レンズマン・シリーズ1
銀河パトロール隊
E・E・スミス/小西宏訳
目 次
一 卒業
二 指揮をとる
三 救命艇へ
四 脱出
五 ウォーゼルの救援
六 デルゴン人の催眠術
七 デルゴン貴族の消滅
八 獲物の反撃
九 故障
一〇 惑星トレンコ
一一 海賊の総基地
一二 キニスンの成功
一三 空飛ぶ鉄槌
一四 独立レンズマン
一五 おとり
一六 キニスン、車輪人間に出会う
一七 たいしたことじゃない
一八 高等訓練
一九 裁判官、陪審員《ばいしんいん》、そして死刑執行官
二〇 美女争奪
二一 第二の線
二二 試験準備
二三 トレゴンシー麻薬業者《ズウィルニク》と化《か》す
二四 キニスン内側から穴をあける
スペース・オペラの道標《メルクマール》
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登場人物
キムボール・キニスン……地球人、本編の主人公、レンズマン
ヘインズ……地球人、銀河パトロール最高基地司令官
フォン・ホーヘンドルフ……地球人、レンズマン候補生学校長
ヘンリー・ヘンダスン……地球人、銀河パトロール隊員、チーフ・パイロット
クラリッサ・マクドゥガル……地球人、銀河パトロール基地の美人看護婦
バン・バスカーク……オランダ系バレリア人、パトロール隊員
ウォーゼル……ヴェランシア人、ドラゴンに似た有翼の爬虫異生物、のちにレンズマン
トレゴンシー……リゲル人、ドラム缶状の異生物、レンズマン
ヘルマス……宇宙海賊ボスコーンを代表する独裁者
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用語解説
[ビーム Beam] エネルギーを光に変えて集束したもの。攻撃用としては敵の物体を固定させる牽引《トラクター》ビーム、溶解性熱線を放射する大型から半携帯式デラメーター、携帯用の光線銃《レイ・ガン》まで、さまざまの形式がある。物体に穴をあける針光《ニードル》線もその一種。また通信用電波としても使用する。
[スクリーン Screen] 遮蔽膜《しゃへいまく》。強力なエネルギーを持つ磁場を展開して、敵のミサイルや攻撃ビームを防ぐ防御兵器。|防 御 壁《ウォール・シールド》(Wall-Shield)、|障 壁《バリヤー》(Barrier)などもこれと同工異曲のもので、小は人間や物体から、大は一つの惑星全体を包んで遮蔽効果を発揮する。
[宇宙船エネルギー Cosmic-energy] 太陽系から太陽系へ一瞬のうちに航行する超光速宇宙船の推進動力として開発されたもので、感受器《リセプター》で受け、変換器《コンバーター》を経て|蓄 積 器《アキュムレーター》に貯えられる。蓄積器は電気の場合のバッテリーに相当し、各種のビーム、スクリーンなどのエネルギー源にも使用する。原子力や化学燃料とちがって補給は無制限と考えられる。
[「自由」航法 Free, Inertialess drive] 惑星間飛行には、種々の方法があるが、これもその一つ。慣性を中立化し無慣性(無重力)状態を作り出して航行する。宇宙船を動かす大型ドライブと個人の身につけるドライブとがあり、有重力と無重力飛行を適宜切りかえて使用する。
[エーテル、サブ・エーテル Ether, Sub-Ether] 宇宙空間。サブ・エーテルは亜空間と訳される。これはアインシュタインの相対性原理にもとづく概念で、宇宙空間にある歪みを利用して通信ないし航行することにより、数百光年の距離を瞬時にしてカバーする。
[パーセク Parsec] 天体の距離を示す単位で視差が一秒になる距離。三二五九光年にあたる。
[ダイン Dyne] 力の絶対単位。質量一グラムの物体に作用して、一秒につき一センチの加速度を生じる力。
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銀河パトロール隊
一 卒業
六月の朝の陽光を浴びて、燦然《さんぜん》と輝くクロームとガラスの殿堂《でんどう》。その九十階の建物は、眼下に二百平方マイルの敷地を見おろしてそそり立っていた。敷地内には、練兵場、空港、そして宇宙空港。この建物こそは、伝統を誇るウェントワース・ホールで、銀河パトロール隊の精鋭、レンズ部隊への編入を目指して訓練を受ける地球人候補生たちが、生活し活動している場所である。最上階の一翼では、いままさに大波のような緊張感がもりあがっていた。この一翼で起居《ききょ》をともにした第五クラスが、五年間の課程を終えて、きょう晴れの卒業式を迎えるからだ。数分後に、彼らは、Aという名の一室に出頭《しゅっとう》することになっていた。
A室とは、司令官の私室だったが、むしろ恐ろしい巣窟《そうくつ》と呼ばれてしかるべきものだった。候補生がそこに出頭を命ぜられることの意味は、ただ一つしかない。それは、彼が、このホールから、したがって候補生部隊から、消え去ることを意味していた。年々、一握りの卒業生が、その中にはいり、ある微妙な変化を受けてふたたびその部屋を出てくるのだった。
各自にあてられた鋼鉄《こうてつ》の小部屋で、第五クラス生たちは、お互いに精密な予備点検を行なった。パトロールの制服、すなわちスペース・ブラックと銀色の正装には、一点のしわもしみも許されない。カラーにつけた金色に輝く流星や、ぴかぴかに磨きあげた光線ピストルや、ベルトに付属した備品にも、いいさかのよごれや曇りがあってはならない。やがて、顕微鏡的相互点検は終了した。備品箱はきちんと口をしめられた。そして完成間近いレンズマンたちは、講堂のほうへ出ていった。
士官控室では、首席総代のキムボール・キニスン中尉を中心に、他の三人の中尉たち、クリフォード・メートランド、ラウール・ラフォルジュ、ヴィデル・ホルムベルグが、互いにこまかい点検を終わって、ますます高まる緊張の中で、ゼロ・アワーを待っていた。
「いいか、みんな、例の落下《ドロップ》に気をつけてくれ」若い中尉はいった。「われわれはこれまで、どのクラスがやったよりも速いスピードで、また、しっかりした隊形で、縦穴の自由落下を行なうのだ。もし誰かひとりでも、隊形を乱すと――いや、そんなことは、あってはならない。われわれの壮途《そうと》であり、隊の全員が注目しているのだ……」
「落下のことなら、心配無用だよ、キム」メートランドがなだめた。「三小隊とも、時計のように正確にやってのけるさ。それより、ぼくが、がたがたふるえるほど気にかかるのは、A室でいったいなにが起こるか、ということだ」
「う、うん、そのとおりだ!」ラフォルジュとホルムベルグが同時に叫んだ。キニスンもうなずく。
「諸君は、きっと堂々とやれる。全クラスの目の前でね。よし、もうすぐわかるだろう――さあ、出かけよう」
こうして、四人の士官たちは講堂に向かった。同期生たちは、彼らが近づくのを見て、さっと不動の姿勢をとった。
いまや機敏そのもののキニスン隊長は、数学的正確さで整列した列に目をそそいでいった。
「報告!」
「第五クラス、全員集合終わり!」准尉《じゅんい》がベルトの飾りボタンに手をふれた。とたんに、巨大なウェントワース・ホール全体が、宇宙にみなぎれとばかりの、軽快《けいかい》な、魂《たましい》をゆさぶるメロディーの衝撃に振動した。世界最高の軍楽隊が≪われわれのパトロール隊≫を演奏しはじめたのだ。
「小隊左、進め!」もちろん、ホールをゆるがす大音響の中では、どんな人間の声だって聞きとれるはずはなかった。それに、号令をかけるキニスンの口もとも、ほとんど動くか動かない程度だった。しかし、彼の命令は、命令を伝えようとする相手には――その相手にだけは――はっきりと骨のずいまでも伝達された。これは、彼らが胸につけているタイト・ビーム超通信器の働きによるものである。「間隔《かんかく》つめ、前へ、進め!」
五列縦隊はみごとな直線をなし、一糸《いっし》乱れぬ歩調《ほちょう》を保ちながら、集会室を出た。行く手には、縦穴が口を開いて彼らを待っていた。広さ約二十フィート平方ばかりの垂直の縦穴が、建物の土台からホールの屋根まで突きぬけて通っていた。なんの障害物もない一千フィート以上の空間である。それはいま、まばゆい赤色灯によって、いっさいの交通を遮断《しゃだん》されていた。五人の靴の、五つの左のかかとが鋭く鳴って、同時に恐ろしい奈落《ならく》のふちをけった。五つの右足が、空間にのり出した。五つの右手が、ベルトにかかった。そして、五つのからだは、正しく直立の姿勢をとったまま矢のように落下していった。馴《な》れぬ者の目には、不意に消滅《しょうめつ》したかと思われるほどの、驚くべき速度である。
十分の六秒後、軽快な行進曲のリズムにのって、十個のかかとが、ウェントワース・ホールの一階の床をうった。しかも、物音ひとつしなかった。衝撃の瞬間、彼らは秒速約二千フィートという速度で落下していったのだったが、彼ら五人の頑強《がんきょう》なからだは超高速運動の状態から、たちどころに、衝撃もなく抵抗もなく、静止の状態へと移っていった。というのは、この落下が慣性の完全な中立化、つまり宇宙用語でいう≪自由≫の条件下で行なわれたからだ。慣性は回復し、軍楽隊の演奏と完全に調子を合わせてふたたび行進がはじまった――というより行進が続行された。五つの左足がおどり出て、右のつま先が床《ゆか》を離れるやいなや、第二列の者は、きわめてわずかの間隔で、第一列の者が踏んでいた空間を確保していく。
一列また一列と、機械のような正確さで、歩《ほ》を進めていった。候補生たちが近づくと、A室の恐ろしいドアが自動的に開き、彼らを入れて、また、しまった。
「縦隊右、進め!」キニスンは、無声の声で命令した。クラスは時計のような正確さでそれに答えた。「縦隊左、進め!」「分隊右、進め!」「全体、止まれ! 敬礼《けいれい》」
なに一つ家具のない、巨大な四角い部屋で、クラスは一列横隊で鬼面《きめん》の男に向かい合った――候補生の司令官、フリッツ・フォン・ホーヘンドルフ中将である。やかまし屋、暴君、独裁者――要するに彼は、この組織全体の中にあって、情《なさけ》無用の人間の典型として知られていた。部下の前で感動や感情をあらわにすることは絶無といってよく、地球の歴史はじまって以来の、もっとも容赦《ようしゃ》ない訓練屋《くんれんや》といわれることを誇りとする人物であるかのようだった。彼のこわい白髪は、荒々しくかきあげられ、高くもりあがっている。左の目は義眼《ぎがん》で、顔には一ダースもの小さな糸状の傷あとがあった。これは、この時代の驚嘆《きょうたん》すべきプラスチック応用外科手術でさえも、完全になおすことのできなかった宇宙戦での負傷のあとだった。右脚と左腕もまた外見上はほとんど正常だが、実際には生来のものではなく、大部分が発達した応用医学の産物だった。
キニスンはこの半分機械製の上官に向き合うと、きびきび敬礼していった。
「閣下、第五クラス、出頭いたしました」
「よし、諸君、位置につきたまえ」老将は厳格に挨拶を返した。そのあいだに半円形の机が床《ゆか》からせり上がってきて、彼らをかこんだ。この机のもっとも目だつ特徴は、スプリント状の中空の物体を囲んだ複雑な機械装置だった。
「一番、キムボール・キニスン!」と、フォン・ホーヘンドルフは吠《ほ》えた。「前列、中央へ――進め!……宣誓《せんせい》を」
「全能の神かけて、わたしは銀河パトロール隊の名声をけっしてはずかしめないことを誓います」キニスンは敬虔《けいけん》にいった。そして、片腕をむきだして、中空の物体の中へさしこんだ。
司令官は「No・1、キムボール・キニスン」とレッテルのある小さな引出しから、一見ブローチのようなものをとりだした。それは、何百もの小さな純白の宝石をちりばめた一つのレンズ状のバッジだった。司令官は、絶縁ピンセットでそれをとりあげると、目の前の若々しいあかがね色の肌に、わずかにふれた。その一瞬の接触と同時に、電光のように、多彩《たさい》の火が宝石の上を走った。彼は満足そうに、このバッジを機械の中の、そのために用意された凹《くぼ》みに落とした。機械は、ただちに作用を開始した。
二の腕は、厚い絶縁体でつつまれ、型と枠《わく》が定位置におかれるとそこに、瞬間的に凝縮《ぎょうしゅく》された白熱《はくねつ》の閃光《せんこう》がきらめいた。やがて、型がはずされ、絶縁体がとり去られると、そこに、≪レンズ≫が現われた。レンズは、ほとんどこわれることのない不滅の金属の腕輪《うでわ》に埋めこまれて、キニスンのあかがね色の腕にはまり、しっとりとした光で輝いていた――それはもはや、白々と生気のない宝石のかけらではなく、流れるように輝くレンズ状の光の塊りだった。それは、立ち会った者のすべての目に、たえず変化する炎の輝きで、≪銀河パトロール隊≫レンズマンの誕生を告げていた。
同じ過程によって、クラスの各自が、階級をあらわす象徴《シンボル》をさずけられた。やがて、司令官は、おごそかな顔でボタンを押した。すると、平坦《へいたん》だった金属の床《ゆか》から、クッションのきいた椅子が卒業生の数だけ浮かびあがった。
「休め!」彼は命令した。そして、少年のように笑った――はじめて、この情無用の老暴君が、親しみを見せたのだ。クラスの誰にとっても、司令官に笑うことが|できようとは《ヽヽヽヽヽヽ》、思いもよらぬことだった――さらに彼は、奇妙に変化した声でつづけた。
「掛けたまえ、そして、一服《いっぷく》してよろしい。話をする時間は一時間ある。これだけあれば、事のあらましを諸君に説明することができよう。各自、好みの飲物を、椅子《いす》のひじかけから取りたまえ。
「いや、べつにたねも仕掛けもないのだよ」いぶかしげな視線にこたえて、司令官はつづけた。そして、話しながら、ヴェネリア産の大きな黒い葉巻《はまき》に火をつけた。「諸君はいまやレンズマンだ。もちろん、任務につくための、いろいろな形式的な手続きは、これからしなければならぬ。しかし、それは、たいしたことはない。諸君のひとりひとりは、レンズに生命があたえられたときに、事実上卒業をしたのだ。
「われわれは、諸君めいめいの好き嫌いを知っている。諸君には、それぞれ好みのたばこがある。チロットスンのピッツバーグ葉巻《ストギー》から、スノーデンのアルサカンの紙巻にいたるまで――もっとも、アルサカンは、惑星としてはここからずいぶん遠いが、それでも銀河系の中にはちがいないからな。
「また、われわれは、諸君が有害な薬物の誘惑から完全にまぬがれていることを知っている。そうでなかったら、諸君は今日ここに来てはいないはずだ。だから、たばこをのんでよいし、ゆっくりくつろいでよろしい。そして、わからんことはなんでも質問したまえ。できるだけ答えるようにしよう。話をさまたげるものはなにもない。この部屋は、既知《きち》の周波数を持ったいかなるスパイ光線からも、通信ビームからも、完全に遮断《シールド》されているのだから」
ふと、気づまりな沈黙が流れた。キニスンが、思いきって切りだした。
「閣下、これがいったい、どういうことなのか、根本からすっかりお話し願うのが、いちばんいいのではないでしょうか? わたしのみたところでは、われわれの仲間《なかま》は、まったく目のくらむような状態で、気のきいた質問なんかできそうにもありません」
「うむ、おそらくそうだろうな。各人それなりの疑問を持っている者もあるだろう。ではまず、この五年間、諸君が経験してきたことの真意がなんであったか、そこから話をはじめよう。質問があったら、いつなりと、途中で口をだしてよろしい。諸君も知ってのとおり、毎年、地球上の十八歳の男子百万人が、競争試験をパスして候補生に選ばれる。最初の一年間で、つまり、誰もがウェントワース・ホールを見る機会をもたないうちに、候補生の数は五千以下に減ってしまう。そして、卒業の日には、諸君も知っているように、クラスの中に残された人数は、およそ百人になってしまうのだ。いまこそわたしは、諸君、卒業生にいうことができる。諸君こそは、徹底的に研究された残酷《ざんこく》なまでに厳格《げんかく》な、もっとも情容赦《なさけようしゃ》のないふるい落としの過程をくぐり抜けて、みごとにやってのけたひとたちなのだ。
「なにかしら素質《そしつ》上の、弱点を見せた者は、全部おとされた。彼らの大多数が、パトロール隊からはねられたわけだ。その中にも、優秀な人材はたくさんいた。しかし、道徳的な低劣さ以外の、ある種の理由によって、レンズマンとしての資格がない、というだけのことなのだ。これらの人々は、レンズマンの階級の下にあって、油さしから、最上級の現役将校に至るまでの、われわれのこの組織を構成している、このことはすなわち、諸君もすでに知るように――銀河パトロール隊こそ、一つの軍旗のもとにおける知的生物の最高の団体であるということだ。
「こうして百万人から出発して、少数の諸君だけが残った。かつてレンズを帯《お》び、また、これからレンズを帯びようとするほどの者には、誰にでもつきものの、冷酷な命がけの試練の数々を、諸君もいくたびか乗りこえてきた。そして、いかなる点においても、レンズを携帯するにふさわしいことを証明してきたのだ。たとえば、キニスンは一度、アルデバラン第二惑星のある婦人ならびにその友人たちと、非常に危険な出会いを経験した。本人は、われわれがそれを知っているとは思っていない。だが、われわれは知っていたのだ」
キニスンの耳たぶが赤くなった。だが、司令官は、かまわず言葉をつづけた。
「ヴェルカーとカラロン星の催眠術師《さいみんじゅつし》との場合がそうだったし、ラフォルジュと|ベントノム《ヽヽヽヽヽ》の常用者《ヽヽヽ》の場合も、フリウェリングが、ガニメデ=金星間の麻薬《シオナイト》密輸業者から、一千万の金塊《きんかい》で買収されかけた場合もそうだった……」
「なんてことだ、司令官!」青年のひとりが、思わず荒い声で叫んだ。「閣下は、これまであったことを全部知っている――いや、ご存知だったんですか?」
「たぶん、全部とまではいくまい。が、充分に知っておくことは、わたしの務めだ。誰でも、そういったことで傷《きず》がついた者は、レンズをつけることができなかったし、これからも、つけることはできないだろう。だから諸君は、誰も恥じるにはおよばん。諸君は、あらゆる試験にパスしたからだ。パスできなかった者は、すなわち、落とされた者たちだ。
「もちろん、候補生学校から追われること自体《じたい》、べつに不名誉なことではない。諸君とともにスタートした百万人は、みなこの惑星の精鋭だった。しかし、選抜された百万人のうち、あらゆる必要条件をみたす者は一万人にひとりとはあるまい、ということを、われわれは知っていた。だから、彼らの大部分が、生まれつき特殊なある資格、つまり、レンズマンとしての資格を特徴づけるべき最後の一条件を持たなかったからといって、彼らを軽蔑《けいべつ》することは、大きなまちがいなのだ。そんなわけで、はずされた当人は、なぜ自分がはずされたかを知らないし、レンズを帯びる当人たち以外は、誰も彼らが選ばれたのかを知らない――レンズマンは、語らないからだ。
「では、人物の選択のために、なぜ、これほどの配慮《はいりょ》を必要とするのか。その理由をはっきりさせるためには、このパトロール隊の歴史と背景を考える必要がある。もちろん諸君はみんな、これを知っているだろう。だが、こうした関連で考えたことはあるまい。このパトロールは、いうまでもなく、昔の惑星警察組織の後身《こうしん》なのだ。これができあがるまで、法的|規制《きせい》は、つねに法律破りの後手《ごて》にまわっていた。それは、たとえば、自動車の発明直後の古い時代に、州の警察が州境を越えることができなかったようなものだ。やがて国家警察が、総括的《そうかつてき》にその責《せめ》に任ずるようになったが、そのときはすでに、国境を越えてロケットによる犯罪が横行《おうこう》するのを、どうすることもできなかった。
「さらにずっと後、惑星間飛行が日常茶飯事《にちじょうさはんじ》となったとき、惑星警察が、昔と同様の不便を持ったわけだ。彼らは、管轄《かんかつ》区域外の世界に対しては、なんの権威も持たなかった。いっぽう宇宙共通の敵は、なんの障害もなしに、惑星間を飛びまわっていたのだ。ついに、無慣性運転装置が開発され、その結果、多数の太陽系世界間の交通が可能になるにおよんで、犯罪は激しくなり、まったく手がつけられなくなって、文明《ヽヽ》そのものの安全が根底からおびやかされるようになった。考えてみれば、ひとりの人間が、想像できるかぎりのどんな犯罪でも、結果を恐れることなく、犯すことができるのだ。なぜなら、犯人はわずか一時間のうちに、現場から法律の手の届かない遠方へ、逃げおおせることができるからだ。
「さらに強力に、完全な無秩序《むちつじょ》の招来《しょうらい》をうながしたのは、世界から世界へと拡大された新手《あらて》の悪徳であり、中でも重大なものは、新しい恐るべき薬物の横行《おうこう》だ。たとえば、シオナイト。これは、トレンコだけにしか産出されないが、ヘロインがコーヒーより有害であると同程度に、ヘロインの化合物より猛毒で、しかも今日なお、長靴のかかとの穴にかくし持っただけの量で、優《ゆう》に一財産《ひとざいさん》はできるほど、べらぼうな高値を呼んでいる。
「こんな事情から、三惑星間パトロール隊や、銀河パトロール隊ができた。しかし前者は、まことに貧弱な組織であった。外からは、政治と政治家によって行動を制約され、内からは、例によって少数ではあるがまったく有害な不適任者の存在――役得《やくとく》、腐敗《ふはい》、汚職《おしょく》、そして法外《ほうがい》な犯罪者――によって骨抜きにされてしまった。その当時、偽造不能の記章や身分証明書がなかったという事実が障害となったのだ。――簡単にいえば、制服をつけた者がパトロール・マンであって、偽装《ぎそう》した犯罪者ではないと、誰もいい切ることができなくなってしまった。
「で、誰もが知っているとおり、その当時、三惑星間パトロールの首班《しゅはん》であったバージル・サムスが、ファースト・レンズマンのサムスとなって、わが銀河パトロール隊を創設した。偽造や模造にたいしても完全に安全を保証され、自動的に、また積極的に、レンズマンの身分を証明するレンズ、この出現が、われわれのパトロール隊を誕生させたのだ。レンズを持つことにより、少数の不適格者を容易にしめだすことができるようになった。入隊の基準は、いやがうえにも高められた。そして、およそレンズマンたる者は、堕落《だらく》させ得ぬものであるという事実がはっきり証明されたとき、銀河委員会は、ますますその権威《けんい》を高めることとなった。こうして、みずからの手でレンズマンを育成しうるようになった。さらに多くのもろもろの太陽系は、宇宙文明《ヽヽヽヽ》に参加することを決議し、銀河委員会に代表を送るべく努力した。このような道をとることは、あるいは太陽系の、一つの系としての主権の大部分を断念することになるかも知れぬ。だが、あえて、その決議をしたのだ。
「いまや、委員会とそのパトロール隊の力は、事実上、絶対的である。われわれの軍備、装備は最高である。われわれは、法の破壊者を、どこまでも追跡することができる。そのうえ、どのレンズマンも、いつでもどこでも、この文明《ヽヽ》に属する太陽系のどの惑星からでも、必要とあらば、いかなる物資をも援助をも徴発することができるのだ。銀河系全体を通じて、レンズには絶大なる敬意が払われているから、レンズを帯《お》びる者は、随時に裁判官となり、陪審員となり、また、刑の執行官《しっこうかん》となることを依頼されるかもしれぬ。どこに行こうとも、いかなる陸地、水域、空中、または宇宙空間でも、われわれの島宇宙《ヽヽヽ》の中であるかぎり、彼の言葉はすなわち≪法律≫である。
「これで、諸君が経てきた難行苦行《なんぎょうくぎょう》の説明がつくだろう。厳格さに対する唯一《ゆいいつ》の弁明《べんめい》は、有効な結果を生むため、につきる――レンズを帯びた者で、これを汚《けが》した者は、いまだかつて出ていない。
「さて、レンズそのものについてだが、諸君は、一般の人々と同様、物心ついて以来、レンズのことを知っているに相違ない。しかし、その根源《こんげん》とか、特質については、なにも知ってはいない。しかし、諸君はいまやレンズマンだ。だから、これについて、わたしから少しばかり、知っていることを話してあげよう。質問は?」
「閣下、われわれはもちろん、みんな、レンズのことを不思議に思っています」メートランドが口火を切った。「犯罪者たちは、科学において、あきらかに、われわれに追いついています。科学が造るものは、かならず科学で再製することができると、わたしはいつも思っていました。ですから、きっと一個といわず、数個のレンズが、すでに無法者の手の中にあるのではないでしょうか?」
「さよう。もしそれが、単なる科学上の発明や発見であったなら、おそらく、とっくの昔に複製されていただろう」司令官は、驚くべき回答をした。「しかし、それは、特質上、本来科学的なものではない。ほとんどまったく哲学《てつがく》的といえるもので、アリシア人によって、われわれのために、造られたものなのだ。
「そうだ、諸君はみんな、ごく最近、アリシア星へ派遣《はけん》されたね」フォン・ホーヘンドルフは、新任士官たちが、ぽかんとお互いに顔を見あわせ、あるいは自分をみつめる目にこたえて、話をすすめた。「あの星の住民を、どう思ったかね、マーフィー?」
「閣下、ぼくは最初、新種の竜《りゅう》だと思いました。しかし、頭脳《ずのう》を持った竜で、そのことはちゃんと|感じられるのです《ヽヽヽヽヽヽヽヽ》。逃げ出してほっとしましたよ、閣下。なにしろ、ぞっとしました。その一匹さえも、全然動いた形跡《けいせき》なんか見えなかったのですが」
「あれは妙《みょう》な種族だよ」司令官はつづけた。「一般には、人類の最悪の敵と信じられているのだが、じつはその反対に、彼らは、われわれパトロール隊の、したがってまたこの文明の、第一の必要条件《シネ・クワ・ノン》なのだ。わたしには彼らがわからん。また、わかる能力のある者がおるとも思えん。彼らがわれわれにレンズをあたえたのだ。が、レンズマンは、この事実を、誰にも話してはならないのだ。彼らは、候補者のそれぞれにふさわしいレンズをつくる。だが、一見して同じものを見いだしたという候補者は、まだいない。それどころか、レンズの実体《じったい》を見きわめた者も、いないのだ。レンズマン以外のすべての人々にとって、それは、まったく反社会的にみえる。そして、レンズマン候補者にとっても、アリシアに行く機会は、生涯にただ一度だけなのだ。レンズは、いっさい物質的な意味をもたぬ、あるものに見える――もっとも、この外見は、諸君の見たと信ずる物質的な形態と同様、なんの実体も持っていないかもしれないことを、断っておこう。
「諸君の理解をこえる幾世代ものあいだ、アリシア人は思索《しさく》に専念してきた。それは、主として、生命の本源についてだ。彼らのいうところでは、それについて、まだなにも基本的なことを知ってはいないそうだ。だが、そういいながらも、彼らは、その問題に関するかぎり、他のいかなる現在の種族よりも、よく知っているのだ。ふだん、彼らは、外部とのいっさいの交渉をもたない。しかし、あらゆる知的生物をまもるために、パトロール隊を助ける相談にだけは応じてくれるのだ。
「だから、卒業してレンズマンの資格を得るときが近づいた者は、だれでも、アリシアに派遣される。そのアリシアで、その者の個人的生活力に適応したレンズが造られるわけだ。アリシア人以外の者には、レンズの作用はわからない。が、諸君のレンズを、諸君みずからの生命の原理、あるいは自我《じが》と同格のもの、あるいはそれと共鳴《きょうめい》するものと考えれば、およその見当《けんとう》がつくだろう。レンズは、確かに、その名から連想されるように、実際に生きているものではない。しかしそれは、一種の擬似《ぎじ》生命をあたえられていて、そのため、個々の設計にしたがって、金属から肉体への循環をつづけているかぎり、強力に、かつ特有に変化する光を発射することができる。さらにまた、この擬似生命のため、一つの精神感応《テレパス》器としての作用もする。この作用を通じて諸君は、話す器官も聞く器官も持たぬ他の知的生物と会話することができるのだ。
「レンズは、それを帯びる者以外の何者によっても、除去《じょきょ》することはできない。無理に除去すれば、分解するだけだ。正当な所有者が、それを帯びているかぎり、レンズは成長する。が、所有者が死ぬと、その瞬間にレンズは成長をやめて、ただちに分解してしまう。また――そして、ここにこそ、レンズマンの非人格化をまったく不可能にするものがあるのだが――レンズは、偽者《にせもの》によって帯びられるときは、単に成長しないだけではない。かりにレンズマンが捕虜となって、彼のレンズがはずされたとしても、ある生物がこれを身につけようとすれば、数秒のうちに、その生物を殺してしまう。それが成長をつづけるかぎり――つまりそれが生きた所有者との循環状態を保つかぎり――無害だ。しかし、不当な状態のもとでは、その擬似《ぎじ》生命は、これと調子の合わないいっさいの生命に強力に干渉《かんしょう》して、その生命はやがて破壊されてしまう」
短い沈黙が彼らの上におちた。そのあいだに、若者たちは、彼らの司令官がいま説明したことの、すばらしい意味をかみしめた。いや、それ以上に、そこには、まのあたり偉大な老レンズマンの雄姿《ゆうし》に接した各自の若い意識の、言葉をしのぐ感動があった。なんという硬骨漢《こうこつかん》。肉体的には不具者だし、それに、退役《たいえき》してから、かなりの年月になる。しかもなお彼は、彼のパトロール隊の向上のため、これこそ最善の道と信じて、みずから鬼神の役を買い、それに充分ふさわしいだけ、人間的な感情を克服してきたのだ!
「本筋には、ほとんどふれることができなかった」フォン・ホーヘンドルフはつづけた。「諸君にあたえた知識は、ただ諸君の新しい地位についての手引きにすぎない。諸君はこれから数週間のあいだ、それぞれの任につく前に他の将校たちが、諸君の多くの疑問を次々に解明してくれるだろう。さて、時間も残り少なくなった。だが、質問の一つぐらい、受けられるだろう」
「閣下、これは質問ではありません。でも、もっと重大なことです」キニスンが話しだした。「わたしはクラスの全体を代表していうのですが、わたしたちは、閣下をひどく誤解していました。おわびをいたします」
「その考えには心から感謝する。だが、それは無用だ。わたしのことを、諸君のように考えるのは当然だろう。われわれ老人に課せられている仕事、つまり、水準に達しない者をふるい落とすという仕事は、愉快なものではない。しかし、われわれ自身は、宇宙での積極的な任務につくには年をとりすぎている。この任務に絶対必要とされる瞬間的な神経反射を、もはや持ち合わせていないのだ。だからわれわれとしては、できることをやるだけだ。しかし、この仕事には明るい面もある。それは、年々歳々、レンズマンにふさわしい人間が百人も育つという事実だ。そして、卒業生との、この一時間は、過ぎ去った年間の苦労をつぐなって余りがある。わたし以外の老人たちも、その気持にかわりはないだろう。
「では結論だ。諸君はいまや、どういう心がまえが、レンズマンたる者に要求されるか、理解できるはずだ。諸君の知るように、いかなる生物も、レンズを帯びる者はみなレンズマンなのだ。それが人間であろうと、あるいはどこかの見知らぬ遠い惑星から来た想像もつかない形相《ぎょうそう》の妖怪であろうと、同じことだ。形がどうあろうとも、彼らは諸君と同じように鍛《きた》えあげられた者であり、諸君自身と同様に、信頼に値する者だと安心してよろしい。では、わたしの最後の言葉だ――レンズマンは死ぬ。しかし、彼らはけっして挫折《ざせつ》しない。個人は入《い》り来《き》たり、出《い》で去《さ》る。しかし、銀河パトロール隊は前進あるのみだ!」
やがて、またもとのやかまし屋にもどった。
「第五クラス、気をつけ!」と、彼は号令した。「大講堂の演壇において、報告!」
クラスはふたたび整然たる隊伍《たいご》を組んで、A室を出ると、長い廊下を通って大きな講堂に向かった。そこには、集合した候補生の群れと、一団の文官たち。彼らはここに、正式の卒業式にのぞんだのである。
在校生は、卒業生たちとともに進んだ。進むあいだに、A室から誕生したレンズマンが、つい先刻そこにはいった候補生と、どう変わったかをさとった。彼らは少年として、そこにはいった。そしてこれまで五年の長期間、残酷《ざんこく》ともいうべき試練を受け、それを耐えぬいて、ここに生き残ったのだが、それにもかかわらず、神経はふるえ、不安で、いささかたよりない気分だった。が、彼らは、A室から、一箇の男子となって送り出された。戦士の立場に立って、彼らははじめて、彼らの受けた物心両面の責苦《せめく》の真の意味を知った。彼らは正当に広大な力をふるうことができる戦士なのだ。しかし、その力のおよぶ範囲や規模については、現在もなお、漠然《ばくぜん》としか理解できていなかった。
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二 指揮をとる
それは、卒業式から一ヵ月とたたず、まだ、フォン・ホーヘンドルフからいわれた卒業後の勤務も完全に終わらないころだった。キニスンは、最高基地に呼び出された。ほかならぬ空港|提督《ていとく》のヘインズ閣下からの呼び出しである。そして、提督の専用機におさまり、新米《しんまい》とベテランのふたりは、この基地の広大な施設の上を、ゆっくりと、行きかう飛行艇の群れを、閃光前灯《せんこうぜんとう》でかきわけながら、飛んでいった。
商店や工場、市街に似た兵営、はるかな地平線をこえて伸びている着陸地――飛んでいる機種はといえば、小型の一人乗りのヘリコプターから、大小さまざまな偵察機《ていさつき》、パトロール艇に巡洋艦、さらに巨大な円型の宇宙用超ドレッドノート型戦艦にいたるまで、無数である。提督はそれに一つ一つ、注釈をくわえた。やがて飛行艇は、どちらかといえば低い建物――それは、基地の中だというのに、さらに厳重に警戒されていた――のわきに着いた。その建物にはいったキニスンは、あるものを見て息をのんだ。
それは、宇宙船であった。だが、なんという船(*)だろう! 図体《ずうたい》からいって、それは、パトロール用の超ドレッドノートよりも、はるかに大きかった。しかも、それらとちがって、その宇宙船は完全な涙滴《るいてき》型、流線型の極致《きょくち》ともいうべき形だった。
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*(原注)「大きな涙滴型」――巡洋艦と戦艦――の中では、推進力は常に、艇の垂直軸にそって、上方に向けられ、そして人工重力は、同じ軸にそって、常に下方に向けられている。このようにして、自由《ヽヽ》もしくは慣性による下降および上昇のあらゆる運動は、地球上の建物の内部におけるそれとまったく同じ意味を持つものとされている。
これらの戦艦は、平時は特殊のドックにのみ着陸する。しかし非常の場合には、ほとんどどこにでも着陸できる。その場合は、急激な船尾降下により、その膨大《ぼうだい》な重量が、艇をまっすぐに保つように、もっとも堅い地盤にさえのめり込むように突入する。水中にも潜《もぐ》るが、水中でも用意に捜査ができる(E・E・S)
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「これを、どう思うかね」と、提督《ていとく》はたずねた。
「どう思うって!」若い士官は、二度もごくんと生《なま》つばをのんでから、やっと自分をとりもどした。「言葉ではいえません、閣下。しかし、いつか、わたしがそれまで生きていて、また、それだけの力がそなわったら、こんな船の指揮をとってみたいと思います」
「きみが考えるより早いよ、キニスン」ヘインズは、あっさりいった。「きみは、あすの朝から、この船の指揮官だ」
「はあ? わたしが?」キニスンは叫んだ。しかし、すぐ、われに返った。「ああ、わかりました、閣下。第一級の船の指揮官にランクされるには、十年かかります。しかし、わたしは、そういうベテランではありません。閣下はさっき、この船が実験的なものだとほのめかされましたね。するときっと、この船には、まだ未テストの新機構があるのでしょう。そのテストは非常に危険なので、閣下は、ベテランの指揮官にその危険を冒《おか》させたくない。そこでわたしが、テスト・パイロットに抜擢《ばってき》された。そしてもしわたしが、この船を無事に帰還《きかん》させたあかつきには、これをほんとうの艦長にお返しする、というわけですね。わたしは異存ありません。提督閣下《ていとくかっか》、わたしを選んでくださったことを感謝いたします。ああ、なんたるチャンス――なんたるチャンスだ!」このすばらしい宇宙船の指揮を、たとえ一時でも、とれるという期待で、キニスンの目はいきいきと輝いた。
「そのとおりだ。だが、そうでない点もある」老監督は、驚くべきことをいった。「この船が新しく、未実験部分が残っていて、現役のベテラン船長にまかせられぬほど危険なものだという点は、事実だ。しかし、この船の設計は新しいものではない。新しいどころか、基本的な構想は、もう何世紀も懸案《けんあん》のまま、すてておかれたほど古い。この船は、武器として、爆発物を使用する。それは、実戦以外には充分、試すことのできぬ型のものだ。主要な武器は、われわれが≪Q砲≫と呼んでいるもので、推進剤はエプタデトナイト、弾丸は攻撃用水爆の二十メートルトンの負荷量《ふかりょう》を持つものだ」
「しかし、閣下……」キニスンが口をはさんだ。
「まあ待ちたまえ。そのことには後でふれよう。きみの前提は正しいが、結論は正しくない。きみは首位の成績で卒業した。経験こそもたないが、きみは、あらゆる点において、わが宇宙艦隊のどの艦長にもおとらぬ指揮官たりうる資格をそなえている。そのうえ、この|ブリタニア《ヽヽヽヽヽ》号は、従来の型とは基本的にかけ離れたものだから、戦闘経験は、かならずしも前提要件ではないのだ。だから、もし一回の勤務を経て、なおこの艦が健在であれば、艦は永久にきみのものだ。いいかえるなら、きみが宇宙空間においてこっぱ微塵《みじん》になる可能性の代償《だいしょう》として、きみはさっきいった十年の経験によるベテランの格付けを、たった一回の航行で獲得できる機会を持つわけだ。気にいったかね?」
「気にいったどころか、すてきです――すばらしい! そして、感謝を……」
「帰還するまで、感謝などいらんよ。それよりきみは、爆発物を重力抜きの敵に使うことができないといおうとしていたんだろう?」
「もちろん、ブリタニア号が造られた以上、それが不可能だということはないでしょう。ただ、わからないのは、どうしてそれを有効に使えるかということです」
「つまり、こうだ。まず、海賊船右方十キロのところに、牽引《けんいん》ビームで、遮蔽膜《スクリーン》と遮蔽膜《スクリーン》を接し、敵を捕捉する。敵のスクリーンに穴をあけ、それから|防 御 壁《ウォール・シールド》につっこむのだ。Q砲の砲口は輪状複合発射管を装填している。それが破壊力たるQ型チューブを打ち出すわけだ――正確にいえばQ47SM9だ。この公式記号からすぐわかるように、この螺旋構造が、船から船へ砲身をのばし、推進用ガスを発射体の後ろにとじこめるのだ。砲弾が海賊船の防御壁に命中して爆発を起こすと、当然、なんらかの反応が起こらざるをえない。科学者たちの一致した意見では原爆の二十トンが、一マイクロ秒以内に、絶対値で四千度近くの熱量に達するときは、もはやエネルギーを内部にとじこめておくことは不可能となる。
「チューブと牽引ビームは、純粋エネルギーであり、この特殊な爆発の結合に対して設計されているから、充分この反応に耐える。また、われわれの科学者の計算によると、十キロメートルの不活性推進ガスの円柱状になったものは、いかなる防御壁をも突破するだけの慣性《かんせい》力と抵抗力をもっている。そこで、実験不可能の点というのは――海賊のほうで、われわれの知らないうちに、わがQ砲螺旋に対抗しうる強力な防御壁を発明しているかどうかという点だ。
「きみにはいうまでもないことだが、もしやつらが、この状況下でも、なお耐えうるだけの防御壁を発明していたとすれば、Q砲発射の場合、砲尾からの黒い噴煙《ふんえん》が、ブリタニア号自体を、マッチ同然に吹きとばしてしまうだろう。これが、きみと、きみの部下が遭遇しなければならぬ唯一の危険なのだが――おそらく最大の危機ではあるまい――ついでながら、乗組員は、すべて志願によるものだ。そして、この試練を越えてみごと生還したあかつきには、破格の特別昇進の途《みち》がひらかれている。どうだね、きみは、この任務を希望するかね?」
「提督閣下、そのご質問は無用です。閣下はわたしが望んでいることを、すでにご存知のはずです!」
「いや、もちろん、単なる形式として、義務的にたずねたまでだ。話をもとへもどそう。きみも知ってのとおり、いまいった海賊の情勢は目下まったくつかみどころがないのだ。ボスコーンなるものが実体を持っているのか、ただの船首の飾りなのか、なにかのシンボルなのか、あるいはまた昔のレンズマンによる想像の産物なのか、われわれにはまったくわからない。しかし、ボスコーンが誰であろうと、またなんであろうと、ある生物、またはその生物の群れが、無法行為の有力な大組織を形成しているのだ。あまり強力なので、われわれは彼らの本拠地さえつきとめることができないほどなのだ。
「これはまだ一般には知られていないことだが、きみはおそらく知っていてよいことだと思う――つまり、護送船団でさえ、現在は安全とはいえないのだ。海賊は、新型の特殊な宇宙船を造りだした。その船は、われわれの大型戦艦よりもはるかに速く、しかも、われわれの快速巡洋艦よりもはるかに堅固に武装している。したがって、彼らは、彼らを捕捉できるパトロール船にたいしては、力においてまさり、また、敵のビームに対して重装備《じゅうそうび》されたわれわれの船からは遁走《とんそう》できるのだ」
「最近の大損害は、そのためなのですね」と、キニスンはつぶやいた。
「そうだ」ヘインズはむっつりとつづけた。「われわれの最優秀船が、次から次へと爆破された。それも、ビームの狙いをつける以前にやられているのだ。被害は今後もふえるだろう。われわれは会戦の条件を選ぶことができない。彼らの好む時と場所で戦わねばならないのだ。
「まったく耐えきれぬ現況《げんきょう》ではないか。われわれは、海賊の新しい動力組織がなんであるかを知ら|ねばならぬ《ヽヽヽヽヽ》。わが科学陣のいうところでは、それは宇宙エネルギーの|感 受 器《リセプター》と|変 換 器《コンバーター》から、宇宙空間の歪《ひず》みの統御《とうぎょ》にいたるまでの過程のどこかに相違点があるのではないか――それがなんであろうと、われわれには、まねのできないものだ。だから、その正体をつきとめるのが仕事なのだ。ブリタニア号は、その情報を得るために、われわれの技術陣が考案したものだ。これまでの宇宙船でもっとも速く、最大限十重力時の随力加速度を出せる。自由航行の宇宙空間におけるこの速度の意味を考えてみたまえ!」
「一つの船の中に、なにもかも装備することはできない、とおっしゃっておいででしたが」キニスンは考え深げにいった。「それだけの速度を出すために、なにを犠牲にしたのですか」
「通常の攻撃武器のすべてだ」ヘインズは率直にいった。「この船には、長距離用のビームは全然ない。ただ、敵のスクリーンを貫いて、Q砲を突入させるに充分な短距離放射器だけは持っている。事実上この船体の唯一《ゆいいつ》の攻撃力はQ砲だ。ただし、防御スクリーンは充分に持っている。空間に浮かんでいるいかなる物をも捕えるだけの速度はあるし、そのうえにQ砲がある。まず充分といえるのではないか。
「さあ、これから作戦の概要《がいよう》に移ろう。技術的な詳細《しょうさい》については、技師たちが試験飛行のあいだに――気のすむだけ長くやりたまえ――知らせてくれるだろう。きみと、きみの部下たちが、ブリタニア号の操作に全面的に通じたなら、技師たちをこの基地に帰して、そしてパトロールに出かけるのだ。
「で、銀河系のどこかで、きみは新型の海賊船を発見する。前にもいったように、きみは、そいつを捕捉する。Q砲をしっかりと前方に突き出し、重要な装置が破壊されないよう、連結部のポイントが動力室から充分離れるようにする。きみは、戦艦になぐりこみをかけるのだ――古い時代の戦術が復活したというわけだね。ついで、その時までなにもしないでいた乗組員のなかの専門家が活動をはじめて、われわれの科学者が知りたいことを発見するだろう。できるなら、それをただちに、タイト・ビーム通信機で送ってもらいたい。もちろん、なんらかの理由でそれが不可能となったときは、対策はふたたび、きみに一任する」
空港|提督《ていとく》は、ひと息入れた。やがて彼は、この若者の二つの目に見いった。そして、印象づけるようにいった。
「情報は、基地へ持ち帰ら|ねばならぬ《ヽヽヽヽヽ》。これができなければ、ブリタニア号作戦は失敗だ。われわれは出発点にまいもどるのだ。そして、わが将校の殺戮《さつりく》と、わが船舶《せんぱく》の破壊は、際限《さいげん》なくつづくであろう。きみがどう対処すればいいか、については、われわれは一般的な指令さえも、あえて、あたえることをしない。わたしにいえることは、きみが、きょう、宇宙世界でもっとも重大な使命をあたえられた、ということだ。くり返していう――その情報は、|基地に持ち帰らねばならぬ《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》。さあ、乗船して、技師たちと会いたまえ」
ブリタニア号の設計や建造にあたった専門家たちの案内で、キニスン中尉は、この船で、銀河星団の軌道のない空間を、あちらこちらと航行(*)した。重力の有無《うむ》にかかわらず、動力のあらゆる可能な変化を駆使《くし》して、彼はこの船を操縦した。仮想《かそう》の敵や、実際の流星を、実戦とかわらぬ熱中度で攻撃してみた。自分と船とが一体《いったい》となるまで、操縦と攻撃をくり返した。やがて彼は、この船のごくささいな要求にも自動的に反応することができるようになり、また、高度に訓練された熱心な部下たちは、この船の能力の最大ボルト、極限《きょくげん》のアンペアにいたるまで、加減調節できるようになった。
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*(原注)航行。各船は参照用に、銀河系宇宙における位置表示コンパスを持っている。これは、ほとんど摩擦《まさつ》なしに自由に振動《しんどう》しながら、銀河系の力学的軸によって系全体として相対的なある一点に保たれている。それは地球上のコンパスを動かす磁力《じりょく》における地軸に似たものだ。コンパスの磁気赤道は常に銀河系の磁気赤道に平行であり、その零度線は常に第一銀河系の中央太陽系と、もっと外側にあるバンデマール星系とを結合する中心線に平行である。
銀河系の中での船の位置は、いつもタンクの中の点の動きでわかる。この点は航行のしかたに応じて帰納的《きのうてき》に計算機によって自動的に移動する。船に慣性のかかっているときは、この装備は動かない。銀河における計算法では、慣性飛行によって飛んだ距離はまったく無視できるからである。さまざまな摂動や、わずかの誤差のために、ときとして累積的《るいせきてき》な乖離《かいり》がおこる。それに対しては、パイロットが、ときどき、船の位置をタンクの中で示している点の位置を主導によって修正する必要が生じる。(E・E・S)
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この過程がすんでから、はじめて彼は基地に帰って、技師たちをおろし、探索《たんさく》の途に上った。航跡から航跡へ、彼は追跡した。しかし、すべて徒労《とろう》であった。警報から警報へ、彼は応答した。しかし、どれも間《ま》に合わなかった。警報の出された空間地点についてみると、そこに見いだされたものは、さんざんに略奪《りゃくだつ》された商船や、穴だらけにされたパトロール船であった。そのどれにも、生命の一片《いっぺん》すら残っていず、この虐殺者《ぎゃくさつしゃ》が、どの方向に逃走したかを示唆《しさ》するようなものは、なにもなかった。
だが、ついに時は来た。
「QBT! 応答せよ、QBT!」ブリタニア号の電信略号が、スピーカーから流れだした。それにつづいて、一列の数字。不幸な船の位置を示す宇宙記号だ。
チーフ・パイロットのヘンリー・ヘンダスンは、測定器の上に、この数字を刻印《パンチ》した。すると、巨大で、しかも綿密《めんみつ》な銀河宇宙の模型である≪タンク≫の中に、まっ赤にもえあがる光の点が現われた。キニスンは、いままで寝ていた狭いベッドをとびだすと、すぐ、操縦士のとなりにすわった。
「しめたぞ!」彼は叫んだ。「十光年とはへだたっていまい! エーテル波|攪乱《かくらん》開始!」復讐《ふくしゅう》の意気にもえるパトロール船は、略奪の現場に向かって突進をはじめた。たちまち全空間は空電干渉のあいつぐ爆発でみたされたが、この爆発のせいで、海賊どもが大至急必要とする援軍が間《ま》に合ってはたまらない。
だが、結局、鳴りわたる空電の爆発が、海賊側の指揮官を躊躇《ちゅうちょ》させた。これは確かに、今までなかったことではないか? 彼の前には、荷物を満載《まんさい》した輸送船が浮かんでいる。それを護送していた二|隻《せき》の船は、すでに事実上、戦闘不能の状態にある。二、三分のうちには、獲物はわがものだ。だが、彼は、いったん退避《たいひ》し、探知器《たんちき》でエーテルをさぐって、ブリタニア号を発見した。そして、急遽《きゅうきょ》、反転したのだ。もしもこの流線型の戦闘艦が、自信をもって、自分《ヽヽ》に向けられたエーテル波をさえぎることができるとすれば、その情報は、ボスコーンにとっては、ただ一隻分の積荷獲物より、はるかに重大なものと評価されるにちがいない。
しかし、海賊船は、いまやブリタニア号の映像プレートにはいった。ヘンダスンは半壊の護送船などまったく無視して、彼の船を海賊船にぶっつけていった。おそろしく複雑な制御《せいぎょ》を、ただ指のタッチで操作しながら、目だけでなく全身の運動神経を集中してプレートをにらみながら、巨大な船体を、あっちこっちと、狂乱的な飛躍にまかせた。一世紀かとも思われるほど長い時間の後、彼はトグル・スイッチを切って、ほっと緊張をゆるめるとキニスンに、にやっと笑った。
「つかまえたか?」若い指揮官がきいた。
「はい、艦長」と、パイロットは自信を持って答えた。「危機一髪の九十秒でした。なにしろ、CRX追跡器《トレイサー》を全開で、やっと追ったんですからね。あの船は、もうそれを逃《のが》れるだけのジェットを出すことはできません――金輪際《こんりんざい》、逃《のが》しはしません」
「よくやった、ヘン」キニスンは自分の座席にすべり込んで、ヘッド・マイクをつけた。「全員につげる! アテンション! 戦闘配置につけ! ステーション順に、報告!」
「第一ステーション、牽引《けんいん》ビーム――準備完了!」
「第二ステーション、反撥装置《リペラーズ》――完了!」
「第三ステーション、第一放射器――完了!」
こうして、戦艦の各ステーションが、次々と報告した。最後に、
「第五十八ステーション、Q砲、――完了!」それは、キニスン自身の確認報告であった。さらに、パイロットに対し、次の言葉が伝えられた。それは銀河宇宙航路を通じて、いかなる非常事態にも完全に即応《そくおう》できる状態にあることを告げるものであった。
「準備完了、これでよし。ヘン、――さあ、行くぞ!」
パイロットは、すでに、最大限に近い状態にあった噴射《ふんしゃ》レバーをトップに上げ、みずから、機械の上に身をおりまげるようにして、一時間九十パーセクという想像を絶《ぜっ》した速度(*)で、しかも無限小の方向転換に即応《そくおう》しながら、ブリタニア号を敵に向けて、突っ込ませた――この速度は、母なる地球の十倍もの重力に対し、巨大な宇宙船の驚くべき重量トンを押し上げうる推進爆発力を利用して、ほとんど完全な真空をつっ走るように作られた無慣性物体だけに可能な速度であった。
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*(原注)慣性の中立化によって、無慣性物体の速度にはなんの限界もないことが発見された。自由航行する船は瞬間的に、その推進力が媒体《ばいたい》の摩擦《まさつ》と正確に等しくなるような速度をとることができる。(E・E・S)
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想像を絶した?――まさにそのとおり。銀河パトロールの戦艦は、宇宙空間をぬって、猛スピードで突進した。人間の頭で考えうるいかなる速度でも、そのスピードに比べれば、まるで、牛の歩みとしか思えないほど。光速でさえも、静止的だと思わせるほどであった。
ここでは、通常の視力は役にたたない。だが、この日の観測員は、時代おくれの視力組織にはたよっていなかった。彼らの探知《たんち》ビームは、プレートにおいてのみ光にかわるものだが、それは超電波となって、サブ・エーテル波で運ばれる。振動は、エーテルのレベルより、はるかに低く、したがって、いかなるエーテル波よりも速度をもち、また到達範囲もはるかに大きいのだ。
幾多の星が映像プレートの中を燃えながら移動したが、追うものと追われるものは、とてつもない光年級の大飛躍で、太陽系から太陽系へと、光線の|ジグザグ《ヽヽヽヽ》航路をえがいていった。だがヘンダスンは、わが船を海賊船の船尾にぴたりと並べ、両者の距離を着々とちぢめていった。まもなく、牽引ビームが、パトロール船から流れはじめ、遁走中の海賊船に軽く接触した。すると、二隻の宇宙船は、互いに急速に接近した。
もちろん、敵にも、戦闘の用意がないわけではなかった。宇宙世界の海賊王ボスコーンが誇るこの海賊船は、いまだかつて、自分たちを捕えにくるどんな艦隊をも、征服するのに苦労したことはなかったのだ。だから、この船の指揮官は、敵のビームに対し、あえて遮断《しゃだん》の方針をとらなかった。いや、むしろ、この二つの無慣性船は、いかなる人間的行動も不可能な、何分の一秒という短時間のあいだに、互いに接触して、反撥圏内《はんぱつけんない》にはいったのであるから、海賊船の船長としては、とっさに逃避《とうひ》から戦闘へと、戦術を切り替えたといったほうがあたっているだろう。
彼は、自分の牽引ビームを突き出した。すでに白熱していた放射器の非溶解性の砲口から、恐るべき強力な殲滅《せんめつ》光線がうなりをあげて発射された。すさまじい破壊力をそなえたビームは緊迫したパトロール船の防御スクリーンを、ずたずたにひき裂いた。スクリーンは、スペクトルのあらゆる色彩を輝かせながら、赤々と燃えあがった。宇宙そのものが、狂った虹のようになった。というのは、そこでは、想像をこえる大量のエネルギーが生みだされたからだ。原子からのみ生じるエネルギーなのだ。エネルギーの中和はエーテルそのものの構造に、はっきり目に見えるほどの緊張をひき起こした。
若い指揮官は、赤い閃光《せんこう》が走り、警報が鳴るたびに、こぶしを握りしめて、深遠なる宇宙の祈りを口の中でとなえるのだった。ブリタニア号のスクリーンは、ふるいのように、洩れはじめていた――実質的には、破られていたのだ――ひと針、またひと針、信ずべからざる力が、|防 御 壁《ウォール・シールド》に突きささり、それを貫《つらぬ》いた。四つのステーションは、すでに破壊され、他の多数も、あいついで危険にさらされている!
「計画を変更せよ!」彼はマイクに向かってどなった。「全動力をトップにあげろ――抵抗器を全部はずせ――母線をとおして、できる限りのものを投入せよ。ダルージー、きみの反撥《はんぱつ》装置を切れ。この船をまっすぐ、反撥|圏《けん》内にもっていくんだ。ビーム係全員、第五区に集中せよ。やつらのスクリーンをぶち破るんだ」キニスンは、厳然と制御盤の上にかがみこんで、かみしめた歯のあいだから、うなるように叫んだ。「Q砲を発射できるように、あの防御壁を貫通せよ!」
いまや、さらに倍化されたブリタニア号の攻撃力の前に、敵の防御は崩れだした。キニスンの両手が、制御盤《せいぎょばん》の上におどった。パトロール船の装甲船腹に、ぽっかり口があいて、そこから、みにくい鼻づらが突き出した。――放射器が環状についた巨大な怪物のような大砲の砲口である。その放射器の束から、光速で、準固形のエネルギー・チューブがおどり出た。いわば大砲の無気味な砲身に相当するものである。いまや空間をつんざく衝撃を伴いながら弱体化された敵の第三スクリーンを貫通したチューブは、もだえ、のたうつような力で、第二スクリーンに襲いかかった。ブリタニア号の、あらゆる短距離ビームの集中攻撃に支援されて、チューブはそれを突破し、さらに第一スクリーンも突破した。ついに攻撃目標は、海賊船の防御壁そのものとなった――この防御壁こそは、可能なかぎりの慣性激突に耐えるように設計され、これまで、どんな物質によっても、またいかに適用させても、ついに破るはおろか、裂くことさえできなかった、いわば難攻不落の防壁であった。
この内部防壁に対して、非物質的な大砲の砲身が密着した。と同時に、いままで数ダインの力しか出していなかった牽引ビームが、破り得ない、屈折し得ないエネルギーの棒となって、二つの宇宙船を、しっかりと結びつけた。二つの船は、互いに行動の自由を失った。
そのとき、キニスンのおどる指が一個のボタンにふれて、Q砲がうなりだした。そのふくれたのどから、巨大な魚雷が発射された。二つの船の士官たちの、恐怖と驚きの目に見守られながら、この巨大な発射体は、ゆっくりと進んだ。宇宙空間で鍛えられた者の目には、光速というものは、まったくの徐行としか見えなかったからだ。そしていまここに、わずか十キロの距離にたっぷり四、五秒を必要とする兵器が現われたのだ。
しかし、速度こそゆっくりしているが、この砲弾は危険なものである|かもしれぬ《ヽヽヽヽヽ》。そこで海賊船の船長は、このエネルギー・チューブの行進を阻止《そし》するために、あらゆる努力を試みた。牽引ビームから離脱し、恐るべきミサイルが自分の船の防御壁に到達する前に、爆破する方法がそれだ。しかし、むだだった。なぜならブリタニア号のあらゆるビームは、この魚雷および巨大なエネルギーの棒を守るようにセットされており、その棒の把握力なしには、敵の無慣性船団といえども、これから生じるはずの爆発力に抵抗するすべはまったくなかったからである。
ゆっくりと、一世紀とも思われる瞬間が永遠の中にすべり込むように、ゆっくりと、パトロール船から海賊船の防御壁に向かって、怒れる白熱の柱――推進エプタデトナイトの圧搾《あっさく》ガス――が注がれた。その先端を、Q砲のとてつもない弾丸が、恐るべき破壊力をもって突進したのだ。なにが起こるか? この原子力砲弾の恐るべき負荷《ふか》をもった不可測の力でさえも、はたして流星の襲撃にさえ耐えるように設計された防御壁を破ることができるだろうか? もしその防御壁がなお健在であったら、いったいどうなるのか?
キニスンは気が気ではなかった。頭の中に恐ろしい地獄絵図が執拗に浮かんでくる。恐るべき爆発、にもかかわらず、海賊船のスクリーンはびくともしない。前進するガスは、エネルギーのチューブにそって、押し返される。彼は知っている。Q砲の砲尾の金属は、たとえ純粋エネルギーの非物質的な防御体《ぼうぎょたい》によって保護されているとはいうものの、無限に強力ではないということを。また、いかに大きな抵抗力をもつ物質も、解放されようとするエネルギーの想像を絶した力に対しては、ただ瞬間的にしか抵抗できないということを。
しかも、爆発の後では、ブリタニア号の破滅のほうがさきで、Qチューブをはずす時間の余裕《よゆう》はあるまい。というのは、もし敵の防御壁が、たとえ一秒の何分の一でも崩れずに保たれたとすれば、爆発によって起こる強力な圧力が、チューブの中にすでに充満している強度に圧縮されたガスを後方に押し出すことになる。いわば恐るべきバック・ファイア現象が起こるのだ。そうなったら、砲尾の分厚い金属の障壁《バリアー》などないも同然で、パトロール船の内部で、敵にあたえるはずのものよりも、はるかに完膚《かんぷ》なき破壊力が発揮されるにちがいないのだ。
部下の乗組員たちの運命も同様だ。誰もが、いまこそ生死を画《かく》する絶頂の瞬間であることを知っていた。彼らの生命が、次のわずか数秒の出来事にかかっていることを知っていた。急げ! さっさと行け! この這《は》うような、しのび足で進行する物体は、いつになったら、敵にぶちあたるのか?
ある者は、短く祈った。ある者は、苦々しく、のろった。しかし、祈りも呪《のろ》いも、ともに無意識ながら、同じ意味をもっていた。――各員は、蒼白《そうはく》な顔で、顎《あご》をひきしめ、手に汗を握り、かたずをのんで、来《きた》るべき結果を待った。
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三 救命艇へ
ミサイルは命中した。命中の瞬間、広大な宇宙空間に冷たく輝く無数の星は、一瞬、目もくらむばかりの火炎の輝きに、その光彩《こうさい》を没した。海賊船の防御壁《ウォール・シールド》は破られた。そしてこの恐るべき爆発の白熱的な威力の下に、敵船の船首全体が、これまた白熱の煙霧の中にとけ込んでしまって、すでに急速にひろがりつつある火炎の雲に加わっていった。それがひろがるとともに火炎の雲は冷えていった。その恐るべき炎は、いまやバラ色の光にまでさめて、そのさめた後に、星がふたたび輝きだした。炎は静まり、冷たくなり、そして暗くなった。その後には、海賊船のみじめな残骸《ざんがい》が現われた。船は、なお戦闘中ではあった。しかし攻撃力は効果がなかった。いまや、この船の前部に備えられた砲台のすべてが失われたからである。
「ニードル光線係、連射しろ!」と、キニスンがどなった。やがてその力弱い抵抗さえもやんでしまった。するどい目をしたニードル光線係が、スパイ光線の映像プレートを操作して、捕獲《ほかく》した船に、次から次へと穴をあけていった。それは、敵船に残っているビームやスクリーンの制御盤を発見し、かつ破壊するためであった。
「接舷せよ!」と次の命令が出た。二つの宇宙船は、互いにふれ合った。大きな口をあけた、吹きとばされた海賊船の船首が、しっかりとブリタニア号の装甲船腹につけられた。大きな出入口が開く。
「さあ、バス、これからきみの領分《りょうぶん》だぞ。六階級とばしていきなりAクラスだ。乗ってるやつらは、たぶん人間か、それに近い連中だ。さあ、乗りこんでやっつけてしまえ!」
この出入口のうしろには、すでに百人ほどの戦闘員が集結していた。彼らはみな宇宙服で完全武装をして、その時代の科学で知られた、もっとも恐ろしい武器によって身を固めていた。しかも、その武器を動かすものは、この船の巨大な蓄積器である。その先頭にいるのは、バン・バスカーク軍曹。六フィート半の、オランダ系バレリアン・ダイナマイトと呼ばれる男だ。彼がバレリア惑星の士官候補生から落伍したのは、ただ、生まれつきの高等数学の複雑さをこなしうる素質をもたなかったからである。いまや、これらの攻撃隊員たちは、黒と銀の怒濤《どとう》となって、前進した。
四つのずんぐりした重みのある半携帯放射器から、ビームが発射された。そして、その光の恐るべき強さの中で、前方の厚い隔壁《かくへき》がスペクトルのあらゆる色彩を発して、吹っ飛んでしまった。同じような宇宙服に身をかためた二十人ほどの敵勢が現われて、戦闘が再開した。爆発物や、堅い弾丸が、このきわめて効果的な宇宙服に当たってははね返り、デラメーター手動放射器の発するビームが、人工の光の滝となって、防御陣を展開した。しかし小ぜり合いはすぐに終わった。半携帯放射器のもつ巨大なエネルギーは、いかなる通常の宇宙服も対抗することはできないので、すべてが吹きあげられ、そして叩《たた》きつぶされた。そして、この振動性の破壊の大虐殺の中で、あらゆる生命は海賊船の隔室の中から消えていった。
「もう一つの隔壁を突破すれば、おれたちは敵の制御室の中にはいれる!」バン・バスカークが叫んだ。「あれをビームで射《う》ち破れ!」
しかし、ビーム係たちがそのスイッチを押しても、なにも起こらなかった。海賊たちは、やっとのことで、スクリーンの発動機を応急修理して、それによって、攻撃勢の背後にあるパワー・ビームを遮断《しゃだん》することに成功したからである。彼らはまた、この隔壁の中に抜け穴を開け、そこを大あわてで駆け抜けて、彼ら自身の重放射器を戦列に加えようとした。
「鉄のペーストを使え」と、軍曹は命令した。「できるだけ、あの隔壁に近寄れ。そうすれば、やつらはわれわれを吹っとばすわけにはいかないからな!」
テルミット(粉末アルミと酸化鉄の混合物)に代わる武器として、ペーストが持ちだされた。大男のバレリア人は、これをものすごい勢いでふりまわし、床《ゆか》から持ちあげて、大きな弧《こ》をえがいて、ふたたび床にぶちつけた。そして、ペーストに点火した。ちょうどそのときに、敵の砲手の数名が、やっとのことで放射器を、パトロール隊の後続にもとどくように正確にねらいをつけることができた。しかし、テルミットの光を発して白熱したガス状の目もくらむような光芒《こうぼう》と、海賊側の発するビームのすさまじいエネルギーとが、そこでぶつかりあって、この限られた空間は、文字どおりの地獄と化してしまった。
しかしペーストは、その役割をなしとげた。そして、ちょうど隔壁の半円形がくずれ去ったから、パトロール隊員は、穴の中を通りぬけて、まだ燃えている隔壁の中にとびこんでいった。それは、いまや絶望的な最後の抵抗を試みている海賊たちに対して、白兵戦をいどむためである。半携帯放射器や、またその他の重火器は、いずれも、ブリタニア号からその動力をあおいでいたので、これらは、もちろん役にたたない。堅い合金の海賊の宇宙服に対しては、ピストルは効果がなかった。光線銃も、この防御物に対しては、同様に無力であった。いまや、重い手榴弾《しゅりゅうだん》が、戦闘者たちのあいだに、雨あられと降りはじめた、パトロール隊も、海賊どもも、同じくこなごなに吹きとばしながら。実際、この無法者の狩猟たちは、自分たちの部下を多数殺しても、そうすることによって法の執行者を殺すことができれば、そんなことは、まったく意に介《かい》しなかったからである。いや、それよりもまずいことには、砲手たちの一隊が、偉力のある放射器を急ごしらえの砲架の上で回転させて、パトロール隊員がもっとも密集している個所を、狙っていることだった。
しかし、法律の執行者たちは、もう一つだけ残された武器を持っていた。それは、まさにこのような事態のために残された武器、宇宙|斧《おの》である――戦闘斧と、矛《ほこ》と、こん棒と、そして樵《きこり》の使う斧を組み合わせて、理想的な形にしたものである。その巨大な、針のように先のとがった底知れぬ潜在力を秘めた武器は、ただ、これをふるう人間の物理的な力と、肉体の敏捷《びんしょう》さによって制限されるだけである。
ところで、ブリタニア号の突撃隊は全員、バレリア出身であった。だから、みんな大男でたくましく、すばやくて、敏捷であった。また、彼らのリーダーである軍曹は、中でも、ひときわ大きくたくましく、すばやく、そして敏捷であった。そこで、宇宙的に合成されたこの三十ポンドもある怪物的な斧の先端は、四百ポンドもある肉体と骨格、すなわち彼のからだによって動かされて、それが海賊の宇宙服を打った。宇宙服は破れざるを得ない。この鋼鉄の恐るべき刃物が、宇宙服を斬り裂いた後で、致命的な部分を打ったかどうかということは、まったく問題ではない。頭であろうと顔であろうと、足であろうと腕であろうと、その結果はまったく同様であった。すなわち、彼が大気の代わりにスペースを呼吸している場合には、その人間は有効に戦うことができなくなるからだ。
バン・バスカークは、ゆるやかに旋回する放射器を見て、部下に危機がせまっていることを見てとった。そこで、はじめて上司に声をかけた。
「キム、そのデルタ光線を出してください、どうぞ!」と、彼はマイクロフォンの中に、平静な調子で話しかけた。「……いや、それとも敵のやつらがこのビームを遮断したので、あなたにこれが聞こえませんか? ……どうも、そうらしい。
「やつらは、通信を切ってしまった」と、彼は隊員たちにいった。「できるだけ敵を近づけないようにしてくれ。おれは、敵のデルタ光線を自身で片付けるから」
大勢の部下の力による妨害に助けられて、彼はこの恐るべき機械装置のほうへ飛び出していった。右に左に歩くにつれ、敵を切りすてながら。そして、ついに間に合わせの砲架のそばに近づくや、デルタ光線のオペレーターに、恐るべき一撃をあたえた。ところが、瞬間的に斧が目標に向かって一閃《いっせん》し、相手を軽く一突きしたような手ごたえがあっただけで、彼がねらった獲物《えもの》は、この打撃の下からなんの苦もなくするりと抜けだしてしまった。海賊の司令官は、最後の切札を使ったのだ。バン・バスカークはよろよろとなった。重量がなくなっただけではない。無慣性状態になったのだ!
しかし、この巨大なオランダ人の心は、なるほど数学的ではなかったが、しかしその筋肉よりは速く動いた。彼が無慣性状態における力や技能の試験に、数週間を熱心におくったことはけっしてむだではなかったのだ。すねと足とを手近《てぢか》な車にからみつけて、彼は敵のオペレーターをつかみ、ヘルメットをかぶった相手の頭を、砲架の下と、長い重い鋼鉄のレバー――これで放射器をまわすのだ――とのあいだに押しこんだ。つづいて、彼の驚嘆すべきからだのいっさいの力を出しきって、この放射器の砲身に両足をかけて、引きちぎった。ヘルメットは、卵のカラのようにとび散った。血と脳漿《のうしょう》とが、目をそむけるような恐ろしさで吹きだした。しかし、デルタ光線発射器は、こうして、めちゃめちゃに破壊されたので、もはやふたたび脅威《きょうい》となる心配はなかった。
そこでバン・バスカークは、船室を横切って、敵艦の主制御盤に向かった。士官をひとりふたりと排除しながら進んで、やがて二重構造のスイッチを逆転させた。それは、この穴だらけの船の重力と慣性を回復するものである。
そのあいだに、戦況は、ひきつづいてパトロール隊にますます有利に展開していた。攻撃軍の生存者は数すくなかったが、海賊側の生き残りはいっそう少なかった。そしていまや絶望的な防御《ぼうぎょ》戦を戦っていた。しかしこの戦闘において、降伏はあり得なかったし、また考えられもしなかった。バン・バスカーク軍曹は、ふたたび乱闘の中へ出ていった。それから四度も、彼のこの恐るべき有効な混成武器《ヽヽヽヽ》が、雷神のハンマーのように打ちおろされて、鋼鉄と、肉と、骨をひき裂いた。やがて、制御盤へ歩みよって、彼はスイッチとダイヤルを動かしてみた。そしてふたたび平静な声でキニスンに話しかけた。
「こんどは聞こえますね?……みんな、片づけちまいました――こちらへ来て、調査してください!」
技師長ラ・ベルヌ・ソーンダイクにひきいられた専門家たちが、もう数分も前から緊張しながらこの言葉を待っていた。いまや彼らは文字どおり、すっとんでこの仕事についた。恐るべき性急さで、しかし正確な、完全な協力のもとに、すでに準備されたスケジュールにしたがって、一つ一つのコントロールや導線《どうせん》、それからあらゆる母線と、さらに、非物質的なエネルギーのビームが、探知されチェックされた。器具や機械は分解された。封印《ふういん》された機械は、容赦なくジャッキでひき裂かれたり、切断ビームで輪切りにされたりした。そして、いたるところで、あらゆるものが、そしてあらゆる動きが、写真にとられ、図表化され、そして図解された。
「どうやら、わかってきましたよ、キム」やがて、ソーンダイクは、仕事の合い間をみていった。「いや、じつにすばらしいシステムだ……」
「ちょっと、これを見てください!」ひとりの技師が、口をはさんだ。「どえらい代物《しろもの》ですよ!」
シールドカバーが、金属の、この怪物のような機械からもぎとられた。一見、ひどく複雑なタイプのモーターか発電機のようだ。コイルの絶縁体は、黒焦げの断片となってとび散り、導線は、ぐしゃぐしゃの繊維質《せんいしつ》の細流のように溶けてしまっている。
「これがわたしたちの捜していたものだ!」とソーンダイクは叫んだ。「この導線をチェックしておけ! アルファ!」
「7・3・9・4!」そして、微細にわたる入念な研究は続行した。そして、ついに、
「もうこれで充分だ。当面、必要なものはみな手にはいった。図表や写真は、ひとつ残らず、ちゃんと写しとったかね?」
「とりました!」「罐《かん》の中に収めました!」と、二つの報告が異口同音に応じた。
「では、行こう!」
「それも、早くしろ!」と、キニスンはきびきび命令した。「時間切れじゃないかと気がかりなんだ!」
全員が急遽《きゅうきょ》ブリタニア号へと引き返した。デッキにころがっている死体には、なんの注意もはらわなかった。危険はそれほど切迫しているので、死んでしまった者には、味方であろうと、敵であろうと、なにもしてやれないことが、わかっていた。頭脳も肉体も全身のあらゆるメカニズムの源泉《げんせん》は、極度に緊張していなければならない。というのは、自分たち自身も、いつこうなるかわからないからである。
「通信できるかね、ネルス?」と、キニスンは、また気密室《エア・ロック》がしまらぬうちに通信士官に声をかけた。
「だめです。敵はわれわれを緊密に包囲しています」この有能な士官は、時を移さず答えた。
「空間は、静電で充満しているので、通信ビームはもとより、パワー・ビームをとおすこともできません。とにかく直接には話せません――われわれの位置をごらんなさい」そういって、彼はタンクの中で、現在位置を示した。
「ふうむ……。銀河系全体をとび越さない限り、あまり遠くへ行けそうもないな。ボスコーンは、あの後方にいる船からか、あるいはまた、この電波妨害から、警報を受けとっている。彼らが今やわれわれに全力を集中していることは、まちがいない……彼らのうちの一隻は、かならず牽引《けんいん》ビームでわれわれを捕捉するだろう。その点は、絶対に確かだ……」
駆《か》け出しの司令官は、両手をポケットにつっこんで、じっと考えこんだ。|是が非《ヽヽヽ》でもこのデータを基地まで持ち帰らねばならないのだが、――方法は? ≪方法は≫? ヘンダスンは、すでにこの船を想像もつかないような最高スピードまであげて、太陽のほうに反転していた。しかし、そこに到達しうるなどと望むことは論外だった。ブリタニア号の命脈は、いまや数時間の問題、ということを、彼は冷静に確信していた。しかも、それさえ、じつにたよりない尺度《しゃくど》にすぎない。というのは、空隙《くうげき》をぬって、現在ですらすでに、数百をこえる海賊船が巨大な網を形成して、ブリタニア号の帰還を阻止しようとしているにちがいないからである。確かにこの船も速いには相違ないが、バリケードを作っている敵の一隻は、かならず牽引ビームを使うだろう。もしそうなったら、この船の航行は、一巻の終わりだ。
かといって、この船で戦うこともできなかった。ブリタニア号は、確かに公敵、第一級の戦艦の一隻を征服した。しかし、その代償のなんと大きかったことか! もし新しい船が一隻やってきたら、この残骸は、いっぺんに宇宙の外に吹きとばされてしまうであろう。しかもその敵船は一隻とは限らないのだ。追跡器《トレイサー》が、もしこの船をみつけたら、数分足らずのうちにブリタニア号はボスコーンの戦艦の群れによって包囲されてしまうだろう。助かる望みは一つしかない。ゆっくりと考え深げに、そして最後には沈痛な思いで、この若い中尉のキニスンは――いや、いまでは簡単にキニスン艦長と呼ぼう――それを採用しようと決心した。
「全員、注意して聞け!」と彼は命令した。「われわれはこの情報を、絶対に基地に持ち帰ら|ねばならぬ《ヽヽヽヽヽ》。しかしブリタニア号の中にいては、そうすることはできぬ。海賊どもは、きっとわれわれをつかまえるだろうし、もう一度飛んで逃げる機会は正確にゼロだ。われわれはこの船を見捨てて、救命艇を使わざるをえない。すくなくともわれわれの中のひとりが、この包囲を脱出することに望みをつないでだ。
「技師たちや専門家は、各自が入手したすべてのデータ――情報、説明書、図表、図面、その他のすべてを縮小して、テープのスプールに入れる。その写しを、およそ百個作る。乗組員と、それからバレリアの戦闘員たちは、二十一号からはじまるボートに乗ってテープを手にしたら、すぐに飛び去ってもらいたい。いったんこの船を離れたら、探知されにくい動力を使うこと。いや、動力は全然使わんほうがいい。すくなくとも、海賊どもがブリタニア号を追跡して、諸君の現位置からすくなくとも数百パーセク遠く離れたことが確実になるまでは使うな。
「残りの者は――専門家と、それからバレリアの下士官だが――最後に脱出する。ボートは二十隻で、一隻にふたりずつだ。そしてひとりひとりが、テープのスプールを持つことにする。船を離れることが安全だと思われるときから、脱出を開始する。一つ一つのボートは厳密《げんみつ》に単独行動をとる。どんな行動をとってもよろしい。ただ、どの方法にせよ、また|どんな《ヽヽヽ》やりかたででも、スプールを基地まで持って行け。いまさら、この資料がいかに重要であるかを諸君に説明する必要はあるまい。諸君はわたしと同様に、それの重要性をよく知っているはずだ。
「ボートの乗組の組合わせはくじ引きだ。操舵員が、われわれ全員の名前を書く――もちろん彼自身の名前も。つまり全部で四十だ――これを紙切れに書いて、ヘルメットに入れ、その中から同時に二枚ずつ引くのだ。もしそれが、たとえばヘンダスンとわたしというように、ふたりとも航行士だったとしたら、その二つの名前はもう一ぺんこのヘルメットの中にもどす。さあ、やれ!」
キニスンの名前が、二度出てきたが、それと組み合わされた他の名前は、いずれも宇宙航行学の練達《れんたつ》の士だったので、やり直された。しかし三度めに、キニスンの名前は、バン・バスカークと組んで現われた。それは、この大男のバレリア人にとって、かくしきれない喜びであった。とともに、全員の賛同を得たものであった。
「これは、願ってもない幸運です、キム!」と、軍曹は同僚たちの喝采《かっさい》の中で叫んだ。「こうなれば基地に帰れること、まちがいなしです!」
「道中安全というわけか、でかいの――だが、ぼくの相乗りの相手に、きみ以上の適任者はちょっと思いつかないね」キニスンは、いたずらっ子みたいにニヤッとして、こう答えた。
組合わせはできた。デラメーター・ビーム放射器や、予備バッテリーや、他の装置は、すべて検査され、また試験された。テープのスプールは、耐腐食性の容器の中に封印《ふういん》され、分配された。キニスンはすわって、技師長と話していた。
「なるほど、こうして彼らは、宇宙線の実際に効果的な需要と変換の問題を解いたんだな!」キニスンは、そっと口笛を吹いた。「そして、一つの太陽は――たとえ小さなものであろうとも――、一秒間について、百万から数百万トンにあたる物質を吹きとばすだけのエネルギーを放射している! ≪なんたる≫動力だ!」
「そういうわけですよ、艦長。これで彼らの船が、われわれ船よりも、はるかに優秀だった理由が、すっかりわかりました。彼らは、ブリタニア号のものよりも、もっと高速度の動力装置をすえつけることができたはずです――いや、すでに、その必要が生じたのですから、たぶんそうするでしょう。また、もしも感受=変換器の母線が、もう数平方センチだけ断面で大きかったとしたら、彼らの防御壁は、われわれの水爆に対してさえも持ちこたえたことでしょう。もしそうだとしたら?……採取量はたっぷりあったはずです。しかし充分な分配ができなかったわけですね」
「彼らは、われわれと同じような原子力モーターを持っている。大きさも同様なら能力も同じくらいだ」とキニスンも考えこんだ。「しかし、これらのモーターは、いまやすべてわれわれが|手に入れた《ヽヽヽヽヽ》のだ。彼らはこれを性能いっぱいに、単なる宇宙エネルギーのスクリーンに対する第一段階の励磁機《イクサイター》として使っている。目もくらむような青い炎、いや、なんという動力だろう! われわれの中の誰かが、万難を排してもこれを持ち帰ら|ねばならぬ《ヽヽヽヽヽ》。ペルヌ。もし持ち帰らないとしたら、ボスコーンたちは全銀河系を征服してしまって、文明は、あとかたもなく消え去ってしまうだろう」
「そうでしょうね。しかし、また、基地に帰りつくことのできない者に対しても、こういいたいですね――努力が足りなかったせいじゃないんだとね。いや、自分も、もうボートの点検をしに行ったほうがいいようです。もし、二度とお目にかかれなかったら、親愛なるキニスン、これでさようならですね!」
簡単に握手をかわしてソーンダイクは歩み去った。その途中、彼は、ちょっと操舵員のそばに立ちどまって、通信装置の接続を切るように合図した。
「おつむのいい、アラーダイス君!」と、ソーンダイクはにやっとしながらささやいた。「おまえさんは、さっき二、三回、ちょっとしたいかさま賭博をやったっけね、そうだろ? そいつをかぎつけたのは、わたし以外誰もいないと思うがね。もちろん、艦長もヘンダスンも知りゃしない」
「すくなくとも一チームは、包囲を突破しなければなりません」アラーダイスはすまして、相手をはぐらかすように答えた。「つまり、われわれが作りうる最強のチームでも、これを切りぬけることは、やさしいどころの騒ぎじゃないでしょう。強い者と弱い者とでできているチームは、みな弱いチームです。キニスンは、われわれの、たったひとりのレンズマンですから、この難破船に乗りこんでいる中で、むろん最強の人です。二番目には、あなただったら、誰を選びますか?」
「もちろん、おまえがやったと同じで、バン・バスカークさ。わたしは、おまえに小言《こごと》をいっているんじゃないんだ。わかるかい。むしろ、ほめてるんだ。そして、まわりくどい方法で、わたしにヘンダスンをくれたことを感謝してるわけさ。彼もまた有能な男だ」
「もちろん、それはバン・バスカークではなかった。どうしてもね」操舵員は答えた。「あなたとヘンダスンのどちらを第三に挙《あ》げるかは、とてもむずかしい話です。そのうえに、どんな組合わせについても、四人目を挙げるとなると、精神的にも肉体的にも、いっそう話がむずかしくなります。ですが、あなたは、パイロットと組むほうがよさそうに思えました。二チームだけ選ぶことができましたが、あなたはまんまと見破った――しかし、わたしが作った二つのチームこそ、考えられる最強のものです。どちらかひと組が、かならず乗り切るでしょう。もしあなたがた四人の誰にも、できないとしたら、他にできる者はいません」
「そう、とにかく、一|縷《る》の望みはある、もう一度、ありがとう。いつか、たぶんまた会おう。さらば」
チーフ・パイロットのヘンダスンは、もう数分前から、宇宙船のコースを直線飛行から、幻想的なジグザグ航行に切りかえていた。宇宙空間を飛躍しながら、彼は、眉をひそめてキニスンのほうをふりむいた。
「もうすぐ脱出をはじめたほうがいいと思います」と、提案した。「今のところ、まだいかなる異変も発見してません。しかし、数字の示すところでは、なにかが現われるのも、さほど遠くないようです。彼らが罠《わな》をしかけた後では、時間の余裕はすぐになくなります」
「そのとおりだ」そして一つ、また一つと――とはいえ、その間には、五、六光年という宇宙空間の距離がおかれているのだが――小さなボートが十八隻、虚空《こくう》の中に飛びだして行った。管制室の中に残るのは、いまやヘンダスンと、ソーンダイクと、バン・バスカーク、そしてキニスンの四人。もちろん彼らは最後に離船することになっていた。
「よろしい、ヘンダスン、これからわれわれは、きみのいうルーレット流の偶然《ぐうぜん》による操縦法をとってみよう」とキニスンはいった。そして、ソーンダイクのいぶかしげな視線にこたえて、つづけた。「振動するテーブルの上で、はねかえるボールのことさ。ボールが、ピンにぶつかるごとに、それはかなり大きな、しかしまったく予知できない角度でコースを変える。純粋の偶然――われわれはこれによって、敵をすこしでもかわすことができるだろうと考えるのだ」
パネルからピンへ、髪の毛のように細いビームが接続された。そして四人の好奇心《こうきしん》にみちた観測者が見守る中で、ブリタニア号は、まったく人間の誘導なしに、ゆれたりとび上がったりした、そのしかたは、ヘンダスンの意識的な|ジグザグ《ヽヽヽヽ》操縦をはるかに越えるほど、でたらめなものであった。いまや、この船のコースの、たえず変動するベクトルは、この中に乗り込んでいる四人にとっても、あるいは外からこれを見守っているかもしれぬ観測者にとっても、まったく予想がつかぬとっぴなものであった。
さらに一隻の救命艇《きゅうめいてい》が船から離れた。そしてレンズマンと、大男の助手だけが残った。彼らが、自分たちの最後の脱出の前に必要な数分間を待つあいだに、キニスンがいった。
「バス、われわれにはもう一つ、やるべきことがある。そして、たったいま、それをやる方法を考えついたんだ。この船を、むざむざ海賊の手に渡したくない。というのは、この船の中には、敵の船がわれわれにとって目新しいのと同様、彼らにとっても、おそらく目新しい、たくさんの材料があるのだ。われわれがつかまえたのは、彼らの船のうちもっとも優秀な宇宙船であったことを彼らは知っている。しかし彼らは、われわれが、それをいかにしてつかまえたかは、知っていない。また、いっぽう、われわれが飛びだした後でも、ブリタニア号ができるだけ長く航行をつづけるようにしたい。この船が、われわれのボートから遠く離れれば離れるほど、逃げるチャンスの望みが強くなるというわけだ。まだ残してある水爆魚雷をなんとか爆発させなければならぬ――七つの魚雷を、同時にだ――もしもスパイ・ビームとの最初の接触のときに爆発させることができたら、一面では、敵がこの船を研究することを妨《さまた》げることができるし、また多少なりとも敵に打撃をあたえることができたら、これに越したことはない。敵船は、追跡器がブリタニア号を捕捉するや、ただちに彼女に有重力で接近する。もちろん、スパイ光線とスパイ・スクリーンを、まったくストップさせてしまっては、この作戦を実行できない。しかし、正規のスクリーンの外側に、R7TX7Mの磁場を作れるだろう。それは、TX7を充分、妨害して――たとえば一%の十分の一くらい――磁場を構成しているビームの継電器を狂わせることになる」
「一ミリワットの一%の十分の一、というのは、一マイクロワットですね、そうでしょう? たいしたパワーじゃないでしょうね。しかし、それはいささかわたしの領分の外のことです。さあ、やりましょう――あなたが仕事中、監視をつづけますから」
こうして、わずか数分の後に、銀河パトロール隊の威容を誇る大宇宙船はまったく無人の船と化して、飛び続けることになった。そして、もっとも楽観的な乗組員でさえも、それほどには期待し得なかったほど、敵の追跡を遅らせたのは、この巨大な船の舵がまったく無人で、偶然によってのみ動かされているせいであった。海賊船のパイロットにしてみれば、追跡側は、もちろん知能的な判断を持っているから、獲物も同様に知能を持って操縦されているものと推定していた。だから彼らは、各自の船を、ブリタニア号が論理的にたどるはずの方向にねらいをきめていた。しかも結果は、とんでもない方向に気違いのように飛んでいくのを見ただけである。まったく無分別に、ブリタニア号は、巨大な太陽たちにまっしぐらに突進した。あるときには、あまりに近接《きんせつ》しすぎたので、向こうみずの海賊どもも、こんな命にかかわる放射線にみずからをさらす愚かさに息をのむほどであった。ところが、なんの理由もなしに、ブリタニア号は直線的に逆行して海賊船団のまっただなかに突入した。あわをくった海賊どもが、これにビームをあてることもできないうちに、予測もつかない方向に飛び去ってしまった。
だが、最後に、この船は、同じことを一度だけやりすぎた。二隻の海賊船の中間にとび込んで、その方向を一秒のほんの数分の一だけ同じところに保ちすぎたのだ。二つの牽引ビームが発射され、三つの船が互いに接触した。すると、たちどころに二隻の海賊船が重力を持って、この荒れ狂う獲物を、宇宙の一角に釘づけにした。ついでスパイ光線がくりだされ、ブリタニア号の内部を探った。
これらのビームが接触するや――それはかるいデリケートなものであったが――継電器のスイッチがはいって、魚雷が発射された。これらの恐るべき弾丸は、その一つでさえも、いかなる重力を持つ物体をも完全に吹っとばすように考案され、それだけの負荷量を持ったものである。一つでさえもそうだから、七ついっしょになったらどうだろう。まさにそこには、想像を絶するような爆発が起こった。その爆発たるや、銀河系のどの言語をもってしても適切には叙述《じょじゅつ》できないほどのすさまじさである。
ブリタニア号は文字どおり木葉微塵に吹きとばされてしまった。半分以上は溶解し、また爆発の信ずべからざる狂乱のために、部分的に蒸発して、あらゆる方向にとび散った。それはあるいは流れとなり、水滴となり、粘体となり、また塊《かたま》りとなった。その一つ一つの部分は、爆発の極度に圧縮《あっしゅく》されたガスの圧力の中心から、はねとばされることになった。しかもいまや一つ一つの部分は、もちろん重力を持っていたので、それがたまたま衝突することになった同じく重力を持った物体に対しては、運動エネルギーの最大限を叩きつけることが可能になったわけだ。
破片の一つは、それほどすさまじいスピードを持っていたので、被害者は、避けることも、また無慣性状態になる余裕《よゆう》もなく、したがって、いきなり一番近くにいた海賊船の船腹に激突する結果になった。流星|防《よ》けのスクリーンは、あざやかに燃えあがり、紫色となって消えていった。全性能を発揮していた防御壁は、持ちこたえたが、その衝突があまりに激しかったので、その場で殺されなかった少数の乗組員も、それから後の数時間というものは、なんの感覚も持ち得ないほどの放心《ほうしん》状態になってしまった。
もうすこし隔《へだ》たったところにいた海賊船は、はるかに幸運であった。船長は、船を無慣性状態にするだけの余裕があった。そして、さっと退避して、爆発の一番外側の薄い煙霧のまわりを旋回しながら、船長は本部に向かって、経過のすべてを簡潔に報告した。ちょっとのあいだ、沈黙《ちんもく》があったが、やがてスピーカーが鳴った。
「ボスコーンを代表してヘルマスより」声が、そこから流れてきた。「おまえの報告は完全でもなければ明確でもない。探索《たんさく》し、研究し、写真をとれ。そして、この難破船《なんぱせん》に属するあらゆる細片《さいへん》およびあらゆる部分品を、すべて本部に持ち帰ること。この船に残っているあらゆる死体やその部分に特別に注意を払え。
「ボスコーンを代表してヘルマスより」声がわめいた。「各船の船長、階級とトン数の相違を問わず、また、いかなる任務かを問わず、注意せよ! いまのメッセージでふれた船はすでに破壊されている。しかし、乗組員のうちのある者が、あるいは全員が、脱出したかもしれぬおそれがある。これらの乗組員は、彼らがどこかのパトロール基地に連絡する機会をもつ前に、かならず殺してしまわねばならぬ。だから、おまえたちが当面受けている命令は、どんなものであろうと、まず、捨てて、全速力をあげて、さきに指示しておいた地域に突進せよ。その地域の空間の全領域《ぜんりょういき》を探索《たんさく》せよ。ビームをもって、あらゆる船の存在を捜しだせ。船舶書類が、乗組員の身分について、なんらの疑問も残さぬ船を除いて、他の船はすべて捜索せよ。あらゆる可能な逃走路《とうそうろ》を捜索せよ。これから先の詳細《しょうさい》な命令は、探索の目標にさらに接近したときに、諸君のひとりひとりに対してあたえられるであろう」
[#改ページ]
四 脱出
救命艇《きゅうめいてい》が宇宙空間を有重力でただよっていくあいだ、キニスンとバン・バスカークはヘルメットを除いてすっかり宇宙服に身を固め、ヘルメットはいつでも装着できるように手もとにおいて、制御室《せいぎょしつ》にすわっていた。キニスンはブリタニア号の操縦室から持ってきた宇宙図を調べていた。軍曹のほうは、探知盤《たんちばん》をものうげに眺めている。
「もうエーテルが晴れてもいいころだな」中尉は宇宙図を巻いてわきにほうりながらいった。
「一秒も晴れませんな。やつらはまるで手をゆるめんのです。われわれがどこにいるかわかりましたか? アラスカン星は、どこかこのへんにあるはずじゃありませんか?」
「そうだ。だが宇宙船にとってさえ近い距離じゃない――われわれには問題外さ。それに、このあたりには、生物の住んでいる星はあまりない。文明化された星なんか、なおさらだ。一つもないといってもいいくらいだろう。だが、ぼくはこれまでに、こんなところまで来たことはないんだ。きみは?」
「まるでご縁がありませんな。ところで、もうどのくらいすれば、噴射《ふんしゃ》しても安全だと思いますか?」
「探知盤《たんちばん》が晴れるまでは、噴射《ふんしゃ》できん。われわれが探知できる相手は、誰でもこっちを探知できるのだ。動力をかけたとたんにな」
「じゃ、しばらく待たなきゃなりませんな――」そのとき、バン・バスカークはふいに緊張した口調でしゃべりだした。「ありゃりゃ、ノシャブケミング(バスカークの生地バレリア星の守護神)に誓って! あれをごらんなさい!」
「目もくらむような青い閃光だ!」キニスンは探知盤《たんちばん》を見つめながら叫んだ。「あの宇宙船は、無限の宇宙空間と永遠の時間の中を飛びまわれるのに、いったいどういうわけで、こんなところへこんな時間にもどってきたんだ?」
なぜなら、彼らのすぐそば、百マイルと離れていないところに、ブリタニア号とそれを捕獲《ほかく》した二隻の海賊船がいたのだ!
