ジュール・ヴェルヌ/金子博 訳
地底旅行
目 次
地底旅行
解説
代表作品解題
あとがき
一八六三年五月二四日の日曜日、ぼくの叔父リーデンブロック教授は、ハンブルクの旧市内でもとりわけ古い町であるケーニッヒシュトラーセの、十九番地にある彼の小さな家へ大急ぎで戻《もど》ってきた。
女中のマルタは自分の仕事がひどく遅れたと思ったにちがいない。台所のかまどの上で料理がぐつぐついいだしたばかりだったのだ。
「やれやれ」とぼくは思った。「叔父さんがおなかをすかしていようものなら、世界一短気なんだ、いまにも死にそうな顔をしてどなりちらすぞ」
「おや、もう、だんなさまが」と肝《きも》をつぶしたマルタが、食堂のドアを細く開けて、言った。
「そうらしいね、マルタ。でも、御飯ができていなくて当たりまえさ。まだ二時になっていないのだもの。聖ミカエル教会の鐘が半を打ったばかりだよ」
「それじゃあ、なんでだんなさまはお帰りなんでしょうね?」
「たぶんわけを聞かしてくださるさ」
「そら、いらした。わたしは退散いたしますよ、アクセルさま、だんなさまが無理なことをおっしゃらないように、お頼みしますよ」
そう言うと、マルタは彼女の料理研究所にひっこんでしまった。
ぼくはひとり残された。だが、大学教授というもののなかでもおよそ短気なこの人に無理を言わないようにさせるなんて芸当は、ややきっぱりしないところのあるぼくの性格ではできない相談だった。それで、ぼくは用心深く階上のわが小部屋にひっこもうと算段したのだが、そのとき、玄関の戸の蝶番《ちょうつがい》が金切り声をあげ、大きな足音が木の階段を鳴り響かせたと思うと、この家《や》の主人が、食堂をつっきって、たちまち書斎にとびこんで行った。
だが、超特急で通り抜けるそのあいだにも、彼はくるみ割りの握りのついたステッキを隅《すみ》に投げつけ、けば立っただぶだぶの帽子をテーブルに放り投げ、そして甥《おい》のぼくにこう大音声《だいおんじょう》を浴びせたのだ。
「アクセル、ついてこい!」
ぼくが動くひまもないうちに、もう教授どのは我慢ならんといったものすごい声でどなるのだった。
「おい、まだ来んのか」
ぼくはわが怖るべき主人の部屋にとんで行った。
オットー・リーデンブロックは意地の悪い人ではなかった。それはぼくも喜んで認めるが、よほどのことでもないかぎり、この人は死ぬまでとてつもない変人で通すにちがいない。
叔父はヨハネウム学院の教授で、鉱物学を教えていたのだが、講義のあいだにきまって一度や二度は癇癪《かんしゃく》を起こすのだった。学生たちが授業にまじめに出てくるとか、どれほど注意深く講義を聞いているかとか、よい成績をとれるようになるかとかを気にしていたわけではない。そんなつまらぬことはほとんど気にはならなかった。ドイツ哲学流の言葉で言えば、≪主体的に≫、つまり他人のためではなく自分のために、彼は講義をしていたのである。自分本位の学者で、学問の井戸とでもいったらいいか、ただそこからなにかを汲《く》み出そうとすると、つるべの滑車《かっしゃ》がキイキイ軋《きし》むのだ。要するに、学問の溜《た》めこみ屋なのである。
ドイツにはこの種の学者がままある。
不幸にして、ぼくの叔父は、気のおけない仲間内《なかまうち》ならともかく、少なくとも公衆のまえで口をきくときには、言葉がすらすらと気持ちよく出てくるほうではなかったのだ。これは人前で話をする職業では遺憾《いかん》至極な欠点である。実際、ヨハネウム学院での講義のあいだに、教授はよく絶句するのだった。唇《くちびる》からすんなり出ようとしない強情な言葉と格闘する。言葉は抵抗し、ふくれあがり、しまいにはあまり学問的とはいえない罵《ののし》りの言葉となって出てしまう。それで、癇癪玉《かんしゃくだま》が爆発するということになるのだった。
いったい、鉱物学という学問には、半分ギリシア語だのラテン語だのの、発音しにくい名称がたくさんある。詩人の唇なら皮がむけてしまいそうな、ざらざらした言葉である。ぼくはこの学問の悪口を言うつもりではない。とんでもないことだ。だが、菱面体《りょうめんたい》結晶とか、レティナスファルト樹脂とか、ゲレナイトとか、ファンガサイト、鉛化モリブデン酸塩、マンガン・ウォルフラム酸塩、二酸化ジルコニウム・チタン酸塩といった手合いに出くわせば、どんなにできのいい舌だってもつれても無理はない。
というわけで、大目に見られてしかるべき叔父のその欠陥は、この町では知れわたっていた。しかも、それをいいことにして、彼が危なっかしい言葉にさしかかるのを、人々は心待ちにしていたのだ。そして、叔父がたけり狂いだすと、みなで笑うのだ。これは、いかにドイツ人にしても、いい趣味とはいえない。リーデンブロック教授の講義にはいつも大入り満員の聴講者が集まったが、もっぱら教授のみごとなおこりっぷりを楽しみにやってくる連中が、大勢熱心につめかけたのである。
それはともかく、叔父が正真正銘の学者であることは、いくら言っても言いすぎになることはないのだ。ときに手荒に扱いすぎて標本を壊したりはしたけれども、叔父には地質学者の天分に加えて、鉱物学者としての眼識が具《そな》わっていた。ハンマーに、たがね、磁石、吹管、硝酸《しょうさん》の入ったフラスコなどを持たせれば、これはもう実に有能な人だった。どんな鉱石でも、その割れ方や、外観や、硬度、可溶性、音の響き具合、匂い、味などから、現代科学が知る六百種の鉱物のなかに、ためらうことなく彼は分類してみせるのだった。
それで、リーデンブロック教授の名声は、学校関係や学会で鳴り響いていた。ハンフリー・デーヴィー氏、フォン・フンボルト氏、フランクリン船長、サビン船長などは、ハンブルクを通れば、かならず彼を訪《たず》ねたし、ベックレル、エベルマン、ブルースター、デュマ、ミルヌ・エドワルス、サント・クレール・ドゥヴィルらの諸氏は、胸の躍るような化学上の諸問題について、好んで彼の意見を求めたものだ。この学問では、この叔父に帰せられるかなり優れた発見があり、一八五三年には、オットー・リーデンブロック教授著『先験的結晶学論考』図版入り大型二つ折判がライプツィッヒで出版された。もっともこれは収支|償《つぐな》わなかったのではあるが。
その上、叔父は、ヨーロッパでも名高い貴重なコレクションである、ロシア大使ストルーヴェ氏の鉱物学博物館の館長でもあった。
さて、これが、いまじりじりして、ぼくを呼んでいる人物なのである。背が高く、やせているが、鉄のように頑健《がんけん》で、五十代なのにゆうに十は若く見える青年のような金髪をした男を想像していただきたい。大きな目が大きな眼鏡の向こうで絶えずぎょろぎょろしている。長く細い鼻は研いだ刃のようだ。口の悪い連中の言い種《ぐさ》だと、その鼻には磁力があって、鉄のやすり屑《くず》を吸いつけるそうだ。むろん、それはまったくの悪口で、吸いつけるのは煙草《たばこ》だけだが、正直言って、その量たるやたいへんなものであった。
それに加えて、叔父はきっちり一メートルの歩幅で大股《おおまた》に歩き、しかも、歩くとき、これは気性の烈《はげ》しいしるしだが、両の拳《こぶし》をしっかり握りしめていると言ったら、どうにも人づき合いがよさそうには見えない男だとわかるだろう。
彼はケーニッヒシュトラーセの小さな家に住んでいたが、それは切妻が鋸《のこぎり》の歯のような形になっている、木と煉瓦《れんが》でできた家で、一八四二年の大火でも幸い焼けなかったハンブルクで一番古い街区の、その中央を錯綜《さくそう》する曲がりくねった運河に面していた。
古ぼけたその家はじつのところ少々傾いていて、道を通る人のほうに腹を突きだしていた。「美徳同盟《テユーゲントブント》」の学生の帽子のように、耳の上に斜に屋根をのっけたあんばいだったし、建物の垂直の線はもう少しなんとかならないかと思わせたが、正面の壁にがっちりとはめこまれた恰好《かっこう》の一本の楡《にれ》の老木のおかげで、ともあれその家はしゃんと立っていた。春になると窓の焼絵ガラスをすかして楡《にれ》の花芽が芽ぶくのだった。
ぼくの叔父はドイツの教授としてはまあまあ裕福なほうだった。家は外側も中身もすべて自分のものだった。中身というのは、十七歳になるフィルラント生まれの娘で名づけ子のグラウベンと、女中のマルタと、ぼくのことである。ぼくは甥でもありみなし子でもあったので、叔父の実験の手伝いをする助手になったのである。
率直に言うが、ぼくは地質学という学問に心底から噛《かじ》りついていた。ぼくの血管のなかには鉱物学者の血が流れていたし、ぼくの大事な石ころどもと一緒にいると、決して飽きることがなかったのである。
家の主人が短気ということはあったが、要するにこのケーニッヒシュトラーセの小さな家で、ぼくは幸せに暮らしていたと言える。叔父はいささか乱暴なやりかたとはいえ、やはりぼくをかわいがってくれていたからだ。しかし、この人は待つということができない人で、常軌《じょうき》を逸してせっかちだったのである。
四月に、客間の瀬戸物の鉢《はち》に木犀《もくせい》草や朝顔の苗を植えたことがあったが、叔父は毎朝かならずその葉をひっぱりに行って、生長を急がせようとしたものだった。
このような変わり者が相手では、言うことをきくよりしかたがない。そこで、ぼくは彼の書斎にとんで行った。
この書斎というのが、まさに博物館さながらだった。ありとあらゆる鉱物の標本が、可燃性鉱物、金属性鉱物、岩石性鉱物という三大部門にわけて、ラベルをつけて、完璧《かんぺき》な秩序で並んでいるのだ。
ここにある鉱物学上のこまごましたものが、ぼくにはどんなにか馴染《なじみ》の深いものだったことだろう。同じ年ごろの少年たちと遊びまわるかわりに、ぼくは何度となく、この黒鉛や、無煙炭や、黒炭や、亜炭や、泥炭《でいたん》の埃《ほこり》を払って楽しんだのだ。地瀝青《ちれきせい》や樹脂や有機塩類ときたひには、ごくわずかの埃もつけてはならなかった。それから、この鉄から金にいたるまでの金属標本。それが、こうして学問上の標本としてまったく平等に並べられていると、それぞれの値打のちがいなど消えてしまっている。それにまた宝石類もある。それだけあれば、ケーニッヒシュトラーセのこの家を建て直すくらいのことは、ぼくが快適に落ち着ける小綺麗《こぎれい》な部屋の一つもつけたしたって、朝飯前だったろう。
だが、書斎に入るとき、こうした素敵なもののことはほとんど頭にはなかった。叔父さんだけがぼくの頭を占領していたのだ。彼はユトレヒト織のビロードを張ったゆったりとした安楽椅子に身を沈めて、両手で一冊の本を捧げて、もう感嘆《かんたん》しきってそれを眺《なが》めていた。
「なんという本だ、すばらしい本だ!」とどなっているのだ。
この興奮した声を聞いて、ぼくは、リーデンブロック教授が暇なときには蒐書《しゅうしょ》狂でもあることを思いだした。といっても、めったに見つからない本とか、少なくとも自分には読めないしろものというのでなければ、彼から見て価値のある古本ではなかったのだが。
「ほーら、どうだ、おまえにはわからんかな」と叔父は言った。「しかし、こいつはとてつもない宝ものなんだぞ、今朝、ユダヤ人のヘヴェリウスの店をあさっていて、偶然見つけたのだ」
「そりゃあすごい」と言って、ぼくは注文どおりに感心してみせた。
まったくのはなし、表紙も背表紙も厚ぼったい仔牛皮でできているらしい古ぼけた四つ折判の本一冊、色のあせたしおり紐《ひも》がぶら下がっている黄ばんだ古本一冊に、この大騒ぎをしてなんになるというのだ?
ところが、教授の感嘆の叫びはとどまるところがない。
「どうだね」と彼は、勝手にしゃべっては勝手に返事をして、言うのだった。「これはなかなか見事なものだろうが? そうさ、すばらしい。それによくできた装幀《そうてい》だ。この本の開き具合はよろしいか? 大丈夫、どこのページをあけても、あいたままになっている。では閉じ具合はぴったりしているかな? いいともいいとも、表紙もなかのページもしっかり綴《と》じてあって、ばらばらになったり、たるんでいるところはどこにもない。それにこの背皮ときたらどうだ、七百年もたつというのにひび割れ一つない。この製本なら、ボズリアンだって、クロスやピュアゴールドだって得意になったろうさ」
そうしゃべりながら、叔父はその古くさい本をあけたり閉じたりしているのだ。こうなってはもう、ぼくには全然興味はなかったのだが、本の内容についてきくほかない。
「それで、そのすてきな本はなんという本なんですか?」ときいたが、せきこみかたが熱心すぎてわざとらしくなった。
「これはだな」叔父は勢いづいて答えた。「十二世紀アイスランドの有名な著作家、スノルレ・テュルレソンの『ヘイムス・クリングラ』という本だ。アイスランドを統治したノルウェーの王侯たちの年代記さ」
「ほんとうですか!」とぼくは舌によりをかけて声をあげた。「それじゃあ、つまりそのドイツ語訳なんですね?」
「なんだと!」と教授は激しく言い返した。「翻訳《ほんやく》だって。翻訳なんぞなんになる。誰が翻訳なんか問題にするか。原書だよ、こいつはアイスランド語の原本なんだよ。アイスランド語といったら、豊かで簡素なすばらしい言葉だ。もっとも変化に富んだ文法的結合が可能だし、単語が実に多様に変化する言葉なんだぞ」
「それじゃあ、ドイツ語と同じですね」ぼくはかなりうまい具合に口をはさんだ。
「まあな」と叔父は肩を聳《そび》やかして言った。「アイスランド語は、ギリシア語みたいに性が三種類あるし、ラテン語みたいに固有名詞が語尾変化をする、そこを別にすればな」
「へえー」興味はないまでも、やや気持ちが動いて、ぼくは言った。「それで、その本の活字はいい字なんでしょうね?」
「活字だと! だれが活字の話などした。アクセル、可哀《かわい》そうなやつだな。活字がどうのこうのだなんて。ああ、おまえはこれが印刷した本だと思っているんだな。やれやれ、無知だねえ、これは手書きなんだ。ルーン文字で書いた写本だよ……」
「ルーン文字ですって?」
「そうだ、今度はその文字の説明をしてくださいってくるんだろうな、おまえさんは?」
「そんなことは言いませんよ」自尊心を傷つけられたぼくは、むっとして言い返した。
しかし、叔父はいっそうまくしたてて、ぼくがろくに知りたいとも思わないことを、無理矢理教えだしたのだ。
「ルーン文字というのは、昔アイスランドで使われていた文字でな、伝説によると、最高神オーディンみずから創り出されたものとされている。まあ、とっくりと見て、よくおがむんだ、神の頭から生まれたこの文字をな、ばちあたりめ」
まったくのはなし、ぼくは言葉のつぎようもなく、おそれいるところだった。こういう返事のしかたなら、神さまだって王さまだって、御意に逆らわないわけだから、お気に召すにちがいない。そのときだ、思いがけないことが起こって、話の風向きが変わった。
一枚のきたならしい羊皮紙が、古本のあいだから滑《すべ》り落ちて、床に舞ったのである。
叔父はこのくだらないものに猛然と飛びついた。そのわけは簡単だ。古い書物のなかにいつとも知れぬ昔から挾《はさ》まっていた古文書などといったら、彼から見れば、たいへんな値打ものにきまっていたからである。
「なんだ、これは?」と叔父は声をあげた。
そう言うと同時に、叔父は机の上に、横一四センチ、縦八センチほどの羊皮紙を注意深く拡げた。それには、なにやら怪しげな文字が、横書きに数行並んでいた。
次に掲げるのが、その正確な模写である。この奇妙な記号をぼくはぜひともお目にかけたい。なぜなら、これこそが、リーデンブロック教授とその甥に、十九世紀におけるもっとも奇怪な探検を企てさせることになった当のものだからである。
教授はしばらくのあいだ、この一群の文字をじっと眺めていたが、眼鏡をはずすと言った。
「これはルーン文字だ。この字の形はスノルレ・テュルレソンの写本の字とまったく同じものだ。しかし……これはどういう意味なのかな?」
ルーン文字というしろものが、ぼくには哀れな世間を煙《けむ》にまくために学者たちが考えだしたもののように思えたので、叔父にもこの文章がまったくわからないと知れたのは、残念なことではなかった。少なくとも、激しく動きだした彼の指の動きからは、そのように思えた。
「ともかく、古代アイスランド語だな」と叔父は歯のあいだでぶつぶつ言っていた。
リーデンブロック教授は古代アイスランド語にも明るいはずだった。なぜなら彼は実に多くの言葉に通じた人という評判だったからだ。まさか地球上で使われる二千の国語と四千の方言をすべて流暢《りゅうちょう》にしゃべったわけではないが、ともかく叔父はたいていの言葉を知っていた。
それで、この難問にぶつかって、叔父の例の猛烈な癖がいまにも始まりそうになっていた。これはすごいことになるぞと思っていると、暖炉の上の小さな飾り時計が二時を打った。
すると、女中のマルタが書斎の戸を開けて、言った。
「おひるの仕度ができました」
「飯なんぞ悪魔にくれてやれ」と叔父はどなった。「そんなものを作ったやつも、そんなものを食うやつもだ」
マルタは逃げて行った。ぼくも彼女について、風をくらった。いつのまにか、ぼくは食堂のいつもの席に坐っていた。
ぼくはしばらく待った。教授は来ない。食事という厳粛なる儀式に叔父が列席しなかったのは、ぼくの知るかぎりで、はじめてのことだった。それにしても、すごいご馳走《ちそう》だった。パセリのスープ、|にくずく《ヽヽヽヽ》に|すかんぽ《ヽヽヽヽ》で味をきかせたハム入りオムレツ、仔牛の背肉にプラムの砂糖煮添え、それにデザートには、小えびの砂糖煮、それが全部モーゼルの上等のワインをやりながらだ。
一枚の古ぼけた紙きれのために叔父が犠牲にしようとしていたのがこれだ。ぼくは忠実な甥として、叔父のために、同時にぼくのためにもだが、食べねばならぬと、神かけて信じた。良心に恥ずるところなく、ぼくはそうした。
「こんなことって見たことありませんよ」とマルタが言った。「リーデンブロックさまがお食事においでにならないなんて!」
「信じられないことだね」
「なにかたいへんなことが起こる前兆ですわ」年とった女中は、首を振りふり、また言うのだった。
ぼくの意見では、それはなんの前兆でもなかった。もっとも自分の食事が平らげられているのを叔父が見たら、おそろしいひと騒動はあるだろうが。
ぼくが最後の小えびにとりかかっていたとき、大声が轟《とどろ》いて、ぼくはデザートの楽しみから引き離された。食堂から書斎にぼくはすっとんだ。
「たしかにルーン文字なんだが」と教授は眉《まゆ》をしかめて言った。「なにか仕掛けがある。そいつを見つけてやるぞ、さもなけりゃあ……」
そのあとの胸のうちは激しい身振りが示した。
「そこに坐ってくれ」拳でテーブルをさして叔父は言った。「そして書くんだ」
すぐにぼくの準備はできた。
「さあ、わしがこのアイスランド文字に照応するアルファベットを一々言うからな。どういうものが出てくるか見えてくるだろう。だがな、聖ミカエルにかけて、間違えないように気をつけるんだぞ!」
書取りが始まった。ぼくは最善をつくして一所懸命にやった。文字が一つ一つ順繰りに呼び出されて、次のようなわけのわからない言葉の行列になった。
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Atvaar .nscrc ieaabs
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dt,iac oseibo KediiY
この作業が終わると、叔父はぼくが書いたばかりの紙を勢いよくひったくって、長いこと注意深く調べていた。
「これはどういう意味なんだ?」と何度も機械的に言う。
どう考えたって、叔父にそれを教えてやれるはずはなかったが、叔父もぼくにきいているわけではなかった。相変わらずひとりでしゃべっていた。
「これは暗号文というやつだな。わざとごちゃごちゃにした文字のかげに意味が隠されている。うまく並べ直せば、意味のある文句になるんだ。きっとなにかたいへんな発見をして、これは、それを知らせるとか説明するとかいうものだと思うな」
ぼくのほうは、絶対になんにもありっこないと思っていた。だが用心してぼくの意見を言うのは控えた。
教授は今度は羊皮紙を取り上げて、二つを較べてみた。
「この二つの書体は同じ手じゃないな」と彼は言った。「暗号文のほうが本よりもあとのものだ。まずその動かせない証拠がある。そら、この最初の字は二つのMのことなんだが、こういうのはテュルレソンの本を探したって見つかりっこないのだ。なぜってこの書き方がアイスランド文字に入ったのは十四世紀になってからのことなんだ。それだからして、この写本と文書のあいだには少なくとも二百年はたっているわけだ」
これは、ぼくにしても、かなり論理にかなった話と思えた。
「そうだとすると、当然こう考えなければならんな」と叔父はつづけて言った。「つまり、この本を持っていた誰かが、この不思議な文字を書いたということだ。だが、それにしても、持主というのはいったい何者だろう? この本のどこかに名前を書かなかったものかな?」
叔父は眼鏡をはずすと、度の強い虫眼鏡をとって、本のはじめのほうのページを注意して見直した。二枚目の紙、つまり仮扉の裏のところに、一見インクがはねたように見えるしみのようなものが見つかった。けれども、近くでよく見ると、なかば消えかかった文字らしく見わけられた。叔父はここが大事なところだと直観した。叔父はそのしみに集中した。そして、ぶ厚い虫眼鏡に助けられて、ついにルーン文字の署名を見つけだしたのだ。叔父はそれをすらすらと読んだ。
「アルネ・サクヌッセンム!」意気揚々と叔父は叫んだ。「これは人の名前だ。それもアイスランド人の名前だぞ。十六世紀の学者で、有名な錬金術師だった人だ!」
ぼくはいささか感心して叔父を見つめた。
「こういう錬金術師たちが」と叔父はつづけた。「アヴィケンナとか、ベーコンとか、ルルスとか、パラケルススとか、こういう人たちが、それぞれの時代における真の学者、唯一の学者だったのだ。実に驚くにたる発見を彼らはやっているのだ。このサクヌッセンムにしたって、きっとなにかびっくりするような発見を、この不可解千万な暗号文のなかに埋めこんだんじゃないのか? そうあってしかるべきだ。いや、そうなのだ」
教授の想像力はこの仮説で燃えあがった。
「そうかもしれません」とぼくは思いきって答えた。「でも、その学者がなにかのすばらしい発見を、こんなことして隠すなんて、どんなわけがあったんでしょうね?」
「どんなわけだと? どんなかって? ふん、そんなことわしが知るか。ガリレイだって例の土星のことじゃあ、そうしたじゃないか。まあいい、いずれちゃんとわかるからな。わしがこの文書の秘密を掴《つか》んでやる。それを見つけるまでは、飯も食わんぞ、眠りもせんからな」
「おやまあ」とぼくは思った。
「おまえもだぞ、アクセル」と叔父はつけたした。
「やれやれ」ぼくはひとりごとを言った。「二時に食べといてよかった」
「そこでだ、まず」と叔父は言った。「この『暗号』が何語でできているのかを見つけなければならんが。こいつは難しいことではなさそうだ」
この言葉を聞いて、ぼくはびくっと顔をあげた。叔父はまたひとりごとを始めた。
「こんな簡単な話はないな。この文書には文字が一三二ある。そのうち五三が母音で、七九が子音だ。ところで、南欧系の言葉の綴《つづ》りは大体こんな割合でできているが、北方の言語ではもっとはるかに子音が多い。してみると、これは南方の言葉だということになる」
この結論ははなはだもっともであった。
「それにしても、これは何語かな?」
そこがわが学者どのにぼくが聞きたいところだった。しかし、この先生、まことに見通しの深い分析家だ、とぼくは思った。
「サクヌッセンムは」と叔父はつづけた。「深い学識のある人だった。それで、この人が母国語で書かないとすると、十六世紀の教養人士のあいだで普通使われていた言葉を、まずは使うにちがいないな。つまりラテン語だ。もしそれで間違っていたら、スペイン語や、フランス語、イタリア語、ギリシア語、ヘブライ語で試してみればいい。しかし、十六世紀の学者は一般にラテン語で書いたのだ。だから、これはラテン語だ、と決めてかかってもいいだろう」
ぼくは椅子の上で跳びあがった。ぼくがラテン語を学んだ記憶からすれば、こんな妙ちくりんな単語のつながりが、あの美しいウェルギリウスの言葉と同じものかもしれぬなどという主張には、我慢がならなかったのである。
「そうだ、ラテン語だ」と叔父はまた言った。「ただ、ラテン語をごちゃごちゃにしてあるんだ」
「いいですぞ、叔父ぎみ!」とぼくは頭のなかで言った。「そのごちゃごちゃを解きほぐしたら、お見事ですよ」
「よく調べてみよう」ぼくが書いた紙を手にとって、叔父が言った。「ここには一三二の文字が並んでいるが、明らかにでたらめな並び方だ。それでと、最初の『m. rnlls』のように、子音ばかりがつながっている単語があるかと思うと、反対にやたらに母音が多い単語もある、たとえば五番目の『unteief』とか、お終いから二番目の『oseibo』だ。さあて、この文字の配列がちゃんとしたものでないのは明らかだ。まだわからんが、これらの文字の連続を支配するなにかの根拠があって、それに基づいて|厳密に《ヽヽヽ》こういう配列になっているのだ。きっと、元の文章はきちんと書いておいて、それからなんらかの法則にしたがってそれを組み変えたのだと思う。その法則を見つけなけりゃならん。その『暗号』の鍵《かぎ》を持っていれば、これはすらすらと読めるはずだ。だが、どんな鍵かな? アクセル、おまえに鍵がわかるか?」
その質問にぼくはまるで返事をしなかった。それにはわけがある。壁にさがった一枚のかわいらしい肖像画、というのはグラウベンの肖像だが、ぼくの眼はそこに吸いついていたのである。叔父の養女はこのときアルトナの親戚の叔母さんのところに行っていた。彼女がうちにいないのでぼくはとても淋《さび》しかったのだ。なぜかというと、いまだから白状するが、その美しいフィルラント娘と教授の甥とは、ドイツ人らしく、実に辛抱《しんぼう》強く、ひっそりと、愛し合っていたのだ。ぼくたちは、叔父の知らないあいだに、結婚の約束までしていた。叔父は地質学者一点張りで、こういう感情のわかる人ではない。グラウベンは青い眼をした金髪の愛くるしい少女だ。気立ては少し重々しいたちで、やや生真面《きまじ》目《め》な考え方をする。だからといって、彼女のぼくに対する愛し方がたりないというわけではない。ぼくのほうは、彼女に首ったけだった。もっともチュートン民族の言葉にこういう言いまわしがあればのはなしだが。そういうわけで、ぼくのかわいいフィルラント娘の絵姿が、一瞬のうちに、ぼくを現実の世界から夢想の世界に、思い出の世界に投げこんでしまったのだ。
仕事をするときも遊ぶときもいつも一緒のこの仲よしの姿が、瞼《まぶた》に浮かんだ。叔父の大事な鉱物を整理するのを彼女は毎日手伝ってくれていた。ぼくと二人でラベルを貼《は》るのだ。とてもたいした鉱物学者なのだ、グラウベン嬢は。たいていの学者にはひけをとらなかったろう。学問上の難しい問題を掘り下げて考えるのが彼女は好きだった。ぼくたちは一緒に勉強して、どんなにか楽しい時間を過ごしたことだろう。彼女の美しい手に扱われる、それら無感覚の鉱物の幸運を、ぼくはよく羨《うらや》んだものだ。
それから、ひと息いれる時間になると、二人して外に出るのだった。ぼくたちはアルスター湖の繁みの深い小道を通って、湖のはずれでいい点景になっている、あのタール塗りの古い風車小屋のところまで連れだって行くのだった。みちみち手をとり合っておしゃべりをする。ぼくがいろいろなことを話すと、彼女は心から笑った。こうしてエルベ河の岸辺につくと、大きな白い睡蓮《すいれん》のあいだを泳いでいる白鳥にさよならを言って、蒸気船に乗って波止場まで戻ってくるのだった。
ちょうどそこまで夢見ごこちに思い出を追ってきたとき、叔父がテーブルを拳固《げんこ》で叩《たた》いたので、ぼくは荒っぽく現実にひき戻された。
「いいか」と叔父は言った。「ある文章の文字をごちゃまぜにしようとするとき、まず最初に思いつきそうなのは、言葉を横に書くところを、縦に書いてみるということじゃないか」
「なるほどねえ!」とぼくは思った。
「そうやるとどういう結果になるか、試してみなきゃならん。アクセル、なんでもいい、この紙きれにちょっと文章を書きなさい。だがな、文字を横に並べないで、縦書きにしてな、五、六字ずつひと組になるように書いてみるんだ」
ぼくはどういうことかわかったので、即座にこう上から下に書いた。
J m n e G e
e e , t r n
t' b m i a !
a i a t u
i e p e b
「よし」と読みもしないで、教授は言った。「それじゃあ今度は、その言葉を横書きにして一行に書いてみてくれ」
ぼくは言われたとおりにした。すると次のような文章ができた。
JmneGe ee,trn t'bmia! aiatu iepeb
「すばらしい!」ぼくの手からその紙をひったくって、叔父は言った。「これでもう、この古文書みたいになったぞ。母音の集まっている組も、子音の集まっているのもある。どれも字の順序はめちゃくちゃだ。単語のまんなかに大文字がきているのや、コンマの入っているのまである。サクヌッセンムの羊皮紙のとそっくりだ」
ぼくはたいへん巧妙な指摘だと思わざるをえなかった。
「そこでだ」と叔父はまっすぐぼくに向かって言った。「なにを書いたか知らんが、いまおまえが書いた文章を読むには、それぞれの単語の一番はじめの文字を順繰りに拾ってゆき、次は二番目の文字、次は三番目という具合に、ずっとやってゆきさえすればいいわけだ」
そうやって読んで、叔父はびっくりした。もっとびっくりしたのはぼくのほうだ。
Je t'aime bien, ma petite Grauben!
(ぼくはきみが 大 好 き だ、かわいいグラウベン!)
「ふうん!」と教授は言った。
そうだ、なんてへまな恋人なんだ、ぼくは、そうとは気づかずに、こんな危険な文句を書いてしまったのだ。
「そうか、おまえはグラウベンが好きなのか?」いかにも後見人らしい口調で叔父は言った。
「ええ……いや、そのう……」ぼくはしどろもどろだった。
「そうか、おまえはグラウベンが 好 き な のだな!」と叔父は機械的に繰り返した。「ところで、問題の文書にわしの方式をあてはめてみよう」
叔父はまたもや自分の考えごとのほうに気をとられて、ぼくの不用意な文句のことなどもう忘れかえっていた。不用意なと言ったのは、この学者先生の頭では人の心のことなんか理解してくれっこなかったからだ。しかし、幸いなことに、古文書の一大事が彼の心をさらっていった。
重大な実験にかかるとなって、リーデンブロック教授の目は眼鏡をこして光を放った。古ぼけた羊皮紙をとりあげたとき、彼の指は震えた。叔父は心底から感動していたのだ。やがて強く咳《せき》ばらいをして、それから、重々しい声で、それぞれの単語の最初の文字を順々に読みあげ、次には二番目の文字と読んでいって、次のような一連の文字をぼくに書きとらせた。
messunkaSenrA.icefdoK.segnittamurtn
ecertserrette,rotaivsadua,ednecsedsadne
lacartniiiluJsiratracSarbmutabiledmek
meretarcsilucoYsleffenSnI
書き終えたとき、白状するが、ぼくは興奮していた。一字ずつ読みあげられたこれらの文字は、ぼくの頭になんの意味も示しはしなかった。それで、ぼくは、教授がすばらしいラテン語の文章を朗々と唇から唱《とな》えだすのを待っていたのだ。
ところが、こんなことってあったろうか! どしんと拳固がテーブルを揺がしたのだ。インクが飛び散り、ぼくの手からペンが飛んだ。
「こんなんじゃあない!」と叔父がどなった。「これじゃあ、わけがわからん!」
そう言ったかと思うと、弾丸のように書斎を横切り、雪崩《なだれ》のように階段を駆けおり、通りに飛び出すと、あっというまに彼は消えてしまった。
「だんなさまはお出かけになっちゃったんですか?」家中を揺がせて玄関の扉《とびら》が閉《しま》るものすごい音に、あたふた出てきたマルタが大きな声を出した。
「そうだよ、申し分ないお出かけさ!」とぼくは答えた。
「おやまあ、それじゃ、お食事は?」と年とった女中は言った。
「お食事はなさらないさ」
「じゃあ、お夕飯は?」
「お夕飯もあがらないよ」
「なんですって?」両手を合わせて、マルタは言った。
「そうだよ、マルタ、だんなさまはもうご飯は食べないのさ、この家じゃ、もう誰も食べないんだよ。リーデンブロック叔父さんは、絶対に解読できない古い呪文《じゅもん》を解読するまでは、ぼくたちみんなを絶食させるんだよ!」
「あれまあ、それじゃあもう餓死《うえじ》にするほかありませんよ!」
叔父のように独裁的な男と一緒にいたら、それは避けられない運命なのだとは、さすがにぼくも言わなかった。
ばあやは、本気で心配して、ぶつぶつ言いながら台所に戻っていった。
ひとりになったとき、グラウベンに、一部始終を話しに行こうという考えが浮かんだ。でも、どうやって家をあけたらいいのか? 教授はいまにも帰ってくるかもしれない。そして、ぼくのことを呼んだらどうする? 老いたるオイディプス王にきいたってできそうにない、あの謎《なぞ》解きの作業を、また始めようと言ったら! そして、いくら呼んでも、ぼくの返事がなかったとしたら、いったいどういうことになるだろう?
