ジュール・ヴェルヌ/鈴木力衛訳
月世界旅行
目 次
一 ガン・クラブ
二 バービケイン会長の発表
三 バービケイン発表の反響
四 ケンブリッジ天文台の回答
五 月の物語
六 合衆国において、無知でとおすわけにはいかないことと、もはや、信じてはいけないこと
七 砲弾讃歌
八 大砲の話
九 火薬の問題
十 二五〇〇万の味方にひとりの敵
十一 フロリダとテキサス
十二 いたるところに
十三 ストーンズヒル
十四 「つるはし」と「こて」
十五 鋳造祭
十六 コロンビアード砲
十七 電報
十八 『アトランタ』号の船客
十九 公開討論会
二十 攻撃と反撃
二十一 フランス人はどのように、ことをまとめるのか
二十二 合衆国の新市民
二十三 砲弾列車
二十四 ロッキー山脈のテレスコープ
二十五 最後の綿密な準備
二十六 発射!
二十七 曇天
二十八 新星
訳者あとがき
ジュール・ヴェルヌについて
登場人物
インペイ・バービケイン……ガン・クラブ会長。一見、穏やかそうに見えるが、冷静、峻厳でうちとけにくい性格の、四〇歳になるアメリカ人。冒険好きで、しかも不屈の精神の持ち主。
J・T・マストン……何事につけ戦闘的な気性をもち、新しい大砲の発明に、いのちを賭けているガン・クラブの万年秘書役。
トム・ハンター……ガン・クラブ会員。
ブロンスベリー大佐……ガン・クラブ会員。
モーガン将軍……ガン・クラブ会員。
エルフィストン少佐……ガン・クラブ会員。
ミシェル・アルダン……バービケインの月ロケット打ちあげを知り、はるばるパリから駆けつけたフランス人。四二歳になる、ライオンのように勇ましい快男児。
J・M・ベルファスト……すぐれた天文学者たちが、集まっている、ケンブリッジ天文台の長官。ガン・クラブの月ロケット打ちあげに、理論面での協力を惜しまない。
ニコル大尉……誇り高く、大胆で、気性のはげしい性格の持ち主。フィラデルフィアに住む生粋のヤンキー。学者でもあるが、ライバル、バービケインの計画を手ひどく改撃し、新聞紙上で、彼の失敗に莫大な金額を賭ける。
マーチソン……ゴールドスプリング工場の支配人。ガン・クラブの依頼により、コロンビアード砲鋳造にあたり、百数十人の労働者を指揮する。
バーナム……ミシェル・アルダンを見世物にして、ひと旗あげようと目論む。
一 ガン・クラブ
南北戦争のさいちゅう、アメリカのメリーランドの中心地、ボルチモアの町に、非常に強力な新しいクラブが創立された。船主たちや、商人たちや、技術者たちのこのような集まりで、闘争本能がどれほど力づよくかりたてられたかは、よく知られている。名もない平凡な商人が、帳場をまたいで出てゆくと、ウェスト・ポイント士官学校の訓練をうけていなくても、すぐに大尉になり、大佐になり、将官になってしまう時代のことだ。彼らは『戦争技術』において、あっという間に、旧大陸の同僚たちと肩をならべ、砲弾や、お金や、人間を惜しみなく使って、勝利を手に入れたものである。
しかし、アメリカ人がヨーロッパ人を追いこしたもののなかでも、特筆大書しなければならないのは、大砲の発射術であった。アメリカ人の大砲が、完成の域に、一歩近づいたからではなく、いままで考えられなかったほど大きくなり、その結果、想像もつかないほどの射程距離をもつようになったからだ。掃射《そうしゃ》〔物を掃くように、左右に連続して射撃すること〕や、瞬射〔見おろして砲撃をくわえること〕や、斜射、縦射、背後射撃といったことについてなら、イギリス人も、フランス人も、プロシア人も、アメリカ人に学ばなければならないことは、もう何もなかった。けれども、ヨーロッパの大砲や、曲射砲や、迫撃砲は、アメリカの砲兵のおそろしい武器にくらべると、まるで、ポケットのなかのピストルのようなものであった。
こんなことを言っても、びっくりするひとはひとりもいないだろう。つまり、世界最初の技術者であるヤンキーは、イタリア人が音楽家であり、ドイツ人が形而上《けいじじょう》学者であるように、生まれながらの技師なのだ、と。だから、アメリカ人が、発射術にすばらしい成果をあげたのも、当然であろう。それに、巨大な大砲などというものは、ミシンほど役にはたたないが、ミシンの出現とおなじくらい人びとをおどろかせるし、より大きなショックをあたえるものなのだ。パロットや、ダールグリーン〔アメリカの提督。一八〇九〜七〇〕や、ロドマン〔アメリカの士官。一八一五〜七一〕の驚嘆すべき巨大な大砲がお目見えしたのである。こうなると、アームストロング会社や、バリセール会社や、トルイユ・ド・ボーリュー会社など旧大陸の兵器会社は、海の向こうのライバルに頭をさげざるをえなくなってしまった。
さて、この北部諸州の人たちと、南部諸州の人たちとのおそろしい戦争のあいだ、大砲製造者たちは大いに重んじられていた。合衆国の新聞は、彼らの発明を熱烈にほめたたえた。どんなに欲のない商人でも、どんなにばか正直な『まぬけ』でも、みんな、夜となく昼となく、気ちがいじみた弾道の計算に、頭をしぼっていた。
ところで、アメリカ人たちは、あることを思いつくと、それに協力するもうひとりのアメリカ人を探しもとめるくせがある。三人協同で何かをする場合には、会長ひとりと、ふたりの秘書を選ぶ。四人いれば、書類整理係をひとり任命する。そして、事務所としての機能を発揮する。五人になれば、総会を招集して、クラブが組織される。つまり、こうした組織が、ボルチモアにできたのである。新しい大砲を発明したひとが、その大砲を最初に鋳造したひとと、その大砲に最初に砲口をあけたひとと、手を組んだのだ。この三人が『ガン・クラブ』の中核である。クラブができてひと月たったときには、正会員が一八三三人、通信会員が三万五七五人になっていた。
この協会に入会を希望する人たちすべてに課せられた|必要かくべからざる《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》条件は、ある種の大砲を思いついたか、でなければ、改良したことがあるひと、というのであった。大砲でなくともかまわない。火器ならなんでもいい。しかし、実際には、一五連発のピストルや、回転騎兵銃、サーベル・ピストルなどの発明家たちは、それほど尊敬を受けなかった。なんと言っても、大砲の専門家が優位に立っていた。
「そのひとが受ける敬意の度合いは」と、ある日、ガン・クラブのもっとも博識なスポークスマンのひとりが言った。「そのひとの大砲の『質量』に比例します。そして、そのひとの弾丸が到達する『距離の二乗に正比例』するのです!」
少しオーバーだが、精神の領域に、万有引力に関するニュートンの法則をもちこんでしまったのだ。
ガン・クラブが創立されたと聞けば、アメリカ人の天才的な発明の才能が、この領域においてどんなものをつくりだしたか、たやすく想像することができる。戦争の道具は巨大なものとなった。砲弾は許容限界をこえて、罪のない通行人を真っぷたつにするほどまでになった。こうした発明はみな、ヨーロッパ砲術の臆病な大砲を、はるかに追いこしてしまったのである。つぎの数字によっても、そのことはよくわかるであろう。
かつて、『よき時代』には、三六キログラムの砲弾が、九〇メートルの距離で、三六頭の馬の脇腹をつきぬけて、六八人の人間を殺傷した。大砲の初期の時代である。以後、砲弾はいちじるしく進歩した。ロドマン砲は、一一キロメートルの地点に、五〇〇キログラムの砲弾を落とした。一五〇頭の馬と三〇〇人の人間をいともたやすく倒すことができたであろう。もちろん、ガン・クラブにおいても、その正式な実験をおこなうことが問題になった。しかし、実験を試みることに馬は同意したのだが、不幸にして人間が集まらなかった。
何はともあれ、これらの大砲の殺傷力は強く、一発ぶっぱなすごとに、兵士たちが鎌に刈られる穂のようにぱらぱらと倒れてゆく。こうした砲弾にくらべれば、クートラ〔フランス西部の町〕で、一五八七年に、二五人を戦闘不能にさせた、あの名高い弾丸や、ツォルンドフで一七五八年に四人の歩兵を殺した弾丸や、一七四二年、一発ごとに七〇人の敵を倒した、あのオーストリアのケッセルスドルフ砲が、いったいどれほどの意味をもつであろうか? 戦いの運命を決定したイエナやオーステルリッツ〔ともにナポレオンが勝利をおさめた町〕の驚異的な兵器など、かすんでしまった。南北戦争中には、もっとすごいのがたくさん見られたのだ! ゲッティスバーグの戦いでは、施条《せんじょう》砲から発射された円錐《えんすい》形の砲弾が、一発で一七三人の南部連盟軍をうち倒しているし、また、ポトマック水路では、ロドマン弾丸が南部兵二一五人を、この世よりも住みよいあの世へと追いやっている。同様に、ガン・クラブの優秀な会員であり、終身秘書役であるJ=T・マストンが発明した、すばらしい臼砲《きゅうほう》のことも言っておかねばなるまい。その効力たるや、目を見はらせるほどの殺傷力をもっていた。つまり、その臼砲は、試射のときに、一発で三三七人を殺してしまったのだ。こなみじんにして。正真正銘のことである。
こうした事実そのものが、よく物語っているのだから、それ以上つけくわえることが何かあるだろうか? 何もない。だから、統計学者ピトケイヤンがはじきだした、つぎのような計算を認めても異論はないであろう。ガン・クラブ会員の弾丸によって倒れた犠牲者の数を割ってみると、会員一名が『平均』して、二三七五・五人を殺しているということである。
このような数字をよく考えると、この学会の唯一の関心事が、博愛主義の目的による人類の絶滅と、文明の道具であると見なされている兵器の完成にあったことは、あきらかだと言えよう。
つまり、この世の最良の息子たち、『皆殺しの天使たち』の集まりだったのである。
どんな試練にあっても、勇敢なこれらのヤンキーたちが、ただ紙の上で公式をたてることだけに夢中になっていたのではなく、みずから率先して危険に身をさらしていたことをつけくわえておかなければなるまい。彼らのなかには、尉官から将官にいたる、あらゆる階級の士官たちがふくまれていた。軍隊生活をはじめたばかりの者もいれば、砲架の上で年老いた者もいるというふうに、すべての年齢層にわたる軍人たちがいた。彼らの多くは、ガン・クラブの功績簿にその名をとどめて、戦場に消えた。そして帰還した者の大部分は、その勇敢さを物語る、文句をさしはさむ余地のない、|しるし《ヽヽヽ》をもっていた。松葉杖、義足、義腕、鉤《かぎ》の手、ゴム製の顎《あご》、銀製の頭蓋、プラチナの鼻といったふうに、勇敢さの|しるし《ヽヽヽ》のコレクションにたりないものは、ひとつもなかった。だから、まえに述べたピトケイヤンは、ガン・クラブには、満足な腕をもっている者は四人にひとりもいないし、両腕がそろっている者は六人にひとりであった、と計算している。
しかし、勇猛な砲兵たちは、こんなことはそれほど気にしていなかった。戦闘のニュースが、犠牲者の数は、費やした砲弾の量の一〇倍にのぼった、と報じても、彼らはさも当然とばかりに、誇らしくさえ感じるのであった。
ところがある日、戦争から生きのびた連中によって、講和が調印された。砲声は徐々にやみ、臼砲は沈黙し、曲射砲は永久に口を閉じた。そして、大砲は頭をうなだれて砲兵工廠《ほうへいこうしょう》に帰り、血なまぐさい思い出は消えていった。いちめんに肥沃になった畑には、綿の木がすくすくと育ち、喪服《もふく》は悲しみとともにすり切れていった。ガン・クラブは、深刻な無為の状態におちこんでしまった。
真から仕事好きな、何人かの努力家は、まだ熱心に弾道の計算にうちこんでいた。彼らはあいかわらず、巨大な爆弾、どんなものも比肩することができないような砲弾製作を夢みていた。しかし、実地に使うことがなければ、せっかくの定理もむなしいものではないだろうか? だから、クラブの集会室にも、だんだんひとがこなくなった。使用人たちは、控えの間で居眠りをし、新聞はテーブルの上で|かび《ヽヽ》くさくなり、うすぐらい部屋のかたすみでは、悲しげないびきがひびいていた。かつてはあんなにもそうぞうしかったのに、いまでは不幸な平和のために黙りこくっているガン・クラブの会員たちは、プラトニックラブならぬ、プラトニック砲術の夢にゆられて眠りにおちでゆくのであった。
「まったくやりきれん」と、ある晩のこと、勇敢なトム・ハンターが言った。木でできた自分の義足が、喫煙室の暖炉の火で灰になってゆくのにも気づかずに。「何もすることがない! 希望ひとつない! なんて退屈でつまらん人生だ! 朝ごとに、大砲がゆかいな砲声で目をさまさせてくれたときよ、いまいずこだ」
「かのときは、いまやなし」と、両腕がないのに伸びをしようとしながら、かつては颯爽《さっそう》としていたビルスビーが答えた。「あの時代はよかったなあ! 曲射砲を発明する、すると鋳《い》あがるやいなや、それを敵前でためそうと駆けつける。そして、シャーマン将軍の激励を受けたり、マックルラン閣下に握手をたまわったりして陣地に帰ったものだった! それなのに、きょうこのごろは、将軍たちはめいめいの会社にお帰りあそばして、砲弾のかわりに、木綿の安全なたまを送付なすっておられるんだ! いやはや、神さま、お|ひげ《ヽヽ》さま! 大砲術の将来は、アメリカじゃあおじゃんになってしまったよ!」
「そのとおりだ、ビルスビー」と、ブロンスベリー大佐がさけんだ。「残酷きわまる失望だ! ある日、いつもの静かな生活に別れをつげ、武器の操作に熱中し、戦場におもむくためにボルチモアを出てゆく、英雄になる、しかし、二年か三年ののちには、あんなにも疲れはてて、やっと手に入れたものを、失わなければならないのだ。いたましいほどの無為のうちに、眠りこまなければならないのだ。ポケットに手をつっこんで、ポカンとしていなければならんのだ」
勇敢な大佐は、こんなことを口にはしたが、みずからの無為を、態度にしめすことはなんとしてもできなかった。ポケットがなかったわけではないが、つっこむべき手がなかったのだ。
「それに、当分、戦争なんてありそうにもないしな」と、そのとき、勇名とどろくJ=T・マストンが、グッタ・ペルカ〔マレー地方産赤鉄科の樹液を乾燥させたゴム様物質で、歯医者が充填料などに用いる〕でできた頭蓋を、鉄の鉤手でかきながら、口をはさんだ。「地平線に、戦いを告げる雲ひとつ見えない。だからいまこそ、大砲学の分野では、しなければならないことがたくさんあるのだ。かく申す小生は、今朝、戦争の諸法則を変えてしまうような、一基の臼砲の設計図を完成した。断面図も、立面図もいっしょにね」
「そりゃほんとかね」と、トム・ハンターが聞きかえした。彼は、尊敬すべきJ=T・マストンの最後の試みを、あんまり気のりもしなかったが、あれこれと思い浮かべていた。
「ほんとうだとも」と、マストンは答えた。「だが、よい意図をもってなされたこれほどの研究を、なんとか解決できた多くの難題を、いったいなんに使ったらいいだろうか? ただひたすら破壊することのみを目ざしてゆくのか? 新世界の人びとは、平和にくらしてゆくことを約束しあったように思われる。しかし、合衆国でいちばん血気にはやっている、奴隷廃止論の新聞『トリビューン』は、人口のおそるべき増加が、遠からず破局をもたらすであろうという予想までたてているのだ!」
「だがね、マストン君」と、ブロンスベリー大佐が言いかえした。「ヨーロッパじゃあ、いつだって、民族自決主義の旗のもとに戦争をしているではないか」
「それで?」
「それでだ! ヨーロッパへもってゆけば、なんとか、ためせるんじゃあないかね。もっとも、われわれの協力を受け入れてくれればの話だが……」
「そんなことを考えておられるんですか?」と、ビルスビーがさけんだ。「外国人の利益のために弾道学を研究するなんてことを!」
「何もせんより|まし《ヽヽ》じゃないかな」大佐も負けてはいない。
「おそらく、|まし《ヽヽ》でしょう」と、J=T・マストンは言った。「しかし、一時的な弥縫策《びほうさく》としても、そんなことは考えるべきではない」
「そりゃまた、どうしてだね?」と、大佐はたずねた。
「旧大陸の連中が、われわれアメリカ人の習慣とまったく相反する、進級の考えをもっているからなんだ。やつらには、少尉をつとめあげないで、司令官になれるなんていうことが、想像もつかないのだ。つまり、少なくとも、自分自身で大砲を鋳造《ちゅうぞう》したことがなければ、優秀な照準手にはなれない、と考えているとみていい。だからさ……」
「ばかばかしい!」と、トム・ハンターが口をはさんだ。彼は、猟刀で椅子の肘掛けを削りながら、「もしそうだとしたら、もはやわれわれには、煙草《たばこ》を栽培することと、鯨の油を蒸溜することしか、やるべきことがないではないか!」
「とんでもない」と、よくひびく声でJ=T・マストンがさけんだ。「われわれの残された寿命を、銃砲器の完成にささげないなんて! われらの砲弾の射程距離をためす新しいチャンスがやってこないとでもいうのか! 大気はもはや、われらの大砲の発する閃光のもとで輝かないというのか! 大西洋のかなたのどこかの強国にたいして、われわれが宣戦を布告しなければならないような国際紛争が起こらないとでもいうのか! フランス人が、わが国の汽船を一隻も沈めないとは言いきれまい。イギリス人が、人権を無視して、イギリスに居留しているアメリカ人のうちの三人か四人を絞首刑にするかもしれないのだ!」
「だめだよ、マストン君」と、ブロンスベリー大佐が答えた。「そんな幸福にはありつけないさ。だめだよ。そんな偶発事件は起こらないだろう。よしんば起きたとしても、それをうまく利用するなんてことはできやしない。アメリカ人の激しやすい性質は、日に日におとろえているんだ。われわれは国政を女の手にゆだねているのだからな」
「そうだとも、われらは屈辱に甘んじているんだ!」ビルスビーがさけんだ。
「屈辱をうけているんだ!」と、トム・ハンターも尻馬に乗った。
「みんなの言うことは、もっともすぎるぐらいもっともだ」と、J=T・マストンが、まえにもまして熱をこめて言いかえした。「世界には戦争の原因がごまんとある。だが、戦争はしない。手や足の労力を惜しんでいるのだ。戦争で何をしてよいかわからぬ連中のためにはなっているが。戦争の動機なんか、そんなに遠くにもとめなくても、ごろごろしているんだぜ。北アメリカは、かつて、イギリス人たちのものではなかっただろうか?」
「たぶんね」と、トム・ハンターが、怒ったように、松葉杖の先で暖炉の火をかき起こしながら答えた。
「そこでだ」と、J=T・マストンはことばをつづけた。「こんどはイギリスが、アメリカ人たちのものになって、どうしていけないのだ?」
「まったくそのとおりなんだがな」と、ブロンスベリー大佐が言いかえした。
「じゃあ、そのことを合衆国大統領のところに提案しにゆきたまえ」と、J=T・マストンはさけんだ。「大統領がどんなふうにあなたを扱うか、わかると思う」
「なかなか会ってもくれまい」と、ビルスビーが戦争で助かった四本の歯のあいだで、もぐもぐつぶやいた。
「こっちだって、つぎの選挙で、大統領におれの票をあてにはさせないぞ!」と、J=T・マストンがさけんだ。
「おれたちの票もだ」と、この戦争好きな廃兵《はいへい》たちは、声をそろえて答えた。
「それまでは」と、J=T・マストンはつづけた。「結論的に言うと、おれの新型の臼砲を、実際の戦場で試射するチャンスにめぐまれなかったら、おれはガン・クラブ会員の辞表をだす。そして、アーカンソーの大草原に身を埋めに駆けつける」
「おれたちもついていく」と、向こう見ずなJ=T・マストンの話し相手たちは答えた。
ところで、事態がこんなぐあいになってしまったので、人びとはだんだんと興奮してきた。そして、クラブの解散もあわやと思われた。そのとき、思いもかけぬことが起こって、この痛恨きわまりない破局を救ったのである。
以上のような会話がなされた日のちょうど翌日、クラブの全会員が、つぎのような回状を受け取ったのである。
本月五日、ガン・クラブの会長が、同僚諸氏にたいして、非常に重大な発表をおこなうことを、つつしんでお知らせいたします。この発表は、同僚諸氏の関心を強く惹きつけるであろうと思われますので、何とぞ、万障お繰りあわせのうえ、ご出席くださいますようお願い申しあげます。 敬具
一〇月三日
ボルチモアにて
ガン=クラブ会長
インベイ・バービケイン
二 バービケイン会長の発表
一〇月五日午後八時、ユニオン・スクエア二一番地にあるガン・クラブの大広間は、おおぜいの人たちでごったがえしていた。ボルチモアに住んでいる会員たちがみな、会長の招請に応じてやってきていたのだ。いっぽう通信会員のほうも、急行列車がつくたびに、何百人といったぐあいに、この都会のあちこちにつめかけてきていた。だから、講演のおこなわれるホールがどんなに広くても、集まってきた学者たちは、とても席にありつくことなんかできなかった。はみだした人たちが、隣接している部屋へと逆流するありさまだ。廊下のゆきづまりにぶつかって、外庭のまんなかにまで押し流される。そこではまた、会員でない人たちが、門のところで押しあいへしあいしている。めいめいが、最前列に場所を確保したがっているのだ。みんな、バービケイン会長の重大発表を、いまかいまかと、心待ちにしている。『民主主義』で育てられた連中に特有の天衣無縫《てんいむほう》さで、押しあいへしあい、つきとばしあっていた。
ボルチモアにいた外国人は、その晩、どんなにお金を積んでも、大広間にはいりこむことはできなかった。大広間には、正会員と通信会員だけしかはいることができなかったのである。なにびとといえども、会員以外は、席をとることができなかった。市の名士たちも、民選された都市行政委員のお歴々も、クラブのなかのようすをすばやく知るためには、群衆にまざって押し寄せなければならなかった。
いっぽう、ひろびろとしたホールは、見たところ、奇妙なたたずまいを呈していた。この広い部屋は、クラブの性格をいともたくみに表現していた。がっちりした臼砲を土台にし、大砲を積み重ねたのが、高い柱になっている。その大砲の柱が、ドームの細い骨組をささえている。そして、このドームの骨組が、まさに、穴あけ機にかけられた鋳物《いもの》のレースなのだ。壁には、楯形紋章を縦横の二線で四分した形に、ラッパ銃や火縄銃、騎兵銃といった、古今東西のあらゆる銃器類一式が、絵のように組み合わせて飾ってあった。シャンデリアの形にまとめられたたくさんの連発ピストルからは、いっぱいに炎をだしてガスが燃えていた。このすばらしい照明を、ピストルでできている枝つき飾り燭台や、たばねられた鉄砲の枝つき燭台がおぎなっていた。大砲の鋳型、青銅の破片、弾丸でふるいのように穴があけられた的《まと》、ガン・クラブの砲弾の衝撃でこわれた標識、火薬をつめる込棒《こめぼう》と、火砲の洗桿《せんかん》のひとそろい、|じゅず《ヽヽヽ》つなぎになっている爆弾や砲弾、つまり、砲術に関するあらゆる道具がたくみに陳列してあって、見るひとをおどろかせ、これらの武器のほんとうの用途は、ひょっとすると、ひとを殺すことではなくて、飾りたてることだと、考えさせてしまうほどであった。
上座には、すばらしいガラスのケースにおさめられた砲尾の一破片が飾ってある。それは、火薬のためにくだかれ、ねじまげられた、J=T・マストンの大砲の貴重な残骸であった。
広間のいちばん奥に会長が四人の秘書をしたがえて、ゆったり席をとっていた。彫刻がほどこされている砲架の上にのっている会長の椅子は、全体的に見ると、三二インチ臼砲のがっしりとした形をしていた。椅子は九〇度の角度で砲耳にとりつけてあったので、会長はちょうど|揺り椅子《ロッキング・チェアー》にすわったときのように、たいへん快適にゆらゆら椅子を揺らしていることができた。むかしの大口径で短砲身の艦砲六本にささえられた、大きな一枚の鉄板でできている机の上には、いとも巧みに刻まれた散弾でつくられた、きわめて趣味のいいインクスタンドと、必要なときには、連発ピストルのような銃声をひびかせる呼鈴《よびりん》とが置かれていた。議論が沸騰しているときなどは、この新型の呼鈴でも、興奮の極に達した砲兵連中の声をかき消すのがやっとのことであった。
机のまえには、長椅子が塹壕《ざんごう》の角面堡《かくめんぽう》のように、ジグザグにならべてあって、稜堡《りょうほう》と中堤がつづいているような形をしていた。そこに、ガン・クラブの全会員が陣取っている。その晩の状況は、言ってみれば、『城壁の上に集合』といったぐあいであった。会長が、非常に重大なことでもなければ、同僚諸氏をわずらわせるようなことはしない人物であることは、かなりよく、知られていた。
インペイ・バービケインは、穏やかではあるが、冷静、峻厳な、きわめてまじめでうちとけにくい性格の、四〇歳の男であった。時計のように正確で、どんなことにも耐えられる気質と、不屈の精神の持ち主であり、冒険好きだが派手《はで》好みではなく、もっとも無鉄砲なことをくわだてるときにも、着実な考えをもってした。ニューイングランドの名士であり、北軍創設者、イギリス王家を苦しめた、かの議会党員《ラウンド・ヘッド》〔一六四二〜四九年間の英国の内乱で王党に敵対した清教徒、髪の毛を短く刈っていた〕の末裔《まつえい》、母国の王党のなれのはてである、南部紳士の不倶戴天の敵であった。一言にして言えば、生粋のヤンキーだったのだ。
バービケインは、材木業で莫大《ばくだい》な財産をきずきあげていた。南北戦争に際して、砲兵司令官に任命され、発明の才能を遺憾なく発揮した。大胆不敵なことを考える彼は、大砲の進歩に多大の貢献をなし、実験の面で、いままで考えられなかったほどの飛躍をなしとげたのであった。中肉中背で、ガン・クラブの会員としては例外中の例外であったが、五体健全であった。ほりの深い顔立ちは、まるで直角定規をあてて製図用の烏口《からすぐち》で引いたようであり、人間の品性を見ぬくには、横顔《プロフィル》を見なければならないということがもしほんとうならば、バービケインの横顔は、エネルギーと、大胆さと、冷静さのもっともたしかなしるしをはっきりとしめしていた。
このとき、バービケインは、アメリカ人の頭にのっかるとネジでとめたみたいになる、黒い絹のシルクハットをかぶり、目を閉じ、思いをひとつのことにこらし、黙って、じっと肘掛椅子にすわっていた。
同僚の会員たちは、バービケインのまわりでがやがやとおしゃべりをしていたが、彼はそんな雑音に少しも気をとられていなかった。会員たちは、いったい何ごとだろう、とたがいにたずねあい、めいめいかってな想像を話し合ったり、会長の顔をしげしげと見つめたりしたが、泰然自若《たいぜんじじゃく》とした会長の表情からは、どんな答をもひきだすことができなかった。
大広間の爆鳴時計が八時を打ったとき、バービケインは、まるでバネじかけで動かされたかのように、すっくと立ちあがった。一同しーんと静まりかえった。弁士はいささかおおげさな調子で、つぎのようなことばを発した。
「勇敢なる同僚諸君、みのりなき平和がつづいてすでに久しい。ために、ガン・クラブの会員たちは、遺憾《いかん》ながら無為徒食の状態に落ちこんでいます。数年のあいだは、ある時期、いろいろと事件が多かった。しかしそのあとで、われわれは自分たちの仕事を放棄し、進歩の道を進むことを決然としてやめなければならなかったのです。わたくしは、声高らかに要求することをおそれません。いかなる戦いでもよい、われらの手にふたたび武器を取らせる戦争よ、きたれ、と」
「そうだ、戦争だ!」と、血気にはやったJ=T・マストンがさけんだ。
「静聴! 静聴!」と、あちこちからマストンのさけびをさえぎる声。
「しかし、戦争は」と、バービケインは言った。「戦争は、現在の情勢では不可能であります。わが尊敬すべき演説妨害者が、どんなに希望されても、われらの大砲が戦場でとどろく日まで、まだなお長い年月が流れるでありましょう。それゆえ、断乎たる決意のもとに、まったくべつの考えの領域で、われらをかりたてる行動意欲への糧《かて》をもとめなければならないのです!」
一同は、会長の話が肝心かなめなところにさしかかったのを感じ、いっそう注意をかたむけた。
「勇敢なる同僚諸君、数か月まえからわたくしは」と、バービケインはことばをつづけた。「われわれの専門の分野において、まこと一九世紀にふさわしい大実験を何かくわだてることはできないものか、と考えてきました。わたくしは考え、研究し、計算しました。その結果、ついに、わたくしの研究から、ほかのいかなる国においても、実行不可能なひとつのくわだてを、われわれは成功させることができるにちがいない、という確信をえるにいたったのです。練りに練ったこの計画こそ、きょうこれから発表しようとしているところのものなのです。まさに諸君にふさわしい計画、ガン・クラブの過去の栄光にふさわしい計画、全世界をあっと言わせるにちがいない計画なのです!」
「あっと言わせる?」とかっかしてきたひとりの砲兵がさけんだ。
「まさに文字どおり、あっと言わせる計画です」と、バービケインが答えた。
「よけいな口をはさむな!」と、何人かが口ぐちにさけんだ。
「どうか、よく注意して聞いてもらいたい、勇敢なる諸君、お願いします」と、会長はつづけた。
一瞬、戦慄にも似た緊張感が、会場にみなぎった。バービケインは、すばやく頭に手をやって帽子をかぶりなおしてから、おだやかな口調で演説をつづけた。
「諸君のうちだれひとりとして、月を見たことがない者はないはずです。というより、月をしみじみと見たことはなくとも、月のことを話しているのを耳にしたことがない者はひとりもいないでしょう。それゆえ、いま、わたくしが、この夜の女王のことをお話ししてもおどろかないでほしい。この未知の世界については、われわれがコロンブスになれる余地が、おそらくまだ残されているのです。わたくしの言うことを理解し、諸君のもっておられる力をじゅうぶんに発揮して、わたくしの計画を支援されんことを、わたくしは諸君とともに、月を征服しようとしているのです。そして、月という名が、この偉大なる合衆国を形づくっている三六の州の名に、いまやくわわらんとしているのであります!」
「月めがけて突撃!」ガン・クラブの全員が声をそろえてさけんだ。
「月については、多くの研究がなされています」と、バービケインはつづけた。「その質量、密度、重量、体積、組成、運動、距離、太陽系における役割、そういったものは完全に決定されているのです。地球の地図以上というわけにはいかないが、地図とおなじくらい完全な月面図もできているのです。写真術は、われらの衛星について、えも言われぬほど美しい画面をもたらしてくれました。一言にして言えば、月に関して、数学や天文学や地質学や光学が教えてくれるところのすべてを、われわれは知っているのです。だが、現在までのところ、月との直接的交通が、まったくなされていなかったのであります」
このことばを聞いて、一瞬、おどろきと興奮のはげしい動きが起こった。バービケインはなおもことばをつづけた。「われらの先人にも熱心な人たちが何人かいました。その人たちは、空想の旅に出て、われらの衛星の秘密をあばいたと主張しています。そのことを、少々お話ししておきたい。一七世紀に、ダヴィッド・ファブリシウスとやらいうひとが、肉眼で月の住人たちを見たと言っています。一六四九年には、フランス人ジャン・ボードアンが、『スペインの探検家ドミニック・ゴンザレスによってなされた月世界旅行』という本をだしています。おなじころ、シラノ・ド・ベルジュラックが、あの名高い月世界旅行記をおみやげにし、フランスで大成功をおさめました。そのあとで、もうひとりべつのフランス人──フランス人は、とても月に熱中しているのです──、ファントネルというひとが、『世界多数問答』という、その時代を代表するような傑作を書きました。しかし、科学は、進歩するにつれて、傑作すらぶちこわしてしまうのです! 一八三五年ごろ、ニューヨーク・アメリカン社から出版された翻訳の小冊子は、天文学の研究のために、喜望峰に派遣されたジョン・ハーシェル卿が、内部照明をそなえた望遠鏡を使うことによって、月を七二メートルの距離のところまで近づけた、と伝えています。ですから、ハーシェル卿は、河馬が住んでいる洞窟や、金色のレースで縁をかざられた緑の山々や、象牙の角《つの》をもっている羊や、白い小鹿や、|こうもり《ヽヽヽヽ》の翼のような膜質の翼をもった住民たちを、はっきりと見たことでありましょう。この仮とじ本は、ロックというアメリカ人の書いたものなのですが、大評判になりました。が、まもなくそれは、科学をよそおった|まやかし《ヽヽヽヽ》にすぎないことがばれてしまい、フランス人がまっ先に笑いとばしました」
「アメリカ人を笑いとばしたのか!」と、J=T・マストンがさけんだ。「さらば、いざ、戦《カスス・ベリ》わん!」
「安心したまえ。笑いとばすまえは、われらの同国人にフランス人は完全にだまされていたのですから。ところで、この史的概観を終えるにあたって、わたくしは、かの、ロッテルダムのハンス・ファアルという男の話をつけくわえたい。この男は窒素から抽出した、水素より三七倍も軽いガスのつまった気球に乗って、一九日間の旅の末、ついに月に到着したのです、むろん、この旅も、まえにお話しした試みと同様、たんなる空想の旅にすぎません。しかし、これはアメリカで多くのひとに知られている作家の作品なのです。瞑想的で、奇妙な天才の。そのひとの名はポー!」
「エドガー・ポーばんざい!」と、会長の話に電気にうたれたかのように感動して、一座の者たちはさけんだ。バービケインはことばをつづけた。
「純粋に文学的で、月と本格的な関係をうちたてるには、まったくふじゅうぶんな、これらの試みをお伝えして、わたくしの話を終わりにします。しかしながら、わたくしは、何人かの実際的な精神の持ち主が、月と本格的な交渉をもとうと努力したことをつけくわえなければなりません。数年まえに、ドイツのある幾何学者が、シベリアの大草原に、学者たちを派遣しよう、と提案したことがあります。シベリアの広大な平原に、巨大な幾何学の図形を反射装置を使って書こう、というのです。そのなかには、フランス人が『ろばの橋』と呼んで、ばかでないかぎり、だれにでもできるやさしい問題だと言っているピタゴラスの定理の図もあります。その幾何学者によれば、『知性のある者ならだれでも、この図の学問的な使いみちを理解するにちがいない。もし、月に住民がいるのなら、月の住民たちは、おなじような図を描いて答えるだろう。ひとたび連絡がつけば、月の人たちと意志を通じさせるようなことばをつくることはやさしいであろう』と、言うのです。ドイツの幾何学者は、以上のようなことを言いはしましたが、そのくわだてはついに実行に移されませんでした。そんなわけで、現在までのところ、地球とその衛星とのあいだには、なんらの直接的な|きずな《ヽヽヽ》が存在していないのであります。しかし、星の世界と近づきになることが、アメリカ人の実用的な才能に留保されたのであります。それを達成する手段たるや、単純にして容易、確実にしてあやまりのないものであり、わたくしが提案しようとしているところのものは、じつはそのことなのであります」
このことばを聞いて、はじめ、がやがやと言う声が生じたが、やがて、それは感嘆の嵐となっていった。演説に圧倒され、心をとらえられ、夢中にさせられたのは、出席者のうちのひとりふたりではなかった。
「静聴! 静聴! 静かにするんだ!」と、あちこちからさけび声があがった。
さわぎがおさまるや、バービケインはいっそう重々しい声で、中断させられた演説をつづけた。
「もし戦争がつづいていたならば、弾道学はどれほどの進歩をとげていたことでしょう。銃砲器の完成の度合いはいかばかりであったことか。これらの点は諸氏のよく理解されるところであります。それにまた、一般的に、大砲の耐久力と火薬の爆発力には際限がないということも、よく知られています。そこでです! この原理から発して、耐久力の必要条件を決定して、それに耐えうる装置を使うことによって、砲弾を月に送ることが可能ではないだろうか、と、わたくしは考えたのであります」
このことばに、「おお!」というおどろきのさけびが、息をはずませている多くの胸からもれた。それから、雷鳴まえの深い静寂にも似た静けさが、一瞬あたりにみなぎった。そして、ついに、轟音が炸裂《さくれつ》した。割れるような拍手喝采、喧々囂々《けんけんごうごう》たるさけび声が、会場の大広間をふるわせた。会長はしゃべろうとした。だがそれは不可能だった。やっと口をきることができたのは、たっぷり一〇分かかってからのことであった。
「しまいまで言わせて欲しい」と、バービケインは冷静にことばをつづけた。「わたくしは、あらゆる角度からこの問題を検討したのであります。断固としてこの問題と取り組んだのです。その結果、どこからも意義をはさまれる余地のない計算から、秒速一万一〇〇〇メートルの初速度をもった砲弾を月に向けて発射すれば、必然的に月に到達するであろう、という結論をえたのです。それゆえ、わが勇敢なる同僚諸君、このささやかな実験を試みてみようではないか、と、諸君に提案する光栄をわたくしは有するのであります!」
三 バービケイン発表の反響
尊敬すべき会長の、この末尾のことばがひき起こした反響がどれほどものすごかったか、描写することは不可能である。さけび声、『ヒップ、ヒップ、フレー!』といったアメリカ語のあらゆる擬声語が、みちあふれたのだ。混乱の極、なんとも言いようのない|がやがや《ヽヽヽヽ》言う声!口という口はさけんでいた。手は手当たりしだいにものをたたき、足は広間の床をふるわせていた。この砲術博物館にあるすべての武器がいちどきに火を吹いたとしても、このときよりはげしくは、音波を激動させはしなかったであろう。しかし、べつにおどろくことはない。大砲とほとんどおなじくらいさわがしい砲兵もいるのだから。
バービケインは、この、熱狂的な怒号のさなかにあって、黙りこくっていた。おそらく、同僚たちに何かまだ語りかけたかったのだろう。身ぶりで静かにするようにと要求していたが、彼が鳴らした静止ベルも、すさまじい爆声にかき消されてしまった。それに、静止ベルの音など聞こえもしなかったのだ。やがて、バービケインは席からむりやりひきはなされ、胴あげされ、忠実な仲間たちの手によって、もっともっと興奮している群衆の腕のなかへとわたされていった。
アメリカ人をおどろかせるのは、至難のわざである。『不可能』ということばはフランス語にはない、とよく言われてきたが、あきらかに字引をまちがえたのだ。アメリカでは、どんなことでもたやすくできる。すべてが簡単にかたがつく。機械の故障についていえば、故障するまえに捨てられてしまうのだ。だから、バービケインのくわだてが実現するまでに、むずかしい問題があろうなどと予想した、正真正銘のヤンキーはひとりとしていなかった。言われたことは、かならずなされるのだ。
会長の勝利の行列は夜おそくまでつづいた。これぞほんものの松明《たいまつ》行列。アイルランド人、ドイツ人、フランス人、スコットランド人といった、メリーランドの住民を構成しているこれらの人種のどれもこれもが、それぞれ母国のことばでさけびちらした。ヴィーヴァ〔ばんざい〕! とか、ウーラ〔わぁーっ進め〕! とか、ブラボォ! というさけび声が、なんとも言いようのない感激のうちに混ざりあっていた。
ちょうどそのとき、まるで自分のことが問題になっているのがわかったかのように、月が落ちついたはなやかさでひときわ輝いた。その強烈な照射で、あたりのあかりを褪《あ》せさせて。ヤンキーたちはみな、目を光り輝く月のほうに向けた。ある者たちは、月に手をふって挨拶し、またある者たちは、月の愛らしいあだ名を口ぐちにさけんだ。目測で月の大きさを測る者もいれば、こぶしで月をおびやかす者もいた。とにかく、午後八時から一二時までのあいだに、ジョーンズ・フォール街の眼鏡《めがね》屋は、眼鏡をすっかり売りはらって、ひと財産つくってしまったほどである。月は上流階級のレディーのように、じろじろと横目でみられた。しかも、アメリカ人たちは、大家《おおや》さんがよくやるように遠慮会釈《えんりょえしゃく》もなくそうふるまったのである。金髪のフェーベ〔ここでは、月のこと。現在では一八六八年にケンブリッジ天文台のビッカリングが発見した土星の第九衛星〕は、これら大胆不敵な征服者たちのものであり、すでに合衆国の領土の一部分となっているかのように思われた。とはいえ、月に砲弾をぶちこむということは、大問題であった。たとえ衛星とであっても、関係を結ぶ手段としては、これはかなり荒っぽいやりかたではないか。文明国どうしのあいだでは、よく使われている手段ではあるが……。
午後一二時を告げる鐘が鳴った。が、熱狂はいっこうにしずまらなかった。どの階層の人たちもみな、おなじ分量で熱狂しつづけていた。裁判官も、学者も、実業家も、商人も、人足《にんそく》も。知識人たちも、無学文盲の人たちとまったく同様に、心の琴線《きんせん》が高鳴るのを感じたのであった。これこそ国家的大事業なのだ。だから、山の手も下町も、バタブスコ川のさざ波に洗われている川岸も、ドックに閉じこめられている船も、よろこびと、ジンと、ウイスキーに酔いしれていた群衆でみちあふれたのだった。シェリー=コブラー〔ラム酒とオレンジ・ジュースと砂糖と肉桂の皮と|にくずく《ヽヽヽヽ》とを混ぜたカクテル。色は黄色を帯びていて、ジョッキからガラスのストローで飲む〕のジョッキをまえにして、バーの長椅子にだらしなく横になった紳士から、フェルス=ポイントのうすぎたない居酒屋で『かすとり焼酎』に酔いつぶれている水夫にいたるまで、だれもが、わいわいしゃべったり、ながながと演説をぶったり、議論をしたり、口げんかをふっかけたり、賛成、賛成とわめいたり、すばらしいぞと称賛のさけびをあげたりしていた。
けれども、夜中の二時ごろには、興奮もしずまっていた。バービケイン会長は、へとへとになって、やっとこさで家に帰りつくことができた。ヘラクレスのような怪力の持ち主でも、このような熱狂ぶりにはとうてい抵抗できなかったであろう。群衆は徐々に、広場や町の通りから姿を消していった。ボルチモアに集まってきている、オハイオ、サスケハナ、フィラデルフィア、ワシントンといった四つの鉄道が、合衆国の四隅に、この土地以外の連中を運び去ったので、ボルチモアの町も、比較的静かに休むことができた。
とはいえ、この記念すべき夜、ボルチモアだけが興奮さわぎの餌食《えじき》となったと考えたら、とんでもないまちがいである。合衆国の大都会は、ニューヨークも、ボストンも、オールバニーも、ワシントンも、リッチモンドも、ニューオーリンズも、チャールストンもモービルも、東西は、テキサス州からマサチューセッツ州にいたるまで、南北は、ミシガン州からマサチューセッツ州にいたるまで、あらゆる都会が有頂天《うちょうてん》になっていたのだ。事実、ガン・クラブの三万の通信会員は、会長の手紙のことを知っていた。そして、一〇月五日のこの発表をいまかいまかと待ち受けていたのである。だから、五日の晩すぐに、会長のことばは、一語発せられるごとに、電信線によって刻々と、合衆国のすべてに、秒速四〇万キロメートル(つまり電気の速度)で伝えられたのである。それゆえ、フランスの一〇倍もあるアメリカ合衆国において、瞬間時に、異口同音のばんざいがさけばれ、二五〇〇万の誇りでふくらんだ心臓がおなじ動悸を打ったということを、確信をもって言うことができる。
その翌日、一五〇〇におよぶ日刊紙、週刊誌、半月刊誌、月刊誌がいっせいにこの問題を取りあげた。ジャーナリズムは、政治的優位性とか、文明といった観点から、この問題を物理学的に、気象学的に、経済学的に、あるいはまた道徳的にといったぐあいに、さまざまな面から検討したのである。月は完成された世界なのか、とか、もはやいかなる変形もしないのか、といった疑問をジャーナリズムはなげかけた。月は空気がまだなかったころの地球と似ているのか? 地球という回転楕円体からは目に見えない月の表面は、どのような光景を呈しているのか? まだ月に砲弾をぶちこむことしか問題にはなっていなかったのだけれども、みんなそこに一連の実験の出発点を見てとっていた。いつの日にか、アメリカがこの神秘的な月のまるい表面の秘密を洗いざらいあきらかにすることを、だれしもが期待していた。月を征服することが、ヨーロッパの均衡をあからさまにぶちこわしてしまうのではないか、とおそれられているように思われた議論すらいくつかあった。
計画はいろいろと議論されたが、その実現をあやぶむものはひとつとしてなかった。文学や宗教の学会からだされた論文集や小冊子や会報や『機関誌』は、この計画が有利なものであることを強調していた。しかも、ボストンの『博物史学会』や、オールルバニーの『アメリカ科学芸術協会』やニューヨークの『統計地理学会』や、フィラデルフィアの『アメリカ哲学会』や、ワシントンの『スミソニアン協会』〔イギリスの化学者、鉱物学者ジェイムズ・スミスソンの遺志によって『民衆のあいだに知識の増進と普及をはかるため』一八四六年に、ワシントンに設立された合衆国大統領を総裁とした官民有力者を主脳とする特殊学術機関〕などは、ガン・クラブにたくさんの手紙を寄せ、祝福のことばを述べるとともに、物心両面の援助を直接、申し入れてきた。
それゆえ、これほど多くの共鳴者を集めることができた提案は、かつてなかったと言うことができる。ためらいとか、疑惑、不安なんてものは問題にすらなかった。ヨーロッパで、とりわけフランスで、月に砲弾をぶちこむなんて言えば、きっと笑いとばされたり、漫画や戯《ぎ》れ歌の種になったであろうが、もしそんなことにでもなれば、からかったひとはこっぴどい目にあったにちがいない。世界じゅうのありとあらゆる『救命具』をもってしても、世間の憤激からそのひとの命をまもることはとうていできなかったであろう。新世界では、こういう突飛《とっぴ》な考えを笑いとばしたりはしないのだ。それゆえ、インペイ・バービケインはこの日から、合衆国のもっとも偉大な市民のひとりとなった。科学におけるワシントンのような存在になったのである。
ガン・クラブのこのすばらしい総会の数日後、イギリス人劇団の支配人は、ボルチモアの劇場でシェイクスピアの『空騒《からさわ》ぎ』を上演する、と発表した。しかし、ボルチモアの人たちは、この題名に、バービケイン会長の計画にたいする痛烈な諷刺を見てとって、劇場を占拠し、観客席の椅子をぶちこわして、ポスターの変更をこの不運な支配人に要求した。支配人は機智に富んだ人物だったので人びとの好みに迎合して、さんざんな目にあわされた劇を、『お気に召すまま』に変更した。かくして、数週間のあいだに、彼は莫大な収益をあげることができたのである。
四 ケンブリッジ天文台の回答
しかしながら、バービケインは大衆の熱烈な喝采のただなかにあって、一瞬たりとむだにしてはいなかった。まず第一に、バービケインが打った手はガン・クラブの事務所に同志を集めることであった。そこで討論の末、計画の天文学的な領域のことに関して、天文学者たちの意見をもとめようということにきまった。回答がありしだい、機械による手段について討議しようというのだ。つまり、どんな些細《ささい》なことも、この大実験を確実に成功させるためには、おろそかにしてはならないのだ。
特殊な問題についての、非常に綿密な意見書がつくられ、マサチューセッツ州にあるケンブリッジ天文台に送られた。合衆国ではじめて大学が創設されたこの町は、まさしく天文学研究所によって、その名がとどろいていた。もっともすぐれた学者たちが集まっているのもここであり、ボンドにアンドロメダ座の星雲の問題を解決させ、クラークに天狼《シリウス》の衛星を発見させた強力な望遠鏡が働いているのもここなのだ。だから、この有名な天文台はあらゆる点において、ガン・クラブの信頼に答えられるものであった。
さて、二日後に、待ちに待った回答が、バービケイン会長の手に届いた。その回答はつぎのようなものであった。
ボルチモア市、ガン・クラブ会長殿
ケンブリッジ天文台長
ケンブリッジ、一〇月七日
ボルチモアのガン・クラブの会員名義による、今月六日付|貴翰《きかん》拝受しました。天文台員はただちに召集され、討議の結果、以下のようにお答えするのが適当であると判断いたしました。
われわれに発せられたご質問はつぎのようなものでありました。
一 月に砲弾を送りこむことは可能であろうか?
二 地球とその衛星のあいだの正確な距離は?
三 じゅうぶんな初速度を有する砲弾の、月までの所要時間は? その結果、きめられた点で、月と出会うためには、いつ砲弾を発射しなければならないか?