「自由推進したほうがいいんじゃありませんか?」バン・バスカークがささやいた。
「冗談《じょうだん》じゃない」キニスンはうなるようにいった。「この距離では、やつらはあっという間《ま》にわれわれをつきとめてしまう。分離した金属塊みたいにただよっているしか方法はない。そうすれば、どんな宇宙船の目でもごまかせるだろう――そら、ブリタニア号が爆発した」
ふたりのパトロールマンは、ほどよいところから、彼らの勇敢《ゆうかん》な宇宙船のすさまじい最期を見届けた。海賊船の一隻がとび散った破片と衝突《しょうとつ》し、もう一隻が無慣性状態になって逃げ、そして姿を消した。
有重力の海賊船は、いまや救命艇《きゅうめいてい》とほとんど同じ速度で飛んでいた。速力も方向もほとんど同じだったが、大きな宇宙船と小さな救命艇とは、ごくゆっくりと互いに近づいていた。キニスンはからだをこわばらせて探知盤《たんちばん》を見つめながら、スイッチを神経質につかんでいた。海賊船がこちらを探知したとわかったら、すぐにそのスイッチを入れて無慣性状態に移行し、推進装置を全力|噴射《ふんしゃ》させるつもりだった。だが、一分また一分と過ぎても、何事も起きない。
「やつらは、なぜなにもしないのだ」彼はたまりかねて口を開いた。「やつらは、われわれがここにいるのを知っているはずだ――どんな探知器でも、この距離でわれわれを探知できないほど狂うことはあり得ない。それどころか、探知器なんぞまるでなくても、こちらを見ることができるんだから!」
「眠ってるか、気絶《きぜつ》してるか、さもなけりゃ死んでるんですな」バン・バスカークが診断した。
「でも、眠ってるんじゃない。確かですよ、キム。あの宇宙船は手ひどく突きとばされた。乗組員前部を気絶させるくらいひどくやられたにちがいない――ところで、あの船には非常口がありますよ――どうです、乗りこんでみませんか?」
部下の大胆《だいたん》な提案《ていあん》を聞くと、キニスンは胸をおどらせたが、すぐには答えなかった。彼らの第一の、そして唯一《ゆいいつ》の義務は、二巻のテープを無事に持ち帰ることだった。だが、もし海賊どもが宇宙船の制御を回復するまで、救命艇《きゅうめいてい》が有重力でただよっていれば、探知されて捕えられることはまちがいない。また艇を推進させて逃亡を企《くわだ》てても、付近一帯の宇宙空間には敵の宇宙船がうようよしているのだから、同様な運命にあうことはやはり確実だった。そういうわけで、バン・バスカークの乱暴な思いつきは、一見ひどくむこう見ずなようでいて、じつはいちばん安全な方法ともいえる!
「よろしい、バス、やってみよう。思いきって自由推進することにして、百分の一秒間だけ、十分の一ダインの水力を加えるんだ。マグネットでロックの中にはいろう」
救命艇は海賊船の装甲《そうこう》された舷側をかすめた。軍曹は二個の小型|携帯《けいたい》マグネットをたくみにあつかって、艇を海賊船の鋼鉄装甲にそって推進ジェットのほうへすばやく移動させた。確かに、主推進機のすぐ前方の定位置に、銀河基準にしたがって操作される非常口があった。
二、三分後、ふたりの戦士は海賊船の内部に侵入し、制御室に向かって突進していた。そこへつくと、キニスンは計器盤を見やって、安堵のため息をついた。
「うまいぞ! われわれが研究したやつと同じタイプだ。おまけに、乗組員も同じ種族だ」彼は床《ゆか》のそこここに散らばっている身動《みうご》きもしない姿を眺めながら進んで行った。そして、そのひとりのからだをひき起こし、パネルに立てかけ、複眼レンズをおおいかくした。
「これは制御室を監視している目なんだ」彼はわかりきったことを説明した。「やつらの司令部の視覚《しかく》ビームを切れば、疑われるにきまっているが、ちょっとばかり舞台《ぶたい》装置をやってのけるまでは、ここをのぞいてもらいたくないからな」
「しかし、自由推進すれば、どっちみち疑われますよ」バン・バスカークが抗議した。
「そのとおりさ。だがそのことは、まだ後で工夫《くふう》しよう。われわれがまずしなければならんのは、この船の乗組員前部が、たぶん一、二名を除いて、完全に死んでいるかどうかを確かめることだ。やむをえない場合のほかは、ビームを放射するな。全員があの衝突《しょうとつ》で死ぬか致命傷《ちめいしょう》を負うかしたというように見せかけたいんだ」
ふたりは船内をくまなく捜査《そうさ》し、それと同時に、不愉快な仕事をやってのけた。海賊たちは全部が全部死んでいたわけではなく、意識を失っていない者さえいたが、なんの防御《ぼうぎょ》もなく、まったくの不意うちをくったので、生存者たちもほとんど抵抗できなかった。貨物|積載口《せきさいこう》が開かれ、ブリタニア号の救命艇は船内へ引きいれられた。操縦室にとって返すと、キニスンはもうひとりの海賊の死体を運んで、メイン・パネルのところへ行った。
「この男は」と彼は説明した。「重傷を負ったが、なんとか計器盤にたどりついたということにするのだ。そして、こんなぐあいに自由スイッチを入れ、それから全力噴射させた。次にからだを起こして操舵天体儀《そうだてんたいぎ》におおいかぶさり、コースを本部に向けなおそうとしたが、完全には成功しなかった。そしてこっちのほうへコースを向けたところで死んでしまったのだ。正確に太陽系へ向けてじゃない。いいかね――それじゃあまり間《ま》がよすぎるからな――しかし、われわれに充分助けになるくらい近くに向けるのだ。この男の腕環は、こんなぐあいにガードにひっかかった。これで、どんなことが起こったかについて、はっきりとした証拠《しょうこ》が残るわけだ。さあ、われわれはあの複眼《ふくがん》レンズの視界《しかい》の外に出て、レンズをおおっている死体を、自然に泳がせるんだ」
「こんどはどうしますかね?」ふたりが身をかくしてから、バン・バスカークがきいた。
「必要がおきるまでは、何もしない」というのが答だった。「二週間ばかりこうして飛びつづけられればいいが、その可能性はない。敵の本部は、この船がなぜ発進したかについて、すぐに不審の念をいだくだろう」
そういっているうちにも、通信機からガーガー雑音がほとばしった。その音は次のような意味だった。
「宇宙船F四七U五九六! どこへ向かっているのか? そしてなぜなのか? 報告せよ!」
このそっけない命令がひびくと、身動きもしないでいる乗組員のひとりが、弱々しくもがいてひざまずき、言葉を発しようとしたが、また倒れて死んでしまった。
「申し分なしだ!」キニスンはバン・バスカークの耳にささやいた。「これ以上は望めないくらいだ。これで、やつらはこの船を呼び寄せようとして、時間をつぶすだろうし……たぶん、われわれはどこか地球の地殻に到達できるだろう、どのみち……待て、また何か通信がはいっている」通信機はまた通信を送ってきた。「やつらの送信ビームを捕捉《ほそく》できるかどうかやってみてくれ」
「報告できる生存者があるなら、ただちに報告せよ!」キニスンは、ダイナミック・スピーカーが発する声を理解した。それから、話し手がマイクのそばにいる誰かに向きなおったらしく、声がおだやかになって話しつづけた。「誰も応答しません。この船は、ご承知《しょうち》のように、あの新型パトロール船が爆発したとき、もっとも近くにいたのであります。非常に接近していましたので、パイロットは、パトロール船の破片と衝突する前に、船を自由|推進《すいしん》させる時間がありませんでした。乗組員は衝突のショックによって全員死亡するか行動不能におちいったものと思われます」
「もし高級船員がひとりでも生きていれば、裁判にかけるから、連行《れんこう》せよ」はじめの声より遠い声が、激しく命令した。「ボスコーンは、へまをするやつらは、見せしめにする以外に、用はない。できるかぎりすみやかに船を捕獲《ほかく》して、ここへ帰還《きかん》せしめよ」
「通信ビームを探知できたかね、バス?」キニスンはたずねた。「やつらの本部の送信ビームが一本でも探知できれば、おおいに役だつんだが」
「だめです、混線してはいってきていますんでね――外部の空電から分離できません。次はどうします?」
「次は、食って寝るんだ。とりわけ、眠ることさ」
「当直はいりませんか?」
「必要ない。何かが起きても、充分|間《ま》に合うように目がさめるさ。ぼくのレンズのおかげさ、わかるだろう」
ふたりはもりもり食べて、たっぷり眠った。食べてはまた眠った。休息して元気を回復すると、宇宙図を調べた。しかし、バン・バスカークの心は、目前の図に集中していないことはあきらかだった。
「あなたは、あのちんぷんかんぷんな通信がおわかりでしたが、わたしには人間の言葉とも聞こえませんでしたよ」彼は不思議《ふしぎ》そうにいった。「レンズの力ですね、もちろん。でも、たぶん、そいつはしゃべっちゃいかんことなんでしょうな?」
「秘密じゃない――すくなくとも、われわれのあいだではね」キニスンは受けあった。「このレンズは、思考《しこう》を代表するか、または何かの意味で思考と結びついているあらゆる形式の力を、純粋な思考として受けとるのだ。そして、ぼくの脳はその思考を英語で受けとる。なぜなら、英語がぼくの母国語だからね。それと同時に、ぼくの耳は事実上機能を失う。だから、どんな音を発していようと、ぼくは事実上、英語を聞くのだ。それ以外の音はまったく聞かない。したがって、ぼくは海賊どもの言語がどんなに聞こえるのかまるで知らない。ちっとも聞かなかったのだからな。
「逆に、ぼくが知っている言語を、まったく知らない誰かに話しかけようと思うときは、レンズに向かって思考を集中し、その力を相手に向けさえすれば、相手はぼくが相手の母国語で話しかけているものと思うのだ。そういうわけで、きみはぼくがいま完全なバレリア・オランダ語で話しているものとして聞いている。ところが、きみも知っているように、ぼくはバレリア・オランダ語の単語を一ダースかそこら話せるだけだ。それもひどいアメリカなまりでね。それに、きみはぼくの声がバレリア・オランダ語をしゃべるのを聞いているが、きみにもわかるように、ぼくは事実上、一語もしゃべっていない。なぜなら、きみにも見えるように、ぼくの口は大きく開いているが、くちびるも舌も声帯も動かしていないからだ。もしきみがフランス人だったら、この言葉をフランス語として聞くだろう。また、もしきみがマナルカ人で、まったくものをいえなければ、通常のマナルカ式|精神感応《テレパス》として受けとるだろう」
「なるほど、わかったような気がします」オランダ人は驚嘆《きょうたん》して、とぎれとぎれにいった。「じゃ、なぜやつらの通信機を通じて、やつらに応答できんのです?」
「なぜかというと、レンズは強力で多くの能力をもってはいるが、万能ではないからだ」キニスンはあっさり答えた。「これは思考を伝達《でんたつ》するだけだ。思考波はエーテル波よりもっと波長が短いから、マイクに作用できない。マイクはそれ自体知能をもっていないから、思考を受けとれないのだ。もちろん、ぼくは思考を放射することはできる――だれでも多少はできるがね――だが、相手方にレンズがないと、それほど遠くまでは伝達できないのだ。この能力は、熟練《じゅくれん》によって増大するということだが――ぼくはまだそう熟練していないんだ」
「あなたは思考を受けとることができる……そしてだれでも思考を放射している……だとすると、あなたは、ひとの心が読めるんですね?」バン・バスカークは、たずねるというより断定するようにいった。
「その気になればできるさ。われわれが生き残りの海賊どもを処分していたとき、ぼくはそれをやっていたんだ。ぼくは生きているやつらのひとりひとりに基地の所在をたずねたが、だれも知らなかった。基地の建物、配置、装備、要員などについてはいろいろな状況がわかったが、基地が宇宙のどこにあるかはまるでわからなかった。この船のパイロットたちはみんな死んでいる。たとえアリシア人でも、死者の思考を理解することはできん。だが、いささか哲学《てつがく》じみたことに深入りしすぎた。それに、もう食事の時間だ。さあ、はじめよう!」
何日かが事もなく過ぎていったが、やがて通信機がまた話しはじめた。二隻の海賊船が、この一見|漂流《ひょうりゅう》しているらしい宇宙船に接近しつつあった。彼らは、三隻のコースが出会う正確《せいかく》な位置を、互いに論じていた。
「やつらがわれわれに追いつく間に、味方の最高基地と連絡できるだろうと期待していたんだが」とキニスンは行った。「しかし、そいつは無理なようだ――ぼくのレンズには誰も捕捉できないし、エーテルはあいかわらず妨害《ぼうがい》でいっぱいだ。やつらは疑いぶかい連中《れんちゅう》だから、できることなら、われわれに船内のものをなにひとつ持っていかせまいとしているんだ。きみはやつらの通信|攪乱《かくらん》防止器の複製を作ったかね?」
「作りました――あなたがいま聞いているのは、その複製のほうです。わたしはそいつを手持ちの材料で作りました。それに、わたしはクリーナーを持って船内をすみからすみまでまわりました。この船の乗組員以外に誰かが乗船したような痕跡は、指紋一つ残っていません」
「よくやった! このコースを飛んで行くと、われわれは二、三分のうちに、ある太陽系のすぐそばを通過するから、そこでこの船から離脱《りだつ》しなけりゃならん。調べてみよう――この図のマークによると、二番惑星と三番惑星に生物が住んでいるが、赤の参照番号で、一一二七とある。ふ――む――む、つまり、事実上、未探検で未知だというわけだ。これまでパトロール隊が着陸したこともない――パトロール隊員の提供《ていきょう》もないし、パトロール隊との連絡もない――商業的|交渉《こうしょう》もない――文明度は不明――第三次銀河観測隊によって一度ざっと観測されただけ。それもはるか昔のことだ。あまりよくないようだな――だが、こちらにはそのほうが有利かもしれん。どのみち、強制着陸だ。じゃ、出発としよう」
ふたりは救命艇に乗り、それを貨物|積載口《せきさいこう》に出し、外部ドアを自動|閉鎖《へいさ》するようにしてあけはなしたまま、時を待った。宇宙船はすさまじい銀河的速度で飛んでいたから、太陽系の直径くらいは一秒のほんのひとかけらの時間で横切ってしまって、計算はおろか、観測さえ不可能だろう。まず行動して、それから計算するのだ。
宇宙船は未知の星系に突入した。一つの惑星が恐ろしいほど近くに、ぬっと浮かびあがった。宇宙船のものすごい速度のために、艇の超視覚的探知盤でさえほとんど見分けられないくらいだった。救命艇は発進し、スクリーンを通過しながら、有重力となった。貨物積載口は自動的に閉鎖した。好運にも、その惑星は、百万マイルたらず向こうにある。バン・バスカークがそれに向けて操縦して行くあいだ、キニスンはすばやく観測した。
「もっと運のいいこともあり得ただろう――だが、もっともっと悪くもなったかもしれん」キニスンは告げた。「こいつは四番惑星だ。生物が住んでいない。たいへん結構なことだ。だが、三番惑星はこの星系の太陽のちょうど反対側にある。第二惑星は、宇宙服で飛行するにはいささか遠すぎる――八千万マイル以上もあるのだ。距離だけでいえば楽なものだが――われわれはみんな、宇宙服でもっと長い距離を飛行しているからな――しかし、そうすると、十五分ばかり探知器にさらされることになる。だが、やむをえん……さ、行こう!」
「艇を自由着陸させるんですか、ええ?」バン・バスカークは口笛を吹いた。「なんて冒険だ!」
「艇を有重力着陸させるために時間をかけるほうがもっと危険だ。艇の動力はもつだろう――と思うよ。われわれがもどってきたら、有重力にして、艇の速度にわれわれの速度を同調しよう――そのときには、もっと時間の余裕があるだろうからな」
救命艇は自由着陸に移って瞬時に停止した。そこは、未知の天体の、生物のいない荒涼《こうりょう》とした岩だらけの地面だった。ふたりは一語も発せずに、ぎっしりつまった背嚢《はいのう》をしょって艇からおどり出た。つづいて一|挺《ちょう》の携帯《けいたい》用ビーム放射器がとりだされ、その強烈な電波が彼らの着陸したすぐそばの丘《おか》のすそに放射《ほうしゃ》された。たちまち一つの洞窟《どうくつ》がつくられ、そのなめらかな壁がまだ熱い煙をたてているうちに、救命艇がその中に送りこまれた。次にふたりの宇宙旅行者はデラメーター放射器で丘の斜面《しゃめん》をえぐりとり、土や岩の大なだれで彼らの来訪《らいほう》の痕跡《こんせき》がすっかり抹殺《まっさつ》されるようにした。関係位置を正確に覚えこんだので、キニスンとバン・バスカークにはまた艇を見つけることができるが、ほかの者には見つけられまい。
それから、ふたりの冒険家は、やはり言葉をかわさずに、上空へ飛びあがった。この惑星の大気は稀薄《きはく》で冷たかったが、それでも、彼らの前進をひどく妨げ、彼らの宇宙服の推進器の力でその薄い気層を突破するまでに、貴重な何分かが費《つい》やされた。しかし、ふたりはついに惑星間の宇宙空間にぬけだし、光の四倍の速度で飛んでいった。やがて、バン・バスカークが口をきった。
「艇を着陸させること、それをかくすこと、それからこの飛行と、その三つが危険な仕事なんですが、まだなにか聞こえませんか?」
「聞こえない。それに、聞こえるとも思わんよ。どうやら、われわれはやつらを完全に|まいた《ヽヽヽ》ようだ。だが、やつらがあの宇宙船を捕まえるまでは、はっきりしたことはわからない。それにはまだ十分ぐらいかかるだろう。そのころには、こっちは着陸しているはずだ」
やがて、眼下に一つの世界が展開した。地球に似た美しい世界で、まき散らされた雲のあいだから、緑の森、うねる平原、樹木におおわれ雪をいただいた山脈、波うつ海洋などが見えた。そこここに都市らしいものがあったが、キニスンはそれらを避けて、黒くなめらかな絶壁の陰にある、ひらけた草原に着陸した。
「ああ、ちょうど間《ま》に合った。やつらが話しはじめたところだ」キニスンがいった。「まだそう重要なことじゃない。船の入り口をあけるとかそんなようなことだ。おもしろくなったら、できるだけ言葉どおりに伝達《でんたつ》してやるよ」彼はちょっとだまったが、やがて単調に話しはじめた。まるで記憶にしたがって暗誦《あんしょう》しているみたいだったが、事実、彼はそれと同じことをやっているのであった。「『宇宙船P四J二六三およびEQ六九B四七の船長よりヘルマスへ! われわれは、F四七U五九六を停止させて乗船しました。船内はすべて異常なく、さきに観測した者が推測し報告したとおりの状態であります。乗組員はすべて死んでいます。彼らは同時に死んだのではありませんが、いずれもあの衝突のショックによって死亡したのであります。外部から干渉《かんしょう》した形跡《けいせき》はまったくなく、乗組員はすべてそろっています』」
「『ボスコーンを代表して、ヘルマスより。おまえたちの報告は不確実である。船内を精密《せいみつ》に検査して、痕跡《こんせき》、汚染《おせん》、掻《か》き傷《きず》などを見つけだせ。糧食がなくなっていないか、装備品の位置が狂っていないかなどに注意せよ。あらゆる機械装置、とりわけ変換器《コンバーター》、通信機などがいじられたり、はずされたりした形跡がないかどうかを調べよ』」
「ヒュー!」キニスンが口笛を吹いた。「やつらは、きみがあの通信機をはずした場所を発見するぜ、バス。逃げられそうもない罠《わな》だ!」
「いや、発見しやしませんよ」バン・バスカークは断言した。「わたしはあの仕事を、先端にゴムのついたペンチでやったんです。あの通信機の表面に掻《か》き傷《きず》とか汚染《おせん》とかが一つでもついていたら、食ってみせますよ、チューブからなにもかもね」
ちょっと通信がとぎれた。
「『われわれはあらゆるものをきわめて慎重に調査しました。おお、ヘルマス。ですが、なにかをいじった痕跡《こんせき》や、何者かが船内に侵入した形跡はまったくありません』」
「また、ヘルマスがしゃべっている。『おまえたちの報告はまだ不確実である。その仕事をやってのけたのは、おそらくレンズマンであろう。その者は確かに知能的である。あらゆる出入口の現在の開閉数記録番号と、おまえたちがそれぞれの出入口をあけた正確な回数を報告せよ』
「ちくしょう!」キニスンがうなった。「もしぼくの推定どおりなら、万事|休《きゅう》すだ。きみは、あの船の出入口に開閉回数記録器がついていたのに気づいたか? ぼくは気がつかなかった――もちろん、きみもぼくもそんなことは考えてもみなかったからな。待てよ――また通信がはじまった。
「『出入り口開閉回数記録器の記録は次のとおりであります』……こちとらには、なんのことかわからん……『われわれは、非常口を一度あけ、右舷のメイン・ロックを二度あけました。他の出入口はまったくあけていません』
「またヘルマスの通信だ。『ふむ、わしが思ったとおりだ。外来者によって非常口が一度あけられ、右舷の貨物|積載口《せきさいこう》が二度あけられている。レンズマンが乗船して船を太陽系へ向け、救命ボートを船内に引きこんでわれわれの通信を盗聴《とうちょう》した。そして、ころあいを見はからって離脱したのだ。しかも、この事件はわが艦隊のただ中で起こった。艦隊の全員は彼を捜査《そうさ》することを命じられていたにもかかわらずだ! 知能的であるべきはずの宇宙人が、どうしてこのようにまったく弁護の余地《よち》のない愚劣《ぐれつ》さを暴露《ばくろ》できるのか……』ヘルマスは、連中をこっぴどくやっつけているぜ、バス。だが、それをくり返してみても意味がない。その口調《くちょう》はとても際限できないくらいだ。痛烈きわまる……そら、またヘルマスの命令だ。『全員に告げる――宇宙船F四七U五九六は漂流《ひょうりゅう》状態をよそおってパトロール船爆発の位置より飛行した。そのコースは……』もうくり返す必要はないな、バス。やつは、われわれの飛行コースをしらみつぶしに調べるように指令をあたえているのだ……通信が弱まっていく――やつらは先へ進んだのか、それともひき返しているのだ。この通信装置は、もちろんごく近い距離でしか効力がないからな」
「で、われわれは小難《しょうなん》をのがれて大難《だいなん》におちいったっていうわけですね、ええ?」
「いや、そんなことはない。さっきよりずっと条件がよくなったんだ。こっちは、ある惑星の上にいて、なんの動力も用いていないから、やつらには追跡できない。それに、やつらはべらぼうに広大な区域を捜査《そうさ》する必要があるから、そう綿密《めんみつ》に調べるわけにはいかない。さらに、そのおかげで、われわれのほかの仲間には、逃げのびるチャンスができる。そればかりじゃなく……」
そのとき、押しつぶすような重みが彼の背にのしかかってきた。次の瞬間、ふたりのパトロールマンは、いのちがけで戦っていた。絶壁のむきだしになった、なんの危険もなさそうな岩棚の表面から、ロープのような触手《しょくしゅ》を持った怪物どもが現われ、群れをなして狂暴に襲いかかってきたのだ。デラメーター放射器が激しく放射されると、何百という怪物どもがまぶしい炎をあげて消滅《しょうめつ》したが、なおも襲ってきた。何千、何万どころか、何百万もいるように思えた。ついに、放射器にエネルギーをあたえているバッテリーが尽きはじめた。いまや、ふりおろされる触手は鋭い鋼鉄の刃《やいば》に迎えられ、狂暴に突きだされるオウムのようなくちばしは、宇宙的に調整された装甲《そうこう》にぶつかってひびきをたて、球根状の頭ははげしくふりまわされる斧《おの》の下につぶれた。しかし、ふたりは無慣性飛行に必要な、ほんのわずかの時間さえ自由にすることができなかった。キニスンはSOSを送った。
「レンズマン、助けを求む! レンズマン、助けを求む!」彼は精神とレンズとの力をふりしぼって通信を送った。するとたちまち、鋭い明瞭《めいりょう》な声が彼の頭脳に流れこんできた。
「行くぞ、レンズの着用者! キャトラットの絶壁へ急行する。わたしが行くまでもちこたえろ! わたしの到着はあと三十――」
三十なんだというのだ? 時間というあの未知で不可知な概念《がいねん》について、どんな理解可能な相対的|尺度《しゃくど》が、思考だけで伝達《でんたつ》されうるだろうか?
「がんばれ、バス!」キニスンはあえぎながら叫んだ。「助けがくるぞ。この土地の警察官だ――声の調子では、女かもしれん――あと三十なんとかで到着するそうだ。三十分か三十日か知らん。だが、それまではもちこたえられるだろう?」
「そうかもしれませんし、そうでないかもしれません」オランダ人はうなるようにいった。「助けのほかになにかがやってきますよ。上を見てごらんなさい。わたしに見えると思うものが、あなたにも見えるかどうか」
キニスンは上を見た。絶壁のいただきから空を切って、まぎれもない一匹のドラゴンが彼らのほうへとびおりてくるところだ。悪夢《あくむ》の中で見かけるような、恐ろしい爬虫類《はちゅうるい》ふうの頭部、皮膜《ひまく》が張った翼、狂暴な牙《きば》をむいた顎《あご》、すさまじい爪のはえた足、多数の節《ふし》を持った腕、長くうねって厚くうろこにおおわれた蛇のような胴体。キニスンは敵のもつれた触手《しょくしゅ》をすかして瞬間的に視線を走らせながら、この信じられないような怪物の全容を少しずつ見てとった。彼は、人類にほとんど知られていない天体の奇異な生物を見なれてはいたが、この怪物には、気が遠くなるほど驚いた。
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五 ウォーゼルの救援
ドラゴンそっくりの生物が降下してくるにつれて、絶壁に住む怪物どもは狂ったようになった。ふたりのパトロールマンに対する彼らの攻撃は、はじめから猛烈《もうれつ》だったが、それがいまや、めちゃくちゃな激しさになった。キニスンに届くところにいるキャトラットはすべて、巨大なオランダ人をそっちのけにして、キニスンにだけ襲いかかり、レンズマンの頭、腕、胴などにからみついたので、彼はほとんど身動《みうご》きすらできなくなってしまった。それから、こうしてからみついた怪獣どもは、無力になった人間を運んで、絶壁の黒曜石《こくようせき》の表面に口をあけている一番大きな洞窟に向かってじりじりと移動して行った。
バン・バスカークは、そのじりじり移動して行く集団にとびかかって、強力な宇宙斧をふるいはじめた。しかし、いくら斬《き》ったりたたきつぶしたりしても、上官をつつみこんでいるものすごい怪物の群れから上官を解放することもできず、その群れが目的の洞窟へ進んでいくのを効果的に妨げることもできなかった。けれども、キニスンの足を束縛《そくばく》している比較的少数の触手を切り離すことは可能だったので、彼はそれをやってのけた。
「わたしの腰に両足をからみつけなさい、キム」彼はすこしも手を休めずに斧を激しくふるいながら指示した。「いまにほんとうの格闘《かくとう》になる。それまでに機会がありしだい、手の届くかぎりのベルト・スナップでわれわれふたりを連結します――どこへ行くにしても、いっしょに行きましょう! だが、なぜこいつらは、わたしにかかってこんのだろう? それに、あのドラゴンはなにをしているんだ? いそがしすぎてやつのほうを見なかったが、もう背後から襲いかかるころだと思っていましたが」
「彼は後ろから襲ったりせんよ。あれは、ぼくの呼びかけに応答したウォーゼルだ。彼の声が奇妙だといったろう? 彼らは話すことも聞くこともできない――精神感応《テレパス》を用いるんだ。マナルカ人たちと同じようにな。彼はいまキャトラットどもを束にしてやっつけている。もしきみがあと三分だけぼくをひきとめておれば、彼はこいつらを残らず片づけてくれるだろう」
「ここからアンドロメダ星雲までのありったけの悪党が襲ってきたって、三分間守ってみせますよ」バン・バスカークは断言した。「さあ、あなたに四つスナップをとりつけましたよ」
「あまり堅く連結するなよ、バス」キニスンは注意した。「やむをえない場合には、ぼくを切り離せるように、ゆるみを残しておけ。テープはわれわれのだれよりも大事だということを忘れちゃいかん。あの絶壁の中へ引きこまれたら、われわれはおしまいだ――ウォーゼルでも助けることはできない――だから、きみまで引きこまれそうになったら、ぼくを切り離すんだ」
「ふむ」オランダ人はあいまいにうなった。「わたしはあそこで自分のテープを地面にほうりだしました。ウォーゼルに、もしこいつらがわれわれを洞窟に引きこんだら、あのテープを拾って持って行くようにいってください。われわれはあなたのテープといっしょに行きましょう。必要とあれば、洞窟の中へでもね」
「ぼくをひきとめられなかったら、切り離せというんだ!」キニスンは激しくいった。「本気でいってるんだぞ。これは正式の命令だ。忘れるな!」
「命令なんか、くそくらえだ!」バン・バスカークはやはり重い斧《おの》をふるいながら、鼻を鳴らした。「こいつらは、わたしを二つに裂かないうちは、あなたを洞窟へ引きこめませんよ。そしてそいつは、どこの言葉でいったって、やっぱり二つに分ける意味なんだ。さあ、もう口をとじてください」彼はぶっきらぼうに結論をくだした。「さあ、こい。もうすぐわたしは考えることもできんくらい、いそがしくなるんだ」
彼がいったことは事実だった。彼はすでに抵抗の足場《あしば》を選んでいた。そしてそこにくると、開いたはねあげドアの後ろの割れ目に斧《おの》の頭をさしこんで、その柄を自分の宇宙服の肩についた受け穴に押しこみ、ずんぐりした両足とヘラクレスのような腕を岩壁に突っぱりながら、広い背を弓のようにまげてふんばった。キャトラットたちはもう要害堅固な暗いトンネルの中にはいりこんでいたが、これに驚いて定着用の触手を岩壁の割れ目にさしこみ、いっそう力をこめて引っぱった。
そのおそろしい力をうけて、キニスンのがっちりした宇宙服は、気密関節が新しい異常な位置に適応するにつれて、きしるような音をたてた。宇宙的に調整された合金製の宇宙服はもちろん破壊されないだろう――だが、キニスンをひきとめている錨《いかり》のほうはどうだろう?
ブリタニア号の操舵手《そうだしゅ》が、レンズマンの相手にピーター・バン・バスカークを選んだことは、その日のキムボール・キニスンにとっても、われわれの現在の文明にとってもさいわいだった。なぜなら、この絶壁の洞窟の中には、避けがたいおそるべき死が待ちかまえていたし、地球育ちの人間のからだでは、どれほど宇宙服で保護されていても、キャトラットどもの牽引力《けんいんりょく》の激しさには、一秒のひとかけらさえ耐えられなかっただろうからだ。
しかし、ピーター・バン・バスカークは、地球生まれのオランダ人の血をひいてはいたが、惑星バレリアで生まれ、そこで育っていたので、その惑星の強大な重力――地球のそれの二倍半以上のおかげで、小さな緑色の地球に生涯《しょうがい》住んでいるわれわれには想像もおよばないような体格と力量をあたえられていた。まえにもいったように、彼の身長は二メートルに達したが、それにもかかわらず、その広大な肩幅と驚くべき胴まわりのために、ずんぐりして見えた。骨格は象のようだった――それをおおっている信じられないほど多量の筋肉を、支持し運動させるために、そうならざるをえなかったのだ。しかし、いまやバン・バスカークのバレリア的力量さえも極限にまでふりしぼられた。
ふたりを結びつけた鎖は、止め金が環《かん》にくいこむにつれて、ぎりぎりと音をたてた。筋肉はよじれて節《ふし》くれだち、腱《けん》は伸びきって、いまにもぴしりと切れそうだった。彼の広大な背中には、汗が玉となってしたたった。顎《あご》は苦痛にくいしばられ、目は激しい努力に眼窩《がんか》からとびださんばかり。しかし、バン・バスカークはなおも持ちこたえた。
「ぼくを切り離せ!」ついにキニスンが命令した。「きみでもそれ以上は無理だ。やつらにきみの背骨を折らせることはない……切り離せというんだ……≪切り離せったら≫、でかの、あほうの、バレリア猿!」
だが、バン・バスカークが、声を荒らげた上官の命令を聞くか感じるかしたとしても、彼はそれを相手にしなかった。全身の力をふりしぼり、忠実な心と巨人的な体躯とをささげつくして、巨大なオランダ人は頑強に持ちこたえた。
彼が持ちこたえているあいだに、あの異様に恐ろしい、空想上のドラゴンに似た同志、ヴェランシア星のウォーゼルは、キャトラットの群れをふみにじって、ふたりのパトロールマンに近づいてきた。牙《きば》でくい破り、爪でかき裂き、翼で打ちふせ、鼻面《はなづら》でたたきつぶし、うろこの生えた手や強靭な尾でなぎ払いながら、疾風《しっぷう》のように進んできた。
バスカークが持ちこたえているあいだに、その悪魔の化身《けしん》は、キャトラットどもや彼らの無数の断片を四方八方に投げとばしながら、ますます近づいてきた。
そして両刃のかみそりのように鋭い三日月形のとげのはえた、生きた鋼鉄のように強靭な、蛇を思わせるからだを、トンネルの中のキニスンのわきにすべりこませ、そこにぎっしり固まっているキャトラットのあいだで、恐るべき殺戮《さつりく》をくりひろげた!
バン・バスカークは、からだにかかっていたものすごい緊張がふいにゆるんだので、自分の力のはずみで、絶壁からすっとばされた。緊張しすぎた筋肉を抑制《よくせい》しようのないほどひきつらせながら、地面にぶっ倒れた。そしてその上に、からだを連結したレンズマン、キニスンが倒れかかった。彼はもう手が自由になっていたので、自分の宇宙服とバン・バスカークの宇宙服とを連結していた止め金をはずし、さっとふりむいて敵を迎え打とうとした――しかし、戦闘はもう終わっていた。キャトラットどもは、ヴェランシアのウォーゼルからさんざんの目にあわされたので、やり場のない怒りにわめきたてながら、一匹残らず洞窟に姿を消してしまった。
バン・バスカークは身ぶるいしながら立ちあがった。「救援《きゅうえん》ありがとう、ウォーゼル、まさに危機一髪でした……」彼はそう話しはじめたが、グロテスクな別世界の怪物から伝達された命令的な思考によって、たちまち沈黙させられてしまった。
「その思考放射を停止したまえ! 心を遮蔽《しゃへい》することができなければ、思考をやめるのだ」切迫《せっぱく》した精神的命令が伝達された。「いまのキャトラットどもは、この惑星デルゴンでは、、こく弱小な害敵《がいてき》だ。やつらよりはるかに凶悪な連中がいる。さいわい、きみたちの思考波は、この惑星ではかつて用いられたことのない周波数《しゅうはすう》だ――もしわたしがきみたちのすぐ近くにいなかったら、まったくきみたちの思考を受けとることができなかっただろう――しかし、この惑星の支配者たちが、いまの周波数帯域に対する聴取器を持っていれば、きみの無遮蔽の思考波は、すでにとりかえしのつかない損失をひきおこしているかもしれない。ついて来なさい。わたしはきみたちに合わせてスピードを落とすが、極力、急ぐのだ!」
「あなたが話してください、隊長」バン・バスカークはそういって沈黙し、彼の鉄のような意志がゆるすかぎり完全に心を空白に保った。
「これは、ぼくのレンズを通じての遮蔽《しゃへい》された思考だ」キニスンが会話をひきついだ。「きみはわれわれのために速度をゆるめるにはおよばない――われわれは、きみが要求するどんな速度でも出すことができる。先導《せんどう》してくれたまえ!」
ヴェランシア人は空に飛びあがり、まっしぐらに飛んでいった。ふたりの人間は無慣性飛行でやすやすと彼の後ろについてくるので、彼はびっくりした。一瞬の後、キニスンはさらに思考を伝達《でんたつ》した。「もし急ぐことが最高の要求ならば、ウォーゼル、ぼくとぼくの同行者は、現在飛行しているよりも何百倍も大きな速度で、きみを希望の場所に運んで行くことができるのだ」
急ぐことが至上の要求だとわかったので、三人は互いに接近した。巨大な翼は背にたたみこまれ、手と爪は宇宙服の鎖をつかんだ。そしてこの一団はすべて無慣性状態になって、ヴェランシアのウォーゼルが夢にも思わなかったような速度で突進していった。数分のうちに目的地に達した。それは、薄い金属板でできた小型の平凡なテントで、びっしりからみあった広大な緑色のジャングルの中のあき地に置かれていた。テントの中へはいると、ウォーゼルは入口をとざして、宇宙服の客たちをふりむいた。
「われわれはもう自由に思考をとりかわすことができる。このテントの壁は、思考波が洩れないようなスクリーンの性質を持っているからだ」
「この惑星をきみはある名前で読んだが、ぼくはそれをデルゴンと訳した」キニスンはゆっくり思考を伝達しはじめた。「きみはヴェランシアの住人で、その惑星はいまこの太陽系の太陽の向こう側にある。したがって、ぼくはきみが、われわれをきみの宇宙船に連れて行くものと思っていた。その宇宙船はどこにあるのか?」
「わたしには宇宙船はない」ヴェランシア人は平然と答えた。「それに、わたしにはその必要もないのだ。わたしが生きることをゆるされた期間――それは、きみたちの時間にしてあと二、三時間だろうが――そのあいだは、このテントだけがわたしの……」
「宇宙船がないって!」バン・バスカークが思考をはさんだ。「わたしは、このノシャブケミング神に忘れられた惑星にいつまでもとどまらないですむことを望みますよ――それに、あの救命《きゅうめい》ボートであんまり遠くまで行くのは気がすすまんのです」
「そのどっちかをしなければならないとはかぎらんさ」キニスンは軍曹にうけあった。「ウォーゼルは長い歴史を持つ種族の子孫だが、彼が自分の敵によって二、三時間のうちに殺されると考えているからといって、それが避けられない事実だということにはならない。けっしてそんなことはない――いまでは、われわれ三人で協議することができるからだ。また、宇宙船が必要とあれば、なんとかして手に入れよう。たとえ、建造しなければならないとしてもな。さあ、どういう事情なのか、よく考えてみることにしよう。ウォーゼル、そもそものはじめから説明してくれたまえ。話をとばさずにね。三人よれば、きっとみんなのための方法がみつかるさ」
そこでヴェランシア人は説明をはじめた。いくつかの概念《がいねん》は伝達不可能なほど異質だったので、数多くのくり返しや遠まわりの思考がなされたが、ついにふたりのパトロールマンは、現在この未知の太陽系に存在している状況について、かなり全体的な概念を把握《はあく》することができた。
惑星デルゴンの住人は邪悪だった。一口にいえば、人間の心では想像もおよばないような形態と深刻さで堕落《だらく》していた。デルゴン人は通常の意味では、ヴェランシア人の敵であるばかりではなかった。彼らは海賊であり、略奪者《りゃくだつしゃ》であり、ヴェランシア人の主人であり、ヴェランシア人を奴隷《どれい》としてまた食用家畜として扱っていたが、それだけでもなかった。彼らには、なにかそれ以上のもの、もっと深刻でもっと邪悪なもの、思考を通じてでは部分的にしか伝達できないようなものがあった――それは、恐ろしくもいとわしい、ほしいままな、精神的、知的、生態学的寄生だった。ヴェランシア人とデルゴン人のこの関係は、長い時代にわたってつづいてきたが、その間《かん》を通じて、反乱は不可能だった。なぜなら、そのような運動を指導できるヴェランシア人は、活動を開始する前に殺されてしまうからだ。
しかし、ついに一種の思考波スクリーンが考案され、ヴェランシアはその陰に隠れて独自《どくじ》の高度な科学を発達させた。この科学の研究者たちは、ヴェランシアをデルゴンの支配者たちの圧制《あっせい》から解放するということを、終生の目的として生きていた。どの研究者も、その精神力が絶頂に達すると、暴君どもを観察し、できれば彼らを破滅《はめつ》させるために、デルゴンへ出かけていった。しかし、ひとたびこの恐るべき惑星に着陸したヴェランシア人は、研究者だろうと、科学者だろうと、個人的な冒険家だろうと、ひとりもヴェランシアにもどってきたためしがないのである。
「しかし、あんたがたはなぜ彼らを銀河評議会に訴え出ないのです?」バン・バスカークがたずねた。「審議会なら、すぐに不正を矯正《きょうせい》してくれるだろうに」
「きみたちの銀河パトロール隊のような組織が現実に存在していることは、きわめて不確実で間接的な情報以外、これまでわれわれにわかっていなかったのだ」ヴェランシア人は婉《えん》曲に答えた。
「しかし、何年も前に、われわれはその評判の高い銀河パトロール隊の一番近い基地に向けて一隻の宇宙船を発進させた。だが、その旅行にはヴェランシア人の通常の寿命の三代分の時間が必要であり、その瞬間瞬間が致命的な危険にみちているから、奇跡《きせき》でもなければ、目的地に到達できないだろう。そればかりでなく、宇宙船が目的地に到達したとしても、われわれの告訴《こくそ》はとりあげられさえしないだろう。なぜなら、その告訴を支持する現実の証拠がひとかけらもないからだ。生きているヴェランシア人でデルゴン人を見た者はひとりもいないし、わたしがきみたちに告げたような事実について証言できる者もいない。われわれはそれが実状だということを信じてはいるが、その信念は、法廷で認められうるような証拠にもとづいているのではなくて、この惑星からときどき放射されてくる思考波によって推定したところにもとづいているのだ。また、それらの思考波も全体的に見て……」
「その問題はちょっととばしたまえ――現実をなるべく正確に把握《はあく》しよう」キニスンはさえぎった。「きみがこれまで話したところでは、二、三時間のうちにきみが死なねばならないということにはまったくならないな」
「訓練されたヴェランシア人の生涯《しょうがい》の目的は、自分の惑星をデルゴン星への服従の恐怖から解放することだ。多くの者がここへやってきたが、だれも有効な手段を見いださなかった。ここで活動を開始して後、ヴェランシアへ帰還した者もなく、ヴェランシアと連絡した者もない。わたしはヴェランシア人だ。そしていまここに来ている。やがてわたしはあのドアを開き、敵と接触《せっしょく》する。わたしよりすぐれた者たちが失敗したのだから、わたしは成功を期待していない。わたしは自分が生まれた惑星へ帰還することはあるまい。わたしがドアをあけるやいなや、デルゴン人どもは、わたしに彼らのところへ行くように命ずるだろう。そしてわたしは自分の意志に反してその命令にしたがい、そのあとすぐ殺されるだろう。どのような方法で殺されるかは知らないが」
「そういう態度はやめたまえ、ウォーゼル」キニスンはきびしくいった。「それは、もっとも卑屈《ひくつ》な敗北主義だ。そしてきみはそのことを知っている。そんな主義を燃料にしていたのでは、最初の寄港地へも到達できないぞ」
「きみはいま、自分がなにも知らないことについて、えらそうなことをいっている」ウォーゼルの思考ははじめて情熱を示した。「きみの思考は根拠がない――無知だ――無益なのだ。きみはデルゴン人の知力についてなにも知っていない」
「そうかもしれない――ぼくは自分が精神的な巨人だと主張するものではない――だが、ぼくは知っている。知力だけでは断固《だんこ》として抵抗する意志力《ヽヽヽ》を圧倒することはできない。アリシア人ならば、ぼくの意志力をくじくことができるかもしれんが、それを除けば、既知の宇宙のいかなる精神力もそれをなし得ない。そのことを証明するために、ぼくは自分のいのちをかけてみせる」
「きみはそう思うかね、地球人よ?」その思考波とともに、沸きかえるような精神エネルギーが地球人の大脳をつつんだ。キニスンの意識はその恐ろしい衝撃《しょうげき》で混乱したが、彼はその攻撃をふりはらって微笑した。
「もう一度やりたまえ、ウォーゼル。いまの一撃は腹の底までこたえたが、まだ負けないよ」
「きみは謙遜《けんそん》しているのだ」ヴェランシア人は驚いて告げた。「わたしはきみの心に触れることさえできなかった――いちばん外側の防御さえ破れなかった。しかもわたしは自分の知力をふりしぼったのだ。だが、この事実はわたしに希望をあたえる。わたしの知力はもちろんデルゴン人どもの知力に劣っている。だが、わたしはきみの心に向かって直接全力を集中したが、まったく影響をあたえることができなかったのだから、きみはデルゴン人の精神力に抵抗することができるかもしれない。きみはついさっき宣言した賭《か》けをやってみるつもりがあるかね? というよりは、きみが着用しているレンズにかけて、その危険をおかしてくれるように、依頼したい――ヴェランシアの全住民の自由がその結果にかかっているのだから」
「やってみるとも。もちろん、いちばん重要なのはテープだ――だが、きみがいなかったら、われわれのテープも、いまごろはキャトラットの洞窟の奥に埋まっていただろう。われわれが失敗した場合には、きみの仲間がこのテープを見つけだして持っていってくれるようにしてくれたまえ。そうすれば、ぼくはきみと行動をともにする。さあ――こんどはわれわれがどんな危険にぶつかるのか教えてくれ。その後で仕事にとりかかろう」
「どんな危険にぶつかるかは、わたしにもわからない。わたしにわかるのは、やつらがきみには想像もおよばないような精神力をわれわれに集中してくる、ということだけだ――それらの力がどんな形をとって現われるかについては、まったく予告できない。だが、わたしは自分がその力の最初の攻撃に屈服《くっぷく》してしまうだろうということを知っている。だからわたしが遮蔽《しゃへい》を開く前に、この鎖でわたしをしばっておいてくれ。きみも知っているように、わたしは肉体的にはきわめて強力だ。だから、わたしが万一にも抜けださないように、充分鎖をかけておいてほしい。なぜなら、もしわたしが束縛《そくばく》を脱すれば、きっときみたちをふたりとも殺してしまうにちがいないからだ」
「どうしてこんなものが、みんな用意してあるんですね?」バン・バスカークはキニスンと協同して、おとなしくしているヴェランシア人を、鎖、手枷《てかせ》、手錠、足枷《あしかせ》、皮ひもなどで、尾も動かせないほどしばりあげながらたずねた。
「これは今までにも何度となく試みられたことなのだ」ウォーゼルは投げやりにいった。「だが、救助者のほうもヴェランシア人だったので、やはりデルゴン人の精神力に屈服《くっぷく》してしまい、鎖をほどいてしまったのだ。いまわたしは、自分の精神力をふりしぼってきみたちに警告する――きみたちがどんなことを見ようとも、わたしがどんなことをきみたちに命じたり訴えたりしようとも、またきみたち自身がどれほどそうしたいと熱望しようとも、周囲の状況がいま見えているのとまったく同じになってドアが閉ざされるまでは、≪いかなる事情であろうとも、けっしてわたしを解放してはならない。≫もしあのドアが開かれているうちに、わたしを解放するならば、それはきみたちがデルゴン人の力に屈服したためだ。そして、われわれは三人ともじわじわと恐ろしい死をとげるばかりでなく、もっと悪いことには、われわれの死が文明になんらの貢献《こうけん》もしない犬死になることだ。そのことを充分に心得て、よくよく考えてほしい。わかったかね? 用意はできたかね?」
「わかった――用意はできた」キニスンとバン・バスカークは、いっせいに思考を伝達した。
「あのドアをあけなさい」
キニスンはそのとおりにした。二、三分は何事も起こらなかった。やがて、目前に、三次元的な画面が現われた――彼らは、その画面が自分自身の心の中に存在しているだけなのを知っていたが、それらはきわめて強固な実在感を持っていて、物質世界のあらゆる実在を視野《しや》からおおいかくしてしまった。その場面は――なぜなら、それはもうけっして単なる画面ではなかったからだ――はじめはぼやけて不明瞭《ふめいりょう》だったが、しだいにはっきりしてきた。しかも、いやがうえにも恐ろしさを増すように、その光景に音が加わった。そしてふたりの別世界人はすぐ目の前に、つい二、三フィートむこうの堅い金属の壁から完全に浮き出したかのようなあるものを見、またその音を聞いた。それは、ダンテの地獄《インフェルノ》を現実のものとして、さらに極度に強調した場合を想像することによってさえ、おぼろげにしか表現されないような、すさまじい光景であった。
薄暗く陰惨《いんさん》な洞窟の中に、怪物の群れが横たわったり、すわったり、立ったりしていた。これらの生物――デルゴンの「貴族階級」――は、いくらかウォーゼルに似た爬虫類《はちゅうるい》のような胴体を持っていたが、翼がなく、頭はワニというよりは、あきらかに猿に似ていた。広大な群れの貪欲《どんよく》な目はすべて巨大なスクリーンにそそがれており、そのスクリーンは、映画劇場のそれのように、広大な洞窟のいっぽうの端をおおっている。
キニスンの心は、慄然《りつぜん》としながらも、徐々《じょじょ》に、そのスクリーンの上で起こっていることにひきつけられだした。しかも、それは現実に起こっていることなのだ。キニスンはそれを疑わなかった――これは、場面全体が幻想《げんそう》でないのと同様に、単なる画面ではなかった。それはすべて現実――どこかで起こっていることなのだ。
スクリーンの上には、犠牲者《ぎせいしゃ》たちの姿がうつしだされていた。彼らのうちの何百人かはヴェランシア人だった。翼のはえたデルゴン人も何百といた。何十人かは、キニスンが見たこともないような生物だった。そしてそれらすべての者が拷問《ごうもん》にかけられている。昔の宗教裁判官たちにおなじみの方法で、あるいはまたそれらの専門家たちでさえ思いもよらなかった方法で、死にいたるまで拷問されているのだった。ある者は、三次元のわくの中で、すさまじく、からだをひねられていた。ある者は、拷問台の上で引きのばされていた。多くの者はむごたらしく引っぱられ、鎖が断続的《だんぞくてき》に、しかし無慈悲《むじひ》に無力な犠牲者たちを引きのばしていた。またある者は、たえず温度が上昇していく穴の中につり下げられ、さらにある者はしだいに濃くなっていく侵食性《しんしょくせい》の蒸気にさらされて、徐々にからだをおかされていた。そして、あきらかにこの地獄的なショーの中の呼び物らしく、ひとりの不幸なヴェランシア人が、冷たいスポット・ライトの中で、まるで昆虫が二枚のガラス板のあいだで押しつぶされるように、スクリーンの上で押しつぶされていた。彼はなにか目に見えない恐るべき力によってしだいに薄くされていった。彼は人間ばなれのした強力な筋肉の力をふりしぼって、胴体、尾、翼、腕、足、頭などを動かした。その狂気のようなあがきは、容赦《ようしゃ》のない切迫《せっぱく》した死によって呼びおこされたものだった。キニスンは、心をかき乱すようなおぞましい光景と、耳をつんざくような犠牲者たちの悲鳴とで胸がむかつき、頭がぐらぐらしてきた。心をその光景からそむけようとつとめたが、ウォーゼルはそれを激しくひきとめた。
「がまんするのだ! 注意を集中するのだ!」ヴェランシア人は命令した。「生きている者がここまで見たのははじめてのことだ――きみはいまこそ、わたしを助けてくれなくてはならない! やつらは、はじめからわたしを攻撃してきた。だが、きみの精神の強力な対抗的要素の支持によって、わたしはやつらに抵抗することができ、ここまで真実の光景を伝達《でんたつ》したのだ。しかし、やつらはわたしの抵抗力に驚いて、いっそう強い力を集中している……わたしはぐんぐん圧倒されている……きみはわたしの精神を支持してくれ|なければならない《ヽヽヽヽヽヽヽヽ》! そして、光景が変化したら――変化するにちがいないのだ、それもすぐに――そうしたら、それを信じてはいけない。持ちこたえてくれ、レンズの兄弟よ、きみたち自身のために、そしてまたヴェランシアの住民のために。これからまだ先があるのだ――しかも、もっとわるいことが!」
キニスンは持ちこたえた。バン・バスカークも、がんこなオランダ魂《だましい》をふるい起こしてがんばった。眼前の光景と音とに心をかき乱され、胸をむかつかせながらも持ちこたえた。犠牲者たちがゆっくり回転している製粉機のじょうごに落としこまれるのを見てたじろぎながらも、ボイラー、殴打機、鞭打ち機、皮はぎ機などのむごたらしい作用に胸をつかれながらも、のろのろした、おぞましい拷問《ごうもん》の悪夢のようなありとあらゆる光景になやまされながらも――手を握りしめ、歯をくいしばり、努力に青ざめた額に汗をうかべて、キニスンとバン・バスカークは持ちこたえた。
いまや洞窟の照明《しょうめい》は強烈な黄緑色に変じた。そしてその強烈な照明の中で、瀕死《ひんし》の生物たちのおのおのが、青白く輝く霊気《れいき》につつまれるのが見えた。そして、このいいようのないほど恐ろしいサディズムの狂宴《きょうえん》の恐怖をいやがうえにも高めるように、無気味な観衆のひとりひとりの目から、目に見えるエネルギー・ビームがほとばしった。それらの電波は、瀕死《ひんし》の捕虜たちの霊気《れいき》に接触した。接触してからみついた。そしてからみついているうちに、霊気は縮小して消えてしまった。
デルゴンの貴族たちは、拷問《ごうもん》で死に瀕している犠牲者たちの衰えゆく生命力を、文字どおり≪むさぼりくらっている≫のだった!
[#改ページ]
六 デルゴン人の催眠術
徐々に、そしてヴェランシア人の痛切《つうせつ》な警告をなかったも同然にしてしまうような陰険《いんけん》さで、場面が変化した。というよりも、場面そのものは変化しなかったが、観察者《かんさつしゃ》のそれに対する観念が徐々に、しかし決定的に変化をこうむって、その場面がつい二、三分前までの場面と同じものとはまるで思えなくなってきたのだ。そして彼らはさきほどの自分たちの考えがいかにあやまっていたかを理解して、謝罪したいような卑屈な気持になった。
なぜなら、その洞窟は、彼らがさっき想像したような拷問室ではなかったからだ。そこはじつは病院だった。そして、彼らが言語に絶する残虐《ざんぎゃく》性の犠牲者と考えた生物たちはじつは患者であり、種々の病気をなおしてもらうために、治療や手術を受けているのだった。その証拠に、患者たちはいまやスクリーン状の手術教室から解放されていた――もしはじめの観念が正しかったとすれば、彼らはいまごろは死んでいるはずだった。そして、彼らのひとりひとりは肉体的にすっかり健康になったばかりでなく、デルゴンの超外科医たちによって治療を受けるまでは夢想《むそう》だもできなかったような、精神的|明晰《めいせき》さ、知力、理解力などを賦与《ふよ》されたのだった!
また、外来者たるキニスンたちは、観衆や彼らの行動についてもまったく誤解していた。観衆と見えた者はじつは医学生で、採食光線と見えたものは単なる観察ビームだった。それぞれの学生は、その光線によって、自分がもっとも興味を抱いている手術の各段階をつぶさに観察することができるのである。患者たち自身も、キニスンたちの誤解を証言する生き証人だった。なぜなら、彼らは学生たちの集団のあいだを通りぬけながら、自分が受けた治療や手術の驚異的《きょういてき》な結果に対して、口々に感謝のことばを述べていたからだ。
いまやキニスンは、自分自身がただちに外科的処置を受ける必要があることを痛切に感じはじめた。彼はいつも自分のからだを非常に高く評価してきたのだが、いまやそれが悲しむべきほど不充分なのを理解した。また、彼の心は、肉体よりいっそうゆがんでいた。しかし、もしデルゴン人の外科医たちが立ち去る前にその病院へ到着できれば、自分の精神も肉体も、はかりしれないほど向上するだろうと思われた。事実、彼はその病院へただちに一秒の猶予《ゆうよ》もなしに飛んで行きたいという抵抗しがたい欲求《よっきゅう》を感じた。そして自分の意識の明白さを疑うべき理由がなかったので、彼の意識的な心は積極的な反対をとなえなかった。しかし、彼の中で――潜在意識《せんざいいしき》あるいは本質、その他なんという呼称《こしょう》を選んでもかまわないが、彼をレンズマンたらしめたあの究極《きゅうきょく》的なあるものの中で――「警戒ベル」が鳴りはじめたのだ。
「わたしを解放してくれ。そして、外科医たちが病院を立ち去るまえに、三人そろって病院へ行こう」ウォーゼルから執拗な思考が伝達された。「急ごう――いくらも時間がないぞ!」
バン・バスカークは完全に強烈な欲求のとりこになっていたので、ヴェランシア人のほうへとび出したが、たちまちキニスンに遮《さえぎ》られてしまった。キニスンはこの状況のなかで、ひとつだけ腑《ふ》に落ちない点を解明しようと、やみくもに努めていたところなのだ。
「ちょっと待て、バス――まずドアをしめるのだ!」彼は命じた。
「ドアなど問題ではない!」ウォーゼルの思考が吠えるように強まりながら伝達された。「わたしをすぐ解放しろ! 急げ! 急げ! さもないと、われわれはみんな、間《ま》に合わないぞ!」
「そうやたらに急ぐのは、けっして賢いことじゃない」キニスンはヴェランシア人の絶叫的な思考に対して、きっぱり心をとざしながら断言した。「ぼくもきみと同じぐらい行きたくてたまらんのだぞ、バス。きみ以上かもしれん――だが、ぼくはどこかが変にゆがんでいるように感じられてならない。とにかく、ウォーゼルがいった最後の言葉を思い出せ。そして、鎖を一本でもほどく前に、ドアをしめよう」
そのとき、レンズマンの心にあることがひらめいた。
「ウォーゼルの心を通じての催眠術《さいみんじゅつ》だ!」彼は叫んだ。反抗心が燃えあがった。「徐々にかけられたので、抵抗することを思いつかなかったのだ。聖なるクロノよ、ぼくは、なんてまぬけだったんだ! 戦おう、バス――戦うんだ! もうやつらにだまされるな。そして、ウォーゼルがきみにどんな思考を伝達しても、相手にするな」彼はさっとふりむくと、テントの開いたドアのほうへおどり出した。
しかし、おどり出したとき、彼の脳は一点に強く集中されていたので、肉体の平衡を失って床にどっと倒れた。デルゴン人の暗示《あんじ》はなおもつづいている。ドアをとざしては≪ならない≫。ヴェランシア人を解放≪しなくてはならない≫。三人でデルゴン人の洞窟に行か≪なくてはならない≫。しかし、彼はいまやその強制的な思考波の原因を完全に心得ていたので、精神力のありったけを投入してその暗示に抵抗しながら、一インチ、一インチとドアのほうへにじりよって行った。
いまやデルゴン人の精神的強制のほかに、ウォーゼルの強力な全精神力が正面から彼にふりそそぎ、解放と服従《ふくじゅう》を要求した。またいっそうわるいことに、ある強力な精神が作用して、バン・バスカークに自分を殺させようとしていることも感知した。バレリア人の重い棍棒《こんぼう》で一撃されれば、彼のヘルメットも頭蓋骨《ずがいこつ》も打ちくだかれて、一巻の終わり――またしてもデルゴン人の勝利に終わるのだ。だが、頑強なオランダ人は、いまにも屈服しそうになりながらも、なおも抵抗していた。彼は棍棒をふりあげて一歩踏み出そうとしたが、たちまちそれを発作的《ほっさてき》に背後へ投げ捨てた。それからまた、われにも知らずあともどりして棍棒を拾いあげ、はいつくばっている上官のほうへ踏み出した。
バン・バスカークがこの無益な行為《こうい》をくり返しているうちに、レンズマンは身をもがきながらじりじりドアに近づいて行き、ついにドアにたどりついて、足でけとばして閉めた。たちまち精神的混乱はおさまり、ふたりのパトロールマンは青ざめて身ぶるいしながらも、ぐったり意識を失ったヴェランシア人を束縛《そくばく》から解放した。
「どうして彼の意識を回復させたものかな?」キニスンはあえぎあえぎいったが、その気づかいは不要だった――彼がそういっているうちに、ヴェランシア人は意識を回復したのだ。
「きみの驚くべき抵抗力のおかげで、わたしは無事に生きている。そして、わたしの種族のだれが経験したよりも多く、われわれの敵とその方法について知ったのだ」ウォーゼルは感動をこめていった。「しかし、この知識はヴェランシアへ伝達《でんたつ》できなければなんの価値もない。思考波スクリーンの能力は、このテントの金属板にしかない。もし思考を伝達するためにこの壁に口をあければ、それがどんなに小さくても、いまでは死を意味するのだ。もちろん、きみたちパトロール隊の科学は、このようなスクリーンを通過して思考を伝達する装置を完成してはいまいな?」
「完成していない。いずれにしても、われわれは思考波スクリーン以外の問題を考慮したほうがよさそうだな」キニスンはそう提案した。「われわれがどこにいるかを知ってたからには、やつらはここへ襲ってくるにちがいないが、こちらにはいくらも守備がないのだ」
「やつらはわれわれがどこにいるかを知らないし、注意もしない……」ヴェランシア人は口を開いた。
「なぜですかね?」バン・バスカークが思考をはさんだ。「あんたがわれわれに示したような、あんな探知ができるスパイ光線ならば――わたしはこれまであんなものは見たことがないが――公然たる原子爆発と同じくらい容易に追跡できるんじゃないですか!」
「わたしは、スパイ光線とかそういった種類のものをまったく放射していない」ウォーゼルは慎重に思考を伝達した。「われわれの科学はきみたちの科学とは非常に異質だから、きみたちに充分説明できる自信がないが、とにかくやってみよう。第一に、きみたちが見た映像について説明しよう。あのドアが開かれると、思考波をさえぎるものがなくなる。わたしはただ思考波を放射して、洞窟にいるデルゴン貴族たちと感応《かんのう》関係にはいっただけだ。この状態が設定されたので、わたしはもちろん彼らが聞いたり見たりすることを聞いたり見たりするようになった――きみたちもわたしと感応関係にあったから、同じように聞いたり見たりしたのだ。それだけのことさ」
「それだけのことだって!」バン・バスカークがきき返した。「なんていう方式だ! あんたはなんの装着も使わずにあんなことをやってのけられるのに、『それだけのことだ』なんていうんですか!」
「重要なのは結果だよ」ウォーゼルはおだやかに指摘した。「われわれが、たいへんなことをやってのけたというのは事実だ――ヴェランシア人がデルゴン貴族の精神力に対抗して生きのびたというのは、歴史はじまって以来初めてのことなのだ――しかし、それを可能ならしめたのは、きみたちパトロールマンの意志力であって、わたしの精神力ではない、ということも同様に事実だ。また、われわれがこのテントを出れば、生きていられないということもやはり事実だ」
「なぜわれわれに武器が不要なのかね?」キニスンはさっきの問題にもどった。
「われわれに必要なのは、思考波スクリーンだけだ」ウォーゼルははっきり答えた。「なぜなら、彼らは精神力のほかに武器を用いないからだ。彼らは精神力によってわれわれをおびき出す。そして、われわれがひとたび彼らのところへ行けば、あとの仕事は彼らの奴隷《どれい》たちがやるのだ。もちろんわれわれの種族が、いつの日か彼らの惑星を奪取《だっしゅ》することがあるとすれば、そのときは物質的な力をもった攻撃的な武器を用いなければならない。われわれはそのような武器を持っているが、これまで使う機会がなかったのだ。なぜなら、敵の所在をつきとめるためには、精神感応によるにしろ、スパイ光線によるにしても、金属の遮蔽を開かなければならない――ところが、スクリーンを除いたとたんに、われわれは敗れてしまうのだ。このような状態からのがれる道はない」ウォーゼルは絶望的に結論をくだした。
「そんな悲観論におちいってはいけない」キニスンは強くいった。「まだ試みられていない方法がわんさとある。たとえば、ぼくがきみたちのスクリーン発生装置やスクリーンの形式について観察したところでは、金属の導体《どうたい》は必要ではない。それは、蛇の腰と同様によけいなものだ。ぼくがまちがっているかもしれないが、その点について、われわれはきみたちよりいくらか進んでいるように思われる。もしデヴィルビス放射器で、そのスクリーンを操作できるとすれば――特殊な調整をすればできると思うがね――バン・バスカークとぼくとで一時間くらいのうちにその仕事をやってのけられるな。そうなれば、われわれは三人ともたやすく安全に外へ出ていけるのだ――すくなくとも精神的な妨害《ぼうがい》からは安全にね。ぼくらがその仕事をやっているあいだに、きみがたったいまやつらについて入手した新しい情報や、なにかの役にたちそうなことをすっかり教えてくれたまえ。きみはきみたちの種族が彼らの精神的攻撃をしりぞけたのは、これがはじめてだといったが、そのことを忘れないでほしい。やつらはその事実に驚いて注目しているにちがいないのだ――たぶんこれまでにないほど動揺《どうよう》しているだろう。さあ、バス――はじめようぜ!」
デヴィルビス放射器が装着され、調整された。キニスンの予言は正しかった――装置は作動した。そこでいろいろな計画が立てられたが、弱点が指摘《してき》されるたびに廃棄《はいき》された。
「どの計画も『もし』や『しかし』が多すぎて気にくわない」キニスンは状況を総括《そうかつ》していった。「|もし《ヽヽ》われわれがやつらを発見できれば、そして|もし《ヽヽ》、やつらの催眠術《さいみんじゅつ》にかからずにやつらの近くまで行けば、また|もし《ヽヽ》われわれのバッテリーにいくらかの余力があれば、やつらを一掃《いっそう》できるだろう。そこでいいたいのだが、まずなすべきことは、われわれのバッテリーに充電することだ。われわれは空中からいくつかの都市を目撃した。そして都市にはかならず動力がある。動力のあるところへ案内してくれたまえ、ウォーゼル――ほとんど|どんな《ヽヽヽ》種類の動力でもいい――そうすれば、すぐわれわれの銃に充電できるのだ」
「そうだ。都市があることは事実だ」ウォーゼルはあまり気がすすまないようすだった。「ふつうのデルゴン人たちの住んでいるところだ。貴族たちの洞窟で食われていた、あの連中だよ。きみも見たように、彼らはわれわれヴェランシア人にいくらか似ている。しかし、彼らはわれわれより文化が低くて、生命力もずっと弱いので、貴族たちはデルゴンの奴隷種族《どれいしゅぞく》よりわれわれのほうを食いたがるのだ。
「デルゴンのどんな都市を訪れることも問題外だな。どの都市のどの住民も、貴族たちの卑屈な奴隷で、その脳は開かれた本のように見とおしなのだ。彼らが見たり考えたりすることはなんでも、たちまち主人に伝達《でんたつ》されてしまう。いま気がついたことだが、わたしはデルゴン貴族たちの武器を用いる能力について、きみたちにまちがったことを教えたかもしれない。そのような状況はこれまで起こったことがないが、われわれが都市にはいってデルゴン人に見つかったとたん、彼らをあやつっている貴族たちは、市の住民すべてに、われわれを捕えて彼らのところへ連れていくように命令するだろう。これはまったく論理的な推定だ」
「なんて男だ!」バン・バスカークがさえぎった。「キム、あなたはこの男の目が、生活の明るい面を眺めたのを見たことがありますか?」
「それは言葉のうえだけさ」レンズマンは答えた。「いざ戦闘となれば、彼はそのまっただ中にとびこんで、一言も文句をいわずに活躍するに決まってる。ところで、動力の問題にもどろう。ぼくのバッテリーには、ほんの二、三分自由飛行する分量しか残っていない。きみは図体が大きいから、バッテリーがほとんど尽きてしまっただろう。思い出してみろ。われわれがここに降下したとき、きみはだいぶ激しく着地したじゃないか?」
「そうとうなものでした――ひざまで地面にのめりこみましたからね」
「そうだろうと思ったよ。なんとかして動力を手に入れ|なければならん《ヽヽヽヽヽヽヽ》。それもいちばん近い都市が――問題外だろうとなかろうと――動力を手に入れるにいちばん都合がいいのだ。さいわいその都市はそう離れていない」
バン・バスカークはうなるようにいった。「わたしについていえば、ここが火星だったらいいと思いますよ。ここと都市のあいだにあんなジャングルがあるんですからな。わたしのバッテリーを持っていってください。わたしはここで待っていますから」
「きみの非常食糧と水と空気で持ちこたえるのか? そいつはだめだ!」
「じゃあ、どうすればいいんです?」
「ぼくは自分のエネルギーの場《フィールド》を、われわれ三人をカバーするだけひろげられる」キニスンは提案した。「そうすれば、われわれはすくなくとも一分間は自由飛行できる――完全ではないまでも、ほとんどジャングルを飛びこえられるだろう。この惑星にも夜がある。そして、デルゴン人は、われわれと同じように夜眠る種族だ。夕方出発して、今夜バッテリーに充電するのだ」
それから一時間ほどして、巨大な赤い太陽が地平線に沈んだ。それまでのあいだは集中的な討議に費やされたが、レンズマンの計画にこれといった改善は加えられなかった。
「出発の時間だ」ウォーゼルは突き出たいっぽうの目を、沈んでいく太陽にねじむけながらいった。「わたしは自分の発見したことをすっかり記録にとどめた。すでにわたしは、これまで誰もが思いもおよばなかったほど長く生き、きみを通じて多くのことをなしとげた。死ぬ覚悟ならできている――わたしはずっと前に死んでいるはずだったのだから」
「借りものの時間で生きるのでも、死ぬよりはずっとましだよ」キニスンはにやりと笑って答えた。「連結しろ……用意はいいか?……行くぞ!」
彼はスイッチを入れ、密接《みっせつ》に連結された三人は空中に飛躍して飛び去って行った。知覚を持つ貪欲《どんよく》な植物のジャングルが、どの方向にも目のとどくかぎりひろがっていた。しかし、キニスンの目は、その異様に凶悪《きょうあく》な緑色のカーペットにはそそがれなかった。彼のすべての注意は、なによりも重要な二つのメーターに集中され、また自分の自由になる動力によって、できるだけ大きな水平距離を飛びこえるという仕事に集中されていた。
電光のような飛行が五十秒つづいた。
「よろしい、ウォーゼル。前へ出て、われわれを引っぱる準備をしてくれ」キニスンは激しく叫んだ。「あと十秒残っている。だが、ぼくは推進器が停止しても五秒だけ、われわれを無重力に保つことができる。引っぱれ!」
キニスンの推進器は停止した。その小さなバッテリーが完全に尽きたのだ。そこでウォーゼルが、その力強い翼をふるって、推進の役割をひきうけた。なおも無重力状態のまま、キニスンとバン・バスカークをしっぽにつかまらせて、羽ばたくごとに一マイルほども飛びこえながら、突進して行った。しかし、重力中立器に動力を供給しているバッテリーも、またあっけなく尽きてしまい、ヴェランシア人が浮力を保とうとヘラクレス的な努力をしたにもかかわらず、三人は、ますます鋭い角度で落下して行った。
彼らの少し前方で、ジャングルの緑は鋭い切れこみをなして終わっていた。そしてその向こうには、かなりまばらな森がつづいている。それが二マイルばかりで尽きたところで、目ざす都市があった――ごく近いようで、しかも遠いのだ!
