に銀河パトロール隊のあらゆるレンズマンにアリシアのメンターとして知られるようになった存在である。
無慣性推進の技術が開発された結果、恒星間航行に何世代も要するかわりに数分ですむようになったが、それとともに犯罪が激増し、犯人の捜査が非常に困難になって、法律の力はほとんど完全に地に落ちた。それについては、サムスが次のように述べている。
「殺人または海賊行為をおかした人間が、宇宙船を奪って、その犯罪が発見される前に何百光年もかなたに逃亡してしまえるとすれば、どうして法律が有効に作用しえようか――それどころか、まったく無効なのだ。われわれパトロール隊のことなどまったく知らず、言語も通じない――たぶんなんの言語も持たない――未知の世界で犯人を発見したとしても、現地の警察官が――もしいたとしても――どこにいるのかを知るまでに何カ月もかかるようでは、地球の法律になんの効力があるだろうか?」
また、正当な資格のある警察官を確認するについても、越えがたい障害があった。三惑星連盟の最高の科学者たちは、偽造《ぎぞう》できないようなバッジをつくろうとして、最善をつくした――あの歴史的な黄金|隕石《いんせき》で、これに手を触れると、触れた者の意識に、言葉にあらわしえない一種の信号が伝達《でんたつ》されるのだ――しかし、この最善の策でさえも不充分だった。自然科学によって考案され合成されたものは、自然科学によって分析され複製されうるのだ。そして、その分析と複製によって非常な混乱が生じたのである。
三惑星連盟には、何か、その黄金隕石よりはるかにすぐれたものが必要だった。事実、もっとすぐれた確認バッジがないかぎり、この連盟が恒星間組織に発展することは不可能だった。いつどこででもパトロールマンを確認する何かが必要だった。それは複製や模造が不可能なものでなければならなかった。事実、それは欺瞞《ぎまん》をたくらむ者に苦痛にみちた死をもたらすものでなければならなかった。それ自体、精神感応器《テレパス》として作用するか、またはそれを着用した者に精神感応力を与えるものでなければならなかった――さもなければ、どうして地球人がリゲル人のように話すことも見ることも聞くこともできない相手と会話をかわすことができるだろうか?
太陽系評議員バージル・サムスと彼の長年の友である公安委員のロデリック・キニスンとは、ともにこれらのことを知っていた。しかし、彼らにはまた、この要求がいかに法外《ほうがい》で、そのような装置がいかに不可能であるかということもわかっていた。
しかし、また、アリシアが助けの手をさしのべてくれた。隕石の問題を委任《いにん》された科学者ネルス・バーゲンホルム博士は――もっとも近い協力者にさえ知られていなかったが、彼はじつはさまざまなときに、さまざまなアリシア人によってエネルギーを与えられた肉体の持ち主だった――サムスとキニスンに次のように報告した。
(1)現在の自然科学では、求められているようなものを製造することはできないし、将来もできないだろう。(2)人間に知られているかぎりのどんな記号表現法や言語でも説明はできないが、自然科学では分析も模造もできないような実体を製造しうる精神科学がある――あるにちがいない。バージル・サムスがみずからアリシアへ行けば、求めているとおりのものを手に入れることができるだろう。
「アリシアだって! いったいなぜアリシアへ行けというのだ?」キニスンはたずねた。「どうやって行けばいいのだ? あのいまわしい惑星には、だれも接近できないということを知らんのか?」
「わたしは、アリシア人がそうした科学に非常に精通しているということを知っています。また、サムス評議員がアリシアへ行けば、必要な確認バッジが手にはいるということも知っています。ほかの方法では、そうしたものを手にいれられないということも知っています。どのようにしてそれらのことを知ったのかということになると――わたしにもわかりませんが――わたしはとにかく知っているのです。そうなのです!」
バーゲンホルムは、狂気に紙ひとえの天才であるということばかりでなく、無気味なほど正確な「予感」を持っているということでも有名だったので、現代文明のふたりの指導者は彼をそれ以上問いつめるまでもなく、ただちに従来接近を許されなかった惑星におもむいた。ふたりは――あきらかに――歓迎され、アリシアのメンターからレンズを授けられた。そのレンズは、バーゲンホルムが指摘したとおりのもの、いや、それ以上のものであることが判明した。
レンズは、何十万という結晶体からなるレンズ状の物体で、個々のレンズマンの生命力――自我または性格――に適応するように調整されていた。厳密にいえば、それは生命を持っているわけではなかったが、一種の擬似《ぎじ》生命を与えられていて、それと同調している生物の知能と連結しているかぎり、特異に変化する強力で多彩な光を放射する。いっぽう、それの所有者以外のだれかによって着用されると、それは暗黒の状態にとどまっているばかりでなく、その着用者を殺してしまう――その擬似生命は、それと同調しない生命に対して、それほどはげしく反発するのである。それは驚くべき能力と有効範囲を持った精神感応的通信器でもあった――そしてまた、その他の作用をも持っていた。
サムスは地球にもどると、レンズマンにふさわしい能力を持った人間を見いだして、それをアリシアへ派遣する仕事にとりかかった。最初に派遣されたのは、キニスンの息子ジャック、彼の友人メースン・ノースロップ、コンウェー・コスティガンおよびサムスの娘バージリアだった――彼女は、父の髪と目の色を遺伝していたばかりでなく、当時のもっとも熟練した読筋術者でもあった。青年たちはレンズをもらったが、バージリアはもらわなかった。彼女の感覚には、メンターが身長七フィートの女性と感じられたが、そのメンターは彼女に向かって、おまえは現在も今後もレンズは必要でない、といった――つでにいっておくべきことだが、メンターに面会した者は、みんなそれぞれにちがった姿を見ている。
フレデリック・ロードブッシュ、ライマン・クリーブランド、バーゲンホルムの息子、そしてふたりのパトロール准将――北アメリカのクレートンとヨーロッパのシュバイケルト――それだけで地球のレンズマン資源はほとんどつきてしまった。太陽系の他の惑星もそう成績がよくなく、三人のレンズマンが生まれただけだった――火星のノボス、金星のダル・ナルテン、木星のルラリオンである。レンズマンの素材はきわめて乏しいのだった。
サムスは、自分が計画している銀河評議会が、もっぱらレンズマンだけで構成されねばならないということを知っていた。それはまた、できるだけ多数の太陽系を代表すべきものだった。そこで彼は、人類が移住していたさまざまの太陽系を訪問した後、さらにリゲル系第四惑星を訪問し、そこで探検家のドロンバイアに会ったが、これはレンズマン的素質の持ち主だった。次に冥王星に行ってデクシトロボーパーのピリニクシに会ったが、これはまったくレンズマンの素質がなかった。最後の極寒のパレイン系第七惑星を訪れてタリックに会ったが、この男は将来アリシアへ行くことになるかもしれなかった――ならないかもしれなかった。バージル・サムスは肉体的には頑健で、精神的には真の十字軍的戦士だったから、こうしたさまざまの試練を耐え抜いたのである。
あらたに組織された銀河パトロール隊の存在は、しばらくのあいだ、はなはだあやうかった。恒星間宇宙航路会社の社長アーチボールド・アイザークスンは、恒星間貿易の独占をはかり、はじめは買収を試みたが、それから上院議員モーガンとボス・タウン一派の力を借りて、サムスの暗殺をくわだてた。しかし、他のレンズマンたちと娘のバージリア・サムスとが彼の生命を救い、そのあとキニスンが彼を地球でもっとも安全な場所に移した――そこは、丘の下の地下深くにある堅固に防御《ぼうぎょ》された強力な兵器を備えた要塞で、三惑星連盟軍の総司令部として建設されたものだった。
しかし最初のレンズマンは、そこにいてさえ攻撃された。こんどの敵は、戦闘隊形を整えた宇宙艦隊だった。だが、そのときはすでに銀河パトロール隊自体の艦隊があったので、レンズマンはまたしても勝利を得た。
最後の決定的な対決は、必然的に政治的対決になることがわかっていたので、パトロール隊は宇宙党を支持して、当時、政権を握っていた国民党の腐敗《ふはい》的犯罪的行為について、詳細《しょうさい》な証拠書類を集めはじめた。ロデリック(通称「頑固屋《ロッド・ザ・ロック》」)・キニスンは、北アメリカの大統領に立候補して、現職のウィザースプーンと対立し、上院議員モーガンおよびタウン、アイザークスン一派と乱闘的な政戦を演じた後、ついに大統領に選ばれた。
そしてモーガンは殺害された――不満なギャングたちの仕事と考えられたが、じつは――銀河パトロール隊の打倒に失敗したというただそれだけの理由で――彼のボスであるカロニア人に殺されたのだった。このカロニア人はまたエッドール人の手先だった。
北アメリカは、地球上でもっとも強力な大陸だった。地球は惑星仲間の母であり指導者でありボスだった。したがって、北アメリカの宇宙党政府の後援のもとに、銀河評議会と、その手足である銀河パトロール隊とは、すみやかな発展をとげた。R・K・キニスンは大統領の任期をおえると、パトロール隊の空港司令官の任務にもどったが、そのときは百の惑星が銀河文明に加盟していた。十年後には二千の惑星が、百年後には百万の惑星が加盟していた。銀河文明の長い歴史を通じて、ひとたび銀河文明に加盟することを決定した惑星は、二度とそこから離脱したことがなかったが、この事実を見れば、銀河評議会の規制が、ゆるやかではあるが効果的なものであるということが充分にわかるのである。
時は過ぎていった。あの二つの長い血統はアリシアのメンターに注意ぶかく保護されながら、絶頂に近づいてきた。キムボール・キニスンはクラスの首席として卒業した――彼自身は知らなかったが、事実上、彼は同世代を通じての首席なのだった。そして彼の女性の対立者であり補足者であるクラリッサ・マクドゥガルは、赤銅色の髪と黄金色をおびた黄褐色の目の持ち主でナ、パトロール隊の最高基地の大病院で看護婦として働いていた。
キニスンは卒業後まもなく最高基地の空港司令官ヘインズに呼ばれた。当時、宇宙海賊は組織的な勢力に発展し、「ボスコーン」と呼ばれる人または物の指導のもとに、銀河パトロール隊そのものをさえ深刻《しんこく》におびやかすほどになっていた。ボスコニアは、ある点でパトロール隊をしのいでいた。その科学者たちは、銀河系文明に知られているかぎりのどんな動力よりもはるかに強力な動力源を開発していた。ボスコニアは新型の優秀な戦艦を保有していて、それに対しては、護衛された輸送船でさえ安全ではなかった。それらの戦艦はパトロール隊のもっとも速い巡洋艦より速く、しかも、もっとも大型の戦艦よりも重武装だったから、事実上わがもの顔に宇宙空間をのし歩いていた。
パトロール隊の技師たちは、ある特別の目的のために、一隻の宇宙船を設計し建造した――ブリタニア号である。この船は宇宙空間でもっとも快速だったが、攻撃兵器としては「Q砲」を持っているだけだった。キニスンはこの船の指揮をゆだねられ、次のような命令を受けた。(1)最新型のボスコーン戦艦を捕捉すること。(2)その動力の秘密をさぐること。(3)その情報を最高基地に通報すること。
彼はそのような戦艦を発見して捕捉した。軍曹ピーター・バン・バスカークは、戦艦同士の戦闘で生き残った海賊たちを一掃するために、バレリア人の突撃隊をひきいて海賊船に乗りこんだ――このバレリア人は人類の子孫ではあったが、バレリア星の巨大な重力の結果、けたはずれの体躯《たいく》と力と敏捷《びんしょう》さをそなえていた。
ブリタニア号の科学者たちは求めていたデータを確保した。しかし、それは最高基地へ通信で伝達することができなかった。海賊があらゆる通信回路を妨害していたからだ。ボスコーンの戦艦は獲物にとどめを刺そうと集結しつつあったが、傷ついたパトロール船は逃げることも戦うこともかなわなかった。そこで、それまでに起こったことを完全に記録したテープが各乗組員に渡された。そして、からっぽの宇宙船が宇宙空間で予想外のコースを描くように任意コースにのせ、爆弾を敵の熱線《ビーム》が接触した瞬間に爆発するように装置した後、パトロールマンたちはふたりずつ一組になって、救命艇に分乗した。
ブリタニア号は気まぐれなコースをとって飛びまわったあげく、キニスンとバン・バスカークが乗り組んだ救命艇の付近にやってきたが、そこで海賊船がブリタニア号を捕捉しようとした。つづいて起こった爆発は非常にすさまじいもので、攻撃中の船の一隻は無慣性状態に移行して避けるいとまもなく、そのとび散った破片の衝撃を受けて、乗組員全部が行動不能に陥った。ふたりのパトロールマンは海賊船に乗りこみ、それを地球に向けて推進させながら、ボスコーンの海賊船に行く手をさえぎられる前に、ヴェランシア星系に接近した。そしてまた救命艇に乗って惑星デルゴンに着陸した。ふたりはそこで怪物キャトラットの群れに襲われたが、高度に知的な有翼|爬虫人《はちゅうじん》ウォーゼル――後にレンズマンになって、ヴェランシアのウォーゼルと呼ばれる――によって救われた。
三人は、ヴェランシア人が発明した思考波スクリーンを改良することによって、デルゴンの貴族の一集団を撃滅した。このサディスティックな怪物種族は、その太陽系の他の種族を、まったく知力のみでしいたげていたのだった。それからウォーゼルはふたりに同行してヴェランシアに行った。ボスコーンの船が攻撃してくることが予想されたので、それを防御するために、この惑星の総力が結集された。パトロールマンが分乗した他の救命艇も、ウォーゼルの心がキニスンの自我《じが》とレンズを通じて行なった呼びかけにみちびかれて、ヴェランシアに到着した。
キニスンは「ボスコーンを代表して命令」しているヘルマスからの通信を傍受《ぼうじゅ》してその通信ビームを追跡し、ボスコーンの総基地を通過する第一の線を発見した。海賊船はヴェランシアを攻撃したが、六隻の戦艦が捕獲されてしまった。パトロールマンたちはヴェランシア人の乗組員とともにこれら六隻の船に乗り組み、ふたたび最高基地のある地球へ向かった。
そのうちに、キニスンの船では、無慣性飛行を可能ならしめる発生器バーゲンホルムが故障したので、修理のために惑星トレンコへ着陸しなければならなかった。トレンコはビリヤード・ボールのようになめらかな惑星で、毎夜四十七フィート五インチの雨が降り、時速八〇〇マイルの風が吹いていた――このトレンコこそは、あらゆる麻薬のうちでもっとも危険な麻薬シオナイトの産地だった――このはげしい電荷《でんか》をふくんだ大気は、ビームや視覚を非常にゆがめるので、視覚や聴覚のかわりに特殊な知覚力を持ったリゲル人のような生物だけが警備できるのだった!
リゲル系第四惑星のレンズマン、トレゴンシーは、そのときトレンコの浮遊するパトロール基地を指揮していたが、キニスンに新しいバーゲンホルムを提供してくれた。そこでキニスンはまた地球へ向けて出発した。
いっぽう、ヘルマスは、これらすべての事故の原因が、ある特定のレンズマンによるらしいということ、そしてレンズはあらゆるボスコーン人にとって完全な謎であるが、なんらかの意味でアリシアと関係があるらしいということを推定した。この惑星はつねにすべての宇宙人から恐れられ、避けられてきた。ボスコーンの海賊たちも、これまでその惑星に接近した経験のある者は、死刑に処するとおどされてさえ、二度とそこへ接近しようとしなかったくらいである。
ヘルマスはかつて、プルーアと呼ばれるある高度の惑星からきた生物に思考波スクリーンをもらっていたので、それを用いれば安全だと考え、レンズの秘密をさぐるべく、単身アリシアへおもむいた。彼はそこであやうく気がちがいかけるほどの罰を受けたが、正気で総基地へ帰還することを許された。そのときアリシア人は次のような警告を与えた。「おまえを許すのは、おまえ自身のためではなく、おまえが対立している若い文明に試練を与えるためなのだ」
キニスンはきわめて重要なデータを持って最高基地に到着した。パトロール隊は「空飛ぶ鉄槌《てっつい》」と呼ばれる超強力戦艦を建造して、ボスコニアに対し一時優位に立ったが、やがて手づまりがきた。キニスンはヘルマスの総基地をつきとめる行動計画をたて、空港司令官ヘインズに面会して、それを推進する許可を求めた。しかし、ヘインズはその許可を与えるかわりに、キニスンが≪任務解除≫になったということを告げた。彼は独立レンズマンになったのだ――独立レンズマンは、グレーの単純な皮の制服を着るので、一般には「グレー・レンズマン」と呼ばれている。こうして、彼はパトロール隊最高の名誉をかちえた。なぜなら、グレー・レンズマンは、どんな監督や指示にもしたがわずに行動できるからだ。彼は可能なかぎり自由なパトロール隊員になったのだ。彼は自己の良心以外の何ものにも責任を負う必要がなかった。彼はもはや地球だけのものでもなく、太陽系だけのものでもなく、銀河文明全体のものだった。彼はもはやパトロール隊という巨大な機械の中の一個のねじではなかった。彼がどこへ行こうとも、彼自体がパトロール隊なのだ!
キニスンはボスコーンの総基地を通過する第二の線を求めているうちに、アルデバラン系第一惑星上の海賊基地を偵察《ていさつ》した。しかし、そこの要員は人間に近い形態でさえない車輪人間で、知覚力を持っていた。その結果、キニスンは何事もなしとげないうちに発見され、重傷を負った。彼はどうにか快速艇にもどり、空港司令官ヘインズにあてて思考波を伝達した。ヘインズは彼を救助するために宇宙船を急派した。基地病院では、軍医総監レーシーが彼を手術し、長い回復期間中は、看護婦クラリッサ・マクドゥガルが、彼のわがままに手を焼きながら付き添った。そして、レーシーとヘインズとは、看護婦とレンズマンとのあいだにロマンスを促進させることを黙契した。
キニスンは退院するやいなや、高等訓練を受けることを望んでアリシアへ出かけた――これはそれまでだれも考えなかった試みだった。彼が仰天したことには、アリシア人は彼がまさにそのような訓練を受けるためにもどってくるだろうということを期待していたのだった。彼は高等訓練を受けて、ほとんど死ぬような目にあったが、その試練に耐えぬいて、それまでだれも所有したことのないような強い精神の持ち主となった。そのうえ、新しい感覚を獲得した――いくらか視覚に似た知覚力だが、それよりもはるかに強力で、しかも光に依存《いぞん》しないものだった。
彼は惑星ラデリックスで迷宮《めいきゅう》入りの殺人事件を解決して、自分の新しい知的能力を実験したのち、ボイッシア系第二惑星上の敵基地に侵入することに成功した。ここで彼は通信士官の心を制御《せいぎょ》して、ボスコニアの総基地を通過するもっとも重要な第二の線を獲得する機会を待った。そのうちに、一隻の海賊船がパトロール隊の病院船を捕獲して、それをボイッシア基地へ連行してきた。マクドゥガル看護婦は捕獲された病院船の看護婦長を務めていたが、キニスンの指示のもとに、海賊たちのあいだに内輪《うちわ》もめを起こさせ、それはやがて反乱に発展した。ヘルマスは総基地からこの事件に干渉したので、キニスンは第二の線を突きとめることができた。
病院船は、レンズマンの探知波中立器のおかげで探知をまぬかれながらも、ボイッシア系第二惑星から脱出して、全速力で地球へ向かった。ヘルマスがボスコーン自体だと確信していたキニスンは二本の線の交点――つまり海賊の総基地――が、銀河系の外側の星団AC二五七―四七三六上にあることを発見した。アルデバラン系第一惑星上にある車輪人間の基地を最初に攻撃したときはまんまと失敗したのだったが、彼はふたたびそこを襲って、こんどはみごとに破壊した。そしてただちにヘルマスの総司令部を偵察に出かけた。彼はその総基地がパトロール隊のいかなる集中攻撃にも耐えられるほど堅固なことを知った。しかも、その要員はすべて思考波スクリーンを身につけていた。彼の知覚力はふいに切断された――海賊が惑星全体に思考波スクリーンをめぐらしていたのだった。彼はパトロール隊の最高基地にひき返したが、その途中考えたのは、あの強大な要塞を陥落させるには内側から穴をあける以外に方法がない、ということだった。
キニスンと空港司令官ヘインズとの協議によって、行動開始予定時間が定められた。その時刻の到来とともに、パトロール隊の大艦隊はあらゆる熱線《ビーム》放射器を動員して、ヘルマスの基地に攻撃を加えることになっていた。
キニスンは計画にしたがって、ふたたびトレンコを訪れた。そこでは、パトロール部隊が彼のために、五〇キログラムのシオナイトを製造した。この有害な麻薬は、百万分の一グラムでも吸入すれば、その人間がもっとも熱望していることが完全に達成《たっせい》されたと同様な満足を与えるのだった。服用量が増すにつれて、その満足感はいっそう強まるが、ごくわずかでも許容量を越えると、恍惚感《こうこつかん》にひたりながら死んでしまうのだ。キニスンは、トレンコからヘルマスの基地のある惑星におもむき、一匹の犬の遮蔽されてない脳を通じて働きかけて、中央ドームに侵入《しんにゅう》した。行動開始時刻直前、彼はシオナイトを換気装置《かんきそうち》の導管《どうかん》に投じ、すべての海賊要員を一掃したが、ヘルマスだけは内部密室にこもっていて、なんの影響も受けなかった。
パトロール隊の大艦隊は攻撃を開始したが、ヘルマスは密室にこもったまま、自分の基地を救おうとさえしなかった。そこでキニスンは、ヘルマスを倒すために密室へはいって行かなければならなかった。ヘルマスの内部密室の空中には、謎めいた球体エネルギーが輝いていた。レンズマンは、それが何かを理解できなかったので、非常に警戒していた。
しかし、キニスンが着ている新式の超重量宇宙服は、ヘルマスの四重に防御された内部要塞を攻撃するという、まさにその仕事のために設計されたものだった。そこで、グレー・レンズマンは侵入していった。
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一 第一の手がかり
そこは星団AC二五七―四七三六からはるかに隔《へだ》たった、ある惑星である。その惑星の全表面をおおった軍事施設の中に、ヘルマス自身の基地に非常によく似た一つの要塞がいかめしくうずくまっていた。事実、その要塞はボスコーンを代表して命令する者の基地よりも、いろいろな点でまさってさえいた。それはより大きく、より強力だった。一つではなく多数のドームを持っていた。おまけに、それは陰惨《いんさん》で冷厳《れいげん》だった。なぜなら、そこの要員は、高度の知性を持っていることを除けば、人類とほとんどなんの共通性もなかったからだ。
それらのドームの一つの中央には、キニスンの心をひどくなやましたあの球体のエネルギーと同じような球体が数個、特異な輝きを放っていた。そしてそれらの近くに、多数の触手を持った、形容を絶するような生物が、ゆったりとうずくまっていた。それはタコにも似ていなかった。からだじゅうにとげとげがあったが、ナマコにもまるで似ていなかった。からだにはうろこがあり、歯と翼を持っていたが、トカゲにも海ヘビにも、ハゲタカにもごくわずかしか似ていなかった。もちろん、このような否定的描写は、はなはだ不充分なものであるが、残念ながら、それがせいいっぱいなのである。
この生物の全関心は、球体の一つの内部に集中されていた。その隠微《いんび》な機構は、ヘルマスの総基地で起こっているすべてのことを、ヘルマスの球体からこの生物の知覚へありありと伝達しているのだった。死体が散乱したドームがはっきり見えた。パトロール隊が外側から攻撃していることもわかっていた。あの神出鬼没《しんしゅつきぼつ》のレンズマンが、すでに総基地の要員を全滅させて、いまや内部から攻撃を加えようとしていることもわかっていた。
「きみは大きな誤りをおかした」生物は球体に向かって冷酷に無感動に思考を伝達していた。
「レンズマンはサブ・エーテル探知波中立器を完成していたにもかかわらず、きみは基地を救うのが手おくれになるまでそれに気づかなかった。きみはわしにも過失があると主張しているが、その主張には賛成できない。これはきみの問題で、わしのではなかった。わしは他に留意《りゅうい》すべき問題をかかえていたし、今でもかかえている。きみの基地はもちろん陥落した。きみ自身が生きのびられるか否《いな》かは、まったくきみの防御設備の適不適にかかっているのだ」
「しかし、アイヒラン、あなたは自分でこれが適当だといったではありませんか!」
「待ちたまえ――わしは、適当と思われるといったのだ」
「もしわたしが生きのびたら――というより、このレンズマンを撃滅したら――あなたの次の命令はなんです?」
「もっとも近い通信者に連絡して、われわれの兵力を動員せよ。そのなかばは、このパトロール艦隊と交戦せしめ、残余は太陽系第三惑星を一掃せしめよ。わしはこれらの命令を直接には伝達しようとしなかった。なぜなら、あらゆる通信ビームはきみの制御盤《せいぎょばん》に集約されているからだ。またたとえわしが彼らと連絡できたとしても、その銀河系の指揮官はだれも、わしがボスコーンを代表して通信していることを知らないのだ。それらの処置をおえたならば、わしに報告せよ」
「命令受領そして了解。ヘルマスより通信終了」
「制御装置を指示どおりに設定せよ。わしは観測し記録する。注意せよ、レンズマンが攻撃してくる。アイヒランより、ボスコーンを代表して通信。通信終了」
レンズマンは突進した。彼が海賊のスクリーンに衝突するまもなく、彼自身の防御スクリーンは、半携帯式放射器のビームで白熱し、その閃光《せんこう》をとおして、高性能機関銃の金属弾が貫通してきた。しかし、レンズマンのスクリーンはほとんど戦艦のそれのようで、宇宙服もまたそれ相当に堅固だった。彼は自分の前進をむかえ撃っているビーム放射器にほとんど劣らぬほど強力な放射器を携帯していた。そこでキニスンは、わめきたてる機関銃と炎を吐く放射器との向こうにある、思考遮蔽されたヘルメット内の頭に、自己のあらたに強化された知力のありったけを集中して、わき目もふらずに前進をつづけた。
パトロールマンはヘルマスの思考スクリーンに注意していたので、それがかすかにゆるんで一つの思考がにじみだし、あの奇妙な球体エネルギーに向けられたとき、たちまちそれに対処することができた。彼はその思考が一定の形をとりはじめるまえにそれをはげしく妨害し、スクリーンを痛烈に攻撃したので、ボスコーン人はスクリーンをとっさに密封《みっぷう》したが、さもなければたちどころに死んでしまっただろう。
キニスンはもはやその球体エネルギーを恐れなかった。彼にはまだその正体がわからなかったが、たとえ、いかなる性質のものだろうと、思考によって操作され制御されることはわかった。だから、それは現在も無害だし、これからも無害だろう。なぜなら、もし海賊の首領が思考を放射できるほどスクリーンをゆるめれば、キニスンの知力で相手の思考を制御してしまうことができるからだ。
レンズマンは頑強にじりじり接近して行った。磁力定着装置が定着した。鋼鉄《こうてつ》におおわれた二つの姿は格闘しながら、狂暴な自動ライフルの火線の中へごろごろころがって行った。キニスンの宇宙服は、もっとはげしい射撃にも耐えるように設計されテストされていたので、この火線に耐えることができた。そして彼は、この金属のあらしを無事にくぐり抜けた。しかし、ヘルマスの宇宙服は、ふつうの宇宙服よりはるかに堅固だったが、耐えることができなかった。こうして、ボスコーン人は死んだ。
パトロールマンは推進器を噴射《ふんしゃ》させて立ちあがると、内部ドームを横断して制御盤の前に立ったが、一瞬、まごついたように立ちどまった。彼は巨大な外部ドームの防御スクリーンを制御するスイッチを切ることができなかったのだ! 彼の宇宙服は最高の防御力を目標に設計されていたので、ふつう宇宙服にはつきものの、デリケートな外部機構を備えることができなかった。現在、このような情況下でこの一人用タンクを抜け出すことは、思いもよらなかった。しかも時間はいまにも切れようとしていた。行動開始時刻まで、あと十五秒しかない。時刻の到来《とうらい》と同時に、銀河パトロール隊の大艦隊のあらゆる兵器が、このドームのスクリーンに向かって、強烈きわまる破壊力をそそぎかけるのだ。そのゼロ・アワーのあとでスクリーンをゆるめることは、彼自身が即座《そくざ》に不可避《ふかひ》的に死ぬことを意味していた。
しかし、彼は制御装置の回路を切断することができた――ボスコーンの施設を保存することなどはまったく不必要だった。彼は自分の放射器をさっとかまえて、ビームを目の前の制御盤の列にそそぎかけた。絶縁体がいっせいに炎をあげ、爆発しながら瞬間的に分解した。銅や銀はまばゆい流れとなって融け去り、あるいは閃光《せんこう》を発する蒸気の雲となって蒸発した。閃光をあげてのたうちまわる母線のあいだでは、高圧の放電アークが交錯《こうさく》した。続発するショートで線が焼け切れ、ヒューズがとんだ。あらゆる回路が切断され、ボスコーンのあらゆる防御スクリーンが開放された。そのときはじめて、キニスンは同志と通信をかわすことができた。
「ヘインズ閣下!」彼はレンズに向けて明確に思考を伝達した。「キニスンより送信」
「ヘインズ了解!」ただちに一つの思考が応答した。「おめでと――」
「待ってください! まだ仕事はすんでいません! 艦隊のすべての艦船を、ただちに無慣性状態に移行させてください。そして、閣下の船以外の全船に、スクリーンを完全に張らせるのです。この基地を敵に観察されないためです――つまり、敵がここへ思考波を伝達できないようにするのです」
短い時間が過ぎた。「処置終了!」
「それ以上接近してはいけません――ぼくのほうから閣下の船へ向かっているところです。個人的に申しあげるのですが――ぼくは空港司令官に命令をくだしているように見られたくありません。しかし、これから二、三分のあいだ、閣下がぼくに注意を集中して、他のことを考えずにいてくださるのが、きわめて必要だと思うのです」
「よろしい! わしはきみから命令をくだされることを気にせんよ」
「QX《オーケー》――それでいくらか仕事がやりやすくなります」キニスンは、自分以外はだれも基地の中へ思考を伝達できないような処置をとり、自分自身もそこへ思考を向けないようにした。彼はあの好奇心をそそる謎の球体に思考を伝達しないようにした。完全に準備ができるまでは、それに思考を向けることはおろか、それについて考えることさえしないようにした。彼のこの処置は非常に有益だったのだが、その事実を充分に理解した者が何人いたろうか? それを効果的にやってのけるためには、高度な知的訓練が必要だったのだが、その事実を充分に理解した人が何人いたろうか?
「ガンマ・ゼータ追跡光線をいくつ展開できますか、閣下?」キニスンはさっきより、くつろいだ口調でたずねた。
短い協議があってから、応答がきた。
「常用の装置は十基だが、予備のも調整すれば、六十は展開できる」
「この惑星から直径の二倍の距離の宇宙空間に、四十八の追跡場を展開すれば、百パーセントの重複で惑星を包囲できるでしょう。それだけの追跡場をそのように展開してください。他の十二基のうち、三基は第一の圏の充分外側に――そう、直径の四倍の距離のところに――この惑星からランドマーク星雲に向かう線をカバーするようにして展開してください。残りの九基は、同じ線を中心にして、約半デテット――小数点第一位まで読めるかぎり正確に――展開するのです。これらの後衛追跡場はそれほど重複する必要はありません――接触するだけで充分です。もちろん、ぼくがそこへ到着するまで、一つも解除しないでください。そして、みんなが処置をとっているあいだに、閣下は有重力状態に移行してください――もう安全です――そうすれば、ぼくは閣下の固有速度に同調して乗船することができます」
宇宙空間で有重力の物体が他の有重力物体に接近するに必要な処置がとられ、キニスンのとほうもない宇宙服は磁力定着装置のついた宇宙|索《さく》の作用で船の出入口の気密境界《エア・ロック》に引きこまれた。外部のドアがとざされ、内部のドアが開いて、レンズマンは旗艦《きかん》の内部にはいった。
まず兵器室に行って、小さな戦艦のような宇宙服から這《は》いだし、その保存について指示を与えた。それから、制御室に向かったが、途中思いきって背のびしたり身をかがめたりした。狭くて不自由な宇宙服の中に長いこと閉じこめられていたので、そこから解放されたことは大いにありがたかった。彼はシャワーを浴びたくてたまらなかった――事実、その必要もあった――しかし、仕事が先だった。
その制御室の中の要員で、キニスンが個人的に知っているのはふたりしかいなかった。しかし、彼らのほうはみんな彼を知っていて、グレーの制服をつけた背の高い姿がはいって行くと、たちまち大きな喝采《かっさい》が起こった。
「やあ、諸君――ありがとう」キニスンは制御室全体に手をふって挨拶《あいさつ》した。「やあ、空港司令官閣下! やあ、校長閣下!」彼はヘインズとフォン・ホーヘンドルフにお座なりの敬礼をし、さりげなく挨拶した。まるで、十週間前ではなく、つい一時間前に別れたとでもいうようだった。その十週間、彼ははげしい活動のうちに過ごしたのだったが、まるできわめて無為《むい》に過ごしたかのようにけろりとしていた。
フォン・ホーヘンドルフ老校長は、かつての生徒に心から挨拶した。
「挨拶はぬきにしよう!」ヘインズはさえぎってたずねた。「きみはどんなことをしたのだ? どんなふうにやったのだ? この大げさな処置はなんのためだ? すっかり話してくれ――つまり、許されるかぎり、という意味だが」彼は急いでつけ加えた。
「もう秘密にする必要がない、とは思えません」そしてグレー・レンズマンは、それまでに起こったことを思考波によって述べはじめた。
「そういうわけですから」と彼は結論をくだした。「わたしにも実際は何もわからないのです。これはみんな仮定であり疑惑であり、推定にすぎません。ことによると、何も起こらないかもしれません。その場合は、こうした予防処置はむだ骨折りになるでしょうが、だからといって、われわれになんの毒も与えますまい。しかし、何かが起こった場合は――何かが起こることは確かです――われわれにはその備えができているわけです」
「しかし、もしきみが疑いはじめていることが事実とすれば、ボスコニアは銀河系間的な規模《きぼ》を持っていることになる――パトロール隊よりもっと大規模なのだ!」
「そうかもしれませんが、そうともかぎりません――彼らは銀河系宇宙の外側に基地を持っているということだけのことかもしれません。それに、わたしはごく細い証拠の糸をたよりに論じているのだということをお忘れなく。あのスクリーンは非常に強固で、わたしは外部ビームに――もしそれがあったとしても――まったく触《ふ》れることができませんでした。わたしはあっちこっちで思考の一部をとらえただけでした。しかし、その思考が意味していたのは『あの』銀河系であり、ただの『銀河系』でもなくて、『この』銀河系でもありませんでした――もしその思考の主《ぬし》がすでにこの銀河系に属しているのなら、どうしてそんなふうに考えるでしょう?」
「だが、だれもまだ――いや、それはあとまわしにしよう――要員はきみの指揮を待っている。引き継ぎたまえ!」
「QX《オーケー》。まずもう一度無重力状態に移行する。このままでいても重大な危険があるとは思わないが、大事をとったほうがいい。スクリーンを切れ。ガンマ・ゼータ追跡器要員は追跡場を展開せよ。そして、もしビームによる穿孔《せんこう》か衝撃があれば、その位置を測定せよ。記録員は走査器の出力を五万まで増大せよ。QX?」
「QX!」観測員や記録員はいっせいに応答した。グレー・レンズマンは制御盤についた。
彼の心はそれまで長いこと厳重に活動を禁じられていたが、いまやついに解放されてドームに下降し、それを通過して、中央に静止している、あの謎めいた球体エネルギーの中に透入《とうにゅう》した。
ほとんど同時にその反応が起こった。きわめて急激だったので、通常の心ではまったく何も理解できなかった。キニスンの意識でさえ、混沌とぼやけた印象を記録できただけだった。しかし、彼はあるものを見た。その百万分の一秒ほどの瞬間に、ある強力で邪悪な知力を感じた。その知力は、奇妙《きみょう》に複雑《ふくざつ》な方式で組み合わされている多重式走査器とサブ・エーテル、ストレス・フィールドを操作している。
キニスンが疑ったように、果然、その球体は強力な機関だった。予想どおりそれは通信装置だったが、また単なる通信装置よりはるかに強大な力を持っていた。ふつうならそれはまったく無害だったが、ある一定の符号論理にしたがっていない思考波の振動を受けると、恐るべき破壊装置に変ずるように設定することができた。そしてヘルマスはそのように設定しておいたのである。
したがって、それはキニスンの思考波が接触すると同時に爆発し、それに負荷《ふか》されていた想像もおよばぬほどの力を瞬間的に解放した。そればかりか、それは爆発受信器に同調された波動を送り、戦略的に配置された多重のデュオデカプリラトメートを爆発させた。「デュオデック」とは原子力爆弾の精髄《せいずい》である!
「地獄めが――鐘を――鳴らしおる!」空港司令官ヘインズは度肝を抜かれてつぶやいたが、たちまち口をつぐんで、目を探知盤にすえた。なぜなら、人間の目には、ドームも要塞も惑星も、すさまじい白熱的な炎の球の中に消えうせてしまったからだ。
しかし、銀河パトロール隊の観測員たちは、視覚だけに依存しているのではなかった。彼らの走査器は超高速度で作用していた。艦隊の宇宙船が一隻も危険にさらされなかったことが判明するや、キニスンは、すぐビデオ・テープを視覚タンクの中へふつうのテンポで通過させるように命じた。
事件の経過が肉眼ではっきり見わけられる程度のテンポで再現されると、ふたりの老レンズマンとひとりの若いレンズマンとは、起こったことの三次元的|映像《えいぞう》を念入りに研究した。それらの映像は、運命のきわまった施設の付近やその内部の映写点から撮影されたものだった。
まず、球体エネルギーが徐々に破裂し、それにすぐつづいて、第二次の爆発中心が各所で破裂した。それらはいずれも魔法のようにふくれあがって、目もくらむような光の球体になった。まだ破片はとばなかった。デュオデックが爆発した最初の数瞬は、有重力の破片がとぶことはありえない。なぜなら、デュオデックの爆発は光の速度でひろがるから、爆弾の全質量は一兆分のいくつというような瞬間に分解するのである。その爆発の圧力と温度は、間接にしかはかられたことがない。Qタイプの螺旋状《らせんじょう》をなした純粋エネルギー以外には、それに耐えられるものがないからだ。しかもそれらの螺旋状エネルギーでさえ、両端が開放されていて、太陽の中心部でのみ得られるような圧力と熱に耐えるように設計されたパワーをあたえられていなければならないのだ。
もしシリウスB星の地殻の物質を五万メートル・トンばかり取り出して二十五の包みに分け、それを総基地の戦略拠点に一つずつ置いて、すべての抑制を同時に除いたとしたら、どんなことが起こるだろうか? 想像できるものなら、想像してみたまえ。ところで、このときどんなことが起こっただろうか? どんなことが起こりつつあっただろうか?
すでに述べたように、はじめの数瞬は、どんどん拡大していく爆発の球体以外は何も動かなかった。何物も動くことはできないのだった――もう手おくれになるまで、物質の慣性自体がそれをその場にひきとめていたのだ――それらの爆心部に近い物体はすべて、もくもくと拡がる白熱光となって炎上し、そうでなくてさえ地獄的《じごくてき》な光景を、いっそうすさまじいものにした。
爆発の球体が拡大するにつれて、温度と圧力は減少し、拡大の速度はいくらかゆるんだ。物体は、もう単純に消滅することはなかった。そのかわり、壁板や梁《はり》はもちろん、巨大な構造材までがねじ曲げられ、崩れおちた。壁は外方や上方に吹きとばされた。角《かど》の融《と》けた金属や石の破片が、四方八方に散乱しはじめた。
しかも、このとほうもない爆発の力は、上方にばかり向かっていたのでもなく、また主として上方に向かっていたのでもなかった。下方への効果は、いっそう破壊的だった。なぜなら、下方の状態は、いわゆる不可抗力と不動の物体との出会いに近いものだったからだ。惑星自体は事実上不動であり、デュオデックはそれと同程度に不可抗的だった。その結果、惑星全体が瞬時に分裂した。巨大なひびがふかぶかと通り、重力が瞬間的に負けて、とほうもない割れめが口をあけはじめた。やがて圧力が減ずるにつれて、惑星の中心部の溶融《ようゆう》物質が火山の溶岩のように流れ出した。重力はふたたび主権を回復した。割れめや裂けめは閉じ、火のように燃える溶岩や金属を多量に押し出した。全惑星が宇宙的な≪おこり≫をわずらっているように身ぶるいし振動した。
爆発はエネルギーを使いはたした。白熱したガスや蒸気は冷却した。水蒸気は液化した。火山灰は姿を消した。惑星は依然としてそこにあったが、形は変化していた――いとわしくおぞましく変化していた。かつて総基地があった場所には、人間によって建造された何かがそこにあったということを示す痕跡《こんせき》はまったく残っていなかった。山脈はならされ、谷は埋められていた。大陸や大洋は位置を変え、いまだに目に見えて変化しつつあった。地震、火山爆発、その他の地震性混乱は、減少するどころか、一分ごとに激化した。
ヘルマスの惑星はこれから何年にもわたって、不毛で生物の住めない世界になったのだ。
「ううむ!」ヘインズは無意識のうちに息をつめていたが、大きく吐き出すようにため息をついた。「これは避けがたい明白な事実だ。わしはあの基地を利用するつもりだったが、どうやら、あれなしですまさなければならんらしい」
キニスンはそれには答えないで、ガンマ・ゼータ追跡器の観測員をふりむいた。
「何か痕跡はあったかね?」
三つの追跡場《フィールド》に反応があったということがわかった。単なる痕跡や閃光ではなく、強固で緊密なビームの存在を示す明確な穿孔《せんこう》だった。しかも、それらの三つの穿孔は同じ線上にあった。まっすぐに銀河系間空間に通じる線である。
キニスンはその線を念入りに調べてから、身動きもせずに立ちつくした。足を踏み開き、両手をポケットにつっこみ、頭をいくらかさげ、目を遠くにすえたまま、知力を集中しながら、じっと立っていた。
「三つ質問があるのだが」やがてレンズマン学校の老校長が彼の思考《しこう》をさまたげてたずねた。
「ヘルマスはボスコーンだったのか? そうでなかったのか? われわれはやつをやっつけたのか、そうでないのか? あの十八の宇宙要塞を一掃することはもちろんだが、そのほか次になすべきことはなんなのか?」
「その三つの質問に対するお答えは、いずれも『わたしにはわかりません』です」キニスンの顔はきびしくひきしまった。「あなたがたはすべての問題について、わたしが知っていると同程度に知っていらっしゃるのです――わたしは疑問に思っていることさえ隠さずにお話ししました。以前にも、わたしはヘルマスがボスコーンであると断定はしませんでした。わたしがいったのは、わたし自身もふくめて、事態を判断すべき立場にある者はすべて、一般に、証明できない問題について確信できる程度で、その点を確信できる、ということでした。ところで、この通信路線の存在と、わたしが閣下に申しあげたその他の事実とから判断すれば、彼はボスコーンではなかったということになります。しかし、われわれには前にもわかっていなかったと同様、現在もわかっていません。前にはヘルマスがボスコーンであるということが確実でなかったと同様、現在はヘルマスがボスコーンでないということが確実でないのです。第二の質問は第一の質問と関連しており、第三の質問も同様です――ところで、あと片づけがはじまったようです」
フォン・ホーヘンドルフとキニスンが話しているあいだに、ヘインズは命令を発した。大艦隊は大ざっぱに十八組に分かれ、十八の前進要塞を思い思いに包囲した。しかし、パトロール軍が驚いたことに、これらの巨大な怪物どもを破壊することは、けっして容易な仕事ではなかった。
ボスコーンたちは、ヘルマスの総基地の崩壊を目撃していた。マスター・プレート作用を停止してしまった。彼らはどうもがいても、自分たちに命令を与えてくれる上司や、自分たちの苦境を訴えるべき相手と連絡をとることができなかった。また、逃げることもできなかった。パトロール艦隊のもっとも足の遅い戦艦でも、彼らが乗り組んでいる空中要塞に五分間で追いついてしまうだろう。
降服することは思いもよらなかった――パトロール隊の死刑室におめおめ投げこまれるよりは、宇宙戦闘の熱線地獄の中でいさぎよく死ぬほうがずっとましだった。赦免《しゃめん》や単なる禁固刑を受けられる可能性はなかったし、あるはずもなかった。なぜなら、ボスコニアと銀河文明との闘争は、かつて小さな緑の地球上でしばしばくり返された、基本的には同種で友好的な国家同士の戦争とは、まったく共通点がなかったのだ。それは二つの対立的な、相互に排斥《はいせき》し合う、絶対に矛盾《むじゅん》した文化のあいだで全銀河的な規模で行なわれている死ぬか生きるかの闘争だった。それは、どちらかが死ぬまで戦われる決闘であって、助命は求められもせず、与えられもしなかった。この闘争では、キニスン自身がたくみに切り抜けた唯一《ゆいいつ》の例外を除けば、容赦《ようしゃ》のない完全な絶滅あるのみであり、またそうならざるをえないのだった。
したがって、海賊たちは死なねばならなかった。しかし、彼らはわれわれの考え方からすればはなはだ奇怪な生活方法を信奉《しんぽう》してはいたが、けっして臆病者ではなかった。彼らは追いつめられたネズミのようにはふるまわず、いかにも彼ららしく戦った。つまり、勇敢ではあったが、圧倒的優勢な敵に包囲され、逃げることも作戦区域を選択することもできないとわかったので、このにくむべき銀河文明の手先どもをできるだけ多く死出の道づれにしようと決意したのである。そういうわけで、ボスコーンの技師たちは、すてばちの微笑を浮かべながら、とほうもなく強力な攻撃兵器をかまえ、防御スクリーンを展開し、宇宙空間に停止したまま、避けがたい集中攻撃を冷静に待っていた。
パトロール隊の重巡洋艦は断固として空中要塞に接近した。これらの船は攻撃力はほとんど持っていなかったが、超強力な牽引《けんいん》ビーム放射器と圧迫ビーム放射器を積んでいるばかりでなく、どんなビームでも――理論的には――貫くことができないような防御スクリーンを展開することができた。これらの巡洋艦は、ボスコニアのもっとも強力な戦艦と何度となく交戦したが、そのスクリーンを破壊されたことは一度もなかった。彼らの任務は、敵を固定することにあった。衆知のように、宇宙空間で無慣性状態にあって自由に移動できる物体にたいし、なんらかの害を加えることは、ふつうの条件下では不可能だからである。攻撃兵器が非物質的なビームだろうと物質だろうと、それが接触した瞬間、その物体は突きとばされてしまうのだ。
以前なら、目標物を固定して攻撃可能にするためには、二本か三本の牽引ビームでこと足りたが、ヴェランシア人が牽引光線を切断する切断|平面《プレイン》を開発した結果、新しい技術が必要になってきた。これが円球作戦で、十二隻またはそれ以上の船が獲物を宇宙空間で包囲して、圧迫ビームの球体の中心に閉じこめてしまうのだ。この球体は切断することも突破することもできない。そういうわけで、パトロール隊の巡洋艦は、ボスコーンの要塞を包みこむべく断固として突進したのだった。
きらっ! きらっ! きらっ! 要塞の側面から、原子|渦《うず》のように目もくらむような三条の光がほとばしった。想像もおよばないほど強力な三条のニードル光線は、巡洋艦の外部スクリーンを無力なくクモの巣のように貫いた。第二スクリーンも、第一スクリーンも貫かれた。超強力力場からなるなる防御壁《ウォール・シールド》も、穿孔もさえ発せずに破壊された。装甲板までが、宇宙空間で自由状態にある物体は破壊され得ないというたったいま引用した最高原則に反して、容易に破壊された――この場合は、ニードル光線の突破力が想像もおよばぬほど猛烈だったので、不運な巡洋艦をとりまいている宇宙空間のほんの微細《びさい》な物質の原子が、装甲板の破壊に充分な抵抗力となったのだった。こうして、狂暴な破壊光線は円筒状に船全体を貫いた。
この想像を絶したビームは一秒間ほど――それ以上ではなかった――放射された後、ぱっと暗黒の中に没した。しかし、その一秒間は充分に長かった。破壊された三個の船体が宇宙空間に横たわった。この特異な三基の放射器は消えたと思うとまた閃《ひらめ》いた。そしてもう一度。銀河文明が所有するもっとも強力な軍艦が、たてつづけに破壊されたのだ!
旗艦の将校の大部分は、この驚くべき事態に一時茫然としていたが、ふたりだけはほとんど即座《そくざ》に反応した。
「ソーンダイク!」空港司令官は叫んだ。「やつらは何をしたのか、また、その方法は?」
いっぽうキニスンは一言《ひとこと》もいわずに制御盤の一つにとびつき、この法外《ほうがい》なエネルギー・ビームの分析データを読みはじめた。
「やつらは主放射器から超強力ニードル光線を放射したのです」技師長のラベルヌ・ソーンダイクが明確に報告した。「やつらは早くかたづけるために、手持ちの全エネルギーを短時間に集中したにちがいありません」
「あの光線は高温だった――じつに高温だった」キニスンは測定結果を確認した。「この記録器は五十億度を示している。安全率は十だが、それでさえまったく不充分だった――記録器の回路がみんなふっとんでしまったのだ」
「だが、やつらはどんな方法でやってのけたんだね――」フォン・ホーヘンドルフが質問しはじめた。
「無事にやってのけたわけではありませんよ――エネルギーを瞬間的に集中して死んでしまったのです」ソーンダイクは深刻な顔で説明した。「放射器一台とその要員を巡洋艦一隻とその乗組員と引きかえにしたのです――やつらから見れば、わりのいい取引きですよ」
「もうそんな取引きはさせんぞ」ヘインズは断言した。
事実、もうそんな取引きはなかった。パトロール隊は、この自殺光線の有効距離より遠くで敵要塞を包囲するに充分な数の戦艦を持っていたので、その方法をとったのだ。
遮蔽スクリーンがボスコーン要塞の宇宙線エネルギー吸収をさえぎり、ブルドッグのような戦艦の容赦のないビーム攻撃がはじまった。一時間一時間とたつうちに、獲物の抵抗力はしだいに弱まり、それにつれて攻撃はきびしさの度を加えた。ついに、巨大な要塞の膨大《ぼうだい》な蓄積器もからっぽになった。要塞の防御スクリーンは、戦艦のたえまない攻撃の生地獄のような猛威のもとに破壊され、それから何分か後には、要塞もその内容も宇宙|塵《じん》と化してしまった。
宇宙パトロール隊の大艦隊は、ふたたび隊形を整えて、巡航速力で銀河系へ向けて出発した。
旗艦の制御室では、三人のレンズマンが重大な協議の結論に達していた。
「ヘルマスの惑星に起こったことでおわかりでしょう」キニスンの声は異常に緊張していた。
「太陽系第三惑星の全生命を破滅させる手段について、わたしは知っているかぎりのことを申しあげたわけです。充分大きなデュオデック爆弾を大洋の底で爆発させれば、それができるのです。わたしには何一つ明確にわかっているわけではありませんが、やつらに、また不意打ちをくわされないようにしたほうがいいことだけは確かです――つねに警戒を怠らないことが必要です」
そしてグレー・レンズマンは顔をひきしめたまま、自分の個室へ立ち去っていった。
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二 往復精神感応
地球へもどる長い航行を通じて、キニスンはほとんど船室にこもったまま深刻な思索をつづけたが、残念ながらほとんど効果がなかった。最高基地に帰っても、そのはげしい活動の場から離れて、一週間また一週間と思索をつづけた。しかしついに、ほかならぬ軍医総監レーシーその人が、彼をその暗黒の抽象《ちゅうしょう》の世界からつれ出した。
「たまには気を変えたまえ」この名士は微笑しながらいった。「一つのことにあまり長く集中していると、思考の渦《うず》はしだいにせばまって、しまいには、有効な作用が無限小になってしまう。数学的にいえば、プラス無限大とマイナス無限大のあいだで積分された思考領域は、極限値がゼロに近づくわけだ――」
「へえ? なんのことをいっておられるんです?」レンズマンはきき返した。
「貧弱な数学かもしれんが、健全な心理学だよ」レーシーはにやりと笑った。「その問題は、きみの注意をすっかり奪っている。そうじゃないかね? わしがいっているのはそのことさ。平易な英語でいえば、思考の堂々めぐりをつづけていると、やがてわれとわが身を噛《か》むことになるということさ。さあ、ふたりして出かけよう」
「どこへ出かけるんです?」
「大艦隊の勝利をたたえる大|舞踏会《ぶとうかい》さ――レーシー博士はきみに、これを即効ある気分転換剤として処方するよ。さあ、行こう!」
市の最大の舞踏室は光と色彩にあふれていた。一千もの多彩なランプが、飾りたてられた旗の波をすかして、いっそう多彩な群集の上にそそぎかけていた。そこには女性美の典型のような美女たちが二千人もそろっていた。彼女たちの衣裳は何百という惑星の織物技術の粋《すい》をつくした織物で作られ、その色彩と陰影はスペクトルさえおよばぬほどだった。二千人以上の男たちがいた。市民の正装をつけた者、リボンをつけた者、メダルをつけた者、さまざまの部隊のさまざまの制服をつけた者、多種多様だった。
「きみはまずミス・フォレスターと踊りたまえ、キニスン」医者はふたりを気軽にひきあわせた。こうして、レンズマンはすばらしいブロンド美人といっしょに床《ゆか》をすべりはじめた。彼女は青く輝くマナルカ産グラモレットのドレスから肌をなやましくあらわしていた――最新流行のファッションである。
事情にうとい者には、キニスンの単純なグレーのレザー服は、このはなやかに装った群衆の中で不釣合に見えたかもしれない。しかし、当代のわれわれには、独立レンズマンの単純で極度に実用的な制服は、他の男が着ているどんなきらびやかな服よりも、はるかにまさって見えるのだ。そしてふたりがなめらかな床をリズミカルにすべっていくにつれて、何百という目がこのすばらしく美しい一組のあとを追いかけた。しかし、長身の美人はいつもの落ちつきを失っていた。彼女はレンズマンの腕の輪の中でからだをこわばらせ、目をふせていたが、ふいにステップをまちがえた。
「足を踏んで失礼しました」彼は弁解した。「快速艇でとびまわってばかりいるので、練習不足なんです」
「ご自分のせいになさってくださいましたけど、わるいのはわたしですわ――自分でも、わかっていますの」彼女はきまりわるそうに顔を赤らめながら答えた。「わたしだってダンスくらい、ちゃんと知っていますわ。でも――あなたはグレー・レンズマンでいらっしゃるんですもの」
「ほう?」彼は、ほんとうにびっくりして叫んだ。彼女は、はじめて目をあげて彼を見やった。
「その事実と、ぼくのへまな足があなたの靴をふみつけたことと、どんな関係があるんです――ベネリア蘭《らん》のシカゴにおける相場みたいなもんで、なんの関係もありゃしません」
「世の中のことはみんな関係がありますわ」彼女は答えた。しかし、彼女のこわばっていた若いからだはゆったりほぐれて、優雅で正確なステップを踏みはじめた。彼女は実はダンスの名手なのだった。「わたしたちはみんな、これまでグレー・レンズマンを絵の中では見ましたけれど、実物を見たことはないと思います。そういうグレー・レンズマンと実際に踊るなんて――そう、ほんとにショックですわ。だんだんなれると思いますけど。あら、わたしあなたへの口のきき方も知らないんですもの! まさか、ただミスターとはお呼びできないわ、ふつうの方とちがって――」
「ただ『ねえ』と呼びかけてくだされば|QX《オーケー》です」彼はいった。「あなたはぼくみたいなへたっぴいと踊るのはおいやでしょう? サンドイッチをつまみながら、フェイアリンか何か飲むのはいかがです」
「まあ――いけませんわ!」彼女は叫んだ。「そんなつもりで申しあげたんじゃありませんの。わたし、このダンスを最後まであなたと踊りますわ。とっても楽しいんですもの。そしてあとでこのダンス・カードをだいじにとっておきます――あなた、これにサインしてくださいますわね――そうすれば、わたしが若いとき、グレー・レンズマンのキニスンと踊ったっていうことが、いつまでも記念になりますもの。宇宙について、ばかげたことをおたずねしてもいいかしら?」
「どうぞ。ぼくの判断がまちがってなければ、あなたはばかげた質問はなさらんでしょう。たぶん初歩的な質問でしょうが、ばかげた質問ではないと思います」
「それならいいんですけど、でもあなたは、またわたしをかばっていらっしゃるんだと思いますわ。ここにいる女の人たちもたいていそうだと思いますけど、わたし、宇宙の奥まで行ったことがまるでありませんの。月まで二、三度、宇宙服で飛んだだけです。宇宙船で飛んだことは二度しかありません。それも、ただの惑星間飛行でした――一度は火星で、もう一度は金星。あなたのような宇宙の奥深くまで航行する人たちが、自分のしていることをどんなぐあいに理解できるのか、想像もつかないわ――自分が飛んでいるものすごいスピードだとか、通りすぎた果てしない距離だとか、通信装置の作用だとか。ほんとのところ、学者たちの説では、そういう大きさの数字はどんな人間の心でも理解できないということですわね。でも、あなたにはおわかりになっているんでしょう――ことによると――」
「ことによると、ぼくは人間じゃないんですかな?」キニスンは何かにとりつかれたように大声で笑った。「いや、その学者たちの説は正しいのです。われわれにはそういう数字は理解できませんが、理解する必要はないんです――ただそれを操作《そうさ》しさえすればいいんです。ところで、ぼくはたったいま、あなたがグラディス・フォレスターだということから思いついたんですが、あなたもぼくと同じような立場にいるんですよ」
「わたしがですって? どうしてですの?」
「人間の心は何によらず百万というような数のものを理解できません。あなたのお父さんはたいへんなお金持ですから、あなたを経済面で訓練するという目的で、投資資金として、百万信用単位の現金をあなたに渡しました。それがいちばん有効な方法だからです――つまり、実地訓練というきびしい方法ですね。あなたはもちろん、はじめのうちは大損をしましたが、結局のところ、その損をすっかり取りもどして、いくらかもうけさえしました。目はしのきく連中がよってたかって、あなたから金を取りあげようとしたのにですね。あなたの頭が百万信用単位という金額を理解できないとしても、その事実は、あなたがそれだけの金額を操作するさまたげにはならなかったわけです、そうでしょう?」
「それはそうですけど、でも、それはまるで別問題ですわ!」彼女は抗議した。
「本質的には別問題ではありません」彼は答えた。「類推《るいすい》で説明すればいちばんいいと思います。あなたは心の中で北アメリカの大きさを具体的に理解することはできませんが、その事実は、あなたが自動車で北アメリカじゅうを走りまわる場合少しもじゃまにならんのです。あなたは何を運転なさいます? つまり、空中ではなく、地上での意味ですが」
「デコティンスキーのスポーツ・カーですわ」
「ふむ。最高時速百四〇マイルですな。あなたはふつう九〇から百くらいで運転なさるでしょう。では、あなたがクラウノーバー・セダンか何か、でかくてのろい、ぼろ車を運転しているものと仮定する必要があります。そうすれば、巡航速度は六〇マイルくらいで、最高でも九〇マイルです。それから、車にはラジオも付いています。ふつうの帯域でも三、四十マイル離れたプログラムが聞けますし、短波なら、地球上のあらゆる放送が聞けます――」
「月からのタイト・ビーム短波放送も聞けますわ」彼女は口をはさんだ。「わたしよく聞きますの」
「そうです」キニスンはあっさりうなずいた。「運よく電波干渉がない場合はね」
「静電がとてもわるいことが多いんですのね」億万長者の後継ぎ娘は賛成した。
「ところで、車の場合の『マイル』を『パーセク』と変えれば、恒星間宇宙空間でのスピードと操作の概念が得られるんです」キニスンは説明した。「もちろん、スピードは宇宙空間の物質の密度によって変化します。しかし、平均していえば――つまり、宇宙空間の十立方センチごとに一原子という密度の場合――巡航時速六〇パーセクで、最高時速は九〇パーセクです。そして、超短波通信機はエーテルのレベル以下で作用します。つまり、サブ・エーテルですね――」
「なんでもけっこうですわ」彼女は口をはさんだ。
「定義というのはみんなそんなものですよ」彼は彼女に笑いかけた。「われわれはエーテルがどんなものかさえ知りません。それが客観的実在として存在するかどうかも知りません。われわれがあたりまえのことのように口にするサブ・エーテルはいわずもがなです。われわれは重力を支配していますが、それがどんなものかを知りません。それがどのようにして伝達《でんたつ》されるかは、いまだに説明できません。それが伝達されるかどうかさえわからないのです――その性質、周期、速度などを決定できるような装置も計器も方法も、いまだに発明されていません。また、時間や空間についても、何もわかっていないのです。事実、原理的にいえば、われわれはあらゆることについていくらも知っていないのです」
「そうはおっしゃいますけど――でも、とにかくおかげで気がらくになりますわ」彼女はいくらか身をすりよせながら告白した。「通信機のお話をしてくださいな」
「超短波はエーテルの中を光の速度で伝達されるふつうの無線波より速いのです。ちょうど宇宙船の速度と、のろい自動車の速度との比率と同じ比率でね――つまり、パーセクとマイルの比率です。ほぼ百九十億対一の比率です。もちろん、伝達範囲は、速度の二乗に比例します」
「百九十億ですって!」彼女は叫んだ。「たったいま、あなたはどんな人間でも百万という数量さえ具体的に理解できないっておっしゃったのに!」
「そこが重要な点なんです」彼はかまわずに話しつづけた。「理解したり具体化したりする必要はないのです。恒星間宇宙空間を飛ぶ宇宙船とその通信装置とは、ちょうど地球上の自動車とラジオがマイル単位の距離をカバーすると同じように、パーセク単位の距離をカバーする、そのことがわかればいいんです。ですから、だれか宇宙人がパーセクについてしゃべったら、自動車とラジオの場合のマイルだと思えばよろしい。そうすれば、あなたはその宇宙人と同程度に理解することになるでしょう――いや、それ以上かもしれません」
「このことについて、いまのような説明を聞いたのははじめてですわ――とってもわかりやすくなりますのね。このダンス・カードにサインしてくださいません?」
「もう一つだけ申しあげることがあります」音楽はすでにやんでいた。キニスンは彼女を席に送りとどける前にカードにサインしながらいった。「月―地球間放送は一応タイト・ビームと考えられている通信波によって行なわれているわけですが、この放送と同様、われわれの長距離タイト・ビーム通信機も、自然的または人為的《じんいてき》な妨害に対して、非常に敏感なのです。ですから、完全な条件下では、銀河系を横断してさえ明確に通信できますが、ときには――とくに海賊が通信周波数帯を攪乱《かくらん》しているときには――ここからケンタウルス座のアルファ星まで通信波を送ることさえできないのです――踊ってくださってたいへんありがとう」
ほかの娘たちは、だれが次に彼と踊るかと言うことについて争いをはじめる間《ま》もなかった。やがて彼は――自分でもそれとわからないうちに――色っぽい小柄《こがら》な赤毛娘と踊っていた。彼女はレンズマンがこれまで見たこともないような繊維でできた、|開き《スリット》の深い、炎のような色のドレスをまとっていた――すくなくとも、一部分まとっていた。その繊維は、電流を固定化してぎっしり織りあげたかのようだった!
「まあ、ミスター・キニスン!」新しいパートナーは夢見るような口調でささやいた。「あたし、宇宙人ってみんな、とりわけあなた方レンズマンは、どんなことについてもあんまり勇敢すぎると思いますわ! まあ、宇宙って、なんておそろしいんでしょう! あたしなんかには、まるで想像もつかないわ!」
「これまで宇宙に出たことがおありですか、ミス?」彼は微笑しながらたずねた。彼は社交界の浮気娘をいくらも知らなかったし、このところは、こうした娘たちの存在さえ忘れていたのだ。
「あら、もちろんよ!」若い娘は感嘆詞《かんたんし》まじりで話しつづけた。
「きっと、はるばる月までいらしたんでしょうな?」彼はあてずっぽうにきいた。
「おからかいにならないで――それよりずっと遠くよ――だって、あたし火星まで行ったんですもの! わたし叫びだしたくなったのよ――気絶するのかと思ったくらい!」
そのダンスもおわり、キニスンはほかの娘たちとつぎつぎに踊った。しかし彼は自分をとりまく陽気な雰囲気の中にとけこめなかった。候補生時代はこのようなばか騒ぎをせいいっぱいたのしんだものだが、いまではなんの感興《かんきょう》も湧かなかった。彼の心は目下、直面している問題に絶えずたちもどった。そのうちに、床《ゆか》の上の若い人々の群れの中で、ひとりの娘が目にとまった。ゆたかな赤銅色の髪としなやかで美しい姿態《したい》の持ち主だ。彼女はかつて彼に付き添った看護婦であり、その後は彼の助手をつとめたこともあった。彼女に最後に出会ったのは、はるかに離れたボイッシア系第二惑星からちょっと地球寄りにきたところだった。彼は彼女が自分に注意を向けるのを待つ必要はなかった。
「マック!」彼は彼女の心へだけ向けて思考を伝達した。「宇宙神クロノに誓って、手をかしてほしい――助けてくれたまえ! きみはこれからまだいくつ踊るんだ?」
「一つも踊らないわ――わたくし予約はしないの」彼女は針で刺されたようにとびあがり、狼狽《ろうばい》したまま立ちすくんだ。目は見開かれ、呼吸はせわしく、心臓ははずんでいた。彼女は前にもレンズを通じての思考を感じたことはあったが、これは何か別のものだった。まったく別ものだった。彼の脳細胞はすべて彼女に向かって開放されていた――しかも、なんとよく見える! まるで――まるでまるで――レンズマンがだれの心でもたやすく読めるらしいのと同様に、たやすく彼の心を完全に読めるのだ! 彼女は死物狂いで思考を遮蔽《しゃへい》し、何も考えまいとせいいっぱい努めた!
「QX、マック」思考は、何も異常なことが起こらなかったかのように彼女の心に静かに伝達されつづけた。「割りこむつもりじゃなかった――きみもそうは思わなかったろう。ぼくには、はじめからわかっていたが、もしきみがパートナーの予約をはじめたら、あさってくらいまでからだをしばられちまうだろう。次のダンスを踊ってくれるかい?」
「いいわ、キム」
「ありがとう――今夜はもうレンズは使わない」彼はまるで電話の受話器でもかけるように精神感応の線を切った。彼女は、ほっとため息をついた。
「ぼくは、あなたがた全部と踊りたいんですよ」彼は自分を取り巻いてあこがれるように見つめている娘たちの群れ全体に呼びかけた。「しかし、こんどのダンスは予約があるんです。あとでお目にかかりましょう」そして彼は立ち去った。
「失礼します、みなさん」彼は美しい赤毛娘を取り巻いている男たちの輪をかきわけながら、さりげなくいった。「失礼ですが、こんどのダンスはぼくが予約してるんです。そうでしょう、ミス・マクドゥガル?」
彼女はあでやかな微笑を浮かべてうなずいた。入院中は彼をひどくいらいらさせたあの微笑だ。
「わたくし、あなたが宇宙神に祈るのを聞きましたわ。でも、あなたがこんどのダンスの予約を忘れてしまったんじゃないかと、心配しはじめていたところなの」
「ダンスの予約はしないといっていたのに――彼女なかなか、かけひきじょうずだ!」そばでひとりの大使がつぶやいた。
「ぐちはおやめなさい」海軍大佐が残念そうに答えた。「彼女はわれわれとは予約しないといったのです――あれはなにしろグレー・レンズマンですからな!」
前にもいったように、この看護婦はけっして小さくはなかったが、ふたりが踊りだしてみると、レンズマンの巨大な体格とくらべて、ほとんど子どものように見えた。ふたりは大きなホールを静かに一周りした。つややかな黄緑色のガウンは――地球産の絹でつくられて、ほかの大部分のドレスより肌をあらわにしていなかったが――上のほうまでジッパーのついたキニスンのグレーのブーツがすばやくなめらかに踏みだされるのと完全に調子をそろえてひるがえった。
「これで助かったよ、マック」キニスンはほっとため息をついた。「だが、ぼくはこういうばか騒ぎと調子を合わせるには、七千キロサイクルばかり周波数がずれているんだ。どういうわけかわからないが、気づまりなんだ。ぼくはどうやら宇宙ぼけになりかかっているにちがいないな」
「宇宙ぼけ、ですって――あなたが? あら、まあ!」彼女は頭をふった。「あなたにはどういうわけかよくわかっているのよ――あなたはそんなことを口に出すには男らしすぎるんだわ」
「へえ?」彼はきき返した。
「そうよ」彼女は遠まわしに肯定《こうてい》した。「もちろん、あなたは、ここの人たちと調子が合わないわ――どうして合うはずがあって? わたくしも同様よ。わたくしがしていることは、あなたのお仕事とはくらべものにならないけれど。今夜ここにいる着かざった娘たちのうちで、成層圏の外まで出たことがある者は十人にひとりもいないわ。木星まででも行ったことがある者とか、衣裳や男性以外のことをまじめに考えている者となると、百人にひとりもいないわ。レンズマンというのが実際にはどういうものなのかということがわかっている者なんか、ひとりもいないの。わたくしが超宇宙空間《ハイパー・スペース》や非ユークリッド幾何学を知らないのと同じことよ!」
「小猫さん、小猫さん!」彼は笑いながらいった。「だれかをひっかく前に、その小さな爪をひっこめるんだね!」
「これはわたくしが猫に似ているせいじゃないわ。いつわりのない真実よ。さもなければきっと」彼女は率直にいいなおした。「真実であると同時に、わたくしが猫に似ているせいかもしれない。でも、真実であることは確かよ。それどころじゃないわ。あなたが何をやっているかをほんとうに知っている者は、あなた自身を除けば、宇宙全体にひとりもいないのよ。うすうすそれを察している者だって、きっとふたりしかいないでしょう。そしてレーシー先生はそのひとりじゃないんです」彼女は驚くべき結論をくだした。
キニスンはぎくりとしたが、ステップをまちがえはしなかった。「きみはぼくと同じで、この世界に適応していないんだ」彼は静かに賛成した。「きみとふたりでちょっとどこかへ逃げだそうか?」
「いいわ、キム」ふたりは人の群れを抜けてゆっくり庭へ出て行った。ふたりは一本の木が枝をひろげている下に置かれた、幅が広くて低いベンチに腰をおろすまで、一言《ひとこと》もかわさなかった。
「マック、きみは今夜なぜここへ来たんだい――真の目的はなんだね?」キニスンはふいにたずねた。
「わたくし――わたくしたち――あなた――つまり――あら、その話はやめましょうよ!」彼女は口ごもった。血の色が彼女の顔にあふれ、あらわな美しい肩までひろがった。「あなたの意見に賛成よ――あなたがいうように、わたくし、あなたを徹底的に点検しているの。レーシー先生ほどのもの知りでも、ときにはいくらかまちがうこともあるんだと思うわ」
「ああ、そういうわけか!」いや、そうではなかった。それは彼女がこの舞踏会に来たおもな理由ではなかった。彼女がここに来たのは、キムボール・キニスンがここに来ることになっているからという理由にほかならなかったが、彼女はその事実を認めるくらいなら舌をかんで死んでしまいたかった。
「じゃあ、きみは、ぼくがここへ来たのがレーシー先生の思いつきだということを知っていたのかい?」
「もちろんよ。さもなければ、あなたは来やしなかったでしょう。先生は、あなたがちょっとブレーキをかけないと、いまにもまいってしまうんじゃないかと考えたのよ」
「で、きみは?」
「そんなこと、ちっとも考えなかったわ、キム。レーシー先生の視野《しや》は惑星トレンコの大気のようにゆがんでいるのよ。先生ならちょっとまいるかもしれないけど、あなたはそんなことないわ。あなたはなすべき仕事があって、それをやっているんですもの。あなたは、大宇宙のあらゆる銀河系にはびこっている、あらゆる害敵にでもうち勝って、それをなしとげるわ!」彼女は情熱をこめていった。
「クロノ神に誓ってやってみせるよ、マック!」彼はふいにふりむいて、彼女の黄色をおびた褐色の大きな目をじっと見おろした。彼女は一瞬見かえしたが、すぐ目をそむけた。
「そんな目で見ないでちょうだい!」彼女はほとんど悲鳴をあげた。「たまらないわ――まるはだかになったみたいな気がするの! あなたがレンズを働かせていないのは知ってるわ――さもなけりゃ、わたくし、たちまち死んでしまうでしょう――でも、あなたはレンズなしでも読心術者だわ!」
彼女は、レンズによる強力な精神感応作用が絶たれたままでいるのを知っていて、その事実が大いにありがたかった。なぜなら、彼女の心には、レンズマンに現在もこれからも知られてはならない思いがうずまいていたからだ。いっぽう、レンズマンとしては、自分がレンズの力を働かせるつもりになれば、自分の知覚にとって、彼女は精神的にも肉体的にも裸体になるということを、彼女よりはるかによく知っていたが、その力を働かせはしなかった――すくなくとも現在は。人間関係における礼儀からすれば、ある程度の慎みが必要だったが、彼はこの女性が知っていることを知らなければならなかった。もし必要ならば、その知識を彼女から強制的に奪いとるつもりだった。彼女がその知識を持っていたことについて、なんの記憶もなくなるほど完全に。
「きみはどういうことを知っているんだね、マック? そしてどういう方法でそれを知ったんだね?」彼はしずかに、しかし彼女の背筋に冷たいものを走らせるような断固とした口調でたずねた。
「わたくしにはいろんなことがわかってるわ、キム」あたたかで空気のかぐわしい夜だったが、彼女はかるく身ぶるいしながらいった。「あなたの心からそのことがわかったの。あの舞踏場《ぶとうじょう》であなたがわたくしを呼んだとき、わたくしが受けとった思考は、直接わたくしに話しかけてくるような単純なものではなかったわ。前にはいつもそうだったんだけれど。そうじゃなくて、まるでわたくしがあなたの心の中にはいってしまったみたいに思えたの――すっかりね。わたくし、レンズマンが往復の精神感応で話すとは聞いていたけれど、でもそれがどんなことなのか、まるで思いもよらなかったわ――経験したことがない者には絶対わからないでしよう。もちろん、わたくしは自分が見たもの――または見たと思ったもの――について、百万分の一も理解しなかったわ――できなかったのよ。あなたの心はとっても大きかったわ。信じられないくらい広大だったわ。人間があんな心を持てるなんて、思いもよらなかったくらいよ、キム! でも、それは恐ろしくもあったわ――わたくし、神経がぴりぴりふるえて、いまにも自制心《じせいしん》を失いそうだった。でも、あなたはそれに気づきさえしなかった――ちゃんとわかってるわ――わたくし、ほんとは見たいと思ったわけじゃなかったんだけれど、見ないわけにはいかなかったの。でも、見てよかったと思うわ――わたくし、もうけっしてあなたの心を見わけそこないはしないわ!」彼女は、ほとんどちぐはぐに話を結んだ。
「ふむ――む。そうなると、話はまるでちがってくる」彼女がひどく驚いたことに、彼の声は平静で、少しも激していなかった。乱れてさえいなかった。「じゃあ、ぼくは往復精神感応で自分から秘密をもらしていて、それに気づかなかったんだ(*)――
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*(原注)もちろん、これは正しい解釈《かいしゃく》ではないが、そのときは、クラリッサ・マクドゥガルの精神、真の能力について知っていたのは、アリシアのメンターだけだった。
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「ぼくはきみがあることについて自分の意に反した行動をとっているのを知っていたが、それはきみのちょっとした虚栄《きょえい》によるものだろうと思っていた。だのにぼくは、そのきみを一度|まぬけ《ダム・ベル》だなんて呼んだのだ!」彼はわれながらあきれたようにいった。
「二度だわ」彼女は訂正した。「でも、二度目のときはほんとに嬉しかったわ。これまでそう呼ばれてあんなに嬉しかったことはなかったほど」
「こんどこそわかった。ぼくはほんとに宇宙ぼけしはじめてるんだ」
「ちがうわ、キム」彼女はまたやさしく否定した。「それに、あなたはひよっこでも気どり屋でも、うぬぼれ屋でもないわ。わたくし前にあなたのことをそう呼んだけれど。でも、わたくしほんとにこういうことをすっかり知ってしまったんだから、あなたは――わたくしたちは――どうしたらいいのかしら?」
「たぶん――おそらく――ぼくが自分できみにそれを知らせたんだから、知ったままにさせておくさ」キニスンはゆっくり結論をくだした。
「知ったままにさせておくですって!」彼女は叫んだ。「もちろん、わたくしは知ったままでいるわ! だって、これはわたくしの心よ――知ったままでいるよりないわ――だれだって人から≪知識≫を奪ったりできないんですもの!」
「そうとも――もちろんさ」彼はうわの空でつぶやいた。マックが知らないことが山ほどあったが、これ以上彼女に秘密をあかすことは無益だった。「なにしろ、ぼくの心には、自分でもまだ充分に知らないものがいろいろあるんだ。ぼくがきみに秘密をあかしたところをみると、それには相当の理由があるにちがいない。意識的には、自分でもそれがどういう理由かわからないがね」彼はちょっと考えをまとめてからつづけた。「たしかに潜在意識だ。たぶん、ぼくが新しい攻撃手段をくふうするのを援助してくれるような者と情況全般について協議する必要があると、潜在意識が認めたんだろう。まったく新しい観点に立つ者とね。ヘインズ閣下とぼくでは考え方が似かよいすぎていて、おたがいに補いあうというわけにいかないのだ」
「あなたはそんなにわたくしを信頼しているの?」彼女は驚いてたずねた。
「そうとも」彼はためらわずに答えた。「ぼくは、きみが秘密を守れるということがわかるくらい、きみをよく知っているよ」
こうして、グレー・レンズマンのキムボール・キニスンは、やみに隠された巨大な真実の上に訪れる黎明《れいめい》の最初の微光を、ロマンチックとはほど遠い状態で感じた――この看護婦と彼とは特異な結びつきを持っていて、ふたりのあいだには、いかなる疑惑や疑問も存在しないだろうし、また存在し得ないのだ。
そしてふたりは腰をおろして話しはじめた。愛人同士が自分たちの恋愛にかかわる取るにたりない事柄を話し合うようなのん気な調子ではなく、全宇宙について、また銀河文明とボスコニアとのあいだに行なわれている闘争について、宇宙的観点から話し合ったのだ。ときおりまったく無意識にキニスンのあの能力が、ふたりに近づいてくる他の男女たちの心にひそかに作用し、先方がそれと気づかないままに、レンズマンと看護婦がすわっている濃い月影におおわれた木のそばから、彼らを追いはらってしまうのだった。
ついに長い会話が終わり、キニスンは彼女に手をかして立たせた。彼のからだはいっそう直立し、目にはあらたな、いっそう明るい輝きがやどっていた。
「ところでね、キム」ふたりが舞踏室にぶらぶらもどって行くと、彼女はものうげにたずねた。
「あなたは少し前にクロノっていう名前をあげて誓ったけど、あれはだれなの? バレリア人の神ノシャブケミングみたいな宇宙人の神なの?」
「そんなものだが、それ以上だよ」彼は笑った。「ノシャブケミング神、ギリシャ人やローマ人の神々のあるもの、運命の三女神、それからほかのいくつかの神々の結合体さ。もとはコルビナ星の信仰だったと思うが、いまは銀河系のある部分でかなり流行しているんだ。この神のからだにはいろんなものが備わっている――歯も角も爪もほおひげも、しっぽもなにもかもね――だから、ぼくが知っているかぎりじゃ、他の宇宙神のどれにもまして、誓いの種類が豊富なのさ」
「でも、男の人はなぜ誓う必要があるの、キム?」彼女はもの珍しげにたずねた。「とてもばかげてるわ」
「女が泣くのと同じ理由さ」彼はやり返した。「男は泣かないために誓うし、女は誓わないために泣く。どっちも健全な心理学だ。安全弁さ――ヒューズがとんだり真空管が焼け切れたりしないために、余剰《よじょう》の電圧を放出する手段なんだよ」
[#改ページ]
三 |結びの神《デウス・エクス・マキナ》
空港司令官の快適な住宅の書斎は、空港内の彼の専用執務室同様、外界からのあらゆる形態による侵入に対して堅固に防御されていたが、その部屋でふたりのいまだに元気な老グレー・レンズマンが腰をおろし、おたがいに陰謀家のように――事実そうなのだが――にやりと笑いながら顔を見合わせていた。ひとりは戸棚からフェイアリン(*)がはいった背の低い赤いびんを取りだして、二つの小さなグラスにみたした。ふたりはグラスのふちとふちをカチッとならした。
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*(原注)刺激性はあるが、非アルコール性の飲料で、クレベニア産の灌木フェイアロクラスタス・オーガスティフォリウス・バーンステッドの果実から製造される。これを飲用する余裕のある人々のあいだでは、公式の飲料として愛用されている。
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「愛を祝して!」ヘインズは乾杯した。
「けっこうなことだ!」軍医総監レーシーが応じた。
「もう一杯いこう!」ふたりは声をそろえていい、行為が言葉につづいた。
「きみは、万事調子よくいってるかどうかともきかないんだな」これはレーシー。
「その必要はない――わしはこのお芝居をはじめから終わりまで、スパイ光線で探知しとるのだ」
「そうだろうさ――きみはそういうタイプの人間だ。だが、わしだって、もし≪自分の≫執務室にスパイ光線の制御盤がついていれば、やっぱりそうしただろうな――さあ、どんな情況か話したまえ、宇宙の無頼漢《ぶらいかん》め!」レーシーはいささかしぶい顔で微笑した。
「何も話すことはないよ、やぶ医者さん。きみはたいした仕事をやってのけたが、自慢するほどのことはない」
「そうかね? じゃあ、きみはあんな気のつよい赤毛娘がほしいかね? 彼女はまだおとなにもなりきっていないのに、きみに面と向かって、あなたは脳軟化症です、なんていうんだぜ。あなたの知的能力はブヨくらいだとか、知性はザブリスカのフォンテマぐらいだとかいうんだぜ? おまけに、自業自得とはいえ、そのじゃじゃ馬にあざを二十五くらいつけられても、彼女を刑務所におっぽりこむこともできずに、がまんしなけりゃならんのだよ」
「なあに、きみは大げさにいってるだけさ。そうひどいものじゃなかったよ!」
「そうかもしれん――それほどではないかもな――だが、かなりひどかったよ」
「彼女もいまにおとなになって、きみがそもそものはじめから、自分を六通りもの方法でだましてきたってことがわかるだろう」
「おそらく――そのうちにね。これはみんな、もっと大規模な計画の一部なんだ――わしがもう若くないことを神に感謝するよ。彼らはひどく悩んでいる」
「そのとおり。まったく悩んでいるよ!」
「だが、きみは結末を見たが、わしは見なかった。どんなことになったね?」レーシーがたずねた。
「よくもあり、わるくもありだ」ヘインズはもう一度、二つのグラスをゆっくり満たし、刺激性の香気がある深紅色の液体を、もったいらしくグラスの中でぐるぐる回転させてから、また口を開いた。「ひっかかっているよ――だが、彼女はそれを知っている。わしは彼女が何か手を打つんじゃないかとあやぶんでいるのだ」
「彼女は腕のいい手術者だよ――前にそう話したろう。彼女は何事によらず自分をいつわるということをしない。ふむ――しばらく分離しておいたほうがよさそうだな」
「そのとおり。きみは病院船をどこかへ派遣できるか? 彼女を二、三週間ひき離しておけるようにな」
「できるとも。三週間で充分だろうな? もちろん、彼のほうはどこへも派遣するわけにいかないからね」
「充分だ――彼は二週間以内に出発するだろう」ヘインズはレーシーがいぶかしそうに彼を見やったのに答えてつづけた。「驚くなよ。彼はこれからランドマーク星雲へ行くのだ」
「そんなことができるものか! 何年もかかるぞ! あそこへ行ってもどってきた者は、まだひとりもいない。それに、彼にはこの新しい仕事があるのだ。そればかりじゃなくて、この別離は、彼をちょっとのあいだ遠ざけておくのだけが目的なのだ!」
「うんと時間がかかるにしても、彼はもどってくるよ。ずっと前から想像されていたことだが、銀河系間空間に存在する物質は非常に稀薄《きはく》らしい――一リットルに一原子かそこらの割合だろう――だから、この航行には予想される時間の十分の一もかかるまい。危険なのは認めるが――彼はすっかり準備ができているのだ」
「どのくらいすっかりだね?」
「申し分なくさ」
「わしは、こんなふうにしてふたりのあいだを裂きたくないが、これは必要なことなのだ。彼女を派遣するとき、昇進させることにしよう――戦区看護婦にするのだ。どうかね?」
「きみはついさっき、癇癪《かんしゃく》持ちとかおてんばとか、じゃじゃ馬とかいったんじゃなかったかな。それともわしの空耳《そらみみ》かね?」ヘインズはひやかすようにたずねた。
「そのとおりのしろものさ。いやそれ以上だ――だが、彼女はまれに見る優秀な看護婦であり、美人でもあるのだ!」
「QX、レーシー、彼女を昇進させよう。もちろん彼女は優秀だ。さもなければ、この計画の中に加えられやしなかったろう。事実、あのふたりは、地球がかつて生んだうちでもっともすばらしい一組だよ」
「そのとおり。まったく、ふたりともなんというみごとな骨格だ!」
***
このとき、看護婦宿舎では、赤銅色の髪と黄褐色の目とを恵まれたひとりの若い女性が、鏡にうつる自分の姿を見つめていた。
「うすのろ、あほう、気どり屋!」彼女は鏡の像に向かって聞きとれないほどの声で、しかしはげしくののしった。「低能、赤毛の大ばか、脳たりんの|まぬけ《ダム・ベル》、うぬぼれ屋! この全銀河系の男性の中で、よりによってキムボール・キニスンに夢中になるなんて。彼はおまえを家具同然に見すごしたというのに。おまけに、彼はグレー・レンズマンよ――」彼女は表情を変えてやさしくささやいた。「グレー……レンズマン。あの重荷《おもに》をしょっているかぎり、彼はだれをも愛せないんだわ。人間らしく行動することができないんだわ――けっして――たぶん、彼を愛するというだけで充分なのよ――」
彼女は身をのばし、肩をすくめて微笑した。しかし、むりに自分をちゃかそうとしても、長つづきはしなかった。すぐに苦悩の波がおそってきて、ベッドに身を投げた。
「おお、キム、キム!」彼女はむせび泣いた。「わたくし、どんなに――なぜあなたは――ああ、なぜわたくしは生まれたのかしら!」
***
三週間後、地球をはるかに離れた宇宙空間で、キムボール・キニスンは、いつもとはまったく異なった気分でもの思いにふけっていた。寝床に横たわり、ものうげにたばこを吸いながら、金属の天井を見るともなく見つめていた。彼はボスコーンのことを考えているのではなかった。
あの舞踏会でマックに向かって思考を伝達したとき、彼は自分の思考波を、自分に送られている思考波にたいして、ぴったりしぼることに、生まれてはじめて失敗した。なぜか? 彼が彼女に与えた説明では、まったく不充分だった。それならば、なぜ彼女をあそこで見かけたのがそれほど嬉しかったのか? またなぜ彼女のおもかげが、しばしば心に浮かんでくるのか――姿態、表情、目、唇《くちびる》、みごとな髪などが?――彼女はもちろん美しかったが、彼がかつてアルデバラン系第二惑星で会った麻薬シオナイトの幻覚《げんかく》から生まれたようなあの娘ほどではない――しかも、あの娘については、あの愛らしい首をしめあげてやらなかったのが少々残念だったと、その点を、たまに思い出すだけだった――いや、実のところ、マックはあのブロンドの女相続人ほどの器量ではないし、その半分もあれが――そうセックス・アッピールがない――あのブロンド娘の名はなんといったっけ?――そうだ、フォレスターだ――
答えは一つしかなかった。そしてそれは彼の全身をふるえあがらせた――彼はそれを認めようとしなかった。自分自身に対してさえ。彼がだれかを愛することは許されなかった――それはまったく計画外のことだった。彼にはなすべき任務がある。パトロール隊はレンズマンに養成するために百万信用単位もの費用をかけている。それだけの費用に多少ともふさわしい効果をあげるのは、彼の責任なのだ。レンズマンたる者は、妻などとはなんの関係もない。とくにグレー・レンズマンはそうだ。グレー・レンズマンは一個所に定住することはできないし、妻は一緒にとびまわるわけにはいかない。そればかりでなく、十人のグレー・レンズマンのうち九人までは、任務を果たすまでに殺されてしまうし、運よく生き延びてデスクの仕事に隠退《いんたい》した者もほとんどが、なかばは機具と人工的器官で補修された肉体になっているのだ――
いや、絶対にいけない。どんな女性も、こんな地獄のような人妻の座にひきこんではならない――何年にもわたる苦悩、胸もつぶれるような不安、そしてついに若い未亡人になってしまうのだ。もっとも運のいい妻でも、人生の花ともいうべき時代を孤独のうちに費やしたあげく、なかば鋼鉄、ゴム、プラスチックなどで補修された夫の帰りを迎えるのがせきの山なのだ。とりわけあの赤毛娘は、そんな運命にひきこむにはすばらしすぎる――。
しかし待て――思い出してみろ! なぜおまえは自分があのような娘に値すると思ったのだ? 彼女がおまえに対してまったく非個人的な、看護婦としての感情以上のものをいだく可能性がわずかでもあるだろうか――とくに、おまえが基地病院で彼女に付き添われているときに示した行動を考慮に入れるならば? そんな可能性はないだろう――どんなことがあろうとも、たとえおまえが彼女にすっかり夢中《むちゅう》になっても、彼女は≪おまえ≫と結婚しようとはしないにちがいない――。
それにもかかわらず、彼女は結婚を承知するかもしれない。ときには思いがけない女たちが、恋におちることもあるではないか。だから、おまえはぜったいに彼女に夢中になったりしてはいけない。それどころか、彼女は宇宙男と結びつけるにはあまりにも愛らしく美しく生気にあふれた女性だ。彼女は幸福になるべきで、不幸になってはならない。人生の中で最良のものを味わうべきで、最悪のものを味わうべきではない。彼女は長い一生を通じて、完全な男性の、完全な愛を受けるべきだ。しかるにおまえは、どんな女性にも感情のかけらしか与えられないのだ。理性が働いているかぎり、おまえは彼女の生活を傷つけるような行動をとってはならない。実際、あの赤毛娘に二度と会わないほうがいいのだ。彼女がいるどんな惑星にも近よらないことだ。もし宇宙空間で彼女を見かけたら、時速百パーセクで、よそへ逃げ出してしまうのだ。
キニスンはいまいましげにつぶやくと、寝床からとびだして、吸いかけのシガレットを灰皿にほうりこみ、制御室のほうへ歩いて行った。
***
彼が乗っているのは、パトロール隊の最優秀船だった。航行、防御《ぼうぎょ》、攻撃にすぐれた能力を備えているばかりでなく、完全な宇宙研究室、宇宙観測所でもあった。そして通常の乗組員のほかにも、船の装備と同様に多種多様な要員が乗り組んでいた。まず十人のレンズマンがいた。これはこのドーントレス号のような戦艦にもめずらしいことで、宇宙の年代記に特筆されてしかるべき出来事だった。それから知識の粋《すい》を集めたような科学者たちがいた。ピーター・バン・バスカーク中尉の率いるバレリア人戦士の一隊がいた。ヴェランシアのウォーゼルをはじめ、六十人の爬虫人《はちゅうじん》がいた。ずんぐりしたリゲル人レンズマンのトレゴンシーと十人あまりの仲間がいた。技師長ラベルヌ・ソーンダイクとその部下がいた。最高基地でもっともすぐれた三人のチーフ・パイロット――ヘンダスン、シェルメルホルン、ウォトスンがいた。
ドーントレス号は巨大な宇宙船だった。キニスンが調達した人員や資材のほかに、空港司令官ヘインズがキニスンに同行させることを主張した要員や装備を運ぶために、そうならざるをえなかった。
「ですが、閣下、もしわれわれが帰還しなかった場合、最高基地はたいへんな損失をこうむることになりますよ! そのことをお考えください」キニスンはヘインズの主調にそういって反対した。
「きみは帰還するよ、キニスン」空港司令官はいかめしい顔でいった。「だからこそ、わしはこれらの要員や資材をきみに同行させるのだ――きみの帰還をできるかぎり確実ならしめるためにな」
いまや船は銀河系間空間に出ていた。グレー・レンズマンは目を閉じたまま密閉《みっぺい》された鉄の壁の向こうに知覚力を送り、それを虚空《こくう》にさまよわせた。これは映像探知盤よりすぐれていた。なんの物質的障害や限界もなく、彼は人間のもっとも奔放《ほんぽう》な想像力によってのみ描きだせるようなすばらしい展望をたのしんだ。
惑星もなく、太陽系もなく、恒星もなく、隕石《いんせき》もなく、宇宙塵もなかった。付近の宇宙空間は完全に空虚《くうきょ》だった。その名状しがたい完全な空虚を思うだけで、心が理解しがたい恐怖にみたされるほどだった。そしてその空虚さを強調するように、大宇宙を構成する多数の銀河系宇宙が、じっと動かず天空にかかっていた。それらは気も遠くなるほどはるかかなたにあるので、ボタンのように小さく見えたが、本来の巨大さのために、三次元的な相互関係によって、はっきり見わけられた。
突進していく宇宙船の後方に、第一銀河系が小さな輝かしいレンズのように見えていた。それは非常に遠く離れてしまったので、個々の太陽系のような微細なものはまるで見えず、銀河系の周囲にある球形の星団の巨大な塊さえ、鋭くとがったレンズのへりにとけこんで見わけられなかった。船の前方、右方、左方、上方、下方などには、その他の銀河系があった。それらは、銀河文明の憲章《けんしょう》に加盟している人類やその他の生物によって一度も探検されたことがないのだ。あるものは稀薄《きはく》で水のようだった。また、あるものは完全な円板状に見え、数学的には改名できないような渦状の長い腕を、かすかに、またははっきりと見せていた。それらの不可解な作用によって、これらの銀河系は発生したのだった。それら二種類の両極端の中間には、考えられるかぎりの多種多様の銀河系があった。
宇宙船の速度はまったく想像もおよばぬほどだったが、何時間たっても、それらの銀河系の相関的な位置は動いていなかった。なんという距離だ! なんという壮大さだ! なんという雄大さだ! なんと恐ろしい、なんと厳粛《げんしゅく》な静寂《せいじゃく》だろう!