四 正確に何月何日何時何分何秒に、月は砲弾が達するのにもっともつごうのよい場所にくるか?
五 砲弾を発射する大砲は、空のどの点を照準に定めなければならないか?
六 砲弾が発せられるとき、月は空のどの位置を占めているであろうか?
第一の質問、月に砲弾を送りこむことは可能であろうか? について。
もちろん、可能である。ただし秒速一万一〇〇〇メートルの初速度で砲弾を発射することができればである。計算の結果、この速度でじゅうぶんであるということがしめされている。地球から遠ざかるにつれて重力の作用は、距離の二乗に反比例して減少する。すなわち、距離が三倍になれば、重力の作用は九倍弱まるのである。その結果、弾丸の重力は急速におとろえ、月の引力が地球の引力と等しくなったとき、ついにゼロとなってしまう。つまり、全行程の五二分の四七の点で、である。この瞬間、砲弾は重力を失い、この点さえこえれば、あとは月の引力だけで月へと落ちていく。実験の可能性については、それゆえ、理論のうえでははっきりと証明されている。成功するか否かは、ただたんに、使用される発射装置の力にかかっている。
第二の質問、地球とその衛星とのあいだの正確な距離は? について。
月は地球のまわりに円を描いているのではなくて、楕円を描いている。そして、わが地球はその楕円のひとつの焦点に位置している。それゆえ、月はあるときは地球の近くにあり、またあるときは遠くにある、ということになる。天文学用語で言えば、あるときは遠地点に、またあるときは近地点にくるわけである。ところで、地球と月とのあいだの最長距離と最短距離との差は、かなり大きい。空間においては、けっして無視してはならないほどのものである。事実、遠地点においては月は三九万八五六〇キロメートルのところにあるのに、近地点では三五万二〇四〇キロメートルのところまで近づく。その差は、四万六五二〇キロメートルで、全行程の九分の一以上になる。それゆえ、月の近地点の距離を計算の基礎に置かなければいけない。
第三の質問、じゅうぶんな初速度を有している砲弾の、月までの所要時間は? その結果、きめられた点で、月と出会うためにはいつ砲弾を発射しなければならないか? について。
もし、弾丸が発射の際にあたえられた秒速一万一〇〇〇メートルの初速度を、いつまでも保っているならば、目的地に達するのに、およそ九時間しかかからないであろう。しかし、この初速度はたえず減少してゆくので計算してみると、月と地球の引力が均衡を保つ点に到達するまで、三〇万秒、つまり八三時間二〇分かかる。この点から弾丸は五万秒、つまり一三時間五三分二〇秒かかって月まで達する。それゆえ、月が目標点に到着する九七時間一三分二〇秒まえに、砲弾を発射することが望ましい。
第四の質問、正確に何月何日何時何分何秒に、月は砲弾が達するのに、もっともつごうのよい場所にくるか? について。
以上述べたことからしてまず第一に、月が近地点にくる時間を選ばなければならない。と同時に、月が天頂を通過するときをねらわなければならない。そうすれば、地球の半径と等しい距離、つまり六三七〇キロメートルだけ、また行程を短縮することができる。その結果、最終的な全行程は、三四万五六四〇キロメートルとなる。しかし、月は毎月、近地点を通るが、そのときいつも天頂にくるとはかぎらない。長い間隔をおいてしか、このふたつの条件は同時にみたされるものではない。それゆえ、近地点通過と天頂通過の一致する時を待たなければならぬ。ところで、さいわいなことに来年の一二月四日、月はこのふたつの条件をみたす。すなわち、午後一二時に月は地球にもっとも近いところに達し、同時に天頂を通過する。
第五の質問、砲弾を発射する大砲は、空のどの点を照準に定めなければならないか? について。
いままでになされて、正しいとみとめられている観測によれば、大砲はその地点の天頂に向けられなければならない。その結果、水平面にたいして垂直に発射されることになる。こうすれば、砲弾はもっとも早く地球の引力の影響をまぬがれることになろう。しかし、月がその地点の天頂にのぼるためには、その地点は、緯度において月の方位角より高くてはならない。ことばをかえて言えば、北緯もしくは南緯の〇度から二八度のあいだになければならないのである。それ以外の地点からだと、発射は必然的に斜角になされてしまう。そうなると、実験の成功は期しがたい。
第六の質問、砲弾が発せられるとき、月は空のどの位置を占めているであろうか? について。
砲弾が発射されるとき、毎日一三度一〇分三五秒進む月は、天頂からこの数の四倍、つまり五二度四二分二〇秒はなれたところになければならない。砲弾が月に達するまでに要する時間に月が動く距離だけ、はなれている必要がある。しかし、同様に地球の自転運動が弾丸におよぼす方向逸脱を考慮に入れなければならないし、弾丸は地球の半径の一六倍に等しい距離──月の軌道上で言えば、ほぼ、一一度になる──だけ方向を逸《そ》れるから、さきに記した数字にこの一一度をくわえなければならない。つまり、端数を切り捨てると六四度になる。それゆえ、発射時には、月は鉛直線から六四度のところに見えることになる。
以上が、ガン・クラブ会員からケンブリッジ天文台に発せられた質問にたいする回答であります。
要約すれば、
一 大砲は、北緯もしくは南緯〇度から二八度に位置する地域に設置されなければならない。
二 大砲はその地点の天頂に向けられなければならない。
三 砲弾は秒速一万一〇〇〇メートルの初速度をあたえられなければならない。
四 砲弾は明年一二月一日、一一時一三分二〇秒まえに発射されなければならない。
五 砲弾が発射してから四日後の、一二月四日午後一二時ちょうどに、つまり月が天頂を通過するときに月と出会う。
それゆえ、ガン・クラブの諸氏はこの計画に必要な作業を即刻開始し、指定のときに準備を完了していなければなりません。というのも、もしこの一二月四日という日をのがせば、月が近地点にあって天頂にくる日は、一八年一一か月あとになってしまうからです。
ケンブリッジ天文台研究員は、理論の面において、あなたがたの天文学上の質問にいつでもお答えいたします。つつしんで、全アメリカがあなたがたに寄せる祝福に、わたくしどもの祝福をつけくわえさせていただきます。
研究員一同を代表して
ケンブリッジ天文台長
J=M・ベルファスト
五 月の物語
どこまでも無限に見とおす視力をもった観測者が、宇宙が混沌《こんとん》としていた時代に、地球がそのまわりをまわっている、この未知の世界の中心におかれたなら、空間をみたしている無数の原子を目にしたことであろう。だが、少しずつ世紀を経るにつれて変化が生じた。引力の法則が生じ、それまでさまよっていた原子はそれにしたがうようになった。これらの原子はたがいに親和力によって化学的に結合し、分子となり、空の深い奥に点在している、あのぼんやりとした星団を形づくった。
星団はすぐに、星団の中心点のまわりを回転運動しはじめた。ぼんやりとした分子からなるこの中心は、だんだん密度をましながら、中心自体、まわりだす。そのうえ、力学の不変の法則にしたがい、分子の体積が凝縮することによって、小さくなるにつれて、その回転運動は速度をます。このふたつの作用がつづくことにより、ぼんやりとした星団の中心である主星が生じたのである。
注意ぶかく見つめたら、観測者はそのとき、星団の他の分子も、中心の星のように行動し、だんだん速くなってゆく回転運動でそれなりに凝結し、数かぎりない星の形をとって、中心の星のまわりをまわっているのを見たにちがいない。
現在のところ、天文学者たちがほぼ五〇〇〇ほど数えあげた星雲が形成されている。
その五〇〇〇の星雲のうちに、人間が銀河と名づけた星雲がある。『銀河』は、一八〇〇万の星からなり、そのひとつひとつが、それぞれひとつの太陽世界の中心をなしている。もしそのとき、観測家がこれら一八〇〇万の星のうちで、いちばんつつましく、もっとも輝きの弱い、四等級の星、つまり傲慢不遜《ごうまんふそん》にも、『太陽』と呼ばれている星を、特別によく調べたなら、宇宙が形成されるときのあらゆる現象が、つぎからつぎへと、目のまえでくりひろげられるのを見ることができたであろう。
事実、まだガス状で、流動的な分子の合成物である、あの太陽が、その集中作業を終えるために、その軸上を回転しているのを、観測者は目にすることができたにちがいない。力学の法則に忠実なこの運動は、体積の縮小をともなって速くなり、そのうちに、分子を中心のほうへとひっぱっっている求心力よりも、ある瞬間、遠心力のほうが強くなる。
すると、べつの現象が生じる。天体の赤道面に位置していた分子は、突然、綱が切れてしまった石投げ器の石のようにとびだし、太陽のまわりで土星の環のような、いくつかの円心環となってしまう。そしてこんどは、この宇宙物質の環が、中心のかたまりのまわりをまわる回転運動にとらえられて、ばらばらになり、第二次星状物質、つまり惑星に分解してしまう。
もし、観測者がここで、この惑星に全神経を集中させたならば、それらの惑星がまさしく太陽のように行動し、衛星と呼ばれている等級の低い星の原形である宇宙環を、ひとつもしくは数個、生じさせるのを見たであろう。
それゆえ、原子から分子へ、分子から星団へ、星団から星雲へ、星雲から主星へ、主星から太陽へ、太陽から惑星へ、惑星から衛星へとたどってゆくと、世界がはじまってから天体がなしてきた変形の系譜ができあがる。
太陽は広大な星の世界で、見失われてしまったように思われるが、現在の科学の理論では、『銀河』に結びつけられている。ひとつの世界の中心である太陽は、天空にあってどんなに小さく見えようとも、巨大なものなのだ。その大きさは地球の一四〇万倍もあるのだから。太陽のまわりを、天地創造の初期に、太陽そのものを母胎として出てきた、八つの惑星がまわっている。いちばん近いものから遠いものへと数えてゆくと、水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星である。そのほか、火星と木星とのあいだに、それほど重要でもない物体が、規則正しく循環している。おそらく、星が破壊して数千個の破片になった残骸がさまよっているのであろうが、望遠鏡によって、現在までに、九七個がみとめられている(これらの小惑星は、駆け足でまわるとたった一日で一周できるほど小さい)。
太陽が引力作用の大原則によって、それぞれ楕円の軌道にささえている、これら太陽の家来たちのうちのいくつかには、それぞれ衛星をしたがえているものもある。天王星は八つ、土星は八つ、木星は四つ、海王星はおそらく三つで、地球はひとつもっている。この地球の衛星、太陽系のうちでもっともとるにたらない存在、それが、月と呼ばれているものであり、アメリカ人の大胆不敵な才能が征服しようとしているところのものなのだ。
月は、比較的近くにあるということと、さまざまな相に急速に変化するということで、最初は、太陽とともに地球に住んでいる人たちの注意を二分していた、しかし、太陽はとても見つめてはいられない。太陽の光はあまりにも強烈なので、太陽をながめられるひとは、目を伏せざるをえなくなる。
これに反して、より人間的な金髪のフェーベ〔月〕は、やさしく、つつましやかに、こころよくわれわれにながめさせてくれる。月は一見おだやかで、なんの野心ももっていないように見える。しかし、自分はけっして兄によって食《しょく》されないのに、ときおり、兄である輝かしいアポロを食《しょく》してしまう。回教徒たちは、この地球の忠実な友に感謝をささげなければならないと思った。だから、回教徒たちは一月、二月という月を、月の回転によってきめたのだ(ひと月ほぼ二十九日半)。
原始時代の人びとは、このけがれのない女神に、特別の祈りをささげた。エジプト人は月をイシスと呼んで、医学、婚姻、農業の女神として礼拝し、フェニキア人はアスタルテと名づけて守護女神とした。ギリシア人は、レートー〔ゼウスに愛されて、アポロンとアルテミスの母となった〕とゼウスの娘フェーベの名のもとに月を崇拝し、アルテミス〔ゼウスとレートーの娘、アポロンの双生の妹。アポロンは太陽神であり、アルテミスは月の女神。セレーネー、ヘカテーと混同されているし、ローマ神話のディアーナとも同一視されている。ヴェルヌも、さまざまなギリシア・ローマ神話を混同している〕が、あの美貌の羊飼いエンデュミオーンを訪れるから、月食が起こるのだと説明していた。神話を信じれば、ヘラクレスに殺されたと言われている、ネメアの谷の猛悪なライオンは、地球上に姿をあらわすまえには、月の平原をかけまわっていたということだし、プルタルコス〔英雄伝を書いた名高い歴史家〕が取りあげている詩人アゲシアナックスは、すばらしき月の女神セレーネーの、輝かしくもやさしい目、愛らしい鼻、かわいらしい口をほめたたえた詩をうたっている。
しかし、むかしの人たちは、月の性格、性質、要するに、神話の立場から、月の精神的な面についてはよく知っていたが、もっとも学識のあるひとでも、月理学《セレノグラフィー》については、まったく無知であった。
とはいえ、はるかなむかしにも、今日、科学によって証明されているいくつかの特性を発見した天文学者がいたのだ。たとえ、アルカディア人たちが、月がまだなかった時代に、われわれは地球に住んでいた、と主張しても、タティウスが、月を太陽からはなれた断片であると見なしても、アリストテレスの弟子のクレアルコスが、月を太陽の姿をうつしているよくみがかれた鏡だ、と言ったとしても、また、ほかの人たちが月は地球から発散された水蒸気の塊だとか、半分火で、半分水からできている、ぐるぐるまわっている球でしかないと考えたとしても、何人かの学者たちは光学機械がなかったので、ただ鋭い観察力だけで、月についての法則の大部分を疑っていたのだ。
そんなわけで、ミレトスのタレス〔紀元前六世紀前半のひとで、皆既日食の予言をしたり、ピラミッドの高さの測定をした哲学者。七賢人のひとり〕は、紀元前四六〇年に、月は太陽によって光っている、という意見を発表した。サモスのアリスタルコス〔地動説の先駆者であるギリシアの天文学者。前三一〇ごろ〜二三〇ごろ〕は、月の相を正しく説明した。クレオメネスは月は反射光によって輝いていると教えた。バビロニアのカルデのひとベロッソスは、月の自転に要する時間は公転に要する時間と等しいことを発見し、そのことから、月がつねにおなじ面を見せている事実を説明した。そしてついに、紀元前二世紀にヒッパルコス〔ギリシアの天文学者。前一九〇ごろ〜二五ごろ〕は、ロードス島で天体観測をして、春分、秋分、太陽軌道のひずみを発見し、地球の衛星の目に見える運動に、なんらかの|むら《ヽヽ》〔不均等性〕があることをみとめたのだ。
こうしたさまざまな観察は、あいついで確認され、後世の天文学者たちに利用された。二世紀に、ギリシアの天文地理学者プトレマイオスが、一〇世紀にはアラビアの天文学者アブール・ワファーが、太陽の影響を受けて軌道を波状に進むときに、月が受ける|むら《ヽヽ》についてのヒッパルコスの指摘をおぎなっている。ついで一五世紀には、コペルニクスが、一六世紀には、ティコ・ブラーエが、宇宙のシステムと、天体において月が演じている役割とを完全に説明した。
この時代に、月の運動はほぼ決定された。しかし、月の物質構成についてはほとんど知られていなかった。そのころなのだ、ガリレオが月には山がある、と言って、いくつかの相における現象を説明したのは。ガリレオは、月の山の高さは、平均八七〇〇メートルだと言っている。
ガリレオのあとで、ダンツィッヒの天文学者ヘヴェリウス〔一六一一〜八七〕が、もっとも高い山の標高を五〇〇〇メートルにひきさげた。しかし、ヘヴェリウスの同僚のイタリアの天文学者リッチョーリ〔一五九八〜一六七一〕は、また、一万四〇〇〇メートルにひきあげている。
一八世紀の終わりに、ドイツ生まれのイギリスの天文学者ハーシェル〔一七三八〜一八二二〕は、強力な反射望遠鏡を使って、ヘヴェリウスやリッチョーリの主張した高さを、大幅に低くした。つまり、いちばん高い山で三七〇〇メートル、高いのも低いのもならすと、平均七〇〇メートルにすぎない、ととなえた。しかしハーシェルもまたまちがっていた。決定的にこの問題を解決するには、シュレーターや、ルーヴィル、ハリー〔一六五六〜一七四二名高い周期彗星の発見者〕、ナズミス〔一八〇八〜九〇〕、ビアンキーニ〔一六六二〜一七二九〕パストルフ、ロールマン、グルイトゥイゼン〔一七七四〜一八五二〕などの観測結果を待たなければならなかった。とりわけ、月や火星の地図をつくったドイツの天文学者ベアー〔一七九七〜一八五〇〕、メドラー〔一七九四〜一八七四〕両氏のしんぼう強い研究が必要であった。これらの学者のおかげで、月の山々の高さは、今日では完全にわかっている。ベアー、メドラー両氏は、一九〇五の山の高さを測った。そのうち六つの山が五〇〇〇メートル以上で、二二の山が四七〇〇メートル以上(モンブランの高さは四八一三メートル)ある。もっとも高い頂は、月面から六四〇〇メートルである。
同時に、月の調査が進められていった。月は火山の火口で|あばた《ヽヽヽ》のように見えていた。そして本質的に火山の性質をもっていることが、観測のたびに証明された。月によっておおわれた星の光線に屈折が見られないので、月には空気がほとんどないにちがいないという結論がくだされた。空気がなければ、必然的に水もない。それゆえ、こうした条件のもとで生活しているのだから、月世界人は、特別な器官をもち、地球の住人たちとはまったくちがっているにちがいない、ということがあきらかになってきた。
結局、新しい方法のおかげで、より完璧な望遠鏡ができあがり、月を休むことなく探ることができるようになったので、月の表面で探検されていないところは、まったくなくなってしまった。そして、月の直径は三四三〇キロメートル(つまり地球の直径の四分の一より少し多い)、表面積は、地球の表面積の一三分の一、体積は、地球という回転楕円体の四九分の一と測定された。しかし、天文学者たちは月について、どんな些細《ささい》なことでも、未知のままにしておくわけにはいかない。熟達した天文学者たちは、そのすばらしい観測をどんどん進めていったのである。
このようにして、学者たちは満月のときに、月面のある部分に白い線が縞模様《しまもよう》になって見られ、それ以外のときには、黒い縞模様が見られることに気づいた。めんみつに研究した結果、この線がなんであるか、正確に知ることができた。それは平行な線のあいだに掘られた、狭くて長い畝であった。そしてそれらはだいたいにおいて火山の火口のふちにまで達している。長さは、二〇キロメートルから二〇〇キロメートルぐらいあり、幅は一五〇〇メートルぐらいである。天文学者たちは、これらに『谷』という名をつけた。しかし、学者たちにできたことと言えば、こんなふうに名前をつけることだけであった。これらの『谷』が、むかし川であったところがかわいてしまった川床なのか、そうでないのかという問題については、完全な方法で解決することができなかった。だから、アメリカ人たちは、いつの日にか、この地質学上の問題にはっきりと決着をつけたいと思っていた。同様にして彼らは、ミュンヘンの博学なグルイトゥイゼン教授によって発見された、月の表面に平行してならんでいる一連の長城のようなものを実地調査することも、自分たちの仕事として留保しておいたのである。まだよくわかっていないこのふたつの点に関しては、そしておそらくこのようにはっきりしていないことがほかにもたくさんあるだろうが、こうしたことは、月と直接に行き来をしなければ、決定的に解明することはできないことなのだ。
月の光の強さについては、もはやすべてがわかっている。月の光度は、太陽の光度の三〇万分の一であり、月の熱は、温度計になんの反応も起こさせない。白色の光と言われて知られている現象については、地球から月に送られた太陽光線の反射であると説明されている。
以上が、地球の衛星について、現在までにわかっている知識である。ガン・クラブは、これらの知識を宇宙形状学的に、地質学的に、政治的社会的にも、あらゆる観点から補足しようと思い立ったのである。
六 合衆国において、無知でとおすわけにはいかないことと、もはや、信じてはいけないこと
バービケインの提案は、月に関するあらゆる天文学的な問題を、すぐさま人びとの話題にさせるという結果をひき起こしていた。だれも彼もが、月を熱心に研究しはじめたのだ。まるで、月がはじめて地平線に姿をあらわし、空に浮かんだ月をかいま見たひとが、それまでにひとりもいなかったかのようなさわぎだった。月は一躍、時代の寵児となった。そんなに肩で風をきって登場したわけではなかったが、花形となり、それほどいばっているわけではなかったが、『星』仲間の横綱の地位を占めたのである。新聞雑誌はこの『狼たちの太陽』〔月〕が活躍するむかしばなしをどんどんのせはじめた。原始時代の無知な人たちが、月がもっていると信じていた感応力を思い起こさせた。ありとあらゆる調子で、月が歌われた。もうちょっとのところで、月のしゃべった名文句まで引用しかねないほどであった。アメリカじゅうが、月にとりつかれてしまったのだ。
いっぽう、科学雑誌は、ガン・クラブの計画に関する特集をおこなった。ケンブリッジ天文台からガン・クラブに寄せられた書簡は、科学雑誌に解説つきで発表され、むやみやたらと称賛された。
一言にして言えば、いちばん学識のないヤンキーでも、自分たちの衛星に関することをひとつも知らないでは、もはやすまされず、もっとも視野のせまいオールドミスでも、月についてまちがった迷信をいだくことは許されなくなってしまったのだ。科学的知識はあらゆる形をとって、アメリカ人たちのところにとどいた。目からも、耳からもはいってきたのである。天文学について、無知蒙昧《むちもうまい》でいることができなくなったのだ。
そのころまで、多くのひとは、月と地球とのあいだの距離をどうやって計算するのか知らなかった。月に人びとの関心が集まっているチャンスを利用して、距離は月の視差の測定によってえられる、ということが教えられた。視差ということばが、人びとの耳なれないことばのように思われたので、つぎのように説明された。地球の半径の両端から月にまでまっすぐにひいた二本の線がつくる角度が視差である、と。この方法がはたして完璧なものかどうか疑われたので、この距離が三七万五〇五五キロメートルであることだけでなく、学者たちの計算の誤差は一一〇キロメートルしかないことも、ただちにしめされたのである。
月の運動についてよく知らない人たちにたいしては、新聞が毎日のように、月はふたつのちがった運動をしているということ、つまり、軸にたいしての自転と、地球のまわりの公転のふたつがあることを解説してくれた。そして、このふたつの運動は二七日と三分の一かかってなしとげられるものだということも。
自転することによって、月の表面に昼と夜ができる。しかし、月のひと月に、昼は一回しかなく、夜も一回しかない。反対側は、つねに見えないが、もちろん三五四時間の真っ暗闇がつづくのである。ただ、あの『星からふりそそぐ青白き光』によって、いくらかの温度をあたえられるにすぎない。この現象は、自転と公転の運動が、きっちりおなじ時間内になされるという特殊性のためにのみ起こるものである。カッシーニとハーシェルによれば、木星の衛星にもおなじ現象が見られるとのことである。ほかの多くの衛星にも、おそらくよくある現象なのであろう。
気っぷはいたっていいのだが、いささか強情な何人かの人たちは、最初、公転のあいだ月はつねにおなじ面を地球に向けているのだから、おなじ期間に、自分自身も一回転しているということが、すっかりのみこめなかった。そういう人たちには、つぎのような説明があたえられた。
「あなたの家の食堂にいきなさい。そして、いつも食卓の中心を見ているようにして、食卓のまわりをまわりなさい。食卓のまわりをひとまわりしたとき、あなたはあなた自身一回転したことになります。なぜなら、あなたの目は、部屋のあらゆる点をじゅんじゅんに、すべて見てしまったからです。いいですか、部屋が空で、テーブルが地球、そして、月があなたなのです!」
説明をきいた人たちは、このたとえ話におおよろこびするのであった。
つまり、月はたえず地球におなじ面を見せている。しかし、正確には、つぎのことをつけくわえなければならない。『秤動《ひょうどう》』と呼ばれている、北から南へ、西から東へと動く一連のかすかな動揺によって、月はそのまるい面の半分より少し多くわれわれに姿を見せている。つまりほぼ一〇〇分の五六を見せているのだ。
無知な人たちは月の自転運動についてケンブリッジ天文台の台長とおなじくらい知ってしまうと、地球のまわりをまわる公転運動のことをしきりに気にしはじめた。たくさんの科学雑誌が、科学に縁のない人びとを教育していたのだ。そして、つぎのようなことを学んだのであった。無数の星をもっている大空は、大きな時計の文字板と見なすことができる。この文字板の上を月がまわって、地球の全住民にたいして、正確な時刻を教えるのだということ。また月が、さまざまな相を見せるのも、この回転運動のためなのだということ。満月のとき、月は太陽と衝《しょう》の位置にいる。つまり月と地球と太陽がおなじ線にならび、地球がまんなかにいるのだということ。新月のときは、月は太陽と合《ごう》の位置にいる。つまり月が太陽と地球のまんなかにいるのだ。そして月が太陽と地球にたいして、直角の頂点にいるときは、月は上弦もしくは下弦となるのであるということなど。
何人かの炯眼《けいがん》のヤンキーたちは、つぎのような結論を述べたてた。『食』は、合《ごう》と衝《しょう》の時期にしか起こらない、と。この推論は正しい。合《ごう》のときには、月が太陽を食することができ、衝《しょう》のときには、地球が月を食することができる。こうした『食』が、太陰月に二度起こることがないのは、月が動いている面が黄道、つまり、地球が動いている面のほうに傾いているからである。
月が地平線上で達することができる高さについては、ケンブリッジ天文台の書簡が、すべてを言いつくしている。この高さは、観測地点の緯度によって変わるということは、だれしも知っていた。しかし、月が天頂を通過するのは、すなわち、観測者の真上にやってくるのは、地球上のある地域だけにかぎられている。二八度線と赤道とのあいだの地域だけなのである。それゆえ、砲弾が垂直に発射され、できるかぎり早く重力の作用からぬけだすためには、地球上のこの地域のどこかで実験をおこなわなければならない、という勧告はきわめて重要なものである。これこそ、計画を成功させるきめ手のひとつであり、世論をはげしく湧きたたせたのであった。
月が、地球のまわりを公転するときに通る線については、ケンブリッジ天文台があらゆる国の無知な人たちにもわかるように、ていねいに教えてくれた。この線は円ではなくて楕円で、地球がその中心になっている。こうした楕円運動は、すべての衛星がそうであるように、あらゆる惑星に共通のものである。純理的力学が楕円軌道以外の軌道はありえないということを、厳密に証明している。もちろん、月がその軌道の遠地点にあるとき、地球からもっともはなれていて、近地点にあるとき、いちばん近くにくるのだ。
以上のようなことを、すべてのアメリカ人が、程度の差こそあれ知ったのであり、知らないではすまされなかったのである。しかしこれらの正しい原理は、急速に大衆に理解されはしたが、まだ、多くのまちがいや、いわれのないおそれを根こぞぎにするのは、容易なことではなかった。
たとえば、こんなことを主張する人たちもいた。月はむかし彗星であって、太陽のまわりの軌道を流れているとき、たまたま、地球のそばを通りかかり、地球の引力にとらえられてしまったのだ、と。サロンの天文学者であるこの人たちは、こんなふうに月の燃えているように見える外見を説明できると主張した。光を発している星にひっかかったのが、彼らの取りかえしのつかないまちがいだった。彗星には空気があり、月には空気がほとんどないか、まったくないということを指摘してやっただけで、この人たちはなんと答えてよいやらわからなくなってしまった。
また、臆病者の仲間なのだろうが、月の場所について、ある種のおそれを表明した人たちもあった。カリフの時代になされた観測のときから、月の公転運動は、一定の比率で速くなってきている、ということをこの人たちは聞いたことがあるのだ。それゆえ、彼らはきわめて論理的に述べたてる。運動の速度上昇は、ふたつの天体の距離の縮小と対応しているにちがいない。この両作用が無限につづいて、結局、月はいつの日にか地球上に落ちてくるであろう、と。しかしながら、名高いフランスの数学者ラプラスの計算によって、月の運動の速度上昇はきわめてかぎられた範囲内のものであり、まもなくそれ相当の速度減少があるだろう。したがって、太陽系の均衡はきたるべき数世紀ののちも、みだされることがないのだということを知って、この人たちも安心し、未来の世代のことを心配するのをやめたにちがいない。
また、無知で迷信にとらわれている人びともいた。この人たちは、無知であることに甘んじているわけではない。ありもしないことを知っているのだ。月についても、荒唐無稽《こうとうむけい》なことをじつによく知っていた。ある人たちは、月のまるい面を、よくみがかれた鏡だと見なしていた。この鏡を使えば、地球のさまざまな地点から、たがいに姿をみとめあうこともできれば、考えを伝えあうこともできるというのだ。また、ある人たちは、新月を一〇〇〇回観測すると、地核の大変動とか、季節の循環とか、地震とか、大洪水といった、九五〇のいちじるしい変化が見られると主張していた。それゆえ、月の神秘的な影響が人類の運命におよぼされているのだと、この人たちは信じていた。月を人間の『真の分銅』と見なしていたのだ。ひとりひとりの月世界人が、それぞれひとりひとりの地球の住人と共感の|きずな《ヽヽヽ》で結ばれている、と考えていたのだ。男の子はとくに新月のときに生まれ、女の子は下弦のときに生まれる、とか、いろいろなことを言って、生命の組織は完全に月に従属している、とミード博士とともに、かたくなに主張した。しかし結局、このような通俗的なあやまりを捨て、ただひとつの真理に立ちもどらなければならなかった。影響力を奪われた月は、おべっか使いの心のなかで、あらゆる権力を失ったし、また何人かは真理に背を向けたけれど、圧倒的多数の人びとが、真理を支持したのだ。ヤンキーたちはどうかと言えば、宇宙のこの新大陸を手に入れ、そのいちばん高い頂に、アメリカ合衆国の星条旗を立てること以外に、なんの野心ももっていなかった。
七 砲弾讃歌
ケンブリッジ天文台は、一〇月七日付の、あの記憶さるべき書簡で、天文学上の問題を解明してくれた。そこでこんどは、技術的にそれを解決することが問題となった。アメリカにおいても、ほかのすべての国と同様、実際に生じる障害はのりこえることができないと思われていた時代のことである。まさに賭《かけ》以外のなにものでもなかった。
バービケイン会長は時をうつさず、ガン・クラブの中枢に、実行委員会をもうけた、この委員会は、三つの会議で、三つの大問題、つまり大砲と砲弾と火薬の問題を解明しなければならなかった。委員会はこうした問題について、非常に博学な四人の会員によって構成された。バービケイン──賛否同数の場合には裁決権をもつ──と、モーガン将軍、エルフィストン少佐、そして、かのJ=T・マストンの四人である。マストンは秘書役、つまりスポークスマンの役目をおおせつかった。
一〇月八日、委員会は、共和国街三番地にあるバービケイン会長の家で開かれた。この会議は、きわめて重要であったので、胃袋が音をたてて、このような真剣な討議をかきみださないようにと、四人のガン・クラブ会員がついたテーブルには、山盛りのサンドイッチと、大きな紅茶わかしがおかれてあった。J=T・マストンはすぐに、彼の手のかわりをしている鉄の鉤《かぎ》にペンをひっかけた。会議がはじまった。
バービケインが口をきった。
「親愛なる同僚諸君、われわれは発射術のもっとも重要な問題を解決しなければなりません。発射術は、発射体の運動を取りあつかう最高の科学であります。つまり、なんらかの爆発力で物体を空間に打ちあげ、それから、その物体自体に推進力をあたえるのです」
「すばらしい! 発射術か! 発射術!」とJ=T・マストンが感動した声でさけんだ。
バービケインはつづけた。「おそらく、この第一回の会議は、発射装置の討議にあてるほうがより論理的だと思われますが……」
「そのとおりだ」と、モーガン将軍が口をはさんだ。
「しかし、よく考えてみた結果、砲弾の問題を、大砲の問題に優先させるべきだと思いました。大砲の大きさは砲弾の大きさにしたがって決定さるべきですから」
「わたしにもひとこと言わせてください」と、J=T・マストンがさけんだ。
マストンの輝かしい経歴がものを言って、発言はただちに許可された。
「勇敢なる諸君」とマストンは、うわずった調子で言った。「会長が、砲弾の問題を、ほかのあらゆる問題に優先させようと提案されたことは、まことに、もっともしごくなことであります。われわれが月に向かって打ちあげようとする砲弾こそ、われらの使者であります。われら人類の大使なのです! ですから、砲弾を、純粋に精神的な見地から考察することをお許し願いたいのです」
砲弾に関する、この突飛な発言は、委員会のメンバーたちの好奇心を奇妙に刺激した。そこで一同はJ=T・マストンのことばに全神経を集中させた。
「同僚諸君、簡単に申しましょう。殺人兵器としての砲弾、物理的な砲弾については何も申しますまい。わたしが言いたいのはただ、数学のうえでの砲弾、精神的な意味での砲弾なのです。砲弾こそわたしにとっては、人類の力をしめす、もっとも輝かしいデモンストレーションなのです。砲弾にこそ、人類の力をすべて凝縮できるのです。さればこそ、砲弾を創造することによって、人類は創造者たる神にもっとも近づくことができるのです!」
「いいぞ!」とエルフィストン少佐があいの手を入れた。
「事実、神が恒星と惑星をおつくりになられ、人間が砲弾をつくったのですから、速度の基準とか、空間をさまよう天体の整理は、まさに砲弾以外のものにはできないことなのです。電気の速度、光の速度、恒星の速度、彗星の速度、惑星の速度、衛星の速度、音の速度、風の速度、これらは神がつくりたもうたものです。しかし、われらは砲弾の速度をつくりだしたのです。汽車や、もっとも速い、馬の速度の一〇〇倍も、すばらしい砲弾の速度を!」
J=T・マストンは無我夢中だった。砲弾にささげたこの讃歌をうたいあげるマストンの声は、抒情的なひびきをおびていた。
「数字でしめしましょうか?」と、マストンはつづけた。「数字というやつはまったく雄弁だ! 仮に一一キログラムの重さの、ささやかな砲弾について考えてみましょう。この砲弾は電気よりも八〇万倍遅い。太陽のまわりを公転するときの地球よりも七六倍遅い。しかしながら、大砲から発射されるときには、音速をこえるのです。(だから大砲の発砲音を耳にしたら、もはやその弾丸にあたることはないわけだ)秒速三九〇メートル、一〇秒間で三九〇〇メートル、分速二三・四キロメートル、時速一万四〇四〇キロメートル、日に三三万六九六〇キロメートル、つまり、地球の自転運動における赤道点の速度です。年に一億二二九九万四〇〇キロメートルとなります。ですから一一日で月に達し、一二年で太陽に、三六〇年で、太陽系のさいはてにある海王星に到達します。われわれの手でつくった、あのささやかな砲弾に、これだけのことができるのです! ですから、この速度を二八倍にして秒速一万一〇〇〇メートルの速さで砲弾をぶっぱなすことができるようになるのも、時間の問題なんです! ああ、すばらしい砲弾よ、卓越せる発射体よ! おまえが天のかなたで、地球からの大使として歓迎されるのを思い浮かべると、わたしはうれしくてたまらないんだ!」
一同は「うわあっ!」という|とき《ヽヽ》の声をあげて、このおおげさな演説を祝福した。J=T・マストンは、すっかり感動して腰をおろした。
「さて」と、バービケインが言った。「われわれは詩のためにだいぶ時間をさきました。さっそく、問題を攻撃しましょう」
「用意はできています」と、委員会のメンバーたちは、みな、サンドイッチを半ダースほど口につめこみながら答えた。
「解決しなければならない問題がなんであるか、諸君も承知しておられることと思う」と、会長はことばをつづけた。「発射体に、秒速一万一〇〇〇メートルというスピードをあたえてやるということだ。われわれは、きっとうまくやることができる、とわたしは考えています。しかし、まず第一に、現在までにわれわれのものとなしえた速度を、検討してみましょう。この点に関しては、モーガン将軍が説明してくださるでしょう」
「おやすいご用です。戦争中、わたしは実験部隊におりましたからな」と、将軍が答えた。「五〇〇〇メートルの射程距離をもつダールグリーン砲は、秒速四五〇メートルの初速度を砲弾にあたえておりました、と申しあげておきましょう」
「よくわかりました。で、コロンビアード・ロドマン砲は?」と、会長がたずねた(アメリカ人たちは、この巨大な破壊兵器にコロンビアードという名をつけていた)。
「コロンビアード・ロドマン砲は、ニューヨークのそばのハミルトン砦で試射されたとき、秒速七二〇メートルで、九・六キロメートルの地点に、半トンの重さの弾丸をぶちこみました。これは、イギリスのアームストロング砲やバリサー砲がかつてなしえなかったところのものです」
「ほう、イギリス人たちがね!」と、そのおそろしい鉤《かぎ》を東の地平線のほうに向けてJ=T・マストンが言った。「それでは、その七二〇メートルとやらが、現在までに到達した最高速度なのですか?」と、バービケインがかさねてたずねた。
「そうです」と、モーガンが答えた。
「だが、もしわたしの臼砲が爆発しなかったなら……って言いたいんだがな」と、J=T・マストンが口をはさんだ。
「そのとおり。しかし、それは爆発してしまったのです」と、好意にあふれた身ぶりをして、バービケインが答えた。「よろしい、それでは、発射時の速度は七二〇メートルとしておきましょう。その速度は二〇倍にしなければならない。ですから、この速度をつくりだす方法についての討議はべつの機会にゆずるとして、わたしは、親愛なる同僚諸君の注意を、砲弾をどのくらいの大きさにしたらよいか、という点に喚起したい。諸君もじゅうぶん考えておられることでしょうが、今回は、せいぜい半トンぐらいの砲弾では問題にならんのです!」
「どうしてです?」と、少佐がたずねた。
「どうしてって、この砲弾は、月の住人たちの注意をひきつけるためにじゅうぶんなほど、大きくなくちゃあならないものな。もっとも、月にひとが住んでいたらの話だが」と、J=T・マストンがきおいこんで答えた。
「そうです。しかし、もっと重要なほかの理由のためもありますがね」と、バービケインが答えた。
「それはどういう意味ですか、バービケイン?」と少佐がたずねた。
「発射体を送りこんでしまえば、あとのことはどうなってもかまわない、というわけにはいかない、ということが言いたいのです。われわれは、発射体が目的の地点に到達するときまで、発射体を追跡する必要があるのです」
「なるほど」と、将軍と少佐はこの意見にいささかおどろいて、うなり声をあげた。
「おそらく」と、信念のひとバービケインは、ことばをつづけた。「おそらく、もしそうしなかったならば、われわれの実験はなんの意味ももたないものになるでしょう」
「それでは、あなたは、発射体を巨大なものにしようとお考えなのですかな?」と、少佐がたずねた。
「そうではありません。わたしの言うことをよく聞いてください。ごぞんじのように、光学器械はいちじるしい発達をとげています。ある種のテレスコープを使えば、すでに六〇〇〇倍に拡大することができる段階にきています。つまり、月をほぼ六四キロメートルのところにまでもってくることができるのです。ところで、これだけの距離ですと、側面が一八メートルある物体なら、完全に見ることができます。テレスコープの可視距離をこれ以上のものにすることができなかったのも、可視距離をのばそうとすれば、テレスコープの明るさを犠牲にしなければならないからなのです。そのうえ、月は、反射鏡にすぎないのですから、この限界をこえて拡大して見るのにじゅうぶんなほどの光を発していないのです」
「わかった! で、どうなさるおつもりじゃな?」と、将軍がたずねた。「発射体の直径を一八メートルにされるのかな?」
「とんでもない!」
「じゃあ、月の光をもっと明るくしようと、なさるのかね?」
「そのとおりです。」
「ひゃあ。こいつはすごい!」と、J=T・マストンがさけんだ。
「そう、まったく簡単なことです」と、バービケインは答えた。「つまり、月の光が通ってくる空気の層の厚さをうすくさえできれば、月の光をより強くすることができるのではありませんか」
「そのとおりだ」
「ですから、そうするには、どこかの高い山の上にテレスコープを設置するだけでいいのです、われわれがすることは」
「まいった、降参するよ」と、少佐がシャッポをぬいだ。「あなたは物ごとを簡単にしてしまう才能をもっている!……で、そんなぐあいにやると、どのくらいの倍率が期待できるのですか?」
「四万八〇〇〇倍です。つまり、月をほんの八キロメートルのところにもってくることができます。ですから、物体は直径二・七メートルもあればじゅうぶん見ることができます」
「よしきまった!」とJ=T・マストンがさけんだ。「じゃあ、われらの発射体の直径は二・七メートルにしましょう」
「正確にね」
「だが、ちょっと待ってください」と、エルフィストン少佐が口をはさんだ。「重さのほうはいったいどうなるのですか? それに……」
「そうでした、少佐」と、バービケインはすかさず答えた。「しかし、重量の問題を討議するまえに、われらの祖先が、この分野ですばらしい成果をあげていることを話させてください。発射術は進歩していない、などと主張するつもりはありませんが、とにかく、中世のころ、すでにおどろくべき成果をあげていることを知っておくのもいいことでしょう。あえてくりかえしますが、現代のよりも、もっとおどろくべき成果なのです」
「まさか!」モーガンは信じなかった。
「例をあげて証明してください」と、J=T・マストンはきおいこんで言った。
「おやすいご用です」とバービケインは答えた。「わたしの言ったことを証明する実例はいくつもあります。マホメット二世がコンスタンチノーブルを支配していたとき、つまり一四五三年に、重さ八五五キログラムの石の砲丸が発射されています。かなり大きなものであったにちがいありません」
「へえ! 八五五キログラムか、こいつはすごい」と、少佐が感心した。
「マルタ島では、騎士道はなやかな時代に、サン=テルム砦の大砲が、一一二五キログラムの重さの砲弾を発射しました」
「まさか!」
「フランスの歴史家によれば、ルイ一一世の治世のとき〔一四六一〜八三〕、臼砲が打ちあげた爆弾は、ほんの二二五キログラムしかありませんでした。しかしこの爆弾は狂人どもが賢い人たちを閉じこめていたバスティーユから打ちだされ、賢い人たちが狂人どもを閉じこめているシャラントン〔バスティーユは政治思想犯が収容されたむかしの牢獄のあったところ。シャラントンは有名な精神病院のあるところ。バービケインの洒落である〕に落ちたのです」
「そいつはいい!」と、J=T・マストンが言った。
「それ以後、いったい、われわれはどんなことを見てきたでしょうか? アームストロング砲は二二五キログラムの弾丸を、コロンビアード・ロドマン砲は半トンの砲弾を発射するだけではないのですか! だから、砲弾の射程距離はのびたでしょうが、重量については、むしろ退歩したように思われるのです。ところで、われわれが、砲弾の重量をますことに努力すれば、科学も進歩しているのですから、マホメット二世や、マルタ島の騎士たちの弾丸の重量を、一〇倍にすることは簡単にできるにちがいありません」
「もちろんです」と、少佐が答えた。「しかし、発射体にどんな金属を使用するお考えですか?」
「ふつうの鋳鉄だ」と、モーガン将軍が言った。
「ええ? 鋳鉄だって?」あきれたようにJ=T・マストンがさけんだ。「月にいく砲弾にしちゃ、ありふれすぎてますよ」
「おおげさに考えるのはよそう、いいかね、きみ。鋳鉄でじゅうぶんだろう」と、モーガンが答えた。
「よろしい、でも、だとすると、重量は大きさに比例するから、直径二・七メートルの鋳鉄の弾丸となると、おそろしい重さになってしまう!」と、エルフィストンが言った。
「そうです、そのなかがつまっていればね。しかし、なかが空洞であればたいしたことはありません」と、バービケインが言った。
「空洞ですって? じゃあ、空洞砲弾になるのですか?」
「郵便物や、地球の物産品の見本をのせることができるぞ」と、J=T・マストンが半畳《はんじょう》を入れた。
「そうです、空洞砲弾です」と、バービケインが答えた。「ぜったいにそうしなければなりません。二・七メートルのなかがつまった弾丸は、九万キログラム以上の重さになるでしょう。どう見てもこれでは重すぎる。とはいえ、砲弾にじゅうぶんな堅牢さをもたせなければなりませんから、わたしとしては、二二五〇キログラムの重さにしたいと思っています」
「外壁の厚さは?」と、少佐がたずねた。
「規定どおりの割合でいくと、二・七メートルの直径は、少なくとも六〇センチメートルの外壁を要求するでしょうな」と、モーガンが答えた。
「それではあまりにも厚すぎます」と、バービケインが言った。「よく注意してください。装甲板をぶちぬくための弾丸を、いま問題にしているのではないのです。ですから、火薬が発するガスの圧力にたえられる外壁でじゅうぶんなのです。つまり、問題はこうなります。鋳鉄の空洞砲弾が九〇〇〇キログラムの重量をこえないためには、厚さをどのくらいにしなければならないか? われらの計算の名人マストン君、すぐに計算してみてください」
「おやすいご用です」と、委員会の勇ましい秘書役は答えた。
そしてすぐに、いくつかの代数の公式を紙に書きつけた。ペンの下から、κやχの自乗があらわれてきた。マストンは、それには触れずに、何かの立方根を開いているようであった。
「外壁は、かろうじて五センチメートルの厚さになります」
「そんな厚さでいんですか?」と、少佐が疑わしげにたずねた。
「だめです」と、バービケイン会長は答えた。「もちろん、だめです」
「じゃあ、どうするんです?」と、エルフィストンがかなり困ったような顔でたずねた。「鋳鉄以外の金属を使うのです」
「銅ですか?」と、モーガンが言った。
「ちがいます。銅もまた重すぎます。もっとすばらしいものを提案しなければなりません」
「いったいそれはなんです?」と、少佐が言った。
「アルミニウムです」と、バービケインは答えた。
「アルミニウムだって!」三人は異口同音にさけんだ。