「やっと森へたどりつけるか、もうすこしでたどりつけないか、どっちかだな」キニスンは思考伝達でコースを指示しながら、冷静に告げた。「ジャングルに着陸したほうがましかもしれん。そうすれば、落下の衝撃《しょうげき》がやわらげられるだろう――こんなスピードで、有重力のまま堅い地面にぶつかってはたまらない」
「もしジャングルに着陸すれば、そこから抜けだすことはできないだろう」ウォーゼルは巨大な翼を激しいテンポで羽ばたかせながら、思考を伝達した。「だが、いま死のうが、後で死のうが、たいしたちがいはないのだ」
「こっちにはたいしたちがいなのだぞ、おしゃべりの悲観主義者め!」キニスンは激しくいった。「きみのその意気地のない劣等感を一分間だけ忘れろ! 計画を思い出して、そのとおりにするのだ! われわれは、ジャングルが尽きる九十メートルか百メートル手前でジャングルの上に落下する。もしきみがわれわれといっしょに降下すれば、たちまち死んでしまうだろう。そうなれば、これから先の計画はおじゃんになってしまう。だから、われわれが分離したら、きみは先へ飛んで森の中へ着陸してくれ。われわれはそこできみに合流《ごうりゅう》する。心配することはない。われわれの宇宙服は、これまでに存在したどんなジャングルの中でも、百メートルくらいの距離を切り抜けるに、充分堅固なのだ――このジャングルでさえもな――用意しろ、バス……分離!」
ふたりは落下した。びっしり繁ったみずみずしい上葉や触手をつき抜け、その下のもっと太い木質の枝をつき抜けて地面に達した。そしてそこで、ふたりは命がけで戦うことになった。それらの貪欲《どんよく》な植物は、根をおろしている地中から栄養を摂取《せっしゅ》するばかりでなく、触手のとどく範囲内にきた不運な有機体をも餌食《えじき》にしていたからである。ぐにゃぐにゃした、しかし強靭《きょうじん》な触手がふたりに巻きつき、恐ろしい吸引盤《きゅういんばん》が激しい侵蝕液《しんしょくえき》をにじませながら、宇宙服にべっとりとまといついた。そして、節《ふし》くれだってとげのある棍棒状の枝が、鋼鉄の上に響きをたてて打ちおろされた。無気味な植物どもは、この風変わりなごちそうが、皮膚やうろこや樹皮などよりはるかに抵抗力の強いものでおおわれていることを、おぼろげに理解しはじめたのだ。
しかし、レンズマンも大男の連れも、おとなしくしてはいなかった。彼らは方向をさだめて、戦いながら進んで行った。バン・バスカークは先頭に立って、刈《か》り手《て》が大鎌をふるうように、強力な宇宙|斧《おの》をふりまわした――そしてひとふりするごとに、がっちりと短い一歩を踏み出すのだ。バレリア人のすぐ後ろからキニスンがつづき、自分の斧をひらめかしながら、巨人の頭と背を守ってやった。これらの怪物的な雑草のもっとも強靭な茎でも、バン・バスカークのヘラクレス的な力には抵抗できなかった。打ちかかる蔓《つる》や巻きつく触手のうちでもっとも敏活なものでも、キニスンの電光のように切りつけ、突き立て、なぎ払う早業《はやわざ》にあっては、有効な束縛を加えることができなかった。
けがらわしい植物がかたまりをなしてふたりの頭上に落ちかかり、無気味にくぼんだ吸盤が音をたてて吸いついた。ふたりのからだには、不透明な侵蝕性の液がたえず雨のように降りそそぎ、その作用の前には、宇宙服でさえ完全に無事ではなかった。しかし、全身を妨げられてほとんど盲目になりながらも、ふたりは進みつづけた。背後には、踏みにじられた通路がしだいにのびて、彼らの前進の程度を示している。
「おもしろいじゃないですか」オランダ人は斧をふりまわしながら、うなるようにいった。「それにしても、われわれはまったくいい組合せですな、隊長――頭脳と腕力《わんりょく》だ、そうでしょう?」
「どうしてどうして」キニスンも武器をふるいながら、異議をとなえた。「優雅《ゆうが》と均整《きんせい》だよ。ほんとにロマンチックに表現したければ、ハムと卵でもいい」
「このいまいましいねばねばが、宇宙服を侵蝕する前にジャングルを突破しないと、それどころじゃない目にあいますぜ。だが、うまくいきそうだ――この雑草が薄くなって、向こうに木が見えてきたようです」
「きみたちに木が見えてきたとすれば、結構《けっこう》なことだ」ウォーゼルから、冷静で明晰《めいせき》な思考が伝達《でんたつ》された。「というのは、わたしはひどくいためつけられているからだ。急いでくれ、さもないと、わたしはやられてしまう」
この思考を受けとると、ふたりのパトロールマンはいっそう猛烈《もうれつ》に前進しはじめた。彼らはジャングルのへりのまばらな雑草をつきのけた。そして、ヘルメットのレンズをざっとぬぐってすばやく見まわすと、ヴェランシア人の姿が見えた。この勇士は事実「ひどくいためつけられて」いた。六匹の動物――巨大で爬虫類《はちゅうるい》に似ているが、柔軟《じゅうなん》で敏捷《びんしょう》なやつら――が彼を押えつけている。ウォーゼルは完全に押えつけられて、尾も動かせないほどだった。そして、怪物どもは、すでに彼のうろこに守られた皮をかじりはじめていた。
「いまそれをやめさせてやるぞ、ウォーゼル!」キニスンは呼びかけた。現代の人間なら、だれでも知っていることだが、相手が現実の動物なら、どんなに狂暴なやつでも、レンズマンによって制御できるからだ。なぜなら、その動物の知能の程度がどれほど低くても、レンズマンはその動物の心と接触してそれをリードすることができるから。
しかし、キニスンがすぐさとったように、これらの怪物は動物のような姿と動作を示してはいたが、その動機《どうき》や行動においては純粋の植物で、食物と生殖とに対する刺激《しげき》だけに反応するのだった。彼らは、他のすべての生物に対してまったく敵対的であり、徹底的に有害で完全に異質だったから、精神とレンズの全能力を集中しても、まったく感応を得ることができなかった。
ふたりのパトロールマンは、そのからみあったかたまりにとびかかって、恐るべき宇宙斧を縦横無尽にふりまわした。植物どもはそれに対して激しい反撃に出たが、この戦闘は長くはつづかなかった。バン・バスカークのすさまじい第一撃は敵の一つをなぐりとばし、まっさかさまにきりきりまいさせた。キニスンも一つを相手にし、さらにオランダ人は別の一つをひきうけたので、残った三つは、屈辱の憤怒《ふんぬ》に燃えたヴェランシア人の敵ではなかった。しかし、怪物どもがその非情で貪欲《どんよく》な攻撃をやめたのは、彼らが文字どおり寸断され、引き裂かれた後だった。
「やつらは不意打ちをかけたのだ」三人が夜の闇の中を目的地へ向かって進み出したとき、ウォーゼルは、いわずもがなの説明を加えた。「一度に六匹は、わたしにとっても多すぎた。わたしは彼らの精神を支配しようとしたが、やつらはまったく精神を持っていないらしい」
「デルゴンの貴族たちはどうかね?」キニスンがたずねた。「やつらはもうわれわれの思考波を感知《かんち》したのじゃないかな? バスもわたしも遮蔽《しゃへい》なしの思考放射をやったかもしれないからな」
「大丈夫《だいじょうぶ》だ」ウォーゼルはうけあうように答えた。「思考波スクリーンのバッテリーは小型で動力はごく小さいが、非常に寿命が長い。ところで、われわれの行動計画の次の段階を復習しよう」
その後は、もうデルゴンの都市への前進を妨げるようなやっかいな事件が起こらなかったので、三人はまもなくそこへ到達した。都市は大部分が暗くしずまり返って、あかりのついていない建物が黒い夜空を背景《はいけい》に、黒々と浮きだしている。しかし、そこここに自動的な乗物が動きまわっているのが見えた。三人の侵入者は、手ごろな壁を背にしてうずくまり、そのうちの一台が彼らのいる「道路」にさしかかるのを待った。やがて一台がやってきた。
それが通りすぎるとき、ウォーゼルがキニスンの大型ナイフを節くれだった手でにぎりしめ、滑走《かっそう》しながらまっしぐらにとびかかった。彼は空をかすめながら一撃を加えた――致命的な一撃だ。不運なデルゴン人の脳は、一片《いっぺん》の思考を放射する間《ま》もなく機能を停止した。というのは、脳を包んでいる頭が、溝へころげ落ちたからだ。ウォーゼルは奇妙な乗物を道路のへり石にそって後退させ、ふたりの仲間はそれにとび乗った。そして、床《ゆか》にからだを伏せ、できるだけ外から見えないようにした。
ウォーゼルはデルゴン人の機械についてよく知っていたし、暗闇《くらやみ》の中でちらりと見たのでは、この惑星の住人と見わけがつかないほど姿が似ていたので、車を運転して行った。むこうみずなスピードで通りをとばし、やがて長くて低い建物に近よった。建物はまっ暗だった。彼は四方八方を油断なく見まわした。生き物の姿はまったく見えない。
「じゃまものなしだよ、きみたち」彼は思考を伝達《でんたつ》し、三人の冒険者は乗物をとびだして、建物の入口にかけよった。ドア――そこには一種のドアがついていた――には錠がおりていたが、バン・バスカークの斧《おの》が、その問題をてっとりばやく解決した。中へはいると、こわれたドアにつっぱりをかった。それから、ウォーゼルが先に立って、照明のない内部を進んで行った。やがて彼は自分の照明灯でまわりを照らし、床《ゆか》にはめこまれた黒タイルの特殊な形の仕切りに足をのせた。すると、激しい白色光が部屋《へや》を照らした。
「消せ、誰かに気づかれるぞ!」キニスンが、かみつくようにいった。
「その危険はない」ヴェランシア人は答えた。「この建物はどの部屋にも窓がないから、外へは光がもれないのだ。これは、市の動力工場の管制室《かんせいしつ》だ。もしきみたちがこの動力のどれかを利用できるなら、とり入れるがいい。この建物には、デルゴンの兵器庫もある。その中のどれかがきみたちの役にたつかもしれないが、それはもちろんきみたちしだいだ。わたしはきみたちの命ずるままに動くよ」
キニスンは計器盤やいろいろな装置を調べていた。いまや彼もバン・バスカークも宇宙服を開いていた――デルゴンの空気は宇宙服の中の空気ほど快適ではないが、すくなくともしばらくは生命を維持《いじ》できることがわかっていたからだ――そして、プライヤー、ドライバー、その他の電気道具でせっせと働きはじめた。やがて、彼らのからっぽになったバッテリーは計器盤の下の床に置かれ、デルゴン人の動力工場の母線から電流を貪欲《どんよく》に吸収しはじめた。
「さあ、こいつが充電するあいだ、ここの連中《れんちゅう》がどんな銃を使っているか調べてみよう。ウォーゼル、案内してくれ!」
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七 デルゴン貴族の消滅
ウォーゼルが先頭に立って、三人の侵入者は廊下を急ぎ、分岐点《ぶんきてん》や仕切りを通り抜けて、建物の離れた一翼についた。そこで武器の製造が行なわれていることは明らかだった。しかし、作業台の上や壁ぞいの保存棚の中にある奇妙な形の装置や機構をすばやく調べただけで、キニスンはこの部屋からは、なんの利益も引きだすことができないと確信した。強力なビーム放射器があるのは事実だったが、それらはひどく重くて、持ち運びさえ困難なほどだった。特異な形の武器もいろいろあったが、どれもこれも、能力、射程《しゃてい》、操作性、持続性などの点で、デラメーター放射器よりお話にならないほど劣っている。しかし、彼らはそれらを充分にテストして、こうした判断が正しいことを確かめてから、もっとも強力な武器を腕いっぱい運びだして、ふたりの仲間をふりむいた。
「動力室へもどろう」彼はうながした。「ぼくは猫みたいに神経質になっている。バッテリーなしだと、すっぱだかでいるような感じなのだ。それに、もしあの部屋にひょっとして誰かがはいって、バッテリーをとりあげでもすれば、ぼくらはあとかたもなく消されちまう」
三人はデルゴン人の武器をいっぱいにかかえて、さいぜん通った道を急いでもどって行った。キニスンがほっとしたことに、彼の不安は根拠《こんきょ》のないものだった。バッテリーはまだそこにあって、デルゴンの発電機から、一万ワット時また一万ワット時と電力を吸収していた。なんの奇もないバッテリー容器をじっと見つめながら、彼はまゆをひそめて考えこんだ。
「この導線《どうせん》をもっとよく絶縁して、バッテリーを宇宙服の中へもどしたほうがいいな」やがて彼はいった。「バッテリーは定位置におさめておいても充電できる。それに、これほど電力が濫費《らんぴ》されているのが、夜のあいだに誰かに気づかれずにすむはずがない。そうなれば、あの貴族どもはいろんな手を打つにちがいない――それによってどんなことが起こるかは、まったく見当がつかないのだ」
「きみたちはもう、われわれがどんな危険からも飛んで逃げられるだけの動力を貯えたはずだ」ウォーゼルが指摘した。
「ところが、それこそ、われわれがやりたくないことなのだ」キニスンが断固《だんこ》として宣言した。
「いい充電機が見つかったのだから、われわれはバッテリーがいっぱいになるまでは、ここを立ち去るつもりはない。バッテリーがいっぱいになるのは、それが全開放電でからっぽになるよりも早い。われわれは、完全充電するために、デルゴンのすべての害敵と対決《たいけつ》しなければならないとしても、それをやってのけるつもりだ」
彼らはキニスンの予想よりもはるかに長時間じゃまされずにすんだが、ついにふたりのデルゴン人技師が検査にやってきた。完全に自動的に働いている発動機の出力が前例のないほど低下したからだ。しかし、彼らは入口でくいとめられた。バン・バスカークがそのドアの裏側にかったバリケードは、ふつうの道具では押しのけられなかったからである。パトロールマンたちは攻撃を予期して武器を水平にかまえて立っていたが、何事も起こらなかった。長い夜は一刻一刻と平穏《へいおん》に過ぎていった。しかし、夜明けになると、一団の攻撃隊が現われて、重い破壊槌が活動を開始した。
重く鈍い衝撃《しょうげき》が建物全体を振動《しんどう》させているあいだに、ふたりのパトロールマンは目の前に積まれた武器の中からそれぞれ二挺《にちょう》ずつとりあげた。そしてキニスンはヴェランシア人をふりむいた。
「その金属の作業台をふたつばかり、あのすみへ引っぱっていって、その後ろにとぐろをまいていてくれ」彼は指示した。「その作業台なら、敵のビームがそれてあたっても、そのエネルギーを放電できるだろう――もしやつらから見えなければ、やつらはきみがここにいることに気がつくまいから、おそらくきみのほうへ直接ひどい攻撃がそそがれることはあるまい」
ヴェランシア人は異議をとなえて、ふたりの仲間《なかま》が自分のために戦ってくれるというのに、かくれてなどいられないと主張したが、キニスンは激しい口調で彼を黙らせた。
「ばかをいうな!」レンズマンは、きめつけた。「このビームが一本でもあたれば、きみは十秒間で黒焦げになってしまうんだぞ。だが、われわれの宇宙服の防御《ぼうぎょ》フィールドなら千本あたっても中立化できるのだ。ぼくがいったようにしろ。それも急いでするのだ。さもないと、きみをぶんなぐって気絶させ、ぼくの手であそこへほうりこむぞ!」
ウォーゼルは、キニスンが本気でいっていることがわかった。また自分が無防備なので、地球人にも彼らの共通の敵にも対抗できないのを知っていた。そこでしぶしぶ金属の防壁《ぼうへき》をつくり、その後ろでくねくねした長いとぐろを巻いた。彼がかくれたのは間一髪だった。
表のドアのバリケードがくずれて、いまや爬虫類《はちゅうるい》に似たデルゴン人たちが洪水《こうずい》のように管制室《かんせいしつ》になだれこんできた。これはふつうの検査ではない。デルゴン貴族たちは遠くから状況を洞察《どうさつ》していた。だから、いまなだれこんできたのは、重武装――デルゴン人にしては重武装した兵士たちで、放射器を激しくひらめかせて侵入してきた。彼らはこの放射の前には何物も抵抗し得ないと信じていた。だが、その確信が、なんとまちがっていたことか! 目の前にいる二匹の二足動物は、焼けもしなければ倒れもしなかった。ビームをどれほど激しくそそぎかけても、それらはまったく相手にとどかず、目標から何インチか手前でパチパチとむなしく白熱を発するばかりだった。そればかりか、この異様な二足動物は攻撃的だった。ふたりは貧弱《ひんじゃく》なデルゴンの放射器の有効|寿命《じゅみょう》をまったく意に介さずに、全開放射《ぜんかいほうしゃ》した――そのビームで、デルゴンの奴隷《どれい》兵士たちは黒こげにいぶるかたまりとなって倒れた。予備軍が一隊また一隊と襲ってきたが、いずれもたちまち同じ運命に出会った。なぜなら、無敵の装甲《そうこう》を身につけたふたりは、放射器の力が弱まるやいなや、それをわきにほうりだして、別の放射器をとりあげるからだ。しかし、ついに徴発《ちょうはつ》した最後の武器も寿命が尽きてしまうと、包囲《ほうい》されたふたりは自分のデラメーター放射器を使いはじめた――銀河パトロール隊の軍事科学者に知られている限りでは、もっとも強力な携帯《けいたい》放射器である。
すると、なんというちがいだろう! 攻撃してくる爬虫人《はちゅうじん》たちは煙をあげも燃えもしなかった。彼らはぱっとまぶしい光を発して一瞬のうちに消滅してしまったのだ! 付近の壁やその向こうの部分も同様だった。デルゴンの軍勢が全滅《ぜんめつ》すると、バン・バスカークは放射器を消した。しかし、キニスンは自分の放射器のビームを急角度で上に向けて、頭上《ずじょう》の天井《てんじょう》や屋根をきらめく蒸気にして吹きとばしながらいった。
「バッテリーを充電しているあいだに、いつでもすぐとび出せるように手配しておいたほうがいいだろう」
そして彼らは待った。バッテリーのメーターの針が「完全充電」のしるしにじりじり近づいてくるのを見つめながら待った。そうして待つあいだに、予想どおり、遠くにひそんだ卑劣《ひれつ》な貴族たちは、もっと有望そうな物理的攻撃の方法を計画したのだ。
その計画はまもなく実行に移された。別の小隊が、今度は防御姿で現われた。もっと正確にいえば、金属の防御板《ぼうぎょばん》のかげにかくれて前進してきた。デラメーターのビームはその防御板を貫《つらぬ》けなかったばかりでなく、まったくデルゴン人集団の前進を妨げなかったが、キニスンはそれを予想していたので、少しも驚かなかった。
「どっちみち、もうここに用はない。ぼくに関するかぎりはな」キニスンはオランダ人に向かってにやりと笑いかけながらいった。「ぼくのバッテリーは二分ばかり前から完全充電して逆圧《ぎゃくあつ》を示している。きみのはどうだ?」
「こっちもご同様です」バン・バスカークが報告した。そこでふたりはヴェランシア人のかくれた場所に身軽《みがる》にとびこんだ。つづいて、三人は無重力状態になって、デルゴン奴隷《どれい》の鈍い感覚では三人が消滅《しょうめつ》したとしか思えないようなスピードで空中へとび出していった。事実、三人がかくれていた防壁が吹きとばされ、巨大な建物のすべての部屋《へや》、ものかげ、すきまなどが文字どおりすみずみまで調べられた後で、はじめてデルゴン人たちは、そして彼らの奴隷化《どれいか》された精神を通じて貴族たちも――獲物がなにか巧妙で未知な方法によって脱出したのだということを確認したしまつだった。
いまや三人の同盟者は空中高く飛翔《ひしょう》して、毎日あれほどの時間と骨折りを要した距離を、ほんの数分で横断してしまった。樹木の化け物が住む森を越え、一見平和そうな緑のジャングルを越え、ウォーゼルの思考波スクリーンテントに向かって降下していった。このかくれ場所で、彼らは思考波スクリーンのスイッチを切った。キニスンは大きくあくびしていった。
「昼も夜も働くというのは、ちょっとのあいだはいいが、そのうちにあきてくる。この惑星ではほんとうに安全な場所はここだけらしいから、一日かそこら休息して、そのあいだに、せっせと食ったり眠ったりすることにしようぜ」
彼らは眠っては食べた。また眠っては食べた。
「プログラムの次の段階は」キニスンはいった。「貴族どものあの巣を一掃することだ。そうすれば、ウォーゼルは、われわれが自分たちの仕事にとりかかるのを自由に援助できるようになるからな」
「まったくきみは不可能なことを手軽《てがる》にいってのける」ウォーゼルはふさぎこんだ調子で非難《ひなん》した。「わたしはその仕事がなぜわれわれの力におよばないのか、またそうせざるを得ないのかという理由を、すでに説明したはずだが」
「そうだ。しかし、きみはわれわれがこれからとりかかるべき計画の万能性を完全には理解していない」地球人は答えた。「いいかね。きみは思考波スクリーンを通じては見ることも活動することもできなかったから、敵に対して何事もなし得なかったのだ。いまでさえ、われわれにしても、きみにしても、デルゴン人を服従《ふくじゅう》させて貴族どもの洞窟へ案内させることはできないだろう。なぜなら、貴族どもはずっと前にそれを察知《さっち》して、奴隷《どれい》にわれわれを洞窟以外のところへ案内させるだろうからだ。しかし、われわれのひとりがスクリーンをとり除いて敵に心をゆだねるという方法がある。なるべく敵にすっかり心を把握《はあく》されない程度にスクリーンを保持《ほじ》して、ほかのふたりが同行しているということを気づかせないようにするのだ。ところで、大きな問題がある――われわれのうちの誰が敵に心をゆだねるかということだ」
「それはすでに決まっている」ウォーゼルはただちに答えた。「わたしがそれをするのが理の当然だろう――事実上、それをするのは、わたししかいまい。彼らが、わたしの心を把握《はあく》できるのはごく自然なことだと考えるばかりでなく、同行者がいることを敵にさとられないように自分の心を制御《せいぎょ》できるのは、三人のうちでわたしだけだからな。そのうえ、きみたちがどちらも知っているように、自分の心の制御をすすんで敵にゆだねることは、きみたちがそういうことになれていないだけに、がまんできないことだろう」
「じつのところ、がまんできんことだ」キニスンは同感の意を表した。「どうしてもしなければならんのならするだろうが、ありがたいことじゃない。それに、完全にやりおおせるとも思えない。こんなひどい仕事をきみに押しつけるのはいやなんだがね、ウォーゼル。きみは確かにいちばんこの仕事に適している――、きみでさえ手いっぱいの仕事だろうが」
「そうとも――」ヴェランシア人はおもおもしくいった。「この計画は絶対不可能というのではないが、困難なことだ――非常にね。いずれにしても、もしわれわれが洞窟に到達できれば、万一の場合、おそらくきみたちは、わたしに向けてビームを放射せざるを得ないだろう――貴族どもがそうはかるだろうからな。もしそうなったら遠慮なくやってくれ――断っておくが、それは覚悟の上だし、そのようにして死ぬのが本望なのだ。ヴェランシア人なら誰でも、大喜びでわたしの立場に立つだろう。このことがヴェランシア全体に対して持っている意味を思うからだ。またこれも断っておくが、わたしはもう、これから起こるはずのことをヴェランシアに報告した。わたしがヴェランシアまできみたちに同行しようがしまいが、きみたちはきっと歓迎されるのだ」
「きみを殺すようなはめになるとは思わんよ、ウォーゼル」キニスンは、ウォーゼルの心が非情で良心のない貴族に完全に把握《はあく》されて自制を失ったとき、その鋼鉄のように堅い爬虫類《はちゅうるい》的なからだがどんな乱暴を働けるか、その点を想像しながら、ゆっくり答えた。「もしきみが貴族にあやつられて極端に走ることを避けられないとすれば、もちろんきみは狂暴で手におえなくなるだろう。しかし、あそこできみに話したように、ビーム放射で、きみを殺さずに気絶だけさせることができると思う。うろこを二、三枚焼くかもしれんが、治療できないようなきずを負わせないように気をつけよう」
「もしきみがそんなことでわたしの動きを停止できるとしたら、じつに驚くべきことだ。では、用意はいいかね」
用意はできていた。ウォーゼルはドアを開いた。そして、一瞬後には、空中に突進していた。彼の巨大な翼は、地球のどんな有翼生物もおよばないような速度で飛んで行く。その少し後ろから、ふたりのパトロールマンが無重力推進でらくらくと飛行して行った。
その長い飛行のあいだ、キニスンとバン・バスカークのあいだでさえ、ほとんど一片の思考もとりかわされなかった。ヴェランシア人に思考を向けることは、もちろん問題外だった。彼とのあらゆる連絡路は切断されていた。そればかりでなく、彼の精神は、能力はあったが、さっきやるといったことをするために、細胞《さいぼう》の最後のひとつにいたるまで集中されていた。また、ふたりのパトロールマンも、タイト・ビーム、無線、音響器などで会話をかわすことさえ避けた。思考エネルギーが少しでも洩《も》れて、用心深い貴族どもが彼らの存在に気づくことを恐れたのだ。もしこのチャンスをのがせば、あの憎むべき集団を一掃するチャンスは二度と訪れまい、ということを彼らは知っていたのだ。
陸を越え海を越えて行くうちに、行く手に大山脈が現われた。すると、ウォーゼルは疲《つか》れを知らぬ翼を背にたたんで、全重量をかけて風を切りながら急降下していった。キニスンの目には、ウォーゼルが降下していく線の延長上に洞窟の入口が見えた。山腹の黒い岩の中にひときわ黒く見える点だ。その入口へ通じる岩棚の上に、ひとりのデルゴン人がいた――もちろん、衛兵か、見張りだろう。
レンズマンは、すでにデラメーターを手にしていた。そして、監視《かんし》の爬虫人を見かけるやいなや、すばやい一|挙動《きょどう》でねらいをつけて放射した。それは早業《はやわざ》ではあったが、それでも遅すぎた――ヴェランシア人は、それまで自分に同行者がいることを貴族たちに気づかせずにいることができたのだが、いまや彼らはそれを知ってしまったのだ。
たちまちウォーゼルの翼はふたたび羽ばたきはじめ、洞窟から遠くへ飛んでいった。パトロールマンたちは、彼の思考から絶縁されてはいたが、彼の奇妙《きみょう》な行動の意味は、きわめてはっきりしている。下の洞窟が貴族たちのすみかではなく、それはこちらのほうにあるのだから、自分の後についてくるようにということを、彼はあらゆる手段をつくしてふたりに告げているのだ。そして、ふたりが彼の後について行こうとしないのを見ると、気違いのようにキニスンに襲いかかってきた。
「射《い》落としてしまいなさい、キム」バン・バスカークが叫んだ。「その鳥を相手にして危険をおかしちゃだめだ!」そして自分のデラメーターを構えた。
「やめろ、バス!」レンズマンはきびしくいった。「ぼくは彼をうまく扱える――地上より、ここのほうがずっとやさしいのだ」
まさにそのとおりだった。彼は無慣性状態にあったので、ヴェランシア人の一撃は、まったくひびかなかった。そして、ウォーゼルがその柔軟なからだで彼を巻いて絞めはじめたとき、キニスンはあっさり思考波スクリーンを拡大《かくだい》してウォーゼルのからだをもその中につつみこみ、一時的に敵意を抱《いだ》いている仲間《なかま》の心を貴族の把握《はあく》から解放した。たちまちヴェランシア人は自制をとりもどし、自分の思考波スクリーンをまとった。そして三人は、いったん妨げられた下降コースをいっせいにつづけていった。
ウォーゼルは岩棚の上の灰になった見張りのわきで停止した。防御服を身につけていなかったので、それ以上進むのは急激な死を意味するということを知っていたからだ。しかし、堅固な宇宙服をつけたふたりのほうは、暗い通路へとびこんでいった。はじめのうちは、なんの抵抗にもぶつからなかった――貴族たちは、適当な防御《ぼうぎょ》手段を講《こう》ずる暇《いとま》がなかったのだ。少数の奴隷《どれい》たちが、てんでんばらばらに襲いかかったが、連中の携帯用《けいたいよう》武器が銀河パトロール隊の宇宙服に歯が立たずにいるうちに、たちまち抹殺《まっさつ》されてしまった。洞窟そのものに近づくにつれて防御者の数はしだいに多くなったが、彼らもパトロールマンの前進をさまたげることはできなかった。しかしついに、青白く光る金属の防御板がふたりの行く手をさえぎった。そのエネルギーの場は、デラメーターの放射熱線を中立化し、または吸収した。が、その物質的な素材《そざい》も、地球の人類が移住したあらゆる惑星が、これまで生みだしたうちでも、もっとも強力な男によってふるわれる三十ポンドの大槌《おおづち》には、わずかしか抵抗できなかった。
いまやふたりは洞窟そのものの中にはいった――デルゴン貴族たちの聖なる密室だ。地獄のような拷問《ごうもん》スクリーンがあったが、いまは生命のあとかたもなかった。観衆の貴族たちはまだそこにいた。彼らはあのときあれほど貪欲《どんよく》だったのに、いまは恐怖に駆《か》られて狂気のように犇《ひし》めいている。一段高くなった壇の上に、このいまわしい種族の中の「大物」がいて、長年にわたる彼らの神聖な権威に対する、この前代未聞《ぜんだいみもん》の侵犯に効果的に対処する力を組織すべく、精いっぱいつとめていた。
デルゴン人|奴隷《どれい》の最後の一波が、無力な放射器を激しくきらめかして襲いかかったが、デラメーターの扇《おうぎ》状のエネルギーの中でたちまち消滅した。パトロールマンたちは、こうした自分の心をもたない奴隷たちを殺すのがいやだったが、それはなさざるを得ない不快な仕事だった。奴隷たちが除かれると、貪欲《どんよく》なビームは、むらがった貴族たちに向けられた。
そしていまや、キニスンとバン・バスカークは、喜んではいないまでも、すくなくとも容赦《ようしゃ》なく(無慈悲《むじひ》に、なんの悔恨《かいこん》もなしに殺戮《さつりく》してのけた。なぜなら、この想像もおよばぬほど邪悪《じゃあく》な種族は根だやしにする必要があったからだ――ただのひとりといえども生存を許して銀河文明をけがしつづけさせてはならない。怒り狂った熱線は、前に後ろに、右に左に、上に下にとなぎ払い、ついにその陰惨《いんさん》な部屋の広大な空間には、入口に立ったふたりのいかめしい姿以外に生物の姿は見えなくなってしまった。
ふたりの破壊者はその事実を確かめたが、やはりデラメーターを手にしたまま通路をあともどりしてトンネルの口まできた。そこには、ウォーゼルが不安そうにふたりを待っていた。思考|伝達《でんたつ》の路線《ろせん》がまた設立され、キニスンは洞窟の中で起こった一部始終をヴェランシア人に告げた。ヴェランシア人は思考波スクリーンの力を徐々に切り下げた。やがてその力がゼロになると、彼は喜びにあふれた調子で、無限の過去から存在したデルゴン貴族の思考波が、はじめて空中から消滅したと告げた!
「だが、危険がまだ過ぎ去っていないことは確かだ」キニスンは注意した。「この一回の攻撃だけで、やつらを全滅させることはできなかっただろう。何人かは逃げたにちがいないし、この惑星のどこかに、ほかの洞窟があるかもしれん」
「そうだ、そうだ」ヴェランシア人は尾を軽々《かるがる》とふった――彼が楽しげな身ぶりをしたのは、これがはじめてだった。「しかし、彼らの力は破壊された、決定的にそして永久的にね。きみたちのおかげで、この新しい思考波スクリーンのほかに有力な武器や防御《ぼうぎょ》板が製造できるようになったから、それを使えば、やつらを根絶することは比較的たやすい。きみたちは、これからわたしといっしょにヴェランシアに来たまえ。あの惑星では、全力をあげて、きみたちの仕事を援助するにちがいないよ。わたしは、すでに宇宙船を一隻呼びよせた――われわれは十二日以内にヴェランシアに着き、きみたちの計画の実行にとりかかるだろう。そのあいだに……」
「十二日《ヽヽヽ》だって! 輝かしいノシャブケミング神よ、助けたまえ! そんなに時間がかかるのかい?」バン・バスカークが叫んだ。キニスンは口をはさんだ。
「そうさ――きみは彼らが無慣性推進の技術を、まだ持っていないことを忘れている。ひと飛びしてわれわれの救命ボートをとってきたほうがよさそうだ。どっちにしても多少の危険はあるが、ヴェランシア人の宇宙船に乗れば十二日かかるのに対して、われわれのボートなら、一時間たらずのあいだ探知の危険にさらされるだけですむ。それに海賊船は、いつこのあたりにもどってくるかわからん。ヴェランシアの宇宙船がヴェランシアに到着するよりずっと前にやつらにつかまって捜索《そうさく》されることは確実だから、われわれがそれに乗っていれば、困ったことになるだろう」
「それに、ヴェランシアの宇宙船の乗組員はわれわれのことを知っているから、海賊どもにも、すぐばれるでしょう。とにかく、そいつはまずいですな」バン・バスカークは、そう判断した。
「そんなことはない」ウォーゼルが思考をはさんだ。「きみたちのことを知っている乗組員はわずかしかいないし、その者たちも知らないふりをするように指示されている。しかし、じつのところ、わたしはきみたちから宇宙に海賊がいることを知らされて、まったく驚いている。きみたちも知るように、わたしはきみたちに会うまでは、きみたちのパトロール隊のことも海賊のこともまるで知らなかったのだ」
「なんて世界だ!」バン・バスカークは叫んだ。「パトロール隊も海賊もいないなんて! だが、その両方がなくて、宇宙空間の自由推進もなければ、暮らしやすいだろうな――小説家たちが書きたてている古き良き航空機時代がそうだったようにな」
「もちろん、わたしはそれを判断できない」ヴェランシア人はいたって生《き》まじめに答えた。「われわれが住んでいるこの太陽系は、銀河系宇宙の中でもとくに辺鄙《へんぴ》な区域らしい。さもなければ、海賊どものほしがるものがないせいかもしれない」
「というよりは、パトロール隊と同様、海賊どもも、まだこの区域までは手がまわらないというのが真相だろう」キニスンは指摘《してき》した。「銀河系宇宙の中には、何十億という太陽系があるから、パトロール隊がそれらすべてをまわりつくすには、まだ何千年もかかるにちがいない」
「ところで、その海賊についてだが」ウォーゼルは要点にもどった。「もし彼らがデルゴン貴族のような精神力をもっていれば、われわれの心の枠を破ることができるだろう。しかし、わたしがきみたちの思考から判断したところでは、彼らはそのような精神力をもっていないらしいが?」
「ぼくの知るかぎりでは持っていない」キニスンは答えた。「きみたちの種族は、ぼくがこれまで知ったうちでも、アリシア人を除けば、もっとも強力な頭脳《ずのう》の持ち主《ぬし》だ。精神力についていえば、きみはぼくができるより、はるかに遠くから思考を受けることができる。ぼくがレンズや、このぶんどった海賊の受信器を使ってさえおよばないくらいだ。このあたりの宇宙空間に海賊船がいるかどうか偵察《ていさつ》してくれないか?」
ヴェランシア人が精神力を集中しているあいだに、バン・バスカークがたずねた。
「もし彼の精神がそんなに強力ならば、あの貴族どもがわれわれ『心弱き』人間の精神を支配するよりずっと容易に、彼の精神を支配できたのは、なぜなんです?」
「きみは『心』と『意志』とを混同《こんどう》しているようだな。ヴェランシア人は長年、デルゴン貴族に服従しているあいだに、意志力がゼロになってしまったのだ。すくなくとも貴族たちに対してはね。いっぽう、きみもぼくも、たいていの人間に負けないくらい意志力をふるいたたせることができる。事実、もしあそこで貴族たちが、ほんとにわれわれの意志力をくじくことができたとすれば、たぶんわれわれは気ちがいになっていたかもしれない」
「あなたのおっしゃるとおりでしょう――われわれは折れるが曲らないんです。そうじゃありませんか?」
そのとき、ヴェランシア人は報告しはじめた。
「わたしは付近の星系までの宇宙空間を考察した――きみたちの概念《がいねん》で十一光年ぐらいの範囲だ――しかし、じゃまするような実体にはまったくぶつからなかった」彼は告げた。
「十一光年だって――なんてすごい受信能力だ!」キニスンは叫んだ。「しかし、そのくらいの距離は、海賊船が全力推進すれば、二分ちょっとで飛んでしまう。だが、いつかは危険をおかさなければならんのだ。早く出発すれば、それだけ早く帰還できる。ウォーゼル、きみはここで待っていたまえ。すぐ迎えにくるから。自分のテントへもどる必要はない――われわれは、きみがテントへつくよりずっと前にここへもどってくるだろう。きみは充分に安全だと思う。とくに、われわれの予備のデラメーターをあずけていく以上はな、さあ、出かけようぜ、バス!」
ふたりはふたたび空中に突進し、空気のない宇宙空間を横切っていった。救命艇の一時的な墓場《はかば》の位置をつきとめるには、二、三分しかかからなかった。艇を掘りだすのも、二、三分ですんだ。それからふたりは、また探知される危険をおかして宇宙空間にとびだして行った。キニスンは艇の操縦に専念し、バン・バスカークは注意を集中して受信器を聞き、探知器を見つめていた。しかし、救命艇がデルゴンの大気圏層に突入するまで、宇宙空間はやはり空虚《くうきょ》だった。艇が有重力になって激しく逆推進し、ウォーゼル本来の速度と同程度に速度を落としているあいだも、ひきつづき空間は空虚だった。
「いいよ、ウォーゼル、乗りたまえ!」キニスンはそう呼びかけて、バン・バスカークをふりむいた。「ところで、バレリア生まれの、|でか《ヽヽ》の偏平足《へんぺいそく》の宇宙犬、きみが信じている宇宙人の守り神が、あとはほんの十四分間だけ、われわれの幸運がつづくようにはからってくれればありがたいんだがな。われわれは、これまでに望外の幸運に恵まれたわけだが、もうちょっぴり幸運がつづけば、それを最大限に利用できるんだ」
「ノシャブケミング神は、|かならず《ヽヽヽヽ》宇宙人に幸運をもたらしてくれますよ」巨人は、ヘルメットの内部に安置《あんち》してある小さな黄金の像を、奇妙なしかめつらで拝しながらいい張った。「いぼみたいにちっぽけで不信心なあなたがた地球生まれの宇宙|蚤《のみ》は、それを認めるだけの寛容を持ち合わせていない――それどころか、あなたがた自身の神々、いや宇宙神クロノをさえ本気で信じるほどの分別《ふんべつ》もないんだが、そんなことは、ノシャブケミングにとって問題じゃないんです」
「なかなか、いうじゃないか、バス!」キニスンはひやかし半分にほめた。「だが、ノシャブケミングが、きみのバッテリーを充電するのを手伝ってくれるなら、それに頼めばいいさ――噴射《ふんしゃ》用意完了! 発進!」
ヴェランシア人はすでに艇に乗りこみ、小さな出入口はまた堅くとざされた。そして小さなボートはデルゴンからヴェランシアへ向けて突進していった。探知器がとどく範囲では、エーテルはやはり空虚だった。この事実はレンズマンの概念と反対だったが、じつは不思議なことではなかった。なぜなら、パトロールマンたちが漂流《ひょうりゅう》海賊船に乗りこんでとてつもない長距離を飛行したため、ボスコーンの手先がそのコースをしらみつぶしに調べて、この目だたない未開拓の、そしてほとんど知られていない太陽系へたどりつくまでには、何日もかかるにちがいなかったからだ。救命艇が故郷の星へ向かっているあいだに、ウォーゼルはすでに宇宙空間へ出ていたヴェランシアの宇宙船の乗組員と連絡をとり、大至急ヴェランシアの空港にもどるように命じた。そして、もしボスコーン配下の宇宙船にとめられて捜索《そうさく》された場合は、どのように答え、どのように行動すべきかをくわしく指示した。この指示があたえられたころには、ブヨみたいにちっぽけな救命艇の下方にヴェランシア惑星が大きく迫ってきた。キニスンはウォーゼルの案内にしたがって広大な大洋を越えていった。対岸には、ウォーゼルの住む大都市があるのだ。
「それにしても、ヴェランシア人たちに、きみたちがなしとげた偉業にふさわしい歓迎をさせ、きみたちを祝賀会場へ連れて行ければいいのだが!」ウォーゼルは残念がった。「考えてもみたまえ! きみたちは、ヴェランシアの住民が長年のあいだ力をあわせて達成《たっせい》しようとつとめながらもできなかったことをなしとげたのだ。それなのに、きみはその手柄《てがら》を、わたしがひとり占《じ》めするように主張するとはな!」
「ぼくはそんなことを主張しはしない」キニスンは述べた。「いずれにしても、あれは事実上きみの手柄なんだ。ぼくはただ、われわれとパトロール隊のことを明るみに出さないでほしいと主張するだけだ。なぜそうしなければならないかは、きみもぼく同様、よく知っているはずだ。ほかのことなら、みんなに何を告げてもかまわない。ピンクの髪をしたふたりのチクラドリア人がきみを援助して、それから自分の惑星へもどって行ったといったっていい。あの惑星はだいぶ離れているから、海賊どもがそれを信用して追いかけて行くとすれば、やつらにあつらえむきの長距離飛行になるだろうよ。この騒ぎが片づいたら、みんなにほんとのことをいってもいい――だが、|それまではだめだ《ヽヽヽヽヽヽヽヽ》。
「それから、大宴会をやらかすために祝賀会場へ行くことは、まったく≪絶対にだめだ≫。われわれは、きみたちの最大の空港以外はどこへも行かないよ。ぼくらがほしいのは、多量の資材と、それから、思考を閉鎖《へいさ》して秘密を守れる多数の助手だけだ。
「われわれは、多くの大がかりな機械をすみやかに建造しなければならない。そして、クロノ神とノシャブケミング神とが許してくれるかぎりすみやかに、出発しなければならないのだ!」
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八 獲物の反撃
ウォーゼルは国の科学者評議会を知っていたが、それも当然のことだった。彼自身がその選ばれた集団の中で高い地位を占めていたからである。彼の約束どおり、この惑星最大の空港からただちに通常の要員が除去され、その代わりに翌朝からは、まったく新しい作業員の集団が配置された。
これらの作業員は、ふつうの労働者ではなかった。彼らは若く明敏《めいびん》で高度に訓練されており、ひとり残らず科学者集団の思考波スクリーンの中から選抜されたのである。じつのところ、彼らは自分たちがこれからすることについてまったく不案内だった。というのは彼らが建造を命じられたようなエンジンが可能であるとは、誰ひとりとして夢想もしたことがなかったからだ。
しかし、またいっぽう、彼らは数学の基礎理論と運用《うんよう》とに通じていた。理論数学から応用機械学へは、ほんの一歩である。そればかりでなく、彼らはすぐれた頭脳《ヽヽ》をもっていて、論理的、集中的、効果的に考えることを知っていたから、いちいち指図したり監督《かんとく》したりする必要がなかった――ただ指示するだけでよかった。そして何よりいいことには、必要な機構のほとんどすべてが、ブリタニア号の救命艇の中に縮小《しゅくしょう》された形ですでに存在していて、容易に分解、分析《ぶんせき》、拡大できることだった。作業の進展は遅々としていたが、それは作業員の理解力が乏《とぼ》しいためではなく、要求される巨大で重い部品を処理するには充分なほど大きくがっちりした工作機械や装置が、この惑星にないためにすぎない。
この巨大な機械の建造が大至急、推進されている間《かん》に、キニスンとバン・バスカークとは、海賊たちの変換周波数帯に同調できるような、極度《きょくど》に敏感《びんかん》な受信器の製造に打ちこんでいた。ふたりが正確で詳細《しょうさい》な知識を持っており、ヴェランシアでもっとも頭のいい技術者ともっともすぐれた装置を自由に使いこなしたので、受信器はまもなく完成した。
キニスンが極度にデリケートなコイルを最終的に配線していると、ウォーゼルが楽しげに身をくねらせて無線研究室にはいってきた。
「やあ、レンズマン、キムボール・キニスン」彼は陽気に呼びかけた。そして、その蛇のような胴体《どうたい》の二、三ヤードを手近《てぢか》の円柱にすばやく巻きつけ、胴体のほかの部分を水平にのばして、いっぽうの翼の端を床《ゆか》についた。それから無造作《むぞうさ》にあおむけになると、三つ四つの目を突きだし、その茎状部をレンズマンの肩ごしにカールさせた。機械技師たちの努力の成果をいっそうくわしく見ようというのだ。かつてのウォーゼルは陰気《いんき》で悲観的で死神《しにがみ》にとりつかれていたが、いまはそういうところがすっかりなくなって、陽気で幸福そうで気楽そうで、ほとんどおどけてさえいた――ワニのような頭と皮の翼とを持った、体長九メートルもある大蛇がおどけて見えるという点を想像できればの話だが!
「やあ、蛇陛下、ごきげんよう!」キニスンは同じ調子でやりかえした。「まだここにいたのかい? きみはいまごろデルゴンにもどって、やつらの生き残りを一掃しているものと思っていたよ」
「装置がまだできていないのだ。しかし、あわてるにはおよばない」陽気な爬虫《はちゅう》人間は尾を十フィートから十二フィート、円柱からほどいて、それを軽快に波うたせながら答えた。「彼らの力は破壊され、一族がほとんど全滅してしまったのだから。きみは新しい受信器をテストするところか?」
「そうだ――ちょうどいま、やつらの送信を傍受《ぼうじゅ》しようとしているんだ」そしてキニスンは受信器のダイヤルの微調整を巧妙《こうみょう》に操作しはじめた。
彼はメーターや計器に目をそそぎながら耳をかたむけた……熱心に、電力を増大して、また聞いた。しだいしだいに電力をあげながら、たえず耳をかたむけた。ふいにからだをこわばらせ、両手をぴたりととめた。耳をすます。それまでも熱心だったが、いっそう熱心に聞いた。聞きながら、彼の顔はきびしくなり、石のようにこわばった。やがて、微調整がビームを追跡《ついせき》しているのか、またじりじり動きはじめた。
「バス! 焦点ビーム・アンテナを接続しろ!」彼は叫んだ。「やつの送信を傍受するには、この受信器の電力をしぼりつくさなければならん。だが、どうやら、海賊船の中継器を通じてじゃなく、直接ヘルマスの通信をつかまえたようだぞ!」
彼はくり返しダイヤルの示度とアンテナの方向をチェックし、そのたびに正確なヴェランシア時間を計った。
「さあ! ウォーゼル、時間ができしだい、ぼくはきみたちの天文学者といっしょにこの数字を計算したい。そうすれば、ヘルマスの総司令部を通過する直線がわかるだろう――たぶんね。そして、もしぼくの生命《いのち》があったら、いつかまたもう一本の直線を見つけて、その交点をつきとめるのだ!」
「どんなニュースを傍受しました、隊長?」バン・バスカークがたずねた。
「いいのとわるいのと両方だ」レンズマンは答えた。「いいニュースというのは、わわれは海賊船の中に長いこととどまっていたわけだが、ヘルマスは、こちらがそれほど長くとどまっていたとは思っていないのだ。きみも知ってるように、やつは悪魔みたいに疑い深いから、われわれが前に使ったのと同じような手で、一杯くわせようとしたのだと信じこんでいる。やつはわれわれが海賊船で逃げた全コースをしらみつぶしに調整できるほど船を持っていないので、いまはコースのむこう端に全力を集中しているのだ。これは、われわれにまだたっぷり日があることを意味する。わるいニュースというのは、やつらがわれわれの救命艇をすでに四隻つかまえて、これからも、もっとつかまえるにちがいないということだ。ぼくから残りの救命艇に呼びかけられればいいんだが! そのうちの何隻かは、やつらにつかまる前にここへ到達できるだろうに」
「わたしに提案《ていあん》させてもらっていいかね?」ウォーゼルがひかえめな調子でふいにたずねた。
「いいとも!」レンズマンは不思議そうに答えた。「きみの意見は、これまでくだらなかったためしがない。どうして急に遠慮ぶかくなったんだ?」
「というのは、この提案が特別に……その……特別に個人的なものなんでね、きみたち地球人は心のプライバシーを非常に重視《じゅうし》するからな。きみもすでに見たように、きみたちの科学とわれわれの科学とは異質だ。きみたちは機械工学、物理学、化学、その他の応用科学の分野《ぶんや》では、われわれをはるかにしのいでいる。いっぽうわれわれは、心理学、その他の内省的学問では、きみたちよりずっと深く研究してきた。そういうわけで、わたしにははっきりわかるのだが、きみが着用しているレンズは、いまきみがそれに行なわせているよりも、はるかに偉大な役割をはたせるのだ。もちろん、わたしはきみのレンズを直接に利用することはできない。そのレンズは、きみの個性に同調させられているのだからね。しかし、もしこの提案がきみの心にかなうようなら、わたしはきみの承諾を得て、きみの心を把握《はあく》し、レンズを利用して、きみを仲間たちと精神感応関係におくことができるだろう。わたしがこれまでこの提案をしなかったのは、きみの心が外部からの支配を非常に嫌うことを知っているからだ」
「かならずしも、すべての外部的支配を嫌うわけじゃない」キニスンは訂正《ていせい》した。「敵による支配を嫌うだけだ。友好的な心による支配ということは、思いつかなかった。そいつはまったく新しい思いつきだ。やってみよう!」
キニスンは自分の精神を完全に解放《かいほう》した。すると、ヴェランシア人の精神が友好的な力の波となってそこへそそぎこんできた。それは力だけではなかった――というより、厳密《げんみつ》な意味では力ではなかった。力以上のものだった。それは、ダイナミックな衝撃であり、震動《しんどう》するような透入《とうにゅう》であり、キニスンの心がもっとも敏活に働いているときでさえ可能だとは思いもおよばなかったような深遠《しんえん》で明晰な知覚《ちかく》作用だった。そのような精神の持ち主《ぬし》は、地球上のもっとも鋭敏な心でさえ、意識の陰影をともなうだけで、なんの形態も把握もできない混沌《こんとん》としてあいまいな塊としてしか知覚できないような事物を、微細《びさい》な部分にいたるまでカメオ細工《ざいく》のように明確に認識しているのだった!
「きみが最初に連絡したい相手の思考様式を知らせてくれ」ウォーゼルの思考が、今度はレンズマン自身の脳の奥から伝達された。
キニスンはこのきわめて異常な新しい二重人格にかすかな不安の戦慄をおぼえたが、心を落ちつけて思考を返した。「残念ながら――ぼくにはできない」
「わるかった。きみがわれわれのような方式で思考できないくらい、わかっているべきだった。では、その相手を思い浮かべてくれたまえ――特定の個人としてね。そうすれば、わたしに必要なデータがあたえられるだろう」
地球人の心に、ヘンダスンの姿がありありと浮かびあがった。彼がかつて思いもよらなかったほど集中された生命力が、彼の全身を貫いて、アリシア人の手になる、まるで生きているような創造物の中へそそぎこんでいくにつれて、彼はレンズが実際に震動し脈打つのを感じた。そしてその後すぐ、彼はチーフ・パイロットと完全な知的交流をもったのである! ヘンダスンは救命艇の小さな食卓につき、そのむかいには、技師長のラヴェルヌ・ソーンダイクがすわっている。
精神感応《テレパシー》のメッセージがヘンダスンの脳に伝達《でんたつ》されると、彼は叫び声をあげて立ちあがった。自分が宇宙錯乱にとりつかれたのでもなく、その他の幻覚《げんかく》になやまされているのでもないということを理解するまでには何秒もかかった。しかしひとたびそのことを理解すると、彼はただちに行動した――彼の救命艇は全力推進でヴェランシアへ向けて突進した。
それからキニスンは「ネルスン! アラーダイス! トムスン! ジェンキンス! ウーレンフート! スミス! チャトウェー!……」と次々に呼びかけた。
通信の専門家であるネルスンは、艦長の呼びかけに答えた。手品使いの操舵員アラーダイスも答えた。技師のウーレンフートも答えた。他の三隻の救命艇にいた者も答えた。その三隻のうちの二隻はあきらかに危険区域にいるらしく、ヴェランシアへ突進する途中でつかまるおそれがあったが、その乗組員たちは、なんのためらいもなく危険をおかすほうを選んだ。すでに判明しているところでは、四隻の救命艇が海賊どもに捕えられていた。すると、その他の救命艇は……「八隻しかない」キニスンは考えこんだ。「あまりよくないな――だが、もっとずっと悪いことだってあり得たのだ――いまごろ、やつらはわれわれ全部をつかまえていたかもしれんのだ――それにこの呼びかけが届かないところにいる救命艇もあるのだろう」そしてヴェランシア人をふりむいた。ヴェランシア人は、精神感応の仕事がすむとすぐ、キニスンの心にはいりこんでいた自分の心をもとにもどしていた。
「ありがとう、ウォーゼル」キニスンは率直にいった。「いまやってくる部下たちの中には、われわれがちょうど必要としている能力をたっぷり持っている者がいる。それがどんなに役にたつことか!」
救命艇は一隻また一隻と着陸した。乗組員たちは簡単に、しかし心をこめて迎えられ、すぐ仕事にとりかかった。ネルスンは最後に到着した二人組のひとりだったが、とりわけ歓迎された。
「ネルス、われわれはきみを、とても必要としているんだ」キニスンは挨拶《あいさつ》をかわすとすぐいった。「海賊どもは、特殊な周波数帯変換シグナルをともなった通信波を持っていて、ふつうの種類の妨害波なら、どんなものでも突破《とっぱ》して受信し解読することができる。やつらの方式を研究するには、きみがわれわれの中でいちばん適役だ。このヴェランシア人科学者たちのうち何人かは、その点について、たぶんおおいにきみの役にたつだろう――思考波に対するスクリーンを開発できるような種族なら、振動|一般《いっぱん》について、ふつう以上に知っているはずだからな。われわれは海賊の通信装置の作動モデルを持っているから、きみはその方式や数式を計算できるだろう。その計算がすんだら、きみときみのヴェランシア助手たちに設計してもらいたいものがある。それは、宇宙空間にある海賊の通信ビームをできるだけ遠くまで攪乱《かくらん》するような装置だ。きみがそういう装置を作ってくれれば、やつらは通信ができなくなる。われわれも同様だがね。そうなればまったく大助かりなんだ」
「QX《オーケー》、艦長、やってみましょう」そういって無線技師は道具、装置、電気技術者たちを集めた。
こうして、巨大な空港のいたるところで、多数のヴェランシア人と一団のパトロールマンとが肩を並べてせっせと働き、作業は急速にはかどった。やがて、空港には奇妙《きみょう》な形の機械類がいちめんに並びはじめた。いたるところに放射器があった。耐熱性の口を持った怪物たちで、パトロール隊の熟練《じゅくれん》した技術者たちに知られているかぎりの、さまざまの破壊力を吐きだすことができるものだ。電圧分割器、エア・ギャップ、グラウンド・ロッド、エネルギー蓄積器のラックなどを備えた吸収器もあった。さまざまな装置の動力源となる宇宙線エネルギーの感受器と変換器などもあった。もちろん、原子力電動発電機、大容量のバッテリーなどもあった。そして、ネルスンの強力な通信波攪乱器も活動するばかりになっていた。
これらの機械は荒削《あらけず》りで仕上《しあ》げをほどこしてないように見えた。そうした本質でないことには、時間も手間《てま》も費やされなかったからだ。しかし、それらのどの機械の内部も、可動部分は顕微鏡《けんびきょう》的な正確さで、ひげぜんまいのような微妙《びみょう》なバランスをたもって組みたてられていた。すべてが例外なく完全に作動するのだ。
ウォーゼルが呼んだので、キニスンは巨大な耐ビーム用|縦《たて》穴からよじのぼってきた。その囲壁の頂きは、事実上|牽引《けんいん》ビーム放射器からなっていた。彼はスクリーン・ドーム発生機の一つのさしこみスイッチが交換されているのを確かめただけで、重装甲をほどこされた管制室《かんせいしつ》へ急いで行った。そこには、部下のパトロールマンたちの小部隊が待っていた。
「やつらがやってくるぞ、諸君」彼は告げた。「どうすべきかは、各人が心得ていることだ。時間があれば、もっといろいろな手が打てたのだが、そういうわけにいかなかったから、われわれが現在もっているものでやつらをむかえ撃《う》とう」キニスンはふたたびきびきびした指揮官にもどり、自分の装置の上に身をかがめた。
ふつうの順序でいけば、海賊はこの惑星にスパイ光線を放射し、あらかじめ惑星の住民に向かって、最近そこへ着陸した逃亡者の有無《うむ》を返答するように、またそういうものがいれば、ただちに引き渡すように要求を発したことだろう。しかし、キニスンはそれを待っていなかった――待っていることができなかった。スパイ光線が放射されれば、彼が整えた軍備の存在が暴露《ばくろ》する。ところで、そのような軍備がこの惑星に所属するものでないことは確かだから、したがって、彼がここにいることも暴露してしまうにちがいない。そういうわけで、彼はまず行動に出た。そして、すべてのことがほとんど同時に起こった。
一筋の追跡光線がさっとほとばしった。異常に強力な牽引《けんいん》器のリムバッテリーが発する先導光線である。無慣性状態にあった海賊船は、その恐るべき牽引力を受けて、作用の中心へ向けて引きつけられた。それと同時に、ネルスンの通信|攪乱器《かくらんき》、宇宙線エネルギーの吸収を妨げるドーム状スクリーン、円形に配置された超強力放射器などがいっせいに働きはじめた。
これらはすべて一瞬のうちに起こったので、狼狽《ろうばい》した海賊船の船長が攻撃を受けていることを理解するいとまもなく、船は惑星ヴェランシアの大気によって速度をゆるめられた。船がたちまち破壊されるのを防いでいるのは、自動的に反応するスクリーンだけだったが、スクリーンはしっかりもちこたえ、何秒か後には、海賊船のすべての武器が狂気のように放射された。
しかし、なんの効果もなかった。耐ビーム用縦穴の防御装置はその攻撃に耐えることができた。それは宇宙船に搭載《とうさい》しうる、いかなる放射器から放射されるエネルギーでも容易に吸収できるような機構《きこう》で操作されていた。また、船の宇宙線エネルギー吸収は停止し、停止したままでいたので、海賊側は狼狽してしまった。船長は救援を求める通信をくり返して発したが、他の海賊ステーションと連絡をとることができなかった――エーテルもサブ・エーテルも同様に閉鎖されていて、信号は完全に妨害されているのだった。海賊船の操縦士はエンジンが破壊しそうなほどの負荷《ふか》をかけたが、白熱的なビームを放射している縦穴の幾何学的中心から、船をひき離すことはできなかった。
やがて、海賊船の動力は衰えはじめた。海賊船の宇宙線エネルギーを吸収して運航するように設計されていたから、パワーの流れを安定するに必要な蓄積器しか持っていなかった。それだけの量では、このようにエネルギーを浪費《ろうひ》する戦闘には、問題にならないほど不足だった。しかし奇妙なことに、海賊船の防御《ぼうぎょ》力が弱まると、相手の攻撃も弱まってきた。この宇宙の大戦艦を破壊することは、レンズマンの意図《いと》ではなかったのだ。
「あの懐かしいブリタニア号のいいところはここだったんだ」キニスンはビームの出力を徐々にさげながら、残念そうにいった。「あの宇宙船の力はまったくすごかった。どんな牽引ビームだって、あいつを引きとめることはできなかったんだ!」
やがて海賊船の貯蔵エネルギーは尽きはて、その場に静止した。そこで巨大な圧搾器《プレッサー》が活動を開始し、船は縦穴の囲壁の上に押しあげられて、そのそばのひらけた場所に固定された――ひらけた場所とはいっても、やはりエネルギーのドームにおおわれているのだ。
キニスンはまだニードル光線を用意していなかった。彼にあたえられた時間内では、絶対に必要欠くべからざる装置を建造することしかできなかったからだ。海賊船の乗組員を一掃するために船のどの部分を破壊すべきかということが、彼と部下のあいだで論じられている間《かん》に、海賊たち自身がその問題を解決した。船の舷側《げんそく》の出入口がぽっかり口をあけて、戦闘に出てきたからだ。
海賊たちは、罠《わな》にかかったねずみのようにおとなしく死ぬ連中ではなかった。それに船内にとどまっていても、相手が望むときに望みどおりの手段で殺されるだけだということを知っていたのだ。また彼らは、自分たちが勝利を得ることができなければ死ななければならないのだということも知っていた。降伏が受け入れられたとしても、後で法のさばきを受けて死刑に処せられるだけのことなのだ。いっぽう公然と戦いをいどめば、すくなくともいくらかの相手を道づれにできるわけだ。
そのうえ、彼らはわれわれが理解しているような人類ではなく、地球人ともヴェランシア人ともまったく似ていなかった。地球人もヴェランシア人も彼らにとっては害敵だったが、彼らもまた銀河系宇宙の辺鄙《へんぴ》な(一角《いっかく》一角《いっかく》に存在する、この驚くほど堅固な要塞を守る生物にとって害敵なのだ。だから、いずれ劣らぬ宇宙ずれのしたベテランである海賊たちは、追いつめられた者の狂暴さで死にもの狂いに戦った。しかし、勝つことができなかった。そして、最後のひとりにいたるまで倒れたのである。
戦闘が終わるとすぐ、海賊の通信器をおおっている妨害波が消される前に、キニスンは捕獲した船内をまわって歩いて、海賊の総司令部に連結している映像プレートをはじめ、海賊基地へ、なんらかの通信を送りそうな自動送信装置をすっかり破壊した。それから妨害波が消され、宇宙線エネルギー遮蔽ドームが緩和《かんわ》され、海賊船は作戦基地から除去《じょきょ》された。つぎに、ソーンダイクと爬虫《はちゅう》人間の助手たちは――彼らも、いまやそうとうな知識を身につけた無線専門家だった――強力な通信波|攪乱《かくらん》器をとりつける仕事にとりかかった。そのあいだ、キニスンとウォーゼルは新しい獲物を求めて宇宙空間を偵察《ていさつ》した。間《ま》もなくそれがみつかった。はじめのよりも離れていて――太陽系を二つへだてていた――まったく反対の方角にあたっていた。また追跡光線、牽引ビーム、通信妨害波、宇宙線エネルギー遮蔽ドームが次々に活動した。熱線放射器がまた白熱的な力で荒れ狂い、やがてもう一隻の巨大な宇宙巡洋艦が、はじめの宇宙船のそばに横たわった。もう一隻、そしてもう一隻。そのあと長いこと宇宙空間は空白だった。
そこでレンズマンは超強力受信器のスイッチを入れ、ヴェランシアの天文学者たちが決定してくれたヘルマスの基地の方向へ慎重《しんちょう》にアンテナを向けた。ヘルマスの通信波は非常に緊密だったので、彼はまた装置を容赦《ようしゃ》なく駆動《くどう》しなければならず、そのため真空管の雑音は信号をほとんど聞きとれなくするほどだったが、骨折り甲斐があって、ふたたび海賊の作戦指揮者の声を、かすかながら聞くことができた。
「……いずれもそれらの五つの太陽系の内部または付近にいた四隻の宇宙船が、通信を停止した。どの停止も、従来《じゅうらい》記録されていない方式の通信波妨害にともなって起こったものである。この命令を受けているおまえたち二隻の宇宙船は、最高度の注意をはらってその区域を調査せよ。スクリーンを張り、あらゆる装置を駆動し、自動記録器を本部に向けて設定せよ。パトロール隊が、この事件になんらかの関係を持つものとは信じられない。この事件の原因となった相手は、従来判明しているパトロール隊のいかなる能力をもしのぐ能力をもっていることを示したからである。一つの仮定《かてい》として、従来事実上、未探検で未知であったある太陽系が、じつは高度に進歩した種族の居住区域であって、彼らを訪れた最初のわが宇宙船の態度または行動が、彼らを怒らせたのではないかと推察《すいさつ》される。したがって、前進するには極度の注意をはらい、接近する前に限界距離からスパイ光線で完全に探知せよ。着陸したならば、通常の戦術とは異なった計略と外交手段とを用いよ。われわれの宇宙船が破壊され乗組員が殺されたのか、または単に抑留されているだけなのかを調査せよ。そして、自動報知器をたえず本部に向けておくことを忘れてはならない。ボスコーンを代表してヘルマスより命令――以上!」
キニスンはさらに何分かのあいだ、調節装置をいじりまわしたが、効果はなかった――もうなんの音も聞きとれなかった。
「何を聞きとろうっていうんです。キム?」ソーンダイクがたずねた。「それだけわかれば充分じゃありませんか?」
「いや、これではまだ半分だ」キニスンは答えた。「ヘルマスは決してばかじゃない。やつは確かにわれわれの通信妨害波の範囲を測定しようとしているんだ。ぼくはやつがそれをどんな方法でやるか知りたいんだ。だがわかりそうもない。やつはおそろしく離れているし、その通信波はおそろしく緊密だから、やつが偶然《ぐうぜん》われわれの方角に直接干渉しかけでもしないかぎり、やつの通信に作用することはできない。だが、まもなくわれわれは、やつに範囲決定の必要があるほんとうの通信波妨害をくわせてやる。ところで、ほかの二隻の宇宙船をどう処理できるか、やってみようじゃないか。やつらは、いまこっちへ向かっているのだ」
その二隻の宇宙船は慎重に偵察し、ヘルマスの注意に忠実にしたがおうとしたが、そうした用心も結局なんの役にもたたなかった。まず彼らは命ぜられたとおり極限距離でスパイ光線による偵察を行った。しかし、その距離でさえ、キニスンの追跡光線は有効であり、この二隻の海賊船もまた激しい通信波妨害にあって通信を停止した。海賊船は今度は一隻でなく二隻だったから、戦闘の経過は細部《さいぶ》で多少変化したが、縦穴は二隻の宇宙船を収容《しゅうよう》するに充分な大きさをもっていたし、牽引《けんいん》ビームは二隻を一隻のときと同様にがっちりと拘束《こうそく》できた。戦闘はいくらか長びき、熱線放射はいくらか激しく、またまぶしかったが、結果は同じだった。ぶんどった海賊船には、通信攪乱器その他の装置がとりつけられ、キニスンは部下を集めた。
「われわれはふたたび出発する準備ができた。これまでのところ、逃走は二度ともうまくいったが、もし、こちらが充分に手を変え品を変えて、いましばらくヘルマスを迷わせつづけることができれば、三度目も成功するだろう。もし海賊船の供給がつづくとすれば、ヘルマスに、われわれが最高基地へもどる輸送手段を提供させることができるのだ!