キニスンはまさに、このような光景を見るだろうと予期して出てきたのだったが、それでもこの宇宙の無限の広大さに圧倒されて、自己の卑小《ひしょう》さを痛感した。微小な惑星からやってきた電子のような生物である彼が、全知全能の創造主のみに理解できる大宇宙空間にとびこんで、いったい何ができるというのか?
彼は起きあがって無益な妄想《もうそう》を追いはらった。こんなことでは最初の足がかりにもたどりつくことはできまい。しかし彼には、なすべき仕事があるのだ。いずれにせよ、人間は宇宙同様に大きいともいえるではないか? さもなければ、ここまで出てくることができたろうか? そうだ、人間は宇宙同様に大きいのだ。いや、宇宙より大きいとさえいえる。人間は大宇宙空間を心にえがくことによって、すでにそれを支配したのだ。
そればかりでなく、ボスコーンがどんなものであるかはわからないが、彼らもまたそれを支配しているにちがいない。彼は、いまやボスコーンが銀河系間的な規範《きはん》で行動していることを確信していた。地球を出発した後でさえ、彼はあの通信ビームをたどって行けば、彼自身の銀河系に属するどこかの星団上の要塞に到達するだろうと期待していた。その星団は銀河系から非常に離れているか、または非常に小さいので、宇宙図作成者が気づかなかったのだろうと思っていた。ところが事実はそうではなかった。あの通信ビームの決定や追跡から生じる誤差《ごさ》をどれほど大きく見こんだとしても、その範囲内には、そのような星団はまったくなかった。ビームはまっすぐランドマーク星団だけに通じていた。したがって、あの銀河系が彼の現在の目標なのだった。
これまでの業績からすれば、地球人は確かに海賊にひけをとらぬくらい優秀で有能だった。いや、おそらくそれ以上だったろう。銀河系のあらゆる種族の中で、地球人はつねに先頭に立ち、つねに指導者であり指揮者だった。そして、アリシア人を除けば銀河系でもっともすぐれた頭脳の持ち主である。
キニスンはあの高度に哲学的な種族のことを考えて、はっと思いあたった。彼の後援者であるアリシア人は、パトロール隊がレンズの力によって銀河系全体に文明を確立できるだろうと告げた。それは正確にはどういう意味なのだろう?――銀河系の外には出られないということなのか? さもなければ、アリシア人でさえ、ボスコニアが事実上、銀河系間的規模を持っているということに気づかなかったのか? そうかもしれない。メンターは、真に有能な心ならば、ある特定の事実を与えられれば、全宇宙を表象することができるといった。もっとも、自分の心は真に有能なものではないと、慎重につけ加えたが。
しかし、これは根拠《こんきょ》のとぼしい想像だった。いまやもっと多くの情報を集めて、それらを関連づけるべきときだった。そこで彼は科学者や観測員たちと接触しはじめた。
空間における物質の密度は、絶えず減少しつつあったが、いまや四百立方センチに一原子の割合になった。したがって、船の速度は一時間に約十万パーセクに達した。二つの銀河系にはさまれた付近では物質の密度が増加するから、その空間での速力の鈍化を計算に入れても、この航行には十日以上はかからないだろう。
動力源の供給ということは、理論的に解決のついていないほとんど唯一《ゆいいつ》の問題だったから、彼は絶えずそれに気をくばっていたが、これも、だれもが想像しなかったほど情況がよかった。宇宙空間から供給される宇宙線エネルギーは、空間の物質が減少するにつれて、かえって増加した――この事実は、このあたりの宇宙空間では、エネルギーが絶えず物質に変換《へんかん》されているという説を証明するように思われた。吸収スクリーンを励磁《れいじ》して一定の動力を発生させるのに、銀河系内のもっとも濃密な媒体《ばいたい》の中で観測された数値よりずっと少ない数値ですむのだった。
こうして励磁器として作用している原子力発動機は、一時間に四百ポンドの最大動力を発生した。つまり、各励磁器は、それだけの量の物質を純粋エネルギーに変換し、その出力を有効に消費して、各励磁器に連結されている吸収スクリーンを活性化することができたのだ。各吸収スクリーンは通常は十万対一の比率で作用しながら、一時間四百万ポンドの物質を消滅させるに等しいエネルギーを船の受容器に供給していた。ところが、この空間で観測すると、吸収――励磁器《れいじき》は十万対一以下ではなく、ほとんど百万対一に達していた。
ここでこれ以上観測データをくわしく述べたり、第二銀河系への航行の後半について説明したりすることは無益だろう。ただ、キニスンと高度に訓練された乗組員たちが観測し、分類し、記録し、協議したということを述べておけば充分である。そして彼らは万全の注意をはらいながら、目標に接近していった。探知器はフルに展開され、あらゆる探知盤には観測員が配置され、船自体は、ホッチキスが発明した探知波中立器が可能なかぎり探知から絶縁していた。
ドーントレス号は第二銀河系に接近し、さらにその中へ突進して行った。この島宇宙は、惑星や住民などの点で第一銀河系と本質的に同様だろうか? もしそうなら、その住民たちはボスコニアの恐るべき文明によって抹殺《まっさつ》されたのか、さもなければ、その闘争はまだ継続しているのだろうか?
「もしわれわれが追跡している線がボスコーンの通信ビームだと推定すれば、また事実そう推定せざるをえないのだが」と賢明なウォーゼルが論じた。「敵がこの銀河系全体を支配しているという可能性は非常に大きい。さもなければ――つまり、もし彼らがこの銀河系における少数派だったり、現にはげしく支配権を争っているとしたら――彼らは兵力を割《さ》いてわれわれの銀河系に侵入することもできなかったろうし、パトロール隊が開発した新兵器に対抗できるように自分たちの宇宙服を改造することもできなかったろう」
「それは大いにありうることだ」キニスンが賛成した。ほかの者の意見も同様だった。「したがって、われわれは偵察《ていさつ》をきわめて慎重に行なうべきだ。しかし、ある意味では、この条件はかえって好都合《こうつごう》ともいえる。もし彼らが支配権を握っているとすれば、極端に警戒しようとはしないだろうからな」
そして事実、そのような結果になった。間《ま》もなく惑星を持った恒星がつきとめられ、ドーントレス号がそこからまだ何光年も手前にあるうちに、数隻の宇宙船が探知された。すくなくとも、ボスコーンは探知波中立器を使用していないのだ!
スパイ光線が放射され、リゲル人レンズマンのトレゴンシーは知覚力を精いっぱい作用させた。キニスンは惑星の表面に知力を透過して、知的視点と通信点をもうけた。その惑星がボスコーンのものであることはすぐにわかったが、それがすべてだった。そこはほとんど要塞化されていなかった。ボスコーンと連絡しているようなビームはまったく発見できない。
つぎつぎに太陽系が発見され偵察されたが、結果は同じだった。しかついに、ある宇宙空間でスクリーンのひとつが活動を開始した。そのとき探知盤に映っていた一隻の宇宙船と、どこかほかのステーションとのあいだで、通信ビームが作用していたのだ。キニスンはそれをすばやく傍受《ぼうじゅ》した。そして、観測員たちがその方向、硬度、強度などを決定しているあいだに、一つの思考がレンズマンの脳になめらかに流入しはじめた。
「――ただちに宇宙船P四K七三〇を救助に急行せよ。ボスコーンを代表してアイヒランより。通信終了」
「あの船を追跡するんだ、ヘン!」キニスンはきっぱり命令した。「あまり接近しすぎずに、だが見失うなよ」それから、いま傍受した通信をほかの者たちに伝えた。
「また同じやり方ですか、へえ?」バン・バスカークが叫んだ。
「そいつも、もうひとりの副官で、どうもボスコーン自身じゃないらしいな」ソーンダイクもいった。
「そうかもしれんし、そうでないかもしれん」グレー・レンズマンは思案顔でいった。「この事実は、ヘルマスがボスコーンではなかったということを証明するだけだ。ヘルマスがボスコーンでないということは、すでに確定している。もし事実、ボスコーンというような生物がいて、そいつがこの銀河系にいないということが明らかになったら――そう、その場合には、われわれは、またどこかほかの銀河系に出かけるまでだ」彼は断固として結論をくだした。
追跡は比較的短く、黄色っぽい恒星の付近で終わった。その恒星の周囲には、中ぐらいの大きさの惑星が八個、旋回していた。追跡されているとは知らぬ海賊船は、パトロール隊の船をしたがえたまま、それらの惑星の一つへ向かって突進して行った。その惑星上で戦闘が行なわれていることがすぐ判明した。惑星上の一地点が、都市か巨大な要塞であるらしく、ドーム状の防御スクリーンでおおわれ、それが目もくらむように発光しているのだ。そして、何マイルにもわたる空間のいたるところで、多数の宇宙船がめざましくも破壊的な戦闘を展開していた。
キニスンはその要塞の中へ思考を投射し、自己紹介や前置はまったくぬきで、その高級将校のひとりと精神的接触をつけた。ここの住民は多少とも外見が人間に似てはいたが、彼はべつに驚かなかった。なぜなら、その惑星は、年齢、気候、大気、質量などの点で、地球と非常に似ていたからだ。
「そうだ、われわれはボスコニアと戦っている」相手の思考は冷静かつ明確に応答してきた。
「われわれは援助を必要としている。しかも非常に深刻に。きみにはそれができるかな?――」
「探知されました!」キニスンの注意は、制御盤からの叫びにひきつけられた。「やつらはいっせいに攻撃してきました!」
かつてヘルマスはレンズマンが探知波中立器を使用していることに気づかなかったが、ボスコニアの科学者がその前後に同じような装置を開発したかということは、当然に生じる疑問で、キニスンたちもそれについては何度も論じあっていた。その問題は興味ぶかいものではあったが、ここにいたっては、もうどちらでもよかった。結果は同じだった――海賊はパトロール隊がはじめて第二銀河を訪問した現在、それを所有しているのだ。そればかりでなく、彼らはそれをこの戦闘でも非常に有効に利用していたので、この頑強《がんきょう》な惑星の住民は、自己保存の絶望的欲求から、その中立器の攪乱《かくらん》装置を発明し、その攪乱波で惑星全体をおおっていたのだ。この攪乱波でも探知能力を完全に回復することはできなかったが、完全中立化の条件は非常に微妙なものなので、その条件をくつがえして、なんらかの映像を捕捉《ほそく》することは比較的容易だったのだ。そして、このように近い距離では、どんな映像でも充分だった。
ドーントレス号は惑星に接近して攪乱区域にはいり、敵の船のプレート上に充分明確な映像を捕捉されてしまったのだ。彼らはただちに、そして猛烈に攻撃してきた。ドーントレス号の監視員が警告を発して一秒もたたないうちに、パトロール船の外部スクリーンは、一ダースばかりのボスコーンのビームの猛撃を受けて、白熱的に発光していた。
[#改ページ]
四 惑星メドン
一瞬、すべての目は気づかわしげに計器と記録器にそそがれたが、すぐに危険が起こる気配はなかった。ドーントレス号は堅固に建造されていた。外部のスクリーンは四重のスクリーンのうちでもっとも薄かったが、攻撃者たちの負荷をなんのひずみもなく受けとめていた。
「全員ベルト着用」探検家の指揮官は命令した。「船を有重力状態に移行させるんだ、ヘン。速度をあの基地に同調」チーフ・パイロットのヘンリー・ヘンダスンが、バーゲンホルム重力中立器を切ると、船は固有の速度を回復しながら、はげしくよろめいた。
ヘンダスンの指は、まるでオルガニストがずらりとならんだキーをひくように、すばやくそして適確に制御盤の上を走った。しかしそのタッチから生じたものは、優美な和音やアルペジオではなく、正確に制御《せいぎょ》された動力の轟然《ごうぜん》たる噴射だった。キーに似たスイッチの一つ一つが、それぞれ一つの噴射器《ジェット》を制御していた。それに軽くすばやく触れれば、適度な推力が生じるが、はげしくいっぱいに押せば、強力な推力が生じる。いっそう強く圧迫して、十二の刻み目のどの一つにでもくいこませれば、望みどおりの大きさの推力が継続的に発生し、キー解放装置に触れてはじめてそれが停止するのだった。
ヘンダスンは宇宙船操縦の名手《ビルトチュオーソ》だった。巨大な宇宙船はなめらかにらくらくと、しかしほんの数秒のうちに回転し、螺旋《らせん》状に旋回《せんかい》して、着陸用ジェットが作用を開始し、重力の五倍の推力を発生していた。つづいて、同様ななめらかさで、ほとんどそれとわからぬほどに推力の方向が変化し、船は炎につつまれたスクリーン・ドームの真上に出た。しかし、この操作《そうさ》の洗練された完全さとか最高の技巧とかにはだれも注意をはらわなかった。他のふたりのチーフ・パイロットでさえそうだ。いや、当のヘンダスン自身がもっともそうだった。これは彼が当然なすべき仕事だった。彼はチーフ・パイロットであり、困難な操作をやさしそうにやってみせるところに、彼の有能さがあるのだった。
「隊長、やっつけましょうか? いけませんかね、え?」射撃長のチャットウェーはこの言葉を口に出したわけではなかった。口に出す必要もなかった。射撃長とその部下たちの態度や身ぶりだけで、その意中がはっきりしたからだ。
「まだいかんよ、チャッティー」レンズマンは無言の問いに答えた。「やつらがわれわれを包囲するまで待たなければならん。やつらを全滅させるためにな。一《いち》か八《ばち》かの冒険だ――もし一隻でも逃《の》がすか、われわれが用いようとしている兵器を分析してそれを報告する時間を与えるかすれば、たいへんなことになる」
彼はそれから、包囲された基地内の将校と連絡をとって、さきほど中断された会話を復活した。
「われわれはきみたちを救援できると思う。しかし、それを効果的に行なうためには、エーテルが晴朗《せいろう》にならなければならない。きみたちの船に有効範囲外に出るように命じてくれないか?」
「どのくらいの時間か? 敵は惑星が一回転するあいだに、われわれに、とり返しのつかぬ損害を与えることができるのだ」
「せいぜいその二十分の一の時間ですむ――もし、そのあいだに成功できなければ、まったく成功できないのだ。それに、彼らは、きみたちにそう多くのビームを向けはしないだろう、もし向けたとしてもね。彼らはわれわれに攻撃を集中するだろうから」
やがて防衛側の船が遠ざかってしまうと、キニスンは射撃長をふりむいた。
「QX。チャッティー。副放射器を放射しろ。思いきりやっつけるんだ!」
これまで重戦艦にしか積まれたことのない強力な放射器が、敵のビームとは比較にならないほどはげしい熱線を、もっとも近くにいたボスコーンの船にそそぎかけた。しかも、それらは副放射器だったのだ!
すでに述べたように、ドーントレス号は、けたはずれの宇宙船だった。まず巨大だった。体積でも質量でも、重戦艦より大きかった。しかも、針のようにとがった船首からジェットを装置された船尾まで、文字どおり力《パワー》のかたまりだった――空港司令官ヘインズおよびその部下の設計者、技術師たちの創意に富んだ心で考えうるかぎりの非常事態に対応できる力だ。ふつうの宇宙船なら吸収スクリーン励磁器《れいじき》を二つかせいぜい三つ持っているきりだが、ドーントレス号は二百持っていた。ふつうの船の母線は、断面積二、三平方インチの矩形の銅線だが、この船のは、純銀の同軸チューブを重ねあわせたもので、直径一ヤード以上もあった――この複合|並列《へいれつ》導線のおのおのの送電能力は、何百万アンペアに達するのだ。この強力な攻撃船に積まれているものはすべて、それと同様な巨人的規模を持っていた。
ドーントレス号が放射したビームは強力なものだったが、致命傷を受けた海賊船は一隻もなかった。どの船も外部スクリーンは破壊されたが、第二スクリーンまで破壊された船は数隻にすぎない。しかし、これはパトロールマンの戦術だった。こちらの武器は海賊のよりいくらか強力だが、実際に危険をおよぼすほど強力ではないと海賊に思いこませるためである。
そういうわけで、数分のうちに、ボスコーンの船は新来者につめよって包囲しはじめた。もちろん、この船が下方の惑星の産物で、それに乗り組んでいるのは、これまでボスコーンの侵略を頑強にくいとめてきた種族だとばかり思いこんでいたのだ。
彼らは攻撃を開始し、そのビームの集中放射のもとで、パトロール船の外部スクリーンは破壊されはじめた。それはスペクトルの色調に応じていよいよはげしく発光していった。目もくらむような白色――青――耐えがたいほどの紫の閃光《せんこう》。そして部分的に目に見えない紫外線を発し、ついに黒い燃《も》え殻《がら》となった。第二スクリーンはもっと長く、もっと頑強に抵抗したが、ついにそれも破壊された。第三スクリーンは自動的に攻撃を受けとめた。それと同時に、ドーントレス号の放射器の力が弱まった。まるで力を攻撃から防御に切り替えて、第三の、そして最後と思われる防御スクリーンを強化しにかかったかの観がある。
「もうすぐだぜ、チャットウェー」キニスンはいった。「やつらが、もうわれわれを窮地《きゅうち》に追いこんだから、エーテルから消滅させるのは時間の問題だ、と報告できるような状態になった瞬間をねらうのだ。おい、海賊ども、いまのうちに報告しておいたほうがいいぞ――通信だけはテープに保存しておいてやるからな」
「新式の交換可能式主放射器八門を同時に放射する準備が整いました」射撃長はてきぱき報告した。「二十一隻の船がわれわれを包囲しており、探知できる範囲内に他の船はおりません。放射時間〇・六〇秒、スイッチ時間〇・〇九秒、全操作時間は一・九八秒であります」
「テープ・レコーダー操作の主任通信士ネルスン、最後まで生き残った敵船が、われわれに実質的損害を与えるような通信を二秒以内で送れるかね?」
「わたしの判断では、それは不可能であります」ネルスンが四角ばって報告した。「通信員は観測員でも技術員でもありません。他の要員から伝達を託された資料を伝達するのだけが仕事です。もしわれわれの船が攻撃を開始した瞬間に、敵の通信員が自分の基地に通信ビームを送っていたとすれば、自分の船の破壊を報告することはできるかもしれませんが、用いられた攻撃兵器の性質を明確に伝達することはできないでしょう。このような報告は無害です。なぜなら、船が破壊された事実は、いずれにしてもすぐに判明するからです。しかし、われわれは容易に圧倒されたようなふりをしており、このようなことは日常|茶飯事《さはんじ》ですから、この分遣隊《ぶんけんたい》は、つねに基地と直接連絡をとれるような態勢を整えてはいないという公算が大です。もしそうだとすれば、二秒間のうちに連絡を確立することはできないでしょう」
「キニスンより伝達。自分の能力の最善をつくして検討した結果、この瞬間に敵と交戦しても敵はわれわれの主兵器について、なんらの情報をもボスコーンへ伝達できないものと判断する――放射!」
通常の放射器を過負荷にすることによって破壊的なビームを発生させるという方法は、原理的にはボスコーンの技術者によって発見されたというのが事実である。しかしボスコニアに関するかぎり、その秘密は発見者とともに死滅した。なぜなら、そのときはすでに、海賊たちは第一銀河系の中に総司令部を持っていなかったからだ。そしてパトロール隊は、その原理を基礎とする兵器を完成するために数カ月を費やした。その作業は、ヘルマスの基地の宇宙要塞の最後のひとつが破壊されないうちにはじめられたからである。
この新式放射器は、放射によって射撃手までも死んでしまうというようなことはなかった。なぜなら、彼らはエネルギーの遮壁ばかりでなく、何フィートという鉛、オスミウム、炭素、カドミウム、パラフィンなどの遮壁で、致命的な逆放射から守られていたからだ。耐熱部分は新しい炭素合金で、MKR力場《フィールド》で強化されていた。放射装置は、当時の科学に知られているかぎりでは、もっとも抵抗力の強い資材でつくられていた。しかしそれでも放射装置の寿命は半秒ちょっとしか保《も》たなかった。それに加えられる過負荷《かふか》はそれほどものすごかったのだ。ライフルのカートリッジ同様、それは一度の放射に耐えられるだけで、あとは廃棄されて、新しい放射装置と交換されるのだった。
しかし、それらの問題の解決は比較的容易だった。莫大《ばくだい》なエネルギーをスイッチで切断するということのほうが、大変な難問題だった。従来のキンマーリング式遮断器では、千億キロ・ボルト・アンペアをはるかに越えるような負荷を加えられると、アーク放電を起こしやすく、したがってこの新しい装置に使用することなど思いもよらなかったのだ。しかし、パトロール隊の技術陣はついに埋没《まいぼつ》アンテナと半透性《はんとうせい》コンデンサーの結合体を開発することに成功した。この装置はソーンダイク式過重スイッチと名づけられた。もちろん、このスイッチはかさばった――当時の技術をもってしても、この電圧と電流量を中断する装置は、小さくはできなかったのだ――しかし、実用的で、機能がはやく、確実だった。
キニスンの命令一下に、このとほうもないビームが八本放射された。Qタイプの螺旋形力場でも抵抗できないような、強力きわまるエネルギーの錐《きり》だ。それらのビームは、測定するいとまもないほどの瞬間に、スクリーンを、防御壁を、金属板を貫いた。どのビームも、消える前にちょっと横に振られたので、相手は文字どおりまっ二つになったり、いくつにも切断されたりした。その効果は、かつてパトロール隊の巡洋艦をいともやすやすと破壊したボスコーンの即席新兵器の効果をはるかにしのいでいた。事実、それは設計者の理論的計算値と正確に一致していた。
最初の八本のビームがまたたくまに消えると、また八本が放射され、さらにまた五本が放射された。いっぽう、強力な副放射器は、放射口全開で破壊現場の空間をなめまわしていた。それらのビームのまえには、金属も有機物と同じだった。固体も液体もあらゆるものが気化して消滅した。いまや、この未知の惑星の上空には、ドーントレス号だけが横たわっている。
「すごい――すばらしい!」キニスンが、はるか下界《げかい》の生物と精神感応を回復するやいなや、相手の思考波が彼の脳を打った。「われわれは味方の船を呼び返した。すぐ、こちらの宇宙空港へ着陸していただきたい。われわれがずっと以前から準備してきたある計画を実行に移したいのだ」
「きみたちの船が着陸したら、ただちに着陸する」地球人は承諾《しょうだく》した。「それより早くは着陸しない。なぜなら、きみたちの着陸施設はわれわれのとは非常に異なっているにちがいないから、事故を起こしたくないのだ。着陸場に完全にじゃまものがなくなったら、連絡してくれたまえ」
やがて連絡がきたので、キニスンはパイロットたちにうなずいてみせた。ドーントレス号はふたたび無慣性状態に移行して大気圏深く下降した後、また有重力状態にもどった。ふたたび速度を同調させるのは、容易な操作だった。そして地球の戦艦のとほうもない船体は、強力な着陸用ジェットの列が発生する推力に支えられながら、あざみの冠毛《かんもう》がただようようにかるがると、地上へ向かって降下して行った。
「彼らの着陸用船台はもちろんこの船には不適当でしょう。もし大きさが充分だったとしてもね――事実は必要な大きさの半分しかないでしょうが」シェルメルホルンがいった。「この船をどこへ置かせるつもりなんでしょうな」
「彼らは『どこでもいい』といっている」レンズマンが答えた。「だが、そいつはあまり言葉どおりに受けとりたくない――しっかりした船台の上でないと、この船を着陸させた場所にすごい穴ができてしまう。船はちっともいたまんだろうがね。この船はそういうふうに設計してあるんだ――地球以外には、この船を乗せるに適当な船台は見つかるまい。あそこのすみに平らに着陸させよう。じゃまにならんようにな。あのでかい格納庫《かくのうこ》にできるだけ近よせるんだ。ただし、ジェットで格納庫をふっとばさないようにしろよ」
キニスンがいったように、この船の軽さは見かけだけだった。巨大な船は指定された一角に向かってなめらかにらくらくと下降していったが、舗装された地面に接触しても停止しなかった。やはりらくらくと、そして衝撃や動揺もなしに下降していった――コンクリート、強化鋼材、固められた地面を二〇フィートもへこましてはじめて停止したのである。
「なんという怪物だ! いったい何者だ? どこからきたのだ?――」キニスンは、こうした多くの混乱し驚愕《きょうがく》した思考を受けとった。外来の宇宙船の真の大きさと重さが住民にはっきりわかったからだ。やがてまた将校の明確な思考が伝達された。
「われわれは、きみたちがこの惑星の大気のテストをすませしだい、なるべく多数、われわれとの協議に参加してくれることを切望している。必要ならば、宇宙服のまま来てくれたまえ」
空気がテストされ、適当であることがわかった。ここの空気は地球、リゲル系第四惑星またはヴェランシアの空気と完全に同調できないのは事実だったが、その点では、ドーントレス号内部の空気にしても同様だった。なぜなら、その混合気体は各惑星の空気の折衷物《せっちゅうぶつ》で、おまけに人工的なものだったからだ。
「ウォーゼル、トレゴンシーおよびぼくがこの協議に参加する」キニスンは決定した。「他の者は待機すること。いうまでもないことだが、警戒を怠らないように。予告なしに、どこでどんなことが起こるかもわからんからだ。探知器をいっぱいに展開して監視するのだ――『自己の任務を全力で遂行できるように』していたまえ。さあ、行こう」
三人のレンズマンはそれぞれ歩き、のたくり、よちよち歩きしながら空港を横切って、管理ビルの広大な一室にはいって行った。
「異邦人いや友人諸君といおう、われわれの大統領、賢者《ワイズ》をご紹介します」キニスンと連絡していた将校が明確な口調でいった。しかし、三人のレンズマンには、その将校が地球人のふたりの同行者を見てびっくりしていることが、ありありとわかった。
「諸君はわれわれの言葉を理解するということだが――」大統領はあやふやに話しはじめた。
彼もまたトレゴンシーとウォーゼルを見つめていた。彼が知らされたところでは、キニスンは多少とも自分たちに似た生物だから、他の訪問者もそうだろうという話だった。しかしこのふたりの生物ときたら!
なにしろ、彼らの姿はわずかでも人間に似ていないのだ。リゲル人のトレゴンシーのなめし皮のような皮膚、多数の触手、ドラム罐のような胴体、動かないドーム状の頭、四本のずんぐりした円柱状の足などは、はじめて見る者には、きわめて異様にうつったにちがいない。ヴェランシア人のウォーゼルのほうは、それよりはるかに異様だった。彼は悪夢の中の幻影を具象化《ぐしょうか》したような、恐ろしい姿だった――皮膜質の翼、わにのような頭、節《ふし》くれだった腕などを持った、長さ三〇フィートもある大蛇のような怪物!
しかし、惑星メドンの大統領は、三人の異邦人が共通に持っている物にすぐ気づいた。いずれも固有の擬似《ぎじ》生命によって燃えるように輝いている三つのレンズ――キニスンのは、たくましい手首に合金のバンドでとめられていた。トレゴンシーのは、一本の太い筋肉質の触手のつやつやした黒い肌に埋めこまれていた。ウォーゼルのは、ひたいの中央、伸縮自在の柄《え》のついた多数の無気味な目のうちの二つの中間に、堅いうろこ状の皮膚の中に、容赦のない力で打ちこまれているようにみえた。
「ぼくらが理解するのは、あなたがたの言語ではなく、思考なのです。それができるのは、あなたがすでに気づいたこのレンズのおかげです」キニスンがこの思考を伝達すると、大統領は驚いて目を見はった。「話をつづけてください――いや、ちょっと待っていただきたい!」まちがいようのない感覚がキニスンの全身を走ったのだった。「ぼくらは≪無重力状態≫に移行している。惑星全体がそうらしい。すくなくともその点では、あなたがたはぼくらより進歩していますね。ぼくが知るかぎりでは、ぼくらの銀河系のどんな種類の科学者も、惑星全体を無重力化するほど巨大な重力中立装置を思いついたことはありません」
「これはずっと以前から計画され、建造に何年もかかった」ワイズが答えた。「われわれはわれわれの敵でもあり諸君の敵でもあるボスコーンから逃れるために、この太陽系の太陽を去りつつあるのです。これはわれわれが生き延びる唯一のチャンスだ。準備はずっと前にできていたのだが、諸君がたったいまつくってくれたようなチャンスは、これまで一度もおとずれなかった。ボスコーンの宇宙船が、われわれの惑星の脱出を観測できるところに一隻もいないということは、この何年来はじめてのことだ」
「この惑星はどこへ行くのです? ボスコーン人は、そのつもりになれば、あなた方を発見できるでしょうが」
「それはありうることだ。しかし、そのくらいの危険はおかさねばならん。われわれには、停戦期間が必要だ。さもなければ、滅亡してしまう。長いこと戦争がつづいたので、資源はつきはてようとしている。この銀河系には、惑星が非常に少ない区域がある。しかも、その少数の惑星のうち、居住者があるものや居住可能なものは一つもない。その区域へ行ってもなんのうるところもないので、宇宙船はほとんどそこをおとずれない。もしわれわれが敵に探知されずにそこへ行きつければ、じゃまされずに立ち直ることができるだろう」
キニスンは同僚の両レンズマンとすばやく思考をとりかわしてから、またワイズをふりむいた。
「ぼくらは隣りの一銀河系からきたのです」彼はそう告げて、自分がいったのがどの銀河系かということをワイズの心に正確に指摘《してき》した。「あなた方の惑星はこの銀河系のへり近くにあります。なぜぼくらの銀河系へ移動しないのです? あなた方はこの銀河系に友人を持っていない。なぜなら、あなたは、ボスコーンに征服されないで残っている惑星はこの惑星だけだと考えているからです。ぼくらの銀河系へ行けば友好的に迎えられることは、保証できます。また、あそこでは、近い将来に平和――すくなくとも平和に近いもの――がおとずれる可能性もあります。なぜなら、ぼくらの銀河系からボスコニアを駆逐《くちく》しつつあるからです」
「きみが『平和に近いもの』と考える状態は、われわれにとっては具体化された平安そのもののように感じられるだろう」老人は感情をこめて答えた。「事実、われわれはまさにそのような移動をすることを長いこと考慮してきた。しかし、二つの理由からそれに反対の決定に達したのだ。第一に、われわれは諸君の銀河系の情況について何も知らなかったから、悪い条件をのがれても、いっそう悪い条件にぶつかりはしまいかと心配したのだ。第二に、そしてもっとも重要なことに、銀河系間空間の物質の密度について、信頼すべきデータがなかったからだ。それがないために、その航行に必要な時間を見積もることができなかった。また、われわれの動力源は巨大ではあるが、輻射によって失われる熱を補うに充分かどうか、確信をもてなかったのだ」
「ぼくらの銀河系の情況についてはすでに話しましたし、あなた方に欠けているデータも提供できます」
そしてキニスンたちはそのデータを提供した。メドン人たちは数分のあいだ協議した。そのあいだに、キニスンは動力工場の一つを知覚力で調査した。彼は超巨大なエンジンを見ることを予期していた。太さ一〇フィートもある母線は、おそらく液体ヘリウムで冷却されているだろう。その他の部分もそれ相当に巨大にちがいない。ところが、彼は実物を見て驚きのあまり息をのみ、トレゴンシーの注意をうながした。リゲル人はキニスンとともに知覚力を投射したが、これまた驚きのあまり茫然《ぼうぜん》とした。
「どう思うね、トリッグ《トレゴンシー》?」ついにキニスンがたずねた。「こいつはぼくよりきみの専門だ。あのモーターはぼくの足くらいの大きさしかないが、一時間に一千ポンドの物質をエネルギー化していることに首を賭けてもいいね。おまけに、その全出力を送り出している二本の導線は、四番線より太くなくて、ふつうの並行導線と同じようにいっしょに被覆《ひふく》されている。完全絶縁体なのかな? もしそうなら、スイッチはどうなんだ?」
「ほとんど無限の抵抗力を持つ物質にちがいない」リゲル人は奇妙な機構を熱心に観察しながら、うわの空《そら》で答えた。「それに、銀よりすぐれた良導体にちがいない。十ないし十五程度の電圧量を処理できるのでもなければな。だが、そんな電位をどんな方法で中断できるかわからない――たぶんスイッチを用いていないのだろう――一つも見あたらない――主動力源を閉鎖《へいさ》するにちがいない――いや、あそこにあった――あまり小さいので、まるで気がつかなかった。あそこのあの小さな箱の中だ。一種のジャム・プレート式だ。薄い絶縁板のへりに刃がついていて、それが隙間《すきま》の中で作用して二つの導線を切断するのだ――箱の一端についたせまい隙間にアーク放電を押しこんで、そいつを消してしまうのだ。導線は接電ごとに溶けてつながり、中断ごとにちょっと焼け離れるにちがいない。だから、更新可能端子がついているんだ。キム、彼らはまったくすごいものを持っているぞ! わたしはここにとどまって、しばらく研究しよう」
「そうだ。そしてドーントレス号を改造しなければ――」
ふたりのレンズマンは、ウォーゼルの呼びかけで観察を中断された――メドン人たちは、第一銀河系へ移動せよというすすめを受け入れることに決したのだ。命令が発せられ、コースが変更された。そしていまやまったくの宇宙船と化した惑星は、新たな方向へ向かって突進して行った。
「もちろん快速艇ほど速くはないが、それでものろまじゃない――充分な速度で航行している」キニスンはそういってから大統領をふりむいた。「あなたをただ『ワイズ』と呼ぶのは、あつかましすぎるようです。とりわけそれがあなたの本名ではないとわかっているもんですから――」
「わたしはメドン人からそう呼ばれているのだから、諸君もそう呼んでくれたまえ」老人は答えた。「われわれメドン人は、名前を持っていない。それぞれが番号を持っている。番号というよりは、数字やわれわれのアルファベットで構成された記号だ――この記号は、その者の等級を完全に示している。しかし、こうした記号はふだん用いるには不便すぎるから、われわれはみんなあだ名をつけられている。ふつうは形容詞で、多少ともその者の性質をあらわしているとされる。われわれはきみのような地球人には完全な記号を与えられないし、きみのふたりの友人にはまったく記号のつけようがない。しかし、諸君も興味をひかれることと思うが、きみたち三人には、すでにあだ名がつけられているのだ」
「そうでしょうとも」
「きみは『鋭敏者《キーン》』、リゲル系第四惑星人は『強者《ストロング》』、ヴェランシア人は『軽快者《アジャイル》』と呼ぶことにする」
「ぼくにとってはまことに称賛的なあだ名です。だが――」
「わたしもそうわるくないと思いますな」トレゴンシーが口をはさんだ。「しかし、もっとまじめな仕事にとりかかったほうがよくはありませんか?」
「そのとおりです」ワイズは賛成した。「諸君と協議すべきことがうんとある。とりわけ諸君が使用した兵器だ」
「あれについて何か分析できましたか?」キニスンはするどくたずねた。
「いや。どのビームも分析できるほどの時間、放射されていなかった。だが、記録されたデータ、とくに熱度の数値――これは信じられないほど大きな数値だった――それらを検討した結果、あのビームは従来のタイプの放射器とはちがう放射器に、非常な過負荷をかけた結果えられたものだという結論に達した。われわれの中には、なぜあのアイディアをわれわれ自身思いつかなかったかとふしぎがっていた者もあった――」
「あれがぼくらにたいして用いられたときには、ぼくらもそう思いましたよ」キニスンは微笑して、主力兵器の由来を説明した。「あれの数式と製造工程を教えましょう――防護施設もふくめてね。というのは、充分な防熱装置がないと、非常に危険だからです。ただし、そのかわりに、動力工場の構造について、多少教えていただきたいのです」
「こうした知識交流は非常に有益ですな」ワイズは賛成した。
「ボスコーン人はこのビームについては何も知りません。そしてわれわれは、やつらにそれを知られたくないのです」キニスンは注意した。「ですから、二つ注文があります。第一に、この超強力ビームを使用するのは、他のあらゆる兵器を使用して効果がなかった場合だけにかぎること。第二に、その場合でも、ボスコーン船を、われわれがさっきやったようにほとんど同時に全滅させることができないときは、使用しないこと。どんなことが起こったかをボスコーンの基地に通報されないためです。もっともな注文でしょう?」
「もっともだとも。われわれはなんの留保もなしに賛成する――このような秘密がボスコーンにもれないようにすることは、きみたちの利益であると同時に、われわれの利益でもあるのだからな」
「QX、さあ、ちょっと船へもどってこよう」三人はドーントレス号にもどった。「トレゴンシー、きみときみの部下は、この惑星にとどまることを望んでいる。メドン人たちに、彼らがなすべきことを教え、全般的に彼らを援助するとともに、彼らの動力システムについて学ぶためだ。ソーンダイク、きみときみの部下たち、それからたぶんレンズマンのホッチキスも、それらのことを学んだほうがいい――きみたちなら、彼らが接続図を見せてくれればすぐ、必要なことがわかるだろう。ウォーゼル、きみは船に残ってほしい。今後指示があるまで、船の指揮をとってくれ。この惑星がこの銀河系から充分外に出るまで、一週間か十日ぐらいは、船をここにとめておくのだ。それから、もしホッチキスとソーンダイクが必要な資料を完全に手に入れていなかったら、彼らをトレゴンシーといっしょにここに残して、ドーントレス号を地球へ突進させてくれ。そしてしばらくは他の任務につくのをひかえて、ぼくと連絡がとれるようにしておいてほしい。ぼくは超長距離通信機を必要としないかもしれないが、まだなんともわからない」
「なぜそんな含みの多い命令を出すんです、キム?」ホッチキスがたずねた。「探検隊の隊長が隊を捨ててどこかへ行ってしまうなんて、初耳ですな。われわれと行動をともにしないんですか?」
「いや――別行動をとらなければならん。ちょっと思いついたことがあるんだ。ぼくの快速艇を出してくれないか、アラーダイス?」そしてグレー・レンズマンは出発した。
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五 麻薬業者《ズウィルニク》デッサ・デスプレーンズ
キニスンの快速艇は惑星メドンをとびだして、敵に探知されることもなく、無事にパトロール隊の最高基地にもどった。
「なぜ葉を茂らせてるんだね」空港司令官はキニスンと顔を合わすとすぐたずねた。なぜなら、グレー・レンズマンは、のびかけどころではない無精《ぶしょう》ひげをはやしていたからだ。
「ちょっとのあいだ、チェスター・Q・フォーダイスに変装する必要がありそうなのです。必要がなければ、すぐそりおとせます。必要ならば、本物のひげのほうが、つけひげよりずっとましですからね」そして彼はすぐ本論にはいった。
「すばらしい成果だ。まったくすばらしい」ヘインズはキニスンの報告をききおわって称賛した。「すぐ仕事にとりかかって、技師たちがメドンから必要なデータを持ち帰ったら、いっきょに事を運べるようにしておこう。だが、もう一つ、ききたいことがある。きみはあの通信ビーム捕捉《ほそく》スクリーンを、どうしてあれほど正確な位置に展開させることができたのかね? 通信ビームは事実上スクリーンの中心を貫いていた。あの事実が発生するまえ、きみはあれを単なる仮定または疑惑だといっていたが、単なる予感よりずっと確実な根拠を持っていたにちがいない。どういうわけだったんだね?」
「まだ証明されてはいませんが、合理的な、ある宇宙進化論にもとづく推定です――しかし、そういう問題については、閣下のほうが、わたしよりよくご存知でしょう」
「そんなことはない。わしは天文学者や天文物理学者の研究について、ときどきなまかじりに読んだだけだ。きみにそういう特殊知識があるとは知らなかったな」
「特殊知識というわけではありませんが、ちょっとばかり一夜づけの勉強をする必要があったのです。この問題をあきらかにするためには、はるか昔までさかのぼらなければなりません。もちろんご承知でしょうが、ずっと昔、惑星間宇宙船さえ開発されていなかったころは、全銀河系を通じて同時に四つ以上の太陽系は存在しえない、ということが一般に信じられていましたね?」
「そうだ、わしは若いころ、ウェリントン理論に接した。この理論自体はまだ正しいとされているんじゃないかね?」
「おっしゃるとおりです――その他の理論はすべて、角運動量とフィラメント・エネルギーという動かしがたい事実にぶつかってくつがえされてしまいました。ですが、閣下はもうわたしのいおうとすることがおわかりでしょう」
「いや、かすかにわかりかけてきたということだけはいえるがね。つづけたまえ」
「QX。ところで、ウェリントンが主張した天文学的異変は、十の十乗の二倍ほどの年数のあいだに一度だけ起こるきりですが、銀河系宇宙には、このウェリントン異変一回によって生じる惑星の何百万倍もの惑星があることがわかったので、そのような異変の数を数百万倍にするために、なんらかの仮説が考案される必要がありました。銀河系の中で恒星が偶然的運動を行なったとしても、そういう結果にならないことはあきらかです。また、球形の星団が銀河系の中を振動《しんどう》しながら通過したとしても、そういう結果にはなりません。しかし、二つの銀河系が遭遇したとすると――へりとへりで接触して完全にすれちがったとすると――非常にうまく説明がつきます。また、銀河系の一方の側《がわ》の太陽系のほうが反対側の太陽系よりいくらか古いという事実も、それで説明がつきます。問題は、すれちがった銀河系を発見することです。それを発見した人は、たしかファバン・デア・シュライスだったと思います。それはランドマーク星雲でした。この星雲はわれわれの銀河にへりを向けて、毎秒三千百十六キロメートルの速度で遠ざかっています――この速度を重力減少率で修正すると、ランドマーク星雲は、われわれのもっともすぐれた地球物理学者や地球化学者の推定する地球誕生のときに、ちょうどこの銀河系の位置にいたことになります。もしこの理論が正しいとすれば、ランドマークの星雲は、やはり無数の惑星を持っていることになります。この理論を確かめるために、四つの探検隊が派遣《はけん》されましたが、一つももどってきませんでした。いまではその理由がわかっています――ボスコーンにやられたのです。われわれがもどれたのは、閣下のおかげです。まったく閣下だけのおかげなのです」
「聖なる宇宙神クロノに誓って!」老人はこの賛辞《さんじ》には耳もかさずに感嘆のため息をついた。「ピッタリ当てはまる――まったくぴったりじゃ」
「小数点以下十九位まであてはまります」
「だが、それでもまだ、きみがあの線に向けて罠《わな》をしかけた理由がわからん」
「わかりますとも。大宇宙には無数の惑星を持った銀河系がいくつあるとお考えですか?」
「どの銀河系もそうだろう――いや、そう多くはないかもしれん――わしにはわからない――その問題については何も読んだおぼえがないな」
「ええ、そうでしょうね。わたしのような気ままな宇宙探偵か、ワッキー・ウィリアムスンのような気ちがいじみたSF作家でもなければ、こんなとほうもないことを思いつきゃしません。この理論が根拠《こんきょ》薄弱なことは認めますが、それを採用するとすれば、そのような銀河系は二つしかないことになります――ランドマーク星雲とわれわれの銀河系です」
「ほう? なぜだね?」ヘインズがたずねた。
「なぜなら、銀河合体は銀河遭遇のウェリントン異変同様、めったに起こるものではないからです」キニスンは主張した。「銀河系同士の距離は、銀河系の大きさを考慮にいれれば、相関的には、恒星同士の距離よりも近いのは事実ですが、そのかわり、銀河系同士の相関的運動は構成同士の相関的運動よりもおそいのです――つまり、恒星が平均的な恒星間距離を横切る速度は、銀河系が平均的な銀河系間距離を横切るよりずっと速いのです――そういうわけで、全体の確率《かくりつ》はとんとんになってしまいます。ワッキーとわたしが計算したかぎりでは、二つの銀河系が充分多数の惑星系を発生させるほど深く遭遇する確率は、十の十条の一・八倍ほどの年数に一度です。お望みでしたら、計算尺を使って検算してください」
「きみの言葉をそのままに受けとるよ」老レンズマンはうわの空でつぶやいた。「だが、どんな銀河系でも常時、すくなくとも二つ以上の太陽系を持っているだろう――しかし、きみの主張はわかる。ボスコーンが数億の惑星をふくむ銀河系に存在する可能性のほうが、居住可能な惑星を一ダースたらずしか持たない銀河系に存在する可能性よりもはるかに大きい。だが、それでも、すべての銀河系が多数の惑星をふくんでいる可能性はある。きみよりもっと奔放《ほんぽう》な空想をして、それが正しいと仮定してみよう。つまり、銀河系の集団からなる大宇宙がまた多数あって、銀河系が大宇宙空間に散在《さんざい》すると同じように、超大宇宙空間に散在していると仮定するのだ。その多数の大宇宙のうち二つが衝突する可能性はある、そうじゃないかね?」
「可能性はあります。しかし、閣下はもうわたしの空想の外へ出てしまわれました。宇宙探偵もそこから先は退却《たいきゃく》です。あとは閣下とSF作家におまかせしますよ」
「うん、それできまった――つまり、わしはきみよりもっと気ちがいじみた空想家なんだ!」ふたりは笑った。空港司令官はつづけた。「これは魅力的な推論だ……空想をほしいままにするのも、ときにはわるくない――だが、それよりずっと重大な問題がある。ではきみは、麻薬シオナイトの一味がこの問題にからんでいると思うんだな?」
「そう思わざるをえないのです。すべての現象《げんしょう》がこのことと結びついています。この銀河系の知的種族の大部分は、赤い温血を持った酸素呼吸生物で、この体質の生物だけがシオナイトの影響を受けるのです。シオナイトの悪習にそまる者が多いほど、ボスコーンにとっては好都合《こうつごう》なのです。われわれがシオナイト組織の真の親玉をつきとめられない理由もそれで説明されます。やつらはふつうの犯罪集団とちがって、背後にボスコニアのあらゆる頭脳とあらゆる資源をひかえているのです。しかし、もしやつらの組織がそれほど大きいとすると、そしてわれわれが知っているように有能だとすると……なぜ……」キニスンの声は宙に消えた。彼の脳は激しく働いた。
「わたしにまったく関係のないことを一つうかがいたいのです」若いレンズマンは妙に変わった口調で、ほとんどすぐたずねた。「レンズマン学校の五年生たちが卒業直前に姿を消すという事件が起こりはじめたのは、どのくらいまえからですか? つまり、レンズの調整に必要な能力測定を受けにアリシアへ行った生徒たちで、アリシアへ到達しない者があるという事実のことです。すくなくとも、彼らは二度と帰還せず、彼らのためのレンズは与えられていないのです」
「十年くらいまえからだ。正確にいえば、十二年かな……」ヘインズは中途で言葉を切り、青年の目をじっとのぞきこんだ。「そういう事件が起こっているということが、どうしてわかったかね?」
「また推論ですが、こんどはこの推論が正しいということがわかっています。毎年すくなくともひとり。ふつうは二、三人ですね」
「そのとおりだ。しかし、宇宙事故というやつはつきものだから……あるいは、海賊に捕えられたのか……では、きみはそう思うのかね……?」
「思うのではありません。知っているのです」キニスンは断言した。「彼らはアリシアへ着いて、そこで死んだのです。わたしにいえるのは、アリシア人に感謝するということだけです。われわれは依然《いぜん》としてレンズを信頼することができます。アリシア人がそうはからっていてくれるからです」
「だが、なぜ彼らは、われわれにそのことを教えなかったのだ?」ヘインズはふしぎそうにたずねた。
「彼らは教えることを望まなかったのです――それが彼らのやり方です」キニスンは率直に確信をこめていった。「彼らは、われわれが使命をはたせるようにレンズという装置を与えました。そしてその装置の純潔性がけがされないように気をつけているのです。しかし、それをどう扱うかは、われわれが自分で学ばねばならないことです。われわれは自分の戦いを自分で戦い、勝利を得ねばなりません。われわれはヘルマスとその総司令部を一掃することによって、この銀河系から敵の軍事組織を除去したわけですから、真のボスコーンに通じる線をたどるには、麻薬シンジケートを追求するのが最良の方法だと思います。閣下がヘルマスの残党をやっつけて、やつらに新しい軍事基地を建設させないようにしているあいだに、わたしはその仕事にとりかかったほうがいいと思います。そう思われませんか?」
「おそらくそうだろう――きみは自分の能力をいちばんよく知っているからな。きみがどこから手をつけるつもりか、きいてはいかんかね?」ヘインズはからかうようにキニスンを見やりながらいった。「その点も推論したかな?」
グレー・レンズマンもおどけた目つきを返した。「ちがいます。推論もそこまではとどきません」彼は同じような口調で答えた。「その問題は、閣下が教えてくださるのです。閣下の畑ですからね」
「わしがだって? わしにどんな関係があるのかね?」空港司令官は驚いたふりをした。
「次のような関係があるのです。おそらくヘルマスは麻薬取引きにはなんの関係もなかったと思います。ですから、麻薬の流通組織は、まだ損害を受けていないにちがいありません。もしそうなら、やつらはヘルマスの組織をできるだけ多く接収して、これまでよりもっとはげしい攻勢に出てくるでしょう。このあたりで異常な活動が行なわれているということはまるで聞きませんから、どこかほかの場所でしょう。それがどこだとしても、閣下はそれについて知っていらっしゃるはずです。なぜなら、閣下は銀河評議会のメンバーだからです。麻薬問題を担当しているエリントン評議員は何か重大な処置を取る場合には、きっと閣下に相談するでしょう。わたしのいうことはどのくらいあたっていますか?」
「そのものずばりだよ――きみの推論は最高に正確だ」ヘインズは感心していった。「惑星ラデリックスがもっともひどい――やつらはあそこをひどくいためつけている。われわれは先週、一部隊をまるまるあそこへ派遣《はけん》した。彼らを呼びもどそうか、それともきみは独立で行動したいかね?」
「彼らにはつづけさせてください。わたしは自分だけで行動したほうがいいと思います。少し前、わたしはあの惑星のパトロール隊員たちをあることで援助してやりました――彼らは、もちろんどのみち協力してくれるでしょうが、彼らにはいわば恩を貸しておいたほうがいいのです。もし機会が到来すれば、われわれは充分に協力できるでしょうから」
「きみがこの仕事を引き受けてくれたのは大いに嬉しい。ラデリックス人は行きづまっているし、われわれのパトロールマンたちがそれ以上にうまくれやれると信ずべき理由もない。しかし、こういう新たな方針が立って、きみが舞台裏で働くとなると、事態はまったく変わってくる」
「それはわたしを買いかぶりすぎていらっしゃるのでは……」
「ちっともそんなことはない。待ちたまえ――フェイアリンで乾杯《かんぱい》しよう……幸運を祈るよ!」
「ありがとうございます、閣下!」
「乾杯!」そしてグレー・レンズマンはふたたび出発した。宇宙空港へ、快速艇の中へ、そして空中へ――銀河パトロール隊が誇る最高速の宇宙船は、全力噴射で宇宙空港を突進して行った。
長い航行のあいだ、キニスンは運動し、思考し、いくつものテープをつぎつぎに研究した――ラデリックス語のテープだ。赤毛の看護婦のことがときどきひとりでに頭に浮かんだが、それは断固として押しのけた。彼は自分にいいきかせた。女性からは永遠に遠ざかるのだ――すべての女性から。彼は新しいひげの手入れをした。三面鏡と四つの実体写真機の助けをかりて刈りこんだ。その形は大いに粋《いき》でしゃれてはいたが、バン・ダイクふうというにはあまりにもむさくるしかった。また、レンズのついた腕輪を上へずらして、露出した白い皮膚に光線をあて、手首全体が平均した褐色になるようにした。
彼は快速艇をラデリックス星に着陸させなかった。なぜなら、このスマートな小型宇宙船は、どこへ行ってもその姿で見わけられてしまっただろうからだ。一般市民はこのようなタイプの船を操縦しなかった。だから、彼は細心の注意をはらって、ラデリックスより四太陽系はなれたパトロール基地に着陸した。この基地で、キムボール・キニスンは消滅し、そのかわりに、長身でもじゃもじゃ髪の、ひげをびっしりはやしたチェスター・Q・フォーダイス――宇宙主義者で遊民でディレッタント――が誕生した。彼は次の便のラデリックス行き宇宙客船に乗りこんだが、それより数日前にその惑星にやって来た、同じ名前で同じように特徴的な外貌《がいぼう》の人物と同一人ではなかった。
グレー・レンズマン、キムボール・キニスンならぬチェスター・Q・フォーダイス氏は、ラデリックス惑星の首府アーディスで下船した。彼はホテル・アーディス・スプレンディードに居所をさだめ、そこの社交サークルの中で宇宙主義者的な自己を、目立ちすぎもせず目立たなすぎもしない程度に発揮しはじめた。彼はどこへ行こうとも、そのような社交サークルで気軽に動きまわるのだった。
自然のなりゆきで、彼は地球の大使を招待し、またその招待を受けた。同様な自然のなりゆきで、彼はさまざまのパーティに出席し、そこで何百という人々と知りあった。その多くは名士だった。そのひとりが、パトロール隊のラデリックス基地を指揮しているレンズマンのジェロンド代将だったのは、当然のことだった。
ある晩のレセプションで、レンズマンのジェロンドは、フォーダイス氏とちょっと話をするために立ちどまったが、これはまったくありふれた当然のなりゆきだった。そのときは、ふたりにいちばん近い者も二、三メートル離れていたが、これもまったく偶然だった。ところが、フォーダイス氏の行動は非常に奇妙だった。
「ジェロンド閣下!」彼はアラスカン星座のシガレットをさしだしながら、くちびるも動かさず、ほとんど聞きとれない声でいった。「いま、とくにぼくをしげしげと見たり、驚きを示したりしないでください。これから二、三分のあいだ、ぼくをよく観察してから、あなたのレンズをぼくに向けて、以前にぼくに会ったことがあるかどうか知らせてください」そして左手首の時計――ふつうの腕時計と同じくらいの大きさで同じような装飾をほどこされているが、非のうちどころのないほど趣味のいい時計――をちらりと見てから、何かありふれたことをつぶやいて歩き去った。
十分過ぎたとき、彼はジェロンドの思考を感じた。自分のレンズを用いないで、相手から一方的に思考ビームを受けるのは、奇妙な感じだった。
「わしにいえるかぎりでは、これまできみに会ったことはありません。きみがわれわれのパトロール隊員でないことは確かです。もしきみがヘインズ司令官の部下で、かつてわたしと協力して行動した人だとすれば、すばらしい変装をやってのけたものだ。いつかどこかできみに出会ったことはまちがいない。さもなければ、きみがあんな質問をするはずはない。きみが地球の白人だということは、明白な――そして周知の――事実だが、その事実以外には、きみを思い出せそうもない」
「これでわかりますか?」この質問は、キニスン自身のレンズを通じて投じられた。
「わたしは地球人のレンズマンはごくわずかしか知らないから、きみはキニスンにちがいない。だが、そういわれても、すぐには見わけがつかない。きみは変わったようだ――年をとった――そればかりではない。独立レンズマンがふつうの諜報員のような仕事をするなどということは、だれがきいたことがあるだろうか?」
「ぼくは年もとりましたし、変わりもしました――一部は自然に、また一部は人工的に。この仕事についていえば、これはふつうの諜報員に処理できる仕事ではありません――多くの特殊能力が必要なのです……」
「君は確かにそいつを持っている! わたしはあの裁判を思い出すたびに、いまでも鳥肌《とりはだ》が立つほどだ」
「では、あなたは、ぼくがレンズを用いないかぎり見破られる心配はないとお考えですか?」キニスンは問題の核心を突いた。
「絶対にだいじょうぶだ……では、きみはシオナイトのことでここへきたのか?」ジェロンドはこの男の来訪を必要とするほど重大な問題は、ほかにないということを知っていた。「だがきみの手首は? わたしはそこを観察した。きみはレンズを何カ月もそこにつけていたはずがない――地球人レンズマンの腕輪は幅一インチくらいの白いあとを手首にのこすからな」
「ここをペンシル・ビームで焼いたのです。うまい工夫《くふう》でしょう? ところで、あなたにちょっとした協力をお願いしたいのです――ご想像のように、ぼくがここへ来たのは、麻薬|一味《いちみ》を相手にするためです」
「いいとも――できるだけ協力しよう。だが、この問題を直接あつかっているのは、銀河評議会の麻薬局で、われわれではない――しかし、そんなことは、きみもわたしと同様に知っているだろう……」代将はとまどったように言葉を切った。
「知っています。それだからこそ、あなたに協力していただきたいのです――そのことと、あなたが秘密諜報部を掌握《しょうあく》していることが理由です。正直にいって、ぼくは秘密がもれるのを死ぬほど恐れています。ですから、レンズマン以外には、だれにも何も話していませんし、麻薬局とつながりのあるだれとも連絡をとっていないのです。ぼくはヘインズ閣下が提供しうるかぎりの、もっとも完全な身許証明書を持っています……」
「ではそのほうは問題ない」ラデリックス人はさえぎった。
「あなたの部下の男女諜報員に、あなたがぼくを知っているということ、ぼくと協力して行動しても安全だということを伝えてほしいのです。そうすれば、もしボスコーンの諜報員側に目をつけても、それはヘインズの諜報員としてで、ぼくの正体には気づかないでしょう。それが第一の希望です。やっていただけますか?」
「おやすいことだ。もうできたものと考えてくれたまえ。で、第二の希望は?」
「もしぼくが声をかけたら、タフな海兵隊員を船いっぱい派遣していただきたい。そのうちにバレリア人がここへ到着しますが、すぐにも援助が必要になるかもしれないからです。ぼくは戦闘を開始するつもりです――たぶん大規模《だいきぼ》なやつをね」
「手配しよう。大きくてタフな連中をな。ほかに何かあるかね?」
「いまのところはそれだけですが、ほかに一つ質問があります。あなたはアボンドリン伯爵夫人をご存知ですね? つい先刻、ぼくがいっしょに踊った女性です。彼女について何か情報を手に入れましたか?」
「そんなことはない――どういう意味なのかね?」
「ほう? 彼女がボスコーンのある種の諜報員だということさえご存知ないのですか?」
「きみはどうかしている! 彼女は諜報員ではない。そんなことはありえないのだ。なぜって、彼女は惑星評議員の娘で、われわれのもっとも忠誠な将校の妻なのだから」
「そうでしょうとも――やつらはそういうタイプの人間を手中におさめたがるのです」
「証拠が必要だ!」代将は叫んだ。「証拠を示すか、さもなければ取り消したまえ!」彼はほとんど自制心を失い、ひげの紳士がさもものうげにすわっている遠くのすみに目を向けかけた。
「QX。もし彼女が諜報員でないのなら、なぜ思考波スクリーンを身につけているのですか? もちろん、あなたは彼女をテストなさらなかったでしょうが」
もちろんテストしなかった。いわゆる礼節の要求から、ある程度のプライバシーが保たれていたのだ。地球人はつづけた。
「あなたはなさらなかったが、ぼくはしました。この仕事については、ぼくは品位も礼儀も騎士的精神も、ふつうの慎みさえも、まったく考慮しません。ぼくはレンズをつけていない者をぜんぶ疑ってかかるのです」
「思考波スクリーンだって!」ジェロンドは叫んだ。「宇宙服もつけずに、どうしてそんなことができるのだ?」
「最近開発されたものです――最新型なのです。ぼく自身が身につけていると同様に強力です」キニスンは説明した。「彼女がそれを身につけているという事実だけで、いろいろ有益な情報がえられました」
「きみはわたしに、彼女をどうしろというのかね?」代将はたずねた。彼は頭が混乱していたが、やはりレンズマンだった。
「どうもなさらなくてけっこうです――ただ、われわれの胸のうちにおさめておく情報として、最近彼女の友人が何人くらいシオナイト吸飲者になったか調べてください。もし何かしてくださるなら、彼らに警告を与えてくださってけっこうです。もっとも、ぼくはあなたに注意できるようなくわしいことは何も知りません。彼女は、ぼくが処理します。ですが、そうご心配になるにはおよびません。彼女がわれわれの真に求めている相手だとは思えません。雑魚《ざこ》じゃないかと思います――彼女を手がかりにして、すぐに大物をつかまえるというわけにはいきますまい」
「ぼくは彼女が雑魚であることを希望するよ」ジェロンドの思考波には嫌悪感があった。「わたしはボスコニアを憎むことにかけてはだれにも負けないが、あの女性を死刑室に送ることは考えるだけでいやだ」
「もし、ぼくの想像が半分でも当たっていれば、彼女はそれほどの重罪はおかしていないでしょう」キニスンは答えた。「せいぜい手びきをしているくらいのところだと思います……とにかくやってみましょう」
それから何日ものあいだ、レンズマンは人の心をさぐってまわったが、相手の心になんの痕跡《こんせき》も残さないように注意した。男女を問わず社会的地位の上下を問わず調査した。ウェートレス、大使、召使《めしつかい》、銀行家、法衣をまとった高位聖職者、トラック運転手など。彼は都市から都市をまわって歩いた。脳のほんの一部を働かせてではあったが、いつもチェスター・Q・フォーダイスの役割を演じながら、そのすばらしく強力な心の九十九パーセントは、探索し分析していた。彼がどのような不潔と腐敗の洞穴にはいりこんでいったか、またどのような真実、誠実、勇気、理想の精神的要塞にはいりこんでいったか、ということはまったく想像にまかせるほかはない。なぜなら、レンズマンはそれらのことについてまったく話さなかったし、これからも話さないだろうからだ。
彼は首都アーディスにもどり、ある夜おそく、アボンドリン伯爵の住居に近づいた。ひとりの召使がベッドから起きあがって、この深夜の訪問者をみちびき入れたが、自分がそうした行為をとったことについては、そのときもその後もまるで気づかなかった。ベッドルームのドアは内側から錠がおりていたが、そんなことがなんの役にたつだろう? どんな機械でも、彼になんの抵抗ができたろう? この腕ききの職人はさまざまの道具を持っているうえに、どんな深部に埋めこまれた構成部分でも知覚できる能力をそなえていたからだ。
ドアは開かれた。伯爵夫人は目ざとかったが、悲鳴一つ発しないうちに、一本の力強い手が彼女の口をおさえ、もういっぽうの手が、注意ぶかく隠されていたはずの思考波スクリーン発生器のスイッチを切った。それからあとのことは、きわめて迅速《じんそく》に行なわれた。
フォーダイス氏はぶらぶらホテルにもどり、レンズマン、キニスンが、レンズマン、ジェロンドに思考を向けた。
「明朝八時二十五分に、アボンドリン伯爵の私邸の前に守衛か警官をふたりばかり配置するように、なんとかうまい口実を考えてください。伯爵夫人は精神|錯乱《さくらん》を起こすはずですから」
「きみは何をした……いや、彼女は何をするというのかね?」
「たいしたことではありません。ちょっとばかりわめきたて、半分はだかでおもてへとび出し、物でも人でも手あたりしだいにくってかかるのです。蹴ったりひっかいたりかみついたりしますから、警官に注意しといてください。こそどろが彼女の部屋に侵入した形跡はうんと残っているでしょうが、官憲がそのこそどろを発見できたらたいしたものです――じつにたいしたものです。彼女の腕には、傷がつくほど何かで打たれた跡がいくつも残っているでしょうが、医者が調べても、なんで打たれたのかわからないでしょう。しかし、狂気とかそのほか何か恒久的な傷害が残る危険はまったくありますまい――二カ月くらいのうちには、すっかり回復するでしょう」
「そうか、またきみのあの精神光線機械かね、ええ? そしてきみが彼女にすることはそれだけかね?」
「それだけです。彼女はそれだけで免除してやっても妥当《だとう》だと思います。彼女はとても役にたちました。これからは善良な女になるでしょう。彼女の心に今後一生消えないような警告を与えておいたのです」
「大出来《おおでき》だよ、グレー・レンズマン! それからどうするかね?」
「もしご都合《つごう》がよければ、明後日の地球人大使の舞踏会に出席していただきたい」
「わたしもそのつもりでいたのだ。あの舞踏会は『欠かせない』会合のリストにのっているからね。とくに何か、またはだれかを同行するのかね?」
「その必要はありません。ただ、ある人間についてあなたが知っているかぎりの情報をいつでも伝えてほしいのです。その人間はおそらく伯爵夫人に起こった事件を調査するために出席するでしょう」
「わたしも出席するよ」そして事実出席した。
陽気ではなやかな集まりだったが、ふたりのレンズマンは、いずれも陽気どころではなかった。しかし、もちろん、彼らは演技していた。どちらもたがいに求め合うでもなく避け合うでもなかったが、ふたりだけになることは一度もなかった。
「男かね、女かね?」ジェロンドがたずねた。
「わかりません。わかっているのは、標識だけです」
ラデリックス人は、その標識がどんなものかをきかなかった。好奇心がないわけではなかったが、もし彼がそれを知ることをグレー・レンズマンが望むなら、すすんで彼に告げるだろう――望まないなら、彼がたずねたとしても、教えはしないだろう。
ラデリックス人の注意は突然、戸口にねじ向けられた。世にもまれな絶世の美女が現われたのだ。しかし、彼はその美人を長くは見つめていなかった。なぜなら、地球人レンズマンの思考が、その鉄のような意志を裏切って、はげしく波立ちはじめたのがわかったからだ。
「あれがそうだというのか……まさかそんなはずは……」ジェロンドは口ごもった。
「あいつだ!」キニスンはあえぎあえぎいった。「彼女は天使のように見えるが、ぼくにいわせればそうじゃない。どんな蛇よりももっと不潔だ――シルクハットをかぶって、あひるの下をくぐれるくらい低劣《ていれつ》な女だ。美しいことは確かです。宇宙空間に大騒ぎを起こすような、シオナイトの幻覚の中に出てくるような美人です。しかし、それがなんでしょう? 彼女は、かつてアルデバラン系第二惑星にいた、デッサ・デスプレーンズなのです。それがどういう意味かわかりますか?」
「ちっともわからんね、キニスン」
「彼女はシオナイトの一味《いちみ》に首まではまりこんでいるんです。ぼくも彼女の首をしめあげるチャンスが一度あったんですが、いまいましいことに、そうはしませんでした。彼女のつらの皮は、炭素合金みたいです。われわれの麻薬局の連中が大車輪で行動しているところへ、のこのこやってくるんだから……シオナイト一味は、こんな強引《ごういん》な手を打てるほど官憲を手ひどくたたきつけたと思っているのかしらん?……きっとあなたは彼女のことをご存知ないでしょう?」
「これまで会ったこともないし、噂を聞いたこともない」
「おそらく彼女は、このあたりでは知られていないのでしょう。さもなければ、やつらは対決のときがきたと考えたのか……それとも、そんなことも問題にしていないのか。しかし、彼女がここにきたことで、ぼくはむずかしい立場になりました――彼女はぼくを見破るでしょう、まちがいなく。あなたは麻薬局のレンズマンをご存知でしたね?」
「知っているとも」
「そのひとりを、いますぐ呼んでください。彼にズウィルニク(原注 不法な麻薬取引きに関係しているあらゆる人物に対する呼称。E・E・S)の美女デッサ・デスプレーンズがここにいると知らせるのです……なんですって? その男も彼女を知らないって? しかもわれわれの諜報員にはひとりのレンズマンもいないときています! レンズマン、ウィンステッドかね? 太陽系第三惑星の独立レンズマン、キニスンだ。きみたちはだれもこの姿に見覚えがないか?」そして彼は、そのとき女王のように部屋を横切りかけていた、なやましい美女の完全な映像を伝達した。「だれも見覚えがないかね? ではおそらく彼女がここへ来た理由はそれなんだ――やつらは彼女がうまくやってのけられると考えたのだ。彼女はきみの獲物だ――来て、つかまえたまえ」
「もちろんあなたは、彼女に正体《しょうたい》をあらわすのでしょうね?」
「もし必要ならばな――だがそうはならないだろう。彼女は万事休すと知れば、死にものぐるいの手を打つだろうからな」
その連絡が切れるやいなや、キニスンは、この問題がそのような方法では処理できないということを理解した。彼が手をくださないわけにいかないのだ。彼女が上級者に警告を発するのをさまたげられる者は彼しかいない――彼はそれをするのがひどくいやだったが、しないわけにはいかなかった。ジェロンドは、好奇心にかられて彼を見やった。彼の心をかけめぐるこうした思考を感得《かんとく》していたからだ。
「ぼくが手をくだしますよ」キニスンはにが笑いした。「もし彼女とのこの前の出会いが先例になるとしたら、こんどのも、さぞけっこうなことになるでしょうよ。このあたりの人たちで、アルデバラン語がわかる人がいると思いますか?」
「いるとしても、口にするのは聞いたことがないな」
地球人はまばゆい訪問者に気軽く近よると、地球ふうに――またアルデバランふうに――手をさしだして挨拶《あいさつ》しながらいった。
「デスプレーンズ夫人は、もちろんチェスター・Q・フォーダイスをご記憶ではないでしょうな。わたしがまるで目だたない平凡な男なのは残念なことです。なぜなら、わたしはあなたにハイ・アルタモントの新年舞踏会でお目にかかったきりですが、そのように一度でもあなたを見かけた者は、永久にあなたを忘れないからです」
「なんてお上手《じょうず》なんでしょう!」女は笑った。「わたくし、あなたがわたくしを許してくださると信じますわ、フォーダイスさん。でも、たくさんの興味ぶかい方にお目にかかると……」彼女の目は大きく見開かれ、表情は急激に変化して燃えるような憎悪《ぞうお》の色を浮かべたが、そこには恐怖もまじっていなくはなかった。
「じゃあ、きみはぼくを知っているね、アルデバランの美しいじゃじゃ馬さん」彼は平静にいった。「きみはぼくを見わけるだろうと思った」
「そうよ、うぶで甘ちゃんの坊や。育ちすぎのボーイ・スカウトさん。見わけましたとも!」彼女は毒々しい調子で鋭くいうと、胴のあたりにすばやく手をやった。すでに述べたように、このふたりは昔なじみだったのだ。彼女の動作はすばやかったが、男のほうが、もっとすばやかった。彼の左手はさっとつきだして、女の左手首をつかんだ。彼の右手は彼女のからだをめぐってひらめき、彼女の右手をつかんで、それを彼女の腰のうしろにしっかり押えつけた。こうしてふたりは部屋の外へ向かった。
「やめてちょうだい!」彼女は怒りにもえていった。「わたくしを見せものにするつもりなの!」
「そいつはお気の毒だね」彼の唇は、みんなの目をあざむくために微笑していたが、目には一点の笑いも浮かんでいなかった。「この惑星の人々は、アルデバランでは友人同士がみんなこういうふうに連れだって行くものと思うだろう。もしきみがその警報器に触れるチャンスがあると思うなら――考えなおすことだな。じたばたするな! からだをふるわせて警報器を作用させることができるとしても、それが作用したが最後、きみの脳をパルプみたいにぶち砕くぞ!」
ふたりは庭園に出た。「ねえ、レンズマン、腰かけてよく話し合いましょうよ!」そして彼女はあらゆる技巧を用いて演技しはじめた。なやましいシーンが展開されたが、レンズマンは冷静さを失わなかった。
「むだ骨折りはやめろ」彼はついにうんざりしたようにいった。「ぼくにとって、きみはズウィルニクのひとりにすぎない。それ以上でもそれ以下でもないのだ。雌しらみはやっぱり≪しらみ≫だ。おまけに、ズウィルニクを≪しらみ≫と呼ぶのは、しらみ一族を侮辱《ぶじょく》するようなものだ」
彼はきっぱりいった。そしてそういいながら、それが正確で明白な事実であることを確信していたが、その確信をもってしても、自分がこれからしようとしていることを考えると、全身の筋肉がひるむのを覚えないわけにはいかなかった。また、不死のメリット神のドワヤヌによって祈ることもできなかった。
「ルカ――わたしがこの女を殺さずにすむように、あなたの運命の車輪を回したまえ!」
この仕事はなされねばならなかった。いったいなぜ彼はレンズマンでなければならないのか? なぜこの仕事をしなければならないのか? しかし、それはなされねばならなかった。それもすぐに。彼らはまもなくここへくるだろうから。
「きみが部分的にも無実だということをぼくに信じさせるためには、たった一つしか方法がない」彼は歯のあいだからいった。「きみのからだのどこかに、けがれのない思考か、けがれのない本能がわずかでもひそんでいるとすればね」
「それはなんですの、レンズマン? どんなことでもやりますわ!」
「きみの思考波スクリーンをゆるめて、ボスに呼びかけるのだ」
女はぎくりとした。このイヌはそうばかではない――確かにいくらか≪知っている≫のだ。この男は殺さねばならない、それもすぐに、どうすればボスに伝達できるだろうか……?