「たぶん、そうなるでしょう。諸君もごぞんじのように、フランスの著名な化学者アンリ・サント=クレール・ドゥヴィル〔一八一八〜八一〕は、一八五四年にアルミニウムを密度の高い塊として、取りだすことに成功しました。さて、この貴重な金属は、銀のように白く、金のように不変質性をもち、鉄のような強靱さと、銅の不溶性と、ガラスの軽さとをもっています。簡単に加工することができます。あらゆるところに広く埋蔵されています。アルミナが大部分の岩石の塩基をなしているのですから。アルミニウムは、鉄の三倍も軽いのです。われらの砲弾の材料をわれわれに供給するために、わざわざ創られたようにさえ思われるのです!」
「アルミニウムばんざい!」と、いつも感情が高まってくるとさわがしくなる、委員会の秘書役がさけんだ。
「しかし、会長」と、少佐が言った。「アルミニウムの原価はものすごく高いのではないですか?」
「むかしはそうでした」と、バービケインは答えた。「発見の初期のころには、四五〇グラムのアルミニウムが、二六〇から二八〇ドルしました。それから二七ドルにさがり、現在はとうとう九ドルにまでさがっています」
「でも、四五〇グラムが九ドルもするんじゃあ、けっこうたいへんな値段だ!」と、簡単にはひきさがらない少佐が言いかえした。
「たぶんそうでしょう、少佐どの。しかし手が出ないというほどのものでもない」
「いったい砲弾の重量はどれだけになるのだね?」と、モーガンがたずねた。
「わたしが計算したところによれば」と、バービケインは答えた。「直径二・七メートル、厚さ三〇センチメートルの砲弾は、鋳鉄だとすると三万三四六キログラムになります。アルミニウムですと、八六六三キログラムにまでさがります」
「よし、きまった!」と、マストンがさけんだ。「具体的なスケデュールに移ろう」
「よし、きまった! そうしよう!」と、少佐もあいづちを打った。「しかし、四五〇グラムが九ドルとして、この砲弾の値段は……」
「一七万三二五〇ドルです。完全にわかっています。だが、心配はいりません。諸君、われわれの計画に資金がたりなくなることはないでしょう。わたしが諸君にたいして責任をもちます」
「金は金庫に降ってくるさ」と、J=T・マストンがまぜっかえした。
「さて、諸君はアルミニウムの使用について、どうお考えになりますか?」と会長が質問した。
「異議なし」と、三人の委員会のメンバーは答えた。
「弾丸の形については」と、バービケインはことばをつづけた。「たいした問題はありません。空気の層をすぎると、発射体は、真空の空間にはいってしまうのですから。そこで、わたしは球形の弾丸を提案します。球形だと、もししたくなったら、自転することもできますし、思いのままに行動できるでしょうから」
かくして、委員会の第一回の会議は幕を閉じた。発射体の問題は、最終的に決定された。J=T・マストンは、月世界人たちに、アルミニウムの弾丸を送るのかと思うと、うれしくてたまらなかった。『やつらに、地球人のすばらしい考えを知らせてやれるんだからな!』
八 大砲の話
第一回の会議で決定されたことは、大きな反響をまき起こした。気の小さい連中は、九〇〇〇キログラムもある砲弾を空間に打ちあげるなどという考えに、いささかおそれをなした。どんな大砲を使ったら、このような巨大なものに、じゅうぶんな初速度を伝えることができるだろうか、と、人びとはいぶかった。委員会の第二回目の会議の議事録が、こうした疑問にたいして、勝ち誇って答えたにちがいない。
翌日の夜、ガン・クラブの四人の会員は、またもやサンドイッチの山のまえ、お茶の大洋のほとりに腰をおろした。討議がただちにはじめられた。今回はもう、前置きなしである。
「親愛なる同僚諸君」と、バービケインが言った。「これから、建設すべき発射装置について、その長さ、形態、組立て、重量などを検討したいと思います。その発射装置は、おそらく巨大なものになるであろうと思われますが、困難はいかに大であっても、われわれの工業力をもってすれば、容易にのりきれることでしょう。それゆえ、どうかわたしの意見をよく聞いてください。そして、どしどし率直に反対意見をおっしゃってください。わたしは反対意見をおそれてはいませんから」
「うーうー」といううなり声で、この言明に賛意がしめされた。
「昨日の討議で、われわれはどこまで進んだか、忘れないようにしましょう。いまや問題はつぎの点にしぼられています。つまり、秒速一万一〇〇〇メートルの初速度を、直径二・七メートル、重量九〇〇〇キログラムの空洞砲弾にあたえることであります」
「そうだ、まったくそれが問題なんだ」と、エルフィストン少佐が答えた。
「さきをつづけます」と、バービケインは言った。「発射体が空間に打ちだされたとき、どんなことが起こるでしょうか? 発射体は、媒質の抵抗、地球の引力、それによって動かされている推進力という、三つの異なった力の作用を受けます。この三つの力を、検討してみましょう。媒質の抵抗、つまり、空気の抵抗のことですが、これはそれほど重要ではないでしょう。事実、地球の空気は、六四キロメートルのところまでにしかないのですから。そのうえ、一万一〇〇〇メートルの速度で進めば、発射体は五秒で通過してしまいます。五秒という時間は、媒質の抵抗を無意味なものと見なしてもいいほど、短い時間です。そこで地球の引力に移りましょう。つまり、空洞砲弾の重量です。この重量は、距離の自乗に反比例して減少するということを、われわれは知っています。事実、物理学はつぎのことをわれわれに教えています。ある物体を地球の表面に落とすと、最初の一秒で四・五メートル落ちるが、この物体を四一万二四二七キロメートルはなれたところ、つまり、月のあるところまでもってゆくと、落下距離は、最初の一秒に一ミリメートルにまで減少してしまう、というのです。ほとんど動かないということになります。それゆえ漸進的にこの作用に打ち勝てばよいのです。どうしたらそうすることができるでしょうか? 推進力によって解決できます」
「それはむずかしいことだ」と、少佐が答えた。
「まさに難問題です」と、会長はうなずいた。「しかし解決することができると思います。なぜなら、われわれが必要としている推進力は、発射装置の長さと火薬の使用量によってきまります。そして、火薬の使用量は、発射装置の耐久力によってしか、制限をうけないのですから。それゆえ、きょうは、大砲にどんな大きさをあたえるか、という点に問題をしぼろうではありませんか。もちろん耐久力については、いわば無限に耐久力をもたせることができるという条件で、大砲を設置することができます。機動性をもたせないのですから」
「まったくそのとおりじゃ」と、将軍があいづちを打った。
「現在までのところ、もっとも長い大砲は、われわれの巨大なコロンビアード砲ですが、これとて長さは七・五メートルをこえません。ですから、われわれが採用しなければならない大きさは、多くの人びとをおどろかせることになるでしょう」
「そりゃそうさ!」と、J=T・マストンがさけんだ。「わたしとしては、少なくとも一五〇メートルはほしいな!」
「一五〇メートルだって?」少佐と将軍はとびあがった。
「そうさ! 一五〇メートルだ。それでもまだ短かすぎるくらいだ」
「マストン君、話をおおげさにしちゃいかん」と、将軍がたしなめた。
「いやだ!」と、熱しやすい秘書役は言いかえした。「なんだってあなたはわたしの|おおげさ《ヽヽヽヽ》を非難なさるんですか? まったくわからないな」
「きみのは|いきすぎ《ヽヽヽヽ》なのだ!」
「いいですか、将軍」と、J=T・マストンはもったいぶって答えた。「砲兵は弾丸のようなものです。いきすぎるなんてことは金輪際《こんりんざい》ないのです」
議論は個人的なことになってしまった。が、会長がなかにはいった。
「落ちついてください、諸君。よく考えてみましょう。大きな砲身をもつ大砲が必要であることは明白です。なぜなら、大砲の長さが、砲弾の下にたまったガスの膨張をますでしょうから。しかし、それとて、ある限界をこえるのはむだなことです」
「そのとおり」と、少佐が言った。
「このような場合、どんな方式が使われているのでしょうか? 一般に、大砲の長さは、弾丸の直径の二〇倍から二五倍であり、重さは、弾丸の重さの二三五倍から二四〇倍となっています」
「それじゃたらん」と、J=T・マストンがはげしくさけんだ。
「わたしもきみと同意見だ。事実、この割合でいくと、幅二・七メートル、重さ九〇〇〇キログラムの発射体のためには、発射装置は、長さ六七・五メートル、重さ三二四万キログラムですんでしまう」
「そんなばかな」と、J=T・マストンが口ぞえした。「ピストルみたいなものになってしまう!」
「わたしもそう思う」と、バービケインは答えた。「それゆえ、この長さを四倍にして、二七〇メートルの大砲をつくりたいと思っています」
将軍と少佐はいくつか反対意見を述べた。しかし、それでも、ガン・クラブの秘書役が熱烈にこの提案を支持したので、最終的には採用されてしまった。
「ところで、外壁の厚さはどのくらいにするのですか?」と、エルフェイストンが言った。
「厚さは一・八メートルです」と、バービケインは答えた。
「おそらく会長も、そのように大きなものを砲架にのせることができるとは、お考えになっておられないでしょうね?」と、少佐がたずねた。
「だが、そうなったらすごいだろうなあ!」と、J=T・マストンが言った。
「しかし、実際的ではありません」と、バービケインは言った。「砲架にのせるのではなくて、この装置は、地面そのものを鋳型にして流しこもうと考えています。そして鋼鉄の箍《こ》をはめ、最後に、石と石灰でそのまわりを厚く塗りかためてしまうのです。こうすれば、耐久力をすべて、付近の大地とわかちもつことになります。鋳造がすむと、砲身の内腔は、砲弾と砲身とのあいだに遊隙《ゆうげき》ができないようにていねいに磨《みが》かれ、口径がきめられます。こうすれば完全にガスの漏出がふせげますから、火薬の膨張力をすべて推進力に使うことができます」
「うお! うお! 大砲ができたぞ!」と、J=T・マストンが閧《とき》の声をあげた。
「まだ、まだ!」と、バービケインは気の早い友人を制止した。
「どうしてです?」
「われわれは、発射装置の形についてまだ討議していません。大砲《キャノン》、曲射砲《オピュジェ》、それとも臼砲《モルチェ》にしましょうか?」
「大砲《キャノン》」と、モーガン。
「曲射砲《オピュジェ》」と、少佐。
「臼砲《モルチェ》だ!」と、J=T・マストンがさけんだ。
あらたな議論がかなりはげしくはじまった。めいめいが自分の主張する形がすぐれているということを、とうとうとまくしたてた。ころあいを見て、会長はきっぱりと議論に終止符を打った。
「諸君、わたしは諸君三人の意見にみな賛成します。われわれのコロンビアード砲は、同時に、それら三つの砲の機能をもつことになるでしょう。薬室が内腔とおなじ直径をもつことになるでしょうから、それは大砲《キャノン》であります。空洞砲弾《オビユ》を発射するのですから、それは曲射砲《オピュジェ》であります。そして、九〇度の角度に向けられ、後座せず、地面にしっかりと固定され、砲身に蓄積された推進力のすべてを発射体に伝えるのですから、それは臼砲《モルチェ》であります」
「賛成! 賛成!」と、委員会のメンバーたちは口ぐちに答えた。
「ちょっとうかがいますが」と、エルフィストンが言った。「その曲射臼大砲《キャン・オピュゾ・モルチェ》の砲身内にはラセン状のみぞをつけるのですか?」
「いや、つけません」と、バービケインは答えた。「われわれは莫大な初速度を必要としています。ごぞんじのように、施条砲から発射された弾丸は、なめらかな内腔の大砲から発射された弾丸よりかなり遅くなります」
「まさにそうだ」
「とうとう、大砲ができたぞ、こんどこそは!」と、J=T・マストンがくりかえした。
「まだ、完全にとはいきません」と、会長が言いかえした。
「なぜです?」
「まだ、どんな金属でつくるかがわかっていません」
「さっそくそれをきめよう」
「そのことを提案しようとしていたのです」
委員会の四人のメンバーは、それぞれサンドイッチを一ダース食べ、お茶をボールにいっぱい飲んだ。議論が再開された。
「同僚諸君」と、バービケインが言った。「われわれの大砲は、非常な強靱性と硬度とをもっていなければなりません。熱に溶けず、酸の腐食作用にたいして、溶解も酸化もしてはならないのです」
「その点に関しては、疑いをさしはさむ余地がありませんね」と、少佐が答えた。「莫大な量の金属を使わなければならないときには、なんでもいいというわけにはいかないですからな」
「よろしい!」と、モーガンが言った。「じゃあ、コロンビアード砲を製造するにあたっての、現在までにわかっている、もっともよい合金を提案しましょう。それはつまりですな、銅が一〇〇にたいして、錫が一二、真鍮が六という合金です」
「諸君」と、会長は答えた。「この組成がすばらしい結果をもたらしたことは、わたしもみとめます。しかし、材料として高価すぎるし、あつかいもたいへんむずかしい。ですから、すぐれているが廉価な、つまり、鋳鉄のような材料を採用すべきであると考えます。少佐、あなたも同意見ではないのですか?」
「そのとおりです」と、エルフィストンが答えた。
「事実」と、バービケインはことばをつづけた。「鋳鉄は青銅より一〇倍も安い。溶解するのもやさしい。砂の鋳型に簡単に流しこめます。取りあつかいが簡単です。ですから、お金と時間とを、同時に節約することができる。そのうえ、この材料はすぐれた性質をもっています。戦争中、アトランタを包囲したときのことですが、鋳鉄の大砲は、二〇分おきに一〇〇〇発撃ってもだいじょうぶだったことを、わたしはおぼえています」
「しかし、鋳鉄はたいへんもろい」と、モーガンが答えた。
「そのとおりです。しかし、たいへん硬くもある。爆発するようなことはないでしょう。わたしが責任をもちます」
「あたってくだけよ、か」と、J=T・マストンが格言めかして言った。
「もちろんです」と、バービケインが答えた。「わたしは、われらの信頼すべき秘書役に、計算をおねがいしたい。長さ二七〇メートル、内径二・七メートル、外壁の厚さ一・八メートルの大砲の重さを」
「ただいますぐ」と、J=T・マストンは答えた。
そして、前日と同様、おどろくべき器用さで公式を書きならべ、一分間ののちに、
「その大砲の重さは、六万八〇四〇トンとなります」と、答えた。
「一セントで二二五グラム買えるとすれば、いくらになりますか?」
「二五一万七〇一ドルになります」
J=T・マストンと、少佐と、将軍は、不安な表情で、バービケインを見つめた。
「けっこうです!」と、会長は言った。「わたしはきのう諸君に申しあげたことをくりかえしましょう。安心してください。数百万ドルぐらいなんとかなります!」
会長のこの保証をえて、委員会は会議の幕を閉じた。翌日、第三回目の会議を開くことを約束して。
九 火薬の問題
火薬の問題を俎上《そじょう》にのせることが残されていた。一般のひとは、気づかわしげにこの最後の決定を心待ちにしていた。発射体の大きさと大砲の長さがきまっている場合、発進させるにはどれだけの量の火薬が必要であろうか? おそろしいことではあったが、その効果を人間によって知りつくされた作動力が、異例の割合で、その役割をはたすべく、ひきずりだされようとしていた。
火薬は一四世紀に、修道士シュヴァルツによって発明され、シュヴァルツは自分の大発見を生命《いのち》をもってあがなった、ということが一般に知られており、また好んでくりかえされている。しかし今日では、この話は中世の伝説のひとつにすぎないということが、ほとんど証明されている。火薬は個人によって、発明されたものではない。火薬とおなじように、硫黄《いおう》と硝石《しょうせき》の化合物であるギリシア焔硝《えんしょう》〔むかし敵艦などに火をかけるのに用いた薬〕から、直接に誘導されたものである。ただ、中世以後、それまではたんなる炸裂《さくれつ》する混合物であったのが、爆発する混合物にかわったにすぎない。しかし、物知りたちは、このいつわりの火薬の話を完全に知ってはいるが、火薬の力学的な力に精通している人たちはほとんどいない。ところで、委員会にゆだねられた問題の重要性を理解するためには、火薬の力学的な力を知らなくてはならないのだ。
さて、一リットルの火薬は、ほぼ九〇〇グラムの重さをもっている。この一リットルの火薬を燃やすと、四〇〇リットルのガスが生じる。このガスに二四〇〇度の高熱をくわえると、四〇〇〇リットルの空間にいっぱいになる。つまり、火薬の量と突熱によってつくられたガスの量の比は、一対四〇〇〇である。このガスを四〇〇〇倍せまい空間に圧縮すると、このガス推進力はおそるべきものになる。
翌日、委員会のメンバーたちが会議を開いたとき、以上述べたことは、全員が完全に知っていた。バービケインは、エルフィストン少佐に発言をもとめた。少佐は戦争中、火薬本部長であった。
「諸君」と、すぐれた化学者である少佐は言った。「わたくしはまず、基礎になる、拒否することができない数字から申しあげようと思います。一一キログラムの弾丸は、──一一キログラムの弾丸については、一昨日、われらのマストン君が非常に詩的なことばで話してくれましたが、その一一キログラムの弾丸を砲口から発射させるのには、たった七・二キログラムの火薬でいいのです」
「数字にまちがいありませんか?」と、バービケインがたずねた。
「絶対にありません」と、少佐は答えた。「アームストロング砲は、三六〇キログラムの砲弾のために、三三・七五キログラムの火薬しか使いませんし、コロンビアード・ロドマン砲は、半トンの弾丸を九・六キロメートルの地点に届かせるために、六二キログラムの火薬しか消費しないのです。これらの事実には、疑いをさしはさむ余地がありません。なぜなら、砲兵司令部の記録調書に記載したのが、ほかならぬこのわたくし自身なのですから」
「申しぶんない」と、将軍がうなずいた。
「ところで」と、少佐はことばをつづけた。「これらの数字からひきだしうる結論は、火薬の量は弾丸の重さに比例して増加しない、ということです。事実一一キログラムの弾丸に七・二キログラムの火薬が必要だとしても、べつのことばで言えば、ふつうの大砲で、砲弾の重さの三分の二の火薬を使うとしても、この比率は一定ではないのです。計算してごらんなさい。そうすれば、半トンの弾丸には、一五〇キログラムもの火薬が必要ではなく、たった六二キログラムですんでしまうことが、おわかりになると思います」
「結局どうだと言われるのですか?」と、会長がたずねた。
「少佐どの」と、J=T・マストンが言った。「あなたの理論をとことんまでおし進めてゆくと、弾丸がじゅうぶんに重くなると、まったく火薬を使わなくていいってことになりますな」
「マストン君は、まじめな事柄までしゃれのめしてしまうのがお好きなようですね」と、少佐は言いかえした。「だがご安心ください。すぐに、マストン君の砲兵としての自尊心を満足させられるだけの、火薬の量を提案しますから。ただわたくしは、戦争中、もっとも大きな大砲における火薬の量が、実際にためしてみた結果、弾丸の重さの一〇分の一にまで減少された、ということを確認しておきたかっただけです」
「まさにそのとおりじゃ」と、モーガンが言った。「だが、推進力をあたえるのに必要な火薬の量を決定するまえに、火薬の性質を了解しておいたほうがいいと思われるが」
「大粒の火薬を使おうと思います」と、少佐は答えた。「粉火薬より突燃が早いのです」
「おそらくそうだろうが、大粒火薬は非常に破壊力が強いから、結局は、大砲の内腔を変質させてしまう」と、モーガンが意見を述べた。
「そうです。しかし、長期にわたって使用する大砲にはむかないでしょうが、われわれのコロンビアード砲にとっては、そんなことは、いっこうにさしつかえありません。しかし、爆発の危険だけは、どんなことがあってもおかしたくありません。力学的効果の完全を期して、火薬をただちに燃焼させる必要があります」
「同時に、何箇所かで点火するために、火口孔をいくつかあけておくこともできる」と、J=T・マストンが言った。
「たぶんできます」と、エルフィストンは答えた。「しかし、そうすると、操作がいっそうむずかしくなります。ですから、わたくしとしては大粒の火薬を主張したいのです。これを使えば、操作上の困難は生じません」
「それならそれでいい」と、将軍が答えた。
「コロンビアード砲に装填するのに」と、少佐はことばをつづけた。「ロドマンは、鉄の釜で焙《ほう》じただけの柳の木の炭でかためた、栗ぐらいの大きさの、粒の火薬を使いました。この火薬は堅く光っていて、手でさわっても痕跡を少しも残さず、水素と酸素とを多量にふくんでいて、ただちに突燃します。破壊力は非常に強いけれども、砲口を少しもいためないのです」
「ようし!」と、J=T・マストンが答えた。「もうためらうことはない。選択は終わったも同然ですな」
「金の火薬のほうがいい、なんてきみが言いださなければね」と少佐が笑いながら言いかえした。すぐかっとなるマストンは、こう言われて、拳固《げんこ》を、いやマストンの場合には鉄の鉤《かぎ》だが、その鉤をふりあげた。
そのときまで、バービケインは、議論を馬耳《ばじ》東風《とうふう》と聞き流していた。かってにしゃべらせ、自分は聞き役にまわっていた。あきらかに、自分の考えをもっていたのだ。だから、ただひとこと、「ところで諸君、火薬の量はどうしましょうか?」とだけ言った。
三人のガン・クラブ会員は、一瞬、たがいに顔を見合わせた。
「九万キログラムですな」と、モーガンが口をきった。
「二二万五〇〇〇キログラムです」と、少佐が反対した。
「三六万キログラムだ!」と、J=T・マストンがせりあげた。
こんどばかりは、おおげさな友人を、エルフィストンはどうしてもたしなめることができなかった。事実、月にまで九〇〇〇キログラムの重さの発射体を送りこまなければならなかったし、そのためには、秒速一万一〇〇〇メートルの初速度が必要なのだ。それゆえ、三人が三様の意見を述べてしまうと、一瞬、みな黙りこくってしまった。
沈黙は、結局、バービケイン会長によって破られた。「同僚諸君」と、会長は落ちついた声で言った。「われわれの条件にかなうようにつくられる大砲の外力にたいする強さには限界がない、という前提にわたしは立っております。こんなことを言うと、わが勇敢なるマストン君はおどろくでしょうが、マストン君はきわめて控え目な計算をしました。わたしは、マストン君の言われる三六万キログラムの二倍の量を提案したいのです」
「七二万キログラム?」J=T・マストンは椅子の上にとびあがった。
「そのとおりです」
「しかし、そうしたら、わたしが主張した八〇〇メートルの大砲に立ちもどらなければならないでしょう」
「まさにそうだ」と小佐が言った。
「七二万キログラムの火薬には」と、委員会の秘書役はことばをつづけた。「ほぼ八〇〇立方メートル弱の空間が必要です。ところが、会長が提案された大砲の容積は二〇〇〇立方メートルしかありませんから、半分がみたされてしまいます。そうなると、砲の内腔の長さがじゅうぶんでなくなり、ガスが膨張して、必要なだけの推進力を発射体にあたえることができなくなるはずです」
だれも反論しなかった。J=T・マストンの言ったことは正しかった。みなバービケインを見つめた。
「それでも」と、会長は言った。「わたしは、それだけの量の火薬を主張します。考えてみてください。七二万キログラムの火薬は、六〇億リットルのガスを生じるのです。六〇億リットルですぞ! いいですか?」
「だが、いったいどうすればいいのだね?」と、将軍がたずねた。
「非常に簡単なことです。この莫大な量の火薬を、その力学的な力をもったまま、凝縮すればよいのです」
「わかった! だが、どんな方法で?」
「これから申しあげます」とだけ、バービケインは答えた。
三人はどぎまぎして、むさぼるような眼差《まなざし》で会長を見つめた。
「この莫大な量の火薬を四分の一の体積に凝縮することは簡単しごくです」と、会長はことばをつづけた。「植物の構成要素組織である、あの繊維素《セルローズ》と呼ばれている奇妙な物質のことを、諸君は、みんなよく知っておられます」
「ああ、わかりました、会長が言おうとしておられることが」と、少佐が言った。
「この物質は、さまざまな物体から、完全に純粋な状態でとりだすことができます。とりわけ、|もめん《ヽヽヽ》の木の種子の毛にすぎない木綿《もめん》から、取ることができます。ところで、この木綿は、冷所で硝酸と化合させると、いちじるしく不溶性で、きわめて可燃性に富み、非常に爆発しやすい物質に変わります。何年かまえ、つまり一八三八年に、フランスの化学者ブラコノがこの物質を発明し、硝化澱粉《キシロイディース》と名づけました。一八三八年には、これもまたフランス人ですが、ペルーズがその物質のさまざまな特質について研究し、ついに一八四六年、バーゼルの化学教授ションバインが、これを戦争火薬として使用することを提案しました。この火薬こそ、硝酸木綿なのです……」
「硝酸繊維素《ピロクシル》とも言ってます」と、エルフィストンが答えた。
「いや、綿火薬じゃよ」と、モーガンが言いなおした。
「その発見をぶちのめすアメリカ人は、いないのか?」と、愛国的情熱にかられて、J=T・マストンがさけんだ。
「不幸にしてひとりもいないのだ」と、少佐が答えた。
「しかしながら」と、会長はことばをつづけた。「マストン君を満足させるために、つぎのことを申しあげよう。われらの同国人のひとりの業績が繊維素《セルローズ》と関係があるのです。と言うのも、写真術に欠かせないコロジオンは、アルコールをくわえたエーテルに溶解した硝酸繊維素《ピロキシル》から簡単につくれます。そしてこのコロジオンを発明したのが、メイナードなのです。当時、彼はボストンの医学生でした」
「そうですか! メイナードばんざい! 綿火薬ばんざい!」と、このそうぞうしいガン・クラブの秘書役はさけんだ。
「硝酸繊維素《ピロキシル》のことにもどります」と、バービケインは話をつづけた。「諸君は、硝酸繊維素《ピロキシル》の特性をごぞんじですが、それがわれわれにとって硝酸繊維素《ピロキシル》を非常に貴重なものにするのです。準備するのがとても簡単なのです。発煙硝酸〔湿った空気に接すると、白濁した煙を発するから、こう名づけられている〕のなかに木綿を一五分間ひたし、それから大量の水で洗い、ついでかわかす。これだけでいいのです」
「まったく簡単しごくですな」と、モーガンが言った。
「そのうえ、硝酸繊維素《ピロキシル》は、湿気にあたっても変質しないのです。このことはとくにわれわれにとって、たいせつなことです。というのも、大砲に装填《そうてん》するのに数日間はかかるのですから。引火点は、二四〇度ではなくて一七〇度です。突燃が非常にすみやかになされますから、ふつうの火薬に引火するひまをあたえずに、ふつうの火薬の上で火をつけることができます」
「申しぶんありません」と、少佐が言った。
「ただ、少し高価なのです」
「かまいやしませんよ」と、J=T・マストンが言った。
「事実、綿火薬は、ふつうの火薬の四倍の速さを発射体にあたえます。同時に、綿火薬は、その重さの一〇分の八の硝酸カリをくわえると、その爆発力が大きな比率で増大する、ということもつけくわえておきましょう」
「そうしなければならないのですか?」と、少佐がたずねた。
「必要だとは思っておりません」と、バービケインは答えた。「とにかく、七二万キログラムの火薬のかわりに、一八万キログラムの綿火薬ですむのです。二二五キログラムの木綿は、一立方メートルに、危険をともなわずに圧縮できますから、綿火薬は、コロンビアード砲のなかで、六〇メートルの高さにしかなりません。ですから、弾丸は月へ向かって飛び立つまえに、六〇億リットルのガスの力で、砲の内腔を二一〇メートル以上走ることになるのです!」
これを聞いて、J=T・マストンはもはや感動をおさえていることができなくなった。バービケインの腕のなかに、砲弾のようないきおいで身を投げたのである。もし、バービケインが爆弾の試練にもたえられるようにできていなかったならば、胸に大きな穴をあけられてしまったところだ。
この椿事《ちんじ》で、第三回目の会議は終わりをつげた。バービケインと、その大胆不敵な同僚たちは、彼らにとって不可能なことは何もないように思われたが、発射体と、大砲と、火薬という非常にめんどうな問題を解決したのであった。計画がきまれば、あとは実行あるのみだ。「些事に拘泥するなかれ」と、J=T・マストンは口ぐせのように言っていた。
十 二五〇〇万の味方にひとりの敵
アメリカの人びとは、ガン・クラブのくわだてた、もっとも些細《ささい》なことにまで、非常な興味をしめしていた。毎日毎日、委員会の討議に注目していた。大計画のいちばん簡単な準備、生じてくる数字の問題、解決しなければならない技術的な障害、一言にして言えば、『準備の開始』そのものが、アメリカ人たちを有頂天《うちょうてん》にしたのであった。
準備が開始されてから完成するまで、一年以上の月日が流れたが、このあいだもたえず人びとの感情は揺り動かされていた。基地の選択、鋳型の建造、コロンビアード砲の鋳造と、非常な危険をともなうその装填《そうてん》、そうしたことは、もはや、好奇心をそそるなどというなまやさしいことではなかった。発射体は、ひとたび発射されるや、一〇分の何秒かで、視界から去り、その後どうなるのか、宇宙空間をどのように飛んでいくのか、どんなふうにして月に着地するのか、そういったことは、ごく少数の特別な人たちの目にしか見えないのだ。それゆえ、実験の準備、実施するにあたっての具体的な作業こそ、一般大衆にとってほんとうに興味があり、利害にかかわることだったのである。
とはいえ、くわだての純粋に学問的な魅力が、ある突発事件によって、いやましにあおられるという事態が発生した。
バービケイン計画が、いかに多くの賛美者や支持者を獲得したかは、ご承知のとおりである。けれども、その数がどんなに多く、けたはずれであっても、大多数が全員一致というわけにはいかなかった。合衆国全体で、たったひとりの男が、ガン・クラブの試みに反対を表明したのである。その男は機会あるごとに、ガン・クラブの試みをはげしく攻撃してきた。バービケインは、その性質からしてほかのすべてのひとの喝采よりも、たったひとりの反対にたいして神経質になった。
とはいえ、バービケインには、この反感の動機がよくわかっていた。このひとりきりの男の敵意の原因はなんなのか、なぜ、個人的な攻撃をするのか、それは、むかしたがいに自尊心をはりあったことから生じたものであった。
この執拗な敵に、ガン・クラブの会長はいままで会ったことがなかった。さいわいにも、と言っておこう。なぜなら、このふたりの男が出会えば、かならずやめんどうな結果をひき起こしたにちがいないから。このライバルもまた、バービケインのように、学者であった。誇り高く、大胆で、確信にみちた、はげしい性格の、生粋のヤンキーである。ニコル大尉といい、フィラデルフィアに住んでいた。
南北戦争中、砲弾と戦艦の装甲板とのあいだに起こった、奇妙な競争を知らないひとはあるまい。砲弾は装甲板をぶちぬくためのものであり、装甲板は砲弾にぶちぬかせないためのものである。そこから、両大陸の諸国において、海軍の急進的な変貌がはじまった。弾丸と板とは、例を見なかったほどはげしくたたかった。弾丸が大きくなれば、おなじ比率で板も厚くなる。おそろしい大砲を艤装《ぎそう》した軍艦は、不死身の甲板に守られて戦火をくぐって進んだ。メリマック、モニター、ラン=テネシー、ウェッコーゼン〔みなアメリカ海軍の軍艦名〕などは、敵艦の砲弾にはびくともせずに、巨大な砲弾をぶっぱなすのであった。みずからがされることを望まないことを、他に向かってしていたのだ。これこそ、戦術の不滅の原理である。
ところで、バービケインは偉大なる砲弾|鋳造《ちゅうぞう》者であったが、ニコルは偉大なる装甲板の鍛造《たんぞう》者であった。いっぽうが、夜を日についで、ボルチモアで鋳造すれば、もういっぽうはフィラデルフィアで、夜となく昼となく鍛造しつづけていた。ふたりとも、本質的に対立する、ものの考え方をしていたのである。
バービケインが新しい弾丸を発明すると、ニコルも新しい装甲板を発明するのであった。ガン・クラブの会長は、穴をあけることに生涯をささげていたが、大尉はそれをふせぐことに生涯をささげていた。そうしたことから、しょっちゅうはりあうことになり、それが個人的なものにまで発展していった。ニコルは、バービケインの夢のなかに、それにぶつかると自分のほうがくだけてしまうような、不貫性装甲板の姿となってあらわれ、バービケインは、ニコルの夢のなかに、自分のからだのあちこちをぶちぬく弾丸となってあらわれるのだった。
しかしながら、このふたりは、それぞれ分岐する道を進んでいたけれども、ついには、幾何学の公理に反して、出会うようなことになるかもしれない。しかしそうなれば、決闘は必至であった。合衆国にとってきわめて有為なこのふたりは、さいわいにもたがいに七、八〇キロメートルはなれたところに住んでいた。友人たちが、このふたりがけっして会うことがないようにと、街道をふさいでいたのである。
いまのところ、このふたりの発明者のうちのどちらが勝っているか、よくはわからない。えられた結果だけで、正当な判断をくだすことはむずかしい。しかし、結局、装甲板が弾丸に屈服するにちがいないと思われていた。
しかしながら、消息通は首をかしげていた。最終的な実験で、バービケインの円錐円筒型の砲弾が、ニコルの装甲板に針のように突きささったのだ。その日、フィラデルフィアの鍛造《たんぞう》家は自分が勝ったと思い、ライバルをそんなに軽蔑しなくなった。しかし、のちにライバルが円錐型の弾丸を、二七〇キログラムの空洞砲弾に変えたとき、大尉は、打撃をふたたび受けたにちがいない。事実、これらの砲弾は、中くらいの速度で発射されても、最良の金属でできた装甲板をくだき、穴をあけ、こなごなにふきだとばしてしまったのである(使用された火薬の量は砲弾の一二分の一でしかなかった)。
このような情況であったから、戦争が終わったとき、弾丸のほうに勝利が輝いたかのように思われた。が、戦争の終わったちょうどその日、ニコルは鋼鉄の新しい装甲板を完成したのだ!これこそまさに、鋳造界における傑作であった。この装甲板は世界のありとあらゆる砲弾に挑戦した。大尉は、ガン・クラブの会長が破壊したくなるようにと、この装甲板をワシントンにある砲兵射撃演習場へとはこばせた。バービケインは、平和になった以上、もはやそのような実験をする気持はなかった。
怒ったニコルは、そこで自分の装甲板をあらゆる種類の、なかがつまったのでも空洞のでも、球型のでも円錐型のでも、どんな弾丸の衝撃にもさらしてみせると申し出た。会長はきっぱりと拒絶した。自分の最後の成功を危険にさらしたくなかったのである。
ニコルは、このなんともひどい強情に、ますますかっかとして、バービケインにあらゆるチャンスを提供しようとした。装甲板を大砲から二〇〇メートルのところに置いてもいい、とニコルは申し出た。バービケインはかたくなに拒絶した。一〇〇メートルでは? 七〇メートルでもやはりだめだった。
「では、五〇メートルでは?」と、大尉は新聞紙上をかりてさけんだ。「二五メートル、そしてわたしはそのうしろに立つ!」
バービケインは、たとえニコル大尉が装甲板のまえに立つと言っても、大砲はうたないと答えさせた。
この答えをうけたニコルは、もうがまんができなかった。人身攻撃すらはじめたのである。こんなひきょうなふるまいはがまんができない、大砲をうつことを拒否しているのは、まさに、おそれているからだろう、要するに、現在九・六キロメートルの距離をおいて戦っている砲兵どもは、個々人がもっている勇気を、用心深く、数学の公式とすりかえてしまったのだ。そのうえ、装甲板のうしろで、落ちついて弾丸が飛んでくるのを待つほうが、弾丸を技術上の方式のなかにぶちこむより、よほど勇気がある行為なのだ、ということまでほのめかした。
こうしたほのめかしにたいしても、バービケインは何も答えなかった。おそらく、このような大尉の言動を知らなかったのであろう。なぜなら、もはやそのころ、大計画の計算に身も心もうちこんでいたからである。
かの名高いガン・クラブの発表がなされたとき、ニコル大尉の怒りは絶頂に達した。怒りには、このうえもない嫉《ねた》ましさと、どうしようもないという無力感まで、混ざっていたのだ! 二七〇メートルのコロンビアード砲よりすぐれたものを、どうして発表できようか! どのような装甲板が、九〇〇〇キログラムの砲弾に耐えられようか? ニコルは、最初、この『大砲の一撃』を受けて呆然《ぼうぜん》自失、すっかりまいってしまった。しかしやがて立ちなおり、議論でこの提案を粉粋しようと決意したのであった。
そこで大尉は、非常にはげしく、ガン・クラブの事業を攻撃しはじめた。たくさんの書簡を公表した。新聞もそれらの書簡を掲載することを拒否しなかった。ニコルは、バービケインの仕事を、科学的にくつがえそうとした。ひとたび戦闘が開始されるや、ニコルは、あらゆる種類の理屈をひきずりだしてきた。ほんとうのところ、なんとなくもっともらしい、どうかと思われるような理屈がかなり多かったのだが。
まず、バービケインは、非常にはげしく数字のことで攻撃された。ニコルは、A+Bによってバービケインの公式のあやまりを証明しようとした。ニコルは、バービケインが発射術の初歩的な原理を知らない、と言って非難した。ほかのまちがいでは、ニコルの計算によると、いかなる物体にも、秒速一万一〇〇〇メートルの初速度をあたえることは、絶対に不可能である、ということを指摘した。そして、代数学を援用して、たとえこの速度をもってしても、このような重さの発射体は、地球の空気圏を脱することが絶対にできない! と、ニコルは主張したのだ。発射体は、いちばんよくいっても、ただの三五キロしか飛ばないのだ! また、たとえじゅうぶんな速度がえられたとしても、砲弾は、七二キログラムの火薬が燃焼して生じたガスの圧力に耐えられない。圧力に耐えられたとしても、少なくとも、このような高熱には耐えられない、コロンビアード砲から発射されるときに、溶け、どろどろとした雨になって、厚かましい見物人たちの頭骸の上に降りかかるであろう。
バービケインは、こうした攻撃に眉ひとつ動かさず、自分の仕事をつづけていった。
そこでニコルは、ほかの面から問題を取りあげた。いかなる観点からしても、バービケインのくわだては無意味だが、そんなことは言わずもがな、このような罪深い見世物の見物を許される人たちや、このなげかわしい大砲が設置される場所の近くの町々にとって、非常に危険な実験である、と断じたのであった。同様に、ニコルはもし発射体が目標に達しなかったなら、到達するなどということは絶対にありえないはずだが──、地球上に落ちてくることはまちがいがない。これほど巨大な物が落下するときには、速度が自乗倍に増加し、地球のどこかの部分をひどく危険な目にさらすであろう、ということを指摘した。それゆえ、こんなときこそ、政府の介入が必要であり、政府が介入しても、人権を侵害したことにはならないし、たったひとりの男の楽しみのために、万人を危険にさらしてはならない、と言うのであった。
ニコル大尉がひどく興奮していたことはあきらかで、大尉の意見を支持しているのは、大尉ひとりであり、だからだれも、ニコルの不吉な予言など信じてはいなかった。息ぎれするまで、かってにわめかしておいたのだ。それがいちばんニコルには似つかわしかったから。争いに負けたときには、自分で自分の弁護をしなければならない。人びとは大尉のことばを耳には入れたが、耳をかたむけるようなことはしなかった。だから、大尉は、ガン・クラブの会長から、賛美者をただのひとりも奪うことができなかった。いっぽう、バービケインは、ライバルがふっかけてきた議論に、ひとことの反撥さえしなかったのである。
進退きわまったニコルは、論争に自分のいのちをかけることもできないので、金を払う決心をした。そこで彼は、リッチモンドの『インクワイヤー』紙に、つぎのような賭けを広告した。この賭けは比率がどんどんふえてゆく賭けである。
かれは賭けた。
一 ガン・クラブのくわだてに必要な資金が集まらなかった場合……一〇〇〇ドル。
二 二七〇メートルの大砲の鋳造作業が実施できないか、成功しなかった場合……二〇〇〇ドル。
三 コロンビアード砲に装填《そうてん》することができない場合、および、綿火薬が発射体の圧力によって自然発火した場合……三〇〇〇ドル。
四 コロンビアード砲が、第一撃で爆発した場合……四〇〇〇ドル。
五 砲弾が九・六キロメートルしか飛ばず、発射数秒後に落ちてきた場合……五〇〇〇ドル。
これを見てもわかるように、大尉が、どうしようもないほど強情になって賭けた金額は、たいへんなものだった。一万五〇〇〇ドルにおよんだのである。
重大な賭けであったが、ニコルは、五月一九日、非常に簡潔に、つぎのように記された封緘《ふうかん》はがきを受けとった。
承知した。
ボルチモア市にて
十月一八日
バービケイン
十一 フロリダとテキサス
しかしながら、まだ決定しなければならない問題が残っていた。実験につごうのよい場所を、選ばなければならなかったのだ。ケンブリッジ天文台の勧告にしたがえば、発射は地平線面に垂直の方向に向けて、つまり天頂に向けてなされることになっていた。ところで、月は緯度〇度から二八度までに位置する地点でなければ、天頂にはこない。べつのことばで言えば、月の方位角は二八度しかないのだ。それゆえ、巨大なコロンビアード砲を建設する場所を地球上の一点に、正確に決定することが問題となったのである。
一〇月二〇日、ガン・クラブは総会を開いた。バービケインはベルトロップのつくった合衆国の大きな地図をもってきた。しかし、バービケインに地図をひろげさせるいとまもあたえず、J=T・マストンが、いつものようにいきおいこんで発言をもとめ、つぎのように述べたてた。
「尊敬すべき同僚諸君、きょうこれから議題にのせられる問題は、国家的見地からみて、まことに重大な問題であります。それゆえ、われわれは愛国心を遺憾なく発揮するチャンスに恵まれるであろうと思います」
ガン・クラブの会員たちは、発言者が言わんとしていることがのみこめず、たがいに顔を見合わせた。
「諸君のうちの何びとたりといえども、祖国の栄光をねがわない者はいないでありましょう」と、マストンはことばをつづけた。「そして、もし、合衆国に何かを請求する権利があるとすれば、それはガン・クラブのおそるべき大砲を、その横腹に抱きかかえるという権利であります。ところで、現在の情況では……」
「マストン君」と、会長がさえぎった。
「もう少し、わたしの考えを開陳《かいちん》させてください」と、発言者はつづけた。「現在の情況では、実験を好条件のもとでおこなうために、われわれはかなり赤道に接近した地点を選ばなければならなくなっております……」
「何か言いたいのなら、きみ……」と、バービケインが制した。
「わたくしは、自由な討議を望む者であります」と、激情をおさえきれずに、マストンが言いかえした。「わたくしは主張します、われらの栄光ある砲弾が発射される土地は合衆国の領土でなければならぬと」
「もちろんそうだ!」何人かの会員が答えた。
「ところがです。わが国の国境線はそれほどひろくはないのです。南は海がこえがたい障壁をなしています。ですから、われらは合衆国のかなたに、隣接している国に、この二八度線をもとめなければならないのです。それは正当なる宣戦布告《カスス・ベリ》であります。それゆえ、わたくしはメキシコにたいして、宣戦を布告することを要求するのであります!」
「反対! 絶対反対!」と、あっちからも、こっちからもさけぶ声があがった。
「反対! だって」と、J=T・マストンは言いかえした。「それこそ、おどろくべき言い草だ!」
「だが、よく聞きたまえ……」
「断乎として戦う!」と、激昂した発言者は言った。「遅かれ早かれ、この戦争はしなければならないものなのです。ゆえに、わたくしは、きょうただちに戦闘を開始することを要求するものであります!」
「マストン君」と、われるような大声をひびかせて、バービケインが言った。「発言を撤回しなさい!」
マストンは反撥しようとした。しかし、同僚が数人かかって、やっとのことでマストンをとりおさえた。
「実験は、合衆国の領土以外でおこなってはならないし、また、おこなうことができない、という考えに、わたくしも同意します」と、バービケインは言った。「しかし、もし、わが気短かな友人がわたくしに発言させてくれていたら、そしてまた、彼が地図に目を向けてくれていたら、隣国にたいして、宣戦を布告するなど、まったくむだなことだということにご本人も気づかれたことと思います。というのも、合衆国の国境線のある部分が、二八度線のかなたにのびているからであります。ごらんください。われわれはテキサスとフロリダの南部を自由に使うことができるのです」
さわぎはあとをひかなかった。とはいえ、J=T・マストンは納得したものの、大いに心残りであった。そこで、コロンビアード砲はテキサスかフロリダの地で鋳造されることが決定した。しかし、この決定が、このふたつの州の町のあいだに、いまだ例を見ないほどの競争をひき起こしたのであった。
二八度線は、大西洋からアメリカの海岸にぶつかってフロリダ半島を横ぎり、半島をほとんど真っぷたつに分けている。それから、メキシコ湾に出、アラバマと、ミシシッピと、ルイジアナの海岸が形づくっている弧の両端を結ぶ弦となる。そこでテキサスの海岸につき、テキサスの一角を切って、メキシコへとのび、ソノラ川をこえ、カリフォルニア半島をまたいで、太平洋へとつづいている。それゆえ、この緯線のところに位置している、テキサスとフロリダの一部分だけがケンブリッジ天文台の推薦した緯度の条件に適合するのだ。
フロリダの南部には、重要な都市はない。放浪しているインディアンにたいして建てられた砦《とりで》があちこちにあるだけだ。唯一の町、タンパ=タウンが、その位置から言って、候補に名のりをあげることができたくらいである。
それに反して、テキサスには、重要な町がたくさんあった。ヌーセス・カウントリーのコーパス=クリスチ、リオ・ブラヴォ河畔の町々、ウェブには、ラレード、コマリット、サン=イグナチオ、スタールには、ローマ、リオ=グランデ=シティ、ヒダルゴには、エディンバーグ、キャメロンには、サンタ=リタ、エル=パンダ、ブラウンズヴィルといったぐあいに、そうそうたる町々が、フロリダの主張にあいたいしていた。
それゆえ、ガン・クラブの決定が報じられるや、テキサスとフロリダの議員たちが息せききってボルチモアに駆けつけた。このときから、バービケイン会長とガン・クラブの有力な会員たちは、夜となく昼となく、ものすごい陳情に悩まされたのである。ギリシアの七つの都市は、ホメロスが生まれたのは自分のところであると争ったが、このふたつの州は、うって一丸となって、大砲までぶっぱなしかねないありさまであった。