「その案というのは次のようなものだ。われわれは六隻の宇宙船をもっている。そしてそれに搭乗《とうじょう》させるに充分なヴェランシア人が志願した――帰還できないかもしれないのにだ。もちろん、六隻では、ヘルマスの艦隊と戦って強行突破できるだけの機動部隊を編成するには不充分だ。だから、われわれは分散して何パーセクにも展開し、発生しうるかぎりの妨害波を出すことにしよう。われわれはお互いに通信をかわすことができなくなるだろうが、われわれの知覚にいるほかの者も通信ができなくなるのだから、それによって逃げのびる機会があたえられるにちがいない。われわれが前に救命艇で逃げたときと同様、どの船も独自に行動する。ただし、前回との大きなちがいは、大戦艦に乗り組むという点だ。
「そこで問題がある――われわれはまた別の船に分乗すべきか、それとも一団になっているべきか? ぼくは、みんなが一つの船に乗り組んだほうがいいと思う――もちろん、テープはほかの船に分散するのだ。きみたちはどう思うか?」
部下たちは全員、彼の意見に賛成したので、彼はヴェランシア人に思考を向けた。
「ところでウォーゼル、この惑星に残るきみたちのことだが――きみたちも、たぶん楽はできないだろう。遅かれ早かれ――ぼくの推測では近いうちに――ヘルマスの手下どもがきみたちを襲ってくると思う。大挙《たいきょ》して戦闘態勢をととのえ、目を血走らせてね。こんどは、一方的な屠殺《とさつ》じゃなく、ほんものの戦争になるだろう」
「いくらでも大挙してくるがいいさ。ここを襲う海賊船が多いほど、きみたちの前進を妨げるやつは少なくなるだろう。この要塞の装備は、きみたちパトロール隊と海賊とが所有している装備のうちでは、もっともすぐれたものを寄せ集めてあるし、それをまた、きみたちの科学者とわれわれの科学者が完全な協力のもとに改善してある。われわれはその構造、機能、保全などを完全に理解している。安心したまえ、海賊どもはわれわれを破ることはできないし、この太陽系を訪れた海賊はすべて帰還することはないだろう――永久にね!」
「蛇流の挨拶を送るよ、ウォーゼル――きみがいつまでも元気でのたくるように!」キニスンは叫んだ。それから、もっとまじめな調子でつづけた。「たぶん、このごたごたがすっかり片づいたら、いつかまたきみに会うことがあるだろう。もし会えなかったら、これでおさらばだ。ヴェランシア全体におさらばだ。みんな、用意はできたか? 宇宙空間、異常なし――発進!」
かつては海賊船だったが、いまは銀河パトロール隊の船となった六隻の宇宙船は、惑星ヴェランシアの大気圏に突入し、それをつき抜けて惑星間宇宙空間にとびだし、それをも突破して、もっと広大で空虚《くうきょ》な恒星《こうせい》間宇宙空間へとおどり出していった。六隻はそれぞれ、CRX追跡光線でさえ通過できないような、包括《ほうかつ》的妨害波を強力に放射していた。
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九 故障
キムボール・キニスンは、宇宙船の制御《せいぎょ》室にすわって、宇宙全体と同化したような、のどかな気分でシガレットをくゆらしながら微笑していた。なぜなら、この新しい条件は、あらゆる意味でかつての条件とは異なっていたからだ。彼はいま、あわれなほど弱くて無防備な救命艇に乗ってこそこそと逃げまわっているのではなく、現在宇宙を飛んでいるうちでもっとも強力な戦艦の一隻に乗って、地球へ向けてほとんどまっしぐらに、全力推進で突進《とっしん》しているのだ。しかし、パトロールマンの数は非常に少なかったから、大部分の者が二|交替《こうたい》で働かねばならなかった――キニスンとヘンダスンは操縦と航行の仕事を全部やらなければならなかった――もっとも、彼らの下には、機敏《きびん》で高度に訓練されたヴェランシア人の乗組員たちがそろっていた。ところで敵は、密接な集団をなして、ヘルマスに時々刻々位置を報告し、彼の命令にただちに応じられるような状態にいるのではなく、いまや海賊船同士の連絡や総司令部と連絡がまったくとれなくなって、手探りで進んでいる状態だ。文字どおり比喩どおり、暗中模索、恒星《こうせい》間宇宙空間の完全な暗黒《あんこく》の中にである。
ソーンダイクがちょっと顔をしかめながら部屋にはいってきた。「あなたはおとぎ話のチェシャー猫みたいに、しょっちゅうにやにやしてますね、キム。あなたのそんなご満足にけちをつけたくないんですが、わたしがここへきたのは、われわれがまだ危険の森をすっかり抜け出したわけじゃないってことを、報告するためなんです。行く手にはまだ、でかい緑の薄荷《はっか》の木が七千列も並んでいますよ」
「それはそうかもしれん」レンズマンは快活にいった。「しかし、われわれが以前におかれていた苦境に比べれば、世界のてっぺんにいるどころか、宇宙のてっぺんにいるといってもいいくらいだ。やつらは報告を送ることも命令を受けることもできん。やつらの探知器さえひどくやられている――電磁探知器や監視装置でどこまで探知できるかは、きみも知ってのとおりだ。そのうえ、この船の外側には、標識番号も記号も名称もついていない。もしついていたとしても、摩擦《まさつ》ですりへって、装甲板《そうこうばん》がむきだしになってしまったんだ。で、われわれの手におえないようなどんなことが起こるというんだね?」
「この船のエンジンがそういう問題を起こしますよ」技師はぶっきらぼうに答えた。「バーゲンホルム重力慣性器がメーター・ジャンプを起こして、それがいささか気にいらんのです」
「ノッキングでもするのかい? それともカチカチ音をたてるほどなのかい?」キニスンがたずねた。
「まだですがね」ソーンダイクは、しぶしぶ認めた。
「ジャンプはどのくらいの大きさだ?」
「最大千分の二たらず。平均千分の一・五です」
「そんなのは、記録器のグラフがちょっとずれたほどにもならない。動輪はそれより大きなジャンプがあっても、何か月も動いているさ」
「そう――動輪はね。しかし、バーゲンホルムについで起こった故障《こしょう》で、メーター・キックは前例がないんです。だから、わたしはその原因について推測するんです。あなたをおどかそうっていうんじゃありません――さしあたりはね。ただ報告してるだけですよ」
問題になった機械は、恒星間航行速度を出すに欠くべからざる重力慣性器だった。だから、その調子がどんなにわずか狂っても、技術者としてはおおいに関心を持つのになんの不思議もなかった。しかし、一日一日と過ぎていったが、巨大な変換器は活動しつづけ、従来どおりの動力の流れをとり入れては送りだした。ティック一つおこさず、メーター・ジャンプも悪化しなかった。そしてその何日かのあいだに、宇宙船は創造もおよばぬほどの距離を通過した。
そのあいだずっと、監視装置は空白のままだった。あらゆる光学装置で観測しても、宇宙空間は天体の存在を除けば空虚《くうきょ》だった。ときどき目に見えないものや視界の外にあるものが電磁探知器のどれかに記録されたが、それらの装置は非常に作用が遅いので、それらが発する信号はなんの役にもたたなかった。事実、警告が記録されたときには、その異常を起こした物体ははるか後方にとり残されてしまっているのだ。
ところがある日、バーゲンホルムが停止した――ぴったりと。なんの過労現象《かろうげんしょう》も、なんのノッキングも、なんの過熱も、なんの警告《けいこく》もまったくなしに。一瞬前まで宇宙船は自由飛行で突進していたのに、次の瞬間は有重力で宇宙空間に横たわっていた。事実上停止したのだ。なぜなら、有重力加速によって達しうるかぎりの最高速度でも、無重力加速と比べれば、這《は》っているに等しいからである。
そこで全員がしゃにむに働いた。重いカバーが除かれるやいなや、ソーンダイクは機械の内部をざっと見て、キニスンをふりむいた。
「なんとか修理できると思いますが、かなり時間がかかりそうです。あなたは制御室にいたほうがよろしいでしょう――ここに有重力で漂《ただよ》っているのは、あまり安全じゃないんでしょう?」
「大部分の装置は自動稼動にしてあるが、やはり目を離さんほうがいい。ときどき進行状況を知らせてくれ」そしてレンズマンは制御室にもどった――早すぎることはなかった。
なぜなら、すでに一隻の海賊船が激しくビームをそそぎかけていたからだ。彼は船の防御装置を自動稼動させておいたが、まったくそのおかげで、船は事実上、即座に破壊されるのをまぬがれたのである。レンズマンが驚いてその他の装置をチェックしはじめたとき、もう一隻の宇宙船がはじめの海賊船と反対の側に姿を現わして、これまたビームをそそぎかけた。
キニスンがすでに一度ならず気づいたように、ヘルマスは決してのろまではなかった。だから、海賊側のあらゆる通信手段に対する驚くほど効果的な妨害の原因を解明することは、もっとも肝要な問題だった。ほとんど動員できるかぎりの船がその妨害区域の周縁を何日も航行し、たえず観測し報告していた。しかし、その妨害はきわめてすみやかに移動し、その外形はきわめて特異であり、測定された方向示数はきわめて矛盾《むじゅん》していたので、ヘルマスの計算器は混乱してしまったのだ。
そのとき、キニスンの船のバーゲンホルム重力慣性器が故障し、船は有重力になった。二、三分のうちに、妨害の中心位置がつきとめられた。そしてその座標《ざひょう》が決定され、五、六隻の戦艦がその位置へ急行するように命ぜられた。最初に到着した海賊船は視覚信号と聴覚信号を発したが、なんの応答も得られなかったので、牽引《けんいん》ビームで相手をつなぎとめて、熱線を放射した。海賊船から信号が発せられたとき、制御室には誰もいなかったが、誰かがいたとしても結果は変わらなかっただろう。キニスンがいれば、その信号を読むことはできただろうが、彼にしても、ぶんどった海賊船に乗っている他の者同様、海賊式の信号で応答することはできなかったからだ。
裏切《うらぎ》り船を攻撃する海賊船は二隻から三隻にふえたが、レンズマンはやはりあわてずに計器盤の前にすわっていた。各種のメーターはまだ危険な過負荷を示していなかった。彼のけなげな宇宙船は、姉妹船が加えうるあらゆる攻撃に耐えているのだった。
そのとき、ソーンダイクが制御室にふみこんできた。彼はもうすっきりした宇宙飛行士の姿ではなかった。汗ぐっしょりのアンダーシャツと作業ズボンだけになり、全身グリースと煤《すす》にまみれている。そして、いちめんによごれた顔の中で見える部分は、疲労のためにげっそりやつれてさえいる。彼は何かをいおうとして口を開いたが、ぎらぎら輝いている映像プレート盤に目をとめると、たちまち言葉をのみこんだ。
「聖なるクロノ神の爪に誓って!」彼は叫んだ。「もう攻撃してきやがったんですか? なぜ声をかけなかったんです?」
「そうしたからって、なんの役にたつね?」キニスンは反問した。「もちろん、きみが仕事をなまけていて、がみがみいえばいくらかでも能率があがるというんなら、そうしたろうさ。だが、これぐらいのことで、そうあわてるにはおよばん。われわれの船を破壊するには、すくなくともやつらが四隻は必要だろう。そこで、ぼくは、やつらがこの船に過負荷を加える前に、きみが、船をスタートさせてくれるだろうと期待していたんだ。ところで、きみは何をいうつもりだったんだ?」
「わたしがここへきたのは、ですな――第一に、この船が推進の用意ができたということをあなたに報告するため。第二には、はじめのうちだけ、そろそろ進ませたほうがいいと注意するため。そして第三には、石鹸《せっけん》のあり場所をご存知かどうかきくためです。だが、第二と第三は捨ててくださってもかまいません。この連中とは、いつまでも遊んでいたくありませんからな――やつらの遊び方は乱暴すぎる――わたしは船の調子が保《も》つかどうかを確かめるまでは、からだを洗いませんよ。推進してください――やつらがびっくりしないように!」
「まったくだ――こいつは≪新機軸≫だからな!」
レンズマンは二つのノブをまわし、次に三つのボタンをつよく押した。すると、ぎらぎら輝いていた映像プレート盤が暗くなった。船はまた宇宙空間でひとりぼっちになった。海賊たちはあっけにとられた。まるで獲物が四次元にすべりこんでしまったように思われたのだ。彼らの牽引《けんいん》ビームは何も把握《はあく》していなかった。激しくそそぎかける熱線は、一瞬前まで抵抗《ていこう》するスクリーンによって占められていた宇宙空間を、さえぎるものもなく貫いていた。追跡光線もなんの役にもたたない。何が起こったのか、またどのようにして起こったのかもわからなかったし、ボスコーンの指揮官に報告することも、彼から命令を受けることもできなかった。
何分かのあいだ、ソーンダイク、バン・バスカーク、キニスンの三人は、緊張し待機していた。これから何が起こるか予測できなかったからだ。しかし、何事も起こらなかったので、緊張はしだいにゆるんだ。
「で、原因はなんだったね?」ついにキニスンがたずねた。
「過負荷ですよ」というのが、ソーンダイクの簡潔《かんけつ》な答えだった。
「過負荷だって――ばかな!」レンズマンが叫んだ。「やつらはどうやってバーゲンホルムを過負荷に|できた《ヽヽヽ》んだ? それに、できたにしても、いったいなぜ、そうしようとしたんだ?」
「前にこの船に乗っていた海賊どもには簡単にそれが|できた《ヽヽヽ》んです。実際にやつらが|やった《ヽヽヽ》ような方法でね。蓄積器をその上に直列並列に積みあげるという方法です。なぜやったかについては、あなたの推測にまかせましょう。バーゲンホルムに負荷がかかっていなければ、完全な重力がえられます。いっぱいに負荷がかかっていれば、重力はゼロです――それ以上はできません。わたしには、自明の理に思えます。でも、海賊どもはみんなどこか抜けてるところがあるんだと思いますね――さもなけりゃ、海賊なんぞになりゃせんでしょう」
「きみが正しいかどうかわからんな。そうあってほしいが、そうじゃないかもしれん。ぼくとしては、あいつらはふつうの意味での海賊じゃないと思う」
「へえ? じゃなんだというんです?」
「海賊行為というのは、同質の文化を持った者が行なうものだと考えたいね」レンズマンは思案顔で、いった。「ふつうの海賊というのは、きみが指摘《してき》したように、どこかに欠陥のある脱落者で、かつて自分が認めており、いまでも恐れている官憲に対して反抗している者のことだ。ところで、その定義は、今度の場合はまったくあてはまらない」
「それがどうしたんです? 今度はわたしのほうであなたに『ばかな!』っていい返しますよ。とにかく、なぜそんなことを気にしてるんです?」
「気にしているわけじゃない。だが、誰かがそれについて何か手を打てなければならんのだ。さもないと……」
「わたしはそんなことを考えたくありませんな。頭が痛くなる」バン・バスカークがさえぎった。「おまけに、バーゲンホルムの問題は、うまく片づけたんでしょうが」
「いまにきみはほんとうに頭が痛くなるぜ」キニスンは笑った。「なぜって、ぼくは地球式のうまいビフテキを賭《か》けてもいいがね、海賊どもはバーゲンホルムに過負荷をかけていたとき、負《ふ》の慣性をつくりだそうとつとめていたんだ。その問題を考えたら、誰だってまちがいなく頭が痛くなるさ!」
「高等力学の、ある気違いじみた学者が、その問題について研究しているのを知ってますよ」ソーンダイクがいった。「だが、そんな方法じゃ、できやしないでしょう?」
「これまでにいろんなひとが、いろんな方法を試みたがだめだった。もしそんなことが可能ならば、その結果は驚くべきものだろう。だが、きみたちはふたりとも、向こうへ行って休んだほうがいい。骨折りで死ぬほど疲れてるんだからな。バーゲンホルムは独楽《こま》みたいに回転している――さしあたりは、緑のビロードのようになめらかにね。ソーンダイク、ぼくのロッカーの中に石鹸《せっけん》が見つかると思うよ」
「たぶん、われわれがひと眠りするくらいは保《も》つでしょう」技師はあやぶむようにメーターを見つめた。しかし、その針は緑の線から髪の毛ほどもゆらいではいない。「だが、断っておきますが、われわれはバーゲンホルムに応急処置をほどこしたんですよ。もし応急処置なんてことができるとすればね。一時間くらいはたよりになるが、そのうちに|おしゃか《ヽヽヽヽ》になったら、あなたもわたし同様、ご存知でしょうが、修理するには、充分設備のあるほんとうの修理工場が必要ですよ。悪いことはいわないから、すわって休息できるうちに、そして、そうできるようになったらすぐ、どこかにすわって、休んでおくんですな。あのバーゲンホルムは実際に調子がわるいんです。しばらくはなんとか保《も》たせていけますが、そのうちに完全にいかれてしまうでしょう――そうなったとき、修理工場から五十分じゃなく五十年間離れているなんていうのは、ありがたくないでしょう」
「ありがたくないね」レンズマンはうなずいた。「だがいっぽう、われわれが着陸したとたんにあの海賊船が襲いかかってくるのもありがたくない。われわれはいまどこにいるんだ? そして味方の基地はどこにあるんだ?ふむ……ふむ……戦区基地は白の輪《わ》だ、わかってるね。準戦区基地は赤の星だ……」三人の頭は宇宙図にかがんだ。
「いちばん近い赤星印は星系二四〇――一六――三七の中にあるようだ」やがてキニスンがいった。「この惑星の名前は知らないな――まだ行ったことがないんだ……」
「遠すぎますな」ソーンダイクがさえぎった。「とても行きつけないでしょう――いっそ直接、地球の最高基地へ向かったほうがいいくらいです。そこより近くに赤星が見つからなければ、オレンジか黄の星を捜してください」
「このあたりには、基地と名のつくものはほとんどないらしい」キニスンはいった。「もっと密《みつ》に配置されているように思えるがね。ここにすみれ色の三角があるが、われわれの役にはたたんだろう――ほんの前進基地だからな……この青の四角はどうだ? 地球へ向かうコースのほとんど線上にある。われわれが到達《とうたつ》できそうな場所としては、これ以上いいのは見あたらないぜ」
「そこがいちばん有望《ゆうぼう》そうですな」ソーンダイクは二、三分調べてから賛成した。「たぶん数回、故障が起こるでしょうが、たどりつくことはできるでしょう――なんとかね。青のマークは、宇宙空港としてはかなり条件がわるいが、そこなら、とにかく道具はそろっているでしょう。なんていう名前ですか、キム? それとも、番号しかないんですか?」
「これはあの、いとも有名な惑星トレンコさ」レンズマンは宇宙図の参照番号を調べてから告げた。
「トレンコですって!」ソーンダイクは顔をしかめてさけんだ。「銀河系宇宙の中でいちばん気違いじみた、酔《よ》いどれ惑星だ――よりによってそんなところへ着陸して修理する羽目《はめ》になろうとはね? さあ、もう眠る時間だ。わたしが目をさます前に船が有重力になったら、呼んでくださいよ」
「呼ぶとも。ところでぼくは、宇宙空間の海賊船を残らずわれわれのまわりに集めたりしないで着陸できるような方法を工夫するよ」
そのとき、ヘンダスンが交替勤務《こうたいきんむ》につくためにはいってきた。キニスンは眠りについた。強力なバーゲンホルムは、宇宙船を無慣性にたもちつづけた。事実、予期された故障が起こる前に、全員が充分休息をとって元気を回復していた。そして故障が起きたときには、彼らは多少ともそれに対する用意ができていた。故障によって生じた遅延《ちえん》はそう長くなかったので、海賊船はもう一度彼らを発見することができなかった。しかし、宇宙空間のその一点から彼らの目的地である悪名高い惑星までの航行は、故障の連続だった。
技師たちは汗まみれになってうなったり罵《ののし》ったりしながらも、ラヴェルヌ・ソーンダイクの豊かな頭脳にしてはじめて考えだせるような工夫、思いつき、間《ま》に合わせにしたがって、一見不可能と思われるような修理を次々にやってのけた。技師長は、全太陽系を通じてもっとも明敏でもっとも練達の技師だったが、手で作業することになれていなかった。年こそ若かったが、頭だけを使うことが得手《えて》で、他人の労力やエネルギーを指導することに通じていたのだ。
しかし、彼はいまや港湾労働《こうわんろうどう》者のように働いていた。いつも煤《すす》と油にまみれて――一罐の機械工用|石鹸《せっけん》はとっくの昔に使いつくされ、手の爪は黒くなって割れていた。手や顔は焼けたり水ぶくれになったり、ひび割れたりしていた。筋肉はなれない労働で痛み、ぎくぎく音をたてたが、そのうちに固まってきた。しかし、それらすべてのことに対して、彼は不平をいわないどころか、むしろ楽しげに仕事にかかっていた。ある日、船が自由航行をしているあいだに、彼は制御室にはいってきて、コース決定用の角度計をちらりと見てからタンクの中へはいっていった。
「まだ、もとのコースをとっているようですな。何か思いついたんですか?」
「あまりいい思いつきでもないがね、トレンコへいちばん近い点へ着くまでは、このコースをとっていくつもりだからさ。ぼくは、自分の脳と証するしろものがぼくに向かってバック・ファイアするまで考えつめたあげく、やっとこの思いつきに到達したんだ。
「ぼくは船の妨害区域を縮小したり拡大したりしつづけながら、できるだけその形を変化させ、またときにはそれをまったく消してしまった。船がこのコースからの離脱《りだつ》点へきたら、追跡可能な振動《しんどう》を発生するあらゆる装置を消してしまうのだ。もちろんバーゲンホルムは動かさなければならんが、これは放射線が少ないし、アースすれば事実上、完全に消すことができる。不利なのは、推進力だ――放射線をアースで消せるくらいまでおとさなければならんだろう」
「閃光《せんこう》はどうします?」ソーンダイクは作業ズボンのポケットから、おきまりの計算尺をとりだした。
「もうヴェランシア人たちに調節《バッフル》板を作らせてあるよ――きみも知ってのように、われわれは予備のタンタルム、タングステン、炭素合金、耐熱合金などをうんと持っているんだ――使う必要がおきたときのためにね」
「放射線……探知……減少率……コサイン・シータ二乗……ふむ……〇・〇〇三八」技師は目を細めて『動尺』を見つめながらつぶやいた。「五十万倍……光速の約千九百倍を限度にしなけりゃなるまい。おそろしくのろい。だがいつかは到着するだろう――たぶんね。ところで、調節《バッフル》板だが」そして彼はまたひとしきり計算に打ちこんだ。そのあいだは「温度……不活性|微粒子《びりゅうし》……速度……融点《ゆうてん》……ワインバーガの常数――」などという言葉が聞きとれるだけだったが、やがて、「光速の約千八百倍で、調節板がやられる計算になります」と彼は告げた。「放射線の限界《げんかい》と、きわどいところで一致しています。QX《オーケー》だと思います。でもそれだけの長時間、あのバーゲンホルムを保たせるためにどんなことをしなけりゃならんかと思うと、ぞっとするな」
「あまりいい計画じゃない。ぼく自身そういいとは思わんよ」キニスンは率直に認めた。「きみならもっといい計画を考えだせるだろう。いまのうちに――」
「わたしならですって? そりゃどういうわけです?」ソーンダイクは笑いながらさえぎった。「わたしには、この計画がいちばんいいように思えますよ――とにかく、あなたはこの一団の指導的頭脳じゃありませんか? おやりなさい!」
そういうわけで、なお長いこと航行した後、レンズマンは妨害波を切り、推進動力を切り、敵の探知器《たんちき》にこの宇宙船の位置を探知されそうな振動を発するあらゆる装置を切った。宇宙服をつけた技師たちが船尾の出入口から現われ、推進噴射器のまだ白熱している排気口の外側に、すでに作ってあった調節板をとりつけた。
もちろん周知のことだが、すべての宇宙船は、高電位の静電場と発生機の第四次粒子、すなわち「微粒子」を通じての有重力|噴射《ふんしゃ》によって推進される。この微粒子は、ある形態のエネルギーを物質に変換《へんかん》することによって、無慣性噴射器の内部で有重力に形成される。この変換は、ある程度の熱と多量の光を発生する。この光、すなわち「閃光《せんこう》」は、それ自体直接輝くうえに、噴射された微粒子によって形成された高度に稀薄《きはく》なガスによっても輝くので、突進する宇宙船の姿は、華麗《かれい》きわまる光景を呈する。ところで、キニスンたちの大胆《だいたん》な計画が成功の可能性を持ちうるためには、まさにこの目ざましい効果を抑制《よくせい》しなければならないのだ。
調節板はとりつけられた。いまや、閃光《せんこう》はあからさまに放射されるかわりに、調節板の内側に封《ふう》じこめられた――しかし、ああ、熱の約三パーセントも同様に封じこめられることとなった。そこで、熱の発生は、調節板の輻射平衡《ふくしゃへいこう》温度が調節板を構成している耐熱金属の融点以下になる程度まで、切り下げられ|ねばならな《ヽヽヽヽヽ》かった。これによって船の速度はいちじるしく落ちるだろうが、他方、探知される危険がほとんどなくなるので、ついにはトレンコへ到達できるだろう――ただし、もしバーゲンホルムが持続すればの話だが。
もちろん、まだ視覚《しかく》探知器や電磁《でんじ》探知器で探知される危険はあったが、その危険はないに等しいほど小さかった。ことわざにいう、乾草《ほしくさ》の中で針を捜すという仕事も、無限の宇宙空間を飛ぶ無灯のまっ黒な宇宙船を、望遠鏡、映像プレート、電磁プレートなどの中で見つけるという仕事に比べれば、まだやさしいものだろう。彼らの唯一《ゆいいつ》の気づかいは、バーゲンホルムだった。機関士たちはその巨大な金属工作物に対して惜しみなく労力をささげたが、それはまるで、一団の看護婦が億万長者の病気の赤ん坊に奉仕しているかのようだった。
こうして全力を集中したおかげで、それだけの効果が現われた。機関士たちはまだ汗をかいたり、うなったり、罵《ののし》ったりする必要があったが、なんとかバーゲンホルムを駆動《くどう》させつづけた――大部分の時間を。または探知もされなかった――すくなくともそのときは。
なぜなら、海賊の最高指揮官の注意は、あの急速に移動し、たえず拡大し、たえず変動する妨害波にすっかりひきつけられていたからである。それはまったくなぞめいていて、どの通信装置でも透過《とうか》できないのだ。その星系の中には、銀河パトロールの最高基地があった。だから、それはレンズマンの仕事に|ちがいない《ヽヽヽヽヽ》――そのレンズマンは、彼らの大型宇宙船の一隻を占領して、あらゆる秘密を探ったのち、彼を捕えるためにはりめぐらされたこまかい網の目をくぐりぬけて救命艇で脱出したやつと同一人にちがいないのだ! そればかりか、そいつは彼らの宇宙船の中でも、もっともすぐれた無敵艦隊を次々に捕獲《ほかく》し、いまもなおそれらをひきつれて平穏《へいおん》に帰途についているのだ――そうに|ちがいない《ヽヽヽヽヽ》のだ! これは許せない、また絶対にがまんできない侮辱《ぶじょく》ではないか。
そこで、ヘルマスとその計算士および航行士たちは、宇宙空間のその区域にいるすべての海賊船を道具のように使って、その妨害波の移動の方程式を徐々に、しかし厳密に解《と》いていった。不明確な点はしだいに少なくなった。やがて、各海賊船は、妨害波の焦点《しょうてん》が決定されるにつれて、そのそれぞれに、コースと速度を適合させながら、ついにはそれらを捕捉するために、次々にサブ・エーテルの暗黒の中へ突入していった。
だから、キニスンも部下たちもそのときは気づかなかったが、ある意味では、バーゲンホルムが故障したからこそ、彼らの生命が、したがって、われわれの文明が救われたのである。
キニスンの船は、のろのろと、そしてたびたび停止しながらも、すでに述べたようなわけで探知をまぬがれ、トレンコ目ざしてあわれな前進をつづけていった。そのあいだ彼は自分の船や不具の発生器や、その設計者や前の運転者のことをぼやきつづけた。しかし、ついに惑星トレンコが船の下に大きく迫《せま》り、レンズマンはレンズを使って通信した。
「トレンコ宇宙空港のレンズマン、または通信範囲内にいるほかのレンズマンに告げる」彼は、はっきり伝達《でんたつ》した。「太陽《ソル》系の第三惑星地球のキニスンより通信。わがバーゲンホルムの重大故障により、修理のためトレンコ宇宙空港に着陸しなければならない。わが宇宙船はこれまで海賊船を避けてきたが、彼らはわれわれの後方または前方、またはその双方にいるかもしれない。そちらの状況はどうか?」
「わたしはなんの援助《えんじょ》もできそうもない」通常の自己紹介なしに、弱い思考波が伝達された。「わたしは自己制御能力を失っている。トレゴンシーのいるところは――」
キニスンは、からだの芯《しん》までぞっとするような悲痛で耐えがたい苦痛にみちた心理的衝撃を感じた。その衝撃は、大|槌《づち》の一撃のように激しかったが、同時に彼のあらゆる脳細胞を爆発させるかと思われるほど鋭く貫通的な音色をもっていた。まるで、長さ一ヤードもある針がいっぱい植えられた強力なこぶしが、彼のからだの中で、もっとも鋭敏な神経|中枢《ちゅうすう》に激しい打撃をあたえたかのようだった。
通信は停止した。そして、レンズマンは痛ましい身ぶるいの出るような思いで、一つの事実を確認した。いまひとりのレンズマンが、彼と話している最中に死んだのだ。
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一〇 惑星トレンコ
地球を基準にして考えれば、トレンコはまったく特異な惑星だった――そして現在もそうなのだ。その大気は空気ではなく、その液体は水ではなかったが、この二つはトレンコのいちじるしい特異性であり、その他の特異性の大部分はそれに由来《ゆらい》しているのである。大気の半分近くと、液体層の大部分は、気化|潜熱《せんねつ》が極度に低い物質で、沸点《ふってん》が非常に低いため、日中は蒸気でいるが、夜になると液体になる。なおわるいことに、トレンコをつつんだガス体の他の構成要素は、被覆力《ひふくりょく》が非常に弱く、比熱が非常に低く、しかも滲透《しんとう》性が非常に高いので、昼はものすごく暑いくせに、夜はおそろしく寒いのだ。
したがって、夜になると雨が降る。トレンコの夜にどれほど雨が降るかを見たことがない人に向かって、それを言葉で説明したところで、まったく意をつくせない。地球では、一時間に一インチの降雨量は、おそろしいどしゃ降りである。しかし、トレンコでは、その程度の降雨量は霧ぐらいにしかあたらない。なぜら、赤道帯の上では、地球時間の十三時間たらずのあいだに、毎夜きっちり四十七フィート五インチの雨が降るからだ――それより多くも少なくもなく、どの年も毎夜それだけずつ降るのである。
それから電光がある。地球のようにときどき光るのではなく、連続的に目もくらむように輝いて、トレンコの夜を、われわれが知っているような夜とはまるでちがうものにしているのだ。その神経をひき裂き感覚を打ち砕くような放電のおかげで、もっとも強力な通信波以外は、どんな光線でも信号でも、そのエーテルやサブ・エーテルを透過《とうか》できない。昼間も、ほとんど同様にひどい状態である。そのときは電光は激しくないが、トレンコの母星であるものすごい太陽の光線が、あのきわめて特異な大気を通じてそそぎかけ、夜の電光とほとんど同様な効果を生じさせるのである。
とてつもない降雨量がもたらす気圧の差のために、トレンコではつねに、またいたるところで風が吹いている――それもなんという風だ! トレンコの生物でさえ生存できないほど寒い両極を除いては、ほとんどあらゆる地点で、またあらゆる時間に、地球の疾風《しっぷう》が凪《なぎ》としか思えないようなすさまじさで風が吹いている。そして、赤道帯では、毎日の日の出と日没に、風が昼の側から夜の側へむけて時速八百マイル以上の速度で吹くのだ!
何万年何十万年というあいだに、風と波が惑星トレンコを削りとり洗い流して、幾何学的に完全な扁平《へんぺい》の回転|楕円体《だえんたい》に仕上げてきた。表面には突起《とっき》もくぼみもまったくなかった。地球的な意味で固定しているものは、その表面には育つこともなく存在することもなかった。これまでに建設されたいかなる構築《こうちく》物も、トレンコの自然環境を形成している破壊的な気象現象に耐えて、まる一日一個所に固定していることはできなかった。
トレンコには二種類の植物があり、それぞれが無数の変種にわかれている。一つの種類は朝の泥土《どろつち》の中で発芽し、丈夫な根を深くおろして、日中の風と熱との中で平らに繁茂《はんも》する。そして午後おそくには完全に実をみのらせるが、日没時には枯死《こし》して、洪水《こうずい》によって洗い流されてしまう。もう一つの種類は浮遊《ふゆう》植物である。そのうちのあるものはいくらかフットボールに似ている。あるものはタンブルウィード(秋になると根元から折れて球状になり野原を風に吹き散らされる植物)に似ており、またあるものはあざみの種子に似ている。しかし、その他の何百種類かについては、それらの多少とも似たものは地球上にまったく見あたらない。しかし、実質的に見れば、これらの植物の生活習慣は同様である。彼らはトレンコの「水」の中に沈むことができる。そして、泥《どろ》の中にもぐりこんで、そこから栄養の一部を摂取する。また、そこから日のあたる表面へ現われることもでき、つねに吹きまくっているトレンコの風の中で、ただよったりころげまわったりすることもできる。そして、彼らが接触したものが偶然《ぐうぜん》、食用に適していた場合には、それにからみついたり、つかみかかったりすることができるのだ。
動物もまた豊富で多様だが、三つの特長を持っている。もっとも下等なのからもっとも高等なものにいたるまで、水陸|両棲《りょうせい》であり、からだは流線形をしていて、雑食性なのだ。トレンコの生活条件はきびしいので、そこに生育するどんな形態の生物でも、苛酷《かこく》な必要にうながされて、文字どおり手にはいるあらゆるものを、すすんで、いや貪欲《どんよく》に食わなければならない。そういう理由から、トレンコで生存をつづけるあらゆる形態の生物は、植物でも動物でも、銀河系宇宙のどこにも見あたらないほど貧食で繁殖力がさかんなのである。
このトレンコが銀河系宇宙の中で重要な役割をはたしているのは、もっぱら本書のはじめに引用《いんよう》した有害な薬物シオナイトのおかげなのである。地球の植物に葉緑素がつきもののように、トレンコの植物にはシオナイトがつきものである。これまで知られているかぎりでは、この物質を産出する惑星は、トレンコだけである。また、地球の科学者たちは、いまだにそれを分析することも合成することもできないのだ。シオナイトは、酸素を吸収し、ヘモグロビン性の赤い温血をもつ種族にだけ影響をあたえることができる。しかし、そのような種族が住む惑星は非常に多いので、この薬物が発見されるとすぐ、麻薬常習者、密輸業者、売人《ばいにん》、純然たる海賊などの群れが、この新しい|大金もうけ《ボナンザ》へ向けてどっと押しよせた。何千というこれらの冒険家が、お互いに光線銃で戦ったり、貪欲なトレンコの生物の攻撃を受けたりして死んだが、シオナイトがそうしたしろものなので、さらに何千人もの向こう見ずな連中がトレンコを訪れつづけているのだった。また、パトロール隊もこの有害な輸送ルートの根源を絶とうとしてここを訪れ、トレンコの植物を採集しようと企《くわだ》てる者を容赦《ようしゃ》なく熱線で射倒《いたお》していた。
こうして、パトロール隊と麻薬シンジケートとのあいだには、激しい死闘がつづけられていた。そしてその両派に対立するものとして、この有害な惑星の生物集団があった。彼らは雑食性で、たえず食物に飢えており、個々の力や狂暴さからいっても、総体的な数からいっても、決してあなどれない存在である。しかも、これら互いに争う集団のすべてに対してたえず猛威《もうい》をふるっているのは、風であり、電光であり、雨であり、洪水《こうずい》であり、そして、巨大で強烈な青白色に輝くトレンコの太陽から放射される地獄《じごく》のような震動性の光線なのである。
キニスンが、故障したバーゲンホルムを修理するために着陸しなければならない惑星というのは、このようなものだった――だが、結局において、そのことがなんと幸運だったろう!
「地球のキニスンへ挨拶《あいさつ》を送る。リゲル星系第四惑星のトレゴンシー、トレンコ宇宙空港より通信。きみはこの惑星に着陸した経験があるか?」
「いや、ない。しかし――」
「きみのいい分はちょっと省略《しょうりゃく》したまえ。いちばん重要なのは、きみがここへすみやかに、そして安全に着陸することだ。きみはこの惑星から、どんな関係位置にいるのか?」
「きみの惑星の見かけの直径は、六度よりわずか小さい。われわれは黄道面に近く、明暗境界面《めいあんきょうかいめん》すれすれの朝側にいる」
「それはよろしい。きみにはたっぷり時間がある。まずきみの船をトレンコと太陽との中間におく。現在の時点から地球時間できっかり十五分後、子午《しご》線から二十度、われわれの赤道面でもある黄道面になるべく接近するようにして、大気層にはいる。大気層にはいったら、有重力状態になって航行する。なぜなら、この惑星に自由着陸することは不可能だからだ。次にわれわれの自転と同調する。自転周期は、二十六・二地球時間である。気圧が水銀柱で七百ミリになるまで、垂直に降下する。これはほぼ千メートルの高度である。きみは視覚とよばれるあの感覚に主として依存《いぞん》しているが、それを信用しないように忠告する。きみの船の外気圧が水銀柱で七百ミリになったならば、高度は千メートルなのだ。きみがそれを信じようと信じまいとそうなのだ。その気圧のところで停止して、できるだけ船を停止させながら、その旨《むね》をわたしに報告したまえ。そこまではいいかね?」
「QX《オーケー》――だが、きみは、われわれがたった|千メートル《ヽヽヽヽヽ》で、互いに位置を確認できないというのか?」キニスンは驚きの思考をもらした。「いったいどんな――」
「わたしはきみの位置を確認できる。しかし、きみはわたしの位置を確認できない」そっけない返事が届いた。「トレンコが特異な惑星だということは、だれでも知っているが、ここへ来たことがない者は、ここが実際にどれほど特異かを、おぼろげにさえ理解できないのだ。探知器もスパイ光線も役にたたないし、電磁探知器はほとんどきかなくなってしまう。光学機械は、まったくたよりにならない。ここでは、視覚も信用できない――目で見たままを信用してはならない。宇宙船をこの惑星に着陸させるには何日もかかるのがふつうだが、われわれのレンズと、きみたちの言葉でいうわたしの『知覚』とをもってすれば、数分で処理できるだろう」
キニスンは指示された位置に船をみちびいた。
「バーゲンホルムを切るんだ、ソーンダイク、もうそいつに用はない。われわれはトレンコの自転に同調する有重力速度を保ちながら有重力着陸をしなければならん」
「宇宙のあらゆる神に感謝しますよ」技師は安堵のため息をついた。「この一時間というもの、こいつがてっぺんを吹きとばすんじゃないかとひやひやしていました。そうなったら、もう一度組み立てられるかどうかわかりませんからね」
「位置および軌道《きどう》よろし」二、三分後、キニスンはまだ目に見えない宇宙空港に向かって報告した。「ところで、先刻のレンズマンはどうなったのか? 何が起こったのか?」
「よくあることだ」無感動な返答がきた。「われわれは視覚をもったレンズマンたちに充分に忠告するのだが、それでも多くのものがあのような目にあうのだ。彼は地上車に乗って麻薬業者《ズウィルニク》を追いかけていくことを主張した。もちろん、われわれは彼を行かせないわけにはいかなかった。彼は視覚が混乱して操縦できなくなり、何かを車体の前縁にぶつけられた――たぶん、麻薬業者の爆弾だろう――そして、あとのことは、風とトレンコの生物がやってのけたのだ。彼はメルカトール星系第五惑星のラジェストンだ――いい男だった。で、きみのいまの気圧はどのくらいだ?」
「五百ミリだ」
「速度をおとせ。もしきみが自分の目を信用する傾向を抑制できないなら、映像プレートを閉じて、気圧計だけを見つめていろ」
「警告された以上、自分の目を信用しないことができると思う」そして一分かそこら通信が切れた。
バン・バスカークの口から驚きの叫びがあがったので、キニスンは映像プレートをちらりと見やった。そして思わず制御装置にとびつきかけたが、渾身の勇をふるってそれをがまんした。なぜなら、映像プレートの中では、惑星全体が傾き、よろめき、きりきりまいし、ありえないような運動を激しく演じながら、狂気のように旋回していたからだ。そして、パトロールマンたちが見つめているうちにも、何かの巨大な団塊が船へむけてまっしぐらに突進してくるのだ!
「避けてください、キム!」バレリア人は叫んだ。
「待て、バス」レンズマンが注意した。「これは予期すべきことなんだ――ぼくは何が起こってもとりあわんことにした。ただし、『ズウィルニク』がシオナイトを追いかけている何かか誰かだということと、『トレンコ』がこの惑星に生存している動物か植物だということだけは別だがね。QX《オーケー》、トレゴンシー――七百だ。わたしは船を静止させている――そのつもりだ!」
「充分静止している。だが、きみの船は遠すぎて、われわれの着陸ビームでは把握《はあく》できない。ちょっと駆動してくれ――コースを左へ変えて降下する――もっと左だ――すこし上へ――そうだ――徐行――よろしい」
軽い引きとめるようなショックがあり、キニスンはまた未知のレンズマンの思考を部下たちに通訳した。
「われわれはきみの船を捕捉した。あらゆる動力を消し、あらゆる制御装置を中立にしたまえ。わたしが出てこいと指示するまでは、もう何もしてはいけない」
キニスンはその指示にしたがった。乗組員たちはあらゆる任務から解放されると、わが目を疑いながらもすっかりひきつけられて、映像プレートをのぞきこんだ。なぜなら、彼らが見つめているものは、地球では見ることのできないものであり、これからも永久に見ることができないにちがいないものだったからだ。想像を絶するといってもいいだろう。
アルコール中毒患者の妄想《もうそう》に現われる空想的な怪物が、のこらず現実の肉体をあたえられたところを想像してみたまえ。それらの怪物どもが、アメリカの大|乾燥地帯《ダスト・ボウル》やアフリカのサハラ砂漠でさえかつて経験しなかったような砂塵《さじん》まじりの疾風《しっぷう》に運ばれて空中をすっとんでいくところを想像してみたまえ。そしてその光景も、単にふつうの堅い鏡のゆがんだ表面にうつるように見えるのではない。その歪《ひず》んだ反射面は、論理的で理解できるような法則などまったくなしに、たえず変化し、新しい、いっそうグロテスクなゆがみを呈《てい》するのだ。もし想像力がこれに追いつけば、その結果は、すなわち、トレンコの訪問者たちが見ようとしていたものなのだ。
はじめのうち、彼らは何も見わけられなかった。しかし、近づくにつれて、激しい歪みは比較的少なくなり、のっぺらぼうの平坦なひろがりが固定した形を示しはじめた。真下には、なんの凹凸《おうとつ》もない地表に、巨大なひらべったい水泡のようなものが見わけられるようになった。この巨大な水泡へ向けて、彼らの宇宙船は引っぱられているのだ。
眼下にある建造物の出入口が開いたが、その建物が非常に大きいので、まるでただの窓のように小さく見えた。それはいくつかある出入口の一つであった。宇宙船の巨大な船体がこの出入口の中へ引きこまれ、着陸棚につながれると、その後方でどっしりしたブロンズと鋼鉄のゲートが音高くとざされた。気密室《エア・ロック》がエア・ポンプで真空にされたあと、シューッと空気がはいってくる音がして、霧状の液体が船体の表面にくまなく吹きつけられた。そしてキニスンは、ふたたびリゲル星系のレンズマン、トレゴンシーの冷静《れいせい》な思考を感じた。
「気密室をあけて出てきてよろしい。もし地球についてのわたしの知識が正しければ、われわれの大気は酸素含有量がきみたちの大気のそれと近いから、きみたちは大気によって悪影響をこうむることはない。しかし、ここの気圧は地球の気圧よりかなり高いから、それになれるまでは、宇宙服をつけていたほうがいいだろう」
「そいつは助かった!」バン・バスカークは隊長がこの思考を通訳するのを聞いて、よく透る低い声で叫んだ。「わたしはこの稀薄《きはく》な空気をあまり長いこと吸ったんで、頭がからっぽになったところです」
「そいつはまったくありがたいことだ!」ソーンダイクがやり返した。「われわれは空気をあんまり濃く保ちすぎたんで、きみを除いたほかの者はみんな、頭が重くなってしまった。もしこの宇宙空港の空気が船内より濃いようなら、わたしは、この宇宙空港にいるかぎり宇宙服を着てるぜ!」
キニスンは気密室の出入り口を開いて、宇宙空港の空気が満足すべき状態なのを知った。外へふみだすと、レンズマン、トレゴンシーが丁重《ていちょう》に出迎えた。
これは――この怪物は、すくなくとも直立していたが、それだけでもいくらかましだった。彼の胴体は、大きさも形もドラム罐に似ていた。このでかい円筒形の胴体の下に、四本のずんぐりした足がはえていて、彼はそれを使って驚くべき速度で動きまわるのだ。それぞれの足の上方、胴体の半分くらいのところに、長さ十フィートばかりの、ぐにゃぐにゃした骨のない触角《しょっかく》状の腕がはえている。その先端は、何十本もの、より細い触角にわかれ、触角は、髪の毛のように細い蔓《つる》状のものから、直径二インチ以上もある太い指《ゆび》状のものまである。トレゴンシーの頭は、胴体の平らな上面の中央につき出したドームにすぎず、首がなくて、動かすことができなかった――そのドームには目も耳もついておらず、ただ等間隔《とうかんかく》で配置された歯のない四つの口と、朝顔形に開いた四つの鼻孔《びこう》とがあるばかり。
しかしキニスンは、トレゴンシーの無気味な外見に嫌悪《けんお》を感じなかった。なぜなら、一本の腕のなめし皮のような皮膚には、レンズが埋まっていたからだ。ここにいるのは、あらゆる意味で≪人間≫である――しかもおそらくスーパーマンだろう。キニスンはそうさとった。
「トレンコへようこそ、地球のキニスン」トレゴンシーは挨拶《あいさつ》した。「われわれは、宇宙では近《ちか》しい隣人だが、わたしはきみの惑星を訪問する機会がなかった。わたしはもちろん、ここで地球人たちには対面してきたが、彼らは客として受け入れられるようなタイプの人間ではない」
「そうとも。麻薬業者《ズウィルニク》は高等な地球人ではない」キニスンは答えた。「ぼくは、一日でもいいから、きみのような知覚をもちたいと何度も思った。われわれのように事物の表面しか見えない視覚をもつかわりに、事物の内側も外側も全体として把握《はあく》できることは、まったくすばらしいことにちがいない。光や暗黒に影響されず、道に迷ったり視覚装置を必要としたりすることもなく、自分の周囲の物体との相関《そうかん》関係で自分の位置を正確に認識する――これは、宇宙における、もっとも驚くべき感覚だと思う」
「わたしが視覚と聴覚をほしがっているのと同じことだ。この二つのすばらしい感覚は、われわれにはまったく説明がつかないのだ。わたしは色と音について空想したり書物で研究したりした。芸術や自然における色彩、音楽や愛する者の声における音などをな。しかし、それらは印刷されたページの上で、意味もない記号としてとどまっている。そのような思考は無益なのだ。おそらく、われわれのどちらもが、もし相手の感覚器官を身につけたとしても、それをありがたく思うことはないだろうし、その交換は、なんら実質的な効果をもたらすまい」
ついでキニスンは、自分がパトロール隊の最高基地を出発してから起こったすべてのことを、相手のレンズマンに思考波で伝達した。
「きみのバーゲンホルムは、標準型の十四等級だと思う」トレゴンシーは地球人の話を聞きおえるといった。「ここには、いくつか予備のバーゲンホルムがある。それはみなパトロール隊の規格品《きかくひん》だから、きみの装置を修理するよりは、それと交換したほうがずっと短時間ですむだろう」
「それもそうだ――ぼくはきみが予備を持っていようとは思いもよらなかった――しかも、われわれはすでに多量の時間を失っている。どのくらい時間がかかるかね?」
「交換には、一交替時間だ。きみの機械を地球へ確実にもどれるくらいまで修理するには、すくなくとも八交替時間はかかる」
「じゃあ、どうしたって、交換だ。部下を呼ぶから――」
「その必要はない。こちらには充分用意がある。それに、きみたち地球人も、またヴェランシア人も、われわれの道具をあつかうことはできないだろう」トレゴンシーは何もめだった身振りをしなかったし、キニスンもトレゴンシーの思考がとぎれたとは感知できなかったのに、トレゴンシーが地球人と話しているあいだに、五、六人のがっちりしたリゲル人が、やりかけていた仕事を投げだして、外界からきた宇宙船のほうへちょこちょこ走って来た。「ところで、わたしは、きみたちをしばらく残していかなければならない。きょうの午後もう一つ出かける用事があるのだ」
「なにかぼくに手伝えることがあるかね?」キニスンがたずねた。
「ない」とはっきりした否定の答えがきた。「わたしは三時間でもどってくる。日没のだいぶ前から、風がものすごく強まって、地上車でさえ空港へはいれなくなるからだ。そのときになったら、なぜきみがわれわれを手伝うことができないかを示してあげよう」
その三時間、キニスンはリゲル人たちがバーゲンホルムの交換作業をするさまを観察していた。指示したり助言したりする必要はなかった。彼らはどうすればいいかを知っていて、それをきちんとやってのけた。あの細い毛髪状の指は、文字どおり一度に何百本も活動して、すばらしい正確さと敏捷さで、デリケートな作業をやってのけた。力のいる作業になると、太いほうの指や腕全体がその対象にまきついて、四本の太い足にしっかり支えられながら、バン・バスカークの巨人的な体格でもしぼりだせないような力を発揮するのだった。
三時間目の終わりごろ、キニスンはスパイ光線を使って、空港建物の風下《かざしも》側の地上路を観察した――トレンコの空港には、窓が一つもなかったからだ。トレンコの太陽の奇妙な運動――旋回《せんかい》したり、とびあがったり、見えたりかくれたり――にもかかわらず、彼にはそれが沈みつつあるのがわかった。やがて、地上車がやってくるのが見えた。それは鼻を風にむけてカニのように這ってきたが、事実上、後ろにも横にも動いていた。「視野」は非常に悪かったが、距離が近くて歪《ひず》みが小さいので、その地上車が母船の宇宙空港と同様に水泡型をしているのがわかった。その周縁《しゅうえん》は全部地面に接触しており、頂上へ向けてしだいに高まってなだらかな逆カーブをえがいているので、風が強まるほど、車体が下方へ押しつけられるのだ。
空港のすそについたはね戸が車の高さすれすれにはねあがり、小さな車はそこへ向けて這いよった。しかし、繋留棹《けいりゅうかん》が車を捕捉《ほそく》するまえに、はね戸から生じた渦巻《うずまき》が車にぶつかった――その渦巻の媒体《ばいたい》は気体ではあったが、事実上、個体に等しい衝撃をあたえるほどの速度をもっていた。車の周縁から泥《どろ》がはげしく吹きとばされ、車はまるまる空中にはねあげられて、まっさかさまにほうりだされた。しかしトレゴンシーは完璧な熟練《じゅくれん》で車体を水平に復し、またはね戸のほうへ這いよって行った。今度は繋留棹《けいりゅうかん》が車をとらえ、小さな車は疾風の中で木の葉のように翻弄《ほんろう》されたが、ついに空港の中に引きこまれ、はね戸がその後ろでしまった。車はそれから消毒液を吹きつけられ、トレゴンシーが出てきた。
「なぜ消毒液を吹きかけるのか?」キニスンはリゲル人が制御室にはいってくるのを待って、思考を伝達した。
「トレンコ生物の侵入を防ぐためだ。この惑星の生物の多くは、ほとんど感知できないような胞子《ほうし》から発生する。それは急速に成長してかなりの大きさになり、接触するあらゆる有機体を食いつくす。この空港も、強力な噴霧消毒法が考案されるまでは、しばしば要員が全滅《ぜんめつ》させられたものだ。ところで、もう一度、きみのスパイ光線を空港の風下《かざしも》に向けてみたまえ」
それまでの二、三分のあいだに、風はいやがうえにも狂暴になっていた。空港は超流線型だったにもかかわらず、その周縁に生じる混沌《こんとん》たる旋風《せんぷう》の中で、周縁からは泥が沸きたつように吹きとばされた。旋風は地上のいかなる暴風をもはるかにしのぐほど激しかったが、トレンコに住む生物たちにとっては奇跡的に思えるほど平静な場所であって、彼らはそこに停止して休息し、食ったり食われたりするのである。
球体の怪物が、偽足《ぎそく》を、沸きたつ泥の中に深くさしこんでいた。そのうちに、他の手足が突きだして、タンブルウィードに似た植物をつかまえた。植物は狂暴に抵抗したが、相手のゴムのような外皮にはまったく歯が立たない。すると、それらより小さな生物が空港の遮壁のなめらかなカーブをすべりおりてきたが、たちまちタンブルウィードにからめとられた。こうして驚くべき光景が展開された。タンブルウィードの半分は球体の生物に食われているというのに、他の半分は新来の生物を食っているのだ!
「もっと遠くを見たまえ――もっと遠くだ」トレゴンシーが指示した。
「できない。なにもかもわけのわからない動き方をするし、見わけがつかないほどゆがんでいるからだ」
「そのとおり。もしきみがあそこで麻薬業者《ズウィルニク》を見かけたら、どこをねらって射撃するかね?」
「そうさな――なぜだ?」
「なぜなら、もしきみが目で見えるとおりの位置をねらって射撃すれば、命中しそこねるだけでなく、そのビームはぐるりとまわって、きみの背中に命中する危険が多分にあるのだ。そんなふうにして、自分の武器で死んだものがわんさといる。われわれは、その対象がなんであるかということばかりでなく、それがどこにあるかということもわかるので、そのときの空間の歪《ひず》みの程度に応じて、ねらいを修正することができる。この惑星を有効に警備できるのは、われわれリゲル人や、われわれと同様な知覚力をもつ他の種族だけだが、それはもちろん、この理由によるのだ」
「ぼくが見たところから判断すれば、確かにもっともだな」そして沈黙が訪れた。
ふたりのレンズマンが眺めている何分かのあいだに、百種類もの生物が宇宙空港の風下に流れこんできて、互いに殺しあい、食いあった。やがて、その想像を絶するような疾風に向かって、何物かが風下《かざしも》のほうから這いよってきた。ひらべったい流線形の生物で、いくらか亀に似ているが、むしろ地上車の形に近い。それは、かぎのついた長いひれ状の足を泥《どろ》の中にさしこんでじりじり進んでくる。もっと小さい生物が何十となくその堅固な背中にとびかかるのを気にもかけず、旋風《せんぷう》の中でうごめいているいちばん大きなフットボール型の生物のそばに近よった。そして、すくなくとも八インチはある針のように鋭い器官を、犠牲者のなめし皮のようなからだに電光石火の速さで突き刺した。驚いた相手は身をよじってもがきながら、その亀に似た生物を一インチの何分の一か持ちあげた――そのとたんに、両方とも吹きとばされて見えなくなった。生きたボールは亀の針に突き刺されて運命がきわまったはずなのに、その瞬間もやはり自分の獲物の美味な一片を食いつづけていたのだ。
「いやはや、あいつはなんだ?」キニスンは叫んだ。
「あのひらべったいやつか? あれはトレンコでもっとも高等な生物の代表だよ。彼らはいまに文明を発達させるだろう――すでにかなり知的なのだ」
「だが、それは困難だろう!」地球人は反対した。「都市を建設することはおろか、家庭をいとなむことだって――」
「ここでは、都市も家庭も必要ではないし、望ましくもない。なぜ建てる必要があるね? この惑星では、何物も固定していないし、また固定していることができない。それに、どこかしこもまったく同じ条件なのだから、特定の地点にとどまっている必要はないではないか? 彼らは浮遊的な生活でけっこううまくやっているのだ。そら、わかるだろう、雨が降ってきた」
確かに雨が降ってきた――一時間四十四インチの雨だ――そして絶え間のない電光だ。土は、はじめ泥《どろ》になり、それから泥水になって、しぶきとなり塊《かたま》りとなって激しく吹きとばされた。宇宙空港の風下《かざしも》では、トレンコの異様な生物たちが泥の中にもぐりこみはじめた――そしてそのあいだも、お互いに、また手あたりしだいに食いあうことをやめないのだ。
水はいよいよ深くなり、その表面は風に鞭《むち》打たれてすさまじいしぶきの幕と化した。空港はいまや浮きあがった。キニスンが驚いたことに、空港の露出した表面はわずかで、おまけになめらかなカーブをなしていたにもかかわらず、その頭部を固定している巨大な鋼鉄の錨《いかり》が、水の中をすごい速度で引きずられはじめたのだ。
「惑星上に準拠点がなければ、どこに引っぱっていかれるか、わからないんじゃないか?」彼はたずねてみた。
「わからないが、わかろうともしないのだ」トレゴンシーが思考の中で肩をすくめながら答えた。「われわれはその点、ここの生物と同様だ。その地点も条件が同じなのに、なぜえり好みする必要があるね?」
「なんという世界だ――|なんという《ヽヽヽヽヽ》世界だ! しかし、シオナイトがなぜあんなに高価なのか、そのわけがわかりはじめてきたよ」そして、空港の外側でいよいよつのりくる風の猛威《もうい》に圧倒《あっとう》されながらも、キニスンは眠ることを考えはじめた。
朝がきた。前日の夕方と逆の現象が起こった。液体は蒸発し、泥はかわき、地を這う植物が驚くべき速度で発芽した。動物たちもまた姿を現わして、食ったり食われたりしはじめた。
そのうちに、トレゴンシーが思考を伝達してきた。もう正午近くだから、あと三十分かそこらもすれば、宇宙船が空港を出発できるくらい静かになるというのである。
「わたしが宇宙船に乗って行ってもなんの役にもたたないというのは確かかね?」リゲル人は、なかば訴えるようにたずねた。
「残念だがね、トレゴンシー、ぼくがきみたちの生活環境に適合しないように、きみもわれわれの生活環境に適合しないのじゃないかと思うんだ。だが、ここにぼくが話した例のテープがある。きみが今度交替するとき、これをきみたちの基地へ持って行けば、われわれといっしょにくるより、もっと文明やパトロール隊に貢献《こうけん》することになるだろう。バーゲンホルムをありがとう。あれは貸方《かしかた》記入で処理してくれたまえ。それから、きみの援助と厚意を感謝する。これは貸借《かしかり》では処理できないことだ。じゃ、さようなら」そしていまや完全に宇宙航行の能力を得た宇宙船は空港から飛びだし、トレンコの有害で特異な大気を通過して、真空の宇宙空間へ突入して行った。
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一一 海賊の総基地
ヘルマスの基地がある、小さいが快適な惑星は、銀河系から少し離れて、しかし引力の柔軟だが強力な|きずな《ヽヽヽ》に束縛《そくばく》されながら、母星のまわりを回転していた。この惑星は最高の注意をはらって総基地として選択《せんたく》され、その所在は極秘にされていた。このような惑星が存在していることを知っているものは、無数にいるボスコーンの従順な手下たちの中で、百万人にひとりもいないくらいだった。そして、とくに選ばれてこの惑星を訪れることを命ぜられた者の中でも、そこを立ち去ることを許された者は、またはるかに少なかった。
総基地はこの惑星の表面の何百平方マイルかをおおっていた。そこには、この時代の軍事科学者たちに知られているかぎりの攻撃装置や防御装置が備えられ、そしてこの広大な要塞の中心に、燦然《さんぜん》と輝く金属のドームがそびえていた。
このドームの内面には、何十万という映像プレートや通信器がずらりと張りめぐらされている。内側にカーブした壁には、何マイルにもおよぶ狭い通路が危なっかしくとりつけられ、制御盤《せいぎょばん》や装置盤が層《そう》をなし列をなして床《ゆか》をおおい、そのあいだに狭い通路が通じていた。しかも、そこに配置されている要員ときたら! 太陽系人、クレヴェニア人、シリウス人、アンタレス人もいれば、ヴァンデマリア人、アルクトゥルス人もいる。銀河系宇宙の中の何十という、いや何百という他の太陽系の代表者たちもいるのだ。
しかし、外形がどうだろうと、彼らはいずれも酸素の呼吸者であり、赤い温血の持ち主《ぬし》だった。また、心理的にも類似《るいじ》している。だれもかれも、自分が最初に海賊組織の中で所属した支部において、自分より下級の者をふみつけ、上級の者を引きずりおろして、現在の高い地位を得たのだ。だもかれも、まったく良心を欠いていて、権力《けんりょく》と地位とに冷酷《れいこく》で容赦《ようしゃ》のない欲望を燃やしているという点できわだっている。
キニスンはボスコーンがふつうの意味での「海賊団」ではないと判断したが、この判断は確かに正しかった。しかし、彼のその判断でさえも、真実にははるかにおよばなかった。ボスコーンはすでに汎銀河系的|規模《きぼ》をもつ文化圏だったが、それは銀河パトロール隊に代表される文明の理想とは正反対の理想の上に立つものである。
それは専制《せんせい》政治であり、絶対王制であり、古代の独裁政治さえ遠くおよばぬほどの暴政だった。信条はただ一つ――「目的は手段を正当化する」――であり、望ましい結果をもたらすならば、どんなことでも――文字どおり|まったくどんなことでも《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》――許された。唯一《ゆいいつ》の罪《つみ》は失敗することで、成功した者は自分の報酬《ほうしゅう》を要求した。失敗した者は、失敗の程度に応じて、一律に厳罰に処せられる。
したがって、この要塞《ようさい》の中には腰抜けはひとりもいなかった。そして、その冷酷《れいこく》で容赦《ようしゃ》のない集団の中でもかけ離れて冷酷で容赦のないのが、「ボスコーンを代表する独裁者」ヘルマスである。彼はドームの幾何学的中心にすえられた巨大なデスクについていた。大きさ、大気、気候などが地球と非常に似かよったある惑星の出身で、地球人とほとんど同じようなからだつきをしている。確かに、彼が地球の出身ではないという事実を証拠だてるのは、彼の全身をおおっている青さだけである。
目は青く、髪も青で、濃紫色のコートにつつまれた皮膚さえかすかに青かった。きわめて精力的な個性そのものも青さを放射していた――地球の空の温和な青さでもなく、地球の花のけがれのない甘美な青さでもなくて、デルタ光線の非情な青さであり、極地の冷酷な青さであり、冷却され引きのばされたタングステン・クローム鋼の断固たる不屈《ふくつ》の青さだった。
いまや彼は傲慢《ごうまん》で貴族的な顔をけわしくひそめながら、目の前の盤をじっと見つめていた。その盤の表面に彼の腹心《ふくしん》の部下の顔がうつり、その盤の基底部からその部下の声が洩れてきていた。
「――五番目の獲物は、コルヴィナ星系の第二惑星のもっとも深い大洋に突入しました。あの大洋の深所には、どんな光線も届きません。追跡した船からはまだ報告はありませんが、彼らは、任務を完了しだい報告するでしょう。六番目の獲物については、なんの痕跡《こんせき》も発見されていません。したがって破壊されたものと推定されます――」
「だれが推定するのか?」ヘルマスは冷やかに問い返した。「そのような推定の正しさを証拠だてるものは何もない。つづけろ!」
「したがって、もしレンズマンがこれらの宇宙船のどれかに乗っていて生きているとすれば、彼は、まさに捕獲《ほかく》されんとしている五番目の船に乗っているにちがいありません」
「おまえの報告は完全でもなく決定的でもない。また、おまえはレンズマンがわしの空想の産物にすぎないかのような口ぶりをしたが、それは、はなはだわしの気にいらん。今度の事件がレンズマンの仕業《しわざ》だということは唯一《ゆいいつ》の可能な論理的|帰結《きけつ》である――パトロール隊の中であのようなことができるのは、レンズマンのほかにいない。彼の実在を自明のこととするならば、彼がふたたびわれわれの手をのがれた、しかもふたたびわれわれの船に乗ってのがれた、と推定することは、単なる可能性ではなく高度の蓋然《がいぜん》性を持つものと思われる――彼は、おまえがはなはだ便宜《べんぎ》的にも破壊されたものと推定した船に乗っているのだ。その船の航行コースを捜査したか?」
「いたしました。宇宙空間のあらゆる物体およびコースに近いあらゆる惑星を入念《にゅうねん》に捜査《そうさ》しました。ただし、もちろんヴェランシアとトレンコは例外であります」
「ヴェランシアはさしあたり重要ではない。六番目の宇宙船はヴェランシアを出発したきり、そこへもどっていないからだ。しかしなぜトレンコを捜査しないのか?」そしてヘルマスは一連のボタンを押した。「なるほど、そういうわけか――では概括《がいかつ》する。レンズマンを乗せていると確実に推定される一隻は、いまだにしとめられていない。それはどこにいるのか? われわれはそれが太陽系のどの惑星にも、またその付近の惑星にも着陸していないことを知っている。また、『文明』化されたいかなる惑星にも、またその付近の惑星にも着陸させないように手が打ってある。そこで、惑星トレンコをしらみつぶしに捜査することが必要になったものと考える」
「しかし、どうやって――」部下は不安そうな目つきで話しはじめた。
「いつからおまえのために図式を書き、青写真をとることが必要になったのか?」ヘルマスは手きびしく問い返した。「われわれは、オルドヴィク人をはじめ、その他の知覚力を持った種族を乗り組ませた船を持っている。それらの船を見つけだして、全速力でトレンコに向かわせるのだ!」彼は一つのボタンを押し、盤の映像を他のものと切りかえた。
「いまや、パトロール隊のレンズについて完全に知ることが、われわれにとってもっとも重要な課題になった」彼は挨拶《あいさつ》も前置《まえお》きもなく話しはじめた。「おまえは、もうレンズの起源をつきとめたか?」
「つきとめたつもりですが、確実ではありません。これは非常に困難な仕事でありまして――」
「容易《ようい》な仕事だったら、おまえに割り当てはしなかっただろう。つづけろ!」
「すべての状況からして惑星アリシアが怪しいように思われますが、この惑星について、わたしはなんら確実に知ることができません。ただ――」
「ちょっと待て!」ヘルマスは、またいくつかのボタンを押して耳をかたむけた。「未探検――未知――あらゆる宇宙人が避けている惑星か……」
「迷信でもあるのか、ええ?」彼はいまいましそうにいった。「こいつも幽霊の出る惑星なのか?」
「通常の宇宙的迷信以上の何かであります。しかし、それをあきらかにすることができませんでした。わたしは自分の部員をひとりひとり調査して、その迷信を恐れない者や、それを聞いたことのない者ばかりで、なんとか乗組員を編成しました。その宇宙船はいまアリシアへ向かっています」
「宇宙のその区域には、だれの船がいるか? わしはおまえの発見したことを調査するのが望ましいと考える」
部長は船長の氏名と船の番号をずらりと読みあげた。ヘルマスはそれについてしばらく考慮していた。
「バレリア人ギルダースリーブにしよう」彼は決定した。「彼はしっかりした男で仕事が早い。自分の惑星の奇妙《きみょう》な神を頑固《がんこ》に信仰していることを除けば、これまで弱点をさらけだしたことがない。おまえは彼を考慮に入れたか?」
「もちろんです」冷酷《れいこく》な首領《しゅりょう》と同様に冷酷な腹心の部下は、ヘルマスが弁解を好まないことを知っていたので、何も異議をとなえなかった。「彼は現在、商船を襲撃中ですが、ご希望ならば、彼に連結いたします」
「連結しろ」すると、ヘルマスのプレートの上に宇宙空間で行なわれている略奪《りゃくだつ》シーンが現われた。護送にあたっていたパトロール隊の巡洋艦はすでに粉砕《ふんさい》されて姿を消していた。それがかつて存在していたことを示すものとしては、あたりをふわふわただよっている二、三の破片だけ。ニードル光線が放射され、まもなく商船は有重力になって、なすすべもなく停止した。海賊どもは非常口から侵入する手間《てま》をはぶいて、出入口のドアをすっかり爆破してしまった。それから、武装した一団が商船に乗り移り、デラメーター熱線放射器をひらめかして、行く手に死と破壊をもたらしながら前進して行った。
船員たちは数も少なく武器も足りなかったが、英雄的に戦った――しかし無益だった。彼らはばたばた倒れていった。まだ死ななかった者は、宇宙服を裂かれ、推進器を破壊されて、容赦なく宇宙空間にほうり出された。若い女たち――スチュアデス、看護婦、船客のひとりふたりだけが戦利品として生かされ、ほかの者はみな船員たちと同じ運命にあった。
そのあと、商船は船首から後部ジェットにいたるまで略奪され、金《かね》めのものは残らず海賊船に移された。海賊船が離れると、商船にしかけた爆弾が青白い閃光とともに爆発し、商船のあらゆる痕跡《こんせき》を破壊し去った。
「手ぎわのいい仕事だな、船長」ヘルマスは話しかけた。「ところで、わしのためにアリシアに行ってくれるつもりはないか――|わし《ヽヽ》のために、じきじきな?」
バレリア人のふだんは赤らんだ顔がさっと青ざめ、おさえきれない震えが彼の巨大なからだをゆすった。しかし、彼はヘルマスの断定的な言葉にひそむ意味がわかっていたので、くちびるをなめながら答えた。
「もしあなたがそう命令され、また乗組員にそうさせる方法があるとすれば、わたしはノーといいたくありません。しかし、われわれは以前に一度アリシアの近くまで行ったのであります。そしてわれわれは――わたしは――彼らは――つまり、わたしはあることを|見た《ヽヽ》のです。そして――警告されたのです」
「何を見たのだ? 何を警告されたのだ?」
「何を見たのかいい表わせません。意味のある思考として考えることさえできないのです。しかし、警告のほうは、きわめて決定的なものでした。もしわたしが二度とあの惑星に近づくようなことがあれば、わたしが他の生物にあたえたどんな死よりも、ひどい死にざまをするだろうと、はっきり警告されたのです」
「だが、おまえはもう一度そこへ行くだろうな?」
「部下が承知しないでしょう」ギルダースリーブは頑《がん》としていい張った。「たとえわたしが行きたがっても、船の全乗組員が反乱を起こすでしょう」
「いますぐ彼らを呼び集めて、アリシアへ行くように命令を受けたと伝えろ」
船長はいわれたとおりにしたが、彼が話しはじめるやいなや、一等操縦士が断固とした態度でさえぎった――この男も、もちろんバレリア人だった。彼は光線ピストルを引き抜いて、荒々しく叫んだ。
「やめるんだ、ギル! おれたちはアリシアへ行く気はない。知ってのとおり、おれはまえにあんたといっしょに行ったことがある。コースをあのいまいましい惑星へ五度以内にでも向けたら、あんたを、いますわっているところから吹っとばしますぜ」
「ボスコーンを代表してヘルマスより通信!」総司令部のスピーカーが荒々しく叫んだ。「これはもっとも悪質な反乱である。おまえは罰を知っているはずだ」
「知っていますとも――だが、それがなんです?」一等操縦士は激しくいい返した。
「では、罰としておまえをアリシアに|行かせる《ヽヽヽヽ》ことにしようか?」ヘルマスの声はものやわらかで絹のようになめらかだったが、恐ろしい脅威《きょうい》を含んでいた。
「それなら、おれは|あんた《ヽヽヽ》に地獄《じごく》へ行けっていいますぜ――さもなきゃ、それより百万倍もわるいアリシアへさ!」
「なんだと? おまえは|わし《ヽヽ》に向かってそんな口をきくのか?」海賊の首領《しゅりょう》は問い返した。手下のあまりの大胆《だいたん》さに驚かされて、怒りもさえぎられるほどだった。
「もちろんでさあ」反逆者は、がっちりしたからだとがっちりした顔に露骨《ろこつ》な反抗心と断固たる決意をみなぎらせながらいいきった。「あんたにできるのは、おれたちを殺すことだけだ。あんたは宇宙船をうんと派遣《はけん》して、おれたちを宇宙空間から吹っとばすことができるが、あんたが|できる《ヽヽヽ》ことはそれだけなんだ。そいつは単純な死で、おまけに相手をたっぷり道づれにできるたのしみがある。ところが、アリシアへ行くとなると、話は別だ――まったく|完全に《ヽヽヽ》別なんだ。いやですよ、ヘルマス。おれはあんたに面とむかっていいます。もしおれがもう一度アリシアの近くまで行くとすればね、ヘルマス、そのときはあんたが自分で操縦する船に乗って行くさ。おれの言葉をからいばりと思って腹をたてるんなら、まちがいですぜ。あんたの番犬たちを派遣しなさい!」
「もうたくさんだ! D基地へ出頭しろ――」しかし、やがてヘルマスの怒りは過ぎ去り、冷静な理性がとって代わった。これはまったく前例のないことだった。宇宙でもっともむこうみずな海賊たちが全乗組員こぞって、彼ヘルマスそのひとに対して公然たる反抗を――いや反抗どころではなく反乱を――企《くわだ》てたのだ。それも、通常の、慎重に計画されたひそかな蜂起《ほうき》ではなく、ぎりぎりのところへ追いつめられた人間の、動きのとれない露骨な絶望から生じた反乱である。アリシアはボスコーンの天文学者たちにとって未知で未探検の惑星だったが、この凶悪で手におえない乗組員たちがその惑星に存在する空想的な恐怖――それは空想的なものに|ちがいない《ヽヽヽヽヽ》――に直面するよりは確実な死を選ぶとすれば、これはまったく恐るべき迷信にちがいなかった。しかし、どのみち彼らは知力も実際的能力も乏しい平凡な宇宙人にすぎないのだ。そうだとしても、この場合、過激な処置を避けたほうがいいのはあきらかだった。そこで彼は平静に、ほとんどなんのよどみもなく言葉をつづけた。「ただいまの言動《げんどう》は、すべてなかったものとする。いっそうの調査がすむまでは、当初の命令にしたがって行動せよ」そしてプレートのスイッチを部長のところにもどした。
「おまえの状況判断を点検した結果、それが正しいことがわかった」彼はまるで何も異常が起こらなかったかのように告げた。「おまえが調査船を派遣したことはよかった。わしがどこにいようと何をしていようと、その船の乗組員の行動に異常な徴候が見えしだい、ただちに報告せよ」
その報告が届くまでに長くはかからなかった。慎重に選択された乗組員は、自分たちの氏名の真の意味についてもその恐ろしい結末についても何も知らず、気楽に航行していった――彼らは、目的地であるいまわしい惑星について、まったくなんの知識も持っていないという理由で選択されたのである。ヘルマスがギルダースリーブやその一等操縦士と気まずい会見をしてからまもなく、不運な調査船はアリシア人がその星系の周囲にめぐらした障壁《バリアー》に到達した。望ましくない異世界人は、そこを通過することを許されないのだ。
自由航行していた宇宙船は、その薄弱《はくじゃく》な障壁にぶつかって停止した。接触の瞬間、ある精神エネルギー波が船長の心をみたした。彼はとほうもない恐怖におそわれて、わけのわからぬことをわめきながら、その恐怖にみちた障壁から船をそらし、通信波を通じて狂気のように総司令部を呼びたてた。その呼び出しは、受信されるやいなや中央デスクのヘルマスに中継された。
「落ちつけ。冷静に報告しろ!」首領《しゅりょう》はどなりつけた。そして彼の目は、おびえあがった船長の映像プレート上で大きく映り、催眠術《さいみんじゅつ》でもかけるように探検船のリーダーの目をじっと見すえた。
「正気《しょうき》にもどって、どんなことが起こったか正確に報告しろ。何もかもだ!」
「はい、首領。われわれは何かに衝突《しょうとつ》しました――一種のスクリーンです――そして停止したとき、何かが船に侵入してきたのです。それは――おお――ああ、ああ、ううっ!」その声は悲鳴に変わったが、ヘルマスの横柄な視線に出会うとたちまち平静にもどってつづけた。「怪物です、首領。もし怪物というやつがあれば、そいつがそうです。火を吐くばけもので、歯と爪ととげとげの尾を持っていました。やつは、われわれクレヴェニア人の言葉でいいました。やつがいったのは――」
「そいつがいったことなど、どうでもいい。わしはそれを聞かなかったが、どんなことかは想像できる。そいつはおまえを何か恐ろしい方法で殺すといっておどしたのだろう、ええ?」その冷やかで皮肉な調子は、ふるえあがっている男を平静に引きもどすのに、叱責《しっせき》の雨よりもっと効果があった。
「そうです、ほぼそういうことであります、首領」彼は認めた。
「で、ボスコーン艦隊の第一級戦艦の艦長たるおまえには、その言葉がもっともらしく聞こえたのだな?」ヘルマスはあざけるようにきいた。
「そういえば、ちょっと不自然なことに思われます」船長はおどおど答えた。
「不自然|なのだ《ヽヽヽ》」安全なドームの中にいる首領はいくらでも大胆《だいたん》になれた。「何がそのような幻覚、幽霊といったようなものを生じさせるのか正確にはわからないが――それを見ることができたのは、どうやらおまえだけらしい。それがわれわれのマスター・プレートに見えなかったことは確かだ。おそらく、一種の暗示か催眠術だろう。いかなる暗示でも、断固として抵抗する意志力によって克服できるということは、おまえもわれわれ同様に知っているはずだ。ところが、おまえは抵抗しなかった。そうではないのか?」
「そうです、首領。そのひまがなかったのです」
「またおまえはスクリーンを張りもせず、自動記録器を働かせてもおかなかった。事実上、何も満足にしておかなかった――おまえは全力推進でここへ出頭したほうがよさそうだな」
「おお、お許しください、首領――お願いです!」彼は失敗に対しては、いかなる報酬があたえられるかを知っていた。ヘルマスの慎重にたくらんだ言葉は、すでに望みどおりかなりの効果をあげていた。
「やつらは、さっきわたしに不意打ちをくわしたのです。こんどはあれを突破《とっぱ》してみせます」
「よろしい、おまえにもう一度チャンスをあたえよう。その障壁《バリアー》か何かわからんものに接近したら、有重力状態に移行して、すべてのスクリーンを展開する。映像プレートと攻撃装置に人員を配置せよ。催眠術をかける能力を持ったものがなんだろうと、そいつは殺すことができるのだ。全力推進で前進し、加えられるかぎりの加速を加えろ。抵抗する物体はなんでも突き破れ。そして、探知したり見たりできるものには片はしからビームを放射するのだ。ほかに何か思いつくことがあるか?」
「それで充分だと思います」船長は完全に冷静にもどった。戦闘準備が進むにつれて、アリシア人からの唐突だが瞬間的な思考波に対する記憶はしだいにおぼろになった。
「前進!」
計画は厳密に実行された。こんどは海賊船は有重力状態でもろい障壁に衝突《しょうとつ》した。その微弱《びじゃく》な抵抗力は、宇宙船の金属製の巨体をほとんど妨げなかった。こんどは実際に障壁を通過してしまったので、精神的な警告もなく、退却の余地もなかった。
多くの人間には、ひそかな恐怖心がある。意識的に何かを恐れている者もいる。意識的にではないが、潜在的に恐れている者もある。そういう恐怖の対象《たいしょう》は、めったに、またはけっして、識域《しきいき》の表面へは現われないのだ。知覚力のある生物はすべて、このような恐怖の対象ではないまでも、顕在的《けんざいてき》または潜在的《せんざいてき》な嫌悪《けんお》や恐怖の念を多少は持っている。これは、どれほど静穏《せいおん》で平和な生活を送っている生物についてもいえることである。
ところが、この海賊たちは、宇宙のくずだった。彼らは狂暴で無法な情熱にしたがい、苛酷《かこく》で凶悪な生活を送っていた。彼らは良心の麻痺《まひ》した行為《こうい》を数限りなくやってのけ、長い陰惨《いんさん》な犯罪経歴を持っていた。したがって、彼らの意識の中に――無意識の中に存在する腐敗した深層についてはいうまでもないが――彼らよりすぐれた知性をさえ破壊するような恐怖の幻像《げんぞう》を生ぜしめることは、まったく容易だった。そして、アリシア人の監視者がやったのは、まさにそれだった。彼は海賊たちの墓穴のように陰惨な心の中から、もっともいまわしい沈殿物《ちんでんぶつ》をひきずりだした。それは、彼らの心深く隠されていて、彼らがもっとも恐れているものだった。監視者は、それらのことがらに基づいて、理解も想像もおよばないほどの恐怖を形成し、その恐るべき総体をその不本意《ふほんい》な生みの親である海賊の目の前に、まるで血や肉、銅や鋼鉄でつくられているかのように具体化して見せたのだ。無法者の集団のひとりひとりが、このようないまわしい具象物を見て、たちまち気ちがいになったとしても、なんの不思議があろうか?