いちばん利口なのは家にじっとしていることだった。ちょうど、ブザンソンの鉱物学者から送られたばかりの珪土《けいど》類の晶洞のコレクションがあって、分類しなければならなかった。ぼくは仕事にかかった。内部で小さな結晶が震えているその中空の石を、分類し、ラベルを貼り、ガラス・ケースに並べた。
だが、この仕事に夢中になれなかった。あの古文書の一件が、依然として妙な具合にぼくの心にひっかかっていたのだ。頭は沸騰《ふっとう》するようで、ぼんやりした不安にぼくは捉《とら》えられていた。とんでもないことが近づいている予感がした。
一時間もすると、晶洞はきちんと並べ終えた。それで、ぼくはなんとなくユトレヒト織の大きな肘掛椅子《ひじかけいす》に行って、腕をぶらんぶらんやって、頭をうしろに投げだした。曲がった長い柄のついたパイプに火をつけた。火皿のところには、のんびりと寝そべった水の精が彫ってある。その水の精がだんだん黒くいぶって、すっかり黒んぼの女に変わってゆくのに、ぼくは興じた。ときどき、階段に足音が聞こえないかと、聞き耳をたてた。もちろん聞こえはしなかった。いったい、いまごろ叔父はどこにいるんだろう? ぼくは、アルトナ街道の美しい並木の下を駆けるように行く叔父の姿を想像した。さかんに体を動かしては、ステッキで塀《へい》にすじをつけたり、腕をはげしく振って草をなぎ倒したり、あざみの首をちょん切ったり、ぽつねんと憩っているコウノトリの安息を乱したりしている叔父の姿が目に浮かぶ。
叔父は意気揚々と帰ってくるだろうか、それとも、すごすごと帰ってくるのだろうか? 相手をうち負かすのはどっちだろう、謎のほうか、叔父のほうか? ぼくはそんなことを考えているうち、なにげなく、ぼく自身が書いたわけのわからない字の並んでいる紙きれを、指につまんだ。ぼくは繰り返した。
「これはなんのことなのかな?」
それらの文字がちゃんとした単語になるように、区切ってみようとした。だめだ! 文字を二つずつ、三つずつ、とか、五つずつ、六つずつ、まとめてみても、意味のあることはまったくなに一つ出てこなかった。もっとも、一四番目と一五番目、一六番目の字で、英語の『ice』(氷)にはなる。八四、八五、八六番目で、『sir』(卿)という単語になる。しまいには、また、文書のまんなかへんから、三行目にかけて、ラテン語の『rota』(車輪)『mutabile』(変わりやすい)、『ira』(怒り)、『nec』(また……ない)、『atra』(残酷な)などの単語を見つけた。
「なんだい、こりゃあ」とぼくは思った。「ここらの単語からすると、この文書がラテン語だって言う叔父さんが正しいように思えるな。それに四行目には、『聖なる森』と訳せる『luco』なんて言葉もある。しかし、三行目に『tabiled』と読めるところは、どう見たってヘブライ語の恰好だな。それから、最後の行の、『mer』(海)、『arc』(弓)、『mere』(母)は完全にフランス語だ」
これには頭が混乱してしまった。このわけのわからない文章のなかには、四つもちがった国の言葉が入っているのだ! いったい『氷、卿、怒り、残酷な、聖なる森、変わりやすい、母、弓、海』と、これらの単語のあいだに、どういう関係が成りたちうるのか? 最初の単語と最後のとは簡単に結びつく。アイスランドで書かれた文書に『氷の海』がでてくるのは、少しも驚くべきことではない。しかし、そこから暗号の残りを解読するのは、これは別の問題だ。
こうしてぼくはどうにも解けない難問と格闘した。頭が熱くなり、紙の上で目がちらちらした。頭にかっと血がのぼったとき、頭のまわりの空中に銀のしずくが舞うように、一三二の文字が、ぼくのまわりを飛びかうような気がした。
ぼくはなにか幻覚のようなものに捉えられていた。息がつまり、風がほしかった。無意識に、ぼくはその紙きれであおいだ。紙の裏と表が交互にぼくの目に映った。
いそがしく裏表が入れ替る、その裏がたまたまぼくのほうに向いたときのことだ、ぼくはびっくりしてしまった。はっきりと意味のとれる単語が見えたような気がしたのだ。ラテン語の単語だ、なかでも『craterem』(火口を)と『terrestre』(地球の)という語が、そこに見えたようなのだ。
突然、頭のなかに光がさしてきた。たったそれだけのしるしが、ぼくに真実を明かしてくれたのだ。ぼくは解読の法則を見つけていた。この文書を理解するためには、紙を裏返してすかし読みにするまでもなかったのである。このまま、ぼくが筆記させられたままで、すらすらと読めたのだ。教授の巧妙な推理の進めかたは、すべて的に当たっていた。文字の並べかたも正しかったし、文書がラテン語だというのも正しかった。ただこのラテン語ははしからはしまで読みくだすのに、あと『ほんのちょっとのこと』があればよかったのだ。その『ほんのちょっとのこと』がたったいま偶然ぼくに授かったのだ。
ぼくがどんなに興奮したか、おわかりと思う。目はぼうっとしていて、使いものにならなかった。紙はもう机の上にちゃんと拡げてあった。秘密を手に入れるには、それを見さえすればよかった。
やっと、ぼくは興奮を抑えることができた。神経を静めるために、おまじないに部屋のなかを二度ぐるぐると歩いた。そうしてから、大きな肘掛椅子に戻って、深々と坐った。 胸にたっぷりと空気を吸いなおしてから、ぼくは声を出して言った。「さあ、読むぞ」 ぼくは机にかがみこんだ。文字を順繰りに指でおさえて、ただの一度もつかえたり、ためらったりすることなく、文章をはしからはしまで朗々と読んだ。
だが、なんという驚き、なんという怖れにぼくは襲われたことだろう! しばらくは、どかんとどやされたかのようだった。ほんとうなのか、ぼくがいま知ったことが実際にあったというのか! 入りこむなんて、人間にそんな大胆なまねができたのか!……
「ああ」跳び上がって、ぼくは叫んだ。「駄目だ、駄目だ! 叔父さんに知られてなるものか。こんな旅のことを知ったら、とんでもないことになるにきまっている。自分も同じことを試そうと言うさ。あの人をとめることは決してできやしないさ! あの頑固な地質学者だ。なにがなんていったって、否でも応でも、結局出かけるのさ。そうして、ぼくを一緒に連れて行くんだ。そうして、二人とも帰ってはこられないのさ。駄目だ。絶対駄目だ!」
ぼくはどう言ったらいいかわからないほど興奮していた。
「いいや、いけない! そんなことにしてなるものか」力をこめて、ぼくは言った。「あの暴君の胸にそんな考えが浮かばないようにできるのはぼくなんだから、ぼくがそれをやらなきゃあ。この紙きれをあれこれひっくり返しているうちに、ひょっとしたら鍵を見つけるかもしれない。こいつをなしにしてしまおう」
煖炉に火が残っていた。ぼくは紙きれだけでなく、サクヌッセンムの羊皮紙も掴《つか》んだ。熱に浮かされたような手で、ぼくはその全部を石炭の上に投げて、危険な秘密を葬ろうとした。そのとき、書斎のドアが開いた。叔父が現れた。
厄病神《やくびょうがみ》のようなその文書を机の上に戻すのがやっとだった。
リーデンブロック教授は心がどこかに吸いとられたみたいだった。頭にいっぱいになった考えごとで、一瞬の休息も、なかったのだ。きっと散歩のあいだ中、一件を吟味し、分析し、ありとあらゆる想像力を駆使したのだ。そして、なにか新しい手を思いついて、それをためしてみようと戻ってきたのだ。
事実、彼は肘掛椅子に坐ると、ペンを手にとって、代数の計算に似た式をこしらえ始めた。
ぼくは彼の震える手を目で追った。彼の動きをただの一つも見逃《みのが》さなかった。望ましくない結果が予期に反して生まれるだろうか? ぼくは震えた。それは理由のないことだった。なぜって、真のやり方、つまり『ただ一つの』やり方はもう見つかっていたのだから、当然ほかの試みはすべてむなしいに決まっていたのだ。
たっぷり三時間、叔父は、口もきかず、顔もあげず、何度も何度も、消したり、また書いたり、削《けず》ったり、やり直したりして、働いた。
ここにある文字が相互にとりうるあらゆる組合せにしたがって、もし叔父がそれを配列しとげれば、いつかは文章ができあがることは、よくわかっていた。しかし、また、たった二〇文字でも、二四三京二九〇二兆八一億七六六四万通りの組合せができることも、ぼくにはわかっていた。ところが、この文章には一三二の文字がある。一三二の文字を組合わせると、少なくとも一三三|桁《けた》の数字が並ぶ数だけのちがった文章ができる。ほとんど数えることも不可能な、まるで見当もつかない数だ。
そのような壮大な問題解決法には、ぼくは安心していた。
しかし、時間は流れていった。夜になった。通りの物音は静かになった。叔父は相変わらず仕事にかがみこんだまま、なに一つ目に入らない。女中のマルタがドアをそっと開けたのもだ。なにも耳に入らない。この尊敬すべき召使が「だんなさま、今晩はお食事をなさいますか?」と言った、その声さえ聞こえないのだ。
結局マルタは、返事ももらえずに、行かなければならなかった。ぼくのほうは、しばらくのあいだは我慢したが、どうにもならない眠気に襲《おそ》われた。それで寝椅子の隅っこで、ぼくは眠ってしまったが、リーデンブロック叔父さんは相変わらず、計算したり、消したりしていた。
ぼくが目を覚ましたときは、次の日になっていたが、疲れを知らない穿鑿《せんさく》屋の先生はまだ仕事をしていた。その目は真赤《まっか》で、顔色は蒼白《あおじろ》く、熱っぽい手でかかえた髪の毛はもみくちゃになり、頬《ほお》は赤味がさして、彼が不可能を相手どって凄《すさ》まじい格闘をしたことを、そして、どのような精神の疲労のなかで、どのような脳髄《のうずい》の緊張のなかで、彼の時間が流れねばならなかったかを、十分にもの語っていた。
ぼくはほんとうに叔父が可哀《かわい》そうになった。叔父を非難して当然だと思っていたのに、なにかぼくは胸がいっぱいになった。この可哀そうな人はすっかり自分の考えごとに捉えられていて、いつものおこる癖も忘れていた。彼の活力はすべてただ一点に集中していた。その力がいつもの捌《は》け口から出ていかないので、緊張からいまにも叔父の体が破裂するのではないかと、心配になるくらいだった。
ぼくには、叔父の頭脳を締めつけているこの鉄の万力を、ひとひねりで、ほんのひと言でゆるめてやることができたのだ。それだのに、ぼくはそれをしなかった。
けれども、ぼくは心のやさしい人間だ。そのぼくがこんな場合にどうして黙っていられたのか? 叔父のためを思えばこそだ。
「いいや、駄目だ」とぼくは繰り返した。「駄目だ。ぼくはしゃべらないぞ! わかっているんだ、叔父さんは行きたがるにきまっている。誰にも叔父さんをとめることはできやしないんだ。ものすごい想像力なんだから。ほかの地質学者がしたことのないことをするためなら、あの人は命だって危険にさらすさ。ぼくはしゃべらないぞ。偶然ぼくのものになったこの秘密を守ってやる。これを教えたら、リーデンブロック教授を殺すことになるんだ。叔父さんにできるものなら、自分で見つけるがいい。叔父さんを破滅に導いたのがこのぼくだなんて、あとになって自分を責めたくないんだ」
こう決心すると、ぼくは腕を組んで、待つことにした。しかし、それから数時間後に起こったちょっとしたできごとまでは勘定に入っていなかった。
市場に行こうとして、マルタが家を出ようとしたとき、彼女はドアがあかないのに気がついたのだ。鍵穴にあの大きな鍵がささっていなかった。鍵をはずしたのは誰だ? もちろん叔父だった。昨日、息せき切って歩き廻って、帰って来たときしたことだ。
わざとしたのだろうか? ついうっかり、してしまったことか? ぼくたちに断食《だんじき》を強いようというのか? そうだとしたら少しひどいと思った。なんてことだ、マルタとぼくとを、ぼくたちに全然関係のないことの犠牲にしようっていうのか? きっとそうだ。ぼくは思いだした、以前にもこんなことがあって、ぼくたちを震えあがらせたのを。たしか、数年前に、叔父が鉱物の一大分類の仕事をしていた時期だが、叔父は四十八時間なにも食べずに過ごしたことがあった。そして、家中がその学問的な絶食につきあわねばならなかったのだ。ぼくはそのとき、かなり食欲旺盛な青年として、はなはだ爽快《そうかい》ならざる胃痙攣《いけいれん》にかかったのである。
ところで、昨日の夜食と同様、今日のお昼もふいになりそうな気配だった。しかし、ぼくは、英雄的に振舞って、空腹の訴えなどには負けないぞと覚悟をきめた。マルタはことをたいへん深刻に考えて、困りきっていた。いい女だ。ぼくにしてみれば、家から出られないことのほうが問題だった。それにはそれ相当のわけがあったが、読者にはおわかりでしょう。
相変わらず叔父は仕事をつづけていた。彼の想像力は文字の組合せの世界に没入しきっていた。彼は地上から遠く離れて生きていた。まったく地上のさまざまな欲求の外で生きていたのだ。
お昼ごろになると、空腹が冗談《じょうだん》ごとではなくぼくを苛《さいな》んだ。マルタときたら、まったく無邪気なもので、蠅張《はえちょう》に入っていたものを、昨夜のうちに平らげてしまっていたのだ。家にはもうなにも残っていなかった。けれどもぼくは頑張った。いわばぼくの意地がかかっていたのだ。
二時が鳴った。事態は滑稽《こっけい》じみてきた、許しがたいものにさえなってきた。ぼくは目ばかりぎょろつかせていた。自分はあの文書を重大視しすぎているのだ。とぼくは考え始めた。叔父はあんなものを信用しはしないだろう。叔父はただのいたずらだと思うにちがいない。最悪の場合で、叔父が冒険をしたいと言ったところで、そうはいかず、みんなにとめられてしまうだろう。それに叔父だって、いずれは自分で『暗号』の鍵を見つけるだろう。そうすれば、ぼくの断食は骨折り損になってしまう。そんなふうにぼくは考え始めたのだ。
昨日だったらおこって退けたにちがいないこんな理屈が、ぼくには申し分のないものと思えた。こんなに長いこと待ったのがまったく馬鹿らオく思われた。それで、ぼくはすっかり話してしまおうと決心した。
ぼくは、あまり唐突にならないように話を切りだそうと、思案していた。そのとき、教授が立ち上って、帽子をとり、出かける仕度をした。
なんだって! 出かけるのか、そして、ぼくたちをまた閉じこめていこうというのか! とんでもない。
「叔父さん」とぼくは言った。
聞こえないみたいだった。
「リーデンブロック叔父さん」ぼくは声を高めてもう一度言った。
「ああん?」寝ているのを急に起こされた人のように叔父は言った。
「ええと、あの鍵はどうなりました!」
「鍵ってなんの鍵だ? 玄関の鍵か?」
「ちがいます」とぼくはどなった。「古文書の鍵ですよ」
教授は眼鏡ごしにぼくをじっと見た。たぶんぼくの表情になにかただならぬものを見つけたのだ。なぜなら、叔父はぼくの腕をぎゅっと掴むと、口がきけないで、目でぼくに質問を浴びせたのだ。しかし、どんな質問だってこれほどはっきりと言われたためしはない。
ぼくは首を上から下に振ってみせた。
まるで相手が気ちがいだとわかった人のように、叔父は一種の憐《あわ》れみをこめて首を振った。
ぼくは一段と力をこめてうなずいた。
叔父の目がぎらぎらと輝いた。その手にこわいほど力が入った。
こんなふうにして交されたこの無言の会話のやりとりを見たら、どんなに無感覚な人でも興味をそそられただろう。実際もうぼくは口がきけないほどになっていた。叔父が喜びのあまりいきなり何度も抱きしめるので、しめ殺されるのではないかと心配したくらいだった。しかし、叔父がひどくせきたてるので、返事をしないわけには行かなかった。
「ええ、その鍵ですよ!……偶然なんですが……」
「おまえ、なんて言った?」言うに言われぬ感動をこめて、叔父は声をあげた。
「ほら」とぼくが書いた紙を叔父のまえにだして、言った。「読んでごらんなさい」
「そんなことを言ったって、これは全然意味をなさんじゃないか!」紙をくしゃくしゃにして、叔父は答えた。
「無意味ですよ、はじめから読めばね。でもおしまいから……」
ぼくがそう言い終わらないうちに、教授は叫び声をあげた。叫び声というよりは、まさに吼《ほ》えたのだった。心のなかに閃《ひらめ》くものがあったのだ。顔つきが変わっていた。
「ああ、天才なるかなサクヌッセンム!」と彼は叫んだ。「さては、そなたはさかしまに文章を書かれたのか!」
そう言うと、紙片に跳びつくようにして、目をひきつらせ、感動した声で、文章全体を最後の文字から最初の文字まで逆にたどって読みあげた。
それは次のような文章だった。
In Sneffels Yoculis craterem kem delibat
umbra Scartaris Julii intra calendas descende,
audas viator, et terrestre centrum attinges.
Kod feci. Arne Saknussemm.
このまずいラテン語を訳すと、こんなことになる。
豪胆ナル旅行者ヨ、七月|朔日《ツイタチ》ノマエノコロすかるたりすノ影ガ行キテタワムルすねっふぇるす・よーくるノ火口ヲ降リヨ。サレバ汝《ナンジ》ハ地球ノ中心ニイタラン。余ハソレヲナセリ。あるね・さくぬっせんむ。
読み終えると、叔父は、まるでライデン壜《びん》にでもうっかり触ってしまったみたいに、跳びあがった。勇気と喜びと確信にふくれあがっていた。行ったり来たりし、両手で頭をかかえ、あっちへ行っては坐り、こっちへ来ては坐り、本を何冊も積み重ねたり、とても信じられないことだが、あの大事な晶洞をお手玉にするかと思えば、ここを拳固で叩いたり、そこを平手で叩いたりするのだった。やっと神経が静まった。そして精魂を使いはたして疲れきった人のように、叔父は肘掛椅子に倒れこんだ。
「いったい、いまは何時だ?」しばらく黙っていたあげく、叔父は言った。
「三時ですよ」とぼくは答えた。
「しまった! ばかに早く飯の時間が過ぎちゃったな。腹がへって死にそうだ。飯にしよう。それからだ……」
「それからって?」
「わしの荷作りをしてくれ」
「なんですって!」とぼくは叫んだ。
「おまえのもだぞ!」食堂に入って行きながら、血も涙もない教授は答えた。
この言葉を聞いて、ぼくの全身に戦慄《せんりつ》が走った。けれども、ぼくはじっとこらえた。いい顔をしようとまで決心した。リーデンブロック教授をひきとめることのできるのは、学問的な論拠だけだった。ところが、それがあるのだ。このような旅行の可能性に反対する十分な論拠があった。地球の中心に行くなんて! まったく馬鹿げた話だ! ぼくは適当なときがくるまで、弁舌をとっておくことにした。いまはもっぱら食事のことだ。
きれいに片付いた食卓を見て、叔父がどなり散らした言葉を書いてみてもしかたがない。事情がすっかり説明され、人のいいマルタは自由放免となった。彼女が市場に走って行き、大活躍をしてくれたおかげで、一時間後には、ぼくの空腹は静まり、事態を見る感覚が戻ってきた。
食事のあいだ、叔父はほとんど陽気といっていいくらいだった。まったく毒のないいかにも学者らしい冗談が、叔父の口からこぼれた。デザートがすむと、書斎についてくるようにと、叔父は合図をした。
ぼくはしたがった。叔父は仕事机のはしに腰かけ、ぼくは反対のはしに腰かけた。
「アクセル」ずいぶんと優しい声をだして、叔父が言った。「おまえはとても気のきいた青年だ。わしが暗号との格闘に疲れて、解読するのを止めてしまおうとしたときに、おまえはすばらしいことをやって助けてくれた。さもなければ、わしはどこまで迷いこんでいったものやらな、誰にもわかりゃあしない。このことは決して忘れないよ。だから、わしたちがこれから手に入れる名誉には、おまえの分があるわけだ」
「さあて!」とぼくは考えた。「先生ご機嫌《きげん》だぞ。その名誉とやらについて議論をするときが来たな」
「まず最初に言っておくが」と叔父は言葉をついだ。「絶対秘密を守るのだぞ、いいな。学者仲間でわしをそねむ奴《やつ》にはこと欠かん。わしたちが帰ってくるまではそんなこと思ってもみない連中でも、いざ知ったらこの旅行をやろうというのはわんさといる」
「そんな勇敢な人がほんとに大勢いるんですか?」とぼくは言った。
「もちろんだ! こんな名声をものにするのを、ためらうやつがあるもんか? もしこの文書のことが知れわたったら、地質学者の全軍勢がアルネ・サクヌッセンムの歩いた跡に殺到するだろうな!」
「そこがわからないんですがねえ、叔父さん、この文書の真憑性《しんぴょうせい》を証明するものはなにもないじゃないですか」
「なんだと! これが挾《はさ》まっていた本があるじゃないか」
「いいです、サクヌッセンムがこの文章を書いたと認めましょう。しかし、だからといって、彼がその旅行をほんとうにやったということになりますか? この古い羊皮紙は思わせぶりのいたずらかもしれないじゃないですか?」
この多少思いきった最後の言葉を口から出してしまったことを、ぼくはほとんど後悔した。教授は濃い眉をしかめた。ぼくは話の続きを駄目にしてしまったかと心配だった。幸いそうはならなかった。手厳しい論敵は唇にかすかに微笑を浮かべて、こう答えた。
「それはいずれわかることだな」
「おやおや」とぼくは少々腹を立てて言った。「でも、この文書についての反対意見を洗いざらい言わせてください」
「いいよ、お話し、遠慮にはおよばんよ。おまえの意見を言うのは完全に自由だ。おまえはいまではわしの甥ではなくて、同僚なんだからな。さあ、やってごらん」
「では、まずおききしますが、そのヨークルとか、スネッフェルスとか、スカルタリスとかいうのはなんですか、いままで聞いたこともありませんが」
「ごくわけのないことさ。ついこのあいだ、ライプツィッヒにいる友だちのアウグストゥス・ペーテルマンから、ちょうど地図をもらったんだがな、まったくおあつらえ向きのときに来たってもんだ。大きい書棚《しょだな》の二列目、Zの項の四の棚にある、三冊目の地図を取ってくれ」
ぼくは立ち上って、この正確な指示のおかげで、言われた地図をたちどころに見つけた。叔父はそれを開いて、言った。
「これはアイスランドの地図じゃあ一番いいものだ、ハンダーソンの地図といってな。おまえのききたいことになんでも答えてくれると思うよ」
ぼくは地図をのぞきこんだ。
「ごらん、この島は火山でできている」と教授は言った。「その火山にみなヨークルという名前がついているのがわかるだろう。この言葉はアイスランド語で『氷河』という意味なのだ。アイスランドのような緯度の高いところでは、火山の噴火は氷の層の下から出てくる。それで、こうしてヨークルという名前がこの島のどの火山にもつけられているのだ」
「なるほど」とぼくは言った。「では、スネッフェルスというのはなんです?」
この質問には答えはあるまいと、ぼくは期待していた。間違いだった。叔父は答えた。
「アイスランドの西海岸をたどってみるのだ。レイキャヴィクが見つかるだろう、それが首府だ。よし、結構。そこから海に浸食された海岸線にある無数のフィヨルドをずっと上に見ていってごらん。そうして、北緯六五度のちょっと下のところでとまれ。そこになにが見えるかな?」
「肉をそぎ落とした骨みたいな、そう、大きな膝蓋骨《しつがいこつ》のはじっこのような恰好をした半島みたいになっていますが」
「その比喩《ひゆ》は正確だ。さあて、その骨の上になにか見えないかね?」
「ええ、海に押し出したような山があります」
「ようし、それがスネッフェルスだ」
「スネッフェルスですって?」
「そうだ、一五〇〇メートルもある高い山だ。島で一番目立つ山の一つだ。もしもその火口が地球の中心まで通じていたら、間違いなく世界中でもっとも有名になる山だ」
「でも、そんなことはありえませんよ!」ぼくは肩をそびやかし、そのような仮定に反抗して、声をあげた。
「ありえないだと!」リーデンブロック教授はきびしい口調で答えた。「どうしてありえないのかね?」
「なぜって、もちろん火口は熔岩や熱い岩で塞《ふさ》がれているからです。そうすれば……」
「じゃあ、もし死火山だったら?」
「死火山?」
「そうだ。地球上で現在活動中の火山は約三〇〇しかない。ところが死火山はそれよりはるかに多数ある。そして、スネッフェルス山はあとの部類の山なんだ。有史以来この山が噴火したのは一度きりしかない。一二一九年にな。そのときから、この山の活動はだんだん収まって、いまでは活火山のなかには入らないのだ」
こう明確に断定されては、まったくどうにも返事のしようがなかった。そこで、ぼくは例の文書のなかでなにやらわけのわからない別の箇所にとびついた。
「このスカルタリスという言葉はどういうことですか?」とぼくはたずねた。「七月朔日っていうのはなんのことです?」
叔父はしばらく考えこんだ。ぼくはちょっとの間《ま》希望を抱いた。だが、ほんのちょっとの間だった。なぜって、やがて叔父は次のように答えたからだ。
「おまえがわけがわからんと言うことは、わしから見れば明々白々なことなのだ。いまのことは、サクヌッセンムが発見したものを明確に示そうとして、念入りに工夫をこらしたしるしなのだ。スネッフェルス山には数多くの火口がある。したがって、そのうちのどれが地球の中心に通じているのかを示す必要があった。そこでこのアイスランドの学者がどうやったかというと、七月朔日が近いころ、つまり、六月の末ごろにだ、この山の山頂の一つ、スカルタリス峰が問題の火口の穴にまで影を落とすことに目をつけたのだ。そうして、この事実を例の文書に書いたのだな。これ以上正確な指示が考えられたろうか。スネッフェルスの山頂に行きさえすれば、どの道をとるかためらうことなどあるはずがない」
たしかに叔父はどんなことに対しても答えを持っていた。古文書の言葉の一々については文句のつけようがないことが、よくわかった。それで、この点で攻めることはやめにした。だが、ともかく彼を説得しなければならないので、ぼくの思うに、またちがった意味で重要な、科学的反論に移ることにした。
「なるほど」とぼくは言った。「認めざるをえませんね、サクヌッセンムの文章は明快で、一点の疑問も残りえません。この文書には完全な真憑性があるようだと、認めてもいいです。この学者はスネッフェルスの山奥に行った。スカルタリスの影が七月朔日のまえに火口の縁に触れるのを見た。当時あった伝説で、この火口が地球の中心にまで繋《つな》がっているという話を聞いたのでしょう。しかし、彼自身がそこに行ったとか、その旅行をしたとか、ほんとにやったとして、そこから帰って来たとかいうことは駄目です。なんて言ったって駄目です」
「で、その理由は?」叔父は妙にからかうような口調できいた。
「そんな企ては実現不可能だと、科学のすべての理論が証明しているからです」
「すべての理論が、そんなことを言ってますかね?」と叔父はお人好しみたいな顔をして言った。「やれやれ、やくざな理論だねえ。わしたちの邪魔《じゃま》をしようというのかい、情ない理論だね!」
叔父がぼくをからかっているのがわかった。それでも、ぼくはつづけた。
「そうですとも! 地表から三〇メートルさがるごとに約一度温度があがることは、完全に承認された事実です。この割合が変わらないとすれば、地球の半径は六〇〇〇キロメートルですから、中心では二〇万度をこえる温度があることになります。それで、地球の内部の物質は白熱したガス状になっています。金やプラチナの金属でも、どんなに硬い岩石でも、この温度には耐えられないからです。ですから、そんな場所に入って行けるものかと疑問をもつのは当然ですよ」
「というと、アクセル、おまえは熱のことが心配なんだな?」
「もちろんですよ。わずか四〇キロの深さに達しただけで、地殻の限界に達するはずです。もう温度が一三〇〇度をこえるんですからね」
「それで、おまえは溶けてしまうのがこわいんだね?」
「どうでも好きなようにきめてください」ぼくはむっとして答えた。
「しからば、きめてやろう」とリーデンブロック教授はもったいぶって言った。「おまえでも誰でもそうだが、地球の半径がせいぜい一〇〇〇分の一二くらいまでのところがわかっているからといって、地球の内部でどういうことが起こっているかを正確に知っているとは言えないのだ。学問というものはいくらでも完全にすることができる。ということは、つまり、どんな学説も新しい学説によってたえずくつがえされるということだ。フーリエのころまでは、惑星をとりまく空間の温度はどこまでもさがってゆくのだと、考えられていたじゃないか。ところが今日《こんにち》では、大気圏の最低温度は零下四〇度か五〇度以下にはならないことがわかっているな。地球の内部の温度もそんなふうになってはいないとどうして言えるのかね? どんなに耐熱性の鉱物でも溶かしてしまうような温度まであがったりしないで、ある深さで、それ以上はあがらない限界温度に達するのではないと、どうして言えるのかね?」
叔父が問題を仮定の領域に移したので、ぼくはなにも答えることができなかった。
「いいかね、真の学者たち、とくにポワッソンなどの証明によれば、もしも地球の内部に二〇万度もの熱が存在すれば、溶融した物質から発する白熱ガスは非常な弾性を帯びるので、地殻はそれに耐えられないで、破裂してしまうだろう、蒸気の圧力でボイラーの壁が飛ぶのと同じだ、ということになっている」
「それはポワッソンの意見でしょう。それだけのことですよ」
「よろしい、だがな優秀な地質学者のなかにはまた、地球内部の構成はガスでも水でもないし、われわれの知っているもっとも重い岩石でもないという意見もあるのだ。そういう場合には、地球の重量はいまの二分の一になるはずだからというのだ」
「そりゃあ、数字ではなんでも好きなように証明できますよ」
「それじゃあ、おまえ、事実でいこう、それでも同じことじゃないかな? 火山の数は世界が始まって以来相当減っているというのは、動かせないところだろう。すると、内部に熱があるとしても、その熱が低下しているということになりはしないか?」
「叔父さん、叔父さんが仮定の話をなさるのなら、ぼくはもう議論することはありませんよ」
「だがな、言っておかなければならんのだが、わしの意見にはきわめて権威ある人たちの意見も加わっているのだ。有名なイギリスの化学者ハンフリー・デーヴィーが、一八二五年にわしを訪ねてきたときのことを覚えているかな?」
「そりゃ無理ですよ、ぼくが生まれたのはその一九年あとですもの」
「そうか、ハンフリー・デーヴィーはハンブルクに来ることがあって、わしに会いに来たんだが。わしたちはいろいろな問題のなかでもとくに、地球の中心核の流動性という仮説について、時間をかけて議論をしたのだ。わしたちは二人とも、そういう流動性はありえないと意見が一致した。いまだかつて科学が反論を見つけていない理由によってだ」
「そりゃあどんな理由ですか?」ぼくはいささかびっくりしてたずねた。
「そういう流動体は、海の水と同じように、月の引力に支配されるだろうからだ。そうすれば、したがって、一日に二度、地球の内部で潮汐《ちょうせき》が生じるだろう。それは、地殻を持ちあげて、周期的に地震を起こすはずだ」
「しかし、地球の表面がかつて燃焼状態にあったことは明らかです。ですから、まず外殻が冷えて、熱は中心部にこもったと仮定することができます」
「ちがう」と叔父は答えた。「地球は表面の燃焼によって熱せられたのだ。それ以外はありえん。かつて地球の表面は、カリウムやナトリウムのような、空気と水に触れただけで燃えあがる性質をもった大量の鉱物でできていたのだ。大気中の蒸気が雨となって地上に降ると、こういう鉱物が燃える。そうして、次第に、地殻の割れ目に水が浸みこんでいったとき、新たな燃焼が、爆発と噴火を伴なって起こったのだ。地球生成の初期に火山が多いのはそのためだ」
「それにしても、すばらしい仮説ですね!」やや心ならずも、ぼくは叫んでしまった。
「その仮説をな、ハンフリー・デーヴィーが、その場で、ごく簡単な実験をして、目のまえでたしかめてくれたのだよ。主としていま言ったような鉱物で球をつくって、地球そっくりの形にしてな。その表面に細かい霧を降らせたところ、それは膨張し、酸化して、小さな山が一つできた。その頂上に火口が開いたのだ。噴火が起こって、球全体に熱が伝わって、手で持っていることができないほどになった」
実のところ、ぼくは教授の述べる論証で動揺しだしていた。しかも、いつもながらの熱情と興奮をこめて、彼の弁論はいよいよひきたって聞こえたのだ。
「いいかい、アクセル」と叔父はさらに言った。「地球の中心部の状態がどうなっているかということは、地質学者のあいだにさまざまな仮説を生んだが、地球の内部が高温だということほど、根拠のない話はないのだ。わしに言わせれば、そんなものは存在しない、ありえないはずなのだ。しかしな、いずれそれもわかるのだ。アルネ・サクヌッセンムのように、この大問題をどう考えたらいいかをわしたちは知るのだ」
「そりゃあそうですとも!」叔父の興奮が伝染したなと感じながら、ぼくは答えた。「そうです、いずれわかるでしょう。でも、目に見えればですけどね」
「もちろん目に見えるさ。照明のために電気を利用できるじゃないか、それに、地球の中心に近づけば、気圧で空気が発光することも考えられるじゃないか?」
「そうですね」とぼくは言った。「そうです、そうかも知れませんね、結局のところ」
「そうにきまっているさ」と叔父は意気揚々と答えた。「だがな、黙っているのだぞ、いいな、このことは一切しゃべってはならん。わしたちよりまえに、地球の中心を見ようなんて考えを誰も起こしてはならんのだ」
記念すべき会談はこうして終わった。この会談でぼくは上気してしまった。ぼくはぼうっとしたようになって、叔父の書斎を出た。ハンブルクの町中《まちなか》は、気を取り直すのに風が足りなかった。それで、ぼくはエルベ川の川岸まで行った。ハンブルクから出る鉄道と市街とをつなぐ蒸気船の渡船場のそばだ。
ぼくは、たったいま聞いたことに納得しているのだろうか? リーデンブロック教授の貫禄《かんろく》に負けたのじゃないだろうか? 地球の中心に行こうという彼の決心を真面目《まじめ》に受けとるべきなのだろうか? ぼくがいましがた聞いたのは、気ちがいのばかげた空論なのか、それとも、偉大な天才の学問的な結論なのか? そのうちのどこまでがほんとうで、どこからがでたらめなのか?
ぼくは、このような互いに矛盾するいろいろな考えのあいだをふらふらと行き迷って、そのどれに行きつくこともできなかった。
そのうちに、興奮は鎮まりかけてきたが、自分が説きふせられたことを思いだした。しかし、いっそすぐにでも出発して、考えるひまなんかないほうがよかった。そうだ。そのときなら鞄《かばん》に荷作りする勇気は十分あったろう。
白状しなければならないが、一時間もたつと、この昂《たかぶ》りも消えた。神経の張りは弛《ゆる》んで、地下の深淵《しんえん》から、ぼくは地上に戻ったのだ。
「ばかばかしい!」とぼくは叫んだ。「非常識だよ! 分別のある青年に向かってするまともな提案じゃないな。こりゃあみんな根も葉もないことなんだ。ぼくはよく眠れなかったんで、悪い夢を見たんだ」
そんなふうにしているうちに、ぼくはエルベ川の岸をたどって、町をぐるっとひと回りしてしまっていた。波止場まで行ってから、アルトナ街道に出た。ある予感がぼくを連れてきたのだ、その予感は当たっていた。やがて、ぼくのいとしいグラウベンが、きびきびした足どりで、いそいそとハンブルクに帰ってくるのが見えた。
「グラウベン!」ぼくは遠くから呼んだ。
少女は立ち止まった。広い街道でこんなふうに呼ばれて、ちょっとどぎまぎしたのだと思う。ぼくは彼女のところに駆けていった。
「アクセルなの」彼女は驚いた顔をした。「まあ、迎えにきてくださったの! そうですのね、お殿さま」
だが、グラウベンはぼくを見つめると、ぼくの落ちつかない、とり乱した様子を見逃すはずはなかった。
「なにかあったの?」ぼくに手を差しのべて、彼女は言った。
「あったんだよ、グラウベン!」とぼくは叫んだ。
ごく手短かな説明で、じきにわが美しきフィルラント娘は事情を呑みこんだ。しばらくのあいだ彼女は黙りこんだ。彼女の心臓はぼくの心臓と同じように高鳴っていたのだろうか? それはわからないが、ぼくの手のなかの彼女の手は震えていなかった。ぼくたちは口をきかないで、百歩ほど歩いた。
「ねえ、アクセル」とうとう彼女が口をきった。
「うん、グラウベン」
「その旅行はきっとすばらしい旅行になると思うわ」
ぼくはこの言葉を聞いて、飛びあがった。
「そうよ、アクセル、学者の甥にふさわしい旅行だわ。男の人がなにか大きな冒険をして人に抜きんでるっていうのは、いいことよ」
「なんだって、グラウベン、きみはぼくがこんな冒険に出かけるのをとめないのかい?」
「ええ、とめないわ、アクセル、わたしが女の子で、あなたの叔父さまやあなたの足手まといになる心配がなかったら、喜んでついてゆくところだわ」
「え、ほんとうかい?」
「ほんとうよ」
ああ、女たちよ、若い娘たちよ、女心というやつはいつもわからない! きみたちはこの上なく気が小さいかと思えば、この上なく大胆なのだ! きみたちには理性なんてかかわりがないのだ。なんていうことだろう! こんな小娘が冒険旅行に行けとぼくを励ますなんて! 自分だって冒険をしたいところだなんて平気で言う! ぼくのことを愛しているのに、そのぼくを危険に追いやろうっていうのだ。
ぼくはめんくらってしまった。いや、はっきり言うと、恥ずかしくなったのだ。
「グラウベン」とぼくは言った。「あしたになっても、きみはいまと同じことを言うかしら?」
「あしただって、アクセル、わたしはきょうと同じことを言うわ」
グラウベンとぼくは、手をとりあって、しかし、すっかり黙りこんで、道をつづけた。ぼくはきょう一日の心の動揺で、くたくたになっていた。
「なんていったって」とぼくは考えた。「七月|朔日《ついたち》はまだ先のことだ。いまからそれまでには、いろんなことが起こって、叔父さんの地底旅行熱もさめるだろう」
ぼくたちがケーニッヒシュトラーセの家についたときは、もう日が暮れていた。いつものように叔父は床につき、女中のマルタが食堂に夜の掃除の羽根箒《はねぼうき》をかけ終えるころで、家はひっそりと静まっていることと思っていた。
ところが、ぼくは教授のせっかちな気性を勘定にいれていなかったのだ。家の入口になにか荷物をおろしている一団の運送屋のまんなかで、叔父がしきりに動きまわったり、どなったりしているのが目に映った。年とった女中はなにをどうしていいのかまごまごしていた。
「こら、アクセル、こっちへ来い。急ぐんだ、おい、しようのないやつめ!」叔父は遠くからぼくを見つけて、どなった。「おまえの荷作りはまだじゃないか。わしの書類も整理がついてないし、旅行鞄の鍵が見つからん。わしのゲートルも届いてないぞ!」
ぼくはあっけにとられてしまった。声が出なかった。やっとのことで、唇が動いて言葉がこぼれた。
「じゃあ、出発するんですね?」
「そうだ、肝心なときにいないで、散歩に行くなんて、ろくでなしめ!」
「出発ですか?」とかぼそい声でぼくは繰り返した。
「そうだ。あさっての朝早くだ」
それ以上聞いていられなかった。ぼくは自分の小さな部屋に逃げこんだ。
もう疑う余地はなかった。叔父は今日の午後を旅行に必要な資材や道具を調えるのに使ったのだ。少なくとも十人分はある、縄梯子《なわばしご》や、結び目のついたザイル、松明《たいまつ》、水筒、アイゼン、ピッケル、アルペン・シュトック、鶴嘴《つるはし》などで、玄関はごった返していた。
ぼくは惨澹《さんたん》たる一夜を過ごした。翌日、朝早く、ぼくを呼ぶ声が聞こえた。ぼくはドアを開けない決心をしていた。けれども、「ねえ、アクセル」と呼ぶ優しい声に、どう逆らえるものか?