同時にキニスンは、待っていたものを感知した。麻薬局員たちがやってきたのだ。
彼は女のガウンをひき裂き、思考波スクリーン発生器のスイッチを切るなり、彼女の心に侵入した。しかし、彼の行動は速かったが、それでもおそすぎた――完全におそすぎたといってもよいほどだった。彼は方向線も位置も確認できなかった。ただ、ある宇宙ドックの広間と、ぜいたくに飾られた奥まった部屋にいる、いやらしくふとった男の姿がかすかに見えただけだった。次の瞬間、彼女の心は完全な空白となり、からだは骨がなくなったようにくずおれた。
麻薬局員たちはそのようなふたりを見いだした。女はぐったりベンチに倒れていた。男は茫然《ぼうぜん》としてそれを見おろしていた。
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六 乱闘
「自殺かね? それともきみが……」ジェロンドは慎重に言葉をとぎらせた。麻薬局員のレンズマン、ウィンステッドは何もいわなかったが、その場のようすをじっと見つめていた。
「どっちでもありません」キニスンは、まだ彼女のからだをしらべながらいった。「ぼくが殺さなければならないところでしたが、彼女に先をこされたのです」
「どういう意味だね、『どっちでもない』というのは? 彼女は死んでいるんだろう? どうしてこういうことになったんだ?」
「まだ死んでません。そして、ぼくの目がいつもより狂っているのでなければ、彼女は死なないでしょう。自殺するような女じゃありません。どんなことがあろうともね。『どうして』こういうことになったかという方法は、はっきりしています。一本の歯が入れ歯で、中がうつろになっているのです。単純だが新しい……そして賢明な方法です。だが、なぜこういうことになったのでしょう? なぜ?」キニスンは相手よりも自分自身に問いかけるようにいった。「もしやつらが彼女を殺したのなら、わけがわかります。しかし、そうではないのだから、筋がとおらない――いっこうに」
「だが、その女は死にかけている」ジェロンドは抗議した。「きみは、どうするつもりなんだ?」
「ぼくもそれを知りたいのです」地球人はとまどったように思考しながらいった。「彼女についてはあわてて処置をする必要はありません――彼女になされたことは、もとへもどしようがないのです……だが、なぜだろう?……こういう断片的な事実を何かの方式でつなぎあわせることができなければ、とても全体の見とおしがつかないだろう……まったく筋がとおらない……」彼は頭をふってつづけた。「一つだけ確かなことがある、彼女は死ぬまい、もしやつらが殺すつもりなら、彼女はその場で死んでいたはずだ。やつらは彼女を生かしておく価値があると考えているのだ。その点については、ぼくもやつらと同感だ。それと同時に、やつらはぼくに彼女の知識を傍受《ぼうじゅ》させたくないことも確かだ。やつらはわれわれから彼女を奪い返すつもりでいるんだろう。ですから、彼女が生きているかぎり――いまのままの状態でも、死にさえしなければ、軍隊がきても彼女を奪われないくらい厳重に護衛してください。もし死ぬようなことがあっても、検死がすんで、完全に死んでいるということが確かめられるまでは、彼女のからだから一秒も目を離さないことです。彼女が意識を回復したら、昼でも夜でもかまわない、ぼくを呼んでください。彼女はすぐ病院へ連れていったほうがいいと思います」
やがて、患者が意識を回復したという知らせがきた。
「彼女は話しているが、わたしは返事をしていない」ジェロンドは報告した。「ちょっとおかしなことがあるんだよ、キニスン」
「そうでしょう――そのはずです。ぼくがそこへ行くまで、すべて現状のままにしておいてください」そして彼は病院へ急いだ。
「おはよう、デッサ」彼はアルデバラン語で挨拶した。「気分がよくなったようだね?」
彼女の反応は驚くべきものだった。「あなた、ほんとうにわたくしを知っていらっしゃるの?」彼女はほとんどわめくようにいうと、レンズマンの腕に身を投げかけた。意識的にではなかった。いつもの彼女なら、生来の圧倒的な魅力を発揮して、非常に効果的な技巧を働かせるのだが、そんなやり方ではなかった。ちがう。これはひどく驚かされた若い女の、まったく無邪気で無意識的な依頼心《いらいしん》のあらわれだった。
「何が起こったんですの?」彼女は狂わしくむせび泣いた。「わたくしどこにいますの? なぜここには知らない人ばかりいるのかしら?」
彼女は大きく見開かれた子どものような目に涙をたたえて、彼の目を見つめた。彼はその目に深くさぐりをいれて、背後の脳に達したが、たちまち顔をひきしめた。彼女はいまや精神的には若くて無邪気なただの娘だった! 彼女の心にはどこにも、潜在《せんざい》意識のもっとも奥まったところにさえ、彼女が十五歳以後にも生きてきたという証拠《しょうこ》はまったく存在していなかった。これは驚くべきことだった。前代未聞《ぜんだいみもん》の椿事《ちんじ》。しかし、疑いようのない事実だった。いまや彼女にとって、十五歳以後の歳月は一瞬にして過ぎ去ってしまったと同様だった――まるで、そもそも初めから存在していなかったように完全に消滅してしまったのだ!
「きみはひどく調子が悪かったのだよ、デッサ」彼はむずかしい顔でいった。「そしてきみはもう子どもじゃないのだ」彼は彼女を別室の三面鏡の前へ連れていった。「自分で確かめてごらん」
「でも、これはわたくしじゃないわ!」彼女は抗議した。「そんなはずはないわ! だって、この鏡の女の人はきれいなんですもの!」
「きみは事実きれいだよ」レンズマンはさりげなく同意した。「きみはひどいショックを受けたんだ。いまに記憶がもどると思うよ。さあ、もうベッドにもどらなければいけない」
彼女はいわれたとおりにしたが、それは眠るためではなかった。一種の昏睡状態におちいったのだ。そしてキニスンもほとんど同様の状態におちいってしまった。彼は精神を集中して一時間以上も安楽椅子によこたわりながら、彼女の脳の空白になった細胞に、失われた歳月の記憶を一日一日と刻みこんでいった。そしてついに仕事は終わった。
「おやすみ、デッサ」やがて彼はいった。「おやすみ。そして、八時間したら目をさますんだ。完全にね」
「レンズマン、きみはえらい!」ジェロンドはキニスンがやったことをおぼろげながら理解した。
「もちろん、きみは彼女に真実の記憶を与えたわけじゃないね?」
「真実とはほど遠いことです。彼女は結婚したが現在は未亡人だということだけが事実です。その他は、ほとんどつくりごとです――ただ、彼女が前からの知りあいに出会ったとき、自分でつじつまがあわないと思わない程度には本当らしく作ってあります。もちろん、記憶が脱落している部分はたくさんありますが、それはショックを受けたということで説明がつきます」
「だが、彼女の夫は?」ラデリックス人は知りたがった。
「それは彼女の問題です」キニスンは冷淡に答えた。「もし彼女がその気になれば、いつか話してくれるでしょう。しかし、ぼくがやっておいたことが一つあります――やつらは彼女を二度と利用しないでしょう。こんど彼女に催眠術《さいみんじゅつ》をかけようとする人間は、よほど運がよくないと生きていられませんよ」
しかし、デッサ・デスプレーンズが登場して、レンズマンが彼女について奇妙な冒険をしたおかげで、彼の立場はいちじるしく変化した。舞踏会に出席していた者で思考波スクリーンを身につけていたのは、彼女だけだったが、あそこにはボスコーンの諜報員がいたかもしれない……いずれにせよ、ボスコーンの幹部たちは、あの事件をフォーダイスに結びつけて考えるだろう……もちろん、彼らは真のフォーダイスがあれをやったのではないと見抜くにちがいない……だから、もうフォーダイスに化けていることはできないのだ……そこで、本物のチェスター・Q・フォーダイスがあとを引き受け、別にひとりの異邦人が出現した。この人間はポセニア人らしかった。なぜなら、ラデリックスの空気がからだに合わないというので、ひと目でそれとわかるポセニア式宇宙服を着ていたからだ。地球人に多少とも似たからだを持つ他の種族はだれも、その熱い不透明な金属のヘルメットをとおして「見る」ことはできなかった。
キニスンはこのような変装のもとに観察をつづけた。デッサの心の中で見たあの場所とあの男は、この惑星のどこかに存在しているにちがいなかった。彼女が身につけていた送信装置では、他の惑星までとどかないからだ。彼はあの部屋の映像と、あの男のかなりはっきりした映像――それもいくつかの映像――を持っていた。あの部屋は現実のものだった。彼としては、まちがいようのない心の視覚にもとづいて、あきらかにあの部屋に属すると思われる細部を補足しさえすればいいのだった。しかし、男のほうは別だ。原型的な映像のどこまでが真実で、どこまでがひずみだろう?
彼は彼女が、肉体的に極度に≪より好み≫がはげしいということを知っていた。また、どれほど強力な催眠術でも、潜在意識の基本的特徴を完全に抹殺《まっさつ》することはできないということも知っていた。本質的な自我というものは変化できないのだ。あの男はほんとうに、あのような怪物なのだろうか? それとも、彼女の心の中の映像は、部分的に、または大部分、彼女の肉体的|反発《はんぱつ》の産物なのだろうか?
彼は何時間も記録器のそばにすわって、求める男の可能なかぎり多様な映像で、テープを一ヤード一ヤードと埋めていった。それらの映像は、ほとんど常人なみの体格から、女の精神的映像のいとわしい特長をすっかりそなえたものまであった。結局、二つの極端は、可能性が少ないと思われた。どこかその中間だ――この男はふとっている、と彼は推定した。ふとっていて、卑劣そうな目をしているのだ。そして、キニスンがどれほどこの男の肉体的特長をゆがめたとしても、男の性格が、きわめて非常に邪悪だという事実だけは否定できなかった。
そこで、地球人レンズマンは、また惑星を都市から都市へと、しらみつぶしに調べはじめた。いまや彼はレンズマンたちと連絡をとっていなかったから、あらゆる行動は慎重に計画され、ひそかに行なわれねばならなかった。
それは骨の折れる仕事だった。しかし、ついに彼は求める獲物を知っているバーテンダーを発見した。その男はふとっていて悪玉だということがわかった。それから先の進行ははやかった。彼は指示された都市に出かけていったが、そこは皮肉なことに、彼が捜査を開始した首都アーディスだった。そして、あっちこっちで断片的な情報を集めながら、ついにその男をつきとめた。
さあ、どうしたものだろう? 彼がボイッシア系第二惑星やその他の基地で用いて大いに成功した方法も、ここでは望み薄だった。ここには、何十人ではなく何千人もの人がいた。彼があの方法を用いていれば、かならず、だれかに発見されるだろう。また遠距離からあの方法を用いることもできなかった。彼はアリシア人ではないから、目標のすぐ近くにいる必要があった。波止場ゴロに化けなければなるまい。
そこで彼は波止場ゴロに化けた。格好だけ似せたのではなく、実際にその生活をしたのだ。はげしい労働をやり、そうした仕事になれない手もからだも、あらくれて固くなった。もりもり食って、がぶがぶ酒を飲んだ。しかし、どこで飲んでも、彼の飲料はバーテン自身のびんか、それと同様に無害な内容のびんからそそがれた。なぜなら、この時代も現代同様に、バーテンたちは、自分が扱っている有害な蒸留物を、自分では飲用しなかったからだ。しかし、キニスンは酔ったふりをした――仲間の波止場ゴロたちと同じように、へべれけになってくだをまいた。
彼は波止場ゴロの賃金内で暮らすように気をつけた。週八信用単位の金は室料とまかない料として会社に先取りされた。残りの金はふとった男のバーで使うか、ふとった男のいかさまばくちで吸いとられた――なぜなら、ふとった男ボミンガーは、はるかに大規模な取引きに従事していたが、そのあくなき貪欲《どんよく》さをみたすのを少しもためらわなかったからだ。金は金だった。どんなに額が少なかろうと、それを手にいれる方法がどんなに卑劣だろうと、そんなことはおかまいなしなのだ。
レンズマンはゲームがいかさまであることをはっきり知っていた。彼はどんなに巧妙に隠されたいかさまでも見抜くことができた。親がいかさまカードを配っているときのいかさま心理を見ることができた。いかさま師が持っているカードを、自分自身のカードと同様にはっきり読むことができた。しかし、勝ったり抗議したりすれば、のけものにされてしまうだろう。そういうわけで、彼は支払日前は、いつも一文《いちもん》なしだった。そして、仲間たちと同様に、ひまな時間を同じ酒場でうろうろしながら、酒をおごってもらうチャンスとか、トランプばくちに勝つチャンスとかを待っているうちに、店の用心棒にほうり出されるしまつだった。
しかし、彼は目をさましているあいだじゅう、働いていようと、ばくちをやっていようと、うろついていようと、つねにボミンガーと、そのさまざまの商売を観察していた。レンズマンはふとった男の思考波スクリーンを通過することができず、また、男がそれを身につけていないところをつかまえることもできなかった。しかし、多くのことを学ぶことができた。彼は厳重にしまわれている帳簿を片はしから調べた。巨大な金庫室の奥にかくされている秘密書類を読んだ。いくつもの会合をぬすみ聞きした。なぜなら、相手が思考波スクリーンをつけていても、目で見たり音を聞いたりするさまたげにはならなかったからだ。酒場もその奥にある宮殿のように飾りたてた事務室も――名目上は――この大物のものではなかった。また、階上にはダンスホールや私室やせまい独房のような部屋があり、それらの小部屋では四十種類もの有害な麻薬の中毒者たちが淫蕩《いんとう》な夢に溺れていたが、それらの設備も名目上は彼のものではなかった。しかし事実はすべてが彼のものであり、しかもそれらは彼が所有しているもののほんの一部分なのだった。
キニスンは、麻薬業者《ズウィルニク》の諜報員をつぎつぎに探知し追跡し確認した。知覚力を用いて通路をたどり、他の場面を観察したが、それらはとてもここに記述できないようなものだった。しかし、比較的短い回廊が尽きると、舞台が一変した。なぜなら、そこには、おそらくどこにでもあることなのだろうが、虚飾《きょしょく》と不潔とがほとんど背中合わせになっていたからだ。ラデリックスの上流社会の娯楽場、ナリゾク酒場だ! 階下はまったく無害だった。粗野なものは――つまり粗野すぎるものは――そこにひきつけられることがなかった。そこでの収奪《しゅうだつ》は大部分が公然たるもので明確に小切手に書きこまれていた。しかし、階上、地下、奥などには秘密の部屋があった。そこには麻薬中毒者たちがいた。彼らが他の麻薬中毒者とちがうところといえば、りっぱな身なりをしていて、上流階級に属していると自任している点だけだった。基本的には、彼らもひとつ穴のむじななのだ。
そこでは、男や女や娘たちまでが、シオナイトによる、激しい筋肉硬直におちいっていた。歯をくいしばり、あらゆる筋肉をひきつらせ、目をかたく閉じ、手を握りしめ、顔を大理石のように青ざめさせて、身動きもせずに、あらゆる抑圧《よくあつ》された欲望がとことんまで充足されたことを示す忘我の歓喜にひたっていた。彼らはあらゆる抑制から解放されて、死と恍惚《こうこつ》とを隔てる線上をすれすれにさまよっているのだ。これはシオナイト吸飲者の常道だった――つまり、からだが耐えうるかぎりのぎりぎりまで服用し、そのあとで歩けないほど弱って正気にもどると、二度と服用すまいと誓うが、また服用できるくらいに回復すると、いっそう多くを服用する。そしてついには、いよいよ激しいスリルを求める。抵抗しがたい欲求につき動かれさて、急激に衰弱していくからだが耐えられる以上の量を服用して、致命的な線を越えてしまうのだ。
また、白痴《はくち》的な笑いを浮かべているハディブ喫煙者もいた。ケンタウルス産のニトロラーブを注射して手足をけいれんさせている者もいた。ベントラムを食べてぐったりしている者もいた――だが、なぜこんな描写《びょうしゃ》をつづけるのか? 要するに、この一画には、ラデリックス人をひきつけるあらゆる悪習とあらゆる麻薬があり、それらを求める訪問者が絶えないのだ。そして、もしだれかが何か異常な刺激を求めて来たとすれば、ボミンガーがそれを調達してくれるのだ――一定の値段で。
キニスンは観察し、知覚し、分析した。そしてまた、レンズを通じて、麻薬局のレンズマンだけにあてて、連日、多量の報告を伝達した。
「ですが、キニスン!」ある日、ウィンステッドは抗議した。「あなたはわれわれをいつまで待たせるつもりです?」
「ぼくが求めているものを手にいれるか、やつらがぼくを見破るまでだ」キニスンは、あっさり答えた。何週間ものあいだ、彼のレンズは高度に充電した金属の平らなケースにおさめて靴の側面に隠してあった。このケースは、きわめて念入りなスパイ光線検査をやらなければ、探知される危険はなかった。しかも、この新しい位置は、レンズの機能を少しもさまたげなかった。
「見破られる危険があるのですか?」麻薬局員は気づかわしげにたずねた。
「大ありだ――日に日にわるくなっている。登場する役者がだんだんふえているのだ。ぼくも、いつかはへまをやるだろう――いつまでもこの調子でやっていくわけにはいかん」
「では、われわれに行動させてください」ウィンステッドがうながした。「われわれは、もうこの一味を惑星全体から抹殺してしまえるだけの情報を集めましたよ」
「いや、まだだ。きみたちの仕事はかなりはかどってはいるがね、そうだろう?」
「そうです。しかしわれわれの判断によれば……」
「まだ判断するのは早い。現在の進行情況は、きみたちの増強された力に相応している。それ以上進行すると、やつらに気づかれる。きみたちは確かにこの惑星の麻薬団一味をやっつけることはできるだろうが、それはぼくが目指していることではない。ぼくは雑魚《ざこ》じゃなく、大物をねらっているのだ。だから、ぼくが命令するまで、がっちり待機していてくれ。QX?」
「あなたがそうおっしゃる以上、QXといわないわけにいきません。ですが、気をつけてくださいよ!」
「気をつけているさ。もう長いことはかかるまい。いずれにせよ、もうすぐ爆発せざるをえないのだ。もしできれば、きみとジェロンドに警告を発するよ」
キニスンはあらゆることを調べあげたが、かんじんのことだけがわからなかった――麻薬業者《ズウィルニク》の真のボスのことだ。麻薬がどこから、いつ、どのような方法で持ちこまれるかをキニスンは知った。だれがそれを受け取って、だれが主要な分配を行なうかもわかった。一味の秘密諜報員のほとんどすべてを知り、取るにたりない小売人たちさえ少なからずつきとめた。送金がどこへ向けられ、どのくらいの額で、なんのためかということもわかった。しかし、あらゆるルートはボミンガーで止まっていた。ふとった男が麻薬シンジケートの絶対権力者であるように見えた。しかし、この外見は筋が通らない――虚偽にちがいなかった。ボミンガーも、その他の惑星の責任者も――もしレンズマンの予想が半分でもあたっていれば、みんな小物なはずなのだ――ボスコーンの大物から命令を受け、報告を送り、送金を行なっているにちがいなかった。キニスンはそのことを確信していたが、そうした上級者については、わずかな手がかりさえつかむことができなかった。
通信が思考波によって行なわれているだろうことも、同様に確かだった。ボスコーンは傍受可能な通常の通信波などは信用していないだろうし、文書とかテープとか、その他、恒久的に記録された通信は、どれほど暗号化されていても、用いるようなばかなまねはしないだろうことも確かだった。そうだ、その通信は思考波で送られてくるのだ。そして、ふとった男がそれを受けるときには、思考波スクリーンをゆるめないわけにいかないだろう。そのときまでは、キニスンは行動してはならないのだ。そのときの行動も容易ではあるまい――ボミンガーがすでに非常な注意をはらっているところから判断すれば、スクリーンをゆるめるときには、なおさら注意をはらうだろう――しかし、レンズマンとしてはそれまでは何もできないのだ。
キニスンが監視しはじめて以来、そのスクリーンは一度もゆるめられたことがないにちがいなかった。彼がときどき眠ったのは事実だが、そのあいだも、潜在意識とレンズにスクリーンを見張らせて、それが少しでもゆるんだら警告を与えるようにしながら、少しの油断もなく眠っていたのだから。
レンズマンが予告していたように、まもなく爆発のときがきた。彼はそれが真夜中におとずれるだろうとなかば予想していたが、そうではなかった。また、日中の休憩時間でもなかった。それは夜中よりだいぶ前、酒場のばか騒ぎが最高潮に達したときに起こった。それはふいに起こったのではなく、しだいに高まりゆく精神的緊張と圧迫感が長くつづいた後に起こった。
麻薬ボスの諜報員たちがばらばらに、またはかたまってはいってきた。まったく前例のないほどの数だった。いつものように邪悪で閉鎖的《へいさてき》な心理状態の者もあったが、かすかに、しかしあきらかに興奮している者もあった。キニスンはひとりで小さなテーブルについてカードでラデリックス式のひとり遊びをしながら、大きな部屋全体とボミンガーの事務室とに注意を半々にわけていた。そのどちらかで、何か決定的なことが起ころうとしているのだ。
そのとき、諜報員たちのあいだを興奮の波が走った。思考波スクリーンを身につけた五人の男が部屋にはいってきて、予約されたテーブルにつき、カードと飲み物を要求したのだ。キニスンは警報を発するときだと考えた。
「ジェロンド! ウィンステッド! もうすぐはじまるらしい――今夜だ。いたるところ諜報員でいっぱいだ――この部屋には、思考波スクリーンをつけた男が五人いる。神経的な緊張が高まっている。戸外にも、妨害の目的でもっと多くの諜報員がいる。一般的警戒で、特殊なものではないと思う。ぼくを疑っているのではない、すくなくとも確定的には。知覚力を持ったスパイを警戒しているのだ――リゲル人とかポセニア人とかいうような。やつらはたったいま、隣りの区域で一般的原則にしたがってオルドビクをひとり殺したところだ。部下を待機させてくれ。だが、近よりすぎてはいけない――僕が呼んだら三十秒以内で到着できるくらいのところまでくるのだ」
「きみは『ぼくを確定的に疑っていない』といったが、それはどういう意味だ? きみは何をしたのだ?」
「ぼくが知っているかぎりでは、何もしていない――小さなミスをおかす可能性は百万もあるのだから、そのうちの一つくらいはおかしたかもしれない。だが、それもたいしたことではないと思う。さもなければ、やつらが、ぼくをこんなに長くほうっておくはずがないだろう」
「きみは危険におちいってる。宇宙服も、デラメータービーム放射器も、何も身につけていない。脱出できるうちにずらかったほうがいい」
「そして、ぼくがこれまでずっと積み重ねてきたことをフイにしろというのか? とんでもないことだ! ぼくはなんとか切り抜けられると思う……思考波スクリーンをつけたやつがひとり、ぼくに話しかけにやって来た。ぼくはレンズを開放しておくから、きみたちにも、いくらか見られるだろう」
ちょうどそのとき、ボミンガーのスクリーンが開かれ、キニスンはただちにその心に侵入し、それを完全に支配した。彼の支配のもとに、ふとった男はボスコーンに向かって事実どおりの完全な報告を行なった。そしてそれとひきかえに、命令と指示を受け取った。ボスコーンはたずねた。あの憎むべきレンズマンが例の裁判をやって以来、だれか詮索《せんさく》好きなよそ者がうろついていることはないか? あるいは、惑星上で、なんらかの精神光線機械を用いている者がいるか?(ははあ、それでやつらは警戒を厳重にしているのだな! キニスンはそのことを知って喜んだ) でぶはボスコーンに向かって答えた。いや、何も異常なことは起こっていません……。
レンズマンの心がこの仕事に集中されていたかんじんの瞬間、見知らぬ男が彼のテーブルにやって来て、怪しむように物問いたげに彼を見おろした。
「おい、どういうつもりなんだ」キニスンは腹立たしげにいった。いまはほかのことに心を向ける余地があまりなかったが、波止場《はとば》ゴロとしての役割を演じるのはお安いことだった。「おめえもここでのらくらしてる用心棒だろう。おれに、因縁つけようってんでうろついてやがるんだな? クロノ神に誓って、もしおれがこの店でこんなに金をすってなけりゃ、とうに見切りをつけてクロレオの酒場へ場所がえしてらあ。こんなうすぎたねえ店へ二度ともどってくるもんか――あの店のほうが、おめえのとこよりはまだましだ」
「そう怒るなってことよ、兄弟」諜報員は安心したらしく、猫なで声でいった。
「おめえがおれの兄弟だなんて、いったいだれがいったよ、ラデリックスのやくざ野郎!」レンズマンはぐでんぐでんに酔ったふりをしながら立ちあがり、ちょっとよたよた歩いてから、またどさりと腰をおろした。「おれを『兄弟』あつかいするのはやめてくれ――おれは友だち選びについちゃ、気む――じゅか――しいんだから」
「そいつはいいこった。おめえを怒らせるつもりじゃなかったんだ」相手はなだめるようにいった。「来なよ、一杯おごるから」
「このゲームがすむまでは、飲みたくねえ」キニスンはぶつぶついいながら、ちょっとしたすきをねらって、レンズを通じて思考を伝達した。「用意はいいかい、みんな? 情況はさし迫っている。もしぼくがこの一杯を飲まなければならないようになったら――もちろんこの一杯には薬がはいっているから――この男を片づけてしまう。ぼくが叫んだらね、襲撃を開始してくれ!」
「おめえが飲みたいのはわかってるよ!」相手はうながした。「来て飲みな――おれのおごりだから」
「地球人の紳士に酒をおごってくれようっていうおめえはだれだい?」レンズマンはふいにつきあげてきた怒りにわれを忘れたふりで叫んだ。彼は前からこういう性格をせっせと身につけていたのだ。「おれがおめえに、おごってくれってたのんだか? おれは学があって金持なんだ。飲みたけりゃあ、自分の金で飲むってことよ」彼の怒りは目に見えて高まっていくようだった。
「いったい、いつ、おれがおめえに飲ましてくれってたのんだよ? この(現代の写実的小説でも文字にしかねるような言葉)野郎……」
これは挑戦だった。もし相手が比較的おとなしい男だとしても、けんかがはじまるだろう。そうなれば、キニスンはそのけんかを必要なだけひき延ばすことができる。もしキニスンがたったいまあれほど口ぎたなく罵ったのに、相手がけんかをはじめないとすれば、相手は見かけとはちがって、レンズマンを本気で疑っているのだ。なぜなら、レンズマンは宇宙でもっともきたない言葉をかき集めて罵ったからである。
「おめえが酔っぱらってるんじゃなけりゃ、その蒸留酒《ラクスロ》びたりのからだじゅうの骨をぶちくだいてやるんだが」相手の男は怒りをつよく押えつけてはいたが、憎しみのこもった目で波止場ゴロをにらみつけた。「おれが宇宙空港のうすぎたねえごろつきに酒をおごるのは、毎日のことじゃねえぞ。おれが飲ませるっていったら、どうしたって飲ませるんだ、ただじゃすまねえ――さもねえと。いますぐ飲むか、それともはじめに痛い目にあいたいのか? バーテン! ラクスロのグラスを二つ持ってきな!」
危機は迫っていたが、キニスンはまだ行動に出ようとしなかった――出られなかった。ボミンガーとボスコーンとの協議はまだつづいていた。レンズマンは、まだ充分な情報を手に入れていなかった。相手の男は、どうやらキニスンを深く疑っているのではないらしい。さもなければ、こんなことをする前にキニスンに襲いかかっていただろう。この連中《れんちゅう》にとっては、血を流すことくらいものの数ではなかった。ただ、キニスンはこの酒場の常連だったから、相手は客を殺してボミンガーの怒りを招くことを望まなかったのだ。いずれにせよ、この男はキニスンがあの裁判で用いた精神光線についての噂を、まったくのでたらめ――百万に一つの可能性もないこと――と思っているのだろう。そればかりでなく、その噂が事実としても、精神光線を発生させるには機械が必要なはずなのに、キニスンはそんなしろものを隠していそうになかった。ましてその「精神光線器」のように大きなものはいうまでもなかった。なぜなら、彼はろくに服さえ着ていなかったからだ。しかし、そのただの酒には確かに薬がはいっていた……そうだ、彼らはキニスンを尋問しようとしているのだ。ラスクロの中にはいっているのは、真実を白状させる薬だろう。――この酒を飲んでならないことは確かだった!
そのとき、もっとも重要な瞬間がおとずれた。バーテンがグラスをテーブルに置いたちょうどそのとき、ボミンガーのボスコーンとの協議が終わったのだ。通信が切れると、キニスンは予想どおりの補足的なデータが得られた。そしてその瞬間、麻薬ボスは思考波スクリーンをもとにもどすまもなく死んでしまった――脳が文字どおり爆発したのだ。そしてそれと同時に、キニスンのレンズは、彼が味方に送った通信のエネルギーで脈動した。
しかし、キニスンでさえ、そのような知的衝撃を発するには、なんらかの外部的|徴候《ちょうこう》を示さないわけにはいかなかった。おそらく、彼の顔がこわばったか、さもなければ、目が酔った空虚な表情を失って、瞬間的に鋭く冷静な容赦《ようしゃ》のなさを示したのかもしれなかった。いずれにせよ、敵の諜報員はいまや決定的に疑っていた。
「飲みな、すぐに飲むんだ――さもねえと、焼き殺すぜ!」彼はデラメーター放射器をかまえて叫んだ。
地球人の手はグラスに伸びたが、それよりも一瞬早く、彼の心は近くにいたふたりの諜報員の脳に侵入した。ふたりは自分の武器をひき抜くと、狂暴な叫びをたてながら、放射しはじめた。一見めくらめっぽうのようだったが、その放射によって、思考波スクリーンをつけたふたりが殺された。キニスンの相手の、きびしく鍛えられた心も一瞬わきへそらされた。そしてその一瞬で、充分だった。
キニスンの手がさっとひらめいたかと思うと、強烈な酒が相手の目に浴びせられた。ひざが電光のように突きだされ、小さなテーブルが相手の武器を持った手に投げつけられて、武器をはねとばした。同時に、レンズマンのハンマーのようなこぶしが、二六〇ポンドの体重をこめて、可能なかぎりのスピードで突き出された。あごへ向けてではなかった。頭や顔へ向けてでもなかった。レンズマンは素手を相手の骨にぶつけて指をくじいたりするようなへまはやらなかった。こぶしは胃の後方の太陽神経|叢《そう》へ向けられた。パトロールマンの巨大なこぶしは、ふかぶかと沈んだ。なぐられた麻薬団員《ズウィルケスニク》は悲鳴とともにからだを二つに折ってくずおれ、二度と起きあがらなかった。キニスンは相手のデラメーターにとびついた――しかし、すでにおそかった。彼はとり囲まれていたのだ。
ひとり――ふたり――三人――四人。彼のいちばん近くにいた男たちは、肉体的打撃を受けるまでもなく、知力による衝撃で殺された。キニスンの重いこぶしとそれよりはるかに重い足とは、くり返して敵の急所に爆発した。思考波スクリーンをつけたひとりの敵は、からだごとぶつかってきたが、レンズマンに唯一の可能な受け手で応じられ、首を折ってたおれた――首のつけ根を手刀で激しく打たれたのだ。レンズマンは、ただひとり生き残った思考波スクリーンをつけた男にねらいをあやまたずに椅子《いす》を投げつけ、その武器をはねとばした。男は、なぐりかかるふりをしながら、激しい足蹴りをかけてきた。油断のないレンズマンは、相手の足がとんでくるのを感知した。彼の大きな両手が蛇《へび》のようにおどり出してその足をつかまえ、猛烈にねじあげて突きのけた。空港労働者の堅くて重い靴が急所をドサッと蹴りつけた。悲鳴が空気を裂き、その敵も片づけられてしまった。
公正な戦いではなかった。そうだ、堂々たるものでもなかった。レンズマンたちは一定の規則にしたがって戦うということはないのだ。彼らは必要に迫られなければ、母なる自然が与えてくれた武器を用いなかったが、肉体同士の格闘が必要な場合には、それを有効に用いることができた。彼らは格闘術に熟練していた――すべてのレンズマンは、一万もの惑星の上で二万年にもわたってさまざまの闘士たちが用いてきた、さまざまの逆手をすみずみまで知っていたのだ。
そのとき、ドアや窓が内側に破られて、完全に武装したバレリア人たちが、宇宙斧をふるいながらなだれこんできた――彼らと肉弾戦をすることは、他のすべての二本足種族が好まないところである!
ギャングたちは恐怖にかられながら、ちりぢりに逃げだした。しかし、麻薬局員たちが張りめぐらした、水ももらさぬ網からのがれることは不可能だった。
「QX、キニスン?」二つの堅く鋭い思考波が伝達された。ふたりのレンズマンは地球人レンズマンのほうを見なかったが、ピーター・バン・バスカーク中尉は見た。つまり、彼を見るには見たものの、まじまじと見つめたりはしなかったのだ。キニスンの正体が、ばれないようにするためだった。
「やあ、キム、ちびの地球人どの!」バスカークは思考の中で歓声をあげた。「愉快じゃありませんか?」
「QX、諸君――ありがとう」キニスンはジェロンドとウィンステッドに思考を伝達してから、巨大なオランダ系バレリア人に思考で呼びかけた。「やあ、バス! ありがとう、でかのバレリア猿!」彼は過去に、この男とともに数多くの冒険を経験していた。「快調な一掃作戦だね、諸君?」
「百パーセントだ。ありがとう。きみの功績をみんなに……」
「どうかそれはやめてくれたまえ。そういうことをすれば、ぼくの道がふさがれてしまう。ぼくはこの仕事の表面にはまったく姿を出さない――この一掃作戦は、きみたちの日常活動にすぎないことにするのだ。さようなら、諸君、ぼくは出発しなければならん」
「どこへ?」三人はそうたずねたかったが、たずねなかった――そしてグレー・レンズマンは出発した。
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七 待ちぶせ
キニスンは確かに出発したが、遠くまでは行かなかった。事実、自分のきたならしい部屋まで着かないうちに、冷静な理性が、仕事はまだ半分片づいただけだということを告げたのである――そうだ、半分にもたりないほどだ。ボスコーンが賢明だということは認めざるをえなかった。そうだとすれば、惑星司令部というような比較的小さな下部組織にしても、一つしか拠点を持っていないなんてまったくありそうもないことだ。彼らはへルマスの難攻不落と思われた総基地が破壊されて、はなはだしい不都合を生じたことから、なんらかの二重管制機構を設ける必要に迫られたにちがいなかった。
この想像を裏づける、もう一つの資料があった。あの五人の思考波スクリーンをつけた男たちは、どこから来たのか? ボミンガーが彼らを知らなかったのはあきらかだった。もしこの想像があたっていれば、もう一つの司令部は、さっきの事件全体をスパイ光線で探知していただろう。もちろん、敵も味方もスパイ光線を自由に用いていたが、一般的にいって、相手のスパイ光線をさえぎることは、放任しておくのよりまずい手なのだ。敵が思考波スクリーンを用いていたのは、また別問題である。彼らはそうすることによって、未知のレンズマンが彼らの諜報員を見破ることが容易になるということを理解してはいたが、レンズマンが用いているらしい精神光線の強力さを恐れて、そうせざるをえなかったのだ。なぜこの点にもっと早く気づかなかったのか? そしてあの全区域をスパイ光線から遮蔽してしまったのか? しかし、もうそれをくやんでもおそかった。
この想像が正しいと仮定してみよう。彼らはすでに彼がレンズマンだということを知ってしまったにちがいない。おそらく、彼が例のレンズマンだということも確認しただろう。彼が酔いどれの波止場ゴロから、冷静で恐るべき技術をそなえた闘士に、一瞬にして変化した事実……そして、半ダースばかりの諜報員とボミンガー自身の不可解な死……これはまずかった。非常に、非常にまずかった……あからさまに信号を発したようなものだ。敵のスパイ光線は彼のからだを一立方ミリメートルごとにしらみつぶしに調べただろう。そして、レンズがどこに隠されているかを、彼自身が知っていると同様に正確に知ってしまったにちがいない。彼はしっぽをつかまれてしまったのだ……スタートでつまずいてしまったのだ……もう一つの司令部が、それについてボスコーンにくわしく報告する前に、それをも発見して撃滅《げきめつ》してしまわなければならない。
そこで彼は部屋に腰をおろして、これまで以上に集中的に考察した。ふつうの追跡方法では役にたつまい。司令部は惑星のどこにあるかもわからず、シオナイト・ギャングとはなんの関係も持っていないにちがいなかった。それは、ほんの二、三人からなる小さなグループで、抜けめのない指導のもとに行動しているのだろう。彼らの目的は、麻薬組織の活動情況を観察することなのだが、非常の場合以外はその組織にタッチしないのだろう。二つのグループがふつうに持っているものといっては、何かの認識票だけだろう。そして、ボミンガーに何かが起こった場合は――それはすでに起こったのだが――その予備隊があとをひき継ぐのだ。彼らはキニスンの正体《しょうたい》を見破った……どうすべきか? ≪どうすべきなのか≫?
レンズを用いるのだ。それが答だ――そう≪ならざるをえない≫。レンズ――それは実際にどんなものなのか? 結晶体の集合物にすぎない。実際に生きているのではないが、彼自身の生命を反映する一種の擬似《ぎじ》生命を持っている……彼は思い迷った……偉大なクロノ神のタングステンの歯にかけて、そんなことがありうるだろうか? 一つの思いつきが心にひらめいたのだ。その内容があまりに膨大なので、彼はあえぎ、身ぶるいし、気が遠くなるほどショックをうけた。彼はレンズに注意を集中し、しいて心を落ちつけながら、基地へ向けて思考を伝達した。
「ジェロンド! すぐ携帯用のスパイ光線妨害器をとどけてください!」
「だが、それではなにもかもぶちこわしになってしまう――だからこそ、われわれは妨害器を使用しなかったのだ」
「そんなことはわかってます」レンズマンは要求した。「大至急とどけてください――それがここへとどくまでのあいだに理由を説明します」彼はラデリックス人に知らせておいたほうがいいと思うことをすっかり告げて、結論をくだした。「ぼくは銀河系間空間みたいに見すかれさてしまったのです――迅速確実に行動する以外に方法はない」
妨害器が到着した。使者が帰るやいなや、キニスンはそれを操作させはじめた。彼はいまやスパイ光線が透過《とうか》しえない(妨害圏《ぼうがいけん》妨害圏《ぼうがいけん》の中心だった。それと同時に、スパイ光線を用いているすべての者の疑いの的になったわけだが、そんな事実はもう問題ではなかった。彼は靴をぬぐと、レンズを取り出し、それをハンカチにつつんで床《ゆか》の上に置いた。それから、まだそれを身につけているのと同様に、思考をウィンステッドに伝達した。
「何も異常はないかね、レンズマン?」彼は静かにたずねた。
「万事順調だ」すぐに返事がきた。「なぜだね?」
「ただ点検しただけさ」キニスンは何を点検しているのか、はっきり説明しなかった!
それから、彼はある異常なことをやってのけた。彼が知るかぎりでは、これまでどんなレンズマンも考えたこともないようなことだった。レンズを身につけていないので、まるですっぱだかでいるような感じだったが、銀河系の直径の四分の三ほども隔たったところにある、あの恐るべき惑星アリシアへ向けて思考を投射したのだ。アリシア人メンター――彼の師であり後継者である、あの巨大で強力な脳――そのものに向けてしぼられた思考だ。
「おお、地球のキムボール・キニスンだな」相手は以前に用いたのとまったく同じ周波数で応答した。「若者よ、ではおまえは、レンズが前に想像していたように、もっとも重要なものではないということがわかったのか?」
「ぼくは……あなたは……つまり……」レンズマンはまったくふいをうたれてどぎまぎしたが、鋭い叱責を受けて沈黙した。
「待て! おまえの思考は混乱している――ふつうなら許せない行為だ! さあ、そのつぐないとして、この現象をわたしに説明してみなさい。わしに説明を求めるかわりにな。わしはおまえがたったいま宇宙的真理の他の一面を発見したのを知った。おまえの未熟な心にとって、それがどれほど大きなショックだったかは想像がつく。したがって、こんどにかぎり、おまえのあやまちを見のがしてやろう。だが、こうしたあやまちを二度とくり返さないように努力するのだ。もう一度真剣に忠告する――この事実は、どれほど強調してもたりないほどだ――おまえがいどんでいる危険から身を守る唯一《ゆいいつ》の保障は、明晰《めいせき》で正確な思考に存する。混乱してあいまいな思考は、かならずや避けがたく回復しがたい災害をもたらすのだ」
「わかりました」キニスンは小さな子どもが先生に叱られたように、おとなしく答えた。「こういうことだと思います。訓練の初期の段階では、降神術における水晶球、その他の催眠《さいみん》対象と同様な意味でレンズが必要なのです。もっと進歩した段階では、心はそうした援助なしに活動できます。しかし、おそらくレンズは、認識票以外の用途を持っているのでしょう――そうにちがいありません――その用途について、ぼくにはまだ何もわかっていませんが。ですから、ぼくはレンズなしでも行動できますが、絶対に必要な場合以外はそうしてはいけないのでしょう。ぼくがより高次の段階に進むためには、レンズの援助は欠くことができないからです。あなたがぼくの呼びかけを予期していらしたということもあきらかです。ぼくの呼びかけはおそすぎなかったでしょうか?」
「おそすぎなかった――おまえの進歩は、はなはだ満足すべきものがある。また、おまえが現在、直面している問題は確かに困難なものだが、それについておまえが援助を求めるつもりはないということも是認《ぜにん》している」
「そうしても、なんの役にもたたないということがわかっているからです――そして、なぜそうなるのかということも」キニスンは苦笑した。「ですが、ウォーゼルが二度目の訓練を受けに来たとすれば、ぼくがこんなに長くかかって発見したことを、きっとその場で知ってしまうにちがいありません」
「おまえの推論は正しい。彼はその場で理解した」
「なんですって? 彼はもうあなたのところへうかがったのですか? でも、あなたがおっしゃったところでは……」
「わしがいったことは真実だったし、現在も真実だ。彼の心はおまえの心より充分に発達していて、もっと反応が鋭敏だ。しかし、おまえの心は、はるかに大きな潜在能力を秘めているのだ」そして通信線は絶たれた。
キニスンは車を呼んで、基地へ駆けつけたが、そのあいだもずっと、スパイ光線を完全に妨害しつづけた。基地の私室へはいると、しっかり絶縁したレンズと大きな一巻のテープをスパイ光線を通さない容器に入れて封印し、基地司令官を呼んだ。
「ジェロンド、ここにきわめて重要な包みがあります。とりわけ、ぼくがきょうまでやってきたすべてのことに関する記録がはいっています。もしぼくが自身でもどってきてこれを受けとらなかったら、パトロール総基地の空港司令官ヘインズ閣下に個人的に送付してください。送付するスピードは問題ではないが、安全性が決定的に要求されるのです」
「QX――特別便で送付しよう」
「ありがとう。ところで、あなたの視覚通話器《ビジ・フォーン》を使わせてくれませんか? 動物園と通話したいのです」
「いいとも」
「動物園ですか?」映像プレートの上に、白いひげをはやした年配の男の映像が現われた。「こちらは、地球の独立レンズマン、キニスンです。そちらに、いっしょの檻に入れたオグロンが三匹ばかりいますか?」
「おります。一つの檻に四匹入れてあるのです」
「そのほうがいい。そいつをすぐ基地へとどけてくれませんか? ここにおられるジェロンド代将が保証してくれます」
「それはまったく異例なことですな」白ひげは抗議しかけたが、ジェロンドの簡潔な言葉で口をつぐんだ。「わかりました」彼は承諾して通話を切った。
「オグロンだって?」司令官は驚いてたずねた。「オグロン!」
オグロン、つまりラデリックス産の猫鷲《ねこわし》は、現存するうちで、もっとも狂暴でもっとも扱いにくい猛獣なのだ。これは知られているかぎりの他のどんな動物より、いっそう邪悪でたけだけしい。鳥ではなく、翼のある哺乳《ほにゅう》動物で、鷲のようにひっつかみ、ひき裂く爪を持っているばかりでなく、山猫の牙に似た針のように鋭い牙を備えている。その性質は、他のあらゆる生物に対して極度に敵対的である。
「オグロンですよ」キニスンは短く確認した。「ぼくはやつらをあやつることができます」
「もちろんできるだろう。だが……」ジェロンドは言葉を切った。このグレー・レンズマンは、いつも理解を絶するような前代未聞の驚くべきことをやってのけてきた。だが、これまでのところ、彼は目ざましい成功をおさめてきたし、質問しても、時間をかけて説明してくれるとは思えなかった。
「でも、あなたは、ぼくがひねくれてると思うのですか、ええ?」
「いや、そんなことはないよ、キニスン。わたしはただ……そう……いずれにしても、われわれが百パーセント敵を一掃しなかったという確実な証拠はあまりないわけだ」
「あまり、ですって? 確実な証拠ですって? そんなものはまるでないですよ」地球人はごく気軽に認めた。「あなたはやつらをすっかり見あやまっている。あなたはまだ、やつらがわれわれの文明に属するギャングであり、ならず者であり、反抗的な屑《くず》だと思っている。やつらはそんなものじゃない。われわれと同様に抜けめがなくて、中にはこっちのうわ手をいくやつもいるのです。ぼくの用心は不必要かもしれないが、もしそうだとしても、なんの害もない。いっぽう、すくなくともぼくには、きわめて重要な二つのものが、危険にさらされている。つまり、ぼくがいまやっている仕事と、そしてぼくの生命です。忘れないでください――ぼくがこの基地を出発した瞬間から、この二つのものは、どちらもあなたの手にゆだねられているのです」
この言葉に対しては、もちろんなんの異議もはさまれなかった。
ふたりの男が話し合い、オグロンが送達されているうちに、二筋の人々の流れが、いっぽうはスパイ光線を遮蔽された基地の区画へはいって行き、もういっぽうはそこから出て行った。これらの人々のあるものはひげをびっしりのばしており、あるものはきれいにそっていたが、彼らはいずれも二つの点で共通していた。だれもが地球人と同じタイプであり、だれもが多少ともキムボール・キニスンに似ていたのだ。
「忘れないでください、ジェロンド」グレー・レンズマンは出発しようとしながら、念を押した。
「やつらはたぶんこのアーディスにいるでしょうが、惑星上の他の場所にいるかもしれない。ぼくがどこへ行っても、スパイ光線で追いかけてください。そしてもしできれば、やつらのスパイ光線を追跡するのです。これはちょっとした仕事でしょう。そのスパイ光線を操作しているやつは腕ききにちがいないですからね。あのオグロンは、ぼくからすくなくとも一マイルは離してあとをつけさせてください――三十秒で飛べる距離だ。動員できるかぎりのレンズマンを動員するんです。巡洋艦と快速艇を一隻ずつ待機させてください。でも、あまり近づけすぎずにね。ぼくはそれらのうちどれかが必要になるかもしれない。みんな必要になるかもしれないが、一つもいらないかもしれない。いまのところはなんともいえないが、これだけはわかっている――もしどれかが必要になるとしたら、急速に必要になるんです。とくにだいじなことですがね、ジェロンド、ぼくのまわりで何が起こっても、またぼくの身に何が起こっても、ぼくが言葉をかけるまでは、あなたが着けているレンズで何もしないでほしいのです。QX!」
「QX、グレー・レンズマン。元気で行きたまえ!」
キニスンは地上車を駆って、彼が空港労働者として寝泊まりしている宿泊所がある狭い道の入口についた。これは大胆でむこうみずな計画だった――しかし、その大胆さと、説明のつかない矛盾した外見そのものの中に強味があった。おそらく、ボスコーンならば、この謎を解くだろう。しかし――彼は期待した――ボスコーンの手先には解けないだろう。彼は車の運転手に料金を払うと、両手を穴だらけのポケットにつっこみ、よごれた歯のあいだで多少調子はずれながら快活に口笛を吹いて、まるでなんの気苦労もないかのように、せまい道をすたすた歩いて行った。しかし彼は空港労働者としての短い役者経歴のあいだに身につけた、ありったけの演技力を発揮しているところだった。もっとも、彼の予想にもかかわらず、見物人はひとりもいないかもしれなかった。彼は、全身の神経を緊張させていた。知覚力は鋭くとぎすまされて、自分の周囲と上方とを半球状におおっていた。彼の心は、全身のあらゆる筋肉を即座《そくざ》に行動させられるように待機していた。
***
その間、厳重に防護された一室で、ほとんど人間に近い生物が、二時間あまりも探知盤の前にすわって、パトロール基地で多数の人々が突然に活動しはじめたようすを、不安そうに眺めていた。何分かのあいだ、彼は地上車に乗ったひとりの男を慎重に観察していたが、そのうちに不安は頂点に達した。
「レンズマンだ!」彼は叫んだ。「レンズを持っていようといまいと、レンズマンにちがいない。さもなければ、自分が大騒ぎを起こしたことを百も承知のあの場所に、ずうずうしくもどってくるはずがない!」
「では、やつを片づけましょう」相棒がすすめた。「用意はすっかりできていますぜ」
「だが、やつがレンズマンであるはずはない」首領はまた迷いながらいった。「レンズマンはレンズを持っているはずだ。そしてレンズを見えなくすることはできない! おまけに、この男は精神光線器をいまも持ってないし、いままでも持っていなかった。こいつは何も持っていないのだ! そればかりじゃない。われわれがねらっているレンズマンは、ひとところにうろついてはいまい――やつはすぐ姿を消すのだ」
「では、こいつはほうっておいて、ほかのやつを追跡しましょう」副首領は冷淡にいった。
「だが、こいつほど疑わしいやつはいないのだ!」首領は必死になって叫んだ。彼は疑惑と不決断になやまされていた。情況全体が混乱していた――いかなる角度から見ても筋がとおらないのだ。
「やつがレンズマンにちがいない――ほかの者であるはずがない。わしは、やつをくり返して点検した。たしかにレンズマンで、身代わりではない。やつは安全だとたかをくくっている。われわれのことを知るはずがない――疑うはずさえない。おまけに、やつのただひとりの身代わりのフォーダイスは、どこにも現われていない――それに、フォーダイスはやつに似ているが、わしがたったいまやったほど厳重な点検をすれば、それでも見破れないほど似てはいないのだ」
「たぶんまだ基地の中にいるのでしょう。こいつはフォーダイスよりもっと似た身代わりかもしれません。それとも、こいつがほんもののレンズマンで、にせもののふりをしているのかもしれません。さもなければ、あなたが車の中の男を監視しているすきに、ほんもののレンズマンが姿をくらましたか」副首領はしたり顔に指摘《してき》した。
「だまれ!」首領は叫んだ。彼は一つのスイッチに手をのばしかけたが、途中で手をとめた。
「おやりなさい。それがいい。地区諜報員を呼んで、この仕事をおしつけるんです。もしあなたが手こずりすぎるようでしたらね。わたしの考えでは、この仕事をする者はだれだろうと手こずりますぜ――たっぷり手こずりますぜ」
「そして、ボスコーンから『おまえの報告は完全でもなく決定的でもない』っていう、あの小言《こごと》をちょうだいしろっていうのか?」首領はあざけるようにいった。「そしておまけに無能として格下げをくわされろというのか? いかん、この仕事はおれたちがするのだ。それも手ぎわよくな――だが、あの男はレンズマンじゃない――そんなはずはないのだ!」
「さあ、心をきめたほうがいいですぜ――一日迷っているわけにはいかないんですから。それに、『おれたち』ってのはやめてください。この仕事をしなきゃならないのは、『あんた』なんです――ボスはあんたで、わたしじゃありませんぜ」部下は冷酷にやりかえした。彼は自分が首領で命令する立場にないことをはじめてありがたく思っていた。「すぐとりかかって、うまくやってのけることですな」
「やってのけるとも」首領はむずかしい顔でいった。「一つ方法があるのだ」
確かに一つ方法があった。一つしかなかった。あの男を生けどりにして、泥《どろ》を吐かせるのだ。それしか方法はない。
ボスコーン人は一つのボタンを押していった。「あの男を殺すな――生きたまま連れてこい。まかりまちがってでも殺したら、おまえたちをふたりとも殺すからな」
グレー・レンズマンは調子はずれに口笛を吹きながら、なんの屈託もなさそうに、裏通りを歩いて行った。
わながあると知りながらその中へ踏みこんで行くには、相当の勇気が必要だ。がっちりした腕でふりまわされた棍棒が後頭部に打ちおろされてくるというのに、なんの動揺も示さずにいるためには、相当の素質、相当の能力、相当の|なにかしら《ジュ・ヌ・セ・クワ》が必要だ。しかし、必要なものがなんだろうと、キニスンはそれを豊富に持っていた。
棍棒がふりおろされたとき、彼はまばたきもしりごみもせず、目を向けさえしなかった。それが髪に触れたときはじめて行動した。そのすばらしい筋肉の力をふりしぼって前下方へ身をしずめ、猛烈な打撃をできるだけ軽減《けいげん》するようにした。
棍棒はレンズマンの頭蓋骨《ずがいこつ》のつけ根にはげしい打撃を加えた。彼は倒れた。そこに横たわったまま、弱々しく身をよじった。
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八 猫鷲
すでに述べたように、キニスンは棍棒の打撃を前下方に避けて、その強さをいくらか弱めた。しかし棍棒は充分はげしくぶつかったので、やみ打ちをかけた男は、その事実をさとらなかった。彼はあやうくレンズマンの生命を奪うところまで打撃を与えたと考えた。地球人はすばらしい速さで打撃を避けたものの、やはり衝撃を受けた。しかし、気絶はしなかった。だから、ふたりの男が彼のからだをひっくりかえして両足をしばり、両手を後ろ手にしばりあげて車に積みこんだとき、彼はなんの抵抗もしなかったが、そのあいだずっと完全に正気だった。
車が三十分ばかり進んだとき、レンズマンははじめて意識を回復したふりをして、いかにもほんとうらしく身をもがいた。
「おとなしくしな、兄弟」思考波スクリーンをつけたふたりのうち大きなほうが、彼の目の前におどすように棍棒をぶらさげながらいった。「ひとことでもわめくか、もしおまえがレンズを持っててそれで信号を発するかしたら、もう一発お見舞いするぜ」
「何をしやがるんだ?」空港労働者は、わめきちらした。「おれをどうしようっていうんだ、このうさぎ耳の……」そして彼は、ふたりを口ぎたなく罵った。
「だまらねえと、蹴とばされるぜ」小さいほうの男が運転席から忠告した。キニスンはしずまった。「おめえが蹴とばされたって、おれはちっともかまわねえが、あんまりうるさいからな。おとなしくしな」
「だからどうしたっていうんだ?」キニスンはいくらか静かにたずねた。「どういうわけで、おれをなぐり倒して引っぱってくんだ? おれは何もしてないし、何も金めの物は持ってないぞ」
「おれは何も知らねえ」大男が答えた。「向こうへ着けば、おめえが知りたがってることはみんな、ボスが話してくれるさ。おれの知ってるのは、ボスからいいつかったことだけよ。おめえをぶちのめして、生きたまま連れてこいっていうんだ。それから、おめえに、わめいたりレンズを使ったりさせるなっていうんだ。わめくと、ビームで片づけちまうぜ。もしおめえがレンズを使えば、ボスは基地でも宇宙空港でもどこにでも目がきくから、救助隊がこっちへ向かってくるようだったら、そのことをおれたちに知らせてよこすんだ。そうすれば、おれたちはおめえを蒸発させちまう。おれたちは救援隊がくる前に、おめえを殺して姿をくらませるんだってことよ」
「おめえのボスはフォンテマくらいの頭も持ってねえな」キニスンはうなるようにいった。彼はそのボスがどこにいるにしても、片言隻句も聞きとっているにちがいないとわかっていた。「とんでもねえこった。もしおれがレンズマンなら、空港ゴロなんてしてると思うかよ? もし頭があるんなら、ちっとは使ったらどうだ、うすのろ」
「そんなことは知りたいとは思わねえ」相手は愚鈍そうに答えた。
「だが、おれはレンズなんか持っていねえぞ!」空港労働者は憤然《ふんぜん》として叫んだ。「おれを見ろっていうんだ――からだを調べてみな! すぐわかるこった!」
「そんなことはみんな、おれの知ったこっちゃねえ」相手は少しも動じなかった。「おれはボスがいいつけること以外は何も知らねえし、何もしねえんだ、わかったか? さあ、おとなしくしな、ひっそりとな。もしそうしねえと」彼は棍棒でキニスンのひざを軽くたたいた。「おめえの目から火花をとびださせてやるぜ。マットみえてにのしちまうぜ。おれはやるっていったらやるんだから。わかったか?」
キニスンはわかったふりをして、口をつぐんだ。車は走りつづけた。そのあいだ、一台の輸送車が曲りくねったコースをたどってせっせと配達の仕事をやりながら、しかしキニスンの車から一マイルより多くも少なくもない距離を保って走っていた。奇妙なことに、その運転手はレンズマンだった。上空のそこここには、数台の飛行機、オートジャイロ、ヘリコプターなどが飛んでいたが、それらはみな勤勉に自分の仕事に従事していた――ただし、どういうわけか、それらの大部分には、レンズマンがパイロットとして乗っていた。
そして、基地からはまったく離れた成層圏に、しかもスパイ光線観測員が自分の視野が妨害されていることさえわからないほど完全なスクリーンを張って、レンズマンに指揮された一隻の巡洋艦が、閃光調節板をつけて音をひそめた下方ジェットの力で、空中に静止していた。そして、同様な高空に、同様に完全な探知波スクリーンを張って、ひとりの俊敏《しゅんびん》なレンズマンが一隻の快速艇の制御盤の前にすわり、防音装置をほどこされたジェットをふかしながら、テレスコープを通じて熱心に観測していた。パトロール隊に関するかぎり、あらゆる準備がととのっていたのだ。
車はある郊外の邸宅の門に近づいて停止した。しばらく待っていた。キニスンにはわかっていたが、この邸宅の中にいるボスコーン人は、あらゆる光線を操作して、パトロール隊の反応をさぐっているにちがいなかった。そして、もし何か危険な徴候《ちょうこう》があれば、車はただちに走りだしてしまうのだろう。しかしそのような徴候はまったく感じられなかったらしい。キニスンは思考波をジェロンドに伝達した。ジェロンドは目的物の精密な位置をすべてのレンズマンに中継した。やがて、門がひとりでに開いた。ふたりの男は捕虜を車から地上へ突き出した。キニスンは信号を送った。
基地は静まりかえっていたが、それ以外のものはすべて行動を開始した。飛行機は旋回し、巡洋艦と快速艇は全力噴射で下降した。輸送車は文字どおりぽっかり口をあけ、中にある檻《おり》もあけ放された。そして、四匹の貪欲な猫鷲は彼ら特有のひそやかな狂暴さで、目標に向かってまっしぐらに突進して行った。
オグロンたちは宇宙船ほど速くはなかったが、飛行距離がはるかに短かったので、まっさきに目標に達した。ふたりの男はなんの警告も受けていなかった。一瞬前までは、すべてが順調だった。次の瞬間には、音もなく突進してきた殺し屋たちが、猫鷲だけに可能な狂暴さで獲物に襲いかかった。鋭い爪が、目や顔や口を容赦《ようしゃ》なくえぐり、ひき裂き、よじりあげ、ものすごい牙が無防備ののどに深くくいこんだ。
ふたりはそれぞれ一度だけ死の悲鳴を発したが、それはなんの警報にもならなかった。なぜなら、そのときすでに、その見せかけの住宅のあらゆる建物はデュオデック砲弾の花火のような閃光の中に姿を消していたからだ。もちろん、砲弾は小型だった――砲手たちは付近の住宅を破壊したり、キニスンを傷《きず》つけたりすることを望まなかったからだ――しかし、それらは目的を達するに充分なほど強力だった。主屋《しゅおく》も付属建物も消滅した。そして徹底的なスパイ光線調査を行なっても、それらの建物が存在したところには、もはや、なんの生物も建造物も残っていなかった。
輸送車が接近してきた。キニスンは猫鷲たちが仕事をすましたのを見とどけて、彼らを檻にもどした。運転手のレンズマンは檻とトラックの錠をしっかりおろしたうえで、地球人の束縛《そくばく》を切断した。
「QX、キニスン?」彼はたずねた。
「QX、バークネット――ありがとう」ふたりのレンズマンのうちひとりは輸送車に乗り、もうひとりはギャングの車に乗って、パトロール隊の司令部にもどった。そこでキニスンは自分の包みを回収した。
「この冒険には、ひや汗を流しましたよ。しかし、あなたはいつも勝負を逆転しますね」ウィンステッドは地球人にいった。「これで大物は全部片づいたと思いますか? それともこの惑星に、まだ何人か残っているんですかね?」
「ここにはもういないと確信している」キニスンは答えた。「やつらが持っている主要な通信線はせいぜい二本だと思う……こんどはね。だが、この次は……」
「この次ということはもうないでしょう」ウィンステッドはきっぱりいった。
「この惑星ではそうだ。きみたちはもう備えができているから、どんなことが起こっても処理できる。ぼくが考えていたのは、自分がこの次にぶつかる段階のことだ」
「そうですか。しかし、あなたは勝ちますよ、グレー・レンズマン!」
「そうあってほしいね」キニスンはまじめにいった。
「幸運を祈りますよ、キニスン!」
「さようなら、ウィンステッド」そして地球人は、こんどこそほんとうに出発した。
快速艇が宇宙空間をつんざいて行くあいだ、キニスンは主として思索に費やした。しかし、彼はメンターが彼のやったことを混乱していると考えはしないかと恐れた。この調子では、最初の目標にも到達できそうになかった。一つだけきわめてはっきりしていることがあった。このような攻撃や、これに多少とも近い攻撃は二度と成功しないだろう。何か新しい手段を考えなければならない。これまでのところ、彼は敵より一歩先んじていたので、自分の能力でうまく切り抜けてきたが、この調子でどこまでやっていけるだろうか?