それらの具象物《ぐしょうぶつ》の恐ろしくもいまわしい形態について説明するのは、もしそれが可能だとしても、無益なことである。なぜなら、それらのおのおのは、ただひとりの人間に見えるだけで、安全な遠方の基地から観察している者には一つも見えなかったからだ。基地の人間の目に見えたのは、全乗組員が持《も》ち場《ば》をすてて手あたりしだいに武器をとり、狂気の発作《ほっさ》に駆《か》られながら互いに攻撃しはじめたことだけだった。武器を使わずにベルトにぶらさげたまま素手《すで》で戦っている者も多数いた。彼らは、えぐり、たたき、ひっかき、かみつき、ついには恐ろしい死をとげた。船内の他の場所では、デラメーター放射器が瞬間的にひらめき、棍棒が骨を打ち砕き、ナイフや斧《おの》が切ったり断《た》ち割ったりした。やがて騒ぎはおさまった――ほとんど。パイロットだけはまだ生きていて、がっちり制御装置にとりついていた。
しかし、彼もついにからだを動かした。急激なそして意識的な動きだった。彼はバーゲンホルムのスイッチをいれ、船をぐるりと回転させ、推進器を全力噴射させて、コースを一定の方向に定めた――ヘルマスがそのコースを知ったとき、彼の鉄のような神経も一瞬動揺した。なぜなら、船は自分が所属する空港へ向けてではなく、直接総基地へ向けて航行をはじめたからだ! この極秘《ごくひ》の惑星の位置は、あのパイロットも、他の海賊船員たちも知っていないはずなのに。
ヘルマスはかみつくように命令を叫んだが、パイロットは耳もかさなかった。ヘルマスの声は――長い経歴を通じてはじめて――絶叫にまで高まったが、パイロットはやはりなんの注意もはらわなかった。その目は恐怖にとびだし、指は猛獣《もうじゅう》の爪のように曲げられた。彼は座席に立ちあがってとびかかった。まるで何か途方もなく恐ろしい敵につかみかかってひき裂こうとするかのようだ。そして制御室をとび越えて、稀薄《きはく》で空虚《くうきょ》な空間に身を投げ、裸の高電圧母線が迷路のように張りめぐらされている上に腹ばいに落ちた。彼のからだは、まぶしい炎と濃い油煙《ゆえん》をあげて消えうせた。
母線はこの無気味な「ショート線」を自分で抹消した。そして、巨大宇宙船は、いまや死体だけを乗せて突進しつづけた。
「しまつにおえん、ふぬけの臆病者め!」やはり命令を叫びつづけていた部長は、まだデスクを叩きながらわめいた。「|なんたる意気地なしだ《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》――敵と接触もせんのに、気ちがいになって殺しあうとは――こうなったら、おれが自分で行かねばならん――」
「いかん、サンスティード」ヘルマスは簡潔にさえぎった。「おまえは行ってはならん。とにかく、アリシアには何かがあるようだ――おまえには手におえん何かだ。おまえは一つの本質的な事実を見のがしている」彼がいったのは、宇宙船のコースのことだった。そのコースが総基地へ直接に向けられたとき、彼はからだの芯《しん》まで震えあがったのだ。
「ほうっておけ」彼は相手が質問や抗議をそそぎかけてくるのを黙らせた。「それをいまおまえにくわしく説明しても、なんの役にもたたない。あの船をおまえの空港へ引きもどせ」
いまやヘルマスは、宇宙人たちがアリシアを避けるのは迷信のせいではない、ということを知った。そこには少なくとも彼の観点からすれば非常に都合のわるいことがある、ということがわかったのだ。しかし彼はその真相についても、またアリシア人がどれほど恐ろしい力を発揮でき、必要に応じて実際に発揮するかということについても、まったく認識を欠いていた。
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一二 キニスンの成功
ヘルマスはデスクについたまま、考えこんでいた。持ちまえの冷静な分析《ぶんせき》能力を集中して考えこんでいた。
このレンズマンは強力であるばかりでなく、驚くほど機略に富んでいる。宇宙線エネルギー推進の技術は、パトロール隊にはまったく未知の世界の科学によって開発されたもので、これがボスコーンの優越性《ゆうえつせい》の一つの大きな支柱だった。もしパトロール隊にこの推進技術の秘密をさとらせないでおくことができれば、両者の闘争は一年で終わりをつげるだろう。そして、ボスコーンの鉄の手に支配される文明は、銀河系宇宙を通じて無敵のものとなるのだ。しかし万一、パトロール隊がボスコーンの最高機密を探知することに成功すれば、二つの文化圏《ぶんかけん》のあいだの争いは、無限に長びくだろう。このレンズマンはその秘密を知っていて、いまだにつかまらないでいる。ヘルマスはそのことを確信していた。したがって、このレンズマンはどうしても抹殺《まっさつ》しなければならない。そこで、レンズの問題が起こってきた。
レンズとは何か? まったく奇妙《きみょう》なしろものだ。何か微妙《びみょう》な原子内構造を持っているために複製が不可能であり、特異で強力な潜在能力《せんざいのうりょく》を秘めているのだ。古くからの定説によれば、レンズマン以外のものはレンズを着用できないというが、この定説は真実だった――レンズマンたちがそれを実証してきている。レンズマンの卓越《たくえつ》した能力は、なんらかの意味でレンズに由来《ゆらい》しているにちがいない。そしてレンズは、アリシアや思考スクリーンと何かの関係があるにちがいない。レンズはパトロール隊が持っていて、しかもヘルマスの軍隊が持っていないものの一つだった。彼はそれを手に入れねばならず、また手に入れたかった。なぜなら、それは強力な武器にちがいなかったからだ。もちろん、彼らが宇宙線エネルギー推進の技術を独占《どくせん》していることとは比べものにはならないが――しかし、いまやその独占がおびやかされているのだ。それも深刻に。このレンズマンは、≪ぜひとも抹殺されねばならない≫。
だが、どのようにして? 「トレンコをしらみつぶしに調査せよ」と口でいうことはやさしいが、実際にそれをするのは、ヘラクレス的な難事業だった。もしレンズマンがあのトレンコの想像もおよばぬほどゆがんだ大気の中で、また逃亡したとしたらどうだろう? 彼はすでにトレンコよりずっとわかりやすいエーテルの中で二度も逃亡している。しかし、彼の情報がパトロール隊の最高基地へ伝達されなければ、ほとんど実害はない。そしてレンズマンが到達できそうな太陽系には、残らず宇宙船を派遣《はけん》してあるのだ。砂粒《すなつぶ》のような隕石《いんせき》でも、探知されずにそれらのスクリーンを通過することはできない。レンズマンについては、それで充分だ。こんどはレンズの秘密を探ることだ。
どうやってそれをするかが、また問題だ。アリシアには|何か《ヽヽ》がある。その何かはレンズや思考となんらかの関連を持っているのだ――たぶんあの思考波スクリーンとも――。
彼はその装置を尋常でない方法で手に入れたときのことを思い出した――尋常でない、というのは、それを盗んだのでもなく、またその発明者を殺したのでもないという意味でだった。ある人物が、ボスコーンの合言葉《あいことば》と無視できない信任状をたずさえてやってきて、固く封印された容器を彼に手渡した。そして、それがプルーアと呼ばれる惑星から届いたものであることを告げて、さりげなくつけ加えた。「思考波スクリーンのデータです――いつか必要になるときがあるでしよう」そして立ち去って行ったのだ。
アリシア人が何者だろうと、精神的なパワーを持っていることは確かだった。その事実には疑問の余地がない。あの死に絶えた宇宙船のパイロットが、偶然《ぐうぜん》にも全宇宙空間の中で総基地の方向へ正確にコースを向けるという数学的確率がどのくらいあるだろうか? ゼロに等しいほど小さい。パイロットが反逆したということでは説明がつかない――彼はコースを定めたとき完全に発狂していたばかりでなく、そもそも、≪総基地がどこにあるかさえ知らなかった≫からだ。
精神力の作用というだけでは、説明として空想的にすぎるように思われるが、さしあたり、そのほかには可能性は考えられない。ふだんは恐れを知らぬギルダースリーブの部下たちが、あの惑星へ接近することをさえ断固として拒絶《きょぜつ》した事実も、この解釈を裏づけている。彼らのように犯罪ずれのしたベテランたちにあれほどの脅威をあたえるには、聞いたこともないような精神力が必要だろう。
ヘルマスは敵を過小評価する人物ではなかった。いまや、アリシアへだれかを派遣《はけん》することが必要だったが、その使命を達成するに充分な能力を持つものが、このドームの下に彼を除いているだろうか? いなかった。この惑星で最高の知能を持っているのは、彼自身である。彼より知能の高いものがいたとすれば、その者がとうの昔に彼をしりぞけて、みずから制御《せいぎょ》デスクにすわっていただろう。彼は、自分の断固として対抗する意志が、外部の思考に圧倒されるはずがないものと確信していた――そればかりでなく、思考波スクリーンもある。彼はこの秘密をまだだれにも打ちあけていなかった。そのスクリーンを使うときがきたのだ。
すでにあきらかにされたように、ヘルマスはばかではなかった。また臆病者でもなかった。もし全海賊の中で彼にもっともよくできることがあれば、彼はそれをやってのけるのだ――彼のあらゆる行動や思考を特長づけている冷酷で容赦のない的確さをもって。
だが、いかなる方法でアリシアへ行くべきだろうか? さっきの挑戦を受けて、ギルダースリーブの船に乗り組んでいる反抗的なならず者たちといっしょにアリシアへ行くべきだろうか? それはいけない。この計画が完全に成功しなかった場合には、あの悪漢たちの目の前で面目《めんぼく》を失うことになる。それは賢明《けんめい》ではない。そればかりでなく、あのように乗組員たちが自分の背後で発狂するのは、ありがたくないことだ。彼はひとりで行くことにした。
「ウォルマーク、センターへ出頭せよ」彼は命じた。腹心《ふくしん》の部下が現われると、彼は言葉をつづけた。「掛けたまえ、これは重大な協議なのだ。わしはおまえの情報網の活躍を興味をもって、また感心して観察してきた。とくに、おまえの職責外だとはっきりわかっている問題に関する情報網がじつによく活躍している。とにかく、有能な情報網だ――で、もう、どんなことが起こったかをよく知っているはずだ」これはもう質問ではなく、断定だった。
「はい、首領《しゅりょう》」ウォルマークは平静に答えた。彼はいくらか不意をつかれたようすだったが、狼狽《ろうばい》してはいなかった。
「おまえをここへ呼んだのは、その件についてなのだ。わしはおまえの能力を充分に認めている。わしは二、三日この惑星を留守にするが、おまえはわしの不在中この組織の指揮をとるにもっともふさわしい人間だ」
「わたしはあなたがご自分で行かれるだろうと思っていました」
「おまえがそう思っていることはわかっている。だが、念のためにいっておく。わしの不在中、変な気まぐれは起こさんほうがいい。まだ、おまえが全然、かぎつけてないことが、すくなくとも二、三はあるのだ。たとえば、あの金庫だ」彼は球体のエネルギーが特異な輝きを放って自力で空中に固定してあるものをあごで示しながらいった。「おまえのきわめて有能なスパイ・システムでさえ、まだあれについては何事も知り得ないでいる」
「そうです、首領、われわれにはわかっていません――いまのところは」彼はそういわざるをえなかった。
「これからもわかりはせんよ。人間に知られているかぎりのどんな技術や力を用いてもな。だが、せいぜいやってみることだ。わしはそれがおもしろいのだ。わしはおまえのあらゆる企《くわだ》てを知っている。だが、仲よくやっていこう。そしておまえ自身のために忠告しておくが、わしが無事にこのデスクにもどってこないと、おまえにとっては、はなはだ不幸なことになるということを肝《きも》に銘《めい》じておくがいい」
「肝に銘じておきます。賢明な人はだれでも、そのような手配《てはい》をしておくものです、もしそういうことが可能ならばですな。しかし首領、もしアリシア人が――」
「きみの『もしそういうことが可能ならば』という言葉に疑惑がふくまれているのなら、その疑惑に基づいて行動してみることだな。いい勉強になるぞ」ヘルマスは冷やかに忠告した。「きみはもう、わしが一《いち》か八《ばち》かの賭けもやらんし、こけおどしもせんということがわかってもいいころだ。わしは自分自身を守れるように手を打ってある。アリシア人やパトロール隊のような敵からも、それに、わしにとって代わろうと企んでいる野心的な部下からもな。もしわたしが無事にここへもどってくる確信がなければだな、親愛なるウォルマーク君、わしは出かけはせんのだ」
「あなたはわたしを誤解《ごかい》しておいでですよ、首領、ほんとうにところ、わたしはあなたにとって代わろうなどとは、まるで考えていません」
「いいチャンスがくるまでは、という意味だろう――わしはおまえを、すみからすみまで知っている。そして、まえにもいったように、おまえの能力を認めているのだ。おまえの計画を進めるがいい。これまでのところ、わしはおまえよりすくなくともひと回りだけ先を走ってきた。だが、もしわしにそうすることができないときがきたら、わしはもうボスコーンを代表して命令するにふさわしくなくなるのだ。現在もっとも重要な課題は、レンズマンの捜索《そうさく》であり、それについては、トレンコの精密な捜査とパトロール隊に属する星系の監視とが欠くベからざるものだということは、きみももちろん知っているだろうな?」
「はい、首領」
「よろしい。きみに仕事をまかして行ってもよさそうだな。もしレンズマン事件のように真に重大な問題がおきたら、すぐわしに知らせてくれ。それ以外の場合には、わしを呼び出してはならん。さあ、デスクにつくがいい」そして、ヘルマスは大またに立ち去った。
彼はすばやく宇宙空港に運ばれた。そこには、専用の特別快速艇が待っていた。この快速艇には、彼にしか機能のわからない種々の装置が備えられている。
彼にとって、アリシアへの航行は長すぎもせず、退屈《たいくつ》でもなかった。小さな快速艇は完全に自動化されていた。艇が宇宙空間をつんざいて行くあいだ、彼はデスクについているときと同様、冷静に能率的に働いた。いや、それ以上だった。なぜなら、ここではなんの妨げもなく仕事に集中できたからだ。彼は多くの計画をたて、多くの決定をなし、その間に、ノートはしだいにぶ厚くなっていった。
目的地が近づくと、彼は仕事をやめて特別の装置を働かせながら待った。快速艇が障壁《バリアー》にぶつかって停止すると、ヘルマスはかすかに皮肉な微笑を浮かべた。しかし、その微笑はたちまち消えた。遮蔽《しゃへい》されているはずの彼の頭脳に、一つの思考波が衝撃《しょうげき》をあたえたのである。
「おまえは自分の思考波スクリーンが役にたたないので驚いているな」その思考波は冷やかなさげすみをこめていった。「わたしはプルーアからきた使者が、おまえにそのスクリーンをあたえたとき、それについてどんなことを告げたかを本質的に知っている。だが、彼は何も知らずにしゃべっていたのだ。われわれアリシア人は、その種族が現在も理解できず、未来も理解できないだろうような深さで思考を理解しているのだ。
「知るがいい、ヘルマス。われわれアリシア人は、招かれざる訪問者を欲《ほっ》しないし、また容赦《ようしゃ》しない。おまえの存在はいとうべきものがある。おまえは堕落《だらく》した専制的、反社会的文化を代表しているからだ。善悪とは、むろん純粋に相対的《そうたいてき》なものであるから、おまえたちの文化が絶対的に悪であるとはいえない。しかし、おまえたちの文化は、貪欲《どんよく》、憎悪、腐敗、暴力、恐怖などを基礎にしている。それは正義をも慈悲《じひ》をも認めず、また科学的効用以外に真理を認めない。それは本質的に自由と対立している。ところで自由は――個人についても、思想についても、行動についても――すべての基礎をなすものであって、おまえたちが対立している文明の目標とするところなのだ。真に哲学《てつがく》的な精神は、そうした文明と調和しなければならない。
「おまえは、ゆがんだ誤れる概念にのぼせあがり、貪欲、野心、犯罪などのきずなでおまえに結びついている。ひと握りの手先どもを支配するという、つかのまの成功にうぬぼれ、われわれからレンズの秘密を奪い取ろうとして、ここへやってきた。われわれはおまえたちよりはるかに古く、またはるかに有能な種族なのだ――おまえたちは、われわれの百万分の一にしかあたらない存在なのだ。
「おまえは、自分が冷静で強固で苛酷だと思っている。だが、われわれに比べれば、おまえは貧弱《ひんじゃく》で柔軟だ。生まれたての幼児のように無力なのだ。いまおまえを生かしておいてやるのは、おまえにその事実を認識させるためだ。これからおまえの教育がはじまるのだ」
ヘルマスはからだがこわばって、ひと筋の筋肉さえ動かせずにいたが、このとき自分の脳にデリケートな深針《さぐり》がはいってくるのを感じた。それらは一本ずつ脳の奥底を貫き、もっとも感じやすい急所に達した。そのひと突きひと突きは、耐えられる最高限度まで激烈な苦痛をあたえるように思えたが、次のひと突きは、さらにいっそう耐えがたい苦痛をあたえた。
いまやヘルマスは平静でも冷酷でもなかった。思いきり悲鳴をあげたかったが、それさえ許されなかった。悲鳴をあげることさえできなかった。ただ、じっとすわって苦痛にさいなまれているだけだった。
やがて、彼の目の前に、いろいろなものが見えはじめた。快速艇の内部の何もない空中に、彼がそれまでにやってのけたことが無限の行列となって実体化された。彼が自分で手をくだしたものもあり、他人にやらせたものもあった。彼が海賊組織の中で現在の高い地位にのぼる過程でやったものもあるし、その地位を獲得《かくとく》してからやったものもある。そのリストは長く陰惨《いんさん》だった。それが展開するにつれて、苦痛はいよいよ激しくなった。その時間は、一秒の何分の一というような短時間のようでもあり、また数えきれないほどの長時間のようでもあったが、ついに彼は耐えきれなくなった。そして気を失い、苦痛のとどかない暗黒の無意識の海に沈んでいった。
やがて青ざめ、身ぶるいしながら意識を回復した。汗ぐっしょりになり、まともにすわっていられないほど弱っていた。しかし、すくなくとも、さしあたりは罰がすんだのだとわかって、心底からほっとした。
「これがごく寛大な処置だということは、おまえにもわかるだろう」冷やかなアリシア人の思考波は、ひきつづいて彼の脳にそそぎこまれた。「おまえはまだ生きているばかりでなく、正気さえ失っていない。おまえを抹殺しなかったのには、もう一つ理由がある。われわれの手でおまえを抹殺することは、おまえたちと対抗して苦しい戦いをつづけているあの若い文明にとって、ためにならないからだ。
「われわれは、あの文明に一つの器具をあたえてある。彼らはその力によって、おまえやおまえが代表するあらゆるものを撃滅《げきめつ》することができるだろう。もし彼らにそれができないなら、彼らはまだ一人前の文明を築く準備ができていないのだ。そしておまえたちの有害な文明は、なおしばらくのあいだ、征服し繁栄することを許されるだろう。
「さあ、おまえのドームに帰るのだ。二度と、もどってきてはならない。わたしには、おまえがそれを自分でやってのけるほど、むこうみずでないことがわかっている。だが、どんなに代理形式ででも、そういうことを企《くわだ》ててはならないのだ」
なんの脅迫《きょうはく》も警告もなく、どんな結果が生ずるかも告げられなかったが、アリシア人の平静で痛烈な調子は、ヘルマスの平静な心に、かつて知らなかったような恐怖を吹きこんだ。
彼は快速艇を旋回させ、全力推進で総基地へ向かった。ふだんの落ちつきを回復できたのは、何時間もたってからのことだった。そして、自分がぶつかった、ショッキングで信じられないような出来事全体について、すじのとおった考察ができるようになったのは、何日もたってからだった。
彼は、あの生物が何者であるにしても、こけおどかしをいったのだ――彼を殺すことなどできず、あれでせいいっぱいのことをしたのだ――と思いこもうとした。同じような場合、彼ならば、なんの容赦《ようしゃ》もなく相手を殺しただろう。彼にはその方法が採用すべき唯一《ゆいいつ》のものと思われた。しかし、冷静な理性は、そのような気やすめの解釈を認めなかった。心の奥底では、アリシア人が彼の部下のもっとも低級な連中を殺したと同様に、やすやすと彼を殺せたにちがいないということがわかっていた。そう思うと、彼は骨の髄《ずい》までぞっとした。
どうすればいいか? どうすればいいのだ? 快速艇が無数のマイル、無数の光年をあとにして突進して行くあいだ、この疑問が無限にくり返された。そしてついに彼の惑星が間近《まぢか》に迫ってきたときにも、その答えはまだあたえられていなかった。
ウォルマークは、ヘルマスが自分の帰還《きかん》を妨害するのは愚の骨頂だと告げた言葉が真実にちがいないということを漠然《ばくぜん》と感じていたので、ヘルマスの信号と同時に、惑星のスクリーンはとり除かれた。ヘルマスの最初の行動は、全幕僚をセンターへ召集して、きわめて重要な作戦会議を開くことであった。その懐疑で、彼はすべての出来事を冷静な口調《くちょう》で簡潔に告げ、次のように結論をくだした。
「彼らは、わたしにさえ理解できないほど超然としていて、党派心がない。彼らは純粋に哲学的な立場からわれわれを非としているが、われわれが彼らの太陽系に干渉《かんしょう》しないかぎり、すすんでこちらを攻撃することはないだろう。したがって、直接行動によってはレンズについての知識を得ることはできないが、他の手段によればやがて成功するであろう。
「アリシア人はパトロール隊を是認《ぜにん》していて、彼らにレンズを与えるほど彼らを援助している。しかし、そこまでしかしない。もしレンズマンたちがレンズを効果的に利用することを知らないならば――わしはそう判断するのだが――われわれは『なおしばらくのあいだ、征服し繁栄することを許されるだろう』――そういうわけだから、われわれは征服し、われわれの繁栄の期間が長いものになるように努めようではないか。
「そこで、全体の状況は、われわれの宇宙線エネルギー対パトロール隊のレンズということに帰着する。われわれの独占物のほうがはるかに強力な武器であるが、われわれがすみやかに勝利を得る唯一《ゆいいつ》の可能性は、宇宙線エネルギー感受器と変換器についての秘密をパトロール隊にかぎつけられないようにしておくということにかかっている。ひとりのレンズマンはすでにその知識を持っている。したがって、諸君、そのレンズマンを抹殺《まっさつ》することが、いまや絶対の至上《しじょう》命令になっていることはきわめてあきらかである。たとえ、この銀河系全体にわたるわれわれの全事業を放棄《ほうき》しても、彼を発見しなければ|ならぬ《ヽヽヽ》。レンズマンが着陸を試みる可能性のある惑星に対するスクリーンにつき、完全な報告を求める」
「それはすでに完了しております」すみやかな返答があった。「そのような惑星は完全に封鎖《ふうさ》されています。宇宙船は充分|密《みつ》に配置されていますので、電磁探知器の作用範囲さえ五百パーセント重複しています。視覚探知器も、すくなくとも二百五十パーセントかさなりあっています。いかなる次元のものでも一ミリ以上の大きさをもつ物体は、探知や観測をまぬかれて通過することはできません」
「では、トレンコでの捜査の状況はどうか?」
「結果はまだ否定的です。わが宇宙船の一隻は船舶書類を揃えてトレンコ宇宙空港を正式に訪問しました。そこには、リゲル人の常備員以外は誰もおりませんでした。われわれの船の船長は立場上あれこれ聞きただすわけにいきませんでしたが、行方《ゆくえ》不明の宇宙船は確かに空港の中にありませんでした。そして彼は自分たちがこの一か月のあいだに空港を訪れた最初の客であると推測しました。また、われわれがリゲル星系の第四惑星で調べたところによりますと、トレンコ当直のレンズマン、トレゴンシーは、一か月前からトレンコにおり、なお一か月は交替しないそうです。彼はトレンコにおけるただひとりのレンズマンであります。もちろんわれわれはトレンコの他の部分の捜査をも行なっています。トレンコに着陸したどの船も、乗組員の半分ほどを失いましたが、彼らは二隻の乗組員を一隻にまとめて出発しました。現在、交替員が派遣されつつあります」
「レンズマン・トレゴンシーの話は事実かもしれないし、事実でないかもしれない」ヘルマスは考えこみながらいった。「いずれにしても同じことだ。トレンコの宇宙空港に、あの船をかくすことは不可能だ。ざっと見まわしただけで、わかってしまうだろう。もし船があそこにないとすれば、レンズマンもいないことになる。やつは惑星のどこかにかくれているかもしれんが、わしはあやしいと思う。とにかく、捜査をつづけろ。やつがやった可能性のあることはいろいろある――それらを一つ一つ検討してみなければならん」
しかし、ヘルマスには、キニスンがやったかもしれないことを検討している時間は、ごくわずかしかなかった。なぜなら、レンズマンがトレンコを出発してから、かなり時間がたっていたからだ。彼の船は推進器の上に閃光調節板をとりつけていたので、速度はのろかった。しかし、この悪条件の代わりに、航行すべき距離はそう長くはなかった。したがって、ヘルマスが次に打つべき手を思いめぐらしているうちにも、レンズマンと彼の部下たちを乗せた船は、太陽系全体を監視しているボスコーンの戦艦がいっぱいにひろげたスクリーンに近づきつつあった。
探知されずにこのスクリーンに接近することは物理的に不可能だった。キニスンが危機区域にはいったと悟るまえに、六本の牽引《けんいん》ビームがひらめいて彼の船を捕え、戦闘距離内に引きつけた。しかし、レンズマンは万全の用意を整えていたので、ふたたびあらゆることが同時に起こった。
警報が遠くの海賊基地へけたたましく伝達《でんたつ》され、ヘルマンはデスクで緊張しながら、みずから強力な艦隊の指揮をとった。戦闘区域では、キニスンの船の防御スクリーンが頑強に張りめぐらされ、切断光線《せつだんこうせん》が敵の牽引《けんいん》ビームを切断した。彼が推進器を全力|噴射《ふんしゃ》させるとともに、閃光《せんこう》調節板はその白熱的な閃光を受けて消滅した。そして宇宙空間はふたたび、彼の超強力化された多重式通信妨害波によってみたされた。
その暗黒の宇宙空間をとおして、レンズマンは精神力とレンズの力とをしぼりつくしながら、思考波を放射した。
「最高基地――空港司令官ヘインズ! 最高基地――空港司令官ヘインズ! 緊急通信! シリウス星の方向よりキニスン発信――緊急通信!」彼は激しく通信した。
ちょうどそのとき、最高基地では深夜で、空港司令官ヘインズはぐっすり眠っていた。しかし、彼はぬけめのない百戦錬磨の宇宙人だったので、たちどころに完全に目をさました。片目がぱっちり開くか開かないうちに、彼の返信が放射された。
「ヘインズ確認――送信せよ、キニスン!」
「海賊船に乗って帰還中。宇宙空間の全海賊船が追跡中なれど、われわれは万難を排して帰還します! 救援のために船団を送らないでください――海賊どもはパロール隊の艦船を一瞬にして爆破できます。しかし、われわれを引きとめることはできません。用意してください――もうすぐ帰投します」
空港司令官が緊急警報を発してから、キニスンはまたつづけた。
「われわれの船はなんのマークもつけていませんが、帰投するのはわれわれの船だけですから、見まちがうことはありません――退避《たいひ》航行して行きます。彼らは、がむしゃらにわれわれを追って大気圏をおりてくるでしょう。基地に防備があることがわかっていても、どんなことでもやってのけるくらいのぼせあがっているのです。もしわれわれを追って降りて行ったら、たたきつけてやってください――さあ、行きますよ!」
被追跡者と追跡者とは、成層圏《せいそうけん》の最外層に達した。彼らの速度は、それほど高度に稀薄《きはく》な大気によってさえ視覚で追えるほどゆるめられたが、戦闘は白熱的な激しさで行なわれていた。一隻の船がきりもみしたり、旋回したり、あっちこっちと飛びちがったりして、群がる攻撃者たちをふり切ろうとした――パトロールマンたちの多様で機敏な心が思いつくかぎりの複雑な曲技《きょくぎ》だった。
いっぽう、海賊たちは、どんな犠牲をはらってもあのレンズマンを着陸させてはならない、と死にもの狂いの決意をかためていた。牽引ビームでは引きとめられず、無慣性状態の宇宙船を突き破ることもできなかった。そこで彼らは、これまで同じような場合に四度成功した戦術を採用した――獲物を完全に包囲して、ビームで射落とそうというのだ。そして、この包囲作戦を企《くわだ》てながら、レンズマンの船を、彼らのほとんど真下《ました》にある最高基地の強力無比な要塞から、できるだけ遠くへ追いやろうと努めた。
しかし、海賊たちが再度、捕獲《ほかく》した四隻の船に乗り組んでいたのは、ヴェランシア人たちだったのに反し、この船には、レンズマンのキニスンとチーフ・パイロットのヘンダスンとが、その致命的《ちめいてき》な罠《わな》を避けるために、瞬間的な反射神経、明敏な頭脳、電光のようにすばやい手先などを総動員しているのだった。ふたりは、宇宙戦闘の、いかなる操典《そうてん》にも記されていない曲技《きょくぎ》をたてつづけにやってのけながら、その罠を回避していった。
最高基地の武力は強力ではあったが、濃密な大気のために、その有効射程は五十マイルにみたない。だから、なすすべもなく制御装置にとりついている射撃手や、厳命によって地上に束縛《そくばく》されている宇宙戦艦の将校たちは、頭上《ずじょう》高く行なわれている激しい戦闘を映像プレートで見つめながら、戦っている仲間《なかま》を援助することもできず、やっきになって罵っていた。
しかし、キニスンは敵に包囲《ほうい》されることを避けながらも、極力、基地の上空から離れずに徐々に、ごく徐々に、高度をさげることに成功した。そしてついに、パトロール隊の巨大な放射器の射程内に到達することができた。激しく渦を巻く海賊船の群れに届くのは、もっとも巨大な固定砲だけだったが、それらのおのおのは、まったく同時に同じ空間に向けて痛烈に放射された。空間はたちまち、全力展開されたスクリーンでも耐えられないような焦熱地獄《しょうねつじごく》と化し、たったいままで海賊船があったところには巨大な空隙《くうげき》が口をあけた。ビームはさっと消された。キニスンはレンズによって時間を調整していたので、その空隙が閉ざされる前に、すばやくそこをくぐりぬけ、全力推進で矢のように下降した。
海賊船の群れは彼を射落とそうと自殺的な最後の試みをしながら次々に彼を追い、基地の恐るべき攻撃装置のほうへ降下していった。最高基地は、銀河パトロール隊の中でもっとも恐るべき、もっとも重武装の、もっとも要害堅固な要塞《ようさい》なのだ! いかなる宇宙船といえども、この要塞をおびやかすことすらできない――むこうみずな攻撃者たちは、一瞬、燦然《さんぜん》たる蒸気と化して消滅してしまった。
キニスンは、着陸準備として船を有重力にするまえに、司令官に呼びかけた。
「われわれの乗組員のうち、だれかが先に帰還しましたか?」と、そうたずねた。
「いや、まだだ」短い返答がきた。祝辞やお祝いはあとのことだ。ヘインズはいまや公式報告を受ける空港司令官だった。
「では、閣下、ぼくは探検が成功したと報告する名誉《めいよ》を持つものであります」そして彼は、はじめての使命の成功に有頂天《うちょうてん》になっていたので、つい非公式につけ加えざるを得なかった。「われわれはベーコンをもってもどりました(成功したという意味の俗語)!」
[#改ページ]
一三 空飛ぶ鉄槌
ブリタニア号の乗組員で、どうにか海賊の追及をまぬかれた者がいるかもしれなかったので、彼らを救援するために、強力な艦隊が派遣《はけん》された。最高基地内での熱狂的な祝賀は終わったが、基地のエネルギー防御壁の外側では、祝賀がはじまったばかりだった。キニスンの部下とヴェランシア人たちがその花形だった。地球人はヴェランシアについては何も知らなかったし、この高度に知的な爬虫人《はちゅうじん》たちは地球についてやはり何も知らなかった。しかし、この訪問者たちはパトロールマンを援助したという理由で大歓迎されたのだ。そして彼らもまた、この経験を大いに楽しんでいた。
「キニスンに会わせてくれ――キニスンに会わせてくれ!」祝賀気分の群集は、宇宙新聞社の記者たちを先頭にして叫んでいた。そしてついにレンズマンが姿を現した。しかし彼はカメラの前で一度ポーズをとり、マイクに向かって二言三言《ふたことみこと》しゃべったあとで訴えるようにいった。「ぼくは呼ばれてるんです――緊急要務です!」そして基地の構内へ逃げもどって行った。祝賀の群集は休暇のとれるかぎりのパトロールマンを仲間に加えて、押しあいへしあいしながら市へ引きかえした。
技師や設計者たちは、キニスンが操縦してもどった海賊船の内外に群がっていた。彼らはいずれも待望のデータ記録テープから作成された青写真の束を手にして、それぞれ一隊の機械工を指揮しながら、巨大な宇宙海賊船からさまざまの装置をとりはずさせていた。キニスンが呼ばれて行ったのは、この大騒ぎの現場だった。彼はそこに立って四方八方からそそぎかけられる質問の雨にせいいっぱい答えていたが、やがて、ほかならぬ空港司令官ヘインズ自身によってその場から救い出された。
「諸君はキニスンに聞くよりもデータ表を見たほうがよくわかるよ」彼は微笑しながらいった。「それに、わしは、もうこれ以上あとまわしにされずに彼の報告を聞きたいのだ」
老レンズマンは、若いレンズマンの手を小脇《こわき》にかかえるようにして連れ去った。しかし、私室にはいると、彼は秘書も記録係も呼ばなかった。その代わり、ボタンを押して部屋《へや》を完全に遮断《しゃだん》してからいった。
「さあ、話したまえ。ぶちまけてくれ――きみが着陸以来ずっと心に秘めてきたことをな。きみの合図がわかったもんで」
「ええ、じつは控えていたのです」キニスンは認めた。「人まえでしゃべる、危険をおかしたくなかったのです。これが公開の席で論ぜられるべきことだとしてもそうなんですが、これはそういう問題ではありません。こんなに早く話す機会をあたえてくださってありがとうございます。ぼくは、|ほかならぬ《ヽヽヽヽヽ》閣下に、ある案を検討していただきたいのです。この案は、トレンコの大気のようにひずんだものかもしれません――それを判断するのは、閣下だけです――しかし、これがどんなにばかげていても、ぼくがパトロール隊のためによかれと思って考えた案だということは、わかっていただけると思います」
「それは確かにいい過ぎではない」ヘインズはそっけなくいった。「つづけたまえ」
「宇宙戦闘の大きな特色は、無慣性航行しながら、有重力状態で戦闘する点です」キニスンは用語に気をつけながら、一見無関係のようなことを話しはじめた。「自分からすすんで戦闘を強行するには、敵の船をまず追跡光線で、次に牽引《けんいん》ビームで固定して、有重力状態にします。したがって、戦闘を強行したり避けたりする能力を決定するのは、相対的な速度ですが、戦闘の結果を決定するのは、相対的な戦闘力です。従来、海賊は――。
「いや、話は別ですが、われわれはわれわれの相手を過小評価し、彼らを海賊と呼ぶことによって有害な過信を自分たちの中に植えつけてきました。彼らは海賊ではありません――そのはずがないのです。ボスコニアは一つの種族や太陽系以上のものにちがいありません――おそらく、銀河系宇宙全体にまたがる文化圏でしょう。それは完全な専制政治で、報酬と処罰との厳格なシステムによってその権威を維持《いじ》しているのです。われわれの目から見れば、この文化は根本的に邪悪《じゃあく》ですが、機能的ではあります――じつに能率的です! それはわれわれと同様に組織されていて、基地、宇宙船、要員などの点でも同様に強力であるように思われます。
「ボスコニアは、スピードの点でも攻撃力の点でも、われわれにまさっています――瞬間的なスピードでは、ブリタニア号のほうがまさっていましたが。しかし、いまや彼らの利点は失われました。したがって、われわれと彼らとは、互角《ごかく》の二大勢力です。どちらも全銀河的な規模《きぼ》をもち、どちらも兵器、装備、人員などの点でとほうもなく強力であり、どちらもまったく同様な攻撃兵器と防御装置を備え、どちらも相手を抹殺《まっさつ》せんと決意しています。手詰《てづま》りは避けられません。完全な停頓《ていとん》状態です。すさまじい破壊的な消耗戦が何世紀もつづき、ついにはボスコニアもわれわれの文明も絶滅するにちがいありません」
「だが、わがほうには新しい放射器とスクリーンがある!」老レンズマンは抗議した。「あの二つが、わがほうを圧倒的に有利にしてくれる。われわれは思いのままに戦闘を強制することもできるし、避けることもできる。きみは彼らを撃滅《げきめつ》するプランを知っているだろう――きみ自身がその立案《りつあん》を援助してくれたのだから」
「ええ、知っています。しかし、あのプランでは彼らを撃滅することができないということも知っているのです。それは閣下もご存知でしょう。われわれの有利が一時的なものにすぎないということは、閣下にもわたしにもはっきりしているのです」若いレンズマンはすこしも動じないで、熱心にいった。
提督はしばらく答えなかった。心の底では、彼自身もそのような疑いを感じていた。しかし、彼にしても部下にしても、キニスンがいま、いとも大胆《だいたん》に発言したようなことを、これまで口にしたことがなかったのだ。彼にはわかっていることだったが、敵対する勢力のいっぽうが所有しているものは、攻撃兵器でも防御設備《ぼうぎょせつび》でもその他の装置でも、遅かれ早かれ相手の所有になるものなのだ。そのことは、キニスンが最近みごとにやってのけた決死的な冒険によって証明されている。キニスンがヴェランシアで捕獲《ほかく》した宇宙船にとりつけられた装置は、それらがまた敵の手に落ちるまえに破壊されたことはわかっていたが、全艦隊にこの新装置をとりつければ、秘密をいつまでも保っておくことはできない、ということもわかっていた。そこで彼はついに答えた。
「それは事実かもしれん」と、ちょっと言葉を切ってから、不屈《ふくつ》のベテランらしい調子でつづけた。「だが、われわれは現在利点を持っているのだから、いまのうちにそれを利用しようではないか。いずれにしても、われわれはこの利点をかなり長く保持できる|かもしれん《ヽヽヽヽヽ》のだ」
「わたしは、もう一つ効果がありそうなことを考えついたところです――通信についてですが」キニスンは前の問題を論じないで先へ進んだ。「二重の妨害波をとおして通信波を送ることは不可能と思われますが――」
「|思われる《ヽヽヽヽ》だと!」ヘインズは叫んだ。「|絶対に《ヽヽヽ》不可能なのだ! 思考波を除けば、どんなものも――」
「まさにそのとおりです――思考波なんです!」こんどはキニスンがさえぎった。「ヴェランシア人はレンズを使って、とうてい可能とは思えないことをやってのけることができます。彼らのうち何人かにレンズマンのテストを受けさせてはいかがです? ウォーゼルはきっとパスするでしょうし、他にもパスするものがあるでしょう。彼らは、自分たちで開発した思考波スクリーンを除けば、あらゆるものをとおして思考波を送ることができます――きっとすばらしい通信器になるでしょう」
「そのアイデアはあきらかに可能性があるから、検討することにしよう。だが、きみが論じたいのは、そのことではあるまい。つづけたまえ」
「QX《オーケー》」キニスンはレンズ対レンズの会話に移った。「ぼくは、探知器を中立化し無効にするようなシールドかスクリーンがほしいのです。通信専門家のホッチキスにそれについて質問しました――極秘《ごくひ》にです。彼のいうところでは、その問題はアカデミックな研究課題としてさえ検討されたことはないが、理論的には可能だそうです」
「きみも知ってのとおり、この部屋は遮断《シールド》されているのだ」ヘインズはキニスンがレンズを使ったので驚いてたずねた。「それは|そんなに《ヽヽヽヽ》重大なことなのか?」
「わかりません。さっき申しあげたように、ぼくの考え方はかたよっているかもしれません。しかし、もしぼくのアイデアが正しければ、その中立器は宇宙でもっとも重要なものですが、秘密が洩れれば、なんの役にもたたなくなってしまう可能性があるのです。ご存知のように、長い目で見れば、われわれがボスコニアに対して持っている真に継続的な利点は、レンズだけです。彼らも、それだけは手に入れることができないからです。レンズには、他にも何か利用法があるにちがいありません。もしその中立器が可能であり、われわれがその秘密をしばらく保持することができれば、ぼくはレンズの新しい利用法を発見したと信じます。すくなくとも、ぼくはあることを試みてみたいのです。これはうまくいかないかもしれません――おそらくうまくいかないでしょう。非常にきわどい冒険ですから――しかしもし成功すれば、はてしない消耗戦をつづける代わりに、ほんの二、三か月でボスコニアを抹殺《まっさつ》することができるでしょう。まずぼくが出かけたいのは――」
「待ちたまえ!」ヘインズはさえぎった。「わしもあることを考えていたところだ。わしには、そういう装置が実際の兵器やレンズと、どういう関連を持ちうるのかわからない。わしにわからないとすれば、他の多くの者にもわからんだろう。それがきみにとって好都合《こうつごう》な点だ。もしきみのアイデアに何かがひそんでいるとすれば、それはだれかに打ち明けるには重大すぎる問題だ。わしに打ち明けるのさえな。きみだけの胸にしまっておきたまえ」
「ですが、これは特異な接続《フック・アップ》ですから、まるで効果がないかもしれません」キニスンは抗議した。「閣下はこの案をキャンセルしたくなられるかもしれません」
「その心配はない」きっぱりした返事がきた。「きみは他のパトロールマンのだれよりも、海賊について多くのことを知っている――いや、海賊ではなく、ボスコニアだ。きみは、そのアイデアが、わずかながら成功の可能性があると信じている。よろしい――その事実だけで、パトロール隊の総力をあげて応援するに充分だ。きみのアイデアをテープに吹きこんで、レンズマンの封印《ふういん》をしておきたまえ。きみが死んでも、そのアイデアがうずもれてしまわぬようにな。それから実行にとりかかりたまえ。その中立器が開発《かいはつ》可能なら、きみのために作らせよう。ホッチキスに作業の指導をさせ、必要なだけのレンズマンたちを協力させよう。記録はまったく保存させない。そのアイデアは、きみがわれわれにあきらかにしてくれるまでは、存在さえしていないことにしよう」
「ありがとうございます、閣下」そしてキニスンは部屋を出ていった。
それから何週間かのあいだ、最高基地はまったく、めまぐるしい活動の現場となった。新しい装置が設計されテストされた――新しい切断光線、新しい発電器、新しい通信波攪乱器その他多くの新式装置があった。各装置は設計されてはテストされ、再設計されては再テストされ、ついにパトロール隊の技師のなかでもっとも懐疑《かいぎ》的な者でも、どこにも文句《もんく》をつけられないほどになった。それから、全銀河系に散在するパトロール隊の宇宙船がそれぞれの戦区基地に呼びもどされて、改造された。
大別《たいべつ》して二種類の宇宙船が造られることになった。第一の種類――特別偵察巡洋艦――は、スピードと防御力にすぐれて――それ以外は何も持っていなかった。彼らは宇宙でもっとも速く、攻撃に対して自己を守ることができた――それがすべてだった。第二の種類の宇宙船は、まったく新たに建造されなければならなかった。なぜなら、わずかでも似たものさえ、これまで計画されたことがなかったからだ。それらは巨大で、無格好《ぶかっこう》で、速度が遅かった――想像もおよばぬほど膨大《ぼうだい》な攻撃力の貯蔵庫にすぎなかった。それらは、これまで宇宙船にとりつけられたことがないほど巨大で強力な放射器を積んでいた。また、宇宙線エネルギーに依存《いぞん》していなかった。それらは、巨大な蓄積器を幾層も積んでいた。事実、これらの怪物的な空飛ぶ要塞のおのおのは、付近にいるいかなる宇宙船も宇宙線エネルギーを受容できないような方式と力のスクリーンを発生させることができるのだった!
文明がボスコニアに対して投じようと企《くわだ》てている鉄槌《てっつい》はこのようなものだった。それらは、理論的には単純そのものだった。超快速の巡洋艦が敵を捕捉《ほそく》し、切断できないほど強固な牽引ビームで束縛《そくばく》して有重力状態になり、それによって敵を宇宙空間に固定する。それから、敵が加えうるあらゆる攻撃を吸収し排除しながら、特殊な方式の妨害波を放射する。その妨害波の中心位置は容易につきとめられる。そこで動く要塞が到達してボスコーンの宇宙船の動力源を断ち、仕上げをするのだ。
この鉄槌を鍛えあげるには時間がかかった。しかしついに、文明がボスコニアに恐るべき攻撃を加える準備は整った。その攻撃は決定的なものになるものと期待され、また信じられた。すべての戦区基地および準基地は準備が完了し、作戦開始時刻が定められた。
最高基地では、これまで銀線四本の肩章をつけた将校としてはもっとも若い、地球人キムボール・キニスンが、重巡洋戦艦ブリタニア号の司令盤の前にすわっていた。この船は彼自身の希望でそういう名前をつけられたのだ。彼はこの船のすばらしいスピードを思って、そひそかに武者ぶるいを感じた。推進力はすさまじいので、船体は極度に流線形をしていたが、船が媒体《ばいたい》の中を、しゃにむに突破していくときに生じる摩擦熱《まさつねつ》を空間に放射するために、特殊な防御壁と分散器を装備していた。さもないと、恒星《こうせい》間宇宙空間の高度な真空の中でさえ、一時間も全力推進すれば、自滅してしまうのだ!
そして空港司令室では、ヘインズ提督がクロノメーターを見つめていた。出発まで数分――そして秒読み。
「宇宙空間異常なし!」彼の太い声は感情を押えてぶっきらぼうにひびいた。
「五秒前――四――三――二――一――上昇!」そして艦隊は空中へ突進した。
地球艦隊の第一目標は地球からすぐ近くにあった。ボスコーン人は太陽系の中の海王星の衛星の上に基地を建設していたからだ。それは最高基地から非常に近かったので、集中的なスクリーンと絶《た》え間《ま》のない警戒によってしか、そのスパイ光線を防ぐことができなかった。またそれはきわめて強力で、パトロール隊のふつうの戦艦では対抗できなかった。いまやそれを撃滅しようというのである。
惑星間宇宙空間を横切るに要する時間はごく短かったが、地球艦隊は探知され、ボスコーンの大艦隊に迎撃された。しかし、戦闘が開始されるやいなや、敵はこの戦闘がこれまで見たこともないような種類のものだということを理解した。そしてそれを理解しはじめたときには、もう手遅れだった。彼らは逃げることもできず、宇宙空間は妨害波にみたされているので、状況をヘルマスに報告することさえできなかった。はじめに出現したこれら特異な涙滴型《るいてきがた》のパトロール側宇宙船はまったく攻撃しなかった。彼らはただブルドッグのようにしがみついているばかりで、白熱した放射器が注《そそ》ぎかけるあらゆる攻撃を応戦もせずに受け入れていた。彼らの防御スクリーンは、空陸の放射器から注ぎかけられる恐るべき攻撃にあって、まぶしいすみれ色に発光したが、破壊はされなかった。また、彼らの牽引《けんいん》ビームはひと筋もその把握《はあく》をゆるめなかった。数分のうちに、ずんぐりした怪物的な戦艦が到着した。宇宙線エネルギー妨害スクリーンが展開された。牽引ビームが放射された。巨大な放射器の耐火性放射口からは、かつて可動性の機械によって発生されたことのない強烈な破壊力が放射された。
ボスコーン側の外部スクリーンは、このはかり知れぬ強力な攻撃のまえに、ほとんど閃光《せんこう》さえ発せずに崩壊《ほうかい》した。第二のスクリーンは瞬間的にすみれ色のまぶしい閃光を発して崩壊した。内部スクリーンは花火のように美しいスペクトル状の光を発しながらも頑強に抵抗したが、それもついにすみれ色から黒色へと変化していった。いまや、パトロール戦艦の、ビームの言語に絶《ぜっ》した猛威《もうい》からボスコーンの宇宙船の金属板を守っているものは、防御壁そのものだった――純粋なエネルギーからなる、想像もおよばないほど強固な構造で、これまで二十メートルトン水爆の爆発によってしか破壊されなかったものだ。いまや、その障壁から激流のようにエネルギーが放射された。そこで生じたエネルギーの衝突はすさまじいかぎりで、両者が互いに相手を中和しあっている状況が目に見え、手に触れられるほどだった。それらのエネルギーは、板《ばん》状をなし、塊《かい》状をなし、宇宙空間をひき裂くようなすさまじい渦《うず》状をなし、また何マイルにもおよぶ柱《ちゅう》状の閃光をなして放出された。その区域のいたるところに放出されて、付近の宇宙空間に充満した。
ボスコーンの指揮官たちは、はじめ、あっけにとられて見つめていたが、やがて防御壁のエネルギー吸収能力がゼロになり、それが崩壊しはじめたのを見て、激しい信じられないような驚きにとらえられた――しかも、攻撃は少しも力をゆるめずにつづけられていた。あのビーム放射はやがて弱まるに|ちがいない《ヽヽヽヽヽ》――宇宙船にとりつけられた放射器が、あんな負荷《ふか》を長くつづけられるはずがない!
しかし、この宇宙船にはそれができた――そしてそれをやってのけた。攻撃は、はじまったときと同様な激しさでつづけられた。これらの強力な放射器にエネルギーを供給している蓄積器はふつうのものではなかった。その膨大《ぼうだい》な電流を流しているのは、ふつうの母線ではなかった。これらの空飛ぶ鉄槌《てっつい》は、ただ一つのことをするために設計されたのだ――打撃を加えること――そして、彼らはその一つのことをよくやってのけた。容赦《ようしゃ》なく完全に。
防御壁は、いよいよスペクトルの色を深めて発光しはじめた。放射を受けるやいなや、それらは瞬間的にスペクトルのほとんどあらゆる色を呈《てい》した。絶えられないほどのまばゆさで輝きながら、赤、オレンジ、黄、緑、青、インディゴと連続的に変色し、ついに目もくらむようなすみれ色になった。いまや運命きわまった防御壁は、不規則な紫外線を発しはじめた。それらはすでに目には見えず、記録器の上で瞬間的に黒い斑点《はんてん》がひらめいていた。
やがて防御壁は崩壊した。そしてそれが崩壊するたびに、ボスコニアの宇宙船は消滅《しょうめつ》した。なぜなら、その最後の防御壁が崩壊してしまえば、荒れ狂う超強力ビームの高熱に対抗するものは、抵抗力の弱い金属板以外何もなかったからだ。すでに述べたように、どれほど耐熱性で抵抗力があり不活性《ふかっせい》な物質でも、このようなエネルギーの場《フィールド》には瞬間的にさえ耐えられないからだ。そういうわけで、宇宙船もその中味《なかみ》も一瞬にしてまぶしい白熱的な蒸気と変じて、付近の宇宙空間をみたすありさまだった。
こうして、ボスコニアの太陽系|分遣隊《ぶんけんたい》の宇宙船は消滅した。一隻の船も逃げられなかった。パトロール隊の巡洋艦がそうしむけたのだ。それから基地に攻撃が加えられた。こんどは巡洋艦は役にたたなかったので、彼らは後ろにさがって観戦しながら、悪運つきた海賊が一言の状況報告もできないように、あらゆる通信線を妨害しつづけた。戦艦が基地に接近して、痛烈に、根気よく、組織的に仕事にとりかかった。
基地というものは戦艦よりずっと強力に防御されているのが常だから、この要塞を破壊するには、艦隊を撃滅《げきめつ》するより時間がかかった。しかし、要塞のエネルギー受容器は、もはや太陽やその他の天体からエネルギーを受容することができず、その他のエネルギー源は比較的弱かった。したがって、彼らの防御力はその絶《た》え間《ま》のない攻撃のまえに崩壊し去った。スクリーンは一層一層と破壊され、最後の一層の破壊とともに全建造物が崩壊《ほうかい》した。空飛ぶ鉄槌のビームは、まるで鋼鉄の弾丸がバターを貫くように、やすやすと金属と石を貫き、さらに惑星の岩床《がんしょう》深く突入して、やっとその恐るべき破壊力を使いはたした。
彼らは、ボスコニアの基地がまったく消滅してしまうまで、くりかえし螺旋降下《らせんこうか》しながら攻撃を加えた。やがて衛星の寒冷な荒地の中央には白熱した溶岩の湖ができた。かつてそこに何かが建造されていたことを示すものとては、それだけだった。
降服《こうふく》ということはまったく考慮に入れられなかった。助命や寛大な処置は敵から訴えられもせず、またこちらから提供もされなかった。単なる勝利だけでは充分ではない。これは絶対的で完全な容赦のない殲滅戦《せんめつせん》だった。必然的にそうならざるを得ないのだった。
[#改ページ]
一四 独立レンズマン
傍若無人《ぼうじゃくぶじん》にもパトロール隊の最高基地のすぐ近くに建設されていた敵の要塞が抹殺《まっさつ》されたのち、各地区戦艦はゆるい隊形を組んで銀河系の各区域を掃討《そうとう》しはじめた。はじめの二、三週間は、獲物がたっぷりあった。何百という海賊船がパトロール隊の巡洋艦に追いつかれて拘束《こうそく》され、空飛ぶ鉄槌によって蒸気に変えられた。
ボスコニアの基地も多数破壊された。それらの大部分の位置は、ずっとまえから情報部に探知されていたが、高速力の巡洋艦にとって捜索《そうさく》されたものもあった。また、海賊船が巡洋艦に追いつかれるまえに基地に逃げこみ、それによって基地の位置を暴露《ばくろ》することもあった。通信隊の追跡光線や波腹《ループ》によって発見されたものもあった。
これらの基地は充分にかくされているものも、また接近しにくいものもほとんどなかったので、大部分は一隻の空飛ぶ鉄槌による放射で破壊された。しかし、一隻の空飛ぶ鉄槌で不充分なときは、仲間を呼びよせて破壊した。これまで知られていなかった、驚くほど堅固なある要塞を破壊するときなどは、地球の全戦艦を集中する必要があったが、すぐに艦隊は召集され、要塞は陥落した。これらは殲滅《せんめつ》戦だったから、発見された海賊基地はすべて抹殺《まっさつ》された。
しかしある日、一隻の巡洋艦が発見した基地は、スパイ光線さえ遮断していなかったので、ざっと探知しただけで、まったく空虚《くうきょ》なことがわかった。機械も装置も備品も要員も、全部ひきはらわれていた。パトロール隊の宇宙船は警戒して接近せず、遠くからビームを放射したが、何もめんどうなことは起きなかった。建造物は、あっさり溶岩と化した。ただそれだけだった。
その後、発見されたどの基地も同じような状態だった。そして同時に、まえにはあれほど多かったボスコーンの宇宙船が、完全に宇宙空間から姿を消してしまった。くる日もくる日も、巡洋艦は想像を絶《ぜっ》する高速度で広大な宇宙空間をそこここと飛びまわったが、ボスコーンの宇宙船は影も形も見えなかった。もっと異常なことには、ここ何年来はじめて、宇宙空間から、ボスコーンの通信波妨害が完全に消滅したことである。
キニスンはがまんできなくなって自分の船を偵察《ていさつ》任務につける許可を乞い、許可された。彼は全力推進でヴェランシア星系のほうへ向かい、まえにヘルマスの通信線を捕捉《ほそく》した場所へ到達した。その線に沿って何日も航行し、銀河系をかなりはずれたところまで行って停止した。行く手には、二、三の星団を除けば、何も到達できそうなものは存在していなかった。後方には、巨大なレンズ状の銀河系宇宙が華麗《かれい》にひろがっていたが、キニスンにはその日、天文学的な美観に目をとめている余裕《よゆう》はなかった。
彼はブリタニア号をそこに一時間ばかり停止させながら、この現象の背後《はいご》にひそんでいるものを考察した。彼は自分が通信線を捕捉点から銀河系の周辺の外側まで捜査したことを知っていた。彼の探知器は晴朗でゆがみのないエーテルの中で作用していたから、もしヘルマスの基地が通信線の近くのどこかにあるとすれば、見のがすはずはなかった。それは非常に大規模なものにちがいなかったからだ。また、彼の探知器の有効範囲は、通信線の決定や追跡のさいに生じるどんな誤差より、ずっと大きいにちがいなかった。だから四つの解釈《かいしゃく》が可能で、しかもその四つしかないはずだ、彼はそう結論した。
第一は、ヘルマスの基地もまた引きはらわれてしまったのではないか、ということだった。しかしこれは考えられなかった。キニスン自身がヘルマスについて知っているところからすれば、その基地は可能なかぎり難攻不落《なんこうふらく》につくられているはずで、パトロール隊の最高基地が撤去《てっきょ》されることがないと同様、それが撤去されることはありそうもなかった。第二は、それが地下にあるかもしれないということだった。あらゆる探知放射線を接地してしまうほど多量に金属を含んだ岩の下に隠されているのかもしれない。しかし、これは第一の場合と同様ほとんど可能性がなかった。第三は、ヘルマスがすでに探知波を中立化する装置を完成したのではないかということだった。この装置は、キニスン自身が切望しているもので、ホッチキスをはじめ専門家たちがまえまえから開発に努めているものである。この解釈は可能だった。あきらかに可能だ。すくなくとも、将来考慮に値する程度には可能だった。第四は、その基地が銀河系の中にあるのではなく、彼のまっすぐ前方にある星団か、さらにむこうの星団の中にあるのではないか、ということだった。この解釈は四つのうちで、もっともよさそうに思われた。そうだとすれば、そこから銀河系へ通信するには、超強力通信器が必要だが、ヘルマスがそれを持っている可能性は充分にあった。この解釈はその他の条件にもあてはまっていた――非常にぴったりと。
しかし、もし基地がそこにあるとすると――手がつけられない――すくなくともしばらくのあいだは――巡洋艦はこの仕事には不充分だ。そこには、抵抗が多すぎるから、巡洋艦では――不充分だ――それとも、充分すぎるかな? しかし、いずれにしても、彼はまだ準備ができていなかった。ヘルマスの基地の位置を決定するためには、もう一本の通信線が必要だった。そして彼はそれを手に入れるつもりだった。そこで肩をすくめて船を旋回させ、艦隊に合流《ごうりゅう》するためにもどって行った。
合流点までまだまる一日というところで、キニスンは映像プレートに呼びつけられた。盤のつややかな表面には、空港司令官ヘインズの顔が現われた。
「偵察航行で何か見つかったかね」彼はたずねた。
「決定的なものは何も見つかりません。考慮すべきことが二、三、見つかっただけです。しかし、状況がはなはだしく好ましくないということはいえます――何から何まで好ましくありません」
「わしもそう思う」司令官は賛成した。「きみは手詰《てづま》りを予言したが、まさにそういうことになりそうだ。いまどこへ向かっているのか?」
「艦隊に合流するところです」
「それはやめたまえ。いましばらく偵察任務に従事するのだ。そして、何かもっと注目すべきことが起こらなかったら、わしのところへ出頭《しゅっとう》したまえ――きみにとって注目すべきことがあるのだ。このところパトロールマンたちは――」
その瞬間、司令官の映像は砕《くだ》けて目のくらむような閃光と変わり、彼の言葉は意味のわからないごたまぜの雑音となった。その直前から難船信号がはいりはじめていたのだが、ボスコーンの激しい空電妨害によって遮断《しゃだん》されてしまった。長いあいだエーテルから消滅《しょうめつ》していたあの空電妨害だ。若いレンズマンはレンズを用いて思考波を伝達《でんたつ》した。
「お待ちください、閣下。いま何事が起こったかを調査しますから」
「いいとも」
「妨害の中心位置をつきとめたか?」キニスンは通信士に呼びかけた。「やつらは近いぞ――われわれのひざもとだ!」
「つきとめました!」通信士は数字を叫んだ。
「推進!」キニスンは命令したが、その必要もなかった。俊敏《しゅんびん》なパイロットは、すでにコースを決定して全力推進をかけていたからだ。
「もしこいつがぼくの予想しているようなしろものだったら、たいへんなことだぞ」
ブリタニア号は妨害の中心へ向かって突進しながら、奇妙な方式の妨害波をけたたましく放射した。これは銀河系のその部分全体にわたって、すべての非レンズ的な通信を攪乱《かくらん》するばかりでなく、付近にいる戦艦、空飛ぶ鉄槌《てっつい》に対する非常呼集でもあった。ブリタニア号は略奪《りゃくだつ》の現場の付近にいたので、そこへ到達するのに数分しかかからなかった。
そこには、商船とそれを攻撃《こうげき》しているボスコーンの宇宙船がいた。ある商船会社が、海賊の活動が停止したのに力を得て、「緊急」貨物を積んだ商船を出港させたのだが、その結果がこれなのだ。海賊船はいまや無慣性状態に移行して、牽引《けんいん》ビームで商船を捕捉《ほそく》し、ビームを放射して降服をうながしていた。商船は抵抗していたが、その力はもう弱まっていた。スクリーンが崩壊《ほうかい》しかけていることはあきらかだった。乗組員は降服のしるしにすぐ出入口を開くか、全員焼き殺されるかのどちらかを選ばねばならなかったが、彼らは焼き殺されるほうを選びそうな形勢だった。
瞬間的に見てとった状況は、このようなものだった。しかし、次の瞬間には、それががらりと一変した。ボスコーンの宇宙船のビームは、商船の弱い防壁を貫くのとはわけがちがって、パイロール隊の巡洋戦艦の強力な防壁を白熱させることさえできなかった。海賊船は、商船に対して用いていた分散的なビームを切りかえて、装備されているうちでもっとも強烈で貫通力のある破壊的なビームを放射した――しかし、ほんのすこし目ざましい光景を呈《てい》しただけで、実際上の効果は何もなかった。なぜなら、ブリタニア号のスクリーンは、通常の戦艦が装備しているもっとも強力なビームに対してさえ無限に耐えられるように設計されており、事実それだけの抵抗力を示したからだ。
キニスンの船には、ものすごく強力なビーム放射器が装備されていたが、彼はそれを用いなかった。現在、彼の心に生じている疑問に対する決定的な解答を得るためには、僚艦の空飛ぶ鉄槌の超強力な攻撃力で試してみる必要がありそうだったからだ。
海賊船は危険な過負荷《かふか》状態になるまで熱線の力を強めてみたが、キニスンの船のスクリーンを破壊することはできなかった。また、どれほど身をかわしても、はじめの獲物を攻撃できる位置にもどることもできなかった。そしてついに空飛ぶ鉄槌が到着した。さいわいこの戦艦もかなり近くにいたのである。その強力な牽引ビームが手をのばした。強烈な熱線が放射され、ボスコーンの宇宙船の防壁のまっただなかをうった。
ビームが命中したとたん、海賊船は姿を消した――だが、白熱的な閃光を発する金属の蒸気となって消滅したのではなかった。海賊船は船体ごと、しかも一体をなしたまま、姿を消したのだ。超強力切断光線を放射して、空飛ぶ鉄槌の切断不能と考えられていた牽引ビームを糸のように切断したのだ。海賊船の発進速度はものすごく速かったが、それには船自体の推進器の推進力とほとんど同時に、パトロール船のビームの排斥《はいせき》力が役だっていた。
これは、キニスンが予想した手詰《てづま》りのはじまりだった。
「ぼくはこうなることを心配していたのだ」若い司令はいまいましげにつぶやいた。そして、商船にはなんの注意もはらわず、空飛ぶ鉄槌の指揮官を呼んだ。もちろん、このような近距離では、どんなエーテル攪乱器でも映像装置を妨害することはできなかった。そこで彼のプレート上には、クリフォード・メートランドの顔が現われた。彼と同じクラスにいて、二番で卒業した男だ。
「やあ、キム、宇宙|蚤《のみ》め!」メートランドは大喜びで叫んだ。「おお、失礼いたしました、上官殿」彼は大げさな敬礼をしながら、うわべだけは丁重につづけた。「四本の銀線をつけた方に対しては、しかるべき敬意を――」
「やめろ、クリフ。さもないと、機会がありしだい、きみのからだに、|りす《ヽヽ》みたいによじのぼるぞ!」キニスンはやり返した。「じゃあ、きみは|ずんぐり船《エル・ポンデロン》の船長に任命されたのか、ええ? きみみたいな赤ん坊が、こんな強力な船をおもちゃにするのを許されたのか! ところで、この商船はどうしたもんだろう?」
「知るもんか。こんなのは、操典《そうてん》に書いてないぜ。だから、きみが教えてくれなければだめさ、司令」
「ぼくは命令する立場じゃない。きみがいうように、こんなのは操典に書いてない――敵がわれわれの牽引ビームを切断するってのは、GI操典に反している。だが、この商船の処置は全部きみの仕事だ。ぼくの仕事じゃない――ぼくは急いで行かねばならんのだ。この商船が何を積んでいて、どこからどこへ、なんのために行くのかを調べればいい。それから、きみの判断で、こいつが出発した空港へ連れもどすなり、目的地へ連れて行くなりするのだ。もしこの通信波妨害がやまないようだったら、レンズを使って最高基地に命令をあおいだほうがいいだろう。さよなら、クリフ。ぼくは急がなければならん」
「あばよ、宇宙犬!」
「さあ、ハンク」キニスンはパイロットをふりむいた。「われわれは最高基地で緊急任務があるんだ――ぼくが『緊急』といったら、仮定じゃない。エーテルにこげ穴をつくって見せてくれ」
ブリタニア号は地球へ向かって突進した。そして船が着陸するまもなく、キニスンは空港司令官の部屋へ呼ばれた。彼の到着が報じられるやいなや、ヘインズはさっさと人ばらいをして、だれも侵入したり立ち聞きしたりできないように部屋を遮断した。まえにこのふたりがあの記憶すべき協議をして以来、ヘインズは目に見えて年とっていた。顔はしわがよってやつれ、目や表情全体に、日夜をわかたず不眠の仕事をつづけた証拠が歴然とあらわれている。
「きみのいったとおりだったな、キニスン」彼はレンズ同士の会話をはじめた。「手詰《てづま》りだ。手も足も出ない行き止《ど》まりだ。ところできみを呼びつけたのは、ホッチキスがきみの注文の探知波中立器を完成したことを知らせるためだ。これは、長距離用の探知器には完全に効果がある。しかし、電磁《でんじ》探知器には、さほど効果的でない。その有効距離を短くするのがせいいっぱいらしい。また映像探知器にはまったく効果がない」
「それだけでも、なんとかやってのけられると思います――ぼくは、ほとんどずっと電磁探知器の有効距離外にいるつもりです。それに、どのみち、電磁探知器で念入《ねんい》りに探知する者はいないでしょう。ありがとうございました。それは、もう装備できるようになっているのですか」
「装備する必要などないのだ。ポケットに入れておけるようなちっぽけなものさ。これだけで完備しており、どこででも使えるのだ」
「このうえなしです。そういうことでしたら、二つほしいですな――それと船を一隻。あの新式の自動快速艇が一隻ほしいのです。うんと足が速くて、航続距離があって、スクリーンを備えたやつです。ビーム放射器は一台でいいですが、それさえ使うことはないでしょう――」
[#ここから1字下げ]
【原注 パトロール隊の大型戦艦とは異なり、快速艇は、長さに比例して、きわめて幅がせまく、設計にあたって考慮されているのは、スピードと操縦機能の二点だけである。まさしく彼らは戦闘用に建造されたものではない。重力プレートが水平飛行用にセットされているにもかかわらず、推進ジェットと同様に、制動ジェット、下部ジェット、サイド・ジェット、それに上部ジェットを備えている。そのために無慣性飛行に際しては、下降のように見えるいかなる方向にも驚異的なスピードを落とすことなく転換できる。
快速艇の内部では、なにひとつとして、ゆるんだ状態におくことはできない。――なにからなにまで、冷凍器の中の食糧にいたるまで、きちんと固定されていなければならない。睡眠はベッドでなく、ハンモックでする。シートや休息場所には、丈夫な安全ベルトがついており、艦内の装具や器具で、固定されていないものは、一つもない。
「自由」状態において、可能なかぎり極度のスピードを出すように設計されているので、快速艇は下部ジェットによって操作しないと、無慣性飛行にさいしては、きわめて不安定、かつ扱いにくくなる。下部ジェットは、とくにこの無慣性飛行用に設計され、とりつけられているものである。
海賊側の超スピードを誇る艦の中には――後で出てくるが――この快速艇と同じ型、同じ設計のものがある。E・E・S】
[#ここで字下げ終わり]
「ひとりで行くのかね?」ヘインズがさえぎった。「すくなくとも、きみの巡洋戦艦を連れて行ったほうがいい。わしは、きみをひとりで宇宙空間の奥深くまでやりたくない」
「ぼくも好きこのんでするわけではありませんが、どうしてもそうしないと都合《つごう》がわるいのです。この仕事を力ずくでやってのけようと思ったら、空飛ぶ鉄槌《てっつい》をはじめ全艦隊をあげてもまだたりません。方法はたった一つしかありませんが、その方法でやるには、ふたりでも多すぎます。おわかりでしょうが――」
「説明はいらん。そのことはテープに記録してあるのだから、必要になったらテープから入手すればいい。ところで、きみは最近の事態を知っているかね?」
「われわれは、きみが初代のブリタニア号で出発するまえの状態に後退してしまったのだ。貿易はほとんど停止した。商船会社は、いずれも事実上業務をやっていない。だが、それだけでなく、もっとわるいことがあるのだ。恒星《こうせい》間貿易がどれほど重要かということは、きみにはわからんかもしれんが、これが停止《ていし》した結果、商業全体がひどく不振になった。当然予想がつくだろうが、われわれがいまだに海賊を宇宙から吹っとばしてしまわないということで、何千という苦情が殺到している。それから、はやく吹っとばしてくれという要求もな。彼らは真の状勢を知らないし、われわれができるだけのことをしているということも理解していない。われわれは、貨物船や客船にいちいち空飛ぶ鉄槌を同行させるわけにはいかない。だが、無事《ぶじ》に目的地に着くのは、空飛ぶ鉄槌に護衛された船だけなのだ」
「しかしそれはなぜです? どの船にも牽引《けんいん》ビーム切断器が装備してあるのに、やつらはどんな方法で獲物を拘束できるのです?」キニスンがたずねた。
「マグネットなのだ!」ヘインズはいまいましげに鼻を鳴らした。「平凡な時代おくれの電磁石《でんじしゃく》だ。もちろん、距離が遠ければ引力は問題にならん。だが、海賊船は足が速いから、たいした牽引力はいらんのだ。接近する――拘束する――乗り移って荒しまわる――それでおしまいだ!」
「うむ――む。そうなると、事情が変わってきますね。海賊船を一隻見つけなければなりません。ぼくは貨物船か客船にくっついてアラスカン星のほうへ行くつもりでいたのですが、くっついて行こうにも、貨物船も客船もいないとなると――獲物を捜し回らなければならんでしょう――」
「それなら簡単に手を打てる。航行を望んでいる船は、わんさとあるのだ。空飛ぶ鉄槌を同行させて、一隻出発させることにしよう。だが、空飛ぶ鉄槌は、探知器の有効距離の充分外側においておくことだ」
「ではそれで担当任務を除けばすっかり用意ができました。ぼくはこういう許可申請をするのが苦手なんですが、直接閣下に申告するような特別任務にしていただけるでしょうね?」
「それよりもっといいものがあるのだ」ヘインズは心から嬉しそうに大きく微笑した。「万事話がついている。きみの普通任務解除はすでに帳簿に記入されている。きみの艦長としての任務はすでに解除されたから、その制服はこれまでの私室においてきたまえ。これはきみの身分証明書で、これはその他の装具だ。きみはもう独立レンズマンだ」
普通任務解除! それはすべてのレンズマンが目ざしている目標だが、そこへ到達する者は、ごくわずかしかいないのだ! 彼はいまや独立行動員で、自己の良心を除いてはだれにも何物にも拘束されることがないのだ。彼はもう地球でも太陽系でもなく銀河系宇宙全体に属しているのである。彼はもう銀河パトロール隊という巨大な機械の一部をなす、ちっぽけなねじではなかった。広大な島宇宙のどこへ行こうと、彼自身が銀河パトロール隊そのものなのだ!
「そうだよ、事実なんだ」先輩は自分がずっと昔、やはり普通任務解除をかちえたときのことを思いだしながら、若者の驚きをおもしろそうに見ていた。「きみは望むだけの期間、望みの場所へ行って、望みのことをすることができるのだ。きみは必要なときに必要なものを手に入れることができる。その理由は告げても告げなくてもいい――ただし、その代わりに母印を押した信用票をあたえるのがふつうだ。報告は望むならばしてもいいし、いつ、どこで、だれに対してしてもいい――また、望むならばしなくてもかまわない。きみはもうサラリーさえもらわない。どこにいようと、必要があれば、必要なだけ自分で調達《ちょうたつ》することができるのだ」
「ですが、閣下――ぼくは――あなたは――つまりその――ということは――」キニスンは筋《すじ》の立つ話ができるようになるまでに三度もつばをのみこんだ。「ぼくはまだその資格がありません。まだほんの青二才です――このような重任には力量不足です。そのことを考えただけで、こわくて頭がどうかなりそうです!」
「そうだろう――いつだってそうなのだ」ヘインズは真剣な調子でいったが、それは喜ばしげで誇らかな真剣さだった。「きみは、血肉をそなえた人間に可能なかぎり、ほとんど完全に自由な行動員となるのだ。このことは、平凡な市民には、このうえもない幸福な状態と思えるだろう。しかし、それが実際にはどれほど大きな責任であるかがわかるのは、グレー・レンズマンだけだ。しかし、その責任は、そうしたレンズマンがになうことを喜びとし、また誇りとするようなものなのだ」
「そうです、閣下、もちろんそうでしょう。もしそのレンズマンが――」
「きみはしばらくは、そういう考えに悩まされるだろう――そうでなかったら、きみはグレー・レンズマンになれはしまい――が、そのことについては、もう必要以上に気を使うな。きみの勤務成績を知っている人々の意見では、きみは、普通任務解除の資格があることを身をもって証明したばかりでなく、すすんでそれをかちえたというのだ。わしにいえるのはそれだけだ」
「その人たちは、どうしてそんな判断をくだしたんです?」キニスンは熱くなっていった。「ぼくがあの航行で成功したのは、まったく幸運でした――バーゲンホルムが焼きついたのも――ところが、ぼくはあのときあれを不運と思ったんです。それから、バン・バスカークも、ウォーゼルも、ほかの部下たちも、そのほかのだれだかわからない人たちも、みんながぼくを次々に危険から救いだしてくれたのです。自分に資格があると信じたいのは山々ですが、そんな資格はありません。まったくの幸運や他人の能力を自分の手柄《てがら》にすることはできないのです」
「協力行動は当然になされるべきものだ。そしてわれわれは幸運な者をグレー・レンズマンにしたいのだ」ヘインズは大きく笑った。「だが、きみの気を楽にするために、さらに二つのことを知らせよう。第一に、これまでのところ、きみはウェントワース・ホールを卒業した者たちのうちで、もっともすぐれた成績を示している。第二に、われわれパトロール委員会の信じるところでは、きみはたとえバン・バスカークやウォーゼルがいなくても、またバーゲンホルムの幸運な故障がなくとも、あのほとんど不可能に近い使命を達成しただろう。そういう場合でも、何か別の方法で達成しただろうというのだ。もちろん、それがどういう方法かは推測《すいそく》できないがね。しかし、これは決してほかの者の真の能力を過小評価するものでもなく、幸運または好機が現実に存在することを否定するものでもない。これは、きみが独立レンズマンに必要な能力を持っているという事実を、われわれが認めていることを示しているだけなのだ。
「もう黙りたまえ、そして出発するのだ!」彼はキニスンが何かいおうとするのをさえぎった。そして、キニスンの肩をたたきながらぐるりと後ろをむかせ、ドアのほうへかるく押しやった。
「元気でな、若いの!」
「閣下もお元気で――せいぜいお元気で。ぼくはいまでも閣下をはじめ委員会の方々全部がぼくを買いかぶっていらっしゃると思いますが、閣下を失望させないように努力します」そして、新しい独立レンズマンはまごまごしながら部屋を出ていった。彼はしきいにつまずき、廊下を急いできたタイピストにぶつかり、出入口のドアを通り抜けるかわりに、その脇柱に衝突しそうになった。そして外へ出るとからだの平衡《へいこう》をとりもどし、空を踏むような足どりで自分の私室のほうへ向かって行った。しかし、急いで通り抜けた長い道中、自分が何をしたのか、まただれに出会ったのか、あとになっても、まるで思い出せなかった。一つの考えが頭の中でくり返して渦をまいた。独立! 独立! ≪独立レンズマン≫!
彼が立ち去ったあと、空港司令室では、司令官が腰をおろしてもの思いにふけっていた。彼はくちびると目にかすかな笑いを浮かべながら、たったいまキニスンがよろめきながら出ていったきりまだ開かれたままの戸口を、見るともなく見つめていた。あの若者は、あらゆる点で資格を備えている。彼はりっぱな男に成長するだろう。そして結婚するだろう。もちろん、彼はいまのところそんなことは考えていまい――彼自身は、自分の一生を聖職に捧げたものと思っているのだ――だが、いずれは結婚するだろう。もし必要ならば、パトロール隊のほうで、彼がそうするようにしむけてもいい。それにはいろいろ方法がある。あんなすぐれた血統は、子孫をつくらないでおくにはもったいない。そしていまから十五年もして――もし彼が生きていれば――現在、彼があれほど熱望している激務に適さなくなったとき、彼は自分にいちばん適した地上勤務を選んで、有能な行政官《ぎょうせいかん》になればいいのだ。パトロール隊の行政官というのは、みんなそのような人物だった。しかし、この空想は、ヘインズを現実からひき離しはしなかった。彼は心をはげまして、また仕事にとりかかった。
キニスンはついに自分の私室に到着したが、そこがすでに自分のものではないことを思い出して、一種の興奮を感じた。いまや彼には私室も住居も住所もないのだ。無限の宇宙空間のどこへ行こうと、そこが彼の住居なのだ。しかし、彼は自分が直面している生活を思って落胆《らくたん》するどころか、現実にそのような生活を生きたいという激しい欲望にみたされた。
ノックの音がして、当番兵が大きな荷物をかかえてはいってきた。
「あなたのグレー・スーツであります」と、きちんと敬礼して告げた。
「ありがとう」キニスンも同じようにきっぱり答礼した。そして、当番兵が部屋を出てドアがしまるまもなく、いま身につけている黒と銀の華麗な制服を脱ぎすてた。
彼ははだかになると、それまで自分にできるとは思いもよらなかったような意味深長な身ぶりをすばやくやってのけた。グレーの制服。これを身につけて感動しなかったものや、これが象徴《しょうちょう》している銀河パトロール隊に対してあらたな献身《けんしん》を誓わなかったものは、これまでにもいなかったし、これからもいないだろう。
グレーの制服――それはなんの装備もなく中間色のレザーでできていたが、彼が今後所属することになったパトロール支隊の、誇らかな衣装なのだった。それは、彼のからだにあわせて仕立てられていた。彼は鏡に映った自分の姿をほれぼれと眺めずにいられなかった。まるくほとんどひさしのない帽子は、厚くやわらかにつめ物をされて、宇宙服のヘルメットがじかに接触するのを防いでいる。厚い眼鏡は、目に有害なあらゆる放射を防ぐようになっていた。短い上着は、広い肩幅と細いウェストを強調していた。ぴっちりしたズボンと深い長靴は、たくましい先細の足をつつんでいる。
「なんというスーツだ――|なんという《ヽヽヽヽヽ》スーツだ!」彼はあえぐようにつぶやいた。「それに、ぼくはこのグレー・スーツを着ると、そうみっともないこともないようだな!」
彼はそのときも理解できず、またいつまでも理解できなかったが、彼が身につけているのは、存在するかぎりでもっとも単純な、もっとも実用的な制服なのだった。なぜなら、彼にとっても、またその制服を知っている他の人々にとっても、独立レンズマンの飾りけのない灰色のレザー・スーツの徹底《てってい》した単純さは、パトロール隊の他の部隊の制服の華麗《かれい》さをはるかにしのぐように思えたからだ。彼は、よく男性がするように、子供っぽく自分の姿に見とれながら、そうすることにいささか気はずかしさを感じていた。しかし、彼にはそのときも評価《ひょうか》できず、またいつまでも評価できなかったが、彼が私室から出てブリタニア号のドックへ向けて広い通りを大またに歩いていく姿は、まことに男性美そのものだった。
これは彼にとって、まことに重要な卒業だったが、それに関連してなんの儀式も公式の祝賀も行なわれなかったことは、じつにありがたかった。なぜなら、彼の仲間《なかま》たちが――彼の船の乗組員ばかりでなく、構内中の友人たちまでが――彼のまわりにむらがって、お祝いをいったりほめたりしながら、彼を小突《こづ》きまわしたので、これ以上がまんできなくなってしまったからだ。これ以上騒がれれば、気絶するか、赤ん坊のように泣きだすだろう。彼はふとそんなことを思った――どっちをするかはわからなかったが。
群集はわめいたり叫んだりしながら彼のまわりによってたかり、彼の私物をわずかでも運ぶのを名誉と考えて、どんちゃん騒ぎをやりながら護衛していった。この熱狂した群集にとっては、交通を妨げることなど問題ではなかったし、一時的には規律を破ることさえ問題ではなかった。乗物は遠まわりさせろ――歩行者は、どんなおえら方だろうと、立ちんぼさせておけ――車だろうと、トラックだろうと、いや、列車だろうと、われわれが通り過ぎるまでは待っていろ――相手がなんだろうと、待たせるか、あともどりさせるか、他の道を行かせればいいのだ。キニスンさまのお通りだ! キムボール・キニスンだ! グレー・レンズマンのキムボール・キニスンだ! 道をあけろ!
こうして、ブリタニア号のドックから、レンズマンの新しい快速艇が横たわっている繋船所《けいせんじょ》のすそまで、ずらりと道が開かれた。
おまけに、この小型快速艇はなんとすばらしい船だろう! すっきりとして優美で、極度に流線形化され、静止はしているが、力にみちあふれていた。この宇宙合金で造られた超快速の小型宇宙船は、ほとんど生きているといってもいいほど敏感で、彼の手が触れるやいなや、とほうもないエネルギーを発揮して、彼を無限の宇宙空間に突進させることができるのだ。
もちろん、群集はひとりも乗船しなかった。
彼らは後ろにさがったが、まだ狂気のように手を振ったり、手あたりしだいのものをほうり投げたりしていた。キニスンはボタンに触れて空中に突進しながら、何度か生《なま》つばをのみこんで、どうしてものどにつきあげてくる何かの大きな塊《かたま》りを落ちつけようと骨を折ったが、なんの効果もなかった。
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一五 おとり
たまたま、この何週間というもの、ニューヨークの宇宙空港には、アラスカン星への緊急貨物が放置されていた。しかも、この緊急性は、片道の問題だけではなかった。なぜなら、地球にはアラスカン産のシガレットが一本もなくなってしまったからだ! わずかな量がどこかの地下室にしまいこまれている可能性はあったが、その所有者たちはどんな高値でもそれを手離そうとしないのだ。
この時代も現代と同じことで、ぜいたく品は少ないとなるとむやみに、値がはねあがった。金持ちだけがアラスカン・シガレットを吸っていた。こういう金持ちたちは、ほんとうにほしいものに対しては、値段などにまったく目もくれない。そういうわけで、多量のアラスカン・シガレットが要求されていた。痛切に要求されていた――それは疑いのない事実だった。取引市場では、アラスカン・シガレットについて次のような情報がとりかわされていた。
「付け値、十本入り小箱一個につき一千信用単位。売り物、どんな値段でも皆無《かいむ》」
マシューズという貿易商がこの絶えず上がっていく数字に目をつけて、アラスカン向け商船を出港させようと努めていた。アラスカン・シガレットを積んだ船を地球人の住むどこかの宇宙空港に無事着陸させれば、彼の全商船隊が通常の貿易で十年間にあげうる以上の利益を生ずるだろう。そのことがわかっていたので、彼は政治的、経済的なあらゆる裏面工作をおこない、ときには犯罪行為すれすれのことまでやってのけた――しかし徒労に終わった。
なぜなら、すすんでこの冒険をやろうという乗組員が見つかったとしても、護衛なしで商船を出港させることは、問題外だった。船が地球へもどらなくては、利益をあげるわけにはいかない。商船は彼自身のものだったから、好きなように処分できるが、護衛の戦艦を割当てることができるのは、銀河パトロール隊だけである。そしてパトロール隊は彼の船に護衛を提供してくれないのだ。
彼の最初の申請に対する回答は、「必要物資」と認定された貨物だけがかならず護送されるので、「準必要物資」も、とくに有用な場合か、機会が許した場合には護送されるが、彼の貨物のような「奢侈物資《しゃしぶっし》」はまったく護送されない、というのだった。そして、彼のプロメシュース号が護送されるかどうか、またその護送がどんな方法で、いつなされるかなどは、後で通知する、ということだった。そこで貿易商はパトロール隊を包囲攻撃にかかった。
地元や国の政界のおえら方たちが、さまざまの外交的手段を用いて「請求」を提出した。財界人ははじめ誘惑《ゆうわく》の手をさしのべ、それから「ぶっつぶす」とおどし、さらにこの圧力団体が知っているかぎりのあらゆる圧力をかけてきた。しかし、懇願《こんがん》も要求も脅迫《きょうはく》も圧力も、同様に無益だった。パトロール隊は手なずけることも、おどすことも、だますことも、買収することもできなかった。そして、この問題に関するそれ以上の交渉《こうしょう》は、いかなる方面からなされたものも、一つ残らず無視されてしまった。
貿易商は外交、政治、謀略、財政などあらゆる手段を使いはたしてしまったので、ついに不可能なことをあきらめ、自分の船を発進させる努力を停止した。そのとき、ニューヨーク基地は最高基地からの公開のメッセージを受け取った。それは暗号でさえなく、次のような内容だった。
「商船プロメシュースをパトロール艦B四二TC八三八に護衛せしめ、随意にアラスカン星へ発進することを許可せよ。したがって、同パトロール艦の現在の任務は解除される。署名、ヘインズ」
もしこの準基地に爆弾が落とされたとしても、このメッセージほどの騒ぎはひきおこされなかっただろう。だれもこのようなメッセージが発せられた理由を理解できなかった――基地司令官も、戦艦の艦長も、商船プロメシュースの船長も、また大いに喜んだものの、他の人々同様にびっくりしたマシューズも――しかし、彼らはいずれも、輸送船の出発を促進するために全力をあげた。もっとも、この船は、ずっとまえからほとんど出航準備が整っていたのだが。
予定の出発時間よりすこしまえ、ニューヨーク基地司令官とマシューズが部屋にすわっているところへ、キニスンがやってきた――もっと正確にいえば、ふたりが気づかないうちにはいってきて、ふたりの注意をうながしたのだ。彼は、ふたりを自分の快速艇の制御室《せいぎょしつ》にさそった。グレー・レンズマンからのさそいは、疑問や異議なしに受け入れられるのがつねである。
「これはどういうことなのか、あなたがたは不思議に思っているでしょう」キニスンは話しはじめた。「なるべく簡単に説明しましょう。ここへさそったのは、われわれの話を盗聴《とうちょう》されない適当な場所が、≪ぼくが知るかぎりでは≫、ここしかないからです。あなたがたが知っているいないにかかわらず、このあたりには、多数のスパイ光線が投射されている。プロメシュース号がアラスカンへの航行を許可されたのは、あのあたりに海賊船がもっとも多数うろついているらしいからです。われわれは海賊船を一隻発見したいのだが、そのために全宇宙をあさりまわって時間をむだにするのは望ましくない。マシューズさん、あなたの船が出港を許可されたのは、三つの理由によるのです。あなたはこの特典を得ようとさまざまの試みをやったが、そのおかげではない。第一には、あの区域へ向けて出港許可を持っている必要貨物も準必要貨物もないということ。第二に、われわれはあなたの商社がつぶれるのを欲《ほっ》しないということ。大きな商業航路であなたのところの航路ほど危険なものはないし、ただ一隻分の貨物によってこのように大きな経済的変動を生じる商社もないのです」
「まったくおっしゃるとおりですよ、レンズマン!」マシューズは心からいった。「失敗すれば破産だし、成功すれば、ひと財産できるのだ」
「これから起こるのはこういうことです。商船と戦艦は予定どおり、いまから十四分後に発進する。彼らがバレリア星のあたりへ行ったとき、二隻とも呼びもどされる――戦艦に救助にむかうように緊急命令があたえられるのです。戦艦はひき返すが、あなたの船の船長は、おそらくコースを変更しないでしょう。自分はアラスカンへ向けて出発したのだから、そこへ行くつもりだと主張してね――」
「まさかあれがそんなまねを――まさかそんなまねを!」船主は叫んだ。
「ところが、そんなまねをするんです」キニスンはいたって気楽《きらく》につづけた。「あなたの船が出港を許可された第三の有力な理由というのはそれなのです。なぜなら、この船はきっと海賊の襲撃を受けるにちがいないからです。あなたはまだ気づかないが、あなたの船の船長も、乗組員の半分以上も、自分たち自身が海賊なのです。だから、彼らのつもりでは――」
「なんですと? 海賊ですって?」マシューズは叫んだ。「これからすぐ船へ行って、やつらを――」
「なにもしてはいけませんよ、マシューズさん。おとなしく、なりゆきを見ているんです。それもここからね。この事態は、パトロール隊の管理下にあります」
「だが、わたしの船は! わたしの貨物は!」船主は悲鳴をあげた。「そんなことになったら、わたしは破産だ――」
「まあ、終わりまで聞いてください」レンズマンはさえぎった。「戦艦がひき返すとすぐ、あなたの船の船長が通信を発して、海賊船に自分の船がいい獲物だということを知らせるのは、まちがいない。彼はその通信を発進して一分以内に死んでしまう。同乗している他の海賊もみんなそうなる。あなたの船はそれからバレリア星に着陸して、ピーター・バン・バスカークがひきいる宇宙戦闘員の猛者《もさ》たちを乗せる。そのあと、船はアラスカン星へ向かう。そして海賊船が襲撃してきたら、あなたの船は、船長がまえもって打ち合わせておいたように見せかけの抵抗をしてから、あっさり降服《こうふく》する。そこで海賊どもが乗り移ってくると、ひどい目にあうというわけだ。ことに戦艦が『救援行動』から反転して、さほど離れていないところにつきまとっていますからね」
「すると、わたしの船はほんとにアラスカンへ行って、無事にもどってくるんですな?」マシューズはあっけにとられたようにいった。事態はまったく彼の手を離れて、勝手に進行しているので、なにを、どう考えていいのかわからないほどだった。「だが、もしわたしの船の乗組員が海賊なら、そのうちのあるものは――いや、もちろん、必要なら警察の保護を受けることができるわけだ」
「何かまったく予期しないことが発生しないかぎり、プロメシュース号は貨物もろとも無事に往復航行をすますでしょう――全航程を戦艦の護衛のもとにね。もちろん、その他の問題については、地区の警察に処理してもらわなければならない」
「海賊の襲撃は、いつ起こるでしょうか?」基地司令官がたずねた。
「ぼくが戦艦の艦長に、これから起こることを予告しましたらね、彼が知りたがったこともそれでした」キニスンは白い歯をみせて笑った。「彼はそのころに、すこしでも接近していたいと思ったのです。ぼく自身もそれを知りたいのですが、残念ながら、それは海賊船が信号を受け取ってのち、彼ら自身で決定することです。しかし、攻撃は往航の途中で加えられるでしょう。なぜなら、ボスコーンにとっては、いま船が積んでいる貨物のほうが、アラスカン・シガレットより、はるかに価値があるからです」
「しかし、あなたはそういう方法で海賊船を捕獲《ほかく》できると思うのですか?」司令官は疑わしげにたずねた。
「そうではありません。しかし、そうすれば、海賊船の乗組員が減少するから、補充のために基地へもどらなければならないようになるでしょう」
「では、それがあなたのつけ目ですな――基地が。わかりました」
彼は完全にはわかったわけではなかったが、レンズマンはそれ以上、説明しようとはしなかった。
貨物船と戦艦がまばゆい二条の閃光をひいて空中に上昇すると、キニスンは船主に外へ出るようにいった。
「わたしも行ったほうがいいのではありませんか?」司令官はたずねた。「いろいろ命令を出す必要がありますから」
「もう二分ばかり待ってください。もう一つあなたに伝えることがあります――公式にね。マシューズは警察の護衛をそう長く必要としないでしょう――もし必要だとしてもね。あの船が襲撃されると、それが大ニューヨークの全海賊を一掃《いっそう》する合図になるのです――ニューヨークは、地球上で最悪の海賊の温床《おんしょう》ですからね。あなたもあなたの部隊も、この仕事に直接手をくだすわけではないが、みんなにそのことを伝えておいたほうがいいでしょう。われわれの仲間《なかま》が、新聞社の連中よりも先に情報を握っておくようにね」
「すばらしい! それはとうの昔に、やる必要があったことです」
「そうです。しかし、おわかりでしょうが、このような巨大な組織をひとり残らず調べあげるには、長い時間がかかります。こっちは、やつらを全滅させるつもりなんです。罪のない第三者はひとりも巻きぞえにしないようにしてね」
「どこが計画したんです――最高基地ですか?」
「そうです。一時間ですっかり仕事が片づくように、充分、人員を投入するはずです」
「こいつはいいニュースだ――ごきげんよう、レンズマン!」そして基地司令官は自分の持場にもどって行った。
訪問者が帰ったあと、出入口がとじて気密室《エア・ロック》のひじがねが定位置におさまると、キニスンは快速艇を空中に発進させてバレリアに艇首を向けた。彼より先に出発した二隻の宇宙船は、当然、無慣性状態で大気圏《たいきけん》を後にしていたし、出発以来、数百秒たっていたから、彼の出発点はもちろん彼らのコースから一万マイルばかりはずれ、彼我《ひが》の距離は何億マイルにも達している。しかし、パトロール隊随一の快速艇にとっては、距離の大小は問題ではなかった。キニスンは楽な巡航速度で進み、何分もたたないうちに彼らに追いついた。そして一光年たらずの距離に迫ると、彼らの速度と同じくらいにペースをゆるめて、一定の距離を保った。
ふつうの宇宙船なら、先行の二隻からとうの昔に探知されていただろうが、キニスンが乗っているのはふつうの宇宙船ではなかった。彼の快速艇は電磁探知器か映像探知器以外は、いかなる種類の探知器にも反応しないのだ。したがって、彼はごく近い距離にいたが――のろい宇宙船でも三十秒くらいの航程だった――探知される危険はなかった。なぜなら、この距離では、電磁探知器は役にたたなかったし、映像探知器では、サブ・エーテル変換器をつけたとしても、観測者が捜す対象とその方角を正確に知っているのでなければ、有効範囲は、ほんの二、三千マイルくらいだったからだ。
そこでキニスンはプロメシュース号と護衛の戦艦に接近した位置であとをつけて行った。彼らがバレリア太陽系に近づいたとき、反転を命ずる通信がとびこんできた。予期されたとおり、裏切り者の商船船長は反抗的な返信と海賊司令部への通信を送った。戦艦はひき返し、商船は前進をつづけた。しかし商船はふいに有重力になって停止し、その出入口から何かがばらばらと吐きだされた――たぶん、乗組員にまじっていたボスコーンの手下どもの死体だろう。それからプロメシュース号はまた無慣性状態になり、惑星バレリアへ向けてまっしぐらに突進した。
もちろん、無慣性着陸は、きわめて例外的なもので、その船が、またすぐに着陸する場合にのみなされるのである。この着陸をやると、ふつうの着陸の場合、螺旋降下《らせんこうか》や減速についやされる時間がはぶかれ、また着陸軌道の計算もしないですむ。この計算は、素人《しろうと》の計算員にはできないような複雑なものだ。しかし、無慣性着陸は危険である。質量の慣性《かんせい》を中立化する力を維持《いじ》するには、多量の動力を必要とする。そしてもし船が惑星の表面にいるあいだに、その力が一瞬でも失われれば、破滅的な結果になるのがふつうなのだ。なぜなら、慣性の中立化ということはけっして魔術ではないから、無から何かを生みだすこともなく、物質とエネルギーとの不滅《ふめつ》の自然法則を破るものではない。その力が作用しなくなった瞬間、宇宙船はその力が作用した瞬間に獲得《かくとく》したのとまったく同じ速度、運動量、慣性を獲得する。こうして、もし宇宙船が太陽に関して毎秒十八・五マイルほどの軌道速度で地球から発進し、自由航行で火星へ突進し、自由着陸してから有重力状態になったとすると、最初の速度が、速さも方向も同じで、即座に回復される。その結果は、描写《びょうしゃ》するまでもなく想像できるだろう。このような速度は、もちろん船を無事《ぶじ》に空中へ運びあげるかもしれないが、そうでない可能性もありうるのである。
無慣性状態の船は貨物を積まないのがふつうである。しかし、乗客のほうは乗せる。とくに、動力宇宙服を着て宇宙空間游泳に慣《な》れた軍事要員を載せるのである。船が惑星を出発した直後、人間も船も有重力状態に移行しなければならない――もちろん、それぞれ別個にである。これは、人間に固有の速度を船の速度に適合させるためである。しかし、これに必要な時間は、有重力着陸に必要な時間に比べればものの数ではない。
そういうわけで、プロメシュース号は自由着陸し、キニスンも同様にやってのけた。彼がバレリアのきわめて高い気圧に充分身支度を整え、ものすごい重力にいささか悩まされながら艇外に踏みだすと、バン・バスカーク中尉《ヽヽ》が心から出迎えた。彼の部下の戦闘員たちはすでに貨物船に流れこんでいる。
「やあ、キム!」オランダ人は陽気に呼びかけた。「万事正確に進行しています。長くは待たせませんよ――十分以内に発進するはずです」
「やあ、左ぎっちょ!」レンズマンは同じように心から答礼したが、新任の将校に向かって、わざと四角ばった口調でいった。「ところで、バス、ぼくはあることを考えていたんだ。これはいい思いつきじゃないかと思うんだが――」
「いやいや、それは|いかん《ヽヽヽ》です」戦士は断固としてさえぎった。「あなたのいおうとしてることはわかってます――あなたはこの戦闘隊に仲間《なかま》入りしたがってるんだ――だがそいつはいけません」
「しかし、ぼくは――」キニスンはしゃべりかけた。
「いかんです」バレリア人はきっぱりいった。「あなたは自分の快速艇にいなければだめです。貨物船の中にはもう余地がありません。貨物とわたしの部下たちで完全にふさがってます。船の外側に磁性止《じせいと》め金《がね》で定着してるのもだめです。なにもかも敵にばれてしまいますから。それに、わたしは生まれてはじめてグレー・レンズマンに命令をくだすチャンスをつかんだんです。これが最後でしょうがね。この船から出ていって近寄るなっていう命令です――わたしはあなたがそうするように処置しますよ、地球人のちびさん! やれやれ、なんていい気持だ」
「そうだろうよ、でかいわからずやのバレリア猿め――きみはいつも融通《ゆうずう》のきかん男だった」キニスンはやり返した。「手におえん頑固頭だ――ヘインズの入れ知恵だろう、ええ?」
「きまってまさあ」バン・バスカークはうなずいた。「さもなけりゃ、わたしが|あなた《ヽヽヽ》にこんな手荒いことをいって無事でいられるもんですか? しかし、そうがっかりするにはおよびません――じつのところ、あなたは何も損をしてやしません。こいつはもうきまりきった仕事ですが、あなたはこれからさき、どこかで楽しいことにぶつかるんです。ところでキム、おめでとう。あなたはそれだけの値打ちがありますよ。われわれはみんなあなたのあとにつづきますよ、ここからマゼラン星雲へ行ってまたもどってくるまでね」
「ありがとう。きみもおめでとう、バス。それからほかの進級者たちも。よろしい、きみがぼくを密航させてくれんとすれば、ぼくは後ろのほうからくっついていくさ。晴朗なエーテルを――というより、ぼくはあしたの朝までにエーテルが海賊でいっぱいになってるのを望むね。だが、そんなことはあるまい。われわれが目的地に近づくまでは、やつらは襲ってこないだろう」
そしてキニスンは貨物船の後ろにぴったりついて、何十万パーセクを事もなく航行して行った。
そのあいだ、彼は快速艇をあっちこっちと突進させることもあったが、大部分の時間は快速艇よりはるかに居心地《いごこち》のいい戦艦の中ですごした。そういうとき、彼の小さな艇は磁性止め金で戦艦の装甲舷側に定着させておいて、自分は将校や兵員たちと宇宙的友情を発揮しながら、眠ったり、食事したり、雑談したり、読書したり、運動したり遊んだりするのだった。しかし、待望の海賊からの襲撃《しゅうげき》が行なわれたとき、彼はたまたま快速艇の中にいたので、事件をはじめから終わりまで見聞することができた。
宇宙空間は、例によっておなじみの通信妨害でみたされていた。海賊船は貨物船に追いついて磁石で定着し、ビームを放射しはじめた。しかしそう激しくではなかった――防御《ぼうぎょ》スクリーンをやっと熱する程度だった――キニスンはスパイ光線で海賊船の内部をさぐってみた。
「地球人――それも北アメリカ人だ!」彼は一瞬驚いて叫んだ。「しかし、それも不思議はない。この襲撃はまえもってたくらんだことなんだし、貨物船の乗組員の半分以上はニューヨークのギャングなんだから」
「あのばかやろう、貨物船にスパイ光線スクリーンをかけてやがる」海賊船のパイロットは船長に向かってぼやいていた。彼は英語で話していたが、レンズマンにはどっちでも同じことだった。なぜなら、レンズマンはどんな形式の通信でも思考交換でも同様によく理解できたからである。「スパイ光線スクリーンをかけるなんてのは、話がちがってるじゃありませんか、ええ?」
もしヘルマスか、総基地の他の有能な人間がこの攻撃に指揮にあたっていれば、攻撃はここで中止されただろう。パイロットが示した感情のひらめきは、もうすこし進めば、疑惑にまで高まったはずだ。だが、船長は想像力の働く男ではなかった。
「どっちみち、スパイ光線スクリーンについては、何も話がなかった」彼は答えた。「たぶん一等運転士が当直なんだろう――やつはわれわれの仲間じゃない。船長がいまに出入口を開くだろう。すぐに開かなかったら、こっちから開いてやる――そら、出入口が開いたぞ。もうちょっと前進させろ――停止! 全員、移乗しろ!」
武装し防護服をつけた何百という男たちが、貨物船の出入口からなだれこんだ。しかし、乗り込み隊の最後のひとりが出入口を通過するや、まったく計画にないことが起こった。外部のドアがぴしゃりと閉じ、トグル装置が定位置におさまったのだ!