ボルチモアの街角では、このふたつの州の『おそろしい兄弟』たちが、武装して歩いているのが見られた。両者が出会うたびごとに、おそるべき争いが何かしら起こり、死傷者すらだしかねまじきありさまであった。さいわいにも、バービケイン会長の慎重さと如才なさが、こうした危険をふせいでいた。それぞれの示威運動は諸州の新聞にまで飛び火した。ニューヨーク・ヘラルド紙と、トリビューン紙がテキサスを支持すれば、タイムズ紙とアメリカン・レヴュー紙がフロリダの議員のあと押しをするといったぐあいに。ガン・クラブの会員たちは、もう、どっちの言いぶんを聞いたらよいのかわからなくなってしまった。
テキサス州が、二六もある郡の数をたのんで気勢をあげると、フロリダ州は六分の一の面積のところにある一二の郡は、二六の群にまさると応酬するありさまだった。
テキサスが、三三万人の住民を鼻にかけると、フロリダはずっとせまいところに五万六〇〇〇人もいるのだから、密度は高いとじまんする。そのうえ、テキサスには、名物のマラリヤがあって、年平均何千人ものひとがその犠牲になるのではないか、と、フロリダは非難した。事実そのとおりであったが。
テキサスはテキサスで、フロリダは、熱病に関して何もテキサスをうらやむことはない、慢性的な『黒吐病』をちゃんともっているのだから、ほかの地方の不健康さをあげつらうなんて、ずうずうしいにもほどがある、と言って反駁した。これもまた、もっともな言いぶんであった。
「そのうえ」と、テキサスの人たちは、ニューヨーク・ヘラルド紙上をかりてつけくわえるのであった。「アメリカじゅうで、もっとも良質の綿の木が生えている州、船の建造に必要な最良の柏《かしわ》材を産する州、すばらしい石炭と、純度五〇パーセントの鉄鉱を埋蔵している州を尊敬しなければならない」
これにたいして、アメリカン・レヴュー紙は、フロリダの土壌はそれほど豊かではないが、コロンビアード砲の鋳造に最適の条件をそなえている。なぜなら、砂と粘土質でできているから、と反駁した。
「しかし」と、テキサスは反論する。「いかなるものであれ、それをある地方で溶解するには、まずその地方にいかなければならない。ところが、フロリダは交通がきわめて不便である。しかるに、テキサスには、周囲五六キロメートルにおよぶガルヴェストン湾があり、全世界の船舶を収容することができるのだ」
「よかろう!」と、フロリダ人に肩入れしている新聞はこぞってくりかえした。「北緯二九度に位置するガルヴェストン湾がなんの役にたとう。われらにはエスピーリト=サント湾〔現在のタンパ湾〕がある。これは正確には北緯二八度線上にあり、船は直接タンパ=タウンに到着できるのだ」
「すばらしい湾だ! しかし、半分砂で埋まっているじゃないか」と、テキサスが答えた。「おまえたちこそ、砂に埋まっているではないか!」と、フロリダはさけんだ。「おれの国が野蛮人どもの国だとでも言うのか?」
「そうだとも、インディアンのセミノール族がまだおまえの草原を走っているではないか!」
「それなら、おまえのところのアパッチや、コマンチは文明開化したとでも言うのか?」
戦いは、こんなふうに数日間つづけられた。そのとき、フロリダが敵をべつの土俵にひきずりだそうとした。ある朝、タイムズ紙が、この計画は『本質的にアメリカのもの』であるから、『本質的にアメリカのもの』である地においておこなわれねばならない! と、ほのめかしたのだ。
このことばにテキサスはぶったまげた。「アメリカのものだって? どっちもどっちじゃないか。テキサスもフロリダも、二州とも一八四五年に合衆国に編入されたのではないか?」
「たぶんそうでしょう」と、タイムズは答えた。「しかし、われらは一八二〇年以来、アメリカ人のものになっています」
「確信をもって言うが」と、トリビューンが反論した。「二〇〇年のあいだ、スペインのものだったり、イギリスのものであったのを、五〇〇万ドルで合衆国に売りつけたのだ!」
「それがどうした? そんなことでおれたちが恥じ入るとでも思っているのか?」と、フロリダの人たちが言いかえした。「ルイジアナは、一八〇三年に、ナポレオンから一六〇〇万ドルで買ったものではないのか?」
「恥ずかしいことだ!」と、そこで、テキサスの代議員たちがさけんだ。「フロリダのようなケチな土地が、テキサスと肩をならべようなんて。テキサスは、自分を売ったのではない。自分の手で独立をかちえたのだ。一八三六年三月二日に、メキシコ軍を追いはらい、サン=ジャシント河畔で、サミュエル・ヒューストンが、サンタ=アンナの駐留軍に勝利を博したのち、連邦加盟の共和国を宣言したのだ! そして、みずからの意志でアメリカ合衆国にくわわった国なのだ!」
「メキシコ人が恐《こわ》かったからなんだ!」と、フロリダが答えた。
あまりにもなまなましい、このことばが発せられたその日から、事態は、収拾のつかない様相をしめしはじめた。ボルチモアの街頭で、両派の殺し合いさえ起こりかねなかった。代議員たちを、厳重に監視しなければならない事態に立ちいたったのである。
バービケイン会長は、どうきめてよいか、わからなくなってしまった。意見書、資料、莫大な量の脅迫状が、バービケインの家に、雨あられとまいこんだ。いかなる決断をくだすべきか? 土地の適否、交通の便利さ、輸送の迅速さといった点においては、両州はまったくおなじ程度の権利をもっていた。政治的な性格についても同様であった。
ところで、このためらい、この困惑は、すでにかなりまえからつづいていた。そこでバービケインはついに手を打とうと決心した。会長は、同僚たちを一同に集めた。会長がしめした解決策は、以下に見られるとおり、まったく賢明なものであった。
「テキサスとフロリダとのあいだに生じた紛争をつらつら考えてみるに」と、会長は言った。「もしいっぽうの州に決定されると、その州の町のあいだで、同様な紛争が起こることは、火を見るよりあきらかであります。競争心は動物間から種族間へ、国家間から都市間へと、進んでゆくものであります。ところで、テキサスには条件にかなった町が一一あります。この一一の町が、われらの計画の栄誉をになわんと争いを起こし、われらをふたたび困惑させるでありましょう。ところが、フロリダには条件にかなった町がひとつしかありません。それゆえ、フロリダにきめましょう、タンパ=タウンに!」
この決定は、テキサスの代議員たちをぶちのめした。代議員たちは言いようのない怒りにたけり狂い、ガン・クラブの会員とみれば、どの会員にも個人的にののしりのことばをあびせかけた。ボルチモアの治安当局も、最終的な決断をせまられた。そしてついに、実力行使に出たのである。特別列車が仕立てられ、テキサスの人たちはむりやりその列車に乗せられてしまった。そして、時速四八キロの速さで、ボルチモアをはなれていった。
しかし、どんなにすみやかに運び去られたとしても、敵にたいして、最後の脅迫的|罵詈雑言《ばりぞうごん》を吐く時間は残されていた。
ふたつの大洋にはさまれた半島にしかすぎないフロリダの、幅のせまさをからかって、テキサスの人たちは、フロリダは大砲の反動にたえられない、最初の一撃でふっとんでしまうだろう、と言いはなったのであった。
「よし! ふっとぶものなら、ふっとべ!」と、フロリダの人たちは、古代スパルタ人のように、きっぱりと答えた。
十二 いたるところに
天文学上、力学上、地形学上の難問が解決されると、こんどはお金の問題が生じた。この計画を実行するのに要する、巨額のお金を集めることが問題になった。必要な何百万ドルというお金は、いかなる個人でも、いや国家でさえ、おいそれと調達できるものではなかった。
そこで、バービケイン会長は、この計画はアメリカ人のものではあるが、全世界の関心の的にし、諸国民から財政的協力をあおごうと決心した。地球の衛星の問題にかかわりをもつということは、地球全体の権利であると同時に義務でもあった。この目的のために起こされた醵《きょ》金運動が、ボルチモアから世界じゅうに、いたるところに、くりひろげられた。
この醵金運動は、期待している以上に成功するにちがいなかった。とはいえ、お金を貸すのではなくて寄付するのだ。ことばの文字どおりの意味で、純粋に利益をともなわない行為であり、いかなる利得のチャンスにも恵まれないのだ。
しかし、バービケイン会長の発表は、合衆国の国境の内側にとどまっていたのではなかった。大西洋と太平洋をこえて、一挙に、アジア、ヨーロッパ、アフリカ、大洋州の諸州に聞こえていた。合衆国の天文台は諸外国の天文台にすぐに連絡をとった。外国の天文台のうち、パリ、ペテルスブルク、喜望峰、ベルリン、アルトナ、ストックホルム、ワルシャワ、ハンブルク、ブダペスト、ボローニャ、マルタ島、リスボン、ベナレス、マドラス、北京の各天文台は、カガン・クラブに賛辞を寄せた。そのほかの天文台は、期待の念を抱きつつも、慎重に見まもっていた。
グリニッチ天文台はどうであったかというと、大英帝国の二二の天文観測所の支持をえて、態度をはっきりさせた。つまり、大胆にも成功の可能性を否定し、ニコル大尉の説に同意したのである。だから、さまざまな学会が、タンパ=タウンに代表団を送ることを約束したが、グリニッチ当局はその会議において、露骨にバービケイン提案に関する動議をしりぞけたのであった。これこそまさに、イギリス人特有の、あのみごとな嫉妬のあらわれであって、ほかの何物でもなかった。
要するに、学問の領域における反応はすばらしいものであった。そしてそこから、反応は一般大衆へとうつっていった。大衆はこの問題に夢中になった。このことはきわめて重要であった。これらの大衆が、巨額な資本の募金に応じようとしていたからである。
バービケイン会長は、一〇月八日、熱情にあふれた声明を発表した。この声明で、会長は『地球上のあらゆる善意の人びと』に呼びかけたのだ。この声明文は、世界じゅうの国語に翻訳され、大成功をもたらした。
募金口座は合衆国の主要都市に開設され、ボルチモア街九番地にあるボルチモア銀行に集められた。ついで、両大陸のさまざまな国にも募金口座がもうけられた。
ウィーン S=M・ド・ロスチャイルド
ペテルスブルク スティーグリッツ会社
パリ 動産銀行
ストックホルム トッティとアルフレッドソン
ロンドン N=M・ド・ロスチャイルド父子
トリノ アルドゥアン会社
ベルリン メンデルスゾーン
ジュネーヴ ロンバール=オディエ会社
コンスタンチノーブル オットマン銀行
ブリュッセル S・ランベール
マドリッド ダニエル・ヴァイスヴェラー
アムステルダム ネーデルランド銀行
ローマ トルロニア会社
リスボン レセーヌ
コペンハーゲン 私立銀行
ブエノス・アイレス マウア銀行
リオ・デ・ジャネイロ マウア銀行
モンテヴィデオ マウア銀行
ヴァルパライソ トーマス・ラ・シャンブル会社
メキシコ マルタン・ダラン会社
リマ トーマス・ラ・シャンブル会社
バービケイン会長の声明がだされた三日後には、合衆国の各地の都市で、四〇〇万ドルが払いこまれた。このような賦《ぶ》払い金で、ガン・クラブはすでに活動をはじめることができるようになった。
しかし、数日後には、外国での募金が非常に活発におこなわれていることが、電報によってアメリカに知らされた。たいへん気前のよいところを見せている国もあれば、それほど簡単には財布のひもをゆるめない国もあった。国民性のちがいなのである。
なんと言っても、数字はことばより雄弁である。募金が締切られたあとの、ガン・クラブの活動に寄せられた公式発表の金額を以下に掲げておこう。
ロシアは、負担額として、三六万八七三三ルーブル(一四七万五〇〇〇フラン)という巨額を払いこんだ。この額におどろくひとは、ロシア人の科学への熱意と、ロシア人が天文学研究にしめしている進歩とを、よく知らないからである。ロシアには、たくさんの天文台があり、その主要なものには、二〇〇万ルーブルもかけているのだ。
フランスは、最初、アメリカ人のこのくわだてを笑いとばした。月はたくさんの駄洒落《だじゃれ》の種となり、月をあつかったドタバタ喜劇が二〇もつくられた。それらの喜劇では、悪趣味が無知と競いあっていた。しかし、むかしフランス人は、歌ったあとで金を払ったが、今回も同様に、笑いとばしたあとで、一二五万三九三〇フランのお金を醵金した。この値段で、フランス人は、ちょっぴり陽気にふるまう権利を留保したのであった。
オーストリアは、財政的に苦しい状態にあったが、気前のいいところを見せた。国の負担で二一万六〇〇〇フロリン(五二万フラン)だしたのだ。これは大歓迎された。
五万二〇〇〇リクスダラー(二九万四三二〇フラン)、これはスウェーデンとノルウェーの寄金。数字は国力に比例しているように思われた。しかし、募金がストックホルムと同時にクリスチァニア〔オスロ〕でもおこなわれたら、もっと多額になったであろう。いろいろな事情があって、ノルウェーの人たちは、スウェーデンにお金を送りたがらないのだ。
プロシアは、二五万ターレル(九三万七五〇〇フラン)を寄付することによって、この計画にたいして非常な賛意をしめした。プロシア各地の天文台が、競って多額の寄付に応じ、バービケイン会長をいたく感動させたのだ。
トルコも気前よくふるまった。しかし、個々人が関心をしめしたのであった。事実、月がトルコの暦と、ラマダンの断食をきめているからである。一三七万二六四〇ピアストル(三四万三一六〇フラン)以下におさえることはむりであった。トルコはこれだけの金額を非常な熱意をこめてさしだしたので、オットマン政府がなんらかの圧力をかけたことまでばれてしまった。
ベルギーは二流国としてはぬきん出ていた。五一万三〇〇〇フランと言えば、国民ひとりあたりほぼ一二サンチームにあたる。
オランダとその植民地は、一一万フロリン(二三万五四〇〇フラン)で、この事業に関心をしめした。ただ、五パーセントの現金割引を要求した。現金で支払ったからである。
デンマークは領土の割には節約したが、それでも金貨九〇〇〇デュカ(一一万七四一四フラン)だした。これまた、デンマーク人の科学探検への情熱を証明している。
ドイツ連邦は、三万四二八五フロリン(七万二〇〇〇フラン)醵出した。これ以上は要求できなかった。出せと言ってもびた一文出せなかったであろう。
貧困のどん底にあったが、イタリアはその子どもたち〔当時のイタリアを構成していたイタリア各地の小国〕のポケットをひっくりかえして、二〇万リラ用達した。ヴェネチア地方もおさえていたなら、もっとましだったろうが、ヴェネチア地方はまだイタリアのものではなかったのである。
ヴァチカンは、七〇四〇ローマ金貨(三万七〇一六フラン)以下は送るべきでないと考えたし、ポルトガルは、三万クルザード(一一万三二〇〇フラン)もだして、科学への献身ぶりを発揮した。
メキシコはと言えば、これは貧者の一燈であった。八六大ピアストル(一七二七フラン)である。しかし、できたばかりの国はつねに財政的にあまり余裕がないものなのだ。
二五七フラン、これがアメリカの事業にたいするスイスのささやかな寄付であった。率直に言って、スイスには、この事業の実用的な面がまったくわからなかったのだ。月に砲弾を送るということが、月との実際的な関係をうちたてることになる、などとは考えられなかったのである。だから、こんな射倖《しゃこう》的なくわだてに、資本をだすなんて、まったく向こう見ずなことに思われたのだ。結局のところ、おそらくスイスの言うとおりだったかもしれない。
スペインとしては、一一〇レアル(五九フラン四八サンチーム)以上集めることは不可能であった。鉄道を完成させなければならない、というのがその口実であったが、事実は科学がこの国ではそれほどよく理解されていないのである。まだ、いささか文明が遅れているのだ。それに、そうとう教育を受けているスペイン人でも、月の大きさと比較した発射体の大きさを、正確に計算することはできなかった。発射体が、月の軌道のじゃまになるのではないか、月の衛星としての役目をさまたげ、ついには月が、地球上に落っこちてくるようなことになるのではないか、と心配していたのである。こんな場合には、棄権したほうがましだと、スペイン人は、数レアルだして|おり《ヽヽ》てしまった。
イギリスが残っていた。イギリスがバービケインの提案に、軽蔑するような反応をしめしたことは、さきほど申しあげた。グレート・ブリテンにひしめいている二五〇〇万人のイギリス人が、ただひとつの、おなじ精神の持ち主なのだ。ガン・クラブのくわだては、『不干渉の原理』に反すると言って、ファージング銅貨〔一四ペニイ〕一枚すら寄付しなかった。
このしらせを聞いても、ガン・クラブの連中は肩をすくめて見せただけで、黙々《もくもく》と大事業の準備にはげんだ。南アメリカ、すなわち、ペルー、チリ、ブラジル、アルゼンチン、コロンビアが、三〇万ドル(一六二万六〇〇〇フラン)を寄せたとき、これが巨額の資本金の筆頭になった。その明細はつぎのとおり。
合衆国の醵金 四、〇〇〇、〇〇〇ドル
諸外国の醵金 一、四四六、六七五ドル
合計 五、四四六、六七五ドル
つまり、人びとはガン・クラブの金庫に、五四四万六六七五ドル(二九五二万九八三フラン四〇サンチーム)払いこんだのであった。
金額の莫大さにおどろいてはいけない、鋳造、掘削《くっさく》、石造《せきぞう》工事、労働者の輸送、ほとんどひとの住んでいない地方に労働者を住まわせること、炉や建物の建造、工事の施設、火薬、発射体、そのほか諸雑費などで、見積りによると、この巨額な金をほとんど全部使いはたしてしまうにちがいなかった。南北戦争のときには、大砲を一発うつたびに一〇〇〇ドルかかった。砲術史上はじめてのバービケイン会長の大砲は、ゆうにその五〇〇〇倍の費用を要するのであった。
一〇月二〇日、戦争中、パロット商会に、もっともすぐれた鋳造砲を提供していた、ニューヨークの近くの、ゴールドスプリング工場と契約がとりかわされた。
契約当事者間で、つぎのことがとりきめられた。ゴールドスプリング工場は、南フロリダのタンパ=タウンに、コロンビアード砲鋳造に必要な材料をはこぶ。この作業は、遅くとも翌年の一〇月一五日までに完成されなければならない。大砲は良好な状態でひき渡すこと。契約に違反したときには、違約金として、月がおなじ条件で姿をあらわすまで、つまり一八年と一一日のあいだ、一日一〇〇ドル支払うこと。労働者の雇い入れ、およびその賃金の支払い、必要な諸設備をととのえることには、ゴールドスプリング社が責任をもってあたること。
この契約書は二通つくられ、ガン・クラブ会長I・バービケインと、ゴールドスプリング工場の支配人J・マーチソンが、まごころをこめて署名し、たがいに内容を承認した。
十三 ストーンズヒル
ガン・クラブの会員たちが、テキサスを犠牲にして決断をくだしてからというもの、文盲のいないアメリカでは、すべてのひとが、フロリダの地理の勉強にはげみだした。つぎのような本が、こんなにもたくさん売れたことは、いままで一度もなかった。バートラムの『フロリダの旅』、ロマンの『東西フロリダの博物史』、ウィリアムの『フロリダ地方』、クレランドの『東フロリダにおける砂糖きびの栽培について』など。これらの本は増刷をかさねなければならなかった。まさにとぶような売れゆきであった。
バービケインには、しなければならないことがたくさんあって、本を読んでいるひまなぞなかった。バービケインは、コロンビアード砲を設置する場所を、自分自身の目で見て、たしかめておきたかった。そこで、一刻もむだにしないで、望遠鏡の製作に必要な資金を、ケンブリッジ天文台に渡し、アルミニウム製の発射体の製造に関して、ブレッドウィル商会とアルバニー社の両社と契約をかわした。そして、J=T・マストンと、エルフィストン少佐と、ゴールドスプリング工場の支配人とを連れて、ボルチモアを発ったのである。翌日、四人の同志は、ニューオーリンズに到着した。そこで一行はすぐに、政府が彼らに提供してくれた、北部連盟海軍の砲艦タンピコ号に乗りこんだ。タンピコ号のボイラーが運転をはじめると、やがて、ルイジアナの海岸は一行の視界から消えていった。
メキシコ湾横断には、ひまどらなかった。出港二日後に、タンピコ号は七七〇キロメートル走って、フロリダの海岸にお目見えした。近づくにつれて、低い、たいらな、かなり不毛な外観の陸地が、バービケインの目のまえに見えてきた。|かき《ヽヽ》や|えび《ヽヽ》がたくさんいる入江をいくつもすぎてから、タンピコ号はエスピーリト=サント湾にはいった。
この湾は、タンパ停泊地とヒリスボロ停泊地というふたつのならんだ停泊地にわかれており、砲艦はまもなくそのせまい港の入口を通りすぎた。やがて、ブルック要塞がその海面すれすれの砲台を波の上に見せ、ヒリスボロ河の河口によって自然につくられた、ちいさな港の奥に、無頓着に横たわっているタンパの町が姿をあらわした。
一〇月二二日午後七時に、タンピコ号が投錨したのは、その地点にであった。四人の乗客は、すぐに下艦した。
フロリダの土をふんだとき、バービケインは心がはげしく高鳴るのを感じた。建築家が家の堅牢さを手でさわってたしかめるように、バービケインは足でその土地をたしかめているかのようであった。J=T・マストンは、その鉤《かぎ》の手で地面をなでていた。
「諸君」と、そのときバービケインが言った。「われわれは一刻たりともむだにできません。あすからさっそく、馬に乗ってこの地方の踏査にかかりましょう」
バービケインが上陸したとき、タンパ=タウンの三〇〇〇の住民たちが、自分たちにとってよろこばしい決定をくだしてくれた、ガン・クラブの会長に敬意を表しようと、ぞくぞくとつめかけた。彼らは、大きな歓呼の声をあげて会長を迎えた。しかし、バービケインは大歓迎から身をかわして、フランクリン旅館の一室にひきこもり、だれにも会おうとしなかった。有名人らしくふるまうことは、彼の性格に似つかわしくなかったからだ。
翌一〇月二三日、ぴちぴちと元気にあふれたスペイン産の小さな馬が、バービケインの部屋の窓の下で、元気よく前足を蹴あげていた。しかし、四頭ではなくて、五〇頭もいた。それぞれ騎《の》り手といっしょに、三人の仲間と連れだっておりてきたバービケインは、このような騎馬行列にとりかこまれて、最初、あっけにとられてしまった。そのうえ、どの騎り手も、肩から脇下に騎兵銃をかけ、鞍には革袋に入れたピストルをもっているではないか。このような装備の理由は、ひとりのフロリダ青年によって、すぐさまあきらかにされた。
「会長どの、セミノール族がいるのであります」
「セミノール族とは?」
「平原をかけめぐる野蛮人であります。用心してあなたがたのおともをしようと、われわれは思ったのです」
「へーえ、そうなのかい」と、自分の馬によじのぼりながら、J=T・マストンが言った。「つまり、そのほうがよりたしかであります」と、フロリダ青年は答えた。
「みなさん」と、バービケインが答えた。「みなさんのご配慮に深く感謝いたします。さて、出発!」
小隊はただちに動きだし、土ぼこりをあげて遠ざかっていった。朝の五時であった。太陽はすでにさんさんと輝き、気温は八四度(摂氏二八度)になっていた。しかし、涼しい海からのそよ風が、このものすごい気温をほどよいものにしていた。
バービケインは、タンパ=タウンを出て、アリフィアのクリーク(小川)に出ようと、海岸にそって南下した。この小川は、タンパ=タウンから一九キロメートルの地点で、ヒリスボロ湾にそそいでいる。バービケインとその一行は、東にさかのぼりつつ、その右岸にそっていった。やがて湾の波が地襞《じひだ》のかなたに見えなくなり、フロリダの平野だけが見えるようになった。
フロリダは、ふたつの部分にわかれている。つまり、より人口の多い、かなり開拓されている北の部分には、首府としてタラハッシーがあり、合衆国の主要な海軍工廠のひとつであるペンサコーラがある。アメリカと、メキシコ湾のあいだにはさまれた、もういっぽうの部分は、海にしっかりと抱きかかえられて、メキシコ湾流にむしばまれている半島にすぎない。バハマ〔英領西インド諸島中の群島〕海峡を通るたくさんの船がかすめる、小群島のまんなかに、置き忘れられた岬にすぎない。メキシコ湾の大暴風雨の前哨なのだ。この州の面積は、一五三六万五四四〇ヘクタールある。このなかから、二八度線に位置している、計画に最適の地点を選ばなければならなかった。だから、バービケインは馬に乗っていたが、細心の注意をはらって、その地形と独特な分布をしらべたのであった。
フロリダは一五一二年、枝の主日〔復活祭直前の日曜日〕に、フアン・ポン・セ・デ・レオンによって発見されたので、最初、『花咲ける復活祭』と名づけられた。フロリダのかさかさにかわいた、焼けるような海岸は、このかわいらしい名前に、あまり似つかわしくない。しかし、海岸から数キロメートルはいると、地質が少しづつ変わってきて、だんだんその名にふさわしくなってくる。クリークや、リオ〔川〕や、水脈や、池や、小さな湖が入りみだれている。オランダかギアナ〔南米北東部にあるオリノコ、リオ・ネグロ、アマゾンの三河にかこまれた大西洋岸の広大な熱帯地域〕にいるような気がするほどだ。しかし平野はかなり高くなり、やがて耕作地が姿を見せる。そこでは北部の野菜も南部の野菜も非常によく生長する。熱帯の太陽と、粘土質の土壌にたまった水とに恵まれた、広大な畑や、パイナップルや、山いもや、タバコや、米や、木綿や、砂糖きびの平原が、見渡すかぎり、何くわぬ顔してその豊かさを惜しげもなくくりひろげながら、つづいていた。
バービケインは、土地がだんだん高くなってゆくのをたしかめて、たいへん満足そうであった。この点に関して、J=T・マストンがたずねると、
「いいかね、きみ、高地でコロンビアード砲を鋳造できるなんて、すばらしいではないか」と、会長は答えた。
「月に少しでも近いからですか?」と、ガン・クラブの秘書役がたずねた。
「そんなことではない」と、バービケインは笑いながら答えた。「何メートルか高くても低くても、どうということはないさ。そうじゃないのだ。しかし、高い所だと、われわれの作業がやりやすくなる。水と戦わなくてもすむし、掘った穴のくずれをふせぐために、長いパイプを挿入しなくてもすむ。こいつは高いものにつくからな。二七〇メートルの深さの井戸を掘るときのことを考えても見たまえ」
「おっしゃるとおりです」と、そこで、マーチソン技師が言った。「穴を掘るときには、できるだけ水脈を避けなければなりません。しかし、もし泉に出会ったら、そんなことはかまいません。われわれは機械を使って汲みつくしてしまうか、さもなければ、その向きを変えてしまいます。いま問題になっているのは、|雌ねじ《タップ》や、鞘輪《スリープ》やボーリング機械、つまり、あらゆる削井《さくせい》機械がめくらめっぽうに働く、暗くてせまい、掘りぬき井戸ではないのです。そうなんです。われわれは、手に|つるはし《ヽヽヽヽ》やシャベルをもって、ダイナマイトを使って、野天で陽の光をあびて働くのです。急速に仕事を進めることができます」
「しかし」と、バービケインがくりかえした。「高地であることで、地下水とたたかわなくてすめば、作業はより迅速《じんそく》に、より完璧におこなわれるでしょう。ですから、海抜数百メートルのところに、われらの穴を掘ろうではありませんか」
「おっしゃるとおりです、バービケインどの。わたしの感ちがいでなければ、まもなく、かっこうの場所が見つかるはずです」
「ああ! 早く最初の|くわ《ヽヽ》入れをしたいものだ」と会長が言うと、
「おれは仕あげの|くわ《ヽヽ》を入れるんだ!」と、J=T・マストンがさけんだ。
「まもなくおできになるでしょう!」と、技師が答えた。「わたくしを信じてください。ゴールドスプリング社は、みなさんに延滞違約金を払うようなことにはならないでしょう」
「聖なるお|ひげ《ヽヽ》にかけて、そんなことにならないようにしてくださいよ」と、J=T・マストンが念をおした。「月がおなじ条件の位置にくるまで、つまり、一八年と一一日のあいだ、一日に一〇〇ドルというと、六五万八一〇〇ドルになるってことは、よくごぞんじなのでしょう」
「いいや、ぞんじません」と、技師は答えた。「われわれは知る必要がないのです」
午前一〇時ごろには、一行は一九キロメートルほど進んでいた。肥沃な平野部が森林地帯にかわった。そこには、熱帯の豊かさのおかげで、ありとあらゆる種類の木がはえていた。ざくろの木、オレンジの木、レモンの木、いちじくの木、オリーブの木、あんずの木、バナナの木、ぶどうの大きな株などが密生し、たがいにその果実と花の、色と香りを競い合っていて、ほとんどなかにはいってゆけないくらいであった。こうした壮麗な木々の、かぐわしい木陰では、世界じゅうのあざやかな色をした鳥が飛びかい、さえずっていた。そのなかでも、|あおさぎ《ヽヽヽヽ》がひときわ目立っていた。|あおさぎ《ヽヽヽヽ》の巣は、まさに、羽のはえた宝石にふさわしい、宝石箱そのものであった。
J=T・マストンと少佐は、このような豊満な自然をまえにして、そのすばらしい美しさに見とれずにはいられなかった。しかし、バービケイン会長は、こうしたすばらしさにそれほど心をとめず、さきへといそいだ。この肥沃《ひよく》な土地は、その肥沃さのゆえに、バービケインの気に入らなかった。地下水の有無を見わけることだけに徹していたバービケインは、足の下に水を感じ、はっきりと湿《しめ》りけのないことをしめす徴候をもとめるのであったが、なかなか見つからなかった。
それにもめげず、一行はさきへと進んだ。いくつかの川の浅瀬を渡らなければならなかったが、これはかなり危険なことであった。というのも、長さ四、五メートルもある|わに《ヽヽ》が、このあたりの川に出没していたからである。J=T・マストンが、そのおそろしい鉤《かぎ》の手で、勇敢にも|わに《ヽヽ》を脅かしたのだが、おそれさせることができたのは、ペリカンや|しまあじ《ヽヽヽヽ》や、この岸にすむ熱帯産海鳥のファエトン〔パイヤンキュとも呼ばれるあじさしに似ている海鳥〕ぐらいなもので、大きな紅鶴《べにづる》はあきれた顔をして、マストンの鉤《かぎ》の手を見つめていた。
そのうちに、こんどは湿地帯のこれらの住人たちが姿を消した。それまでよりまばらな林に、それほど太くない木々が散在している。おびえた鹿の群れが逃げてゆくはてしない草原に、ところどころ孤立して何本かの木がくっきりと立っている。
「とうとうやってきた!」と、バービケインがあぶみの上に棒立ちになってさけんだ。「松の地域だ!」
「そして、野蛮人の地域です」と、少佐が答えた。
事実、地平線に何人かのセミノール族の姿が見えていた。セミノール族は足の速い馬に乗って駆けまわったり、耳をつんざくほどの音をたてて発砲したりして、動きまわっていた。が、セミノール族は敵意をしめしただけで、バービケインの一行を不安にさせるようなことはしなかった。
そこで一行は数十アールもある広大な、石ころだけがごろごろしていて、ほとんど草木のはえていない原野のまんなかで、太陽が焼きつくすような光景をはなっているのに、見とれていた。この原野は広い土地の隆起からできていて、ガン・クラブの連中には、彼らのコロンビアード砲を建設するのに必要な、すべての条件をそなえているように思われた。「とまれっ!」と、バービケインが立ちどまって言った。「ここは、この地方でなんと呼んでいるところか?」
「ストーンズヒル(石の丘)と言っています」と、ひとりのフロリダ人が答えた。
バービケインは、ひとことも言わずに、馬からおり、測量器を手にして、非常に厳密に自分の位置を測定しはじめた。小隊は、バービケインのまわりに整列して、しーんと静まりかえって、じっとバービケインを見つめていた。
このとき、太陽は南中していた。バービケインは、ちょっとのあいだに、すばやく観測の結果を計算して、言った。
「この地点は、北緯二七・七度、西経五・七度(ワシントンの子午線による)で、海抜六〇〇メートルである。乾燥していて、石が多い地質からいって、実験に好つごうなあらゆる条件をそなえているように、わたしは思う。それゆえ、この平原に、われらの倉庫を、われらの作業場を、われらの炉を、労働者の飯場《はんば》を建てよう。ここからなのだ、この地点からなんだ」と、ストーンズヒルの頂を足で蹴りながら、バービケインはくりかえした。「われらの砲弾が、太陽系の空間へと飛び立つのは!」
十四 「つるはし」と「こて」
その晩ただちに、バービケインとその一行はタンパ=タウンにひきかえした。技師のマーチソンはふたたびタンピコ号に乗って、ニューオーリンズに向かった。大量の労働者をやとい入れ、材料の大部分を運んでこなければならなかったのだ。ガン・クラブの連中は、タンパ=タウンにとどまった。この土地の人びとの協力をえて、初期の工事を開始するためであった。
出港後一週間して、タンピコ号はエスピーリト=サント湾に、蒸気船の一船隊をひきいてもどってきた。マーチソンは、一五〇〇人の労働者を集めてきたのだ。奴隷《どれい》制度が残っていたいまわしい時代であったなら、彼はむだな時間をついやし、無益な苦労をしなければならなかったであろう。しかし、この自由な天地アメリカには、もはや自由な人びとしかいなかった。自由な人たちは、賃銀さえたっぷりと支払ってくれれば、どこへでも駆けつける。ところで、ガン・クラブには賃金がたっぷりとあった。クラブは、それ相応の、かなりの特別手当をくわえた高給を支払うと言った。フロリダに採用された労働者は、工事完成後に、自分の名前でボルチモア銀行に預託された金を受けとることができるようなしくみになっていた。だから、マーチソンが困ったことと言えば、労働者の選考だけであった。労働者の知能と熟練さに、厳格な態度をもってのぞむことができたのである。マーチソンは、非常にたくさんの骨身を惜しまぬ人びとのなかから、機械工、火夫、鋳造《ちゅうぞう》工、石炭製造工、坑夫、煉瓦《れんが》工、といったあらゆる領域の職工のエリートを、白人も黒人も、人種の差別なく、選ぶことができた。労働者たちのうちの多くは、家族をともなってやってきた。これぞまさしく民族の大移動であった。
一〇月三一日、午前一〇時、この一群がタンパ=タウンの波止場に上陸した。一日のうちに、人口が二倍になったこの小さな町の、活気にみちたにぎやかさは容易に理解されよう。事実、タンパ=タウンは、このガン・クラブの提案で莫大な利益をえたにちがいない。多数の労働者たちによってではない。労働者たちは、ただちにストーンズヒルへと向かってしまったのだから。地球上のあらゆる地点から、フロリダ半島へと徐々に集中してくる弥次馬《やじうま》の数の増加によってである。
初期のあいだは、船で運ばれてきた機械だとか食糧だとかいった装備の荷揚げに、努力が集中された。同様に、かなりたくさんのトタンばりの家が、ばらばらにされ、番号をうたれてはこばれてきた材料によって組み立てられた。同時にバービケインは、ストーンズヒルとタンパ=タウンを結ぶ、長さ二四キロメートルの鉄道の第一標杭をうち立てた。
アメリカの鉄道が、どんなふうにして敷設されるかはよく知られている。気まぐれに曲がり、大胆に傾斜し、柵もつくらず、基礎工事もいいかげんで、丘をよじのぼり、谷にころげ落ち、線路は直線コースなどということは考えずに、めくらめっぽうに敷かれてゆく。費用もかからないし、めんどうなことは何もない。ただ、脱線すれば、かってにとびおりるだけのことだ。タンパ=タウンからストーンヒルズへの鉄道は、まさしく軽便鉄道だった。敷設するのに、それほどの時間も費用もかからなかった。
それに、バービケインは、彼の呼びかけに応じて馳《は》せ参《さん》じた人びとの精神的中心でもあった。彼は、人びとをはげまし、自分の息吹《いぶ》き、情熱、献身を人びとにつたえた。遍在〔同時にいたるところにいること〕の能力を、まるで天から授かっていたかのように、いたるところに姿を見せた。ぶんぶん音をたててつきまとう蝿《はえ》のようなJ=T・マストンをしたがえて。バービケインの実際的な精神が、くふうをこらして、かずかずの発明を生んだ。バービケインとともに働けば、障害もなければ、困難も生ぜず、当惑するようなことはけっしてなかった。鉱夫であり、左官であり、砲術家であると同様に技術者でもあったので、どんな質問にも解答をあたえ、あらゆる問題を解決してしまうのであった。ガン・クラブやゴールドスプリング社の工場と密接な連絡をとりつづけたので、タンピコ号は夜となく昼となく、釜をたきつづけ、蒸気を圧して、ヒリスポロの碇泊地で、バービケインの命令を待っていた。
一一月一日、バービケインは、労働者の選抜隊とともに、タンパ=タウンをはなれた。翌日ただちに、ストーンズヒルの周囲に、工事に必要な家々からなる都市が建設された。その都市は柵にとりかこまれていたが、その活気、熱気によって、まもなく合衆国最大の市街のひとつに見まがうようなものとなった。そこでは、生活が規律正しくなされ、工事は一糸みだれぬ秩序をもってはじめられた。
慎重におこなわれた調査によって、地質がよくわかっていたので、一一月四日には、掘削《くっさく》にとりかかることができた。この日、バービケインは、作業場の主任たちを集めて、つぎのように申しわたした。
「諸君、諸君はみな、わたしがなぜ諸君をこのフロリダの未開の地に集めたか、ごぞんじのはずだ。内径二・七メートル、外壁の厚さ一・八メートル、そして五・二五メートルを石で塗りかためた大砲を鋳造《ちゅうぞう》するのだ。それゆえ、最終的に幅一八メートルになる井戸のために、二七〇メートルの深さまで掘る必要がある。ところが、この大工事は、八か月で完了しなければならない。そこで諸君は、二五五日のあいだに九万五六〇〇立方メートルの土を掘りださねばならぬ。概算で、一日に三六〇立方メートルになる。この工事も、一〇〇〇人の労働者でやれば、自由に腕がふるえるから、むずかしいことは何もないだろうが、人間の数のわりには窮屈なスペースでの工事だから、かなりやりにくいだろうと思う。とはいえ、この工事はやりとげなければならないものなのだから、やりとげよう。わたしは諸君の腕前と同様に、諸君の勇気に期待をかけている」
午前八時、最初の|つるはし《ヽヽヽヽ》が、フロリダの地面にうちこまれた。そして、この瞬間から、つるはしという勇猛なる道具は、鉱夫の手ににぎられて、瞬時たりとぼやぼやしていることがなくなった。労働者たちは、六時間交代で夜を日についで働きはじめたのである。
そのうえ、工事はとてつもなく大規模なものではあったが、人間の力の限界をこえるようなものではなかった。かなりやさしい工事だ。もっと実現が困難な、いろいろな要素が直接ぶつかりあう難工事が、どれほどあったことか! そして、それらの工事は、有終の美を飾っているのだ! 似たような工事だけにかぎって言うなら、サルタン〔回教国の君主〕サラディンによってカイロのそばに掘られた、あの『父王ジョゼフの井戸』の例をひけばじゅうぶんだろう。機械が人間の力を一〇〇倍にしてしまう時代にはなっていなかったのに、ナイル河の水位にまで、九〇メートルも深く掘りさげたのだ! また、バーデンの辺境伯ヨハンによって、ゴブレンツに掘られた井戸は、地下一八〇メートルにまで達している! そうだ! いったい、何が問題だというのだ? 一〇倍の幅でこの深さの三倍を掘るなんて、ずっとやさしい掘削作業だ! だから、ひとりとして、工事の成功を疑う現場監督も労働者もいなかったのである。
バービケイン会長の賛同をえて、マーチソン技師がくだした重大な決定が、なおそのうえ、工事の進みぐあいを早めた。契約の一項によると、コロンビアード砲には、熱せられた鋳鉄《ちゅうてつ》の輪の|たが《ヽヽ》がはめられることになっていた。むだな用心のしすぎである。なぜなら、この大砲はあきらかにこうしたしばり輪なしですませることができたのである。それゆえ、この条項を削除したのだ。
それゆえ、時間が非常に節約になった。というのも、削井《さくせい》のために採用された新しい掘削法を用いると、掘るのと同時に、石でかためてゆく工事もできたからである。この非常に簡単な方法のおかげで、支柱を使って土をささえる必要はもはやない。内壁がゆるぎない力で土をおさえ、内壁自体の重さで下にさがってゆく。
この操作は、|つるはし《ヽヽヽヽ》が、地中の堅い層に達したときに、はじめられなければならなかった。
一一月四日、五〇人の労働者が柵をめぐらされた地域のちょうど中心に、鍬《くわ》入れをおこなった。つまり、ストーンズヒルのいちばん高い所に、一八メートルの幅のまるい穴があけられたのだ。
|つるはし《ヽヽヽヽ》は、まず最初、一五センチメートルの厚さの、一種の黒い腐食土《ふしょくど》に出会った。これは容易に掘り進むことができた。この腐食土のつぎに、六〇センチメートルにわたってこまかい砂の部分があらわれた。この砂は、ていねいに掘りだされた。鋳型の内型をつくるのに役に立つにちがいないから。
この砂のあとに、かなり緻密《ちみつ》な白い粘土《ねんど》があらわれた。イギリスの泥灰土《でいかいど》に似ていて、一・二メートルの厚さで段々にかさなっていた。
それから、|つるはし《ヽヽヽヽ》の尖端は、堅い地層にぶつかって火花を散らした。化石からできている、一種の非常にかわいた、非常に堅い岩で、もはや|つるはし《ヽヽヽヽ》では掘り進めなくなった。このとき、穴は一八・五メートルの深さに達していたので、石工事が開始された。
この穴の底に、樫《かし》の木の『円形木枠』がつくられた。しっかりとボルトでしめられた、あらゆる試練に耐えられる堅牢さをもった、一種の円板である。その中心に、コロンビアード砲の外径と等しい直径の穴があけられた。この円形木枠の上に、石を水平にならべ、水硬性セメントで、びくともしないように固定したのである。中心の周囲を塗りかためてしまうと、労働者たちは、幅六・三メートルの井戸のなかにとりかこまれてしまった。
この工事が終わると、鉱夫たちはまた、つるはしを手にして、極度に堅牢な『支材』でささえつつ、円形木枠の下の岩を掘りくだいていった。六〇センチメートル深く掘りさげるたびに、これらの支材はぬかれるのだった。円形木枠は徐々に沈み、それとともに、工夫たちがたえず働いている石の環状のかたまりが、鋳造作業のときにそなえた、ガスの『通風孔』を残しながら、沈んでいくのであった。
このような工事は、労働者としてみれば、極度の熟練と細心の注意を必要とする。円形木枠の下を掘っていくとき、石の破片で重傷を負った者が何人となく出た。瀕死の重傷者すらあった。しかし、仕事への情熱は、一瞬たりともさめることなく、作業は昼も夜もつづけられたのである。昼は、灼熱《しゃくねつ》の日光に照らされて──数か月のちにはこの地帯は九九度(摂氏四〇度)にも達した──夜は、いちめんの白く輝く電燈の光のもとで、岩にうちおろされる|つるはし《ヽヽヽヽ》の音、ダイナマイトの爆発音、機械のきしむ音が、空にうずをまいて広がっていく煙と混ざって、ストーンズヒルのまわりに、おそろしい輪を描いていた。もはや、野牛の群れも、セミノール族の別働隊もそこを通りこすことができなくなった。
何はともあれ、工事は順調に進んだ。蒸気起重機が材料をもちあげるのに働いていた。思いがけない障害が生じても、それは予想されていた困難にすぎないので、たやすく解決することができた。
一か月たった。井戸は、この期間に予定されていた深さに達していた。つまり、三四メートルの深さに達していた。一二月には、この深さが倍になり、一月には三倍になった。二月中、労働者たちは、地殻をとおしてあらわれた水の層と戦わねばならなかった。船の浸水個所をふさぐように、湧水の口をコンクリートで塗りかためてしまうために、水を汲みだす強力なポンプと圧搾《あっさく》空気の機械を使わなければならなかった。結局は、このあいにくな水の流れに打ち勝つことができたが、ついで、地層の変動が生じたのである。円形木枠が、一部分たわんでしまったのだ。部分的な隆起であった。高さ一五〇メートルにもおよぶ、この石を塗りかためた円板の押圧力が、どれほどおそろしいものであるか! この突発事故で、何人かの労働者がいのちを失ったのである。
三週間かかって、石の内壁をささえ、その根継ぎをし、円形木枠を最初の堅牢さにもどす作業がおこなわれた。しかし、技師の熟練と、使用された機械のおかげで、一瞬あやうくなった建造物はもとどおりになり、掘削がつづけられた。
以後は、いかなる新しい突発事故も、作業の進行をとめるようなことがなかった。そして、バービケインによってきめられた期間のきれる二〇日まえの六月一〇日、完全に石で内壁を塗りかためられた井戸は、二七〇メートルの深さに達した。底は、九メートルの厚さの土台の上で石工事が終わり、上方の部分は、地面すれすれのところまで、きちっと石でかためられてあった。
バービケイン会長と、ガン・クラブの会員たちは、マーチソン技師を心から祝福した。キュクロプス〔ギリシア神話に出てくるひとつ目の巨人〕がしたような巨大な工事を、なみはずれた迅速さでなしとげてしまったのだから。
この八か月のあいだ、バービケインは、一刻たりともストーンズヒルをはなれなかった。掘削作業をすぐそばで見まもりながら、たえず労働者たちの安全と健康に気をくばっていた。このような密集した人間の集団につきものの、とりわけ、熱帯性のところでは広がりやすい、伝染病に見まわれなかったことは、彼にとって非常にしあわせなことだった。
何人かの労働者が、生まれつきの向こう見ずさで危険な工事にあたり、いのちを落としたのも事実である。しかし、こうした不幸な事故は避けられないものである。とかくアメリカ人は、些細《ささい》なことにそれほど気をくばらない。アメリカ人は、特殊な一個人についてよりも、人類全体について心をくだくのである。けれどもバービケインは、その反対の原則を打ちだした。そして、その原則をあらゆる場合に適用したのである。だから、バービケインの配慮、知性、いったんことある場合における適切な介入、異常なまでの人間的な明敏さのおかげで、大災害の平均数は、用心しすぎるとよく言われている海外の国々の平均数をこえることがなかった。用心しすぎる国のなかでも、とりわけ、フランスでは、二〇万フランの工事に、およそひとつの事故といわれているが、それよりもこんどの場合は、事故の数がずっと少なかったのである。
十五 鋳造祭
掘削工事のおこなわれていた八か月のあいだ、鋳造の予備工事が、同時に平行して、非常な早さでおこなわれていた。もし、ストーンズヒルに、外国人がひょっとしてやってきたら、眼前にくりひろげられている光景に接して、びっくりぎょうてん、腰をぬかしてしまったことだろう。
井戸から五五〇メートルはなれたところに、この中心点をとりまいた環のように、それぞれ一・八メートルの幅の反射炉が、一メートルの間隔でもって、一二〇〇つくられた。この一二〇〇の反射炉を一列にならべると、約三六〇〇メートルにおよんだ。反射炉は、みな、長い四角な煙突をもっていて、おなじ型につくられていた。だから、いとも奇怪な光景を呈していた。J=T・マストンは、この建築構成をすばらしいものだと思った。ワシントンの記念碑的建築物を、想い起こさせてくれるのだ。マストンのことばをかりれば、これよりも美しいものは、ギリシアにだってないのだ。「それに、ギリシアになんか、いままで一度もいったことがないがね」と、マストンは言うのであった.