ボミンガーはもちろん強力な知能の持ち主ではなかったが、もうひとりの男はけっしてばかではなかったし、ボミンガーを通じて会見したその上級者は、正真正銘わる賢いやつにちがいなかった。
「『上へいくほど少なくなる』」彼は古い格言を自分にいいきかせてからつけ加えた。「そしてこの場合は、上へいくほど抜けめなくなるのだ」彼は何か新しい方法を考案しなければならなかったが、その手がかりをどこでつかまえればいいかはまるでわからなかった。
地球への航行はまた何事もなかった。そして、グレー・レンズマンはその地位のシンボルをふたたび手首に輝かせながら、ヘインズに会見を求めた。
「もちろん通せ――すぐに通すのだ!」キニスンは通報器をとおしてヘインズが叫ぶのを聞いた。応接係は彼を通した。しかし、彼はヘインズの執務室の戸口で驚いて立ちどまった。なぜなら、軍医総監のレーシーとひとりのポセニア人が、空港司令官と協議していたからだ。
「はいりたまえ、キニスン」ヘインズはうながした。「レーシーもきみと一分ばかり会いたがっている。こちらはフィリップス博士だ――こちらは独立レンズマン、キニスンです。この人の名はもちろんフィリップスではない。われわれはこの人の本名をうっかり呼んでしまわないように、自戒《じかい》の意味でそういう名をつけたのだ」
ポセニア人のフィリップスはキニスンと同じくらい背が高く、彼より重かった。フィリップスのからだつきはいくらか地球人に似ていたが、細部はそうでなかった。彼は二本ではなく四本の腕を持っており、それぞれの腕には二本ずつの手が向かい合ってついていた。そして、それぞれの手には二本の親指があり、一本のほうは小指があるはずのあたりについていた。彼は目を持っていなかった。その痕跡《こんせき》らしいものさえなかった。ひらべったい鼻が二つと、歯がぎっしりはえた口が二つ。鼻も口も一つはまるくて、毛のないつやつやした頭の正面にあたるところにあり、もう一つは裏側にあった。頭の両側面には、自由に動く大きなうず巻き状の耳がついている。そして、視覚のかわりに知覚力を持っている他の大部分の種族と同様に、その頭は比較的動きがきかず、首は短く太くて、ものすごく頑丈《がんじょう》だった。
「きみは健康そうだ。非常にいい」レーシーは自分が長いことかかって治療したキニスンのからだを熱心に診察してからいった。「決定的なことをいう前に、もちろんレントゲン写真をとらなければならんがね。いや、いずれにしてもいまはやらんよ。フィリップス、見たまえ、彼の…」そして専門用語がはさまった。「そして彼がどんなに完全に回復したかを見たまえ」それから、ポセニア人がキニスンの内部器官を調べているあいだに、軍医総監は言葉をつづけた。
「このポセニア人たちはすばらしい診断医であり、外科医なのだ――患者を解体せんでも内部を見ることができるのだ。もう二、三世紀もすれば、全部の医者が彼らのような知覚力を持たねばなるまい。フィリップスは神経学の研究をやっている――もっとくわしくいえば、神経刺激伝達部と神経|樹枝《じゅし》状突起の細胞増殖とについての研究だ……」
「レー――シー!」ヘインズは非難した。「わしと話すときは英語を使えと千度もいっただろうが。どうかね、キニスン?」
「閣下、あなたのご意見にはかならずしも賛成できません」キニスンは微笑した。「専門家――学者たちは基地英語で話ができないのです」
「そのとおりだ――まったくそのとおりだ」レーシーは叫んだ。「ヘインズ、なぜきみはこういう態度をとって、人の話がわかるように言葉を覚えようとしないんだね? だが、簡単な言葉で説明すれば、フィリップスは、われわれを何千回もなやませてきた問題を研究しているのだ。低級な細胞は再生することができる。だから傷はなおり、骨は癒着《ゆちゃく》するのだ。しかし、高級な細胞、たとえば神経細胞などは、再生したとしても、不充分だ。脳細胞のような最高級の細胞になると、どんな条件下でも再生しない」彼は責めるような目でヘインズを見やった。「これはひどい。こういう叙述はだめだ――不充分だ――不正確だ。それよりわるい――ほとんど無意味なのだ。わしがいいたいのは、そしてわしがいおうとしているのは……」
「その話はこの執務室ではやめてくれ」彼の旧友はさえぎった。「きみのいうことはすっかりわかった。問題は、人間がなぜ神経や脊髄を修理したり、新しいものを発生させたりできないか、ということだ。ヒトデのようなやくざな生物でも、一本の足から完全な新しいからだを成長させることができる。もしあるとすれば、脳もふくめてだね。それなのに、人間のように、まことに知的な生物が小児麻痺で――または光線で――足がきかなくなった場合、外見上は完全な形をしているその足を、なぜ、きかせられるようにできないのか? きみがいうのはそういうことだろう?」
「まあそんなところだ。だが、敵の戦艦を攻撃するときには、もっと正確にねらってもらいたいな」レーシーはひやかすようにいった。「フィリップス、行こう。そして、このふたりの軍馬はほったらかしておくさ」
「ここにくわしい報告がはいっています」キニスンはレーシーたちが出て行って部屋が遮蔽されるとすぐ、空港司令官のデスクに包みを置いた。「大部分は直接、閣下に申しあげたことです――これは記録として保存してください」
「いいとも。きみが惑星メドンを発見したのは、メドン人のためにもわれわれのためにも大いに喜ぶべきことだ。彼らはわれわれが切実に必要としているものを持っている」
「メドンをどこへ置きましたか? わたしは最高基地に連絡がとりやすいように太陽系《ソル》に近い恒星に行くように指示しておいたのですが」
「すぐ隣りだ――ケンタウルス座のアルファ星さ。ランドマーク星雲の偵察《ていさつ》は充分にはできなかったろう?」
「できませんでした。ボスコニアはあの銀河系を完全に支配しています。しかし、メドンのほかに屈服《くっぷく》していない惑星があるでしょう――もちろんあるはずです。かなりあるかもしれません――しかし、現在の段階でそれらをさがしてまわることは危険すぎます。とはいっても、われわれは一応必要な偵察をすませました。われわれは問題点をあきらかにしました。ボスコーンという生物がいるとすれば、それは確実に第二銀河系にいます。しかし、われわれがボスコーンに挑戦できるようになるまでには長いことかかるでしょう。そしてそのあいだ、いろいろなことをやっておかなければなりません。賛成してくださいますか?」
「小数点以下十九位まで賛成だ」
「では、われわれの船を改造して、メドン人の絶縁体と導線《どうせん》で強化しているあいだ、わたしは麻薬の線にそってボスコーンを追及したほうがいいと思います。麻薬組織の背後にボスコーンがいるということは、ほとんどまちがいありません」
「ある意味で、麻薬はやつらの戦艦よりもわれわれの文明にとって危険だ。もっと陰険で、結果的にはもっと致命的なのだ」
「おっしゃるとおりです。それに、わたしはこの問題を処理するについて、他のどのレンズマンより適当な能力を持っていると思いますから……?」キニスンは問いかけるように言葉を切った。
「それは確かに過大評価ではない」空港司令官はきっぱり答えた。「この問題を処理する能力をそなえた者はきみだけだ」
「では、ウォーゼルを除いてはほかのだれも?……わたしが聞いたところでは、ふたりのレンズマンが……」
「彼らはアリシア人から呼びかけがあったように思ったのだが、そうではなかったのだ。たんにそういうことを希望したにすぎなかったのだ。彼らは手ぶらでもどってきた」
「気の毒でした……ですが、わたしにはどういうことなのかわかります。あれはきびしい訓練です。もしも人間の心がそれに対して完全に準備ができていないと、破壊されてしまいます。どのみちそうなりかねません……心というのは奇妙なものです。ですが、そんなことを論じてもなんの効果もありません。何分か話す時間をさいていただけますか?」
「いいとも。きみは銀河系でもっとも重大な使命をになっているのだ。わしはその問題についてもっと知りたいよ。打ち明けてもらえることならね」
「レンズマンになら隠す必要のないことです。ご承知のように、われわれすべての主要な目標は、ボスコニアをこの銀河系から排除《はいじょ》してしまうことです。軍事的見地からすれば、彼らは事実上排除されました。しかし、麻薬シンジケートは、いよいよ根をひろげつつあります。ですから、こんどは麻薬一味《ズウィルニク》を排除しなければなりません。組織には、小売人やそれに品物を分配する仲介人といった小物がいます。こういう連中は下部組織を形成しているのです。彼らの上には、秘密諜報員、観測員、卸業者、密輸業者などが控えています。彼らはみんなひとりの男によって指揮され支配されています。それが各惑星組織のボスです。つまり、ボミンガーは惑星ラデリックス全体の麻薬組織のボスだったのです。
いっぽう、惑星組織のボスは、地区支配人に連絡をとり、その支配を受けています。この地区支配人は、二百かそこらの惑星の麻薬組織の活動を監督しているのです。ご承知のように、わたしはボミンガーの地区支配人の線をつかまえました――カロニア人のプレリンです。ところで、ヘルマスもカロニア人だったということはご存知でしたね?」
「きみのテープから知った。抜けめのない種族にちがいないが、いい隣人とは思えないな」
「わたしもそう思います。彼らの組織について、わたしが実際に知っていることは、これだけです。しかし、この構造はさらに上方まで一貫していると考えていいと思います。もしそうだとすると、地区支配人は、だれか上級者の監督を受けているでしょう。おそらく銀河系支配人だと思いますが、これまたボスコーン自体の監督下――すくなくともボスコーンの直属幹部のひとりの監督下――にあるのでしょう。ことによると、銀河系支配人はボスコーン政府の閣僚かもしれません。どんな政府かはわかりませんがね」
「きみは自分で野心的な計画をたてたが、それをどんなぐあいにやってのけるつもりかね?」
「それが問題です――わたしにもわかりません」キニスンは残念そうに打ち明けた。「しかし、これがやってのけられるとしたら、わたしはその方法を採用しなければなりません。その他の方法では、一千年もかけて、多数の人々を犠牲にしなければならないでしょう。この方法は、もし成功すれば、すばらしい成果をあげられるのです」
「それはわしにもわかる――頭を切りおとせば、からだは死んでしまうのだ」ヘインズは賛成した。
「そういうわけです――とりわけ、その頭は、からだのあらゆる器官の活動に関するくわしい記録や帳簿を所有しているのですからね。ボミンガーたちが片づいて、彼の記録の写しが完全にそろっていたので、パトロール隊はラデリックスの麻薬組織を急速に一掃しました。これからは、あの惑星から麻薬組織をしめだしておくことは容易でしょう。もちろん、小規模な密輸入はあるでしょうが、それも最小限にくいとめることができます。同様にして、もしこのプレリンという地区支配人を片づけてその台帳を調査すれば、彼の監督下にある二百の惑星の組織を一掃することは容易でしょう。それから先も同様です」
「きわめて明白でまったく単純だ……理論上はな」老人は考えこみながら、疑わしそうにいった。「実行するとなると、最高に困難な仕事だ」
「ですが、それが必要なのです」若者は主張した。
「わしもそう思う」ヘインズはついに賛成した。「きみにそんな冒険はするなといってもむだなことだ――きみはしないわけにはいかないのだ――だが、きみ自身のためではないまでも、われわれ全部のために、できるかぎり慎重にやってもらいたい」
「そうするつもりです、閣下。わたしは自分の身を非常に大事にしています。だれにも負けないくらい――いや、おそらくそれ以上でしょう――わたしのあだ名は『慎重|居士《こじ》』というくらいなものです」
「ううむ」ヘインズは疑わしそうにうなった。「われわれもそれは認めている。何か特別な注文があるかね?」
「あります、非常に特殊な注文です」キニスンの肯定《こうてい》はヘインズを驚かせた。「ご存知のように、メドン人は探知波中立器に対する妨害器を開発しています。ホッチキスとその部下たちは、この問題について、新しい装置を開発しました――長距離探知波に対しては、われわれは比較的安全です――しかし、電磁波探知器に対しては、これまで対抗できませんでした。ボスコーン人どもは、プレリンをはじめとして、これまでに起こったことについて疑問をいだきはじめています。ですから、もしわたしがプレリンを片づけることに成功すれば、やつらはいろいろな対抗手段をとりはじめるにちがいありません。やつらがやるだろうと思われることの一つは、電磁波探知網をおたがいに五百パーセントくらいも重なるくらいに展開して、総司令部を防衛することです。それからおそらく前進基地も、同様な探知網を展開できるくらいおたがいに接近して設けるでしょう――たぶん、視覚探知網でさえ二、三百パーセント重なるくらいにね」
「その場合はお手あげだな」
「そうとはかぎりません。電磁波探知器は何に対して作用しますか?」
「鉄だろう――わしが学校を出るときまではそうだった」
「では、それに対抗するために、本質的に探知されない――つまりまったく鉄をふくまない――快速艇をつくってください。あらゆるパーツをベリウムのようにして……」
「だが、電気装置には珪素鋼《けいそこう》の鉄心を使わないわけに行くまい!」
「わたしもその問題にぶつかったのです。閣下もお気づきになったのですね? このあいだ『電気学会報』で読んだのですが、大型の電気装置では、鉄心のかわりにエネルギー場《フィールド》が用いられて、いっそう効果的だったそうです。小型の装置では、多少の鉄を用いないわけにいかないかもしれませんが、それらの小鉄心を探知波の周波数の濃密なエネルギー場で飽和《ほうわ》させて、探知波に対して反応しないようにすることはできないでしょうか?」
「わしにはわからん。そんなことは考えたこともない。そういうことになるのかね?」
「わかりません――わたしは説明しているのではありません。ヒントを提出しているだけなんです。しかし、一つだけはっきりしていることがあります。われわれはやつらの一歩先を進みつづけなければならないのです――いろいろな発明を彼らより先に、そしていっそうしばしばなしとげて、それを一度用いたら、すぐにほかの新しい発明に切り換える用意が必要です」
「あの第一次ビーム放射器は例外だよ」ヘインズはにが笑いした。「あの兵器は廃棄《はいき》するわけにはいかん――メドン人の動力装置を用いてさえ、あのビームを防止できるスクリーンはまだ開発されていない。あの兵器はボスコーンにわからんようにしておく必要がある――それに関連して、きみに感謝したいことがある。きみがあの放射器に関係があるあらゆる場所に、ヴェランシア人のレンズマンたちを配置して、そこに現われる人々の心を読ませるようにすすめたことだ」
「では、スパイをつかまえたのですね? 何人くらいです?」
「そう多くはない――各基地に三、四人だ――しかし、われわれに損害《そんがい》を与えるには充分な人数だ。いまこそ、史上はじめて、すべての要員を信用できるようになったと信じる」
「わたしもそう思います。メンターは、もしわれわれがレンズを適当に用いれば、それだけで充分だといっています。レンズを適当に用いるのは、われわれしだいなのです」
「だが、視覚波探知器はどうするね?」ヘインズはまだ心配していたが、これは理由のあることだった。
「われわれは九十九パーセントの吸収率を持つ黒い塗料を持っています。それに、わたしには出入口や窓は不要です。しかし、その一パーセントの反射があれば、いざというときに、わたしが艇を確認するには充分です。ふたりばかりの研究員に、この問題を研究させてはいかがでしょう? 九十九パーセントのうしろに小数点以下の数をつけさせて、いくつ九をならべられるか、ためしてみましょう」
「それはいい思いつきだな、キニスン。技師たちが快速艇についてのきみの特別注文をみたそうと努力しているあいだに、その問題を研究する時間は充分にある。だが、きみのいい分は正しい。まったく正しい。われわれは――というよりきみは――やつらより一歩先んじたことを考えなければならん。そして、きみの考案を実地に移した装置をつくるために最善をつくすのは、われわれの義務なのだ。そして、ボスコーンが、きみやきみがやってのけたことに対して、なんらかの対抗手段をとるのは遠い先のことではない。それはたったいまかもしれないし、もっとありそうなこととして、一週間かそこらも前だったかもしれない。しかし、きみは、まだ自分がもくろんでいる真に大規模な仕事について一言《ひとこと》もいっていないな」
「わざとあとまわしにしたのです」グレー・レンズマンの声はかすかな当惑をおびた。「実のところ、まるで歯がたたないのです――どこにも手がかりがないのです。わたしは数学や物理学について充分な知識がありません。わたしにとっては万事が負数として現われるのです。慣性ばかりでなく、力も速度も質量そのものさえも。最後の結果はいつも虚数《きょすう》、つまりマイナス一の平方根を含んでいます。どうすればこれを基礎にして何かの装置をつくりあげられるか、まるでわかりません。これはまったく不可能なことなのかもしれませんが、あきらめる前に、もしQXなら、閣下をはじめ銀河評議会のかたがたと協議したいのです」
「むろんわれわれは、QXだよ。きみはまた忘れたな、グレー・レンズマンじゃないか?」ヘインズの声には、なんの非難もこめられていなかった。彼は父親のような誇らしさで微笑していた。
「そういうわけではありません」キニスンは赤くなってもじもじした。「わたしは、こんなところまで首をつっこむには小僧っ子すぎます。ただそれだけのことです。この思いつきはラデリックスの猫鷲よりもっと気ちがいじみているかもしれません――おそらくそうでしょう。これをなんとか処理できる程度の協議会を開くためにさえ、一財産ほどの費用がかかるでしょう。わたしはそんな多額の金を自分の責任で使いたくないのです」
「これまでのところ、きみの思いつきは十分に成功しているから、評議会としてはきみを百パーセント後援するのだ」老人はきっぱりいった。「費用は問題ではない」彼の声は目だって変化した。「キム、きみはパトロール隊の財源について、いくらかでも想像がつくかね?」
「もし想像できるとしても、ごくわずかだろうと思います」キニスンは打ち明けた。
「この地球だけでも、われわれは使用可能な財源を二百億信用単位以上持っている。政府の権限《けんげん》が縮小されてわれわれの組織に権限が集中された結果、人間のエネルギーが生産的事業に投入されたことと、とりわけ惑星間貿易がめざましく成長したこととによって、各惑星の収入は非常に増大し、税金は最小限にまで軽減《けいげん》された。そして税金が軽減されれば、それだけ事業が繁栄して収入が増大する。
いまや税率は史上最低だ。たとえば所得税は最高の所得層でも、三・五九二パーセントにすぎない。しかし、もし惑星系間貿易がボスコーンに妨害された結果生じた最近の不況がなかったなら、銀河系全体の流通信用のうち、あまりに多くの部分が銀河パトロール隊の消費基金に集中された結果生じる深刻な財政的困難を避けるために、また税率を下げねばならなくなっていただろう。だから、費用のことなどは考えなくてもいいのだ。きみの使いたい額が千信用単位だろうと百万だろうと十億だろうと、遠慮はいらない」
「ありがとうございます、閣下。説明していただいてよかったと思います。これからは、自分のものでない金を使うことについてもっと気楽になれるでしょう。そのほかのお願いとしては、科学関係資料を管理している図書館員と銀河系ビームの使用を、一週間ばかり許していただければ、それ以上、閣下をわずらわせることはいたしません」
「手配してやろう」空港司令官が一つのボタンに触れると、二、三分のうちに、魅力的なブロンド娘が部屋にはいってきた。「ミス・ホステッター。こちらは独立レンズマン、キニスンだ。きみの日常事務を助手にまかせて、彼がいいというときまで彼と協力してくれたまえ。彼の希望はすべて無制限にかなえられるのだ」
化学図書館で、キニスンは新しい助手に問題をざっと説明して結論をくだした。
「ほんの五十ばかりでいいのだ。それより大きなグループになると、効果的に協力できないからね。きみのリストは、はじめの五十をすくいとれるように配列されているかね?」
「そういうグループなら、選べると思いますわ」娘は下唇を白い歯でかるくはさみながら、ちょっとのあいだ言葉をきった。「それは標準型の索引《さくいん》ではありませんけれど、でも科学者はみんな等級を持っています。カード受領器を取りつけましょう……受領器というより、除外器といったほうがいいでしょう――一定の等級以上のカードをすっかり抜き出すのです。七百以上の等級のものをすっかり抜き出せば、最高の天才だけが集まりますわ」
「何人くらいいると思うかね?」
「はっきりわかりませんけれど――多分二百人くらいでしょう。もし多すぎるようでしたら、もう一度もっと高いレベル、そう七百十くらいで選抜しましょう。でも、そんなに多くはないと思います。七百五十より高い銀河等級は二つしかないからです。それに、重複《ちょうふく》するカードもあるでしょう――たとえば、オースティン・カーディンジ卿のような方のカードは、最後の選抜でも二、三枚残るでしょう」
「QX――とにかく五十人選抜するんだ。さあ、はじめよう!」
こうして、何時間ものあいだ、カードの束が一分間に何千枚の速度で選抜機械を通過した。ときどき一枚のカードが束からはじき出されて、受け棚に除外された。
「これで全部だと思いますわ。数学者、物理学者」図書館員がピンク色の指を鳴らした。「天文学者、哲学者、そしてまだ名称がついていないこの新しい分類」
「H・T・Tか」キニスンは、なめらかなカード・ケースの正面についたレッテルに鉛筆でうすく書きこまれた文字を見やりながらたずねた。「こいつも機械を通さないのかね?」
「通しません。これはわたしがついさっきいった二つの等級です――七百五十より高い等級は、これ二つだけなんです」
「より抜きの二組ってわけだね? いわば粋中《すいちゅう》の粋《すい》かな? 一つ目をとおそうか」そして彼は手を伸ばした。「この頭文字はどういう意味かね?」
「ほんとに申しわけございませんけど」娘は赤くなって当惑しながら、しぶしぶカードを渡した。「こうとわかっていたら、こんなことはしなかったんですけど――わたしたち図書館員のあいだでは、あなたがたを『高圧思索家(High Tension Thinkers)』って呼んでいるんです」
「ぼくたちだって」こんどはレンズマンが赤くなる番だった。しかし、彼はカード・ケースを取って、表書きをざっと読んだ。「第十九類――現在のところ分類不可能……適当な分類方法なし……精神の領域はどんな分類をもはるかに越えるほど広範……能力指数は天才以上(七百五十)……しかし、不安定な要素はない……知力は前例を見ないほど強力……」
それから彼はカードを読んだ。
「ウォーゼル。ヴェランシア出身。八百」
そして次のカード。
「キムボール・キニスン。地球出身。八百七十五」
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九 アイヒとアリシア人
空港司令官は、ボスコーンがだれだろうとまたはなんだろうと、レンズマンがやってのけたことに対してすでに対策をとっているだろうと想像したが、この想像はきわめて正しかった。なぜなら、キニスンが科学図書館で資料を調査しているうちにも、間接的ながら彼に少なからぬ影響を与えることになる会合が開かれていたのだ。
その会合が開かれている場所は、はるかに隔《へだ》たった第二銀河系の中、アイヒ族が支配する惑星ジャーヌボンの上で、すでに簡単に述べたあのいかめしい要塞の中だった。その会合を主催するのは、歴史上アイヒランとして知られる、あの名状《めいじょう》しがたい生物だった。彼の名は、もっと正確にいえばアイヒ族のランである。
「ボスコーンの議会を開催する」その生物は他の八人の同様な怪物たちに宣言した。それらの名状しがたい生物は、石のような物質でつくられた長く低く幅広のベンチに席をしめていたが、それらのベンチは彼らの地位を表わすものとしても使用されるのだった。「九日前から、われわれはすべて、いまだにまったく仮定的な存在であるレンズマンの活動に関係があると思われるあらゆる新事実の調査を開始した。ヘルマスの信ずるところでは、このレンズマンは、われわれが最近地球銀河系の中でこうむった、がまんのならない敗北の隠された真の原因であるという。
ボスコーンの首席として、余は軍事的情況について報告する。諸君も知るように、あの銀河系におけるわれわれの立場は、ヘルマスの総基地の陥落によって弱体化され、われわれの艦隊は退却した。再建を容易にするために、同等の艦隊が派遣された。これらの船のあるものは、われわれが完全に支配している惑星におもむいた。これらの船のうち、なんらかの適切な事実を報告し得たものは一隻もない。パトロール隊の基地に接近した船、またはパトロール隊の戦艦と惑星で戦闘をまじえた船は、まったく通信を停止してしまった。これらの船の自動記録装置さえ、なんらかの理解可能なデータを伝達することもなく機能を停止してしまったところからすると、これらの船は完全に破壊されたものと思われる。われわれは≪なだれシステム≫という戦法も採用してみた。これは、一隻の船が他の船にかなりの距離をおいて追従し、分析装置を設定して、前方の船と交戦する敵が使用するビームや兵器の性質を判定せんとするものである。しかし、敵は超強力な妨害圏《ぼうがいけん》を展開したので、われわれは必要なデータを得られないままに、さらに六隻の船を失った。これらが事実であるが、そのすべてが否定的である。理論づけ、推論、集計および総括は、例によってのちに行なわれる。次はボスコーンの副首席アイヒミルが報告せよ」
「わたしが集めた事実もまったく否定的であります」副首席は報告しはじめた。「惑星ラデリックス上における、わがほうの作戦が効果をあげはじめてまもなく、パトロール隊麻薬局の地球人|分遣隊《ぶんけんたい》がラデリックスに到着しました。この分遣隊の中に問題のレンズマンがいたかどうかは、あきらかでありませんが……」
「さしあたりは事実だけを報告せよ」アイヒランは簡潔に命じた。
「その後まもなく、常時、思考波スクリーンを着用することを命ぜられていた下級の女性諜報員が、はげしい精神|錯乱《さくらん》を起こして使用にたえなくなりました。つづいてもうひとり、やはり女性の諜報員で三級に所属し、そのときまできわめて有能であった者が、連絡を停止しました。数日後、惑星支配人ボミンガーが連絡を停止し、惑星監督員も連絡を停止しました。ご承知のように、この監督員は、支配人はじめ行動員たちにはまったく知られていず、なんら直接の連絡を持っていませんでした。密輸員および輸送員らの報告によれば――この場合、これらの報告も事実として認容《にんよう》しうると信じますが――ラデリックス上のわが要員は全滅したものと思われます。いまのところ、他の惑星上では、なんら異常な事件は起こっておりませんし、なんらかの意味で重要な事実は、どんな小さなものも発見されておりません」
「ボスコーン第三席アイヒノル報告せよ」
「わたしが集めた情報もすべて否定的であります。パトロール隊基地内にあるわれわれの情報源はすべて切断されました。これらの情報員の中には、長年にわたって規則的に情報を送ってきていた者もありますが、それらもすべて沈黙してしまいました。彼らと連絡をつけようとするあらゆる試みは成功していません」
「ボスコーンの第四席アイヒスナップ報告せよ」
「まったく否定的であります。いままでのところ、惑星メドンについては、なんの痕跡《こんせき》をも発見することができません。メドンが消滅した際、これを包囲していた二十一隻のわが戦艦についても同様であります」
そのようにして八つの報告が行なわれているあいだ、ボスコーンの首席の触手は目の前の複雑な装置のキーの上方で断続的におどっていた。
「では分析し、理論づけを行ない、結論を引き出そう」首席は宣言した。各生物は自己のアイディアと推論を機械に提供した。機械は短時間うなった後、テープを押し出した。アイヒランはそれを取って厳密に調べた。
「九五パーセント以下の可能性しか持たない結論はすべて除外する」彼は宣告した。「われわれは次のような結論を得た。
第一、三つ一組《ひとくみ》の事実が、九九・九九パーセントの確率で――つまり事実上確実に――存在する。すなわち、これまでに発生した事件の背後《はいご》には、あるひとりの地球人レンズマンが原動力としてひそんでいること。また彼は、従来、彼の種族に知られていなかった知力を獲得していること。そしてまたパトロール隊が強力な新兵器を開発したのは、大部分、彼の力によるものであること。
第二、確率九九パーセント。彼および彼の組織は、もはや守勢にとどまらずに攻勢に転じてきたこと。
第三、確率九七パーセント。銀河パトロール隊と銀河文明は地球から出発したのではあるが、主要な障害は地球ではなくアリシアであること。つまりヘルマスの報告は、すくなくとも部分的には正しかったということ。
第四、確率九五・五パーセント。そのレンズは惑星メドンの消滅に関係を持っていること。もう一つの結論はもっと確立が低いが、それでも九四パーセントに達する。すなわち、この事件についても同一のレンズマンが関係しているというものである。
ここで補足しておくが、あの惑星の消滅は外見以上に重大な問題である。あの惑星は従来の位置にあったあいだは、なんら重大な問題ではなかった――しかし、消滅したとなると、はなはだ重大な問題になるのだ。遂行不可能な命令を発することは容易である。たとえば、ヘルマスが『惑星トレンコを一インチ一インチしらみつぶしに捜査せよ』と命じたのはそれである。メドンを発見するために、この銀河系のあらゆる星をしらみつぶしに捜査することは、それよりいっそう困難で時間のかかる仕事であろう。しかし、できるかぎりのことはなさねばならない。
先ほどの結論にもどる。これらの結論が指摘する情況が、まことに深刻であることは、いうまでもない。これはボスコーンの文化が興隆を開始して以来はじめて直面した重大な後退である。その興隆の過程は諸君もすでに知るところである。われわれアイヒ族は着々《ちゃくちゃく》として都市を、種族を、惑星を、太陽系を、宇宙区域を、そして全銀河系を奪取《だっしゅ》した。そしてさらに、地球銀河系へ支配の手を伸ばした。これは、われわれの権力を大宇宙のあらゆる銀河系に拡大するための第一段階である。
諸君はわれわれの教義を知っている。権力は勝利者に、というのがそれである。もっとも強力でもっとも条件に適応している者が生存し、支配するのだ。われれに敵対しているいわゆる銀河文明は、地球からはじまったのであるが、その推進力はアリシアに住む生物である。この文明は、われわれの文化の知力および物質力にくらべるときは、柔弱で取るにたりない。われわれの文化にあっては、各惑星上の無数の生物がそれぞれに権力を追求しつつ、その力を上級者に提供している。無数の惑星は、われわれの独裁的支配のもとに、それぞれの力をわれわれアイヒ族に提供している。この惑星に住む数十億のアイヒ族に委譲《いじょう》されたこれらすべての力は、ボスコーンを構成するわれわれ九人に結集され、統御《とうぎょ》されているのである。
権力! われわれの祖先は一惑星の支配をもって充分だと考えた。その後、銀河系の支配が実現されれば、それによって野望はみたされるとされた。しかしながら、いまやわれらボスコーンは理解している。われわれの権力は物質的全宇宙の境界によってのみ制限されるべきである――全宇宙空間に存在するあらゆる世界は、ボスコーンに服従するべきである! 諸君、この会議の主題はなんであるか?」
「われわれはアリシアへおもむかねばならない!」思考を統一する必要はなかった。これが満場一致の思考だったからだ。
「しかし、慎重に行なうことが必要です」ボスコーンの第八席が自己の見解を補足した。「確かにわれわれは、歴史が古く有能な種族であります。しかしわたしはアリシアに未知の要素が存在しているということを信ぜざるをえません。われわれはその『|X《エックス》』をいまだに理解できないのです。ヘルマスはアイヒ族ではありませんでしたが、彼が有能な生物であったということは認めねばなりません。しかも彼はアリシアで手きびしく扱われ、その探検については、完全で決定的な報告をすることができなかったのであります。これらの事情を考慮して、わたしは提議します。アリシアには実際の着陸を行なわずに、魚雷を遠距離から発射すべきだと」
「この提案は、はなはだ適当である」首席は認めた。「ヘルマスは酸素呼吸者としては相当有能であった。しかし、彼は酸素呼吸者のつねとして、精神的に柔弱であった。われわれのもっともすぐれた心理学者であるきみは、現存の心が――たとえばプルーア人の心でさえ――物理的な力または装置を用いずして、きみの心を破壊しうると信ずるか? ヘルマスの報告によれば、彼の心はアリシア人の知力によって破壊されかけたらしく思われるが。余が『思われる』という言葉を用いたのは、ヘルマスが真実を告げたと信じていないからだ。事実、余は彼をやめさせて、アイヒ族のひとりを彼の地位にすえようと思っていたのだ。もっとも、このような任命は、われらの種族のだれにとっても不愉快なものであるだろう。あの銀河系の種族はすべて柔弱だからな」
「わたしもそう思います」第八席は賛成した。「大宇宙を通じて、わたしの心を破壊できるほど強力な心があるとは信じられません。どれほど強力な知力でも、断固として抵抗する意志に影響を与えることはできない、というのは自明の理であります。それゆえに、わたしはわれわれの諜報員が思考波スクリーンを用いることに反対しました。こうしたスクリーンは探知を容易にさせるだけで、なんの実際的利益もありません。物理的手段が第一に用いられました――用いられねばなりませんでした。そして、物理的征服の後には、スクリーンはもちろん無用でした」
「わたしはきみの意見に完全に賛成する自信がない」第九席が言葉をはさんだ。「アリシアではわれわれにはまったく未知のタイプまたはパターンの知力が用いられているという充分な証拠がある。ヘルマスの報告の重要性はなるべく低く評価すべきだというのが一致した意見だが、アリシアに住む知的生物は、物質的補助なしに知力を働かしうると考えるべき確かな証拠がある。もしそうだとすれば、そのような力を防ぐ唯一《ゆいいつ》の可能な手段として、強固なスクリーンが必要だ」
「理論的には妥当だが、実際的効果は疑わしい」心理学者は、いい返した。「スクリーンがこれまでに何かに役にたった証拠があれば、きみの意見に賛成する。だが、役にたったことがあるかね? スクリーンはヘルマスや彼の基地を救うことができなかった。そして、惑星ラデリックスでも例のレンズマンの行動をさまたげたと考えられる証拠はまったくない。きみは『強固な』遮蔽《しゃへい》というが、その言葉は無意味だ。完全に効果的な遮蔽は不可能なのだ。われわれは、ある心が他の心を物理的肉体的接触なしに支配しうる能力というものを前提としているように思われるが、もしそうだとすれば、このレンズマンは遮蔽されていないどんな心にでも侵入して目的を達することができるのだ――このことは、わたし自身が、われわれの諜報員の多くの者の心に働きかけたところから判断すれば、けっして不可能なことではない。きみも知っているように、ヘルマスがおそまきながら気づいたことだが、レンズマンは、犬の心をとおして、ヘルマスの総基地に侵入したにちがいないのだ」
「ばかばかしい!」第七席があざけるようにいった。「もしそうだとしても、犬を殺せばいい――さもなければ、やつらにもスクリーンを着せるのだ」
「それもいいだろう」心理学者は動ぜずに答えた。「地上の動物や空中の鳥を残らず殺すことはできるかもしれない。だが、穴の中にいる地虫や、奥深くにひそんでいる白蟻まで絶滅《ぜつめつ》することはできない。しかし、『ここから知的生物がはじまる』とはっきり境界をひけるような生物は存在していないのだ」
「この論争は興味ぶかいが無益である」第七席がばかにしたように答えようとするのを、アイヒランがさえぎった。「余の考えでは、論争する価値があるのは、何をなすべきかということである。というより、だれがそれをなすべきかということである。なぜなら、この問題の解決法は一つしかないからだ――すなわち、あの憎むべき惑星上の生物をあとかたもなく絶滅するに充分な力を持つ原子爆弾だ。われわれ以外のだれかを派遣《はけん》すべきか、それともわれわれのうち、だれかが行くべきか? 敵を過大評価するということは、最悪の場合でも不必要な警戒をしたという損失にとどまるが、過小評価することは致命《ちめい》的結果をもたらす危険がある。したがって、この問題の決定は心理学者にまかせるべきであると思う。しかし、諸君が望むならば、余がもろもろの結論を総括《そうかつ》しよう」
こんどは機械を使う必要はなかった。ボスコーンの第八席アイヒアンプがこの問題を決定すべきであるということに意見が一致した。
「わたしの決定は明白であります」第八席は慎重にいった。「わたしとしては自分自身で出かけるつもりです。情況はあきらかに重大です。のみならず、わたしはヘルマスが自分の経験についてなした報告の中には、ある程度の真実がふくまれているということを、諸君以上に信じています。現存する心のうちでわたしがその力を確信しているのは、自分の心だけです。自分の心だけは、いかなる強力な知力が、いかなる方法で作用しようと、圧倒されることはないと信じています。わたしはアイヒ族以外は同行させたくありません。そしてそれらの者も、乗組員に選ぶ前に慎重に調査するつもりです」
「きみは余が思っていたとおりに決定した」首席がいった。「余も行こう。余の心なら耐えられると思う」
「耐えられるでしょう――あなたの場合は、調査は不要です」心理学者が賛成した。
「わたしも行く! わたしも!」全員が声をそろえていった。
「いかん」首席はきっぱり拒否《きょひ》した。「機械や兵器を操作するには、ふたりあれば充分だ。それ以上出かけるのは、ここのボスコーンを弱体化させるものであり、賢明ではない。諸君も知るように、多数の者がこの席を奪取しようとしてすきをうかがっているのだ。アイヒ族であっても、柔弱な心の者を同行させれば、災害をまねくことになるかもしれない。われわれふたりは安全なはずだ。余は、宇宙の支配的種族の支配者であり主人であるこの評議会の首席という称号を維持《いじ》する権利をくり返して証明してきたからであり、アイヒアンプのほうは、あらゆる知能について無比《むひ》の知識を所有しているからである。船の準備はできている。われわれは出発する」
すでに示されたように、アイヒたちはだれひとり臆病ではなかった。彼らは確かに暴君であり、もっとも苛酷《かこく》で無情な専制者だった。彼らが住む寒冷な世界の岩石のように冷酷で、伝説のクリシュナ神像のように無慈悲だった。しかし、彼らは冷酷であると同時に論理的だった。彼らのうちでもっとも、あることをなすに適した者が、なんのためらいもなく当然のこととしてそれをするのだった。機械のような冷静で無感動な確実さでするのだった。事実、彼らは機械同然だった。そういうわけで、ボスコーンの首席と第八席とが出発しかけたのだった。
まっ黒で空気もなく照明もない船は、星をちりばめた第二銀河系の宇宙空間をつき抜け、それよりはるかに広大ではるかに稀薄《きはく》な銀河系間空間を横切り、地球銀河系へ突入し、招かれざる客がすべて近寄るのを避けている惑星――恐るべきアリシアへ――接近して行った。
ボスコーンのふたりはあえて惑星のすぐそばまで行こうとはせず、魚雷を目標に正確に発射できるかぎりの遠距離に停止した。しかし、それでさえ、アイヒの船はアリシア人が張りめぐらした精神エネルギーのスクリーンを突破してしまっていた。ボスコーンの基地に残った七人が探知プレートを通じて緊張しながら見守っている中で、アイヒランが誘導弾の発射装置に触手をのばしたとき、針のように鋭く、しかも焼きを入れた鋼鉄線のように拘束力《こうそくりょく》のある思考波が彼の脳を貫いた。
「待て!」思考は命令した。アイヒランは触手をとめた。仲間のボスコーン人も動作を中止した。
どちらも、一筋の随意筋《ずいいきん》さえ動かせずに、からだをこわばらせていた。評議会の他の七人は、理解できない驚きにうたれて、そのようすを見つめていた。彼らの受信装置は沈黙していた――なぜなら、この装置は思考波には反応しなかったからだ。彼らにはまったくわけがわからなかった。しかし、アイヒ族の指導者である七人は、何事かが起こっていることをさとった。彼らが協力して立てた計画にはまったくはいっていないような、恐るべきことだ。しかし、彼らにはどうすることもできなかった。ただ、見つめて待っているしかなかった。
「ああ、アイヒ族のランとアンプだな」手も足も出ないでいるふたりの心の中で思考が反響した。
「長老たちがいわれることは確かに正しい。わたしの心はまだ未熟だ。なぜなら、判断の基礎となる事実を一つでなく、いくつも持っていたのに、そして判断する時間も充分にあったのに、自分が大宇宙森羅万象の具象化《ぐしょうか》について、はなはだしくまちがっていたことが今こそわかるからだ。しかし、おまえたちは拡大された世界にみごとに適応している。わたしはおまえたちが思考の新しい材料を提供してくれたことについて大いに感謝する。今後長いこと、わたしはそれらについて思いめぐらすだろう。
事実、わたしはおまえたちが無傷で自分の惑星にもどることを許すつもりだ。おまえたちは、われわれがおまえたちの手先であるヘルマスにあたえた警告を知っているのだから、故意《こい》にアリシアの秘密をおかそうとした罪は死に値する。しかし、不必要に破壊をたくましくすることは、知的成長に適当ではない。だから、おまえたちは自由に引きあげるがいい。わたしはおまえたちの手先にあたえた警告をくり返す。おまえたち自身だろうと、何かの形の代理者だろうと、二度とやって来てはならない」
アリシア人は、まだその力のごく一部を作用させているにすぎなかった。ふたりの侵入者のからだはほとんど麻痺《まひ》していたが、心は罰を受けていなかった。そこで心理学者は冷静にいった。
「おまえが相手にしているのは、ヘルマスでもなく、その他の柔弱《にゅうじゃく》な酸素呼吸者でもなく、アイヒなのだ」そして、意志力をふりしぼって制御装置のほうへ向かった。
「それがなんになるというのか?」アリシア人は第八席の頭脳に激烈な圧力を加え、全身に苦痛の波を伝達させた。それから彼は心理学者の心を支配し、強制的に通信盤の前に行かせた。盤の上には、ボスコーンの他の七人が驚いて見つめている映像がうつっていた。
「惑星全体に通信を中継せよ」彼はアイヒアンプの発声器官を通じて命じた。「そして、わたしがこれから通信することが、アイヒ族の全員にわかるようにするのだ」短い沈黙があってから、深いととのった声が響きはじめた。
「わたしはアリシアのユーコニドールである。わたしはいま、おまえたちがボスコーンと呼ぶ最高評議会の第八席であり心理学者であるアイヒアンプの不死の肉体を通じて話している。わたしはこのふたりの単純な生物の生命を助けてやろうと考えたが、そのような配慮は無益であると知っている。彼らの心も、いま、わたしの言葉を聞いているおまえたちのすべての心もゆがんで倒錯《とうさく》しており、理性にそむいている。彼らもおまえたちも、わたしの配慮をまったく誤解して、わたしが彼らを殺さないのはそれができないからだと信ずるだろう。そしてある者はくり返し警告にそむいて、ついに殺されてしまうだろう。おまえたちは、優越した力を明白に示されなければ、こうした事実を信じられないのだ。おまえたちには力しか理解できないのだ。おまえたちの生存上の目標は、物質的力を獲得することである。貪欲《どんよく》、堕落《だらく》、犯罪がおまえたちの属性なのだ。
おまえたちは自身を堅固で無慈悲だと考えている。ある意味では、そしておまえたちの能力については、確かにそのとおりだ。しかし、おまえたちの心は、はなはだ幼稚なので、おまえたちが思いもおよばぬほど深刻な残虐《ざんぎゃく》や堕落があるということを理解できないのだ。
おまえたちは力を愛し崇拝《すうはい》している。なぜか? 思索《しさく》する心には明白なことだが、このような欲望は本質的に無益なものであり、またそうならざるをえないのだ。なぜなら、おまえたちのうちだれかが、物質的大宇宙全体を支配できたとしても、それがなんの役にたつのか? 何もなりはしない。何かうるところがあるだろうか? 何もありはしない。達成の満足さえ得られはしない。なぜなら、そうした欲望は飽くことを知らないからだ――それはみずからにもどり、みずからを餌にして増大するのだ。わたしは事実として告げるが、無限であると同時に幽玄であり、飽くことがないと同時に自足する力がただ一つだけある。その力は永遠ではあるが、かならずそれの所有者に、そのために費やされた努力に正確に対応する真の達成の真の満足をもたらすのだ。その力とは、心の力である。おまえたちはきわめて未発達で、またその方向があやまっているから、このことがいかにして行なわれうるかを理解できない。しかし、もしおまえたちのうちのだれかが一個の事実に対して、または小石、種、植物、その他の生物のような小さな対象に対して、たとえおまえたちの百年ほどの寿命のうち短期間であっても、心を集中するならば、このことの真相を理解しはじめるだろう。
おまえたちは、自分たちの惑星が古いことを誇っている。それがどうしたというのか? われわれは惑星の青春期から宇宙の古代にかけて、つぎつぎに多くの惑星に移り住んだ後、このような天体の偶然的形成に影響されないようになったのだ。
お前たちは古い種族だと誇っている。しかし、われわれに比べれば、まったくの幼児だ。われわれアリシア人は、この二つの銀河系の最近の遭遇によって形成された惑星の上で発生したものではない。われわれが発生した惑星は、はるか昔に誕生した。その期間を年で示しても、おまえたちの心にはまったく理解できないだろう。おまえたちのもっとも古い祖先が、おまえたちの惑星の母体となった惑星の混沌《こんとん》の中でのたくりはじめたとき、われわれはすでにおまえたちには創造もおよばぬほどの年齢に達していたのだ。
『パトロール隊はそのことを知っているのか?』おまえたちの心にそういう疑問が生じたな。彼らは知っていない。彼らのうちでもっとも強力な心を持つ少数の者を除いては、この真相についてかすかな予感さえ持っていない。文明全体に対してこのことを一部でももらすならば、文明は回復しがたい損害を受けるだろう。彼らはもっともよい意味で真理の探究者ではあるが、まだまったく未熟であり、彼らの寿命は瞬間的にすぎない。われわれのような種族が存在すると知っただけで、彼らの心には大きな劣等感が植えつけられ、それ以後の進歩は不可能になってしまうだろう。おまえたちの場合は、そのような結果は期待されない。おまえたちはここで起こったすべてのことに対して心をとざし、あのようなことはありえないから、起こったはずではないし、事実起こらなかったのだ、と自分にいいきかせるだろう。とはいえ、おまえたちは今後アリシアへ近寄ろうとはするまい。
話をもとへもどそう。おまえたちは自分たちを古い種族だと考えている。しかし虫けらよ、知るがいい。おまえたちの一千年という寿命は一瞬にすぎないのだ。わたし自身すでにその何倍も生きてきたが、まだほんの子どもなのだ――ただの監視者であって、真に重大な思考をゆだねられてはいないのだ。
わたしは長くしゃべりすぎた。わたしがこのようにしゃべったのは、一種族のエネルギーが、物質的支配を目ざして、かくも乱用され、かくも堕落させられているのを見たくないからだ。わたしはおまえたちの心を真理の道に向けてやりたい。しかし、おそらくそれは不可能だろう。わたしはおまえたちにその道を示した。それをたどるかどうかは、おまえたちがきめることだ。事実、おまえたちの大部分は、その近視眼的誇りからして、従来の思考方式を変ずることを頭からこばみ、すでにわたしの通信を中断してしまったではないか? しかし、おまえたちのうち何人かでも、わたしがかくも長く論じたこの道を理解して、それをたどってくれることが望ましい。
おまえたちが思考形式を変えようと変えまいと、わたしは、おまえたちがこの警告を考慮するようにすすめる。アリシア人は侵入されることを欲しないし、またそれを容赦《ようしゃ》しないだろう。その教訓として、このふたりの侵入者が自滅するところを見るがいい」
大きな声はやんだ。アイヒランの触手は制御装置のほうへ動いた。巨大な魚雷が発射された。
しかし、その魚雷は、はるかかなたのアリシアへは突進せず、ぐるりと旋回してアイヒの大巡洋艦のまっただなかに命中した。恐るべき衝撃が起こった。宇宙をひき裂くような爆発、想像や形容を絶した白熱光。一個の惑星を破壊――というより蒸発――させるほどのエネルギーが、ボスコーンの巡洋艦の取るにたりない質量と、無抵抗な宇宙空間とに対して消費されたのだった。
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一〇 |負の球体《ネガスフィア》
キニスンが図書館員と長距離通信ビームに用がなくなるまでには、予定の一週間よりかなり時間がかかったが、ついに彼は、銀河系文明のあらゆる惑星を通じてもっともすぐれた科学者および思想家五十三名の援助を得ることに成功した。彼らは全銀河系から選抜された。バンデマールセントラリア、アラスカン、チクラドリア、ラデリックスをはじめ、リゲル、シリウス、アンタレスなどの太陽系から選抜された。まったく代表者のいない惑星が何百万もあった。代表者を出した少数の惑星の中でも、ひとり以上を出したのは、地球だけだった。
これはやむをえないことだった。キニスンは選ばれた人々にそのことを丁寧に説明した。オースティン・カーディンジ卿は、そのすばらしい頭脳で、陽子と負エネルギー・レベルを処理する新しい数学を開発した人物だったが、この人物は地球代表として実際に仕事にあたり、キニスン自身は調整役またはオブザーバーとして出席するだけだった。集合の場所は地球上ではなく、あらたに銀河系に加わった、まったく中立的な惑星メドンである。グレー・レンズマンは、自分が相手にする学者たちの心理をよく知っていたからだ。
彼らはすべて最高の天才たちだったが、その偉大な知能は狂気と紙一重のところにある者が多かった。秘密会議が招集される前からすでに、彼ら相互のあいだにはげしい競争意識が生じそうな気配《けはい》がはっきりした。第一回の集合では問題自体が提起されたが、その後、これらの強力な頭脳を協力させるには、キニスンがあらゆる能力、指導力、推進力を発揮し、ウォーゼルが巧妙な外交手段を駆使《くし》することが必要だった。
しばしば学者のだれかが、現実の侮辱《ぶじょく》または架空《かくう》の侮辱によって誇りを傷つけられ、感じやすい自我を刺激《しげき》されて、憤然として自分の惑星にもどろうとしたが、そのたびにキニスンやウォーゼルになだめられたり、おどされたり、知力であやつられたりして、仕事にもどるのだった。
事実、そうした侮辱はすべてが架空のものではなかった。論争はたえまなく、激怒《げきど》や非難や悪罵《あくば》がほとんど一時間ごとに起こった。彼らはいずれも自分の惑星では尊敬されることに慣れ、自分の意見が福音《ふくいん》のように無条件に受け入れられることに慣れていたから、自分より劣っていると思われる知能によって自分の仕事を調査されたり批判されたりするのは――またときとして、そうした劣等な知能に譲歩したりするのは――まったく耐えられないことだったのだ。
しかし、ついに彼らの大部分は協力して仕事にとりかかった。当面の問題が、ひとりでは部分的にさえ解決できなかった問題だということを認めたからだ。それでも協力しない者がいたので、キニスンは彼らを帰国させた。前進がはじまった――しかし事はすみやかには運ばなかった。グレー・レンズマンは体重が二十五ポンド減り、筋金《すじがね》入りのウォーゼルさえまいってしまった。彼は両翼が途中で折れまがってしまって、飛ぶことができないとこぼした。また、腹の皮が背骨にくっついてしまって、這うこともできないという始末!
しかし、ついに仕事は完了した。一枚の紙に書きこめるくらいの一組の等式に煮つまったのだ。それらの等式は、この会合そのもので生まれた数学体系を基礎にしていたから、他のほとんどの者には無意味だったろうが、キニスンはすでにそれを身につけていた。
メドン人は会議に参加することを許されなかった――この集団にメドン人をひとりでも加入させれば、そこで熱心に働いている気ぐらいが高くて興奮しやすい天才たちはそろって退出してしまっただろうからだ――しかし、地球人レンズマンは、これらの天才たちの行為や思考を残らず記録しておいた。その記録はワイズをはじめとするメドン人たちばかりでなく、パトロール隊自体の科学者集団によっても検討されていた。この科学者たちは、あの天才たちほど鋭くはないが、はるかにバランスのとれた知能の持ち主だった。
「さあ、きみたちもこれで仕事にとりかかれるわけだ」キニスンは集会の最後のメンバーがものものしい身ぶりでガウンからメドンのほこりをはらって帰って行ったあとで、深い安堵のため息をついていった。「ぼくは一週間ばかり眠るよ。モデルができたら、呼びに来てくれないか?」
これはもちろんまったくの誇張《こちょう》だった。レンズマンはどんなことがあろうと、この最初の装置の建造を観察するつもりだった。まず直径二〇フィートばかりもある球形の外殻が目のあらい骨組で作られる。六個所の枢要部《すうようぶ》に、六個の原子力|励磁機《れいじき》が装着される。各励磁機は一時間に一万ポンドの物質を純粋エネルギーに変化させることができるのだ。これらの励磁機は、吸収スクリーンを、すくなくとも二万対一の比率で駆動《くどう》する。一時間すくなくとも六十万トンの物質を消滅させるに等しいエネルギーが、六個の小さな機構からその網状体《もうじょうたい》の中心に投入される。この小さな機構は事実上、超強力バーゲンホルム(重力中立器)なのだ。しかし、発明者の名を冠したバーゲンホルムというこの名称は、それらの機構に冠するには不適当である。なぜなら、メドン人が開発した導線と絶縁体がなかったら、それらを製造することはまったく不可能だったからだ。
つづいてコンベヤーと傾斜路が建造される。キニスンが熱心に見つめている前で、何十万トンもの廃物――岩石、砂、コンクリート、スクラップ鉄、金属片、その他、各種の屑――が、そのまま、なんの変哲《へんてつ》もない球体の中へ落とされると、まるではじめから何も存在していなかったかのように消滅してしまう。
「だが、もう何かが見えてもいいはずだ!」キニスンは一度だけ疑問を提出した。
「まだですよ、キム」技師長ラ・ベルヌ・ソーンダイクが継げた。「渦動《かどう》を形成しているだけなのです――まだ顕微鏡的なのです。あの中でどんなことが起こっているかは想像もおよびませんが、ここにいてあれを操作しているのは愉快ですな!」
「だが、いつからだね?」キニスンは質問した。「いつごろになったら、あれが成功するかどうかわかるね? ぼくは出発しなけりゃならんのだ」
「いつでも出発しなさい――よければ、いますぐでも」技師長は意地わるくいった。「もう≪あなた≫は必要ありません――あなたの役目はすんだのです。もう成功しています。さもなければ、あのがらくたをあんな小さなスペースに押しこめると思いますか? あなたがあれが必要になるずっと前に、完成してしまいますよ」
「だが、ぼくはあれが機動するのを見たいんだ、でかの無精者《ぶしょうもの》!」キニスンは冗談半分にやりかえした。
「三、四日したらもどっていらっしゃい――一週間くらいかな、だが、せいぜい穴が見えるきりでしょうよ」
「ぼくが見たいのは、その空間の穴なんだ」そして二、三日後、レンズマンが見たものはまさにそれだった。
球体の骨組はなんの変化もなく、機械は依然として信じられないような使用荷量をやすやすと遂行している。物質――あらゆる種類の物質――は依然として、瞬間的に音もなく光もなく消滅している。
しかし、その巨大な球体の中心には、いまや存在しているものがあった……≪あるもの≫が。それとも、それはなにものでもないか? 数学的にいえば、それはベースボールくらいの大きさの球体、というよりは負《ふ》の球体だった。しかし、目はあるものを見ることはできたが、それを分析的に知覚することはできなかった。またそれを三次元として心に表象《ひょうしょう》することもできなかった。なぜなら、それは本質的には三次元的物体ではなかったからだ。光はその不可解な物の中へはいって消滅する。目をこらしても、なんの形も組成も見えない。目の奥の心は、その非限定的な虚無《きょむ》の展望を前にして茫然としてしまうのだ。
キニスンは鋭敏きわまる知覚力をその中に投射したが、目がくらんだようになって、うしろにさがった。思考力が回復してから判断をくだした。あれは暗黒ではない。それよりもっとわるいものだ……想像できるどんなものよりもわるい――無限に広大でいて、何物もまったく存在していない、虚無の領域……≪絶対無≫なのだ!
「それにちがいない」レンズマンはいった。「もう物質を供給するのをやめてもいいだろう」
「いずれにせよ、もうすぐ停止しなければならんのだ」ワイズが答えた。「この惑星の廃物はなくなりかけている。きみが求めている効果を発生させるには、かなり大きな惑星上の物質が必要だろう。おそらく、きみはその目的に使用されるべき惑星に心あたりがあるだろうね?」
「それよりいいものです。ぼくが考えているのは、ちょうどそんな惑星に匹敵《ひってき》する物質ですが、それはすでに扱いやすい大きさに砕《くだ》かれているのです」
「そうか、アステロイド・ベルト(火星と木星の軌道の中間に存在する小惑星群)ですね!」ソーンダイクは叫んだ。「すてきだ! 一石二鳥というんですな? だが、宇宙坑夫たちはどうします?」
「全部考えてある。現に開発中の小惑星はそのままにしておくのだ。そういう小惑星は通信装置をそなえているから、いずれにせよ有重力航行に危険を与えることはない。渡り者の宇宙坑夫たちはどこかの太陽系へ送って、採掘をやらせる――パトロール隊の負担でね。だが、出発する前にもう一つの問題がある。確かに事故なしで第二段階へ移行させることができるかね?」
「確かです。この装置のまわりにもう一つ装置を建造して、新しいバーゲンホルム、励磁機、スクリーンを取りつけ、この装置のほうは、物質を供給しつづけるのです――手あたりしだいにね」
「QX。じゃ、出発だ!」
地球の巨大な輸送船が二隻用意されていた。二隻は小さな骨組をあいだにはさみ、牽引《けんいん》ビームと圧迫《あっぱく》ビームの網の中に支えて、太陽系へ向けて出発した。この航行には二時間ばかりかかった――急ぐことはない。この特殊な貨物はたいせつに運ぶのが第一なのだ。
目的地に着くと、要員たちはこの新しいゲームに熱中した。牽引ビームが放射されて、鉄のかたまりを捕捉した。
「小さなのを選べよ」キニスンは注意した。「断面の一片が十フィート以上のものは、この骨組の中へはいらんだろう。大きなやつをためすのは、二番目の骨組ができてからにしたほうがいい」
「大きなのは切断すればいいでしょう」ソーンダイクは指摘した。「切断力場があるじゃありませんか?」
「そうしたければQXだ。要するに、この装置に物質を供給しつづけるのだ」
「やりますとも!」そしてゲームはつづけられた。
宇宙塵――岩もあったが、大部分はニッケル鉄の隕石《いんせき》――は二隻の船と球体のほうへ飛来してきて、広く展開された力場へはいると無慣性に移行する。圧迫ビームがそれらを貪欲《どんよく》に捕捉《ほそく》して球形の骨組のすきまから中へ押しこみ、食欲旺盛なスクリーンに押しつける。それらはスクリーンにふれた瞬間に消滅する。どれほどたてつづけに送りこまれても、スクリーンはそれらを音もなくあっさり食ってしまう。質量が何千トンもあるごつごつした鉄塊がスクリーンに押しつけられて消滅するのは、なんと無気味な光景だろう! それらは幾何学的に完全な球体の表面にそって消滅する。反対側にいると、分解表面の鏡のような金属|光沢《こうたく》が見える。まるで、その物質がわれわれにおなじみの三次元空間から別の宇宙へ押しやられてしまうようだ――事実、それにちがいないのだろう。
この作業をやっている者たちでさえ、その鉄塊にどんなことが起こっているか、まるでわからなかった。事実、この現象について多少とも理解している限られた人々――数学的魔術によってこの減少を可能ならしめた四十数人の天才たち――は、この問題を考察し議論するについて、日常的な限られた三次元的言語でなく、高等数学の言語のみを用いた。この言語で考えられる人間はごくわずかしかいないのだ。
乗組員たちはこの新しい技術にしだいになれて、金属塊はますます速く送りこまれるようになった――断面十フィート平方、長さ四分の一マイルもある、切断したての巨大な鉄棒が、その謎めいた抹殺《まっさつ》球体の中へ送りこまれた。そうこうしているうちに、直径百五十マイルの外部骨格が建造された。この膨大な構築物を建造するに必要な金属や労力は、想像されるほど過大ではなかった。六個の作業ステーションのかわりに、六の三乗――つまり二百十六個――のステーションが設けられた。どのステーションも発生機、超強力バーゲンホルム、スクリーン発生機を完備し、巨大プラットフォームの上に設置されていたが、それらプラットフォームは巨大なビームや金属の骨組で連結されて支持されているのではなく、純粋エネルギーからなる、それよりはるかに強力な束縛によって連結されていた。この仕事には多数の宇宙船が必要だったが、パトロール隊の技師たちは、それに充分な工作船を呼びよせることができた。
負《ふ》の球体の見かけの直径が一フィートばかりに拡大されると、それを視覚光をさえぎるようなスクリーンでおおう必要があるということがわかった。その球体を長く見つめていると発狂してしまうということが判明したからだ。不透明スクリーンは直径十六フィートあり、支持骨組とすれすれで危険だったし、外部骨組もできあがったので、内部骨組と交換する必要があった。
レンズマンは緊張して息をつめたが、メドン人と地球の技師たちは平然として、新しいステーションにのぼり、装置をテストした。
「準備完了」「準備完了」「準備完了」
ステーションはつぎつぎに報告した。ソーンダイクがメイン・スイッチを入れると、第一次球体――距離が遠くなったので肉眼では見えなくなっていたが、映像プレートにははっきり映っていた――が消滅した。あらたに発生した膨大な力場によって一挙に吸収されてしまったのだ。
「諸君、はじめろ!」ソーンダイクは送信器に向かって叫んだ。「もう茶さじで食わせるにはおよばん。ほしがるだけやれ!」
彼らは≪ほしがるだけやった≫。もう大きな隕石を切断する必要はなかった。直系が十マイル、十五マイル、二〇マイルもある小惑星が、それより小さい隕石もろとも、黒いスクリーンをとおして、その内側にあるいっそう黒いものの中へほうりこまれた。しずかにうなっているモーターからは、不平らしい騒音も起こらなかった。
「ご満足ですかね、キム?」ソーンダイクはたずねた。
「う、うう!」レンズマンは勢いよくうなずいた。「すてきだ! まったくりっぱなもんだ」彼はほめた。「もうぼくは出かけてもよさそうだな」
「そうなさい――万事快調です。お元気で、宇宙犬!」
「きみも元気でな、でかさん。いずれきみに会うか、思考を伝達するかするよ。あそこに地球が見える。出発する前から肉眼で見える目標へ向けて航行するなんて、めずらしいことじゃないか?」
地球への航行は、補給艇に乗ってさえ、ほんの一飛びだった。グレー・レンズマンが最高基地へ着くと、非鉄金属製の新快速艇が完成していた。つづく二、三日、彼はそれを完全にテストした。艇はふつうの長距離探知器でも、非常用の短距離電磁波探知器でも、まったく探知されなかった。また、宇宙空間では、テレスコープで至近距離《しきんきょり》から見ても発見できなかった。散財する星の光をさえぎるのは事実だったが、サーチライトの直接光線で照射されてさえ、どんな鋭い目にもその外形を見わけられなかった――レンズマン化学者たちは、九九・九九パーセントという、ほとんど完全に近い被覆《ひふく》に成功したのだ――したがって、星の光をさえぎることで発見される危険は非常にわずかだった。
「QX、キム?」空港司令官はたずねた。彼は最後の試験航行でグレー・レンズマンに同行していたのだ。
「けっこうです、閣下。これ以上は望めますまい――感謝いたします」
「きみ自身も非鉄化されているんだろうな?」
「完全です。靴にも鉄くぎ一本使ってありません」
「じゃあ、どういうわけかね? 気がかりらしい顔をしているが、何か高価なものでもほしいのかい?」
「図星《ずぼし》です、閣下。ですが、高価なものではありません――使う必要がないかもしれません」
「いずれにせよ、つくったほうがいい。そのあとできみが必要だったら、自分のものにすればいいし、必要がなかったら、われわれが何かに利用できるさ。なんだね、それは?」
「くるみ割り器です。なんの役にもたたない冷却した惑星がたくさんあるでしょう?」
「何十万――いや何百万もあるだろう」
「メドン人は自分たちの惑星にバーゲンホルムを装置して、ランドマーク星雲からこの銀河系まで二、三週間でやってきました。惑星学者たちに、そういう無用な惑星を二個選択させるのは名案ではありませんか? それぞれの軌道のある点で、まったく反対方向の速度を持つやつです」
「名案だな。うまくいくだろう。それ自体としては、非常に価値のあることだ。われわれには何も利用できんかもしれないが。ほかに何かあるかね?」
「何もありません。お元気で、閣下」
「無事な着陸を祈るよ、キニスン!」準貴金属製のまっ黒な快速艇は、優美に楽々と上昇して地球から飛び去った。
***
キニスンはラデリックス人の麻薬ボス、ボミンガーの心を通じてボスコーンの地区支配人プレリンと長時間にわたって充分な会見をしていた。したがって彼はボミンガーの住所もその表看板の商社の名前も知っていた――ブロンセカ、八カドラント、コミノチェ、デザリース通り四六二七、イーサン・D・ウェンブルスン父子商会。彼は、はじめてこの名称を聞いたときショックを受けた。この商会は銀河系貿易の中でもっとも大きく、もっとも保守的な商社の一つで、どの商事興信録でも無条件で第一級にランクされていたからだ。
しかし、それがやつらのやり方なのだ。キニスンは快速艇がパーセクまたパーセクと突進していくあいだに反省した。もう惑星ブロンセカから遠くないところへ来ている――レンズで容易に連絡できる距離だ――あそこにいるレンズマンを呼び出して、打ち合わせをはじめたほうがいい。あの惑星へ行ったことはないが、話は聞いている。地球よりいくらか暖かいが、その他の点では非常に地球に似ている。何百万もの地球人があそこに住んで、いい暮らしをしている。
惑星ブロンセカへの接近も、首都コミノチェへの訪問もできるだけ慎重に行なわれた。デザリース通り四六二七番は、一区域を完全にカバーした八十階のビルで、ウェンブルスン商会が独占している。訪問者は予約がないと受けつけてもらえない。はじめにビルの前をぶらぶら通りすぎると、ビルの内部をほとんど埋めた巨大なシリンダーは、思考波スクリーンでおおわれていることがわかった。付近のビルのエレベーターをあがったりおりたりする――思考を侵入させるすきはない。いろいろな用事にかこつけて、付近の事務所を一ダースばかり訪問する。おまけに、どこの事務所でも、相手の人間に会うために、一時間かそこらも待たなければならないような時間を選ぶのだ。
こうして目標をゆっくり偵察したが、価値のある事実は一つも判明しない。イーサン・D・ウェンブルスン父子商会は膨大《ぼうだい》な取引きをやっているが、それはどこからどこまで合法的なものだった! つまり、外側の事務室のファイルには、合法的な取引きだけが記録されていて、そこで忙しげに働いている男女はいずれも合法的な従業員なのだ。そして内側の事務室は――朝そこへはいって終業時に出てくる従業員の数から判断すれば、外側の事務室よりずっと大規模らしいが――一日じゅう一秒といえども、キニスンが思考をこじ入れる余地がないのだ。
それらの従業員の心を何十となく探知してみたが、どれも空白だった。彼らに関するかぎり、この組織のどこでも、「異常な」ことは何も行なわれていない。通称「老人」――イーサンの甥《おい》の息子か何かにあたるハワード・ウェンブルスン――は、最近自分の生命が危険に瀕《ひん》しているという強迫観念にとらわれている。彼はほとんどビルを出ない――ビルの中に宮殿のような住居を常時持っているから、その必要もないわけだが――そしてビルを出るときは、かならず厳重な護衛をつける。
思考波スクリーンをつけた人間が多数出入りするが、彼らの行動を慎重に調査した結果、こんなことをしても時間のむだだということがわかった。
「お手あげだ」彼はブロンセカ基地のレンズマンに報告した。「猫鷲にピンを刺しておとなしくさせておこうとするようなものだ。やつは自分が次にめぼしをつけられていると聞いて、びくついているんだ。観測員をひとりどころか十人もうろつかせているにちがいない。こんなことをしていても時間のむだだから、ほかの線をたどってみようと思う。前から考えていたことだが、この惑星の上でじたばたするより、アステロイド・ベルトの宇宙坑夫のたまり場で工作したほうがよさそうだ。やつらをだまして、ぼくについてまちがった情報を伝えさせるんだ――こいつはきたない仕事だし、ぼくは見破られないように変装しなければならん。こいつはもっときたない仕事だろう――だが、どうやらこの手を使わざるをえないようだ」
「しかし、その連中も警告を受けていますよ」ブロンセカ人が指摘した。「そいつらは、もっとわるいかもしれません。正面攻撃をかけて、あわよくばあなたがほしがっているデータを手に入れましょうよ」
「いけない」キニスンはつよくいった。「そんなことをしても成功の見込みはない――ぼくが求めているものは、そういう方法では手にはいらん。確かにほかの連中も警告されているだろうが、そいつらはボスコーンに直接のつながりはないから、たぶんこのプレリン――つまりウェンブルスン――ほど本気で警戒してはいまい。警戒しているとしても、そう長くは警戒をつづけないだろう。つづけられるはずがない。そんなことをしていれば、なんの楽しみもないからだ。
それに、プレリンが思考波スクリーンをめぐらしていることについては、文句はつけられないよ」地球人は相手の思考に答えていった。「あれは充分に合法的だ。スパイ光線妨害器も同様だ。すべての者はプライバシーの権利を持っている。ここでちょっとでも疑わしい行動をすれば、万事おじゃんになるおそれがある。きみたちは、われわれが設定した線にそってつづけてくれたまえ。ぼくは別の線からやってみるから。もしそれがうまくいったら帰ってくるから、そのうえで、きみの望みどおり正面攻撃をかけよう。そうすれば、一挙に四百くらいの太陽《ソル》系の麻薬組織を暴露《ばくろ》できるかもしれない」
こうして、キニスンは、ほとんど使わなかった新型快速艇を地球の最高基地にもどすことになった。そしてやがて、地球からもブロンセカからもはるかに離れた一太陽系に、またひとりの隕石《いんせき》坑夫が出現した。
惑星間宇宙空間で働くこの坑夫たちは奇妙な人種だ。彼らはやくざ者であり、大部分が宇宙の屑のような存在である。恒星系の中には、われわれの太陽《ソル》系より多くの小惑星や隕石を含んでいるものもあるし、少ししか含んでいないものもあるが、まったく含んでいないものはほとんどない。それらの小惑星や隕石は、主としてニッケル鉄か岩石だが、中にはプラチナ、オスミウムその他の貴金属を含んでいるものもあり、すばらしく大きなダイヤモンド、その他の宝石が発見されることもある。したがって各恒星系のアステロイド・ベルトの中には、これらの一般に軽蔑されてはいるが、勇敢でむこうみずな連中が一瞬一瞬に命をかけて、隕石の中に|大もうけ《ボナンザ》を夢みているのである。
彼らのある者は人生の敗残者《はいざんしゃ》である。ある者はしがない悪党で、自分の惑星の官憲から逃亡してはいるが、パトロール隊の「指名手配」リストにのるほどのこともない。またある者は、なにかの理由で――麻薬中毒とか、アルコール中毒とかで――正業につくことができなかったり、それを望まなかったりする。さらに、こうした恐ろしい冒険が好きで、そういう生活を送っている者も多い。彼らは大昔に地球にいた木材切出し人夫のように何週間もせっせと働き、そのあげく人の住む惑星にはつきものの宇宙人の魔窟《まくつ》へ出かけて行って、その労働の果実を昼夜をわかたぬ二、三日のばか騒ぎで「吹きとばして」しまうのだ。
しかし、彼らはその分類に関係なく共通点を多く持っている。いずれも手から口への刹那的な生活を送っている。いずれも不敵な宇宙人である。彼らはそうならざるをえない――そうでないものは長つづきしないからだ。彼らの生活は、すぺて危険と波瀾《はらん》に満ちている。彼らは狂熱的で、真底から法律を軽蔑していないまでも、言葉のうえでは機会があるごとにそれを公言する。
「法律は大気圏とともに終わる」というのが、彼らの信条であるが、事実、荒涼たるアステロイド・ベルトで、ほんとうに幅をきかせている法律は、光線銃以外にはないのだ。
当然のことだが、隕石坑夫たちはすでに述べた真紅に照明された魔窟でも、持ちまえの無法ぶりを発揮して大騒ぎをやらかす。付近の惑星警察は、だいたいにおいて自由放任主義をとっている。アステロイド・ベルトは警察の管轄権の中にはなくて、それぞれ主権を持った独立の世界だからだ。もし坑夫たちがたがいに殺しあったり、彼らを食いものにしている悪徳業者を殺したりしたからといって、それがどうしたというのか? それらの魔窟にいる連中が残らず殺されてしまえば、宇宙はずっと住みやすくなるというものだ! もし何か異常に言語道断《ごんごどうだん》な事件でもあって、銀河パトロール隊が介入《かいにゅう》しなければならないような場合には、個々のパトロール隊員ではなく、完全に武装した小隊か中隊が出動するのだ!
キニスンは、麻薬組織の宇宙支配人と接触をつけようとして、こうした連中のあいだへ乗りこんで行くことにしたのである。
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一一 |追いはぎ《ハイ・ジャッカー》
キニスンは惑星ブロンセカでの攻撃を完全に放棄《ほうき》してそこを立ち去った――それまでの彼の努力はすべて水泡に帰したように思われた――しかし、パトロール隊は眠っているわけではなく、ボスコーンの地区支配人であるコミノチェ市のプレリン、すなわちウェンブルスンは忘れられはしなかった。多数のレンズマンがひそかに、しかし断固たる決意でやって来ては立ち去っていった。地球人、ベネリア人、マナルカ人、ボロバ人。人種はさまざまだが、ボスコーンの手先から見れば、いずれも恐るべき敵なのだ。
リゲル人のレンズマンも来た。ポセニア人もオルドビク人も。事実、とくに鋭敏《えいびん》な知覚力を所有しているほとんどすべての種族の代表者たちが、持ちまえの能力を発揮しようとしてやって来た。ヴェランシアのウォーゼルまでが、何日もその強力な心を思考波スクリーンに投じたすえ、断念して去っていった。
麻薬取引がいつものように行なわれているかどうかは、パトロール隊のだれにもわからなかったが、三つのことは確かになった。
第一、ボスコーン一味は記録の一部を破壊したかもしれないが、空路、陸路または地下道によって逃亡した者はひとりもいない。
第二、彼らはレンズマンたちが、とことんまでねばるつもりなのを知っている。
第三、プレリンの生活は幸福なものではない!
こうして、キニスンの仲間のレンズマンたちは、ボスコーンの地区|拠点《きょてん》を知力で包囲攻撃しながら、彼のためにピンチヒッターの役割を効果的に果たしていた――もっとも、彼らは、それと同時に自分の能力を示して名声を博そうという野心もあった――そのあいだに、キニスンはアステロイド・ベルトの放浪者としての身元を確立しにかかっていた。
こんどこそは、へまをやってはならない。完全に隕石坑夫になりきるのだ。そのために、あらゆる装備を念には念を入れて選択した。装備は適当で信頼がおけるものでなければならないが、新しすぎてもいけないし、疑われるほど優秀すぎてもいけない。
宇宙船は、とくべつ大きな出入口を持った、ずんぐりして強力な曳航艇《えいこうてい》で、十年ばかり使われた――それも手荒く使われた――ものを選んだ。それは、いたるところへこんだり、かき傷がついたりしていたが、括弧《かっこ》つきで特筆すべきこととして、パトロール隊の技師たちが徹底的な改造を加えた結果、戦艦に負けないほど頑丈《がんじょう》になっていた。宇宙服、スポールディング式|穿孔器《せんこうき》、デラメーター式ビーム放射器、牽引《けんいん》ビーム放射器、圧迫ビーム放射器、「スピー・ギー(ねじれ式比重測定装置)」なども同じ程度だった。それらはいずれも長年にわたって手荒く使用された証拠を歴然《れきぜん》とつけていたが、いずれも完全に整備されていた。つまり、彼の装備は、腕ききの隕石坑夫――彼はそういうものに化けるつもりだった――が当然、身につけているようなものだったのだ。
彼は髪やひげを、ふつうの大ばさみで手ぎわよく刈りこんだ。取引の国際語をまなんだ。この言語は何百という惑星言語のよせ集めで、人間または人間に近い隕石坑夫たちがいるところではどこでも、日常用語として用いられているのだ。「人間に近い」とは、六つの共通点を持っていることを意味する――つまり、酸素を呼吸すること、温血であること、直立であること、多少とも人間に似た顔、腕、足を持っていることである。なぜなら、隕石坑夫社会でも、類は友を呼ぶからである。たとえばトロカンス人は冷血で爬虫類に近い生物で、あらゆる種類の光をいとい、彼らの呼吸する混合気体は、人間にとって麻痺するほど冷たいばかりでなく、化学的にも致命《ちめい》的だが、温血の酸素呼吸者は、このような種族が同族のために経営している遊び場へ行っても歓迎もされず、おもしろくもないのだ。
とくに重要なのは、強い酒や麻薬の飲み方を身につけることだった。彼は自分がシオナイトを除けば、どんな酒にも麻薬にも心を奪われないことを知っていた。いずれにせよ、シオナイトは問題外だ。隕石坑夫などが手に入れるにはあまりにも貴重で、あまりにも高価なので、彼らははじめから手を出さないのだ。ハディブ、ヘロイン、阿片、ニトロラーブ、ベントラム――そうだ、ベントラムがいい。これは銀河系ならいたるところで手にはいるし、はなはだ適当な麻薬だ。手軽に飲め、効果ははっきりしているが、他の麻薬ほど人体組織に害がない――本当の常習者になってしまわなければの話だが。そうだ、ベントラム飲用者になろう。
ベントラムは取引上、「ベニー」「ベンウィード」「ハピー・スリープ」その他のあだ名でも知られているが、細切りの刻みたばこと似た組成の、しっとりした繊維質の物質である。グレー・レンズマンは麻薬局の友人を通じて、名うての麻薬業者から「元罐《もとかん》口あけの一級品」を手に入れ、その効力を分析させた。
酒の問題は考えるまでもない。どんな酒でもつがれるものは飲んで好きなふりをすればいい。それが隕石坑夫の習慣なのだ。
そこで彼は、まるでビュレットの目盛《めも》りを読むか、未知の溶液を分析するかのような冷静さで仕事にとりかかった。自分のからだが定量フラスコでもあるかのように、ベントラムの受容能力を測定した。度の高いアルコール飲料や常習的麻薬の服用量を増すごとに、純粋の科学研究者が化学反応を研究しているような精密さで、その効果を観察した。
彼は麻薬をきらった。彼のからだの全組織は、それによってひきおこされる感覚に反発《はんぱつ》した――調和感や抑制感の喪失《そうしつ》、興奮、誇張、価値の転倒《てんとう》、幻覚《げんかく》――しかし彼は全計画を遂行し、長短さまざまの期間、肉体的にまったく無力になる状態を経験した。実験が完了すると、酒や麻薬について完全な知識を獲得していた。
酒や麻薬を飲めば、その強弱や混合物の有無《うむ》にかかわらず、どれだけの刺激的要素を摂取したかということが、感覚ではっきりわかった。またどれだけ摂取してもだいじょうぶかということも正確にわかったし、過度に摂取《せっしゅ》した場合には、どのくらいのあいだ無力状態におちいっているかということもわかった。また、すでに広く知られていることだが、麻薬を飲む前には多少とも酔っていたほうがいいということや、ベントラムは酒の後で飲むほうがその反対よりよくきくということを身をもって確認した。実習によって、許容量のだいたいの増加率を決定することまでした。それがすんではじめて、彼は隕石坑夫として働きはじめたのだった。
一つの太陽系のアステロイド・ベルトで働いた経歴をつくれば充分かもしれなかったが、グレー・レンズマンは自分の新しい身元をさかのぼって追求される危険を恐れ、五つの太陽系で働いたりどんちゃん騒ぎをやらかしたりしながら、しだいに目的のボロバ星系へ接近して行った。
目的地へ到着すると、ずんぐりした宇宙艇の速度を、第四惑星の軌道《きどう》のすぐ外側のアステロイド・ベルトの平均速度に同調してその中へはいりこみ、バーゲンホルム重力中立器のスイッチを入れて仕事にかかる。最初の仕事は「設営」である。つまり、すでに二重制御装置をそなえている特大の気密境界《エア・ロック》に採掘用の道具や装置をとりつけるのだ。宇宙服をつけ、デラメーター式ビーム放射器の調子を確かめる――隕石坑夫は武装するのが常だが、レンズマンはとくに大きな危険をひかえているから、いかなる場合にも使い慣れた武器を手放すことはできない――気密境界の空気を艇内へポンプで押しもどし、外側のドアを開く、隕石坑夫は船の中では働かない。隕石を気密境界から船内へ持ちこむのは、時間がかかりすぎる。また空気の浪費《ろうひ》にもなるし、空気は貴重である。金銭的に貴重であるということはもちろんだが、そればかりでなく、小型の宇宙艇では、六週間分の必需品《ひつじゅひん》を積みこんでしまうと、ぎりぎり必要な空気しか運べないのだ。
設営がすむと、電磁波探知器で探知して、牽引ビームを通りがかりの隕石片に投射する。隕石は瞬時に引きつけられる。というより、無慣性の曳航艇《えいこうてい》が、彼がこれから調査しようとしている比較的小型だが有重力の隕石に引きつけられたのだ。キニスンは手馴れた動作で隕石を艇に定着させ、スポールディング式|穿孔器《せんこうき》をそれに突きこむ。これは直径一インチ、長さ一インチの円柱形サンプルを切り取って同時に磨きあげる装置だ。キニスンはサンプルをとり、それをスピー・ギー(ねじれ式比重測定器)のあごのあいだにはさんで、バーゲンホルム重力中立器を切る。アステロイド・ベルトで有重力状態に移行するのは危険だが、これは隕石坑夫が直面する多くの危険のうちの一つにすぎず、また直面する必要があることなのだ。宇宙空間で隕石の比重を測定するには、ねじれ式メーターがもっとも速くもっとも簡単な方法であるが、ねじれを利用した装置は無重力の物質には作用しないからだ。
彼は目盛りを読むと同時にバーゲンホルムを入れる。比重七・九だ。鉄だ。価値なし。大規模な採掘業者なら利用するだろう――アステロイド・ベルトで鉄資源として惑星の鉱山にとってかわってからすでに久しい――しかし、彼のような一匹狼の隕石坑夫にはなんの役にもたたない。そこでこの隕石を投げ捨てて別の穴をあける。別のやつ、また別のやつ。一時間また一時間、一日また一日、隕石坑夫の孤独ではげしい労働がつづく。しかし、本物の隕石坑夫には、グレー・レンズマンのような体格とスタミナを持った者は少なく、彼のような頭脳のひとかけらでも持った者は皆無《かいむ》だ。頭脳は隕石採鉱にも必要である。そういうわけで、キニスンは金めの金属を発見する。それほど異常に比重は大きくはないが、真に良質な隕石である。
そんなある日、思いがけない事件が起こった。これは相手があらかじめ計画したことで、そうでなければ、太陽系の形成と同様に数学的確率の少ないことだった。また、この事件は、アステロイド・ベルトの唯一《ゆいいつ》の法律である「力は正義なり」という教義をいみじくも実証するものだった。
二本の牽引《けんいん》ビームが、ほとんど同時に同一の隕石を捕捉《ほそく》したのだ! たちまち、二隻の船は無害な隕石を中央にして接近する! 相手の曳航艇の気密境界には、ひとりでなくふたりの男がいる。ふたりは人を殺すことなどへとも思わない宇宙ずれのしたベテランらしいすばやさで、すでに光線銃に手をかけている!
やつらは隕石坑夫を殺して、その採集物を奪うことを商売にしている|追いはぎ《ハイ・ジャッカー》にちがいない。キニスンは後になってそう判断した。ほんものの坑夫なら一隻の船にふたり乗って仕事をすることはほとんどない。また、彼らがキニスンよりはやく光線銃をかまえていながら、発射にひどく手間《てま》どったという事実は、彼らがキニスンとちがって不意を打たれたのではないということを証拠だてている。事実、争いの原因になった隕石自体も、彼らのおとりだったのだろう。
自然の衝動《しょうどう》にしたがって彼らに隕石をゆずってしまうことはできなかった。そうすれば、その噂《うわさ》がひろがって、臆病者の烙印《らくいん》を押されてしまうだろう。攻撃をかけてくる小悪党どもは片はしから片づけなければ、こっちがやられてしまう。こっちがやられないうちに、ふたりの心を支配するということもできなかっただろう。ひとりならできたかもしれないが、ふたりではだめだ。アリシア人のようなわけにはいかない。すでに述べたように、彼がこうしたことを考えたのは、ずっと後になってからだった。事件の最中には、考えているひまなどまったくなかった。彼は自動的、瞬間的に行動したのだ。
キニスンの手は二挺のデラメーターのすりへった握《にぎ》りにひらめき、それを皮ケースから抜き出すなり、腰にかまえる。驚くほどなめらかですばやい。流れるような一挙動だ。しかし、それほどすばやくても、まだたりないほどだった。ほとんど同時に四条の電光がほとばしる。ふたりのならず者はぶったおれた。レンズマンは肩に刺すような苦痛を感じ、口と鼻から空気がふき出した。宇宙服が破られたのだ。すでになくなった空気をあえぎ求め、かすむ意識をはげましながら、気密境界の外側のドアを閉ざして空気バルブを開く。意識を失いはしなかった――すくなくとも完全には――そして筋肉を動かせるほど回復するとすぐ、宇宙服をぬぎ捨てて、鏡の中の自分の姿を点検した。
目はまっかに血走っている。鼻ははげしく出血している。耳も出血しているが、これはそれほどひどくない。さいわい鼓膜《こまく》はやぶれていない――気圧をかなりうまく調節できたのだ。いくらか内出血もあるようだが、それほど重大な支障ではない。とりかえしのつかない傷害を受けるほど長くは、宇宙の真空にさらされなかったのだ。
そこで肩をむきだして、傷をジンスマスター式火傷包帯で手当てする。やけどは軽傷ではないが、かといって、それほど重傷でもない。骨は折れていない――二、三週間でなおるだろう。最後に宇宙服を調べる。もし銀河パトロール隊の宇宙服を着てさえいたら――だが、そんなことはもちろん論外だ。予備の宇宙服はあるが、それよりは――焼かれた部分は容易に修理できる。QX。
彼は別の宇宙服をつけて、また気密境界にはいり、スクリーンを中立化して通り抜ける。宇宙空間へ出ると、宇宙坑夫ならだれでもやることをやってのける。焼死体から宇宙服をはぎとって、宇宙空間へほうりだしたのだ。それから船内を物色《ぶっしょく》して、四個の重い隕石をはじめ金《かね》めの品物で移動可能なものを、自分の船に積めるだけ取りこむ。次に、その船を有重力状態にしてジェットを噴射《ふんしゃ》させた後、牽引《けんいん》ビームを切断する。これもほんものの隕石坑夫がやりそうなことだったからだ。坑夫が敵を片づけた場合、その船の装備は奪っても船自身は奪おうとしないのは、後悔とか、ためらいとかのせいではない。船は登録されているし、そうでなくても、組織的な犯罪団でなければ扱えないほど処分がむずかしいからだ。
当然のなりゆきで、彼は偶然この紛争の原因になった隕石をテストした――偶然ではなくて、おとりだったのか?――無価値な鉄だった。これまた自然のなりゆきで、彼はなおも働きつづけた。もう坑夫休息所の相場で売っても、ひと豪遊できるくらいの鉱石が集まっているが、肩がなおるまでは出かけられない。こうして二週間ほどするうちに、びっくりするようなことにぶつかった。
彼は一個の隕石を持ちこんだ。もっとも細い部分でも四フィート以上あるでかいやつだ。サンプルをとり、バーゲンホルムを切ってサンプルを手から手へころがすやいなや、熟練《じゅくれん》した手ごたえで、その金属が驚くほど重いことがわかった。胸をおどらせながらサンプルをスピー・ギーにはさむ。指示計の針が上へ上へ上へとはねあがっていく。心臓がとまりそうだ――針は二十二で停止した。目盛りは二十四までしかついていないのに!
「クロノ神の青銅のひづめとダイヤの角《つの》に誓って!」彼は叫んだ。歯のあいだからかんだかい口笛を吹くと、この発見物の総量をできるだけ正確に計算してから、大声でつぶやいた。「純粋プラチナよりずっと重いしろものが三万キロばかりか――首を賭けてもいいが、こいつは三千万信用単位の価値があるだろうな。さて、どうしたもんだろう?」
もっともなことだが、グレー・レンズマンは、この発見にとまどった。まったく予想外のことだ。こんな隕石を坑夫休息所のような盗品|故買《こばい》者の隠れ場に持ちこむことは思いもよらない。この千分の一くらいの金額をめぐって殺された人間はいくらもあるし、これからだってあるだろう。どこへ持ちこもうと、たいへんな評判になるにちがいないが、それはおもしろくない。パトロール船を呼んでこの宝物を運ばせれば、見られてしまうだろう。これだけ骨折ってつくった身元をあばかれる危険をおかしてはならない。こいつはどこかに埋める必要がある――この太陽系の地理はわかっている。第四惑星が近いのだ。
彼はこの隕石を数ポンド切り取って鉱塊――小隕石――をつくってから、第四惑星に向かった。それはこの太陽系の太陽から十五度ばかりのところに、くっきり円盤状に見えている。彼はこの惑星系のかなり縮尺の大きい注つきの宇宙図を持っている。ボロバの第四惑星は下等な生物と前進基地を除けば、住民はいない。気候は寒冷。大気は稀薄《きはく》――よろしい、つまり雲がないわけだ。海もない、活火山もない。大いによろしい! 点検《てんけん》してみよう。そして惑星の直径に等しい距離から見ても、もっとも目だつ陸標を隠し場にするのだ。
赤道に沿って惑星を一まわりすると、五つの高山が北極を半円状に囲んでいるのが目についた。もう一まわりしたが、それほど目だつ陸標はなく、それに似たものもまったくない。映像プレートを念入りに見わたして、だれにもあとをつけられていないことを確かめた後、中央の山へ向かって、悲鳴をあげながら急降下する。
それは死火山で、火口は直径百マイル以上もあり、底は平らだ。つまりごつごつした溶岩におおわれた荒涼たる大平原の中央に、小型の火口が一つ突起《とっき》しているほかは、ほとんど平らなのだ。レンズマンは艇をあやつって、内側の火口の冷却した縦穴を降下して行った。そしてその中心に穴を掘って宝を埋める。それから曳航艇《えいこうてい》を五十フィート上昇させ、下部ジェットをはげしく噴射させながら、そこで平衡《へいこう》をたもつ。やがて小さな火口内の溶岩がふたたび流動しはじめ、彼がそこを訪れた、あらゆる痕跡《こんせき》を消滅させてしまう。こうして念入りな処置をすませた後、彼は宇宙へとびだしてヘインズに呼びかけ、委細《いさい》を報告する。
「帰るとき、この隕石を持っていきます――それとも、閣下のほうで、だれかをここへ派遣《はけん》して回収なさいますか? これはもちろんパトロール隊の財産ですから」
「いや、そうじゃないよ、キム――それはきみのものだ」
「なぜですか? パトロール隊員が発見したものはパトロール隊に帰属するという規則があるではありませんか」
「それほど包括的《ほうかつてき》なものではない。特定の任務を与えられた探検隊によって行なわれた科学的発見についてはそうだ。しかし、きみは、自分が独立レンズマンで宇宙以外の何ものにも所属していないということをまた忘れているな。所有者不明発掘物法にもとづく一〇パーセントの税金さえ、きみを拘束《こうそく》できないのだ。そればかりでなく、われわれが知るかぎりでは、その隕石はきみが最初の所有者なのだから、所有者不明という部類にもはいらない。きみが望むなら、評議会に報告してもいいが、回答はもうわかっている」
「QX、閣下――ありがとうございます」キニスンは連絡を切った。
さあ、これで片づいた。宝物は厄介払《やっかいばら》いしたが、むだになることはあるまい。もし自分が麻薬一味《ズウィルニク》にやられれば、パトロール隊が掘りだすだろう。もし自分がデスクの仕事につくまで長生きしても、もう死ぬまでパトロール隊から金をもらう必要はない。財政的にはすっかり準備ができたのだ。
肉体的に見ても、彼は隕石坑夫として、はじめてほんとうの豪遊をやる準備がととのっていた。肩も腕ももとどおりになおっている。鉱石もたっぷり持っている。これを売れば、こんどの探鉱に必要な物資が調達できるばかりでなく、坑夫休息所で王様のような豪遊をやってのけるにも充分だろう。その休息所はすでに目ぼしをつけてある。
レンズマンはこの問題について充分考えていた。目的を達するためには、休息所は大きいほどいい――大きいといってもたかが知れているが、目ざす男は小さな営業者ではないだろうし、そんなやつらと直接取引きすることもないだろう。また、小物だと、麻薬を飲んだ坑夫を殺して船や装備を奪うことがあるが、大物ならそういうことはない。大きな営業者は、坑夫から長いことくり返してしぼり取ったほうが有利だということを承知しているからだ。
そういうわけで、キニスンは大型の小惑星《アステロイド》ユーフロジーヌの上にある魔窟《まくつ》「坑夫休息所」にコースを向けた。坑夫休息所は道徳的市民たちからは、その太陽系のみならずその宇宙区域全体の不名誉と見なされている。その区域にある二百ばかりの文明化された惑星では、この名称そのものが、上品ぶった連中の嘲笑や顰蹙《ひんしゅく》の種なのだ。
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一二 隕石坑夫ワイルド・ビル・ウィリアムス
すでに述べたように、「坑夫休息所」は銀河系のその区域を通じて、もっとも大規模でもっとも野放《のばな》しの魔窟だった。仲間のパトロール隊員の地下活動を通じて、キニスンはこの無法アステロイドの大物たちの中でもストロングハートと呼ばれる男が一番の大物であるということを知った。
そこで、でこぼこの艇をストロングハートの船台に着陸させ、追いはぎ船の備品をトランクにつめて、ストロングハートと直接交渉しに出かけた。
「物資――備品――鉱石――売買」と看板が出ている。しかし、慣れた目で見れば、その看板はごくありきたりだが、ストロングハートの商売を半分も示していないということが明白である。ダンスホールがある。奥行の深い飾りたてたバーがある。さまざまのいわゆる運だめしゲームが行なわれる部屋がいくつもある。そしてもっとも特徴的なのは、あの見ちがえようのない小寝室が何十もあることだ。
「ようこそ、旅のかた! あんたに会えてうれしいよ――いい旅だったかね?」この店の主人は新来の客にはいつもあいそがよかった。「一杯おごるぜ!」
「お楽しみの前に商売だ」キニスンはあっさり答えた。「そう、かなりいい旅だったよ。ここに売るしかおれには用のない品物がある。いくらくれるね?」
商人は宇宙服と道具を点検してから、坑夫の目を鋭くのぞきこんだ。キニスンは顔を赤らめもせず、たじろぎもしなかった。
「まとめて二百五十信用単位だ」ストロングハートは値をつけた。
「それでいっぱいかね?」
「いっぱいだ。いやなら持っていきな」
「QX、あんたに売るよ。代金をもらおうか」
「まだ取引きをはじめたばかりじゃないか、ええ? あんたは鉱石は持ってないのか? 持ってるはずだ」
「持ってるさ。だが、あんたみたいなのには売らねえ。あんたは」――ここで、印刷できないようなきたない形容詞がはさまる――「いまいましいぬすっとだ。おれもしぶい取引きにはなれっこだが、あんたのはひどすぎる。この宇宙服だけで千信用単位の値うちはあるぜ」
「それがどうしたっていうんだ? どういうわけでわしのような正直な商人を侮辱《ぶじょく》するんだ? この品物の値うちどおりの金を払えないのはあたりまえさ――だれが払えるっていうんだ? 盗品の扱い方はあんたも知ってるはずだ。あんたはこの品物の持ち主を殺したんだろう? だとすれば、盗品として扱うよりしようがあるまいが? 落ち着くこった――のぼせるんじゃねえ」そして、レンズマンが宇宙語で口ぎたなく罵《ののし》りながら背を向けると、「わかってるよ。やつらが先に放射したんだろ。いつだってそうなんだ。だが、それだからといって事情が変わるかい? まあ怒りなさんな。わしはだれにもしゃべりゃせん。なぜしゃべることがあるかね? しゃべったりすれば、盗品でいくらかでももうけられるはずがないだろう? だが、鉱石となると、話は別だ。隕石は合法的な商品だからな。わしはだれにも負けんくらい、いや、もっと払うぜ」
「QX」キニスンは鉱石をほうりだした。彼が追いはぎの宇宙服と備品を売りはらったのは、無益な殺生《せっしょう》を最小限にくいとめるためにわざとやったことだった。
これが「坑夫休息所」への最初の訪問だったが、彼はここの常客になるつもりだった。しかし、「常連《じょうれん》」としてうけいめられるためには、それだけの能力を示さなければならない。ならず者たちは彼をためそうとするにちがいない。だから、追いはぎの宇宙服を売りはらったのは賢明な手段だった。その噂はひろがるだろう。ふたりの追いはぎのヘルメットの中心を貫くほどの光線銃の名手《ガン・マン》に軽率に挑戦する者はいまい。ひとりかふたりは殺さざるをえないとしても、多くは殺さずにすむだろう。
ストロングハートは鉱石の買い入れについては充分、公正だった。彼はスポールディングで鉱石を正確に切り取った――キニスンはサンプルにマイクロメーターをあてて、その事実を確認した。ストロングハートは、ねじれ式比重計の目盛りを低く読むこともなく、隕石全体を公認の天秤《てんびん》ばかりではかった。銀河系標準の平均価格比重表を用いて、計算値のきっかり半額を支払った。これは充分に公正な価格だ。この鉱石をパトロール隊の造幣局か貴金属ステーションへ持って行けば、精密な分析で決定されたとおりの額を受けとることができる。しかしそのためには、長い航行をやったあげく、精密な分析を受けるために長く待たねばならないから、坑夫たちは外部の取引相場である「平均比重価格の五〇パーセント」を受けとるほうを選ぶのがふつうなのである。
こうして隕石が艇からおろされて運び去られた後、キニスンは次の航行に必要な物資をストロングハートと物々交換した。このもろもろの品目は、広大で冷酷な真空の宇宙空間で、ちっぽけな宇宙艇を自給自足の居住可能な小世界にするために必要なのだ。ここでもレンズマンはとほうもない高値をふっかけられたが、これまたいつものことだった。坑夫休息所のような場所では、ふつうの利益率で商売する商人などはいないのだ。
ストロングハートがキニスンのためにこの航行の純利益を算出してやると、キニスンは迷ったようすで、ひげのはえたあごをかいた。
「おれは底抜けのばか騒ぎをやらかすつもりでいるんだが、それっぱかりじゃ、とてもたりそうにないな」彼は考えこんでいう。「このところ働きづめだったから、とことんまで息抜きするつもりなんだ。とっておきの鉱塊も手ばなさなきゃなるまい。ちょっと惜しいな――長いことあっためてきたんだ――さあ、これさ」バッグに手をつっこんで、あのほんとうに貴重な鉱塊のサンプルを手渡す。「千五百信用単位でくれてやるよ」
「千五百だって! あんたはあほうだ。さもなきゃ、わしをあほうと考えてるんだ。どっちかわからんが!」ストロングハートは鉱塊を手から手へさも軽そうにころがしながら叫ぶ。「二百ってとこだ――まあ二百五十。だがそいつはおそろしい高値だぜ。大将――じつのところ、どんなことがあったって、三百以上は出せない――損するために商売してるようなもんだ。あんたはこいつをテストしてないんだろ。どういうわけでそんなに高値をつけるんだ?」
「テストはしてないさ。だが、あんただって、してないじゃないか」キニスンはやりかえした。
「おれもあんたも、こういう鉱塊はテストしなくても見わけがつくくらい、鉱石のことをよく知ってるんだ。千五百出しな。さもなけりゃ、造幣所へ持っていって、いっぱいの値で引き取ってもらうまでさ。おれはなにもここにぐずぐずしてることはないんだ。ここと同じに飲んで騒げる場所はいくらでもあるんだから」
ストロングハートはものすごく文句をならべたが、ついに譲歩《じょうほ》した。レンズマンはそうなることを予想していた。もっと値をつりあげることもできるが、千五百あれば充分なのだ。
「さあ、これで保証契約さえいただけば、どんな楽しみでもお望みしだいです」取引きがまとまったとたん、ストロングハートの顔からむずかしい表情がけろりと消えうせた。「だんなのキーをお預かりします。あんたは金がなくなれば、買い入れた物資でも船でも手あたりしだいに売りとばそうというんで、キーを取りにここへもどってくるでしょうが、そのときはわしのほうで、あんたをいっぺんに正気に返してあげます。必要以上にけがをさせたりしないでね。ここには、そんなときのために部屋が用意してあります。壁につめものがしてあって、すてきに気持のいい部屋です――どんなに壁にぶつかっても、けがはしませんぜ。わしらはここで何年も商売していますが、不都合《ふつごう》は一度も起こっていません。うちには、よその休息所へはまるで行かないお客さんが何百人もついていますが、そういうお客さんに、次の採鉱に必要な品物を売らせたことは一度もありませんし、そういう品物を盗んだこともありません。全部のサービスをふくめて、たった二百信用単位です。安いもんです、だんな――ごくごくお安くなってますんで」
「うむ……む……む」キニスンは考えこんだようすで、こんどは首すじをかいた。「おれは保証契約したほうがよさそうだな。調子づくと、とまらなくなっちまうんだ。だが、おれには軟禁室《なんきんしつ》はいらない。まだ荒れたためしはないんだ――いつも二十四単位のベニーでおとなしくなっちまうのさ。それから二十四時間はベッドにひっくりかえっているが、さめればすぐにも宇宙へとびだせるんだ。あんたはおれにベニーを世話してくれられんことはないだろう。そうしてもらえば、大いにありがたいんだが」
これは重大な瞬間だった。レンズマンはこの瞬間のために長いまわり道をしてきたのだ。彼の心はすでに相手の心を読んでいたから、それにつづく会話を必要としなかった。
「二十四単位だって!」ストロングハートは叫んだ。これはけたはずれな量だ――しかし、目の前の男は、けたはずれな体格をしている。「そいつは確かかね?」
「確かだとも。それでもし目方や品質をごまかして売るやつがあったら、そいつののどぶえをかき切ってやるんだ。だが、いまはまだ切らしてないんだ。二《ふた》巻き残してある――自分のを使うつもりだ。それがなくなったら、半分くらい信用のおけるやつから買ってくれ」
「わしは自分では扱わんがね」これはすくなくとも部分的には真実だ。レンズマンはそれを知っていた。「だが、わしの知りあいの友だちが手に入れる筋を持ってるんだ。それも、元罐《もとかん》のいい品物で、コルビナの第二惑星から特別に輸入したものだ。じゃあ、ベニーもすっかりふくめて四百だ。それだけ払ってくれれば、どんちゃん騒ぎをやらかしな」
「なんだと、四百だって!」キニスンはあざけるようにいった。「おれが少し手持ちがあるっていったのを、はったりだと思うのか、ええ? さあ、保証契約料として二百ある。あんたからほしいのはそれだけさ」
「待ちな――もどってこいよ、兄弟!」ストロングハートは新来者がまったく薬を切らしていると思ったので、八倍の値段をふっかけたのだ。「あんたは、きれいなきざみをどのくらいで手に入れてるんだ?」
「一単位一信用単位さ――一巻きなら、二十四信用単位だ」キニスンはあっさり答えたが、これは真実だった。それが小売相場なのだ。「だから、あんたにもそれだけ出す。二十五でもいやだね」
「QX。それだけもらおう。ひっくりかえっているあいだに、殺されたり盗まれたりする心配はないぜ。それについては、評判をとってるんだ」
「そうだってな。あんたが上品な商売をやってるっていう噂は聞いたよ」キニスンは、あいそよく答えた。「だからおれはここへ来たのさ。だが、その薬を扱うやつに目方をごまかさないように釘をさしといたほうがいいぜ――見な!」
レンズマンはそういいながら両肩をすくめた。魔窟の経営者は悲鳴をあげてとびのいた。目にもとまらぬ早業《はやわざ》で。二挺の無気味なデラメーターが坑夫の大きなよごれた両手に姿をあらわし、相手の横隔膜《おうかくまく》をぴたりとねらっているのだ!