ぼくは部屋から出た。ぼくのやつれた様子、蒼《あお》ざめた顔、睡眠不足の真赤な目を見れば、グラウベンには効果|覿面《てきめん》で、考えも変わるだろう、とぼくは思った。
「あら、アクセル」と彼女は言った。「元気そうだわ。夜よくおやすみになれたのね」
「おやすみになれたって?」とぼくはどなった。
鏡に飛んでいった。なんていうことだ、思っていたほどひどい顔ではなかった。信じられないことだった。
「アクセル」とグラウベンは言った。「わたしおとうさまとゆっくりお話したの。おとうさまは決断力のある学者だわ、とても勇気のある方よ。考えてちょうだい、おとうさまの血があなたの体にも流れているのよ。おとうさまは話してくださったわ、おとうさまの計画や期待や、なぜ、どうやって、目的を達成できると思うのかって。おとうさまはきっとやりとげられるわ、わたしそう思うの。ああ、アクセル、そんなふうに学問に捧《ささ》げるって、すばらしいことだわ!すばらしい名誉がリーデンブロック教授を待っているのよ、そうして、一緒にいらっしゃるあなたにも同じ名誉が輝くのだわ。帰ってらしたときには、アクセル、あなたはひとかどの人よ、おとうさまと対等になって、自由に話し、自由に行動し、そうして自由に……」
少女は、赤くなって、終わりまで言わなかった。その言葉を聞いて、ぼくは元気が出てきた。それでも、まだ自分たちが出発することを信じたくなかった。ぼくはグラウベンを教授の書斎へ引っぱっていった。
「叔父さん」とぼくはきいた。「ほんとうに出発することに決まったんですね?」
「なんだ、嘘《うそ》だと思っているのか?」
「そうじゃないですけど」叔父に逆らわないように言った。「ただ、どうして急ぐのかおききしたくて」
「時間だ! 時間がどんどんたって、とり返しがつかんのだ」
「でも、まだ五月二六日ですよ。六月の末までは……」
「なんだ、おまえは、わかっていないな、そんなに簡単にアイスランドに行けると思っているのか? おまえがきのうばかみたいにいなくなったりしなければ、コペンハーゲンの旅行案内所リフェンデル社に連れていったんだ。そうすりゃあ、コペンハーゲンからレイキャヴィク行きは、毎月二二日に一便しかないことが、おまえにだってわかったろう」
「それじゃあ、どうするんです?」
「だからだ、六月二二日を待っていたら、着くのが遅くなって、スカルタリスの影がスネッフェルスの火口に落ちるところを見られなくなる。だから、できるだけ早くコペンハーゲンに行って、なにか交通手段を見つけなきゃならんのだ。さあ、荷造りをしに行け!」
返す言葉もなかった。ぼくは自分の部屋に戻った。グラウベンがあとからついてきた。旅行に必要なものを小さな鞄にきちんとつめてくれたのは彼女だった。彼女はリューベックやヘルゴラントへちょっと旅行に行くほどにも騒ぎたててはいなかった。彼女のかわいい手が急ぐふうでもなく行ったり戻ったりした。彼女は静かにおしゃべりをした。ぼくたちの探検旅行のためを思ってこの上なく道理にかなった理屈をいろいろと聞かせてくれた。グラウベンはぼくを喜ばせようとしていたのだ。ところが、ぼくはかえって彼女にむしょうに腹が立ってきた。ときどき、ぼくは怒りを爆発させてやろうかと思った。だが彼女のほうは一向に気にもとめないで、平静に順序よく仕事をつづけていた。
ついに、鞄の最後のベルトが締められた。ぼくは階下《した》におりていった。
この日は一日じゅう、物理器具屋や、武器商、電気器具屋などで、ごった返した。女中のマルタはなにがなにやらわけがわからなくなっていた。
「だんなさまは頭がおかしくなられたのでは?」と彼女はぼくにきいた。
ぼくはそうだとうなずいた。
「それで、あなたもご一緒にお連れになるとか?」
またうなずく。
「それは、どこでございます?」と言う。
ぼくは地球の中心を指さしてみせた。
「地下室ですか?」と年とった女中は大きな声を出した。
「いいや」やっとぼくは口を開いた。「もっと下のほうさ」
夜になった。ぼくにはもう時間の流れの感覚がなかった。
「あすの朝、六時きっかりに出発だぞ」と叔父が言った。
一〇時に、ぼくはまるでいのちのない物体のように、ベッドへ転《ころ》がりこんだ。
夜のあいだ、またおそろしさがよみがえった。深い淵《ふち》の夢を見つづけた。ぼくはうなされた。教授のたくましい腕に掴まえられ、曳《ひ》きずられ、沈み、呑みこまれるのだった。宙に放り出された物体のように加速度がついて、ぼくは見当もつかずに深い断崖《だんがい》の底へと落ちてゆく。ぼくの一生は、もはや終わりのない墜落でしかなかった。
ぼくは五時に目を覚ました。疲れと興奮でくたくただった。食堂におりていった。叔父は食卓についていた。さかんにぱくついている。ぼくはなにかおそろしい気がして、叔父を見た。しかし、グラウベンもそこにいた。ぼくはなにも言わなかった。食事が喉《のど》を通らなかった。
五時半に、通りに車輪の音が聞こえた。アルトナの鉄道駅までぼくたちを乗せてゆく大きな馬車が着いたのだった。馬車は間《ま》もなく叔父の荷物でいっぱいになった。
「おまえの鞄はどうした?」と叔父が言った。
「支度はできてます」ぼくは力がぬけてゆくような気持ちで答えた。
「急いでおろしてくるんだ。汽車に乗り遅れさす気か」
いまとなっては運命に逆らうのは不可能に思えた。ぼくは部屋にあがっていった。階段の段々に鞄を滑らせて、ぼくも鞄に曳きずられて駆けおりた。
このとき、叔父は一家の『全権』を、厳かにグラウベンの手に託しているところだった。わが美しきフィルラント娘は、いつもながらの静かさを保っていた。彼女は養父に接吻《せっぷん》した。だが、やさしい唇でぼくの頬にそっと触れたときには、さすがの彼女もひと粒の涙を抑えることができなかった。
「グラウベン!」とぼくは叫んだ。
「行ってらっしゃい、アクセル、行ってらっしゃい」と彼女は言った。「お送りするのはあなたのフィアンセですけど、お帰りのときには、あなたの妻がお迎えしますわ」
ぼくは腕にグラウベンを抱きしめた。それから、馬車に乗りこんだ。マルタと少女は、戸口のところに立って、ぼくたちに最後のさよならをした。二頭立ての馬は、御者の口笛に勢いづいて、アルトナ街道へと一散に走りだした。
ハンブルクの郊外というにふさわしいアルトナは、鉄道のキール線の起点である。その鉄道でぼくたちはベルト海岸まで行くことになっていた。二〇分もたたぬまに、ぼくたちはホルシュタイン領に入っていた。
六時半に、馬車は駅前にとまった。叔父のたくさんの荷物、大量の旅行支度がおろされ、駅に運びこまれて、目方を計り、荷札をつけて、貨車に積みこまれた。そして、七時にぼくたちは同じ客室に向かいあって坐った。汽笛が鳴って、汽車は動きだした。いよいよぼくたちは出発したのだ。
ぼくは観念してしまったのか? まだそうではなかった。けれども、朝の風は涼しく、汽車のスピードにつれて飛ぶように変わる沿道の景色は、ぼくの心の重い思いを紛らせてくれた。
叔父の心は、そのはやる気持ちに比べればあまりにものろいこの列車より、はるかに先を走っていたにちがいない。客車にはぼくたち二人きりだったが、二人とも口をきかなかった。叔父はポケットや旅行鞄をばかに念を入れて調べ直していた。その様子では、計画の遂行に必要なものはなに一つ不足していなかったようだ。
とりわけ大事なのは、丁寧にたたんだ一枚の紙で、それは、教授の友人であるハンブルク駐在領事クリスティエンセン氏の署名のある、デンマーク領事館の公用|便箋《びんせん》だった。これによって、ぼくたちはコペンハーゲンでアイスランド総督への紹介状をたやすく手に入れられるはずだった。
書類入れの一番奥に例の文書が大切そうにしまいこんであるのがちらっと見えた。ぼくは心の底からそれを呪《のろ》った。それから、またぼくは景色を眺め始めた。たいして珍しくもない、単調で、泥土《でいど》質の、かなり肥沃《ひよく》な平原がつづいている。鉄道会社にとって非常に好都合な一直線の路線がとりやすい、鉄道を敷くにたいへん好適な土地である。
だが、こうした単調な景色にうんざりしているひまはなかった。出発後三時間して、汽車は海に近いキールにとまったからである。
ぼくたちの荷物はコペンハーゲン行きのチッキにしてあったので、荷物の世話をやく必要はなかった。それだのに、教授は、荷物が汽船に運ばれるあいだ、心配そうな目でそのあとを追っていた。荷物は船倉のなかに消えた。
叔父が、はやりにはやって、鉄道と船との連絡時間の計算をうまくやりすぎたので、まだ丸一日ひまつぶしをしなければならなかった。汽船エレノラ号は夜にならなければ出帆しないのだった。というわけで、九時間のいらいらが始まった。そのあいだじゅう、こらえ性のない旅行者は、船と鉄道の管理当局と、こういう無駄《むだ》を許しておく政府とを、くそみそに罵《ののし》りつづけた。このことで叔父がエレノラ号の船長と渡り合ったときは、ぼくも叔父と一緒になってがなりたてなければならなかった。叔父はいっときも無駄にしないで、汽罐《かま》をたけと言ったのだが、相手は、まあ散歩でもしてらっしゃいと、叔父を追っ払った。
もちろんキールでも、一日はよその土地と同じように流れるにきまっている。湾の奥に小さい市街が聳《そび》えているその緑の海岸を散歩したり、町をまるで枝葉のなかの鳥の巣のように見せている、ほどよく茂った森を歩きまわったり、いずれも冷水浴用の小屋を備えた別荘を感心して眺めたり、要するに、やたらに歩いて、悪態をついているうちに、やっと夜の一〇時になった。
エレノラ号の煙突の煙が、渦《うず》を巻いて空に広がっていた。汽罐の震動で甲板はかすかに震えていた。ぼくたちは乗船した。この船にあるただ一つの客室の二段ベッドの客である。
一〇時一五分に纜《ともづな》が解かれた。汽船は大ベルト海峡の暗い水の上をするすると進んだ。
暗い夜だった。風が強く、海は荒れていた。海岸の灯《ひ》が闇《やみ》のなかにいくつか見えた。やがて、どこだかわからないが、閃光《せんこう》燈台の光が波の向こうにきらめいた。このはじめての航海でぼくの記憶に残っているのは、これがすべてである。
午前七時に、ぼくたちはコルセーで船をおりた。ゼーラント島の西岸にある小さな町だ。そこで、ぼくたちは汽船からまた別の鉄道に跳び乗った。汽車はホルシュタイン公国の田園に劣らず平坦な土地を横切って、ぼくたちを運んで行った。
デンマークの首都に着くまで、まだ三時間の旅をしなければならない。叔父は昨夜は一睡もしなかった。早く早くと、叔父は足で汽車を押していたにちがいない。
とうとう、海がちらっとのぞいたのを叔父は見つけた。
「エレサンド海峡だ!」と叔父は声をあげた。
左手に病院らしい大きな建物があった。
「あれは精神病院ですよ」と乗客の一人が教えてくれた。
「なるほど」とぼくは思った。「ぼくたちはああいうところで生涯《しょうがい》を終わることになるわけだな。だけど、あの病院がどんなに大きくたって、リーデンブロック教授の気ちがい沙汰を全部入れるには、まだまだ小さすぎるな」
ついに、午前一〇時、ぼくたちはコペンハーゲンに足をおろした。荷物が馬車に積みこまれ、ぼくたちともども、ブレット=ガーレ街のフェニックス・ホテルに運ばれた。それに三〇分を要した。駅は市外にあったからである。それから、叔父は簡単に身じまいを整えると、ぼくについてこいと言った。ホテルの玄関番は英語とドイツ語を話したが、教授は、諸国語に通じた人らしく、きちんとしたデンマーク語で玄関番にたずねた。したがって、相手もきちんとしたデンマーク語で北方古代博物館の場所を教えた。
古代石器の武器や、台つきの大盃や、宝石など、この国の歴史を再現させる逸品がたくさんつまった、この珍しい施設の館長は、学者で、ハンブルク駐在領事の友人、トムソン教授だった。
叔父はこの人物にあてた熱のこもった紹介状を持っていた。通常、学者はよその学者をあまり歓迎しないものだ。しかし、ここでは大ちがいだった。トムソン氏は気さくな人で、リーデンブロック教授ばかりか、その甥までも、ねんごろに迎えてくれた。この立派な博物館長に対しても、秘密が守られたことは、言うまでもない。ぼくたちは、なんの下心もないもの好きとして、アイスランドをただ見物したいのだということにしてあった。
トムソン氏はぼくたちの言うとおりにすっかりとり計らってくれた。そして、ぼくたち三人は出港まぎわの船がないかと、波止場を駆けまわった。
渡航の手段がどうしても見つからないことを、ぼくは期待していた。だが、そうはいかなかった。デンマーク籍の小さなスクーナー船で、ヴァルキリー号というのが、六月二日にレイキャヴィクに向けて出帆することになっていた。ちょうど船長のビャルネ氏が船にいあわせた。やがて船の乗客になる叔父は、もう喜んでしまって、船長の手を骨が砕《くだ》けるほど握りしめた。そんなふうな握手をされて、この律気な船長は少々びっくりした。それが自分の仕事なのだから、アイスランドへ行くことなど、彼はごく簡単なことだと思っていたのだ。ところが叔父のほうでは、それをたいへんすばらしいことと考えていたのである。尊敬すべき船長は叔父がのぼせあがっているのにつけこんで、ぼくたちに二倍の船賃を払わせた。だが、ぼくたちはそんなことにはろくろく気づきもしなかった。
「火曜の朝、七時に乗船してください」しこたまお金をポケットにしまいこんでから、ビャルネ氏は言った。
そこで、ぼくたちはトムソン氏の親切な計らいにお礼を言って、フェニックス・ホテルに帰った。
「うまくいった! とてもうまくいった!」と叔父は何度も言った。「なんとも運のいいめぐり合わせだな、出航まぎわのあんな船が見つかるなんて! さあて、飯を食おう、それから町の見物だ」
ぼくたちはいびつな形をしたコンゲンス=ニエ=トルヴ広場に行った。そこは哨所のあるところで、誰が見たって少しもこわくない、かわいらしい大砲が二門にらんでいる。そのすぐそばの、五番地に、ヴァンサンという名前のコックがやっている、フランス料亭があった。ぼくたちはそこで、一人前四マルクという手ごろな値段で、たっぷりと食べた。
それから、ぼくは町を歩きまわって、子供のように楽しんだ。叔父は牛に曳かれてといったあんばいだった。だいたい、叔父はなにも見やしないのだ。たいしたこともない王宮も、博物館前の運河をまたいでいる十七世紀の美しい橋も、ぞっとするような壁画で飾られ、なかにその作品を収めてある彫刻家トルヴァルセンのあの巨大な記念廟も、なかなか美しい公園のなかにあるローゼンボルクのしゃれたお城も、株式取引所のみごとなルネッサンス式の建物も、四匹の青銅の龍が尾を絡《から》ませているその鐘楼も、城壁の上で海からの風をうけて、大きな翼を船の帆のようにふくらませている見上げるような風車も、一切合財なんにも見やしないのだ。
ぼくの美しいフィルラント娘と一緒だったら、二重甲板の船や三本マストの快速船が赤いカヴァーをかぶせて静かに眠っている港のあたりや、海峡の緑したたる海岸、|にわとこ《ヽヽヽヽ》や柳の枝葉のあいだに大砲の黒ずんだ筒先をのぞかせて、城砦がひっそりと隠れている影濃く茂った木立のあいだを、ぼくたちは二人して、どんなにか楽しい散歩をしたことだろう!
だが、悲しいかな、ぼくのグラウベンははるか遠くにいる。そして、ぼくは彼女の顔をもう一度見られると考えていいのだろうか?
そのうちに、こういう心をそそる風景には全然目もとめなかったくせに、叔父はコペンハーゲンの南西部をなすアマク島に聳《そび》える、とある鐘楼を見て、ひどく感銘を受けたようだった。
そっちを目ざして行けという命令がくだり、運河を就航する小さなポンポン蒸汽に乗った。船はほどなく造船所の波止場についた。
狭い道をいくつか通り抜けていくと、そこには黄色と灰色の縞《しま》のズボンをはいた囚人たちが看守の棍棒《こんぼう》に見張られて働いていたが、やがてフォル=フレルセルス=キルクのまえに出た。この教会には目に立つようなところはなにもない。それだのに、かなり高いその鐘楼が教授の注意をひいたわけというのは、こうだ。平屋根のところから、尖塔《せんとう》を巻くように外階段がついていて、それが螺旋《らせん》状に天空めがけて延びているのだ。
「のぼろう」と叔父は言った。
「でも、目が回りませんかね?」とぼくは言ってやった。
「それもあるな、それにも慣れなければならん」
「でもねえ……」
「こいと言っているんだ。ぐずぐずするんじゃない」
言うとおりにせざるをえなかった。通りの向かいに住んでいる堂守がぼくたちに鍵をくれ、登攀《とうはん》が始まった。
叔父はすばしこい足どりで先に立った。ぼくはおっかなびっくりあとからついていった。情ないほど簡単に目が回る。ぼくは鷲《わし》のような平衡《へいこう》感覚も、動じない神経も持ちあわせてはいないのだ。
建物の内側の螺旋階段をのぼっているあいだは、万事順調だった。だが、一五〇段のぼりつめると、風が顔に吹きつけてきた。鐘楼の平屋根のところについたのだ。そこから空中の階段が始まっていた。いまにも折れそうな手摺《てすり》はついていたが、段々は上にいくほど狭くなって、無限に向かってのぼっていくかのようなのだ。
「とても駄目です!」とぼくはどなった。
「そんな腰抜けなのか? まさかな。さあ、のぼるんだ」教授の無慈悲な返事だった。
しがみついてでも、叔父についていかねばならなかった。広い空に目がくらくらした。突風を受けて塔が揺れているのがわかった。足から力が抜けた。そのうちぼくは四つん這《ば》いになった。次には腹這いになってよじのぼった。目はつぶりきりだった。宙に浮いたように気持ちが悪かった。
とうとう叔父がぼくの襟《えり》がみをつかんで引っぱった。てっぺんの擬宝珠《ぎぼうしゅ》のそばにたどりついたのだ。
「目をあけて見ろ」と叔父は言った。「しっかり見るんだ! 奈落の底をのぞく勉強をしとかなけりゃあならん!」
ぼくは目をあけた。煙のかすんでいるなかに、家々が空から落ちて潰《つぶ》れたみたいに平べったく見えた。頭の上をちぎれ雲が走っていく。目の錯覚で、雲がとまっていて、この鐘楼や擬宝珠やぼくのほうが、途方もない速さで曳きずられているような気がした。遠くを見ると、一方には緑たわわな田園が広がり、反対側にはさしこむ光を浴びて海が輝いていた。エレサンド海峡はヘルシンゲル岬まで延び、鴎《かもめ》の翼さながらに、白い帆が点々と浮かび、東の方、靄《かすみ》に包まれて、スウェーデンの海岸がかすかにぼやけてうねっている。この広大な景色全体がぼくの目には渦を巻いているようだった。
ともかく、立ち上って、しゃんとして、見なければならない。目まいに耐えるぼくの第一回目の訓練は一時間つづいた。下におりて、通りの固い石畳に足をつけることをやっと許されたとき、ぼくはくたくただった。
「あしたまたやろう」と教授が言った。
事実、五日のあいだ、この目まいの訓練をぼくは繰り返した。そして、否応なしに、『高所からの観望』術にめざましい進歩をとげたのだった。
出航の日が来た。その前日、親切なトムソン氏は、アイスランド総督のトラムペ伯爵、司教補佐のピクトゥルソン氏、それからレイキャヴィク市長のフィンセン氏にあてた、懇篤《こんとく》な紹介状を持ってきてくれた。お返しに、叔父はこの上なく熱烈な握手で酬いた。
六月二日、午前六時、ぼくたちの大事な荷物がヴァルキリー号に積みこまれた。船長はぼくたちを、甲板にのせた小屋といったあんばいの、かなり狭い船室に案内した。
「風の具合はいいですか?」と叔父がたずねた。
「上々ですよ」とビャルネ船長は答えた。「南東の風ですからね。帆を全開にしてちょうど斜うしろから風を受けてエレサンド海峡を出ますよ」
しばらくすると、このスクーナー船は、前檣帆《ミゼーヌ》、後斜桁帆《ブリガンテイン》、中檣帆《ユニエ》、ペロケをあげ、帆いっぱいに風を受けて、海峡に出た。一時間もすると、デンマークの首府は、はるかな波のあいだに沈んでゆくように見え、ヴァルキリー号はヘルシンゲルの海岸に沿って進んだ。神経がたかぶっていたぼくは、あの伝説的な城壁の上にさまようハムレットの亡霊が見えそうな気がしていた。
「気高き狂える人よ!」とぼくは語りかけた。「おんみならば、かならずやわれらを嘉《よみ》したまうであろう。おんみならば、あるいはわれらのあとを追って、地球の中心に赴き、おんみの永遠の疑問の答を求めるであろう!」
むろん、古い城壁の上にはなにも現れなかった。第一、この城は、デンマークのあの英雄的な王子よりもはるかに新しい時代のものなのだ。いまは、毎年一万五千隻もの各国の船が通るこのエレサンド海峡を見張る、監視人用の贅沢《ぜいたく》な住まいとして使用されている。
やがて、クロンボルクの城も、スウェーデン海岸に聳えるヘルシンボルイの塔も、霧のなかに消え、スクーナー船はカテガト海峡から吹く風に軽く傾いた。
ヴァルキリー号はほっそりと姿のいい帆船だった。だが帆船というやつはどういうことになるかわからないものである。この船は、レイキャヴィクに、石炭、日用品、陶器、羊毛の衣類、小麦などの積荷を運んでいた。乗組員は五人で、みなデンマーク人だったが、この船の操縦にはそれで十分だった。
「航海はどのくらいかかりますかな?」と叔父が船長にたずねた。
「十日ぐらいですよ」と船長は答えた。「フェレエルネ諸島を吹きぬける北西の突風にひどく見舞われたりしなければの話ですがね」
「つまり、ひどく遅れるようなことはまずないってことですね?」
「ええ、リーデンブロックさん、だいじょうぶ、ちゃんとつきますよ」
夕方、スクーナー船はデンマークの北端スカエン岬を廻り、夜のうちにスカゲル=ラク海峡を通過、ノルウェーの南端をリンネス岬に沿って進み、北海に出た。
二日後、ぼくたちはピーターヘッドの沖でスコットランド海岸を認めた。そして、ヴァルキリー号はオークニー諸島とシェトランド諸島のあいだをぬけて、フェレエルネ諸島に向かった。
やがて、ぼくたちのスクーナー船は大西洋の荒波にもまれた。船は北風に逆らって、ジグザグに進まざるをえず、やっとのことでフェレエルネ諸島にたどりついた。六月八日、船長はフェレエルネ諸島の一番東にあるミガンネス島を認め、このときから、船はアイスランド南岸のポートランド岬に向けてまっすぐ進んだ。
航海はたいしたことも起こらなかった。ぼくは海の手荒い歓迎にかなりよく耐えたが、叔父のほうは船酔いのしつづけで、大いにくやしがり、またそれ以上にひどく恥ずかしがっていた。
それで、叔父は、スネッフェルス山のことや、交通手段、運送の便利さなどについて、ビャルネ船長と話をすることができなかった。こうしたことを聞くのを船がつくまで延ばさざるをえず、叔父は、大きく縦ゆれするたびに仕切り壁がぎしぎしと鳴る船室で、いつも横になっていた。はっきりと言えば、ちょっぴり罰《ばち》が当たったのだ。
六月一一日、ぼくたちはポートランド岬を望んだ。天気はちょうど快晴で、岬を見おろすミールダルス・ヨークルの山がよく見えた。岬はけわしい斜面の大きな丘になっていて、海岸にそれだけがぽつんと生《は》えたみたいだった。
ヴァルキリー号は、海岸からしかるべき距離をとって、鯨《くじら》や鮫《さめ》のうようよと群がるなかを、西に向けて進んだ。ほどなく、ぽっかりと穴のあいた巨大な岩が姿を見せた。その穴を突きぬけて、泡《あわ》だつ海が怒り狂っていた。ウェストマン諸島の小島が、水の野原に岩をばらまいたように、大海原から突きだして見えた。ここで、スクーナー船は岸から離れ、アイスランドの西端にあたるレイキャヴィク岬を、十分な距離をとって迂回《うかい》した。
海はひどく荒れていたので、叔父は甲板にあがって、いつも南西の風に叩かれて鋸《のこぎり》の歯のようになったこの海岸を眺めることもできなかった。
四十八時間後、スクーナー船が帆を巻いて逃げまどうほかなかった嵐《あらし》からやっとぬけ出すと、東のほうにスカゲン岬の航路標識が見えた。そこは危険な岩礁《がんしょう》が波の下に遠くまではり出しているのだ。アイスランド人の水先案内人が乗船し、三時間後に、ヴァルキリー号はファクサ湾内レイキャヴィク沖に錨《いかり》をおろした。
やっと教授は船室から出た。少し青ざめ、少しやつれてはいたが、相変わらず興奮のていで、目には満足の色をたたえていた。
町の人々は、だれも船からなにかしら受けとるものがありはするのだけれども、船の到着におかしいほどの関心を見せて、波止場に集まってきた。
叔父は、彼にとって病院とはいわないまでも、浮かぶ監獄にひとしかった船からさっさとおさらばしようとしていた。だが、スクーナー船の甲板を離れるまえに、ぼくを舳先《へさき》へひっぱってゆくと、湾の北のほうにある高い山を指さした。そこには万年雪をいただく二つの峰がそそり立っていた。
「スネッフェルスだ!、スネッフェルスだ!」と叔父は叫んだ。
それから、絶対しゃべるんじゃないぞと身振りでぼくに命じておいて、叔父は待っているボートにおりていった。ぼくも叔父につづいた。まもなく、ぼくたちはアイスランドの土を踏みしめた。
まず最初に現れたのは、将軍のような服装をした立派な様子の人であった。だが、その人は単に文官で、この島の総督トラムペ男爵《だんしゃく》閣下じきじきのお出ましだったのである。教授は相手が何者であるかを覚った。彼はコペンハーゲンでもらった紹介状を総督にさし出して、デンマーク語で短い会話を交した。当然のこと、ぼくには皆目わからなかった。しかしこの最初の会談の結果、こういうことになった。つまり、トラムペ男爵はリーデンブロック教授の便宜をなんでもはかるというのである。
叔父は市長のフィンセン氏からもたいへん温かい歓迎を受けた。この人も総督と同じように服装からは軍人みたいだったが、性質も職掌もいたって平和的な人だった。
司教補佐のピクトゥルソン氏は目下のところ北の管轄区に巡回旅行をしていたので、当面彼にひき合わせてもらうことは諦《あきら》めねばならなかった。だが、レイキャヴィクの学校の自然科学の先生でフリドリクソン氏という人が、好人物で、この人の尽力がたいへんぼくたちに貴重なものとなった。この控えめな学究はアイスランド語とラテン語しか話さなかったのだが、そのホラティウスの言葉でなにくれとなくぼくの世話をやいてくれ、ぼくはこの人とはうまが合うと感じた。事実、アイスランドに滞在しているあいだに、ぼくが話し合うことのできたのは、この人だけだった。
このすてきな人物が、三部屋しかない自分の家の二部屋を、ぼくたちに提供してくれたので、まもなくぼくたちは荷物ともどもそこに落ち着いたのだが、その大量の荷物にはレイキャヴィクの町の人たちもいささかびっくりしたようだった。
「どうだい、アクセル」と叔父は言った。「うまくいくぞ。一番の難問は片づいたからな」
「えっ、一番の難問が片づいたんですって?」
「もちろんだ、あとはもうおりるだけだ」
「そういうふうに考えれば、そりゃそうでしょうが、でも、結局、おりていったら、またあがってこなければいけないでしょう?」
「なんだ、そんなことはたいして心配にはならんよ。さあて、ひまつぶしをしている時間はないぞ。わしはこれから図書館に行く。おそらくサクヌッセンムの自筆本かなにか見つかるだろう。そういうのに当たればいいんだが」
「では、そのあいだ、ぼくは町を見物に行ってきます。叔父さんも見物しませんか?」
「いや、あまり気が進まんね。このアイスランドの土地で興味があるのは、地上じゃあない、地下なんだ」
ぼくはおもてに出、足の向くほうへぷらぷらと歩いた。
通りが二本しかないレイキャヴィクの町で道に迷うのは、めったにできることではあるまい。当然ぼくは道をたずねるような破目にはならなかった。身ぶり手まねできいたりすれば、かえって見当ちがいのもとになるところだ。
この町は、二つの丘陵のあいだの、かなり低くて沼の多い土地の上に、長くのびている。大きな熔岩流が町の片側にかぶさるようにして、ゆるい傾斜で海へと落ちこんでいる。反対側は広いファクサ湾が開け、その北を巨大なスネッフェルス氷河が限っている。湾内にこのとき投錨《とうびょう》していたのは、ヴァルキリー号だけだった。ぶだんなら、イギリスとフランスの漁業監視船が沖に停っているのだが、このときは島の東海岸で任務に当たっていた。
レイキャヴィクの二本の通りのうち、長いほうの通りは、海岸と平行に走っている。そこは、赤い梁《はり》を水平に張った木造の小屋が並び、小売商人や卸商人たちが住んでいる。もう一本の通りは、その西側にあって小さな湖のほうにのびており、司教そのほか商業に関係のない人たちの家が並んでいる。
ぼくはじきに、この陰気でもの悲しげな通りを端から端まで歩いてしまった。ところどころに使い古してすりきれた毛の絨毯《じゅうたん》のような色あせた狭い芝生や、菜園のようなものを見かけた。そこにちょろちょろと植わっている、じゃがいもやキャベツやレタスは、リリパット国の食卓なら、まあ大きな顔して出てこようといった程度のものだ。ときおり目につく威勢の悪い|においあらせいとう《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》も、わずかな陽ざしを懸命に求めようとしていた。
店屋《みせや》の通りではないほうの、通りのまんなかあたりに、土塀《どべい》に囲まれた共同墓地があったが、墓地のあきはまだいくらでもあった。そこから、ほんの少し行ったところが総督の家だった。ハンブルクの市役所にくらべればあばら屋だが、アイスランドの住民たちの小屋と並べば御殿である。
小さい湖と町とのあいだに、教会が立っていた。手間賃なしで火山が吹きだしてくれる焼け石でつくった、プロテスタント趣味の建物だったが、きっと強い西風が吹くたびに、その赤い瓦《かわら》屋根は空中に吹き飛んで、信者たちは大損害をしたにちがいない。
近くの高台に国立学校が見えた。あとでぼくたちの宿の主人から聞いたのだが、その学校では、ヘブライ語、英語、フランス語、デンマーク語の四か国語を教えているそうだ。恥ずかしながら、ぼくはそのどの言葉もひと言も知らない。ぼくがこの小さな学校の四〇人の生徒のなかに入ったら、きっとびりっけつで、あの戸棚みたいな二段ベッドに彼らと一緒にもぐりこむ資格もないことになりそうだ。もっともあのベッドでは、多少敏感な人なら、最初の晩から息がつまってしまうことだろうが。
三時間もたつと、ぼくは町ばかりか、町の周辺まで、すっかり見てしまった。全般的な町の様子は妙にもの悲しかった。木がないのだ、いわば、植物というものがない。いたるところ火山岩の鋭い角《かど》ばかりなのだ。アイスランド人の小屋は土と泥炭でできていて、その壁は内側に傾いている。まるで地べたに屋根をじかに置いたような恰好だった。そして、この屋根だけが、ほかにくらべれば肥えた草原なのだ。住居のなかからの熱のせいで、屋根の上にかなりよく草が生える。干し草を作る時期には、その草を入念に刈る。そうしないと、家畜たちがこの緑の屋根に草を食べにやってくるのだ。
こうして歩き回っているあいだ、ぼくはほとんど人に遭わなかった。商人たちの通りに戻ってきて、見ると、住民の大部分が、ここの主要輸出品である鱈《たら》を、干したり、塩づけにしたり、荷造りしたりしていた。男たちはたくましいが、鈍重そうで、自分のことを人間社会から仲間はずれになったように感じている、思わしげな目つきの金髪のドイツ人といったところだ。この氷の土地に追いやられた哀れな流れ者たちは、なにしろ極北の果てで暮らさなければならないのだから、自然とエスキモーのようになったのだと思う。ぼくは、彼らの顔に微笑が浮かぶのを掴まえようと思ったが、駄目だった。彼らはときどき、心ならずも筋肉をひきつらせたようにして笑いはするのだが、微笑することは決してなかった。
彼らの服装は、スカンディナヴィアの国々で『ヴァドメル』という名で知られている、黒い毛のごわごわした上っ張り、つばの広い帽子、赤いふちのついたズボン、それに皮を折りたたんで、靴《くつ》のようにしてはいている。
女たちは、悲しげな諦めきったような顔つきで、わりに感じはいいほうだが、表情がなく、着ているものは、暗い色の『ヴァドメル』の胴着とスカートだった。娘たちは、おさげに編んだ髪に、茶色の毛糸の小さな縁なし帽をかぶっている。結婚した女たちは、色もののスカーフで頭を包み、白いきれの飾りをその上につけていた。
たっぷり散歩をすませて、フリドリクソン氏の家に戻ってみると、叔父はもう家の主人と話しこんでいた。
一〇
食事の用意ができていた。リーデンブロック教授はがつがつと平らげた。船では心ならずも絶食していたので、胃袋が底なしの穴になっていたのだ。アイスランドふうというよりはデンマークふうだったこの食事は、食事としては別にとりたてて言うほどのことはなかったが、デンマーク人というよりはアイスランド人であったこの家の主人は、親身に客をもてなす昔の人を思わせた。ぼくたちのほうが主人公よりも自分の家にいるみたいだ、とぼくは思った。
会話はこの土地の言葉で交されたが、ぼくにわかるように、叔父はときどきドイツ語を混ぜ、フリドリクソン氏はラテン語を混ぜてくれた。学者同士にふさわしく、話題は学問上の問題をめぐったが、リーデンブロック教授の用心ぶりはたいへんなもので、ひとこと言うごとに、目くばせをして、これからの計画のことは絶対に洩らすなと、ぼくをにらむのだった。
最初に、フリドリクソン氏は、図書館での調べものの結果を叔父にたずねた。
「あなた方の図書館ときたらなんです!」と叔父はどなった。「まるでがらんとした棚《たな》に半端な本があるだけじゃないですか」
「なんですって!」フリドリクソン氏は答えた。「あそこには八千冊からの本があるのですよ。なかには貴重で珍しいものもたくさんある、古代スカンディナヴィア語で書かれた文献とか、それに、新刊書は全部、毎年コペンハーゲンから送ってもらっていますよ」
「どこにその八千冊はあるんですか? わたしの見たところ……」
「ああ、それは、リーデンブロック先生、本は国中を回っているんですよ。この古い氷の島は、勉強好きでしてね。百姓だって、漁師だって、読み書きのできない者は一人もいません。みんな本を読むんですよ。わたしたちの考えでは、本というものは、読みたい人の手のとどかない鉄格子のなかでかびだらけにしておくのじゃなくて、読む人の目の下でよごれるためにあるんです。ですから、あそこの本は、手から手に渡り、ページをめくられ、何度も何度も読まれるんです。ときには、一年も二年もしないと、棚に戻ってこないことも珍しくありません」
「じゃあ、そのあいだ」と叔父はなにやらくやしそうに言った。「外国の人間はどうなるんです……」
「そんなこと、あなた! 外国の方はそれぞれのお国に図書館をお持ちでしょう。ともかくまず、わが国の農民が勉強しなければならないのです。繰り返すようですが、アイスランド人の血のなかには勉強好きの血が流れているのです。ですから、一八一六年にわが国では文芸協会が設立されたのですが、これがなかなかうまくいっていましてね、外国の学者の方々もこの協会の会員になるのを名誉とされています。協会では、わが国の国民を教育するための本をいろいろ出版したりして、国のために大いに役立っているんです。リーデンブロック先生、もし先生が協会の通信会員になってくださったら、そりゃあもう、わたしどもは大喜びですよ」
叔父は、すでに百くらいの学会の会員になっていたが、快く承諾したので、フリドリクソン氏は感激した。
「ところで」とフリドリクソン氏は言葉をついで言った。「先生がわたしどもの図書館でお探しになっていた本の名を教えていただけませんか。もしかしたら、なにかわたくしにわかることがあるかもしれません」
ぼくは叔父を見つめた。彼は答えるのをためらった。それは叔父の計画に直接触れることだった。けれども、十分考えたすえ、叔父は話すことに決心した。
「フリドリクソンさん」と叔父は言った。「あなた方の古い書物のなかに、アルネ・サクヌッセンムのものがありはしないか、わたしは知りたかったのですよ」
「アルネ・サクヌッセンムですと!」レイキャヴィクの先生は言った。「十六世紀のあの学者のことをおっしゃっておいでなのですね、偉大な自然科学者であり、偉大な錬金術師であり、さらに偉大な旅行家であったあの?」
「そうですとも」
「アイスランドの文学と科学のほまれである人ですね?」
「おっしゃるとおりです」
「天下に名のとどろいた?」
「もちろんです」
「しかも、その天才にも匹敵する豪胆無比な?」
「よくご存じのようですな」
叔父は、自分の敬愛する人物がこんなふうに言われるのを耳にして、嬉《うれ》しくてもうわくわくしていた。目でフリドリクソン氏を食べちゃいそうだった。
「それでですが」と叔父はたずねた。「彼の著作は?」
「ああ、彼の著作はないのです」
「なんですと! アイスランドにない?」
「アイスランドにも、よそのどこにも存在しないのです」
「そりゃあ、また、なぜです?」
「アルネ・サクヌッセンムは異端のかどで迫害されたのです。そして一五七三年に彼の著作はコペンハーゲンで刑吏の手で焼かれてしまいました」
「うん、そりゃあいい! 言うことなしだ!」と叔父が叫んでしまって、博物学の先生はすっかり鼻白んだ。
「どういうことです?」とフリドリクソン氏は言った。
「それですよ! それですべての説明がつく。すべて脈絡がついて、すべてが明らかなりますよ。わかりました、なるほどねえ、サクヌッセンムは、禁書処分にあって、その天才的な発見を隠さざるをえなくなって、それでわけのわからない暗号文のなかに埋めなければならなかったんだ、秘密を……」
「秘密って、なんです?」フリドリクソン氏が勢いこんできいた。
「秘密っていうのは、あの……そのですな……」叔父は口ごもって言った。
「なにか特別の資料でもお持ちなのですか?」と宿の主人はたたみかけた。
「いいや……なに、ただの仮定の話をしただけですが」
「そうですか」フリドリクソン氏は、相手がへどもどしているのを見て、親切にもしつこくきかなかった。そして、こうつけ加えた。「わたくしたちの島の鉱物学の豊庫を十分汲みつくされるまで、お帰りにならないでいただきたいものですね」
「もちろんです」と叔父は答えた。「ですが、わたしは来るのが少々遅かったようですな。ここにはいままでいろんな学者が来られたでしょう?」
「そりゃあそうですよ、リーデンブロック先生。オラフセン、ポヴェルセン両氏が国王の命令で果された業績、トロイルの研究、フランスの軍艦『ラ・ルシェルシュ』に乗りくんだゲマール、ロベール両氏の科学調査団、それから最近では、フリゲート艦『ラ・レーヌ・オルタンス』に乗りこんだ学者たちの観察などが、アイスランドを知るのにたいへんな寄与をしています。でも、やるべきことはまだまだあります、そりゃあもう」
「そうですかねえ?」叔父は、目の輝くのをやわらげようと努めながら、人のよさそうな様子で言った。
「そうですとも、研究すべき山や、氷河や、火山がたくさんあるのに、ろくに知られていません。たとえば、ほら、なにも遠くへ行かなくても、ごらんなさい、あの山、地平線に聳えているあれです。スネッフェルスといいますが」
「ほう、スネッフェルスですか」と叔父は言った。
「ええ、たいへん興味のある火山ですが、火口までのぼる人はめったにいません」
「死火山ですか?」
「そりゃあ、五〇〇年来噴火しておりません」
「なるほど、なるほど」と叔父は答えた。宙に跳びあがらないように、懸命になって脚を組んでいる。「では、わたしの地質学の研究はそこから始めてみたいですな、そのセフェル……、いやフェセルでしたか……なんと申しましたかな?」
「スネッフェルスです」人間の出来が上等なフリドリクソン氏はそう答えた。
この一連の会話はラテン語で交されたので、ぼくにも全部わかった。叔父がいまにも溢《あふ》れようとする嬉しさをこらえているのを見て、ぼくは真面目くさった顔を崩さないのがやっとだった。叔父はつとめてとぼけたふりをしていたが、まるで年取った悪魔のしかめ面《つら》そっくりだった。
「そうですか」と叔父は言った。「お話をうかがって、決めましたよ。そのスネッフェルスとかにのぼってみることにしますよ、なるべく火口の調査もしてみるつもりです」
「たいへん残念なのですが」とフリドリクソン氏は言った。「わたしは仕事があって、ここを留守にすることができません。勉強にもなりますし、喜んでお伴したいところなのですが」
「いや、いや、とんでもない!」叔父は急いで言った。「どなたにもご迷惑はおかけしたくないのです、フリドリクソンさん。心からお礼を申し上げます。あなたのような学者にいていただければ、そりゃ大助かりでしょうが、大切なお仕事がおありなのですから……」
ぼくは、ぼくたちの宿の主人が、アイスランド人らしいきれいな心で、叔父のがさつな言いぬけに気づかなかったのだ、と思いたい。
「リーデンブロック先生、あの火山からお始めになるというのは、大賛成です」と彼は言った。「あそこなら、面白《おもしろ》い観察がいくらでもなされますよ。ですが、あのー、どうやってスネッフェルス半島までおいでになるおつもりですか?」
「海からのつもりですが、湾を渡って。それが一番の早道でしょうが」
「そうですが、それはできない相談です」
「なぜです?」
「レイキャヴィクには一艘《いっそう》のボートもないのです」
「なんてことだ!」
「陸から、海岸づたいに行くほかないでしょう。遠まわりになりますが、そのほうが面白いですよ」
「そうですか。案内人を見つけることにしましょう」
「お奨《すす》めできるのが一人います」
「しっかりした男ですな、頭のいい?」
「ええ、あの半島の住人です。毛綿鴨《けわたがも》の猟師ですが、たいした腕でしてね。きっとご満足いただけますよ。デンマーク語を上手に話します」
「で、いつその男に会えますか?」
「よろしければ、あしたにでも」
「どうしてきょうではいけませんか?」
「あしたでなければ来ないのです」
「それでは、あす」と叔父は溜息《ためいき》をついて、言った。
それからまもなくして、この重要な会談は、ドイツの教授のアイスランドの教授への熱烈な感謝の言葉でしめくくられた。この晩餐《ばんさん》のあいだに、叔父はいろいろと大事なことを知ったのだ。とりわけ、サクヌッセンムに関する話、ああいう不思議な文書が作られた理由、それからまた、この家の主人が探検に同行しないこと、あすになれば案内人がつかまることなど。
一一
その晩、ぼくはレイキャヴィクの海岸をちょっと散歩して、早目に帰ると、厚い板張りのベッドに横になり、ぐっすり眠りこんだ。
目を覚ますと、隣の部屋で叔父がさかんにしゃべっている声が聞こえた。すぐ跳び起きて、急いで叔父のところに行った。
叔父は、がっちりとした体格の背の高い男と、デンマーク語で話していた。この大男はそうざらにはない力の持主にちがいなかった。たいそう大きくてなかなか素朴《そぼく》な顔をしていて、くぼんだ目は賢そうだった。夢見るような青い目だ。イギリスでも赤毛といってとおりそうな長い髪が、力士のような肩に垂れている。この土着民はしなやかな身ごなしを見せていたが、身ぶりを使って話すことを知らないのか、そういうことを軽蔑《けいべつ》しているのか、腕など動かすことがほとんどない。見るからに落ち着きはらった性質らしく、それも、感じ方が鈍《にぶ》くてというのではなく、おだやかなのだ。この男は、誰にもなんにも要求したりすることはなく、自分の好きで働き、この世のなかで、自分の考えが度を失ったり、乱されたりすることのない人間、という感じだった。
熱っぽくまくしたてる相手の話に耳をかたむけているこのアイスランド人の態度から、ぼくはこうした性格の陰影を感じとったのである。叔父の身ぶりいっぱいのおしゃべりをまえにして、この男は腕を組んだままじっと動かない。相手の言うことに反対のときには、首を左から右に振る。賛成のときには、首をまえに傾けるのだが、それもごくわずかなので、長い髪がほとんど揺れない。まるで、出し惜しみと言いたいほどの動作の節約ぶりだった。
どうも、この男を見ただけでは、職業が猟師だとは、ぼくにはとうていわからなかったろう。たしかに獲物を脅《おび》えさせる気づかいはありそうにないが、この男にどうやって獲物がとれたのだろう?