ガン・クラブの委員会が、第三回目の会議でコロンビアード砲に、鋳鉄、とくに灰色の鋳鉄を使うことを決定したことを思いだそう。事実、この物質は、より靱性《じんせい》があり、より可延性《かえんせい》があり、柔かく、磨《みが》きやすく、あらゆる鋳造作業に適していて、石炭で処理できるので、大砲とか、蒸気機関の円筒《シリンダー》とか、水圧機といったように、非常に抵抗力を必要とするものにふさわしい性能をそなえている。
しかし、鋳鉄は、ただ一回だけの溶融《ようゆう》では、めったにじゅうぶんには等質化しない。二回目の溶融をおこなって、不純物をとり去り、精錬するのである。
それゆえ、鉄鉱石は、タンパ=タウンに送られてくるまえに、ゴールドスプリング社の溶鉱炉で溶かされ、石炭と、高温に熱せられた珪素に接触させられて、炭化され、鋳鉄にかえられてしまう(溶鉄精錬炉において、この炭素と珪素とを除去して、可延性の鋳鉄に変える)。こうして、一回目の操作をおこなってから、金属はストーンズヒルへと運ばれた。しかし、六一二〇万キログラムの鋳鉄である。これだけの量になると、運送費が高くついて、とても、鉄道では送れない。運賃のために、原料の価格が倍になってしまう。ニューヨークで、船をチャーターして、棒鉄を積みこんだほうがはるかに有利であった。それでも、一〇〇〇トン積みの船が少なくとも六八隻は必要だ。五月三日、この正真正銘の一大船隊が、ニューヨーク水道を出発し、大西洋に航路をとり、アメリカ大陸を海岸ぞいに南下し、バハマ海峡にはいり、フロリダ半島の先端をまわって、同月一〇日、エスピーリト=サント湾を北上して、つつがなく、タンパ=タウン港に投錨した。
そこで積荷は船からおろされ、ストーンズヒル鉄道の貨車に積みかえられ、六月の半ばころ、この莫大な量の金属は、目的地についたのであった。
六万トンの鋳鉄を同時に溶かすには、一二〇〇の反射炉でも多すぎはしなかったということは、容易に理解できる。ひとつの反射炉には、ほぼ五万一三〇〇キログラムの金属を入れることができた。これらの反射炉は、ロドマン砲の鋳造に使ったものを手本としてつくられたものであった。梯《てい》(台)形をしていて、非常に底のほうが広くなっている。燃焼室と煙突は、炉全体がおなじように熱せられるように、炉の両端にあった。耐火煉瓦でできたこれらの炉は、ただたんに、石炭を燃焼させる火格子と、その上に棒鉄をならべる『炉床《ろしょう》』とでできていた。二五度の角度にかたむいているこの炉床は、金属を収集槽へと流す。そこから、一二〇〇の集中溝が中央井戸のほうへと導く。
掘削と内壁がための工事が終わった日の翌日、内部の鋳型の作成にとりかからせた。井戸の中央に、垂直に、幅二・七メートル、高さ二七〇メートルの円筒を立てるのだ。これはちょうど、コロンビアード砲の内腔をみたす大きさであった。この円筒は、粘土と砂の混合物に干《ほ》し草と藁《わら》をくわえたものでつくられた。鋳型と井戸の内壁とのあいだのすきまは、溶融された鉄でみたさねばならない。これが、一・八メートルの厚さの砲壁になるのだ。
この円筒は、まっすぐ立っているようにするため、鉄筋を入れて補強され、ところどころ、井戸の内壁とのあいだに横木を漆喰《しっくい》で固定して、動かないようにされていた。鋳造のあとでは、これらの横木は鉄のなかに溶けこんでしまい、なんのじゃまにもならないであろう。
この工事は、七月八日に完了した。翌日、流しこみがおこなわれることになっていた。
「この鋳造祭は、すばらしい式になるでしょうな」と、J=T・マストンは、友人バービケインに言った。
「たぶんね」と、バービケインが答えた。
「だが、公開されることはない!」
「なんですって? やってくる人たちみんなに、かこみの門を開いてあげんのですか?」
「そんなことはしないつもりだよ、マストン君。コロンビアード砲の鋳造は、危険であるとは言えないにしても、きわめてデリケートな作業なのだ。非公開でするほうがいいと、わたしは思う。砲弾発射の日には、|まつり《ヽヽヽ》もよかろう。しかし、それまでは、だめだ」
会長の言ったことは正しかった。作業は、思いがけない危険をひき起こすかもしれなかった。見物人の大群がつめかければ、その危険をふせぐこともできなくなるかもしれない。作業が、なんの妨害もなく、おこなわれるようにしておかなければならなかった。それゆえ、タンパ=タウンにやってきていた、ガン・クラブ会員の代表団をのぞいて、だれもかこみのなかにはいることをゆるされなかった。代表団には、かの颯爽《さっそう》たるビルスビー、トム・ハンター、ブロンスベリー大佐、エルフィストン少佐、モーガン将軍などがいた。この全員のだれにとっても、コロンビアード砲の鋳造は一大関心事であった。J=T・マストンが、代表団の案内人を買ってでた。マストンは、どんなにこまかなところも、省略しなかった。いたるところに、案内したのである。倉庫にも、作業場にも、機械のなかにまで。また、一二〇〇の炉をひとつずつ、むりやり見物させた。だから、一二〇〇番目の見物のときには、みんな、いささかうんざりしていた。
鋳造は、正午きっかりにおこなわれることになっていた。前日、すべての炉にそれぞれ、五万一三〇〇キログラムの棒鉄が入れられた。熱風が、自由にじゅうぶん循環するようにと、棒鉄は十字形に積みかさねられた。朝から、一二〇〇の煙突は、ごうごうたる炎を空中に吐きだしはじめた。大地は、にぶく振動してゆれた。溶解する金属の量だけ、石炭を燃やさなければならなかった。だから、六万八〇〇〇トンの石炭が、太陽のまえに、黒煙の厚いカーテンをはりめぐらしてしまったのだ。
やがて、一二〇〇の炉が形づくっている環のなかは、たえられない暑さとなった。炉のうなりは、雷のひびきのようであった。強力な送風機がつけられ、たえず空気を吸いこんで、白熱している炉を酸素でみたしているのであった。
うまくやりとげるために、作業には迅速さが要求された。大砲のドンというあいずで、炉はいっせいに溶鉄を流しはじめ、すっかり空《から》になってしまうことになっていた。
こうした準備がすっかり整うと、現場監督たちも労働者たちも、何かある種の感慨が混じった、待ちこがれるような気持で、決定的瞬間を待った。かこいのなかには、もはやひとっ子ひとりいなかった。鋳造の現場監督たちは、鋳鉄の流しこまれる穴のそばの部署についていた。
バービケインと同僚たちは、近くの小高い岡にあがって、作業を見まもった。彼らのまえには、大砲が一門置かれ、技師のあいずがありしだい、発射されることになっていた。
正午数分前、鉄のしずくが流れはじめた。タンクが徐々にみちてきた。鋳鉄が完全に液化したとき、異物との分離を容易にするために、しばらくそのままの状態にしておかれた。正午の鐘がなった。突然、大砲が火を吹き、淡黄褐色の光を空にはなった。一二〇〇の鋳造溝がいっせいに開き、一二〇〇の火が、中央井戸のほうへと、蛇のように、白熱の|とぐろ《ヽヽヽ》をまきながら、はっていった。そして、中央井戸に達するや、ものすごい音をたてて、二七〇メートルの底へと、怒涛《どとう》のように落ちていった。感動的な、壮大な光景だった。大地は揺れ、この鋳鉄の波は、空に向かってもくもくと煙を吹きあげ、同時に、鋳型の湿気を蒸発させ、内壁の通風孔から、巨大な水蒸気の雲を排出したのであった。この人口の雲は、くねりながら、天頂に向かって、一〇〇〇メートルの高さにまであがっていった。地平線のかなたをさまよっていた未開人たちは、フロリダのまんなかに、新しい火山が隆起したのだと思ったことであろう。しかし、これは、噴火でもなければ、|たつまき《ヽヽヽヽ》でも、嵐でも、自然力のぶつかりあいでもなかった。自然が起こすことのできるおそろしい現象のひとつなんかではなかったのだ! そうだ、ただ人間だけが、この朱《あけ》に染まった水蒸気を、火山にも似た、この巨大な炎を、地震のような、大きな振動を、ハリケーンや台風にも匹敵する怒号をつくりえたのだ! ナイアガラのような、深い淵に、溶けた鉄をつき落としたのは、ほかならぬ人間の手なのであった。
十六 コロンビアード砲
鋳造はうまくいったであろうか。それについては、憶測にたよるよりしようがなかった。しかし、なりゆきはことごとく成功を信じさせた。というのも、溶鉱炉で溶かされた金属が、すべて鋳型のなかに流しこまれていたからである。がともあれ、成功についての直接の確証をうることは、かなりのあいだ、不可能であったにちがいない。
事実、ロドマン少佐が七万二〇〇〇キログラムの重さの大砲を鋳造したときにも、その冷却にはやはり二週間かかった。とすると、もうもうと立ちこめる蒸気、高熱のために近づきにくい、この巨大なコロンビアード砲は、いったい何日のあいだ、賛美者たちの視線から、その姿をかくすことになるのであろうか? それを計算するのはむずかしかった。
待ちきれない思いでいるガン・クラブの会員たちにとって、この期間はつらい試練のときであった。が、どうにもしようがなかったのである。J=T・マストンは、熱心さのあまり、もう少しで、まる焼けになるところであった。鋳造後二週間たっても、もくもくと立ちのぼる煙が空いちめんに立ちこめ、ストーンズヒル頂上の周囲二〇〇歩以内の地面は、暑さのために足をふみ入れることができなかったのである。日はどんどんたってゆき、積もり積もって何週間にもなった。が、巨大な円筒を冷却させる手段はまるでなかった。接近することすら不可能なのだ。しかし、待つよりほかになすすべもなく、ガン・クラブの会員たちはしびれをきらせながらもがまんしなければならなかった。
「きょうは八月一〇日だ」と、ある朝、J=T・マストンが言った。「一二月一日まで、ぎりぎり四か月しきゃあない。それなのに、内側の鋳型をとりのぞいたり、大砲の芯の径を測ったり、コロンビアード砲を装填《そうてん》したり、こういったことをみんなこれからしなけりゃあならんのだ! まにあいっこないぞ! 大砲に近寄ることもできないのだから。大砲のやつ、絶対に冷却しないつもりなのだろうか? こいつあ、ひでえ|だまくらかし《ヽヽヽヽヽヽ》って言うもんだよ!」
いらいらしているこの秘書役の気を、しずめようとしてもとてもむりだった。いっぽう、バービケインはむっつり黙りこくっていたが、その沈黙にはおし殺されたいら立ちが隠されていた。時間だけが解決できる障害のために、完全に手も足も出なくなるなんて──時間は、こうした場合、おそるべき敵なのだ──、そして、この敵の意のままになるなんてことは、戦闘をしたことのある者にとっては、じつにつらいことなのだ。
とはいえ、毎日の観察の結果、土壌の状態にいくらかの変化を確認することができた。八月一五日ごろになると、噴出する蒸気の強さ、濃さがいちじるしく減じてきたのである。さらに数日たつと、地面からは、もはや、あわい水蒸気が立ちのぼるばかりとなったが、それは石の棺のなかに閉じこめられた怪物が吐きだす、最後の息吹《いぶ》きであった。だんだんに地面の振動もおさまり、熱気帯はせばまってきた。見まもっている人たちのなかでいちばん気短かな連中は、はやくも接近しはじめた。ある日、四メートル前進すると、その翌日には八メートル前進するといったぐあいに。そしてついに、八月二二日、バービケインと同僚たち、および技師のマーチソンは、ストーンズヒルの頂上に接していちめんに広がっている鋳型の上に歩みを進めることができたのである。その場所がたいへん衛生的であったことは確実である。足がつめたくなるなんて、まだとてもありえないことであったから。
「とうとうやったぞ!」と、ガン・クラブの会長はさけんで、満足の吐息《といき》を大きくもらした。
作業は、その日ただちに再開された。内側の鋳型除去の作業にとりかかったが、それは大砲の芯を清掃するためであった。ピッケル、つるはし、ねじきり道具がひっきりなしに用いられた。熱の作用のため、粘土質の土壌と砂が極度に硬くなっていたのである。しかし、機械の助けもあって、鋳型の壁と接触したため、まだ燃えるように熱い、この土砂の混合物をかたづけてしまうことができた。このようにして鋳型材が掘りだされると、蒸気トロッコに乗せて手ばやく処理された。作業は、非常に巧妙に、しかも、熱心におこなわれた。そのうえ、バービケインが、ドルをふりかざしてがんがんせきたてたので、九月三日には、鋳型はあとかたなく消え去ってしまった。
ただちに砲口内壁の研磨が開始された。一刻の猶予もなく機械が設置され、強力なドリフトを稼動させると、ドリフトの刃は鋳型のざらざらをどんどんけずりとっていった。数週間後、巨大な管の内面は完全円筒型となり、大砲内部は完全になめらかになった。
ついに九月二二日、つまり、バービケイン発表があってから一年たらずのうちに、この巨大な装置は、厳密な検査を受けたのち、精巧な道具を用いて完全に垂直に立てられた。かくして発射準備はととのったのである。もはや、待つべきものは月のみとなったが、人びとは月がちゃんとランデブーにくるということを確信していた。
J=T・マストンのよろこびようときたら、もはやとどまるところを知らずといった状態。二七〇メートルの砲筒をのぞきこんで、あわやまっさかさまに墜落するところであった。尊敬すべきブロンスベリー大佐が、さいわいにも残っていた右手を差しのべたからよかったものの、そうでもなかったら、ガン・クラブの秘書役は、エロストラート〔不滅の名を残そうとして、世界七不思議のひとつであるエペソスのアルテミス神殿を炎上させた男〕の再来のように、コロンビアード砲の奥底で死と対面することになったであろう。
つまり大砲はできあがったのだ。大砲が完全にしあがったことに、もはや疑いをさしはさむ余地はなかった。そこで一〇月六日、ニコル大尉はいや応なしにバービケイン会長に金を支払った。会長は帳簿の収入欄に金二〇〇〇ドルを記入した。当然、考えられることだが、大尉の怒りはその極に達し、そのために病気にまでなってしまった。しかし大尉はまだ、三〇〇〇ドル、四〇〇〇ドル、五〇〇〇ドルの三つの賭けをしているのだから、あとふたつに勝ちさえすれば、大もうけとまではいかなくとも、取り引きに損はないはずだが、しかし金額なんかはどうでもよかった。二〇メートルもある板をうちぬいてしまうような大砲の鋳造に、自分のライバルが成功したということで、大尉は大打撃をうけたのである。
九月二三日以降、ストーンズヒルの周囲が一般大衆に解放されたが、どれほどたくさんの見物人がおしかけたかは、容易に理解できるだろう。
事実、数えきれないほどの弥次馬《やじうま》が、合衆国のあらゆる地方からフロリダに向かって、馳せ参じてきたのである。タンパ=タウンは、その年、完全にガン・クラブの仕事にかかりっきりになったが、その年のあいだに町はとてつもなく膨張《ぼうちょう》し、人口一五万を数えるにいたった。町はまず、ブルック砦《とりで》を吸収してこみ入った街区とし、いまや、エスピーリト=サント湾のふたつの停泊地をわけている、あの細長い半島部へとのびてきたのである。アメリカの灼熱《しゃくねつ》する太陽のもと、かつては人気《ひとけ》のなかった砂浜に、新しい街路、新しい広場、林立する家々が、草のようにひょっこり芽をだしたのだ。会社がいくつも設立されて、教会、学校、個人住宅を建て、わずか一年たらずで町は一〇倍にも広がったのである。
周知のごとく、ヤンキーは、生まれつきの商売人である。寒冷地から熱帯にいたるあらゆるところで、運命が彼らを投ずるところで、彼らの商売本能が有効に発揮される。だからこそ、ガン・クラブ作戦の進行状態を見ようというだけの目的でフロリダにやってきた、ただの弥次馬連中が、タンパに身を落ちつけるやいなや、ただちに自分たちの商売作戦にひきずりこまれていったのである。資材や労働者をいっぱいに乗せた輸送船が、港に、かつて例のないほどの活気をあたえた。とかくするうちに、食糧、必需品、商品を積んだ、あらゆる型、あらゆるトン数の船が、湾内のふたつの停泊地を行き来するようになり、船会社の大きな支店、仲介人事務所が町に建てられ、船舶新聞には毎日、新たな船のタンパ港入港が記載されるようになった。
いっぽう、新しい道路が、町の周辺へとのびていったが、同時に、町の人口および商業量のおどろくべき増加のため、ついに町は鉄道によって合衆国の南部諸州と連絡されるにいたった。一本の鉄道路線がモービルと南部アメリカの大海軍工廠があるペンサコーラとを結び、さらにこの重要拠点からタラハッシーへと向かっていた。そこにはすでに、まだ開通していない延長三三・六キロメートルにおよぶ鉄道路線小区間があり、この線で、タラハッシーは海岸地帯のセント=マークスと結ばれていた。そして、この路線のターミナルがタンパ=タウンにまで延長されたわけなのだが、この路線が開通することによって、その途中にある中部フロリダの死んだような地域、眠ったような地域がよみがえり、目覚めたのである。かくして、ひとりの男がある日ふと浮かべた思いつきのおかげで、タンパの産業はおどろくべき繁栄を見たのだ。だから、この町があたかも大都市のような様相を呈したのも、当然である。町は『ムーン=シティ』とあだ名された。そのおかげで、フロリダ州の首府は、皆既食《かいきしょく》のように、完全に影がうすくなってしまった。しかし、この食は、世界のあらゆる地点から観測できるものであった。
それゆえ、テキサスとフロリダとのあいだの敵対意識が、どうしてあれほど大きなものであったか、そして、ガン・クラブの選択の結果、思わくがはずれたと知ったときのテキサスの人たちのいらだちが、どれほどのものであったか、いまや、だれにでも理解されるであろう。テキサスの人たちは、先見の明があったから、バービケインが試みようとする実験のおかげで、一地方がどれほど得をするか、このような大砲の発射にはどれほどの利益がともなっているか、ということを知っていた。テキサスは商業と鉄道の一大中心地になれなかった。人口のいちじるしい増加も見ることがなかった。こうした利益はすべて、波立つメキシコ湾と、大波のくだける大西洋のあいだにつきだした桟橋のような、あのみすぼらしいフロリダ半島に帰してしまったのだ。だから、バービケインはサンタ=アナ将軍とともに、テキサス人の反感をすべて受けることになったのである。
とはいえ、どんなに商業熱、工業熱に浮かされても、新たにタンパ=タウンの人口を構成することになったこれらの人びとは、興味津々たるガン・クラブ作戦を忘れてしまおうなどという気には少しもならなかった。いや、それどころか、作戦計画のもっとも些細《ささい》なできごと、つるはしのわずかな音さえ、彼らを熱狂させたのである。言ってみれば、それは町とストーンズヒルとのあいだのたえざる往来、いや、おごそかな行列、もっとぴったりとしたことばで言えば、それは巡礼であったのだ。
砲弾の発射当日には、見物人は、その数、数百万を数えるであろうことが予測できた。というのも、すでに地球のあらゆる地点から見物人たちが、このせまい半島に向かって集まりつつあったからである。ヨーロッパからアメリカへの人類大移動なのだ。
しかし、言っておかなければならないが、そのころまでは、これらの多くの到来者たちの好奇心は、中途はんぱな満足しかえていなかった。多くの人びとは、鋳造現場を見物してやろうとあてこんでいたのに、見えるものといったら煙ばかりであった。これでは、見物人の飢えた目を満足させることは、とうていできるはずがない。が、バービケインは、その作業にだれひとり立ち会わせようとしなかった。そのため、悪口、不満、不平の声がたえなかった。人びとは会長を非難し、絶対主義だ、やり方が『アメリカ的ではない』などと言ってののしった。だから、ストーンズヒルの柵のまわりは、まるで暴動のようなありさまになった。けれども、ご承知のように、バービケインというひとは、一度心をきめると、頑として、その決心を曲げるようなことは絶対にしなかった。しかし、コロンビアード砲が、完全にできあがると、柵を閉ざしたままにしておくわけにはいかなくなった。第一、柵を閉じたままにしておいて、大衆に不満感を抱かせるのは不手際にきわみだし、それどころか、不用心のきわみでもあった。そこで、バービケインは、柵をあけて、くるものはこばまないことにした。実利的精神を発揮し、大衆の好奇心を利用して、ひとつ金策をしてやろうと決心したのである。
巨大なコロンビアード砲をながめるだけでもたいしたことだが、この砲の奥底におり立つことができたら、それこそ『史上最高の』幸福だと、アメリカ人たちは思っていた。だから、この金属の深淵の内部を見学するというよろこびをもちたいとねがわない弥次馬《やじうま》はひとりとしていなかった。見物人たちは、蒸気ウインチづりのエレベーターに乗って見学し、その好奇心をみたすことができた。このことは熱狂的な反響をまき起こした。女も子どもも老人も、すべてのひとが、大砲の心臓部内の奥におり立って、この巨大な大砲の神秘をさぐることをめいめいの義務としたのだ。降下料金はひとり五ドルときめられた。そして、発射の日に先立つ二か月間に──そのあいだ、降下料金は値あげされたけれども──、見物人が群れをなして集まり、ガン・クラブは五〇万ドル近い金額を金庫におさめることができた。
コロンビアード砲を最初に見学した人たちが、ガン・クラブの会員であったことは申すまでもないが、それは、この名高い会のためにとっておかれた当然の権利であった。この壮挙は九月二五日におこなわれた。貴賓エレベーターに乗って、バービケイン会長、J=T・マストン、エルフィストン少佐、モーガン将軍、ブロンスベリー大佐、技師マーチソン、およびこの名高いクラブのおもだった会員が底におりた。全部でほぼ一〇名であった。長い金属でできた筒の底部は、まだとても暑かった。少し息がつまる! だが、なんというよろこび! なんたる陶酔! コロンビアード砲をささえている石の土台の上にあるテーブルには、一〇人分の食事が用意されていた。砲内部は、電気ランプの投ずる光で、『昼間のように明るく』照明されていた。すばらしい料理がたくさん、まるで空から降ってくるかのように、会食者のまえに、つぎからつぎへとならべられていった。地下二七〇メートルのところで供されたこのすばらしい食事のあいだ、フランス最上のワインが滝のように流されたのだった。
祝宴は活気にあふれていた。いや、かなりそうぞうしくさえあった。乾杯のさけびが、しょっちゅうかわされた。ガン・クラブのために、合衆国のために、月のために、月の女神フェーベのために、ディアーナのために、セレーネーのために、夜ごとの天に輝く天体のために、『空のやさしい郵便屋さん』のために、などと言っては、乾杯をかわしたのだ。こうした歓喜のさけび声はみな、音波となって巨大な音響管をつたわって、管の先端に達し、まるで雷のような音を発した。そして、ストーンズヒルのまわりにならんだ群衆は、巨大なコロンビアード砲の底に埋もれた一〇人の会食者たちと、心と声をひとつにしてさけび声をあげるのだった。
J=T・マストンは、もう自分の気持をおさえることができなかった。マストンのさけび声と身ぶりとでは、どっちがおおげさであったか、飲んだ量と食べた量ではどっちが多かったか、判定をくだすのはむずかしい。いずれにせよ、帝国をひとつくれると言われても、自分の席をゆずらなかったであろう。
「いやだよ、たとえ、大砲が装填《そうてん》点火されて、たったいま、ドカーンといって、おれがこなごなになって遊星のまっただなかに送りこまれることになるとしても、おれはいやだよ」
十七 電報
ガン・クラブによってくわだてられた大工事は、つまり、完成してしまったのだが、砲弾発射の日は、まだ二か月も先のことであった。長い歳月のようにも感じられるこの二か月を、世界じゅうのひとがどんなに待ちきれない思いで待っていることか! これまでのところ、仕事のなりゆきは細大もらさず、新聞によって日々報道されたので、人びとはその記事をむさぼるようにして読んでいた。しかし、こうなると、いわゆる『興味の分けまえ』は、大衆にわかちあたえられるために、大幅に減少してしまうおそれが生じる。だから、人びとはもはや、日々の感動にありつけなくなるのではないかと心配しだした。
だが心配無用、もっとも意外で、とてつもなく異常で、まったく信じられないほど、ありそうにもないできごとがもちあがったのだ。人びとの、期待にときめく心は、ふたたび熱狂し、全世界は、異常な興奮状態におちいってしまった。
ある日のこと、正確には、九月三〇日午後三時四七分に、ヴァレンシア〔アイルランド〕、ニューファウンドランド、アメリカ海岸間海底電線によって送信された電報が、バービケイン会長のもとに届いたのである。
バービケイン会長は、封をきって電文を読んだ。バービケインの自制力はたいしたものであったけれど、この電報の二〇語を読むや、唇は色を失い、目には困惑の色が浮かんだ。今日、ガン・クラブの記録保存所で見ることができるこの電報の内容は、つぎのとおりである。
〔発信地〕 フランス、パリ
〔発進時〕 九月三〇日午前四時
〔宛先〕 合衆国、フロリダ州、タンパ、バービケイン殿
〔電文〕 キュウジョウホウダンヲ、エントウガタロケットニカエヨ」ソレニノリテシュッパツセン」キセンアトランタニテトウチャクヨテイ」
ミシェル・アルダン
十八 『アトランタ』号の船客
もし、このおどろくべきしらせが、電送されずに、たんに封書の郵便物として配達されていたならば、つまり、もし、フランス、アイルランド、ニューファウンドランド、アメリカの電報局の局員たちが、必然的にこの電報の内容を知るということにならなかったならば、バービケインは、一瞬たりともためらわなかったであろう。黙殺して、自分の仕事の評判を落とさないように用心したにちがいない。この電報には、何かひとをだまして煙にまくようなものが、隠されているかもしれないのだ。とにかく、発信したのがフランス人なのだから、こんな旅行を考えつくだけでも、とてつもないことだが、どこのだれだか知らないが、これほど大胆になるなんてことがはたしてありうるだろうか? それにしても、そんな男が実際にいるなら、そんな気ちがいは、ロケットに乗せるどころか、独房のなかにでも閉じこめておくべきではないだろうか?
しかし、電報は知られてしまった。というのも送信機械というやつは、その性質上あまりつつしみ深いものではないからだ。それゆえ、ミシェル・アルダンの提案は、合衆国諸州をすでに駆けめぐっていた。だから、バービケインとしても、もはや黙殺することはできなかった。そこで彼は、タンパ=タウンにいる同僚たちを召集し、落ちついて簡潔な電文を読みあげた。しかし、それについての自分の考えを打ち明けたり、電報の信憑性《しんぴょうせい》について口にするようなことはしなかった。
「じょうだんじゃない!」「ありえないことだ!」「ほんの悪ふざけさ!」「ひとをばかにしていやがる!」「あほらしい!」「つまらん!」
疑い、不信、ばか、気ちがいを表現するのに使われるあらゆることばが、数分間のあいだ、こんな場合のおきまりの身ぶりを混じえて、つぎつぎに発せられた。みんなは、それぞれの気分のままに、ほほえんだり、笑ったり、肩をそびやかしたり、爆笑したりした。ただJ=T・マストンだけが、みごとなことを言った。
「こいつはちょいとした思いつきだね!」とさけんだのだ。
「さよう」と、少佐が答えた。「しかし、たまには、こんなことを思いついたってかまわんが、そいつを実行しようなんてことは夢にも考えないことが条件だな」
「なんでいけないんだ?」と、ガン・クラブの秘書役は|けんか《ヽヽヽ》腰で言いかえした。だが、だれも議論をそれ以上進めようとは思わなかった。
しかしながら、ミシェル・アルダンの名はすでに、タンパの町で知れわたっていた。外国人たちも、土地の人たちも、たがいに顔を寄せあったり、たずねあったり、じょうだんを言いあったりしたけれども、そのひやかしの対象となったのは──神話、空想上の人物ともいうべき──このヨーロッパ人ではなく、こんな伝説的な人物の存在を信じることができたJ=T・マストンであった。バービケインが、月へ砲弾を発射することを提案したとき、人びとは、そのくわだてを当然のことと、実行可能なこと、たんに発射術上のことと考えた。しかし、理性ある人間がその砲弾に乗って、とてつもない旅行を試みようと申し出るなんて、まさに、いいかげんな申し出であり、冗談、ひやかし以外のなにものでもない。こういうのをフランス人は『駄法螺《だぼら》』と日ごろ言っているが、まさにその『駄法螺』というやつなのだ。
嘲笑は、たえまなく晩までつづいた。全合衆国が気ちがいじみた笑いの発作にとらえられたと言いきれるけれども、このようなことは、無鉄砲なくわだてにも進んで参加する賛美者、信奉者、支持者があらわれるこの国においては、例のないことなのだ。
とはいえ、あらゆる新しい思想がそうであるように、ミシェル・アルダンの提案も、人びとをやきもきさせずにはおかなかった。いつもの心の動きを狂わせてしまった。『そんなことは考えられなかった!』のである。このできごとは、まさにその異常さのために、やがて人びとの心につきまとってはなれなくなった。人びとは考えた。前日まで否定されていたことが、どんなにかたくさん、その翌日に実現されたことか! この旅行は、いつの日にか実現されるのではないだろうか? が、どっちみち、こんな冒険をしようなんていう男は気ちがいにちがいない。それに、こんな計画がまじめにとられるなんてことはありえないのだから、変な考えで人心をまどわせるより、黙っているほうがどう考えたってましだったのに。
しかし、何はともあれ、この人物は、実在しているのだろうか? それが問題だ! この『ミシェル・アルダン』という名前は、アメリカじゅうに知れわたってしまった。この名前はヨーロッパ人の名前だが、その大胆なくわだてゆえに、さかんにひとの口にのせられた。それに、この電報が大西洋の海底を通ってきたということ、このフランス人が自分の乗船する船の名前をあげていること、近く到着するというその予定日、このようなあらゆる状況が、アルダンの提案に一種の真実性をあたえていた。だから、ことのしだいをはっきりとさせる必要があった。そこで、やがて、ばらばらだった人たちが集まっていくつかのグループになり、それらのグループは原子が分子運動のために凝縮《ぎょうしゅく》するのとおなじように、好奇心の作用で結集し、そしてついには密集した群衆となって、バービケイン会長の家へと向かったのである。
会長は、電報が配達されてから、まだ自分の意向を述べていなかった。つまり、J=T・マストンには、意見を言わせておいたが、それにたいして、賛成も反対もしていなかったのである。何も言わないでいて、ことが起こるのを待とうと考えていたのだ。が、気短かな大衆のことは考えに入れていなかった。会長はタンパの人びとが、自分の家の窓の下に集まってくるのを不満そうにながめていた。やがて、不平のざわめき、怒号のために、バービケインは、どうしても群衆のまえに姿をあらわさなければならなくなった。ご承知のように、バービケイン会長には、名声からくるあらゆる義務、したがって、あらゆる苦労があったのである。
そこで、バービケインは群衆のまえに姿を見せた。すると、ざわめきはぴたりとやみ、ひとりの市民が代表して、ぶっきらぼうに質問した。
「電報でミシェル・アルダンと称している人物は、アメリカへの途上にありやいなや?」バービケインは答えた。「諸君、わたしも諸君同様知らんのです」
「知らなければならないんだ!」という気短かなさけびがあがった。
「時がたてば、おのずとわかるでしょう」と、会長は冷静に答えた。
「一国全体を不安な状態にしておくのを、時のせいにする権利はない」と、代弁者が応酬した。「会長は、電報が要求しているとおりに、発射体のプランを変更したか?」
「まだです、諸君。が、おっしゃることはごもっともです。どうすればよいか、考えてみなければなりません。目下の動揺の原因はすべて電報局にあるのですから、電報局に情報をおぎなってもらいましょう」
「電報局へ! 電報局へ!」と、群衆はさけんだ。
バービケインは階下におり、大群衆の先頭に立って官庁街へと向かった。
数分後、リヴァプールの船舶ブローカーの理事あてに電報が打たれ、つぎの質問の返答を依頼した。
「船舶アトランタとは何なりや? いつヨーロッパを出発せしや? 乗客にミシェル・アルダンなるフランス人ありや?」
二時間後に、バービケインは照会にたいする返答を受けとったが、それは一点の疑いも残さないはっきりとしたものであった。
「汽船アトランタ号は一〇月二日リヴァプールを出航し、──タンパ=タウンに向かえり。──乗客にフランス人一名あり、ミシェル・アルダンの名で乗客名簿に記載されたり」
かくして、第一の電報は確証された。会長の目は、突如として炎のように輝き、拳《こぶし》は荒々しくにぎりしめられ、こんなつぶやきが口からもれた。
「するとほんとうなのだ! そうか、ほんとうだったのだ! このフランス人は実際にいるんだ! そして、二週間後にはここにやってくる。が、こいつは気ちがいだ! 頭にきてやがるんだ! 絶対に、うんと言うものか!……」
ところがまさしくその晩、会社に手紙を書き、新たに指令するまで、砲弾鋳造を一時見あわせるよう依頼した。
ここで、アメリカ全体がおちいった興奮について語ったり、バービケイン発表のときの一〇倍にもなるセンセーションが、どうしてひき起こされたのか、とか、合衆国の新聞がどんなふうに報じたのか、つまり、どのような態度でジャーナリズムがこの知らせを受けとり、旧大陸から英雄がやってくることを、どのような調子で報じたのか、とか、どのような動揺のうちに、人びとが、時間を数え、分を数え、秒読みをしてすごしたかを描いたり、すべてのひとが、うんざりしてしまうほどとりつかれてしまったひとつの思いつきに、弱い線でなりとも輪郭をあたえたり、みんなが、このひとつのことに気を奪われてしまったために、仕事に手がつかなくなったり、商取引を延期したり、出航準備のととのった船も、アトランタ号の到着を見のがすまいと、港に錨《いかり》をおろしたままになり、到着する列車は満員でも帰りはガラガラになったり、エスピーリト=サント湾が、あらゆる大きさの汽船、郵便船、遊覧ヨット、フライボートなどで、たえず波立っているようすをはっきりとしめしたり、数知れぬ弥次馬の群れが、二週間のうちに、タンパ=タウンの人口を四倍にもしたため、野戦のときのように、テント生活をしなければならなくなったひとの数を数えたりすることは、人間業では、とてもできない仕事であり、だいいち、いまにしてそのようなことをくわだてるなんて、無謀きわまりないことであった。
一〇月二〇日午前九時、バハマ運河の海軍信号所から、水平線上にもくもくと立ちのぼる煙をみとめたとの連絡があった。二時間後、信号所はこの大型汽船と、あいずの信号をとりかわし、ただちに、タンパ=タウンに、アトランタ号の名前を知らせた。午後四時、このイギリス船は、エスピリート=サント湾にはいり、五時に、ヒリスボロ湾の水道を全速力で通過し、六時に、タンパ港に投錨した。
錨《いかり》が、まだ海底の砂に食いこむか、食いこまないうちに、五〇〇隻以上のボートが、まるで船を襲撃するかのように、アトランタ号をとりかこんだ。バービケインは、まっ先に舷側を乗りこえ、心の動揺をかくしきれない声で、
「ミシェル・アルダンはいるか?」と、さけんだ。
「ここだ!」と、船尾甲板にいたひとりの男が答えた。
その男は四二歳、背は高かったけれども、すでに腰がいささか曲がっていて、ちょうど、肩でバルコニーをささえている女神像のような姿をしていた。この男は、ときおり、ライオンの頭のように勇ましい頭をふったが、それにつれて、まるでライオンの|たてがみ《ヽヽヽヽ》のようなはげしい色をした彼の髪の毛が、ゆれ動くのだった。|こめかみ《ヽヽヽヽ》のところばかり広くて、上下に短い顔は、猫の|ひげ《ヽヽ》のように上向きになった口ひげと、頬《ほほ》いちめんにはえている黄色がかった産《う》ぶ毛で飾られていたし、心ここにあらずといった感じのまるい目は、近視のひとの眼差《まなざし》をもっていたが、そういったことのすべてが、この男の表情に、きわだって猫のような感じをあたえていた。が、鼻には大胆不敵な表情があらわれていたし、口もとは人間味にあふれていて、理知的な広い|ひたい《ヽヽヽ》は、いつもよく耕されている畑のように、しわが寄っていた。また、長い脚の上にどっしりと乗っている幅の広い胴体、|てこ《ヽヽ》のように力強くしっかりとした筋肉質の腕、てきぱきとした動作、そういったものが、このヨーロッパ人に頑丈な快男児、冶金術のことばをかりれば、『鋳造されたというよりは鋳造された』快男児といった風貌をあたえていた。
ラヴァテール〔スイスのプロテスタントで、哲学者、詩人、神学者。人相学の創始者。一七四一〜一八〇一〕や、グラチオレ〔フランスの生理学者、脳神経の専門家。『人間および霊長類の脳のひだについての覚え書』(一八五四)などの名著がある。一八一五〜六五〕の弟子なら、彼の頭蓋骨と表情を見ただけで、闘争性をあらわすあきらかな人相、つまり、危険に立ち向かい、障害をうちくだこうとする人相を、たやすく見ぬいたことであろう。それはまた、気前のよさをあらわす人相でもあり、非凡さをあらわす人相でもある。ある種の気質のひとをして、超自然的なことに情熱を燃やさせる本能なのだ。しかし、そのかわり、所有欲や獲得欲をしめす相である頭蓋隆起が、この男にはまったく見られなかった。
このアトランタ号の乗客の外見上の描写を終えるには、ゆったりとした、大型の服を指摘しておかなければならない。つまり、ミシェル・アルダンみずから『布地殺し』というあだ名をつけたほど、たっぷりと布地を使ったズボンと上着を着ていて、ネクタイをだらしなくむすび、広く開いているシャツのカラーから頑丈な首をつきだし、熱っぽい手がにゅっと出ている袖口のボタンはいつもかかっていなかったのだ。この男を見ていると、冬の真っさいちゅうでも、危険の真っただなかでも、決断の武者ぶるいこそすれ、けっして寒さやおそれで、身をふるわせたりなどしっこない、という感じがした。
とはいえ、汽船のデッキの上では、雑踏《ざっとう》にもまれて、いったりきたりして、少しもじっとしていず、まるでよく水夫たちが言っている『錨をなくした船』のようにうろつきまわり、だれとでもはでな身ぶりで、仲間のような口をきき、せかせかと爪をかんでいた。彼は、神さまが気が向いたときにお創りになる、あの変わり者のひとりであったが、神さまは、そのような変わり者を創られると、すぐにその鋳型をこわされてしまうのだ。
事実、ミシェル・アルダンの性格は、分析家に大きな研究課題をあたえるものであった。このおどろくべき男は、いつも誇大妄想的に生きてきたし、ものごとを最上級で表現する年ごろを出ていなかったのである。事物は、彼の網膜《もうまく》にばかでかくうつり、それがとんでもない連想を産みだすのだ。さまざまな困難なことと、人間たちとをのぞいて、彼はすべてのものを拡大して見ていたのである。
そのうえ、この男は、生まれつき修飾の才能に恵まれていた。生まれながらの芸術家、才気あふれる人物だったのだ。もっとも、しゃれた文句を、つぎからつぎへと口にするというより、的を射たことばを、タイミングよく口にして相手をやっつけるというタイプであったのだが。ひとと議論をするときには、論理などにおかまいなく、彼なりの論法で相手をやっつける。三段論法など大きらいで、金輪際《こんりんざい》、思いつきもしなかったであろう。まことの剣客ならぬ論客で、相手の胸に|さび《ヽヽ》のきいた議論をぐさりと突きさしたり、また、どうにも見こみのない立場を必死に防衛したりすることが大好きであった。
ほかの特徴としては、シェイクスピア気取りで、『崇高なる無知』と自称し、物知りたちを公然と軽蔑していた。彼に言わせれば、学者とは『ゲームに参加しないで得点をつけることしかしない連中』なのだ。要するに、彼は、実現できそうもないことを約束するボヘミアンであり、山っ気はあるが山師ではなく、向こう見ずな冒険家であり、全速力で日輪の車を走らせるパエトーン〔太陽神の子〕であり、予備の翼をいくつでももっているイカロス〔父ダイダロスの発明した翼を身につけて、空中を飛んだが、父の命令にしたがわないで高く飛んだため、太陽の熱で翼がとけてイーカリオス海に墜死したギリシア神話の人物〕のような男なのだ。それにまた、危険に身をさらしながらも、彼はそれをみごとにきりぬけ、気ちがいじみたくわだてに昂然《こうぜん》と身を投じ、背水の陣をしいても、アガトクレス〔シラクサの暴君。前三六一〜二八九〕よりも元気よく、どんなときにも、はらわたをえぐらせる覚悟ができているから、きまって最後には、難関をきりぬけてすくっと立ちあがてしまう。まるで、子どもたちがやんやと喝采する、|にわとこ《ヽヽヽヽ》の背骨をもった、不死身のどさまわりの喜劇役者みたいだったのだ。
彼のモットーを二語で言うなら、ひとつは『たとえ何が起ころうとも!』であり、もうひとつは、『不可能への情熱こそ、ポープ〔イギリスの詩人。一六八八〜一一七四四〕の美しい表現をかりて言えば、彼の(支配的情熱《ルーリング・パッション》)である』というのであった。
が、同時に、このがむしゃらな快男児はその美点ゆえに、じつに多くの欠点をもっていた。虎穴《こけつ》に入らずんば虎児《こじ》をえず、という諺《ことわざ》があるが、このアルダンときたら、しょっちゅう虎穴にはいりながら、はいらなかったやつよりも、手に入れたものは少なかったのである。この男の金づかいの荒さときたら、まるで、|ふるい《ヽヽヽ》で水をくむみたいで、もらうそばからつかってしまうのだ。そのうえ、無欲そのものの男だったから、頭の冴《さ》えもさることながら、情の厚いところも大いに見せている。義侠の心に富んだアルダンは、何かと人びとに援助の手をさしのべ、たとえ不倶戴天《ふぐたいてん》の仇にたいしてでも、その絞首刑命令書にサインなどしなかったであろうし、みずからの身を売って奴隷《どれい》になっても、一黒人を奴隷の境遇から救いだしたことであろう。
フランスでも、ヨーロッパでも、この輝かしい人物がそうぞうしい男であることは、みんな知っていた。彼は、自分につかえる『評判の女神』に、自分のことをたえずがあがあとしゃべらせておかなかったであろうか? ガラスの家に住み、全世界を、自分のもっとも胸の奥にある秘密の聞き役と考えてはいなかったろうか?しかし、それゆえにこそ、この男はおどろくべきほどの敵をもっていたのだが、それらの連中は、かつて彼がひと波をかきわけて世に出たときに、多かれ少なかれ、もみくちゃにされたり、痛めつけられたり、ひっくりかえされたりした連中なのだ。
とはいえ、一般的に言って、この男はひとから愛され、やんちゃっ子としてあつかわれていた。庶民のことばを使えば『かまってやるか、ほったらかしとく男』なのだが、ひとが彼のことをかまってしまった、というわけなのである。万人が、この男の大胆なくわだてに関心をもち、彼のすることを心配そうな眼差《まなざし》で見まもっていた。なんとも向こう見ずで大胆な男だということが知れわたっていたのだ! たとえば、友人のひとりが、近く何か異変が起こるかもしれないと言って、この男をひきとめようとすると、『森は、森のなかの木によってしか燃えないよ』と、彼はひと好きのする微笑を浮かべるのだが、自分のことばが、アラビアの諺《ことわざ》のなかでももっとも美しい諺《ことわざ》の引用であるなどということは、てんから知らないのである。
アトランタ号の乗客は、以上のような男であった。つねに心たかぶり、心にひめた炎で燃えたぎり、たえず興奮していた。それは、自分がアメリカにしにやってきたことのためにではなく──そんなことは考えてさえいなかった──、彼の熱っぽい体質のせいだった。もし、かつてなかったほどコントラストの妙をしめしている人物をもとめるとするならば、それはまさしく、このフランス人ミシェル・アルダンと、ヤンキーのバービケインであった。もっとも、ふたりとも、がむしゃらで、大胆不敵で、向こう見ずな点はおなじだったが、やり方が、それぞれ独自なものをもっていたのである。
ガン・クラブの会長は、自分を脇役におとしいれたこのライバルを眼前にして、じっと見つめていたが、それもすぐに、群衆の歓呼の声や、|ばんざい《ヴィーヴァ》のさけびに、中断させられてしまった。さけび声は、気ちがいじみた様相さえ呈し、熱狂はアルダンひとりに集中してしまったので、アルダンは、一〇本の指をもぎとられてしまうほどたくさんの握手をしたあとで、船室に逃げこまなければならないほどであった。
バービケインは、ひとことも発せずに、アルダンのあとを追った。
「あなたがバービケインですか?」と、アルダンはふたりきりになるや、二〇年来の友人に話しかけるような口調でたずねた。
「そうです」と、ガン・クラブの会長は答えた。
「そうですか! じゃあ、こんにちは、バービケイン! 調子はどうですか? とてもいい?そいつあ、すばらしい! けっこうなことですな!」
「じゃあ、砲弾で出かけることを決心したんですか?」と、バービケインは単刀直入に言った。
「断固としてきめました」
「どんなことがあっても、やめませんか?」
「どんなことがあってもです。あなたは、ぼくが電報で指示したように、あなたの発射体をなおしましたか?」
「あなたがつくのを待っていたのです。しかし」と、バービケインはまたもしつこくたずねた。「あなたは、よくお考えになったのですか?」
「考えたかって? そんなことにつぶしてもいい時間が、このぼくにあるわけがない。月世界旅行ができるチャンスを見つけたから、それを利用させていただく、ただそれだけのことですよ。それほど、あれこれとよく考えてみるほどのこともないように、ぼくには思われるんですけどね」
バービケインは、この旅行計画を、こんなにも気軽に、まったくのんきに、何も気にかけることもなく話すこの男を、むさぼるように見つめた。
「でも、せめて」と、バービケインはアルダンに言った。「計画は、実行手段はあるのでしょうな?」
「すばらしいのがあるんですよ、バービケイン君。しかし、ぼくの態度について言わせてください。ぼくは、自分の話を一度、みんなのまえで話したら、絶対に撤回したくないんです。そうすれば、何回も言わなくてすみますからね。ですから、ぼくの案よりよい案をおもちでないのでしたら、あなたの友人や同僚のかたがたを、ひとつのところにお集めになってください。いや、おのぞみとあらば、町のひと全部、フロリダじゅうの人たち、アメリカ人全部でもかまいませんよ。そうしたら、あしたにでも、ぼくの方法をご披露して、なんなりと反論にお答えしましょう。安心していてください。はぐらかしたりせず、ちゃんと反論に答えますから。それで、よろしいですか?」
「けっこうです」と、バービケインは答えた。
そこで、会長は船室を出て、アルダンの提案を、集まってきていた人たちに知らせた。人びとは、それを聞いて、足をふみならしたり、さけび声をあげたりしてよろこんだ。あしたになれば、この、ヨーロッパからきた英雄を、思う存分、ながめることができるのだ。それでも、のぼせあがった見物人たちのうち何人かの人たちは、アトランタ号のデッキをはなれようともせず、船上で夜をあかしたのであった。とりわけ、J=T・マストンは、鉄の義手をデッキの手すりにぶちこんで、てこでも動こうとしなかった。そこから彼をひきはなそうとすれば、起重機が必要であったろう。
「英雄だ! 英雄なのだ!」と、彼はありとあらゆる抑揚でさけんだ。「このヨーロッパ人とくらべたら、おれたちなんざあ、女のくさったようなもんだ」
いっぽう、会長は、来船者たちに、帰るよう申しわたしたあと、アルダンの船室にもどり、夜半の一二時を一五分すぎるまで、船室から出てこなかった。
しかしそのとき、人びとの注目をあびているふたりのライバルは、熱っぽく握手をかわし、ミシェル・アルダンは、バービケイン会長のことを、「おい、きみ」などと、なれなれしい口調で呼んでいたのである。
十九 公開討論会
翌日、太陽は人びとの待ちどおしがっている気持にさからうかのように、いつもよりゆっくりと姿をあらわした。このような祭典を照らさなければならないお陽《ひ》さまとしては、怠慢きわまる、と人びとは考えた。ミシェル・アルダンにたいして、ぶえんりょな質問が発せられてはまずいと思ったバービケインは、聴衆を少数の支持者、つまり自分の同僚だけにしぼりたかった。しかし、それはナイアガラの滝をせきとめようとするようなものだ。そこで、バービケインンはその計画をあきらめざるをえず、新しい友が、公開の講演会にのぞむことになるのをどうすることもできなかった。タンパ=タウン株式取引所の新しいホールは、ばかでかいものであったが、これほどの祭典には、とてもじゅうぶんなものとは思われなかった。というのも、この会合は、まさに公開大討論会的な規模にふくれあがりそうであったからだ。
場所としては、町の郊外の広大な野原が選ばれた。数時間かかって、どうにか、その場所に太陽の直射日光があたらないようにした。つまり、港にいる船から、帆や操帆具や替えの帆柱、帆桁《ほげた》をたくさんもってきて巨大なテントをつくりあげたのである。やがて、とてつもなく大きい布の海原が、太陽が照りつけている野原いちめんに広げられ、太陽熱をさえぎった。そこに、三〇万人ものひとがつめかけ、息がつまりそうにむんむんする空気もものともせず、数時間もまえから、フランス人がやってくるのを待っていた。この大観衆のうち、三分の一の人たちは、見ることも聞くこともできた。しかしつぎの三分の一の人たちには、よく見えず、話も聞こえなかった。あとの三分の一の人たちときたら、何も見えず、話も聞こえるなんてものではなかった。しかし、この連中も、ほかの人たちに負けず劣らず、嵐のような拍手喝采を送ったのであった。