「しまってくれ!」ストロングハートはわめいた。
「その前によく見てくれ」キニスンは台尻《だいじり》を先にして光線銃を手渡す。「こいつはあんたに売ったけちなピストルとはわけがちがうぜ。おれの手慣れたしろものさ。あんたは銃の見わけがつくだろ、ええ? よく見てみな、兄弟――目をよく近づけてな」
主人は兵器にくわしかったので、二挺の銃を念入りに調べた。あらい刻みのついた、すりへった握り、いっぱいに装填《そうてん》された薬室。焼けで傷がついた銃口。疑いもなく非常に強力な武器で、おまけにしばしば手荒く用いられてきたものだ。そしてこの坑夫の|引き抜き《ドロー》の目もくらむような速さについては、ストロングハート自身証言できる。
「おぼえておいてくれ」レンズマンはつづける。「おれはまだ人に銃を取りあげられるほど酔っぱらったことはない。それから、ベニーの一巻きの目方がたりないと、おそろしく怒りっぽくなるんだ」
酒場の主人もそのことを知っていた――それがこの薬の特長なのだ――だからこの坑夫が、そのすばらしく熟練した両手でこのような二挺の武器をふりまわして荒れまわることは、まったく望ましくなかった。彼は、目方をごまかさせないようにするとうけあった。
いっぽうキニスンは、自分がこの地獄の中の地獄にいながら、それほど危険ではないということを知っていた。活動力を失わないかぎりは、どんな連中の中にいても自分を守ることができる。また、麻薬を服用して無力になっているときに、船や必需物資を目あてに殺されるようなことはないというのも確かだ。彼のこの一回の訪問で、ストロングハートが得た利益は、少なくみても彼の全財産に匹敵《ひってき》する。それに、今後の訪問でも、一回ごとにそれくらいの利益が与えられるはずだからだ。
「一杯目はいつもうちのおごりなんだ」ストロングハートの言葉で、客の思考はさえぎられた。「何を飲むね? あんたは地球人じゃないか――ウイスキーかね?」
「ふ、ふん。近いがね――アルデバラン第二惑星さ。アルデバラン・ボレガの古くていいやつがあるかい?」
「ないな。だが地球のウイスキーの古くていいやつならあるぜ。だいたい似たようなもんだが」
「QX――一発たのむ」彼は強い酒をついで一口に飲みほし、こたえられないように身ぶるいして、荒っぽい叫び声をたてる。「うおう、うおう、うおう! おれはアルデバラン第二惑星の一匹狼ワイルド・ビル・ウィリアムスだ。今夜はおれが吠える夜なんだ。ういい……よう……おう!」そして声を静めていう。「このまおれは、地球から百万パーセク以内には行ったことがないんだが、こいつはわるくない――まったくわるくない。聖なるクロノ神の歯と爪そっくりによくきくぜ――まるで猫鷲を飲みこんだみたいに、のどをくだりやがる。あばよ、兄弟、すぐもどるからな」
彼がまず考えたのは、この休息所全体を歩きまわって、目ぼしい場所で手あたりしだいに強い酒を飲むことだった。
「挨拶《あいさつ》まわりさ」彼はもどってくると、ストロングハートに愉快そうに説明した。「こいつをやっとかないと、みんなにうらまれるからな。だが、本気で飲むのはこれからだぜ」
事実、彼は本気で飲んだ。どうなってもかまわないという調子で、雑多の酒をちゃんぽんにあおるので、そこに集まっている名うての飲んべえたちまであきれかえった。
「つがれるものならなんでも飲むぞ」彼は何度も大声で宣言し、そのとおりにやってのけた。強いの、弱いの、醸造酒、発酵酒、蒸留酒、カクテル、ストレート、なんでもござれで、「やっつけろ!」というなりひと息に飲みほすのだ。こんな大酒飲みはめったにいないから、彼の評判は休息所全体にひろがった。
彼は「うかれ上戸《じょうご》」で、飲むほど陽気になった。上機嫌であっちでもこっちでも酒をふるまい、「ホステス」たちと楽しそうに踊って、気まえよくチップをはずんだ。しかし、ばくちはやらず、趣味にあわないのだとたびたび説明した。自分の金で楽しみたいというのだ。
彼はけんかもやったが、憤激《ふんげき》や憎悪《ぞうお》にかられてするのではなく、陽気に笑いながらするのだった。あたれば馬でもひっくりかえるようなすごいパンチをはなつのだが、たいていははずれた。たまに何かのはずみとでもいうようにぶつかると、相手はのびてしまった。そんなぐあいで、彼らは両目の下によけいなあざをつくったり、鼻をみじめにつぶされたりした。
しかし、よくあることだが、彼の上機嫌は表面だけのもので、そうした友好的ななぐりあいをひき起こす原因より、もっとつまらないことで本気に怒りだすことがよくあった。彼はそういう突発的な怒りにまかせて椅子《いす》を四つ、テーブル二つ、ガラス器一揃いをぶちこわした。
しかし、必殺《ひっさつ》の武器を引き抜いたことは一度しかなかった――予期したとおり、デラメーターを持たせればたやすくあしらえる相手ではない、というニュースが広がっていたのだ――そしてその一度でさえ、相手を殺さずにすんだ。片翼をきかなくするだけで充分だった――つまり、きき腕にちょっとやけどをつくってやったのだ。
そのようにして何日か過ぎた。そして、ついにすっかり金を使いはたしたレンズマンは、陽気に酔っぱらいながら、両手に一本ずつ二クォート入りの酒びんを持って通りをよろめいて行った。そして両方のびんからかわるがわる酒をあおり、手あたりしだいに人を誘っては、最後のおごり酒を気まえよく飲ませた。彼には歩道が半分くらい狭すぎた。事実、通りの大部分をふさいで歩いた。しょっちゅうつまずいたりよろめいたりしたが、運がいいのと宇宙人としての厳格な訓練のおかげで、なんとかころぶのをまぬかれた。
彼はからっぽになったびんを、つぎつぎに投げ捨てた。そして気持だけははっきりしているが、ひどくおぼつかない足どりで歩きながら歌を歌った。声はあまり音楽的ではなかったが、その大きさは調子はずれをおぎなってあまりあった。実際キニスンはすばらしい声の持ち主だった。ものすごい声量と音色と反響を持ったバスなのだ。向かい風でも二千ヤードは聞こえるような声をはりあげて陽気に叫んだ。彼が歌っているのは宇宙人の舟歌で、彼を地球のキムボール・キニスンだと知っている、もっと上品な人々が聞けば、耳をそむけたにちがいないが、この坑夫休息所では、陽気で楽しいメロディーにすぎないのだった。
通りを突きあたりまで歩いて行ってから、彼のいわゆる「基地」へもどった。このむちゃ飲みのおかげで、彼の胃は、地上にしがみついている連中がはじめて無慣性状態に移行したときより、もっとまいってしまったが、これで芝居はりっぱにやってのけたわけだ。彼は自分をアルデバラン第二惑星の隕石坑夫ワイルド・ビル・ウィリアムスとして、人々につよく印象づけたのだ。これはその場かぎりのいいかげんな身元証明ではない。確固《かっこ》として身についたものなのだ。
彼は友人ストロングハートのところへ行って、その両肩に自分の両手をのせてからだを支えながら、四万馬力の息を正面から吹きつけた。
「おれはすっかりできあがっちまったよ」彼は陽気にいう。「こんなぐあいに酔っぱらうと、ものをいうたびにしゃっくりが出るんだ、シャック。ところで、シャック、あと一本だけ飲みたいんだが。おれがこんど持ってくる鉱石をかたにして百、貸してくれないか。さもなきゃ、何か売って――」
「あんたはもう充分だよ、ビル。充分おたのしみだ。スリーピー・ハピー(ベントラムの別称)をやらないか、ええ?」
「そいつはいい思いつきだ!」坑夫は勢いよく叫ぶ。「やらしてくれ!」
見知らぬ男がそっと近よって、彼の片ひじをとる。ストロングハートがもう一方をとり、彼をあいだにはさみながら、せまいホールを通って小寝室へ連れて行く。キニスンはぐたぐた歩きながら、新来者の脳を熱心に研究する。≪これ≫こそ彼が求めていたものだ!
この男はいつも思考波スクリーンをつけているのだが、ひどくじゃまなしろものなので、ここへくるときはいつもはずしているのだ。小惑星ユーフロジーヌにレンズマンなんかいるものか! 彼らは、ここにいるすべての人間をしらみつぶしに点検していた。この酔いどれさえ、もらさなかった。ここへだけはレンズマンがくるはずがない。来たとしても、たちまち片づけられてしまうだろう。キニスンは、ストロングハートが麻薬の小売人よりはもっと上の者と関係しているにちがいないと思っていたが、そのことが確認できたのだ。この男はいろいろなことを知っている。レンズマンは情報をさぐりだした――徹底的に。いまから六週間後か、ええ? ちょうどいい――それだけあれば、ここでもう一度どんちゃん騒ぎをやらかすに充分な鉱石を集められる……そして、そのどんちゃん騒ぎのあいだに、ほんとうの仕事をするのだ……。
六週間。まだだいぶある……だが……それもよかろう。いずれにせよ、地区支配人が、この男のように警戒を怠って、やっかいな思考波スクリーンをゆるめるまでには、まだかなりかかるだろう。すでに述べたように、キニスンはときどきひどく短気を起こしたが、ほんとうに必要とあれば、ねずみ穴を見張る猫のように、自分をおさえることができるのだ。
小部屋にはいると、彼はベッドに身を横たえて、見知らぬ男の手から小箱をひったくった。箱の口をひきちぎって中身を口に押しこみ、目をぎょろぎょろさせ、筋肉をひきつらせながら、せっせとかみはじめる。頭を怒った蜂みたいにうならせておくに充分なだけの速度で、強い液をたくみに食道からしたたらせる。やがて液を吸いつくしてしまうと、マットレスに落ちこんで、それからの二十四時間を死んだような眠りにおちる。
彼は衰弱しきって目をさます。重い足どりでオフィスへ行くと、ストロングハートが艇のキーをもどしてよこす。
「まいってますな、だんな」この言葉は断定で、疑問ではない。
「そうらしいな」レンズマンはうめくようにいう。宇宙がぐるぐるまわるのをしずめようとして、痛む頭をおさえる。「完全にいかれたよ。あのいまいましい猫が足をとんとんやるのをやめさせられないか?」
「そいつはお気の毒で。だがもうすぐなおりますさ」言葉はあいそがいいが、まったく感情を欠いている。「気つけ薬です――ひとつおやりなさい」
レンズマンは礼もいわずに口にほうりこむ。こういう場所では、そのほうが利口なのだ。頭はたちまちすっきりするが、刺すような頭痛は残っている。
「またおいでなさい。ここには、なんでもそろってるでしょうが、ええ、だんな?」
「う、うう。まったくいい」レンズマンはうなずく。「これ以上は望めないくらいだ。運がむいたら、五、六週のうちにもどってくるぜ」
でこぼこにいたんでいるが、がっちりして強力な採鉱艇がゆっくり上昇していくあいだ、下の酒場では気楽な会話がかわされていた。まだ早いので、商売はないに等しいほどひまなのだ。ストロングハートは、バーテンとひとりのホステスを相手に、むだ話をしていた。
「やつみたいな客が多ければ、わしらはなんの手数もいらないな」ストロングハートは断言する。「気がよくて静かで、あつかいやすい――つまり、ごく正直なやつなんだ」
「まったくです。だが、だれもやつを怒らせすぎなかったのはさいわいでしたな」バーテンがいう。「やつはその気になればこわい男ですぜ、きっと。酔っててもしらふでも、デラメーターの扱いは目にもとまらんくらいですからな」
「あの人はとても上品で、申しぶんのない紳士だわ」女はため息をついていう。「親切な人」事実、彼女には親切だった。微笑とダンスを提供しただけで、女はあの大きな坑夫からたっぷりチップをもらったのだ。「あの人が穴をあけたふたりの男は、殺されてもしようのないやつだったのよ。そうじゃなきゃ、あの人が殺すもんですか」
これで充分目的は果たせた。レンズマンが望んだように、ワイルド・ビル・ウィリアムスは坑夫休息所の大事な常連になったのだ!
キニスンはまたアステロイド・ベルトへ出る。また孤独な重労働がつづく。もうこの前のような、とほうもない隕石はみつからない――あんなことは、百代に一度しか起こらないのだ――しかし、重い鉱石がしだいにたまっていく。艇に半分ほどの鉱石が集まったころ、救援を求める非常通信がとびこんできた。通信が非常にはっきりしているところからすると、船はごく近くにいるらしい。そら、いた、ほんのひざもとだ。この艇の貧弱な映像プレートにさえ、驚くほど大きく映っている。
「救援を求む! 宇宙船『カーロタス』位置……」数字がたてつづけにならべられる。「バーゲンホルム停止。隕石よけスクリーンほとんど無力化。固有速度にて、アステロイド・ベルトに突入中。曳航船《えいこうせん》または牽引《けんいん》ビームを持つ宇宙船――救援を求む! 至急救援を求む!」
キニスンは最初の一語を聞くなり、噴射レバーをいっぱいに押す。数秒の無慣性航行をへて有重力状態に移行し、一分ばかりレンズマンとしての技術と体力をしぼって艇をあやつった後、宇宙客船の気密境界にはいる。
「おれはバーゲンホルムのことをちょっと知ってるんだ!」彼は叫ぶ。「おれの艇に乗り移って引っぱってくれ! 旅客は避難させてるかい?」彼は、チーフ・パイロットといっしょにエンジン・ルームに走りながら質問する。
「避難させている。だが、救命艇がたりないだろう――定員をオーバーしてるんだ」
「おれのを使いな――うんとつめこむんだ!」チーフ・パイロットは、けちな隕石坑夫からこんな申し出をされて驚いたかもしれないが、それをおもてにはあらわさなかった。しかし、まだまだ驚くべきことがひかえていた。
エンジン・ルームにつくと、キニスンは役にたたない乗組員たちをはらいのけて、スイッチをつぎつぎに入れる。観察し、耳をかたむける。とくにあの動力を密閉した怪物バーゲンホルムの中へ、ありったけの知覚力を投入する。彼は前に、あらしの惑星トレンコへ向かう航行の途中、でかいバーゲンホルムに故障されて、ソーンダイクといっしょにさんざん苦労したが、いまそれがなんと役にたつことか! あの航行の結果、バーゲンホルムについて他の宇宙人がめったに持っていないほど確実な知識を身につけていたからだ。
「第四導線がどこかでとんでいる」彼は報告する。「隔壁《かくへき》を通り抜けるところで焼け切れたにちがいない。この前のオーバーホールが不注意だったんだ――下部の第三カバーをはずさなけりゃならん。ボルトをはずしているひまはない――切断ビームを貸してくれ。それから、導線を用意しろ!」
すぐ切断ビーム放射器が取り寄せられ、レンズマンは自分で、いま指摘したカバーを切断する。それから、赤熱しているカバーの上に絶縁板をのせて、その上にあおむけになる――「照明をくれ!」――そして巨大な機械の内部をすばやくのぞきこむ。
「思ったとおりだ」彼はうなる。「四番導線を十八インチ。デイトマース六番クリップ・ニンドを中央部で二インチ。マイアービア絶縁を中央部で二重にする。急ぐんだ! それから、短かくて丈夫なドライバーとデイトマース六番レンチをくれ!」
技師たちはてきぱき動き、数秒のうちに注文の品物がととのった。レンズマンは短時間のあいだに大活躍した。その動作は、煙と蒸気のこもった油っぽい暗やみの中で、携帯灯だけをたよりに働いているよりは、はるかに確実だった。
「QX――電気をいれろ!」彼は叫ぶ。
スイッチがはいる。全員が驚いたことに、バーゲンホルムは動き出す。宇宙客船はまた自由状態に移行したのだ!
「応急手当てだが、空港へもどるまではもちますぜ」彼は船長室で船長にてきぱき報告する。船長が自分をじっと見つめているのを見て、正体がばれそうなのを感じる。しかし、この船の乗客を見殺しにすることなど、できはしなかった。いずれにせよ、まだごまかす方法はある。
彼は明瞭な禁断症状を示し、青ざめてふるえだす。船長は急いで救急箱から良質の古ブランデーを取り出す。
「さあ、飲みたまえ」グラスをさし出していう。
キニスンはいわれたとおりにする。もっとくれ。びんをひったくって飲む――一滴残らず――二、三ヵ月前の彼だったら、文字どおりまいってしまうような量だ。それから、きたない作業服からベントラムの小箱を取り出し、白痴的な喜びを浮かべてそれをかみはじめる。そしてまもなく意識を失う。船長は嫌悪《けんお》の身ぶるいを禁じ得ない。
「みじめなやつだ……みじめな、みじめなやつ」船長はつぶやいて、彼をベッドに運ばせる。
彼が正気にかえって気つけ薬を飲んだ後、船長がやって来て、彼をまじめな顔で眺めた。
「きみは昔、ちゃんとした人間だったにちがいない。技師――それもトップ・クラスの技師だ――さもなければ、わしの目がどうかしているのだ」と、しんみりいう。
「そうかもしれん」キニスンは青ざめて衰弱しながら答える。「おれはまだまともなんだ。ただ、ときどき……」
「わかるよ」船長は眉をひそめる。「治療法はないのかい?」
「まるでだめだ。十回もやってみた。だから……」そしてレンズマンは、処置なしというように両手をひろげた。
「いずれにせよ、きみの名前を教えてくれたまえ――本名《ほんみょう》をな。そうすれば、きみの惑星へ知らせて……」
「やめたほうがいい」麻薬患者は痛む頭をふっていう。「世間じゃ、おれを死んだと思ってる。そう思わせておけばいいんだ。おれの名前はウィリアムスってのさ。アルデバラン第二惑星のウィリアム・ウィリアムス」
「好きにしたまえ」
「おれがあんたの船に乗りこんだところから、どのくらい来たね?」
「近いよ。五億マイルたらずだ。この第二惑星がわれわれの所属する惑星なのだ。きみのアステロイド・ベルトは、第四のすぐ外側の軌道だ」
「じゃあ、出発しよう」
「好きにしたまえ」船長はまたいった。「だが、これはわれわれの気持だ……」そして一束の札《さつ》をさしだした。
「ありがとう。だが、もらわんほうがいい。あんたもわかるだろうが、金をもうけるのに長くかかれば、それだけ長く薬から……」
「わかった。いずれにせよ、われわれ全員に代わって感謝する」そして船長とチーフ・パイロットは、放浪者を助け起こして艇に乗りこませた。ふたりはほとんど彼の顔を見ず、おたがいに目を合わそうとさえしなかった……しかし……。
キニスンとしては満足だった。この噂もひろまるだろう。彼がこんど坑夫休息所へ行くまでには、あそこにも伝わっているだろう――それは効果的だ――大いに効果的だ。
このふたりはいま、心の中で彼をあわれみながらつぶやいているにちがいない。
「みじめなやつ……みじめな、しかし勇敢なやつ!」
キニスンはそれが充分にわかっていたが、彼らに真実を知らせるわけにはいかなかった。
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一三 麻薬一味《ズウィルニク》の会合
グレー・レンズマンは元気で採鉱《さいこう》にもどった。客船上での衰弱ぶりはまったくの演技だったのだ。彼のからだは、宇宙でもっとも強烈な酒をがぶ飲みしてさえ平気だったのだから、良質のブランデー小びん一本くらいは、カクテルほどにもきかなかった。あのベントラムのかけらは――半単位にもたりなかったから――甘草一服《かんぞういっぷく》くらいの効果しかなかった。
三週間たった。地球時間にして二十四時間ずつ、二十一日間だ。その期間の終わりに、このボロバ星系のボスコーンの監督が坑夫休息所を訪問して、ある会合に出席するのだ。彼はそのことを例の麻薬業者《ズウィルニク》の心から探知していた。ズウィルニクはその会合がなんのために開かれるのか知らなかったが、それを知りたがろうとはしなかった。しかしキニスンはそれを知って好奇心をもやしていた。
レンズマンは、その会合がズウィルニクの大物の地区集会だということを知っていた。すくなくとも、そうだろうと想像していた。その会合で起こることを、残らず知りたかった。そして、そこに出席する決心を固めていたのだ。
三週間はかなり長い期間だ。事実、彼は二週間たらずで重い鉱石を必要なだけ集めることができるだろう。鉱石はそこに存在しているのだ。それについては問題がない。アステロイド・ベルトには何十億という隕石があり、そのうちのある程度は価値を持っている。だから、働けば働くほど、こういう価値のある鉱石を発見できるのだ。そこで彼は時間をかけてせっせと働き、高級な隕石のストックは急速にふえていった。
彼はビームとスポールディング穿孔器《せんこうき》を非常に有効に用いたので、予定より一週間以上早く、必要なだけの鉱石が集まった。これはQXだ――おくれるよりは早くすんだほうがいい。何かじゃまがはいるかもしれない――よくあることだ――しかし、例の会合にはぜひ出席しなければならないのだ!
こうして、そのもっとも重大な日より二、三日前、キニスンのでこぼこの採鉱艇はストロングハートの船台に二度目の着陸をした。こんどはよそ者としてではなく、古くからの友人のように迎えられた。
「やあ、ワイルド・ビル!」ストロングハートは、大男の宇宙ゴロを見かけるなり叫んだ。「予定どおり来たな――会えて嬉しいよ! 運もよかったんだろう――幸運つづきだったにちがいない――そうだろう?」
「よう、ストロングハート!」レンズマンは、あいそよく酒場の経営者の肩をたたきながら叫びかえす。「そうとも、いい旅だったよ――すてきな旅さ。豊富な鉱区にぶつかったんだ――この前より倍もかせいだ。五、六週間でもどるっていっておいたが、五週間と四日で片づけたよ」
「期限をまもるってわけかい?」
「そういうことさ。おれみたいな飲んべえは、そうするより手がないんだ――おれの腹の中は砂漠よりもっとからからだ。さあ、早いとこ商売をすまそうや。この獲物《えもの》を引き取って、おれにやりたいことをやらしてくれ!」
商売はてきぱき片づいた。買い手も坑夫もおたがいに相手をすっかり理解していた。どちらも相手に要求できることとできないことを知っていた。隕石がテストされ、計算される。次の採鉱に必要な物資が購入される。保証契約と二十四単位のベニー――QX。議論もない。のぼせることもない。争ったり罵ったりすることもない。万事好調だ。ふたりは紳士で友人同士なのだ。キニスンはキーをあずけ、厚い札束を受けとる。そして、店の主人と最初の一杯をほした後、他の遊び場をまわりに出かけて行く。これは彼が自分に課している迷信的な義務で、そうすることによって、宇宙人の神であるクロノが幸運をもたらしてくれる――すくなくとも不運をもたらさないでくれる――というわけだ。
しかし、こんどはその挨拶まわりが前より長くかかる。第一回の挨拶まわりのとき、彼は各酒場につぎつぎにはいって手近な酒を買い、それをのどにほうりこんで次の店へ移っていったが、そのときは、とくに目だつということもなかった。ところが、こんどはなんというちがいだ! どこへ行っても、彼は注目のまとなのだ。
前に会ったことのある連中は、歓迎の叫びをあげてとびついてきた。はじめての者たちは、いっしょに飲もうとやかましく誘った。女たちは、彼を知っているいないにかかわらず、しなだれかかって、精いっぱい魅力を発揮した。この男は英雄であり、名士であるばかりでなく、幸運な――または腕ききの――坑夫で、採鉱に出かけるごとに、輸送船の下部ジェットをふさげるくらいの札束をかせぐのだ!
おまけに、彼は酔いがまわると、その金を見さかいなしにふりまき、飲めるかぎりの速さで飲みまくるのだ。この男をここへひきとめておこう――もしそれができなければ、どこでも彼の行くところについて行こう!
これまたレンズマンの計画どおりだった。だれもが知っているように、彼が本気で飲む場合には、グラス単位ではなく、びん単位でやる。友人におごる場合には、一杯ずつではなく、手もとにある容器で好きなだけ飲ませるのだ。彼は自分の人気をいい口実にして、ストロングハートの店へもどるまえに、第一歩からびん買いをはじめる。それも店ごとに一本ずつではなく、何本もびんや罐を買うのだ。
そして、彼が底なしの酒飲みであることはだれもが知っているから、そのびん、罐、|口つきびん《フラゴン》などをほんとうにからにするのは、取り巻き連で、彼は唇をぬらすにすぎないということを感づく者があるだろうか?
ストロングハートの店では、ほんとうのどんちゃん騒ぎをやらかし、そこでは彼もかなり飲むが、すぎるほどは飲まない。彼は前と同じように、きわめて楽しげで快活だ。チップの点でも同様に大まかで気まえがいい。ときどき、かっと怒りだすのも同じだ。のぼせあがって無器用《ぶきよう》になぐりあいをやるのもワイルド・ビル・ウィリアムスにふさわしいが、こんどはほんの一、二度で、デラメーターのほうはまったく抜かないですむ――それほど知れわたって、それほど好かれているのだ! また同様に大声で調子はずれに歌い、女に対しては同様に上品にふるまう。
そういうわけで、思考波スクリーンをつけた男たちがひそかにはいってきて、集会が開かれようとしていることを感じさせたとき、キニスンはすっかり用意がととのっていた。事実、最後の二本のびんをぶらさげて歌いながら通りを行進しはじめたときも、びんとポケットをからっぽにして「基地」へもどってきたときも、ほとんど酔っていなかった。そして例のようにストロングハートからもっと金を借りようとしてなだめられ、金の代わりにベントラムをもらって、奥の小部屋へひきあげる。
ストロングハートも麻薬業者《ズウィルニク》もいまや思考波スクリーンをつけているが、彼はその事実にも当惑しない。そうあるべきことを予期して、対策を立ててあるのだ。前と同様にベントラムの小箱を貪欲にひったくって中味を熱狂的にかみしめ、ぐったりと白痴的に眠りにおちる。すくなくともこの見せ場だけは真実だった。この麻薬を二十四単位服用すれば、どんな人体でも麻痺《まひ》して、ベントラム服用者らしい、うつろな表情になる。だが、キニスンの心はふつうのものではない。キニスンが服用した麻薬の量は、ふつうの坑夫の脳ならどんなものでも、からだ同様に麻痺させてしまっただろうが、レンズマンの心の新しい能力には、なんの影響もあたえなかった。アルコールとベントラムがいっしょならきいたろうが、レンズマンはしらふだった。だから、からだが麻薬で麻痺したおかげで、心をそれから遊離させることが容易になったにすぎない。それに、からだを働かせるために思考をわずらわす必要もない。それはもう、ぐったりしていることしかできないから、キニスンは、からだのことなどまったく考えずに、新しい知覚力を体外にさまよわせる。
上部からのきびしい命令にしたがって、会議室は思考波スクリーンをつけた男たちによって厳重に警戒されている。昔からの信用のおける使用人意外は、はいることを許されていない。そして彼らもスクリーンをつけている。しかし、キニスンは代理人を使って侵入する。
ひとりの思考波スクリーンをつけたウェイターが神聖な部屋にはいろうとしていると、器用なスリがからだをすりよせて、電光のような指先でスイッチを切る。ウェイターは文句《もんく》をいいかける――しかし、たちまち何をいおうとしていたかを忘れる。スリも、自分がたったいま何をしたかをまるで忘れている。こんどはウェイターがひとりの大物に給仕するとき、いささか無作法なまねをするが、何もとがめられない。その大物もほとんど同時に文句を忘れてしまったからだ。キニスンの制御《せいぎょ》のもとに、監督は自分の思考波スクリーン発生器をさぐって、小型だが強力な抵抗器をわずかにゆるめる。それがすむと、レンズマンは気づかれないように心の支配をとくが、もう会議は開かれた本のように見とおしだ。
「会議をはじめる前に」と監督は口をきる。「おまえたちが、みんな思考波スクリーンをつけていることを確認する」彼は自分のスクリーン発生器が活動していることを示す――その活動が完全でないことを発見するには、専門の技術員でも一時間はかかるだろう。
「ばかばかしい!」麻薬業者《ズウィルニク》がいう。「レンズマンがこのユーフロジーヌにくるなんて――くることができるなんて――いったい、だれがそんなことを考えてるんです?」
「例のレンズマンなら、どんなことでもやりかねない。やつは死ぬまでは何をやらかすかわからん。だから警戒を厳重にするのだ。もちろん、この小惑星にいる者は残らず点検しただろうな?」
「残らずやりました」ストロングハートが断言する。「酔っぱらいや麻薬でいかれているやつらもです。われわれが個々にスクリーンをつけているうえに、この建物全体も遮蔽されています」
「麻薬でいかれているやつらは問題外だ。そいつらがほんとうに麻薬を飲んでいればな」レンズマンが飲んだくれになる――見せかけではなく実際に――まして、麻薬中毒者になるなどということは、グレー・レンズマン自身を除けば想像もおよぶまい。「ところで、よく噂をきくワイルド・ビル・ウィリアムスというのは何者だ?」
ストロングハートと友人は顔を見合わせて笑う。
「やつはずっと前に点検してあります」麻薬業者《ズウィルニク》は笑いながらいう。「やつはもちろんレンズマンじゃありませんが、わたしは、はじめ秘密諜報員じゃないかと思いました。やつのからだも船もすっかり調査しました――危険はありません――坑夫としての経歴も、四太陽系前まで点検しました。いずれにしてもやつは白です。ここへばか騒ぎにきたのは二度目です。もう一週間も飲みつづけて、一日ごとにいかれてきました。ストロングハートとわたしは、たったいま、やつをベッドにいれて、二十四単位のベニーをわたしてきたところです。二十四単位ですぜ。その意味はおわかりでしょうが?」
「きみのベニーか、それともやつのか?」監督はたずねる。
「わたしのです。だからやつは白だっていうんです。ほかの麻薬中毒者にも、みんなわたしの薬を飲ませてあります。酒飲みには、とことんまで飲ましてあります。あなたの命令どおりにね」
「QX。わしもここに危険があるとは思わん――みんなが恐れている例のレンズマンは、まだブロンセカで仕事をしているだろう――だが、警戒を怠るなというこの命令は、ずっと上のほうからきているのだ」
「上のほうでは、われわれが自分のボスがだれかわからないようにする方式を研究しているそうですが、そいつはどうなってるんです? わたしは、ばかげてると思いますがね」
「まだできていない。この商売を絶対安全に運営するシステムは、いまのところ発明されていないのだ。さしあたり、われわれはこういう帳簿を使っている。かさばるが、敵が気づくまでは絶対に安全だというのだ。そうすれば、一つのグループがパトロール隊の死刑室に送りこまれても、ほかのグループは何かほかのものを使えばいいからだ。この暗号は解読されないという者もあるし、どんな暗号でもやがては解読されるという者もある。いずれにせよ、これが命令だ。手渡してくれ。きみたちからもらうものをもらったら、食事にして、一杯やることにしよう」
彼らは食事をし、そして飲む。ばか騒ぎをやり、それぞれの好みに応じて下劣な道楽にふけりながら夜をすごす。いずれも、自分の思考波スクリーンが例の恐るべき敵に対して百パーセント効果的だと確信している。事実、スクリーンは、完全に効果的である――すくなくともそのときは――なぜならレンズマンは、監督が知っていることをすっかり探知してしまうと、心の制御を停止した瞬間に、発生器の効果を完全に回復しておいたからだ。
麻薬業者《ズウィルニク》たちの心はキニスンの侵入から守られているが、帳簿はそうではない。キニスンのからだはベッドの上にぐったり横たわっているが、彼は知覚力を働かせて帳簿を読む。手に持ってページを開きながら読むほど容易ではないにしても、充分できる。そしてはるかかなたの宇宙空間では、強力な頭脳を持ったウォーゼルと呼ばれるレンズマンが、各太陽系のあらゆる麻薬業者のあらゆる行動について、氏名、日時、事実、数字などをふくむ詳細《しょうさい》な記述を、不滅の金属板に記録しているのだ!
もちろんその記述は暗号で書かれていたが、キニスンはその解読法を知っているので、英語で書かれているのと同じことだった。しかし、あとでパトロール隊の麻薬局員たちが残念がったことに、この記述のテープはレンズマンの封印をつけて送検されたのである――つまり、グレー・レンズマンが許可を与えなければ、読むことができないのだ。
二十四時間後、キニスンは麻薬の作用から回復する。キーをストロングハートから受け取り、アステロイドを立ち去る。もう次に対決すべき強力な敵はわかっている。その敵がどこにいるかもわかっている。しかし、悲しいかな、まず何をすればいいのか、どのようにしてそれをすればいいのか、まるでわからないのだ。
そういうわけで、それから数日後、ヘインズから出頭するようにというつよい要望があったとき、当然な不安を感じるいっぽう、いくらかほっとしないこともなかった。
確かに、これは何か異常な事件にちがいなかった。キニスンは何ヵ月にもわたる勤務のあいだに何度か空港司令官に呼びかけたが、ヘインズのほうからレンズで呼びかけたことは一度もなかったからだ。
「キニスン! ヘインズより通信!」思考波が彼の意識を刺激《しげき》する。
「キニスン、確認しました!」グレー・レンズマンは思考波を返す。
「何か重大な仕事に従事中ではないのか?」
「そんなことはありません。ちょっとした航行をやっているだけです」
「きみ自身に、なんの先入観念もなしにしてもらいたい情況が発生したのだ。すぐに最高基地にこられるかね?」
「承知しました、閣下。しかし、実をいえば、もう少しあとにしていただいたほうが、二つの点でつごうがいいのです――ある問題を研究することと、クルミを砕けるくらいまで熟させることです。いずれにせよ、閣下のご命令しだいです!」
「命令じゃないよ、キニスン!」老レンズマンはつよくなじった。「独立レンズマンに命令することはできない。要望したり指摘《してき》したりはできるが、きみがどこでいちばん役にたつかを判断するのは、きみだ」
「閣下の要望はわたしにとって命令です」キニスンは真剣に答え、もっと軽い言葉でつづける。「閣下がわたしを呼ばれたのは、非常事態が起こったためでしょう。ところで、わたしのこの坑夫用の小艇で航行するのは、まるで足で歩いているみたいなものです。何か足の速い船を派遣《はけん》して、わたしを拾いあげてくれませんか?」
「たとえば、ドーントレス号かね?」
「ほう――もう改造をすませたのですか?」
「そうだ」
「きっとすごい快速になっているでしょうね! 前でもりっぱな快速艇でしたが、いまじゃムカデよりもっと足が多くなっているにちがいない!」
こうして、ドーントレス号は、超強力探知器で探知しうる範囲では他にまったく船のいない宇宙空間で、キニスンの曳航艇と出会うことになった。二隻の船は有重力状態に移行し、短時間調整した後、巨大な戦艦はちっぽけな相手をのみこんで飛び去る。
「やあ、キム、宇宙の虫!」彼の姿を見ると、いっせいに叫び声が起こる。元気いっぱいの若者たちは規則も忘れて騒ぎたて、旧友との再会を祝する。彼らは、年はとってもまだ少年のような気分なのだ。
「ボスの注文だがね、キム、最高基地から一時間くらいのところへ行ったら、きみから呼び出しをかけてくれってことだぜ」ドーントレス号が太陽系に近づいたとき、メートランドがざっくばらんな調子で、かつてのクラスメートに呼びかける。
「通信盤でかね、レンズでかね?」
「何もいわなかった――どっちでもいいんだろう」
「じゃ、通信盤にしよう――あまりでしゃばりたくないんだ」数瞬のうちに、空港司令官とグレー・レンズマンは映像を通じて顔をあわせる。
「からだの調子はどうかね、キニスン」ヘインズは青年の顔をしげしげと見つめてたずねる。それからレンズを通じて話しかける。「きみがやっているお芝居については、地球の上でも聞いていた。きみのように猛烈《もうれつ》に酒や麻薬をやっては、影響を受けないわけにはいかない。いくらきみでも、やりとおせないんじゃないかと心配していた。どうだ、ね? 現在どんな気持かね?」
「もちろん、多少、禁断症状はあります」キニスンは肩をすくめて答える。「しかし、やむをえないことです――卵を割らなければ、オムレツはできませんからね。しかし、わたしに克服《こくふく》できないようなはげしいものではありません。もうかなり、からだから追い出してしまいました」
「それを聞いてほっとしたよ。ワイルド・ビル・ウィリアムスの正体を知っているのは、エリスンとわたしだけだ。しばらくは、まったくひやひやさせられたぞ」それから口頭にもどる。
「できるだけ早く執務室に出頭してほしいのだ」
「着陸して二分後に出頭します」キニスンはそのとおりにやってのけた。
「閣下はおいそがしいのかい、ルビー?」彼はヘインズの執務室の手前の部屋で、魅力的な若い女性に手をふって挨拶《あいさつ》しながらきく。
「おはいりください、レンズマン、キニスン。お待ちかねですわ」ドアが開き、彼女はわきへよって彼を奥へとおす。
空港司令官は、青年の礼儀正しい挨拶に答えてから、あたたかい握手をかわし、つづいて部屋の中にいる第三の男をふりむく。
「航行士ジルピック、こちらは独立レンズマン、キニスンだ。すわりたまえ。ちょっと時間がかかるだろう。キニスン、きみに話したいのは、船があっちこっちで姿を消している事件だ。警報も発せず、痕跡《こんせき》も残さず消滅してしまうのだ。護衛をつけても同じことだ。護衛船も消滅……」
「新式放射器をつけた船もですか?」キニスンはレンズを通じて質問した――これは口に出していうべきことではない。
「いや、それはだいじょうぶだ」確答がある。「いまのところ、原因が判明するまでは、すべての船を罐詰にしてある。きみのためにドーントレス号を派遣《はけん》したのが、唯一《ゆいいつ》の例外だ」
「けっこうです。その例外さえ、おかさないほうがよかったと思いますが」この思考のやりとりは、ほんの一瞬ですんだ。ヘインズは言葉をとぎらせることもなくつづける。
「……護衛艦のほうも、護衛している輸送船や客船同様、なんの警報も報告も発しないのだ。自動通報も行なわれない――装置が停止してしまうのだ。わしがきみに呼びかける少し前に、このジルピックが驚くべき報告をもたらしたのだが、それだけが唯一《ゆいいつ》の手がかりだ――じつのところ、手がかりであるかどうかは疑わしいのだが」
キニスンは未知の男を眺めた。ピンク色の生物。疑いもなくチクラドリア人だ――からだじゅうがピンクなのだ。もじゃもじゃの髪も、三角の目も、歯も、皮膚も、みんなピンク色をしている。透明な皮膚をとおして見えるものは、赤い血ではなく、あの惑星に住む類似《るいじ》人類特有の煉瓦色がかったピンク色の不透明な色素なのだ。
「われわれはこのジルピックを完全に検査した」ヘインズは、チクラドリア人がこの部屋にいるのではなく、自分の惑星にでもいるかのように、無視して話しつづける。「はなはだ困ったことに、彼は完全に真実を告げている――すくなくとも自分ではそう信じているのだ。また、この点を除けば――この固定観念というか幻覚というか、とにかく事実とは信じられない報告を除いては――彼は単に正気らしく見えるというだけではなく、実際に正気なのだ。さあ、ジルピック、きみがわれわれに話したことをキニスンにも話してくれ。そしてキニスン、きみならこの意味を理解できるのじゃないかと期待するよ――われわれはだれもできなかったがね」
「QX。話したまえ、聞いているから」しかし、キニスンは単に聞く以上のことをやった。チクラドリア人が話しはじめると、グレー・レンズマンは自分の心を相手の心に侵入させたのだ。しばらく相手の思考波の波長をさぐる。やがて、キムボール・キニスンは、ピンク人間の恐るべき経験をともに再体験しはじめる。
「ラデリックス船の第二航行士が宇宙で死んだので、船がチクラドリアに着陸したとき、わたしが引き継ぎました。一週間ほどして、乗組員全部がふいに気が狂いました。わたしがはじめてそれに気づいたのは、わたしのわきで当直についていたパイロットが制御盤を離れるなり、椅子をとって自動記録器をぶちこわしたときでした。彼はつづいてすべての制御装置を切りました。
わたしは彼に呼びかけましたが、答えませんでした。そして制御室の全員が奇妙な行動をとりはじめました。夢遊病にかかったように部屋の中をぐるぐるまわりだしたのです。わたしは船長に向かってどなりましたが、彼も気がつきません。そのうちに、わたしのまわりの連中は制御室を出て、メイン気密室《ロック》のほうへ通路をくだりはじめました。わたしはこわくなりました――肌が総毛《そうけ》立ち、首すじの毛がさかだちました――しかし、彼らが何をするつもりなのか見ようとして、かなりうしろからついて行きました。船長も高級船員もいっしょです。出入口へ着くと、他の全乗組員が合体しました。だれもが大急ぎでどこかへ行こうとしているのでした。
「わたしはそれ以上近づきませんでした――宇宙服をつけないで宇宙へ出るのはごめんだったからです。制御室へもどってスパイ光線で探知しようとしましたが、思いとどまりました。敵が乗り移ってくるとすれば、まずここへやってくるにちがいない。おそらく乗り移ってくるだろう――最近、多数の船が宇宙で消滅しているのだから、そう思ったのです。そこで、救命艇のところへ行って、そのスパイ光線を使いました。すると、宇宙空間には何もいなかったのです――まったく何も!」彼の声は悲鳴に近くなり、心は極度の恐怖におののいている。
「おちつきたまえ、ジルピック、おちつくんだ」グレー・レンズマンははげますようにいった。「きみがこれまで話したことは、万事筋がとおっている。完全に型にはまっている。筋道をはずれたところは少しもない」
「なんですって! わたしを信用なさるんですか!」チクラドリア人は驚いてキニスンを見つめた。空港司令官もあきらかに同じ驚きにうたれている。
「そうだ」グレーのレザー服をつけた男は断言する。「そればかりじゃなく、ぼくには次に起こることがはっきり想像がつくよ。つづけたまえ!」
「彼らは宇宙空間へ歩きだして行きました」ピンク人間はためらいがちにいう――何度もくり返した話だが、自分でも信じられないといったようすだ。「彼らは浮遊《ふゆう》して行ったのではなく、≪歩いて≫行ったのです。そして、まるで真空の中にいるのではなく、空気を呼吸しているようでした。歩いて行くにつれて、彼らは姿がうすらいできした。霧につつまれたようにかすんできたのです。これは気ちがいじみたことです」彼はキニスンにだけ向かっていう。「そのとき、わたしは自分の気が変になったのだと思いました。ここの人たちは、いまでもわたしを気ちがい扱いしていますがね。きっとわたしは気ちがいなのでしょう――自分にはわかりません」
「ぼくにはわかる。きみは気ちがいじゃないよ」キニスンは平静《へいせい》にいう。
「ところで、それからいちばんひどいことがはじまるのです。彼らは船の中にいるように歩き、しだいに影がうすくなっていきました。そのうちに、彼らのうちの何人かが横たわったかと思うと、何ものかが、そのひとりの≪皮≫をはぎはじめたのです――生きながら――しかし、そこにはだれの姿も見えないのです。そこでわたしは逃げだしました。船の反対側にあるいちばん速い救命艇に乗って、全力で推進させました。これで全部です」
「全部じゃないね、ジルピック。もしぼくがひどい思いちがいをしているのでなければな。そこまで話したのに、なぜ残りを話さなかったんだ?」
「その勇気がなかったのです。もしこれ以上話せば、気ちがいじゃないかと疑われるだけじゃなく、それにちがいないと信じられてしまったでしょう……」彼はふいに言葉をきった。また話しだしたとき、その声は奇妙に変化していた。「なぜ、もっと先があると思われたのですか? あなたは……?」質問の語尾が消える。
「そうだ、ぼくは知っている。ぼくの想像することが実際に起こったとすれば、もっと――もっとはるかに先があったはずだ。しかも、いっそうひどいことがね。そうだろう?」
「あったんです!」航行士はほっとした様子で、爆発するように叫んだ。「というより、あったと思うのです。しかし、あまりくわしく描写することはできません――すべての光景が絶えずかすんでいったからです。わたしはてっきり幻覚だと思いました」
「幻覚ではなかったんだ……」レンズマンは話しかけたが、たちまちヘインズにさえぎられた。
「なんたることだ!」高官は叫んだ。「きみにそのことがわかってるなら、話してみたまえ!」
「わかっているつもりですが、まだ確実ではありません――照合する必要があります。この男から確実なことを聞きだすのはむりです――彼は自分が知っているかぎりのことを話したのです。彼は実際に何も見たわけではありません。それは、ほとんど目に見えないものだったからです。彼がすべての出来事を描写しようとしたとしても、あなた方には、なんのことかわからなかったでしょう。ウォーゼルとわたし、そしてたぶんバン・バスカーク以外は、だれにもわからなかったと思います。それから先、実際に起こったことはわたしが話します。そうすれば、ジルピックは、それが自分の見たことと照合しているかどうかわかるでしょう」彼の顔はひきしまり、声はきびしくなった。「わたしは前に一度、それを見たのです。いや、もっとわるい。耳でも聞いたのです。はっきりと目に見、耳に聞いたのです。それに、わたしはその意味を知っていますから、ジルピックよりずっとうまく説明できます。
その船の全乗組員は拷問で殺されたのです。ジルピックがいったように、生きながら皮をはがれた者もいます。彼らはそれから一寸きざみに刻まれたのです。拷問台の上で鎖や鉤《かぎ》でからだを引きのばされて裂かれた者もいます。枠《わく》の上でよじられた者もいます。じりじり煮殺される。少しずつ肉をむしられる。ガスでやられる。侵蝕性《しんしょくせい》の液体で一分子ずつおかされる。ガラス板のあいだへはさむようにして押しつぶされる。鞭《むち》打たれる。ぐたぐたになるまでゆっくりなぐられる。他にもいろいろな方法があります――言語に絶する方法です。しかし、どれも時間のかかる非常に苦痛な方法です。ひとりひとりが死んでいくとき、黄緑色の霊気があらわれます。どこからか光線が放射されて――たぶん見えなかったでしょうが――その霊気を吸い取ります。照合するかね、ジルピック?」
「はい、照合します!」チクラドリア人は心からほっとしたように叫んだが、用心ぶかくつけ加えた。「拷問のもようはまったくそのとおりでしたが、彼らの薄らいでいくいき方については、どこか異様《いよう》なところがありました。どこが異様だったかはいいあらわせませんが、彼らが見えなくなったのは、遠ざかったためとは思えませんでした。もっとも、彼らはどこへも行かなかったのですが」
「それがやつらの不可視戦術の特徴なんだ。それにちがいない――ほかにあてはまるものがない……」
「デルゴンの貴族どもだな!」ヘインズはするどく叫んだ。「だが、もしそれが真相だとすれば、いったいなぜ乗組員のうちで、このジルピックだけがあっさり逃げられたんだ? そのわけを教えたまえ!」
「簡単です!」グレー・レンズマンはきっぱり答えた。「ほかの乗組員は全部ラデリックス人でした――チクラドリア人は彼だけだったのです。貴族どもは彼が乗っていることを知りませんでした――まったく感知できなかったのです。チクラドリア人の思考波は銀河系に類例がありません――あなたもレンズで彼の心をさぐったとき、それに気づかれたはずです。わたしは自分の心を彼の心と同調させるのに三十秒もかかりました。
彼が脱出できたわけもわかります。貴族どもはのろまです。やつらは例の催眠術《さいみんじゅつ》をかけているあいだ、精神をすっかり集中しています――ほかのことにはまるで注意をはらわないのです。やつらが仕事をすませて、こっちの船を占領するまでには、彼はどこへでも逃げられたのです」
「だが、彼のいうところでは、そこらにほかの船はいなかったそうではないか――影も形もなかったのだ!」ヘインズは抗議した。
「姿を見えなくする方法は理解できないことはありません」キニスンは答えた。「われわれも、その装置をほとんど完成しています――もう少し研究すれば、同程度に優秀なものができるにちがいありません。そこに船がいたことは確かです。それもすぐ近くにね。磁石で定着して、気密室《エア・ロック》と気密室を宇宙チューブで連結していたのです。
閣下はまだ指摘していらっしゃいませんが、ただ一つだけ不思議なことがあります。貴族どもは――何人かがウォーゼルたちの手を逃れたにちがいないのですが、もしそうだとすれば――船で何をしようとしているのでしょう? わたしの知るかぎりでは、やつらはどんな宇宙船も、高度の工学技術を必要とするような、その他の機械装置も持っていませんでした。それから、もっとも重要なことですが、やつらはそのような不可視装置を発明も開発もしていなかったし、またできなかったはずなのです」
キニスンは口をつぐんだ。彼が眉をひそめて考えこんでいるあいだに、ヘインズはチクラドリア人にすべての希望をみたすことを約束して退出させた。
「きみは、こうした事実から何を推論するかね?」空港司令官はたずねた。
「いろいろあります」グレー・レンズマンは深刻な顔つきでいった。「くさいです。非常にくさいと思います。ボスコーンです」
「きみのいうとおりかもしれん」ヘインズは譲歩した。この青年の心の動きについていこうとしても、むだだとわかっていたからだ。「だが、なぜかね? とりわけ、どういう方法で、そういう結びつきをつくったんだね?」
「『なぜ』というのはすぐわかります。やつらはどっちもわれわれにうんと借りがあって、それをすっかり返したいと望んでいます。『どういう方法で』というのは重要な問題ではありません。いっぽうが何かの方法で相手を見つけたのです。いずれにせよ、やつらは協力しているにちがいありません。重要なのはその点です。これは困ったことです。まったく大いに困ったことです」
「何か命令したいことがあるかね」ヘインズがたずねた。彼は太《ふと》っ腹《ぱら》な男だった。自分より多くを知っている者になら、だれにでも指示を求めるほど太っ腹だった――そういうことをなんとも思わないほどに太っ腹なのだ。
「空港司令官に命令をくだすことはできません」キニスンは相手の口調をまねて気軽に、しかし本気でいった。「命令をあおいだり、意見を述べたりすることはできますが……」
「そんなことはかまわん! わしはまだきみの下で働くぞ! きみはわしから命令を受けるといったな。QX――わしはきみから命令を受けることにする。どんな命令かね?」
「まだ命令をくだす段階ではないと思います……」キニスンは考えながらいう。「そうです……まず、研究してからです。ウォーゼルとバン・バスカークを連れて行く必要があるでしょう。例の経験をしたのは、われわれ三人だけです。ドーントレス号に乗っていくつもりです――そうすれば安全でしょう。思考波スクリーンを使えば、貴族どもの催眠術は防げます。不可視の問題は、攪乱器《かくらんき》で処理できるでしょう」
「では、思考波スクリーンで防護すれば、宇宙交通を回復させてもだいじょうぶだと思うのかね?」
「そうはいえません。やつらはそのつもりになれば、ボスコーンの戦艦を使用できます。そうなると、話は別です。あと一週間かそこらは、たいした不都合はないでしょう――われわれが原因をはっきりつきとめるまでは、待ったほうがいいと思います。わたしはこれまでに一、二度判断をあやまったことがありますから、またあやまるかもしれません」
事実、彼はあやまっていた。彼はひかえめな言葉を使っていたが、心の中では自分がすべてを理解しているものと信じていた。だが、それがいかにあやまっていたことだろう――こっぴどく悲惨にもあやまっていた! 彼の知能ですら、その奇怪な現実を見抜けなかった。彼の推定や理解は、その恐るべき真実に、はるかにはるかに及ばなかったのだ!
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一四 アイヒとデルゴン貴族
デルゴンの貴族たちがボスコーンの援護《えんご》を受けるにいたった経緯《けいい》は、いまのところあきらかではなかったが、事実はまったく単純で論理的だった。アイヒランのアリシア攻撃は不幸な失敗に帰したが、はるか離れた惑星ジャーヌボン上のアイヒ族は、それによって大いに教えられるところがあった。アリシアの監視員ユーコニドールが指摘したような意味でではないが、とにかく教えられたことは事実だった。彼らは従来、思考を力の有効な補助物としてしか考えていなかったが、いまや、それ自体が力であって強力な武器として利用できるということを理解したのだ。
ユーコニドールの説教は、彼自身もあのとき疑ったように、なくもがなのものだった。なぜなら、それはアイヒ族全員の生活や生活目標に影響をあたえて、彼らの力を強化することになったからだ。かつてボスコーンの副首席だったアイヒミルはいまや首席になった。他の者もそれぞれ昇進し、新しい第八席と第九席が選ばれて、ボスコーンを構成する評議会のメンバーを補充した。
「死んだアイヒランは」アイヒミルは新しいボスコーンを点呼した後で冷酷《れいこく》に述べた――この会議は、ふたりの勇敢な霊魂が不帰の国へ旅立ったことがあきらかになったその日のうちに開かれたのだ。「敵を過小評価《かしょうひょうか》する危険についてくり返し、いましめていたにもかかわらず、まさにその点において致命的な過誤をおかした。われわれは、われわれの目標が不変であるということで意見が一致した。また、従来気づかれなかった純粋思考の潜在《せんざい》能力を発見することに成功するまでは、いっそう慎重に行動する必要があるということでも一致した。
われわれは今や新しいメンバーである第九席から意見を聞くべきである。彼もまた心理学者であるが、はなはだ幸いにも、きのう破滅的な結末をつげたアリシア攻撃隊の出発前から、すでにこの問題について研究を重ねていたのである」
「当然のことでありますが」ボスコーンの第九席は話しはじめる。「目下《もっか》のところ、アリシアは問題外であります。わたしは、このような破局《はきょく》の可能性を予期していました――そしてわたしの前任者である心理学者、故第八席に、たびたび注意をうながしました――そうしたわけで、わたしは、すでにずっと前からこれに代わるべき手段を研究していたのであります。
思考波スクリーンの問題を考えてみていただきたい。最初にこれを開発したのがだれであるかは重要ではありません――アリシア人がプルーア人から盗んだのか、その逆なのか、双方が独立に開発したのかもしれません。基本的な事実は二つあります。
第一、アリシア人は知力によってこのスクリーンを破壊することができます。その知力は、スクリーンが抵抗しえないほど強力なものか、何か新しい未知の構成または様式を持つものなのか、どちらかであります。
第二、このようなスクリーンは惑星ヴェランシアでは広く用いられています。したがって、これは必要でもあり有効でもあるにちがいありません。したがって、次のように推定することは正しいと信じます。すなわち、このスクリーンは、われわれが研究し獲得《かくとく》しようと望んでいる純粋思考の兵器を、ヴェランシア人に向かって採用している生物に対する防御《ぼうぎょ》として使用されているのです。したがって、わたしは自分が選んだ二、三の者といっしょに、アリシアではなくヴェランシアまたはその他の場所でこの研究を継続《けいぞく》することを希望いたします」
この提案は異議なく可決され、ただちに一隻の船が派遣された。アイヒ族のヴェランシア訪問は、なんの騒ぎもひき起こされなかった。これに関連して想起されるべきことだが、当時ヴェランシアの住民は銀河パトロール隊に発見されて無慣性航行の技術を導入したばかりで、何百という他の太陽系の雑多《ざった》な住民を訪問したり、その訪問を受けたりすることに熱中していた。また同様に心にとめられるべきことだが、アイヒ族は忍耐的には地球人よりヴェランシア人に近かったので、このような生物の一団が惑星上にいても、地球人の一団ほどに目をひかなかった。したがって、この運命的な訪問は、そのときは気づかれないままに終わった。キニスンはそのような訪問がなされたにちがいないと推定したが、それが事実だったと判明するには、長い困難な調査が必要だったのである。
ボスコーンとその仲間がどんなことをやったかは興味ぶかい問題だが、それをくわしく述べる余地はない。彼らが、つきあいのいいヴェランシア人と親しくなって、いろいろなことを研究し、習得したことだけを述べるにとどめよう。とくに彼らは、例のいまわしいデルゴン貴族に関する情報を知りたがった。もっとも、ヴェランシア人はその問題に長くふれようとはしなかった。
「やつらはもう無力ですよ」ヴェランシア人は尾と翼を快活にばたつかせながら質問者に答えるのがつねだった。「やつらの洞窟は、われわれにわかっていたものは残らず破壊されたし、これまでわかっていなかったものも多数破壊されました。生き残ったやつが、われわれのだれかに知力を働かせでもすれば、すぐかりだされて殺されます。やつらはもう全滅したはずですが、そうじゃないとしても、われわれの平和や安全をおびやかすことはないでしょう」
アイヒたちは、ヴェランシアで集められるかぎりの情報を集めた後、デルゴンに行き、彼らが第一級と自任する知力と、船に装備された有力な機械力を結集して、かつて反映していた種族であるデルゴンの貴族の生き残りを発見して統合《とうごう》する仕事にとりかかった。
デルゴン貴族! そのいまわしい不道徳な怪物的種族は、銀河同盟の長い歴史を通じてもっとも普遍的な悪名をはせ、その点ではアイヒ族そのものをさえしのいでいるのだ。アイヒ族は絶滅させられるにふさわしい種族だが、弁護すべき点もないではない。彼らが邪悪な心を持っていることは事実である。彼らは反社会的で血に飢えていて、権力と征服とに対する飽《あ》くなき欲望にとりつかれている。その欲望は彼らを絶滅する以外に消滅させようがないのだ。彼らは多くの悪徳を持っている。しかし勇敢である。彼らはすぐれた組織者である。彼らなりに創造者であり行動者である。信念を主張する勇気を持っていて、その信念を最後まで貫くのだ。
しかるに、デルゴン貴族にはなんのとりえもない。いかに弁護しようとも、彼らは正常な知性には思いもおよばぬほど下劣《げれつ》で、残酷で邪悪なのだ。彼らは現住地ではなんの武器も持たず、その必要もなかった。純粋の知力だけで他の惑星上の犠牲者にまで影響力をあたえ、自分たちが住んでいる陰惨《いんさん》な洞窟へ強制的にやってこさせる。犠牲者は、そこでさまざまの言語に絶する方法で死ぬまで拷問される。そして彼らが死ぬとき、デルゴン貴族どもは陰惨にも、その霊気を餌食《えじき》にするのだ。
彼らが犠牲者の霊気を吸収する機構はまったく不明である。また霊気の吸収がこのいまわしい種族の生活にどんな役割を果たしていたかをあきらかにすべき適当な証拠もない。この残酷な行事《ぎょうじ》が、彼らの肉体維持に必要でなかったことは確かである。彼らの多くは、それを行なうことが不可能になった後も、長いこと生きていたからだ。
いずれにせよ、アイヒ族はデルゴン貴族をさがして、多数の生存者を発見した。デルゴン貴族は、この訪問者たちの心を支配して、サディスティックな目的に利用しようとしたが、まったく効果がなかった。アイヒ族は思考波スクリーンで保護されていたばかりでなく、デルゴン貴族よりもっと強力な心を持っていたからだ。最初の接触が行なわれた思考伝達の道が開かれた後、両者の同盟ができあがったのは当然だった。
愛の結合力については、しばしば語られたり書かれたりしている。事実、愛やその他の高貴な感情は多くの驚異をなしとげてきた。しかし、著者から見ると、純粋な憎悪が結合的|素材《そざい》として役だっている事実については、あまりにも語られることが少なかったように思われる。これはおそらく道徳的理由によるものだろう。また、そういう事実が比較的少なかったせいでもあろう。したがって、これこそ歴史上の最適例というべきであるが、この場合は、二つのまったく異質な種族が、愛とかその他の高貴な感情ではなく、まったく純粋で破壊的な共通の憎悪にもとづいて協力したのである。
どちらの種族も、銀河文明およびそれに関係のあるすべてのものを憎悪している。どちらも復讐《ふくしゅう》を望んでいる。焼けつくような狂気のようなはげしさで望んでいる。やわらげることも、もみ消すこともできない。心をさいなむような、焼けるような欲望だ。とくに両者が遺恨《いこん》に燃えて、猛烈に、貪欲《どんよく》に――ありとあらゆる方法で――憎悪しているのは、銀河パトロール隊の標識たる、かぎりなくのろわしいレンズをつけた、いまだに未知の一レンズマンなのだ!
アイヒ族は無慈悲《むじひ》で冷酷である。彼らの言語には、「良心」「慈悲」「遠慮」などという言葉さえない。いまや、例のレンズマンに対する彼らの憎悪は、人間の心には思いもおよばないほどのはげしさに高まっている。しかし、その恐るべき激情でさえ、デルゴン貴族が自分たちの種族の仇《かたき》に対していだいている痛烈きわまる憎悪の前には色あせるほどなのだ。
デルゴン貴族の知力は想像を絶して強力であり、銀河文明にはまったく理解できない作用を持っているが、いまやその全知力がアイヒ族の機略、行動力、科学的能力などと結合したのだから、その結果はただでさえ恐るべきものだ。
しかし、この場合、結果はさらに恐るべきものがあった。彼らの強力な知能が、はげしい憎悪にあおりたてられて、想像もおよばぬ効果を発揮したのである。
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一五 デルゴン貴族
船が未知の冒険に飛びたつ前に、キニスンは考えなおした。彼はこの航行について漠然《ばくぜん》たる不安をいだいていた。それは「予感」というほど確たるものではなかった。予感はわれわれが多少とも所有している超鋭敏な知覚力の作用によるものだということを、グレー・レンズマンは知っていた。彼は考えた。この不安は、三次元世界とは別の、もっと普遍的《ふへんてき》な次元から超感覚にあたえられた漠然たる警告というようなものではあるまい。ジルピックは、みんなの姿がかすんで見えなくなった事実を、単純な不可視性の作用ではなかったのではないかと疑っていたが、その疑惑がこっちの心にあたえた反動なのだ。
「わたしはひとりで行ったほうがいいと思います」彼はある日、空港司令官にいう。「やつらの戦法について、前ほど確信がもてなくなったのです」
「それがどうしたというんだね?」ヘインズは質問する。
「乗組員たちの生命が心配なのです」キニスンは短く答える。
「わしが心配しているのは、きみの生命だ。きみだって大きな船にいたほうが安全だろう。その点は否定できまい」
「たぶんそうでしょう。ですが、わたしの希望は……」
「きみの希望なぞ問題ではない」
「では妥協案はいかがです? わたしはウォーゼルとバン・バスカークを連れて行きます。バスはデルゴン貴族に催眠術をかけられてひどいめにあったので、ウォーゼルから知能訓練を受けています。ウォーゼルのいうところでは、もうだれもバスに催眠術をかけられないそうです。デルゴン貴族でさえ」
「妥協の余地はない。きみの地位は独立なのだから、わしはきみにドーントレス号に乗って行くように命令することはできん。なんでも好きなものに乗って行きたまえ。だが、ドーントレス号に命じて、きみのあとをどこまでもつけさせることはできるのだ。そしてわしはそうするつもりだよ」
「QX。ではドーントレス号に乗って行きましょう」キニスンの声は沈んだ。「しかし、乗組員の半数がもどらなかったとしたら……そしてわたしがもどったとしたら?」
「ブリタニア号のときも、そうだったじゃないか?」
「ちがいます」キニスンはきっぱり答える。「あのときは、みんな同じ危険をおかしたのです――くじの運不運でした。こんどはわけがちがいます」
「どうちがうのかね?」
「わたしは、ほかの者より強力な知力を持っています……彼らを連れて行くことは、冷酷な殺人と同じです」
「そんなことはない。あのときと同じことだ。きみはあのときだって、ほかのものよりすぐれた知力を持っていた。いまほどではないがね。指揮官は部下を死地に送りだすとき、みんな同じような感情をいだく。だが、きみ自身をわしの立場に置いてみたまえ。自分のもっともすぐれた部下を、ひとりで危険な使命に派遣するかね? もっと多くの人員や船を同行させれば危険が減ずるという場合にだね。正直に答えたまえ」
「おそらく、そうはしないでしょう」キニスンはしぶしぶ認めた。
「QX。できるかぎり慎重にやりたまえ――だが、きみにそんなことを注意する必要もない。きみは慎重にやるにきまっているのだから」
こうして、一、二日後、キニスンはドーントレス号に乗って出発した。ドーントレス号には地球人の要員が完全に配置されたほか、ウォーゼルとバン・バスカークが乗り組んでいた。船はジルピックの船が攻撃された宇宙空間に接近していった。全乗組員は宇宙服をすぐにも着用できるようにし、腰のデラメーターを点検して、戦闘配置につく。やがてキニスンはウォーゼルをふりむく。
「どんな気分だね?」
「こわいよ」ヴェランシア人は、長さ三十フィートもある、しなやかで皮のように固い胴体を、はしからはしまで武者ぶるいさせながら答えた。「しっぽのはしまでぞっとする。やつらが、わたしを前のような目にあわせるからってわけじゃない――すくなくともわれわれ三人は、やつらの知力に負けないのだ――だが、やつらがどんなことをするかと思うとこわいんだ。それがどんなことかはわからないが、われわれが予期するようなものじゃあるまい。わかりきったことなど、するはずがないと思うよ」
「ぼくもそれがこわいんだ」レンズマンはうなずく。「ある女の子が前にいったことがあるが、こわくてわめきたてたいくらいさ」
「それはあんたたちが利口すぎるからですよ」バン・バスカークが口をはさむ。そしてがっちりしたこぶしをひらめかしたと思うと、三十ポンドの宇宙斧を、まるで地球人が指揮刀をあつかうようにかるがると、「かまえ」の位置に振りあげる。「くるならこい、デルゴン貴族、さっ! こうしてやる!」ものすごい武器がうなりをあげて旋回するのは、めざましい眺めだ。
「それも一理あるな、バス」キニスンは笑う。それからヴェランシア人に向かって、「やつらに思考波を放射してもいいころだな」
彼は、ウォーゼルがデルゴン貴族に思考波を到達させられるということをいささかも疑わなかった。この信じられないほど強力な心は、レンズもなくアリシア人の指導も受けずに、十一の太陽系をカバーすることができたのだ。ウォーゼルのいまの能力なら、宇宙半分をカバーできるだろう!
ウォーゼルの全身は、自己の種族の宿敵《しゅくてき》と連絡をとることにはげしく反発《はんぱつ》したが、彼は自分の心をデルゴン貴族の心と感応関係において思考を伝達する。何秒かじっと耳をかたむけた後、制御室を横切って、思考波スクリーンをつけたパイロットのところへすべって行き、方向を指示する。パイロットはするどくコースを変えて船を突進させる。
「わたしが操縦をひきつごう」やがてウォーゼルがいった。「そのほうがほんとうらしく見えるだろう――やつらがわれわれをすっかり支配しているようにな」
彼はバーゲンホルムを切り、すべての装置をとめる――船は有重力状態に移行し、宇宙空間に停止する。同時に、二十人の思考波スクリーンをつけていない乗組員――志願者――が、何かのはげしい衝動にかられて、メイン気密室のほうへ駆けだす。
「よし! スクリーン展開《てんかい》! 攪乱器操作《スクランブラー》!」キニスンが叫ぶ。それと同時に、思考波スクリーンが船全体をつつみ、強力攪乱器が活動しはじめる。このエネルギー・フィールド内では、いかなる不可視《ふかし》装置も効果を失うのだ。ドーントレス号のすぐそばに、一隻の宇宙船の姿が浮きあがる。どこから見てもボスコーンの船だ!「放射!」
しかし、放射ボタンを押すまもなく、敵船はふたたび見えなくなる。というより、宇宙合金製の強固な船は、ほんの幻《まぼろし》のようにしか姿を現わさなかったのだ。霧のように、実体《じったい》のない幽霊船だ。かすんで稀薄で非物質的で、影のようだ。夢の中に現われる幻の船で、悪夢の中から動員された恐ろしい化け物が乗り組んでいるのだ。こんどは不可視装置の作用ではない。キニスンはそれを知って愕然《がくぜん》とする。何か別のものだ――まったく別のものだ――まったく理解できないものだ。ジルピックは、言葉で表現できるかぎり正確に報告したのだ――ボスコーン船は停止したまま遠ざかっている! ふしぎだ――そんなことができるはずがない!
そのとき、ドーントレス号の強力な副放射器が、通常の「標点射程」である何百マイルどころではなく、ほんの何百フィートの距離で放射された。こんなばかばかしい距離では、ねらいがはずれるはずがない――なぜなら、防御《ぼうぎょ》スクリーン自体がその船より遠くにあるくらいだったからだ。ねらいははずれなかった。しかし、命中はしなかった。強烈なビームは、船であるべきはずの稀薄な映像をくり返し貫いたが、なんにもぶつからなかった。≪突き抜けて≫しまうのだ――まったく損害をあたえずに――船も、その中の幽霊のようにかすかだが忘れがたい姿も。キニスンは、それを一目でデルゴン貴族と認知した。彼の心はがっくり沈んだ。してやられたときには、それをいさぎよく認めるキニスンだが、これはあまりひどすぎる。
「自由航行!」彼は叫んだ。「全力推進!」
巨大なバーゲンホルムにエネルギーがそそぎこむ。しかし、なんの変化も起こらない。船も内容も有重力状態のままだ。有重力状態というのも正確ではない。なぜなら、乗組員は、これまで知らなかったような奇妙な感覚を感じはじめたのだ。
推進ジェットからエネルギーがはげしく噴射するが、やはりなんの変化も起こらない。推進も起こらず、有重力発進の反動もない。どんなに無慣性航行に慣れている者でも、静止状態から光の何倍もの速度に瞬間的に移行するときには、振動するようなスピード感をおぼえるものだが、それも感じられない。
「宇宙服|着用《ちゃくよう》! 思考波スクリーン展開! 全員戦闘配置!」何が起こるにしても、それから離脱《りだつ》できないとすれば、それに直面するまでだ。
いまや何かが起こりつつある。それは確かだ。キニスンは船酔いも飛行機酔いも宇宙船酔いも、みんな経験している。またレンズマン候補生は人工重力、擬似慣性《ぎじかんせい》その他、宇宙客船を快適にするための諸装置なしですますことを学ばねばならないから、彼ももっとも基礎的な無慣性訓練のときに起こりがちな胸のむかつき、体重がなくなり果てしもなく落下していくような感じ、それよりもっとひどい感覚の混乱などを知っている。彼は科学に知られているかぎりの航行法にともなう不快感をすべて経験しているつもりだった。しかし、これは何かまったくはじめての感覚だ。
彼は圧縮《あっしゅく》されているような感じを受けた。全体としてではなく、一原子ごとに圧縮されていくのだ。彼はからだをねじられている――その場から動くことも、その場にとどまることもできないような奇妙な方法でよじられている。何時間も静止させられていたような感じだ――それとも千分の一秒くらいの瞬間だったのか? 同時に、からだじゅうで、苦痛はないが、むかむかするような変動が、後から後から波が押しよせるように進行しているのを感じる。からだじゅうの全分子が再編成され、よじれあいもつれあい、未知の非実在へ向かって押しだされて行くのだ!
この変動は進行したと同じようにのろく――それともすみやかに?――退行していった。彼はまた自由に動けるようになる。理解できるかぎりでは、万事がほとんど以前のままのようだ。ドーントレス号は同じように見える。すぐそばにいるほとんど見えない船も同様だ。しかし、一つ相違がある。空気が濃厚になったように思われる――見なれた物体が、ぼけてかすんで見える――ゆがんでいる――船の外部は灰色にぼやけているばかりで、何もない――星も星座もない――。
一つの思考波が彼の脳を打ちはじめる。おまえはドーントレス号を≪去らねばならない≫。一瞬の猶予《ゆうよ》もなく、あのぼんやり見えている僚船に移行することが必要だ! 彼の心が本能的に壁をつくって思考の侵入をさえぎっているあいだに、彼はそれがなんであるかを理解する――デルゴン貴族の呼びかけだ!
しかし、思考波スクリーンはどうしたのだ? なかば酔ったような状態で考えているうちに、理性がいつもの支配力を回復する。おれはもう宇宙空間にいるのではない――すくなくとも、おれが知っている宇宙ではない。あの新奇な表現しがたい感情は、一種の加速度だったのだ――だから、あの感覚は速度が一定になったとき消滅したのだ。加速度――速度――何へのだ? どこへのだ? わからない。おれが知っている宇宙の外へ出たことは確かだ。時間は理解できないほど歪《ひず》んでいる。事物はかならずしもおなじみの法則にしたがっていない。思考はどうだ? QX――思考はサブ・エーテルの中で作用するから、おそらく影響されていないだろう。しかし、思考波スクリーン発生器は物質だから、作用しないかもしれない――事実、作用していない。ウォーゼルもバン・バスカークもおれも、スクリーンは必要ないが、ほかの者たちはかわいそうに……。
彼は部下たちを見やった。彼らは――士官もふくめてすべてが――宇宙服を脱ぎ捨て、武器を投げだし、ふたたび気密室へ向かって突進している。キニスンは苦しげに罵りながら彼らのあとを追う。ヴェランシア人も巨大なオランダ系バレリア人も、気密室へはいる。そこを抜けて、ほとんど目に見えない宇宙チューブに出る。チューブの床《ゆか》は比較的固い物質でできている。空気は重く感じられる。水のように、というより水銀のように濃厚だ。しかし、呼吸はできる。QX。ボスコーンの船にはいり、通路を抜けて一つの部屋に出る。前にキニスンが描写したのとまったく同じような拷問室だ。そら、やつらがいる。十人だ。ドラゴンに似た爬虫人《はちゅうじん》、デルゴン貴族!
彼らは、その空気ではない、空気であるはずがない濃厚な媒質《ばいしつ》の中で、のろのろ無器用に動いている。十人ばかりの首に鎖がスロー・モーションの映画のように投げられ、自分を失った十人の男たちは、無抵抗のまま、いたましい運命に引きこまれる。いまやグレー・レンズマンの罵りは苦しげではない――彼は痛烈なのろいの言葉とともにデラメーターを引き抜いて放射する――一度、二度、三度。効果がない――それはわかっているが、やってみないわけにはいかない。彼は狂気のようにとびかかる。彼の指はデルゴン貴族ののどを引き裂こうとしてつかみかかるが、相手ののどにはからみつかないで通り抜けてしまう。爬虫人の半月形の尾ははげしく振りまわされてレンズマンのスクリーン、宇宙服、胸を通過するように見えるが、なんの感触もない。レンズマンは思考の衝撃を放射する。彼がこの技術を身につけて以来放射したうちでもっとも破壊的な衝撃だ。しかし効果はない――デルゴン貴族自身が強力な知力の持ち主なので、キニスンが知力をふりしぼっても、殺すことはおろか、動揺させることさえできないのだ。
キニスンは後退して考える。この平面か次元に共通な、何かの基盤または物質があるにちがいない。さもなければ、彼らがここにいるはずがない。たとえば甲板は、敵にとってと同様、彼にとっても強固だ。彼はわきの壁に手を伸ばしてみる――壁はそこにない。しかし鎖は拷問されている部下たちを固定しており、デルゴン貴族はその鎖を握っている。ナイフも棍棒もその他の拷問道具も、奇妙な緩慢《かんまん》さで扱われている。
考えるより行動することだ。彼は前へとびだして槌《つち》をつかみ、力いっぱい振りまわそうとする。が、愕然《がくぜん》として手をとめる。槌はまったく動かないのだ! というより、動くには動くが、まるでパテの中で扱っているように、のろのろ動くだけなのだ! 彼は槌の柄《え》をはなして突きもどすが、また愕然とする。それは、彼のはじめのはげしい動作のはずみで、こっちへ倒れつづけるのだ――倒れつづけて彼をわきへはねとばした!
質量だ! 慣性だ! あの物質の比重はプラチナの百倍もあるにちがいない!
「バス!」彼は自分を見つめているバレリア人に思考を伝達する。「この棍棒を一本取れ――小さいやつだ。でかいのはきみでも振りまわせん――そしてやっつけるんだ!」
思考を伝達しながら、彼はまたとびつく。こんどは小さな細身《ほそみ》のナイフで、外科用の小刀くらいしかないが、長く鋭い刃を持っている。太身《ふとみ》の剣十本くらいの重さがあるが、なんとか振りまわせる。彼はそれを振りまわしながら、はげしく突進する。腕いっぱいの一振《ひとふ》り――鋭い刃が防護板をつけた筋ばったのどを貫く――無気味な顔がいっぽうへただよい、恐ろしい胴体が他方へただよう!