フリドリクソン氏から、このおだやかな人物がほかならぬ『毛綿鴨の猟師』だと聞いたから、納得がいったのだ。毛綿鴨《エイデール》の綿毛は島の最大の収入となっている。その綿毛はエドルドンと呼ばれるのだが、それを集めるのには、たいして体を動かす必要がないのである。
夏のはじめのころ、きれいなあひるのような毛綿鴨の雌《めす》は、海岸を縁《ふち》どるフィヨルドの岩のあいだに、巣を作りにやってくる。巣ができあがると、鳥は自分の腹から柔らかい羽を抜いて、巣に敷きつめる。すると、じきに猟師、というより商人がやって来て、巣をとりあげるのだ。雌はまた仕事をやりなおす。こうして雌の綿毛が残っているかぎり、これがつづく。雌の綿毛がすっかりなくなってしまうと、今度は雄が自分の羽を抜く。ただし、雄の羽は硬くてごわごわしているので商品価値がまったくないから、猟師は雄の羽で作った卵《たまご》の寝床を盗むようなまねはしない。それで、巣が完成し、雌は卵を産み、雛《ひな》がかえる。かくて、次の年にまた綿毛採りが始まることになる。
ところで、毛綿鴨は、巣を作るのに、切り立った岩場を選ばないで、むしろ海に張りだした平たい楽な岩場を選ぶので、アイスランドの猟師は、そうじたばたしないでも、渡世をやってゆくことができた。種もまかず、刈りとりもせず、ただ実をつみさえすればよい農夫といったところだ。
この重々しく、落ち着いて、無口な人物の名は、ハンス・ビエルケといった。フリドリクソン氏の紹介で来たのだ。これがぼくたちの案内人になるはずの男だった。この男の態度は、叔父の態度とは実にいい対照だった。
けれども、この二人はすぐに気が合った。どちらも金のことなどろくに問題にしていなかった。片方は、相手がくれようというものをよしきたと受けとり、相手のほうは、くれというものをほいきたと出すつもりでいる。これほど簡単にまとまる商談というものはなかった。
さて、いろいろと打ち合わせた結果、ハンスはぼくたちを、スネッフェルス半島の南岸、火山のすぐ麓《ふもと》にあるスタピという村に案内することに決まった。陸路で約二二マイルの勘定になる。叔父の意見だと、二日の行程だ。
ところが、そのマイルというのは、一マイルが約八キロメートルもあるデンマークのマイルだということがわかって、叔父は計算をやり直し、道の悪いことも考えると、歩いて七、八日は覚悟しなければならないということになった。
馬を四頭やとわなければならなかった。叔父とぼくとが乗るのが二頭、荷物を運ぶのに二頭。ハンスは、いつもそうしているとおり歩いていく。彼はこのあたりの海岸なら隅から隅まで知っていて、一番近い道を行くと約束した。
ハンスと叔父との契約は、スタピ村に着いたらおしまいというのではなかった。叔父の科学調査旅行に必要な全期間中、一週につき三リクスダラーの賃金でずっと働いてくれることになっていた。ただ、雇傭《こよう》の必要条件として、賃金は毎週土曜日の晩に案内人に支払われること、とはっきりと決められた。
出発は六月一六日と決まった。叔父は猟師に手付金を渡そうとしたが、この男は一言のもとにことわった。
「エフテル」と言ったのだ。
「あとで、という意味だ」と教授はぼくに教えた。
契約が終わると、ハンスはさっと引きあげた。
「たいした男だ」と叔父はうなった。「しかし、あの男、いずれ自分がやらなきゃならないすばらしい役目のことは、夢にも覚っちゃおらんのだ」
「それじゃあ、あの人も連れて行くので……」
「そうだ、アクセル、地球の中心までな」
まだ四十八時間、時間があった。たいへん残念なことに、ぼくはその時間をいろいろな準備のために使わなければならなかった。頭をしぼって、荷物をできるだけ具合のよいように並べるのだ。計器類はこちら側に、武器はあちら側、道具類はこの包みに、食料品はその包みという具合に。全部で、四つに仕分けた。
計器類というのは、次のようなものである。
一 エイゲルの摂氏温度計 一
これには一五〇度までの目盛がついているが、ぼくには、この目盛では多すぎるようにも、少なすぎるようにも思えた。もし周囲の温度がそこまであがれば、そのときはぼくたちは焼け死んでしまうのだから、そんな目盛は余計なことだし、熱源やその他融解状態の物質の温度を計る場合には、これではたりないわけだ。
二 圧搾《あっさく》空気を用いた気圧計 一
これは海面の大気圧を規準として、それをこえる圧力を示すようになっている。実際、地表からぼくたちがおりていくのに比例して気圧は増大するはずだから、ふつうの気圧計では間に合わないだろう。
三 ジュネーヴのボワソナス二世社製のクロノメーター 一
ハンブルク標準時に合わせて完全に調整してあるもの。
四 コンパス 二
つまり伏角《ふっかく》計と偏角《へんかく》計。
五 夜間望遠鏡 一
六 ルームコルフ装置、二
これは電流を利用した照明器具で、かさばらず携帯にきわめて便利で、信頼性が高い。
武器は、パードレイ・モア社製のカービン銃が二挺と、コルト拳銃が二挺である。武器なんか、どうして要るのか? 野蛮人や猛獣の心配はない、とぼくは思う。だが、叔父は、計器類と同様に、武器もたいへん重視しているらしかった。とくに、湿気に変質せず、通常の火薬よりはるかに爆発力の強い綿火薬を、大量に持っていくというのだ。
道具類というのは、ピッケルが二本、鶴嘴《つるはし》二本、絹製の縄梯子一挺、アルペン・シュトック三本、斧《おの》一挺、ハンマー一挺、鉄のくさびとハーケン一ダース、それに結び目のある長いザイルである。これはたいへんな大荷物になってしまった。なにしろ縄梯子一つをとっても一〇〇メートルもあるのだから。
最後は食糧だ。この包みはそれほど大きくはないが、たのもしかった。なかに六か月分の乾し肉と乾パンが入っていることがわかっていたからだ。液体のたぐいはジンだけで、水はまったくなかった。それだのに水筒を持っていく。叔父は湧《わ》き水でそれを満たすつもりでいたのである。ぼくが、その水質や、温度や、それどころか湧き水などない場合のことまで言って、いろいろ反対したのだが、結局効果はなかったのだ。
ぼくたちの旅行用品名のリストの最後を飾って、携帯薬品箱のことを書いておこう。そのなかには、刃のなまくらな鋏《はさみ》、骨折用の副木《そえぎ》、さらしてない平打紐《ひらうちひも》、包帯に湿布、絆創膏《ばんそうこう》、瀉血《しゃけつ》用の皿といったあまりぞっとしないもの、さらに、デキストリンや、薬用アルコール、酢酸鉛液、エーテル、酢、アンモニアなど、少々心細いときに使われるあらゆる薬品の入った薬壜《くすりびん》、最後にルームコルフ装置に必要な諸薬品。
叔父は、煙草、狩猟用の火薬と火口《ほくち》をたっぷり、さらに、金貨や銀貨や紙幣をしこたまつめこんだ革の胴巻も、ちゃんと忘れなかった。それからタールと弾性ゴムで防水した上等の靴が六足も、道具類のなかに入っていた。
「このいでたちで、着たり、はいたり、装備をしたからには、遠くまで行かないわけにはゆくまいよ」と叔父はぼくに言った。
一四日は、一日じゅう、こうした品物の整理で終わった。その晩、ぼくたちはトラムペ男爵のお宅で、レイキャヴィク市長と、土地の名医ヒヤルタリン博士ともども、食事をした。フリドリクソン氏は招かれていなかった。あとで知ったのだが、総督と彼とはなにか行政上の問題で意見の衝突があって、たがいに顔を合わさないようにしていたのである。それで、このなかば公式の晩餐会の席上交された話は、ついにひとこともぼくにはわからなかった。ただ、叔父がのべつまくなしにしゃべるのを見ただけである。
翌一五日、準備は完了した。宿の主人は、ハンデルソンの地図とはくらべものにならないくらいよくできたアイスランドの地図を贈って、教授を大いに喜ばせた。それはオラフ・ニコラス・オルセン氏の四八万分の一の地図で、シェール・フリサック氏の測量と、ビョルン・グムラウクソン氏の地形図に基づいて、アイスランド文芸協会が刊行したものである。鉱物学者にとっては貴重な資料だった。
最後の夜はフリドリクソン氏と気のおけないおしゃべりをして過ごした。ぼくはこの人が大好きになっていた。話しこんだあとの眠りは、かなり寝苦しかった、少なくともぼくにとっては。
午前五時、四頭の馬が窓の下で地面をかきならしていななく声で、ぼくは起こされた。急いで服を着、通りへおりていった。そこでは、ハンスが荷物を積み終えるところだった。言ってみれば、彼はろくに動きもしないのだが、ざらにはないような見事さで仕事を片づけていた。叔父のほうは仕事をするというよりも、騒ぎたてていたのだが、案内人は叔父の指図などまるで気にとめるふうでもなかった。
六時にすべてが終わった。フリドリクソン氏はぼくたちと握手を交した。叔父は、彼の好意あふれるもてなしに心からの感謝をアイスランド語で述べた。ぼくは、ぼくとしては最上のラテン語で、真心こめた挨拶《あいさつ》を無骨に述べた。それから、ぼくたちは鞍《くら》にまたがった。すると、フリドリクソン氏は、最後のさよならと一緒に、ぼくに向かって、前途定かならぬ旅人であるぼくたちのために作られたかとも思われる、次のようなウェルギリウスの詩句を唱えてくれた。
サレバ、イカナル道ナリトモ、運命ノ導クママニ、ワレラ求メユカン
一二
ぼくたちが出発したとき、曇ってはいたが、急には変わりそうにない天気だった。うんざりするような暑さの心配もなく、雨に悩まされることもない。絶好の旅行|日和《びより》だった。
未知の土地を馬を走らせてゆく楽しさのために、この冒険のはじまりを、ぼくは安易に考える気分になっていた。あれこれしてみたいことや解放感でいっぱいの、楽しい旅行気分にすっかりひたっていた。この仕事を運命として受け入れようという気になりかけていた。
「それにだ」とぼくは考えた。「どんな危険があるというのだ? およそまあ珍しい国のなかを旅行するだけじゃないか! たいへん有名な山に登るだけじゃないか! 一番まずいことになったって、火の消えた火口のなかにおりてゆくだけの話じゃないか! サクヌッセンムだって、それ以上のことをしたわけじゃないにきまっているさ。地球の中心にまで通じる地下道があるなんて、まったくのでっちあげさ。ありっこない話だよ。だから、この探検のいいところだけを頂戴《ちょうだい》するんだ。ぐずぐず言うことはないのさ」
こんな理屈をこねあげたころ、ぼくたちは早くもレイキャヴィクをあとにしていた。
ハンスが先頭を、ひたひたと変わらない速い足どりで、歩いていく。荷物を載せた二頭の馬が、そのあとについていく。手綱を引く必要もない。叔父とぼくとが次につづいた。小さいがたくましい馬にまたがったぼくたちの姿は、実際の話、まんざらすてたものではなかった。
アイスランドは、ヨーロッパでもっとも大きい島の一つだ。面積約一〇万平方キロメートルだが、人口は六万をかぞえるのみである。地理学者はこの島を四つの地域に区分しているが、ぼくたちはそのうちの『スドヴェストル・フィヨルデュングル』すなわち南西地方と呼ばれる地域を、ほぼ斜めに横断しなければならないのだった。
ハンスは、レイキャヴィクの町を出はずれると、すぐに道を海岸に沿ってとった。なんとか緑になろうとして苦しんでいるような痩《や》せた牧草地を、ぼくたちは横ぎったが、やはり黄色のほうが優勢だった。東の地平線上には、粗面岩の山塊《さんかい》のごつごつした頂が、霧のなかにかすんでいた。ときどき、遠い峰の斜面に、雪渓《せっけい》だろうか、薄日を集めてきらめくのが見えた。いくつかの峰は、昂然《こうぜん》と聳《そび》え立って、灰色の雲を突きやぶり、さながら大空の波間に現れる岩礁《がんしょう》とでもいったように、揺れ動く雲の上にふたたびその姿を現していた。
そういう荒涼とした岩の連なりがしばしば海のほうに張りだして、牧草地に割りこんでくる。だが、人が通れるだけの余地はかならず残っていた。それに、ぼくたちの馬は本能的に歩きよい場所を選んで進み、決して歩度をゆるめることがなかった。叔父は、声をかけたり、鞭《むち》をくれたりして、馬を励《はげ》ます楽しみさえないしまつだった。じれようにもじれさせてくれないのだ。のっぽの叔父が小さな馬にまたがったその姿を見ていると、ぼくはどうしてもにやにやしてしまうのだった。長い足が地面をこすりそうにしているのは、まるで六本足のケンタウロスみたいだった。
「感心な動物だ、まったく感心なやつだ!」と叔父は言うのだった。「どうだ、アクセル、利口さにかけては、アイスランドの馬にかなう動物はないな。雪だろうが、嵐《あらし》だろうが、どんなひどい道だって、岩だって、氷河だって、こいつの足はとまりはしないぞ。勇敢だし、粗食だし、しっかりしている。決して足を踏みはずしたりしないし、どしんと反動がくることもない。川やフィヨルドを渡らなければならないとなれば、いや、いずれそういうことはあるだろうが、見ていろ、こいつはまるで両棲《りょうせい》動物みたいに、さっさと水に飛びこんで、向こう岸に渡ってしまうさ。だがな、手荒な扱いはしないようにしよう。好きなように歩かせるのだ。そうすれば、わたしたちを乗せて、日に四〇キロは行くだろうな」
「ぼくたちはそういくでしょうが」とぼくは言った。「ハンスはどうなります?」
「なに、あの男のことは心配いらんさ。ああいう連中は歩くことはなんでもないんだよ。あの男はまるきり無駄な動きをしないから、疲れないはずだ。それに、必要なときには、わしの馬を貸してやるさ。わしも少しは体を動かさないことには、そのうちひっつりでも起きそうだ。腕のほうはいいんだが、足のことも考えてやらなきゃな」
そういううちにも、ぼくたちは速い足取りで進んでいった。あたりはもうほとんど住む人もない。ここにぽつり、あそこにぽつりと、農家といおうか、木と土と熔岩のかけらでつくられたボエルが、窪《くぼ》んだ道のへりに、乞食《こじき》のように出てくるのだった。そういうぼろぼろの小屋は通る人に憐《あわ》れみを求めているかのようで、すんでのことに、施しをしてやりたくなるほどだった。この地方には、街道どころか、小道さえもまったくない。どんなに成長の遅い草木でも、めったに通らない旅人の足跡など、たちまち消してしまうのだった。
そうは言っても、首都からそれほど離れていないこのあたりは、アイスランドのなかでは、人も住み畠もあるほうなのだ。では、こんな荒地よりももっと荒れた土地とは、いったいどんなところなのだろう。四キロほど過ぎたが、ぼくたちはまだ、あばら家の戸口に一人の百姓の影も見ず、草を食う羊のほうがまだしも人慣れしていそうだが、そんな山家《やまが》の牧童一人にも出会わなかった。ただ、放し飼いにされた数頭の牛と羊を見かけただけだった。これでは、火山の爆発や地殻《ちかく》の激動から生まれ、噴火のたびに揺れ動き、ひっくり返る地方というのは、いったいどんなふうなところなのだろうか?
ぼくたちはいずれのちにはそういう土地を知る運命にはあったが、オルセンの地図を見たところでは、うねうねした海岸線をたどっていけば、そういう土地をよけて通ることがわかった。事実、深層地盤の大運動はとくに島の内陸部に集中していて、そこは、スカンディナヴィア語でトラップと呼ばれる水平に積み重なった岩の層、粗面岩帯、玄武岩や凝灰岩やありとあらゆる火山性|礫岩《れきがん》の噴出した堆積《たいせき》、熔岩流や、溶けた斑岩《はんがん》のかたまり、そういったもので、この世のものとも思えないおそろしい世界となっていたのだ。そのような怒り狂う自然の爪跡《つめあと》はスネッフェルス半島にもすさまじい混沌《こんとん》を刻みつけていたのだが、このときのぼくには、この半島でぼくたちを待ちかまえている光景がよく想像できなかった。
レイキャヴィクを発ってから二時間して、『アオアルキルキャ』すなわち本部教会と呼ばれている、グフネス村に着いた。別に目にとまるようなものはない。家が数軒あるばかり。ドイツならやっと小部落といったところだ。
ハンスはここで半時間の休憩をとった。彼はぼくたちと一緒に粗末な食事をし、叔父が道の状態についていろいろきくのには、はいとか、いいえとかだけで答えた。そして、今夜はどこで泊まるのかときかれると、ただひと言、
「ガルデール」と言った。
ガルデールとはどんなところか、ぼくは地図で調べた。レイキャヴィクから四マイルのところ、フヴァルフィヨルドの海岸に、その名の小部落があった。ぼくは叔父にそれを見せた。
「たった四マイルか!」と叔父は言った。「二二マイルのうちの四マイルか! 結構なお散歩だな」
彼は案内人に文句を言おうとしたが、相手は、返事もしないで馬のまえに立って、歩きだした。
あいも変わらず牧草地の色あせた草を踏んで、三時間も行くと、コルラフィヨルドを迂回《うかい》しなければならなかった。これはまわり道だが、入江を横ぎるよりは楽で、時間もかからないのだ。やがて、ぼくたちは、『ピングステール』、つまり地区裁判所の所在地のことだが、エユルベルグという名の村に入った。アイスランドの教会が時計を持てるほど裕福だったら、ちょうどお午《ひる》の鐘をそこの鐘楼が鳴らしたところだったが、教会も信者たちもよく似ていて、だれも時計なんか持っていないし、それでなんとかやっているのだ。
ここで、馬にひと息つかせた。それから、連なる丘と海とのあいだの狭い浜を馬に運ばれて、一気にブランテールの『アオアルキルキャ』まで行き、さらに一マイル行って、フヴァルフィヨルドの南岸にあるサウルベエル『アネクシア』、つまりサウルベエル分教会に着いた。
そのとき、午後の四時だった。ぼくたちは四マイル踏破したことになる。
そのフィヨルドはこの地点では少なくとも四キロの幅があった。とがった岩に、波が音を立てて砕《くだ》けていた。入江は、一〇〇〇メートルもある切り立った岩の壁と壁とのあいだに切れこんでいて、赤味がかった凝灰岩の岩床が褐色《かっしょく》の層と縞《しま》をなすその断崖《だんがい》は見事だった。ぼくたちの馬がどんなに利口だといっても、この紛れもない入海を、たかが四つ足の背に乗って渡ろうなどとは、思いもよらぬことだった。
「こいつらがほんとに利口なら」とぼくは言った。「まさかここを渡ろうなんてしませんよ。いずれにしても、こいつらじゃなくてぼくが頭を使いますもんね」
ところが、叔父ときたら、待てしばしもなかった。岸辺に向かって、強く拍車をいれたのだ。馬はうち寄せる波の匂いを嗅《か》ぐと、ぴたりととまった。叔父は、叔父一流のやり方で、さらに馬を進ませようとした。馬はまたいやがって、首を振った。すると、罵声《ばせい》と鞭《むち》の雨だ。馬は後足を蹴《け》あげて、乗り手を振り落とそうとした。ついに、小さな馬は膝《ひざ》を折り曲げて、教授の足からすり抜けてしまい、取り残された教授は、ロードス島のアポロン神の巨像さながら、海岸の二つの岩の上に仁王立ちだった。
「ええっ! いまいましい畜生め!」徒歩《かち》人足に早変わりさせられた乗り手のだんなは、騎兵将校が歩兵に格下げされたみたいに照れくさくて、そう怒鳴った。
「フェルヤ」と案内人が叔父の肩を叩《たた》いて言った。
「なんだ、渡し船だと?」
「デル」とハンスは答えて、小舟を指さした。
「そうだ、渡しがありますよ」とぼくは叫んだ。
「それなら、そうと言ってくれりゃあよかったんだ。よし、行こう」
「ティヴァッテン」と案内人は言った。
「なんて言ってるんです?」
「潮《しお》と言ってるんだ」叔父はそのデンマーク語を訳してくれた。
「きっと、潮を待たなけりゃあいけないっていうんでしょう?」
「フェルビダ?」と叔父がきいた。
「ヤー」とハンスは答えた。
叔父は地団駄《じだんだ》を踏んだ。そのあいだに馬たちは渡し舟のほうへすたすたと行く。
フィヨルドを渡ろうとするには、一定の潮時を待たねばならないことが、ぼくにはよく呑みこめた。満潮になると、海が静止するのである。そのとき、上げ潮も引き潮もまったく作用しなくなり、渡し船は、入江の奥に引きこまれる心配も、外海に押し出される心配もないのだ。
午後六時になって、やっと渡るのにいい時が来た。叔父、ぼく、ハンス、二人の渡し守、それから四頭の馬が、かなり危なっかしい平舟のようなのに乗りこんだ。エルベ川の蒸汽の渡し船に慣れているぼくには、船頭の漕ぐ櫂《かい》がなんとも情ない動力機関と思えた。フィヨルドを横断するのに、一時間以上かかった。しかし、ともあれ無事に渡り終えた。
半時間後、ぼくたちはガルデールの『アオアルキルキャ』に着いた。
一三
もう日が暮れていいはずだった。しかし、北緯六五度ともなれば、極地の夜の明るさにぼくが驚くわけもなかった。アイスランドでは、六月と七月は、太陽は沈まないのである。
しかし、気温のほうはさがっていた。ぼくは寒いし、それに第一腹が減っていた。ありがたいことに、『ボエル』がおもてを開けて、ぼくたちを心から迎えてくれた。
それは百姓の家だったが、そのもてなしぶりにかけては王様の宮殿ぐらいの値打はあった。ぼくたちが着くと、主人が出てきて手をさしのべた。それ以上は大袈裟《おおげさ》な挨拶《あいさつ》はいっさい抜きで、自分のあとについてくるようにと彼は合図をした。
なるほど、ついていくよりしかたがない。並んでいくなんてとてもできない相談だったろう。長くて狭くて暗い通路が、どうやら四角に切り出したという程度の梁《はり》を組んでつくった家のなかに通じていて、どの部屋にも行けるようになっていた。部屋は四つあった。台所と、機織《はたお》り部屋、『バストファ』と呼ばれる家族の寝室、それに一番上等の客用の部屋。家を建てるとき叔父のようなのっぽが来ることは考えなかったのだ、叔父は天井の出っぱりに三、四回頭をぶつけた。
ぼくたちは客間に案内された。叩きかためた土間の大広間といったところで、あまり透明でない羊膜《ようまく》を張った窓が一つ、それが明りとりになっている。寝床は、アイスランドの格言を飾りにした赤塗りの木の枠《わく》のなかに、乾いた秣《まぐさ》を放りこんだものである。ぼくはこんな快適なところとは期待していなかった。ただ、家中に、乾し魚や、塩漬け肉や、酸っぱくなった牛乳のきつい臭いがこもっていて、ぼくの鼻にはかなりこたえた。
ぼくたちが旅のいでたちを解き終えたと思ったら、主人の声がして、台所に来ませんかと言う。どんな寒いときでも、火のあるのはそこだけなのだ。
叔父はさっそくこの親切な命令にしたがった。ぼくも叔父についていった。
台所の煖炉《だんろ》というのがまことに古代的なものだった。火をたくところとして、部屋のまんなかに石が一つ据えてあるだけ、屋根に穴が一つ、そこから煙が出ていくのだ。この台所がまた食堂にもなっていた。
ぼくたちが入っていくと、主人は、はじめてぼくたちを見たような顔をして、「セルヴェルテュ」と挨拶した。『ご機嫌よろしゅう』という意味である。そう言って、彼はぼくたちの顔に接吻《せっぷん》した。
次には、彼の妻が同じ言葉を言い、同じ挨拶をした。それから、夫婦は二人そろって、右手を胸に当てて、深々とおじぎをした。
忘れないうちに言っておくが、このアイスランドの婦人は一九人の子供の母親で、その子たちがみんな、大きいのも小さいのも、いろりから部屋いっぱいにあがる煙の渦《うず》のなかに、ごちゃごちゃうようよとしていた。この煙のなかから、少し悲しげな、小さな金髪の顔が、次々に現れては消えるのだ。まるで顔をよく洗わない天使の行列だった。
叔父とぼくとは、この『雛《ひよ》っ子』たちに大いに愛想のよい顔をしてみせた。たちまち、三、四人のちびっ子がぼくたちの肩に乗り、膝の上にも三、四人、残りは足のあいだにくっつくというしまつになった。口のきける子は、およそ考えられるさまざまな調子で『セルヴェルテュ』を繰り返し、まだ口のきけない子はただもう、もっとけたたましく、きゃあきゃあ言うばかりだった。
食事の知らせで、この大合唱はやんだ。ちょうどそこへ、猟師が戻ってきた。馬に飼葉をやってきたのだ、というのはつまり、経済的に、馬を野原に放してきたということなのだが、可哀《かわい》そうに、馬たちは、岩にちよっぴり生えた苔《こけ》や、あまり栄養のない|ひばまた《ヽヽヽヽ》なんかを食べて我慢するほかない。そのくせ、あすになれば、かならずひとりでに戻ってきて、また前の日と同じ仕事をするのだ。
「セルヴェルテュ」とハンスも言った。
そうして、静かに、機械的に、主人、主婦、それから一九人の子供たちへと、誰にもまったく同じように、次々と接吻した。
この儀式が終わると、みんな食卓についた。総勢二四人、当然のことに、文字どおり重なり合ってひしめいた。膝の上にちびっ子が二人しか乗っていないというのが、一番恵まれた人だった。
それでも、スープが出てくると、この大部隊も静かになった。口がふさがっては、アイスランドの腕白どもでも、自然と無口にならざるをえない。主人はぼくたちに苔のスープをついでくれた。なかなか悪くはない。次はバターに漬けた魚の干物の大きな切り身が出たが、そのバターというのが二〇年来ねかしてあって酸っぱくなったやつだが、それだからこそ、アイスランドの食通の見地からすれば、新しいバターよりはるかによしとされるのである。それから、『スキール』というヨーグルトの一種に、杜松《ねず》の実のジュースをかけ、ビスケットを添えたもの、そして、飲み物としては、この国で『ブランダ』と呼ばれる水で割った乳漿《にゅうしょう》。こういう一風変わった食事がうまかったのか、まずかったのか、ぼくにはなんとも決められない。なにしろぼくは腹ぺこだった。デザートに出た、牛乳で煮《に》こんだ濃いそば粥《がゆ》の最後の一口までがつがつ呑みこんだのだ。
食事がすむと、子供たちは姿を消した。大人たちはいろりを囲んだ。そこでは、泥炭やヒース、牛の糞《ふん》、乾した魚の骨などが燃えていた。こうして『あったまった』あとで、みんなはそれぞれの部屋にひきあげた。女主人は、土地の習慣にしたがって、ぼくたちの靴下《くつした》とズボンを脱がしてさしあげましょうと言った。しかし、ぼくたちがこの上なく鄭重《ていちょう》に辞退すると、それ以上は言わなかった。こうして、やっと、ぼくは乾草の寝床にもぐりこむことができた。
翌日、五時に、ぼくたちはこのアイスランドの農夫にわかれを告げた。叔父はしかるべき謝礼を受けとってもらうのに大骨を折った。ハンスが出発の合図をした。
ガルデールを出て一〇〇歩も行くと、土地の様子が変わり始めた。沼地が多くなり、歩きにくくなった。右手には、山が連なり、どこまでも延びていた。まるで自然の巨大な要塞《ようさい》線のようで、ぼくたちはその外壁に沿って進んでいるのだ。ところどころで小川にぶつかったが、荷物を濡《ぬ》らさないように、浅瀬を渡らなければならなかった。
人の住む気配はますますなくなっていった。だが、ときおり、逃げていくような人影が遠くに見えた。道の曲り角で、たまたまそういう亡霊のような姿に間近で出会ったとき、ぼくは思わずぞっとした。その頭はふくれあがり、髪の毛は抜け落ちて、地肌がてかてかと光り、みすぼらしいぼろの裂け目から、胸のむかつくような傷口がのぞいていたのだ。
世にも不幸なその生きものは、くずれかかった手をさしのべて物乞いなどしなかった。それどころか、逃げようとするのだ。ところが、そう早くは逃げられないので、ハンスはいつものように『セルヴェルテュ』と挨拶をした。
「スペテルスク」とハンスは言った。
「癩病《らいびょう》だ」と叔父が繰り返した。
この言葉を聞いただけで、肌寒《はださむ》くなった。癩病というこのおそろしい病気は、アイスランドにはかなり多い。これは伝染病ではなくて、遺伝性のものなので、この病いになった可哀そうな人たちは結婚が禁じられている。
こういうものが出てきては、ただでさえひどく陰気になってきた風景が、楽しくなるはずがない。わずかの草むらも、ぼくたちの足もとに尽きはてた。ちびた樺《かば》の木が何本かやぶのように群生しているほかには、一本の木もない。飼い主から餌《えさ》ももらえず、陰鬱《いんうつ》な野原をさまよっている何匹かの馬のほかには、一匹の動物もいない。ときどき、灰色の雲のなかを鷹《たか》が舞い、南の国へと一目散に飛び去っていった。この荒涼とした自然に、ぼくは気がめいるばかりだった。思いはしきりに故郷へとめぐるのだった。
やがて、いくつもの小さなフィヨルドを渡り、これは大したこともなかったが、しまいに本物の湾に出て、これらを渡らなければならなかった。ちょうどそのとき、潮がとまっていたので、待たずに渡ることができた。そして、そこから一マイル先のアルフタネスという小さな部落に着いた。
その晩は、アルファ川とヘタ川という、鱒《ます》や|かわがます《ヽヽヽヽヽ》がたくさんいる二つの川の浅瀬を渡り、一軒の廃屋で夜を過ごさなければならなかった。スカンディナヴィア神話に出てくる妖精たちがぞろぞろと出てきそうな家だった。少なくとも寒さの精はそこをすみかにしていたにちがいない。一晩じゅう、彼のいたずらで寒くてしかたなかった。
次の日は、これといった出来事はなにもなかった。相変わらず、同じような沼だらけの土地がつづき、同じように単調で、同じように淋《さび》しい風景だった。全行程の半分はこえて、その晩は、クレソルプトの『アネクシア』に泊まった。
六月一九日、ぼくたちの足もとには、ほぼ一マイルにわたって熔岩地帯が広がっていた。こうした地形を土地では『フラウン』と呼んでいる。表面に皺《しわ》のよった熔岩は、鋼索《ケーブル》を長くのばしたようなのや、ぐるぐる巻いたような形のやだった。いまは休火山となっているが、これらの残骸《ざんがい》にその昔の活動の激しさをとどめて、近辺の山々から、巨大な熔岩流が流れ落ちたのだ。それでもなお、そこここには、熱い湯気が這《は》いまわっていた。
ぼくたちにはこうした現象を観察している時間がなかった。先に行かなければならなかったのだ。やがてまた、馬の足もとの地面は沼地となり、小さな湖がしばしば道を断ち切った。そのとき、ぼくたちは西へ向かっていた。事実、すでに大きなファクサ湾を回りきっていたのだ。スネッフェルスの二つの白い峰が、五マイルたらず先の雲のなかにそそり立っていた。
馬はよく歩いた。道が悪くてもとまったりしない。ぼくのほうは、だいぶ疲れが出だしていた。叔父は最初の日と同じように、しゃんとして、背筋も曲がっていない。叔父にもハンスにもほとほと感心しないではいられなかった。ハンスはこれだけの遠征をほんの散歩ぐらいにしか思っていないのだ。
六月二〇日、土曜日、午後六時、ぼくたちは海岸沿いのビュディールという小部落に到着した。そこで案内人は約束の賃金を要求した。叔父は取りきめどおり支払った。ぼくたちに宿を貸してくれたのは、ハンスの家族、つまり彼の叔父さんやいとこたちの家だった。ぼくたちは大いに歓待された。ぼくとしてはここで旅の疲れを癒《いや》したいところだったが、そうしてもこのいい人たちの好意に甘えすぎたことにはならなかったと思う。ところが、叔父ときたら癒すものなどなんにもないものだから、そんなふうには考えなかった。それで、翌日、ぼくたちはまた、われらの良き馬にまたがらねばならなかった。
地肌は山の近くに来たことを感じさせ、花崗《かこう》岩《がん》の岩脈が、樫《かし》の古木の根っこのように、地表に露出していた。ぼくたちは火山の広い山裾《やますそ》をまわっていたのだ。教授は山から目を離そうとしなかった。しきりと身振りをしては、まるで山に挑《いど》みかかって、『さあ、そこの巨人をひとひねりしてやるぞ!』と言わんばかりの様子だった。ついに、四時間ほど進んだのち、スタピの司祭館の門前で馬が勝手にとまった。
一四
スタピは三〇軒ばかりの小屋が集まる小さな部落で、火山から照り返す日光を浴びて熔岩のまっただなかにある。世にも珍しい景観を見せる玄武岩の壁が小さなフィヨルドをすっぽりと囲んだその奥に、村は横たわっていた。
ご存じのように、玄武岩は褐色の火成岩だ。驚くほど規則正しい形状を呈する岩だ。ここでは、自然は幾何学《きかがく》的に働き、まるで定規《じょうぎ》とコンパスと錘重を使ったみたいに、人間のするような仕事ぶりなのだ。ほかの場所ではどこであれ、自然は、無秩序に投げだされた大きなかたまりや、荒けずりな円錐《えんすい》、不完全な角錐、奇妙な線のつながりなどを使って、自然の芸術を作りあげるのだが、ここでは、規則正しい形の手本を示そうとして、古代の建築家たちに先がけて、バビロンの栄華もギリシアの驚異もついにしのいだことのない、厳格な整いを作り出しているのだ。
アイルランドにある『巨人の防波堤』の話や、ヘブリデス諸島にある『フィンガルの洞窟』のことはよく聞いたことがあるが、建物の土台のような形をした玄武岩の光景などというものには、まだお目にかかったことがなかった。
ところで、スタピでは、この現象が実に美しい姿を見せているのだ。
フィヨルドの絶壁は、この半島のどこの海岸とも同じように、高さ一〇メートルほどの垂直の円柱の連なりなのだ。この見事に均勢のとれたまっすぐな柱が、水平の柱を積み重ねてできたアーチ状の天井を支え、それが海上に張りだして、ちょうど丸天井を半分に断ち割ったような恰好《かっこう》になっている。自然の雨水|溜《だ》めとも見えるその下には、一定の間隔をおいて、すばらしい形をした尖塔《せんとう》形の窓となり、この窓を目がけて沖からの波が泡《あわ》だちながら押しよせるさまは、目も驚くばかりだった。荒れ狂う海にもぎとられた玄武岩の円柱が、古代の神殿の残骸のように、そちこちにころがっている。何世紀もの時がその上を流れて、しかも傷つけることのない、永遠に新しい廃墟《はいきょ》だ。
こうして、ぼくたちの地上の旅は最後の行程に入った。ハンスはここまでぼくたちを実に上手に案内してくれた。この先も一緒に来てくれるだろうと思うと、ぼくはいささか心丈夫だった。
教区司祭の家、といっても隣り近所の家より立派でも、住み心地がよさそうでもない、屋根の低いあばら屋だったが、その戸口に着いてみると、腰に革の前掛けをし、手にハンマーを持った男が馬に蹄鉄《ていてつ》を打っていた。
「セルヴェルテュ」と猟師が声をかけた。
「ゴット・ダーグ(今日は)」と蹄鉄を打っていた男は正しいデンマーク語で返事をした。
「キルコヘルデ」と叔父のほうに振り向いて、ハンスが言った。
「教区司祭」と叔父は繰り返えすように言った。「おい、アクセル、このおやじさんが教区司祭らしいぞ」