三時に、ミシェル・アルダンが、ガン・クラブのおもだった会員たちにともなわれて、姿をあらわした。右腕をバービケイン会長に、左腕をJ=T・マストンにかしていたが、真昼の太陽よりも、彼は燦然《さんぜん》と輝いていた。アルダンは壇上にのぼった。そこからは、いちめんに、黒い帽子の海原が見渡せる。アルダンは、いささかも気おくれせず、気取りもなく、まるで自分の家にいるかのようにくつろいで、親しみやすく、愛想がよかった。彼を迎えて湧き起こった歓呼の声に、アルダンは、優雅なおじぎをしてこたえた。ついで、手をあげて、静粛にするようにと呼びかけ、非常にしっかりした英語でしゃべりはじめた。
「諸君、たいへんお暑い折ではありますが、諸君のお時間を拝借して、諸君に関心がおありだと思われる計画について、若干の説明をさせていただきます。わたくしは、演説家でも、学者でもありません。ですから、こうして公開の席上でお話しすることになろうとは、思ってもおりませんでした。しかし、わが友バービケインが、お話ししたほうが、諸君によろこばれるだろうと、申しますので、あえてつつしんでおひき受けしたしだいです。ですから、どうぞ六〇万の耳をよく傾けて、お聞きねがいたい。そして、演説者のちょっとしたまちがいは、どうぞ大目に見ていただきたいのです」
この、もったいぶらない出だしは、たいへん気に入られ、満足のどよめきが一堂につたわった。
「諸君、いつなんどき、賛成不賛成を表明してくだすってもけっこうです。こう申しあげておいて、本論にはいります。が、まず、つぎのことをお忘れにならないように、つまり、諸君が相手にしているのは、ものを知らない男だということです。そのうえ、この男の無知ときたら、そんじょそこらにころがっているようなものではありません。つまり、『困難』ということさえ知らないのです。したがって、砲弾に乗って月へ出かけるなんてことは、単純で、自然かつ容易なことだと、この男は思っているのです。月への旅行は、遅かれ早かれおこなわれるべきものであったのですし、また、それに採用する輸送方式も、ただたんに、進歩の法則にしたがっているまでのことなのです。人間は、最初、四つ足で歩きまわっていました。それがいつの日にか、両足で立つようになり、つづいて、手押車、馬車、乗合馬車、急行乗合馬車、鉄道と進歩してまいりました。ところで、砲弾こそ、未来の乗物なのです。そして、じつを申せば、惑星とて、砲弾、つまり、神さまがおん手ずから発射なさった大砲の弾丸にすぎないのであります。ところで、われらの乗物にお話しをもどしましょう。諸君のなかには、砲弾に課せられる速度が速すぎるとお考えのかたもおいでかとぞんじます。が、そのようなことはけっしてないのです。あらゆる星が、速度において、この砲弾よりすぐれております。太陽を中心とした地球の自転運動の速度さえ、砲弾の三倍もあるのです。ここにいくつかの例を申しあげましょう。ただし、『里』で申しあげることを、お許しねがいたい。と申しますのも、わたくし、アメリカ尺があまり得意でないので、計算をまちがえるといけないからであります」
この要求は、べつにどうこう言うたぐいのものとも思われなかったので、文句をつけるひとはいなかった。演説者は話をつづけた。
「諸君、諸惑星の速度は、つぎのとおりであります。わたくしは、無知ではあるけれども、天文学上の数字には精通していることを申しあげておかなければなりません。しかし、諸君とて、二分もたたないうちに、わたくしとおなじくらい物知りになられると思います。ですから、つぎのことをご記憶ねがいたい。すなわち、海王星は時速五〇〇〇里、天王星は七〇〇〇里、土星──八八五八里、木星──一万一六七五里、火星──二万二〇一一里、地球──二万七五〇〇里、金星──三万二一九〇里、水星──五万二五二〇里、彗星のいくつかは、その近日点において、じつに時速一四〇万里にまでなります。ところで、われわれのほうは、まったくのらりくらりと、のんびりまいりますので、われらの砲弾の速度は、時速九九〇〇里をこえないでありましょうし、その速度も、たえず減速してゆくのです。いったい、この程度のことで、夢中になってよろこんでいていいのでしょうか? こんなものは、おそらく、光か電流を媒介とした、もっと高速度のものによって、いつの日にか追いこされてしまいます。このことは、火を見るよりあきらかなことではないでしょうか?」
このミシェル・アルダンのことばに、疑いをさしはさむ者はひとりもいなかった。
「親愛なる諸君、視野のせまい人たちの言うところによれば──『視野のせまい』とは、まさにこれらの人たちにぴったりした形容詞なのですが──、人類はポピリウスの環にとじこめられていて、それをのりこえることができず、地球上で植物的生活を送ることをしいられたまま、どうしても、惑星圏のただなかに飛びだすことができない、と言うのです。しかし、そんなことは絶対にありません。われわれは、まもなく月にいくのです。いや、惑星へも、恒星へも、いく日がくるでしょう。そして、今日、リヴァプールからニューヨークへ旅するように、簡単に、迅速に、そして安全に旅ができるようになるのです。ですから、天文の海原も、月世界の海とおなじく、やがては渡ることができるようになるのです。距離というのは、相対的なことばにすぎません。だからついには、ゼロに等しくなる日がやってくるでありましょう」
聴衆は、このフランス人の英雄にたいして、非常な好意をもつようになってはいたが、この大胆不敵な説を耳にして、どぎもをぬかれ、唖然としてしまった。そんな雰囲気を、ミシェル・アルダンも理解したようであった。
「諸君はどうやら、納得がいかないようです」と、アルダンは愛想よくほほえんだ。「よろしい。では、少しばかり、推論をするとしましょう。急行列車で月にゆくのに、どれだけ時間がかかるか、ごぞんじですか? 三〇〇日です。それ以上はかかりません。八万六四一〇里の道のりですが、いったいそれがなんだというのでしょうか? 地球の九周にもなりません。ですから、ちょっとした水夫や旅行家なら、生きているあいだに、それ以上の道のりを旅しているのです。ですから、考えてもみてください。わたくしの旅行時間など、九七時間しかかからないのですよ! わかりました。諸君は、月と地球とのあいだは遠いから、冒険を敢行するまえに、よくよく考慮してかからなければならない、とお考えなのですね。が、そうとしたら、太陽から一一億四七〇〇万里のところで自転している海王星にいくなどと言ったら、諸君はなんとおおせになるか? これこそ、一キロメートルあたり五スーしか費用がかからなくても、ふつうのひとにはとてもできない旅行です。ロスチャイルド男爵の巨万の富をもってしても、座席券を買うのにたりません。つまり、一億四七〇〇万たりなくて、途中でおろされてしまいます」
このような推論のしかたが、聴衆に大いによろこばれたように見うけられた。それにミシェル・アルダンは、自分の主題にすっかりいい気持になっていたので、まっしぐらにつき進んでいった。そのうえ、自分のことばが熱心に聞かれていることがわかったので、すばらしい自信で、話をつづけた。
「ところで、みなさん! この、海王星と太陽とのあいだの距離も、恒星間の距離にくらべれば、無に等しいのです。事実、恒星間の距離をはかるには、最小数値が九ケタもある、目がくらむような数を用いなければなりません。したがって、一〇億を一単位としてあつかわなければならなくなるのです。このような数字の問題に、やたらとくわしくて恐縮ですが、胸がどきどきするくらい興味ある問題なのです。とにかくお聞きください。ケンタウルス座のアルファ星までの距離は八兆里、ヴェガ星までは五〇兆里、天狼星《シリウス》までも五〇兆里、アルクトゥルス星までは五二兆里、北極星までは、一一七兆里、馭者《ぎょしゃ》座のカペラ星までは一七〇兆里、その他の星々までは、何百、何千兆里もあるのです! それなのに、諸惑星と太陽とのあいだの距離を問題にすることができるでしょうか? 距離がある、なんて主張できるでしょうか? それはまちがいです! でたらめもいいところです!頭がどうかしているのです! 太陽にはじまり、海王星に終わる太陽系についての、わたくしの考えを申しあげましょうか? わたくしの説をお聞かせいたしましょうか? わたくしの説は、簡単明瞭なものです。太陽系とは、わたくしに言わせれば、同質の固体であり、太陽系を構成している諸惑星はたがいにひしめきあい、ぴったりとくっつきあっています。ですから、これらの諸惑星のあいだに存在する距離というものは、銀とか鉄とかプラチナといったもっとも密度の高い金属の、各分子間の距離にすぎません。それゆえ、つぎのように断言することができると思います。と申すより、確信をもって申しあげます。そうすれば、諸君もわたくしとおなじように確信するにいたるでしょうから。すなわち、『距離とは意味のないことばである! 距離など存在しないのだ!』と」
「すばらしい! ブラボー! ばんざい!」と、聴衆たちは、演説者の身ぶり、口調、大胆きわまりない考えに、電気をかけられたかのように、いっせいにさけんだ。
「そのとおり!」と、ほかの連中よりも、もっと熱狂的にJ=T・マストンがさけんだ。「距離など存在しないのだ!」
そして、気も心も高ぶって、おどりあがろうとする自分のからだをうまくおさえることができず、すんでのところで、壇上から地面に落ちるところであった。マストンは、どうにかからだの平衡をとりもどすことができ、落ちずにすんだが、もし落ちていたら、距離とは意味のないことばではないということを、いやというほど思い知らされたであろう。それから、また、がむしゃらな演説者の話がつづいた。
「諸君」と、ミシェル・アルダンは言った。「いまや、この問題は解決した。とわたくしは考えます。わたくしが、諸君のすべてを納得させることができなかったとすれば、それは、わたくしが証明するにあたって、あまりにも内気であったためであり、また、わたくしの議論に迫力がなかったためでありますから、その責は、わたくしの研究不足に帰さしめなければなりません。しかし、いずれにせよ、地球とその衛星とのあいだの距離は、まったくとるにたらないものであり、まじめな人たちの心をわずらわすに値しないものである、ということを、わたくしは諸君に、くりかえして申しあげます。それゆえ、近日中に、砲弾列車が造られ、それによって、地球──月間の旅行がなされるようになると申しあげても、けっして言いすぎではないと信じます。ショック、震動、脱線のおそれのない列車で、迅速に、疲れずに、まっすぐに、アメリカの猟師のことばをかりれば、『蜂のように一直線に』目的地につくことになりましょう。二〇年もたたないうちに、地球人の半数は、月を見物してしまっていることでしょう!」
「ばんざい! ミシェル・アルダンばんざい!」と、いちばん納得していなかった列席者たちさえさけんだ。
「バービケインばんさい!」と、演説者は謙虚に答えた。
くわだての推進者にたいする恩義を忘れていないこの行為は、全員の拍手喝采をあびた。「さて、諸君」と、ミシェル・アルダンはつづけた。「何かわたくしにご質問がおありでしたら、わたくしのごとき無能な男は、かならずや困惑してしまうでしょうが、とにかく、お答えするよう努力してみます」
これまでのところ、ガン・クラブの会長は、講演の進みぐあいに、大いに満足していた。つまり、講演は、純理的な方向をとり、これまでのところ、アルダンははげしい想像力にひきずられて、非常に光彩をはなっていたからである。したがって、アルダンが実際的な問題へと、論点を移すのをじゃましなければならなかった。というのも、実際的な話になると、これほどうまくはきり抜けることができないだろうと思われたからである。そこで、バービケインは、おおいそぎで発言し、月もしくはほかの惑星に、生物がいると思うか、どうかと新しい友人にたずねた。
「会長は、じつに重大な問題を提起されました」と、演説者はほほえみを浮かべて答えた。「しかしわたくしにまちがいがないとすれば、プルタルコス〔ギリシアの歴史家。四五〜一二五〕、スウェーデンボリ〔スウェーデンの神秘的な神智学者。一六八八〜一七七二〕、ベルナルダン・ド・サン=ピエール〔『ポールとヴィルジニー』の作者。『自然研究』という大著もある。一七三七〜一八三四〕、その他の偉大な知性の持ち主たちが、肯定の意見を述べております。自然哲学の観点に立てば、わたくしも、これらの人びとと同様に考えざるをえません。すなわち、不要なものはこの世に存在しない、と考えるでありましょう。バービケイン君、あなたのご意見に、ほかの質問をもって答え、つぎのように断言いたします。諸宇宙が住みうるものであるならば、生物が住んでいるか、住んでいたか、もしくは、住むことになるであろう、と」
「こいつはいい!」と、最前列の聴衆がさけんだ。最前列の聴衆の意見は、後列の聴衆にたいして、掟《おきて》のような力をもっている。
「これ以上論理的かつ公正に答えられるものではない」と、ガン・クラブの会長は言った。「すると、疑問点はこんなふうになりますな。諸宇宙は居住可能か? ってことに。わたくしとしては、居住可能だと思うのだが」
「わたくしも、そのことを確信しています」と、ミシェル・アルダンは答えた。
「しかし、諸宇宙の居住可能性については、反対の議論もあります」と、聴衆のひとりが言いかえした。「たいていの場合、生命の原理を修正しなければならないでしょう。つまり、惑星にかぎってみても、その惑星が、太陽から遠いか近いかによって、ある惑星では焼けるように暑く、また、ある惑星では凍るように寒いにちがいないのです」
「尊敬すべき反論者を、個人的にぞんじあげなくて残念です」と、アルダンは答えた。「しかし、なんとかお答えするよう努力してみます。あなたの反論には、それなりの価値があります。が、あなたの反論にたいしても、また、諸宇宙の居住可能性を問題とした、あらゆる反論にたいしても、どうにか反駁をくわえることができると、わたくしは考えます。もし、わたくしが物理学者なら、こんなふうに申しあげます。すなわち、太陽に近接する惑星においては、活動カロリーがより少なく、反対に、太陽から遠い惑星では、活動カロリーがより多くなるので、この単純な現象だけでも、熱はつり合い、これらの惑星の温度は、地球人のような有機体がたえられるものになる、と。もし、わたくしが自然科学者であるならば、多くの名高い学者がたにならって、つぎのように申しあげるでしょう。自然をよく観察すると、非常に雑多な生活条件で生きている動物の例が、地球上にはいくつも見られる。たとえば、魚は、ほかの動物なら死んでしまう場所で生棲しているし、両棲類の二重生活はかなり説明がむずかしい。また、ある種の海の生物は、深海の岩床で生活してい、水圧五〇度とか六〇度におしつぶされることもなくもちこたえているし、また、水中微生物は、温度に無感覚で、沸騰している水源にも、北極海の氷原にもいる。したがって、自然には、非常に雑多な生存様式があり、生命というものは、とかく理解しにくいものではあるが、やはり現存するものである。それゆえ、生命というものは、ほとんど全能なものだと言いうる、と。また、わたくしが化学者であれば、つぎのように申すでありましょう。すなわち、あきらかに地球の外部で形成された物体である隕石を分析したところ、炭素の痕跡がはっきりとみとめられた。炭素は有機体からしか生成されないものであり、ライヘンバッハの実験によれば、その物質は、まさしく『動物質』のものであった、と。最後に、わたくしがもし神学者であるならば、こんなふうに申しあげましょう。すなわち、聖パウロによれば、神の贖罪は、地球にだけではなく、全宇宙になされたように思われる、と。しかし、わたくしは、神学者でも、化学者でも、自然科学者でも、物理学者でもありません。ですから、宇宙を支配している大法則なんて、まるっきり知りません。そこで、つぎのようにお答えするのにとどめておきます。わたくしは、諸宇宙に生物が住んでいるかどうか知りません。だからこそ、わたくしは見にいくのです!」
アルダンの説に反論したひとは、さらに、べつの論法で議論を試みたであろうか! それを言うことはできない。というのも、聴衆の熱狂的なさけびのために、どんな意見が出ても、聞こえなかったであろうから。いちばん遠くのグループまで、静けさをとりもどすと、勝ち誇った演説者は、つぎのような考察をつけくわえることで満足した。
「親愛なるヤンキー諸君、諸君にもおわかりのことと思いますが、わたくしは、この大問題に、ほんのちょっとふれたにすぎません。わたくしは、ここに、公開講義をしにきたのではありません。ですから、この巨大な主題に固執するつもりは、まったくないのです。諸宇宙の居住可能性を立証するような議論は、まだまだあります。が、それはしばらくおくとして、ただ、つぎのことだけを述べさせてください。惑星には、生物が住んでいないと主張する人たちには、こんなふうに答えなければなりますまい。つまり、地球が諸惑星のうちで、最良の惑星であることが証明されれば、あるいはあなたがたが正しいかもしれない、と。しかし、ヴォルテールがなんと言おうと、そんなことはけっしてないのです。地球には衛星がひとつしかありませんが、木星、天王星、土星、海王星には、たくさんの衛星があり、その利点は軽視できません。そのうえ、われわれの地球をあまり住み心地のよくないものにしているのは、なんと言っても、地球の軸が軌道からかたむいているという事実なのです。そのために、昼と夜との長さが異なり、季節がふゆかいになるほどまちまちになってしまうのです。不幸な楕円体であるわれらの地球上においては、きまって、暑すぎたり寒すぎたりするのです。冬には、こごえ、夏には、焼け死にそうになるのです。地球こそ、風邪《かぜ》、鼻カタル、肺炎の惑星なのだ。それにひきかえ、たとえば、ほとんど軸が傾いていない木星の表面では〔木星の軌道にたいする軸の傾きは三度五分にすぎない〕居住者は一定不変の気温を享受することができます。つまり、永遠の春期帯、永遠の夏期帯、秋期帯、冬期帯があり、木星人はめいめい、気に入った風土を選び、一生のあいだ、気候の変化を避けることができるのです。それゆえ、木星の一年は、地球年の一二年に相当する。ということを申しあげなくても、諸君は、木星がわれらの地球にたいしてもっている優越性を、容易におみとめになるでしょう。そのうえ、このような幸運にめぐまれて、よりよい生活環境に住んでいる木星人は、よりすぐれた生物であり、木星の学者はより博学であり、芸術家はより芸術的であり、悪人はそれほど悪くなく、善人はより善良であることは、明々白々であると、わたくしは考えるのです。ああ、われらの地球には、いったい何が欠けていて、こうした完璧さに到達できないのでしょうか?それは、じつにちょっとしたことにすぎません。軌道にたいして、よりかたむきの少ない回転軸さえあれば、それでじゅうぶんなのです」
「よろしい! われらの努力を結集し、機械を発明して、地球の軸を矯正《きょうせい》しようではないか?」と、血気にはやった男がさけんだ。
この提案に、嵐のような喝采がわき起こったが、こんな提案をしたのは、ほかならぬJ=T・マストンであった。この血気にはやる秘書役が、エンジニアとしての本能にわれを忘れて、こんな大胆な提案をしてしまったということは、いかにもありそうなことであった。しかし、事実であったら言っておかなければならないが、多くの人たちは、この提案を、さわぎに浮かされて支持してしまったのだ。そしておそらく、アルキメデスが要求する|てこ《ヽヽ》の支点をもっていたならば、アメリカ人たちは、地球をもちあげることができる|てこ《ヽヽ》をつくり、地球の軸のひずみを矯正したことであろう。しかし、この無鉄砲な技師連中には、まさにその支点がなかったのだ。
けれども、この『すぐれて実際的な』考えは、思いがけない成功をもたらしたのである。このため、討論は、たっぷり一五分間中断されてしまった。そして、アメリカ合衆国の人たちは、ガン・クラブの終身秘書役が、熱に浮かされたように発言したこの提案を、いつまでも語り草にしたのであった。
二十 攻撃と反撃
この思いがけないできごとが、討論を終わらせてしまうかに見えた。まさしく『最後のことば』ともいうべきもので、これ以上のことばは見つからなかったであろう。ところが、動揺が静まると、力強く、いかめしい声で、つぎのように発言する者があったのだ。
「演説者は、いままで、大いに空想をもてあそばれたから、こんどは主題にもどり、理屈を控え目にして、探検計画の実際的な面について、お話ししていただけないでしょうか?」
一同の視線が、この発言者のほうに、いっせいに向けられた。その男は、精力的な顔をし、やせてひからびていた。|あご《ヽヽ》には、メリケンふうに手入れをした|ひげ《ヽヽ》を豊富にたくわえている。講演のあいだに、しばしばどよめきが起こったのを利用して、いつしかこの男は、聴衆の最前列にまで進み出ていた。最前列で、その男は腕組みをして、この大集会の主人公を平然とにらみつけていたのである。自分の要求だけを言ってしまうと、口をつぐみ、自分に集中した数えられないほどの視線にも、自分のことばにたいして発せられた不賛成のつぶやきにも、心を動かしたようなようすはまったく見せなかった。返答がなかなかなされなかったので、彼は最初のときとまったくおなじように、アクセントをはっきりさせて、質問をくりかえし、そしてそのうえ、
「いま、われわれが問題にしているのは、月なのであって、地球のことではないのだ」と、つけくわえた。
「おっしゃるとおりです」と、ミシェル・アルダンは答えた。「話がわき道にそれてしまいました。話を月にもどしましょう」
「あなたは、われらの衛星に生物が住んでいると主張なさっておられる」と、見知らぬ男は、ことばをつづけた。「よろしい。しかし、もし、月世界人が存在するとしても、その連中はあきらかに呼吸しないで生きている、ということになりますな。なぜなら──これはあなたのためを思って申しあげるのですが──、月の表面には、空気のかけらすらないのですからね」
こう断言されるや、ミシェル・アルダンは、その鹿毛色のたてがみをぐっともたげた。この男のために、いまや論争は問題の核心に突入せんとしているのだ、ということを、アルダンは理解したのである。こんどはアルダンがその男をじっとにらみつけて、
「ほほう、月に空気がないって」と、言った。「で、だれがいったいそんなことを言ったのです?」
「学者たちが言っています」
「ほんとうですか?」
「ほんとうですとも」
「冗談はいっさいぬきにして申しましょう」と、ミシェルが言った。「わたくしは、ものを知っている学者を、心から尊敬しますが、ものを知らない学者は、徹底的に軽蔑しています」
「あなたは、その二番目のほうの学者をごぞんじなのですか?」
「よく知っています。『数学的に』鳥は飛ぶことができないと主張する学者と、魚は原理上、水中では生きられないということを証明している学者が、フランスにいることを知っています」
「そんな連中はどうでもいいのです。ところで、わたくしは、自分の主張を支持してくれる学者の名を、いくつかあげることができますが、あなたとて、その学者たちの説をこばむことはできないでしょう」
「すると、あなたは、このあわれな物知らずを、大いに困らせようというわけですな。もっとも、この物知らずは、学をうることを大いにねがってはいますが」
「では、どうして、あなたは研究もなさっていないのに、科学的な問題を論じようとなさるのですか?」と、見知らぬ男は、かなりぶしつけな質問をした。
「どうしてかですって?」と、アルダンは答えた。「それはですね、めくら蛇におじず、というやつですよ。たしかに、わたくしは何も知りません。しかし、わたくしのこの弱点が、まさしく、わたくしの力となっているのです」
「あなたの弱点は、狂気の沙汰《さた》です!」と、見知らぬ男はふきげんな声でさけんだ。
「やあ、それでけっこう! 狂気がわたくしを月まではこんでくれるならね」と、フランス人は言いかえした。
バービケインと、その同僚たちは、こんなにもずけずけと計画のじゃまをしに飛びこんできた闖入《ちんにゅう》者を、むさぼるように見つめた。だれもこの男を知っている者はいなかった。だから、会長は、これほどあけっぴろげに問題が提起されたのを見て、討論のなりゆきに自信をうしない、不安の入り混じった目つきで、新しい友アルダンを見つめたのであった。聴衆は神経を集中させ、心から心配した。というのも、この論争は、結果として、探検旅行にともなう危険、というより、それがほんとうに不可能であるという結論を、みちびきださないともかぎらなかったからである。
「みなさん」と、ミシェル・アルダンの敵対者は言った。「多くの根拠、しかも議論の余地のない根拠によって、月の周囲には、大気がいささかもないことが証明されているのです。先験的《アプリオリ》に申しあげることすらできます。月に大気なるものが、かつて存在したとしても、その大気は、地球によって奪いとられてしまったにちがいないのです、と。しかし、わたくしは、趣味として、否定しがたい事実のみを申しあげるにとどめます」
「どうかおっしゃってください」と、ミシェル・アルダンは、一点非のうちどころのない慇懃《いんぎん》さをもって答えた。「お気のすむまでおっしゃってください」
「ごぞんじのように」と、見知らぬ男は言った。「光線が、空気のようなものを横ぎるとき、光線は直線コースからはずれてしまいます。言いかえれば、光は屈折を受けるのです。ところでです、恒星が月に掩蔽《えんぺい》されると、恒星の光線は、月面周辺をかすめて通過しますが、少しの偏差も受けず、屈折の徴候をいささかもしめしません。このことから、つぎの明白なる結論がえられます。すなわち、月はいかなる大気にもつつまれていない」
人びとはいっせいにフランス人のほうを見た。というのも、この意見がひとたび確認されると、その結果は重大なものとなるからであった。
「ほんとうに」と、ミシェル・アルダンは答えた。「たいへんりっぱなご意見ですな。もっとも、それが唯一のものとは申しませんがね。ところで、わたくしがもし学者だったら、お答えするのに、おそらく困惑してしまうことでしょう。しかし、わたくしは、あえて、あなたの議論も絶対的な価値はもっていない、とだけ申しあげておきます。というのも、あなたの議論は、月の角直径が完全に一定であることを前提としていますが、実際は、そうでないからです。が、それはさておき、月表面に、火山が存在することをおみとめになるか、どうか、おっしゃってください」
「死火山はありますが、活火山はありません」
「しかし、それらの火山は、ある期間、活動していた、と考えても、論理のわくをこえるものではないのですな」
「もちろんです。しかし、それらの火山は、燃焼に必要な酸素を自給できたわけですから、噴火という事実は、月表面大気の存在を、いささかも証明するものではありません」
「では先へ進みましょう」と、ミシェル・アルダンがうながした。「このような論議はひとまずおいて、直接の観測に話を進めたいと思います。それに先立って、何人かのひとの名前を申しあげておきたい」
「どうぞ」
「では、はじめます。一七一五年に、天文学者ルーヴィルとハーレイは、五月三日の月食を観測しましたが、その際、不可思議な性質の爆発をいくつかみとめました。この、光の爆発は、急速に、しかも、しばしばくりかえして起こったのですが、彼らは、月大気内で吹き荒れている嵐が、その原因だと考えました」
「一七一五年には」と、未知の男が言いかえした。「天文学者ルーヴィルとハーレイは、火球その他のように、地球大気内で起こる、まったく地球上の現象を、月世界の現象であると考えていたのです。さきほど言われた発表にたいして、学者たちはこのように答えましたが、わたくしも学者たちと意見をともにするものであります」
「もっと先へ進みましょう」と、アルダンは、この反論に少しもあわてず、答えた。「一七八七年に、ハーシェルは、多数の光点を月面に観測しているではありませんか?」
「おそらくそうでしょう。しかし、ハーシェルは、この光点の原因については、何も理解していず、彼自身、これらの光点の存在から、月面大気の存在の必然性へと、結論をみちびきだすことができなかったのです」
「りっぱなお答えですな」と、ミシェル・アルダンは、論敵をほめたたえた。「お見受けするところ、じつにあなたは月理学に精通しておられる」
「精通しております。そこで、こう申しそえましょう。もっとも腕ききの観測者であり、また、月についてもっともすぐれた研究をしておられる、ベアー、メルダーの両氏も、月面に、空気が完全に欠除しているということで、意見の一致を見ています、と」
聴衆のあいだにどよめきが起こった。この奇怪な人物の論理で、興奮してきたかのようであった。
「とにかく、先へとまいりましょう」と、まったく平静にミシェル・アルダンは答えた。「いまや、つぎの重要な点に進みたいと思います。熟達のフランス天文学者である、ロースダ氏は、一八六〇年七月一八日の日食を観測して、三か月型の太陽の両弦が、まるく欠けていることを確認しました、ところで、この現象は、月面大気による太陽光線の屈折ということ以外では、起こりえないことなのです。この現象には、ほかの説明のつけようがありません」
「しかし、その事実は、確実なことなのですか?」と、見知らぬ男は、いきおいこんでたずねた。
「絶対に確実です!」
人びとの気持は、こんどは自分たちの人気者のほうになびき、論敵は黙りこくってしまった。アルダンはことばをつづけて、つぎのように言ったが、最終ポイントをとったからといって、得意になったりはしなかった。
「ですから、月面大気の存在を否定する意見を、あまり、きっぱりと述べるべきではない、ということがおわかりになったでしょう。もちろん、大気と言っても、ほとんど密度のない、希薄なものにすぎないでしょう。しかし、今日の科学は、一般に、月面大気の存在を肯定しているのです」
「失礼ですが、山の上にはありませんぞ」と、見知らぬ男は、あくまで食いさがろうとして、言いかえした。
「そうでしょう。しかし、谷底から数百メートルをこえない部分にはあります」
「いずれにせよ、ご注意なさったほうがいいですぞ。その空気とやらは、おそろしく希薄なものでしょうから」
「いやいや、どんなときでも、人間ひとりぶんはじゅうぶんにありますとも。それに、あっちについたら、できるだけ空気節約につとめます。つまり、よほどのことがないかぎり、呼吸なんかしません!」
どっという笑い声が、この不可思議な質問者の耳もとでひびいた。しかし、この男は、平然として聴衆たちを見まわしていた。
「ところで」と、ミシェル・アルダンは、くつろいだ調子でつづけた。「いまや、われらは、いくばくかの大気の存在について、意見が一致したのですから、こんどは、若干の水分の存在をもみとめなければなりません。これは、わたくしにとって、じつによろこばしい結論であります。わたくしは、さらに、わが親愛なる反対論者に、もうひとつの所見を言わせていただきたいのです。つまり、われわれは、月面のひとつの側しか知っていないのですから、地球に面している側に、ほとんど空気がなくても、反対側には大量の空気が存在するように思われるのです」
「いったい、どうしてです?」
「それは、月が地球の引力の結果、卵型になったからです、このことは、子どもでも観測することができます。この事実から、つぎのような結果が、ハンセンの計算によってでてきます。すなわち、月の重力の中心は反対側の半球にある、と。このことから、地球の衛星である月の表面にある全空気群、全水分群は、月誕生のときからすでに、その反対側にひき寄せられていたにちがいない、ということが結論されるのであります」
「まったくの絵そらごとだ!」と、その未知の男はさけんだ。
「いや、力学の法則にのっとった、純然たる理論です。この理論を論破することはむずかしい、とわたくしは思います。そこでわたくしは、本日ここにお集まりになったみなさんがたの投票にうったえて、地球上におけるのと同様な生活が、月面において可能かどうか、という問題を多数決で解決したいと思います」
三〇万の聴衆が、この提案にどっと拍手を送った。アルダンの論敵は、もっと発言しようとしたが、もはや声が通らなかった。威嚇《いかく》のさけびが、彼のうえに雨あられと降りそそいだのであった。
「もういい、もういい!」というさけび声。
「闖入者を追いだせ!」というさけびがくりかえされる。
「たたきだせ! たたきだせ!」と、激昂した群集がさけんだ。
しかし、この男は断乎として壇にしがみつき、一歩も動かず、嵐が去るのを待った。この嵐は、もしアルダンがちょっとした身ぶりで静止しなかったら、たいへんなことになっていたであろう。アルダンは、非常に義侠心に富んでいたので、自分の反論者をこのようなおおさわぎのなかに見捨てておくようなことはしなかった。
「もっと発言なさることがおありですか?」と、アルダンはいとも優雅にたずねた。
「ありますとも! 百だって、千だってある!」と、その見知らぬ男は、かっかとして答えた。「いや、たったひとつだけ言わせてもらおう。それほどまでに、計画遂行にこだわっておられるところをみると、あなたは、まさしく……」
「軽率そのものの男だ! とおっしゃるのですね。でも、わたくしは途中でリスみたいにぐるぐる回転しないようにと、わが友バービケインに、円錐形砲弾を注文しました。そんなわたくしが、どうして軽率そのものなのでしょうか?」
「まったく困ったおひとだな。発射時のものすごい反動で、あなたはこなごなになってしまいますよ!」
「そこなんです。わが親愛なる競争相手は、いまや、この計画にともなう、ただひとつの、真の難点を指摘してくださいました。しかしながら、わたくしは、アメリカ人諸君の工業的才能を非常に高く評価しているので、諸君がこの問題を解決することができないであろうなんて、とても信じられないのであります!」
「しかし、空気層を通過するときの、砲弾の摩擦熱はどうするのです?」
「ああ、空気層なんてうすいものです。ですから、わたくしはあっという間に、大気圏を飛びこえてしまいますよ」
「しかし、食料は? 水は?」
「わたくしの計算では、一年ぶんもっていくことができます。そして、わたくしの旅程は四日間なのです!」
「が、旅行中に呼吸する空気は?」
「化学的方法によってつくります」
「でも、あなたは月面に墜落《ついらく》するのですよ。仮についたとしても」
「月面での落下速度は、地球上の六分の一になるはずです。なぜなら、月面重力は地球の六分の一だからです」
「が、それでも、あなたをガラスのようにこなごなにしてしまうのに、じゅうぶんだ!」
「しかし、逆推進ロケットをうまくとりつけて、適当な時期に噴射させれば、落下速度を減速できないことはありません」
「しかし、要するにですよ、たとえ、あらゆる難点が解決され、あらゆる故障がとりのぞかれ、あらゆる幸運があなたにほほえみ、あなたがぶじに月に到着したとしても、いったいどうやって帰ってくるのです?」
「わたくしは帰ってきません!」
この答えは、そのそっけなさのゆえに、崇高の域に達していた。集まっていた人たちは、このことばを耳にして、しーんと静まりかえってしまった。しかし、この静寂は、さっきの熱狂したさけびよりも、はるかにずっと雄弁であった。見知らぬ男は、この沈黙を利用して、最後の抗弁を試みた。
「あなたは、まちがいなく、われとわが身を殺すことになるのだ!」と、その男はさけんだ。「そして、あなたの死は、ひとりの無鉄砲な男の死ということにしかならないだろうが、また科学に貢献することにもならんのですぞ!」
「おつづけください、心やさしい未知のかたよ。なぜって、あなたのご意見をうかがっていると、ほんとうに心あたたまる思いがするからです」
「ああ、もうたくさんだ!」と、ミシェル・アルダンの論敵はさけんだ。「なんだって、こんな意味のない討論をつづけているのか、もう、わけがわからん。どうぞ、気がすむように、そのばかげたくわだてをおやりなさい。あなたには、とやかく言ったって、的《まと》はずれなんだから!」
「どうぞ、ご遠慮なさらないでください!」
「ちがうんだ! あなたの行動の責任をとるやつは、ほかにいるんだ!」
「えっ、いったい、それはだれですか?」と、ミシェル・アルダンは横柄《おうへい》な口調でたずねた。
「この、不可能かつばかげたくわだてをもくろんだ、無知蒙昧《むちもうまい》なやつです!」
攻撃はストレートにやってきた。この見知らぬ男が口ばしをつっこんできてからというもの、バービケインは、猛烈な努力をして自分をおさえてきた。いわば、大きな釜をいくつもたいて、『立ちのぼる怒気を燃焼』させようとしていたのである。しかし、こんなふうに面と向かって侮辱を受ければ、もはやじっとしてはいられない。はじかれたように立ちあがり、真正面から、挑戦してきた論敵のほうへ進み出ようとした。しかし、あっというまに、バービケインはその論敵からひきはなされてしまった。
壇が、突如として、何本かの力強い腕でもちあげられ、ガン・クラブの会長は、ミシェル・アルダンと、勝利の名誉をわかたなければならなくなってしまったのである。ふたりを乗せた壇は重かった。けれども、かつぎ手たちは、つぎからつぎへとリレーし、みんな、このデモンストレーションに自分の肩をかそうと、口先で争ったり、からだをぶつけて争ったのであった。
とはいえ、この見知らぬ男は、このさわぎのあいだに、その場をはなれるようなことはしなかった。もっとも、密集した群衆のまっただなかにいたのだから、はなれようと思ってもはなれることなど、とうていできなかったであろう。いずれにせよ、その男は腕組みをして、第一列にがんばったまま、バービケイン会長の目を、むさぼるように見つめていたのだ。
会長のほうも敵を見失わず、ふたりの男の視線は、対峙《たいじ》した二本の剣のように、ぴりぴりとふるえていた。
群衆の発する巨大なさけびは、この凱旋行進のあいだに最高潮に達し、いつまでも、いつまでもつづいた。ミシェル・アルダンは、人びとのなすがままに身をまかせ、見るからにうれしそうだった。彼の顔は輝いていた。ときおり、壇は波に打たれる船のように、縦に横にと揺れ動いた。けれども、討論会のこのふたりの英雄は、船乗りのような足をもっていたので、よろめいたりせず、ふたりをのせた船は、つつがなくタンパ=タウンの波止場についた。さいわいにも、ミシェル・アルダンは猛烈な賛美者たちからの最後の握手や抱擁から、やっとのことでのがれることができた。アルダンはフランクリンホテルに逃げこみ、おおいそぎで自分の部屋にかけのぼり、すぐにベッドのなかにもぐりこんだ。この間、一〇万人もの群衆が彼の部屋の窓を見まもっていた。
このようなことがおこなわれているとき、謎の人物とガン・クラブの会長とのあいだに、重大で決定的な場面がくりひろげられていた。
バービケインは、どうにかこうにか自由になると、論敵のほうにつかつかと歩み寄った。「おいでください!」と、バービケインはことば短かに言った。
論敵は会長のあとについて波止場にきた。やがてふたりは、ジョーンズ坂に面して開いている倉庫の入口のところで、ふたりきりになった。
ここで、まだおたがいに未知の関係にあるふたりの敵は、向かいあった。
「あなたはだれですか?」とバービケインはたずねた。
「ニコル大尉だ」
「そうではないかと思っていました。ここまで、わたしの道をじゃましにおいでになったとは、よもや偶然では……」
「わざわざやってきたのだ!」
「あなたは、わたしをののしった!」
「公衆の面前でね」
「ところで、この|ののしり《ヽヽヽヽ》のつぐないをしてもらいましょう」
「すぐにでも」
「いや、われわれのあいだだけで、秘密裡にことをはこびたいと思う。タンパから五キロメートルほどはなれたところに、シャースナウの森というのがあるが、ごぞんじかな?」
「知っている」
「明朝五時に、その森のいっぽうの側からおはいりねがいたいのだが……」
「了解。あなたも同時刻に、もういっぽうの側からおはいりになるのですな」
「で、ライフル銃をお忘れなく」と、バービケインは言った。
「あなたこそお忘れなく」と、ニコルは答えた。
これらのことばを冷静にかわすと、ガン・クラブの会長と大尉は右と左に別れた。バービケインは家にもどったが、数時間の休息をとるどころか、一晩じゅう、砲弾の発射ショックを減らす方法をあれこれと考え、ミシェル・アルダンが提起したむずかしい問題を解決しようと努力したのであった。
二十一 フランス人はどのように、ことをまとめるのか
会長と大尉が、決闘の──対決者がたがいに人間狩りをするという、狂暴にして野蛮な決闘の──約束をしているあいだ、ミシェル・アルダンは、勝利の疲れをやすめていた。しかし、|やすめる《ヽヽヽヽ》ということばは、どう考えても、この場合適切ではない。なぜなら、アメリカのベッドというやつは、大理石や御影石のテーブルともくらべることができるくらい、コチコチだからである。
それゆえ、アルダンはあまりよく眠れず、シーツがわりのタオルのなかで、さかんに寝返りをうちながら、砲弾のなかには、もっと寝ごこちのいい寝台を置いてやろう、などと考えていた。そのとき、ものすごい物音がして、アルダンは夢想からひきもどされた。バタン、バタンという途方もないノックの音で、部屋のドアがゆさぶられていたのだ。どうやら、何か鉄のようなもので、だれかがノックしているようだ。朝っぱらから、こんな騒音だけでもうるさいのに、すさまじい声がこの騒音に和している。
「あけてくれ!」と、さけんでいる。「たのむから、あけてくれ!」
アルダンは、こんなにそうぞうしい要求に応ずることはまったくないと思った。けれども、彼は起きあがって、ドアをあけた。あんまりしつこくたたかれたので、ドアはいまにもひんまがりそうになっていた。ガン・クラブの秘書役が、部屋のなかにいきおいつけて飛びこんできた。大砲の弾丸だって、もう少しおしとやかに、おはいりあそばしただろうと思われるほどのいきおいで。
J=T・マストンは、|藪から棒に《ヽヽヽヽヽ》どなった。「きのうの晩、われらの会長は、公開討論会の席上、公衆の面前でののしられた。会長はそいつに決闘を申し入れた。だが相手は、ほかならぬニコル大尉だったんだ! ふたりは今朝《けさ》、シャースナウの森で決闘するんだ! おれはみんなバービケインから聞いた。もし、会長が殺されたら、われわれの計画は全滅してしまう! だから、どうしても決闘は阻止しなければならんのだ! ところで、バービケインをとめる力のある人間は、この世にたったひとりしかいない。そいつこそ、ほかならぬミシェル・アルダンなのだ!」
J=T・マストンが以上のようなことをしゃべっているあいだ、ミシェル・アルダンは口をはさむことをあきらめて、おおいそぎででっかいズボンをに足をとおした。かくして、二分たらずのうちに、このふたりの友人は、一目散にタンパ=タウンの郊外を走っていたのである。
こうしておおいそぎで走っているあいだに、J=T・マストンは、事情をアルダンに説明した。マストンは、バービケインとニコルの反目のほんとうの原因を話し、この反目がいかに昔からのものであるか、また、双方の友人たちのおかげで、会長と大尉が、いままで面と向かって顔をつきあわせることにならなかったのはどうしてなのか、を話した。さらにマストンがつけくわえたことは、バービケインとニコルの間柄は、ただたんに『装甲板と弾丸』の仲というだけのもので、公開討論会の場面も、要するに、ニコルが古いうらみをはらすために、長いあいだもとめていた機会にすぎなかったのだ、ということである。
アメリカ独特の決闘ほど、おそろしいものはほかにない。というのも、対決者はまるで野獣のように、藪ごしに相手を探しあい、|くさむら《ヽヽヽヽ》のすみにかくれてねらい、|しげみ《ヽヽヽ》ごしに撃ちあうのである。だから、対決者は草原のインディアンに自然とそなわっている、あのすばらしい特性である、鋭敏な知覚力、巧妙な策略、敵の跡をつける勘、敵をかぎわける嗅覚、といったものをうらやまざるをえないのである。ちょっとしたあやまち、ためらい、一歩のよろめきが死を招きかねないのだ。このような決闘のときには、ヤンキーはよく犬をつれてゆくが、猟師も獲物も、何時間ものあいだ、ぶっつづけに追っかけあうものである。
ミシェル・アルダンは、同伴者がこうした情景を力強く描き終えると、
「きみたちは、まったくとんでもない連中だ!」と、さけんだ。
「われわれはこうなんですよ」と、J=T・マストンは謙虚に答えた。「だが、いそぎましょうぜ」
けれども、ミシェル・アルダンとマストンが、まだ露にしっとりとぬれている野原を走って横ぎり、川や堀割を飛びこえて、できるかぎりの近道をしても、所詮《しょせん》、まにあわなかった。五時半まえに、シャースナウの森につくことは不可能であった。半時間まえから、バービケインは森にはいっているにちがいないのだ。
森の入口のところで、年老いた|きこり《ヽヽヽ》が、切り倒した木を斧で割って、薪《たきぎ》をこしらえていた。マストンは、その|きこり《ヽヽヽ》のところへ駆け寄ってさけんだ。
「ライフルをもった男が、森にはいるのを見ませんでしたか? バービケイン……、会長は、おれの親友なんだが?……」
ガン・クラブの尊敬すべき秘書役は、単純にも、自分たちの会長は、世界じゅうに知れわたっているはずだと、考えていた。が、|きこり《ヽヽヽ》は、どうにも解《げ》せないといったようすであった。
「ハンターですよ」と、そこで、アルダンが言った。
「ハンター? なら、はいっていっただ」と、きこりは答えた。
「だいぶまえにですか?」
「かれこれ一時間になるかな」
「遅すぎた!」と、マストンがさけんだ。
「で、鉄砲の音が聞こえましたか?」と、ミシェル・アルダンがたずねた。
「いいや」
「一発も?」
「一発も。そのハンターはついとらんようだな」
「どうしよう?」と、マストンが言った。
「森にはいろう。まちがえられて、一発くらうおそれはあるが」
「ああ!」と、マストンが嘆声を発した。その声を聞けば、マストンの真情を取りちがえるなんてことはとてもできなかった。「バービケインが頭に一発くらうくらいなら、おれの頭に一〇発くらったほうが、よっぽどましだ」
「さて、前進!」と、アルダンは同伴者の手をにぎって言った。
数秒後に、ふたりの友は藪のなかに姿を消していた。こんもりとした|しげみ《ヽヽヽ》で、巨大な糸杉や、大|かえで《ヽヽヽ》、オリーヴ、タマリンド、樫の木、マグノリアなどが生いしげっていた。こうした種々雑多な木々が、枝をからませ、密生していたので、とても遠くまでは見とおせなかった。ミシェル・アルダンとマストンは、背の高い草のあいだを、黙ってくぐりぬけ、いきおいよくのびた蔓《つる》をかきわけて道を開き、葉陰におおわれた厚いしげみや枝々のなかをすかして探り、一歩進むごとに、ライフルの音が聞こえはしまいかと、おそれながら、身を寄せあって進んでいった。バービケインが森を通ったときに残していったにちがいない足跡を探りあてるなんて、とてもできない相談であった。そこでふたりは、わずかに切りひらかれた小道を、めくらのようにして進んでいった。インディアンであったならば、そのような小道の一歩一歩に、敵の足跡をみとめて、追跡したであろうに。
むなしい捜索を一時間ほどしてから、ふたりの仲間は立ちどまった。ふたりの心配はいやましにつのっていった。
「もう終わっちまったんだ」と、マストンはがっかりして言った。「バービケインのような男は、敵をだましたり、|わな《ヽヽ》にかけたり、策を弄したりはせんからな。あのひとは、公正すぎ、勇気がありすぎるのだ! まっすぐ危険に立ち向かっていっちまったんだ。そして、きっと、それは、あの|きこり《ヽヽヽ》から、ずっと遠くはなれたところだったので、発砲の音が風にさらわれて、きこえなかったのだ!」
「しかし、だとしたら、おれたちには」とミシェル・アルダンが答えた。「おれたちには聞こえただろう、森にはいってから」
「だが、おれたちの到着が遅すぎたとしたら!」と、マストンは、絶望のさけびを発した。
ミシェル・アルダンには、かえすことばがなかった。そこで、マストンと彼は、ふたたび歩きはじめた。ときどき、彼らは大声を発して、「バービケイン!」とか「ニコル!」とさけんだ。しかし、どちらにも答えはかえってこなかった。物音に目をさました小鳥たちが楽しそうに飛びながら、枝々のなかに姿を消していき、何匹かの鹿が、おびえてしげみのなかをあわてて逃げていった。
さらに一時間、捜索はつづけられた。捜索は、森の大部分におよんだが、決闘者たちの居場所をしめす手がかりは、なんらえられなかった。|きこり《ヽヽヽ》のことばを疑いたくさえなるほどであった。アルダンはこれ以上、無意味な捜索をすることをあきらめかけていた。が、そのとき、突然、マストンが立ちどまった。
「しっ!」と、マストンは制して、「あそこにだれかがいる」
「だれかだって?」と、ミシェル・アルダンが答えた。
「そうだ! 男だ! 動いていないようだ。ライフルを手にもっていないぞ。いったい、何をしているのだろう?」
「が、だれだかわかるかね?」と、アルダンはたずねた。このようなときには、彼の近視はまったく困りものだ。
「やつだ! やつだ! ふりかえりやがった」と、マストンは答えた。
「で、いったい?……」
「ニコル大尉だ!」
「ニコルだって?」と、ミシェル・アルダンはさけんだが、胸がきゅうっとひきしまるのを感じた。
武装をしていないニコルだ! それでは、彼はもはや敵をおそれる必要がなくなってしまったのか?