「あの防御スクリーンを吹っとばせ! たたきこわすんだ――そしてスパイ光線を放射しろ!」海賊船の船長は叫んだ。彼はギルダースリーブとちがって、みずから狂暴な手下をひきいて攻撃を指揮するほど、むこうみずで大胆《だいたん》な男ではなかった。そうではなく、彼はボスコーンの高級幹部たちを見ならって、安全な制御室の中から攻撃を指揮していた。しかし、すでに述べたように、彼はそれらの高級幹部たちとまったく同じというわけではなかった。彼が疑いはじめたときはもう手おくれだったのだ。「だれかが裏切ったかな?――それとも、われわれの獲物を横取りしようっていうのか?」
「もうすぐわかりまさ」パイロットはうなるようにいったが、そういっているうちにスパイ光線が通過して、ものすごい殺戮《さつりく》場面を暴露《ばくろ》した。
なぜなら、バン・バスカークと部下のバレリア人たちは、ただの貨物船乗組員ではなかったからだ――海賊たちはそうした船員が防護服もつけず、武装も不充分のまま、内部の反乱と闘争と殺し合いとによって、なおさら無力になっているだろうと予期していたのだが。
ところが、攻撃隊がぶつかったのは、自分たちより圧倒的に優勢な兵力だった。相手は個々の兵員の力や身軽さで優勢だったばかりでなく、貨物船のあらゆる通路に、すくなくとも一挺《いっちょう》の半携帯用ビーム放射器が据えつけられているという点でも優勢だった。大部分の海賊はそれらの放射を受けて、何に攻撃されたかを知るいとまもなく死んでしまった。
しかし、こうして死んだ者はまだ幸福だった。他の者はどんな攻撃が加えられるかを知り、それが迫ってくるのを見ていた。バレリア人たちは、デラメーター携帯用ビーム放射器をひき抜きさえしなかった。彼らは海賊の防護服がいかなる携帯用放射器にも何分かは耐えられるということを知っていたし、重い半携帯用放射器を据えつけることもきらったのだ。彼らは宇宙|斧《おの》を手にして襲いかかった。海賊たちはそれを見ると恐怖のあまり悲鳴をあげながらちりぢりに逃げ出した。しかし逃げきれなかった。出入り口はひじがねがさしこまれて、錠をおろされていたからだ。
こうして、海賊の攻撃隊はひとり残らず殺された。バン・バスカークが予言したとおり、これは闘争ともいえないほどだった。なぜなら、バレリア人がふりまわす宇宙斧のまえには、ふつうの防護服はブリキのようなものだったから。
海賊船のスパイ光線が通過したちょうどそのとき、この虐殺《ぎゃくさつ》のすさまじいフィナーレが暴露された。船長の顔はまず紫色になり、それから蒼白になった。
「パトロール隊だ!」彼はあえぐように叫んだ。「バレリア人だ――一部隊そろってる! 裏切りにちがいない」
「そのとおり――まんまとやられたんです」パイロットはうなずいた。「だがあとの半分がありますぜ。だれかが接近してくる。ボーイ・スカウトじゃないことは確かだ。もし戦艦がわれわれをとっちめようっていうんだったら、こっちはまったく踏んだり蹴ったりじゃありませんか」
「つべこべいうな!」船長はどなった。「そいつは戦艦か、それともちがうのか?」
「断言するにはちょっと遠すぎますが、たぶんそうでしょう。やつらはあの金目《かねめ》の貨物船を護衛《ごえい》なしでよこしゃしなかったでしょうからな――やつらは、われわれが貨物船の防御スクリーンを一時間で焼き切れることを知ってますぜ。逃げ仕度をしたほうがいいようですね、どうです?」
船長はその心づもりをしながら、せわしく頭を働かせた。もし戦艦がマグネットを用いられるほど接近すれば、この船はおしまいだ。この船のもっとも強烈なビームを使っても、戦艦の防御スクリーンを熱することさえできないだろう。いっぽう、この船の防御は、戦艦の放射にあえば、一秒も持ちこたえられまい――そこで彼は基地へもどることを命じた――。
「ほいきた!」パイロットは全力推進をかけた。「戦艦ですぜ。まったくひどい目にあったもんだ。基地へもどるんですか?」
「そうだ」そして打ちのめされた船長は通信器のスイッチを入れた。慎重に計画されたはずの襲撃がみじめな結果に終わったことを、自分のすぐ上の上司に報告するためである。
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一六 キニスン、車輪人間に出会う
海賊船が宇宙空間を逃走して行くあいだ、キニスンはその獲物と、コースおよびスピードを一致させてあとをつけて行った。やがて彼は操縦装置《そうじゅうそうち》の自動|制御器《せいぎょき》と探知盤の自動記録器とをいれ、ビーム追跡器の波長を調整しはじめたが、またすぐやめてしまった。スパイ光線の先端を海賊船の制御室に保っておくには、たえず気をくばって修正しなければならないということがわかったからだ。それは彼がすでに知っていることでもあった。このうえもなく念入りに安定化された電子流によって駆動《くどう》されるもっとも正確な自動制御器でも、一千マイル程度の近距離でさえ、スリップしがちなものである。とりわけ太陽系の近くの不安定なエーテルのなかではそうである。そしてこのスリップを修正するのはなんでもないことなのだ。彼はまえにはそんなことなど考えもしなかった。ごく些細《ささい》な修正なので、いつもはパイロットが当然のこととしてやっていたからだ。
しかしいま彼は二つの欲求のあいだに立往生していた。海賊船の船長が上司ととりかわしている会話を聞きたかった。とくに、もしヘルマスが自分の通信波を介入《かいにゅう》させているとすれば、それを追跡《ついせき》して、彼がつきとめたがっているヘルマスの総司令部を通過するもう一本の直線を確定したくてたまらなかったのだ。彼はいま一時に二つのことができないのではないかと気づかった――その気づかいには根拠《こんきょ》があることがすぐにわかった――そして、ほんの二、三分でもふたりの人間になれればいいのにと切望した。すくなくとも、ひとりのヴェランシア人になりたかった。彼らはたくさんの目と手とそして独立した脳区画を持っているので、五、六種類の仕事を同時に、しかもりっぱにやってのけることができるのだ。が、彼にはできなかった。しかし、やってみることはできた。あるいはもうひとり部下を連れてきたほうがよかったのかもしれない。いや、そうすると、あとで万事ぶちこわしになってしまうだろう。自分だけで最善をつくさなければならないのだ。
海賊船の中では、基地との連絡がとれて、船長が報告をはじめた。キニスンは片手をスパイ光線探知器にかけ、もういっぽうの手をビーム追跡器にかけながら、なんとかきれぎれのコースをたどり、きれぎれの会話を聞きとることができた。しかし、会話の重要な部分は聞きもらした。その部分で、基地の司令官が失敗した船長の通信をヘルマス自身のところへ切りかえたのだ。したがって、キニスンがひどく驚いたことには、彼が追跡しようとほねをおっていたビームがふいに消滅《しょうめつ》したかと思うと、ヘルマスが不遜な船長を罵《ののし》って次のように結論をくだすのが聞こえたのである。「――全部が全部おまえの責任というわけではないから、今回は厳罰に処することはすまい。アルデバラン星系の第一惑星にあるわれわれの基地に出頭《しゅっとう》し、おまえの船をそこの司令官に引き渡せ。そして、あの惑星の三十日のあいだ、彼が命ずることをなんでもするのだ」
キニスンは大あわてで追跡光線をもどして、ヘルマスの通信ビームを捜した。しかし、それに同調する間もなく、海賊の首領《しゅりょう》の通信は終了して、ビームは消滅してしまった。レンズマンは座席に背をもたせて考えこんだ。
アルデバラン! 事実上、彼自身の太陽系の隣りといってもいいほど近い星系だ。しかも、彼はその太陽系からこれほど遠くまでやって来たのだ。あれほど徹底的な探査《たんさ》をやったのに、海賊どもは、どのようにして太陽系のそんな近くにある基地をかくしおおせたのか? あるいは、再建することができたのか? だが、彼らは事実それができたのだ――重要なのはそのことだ。いずれにせよ、彼はどこへ向かえばいいのかを知っていた。これは大助かりだ。もう一つ彼が予期しなかったことで、しかも万事をぶちこわしてしまう原因になりかねないことがあった。それは、彼がこの海賊船をつけていくあいだ、無限に目をさましてはいられないという事実である! ときには眠らねばならないが、そのあいだに獲物は逃げてしまうにちがいない。もちろん、彼はCRX式追跡器を持っていた。これを用いれば、相手の船が最大有効距離内にいるかぎり、注意をはらわずにいても、追跡できるだろう。そして、CRXの探知盤と逆電流器および順電流器の自動制御装置とのあいだに光電管継電器をはさんでおくのは簡単なことだった――しかし、彼はそれを注文しておかなかった。だがさいわい目的地は、すでにわかっている。そしてアルデバランへの航行は充分に長いから、その間《ま》にそうした装置を一ダースでもつくることができる。必要な部品はみんなそろっているし、道具もたっぷりある。
こうして、キニスンは海賊船が宇宙空間をつんざいていくのを楽々とつけながら、自動「追撃器《チェーサー》」を製造した。彼はこの装置をそう名づけたのだ。はじめの四、五日は、「夜」になるたびに追跡中の船を見失ったが、目がさめると、それほどほねをおらずに見つけだすことができた。その後は自動追撃器ができあがったので、海賊船をたえず捕捉《ほそく》していた。彼は装置に日に日に改良を加え、とうとう話すこと以外なら、なんでもできるほど精密なものにしてしまった。それがすむと、彼はこれから先にひかえている問題全体を集中的に研究することに時間を費やした。その結果は、はなはだ不満足だった。なぜなら、どんな問題を解決するにしても、それを組み立てているデータが、具体的な方程式か理路整然たる形で充分にあたえられていなければならないのに、キニスンは充分なデータを持っていなかったからだ。未知のことが多すぎたし、既知《きち》のことも充分ではなかった。
第一の具体的問題は、海賊の基地へ侵入することだった。パトロール隊の探索隊《たんさくたい》が発見できなかったのだから、その基地は非常に巧妙にかくされているにちがいない。しかも、基地ほども大きなものをアルデバランの第一惑星の上でかくすということは、その惑星に関するキニスンの記憶によれば、それだけでもたいした技術が必要だったろう。彼はその星系へたった一度だけ行ったことがある。しかし――。
彼は快速艇の中でひとりだったし、広大な宇宙空間にいるくせに、そのただ一度の訪問のあいだに自分がぶつかったことを思い出して、はずかしさで赤くなった。彼はそのときふたりの麻薬密売者を追ってアルデバランの第二惑星に着陸したのだが、そこで彼がこれまで見たうちでも、もっともみずみずしい、もっとも完全な、魅惑的な美しい娘に出会ったのである。もちろん彼はそれまでにも美しい女たちを多数見ていた。素人《しろうと》の美人や、社交界の浮かれ女《め》、ダンサー、女優、モデルなどの玄人《くろうと》の美女たちを、実物でも写真でも見ていた。しかし、この女性のようにあでやかな生物が、シオナイトの夢の中以外に存在しようとは、思いもよらなかった。彼女はしとやかで無邪気な娘が困った立場に落ちたようなふりをしていたが、そうしているかぎりは、まったく申し分がなかった。だから、もし彼女がそのポーズをもうすこし長く保っていたら、どんなことになっていただろう。キニスンはそう思って、身ぶるいした。
しかし、彼女は麻薬密売者を知りすぎているいっぽう、パトロールマンを知らなすぎたので、キニスン候補生を、感情についてばかりでなく反応についても完全に誤解してしまった。なぜなら、彼女が愛欲をこめて彼の腕に身を投じたとき、彼はなにか邪悪なものを感じたからだ。このような女たちは、わけもなくこのような恋愛遊戯を演ずることはない。この女は自分が追いかけている二人組と関係があるにちがいない。そして彼はかすり傷を二つつくっただけで彼女から身を離し、彼女の共犯たちが逃亡しようとしているところをあやうくつかまえたのだ――それ以来、彼は美しい女性を恐れるようになった。あのアルデバランの悪女にもう一度会いたかった――もう一度だけ。彼はあのときほんの子どもだったが、いまは――。
しかし、こうした考えは、なんの役にもたたなかった。いまはアルデバラン第一惑星について考えるべきだった。あの惑星は不毛で生物もいず、荒涼として、空気も水もない。彼の手のようにむきだしで、火口や断崖だらけの死火山におおわれている。あの惑星の表面に基地をかくすには、膨大《ぼうだい》な工事が必要だろう。逆にいえば、その基地はそれ相応に接近しにくいだろう。基地が惑星の表面にあるかどうかは大いに疑問だったが、もしそうだとすれば、おおいかくされているだろう。いずれにしても、基地に接近する通路はすべて完全に遮蔽《しゃへい》され、肉眼による監視はもとより紫外線、赤外線などの監視装置があるだろう。そこへ行けば、彼の探知波中立器も役にたつまい。スクリーンと監視装置が邪魔だな――非常に、非常に邪魔だ。そこで問題がある――何か敵に気づかれずに基地に侵入できる物体があるだろうか?
彼の快速艇は接近することさえできないだろう。それは確かだ。彼だけならできるだろうか? もちろん、空気を保つために宇宙服をつけなければなるまいが、それは輻射《ふくしゃ》するだろう。そうとはかぎらない――探知器の有効距離外に着陸して、動力なしで歩いて行けばいい。だが、それでもスクリーンと見張りがある。海賊どもがぬけめがないとすれば、これはまったく可能性がない。そして、海賊どもはぬけめがないものと思わなければならない。
では、そうした障害を通過できるものは何か? あらゆる状況を慎重に考えた結果、決定的な解答があたえられ、採用すべき手段がはっきり示された。無事に通過できるのは、海賊自身によって認可されたものだけだ。彼の前を行く海賊船は通過できる。だから彼は海賊船そのものの中へはいって、基地へはいりこまねばならない。その問題が解決されると、あとは方法を考え出すばかりだったが、それはばかばかしいほど単純なことがわかった。
基地へはいりこんだら、何をなすべきか――というより、何ができるだろうか? 何日ものあいだ、彼は計画をたててはくずし、たててはくずしたが、ついにそれらをすっかり心から排除《はいじょ》してしまった。計画そのものが、基地の位置、その要員、配置、日常の勤務などの要素に左右されるところがあまりに大きいので、行動計画については大ざっぱな輪郭《りんかく》さえ作りあげられなかったのだ。自分がやりたいことはわかっていたが、どうすればそれをなしとげられるかについては、まったく見込みさえたたなかった。結局、目の前に現われたチャンスのうちで、もっとも可能性があるものを選び、臨機応変の行動をとるほかはあるまい。
そう決心すると、彼はスパイ光線を惑星のほうへ向けて、それを慎重に調査した。まったく彼が記憶していたとおりの状態だった。いや、それよりもひどかった。荒涼として乾燥しきっており、まったく土がない。全表面は、火成岩、溶岩、軽石からなり、宏大な山脈が縦横に交差《こうさ》し、どの山脈も死火山の山頂や吹きとばされた火口の連続だった。山腹、岩の平原、火口壁、谷底なども、小型の火口やぽっかり口をあけた巨大な隕石《いんせき》穴で無数のあばたをあけられている。まるで、惑星全体が長い地質学的時代を通じて、たえず隕石による宇宙爆撃の目標になっていたかのようである。
彼はその表面にくりかえしスパイ光線を放射したが、何も見つからなかった。探知器と追跡器でその表面を貫いてみたが、結果はまったく否定的だった。もちろん、もっと接近して電磁探知器で調べれば、鉄の所在《しょざい》は判明するだろう――多量の所在が――だが、その情報もまた無意味だろう。ほとんどすべての惑星が鉄鉱石を含有《がんゆう》しているからだ。彼の装置が探知しうるかぎりでは――しかも彼がアルデバラン第一惑星に対して行なった検査は、ふつうの探検船が行なうよりはるかに徹底《てってい》的なものだったが――この惑星の表面にも内部にも、いかなる種類の基地もなかった。だが、彼はそこに基地があることを|知っていた《ヽヽヽヽヽ》。ではどういうことなのか?――おそらく――ヘルマスの基地はやはり銀河系の中にあって、この基地と同様な方法で、たぶん何マイルもの厚さのある鉄板か鉄鉱石によって遮蔽されて、探知できないようにしてあるのだろう。ヘルマスの基地を通過する第二の直線を発見することが、今やぜがひでも必要になった。だが、海賊船とキニスンの快速艇は、急速にアルデバラン星系に近づきつつあった。彼は準備を整えなければならない。
携帯用備品《けいたいようびひん》をベルトにつけた。それには探知波中立器も含まれていた。次に宇宙服を点検し、補給材料や装置を入念《にゅうねん》にチェックした後、いつでも身につけられるようにしてかぎに吊るした。それから映像プレートをちらりと見やって、彼が発明した「追撃器《チェーサー》」が完全に働いているのを満足げに確かめた。
追跡者と被追跡者はすでにアルデバラン星系の内部にはいっていた。そして海賊船が速度をゆるめると、快速艇も速度をゆるめた。やがて有重力状態に移行して、螺旋《らせん》降下にはいる態勢をととのえた。しかし、キニスンは、もうそれにならわなかった。彼は有重力状態に移行するまえに、惑星の荒涼たる表面から五万マイル以内のところまでまっしぐらに降下して行った。それからバーゲンホルムを切り、海賊船が選んだ着陸|軌道《きどう》から充分離れたほとんど円形の軌道に快速艇をのせ、あらゆる動力を切ってただよった。快速艇の中にとどまったまま観測と計算をつづけ、ついに快速艇の軌道を正確に決定した。こうしておけば、将来いつでもまちがいなく快速艇を見つけだすことができるだろう。それから出入口の気密室にはいり、宇宙空間に踏みだした。そして、出入口が背後でぴったりとざすのを確かめてから、海賊船の螺旋軌道《らせんきどう》のほうへコースを向けた。
もう有重力状態に移行していたので、彼の前進はそれとわからないほどのろかったが、時間は充分にあった。それに、スピードがのろいといっても、それは比較的のろいというだけのことだ。彼は事実上一時間二千マイル以上の速度で宇宙空間を突進していた。そして彼の強力な小型推進器は、地球の重力の二倍の加速度で、その速度をたえず増加させている。
やがて、海賊船が這うようにのろのろ接近してきて、いまは彼より下方にいる。キニスンは推進力を重力の五倍にあげ、長いななめの下降コースを描いてそのほうへ突進して行った。これは追跡航行を通じてもっとも危険な一分間だったが、レンズマンの推測《すいそく》はあやまたず、海賊船の高級船員たちは前方と下方にばかり気をとられていて、後方と上方に注意をはらわなかったので、発見されずに接近することができた。有重力状態の宇宙船がものすごい速度で螺旋降下していくのに接近し、それに乗りこむことは、有能な宇宙人にとっては初歩的な技術である。海賊船はいま制動ジェットだけを働かせていたので、推進ジェットからの閃光《せんこう》はまったくなく、閃光に悩まされたり、姿を照らしだされたりすることもなかった。彼はコースと速度を、ますます海賊船に同調させながら接近した――磁力線を放射した――船体に定着した――非常出入口を開いた――そしてもう船内にはいっていた。
彼は船の後部通路にそって無造作《むぞうさ》に進み、いまはからっぽになっている戦闘員室にはいった。ここでハンモックに横たわり、加速帯をとじ、スパイ光線を制御《せいぎょ》室に放射した。すると、海賊の船長の映像プレートの中に、下方の惑星のけわしい地形が映っているのが見えた。パイロットはそこへ向けて一マイル、一マイルと船を降下させているのだ。キニスンは考えた。こいつは強引《ごういん》な降下だ。パイロットはなかなかよくやっているが、わざとむずかしい方法をとっているのだ。船をまっさかさまに降下させているが、そうせずにもう一度惑星のまわりに螺旋をかいて、それから下部ジェットを噴射《ふんしゃ》させながら滑走していけば楽《らく》なのだ。下部ジェットは、そのような目的で設計され取りつけられているのだから。だが、パイロットはわざわざ困難な方法をとりつづけ、船は制動ジェットの激しい噴射の反動ではねあがり、とびあがり、きりきりまいして、急速に降下していった。パイロットが船を水平にして通常の着陸姿勢をとったのは、あの巨大な火口の一つの中にはいりこんで、あのへりよりずっと下に降りてからだった。
キニスンは船の速度がまだ速すぎると思ったが、海賊船のパイロットは自分のしていることをよく知っていた。船はその巨大な縦穴をまっすぐに五マイルも降下してやっと底に達した。縦穴の壁には多数の窓がついていた。船の正面には巨大な気密境界《エア・ロック》の外側のドアがぼんやり浮きあがっていた。それが開き、船は着陸台もろともその内側に引きこまれ、巨大なドアが後ろでしまった。これが海賊の基地であり、そしてキニスンはその中にはいったのだ!
「アテンション!」海賊の船長が叫んだ。「ここの空気は致命的《ちめいてき》に有害だから、宇宙服を着《つ》けて、かならず酸素タンクをみたしておくこと。われわれのための部屋があって、そこの空気はいいが、わしが命令するまでは、ちょっとでも宇宙服を開いてはならん。集合! 五分以内にこの制御室にこないものは、船に残ってなりゆきにまかせることになる」
キニスンはすぐ心をきめて、乗組員といっしょに集合することにした。船の中にいたのでは何もできなかったし、もちろん船内は点検されるだろう。彼は充分空気を持っていたが、宇宙服はどれも似たりよったりだし、海賊たちが彼を疑ったときは、レンズが警告してくれるだろう。集合したほうがいい。もし点呼があったらだが……そのときはそのときで、なんとか切り抜けられるだろう。
点呼はなかった。事実、船長は部下になんの注意もはらわなかったのだ。来てもこなくても、勝手にしろというわけだった。しかし、船内にとどまることは死を意味したから、だれもが急いで集合した。五分間がすぎると、船長はさっさと歩み去り、部下たちもそれにつづいた。戸口を通り過ぎて左へ折れると、だれかが船長を出迎えたが、キニスンにはその姿を見わけられなかった。一行はちょっと立ち止まり、だらだらと進んで、それから右へ折れた。
キニスンは右折しないことにきめた。縦穴に近いこのあたりにとどまっていよう。ここなら、必要とあれば強引《ごういん》に外へ脱出できる。そしてそのあいだに基地全体を調査して、作戦をたてるのだ。まもなく一つの空部屋を見つけた。そこはどうやらふだんは使われていないらしい。そして、その厚い透明《とうめい》な窓をすかして、火口の巨大な円筒型の空洞《くうどう》が見えることを確認した。
それから彼はスパイ光線を放射して、海賊たちが彼らのために用意された小部屋へ案内されるのを眺めた。専用室かもしれないが、キニスンの目には、さきほどまでの同船者たちが不名誉にも投獄されたように見えた。キニスンは彼らに別れを告げてよかったと思った。スパイ光線を建物のすみからすみまで投射しているうちに、とうとう捜していたものが見つかった。通信室だ。その部屋はかなりよく照明されており、そこにあるものを見て、彼は驚きのあまり息をのんだ。
彼は地球人を見ることを予期していた。なぜなら、この星系の中で生物が住んでいる惑星はアルデバラン第二惑星だけだったが、そこには地球人が移住していて、住民はシカゴやパリの市民と同じように、地球の白色人だったからだ。ところが、そこにいるのは――その生物は――彼はいろいろな惑星を訪れていたが、このような生物は見たことも聞いたこともなかった。彼らはまったく車輪だった。どこへ移動するにも回転して行く。車輪の中心にあたる部分には、いくつもの頭がある――目――腕は何十もある。そして、とても器用そうな手――。
「ヴォジェナール!」明確な思考が、一つの奇妙な生物からもう一つへ向けて放射され、同時にキニスンのレンズをも刺激《しげき》した。「だれかが――だれか外部のものが――わしを眺めている。このがまんのならん干渉《かんしょう》をやめさせるから、そのあいだ交替していてくれ」
「地球から来たあの生物のひとりか? そういう干渉は許されんということを、いますぐ思い知らせてやろう」
「ちがう、彼らのひとりではない。感触《かんしょく》は似ているが、調子はまったくちがう。それに、これが彼らのひとりであるはずがない。なぜなら、精神の固有の作用を無器用《ぶきよう》に代用するこのような装置を身につけているものは、彼らの中にはひとりもいないからだ。いまにわしが――」
キニスンは思考波スクリーンのスイッチをいれたが、手おくれだった。侵害《しんがい》を受けた通信室では、腹をたてた通信者が言葉をつづけていた。
「――のぞき見するやつの波長に同調して、その根源をつきとめてやる。そいつはもう消滅《しょうめつ》してしまったが、あれを放射したものは近くにいるにちがいない。われわれの壁は遮蔽《しゃへい》されているのだから――ああ、わしの思考波が通過できない空間がある。第四通路の第七室だ。客のひとりが、思考波スクリーンの陰に隠れているにちがいない」そして彼は一隊の衛兵に命令をくだした。
「そいつをつかまえて、他のものといっしょの部屋《へや》にいれろ!」
キニスンはその命令を聞かなかったが、あらゆる事態に備えていたので、彼をつかまえにきた車輪《しゃりん》人間たちは、その命令をくだすよりは実行するほうがずっと困難だということを知った。
「とまれ!」レンズマンはレンズを使って車輪人間たちの心に激しく命令した。「おまえたちに危害を加えたくはないが、それ以上近づくな!」
「おまえが? われわれに危害を加えるというのか?」冷やかで明晰《めいせき》な思考が発せられ、車輪人間たちは姿を消した。しかし、長いことではなかった。彼らはすぐにもどってきた。彼らと同じ格好をしたほかの車輪人間だったかもしれない。こんどは戦闘のために武器を持ち、宇宙服をつけていた。
キニスンはまたしてもデラメーター放射器が効果がないことを知った。敵の宇宙服に装着されている防御《ぼうぎょ》スクリーン発生器は、彼自身の宇宙服の発生器と同じくらい強力だった。部屋の中の空気はたちまち目もくらむほどまぶしいエネルギーの場と変じ、壁そのものが砕けて気化しはじめたが、彼も攻撃者たちも傷つかなかった。そこでまたしてもレンズマンは例の中世的な武器にたよることにして、デラメーターをケースにおさめ、宇宙斧で襲いかかった。彼はバン・バスカークのような巨人ではなかったが、地球人としては非凡《ひぼん》な力と技倆《ぎりょう》と敏捷さをそなえていたので、敵対者たちに対して、まったくヘラクレスのような強剛《きょうごう》ぶりを発揮した。
そういうわけで、彼が宇宙|斧《おの》をふるいにふるうにつれて、部屋は血みどろの屠殺場《とさつじょう》と化し、どの隅《すみ》にも車輪人間の打ち砕かれた死体がうず高く積み重なり、床《ゆか》は血と粘液《ねんえき》でおおわれた。最後の二、三人はこの抵抗しがたい鋼鉄《こうてつ》の武器にそれ以上立ち向かうことを望まず、回転しながら逃げ去った。キニスンは次に何をなすべきかを瞬間的に思いめぐらした。
こんどの航行は、これまでのところ失敗だった。もはやここにいても、なんの効果もない。まだ、からだが一つにまとまっているうちに逃げ出したほうがましだった。だが、どうやって逃げ出すのか? ドアからか? だめだ。そこまでは行きつけまい――そんなことをしていたら間に合わないだろう。彼のスクリーンは小銃の弾丸なら防げるだろうが、そのことは彼らも同様に知っているはずだ。彼らは小口径の大砲を用いるだろう――いや、おそらく半携帯用ビーム放射器を用いるかもしれない。壁をこわしたほうがいい。もっとも、彼が逃げ道をつくっているあいだに、敵は別な手段を考えるかもしれないが。
これらのことを思いめぐらすには、ほんの一瞬でこと足りた。そしてキニスンは壁をこわしにかかった。デラメーターの放射口を最小限にせばめ、放射力を最大にあげて、強力な切断力をもつビームを放射した。熱線は縦横《じゅうおう》に壁をつらぬいた。
しかし、レンズマンは敏速に行動したが、それでもまだおそすぎた。彼の背後《はいご》から、低い四輪運搬車が部屋にはいってきた。車には、複雑で無気味な機械がのっている。キニスンはさっとふりむいて、それに向きあった。ふりむいたとき、彼がこわしにかかっていた壁の一部が、外側へがらがらとくずれ落ちた。それと同時に空気がどっと外へ吹きだし、レンズマンをさらって破壊口から縦穴へ運び去った。そのあいだに運搬車の上の機械は断続的なきしるような響きをたてはじめた。そしてその響きとともに、キニスンは弾丸が彼の宇宙服を貫き、肉をひき裂くのを感じた。その一撃《いちげき》一撃は、バン・バスカークの宇宙斧の打撃のように破壊的だった。
キニスンが深傷《ふかで》を負ったのは、これがはじめてだった。彼は息苦しくなった。しかし、弾のショックで息がつまり、からだがしびれ、感覚が混乱《こんらん》しながらも、右手は重力中立器の外部制御器に走った。なぜなら、彼は有重力状態で落下していたからだ。記憶しているところでは、火口の底までは十メートルか十五メートルくらいしかなかった――もし有重力状態で底にぶつからないつもりなら、一瞬もぐずぐずしていられない。彼は制御装置のスイッチを入れた。なんの変化も起こらない。どこかが破壊されたのだ。推進器も動かない。彼は内部制御器を動かそうとして、宇宙服の手首の締《し》め金《がね》をはずし、その奥へ手をひっこめはじめた。しかし、もう時間ぎれだった。彼は自分より先に落下した石材の凝固《ぎょうこ》しつつある堆積《たいせき》のてっぺんに衝突した。しかし、まだそれだけですっかり落ち着いたわけではない。彼の上から同じ石材が雨あられと降りかかり、宇宙服にぶつかってボイラー工場のような騒音《そうおん》をたてたのだ。
石材の堆積がまだ凝固していなかったのはさいわいだった。それはわずかながらクッションの役割をはたして、レンズマンの落下をやわらげたからだ。しかし、凝固しつつある岩石のクッションがあったとはいえ、四十フィートの有重力落下は、けっしてお手やわらかなものではなかった。一千もの杭打《くいう》ち機で一時にたたきつけられたようだった。骨が鳴り、傷ついた肉が口をあけて、耐えがたい苦痛の波が全身をおそった。そして慈悲《じひ》ぶかい失神が潮《うしお》のように迫ってきて、苦痛にうめく心をのみこむのがおぼろげに感じられた。
しかし、混乱した彼の全存在の中で、はじめはかすかだったが、何物かがうごめきはじめた。あの未知の、そして知り得ない何物かだ。彼をして現在あらしめている、あの定義しがたい究極《きゅうきょく》的な素質である。彼はまだ生きていた。そしてレンズマンというものは、生きているかぎりあきらめないのだ。あきらめることは、ただちにその場で死ぬことだった。なぜなら、彼は急速に空気を失いつつあったからだ。もちろん備品箱の中にプラスチック補修剤を持っていたし、宇宙服の裂けめは小さかった。その裂けめをふさが|ねばならない《ヽヽヽヽヽヽ》。それもすばやくふさがねば。左腕はまったく動かせないことがわかった。かなりひどく砕かれているにちがいない。浅くでも呼吸するたびに、焼けるような痛みがあった――肋骨《ろっこつ》が一、二本折れているのだろう。しかし、さいわいにも、血を吐いていないのだから、肺は傷ついていないにちがいない。右腕は動かせたが、粘土のかたまりか他人の腕のようだった。しかし、彼は気力をふりしぼって、それを動かした。その腕を宇宙服の締め金つきの手首から引き抜き、鉛のように重い手をむりに動かして、宇宙服の胴をみたしているように思える血のりの中をすべらした。備品箱を探りあてた。そして、はてしないように思えた苦しい時間の後、なんとかそれを開いてプラスチックを取り出した。
それから、苦痛の波が絶えずいよいよ激しくおそってくる中で、傷ついてきかなくなったからだを、むりによじらせながら、貴重な空気がシューシュー抜け出している裂けめを探りあててそれをふさごうとした。裂け目を探りあてた。それもすみやかに。そして、しっかりふさいだ。しかし、最後の穴をふさいでしまうと、彼は弱りはててがっくりした。もう、さほど痛みは感じなかった。苦痛が耐えがたいほどの激しさに高まったので、神経そのものが、そのような重荷を背負うことを拒《こば》んで、ほうりだしてしまったのだ。
まだなすべきことは山ほどあったが、休息しなければ、何もできなかった。彼の鉄のような意志をもってしても、痛めつけられた筋肉を、それ以上動かすことはできなかった。筋肉は、それらが耐えてきた負担から多少とも解放される必要があったのだ。
空気は残っているとしても、どのくらいだろう? 彼はぼんやりと、まったく無関心な冷淡さで考えた。たぶんタンクはからっぽだろう。宇宙服の裂けめをふさぐのにずいぶん時間がかかったように思えたが、むろん、それほど長くかかったわけではあるまい。さもなければ、タンクにも宇宙服にも空気がまったくなくなっていたはずだ。しかし、空気がそれほど多く残っているはずはなかった。彼はタンクの計器を見たいと思った。
しかし、いまはもう眼球さえ動かせないことがわかった。それほどひどい昏睡《こんすい》に落ちこんでいたのだ。どこかはるかなところに、海のような黒い広がりが感じられた。まるで天のように深く、やわらかで快い感触だった。そして、その平和と安静《あんせい》の海から、巨大でやさしい腕がのびてきて、彼を抱擁《ほうよう》した。何かが彼にささやいた。なぜ苦しむのか? あきらめてしまったほうがずっと楽だぞ!
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一七 たいしたことじゃない
キニスンは意識を失わなかった――完全には。なすべきこと、なさ|ねばならぬ《ヽヽヽヽヽ》ことが多すぎた。ここから脱出せ|ねばならなかった《ヽヽヽヽヽヽヽヽ》。快速艇へもどら|ねばならなかった《ヽヽヽヽヽヽヽヽ》。どうあっても最高基地へもどら|ねばならない《ヽヽヽヽヽヽ》! そういうわけで、彼は動くたびに高まる痛みに耐えて頑固に歯をくいしばりながら、ふたたびあの自分が持っているとはまるで知らないでいる、深く隠された能力をふるいおこした。彼の信条は単純だった。レンズの信条だ。レンズマンは生きているかぎりあきらめない。キニスンはレンズマンだった。キニスンは生きていた。だからキニスンはあきらめない。
彼は、自分をおしつつむような暗黒の潮を波また波と押し返した。あのやさしくまねくような忘却の腕を、意志の力をふりしぼってはね返した。パテのかたまりのようにいうことをきかないからだを励まして、なさ|ねばならぬ《ヽヽヽヽヽ》ことをさせようと努めた。もっともひどく出血している傷口に止血ガーゼを押しこんだ。そのときわかったのだが、やけどもあった――あの運搬車には、ライフルのほかに、ニードル光線も積んであったにちがいない――しかし、やけどは手当てのしようがなかった。とてもそれだけの時間がなかったのだ。
動力導線が弾丸で切断されているのがわかった。絶縁|被覆《ひふく》をはぎとることは、ほとんど不可能に近い仕事だったが、ついにどうにかやってのけた。切断部分を連結するのは、もっとむずかしい仕事だった。導線には余分なゆるみがなかったので、その両端を直接よじり合わすことはできなかった。予備の導線の短い切れはしの被覆をはぎとり、その両端をねじ曲げたもので連結しなければならない。まったく手さぐりでやらねばならず、おまけに苦痛でなかば意識を失いかけていたにもかかわらず、彼は、とうとうこの仕事もやってのけた。
導線の接合部をハンダづけすることは、もちろん問題外だった。そこをテープで絶縁しようとすることさえ危険だった。それをやっているうちに、やわにからませた接合部がまた離れてしまうかもしれないからだ。しかし、もし手がとどけば、乾いたハンカチが何枚かあった。彼はハンカチを取りだすことができた。そして、導線のむきだしの接合部をそれで注意深く巻いた。それから、こわごわと重力中立器を試してみた。なんたる不思議、それは作用した! 推進器もまた!
数瞬の後、彼は縦穴を上昇していた。そして自分が吹き飛ばされた壁の穴の前を通り過ぎたとき、意外なことを理解した。彼は何時間も縦穴の底に横たわっていたように思ったが、じつはそれが数分間で、それもほんの二、三分だったのだ。なぜなら、ちょうどそのとき、あわてふためいた車輪人間たちが、基地内の空気が激しい勢いで吹きだすのをせきとめるために、臨時の防壁をそこに当てがったところだったからだ。キニスンは不思議に思いながら、空気タンクの計器を見やった。充分|間《ま》に合うだろう――もし急ぐならば。
そして彼は急いだ。急ぐことは可能《ヽヽ》だった。飛行を妨げる大気がほとんどなかったからだ。彼は深さ五マイルの縦穴をのぼりきって宇宙空間にとびだした。彼のクロノメーターはさっきの落下よりもっと激しいショックにさえ耐えられるようにできていたので、快速艇を発見するはずの位置を示していた。そして、数分のうちに快速艇を発見した。いうことをきかない右腕をやっと宇宙服のそでに押しこんで、錠をいじった。カチッと音がして、出入口がさっと開いた。彼はまた自分の快速艇の中にはいった。
また意識に暗黒の世界が侵入しはじめたが、またそれを追いはらった。気絶することはできない――まだだ! 制御盤へからだをひきずって行って、太陽へコースを向けた。その惑星である地球のようにちっぽけな目標を選ぶには、まだはるかに遠すぎたからだ。彼は自動制御装置を連結した。急激に衰弱していることが、自分でもわかった。しかし、なさ|ねばならぬ《ヽヽヽヽヽ》ことをするために、どこからか、何とかして力をしぼりださ|ねばならなかった《ヽヽヽヽヽヽヽヽ》――そして彼はなんとかそれをやってのけた。バーゲンホルムのスイッチを入れ、最大|噴射《ふんしゃ》のスイッチを入れた。がんばれ、キム! あとほんの一秒だけがんばれ! 彼は逆電流器の連結を切った。探知波中立器を切った。それから、まったく最後の力をしぼり尽くして、レンズに向かって思考を集中した。
「ヘインズ閣下」思考波はぼやけ、ゆがみ、弱々しかった。「キニスンです。帰投します――帰投――」
彼は弱り果てていた。打ちのめされて、冷たくなっていた。まったく消耗しきっていた。これまででも、やりすぎていた――はるかに、はるかにやりすぎていた。彼はいたましく傷ついたからだを動けるかぎり動かし、苦痛にひしがれた心を思考しうるかぎり思考させた。彼の活力は驚くべきものだったが、それさえも最後の最後までしぼり尽くされた。そしてずっとまえから彼をのみ込もうとしてできずにいた忘却の暗い深淵にふかぶかと突入して行った。快速艇は、意識を失い、弱り果て、重傷を負って深い昏睡《こんすい》に落ちているレンズマンを乗せて、想像もおよばぬような高速で彼の故郷の地球へ向かって突進して行った。
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しかし、グレー・レンズマンのキムボール・キニスンは、なすべきことを、失神するまえにすっかりしておいた。彼が最後に発した思考波は、微弱で不完全ではあったが、その役割をはたした。
その思考波が伝達されたとき、空港司令官ヘインズは、デスクについて、部屋いっぱいの行政官たちといっしょに、重要な問題を討議していた。彼は鍛《きた》えあげられたベテランの宇宙犬で、多くの戦闘と負傷の経験者だったから、その思考波が何を意味しているかということと、それがどれほど切実な要求から伝達されたかということを、ただちに理解した。そこで彼はいきなり立ちあがり、マイクをつかんで、命令を叫んだ。同席の幕僚たちはあっけにとられた。命令につぐ命令。七つの戦区にいるあらゆるパトロール船は、種類や大きさを問わず、探知網《たんちもう》を限界までひろげよ。キニスンの快速艇がどこかそのあたりにいる。それを発見せよ――捕捉《ほそく》せよ――その推進を停止させて、この基地の第十着陸場へ連行せよ。パイロットをひとりすぐここへよこせ――いや、ふたりだ。宇宙服をつけてくるのだ。いちばん腕のいい連中の中から選べ――どこか近くにいるようだったら、ヘンダスンかワトスンかシャーマーホーンがいい。それからヘインズは基地病院にいる彼の生涯の友、軍医|総監《そうかん》レーシーにレンズで呼びかけた。
「やぶ医者さん、わしの部下がひとり、重傷を負って宇宙を飛んでおるのだ。彼は無重力状態でやってくる――その意味がわかるかね。いい医者をひとりよこしてくれ。それから、看護婦で、携帯用重力中立器の使用法を知っていて、ネットへはいるのをこわがらんのがいるかね?」
「承知した。わしが自分で行く」医者の思考は司令官のそれと同様に明快だった。「いつ、われわれが入用なのか?」
「その快速艇が牽引《けんいん》ビームで捕捉《ほそく》されたらすぐだ――そうなったら、きみに知らせる」
それから空港司令官は他の事務をほうりだして、パトロール船がキニスンの快速艇を捜査《そうさ》するためにいっぱいに張りめぐらしている探知網《たんちもう》をみずから指揮した。
ついに快速艇が発見された。ヘインズは自分の映像プレートを切ると、小部屋にとびこんだ。そこには、彼自身の宇宙服が吊るしてあった。もう何年も使われていなかったが、いつでもすぐ使用できるようにしてあった。そしていま、ついに、老いたる宇宙犬はそれをまた使用する絶好の口実を見つけたのだ。もちろん、もっと若い連中を派遣《はけん》することはできたが、この仕事だけは、自分でやりたいのだ。
宇宙服をつけると、舗装《ほそう》道路を横切って、着陸場へ大股《おおまた》に歩いて行った。そこには、宇宙服をつけたふたりの男が待っていた。どちらも第一級のパイロットだ。医者と看護婦もいた。ヘインズは看護婦のほうをほとんど見なかった――というより、見るには見たが、注意ははらわなかったのだ――奔放《ほんぽう》にうずまいた赤褐色の巻き毛の上に、すっきりした白い帽子がのっていた。均斉《きんせい》のとれた若々しいからだが、純白の服につつまれていた。彼は看護婦の顔にはまったく気をつけなかった。彼が気をつけてみたのは、重力中立器が彼女の背中の曲線にぴったり取りつけられているということだった。それは正しく取りつけられていたが、まだ作用していない。
なぜなら、彼らが直面しているのは、ふつうの仕事ではなかった。快速艇は自由着陸するだろう。司令官はもっとわるい事態を予想した――そしてその予想は正しかったのだが――キニスンもまた無慣性状態でいるだろう。ただし、快速艇の速度とはちがう固有の速度をもった、別個の無慣性状態だ。彼らは快速艇の中にはいり、艇を宇宙空間へ連れだして、有重力状態にしなければならない。キニスンを快速艇から運びだして有重力状態にし、彼自身の速度を快速艇の速度に同調させてから、また艇へ運び込まねばならない。そのあとで、そしてそこではじめて、医者と看護婦は治療をはじめることができるのだ。それから、彼らはできるだけ早く着陸しなければならない――キニスンはとうの昔に病院に収容されているべきだったからだ。
そして救助者たちは、これらの行動を通じて、また地上へもどるまで、ずっと無慣性状態でいるのだ。ふつうなら、このような外部からの訪問者は、船を出て自分を有重力状態にし、自分の動力で有重力のまま船へもどるのだ。しかし、いまはそんなことをしている時間がなかった。彼らはキニスンを病院へ連れていかねばならない。そればかりでなく、医者や看護婦は――とくに看護婦は――宇宙服航行の経験者であることを期待できなかった。彼らはみんなネットのなかでそれを受けるだろう。それが急がなければならないもう一つの理由だった。なぜなら、彼らが宇宙に出ているあいだ、彼らの固有の速度は変化しないままだが、環境の速度は絶えず変化する。彼らが宇宙に出ている時間が長いほど、そのずれは大きくなる。だからネットにはいることが必要なのだ。ネット――それはレザーとカンバスの袋で、ゴム・スポンジをつめた鋼鉄《こうてつ》のコイルで内張《うちば》りされ、ベリリウム銅のスプリングやゴムとナイロンのケーブルなど、人間がくふうできるかぎりのショック吸収装置によって、天井《てんじょう》、壁、床《ゆか》に定着されているものである。人間のからだの固有の速度がその環境の固有の速度と一致しない場合――そのからだがパルプのように粉々《こなごな》にならないためには――体内に存在する運動エネルギーを吸収し分散《ぶんさん》することが必要だが、これは容易なことではないし、また、そのネットへしりごみせずに入るというのは、どんな人間にとってもたいへんな勇気を要することである。とくに、その人間が、どれほどの運動エネルギーを分散する必要があるかを知らない場合は、なおさらである。ヘインズは看護婦のすらりとしてしなやかな若々しい背中を眺めながら考えこんでいたが、やがて口をひらいた。
「看護婦は連れて行くのをやめたほうがよさそうだな、レーシー。さもなければ、宇宙服を着せるか――」
「時間が何より大切ですわ」看護婦自身がきっぱりした調子で口をはさんだ。「わたくしのことなら、ご心配におよびません、空港司令官閣下。まえにもネットにはいったことがございます」
彼女はそういいながら、ヘインズをふりむいた。ヘインズは、はじめて彼女の顔をまともに見た。これはどうだ、ほんものの美人ではないか――|すごい美人《ノック・アウト》だ――宇宙空間の七戦区を総出動させるほどの美人だ――。
「さあ、来たぞ!」快速艇はひと筋の牽引ビームに捕捉《ほそく》されて、待機《たいき》ちゅうの五人の前に着陸した。彼らは急いで乗り込んだ。
急ぎはしたが、なんの狼狽《ろうばい》も混乱もなかった。だれもがなすべきことを心得ていて、それをてきぱきやってのけたからだ。
小型宇宙船はまた宇宙空間へとびだし、激しく下方へ側面へと突進しているうちに、パイロットのひとりがバーゲンホルムを切った。空港司令官とぐったり意識を失ったキニスンとが、気密室からとびだした。ふたりとも無慣性状態で、互いに鎖《くさり》で連結していた。ふたりが新しい方向へすさまじい速度で突進しているあいだ、ヘインズはキニスンの重力中立器を切った。ふたりの宇宙服の推進器が働きはじめると同時に、激しい二重の閃光《せんこう》を発した。
次の操作が安全にできるような状態になると同時に、宇宙服姿のひとりが宇宙釣り糸を手にして快速艇からとびだした。そのパイロットが釣り糸のかぎのついた一端を老レンズマンの宇宙服のソケットにくり返して突きこむうちに、かぎがカチリとソケットにおさまった。すると、ふたりのがっしりしたパイロットは、まるで釣り師が魚をひっかけてあやつっているような格好で、両足を気密室の鋼鉄の戸口にふんばり、からだから力汗《ちからあせ》を流し、息をつけるとき以外は息をつかず、やむをえない場合にだけ糸を送りながら、ヘインズとキニスンの推進器が速度の差異《さい》を克服《こくふく》しようとしているのを助けた。
やがて、老若ふたりのレンズマンは艇内《ていない》にもどった。医者と看護婦は、高度に熟練《じゅくれん》した技術につきものの冷静さと正確さで、すぐ仕事にとりかかった。ふたりはたちまち彼の宇宙服とレザーの制服をぬがせ、ハンモックに寝かした。患者を手術台の上にのせるまでは、ガーゼを二、三つめるほか何もできないということをすぐに見てとったからだ。そのあいだに、ふたりのパイロットはハンモックにはいり、観測したり、計算したり、協議したりしていた。
「閣下、この艇は非常なスピードをもっています――その大部分は直下降《ちょっかこう》です」ヘンダスンが報告した。「着陸用ジェットで着陸させるには、完全一回転で二Gに近い加速度がかかるでしよう。われわれはどちらも艇のバランスをとりながら下降させることができますが、そうするには、艇の尾部を真下にしなければなりません。そしてそれは途中の大部分、五G以上の加速度がかかることを意味します。どちらをお望みですか?」
「時間と圧力と、どっちが重要かね、レーシー?」ヘインズは問題の解決を外科医にゆだねた。
「時間だ」とレーシーはただちに解決した。「直下降したまえ!」患者はすでに非常な力と圧力を受けていたから、さらに少し力と圧力を受けても、それ以上の害はないだろう。だから、時間がもっとも決定的な要素なのだ。医者と看護婦と司令官はハンモックにとびこんだ。パイロットたちは制御装置《せいぎょそうち》についたまま、安全ベルトと加速帯をきつくしめた――三十分以上のあいだ五Gの圧力を受けるのは、楽《らく》なことではない――そして試練《しれん》がはじまった。
推進ジェットとサイド・ジェットから、激しい白熱《はくねつ》的な閃光《せんこう》がほとばしった。快速艇はものすごい勢いできりきり舞いしたが、たちまちちょうどいい位置で急激に、しかし巧妙《こうみょう》にひき止められた。艇は軌道《きどう》も描かず、コルク抜き状またはその他の螺旋《らせん》も描かずに降下していった――まっすぐに。それも下部ジェットを下にしての降下ではなく、それよりもっと強力な制動ジェットを下にしての降下でもなかった。最高基地きっての名手であるチーフ・パイロットのヘンリー・ヘンダスンは、艇の「尾部を下にしてバランスさせながら」快速艇の恐ろしい慣性を殺していった。つまり、この宇宙用語を翻訳《ほんやく》すれば、彼はこの扱いにくい気まぐれな小艇を真上《まうえ》に向けて、その主推進器を猛烈《もうれつ》に噴射《ふんしゃ》させることで、地球の重力やその他の妨害的な力に対抗しながら、艇の質量とスピードから生じたものすごい運動エネルギーをその推進力で打ち消し、克服し、分散しているのだった!
そしてヘンダスンは艇をみごとにバランス降下させていった。ヘインズはこの大胆不敵《だいたんふてき》な男が、実際に快速艇を尾部から着陸させるつもりかと一瞬あやぶんだ。が、ヘンダスンはそうはしなかった――すくなくとも完全には――そうではなくて、地上わずか百フィートばかりのところで、はじめて艇首《ていしゅ》をさげて、下部ジェットを噴射しながらしずかに着陸させた。救急車とその係員が待ちかまえていた。そしてキニスンが病院へ急送されているあいだに、ほかのものたちはネット室へ急いだ。もちろん、レーシー博士が最初で、つぎに看護婦だった。ヘインズが感嘆《かんたん》したことに、彼女はネットを老練な宇宙飛行士のように受け入れた。医者が「まゆ玉」から出るやいなや、彼女はすぐその中にはいった。この場合、彼女の百四十五ポンドの体重はけっして軽視できない大きさだったが、その質量に対するものすごい動揺《どうよう》と反動がおさまるやいなや、彼女は自分から外へ出て、病院のほうへ芝生を横切りながら駆けていった。
ヘインズは執務室にもどって仕事をしようとしたが、気持を集中できなかったので、病院へ出かけて行った。そしてそこで待っていて、レーシーが手術室から出てきたのをつかまえた。
「どうだね、レーシー、彼は助かるかい?」彼はたずねた。
「助かるかだって? もちろん助かるさ」医者はぶっきらぼうに答えた。「まだくわしいことは話せないがね――あと二時間くらいは、われわれ自身にもわからんのだ。帰るんだね、ヘインズ。十六時四十分にまた来たまえ――それより一秒も早くちゃいけない――そしたら、すっかり話してやるよ」
空港司令官はしかたなく立ち去ったが、指定された時間きっかりにまたやって来た。
「どうだね?」彼は前置きなしにたずねた。「ほんとに助かるのか、それとも気休めをいってるだけなのか?」
「それ以上に調子がいい、ずっといいのだ」外科医はうけあった。「そう、まちがいなしだ。彼はわれわれが期待した以上にいい状態だ。ごく軽い事故だったにちがいない――まったくたいしたことじゃない。いまのようすでは、切断手術さえ必要ないだろう。彼は百パーセント回復するよ。人工器官も必要としないばかりじゃなく、傷跡《きずあと》さえ残らんだろう。宇宙事故にぶつかったのじゃあるまい。そうだったら、あんな軽傷ではすまなかったろう」
「結構《けっこう》だ、先生――すてきだよ! くわしく話してくれ」
「これが写真だ」医者はレンズマンの内部器官を微細《びさい》に写した全身のX線写真をひろげた。「まずこの骨格を見たまえ。まったくすばらしい。もちろん、いまはあっちこっちが多少異常だが、これはわしがはじめて見た完全な男性骨格だということになるにちがいない。あの青年は成功するぞ、ヘインズ」
「あたりまえだ。さもなければ、われわれが彼にグレー・スーツを着せるはずがないじゃないか? だが、わしがここへ来たのは、そんなことを聞くためじゃない――傷を見せてくれ」
「写真を見たまえ――ひと目でわかる。複雑骨折だ。両足と片腕と肋骨が二、三本。もちろん、肩胛骨《けんこうこつ》もやられている――そっちだ。そう、頭蓋骨折《ずがいこっせつ》もあるが、そいつはたいしたことはない。それだけだ――背骨はごらんのとおり、まったくやられていない」
「『それだけ』とはどういうことだ? 肉傷のほうはどうなんだ? わしは自分の目で見ているが、ピンで刺したような傷とは|ちがう《ヽヽヽ》ぞ」
「これっぱかりも問題にならん。刺し傷が二、三と切傷が二つばかりあるが、どれも急所をはずれている。輸血《ゆけつ》さえ必要あるまい。負傷してすぐ、彼自身が主要出血部を止血しているからだ。もちろん、やけども二、三あるが、ほとんどが表面的なものだ――治療で簡単になおらないようなのは一つもない」
「それはありがたい。では、彼はここに六週間ばかりいることになるね?」
「十二週間といったほうがよさそうだな――少なくとも十週間だ。ごらんのように、骨折のいくつか、とくに左足のもの、それから二か所のやけどは、この種のものとしては、いくらか重いほうだ。それに、負傷してから治療を受けるまでにかなり時間がたっていたことも、けっしてためにならなかったからね」
「二週間もすれば、彼は起きて歩きまわったり仕事をしたりしたがるよ。六週間もすれば、きみの病院をめちゃめちゃにぶちこわすだろうさ」
「わかっている」外科医は微笑した。「彼は理想的な患者になるタイプじゃない。だが、まえにもいったように、わしは、病院がありがたがらんような患者を治療するのが好きでな」
「ところで、彼につく看護婦たちの身上調査がほしいんだが。とりわけ、あの赤毛の娘のをな」
「そうだろうと思ったから、取り寄せておいたよ。さあ、これだ。きみがマクドゥガルに眼をつけてくれて嬉しいよ――彼女はわしのお気に入りだからね。クラリッサ・マクドゥガル――スコットランド系。もちろん、名前ではっきりわかるがね――二十歳。身長五フィート六インチ。体重百四十五ポンド二分の一。これが写真だ。月並《つきな》みなやつとX線のと。そら、その骨格を見たまえ! 美しい! わしが見た女性の骨格のうちで唯一《ゆいいつ》の完全なものだ……」
「わしが関心をもっているのは、骨格じゃない」ヘインズはうなるようにいった。「わしのレンズマンが目にとめるのは、骨格の外側にある部分だ」
「マクドゥガルについて必要とすることはないよ」外科医は断言した。「そのX線写真を見れば、それがわかる。彼女は模範《もはん》的だ――その骨格によってそうなら|ざるをえない《ヽヽヽヽヽヽ》のだ。彼女はもし望んだとしても、X光線を一ミリだって避けられなかったはずだ。いいか、わるいか、どっちでもないか、男か女か、肉体的、精神的、道徳的、心理的にどのようであるか、それらすべてのことを骨格が教えてくれるのだ」
「おそらくきみにとってはそうだろう。だが、わしにとってはちがう」ヘインズは≪月並《つきな》みな≫写真を取りあげた。それは完全天然色の実体写真で、問題の娘をほとんど生きているように再現《さいげん》していた。濃い髪は赤ではなく、しっとりつややかな赤褐色または赤銅《しゃくどう》色で、ところどころが赤と金に輝いていた。目は――彼は赤銅色という表現しか思いつかなかったが、そこに黄王《トパーズ》色と褐色をおびた金色の斑点があった。皮膚もあわい赤銅色で、健康な若い女性のふつうの色つや以上に輝いている。この娘は美しいだけではない、と空港司令官は断定した。外科医の言葉を借りれば、彼女は、≪模範的≫だった。
「ふむ……む。えくぼまである」ヘインズはつぶやいた。「わしが想像した以上に危険なしろものだ――この娘は文明の脅威《きょうい》だよ」そして記録を読みはじめた。「家族……ふむ。経歴……経験……反応および特性……行動様式……心理……知性……。
「この娘ならいいだろう、レーシー」彼はしばらくして外科医に注文した。「これをずっと彼につけておいてくれ……」
「いいだろうだって!」レーシーは鼻息あらくいった。「彼女《ヽヽ》は値打ちがあるどころじゃない。見ろ、あの髪を――あの目を。純粋種なんだ。彼女にふさわしい相手は、千億人にひとりの男でなけりゃならん。もっとも、彼はあんなみごとな骨格の持ち主《ぬし》だがね」
「あたりまえさ。きみにはわかってないらしいな、近眼の盲腸切除屋さん。彼は純粋種の|キニスン《ヽヽヽヽ》なんだぜ!」
「うむ……そうなると、たぶんわれわれの世話で……だが、彼はまだだれにもほれこんだりすまい。なにしろ、ついこのあいだ独立レンズマンになったばかりなんだから。しばらくは、だれも寄せつけんだろう。きみは知っとるはずだが、若いレンズマンは――とりわけ若いグレー・レンズマンは――仕事以外は目にはいらんものだ。一、二年のあいだはな」
「それも彼の骨格からわかるっていうのかね、ええ?」ヘインズは疑わしそうにいった。「一般にはそうさ。だが、どうなるかはわからんよ。とくに病院というところではな……」
「それも素人《しろうと》の誤解だ!」レーシーは手きびしくいった。「世間《せけん》で信じていることとは反対で、病院ではロマンスの花は咲かんのだ。もちろん、職員同士のあいだでは別だがね。患者はよく看護婦にほれこんだと思うものだが、一つのロマンスが生まれるためには、ふたりの人間が必要だ。看護婦は患者には惚《ほ》れこまない。男は治療を受けているあいだ、その男の最良の状態にあるとは義理にもいえんからね。事実、しっかりした男ほど、わるい患者になりがちなものだ」
「だが、だれだったか忘れたが、ずっとまえにこんなことをいった男がいたよ。『あらゆる一般法則は真実ではない。この一般法則さえも』とな」空港司令官はやりかえした。「彼はほれこんだとなると、猛烈だろう。ところで、あの娘ひとりだけをあてにするのはよそう。髪の黒い娘はどうだね?」
「たったいまいっただろう。マクドゥガルはわしが見たうちで唯一《ゆいいつ》の完全な骨格を持った女性だよ。もちろん、ブラウンリーもなかなかいいが、しかし――」
「レンズマンの配偶者《はいぐうしゃ》にふさわしいほどよくないというのかね、ええ?」ヘインズは結論をくだした。「じゃあ、その娘は除外《じょがい》だ。この問題について、きみの手持ちの最良の骨格を集めてくれ。そして、そのほかの看護婦は彼に近よせないようにするのだ。ほかの看護婦たちは、ほかの病院へ移してほしい――すくなくともこの病院の他の階へな。きみは病院のロマンスが一方的なものだといったが、彼が、どんな娘でも彼がほれこめば、きっと娘のほうも彼にほれこむにちがいないからだ。わしは、彼が自身にふさわしくないような相手にほれこむチャンスをあたえたくないのだ。わしは正しいかね、まちがっているかね? まちがっているとしたらなぜだい?」
「そう、わしはまだ彼の骨格を充分に研究する時間がなかったが……」
「もう一週間くらいかけて研究したほうがいい。わしはこの六十五年間というもの、多くの人間を研究してきた。いつでもわしのその経験を、きみの骨格に対する知識と競争させてやるよ。わかるだろうが、わしは彼がこの入院中にだれかにほれこむ|だろう《ヽヽヽ》といっているのではない――ただ、大事《だいじ》をとっているわけだ」
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一八 高等訓練
キニスンは意識《いしき》を回復した――というより、なかば意識を回復したといったほうが、より正確だろう――それと同時に、ぼんやり見える白衣の姿に向かって叫んだ。彼はそれが看護婦にちがいないとわかっていたからだ。
「看護婦さん!」そしてその努力でからだじゅうに焼きつくような痛みが走ったので、白衣の姿へ向かってレンズをとおして思考を伝達《でんたつ》した。
「ぼくの快速艇だ! ぼくはあれを自由着陸させたにちがいない! 宇宙空港に連絡して……」
「安心なさい、レンズマン」澄んだ声が低くささやいて、赤毛の頭が彼の上にかがんだ。「快速艇はちゃんと処置してあります。何もかも手が打ってありますから、眠ってからだを休ませなさい。
「あなたの艇のことは心配いりません」やさしい声はつづけた。「あれは着陸させられて、それから必要な処置を受けて……」
「ぼくのいうことを聞くんだ、おばかさん!」患者は自分の意思をいっそうよく伝達しようとして、痛みにかまわず叫んだ。「気休めをいうのはよしてくれ! ぼくがうわごとでもいってると思うのか? ぼくのいうことをありのままに受けとってくれ。ぼくはあの快速艇を自由《ヽヽ》着陸させた、というんだ。その意味がわからなかったら、わかる者に知らせろ。宇宙空港に連絡して――ヘインズに連絡して――連絡して……」
「とうの昔に連絡しましたわ、レンズマン」看護婦の声はやすりなめらかでやさしかったが、その顔には怒ったような血の色がさした。「なにもかもすんでいると申しあげたでしょう。あなたの快速艇は有重力状態にされました。さもなければ、あなたが有重力状態でここにいらっしゃれるはずがないでしょう? わたくし自身もそのお手伝いをしたんです。ですから、艇が有重力状態になっていることを|知っているんです《ヽヽヽヽヽヽヽヽ》」
「QX《オーケー》」患者はたちまちまた意識を失った。看護婦はそばに立っていた実習生《インターン》をふりむいた――この看護婦がいるところには、ほとんど常に、すくなくともひとりの医者がついている。
「だが、ぼくの船は……」
「おばかさん!」彼女は叫んだ。「このひとはさぞ世話のやける患者になるでしょうね! まだ意識も回復しないのに、もう悪口をいって、けんかをふっかけているわ!」
二、三日のうちに、キニスンはすっかり意識を回復した。一週間すると、ほとんど痛みが去り、束縛《そくばく》されていることをじれったがりはじめた。十日すると、「ベッドにしばりつけておくのが適当な」状態になった。主任看護婦との関係は、はじめからひどく険悪《けんあく》だったが、時がたつにつれていっそう険悪になった。なぜなら、ヘインズとレーシーがどちらも十二分に予想したように、レンズマンはけっして理想的な患者ではなかったからだ。
彼は何をされても満足しなかった。医者という医者はみんなまぬけだった。彼を手術して助けたレーシーさえもそうだった。看護婦はみんなおばかさんだった。「マック」はほとんど超人的な技巧と忍耐で彼を世話していたが、その彼女さえ――というより、彼女はとくに――そうだった。人間に食物が必要ということぐらい、まぬけやおばかさんでも、極端《きょくたん》な低能《ていのう》者でも知っているはずではないか!
彼は日に三度か四度、ときには五度でも、手あたりしだいにものを食べる習慣がついていたので、ふだんは二十四時間の緊張した努力のうちに五千カロリー以上の熱量を燃焼《ねんしょう》し尽すことができたのを、いま安静にしているからだでは、それだけの熱量を使いきることができないということがわからなかった――また彼の胃袋にもそれがわからなかった。彼は四六時ちゅう空腹をうったえ、絶えず食物を要求しつづけた。
しかも、彼が食物というのは、オレンジ・ジュース、グレープ・ジュース、トマト・ジュース、ミルクなどのことではなかった。また、薄い紅茶や、かりかりのトーストや、ときどき出るあっさりした半熟卵のことでもなかった。もし卵を食べるとすれば、いためて食べたかった。三個か四個に厚切りのハムを二切れ三切れそえたやつだ。
大きくて厚い生焼《なまや》けのビフテキがほしかった――断固として熱烈にほしかった。豚の脂身《あぶらみ》をたっぷり入れて煮た豆が食べたかった。とほうもなく加工したトーストではなく、厚切りのパンにバターをたっぷりぬって食べたかった。厚切りの牛肉を生焼けで食べたかった。じゃがいもに濃い茶色のソースをかけて食べたかった。コンビーフとキャベツの煮込みを食べたかった。パイが食べたかった――どんなパイでもいい――四つ切りにした大きくて厚いやつだ。えんどう豆やとうもろこしや、アスパラガスやきゅうりや、そのほか別世界のさまざまの食物を食べたかった。彼はそれらの名前を、しばしばくり返して口に出した。
しかし、とりわけ食べたいのはビフテキだった。昼間はそのことを考え、夜は夢に見た。ある夜、彼はとくになまなましい夢を見た――とりわけうまそうな上質ビフテキで、バターでいためてマッシュルームをまぶしたやつだ――しかし、よだれを流し、腹をグーグーいわせながら目をさますと、また薄い紅茶とかりかりのトースト、それにもっともひどいことに、こんどはぶよぶよした白っぽい落とし卵だ! もうがまんがならない。
「持っていってくれ」彼はげっそりしたようにいった。そして、看護婦がしたがわないのを見ると、手をのばして、朝食を皿ごとテーブルから払い落とした。彼はそれが床《ゆか》にぶつかる音を聞きながら顔をそむけた。精いっぱいがまんしたにもかかわらず、熱い涙がまぶたを押しわけた。
これはとくにつらい試練《しれん》だった。強情《ごうじょう》な患者に、処方《しょほう》された朝食を食べさせるには、さすがのマックもありったけの技巧と忍耐を要求された。しかし、彼女はついに成功した。そして廊下へ出ると、例のどこにでもついてまわる実習生《インターン》に出会った。
「きみのレンズマンはどうだい?」彼は人気《ひとけ》のない炊事室でたずねた。
「彼のことを|わたしの《ヽヽヽヽ》なんていわないでちょうだい!」彼女は叫んだ。彼女ははけ口のない感情で、いまにも爆発しそうだった。もちろん、あの患者のように無力であわれむべき相手にそうした感情をぶちまけることはできなかった。「ビフテキですって! いっそ彼にビフテキを食べさせて、のどがつまってしまえばいいと思うわ――もちろんのどがつまるにきまってるけど。赤ん坊より、しまつがわるいわ。わたくし、あんな――あんな駄々っ子って見たことがない。お尻をたたいてやりたいわ――その必要があってよ。彼がどうしてレンズマンになれたか、知りたいもんだわ。大きなけんか好きの腕白小僧ったら! いまに彼のお尻をたたいてやるわ、見てらっしゃい!」
「そう気にするなよ、マック」実習生はなだめた。しかし彼は、ハンサムな若いレンズマンと美しい赤毛娘との関係がもっと親密にならないので、内心ひどくほっとしていた。「彼はここにそう長くいるわけじゃない。だが、ぼくはこれまで、きみが患者に負けたのを見たことがないぜ」
「たぶん彼みたいな患者も見たことがないでしょう。わたくし、彼が二度と負傷しないように心から望むわ」
「なぜだい?」
「それをあなたに説明しなくちゃならないの?」彼女はやさしくたずねた。「もし彼がもう一度負傷したとしても、どこかほかの病院に送ればいいわ」そしてさっさと出ていった。
マクドゥガル看護婦は、レンズマンが待望の肉を食べられるようになれば自分の苦労も終わるものと思っていたが、それはまちがいだった。キニスンは神経質でおこりっぽく陰気になり、交互にいらだったり、ふさぎこんだりした。それも不思議ではなかった。彼はベッドにしばりつけられていた。そして心の中には、自分の失敗をくやむ意識がわだかまっていた。失敗したばかりではない――笑いものになるような、まったくばかなことをやってのけたのだ。彼は敵をあなどりすぎた。そして彼自身のおろかさのために、全パトロール隊がつまずいたのだ。彼は苦しみ悩んだ。
「ねえ、マック」彼はある日うったえた。「服を持ってきて、ぼくをちょっと歩かせてくれたまえ。運動が必要なんだ」
「まあ、キム、まだいけませんわ」彼女は魅力的な微笑をいっぱいに浮かべてやさしく禁止した。「でも、もうすぐですよ。その足がもうすこし調子がよくなれば、看護婦ともお別れよ」
「きみは美人だが、ばかだ!」レンズマンはうなった。「きみや、あのやぶにらみのやかまし屋たちにはわからんのか? ぼくはこれから死ぬまでずっとベッドに突っこんでおかれたんじゃ、いつまでたっても力を回復できやしないぞ。それに赤ん坊あつかいするのはやめてくれ。ぼくはもうすっかりよくなってるんだから、きみのその職業的な笑い顔とあやすような身ぶりはやめてくれ」
「けっこうですわ――わたくしもそう思いますもの!」彼女はついにたまりかねて叫んだ。「あなたには、だれかがあけすけに忠告したほうがいいんです。わたくしはいつもレンズマンたちは頭《ヽ》がよくなければならないものと思っていましたけれど、あなたはここへいらしてから、ずっと完全な|駄々っ子《ヽヽヽヽ》でした。まず、あなたはからだをこわすのもかまわずに食べたがりました。そしてこんどは、骨がすっかりくっつきもせず、やけどもなおりきっていないのに、起き上がってこれまであなたのためにしたことを台無《だいな》しにしたがっているんです。なぜ、その態度をあらためて、ご自分の年齢にふさわしい行動をなさらないの?」
「ぼくは看護婦ってものがそう分別《ふんべつ》を持ってるとは思っていなかったが、じつはまるで持っていないってことがいまわかったよ」キニスンは頭から信用しないようすで、ひどく不機嫌《ふきげん》に彼女をにらみつけた。「ぼくは仕事にもどるといってるんじゃないんだ。ちょっと軽い運動をしようっていうんだ。自分に何が必要かぐらいわかっているよ」
「あなたは何もご存知ないけれど、それを知ったら驚きますわ」そして看護婦はあごをつんとそらせて出ていった。しかし、五分すると彼女はまた美しい微笑をたたえながらもどってきた。
「ごめんなさい、キム。わたくし、あんなに爆発しちゃいけなかったんです――あなたがじりじりして気がたたずにいられないわけはわかります。わたくしがあなただったら、やっぱり……」
「もういいよ、マック」彼はぎこちなくいった。「なぜしょっちゅう、きみにくってかからなきゃならんのか、自分でもわからないんだ」
「QX《オーケー》、レンズマン」彼女はもうすっかり静かな調子で答えた。「わたくしにはわかります。あなたはおとなしくベッドにおさまっているタイプのかたじゃないんです。でも、あなたのような重傷を負ったら、だれでもベッドにおさまっていなければなりません。それが好きでも嫌いでも、またどれほどじれったくってもね。さあ、寝返りをうってください。アルコール・マッサージをしますからね。でも、もうほんとに長いことじゃありませんわ――もうすぐあなたを車椅子に乗せて外へ連れていってあげます……」
このようにして何週間が過ぎた。キニスンは自分の行動が言語道断で、忌《い》むべきものであることを知っていたが、どうしてもそうせざるをえなかったのだ。彼は苦悩《くのう》と不安の圧力が高まるたびに、しばしば爆発《ばくはつ》する|のだった《ヽヽヽヽ》。そして、歯痛に悩まされているジャングルの虎のように、手あたりしだいに物や人にかみついたりひっかいたりするのだった。
しかしついに、最後のX線写真が調べられ、最後のほうたいがとり除かれ、全快者として放免《ほうめん》された。彼は入院を「監禁」と称して、ひどくいまいましがったが、ほんとうに全快するまでは放免されなかった。ヘインズがそのように手配《てはい》したのだ。そしてヘインズはその長い入院期間を通じて、ごく短い面会しか許さなかった。しかし、キニスンは退院するとすぐ彼に面会をもとめた。
「はじめに、わしにしゃべらせてくれ」ヘインズは彼を見るなり忠告した。「自分を責めたり破壊的な自己批判をしたりするのはやめるのだ。万事、建設的でなければならん。ところでキムボール、きみが完全に回復したと聞いて、大いに嬉しい。だいぶ重傷だったからな。さあ、話したまえ」
「閣下は最初の命令でわたしの口を封じておしまいになりましたね」キニスンは苦笑しながらいった。「これだけいわせてください――完全な失敗です。いや、もう一つつけ加えます――いままでのところは、です」
「その意気だ!」ヘインズは叫んだ。「われわれは、こんどのことが失敗だったというきみの意見には反対だ。成功でなかったというだけだ――これまでのところはな――これは失敗というのとはまったく別物《べつもの》だ。それにもう一つつけ加えれば、われわれはきみについて、病院から非常にいい報告を受け取ったよ」
「へえ?」キニスンは口がきけなくなるほど驚いた。
「もちろん、きみはあやうく病院をぶちこわすところだった。だが、それは予期されたことだった」
「しかし、閣下、ぼくはとんでもない……」
「そのとおり。レーシーがしょっちゅういっていることだが、彼は病院を困らせるような患者が好きなのだ。そのことについてちょっと考えてみたまえ――きみが年をとるにつれて、もっとよくわかるようになるだろう。だが、そう考えれば、いくらか気が軽くなるだろうよ」
「はい、閣下、ぼくはいささかげっそりしていましたが、閣下や他の人たちがそれでもなおそうお考えなら……」
「そう考えるとも。元気を出して、話をつづけたまえ」
「ぼくはいろいろなことを考えました。そして、また任務につくまえに、あることをやっておきたいと……」
「わしに話す必要はないんだよ」
「わかっております、閣下。しかし、お話ししたほうがいいと思います。ぼくは自分のうぬぼれとばかに、何かの治療をしてもらえるかどうかを確かめにアリシアへ行くつもりです。ぼくはいまでも、自分がレンズの有益な使用法を知っていると思っていますが、それをするに充分な能力を持っていないのです。おわかりでしょうが、ぼくは……」彼は言葉を切った。いいわけのように聞こえることをいいたくなかったからだ。しかし、彼の思考は老レンズマンにとって、印刷のように鮮明《せんめい》だった。
「つづけたまえ。われわれは、きみがいいわけめいたことをいいたくないということを知っているよ」
「ぼくは自分が相手にしているのが地球人だと思っていました。海賊船に乗っていたのが地球人でしたし、アルデバラン星系の住民は、わかっているかぎりでは、地球人だけだからです。しかし、あの車輪人間たちがぼくをいともやすやすと完全にやっつけたので、自分の能力が不充分だということが、あきらかになりました。ぼくはおびえた子犬みたいに逃げたのです。とにかく帰還することができたのは、運がよかったのです。もし……」彼は言葉をきった。
「もしなんだというんだ? 筋道をたてて考えたまえ」ヘインズはつよく指摘した。「きみはまちがっとる。大いにまちがっとる。きみはあのとき、判断においても行動においてもあやまたなかった。きみは相手を地球人と考えたことで自分を責めている。きみが相手をアリシア人そのものと考えたと仮定してみたまえ。そしたらどうなるね? 後の得た知識に照らしてくわしく点検してみても、あれ以外の結果をもたらすことができたとは思えないね」賢明な老司令官にさえ、あのときキニスンが海賊基地に侵入する必要がなかったということは思い浮かばなかった。レンズマンならだれでも侵入しただろうからだ。
「いずれにしても、彼らはぼくをやっつけました。それがしゃくにさわるのです」キニスンは率直に認めた。「ですから、もしアリシア人が、もっと教育してくれるなら、それを受けるためにアリシアへ行こうと思うのです。ぼくはかなり長いことアリシアに行っているでしょう。ぼくの頭蓋骨《ずがいこつ》の浸透《しんとう》性を向上させて、もっとものわかりをよくするためには、アリシア人の導師《メンター》だって、長いことかかるでしょうから」
「導師《メンター》は、きみに二度とアリシアへもどってくるなとはいわなかったのか」
「いいませんでした、閣下」キニスンは子どもっぽくにやりとした。「導師は、ぼくの場合それをいうのを忘れたにちがいありません。彼がこれまでにおかした、たった一つの失策だろうと思います。それが口実になるのです」
「うむ……む……む」ヘインズはこの些細《ささい》ではあるが驚くべき事実について考えこんだ。彼はアリシア人の知力を若いキニスンよりずっとよく知っていたから、アリシアの同志がどれほど些細なことでも忘れたりするはずがないと信じていた。「そういうことはまだ前例がない……彼らは特異《とくい》な種族だ。理解しがたい……だが、懲罰《ちょうばつ》的なところはない。彼はきみの請求を拒絶するかもしれんが、それ以上わるいことはない――つまり、もしきみが許可なしにあの障壁《バリヤー》を突破するようなまねをしなければだな。それはいい思いつきだと思う。だが、くれぐれも注意してほしいのは、あの障壁には無慣性状態で動力ほとんどゼロのままぶつかることだ――さもなければ、まったくぶつからないことだ」
ふたりは握手をかわした。そして何分か後には、快速艇はまた宇宙空間をつんざいて突進していた。キニスンは、いまや自分が手にいれたいものを知っていたので、この長い航行のあいだ、目をさましているすべての時間をささげて、それを受けるための肉体的、精神的運動を行なった。そういうわけで、時間は長いとは思えなかった。彼はかたつむりのようにペースをゆるめて障壁《バリヤー》に接近し、それにふれるとすぐ停止した。そして、その障壁を通じて思考波を伝達《でんたつ》した。
「太陽《ソル》系第三惑星のキムボール・キニスンより、アリシアの導師《メンター》へ。あなたの惑星へ接近してもよろしいですか?」彼は強制もへつらいもせず、率直に単純な質問をして単純な返答を求めた。
「よろしい、地球人キムボール・キニスンよ」落ちついて深みのある声が彼の脳に反響した。「制御装置を中立化して着陸せよ」
彼はそのとおりにした。有重力化した快速艇は突進し、正規の宇宙空港に完全な着陸を行なった。彼は事務室に歩み入り、そう遠くない過去に彼の能力を測定してレンズをさずけてくれた、あのグロテスクな生物と顔をあわせた。しかし彼はいま、まばたきもせず沈黙のうちにその生物を見つめた。
「ああ、おまえは進歩したな。おまえはもう、視覚がかならずしも信頼できないということを理解している。このまえの会見で、おまえは自分が見ているものが現実に存在しているにちがいないと信じていた。そして、われわれの真の姿がどんなものかと疑いもしなかった」
「ぼくはいま、真剣に疑っています」キニスンは答えた。「そしてもし許されるならば、あなたの真の姿を見られるまでここにとどまっているつもりです」
「この姿かな?」生物は、たちまち白いひげをはやした学者ふうの老紳士に変じた。
「ちがいます。自分でものを見ることと、あなたに見せてもらうこととのあいだには、大きなちがいがあります。ぼくには、もうすっかりわかっています。あなたは、ご自分の望みの姿をぼくに見せることができるのです。ぼく自身とまったく変わらない姿に見せることもできるし、そのほか人間でも物体でも、ぼくに考えられるかぎりのものに見せることができるのです」
「ああ、おまえの進歩は、はなはだ満足すべきものだ。若者よ、もうおまえに告げてもいいことだが、おまえが単なる情報でなく真の知識を求めにくることは、すでに予期されていたのだ」
「はあ? そんなことがあるでしょうか? つい二週間ばかりまえまで、ぼく自身はっきり決心していたわけではないのですが」
「これは当然のことだったのだ。おまえのレンズを調整したとき、われわれはおまえがもし生きていれば、またやってくるということを知っていた。最近われわれがヘルマスというものに告げたように――」
「ヘルマスですって! では、あなたは彼がどこに――」キニスンは口をつぐんだ。彼はそのことで援助を求めたくなかった――自力で戦って自分で勝利をわがものとしたかった。もしアリシア人が進んで情報をあたえてくれるなら、それはそれでよかった。しかし、自分からそれを求めたくはなかったのだ。また、アリシア人もそれを教えはしなかった。
「おまえの考えは正しい」賢者《けんじゃ》は平静にいった。「適当な発展のためには、おまえが自力でその情報を得ることが必要なのだ」そして彼は思考を伝達しつづけた。
「最近われわれがヘルマスに告げたように、われわれはおまえたちの文明に、ある装置をあたえた――レンズだ――おまえたちの文明は、その力によって、銀河系宇宙の中で自己を確立することができるだろう。われわれはレンズをあたえはしたが、おまえたちレンズマン自身が心のレンズとの真の関連を理解しはじめるまでは、真実の永続的な利益をそれ以上あたえることはできなかった。その理解は当然訪れるべきものだった。われわれは、いつの日かおまえたちの心のうちのどれかが、従来知られていなかったその関連を発見できるほど、強固になるだろうということを、ずっと前から知っていたのだ。どの心かがそれを発見すれば、その心の持ち主《ぬし》は、ただちにレンズの源《みなもと》であるアリシアへもどってきて、さらに従来以上の教育を求めるのが当然だったのだ。やはり当然のことだが、この教育はその心が以前には受け入れ得なかったようなものなのだ。
「おまえたちの心は、年ごとに強くなった。そしてついにおまえがレンズを調整してもらいにきた。おまえの心はまだはなはだ未熟だが、おまえがここへもどってくることを確実ならしめるような、潜在的な能力をそなえていた。ほかにも何人か、もどってくるものがいるだろう。事実、われわれのあいだでは、おまえともうひとりのものと、どちらが最初の高等教育生になるかということが、論議《ろんぎ》の的《まと》になっていたのだ」
「もうひとりのものとはだれですか。もしよろしければ教えてください」
「おまえの友人、ヴェランシア人のウォーゼルだ」
「彼はほんとうの精神力を持っています――ぼくよりはるかにすぐれています」レンズマンは当然のことのようにいった。
「ある意味ではそうだ。が、それ以外のある重要な特性についてはそうではない」
「はあ?」キニスンは頓狂な声をあげた。「いったいどんな点で、ぼくが彼にまさっているのですか?」
「その点を、おまえに理解できるような思考の形で正確に説明できる確信はない。大まかにいえば、彼の心はおまえのよりいっそうよく訓練され、いっそうよく発達している。理解力が大きく、現在の力ははるかに大きい。おまえの心よりいっそう制御《せいぎょ》がきき、いっそう敏感でいっそう適応性がある――すくなくとも現在は。しかし、おまえの心は未熟だが、彼の心より大きな能力を持っている。より大きく、より多様な潜在力を持っている。とりわけ、おまえはものごとを推進する力、ことをなす意志力を持っている。この不屈《ふくつ》の精神力は、彼の種族のだれにも到達できまい。わたしはおまえが最初にもどってくるだろうと予言したのだから、おまえがその予言どおりに成長してくれたのが満足なのは当然である」
「そうでしょうか。ぼくは多少とも強制的に動かされてきたのです。それに何度も好運にぶつかりました。ところが、ぼくには自分が前へでなく後ろへ進んでいるように思われたのです」
「真に有能なものはつねにそうなのだ。では用意をするがいい!」
アリシア人は精神的衝撃を発射した。その衝撃で、キニスンの心は混乱した映像《えいぞう》の激しい渦巻に巻き込まれて、文字どおりきりきりまいした。
「抵抗せよ!」きびしい命令がきた。
「抵抗ですって? どうやって抵抗すればいいんです?」レンズマンは身もだえし汗を流しながら問い返した。「はえに向かって、有重力の宇宙船に抵抗しろというようなものです!」
「意志を用いるのだ――気力を――適応能力を。心を転移させて、あらゆる部分でわたしの心と対応するのだ。こうした基本的なこと以外は、わたしにも他のだれにも、おまえがどうすればいいかを指示することはできない。心というものは、それぞれ固有の方法を発見し、固有の技術を開発《かいはつ》しなければならないのだ。しかし、これは、おまえの現在の力量に応じて加減した、ごく温和な扱いなのだ。これからしだいに力を強めていくが、おまえに恒久《こうきゅう》的な傷害をあたえるほど強めはしないから、安心するがいい。建設的な訓練はそのあとで行なう。第一段階では、抵抗力をつくりあげねばならないのだ。だから、抵抗するのだ!」
力は一瞬もゆるめられずにじりじり強まり、耐えられる限度までいった。レンズマンは断固として頑強にそれと戦った。歯をくいしばり、筋肉を緊張させて、指を椅子《いす》の丈夫なレザーのひじかけに激しくくいこませ、あるかぎりの力をふりしぼりながら戦った……。
ふいに拷問《ごうもん》がやみ、レンズマンは精神的にも肉体的にも疲れはててがっくりした。青ざめ、身ぶるいし、汗をかいていた。自分の全存在の底の底までゆさぶられたような感じだった。自分の弱さが恥ずかしかった。自分が示した醜態《しゅうたい》にあきれ、また落胆《らくたん》していた。しかし、アリシア人からは平静《へいせい》で励ますような思考がきた。
「恥じるにはおよばない。それどころか、誇ってもいいのだ。なぜなら、おまえがこの訓練のはじめに示した能力は、師のわしでさえ驚くほどのものだったからだ。おまえには、これが不必要な懲罰《ちょうばつ》と思えるかもしれないが、そうではない。これはおまえが求めているものを発見する唯一《ゆいいつ》の方法なのだ」
「それでしたら、やってください」レンズマンはきっぱりいった。「喜んで受け入れますから」
こうして「高等教育」はつづけられた。生徒はしだいに強くなり、ついには、はじめに受けたら、ただちに殺されてしまったような衝撃《しょうげき》にも、無事に耐えられるようになった。訓練時間はいよいよ短縮されていった。この訓練には、どんな人間でも三十分以上は、そのものすごい緊張に耐えられないほどの精神力の多大の集中が必要だったからである。
そして、意志と意志、精神と精神とのこうした激しい衝突のあいまに、真の教育があたえられた。そうしたレッスンは、苦痛でもなく不快でもなかった。それらのレッスンの中で、導師は若者の心の中をおだやかに探り、それを展開して、その心の所有者の目の前に、本人が以前にはその存在を気づきさえしなかったような広大な奥行きをあばきだしてみせた。そうした心の倉庫のあるものは、すでに一部または完全にみたされていて、ただそれらを整理し連結しさえすればよかった。また、ほとんどからっぽのものもあった。それらは目録《もくろく》にまとめて、利用しやすいようにされた。そしてそれらすべてを通じて、レンズの力が作用していた。
「まるでつまった水路を開通させているようだ! レンズはポンプの役ですが、これまで充分働けなかったのです」ある日キニスンはそう叫んだ。
「そのたとえは、おまえが現在、理解している以上に真実に近いのだ」アリシア人はうなずいた。「もちろんおまえも気がついていることだが、わたしはレンズについてくわしい指示をあたえもせず、その特有の能力を指摘することもしなかった。おまえはまだレンズの用法を理解していないのだがな。おまえはそのポンプを自分で運転しなければならない。自分のレンズがどれほどの力を持ち、どのように作用するかを知れば、おまえは、たびたび驚かされることだろう。われわれの唯一の仕事は、おまえの心を鍛えて、レンズと一緒に活動できるようにすることだ。そしてその仕事はまだ終わっていない。さあ、訓練をつづけよう」
キニスンには何週間もたったように思われたある日、彼は導師の暗示《あんじ》を完全に防げた。それもアリシア人がその事実を見抜けないように妨げた。レンズマンは全力をふりしぼり、それを一点に集中して、師に投げ返した。それにつづいて起こった精神的格闘は、根本的には親愛の情に支えられていたが、それにもかかわらず激しいものだった。そのすさまじい精神的格闘によって、媒質《ばいしつ》そのものが煮えたち沸きかえるほどだったが、ついにレンズマンは師のスクリーンを打ち破った。そしてその目を深く見抜きながら、全力をあげてアリシア人の真の姿を見ようと意志した。たちまち学者ふうの老人は姿を変じて……≪脳そのもの≫になった! もちろん栄養摂取や運動などをつかさどる多少の付属器官はあったが、事実上アリシア人はほとんど脳だけの存在なのだった。
緊張は終わり、格闘はおさまった。キニスンは非礼をわびた。
「気にしなくともよい」脳はキニスンの心にほほえみかけた。「わたしが用いたような精神力を中立化できるほど強力な心なら、もちろん、それ自体が強力な精神的衝撃を発することができる。しかし、そのような力を劣弱な心に向かって用いてはならない。そんなことをすれば、相手はたちどころに死んでしまうからだ」
キニスンは口ごもりながら答えかけたが、アリシア人は話しつづけた。
「そうだ、こんな警告がよけいなものだということは、わたしにもわかっている。もしおまえがこの力にふさわしくなく、またそれを適当に制御《せいぎょ》できなかったら、それを所有することもなかっただろう。おまえは求めていたものを手に入れた。さあ、それでは元気に行くがいい」
「ですが、これはほんの一面です。まだ序《じょ》の口です!」キニスンは抗議した。
「そうか、おまえはそこまでわかっているのか? 若者よ、おまえが長足《ちょうそく》の進歩をすみやかにとげたことは事実だ。だが、おまえは、まだそれ以上のものを受ける準備ができていない。わかりきったことだが、心はその能力以上の力を受けると、破壊されてしまうのだ。だから、おまえはわたしのところへ来たとき、自分が求めるものを正確に認識していた。おまえは、われわれからさらに求めているものについて、同じように正確に認識しているかな?」
「していません」
「もし認識することがあるとしても、まだ何年も先のことだろう。事実、おまえの子孫の代になってはじめて、おまえがいま、ごくおぼろげに求めていることを受け入れる資格ができてくるのだ。若者よ、もう一度いうが、元気に行きなさい」
キニスンは立ち去った。
[#改ページ]
一九 裁判官、陪審員《ばいしんいん》、そして死刑執行官
レンズマンにとって、自分がアリシア人から求めていたものがなんであったかを正確に認識するには、長いことかかった。そしてその基本的な概念は、いくつもの源泉から発していた。その一部は、ふつうの催眠術についての彼自身の知識から発していた。一部は、遠方から他人の心を制御《せいぎょ》できるデルゴン貴族たちの能力から発していた。一部は、ウォーゼルがキニスン自身の心を通じてレンズを使い、驚くべき能力を発揮したという事実から発していた。しかし、もちろん大部分はアリシア人自身から発していた。彼らは、相手がどこにいようと、その者の心に自分の思考を文字どおり完全に焼きつけるという驚異的な能力をそなえていた。この地球人レンズマンは徐々にある計画をたてつつあったが、それを実行するに充分な精神力を持っていなかった。しかし、いまやその力が手にはいって、計画を実行に移す準備が整ったのだ。
どこへ出かけるのか? 彼の最初の衝動は、アルデバラン第一惑星へとって返し、車輪人間たちの要塞《ようさい》にまた侵入することだった。彼らはただ一度の戦闘で彼をさんざんやっつけたのだ。しかし、常識的な細心《さいしん》さがその方針に反対した。
「その問題は、しばらくあとまわしにしたほうがいいぜ、キム」彼はあっさり自分にいいきかせた。「やつらはなかなか頭がいい。それにおまえは、まだこの新しい力の使い方を知ってない。なにか、もっとやさしい問題と取り組んだほうがいいな」
アリシアを立ち去って以来、彼は自分の視覚が変化したことを潜在的に感じていた。まえよりも、ものがいっそう明確に、いっそう鋭敏に、いっそう微細《びさい》に見えるようになっていた。やがてこの事実が意識にのぼってきたので、彼は室内灯のほうを見やった。それは消えていた――制御盤についた小さな指示ランプのほかは、艇内は完全に暗黒なはずだった。そのとき彼はあることを思い出してはっとした。快速艇にはいったとき、室内灯をつけなかったのだ――暗やみでも目が見えるのに、そのことにまるで気づかなかったのだ!