こう言っているあいだ、案内人は『キルコヘルデ』に事情を説明していた。相手は、仕事の手を休めて、たぶん馬と馬方のあいだで使われる掛声だろう、大きな声をだした。すると、すぐさま、大柄の意地悪そうな女が小屋から出てきた。背の高さが二メートルまではないとしても、それに近い大女だった。
この女も旅人にアイスランド式の接吻をするのじゃないかと、ひやひやしたが、そんなことはなかった。それどころか、彼女はぼくたちを家のなかに案内するのにも、あまり機嫌《きげん》がよくなかった。
客用の部屋は、狭くて、きたなくて、臭くて、どうやら司祭館で一番悪い部屋らしかった。この司祭は昔風の親切に客をもてなす美風を実行していないらしい。それどころではなかった。その日が終わらないうちにわかったのだが、ぼくたちが相手にしているのは、鍛冶《かじ》屋で、漁師で、狩人で、大工ではあったが、主の教えを説く人では全然なかった。それはたしかに、その日は平日だった。たぶんこの人は、日曜日に、埋め合わせをしているのだろう。
なにもぼくはこういう可哀そうな聖職者たちの悪口を言うつもりではない。なんと言っても、この人たちはたいへん貧しいのだ。彼らがデンマーク政府から受ける手当はお笑い草程度で、それに教区からの税金の四分の一をもらうのだが、あわせて六〇マルクにもならないのだ。だから、生活するために、労働しなければならないのだ。だが、魚をとったり、猟をしたり、蹄鉄を打ったりしていれば、しまいには、狩人や漁師や、そのほか少々がさつな人たちの態度や口調や習慣が身についてしまうものだ。その晩のうちに、ぼくには、この家の主人はつましい飲み食いなんてものを美徳のうちに入れていないことがわかった。
叔父も、自分の相手がどんな種類の男であるかを、すぐに見ぬいた。善良で立派な学者ではなくて、愚鈍で粗野な百姓と見てとったのだ。それで、叔父は、できるだけ早く大冒険にとりかかって、このあまり待遇のよくない司祭の家からおさらばしようと決心した。叔父は疲れなど問題にせず、山のなかで数日を過ごすことに決めたのである。
そういうわけで、スタピに着いた翌日から、出発の準備が始まった。荷物を運ぶ馬のかわりに、ハンスは三人のアイスランド人をやとい入れた。だが、火口の底まで行ったら、この現地の人夫たちはぼくたちを置きざりにして、道をひき返すことになっていた。この点ははっきりととり決められた。
こうなると、叔父はハンスにも、自分の目的は火山をぎりぎりの限界まで調査することだと教えないわけにはいかなかった。
ハンスはうなずいてみせただけだった。どこへ行こうがかまわない、島の地下にもぐるのだろうが、島の上を歩きまわるのだろうが、彼にはいっこう違いはありゃしないのだ。ぼくのほうは、これまで、旅行中のいろいろな出来事に気をとられて、先のことはいささか忘れていたのだが、いまになって、またまえよりも激しく胸さわぎにとりつかれてしまった。いまさら、どうしよう? かりにリーデンブロック教授に逆らってみることができたとしても、ハンブルクでならの話だ、スネッフェルスの麓《ふもと》まで来てしまっては、もう駄目だ。
とりわけ、あることを思うと、ぼくはひどく不安にかられた。それはおそろしいことで、それを思えば、ぼくほど神経の細くない人でも心がぐらつくようなことだ。
「さあてと」ぼくは考えた。「これからぼくたちはスネッフェルスに登るんだ。それはいい。火口に入る。それもよかろう。ほかにもそういうことをした人はいるし、それで死んだわけじゃない。だが、それでおしまいじゃないのだ。万が一地の底におりていく道があったとしたら、あのいまいましいサクヌッセンムの言うことがほんとうだとしたら、ぼくたちは火山の地下道のなかで身を滅ぼすことになるのだ。そもそも、スネッフェルスが死火山だという証拠なんかなにもないじゃないか! ひそかに噴火が進行していないと、誰が証明できるんだ! この怪物が一二二九年来眠っているからといって、絶対に目を覚まさないってことになるか? もしこいつが目を覚ましたら、ぼくたちはどうなる?」
これはよく考えてみなければならないことだった。ぼくはよく考えた。眠ればかならず噴火の夢を見た。ともかく、自分が熔岩のかすになるのは、あまりぞっとしない役回りだと思われた。
とうとう、これ以上我慢できなくなった。ぼくは、この件について、できるだけ上手に、それも実際にはまったく起こるはずのない仮定の話という恰好で、叔父に伺《うかが》いをたててみようと決心した。
ぼくは叔父のところへ行った。ぼくの心配を叔父に話した。それから、叔父の癇癪玉《かんしゃくだま》がたっぷり破裂してもだいじょうぶなように、あとずさりした。
「そのことはわしも考えたよ」と叔父はあっさり言った。
この言葉はなにを意味するのか? 道理の声に耳を傾けようということなのか? 計画の中止を叔父は考えているというのか? それでは話がうますぎる、まああるはずはない。
彼はしばらく黙っていた。そのあいだ、ぼくはあえてたずねる勇気が出なかった。やっとまた叔父は言った。
「そのことはわしも考えた。お前がいま言いだした重大な問題は、スタピに着いてからずっと真剣に考えてみたんだ。なにしろ軽率な行動をするわけにはゆかんからな」
「もちろんですよ」とぼくは力をこめて言った。
「スネッフェルスが沈黙して六〇〇年たつ。だが、こいつはまたしゃべりだすかもしれん。ところが、火山が爆発するときには、かならずまえぶれの現象があるのだ。それがどんな現象かは完全にわかっている。そこで、わしはこの土地の人たちにたずねてもみたし、自分で地面を調べてもみた。それで言えるんだが、アクセル、爆発はないよ」
この断定には、ぼくは呆気《あっけ》にとられて、返事のしようもなかった。
「わしの言うことを疑っているな?」と叔父は言った。「それじゃあ、ついておいで」
ぼくは機械的にしたがった。司祭館を出ると、教授は、玄武岩の絶壁のすきまを通って、海から離れていくまっすぐの道をとった。まもなく、ぼくたちはひろびろとした野原に出た。もっとも火山から噴き出したものが一面に降り積もったところを野原と呼べるならばの話だが。そのあたり一帯は、安山岩や玄武岩や花崗岩や、あらゆる種類の輝石類の、巨大な岩の雨にうたれて、ひしゃげたようなありさまだった。
そちこちで、蒸気が空中に吹きあげているのが見えた。アイスランド語では『レイキール』と言っているこの白い蒸気は、温泉から吹き出しているもので、その激しさから見て、地中の火山活動の活溌《かっぱつ》さを示していた。これでは、ぼくの不安は当たっているように思えた。だから、叔父からこう言われたときには、ぼくは天から落っこったようにびっくりした。
「この蒸気が見えるな、アクセル、いいな、これが、火山の爆発を恐れる必要がないって証拠なのだ」
「そんなばかな!」とぼくは叫んだ。
「よく覚えておくんだ」と教授は言葉をついだ。「爆発が近くなると、こういう蒸気の活動は倍加するのだ。そして噴火がつづいているあいだはこれは完全にとまってしまう。なぜかというと、弾性をもった流動体に十分な弾力がなくなるわけだが、それで地面の割れ目なんかからはもれなくなって、火口のほうに行くからなんだ。だから、こういう蒸気がいつもの状態を維持していて、その勢いが増さなければだな、も一つ加えて、風や雨がやんで、大気が重くよどんだ状態に変わったとでも観察されないかぎりはな、近く爆発はないと断定していいのだ」
「でも……」
「もういい。科学が決定を下したら、もう黙るほかないんだ」
ぼくはがっくりして司祭館に帰った。叔父は科学的論法でぼくを叩きのめしたのだ。しかし、まだ一つだけ希望があった。火口の底に着いてみたら、地下道がなくて、それ以上地底におりてゆくことができないのじゃないかということだ。そうなれば、世界中のサクヌッセンムが束になったって、どうにもなりはしない。
ぼくはその晩、火山のまっただなかにいる夢ばかり見た。そして地の底から、自分が噴出した岩となって、星空に投げ出されるのを感じた。
翌日、六月二三日、ハンスは、食糧や、道具、計器をかついだ仲間たちと、ぼくたちを待っていた。二本のアルペン・シュトック、二挺の銃、二個の弾薬|盒《ごう》が、叔父とぼく用の持ちものだ。ハンスは、慎重な男で、水をいっぱいつめた革袋を荷物につけたしていた。これで水筒と合わせて、一週間分の水が確保される。
午前九時だった。司祭とのっぽのかみさんとは戸口で待っていた。たぶん、宿の主人として、旅立つ人に最後のお別れを言うつもりなのだと思った。ところが、その別れの挨拶というのが、驚いたことに、法外な請求書だった。それには、あえて言えば、この司祭館の空気、臭い空気の吸い賃まで入っているみたいだった。このおそれいった夫婦は、スイスの宿屋のようなぼり方で、実《み》のない待遇に結構な値をつけたのである。
叔父は値切ることもなく、支払った。地球の中心に出かけようという人間には、少々の金などは問題ではなかったのだ。
これが片づくと、ハンスは出発の合図をした。そして、たちまちぼくたちはスタピをあとにした。
一五
スネッフェルスは標高約一五〇〇メートルである。その二つの峰は、島の山岳学的系統とは系統を異にする粗面岩帯の終わりに当たっている。ぼくたちの出発点からは、灰色地の空を背に聳える二つの峰の横顔を見ることはできなかった。ただ、巨人の額《ひたい》にまでかぶさった大きな雪の頭巾《ずきん》だけが眺《なが》められた。
ぼくたちは、猟師を先頭に、一列になって歩いた。猟師は狭い道を登ってゆく。とても二人並んで行けないような道だ。当然、話をすることは、まずできなくなった。
スタピのフィヨルドを囲む玄武岩の壁を過ぎると、まず草本繊維質の泥炭地帯が現れた。半島の沼沢地に生えていた古代植物の残骸である。この厖大《ぼうだい》な未開発の燃料は、アイスランドの全住民が一世紀間暖をとるのに足りるだろう。ところどころ雨水でえぐられた谷の底から測ってみると、この広い泥炭層の厚みは、ときに二〇メートルもあり、軽石状の凝灰岩の薄い層をあいだにはさんで、炭化した砕屑《さいせつ》層が幾重にも重なっていた。
まぎれもなくリーデンブロック教授の甥《おい》たるぼくとしては、気にかかることはいろいろとあったけれども、この広大な博物館に陳列されている面白《おもしろ》い鉱物標本を、興味深く観察したのである。それとともに、ぼくは、アイスランドの地質史の全容を思いかえしていた。
このきわめて興味深い島は、明らかに、比較的新しい時代に海中から隆起したものである。おそらくは現在もなお、感知できぬほどの運動によって隆起をつづけているのである。そうだとすれば、この島の成立の起源は、地下の火熱の活動に帰するほかない。その場合には、すなわち、ハンフリー・デーヴィーの理論も、サクヌッセンムの文書も、叔父の主張も、すべて煙《けむ》と消えてしまうわけだ。こういう仮説から、ぼくはこの土地の性質を注意深く調べてみようという気になった。そして、まもなく、この島の形成に重要な役割をもっている一連の現象が呑みこめた。
アイスランドには、水成岩地層がまったくなくて、もっぱら火成の凝灰岩からなっている。すなわち、多孔質《たこうしつ》石理をもった岩や石の集成体なのである。火山が存在する以前に、この島は、地中からの圧力によって海上にゆっくりと盛りあがった、火成岩のかたまりでできていた。地球内部の火熱はまだ外に溢《あふ》れ出ていなかった。
だが、その後、島の南西から北東にかけて斜めに、大きな亀裂が生じた。そこから、少しずつどろどろした粗面岩が流れ出た。このとき、この現象は激しさをともなわずに起こったのである。出口が大きかったので、地球の内部から溢れ出す溶けた物質は、静かに広がって、広大な平地となり、あるいは乳頭状の突起のある丘塊《きゅうかい》となった。長石、閃長石《せんちょうせき》、斑岩が現れたのは、この時期である。
しかし、この熔岩の流出のおかげで、島の厚みはいちじるしく増し、したがって、地盤の抵抗力も増大した。斑岩の地殻が冷却して、出口がもはやまったくなくなったとき、その内部にどれほど大量の弾性流動体が蓄積されたかは想像にかたくない。そこで、ついにガスの圧力が、重い地殻を持ちあげ、高い噴出孔をぶちぬくほどになる時がやってきた。こうして、地殻が隆起して火山ができ、ついで火山の頂に突如として穴があいて火口となったのだ。
こうして、熔岩の流出現象の次に、火山活動の現象が起こったのだ。新しくできた穴から、まず玄武岩が噴き出された。ぼくたちがいま横切っている原野は、そのもっとも見事な標本をまのあたりに見せてくれていた。冷却して六角柱の結晶となった、濃い灰色のこうした重い岩の上を、ぼくたちは歩いていたのだ。遠くに、平たくなった円錐形の丘がいくつも見えた。昔はそれだけの噴火口があったのだ。
それから、玄武岩が噴出しきってしまうと、火山の力は消えた火口の分だけ増して、熔岩や、火山灰、火山岩|滓《し》を噴き出した。山腹に幾筋もの長い流れとなって、豊かな女の髪のように見えているのがそれだ。
このような一連の現象の結果、アイスランドという島ができあがったのである。すべては地下の火熱の活動からきている。だから、地下の物質がつねに自然流動の状態にあることを否定するような仮説は気ちがい沙汰だ。まして、地球の中心に行こうなどというのは、気ちがい沙汰だ!
というわけで、ぼくはスネッフェルス攻撃に向かって歩を進めながら、ぼくたちの計画がどう結着するかについては楽観していた。
道はだんだんけわしくなってきた。傾斜がきつくなってきた。岩のかけらがぐらぐらして、墜落の危険を避けるためには、細心の注意を払わねばならなかった。
ハンスはまるで平地でも歩くように、平気な顔をして進んでゆく。ときどき、彼は大きな岩の陰に消えてしまって、ぼくたちは一時彼の姿を見失う。すると、たちまち、鋭い口笛が彼の唇《くちびる》から、鳴って、進む道を教えてくれるのだ。そうかと思うとまた、彼はひょいひょいと立ちどまっては、岩のかけらを拾って、目につくようなふうに並べておき、帰り道がわかるように目印を作っている。それ自体としては適切な配慮であったが、やがて起こった出来事のために、それも無駄骨になってしまった。
三時間もうんざりするほど歩いたのに、ぼくたちはやっと山裾にとりついたにすぎなかった。そこで、ハンスはとまれの合図をした。簡単な昼食がみんなに回された。叔父は早く行きたいものだから、倍もほおばっては呑みこんでいた。だが、この食事のための休憩は休息のためでもあったので、案内人の指示を待たなければならなかった。ハンスは一時間後に出発の合図をした。三人のアイスランド人は、仲間の猟師と同じくらい無口で、ひと言も口をきかず、食べ方も控え目だった。
いよいよスネッフェルスの山腹を登りはじめた。山でよくある目の錯覚から、雪をいただいた山頂がばかに近くに見えた。だが、そこにたどりつくまでに、どんなにか長い時間がかかったことだろう! なにより、どんなにか疲れたことだろう! 泥《どろ》もなく、草もなく、まったく石をつなぎとめるものがないので、石は歩くそばから崩れて、雪崩《なだれ》のような勢いで裾野のほうに消えていった。
場所によっては、山の斜面は水平面に対して少なくとも三六度の傾斜をなしていた。そんなところをよじ登ることはできないので、そういう石ころだらけの急坂は苦労して遠まわりしなければならなかった。そんなとき、ぼくたちはストックを使って、たがいに助け合った。
これは言っておかなければならないが、叔父はできるかぎりぼくのそばについていてくれた。いつもぼくから目を離さないようにして、何度となく、腕でぼくをしっかりと支えてくれたのだ。叔父にはたぶん先天的な平衡感覚が具《そな》わっていたのだ。よろけることがないのだ。アイスランドの連中は、荷物を背負っているのに、山男らしく敏捷《びんしょう》に登っていた。
スネッフェルスの高い山頂を見上げると、傾斜の角度が小さくならないかぎり、こちら側から山頂にたどりつくことはとてもできないと思えた。ところが、幸いなことに、一時間ほどふうふう言いながら力をふりしぼっていくと、火山の尾根にかぶさる広い雪の原に出たのだが、そのなかほどにはからずも階段のようになっているところがあって、登りが楽になった。これは、噴火によって噴き出された岩石の奔流《ほんりゅう》が作ったもので、アイスランド語で『スティナー』と言っている。もし、この岩石流が山腹の地形のために落下を中途でとめられなかったら、海のなかまでなだれこんで、新しい島がいくつかできあがっていたことだろう。
そんなふうだったので、ぼくたちには大助かりだった。傾斜はますます急になっていたが、この石の階段のおかげで、楽に登ることができた。それも、登りがたいへんはかどるので、ほかの連中がどんどん登っていくのに、ぼくがちょっとうしろでぐずぐずしていようものなら、その姿がみるみる遠くなって、虫眼鏡でも使いたいくらいに小さくなってしまうのだった。
午後七時に、二千段ほどもあるその段々をぼくたちは登りきった。ぼくたちは外輪山を足下にしていたのだ。つまり、火口のいわゆる円錐丘がのっている台の上に立っていたのである。
はるか一〇〇〇メートル下に海が広がっていた。ぼくたちは万年雪の境界線を超えていた。もっとも、アイスランドではつねに湿気のない気候のために、その境界線はあまり高いところではない。ひどく寒かった。風がすごい力で吹いていた。ぼくはくたくただった。教授は、ぼくの足がどうにも言うことをきかないのを見てとって、心はせいていたのだが、小休止することに決めた。そこで猟師に合図をすると、猟師は首を振って言った。
「オフヴァンフェール」
「もっと上まで行かなきゃあならんらしい」と叔父は言った。
そして、ハンスにそのわけをたずねた。
「ミストウル」と案内人は答えた。
「ヤー、ミストウル」とアイスランド人の一人が、脅《おび》えたような声でくり返した。
「なんて言っているんです?」不安になって、ぼくはきいた。
「見ろ」と叔父が言った。
ぼくは裾野のほうに目を向けた。軽石の粉と砂と埃《ほこり》が巨大な柱となって、龍巻《たつまき》のように渦《うず》を巻きながら、立ちのぼっている。風がそれをぼくたちがへばりついているスネッフェルスの山腹に向かって、吹きよせようとしていた。太陽のまえに立ちはだかったその不透明な幕が、山に大きな影を投げていた。もしこの龍巻が横に傾いてきたら、ぼくたちはその渦のなかに巻きこまれてしまうにちがいない。これは風が氷河から吹き出すときよく起こる現象で、アイスランド語で「ミストウル」と呼んでいる。
「ハスティクト、ハスティクト」と案内人は叫んだ。
デンマーク語は知らなくても、大急ぎでハンスについていかなければならないことはわかった。ハンスは、歩きやすいように山を斜めに巻きながら、火口の丘のうしろに回りはじめ、まもなく龍巻は山にぶつかって、山は激しく揺れた。風の渦に巻きこまれた石が、雨のように降って、まるで噴火したみたいだった。ぼくたちは、幸い、反対側にきていたので、危険にあわないですんだ。案内人の用心がなかったら、ぼくたちの体はずたずたにされ、こなごなになって、はるかかなた遠くに舞い落ち、なにかえたいのしれない大気現象の産物とされていたかもしれない。
しかし、ハンスは、円錐丘の中腹で夜を過ごすのは慎重なやり方ではないと判断した。ぼくたちはジグザグに登りつづけた。残りの五〇〇メートルを登るのに五時間近くかかった。迂回したり、斜めに登ったり、あと戻りしたりしたので、少なくとも一二キロは歩いたろう。ぼくはもうどうにもならなかった。寒さと空腹で倒れそうだった。空気も少し薄くなって、肺が思うように働かなかった。
ついに、午後一一時、暗闇《くらやみ》に包まれてスネッフェルスの頂上に達した。火口の内側に落ちつく場所を求めるまえに、ぼくは、一日じゅうで一番低く傾いた『真夜中の太陽』が、ぼくの足もとに眠る島の上に、青白い光を投げかけているのを、いっとき見やった。
一六
夕食はあっというまに終わり、一行はできるだけ工夫して寝る支度をした。寝床は固いし、足場も心もとない、海抜一五〇〇メートルときては、万事なかなか骨が折れた。けれども、その晩のぼくの眠りは特別に安らかだった。実に久しぶりに味わった最良の晩だった。夢も見なかった。
翌日、肌を刺すような大気になかば凍えたようになって目を覚ますと、美しい朝日がさしていた。ぼくは花崗岩の寝床を離れて、目のまえに広がるすばらしい光景を満喫しに行った。
ぼくはスネッフェルスの二つの峰のうちの、南の峰の頂に立っていた。そこからは、島の大部分が視界に入る。非常に高いところから見おろすといつもそう見えるものだが、海岸が浮きあがり、逆に島の中央部が落ちくぼんで見えた。まるでヘルベスメールの立体地図がぼくの足もとに広がっているみたいだった。深い谷がさまざまにいり組み、断崖が井戸のようにえぐられ、湖が池のように小さく、川が細い流れとなって見えた。右手には、数しれない氷河が点々と連なり、重なる峰々が、あるものはうっすらと煙をいただいて、うちつづいている。果てしないその山々の起伏は、雪をいただいてさながら泡だつ波かと見え、荒海の面《おもて》を思い起こさせた。おのずと西のほうにふりかえれば、大海が、まるでこの白波の立つ峰々のつづきかのように、厳かに広がっている。どこで陸地が終わり、どこで海が始まるのか、ぼくの目にはほとんど見分けがつかなかった。
こうしてぼくは、高い山々を見はるかすえも言えぬ陶酔にひたっていた。いまは少しも目まいなど感じなかった。この崇高な眺めについてぼくも慣れたのだった。太陽の光の透き通った輝きにたゆたって、目が眩《まぶ》しかった。自分が何者なのか、自分がどこにいるのかも忘れて、ぼくは、スカンディナヴィア神話の架空の妖精、あのエルフかシルフに生まれかわったような気がしていた。ぼくは高いところにいる快感に酔っていた。もうすぐ運命がぼくを投げこむ地底のことなど頭から消えていた。だが、教授とハンスがぼくのいる山頂にやってきたので、ぼくは現実の感覚に連れもどされた。
叔父は西のほうを向いて、水平線に浮かぶかすかな靄《もや》か霧のような陸地の影を手でさし示した。
「グリーンランドだ」と叔父は言った。
「グリーンランド?」とぼくは叫んだ。
「そうだ。一四〇キロとは離れていない。解氷期には北の流氷に乗って白熊がアイスランドまでやってくる。だが、そんなことはどうでもいい。わたしたちはいまスネッフェルスの頂上にいるのだ。そして、ここに峰が二つある。南に一つ、北に一つ。いまわしたちの立っているこの峰を、アイスランド人はなんと呼んでいるか、ハンスにきいてみよう」
きいてみると、猟師は答えた。
「スカルタリス」
叔父は意気揚々たる目つきでぼくを見た。
「火口へ行こう!」と彼は言った。
スネッフェルスの火口は漏斗《じょうご》形をしており、その口径は二キロぐらいはあったろう。深さは、ぼくの見たところ、約六〇〇メートルだ。こんな大きい漏斗のなかに、轟音《ごうおん》と火炎がいっぱいになったときの有様を想像していただきたい。漏斗の底は周囲一五〇メートルとはないようだから、傾斜はわりにゆるくて、下まで楽に行けそうだ。ぼくはなんの気なしに、この火口を筒先の開いた大きなラッパ銃みたいだなと思ったが、このたとえに気づいて、ぎょっとした。
「こんなラッパ銃のなかに降りてゆくなんて」とぼくは思った。「たぶん弾《たま》がこめてあって、ちょっとさわっても発射するかもしれないのに、これは気ちがい沙汰だ」
しかし、後《しり》ごみするわけにはゆかなかった。ハンスは平気な顔で、一行の先頭に立った。ぼくはなにも言わないで、あとについていった。
おりやすいように、ハンスは火口の内側に非常にゆるやかな楕円《だえん》形を描くようにしておりた。火山岩のごろごろしたなかを歩かなければならなかった。岩はぐらぐらして、窪《くぼ》みからとれ、深い底まではねかえりながら、いくつも落ちていった。落ちていくと、奇妙な音がこだまして響きわたった。
火口壁のところどころは氷河になっていた。そういうところでは、ハンスは細心の注意をした上でなければ先に進まなかった。クレヴァスを見つけようとして、アルペン・シュトックを雪に刺して調べるのだ。どうもあやしいなというところを渡るときには、誰かが不意に足をとられても仲間に支えてもらえるように、長いザイルでたがいに体を結びつける必要があった。こういう協力はいかにも慎重なやり方だったが、それでもまったく危険が起こらないとはかぎらない。
しかし、案内人さえおりたことのない斜面をおりるのは困難であったが、アイスランド人の一人が手を滑《すべ》らして、ザイルの包みが一つ、火口の底までまっしぐらに落ちていったほかには、事故もなく道ははかどった。
正午にぼくたちは下に着いた。頭をあげると、火口の縁《へり》が見える。そのなかに、妙に小さくて、ほとんどまんまるな形の空が一ときれすっぽりとはまっていた。ただ一か所、スカルタリスの峰がとびだして、無限のかなたへと突きささっていた。
火口の底には穴が三つあいていた。スネッフェルス噴火の当時には、地中の火床からその穴を通って、熔岩や蒸気が噴き出したのだ。穴はどれも直径がほぼ三〇メートルはあった。ぼくたちの足もとに大きく口をあけている。ぼくにはなかを覗《のぞ》きこむ勇気はでなかった。リーデンブロック教授のほうは、もう穴の様子を急いで調べにかかっていた。息をきらして、穴から穴へと走り回り、なにやら身振りをしたり、わけのわからない言葉を発したりしている。ハンスとその仲間たちは、熔岩の上に腰をおろして、叔父のすることをじっと見ていた。彼らは叔父のことを気がちがったと思っていたにちがいない。
突然、叔父がけたたましい声をあげた。ぼくは、叔父が足を滑らせて、三つの穴のどれかにおっこちたのだと思った。だが、そうではなかった。見ると叔父は、まるでプルトンの像でものせる巨大な台座のように火口の中央にでんと坐った花崗岩の岩のまえにつっ立って、両腕をひろげ、足を踏んばっていた。それはもうほんとに驚いたという恰好だったが、やがてその驚きが狂ったような喜びに変わった。
「アクセル、アクセル!」と叫んだ。「来てみろ、来てみろ!」
ぼくは駆けつけた。ハンスや人夫たちはじっと動こうともしない。
「見ろ」と教授は言った。
見て、ぼくも驚いた、叔父と一緒になって喜べはしなかったが。その岩の西の壁面に、年月を経てなかば消えかかったルーン文字で、返すがえすも呪《のろ》わしいあの名前をぼくは読んだのだ。
「アルネ・サクヌッセンム!」と叔父は叫んだ。「どうだ、まだ疑うか?」
ぼくは返事をしなかった。茫然《ぼうぜん》として、さきほど腰をおろしていた熔岩のところに戻った。明白な事実にぼくは打ちのめされていた。
どのくらいの時間、そうやって思いふけっていたか、ぼくにはわからない。わかっているのは、顔を上げたら、叔父とハンスの二人だけが火口の底に見えたということだ。アイスランド人の人夫たちはすでに帰ってしまっていた。今ごろはスタピに戻るために、スネッフェルスの外側の斜面をおりているころだった。
ハンスは、熔岩流の固まった岩の根方に、即席の寝床を作って、静かに眠っていた。叔父は、落し穴におちこんだ野獣のように、火口の底をぐるぐると歩きまわっていた。ぼくには立ちあがる気力も力もなかった。それで、ハンスの真似をして、寝苦しい眠りに身をまかせることにした。山の胎内にざわめく音が聞こえるような、震動が響いているような気がした。
こうして火口の底での最初の夜が過ぎた。
翌日は、灰色のどんよりと曇った空が、火口の頂に垂れこめた。そのことにぼくが気がついたのは、火口のなかが暗かったからではなくて、叔父がなんとも腹だたしそうにしていたからだ。
叔父の怒る理由がぼくにはちゃんとわかった。わずかな希望がぼくの心によみがえってきた。それはこういうわけだ。
ぼくたちの足もとに開いている三つの穴のうち、サクヌッセンムが入って行ったのは一つだけである。このアイスランドの学者の言うところによれば、その入口は、スカルタリスの峰のおとす影が、六月の末ごろその穴の縁に触れるという、暗号文に記されたあの特徴によって、見わけられることになっていた。
事実、その尖《とが》った峰を巨大な日時計の時針と見なすことはできた。あるきまった日に、その影が地球の中心への道を示すのである。
ところが、もし太陽が出なければ、影はできない。そうなれば、目印になるものがない。今日は六月二五日だった。あと六日間、空が曇ったままだと、観察は来年まで延期しなければならなくなる。
ぼくは、リーデンブロック教授の役にもたたない立腹ぶりを描写するのはやめにしよう。一日が過ぎた。火口の底にはついにどんな影もさしてはこなかった。ハンスは自分のいる場所を動かなかった。だが、彼はぼくたちがなにを待っているのかいぶかしく思っていたかもしれない。もっとも、この男になにかをいぶかしく思うなんてことがあればの話だが。叔父はただの一回もぼくに言葉をかけなかった。ひたすら天空をにらんだその眼差《まなざ》しは、灰色の雲に包まれた空のなかにたち迷っていた。
二六日、相変わらず駄目だ。雪まじりの雨が一日中降った。ハンスは熔岩のかけらを集めて小屋を作った。ぼくは、無数の即製の滝が火口壁を流れおちるのを目で追って、なにがしか楽しんだ。滝は岩に当たってはごうごうと音を増した。
叔父はもう自分が抑えられなくなっていた。もっと辛抱《しんぼう》強い人だって苛《いら》だって不思議はなかった。なにしろ、まったくの話、港のなかで坐礁《ざしょう》したようなものだったのだから。
だが、大きな苦しみがあれば、天はかならず大きな喜びをもたらしてくださる。リーデンブロック教授にも、天は、これまでの絶望的なやるせなさにも匹敵する喜びをとっておいてくれたのだった。
翌日、空はまだ曇っていた。しかし、六月二八日、日曜日、この月の最後から三日まえの日、月齢が変わるとともに、天気が変わった。太陽がさんさんと光を火口にそそいだ。どの丘も、どの岩も、どの石も、どの窪みも、この光の乱舞に加わって、いっせいにその影を地上に落とした。なかでも、スカルタリスの峰の影は、するどい角を描いて、輝く太陽の動きにつれて、少しずつ回りはじめた。
叔父も影と一緒になって回った。
正午、影が一番短くなったとき、それは中央の穴の縁をやさしくなぶった。
「これだ!」と教授は叫んだ。「これだ! 地球の中心に行く入口は!」とデンマーク語でつけ加えた。
ぼくはハンスをじっと見た。
「フォリュート」と案内人は静かに言った。「出発だ!」と叔父が応じた。
午後一時一三分だった。
一七
いよいよ、ほんとうの旅が始まった。これまでは疲労のほうが、困難なことよりも大きかった。これからは、ほんとうの困難が、足もとから生まれてくるのだ。
このときまで、ぼくはまだ、自分がこれから入ってゆくその底知れない穴倉をのぞいて見ていなかった。いよいよ、時がきたのだ。いまならまだ、この探検に加わることも、それをことわることもできた。だが、ハンスのまえで後《しり》ごみをするのは、恥ずかしかった。この猟師は、まったく平然と、危険なんかまるで気にするふうもなく、落ち着きはらって、冒険を受け入れている。この男より勇気がないのかと思うと、ぼくは顔が赤くなった。ぼくだけだったら、さんざんごたくを並べたことだろう。しかし、案内人のいるまえだ、ぼくは口を噤《つぐ》んだ。心残りの思いがぼくの美しいフィルラント娘のほうへ飛んでいった。そして、ぼくはその中央の穴に近づいた。
まえに言ったが、その穴は直径約三〇メートル、つまり周囲にすると九〇メートルほどあった。ぼくは穴の上に張りだした岩にのって、体をのりだしてのぞきこんだ。髪が総毛立った。体のなかがからっぽになったような気がした。ぼくのなかで重心がずれるような感じがして、酔ったように目まいが頭にのぼってきた。深い淵《ふち》にひきこまれるこの感じほど、気分の悪いものはない。ぼくは落ちそうになった。一本の手がぼくをひきとめてくれた。ハンスの手だった。コペンハーゲンのフレルセルス教会でやった『深淵に慣れる訓練』がやっぱり十分ではなかったのだ。
とはいえ、ほんのちらっとこの穴倉に目を落としただけだったが、ぼくには穴の構造がわかった。ほとんど切り立ったその内壁には、つき出たところが無数にあって、おりるのは楽そうだった。しかし、階段はあったにしても、手すりはついていないのだ。おりるとば口のところに綱を結びつけておけば、十分支えになるだろうが、一番下についてから、どうやってその綱をはずしたらいいのだろう。
この難問をあらかじめ避けるのに、叔父はごく単純な方法をとった。親指ほどの太さで長さ一二〇メートルある綱をほどいて、まずその半分をくりだし、突きだした熔岩の出っぱりのまわりにそれを巻いてから、残りの半分を穴のなかに投げこんだのだ。それで、ぼくたちはひとりひとり、この二本の綱を一緒にして掴《つか》みながらおりればよい。綱はほどけることはない。六〇メートルおりたら、片方の綱を放して、もう一方の綱を引っぱれば、綱を回収するのはごくごくやさしいことだ。そうして、この操作を|際限なく《アド・インフィニトゥム》繰り返してゆくのだ。
「さあ」それだけの準備を終えると、叔父は言った。「今度は荷物にとりかかろう。荷物は三つの包みに分けるぞ。一人が一つずつ背負うのだ。もっとも荷物といったって、こわれやすいものだけだがな」
豪気な教授はむろんのこと、ぼくたちをこわれやすいものの部類に入れてくれてはいなかった。
「ハンス」と彼は言葉をついだ。「おまえは道具類と食糧の三分の一をかついでくれ。それからアクセル、おまえは食糧の三分の一と武器だ。わしは、残りの食糧と精巧な計器類をもつ」
「じゃあ」とぼくは言った。「衣類やこのたくさんの綱や縄梯子《なわばしご》は、だれがおろすんです?」
「ひとりでおりるのさ」
「そりゃあ、どうやって?」とぼくはたずねた。
「まあ見ていろ」
叔父というのは、とてつもない術《て》を好んで、またためらいなく使う人だった。叔父の命令一下、ハンスは、こわれやすくないものというやつをまとめて、一包みにした。そして、この包みは、しっかり縄をかけると、あっさり穴のなかに放りこまれた。
空気の層を荷物がかき乱して起こす殷々《いんいん》たる響きにぼくは耳を傾けた。叔父は、深い穴の上にかがみこんで、荷物が落ちてゆくのを満足そうな目で追っていた。それが見えなくなると、やっと身を起こした。
「よし」と彼は言った。「さて、わしたちの番だ」
ぼくはすべての率直な人にうかがいたい、このような叔父の言葉を聞いて、身ぶるいせずにいられるものかを!