「彼のところへいこう」と、ミシェル・アルダンは言った。「どういうことだか、わかるだろう」
しかし、ふたりは五〇歩と進まないうちに、ふたたび立ちどまり、大尉が何をしているかを、注意深く観察した。血にまみれ、復讐に酔いしれている男を見いだすのではないか、とふたりは考えていたのだ。が、大尉の姿を見て、ふたりとも呆然としてしまった。
二本の巨大なユリの木のあいだに、網目のこまかい糸が張られていた。そして、この蜘蛛の巣の中央で、一羽の小鳥が羽をからませて、悲痛なさけびを発しながらもがいていた。この、一度かかったら逃げることができない|わな《ヽヽ》を張った鳥殺しは、情け容赦もない毒蜘蛛であった。アメリカ特有の蜘蛛で、鳩の|たまご《ヽヽヽ》ほどの大きさで、足もまた巨大なものであった。この、いやらしい動物はちょうど獲物に飛びかかろうとしていたのであるが、退却して、ユリの木の高いところの枝のなかにある隠れ家に逃げこまなければならなかった。というのも、こんどは蜘蛛のほうが、おそるべき敵におびやかされたからであった。
事実、ニコル大尉は銃を地面に置き、身の危険も忘れて、おそろしい蜘蛛の網にひっかかった犠牲者を、できるだけそっと放してやることにけんめいになっていたのである。やっと網からほどいてやると、大尉は小鳥を飛ばしてやった。小鳥はうれしそうに、翼をはばたかせて飛び去った。
ニコルは、ほろりとして、小鳥が木々のあいだを逃げていくのを見まもっていたが、そのとき、だれかが感動した声で、つぎのように言ったのが聞こえた。
「あなたはりっぱなかただ、あなたってかたは!」
大尉はふりかえった。ミシェル・アルダンが目のまえにいて、まえとおなじ感動した声でくりかえしていた。
「愛すべきおひとだ!」
「ミシェル・アルダン!」と、大尉はさけんだ。「いったい、ここに何しにきたんです?」
「握手をしにですよ、ニコル。そして、あなたがバービケインを殺すことを、もしくは、バービケインに殺されることをじゃましにきたのです」
「バービケインか!」と、大尉はさけんだ。「二時間も探しているんだが、まだ見つからない。どこかにかくれたのだろう?……」
「ニコル」と、ミシェル・アルダンが言った。「そいつはおだやかではないですな。つねに敵をうやまうべしです。まあ、落ちつくことです。バービケインが生きているなら、見つかりますよ。それも簡単にね。あなたのように、かわいそうな鳥を助けたりして遊んでいるのでなければ、きっと、バービケインだってあなたを探しているはずなんですから。しかしですよ、われわれが彼を見つけたら、──これはミシェル・アルダンからあなたに申しあげるのだが──あなたがたの決闘は、もうおしまいにするのですぞ」
「バービケイン会長とわたしのあいだの反目は」と、ニコルは重々しく答えた。「ふたりのどちらかの死のみが……」
「さあ、さあ!」と、ミシェル・アルダンが口をはさんだ。「あなたがたのようにりっぱなかたがたは、にくみあうようなことが仮にあっても、かならず尊敬しあうようになるものです。決闘なんかしないものです」
「わたしはたたかう!」
「たたかうものですか」
「大尉」と、J=T・マストンが心をこめて言った。「わたしは会長の友人、というより分身《ヽヽ》でさあ。つまり、もうひとりの|あのひと《ヽヽヽヽ》というわけです。どうしても殺したければ、わたしをお撃ちなさい。まったくおなじことなんですから」
「そ、そんな」と、ニコルはライフルをもっている手をふるわせて言った。「ふざけちゃあ……」
「わが友マストンはふざけてなんかいません」と、ミシェル・アルダンが答えた。「わたしにはよくわかっているのです、自分の好きな男のかわりに殺されようという彼の気持が! しかし、マストンも、バービケインも、ニコル大尉も、撃たれて倒れるようなことがあってはなりません。と言うのも、わたしはあなたがたに、ひとつの提案をしたいのです。この提案は、たいへん魅力的な提案なので、みなさんよろこんで受けてくれると思うのです」
「どんな提案ですか?」と、あきらかに不信の色を見せて、ニコルはたずねた。
「まあ、あわてなさんな」と、アルダンは答えた。「バービケインのいるまえでなければ、申しあげるわけにはいきませんから」
「じゃあ、彼を探そう」と、大尉がどなった。
ただちに、三人は歩きだした。大尉は、弾丸をぬきとってからライフルを肩にかつぎ、ものも言わずにどんどん進んでいった。
さらに半時間、捜索はむなしかった。マストンは不吉な予感にとらわれていた。彼はニコルをきびしい目つきで見つめた。大尉が復讐をとげて、あわれなバービケインはもはや弾丸に打ち倒されて、どこかに血にまみれた|しげみ《ヽヽヽ》の奥で、死んで横たわっているのではあるまいか、と考えたのだった。どうやら、アルダンもおなじ考えにとらわれているようだった。ふたりはすでに先刻から、不審の眼差《まなざし》をニコル大尉に向けていた。そのとき、突然、マストンが立ちどまった。
大きな|きささげ《ヽヽヽヽ》の木の根もとにもたれかかって身動きもしないひとりの男の姿が、二〇歩さきのところに、なかば草にかくれて、見えたのだ。
「彼だ」と、マストンが言った。
バービケインはじっとしていた。アルダンは大尉の目をのぞきこんだ。大尉はびくりともしない。アルダンは数歩まえに出て、さけんだ。
「バービケイン! バービケイン!」
返答がない。アルダンはバービケインのほうへとすっ飛んでいった。が、その腕をつかもうとした瞬間、急に立ちどまって、おどろきのさけびを発した。
バービケインは、鉛筆を手にして、ノートに幾何学の公式や図式を書いているところだった。彼の銃は、弾丸をぬかれて、地面にほうりだされていた。
仕事に夢中になって、決闘のことも、復讐のことも忘れていたこの学者には、何も目にはいらなかったし、何も聞こえなかったのだ。
しかし、ミシェル・アルダンが、その手を彼の手の上に置くと、彼は立ちあがり、おどろいたような眼差しでアルダンを見つめた。
「やあ!」と、バービケインはようやくさけんだ。「きみが、ここに? 見つけたよ、きみ!見つけたんだ!」
「何を?」
「方法をだ」
「なんの方法?」
「砲弾発射のときのショックをなくす方法をだよ!」
「ほんとうか?」と、ミシェルは、大尉を上目《うわめ》づかいで見ながら言った。
「そうなんだ! 水なんだよ! ただの水を使えばいいんだ! おや、マストン! きみもいるのか!」と、バービケインはさけんだ。
「まさしくマストンだ」と、ミシェル・アルダンは答えた。「それから、尊敬すべきニコル大尉も同時に紹介させてもらうよ」
「ニコル!」と、バービケインはさけんで、さっと立ちあがった。「失礼しました、大尉。忘れていたのです……が、用意はできています……」
ミシェル・アルダンは、とっさに中にはいって、ふたりの敵にことばをかわすひまをあたえなかった。
「まったくだ!」と、アルダンは言った。「きみたちのようにりっぱな男が、これより早く出くわさなくて、ほんとうにさいわいだった! いまごろ、どっちかのために、涙を流しているような破目《はめ》におちいっていたものな。しかし、神さまのおかげで、もう心配することはなくなったんだ。うらみを忘れて力学の問題に没頭したり、蜘蛛《くも》をからかっているようなら、うらみもだれの害にもなりやしない」
そして、ミシェル・アルダンは、会長に、大尉がしていたことを物語った。
「少々おふたりにうかがいたいのですが」と、最後にアルダンは言った。「きみたちふたりみたいにいい人たちが、銃で頭をたたきあったりしてもいいもんですかね?」
この場の状況には、いくらか滑稽なところもあり、また、まったく予測できないようなことの連続だったので、バービケインもニコルも、おたがいどんな態度をとってよいものやら、からきしわからなかった。ミシェル・アルダンには、ふたりのそんな気持がよくわかったので、いきなり和議を申し出ることにした。
「親愛なる友だちよ」と、最高のほほえみを唇に浮かべて、アルダンは言った。「きみたちのあいだにあったものは、たんなる誤解にすぎんのです。それだけのことだったのだ。よろしい! では、きみたちのあいだの不和に、終止符がうたれたことを証明するために、──それに、きみたちは平気で危険に身をさらすほどの人たちなのですから──これから、わたくしが提案することを、率直に受けてください」
「話してください」と、ニコルが言った。
「わが友バービケインは、彼の発射体がまっすぐ月にいくと信じています」
「もちろんです」と、会長は答えた。
「また、わが友ニコルは、発射体は地球に落ちるだろうと確信しています」
「確実に落ちる!」と、大尉がさけんだ。
「よろしい!」と、ミシェル・アルダンはことばをつづけた。「わたしはふたりの意見を一致させようなどとは考えていません。が、ごく簡単に申しあげましょう。わたしといっしょにお出かけください。そして、途中でだめになるかどうか、見においでなさい、と」
「ええっ」と、J=T・マストンは、あっけにとられて、うなった。
この突然の提案に、ふたりの競争者は、たがいに相手に目を向け、注意深くうかがいあった。バービケインは大尉の返事を待ち、ニコルは、会長のことばを待った。
「で、いったいどうなんです?」と、ひとをひきつけずにはおかない調子で、ミシェルがうながした。「もう、ショックの心配はないんですからね」
「承知した」と、バービケインはさけんだ。
しかし、バービケインは非常な早口でこのことばを口にしたのだが、ニコルもバービケインと同時に、このことばを言い終えていたのである。
「ばんさい! ブラボー! ばんさい! うわあい!」ミシェル・アルダンは、ふたりの敵対者に手をさしのべて、さけんだ。「ところで、いまや、ことはまとまったのですから、フランス流にやらせてください。メシを食いにいきましょうや」
二十二 合衆国の新市民
その日、アメリカじゅうが、ニコル大尉とバービケイン会長の事件と、その一風《いっぷう》変わった結末とを、同時に知った。義侠心に富んだヨーロッパ人がこの事件で演じた役割、一刀両断に難局を解決した思いがけない提案、そしてまた競争者ふたりが同時にその提案を受け入れたこと、フランスと合衆国が手をたずさえてやっていこうとしている月世界征服計画、こういったことのすべてが結びついて、ミシェル・アルダンの人気を、いやがうえにも、もりあげたのであった。
ヤンキーがだれかに夢中になるときの、その熱狂さかげんときたら、だれでも知っている。お偉い知事閣下が、踊り子の馬車に自分の馬をつけて、意気揚々とひっぱるようなお国柄なのだから、この無鉄砲なフランス人によって|せき《ヽヽ》を切られた熱狂が、どれほどのものであったかは、容易に察しがつこうというものだ。もっとも自分の馬車から馬をはなすことにはならなかったが、それもおそらく馬をもっていなかったからというだけのことで、そのほかの、あらゆる熱狂のしるしが、ミシェル・アルダンにしめされたのである。アルダンと心意気を一にしない市民は、ひとりとしていなかった。合衆国の標語の一億一心《ヽヽヽヽ》というやつだったのだ。
この日を境にして、ミシェル・アルダンには、もはや休むいとまがなくなった。合衆国のあらゆる州からやってくる使節が、ひっきりなしにつきまとったのだ。好むと好まざるとにかかわりなく、アルダンはそれらのひとを迎えなければならなかった。握手した回数、親しく口をきいたひとの人数は、数えきれないほどになり、まもなく、アルダンはくたくたにへばって|あご《ヽヽ》をだしてしまった。数知れぬ演説のために、声はしわがれ、唇からは、もはや意味のわからぬ音しかもれてこなかったし、合衆国全州のために、乾杯をしなければならなかったので、もう少しのところで胃腸炎にかかるところだった。ほかのひとだったら、このような成功に、第一日目から酔ってしまっただろうが、アルダンは自分をおさえ、なんとか、気の利《き》いた、魅力ある半酩酊にとどまっていることができた。
アルダンにつきまとったあらゆる種類の使節のなかでも、とくに、『|月ふうてん《ルナチック》』の使節は、自分たちが未来の月の征服者に、いかに多くを負うているかを忘れまいとした。この種類の気の毒な人びとは、アメリカじゅうにかなり多数いるけれども、そのうちの数人が、ある日アルダンに会いにきて、生まれ故郷に帰りたいから、ぜひいっしょに連れていってくれと、たのんだ。そのうちの幾人かは、『月語』がしゃべれると言いはり、ミシェル・アルダンに教えようとしてきかなかった。アルダンは、この人たちの罪のない狂気に、よろこんで調子をあわせ、この人たちの月にいる友人への|ことずけ《ヽヽヽヽ》をひきうけたのだった。
「変わった気ちがいだな」と、この連中を送りかえしてから、アルダンはバービケインに言った。「それも、頭のすごくきれるひとがよくかかるんだ。フランスでもっとも名高い学者のアラゴがぼくに言っていたけれど、非常に賢く、考えが控え目なひとでも、月のことになるととたんにむやみやたらと興奮したり、信じがたいような奇行におよぶのをおさえられなくなってしまう例がよくあるそうだ。病気に月がおよぼす力なんて、きみは信じられないだろうな?」
「まあね」と、ガン・クラブの会長は答えた。
「ぼくだって信じてないよ。ところがだ、歴史には、ともかくおどろくべき事実がいろいろと記録されている。たとえば、一六九三年の悪疫のときのことだが、一月二一日の月食の日に、多くのひとが死んでいる。有名なベーコン〔イギリスの大哲学者。一五六一〜一六二六〕は、月食のたびに失神して、食が完全に終わらないと正気にもどらなかったということだ。また、シャルル六世は、一三九九年に六回精神錯乱におちいっているけれども、それはきまって、新月か満月のときだった。|てんかん《ヽヽヽヽ》を、月の諸相によって起こる病気に分類している医者もいるくらいで、神経系統の病気は、しばしば月の影響を受けているように思われる。ミードの説によると、月が地球の反対側にくると、|ひきつけ《ヽヽヽヽ》を起こす子どもがいるそうだ。ガルは、病弱な人たちの精神が、ひと月に二度、つまり新月と満月のときに昂《たか》ぶるということを指摘している。|目まい《ヽヽヽ》とか、悪性の熱病とか、夢遊病などについてのこの種の症例は、まだまだたくさんあるが、要するに、こういったことが、地球上の病気にたいする月の不可思議な影響力を証明することになるかもしれない」
「しかし、どんなふうにだね? どうしてだね?」と、バービケインがたずねた。
「どうしてかって?」と、アルダンは答えた。「いやはやどうも。じつのところ、アラゴとおなじように答えるしかしようがないね。アラゴにしたって、一九〇〇年もまえのプルタルコスの二番|煎《せん》じだけどね。つまり『そいつはおそらく、それがほんとうでないから!』さ」
勝利のまっただなかにあって、ミシェル・アルダンは、いろいろといやな思いもしなければならなかった。有名な人間の暮らしには、かならずと言っていいくらい、つきもののことだが、ひと旗あげようという連中が、アルダンを見世物にしようと目論《もくろ》んだのだ。バーナム〔有名なサーカス興業主〕は、アルダンに一〇〇万ドルだして、合衆国じゅうの町々を歩きまわらせ、珍しい動物か何かのように見世物にしようとした。ミシェル・アルダンは、その男を猛獣使いあつかいにし、自分でかってに歩きまわれと言って追っぱらった。
こんなふうに、大衆の好奇心を満足させてやることは拒絶したけれども、それでもなお、アルダンの肖像画は世界じゅうにゆきわたり、アルバムの貴賓席である第一ページにはられたのであった。アルダンの写真は、等身大のから、非常に小さく縮写した郵便切手用のものにいたるまで、ありとあらゆる大きさのものがつくられた。
だれでもこの英雄の写真をもとめることができた。顔写真、上半身のもの、全身のもの、正面から撮《と》ったもの、プロフィル、四分の三プロフィル、うしろ姿など、およそ考えられるすべてのポーズの写真を手に入れることができた。写真は一五〇万部以上プリントされた。つまり、アルダンは自分をバラ売りする機会に恵まれたのだが、それを利用しようとはしなかった。アルダンには、まだたくさん髪の毛がはえていたから、それを一本一ドルで売るだけでも、じゅうぶんひと財産つくれたわけである。
結局のところ、このように人気者になったことで、彼は気を悪くしてはいなかった。それどころか、すすんで大衆の意をむかえ、全世界と連絡をとった。アルダンが口にした気の利いたことばは、くりかえされ、口々に伝えられた。ときには、彼の口から出なかったことばまで、彼のものとして伝えられた。こういうことはよくあることだが、それというのも、彼がなかなかの口達者であったからだ。
アルダンは、男たちから人気があっただけでなく、女たちからも人気があった。ちょっとでも『身を固める』気になったら、数かぎりない良縁に恵まれたことであろう。とくにオールドミスたち、一八四〇年以来しなびきっているオールドミスたちは、彼の写真をまえにして、夜となく昼となく、うっとりとしていた。
たとえ、宇宙空間のなかをついてこいという条件をもちだしたとしても、確実に一〇〇人くらいの伴侶を、彼は見つけることができたであろう。一度、おそろしさを払いのけると、女というものは大胆不敵になるものだ。しかし、月世界の始祖となって、フランス人とアメリカ人の混血を月に移住させようなんて意図は、アルダンにはなかった。だから、彼はことわったのである。「月にいって、アダムとイヴごっこをするなんて、いやはや、とんでもない! 蛇にでも出くわさなくちゃあねえ……」と、彼は言っていた。
あまりにも何回となくくりかえされた、勝利の饗宴から、やっとのことで逃げだすことができるとすぐに、アルダンは、友人たちとコロンビアード砲を見学に出かけた。このことこそ、彼として当然なすべきことであった。それに、バービケイン、J=T・マストン、その他の面々と生活を共にするようになってからこのかた、彼はとみに弾道学の造詣《ぞうけい》を深めていた。彼の最大のよろこびは、ガン・クラブのメンバーである、これらのりっぱな砲兵たちに向かって、きみたちは感じがよくて、物知りな殺し屋だね、と、なんどもくりかえすことであった。こういった種類の軽口《かるくち》をたたくことでは、汲めどもつきない才能の井戸をもっていたのである。コロンビアード砲を見学した日、彼は大いに感嘆して、この巨大な大砲の内部、人間ならさしずめ魂のある部分にまでおりていった。この大砲が、やがて彼を月に向けて発射することになるのだ。
「とにもかくにも」と、アルダンは言った。「この大砲は、だれにも危害をくわえないのだ。このことは、大砲として、おどろくべきことだよ。それにひきかえ、きみたちのほかの武器ときたら、物はこわすし、こっぱみじんにし、ひとを殺すんだからねえ。そんな話は聞くのもごめんだよ。だから、そんな武器に『魂がある』なんて、金輪際《こんりんざい》、ぼくには言わないでくれ。信じやしないから!」
ここで、J=T・マストンにたいして、ひとつの提案がおこなわれたことを報告しておかなければならない。バービケインとニコルが、ミシェル・アルダンの申し出を受けるのを聞いたとき、ガン・クラブの秘書役は、彼らにくわわって、『四人でゲームをしよう』と、心にきめたのである。ある日、マストンは旅行の仲間に入れてくれ、とたのんだ。バービケインは、断るにしのびなかったが、砲弾にはそれほどたくさんのひとは乗れないのだ、ということをマストンに言い聞かせた。J=T・マストンはがっかりして、こんどはミシェル・アルダンに会いにいった。アルダンは|純粋に個人的な《ヽヽヽヽヽヽヽ》理由をならべたてて、マストンにあきらめるよう忠告した。
「なあ、マストン君」と、アルダンは言った。「ぼくの言うことを悪くとらないでくれよな。これはほんとうにここだけの話だが、きみはかっこうが悪すぎて、きみを月世界で紹介するなんて、とてもできっこないよ」
「かっこうが悪い、だって!」と、この勇ましい傷痍《しょうい》軍人はさけんだ。
「そうなんだよ! まあ、ぼくたちが月の住人に出っくわしたとでも、想像してみたまえ。この地球で起こっていることが、あんまりみじめだなんて思われたかないじゃないか。戦争とはどんなものか、なんて彼らに教えたりしたくないんだ。地球人が、貴重な時間をさいて、噛みつきあったり、共食いをしたり、手足をへしおりあっているなんてことを、見せたかないんだよ。しかも、それが一〇〇〇億人をも養いうる一天体の上でのことなんだぜ。それが現実には、せいぜい一二億しかいないんだ。だからさ、きみはじつに立派な男だけれど、きみがいると、月で門前払いされかねないんだよ!」
「しかし」と、J=T・マストンは反駁した。「|こなみじん《ヽヽヽヽヽ》になってついたら、きみたちだって、おれとおなじくらい、かっこうが悪いってことになるじゃあないか」
「まあね」と、ミシェル・アルダンは答えた。「でも、ぼくたちは、|こなみじん《ヽヽヽヽヽ》になってついたりはしないよ!」
事実、一〇月一八日に試験的におこなわれた予備実験は、最良の結果をもたらした。かくして、希望を抱くことは、当然しごくのこととなったのである。バービケインは、砲弾発射時のショックのデータをたしかめるため、ペンサコーラの造兵廠から、七五センチ口径の臼砲をとり寄せた。彼は、それをヒリスボロの港の海岸に設置させたが、それは、爆弾を海に落として、その落下ショックを軽減させるためであった。しかし、それは発射時の震動を測るための実験であって、落下時のショックの実験ではなかった。この興味ある実験のために、空洞の発射体が、細心の注意をはらって準備された。最良の鋼《はがね》でできた一連のバネの上に、厚い内部屋がつくられ、発射体の内壁は二重になっていた。それはまさしく念入りに綿づめをし巣箱とでも言うべきものであった。
「こいつに乗れないとは残念無念!」と、J=T・マストンは、からだが大きすぎて冒険を試みることができないのをくやしがった。
このすばらしい爆弾は、ビスどめの蓋を用いてしめられるようにできていた。そのなかには、まず、一匹の大きな猫を入れ、つぎに、ガン・クラブの終身秘書役であるJ=T・マストンが非常にかわいがって育てている|リス《ヽヽ》を一匹入れた。こんなことをしたのも、|目まい《ヽヽヽ》にかかりにくいこの小動物が、この実験旅行をどんなふうに耐えぬくかをしらべるためであった。
臼砲には、七二キログラムの火薬が装填《そうてん》され、爆弾は砲内に入れられた。発射!
すぐさま砲弾はいきおいよく飛びだし、堂々たる放物線を描いて、約三〇〇メートルの高さに達し、それから、優雅な曲線を描いて、波間へと落ちていった。
一刻を惜しんで、小舟が落下点へと向かった。腕ききの潜水夫たちが水中に飛びこみ、爆弾の耳に数本の綱をかけ、おおいそぎで舟の上にひきあげた。動物が爆弾のなかに閉じこめられたときから、蓋のビスがぬかれて、なかからとりだされたときまで、五分と経っていなかった。
アルダン、バービケイン、マストン、ニコルは舟に乗っていた。彼らは、大きな関心をもって、この場に立ちあったのだが、その関心がいかに大きなものであったかは、容易にわかるというものだ。爆弾の蓋が開かれるや、ちょっぴり怒ってはいたが、元気いっぱいに、猫が飛びだした。空中冒険旅行から帰ってきたというようすは、まるでなかった。だが、|リス《ヽヽ》がいない。みんなけんめいになって探した。しかし、まったく痕跡もない。やむなく真相をみとめざるをえなかった。つまり、猫が、旅の道づれを食べてしまったのである。
J=T・マストンは、あわれな|リス《ヽヽ》を失って大いに悲しみ、科学に殉じた人たちのなかに、この|リス《ヽヽ》の名を書きつらねようと考えたのであった。
ともあれ、この実験がおこなわれてからは、いかなるためらいも、いかなる危惧も、完全に消失してしまった。そのうえ、バービケインの計画によれば、発射体をさらに完全なものにし、発射時のショックを、ほとんど完全に|ゼロ《ヽヽ》にする予定だった。したがって、もはや、あとは出発あるのみ、ということになった。
二日後、ミシェル・アルダンは、合衆国大統領からメッセージを受けとった。アルダンは、この名誉に、いたく感動したようすであった。
彼の同国人で、騎士道精神の持ち主であったラ・ファイエット侯爵の例にならって、政府はアルダンに合衆国市民の資格をあたえたのであった。
二十三 砲弾列車
有名なコロンビアード砲が完成したあと、一般の人たちの関心は、ただちに発射体にもどったが、この新しい乗り物の任務は、三人の大胆な冒険家を、宇宙空間経由ではこぶことにあった。委員会のメンバーが決定したときのプランに、ミシェル・アルダンが九月三〇日付の電報で、変更を要求してきたことを、だれしも忘れてはいなかったのである。
それまで、バービケイン会長は、大気圏を数秒間で通過したのち、発射体は完全に真空中を進むことになるはずだから、発射体の形はたいした問題ではない、と考えていたのだが、この考えは正しかった。だから、委員会は球形を採用したのであるが、それは、弾丸が回転して、好きなように動きまわれるようにするためであった。しかし、それを弾丸から乗物に変えるとなると、問題はまったく別個のものとなった。ミシェル・アルダンは、|リス《ヽヽ》みたいにぐるぐるまわりながら旅行するなんて、まっぴらごめんだった。頭はちゃんと上にし、足はちゃんと下におろして、気球の吊り籠のなかにいるときとおなじくらい、威厳ある姿勢をたもっていたかったのだ。なるほど、気球よりずっと速いかもしれない。さりとて、つづけざまにひっくりかえされるような、あまり気分のよくない状態にはなりたくなかったのだ。
そこで、新しい設計図が、オールバニーのブレッドウィル株式会社に送られ、同時に、時をうつさず仕事にとりかかるようにという命令が、発せられたのであった。変形された発射体の鋳造は、一一月二日に終わり、ただちに、発射体は東部鉄道によってストーンズヒルに送られてきた。一〇日に、発射体はぶじ、目的地に到着した。ミシェル・アルダン、バービケイン、ニコルの三人は、新世界発見の旅へと飛び立つべく、『この砲弾列車』の到着を、待ちきれぬ思いで、いまかいまかと待ち受けていた。
発射体は、金属でできたすばらしい作品、アメリカ人の工業的才能に最高の名誉をもたらしている製錬業の傑作であった、ということはみとめなければならない。近年になって、非常に大量のアルミニウムが生産されるようになったが、これはまさしく、驚嘆すべき結果と見なされてしかるべきものであった。高貴な発射体は、陽の光をあびて、きらきらと輝いていた。発射体の、威風堂々たる姿と、帽子のような円錐型の先端を見ると、中世の建築家たちが城砦《じょうさい》のかどにぶらさげた、|こしょう《ヽヽヽヽ》入れ型の、あのずんぐりとした砲塔が思いだされる。砲塔につきものの銃眼と風見《かざみ》がなかっただけである。
「火縄銃と、鋼《はがね》の胸甲で武装した騎士が出てくるんじゃないかって思っちまうよ」と、ミシェル・アルダンがさけんだ。「このなかに住んだら、ぼくらはさしずめ、封建領主ってところだな。ちょいと大砲でもくっつければ、月世界の全軍隊を向こうにまわしてでも戦えるってことだ。もっとも、月に軍隊があったらばの話だがね!」
「じゃあ、この乗り物が気に入ったんだね?」と、バービケインは親友にたずねた。
「もちろんさ!」と、ミシェル・アルダンは答えて、芸術家らしく、こまかく検分した。「ただ、もうちょっと流線形で、先端がもう少しすらりとしていたなら、と思うんだけれど。先端に、格子模様の金属製房飾りか何かをつければよかったね。模様はなんでもいいよ、キマイラ〔獅子の頭、山羊の胴、竜の尾をもつ伝説獣〕でも、ガーゴイル〔樋の口に使われる怪獣像〕でも、サラマンダー(山椒魚)が火のなかから出てきて翼をひろげ、口をあんぐりあけているところでもかまやしない……」
「なんのために?」と、実際的な精神の持ち主で、芸術の美など、とんと解さないバービケインがたずねた。
「なんのために、だって? バービケイン! いやはやあきれた。そんな質問をするようでは、まずきみには理解してもらえそうにもない」
「とにかく言いたまえ」
「よろしい。ぼくに言わせれば、何をつくるにせよ、かならず、いくぶんかの芸術味はくわえなければならないのだ。そのほうがいいじゃないか。きみは『子供の馬車』っていうインドの芝居を知っているかい?」
「名前も知らないな」と、バービケインは答えた。
「そう言われても、べつにおどろきゃしないがね」と、ミシェル・アルダンはことばをつづけた。「じゃあ、教えてやろう。この芝居には、ひとりの盗賊が出てくる。こいつはね、家の壁に穴をあけようというときにも、その穴を竪琴《たてごと》の形にしようか、それとも壺《つぼ》の形にしようかって考えるんだよ。で、ひとつ聞くがね、バービケイン。もし、きみが、その時代に陪審員だったら、この盗賊を処刑しただろうか?」
「一瞬たりとためらわないね」と、ガン・クラブの会長は答えた。「押入り強盗という加重情況があるからね」
「ところがぼくだったら、無罪放免にしてやっただろうな。だからバービケイン、きみはいつまでたってもぼくを理解できないんだ」
「理解しようとも思わないさ。ごりっぱな芸術家だよ、きみは」
「しかし、少なくともだね」と、ミシェル・アルダンはなおもつづけた。「この砲弾列車の外部には手をつける余地が残っているのだから、飾りつけはぼくの好きなようにさせてくれよ。地球からの大使にふさわしい|こった《ヽヽヽ》ものにするから」
「そっちのほうのことは」と、バービケインは答えた。
「ミシェル、きみにまかせる。好きなようにやってくれたまえ」
しかし、ガン・クラブの会長は、快適さよりも、実際面のことを考えていたので、自分の発明した、発射時ショック軽減装置は、細心の注意をはらってとりつけたのであった。
バービケインは、これほど強力なショック軽減方法はほかにあるまいと思っていたが、それも理由のないことではなかった。かの有名なシャースナウの森の散歩のあいだに、この大きな難問を、彼はついに、いとも巧妙に解決したのだった。彼は、ショックを軽減するのに、水を使おう、と考えたのだ。どのようにするのかを、つぎに述べる。
発射体は、下から九〇センチメートルのところまで水の層でみたされる。そして、その水の層が、発射体の内壁に密接して動く、完全防水の木の円盤をささえる。この、まさしくいかだともいうべきものの上に、旅行者が乗るというしくみだ。液体のほうは、いくつかの水平のしきりで分かたれていて、このしきりは、出発時のショックで、つぎつぎに破壊されることになっていた。すると、各層の水が排水管を通って、発射体の下部から、最上部へとのぼり、バネの役目をする、また、円盤そのものにも非常に強力な緩衝装置がつけられる。かくして、円盤が発射体の底部にぶつかるのは幾重ものしきりが、つづけざまにこわれたあとになる。おそらく、液体が完全に排出されても、旅行者はかなりはげしいショックを感じるであろう。しかし、強力なバネによって、最初のショックは、ほとんど完全になくなっているはずである。
表面積一二メートル×九〇センチメートルの水量の重さは、五二〇〇キログラム近くなることは事実である。しかし、コロンビアード砲のなかに蓄積されたガスの膨張で、重量の増加をくいとめることはじゅうぶんであろう、というのが、バービケインの考えであった。それに、発射時のショックによって、これらの水は一秒たらずのうちに排出されるはずであり、発射体はすみやかに正常な重さを回復するであろう、と考えられたのである。
以上が、ガン・クラブの会長の思いつきであった。これで発射時ショックの大問題は解決した、と彼は考えた。そのうえ、ブレッドウィル社の賢明な技師たちは、このようなしくみを完全に理解したので、仕事のできばえはすばらしかった。しかけが有効に働いて、水分が排出されてしまえば、旅行者は容易にこわれたしきりをとりのぞくことができる。さらに、出発時に旅行者をのせていた移動円盤まで、とりはずすことができるようになっていた。
発射体上部の壁は、皮革製の厚い詰め物でカバーされていたが、この詰め物は、時計のぜんまいのようにしなやかな、最良の鋼《はがね》の渦巻線の上につけられていた。排出管は、この詰め物の下に隠されていたので、それがあることすらわからなかった。
このようにして、発射時のショックを軽減するための、考えられるかぎりの予防装置がとりつけられ、『できがよほど悪くなければ』こわれっこない、と、ミシェル・アルダンが言うほどのものができあがった。
発射体の大きさは、外部の幅二・七メートル、高さ三・六メートルであった。所定重量を超過しないようにと、壁の厚さがいくらか削られて、下部が補強されたが、それは火薬の突燃による強烈なガスの膨張に耐えられるようにするためであった。ふつうの爆弾や、円錐砲弾も、こんなふうにかならず底部のほうが厚くなっているものである。
この金属製の塔のなかには、先端部の壁につけられた、蒸気ボイラーの『マンホール』に似た、小さな入口からはいるようになっていた。入口は、アルミニウム板で密閉され、板は内部から強力な圧力ビスでとめられ、旅行者は月に到着するや、この移動牢獄から好きなときに出られるようになっていたのである。
しかし、月にいくだけではじゅうぶんではない。途中を見なければ意味がない。が、そんなことは、いとも簡単なことであった。事実、詰め物の下に、非常に厚い円形ガラスの舷窓が四つつけられていた。そのうちふたつは発射体の周壁に、三つ目のは下部に、四つ目のは円錐帽部にとりつけられ、旅行者たちが旅行中、遠ざかる地球や、接近する月や、星をちりばめた空間を観測することができるようになっていたのだ。ただし、発射時のショックから保護するために、これらの舷窓には、はめこみ板がしっかりととりつけられていた。これらの板は、発射体内部のネジどめのネジをぬくと、簡単にはずれて、空中にふっとんでしまうしかけなのだ。こうすれば、内部の空気を逃がすことなく、観測をおこなうことが可能となる。
これらの装置の備え付けは、すべてみごとに進行し、稼動《かどう》もまたスムーズであった。そのうえ、技師たちは内部設備のほうにも、なかなかの腕のさえを見せたのであった。
いくつかの容器が、しっかりと固定されたが、それは、三人の旅行者に必要な水と食糧とを入れるためのものであった。さまざまな気圧にたえられる特殊容器のなかに貯えられたガスを使って、旅行者たちは火や光をえることもできた。コックをひねるだけでガスが出て、六日間のあいだ、この乗りごごちのよい乗り物を明るくし、暖めることになっていた。ごらんのように、生活に、いやそれどころか、安楽な暮らしに必要なものは、何ひとつ不足していなかった。そのうえ、天分ゆたかなミシェル・アルダンのおかげで、芸術的な品々がくわえられ、快適さが実益的なものと同居することになった。場所さえじゅうぶんにあれば、アルダンは、発射体内部を、まるで芸術家のアトリエのようにしてしまったことだろう。しかも、三人が、金属製の塔のなかで、せま苦しい思いをするだろうなんて考えたら、おおちがいだ。内部の面積は。五平方メートル弱、高さは三メートルあり、居住者がある程度らくに身を動かすことができるようになっていた。合衆国でいちばん乗りごこちのいい列車でも、これほど快適ではなかったであろう。
食糧と照明の問題が解決し、あとは空気の問題のみとなった。発射体内部の空気だけでは、旅行者の四日分の呼吸量にたりないことは明白である。事実、ひとりの人間は、約一時間のあいだに、一〇〇リットルの空気中に含まれる全酸素を消費する。バービケインとふたりの仲間、およびバービケインが連れていこうと考えていた二匹の犬による酸素の予定消費量は、二四時間で二四〇〇リットル、重さにして約三キログラムである。それゆえ、内部の空気を再生する必要があった。どんな方法で? もっとも単純な方法、レセ=ルニョー法によってであり、それはミシェル・アルダンが公開討論会の席上で指摘した方法であった。ごぞんじのように、空気の主要成分は、酸素二一対窒素七九である。ところで、呼吸作用ではどのようなことが起こるか? きわめて単純な現象である。人間は、生命の維持に必要な空気中の酸素を消費し、窒素はそのまま吐きだす。吐きだされた空気は、約五パーセントの酸素を失い、そのかわり、ほぼ等量の炭酸ガスを含む。これは吸入された酸素によって、血液中の諸成分が燃焼することで生ずる最終の生成物である。したがって、閉ざされた場所で一定の時間が経過すると、空気中の全酸素は非常に有害なガスである炭酸ガスに変わってしまう。
それゆえ、問題を整理すると、つぎのようになる。窒素はそのままたもたれるから、まず、消費された酸素を再生すること。第二には、吐きだされた炭酸ガスを破壊すること。塩素酸カリと腐食性カリとを用いれば、これほど簡単なことはない。
塩素酸カリは、白色薄片状をなしている塩《ヽ》である。この塩《ヽ》を、四〇〇度以上の高温で熱すると、塩化カリウムに変わり、含有酸素のすべてが放出される。ところで、塩素酸カリ八キログラムは、酸素三キログラム、つまり、旅行者全員の二四時間の必要量を生成する。これで、酸素再生の問題は解決する。
腐食性カリは、空気中に混入している炭酸ガスとの結合力が非常に強い物質である。それゆえ揺り動かすだけで、腐食性カリは炭酸ガスと結合して、重炭酸塩カリを形成する。これで炭酸ガスを吸いとる問題は解決する。
このふたつの方法を結合することによって、よごれた空気に、もとの生命源的機能を回復させることができる。レセ氏とルニョー氏というふたりの化学者が、この実験に成功している。しかし、実験は、これまでのところ、下等動物を用いてなされたにすぎない。この実験の科学的正確さがどのようなものであれ、人間がこの実験にどのようにたえられるかは、皆目わかっていなかったのである。
この重大問題をとりあつかった会議で、以上のようなことが指摘された。人工空気による生存の可能性にかんして、疑問の余地を残しておきたくなかったミシェル・アルダンは、出発まえにその実験をおこなうことを提案した。そこで、この試練をうける名誉を強く要求したのが、ほかならぬJ=T・マストンであった。
「わたしは出かけないのだから」と、この勇敢な砲兵は言った。「せめて、一週間ぐらいは、発射体のなかに住まわしてくれなければ」
拒絶するなどという失礼なことは、とてもできなかった。彼のねがいはかなえられた。じゅうぶんな量の塩素酸カリが、一週間ぶんの食糧とともに、マストンのために準備された。マストンは、友人たちと握手をして、一一月一二日午前六時に、二〇日の午後六時まえには牢獄をあけてはならぬときっぱり申しつけて、砲弾内にすべりこみ、蓋を密閉させたのであった。
この一週間のあいだに、どんなことが起こっていたのであろうか? それを知ることは不可能である。発射体の壁は厚く、内部のどんな物音も、外部には聞こえてこなかったからだ。
一一月二〇日午後六時きっかりに、蓋が取りはずされた。J=T・マストンの友人たちは、いくぶんの心配をおさえることができなかった。しかし、うれしそうな声で、もうれつな勝鬨《かちどき》がさけばれるのを耳にして、すぐに胸をなでおろした。
やがて、ガン・クラブの秘書役が、発射体のてっぺんに、勝ち誇った姿をあらわした。マストンはまえより肥っていた!
二十四 ロッキー山脈のテレスコープ
前年の一〇月二〇日に、醵金がしめきられると、ガン・クラブの会長は、巨大な望遠装置の建設に必要な金額を、ケンブリッジ天文台に貸与しておいた。この装置は、望遠鏡にするにせよ、テレスコープにするにせよ、月面にある、二・七メートルの大きさの物体が見える程度に強力なものでなければならなかった。
望遠鏡とテレスコープとでは、重大なちがいがある。ここでそのちがいを確認しておくのも悪くはないであろう。望遠鏡は、一本の管でできていて、その上部先端に、対物レンズと呼ばれる凸レンズが、そして、下部先端には、接眼レンズという第二のレンズがついており、このレンズに観測者は目をつけて、観測する。光体の発する光線が、第一のレンズを通ると、屈折作用によって、レンズの焦点に、逆の映像がうつしだされる。この映像を、拡大鏡とまったくおなじ作用で拡大する接眼レンズで見るのである。だから、望遠鏡の筒の上部先端は、対物レンズによって閉ざされている。
これとは逆に、テレスコープの筒の上部先端は開いている。観測物体の発する光線は、筒のなかに自由にはいり、凹面すなわち収斂《しゅうれん》性の金属鏡に反射する。そこで反射された光線を接眼レンズに送るのだが、この接眼レンズは、映像を拡大するように設計されている。
それゆえ、望遠鏡では、屈折が重大な役割をはたしているが、テレスコープでは、反射が重大な役目をもっている。このことから、前者には、屈折望遠鏡、後者には、反射望遠鏡の名があたえられている。対物レンズがガラスレンズであろうと、金属鏡であろうと、望遠装置製作でいちばんむずかしいのは、対物レンズの製作である。
そして、ガン・クラブが大実験を試みようとしていたころには、こうした装置が非常に改良されていて、すばらしい効果をあげていた。ガリレオが、せいぜい七倍にしか拡大できないぼろ望遠鏡をこしらえて、星を観測していた時代は、いまや遠いむかしのことになっていたのである。一六世紀このかた、望遠装置は、幅、長さともに、非常に大きくなり、これまで未知であったはるかな天体まで、観測することができるようになった。現在、稼動している屈折望遠鏡としては、対物レンズの直径が三八センチある、ロシアのポウルコヴァ天文台の望遠鏡(この望遠鏡をつくるには、八万ルーブルかかった)、フランスの光学器械メーカー、レルブールがつくった、ロシアのとおなじ大きさの対物レンズをもつ望遠鏡、そして、直径四八センチの対物レンズをもつ、ケンブリッジ天文台の望遠鏡をあげることができる。
テレスコープとしては、強力な拡大力と、その巨大さのゆえに、ふたつのテレスコープが名高かった。そのひとつは、ハーシェルがつくったもので、長さは一〇・八メートルもあり、幅一メートル半の鏡をもった望遠鏡で、六〇〇〇倍の拡大が可能であった。もうひとつは、アイルランドのビアキャッスルのパーソンズタウン公園につくられたロッス卿所有になるものである。その筒の長さは、一四・五メートル、鏡の幅は一・九三メートルもあり、六四〇〇倍の拡大が可能であった。(もっとばか長い望遠鏡のこともよくうわさされている。とりわけ、パリ天文台に、ドミニック・カッシーニがつくった望遠鏡は、焦点距離が九〇メートルもある。が、このくらいの望遠鏡になると、筒がないということも知っておかねばならない。対物レンズは、支柱を用いて空中につるされ、観測者は接眼レンズを手にもって、対物レンズの焦点の位置に、できるだけ正確に身を置く。この装置の使用が、どんなにめんどうくさいものであるか、こんなふうに、配置されたふたつのレンズの焦点を合わせることが、どんなにやっかいなものであるかは、容易に理解できる)そして、この重さ一万二六〇〇キログラムの機械を操作するのに必要な設備としては、煉瓦製の巨大な建造物を建てなければならなかったのである。
しかし、ごらんのとおり、法外な大きさであったけれども、えられる倍率は、概算六〇〇〇倍をこえるものではなかった。ところで、六〇〇〇倍の倍率では、月を六二・四キロメートルの距離で見ることにしかならず、直径一八メートル以上の物体しか見えないのである。ただし、物体が非常に長いものである場合は、このかぎりではないが。
しかるに、いま問題となっているのは、幅二・七メートル、長さ四・五メートルの発射体なのである。それゆえ、月を、少なくとも八キロメートルの距離で見るようにしなければならないのだが、それには、四万八〇〇〇倍に拡大する必要があった。
ケンブリッジ天文台に課せられた課題は、以上のようなものであった。それは、財政的困難さのゆえに中止さるべきような性質のものではなかったので、あとに残った障害といえば、資材に関することであった。
そこでまず、テレスコープにするか、望遠鏡にするかを決定しなければならなかった。望遠鏡は、テレスコープにくらべて、いろいろな利点をもっていた。おなじ対物レンズを使った場合、望遠鏡のほうが、より大きな倍率をうることができる。なぜなら、レンズを通過するときの光度の消失は、吸収《ヽヽ》によるのだが、その消失率は、テレスコープの金属鏡に光線が反射することで生ずる光度消失の率よりも少ないからである。しかし、レンズにあたえうる厚さには制限がある。というのも、厚すぎれば、レンズが光を通さなくなるからである。しかも、この種の巨大なレンズの製作は非常にむずかしく、何年もの歳月を要するのである。
したがって、望遠鏡のほうが、映像をよりはっきりと見せてくれるので、たんなる反射光線を対象とした月観測では、はかり知れない利点を有するのだが、それにもかかわらず、テレスコープの使用にふみきった。それというのも、テレスコープのほうが、より迅速に建造することが可能であるからだ。光線は、大気を通過するときに、その強度の大部分を失うので、ガン・クラブは、合衆国のもっとも高い山を選んで、その山頂に機械を設置することに決定した。こうすることで、少しでも空気層の厚さを減少させようというのだ。
おわかりいただけたと思うが、テレスコープの場合、接眼レンズ、つまり、観測者が目をあてる鏡の部分が拡大をもたらすのであり、最大倍率をもたらすことができる対物レンズは、直径をできるだけ大きくし、焦点距離を可能なだけ長くしなければならない。四万八〇〇〇倍に拡大するには、ハーシェルやロッス卿の対物レンズの大きさをはるかに凌駕するものでなければならない。ここにいちばんの困難があった。それというのも、このような鏡を鋳造することは、まことにデリケートな作業であったからである。
さいわい、数年まえに、フランス学士院会員レオン・フーコーが、金属鏡に替えて、銀メッキ鏡を使用する方法を考案した。この方法のおかげで、対物レンズの研磨は、非常にたやすく、かつ敏速におこなわれるようになった。つまり、欲するだけの量のガラスを鋳型に流しこみ、それに銀塩のメッキをするだけでいいのだ。対物レンズの製造には、この方法が用いられ、すばらしい結果をうることができた。
さらに、対物レンズの配置は、ハーシェルが、自分のテレスコープのために考案した方法によっておこなわれた。スルーの天文学者〔ジョン・ハーシェル卿のこと。スルーは彼が生まれたバッキンガムシャーの町の名〕の装置においては、被観測物の映像は、筒の底部にある傾斜した鏡に反射し、それが筒の上部に映じられるようになっていて、そこに接眼レンズが置かれるしくみになっていた。それゆえ、観測者は筒の下部にからだを置かず、筒の上部にのぼり、そこから鏡をつけて巨大な筒のなかにもぐりこむのだ。このしくみだと、映像を接眼レンズに送るための小さな鏡は省略できる、という利点があった。かくて、映像は二回ではなく、一回鏡に反射するだけでよいことになり、消失する光量はきわめて少なくなったのである。つまり、結局のところ、より多くの明るさをうることができるようになったのであり、このことは、予定されている観測に、貴重な利益をもたらすにちがいない。(これらの反射鏡は、『フロント・ヴュー・テレスコープ』と呼ばれている)。
こうした決定がなされると、作業が開始された。ケンブリッジ天文台当局の計算によれば、新反射鏡の筒の長さは八五・四メートル、鏡は直径四・八メートルになるはずである。この装置の巨大さは、たいへんなものではあったが、天文学者フックが数年まえに建設しようと考えた、長さ三キロ半もあるテレスコープには、くらぶべくもなかった。とはいえ、このような装置の建造は、非常な困難をともなった。
場所の問題は、簡単に解決した。問題は、高い山を選ぶことであったが、高い山は合衆国にそんなにたくさんはない。
事実、この広大な国の山岳系列は、中くらいの高さの二山脈にしぼられる。この二山脈のあいだを、あの雄大なミシシッピ川が流れている。アメリカ人がもし、なんらかの王位を認めるとすれば、さしずめ、この川を『川の王者』と呼んだことであろう。
東部にあるのが、アパラチア山脈で、その最高峰は、ニューハンプシャーにあるが、それも一六八〇メートル〔現在、アパラチア山脈の最高峰は、ミッチェル山で二〇四六メートルある〕以上のものではなく、たいへん地味である。
これに対して、西部ではロッキー山脈にぶつかる。この山脈は、マジェラン海峡に発し、アンデス山脈またはただたんにコルディレラ〔スペイン語で山脈のこと〕という名で南アメリカ西岸を走り、北アメリカを経て北極海に達する巨大な山脈である。
この山脈もそんなに高くはなく、アルプスやヒマラヤは、その高みから、軽蔑しきった眼差《まなざし》をなげかけていることだろう。事実、ロッキー山脈の最高峰は、三二一〇メートル〔ロッキー山脈中の最高峰は、マッキンレー山で六一八七メートルある〕しかない。これにたいしモンブランは標高四四〇四メートル〔現在、モンブランの標高は四八〇七メートルとされている〕、カンチェンジュンガ(ヒマラヤ山脈の最高嶺)は、海抜八一六七メートル〔現在、カンチェンジュンガはヒマラヤ第三位の高峰で八六〇三メートルとされている〕あるのだ。
しかし、ガン・クラブは、コロンビアード砲とおなじく、テレスコープも合衆国内に設置することを熱望したので、ロッキー山脈で満足しなければならなかったのだ。そこで、必要な全資材が、ミズーリ州にある、ロンズ=ピーク山頂へとはこばれたのである。
アメリカの技術者たちが、克服しなければならなかった、あらゆる種類の困難、彼らが大胆かつ巧妙に処理したおどろくべきことのかずかずは、とても筆舌にはつくしがたい。これこそまさに力業《ちからわざ》というにふさわしいものであった。巨大な石、重い鉄材、たいへんな重さの樋、筒の大きな部品、それだけで一万三五〇〇キログラムの重さのある対物レンズ、そういったものを、三〇〇〇メートル以上の高さの、万年雪の層の上にまではこびあげなければならなかったのだ。それも、荒涼たる平原、底知れぬ森林、おそるべき急流を乗りこえてからのことなのだ。そのうえ、このようなところでは、生存することだけでも困難な、人里を遠くはなれた未開地帯のまんまんなかでの作業なのだ。けれども、これらの数かぎりない障害にたいしても、アメリカ人の才能は勝利をおさめた。作業開始から一年もたたない九月下旬に、巨大な反射鏡が、その八五・四メートルの筒を空に向けたのであった。反射鏡は、鉄でできた巨大な骨組みにつるされていた。そして巧妙なメカニズムによって、この反射鏡を天体のあらゆる方向に向けて操作することを、容易なものとしていた。かくして、地平線から地平線へと、空間を移行してゆく星座を、追跡して観測することが可能となったのであった。
建設費は、四〇万ドル以上におよんだ。この反射鏡が、はじめて月に向けられたとき、観測者たちは、好奇心と不安の入り混じった、妙な気持ちにおちいった。被観測物を、四万八〇〇〇倍に拡大するこのテレスコープの視界に、何が見いだされるであろうか? 人間か? 月世界の動物の群れか? 都市か? 湖《みずうみ》か? それとも大洋か? いや、そうではなかった。見えたのは、科学がすでに知っているものばかりであった。とはいえ、月世界の火山の全地点を、掌《たなごころ》をさすようにはっきりと、さししめすことができたのである。
ロッキー山脈のテレスコープは、ガン・クラブのために使われるに先立って、天文学に大きな貢献をした。その強力な望遠力のおかげで、天体の深みは、その極限まで観測され、多数の星の可視直径が、厳密に測定できるようになった。また、ケンブリッジ天文台のクラーク氏は、ロッス卿のテレスコープがこれまで解決することができなかった、牡牛座の|かに星雲《ヽヽヽヽ》〔ざりがに型をした星雲〕をついに分析したのであった。
二十五 最後の綿密な準備
一一月二二日のことであった。三人の出発は一〇日後にせまっていた。が、なすべきことがひとつ残されており、それを順調に片づけなければならなかった。それは、慎重すぎるくらい慎重にされねばならぬ、きわめてデリケートで、危険をともなう仕事であった。だから、ニコル大尉は成功しないほうに賭けていた。第三回目の賭けである。その仕事とは、コロンビアード砲の装填《そうてん》で、一八万キログラムの綿火薬をつめこむことである。ニコルは、これほど大量の火薬をとりあつかえば、かならず大災害をひき起こす、さもなくとも、このような超爆発性の物質は、発射体の重みで自己発火するであろう、と考えたのだ。おそらく、もっともしごくな考えであったにちがいない。
くわえて、アメリカ人の無頓着さ、かるがるしさのために、危険はさらに増大する。というのも、アメリカ人というやつは、南北戦争のときもそうであったが、葉巻をくわえたまま、平気で大砲を装填《そうてん》するようなことをやらかす連中なのだ。しかし、バービケインは、どたん場にきて|とち《ヽヽ》るようなことなく、うまくなしとげようと、せつにねがっていた。そこで、彼は自分自身でもっとも優秀な労働者を選び、みずから監督をかってでて、労働者たちから一刻も目をはなさなかった。こうした用意周到さのゆえに、成功のあらゆる幸福が彼にほほえんだのである。
まず、彼は、装填《そうてん》をいっぺんに、ストーンズヒルの区域だけでおこなわなくてすむように手配した。完全包装の箱につめて、少しずつはこばせるようにした。一八万キログラムの火薬は、二二五キログラム入り八〇〇個の大きな薬包に分けられて、ペンサコーラの、もっとも熟達した火薬工によって製造されることになった。ひとつの箱には、一〇個の薬包を入れることができ、箱はぞくぞくとタンパ=タウン鉄道によって到着した。こうして、二二五〇キログラム以上の火薬が、一時に区域内にはこびこまれることが避けられた。到着すると、箱はひとつずつ、素足の労働者によって荷ほどきされ、火薬包はひとつひとつ、ていねいにコロンビアード砲の発射口へとはこばれ、手動起重機によって発射口のなかへとおろされた。蒸気機関はまったく遠ざけられ半径三・二キロメートル以内の地域では、ほんのちょっとした火も消されたのである。これだけの量の綿火薬を、太陽熱からまもるということは、一一月とはいえ、それだけですでに大仕事であった。それゆえ、作業は、夜を選んで、真空内発電による光を使っておこなわれた。この人工の光は、ルームコルク装置を使ってつくられるもので、コロンビアード砲の底部まで、あかあかと照らしだした。砲底部において、火薬包はきちんとならべられ、一本の金属線によって直結された。この金属線は、各火薬包の中心に、同時に電気の火花を投ずるためのものであった。
事実、綿火薬塊への点火は、電池によっておこなわれる予定であった。絶縁体によって包まれたこれらの金属線は、発射体据え置き予定個所上部にあけられた小口で集められて、一本の線となり、そこから鋳物でできた厚い壁を通り、さらに石の上張りがしてある通風孔のひとつを通って、地表に達していた。ストーンズヒル頂上に出たこの電線は、三・二キロメートルにわたって敷設された電柱によって送られ、ブンゼン製の強力な電池に接続していた。もちろん、途中に安全器がとりつけてあった。したがって、指でボタンを押すだけで、電流はただちに通じ、一八万キログラムの綿火薬に点火するしくみになっていた。電池が稼動するのは、最後の瞬間であることは言うまでもない。
一一月二八日、八〇〇個の火薬包は全部、コロンビアード砲底部に安置された。作業は、成功であった。しかし、どれほどのわずらわしさ、心労、争いを、バービケイン会長はしのばねばならなかったことか! 会長は、ストーンズヒルに人びとがはいるのを禁じたのだが、それは、少しもまもられなかったのである。毎日、物見高い連中が、かこいを乗りこえる。ひどいのになると、不用心さも気ちがいじみていて、綿火薬の包みのまんなかで煙草を吸いだすしまつなのだ。だから、バービケインは毎日毎日、怒りわめいていたのである。マストンは、力のかぎり会長を助け、猛烈ないきおいで侵入した者たちを追いだしたり、ヤンキーどもが投げ捨てた、燃えさしの葉巻を拾い集めたりした。これはたいへんつらい仕事であった。というのも、三〇万人以上のひとが、かこいのまわりに群がっていたからである。
ミシェル・アルダンは、からだを張って、火薬箱をコロンビアード砲の発射口まで護送した。しかし、不用心なやつらを追い払っても、夫子《ふうし》みずから、でっかい葉巻をくわえて、悪いお手本を見せているアルダンを目撃して、ガン・クラブの会長は、この無鉄砲なスモーカーをあてにすることはできないとさとり、アルダンをとくに厳重に見張らせなければならないはめにおちいったのであった。
しかし、結局、砲兵たちへの神のご加護もあって、ドカンとふっ飛ぶことにはならず、装填《そうてん》はぶじ完了したのであった。それゆえ、ニコル大尉の第三の賭けも、どうやら勝ち目はなくなってきたようだ。残された課題は、コロンビアード砲のなかに発射体を導入し、綿火薬の厚い層の上に安置することであった。
しかし、この作業にとりかかるまえに、旅行必需品が、砲弾列車内に配置された。それは、かなり多量で、もし、ミシェル・アルダンにかってにふるまわせておいたら、旅行者のための場所すら、品物で埋めつくされてしまったことであろう。この愛すべきフランス人が、何を月へもっていこうとしたかは、想像に絶するものがある。まさしく、|がらくた《ヽヽヽヽ》の山なのだ。しかし、バービケインがなかにはいって、どうしても必要なものだけにしてしまった。
寒暖計、気圧計、双眼鏡などが用具箱のなかにおさめられた。
旅行者たちは、旅行中に月を観察したいと考えた。そのため、新世界の探検を容易なものにしようと、ビヤーとメドラーが作成した、四枚からなる月世界地図をもっていくことにした。このすぐれた地図は、まさに、観察と忍耐の傑作と言いうるものである。この地図には、月の地球に面した部分が、どんなこまかなことも、細心の正確さをもって写しとられてあった。つまり、この地図によって、月世界の山、谷、カール、火口、高峰、川などの大きさや方位を正確に知ることができたし、ドエルフェル山や、山頂が月面東部にそびえているライプニッツ山から、月の北極地帯に広がっている氷沼にいたるまでの名称を、正しく知ることができたのである。
それゆえ、この地図は、旅行者たちにとって、じつに貴重な資料であった。なぜなら、足を踏みだすまえに、目的地の研究をすることができたからである。
また、彼らは、ライフル銃三丁、散弾式猟銃三丁をもっていくことにし、火薬と弾丸を大量につめこんだ。
「だれとかかわりあいになるかわからんからね」と、ミシェル・アルダンが言った。「人間にしろ、獣にしろ、ぼくらの訪問を悪くとるかもしれんからな。だから、用心おこたりなしにしておかなきゃあ」
保身具のほかに、|つるはし《ヽヽヽヽ》、ピッケル、手挽《てび》き|のこぎり《ヽヽヽヽ》、そのほか欠かすことのできない道具が積みこまれ、また、北極地帯の寒さから、熱帯の暑さにいたるあらゆる気候にふさわしい衣服が積みこまれたことは、言うまでもない。
ミシェル・アルダンは、この冒険旅行に、何匹かの動物を連れていきたかった。そうは言っても、あらゆる種類の動物をというわけではない。彼は、蛇や、虎や、|わに《ヽヽ》など、有害な獣を、月の風土に馴《な》れさせる必要はみとめていなかったからである。
「いや、そんなのじゃないんだ」と、アルダンはバービケインに言うのだった。「牡牛とか、|ろば《ヽヽ》や馬のような家畜だったら、風景にもなろうってもんだし、ぼくらのためにも大いに役立つからね」
「そりゃそうだ、アルダン」と、ガン・クラブの会長は言った。「だが、わたしたちの砲弾列車は、ノアの箱舟とはわけがちがう。そんなものをのせるスペースもないし、それに、そんな任務ももっていない。だから、できる範囲のことにしようではないか」
結局、長い議論の末、旅行者たちは、ニコルがもっている優秀な猟犬と、すばらしい力の持ち主である、ニューファウンドランド犬だけを連れてゆくことが決定された。いくつかの箱には、非常に役に立つ種子類がつめられたが、これも不可欠の品目のうちに数えられた。ミシェル・アルダンのかってにさせておいたなら、種子をまくのに必要だ、と言って、数袋の土まではこぼうとしたであろう。そこまではしなかったが、それでもやはり、アルダンは、灌木《かんぼく》を一ダースばかり、ていねいに藁《わら》で包み、発射体の一隅に置いてもっていくことにしたのだ。
そこで、残された大問題は、食糧についてであった。というのも、月世界のもっとも不毛な地域に着陸する場合を予想しなければならなかったからである。バービケインが非常にうまくやったので、一年分の食糧をもっていくことが可能になった。しかし、おどろくといけないのでつけくわえておくと、これらの食糧は、肉の貯蔵食と、水圧で圧縮してできるかぎり小さくした野菜の貯蔵食であって、これらに多量の栄養素を添加したものなのだ。変化に富んだものとは言えなかったけれども、このような冒険旅行に際しては、苦情の言えた義理ではないのだ。そのほか、約二〇〇リットルものラム酒が積みこまれたが、水はふた月分だけであった。事実、天文学者によっておこなわれた最近の観測の結果、月面にいくらかの水分が存在することを疑う者は、ひとりもいなかったのである。食糧についてだけ言えば、地球の住人が、月で自給自足できないなどと考えるのはナンセンスなことであった。ミシェル・アルダンも、この点に関して、少しも疑っていなかった。もし、ちょっとでも疑念をもっていたら、出発する決心などしなかったであろう。
「それに」と、アルダンは、ある日友人たちに言った。「ぼくたちは、地球の仲間たちから、完全に見捨てられやしないだろう。ぼくたちが忘れられないように、気をくばってくれるさ」
「もちろん、忘れやせん」と、J=T・マストンが答えた。
「いったいどんなふうにするつもりなんだ?」と、ニコルがたずねた。
「簡単なことさ」と、ミシェル・アルダンは答えた。「コロンビアード砲はいつまでもあるんだろう? 月が、至近点とは言わぬまでも、天頂にきて、絶好の条件になるたびに、つまり、おおむね年に一度だがね、食糧を積んだ砲弾をぼくらに送ることができないわけがないよ。ぼくらは、日をきめて待っていりゃあいいんだ」
「そうだ! そうだ!」と、J=T・マストンがさけんだ。彼もまたおなじことを考えていたのだ。「よくぞ言ってくれた。親愛なる諸君、ぜったいにきみたちのことは忘れんぞ!」
「あてにしてるよ! だからさ、おわかりのように、地球からの便りを、定期的に受け取ることができるってわけさ。それに、ぼくたちとしてもだな、地球の友人たちと通信する方法を考えださないようじゃあ、よほどの|ぶきっちょ《ヽヽヽヽヽ》ってことだぞ!」
ミシェル・アルダンが、きっぱりした態度で、みごとに言ってのけたこのことばには、非常な自信がこめられていたので、あわやというところで、ガン・クラブの全員が彼のあとについていきそうになった。アルダンの言うことは、簡単で、基礎的で、容易かつ成功確実のことのように思われたのだ。したがって、この、水と陸からできているみすぼらしい地球に、こせこせと執着していないかぎり、三人の旅行者のあとを追って、月世界旅行へと出かけたがるのは当然のことであった。
各種の品物が、機内に整えられると、こんどは、バネとなる水が発射体のしきりのなかに注入され、照明のガスが容器のなかにみたされた。塩素酸カリと腐食性カリは、旅行の思わぬ遅延を考慮に入れて、ふた月分の酸素を再生し、炭酸ガスを吸収するのにたりるだけの量を、バービケインは積みこんだ。空気に活性源を回復させ、空気を完全に純化する役をはたす非常に精巧な自動装置が設置された。これで、発射体の内部の準備は完了した。あとは、発射体をコロンビアード砲のなかにおろすことだけであった。そして、これこそ、困難と危険にみちあふれた仕事であった。
巨大な砲弾は、ストーンズヒル山頂にはこばれた。そこで、強力な起重機が砲弾をつかみ、金属孔の上に宙づりにした。
まさに、手に汗にぎる瞬間だった。この巨大な重みで、鎖《くさり》がもし切れたら、確実に綿火薬は大爆発してしまう。
さいわいにして、何ごとも起こらなかった。数時間後に、砲弾列車は、大砲の心臓部にそっとおろされ、爆発|ぶとん《ヽヽヽ》ともいうべき火薬層の上に安置されたのである。その圧力で、コロンビアード砲の充填《じゅうてん》物を、より強力にふさいだだけであった。
「負けた」と言って、大尉はバービケイン会長に三〇〇〇ドルの金を手渡した。
バービケインは、旅仲間からそんな金は受け取りたくなかった。しかし、ニコルがどうしてもと言うので、断るわけにもいかない。ニコルは、地球をはなれるまえに、あらゆる約束をはたしておこうと、心から望んでいたのである。
「大尉どの」と、ミシェル・アルダンが言った。「こうなると、きみのためにねがうことはひとつしかないね」
「どんなことだい?」と、ニコルはたずねた。
「あとのふたつの賭けにも、きみが負けるようにってことさ。そうすれば、途中でひっかかっちゃうようなことは、ぜったいにないもの」
二十六 発射!