では、これがアリシア人の約束した多くの驚きの第一のものなのだ。彼はいまや、リゲル人のような知覚力を持っていた。それとも、車輪人間のような知覚力だろうか? またはその両方をかねそなえたものなのだろうか? あるいは、両者の知覚力は同じものなのだろうか? いまや彼は自己の能力を充分に意識しながら、目の前の計器の一つに注意をこらした。はじめはそのダイアルを見つめて、その針が正常な作動をしめす緑色の細い線の上に正確にのっていることを確認した。それから、もっと深いところに注意をこらした。計器の表面はたちまち姿を消し――彼の視覚の先端の奥に移動した。またはそのように思われた――そして、そのぜんまい、回転軸その他の内部構造が見えるようになった。彼は制御盤そのものの精密な構造の微細な部分まで見わけることができた。あきらかに彼の視覚は見ようとする意志しだいで、どうにでも調節できるのだ。
「ほう――こいつは――たいしたもの――じゃないか?」彼は宇宙全体に向かって問いかけた。そのとき、ある考えが彼の心を打った。「アリシア人は、こういう能力をさずけてくれたかわりに、ぼくのふつうの視覚をうばってしまったのじゃないかな?」
彼は室内灯をつけたが、自分の視覚が、あらゆる点で正常で、そこなわれていないのを知った。厳密に検査した結果、通常の視覚のほかに余分な知覚を獲得したということが、決定的にあきらかになった――余分な知覚は二つかもしれない――そしてその一方から他方へ移行したり、両者を同時に使用したりすることが、意のままにできるのだった! しかし、この発見そのものが、キニスンをためらわせた。
この新しい能力についてある程度わかるまでは、どこへも出かけず、何もしないほうがいい。事実、彼は自分の能力を利用することはおろか、それがどんなものかということさえ知らなかった。もし自分がザブリスカン・フォンテマの知覚力を持っているならば、どこかへ出かけて、決定的な瞬間に何かがまずくいっても危険がないような、ちょっとした実験をやってみよう。いちばん近いパトロール隊基地はどこだ? 大きな充分に防衛された基地は……そうだ……ラデリックスはいちばん近い戦区基地だろう――あの基地に悟られずに侵入できるかどうか試してみよう。
彼はコースをきめて突進した。やがて、艇の真下に、地球に似たあざやかな緑色の惑星が迫ってきた。この惑星は、気候、年代、大気、質量などの点で地球に近いので、その居住者は当然、肉体的精神的な一般的特性が多少とも地球人に似ていた。どちらかといえば、彼らは地球人よりいっそう知的であり、そのパトロール隊基地は非常に強力だった。あらゆるパトロール隊基地は完全に、そして継続《けいぞく》的に遮蔽されているから、彼のスパイ光線はこの基地に対して効果がないだろう――そこで彼は自分の知覚力によってどんなことができるかを試してみようと思ったのだ。トレゴンシーの説明によれば、知覚力はこのくらいの距離まで作用するはずだった。
それは事実、作用した。キニスンが基地に向けて注意を集中すると、それが見えたのだ。彼は思考波の速度でそのほうへ進んで行って、その中へはいった。妨げられもせず、また気づかれもせずに、スクリーンと金属壁を通過した。彼は要員が通常の任務についているのを見、彼らの会話を聞いた、というよりは感じたのである。彼らの任務についての日常の会話だった。こうして彼は驚くべき可能性が示されたことで全身にスリルを感じた。
もし彼らのうちのひとりに無意識に何かをさせることができれば、問題は解決する。たとえばあの計算員だ。彼をあやつって、その計算器のスイッチを入れ、ある積分計算をやらせてみよう。彼の心と連絡をとって意識的にそれをやらせることは容易だが、これはまったく別のことだ。
キニスンは計算員の心のなかに、やすやすとはいりこみ、計算員にさせたいことを熱心に念じた。しかし、計算員はそうはしなかった。ふいに立ちあがると、不思議そうにあたりを見まわしてから、また腰をおろしたのだ。
「どうしたんだ?」仲間のひとりがたずねた。
「何か忘れたのか?」
「そんなことじゃない」計算員はあたりを見まわしていった。「ぼくはある積分計算をやりかけたんだ。自分でやろうと思ったのじゃない――誓っていうが、だれかが、ぼくにそれをするように|いいつけた《ヽヽヽヽヽ》のだ」
「だれもいいつけやしない」相手がぶつぶついった。「夜遊びはやめたほうがいいぜ――そうすれば、へんな幻覚に悩まされたりしなくなるさ」
こいつは、あまりうまくない、とキニスンは反省した。あの計算員は計算をやって、しかもそのことを意識しないでいなければならなかったのだ。いずれにせよ、こんな距離をへだててそういうことができるとは信じていなかった――アリシア人のような脳を持っているわけではないのだから。はじめの計画どおり、もっと近くで実験しなければなるまい。
基地が惑星の夜側にすっかりまわってしまうのを待ち、艇の閃光調節板《せんこうちょうせつばん》が定位置にあることを確かめてから、彼は快速艇を下降させて、基地から少し離れたところに着陸した。そこで艇を置き去りにし、大幅な無慣性跳躍を急速にくり返して目的物へ向かって行った。跳躍をしだいに低く短くしていった。やがて動力を完全に切って歩きはじめた。ついに目の前に、ほとんど透明な、きらきらしたエネルギーの膜が、地面から上方へはてしなくひろがっているのが見えた。これが基地の構内と下界《げかい》とをへだてるスクリーンだということは、わかっていた。物体かビームかがこれに触れるやいなや、もうひき止めようのない一連の反応がたてつづけに起こるのだ。
目で見たところでは、この基地はさほど強力そうではなかった。敷地はほんの二、三平方マイルの平地で、その外側は低くて幅の広い円形ボックスで囲まれ、そこここに、なんの危険もなさそうな、こんもりしたドームが散在していた。二、三か所に建物の集団がある。それだけだった――目で見たところでは――しかし、キニスンはだまされなかった。彼は基地自体が一千フィートも地下にあるということを知っていた。円形ボックスには、監視員と探知器がひそんでいる。そして、あのドームはたんなる風雨よけで、その表面が巻きこまれると、最高基地の熱線放射器にさえ劣らぬほどの強力な放射器が露出されるのだ。
ずっと右手にある二本の高い金属性の目標塔のあいだに、門があった。スクリーンのなかのいちばん近い出入口だ。しかし、キニスンはわざとそれを避けた。その出入口にとりつけられた万能光電管による検査に身をさらすことは彼の計画外だったからだ。彼はそうするかわりにあの新しい知覚力を用いて、それらの光電管に通じる導線を探りだし、コンクリートや鋼鉄や石材を通過してそれをたどり、ずっと地下にある制御室に到達した。それから制御盤についている男の心に自分の心を重複《ちょうふく》させた後、大っぴらに出入口のところへとんで行った。彼はいまや事実上ふたりの人間だった。なぜなら、彼の心の一部は彼自身の体内にあって、出入り口へ向かって空中を突進していたし、他の一部は基地の地下深くにあって、彼のからだがやってくるのを見つめ、その信号を承認していたからだ!
はね戸があがり、地下への傾斜《けいしゃ》路が現われた。レンズマンはそこへとびこんだ。まもなく、手ごろな貯蔵室を見つけたので、その中にすべりこんでから、観測員の心からそれに対する彼の制御力を用心深くとり除き、その制御の痕跡《こんせき》を完全にぬぐい去った。それから、どんな反応が起こるかと、注意深く見まもった。彼は自分がこの操作《そうさ》をまちがいなくやってのけたと信じていたが、なお完全に確かめる必要があった。この実験の結果には彼一個の生命以上のものがかかっていたからだ。しかし、観測者は平静に持ち場についていた。その思考をくわしく調べた結果、彼が何か異常なことが起こったなどとは夢にも思っていないということがわかった。
もう一つ実験をすれば、それで完全だった。彼は自分が同時にどれだけの心を制御《せいぎょ》できるかを知らなければならなかった。しかし、それは大っぴらにやったほうがよい。人に不必要に自己の正気《しょうき》を疑わせても意味がない――彼はすでに一度それをやったが、そんなことは一度でたくさんだった。
そこで彼は来たときと逆の操作をやって自分の快速艇にもどり、宇宙空間にとびあがって、そこでひと眠りした。それから、朝の光が基地にそそぎかけると、艇の探知波中立器を切って、公然《こうぜん》と基地に近づいた。
「ラデリックス基地! 地球の独立レンズマン、キニスンより、着陸の許可を求む。そちらの司令官のレンズマン、ジェロンドと協議したし」
一条のスパイ光線が快速艇に投射《とうしゃ》された後、基地のスクリーンは除去された。キニスンは着陸して、平静|丁重《ていちょう》に迎えられた。基地司令官は訪問者がたんなる気散《きさん》じのために来たのでないことを知っていた――グレー・レンズマンは気散じの旅行などしないものだ。そういうわけで、司令官は彼を私室へ案内して、部屋を遮蔽した。
「ぼくはさきほど、あなたと協議しに来たといいましたが、それは事実ではありません」キニスンは打ち明けた。「しかし、ぼくがここを訪問した理由は、公表するわけにはいかんのです。ぼくはある実験をする必要があります。あなたのほかに三人のもっとすぐれた、そして――もしそんな言葉を使ってよければ、もっとも『頑固な』――将校に二、三分間、協力してほしいのです。QX《オーケー》?」
「よろしいとも」
三人の将校が呼びよせられると、キニスンは説明した。
「ぼくは長いこと精神制御について研究してきたのですが、それが効果があるかどうかを試してみたいのです。このテーブルの上に、あなたがたそれぞれの前に本を置きます。そこであなたがた二人か三人に――できれば四人全部に――前へかがんでそれぞれの本を取らせ、それをそのまま保持させてみたいと思うのです。この実験でのあなたがたの役割は、それぞれが本を取りあげないように努めること、もしぼくが本を取りあげさせた場合には、それをできるだけ早くもとの場所へ置くことです。やってくれますか?」
「やりますとも!」三人は口をそろえて答えた。そして司令官はたずねた。「もちろん、精神的傷害はないんだろうね?」
「なんの傷害も後遺症もありません。ぼく自身に何度もこのテストをやってみたのです」
「何か装置が必要かね?」
「いりません。必要なものはみんな持っています。いいですか、ぼくはなるべく抵抗してもらいたいんですよ」
「さあ、やりたまえ! きみはたっぷり抵抗を受けるだろう。もしきみがこれだけ警告《けいこく》したあげく、われわれのうちのだれにでも本を取りあげさせることができれば、わたしはきみが相当な能力を持っているものと認めるよ」
将校たちは精神的にも肉体的にも精いっぱい抵抗したが、次々にテーブルから本を取りあげ、キニスンが制御をゆるめたとき、はじめてそれをもとへもどすことができた。彼はふたりの心を制御することができた――|どの《ヽヽ》ふたりでもよかった――しかし、三人となると、完全には制御できなかった。そこで満足して実験をやめた。司令官が汗びっしょりの五人のために冷たい飲みものをついでいると、将校のひとりがたずねた。
「きみはどんな術を使ったんです、キニスン――いや、失礼、それをたずねてはいけなかったんですな」
「残念ですが」と地球人はすまなそうに答えた。「まだ教えられる時期ではないのです。その時がくれば、すぐにも教えてあげますが、いまはいけません」
「わかります」ラデリックス人は答えた。「わたしは口に出したとたんに、きいてはいけなかったのだとさとりました」
「ありがとう、みなさん」キニスンは、からのグラスをカチリと下へ置いていった。「これでこのいたずらは成功でした。それと、もう一つお話しすることがある。ぼくは昨夜ここの計算員のひとりにちょっとした遠距離実験をやったのです……」
「十二番デスクの計算員かね? 彼はだれかに、ある積分計算《せきぶんけいさん》をするように要求されたように感じたということだが」
「それです。ぼくは彼を思考波の被実験者《ひじっけんしゃ》に用いたのですが、そのことを彼に話して、この五十信用単位の札をやってくれませんか? 彼が仲間《なかま》からあまりひやかされては気の毒ですから」
「承知した。そしてありがとう……ところで……わしは思うんだが……」ラデリックス人のレンズマンは何かを思いついたようにいった。「つまり……きみはその能力を使って、ひとに真実をいわせることができるかね? そして、できるとすれば、それをやってくれるかね?」
「できると思います。もしできれば、もちろんやってあげますよ。だが、なぜです?」キニスンはそれができることを知っていたが、うぬぼれているように見られたくなかった。
「殺人事件があったのだ」司令官がそういうと、他の三人は納得《なっとく》したように顔を見合わせ、深い安堵《あんど》のため息をついた。「とりわけ残忍な女殺しだ――まだ娘といってもいい若い女なのだ。ふたりの男が容疑者《ようぎしゃ》になっている。どちらも、信用すべき証言に裏付《うらづ》けされた完全なアリバイを持っている。だが、今日《こんにち》アリバイが無意味なことは、きみも知っているだろう? どちらも、嘘《うそ》発見器にかけてさえ、完全に率直に事実を述べている。だが、どちらもわたしに彼らの心に触《ふ》れさせようとしないのだ――わたしにだけではなく、これまでのところは他のレンズマンに対しても同様だ」ジェロンドは口をつぐんだ。
「なるほど」キニスンは事情を理解した。「無実《むじつ》の人々の中にも、レンズを通じて心を触れられるのをいやがって、心に頑強《がんきょう》な柵《さく》をめぐらすひとが多数いますね」
「きみもそう見ていたとは嬉しい。このふたりのうちひとりは、わたしには思いもよらないふうな巧妙《こうみょう》な嘘《うそ》をついているのか、さもなければ、どちらも無実なのだ。だが、ふたりのうちひとりは有罪に|ちがいない《ヽヽヽヽヽ》。彼らだけが容疑者だからだ。もしいまふたりを裁判《さいばん》にかければ、われわれはもの笑いになる。かといって、裁判をいつまでも延ばしていれば、やはり面目《めんぼく》を失わなければならん。きみがわれわれを援助してくれることができれば、きみはこの戦区全体を通じて、パトロール隊のために大きな貢献《こうけん》をしてくれることになるのだ」
「あなたがたを援助できますよ」キニスンはきっぱりいった。「しかし、この仕事には、ちょっとした装置があったほうが都合がいいのです。箱を一つ作ってください――二重バーバンク制御装置で、その上に五つのスポットライト――オレンジと青と緑と紫と赤の――がついたやつです。それから、あなたがたのところにあるいちばん大きなヘッドフォーンと、厚い黒の目かくしです。裁判はいつ開けますか?」
「早いほどいい。きょうの午後には開けるな」
公判《こうはん》を開くことが報ぜられると、指定の時刻よりずっとまえに、この惑星最大の都市の大|法廷《ほうてい》は傍聴人《ぼうちょうにん》でいっぱいになった。時刻がきた。静寂《せいじゃく》が支配した。キニスンは、じみなグレー・スーツのまま裁判官席に進み寄り、デスクの上にのった奇妙な箱のむこう側に腰をおろした。死のような沈黙の中で、ふたりのパトロール士官が彼に近寄った。ひとりは彼にうやうやしくヘッドフォーンをつけ、もうひとりは彼の頭に黒い布《ぬの》を巻いて、だれの目にも彼の視覚が完全にとざされたことがわかるようにした。
「ぼくは宇宙をはるかへだてた世界から来たものですが、殺人罪に対するふたりの容疑者を裁判するように依頼《いらい》された」キニスンは声をはりあげていった。「ぼくは犯罪の詳細《しょうさい》も知らないし、容疑者がだれかも知らない。知っているのは、容疑者とその証人たちがこの手すりの内側にいるということだけです。いまぼくは、裁判されるべきものを選び出そう」
さまざまの色の強烈な光線が、二つのグループの上におどり、おもおもしい声がつづいた。
「ぼくはもうだれが容疑者かを知っている。そのものたちはわたしが指示するように立ちあがって歩き、そして着席《ちゃくせき》するだろう」
ふたりの容疑者はそのとおりにした。ふたりが何か恐ろしい強制力に支配されていることは、だれの目にもあきらかだった。
「証人たちは証言を免除《めんじょ》される。ここで重要なのは、真実だけです。証人というものは、人間であるゆえに弱いものであるから、真実を明らかにするよりも、それをおおいかくすことが多い。ぼくはいまみずからこのふたりの容疑者を調査する」
また無気味にゆがんだ強烈な光線がほとばしり、濃い単色や多様な混合色の光を、ふたりの容疑者にかわるがわる浴びせかけた。その間、キニスンは自分の心をふたりの心に送りこみ、それらの底の底をさぐった。さっきから深まっていた沈黙は、宇宙空間のような完全な静寂《せいじゃく》におちいった。人々はいまや息さえひそめて、この異常な裁判にひきつけられていた。
「ぼくはふたりを完全に検査した。きみたちもすべて知っているように、銀河パトロール隊のレンズマンはだれでも、必要な場合には、裁判官、陪審員《ばいしんいん》、および刑《けい》の執行官《しっこうかん》として行動することができる。しかし、ぼくはそのどれでもない。またこの裁判は、きみたちが理解しているような意味での裁判でもない。さっきぼくは証人が不必要だといった。いま、それにつけ加えて、裁判官も陪審も不要だといおう。必要なのは、真実を発見することだけだ。なぜなら、真実は全能《ぜんのう》だからです。それと同じ理由で、ここでは刑の執行官も必要ではない――発見された真実が、それ自体執行官の役割を果たしてくれるから。
「このふたりのうちひとりは有罪で、もうひとりは無罪である。ぼくはその有罪者の心から一つの合成物をつくるだろう。こんどの残忍な犯罪だけではなく、彼がこれまでに犯《おか》したあらゆる犯罪の合成物である。ぼくはその合成物を彼の目の前の空間に投射する。無実な心は、それをまったく見ることはできない。しかし、有罪な人間は、それのいまわしい実体《じったい》を細部にいたるまで感知《かんち》するだろう。そしてそのように感知することによって、彼はそれ以後生存することをやめるだろう」
ふたりのうちひとりは何も恐れていなかった――キニスンがずっとまえにそう告《つ》げていたのだ。もうひとりは、何分もまえから、おさえようのない恐怖の発作《ほっさ》に身ぶるいしていた。いまやその男は席からとびあがると、両眼を激しくひっかきながら、狂気のように叫んだ。
「わたしがしました! 助けてください! 許してください! あの映像をどけてください! おお……お……お!」彼はうめき声をあげ、そしてうめきながらすさまじい死をとげた。
ことが終わってからも、法廷はざわめかなかった。傍聴人《ぼうちょうにん》はおびえあがってこそこそと退場し、無事に外へ出るまではほとんど息もつけなかった。
ラデリックス人の将校たちも傍聴人よりそれほどおちついていたわけではなかった。五人が基地司令官の事務室にもどるまで、ひと言もかわされなかった。やがてキニスンが、まだ青ざめて緊張した顔で口をきった。ほかの者は、彼が有罪の男を発見して、ある特殊な恐ろしい方法で処刑《しょけい》したということを知っていた。キニスンは彼らがその男のいまわしい罪を知っていることを知っていた。が、それでも説明した。
「彼は有罪でした」地球人は吐きだすようにいった。「地獄《じごく》の悪魔のように有罪でした。ぼくはこれまでああいうことをする責任を負ったことがないので、心が痛むのです――しかし、あの仕事をあなたたちに押しつけることはできませんでした。あんな場面は、だれにも見せたくなかったのですが、ああしないと、あの地獄の犬が実際にどれほど邪悪だったかを、あなたがたには理解できなかったでしょう」
「ありがとう、キニスン」ジェロンドは素直にいった。「キニスン。地球人キニスン。わたしはこの名を覚えておこう。また同じように痛切にきみが必要になったときのためにな。しかし、たったいま、きみがああいうことをやってのけたからには、今後ふたたびきみが必要になるまでには、長いことかかるだろう――もし必要になるとしたらだ。きみは気がつかなかったかね? 四つの惑星の住民は、すべて畏敬《いけい》をこめてきみを見つめていたのを」
「聖なるクロノ神に誓って、気がつきませんでした! ほんとうですか?」
「ほんとうだとも。もし、きみが|わたし《ヽヽヽ》を恐れさせたあの方法が基準になるとすれば、この星系でふたたびあのような罪が犯されるまでには、長いことかかるだろう。もう一度礼をいうよ、グレー・レンズマン。きみはきょう、われわれ全パトロール隊のために大きな貢献《こうけん》をなしとげたのだ」
「まちがいなくあの箱をすっかり分解して、その構成部分《こうせいぶぶん》がだれにも見分けがつかないようにしてください」そしてキニスンは、やっとかすかな笑いをうかべた。「あと一つ問題を片づけたら、出発します。あなたがたはひょっとして、このあたりに、強力な海賊基地があるのを知りませんか? それから、つまらぬことを騒ぎたてる男とは見られたくはないんですが、その海賊どもが混血の酸素呼吸生物であれば、なおいいのです。そうすればこっちはしょっちゅう宇宙服をつけていないでもすみますからね」
「きみは何をするつもりかね? ヒントでもあたえてくれたまえ」ラデリックス人は、このとおりのことをいったわけではなかった。しかし、基地司令官が驚いたようにキニスンを見つめたとき、キニスンはそういう思考を受け取ったのだ。
「このあたりにそういう基地が|ある《ヽヽ》というんですか!」地球人は喜んで叫んだ。「ほんとうにあるんですか?」
「ある。非常に強力なので、われわれはまだ手出しできずにいるのだ。きみの住む惑星である太陽系の地球から来た海賊たちが守備しているよ。われわれはそのことを八十三日ほどまえに最高基地に報告した。そこを発見した直後のことだ。きみは最高基地から直接……」そこで口をつぐんだ。グレー・レンズマンに、こういうことをきいてはいけないのだ。
「ぼくはそのとき病院にいて、看護婦とけんかしていました。彼女が何も食べる物をくれなかったからです」キニスンは笑いながら説明した。「地球を出発するとき、最近のデータを点検《てんけん》しませんでした――こんなに早く必要になるとは思わなかったからです。しかし、あなたがそういうデータを持っているのでしたら……」
「病院ですって! あなたがですか?」若いラデリックス人がたずねた。
「そうです――手にあまる仕事にぶつかったおかげでね」そして地球人はアルデバラン第一惑星の車輪人間にやられた失敗談を簡単に物語った。「しかし、ぼくはそのあとでこの新しい能力を身につけたのです。もう二度とあんなまずいやり方はしませんよ。もしこの区域《くいき》に、そんなおあつらえむきの海賊基地があるなら遠くまで出かけないですみます。それはどこにあるんです?」
ラデリックス人たちは彼にその海賊基地の座標《ざひょう》を教え、その基地に関してわずかながらも集められたかぎりの情報を提供した。彼らはキニスンがそうしたデータをほしがる理由をたずねなかった。彼らは、かれがその戦区のパトロール隊の全兵力をさえ寄せつけなかったほど強力な要塞《ようさい》をひとりで偵察《ていさつ》しようとするむこうみずに驚いていたかもしれなかったが、もしそうだとしても、彼らはその気持をすっかりかくしていた。なぜなら、レンズマンといえば、そのうちのいちばん力の劣った者でも非常に強力なのに、この若者はグレー・レンズマンであり、レンズマンという選ばれたグループの中でさえ、とりわけすぐれた能力を持っているにちがいなかったからだ。もしキニスンが話したい気になれば、彼らは喜んで耳を傾けただろう。しかし、キニスンは話さなかった。彼は一同の報告に耳を傾け、彼らがボスコーンの基地について知っているかぎりのことを聞きとった。
「よろしい、出発することにしましょう。諸君、ではお元気で!」そして彼は立ち去った。
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二〇 美女争奪
グレー・レンズマンを乗せた快速艇は、ラデリックス星系から抜け出して宇宙空間深く突入し、ボスコーンの基地のあるボイッシア第二惑星へ向かって行った。パトロール部隊はその位置を正確につきとめることはできなかった。したがって、それは非常に巧妙に隠されているにちがいない。それは地球人によって守備されているという――しかもそれは、バン・バスカークとその部下たちによって乗組員をひどくへらされた海賊船のパイロットが最初にとったコースからかなり近い。地球人の要員がいるボスコーンの基地がそれほど多くあるはずはない、とキニスンは思った。あの海賊船の乗組員は、彼と同船したとは夢にも知らなかったのだが、その連中と、ここでまた顔を合わせるかもしれないというのは、充分可能性があるというより蓋然《がいぜん》性があることだった。
ボイッシア星系はラデリックス星系から百パーセクたらずのところにあったので、二時間もすると、レンズマンは新しい未知の惑星を見おろしていた。これこそ、非常に地球に似た世界だった。極地は万年雪におおわれて、まぶしい白さに輝いていた。大気もあって、深い青色を呈《てい》し、大部分は日光にみたされていたが、そこここに雲の斑点《はんてん》があり、そのうちのいくつかは暴風でじりじり動いていた。いくつかの大陸があり、山脈や平野や湖や川が見えた。大洋があり、大小の島がちらばっていた。
しかし、キニスンは惑星学者ではなかったし、地球からそれほど遠く離れたわけでもなかったので、この地球に似た美しい世界を見ても、ノスタルジーを感じなかった。彼は海賊基地を捜しているのだ。そこで、快速艇をできるだけ惑星の夜側へ降下させて、偵察《ていさつ》をはじめた。
はじめのうちは、人間や人間の工作物の痕跡《こんせき》はほとんど見つからなかった。人間または人間|類似《るいじ》の生物は、すべてまだ野蛮《やばん》な状態にあるらしく、穴居《けっきょ》種族の社会というより、むしろ部落が少数散在している以外は、ほとんど放浪《ほうろう》民族で、固定した住居もなく、あちらこちらとさまよい歩いている。何十という種族の動物も無数にいたが、キニスンは生物学者ではなかった。彼が捜しているのは海賊である。しかし、どうやら、その種族の生物だけが見つからないらしい!
しかしついに、ブルドッグのようなねばり強さで捜しつづけたあげく、彼は成功した。海賊基地はこの惑星のどこかにあるにちがいない。彼はどれほど時間がかかってもそれを発見するつもりだった。もし惑星の全表面を、陸といわず海といわず、一平方キロメートルごとに捜さねばならないとしても、発見するのだ! 彼はまさしく、そういうことをやりはじめた。そしてついにボスコーンの要塞《ようさい》を発見したのだ。
それは高い山脈の真下に建設され、何マイルもの厚さがある銅および鉄の鉱脈によって探知から保護されていた。
出入口はまえにはまったく見えなかったが、基地の位置がわかったいまでもすぐには見分けられなかった。それらは、周囲の絶壁の岩と形、色、組織などまったく同様な岩板によってカムフラージュされていたからだ。出入口の位置がつきとめられると、あとの仕事はやさしかった。彼はまた快速艇を慎重《しんちょう》に計算した軌道《きどう》にのせてから、宇宙服で地上に降りた。そしてまたもや、こっそり前進して、きらきら光るエネルギーの網膜《もうまく》が見えるところまでたどりついた。
彼がボスコーンの基地へ侵入した方法は、まえにラデリックスのパトロール隊基地へ侵入したときに用いた方法と、多少のちがいはあったが、ほぼ似かよっていた。しかしいまや、まえの場合にはなかったような慎重さと確実《かくじつ》さで行動していた。パトロールマンを相手に実験したおかげで、知識と技術が身についていた。そして、裁判官として法廷にすわったことが、彼に多くのことを教えてくれた。そのあいだに、多数の列席者《れっせきしゃ》のほとんどすべての心に接触したからだ。とくに、裁判の悲惨な幕切れは、不快で心をかきむしったが、処刑をみずから執行しなければならなかったという点で、彼の心をはかりしれないほど訓練してくれた。
この基地の内部にしばらくとどまっていなければなるまいということは、わかっていたので、かくれ場所を念入《ねんい》りに選択《せんたく》した。もちろん、ひょっとしてだれかに見つかった場合、そいつの心から彼を見つけたという知識をぬぐい去ってしまうことはできたが、そのような支障《ししょう》が何か重大な瞬間に起こる可能性もあったので、なるべく基地内の他の部分から切り離された場所を居所《いどころ》に選んだ。もちろん、将校居住区には、からのつづき部屋が多数あった――どの基地でも、訪問者のための収容設備が必要なのだ――そこでレンズマンは、それらの一つにはいることにきめた。鍵を手に入れるのはたやすいことだった。そして飾りけはないが快適な小部屋にはいると、ほっとため息をつきながら、宇宙服をぬぎすてた。
彼はクッションのきいたレザーのひじかけ椅子《いす》によりかかって目をとじ、巨大な構築《こうちく》物のすみずみまで知覚力をさまよわせた。あらたに開発された能力を駆使《くし》して、一時間一時間、一日一日と基地の内部を研究した。空腹になると、海賊のコックに食事を供《きょう》させたが、コックは自分がそういうことをしているのに少しも気づかなかった――キニスンはすでに長いこと携帯食糧《けいたいしょくりょう》つづきであきあきしていたのだ。また疲れると、いつもゆだんのないレンズに見張りをまかして眠りにおちた。
やがて、この要塞について知る必要のあるすべてのことを知り、行動の準備ができあがった。彼は基地司令官の心に乗り移ることはせず、そのかわりに主任通信士を選んだ。この男がヘルマスともっとも密接な関係を持っていそうだからだ。ボスコーンを代表して命令しているヘルマスこそは、この何か月来、レンズマンの確固たる目標なのだった。
しかし、この仕事はそうせっかちにはできなかった。どれほど重要な地区基地でも、もっとも緊急な問題について以外は、総基地を呼び出さなかったし、そのような問題はなかなか起こらなかったからだ。また、ヘルマスのほうも、この基地を呼び出さなかった。何も異常なことが起こらなかったからだ――ただし、これは海賊が知っているかぎりではのことで――ヘルマスの注意は、なにかもっと必要な問題に向けられていた。
しかし、ある日、勝ち誇った報告がとびこんできた――この基地から出動している一隻の海賊船が、じつにすばらしい獲物を捕獲《ほかく》したのだ。獲物というのは、ほかならぬ装備《そうび》を満載《まんさい》したパトロール隊の病院船である。
報告が進むにつれて、キニスンは怒りのあまりからだじゅうの血が逆流し、心中で激しく自問した。いったいどうして、やつらはそんな船を捕獲できたのだ? 病院船は護衛されていなかったのか?
しかし、彼は主任通信士としてその報告を受け、海賊船の通信士を通じて船長、高級船員、乗組員たちにさも嬉しそうに祝辞《しゅくじ》を伝えた。
「大手柄《おおてがら》だ。ヘルマスさまご自身にこのことをご報告しよう」彼は賛辞を結んでいった。「どんなぐあいにやってのけたのだ? 新型戦艦が護衛についていたのだろうが?」
「そうであります」返事がきた。「わがほうでも、戦艦が敵の探知範囲《たんちはんい》のすぐ外側に待機しており、それが接近して敵の戦艦とわたり合いました。その結果われわれは容易に病院船を捕獲できたのであります。マグネットで病院船に定着し、侵入口を切り開いてごらんのように成功したのであります」
たしかに彼らは病院船に侵入していた。病院船は朱《あけ》に染まっていた。患者も医者も実習生も乗組員もみな、ボスコーンのあらゆる手先に特有の手口で、むごたらしく殺されていた。病院船の要員で生き残っているのは看護婦だけだった。彼女たちは殺される運命にはなかった――すくなくともいまのところは。そして事実、ある条件に服従すれば、まったく死なずにすむのである。
彼女たちは、死体の散乱した部屋の中で、一団のみじめな白いかたまりとなって寄り合っていた。そうこうしているうちにも、その中のひとりがひきずり出された。彼女はこぶしや足や爪や歯で激しく抵抗した。どの海賊も、ひとりでは彼女を扱いきれなかった。このもがきあばれる女を押えつけるには、がっちりした男がふたり必要だった。ふたりが彼女をまっすぐに引きたてると、彼女はあえぎながらも反抗的に後ろへ頭をそらした。赤褐色の髪がぱらりと垂れた。キニスンはそれを見てはっと気づいた――クラリッサ・マクドゥガルだ! そして、彼女を宇宙勤務にもどす話があったことを思い出した! レンズマンはただちに方針をきめた。
「やめろ、ぶた野郎!」彼は、通信士の口を通じてどなった。「その看護婦をどこへ連れて行くつもりだ?」
「船長室であります」ふたりのあらくれ男は、怒号が部屋にとどろいたのに驚いて立ちどまったが、彼の質問に簡潔に答えた。
「その女をはなすのだ!」そして彼女が部屋の中心にかたまっている看護婦たちのところへ逃げもどるのを待って、またいった。「船長にそこへくるようにいえ。それから、乗組員を全部集めるのだ。おまえたち全部に、いますぐいっておくことがある」
一、二分考える時間があったので、彼は大急ぎで、しかし筋道たてて考えた。なんとか手を打たなければならないのだが、何をするにしても海賊たち自身の道徳律《どうとくりつ》にしたがって行動しなければならない。もし一つでも失策《へま》をやれば、またアルデバラン第一惑星での失敗をくり返すことになるだろう。彼はその失策を避ける方法を知っているつもりだった。しかし、もう一つ、問題があった。そしてこれがむずかしいところだった。こちらからの通信になんらかの暗示をはさんで、あの看護婦たちに、まだ希望があるということを、そして、このお芝居にはまだ先があるということを知らさなければならないのだ。さもないとどんなことが起こるか、それが、彼には身にしみて痛切にわかっていた。パトロール隊の宇宙看護婦たちがどんな気質を持っているかということも知っていた。彼女たちはここまでは追いつめられても、それ以上は追いつめられることをいさぎよしとしないのだ――生きているかぎりは。
だが、彼女たちに暗示《あんじ》をあたえる方法は、ないこともない。彼は入院中に子どもっぽいわがままを発揮して、マクドゥガル看護婦を|とんま《ダム・ベル》と呼んだ。あのとききわめて率直な歯に衣《きぬ》を着せぬ評価《ひょうか》を彼女にくだし、それを口に出していったが、じつは彼女の美しい顔の奥にすぐれた頭脳《ずのう》があり、赤褐色の髪の下に鋭い知力がひそんでいることをよく知っていた。そういうわけで、海賊たちが集合し終わったとき、彼は心の用意ができていた。そして断固たる口調で口をきった。
「聞け、おまえたち――おまえたちみんなだぞ」彼はどなった。「こんな獲物は、この何か月以来はじめてだ。おまえたちはまだわれわれ基地の者がそれを見もしないうちから、あつかましくもいちばんうまそうなごちそうをいただこうとしている。おれはいまおまえたちにやめろと命ずる。これはかけ値なしの命令だ。この基地へ着くまえにその女たちに手を触れた者は、だれだろうとおれみずから殺してやる。おい、船長、きみは最初で最悪の違反者《いはんしゃ》だぞ」そういって彼は船長の目を正面からにらみつけた。この男の顔を見るのは、車輪人間の地下要塞に侵入して以来のことだ。
「きみが目が高いということは認めてやるぜ」キニスンの声は、いまや気味のわるいほどやさしくなり、抑揚《よくよう》には露骨《ろこつ》なあざけりがこもっていた。「だが、不幸にして、きみの趣味はおれの趣味と一致しすぎている。きみにもわかるだろうがな、船長、おれも看護婦がひとり必要なのだ。おれはどこか調子がわるいらしい。そこで看護婦がひとりほしいわけだが、おれはあの赤毛のやつをとることにする。以前ちょうどあんな赤毛の看護婦に付き添われたことがあったが、その娘はおれがビフテキがほしいというのに、むりやり紅茶やトーストや半熟卵を食わせおった。だからおれは、ありとあらゆる赤毛の看護婦の代表として、そこにいるそいつに腹いせをしようと思うのだ。きみはおれのしゃべりが長いのを許してくれると信ずるが、その看護婦がおれの私有財産だということをきみに警告《けいこく》するについて、その理由をすっかり説明してやりたいのだ。その娘をおれのために保管して、無事にここへ着くように気をつけてくれ――まったくいまのままの状態でな」
船長は上官の言葉をさえぎるのをはばかってがまんしていたが、いまや憤然《ふんぜん》として口を切った。
「ですが待ってください、ブレークスリー!」彼は叫んだ。「わたしはこの娘に完全な権利があります。わたしがこの娘をつかまえたのです。わたしがはじめて目をつけて、ここでつかまえたのです……」
「口答えはたくさんだぞ、船長!」キニスンはあざけりをこめて巧妙《こうみょう》にやりかえした。「もちろんきみも知っているように、獲物を基地で分割《ぶんかつ》するまえにひとり占めするのは規則違反だ。きみはその違反をやってのけた。それだけでも、きみは射殺《しゃさつ》されるべきだ」
「ですが、それはだれでもやっていることです」船長は抗議《こうぎ》した。
「上官に現場をおさえられないかぎりはな。上官に第一の選択権《せんたくけん》があるということは、きみも知っとるだろう」レンズマンはものやわらかに指摘した。
「ですが、わたしは抗議しますぞ! わたしはこのことを訴えます……」
「だまれ!」キニスンは冷やかに断固《だんこ》として命じた。「だれにでも、望みの相手に訴えろ。だがこれだけはおぼえておけ、最後の警告だ。その娘をいまのままおれのところへ連れてくれば、きさまのいのちは助けてやる。だが、彼女に指一本でも触れれば殺してしまうぞ! さあ、看護婦たち、制御盤の前へくるのだ」
マクドゥガル看護婦はさっきから他の看護婦たちに何事かをささやいていたが、いまや頭をふりたて目を反抗的にきらめかせながら、仲間の先に立ってやってきた。彼女は看護婦であるばかりでなく、なかなか演技がうまかった。
「そこにある『中継四六』と記号のついたボタンをよく見るのだ」簡潔な指示《しじ》がきた。「もしその船に乗っているだれかが、おまえたちのだれにでもさわろうとしたら、あるいはさわりたそうな目でおまえたちを見たら、そのボタンを押すのだ。あとは、こっちが処置する。さあ、赤毛の|とんま《ダム・ベル》、おれを見ろ。おなさけを請《こ》うてもだめだぞ――いまのところはな。ただこれだけは念をおしておく。おまえはおれに会えば、おれがだれだかわかるだろう」
「わかるでしょうとも。気にすることはないわ……|駄々っ子《ヽヽヽヽ》さん!」彼女はぴしりとやり返した。レンズマンの通信を理解したということを、最後の言葉で暗示《あんじ》したのだ。「あなたを見分けるどころじゃないわ――あなたに会ったら、目をひっかいてやるから!」
「もしできるとすれば、いい方法だな」キニスンはひやかすようにいって、通信を切った。
「どういうことなの、マック? いったい何を思いついたの?」看護婦たちだけがとり残されると、すぐ、そのひとりがたずねた。
「わたくしにもわからないわ」マクドゥガルはささやいた。「用心してちょうだい。やつらはわたくしたちをスパイ光線で探知《たんち》しているかもしれないわ。ほんとうは、わたくしにもまるでわからないの。なにもかもあんまりありそうもないことで、筋が通らないわ。でも、みんなにもう少しがまんするように口うつしに伝えてちょうだい。なぜって、わたくしが知ってるグレー・レンズマンが、どこかで、何かの方法でこの事件に関係しているのよ。どうしてそんなことができるのかはわからないけど、彼が関係していることは確かだわ」
というのは、キニスンが紅茶とトーストのことを口にするやいなや、彼女は実際の状況についてなんの暗示も受けていなかったのに、たちまちキニスンのことを思い出したからである。彼は、彼女が扱ったうちでも、もっとも頑固《がんこ》で反抗的な患者だったからだ。そればかりでなく、彼女が知るかぎりでは、彼だけが彼女をまるで病院の家具の一部ででもあるように扱ったのだった。女性のつねとして――とくに、美しい女性のつねとして――彼女は社会制度の中での女性の権利や地位を提唱《ていしょう》してきた。あらゆる特権を非難《ひなん》し、現在および未来のいかなる男性に対しても、なんのハンディキャップをも求めないということを、たびたび熱心に主張してきた。にもかかわらず、また美しい女性にふさわしく、彼女はキニスンの態度に深く心を傷つけられていた。彼は、彼女がきわだって美しい女性だということはおろか、彼女が女性|である《ヽヽヽ》ということさえ理解しなかったからだ! そしてその思いは、いまだに彼女の心の奥底に強く抑圧《よくあつ》されながら、わだかまっていたのだ。
キニスンがビフテキのことを口にしたとき、彼女はいまにも悲鳴《ひめい》をあげそうになった。両ひざをふるえる両手でおさえて、激情をおさえようと努めた。まだ、ほんとうの希望をいだいてはいなかったからだ。彼女は自分がぶつかるあらゆる事柄《ことがら》に抵抗しながら、絶望的な結末《けつまつ》を待っていたのだ。その結末が遠くないことはわかっていた。しかし、いまや彼女は勇気をふるい起こして行動しはじめた。
「|とんま《ダム・ベル》」という言葉がスピーカーからひびいたとき、彼女は知った。きっと、またはおそらく、実際にあの言葉をしゃべっているのは、グレー・レンズマンのキニスンなのだ。これは気ちがいじみたことだった――まったく筋の通らないことだ――しかし、事実だった。事実にちがいなかった。そして彼女はまた女性らしく平静に確信した。あのグレー・レンズマンは、生きて正気《しょうき》でいるかぎり、どんな状況にいようと、その状況を完全に支配《しはい》することだろう。そういうわけで、彼女はこの非論理的《ひろんりてき》だが楽しい期待を仲間に伝えた。そして看護婦たちはやはり女性だったので、それを現実の既成《きせい》事実として、疑いもせずに受け入れたのである。
彼らは航行をつづけた。そして捕獲《ほかく》された病院船が基地に繋留《けいりゅう》されたとき、キニスンは状況をとことんまで押し進める準備が完全にできていた。彼はいまや主任通信士のほかに、有能《ゆうのう》な観測《かんそく》士をも支配下においていた。彼はまえに、銀河パトロール隊の機敏《きびん》で有力な将校たちにあらかじめ完全に予告《よこく》したうえで、彼らが意志力をふりしぼって抵抗《ていこう》するのをおさえつけながら、ふたり、ないし三人の心を制御《せいぎょ》したのだったが、その精神力をもっていれば、このような海賊ふたりの心をあやつるくらいは、子どもだましのようなものだった!
「よくやったね、マック」彼は自分の心を彼女の心と感応《かんのう》させながら、通信を送った。「きみがぼくの暗示をさとってくれて嬉しいよ。きみはうまいお芝居をやった。もしあんなぐあいでもう少しやってくれれば、すっかり準備ができるんだが、やれるかね?」
「できますわ!」彼女は熱心にいった。「わたくしには、あなたが何をしているのか、どうすればそんなことができるのか、あなたがどこにいるのかもわかりませんけれど、そんなことを知るのはあとでもいいわ。どうすればいいのかおっしゃって。そのとおりにしますから!」
「基地司令官に色目《いろめ》を使うのだ」彼は指示をあたえた。「そしてぼくを嫌うのだ――つまり、ぼくがあやつっている通信士のことだよ。ブレークスリーという名だ――毒虫のように嫌うのだ。思いきってお芝居をするんだ――ありったけの演技力を発揮《はっき》してね。基地司令官なら愛せるが、もしぼくのものになるのなら自殺《じさつ》してしまうといってね――もしそんなことがあればの話だが。筋書はわかるだろう――きみにがまんできるかぎりの方法で司令官に色目を使って、ぼくをとことんまで嫌うのだ。司令官がきみに首ったけになれば、そのときその場で破局が起こるのだ。もし司令官が落ちないと、やつはわれわれをひどい目にあわすだろう。ぼくはやつらをたばにしてやっつけることができるが、充分なほど早くは片づけられないからね」
「彼は落っこちますわ」彼女は楽しげに約束した。「一万個の煉瓦《れんが》が井戸の中へ落っこちるようにね。わたくしの演技《えんぎ》を見てください!」
司令官は事実落っこちた。彼は何か月もひとりの女さえ見ていなかったが、パトロール隊のこうした女性隊員たちは、とことんまで抵抗して自殺するのがおちだと思っていた。だから、これまで見たうちでもっとも美しい女が、自分からすすんで彼の腕《うで》に身を投げかけ、彼の部下の主任通信士から救ってくれと訴えたときには、からだじゅうをゆさぶられるほど驚いた――まったく腰を抜かさんばかりだった。
「わたくし、あのひとが嫌いです!」彼女は司令官の巨大なからだに身をすりよせ、強力推進器の全力|噴射《ふんしゃ》のように有効《ゆうこう》な目を彼にすえながらむせび泣いた。「|あなた《ヽヽヽ》はあのひとみたいにいやらしくはありませんわね。わたくし、ちゃんと知ってますの」そして彼女は香りのよい頭を彼の肩にもたせた。無法者《むほうもの》は、あたためられた|ろう《ヽヽ》のようにぐにゃぐにゃになった。
「わしはおまえにいやらしいまねなんぞするものか」彼の声は牛のやさしい吠え声くらいに落ちた。「かわいいやつ。わしはおまえと結婚《ヽヽ》するぞ。そうとも、宇宙のあらゆる神々に誓って!」
こうして、看護婦と基地司令官が互いに腕をからだにまわしながら制御室《せいぎょしつ》にはいって行くことになった。
「あそこだわ!」彼女は主任通信士を指さしながら叫んだ。「こいつだわ! 何かやれるものならやってごらん、ねずみづらの卑怯者! このひとこそほんとの男よ。このひとは、おまえになんかわたくしのからだに指一本触れさせないから――いいきみだわ!」彼女はブロクンス(ニューヨークの北部)ふうのはやし言葉を叫んだ。護衛の司令官は目に見えて得意になった。
「ほう――そう――かね?」キニスンはあざわらった。「聞きな、べっぴんさん、かけ値なしに聞きな。おれはおまえを見るなり、おれのものにすると目をつけた。そしておまえはおれのものになるんだ。それがおまえの気に入ろうと入るまいと、それについて、だれが何をいおうと何をしようとな。司令官、あなたはおそすぎましたぜ――この娘に最初に目をつけたのはおれだ。さあ、赤毛のトマト、ここへきな、おまえはおれのものだ」
彼女は司令官の胸に、いっそうつよく身をすりよせた。大男の司令官は怒りのあまり紫色になった。
「それはどういう意味だ、おそすぎたとは!」彼はどなりつけた。「おまえはこの娘を船長からふんだくったじゃないか、ええ? 上官に第一の選択権があるといったじゃないか、ええ? わしはここのボスだ。だからこの娘をおまえから取り上げるんだ。わかったか? おとなしくしたほうがいいぞ、ブレークスリー。ひと言でも文句をいってみろ、第六熱線放射器で焼き鳥にしてやるから!」
「上官が|いつも《ヽヽヽ》第一の選択権を持つとはかぎりませんぜ」キニスンは冷酷《れいこく》な毒々しい調子で、しかし慎重に言葉を選びながら答えた。「問題はまったく実力しだいさ」
いまこそもっとも重大な瞬間だった。キニスンは知っていた。もし司令官が冷静を失わなければ、あの勇敢《ゆうかん》な女たちの生命は失われ、彼の全計画は危機《きき》に瀕《ひん》するのだ。彼だけなら、もちろん脱出《だっしゅつ》することができた――しかし、このような条件のもとで自分だけが脱出することなど、思いもよらない。いけない、司令官をあおりたてて、気ちがいのようにしなければならない。そして、それには悪口雑言《あっこうぞうごん》するのがいいだろう――ブレークスリーは、宇宙服の金属板に気泡《きほう》を生ぜさせるほど口がわるい。マックも協力してくれるだろう。事実、彼が暗示《あんじ》するまでもなく、彼女はすでにふたりの男のあいだに争いをひき起こそうと懸命に努めていた。
「相手がだれだって、あんな悪口をがまんする必要はないわ」彼女は、意気ごんでささやいていた。「それに、あいつを焼き鳥にするのに部下を呼ぶこともないわ。あなたが自分で射殺するのよ。あなたはいつだって、あいつよりうわ手よ。あいつをやっつけてちょうだい――あいつにどっちが強いかわからせてやるのよ!」
「部下がおれのような男で、上官があんたのようなしらみ野郎の場合はな」痛烈《つうれつ》で侮蔑的《ぶべつてき》な声は休みなくつづいた。「あんたみたいなうぬぼれ屋のブタ、卑怯《ひきょう》で低級なやくざ野郎、煮えきらないラード桶《おけ》野郎、あほうでけがらわしい宇宙の屑《くず》の屑、底抜けに無能で手まえ勝手な片輪《かたわ》の場合はな……」
いきりたった司令官は高まる怒りに口ぎたなくわめき散らしながら言葉をはさもうとした。しかし、ブレークスリーの姿をかりたキニスンの声は、司令官の声より高くはなかったが、はるかにするどかった。
「……そういう場合には、部下が赤毛娘をちょうだいするんだ。そのことをテープに吹きこんで、そのテープを食うんだな、この臆病野郎め!」
ふとった司令官は吠えたてながら身をひるがえして、武器戸棚のほうへかけよった。
「やっつけて! やっつけて!」看護婦は叫びつづけていたが、怒りにもえた司令官が武器戸棚に近づくと、彼女の叫びはいっそう激しくなったうえに内容まで変化したが、だれもそのことに気づかなかった。
「キム! やっつけて! もう待たないで――あいつが銃をとるまえにやっつけて!」
しかし、レンズマンは行動しなかった――すくなくともまだだ。大部分の海賊はあっけにとられてこの光景を眺めていたが、キニスンにあやつられている観測士だけは、すでに何分もまえからヘルマス直通の緊急呼び出しでサブ・エーテルをかき乱しつづけていた。ヘルマス自身がこの場面のクライマックスを見ることが、彼の計画の中でもっとも重要な部分なのだ。そういうわけで、憤慨《ふんがい》した上官が武器戸棚にとびついてそれをさっと開いたときも、ブレークスリーは動かずに立っていた。
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二一 第二の線
ブレークスリーはすでに武装していた――キニスンがそう手配《てはい》したのだ――そして、基地司令官が武器戸棚をこじあけたとき、ヘルマス専用の監視《かんし》装置に電流が流れはじめた。いまやヘルマス自身がこの場面を見ているのだ。キニスンにあやつられる観測士は、すでにヘルマスのビームを追跡しはじめていた。だから、怒りに狂った司令官がデラメーターをかまえてふりむいたとき、相手のデラメーターはすでにビームを放射していた。数秒後には、司令官が立っていた場所には炭化したかたまりが煙をたてているばかりだった。
キニスンはヘルマスの冷酷《れいこく》な声が、いまだにスピーカーからとどろかないのを不思議に思った。しかし、その沈黙の理由はすぐにわかった。レンズマンが気づかないうちに、べつな観測士が最初の驚愕からさめて、衛兵室へ向けて非常|呼集《こしゅう》を発していたのだ。五人の武装した衛兵がその呼集に応じて駆け足で現われ、立ち止まってあたりを見まわした。
「衛兵! ブレークスリーを射殺しろ!」まぎれもないヘルマスの声がスピーカーから叫んだ。
五人の衛兵は勇敢《ゆうかん》に命令にしたがおうとした。もし彼らに向き合っているのがほんとうにブレークスリーだったら、彼らは目的を達しただろう。事実、この人間のからだは海賊の通信士だった。しかし、そのからだの筋肉をあやつっているのは、グレー・レンズマン、キムボール・キニスンの心だった。彼は、地上でも類《たぐい》まれな早撃《はやう》ちの名手である。その彼が、相手の動きを予期して緊張しながら、二挺のデラメーターを腰にかまえていたのだ! ヘルマスが手先たちに射殺するように命じた相手は、こういう人間だったのだ! ブレークスリーの二挺のデラメーターから、光の筋が五度、目にもとまらぬ速さでひらめいた。衛兵たちの手から一筋のビームもひらめかないうちに、最後の衛兵が頭をからからに炭化されて倒れた。
「見ろ、ヘルマス」キニスンは硫酸《りゅうさん》のように痛烈な口調で制御盤に話しかけた。「遠くから安全に他人をあやつって危険な仕事をやらせるのは、そのシステムが故障なく動いているかぎりは、まったくうまいやりかたさ。だが、それがいまみたいに故障したとなると、あんたはこっちの思うつぼにはまっちまうんだ。おれとしては、ずっとまえから、声だけで命令されるのにうんざりしていた。おまけに、その声の主《ぬし》ときたら、そいつの命令システムでもわかるとおり、銀河系きっての臆病者なんだからな」
「観測士! 制御盤についているもうひとりのほう!」ヘルマスはキニスンの言葉の矢になんの注意もはらわずにどなった。「総員集合の合図をしろ――武装集合だ!」
「むだだよ、ヘルマス。あいつはつんぼだ」キニスンは、ものやわらかな声で毒々しくいった。「この基地であんたが話しかけられる人間はおれだけだ。それだってそう長くはできまいよ」
「おまえはこの反逆が無事にすむと思っているのか――この公然たる不服従――わしの権威に対する反抗が?」
「すむともさ――だからおれはさっきからいってるんだ。もしあんたがここへくるか、前にでも来ていれば、つまりこの基地のだれかがあんたを見るか、あんたが声だけの存在じゃないってことを知ってるかすれば、無事にはすまんだろう。だが、あんたの顔を見たものはだれもいないんだ。そこがこっちのつけめさ……」
ヘルマスは、はるか離れた総基地で、この前代未聞《ぜんだいみもん》の事件を、あらゆる角度からせわしく考察《こうさつ》した。彼は時をかせごうと決心した。そこで、そここことボタンを押しながら、しゃべりつづけた。
「|おまえ《ヽヽヽ》はわしの顔が見たいというのか?」彼は反問した。「もしわしの顔を見れば、銀河系のどんな力でも……」
「やめなよ、首領《しゅりょう》」キニスンは冷笑した。「おれをおどかして、あんたがおれを殺せるのに殺せないんだなんて信じこませようったってだめさ。あんたの顔なら、そんなみっともないものは見たって見なくたって同じことだ」
「よし、見せてやる!」そしてヘルマスの顔が現われ、ふつうの人間ならひるんでしまったにちがいないようなものすごい怒りをこめて、反逆幹部の顔をにらみつけた。だがブレークスリーの姿を借りたキニスンはひるまなかった。
「よし! そうわるくないぞ――人間とほとんど変わらんな」キニスンは海賊の首領が手も足も出ずに怒り狂っているのをいっそうあおりたてるように、口調《くちょう》を調節しながら叫んだ。「だが、おれにはしなきゃならんことがある。これからここでどんなことが起こるか、想像してるがいいぜ」そしてデラメーターの放射のもとに、ヘルマスの監視盤《かんしばん》も通信装置も「目」も消滅《しょうめつ》した。キニスンもまた時をかせいでいた。彼があやつる観測士は、ヘルマスの極秘《ごくひ》の総基地を通過する、このきわめて重要な第二の線をくり返し点検《てんけん》していた。つづいて、キニスンは要塞《ようさい》全体に非常|呼集《こしゅう》の信号を発し、次のような言葉をつけ加えた。
「これは百パーセントの呼集で、ドックにある宇宙船の乗組員、基地の常備要員《じょうびよういん》およびすべての捕虜《ほりょ》をふくむものだ。そのままの服装ですみやかに集合せよ――講堂のドアは五分後に閉鎖《へいさ》される。しめだされた者は、講堂内にいればよかったと思い知るぞ」
講堂は制御室《せいぎょしつ》のすぐ隣りにあり、中間のしきりがたたみこまれると、制御室がそのステージになるように配置されていた。ボスコーンの基地はすべてこのように配置されており、その目的は、総基地の監視将校たちが制御室の主制御盤《しゅせいぎょばん》上の装置を通じて、このような集会を観察できるようにするためだった。非常呼集の信号を聞いた者はみな、それが総基地から発せられたものと思いこんで、急遽《きゅうきょ》、集合した。
キニスンは二つの部屋のあいだのしきりをたたみこんで、人々が講堂に流れ込んでくるのを観察しながら、武器の有無《うむ》を調べた。通常は衛兵だけが武装しているが、おそらく船の将校のうち二、三人はデラメーターを身につけているだろう……四――五――六挺だ。病院船を捕獲《ほかく》した戦艦の船長とパイロット、基地副司令官のクリムスキー、そして三人の衛兵だ。ナイフや棍棒《こんぼう》などは問題ではない。
「時間だ。ドアを閉鎖《へいさ》しろ。鍵を集めて、看護婦たちをここへあげろ」彼は武装した六人の男のひとりひとり名指《なざ》しで命令した。「おまえたち女はこっちの椅子《いす》にすわれ。男はそっちの椅子だ」
そして看護婦と六人の男が全部着席すると、キニスンはボタンを押した。鋼鉄《こうてつ》のしきり戸なめらかに定位置におさまった。
「ここで何が起こったんです?」将校のひとりがたずねた。「司令官はどこです? 総基地はどうしました? やっ、あの制御盤は!」
「おとなしくすわっていろ」キニスンは命じた。「両手をひざにのせるのだ――ちょっとでも動いたら、焼き殺すぞ。おれはもう司令官と五人の衛兵を焼き殺し、総基地の監視盤を破壊したのだ。そこでおれはわれわれ七人がどんな立場にいるか知りたいのだ」レンズマンはすでにそれを知っていたが、手の内を明かさなかったのだ。
「われわれ七人とはどういうことです?」
「なぜかというと、われわれだけが偶然《ぐうぜん》にも携帯兵器を持っているからだ。ほかのものは全員非武装で、講堂に閉じこめられている。彼らは、われわれのうちのだれかが出してやらなければ、あそこから出られないのだ」
「だが、ヘルマスは――こんなことをしたら、彼はあんたをふっとばしますぜ!」
「そんな心配はないさ――おれの計画はきのうやきょう、できたものじゃない。きみたちのうちおれと行動をともにする者はだれだ?」
「あんたの計画ってのは、どんなものです?」
「この看護婦たちを、どこかのパトロール隊基地へ連れて行って降服するのだ。おれはこういう仕事がつくづくいやになった。この女たちはだれもきずものになっていないから、赦免《しゃめん》を願って再出発するのに役だつと思う――すくなくとも刑は軽くなるだろう」
「そうか、|そういう《ヽヽヽヽ》わけだったのか……」船長がうなった。
「そのとおり――だが、機会がありしだい、おれを焼き殺すことばかり考えているようなやつはいっしょに来てもらいたくないのだ」
「わたしを仲間に入れてください」パイロットがきっぱりいった。「わたしの胃はじょうぶですが、こういう仕事はもうたくさんです。もしあんたがうまくやって、わたしを終身刑《しゅうしんけい》以下ですましてくれるなら、いっしょに行きますよ。でも、あんたに協力して仲間をやっつけることはとても……」
「いいとも。宇宙空間に出るまではかまわない。ここでは、なんの協力もいらないのだ」
「わたしのデラメーターをあんたに渡しますか?」
「いや、持っていていい。きみはそいつをおれに向けやしまい。ほかにだれかいるかな?」
衛兵のひとりがパイロットに仲間入りしてわきにのいたが、ほかの四人はまよっていた。
「時間だ!」キニスンは叫んだ。「さあ、おまえたち四人、デラメーターを引き抜くか、背を向けるかしろ。それもいますぐだぞ!」
四人は背を向けるほうを選んだので、キニスンは彼らの武器を一つ一つ取りあげた。彼らを武装解除してしまうと、彼はまたしきりをたたみこんでから、四人に講堂の中で不思議がっている連中の群れに加わるように命じた。それから、群集に向かって自分がこれまでにやったことと、これからするつもりのこととを告げた。
「おまえたちの中には、この無頼《ぶらい》な海賊商売にいや気《け》がさして、もしそうひどい罰を受けないですめば、まともな生活にもどりたいと望んでいる者が多いにちがいない」彼は話をむすんだ。
「ところで病院船に乗り組んで、この看護婦たちをパトロール隊のところへ連れもどした者は、わるくしても、軽い刑ですむだろう、とおれは確信する。ミス・マクドゥガルは主任看護婦だ――つまりパトロール隊の将校なのだ。そこで彼女の意見を聞いてみよう」
「わたくしは彼以上のことをいえます」彼女はきっぱり答えた。「わたくしは『確信する』どころではありません――絶対確実に、ブレークスリーさんが乗組員に選んだ人たちはなんの刑も受けないでしょう。そのひとたちは赦免《しゃめん》を受けて、自分がいちばん得意な職業につけるでしょう」
「どうしてそんなことがわかるんです、ミス?」ひとりがたずねた。「われわれは悪党ですぜ」
「知っています」主任看護婦の声は平静で断固としていた。「|どうして《ヽヽヽヽ》それがわかるかはいいませんが、わたくしに|わかっている《ヽヽヽヽヽヽ》ということは確かです」
「われわれといっしょに運だめしをやってみようと思うものは、ここへ並べ」キニスンはそう指示《しじ》して、その列にそって急ぎ足で歩きながら、ひとりひとりの心を片はしから読んでいった。彼はそのうちの多くの者を、手ぶりで後ろの集団へもどらせた。裏切りの野心や本質的な犯罪性を見抜いたからだ。彼が選び出したのは、ボスコーンの陣営《じんえい》を見捨てることを真剣に望んでいる者たちだった。彼らがボスコーンの陣営に加わったのは、精神的傾向からというよりも、環境の圧力に負けたためだった。検査に合格した者はそれぞれ武器戸棚から武器をとって見につけ、女たちのグループの前にくつろいで立った。
乗組員を選び出してしまうと、レンズマンは制御装置を操作《そうさ》して、病院船が繋留《けいりゅう》されているドックにいちばん近い出口を開き、その羽目板《はめいた》を破壊して出口が閉ざせないようにし、別に一つのドアをあけた後、海賊たちをふりむいた。
「副司令官クリムスキー、きみは専任将校として、これからこの基地の指揮をとる」彼は指示した。「おれはきみにこれ以上なんの命令もあたえないが、きみに知らせておくべきことが二、三ある。第一に、きみたちはいつこの部屋を出てもかまわない――しかし、われわれがここを出て病院船へ向かうのをすぐあとから追ってくると、ひどい目にあうだろうということだけは断っておく。第二に、きみたちには宇宙空間を航行できる船がない。どの船も、主要出入口のインゼクタ・トグルの軸のところが破壊してあるからだ。機械士たちが全力で仕事を急げば、きっちり二時間で新しい装置がとりつけられるはずだ。第三に、きっかり二時間半後に、大地震があって、この基地はあとかたもなくなってしまうだろう」
「地震だって! おどかすなよ、ブレークスリー――あんたにそんなことができるもんか!」
「いや、ふつうの地震じゃないが、それとまったく同様な効果のあるものだ。おれがこけおどしをいってるんだと思うなら、待ってればわかるさ。だが、常識で考えてみればわかるはずだ――おれには、ヘルマスがいま何をたくらんでいるかがはっきりわかる。きみたちにわかろうとわかるまいとな。最初おれは、きみたち全部を警告なしに抹殺《まっさつ》してしまおうと思ったが、気が変わったのだ。きみたちを生かしておいて、この出来事《できごと》をヘルマスにくわしく報告させることにした。彼はひとりの人間がいかにやすやすと彼を出し抜いたかということと、彼の組織がいかに完全制御からほど遠いかということを知れば、大いに驚くだろう。そのときの彼の顔を見たいものだが――しかし、何もかもというわけにはいかない。さあ、行こう!」
病院船に乗り込むグループは急いで出口を抜けだした。ブレークスリーはいちばんあとからついてきたので、マックは足をゆるめて彼に近づいた。
「キム、あなたはどこにいるの?」彼女は熱心にささやいた。
「ぼくは次の通路で合流《ごうりゅう》する。もっと先へ行きたまえ。そして、駆けだす用意をするんだ!」
一行がその通路を通過するや、グレーのレザー・スーツをつけた人影が、ひどく重そうな物体を手にして、そこから踏みだした。キニスンそのひとである。彼はその重荷を下へおろすと、それについたレバーをひっぱってから、走りだした――と思うまもなく、彼が床《ゆか》に置き去りにした機械からは、耐えがたい熱気が激しくほとばしった。彼のすぐ前を、他の者たちから少しおくれて、ブレークスリーとマックが走っている。
「まあ、あなたに会えて嬉しいわ、キム」レンズマンがふたりに追いつき、三人とも足をゆるめると、彼女はあえぎながらいった。「あそこに置いてきたのはなあに?」
「たいしたものじゃない――ただのKJ4Z熱射器さ。ほんとうに危険な損害はあたえない――やつらがわれわれの脱出の邪魔をできないように、このトンネルを溶かしつぶすだけだ」
「じゃ、地震のことはこけおどし|だった《ヽヽヽ》の?」彼女はいくらか失望をこめてたずねた。
「そんなことはない」彼はたしなめた。「そいつはまだ二時間三十分しないと期限がこない。だが、予定時刻がくればちゃんと起こるよ」
「どんなぐあいにして起こるの?」
「きみは聞きたがり屋の猫みたいだな、ええ? だが、とくに秘密にすることもないだろう――三個の水化リチウム爆弾をいちばん効果のありそうな場所にしかけて、同時に爆発《ばくはつ》するようにしてあるのだ。さあ、着いた――ぼくがいるということは、だれにもいわんでくれたまえ」
キニスンは乗船すると士官室の一つへかくれ、ブレークスリーが指揮をつづけた。乗組員は当直ごとに区分《くぶん》され、任務が割り当てられ、点検が行なわれた。船は空中へ発進した。船はキニスンの快速艇を拾いあげるためにちょっと停止したが、それからまた航行をつづけた。ブレークスリーは指揮をパイロットのクランドールにまかせて、キニスンの部屋へやってきた。
レンズマンは彼の心から制御《せいぎょ》をといたが、それまでに起こったことについての記憶は全部そのままに残しておいた。ブレークスリーは何分かのあいだ目がくらんでいるみたいだったが、それをふりはらうようにして手をさしのべた。
「あなたに会えてとても嬉しいですよ、レンズマン。ありがとう。おれの弁解《べんかい》は一つしかありません。ボスコーンの組織に巻き込まれてしまうと、どうしても抜け出せなかったのです――」
「わかるとも、ぼくにはみんなわかっている――それがきみを選んだ一つの理由なのだ。きみの潜在《せんざい》意識は、はじめから終わりまで、少しもぼくの制御に反抗しなかった。きみはここから地球まで指揮をとるのだ。制御室へ行って、クランドール以外の者を全部追い出してくれたまえ」
「そうだ、たったいまあることを思いつきましたよ!」キニスンが制御室でふたりの幹部といっしょになったとき、ブレークスリーが叫んだ。「あなたは最近ヘルマスの鼻をあかした、あのレンズマンにちがいない!」
「たぶんね――それがぼくの生涯《しょうがい》の目的なんだよ」
「ヘルマスがこの事件の報告を受けたときの顔を見たいもんだ。おれはまえにもあなたに制御されながらそういったでしょう、ちがいますか? しかし、いまは本気でいうんです。まえよりもっと本気なくらいです」
「わたしもヘルマスのことを考えていました。だが、そういう意味でじゃありません」パイロットは顔をしかめて映像プレートを見つめていたが、このときブレークスリーとレンズマンのほうをふりむいて、もの珍しげな目つきでふたりをかわるがわる見やった。「へえ――どんなレンズマンですって? まえからのいきさつが、いくらかわかりかけてきましたよ。だが、そいつはあとのことだ。ヘルマスは全力をあげてわれわれを追跡していますぜ。あのプレートをごらんなさい」
「もう四隻も接近してる!」ブレークスリーが叫んだ。「それにもう一隻! ところが、こっちにはシガレットを点火するほどのビーム放射器もないし、花火を防ぐほどのスクリーンもない。足は速いが、やつらほど速くはない。しかし、あなたは出発するまえからこういうことがすっかりわかっていたはずです。それに、これまでうまくやりおおせたところから見れば、なにかうまい手を知っているんでしょう。それはなんです? 教えてくれませんか?」
「ある理由から、やつらはわれわれを探知《たんち》できないのさ。きみはやつらの電磁探知器《でんじたんちき》の有効範囲外にいて、地球へ向かって突進しさえすればいいんだ」
「ある理由からですって? もうプレートに九隻も見えています――みんなボスコーンの船で、われわれを捜しているんだ――だのにわれわれを探知できない――ある理由から! しかし、おれはその理由を聞こうっていうんじゃありません……」
「聞かないほうがいいよ。それより、きみに答えてもらいたいことがあるんだ。ボスコーンというのはだれだい、人でなければ、なんだい?」
「だれも知りません。ヘルマスはボスコーンを代表して話していますが、これまで他の者がボスコーンを代表して話したことはありません。ボスコーン自身さえね――もしそういう名前の人間がいるとすればですよ。だれにも証明はできないのですが、だれもが信じているのは、ヘルマスとボスコーンとが同一人物の二つの名にすぎないということです。あなたも知っているように、ヘルマスというのは声にすぎません――きょうまで、彼の顔を見た者はひとりもいないのです」
「ぼく自身もそう思いはじめたよ」そしてキニスンは制御室を立ち去り、主任看護婦マクドゥガルの部屋を訪れた。
「マック、ここに小さいけれど非常に重要な箱がある」彼は探知波中立器をポケットから取り出して彼女に渡しながらいった。「地球に着くまで、それをきみロッカーに入れておきたまえ。むこうへ着いたら、それを自分の身につけて運んで、ヘインズ閣下自身に手渡すんだ。ほかのだれにも渡しちゃいけない。彼には、ぼくがそれを託《たく》したとだけいえばいい――そのことをすっかりご存知だから」
「でも、なぜあなたが持っていて、ご自分で彼に手渡さないんですか? わたくしたちといっしょに行くんでしょう?」
「たぶん最後まではつきあうまい。もうすぐ飛びださなけりゃならんと思うんだ」
「だって、わたくしあなたとお話したいのに!」彼女は叫んだ。「あなたにお聞きしたいことが数えきれないくらいあるんですもの!」
「それにはだいぶ時間がかかるだろう」彼はにやっと笑いかけた。「ところが、いまその時間が足りないんだ。きみにもぼくにもね」そして彼は制御室へもどって行った。
彼は計算器を操作したり、タンクにはいったりして、何時間も働いたあげく、しゃがみこんで、タンクの中の針のように細い二本の光線を見つめながら、口のなかでそっと口笛を吹いた。なぜなら、この二本の線はまったく同じ平面にあるのに、タンクの中ではまったく交差しなかったからだ! 二本の線のタンク外での交差点をできるだけ正確に計算してから、彼は「抹消《まっしょう》」キーを入れて、自分の仕事のあらゆる痕跡《こんせき》をぬぐいさり、それから図面室に出かけていった。宇宙図を次々にひろげて、測径器、コンパス、測角器、調節式三角定規などを使いながら何時間も働いた。最後に一点にしるしをつけた――すでに宇宙図に記入されている番号点の真下だ――そこでまた口笛を吹いた。
「ほう!」彼はうなった。そしてもう一度すべての数字を点検し、宇宙図をたどったが、計測器の針はまた同じ小さな穴を貫いた。彼は宇宙図の上でその目じるしのまわりをくわしく調べた後、まる一分ばかりそこを見つめていた。
「星団AC二五七――四七三六か」彼は考えこんだ。「やつが見つけられるかぎりでもっとも小さく、もっとも目だたない、もっともひとに知られていない星団だ。ぼくの計算がどれほどまちがっていても、ここ以外ではありえない……まえにこのあたりまで行ったとき、どれかの星団の中に総基地があるんじゃないかとちょっと考えたが、|そこ《ヽヽ》を調べてみようとはしなかったんだ。彼の通信波を追跡《ついせき》するのにおおぼね折ったのも無理はない――ここから通信波を送るのは、べらぼうにむずかしいはずだ」
もう一度調子はずれの口笛を吹くと、彼は自分が調べていた宇宙図を巻いて小わきにはさみ、他の宇宙図はそれぞれの区画《くかく》におさめてから、制御室にもどった。
「調子はどうだね、諸君?」彼はたずねた。
「QX《オーケー》」ブレークスリーが答えた。「われわれはやつらのあいだを抜けて、晴朗《せいろう》なエーテルに出ました。もうプレート上には一隻の船も見えません。どの船もまったく気がつかなかったんです」
「いいぞ! それなら、最高基地へ着くまで、なんの障害にもぶつかるまい。それは二重にありがたいんだ――ぼくは途中で飛びださなければならんのでね。そうなると、きみたちふたりは当直時間が長くなるが、これはやむをえない」
「わたしは当直時間なんぞ気にしませんが、しかし……」
「それも気にしなくていいよ。この船の乗組員はひとり残らず信用できる。きみたちのうち、自分の自由意思で海賊の仲間入りをした者はひとりもいないし、海賊行為で積極的な役割を果たした者もひとりもないのだ――」
「あなたはどういうかたです、読心術者か何かなんですか?」クランドールが叫んだ。
「まあ、そんなものだよ」キニスンはにやりと笑ってうなずいた。ブレークスリーが口をはさんだ。
「それ以上の者だっていいたいんだろう。催眠術か何か、もっとそれ以上のものだ。きみはおれがこのことをある程度やってのけたように思っているが、そうじゃないのだ――なにもかもレンズマンがひとりでやってのけたんだよ」
「うむ……む」クランドールは、あらたな尊敬をこめた目でキニスンを見つめた。「独立レンズマンが優秀だということは知ってましたが、|これほど《ヽヽヽヽ》優秀だとは思いもよりませんでした。ヘルマスがあなたをやっつけるのに全力をあげてきたのも不思議はありません。あなたは一つの基地をひとりで占領して、のろまの|ろば《ヽヽ》みたいな病院船で、ヘルマスみたいに海千山千の相手をしりめにかけてるんですからね。そんなことができるひととだったら、わたしはいつだって手を握りますよ。しかし、わたしはこわいってほどじゃないが、ちょっとばかり身ぶるいがするんです。われわれがあなたなしで最高基地へとびこんだら、どんなことになるでしょうね? あなたも知ってるように、われわれはみんなブラックリストにのっていて、つかまったら裁判なしで死刑室へ送りこまれることになってるんです。もちろん、ミス・マクドゥガルは、いくらかかばってくれるでしょうが、わたしのいいたいのは、あの娘じゃ力不足じゃないか、ってことなんです。どうですかね?」
「それだけの力はあるよ。だが、ぼくはごたごたをさけるための手も打っておいた。このテープには、これまで起こったことがみんな記録されている。そして、その終わりには、きみたち全員を完全に赦免《しゃめん》して、自分がもっとも適していると思う仕事につけてくれるようにというぼくの推薦《すいせん》の言葉がそえてある。ぼくの拇印《ぼいん》を押してね。着陸したらすぐ、これを空港司令官ヘインズ閣下に手渡すか届けるかしたまえ。ぼくにはそれだけの力があるつもりだから、推薦どおりにはこぶだろうよ」
「力ですって? あなたが? そのとおり! あなたには、バレリア星の北極から輸送船を十四隻持ちあげられるくらいの力がありますよ。次は何をするんです?」
「ぼくの快速艇に必需品《ひつじゅひん》を積んでくれ。ぼくは長い航行をするつもりだし、この船には必需品がありあまるほどあるから、快速艇は満載《まんさい》にしてほしい」
快速艇には、ただちに必需品が積みこまれた。
それがすむと、キニスンは別れのしるしに軽く手をふっただけで小型快速艇に乗り込み、はるかな目標へ向けて発進した。パイロットのクランドールは寝床《ねどこ》にはいり、ブレークスリーは制御盤について、長い当直にはいった。一時間かそこらして、主任看護婦が軽い足どりではいってきた。
「あなたはキム?」彼女はうしろ姿に向かってあやふやにたずねた。
「ちがいます、ミス・マクドゥガル――ブレークスリーです。失礼ですが――」
「あら、それはよかったわね――つまり、すっかり仕事が片づいたのね。レンズマンはどこなの――寝床ですか?」
「彼は出発しましたよ、ミス」
「出発したですって! ことづてはなかったの? どこへ行ったんです?」
「いいませんでした」
「もちろんそうでしょうよ」看護婦は背を向けながら、聞きとれない声で叫んだ。「出発してしまった! この罰に顔をひっぱたいてやるわ、気どり屋さん! 出発してしまった! まあ、でかのまぬけのうぬぼれ屋!」
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二二 試験準備
しかし、キニスンはヘルマスの基地へ向かったのではなかった――すくなくともいまは。そうではなく、彼は全速力でアルデバラン星へ向けてエーテルをつんざいていた。しかも、快速艇は銀河系宇宙でもっとも速い物体の一つである。彼がボスコーンの総基地にぶつかるまえにそこへ向かったのには、二つのしかるべき理由があった。第一に、自分の新しい能力を地球人以外の知能に対して実験してみるためだった。もし車輪人間を扱えるとすれば、それよりずっと大きな冒険に手を出すことができるだろう。第二に、彼はあの車輪人間たちに借りがあった。そして、その借りを返すためにパトロール隊全体の協力を求めるようなことはしたくなかった。彼はあの基地を自分だけで処理できると思っていたのだ。
彼はそれがどこにあるかを正確に知っていたので、入口である火口の縦穴をなんの苦もなく発見した。彼の知覚力はその縦穴を急速に降下していった。監視プレートを発見して、その導線《どうせん》をたどった。そして、自分の心を制御装置についている車輪人間の心の中に静かに用心ぶかく移入していった。この怪物を扱うのは、ラデリックス人の観測員を扱うのよりむずかしくないということがわかって、彼はひどく気が楽になった。精神または知能は、脳の形態にはまったく関係がなかった。その性質、有効範囲、能力などが本質的な要素なのだ。そこで彼は基地内に侵入し、前回はなはだ乱暴にほうりだされたあの同じ部屋におさまった。キニスンは自分がその割れめから吹きとばされた壁を興味ぶかく調べてみたが、それは継ぎめの見分けがつかないほど完全に修理されていた。
この車輪人間たちが爆薬を持っているということをレンズマンは知っていた。なぜなら、彼の宇宙服を破り、肉を裂いた弾丸は、爆薬の作用によって推進されていたからだ。そこで、彼は支配《しはい》している心に暗示《あんじ》をかけた。「爆薬が保管《ほかん》されている場所は?」するとその心の思考は、問題の保管室に向かってひらめいた。そしてその部屋に接近した者の思考は、同じようにしてレンズマンに、彼が求めている特定の車輪人間を指摘《してき》した。それはしごく容易なことだったし、この無気味な人間どもをスパイ光線で見ないように気をつけたので、彼らに気づかれることもなかった。
キニスンは、支配した心から自分の心を巧妙《こうみょう》にひっこめて、支配の痕跡《こんせき》がまったく残らないようにしてから、兵器庫《へいきこ》を検査した。そこには、機関銃の弾薬筒が二、三ケース見つかったが、それが全部だった。そこで兵器将校の心の中にはいりこむと、重量爆弾は事故爆発などの被害を避けるために遠方の火口に保管されていることがわかった。
「思ったほど簡単じゃないな」キニスンは考えこんだ。「だが、方法はあるさ」
方法はあった。それには一時間かそこらかかった。自分にその能力があることがわかった。兵器将校が高性能爆弾運搬のために爆薬運送船を発進させたとき、乗組員たちはそれが日常の仕事でないなどとは夢にも思わなかったのである。監視台についている車輪人間だけはそれを怪《あや》しむはずだったから、キニスンとしては、その男をも制御しなければならなかった。爆薬運送船は基地を出て、離れた火口内の火薬庫から高性能爆薬を積みこみ、基地へもどってきた。そして、レンズマンが宇宙空間へとびだしているあいだに、爆薬運送船は基地へ通じる縦穴を落下して行った。なにもかも、きわめて平穏《へいおん》に行なわれたので、基地内の人間はひとりとして、もう手おくれになるまで事故に気づかなかった――手おくれになってからも、だれひとり何も気づかなかった。爆薬運送船の乗組員たちでさえ、降下が速すぎるということに気づかなかった。キニスンは、もし自分が制御している心の持ち主《ぬし》が――二つともではないまでもその一つが――制御中に死んだら自分がどんなことになるかわからなかったが、それを確かめてみるつもりはなかった。そこで、爆薬運送船が縦穴の底に衝突する直前に、自分の心を車輪人間の心からひき離して、なりゆきを見守った。
爆発とその結果とは、レンズマンの観測点からは、さっぱり迫力があるようには見えなかった。山はちょっと震動して、つぎに、それとわかるほど沈下《ちんか》した。その山頂から、少しばかり炎と煙が吹き出し、問題にならない程度に岩や破片がとび散った。
しかし、視界が晴れてみると、あの火口から下方へ通じていた縦穴はすでになく、堅い岩床《がんしょう》がほとんど火口のへりまでせりあがっていた。それでも、レンズマンは要塞《ようさい》があった地域全体をくまなく検査して、破壊が百パーセント有効に行なわれたことを確認した。
そのあとではじめて、彼は快速艇の流線形《りゅうせんけい》の艇首《ていしゅ》を星団AC二五七――四七三六の方向に向けたのである。
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無数の恒星や惑星にみちた銀河系宇宙からはるかへだたった秘密のかくれ家《が》にあって、ヘルマスは決して上機嫌でもなく安心もしていなかった。彼はこれまでに四度も、あのにくむべきレンズマンこそは、いかなる能力を持っていようとも撃滅《げきめつ》しなければならぬ、と宣言した。そしてその目的のために全力を集中したが、目ざす獲物は、まるで水銀の小滴がそれをつまもうとする子どもの指先から逃げるように、いともあっさりと彼の手中からすり抜けてしまったのだ。
このレンズマンは、一隻の快速艇と一発の爆弾しか持たないのに、ボスコーンの新式戦艦の一隻を捕獲《ほかく》して調査し、それによってパトロール隊に宇宙エネルギーの秘密を提供した。さらに、損傷を受けて捕獲されるか破壊されるかしかない状態におちいった自分の船を見捨て、逆に追跡してきた船の一隻を盗《ぬす》んでそれに乗り込み、ヘルマスの艦隊の包囲網を突破して無事にヴェランシアに着いた。そして、なんらかの方法でヴェランシアの防御《ぼうぎょ》を強化してボスコーンの戦艦を六隻捕獲し、その一隻に乗り込んで最高基地へ帰還したのだ。そのとき彼がたずさえた情報はきわめて重大なものであり、ボスコーンの組織がそのときまで保有《ほゆう》していた圧倒的優位を奪ってしまった。さらに、彼はある非常に有効な新しい装置を発見するか開発するかしている。もしヘルマスのほうでもそのような装置を獲得しなければ、パトロール隊はボスコーンに対して決定的な優位を持つことになるだろう。いまや両陣営は互角《ごかく》になった。例外は、あのレンズマンと、そして……レンズだけだ。
ヘルマスはアリシアの障壁《バリアー》のところで受けた打撃を思い出すと、いまだに心がひるんだ。アリシアから力ずくでレンズの秘密を奪うという計画は完全に放棄《ほうき》していた。しかし、それを手に入れる別の方法が、きっとあるにちがいない……。
ちょうどそのとき、ボイッシア第二惑星から緊急呼び出しがあり、それにつづいて、ふだんぱっとしないブレークスリーが驚くほどあざやかに反乱をやってのけ、その結果、ボイッシア基地にあるヘルマス専用の監視装置と通信装置が完全に破壊されてしまった。ヘルマスは怒りのあまり顔面を蒼白《そうはく》にしながら、包囲網をひろげて反逆者を捕えようとした。しかし腰をおちつけて結果を待っているうちに、ある考えが電撃のように彼を打った。ブレークスリーはぱっと|しない男《ヽヽヽヽ》だった。やつはたったいま、冷静な神経とすばらしく支配的な力とを発揮したが、あのような能力を、やつはまえにも持っていなかったし、現在も持っていず、これからも持つことはないだろう。その事実から出てくる結論はなにか?