教授は計器類の入った包みを背負った。ハンスは道具の包みを、ぼくは武器の包みをとった。下降が始まった。ハンス、叔父、ぼくの順だ。深く静まりかえったなかをおりてゆく、その静けさをかき乱すのは、深淵に転げ落ちる岩のかけらの音だけだった。
ぼくは、一方の手で二本の綱を夢中に握りしめ、もう一方の手でアルペン・シュトックを使って体を支えながら、いわば滑り落ちるようにおりていった。ただ一つのことで頭がいっぱいだった。体を支えているものがふいとなくなってしまいはしないか、それが心配だったのだ。綱は三人の体重に耐えるには心細いように思えた。ぼくはできるだけ綱に頼らないようにして、足を手のように働かして熔岩の出っぱりをまさぐり、そこに掴まって体の平衡をとる離れわざを演じたのだ。
ハンスの足もとで崩れやすい足場がぐらついたりすると、彼は落ちついた声で言うのだった。
「ギフ、アクト!」
「気をつけろ!」と叔父が繰り返す。
半時間後、ぼくたちは、穴の壁面にしっかりとはまりこんでいる岩の上についた。
ハンスは綱の片端を引っぱった。もう一方の端が空中にあがっていった。上の岩をまわると、綱は、石や熔岩の破片を雨のようにというか、もっと適切にいえば、危険きわまる雹《ひょう》のように、そぎ落としながら、落ちてきた。
ぼくは狭い岩棚《いわだな》から身をのりだしてみたが、穴の底はまだ見えなかった。
また、同じ綱の操作を繰り返し、半時間後、ぼくたちはさらに六〇メートル下まで降下した。
気ちがいじみるほど熱心な地質学者なら、こんなおり方をしながらでも、まわりの地質を研究しようとするものかどうか、ぼくは知らない。ぼくには、そんなことはとてもかまってはいられなかった。その地層が、鮮新世のなのか、中新世なのか、始新世なのか、あるいは白亜紀、ジュラ紀、三畳紀、二畳紀、石炭紀、デヴォン紀、シルリア紀か、それとも原生代か、そんなことはぼくにはたいしたことではなかった。ところが教授ときたら、ちゃんと観察をしたり、心覚えをとったりしているらしい。何度か休んだあるとき、こう言ったものだ。
「おりればおりるほど、わしの確信は深くなってきたぞ。この火山の地盤の組成を見ると、デーヴィーの理論が絶対に正しいと言えるな。わしたちはいま原始そのままの土地にいるのだ。この土壌のなかで、空気と水に触れて燃えあがった金属の化学作用が起こったのだ。なんといったってわしは、地球の内部が高温だという説は拒否するぞ。しかしまあ、いずれわかることだがな」
相変わらずの結論だ。ぼくは当然ながら議論する気になれなかった。ぼくが黙っていたので、賛成したものと思われてしまった。そして、また下降が始まった。
三時間たったが、まだ穴の底は見えてこなかった。顔をあげると、穴の口がずいぶんと小さくなって見えた。内壁はわずかだが傾斜しているので、壁と壁とが次第に狭まってきているB暗さも少しずつ濃くなってきた。
しかし、ぼくたちは依然としておりつづけた。壁からはがれた石が吸いこまれてゆく音の反響が、まえよりは鈍くなったように思えた。石はすぐに穴の底についてしまうらしかった。
綱の操作の回数を正確に覚えておくように気をつけていたので、ぼくは、どれだけおりたか、どれだけ時間がたったかを正確に知ることができた。
半時間かかるこの操作を、ぼくたちはそのときまでに一四回繰り返していた。それで七時間、それに一五分の小休止を一四回、つまり三時間半。全部で一〇時間半になる。ぼくたちが出発したのは一時だったから、いまは一一時にはなっているはずだった。
ぼくたちが達した深さはといえば、一回六〇メートルの綱で十四回降下したわけだから、八四〇メートルになる。
ちょうどそのとき、ハンスの声が聞こえた。
「ハルト!」と彼は言った。
ぼくの足が叔父の頭にぶつかりそうになって、ぼくは慌ててとまった。
「ついたぞ」と叔父は言った。
「どこへですか?」叔父のわきに滑りおりながら、ぼくはきいた。
「垂直な穴の底にだ」
「ではこれで行きどまりですか?」
「いや、地下道のようなものが見える。右のほうに斜めにいっている。それはあした調べることにしよう。まずは飯だ。それから寝るんだ」
まだ真暗にはなっていなかった。みんなは食糧の袋を開いて、食事をした。そしてめいめい石と熔岩のかけらの寝台に、それぞれなんとか工夫して横になった。
仰向けになって、目をあけると、さながら巨大な望遠鏡と化した、この九〇〇メートルの長い管《くだ》の尖端《せんたん》に、きらきらと光る点が一つ見えた。
それは、まったくまばたかない星だった。ぼくの推量では、小熊座のベーター星にちがいなかった。
それから、ぼくはぐっすりと眠りこんだ。
一八
午前八時、陽の光がさしてきて、ぼくたちは目を覚ました。熔岩の壁面の無数の凹凸《おうとつ》がさしこむ陽を受けて、散乱する光の雨を降りそそいでいた。
その光はかなり強く、あたりのものが見わけられるくらいだった。
「おい、アクセル、どうだね?」と手をこすり合わせながら、叔父が大きな声で言った。「ケーニッヒシュトラーセの家でこんなに静かな夜を過ごしたことがあるか? 馬車の音も、もの売りの声もしないし、船頭たちのどなる声もない」
「もちろん、この穴の底じゃあ、そりゃあ静かですよ。でも、この静かさはなんだか無気味ですよ」
「おいおい、おまえ」と叔父は大きな声をだした。「いまからびくついていて、これから先どうなるんだい? まだ地球の胎内にこれっぽっちも入っていないんだぞ」
「それ、どういうことですか?」
「わたしたちはやっと島の地面あたりについたところなのさ。スネッフェルスの火口からまっすぐおりてきているこの長い土管は、だいたい海面の高さで終わっているのだ」
「ほんとうですか?」
「実にたしかさ。気圧計を見てみろ」
そのとおり、気圧計の水銀柱は、ぼくたちがおりるにつれて少しずつまたあがっていたが、七六〇ミリのところでとまっていた。
「それみろ」教授は言葉をついだ。「まだやっと一気圧のところだ。早くこの気圧計のかわりに圧力計を使うようになりたいものだよ」
実際、この計器は、大気圧が海面での気圧以上になると、役にたたなくなるのだ。
「でも、どんどん圧力が高くなったら、苦しくなる心配はないでしょうか?」
「いや、わしたちのおりるのはゆっくりだからな、だんだん圧縮される空気を吸うのに肺が慣れていくさ。気球に乗る者は、上空にのぼるにつれて、しまいには空気が欠乏してしまうが、わたしたちの場合は、たぶん空気がありすぎることになるだろう。だが、そのほうがありがたいよ。さあ、時間を無駄にしてはいかん。わしたちより先に穴をおりていった荷物はどこにあるかな?」
それで、ぼくは、昨夜みんなでその荷物を探したけれども見つからなかったことを思いだした。叔父はハンスにたずねた。ハンスは猟師の目で注意深く見まわしていたが、やがて言った。
「デル・フッペ!」
「あそこだ」
そのとおり、包みは、ぼくたちの頭上三〇メートルほどの岩の出っぱりにひっかかっていた。たちまち敏捷《びんしょう》なアイスランド人は、猫のようによじのぼっていった。数分後には、包みはぼくたちの手もとにあった。
「さあ、それじゃあ」と叔父は言った。「飯にしよう。だがな、先の長い旅になりそうだ、そうなってもいいようにするんだ」
ジンを入れた水で喉をしめしながら、乾パンと乾し肉を食べた。
食事が終わると、叔父はポケットから観察ノートをとりだした。いろいろな計器を順次とりあげて、次のようなデータを記入した。
七月一日 月曜日
クロノメーター 午前八時一七分
気圧計 七六〇ミリ
温度計 六度
方向 東南東
最後の『方向』というのは、暗い地下道の方向のことで、コンパスで測定した。
「ようし、アクセル」と教授は感激の声で言った。「いよいよほんとうに地球の胎内に入っていくぞ。まさにこの瞬間にわれわれの旅行が始まるのだ」
そう言うと、叔父は、首にかけたルームコルフ装置を手にとって、もう一方の手で、ランプの螺旋管《らせんかん》に電流を通した。すると、かなり強い光が地下道の闇《やみ》を追いはらった。
ハンスも、同じくスイッチを入れたもう一つの装置を持った。この巧妙な電気の応用装置のおかげで、ぼくたちは人工の昼間を作りながら、どんなに引火しやすいガスのなかでも、長いあいだ進むことができるのだった。
「出発!」と叔父が叫んだ。
みんなそれぞれ荷物をとりあげた。ハンスが、綱と衣類を入れた包みをころがしてゆく役をひきうけた。こうして、ぼくがしんがりで、地下道に入っていった。
その暗い通路に入りこむとき、ぼくは頭をあげた。長い大きな円筒に限られた、『もう二度と見られないにちがいない』アイスランドの空を、これが最後と見おさめた。
一二二九年にあった最後の爆発のとき、熔岩はこのトンネルをつたって、流出したのだった。その熔岩が、厚いきらきらする被膜となって、トンネルの内部にこびりついていた。電気の光は、それに反射して、百倍にも明るくなった。
進むにあたっての困難は、約四五度もの傾斜がある斜面を、あまり早く滑りおりないようにすることだけだった。幸いなことに、侵食されたところや、盛りあがったところがあって、段々のようになっていた。それで、ぼくたちは、長い綱の先に結《ゆわ》えた荷物を滑らせながら、ただおりていけばよかった。
ところが、ぼくたちの足の下では段々状になっているのが、左右や上の壁面では鍾乳石となっていた。ところどころでは、細かい気孔《きこう》のあいた熔岩が、小さな丸い玉になっていた。不透明の石英の結晶が、透きとおったガラスのしずくに飾られて、シャンデリアのように円天井から垂れさがり、ぼくたちが通ると、明りをともしたように見えるのだった。洞窟の妖精たちが、地上からの客を迎えるために、彼らの宮殿をイリュミネーションで飾ったみたいだった。
「きれいだな!」ぼくは思わず叫んでしまった。「すばらしい景色ですね、叔父さん。赤茶色からほんの少しずつ薄くなって、鮮かな黄色に移っていく、あの熔岩の色合い、美しいと思いませんか? それからどうです、あの結晶、光の玉のようですよ」
「ほう、おまえにもわかってきたな、アクセル」と叔父は答えた。「うん、おまえにも、これがすばらしいと見えるんだな。もっともっと、いろいろあるさ、きっとな。さあ、歩こう!」
より正確には、『滑ろう』と言うべきだった。ぼくたちは急な斜面を疲れもしらず滑るように進んでいたからだ。まさにウェルギリウスの『冥界《アウェルヌス》ヘノ下降ハ容易ナリ』だった。ぼくはコンパスをしょっちゅう見たが、動く気配もなく正確に南東の方角をさしていた。この熔岩の流れた道は、右にも左にも曲がっていなかった。頑固一徹に直線を守っていた。
一方、温度もはっきり感じるほどには上昇しなかった。デーヴィーの理論が正しいということになる。ぼくは何度も温度計を見てはびっくりした。出発後二時間して、まだ一〇度を示しているにすぎない。つまり、四度しかあがっていない。ということは、ぼくたちは縦の方向よりは横の方向におりているのだ、と考えざるをえなかった。どれだけの深さに達したかを正確に知るのは、しごく容易だ。教授は道の偏向角度と傾斜角度を正確に測っていたが、観測の結果は自分一人で握っていた。
晩の八時頃、叔父は、とまれの合図をした。ハンスはただちにとまった。ランプを熔岩の出っぱりにひっかけた。ぼくたちがいるのは洞窟のようなところで、空気は不足していなかった。それどころではない。なにか風が吹いてくるようだった。どういうわけで風なんか起こるのだろう? どんな大気の動揺が風のもとになっているのか? そんな問題はいまは考える気にはならなかった。おなかが空いて疲れていて、理屈を考えるなんてとてもできたものじゃない。七時間もつづけさまにおりたのだ、力がなくならないわけがない。ぼくはくたくただった。だから、『とまれ』の声を聞いたときには嬉《うれ》しかった。ハンスが熔岩のかたまりの上に、食糧を並べた。みんなもりもりと食べた。けれども、ぼくには一つ気になることがあった。用意した水の半分を使ってしまったことである。叔父は、水を地下の湧《わ》き水で補給するつもりでいた。だが、これまでのところ、そんなものは全然なかった。このことに叔父の注意をうながさないではいられなかった。
「湧き水がないのが意外なのか?」と叔父は言った。
「もちろんですよ。それどころか、心配なんです。水はあと五日分しかありませんよ」
「心配するな、アクセル、水は見つかるよ、それも必要以上にな」
「いつです、それは」
「この熔岩に覆《おお》われた地帯を抜けたらだ。こんな壁から水が湧くとでも思っているのか?」
「でも、もしかしたら、この熔岩の流れた跡はひどく深くまでいっているのかもしれませんよ。まだぼくたちは縦の方向にはたいして進んでいないように思うんですが」
「なんでそんなことを思うんだ?」
「地殻《ちかく》のなかに深く入っていれば、温度がもっとあがっているはずですもの」
「おまえの説によればだ」と叔父は答えた。「それで温度計はいま何度をさしている?」
「やっと一五度です。出発してから九度しかあがっていません」
「なるほど、それでどういう結論になるのだ」
「ぼくの結論はこうです。きわめて正確な観測によれば、地球の内部の温度は三〇メートルにつき一度上昇します。もちろん場所の状況によっては、この数字が変動することはありえます。たとえば、シベリアのヤクーツクでは、一一メートルごとに一度上昇すると指摘されています。このちがいは明らかに岩の熱伝導率によるものです。さらに言えば、死火山の近くの、片麻岩《へんまがん》帯では、温度の上昇は三七メートルにつきやっと一度だという指摘もあります。ですから、一番ここに適していそうなこの最後の率をとって、計算してみましょう」
「じゃあ、計算してごらん」
「簡単この上なしですよ」と言って、ぼくは手帳に数字を書いた。「三七メートルかける九で、三三三メートルの深さです」
「正確この上なしだな」
「それで、どうなんです?」
「それでだな、わしの観測したところによれば、わしたちは海面下三〇〇〇メートルのところに達しているのだ」
「そんなことがあるもんですか?」
「あるのだよ。さもなきゃ数字が数字じゃなくなってしまう」
教授の計算はたしかだった。ぼくたちは、チロル山中のキッツ=バル鉱山や、ボヘミアのヴッテンベルク鉱山のような、人間が到達したもっとも深いところを、すでに一八〇〇メートルも越えてしまっていたのだ。
この深さだと、温度は八一度になるはずだったが、それが一五度そこそこだった。これにはひどく考えさせられた。
一九
翌日、六月三〇日、火曜日、六時に、ふたたび下降が始まった。
ぼくたちは相変わらず熔岩の坑道をたどっていた。古い家ではいまでも階段のかわりに傾斜した板を使っているところがあるが、そんなふうにゆるい正真正銘自然の坂道になっている。こうして進みつづけてきっちり一二時一七分、ハンスの足がぴたっととまり、ぼくたちは、ハンスに追いついた。
「そら」と叔父が声をあげた。「熔岩道の終点についたぞ」
ぼくはまわりを見まわした。ぼくたちはわかれ道のまんまえにいた。そこから二本の道がわかれているのだが、二本とも暗くて狭い道だ。どちらの道を行ったらいいのか? むずかしい問題だった。
しかし、叔父は、ぼくにもハンスにも、ためらう気配を見せようとはしなかった。彼は東のトンネルを指さした。そこで三人はただちにその道に入っていった。
もっとも、この二本の道のまえでためらう気になったら、際限なく長びいたことだろう。なぜって、どちらかにきめられる手がかりなど、まるでなかったからだ。まったく運にまかせるよりしかなかったのだ。
今度の地下道は、傾斜はほとんど感じられないくらいだったが、穴の大きさはまるで一定していなかった。ときには、ぼくたちの行手に、ゴシック式大聖堂の側廊《そくろう》のように、円天井が次から次とつづいた。中世の芸術家だったら、尖頭|迫持《せりもち》を基本とする教会建築のあらゆる形式をここで研究することができただろう。それが一五〇〇メートルも先にいくと、今度はロマネスク式のゆるいアーチとなって、その下をぼくたちは頭をかがめてくぐり、土台にめりこんだ太い柱は、円天井の重みに折れ曲がっているのだ。またある場所では、がらりと形が変わって、ビーヴァーの巣のような天井の低い地下道となり、ぼくたちはその細い管を、はって通り抜けるのだった。
温度は耐えられる程度を維持していた。思うともなく、ぼくは、いまはこんなに静かなこの道をスネッフェルスから噴出した熔岩が押し通ったときの、すさまじい温度のことを想像した。地下道の角々にぶつかって火の奔流《ほんりゅう》が砕け散り、この狭いところに高温の蒸気が充満するさまを想像した。
「まさか」とぼくは思った。「このおいぼれ火山が出しおくれの気まぐれなんか起こしませんように!」
こうしたことを考えても、リーデンブロック叔父さんには全然話さなかった。話したって、わかってはくれないだろう。叔父の頭のなかにあるのはただ一つ、前進することだけだ。彼は、確信をもって、歩き、滑り、ころびさえしていた。なんとも感嘆《かんたん》に価する確信だった。
午後六時、たいして疲れもしない道だったが、ぼくたちは南に八キロ進んでいた。しかし深さは四〇〇メートルそこそこしかはかどらない。
叔父が休息の合図をした。あまり話もせずに食事をし、あまり考えこみもせずに眠った。
ぼくたちの夜の支度はごく簡単だった。一枚の旅行用毛布、それにくるまってごろっとなれば、それで寝床ができあがりだ。寒さも、厄介な訪問者も、心配する必要はなかった。アフリカの沙漠のまんなかや、新大陸の森林の奥に入っていく旅行者なら、眠るときには替わりあって寝ずの番をしなければならないが、ここでは、まったくぼくたちだけしかいず、完全に安全だ。野蛮人や猛獣といった物騒なしろものを怖れることは全然なかった。
翌日、爽快《そうかい》で溌剌《はつらつ》とした気分で、目を覚ました。ふたたび前進だ。昨日と同じように、熔岩の道を行く。その道が通っている地帯の地質をたしかめることは不可能だ。トンネルは、地球の内部に入っていかないで、完全に水平になっていくようだった。地表のほうへあがっている気配さえあると、ぼくは思った。その状況が午前一〇時ごろになると非常にはっきりしてきて、それとともに道もたいそうつらくなったので、ぼくはみんなの歩みを遅らせることになってしまった。
「どうした、アクセル」じりじりして教授が言った。
「どうしたって、もういけません」とぼくは答えた。
「なんだと、こんな楽な道を三時間歩いただけじゃないか」
「楽な道じゃないとは言いませんがね、疲れることもたしかですよ」
「なんだい、わしたちはおりてるだけだぞ!」
「どういたしまして、登っていますよ!」
「登っているだと!」叔父は肩をそびやかして言った。
「きっとですよ。三〇分ぐらいまえから、傾斜が変わりました。このまま行けば、まちがいなくアイスランドの地面に逆もどりです」
教授はまったく人の言うことをきくのがきらいな人で、首を横に振った。ぼくは話をつづけようとした。彼は返事をしないで、出発の合図をした。黙っているのは、まさに不機嫌《ふきげん》のかたまりになっているのだとよくわかった。
しかたなく、ぼくは元気をだしてまた重い荷物をかつぎ、急いでハンスのあとを追った。叔父はそのまえを歩いている。ぼくは離されないようにと懸命だった。ぼくが一番に心がけていたのは、道連れを見失わないということだった。この深い迷路のなかで迷子になったらと思うと、ぞっとした。
けれども、登り坂はますます苦しくなってきたが、それで地表に近くなるのだと思って、心を慰めた。それは希望だった。一歩々々に希望は強くなり、かわいいグラウベンに再会できると思うと、嬉しくなった。
正午には、地下道の壁の様子に変化が現れた。壁からの電気の光の反射が弱くなったので、それに気づいたのだ。熔岩の被膜がなくなって、生地の岩が出てきたのだ。岩は斜めの層をなしており、ときには垂直に走る層もある。ぼくたちは古生代のさなか、シルリア紀の地層にいたのだ。
「まちがいないぞ」とぼくは叫んでしまった。「こういう片岩や石灰岩や砂岩は地球の古生代に、水の沈殿《ちんでん》物からできたやつだ。ぼくたちは花崗岩の層に背を向けているんだ。ハンブルクからリューベックへ行くのに、ハノーヴァー街道を行くみたいなもんだな」
ぼくは、観察したことを自分一人にしまっておけばよかった。だが、つい地質学者根性が出て、用心深さが負けたのだ。リーデンブロック叔父さんはその声を聞きつけてしまった。
「どうした?」と叔父が言った。
「ごらんなさい」と答えて、砂岩や石灰岩がさまざまに並んでいるところや、黒ずんだ土壌ができはじめているところを指さした。
「それで、どうだというんだ?」
「ぼくたちは、最初の植物や最初の動物が出現した時期の地層に来ているんですよ」
「なるほど、そう思うのかい」
「まあ、見てくださいよ。調べてくださいな、よく観察してくださいよ」
ぼくは、地下道の壁面を照らすように教授のランプを向けさせた。彼がなにか叫び声でもあげないかと期待していたが、ひと言も言わないで、彼は歩きつづけた。
叔父はぼくの言うことがわかったのだろうか、それともわからないのだろうか? 叔父としての、また学者としての自尊心から、東のトンネルを選んだのがまちがいだったことを認めたくなかったのか、それとも、この道をとことん調べることに固執しているのだろうか? しかし、ぼくたちが熔岩の道から離れてしまっていて、この道ではスネッフェルス火山の源に行きつけないことは、明らかだった。
それでも、この地質の変化をぼくは重要視しすぎているのではないかとも考えた。まちがっているのは、ぼくではないのか? ぼくたちはほんとうに、花崗岩の岩盤の上に積んだ岩の層を通っているのだろうか?
「もしぼくが正しければ」とぼくは考えた。「原生植物のかけらかなにか見つかるはずだ。そうしたら、明白な事実にしたがうほかあるまい。探してみよう」
百歩も行かないうちに、文句のつけようのない証拠がぼくの目のまえに出てきた。それにちがいはなかった。なぜなら、シルリア紀には、海中に一五〇〇種以上の動植物が生息していたからだ。熔岩の固い地面に慣れていたぼくの足が、突然、植物や貝殻のかけらでできた土埃《つちぼこり》のなかに踏みこんだのだ。岩壁の上にも、|ひばまた《ヽヽヽヽ》や|ひかげのかずら《ヽヽヽヽヽヽヽ》の化石がはっきりと見える。リーデンブロック教授がそれを見そこなうはずはなかった。だが、彼は目をつぶっているらしい。変わらぬ足どりで道をつづけている。
これはなんとも限度を超えた強情の張りようだった。もう我慢ができなかった。ぼくは完全に形を保った生物の殻を拾った。現在のわらじ虫とだいたい似た生物のものだ。そして叔父に追いついて、ぼくは言った。
「ほら、ごらんなさい!」
「なるほど」と叔父は落ち着きはらって言うのだ。「それはいまは死滅した三葉虫類に属する甲殻類の殻だ。それにまちがいない」
「それで、そこから結論はでてこないんですか?……」
「おまえがだした結論か? まったくそのとおりさ。わしたちは花崗岩の層と熔岩の道からはずれてしまった。わしがまちがったのかもしれない。だがな、この地下道の終点までついてみなければ、たしかにわしのまちがいだとはきめられない」
「叔父さんがそういうふうになさるのは当然でしょう。ぼくだって、だんだん危険が迫ってくる心配がなけりゃあ、叔父さんに賛成しますよ」
「危険って、なんのだ?」
「水がなくなるんです」
「そうか! 飲む量を制限しよう、アクセル」
二〇
実際、水を制限する必要があった。ぼくたちの貯えはもう三日以上はもちそうになかったのだ。その晩、夕食のときにぼくはそれを確認した。しかも、いまいましいことに、こういう古生代の地層では、湧き水に出くわす希望はまずなかった。
翌日一日じゅう、地下道は、歩くほどに、果てしなく円天井をくりだした。ぼくたちはほとんど口をきかずに歩いた。ハンスの無口がみんなにうつったのだ。
道は少なくともそれとわかるほどにはのぼりにはなっていなかった。ときには、くだりになったかと思われることさえあった。だが、そういう傾向も、たいして目立ったわけではなく、教授を安心させるはずはなかった。地層の性質は変わっていなかったし、古生代のものであることはますますはっきりしていたからだ。
電気の光で、壁面の片岩や石灰岩や古びた赤い砂岩が、壮麗にきらめくのだった。デヴォン紀というこの種の地層の名前はデヴォンシャーという地名からきているのだが、そのデヴォンシャー地方のどこかにぱっくりとあいた切り通しのなかにでもいるような気がした。すばらしい大理石の見本が壁を彩っていたが、目にも奔放な白い縞《しま》のついた灰色の瑪瑙《めのう》もあれば、淡紅色のものも、赤い斑《まだら》のある黄色のものもあった。さらに先には、石灰質があざやかに浮きでた、くすんだ桜色の大理石もあった。
こういう大理石の大部分のものに、原始期の生物の痕跡が現れていた。ただ昨日から見れば、それらの生物は明らかに進歩していた。原始的な三葉虫ではなくて、もっと完成された種族の残骸が目についた。なかでも、硬鱗《こうりん》魚類や、古生物学者が爬虫類《はちゅうるい》の原形とみなしている鰭竜《きりゅう》類が認められた。デヴォン紀の海には、この種の動物がたくさん棲《す》んでいて、新しく形成された岩の上に、それが何千となく打ちあげられたのだ。
人間を頂点とする動物の生命進化の段階をぼくたちがいま逆にたどっていることは、もうはっきりとしてきた。ところが、リーデンブロック教授はそんなことには気をとめる様子もなかった。
彼は二つのことを待っていたのだ。垂直な竪穴が足もとに開いて、また下降ができるようになるか、あるいは障害物によってこの道をつづけてゆくことができなくなるかのどちらかだ。だが、この期待がかなえられないうちに、夜がきた。
金曜日、喉の渇《かわ》きが始まって苦しかった一夜が明けると、ぼくたち一行はふたたび曲がりくねった地下道を突き進んだ。
一〇時間も歩いたころ、ぼくは、ランプの壁に反射する光が妙に暗くなったことに気がついた。大理石や片岩、石灰岩、砂岩などだった壁面が、暗くて輝きのないものに覆《おお》われた壁に変わっている。たまたまトンネルがひどく細くなったとき、ぼくは左側の壁に手をついてしまった。
手を離すと、まっ黒になっていた。顔を寄せてよく見た。ぼくたちは石炭のなかにいたのだ。
「炭坑だ!」とぼくは叫んだ。
「坑夫のいない炭坑さ」と叔父が言った。
「さあ、どうですか」
「わしにはわかっとる」ぶっきらぼうに教授は答えた。「この石炭層を貫いている地下道は、人間の手が作ったものじゃないのは確実だ。だがな、これが自然の作ったものだろうと、そうじゃなかろうと、そんなことはたいしたことじゃない。それより晩飯の時間だ。さあ飯にしよう」
ハンスが少々の食べ物を用意した。ぼくはほとんど食べなかった。割り当てられたほんの少しの水を飲んだ。案内人の水筒の半分ほどの水、これが三人の男の喉をうるおすために残されたすべてだった。
食事がすむと、二人の仲間は毛布に横になって、ぐっすりと眠りこみ、疲れをいやした。ぼくのほうは、眠れなかった。朝まで、時間を数えていた。
土曜日、六時、ふたたび出発。二〇分後に、ぼくたちは広い洞窟についた。そのときぼくは、人間の手がこの石炭の穴を掘ったということはありえないとわかった。人工のものだったら、天井に支柱をかったはずだ。ところが、天井はまったくの話、奇跡的な均衡で支えられているだけなのだった。
この洞窟状のものは、高さ四五メートルに、さしわたし三〇メートルぐらいはあった。この地層は、なにか地下の激動で、はげしく引き離されたのだ。地盤が強い圧力に負けて、はがれ、この大きな空隙《くうげき》を残したのだ。そこに地上の住民がいまはじめて入りこんだというわけだった。
石炭紀の歴史のすべてがこの暗い壁面に刻みこまれていた。地質学者だったら、そのさまざまな段階をわけなくたどることができたろう。石炭の層は、ぎっちりと詰まった砂岩や粘土《ねんど》の層をあいだに挾《はさ》んで、上部の層に押しつぶされたようになっていた。
中生代に先だつこの時代の地球では、熱帯のような高温度と恒常的な多湿という二重の作用によって、地表は大量の植物に覆われていた。水蒸気が地球をすっぽりと包み、太陽光線まで遮《さえぎ》っていたのだ。
そこから、この高温は、太陽という新生の炉から来たのではないという結論がでてくる。おそらく、太陽という星は、その輝かしい役割を演ずる用意がととのっていなかったのだ。『気候』などというものはまだ存在していなかった。はげしい暑熱が、赤道も極地も等しく、地球の全表面に広がっていた。では、その熱はどこから来たのか? 地球の内部からだ。
リーデンブロック教授の説に反して、はげしい火が、地球という回転楕円体の胎内にひそんでいたのだ。その作用は地殻の最上層部にまでおよんだ。太陽光線の恵みにあずかれない植物は、花も香りもなかったが、その根は原初の燃える地中から強い生命力を汲みあげていたのだ。
樹木はほとんどなく、草本植物ばかりだった。巨大な芝草、羊歯《しだ》、|ひかげのかずら《ヽヽヽヽヽヽヽ》、封印木、アステロフィリットなど、現在はあまり多くないが、当時は何千という種類があったものだ。
ところで、まぎれもなく石炭はこのように繁茂した植物からできたものだ。まだ柔らかかった地殻は、表面を覆う多量の水の運動の影響を受けた。そして、無数の亀裂や沈下が生じた。こうして水底にひきこまれた植物は、次第々々に大きな堆積となった。
そこへ、自然の化学作用が働いた。海の底で、植物のかたまりは、まず泥炭になった。ついで、ガスの影響を蒙り、また醗酵熱《はっこうねつ》を受けて、それが完全に鉱物化されたのである。
このようにして、巨大な石炭の層ができあがったのである。けれども、工業国の人たちが留意しないで、めちゃめちゃに使えば、これも三世紀たらずで掘りつくしてしまうにちがいない。
地中のこんなところに蓄積された豊富な石炭層を眺めながら、ぼくはこんなことを考えていた。この炭層はおそらく決して発見されることはあるまい。こんなに深い炭鉱を採掘するには、あまりにも多大の犠牲《ぎせい》が必要となるだろう。それに、石炭はまだいわば地球の表面の多くの地方に広がっているというのに、そんなことをしてなんになるか? だから、この石炭層は、地球の最後の日がくるときも、ぼくが見たままの手つかずの姿で残っているだろう。
そのあいだも、ぼくたちは歩きつづけていた。三人のなかでぼくだけが、道の長いのも忘れて、地質学的な瞑想《めいそう》にふけっていたのだ。温度は、ぼくたちが熔岩や片岩のあいだを歩いていたときと、まったく変わらなかった。ただ、非常にはっきりとしたメタンガスの臭いに鼻が刺戟《しげき》された。ぼくにはすぐに、この地下道には、坑夫たちが坑内ガスと呼んでいるあの危険な気体が大量に発生しているのだとわかった。このガスの爆発は、よくおそろしい事故を起こすのだ。
幸いなことに、ぼくたちはルームコルフ装置といううまい照明を使っていた。もし不幸にして、ぼくたちが松明《たいまつ》なんか手にうかうかとこの地下道に入りこんだとしたら、ものすごい爆発が起こって、一行は粉みじん、旅行は一巻の終わりということになっていたろう。
この炭坑のなかの行進は夕方までつづいた。道が水平のままなので、つのってくるいらだちを、叔父はやっとのことで抑えていた。相変わらず二〇歩先は深い闇なので、地下道の長さは見当もつかなかった。この道は終わりがないんじゃないかとぼくが思いはじめたとき、六時だった。突然、思いがけなく、ぼくたちのまえに壁が立ちはだかった。右にも左にも、上にも、下にも、抜けて出るところはまったくない。袋小路のどんづまりについたのだ。
「なるほど、結構だ!」と叔父が声をあげた。「少なくとも、どうしたらよいかはわかったわけだ。ここはサクヌッセンムの来た道じゃない。あとはひき返すだけだ。一晩ここで休もう。三日もかからないで、二本の地下道が別れていたところまで戻れるだろう」
「ええ」とぼくは言った。「それだけの力があればですがね!」
「どうしてないんだね?」
「だって、あすには、水がすっかりなくなりますよ」
「それで、気力までなくなってしまうのかね?」そう言って、教授はきびしい目でぼくをじっと見た。
ぼくは答えることができなかった。
二一
翌日は朝早く出発した。急がなければならなかった。別れ道から五日も歩いていたのだ。
帰り道の苦しかったことをくどくどとは言うまい。叔父は、自分があくまでも頑健《がんけん》ではないことを知って、腹を立てながらその苦しみに耐えた。ハンスは例のおだやかな性質から、諦《あきら》めて耐えた。ぼくは、白状するが、不平をこぼし、やけくそになっていた。こんなひどい目にあって平気な顔などしてはいられなかったのだ。
ぼくが予想したとおり、水は、歩きだした最初の日の終わりには、完全に底をついた。そうなると、ぼくたちの飲むものといったらジンしかなくなった。だが、このすさまじい液体ときたら、喉に焼きついて、見るのもたまらなかった。温度も息苦しいほどに思えてきた。疲れで体がきかなくなった。何度となく、ぼくはへたへたと倒れそうになった。そのたびに、みんなはとまって、叔父かハンスが懸命になって介抱《かいほう》してくれた。だが、叔父自身も、極度の疲れと水の欠乏からくる苦痛に、やっとのことでこらえているのが、ぼくにはもうわかっていた。
ついに、七月七日、火曜日、ぼくたちは這《は》うようにして体をひきずりながら、半分死んだようになって、二本の地下道の別れるところにたどりついた。そこについたとたん、ぼくは朽木《くちき》のように長々と熔岩の地べたに倒れこんだ。午前一〇時だった。
ハンスと叔父は壁によりかかって、ビスケットを少しでもかじろうとした。腫《は》れあがったぼくの唇《くちびる》から長いうめき声が思わずもれた。ぼくは深いまどろみに落ちこんだ。
しばらくすると、叔父が近よってきて、ぼくを腕にかかえあげた。
「可哀そうに!」しみじみと憐れみのこもった口調で、彼は呟《つぶや》いた。
無骨な教授にやさしい態度を見せられることにぼくは慣れていなかったので、その言葉に胸をうたれた。ぼくはふるえる叔父の手を両手に握った。叔父はぼくを見つめながら、されるままになっていた。その目は濡《ぬ》れていた。
そのとき、叔父がわきにさげていた水筒を手にとるのが見えた。驚いたことに、叔父はそれをぼくの唇に近づけた。
「飲むんだ」と彼は言った。
ぼくの耳はたしかなのか? 叔父は頭がおかしくなったんじゃないのか? ぼくはぽかんとして叔父を見ていた。なんのことかわかろうとする気がなかったのだ。
「飲むんだ」と叔父はまた言った。
そして水筒をかたむけて、すっかりからになるまで、ぼくの唇のあいだに流しこんだ。
ああ、なんといういい気持ち! ひと口の水が火のようなぼくの口をうるおしてくれた。たったひと口の水だ。だが、逃げてゆこうとするいのちをぼくに呼びかえすにはそれで十分だった。
ぼくは手を合わせて、叔父に感謝した。
「そうだよ」と叔父は言った。「たったひと口の水だ! 最後のひと口だ! わかるか? これで最後なのだよ! 水筒の底にわしはだいじにとっておいたのだ。飲んじまおうというたまらない気持ちと、なんべん、なんべん闘ったかしれない! いや、いかん、アクセル、これはおまえのためにとっておいたんだ」
「叔父さん!」そう呟くあいだにも、大粒の涙が目にいっぱいたまってきた。
「そうだよ、可哀そうに、わしにはわかっていた。この別れ道にたどりついたら、おまえは死にかかって倒れちまうだろうってな。だから、わしは最後のひと口を残しておいたんだ、おまえに元気をつけるためにな」
「ありがとう! ありがとう!」とぼくは声をふりしぼった。
喉の渇きはほんの少しやわらいだだけだったが、なにか力が湧いてきた。それまでひきつっていた喉の筋肉がゆるんできた。焼けるような唇の痛みもやわらいだ。口がきけるようになった。
「ねえ」とぼくは言った。「こうなっては道は一つしかありませんよ。水がないんです。ひきかえすべきです」
ぼくがこう話しているあいだ、叔父はぼくから目をそらしていた。頭を垂れて、ぼくと目が合うのを避けていた。
「帰るべきです」とぼくは声を高めた。「スネッフェルスへひきかえしましょう。火口の上まで登る力を、神さま、ぼくたちにおさずけください!」
「帰るのか!」ぼくに答えるというより、自分自身に言うように、叔父は言った。
「そうです、帰るのです。いまからすぐに」
かなり長いあいだ、沈黙があった。
「それじゃあ、アクセル」と教授が聞きなれない声を出して言った。「あれだけの水じゃあ、おまえに勇気と力をとり戻してはやれなかったんだね?」
「勇気!」
「おまえはまえと同じにへこたれているようだな。相変わらず弱音を吐いているじゃないか!」
これはいったいどういう人なんだ。この向こう見ずな精神は、まだなにをもくろんでいるのだ?