つづいてバスカークとウォーゼルの波状攻撃! デルゴン貴族たちはこれから何が起こるかを知る。彼らは奴隷たちに命じて厄介者《やっかいもの》を片づけさせようとする。グレー・レンズマンは、狂暴だが武装していない奴隷《どれい》たちの一斉攻撃《いっせいこうげき》を受け、その下に埋まってしまう。
「こいつらを追っぱらってくれ、ウォーゼル」キニスンはうったえる。「きみは、こいつら全部を相手にできるくらいがっちりしてる――ぼくはそうはいかん。バスとぼくがデルゴン貴族どもを片付けるから、そのあいだ、こいつらにじゃまさせんでくれないか?」そこでウォーゼルは、いわれたとおりにする。
バン・バスカークはキニスンの忠告をばかにして、目にはいったうちでもっとも大きな棍棒をつかむが、すごすご手をひっこめる――橋げたを振りまわすほうがまだましだ! 彼はついに、ちっぽけな棒を選ぶ。直径一インチ長さ六フィートたらずのものだが、それでさえ彼がこれまでに振りまわしたいかなる宇宙斧より重い。
こうして武装したふたりは敢然《かんぜん》として戦いはじめる。地球人はナイフで、バレリア人は魔法の杖で。デルゴン貴族たちは死生の決闘が避けられないのを知ると、やはり武器をつかんで追いつめられたねずみのように死にもの狂いで戦う。しかし、その結果、ウォーゼルは監視の義務からも解放される。怪物どもは自分を守るのに精いっぱいになったからだ。彼は鎖のはしをつかみ、六フィートの尾を拷問台にしっかり巻きつけてふんばりながら、猛烈な攻撃を開始する。
この勇猛な三人は、かつてデルゴン貴族の魔手をのがれた唯一《ゆいいつ》の銀河文明人であるが、かくして、ふたたび肩をならべて戦うこととなった。中でも本領《ほんりょう》を発揮しているのは、バン・バスカークだ。彼は地球の三倍の重力とビスコース(繊維素を化学処理した粘質物の水溶液)のように濃厚な空気に慣れている。この空気は濃いには濃いが、地球人が好む真空のように稀薄な空気よりはるかに味がいい。力を出すにはもってこいだ。そこで巨大なオランダ人は欣然《きんぜん》として踏みだし、ものすごく重い得物を≪おがら≫のように振りまわす。ガシャッ! ビシッ! ドサッ! この棒は相手のからだにぶつかっても停止しないで通過する。血液、脳髄、頭の破片、切断された手足などが四方八方に飛ぶ。ウォーゼルの致命的な鎖は、自由に動く二十五フィートのからだを≪てこ≫として、その端で振りまわされ、鳴りひびき、うなりをあげながら爬虫人《はちゅうじん》の肉を通過する。キニスンはふたりの仲間にくらべれば問題にらないほど小さかったが、彼は自分の技倆《ぎりょう》を発揮できるような武器を選んだ。彼の鋭利なナイフは突き刺し、切り裂き、かきむしる。
かくして、デルゴン貴族たちは、死を与えるかわりにそれを与えられたのだ。
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一六 超宇宙へ
殺戮《さつりく》は終わった。キニスンは制御盤《せいぎょばん》のそばへ行く。だいたい標準型だが、目新しい装置がいくつかある。それを慎重に調べ、知覚力で導線をずっとたどった後、スイッチに触れる。それから三本の棒ピストンをつぎつぎに引き抜く。
耳ざわりな「ドサッ!」という音がして、前に経験した不可解な不快感がくり返される。その感覚が消えると、二隻の船は依然《いぜん》として結合したまま、ふたたびおなじみの宇宙空間に横たわっていた。
「ドーントレス号にもどれ」キニスンは簡潔に命令する。乗組員たちは殺されたパトロールマンのからだを運んでもどる。拷問によって十人死んでいた。ほかの十二人は、デルゴン貴族の知的衝撃または物理的打撃を受けて死んでいた。死体を地球へ持ち帰る以外、処置のしようがない。
「あの船はどうします――焼いちまいましょうか、え?」バン・バスカークがたずねる。
「火曜日にはいかん――そんなことをすれば、こっちが科学大学に火あぶりにされちまうよ」キニスンは答えた。「このまま運んで行くんだ。ところで、われわれはどこにいるんだい、ウォーゼル? きみや航行士にはもうわかったかね?」
「おそろしく遠くまできたものだ――銀河系のはずれ近くだよ」ウォーゼルが答える。
計算員のひとりが一連の数字を読みあげてつけ加える。
「どうしてあんな短時間にこんな遠くまでこられたのかわかりません」
「どのくらいの時間だった――わかるかね?」キニスンはするどくたずねる。
「もちろん。クロノメーターをみれば……おっ……」男は声をのむ。
「わかるだろう。もしわれわれがおなじみの宇宙からとびだしていたとしても、ちっとも不思議じゃない。超宇宙《ハイパー・スペース》ってやつはそんなぐあいに奇妙なものなんだそうだ。ぼく自身超宇宙については何も知らないが、われわれがしばらくその中にいたということは確かだ。それだけで充分さ」
ドーントレス号は全速力で地球へ帰投した。最高基地では、科学者たちがボスコーンの船にむらがり、分解し、組み立て、測定し、分析し、試験し、協議する。
「彼らはある程度、謎をといたが、きみが大事なことを見おとしたといっているぜ」ソーンダイクはある日、友人のキニスンにいった。「カーディンジじいさんは、例の渦動かトンネルか正体不明のものについてのきみの報告があいまいだというので、猫鷲みたいにいらだっている。彼は、きみがもっとも単純な基礎的事実さえ理解できないのは、あわれむべきであるというようなことをいっているよ。きみをつかまえたら、ビーム放射器で灰にしてしまいたいほどだとさ」
「よかろう。オーケストラでは、全員が第一バイオリニストというわけにはいかん。中にはトロンボーンを吹く者も必要なんじゃ」キニスンは学者口調でいう。「ぼくはできるだけのことはしたんだ――聞きも見も感じも味わいも嗅《か》ぎもできないことを、正確に報告しようがあるかい? だが、彼らは二種の物質の相互滲透性《そうごしんとうせい》という例の問題を解決したそうじゃないか。真相はどういうことなんだい?」
「カーディンジにいわせると、簡単なことだそうだ。そうかもしれんが、わたしは技術屋で、数学者じゃない。わたしに理解できたかぎりでは、デルゴン貴族どもはある種の振動によって処理されるか条件づけられるかしたのだ。それで、船と地上ステーションが発生する力場の複合作用のもとにすべての物質が旋回して、ほとんど空間の外へ出てしまったのだ。正確にいえば、空間の外へ出たというより、ほとんど一八〇度|位相《いそう》が転換《てんかん》してしまったのだ。そういうわけで、二種の物体が――そのいっぽうは、そうした処理を受けていないわれわれだが――知覚できるほどの抵抗もなく、同時に空間を占めることができたのだ。きみは船の発生器を切ったが、あのようにしてどちらかの力が失われれば、歪《ひず》みが回復するのだ」
「あれはそれ以上の効果があったよ――渦動《かどう》を破壊したんだ……だが、もしかすると」レンズマンは考えながらつづける。「あの特定の力が、地上ステーションの発生器に対応して適当な場所で作用すれば、渦動を発生させられるということも大いにありうる。しかし、あの重い物体は物質の二つの平面または位相に共通だったが、あれはどういうわけだい?」
「合成物質だそうだ。彼らはいま、その研究をしているところさ」
「内報を感謝するよ。ぼくは行かなきゃならん――ヘインズ閣下に面会だ。そのあとでカーディンジに会って、いいたいことをいわせよう」レンズマンは空港司令官のオフィスに向かって歩きだした。
ヘインズは機嫌《きげん》よく彼をむかえたが、若者の目に――不穏《ふおん》な色を見てとると、まじめな顔になった。
「QX」彼はあきらめたようにいう。「例の問題をまたむし返す必要があるというなら、いってしまうんだな、キム」
「二十二名のりっぱな男たちです」キニスンはきびしい声でいう。「わたしが彼らを殺したのです。直接ではないにしても、殺したという点では、宇宙斧で頭をぶちわったのと同じことです」
「そういうかたよった見方をするなら、ある意味ではそうだ」キニスンが驚いたことに、老人はキニスンの言葉を承認した。「もっと広い目で見ろというようなことはいわん。いっても、きみにはできんだろうからな――すくなくともいまのところは。確かに、きみがひとりでできる仕事はあるし、ものによっては協力者がないほうが、うまくできることもあるだろう。わしはそういう種類の任務ならどんなに危険でも、きみがひとりで出かけるのに反対したことはないし、これからも反対はせん。それがきみの仕事であり、これからもそうなのだ。きみが感情に負けて忘れているのは、パトロール隊がもっとも大事だということだ。パトロール隊は、それを構成するどんな人間やグループの生命よりもはるかに重要なのだ」
「それはわかっていますが」キニスンはいい返す。「しかしわたしは……」
「それにしてはおかしな表現をしたな」司令官はさえぎっていう。「きみは自分が二十二人の部下を殺したといった。さしあたりそれを認めるとしても、きみはどっちがパトロール隊にとってよかったと思うかね――あのりっぱな二十二人の男を失っても、作戦を成功させたほうがよかったか、それとも、なんの情報や利益もなしに、ひとりの独立レンズマンを失ったほうがよかったか?」
「それは……わたしは……もしそのような見地からすれば……」キニスンは、まだ自分が正しいと信じていたが、ヘインズのような見地からすれば、答えはおのずとあきらかだった。
「それが唯一の見地だ」老人はきっぱり答える。「力《りき》みすぎたり、涙っぽくなったりする必要はない。さあ、一レンズマンとして判断した場合、きみはあの超空間渦動をひとりで横断するのと、完全装備のドーントレス号を指揮して横断するのと、どちらがいいと思うかね?」
キニスンの顔は蒼白で緊張した。空港司令官に、うそをいうわけにはいかない。かといって真実を告げることもできない。あの残虐な拷問で死んでいった部下たちの苦悶は、いまだに心をしめつけているのだ。
「しかし、わたしは部下にあんな死を命ずることはできません」彼はついに叫ぶ。
「命令しなければならんのだ」ヘインズは厳格に答える。「ドーントレス号をあのまま連れていくか、さもなければ志願者を募《つの》るかどちらかだ――志願者を募ればどういうことになるか、わかっているだろう」
キニスンは、わかりすぎるほどわかっている。二隻のブリタニア号の乗組員の生存者も、ドーントレス号の現乗組員も、基地に属する他のすべての船の乗組員も、基地内のほとんどすべての者が――さらにヘインズその人、レーシー、フォン・ホーヘンドルフさえ、このような使命と直接にはなんの関係のない者までが――志願するだろう。だれも彼もが、あとに残されることを欲しないだろう。それぞれが、なんとか理由をつけて同行しようとすることだろう。
「QX。閣下の勝ちです」キニスンはしぶしぶ認めた。「ですが、わたしには徹頭徹尾《てっとうてつび》望ましくありません」
「わかるよ、キム」ヘインズは手を若者の肩にかけて、ぐっと握った。「われわれはみんな、そうせざるをえないのだ。これはわれわれの義務なのだ。しかし、パトロール隊が傭兵《ようへい》や徴兵《ちょうへい》の集団ではないということは、片時《かたとき》も忘れてはならない。この任務におもむけば、デルゴン貴族の拷問室で死ぬ危険があるとしても、そうすることで非戦闘員の男女や子どもたちが拷問され虐殺《ぎゃくさつ》されることを防げると知れば、パトロール隊員のだれもが、きみ自身と同様に敢然《かんぜん》として死地におもむくことだろう」
キニスンは黙然《もくねん》として空港へもどって行った。どこかまちがっているところがある。おれにはそんなことはできない……。
「待ちたまえ、お若いの!」はげしい、いらだたしげな声がした。「きみをさがしとったんだ。きみたちは、例の『超空間渦動』というあいまいな名称で呼ばれている場所へ、いつ出発するつもりだね?」
キニスンがはっとして瞑想《めいそう》からさめると、目の前にオースティン・カーディンジ卿が立っている。キニスンは、この怒りっぽくて口の悪い人物を見るたびに、ひよこを養っている気の立っためんどりを連想した。
「やあ、オースティン卿! あした――十五時です。しかし、なぜですか?」キニスンは心を奪われていることが多すぎて、この気むずかしい数学者にしかるべき敬意をはらうことさえ忘れていた。
「わしもきみに同行する必要があるとわかったからさ。だが、そいつは、はなはだ都合がわるい。学会は火曜日に開かれる。あのあほうのウェインガードのやつは……」
「なんですって?」キニスンは叫んだ。「だれが、あなたも同行する必要があるなんていいました? それに、あなたにそんなことができますか?」
「ばかをいっちゃいかんよ、お若いの!」短気な科学者は答えた。「きみがあんな失敗をやらかしたからには、だれか頭のしっかりした者が同行する必要があるということは、きみの貧弱な頭脳にもわかるはずだ。きみがあのきわめて重要な現象について、もっとも基礎的なベクトル・テンソル解析さえ報告できなかったということは、弁解の余地《よち》があるまいが……」
「待ってください、オースティン卿!」キニスンは相手の長広舌《ちょうこうぜつ》をさえぎった。「あなたは、あのいまいましい現象の数学的研究のためだけに同行なさると……?」
「研究のため≪だけ≫だと!」老人は髪をひきむしらんばかりにして叫ぶ。「まぬけ――あほう! 神よ、なぜこんな貧弱な頭脳を持った人間が生きていることを許されるのですか? キニスン、きみはあの渦動の中に、科学におけるもっとも重大な問題の一つを解決する鍵《かぎ》がひそんでいるということさえわからんのか?」
「思いもよりませんでした」キニスンは老人の激怒《げきど》にびくともしないで答える。彼は例の科学者協議会で何週間もこういう経験をしてきたのだ。
「わしはぜひ行かねばならんのだ」オースティン卿はまだ舌端《ぜったん》を鈍《にぶ》らさなかったが、激情はいくらかおさまってきた。「わしはあの力場のパターン、相互作用、反作用などを自分で分析する必要があるのだ。きみも経験したように、素人《しろうと》の観測は無益だ。これは貴重なチャンスだ――おそらく唯一《ゆいいつ》のチャンスだろう。このデータは完全で正確でなければならんのだから、わしは自分で行かざるをえないのだ。そのくらいのことは、きみにもわかるだろうが?」
「わかりません。こんどの航行では、全員が死神と同行するようなものだということを聞かれませんでしたか?」
「ばかばかしい! わしはこんどの探検を、すべての面から厳密に統計的に分析した。船が、わしのデータといっしょに帰還する可能性は、ゼロよりはるかに大きい――そうだ、事実上〇・一九もあるのだ」
「ですが、オースティン卿」キニスンはしんぼうづよく説得する。「あなたには、渦動の向こうにある発生器を研究する時間などありませんよ。もし相手がそういうチャンスを与えるつもりになったとしてもね。われわれの目的は、その発生装置全体を宇宙から消滅させることにあるのですから」
「もちろん――わかっているさ! 発生装置そのものは重要ではない。力場自体の分析だけが望みなのだ。ベクトル――テンソル――受容機構の作用――エーテルおよびサブ・エーテル減少――波及《はきゅう》――消滅《しょうめつ》――位相《いそう》角度――何百というそうした事項についての完全で正確なデータ――それを一つ欠いても、致命《ちめい》的なのだ。しかし、この資料があれば、エネルギー化の機構は単なる枝葉末節《しようまっせつ》の問題になる――完全な解決と設計は不可欠《ふかけつ》だ――わかりきったことなのだ」
「なるほど」レンズマンは相手の連続攻撃にいささかたじたじとなった。「船はもどるかもしれませんが、あなたご自身はどうなると思います?」
「それがどうしたというのだ?」カーディンジはじれったそうにいう。「理論的にありうることだが、もしわれわれの通信が不可能だとしても、わしのノートがもどる可能性は大いにある――まったく大いにある。きみにはわからんようだな、お若いの。そのデータは科学にとって≪必要≫なのだ。わしはきみに同行せねばならんのだ」
キニスンは驚いてこの小男を見おろした。これは彼が想像もしなかったことだ。カーディンジが科学的天才だということはわかっていた。彼が異常な頭脳の持ち主《ぬし》だということは疑いもなかった。しかし、彼が肉体的に勇敢だということは、思いもよらなかった。これは単なる勇気ではない、とレンズマンは考えた。何かもっと大きなものだ――もっとすぐれたものだ。勇気を超越したものだ。まったく自己を捨てて科学に献身《けんしん》しているので、肉体的な幸福とか生命そのものさえ、考慮の余地がないのだ。
「では、このデータは、あなたやぼくをふくめて四百人以上の生命を犠牲《ぎせい》にするだけの価値のあるものだとお考えですか?」キニスンは真剣にたずねた。
「もちろんだ。その百倍の人命をかける価値さえある」カーディンジは、腹だたしげに答えた。「だから、さっきいっただろうか? こんどのことは、貴重なチャンスで、ことによると唯一のチャンスかもしれんとな」
「QX、同行してください」そしてキニスンはドーントレス号の中へはいって行った。
彼はベッドにはいりながら思い迷った。ヘインズの言葉は正しかったのかもしれない。目をさましてからも、まだ迷っていた。おそらく、おれはうぬぼれすぎているのだろう。ヘインズがほのめかしたように、えせヒロイズムにとりつかれているのだろう。
彼はあたりを歩きまわる。二隻の宇宙船はまだ結合している。二隻はいっしょに航行して、あの恐るべきトンネルへはいるのだ。万事ぬかりがないように気をつけねばならない。
彼は士官室にはいる。ひとりの若い士官がピアノを調子よくひき、十人ばかりがにぎやかな歌で空気を振動させている。この部屋では形式ばったことはなにもなく、「そのまま」というような号令も不必要だ。全員が快活に、なんの遠慮もなく指揮官をとりまく。そのにぎやかな騒ぎはあきらかに強制されたものでもなく、見せかけでもない。
キニスンは歩きつづける。「あれはどういうわけなんだ?」と自問する。ヘインズは部下を死地におもむかせることを罪とは考えていない。カーディンジはもっとわるい――彼はレンズマンと自分自身をふくめて四万人の人間を、まばたきさえせずに殺してしまうだろう。この部下たちも一言の不平もいわない。彼らの仲間はデルゴン貴族に殺され、デルゴン貴族も殺された。五分五分だ――QX。次はおれたちの番か? それがどうしたというのだ? キニスン自身は死にたくなかった――生きつづけたかった――しかし、もし自分の番がきたら、いさぎよく死ぬまでだ。
これはなぜだろう。抽象的《ちゅうしょうてき》観念のために生命をすすんで捨てるというのは? 科学、パトロール隊、文明――おそろしく恩知らずな情婦たちだ。なぜか? なにかの内なる力――思慮、理性、分析などを受けつけない、なにかの補償なのか?
いずれにせよ、彼自身もそのような感情を持っている。なぜ他人にそれをこばむのか? いったい、なにをくよくよしているのか? 「たぶん、おれがあほうなんだ」彼はそう結論して、発進の命令をくだした。
発進――そしてあの恐るべき超空間チューブを発見し通過するのだ。その向こうはしには、なにがひそんでいるだろうか?
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一七 |超空間チューブ《ハイパー・スペイシアル》を通過して
開放された宇宙空間で、キニスンは全乗組員を招集し、彼らがこれから直面しようとしていることについて、できるかぎり正確に説明した。
「このボスコーン船が自動的に船台にもどることは確かだ」彼は結論としていった。「着陸用船台は一隻分しかないだろうが、ドーントレス号は無重力状態を保持するから、その点は問題はない。ボスコーン船には、もちろん要員を配置しない。着陸船台にもどって力場が解除されたとき、どんなことが起こるかわからないからだ。その効果は、船内の異質な未処理の物質には破壊的であるかもしれない。着陸の際、何かの信号が与えられることは確かだが、その信号がどんなものか知る手段はない。オースティン卿の指摘によると、ボスコーン船の発生器が切られるまでは、船と基地とのあいだに連絡がとれるはずがないということだ。
そのときは、われわれも超空間にはいっているはずだから、ボスコーン船の発生器は船内で切る必要があることはあきらかだ。電気や機械による中継は不可能だ。したがって、ふたりの要員が交互にボスコーン船の制御室で見張りについていて、いざというときにスイッチを切ることが必要だ。ぼくはこのような任務をだれかに命ずるつもりもないし、志願者を募るつもりもない。その任務にあたった者が即死をまぬかれるためには――その可能性はあきらかに存在するが、確率はそれほど大きくない――この船へ駆けもどってくる速度が決定的に重要だ。この船の要員の中でもっとも足の速い者がふたりその任務につけば、パトロール隊にとってもっとも有益と思われる。そこでいま、ボスコーン船の制御盤からこの船の気密室までのスピード・テストを行なうことにする」
これは、キニスンが自分でその任務をひき受けるための計略だった。彼は自分が乗組員の中でもっとも足が速いことを知っていた。そして事実、それを証明してみせた。彼はその距離を他の乗組員より半秒速い、七秒フラットで駆け抜けたのだ。ところが――。
「よし、きみたちのろまのちびどもが這い這い遊びをおえたら、わきへ寄って、ほんとうに足の速い者に駆けさせてくれ」バン・バスカークがどなった。「さあ、ウォーゼル、どうやら仕事にありつけそうだぜ」
「おい、きみたちはだめだ!」キニスンはあわてて抗議した。「ぼくはこの船の乗組員と限定したのだ」
「いや、ちがいますよ」バレリア人はいい返した。「あなたは『この船の要員のうちふたり』っておっしゃいました。ウォーゼルとわたしが要員でなければなんだというんです? オースティン卿にきめていただきましょうよ」
「疑いもなく、きみたちふたりは『要員』だ」審判者は装置を組み立てていた手をちょっと休めて判定をくだした。「スピードが最高の要求だと、きみがいったことも確かなのだ」
そこで、翼のはえたヴェランシア人は、きめられた距離を二秒で飛び、またのたくった。そして巨大なオランダ系バレリア人は三秒で駆けきったのだ。
「でかのわからず屋のバレリア猿!」キニスンは腹だたしげに思考を伝達《でんたつ》する。探検隊長が部下に呼びかける調子ではなく、憤慨《ふんがい》した友人が友人に向かってどなりつける調子だ。
「ぼくがこの仕事を自分でやりたいのがわかってやがるくせに――いまいましいやつだ!」
「わたしだってやりたいんでさあ、地球生まれのおちびさん。ウォーゼルだってそうなんだ」バン・バスカークも同じ調子でやり返す。「おまけに、そのほうがパトロール隊にとって有益なんです――あなたが自分でいったようにね! 半分は自業自得ですぜ!」彼は歯をむきだして笑いながら、重い棍棒を軽々《かるがる》と振りまわして大またに歩き去った。
渦動が起こった宇宙空間への航行は、予定どおりに行なわれた。スイッチがもとへもどされ、ボスコーン船の組織の大部分は別の位相に移動する。ドーントレス号の乗組員は想像を絶するベクトルに沿って不愉快な加速度を経験し、見なれた宇宙空間は消滅して、捕捉《ほそく》しがたい灰色のもやがあたりをつつむ。
オースティン卿はいまや本領《ほんりょう》を発揮しつつある。事実、彼は有頂天《うちょうてん》になって観測し、記録し、計算している。計器類の上で、くすくす笑い、何か難解な知識が獲得されるたびに、勝ち誇ったような叫び声をあげる。テープに重要な結論や長ったらしい等式を記録するたびに、得意げに歩きまわり、満足げにテープを見やり、のどをごろごろ鳴らさんばかりだった。それらの結論や等式はいずれも、科学者協議会のメンバーでなければ漠然《ばくぜん》とした意味さえつかめないような、ものすごい数字で表現されているのだ。
オースティン・カーディンジは仕事を完了した。そして、その貴重な記録が無事に≪科学≫の手に帰するように、すべての手を打った後、自分の身づくろいをしはじめた。キニスンは考えた。この人は老《お》いぼれためんどりというよりは、やせこけた灰色の牡猫に似ている。たったいまカナリヤを食ってほおひげをもったいらしくなでつけながら、こんどの会合で仲間の猫たちに報告することを空想して、すっかり悦《えつ》に入っているのだ。
時が過ぎていく。長時間か? 短時間か? そんなことがだれにわかろう? 超空間《ハイパー・スペース》か、中間空間《インター・スペース》か、擬似空間《プシュドー・スペース》か、とにかく、この幻想的な領域では、時間という概念は未知のものであり、また知ることが本質的に不可能なのだから、それに対するどんな基準が存在しえようか?
いずれにせよ、時間は過ぎていく。二隻の船は敵の基地に到達し、着陸信号が与えられた。そのとき当直に立っていたウォーゼルは、それがなんであるかを理解した――彼の頭脳をもってすれば、当然のことだった。彼はスイッチを切るなり、これまでに経験のないような速度で飛び、かつ、のたくって、ドーントレス号にひき返しながら、思考を投射《とうしゃ》した。
ヴェランシア人が異様な減速度の不快感に耐えながら、希薄化する空気を突破しているあいだ、グレー・レンズマンも不快感をこらえて、周囲に展開する無気味な光景を見つめていた。
彼らが実体化しつつある場所は、黒い火成岩が平滑《へいかつ》にひろがった一種の着陸場の上空だった。一個は熱くて近く、一個は青白くて遠い二個の太陽が、空気のない世界に特有のまっくらな影を投げかけていた。距離が離れているので小さく見えるが、それでも巨大でけわしい火口壁がそそりたち、その火口の床《ゆか》に一個の要塞が横たわっている。
しかもなんという要塞だ。新しくて荒削りだ……しかし、強力な兵器を備えている。典型的なボスコーン式管制ドームがあり、船台には強力な戦艦が横たわっている。そしてドーントレス号の側の方には、一つの動力発生装置がある。次元移行を可能ならしめた不可思議な力は、そこで発生させられているにちがいない。しかし、レンズマンが半分も期待していなかったような有利な要素もある。例の超強力防御機構は、外部からの攻撃に対して抵抗できるようにつくられているだけで、内部からの攻撃には抵抗できないのだ。パトロール隊が超空間チューブを通して防御機構の内部に突入してこようとは、思いもよらなかったのだ!
キニスンは、そのドームを攻撃しても無益だということを知っている。主放射器をもってすれば、そのスクリーンを破壊することはできるだろうが、ドーム全体を壊滅するだけのエネルギーはないから、主放射器を使用するわけにはいかない。しかし、敵は完全に不意をつかれたので、こちらには充分、時間の余裕《よゆう》がある――すくなくとも一分、おそらくもっとあるだろう――そのあいだに、ドーントレス号は敵に多大の損害を与えることができる。第一の攻撃目標は動力発生装置だ。ドーントレス号がここまでやってきたのは、まさにそれを破壊するためなのだ。
「副放射器、任意放射!」キニスンはマイクロフォンに向かって叫ぶ。彼はすでに司令盤につき、他の全乗組員も戦闘配置をとっている。「二七・三〇八へとどく放射器はすべてこれを攻撃せよ――強襲。他の放射器は任意の目標を攻撃せよ」
動力発生所をねらい射ちできる放射器は多数あったが、そのすべてがいっせいに火を吹いた。建物は一瞬、白熱地獄の中に浮きあがって見えたが、たちまちぐにゃぐにゃと陥没《かんぼつ》した。その上部はまばゆい蒸気となって吹きとび、下部は融《と》けた金属の流れとなって流動した。恐るべきビームはいよいよ深く貫き、建物の基礎も、地下室も、構造材も巨大な機械も、火口の黒曜石《こくようせき》の床といっしょに溶解《ようかい》して、泡だち沸きかえる溶岩の湖となった。
「QX――上出来だ!」キニスンは叫ぶ。「ビームを分散しろ――手あたりしだいに攻撃するのだ!」次にチーフ・パイロットのヘンダスンに向かっていう。「ヘン、ちょっと上昇して、射手たちがもっとよく見えるようにしてやってくれ。すぐにも脱出できるようにしておくのだ。いつ危険が迫るかもしれんからな!」
与えられた時間は短いが、ドーントレス号は迅速に行動する。放射は断続的に行なわれているのではない。放射レバーは全開されて、そこに固定されているのだ。若い射撃主たちはきびしい顔でプレートを見つめている。鋭い目は盤上に交差する細い線に吸いつけられ、がっちり固定された左右の手は、加減抵抗器にかるく接触しただけでそれを回転させている。彼らは、パトロール隊の超戦艦の下方や周囲に、死と破壊の模様をまぶしく交錯《こうさく》させている強烈なビームを、気力によっていっそう強化しようとするかのように身をかがめている。
敵船――ボスコーンの最強力戦艦――は不意を打たれた。乗組員がまったくいない船もあり、半分しかいない船もあった。パトロール隊の急襲を迎え撃てる船は一隻もない。容赦のないビームはくり返して彼らを貫く。船の形は消滅し、なかば溶解《ようかい》した金属塊をとどめるばかりになる。格納庫《かくのうこ》も機械工場も補給倉庫も、同じ運命に見舞われる。要塞の三分の一以上が、もうもうと発煙する瓦礫《がれき》の山と化したのだ。
しかしやがて、敵の地上放射器が非常な困難を排して、一基また一基と大胆不敵《だいたんふてき》な襲撃者に向けられる。ドーントレス号の強力な防御スクリーンは、いよいよまぶしく熱せられる。第一次防御スクリーンは、ボスコーンの放射器の強烈なエネルギーによって破壊される。第二次防御スクリーンはいっそうはなやかな花火のような色彩を呈《てい》し、ついにその強力なエネルギー源さえ圧倒《あっとう》される――防御スクリーンのところどころが、メドン式発生器や送波器の能力の限界まで過熱され、破壊しはじめる。
「粉砕されないうちに脱出したほうがよさそうだぜ、ヘン――すぐにな」キニスンはパイロットに指示する。「それも、のろくさ行けっていうんじゃない――エーテルに穴をあけて見せてくれ」
ヘンダスンの指は制御盤の上を走り、キーをつぎつぎに最大限までロックしていく。ドーントレス号のジェットから、敵のビームにはげしく抵抗しているスクリーンの輝きをさえ薄れさせるようなエネルギーの噴射がつぎつぎにひらめき、巨大なパトロール船の姿は、ボスコーンの観測員の視野から消えてしまう。
ドーントレス号が全速力で脱出した以上、追跡される危険はほとんどなかった。ドーントレス号は宇宙でもっとも大きく、もっとも重装備であるばかりでなく、もっとも快速の宇宙船だったからだ。
銀河系間空間に出ると――もう安全だった――それが合図のように、制御室では軍紀がゆるめられ、全員がおさえていた感情を爆発させた。キニスンは宇宙服を脱ぎ捨て、憤慨《ふんがい》するカーディンジをつかまえて、きりきりまいさせた。
「ひとりの損失もない――ひとりも!」彼は歓喜して叫ぶ。
彼はもうのんびりとしてるヘンダスンを制御盤からひき離して、取っ組み合いをやるが、バン・バスカークが自分の背中にぴしゃりと一撃くわそうとするのを見て、ひらりと体をかわす。こういうばか騒ぎも、無慣性状態の中ではほとんど反動がない。こうして緊張が解消されると、元気いっぱいの若者たちはまた平静にもどる。
敵の基地は銀河系の外側にあることがわかった。キニスンはそれが第二銀河系の中にあるのではないかと気づかっていたが、そうではなくて、第一銀河系からそう遠くない星団の中だった。したがって、最高基地への航行にはたいして時間がかからなかった。
オースティン・カーディンジ卿は、これまでよりもっとうぬぼれ屋の牡猫然として記録をまとめ、自分が持ってきた装置の格納について、助手たちに綿密な指示を与えた後、もったいぶったようすでドーントレス号を出て行った。しかし、心の中では、彼のいわゆる学者仲間、とくに例のがまんならない青二才、なまいきなウェインガードをやっつけてやる場面を想像して、舌なめずりしているにちがいなかった……。
「以上のとおりであります」キニスンはヘインズへの報告をむすんだ。「すくなくともあの基地は壊滅的打撃をこうむりました。やつらが再建する前に、完全に掃蕩《そうとう》できます。もしあのような基地がさらに一つ二つあったとしても、もう処理の方法はわかっています。わたし自分の仕事にもどったほうがいいと思いますが、いかがでしょう?」
「おそらくそうだろう」ヘインズはしばらく考えてからつづけた。「助手を使ったほうがいいかね、それともひとりのほうがいいかね?」
「わたしもそのことを考えてきました。麻薬組織は上へいくほど手ごわくなっていますから、ウォーゼルをわたしの快速艇の中に待機《たいき》させておいて、いつでも駆けつけられるようにしておくのはわるくない案だと思います。彼は精神的にも肉体的にも、ひとりで一部隊分の能力がありますからね。QX?」
「いいとも」
こうして、優秀船ドーントレス号はふたたび宇宙空間に突入し、こんどは惑星ボロバへ向かった。ドーントレス号の荷物は、スマートな黒い快速艇と、よごれてでこぼこになった採鉱艇で、乗客は蛇のようなヴェランシア人と、がっちりした地球人だった。
「きみはいささかたいくつな目にあうかもしれないぜ、兄弟」キニスンは、友人の尾の高く突きでたひれに無造作《むぞうさ》によりかかりながらいう。ヴェランシア人は奇妙な柄のついた目を四、五本ねじむけて彼を見つめる。このふたりにとって、おたがいの外見は不快でも奇怪でもない。彼らはもっとも信頼のおける友人同士なのだ。「彼はおそろしくおかしな格好をしているが、それだけ非凡だともいえる」どちらも相手のことを、自分の同族にそういって自慢するのだった。
「そんなことはない」ヴェランシア人は皮質の翼をさっとひろげ、尾をわきにふりまわして、たわむれに地球人のバランスを失わせようとするが、うまくいかない。「将来きみが真に思考することを学べばわかるだろうが、二、三週間孤独で、だれにもじゃまされずに思考にふけれるということは、めったにない機会なのだ。任務につきながらそのような機会を持てるのは、なおさらうれしいことだ」
「きみはときどき、人をかつぐんじゃないかといつも思っていたんだが、いまそれが確かだとわかったよ」キニスンは信用できないようにやり返した。「思考は目的への手段だ――そうあるべきだ――それ自身が目的じゃない。だが、きみがそれをすばらしい時間だというのなら、きみにそういう時間を提供できるのはうれしいよ」
惑星からはるかに離れた宇宙空間で、ドーントレス号の探知器の最大限まで他の宇宙船がいないことを確かめた後、彼らは慎重に離船し、キニスンはまた坑夫休息所へ着陸した。こんどは、ばか騒ぎをやらかすためではない。他の坑夫たちもばか騒ぎはやっていない。アステロイド全体が、遠方のトレッシリア星系で発見されたすばらしく豊富な鉱区に関する噂《うわさ》でもちきりなのだ。
キニスンは、そういう噂が流れているだろうということを前もって知っていた。なぜなら、そうした価値のある隕石《いんせき》は彼自身が指示しておかせたものだったからだ。トレッシリア第三惑星には、グレー・レンズマンがぜひ交渉を持ちたい地区監督がいるのだ。隕石坑夫ビル・ウィリアムスがボロバを去ってトレッシリアへ行くには、単なる口実ではなく、確固たる理由が必要であった。
富の誘惑は、つねに酒や麻薬の誘惑よりも強い。隕石坑夫たちはばか騒ぎにやってきたのだが、そんなことはそっちのけにして、大急ぎで仕度をととのえ、新しいクロンダイク(十九世紀末カナダ西北部で発見されて有名なゴールド・ラッシュをもたらした金鉱区)へ出かけて行った。このようなことは異常な現象ではない。こうしたラッシュはしばしば起こるのだ。だから、ストロングハートも手先《てさき》たちも、それをたいして気にとめなかった。坑夫たちはもどってくるだろう。そしてそのあいだに多量の鉱石で利益があがり、おまけに採鉱資材のべらぼうな値あがりでももうかるというものだ。
「あんたもかい、ビル?」ストロングハートは驚きもせずにたずねた。
「おれは宇宙全体に公言するぜ!」キニスンは即座《そくざ》に答える。「あそこにいい鉱石がありさえすりゃあ、きっとおれが見つけてみせるからな」この公言は、から威張《いばり》ではない。明白な真実を告げているだけだ。いまではもうどこの太陽系の隕石ベルトでも知れわたっていることだが、アルデバラン第二惑星のワイルド・ビル・ウィリアムスは、価値のある隕石《いんせき》がありさえすれば、かならずそれを発見できる男なのだ。
「どじを踏んだら戻ってきなよ、ビル」酒場の経営者はすすめる。「どっちにしても、飲めるだけかせいだら、戻ってくることさ」
「戻るとも、ストロングハート。きっと戻るぜ」レンズマンはあいそよく答える。「おれはあんたの店が好きだからな」
こうして、キニスンはトレッシリアのアステロイド・ベルトへ出かけ、ビル・ウィリアムスは豊富な鉱石を発見する。もっと正確にいえば、彼はそのきわめて貴重な鉱石を艇から宇宙へぶちまけて、それをまた回収したのだ――その鉱石は、キニスンが前に発見した例の宝物をもとにして製造されたものだ。もちろん、その発見が行なわれるのは、第一日目でもなく、第一週でもない――いくらワイルド・ビルでも、あまり早く発見するのでは、怪しまれる――かなり日数がたった後のことである。
彼がトレッシリアで発見する鉱石は、運まかせで採集されるものより、はるかに価値のあるものでなければならない。なぜなら、地区監督のエドマンド・クラウニンシールドは、坑夫休息所のようなけちな店に住んでいるのではないからだ。彼は上流社会の客だけを相手にしている。隕石坑夫のようなくずは、店のドアをはいることを許されないのだ。
前にキニスンがボロバの宇宙客船のバーゲンホルムを修理したことは、まったく偶然にこんどの計画の地ならしをすることになった。いまや彼はその情況を利用して行動することにした。例の事件はボロバ社会で喧伝《けんでん》されて、ワイルド・ビル・ウィリアムスはかつて紳士だったということが広く知れわたった。もし彼がひと山あてれば――ほんとうに大きくあてれば――これまで通いなれたけちな魔窟を見捨てて、クラウニンシールドが経営するクラウン・オン・シールドのような豪華な悪徳の宮殿をひいきにすることは、きわめて当然ではないか?
やがて、キニスンは例の隕石を「発見」する。どんな坑夫でも、それほど大きくて価値のある鉱石を手に入れれば、どろぼうのような鉱石仲買人のところへは行かずに、パトロール隊の鉱石買入所へ持って行くだろう。彼は採集した鉱石を全部公正な価格で引き取ってもらう。そして夢想だにしなかったような金ができると、ウィリアム・ウィリアムスは、そのあだ名の原因となったワイルド(むちゃな)な豪遊に出かける前に、目に見えてためらう。ためらったあと、見ている者にはっきりわかるようなしぐさで気を変える。
彼は前に紳士だったので、また紳士になる気を起こしたのだ。彼は髪を刈り、毎日ひげをそる。マニキュア師は彼の隕石坑夫らしくタコのできた手にしみこんだよごれを掘りおこし、こすり落とす。爪はピンクでつややかになる。彼は服をあつらえる。アルデバランの紳士が身につける礼装用の短ズボン、円筒型のえりをした上着、だぶだぶしたオーバーなど。彼はそれらをしっくりと着こなす。やがて酒場に出入りしはじめる。しかし、もう最上等の酒しか飲まない。それも上品に、そして――彼にしては――ひかえめに飲むのだ。彼は厳密にはしらふでいることはめったにないが、へべれけになることは一度もない。低級な娯楽場へ行くことは避け、最上のホテルに住んで、最上の酒場だけを訪れる。最上の酒場といっても、クラウン・オン・シールドだけは例外だ。彼はそこへ行かないばかりでなく、そこについて話したり論じたりもしない。そこは彼にとって存在しないも同然なのだ。
ときとして、魅力のある女性を夕食や劇場へ案内する――なんと礼儀正しいことだ――しかしふつうはひとりでいる。ひとりでいるのが好みなのだ。超然としてかまえている。おそらくあまり自信がないのだろう。ここの「上流社会」には多数の社交サークルがあるが、彼はそのどれから誘われても拒絶《きょぜつ》する。彼は来たるべきものを待っているのだ。
クラウニンシールドの手先が、彼をクラウン・オン・シールドへ招待しにくる。その数はしだいにふえ、階級もしだいに上の者がくるようになるが、彼は簡潔にきっぱりと、なんの理由も告げずに、全部ことわってしまう。彼がクラウニンシールドのところでしようとしていることがことだけに、そこを訪問するのは自分の意志ではないということを、だれにもはっきり印象づける必要があるのだ。ついにクラウニンシールド自身が、さも偶然といったように前隕石坑夫と顔を合わせる。
「あなたはなぜ、わたしの店へいらっしゃらないのですかな、ミスター・ウィリアムス?」彼はあいそよくたずねる。
「行きたくないからです」キニスンは短くきっぱり答える。
「だが、どういうわけです?」ボスコーンの支配人は、こんどはほんとうに驚いてきき返す。「噂になっていますよ――クラウンへは≪あらゆる≫方がいらっしゃるのです!――あなたがなぜうちの店をのぞくことさえなさらんのか、みんな不思議がっていますぞ」
「あなたはわたしをご存知でしょう?」レンズマンの声は平静である。
「知っていますとも。かつてアルデバランにおられた、ウィリアム・ウィリアムス氏でしょうが」
「ちがいます。隕石坑夫のワイルド・ビル・ウィリアムスです。クラウン・オン・シールドは、わたしのような職業の人間にお引き立てを願ったりしないと自慢していらっしゃる。もしわたしがあそこへ行けば、だれかばかなやつが、隕石坑夫のことをあてこすりしはじめるでしょう。そうすれば、そいつの死体を床《ゆか》から片づけることになり、わたしはパトロール隊に快速艇で追いかけられるはめになる。いずれにしてもありがとう。しかし、そういう目にあうのはごめんですよ」
「おお、それだけの理由ですか?」クラウニンシールドは、ほっとしたように微笑する。「ごもっともな誤解ですな、ミスター・ウィリアムス。しかし、あなたは、まったくまちがっていらっしゃる。われわれの社交界では現役《げんえき》の隕石坑夫を歓迎しないのは事実ですが、あなたはもう坑夫ではいらっしゃらない。われわれは他人の過去を問うことはしません。あなたをアルデバランの紳士として歓迎します。また、あなたがおっしゃったような事件は起こるはずもないが、もし起こったとしても、あなたは何もなさる必要はありません。そんな野暮《やぼ》な客は、わたしのほうでつまみだしてしまいますよ」
「そういうことでしたら、あなたのところでいささか楽しむことにしましょう。毛並みのいい人たちとつきあうのは久しぶりですな」彼は感じのいい率直さでいう。
「では、ボーイにあなたのお荷物を運ばせましょう」こうしてグレー・レンズマンは麻薬業者《ズウィルニク》に説きつけられた形で、自分が宇宙でもっとも行きたい場所を訪問する。
キニスンは新しい環境の中で、最高の礼儀と丁重さで扱われるが、その外見にあざむかれはしない。彼らは坑夫休息所の麻薬業者《ズウィルニク》たちほど露骨《ろこつ》ではないにしても、それと同様に効果的に彼を点検するだろう。彼らはそうしないわけにはいかない――ここは地区司令部なのだ。はじめ彼はシオナイトをかがされることを警戒したが、幹部たちは鼻に抗シオナイト栓をつけていないので、彼もその必要はなさそうだった。
ある晩、ひとりの娘が彼に近づく――若くてきれいで快活な娘だ。指のあいだに赤紫色の粉末をつまんでいる。グレー・レンズマンは、それがシオナイトでないことを知っているが、ウィリアム・ウィリアムスとしては知らないふりをする。
「シオナイトをちょっぴりおかぎなさいな、ミスター・ウィリアムス!」彼女はあだっぽくすすめて、粉末を彼の顔に吹きつけそうにする。
ウィリアムスはとっさに奇妙《きみょう》な行動に出る。驚くべき速さで身をかわすなり、手のひらで娘のほおをひっぱたいたのだ。力いっぱい打ったのではない――実際よりずっと強烈そうに見え、音もそのようにひびいたのだが――彼女を部屋の向こうへすっとばしたほんとうの力は衝撃のあとの押しだった。
「なにをしやがる? ここで女をあんなぐあいにひっぱたいちゃいけないんだぜ!」用心棒のチーフが駆けつけた。
こんどはレンズマンはパンチを手かげんしなかった。彼はかかとから指先まで、からだのあらゆる部分で攻撃した。そのすさまじい打撃で、用心棒は文字どおりトンボがえりをうって、部屋の半分くらいをすっとび、どさっと壁にぶつかった。当たりどころがわるかったので、犠牲者は殺されはしなかったが、何時間も意識を回復しまいと思われるほど完全に気絶してしまった。
他の用心棒たちも突進したが、はっと立ちすくんだ。ウィリアムスは逃げだすどころか、あとずさりさえしていない。彼はかかとを落としてゆったりと立ち、ひざをごくかすかに曲げて両腕をだらりとたらしている。目は、彼がよく知っている鉄隕石のように鋭くひややかだ。
「やい、麻薬業者《ズウィルニク》、まだおれに色目を使うつもりか?」彼の言葉で部屋じゅうの者が息をのむ。
「ズウィルニク」という言葉は、こうしたサークルでは、単なるけんか言葉よりずっとわるい言葉なのだ。それは完全な禁句《タブー》で、どんな場合にもけっして口にしてはならないのだ。
しかし、なんの乱闘も起こらない。はじめ用心棒たちが立ちどまったのは、相手が傲然《ごうぜん》と厚かましくかまえていたせいだが、いまや彼らは一つのことに気づき、もう一つのことを思い出した。その二つを組合わせて考えたとたん、彼らは釘づけにされたようになった。
デラメーターの隠し場所としては、アルデバラン第二惑星で用いられている丸首型の礼装用上着以上に適当な衣裳はあるまい。しかも――。
ミスター・ウィリアム・ウィリアムスは、鋼鉄のスプリングのような反発力をひめて静かに立っている。部屋の男たちの中には武装しているものが少なくないということを知っているはずなのに、自信たっぷり、底の知れないようすで彼ら全体をあざけっているかのようだ。この男は隕石坑夫のワイルド・ビル・ウィリアムスでもあり、二挺のデラメーターをあつかわせたら、かつて宇宙を横行した無法者たちのうちで、もっとも速く、もっとも正確な使い手なのだ!
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一八 娯楽場クラウン・オン・シールド
エドマンド・クラウニンシールドはオフィスにすわって静かに熟考《じゅくこう》していた。このカロニア人の全身をおおう青味は、現在の気分によっていっそう深まって見えた。彼は前坑夫がスパイであるかどうかを知ろうとして、にせのシオナイトでかまをかけたのだが、その計画はまずい結果をもたらした。彼は小惑星ユーフロジーヌから、あの男はスパイではない――ありえない――という報告を受け取っていたが、その結論は、いまのテストによって充分すぎるほど確認された。急いで対策を考えて、なんとかあの男をなだめないと、上客を失ってしまう。これはまったく失いたくない客だ。なにしろ、捨てる金を二十五万信用単位以上持っていて、アルコールやベントラムの誘惑に長いこと耐えられそうもない男なのだ! だが、いまいましい男だ。どういうつもりでインデュライト製のトランクなんか持っていて、おまけに、いちばん腕のいい錠前師でもあけられない錠をつけていやがるんだ?
「おはいり」彼はノックに答えてもの静かにいった。「ああ、おまえか! どんなぐあいだ?」
「ひっぱたかれたジャニスは、けがはありません。手型さえついていません――突きとばされて、びっくりしただけです。しかし、クロビスはひどくやられました。まだ気絶しています――一時間は息をふきかえさないだろうって医者がいっています。まったくひどくやられたもんで! まるで大ハンマーでぶんなぐられたみたいです」
「あの男が武装しているのは確かか?」
「そうにちがいありません。型どおりガン・ファイターの身がまえです。やつは実際に武装してるんで、はったりじゃないと思います。われわれが部屋いっぱいいるのを、はったりでおどしあげられるような人間はいっこありません。やつは、こちとらが銃を一挺も抜かないうちにひとり残らず煙にしちまえるといばっています。やつのいうことにまちがいはないでしょう」
「QX。さがってよい。そして、ウィリアムスだけをここへよこせ」
そこで前坑夫が次の訪問者になった。
「わたしが立ち去る前にお会いになりたいということですな、クラウニンシールド」キニスンはすっかり身支度をととのえて、長いオーバーまではおって、手にはトランクをさげている。これはアルデバラン人が極度《きょくど》に憤慨した証拠だ。
「そうです、ミスター・ウィリアムス。わたしは店のために弁解したいのです。しかし」クラウニンシールドは、いくらか不機嫌な調子でいう。「あなたは、すくなくともあの無邪気ないたずらに対して、反応がひどすぎたようですな」
「いたずらですと!」アルデバラン人の声は、はなはだ非友好的だ。「わたしにとって、シオナイトはいたずらではすみません。ニトロラーブやヘロイン、小量のベントラムなどをときどき服用するのはいいものですが、シオナイトを持って近づく者があれば、断固として撃退します。それは、だれに知られてもはずかしくないことです」
「おっしゃるとおりです。しかし、あれはシオナイトではなかったのです――われわれは、あの麻薬を絶対に持ちこませません――それに、ミス・カーターはまだごく若い娘で……」
「あれがシオナイトでないということがどうしてわたしにわかります?」ウィリアムスは問い返す。「それから、ミス・カーターのことですが、わたしは女性がレディーらしくふるまうかぎり、その人をレディーらしくあつかいます。しかし、麻薬業者《ズウィルニク》のようにふるまう女性があれば……」
「やめてください、ミスター・ウィリアムス……!」
「その女性を麻薬業者《ズウィルニク》としてあつかうまでです」
「ミスター・ウィリアムス、やめてください! その言葉だけは!」
「そうですかな? おそらく、この惑星特有の禁句なんでしょうが?」前坑夫の憤慨は好奇心に変じた。「そうおっしゃられれば、わたしはここへきてから、その言葉を聞いたおぼえがありませんな。そういう言葉を使った失礼はおわびします」
いや、これは思ったよりよかった。クラウニンシールドはほっとする。この大きなアルデバラン人は、シオナイトを見たことさえなくて、それをひどくこわがっているのだ。
「では、あとの問題は、あなたがこの静かなホテルで武器を身につけているという異常な事実だけですな……」
「わたしが武装しているなどと、だれがいいました?」キニスンは反問する。
「いや……わたしは……そうだということなので……」ホテルの経営者は口ごもる。
訪問者はオーバーを脱ぎ捨て、上着をぬぐ。透明なシャツをすかして、毛深い胸とたくましい肩のなめらかなブロンズ色の皮膚がはっきり見える。彼はトランクのそばへあゆみよって、その錠をあけ、ホルスターにおさまった二挺のデラメーターを取りだす。そしてそれを身につけると、上着とオーバーを着こむ――こんどはオーバーの前を開いたままだ――肩を二、三度すくめて、腰の武器をほどよい位置におちつけた後、またホテル経営者をふりむく。
「ここへ来てからこの武器を身につけたのはこれがはじめてです」彼は静かにいう。「しかし、そういう評判をとった以上、これからはまったく公然と武装します。もっとも、ここにいるのももう何分もないでしょうがね。わたしはあなたの許可を得て、引きあげることにします」
「いや、いけません、それは困ります」クラウニンシールドは、この有望な客にひらあやまりにあやまらんばかりだ。「あなたに行かれては、店がさびれてしまいます。まちがいはとかく起こりがちなものです――惑星固有の偏見とか――娯楽とか……ほんとうにおなじみになるまで、もうすこし時間を与えてください……」そして、そういうことになった。
キニスンは、とうとうがまんして滞在することにする。しかし、真のアルデバラン人らしい強情さを発揮して、武器を身につけつづけ、そうするただ一つの理由を人々に宣言する。「アルデバランの紳士は、どんなことがあっても自分の言葉を守るのです。わたしはここにいるかぎり武器を身につけると断言しました。ですから、そうせねばならないのです。いつでも喜んでここを立ち去りますが、ここにいるかぎりは、一分のすきもなく武装しているつもりです」
事実、彼はそのとおりにした。しかし、一度もその武器を引き抜かず、つねにあらゆる点で紳士らしくふるまった。けれども、麻薬業者《ズウィルニク》たちは、その恐るべき強力な携帯用放射器が彼の手もとにある――いつもそこにあって、いつでも放射できるようになっている――という事実をつねに意識して不安をおぼえた。彼ら自身も危険な武器を身につけていたが、そんなことはたいして気やすめにならなかった。
キニスンはいつも行儀《ぎょうぎ》がよかったが、しだいにうちとけてきた。しだいに多く飲むようになった――すくなくとも買うようになった。前から少量のベントラムを服用していたが、いまや自制力を失ったかのように、しだいに服用量がふえていった。彼自身をのぞけば、だれも気づかないことだったが、例の重要な会合の時期が近づくにつれて、彼はいよいよ多く酒を飲み、いよいよ多くベントラムを服用するようになった。
こうしてまったく偶然のように、例の会合がその夕方開かれるという日の午後、いつもは静かに紳士らしく酒を飲んでいるウィリアムスが、やかましいばか騒ぎをはじめた。そしてそれがクライマックスに達したとき、二十四単位のベントラムを要求した――そして手に入れた。それは彼がかつて堕落《だらく》した坑夫時代に服用した限界量で、クラウニンシールドもそのことを知っていた。彼はウィリアムスにそのとほうもない量のベントラムを与え、服をぬがせたうえで、絹のシーツにおおわれたやわらかなマットレスの上にそっと寝かし、それきり彼のことを忘れてしまった。
会合がはじまる前、妨害や探知の原因となりそうなあらゆるものが点検されたが、飲みつぶれ麻薬びたりになったウィリアムスに対しては、だれも疑念を向けなかった。それも当然ではないか?
こうして、グレー・レンズマンは小惑星ユーフロジーヌでやったのと同様に、ひそかに、また巧妙に、この会合に出席することになった。しかしこんどは、報告、記録、命令、指示などを読むのに前より長くかかった。これは単なる支部的会合ではなく、区域的会合だったからだ。けれど、レンズマンには充分な時間があり、おまけに心の読みが速かった。そして助手のウォーゼルは、彼が送るデータを、それに負けない速さでテープに記録することができるのだ。そういうわけで、会合が終わったとき、キニスンはすっかり満足していた。これでもう一つ鎖の環《わ》をふやしたのだ――彼の目標であるボスコーンへもう一段接近したのだ。
キニスンはよろめかずに歩けるようになるとすぐ、ホテルの経営者をさがした。彼はひどく恥じいって困惑しているが、依然として――あるいはふたたび――アルデバランの紳士である。彼は決心している。アルデバランの紳士は体面を重んじるものだ。
「ミスター・クラウニンシールド、わたしは第一に、自分があなたの歓待を裏切ったことを心から謝罪いたします」娘をなぐり倒したことや、用心棒を半殺しにしたことでは、自己卑下を感じないが、紳士たるものはどれほど泥酔《でいすい》しても、さっきのような醜態を示すようなことは許されない。あのような行為は弁解の余地がないのだ。「わたしは、自己の行為を弁護したり軽減したりする言葉がありません。わたしにいえるのは、あなたがわたしに退去を命ずる手数をはぶくために、自分から立ち去るということだけです」
「おお、ミスター・ウィリアムス、そんな必要はまったくありません。だれでもときには、はめをはずすものです。事実、あなたは少しも非礼を働いたわけではありません。あなたが立ち去るなどとは、思いもよらないことです」確かにクラウニンシールドには思いもよらないことだ。レンズマンがあのばか騒ぎのあいだに投じた一万信用単位のためならば、あれより千倍もわるい行為をしても許されるべきだ。しかし、クラウニンシールドは、そんなことはおくびにも出さない。
「かばっていただくのはありがたいのですが、わたしは自分の行動を思い出すと赤面に耐えません」アルデバラン人は断固として答える。彼をなだめることはできそうもない。「ほかのお客たちにあわす顔がありません。わたしはまだ自分が紳士になれると思いますが、それが確かになるまでは――紳士らしく酔えるとわかるまでは――名前を変えて姿を消すつもりです。もっと気持よくお目にかかれる日までお別れしましょう」
何ものをもってしても、頑固なウィリアムスの気を変えさせることはできない。彼は五信用単位のチップをまき散らしながら立ち去って行く。しかしそう遠くへは行かない。慎重にクラウニンシールドに説明しておいたように、ウィリアム・ウィリアムスは姿を消す――キニスンは彼が二度と姿を現わさないことを期待する。もう彼にはすっかり用がなくなったのだ――しかし、グレー・レンズマンはウォーゼルと連絡をとる。
「ありがとう、兄弟」キニスンはヴェランシア人の節《ふし》くれだった固い手の一つを握りしめる。もっとも、ウォーゼルにとっては、その奇妙な人間式ゼスチュアはたいして意味がない。「成功だ。これからしばらくはきみに用がないが、そのうちに用ができるだろう。うまくデータが手にはいったら、いつものようにレンズで連絡するから、記録にとってくれ――こんどは記録装置を身につけていくのがなおさらむずかしくなると思う。データが手にはいらなくても、とにかくきみに連絡する。別な計画をたてるのを手伝ってほしいのだ。あばよ、でかいの!」
「幸福を祈るよ、キニスン」こうしてふたりのレンズマンは別々の道を選ぶ。ウォーゼルは最高基地へ、地球人は長い航行へ。彼はボスコーンの銀河系監督が銀河系自体ではなく、ある星団の中にいることを知ったが、それを意外とはしなかった。また、彼が求めている相手がジャルトという名のカロニア人だという事実も意外ではなかった。ボスコーンは非常に論理的なやつだ――これが最良の方法と見きわめをつけたら、それを徹底的に採用するのだ。
キニスンのこの判断はまちがっていた。その後まもなくボスコーンが召集されて、まさにその問題が真剣にとことんまで論議されたのだ。
「カロニア人がすぐれた管理者だということはわかります」ボスコーンの新任の第九席は論じた。「彼らは強靭《きょうじん》な心を持ち、着々《ちゃくちゃく》と成果をあげています。しかしながら、彼らがわれわれアイヒ族に匹敵《ひってき》するとはいえません。アイヒランはヘルマスを更迭《こうてつ》することを考えていましたが、実行を延ばしているうちに、手おくれになってしまったのです」
「考慮すべき要素が多々ある」首席は重々しく答えた。「あの惑星は温血の酸素呼吸者以外には居住不可能だ。基地はそのように建設され、要員はすべてそのような生物である。あの基地の建設には数年を要した。われわれのだれかがひとりであそこへ行っても、熱と大気から絶縁された形では充分に働くことができまい。もしドーム全体をこちらに都合のよい状態にすれば、まったく新しい要員を訓練して配置しなければならぬ。しかも、カロニア人は現在の仕事に充分習熟している。きみと、きみの能力には当然の敬意を表するが、しかし、アイヒランが、あのときヘルマスの基地を指揮していたとしても、基地を救えたかどうかはけっして確かではない。ヘルマスの更迭がおくれたのは、アイヒラン自身にもその点に疑問があったことが大きく影響しているのだ。結局、能率の問題になるが、あるカロニア人はりっぱに能率をあげている。ジャルトはそのひとりだ。監督の選択についてわし自身の目の高さを誇っているように見えるかもしれないが、惑星ブロンセカにいるカロニア人監督プレリンを見たまえ。彼はこれまでのところ、パトロール隊の進出をくいとめているように思われる」
「『思われる』というのでは、含みが多すぎて安心できません」相手は気むずかしくいった。
「そういう可能性はつねに存在する」首席は認めた。「だが、あのレンズマンは、行動するチャンスがあれば、いつでも行動に出てきた。われわれのもっとも鋭敏な観測員をもってしても、彼の行動の痕跡《こんせき》はどこにも発見できない。ただし、われわれの同盟者であるデルゴン人の実験的超空間チューブの破壊は例外である。われわれの中には、はじめからあの実験が無謀で未熟だと考えていた者もいる。パトロール隊があのチューブを破壊したのは、まだまったく仮定上の存在にすぎない超人的な一レンズマンの行動というよりは、有能な数人の物理学者の行動によるものと思われる。したがって、プレリンが例のレンズマンをくいとめていると判断するのは論理的であろう。観測員の報告によれば、パトロール隊は確証なしに違法な行動に出ることを避けている。しかして彼らはなんらの証拠もつかむことができないのである。営業は妨害されているが、ジャルトはできるかぎり急速に再組織化を進めつつある」
「しかし、わたしは銀河系基地を再建してアイヒ族要員を配置すべきであると考えます」第九席は主張した。「あの基地はあの銀河系に残された唯一《ゆいいつ》の大司令部であり、平和的征服の頭脳であると同時に、新しい軍事組織の中核《ちゅうかく》でありますから、不必要な危険にさらされるべきではありません」
「もちろんきみは、すすんでその枢要《すうよう》な基地の指揮をとり、ドームにアイヒ族の要員を配置して、パトロール隊に後援されたレンズマンと対決するのだろうな――もし彼が来たとすればだ?」
「いや……それは……そんなことはありません」第九席はかろうじていった。「わたしはここにいたほうが、はるかに役にたつのです……」
「われわれもみんなそう思っているのだ」首席は皮肉にいった。「わし自身この惑星上でならその仮定レンズマンと喜んで対決するが、他の惑星上では顔をあわせたいと思わない。しかし、わしは確信している。われわれの組織になんらかの変化を加えることは、それをいちじるしく弱体化させるものである。ジャルトは有能で精力的であり、レンズマンやパトロール隊の侵略に対して、われわれ同様に情報に通じている。われわれは彼の必要とするものを照会し、物資にせよ、兵員にせよ、彼の要求するあらゆるものを提供すべきである。それ以外に情況を改善する手段はないものと考える」
彼らは賛否両様に論じ合い、十ばかりの要点を引きだして投票したが、ここではそれらについてくわしく述べるわけにはいかない。結論は首席を支持した。つまり、必要とあれば物資および兵員をジャルトに送ることになったのだ。
しかし、この問題が提起されるより前に、キニスンの見えもせず探知もされない黒い快速艇は、例の星団深く突入していた。防衛宇宙要塞はヘルマスの基地の場合よりも、はるかに密に配置されている。電磁波探知網は三百パーセントも重複している。エーテルもサブ・エーテルも振動場にみたされていて、探知を避けることは不可能だ。観測員たちは油断《ゆだん》なく警戒している。しかし、それがなんの役にたつのか? 快速艇は非鉄金属で作られ、本質的に探知不可能なのだ。レンズマンは探知網を容易にくぐりぬける。
問題の惑星の夜側の黒いへりに沿って降下しながら、当然予期される思考波スクリーンをさぐってそれを発見する。慎重にそれを通過してから停止し、まる一回転のあいだ観測する。ここはかつて美しい緑色の世界だった。森林があった。かつて知的な都市居住者がいた。彼らは道路、工場、その他の進歩した施設を持っていた。しかし都市は溶解されて溶岩と溶鉱の巨大な湖と化した。もう長年のあいだ冷却して、いまはひびわれ、風雨にさらされてはいるが、キニスンの鋭い知覚力は恐怖の物語を読みとる。征服者たちが、想像もつかぬ狂暴さと無慈悲さで、この惑星の全住民を抹殺《まっさつ》したことは歴然としている。かつて道路や工場だったところは、ぎざぎざした峡谷や火口に変じている。森林はくり返して焼きはらわれた。もっとも巨大な樹木が立っていた場所には、炭化した切り株だけが残っている。ボスコーンの基地を除けば、惑星全体は言語に絶する破壊と荒廃《こうはい》におおわれているのだ。
「いまにむくいがあるぞ」キニスンは歯ぎしりしながらつぶやき、基地に注意を向ける。まったく威圧的な眺めだ。三百平方マイルもの土地が巨大な攻撃防御施設におおわれ、その中央には、それら周囲の施設をさえ小さく見せるほど雄大なドームがそびえている。典型的なボスコーン式配置だ、とキニスンは思う。ヘルマスの総基地に非常に似ている。同じくらい大規模で同じくらい堅固そうだ。いやもっと堅固かもしれない……しかし、あの基地を破壊したのだから、この基地だって破壊できるにちがいない。彼は知覚力を投射して探知し、基地全体がスクリーンでおおわれていることを知るが、驚きはしない。そんなに容易な仕事だとはじめから思っていないのだ!
こんどは直接、要員に働きかけるつもりはないから、ドームの内部へ侵入する必要はない。スクリーンの内側ならどこでもいいのだ。しかしどうやって侵入するか? 基地の周囲の地面は、すべて平らだ。溶岩が冷却したように平らで、その全表面が、まぶしい白色光でおおわれている。もちろん監視員が配置され、もっと始末のわるい光電管もあるだろう。
そうだとすると、空中から接近することも地上から接近することも見込みがない。あとは地下から接近するしかない。彼らは、どこからか水をとっているだろう――たぶん井戸から――また、汚物がどこかへ排出されているだろう。焼却していればべつだが、それはありそうもないことだ。あそこに川がある。主要下水溝がどこかへ注いでいないかどうか調べてみよう。そらあった。それから、宇宙服で飛行してもすぐ行きつけるくらいのところに、快速艇を隠す場所もあった。なめらかな黒い岩がせり出した堤だ。いずれにせよ、艇が発見される危険はまったくない。この惑星に残っている知的生物はボスコーンの要塞に住んでいる連中だけで、彼らはそこから出てこないからだ。
キニスンはまっ黒な探知できない宇宙服をつけ、川に沿って飛んで、下水溝の口に達する。静かな流れの中に身を沈め、下水溝のよどんだ流れをさかのぼって進む。宇宙服の推進器は、水の中では空中や宇宙空間でのように有効ではない。濃厚な媒質の中で、彼のペースはどうしてもおそくなる。しかし急ぐことはない。充分な速度だ――二、三時間のうちに要塞の下へ着いた。
下水溝の幹線は、ここで分岐《ぶんき》してしだいに細くなる。しかし、ドームへ通じるチューブは宇宙服が通れるくらい太い。目的物に充分接近したところで、長いこと使われていないマンホールが見つかった。どの筋肉にも無理な緊張がないように垂直にからだを保った後、必要なだけの時間をそうして過ごすことにする。
こうして彼はドームの研究をはじめる。ヘルマスの基地のドームと似ているところもあるが、まるでちがうところもある。たっぷり同数くらいの放射ステーションがあり、それぞれに操作員がいて、信号がありしだい、現代科学の粋《すい》をつくした強力な破壊力を放射しようとしている。映像プレートや通信機は比較的少なく、内壁沿いの通路も少ないが、個人用のオフィスははるかに多く、ファイルをおさめたキャビネットが幾層にも列をなしている。そのはずだ。ここは、全銀河系におよぶ組織的不法貿易の総司令部なのだ。ヘルマスのと同様なセンター・オフィスがあり、ジャルトが大きなデスクについている。そのデスクの近くには、奇妙な球体のエネルギー・フィールドが輝いている。レンズマンは、もうそれが銀河系間通信機であることを知っている。
「ははあ!」キニスンは声には出さないが、勝ち誇ったように叫ぶ。「この連中のほんとうのボス――ボスコーン――は第二銀河系にいるんだ!」
あの通信装置が活動を開始するまでは、たとえ一ヵ月かかろうと待たねばならない。だが、そのあいだにすることがわんさとある。あのファイル・キャビネットは思考波スクリーンでおおわれていない。あそこには、麻薬組織の最高機密が完全におさめられている。パトロール隊が麻薬組織を百パーセント掃討するために必要な情報を完全に伝達するためには、何日もかかるだろう。
彼はウォーゼルを呼び出し、記録器の用意ができたことを知らされるとすぐ伝達《でんたつ》を開始する。まずブロンセカのプレリンからはじめ、伝達しながら、この人物に関するデータを記憶する。次にスチール・テープに記録されるべき人物は、トレッシリアのクラウニンシールドである。このふたりの地区監督によって支配されている組織に関する情報をすべて伝達してから、他の組織をつぎつぎにとりあげる。
主要な仕事をすませ、基地全体の詳細《しょうさい》な観察をほとんどおえたとき、球体力場の通信機がふいに活動しはじめた。キニスンは、その通信波のだいたいの構成と、宇宙空間における正確な位置を知っているので、傍受《ぼうじゅ》するにはほんの数秒しかかからない。しかし、通信を聞きとるにつれて、レンズマンの失望はふかまった。命令、報告、全般的政策についての討議――それは大規模な商社のふたりの高級幹部同士で行なわれる協議にすぎなかった。それは興味深いものではあったが、レンズマンのほしい情報は何もふくまれていなかった。新しい情報は一つの名前だけだ。しかし、そのアイヒミルというのが何者で、どこにいるのかもわからない。ボスコーンについては一言もいわれない。最後の段階で、はじめて個人的問題がとりあげられた。
「きみからなんの報告もないところをみると、例のレンズマンはその後、前進していないらしいな」アイヒミルは結論した。
「われわれの最良の監視員が探知したかぎりではそうであります」ジャルトは慎重に答えた。キニスンは居心地《いごこち》こそ悪いが、安全なかくれ場所で満足の微笑をもらした。自分のことがごく当然のように「例の」レンズマンと呼ばれたのがひどく虚栄心をくすぐったのだ。ボスコーン人がその言葉を発したとき、ジャルトからほんの二、三百フィートしか離れていないところにいたということで、自分がひどく巧妙で抜け目がないような気がする。「コミノチェでは、二十人ばかりのレンズマンが、まだプレリンの基地に働きかけています。そのうち十二人ばかりは――地球人またはそれに近い連中ですが――反復してもどって来ています。そのうちのひとりがわれわれの求めるレンズマンかもしれませんので、彼らをとくに慎重に点検していますが、まだ決定的な報告はできません」
通信は絶えた。レンズマンの一時的な自己満足は消滅した。
「うまくない」彼はいまいましげにうなる。「なんとかして、やつの心に侵入する必要がある」
どうすればそれができるか? 基地内の人間は、すべて思考波スクリーンをつけて非常に警戒している。犬やその他の愛玩《あいがん》動物はいない。鳥は少しいるが、鳥があちこちとびまわって思考波スクリーン発生器をつついたりしたら、たちまち怪しまれてしまうだろう。ぼんやりした者でも、すっかり真相をさとるにちがいない。おまけのこの連中は、とりわけ抜け目がないのだ。ではどうすればよいのか?
部屋のすみに手ごろなクモがいた。力のいらない仕事ならできるくらい大きいが、ひどく注意をひくほどは大きくない。クモは心を持っているだろうか? この疑問はすぐに解けた。
クモは彼が予期した以上に高等な心を持っていたので、彼は容易にその心に侵入した。クモはほんとうの意味では思考できなかった。そしてそのちっぽけな自我はレンズマンが顔をしかめるほど狂暴だった。しかし、それを補うような長所もあった。比較的わずかな食物の報酬《ほうしゅう》でも喜んでせっせと長時間働くのだ。彼は、もっと高等な知能の動物の場合ほどしっくりと自分の知能をクモの知能と融合させることはできなかったが、なんとかクモをあやつることはできた。すくなくとも、クモは、ある行動をすれば餌《えさ》にありつけるということを理解した。
昆虫の複眼をとおして見るので、部屋もその中の物体もひどくゆがんで見えたが、クモの努力を一方へ向けるに充分なくらいは見わけることができた。クモは天井を這っていき、糸をつたってジャルトのベルトのおりた。クモには動力装置の栓を引っぱることはできなかった――それはジブラルタルの岩みたいにがっちりした、巨大な金属柱に見えた――そこでちょこちょこ走りまわって、発生装置自体の配線網を調べはじめた。クモには装置全体を見わたすことができなかった。そんなことができるには、むこうが大きすぎるからだ。そこでキニスンは自分の手ぐらいしかない装置の第一電極の導線にクモをみちびいた。
導線は糸のように細かったが、昆虫の目には軟金属のワイアをより合わせたケーブルのように見えた。クモの強力なあごは導線を構成する撚《よ》り線の一本をほぐし、止めねじの頭の下からやすやすと引き出した。撚り線は、らくに曲がった。そしてそれが装置の本体の金属にふれたとたん、思考波スクリーンは消滅した。
同時にキニスンは自分の心をジャルトの心にすべりこませ、知識を掘り返しはじめた。アイヒミルは首領だ――キニスンはすでにそのことを知っている。アイヒミルのオフィスは第二銀河系の惑星ジャーヌボンにある。ジャルトはそこに行ったことがある……座標はしかじかで、コースはかくかくである……アイヒミルはボスコーンに報告している……。
レンズマンは緊張した。これは彼の推測が正しかったことを証明する最初の証拠だ――つまり、ボスコーンという人物は実在するのだ! 彼はさらにジャルトの心をさぐる。
ボスコーンは個人ではなく、評議会である……おそらく惑星ジャーヌボンの住民アイヒ族からなっている……冷酷な知性を持つ、おそろしくも名状《めいじょう》しがたい爬虫《はちゅう》怪物の無気味な印象……アイヒミルは、ボスコーンがだれでどこにいるかを知っているにちがいない。ジャルトは知らない。キニスンは調査を終了し、カロニア人の心に侵入したときと同様にこっそりとそれを捨てる。クモはショートしている撚り線を開き、スクリーンをもとにもどす。それからレンズマンは、まずその小さな同盟者をマンホールのカバーのすぐ下にいるうじ虫一家のところへみちびく。レンズマンというものはクモにさえ借りを払うのだ。
そして深い安堵《あんど》のため息をついて、下水溝《げすいこう》を逆もどりする。川への潜水航行も快速艇への飛行も無事に行なわれる。夜になると、その暗やみを貫いてもっと黒い姿が突進する。レンズマンの小型宇宙船だ。快速艇は銀河系宇宙空間へとびだし、地球へ向かう。途中、キニスンは眉をひそめて考えこむ。
多くの情報を手に入れはしたが、充分というにはほど遠い。彼はボスコーンについて、あらゆる情報を手に入れるつもりだった。新しい兵器で武装された銀河文明の無敵艦隊《アルマダ》が麻薬業者《ズウィルニク》の総司令部を攻撃するためには、それが必要なのだ。
うまくない。必要なデータを手に入れるには、惑星ジャーヌボンを偵察しなければなるまい……第二銀河系へ出かけるのだ……ひとりで。ひとりでか? そうでないほうがいい。空飛ぶ蛇《へび》を連れて行ったほうがいい。たのもしいドラゴンだ! この航行はひとりでやるには長すぎるし、行く手には強力な敵が待ちかまえているのだ!
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一九 プレリンの破滅
「きみがどこかへ行くまえに、というより、きみがどこへ行こうと行くまいと、われわれはプレリンのあのブロンセカ基地をたたきたいのだ」ヘインズはきっぱりした口調でキニスンにいった。「あんなぐあいにやつらをのさばらしておくのは、銀河系の恥辱《ちじょく》だ。宇宙じゅうの人間が、パトロール隊は、突如として軟化《なんか》してしまったと考えている。いつになったら、やつらをやっつけさせてくれるのかね? きみは、やつらが現在やっていることを知っているのか?」
「知りません――何をやっているのです?」
「麻薬商売を停止しとるのだ。われわれがきびしく監視しているので、やつらはいかがわしい商売がまるでできない――貨物も通信も司令も何もかもな――で、やつらはブロンセカ支部を完全に閉鎖《へいさ》した。『不利な情況』というわけじゃ。がっちり閉鎖してしまった――電話は切る、通信器は切る、何もかも切ってしまった」
「ふむ……む……そういうことでしたら、攻撃したほうがいいと思います。いずれにしても、損はないでしょう……そのほうがいいかもしれません。ボスコーンに、われわれが戦略的に行きづまったので力ずくで攻撃せざるをえなくなったと思わせるのです」
「きみは気楽にいうね。朝飯《あさめし》まえの仕事だと考えとるんだろうが?」
「もちろんです――いけませんか?」
「やつらのスクリーンの形に気づいたかね?」
「だいたい円筒形です」キニスンは驚いて答える。「もちろん、多量の麻薬をかくしているでしょう。しかしまさか……」
「わしはまさかではないと思う。わしはあの建物を点検している。建ってから十年だ。建築設計や許可は不|都合《つごう》ないが、建物が設計どおりかどうかは、だれにもわからないのだ」
「なんですって!」キニスンはあっけにとられながら、せわしく考えをめぐらす。「そんなことがあるでしょうか? 設計審査員――建築業者――請負人――作業員、みんな知っているでしょう?」
「その審査をやった市の審査員は、そのあとで大きな遺産を受けついだと称して隠退《いんたい》し、それ以来、だれも姿を見せておらん。あの建設に立ち会った建設業者や作業員も、ひとりも居所がわからんのだ。コミノチェはウェンブルスン商会のような大きな組織があるので、市政が弱体だ――その点ではどの市も同じことだがな――なにしろ、ウェンブルスンは自分で保険業を経営し、自分で建築の審査をやり、外部の干渉を許さんのだ。ウェンブルスンは多数の協力者を持っている――そいつらがみんな麻薬業者《ズウィルニク》とはかぎらんがね」
「では閣下は、あの建物が事実上、要塞化されているとお考えですか?」
「まちがいない。だからわれわれは、二ヵ月ばかり前から、市を徐々に、しかし完全に疎開《そかい》させる命令を出したのだ」
「そんなことができますか?」キニスンはいよいよ驚いた。「営業とか――住居とか――たいへんな出費です!」
「戒厳令《かいげんれい》さ――非常の際にはパトロール隊が指揮をとるのだ、きみも知っているようにな。営業は移転したが、大部分は非常にうまくやっている。住民も同様だ――快適な臨時キャンプ、湖や川のへりの小屋などに住んでいるのだ。出費の点は、パトロール隊が損害を補償する。必要とあれば、市全体を再建する費用を出すつもりだ――あのボスコーン基地をほうっておくよりはずっとましだからな」
「なんて騒ぎだ! そんなことは思ってもみませんでしたが、いつもながら閣下のおっしゃるとおりです。やつらもそれを見込んで市内に基地をつくったのでしょう……ですが、やつらはパトロール隊の攻撃に耐えられないことを知っているにちがいありません」
「おそらく、やつらは、われわれが自分で自分の都市を破壊してまで、攻撃することはあるまいと、たかをくくっているのだろう――そうだとすれば、やつらの思いちがいだ。さもなければ、やつらは逃げおくれたのかもしれん」
「やつらの監視員はどうします?」キニスンはたずねる。「ご承知のように、あそこには四人の助手がいます」
「それはまったくきみの問題だ」ヘインズは無関心に答える。「わしが望むのは、あの基地をたたくことだけだ。きみの希望しだいで、監視員を一掃してもいいし、ほっておいて、ボスコーンに報告させてもいい。だが、あの基地はやっつけねばならん――とうにやっつけるべきだったのだ」
「監視員は、ほうっておいたほうがいいでしょう」キニスンは決定する。「われわれはやつらのことを何も知らないことになっていますからね。攻撃には主放射器は使わないでしょうね?」
「使わん。あの建物は営業用としてはかなり大きいが、第一級の基地にするには、まだまだ不充分な大きさだ。副放射器でも、あのビルを土台から焼き払うことができる」
彼は副官を呼んだ。「第十九戦区につないでくれ」そして、ひとりの年配のレンズマンの傷あとだらけの顔が受像盤の上に現われるのを見ると、口をひらいた。
「コミノチェで仕事をはじめてよろしい、パーカー。重戦艦十二隻。重戦車十二台とリモート・コントロールのQ型移動スクリーン五十組。資材と兵員。そして、集められるかぎりの放射器を集めるのだ。必要なら補給してもいい――しかし、市街はできるだけ保存するのだ。わしはドーントレス号で出かける」
彼はいたずらっぽく片|眉《まゆ》をあげて、キニスンを見やった。
「わしはいささか休暇をもらう資格があると思う。出かけて観戦したいのだ」といいわけする。
「ドーントレス号で行けばすぐだ。きみはいっしょにくるひまはないか?」
「あると思います。いくらかランドマーク星雲寄りですから」
ドーントレス号が宇宙空間をつんざいて行くあいだに、ブロンセカでは、付近の十ばかりの太陽系から宇宙艦隊が集結してきた。重戦艦がいる。無格好だが、強大な力をそなえた巨大な空の要塞だ。物資と兵員をのせた輸送船がいる。巨大な貨物船は、そのとほうもない図体《ずうたい》でがっちりした船台をきしませながら停止し、さまざまの貨物を吐きだす。
ヘインズがごくあたりまえのことのように「重」戦車といった戦車はもちろん重いが、移動式スクリーンはいっそう重い。それらは大きくて平らなキャタピラの上に重量が平均的に分配されているので、はげしいひびきをたてながらも、ふつうの地面に一フィートかそこらしか沈まないで、コミノチェの荒涼たる街路に沿って重々しく進んで行く。
現在ボスコーン人たちがどんなことを考えているかは、想像するしかない。彼らはパトロール隊が大挙《たいきょ》して着陸したことを知っているが、それに対してどうすることができようか? はじめレンズマンたちがコミノチェを横行しはじめたときなら、無事に逃げることもできたろうが、当時彼らは自分たちの安全を確信していたので、金をかけて建設した足場を見捨てるにしのびなかったのだ。現在でも、そうすることがぜひ必要にならなければ、見捨てようとはしないだろう。
もちろん、彼らは市街を破壊することはできただろう。しかし、その方法がよさそうだとわかったのは、市の非戦闘員がひそかに脱出してからあとのことだった。現在、無人の境と化した市街を破壊することは、無意味という以上にまずい行動だ。それはやがて非常に必要になるにきまっているエネルギーを浪費することだからである。
そういうわけで、パトロール隊の陸上兵力がはげしい響きをたてながら配置につくあいだ、敵はなんの示威《しい》も行なわなかった。移動式スクリーンが力場の壁で目標の区画を包囲する。やがて放射される強烈なエネルギーから市の他の部分を防護するためだ。重戦車も同様に用意をととのえる。彼らに積まれたビーム放射器は、大きさも威力も戦艦の放射器に匹敵《ひってき》する――この兵器は昔の列車|搭載《とうさい》式沿岸防御砲と、目的や機能が似ているのだ。その戦列のはるか後方に、重武装した戦闘員が、防壁の後方でリモート・コントロール装置にかがみこんでいる。しかし、彼らの位置はそれでも近すぎたということが後に判明したのだ。この防壁は強力な非物質的エネルギー・フィールドと加工可能なかぎりでもっとも耐火性のつよい物質でつくられ、接地装置と超強力冷却装置をそなえた遮壁とからなっている。空中には重戦艦が下部ジェットから炎の巨大な柱を噴射しながら、鈍重そうに静止している。
やがて、ブロンセカの首都コミノチェでは、住民が、かつて予想もしなかったような事態が起こる。無限の宇宙空間で行なわれるはずの戦闘が、商業区の中心で発生したのだ!
空港司令官ヘインズは、この比較的小さな要塞を正規の基地と同様に包囲攻撃することを命じていたが、それは理由のあることだった。彼は遠方の有利な視点から観察しているので、四人のボスコーン監視員が、これから起こることを完全に記録し報告する任務をおびて観戦していることを知っていたが、彼らの報告が完全で決定的なものとなることを望んでいた。ボスコーンとは何者でどこにいるのかわからなかったが、彼はボスコーンに、銀河パトロール隊が事をはじめたら、それを徹底的にやりとげるということを知らせたかったのだ。
また、銀河文明の擁護者《ようごしゃ》は、敵の基地が都市の中にあって、それを破壊するには市民の財産に重大な損害を与えることがさけられないからといって、それを大目《おおめ》に見るものではない、ということも知らせたかったのだ。事実、空港司令官は、ことさらそうした報告をボスコーンに送らせる目的で、実際に必要な兵力の三倍もの兵力を集結したのだ。
命令一下、一千もの強力きわまるエネルギーの矢がいっせいにほとばしる。石材、煉瓦、鋼鉄、ガラス、クロミウムの装飾などが一瞬に消滅し、あるいは閃光を発する蒸気となってとび散り、あるいはまぶしい液体と化して流れ落ちる。それらが消滅するとともに、ボスコーンの防御スクリーンの、目もくらむほど白熱した表面が露出する。
その防壁は総力をあげて展開され、空中の重戦艦と地上の重戦車の激烈きわまる放射にさえ耐える。エネルギーは振動する急流をなして反射し、まぶしい吹き流しのようになびき、電光さながらに地上に投射される。
しかも、この巧妙に変装した要塞は、防御一方に設計されているのではない。防御者はブロンセカで営業をつづける最後の希望も絶えたことを知るや、憎むべきパトロール隊に思いきり犠牲を払わせようと決意をかため、自分たちのビームを放射する。五本のビームが同時に放射され、移動式スクリーンの五つのパネルが瞬時に目もくらむような紫色に加熱される。これはヘインズが予期していた旧式な比較的弱いビームではない。最新式の宇宙用放射器から放射されたビームなのだ!