ヘルマスの顔をおおっていた狂気のような怒りは、まるでスポンジで吸い取ったようにぬぐい去られた。彼はまたいつものような冷静で打算《ださん》的な生きた機械にもどった。こう考えると、事情はすっかり変わってくる。こんどの事件は、ふつうの部下のふつうの反乱ではない。ブレークスリーは、いつもならできるはずのないことをやってのけたのだ。すると、どういうことになるのか? またレンズだ……またしても、あのいまいましいレンズマンだ。あの男はどうにかしてレンズの真の用法《ヽヽ》を身につけたにちがいない!
「ウォルマーク、ボイッシア基地の全宇宙船を呼び出せ」彼は断固として指示《しじ》した。「だれかが応答するまで呼びつづけるのだ。だれでも指揮をとっている者を呼び出して、わしのほうへ連結しろ」
二、三分沈黙がつづいた後、基地副司令官のクリムスキーが応答して、すべての出来事を報告し、基地の破滅が迫っていることを告げた。
「その基地には、自動快速艇が一隻あったな?」
「はい、首領《しゅりょう》」
「おまえの次位の者に指揮権を移譲して、できるだけ多くの装置を持って、もっと近い基地へ移動するように命令しろ。しかし、定められた時間以内に基地を立ち去るように注意するのだ。わしの予想では、もうどんなことをしても基地の破滅をふせぐには遅すぎるにちがいないからだ。おまえはひとりで快速艇に乗り、ブレークスリーと同行した者たちの経歴ファイルを持って出発しろ。後刻、指定する場所で、こちらの快速艇がおまえとおちあって、その記録を回収する」
一時間たった。二時間、それから三時間。
「ウォルマーク! ブレークスリーの乗った病院船は消えちまっただろう?」
「消えました」副首領はヘルマスに罵られることを予期していたので、首領の声のおだやかさと表情の平静さにひどく驚かされた。
「司令室へ来たまえ」副首領が席につくと、ヘルマスはいった。「きみはまだ何が――というよりだれが――この仕事をやっているかわかっていないようだな?」
「なぜです? ブレークスリーのしわざにきまっているでしょう」
「わしもはじめはそう思った。そして、そう考えることこそ、これをほんとうにやったやつの思うつぼなのだ」
「ブレークスリーのしわざにちがいありませんよ。われわれは彼がやるのを見ています――他の何者かがやったというはずがないではありませんか?」
「わしにも、そいつがどのようにしてやったかはわからん。しかし、ブレークスリーがやったはずがないということはわかっている。それは、きみにもわかっているだろう。ブレークスリーそのものは、まったく問題ではないのだ」
「やつをつかまえて、話させましょう。逃げられっこありません」
「いまにわかるだろう。きみはやつをつかまえられんし、やつは逃げてしまうよ。もちろん、ブレークスリーひとりではできんだろう。やつがやったように見えることを、やつができなかったのと同様にな。ちがうのだ。ウォルマーク、われわれはブレークスリーを相手にしてるんじゃない」
「ではだれですか、首領?」
「まだ想像がつかんかな? レンズマンさ、勘《かん》がわるいぞ――救命艇と魚雷を使ってわれわれの一等戦艦を捕獲《ほかく》して以来、こちらの鼻をあかしつづけている、あのレンズマンなのだ」
「ですが――どうすればそんなことが|できる《ヽヽヽ》んです?」
「もう一度いうが、わしにもわからんのだ――いまのところはな。だが、関連はきわめて明白だ。思考だよ。ブレークスリーは、彼にはまったく考えもおよばんことを考えていた。レンズはアリシアでつくられたものだ。アリシア人は思考の達人《たつじん》だ――われわれのだれにも理解できないような知力と知的方法を身につけている。こうした点を結びつければ、全体が想像できるだろう」
「わたしには、どう結びつくのかわかりませんが」
「わしにもわからん――いまのところはな。しかし、やつにもわれわれの通信波を追跡《ついせき》することはできないにちがいない……
「いや、待て! あのレンズマンに何をできるとか、できないとか、のんきにしゃべっている時ではない。われわれの通信波が充分に緊密《きんみつ》なのは事実だ。しかし、どんな通信波でも、それに充分な力を作用させれば、傍受《ぼうじゅ》することができる。そして傍受できる受信波なら、どんなものでも追跡できるのだ。やつはここへやってくるだろう。われわれは彼の来訪にそなえねばならん。こうしてきみと協議しているのはそのためなのだ。ここにあるのは、どんな思考波も貫通《かんつう》できないような場《フィールド》を発生する装置だ。わしがこの装置を手に入れたのはしばらくまえのことだが、明白な理由からして、きみたちに公開しなかったのだ。ここに図面と完全な建造データがある。これを大至急、二、三個つくらせ、この惑星上のあらゆる人間に継続的に携帯させろ。わしからもいうが、全員に強調しろ。完全に継続的に遮蔽《しゃへい》することが、もっとも大事なのだ。バッテリーを取りかえるときでさえな。
「この惑星全体を思考波スクリーンで保護する問題をしばらくまえから専門家たちが研究していて、近い将来にそれが成功する可能性があるが、いまのところは、ひとりひとりを保護することがもっとも重要だ。どれほど強調してもまだ足りないほど重要なことだが、各員の生命は、彼らがそれぞれ思考スクリーンを常時完全に操作《そうさ》しているかいないかにかかっているのだ。以上」
使者がブレークスリーはじめ脱走者たちの経歴ファイルをもたらすと、ヘルマスと部下の心理学者たちはそれらを慎重に調査した。調査が進むにつれて、首領の判断の正しいことがますますあきらかになった。|あの《ヽヽ》レンズマンは、人間の心を読むことができるのだ。
ヘルマスの論理的判断によれば、レンズマンがボイッシアの基地を攻撃した唯一《ゆいいつ》の目的は、総基地を通過する一本の線を獲得することにあった。ブレークスリーを脱走させたり基地を破壊させたりしたのは、その攻撃の真の目的をくらますためにすぎない。レンズマンがあのような芝居がかった場面を仕組んだのは、ヘルマスをひきつけて、そのあいだに彼の通信波を追跡するためである。監視装置がただちに破壊されなかったのは、まさにそのためだった。結論として、レンズマンはまたクリーン・ヒットを放ったのだ。
彼ヘルマス自身が、みごとに足をすくわれたのだ。彼はその思いに表情を固くし、あごをくいしばった。しかし完全に裏をかかれたわけではない。レンズマンの攻撃が予知できたのだから、それにそなえることもできるだろう。彼は、レンズマンの真の目的が総基地と彼自身にあることを確信《かくしん》していた。このレンズマンは、ボスコーンのふつうの基地、宇宙船、人員などをいくら破壊しても、ボスコーンの本体に実質的打撃をあたえることはできないということを、充分、心得ているのだ。
総基地は物理力に対しては難攻不落《なんこうふらく》だが、精神エネルギーに対してもそうなるような手を打たねばならない。さもないと、ヘルマス自身の生命さえ危険におちいるだろう――それこそ真に貴重《きちょう》なものなのだ。そこで、会議につぐ会議が開かれ、予想されるかぎりの事態がとりあげられて討議され、可能なかぎりの予防策がたてられた。要するに、来襲《らいしゅう》を予想されるあらゆる知力攻撃を防ぐために、総基地の総力が結集されたのである。
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キニスンはその星団に慎重に接近した。それは星団のつねとして小規模なものだったが、それでも何百かの恒星《こうせい》と未知数の惑星とからなっていた。それらの惑星のうちどれが目ざす惑星かわからなかったから、不用意に接近することは危険だった。そこで彼は艇の速度をおとして一光年一光年とじりじり接近しながら、超強力探知器を、ものすごく長大な有効範囲の最大限まで働かせて、進行方向を扇状に探知していった。
彼はこの星団内の惑星をしらみつぶしに探査していかねばならないだろうと半ば以上予期していたが、すくなくともその点では、ありがたいことに予期に反していた。プレートの一つのいっぽうのすみが何かを探知してにぶく輝きはじめた。告知ベルが鳴り、キニスンはもっとも強力なマスター・プレートを支持された区域に向けた。このプレートは視野《しや》はごく狭かったが、すばらしい解像力と倍率を持っていた。その中に彼が見たものは、十八個の発光源に囲まれた、それらよりはるかに大きな発光源だった。
ヘルマスの基地の位置についてはもうなんの疑いもなかったが、ここでどのように接近するかという問題が生じた。レンズマンは、多数の監視船による探知網がめぐらされている可能性があるとは思っていなかった――もし監視船が互いに充分接近して配置されていて、電磁探知器の有効範囲が五十パーセントも重なりあっているようだったら、彼としてはひき返したほうが賢明だ。あの前進基地はどのようなもので、どれくらい密《みつ》に配置されているだろうか? 彼は観測しては前進し、そしてまた観測した。そしてついに結論的な計算がでた。前進基地がどんなものだろうと、それらは非常に離ればなれに配置されているので、電磁探知スクリーンが重なりあっている可能性はまったくなかった。彼はそれらのあいだを容易に通り抜けられるだろう――閃光を調節する必要さえあるまい。そもそも監視船でさえないだろうとキニスンは断定した。それらは単なる前進基地で、それらが守っている惑星をふくむ太陽系のずっと外側に配置されているのだ。それらの目的は、単座快速艇の侵入を防ぐことではなく、総基地をおびやかすような強大な艦隊が接近したとき、それをヘルマスに警告することにあるのだろう。
キニスンはしだいに接近していった。中央の目標は実際、基地であることがわかった。驚くほど大規模で、完全に、かつ強力に武装されている。前進基地は巨大な宇宙要塞で、それらが囲んでいる太陽系の太陽の自転を標準にすると、事実上、宇宙空間に固定していた。レンズマンは四つの前進基地によって形成されている仮想上の四辺形の中心をねらって突入し、可能なかぎり惑星に接近した。それから有重力状態に移行して、快速艇を一定の軌道《きどう》にのせた――彼はその軌道があまり扁平《へんぺい》な楕円形《だえんけい》にならないようにしたが、それ以外は軌道の形状にとくべつ気を使わなかった――そしてあらゆる動力を切った。もう探知される危険はなかった。彼は座席の背によりかかって目をとじながら、総基地の巨大な構内に自分の知覚力を投じた。
長いこと、一個の生物にも出会わなかった。延長何百マイルにもわたって知覚力をさまよわせたが、蓄積器《ちくせきき》、遠隔《えんかく》操作のビーム放射器その他の武器や装置などの自動機械が何平方マイルもの面積をうずめつくしているのを見つけただけだった。しかし、やがて彼はヘルマスのドームに到達した。そのドームの中で、彼はもう一つの激しいショックを受けた。ドームの中の要員は何百にもおよんだが、彼はそのどれとも精神的接触をつくりだすことができなかったのだ。彼は敵の心にまったく触《ふ》れることができなかった。冷酷に拒絶されてしまった。ヘルマスの部下はひとり残らず、レンズマン自身の思考波スクリーンと同様に有効なスクリーンによって防護されていたのだ!
快速艇はくり返しくり返し惑星のまわりを旋回《せんかい》した。そのあいだ、キニスンはこの新たな、まったく予期しなかった障害と苦闘をつづけた。これでみると、ヘルマスはきたるべきことを知っているらしい。ヘルマスが決してばかでないことはキニスンも知っていたが、彼は精神的攻撃が加えられることをどのようにして予想できたのだろう? おそらく、大事《だいじ》をとっているだけかもしれない。もしそうなら、レンズマンがつけいるチャンスが訪れるだろう。たとえば、要員が注意をおこたるかもしれない。バッテリーが弱まれば、交換しなければならないだろう。
しかしこの期待もむなしかった。継続的観察によってわかったことだが、すべてのバッテリーは登録され、点検され、計時《けいじ》されていた。バッテリーが交換されるときにも、スクリーンは一瞬もゆるめられなかった。弱ったバッテリーが分解されるまえに、新しいバッテリーが作用を開始するのだ。
「こいつは処置なしだ――ヘルマスは|知ってるのだ《ヽヽヽヽヽヽ》」キニスンは、そうしたバッテリー交換を何度かむなしく観察した後、考えに沈んだ。「やつはわるがしこい。確かに知恵者だ――ぼくにはまだわからんが、ぼくがやったどんなことから、やつは次に起こることを予想したんだろう?」
レンズマンはくる日もくる日もその基地の構造、機能、日課などについて詳細に研究しつづけたが、ついにある計画が心に浮かびあがってきた。彼は最近しばしば観察していた、とある兵営のほうへ知覚力を向けたが、迷ったように作用を停止した。
「いやいや、キム、そいつはよしたほうがいいぜ」彼は自分に忠告した。「ヘルマスのやつは、あのボイッシアの事件からこんなに早く手を打つほど頭の働きが速いんだからな……」
彼が投射していた思考波は、なんの予告もなく切断された。これで問題ははっきりした。ヘルマスの巨大な装置が働いているのだ。惑星全体が思考波に対して遮蔽《しゃへい》されているのだ。
「結構《けっこう》だ。たぶんそのほうがいいだろう」キニスンは自問自答しつづけた。「もし、ぼくがこの方法を試《ため》せば、やつはそれをさとって、この次ほんとうに必要なときに、じゃまだてするかもしれん」
彼は無慣性状態に移行して、快速艇を、こんどこそはほんとうにはるかかなたにある地球に向けて発進させた。その長い航行のあいだ何度か、彼はレンズでヘインズを呼び出して事態を促進させたいという誘惑を強く感じたが、そのたびに思いなおした。これは宇宙空間を伝達するには重大すぎる事がらだ。それどころか、これについて考えるのさえ、完全に思考波の洩れない部屋でなされねばならない。そればかりでなく、その長い航行の目をさましている時間はすべて、非常に有益についやすことができるのだ。手に入れた情報を消化し関連づけたり、きたるべき戦闘の主《おも》だった特長を組織だてたりするためである。そういうわけで、時間のたつのをのろいと感じるひまもないうちに、キニスンは最高基地に着陸して、ただちに空港司令官ヘインズのところへみちびかれた。
「きみに会えて、大いに嬉しい」ヘインズは、若いレンズマンに衷心《ちゅうしん》から挨拶《あいさつ》しながら、部屋を思考波遮蔽した。「きみが自分からここへ来たからには、何か建設的な報告をするためなんだろうな?」
「それ以上であります、閣下――ここへまいりましたのは、ある、大|規模《きぼ》な計画をスタートさせるためです。ぼくはついにボスコーンの総基地を発見しました。そして、それを攻撃するについて、くわしい計画を持っています。ボスコーンの正体《しょうたい》とその所在がわかったつもりです。ヘルマスがどこにいるかを知っています。そして、それにもとづいて一つの計画をたてました。もしこれが成功すれば、あの基地を抹殺《まっさつ》できます。ボスコーンもヘルマスも手下どもも、ただの一撃です」
「アリシアの導師《メンター》はきみを受け入れたのか、ええ?」キニスンが知っているかぎりではじめて、老レンズマンは平静を失った。彼はとびあがってキニスンの腕をつかんだ。「きみが優秀なことはわかっておったが、|それほど《ヽヽヽヽ》優秀だとは知らなんだ! 彼はきみに望みのものをくれたのか?」
「くれましたとも」若いレンズマンはアリシアで起こったことをできるだけ簡単に報告した。
「証明はできませんが、ヘルマスがボスコーンであることは確かです。ぼくはそれを、なににもまして確信します」キニスンは一束の図面をひろげながらつづけた。「ヘルマスはボスコーンを代表して命令していますが、これまで他のだれもそうしたことがありません。ボスコーン自身でさえもです。主《おも》だった手下たちも、ひとりとして、ボスコーンについて何も知りませんし、ボスコーンが話すのを聞いたことがありません。しかし、彼らはみんな『ボスコーンの代表者』ヘルマスが鞭《むち》を鳴らすと、サーカスの犬のように輪をとび抜けるのです。それに、ぼくが知っているかぎりでは、ヘルマスが何かの問題を上級者にはかったためしはまったくありません。ですから、ヘルマスをやっつければ、ボスコーンをやっつけたことになるものと確信しています。
「ですが、それは大仕事です。すでに申しあげたように、彼の総司令部をすみからすみまで偵察しましたが、総基地はまったく難攻不落です。まさかあれほどとは思いませんでした。――あれに比べれば、この最高基地も冬枯れの野原のように思えます。彼らの持っているものは、スクリーンも、ピットもビーム放射器も蓄積器も、みんなものすごく大規模です。事実、彼らはあらゆるものを持っています――しかし、そういうことは、全部このテープとスケッチに記録してあります。直接の正面攻撃では、彼らをやっつけることは不可能です。われわれが持っているあらゆる船を動員しても、撃退されてしまうでしょう。そして彼らはわれわれと同数の船で対抗することもできます――彼らがわがほうの攻撃を予知すれば、われわれは総基地に接近することさえできないでしょう……」
「うむ、もしそれほど困難な仕事だとすれば、どうして……」
「ぼくはそのために来たのです。現状のままでは、総基地を攻略することは不可能ですが、状況を好転《こうてん》させるチャンスはあります」そして若いレンズマンは長いことかかって立案した計画を説明しはじめた。「おわかりでしょう。木食《きく》い虫のようにやるのです――内側から穴をあけるのです。そうする以外に方法はありません。この仕事を割当てられた船はぜんぶ探知波中立器をつけなければなりませんが、それは簡単なことです。われわれは総力を結集することが必要でしょう」
「わしの判断では、タイミングが大事だな」
「おっしゃるとおりです。一分も狂わないようにしなければなりません。なぜなら、ぼくは彼らの思考波スクリーンの内側へはいってからは通信ができないでしょうから。艦隊を集結してあの星団へ到達するまでにどのくらいかかりますか?」
「七週間――せいぜい八週間だろう」
「二週間の余裕《よゆう》を見ておきましょう。QX《オーケー》――きょうから十週間後のきっかり二十時に、あそこへ連れていったあらゆる船のあらゆる放射器を、全力で放射させてください。このあたりに詳細な図面があります……ここです――そら、二十六か所の主要目標です。これらをみんな、一秒の狂いもなく破壊してください。これらがすっかり破壊されれば、あとは容易です――もしそうでないと、最悪の事態になります。それから、この二十六か所のステーションからドームへまっすぐに通じるこれらの線に沿って、途中のものを片はしから破壊しながら前進してください。この仕事を十五分で片づけてください。それよりおそくても早くてもいけません。もし二十時十五分に、ドームがスクリーンを切って降服しなかったら、それも破壊してください。もし可能ならばです――たいへんな放射が必要だと思います。それから先は、閣下と五つ星の提督(元帥)たちが適宜《てきぎ》の処置をとられる必要があるでしょう」
「きみの計画はそこまで予定していないようだな。もしドームがスクリーンを切らなかったら、きみはどこにいるのだ――何をしているのだ?」
「ぼくは死んでいるでしょう。そして閣下は銀河系はじまって以来の最大の激戦をはじめなければならないのです」
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二三 トレゴンシー麻薬業者《ズウィルニク》と化《か》す
快速艇の補給《ほきゅう》と点検《てんけん》には二時間しかかからなかったが、キニスンは二日ほど地球を去らなかった。彼はいろいろな特殊装置を注文した。そのうちの一つをつくるに要した時間が、遅延《ちえん》の大部分の原因だった――それはこれまでつくられたことがないような一組の宇宙服だった。それができあがると、空港司令官は大いに興味をひかれて、若いレンズマンといっしょに、鋼鉄《こうてつ》で内張《うちば》りされ砂をみたされたコンクリートの濠《ごう》へ出かけていった。そこにはすでに、その宇宙服がリモート・コントロールの人形に着せられていた。人形から五十フィート離れたところに、水冷式の重機関銃が置かれ、宇宙服を着た銃手たちが位置についていた。ふたりが近づくと、彼らはさっと不動の姿勢をとった。
「休め」ヘインズが指示した。
「きみはこの機関銃の弾薬筒《だんやくとう》を、ぼくがアルデバラン第一惑星から持ってきたやつと比較したかね?」キニスンは空港司令官といっしょに制御盤の防壁の陰にしゃがみながら、指揮の将校にたずねた。
「はい、レンズマン。あなたが指示されたように、この弾薬筒のほうが二十五パーセント強力であります」
「QX《オーケー》――射撃開始!」機関銃がけたたましく吠《ほ》えはじめると、キニスンは人形をしゃがませたり、ふりむかせたり、身をよじらせたり、かわさせたりして、宇宙服の装甲板、関節などがくまなく鋼鉄の雨にさらされるようにした。機関銃の咆哮《ほうこう》はやんだ。
「一千発であります」将校が報告した。
「穴もない――さけめもない――かすり傷もない」キニスンは宇宙服をくわしく検査したのち報告した。そしてこんどは自分がそれを着た。「さあ、ぼくがやめろといわないかぎり、二千発射ってくれ。射撃開始!」
機関銃はまた耳をつんざくような歌をうたいはじめた。キニスンは頑丈《がんじょう》な宇宙服の推進器によって強力に支持されていたが、それらの弾丸のものすごい力に抵抗できなかった。あおむけに倒れ、射撃は停止した。
「つづけろ!」彼は叫んだ。「やつらはぼくが倒れたからって射撃をやめると思うか?」
「ですが、あなたは千九百発くらったんですよ!」将校が抗議した。
「弾丸が尽きるか、ぼくがやめろというまでつづけろ」キニスンは命令した。「射撃を受けながら、こいつをどう扱うかを研究しなけりゃならないのだ」そこでまた金属の雨が宇宙服の装甲板に反響しはじめた。
レンズマンは投げとばされ、ごろごろ回転し、後方ネットにたたきつけられた。彼はくり返し起きあがったが、またたちまち投げとばされた。銃手たちはいまやこのゲームを楽しんでいて、金属のあられを宇宙服のあちらこちらとそそぎかけ、平均した射撃を断続的な速射に変えたりした。しかしついに、銃手たちがどう手をつくしても、キニスンは自分をコントロールできるようになった。
それから彼は推進器を噴射《ふんしゃ》させながら、その咆哮《ほうこう》しつづけている銃口に直面し、煙と炎につつまれた鋼鉄の流れに向かってまっすぐに歩いて行った。いまや空気は文字どおり金属でみたされていた。弾丸やその破片が狂気のように風を切り悲鳴をあげながら、宇宙服からあらゆる方向にはね返った。砂やコンクリートの破片がとび散り、濠の空気をみたした。ライフルは力いっぱいわめきたて、銃手たちは機関銃の貪欲《どんよく》な胃袋に弾丸を供給するために汗みどろで働いた。しかし、キニスンはそれにもかかわらずコースを保って前進をつづけた。彼が、鋼鉄を吐いてわめきたてる銃口から六フィートたらずに迫ったとき、また射撃が止まった。
「二万発です」将校がきびきびと報告した。「あなたにこれ以上くらわすためには、銃身を交換しなければならんでしょう」
「充分だ!」ヘインズが叫んだ。「そいつをぬぎたまえ!」
キニスンは宇宙服をぬいだ。厚い耳|栓《せん》をとり、四度つばをのみこみ、まばたきして顔をしかめた。そしてやっと口をきった。
「完全に成功です、閣下。騒音《そうおん》を除いては。ぼくがレンズで話できるのはさいわいです――耳栓はつめておいたものの、三日のあいだは何も聞こえんでしょう!」
「スプリングや緩衝器《かんしょうき》のぐあいはどうかね! どこか打撲傷《だぼくしょう》でも受けたかね? 何度かひどい衝突をやったが」
「完全です――一つの打撲傷もありません。宇宙服をすっかり調べてみましょう」
宇宙服の輝いた合金の表面は、弾丸の金属がこすりついて、いたるところ曇《くも》っていたが、表面自体は傷つきもへこみもしていなかった。
「QX《オーケー》。諸君――ありがとう」キニスンは銃手たちを立ち去らせた。宇宙服のヘルメットは厚さ何インチもある合金板でつくられ、外をのぞくための窓やすきまもついていなかったから、どうすればそのようなヘルメットをとおしてものを見ることができるのかということについて、銃手たちは不思議に思ったことだろうが、そうだとしても、彼らはその好奇心を口には出せなかった。彼らもまたパトロールマンだったからだ。
「こいつは宇宙服かね、それともひとり乗りの戦車かね?」ヘインズはたずねた。「いまのテストがやられているあいだに、わしは十も年をとったよ。だが、それでも、きみがテストを強行してくれてよかった。きみはもうどんなことにも耐えられるわけだ」
「仲間のあいだでものごとを学ぶのは、敵のあいだで学ぶよりずっといい方法です」キニスンは笑った。「これはもちろん重いです――一トン近いでしょう。でも、これを着たら、ぼくは自力では動きません。推進器で動かすのです。では閣下、これですっかり準備ができましたから、快速艇のところへとんでいって、出発することにしたほうがいいと思います。トレンコで、どのくらい時間がかかるか正確にはわからないからです」
「それがよかろう」空港司令官はあっさり賛成し、キニスンは出発した。
「なんという男だ!」ヘインズはキニスンの怪物めいた姿が遠くへ消えるのを見送ってから、考え込みながら執務室のほうへゆっくりもどっていった。
マクドゥガル看護婦は、キニスンが彼女とうちとけた話もせず、おもてだった別れも告げずにさっさと出発してしまったことにひどく腹をたてていた。しかしヘインズは腹をたてたりしなかった。この老練な戦士は、グレー・レンズマンたちが、そのような出発をするのがつねであるということを知っていた――とくに、若いグレー・レンズマンの場合そうなのだ。彼はキニスンがもう地球のものではないということを知っていた。そのことは、彼女にも、やがてわかるだろう。
キニスンは、いまや銀河系宇宙全体のものだった。その中のちっぽけな砂粒《すなつぶ》のような惑星のものではなかった。彼はパトロール隊のものだった。彼はパトロール隊|そのもの《ヽヽヽヽ》だった。そして自分の新しい責任をきわめて真剣に考えているのだ。彼は自分の闘争を勝ち抜くことに全力をそそぎながら、ひとりまたは集団の男女を、宇宙船を、そして最高基地そのものをさえ、その目的への手先として、たんなる道具として、使用するだろう。それは彼がこれまでもやってきたことだ。そして、それらを使用してしまったら、まるでプライアやスパナでも落とすように、無関心にあっさりと捨て去るだろう。そして自分が社会生活上の礼儀をふみにじったことなどは、まるで気づかないだろう。
空港司令官はそんなことを考えてゆっくり歩きながら、静かに微笑した。宇宙は広大で時間は長い。永遠と宇宙の森羅万象《しんらばんしょう》を構成している事物の体系は、まったく想像もおよばぬほど膨大《ぼうだい》なものだ。彼はそのことを知っていたが、キニスンもやがてさとることだろう。宇宙で鍛えられたベテランは、そうしたひそかな思いにふけりながらデスクにつき、中断された仕事にもどった。
しかし、キニスンはヘインズほど年をとっていなかったと同様、ヘインズのような哲学的見解も持ち合わせていなかったので、トレンコへの航行はまったく果てしないように長く思えた。彼は作戦計画をテストすることを切望したが、心でせきたてたり、口に出して罵ったりしても、快速艇をそれ以上速くできないということに気づいた。快速艇はすでに推進器を最大限に噴射《ふんしゃ》させて、想像を絶する速度で突進していたのだ。小さな制御室の中を行ったり来たりしてもそう効果はなかった。必要な肉体的運動をやってみたが、それも気をまぎらわせてくれない。知的運動は不可能だった。ヘルマスの基地以外のことは考えられなかった。
しかし、彼はついにトレンコに接近し、パトロール隊の宇宙空港を難なくつきとめた。さいわい、ちょうど十一時ごろだったので、着陸するのに長く待つ必要はなかった。彼は有重力状態に移行して下降しながら、前方へ思考波を伝達《でんたつ》した。
「トレンコ宇宙空港のレンズマンへ――きみはトレゴンシーか、それとも彼の交替者か? 太陽《ソル》系第三惑星のレンズマン、キニスンより、着陸の許可を求む」
「わたしはトレゴンシーだ」思考波が答えた。「ようこそ、キニスン、きみのコースは正しい。すると、きみはこのゆがんだ大気の中で正確にものを見る装置を完成したのか?」
「ぼくが完成したのではない――ぼくにあたえられたのだ」
着陸柵が突き出して快速艇を捕え、気密境界に繋留《けいりゅう》した。消毒を終わるやいなや、キニスンはトレゴンシーと協議にはいった。キニスンの計画の中では、このリゲル人が非常に重要な要素だった。そしてトレゴンシーもまたレンズマンだったから、絶対的に信頼できた。そこでキニスンは、それまでの経過と自分の計画を告げて結論を述べた。
「そういうわけだから、ぼくはシオナイトを五十キロばかり必要なのだ。五十ミリグリムでも五十グラムでもない。五十|キログラム《ヽヽヽヽヽ》だ。そしてそれほどのシオナイトは銀河系全体を捜しても見つかりそうもないから、きみにそれをつくってもらおうと思ってここへ来たのだ」
まさにそういうわけだった。レンズマン、トレゴンシーの任務は、トレンコの植物を一本でも採取《さいしゅ》しようとした者を殺すことだったが、そのレンズマンに向かって、ふつうなら銀河系全体で太陽系の一か月相当の期間中に製造されるよりもっと多量にこの禁断《きんだん》の麻薬を製造してくれるように平然と依頼するとは! まるで、ワシントンの財務省に出かけて行って、麻薬取締局の局長に向かって、ヘロインを十トンもらいに来た、と平然として告げるようなものなのだ! しかし、トレゴンシーはためらいもせず質問もしなかった――驚きさえしなかった。なにせ相手はグレー・レンズマンなのだ。
「それはむずかしいことではない」トレゴンシーは少し考えたあとで答えた。「われわれはシオナイト加工措置を数台持っている。麻薬業者ズウィルニクから没収《ぼっしゅう》したまま、まだその筋へ提供していなかったものだ。もちろん、われわれはみな、シオナイトを抽出《ちゅうしゅつ》し精製《せいせい》する技術に通じている」
彼は命令を発し、まもなくトレンコ宇宙空港には驚くべき光景が展開された。この基地の銀河パトロール隊員は、シオナイトを取り締まる法律をもっとも厳格《げんかく》公平に敢然《かんぜん》として実施する任務をあたえられているのだが、そのパトロール隊の全員が、その法律を正面からおかすことに全力をささげているのだ!
ちょうど正午少し過ぎだった。トレンコの一日で、いちばん静かな時間である。風は「無」に等しいほど弱まっていた。この言葉は、この惑星の上では、強壮な男が風に対抗して、かろうじて立っていられる状態を意味している。もしその人間が強壮であると同時に敏捷《びんしょう》ならば、歩きまわることもできるのだ。そこで、キニスンは軽いほうの宇宙服を身につけて、まもなく幅広《はばひろ》の葉をせっせと採取しはじめた。彼が知らされたところによると、その葉がもっとも多くシオナイトをふくんでいるという。
彼が働きはじめてほんの二、三分もたたないうちに、ひらべったい生物が這いよってきた。そして彼の宇宙服が食用に適さないということを確かめてから、身をひいて彼をじっと観察した。ここにも実験のチャンスがあったので、レンズマンはそれを利用した。彼は地球上のさまざまの動物に対して何時間も実験を行なっていたので、この生物の心にも容易にはいりこむことができた。すると、このトレンコ生物は犬よりかなり知能が高いということがわかった。事実、この種族は、すでにかなり明瞭な言語をつくりだしているほどだった。だから、いくらもたたないうちに、レンズマンは、この被実験者《ひじっけんしゃ》の奇妙《きみょう》な手足やその他の器官をあやつる方法を習得した。やがて、扁平生物は、わがことのように熱心に働きはじめた。この生物のからだは狂暴なトレンコの環境に理想的に適応していたから、彼は他の採取者全部をあわせた以上の成績をあげることができた。
「ぼくはおまえをずるい方法で働かしているな」キニスンはしばらくしてから自分の助手にいった。「給与室へこい。おまえに借りを返してやれるかどうかためしてみよう」
交換物としては食物以外に考えられなかったので、キニスンは快速艇から小さな鮭《さけ》罐、チーズの箱、チョコレート棒、砂糖のかたまり、じゃがいもなどを持ってきて、順にトレンコ生物にあたえた。トレンコ生物にとって、鮭とチーズはどちらも非常なごちそうだった。チョコレートのかけらは、おどろくべき珍味だった。しかし、真に彼の味覚にうったえたのは、砂糖のかたまりだった――トレンコ生物の心にはいっていたキニスンの心は、このすばらしい食物がトレンコ生物の口中で溶けていくにつれて、純粋な陶酔からくるショックを感じた。もちろんじゃがいもも食った――トレンコの生物はつねにほとんどいかなるものでも食うのだ――しかし、じゃがいもは彼にとってたんなる食物で、心を夢中にするほどのものではなかった。
どうすればいいのかわかったので、キニスンは助手を、咆哮《ほうこう》し悲鳴をあげる疾風《しっぷう》のなかに連れだし、その心に対する制御をときながら、砂糖のかたまりを風に向かってなげた。トレンコ生物はそれを空中でつかんで食い、激しい歓喜におちいった。
「もっとくれ! もっと!」彼はレンズマンの宇宙服の足によじのぼろうと努めながらせがんだ。
「もっとほしければ、働かなければだめだ」キニスンは説明した。「葉の広い植物を採取して、あそこにあるあのからっぽのものに入れる。そうすれば、もっとやる」
これはトレンコ生物にとってまったく新しい観念だったが、キニスンが彼の心を把握《はあく》して、彼が一時間あまりも無意識にやっていたことを意識的にやる方法を教えると、意欲的に働きはじめた。事実、雨が降りだしてその日の作業ができなくなるまでには、十匹ほどのトレンコ生物が植物の採取に働いていた。そしてその収穫はどんどん運ばれてくるので、リゲル人が総がかりでやっと加工できるほどだった。宇宙空港が閉鎖《へいさ》されてからも、トレンコ生物たちは雨をものともせずに押しかけ、葉を小量ずつ運んできては、中へ入れてくれるようにうったえるしまつだった。
キニスンにとって、彼らに、その日の仕事はもう終わりだが、あすの朝またくるようにということを理解させるまでには少し時間がかかった。しかしついに彼は意思を通じるのに成功し、あきらめきれないでいた最後の亀人間もしぶしぶ泳ぎ去った。そして次の朝になると、まだ泥がかわききらないうちに、同じ十二人が作業にもどってきた。ふたりのレンズマンは同時に同じ疑問を持った――このトレンコ生物たちは、どのようにして宇宙空港をふたたび見つけることが|できた《ヽヽヽ》のだろう? ことによると、彼らは夜のあらしと洪水《こうずい》のあいだずっと、空港の近くにとどまっていたのだろうか?
「わからない」キニスンは問わずがたりに答えた。「だが、ぼくは探りだすことができる」彼はまたいっそう念入りに二、三のトレンコ生物の心を調べた。「いや、彼らはわれわれのあとを追いまわしていたのではない」と、やがて報告した。「彼らは、ぼくが考えていたほどばかじゃない。どうやらきみたちの知覚力と同様な知覚力を持っているらしいよ。トレゴンシー――たぶんもっと鋭敏かもしれない。ぼくは思うんだが……彼らを訓練すれば、この惑星の警察の有力な助手になるだろうに、どうしてそれができないんだい?」
「きみが扱ったようにすればできるさ。もちろん、わたしは彼らと多少話をかわせるが、これまでのところ、彼らはわれわれに協力する意思を示したことがなかった」
「途中に砂糖を食わせなかったからさ」キニスンは笑った。「きみはもちろん砂糖を持っているだろう?――それとも持ってないかね? ぼくは忘れてたが、砂糖をまるで使わない種族がいくつもあったんだな」
「われわれリゲル人はそういう種族の一つだ。われわれのからだには、澱粉《でんぷん》のほうがはるかに味がよく順応しているから、砂糖は化学薬品として使われているだけだ。しかし、それを手に入れるのは容易だ。だが、ほかにも理由がある――きみはこのトレンコ生物たちに命令したり、きみの考えを完全に彼らに理解させたりすることができるからな」
「ぼくは簡単な知的処理でそれができるのだ。その方法は、きみも五分足らずで覚えられるよ。それから、きみが自分で砂糖を調達《ちょうたつ》できるようになるまで間《ま》に合うだけの砂糖を提供しよう」
レンズマンが未来の協力者について論じているほんの二、三分のあいだに、泥《どろ》はかわいて、驚くべき量の植物が目に見えて発芽しはじめた。その成長は信じられないほど速く、ある種の植物は一時間たらずのあいだに採取するには充分なほど大きくなった。葉は濃い緑色かあざやかな赤紫色だった。
「この朝早くの植物は、もっともシオナイトを多量にふくんでいる――あの広葉植物よりずっと含有量が多い――だが、麻薬業者《ズウィルニク》たちは、風のために、ほんのひと握《にぎ》り以上は採取できなかったのだ」リゲル人はいった。「ところで、もしきみがその知的処理法を教えてくれるなら、この扁平《へんぺい》生物たちを、どんなぐあいに利用できるかためしてみよう」
キニスンはそのとおりにした。すると、トレンコ生物たちはキニスンのために働いたと同様に勤勉にトレゴンシーのために働きだした――そして同様に有頂天《うちょうてん》になって砂糖を食うのだった。
「これで充分だ」やがてリゲル人はいった。「これできみの五十キログラムのほかに余分もとれる」
そこで彼は熱狂的な助手たちに砂糖を支給し、太陽が頭の真上にきたら、また仕事と砂糖が提供されるぞという指示をあたえた。こんどは彼らは不平をいわず、あたりをうろついたり不必要な植物を持ち込んだりもしなかった。彼らはすみやかに学んでいた。
正午よりだいぶまえに、青紫色の微細《びさい》な粉末《ふんまつ》の最後の一キロが不透性の袋に入れられた。機械は清掃され、加工されなかった葉や廃物《はいぶつ》は汚染《おせん》された空気とともに宇宙空港外に放出された。そして、部屋と人員は抗シオナイト剤で噴霧消毒された。それからはじめて、要員はマスクと空気|濾過器《ろかき》をはずした。トレンコの宇宙空港は、ふたたびパトロール隊基地にもどった。それはもう麻薬業者《ズウィルニク》の天国ではなかった。
「ありがとう、トレゴンシーと、その他の諸君……」キニスンはちょっと言葉を切ってから、あやふやにつづけた。「そんな必要はないと思うが、きみたちは……」
「そんな必要はないとも」トレゴンシーはきっぱりいった。「きみも承知のように、われわれの時間はきみのものだ。費用はいらない。事実、われわれがきみに提供したのは時間だけだ」
「そのとおりだ――時間と、それから十億信用通貨のシオナイトだ」
「もちろん、それは問題にならない。われわれがきみを援助した以上に、きみはわれわれを援助してくれたんだからな」
「いずれにせよ、ぼくはきみたちに、いくらかでも役だったことを期待する。さあ、出発しなければならん。もう一度ありがとう――たぶんまたいつか会うこともあるだろう」そしてまた地球人レンズマンは宇宙航行の途についた。
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二四 キニスン内側から穴をあける
キニスンは前回のように慎重に星団AC二五七――四七三六に接近した。そしてやはり前回と同じように、宇宙要塞からなる、ゆるい警戒線のすきまから快速艇をすべりこませた。しかし、こんどは艇をヘルマスの基地近くまではもっていかなかった。こんどは長いこと、このあたりにいなければならないだろう――だから、|その《ヽヽ》惑星の周囲の軌道に艇をのせることは、電磁波探知器で探知される危険が多すぎた。そこで彼はそうするかわりに、その惑星の太陽の周囲に長く扁平《へんぺい》な楕円軌道《だえんきどう》を計算しておいた。ただし、宇宙要塞からなる警戒線のずっと内側である。もちろん、彼はその軌道を近似《きんじ》的に計算できただけだった。なぜなら、この太陽系に包含されている天体の質量や摂動力が正確にわからなかったからだ。しかし、彼は電磁探知器で艇を探知できると思った。もしできなかったとしても、取りかえしのつかない損失ではない。そこで彼は快速艇をその軌道の外辺にのせ、新型の宇宙服をつけて出発した。
彼はヘルマスの惑星の周囲に思考波《しこうは》スクリーンがあることを知っていたし、その他のスクリーンもあるのではないかと思っていた。そこであらゆる動力を切って、総基地のほとんど裏側にあたる、惑星の夜側へまっすぐに落下していった。推進器は、もちろん閃光を充分調節できるようにしてあったが、それでも絶対必要になるまではブレーキをかけなかった。彼はずっしり着陸してから、長い自由跳躍をつづけて、ついにあらかじめきめておいた目的地についた。総基地から行動範囲内にあって鉄鉱脈で厚く遮蔽された大きな洞窟だ。彼は洞窟の奥深くひそんでから、自分の接近が探知されたなにかの徴候《ちょうこう》がありはしないかと慎重に調べた。そんな徴候はなかった――これまでのところは好調だ。
しかし、この偵察のあいだに、彼はヘルマスが防御をいっそう固くしていることを知っていささか驚いた。ドーム内部の要員は、すべて思考波から遮蔽されているばかりでなく、すっかり宇宙服に身をかためていた。犬たちまで防御されているのだろうか? それとも犬は殺してしまったのだろうか? 殺したとしても、たいしたことではない――どんな愛玩動物《あいがんどうぶつ》でもかまわないのだ。やむをえない場合は、岩トカゲでも! しかし、彼はずっと前から目をつけていた例の兵舎の中へ知覚力を投射《とうしゃ》し、犬たちがまだ生きていて防御されてもいないということを知っていくらか安心した。慎重なヘルマスでさえ、犬が精神的攻撃を受ける危険があるとは思いもよらなかったのだ。
キニスンは自分の体内にシオナイトの粉末を一粒でも吸収しないように充分予防処置をしてから、シオナイトを特殊容器に移した。シオナイトはそのような容器に入れて用いられるのだ。つづいて、出入口監視所の要員、その配置および彼らが部署につく順序などを観察し記憶したが、この仕事には一日で充分だった。予定の日まではまだ一週間近くあったので、レンズマンは腰を据えて次の行動のときを待った。この待機は退屈ではなかった。いまやすべての準備がととのっていたので、彼はねずみ穴を見張る猫のようにがまんづよくなれた。
行動のときがきた。キニスンは一匹の犬の心を制御した。犬はただちに、ひとりの監視員が眠っているベッドに出かけて行った。監視員が部署についているときには、つけいるすきはまったくなかったが、この兵舎の中では、仕事はおかしいほど容易だった。犬は足音もたてずに這いよった――長くほそい鼻面をつきだした――鋭い歯がバッテリーの導線をこっそりかむ――プラグがむきだしになった。思考波スクリーンは破れ、キニスンは、たちまちその男の心を支配した。
その監視員が任務についたときまずやった行動は、グレー・レンズマン、キムボール・キニスンをボスコーンの総基地に迎え入れることだった! キニスンは低くすみやかに飛行した。いっぽう監視員は、見通しのききすぎる自分の監視盤が通りがかりの者に見えないように、それをからだでおおいかくしていた。二、三分のうちに、レンズマンはドーム体の中央出入口に到達した。ドアは開いた――そして彼がはいってから閉じた。彼は監視員の心を解放して、しばらく観察した。何事も起こらなかった。まだ万事好調だ!
それから、一つの兵舎をのぞいて他のすべての兵舎で、犬やその他の無防備の動物を手あたりしだいに利用して、キニスンはすばやく、しかも効果的に働いた。彼は精神エネルギーで殺すことはしなかった――それをするに充分なほどエネルギーの余裕がなかったからだ――しかし、目だたないバルブをちょっとまわしておくだけで、殺すと同様な効果があった。こういう命令違反者たちは生きのびてヘルマスの特別呼び出しに応じるとしても、その数は多くはなかった――それに、その呼び出しに応ずるものも、その後長くは生きられまい。
彼はぐんぐん階段をくだって、巨大な空気浄化装置のある部屋に達した。さあ、矢でも鉄砲でも持ってこい! 彼らがいまスパイ光線で探知したとしても、もうどうすることもできまい。聖なるクロノ神に誓って、あとはパトロール隊の艦隊が攻撃準備をととのえて到着しさえすればいいのだ!
艦隊は到着した。全銀河系こぞっての大艦隊が到着した。すべてのパトロール隊基地から、ビームを放射できるほとんどすべての宇宙船が動員された。どの船にも、レンズマンか、その他の信頼できる士官が乗り組んでいた。そしてそれらの士官たちは、いずれも探知波中立器を二個ずつ持っていた――一個は自分の身につけ、もう一個はロッカーにおさめて――そのどちらもが、船全体を探知から防ぐことができるのだった。
これらの何千、何万という船は、あるいは長い列をなして、あるいは個々に、あるいは断続的に、総基地を護衛《ごえい》している船の間隙《かんげき》からすべりこんでいった。しかしこれは宇宙要塞の要員の怠慢《たいまん》というわけではなかった。彼らが任務についている何か月ものあいだ、宇宙空間の単調さを破るものは、小惑星《アステロイド》一つなかったのだ。なにも異常なことは起こらなかったし、起こりそうもなかった。彼らは探知盤を充分慎重に監視していた――それ以上のことはしなかったが、それ以上のことをする義務があったろうか? それに、彼らになにをすることができたろう? 探知波中立器のようなものが発明されたということを、はたして想像できたろうか?
パトロール隊の大艦隊はすでに第一目標の上方に集結し、各艦がそれぞれの部署についていた。パイロット、艦長、航行士たちは興奮したようすで声をひそめて話しあっていた。まるで、声を高めただけでも、パトロール軍の集結が敵にさとられるといわんばかり。射撃手たちはすでに制御盤《せいぎょばん》について、目の前の小さなスイッチをものほしげに見つめていた。まだ何分かのあいだ、それをいれることはできないのだ。
はるか下方の惑星では、キニスンが海賊基地の空気浄化装置のわきで、宇宙服の閉鎖《へいさ》トグルをゆるめて、その中からとびだした。空気浄化装置の基本導管にビーム放射器で穴をあけるのは一瞬の仕事だった。その導管の中にシオナイト入りの容器をほうりこみ容器に薬品をそそぎかけた。この薬品は六十秒で容器を完全に溶解し、しかもシオナイトや導管の金属にはなんの影響もあたえないのだ。つづいて、導管の穴の上にしなやかな接着テープをはりつけてから、また宇宙服にとびこんだ。これらの仕事の所要時間は、わずかに一分少々、まだ十一分残っている――優秀だ。
レンズマンは、いちばん近くの兵舎の階段をとびあがって行った。そうしているうちにも、また一匹の犬が、ひとりの眠っている男の思考波スクリーンを除去した。その男は任務につく代わりに、プライアを取りあげて、兵舎内のすべての睡眠者のバッテリー導線を切りはなした。それも非常につまった部分で切りはなしたので、接続しなおすには宇宙服をぬがなければならない。
導線が切断されると、その男たちは目をさましてドームへと駆けこんで行った。彼らはドームの内壁にそった狭い通路を片はしから駆け抜けていった。彼らがやっているのはそれだけのように見えたが、どの走者も、当直の要員のそばを通りすぎるたびに、その要員のバッテリーのプラグをソケットから引き抜いた。すると、その要員は、キニスンの暗示によって宇宙服のヘルメットを開き、いまやシオナイトにみちている空気を、ふかぶかと吸いこんだ。
すでに説明したように、シオナイトはおそらく知られているかぎりでもっとも悪質な常習性薬物であるだろう。これをごく微量服用しただけで、服用者はあらゆる種類の欲望をみたされたような状態におちいる。服用量が多いほど、その反応はいっそう激しい。そしてついに――しかも非常にすみやかに――服用量の限界に到達し、服用者は耐えがたいほどの快感のうちに死んでしまうのだ。
そういうわけで、なんの警報もなんの叫びも起こらなかった。どの要員も、ヘルメットを開いた瞬間のポーズを保ったまま、じっとすわったり立ったりしていた。しかしいまや、彼らは自分の任務にはなんの注意もはらわず、二度とさめることのないシオナイトの陶酔《とうすい》にいよいよ深くおちこんでいった。そういうわけで、ヘルマスがなにか異常なことが進行しているということに気づくまえに、この巨大なドームは、要員のなかばを失ってしまった。
しかし、彼は異常事態に気づくやいなや、「総員当直」の警報を発し、兵舎内の士官たちに命令を叫んだ。だが、死の雲は最初にそこをおおっていた。ヘルマスが狼狽《ろうばい》したことには、応答した士官は四分の一にみたなかった。多数の要員がドームにはいってくるには来たが、どれもこれも内壁沿いの通路に達するまえに倒れてしまった。ヘルマスがキニスンにあやつられる駆け足の使者たちをつきとめたころには、要員の四分の三は死んでいた。
「やつらを射殺しろ」ヘルマスは彼らを狂気のように指さしながら叫んだ。
だれを射殺するというのか? いまや、レンズマンの手先たち自身が、矛盾してはいるが断固とした命令を叫びながら、右に左に射殺していた。
「当直以外のそいつらを射殺するのだ!」ヘルマスの怒号がドームをみたした。「四七九制御盤の要員! 二八通路の四九五制御盤のそばにいる男を射殺しろ!」
そうした個別的な指示によって、キニスンの手先たちはつぎつぎに倒れていった。しかし、ひとりが倒されると、別のひとりがそれにとって代わった。やがて、ドームの中に生き残った少数の海賊たちは、互いに見さかいもなく射撃をはじめた。そしてこの底抜け騒ぎにクライマックスをもたらすかのように、予定時刻が到達した。
**
銀河パトロール隊の大艦隊は、集結をおえていた。あらゆる巡洋艦、あらゆる戦艦が、割りあてられた目標の上空を漂っていた。あらゆる船が攻撃開始の準備をととのえていた。あらゆる蓄積器はいっぱいにみたされ、あらゆる発生器、あらゆる兵器は、もっとも有効な状態に調整されていた。あらゆる船のあらゆる射撃手は、緊張のうちに制御盤を見つめていた。彼らの手は発射キーの近くをさまよってはいたが、それに触れてはいなかった。目は、厳密に同調された計時器の秒針にぎらぎらとすえられていた。空港司令官ヘインズはおだやかな口調で部下のはやりたつ心をしずめようとしていたが、彼らの耳にはその声がほとんど聞こえなかった。
老提督《ろうていとく》は射撃命令をみずから発することを主張したのである。彼はいまやマスター計時器の前にすわり、マスター・マイクロフォンに向かって話していた。彼のわきには、レンズマン候補生学校の校長フォン・ホーヘンドルフがすわっていた。このふたりのベテランはどちらも、宇宙戦争とはずっとまえにすっかり手を切ったと考えていたが、こんどの攻撃に際しては、全銀河委員会の命令がないかぎり、彼らを基地にひきとめておくことはできなかっただろう。彼らは断固として、この攻撃の結末を見届ける決心だった。どちらの死に終わるかは、必ずしも確かではなかった。もしヘルマスの死に終わるならば、それは結構なことだった――万事きれいに片づくのだ。それに反して、もし若いキニスンの死に終わるならば、彼らもまた死ななければならないだろう――それならばそれでいい。
「さあ、諸君、わしが命令するまでは、手をそのキーから離しておくのだ」ヘインズは平静な声でなだめつづけた。彼自身がおそろしい緊張のうちにあったのだが、そんなことは少しも表に出さなかった。「注意することがいろいろある――わしは諸君のために最後の五秒間を数える。諸君が、いずれも最初に発射したがっていることはわかっているが、わしの合図より千分の一秒でも早く発射したものは、わしがみずから首をしめ殺してやるということを忘れるな。もうすぐ時刻だ。秒針が最後の一周にかかりはじめた……手からキーを離しておくのだ……いいか、離しておくのだぞ。さもないとはりとばすぞ……まだ十五秒ある……手を離しておけよ……さあ、数えはじめるぞ」彼の声はいよいよ低くなった。「五――四――三――二――一――発射!」彼は叫んだ。
たぶん何人かの射撃手はわずかながら命令より先に発射しただろう。しかし、たいしたことはなかった。それは事実上、十万の熱線放射器から同時に閃いた一斉射撃だった。どの放射器も最大限のビームを発射した。放射器の寿命《じゅみょう》を保つとか、余力を残しておくとかいうことは、まったく考慮されなかった。彼らはその放射を十五分間だけ維持しなければならなかった。もしその十五分間のあいだに目的がはたせないとしたら、それは永久に果たせないだろう。
そういうわけで、つづいて起こったことを表現したり、ビームがスクリーンにぶつかったときの壮観《そうかん》を描写したりしようとするのはまったく無益だった。生まれつき盲の人間に、ピンクとはどんなものかを表現することができるだろうか? ヘルマスの自動スクリーンはその能力の限界まで抵抗したが、パトロール隊のビームはついにそれを圧倒した、とだけいえば充分である。しかし、その抵抗は弱くはなかった。
このとき、もしヘルマスの機敏《きびん》な部下たちが部署についていて、第一次スクリーンをほとんど無限にたくわえられている力で強化したならば、彼の防御はこの一斉射撃の想像を絶するほどの力にも破られなかっただろう。しかし、そうした要員たちは部署についていなかったのだ。二十六の第一次攻撃目標のスクリーンは破壊され、二十六の巨大な宇宙艦隊は、割りあてられた攻撃線にそって、ゆっくりと荘重に、そして貪欲《どんよく》に前進していった。
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銀河パトロール隊の集中攻撃が総基地の二十六|拠点《きょてん》に加えられたとき、ヘルマスのドーム内のあらゆる警報器は狂気のように叫びはじめたが、それらの警報はなんの効果もなかった。ボスコーンの強力無比のビーム放射器から地獄的なエネルギーを放射させるためにスイッチをいれる手もなく、攻撃してくる軍艦に、それらのねらいをつけるために照準装置を見つめる目もなかった。ヘルマスだけが、遮蔽《しゃへい》された制御区画内にとりのこされていた。しかし、ヘルマスは指揮者で、単なる操作員ではなかった。そしていまや指揮すべき操作員がいなかったので、彼はまったく無力だった。彼はパトロール隊の大艦隊を見ることができ、迫りくる危険を完全に理解することができた。しかしスクリーンを強化することも、一筋のビームを放射することもできないのだ。彼にできることといえば、無益な怒りに歯をくいしばって、自分の攻撃兵器が破壊されていくのを見つめているだけだった。それらの攻撃兵器を操作することさえできれば、あの艦隊を、まるであざみの冠毛のように吹きとばすことができただろうに。
彼はときどきとびあがって、制御ステーションの一つへ突進しようとしたが、そのたびにまたデスクの前の席に腰をおとした。一つの攻撃ステーションを活動させたところで、効果はほとんど無に等しいだろう。それに、この異変の背後には、あのにくむべきレンズマンがいる。レンズマンはこのドームのどこかにいる――そうにちがいない。レンズマンは自分がこのデスクを立ち去るのを|望んで《ヽヽヽ》いる――それこそレンズマンが期待していることだ! このデスクについているかぎり、自分だけは安全だ。安全といえば、このドーム全体が安全なのだ。|この《ヽヽ》スクリーンを破れるような放射器は、これまで船に搭載《とうさい》されたことがない。そうだ――どんなことが起こっても、デスクについていることだ。
キニスンはそのようすを見つめながら、ヘルマスのがまんづよさに感嘆した。彼には、自分ならとてもデスクにとどまっていられないだろうということがわかっていた。そしてヘルマスがずっととどまりつづけるつもりだということもわかった。時間はどんどん経過していった。十五分のうちの五分が過ぎた。彼はヘルマスが、あの未知の潜在能力をひめた堅固な密室から出てくるだろうと思っていた。しかし、もし出てこようとしないのなら、自分のほうから出向いて行こう。彼の新式の宇宙服は、あの内部要塞を攻撃するためにつくられたのだ。
彼は、はいって行った。しかし、ヘルマスに不意打ちをくわせることはできなかった。司令区画のスクリーンを破壊するまえに、キニスン自身の防御エネルギー帯はまぶしい光を発して狂気のように活動し始めた。そしてその閃光をとおして、高性能機関銃の金属弾がそそぎかかってきた。
そうか! ライフルが|あったのか《ヽヽヽヽヽ》、これまで気がつかなかったが! くえないやつだ、ヘルマスは! それにしても、この宇宙服が、もっとも強力な機関銃の攻撃にどのように耐えられるか、時間をかけて研究したのは、なんという好運だったろう!
キニスンのスクリーンは戦艦のそれのように強力であり、宇宙服の装甲もそれとほとんど同様に堅固だった。しかも、彼はその宇宙服姿で直立していることができた。だから、半携帯式放射器の強烈なビームを押しわけ、あれ狂う鋼鉄の急流に直面しながら、彼は前進して行った。そしていまや彼自身の強力な放射器からヘルマスの宇宙服へ向けて、半携帯式放射器にほとんど劣らないようなビームがそそぎかけられた。レンズマンの宇宙服には、水冷式機関銃は積んでなかった――これほど強力な構造でも、積載量に限界があったのだ――しかし、キニスンはあらたに強化された心のあらゆる能力を、火を吐く機関銃のむこうにある、思考遮蔽された宇宙服にまもられたヘルマスの頭に集中しながら、まっすぐに前進をつづけた。
レンズマンがヘルマスの思考遮蔽された頭に思考を集中して|いた《ヽヽ》ことはよかった。なぜなら、思考スクリーンがかすかに弱まり、その内側からある思考波が洩れて、異様に輝いている球体エネルギーのほうへ向けられたとき、キニスンはとっさにそれをさとったからだ。彼はその思考波が一定の形態をとるまもなく、それを激しくさまたげた。そしてヘルマスのスクリーンを痛烈に攻撃したので、ヘルマスはたちまちスクリーンの被覆を完全にもどした。さもなければ、ヘルマスは即死してしまっただろう。レンズマンはその球体エネルギーを長いこと研究していた。それはこの基地全体で彼が理解できないただ一つのものであり、したがって彼が警戒しているただ一つのものだった。
しかし、もうそれを恐れなかった。いまや彼には、それが思考によって操作されることがわかった。それの潜在能力がどれほど恐るべきものだろうと、それはもう完全に無害だった。なぜなら、海賊の首領が思考を放射できるほどスクリーンを弱めれば、キニスンの思考波によって思考能力を奪われてしまうだろうから。
そこでキニスンは突進した。彼は全力推進でライフルをとびこえ、その後ろの宇宙服姿にまっこうからぶつかった。そして磁力定着装置で定着するなり、推進器をはげしく噴射させながら回転し、狂気のようにもがくヘルマスを押しかえし、咆哮《ほうこう》するライフルが依然として金属の流れをそそぎつづけている線上へ接近していった。
ヘルマスは全力をつくして争ったが、レンズマンのからだのバランスを失わせることができたにすぎなかった。ふたりははげしく床《ゆか》に倒れた。宇宙服のふたりははげしく格闘しながら、ごろごろところがった――火線の中へまっしぐらに。
はじめに火線にはいったのはキニスンだった。弾丸は彼の宇宙服の戦艦のような装甲から四方八方へ悲鳴をあげてはねかえり、行く手にあらゆるものを貫いたり鳴りひびかせたりした。つぎはヘルマスだった。はげしく放射される弾丸はたてつづけに彼の宇宙服を、そして肉体を貫き、あらゆる急所を引き裂いた。そしてそれが≪最期≫であった。
[#改ページ]
スペース・オペラの道標《メルクマール》
一九一二年、オール・ストーリー・マガジンに発表されたバローズの「火星シリーズ」を契機として、スペース・オペラ(宇宙活劇)は、華々《はなばな》しく開幕した。そして二〇年代から三〇年代へかけてのSF興隆とともに、スペース・オペラはSF界の主流を占め、マレイ・ラインスター、ジャック・ウィリアムスン、レイ・カミングス、エドモンド・ハミルトン、フィリップ・ノーランなどのパイオニアが、よくいえば波瀾万丈、悪くいえば荒唐無稽《こうとうむけい》なスペース・オペラをつぎつぎに書きまくって、SF黄金時代を現出した。貪欲《どんよく》なファンの要望に応え、宇宙船も音速から光速へ、さらに超光速へとスピード・アップされ、それにつれて作品の舞台も、太陽系宇宙から銀河系宇宙へ、さらにアンドロメダ星雲へと無限にその規模を拡大していった。フィリップ・ノーランの「バック・ロジャーズ」もの、E・E・スミスの「スカイラーク」もの、アーサ・K・バーンズの「ジェリー・カーライル」もの、最近邦訳の出たハミルトンの「キャプテン・フューチュアー」ものなどが、それである。
しかし、SFの世界にも変遷の波がある。やがて四〇年代から五〇年代へかけて、スペース・オペラは退潮のきざしを見せ、それに代わって、アシモフ、ハインライン、ヴォークト、ウィンダムなどの、いわゆるシリアスな、あるいはハードなSFが進出する。(ところが、六〇年代にはいると、ふたたびスペース・オペラの旧作の再刊や、初単行本化などがむしろ盛んになっているのは注目すべき現象である。読者世代の一巡と解すべきか?)
本題にはいるまえに、前置きめいたことを述べたのは、ほかでもない、本書「レンズマン・シリーズ」が≪スペース・オペラ≫から≪シリアス・SF≫への交替の接点に立つ記念碑的作品であり、道具立ての点で従来のスペース・オペラの成果をすべて集大成するとともに、思想的にはきたるべき新世代のSFリアリズムを明白に志向しているからである。ここには初期のスペース・オペラに多かれ少なかれつきまとっていた致命的な欠陥である、ある種のたわいなさ、荒唐無稽なばかばかしさ、ストーリーのスムーズな展開を妨げる生硬な科学談義《サイエンティフィケーション》がみられない(それはスミス自身の初期の代表作「スカイラーク・シリーズ」においても避けられぬ欠陥であった)。読者は、この宇宙|国際警察物語《インターポルストーリー》を、さながら今日のFBIストーリーを読むようにスリリングに受け入れることができる。そして、ヴェランシア人やリゲル人などの異生物《エイリアン》描写のリアルななまなましさは、単なるこけおどかしの域を脱して、そのまま後年のハル・クレメントやジェイムズ・ブリッシュなど、ハードSFの名手につながるものがある。
数億年先の未来という途方もない時点を設定し、しかもSFという枠の中で、小説ずれした現代の読者の目に荒唐無稽という破綻《はたん》を見せないことは、どれほど至難なことか、それは初期のスペース・オペラを知るものにとっては説明を要しない事実である。スペース・オペラはこの「レンズマン・シリーズ」において、質量ともにその頂点をきわめ、サイエンスとフィクションがもっともみごとなバランスのもとに融合した作品を生みだしたということができよう。
一九三〇年に創刊され、戦前戦後を通じて常にアメリカSF界をリードしてきた〈アスタウンディング・サイエンス・フィクション〉は、SFの歴史と変遷を語るうえで、絶対に無視できない存在であるが、「レンズマン・シリーズ」という不滅の傑作も、三七年九月から同誌に連載が開始された。すなわち、第一作「銀河パトロール隊」である。ひきつづいて、第二作「グレー・レンズマン」が三九年に同誌に連載され、三〇年代末期はレンズマン・シリーズがSF界の耳目を聳動《しょうどう》し、話題をさらうこととなった。ところで「銀河パトロール隊」の連載と同時に、〈アスタウンディング〉の編集長が、二代目のF・O・トレメイン(初代はハリー・ベイツ)からジョン・W・キャンベル・ジュニアに変わったことは「レンズマン」について語るうえで、見落とせない出来事である。彼自身が一流のSF作家であったW・キャンベルは編集長就任とともに〈アスタウンディング〉誌を舞台に、ハインラインを始めとする新世代のSF作家の発掘、紹介に力を入れ、こうした〈アスタウンディング〉誌の動向の変化が、SF界に四〇年代の新地図を展開していくのである。「レンズマン・シリーズ」がスペース・オペラからシリアスSFへの交替の接点に立っていると述べたのは、質的にはもちろん、時間的な意味においても、あてはまるのである。
ところで本シリーズ成立のいきさつを述べる前に、全六巻の原題と発表年月を示すと、
1 銀河パトロール隊 Galactic Patrol アスタウンディング誌、一九三七年九月号より六回連載
2 グレー・レンズマン Gray Lensman 同誌、一九三九年十月号より四回連載
3 第二段階レンズマン Second Stage Lensman 同誌、一九四一年十一月号より四回連載
4 レンズの子ら Children of the Lens 同誌、一九四七年十一月号より四回分載
5 ファースト・レンズマン First Lensman 一九五〇年書下し初版
6 三惑星連合軍 Triplanetary アメージング誌、一九三四年一月号より四回連載、
以上となっている。第六巻の執筆年代が一番古いことに読者は気づかれただろうが、実はこれにはわけがある。一九三七年にレンズマンの構想を練って「銀河パトロール隊」を書き出したとき、作者は物語の背景に、それより三年前に別個の独立した作品として発表していた「三惑星連合軍」を利用することにしたのである。そのせいで第一巻に登場するアリシア人の正体や意義は、重大な伏線としてぼかされたまま第二巻「グレー・レンズマン」へと発展し、第二巻冒頭で、作者は初めて「三惑星連合軍」を要約した形で、かなりのスペースをさいて、銀河宇宙創成の秘密とレンズマン誕生の由来を語ることになる(この第二巻は、そうした意味でも、またキニスン活躍の面白さからいっても、全シリーズ中の白眉であろう)。作者はキムボール・キニスンとその子を主人公にしたレンズマン・シリーズ四巻を四八年に一応完結したが、読者の要望に応えて、キニスンらの先輩にあたる銀河パトロール隊の創設者バージル・サムスの活躍を描く「ファースト・レンズマン」を一九五〇年に書下し、同時に旧作の「三惑星連合軍」を改訂して、レンズマン・シリーズを最終的に全六冊の形にまとめあげた。三七年から五〇年まで、執筆期間は通算十三年、本文庫版で総計二千五百ページ以上におよぶ大河小説の完成である。したがって、このシリーズは時間的な順序でいくと、まずレンズマン前史にあたる第六巻、つぎがレンズマン創始期の第五巻、そして第一巻のキニスン登場ということになるのだが、この順で刊行すると、作者の当初の構想に反することになり、その結果、読者は(六巻、五巻を先に読んでいると)、周知の事実を再三、作者の口から重複して説明されることになってわずらわしい気味がある。そこで、本文庫版では作者の構想どおり、一巻から四巻までを先において、五、六巻で時間的に前にさかのぼるという形をとることにした。この配列がレンズマン・シリーズ全巻をもっともおもしろく読む方法だと思われるからである。
作者E・E・スミスは一八九〇年アメリカ、ウィスコンシン州に生まれ、一九六五年、七十五歳で世を去った。初期の「スカイラーク・シリーズ」四巻と、後期の「レンズマン・シリーズ」によって、SF史上に不滅の金字塔を立てたスペース・オペラ界の巨人のひとりである。経歴や他の作品については、第二巻の解説で述べることにする。(厚木淳)