「なんですって、叔父さんはいやなんですか?……」
「この探検を諦める、万事うまくいきそうだっていうときにか、とんでもないぞ!」
「それじゃあ、甘んじて死ねというんですね?」
「いいや、アクセル、ちがう、おまえは帰れ。おまえは死なせたくない。ハンスを一緒に行かせよう。わしひとりを置いてゆけ!」
「叔父さんを見捨ててゆくんですって!」
「そうだ、わしを置いてゆくのだ。この旅行はわしが始めた。最後までわしはやりぬく。さもなければ帰りはせん。さあ行け、アクセル、行くんだ!」
叔父はひどく興奮してしゃべっていた。いっときやさしかった叔父の声は、またきびしい、がみがみ声に戻っていた。叔父はえたいのしれない力をふりしぼって、不可能とたたかっていたのだ。こんな地の底に叔父を置いてゆく気にはなれなかったが、一方、生存本能はぼくを彼から逃げださせようとするのだった。
案内人はこのやりとりをいつもの無関心な顔で眺めていた。けれども、彼には、二人のあいだになにが起こっているのか、わかっていたのだ。ぼくたちのそれぞれが相手をちがう道へひっぱって行こうとしているのは、二人の身振りが十分に語っていた。だがハンスは、自分の生命がかかっている問題なのに、たいして関心もないような様子で、出発の合図があれば、いつでも出かけるし、主人がちょっとでも残る意志を見せれば、自分も残るかまえでいた。
いま、どうしてぼくは、ハンスにわからせることができないのか! 言葉をつくし、うめきをあげ、声を強めて訴えれば、この冷静な男を動かすこともできるだろう。彼が思ってもいないらしい危険を、わからせ、身に感じさせることができるかもしれない。そして、二人がかりでやれば、もしかしたら頑固な教授を説きふせられるかもしれない。やむをえなければ、むりにでも二人で教授を、スネッフェルスの頂上まで、またひっぱってゆくこともできよう!
ぼくはハンスににじりよった。彼の手の上にぼくの手を重ねた。彼は動かなかった。ぼくは火口へ戻る道を指さした。彼はじっと動かぬままだ。ぼくのあえぐ顔はぼくの苦悩をありありと物語っていた。アイスランド人は首をゆっくり動かし、静かに叔父のほうを見て、
「マステル」と言った。
「主人だって!」とぼくはどなった。「ばかな! ちがう、あの人は君のいのちまであずかる主人じゃない。逃げなくちゃだめだ。あの人をひきずっていかなけりゃあいけないんだ。わかるか? ぼくの言うことがわかるか?」
ぼくはハンスの腕を掴んでいた。彼をむりにでも立ちあがらせようとした。ぼくは彼ともみ合った。叔父が割って入った。
「落ち着け、アクセル」と叔父は言った。「この男はびくともしやせん、おまえにはどうにもできない。だからな、わしの言うことをまあ聞いてくれ」
ぼくは腕を組んで、叔父を正面から見つめた。
「水がなくなったのだけが」と叔父は言った。「わしの計画達成のただ一つの障碍《しょうがい》だ。この東の地下道は、熔岩と片岩と石炭でできていたな、そこでは一滴の水にもぶつからなかった。だが西のトンネルに行けば、もっと運がいいかもしれんのだ」
ぼくは、とても信じられないという顔をして、首を振った。
「まあ、しまいまで聞いてくれ」声を強めて教授はつづけた。「おまえがここで倒れて動けないでいるあいだに、わしはこっちの地下道の構造を調べにいったのだ。こいつはまっすぐ地球の奥へとつっこんでいる。だから、それほど時間もかからないで、花崗岩層に出るだろうと思う。そこまで行けば、豊富な湧き水にぶつかるはずだ。岩盤の性質からして、そうなる、わしの勘だけじゃない、理論上からしても、この確信は根拠があるのだ。ところで、おまえに聞いてもらいたいのはこういうことだ。コロンブスが、新大陸を発見するために、あと三日待ってくれと乗組員に頼んだとき、乗組員たちは、体も弱っていたし、怖気《おじけ》づいてもいたが、コロンブスの頼みをきいたのだ。わしにな、この地下の世界のコロンブスにな、頼むから、あと一日だけくれ。もし、それだけの時間がすぎても、水が見つからなかったら、誓ってもいい、地上に戻ることにしよう」
ぼくはいても立ってもいられない気持ちだったが、この言葉には動かされた。こんな言葉を口にするのは、叔父としては自分を抑えに抑えていたのだ、その気持ちに打たれた。
「いいでしょう」とぼくは言った。「おっしゃるとおりにしましょう。叔父さんの超人的なエネルギーがいい目にでればいいですが、運をためすのに、もう時間はあまりありませんよ。出かけましょう!」
二二
今度は新しい地下道へと、下降が再開された。例によって、ハンスが先頭に立った。一〇〇歩も行かないうちに、壁に沿ってランプを動かしていた教授が叫んだ。
「ほら、原生代の地層だぞ! この道でいいんだ。前進! 前進!」
世界のはじめに地球が少しずつ冷えていったとき、体積がちぢまって、地殻に断層や決壊、くぼみ、亀裂が生じた。いまぼくたちが歩いている地下道もこの種の割れ目の一つで、その昔、噴出する花崗岩がここを通って溢《あふ》れ出たのである。その無数の曲折が原初の大地のなかに錯雑した迷路をつくっていた。
おりるにつれて、原生代の地層をつくっている層の重なりがますますはっきりしてきた。地質学では、この原生地層が鉱物地殻の基盤であると考えられており、それは、花崗岩と呼ばれる不動の岩盤の上に重なる、片岩《へんがん》、片麻岩、雲母片岩の三つの層からなるとわかっている。
ところで、どんな鉱物学者だって、自然を現場で研究するのに、これほどすばらしい環境に恵まれたことはないだろう。ボーリングなどという愚かでがさつな機械では、地上に持ってこられない地球内部の組織を、ぼくたちはまさにこれから自分の目で調べ、自分の手で触ってみようとしていたのだ。
美しい微妙な色合いをした緑の片岩の層のなかに、プラチナや金らしいものの混った銅やマンガンの鉱脈が、くねくねと走っていた。地球の胎内に埋もれたまま、強欲な人類も決して享受することのないこれらの富のことを、ぼくは思った。太古の激動が、これらの宝を地中深くに埋めてしまったので、鶴嘴《つるはし》もシャベルも、これをその墓から掘り出すことはできないだろう。
片岩の地帯を過ぎると、片麻岩だった。薄い層が規則正しく平行に重なった構造で目をひく。やがて、次は雲母片岩になった。白い雲母のきらめく、目もさめるような大きな薄片が並んでいる。
ランプの光が、岩塊《がんかい》の小さな結晶面に反射して、ありとあらゆる角度に光の噴水を交錯させていた。幾千とない光線が目もあやに屈折するダイヤモンドの空洞のなかを歩いているような気がした。
六時ごろ、この光の祭典は、目に見えて下火になり、ほとんど終わりとなった。壁面は、結晶をなしているが暗い色合いに変わった。雲母は長石や石英としっかり混ざり合って、みごとに硬い岩になっている。地球の地盤をなす四つの層を支えて、押しつぶされることもない硬い岩だ。ぼくたちは巨大な花崗岩の牢獄《ろうごく》に入っていたのだ。
午後八時だった。依然として水は見つからない。ぼくはひどく苦しかった。叔父はまえを歩いている。足をとめようともしない。どこかに湧き水の音でもしないかと、耳をそばだてている。しかし、なんの音もしない。
そうしているうちにも、ぼくの足は体を支えられなくなっていた。ぼくは、叔父の足をひきとめることにならないように、苦痛をこらえていた。そんなことになったら、叔父にとっては絶望的な打撃だった。彼の自由になる最後の日、その一日が終わろうとしていたからだ。
ついに、すべての力がぼくを見捨てた。ぼくは叫び声をあげて、倒れた。
「助けて! 死んじまう!」
叔父が戻ってきた。腕を組んで、ぼくをじっと見た。やがて、暗い声が彼の唇からもれた。
「とうとうおしまいだ!」
ぞっとするような怒りの身ぶりが、最後にぼくの目に映った。ぼくは目を閉じた。
ふたたび目を開いたとき、二人の仲間が毛布にくるまって、じっとしているのが見えた。彼らは眠っているのだろうか? ぼくのほうは、一秒も眠れなかった。苦しすぎた。ぼくの苦しみをなおす方法があるわけはないと思うと、それがとくに辛《つら》かった。叔父の最後の言葉が、耳のなかで鳴っていた。『とうとうおしまいだ!』たしかに、こんなに弱っていては、ふたたび地上に戻ることなどもう思いもよらないのだった。
六〇〇〇メートルもある地殻《ちかく》の下だった。その厖大《ぼうだい》な質量が全重量をかけて、ぼくの肩にのしかかっているような気がした。押しつぶされたみたいだった。ぼくは、花崗岩の寝床の上で寝がえりを打とうともがきにもがいて、くたくたになっていた。
数時間が過ぎた。深い沈黙がぼくたちのまわりを支配していた。墓のなかの沈黙。一番薄いところでも厚さ八キロはあるこの壁を通しては、なんの物音もやってくることはない。
けれども、うつらうつらしているうちに、なにか物音が聞こえたような気がした。トンネルのなかは暗かった。ぼくは目をこらして見た。すると、アイスランド人が、手にランプを持って、出ていくのが見えたような気がした。
なぜ出ていったのだろう? ハンスはぼくたちを見捨てるのか? 叔父は眠っていた。ぼくはどなろうとした。乾ききった唇から、声が出てこなかった。闇は濃くなり、最後の物音もついに消えてしまった。
「ハンスが行ってしまう!」ぼくは叫んだ。「ハンス! ハンス!」
この言葉をぼくは、ぼくの胸のなかで叫んだ。それ以上は遠くに届きはしなかった。しかし、はじめの恐怖が過ぎると、これまで怪しげなふるまいなどは一つだってしたことのない男を疑ったことが恥ずかしくなった。彼が出ていったのは、逃げるためであるはずがない。彼は地下道を登っていかずに、おりていった。いやなことを考えたのなら、下じゃなく、上へ行ったはずだ。そう考えると、少し落ち着いた。そして、べつのことを考えだした。ハンスは冷静な男だ、よほど重大な理由がなければ、休むときに休むのをやめるわけがない。そうだとすれば、見つけにいったのか? 静まりかえった夜のなかに、ぼくのところまでは聞こえてこなかったなにか呟《つぶや》くような音を、彼は聞きつけたのだろうか?
二三
ものの一時間も、ぼくは朦朧《もうろう》とした頭で、あの冷静な猟師にそんな行動をとらせた理由を、あれこれと考えた。およそばかげた考えばかりが頭のなかでこんがらかった。ぼくは気ちがいになりそうだと思った。
けれども、やがて、穴の奥のほうで、足音が聞こえた。ハンスが戻ってきたのだ。ぼんやりした光が壁に映りはじめ、それから、地下道の入口がぱっと明るくなった。ハンスが現れた。
彼は叔父のそばに寄り、肩に手をかけて、そっとゆり起こした。叔父は起きあがった。
「どうしたんだ?」と叔父は言った。
「ヴァッテン」猟師が答えた。
ひどく追いつめられたときには、頭がひらめいて、だれだって外国語ぐらいはわかるようになるものだと思うほかはない。ぼくはデンマーク語はひとことも知らなかったが、この案内人の言葉は本能的にわかった。
「水だ! 水だ!」気ちがいみたいに身をよじり、手を叩《たた》いて、ぼくはどなった。
「水だと!」おうむ返しに叔父が言った。彼はアイスランド人にたずねた。「フヴァール?」
「ネダット」とハンスは答えた。
どこだ? あっちです! そのやりとりがぼくには全部わかったのだ。ぼくは猟師の手にしがみついていた。そして、ぎゅっと握りしめた。彼は静かにぼくを見つめている。
出発の準備に時間はかからなかった。じきに、ぼくたちは、二メートルで六〇センチほどおりる傾斜の地下道に入っていった。
一時間後には、ぼくたちは約二〇〇〇メートル進み、六〇〇メートルくだった。
そのとき、花崗岩の壁のなかに、耳なれない音が走っているのが、はっきり聞こえた。遠雷のような、にぶい轟《とどろ》きだ。それから半時間ほど歩いたが、前ぶれどおりの湧き水にはいっこう出くわさない。ぼくはまたも不安にかられてきた。しかし、そのとき、叔父が、鳴っている音の正体を説明してみせた。
「ハンスの言うのに間違いはないよ」と叔父は言った。「あそこに聞こえるのは、激流のたぎる音だ」
「激流ですって?」とぼくは叫んだ。
「疑う余地はない。地下の川がわしたちのそばを流れているのだ」
ぼくたちは希望に胸をはずませて、足を速めた。もう疲れなんか感じなかった。せせらぐような水の音に、ぼくはもう元気をとりもどしていた。音ははっきり大きくなっていた。長いことぼくたちの頭上に聞こえていた激流が、いまは左の壁のなかを、唸《うな》り声をあげ、はぜかえりながら、流れている。ぼくは、水がにじみだしたり、湿ったりしているあとが見つかるだろうと思って、ひっきりなしに岩に手をあててみた。だが、駄目だった。
さらに半時間が過ぎた。さらに二キロ進んだ勘定だ。
ここまで来てはっきりした。猟師は、さっき姿を消したあいだに、こんなに先まで探しにこられたわけがない。山男や井戸掘り特有の本能に導かれて、彼は岩をとおしてこの水流を『嗅《か》ぎつけた』のだ。だが、むろん彼はその貴重な水を見たわけではなかったのだ。その水で喉をうるおしたわけではなかったのだ。
そのうち、もしぼくたちが歩きつづければ、流れから離れてゆくらしいことまではっきりしてきた。水の音が次第に小さくなりだしたのだ。
ぼくたちは道をとってかえした。ハンスは、激流がちょうど一番近いと思われる場所で、足をとめた。
ぼくは壁のそばに坐った。水はぼくから六〇センチぐらいのところで、激しい勢いで流れている。それだのに、花崗岩の壁があいだに立ちはだかっている。
よく考えてみようともせず、この水を手に入れる方法がなにかないかと自分に問うこともせず、ぼくはしのびよる絶望にたちまちとりつかれた。
ハンスはぼくをじっと見た。その唇に微笑が浮かんだように思った。
彼は立ちあがって、ランプをとった。ぼくはあとを追った。彼は壁のところに行った。ぼくは彼のすることを見つめた。彼は乾いた岩に耳を押しあて、最大の注意をこめてきき耳を立てながら、ゆっくりと耳の位置を動かしていく。激流が一番大きく聞こえる正確な場所を探しているのだとわかった。その場所を、左側の壁の、地面から九〇センチほどのところに、彼は探しあてた。
どれほどぼくは興奮したことだろう! 猟師がなにをしようとしているのか、思いもよらないでいた。だが、彼が鶴嘴を握って、その岩に攻めかかるのを見たとき、はっきりと覚った。彼に喝采《かっさい》し、抱きしめてやりたかった。
「助かったぞ!」とぼくは叫んだ。
「そうだ」と叔父も夢中になって繰り返した。「いいぞ、ハンス! ああ、たいした猟師だ。わしたちじゃあ、とてもこんなこと見つからなかったぞ」
ぼくもそう思う。ごく単純なことだったが、こんな方法はぼくたちには思いつかないことだった。こんな地球の肋骨《ろっこつ》みたいなところに鶴嘴を打ちこむほど、危険なことはない。もし落盤が起こったら、ぼくたちはつぶされてしまう。また、もし岩を貫いて激流が流れだし、ぼくたちを呑《の》みこんだらどうする。こういう危険はけっして妄想じゃなかった。だが、このときは、落盤の心配も、洪水の心配も、ぼくたちをとめることはできなかった。ぼくたちの渇きはとてもひどかったので、それを静めるためだったら、大洋の底に穴をあけることだってしたかもしれない。
ハンスは作業にかかった、叔父にもぼくにもこれはやれなかったろう。ぼくたちだったら、気がせいて、手が動き、岩をがんがん叩いて、粉々にしてしまったろう。ところが、案内人はそんなことはなく、落ち着いて慎重に、こつこつと岩を叩いては、少しずつけずって、一五センチぐらいの穴をあけていったのだ。激流の音がだんだん大きくなってくるのを、ぼくは聞いていた。早くもありがたい水が唇の上にはねかかるような気がした。
やがて、鶴嘴は花崗岩の壁を六〇センチほど掘った。作業は一時間以上もつづいていた。ぼくはじりじりして、いても立ってもいられなかった。叔父はひと思いにやりたくなってきたらしい。ぼくがとめるのもきかずに、もう鶴嘴を握っていた。そのとき、突然しゅーっという音がした。水が噴水のように壁から吹きだして、反対側の壁につき当たって砕けた。
ハンスは、その勢いでひっくり返りそうになりながら、あっと苦痛の叫びをあげた。吹きだす水に手を入れて、ぼくもすごい悲鳴をあげてしまった。わけがわかった。噴水は煮えたぎっていたのだ。
「この水、一〇〇度もある!」とぼくは叫んだ。
「なあに、じきにさめるさ」と叔父が応じた。
地下道は蒸気がたちこめ、水は小川となって、くねくねと地下深くに流れていった。やがてぼくたちは、最初のひと口を飲んだ。
ああ、なんていい気持ちだ! なんともくらべようもない快感だ! この水はいったいなんだ? どこから来たんだろう? そんなことはどうでもよかった。これは水だ。まだ熱いけれど、消えかかっていたいのちを胸に呼びもどしてくれた。ぼくはとめどもなく飲んだ。味もなにもわからずに飲んだ。
しばらくうっとりとしていたが、やっと気がついて、ぼくは叫んだ。
「だけど、この水、鉄が入っている!」
「胃にはいいぞ」と叔父が応じた。「ミネラルがたくさん入っているんだ。スパかテプリッツに湯治に行ったような気分じゃないか!」
「ああ、うまいな!」
「そりゃそうさ、地下八キロで湧いた水だからな。ちょっとインキくさいが、べつにいやな味じゃない。すごい切り札を見つけてくれたもんだよ! ひとつハンスの名をこの救いの川につけようじゃないか」
「そりゃあ、いい!」とぼくは叫んだ。
そこで、ただちに『ハンス川』という名がつけられることになった。
ハンスはだからといって、得意になったりはしなかった。控え目にのどを潤《うる》おすと、いつものように静かに、片すみに寄りかかった。
「さてと」ぼくは言った。「この水を無駄にしないようにしなくちゃ」
「なんで、そんなことを?」叔父は言った。「この水は涸《か》れることはないと思うよ」
「そんなこと問題じゃありません。ともかく革袋と水筒に詰めて、それから、穴をふさいでみましょうよ」
ぼくの意見どおりにすることになった。ハンスは、花崗岩のかけらと麻屑《あさくず》を使って、壁にあいた穴をふさごうとした。簡単なことではなかった。手がやけどするばかりで、うまくいかない。水圧が思ったより強いのだ。結局、いろいろやっても、駄目だった。
「この水の吹きだしぐあいからすると、流れのもとの水位はきっとずいぶん高いところにあるんですね」とぼくは言った。
「まちがいなく、そうだな」と叔父が答えた。「かりに水柱の高さが一万メートルあるとすると、その圧力は一〇〇〇気圧になるわけだ。だが、まてよ、ちょっと考えたことがある」
「なんですか?」
「なんでわしたちはこの穴をふさごうと躍起になっているのかな?」
「だって、それは……」
いざ理由を、と言われると、困ってしまった。
「こんど水筒がからになったら、またいっぱいにできるという保証があるかな?」
「もちろん、ありません」
「それじゃあ、この水は流しっぱなしにしておこう。水は自然に下に流れていく。そうすれば、道しるべになるし、みちみち飲むこともできるじゃないか!」
「うまく考えたな!」とぼくは叫んだ。「この川と道づれなら、もうぼくたちの計画は成功まちがいなしですよ」
「よく言ったぞ、アクセル」叔父は笑いながら言った。
「言ったどころじゃありません。やりますよ、ぼくは」
「ちょっと待て! まず、しばらく休もうじゃないか」
ほんとうに忘れていた。夜になっていたのだ。クロノメーターがそれを教えてくれた。まもなく、ぼくたちはみんな、すっかり元気をとり戻し、気分も爽快になって、ぐっすりと眠りこんだ。
二四
翌日になると、ぼくたちはきのうまでの苦しさはけろっと忘れていた。もうちっとも喉が渇かないのが、はじめは不思議だった。どうしてだろうと考えた。ちょろちょろと音をたてて足もとを流れる小川が、その答えを教えてくれた。
朝御飯を食べて、あの鉄分を含んだすてきな水を飲んだ。ぼくはすっかり陽気になり、どこまでだって行く気になっていた。叔父みたいに確信にあふれた男に、ハンスみたいに有能な案内人と、ぼくみたいに『果敢な』甥《おい》がついていて、どうして成功しないわけがあろう? いつのまにか、こんな颯爽《さっそう》とした考えがぼくの頭に入りこんでいた。スネッフェルスの頂上にひき返そうなんて言われたら、ぼくは憤然としてことわったことだろう。
だが、幸いなことに、いまはくだることだけが問題だった。
「出発しましょう!」昂《たかぶ》った声で、地中の年老いた木霊《こだま》たちの眠りを破って、ぼくは叫んだ。
木曜日の午前八時、前進は再開された。花崗岩の地下道は、うねうねと曲がりくねり、思いがけないところに曲り角があったりして、まるでこみいった迷路のようだった。しかし、要するに、大筋の方向はつねに南東に向かっていた。叔父はしじゅうコンパスを入念に見ては、通ってきた道をたしかめていた。
地下道は、二メートルにつきせいぜい五センチくらいの勾配で、ほとんど水平にちかいくだりだった。小川は、ぼくたちの足もとを、小さな音をたてて、急ぐともなく流れていた。ぼくにはその小川が、ぼくたちを地底に導く守護の妖精のように思え、ぼくたちと一緒に歩いて歌ってくれるそのあたたかい水の精を手でなぶってみたりするのだった。ぼくの心は気持ちよくはずんで、神話の世界に遊んでいた。
叔父はといえば、この『垂直人間』は、道が水平なのに毒づいていた。彼の歩いている道は果てしなく延びてしまっていて、しかも、彼の表現によれば、この道は地球の半径にそって走っているのではなく、その半径を一辺とする直角三角形の斜辺のほうにそれているのだった。でも、ぼくたちには選択の余地はなかった。たとえ少しでも、地球の中心に向かっているかぎり、文句を言ってはならないのだ。
けれども、ときどき傾斜が急になることもあった。水の精はわあわあ言いながらかけおりはじめ、ぼくたちも彼女と一緒にもっと深くへおりてゆくのだった。
結局、この日とその翌日は、水平の道をさんざん歩き、それにくらべて垂直の道はほとんどなかった。
七月一〇日、金曜日の晩、計算してみると、ぼくたちはレイキャヴィクの南東一二〇キロ、深さ一〇キロのところに来ているはずだった。
そのとき、ぼくたちの足もとに、いささかぞっとするような竪穴《たてあな》が口をあけた。叔父はその傾斜の急なのを見てとると、思わず手を叩いて喜んだ。
「これでだいぶはかどるぞ」と彼は大きな声をだした。「それも楽々とだ。岩の出っぱりがまるで階段みたいだからな」
少しの事故も防ぐように、ハンスが綱の準備をした。下降が始まった。危険な下降とはぼくは言わぬ。もうこういった運動には慣れっこになっていたからである。
この竪穴は、岩盤のなかに生じた狭い割れ目で、『断層』と呼ばれるたぐいのものだ。明らかに、地球が冷却したときに、地殻が収縮してできたものだ。かりに、ここが、昔、スネッフェルスが吐《は》きだした噴出物の通り道だったのだとすれば、どうしてその跡がまったく残っていないのか、ぼくには説明がつかない。まるで人の手で作ったみたいな螺旋《らせん》階段を、ぼくたちはおりていった。
一五分ごとにとまって、必要な休息をとり、膝《ひざ》がこわばるのをほぐしてやらなければならなかった。そんなときには、そこらの出っぱりに腰をおろし、足をぶらぶらさせて、なにか食べながらおしゃべりをしたり、小川で喉をうるおしたりした。
言うまでもないが、この断層では、ハンス川は滝になったから、水量のほうは少なくなったけれど、ぼくたちの渇きをいやすには十分すぎるほどだった。もっとも、傾斜のゆるいところにくれば、かならずまた穏やかな流れになった。滝のところでは、川は、わが尊敬すべき叔父上を、つまりそのじれたり怒ったりしているところを連想させたが、ゆるやかな斜面では、アイスランド人の猟師の落ち着きさながらだった。
七月一一日と一二日、ぼくたちはこの断層の螺旋階段をつたって、地殻のなかをさらに八〇〇〇メートルくだった。ほぼ海面下二万メートルになる。だが、一三日の正午ごろ、断層は、南東の方向に向けて、約四五度という、これまでよりはるかにゆるい傾斜に変わった。
それで、道は楽になったが、また単調そのものになった。そうなるなというのが無理な話だ。この旅には景色の多彩な変化などあるわけがないのだ。
一五日、水曜日、ついにぼくたちは地下二万八〇〇〇メートル、スネッフェルスから約二〇〇キロの地点についた。少し疲れてはいたが、ぼくたちの健康は心配ない状態で、薬箱はまだ手つかずだった。
叔父は一時間ごとに、コンパス、クロノメーター、圧力計、温度計を見て、記録をとった。のちに彼はこの記録を学問的な旅行報告のなかで発表している。それで、叔父は楽に現在位置を知ることができた。水平距離で二〇〇キロは来ていることを叔父から聞かされたとき、ぼくは驚きの声をあげずにはいられなかった。
「どうしたんだ?」と叔父がたずねた。
「なんでもありません。ただちょっと考えたんです」
「どんなことだな、おまえ?」
「ぼくの計算が正しければ、ぼくたちはもうアイスランドの下にはいないということになりますね」
「そう思うか?」
「たしかめるのは簡単です」
ぼくは地図の上をコンパスで測った。
「思ったとおりですよ」とぼくは言った。「ポートランド岬を越えています。南東二〇〇キロというと海のまんなかですよ」
「そうさ、海の真下だ」と、叔父はもみ手をしながら言った。
「それじゃあ」とぼくは声をあげた。「ぼくたちの頭の上には大西洋が広がっているんだ!」
「ばかだな、アクセル、ごく当たりまえのことじゃないか。ニューキャッスルの炭坑だって、波の下までのびているんだぞ」
教授には、こんな状況はごく当たりまえのことと思えるのだろうが、大量の水の下を歩いているのだと思うと、気になってしかたがない。しかし、頭の上にあるのが、アイスランドの野や山だろうと、大西洋の波だろうと、要するに、花崗岩の地盤さえしっかりしていれば、たいしたちがいじゃない。それに、そんな考えにもじきに慣れてしまった。なぜなら地下道は、まっすぐだったり、うねうねしたり、道の曲がりくねりかたも気まぐれなら、傾斜のしかたも気まぐれに変わったが、つねに南東をさして走り、つねに深くへとくだって、ぼくたちを急速に地下深くに導いていったからである。
それから四日後、七月一八日、土曜日、ぼくたちはかなり広い洞窟のようなところについた。叔父はハンスに一週間分の給料、三リクスダラーを払った。そして翌日は一日休養することにきまった。
二五
それで、日曜日の朝は、目を覚ましても、いつものようにすぐ出発する心配をしなくてよかった。だから、深い深い地の底ではあったが、やはりいい気持ちだった。それに、ぼくたちはこの穴居人の生活に慣れてしまっていたのだ。太陽とか星とか月とか、木とか家とか町とか、浮世の人たちが必要としているもろもろの地上の余計なもののことなど、ぼくはあんまり考えなかった。石と同類になったみたいなぼくたちには、そんな役にもたたない結構なものは、くそくらえだった。
洞窟は大きなホールのようだった。花崗岩の床に、あの忠実な小川が静かに流れていた。湧きだしたところからこれだけ離れたので、いまは水温もまわりの温度と変わりなく、平気で飲むことができた。
朝御飯がすむと、教授は、毎日の記録の整理に時間を使おうと言った。
「まず」と彼は言った。「現在位置を正確に測定するために、計算をしよう。帰ったとき、わしたちの旅行の地図が書けるようにしておきたいのだ。地球の断面図のようにして、探検の様子がおおよそ掴めるようなものをな」
「それはとても面白《おもしろ》そうですね。でも、叔父さんの観測は十分正確なものができますか?」
「だいじょうぶだ。わしは角度や傾斜を注意して記録しておいた。まちがっていない確信がある。まず、ここがどこかを調べてみよう。コンパスをとってくれ。それがさしている方角を読むんだ」
ぼくは計器をじっと見た。そして、慎重に読んでから、答えた。
「東南東です」
「よし!」と教授は言って、その観測結果を記録すると、すばやくいくつかの計算をした。「これからすると、出発点から三四〇キロ来たことになるな」
「そうすると、ぼくたちは大西洋の下を旅行中というわけですね?」
「そのとおりだ」
「すると、いまこのときにも嵐が荒れ狂っていて、頭の上で船が波や突風にもまれているかもしれませんね?」
「そうかもしれん」
「そうして、鯨《くじら》のやつがこの牢獄の天井をしっぽで叩くかもしれませんね?」
「安心しろ、アクセル、そんなことでこれがびくともするものか。さあ、計算に戻ろう。わしたちはいま、スネッフェルスの真下から南東へ三四〇キロのところにいて、これまでのわしの記録にしたがえば、六万四〇〇〇メートルの深さに達している勘定だ」
「六万四〇〇〇メートル!」ぼくは大きな声をだした。
「そうだ」
「でも、それじゃあ学問的に地殻の厚さの限界だとされている深さじゃないですか」
「そういうことになるな」
「それに、地下温度上昇の法則にしたがえば、ここの温度は一五〇〇度になるはずですよ」
「その『はず』だな」
「そしたら、こういう花崗岩もみんな固体のままではいられなくて、どろどろに溶けているはずですよね」
「ところが、ごらんのとおり、そうはなっちゃあいない。事実は学説を否定しているのだよ、よくあることだがね」
「認めざるをえませんが、どうも驚きましたね」
「温度計は何度をさしている?」
「二七度六分です」
「すると、学者たちがよしとするには一四七二度四分たりないわけだな。つまり、地下にくだるにつれて温度が上昇するというのはまちがいなのだ。したがって、ハンフリー・デーヴィーはまちがっていなかったことになる。したがって、わしが彼の説を入れたのもまちがいではなかった。なにか言うことがあるかな?」
「いえ、なんにも」
ほんとうは、言いたいことはたくさんあった。ぼくはデーヴィーの説など全然認めてはいなかった。地球の中心は高温であるという説を依然として支持していたのだ。もっとも現在その熱の影響はまったく感じられなかったのだが、実のところ、ぼくとしてはむしろ、この死火山の煙突は、熔岩という耐火性の被膜で覆われているので、温度がこの隔壁を越えて伝わらないでいるのだと、そう考えたい。
しかし、しいて新たな議論の種をまくにもおよばない、ぼくはただ現状をあるがままにとらえることにした。
「叔父さん」とぼくは言った。「叔父さんの計算はみんな正確だと思いますよ。ですが、そこから否でも応でもでてくる結論をひとつ言ってもいいですか」
「いいとも、言ってごらん」
「ぼくたちがいまいる地点では、つまりアイスランドの緯度にいるとすると、地球の半径は約六三三二キロメートルですね」
「六三三三キロメートルだ」
「概算で六四〇〇キロとしましょう。その六四〇〇キロのうち、ぼくたちは四八キロくだったわけですね」
「そうだ」
「それは斜めに三四〇キロ進んでからですね」
「そうだ」
「ほぼ二〇日かかりましたね?」
「二〇日だ」
「ところで、六四キロにおりたって、地球の半径の百分の一です。この調子でずうっと行くと、全部おりるのに二千日はかかりますよ、五年半ちかくです!」
教授は返事をしなかった。
「それに、垂直に六四キロおりるのに、横に三二〇キロ行かなければならないとすると、南東に三万二〇〇〇キロ行くことになりますからね。そしたら、地球の中心に達するよりずっと先に、地球の外につきでてしまいますよ」
「おまえの計算なんか、くたばっちまえ!」叔父は怒りの身振りを見せて、くってかかってきた。「おまえの仮定なんて、なんだそんなもの! いったいなにを根拠にして言うんだ? この地下道がまっすぐ目標に向かっていないと、どうしてきめられるんだ? 第一、先に行った人がいるんだぞ。わしがしていることは、別の人がすでにやったことだ。その人が成功したところを、今度はわしが成功するんだ」
「そりゃあそうなればいいですよ、でも、要するに、ぼくとしては、よければ……」
「おまえとしては、黙るのがいいんだ、アクセル、そんな屁理屈《へりくつ》をこねたくなったときにはな」
叔父の顔の下から、おそろしい教授の顔がいまにも出てきそうなのを見てとって、ぼくは用心した。
「さあ」と叔父はまた言った。「圧力計を読んでくれ。どのくらいだ?」
「相当な気圧ですよ」
「よし。どうだ、ゆっくりとおりて、少しずつ空気の密度になれていけば、全然苦しくないだろう」
「全然平気です、ただ少し耳が痛いけれど」
「それはなんでもないさ。外の空気を勢いよく吸って、肺のなかの空気とつなげば、痛みは消える」
「ほんとうだ」叔父にもう逆らわないことに決めて、ぼくは答えた。「こんなに空気の密度が高いところまで入ってきたんだと思うと、まったく楽しくなりますよ。音がとても強く伝わるのに気がつきましたか?」
「もちろんさ。耳が聞えない者だって、よく聞こえるようになるかもしれんな」
「でも、この密度はもっと高くなるんでしょうね、きっと」
「そうだ、あまり確実とは言えない法則によればだがな。ともかく、わしらが下に行くにつれて、重力が減るのは事実だ。重力の作用が一番強く働くのは地球の表面で、中心ではものの重さはなくなるということは、おまえも知っているな」
「知っています。でも、ねえ、いまにこの空気が水のように濃くなってしまわないでしょうか?」
「そうなるだろうな、七一〇気圧になればな」
「もっと下へ行ったら?」
「もっと下へ行けば、空気の密度はもっと濃くなるさ」
「そうなったら、ぼくたちどうやっておりるんです?」
「なに、ポケットに石でもつめるんだ」
「ほんとに叔父さんときたら、なにをきいても答が出てくるんですね」
ぼくはそれ以上は仮定の領域に踏みこまないことにした。またなにか不可能な問題にぶつかって、教授を逆上させるといけないからである。
しかし、圧力が何千気圧にもなったら、しまいには空気も固体になってしまうのは明らかだった。そうなったら、かりにぼくたちの体が耐えられたとしても、どう考えたって、にっちもさっちもいかないだろう。
だが、この議論はもちださなかった。叔父はまたまたあの不滅のサクヌッセンムで反撃してくるにきまっていた。あんなものは価値のない先例だ。なぜって、そのアイスランドの学者の旅行がほんとうにあったことだとしても、ごく簡単にこう言って反論できるからである。
十六世紀には、気圧計も圧力計も発明されていなかった。だとすれば、どうやってサクヌッセンムは、自分が地球の中心に到達したことを確かめられたのか?
しかし、この反論もぼくは胸のなかにしまいこんで、ことのなりゆきを待つことにした。
その日はそれから、計算とおしゃべりで過ぎた。ぼくは終始リーデンブロック教授の意見に同調した。ぼくはハンスの完全に無関心な態度が羨《うらや》ましかった。この男は、原因や結果をごてごてと考えたりしないで、運命の導くままに、盲者のように進んでいく。
二六
うちあけた話、これまでは万事うまく運んできた。不平を言ったらばちがあたる。この『程度』以上に難問が出てこなければ、まちがいなくぼくたちは目的を達成できる。そうしたら、なんという栄光に包まれることだろう! ぼくはリーデンブロック流のこんな考え方までするようになっていた。本気でそう思ったのだ。ぼくが異様な環境のなかで過ごしているせいだろうか? たぶんそうだ。
数日のあいだ、傾斜はますます急になり、ときには恐ろしいほど切りたった斜面をおりて、ぼくたちは地球の内部に深く入っていった。日によっては、六キロから八キロも地中へとくだった。危険きわまる下降で、ハンスの技量とそのみごとな冷静さがたいへん役立った。この動じることのないアイスランド人は、とても理解できないほど無造作な態度でつくしてくれた。彼のおかげで、ぼくたちだけではきりぬけられないような難所を越えたことも、一度ならずあった。
実際、彼の無口ぶりは日ましにひどくなってきた。それがぼくたちにまでうつったように思う。周囲の事物は、人間の脳に現実に影響を及ぼすのである。四方を壁に閉じこめられた者は、しまいには観念や言葉をつなげる能力をなくしてしまうのだ。独房の囚人で、思考の力を働かさなくなったために、気ちがいとはいかないまでも、ばかになってしまった者がどんなにか多いことだろう!