一二月一日がやってきた。運命の日だ。というのも、砲弾の出発が、今宵一〇時四六分四〇秒におこなわれなければ、この先一八年以上の歳月がたたないと、月が天頂至近点にくるという同一条件をうることができないからである。
天気はすばらしかった。冬が近づいていたけれども、太陽はさんさんと耀き、地球に明るい光をあびせていた。しかし、いまや、その地球の三人の住人が、新世界にゆこうとして、地球を見捨てようとしているのだ。
この待ちに待った日の前夜、いかに多くの人びとが、もどかしさのあまり、寝つけなかったことか! 期待の重荷で、人びとの胸はおしつぶされんばかりだったのだ! 万人の心は、いや、正確に言えば、ミシェル・アルダンをのぞいたすべてのひとの心は、不安におののいていた。ものに動じないこの男は、いつものように忙しそうにいったりきたりはしていたが、いつになく心をもんでいるといったそぶりは、少しも見せていなかった。アルダンの眠りは平穏そのもの、まさに、戦闘の前夜、砲架の上で眠っていたチュレンヌ〔一七世紀フランスの有名な将軍〕の眠りであった。
朝早くから、ストーンズヒルのまわりに、見渡すかぎり広がっている野原は、雲霞《うんか》のごとき大群衆で埋められた。一五分ごとに、タンパ鉄道ではこばれて、物見高い連中が、新たに到着するのであった。この移動群集の数はやがて、信じられないほどのいきおいで増加した。タンパ=タウン・オヴザーヴァー紙がおこなった集計によると、この記念すべき日に、五〇〇万もの見物人がフロリダの土をふんだ、とのことである。
一か月まえからすでに、これらの人びとの大部分は、この地区の周辺に野営していたが、これが、のちにアルダンの名前をとって、アルダンズ=タウンと呼ばれた町の基礎となったのだ。小屋がけ、あばら家、テント、そういったものが平野をおおいつくした。人びとは、こうした仮の住居《すまい》に身を寄せていたが、その人口たるや、ヨーロッパの大都会をして羨望《せんぼう》させるにたるものがあった。
地球上のあらゆる国民の代表の姿が見られ、世界のあらゆる地方のことばが話されていた。まさしく、聖書時代のバベルの塔伝説を思わせるような、ことばの大混乱であった。ここでは、アメリカ社会の、さまざまな階級が、まったく平等に混ざりあっていた。銀行家、農夫、船乗り、仲買人、ブローカー、綿栽培人、商人、船頭、知事といった面々が、隣あわせて、未開人のような無礼講《ぶれいこう》でつきあっていたのだ。ルイジアナ生まれのクレオール〔植民地生まれの白人〕が、インディアンの農夫と兄弟のように親しくなり、ケンタッキーやテネシーの紳士や、上品で気位の高いヴァージニアのひとが、湖水地方の半野蛮人の毛皮猟師や、シンシナティの牛商人とことばをかわしていたのだ。幅の広い縁《ふち》のついた白ビーバーの帽子か、さもなければ、ひとむかしまえのパナマ帽をかぶり、オペルーザス製の青い|もめん《ヽヽヽ》のズボンをはき、オランダ麻布の|いかした《ヽヽヽヽ》上《うわ》っ張《ぱ》りを着て、あざやかな色彩の長靴をはいた彼らは、白麻の変てこな胸飾りを見せびらかし、シャツに、カフスに、ネクタイに、一〇本の指に、そのうえ耳にまでも、あらゆる種類の指輪やピン、ダイヤモンド、鎖、飾り輪といったものを、きらきらさせていたが、高価なものになればなるほど、趣味が悪かった
女房、子ども、女中も、それに負けず劣らず贅沢に身を飾って、それぞれ、亭主や父親や主人と並んだり、後になったり、先になったり、あるいは取りかこむようにして歩いていたが、これらの亭主や父親や主人は、数知れぬ家族にかこまれた「氏族の長」さながらであった。
食事どきになると、これらのひとがみな、南部地方独特の料理に殺到した。その食欲たるや、フロリダの食糧貯蔵に異変を起こしかねないほどのものすごさであったが、食べる物ときたら、フリカセにした〔こまかく刻んだ肉のシチュー料理〕蛙《かえる》とか、猿《さる》のむし焼きとか、フィッシュ=チャウダー〔いろんな魚のごった煮〕とか、|ふくろねずみ《ヽヽヽヽヽヽ》のまる焼きといったぐあいで、とてもヨーロッパ人の胃袋にはむかないものばかりだった。
が、同時に、ヴァラエティに富んだ、さまざまな酒が、なんとたくさん、この消化に悪い食物をこなす助けとなったことか! 飲みっ気を誘うさけび声、気をひくようなわめき声が、酒場や料理屋にやたらとひびきわたっていた。おまけに、料理屋にはグラスや、ビールのジョッキや、フラスコや、へんてこな形のあらゆる酒類の瓶や、砂糖挽き乳鉢や、わら束などが、ごちゃごちゃに飾ってあるのだ。
「さあ! 薄荷《はっか》入りシロップだよ!」と、酒屋のひとりが、よくひびく声で、がなりたてていた。
「こっちは、ボルドー酒入りのサンガリーだぞ!」と、べつのやつが応酬する。
「ジン=スリングだよ!」と、くりかえす。
「カクテルだよ! ブランディ=スマッシュだよ!」と、やりかえす。
「ほんもののミント=シロップだよ!」最新流行のやつをいっぱいいかが?」とさけんで、これら腕のいい酒売商人たちは、ならんでいるグラスに、つぎからつぎへと、砂糖、レモン、グリーン=ミント、ぶっかき氷、水、コニャック、生パイナップルなど、この飲料の材料を入れていくのだが、そのすばやさときたら、まるで手品のようである。
酒売商人たちは、香辛料をきかせすぎてのどがカラカラになったひとにはききますぜ、などと言って、こういった飲み物を宣伝していたが、ふだんのときは、たえずそのわめき声がくりかえされ、混じりあって、耳を聾《ろう》せんばかりの騒音になるのであった。が、その日、つまり、一二月一日には、これらのわめき声はほとんど聞こえなかった。売り手が、買い手を誘惑しようとして、声をからしてみても、しょせんむだだった。だれも、飲み食いのことなんか考えもしなかったのだ。見物人たちはうろつきまわっていたが、夕方の四時になってもまだ、いつものとおりに食事をしていなかった見物人がどれほどいたことか!
とりわけ意味深長な徴候は、期待の気持が、ゲームにたいする、アメリカ人の強い情熱にうち勝ったことである。ボーリングのボトルは倒れたまま、ダイスは筒のなかにはいったままで、ルーレットはとまり、トランプはテーブルの上にほうりだされ、ホイスト、二一〔トランプ遊びの一種〕、黒と赤などのカードは、手もつけられずに箱のなかにおさまっている。このようなありさまを見れば、いかにその日の事件に人びとが心を奪われて、ほかのいかなる欲求、気晴らしにも、心を向けるゆとりがなかったか、ということがよくわかる。
夕方までは、声を殺した無言のざわめきが、大きな嵐を告げるざわめきのように、この不安にかられた群衆のあいだを流れていた。なんとも言いようのない不安が、人びとの気持を支配していた。それは、いやあな感じの無力感、何とはなしに胸がしめつけられるといった感じであった。だれもが『早く終わればいいな』と願っていた。
しかし、七時ごろになると、この重苦しい静けさは、突如として破れた。月が地平線にのぼってきたのだ。数えきれないほどの歓呼の声が『月の出』を迎えた。お月さまはデートの時間に正確であった。けたたましいさけび声が、天にも届けとばかりに、湧き起こった。いたるところ拍手喝采。が、いっぽう、ブロンドの月の女神は、すばらしい夜空に、静かに輝いて、この酔いしれた群衆を、またとなく愛情のこもった光で愛撫したのであった。
このとき、三人の大胆不敵な旅行者が、姿をあらわした。三人の姿を見て、さけび声はいやがうえにも高まった。そのときまるで、うちあわせでもしてあったかのように、合衆国の国民歌が、万人のときめく胸のうちからほとばしり出た。『ヤンキー・ドゥードゥル』〔米国独立戦争まえからの流行歌で、国民歌ともいうべき歌〕が、五〇〇万人の合唱によって歌われたのだ。歌声は、あたかも音の嵐のように、大気のすみずみにまでひびきわたった。
それから、この、おさえきれない心の昂《たか》まりによって歌われた国民歌も終わって、余韻がしだいに消えてゆくと、騒音は聞こえなくなり、静かなどよめきが、深く感動している、群衆のあいだにひろがっていった。この間に、ひとりのフランス人とふたりのアメリカ人は、ものすごい群衆がひしめきあっている柵を乗りこえ、所定の場所にはいった。彼らには、ガン・クラブの会員たちと、ヨーロッパ天文台から派遣されてきた代表たちがつきそっていた。バービケインは、沈着冷静に、最後の指示をあたえていた。ニコルは、唇をきりりと結び、両手を背中に組んで、しっかりとした足どりで歩いていった。日ごろと変わらないくつろいだようすのミシェル・アルダンは、足には革のゲートルをまき、脇には革の獲物袋をつけ、例によって、栗色ビロードのだぶだぶした服に身を包み、口には葉巻をくわえて、つまり、一点非のうちどころのない旅行者のいでたちをしていた。
アルダンは、王者のような気前のよさで、熱狂的な握手にこたえながら、進んでいった。彼の才気煥発はとめどがない。笑ったり、冗談を言ったり、威厳あるJ=T・マストンを、いたずらっ子のようにからかったりしていた。つまりひとことでいえば、アルダンはまさしく『フランス人』であった。さらにぐあいの悪いことに、最後の瞬間まで『根っからのパリっ子』であったのだ。
バービケインは、自分のストップウォッチを、電気火花を用いて、火薬に点火する役目のマーチソン技師のストップウォッチに、一〇分の一秒とちがえずにあわせた。だから、旅行者たちは、発射体が閉ざされても、無感動に刻々ときざむ時計の針を追うことによって、正確に発射の時間を知ることができる、というわけだ。
ついに、別れのときがやってきた。その情景は感動的であった。あいかわらず陽気にふるまってはいたけれども、ミシェル・アルダンは、何かしら心にせまってくるものを感じた。J=T・マストンは、自分のひからびた瞼《まぶた》に、親友への涙が、一粒浮かぶのをおぼえたが、その涙は、おそらく、この機会のためにとっておかれたものであったのだろう。マストンは、その涙を親愛なる会長の額に流しながら、
「わたしも発てないだろうか?」と言った。。「まだ時間はあるぞ!」
「だめだな、マストン君」と、バービケインは答えた。
数秒後、三人の旅の友は、砲弾のなかに身をおちつけ、内部から開閉ハッチをビスでしめた。同時に、コロンビアード砲の砲口から、障害物が完全に撤去され、砲は空に向かって、その口を大きく開いたのであった。
ニコル、バービケイン、ミシェル・アルダンは、金属製の乗り物の壁のなかに、最終的にはいってしまったのだ。
いまや、すべてのひとの感動はその頂点に達した。しかし、この感動をだれがよく描きえようか?
月は、その途上にある、きらめく星の光を消しながら、すみわたった空を進んでいた。いまや月は双子座にかかり、その位置は、ほぼ地平線と天頂との中間にあった。もうみなさんにもおわかりと思うが、猟師が獲物の兎の前方にねらいをつけるのとおなじように、この場合も、目標の前方にねらいをさだめたのであった。
おそるべき沈黙が、この情景全体のうえにただよっていた。地上にはそよ吹く風もなく、人びとは、息を殺して、息の音ひとつ聞こえない。心臓すら、もはや動悸しようとはしないのだ。人びとはみな、おびえたような眼差《まなざし》を、コロンビアード砲のぱっくり開いた口に向けたまま、そこからむしろ目をそらしたかったのである。
マーチソンの目は、ストップウォッチの針を追っていた。発射時刻まで、あと四〇秒を残すのみ。一秒一秒が、まるで一世紀の長さに感じられた。
二〇秒を打ったとき、みんな身ぶるいをした。それは、砲弾内に閉じこめられた三人の旅行者もおなじく、このおそるべき秒読みをしているのだ、という考えが人びとの頭に浮かんだからであった。まばらなさけび声が起こった。
「三五秒! 三六秒! 三七秒! 三八秒! 三九秒! 四〇、発射!」
同時にマーチソンは、装置の安全スイッチを指で押し、電流を通じて、コロンビアード砲底部に、電気火花を投じた。
前代未聞の、おそるべき大爆発音が生じた。それは、どんな物をもってしても言いあらわすことができない。落雷も、火山の噴火も、とても足もとにもおよばないようなものすごさであった。噴火口から噴出するかのように、巨大な火の束が、大地のはらわたからほとばしり出た。大地がもちあがった。そして、まっ赤に燃える炎の煙に包まれた砲弾が、勝ち誇るかのように、大気をつらぬいて進んでいく姿を垣間《かいま》見たひとは、ほんの数人にすぎなかった。
二十七 曇天
灼熱した火の束が、天空のおどろくべき高みへと立ちのぼった瞬間、この広がってゆく炎が、全フロリダを照らし、測りがたい瞬間ではあるが、この州の広大な全域にわたって、夜を昼にかえてしまった。この巨大な火煙は、海上二〇〇キロもあるメキシコ湾からも、大西洋の海上からも確認された。というのも、この巨大な流星の出現を、航海日誌に記録した船長が少なからずいたのである。
コロンビアード砲の爆発にともなって、ほんものの地震が発生した。フロリダ全土は、はらわたの底までゆすぶられる思いをしたのだ。火薬によって生じたガスが、熱気のために膨張し、すさまじいいきおいで大気層を押しのけたので、嵐の風より一〇〇倍も速い人工の突風が、竜巻のように空中を通過した。
見物人はひとりとして立っていられなかった。男も女も子どもも、みんな、嵐のなかの草のようになぎ倒された。曰く言いがたいさわぎが起こった。重傷者がかなり出た。軽率のきわみであるが、あまりにもまえのほうに立っていたJ=T・マストンは、四〇メートルもうしろに吹き飛ばされ、同僚たちの頭上を、まるで弾丸のようにふっ飛んだのであった。三〇万人ものひとが、まるで、瞬間的に|つんぼ《ヽヽヽ》になり、麻痺にかかったみたいになってしまった。
人工の風は、バラックを崩壊し、小屋がけをひっくりかえし、半径一六キロメートル内の木々を根こそぎにし、列車をタンパまで追いもどしたあと、さらに、町全体に、なだれのように襲いかかり、一〇〇戸以上の家々に損傷をあたえた。そのなかには、セント=メリー教会や新築されたばかりの株式取引所も含まれているが、取引所のほうは、いちめんに亀裂《きれつ》が生じたほどであった。港についた何隻かの船は、ぶつかりあって垂直に海底に没し、投錨していた十数隻の船は、鎖をもめん糸のように切りとられて、陸に乗りあげてしまった。
ところが、被害の範囲ははるかに広く、合衆国だけにはかぎられなかった。爆発の余波は西風に乗って、大西洋上、アメリカの海岸から四八〇キロ以上もはなれた地点でも猛威をふるった。人工の、しかも不意の嵐が前代未聞のはげしさで艦隊に襲いかかったのだ。司令長官フィッツ=ロイには、まったく予想もつかない椿事《ちんじ》であった。何隻かの軍艦は、帆をおろして、嵐にそなえるひまもなく、このおそるべき旋風にまきこまれて沈没してしまった。なかでも、リヴァプールのチャイルド・ハロルド号の沈没はたいへん悔やまれた。このことで、イギリス当局から、非常にはげしい抗議がなされたのである。
何もかももらさず報告するために、最後につぎのことを申しそえよう。もっとも、この事実には、数人の原地民の証言があるだけなのだが。砲弾発射の三〇分後に、にぶい衝撃音が聞こえた、と証言する者がゴレ〔セネガル海岸の島〕およびシエラ・レオーヌ〔ギニアとリベリアのあいだにある英領植民地〕の住民のなかにいたのだ。これは、音波が大西洋を渡って移動し、最後にアフリカの海岸で消えたことを物語っている。
しかし、話をフロリダにもどさなければならない。混乱の最初の瞬間がすぎると、負傷した者、|つんぼ《ヽヽヽ》になった者、要するに群衆のすべてが正気にかえり、『アルダンばんざい! バービケインばんざい! ニコルばんざい!』という熱狂的なさけびが、天高くあがったのである。数百万もの人びとが、鼻づらを空に向けて、テレスコープや、望遠鏡や、オペラグラスで、てんでに空中を探した。彼らは、負傷したことも、度肝《どぎも》をぬかれたことも忘れて、もっぱら砲弾のことに無我夢中になったのである。しかし、探索はむだであった。もはや、砲弾はまったく見えず、ロングズ=ピークからの電報を待たなければならなかった。ケンブリッジ天文台長(ペルファスト氏)は、ロッキー山脈上にある自分の持ち場についており、観測は、熟達していてしかも忍耐力のある氏に一任されていたのである。
しかし、容易に予想しうることとはいえ、やはり、予想外の現象がまもなく生じ、もどかしがる大衆に、つらい試練を課すことになってしまった。まったくのところ、この現象は、なんとも手のほどこしようがないものなのだ。
いままでの上天気が、にわかに曇ってしまったのだ。暗くなった空は雲でおおわれてしまった。一八万キログラムの火薬の爆発によって生じた、莫大な量のガスが散乱して、大気層にすさまじいいきおいの移動が起こったのだ。その結果として、一天にわかにかき曇るのは、当然のことではなかったか? 自然の運行が完全にみだされた、というわけだ。べつに珍しいことでもない。というのも、大砲発射のために、気象状況が急変することは、海戦においてしばしば見られる現象だからである。
翌日、太陽は、厚い雲のかかった地平線にのぼった。雲が、重くて、通りぬけができない幕のように、天と地とのあいだにたれこめていた。そして、不幸なことに、この幕がロッキー山脈の地方にまで、広がっていたのである。因果応報によるものだ。とはいえ苦情の声が、束になって、地球上のあらゆるところからあがった。しかし、自然はそんなことで心を動かしはしなかった。その理由はどう考えても、つぎのようなものであろう。つまり、人間どもは、爆発をおこなったりして、大気を攪乱したりしたのだから、そのような行為のとばっちりは、当然、人間どもがしょいこまなければならない。
第一日目の昼間じゅう、人びとはみな、不透明な雲のヴェールを見透かそうとした。が、それは、骨折り損のくたびれもうけ、というやつだ。第一、天空に目を向けて、砲弾を探そうとすること自体、見当ちがいもいいところだ。なぜなら、地球の自転運動の結果、昼のあいだ、砲弾は地球の反対側の線上を進行していたからである。
ともあれ、ふたたび夜がやってきたが、深く雲におおわれた夜で、月はまた地平線上にのぼってきたが、その影さえみとめることができなかった。あたかも、自分に向かって大砲を撃ったりする、乱暴な人間どもの視線から、月はわざと身をかくしているかのようであった。したがって、観測は不可能であり、ロングズ=ピーク発の電報は、この困り者の悪天候を確認してきただけであった。
しかし、実験が成功していれば、旅行者は一二月一日午後一〇時四六分四〇秒に出発したのだから、四日の午後一二時に到着するはずである。それゆえ、このような条件のもとで、砲弾のような小さな物体を観測することは、どのみち困難をきわめるであろう、という理由から、人びとは、四日の日まで、あまり大さわぎをせずにしんぼうすることにしたのだ。
一二月四日午後八時から一二時までのあいだなら、砲弾が、あたかも輝く月面上の黒点のように進んでいく跡を追うことができたかもしれない。しかし、空は無情にもかき曇ったままだった。人びとの怒りは、頂点に達した。月が姿をあらわさないからと言って、月をののしるにいたったのである。この世のことごとのめぐりあわせは悲しむべきかな!
J=T・マストンは、絶望して、ロングズ=ピークへとおもむいた。自分で観測したいと考えたのだ。
マストンは、友人たちがぶじに目的地に到着したことについては、なんら疑っていなかった。第一、砲弾が、地球上の島もしくは大陸のどこかに墜落したなどといううわさは、どこからも聞こえてこなかったし、そのうえ、J=T・マストンは、地球の四分の三をおおっている大洋に、砲弾が落ちたかもしれないなどということは、一瞬たりともみとめはしなかったのである。
五日もおなじような天気だった。旧大陸の大型テレスコープ、すなわち、ハーシェル、ロッス、フーコーの各テレスコープは、あいかわらず月にむけられていた。というのも、ヨーロッパの天気はまさに快晴だったからである。しかし、これらの装置の倍率が相対的に劣っていたので、どんなに観測しようとしても、有効な結果がえられなかったのである。
六日もおなじ天気。地球の四分の三は焦慮にかられていた。だから、空中に停滞している雲を散らすための、もっともばかげた方法さえ提案されるしまつであった。
七日、天気はいくらか好転しそうであった。人びとは期待したが、期待は長つづきしなかった。夜になると、ぶ厚い雲が星空をおおい、視界がまったくきかなくなってしまった。こうなると、ことは重大である。事実、一一日の午前九時一一分には、下弦の月になってしまう。このときから、月はどんどん欠けていく。そうなると、たとえ天気が回復しても、観測の機会は非常に少なくなる。事実、月面が日に日に欠けてゆき、見える部分が少なくなり、ついには新月になってしまう。つまり、月の出入りは、太陽の出入りとおなじになり、太陽光線のために、月は完全に見えなくなってしまう。こうなってしまうと、あとは一月三日午前一二時四四分まで待たなければ、ふたたび満月にはならず、観測開始もそれまで待たなければならない。
ジャーナリズムは、こうした意見にいろいろな注釈をつけて発表し、天使のごとき忍耐をもって、ことにのぞまなければならないということを、大衆につつみかくさず知らせたのであった。
八日、何ごともなし。九日、太陽は、ちょっと顔を出したが、まるでアメリカ人をばかにしているみたいであった。太陽は、さんざんにやじりとばされたのであるが、おそらく、こんなもてなしをうけて、気分をこわしたのであろう、光をだし惜しみをしているかのように見うけられた。
一〇日、変わりなし。J=T・マストンが、発狂寸前の状態におちいった。これまでは、ゴム製の頭蓋骨のなかにちゃんとたもたれていた、この尊敬すべき男の脳味噌が、たいへん心配になった。
しかし、一一日には、熱帯地方特有の、あのすさまじい嵐が、大気中を吹きまくった。東の風が吹きすさみ、あれほど長いあいだ、停滞していた雲を掃き散らし、晩になると、半分に欠けた月が、澄みわたった星空を、おごそかにわたっていったのである。
二十八 新星
まさにその晩、人びとが胸をときめかせて、あれほどまでに待ちに待ったニュースが、稲妻のように合衆国じゅうに伝えられ、またたくうちに大洋をわたって、地球上のあらゆる電信網にのせられた。ロングズ=ピークの巨大な反射鏡によって、砲弾がみとめられたのだ。
ケンブリッジ天文台長がしたためた覚え書は、つぎのとおりである。この覚え書は、ガン・クラブがおこなった、あの大実験の科学的結論の要約である。
ロングズ=ピーク、一二月一二日
ケンブリッジ天文台研究員各位へ
ストーンズヒルのコロンビアード砲によって発射された砲弾は、一二月一二日午後八時四七分(月齢下弦の月)、ベルファスト、J=T・マストン両氏によって発見された。
この砲弾は目的地に到着していない。砲弾はいくぶん目標からはずれたのである。しかし、はずれたとはいえ。目標にかなり近いところにいるゆえ、月引力によってささえられている。
そこで砲弾の直線運動は、目のまわるようなスピードの円運動に変わり、砲弾は、月の周囲の楕円軌道に乗って運行するようになった。月の正真正銘の衛星になったのである。この新星の活動原理は、まだあきらかになっていない。運行速度、自転速度、ともに不明である。砲弾と月面との距離は、おおむね四五三二キロメートルである。
現在のところ、これまでの状態に変更をもたらすかもしれない、ふたつの仮説をたてることができる。
一 月の引力が、最終的に勝って、旅行者は目的地に到着する。
二 現在の状態が変わらずにたもたれ、砲弾は、この世の終わりまで月のまわりをまわることになる。
以上のことは、観測をおこなうことによって、いつの日にか、わかるようになることであるが、現在までのところでは、ガン・クラブがおこなた試みの結果は、太陽系にひとつの新星をあたえたのみである。
J=M・ベルファスト
この思いがけない結末が、どれほどの問題をひき起こしたことか! なんと不可思議で妙な状況が、将来の科学の研究に残されたことか!月に弾丸を打ちこむという、一見くだらないこのくわだては、三人の男の勇気と献身のおかげで、いまや、すばらしい結果をえたのであり、その重大さは測り知れぬものがある。新衛星に閉じこめられた三人の旅行者は、自分たちの目的は達成できなかったが、少なくとも、月世界の一部にはなったのである。三人は月のまわりをまわっている。かくして、人間の目は、はじめて月のあらゆる神秘に、直接ふれたのだ。それゆえ、ニコル、バービケイン、ミシェル・アルダンの名は、今後、天文学者名簿に載せられて、永遠の名声を博することになるであろう。なぜなら、この三人の大胆な冒険家は、人類の知識の範囲を広げることを熱望して、大胆不敵にも、空間に身を投ずるという、現代におけるもっとも風変わりな試みに、生命を賭したからである。
ともあれ、ひとたびロングズ=ピークの覚え書が知れわたるや、全世界は、おどろきとおそれの気持にとらわれた。三人の勇敢な地球人に、救助の手をさしのべることは、いったい可能であろうか? いや、おそらくだめであろう。なぜなら、彼らは、神が地上の生物に課された限界をこえて、その外に出てしまったからだ。たしかに、ふた月分は空気をうることができるし、食糧は一年分ある。しかし、その後は?……このおそろしい問題には、もっとも無感動な心をもっているひとすら、おののいたのであった。
ただひとりの男だけが、この状況が絶望的であることをみとめようとしなかった。ただひとり確信をいだいていたのである。この男こそ、彼らの献身的な友であり、彼ら同様、大胆果断にして善良な、J=T・マストンであった。
そのうえ、マストンは、友人たちを見失ったりしなかった。砲弾発見以来、ロングズ=ピークの観測所が彼の住居となり、巨大な反射鏡に映ずるものが、彼の視界となったのである。月が地平線に姿をあらわすと、マストンは、月をテレスコープの視界にとらえ、一瞬といえども見失わないように、星座間を通っていく月の姿を、たえず熱心に追っていった。彼は、いつまでも失うことのない忍耐力をもって、砲弾が銀色の月面上を通過するのを観測した。この尊敬すべき男は、三人の友と、とだえることのない意思の疎通をたもっていたのだし、いつの日にか彼らと再会できるという望みを捨てていなかったのである。
「事情が許したらすぐ」と、マストンは、話を聞いてくれるひとに言ったものだった。「われわれは、彼らと連絡をとろう。われわれは彼らのニュースを知り、彼らはわれわれのニュースを知るのだ! 第一、わたしはよく知っているが、彼らは天才なんだ。三人いれば、芸術、科学、産業のあらゆる手だてを、宇宙空間にもちこんだようなものだよ。これだけいりゃあ、なんだって好きなことができる。だから、彼らがどうやって難関を切りぬけるか、いまにわかるさ!」(完)
訳者あとがき
『地球から月へ』は、「驚異の旅」シリーズのひとつとして、一八六五年、当時の代表的な新聞『デバ』紙に連載された。そしてまもなく、エッツェル社の『教育とリクリエーション叢書』の一冊として出版された。この翻訳は、一九六六年にアシェット社から復刊されたテクストによった。
今日では、もはや目前にせまった実現可能な月世界旅行も、つい最近まではまったくの夢物語でしかなかった。たしかに人類は長いあいだ宇宙への旅にあこがれてきた。フランスの文学においても、一七世紀のシラノ・ド・ベルジュラックの『月世界旅行記』(一六五七)をまつまでもなく、月への旅は神話や伝説や想像の世界ではなされてきた。しかし、だれが現実に月への旅を可能であると信じ、具体的にその手段を考え、客観的なデータをもとにした計算をおこなったであろうか? ただひとりジュール・ヴェルヌをのぞいて。
わたくしは天文学についても、物理学についても何もしらない。少年のころ、円周率を小数点以下三〇桁まで暗誦していたと自慢して、畏友の数学者矢野健太郎氏に「それはまったく意味がない」と軽蔑されたほど、数学にも縁なき衆生である。そんなわたくしでさえ、ヴェルヌの科学的知識や計算のたてかたのあやまりに気づくことがある。(しかし、それは単にこの作品とわたくしのあいだに、技術革新の一〇〇年の歳月があるからにすぎない)それにもかかわらず、『九七時間二〇分の直行旅程』という一見めんどうくさそうな副題をもっているこの作品の細部に、ぐんぐん惹きつけられてゆくのである。その秘密はなんであろうか?
ジュール・ヴェルヌは偉大な教師である、とよく言われている。なんでもかんでも、該博な知識を出し惜しみせずに教えてくれるのだ。この作品についてだけでも、まず、アメリカ合衆国とはどんな国か、アメリカ人とはどんな気質をもっている連中かを、さまざまな角度から物語る。天文学あり、物理学あり、化学がある。そうしたものの歴史から、最近における発明発見まで紹介してくれる。そして読者が少しあきてきたかな、と思うころ、奇想天外なできごとを用意して眠気をさます。その語り口のみごとさに思わず魅せられてしまうのである。若き日のヴェルヌは、アレクサンドル・デュマ父子と識りあい、その影響のもとにいくつか小説の習作などを書いている。しかし、大衆小説家として、おなじように多くの読者はもったが、手腕のほうは、文章の格調といい、形容の豊富さといい『ダルタニャン』の作者にはとうていおよばない。登場人物にしても、この作品の主人公バービケイン会長は、理想的で冷静沈着、しかも果敢な実行力をもつ男で、『気球に乗って五週間』のファーガソン博士や、『八十日間世界一周』のフォッグとおなじタイプだし、それに配するに、バービケインと反対の立場をとりつつも結局は行動をともにするニコル大尉、滑稽なほど熱狂的な男のなかの男一匹マストン、そうしたアメリカ人たちとまったく対称的な性格のパリっ子ミシェル・アルダン、といったおきまりの型である。だが、大気球『巨人号』の計画をたてた友人ナダール(Nadar)の換字《アナグラム》名であるアルダン(Ardan)の才気に富んだせりふに代表される軽快な語り口は、おそらく、『椿姫』の作者によって導かれた劇場の世界で、オペレッタの台本などを書いているときに修得したものであろう。ヴェルヌは大小説家ではあるけれども、散文家としての資質よりも劇場人としての資質に恵まれていたように思われる。ヴェルヌの作品には、オッフェンバッハの音楽とともに思い出されるメィヤックやアレヴィのもっている雰囲気がある。読者はオペレッタの舞台を楽しんでいるうちに、知的な飢えを満たされ、同時に新たなものへの知的食欲をうながされるのである。まさに偉大な教師というべきである。
なお、現在アメリカがロケット発射基地にしているケープ・ケネディは、ヴェルヌがコロンビアード砲を設置した地点からほど近いおなじフロリダにあることを、蛇足ながら申し添えておこう。
最後に一言。この翻訳をお引き受けした直後、わたくしの身辺が急に忙しくなり、学習院大学の同僚、高木進助教授のご協力を仰がざるをえなかった。同氏の献身的なご協力に感謝したい。
ジュール・ヴェルヌについて
〔驚異の旅〕
「ヴェルヌを子供に読ませるのは、ラ・フォンテーヌを子供に読ませるのと同じように恐ろしい。そのふかい意味は、おとなでもごくわずかの人にしかわからない」第一次大戦の直後、フランスの詩人レーモン・ルーセルは友人にこう話したといいます。戦争は科学が潜在的に持っていた可能性をいっきょに開花させるものです。そして第二次世界大戦後すでに四分の一世紀をへた現在、一〇〇年まえのヴェルヌの想像の世界ではじめて形をとったさまざまな事物は、ようやく現実に私たちの文明のなかでそれぞれの役割をはたしはじめています。たとえば、人工衛星、ロケット、電送写真、潜水艦、ラジオ、映画、無線電信、X線、自動車、飛行機、戦車、ヘリコプター、アクアラングなど。
波動力学の研究でノーベル賞を得たド・ブロイの言うように、ヴェルヌは「実現の方法にふれていないから」応用科学者ではないが「アイディアを見ればまさにそう」と言えるのです。ヴェルヌは一〇〇年まえの科学知識をできるかぎり集めて(といっても、彼の小説に出てくる数字その他が、必ずしも当時の最新の知識によったものではないことを、ここでおことわりしておいたほうがいいでしょう)それを触媒として想像力の化合を行なったのです。予言者とは未来を見る人のことです。彼はその意味で文字どおり未来のイメージを喚起する人でした。一九六六年三月、パリのシャンゼリゼーにあるルノー会館で『ヴェルヌ展』が開かれたとき、自筆原稿とか写真など、ふつうの展示品にまじって、アメリカからは原子力潜水艦ノーチラス号船室の実物大模型が、ソヴエトからは宇宙旅行のカラー・フィルムが寄せられていたことも、そのひとつの証拠と言えるでしょう。
『驚異の旅』とは、彼が自分の空想科学と地理の冒険シリーズに与えた名前ですが、彼こそ、まさしく想像力の世界の『驚くべき旅人』でした。空想科学《SF》小説の父と呼ばれるのも、当然だと言えるでしょう。
〔夢のなかの旅〕
一一歳の少年ジュール・ヴェルヌは、波止場《はとば》で知りあった少年から見習い水夫の契約書を買いとって、インドへの遠洋航海に出ようとしました。初恋の人、従妹《いとこ》のカロリーヌに珊瑚《さんご》の首飾りを買って帰るつもりでした。この雄大な企ては父にかぎつけられて失敗におわりましたが、そのとき父の叱責《しっせき》を聞きながら、少年は「これからは夢のなかだけで旅行します」と誓ったといいます。
一八二八年二月、彼はフランスの西部、ロワール河が大西洋にそそぐ河口近くの港町ナントのフェイドー島に生まれました。父は代訴人で、母は代々すぐれた船長を生んできた家系の出身です。高等中学校《リセ》を出て大学入学資格試験にパスすると、父の希望で法律の勉強をはじめました。このころ、すでにソネットや悲劇詩や芝居の台本を書いていますが、法律の第一次試験に必要な期間しかパリに住まなかったヴェルヌが、演劇の世界で身を立てる決意をした背後には、愛するカロリーヌの結婚があったようです。「だれもぼくを必要としないから旅に出る。みんなはこのジュール・ヴェルヌという哀れな若い男がどんな素質を持っていたか、やがてわかるだろう」
二〇歳でふたたびパリに出たヴェルヌは学位論文に通ったけれども、故郷に帰って弁護士になろうとはしませんでした。デュマと知りあい、同じように『イストリック座』に参加し、喜劇やオペラ・コミックを書いて上演するいっぽう、生活のために家庭教師や秘書や株式仲買人として働きました。二八歳のとき、ふたりの子供がある未亡人オノリーヌと結婚、翌々年一八五九年にイギリスへ、一八六一年にスカンディナヴィアへ旅行しています。大量の読書と旅行と物語作家の技術──あと必要なのはきっかけだけです。
一八六二年、友人の作家兼写真家兼漫画家兼旅行家ナダールが『巨人号』という直径三〇メートルを越す大気球をつくる計画を発表したことが彼の生活を一変しました。彼は熱心にその計画を検討し、リヴィングストンのアフリカ探検とからめて、夢のなかの旅を描きました。驚異の旅シリーズの第一弾『気球旅行の五週間』がそれです。彼の真のキャリアはここから始まります。出版者エッツェルと二〇年の契約を結び、まったく新しいジャンルを開拓する作家が登場します。彼は釣り船サン・ミシェル号を買い、セーヌ河を上り下りしながらおびただしい作品を書きつづけます。「私の生活は満ちたりている。倦怠《けんたい》のはいりこむすきはない。ここには私の求めるほとんどすべてのものがある」
一八六七年アメリカ合衆国訪問、一八七〇年〜七一年の沿岸警備隊参加をはさんで、借りていた船宿が自分のホテルに変わり、釣り船がヨットに変わるけれども、彼の成功の道はびくともしません。しかし二発の銃声がふたたび彼の生活を一変します。五八歳のころ、かわいがっていた若い甥《おい》に、とつぜん拳銃で撃たれたのです。自由な旅人の生活は終わり、彼はアミアン市の参事会員になります。「パリはもはや私を見ることはないであろう」とも「あらゆる陽気さは私にとって耐えがたいものになり、性格も変わってしまった。私はけっしていやされない打撃を受けた」とも手紙に書いています。
一九〇二年、ヴェルヌは白内障にかかり、一九〇五年三月、七七歳で世を去ります。一|生涯《しょうがい》に書いた作品は小説八〇余編、戯曲一五編におよびます。彼がイタリアの作家デ・アミーチス(代表作『クオレ』)に述懐したことばがのこっています。「私は仕事をしていないと生きている気がしないのです」
〔永遠に若い旅〕
第二次大戦後一〇年間に、世界で最も数多く翻訳されたフランス作家は、じつはデュマでもバルザックでもなく、ヴェルヌです。最近は社会主義国にも多数の読者を獲得し、ソビエトでは全集が刊行されました(ユネスコの調査による)。
わが国におけるヴェルヌ翻訳の歴史も非常に古く、じつに明治一一年までさかのぼります。『新説八十日間世界一周』(川島忠之助訳)がそれで、最も有名な森田思軒訳『十五少年漂流記』(明治二九年)は明治翻訳文学の古典に数えられ、少年時代の読書目録に欠かせないものになっています。明治中葉だけで、これらの作品を含めて、じつに三〇点ちかいヴェルヌ作品が翻訳されました。
このながい生命と広い人気をささえてきたものは二種類の読者です。未知なるものにたいしてあくことのない食欲を持つ少年たちと、少しばかり皮肉をまじえながら新鮮で豊富な話題を雄弁に物語る話相手を見いだすおとなたちと。
ヴェルヌはデュマと同じ型の物語作家だと言えます。デュマの想像力は過去に触発され、ヴェルヌは未来に触発される。その背後には彼らの生きた時代の差があります(たとえば『月世界旅行』発表の年はクロード・ベルナールの『実験医学研究序説』と同年です)。またフランスの伝統をかえりみれば、ほぼ一世紀まえにビュフォンの『博物誌』三六巻があります。そしてごく近年のフランス本国でのヴェルヌ復活は、幻視者の文学の源流としてなのです(ミシェル・ビュトールによる再評価など)。一九四九年には「アール・エ・レトル」誌が、一九五五年には「リーヴル・ド・フランス」誌が特集号を刊行し、一九六六年にはアシェット社からヴェルヌの傑作選集が刊行されはじめました。
ヴェルヌの墓にはひとつの碑銘《ひめい》が刻まれています……『不死と永遠の若さに』。まさしく彼の生涯は精神の永遠の青春に支えられていたし、彼の作品は幾世代もの読者を永遠の青春の旅にいざないつづけてきたのです。(訳者)
◆月世界旅行◆
ジュール・ヴェルヌ/鈴木力衛訳
二〇〇四年五月二十日 Ver1