防御スクリーンが破壊されると、またたくまに重戦車も一掃された。破壊的なビームはつづいてリモート・コントロール・ステーションをまっしぐらにひき裂く。そして石材と鋼鉄の巨大なビルを貫く。ビルの上階はくずれ落ち、まもなく消滅する。
「スクリーン制御ステーションはすべて後退! 急げ!」ヘインズは、てきぱき命令した。「攻撃をかわしつつ後退。敵放射器の有効距離外に出るまでは、スクリーンを自動防御展開。スパイ光線要員! 放射を指示する敵観測員の位置を発見せよ!」
三組か四組のスクリーン制御《せいぎょ》ステーション要員が敵のビームのえじきになったが、大部分の要員は脱出して後退し、生命と装置を救うことができた。しかし、どれほど後退しても、ボスコーンのビームは依然としてしつこくつけまわし、彼らを殺戮《さつりく》しようとした。彼らの遮蔽フィールドは白熱し、耐火壁は、冷却器が恐るべき荷重に耐えて過稼動するにつれて、青白い光を発して振動した。操作員たちはからだをこわばらせ、耐熱服の中でむし焼きにされそうになりながら、手のとどかない目から汗をふり落としつつ、いよいよ心を励まして、自分自身と自分の装置を操作し、はげしい罵りの言葉を吐きながらも、熱気にあふれた大都会の中で宇宙戦を遂行するのだった!
そしてパトロール隊のいまや部分的に破壊されたスクリーンの囲いの中では、いたるところで一瞬ごとに、いよいよはげしい破壊がくりひろげられている。付近のビルが一瞬にして炎と化する。それらが防火建築だということはなんの意味もなさない。その内部の空気の温度は一瞬のうちに有機物質の発火点よりはるか上に達し、家具でもじゅうたんでも垂れ幕でも、そこに残されたすべてのものを狂暴にくいつくしてしまうのだ。そのような偶然の燃料がなくても、空気自体がすさまじく膨張するので、窓ガラスや壁の煉瓦を外側へ吹きとばしてしまうのだ。しかも、ガラスや煉瓦は落下していくうちに姿を消す。それらは落下しながら融合し、ふたたび散乱して、地獄の中心のもっとも熱い部分から降りそそぐ恐るべき雨のように、破滅的な狂熱のるつぼを落下していくのだ。そしてこの想像を絶する強烈で破壊的な洪水の中で、地面そのものも、金属の舗装も、摩天楼《まてんろう》の強固な土台も、まるで砂糖のかたまりが熱いコーヒーに溶けるように溶け去ってしまう。溶解してくずれ落ち、目もくらむような奔流《ほんりゅう》をなして流れ去る。上部構造は分解し、個々の部分は名状しがたい狂熱の流れに落下して溶けこんでいくのだ。
移動式スクリーンのパネルは、ますます破壊される。それらは「ウェンブルスン要塞」が装備しているほど強力な放射器に耐えるように設計されたものではないのだ。ボスコーン人はそれらをつぎつぎに破壊して、その後方のリモート・コントロール装置操作員を攻撃する。彼らが退避するキャタピラ・トラクターを追跡するにつれて、ブロンセカの首都の市街が、いたるところで切りとられて炎上する。
「重戦艦降下せよ!」ヘインズは命令する。「艦のスクリーンが接地するほど低くするのだ。損傷は問題ではない――あのビームをくいとめねば、全市が焼き払われてしまう。要塞を包囲せよ!」
重戦艦は輪になって降下した。強力な防御スクリーンはたがいに交差し、ついにその先端が地面にくいこむ。こうなればキャタピラ・トラクターも移動スクリーン操作員も安全である。プレリンの兵器は強力ではあるが、重戦艦のスクリーンを破壊することはできないのだ。
いまや焦熱地獄《しょうねつじごく》は、いやがうえにもすさまじくなる。スクリーンの壁は強固なので、その狂暴なエネルギーの唯一のはけ口は上方だけだ。その狂熱にくわえて、戦艦の下部ジェットが火をふいている――それだけでも、けっしてあなどれない破壊力なのだ!
こうして、スクリーンの壁の内側はまったく焦熱のるつぼと化した。包囲の線上には、重戦艦の強烈なジェットが噴射している。スクリーンの下方のはけ口というはけ口からは、超過熱された空気がふきだし、可燃性のあらゆる物質を瞬時に炎上させる。しかし、防火活動は不可能だ――すくなくともいまのところは。外側の、さっき破壊されたところで燃えつづけている火については可能だが、このスクリーンの付近のような情況で生命を維持できるように設計された個人用耐熱服は存在しない。
「要塞の下の地面を焼却せよ!」命令が発せられた。「ひっくり返すのだ――溶かし去ってしまうのだ!」
ボスコーンの白熱したスクリーンにエネルギーを消費していた四十本のビームが、鋭く下方に向けられる。かつて舗道だった溶岩の湖にそそぎかけられる。この湖はすでに煮え返り沸き返って、ときどきゆらめく炎を吹きあげていたが、いまやそれ自体が蒸気と化してすさまじく噴射した。高性能爆薬の弾丸がその白熱の混沌《こんとん》の中へ何百となく投じられ、火炎の飛沫《ひまつ》を遠くへ散乱させて、この地獄の壕をいやがうえにも掘りさげ掘りひろげる。
「充分深く掘れ」ヘインズはマイクに向かって平静にいう。「牽引《トラクター》ビームと圧迫ビームを指示のとおり投射――要塞をひっくり返すのだ」
攻撃の手はゆるめられずに、北側の重戦艦から圧迫ビームが投射され、南側から牽引ビームが投射される。それぞれの光線は恐ろしく強力で、文字どおり空飛ぶ要塞の全重量と推進力に裏づけられている。
さっきまでビルだったものは、依然として内側の防御スクリーンを維持したまま、徐々に傾きはじめた。
「閣下!」キニスンは観戦者の位置からヘインズへ思考を伝達する。「下のプレリンのやつについて、何かおかしなことを感づかれませんか?」
「いや。きみは感づいたのかね? なんだね?」空港司令官は驚いてたずねる。
「思いすごしかもしれませんが、やつは意外に速く脱出するんじゃないかと思います。わたしは念のためにCRX追跡器をやつに向けておきます。ヘンダスンに、いつでも追跡できるように注意しておいたほうがいいかもしれません」
「きみの診断――『思いすごし』――は正しいと思うな」空港司令官は思考で答えた。そしてキニスンの忠告にしたがった。
その手配《てはい》は早すぎはしなかった。巨大な要塞はじりじりと傾いて、それを囲んだ恐るべき湖のほうへ壮大な頭部をさげた。しかし、そこまでしか傾かなかった。そのとき、あたりに荒れ狂っているエネルギー地獄の中でさえありありと見えるはげしさで、一条の閃光がほとばしり、ぎらぎら光る溶岩があたり一面に飛散して、その中から一隻の大戦艦が全力噴射で飛び出したのだ!
肉眼にうつるかぎり、その戦艦は瞬時に消えうせたが、観測員の超視覚的な映像プレート、とくにキニスンとヘンダスンがしっかり定着したCRX追跡器の映像プレートからは消滅しなかった。それらの映像プレートは敵艦を捕捉《ほそく》していた。あらかじめ警告を受けていたチーフ・パイロットは、推進ジェットのキーを極力、速く押して追跡した。
大気圏を抜け、成層圏を抜け、惑星間宇宙空間へ、追われるものと追うものとは、いよいよスピードを速めて突進する。ドーントレス号は難なく獲物に追いついた。ボスコーン船は速かったが、パトロール隊の新型宇宙船は宇宙でもっとも速かった。しかし、いまではどの宇宙船も切断ビームを装備しているから、牽引《けんいん》ビームで相手を捕捉しても切断されてしまうだろう。そうすれば、強力な副放射器を使っても、逃走する船を押しやって、その速度をいよいよ速めるのがおちだ。しかも、例の恐るべき主放射器は用いることができない――少なくとも、まだその時期ではない。
「まだだ」司令官は注意する。「あまり接近するな――宇宙空間に探知できるものが皆無《かいむ》になるまで待つのだ」
ついに完全に空白な区域にはいった。接近の命令がくだされ、プレリンは苦杯《くはい》をなめさせられることになった。パトロール船の指揮官でも、こうした苦杯をなめざるをえなかった者は多数いる――これは自分の船より速くて強力な船と戦う場合には避けられないことだ。もちろん、ボスコーン船は力いっぱい戦った。そのビームは、より大きな船のスクリーンに対して全力で放射されるが、なんの効果もない。そのとき、三条の主放射器のビームがいっせいに放射される。逃走船は、船体も中味も一瞬に消滅した。そしてドーントレス号は破壊された都市へ帰還する。
重戦艦はすでに立ち去っていた。生き残った重戦車は全身から煙を発し、轟音《ごうおん》をたてながら立ち去っていく。消防夫たちだけが残って、勇ましく働いている。消火弾、消火光線、水、二酸化炭素、雪、消火薬品、その他ありとあらゆる手段を用いて、ついさっきふんだんに開放されたとほうもない熱エネルギーを、一部でも吸収し分散しようと努めている。
四つの惑星から来た消防隊が活動している。ポンプ車がある。はしご車がある。ホース車がある。化学消火車がある。厚く絶縁された耐熱服をつけた人々がいる。車も人間も、それぞれの区域の熱の波長に応じてスクリーンで防護されている。そして、赤い快速艇に乗って空中にいる消防司令官の指示のもとに、戦闘の余波である大火と効果的に戦っている。戦って勝利をおさめている。
やがて雨が降りだした。まるでいまの事件で天そのものが怒ったかのように、水門を開いたような豪雨が降りそそぐ。雨は付近の建物を打ってしゅうしゅう音をたてるが、火災の中央部にはまったく接触しない。空中で蒸気となって立ちのぼり、あるいはすさまじい風に吹きとばされて、真紅《しんく》の霧の毛布の下でぎらぎら輝いている、なまなましい傷あとをおおいかくす。
「さあ、これで片づいた」空港司令官はゆっくりつぶやいた。その顔はきびしくひきしまっている。「徹底的な一掃だ……人命についても費用についても高価だったが、それだけの価値はあった……銀河系の中にあるすべての海賊基地、すべての麻薬拠点をこういう目にあわせしてやる……ヘンダスン、コミノチェ宇宙空港に着陸してくれ」
やがて、この惑星にある他の四つの都市から、四人のボスコーン監視員が、たがいに相手の存在を知らぬままに、四隻の宇宙船に乗って四つの異なった目的地へ飛び立った。どの監視員も、二隻の戦艦が遠方へ姿を消すまでに起こったすべてのことを、完全かつ正確にジャルトに報告していた。そして彼らは、自分がまだ生きているという事実を大いに喜んで――もし、真相を知ったなら、やはりすくなからず驚いたことだろうが――全速力で、ブロンセカを立ち去ったのである。
銀河系監督は、できるかぎりの手を打ったが、それはほとんど役にたたなかった。パトロール隊の戦闘行動がはじまると同時に、彼はボスコーンでもっとも有力な戦艦からなる一艦隊をプレリンの援助に派遣した。しかし彼は、それがほとんど無益な行動であることを知っていた。海賊基地が地球銀河系に散在していた時代は去っていた。奇跡でもなければ、ボスコーン艦隊が、まだまにあう時期にブロンセカへ到着することはできない相談だったのだ。
事実、ボスコーン艦隊は、まにあわなかった。プレリンの船の通信ビームを攪乱していた妨害振動の騒音がぱったり絶えたとき、救援艦隊はまだ何時間も手前にいた。そのあと何分か、ジャルトはふだん青味をおびた顔をにごった緑色に変じて沈思していたが、ついに惑星ジャーヌボンを呼び出して、首領のアイヒミルに報告した。
「しかし、この事件について有利な面もあります」彼は結論した。「プレリンの記録は、彼といっしょに破壊されたのです。また、さらに二つの事実があります――第一は、パトロール隊がコミノチェ市を破壊するほどの兵力を用いねばならなかったこと。第二は、われわれの四人の監視員が無事に脱出したことであります――この事実は、例の評判のレンズマンの知力をもってしても、われわれが彼に対して用いている防御手段をまったく破り得なかったということの決定的な証拠なのであります」
「決定的な証拠とはいえない」アイヒミルはきびしく叱責《しっせき》した。「いかなる意味でも証拠とはならない――可能性でさえない、事実、パトロール隊が力を誇示《こじ》したことは、レンズマンがすでに目的物を獲得したことを意味する。彼はわれわれの疑惑《ぎわく》を避けるために、監視員が故意《こい》に脱出させたのかもしれぬ。おそらく彼の次の目標はきみ自身であろう。きみは自分の基地が、すでに彼の侵入をこうむっていないと確信できるか?」
「絶対に確信いたします」しかし、ジャルトの顔はいっそう緑色をおびた。
「きみは『絶対に』という言葉を、はなはだ不用意に用いる――だが、わしはきみの確信が正しいことを期待する。われわれがきみのところへ送った要員と装備を総動員して、基地を防御せよ」
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二〇 災厄《さいやく》
キニスンとウォーゼルは非磁性のほとんど目に見えない快速艇に乗って、第二銀河系の未知の領域にはいり、アイヒ族の住む太陽系に接近しながら速度をゆるめていた。彼らは目的の惑星ジャーヌボンについて、ジャルトと同程度に知っていた。その知識はジャルトから手に入れたものだったが、ごくわずかなものでしかなかった。
ジャーヌボンはその太陽系の太陽の第五惑星で、非常に寒冷である。大気はあるが、酸素を含まず、酸素呼吸者には有害である。自転はない――というより、自転と公転が一致しているのだ――そして住民は、その永遠に暗黒な半球に住んでいる。彼らが目を持っているかどうかは疑問だが、持っていたとしても、一般に「可視」光と呼ばれる周波数に対して反応するものではない。事実、彼らはアイヒ族については何も知らないに等しかった。ジャルトはアイヒたちに会ってはいたが、彼らを明瞭に見なかったのか、彼らの真の姿を記憶にとどめることができなかったのか、どちらからしい。彼がアイヒの肉体的特徴について持っている唯一《ゆいいつ》の印象は、混濁した無気味な青さだけだった。
「ぼくはこわいよ、ウォーゼル」キニスンは率直にいう。「むしょうにこわい。近づけば近づくほど、ますますこわくなるんだ」
事実、彼は恐れていた。彼の短い一生のあいだに、かつて経験したことがないほど恐れていた。前にも危険な立場におかれたことはあったし、生命にかかわるほどの重傷をおったことさえある。しかし、それらの場合には、危険が突然おそってきたのだ。彼はそうした危険に自動的に反応したので、それについてあらかじめ考えるということは、ほとんどなかったのだ。
彼がこれからはいって行こうとしている場所では、相手がまったく一方的に有利なことが最初からわかっており、彼が生還する可能性はごくわずかしかなかった。これは、あの渦動の中へはいって行くのよりわるい。ずっとわるい。あの場合は、道中こそ奇妙なものだったが、敵は自分がかつて圧倒した相手であることがわかっていた。そればかりでなく、若くて活気にみちた乗組員と、化学のために自己を犠牲にすることを惜しまない老カーディンジ卿が彼の後楯《うしろだて》としてついていた。いまの彼には快速艇とウォーゼルがついている――しかしそのウォーゼルも、彼と同様に恐れているのだ。
彼はみずおちがつめたくなり、骨がゴムのチューブに変わってしまったような気がした。しかし、ふたりのレンズマンは進んで行った。それが彼らの使命なのだ。敵がすくなくとも彼らに匹敵する知力を持ち、肉体的にははるかに優越していて、しかも自分の領土内にいるということはわかっていても、それでも進んで行かねばならないのだ。
「わたしもそうだ」ウォーゼルは認める。「しっぽの先までこわい。だが、わたしはきみより一つ有利な点がある――前にもこうした経験をしたことがあるということだ」自分が二度ともどらないことを確実に知りながら、デルゴン貴族のところへ出かけていったときのことを指しているのだ。「起こるべきことは起こるのだ。準備にかかろうか?」
ふたりは、どんな準備をすべきかについてすでに何時間も討議し、唯一の可能な準備は、もしキニスンが失敗した場合でも、それによってパトロール隊が災害をこうむらないようにしておくことだという結論に達していた。
「よかろう。はいりたまえ。ぼくの心は完全に開放されている」
ヴェランシア人は自分の心をキニスンの心に侵入させる。地球人は気を失ってぐったり倒れる。それから何十分かのあいだ、ウォーゼルはやわらかい脳の中で処置をほどこしたのち、仕上げにかかる。
「いまわたしがほどこした抑制《よくせい》は、きみがぼくとわかれて出発してから三十秒後に効力を発動する。また、わたしが抑制をはずしたときは、きみの記憶と知識は、わたしが処置をほどこす前とまったく同様に回復する」ウォーゼルはゆっくりと激しく、明確に思考を伝達する。「そのときまで、きみはこれらの事項についてまったく何も知らない。どんなに徹底的な知的検査を行なっても、どんなに強力な真実告白剤を飲ませても、また潜在意識を探索《たんさく》してさえ、それらを発見することはできない。それらは存在していないのだ。従来も存在していなかったのだ。そしてわたしが許可するまでは、存在しないのだ。他のこれらの事項は、そのときまできみの心に存在する事実だ。キムボール・キニスン、目をさませ!」
地球人は意識を回復するが、自分が意識を失っていたことを知らない。彼にとっては何も起こらなかったのと同じで、そのあいだの時間はなかったに等しい。彼は自分の心が処置を受けたことさえ感じない。
「確かにすんだのかい、ウォーゼル? なんの痕跡《こんせき》も見つからないぜ!」キニスンは、これまで多くの心に、痕跡を残さずに同様な処置をほどこしてきたが、自分自身の心がいじりまわされたことが、ほとんど信じられないのだ。
「すんだとも。処置の痕跡がきみにわかるとすれば、それはまずい処置で、効果があるまい」
快速艇は惑星ジャーヌボンの巨大な総基地になるべく近いところに降下する。彼らは自分たちが探知されているかどうか、わからない。彼らの知るかぎりでは、この不可解な生物どもは快速艇がラジウムで塗られていて、サーチ・ライトをぎらぎら光らせ、ベルを鳴りひびかせながら公然と着陸したかのように、明確に見るか知覚するかができるかもしれないのだ。彼らは、敵に少しでも気づかれた徴候があれば、すぐにも艇を離脱させられるように筋肉を緊張させながら、ゆっくり降下して行く。
艇は敵のスクリーンを通過する。動力は重力|緩衝器《かんしょうき》にいたるまで切り、思考さえ完全に被覆《ひふく》する。何事も起こらない。艇は着陸する。ふたりは艇外に出る。一歩一歩、慎重に進んで行く。
彼らの計画は基本的にはきわめて単純だ。ウォーゼルはドームの思考スクリーンの内側までキニスンに同行する。それから、地球人はパトロール隊に必要な情報をなんとか手に入れ、ヴェランシア人はそれを最高基地へ持ち帰るのだ。もしグレー・レンズマンもいっしょに帰還できればQXだ。いずれにせよ、彼が帰還できないと考えるべき明確な理由はない――彼は一般的原則にしたがって大事をとっているにすぎない。しかし、もし最悪の事態にいたった場合は――そのときはそのときだ……。
彼らはスクリーンの内側に到着する。
「いいかね、ウォーゼル、ぼくにどんなことが起こっても、きみは離れているんだぞ。ぼくを追って入ってきたりしてはだめだ。知力でぼくを援助してくれるのはいいが、その他の方法ではいけない。ぼくが手に入れる情報を残らず受け取ってくれ。そして、少しでも危険な徴候があらわれたら、快速艇にとびもどって、離脱してくれ。ぼくがもどろうともどるまいとだぜ。わかったかい?」
「わかった」ウォーゼルは冷静にうなずく。キニスンの役割のほうが困難だ。彼がリーダーだからというのではなく、彼のほうが適役だからだ。どちらもそのことを知っている。いちばん大事なのはパトロール隊だ。それは、その組織の中のいかなる個人やグループよりはるかに重要なのだ。
キニスンはウォーゼルと別れて出発するが、それから三十秒後に無気味な驚くべき精神的変形をこうむる。彼の知識の四分の三は、かつてそれを持っていたことなど思いもよらないほど完全に消滅する。彼はいまや、新しい名前を持った新しい人間である。その変形は、きわめて完全なので、自分がそういう人間ではなかったという記憶の片鱗《へんりん》すらとどめていない。
彼はレンズを着用しているが、この点はほとんど問題ない。レンズマン以外のふつうの諜報員が、こんなところまで侵入できるとアイヒに信じさせることはできない相談だからだ。また、レンズマンがレンズなしに、レンズを着用していると同様の働きができるということを敵にさとられてはならないのだ。そういうことをさとられれば、これまでに起こったことが彼の仕事だということがはっきりばれてしまう。そればかりでなく、キニスンがつかまった場合に、もっともらしい役割を演じるためには、レンズを着用することが必要なのだ。
彼は目的物に接近するにつれて足をゆるめる。舗道の下に快速艇をいれるに充分なほどの穴があることを知覚する。わなだ。それを避けてとおる。彼が沿って歩いている壁の中には、さまざまな装置がかくされている。これもわなだ。避けて通る。光電管、自動反応光線、不可視光線、網状配線。彼はそういうものを、すべてきわどいところで避ける。
彼が慎重に知力を投射するとほとんど同時に、遠くから鋼鉄のケーブルが鞭《むち》のようにうねって襲いかかった。彼はそれを知覚したが、避けることができなかった。彼の放射器は一瞬火を吐いたが、たちまちもぎとられた。ケーブルが腕にまきついて固くしばりあげた。彼は手も足も出ずに空中に運ばれ、ドームの気密境界《エア・ロック》を通じて、恐ろしい拷問具《ごうもんぐ》がならんだ一室にひきこまれた。そして、ボスコーンの九人の幹部と、宇宙服をつけたひとりのデルゴン貴族が協議している会議室で、通報器が鳴りひびいた。
「おお!」アイヒミルが叫ぶ。「訪問者が到着して、デルゴン式審問室でわれわれを待っている。あの部屋でもう一度会合しよう」
彼らは拷問室に集まった。こんどはアイヒたちが、有害な酸素を避けるために宇宙服をつけ、デルゴン貴族ははだかになる。全員が思考波スクリーンを着用している。
「地球人、おまえにここで会えたのはまったくうれしい」ボスコーンの首席は捕虜を歓迎する。「われわれはおまえを長いこと……」
「そんなはずはない」レンズマンはさえぎっていう。「ぼくは卒業したばかりだ。これはぼくの最初の大任だが、失敗してしまったのだ」彼は無念そうに口をつぐむ。
審問者たちのあいだに驚きが走る。そんなことがあるだろうか?
「この男は嘘《うそ》をいっているのだ」アイヒミルは断言する。「デルゴン人、こいつの宇宙服をぬがせなさい」デルゴン貴族はいわれたとおりにする。地球人は抵抗するが、爬虫人《はちゅうじん》の超人的な力の前には無益だ。「思考波スクリーンを解除して、知力によって彼に真実をいわせられるかどうか、やってみたまえ」
結局、この男は嘘をいっているのではないかもしれない。彼が異なった言語を理解できるという事実は無意味だ。レンズマンは、みんなそれができるのだから。
「だが、もしこの男がわれわれの求めている相手だとすると……」デルゴン貴族はためらう。「われわれは、きみに、危害がおよばないように気をつける……」
「そんなことはできません」第九席――心理学者――が口をはさむ。「思考波スクリーンを解除する前に、温血の酸素呼吸者が真実以外のことをいえなくなるような薬を与えて、口頭で審問したほうがいいと思います」
この提案は、もっともなこととして受けいれられる。
「おまえは、パトロール隊がわれわれを地球銀河系から駆逐することを可能ならしめた、あのレンズマンか?」きびしい審問が行なわれる。
「ちがう」簡潔な驚くべき返答。
「では、おまえはだれだ?」
「フィリップ・モーガン。階級は……」
「そんなことではらちがあきません!」第九席がいう。「わたしに質問させてください。おまえは遠距離から予備的処理なしに他人の心を制御できるか?」
「相手の心がそれほど強固でない場合はできる。われわれはみんな心理学に通じているので、それができるのだ」
「デルゴン人、仕事にかかりたまえ!」
デルゴン貴族は、いまや安全を確保して、思考波スクリーンを解除する。そしてキニスンとのあいだにサブ・エーテルを沸きたたせるような意志の格闘がはじまる。キニスンはもはや真実の記憶を失っているが、依然として知力の大部分を維持しているし、デルゴン人の心も、すでにあきらかにされたように、非常に強力だからだ。
「抵抗をやめろ!」命令が発せられる。「地球人、これはどういうわけだ?」
「なんでもないことだ」キニスンは真実を告げる。「われわれは、どちらも相手の知力に抵抗できるので、相手の心に侵入することも、それを制御することもできないのだ」
「そうか!」ボスコーンの九人は、いずれもスクリーンを解除する。このレンズマンはデルゴン人ひとりを制御できないのだから、ボスコーンの九人の団結した心に危険をおよぼすことはないだろう。そうだとすれば、言葉で審問する手数は必要ない。彼らの知力はキニスンの脳を各方面から攻撃する。
この男の知力は、たしかに比較的未熟である。それがどういうものかを自分で意識していない。アリシアへ出かけ、眠りにおちて目がさめたときにはそれを所有していた。彼はそれを高度の催眠術だろうと考えている。これができるのは、心理学の高等教育を受けた者だけだ。彼は前のブリタニア号については噂に聴いているだけだ――彼は当時、候補生だった。ボスコーンに対する反逆者ブレークスリーについても、病院船に関する異常な事件についてもなにも知らない。だれがヘルマスの基地へ侵入してシオナイトを投入したかも知らない。だれがヘルマスを殺したかもまるで知らない。彼が知っているかぎりでは、パトロール隊基地内のボスコーンのスパイに対して何かの処置がとられたことはなかった。彼は惑星メドンのことやボミンガー、マダム・デスプレーンズ、プレリンなどという名前の人物について何も聞いたことがない。何か異常な攻撃兵器のこともまったく知らない――彼は心理学者であって、技師や物理学者ではないのだ。また、デラメーターについて非凡な手練《しゅれん》を持っているということもない――。
「待て!」アイヒミルが命令する。「みんな審問をやめるのだ! ところでレンズマン、あれも知らないこれも知らないというかわりに、自分が知っていることをいえ。おまえたちはどのようにして行動しているのだ? わしは、われわれが真に必要なのはおまえたちの指揮者で、おまえたちのような行動員ではないのではないかと思いはじめたぞ」
この審問は比較的結果がよかった。数百人のレンズマンは、それぞれ明確な任務にしたがって行動している。その命令を発している人物に会った者はひとりもいない。この人物は名前さえなく、一個の象徴――A星《スター》――と呼ばれている。レンズマンたちは宇宙のどこにいてもレンズを通じて命令を受ける。そして同様な方法で報告する。そうだ、A星《スター》はここで起こっていることを知っている。彼がたえず報告しているのだから……。
ナイフがはげしく切りおろされる。血がさっとほとばしる。手を切りおとされた腕には、手荒く、しかし効果的に包帯がほどこされる。彼らは犠牲者を殺すにしても、出血死はさせたくない。それに、さしあたりは、どういう方法でも殺したくないのだ。
キニスンのレンズが死んで機能を停止した瞬間、遠方の安全なかくれ場所にいるウォーゼルは、自身の生命の危険をかえりみず、友人の心に直接連絡をつけた。彼はその部屋にデルゴン貴族がいることを知っていた。彼は自分の新しい知力を信頼してはいたが、そのことを思うと、自分の祖先が一千世代にもわたって一方的にデルゴン貴族の犠牲に供されてきた恐怖がたまくしい全身をつらぬいた。彼はデルゴン人が、ヴェランシア人の思考波に対して、宇宙のあらゆる生物の中でもっとも鋭敏だということを知っていたが、あえて思考を放射したのだ。
彼は思考波をできるだけしぼり、ふつうデルゴン貴族が用いている周波数よりできるだけ異なった周波数を用いて観測をつづける。危険だが、必要なことなのだ。地球人が脱出できないような情況になってきたが、彼を犬死させてはならない。
「さあ、これでも通信できるか?」無気味な部屋では無慈悲な審問がつづく。
「通信できない」
「よろしい。ある意味では、わしはおまえの指揮者のA星《スター》に、部下がボスコーンを偵察しようとすればどういう目にあうかを知らせてやりたいが、それを知らせるにはまだ少し早すぎる。もう少しあとで知らせてやるが……」
キニスンは、ついにボスコーンの正体をつきとめたことに対して意識的にはスリルを感じない。彼はこの情報が、自分の脳の外部に伝達されて目的が達せられたことを知らない。しかし、ウォーゼルはそれを知っているので、キニスンに代わってスリルを感じる。グレー・レンズマンは任務を達成した。あとはこの基地を破壊しさえすれば、ボスコーンの力は消滅するのだ。キニスンはもう満足して死んでもいい。
しかし、ウォーゼルには、ひとりで離脱することなど思いもよらない。もちろん、かすかでも希望が残っているかぎり、また彼が貴重な情報を持ってこの惑星を離脱することが不可能になりそうな情況にいたらないかぎり、ここに待機しているつもりなのだ。しかも容赦《ようしゃ》のない審問はつづく。
A星《スター》が彼を派遣したのは、この惑星を偵察して、それと麻薬組織とのあいだに、なにかの関係があるかどうかを発見させるためである。彼は快速艇に乗ってひとりでやって来た。快速艇のだいたいの位置さえ告げることはできない。非常に暗いうえに、徒歩で遠くからやって来たからだ。しかし、まもなく快速艇は、彼が探知できるような思考信号を送ってよこすはずである……。
「しかし、おまえはそのA星《スター》について何か知っているにちがいない!」その指揮者こそ、彼らが必死に追求している相手なのだ。彼らはレンズマン指揮官に関するこの虚構《きょこう》を頭から信用している。彼らは強力なレンズマン組織の存在を予期していたが、この虚構はその予想と完全に一致しているので、真実以上にもっともらしく思えたのだ。いまや彼らは、そのレンズマン指揮官を発見するのが困難だということを知った。彼らはもう真実の告白を強要しようとはせず、可能なかぎりの推測を要求する。「おまえは、A星が何者で、どこにいるかについて疑問を持ったにちがいない。彼について知ろうと努めたにちがいない」
そうだ、彼は努力したが、その問題は解決できなかった。レンズは方向性がなく、銀河系のどこにいても、信号はほとんど同じ強度で伝達される。しかし、ここではずっと弱くなる。その事実からすれば、A星のオフィスは、銀河系の天頂または天底のずっと外方にある星団の中にあるものと思われる……。
犠牲者の知識は徹底的に吸収された。ボスコーンの八人は立ち去り、アイヒミルとデルゴン貴族だけがレンズマンのそばに残る。
「アイヒミル、きみがするつもりでいることは幼稚だ。基本的観念はいいが、技術はまったく不充分なのだ」
「これ以上のことができるというのか?」アイヒミルは反問する。「わしはこの男の目をえぐり、骨をくだき、生きながら皮をはぎ、火であぶり、十個に切断した後、A星がこの銀河系へ送る生物はみんな同じ目にあうという警告をそえて、A星のところへ送りもどすつもりなのだ。きみはどうするというのだ?」
「きみたちアイヒは、技巧がたりない」デルゴン貴族は嘆息《たんそく》する。「きみたちは、個人や種族に対する拷問により、豊富な可能性が存在することを理解していない。たとえば、A星を妥当に罰するためには、この男を殺さずに生かしてもどすべきだ」
「そんなことはできん! この男はここで死ぬのだ!」
「きみはわしの言葉を誤解している。彼を現在のような形で生かしておくのではない――しかし、完全に殺しはしないのだ。骨をくだき目をえぐるのもいいが、そんなことはほんの手はじめだ。わしにまかせれば、そうした処置をするにしても、この男の生命をうばうほど徹底的にはやらない。わしは彼の四肢の末端にある、組織を接種してそれを成長させる――気にいらない表現だがね。最後に彼の生命力を抽出して吸収する――きみも承知のように、この物質はわれわれにとって非常な珍味なのだ――しかし、彼がかろうじて生存できるだけの生命は残しておく。それから彼の残骸を彼の船に乗せて、地球銀河系へ出発させ、その正確なコースと速度をパトロール隊に通報するのだ」
「だが、やつらは彼を生きたまま発見するだろう!」アイヒミルは抗議した。
「そのとおり。さっきもいったように、やつらに完全に復讐するためには、それが必要なのだ。きみは、どっちがやつらにこたえると思うかね? ばらばらにされた死体を発見して、それを最高の名誉をもって葬《ほうむ》るのと、口にいれられた食物を飲みこむほどの知能もない存在を生涯、世話しなければならないのと? また、接種された組織は、四肢を切断しなければ生命を救えないようなものだということも忘れないでほしい」
デルゴン人はこういう思考を伝達しながら、細い触手を床に這わせて、部屋の中央にある小さな装置のスイッチをまわした。ウォーゼルはこの思いがけない行動に茫然《ぼうぜん》とした。彼はさっきから、グレー・レンズマンの心の抑制を解除すべきか否かについて迷っていた。もしデルゴン人が何をするかがわかっていれば、即座《そくざ》にそうしていただろう。しかし、もうおそい。
「わしは思考波スクリーンを部屋にめぐらした。この珍味を仲間と分配するのがいやだからだ。なにしろ分配するだけの量がないのでな」怪物は弁解する。「わしの計画を改善するについて何か意見を持っているかね?」
「ない。きみは拷問について、われわれよりよく知っているということを示した」
「そのはずだ。われわれデルゴン貴族は、種族として誕生したときから、それを芸術として実習してきたのだ。彼の骨をくだく快楽を享受《きょうじゅ》したいかね?」
「わしは快楽のために骨をくだいたりはしない。きみはそうなのだから、計画どおりにやりたまえ。わしとしては、この男がパトロール隊のA星に対する見せしめ、または警告になりさえすればよいのだ」
「彼がそういう役割をはたすことはうけあってもいい。仕事が片づいたら、その結果をお目にかけよう。お望みなら、ここに残って見物してもけっこうだ――興味深く、教育的な見ものだ」
「いや、やめておこう」アイヒミルは部屋を立ち去り、デルゴン人は、しばられて身動きもできないレンズマンに注意を向けた。
おそらく、それから後の二時間に起こったことについては、親切なベールをめぐらしたほうがいいだろう。キニスン自身そのことは口をつぐんで語らず、次のようにいうだけである。
「ぼくは神経閉鎖をする方法を知っていたので、その拷問でほんとうに苦しめられたとはいえない。ぼくは自分自身に苦痛を感じさせないようにしたのだ。しかし、やつがぼくにどんなことをしているかはずっとわかっていたので、それが不愉快だった。外科医が自分の盲腸をとっているのを見たことがあるかね? あれに似ていて、もっとひどいだけさ。おもしろいものじゃなかった。あまり好きじゃなかったね。読者も好かないだろうから、それは完全にふせておいたほうがいい」
デルゴン貴族が思考波スクリーンを部屋にかけたという事実は、もちろんレンズマンの心に、それを排除する努力を課するに充分だった。彼はそのスクリーンを排除≪しなければならない≫! しかし、ここには小鳥もクモもいない。何かの生物がいるだろうか? いる。この拷問室はしばしば使用されているので、排水溝の中はジャーヌボンのうじ虫の豊富な繁殖所になっている。
キニスンはそのうちの長くて太いやつを選んで、その知的レベルを検査する。これには時間がかかる――かかりすぎるほどかかる。この生物はクモほどの知能も持っていないが、かすかな存在意識があり、したがって一種の自我を持っている。キニスンがついにその自我との接触に成功すると、それは食物の暗示に対して、きわめて敏感に反応した。
「急げ、うじ虫! スイッチを切るんだ!」小さい生物は真剣に急ぐ。床にそって這いずり、のたくり、とびあがらんばかりにして、グロテスクに急いで行く。
デルゴン人はのんびりと予備作業をすませた。彼がキニスンの肉体をしいたげるための装置を用意しているあいだに、うじ虫はスクリーン発生装置にたどりついた。
キニスンの小さな代行者は、その筋肉質のからだの一端を手ごろな足場にからみつかせ、他の一端をのばしてスイッチのハンドルにまきつける。そして、あるかないかの意識を美味な肉への期待にみなぎらせながら、からだを痙攣《けいれん》的に収縮させる。カチッと音がして、精神的|障壁《バリヤー》は消滅する。
デルゴン人はそのかすかな音に、はっとふりむく――そして停止してしまう。ウォーゼルの強力な知能は、スクリーンが展開されて以来ずっとそれを攻撃しつづけていたので、それが消滅すると同時に、キニスンは抑制をとかれて、ふたたびグレー・レンズマンにもどる。そして次の瞬間には、この二つの強力な心――銀河文明のうちでもっとも強力な心――は、デルゴン人の心におそいかかる。つづいて起こった知的格闘ははげしかったが、あっけなくすんだ。この集中され複合された強烈な知的攻撃に耐えられるのは、アリシア人の心だけだろう。
デルゴン貴族は脳をなかば焼かれて衰弱し、従順そのもののようになって、通信機の動力を入れた。
「アイヒミルか? 仕事はすんだ。完全で好調にすんだ。わしがレンズマンの残骸を彼の船に運ぶ前に、それを点検するか」
「その必要はない」アイヒミルは最高責任者として、これよりはるかに重要な問題でも、有能な部下に委任するのがつねだった。「きみが満足なら、わしも満足だ」
何も知らない者がみたら、ひどく奇妙に思えただろうが、デルゴン貴族の最初の行動は、うじ虫をつまみあげて、汚物がとくに多くてうまそうな場所へ、慎重にやさしく置いてやることだった。それから、むごたらしく押しつぶされたキニスンのからだを宇宙服につめこみ、自分の宇宙服をつけて、キニスンをしょったまま這いだして行った。
「わしを通してくれ」彼はアイヒミルに要求する。「この残骸を船にもどして、A星のところへもどしてやるのだ」
「その快速艇を見つけられるのか?」
「できるとも。この男は自分の船を発見するはずだった。彼にできたことなら、彼の脳細胞を通じて同様にできるのだ」
「きみはそいつをひとりで扱えるかね、キニスン?」やがてウォーゼルがたずねる。「快速艇まで持ちこたえられるかね?」
「どちらもできる。こいつを扱うこともできる――われわれは、こいつの能力を必要最小限にまで減殺したからだ。また、持ちこたえることもできる――充分に長く自分を維持できるよ」
「では、わたしは離脱する。やつらがスパイ光線で観測しているといけないからな」
こうして、完全に従順なデルゴン人は、肉体的に無能力な主人を黒い快速艇まではこび、丁重に乗船させる。いまやウォーゼルは公然と力を貸す。快速艇をスクリーンでおおって、あらゆる形の探知をさえぎってしまったからだ。艇は離脱し、デルゴン貴族は意気揚々とドームへ這いもどる。彼はりっぱに仕事をやってのけたものと信じこんでいる。それどころか、キニスンの生命力の大部分を急襲したという満腹感まで感じているのだ!
「やつを無事にもどしたくないな!」ウォーゼルの思考は抑圧《よくあつ》された憎悪で振動している。「わたしはやつに、計画どおり完全にやってのけたと信じさせるのがしゃくなんだ。そう信じさせる必要があることはわかっているがね。やつがきみにしたことに対して、やつをひき裂いてやりたかった――いまでもそうしてやりたいのだ」
「ありがとう、蛇《へび》君」キニスンの思考は弱まる。「それも、ほんの一時のことだ。やつは死ぬところを助けてもらったのだ。しかし、やがてやつの番がくる。きみは万事、手配ができているかい?」
「できている。なぜだい?」
「ぼくは、もうこの神経閉鎖をつづけられないのだ……苦しい……まいった。いまにも……」
彼は意識を失った。単なる気絶ではなく、がっくりと、はてしなく深い忘却におちいった。長いこと抑圧されていた自然が、憤然として自己を主張したのだ。
ウォーゼルは地球へ思考を投射してから、すさまじく傷つけられた友人の看護にかかった。くだかれた四肢にそえ木をあてがい、むごたらしい傷と、眼球をくり抜かれたなまなましい眼窩《がんか》に包帯して、焼けつくようなかわきをいやしてやった。そして、キニスンの心が疲労するとすぐ、彼に代わって神経閉鎖をしてやった。このありがたい鎮痛作用がなかったら、グレー・レンズマンは苦痛のあまり死んでしまったにちがいない。
「救援が到着するまでに、わたしにきみの意識を完全に交替させないか?」ヴェランシア人はいたいたしげにいった。
「ぼくを殺さずに、それができるかい?」
「きみがそうさせてくれればできる。きみが抵抗すれば、宇宙のどんな心でもできないだろうがね」
「ぼくは抵抗しない。はいりたまえ」そしてキニスンの苦痛は消滅した。
しかし、親切なウォーゼルも、地球人の四肢が悪夢の中の怪物のような形に、いまわしい変化をとげていくのをどうすることもできなかった。
ウォーゼルとしては待つ以外になかった――熟練した救援者の到着を待つ以外になかった。しかも、その到着はまだずっと先のことにちがいなかった。
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二一 切断
ウォーゼルの装置した呼び出しがレンズを貫くと、空港司令官はすべてを投げだして、みずからその報告を受けた。注目すべきことだが、ウォーゼルが最初に伝達し、ヘインズが最初に記録したのは、ジャーヌボン偵察の使命が成功したという完全な報告だった。キニスンの災厄《さいやく》と現在の苦境については、個人的問題として最後に報告されたのである。
「彼らはきみを追跡しているかどうか、わからないかね?」
「探知できるかぎりでは何も追跡していません。また、われわれが出発するときも、そのような動きはまったくありませんでした」ウォーゼルは慎重に答える。
「いずれにせよ、こちらは大挙して急行する。われわれがきみに出会うまで、彼を生かしておいてくれたまえ」ヘインズは指示を与えて通信を切る。
空港司令官が、なんの予告も指示もなく、部下にその繁忙《はんぼう》をきわめる重要なデスクをまかせるというのは前例のないことだが、ヘインズはいまや、それをやってのける。
「万事はからってくれ、サウスワース!」彼は叫ぶ。「わしは呼び出された――緊急だ。キニスンはボスコーンを発見した――そして脱出した――しかし重傷をおった――わしはドーントレス号で救援に行く。新式の小艦隊を同行する。期間は不定――おそらく二、三週間だろう」
彼は通信デスクのほうへ大またに歩いて行く。例によって、ドーントレス号は完全に整備されて、どんな緊急事態にも応じられるようになっている。ドーントレス号の姉妹船からなる艦隊は、テスト航行中のはずだが、現在どこにいるのか? そして空港司令官はみずからそのテスト航行を行なうことにする! 艦隊には、新型の病院船も同行している――ドーントレス号に匹敵する速度を持った、宇宙唯一の赤十字船だ。
「航行局を呼び出してくれ……ドーントレス号とZKD艦隊がどちらも全力推進して、ランドマーク星雲へ向かう航路上で会合する最良の位置を計算してくれ。十五分後に出発する。それから、快速艇とのだいたいの会合時間を計算してくれ。快速艇はきょうの九時十四分にあの星雲を出発して、やはり全力推進している。訂正! 快速艇との会合時間は計算不要。われわれが、あとでもっと正確に計算できる。軍務局に通報。サウスワース提督がわしに代わって指令を発する。基地病院を呼んでくれ……レーシーをたのむ……キニスンが重傷だ。わしは彼の救援に出かける。同行するかね?」
「承知した。出発準備は……」
「完了している。ZKD艦隊が、きみのところの二億信用単位の新型病院船もふくめて同行する。ドーントレス号の出発は十二時。いまから十一分半後だ。急げ!」そして軍医総監は急いだ。
出発予定時間より二分前、基地航行局はドーントレス号の航行長を呼び出した。
「ZKD艦隊との会合コース、黄緯三五四ダッシュ三〇、黄経一九ダッシュ四二、時間概略一二ダッシュ七ダッシュ二六、会合点、銀河系の任意の周辺の外側一ダッシュ三ダッシュ|〇《ゼロ》。点検復誦」スピーカーからは休止も句切りもなしに声が流れる。しかし、航行長はそれを聞きとり、記録し、点検し、復誦する。
「媒質の密度の変化および恒星迂回によって必然的に失われる距離について正確なデータを欠くため、数字は近似値《きんじち》にすぎない」スピーカーはしゃべりつづける。「副航行士に指示して、時間一二ダッシュ|〇《ゼロ》においてZKD艦隊の航行士と連絡をとらせ、計算上のさけがたい誤差を補整してコースを修正するようにすすめる。基地航行局通信終了」
「やつはどうかしているよ! まったく!」副航行士はいまいましそうにいう。「おれをなんだと思ってるんだ――完全なあほうとでも思ってるのか? いまにやつは二プラス二イコール四・〇だなんてことをおれに教えだすぜ」
十五秒の警報ベルが鳴りひびく。総員位置につき、予定時間きっかりに、超戦艦は発進する。四・五マイルのあいだ、艦はサイレンをひびかせライトをきらめかせながら、有重力状態のまま下部ジェットの力で上昇していく。それから無慣性状態に移行して、鋭くとがった艦首をななめ上方に向け、主推進器の動力を一気に全開したと思うと、文字どおり瞬時に姿を消してしまった。
地球は信じられないような速さで遠ざかり、一分たらずで見えなくなる。二分すると、太陽そのものさえ明るい星にすぎなくなり、五分後には、銀河のくっきりした白いベルトの中にとけこんで見わけられなくなる。
一時間また一時間、一日また一日と宇宙空間を突進して行く。指定されたコースが太陽系の付近をとおる場合は、その濃密な宇宙空間をさけて、それとわからないほどコースを変ずるが、地球と会合点とを直結する線を遠く、または長時間離れることはない。その線は、ほとんど銀河系の赤道面上にある。艦の後方では銀河がしだいにこりかたまっていき、前方や側方では、星が急速に少なくなる。ついに前方には星がなくなった。艦は銀河系の「任意の周辺」に到達したのだ。そのとき、当直に立っていた副航行士は通信機のスイッチを入れる。
「ZKD艦隊どうぞ。こちらは旗艦の航行士」そして映像プレートの上に鮮明な若い顔があらわれたのへ呼びかける。「やあ、ハービー! きみとこんなとこで出会うなんて! 宇宙は狭いもんだな、ええ? ところで、基地の航行局のあの石頭は、きみにも、ランデブーですれちがわないようにコースを修正しろなんていったか? もしやつがおれだけにあんな注意をしたのなら、こっちにも考えがある。スピーカーを通じてじゃなく、じかにかけあってやるんだ」
「そうさ、ぼくにも同じことをいったよ。おれもおかしいと思ったんだ――どんなあほうでも、あんなことはいわれなくたって知ってるさ。たぶんランデブーする相手が提督か何かなんで、それであの男が神経をたててるんだろうって思ったよ。おえら方がこんなところまで血相変えて出てきて、われわれをこんなぐあいにテスト航行からひっぱりだすなんて、どういうわけなんだい、ポール? 何か重大な航行にちがいないぜ! きみは≪おやじ≫といっしょなんだから、何か知ってるだろう。われわれが護衛することになっている快速艇は、何物で、どういうわけで護衛するんだ? 情報をもらしてくれよ!」
「正直なところ、おれもきみと同じに何も知らないんだ。おえら方たちは一言ももらさない。ところで、コースを点検することにしようか――『計算において避けられない誤差を補正するために』な」彼はひやかすように口真似をする。「きみはおれのほうの数値をどう判断するね? 一四――三――・〇六――減少率……」
会話は技術用語になり、その結果、飛行中の宇宙船のコースは微妙に変化する。艦隊は巨大な半径を持つ円の小角度の弧線をえがいて旋回し、推進力を十分の一だけ減ずる。ドーントレス号はそれに向かって接近して行き、それを追い抜いて先頭に出る。五十四隻から五十五隻にふえた艦隊はふたたび円錐形編成を組み、全力推進で突進して行く。
快速艇との会合予定時間よりかなり前に、ウォーゼルをよく知っているヴェランシア人レンズマンが、自分をウォーゼルと精神感応状態において、艦隊のはるか前方へ思考を投射する。思考は目的物を発見する――この種族のレンズマンは、すでに述べたとおり、つねにきわめて有能な通信機なのだ――そしてふたたびコースがわずかに変更される。やがてウォーゼルが艦隊を探知できたと報告し、その後まもなくヴェランシア人レンズマンがウォーゼルの思考を伝達する。
「艦隊の推進力をゼロにおとせといっています。彼は接近しています……近くです……有重力状態に移行して推進を開始しようとしています……われわれは彼の固有速度がわかるまで自由状態でいること……彼の快速艇の閃光を監視すること」
奇妙な感じだ。快速艇――実際は、かなり大きな宇宙船なのだが――が艦隊のほとんど中央にいるとわかっているのに、あらゆる探知装置は、電磁波探知器でさえ、宇宙空間が空白なことを示している……。
そらいた! まぶしい白色に輝く吹き流しのような閃光が、ぱっと目にとびこんだと思うと、コースの片側へ急速に流れて行く。それが安全距離に達したとき、ヘインズが司令する。
「ドーントレス号を除く全艦は有重力状態に移行せよ」それから自分のパイロットに向かっていう。「ヘンダスン、少し後退して、同じようにしろ」そして新しい旗艦も有重力状態に移行する。
「わしがパストゥール号になるべく早く移乗するには、どうしたらいいかね。ヘインズ?」レーシーがきく。
「小型ボートを使え」司令官はうなるように答える。「そして、きみがどれだけの加速に耐えられるかを乗組員にいいたまえ。われわれが準備なしに安心して使える加速はせいぜい三G(重力)だ」
それから奇妙な興味|津々《しんしん》たる光景が展開する。病院船は、キニスンの快速艇ともレーシーの強力な小型ボートともまったく異なった固有速度を持っているからだ。パストゥール号は重力緩衝装置をゼロに切り、下部ジェットを用いて一・四重力という無難《ぶなん》な加速度で減速していく――病院船は軍艦がふつうに使用しているような過激な加速度を用いることを許されないのだ。
小型ボートはレーシーの最大限の希望にしたがって、五重力で減速していく――だが、快速艇はどうだ! ウォーゼルは患者を圧力槽に入れ、空間に懸垂《けんすい》して、「尾部を下にバランスをたもちながら」十一重力で減速していくのだ!
しかしそれでも、小型ボートのほうが先に病院船の速度に同調する。この両者は同じ銀河系からやって来ただけに、それぞれの固有速度が少なくとも同次元の大きさなのだ。そこでレーシーは赤十字船に移乗し、看護婦長のオフィスに案内される。いっぽう、ウォーゼルは快速艇のランドマーク星雲での固有速度を減殺するために、十一Gで減速をつづける――すでに艦隊から五万マイル離れているが、一秒ごとにますます遠ざかって行くのだ。戦艦の牽引《けんいん》ビームもなんの役にもたたない――快速艇の強力なジェットは、圧力槽に入れられた人体でも耐えられないほどの加速度を容易に供給できるからだ。
「ごきげんよう、レーシー先生。用意はすっかりできております」クラリッサ・マクドゥガルは手をさしのべて彼を向かえた。彼女は白い帽子を、いつものように、いやいつもよりもっと得意げにかたむけてかぶっていた。いまやその帽子は、戦区看護婦長の徽章《きしょう》である十字をのせた、くさび形で飾られていたからだ。燃えるような髪は同様に豪華で、微笑は同様に輝かしく、態度は平静で確信にみちていた――キニスンが彼女についてたびたびいったことだが、彼女はすわったままで威厳をつくれるただひとりの人間だった! 「お目にかかれてほんとうにうれしいですわ、先生。ずいぶんおひさしぶり……」彼女の声はとだえた。相手が不可解な表情で自分を見つめていたからだ。
レーシーは茫然《ぼうぜん》としていた。こうと知っていたら――いや、知っていなければならなかったのだ――マクドゥガルがこの船の指揮をとっているということをすっかり失念していた。困った――恐ろしいことだ!
「おお、そうだ……もちろんそうだ。元気かね? きみに会えて大いにうれしい。調子よくやっているかね?」彼は婦長の手をつよく握りしめたが、そのあいだも、あわただしく思いめぐらしていた。次になんといったらいいだろう――なんということが≪できる≫だろう? 「ところで、手術室の担当者はだれかね?」
「もちろんわたくしですわ」彼女は驚いて答えた。「ほかにだれがおりますの?」
「ほかの者なら≪だれでも≫いいのだ!」彼はそういおうとしたが、いわなかった。「いや、担当者なんか必要ない……わしは忠告するが……」
「そんな忠告はごめんです!」彼女は彼をじっと見つめていたが、やがてその表情の意味を理解した――これまで、レーシーのつねに厳格で職業的な表情に、このようなあわれみのこもった苦悩の色があらわれたのを見たことはなかった――彼女の顔はさっと青ざめ、両手がのどもとへ走った。
「キムじゃないんでしょうね、レーシー?」彼女はあえぐようにいった。ついさっきまであれほどきわだっていた平静さも気安さも、あとかたもなく消えうせた。あらゆる種類のむごたらしく傷つけられた男たちをたじろぎもせずに治療してきた彼女は、いまや絶望的におびえあがった一介の娘にすぎなくなった。「キムじゃないんでしょうね――お願いです! おお、神さま、おあわれみください。キムじゃありませんように!」
「きみは手術室に行っちゃいかんぞ、マック」彼は事実を口にする必要はなかった。彼女は知っている。彼は彼女が知っていることを知っているのだ。「ほかのだれかをやるんのだ――ほかの者なら≪だれでも≫いい!」
「いけません!」彼女は、きっぱり否定した。しかし、その顔からは血の気が完全にひき、身につけた純白のユニフォームのように白くなっていた。黒い目は火のように燃えている。「これはどうしたってわたくしの仕事です。わたくしがほかの人に≪彼≫の治療をまかすとお思いですの?」
「まかさざるをえまい」彼はきっぱり答えた。「きみに話したくはないが、彼はめちゃめちゃになっているのだ」これは、レーシーのように長く広い経験をつんだ医者の言葉としては、考えられないようなものだった。
「ですから、なおさらわたくしが引き受けなければならないんです。彼がどんな姿になっていようと、わたくしは、ほかのだれにもキムをまかせません!」
「いかん。わしは命令する――公式命令だ!」
「そんな命令なんかだめです!」彼女は叫んだ。「なんの法的根拠もありません――それはあなたも、わたくしと同じくらいご存知のはずです!」
「いいかね、きみ……!」
「わたくしがすると誓った義務を果たさないように命令できるとお思いですの?」彼女ははげしくさえぎった。「かりに自分の任務じゃないとしても、わたくしは押しかけて行って彼の治療をします。そのためなら、どんな横車でも押してみせます。どうしてもわたくしを引きとめようとなさるなら、あなたの部下を十人くらいも呼んで、わたくしに拘束服を着せる以外にありません――でも、そんなことをなされば、その筋に訴えて、あなたを軍務からほうりださせてあげますから!」
「QX、マクドゥガル、きみの勝ちだ」この娘を彼の手術に立ち会わせよう。この娘にはそれがりっぱにできるし、やってのけるだろう。「しかし、もしきみが気絶したら……」
「先生はわたくしのことをもっともよくご存知でしょう」彼女はもう大理石のように冷静だった。
「もし彼が死ねば、わたくしもその場で死にます。でも、彼が生きてさえいれば、わたくしも持ちこたえます」
「そうかもしれん」外科医は認めた。「おそらくきみはだれよりも持ちこたえられるだろう。しかし、そのかわり後遺症《こういしょう》があらわれるぞ、わかるだろうが」
「わかってます」彼女の声はきびしかった。「わたくし、それにも耐えてみせます……もしキムが生きていれば」彼女は一瞬にして看護婦そのものになった。白くつめたく非人間的で、最高に緊張していながら、完全に平静だった。真底から恋におちている女が、恋人の危機に直面したときにのみ示せる態度だ。「彼についての報告をお受けになりましたね、先生。暫定的診断はどんなぐあいですの?」
「一種の象皮病のようなものだが、もっとひどくて四肢をおかされているのだ。思いきった切断手術が必要と思う。両眼摘出。火傷。複雑骨折。刺傷、創傷。外傷性症状、皮下出血、全般的内出血、水腫。重大な全身的ショック。しかし、現在いえるかぎりでは、予後は良好と思われる」
「まあ、嬉しい」彼女はため息をついた。看護婦の仮面をすかして女らしさが姿を見せたのだ。彼女はそれまで、予後のことなど思いもおよばなかったのだ。そのときふとあることに思いあたった。「それはほんとうですの。それとも、わたくしを安心させるためにいっていらっしゃいますの?」彼女は問い返した。
「ほんとうとも――絶対に」彼はうけあった。「ウォーゼルは優秀な知覚力を持っているから、完全かつ明確に報告してくれた。キニスンは脳も精神もまったく影響を受けていない。われわれは彼の生命を救えるだろう。それだけが取りえだ」
快速艇は、ついに病院船の固有速度に同調した。そして無重力状態でパストゥール号に接近し、有重力状態になって短時間、調節航行する。大きな船は小さな舟をのみこむ。グレー・レンズマンは手術室に運ばれる。麻酔士が手術台に接近すると、レーシーが驚いたことに、キニスンから思考が伝達される。
「麻酔の必要はありませんよ、レーシー先生。ぼくを殺さないかぎり、無意識にすることはできません。すぐ仕事にかかってください。ぼくはデルゴン人が処理しているあいだ神経閉鎖をしていました。あなたが処置しているあいだも持ちこたえられると思います」
「だが、そんなことはできん!」レーシーは叫ぶ。「この場合は、きみも一般原則にしたがわねばならん――きみの意識をさましておくわけにはいかん。きみはうわごとをいっとるのだ。麻酔はきくさ――いつだってきくのだから。いずれにせよ、やってみよう。どうだね?」
「けっこうです。神経閉鎖をする手数がはぶけますからね。それ以外の効果はないでしょうが。やってください」
助手が、これまで何千回となく試みて成功したと同様な熟練で、同様な目的へ向かって行動する。処置がすむと、レーシーはレンズを通じてたずねる。「意識を失ったかね、キニスン?」
「失いません」驚くべき返答がある。「肉体的にはききました。なんの感覚もなく、一筋の筋肉も動かせません。しかし、精神的には依然としてさめています」
「それでは困る」レーシーは抗議する。「どうやらきみがいったとおりらしい――これ以上、麻酔をかけたら、きみを殺す危険がある。だが、きみは無意識に≪ならねば≫ならん! そうする方法はないかね?」
「あります。しかし、なぜ無意識になる必要があるんです?」彼は好奇心を起こしてたずねる。
「精神的ショックをさけるためだ――非常に有害なショックなのだ」外科医は説明する。「とくにきみの場合は、精神面のほうが純粋に肉体的な面より重大なのだ」
「おっしゃるとおりでしょうが、それには麻酔薬ではだめです。ウォーゼルを呼んでください。彼は前にもそれをやりました。彼は、ぼくに飲みものや食物を与えるときのほかは、ここまでの大部分、ぼくを無意識にしていました。ぼくの心を操作できる者は、アリシア人を除けば彼だけです」
ウォーゼルが呼ばれる。「眠りたまえ」彼はやさしく、しかも断固として命ずる。「肉体的知覚も精神的知覚もなく、なんの意識もなく、時間の経過の観念さえなく、ぐっすり眠るのだ。だれかきみを起こす資格のある者がそう命ずるまで眠るのだ」
そしてキニスンは眠る。レーシーのレンズでさえ、なんの反応も呼び起こせないほど深く眠る。
「彼はああして眠りつづけるのかね?」レーシーは驚異にうたれたようにたずねる。
「そうです」
「いつまでかね?」
「不定期間です。医者か看護婦が彼に目をさますように命ずるまで。さもなければ、彼が食物や水の欠乏で死ぬまでです」
「栄養は与える。もし傷がほとんどなおるまでそういう状態においておければ、回復がずっと順調だろう。そうした場合、悪影響があるかね?」
「まったくありません」
そこで外科医や看護婦たちは仕事にとりかかる。グレー・レンズマンがどのような処置を受ける必要があるかはすでに充分あきらかにされたわけだから、その実行のおぞましい光景をくわしく述べるのは無益である。ただいえるのは、レーシーがキニスンの症状を「めちゃめちゃ」と表現したのは誇張でなかったということだ。彼はまったくめちゃめちゃだった。手術は長くて困難だった。それはキニスンが単なる患者で、愛の対象ではない人々にとってさえ、いたましい光景だった。彼らはなすべきことをやってのけた。白大理石のような看護婦長は心をしめつけるような一秒一秒を、身の毛もよだつような一挙一動を持ちこたえた。彼女は毅然《きぜん》として自分の任務をはたした。まるで手術台の患者が赤の他人で、単純な盲腸手術を受けているかのように、宇宙にただひとりの愛人が危険な切断手術を受けているのではないかのようにふるまった。彼女は気絶もしなかった――すくなくともそのときは。
「三、四人の看護婦が気絶し、インターンがふたり、貧血を起こしました」彼女は著者の直接の質問に答えてそう説明している。彼女がこのことを口に出せるのは、それがとうに過ぎ去ったことで、現在は非常に幸福だからなのだが、それでも彼女はそれにふれることを好まない。「でも、わたくしは手術がすっかりすむまで持ちこたえました。そのあとは、気絶どころじゃない状態になりましたけれど」彼女はそのときのことを思い出して苦笑した。「継続的なヒステリー発作を起こしてしまったので、注射されてベッドに寝かされました。そして、地球の基地病院にもどるまではキムに会わせてもらえませんでした。でも、レーシー先生ご自身もひどく気抜けがして、ブランデーを二杯ばかりやらなければならなかったんですから、わたくしの醜態《しゅうたい》も、それほど場ちがいじゃなかったんです」
基地病院では時が流れて、ついにレーシーはレンズマンを昏睡《こんすい》から呼びさましてもだいじょうぶと判断した。彼を呼びさましたのは、クラリッサだった。彼女はその特権を戦いとったのだ。はじめはそれを当然の権利として要求しただけだったが、しまいには、だれかその役目を引きうけようと考えでもする者があれば、傷害行為を加えると脅迫した。
「目をさますのよ、キム」彼女はささやいた。「もう峠は越したわ。これからは回復していくんです」
グレー・レンズマンは即座《そくざ》に意識を回復した。知力を完全に維持し、ウォーゼルに催眠術をかけられるまでに起こったすべてのことを記憶していた。彼はあれほど長く悩まされつづけた耐えがたい苦痛に対して神経閉鎖で対抗しようと緊張したが、その必要はなかった。彼のからだは、はじめて苦痛から解放されていたのだ。彼はほっとして緊張をとき、のびのびと快感にひたった。
「あなたが目をさまして、ほんとにうれしいわ、キム」看護婦はつづける。「あなたが口がきけないのはわかっています――来週までは、あごの包帯をはずせないのよ――それに、新しいレンズがまだとどいていないから、わたくしに思考を伝達することもできないでしょう。でも、わたくしの話をきくことはできるわ。気をおとさないのよ、キム。これくらいのことでまいっちゃだめだわ。わたくしは、いままでとまったく同じ気持であなたを愛しています。あなたが話せるようになったら、すぐに結婚しましょう。わたくし、あなたの面倒を見ますから……」
「ぼくのことを『かわいそうな人』なんて思わんでくれよ、マック」彼は活発な思考で彼女の言葉をさえぎった。「きみは口に出してこそいわなかったが、心の中でそう思っていたんだ。ぼくはきみが思う半分も無力になっているわけじゃない。依然として思考を伝達できるし、前と同様に、いやもっとよく見ることができる。それに、ぼくがきみに世話をさせるために結婚すると思ったら大まちがいだ」
「あなたはうわごとをいってるのよ! 錯乱状態よ! 正気じゃないのよ!」彼女はやり返したが、すぐに自分をおさえた。「あなたはレンズなしでも思考を伝達できるでしょう――もちろんできるわ、たったいまわたくしに向かってやったんですもの――でも、見ることはできないわ、キム。わたくしにはわかってるわ。わたくし……」
「ところができるんだ」彼は主張した。「ぼくは二度目のアリシア訪問で、いろいろな能力を獲得した。そのときは、それをだれにも知らせるわけにはいかなかったが、いまはもう知らせてもいい。ぼくはトレゴンシーと同様にすぐれた知覚力を獲得したのだ――いや、彼のより、もっとすぐれているかもしれない。その証拠に、きみはやせて疲れて見える――骨と皮みたいになってしまった。働きすぎたんだ――ぼくのためにね」
「想像だわ」彼女はばかにしたようにいった。「あなたは、わたくしがそうなるだろうとわかっているのよ」
「QX。では、テーブルの上のバラはどうだい? 白いのと黄色いのと赤いので、シダがそえてあるだろう?」
「きっと匂いでわかるんでしょう」彼女は疑わしそうにいったが、すぐもっと確信をこめてつけ加えた。「あなたには植物園にあるかぎりの花が、ここにあるだろうとわかっているんだわ」
「じゃあ、花の数をかぞえて指さしてみせよう――いや、それよりきみが制服の下につけている『CM』と頭文字をほりつけた小さな金のロケットはどうだい? それは匂いをかげないし、中の写真だって――」キニスンの思考は当惑したように停滞した。「ぼくの写真だ! マック、いったいどこでそいつを手にいれたんだ――それに、なぜそんなことをしたんだ?」
「ヘインズ閣下がわたくしにつくらせた縮写よ。これを身につけてるのは、あなたを愛しているからだわ――それは前にもいったでしょう」
いまや彼女の顔には魅惑的《みわくてき》な微笑がいっぱいに浮かんでいた。彼女にはキニスンに見ることができるということがわかった。彼女は彼が無力な廃人《はいじん》になるものと悲しい覚悟をきめていたが、そんなことはなかったのだ。彼女の心は恍惚《こうこつ》とした安心感にあふれた。しかし、彼はいまのようなからだになった以上、≪絶対に≫自分から彼女の愛を求めることはあるまい。QX、それなら――彼女のほうから彼の愛を求めるまでだ。これこそ、彼女がこの頑固な男に対して持った絶好のチャンスではないか。
「それどころじゃなくて、前にもいったように、あなたの好ききらいに関係なく、あなたと結婚するつもりよ」彼女は顔を夕映えのように美しく(そして不調和に)赤らめたが、ひるまずにつづけた。「それも、あなたに同情したからでもなく、あなたの世話をするためだけでもないのよ、キム。わたくしはこんどの事件より前に、そのつもりでいたの――ずっと前にね」
「それはいけないよ、マック」彼の思考は運命のいたずらに精いっぱい抗議していた。「ぼくはそれについて宇宙で一千回も考えた――頭に血がのぼるまで考えた――しかし、いつでも同じ結論に到達した。これはまったく問題にならんことだ。きみは、半分鋼鉄、ゴム、フェノリンで補修された夫に生涯しばりつけられるにはすばらしすぎる女性だ――それほど生気にみちて、女としてのすべての能力をそなえているんだ。ぼくにはまったく釣り合わん。それだけのことさ」
「ばかねえ、キム」いまや彼女の不安やおびえは完全に消えうせた。彼女は平静で、内的な美に輝いていた。「わたくし、あなたもわたくしを愛しているということを、いまのいままで知らなかったわ。でももうわかったわ。あなたわからないの、大きなおばかさん。あなたのからだが小さな一片でも生きていれば、わたくしはその一片をほかのどんな男の全体よりずっと愛するのよ」
「だが、ぼくにはそんなことはできないっていうんだ!」彼は思考でうめいた。「できないし、望みもしない! それにぼくの仕事はまだ終わっていない。こんどこそ、やつらはぼくを殺すだろう。ひとかけらしかない人間のひとかけらの生涯のために、きみを犠牲にすることはできん!」
「いいわ、グレー・レンズマン」クラリッサはおちついていた。もう何が来てもおどろかなかった。すっかり覚悟ができていたのだ。「この問題はしばらくおあずけにしましょう。わたくし、看護婦としての義務をひどくおろそかにしてしまったわ。患者を興奮させたり、患者と争ったりしてはならないのにね」
「そいつは別問題だ。戦区看護婦長のきみが、ふつうの病室勤務を、それも夜間勤務をやるっていうのはどういうわけだい?」
「戦区看護婦長は看護婦の勤務を割当てられるのよ、そうじゃなくって?」彼女は陽気にやり返した。「さあ、マッサージをして、着物を取り換えましょう」
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二二 再生
「やあ、やぶ医者!」
「よう、事務屋のボス!」
「きみのところの赤毛の戦区看護婦長は、まだ橋頭堡を確保しとるな」ヘインズはグレー・レンズマンとの何度目かの協議に出かける途中で、軍医総監のオフィスに立ち寄ったのだった。「彼女をキニスンからひき離すことはできんのかね? それとも、そうしたくないのかね?」
「そうしたくないのだ。どのみち、ひき離すことはできんだろうがね。あの若いじゃじゃ馬は病院をぶちこわしちまうだろう――それどころか、退職してすぐ彼と結婚したあげく、彼をどこかへ連れて行ってしまうかもしれん。きみは彼が回復することを望むんだろう?」
「ばかもほどほどにしろ。なんてことをきくんだ!」
「じゃあ、マクドゥガルについてやきもきするのはやめろ。彼女が彼についているかぎり――それも二十四時間つきっきりだがね――彼が必要なものはなんでも与えられるだろう」
「それもそうだ。この問題は、どのみちもうわれわれの手にはおえん。キニスンは彼女の意志と自分自身の意志に反して、いつまでも持ちこたえることはできまい――圧倒的な力だからな。しかし、それもいいだろう――銀河文明には、あのふたりみたいなのがもっと必要なのだ」
「そのとおりだ。しかし、この問題は、けっしてわれわれの手におえないことはない――きみにもわかるだろうが、これがほんとうにうまくまとまるまでには、まだいささかわれわれがなすべきことがある。だが、キニスンについては……」
「そうだ。彼のからだに手足をつけるのはいつだね? この段階へきた以上、彼は義手義足に慣れる必要があると思う――そう思っていたのだ」
「きみはそう思うだろう――だが、不幸にしてきみにはわかっていない」外科医は手きびしくやり返した。「もしわかっていれば、フィリップスがやっていることにもっと注目していたはずだ。彼はきょう最後のテストをやっている。来たまえ、もう一度説明してやろう――キニスンとの協議は三十分のばせばいい」
フィリップスに割り当てられた研究室に行くと、フォン・ホーヘンドルフがポセニア人といっしょにいた。ヘインズはレンズマン養成学校の老校長を見て驚いたが、レーシーのほうは彼がそこにいることをあきらかに知っていたらしい。
「フィリップス」軍医総監ははじめる。「この軍馬先生に、きみのやっていることをなるべく短い単語を使って説明してくれたまえ」
「根本的な問題は、どんなホルモンまたはその他の能因が、中性組織の発育をうながすかということで……」
「待ちたまえ。わしのほうがうまく説明できるだろう」レーシーが口をはさむ。「それにきみは、自分の仕事の真価を正当には評価すまい。彼がまず発見したのは、損傷を受けた神経組織を回復させる問題が、そうした組織の発生、それと成長一般との関係、下等な生物における損失器官の再生などという未知の問題と不可分だということだ。いいかね、ヘインズ。神経が成長するというのは周知の事実だ。さもなければ、神経が存在することはできない。また、下等な生物では神経が再生する。はじめ彼にわかっていたのは、これらの事実だけだった。高等な生物では、成長の段階でさえ、再生は自発的には起こらない。フィリップスは、その理由を発見することからはじめた。
甲状腺は成長をコントロールするが、それをうながすことはないということを彼は知った。この事実は、未知のホルモンがそれに関係していることを暗示しているように思われた――つまり、下等な生物は、ある特殊な内分泌腺《ないぶんぴつせん》を持っているが、高等な生物ではそれが萎縮《いしゅく》しているか、存在していないのかどちらかだ。もし存在していないとすれば、どうすることもできない。しかし、高等な生物は下等な生物から進化したのだから、問題の内分泌腺は退化した形で存在している可能性が多い、と彼は推論した。彼は細菌から出発して、何千という動物を研究した。ポセニアの政府はしびれを切らして、その研究が不可能だという理由で予算を打ち切ってしまった。そこで、彼はここへ来たのだ。もし彼がその研究に生涯を費やしても惜しくないというほどその重要性を確信しているのなら、われわれとしてはすくなくとも彼を援助してやるべきだと考えた。そして彼に白紙委任状を与えたのだ。
この男は奇跡的な忍耐力を持っている。鋭い観察家で、きびしい理論家で、優秀な技術者だ――つまり生まれついての研究者なのだ。そして彼は、ついにこれにちがいないと思われるものを発見した――松果腺《しょうかせん》だ。次には刺激剤を発見しなければならなかった。薬品、化学剤、放射能スペクトルなどを個々に、または組み合わせて用いた。何年も根気よく研究するうちに、それを継続するに充分なだけの成果があった。小数二位ないし、それ以上まで人類に近い種族が住んでいる他の惑星を訪問して、この方面での研究成果について残らず調査した。きみたちが惑星メドンをここへ移動させてきたとき、彼は例によって訪問して、そこで大成功をおさめたのだ。ワイズ自身が外科医だし、メドン人は長いこと悲惨な戦争を体験してきただけに、内科や外科の技術が非常に進歩しているのだ。
彼らは松果腺を刺激する方法を知っていたが、その方法は危険だった。フィリップスの新しい観点、広汎《こうはん》な知識、技術的天才などのおかげで、彼らは高度に満足すべき新技術を開発した。彼は死刑室送りときまった海賊にその方法をためしてみようとしていたが、フォン・ホーヘンドルフがそのことを聞いて、自分が実験台になると主張したのだ。彼は独立レンズマンの特権を利用して、その主張をひっこめようとしない。で、こういうわけになったのさ」
「ふむ……む……おもしろい!」司令官は傾聴していたが、ここでたずねた。「では、それが成功すると確信しとるんだね?」
「新しい技術としては可能なかぎり確実だ。確率は九〇パーセント――たぶん九五パーセントだろう」
「充分にいける数字だ」ヘインズはフォン・ホーヘンドルフをふりむいた。「どういうつもりだい、老いぼれのろくでなし。かげでこそこそ立ちまわって、わしの留保権を横取りするとは? わしも独立レンズマンだから、これはわしの権利だ。きみはだめだよ、フォン」
「最初に目をつけたのはわしだから、引っこむわけにはいかん」フォン・ホーヘンドルフは断固として主張した。
「そうはさせん」ヘインズも主張した。「彼はもうきみの生徒じゃない、わしのレンズマンだ。それに、わしのほうがきみよりいい実験台だ――きみより補修部分が多いのだからな」
「四、五箇所あれば、十箇所あるのと同程度にいい実験台になるさ」校長は断言した。
「皆さん、考えていただきたい!」ポセニア人は訴えた。「松果腺は事実上、脳の中にあるのです。これまで実験したところでは、脳障害を発見できなかったのは事実ですが、この処置は、まだ地球人にほどこされたことはないのです。何か微妙な障害が発生しないとは保障できません」
「それがどうしたというのだ?」ふたりの老独立レンズマンは舌戦を再開した。どちらも一ミリもゆずろうとしなかった。
「では、ふたりとも手術してやれ。どっちも法律にも理性にも拘束《こうそく》されんのだからな」レーシーはついに絶望して命じた。「グレー・レンズマンも知能が硬化しはじめたら、ひらのパトロールマンに格さげするという法律があってしかるべきだ」
「それはきみからはじめたほうがよさそうだな」司令官は少しもひるまずにやり返した。
ヘインズは譲歩してフォン・ホーヘンドルフを先にやらせた。ふたりは必要な注射を受けた。まず校長が椅子にからだをしばりつけられ、頭を止め金で固定された。
ポセニア人は二つのニードル光線放射器を定位置にすえた。どちらもマイクロメーターのついた架台にとりつけられ、二つの巨大な二重式支持ハンドで操作されるのだ。機械を操作しているポセニア人は、まったく超然としているように見えた――ポセニア人は目がなく頭もないに等しいので、その態度や姿勢から彼の注意の焦点を見わけるのは不可能なのだ――しかし、観察者たちは、彼が老レンズマンの頭蓋骨の中にある小さな腺を、顕微鏡的な精密さで検査していることを知っている。
次はヘインズの番だ。「これですっかりすんだのかね。それとも、まだ治療を受けにくるのかね」彼は束縛《そくばく》を解《と》かれてからたずねる。
「それで終わりだ」レーシーが答える。「われわれにわかっているかぎりでは、一度刺激を与えれば、それが生涯持続するのだ。だが、この処置が成功すれば、きみたちは入院しにもどってくるだろう――たぶんあさってごろにな。補修部分が適合しなくなって、切断個所に外科的処置をする必要が生じるかもしれんよ」
確かにヘインズは病院にもどってきたが、入院するためではなかった。彼はいそがしすぎたので、そのかわりに車椅子を手に入れ、それに乗って、いまや仕事でごったがえしているオフィスへもどって行った。さらに二、三日すると、彼は激高《げっこう》した口調でレーシーを呼びだした。
「きみらがどんなことをやってのけたかわかるか?」彼は抗議した。「わしの補修部分は完全に適合しておったのに、それを取りあげたばかりか、入れ歯まで取りあげおった! 歯ぐきにあわなくなったのだ――何も噛《か》めん! わしは猿みたいにがつがつしとる――これまでこんなに腹がへったことはないような気がする! スープだけでは生きていけん。わしは働かなければならんのだ。どうしてくれるつもりだ?」
「ほ――ほ――ほう!」レーシーはやり返す。「当然のむくいだ――フォン・ホーヘンドルフは大いに好調で、のん気にかまえている。おちつけよ、水兵さん、大動脈を破裂させんようにな。看護婦に半熟卵とスプーンを届けさせよう。歯がはえる――きみの年で――ほ――ほ――ほう」
しかし、数分後、空港司令官のところへ来たのはふつうの看護婦ではなかった。戦区看護婦長その人だった。彼女は気の毒そうに彼を見やりながら、車椅子を押して彼の私室へはいり、ドアをしめて完全な密室状態にした。
「わたくし思いもよりませんでしたわ、ヘインズ閣下、あなたが……そんなに……」彼女は言葉をとぎらせた。
「わしがこんなに補修されているとは思わなかったというのか?」ヘインズは得意げにいった。「われわれ双方の友人キニスンは、両眼を除けばわしといくらも変わらんのだ――もっとも、彼には目の必要はないがな。わしは補修部分の調子が非常によくなっていたので、わしのどれくらいが補修されているかを知っている人間は非常に少なかったのだ。だが、この歯が生きている喜びをすっかりうばってしまうのだ。腹ぺこだ! 何かわしが食えるようなまともなものを持ってきたかね?」
「持ってますとも!」彼女は司令官にたべさせてから、身をかがめて彼をかたく抱きしめ、心をこめてキスした。「あなたも校長先生もほんとにすてきなお年寄りですわ。わたくし、大好きです!」そう、きっぱりいった。「レーシー先生は、あなた方のことを笑いものにするなんて意地悪ですわ。あなた方は、どちらも世界中でいちばんいい方ですもの! あのいばり屋のレーシー先生は、はじめからすっかり知っているんです。あなた方がおなかがすくのはあたりまえです。足やその他の補修部分が再生するまでは、いつもの倍もたべなければならないんです。ご心配はいりませんわ、閣下。おなかが、はちきれるまでたべさせてさしあげます。わたくし、あなた方に早く再生していただきたいんです。キムが同じ治療を受けられるようにね」
「ありがとう、マック」彼女が彼を車椅子でオフィスに連れもどすあいだに、彼は婦長のことを新しい目でみるようになった。魅惑的な生物だが、健全だ。向こう見ずで頑固かもしれない。せっかちで片意地かもしれない。だが、完全に清潔でたよりになる。必要な能力を持っている――適格だ。キニスンがあのばかげたヒロイズムを頭からたたきだせば、この娘とあの青年とはすばらしい一組になるだろう……だが、その前になすべき仕事がある。
確かにあった。銀河評議会はキニスンの報告を徹底的に検討し、その各メンバーは、彼やウォーゼルと充分に協議した。パトロール隊は第一銀河系全体におよぶ膨大な総力を投入して、銀河文明の脅威ボスコーンを一掃する準備をととのえた。第一級の超大型戦艦が建造され武装をほどこされ、改造され再武装された――その他の宇宙船はこの使命には不充分なのだ。
銀河パトロール隊が、ほとんど無尽蔵《むじんぞう》の資金をたくわえておいたのはさいわいだった。その「消費可能資金」は水のように流出したからだ。
すでに不可抗的に強力なものと考えられていた兵器はいっそう強化された。すでに「貫通不可能」とされていたスクリーンは、いっそう堅固なものにされた。第一次放射器はいっそう高度の負荷に、いっそう長時間耐えられるように改造された。新式のいっそう強力なQ型|螺旋《らせん》砲が設計され建造された。いっそう大型でいっそう破壊的なデュオデック爆弾が、すでにめちゃめちゃに破壊された標的用惑星に投下された。住民のいない惑星には超大型バーゲンホルムと推進器が装着された。これまで宇宙に存在したうちで、航行に対するもっとも恐るべき脅威である|負の球体《ネガスフィア》が、護衛船の警戒線によって哨戒された。
そしてこれらすべての活動が一つの巨大なビルに集中され、ひとりの男――銀河評議員空港司令官ヘインズ――に集約されたのだ。しかも、ヘインズは新しい一組の歯がはえかけているので、充分に食事をとれないときている!
彼の歯は三十二本全部はえかけていた。手も足も完全に成長し、爪まではえた。長年のあいだつるつるにはげていた頭にも髪がはえてきた。しかし、レーシーがほっとしたことに、ヘインズの新しい手足をおおっている皮膚は老年のそれだった。ヘインズのはげ頭の光をにぶくしているのは、白髪で、茶色の髪ではなかった。また、近くや遠くの物体をはっきり見るためには、従来どおりの三焦点眼鏡が依然として必要だった。
「われわれの実験動物は正常に老化して死んだよ」レーシーは親切に説明した。「だが、きみたちふたりは若返ったのではないかと思う。さもなければ、永遠の生命を獲得したかもしれない。新しい器官が他の部分と同じ肉体的年齢を持っているのはけっこう――新しい器官を除去するためにふたりのグレー・レンズマンを殺さねばならんというのでは、いささか困りものだからな」
「きみはゴムの松葉杖みたいにたよりにならん」ヘインズは不平をいった。「いつになったらキニスンの治療にとりかかるんだ。われわれに彼が必要だということがわからんのか?」
「もうすぐだ。きみとフォンの心理的検査をすませたらすぐはじめる」
「ばかな! そんな必要はない――わしの脳は健全だ!」
「それはきみの主観だが、きみは脳について何を知っているかね? ウォーゼルがきみの心の形態を報告してくれることになっている――きみにもし心があればね」
ヴェランシア人は、ヘインズとフォン・ホーヘンドルフの脳を厳重に検査し、ふたりの心が松果腺の刺激によってなんの影響も受けていないことを確かめた。
それからはじめて、フィリップスはキニスンに手術をほどこした。彼の場合も、手術は完全な成功だった。手足も両眼も完全に再生した。おそろしい傷あとは、なんの痕跡も残さずに消滅した。
しかし、彼はいくらか動作がにぶく無器用になり、体力もおとろえていた。そこで、キニスンをこのまま全治者として病院から解放すれば、自動的に独立レンズマンとしての特権が回復するので、評議会では、キニスンを肉体養成キャンプに移すことに決定した。二、三週間もそこですごせば、力もスピードも敏捷さも、以前どおりに回復するだろうから、その上で現役に復帰させようというものだ。
退院の直前、キニスンはクラリッサといっしょに庭のベンチへぶらぶら歩いて行った。
「……あなたは完全回復に向かっているのね」彼女は話していた。「もとどおりのあなたになるんだわ。でも、わたくしたちのあいだのことはもとどおりではないし、二度ともとどおりにならないわ、それはわかるでしょう、キム。わたくしたちには、まだ片づいていない問題があるわ――あなたが行く前に、片づけておきましょう」
「そいつはそのままにしておいたほうがいいよ、マック」新生の喜びが男の目から消え去った。「ぼくが完全なからだにもどったのは事実だが、そんなことはなんの意味もない。きみはまだ、ぼくの仕事がすっかり達成されていないという事実に直面したことがない。ぼくがこの仕事を無事にやりおおせる可能性は十分の一くらいしかない。フィリップスでさえ死体を生き返らせることはできないよ」
「わたくし、そういう事実に直面しなければならなくなるまでは、直面しようとは思わないわ」彼女の返答は平静そのものだった。「世間の人たちがまえもって思い悩む問題は、たいていが現実化しないものよ。それに、もし現実化したとしても、わたくしは……どの女の人でも……パンが半分しかなくても、まるでないよりはましだと思うものだっていうことを、わかってほしいわ」
「QX、ぼくはこれまで最悪の問題を口にしなかった。口にしたくなかったんだ――だが、きみに知らせる必要があるというならいおう」男は苦しげにいった。「現実のぼくを見たまえ。飲んだくれだ。ごろつきだ。やくざ者だ。冷酷な殺人者だ。自分の部下でさえ殺して……」
「けっしてそんなことはないわ、キム。あなたも知っているでしょう」彼女は、責めるようにいった。
「ほかになんて呼べばいいんだ?」彼はいらだたしげにいった。「おまけに殺し屋だ――手の赤い殺人鬼そのものだ。過去も現在も未来も。そうならざるをえないんだ。それを避けるわけにはいかん。きみにしても、ほかのしとやかな女性にしても、ぼくといっしょに暮らして、それに耐えていけると思うのかい? ぼくの腕がきみを抱き、血まみれの手がきみにさわったとき、ぞっとしないでいられるかい?」
「まあ、あなたがずっと悩んでいたのは、そのせいだったの?」クラリッサは驚きはしたが、少しもひるまなかった。「そんなこと思うもんですか、キム――わたくし、≪知ってる≫んですもの。もしあなたがほんとうに殺人者だとか殺し屋の本能を持っているとかいうなら別だけど、あなたはそうじゃないわ。もちろん、あなたはきびしいわ。そうならないわけにいかないからよ……でも、わたくしがやくざ者に熱をあげると思って? 確かにあなたは戦うわ――まるで世界チャンピオンみたいにね。あなたが殺した相手は、みんな殺されるべき連中だっていうことは問題ないのよ。あなたはそういうことを楽しみにやってるんじゃないわ。あなたが自分をはげまして義務を遂行できるというのは、あなたがすぐれている証拠よ。
それにあなたは、その問題の裏面も考えなければいけないわ。あなたは自分の恐ろしい力を発揮するとき、やりすぎないように気をつかっていてよ。女麻薬業者のデスプレーンズや伯爵夫人や――ほかにもたくさんあるわ。わたくし、これまでに知りあいになったどんな男の人よりあなたを尊敬するわ。あなたをほんとうに知っている女ならだれでもそうよ――そうせずにいられないのよ!
ねえ、キム。わたくしの心をすっかり読んでちょうだい。そうすれば、わたくしのことがほんとうにわかるわ。わたくしが自分で説明するよりもっとよくわかるわ」
「ぼくがそういうことをすると思ったことがあるかい?」彼は率直にたずねた。
「ないわ、わからず屋のおばかさん、あるもんですか!」彼女は叫んだ。「それだから、しゃくにさわるのよ!」彼女の声はむせび泣くように低くなった。「いまのはうそよ、キム――本気じゃなかったの。あなたはそんなことしないわ――できないのよ。でも、やっぱりあなたが好きだわ。でも、ほんとうのわたくしをあなたにわからせるあるものが――≪何かが≫――あるんじゃないの?」
「ぼくは、ほんとうのきみを知っている」キニスンの声は疲れたように抑揚がなかった。「前にもいったように――きみは宇宙でもっともすばらしい女だ。ぼくの気持をくじくのは、ぼく自身のあり方だ――ぼくはこれまでもそうだったし、これからもそうでなければならないのだ。大げさなことをいっているわけではない。いまのうちにぼくから離れたほうがいいよ、マック。古代人――キプリング――の詩に、そのことを的確に表現しているのがある――『ボー・ダ・ソーンのバラード』というのだ。きみは知るまいが……」
「あなたはいつもわたくしが知らないと思うのね」彼女は陽気にうなずいた。「一つだけ困るのは、あなたがいつも見当ちがいな詩を連想することだわ。あの詩の一部分は、確かにあなたと似ているわ。ブラック・ティローンの全兵士が自分たちの隊長をとても尊敬しているところは知っているでしょう」
彼女は暗誦した。
「『そして熱烈に心から崇拝《すうはい》した
悪党オニールの靴底の泥を』
あなたにそっくりじゃない」
「きみのセンスのなさは手がつけられん」彼は抗議した。「ぼくはそんなに崇拝されていやしないよ」
「されているわ」彼女は断言した。「みんなが、あなたをそういうふうに考えているのよ。男ばかりじゃないわ。しゃくにさわるけど、女もそうよ――こんどだれかがあなたに色目を使っているのを見たら、その女の歯をたたき折ってやるから!」
キニスンは苦笑した。「きみは気ちがいじみてるよ、マック。ありもしないことを考えてるんだ。だが、例の詩に話をもどそう。ぼくが引用しようとしたのは、こういうくだりだ……」
「わたくし、そのくだりを知ってるわ。いいこと。
『しかし隊長はうちつづく闘争から身を引き
はるかなシムーリーで妻をめとった
彼女はしとやかな娘だった
髪は日光、心は黄金
彼女は何も知らなかった。自分をいだく腕が
かつて敵を脳天から腰まで断ち割ったことを
彼女は何も知らなかった。彼のいとしい唇が
かつて敵の死をもたらす号令を発したことを
そして彼女のひそやかな息づかいにさえ輝く目が
かつて敢然と死の門を見つめたことを
(こうしたことは男の秘密
無邪気な花嫁には知らされない)』
あなたがいいたいのはこのことでしょう?」彼女は平静にたずねた。
「マック、きみは自分に関係のないことをいろいろ知っているな」彼はその質問には答えないで、相手をじっと見つめた。「ぼくが隕石坑夫にばけたときのばか騒ぎ、デッサ・デスプレーンズのこと、アボンドリン伯爵夫人のこと、そしてこんどはこれだ。どこからそういう知識を手に入れたのか教えてくれないか?」
「わたくしはあなたが考えてる以上に、あなたと関係が深いのよ、キム――いつもそうだったわ。ウォーゼルは、これを『精神感応』っていっているわ。あなたはわたくしに向けて思考を伝達する必要がないのよ――実をいえば、あなたはわたくしの精神感応をくいとめるためには、意識的な妨害をしなければならないのよ。だから、わたくしは知るはずのないことをうんと知っているの。でも、口が固いのはレンズマンだけじゃないわ。あなたはあの詩のことを長いこと考えていたわ――気になったのね――だから、わたくし考古学文献であれを調べたの。ほとんど暗記しているわ」
「そうか。だが、ぼくの真の姿はそれより千倍もひどいのだ。それに、きみが朝食のテーブルについているとき、ぼくの首がころげだすことがいつあるかわからないということも忘れないでもらいたいな」
「それがどうしたというの?」彼女は平然としてやり返した。「わたくしがキプリングの描いたオニール夫人の肖像のモデルになれると思うの? だれもわたくしのことをしとやかだなんていいやしないわ。もしキプリングがわたくしを描写すれば、こんなふうにいうでしょうよ。
『髪は大火、心は真鍮《しんちゅう》!』
「オニール隊長の花嫁はあんまり無邪気で無知なので、意気地《いくじ》なしで泣き虫のしぼんだすみれの花みたいな女だったんじゃないかと思えるわ。ねえ、キム、あんな女が戦区看護婦長としてりっぱにやっていけると思って?」
「思わないさ。だが、そうかといって……」
「そうなのよ」彼女はさえぎった。「わたくしが戦区看護婦長としてりっぱにやっていることを考えてほしいわ。これは気の弱い娘には勤まらない仕事よ。それに、ボーの首はなんの予告もなしにオニール夫人の前にほうりだされたのよ。彼女は夫が血なまぐさい商売に従事していることを知らなかったんだわ。でもわたくしは知っていてよ。
それから最後に、わたくしが事情をはっきり知らなかったら――≪あなた≫がどんな立場にいるかをはっきり知らなかったら――こうしてあつかましくいい寄ると思って? あなたは紳士すぎてわたくしの心を読まないけれど、わたくしはそんな――わたくし知らないわけにいかなかったのよ」
「なに?」彼はまっかになって問い返した。「じゃ、きみはほんとに知ってるのか。ぼくが……」彼はいまになってもまだそれを口に出したくなかった。
「もちろん知ってるわ!」彼女はうなずいた。そして男が絶望したように両手をひろげたとき、彼女は理屈っぽい会話をつづける努力を放棄《ほうき》した。
「知っているわ、あなた。でもまだわたくしたちにはどうすることもできないのよ」彼女の声はふるえ、一語一語に心がこもっていた。「あなたにはなすべき仕事があるわ。だからあなたを尊敬するの。そのおかげであなたがわたくしから引き離されるんだけれど。でも、この問題は、はっきりさせておいたほうがあなたにとって気が楽だと思うわ。わたくしにとっても気が楽だということは自分で知っているわ。キム、あなたの用意ができるときまで、わたくしはここで――さもなければどこかで――あなたを待っているわ。ごきげんよう、グレー・レンズマン!」彼女は立ちあがると、背をむけて病院のほうへ歩き出した。
「ごきげんよう、クリス!」彼は無意識に彼女の愛称を使った。ずっと前から、彼女のことを考えるときには、その愛称を使っていたのだ。彼は彼女の後姿をくいいるように見つめていたが、やがて肩をそびやかして大またに歩き去った。
***
このとき、はるか隔たった惑星ジャーヌボンの上では、ボスコーンの主席アイヒミルが通信機によってジャルトと協議していた。ずっと前に、カロニア人はボスコーンのメッセージを複雑な経路で架空のレンズマン指揮官に送付していたが、それに対して次のような謎めいた無気味な返答がきた。
「モーガンは生きている。したがって、A星も生きている」
ジャルトは快速艇に乗せられていた者の運命については、なんの情報も首領に通信できなかった。パトロール隊の基地内には、もうスパイがいなかったからだ。彼はどのレンズマンが発見したことについても、まったく知らなかった。このA星がどのような方法で惑星ジャーヌボンのことを聞き、その位置を知ったかは、想像もつかなかった。一つだけ確かなことがあるが、それは、はなはだ深刻な事実だった。パトロール隊が、これまでになかったような規模で銀河系にわたって軍備を強化しつつあるのだ。アイヒミルはひややかに思考を伝達した。
「その意味は一つしかない。レンズマンがきみの基地へ侵入し、われわれのことを探知したのだ――ジャーヌボンに関する情報が、その他の方法で彼らの手にはいるはずはないからだ」
「なぜわたしだけの責任にするのです?」ジャルトは反問した。「もしわたしの思考波スクリーンを破壊して、わたしの心に痕跡《こんせき》もなく進入できるほど強力な心があるとすれば、あなたの心にはどうですか?」
「それは結果によって証明されている」ボスコーン人の返答は事実の冷静な集計だった。「きみのところへ派遣された諜報員は成功した。われわれのところへ派遣されたのは失敗した。パトロール隊は地球銀河系内のわれわれの残存勢力を一掃しようとしているにちがいない。それから、おそらくきみの要塞を攻撃し、最後にわれわれの銀河系を侵略しようというのだろう」
「来るならこいです!」カロニア人はうなった。「われわれはやつらが宇宙空間を通じてどんな兵器で攻めてこようと、この惑星を永久に保持してみせます!」
「わしはそれほど確信をもてない」首領は警告した。「事実、もしパトロール隊がわれわれの各太陽系組織の多数に対して一斉攻撃を加えてくるならば――わしはその可能性ありと考えはじめているが――きみはなるべく多数の太陽系組織を解消して、将来のために保存する処置をすませた後、その基地を放棄《ほうき》してカロニアへ帰還すべきだ」
「将来のためですと? そうなった場合は、将来などありますまい」
「あるのだ」アイヒミルは冷酷に答えた。「われわれはいかなる攻撃にも耐えられるようにジャーヌボンの防御を強化しつつある。もし彼らが進んでわれわれを攻撃しないなら、強制的にそうせねばならぬ。そして彼らの可動兵力を完全に破壊した後、ふたたび彼らの銀河系を奪取するのだ。わかったか?」
「わかりました。そのような命令を発するように各グループに警告します。そして、この基地を放棄することが望ましい状況になった場合に、そのような処置をとる準備をいたします」
こうして計画が立てられた。アイヒミルもジャルトも、次のような二つの驚くべき事実を想像さえしなかった。
第一 パトロール隊は準備がととのえば、なんの予告もなく強烈な攻撃を加える。そして
第二 パトロール隊の攻撃は下部組織ではなく上部に加えられる!
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二三 絶滅
キニスンは遊び、働き、休息し、食べ、そして眠った。ボクシングの教師たちと猛稽古《もうげいこ》をやった。以前のスピードと正確さをとりもどすまでデラメーターを練習した。一度に何時間も泳ぎ、カントリー横断レースに参加して走った。ほとんどはだかになって日光浴をやった。そしてついに彼の筋肉が、赤銅色のなめらかな皮膚の下で自由に動くようになったとき、レーシーは彼の切望に答えて検査にやって来た。
グレー・レンズマンはレーシーの宇宙船を熱心に迎えたが、軍医総監がひとりなのを見て失望の色を見せた。
「いや、マクドゥガルはこないよ――彼女はもう地上にはおらん」レーシーはずるそうに説明した。
「へえ?」キニスンは驚いたようにたずねた。「どうしたんです?」
「宇宙に出かけた――ボロバかどこかそのあたりだ。きみになんの関係がある? きみの彼女に対する態度からすれば、きみは犀《さい》みたいな鈍感な皮を持っていて……」
「ばかなことはいわないでください、レーシー。だって、われわれは……彼女は……もうすっかりきまってるんです」
「おかしなきめ方だな。ふさぎこんで基地をうろつく、赤毛頭がぼんやりするほど泣く。だが、とうとう彼女も誇りをとりもどして決心した。で、わたしは彼女をまた船に乗せてやったのだ。もしまだ彼女がきみとすっかり切れていないなら、いまからでも切れるべきだ」レーシーはこういえば、この大ばか者を苦しめている問題を解決するのに役だつだろうと計算したのだ。「さあ、きみが任務に復帰するに適格かどうか調べよう」
彼は適格だった。「QX、若いの――出発しろ!」レーシーは彼の背中をたたいて形式ぬきで放免した。「服をつけたまえ。わしがヘインズのところへ連れて行ってやる――彼はきみがここへきて以来、亀みたいにがみがみせきたてつづけなのだ」
最高基地へ着くと、キニスンは司令官から熱狂的に迎えられた。
「この指をさわってみろ、キム!」彼は叫んだ。「完全だ! もとの指そっくりなのだ!」
「わたしのもそうです。快調ですよ」
「きみが新しいやつをこんなに早く手に入れたのは惜しい。二、三年も手足なしですごせば、もっとずっとありがた味がわかったろうに。だが、仕事の話にしよう。各艦隊はすでに何週間も前に出発している――われわれは前線が通過するとき参加するのだ。もしきみがもっといい仕事がなければ、わしといっしょにZ9M9Zに乗ってほしいのだが」
「わたしはどこへ行ったらいいかわからないのです――ありがとうございます」
「QX。礼をいいたいのはこっちだ。きみはこれから行動開始予定時間までのあいだに大いに役にたつのだ」彼は若者をじっと見つめた。
キニスンはヘインズが、自分にある特別の仕事をしてほしいのだとわかった。彼はグレー・レンズマンなので、彼に軍事上の位階《いかい》や持場を与えるわけにはいかなかった。また大艦隊の司令官が彼を副官として必要とするということも考えられなかった。
「おっしゃってください、閣下」彼はうながした。「もちろん命令ではありません――その点はすっかりわかっています。要請または――えへん――助言として」
「わしはまだ、きみを何かに任命してやるぞ、小僧っ子が!」ヘインズは鼻息をたて、キニスンはにやりと笑った。このふたりは年齢の差にもかかわらず非常に仲がよく、性質も似かよっていた。
「きみも年をとるにつれてわかってくるだろうが、一般規則を忠実に守るのが賢明なのだ。そう、きみにやってほしい仕事がある。それもやっかいなやつだ。だれもこいつを処理できる者がいない。リゲル人の船二隻さえだめなのだ。大艦隊操作官さ」
「大艦隊操作官ですって!」キニスンはあっけにとられた。「聖なる――クロノ神の――イリジウムの――内臓に誓って! どうしてわたしがそんな重責を負えるとお思いです」
「きみにできるかどうかはわからん。だが、もしきみにできんとすれば、だれにもできんのだ。そうなれば、われわれはこれだけの準備をしておきながら、艦隊としてではなく、前にもやったように、てんでんばらばらに行動せねばなるまい。その結果を考えると、身ぶるいが出る」
「QX。ウォーゼルを呼びだしてくだされば、彼とふたりでなんとかやってみましょう。船をいっぱいにするような作戦タンクを建造しておきながら、そいつを使えないというのはみっともないことです。ところで、このところ、どこでもあの看護婦長に会っていないのですが――ご存知のミス・マクドゥガルです。閣下はお会いになりましたか? 彼女に『ありがとう』か何かをいうべきだと思うんです――花でも贈ってですね」
「看護婦だって? マクドゥガル? おお、あの赤毛娘か。待てよ――このあいだ彼女のことを何か聞いたぞ。結婚したのかな? いや……病院船でどこかへ行ったのだ。アラスカンかな、バンデマールかな? とくに気をつけなかったが。べつに、ありがとうをいうことはない――花もいらんさ――彼女は給料をもらって働いているのだ。大艦隊の操作を調整するほうがずっと重要だと思わんかね?」
「もちろんです、閣下」キニスンは固苦しく答えた。彼が出て行くと、レーシーがはいってきた。
ふたりの老陰謀家はしたり顔に微笑をかわした。キニスンはひどく悩んでいる! 彼女に首ったけなのだ。
「彼の足場をちょっとくずしておくことは彼のためになる。彼はのぼせすぎとるのだ。だが、あのふたりの悩みようはどうだ!」
「そのとおり!」
グレー・レンズマンは、自分でも表現できないような気分で旗艦へ向かって車を走らせていた。当然彼女に会えることと思っていたのに……彼女に会いたい……ちくしょう、会わなければならんのだ! なぜ、よりによっていま彼女は宇宙へ出かける必要があったのだ? 彼女は、艦隊が出発しつつあることも、彼がそれと行動をともにすることも知っているはずだ……それなのに、だれも彼女がどこにいるか知らない。こんどの作戦からもどってきたら、銀河系全体を追いかけまわしてでも彼女を見つけだそう。そしてこの問題にけりをつけるのだ。もちろん義務は義務だ……だが、クリスはクリスだ――そしてパン半分でも、まるでないよりはましなのだ!
彼は巨大な涙滴《るいてき》型宇宙船にはいりながら、現実に心をふりむけた。この宇宙船は、技術的名称はZ9M9Zであり、社会的名称はディレクトリックス号であり、一般的名称はGFHQなのだ。もっぱら大艦隊の総司令部として設計され建造された船で、攻撃兵器はまったく持っていないが、戦闘指揮の天才たちを保護する必要から、可能なかぎりの防御力をそなえている。
空港司令官ヘインズは、ヘルマス基地の攻撃の際、にがい経験をなめさせられた。あのときの艦隊は、こんどの艦隊から見れば比較的少数だったが、艦隊が目的地に到達するよりずっと前に、彼はすっかり神経をすりへらしてしまった。五万隻の船を一団として制御し操作することが不可能とわかったからだ。もしヘルマスの基地が攻勢に出るか有効な守勢をとることができたら、あるいはまたボスコーンがあの星団に艦隊を投入することがまにあったら、パトロール隊は、不名誉な敗北をこうむったことだろう。ヘインズは老練な戦略家だったので、そのことがよくわかっていた。
そこで、あの「勝利」作戦から帰還するとすぐ、彼は命令を出して、百万の戦闘単位を効果的に指揮できるような旗艦の設計と建造を、費用を度外視して行なわせた。
大艦隊の指揮には「タンク」――宇宙船の操縦室に不可欠な銀河系の小型立体模型――がもっとも重要な機関だということが明白になるにつれて、その規模はいよいよ大きくなっていった。ついに最後の改造によって、タンクは直径七百フィート、中央の厚さ八十フィートに達した――その千七百万立方フィート以上の空間では、二百万以上の小さなライトが、混沌として右往左往していた。技師と設計者がこのタンクを実用に供してみると、それがなんの役にもたたないということがわかったのだ。状況全体を把握《はあく》し、どのライトまたはその集団が修正を必要とするかを確認することは、だれにもできない相談だった。まして、特定のライトを固有の妨害波防止式通信機と関連づけて、宇宙戦闘のテンポにおくれないように指令を発するとなると……!
キニスンはタンクを眺めてから、それを完全に取り囲んでいる百万ものプラグをつけた盤を見まわした。多数の操作員が、それぞれ何かをしようと狂気のように努力している。彼は全体を同時にいっそうよく知覚するために目をとじ、一時間ほど問題を研究した。
「各員、アテンション!」彼は思考を伝達した。「すべての回路を切れ――しばらく何もするな」それからヘインズを呼んだ。
「単純分析器を数台と一団の技師をよこしてくだされば、この問題を処理できると思います。ヘルマスは多重《マルティプレックス》コントロールについて優秀な装置を持っていました。ジャルトもある程度わかっています。それらをこのタンクに加味すれば、相当なものができるでしょう」
そしてウォーゼルが到着するまでに相当なものができた。
「赤いライトは、すでに行動している艦隊を示している」キニスンはヴェランシア人に簡単に説明した。「緑のは、まだ基地にいる艦隊だ。こはく色のは、赤いのが出発した惑星だ――きみも知ってるように、ライヤースン式ストリング・ライトで連結されている。白い星はわれわれ、つまりディレクトリックス号だ。あの遠くの紫色は、われわれの第一目標、ジャルトの惑星だ。ピンク色の彗星は、われわれの無重力惑星で、尾はその固有速度を示している。彼らは非常におそいので、ずっと前にスタートしなければならなかった。赤紫色の円は|負の球体《ネガスフィア》だ。これもすでに発進している。きみは向こう側につけ。ぼくはこっち側につく。
全艦隊は十二の戦区の周辺からスタートすることになっている。計画では、全艦隊を、銀河系を横断するなめらかな鉢型曲線に配置して、目標を包囲するのだが、各星系の指揮官は、どうやらこの戦闘を自分勝手に遂行したいらしい。あそこのあの艦隊を見ろ――やつは九千パーセクも先走りしている。やつを引きもどすから見ていたまえ!」
彼はとほうもなくとびだしている赤いライトに単式分析器を向けた。カチカチという響きが起こって、四四九二七六号艦が映像プレートにあらわれた。ひとりの操作員がスイッチを入れる。
「こちらは大艦隊操作官!」キニスンの思考は宇宙空間を横切って叫んだ。「貴艦はなぜ命令なしに発進したのか?」
「いや、わたしは……いま指揮官を呼びます……」
「その時間はない! もう一度こういう違反をしたら禁固だと、指揮官にいえ。ただちに着陸せよ! おわり」
「百万も艦隊があるのだから、一つ一つに時間をかけてはいられん」彼はウォーゼルに思考を伝達した。「だが、一応全艦隊を配列して、リゲル人要員を仕込めば、あとはそう困らんだろう」
リゲル人の訓練にはそう時間がかからなかった。明確で適切な命令が、細いが鋼鉄のように強固な通信波を通じて発せられ、その速度がいよいよ速くなった。
「発進……推力を四・五に増大……推力を二・八に減少……コース変更……」こうして一時間また一時間、一日また一日と過ぎていった。
時の経過とともに、混沌《こんとん》の中から秩序が生じてきた。赤いライトは巨大な曲面の壁を形成した。その壁はほとんど目にわからないほど、じりじり前進して行ったが、じつは一時間百パーセクに近い速度なのだった。その壁の後方には、ライヤースン・ライトのまぶしい細線で織りだされた琥珀《こはく》色の海が輝いていた。壁の前方には、緑色の光輝がほとんど固定してまたたいている。赤い壁は白い星に向かってしだいに這いよって行った。
そして「縮小器」――縦穴の下方にある標準型の十フィート・タンク――の中では、この全光景が縮小されて再現されていた。このほうが単純明白でずっと見渡しやすかったが、非常に圧縮されているので、細部は見わけられない。
ある日、ヘインズがキニスンのクッション入りの椅子のそばへやってきて、巨大なレンズの中をのぞきこみながら頭をふった。それから階段をおりて縮小器のそばへ行き、それをしげしげと眺めてまた頭をふった。
「なかなかきれいだが、ちっともわからん」彼はキニスンに思考を伝達した。「わしはまるで見物に来ただけみたいなことになってきた。戦闘指揮もきみが――さもなくば、きみとウォーゼルが――やらなければならんのじゃないかな」
「とんでもない」キニスンは抗議した。「閣下にくらべれば、われわれは――いやほかのだれでも、戦術について何も知らないようなものです。閣下は脳の働きをしてくださらなければなりません。だからこそ、あそこに基本作戦用模型として縮小器を作らせたのです。あれで大きな動きを見て、一般的な言葉でわれわれに指令してくださればよろしいんです。そうすれば、われわれは、だれが何をすべきかを、こっちの大きな模型で確認して、閣下の命令を伝達します」
「うむ、それならうまくいくだろう!」ヘインズは目に見えて元気づいた。「あの二つの赤は、われわれの星をタンクからたたきだしてしまいそうだが、どうかね?」
「あの縮小器の中ではもっと接近しているでしょう――接触しているかもしれません。実際の宇宙空間でもかなり近いのです――三パーセクたらずですから」
行動開始時刻がきた。八十一隻のなめらかな宇宙船――八十隻の超大型戦艦とディレクトリックス号――からなる地球の無敵艦隊《アルマダ》は地球を蹴って発進し、突進して行く真紅の壁の中に位置を占めた。大艦隊は太陽系をつぎつぎに通過して行った。そのたびに、その太陽系の艦隊がエーテルへ突入し、大艦隊操作室が慎重に操作しているなめらかな幾何学的曲面の中へ位置を占めていった。
大艦隊は銀河系を通過し、一つの星団へ向かって行った。そしてその狂気のような速度をゆるめると、中心部は足踏みし、周辺部は前進してすぼまりはじめた。
「星団を包囲して接近せよ」司令官は命令した。銀河文明の誇る無数の大艦隊は、二百人のリゲル人の誘導のもとに、一糸《いっし》乱れず接近して有重力状態に移行した。各艦は推進器から白熱した閃光をほとばしらせながら、星団の固有速度に同調しようと努めた。
「各星系艦隊の指揮官諸氏、アテンション! 第二次放射器のみを用いて、射程内にはいった敵の対象を任意に攻撃せよ。前進基地および出現する軍艦と交戦せよ。惑星より所定の距離をたもち、宇宙線スクリーンを最大限に強化せよ。ヘインズより――おわり!」
無数の放射器から、エネルギーが巨大な棍棒、ナイフ、針状をなしてほとばしる。その衝撃のもとに、ジャルトの衛星要塞の防御スクリーンは目もくらむばかりに輝く。デュオデック爆弾が投下される――タイト・ビームで誘導される破壊的怪物は、できるだけ大きな運動量を獲得するために巨大な円を描いてまわりこみ、ボスコーンの防御を一挙《いっきょ》に破壊すべく、それへ向かって体当たりをくわせる。爆発。付近の宇宙空間は、目もくらむような紫色の光と金属の破片でみたされる。Q型螺旋砲はメドン式伝導体と絶縁体が許すかぎりの恐るべき電力で駆動され、スクリーンにもみ入り、くいこみ、えぐり、ひき裂く。すさまじいエネルギーの刃物ともいうべき切断平面は、地球の電光を顔色《がんしょく》なからしめるような光を発して、打撃につぐ打撃を加える――狂暴に痛烈に。
しかし、頑強な衛星要塞はその攻撃を受けとめる。それらは強化されていたのだ。それらの防御は、ボスコーンの専門家の意見によれば、移動性の土台の上に搭載されうる、いかなる放射器の攻撃にも耐えるほど強化されていた。しかも、そればかりではない――それらの強力に武装され防御された小惑星は、攻撃を加えることもできるのだ。パトロール艦の防御スクリーンは敵放射器の強烈なエネルギーをあびて、スペクトルの各色に輝いた。ボスコーンの放射器の想像を絶したエネルギーが中和されるまでには、少なからず防御スクリーンが破壊されて、防御壁が露出した。
そしてボスコーンの銀河系監督ジャルトは、また彼を通じてボスコーン自体の首席アイヒミルは、このめざましくも恐るべき宇宙戦闘をあっけにとられて見つめていた。
「気ちがいざたです!」ジャルトは満足そうに映像プレートを見つめながらいった。「あのばかどもは、われわれの力がヘルマス程度だと判断したのです。あのときからいままでに、われわれがやつらと同様に教訓を受けて、力を強化しているということを、考えにいれていないのです。やつらは無数の船を持ってきましたが、数だけではわれわれの前進基地を攻撃することはできません。ましてや、この基地はいうまでもありません」
「彼らは、ばかではない。わしはそう楽観せん……」アイヒミルは沈思《ちんし》した。
もし彼がそのときパトロール隊側でかわされている会話を聞けば、なおさら楽観できなかっただろう。
「QX、ソーンダイク?」キニスンがたずねた。
「万事オーケーです」即座に返事がきた。「固有速度、定置、放出――万事オーケーです」
「切れ!」そしてただ一個輝いていた赤紫色の円形は、タンクからも縮小器からも消滅した。技師長が|負の球体《ネガスフィア》のコントロールを切ると、その周囲にあった金属その他の物質は、すべて、その謎めいた虚無《きょむ》の領域に吸いこまれた。いまやそれとの、いかなる連結や接触も不可能だった。それは慎重に設定された固有速度で、運命づけられた惑星へむけて貪欲《どんよく》に突進して行く。そのコースにあたった巨大な宇宙要塞の一つは完全に消滅した。その跡には、目に見えないような宇宙塵の飛散しか残らない。|負の球体《ネガスフィア》はゴールに接近した。それがほとんど惑星に接触しそうになるまで、敵は誰ひとり気づかなかった。気がついても、それがなんだか理解できなかった。探知器その他の警報装置はすべて静止していた。しかしひとりの観測員が叫んだ。
「見ろ! あそこだ! 何かがやってくるぞ!」ジャルトは映像プレートをふりむいた。彼は見た――虚無を。アイヒミルも同じものを見た。目に見えるものは何もなかった。巨大な感知しえない虚無――しかも、その虚無は視野の三分の一以内にあるあらゆる物質をぼんやりおおい隠す程度に感知できるのだ! ジャルトの操作員はそれに向けてもっとも強力なビームを放射した。何も起こらない。ビームは何にもぶつからずに消滅してしまう。もっとも重いデュオデック魚雷が発射された。その巨大なミサイルの先端には、あの恐るべき爆薬が一惑星を破壊するに充分なほどつめられているのだ。しかし、何も起こらない――爆発さえ起こらない。ごくかすかな発光さえない。弾殻も内容も単純に消滅したのだ――しかも、おお、信じられないほど平穏に! 多量の宇宙|塵《じん》が飛散したが、それは眼にも見えず耳にも聞こえなかった。ジャルトも部下たちもその恐るべき放射能をあびたが、彼らはそれに気づくほど長生きしなかった。
巨大な圧迫光線が突き出された。衛星の軌道をそらすほど強力なビームだ。その放射器はどんな反動にも耐えられるように、鉄筋コンクリートで岩床に固定されている。しかし、相手は正の物質ではなく負の物質だった――質量、慣性《かんせい》、力、すべての点で負の物質だ。それにとって、押すことは引くことなのだ。圧迫《あっぱく》ビームは牽引《けんいん》ビームなのだ――それらは|負の球体《ネガスフィア》と接触すると同時に、巨大な土台を引き抜いて、恐るべき暗黒の中へ突入した。
ついに|負の球体《ネガスフィア》は惑星に衝突した。衝突したといえるだろうか? 虚無が何かに衝突することがありえようか? それよりは、|負の球体《ネガスフィア》の三次元的な境界をなす球面状の超表面が、ジャルトの不運な惑星がすでに占めていたと同じ量の空間を占めはじめた、といったほうがいいだろう。そして両者の接触面では、両者に属する物質がともに消滅しはじめた。惑星の物質は見えなくなり、|負の球体《ネガスフィア》の不可解な虚無はうすれて、通常の真空な宇宙空間に変わった。
三百平方マイルをおおったジャルトの基地は一口でのみこまれた。それがあったところに巨大な穴が口をあけ、恐るべき速度で深く広くなっていく。そしてその奈落《ならく》が拡大するにつれて、惑星の物質はその中に転落して消滅する。山がくずれ落ち、大洋がなだれこむ。惑星の中心にある、ものすごく圧縮された高温物質が噴出しようとする――しかし、それも移動するかわりに消滅する。惑星の表面の何十万平方マイルもある広大な区域が、恐るべき深さのクレバスに沿ってくずれ落ち、そして無に帰する。傷ついた球体は分解のすさまじい発作をつぎつぎにくり返して、震動し戦慄し粉砕する。
何が起こっているのか? アイヒミルにはわからない。具体的に意味のある現象が発生する前に、彼の目の代わりをするものが破壊されてしまったからだ。彼も部下の科学者たちも想像し推定するしかない――しかし彼らはそれを驚くべき正確さでやってのけた。いっぽう、パトロール艦隊の将官たちは何が起こっているかを知っている。そして新式の超強力宇宙線防止スクリーンの反応を時々刻々《じじこくこく》に記録している装置を、目を細めて凝視《ぎょうし》している。宇宙線スクリーンは、ものすごい攻撃を受けているのだ。
すでに述べたように、|負の球体《ネガスフィア》は負《ふ》の物質からなっている。その構成要素は電子《エレクトロン》ではなく陽電子《ポジトロン》である――無限大の負エネルギーの中での「ディラックの穴」だ。陽電子の場が電子の場と会合すると、両者はたがいに中和しあい、二量子の強烈な放射能を発生する。そしてこの場合は、そうした会合が一秒間に何兆という率で起こったのだから、これまでどんな宇宙船も耐えることを要求されなかったほどの密度で、宇宙線の洪水がパトロール隊の宇宙線防止スクリーンにそそぎかかったのだ。しかし、新式スクリーンは安全率五で設計されていたので、この宇宙線の攻撃に耐えた。
惑星は戦慄的な速度で縮小していった。月から小型の月へ。そしてついにばらばらの隕石の癒着《ゆちゃく》した団塊となってはじめて、相互の中和が停止した。
「こんどは第一次放射器を使え」宇宙線スクリーン・メーターの指針が正常機能を示す緑色の線までさがると、ヘインズは断固として命令した。ボスコーン宇宙要塞の防御は、すでに自動装置だけしか作用していないという可能性も強かった。あの致命的な放射能の恐るべき洪水をあびては、どんな生物も生きられそうになかったからだ。しかし、ヘインズは空《そら》だのみをしなかった。すさまじい貫徹力を持つ超強力ビームが放射され、宇宙要塞もまた微細《びさい》な宇宙|塵《じん》以外には存在しなくなる。
銀河パトロール隊の大艦隊はふたたび隊形を組み、銀河系間空間を突進して行った。
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二四 アイヒ族の滅亡
「彼らは、ばかではない。わしはそう楽観せん……」アイヒミルは先刻そういったが、銀河系間通信の最後の手段である最後の球体エネルギーが機能を停止すると、ボスコーンの首席は非常に不安になった。パトロール隊は確かに何か新兵器を持っている――彼自身それをちらりと見たのだが――しかし、あれはなんだろう?
ジャルトの基地が破壊されたのはあきらかだ。その結果、地球銀河系に対するボスコーンの足がかりが失われたのだ。パトロール隊がボスコーンの地区組織や惑星組織を一掃しつつあるか、またはやがてそれにとりかかるだろうということも、論理的|帰結《きけつ》である。あの憎むべきレンズマン指揮官のA星は、ジャルトの記録を盗むことに成功したのだ――そうにちがいない。だからこそ、その記録が保存されている基地をさっそく破壊したのだ。
しかも、ボスコーンは、部下たちを援助する予知がまったくなかった。長いこと待っていたジャーヌボン自体に対する攻撃が行なわれようとしていることはほとんど確実だったからだ。しかしパトロール隊がくるならこい――ボスコーンはそなえができている。しかし完全だろうか? ジャルトの防御は強力だったが、かの未知の兵器の攻撃に数秒間さえ抵抗できなかったではないか。
アイヒミルは、ボスコーンと科学アカデミーの合同会議を召集した。彼は自分が見たことを冷静的確に報告した。討議がはじまる。
「疑いもなく負の物質です」ひとりの科学者が要約する。「どこか他の、おそらく超空間的な宇宙に、われわれが知っている宇宙の正の物質と平衡《へいこう》をたもった充分な質量の負の物質が存在しているにちがいないということは、ずっと前から推定されていました。地球人が超空間的研究と処理によってその別宇宙を発見し、その物質のいくらかをこの宇宙へ持ちこんできたということは考えられます」
「それは製造できるのか?」アイヒミルは質問した。
「そのような物質を製造しうる可能性は非常に僅少《きんしょう》です」相手は慎重に答えた。「まったく新しい数字が必要でしょう。彼らはすでに存在しているものを発見したにちがいありません」
「では、われわれもすぐそれを発見せねばならぬ」
「努力いたします。しかし、分野が広汎《こうはん》ですから、すみやかな成功を期待すべきではありません。また、そのような物質は防御行動には必要でない――おそらくじゃまでさえあるということをご注意ください」
「なぜじゃまなのだ?」
「ジャルトはそのような物質からなる爆弾に圧迫ビームを向けたため、事実上それを自分の基地へ引きつけたのです。それこそ敵の思うつぼでした。このような兵器は、その本質を知らない者に奇襲をかけるにはじつに有効ですが、われわれに対して用いれば、ブーメランのようにはね返るでしょう。圧迫ビーム放射器の土台に牽引ビーム放射器をすえつけて用いさえすれば、その爆弾を発射した相手に向かって突き返すことができるのです」科学者たちのうちもっとも冷静な者さえ、その爆弾が惑星の質量に匹敵するものだったということには思いあたらなかった。ジャルトの基地があった惑星が一握りの隕石しか残っていないということは、どのアイヒにも想像できなかったのだ。
「では彼らを来させよう」アイヒミルは冷酷にいった。「彼らはわれわれがこの新兵器について何も知らないと思いこんでいるので、この兵器に依存して、そうでもなければ気ちがい沙汰ともいうべき戦術を採用しているのだ。この兵器が無力となれば、彼らは自分の基地からはるかに離れたところで長期戦に勝ち抜くことはできぬ。われわれは彼らと同数、いやそれ以上の艦船で対抗できるし、しかも物資や弾薬を手近に持っている。彼らを消耗せしめよう――そして撃滅するのだ――さすれば、地球銀河系はわれわれのものとなるであろう!」
***
ヘインズ司令官は目をさましている時間の大部分を費やして、タンクの中で作戦計画を組みたてたりくずしたりしていたが、緊張して不安げだった表情が、しだいに満足の色に変わってきた。彼は専用周波数帯域送信器のところへ行き、すべての通信士官を呼びだして思考を伝達した。
「各船は最長距離探知器を最高出力で目標の銀河系に向けよ。探知可能な行動を発見した観測員は、それがどれほど微弱であっても、ただちに旗艦に通報せよ。旗艦より一般的C・B(禁足命令)を発したら、大艦隊の全艦はただちに推進を停止し、以後の命令があるまで宇宙空間に静止せよ」次に彼はキニスンを呼んだ。
「見たまえ」と青年の注意を縮小器に向けた。いまやそこには銀河系間空間が表現され、第二銀河系の一部がその一端に見えていた。「わしは一つの作戦を持っているが、それが実行可能か否かは、それがきみやウォーゼルや部下のリゲル人たちに、不可能なことを要求するものか否かにかかっている。きみは出発のとき、わしが戦略にくわしいといったな。わしはいまもっとくわしければいいと思う――すくなくとも、ボスコーンとわしが戦略の立て方で一致していることを確認できればいいのだ。だが、われわれが彼らの艦隊と銀河系のずっと外側でぶつかるということは確かだろう……」
「なぜです?」キニスンは驚いてたずねた。「もしわたしがアイヒミルでしたら、手持ちの船を全部ジャーヌボン周辺に集結させておきますよ! やつらはわれわれに戦闘をいどむことはできません!」
「まずい作戦だ。彼らの艦隊が宇宙空間に存在していること自体、戦闘を強制することだ。それも決定的な戦闘をな。ボスコーンの見地からすれば、もしわれわれを宇宙で撃滅すれば、それで万事けりがつく。もし自分のほうが負けたとしても、それは第一防御線にすぎない。ボスコーンの観測員は戦闘のもようを完全に報告するだろう。そしてボスコーンは検討すべき貴重なデータを手に入れるのだ。しかも彼らの前進基地がおびやかされるまでにさえ、かなり時間がある。
「われわれの立場として、ボスコーン艦隊が出撃してきた場合は交戦をこばむことはできない。その艦隊は強力なものにちがいないが、そうした艦隊を、あの銀河系の外側に無傷でほったらかしたまま銀河系へ突入していくことは、自殺的な行為だ」
「なぜです? 背後からつつかれることはうるさいかもしれませんが、それが破滅的なことになるはずはないと思います」
「そうではない。彼らは地球を攻撃できるし、おそらく攻撃するだろう」
「あっ――それは考えてもみませんでした。ですが、やつらはどのみち――艦隊を二分することはできないでしょう?」
「できん。彼らは地球が非常に強固に防衛されていて、われわれの艦隊が、ありきたりのものではないということを知っている。彼らはどちらかに全力を集中せざるをえまい――敵が勢力を二分するとは考えられない」
「QX。いつか閣下のことをわれわれの脳だといいましたが、確かにそうですな!」
「ありがとう。敵艦隊を探知ししだい、われわれは停止する。敵はわれわれを探知できるかもしれんが、まず、そういうことはあるまい。われわれは彼らを特殊な装置で探知しているからだ。しかし、それは重要ではない。わしが知りたいのは、きみたちが大艦隊を二分して、二つの大きな中空の半球隊形をつくれるかどうかということだ。敵はわれわれが交戦せざるをえないことを知っているから、おそらくかなり密接な隊形で接近してくるだろう。こちらは二つの半球――赤いライト――を、あそことあそこに配置する。敵が接近したら、こうして全艦隊を包囲してしまう。そういうことができるかね?」
キニスンは歯のあいだから調子はずれの口笛を長く低く吹いた。
「できます――しかし閣下、やつらがそれを探知したとしたらどうします?」
「どうして彼らにそんなことができるね? もしきみがタブル・エンド・タイト・ビーム・バインダーのかわりに探知器を用いれば、自分の艦隊でさえどれくらい探知できるか?」
「それもおっしゃりとおりです――二パーセントぐらいしか探知できないでしょう。やつらは、すっかり包囲されてしまうまで気がつきますまい。しかし、われわれの内側で球状隊形をとることはできます……」
「そうだ――そうすれば、やつらは戦術的優位に立つわけだ」司令官は認めた。「しかし、われわれは総トン数についてはとにかく、攻撃力については充分な優位をたもっているはずだから、その不利を補うことができる。またわれわれはスピードについても充分優越しているから、うまく敵の攻撃をかわせると思う。だが、きみは、彼らがわれわれと同様に敏速確実に艦隊を操作できると思うかね? わしはそんなことはありえないと判断する。もしわしが信ずるように、われわれがヘルマスの星団を攻撃したときと同程度の艦隊操作しか敵にできないとすれば――つまり、きみやウォーゼルや、この超大型タンクに匹敵するようなものを持っていないとすれば――どういうことになるかね?」
「その場合は、やつらには気の毒なことになるでしょうね。まるでひよこを池に突き落とすようなものです」キニスンは情況を説明されて、なるほどと思った。
「その作業にどのくらいかかるかね?」
「ウォーゼルとわたしとリゲル人全員でやって、十時間ぐらいだろうと思います――位置の計算と割り当てに八時間、位置につくのに二時間」
「充分な速さだ――思ったよりずっと速い。単式分析器と計算器に油をくれて、用意していたまえ」
やがて敵の艦隊が探知され、「噴射停止」の信号が発せられた。銀河文明の大艦隊は、ぴたりと停止した。待機している敵艦隊の探知能力すれすれの宇宙空間で動かなくなったのだ。八時間にわたって、二百人のリゲル人がぶんぶんうなる計算器のそばに立ち、それぞれがコースと距離に関する問題を一分十題の割合で解決しつづけた。その後、艦隊は二時間たらず自由航行を行なった。ヘインズは縮小器の中に、二つの赤い半球がみごとに形成されたのを見て大いに喜んだ。やがて二つの巨大な鉢型はへりとへりを接近させた。球体が容赦《ようしゃ》なく形成されはじめる。各艦は戦闘旗と標識旗をかねて、赤いK6Tスクリーンを展開する。かくして史上最大の宇宙戦闘が開始された。
ボスコーン人が艦隊を効果的に操作できないということは、すぐに判明した。艦隊が大きすぎるので、操作員に処理できないのだ。相手が同様に統制のとれていない艦隊だったら対抗できるだろうが、パトロール隊の慎重に計画され、厳密に時間をあわされた攻撃に対しては、個々の行動はどれほど勇敢で死にもの狂いでも無駄だった。
赤いスクリーンでおおわれた各艦は、一定のコースを一定の推進力で一定時間、突進する。命令は厳格で、所定のコース、速度、時間を逸脱《いつだつ》する艦は一隻もない。しかし、彼らは機会が到来すれば、通りすがりにあらゆる兵器で交戦できるのだ。そしてそういう機会は数えきれぬほど到来する。大艦隊の先頭単位は球状隊形のまま内側へ突進し、銀河文明の真紅の標識をつけていないすべての物体に、恐るべき第一次放射器を放射した。それらのビームが命中した相手は、二度とふたたび攻撃する必要がない。
ボスコーンの戦艦も反撃する。多くのパトロール艦の防御スクリーンは真紅《しんく》の標識をおおい隠すほどに加熱され、いくつかは破壊される。ボスコーンの支隊指揮官の中には多少とも団結的で先の見える者もあり、少数のパトロール艦はそれらの協同行動で包囲されて、圧倒的な集中攻撃によって消滅させられてしまう。しかし、それらの艦でも、破壊されながら第一次放射器で復讐する。したがって、こうしてつくられた空隙《くうげき》から脱出するボスコーン艦はごくわずかだった。
予定された瞬間に、パトロール隊の各戦艦はスクリーンとスクリーンをほとんど接触させて、巨大な赤い中空の球の一構成単位となった。命令と同時に、放射可能なすべての第一次放射器が、焼けきれる砲身を極力、すばやく交換しながら、たてつづけにビームを放射した。球体の内側は、たちまち白熱地獄と化する。このようなビームが二億本も放射されれば、広大な容積の空間でも、名状しがたい変化をうけざるをえないのだ。
エネルギーの洪水がひくと、目のきく観測員たちが作戦区域を検査する。そこには粉砕された白熱の残骸以外何も存在していない。球体がしぼられる過程で小数の敵艦が脱出したが、球体の内側で、この集中攻撃に耐えた戦艦は一隻もなかった――ボスコーンの五千の連合艦隊のうち、ジャーヌボンへ帰還したものは一つもないのだ。
「五十八号作戦――開始!」ヘインズが命令すると、大艦隊はふたたび進撃に移る。少しの待機もためらいもない。すでにあらゆるコースと時間が計算され、割り当てられているのだ。
パトロール隊の無敵艦隊《アルマダ》は、ほとんど勢力をそがれぬまま、第二銀河系へ突入する――ジャーヌボンを含む太陽系へ到達し――そしてそれを包囲する。ふたたび、銀河文明の尖兵《せんぺい》の真紅のスクリーンは、前進基地が放射する強力なビームをあびて、目もくらむような白熱光の中にほとんど見えなくなった。ふたたび、小数の艦は防御装置を上まわるようなエネルギーの集中攻撃をこうむって破壊される。しかし、この戦闘も激烈ではあるが短時間で終了した。第一次放射器の地獄的なエネルギーには、いかなる可動物体もながくは耐えられないのだ。かくして、武装された小惑星も消滅する。
「五十九号作戦――開始!」大艦隊は暗黒の惑星ジャーヌボンに迫る。
「六十号!」大艦隊は宇宙空間で巨大な円筒形を形成し、運命のつきた惑星を、その軸の中心に包囲する。
「六十一号!」牽引ビームと圧迫ビームが艦から艦へ、艦から惑星へと投射される。パトロール隊側には、アイヒ族の科学者が惑星を無慣性にできるかどうかがわかっていないが、こうなればもう、どちらでも同じことだった。いまや惑星と艦隊とは強固な一体を形成した。
「六十二号――放射!」ジャーヌボンの全表面をおおった要塞めがけて、恐るべきビームがすさまじい威力をもって放射される。このビームの前には、従来のボスコーンの戦艦や可動要塞の防御スクリーンはいとももろかったのだ。
しかし、こんどの攻撃目標は、可動建造物の限定された防御施設ではない。アイヒ族は全銀河系の全資源を支配している。彼らの発生器や導線は数にも規模にも制限がない。だから、アイヒミルは従来の出来事を考慮して、ジャーヌボンの防御を、同僚のひとりが狂気の沙汰だとあざけったほどに強化しておいたのだ。
いまや、それらの想像を絶して強力なスクリーンは、その抵抗力を限界までテストされる。ほとんど固体に近いビームは、たてつづけにスクリーンをうち、はね返されたことを憤激するかのように、何マイルもの閃光を放って地上に散乱する。ビームははだかのまま、またはQ型螺旋砲に包まれて放射され、くいこみ、ひき裂き、えぐり抜く。ときおり半ダースものビームの集中攻撃で防御スクリーンが部分的に破壊されるが、それもほんの瞬間でしかない。そしてパトロール隊の放射器のあらたに考案された砲身でさえ、ボスコーンの言語に絶する強力な防御を効果的に貫徹《かんてつ》するほど長くは、そのすさまじい負荷に耐えることができなかった。また、ジャーヌボンの攻撃兵器も、それにおとらず強力だった。
純粋のエネルギーからなる棒、円錐、平面、はさみなどが、えぐり、切り、突き刺し、なぎはらう。いっぱいにデュオデックをつめた爆弾や誘導魚雷が、赤いスクリーンをまとった艦を追求する。大気との接触を防ぐためにQ型|螺旋《らせん》砲に包まれたビームが、パトロール艦の防御スクリーンに激突してそれを貫く。そのビームはパトロール隊の第一次ビームにほとんど匹敵《ひってき》する密度を持ち、有効口径は百倍もあるのだ。しかも、それらは単独に放射されるのではない。同時に八本、十本、十二本と集中して、遠征艦隊の戦艦をつぎつぎに捕捉《ほそく》し破壊していくのだ。
アイヒミルはご満悦だった。「われわれは彼らの攻撃を持ちこたえることができる。そして彼らを片っぱしから撃滅していくのだ」彼は映像盤を見つめながらいった。「負の物質爆弾を投射するがいい! 彼らは放射器を使い捨てているから、無限にそれをつづけることはできぬ。彼らを宇宙から抹殺《まっさつ》してやろう!」
彼はまちがっていた。大艦隊は大損害をこうむるまで、ぐずぐずしていなかった。すでに円筒形が形成されつつあるうちから、キニスンはソーンダイクとすばやく、しかし慎重に協議をかわし、固有速度、方向、速度を点検していた。「QX、ベルヌ、切れ!」彼は叫んだ。
円筒隊形の両端の内側に一つずつすえられていた二つの惑星が、キニスンの命令一下、有重力状態に移行し、同時に毎秒三〇マイルほどのまったく反対方向の固有速度を回復した。かくして、アイヒ族が予期していた負物質爆弾のかわりに、ごく平凡な、しかしまったく不可抗的な二個の惑星が、大艦隊の形成する巨大なチューブの軸に沿って、ジャーヌボンめがけて投射されたのだ。アイヒ族が自分たちの惑星を無重力にできたか否かは、ついにわからないことになった。無重力だろうが有重力だろうが、結果は同じだったろう。
「パトロール隊の各艦のY14M員、注意!」ヘインズが命令した。「かたくなることはない。気楽にしろ。時間は充分ある。わしが命令してから一秒以内なら、じゅ――う――ぶ――ん――に――ま――にあう……≪おわり≫!」
二つの惑星は、運命きわまったジャーヌボンを中心にして、たがいに接近して行く。三つの惑星があと二秒以内に接触するというとき、ヘインズは命令をくだす。それと同時に、すべての圧迫《あっぱく》ビーム、牽引《けんいん》ビームが解放される。パトロール隊の各艦はすでに無重力状態にある――ジャルトの惑星があったところを立ち去って以来、どの艦もずっと無重力状態だったのだ――したがって、飛散する破片によって損害を受ける危険はない。
三つの惑星は接触した。彼らはまず、べったり合体する。周囲を囲んだ戦艦は、超過熱された大気のすさまじい爆発を受けて、かるがるとただよい離れる。ジャーヌボンはまっ二つに割れて飛沫を散らす。何十億トンもの熱した岩漿《がんしょう》がどっとあふれ出る。二つの惑星は、その質量と速度が生みだす想像もおよばぬ運動量で、かつて惑星だったものを突き抜け、接触し、かみあい、激突する。そしてくだけながら陥没《かんぼつ》する。山ばかりではなく、惑星の全半球が分解し四散する。人間の目が、かつて見たことのないような巨人的な発作《ほっさ》だ。あらゆる運動が熱を発生する。二つの惑星の転移の運動エネルギーが熱に変化したのだ。脱出の余地のない熱は、いやがうえにも狂気のようにたかまっていく!
惑星の破片は依然《いぜん》として落下しあい衝突しあい、たがいに溶解し――沸騰《ふっとう》し――白熱的に気化している。三つの分解した惑星の総質量は平衡《へいこう》に達しはじめる。そしてすさまじい運動エネルギーが、純粋の熱エネルギーに変化するにつれて、いよいよ温度が上昇していく。高く! 高く! 高く!
そして、銀河パトロール隊の大艦隊が第一銀河系へ向けて銀河系間空間を突進しはじめたとき、その後方には、すでに長い歴史を有する一恒星に所属して、小型で比較的低温の、おそらく短命と思われる新しい惑星が輝いていた。
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二五 独立から従属へ
凱旋の大騒ぎはすんだ。戦勝祝賀会は、まだはじまっていない。おもしろいことだが、ヘインズはあらかじめ、キニスンとの協議時間を確定しておいた。そしていまや、ふたりは司令官の私室でフェイアリンのびんをあけていた。彼らは何も協議していなかった――一見したところでは。
「麻薬局がきみをやかましく呼びたてているぞ」ヘインズは、やがて仕事に話を向けた。「だが、彼らは麻薬業者《ズウィルニク》一味を一掃するのに、きみの援助が必要だというのではない。ただきみといっしょに仕事がしたいのだ。だからわしは、なるべく外交的辞令を用いて、エリントンを撃退しておいた。ヒックスもきみをほしがっている。スペンサーやフレリンギーセや、そのほか何千人もいる。あのくずかごいっぱいのくずを見たかね? みんなきみに対する要請で、きみの決裁を求めているのだ。だから、わしがああして決裁した――円形ファイルの中へほうりこんだのだ。いいかね、きみにはある重大な任務が……」
「いけません、閣下、いけません――ちょっと待ってください!」キニスンは訴えた。「それがすぐやらなければならないことでなかったら、ちょっと休憩をいただけませんか? 二つ三つすることがあるんです――処理しなければならないことです。どこかへ飛んで行くことになるかもしれません」
「パトロール隊の仕事より重要なものかね?」ヘインズは冷淡にたずねた。
「すっかり片づくまではそうです」キニスンの顔はまっかに燃え、目はそれをいうのに精神的努力が必要なことを示していた。「宇宙でもっとも重大な問題です」彼は平静に、しかし頑強にいった。
「いいとも。もちろんわしはきみに命令できんのだから……」ヘインズは失望したときのくせで、眉をひそめた。
「やめてください、閣下――そうおっしゃられるとこたえます。正直なところ、できるだけ早くもどってきます。そして、あなたのお望みのことならなんでも……」
「それで充分だ」ヘインズは立ちあがってキニスンの両手を自分の両手で握った――しっかりと。
「わかっているよ、きみをこんどのちょっとした遠乗りに連れて行ったことを許してくれたまえ。だが、きみもマックもひどく悩んでいるな! きみは若くて血の気が多いから、全宇宙を自分の肩にしょいたがっている――やむをえんことだ。しかし、きみは遠くまで飛んで行く必要はあるまい」彼は自分のクロノメーターをちらりと見やった。「きみの未処理問題は基地病院七二九五号室にいるはずだ」
「へえ? ではご存知だったのですか?」
「知らない者があるとでも思うのか? どこかの後進種族の中には、きみと例の赤毛美人のことを全部、知らない者も多少あるかもしれんが……」キニスンの姿はもうなかった。
キニスンは建物からとびだすと、グレー・レンズマンの特権を行使して、これまでいつも子どもっぽい気分でやりたがってはいたが、実際にやろうとは考えてもみなかったことをやってのけた。彼はするどく口笛を吹き、レンズをつけた腕をふりながら、つねにヘインズのオフィスの前に待機している快速地上車の運転手に向けてレンズで思考を投射した。
「基地病院へ――全力緊急噴射!」彼は命令し、運転手は応ずる。運転手は緊急事態が好きなので、長く低く幅の広い快速車は、耳をろうするような排気音と、酷使されて焼けるゴムの悲鳴とともに発進する。二つの推進器は火を吐き、吠え猛《たけ》る車の前方には、目に見えるだけでなくさわって感じられるほど濃厚な二本の赤い光線が、数マイルも投射される。同時に四つののどを持つ強力なサイレンが、しゃがれた悲鳴をたてはじめ、多少とも道路走行の権利ありと考える可能性のあるあらゆる交通機関――とくに警察車、消防車その他の一般的緊急車――に対して優先権を要求して獲得して行く!
「ありがとう、ジャック――待つ必要はないよ」病院の入口でキニスンは、緊急診療の手続きをして廊下を急ぎ足に進む。急行エレベーターが彼を七十二階まで一気に運ぶが、彼の性急さはそこで完全に消滅する。ここが看護婦居住区画だということに突然、気がつく。こんなところに用はない……いやあるのだ。彼は七二九五号室を見つけてドアをノックする。勇敢にたたいたつもりだったが、発生した音は驚くほど小さい。
「おはいりなさい!」澄んだコントラルトが答える。それからちょっとして、もっとするどくいう。「おはいりなさい!」しかし、グレー・レンズマンはその呼びかけにしたがわない、いや、したがえないのだ。ことによると彼女は……勝手にしろ、このフロアには用はなかったのだ! なぜ彼女に電話をかけるか、思考を伝達するしかなかったのだ……? いまもなぜ思考を伝達しないのだ?
ドアが開いて、戦区看護婦長が、いささかいらだったようすであらわれた。相手を見たとたん、彼女の両手はのどもとへはねあがり、目は信じられない喜びに見開かれた。
「キム!」彼女は夢中で叫んだ。
「クリス……ぼくのクリス!」キニスンはおずおずとささやいた。何分かのあいだ、このふたりの制服姿の銀河パトロール隊員は、しっかりした若い腕をつっぱらせて、部屋のしきいの上に身動きもせずに立っていた。看護婦はしみ一つない清潔な白衣を、レンズマンのしなやかなグレーの服にはげしく押しつけた。
「おお……わたくし、ほんとに会いたかったわ」彼女は小声で訴えた。ふだんから甘くゆたかな彼女の声は、いまやまったく音楽のようだった。
「きみには半分もわからない。これがほんとうというはずはない――こんな楽しいことはありっこないんだ!」
「あなたはもどって来たのね――ほんとにもどって来たのね!」彼女はたのしげにいった。「あなたがこんなに早くもどってこられるなんて、思ってもみなかったわ」
「そうせずにいられなかったんだ」キニスンは深く息を吸いこんだ。「とてもがまんできなかったんだ。つらいことかもしれないが、きみのいうとおりだ――パンが半分でも、ないよりはましなんだ」
「もちろんそうよ!」彼女は最初の抱擁《ほうよう》の最初の夢見心地からさめると、からだを――一部だけ――離し、彼をいたずらっぽく見やった。「教えてちょうだい、キム。この思いがけない事件には、レーシー先生が手を貸していらっしゃるの?」
「いいや」彼は否定した。「ぼくはずっと彼に会っていない――だが待てよ! ヘインズがぼくにいったっけ――そうだ、あのふたりの石頭おやじが、こういうお膳だてをしたのかもしれないな。きみはどう思う?」
「石頭おやじとはだれのことだ?」ヘインズが――自身でたずねた。キニスンは恍惚《こうこつ》とした陶酔に深くひたっていたので、さすがの知覚力も≪留守≫になっていた。そしてそこに、有頂天《うちょうてん》のふたりから二ヤードと離れていないところに、問題のふたりの老レンズマンが立っていたのだ!
ふたりの罪人は面目《めんぼく》なげに赤面してとび離れたが、ヘインズは、まるで何も異常なことがいわれも行なわれもしなかったかのように、平然としてつづけた。
「われわれはきみたちに十五分の猶予《ゆうよ》を与えた。それから、きみたちがお祝いかどこかに出かける前につかまえようと思ってあがってきたのだ。相談したいことがあるのでな」
「QX。みんさんおはいりください」看護婦はそういいながら、誘うようにわきへのいた。「ご存知でしょう、看護婦が異性の訪問者を自室でもてなすのは重大な規則違反ですわ。一回の違反ごとに罰点五十。たいていの娘はひとりのグレー・レンズマンをもてなすチャンスさえないのに、わたくしは三人もだわ!」彼女はおかしくてたまらないようにくすくす笑った。「これはわたくしの成績簿に百五十の黒星をつけられるような違反じゃありませんこと? おまけに、軍医総監レーシー、空港司令官ヘインズ、独立レンズマン、キムボール・キニスンの三人は、みんな営倉送りになるんですわ。おもしろいじゃありません?」
「相手がきみみたいな美人でも、そういうたくらみにひっかかるにしては、レーシーは老いぼれすぎてるし、わしは道徳堅固すぎるな」ヘインズはすましていいながら、寝台用長椅子に腰をおろした――この部屋でいちばんすわり心地がいい場所だ。
「老いぼれだと? 道徳堅固だと? ばかをいえ!」レーシーは「あとでおぼえていろ」というように司令官をにらみつけてから、看護婦をふりむいた。「心配しなくてもいい、マクドゥガル。罰をくうことはない――規則は現役の看護婦にだけ適用されるのだ……」
「でもどうして……」彼女は抗議しかけたが、途中で言葉をとぎらせ、すぐ調子を変えていった。
「つづけてください――あなたのなさることはおもしろいですわ。わたくし、こういうやり方が好きになってきました!」彼女の目は輝き、声はあらわな好奇心でふるえていた。
「彼女は、のみこみがはやいといったろう?」レーシーは満足そうにいった。「彼女は一秒もだませないのだ!」
「ですが――その――これはどういうわけなんですか、そもそも?」キニスンはたずねた。
「気にするな。きみにも、もうすぐわかるさ」レーシーがいった。
「キニスン、きみはあすの午後、銀河評議会の会合に出席するように、緊急の要請を受けているのだ」ヘインズがいった。
「へえ! こんどは何が起こったんです?」キニスンは不服そうにいった。彼の腕は彼女のしなやかな腰をかたく抱きしめ、彼女は身をすり寄せた。彼女の目は好奇心にみちた光が、ある予感でやわらぎはじめた。
「昇進だ。われわれはきみをある職につけたい――銀河調整官とか銀河監督官とかいったものだが――まだ名称はきまっていない。簡単にいえば、かつてランドマーク星雲として知られていた第二銀河系の長官だ」
「待ってください、閣下! わたしはそんな仕事を処理できません――そんな能力がないのです!」
「きみは新しい仕事を割り当てられるたびに、力不足だといってわめきたてるが、期待にそむいたためしがない。きみ以外のだれにまかせられるというのだ?」
「ウォーゼルです」キニスンはためらいがちにいった。「彼なら……」
「ばかをいえ!」老レンズマンは鼻息をたてた。
「では……ああ……ええ……」彼はだまった。クラリッサは口を開いたが、どきまぎしながら一言もいわずにまた閉じた。
「いいたまえ、マクドゥガル。きみは利害関係人だ」
「いいえ、やめますわ」彼女はみごとな頭をふった。「わたくし、何かの意味で彼の決断をゆるがすようなことを、いったり考えたりしたくありません。それに、いったとしても、彼はいまと同じように、とびまわらないわけにいかないでしょう」
「もちろん、ある程度とびまわる必要はある」ヘインズは認めた。「あの銀河系はすみからすみまでだが、この銀河系でもいくらかとびまわるだろうし、二つの銀河系のあいだを行ったり来たりすることもあろう。だが、ドーントレス号が――さもなければ、何かもっと大型でもっと速い新式の船が――彼の私用ヨットになるだろう。それに、彼がひとりでとびまわることが必要だとか望ましいとかいう理由はないと思う」
「そんなことは思ってもみませんでした!」キニスンはだしぬけに叫んだ。彼の心中でさまざまの思いが駆けめぐりはじめた。クリスをしょっちゅう身近におきながら、第二銀河系の混乱を収拾するためにどんなことをしたらいいだろう?
「まあ、キム!」クラリッサは歓喜にみちた叫び声をたてて、彼の腕を自分のわき腹にいっそうかたく押しつけた。
「釣れたぞ!」レーシーは勝ち誇ったように笑った。
「ですが、わたしは隠退《いんたい》しなければならないでしょう!」幸福にあふれたキニスンの胸中で、それだけがしこりだった。「わたしはそれがいやなんです」
「そうだとも」ヘインズはうなずいた。「だが、おぼえておいてほしいのは、このような任命が、すべて条件的なものだということだ。これは本人の承認によってはじめて有効となり、そのレンズマンが緊急と判断した場合には、それを放棄できるという、明確な承認をともなっているのだ。もしグレー・レンズマンが、みずからもっとも有効だと判断する方法でパトロール隊に奉仕する権利を放棄せざるをえないとしたら、われわれは執行官になる前に射殺されてしまうにちがいない。そして最後に、われわれが問題にしている任務を一種の隠退と考える必要はないと思う。きみは現在同様、活躍するだろう――そうだ、もっと活動するかもしれん。わしの判断がまちがいでなければな」
「QX。わたしはそこへ行きます――努力してみますよ」キニスンは約束した。
「ところで、もう少しニュースがある」レーシーが継げた。「ヘインズは話さなかったが、彼は銀河評議会の議長に任命されたのだ。そして彼の最初の人事がきみなのだ。わしはこの老いぼれの悪党のことはほめたくないが、この男にはひとつだけすぐれた能力がある。彼は自分ではたいして知識もなく実行もしないが、自分を補佐する人間を選びだすことだけはうまいのだ!」
「そんなことよりはるかに重要な問題がある」ヘインズはその賛辞を自分からそらした。
「待ってください」キニスンが口をはさんだ。「わたしにはまだ全部わかっていません。さっき、レーシー先生が、現役の看護婦について冗談をいわれましたが、あれはどういうことです?」
「あら、レーシー先生は、わたくしが退職したことを、それとなくいわれただけよ、おばかさんねえ」クラリッサはくすくす笑った。「わたくし自分でもそのことを少しも知らなかったわ。でも、それは、この会議がはじまる直前のことだったにちがいないと思うわ。そうじゃありませんこと、先生?」彼女は無邪気にたずねた。
「あすかもしれんし、きのうかもしれん――いつでもいいのだ」レーシーはおだやかに承認した。
「キニスン、きみも知るように、マクドゥガルはおそろしくいそがしいからだだった。それに、結婚の準備には時間がかかる。そういうわけで、われわれはしぶしぶ彼女の退職を承認したのだ」
「パトロール隊がこれから主催しようとしているような結婚式の場合は、とくに準備に時間がかかるのだ」ヘインズが注釈した。「わしはさっき、キニスンにひどく無作法にさえぎられたが、あのときわしが話そうとしていたのは、そのことだったのだ」
「だめです! ぜったいにいけません!」キニスンは叫んだ。「すぐ取り消してください――そんなことはたまりません――わたしはとても……」
「取消しなどとんでもない。ひっこんでいるんだな、キム」司令官は断固としていった。「花むこは姿をあらわす――ほんのちょっぴりな――だがそれだけのことだ。花むこに発言権はない。結婚式というのは、花嫁が真価を発揮する場所だ。銀河文明の脅威ともいうべき花嫁さんの意見はどうかね?」
「おっしゃるとおりですわ!」彼女はいきいきと叫んだ。「わたくし、そういうことが≪好き≫なんです……」彼女はびっくりしたように口をつぐんで頭をたれた。「いいえ、わたくし取り消しますわ。キムが正しいんです。どっちにしても、ほんとにありがとうございます。でも……」
「でも、なんぞ不必要だ!」ヘインズが口をはさんだ。「わしにはどういうことかわかっとる。古狸をだまそうとしてもだめだ。ばかなまねはやめろ。この結婚式はパトロール隊が主催するといったら主催するのだ。きみたちはその行事に参加しさえすればいい。金は持ってるかな、キニスン? わしがいうのはきみ個人の金だぞ」
「持っていません」キニスンは驚いて答えた。「金を何に使うんです?」
「ここに一万信用単位ある――パトロール隊の基金だ。これをとっておきたまえ。そして……」
「いけません!」看護婦は叫んだ。「だめです! ほんとにいけませんわ、閣下。花嫁は自分で自分の衣装を買わなければいけないんです!」
「彼女のいうとおりだよ、ヘインズ」レーシーがいった。司令官は、腹だたしい驚きをこめて彼を見つめた。クラリッサでさえ、自分の言い方があっさり認められたのに拍子《ひょうし》抜けしたらしい。
「まあ、聞くがいい。わしは軍医総監として、戦区看護婦長クラリッサ・メイ・マクドゥガルの献身的奉仕、戦火のもとにおける不屈の勇気、義務または合理的に期待されるところを超越した行動等々を認め、彼女の退職を機として、ここに一万信用単位の賞与を与える。これは本日十二時づけで記録にとどめられる。
さて、赤毛のじゃじゃ馬さん、きみがこの賞与を受けとることをこばめば、わしはきみの退職を取り消して、仕事に復帰させるが、きみの意見はどうかね?」
「ありがとうございます、レーシー先生。ほんとに、あ……ありがとう……おふたりとも……あなたがたおふたりは、世界一すばらしい方ですわ。わたくし……わたくし……大好きです!」幸福な娘はふたりにキスしてから、キニスンをふりむいた。
「十マイルばかり散歩しに行かない、キム? わたくし、≪なにか≫しなければ、爆発してしまいそうだわ!」
そして長身のレンズマン――もう独立ではない――と美しい看護婦は、ホールを歩き去って行った。
肩をならべ、足なみをそろえ、頭を起こして笑いながら。それはふたりの共同生活を象徴する門出《かどで》だった。(完)
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E・E・スミスについて
膨張する宇宙、という理論が、ドップラー効果の応用によって公式化されたのが一九一二年、そしてアンドロメダ星雲が、単なる星の集団ではなく、実はわれわれの銀河系宇宙とまったく対等の規模をもつ島宇宙であるとわかったのは一九二〇年代の初め、だそうである。時期的には、アインシュタインの相対性原理の発表と一致している。こうした天文学の発達を考慮に入れると、一つの疑問が湧いてくる。つまりSF作家のイマジネーションが、大宇宙の渺《びょう》たる砂粒にも等しい銀河系という限界を破るために、なぜ、一九二八年まで、つまりE・E・スミスの「宇宙のスカイラーク」の出現まで待たなければならなかったのか、という謎である。理由は判然としない。
エドワード・エルマー・スミスは一八九〇年五月二日、ウィスコンシン州に生まれた。五人兄弟の下から二番目で、父親は元捕鯨船の乗組員であったが、やがて北部アイダホ州に移り、百六十エーカーの土地を元手にして、グレイト・ノーザン鉄道の食堂車にベイキング・ポテトを納める仕事を始めるようになった。しかし家業はかならずしも順調にいかず、エルマーもふつうなら当然、大学進学は断念するところであったが、兄や姉の援助によってアイダホ大学で工業化学を専攻、百六十単位の試験にすべてAをとるという秀才ぶりを発揮した。スミス家の五人兄妹は、きわめて仲がよく、後年E・Eが世に出るまでも陰に陽にこの兄姉たちの援助を受けている。大学卒業後はワシントンの合衆国商務省に勤めることになったが、一九一五年にかつてのクラスメートの妹ジァンヌ・クレーグ・マクドゥガル(読者よ、想起せよ、これはキニスンの恋人の名前である)と結婚、彼女が速記者として働いて家計を助け、一九年には念願であった文学博士号をワシントン大学から授与されている。
ところで、E・Eの創作活動は一九一五年の夏から始まっていた。あるむし暑い晩、友人のカール・D・ガービー博士と大気圏外宇宙の温度について議論し、その時の話をガービーから聞いた彼の妻、リー・ホーキンス・ガービーは、スミスのアイディアをぜひ小説化するようにすすめたのである。E・Eは当時「アーゴシー」誌の定期読者で、そこに載っているSFを愛好していたし、ウェルズ、ベルヌ、ハガード、そしてE・R・バローズのファンでもあった。(むろんそれ以外に詩、哲学、古代中世史、英米文学一般もたしなんでいた。) そこで彼は苦手とする恋愛描写はガービー夫人にまかせることにして、合作を始めたが、三分の一ほどで中絶、四年後の一九一九年に興味を再燃して、こんどは独力で完成し、一九二〇年の春から、その原稿はアメリカ中の出版社のあいだをたらい回しされることになった。
それから八年後、「アメージング・ストーリーズ」の編集長、T・オコーナー・スローンが、その原稿を採用し、こうして処女作「宇宙のスカイラーク」は陽の目を見ることになった。スペース・オペラの世界が、初めて銀河系を越えて他の島宇宙にまで突入することになったのである。処女作の好評に応えてスミスは続編を同誌に執筆し(「スカイラーク3号」 一九三〇年)、当時としては破格な一語3/4セントの原稿料を得て、一躍、人気作家となった。アメージング誌の原稿料は最高が一語1/4セントだったというから、スミスの人気たるや、推して知るべしである。
翌三一年五月からは、新シリーズ「惑星連合の戦士」Spacehounds of IPC を同誌に連載した。むろんスペース・オペラではあるが、舞台が太陽系の域内であることから、読者から抗議が殺到し、編集長のスローンも読者と同意見で、次の作品では舞台設定を銀河系間まで拡大するようにすすめた。
こうしたいきさつをへて、つぎに書いた作品が、後年、「レンズマン・シリーズ」の第六巻に編入された「三惑星連合軍」である。三四年一月号から四回にわけて「アメージング」に連載されたこの小説は、銀河系外の星から迫る脅威にたいして、地球、火星、金星が連合して対抗するという、当時としては大仕掛なストーリーである。科学的にみれば、この作品において、初めて超光速飛行を可能ならしめる無慣性航行なる概念が導入されたことに注目しなければならない。可能性の有無はべつとして、理論的には現在でもこの方法が光速を凌駕《りょうが》する手段としては最上のものとされているのである。
ついで同年八月、スミスは一転して「アメージング」の競争誌「アスタウンディング・ストーリーズ」に「ヴァレロンのスカイラーク」の連載を始め、第一回の掲載と同時に「アスタウンディング」は部数を一万部延ばし、創刊以来、初めて黒字を記録するというほどの好評を博した。この連載の継続中「アメージング」と「ワンダー」の二つのSF雑誌は、新興の「アスタウンディング」に押されて、ついに廃刊の憂き目にあっている。
ところで第一次大戦の末頃に、スミスは商務省をやめてミシガン州のF・W・ストック&サン会社の技師長に就任し、ここで≪ドーナッツ・ミックス・パウダー≫の開発と研究に従事するかたわら、執筆活動を続けていたのだが、三六年には同じミシガン州のダウン・ドーナッツ会社に移り、給与のほかに、利潤の分配も受けることとなった。もっともこの会社は赤字続きだったので、そこから脱却するため、スミスは当初の一年間は休みも返上して一日十八時間働き、新しい機械の考案や設計に没頭したという。そしてこのあとに、歴史的な「レンズマン・シリーズ」四部作の構想が生まれるのである。「銀河パトロール隊」から「レンズの子ら」までの四部作は三七年九月から第二次大戦を中にはさんで四八年まで断続的に「アスタウンディング」誌に連載され、名実ともにスペース・オペラの決定版という評価を獲得した。現在のSF読者にとっては、銀河共同体ないし銀河帝国なる概念はすでに常識化しているが、このアイディアを明確な形で作品の上に現わしたのはこの「レンズマン・シリーズ」をもって嚆矢《こうし》とする。また、ここでは主役の主人公のほかに、アリシア人とエッドール人という二つの主動者 Prime Mover が、善と悪を表象する形で、重大な役割を演じているが、このアイディアも、後年、A・E・ヴォークトやアシモフなどのSFに直接、大きな影響を与えている。
「レンズマン」四部作簡潔後、一九五〇年にファンタジー・プレスが、このシリーズを単行本化する際、スミスは旧作の「三惑星連合軍」にあらたに六章を追加して、大幅な加筆訂正をおこない、さらに四部作と「三惑星連合軍」をつなぐブリッジ・ノベルとして「ファースト・レンズマン」を書きおろしたことは、一巻の「ノート」で書いたとおりである。ここにドク・スミス畢生のライフ・ワークは完成した。
スカイラーク、レンズマン両シリーズ以外に、スミスの作品としては、前記した「惑星連合の戦士」や「大宇宙の探求者」、The Galaxy Prime などがあるが、両シリーズの名声の前にはいささか影が薄い。
一九六三年九月一日、第二十一回世界SF大会がワシントンで開催された。そのとき、七十三歳のE・E・スミスは招かれて、長年にわたるSF界にたいする貢献をたたえ、ホール・オブ・フェイム賞を贈られた。アスタウンディング誌の編集長としてE・E・スミスとは因縁浅からぬSF作家ジョン・W・キャンベルが、祝辞を述べて「スミスはサイエンス・フィクションに最後の一大敵陣突破を敢行した。われわれは、つぎの敵陣突破をするものの出現を待望している」と語った。
白内障《そこひ》のため、両目とも失明に近い状態のスミスが、賞を受けとった。そのとき列席者のひとりが、質問した。
「つぎの作品はなんですか、ドク?」
スミスの手はかすかにふるえていたが、声は明瞭で、しっかりしていた。
「つぎの作品の題名は、『スカイラーク対デュケーヌ』です」と。
これはSF評論家サム・モスコウィッツが伝える印象的な場景だが、そのことばどおり、六五年にスミスは「スカイラーク対デュケーヌ」を完成し直後に没した。(厚木淳)