このまえぼくたちが話し合った日から二週間というもの、報告するに価するような出来事はなにも起こらなかった。ただ一つだけ、ぼくの記憶のなかに、それも当然なのだが、非常に重大な事件が思いかえされる。その事件については、どんな些細《ささい》なことでもぼくはとうてい忘れることはできない。
八月七日、ぼくたちはあいつぐ下降によって、一二〇キロメートルの深さに達していた。つまり、ぼくたちの頭上には、一二〇キロにわたって、岩や海や大陸や都会があるのだった。そしてアイスランドからは八〇〇キロ来ているはずだった。
この日、トンネルの傾斜はあまりきつくなかった。
ぼくは先頭を歩いていた。二つあるルームコルフ装置のうち、一つを叔父が持ち、もう一つはぼくが持っていた。ぼくは花崗岩の層を調べていたのだ。
ふとふり返ってみると、ぼくはひとりぼっちなのに気がついた。
「なんだ」とぼくは思った。「早く歩きすぎたな。それともハンスと叔父さんは途中でとまったのかな。ともかく、二人と一緒にならなくちゃ。ありがたいことに、道はたいした登りじゃないし」
ぼくはとって返した。一五分ほど歩いた。目をこらしたが、誰もいない。ぼくは呼んだ。返事はない。ぼくの声はうつろな木霊《こだま》をにわかに呼び覚まして、そのなかに消えていった。
ぼくは不安になってきた。ぶるっと震えが全身を走った。
「少し落ち着くんだ」とぼくは声を口にだして言った。「連中はかならず見つかる。道は二本はないんだぞ。なにしろぼくがまえだったんだから、あとへ戻ろう」
また三〇分くらい、ぼくは道を戻った。なにかぼくを呼ぶ声がしないかと、聞き耳をたてた。この密度の高い空気のなかなら、声は遠くからでもとどくはずだ。底知れない地下道には、異常な静けさが支配していた。
ぼくは立ちどまった。ひとりぼっちなのが信じられなかった。ちょっとはぐれたぐらいであればいいと思った。まったくの行方《ゆくえ》知れずになるのはごめんだ。はぐれたのなら、また見つかる。
「さあ」とぼくは繰り返した。「道は一本しかないのだし、その道をあの二人は歩いているのだから、会えるはずだ。ぼくがもっと戻りさえすればいいんだ。ただ、ぼくの姿が見えなくなったもんだから、あの連中、ぼくのほうが先にいたのを忘れてしまって、あとへひき返そうなんて気を起こしてくれなければいいんだが。まあいい、そうだとしても、急げば追いつける。きまりきったことさ!」
確信のない男みたいに、ぼくはこの最後の言葉を繰り返した。確信どころか、こんな簡単なことを考えつき、理屈のとおるように組み立てるのに、ずいぶん長い時間がかかったのだ。
そのとき、一つの疑問が浮かんだ。ぼくはほんとうに先頭だったのだろうか? たしかだ、ハンスがぼくのあとにつづき、叔父のまえにいた。肩の荷物を結びなおすために、ハンスがしばらく立ちどまったことだってあったじゃないか。そのときのことが細かく思いだせた。あのときなんだ、ぼくは歩きつづけてしまったにちがいない。
「それに」とぼくは考えた。「ぼくには迷わない確実な方法がある。この迷路の道案内をしてくれる糸があるんだ。しかも切れない糸だ、ぼくの忠実な小川だ。あの流れを溯《さかのぼ》っていきさえすればいいんだ。そうすれば、いやでも二人の歩いているところにぶつかる」
そう考えると元気がでた。一瞬も無駄にしないで歩きだそうと心を決めた。
花崗岩の壁にあけた穴をハンスがふさごうとするのをとめた叔父の先見の明を、そのときどんなにかぼくはありがたく思ったことだろう。おかげで、あのありがたい湧き水は、道々ぼくたちの喉《のど》をうるおしてくれたうえに、地底の曲がりくねった道の案内までしてくれるのだ。
ひきかえすまえに、体を清めたらなにかいいことがあるような気がした。
そこで身をかがめて、ハンス川の水に額《ひたい》をひたそうとした。
ぼくの驚きがわかるだろうか!
乾いてごつごつした花崗岩にぶつかったのだ! 小川は足もとを流れてはいなかった!
二七
ぼくの絶望は筆であらわせない。人間のどんな言葉も、このときのぼくの気持ちを言いあらわせないだろう。ぼくは生きたまま埋められたのだ。飢えと渇きに苦しみながら死ぬのが目に見えていた。
無意識に、ぼくは焼けるような手で地面を撫《な》でまわした。その岩はなんと乾ききっていたことか!
だが、どうしてぼくは小川の流れから離れてしまったのだろう? なぜって、川はもうここにはないんだから! そのとき思いあたった、仲間のぼくを呼ぶ声かなにかが聞こえはしないかと、さっき耳をすましたとき、なぜあんなに妙に静かだったのかが。そうだ、間違った道に一歩を踏みこんだときに、川がなくなったのに気がつかなかったのだ。きっとそのとき、ぼくの前で道が二手にわかれていたのだ。そして、ハンス川は別の坂道のほうに流れ、二人の仲間と一緒に、ぼくの知らない深みへと去って行ってしまった!
どうやってもとに戻ったらいいのだろう? 足跡なんか、ない。この花崗岩の上だもの、足跡が残るわけがない。この解けない問題を解こうとして、ぼくは頭を痛めた。ぼくの立場はただひと言で言いつくせた――破滅!
そうだ、はかり知れない深みで破滅するのだ。厚さ一二〇キロの地殻がおそろしい重みでぼくの肩にのしかかってくる。ぼくは押しつぶされたような気がした。
ぼくは地上のことに頭を向けようとした。容易なことではまとまった考えにならなかった。ハンブルク、ケーニッヒシュトラーセの屋敷、ぼくのいとしいグラウベン、道に迷ったぼくの頭上にある世界のあらゆることが、うろたえたぼくの頭のなかを飛ぶように通りすぎた。この旅行中のさまざまな出来事、航海、アイスランド、フリドリクソン氏、スネッフェルスなどが、鮮かな幻となって目に浮かんだ。こんな状況でも、まだはかない希望を抱いているなんて、それこそ狂気のしるしだ、いっそ絶望したほうがましだ、とぼくは思った。
実際、どんな人間の力が、頭上に覆いかぶさるこの巨大な円天井《まるてんじょう》をつき崩《くず》して、ぼくを地上に連れもどしてくれるというのか? 誰がぼくに帰る道を教えてくれ、仲間たちに会わせてくれるというのか?
「ああ、叔父さん!」ぼくは絶望の声をあげた。
これがぼくの口をついて出たただ一つの非難の言葉だった。叔父さんだって気の毒に、ぼくを探そうとして苦しんでいるにちがいないことが、わかっていたのだもの。
もう人の手による救いは決してとどかない、わが身を救うためになにもできないのだと悟ったぼくは、天の助けを思った。幼ないときの思い出が、口づけをしてくれたときのことしか覚えていない母の思い出が、心によみがえってきた。こんなに遅くなってからお願いしても、神さまに聞いていただけるとは思えなかったが、ぼくはすがるように祈った。熱誠こめて嘆願《たんがん》した。
こうして神のもとに心を寄せると、少し気が落ち着いてきた。それで、自分がいま置かれている状況について、頭脳をしぼって考えることができるようになった。
ぼくには三日分の食糧があり、水筒はいっぱいになっている。だが、これ以上ひとりきりでいることは耐えられない。しかし、登るべきなのか、くだるべきなのか?
もちろん登るのだ! どこまでも登るのだ!
あの小川と別れたところへ、あの忌《いま》わしい別れ道のところに行くべきなのだ。そこへ行って、足もとに小川が見つかれば、スネッフェルスの頂上にだってかならず戻ることができるだろう。
どうしてもっと早くここに気がつかなかったのだろう! 明らかにここにこそ助かるチャンスがあった。いま一番急いでしなければならないのは、ハンス川の流れを見つけることなのだった。
ぼくは立ちあがった。そしてアルペンシュトックを突きながら、地下道を登った。傾斜はかなり急だった。ぼくは希望を持って、くよくよしないで進んだ。行く道に選択の余地はない男なのだもの。
半時間ほどは、ぼくの足をとめるなんの障碍も現れなかった。トンネルの形や、岩の出っぱり具合や、道の曲がりくねり方で、見覚えのある道を見つけようと努めた。だが、これだと思えるような特徴はなにも見つからなかった。そして、やがてぼくは、この地下道では別れ道のところには行けないことを思い知らされた。行き止まりだったのだ。通るに通れない壁にぶつかって、ぼくは岩の上にころがったのだ。
そのとき、ぼくがどんなに驚き、どんな絶望にとらえられたか、とても言うことはできない。ぼくはただ茫然《ぼうぜん》としていた。最後の希望が、この花崗岩の壁にぶつかって、いまや砕けたのだった。
曲がりくねった道が四方八方に交錯しているこの迷路のなかに迷いこんだぼくは、これ以上できもしない脱出を試みてもしかたなかった。この上なくおそろしい死に方で死ぬほかないのだ。そして、おかしなことに、もしもいつの日か化石と化したぼくの死体が発見されたなら、地下一二〇キロものところでのそんな発見は、さぞや科学上の大問題をひき起こすだろうな、などという考えが浮かんできた。
ぼくは大声で叫びたかった。だが、乾いた唇からは、しわがれた声がもれただけだった。ぼくは喘《あえ》いでいた。
この苦しみの最中に、また一つの恐怖がぼくの心を捉《とら》えた。倒れたときに、ランプがこわれてしまったのだ。修繕しようにも、その方法がない。光は弱まってゆき、いまにも消えそうだ!
ぼくは装置の螺旋管《らせんかん》のなかで光が小さくなってゆくのを見つめた。暗くなった岩壁の上を、ゆらぐ影の行列が通る。この消えかかる光をほんの少しでも見|逃《のが》したくなくて、ぼくは瞼《まぶた》を閉じる気になれなかった。刻々と光は薄くなってゆき、『暗黒』がぼくを包みこむような気がした。
とうとう、ランプのなかで最後の光が震えた。ぼくはその光を見つめ、その光を目に吸いこみ、その光の上に目のすべての力を集中した。これがぼくの目が感じる最後の光の感覚なのだ。そして、深い闇のなかにぼくはひきずりこまれた。
なんともおそろしい叫びをぼくは洩らした。地上では、どんなに深い闇のなかでも、光が完全にその権利を放棄してしまうことはない。光が拡散し、かすかになっても、わずかでも残っているかぎり、目の網膜は結局はそれを感知する。それが、ここでは、なにもないのだ。絶対の闇が文字通りぼくを盲にした。
すると、ぼくの頭は混乱してきた。ぼくは立ちあがって、両腕をつきだし、惨憺《さんたん》たる手さぐりを試みた。ぼくは逃げだそうとした。このこんがらがった迷路のなかを盲滅法に足を急がせ、ずんずんおりてゆき、まるで地底の断層の住民のように、地殻のなかを走った。呼び、叫び、吼《ほ》え、やがて岩角に傷ついて、倒れ、血だらけになって起きあがり、顔に流れる血を飲もうとした。そして、どこかの壁にぶつかって、頭が砕けてしまうのを待ちつづけていた!
こんな気ちがいじみた走り方で、ぼくはどこへ行きついたのか? それは永久にわかるまい。数時間後、おそらく力つきたのだろう、ぼくは壁に沿って朽木のようにぶっ倒れ、完全に気を失ってしまった。
二八
息を吹きかえしたとき、ぼくの顔は濡《ぬ》れていた。しかし、涙で濡れていたのだ。どのくらいのあいだ気を失っていたのか、それはわからない。時間を知る方法がもうまったくなかったのだ。このぼくのような孤独がかつてあったろうか、これほど完全に見捨てられたものがあったろうか!
倒れてから、ぼくはたくさん出血したのだ。血にひたっているような感じだった。ああ、死ななかったのが、『まだやらなければならない』のが、どんなにうらめしかったことか! もう考える気にもなれなかった。なにもかも頭から追っぱらった。そして、苦しみにうちのめされて、ぼくは反対側の壁のそばに転がっていった。
また気が遠くなりそうな感じがして、それとともにすべてが消えてゆきそうだった。そのとき、なにか激しい音がぼくの耳をうった。それは長く轟《とどろ》く雷のような音だった。そして、反響する音の波が、少しずつ遠く深い穴ぐらの奥へと消えてゆくのが聞こえた。
音はどこから来たのだろう? きっと地盤のなかで、なにかの現象が起こったのだ! ガスの爆発か、それとも、なにかものすごい落盤かだ!
ぼくはなおも耳を澄ました。いまの音がまたしないか知りたかった。一五分ほど過ぎた。地下道のなかは沈黙が支配していた。ぼくの心臓の鼓動さえいまは聞こえなかった。
突然、たまたま壁に当たっていた耳に、なにかぼんやりした、捉《とら》えにくい、遠い言葉が聞こえたような気がした。ぼくは身ぶるいした。
「幻覚だ」とぼくは思った。
いや、そうじゃない。もっと注意して聞いてみると、ほんとうに人の声の呟《つぶや》くのが聞こえたのだ。けれども、なにを言っているのかは、体が弱っていたので、わからなかった。しかし、人が話していたのだ。それはたしかだった。
ちょっとのま、その言葉はぼくの声が木霊《こだま》になって戻ってきたものではないか、と不安になった。もしかしたら、知らないまにぼくがなにか叫んだのかも知れない。ぼくは口をしっかりと結んで、もう一度壁に耳を当てた。
「そうだ、たしかに話している! 人が話しているんだ……」
壁に沿って何歩か先のところに動いてみても、はっきりと聞こえた。ぼんやりした、奇妙な、意味のとれない言葉が耳に入るのだ。ちょうど小声で話しているような、いわば囁《ささや》いているような声が聞こえる。『フォルロレード』という単語が、苦しげな響きをこめて、何度も繰り返されていた。
どういう意味なんだろう? それを言っているのは誰なんだ? きっと叔父かハンスだ。だが、それがぼくに聞こえるからには、ぼくの言うことも向こうに聞こえるはずだ。
「助けてくれ!」ぼくは全力をふりしぼって叫んだ。「助けてくれ!」
ぼくは耳をすました。闇《やみ》のなかに、答えを、叫びを、吐息《といき》をうかがった。なにも聞こえてこなかった。数分が過ぎた。さまざまな考えが心に浮かんだ。ぼくの声が弱っているので、二人のところまで届かないのだと思った。
「あの二人にまちがいないんだ」と繰り返してぼくは思った。「地下一二〇キロのところにほかの誰がのこのこ入ってくるものか?」
ぼくはまた聞き耳をたてた。壁のあちこちに耳を滑《すべ》らしてゆくうちに、声が一番強く聞こえるように思える場所を見つけた。『フォルロレード』という単語がまた耳に入った。それからまた、さっきぼくを失神状態からひきもどした、あの雷のような轟きが聞こえた。
「ちがうぞ、これは」とぼくは言った。「そうだ、この声は壁を通して聞こえてくるんじゃない。この壁は花崗岩の壁だ。どんなに大きな音だって、この壁を通すわけがない。この声は地下道をつたってくるんだ。なにか特殊な音響効果があるにちがいないぞ!」
ぼくはまた耳をすました。すると、今度は、そうだ、今度は、空中を伝わって、はっきりとぼくの名を呼んでいるのが聞こえた。
ぼくの名を言ったのは、叔父だった。叔父が案内人と話している。『フォルロレード』というのはデンマーク語だったのだ。
それですっかりわかった。ぼくの声をとどかせるためには、まさしくこの壁ぞいに話す必要があるのだ。そうすれば、電線が電気を伝えるように壁が声を伝える働きをするのだ。
だが、ぐずぐずしてはいられなかった。二人が少しでも遠ざかったら、この音響現象がだめになってしまうかもしれない。それで、ぼくは壁のそばに寄って、できるだけはっきりと、こう呼んだ。
「リーデンブロック叔父さん!」
ぼくは激しい不安に包まれながら、待った。音というものはそんなに速いものではない。空気の密度が濃くなったからといって、音の速度が増すわけではない。ただ音の強さが増すだけなのだ。何秒かが過ぎた。何百年ものようだった。とうとう、こんな言葉がぼくの耳に入った。
「アクセル! アクセル! おまえなのか?」
…………
「そうです! そうです!」ぼくは答えた。
…………
「おまえ、どこにいるんだ?」
…………
「道に迷ったんです、まっ暗なんです!」
…………
「ランプはどうした?」
…………
「消えました」
…………
「じゃあ、小川があるだろ?」
…………
「なくなっちゃったんです」
…………
「アクセル、おいアクセル、元気をだせ!」
…………
「少し待ってください。ぼくへとへとなんです。返事をする元気もありません。でも、叔父さんは話してください」
…………
「しっかりしろ」と叔父は言った。「口をきくな。わしの言うことを聞け。わたしたちはおまえを探して、地下道をあがったり、おりたりしたんだ。どうしても見つからなかった。おまえが可哀《かわい》そうでならなかったよ。結局な、やっぱりおまえはハンス川の道にいるだろうと思って、鉄砲をうちながらまたおりてきたんだ。これでおたがいの声は聞こえるが、これはまったく音響効果のせいだ。手がとどくわけじゃない。しかし、やけになるなよ、アクセル! 声が聞こえるのは、もうたいしたことなんだからな!」
…………
そのあいだに、ぼくは考えたのだ。まだぼんやりとはしていたが、いくらか希望が心によみがえってきた。まず、どうしても知りたいことがあった。それで、口を壁に近寄せて言った。
「叔父さん」
…………
「なんだ、アクセル?」しばらく時間をおいて、答が返ってきた。
…………
「ぼくたちがどのくらい離れているのか、まず知る必要があります」
…………
「そりゃ簡単だ」
…………
「クロノメーターがありますね?」
…………
「あるとも」
…………
「では、それを見てください。正確に時間を見て、ぼくの名前を呼んでください。それがこちらに聞こえたらすぐ、ぼくが繰り返して呼びます。ですから、ぼくの返事が聞こえた時間も正確に見てください」
…………
「よし、すると、わしが呼ぶのとおまえの返事とにかかった時間の半分が、こっちの声がおまえのところまでとどくに要する時間ということになるな」
…………
「そうです、叔父さん」
…………
「用意はいいか?」
…………
「いいです」
…………
「それじゃあ、よく注意していろ、おまえの名前を呼ぶからな」
…………
ぼくは壁に耳をあてた。そして、『アクセル』と呼ぶ声が聞こえると同時に、『アクセル』と答えて、待った。
…………
「四〇秒だ」やがて叔父の声が言った。「言葉の往復に四〇秒かかった。だから片道二〇秒だ。それで、一秒三四〇メートルとすると、六八〇〇メートルになる、つまり七キロほどだな」
…………
「七キロですか!」とぼくは呟いた。
…………
「おい、それくらいはわけはないぞ、アクセル!」
…………
「でも、のぼるんですか、おりるんですか?」
…………
「おりるのだ。そのわけはこうだ。わしたちはいまだだっぴろい場所に来ているのだ。たくさんの地下道がここに集まっている。おまえの通った道も、かならずここに通じているはずだ。なにしろ、ここらの地下のあらゆる割れ目や亀裂は、わしたちのいるこの大きな洞窟《どうくつ》から四方に出ているらしいんだ。だからな、立ちあがって、進むんだ。歩け。駄目なら、這《は》ってこい。急な坂道は滑っておりろ。行きついたところには、わしたちが待っているんだ。さあ、歩け、歩きだせ!」
…………
この言葉を聞いて力がよみがえってきた。
「それじゃ、叔父さん」ぼくは大きな声で言った。「出かけます。この場所を離れたら、もう声の連絡はできないでしょうね。じゃ、さよなら!」
…………
「すぐ会えるぞ、アクセル! すぐ会えるぞ!」
…………
これがぼくが聞いた最後の言葉だった。
厚い地中の岩をとおして、しかも一里以上も離れて交されたこの驚くべき会話は、このような希望の言葉でしめくくられた。ぼくは神に感謝の祈りを捧《ささ》げた。なぜなら、この広大な暗闇のなかで、ぼくの仲間の声が聞こえるおそらくはただ一つの場所に、神がぼくを導いてくださったのだから。
まったくもって驚くべきこの音響効果は、物理学の法則だけで説明できるのである。つまり、それは地下道の形状と、岩のもつ音の伝導性とからきているのだ。空気を媒介《ばいかい》にしたのではとても伝わらない音が、このようにして、伝播《でんぱ》する例はたくさんある。こうした現象が多くの場所で観察されることは記憶している。たとえば、ロンドンのセント・ポール寺院のドーム内陣の回廊とか、とくにシチリア島のあの不思議な洞窟などだが、これはシラクサ近くにある石牢《いしろう》で、なかでもこのことで一番みごとなのは『ディオニュシオスの耳』という名で知られている。
こんなことを思いだしたら、叔父の声がぼくのところまでとどいた以上は、ぼくたちのあいだには障碍《しょうがい》物はなにもないのだということが、はっきりわかった。音の通った道をたどっていけば、途中で力尽きてしまわぬかぎり、論理上はぼくも音と同じように行きつけるはずだ。
そこで、ぼくは立ちあがった。歩いたというよりは、体を曳《ひ》きずった。傾斜はかなり急だった。体が勝手に滑っていった。
やがて、ぼくの滑りおりる速さはおそろしいほどになって、落ちるといったほうがいいくらいになった。自分でとまる力はもうなかった。
突然、足の下に地面がなくなった。垂直の地下道、いやまさに井戸だ、その凹凸にはね返りながら、転げていくのがわかった。とがった岩に頭がぶつかった。そして、ぼくは意識を失った。
二九
気がついてみると、ぼくは薄暗がりのなかで、厚い毛布の上に寝ていた。息があるかと、枕《まくら》もとからぼくの顔を叔父がのぞきこんでいた。ぼくがふうっと息を洩《も》らすと、叔父はぼくの手をとった。目を向けると、喜びの声をあげた。
「生きてるぞ! 生きてるぞ!」と彼は叫んだ。
「ええ」とぼくはか細い声で答えた。
「ああ、おまえ」叔父はぼくを胸に抱きしめて言った。「助かったんだな!」
その言葉の口調にぼくは強く感動した。それにもまして、その言葉に示された心づかいに感動した。だが、教授がこれだけの愛情をおもてに見せるには、こんなにもひどい目にぼくが会わなければならなかったのだ。
このときハンスがやってきた。彼はぼくの手が叔父の手に握られているのを見た。彼の目が非常な満足を表したと断言してもいい。
「ゴッド・ダーク」と彼は言った。
「ごきげんよう、ハンス、ごきげんよう」ぼくは呟いた。「それで叔父さん、ここはどこなんですか?」
「あしたにしよう、アクセル、あしたにな。きようはまだ、おまえ、ひどく弱っている。頭に包帯を巻いてやったが、動かしてはいけない。な、眠りなさい、あしたになったら、みんな話してやるよ」
「でも、せめて」とぼくは言った。「いま何時でしょう? いや何日なんですか?」
「午後一一時。今日は八月九日、日曜日だよ。さあ、八月の一〇日になるまでは、もうなにもきいてはいけないよ」
実際、ぼくはひどく弱っていた。瞼《まぶた》が自然とたれてくる。ひと晩は休む必要があった。ぼくはまるまる四日も一人ぼっちでいたんだなと考えながら、眠りに落ちていった。
翌日、目が覚めて、ぼくはまわりを見まわした。ぼくの寝床は、旅行用の毛布全部を重ねて作ってくれてあったが、そこはみごとな鍾乳石《しょうにゅうせき》が並び、地面には細かい砂が敷きつめられた、美しい洞穴のなかだった。うっすらと明るかった。松明《たいまつ》も、ランプもついていない。それだのに、なんともしれない光が、外から、洞穴の狭い入口を通して入ってきているのだ。それにまた、岸辺に砕《くだ》けるさざ波の音に似た、漠《ばく》としてよくわからない呟くような音が聞こえる。ときどきは、風の鳴る音も。
ほんとうに目が覚めたのか、まだ夢のなかなのか、墜落したとき頭が割れて、まったくありもしない音が聞こえるんじゃないのか、とぼくはとまどった。しかし、ぼくの目や耳がそんなに狂っているはずはなかった。
「陽の光だ」とぼくは考えた。「あの岩の割れ目からさしこんでいるんだ! たしかに波の音がするぞ! 風も鳴っている! 錯覚かな、それとも地上に戻ったのかしら? だったら、叔父さんは探検を諦《あきら》めたのかな、もしかして、成功して終わったのかな?」
こんなとりとめのないことを考えていると、教授が入ってきた。
「おはよう、アクセル!」叔父は陽気に呼びかけた。「どうだ、すっかり元気になったろう」
「そうですとも」毛布の上に起きあがりながら、ぼくは答えた。
「そうにきまっとる。なにせよく眠ったからな。ハンスとわしが、代りばんこに看ておったんだが、ずんずんよくなるのがわかったよ」
「ほんとうに、元気になった気がしますよ。その証拠に、朝御飯をご馳走《ちそう》してください、もりもり食べますよ」
「よろしい、食べなさい。熱もさがった。ハンスがなにやらアイスランド秘伝の塗り薬を、おまえの傷に塗りこんでいたが、傷口はたちまちふさがったよ。あの猟師はなんとたいした男だぞ!」
そんなことを話しながら、叔父は食べるものを用意してくれた。ぼくは叔父の注意もものかは、がつがつと食べた。そのあいだにも、ぼくは叔父を質問攻めにし、叔父は熱心に答えてくれた。
それでわかったのだが、神さまの思し召しか、ぼくが落ちたのは、ほとんど垂直な地下道のちょうどつき当たりのところだった。ぼくは、一番小さいやつでも優にぼくをぺちゃんこにしそうな、滝のように流れ落ちる岩石のなかにもまれて落ちたのだが、そうしてみると、岩盤の一部がぼくといっしょに崩れ落ちたのにちがいない。そのおそろしい流れに運ばれて、ぼくは血まみれになり、死んだようになって、叔父の腕のなかに倒れたのである。
「まったくの話」と叔父は言った。「おまえが死ななかったのは、不思議なくらいだよ。だがな、これからはもう決して離ればなれにならないようにしよう。二度と会えなくなるかもしれんからな」
『これからはもう離ればなれにならないようにしよう』だって! じゃあ、旅は終わったんじゃないのか? ぼくはびっくりして目を丸くした。それを見て、叔父はすぐにたずねた。
「どうしたんだな、アクセル?」
「ちょっとおききしたいことがあるんですが。ぼくは元気でどこもなんともないとおっしゃいましたね?」
「もちろんさ」
「ぼくの手足はだいじょうぶですね?」
「だいじょうぶだとも」
「じゃあ、頭は?」
「打撲傷が少しあるが、ちゃんとしかるべく肩の上にのっかっているよ」
「それじゃあ、ぼくの脳がおかしいのかしらん」
「脳がおかしい?」
「だって、ぼくたちは地上に戻ったんじゃないんでしょう?」
「ああ、戻っちゃいないさ!」
「やっぱり、ぼくはおかしいんだ。陽の光が見えるし、風の吹く音や、波の砕ける音が聞こえるんです」
「なんだ、そんなことか?」
「説明してくれますか?……」
「なんにも説明はせんよ。説明できんのだからな。ただ、おまえ、自分の目で見て、わかってくれ、地質学って学問はまだなにもかもわかっているわけじゃないのだ」
「じゃあ、出てみましょう」ぼくはやにわに立ちあがって、叫んだ。
「だめだ、アクセル、駄目だ! 外気にあたると、よくない」
「外気ですって?」
「そうだよ、風がかなり強いんだ。あんな風にあたっちゃいかん」
「だって、だいじょうぶ、ぼくはとっても元気ですよ」
「少し我慢しなさい。ぶり返しでもされたら、みんなが困るんだ。そう時間を無駄にするわけにもいかんしな、なにしろ航海は長くなるかもしれんからな」
「航海?」
「そうだ、今日はまだ休んでいろ。明日は船に乗るんだ」
「船に乗るんですって?」
この最後の言葉に、ぼくは跳びあがった。
なんだって! 船に乗るだと! じゃあ、そこに河でもあるのか、それとも湖か、海か? どこぞの地下の港に船が泊まっているとでもいうのか?
ぼくの好奇心はいやがうえにかきたてられた。叔父がなだめようとしたが駄目だった。起きたいというぼくの気持ちを満たしてやるより、じりじり我慢させるほうが、体に悪いと見て、叔父は譲歩した。
ぼくはすばやく服を着た。念のため、毛布を一枚かぶって、洞穴を出た。
三〇
はじめはなにも見えなかった。光に慣れない目は、たちまち閉じてしまうのだ。目が開けられるようになったとき、ぼくは驚いたなんていうより、呆気《あっけ》にとられてしまった。
「海だ!」とぼくは叫んだのだ。
「そうだ」と叔父が答えた。「リーデンブロック海だ。どんな航海者だって、この海を発見した栄誉と、この海にわしの名前をつける権利に、文句をつける者はおるまい。そう思いたいね」
湖かそれとも海のとばくちだろうか、果てしない広々とした水面が見渡すかぎりつづいている。大きく湾曲した岸辺は、うち寄せる波を、細かい金色の砂浜で迎え、原初の生命が宿った小さな貝殻がちらばっている。波は、周囲をかこまれた広い場所に特有の殷々《いんいん》とした響きをたてて、浜辺に砕けていた。軽い泡《あわ》が、ゆるやかな風に舞い、しぶきがぼくの額《ひたい》にかかった。ゆるい傾斜をもったこの砂浜の、波うちぎわから二〇〇メートルほど離れて、城壁のような巨大な岩山が張りだし、おそろしく高くまで反りかえって聳《そび》えている。ときにはその鋭い山稜《さんりょう》が岸辺までつき出して、岬《みさき》や半島となり、磯波《いそなみ》が歯をむいてかみついている。さらに遠く、水平線の上にまで、くっきりと浮かぶ岩山が延びているのが見えた。
それはほんとうの海だった。変化に富んだ海岸線にかこまれているが、荒涼として、おそろしいほど未開の風景だった。
ぼくがこの海の上を遠くまで見渡せたのは、なにか『特殊な』光がすみずみまで照らしていたからである。それは、きらきらと降りそそいでは、まばゆく拡がる太陽の光でもなく、熱のない反射にすぎない月の青白いほのかな光でもなかった。そうではない。この光の明るさ、ゆらめくような拡がり方、澄んでいるが乾いたその白さ、温度の低さ、月の光よりもたしかに強い光度などから見て、これは明らかに電気的な光であることを示していた。大海をすっぽりと包みこむこの巨大な洞窟にみちているのは、いわば極光のようなもの、なにか持続的宇宙現象なのだ。
ぼくの頭上にかぶさっている天井、お望みなら空と言ってもいいが、それは大きな雲、つまりたえず動き変化する水蒸気の層であるらしかったが、日によっては、凝結して、篠《しの》つく雨となるにちがいない。こんなに大気圧の高いところで、水が蒸発することはありえないと思っていたのだが、ぼくにはわからない物理学上の理由によって、空中には大きな雲が広がっていた。だが、このときはこれでも『天気がよかった』のだ。広い帯電層が、非常に高空の雲の上で、驚くべき光のたわむれを現出していた。下のほうで渦巻《うずま》く雲に、そのあざやかな影がうつり、ときおり、雲の切れ間から、すばらしく強い光線がぼくたちのところまでさしてきた。だが、要するに、この光には熱がないのだから、これは太陽ではなかった。悲しげな、この上なくわびしい光だった。この雲の上にあるのは、星の輝く大空ではなく、花崗岩の円天井が全重量をかけてぼくにのしかかっているのが、ひしひしと感じられた。この空がどんなに広いとしても、星のなかで一番動きの少ない星でさえ動けるほどには広くはあるまい。
そのとき、ぼくはイギリスのある船長のとなえた説を思いだした。それは、地球というのは内部が空洞の大きな球体であって、その空洞内では気圧のために空気が発光して、プルトーとプロゼルピーナという二つの星が神秘的な軌道《きどう》を描いているというのである。彼の言うのはほんとうのことだったのだろうか?
ぼくたちが巨大な洞穴に閉じこめられているのは事実だった。その横幅は見当がつかない。なにしろ、岸辺は見えなくなるまで広がっているのだ。縦の長さもわからない。目のとどく果ては、ぼんやりかすむ水平線が見えるばかりなのだから。その高さも数千メートルは超えているにちがいない。花崗岩の壁がどのあたりで天井を支えているのか、目には見えなかった。だが、空中に浮かんで見えた雲の高さは、四〇〇〇メートルほどと思われ、これは地上の雲の高さより高いが、おそらく空気の密度が濃いせいだろう。
こんなに広いところを言い表すのに『洞窟』という言葉では明らかにぼくのイメージを伝えられない。しかし、あえて地底に踏みこむ者には、人間の言葉ではたりないこともあるのだ。
それに、こんな洞窟の存在を、地質学上のどのような事象でもって説明するのか、ぼくにはわからなかった。地球の冷却によって生じたものだろうか? いろいろな旅行記で、有名な洞窟のかずかずは知っていたが、これほどの規模のものは一つもなかった。
フンボルト氏が訪れたコロンビアのグアチャラ洞窟は、この学者が七五〇メートルまではたしかめたものの、はたしてどれだけ深いかはわかっていないのだが、おそらくそれ以上はるかに深いということはあるまい。ケンタッキー州にあるマンモス大洞窟も、底しれぬ湖の上に高さ一五〇メートルの天井があって、しかも旅行者たちがその湖を四〇キロ以上も渡ってみたが対岸に着かなかったというから、非常に巨大な規模のものである。しかし、これらの洞窟も、いまぼくが見とれているこの洞窟に比べたら、問題ではない。ここには、雲のたちこめた空があり、電光が照り輝き、広い海まで呑《の》みこんでいるのだ。この広さをまえにしては、ぼくの想像力の無力なことが痛感されるばかりだった。
この驚くべき世界を、ぼくは黙って見つめていた。ぼくの感じたものを表す言葉がなかったのだ。ぼくは、天王星とか海王星とか、どこか遠くの惑星にいて、ぼくの『地球的』感覚では捉えられない現象を見ているような気持ちだった。新しい感覚には、新しい言葉が必要である。ぼくの想像力では、それが出てこなかった。ぼくは、怖《おそ》れのまじった驚きで、眺め、考え、見とれていたのである。
この思いがけない光景にうたれて、ぼくの顔には健康の色が戻ってきていた。驚きによって体が立ちなおり、この新式療法でぐんぐん恢復《かいふく》したのである。それに、非常に密度の濃い空気が、肺にたくさんの酸素を活発に供給して、ぼくを元気にしたのである。
四七日間も狭い穴倉のなかに閉じこめられていたあとで、塩気をしっとりと含んだそよ風を吸うことが、どんなにいい気持ちだったかは、容易におわかりいただけるだろう。
だから、暗い穴から出たことを、ぼくは悔むどころではなかった。叔父のほうは、もうこんな驚異には慣れてしまっていて、驚いてはいなかった。
「少し散歩でもする元気があるかな?」と叔父がたずねた。
「ええ、ありますとも」とぼくは答えた。「こんなに気持ちのいいことはありません」
「そうか、じゃ、わしの腕に掴《つか》まれ、アクセル。海岸伝いに歩いてみよう」
ぼくはいそいそと応じた。そして、ぼくたちはこの新発見の海にそって歩きだした。左手には、切りたった岩が上へ上へと重なりあって、ものすごい様相の巨大な岩山を形づくっている。その山腹には、無数の滝がかかり、すきとおった幕となって、音をたてて落ちていた。ところどころ、岩から吹き出る薄い湯けむりは、温泉があることを示していた。そうして、いくつもの水の流れは、より心地よくせせらげる斜面を求めて、一つの谷間へと穏やかに流れ落ちていた。
そのような小川のなかに、ぼくたちの忠実な道づれだったあのハンス川の姿もあった。それは、世界のはじめからずうっとそうだったかのように、静かに海にそそいでいた。
「これであの川ともお別れですね」とぼくは 溜息《ためいき》をついて言った。
「なんだい」教授は答えた。「あの川だってどの川だって、おなじことだよ」
いささか恩知らずな言いようだ、とぼくは思った。
だが、このとき、ぼくの注意は思いがけない光景にひきつけられた。五百歩ばかり先の、高い岬の曲り角に、濃く茂って盛りあがった森が目に入ったのだ。その森の木々は、中くらいの高さで、どれもきちんとしたパラソルのような形の、くっきりと幾何《きか》学的な輪郭《りんかく》を見せていた。空気の流れにその葉は影響されないらしく、吹く風のなかに、まるで糸杉の化石のようにじっとしていた。
ぼくは足を速めた。こんな奇妙な代物をどんな名前で呼んだらいいのかわからなかった。これまでに知られている二〇万種の植物のなかに入らないのじゃなかろうか? 湖沼植物の仲間に特別な一種をもうけなければならないんじゃないか? そうではなかった。その茂みの下に来たとき、ぼくの驚きはただもう感嘆となった。
ぼくのまえにあるのは、まさしく地上にある産物だったが、ただそれがなんとも巨大な寸法なのだった。叔父は即座にその名を口に出した。
「なんだ、これは茸《きのこ》の森じゃないか」と彼は言った。
そのとおりだった。高温湿潤な環境を好むこの植物が、どのくらいまで生長するものか考えていただきたい。『リコペルドン・ギガンテウム』という茸は、ビュリアールによれば、笠の周囲が三メートルほどにもなることを、ぼくは知っていた。しかし、ここにある白い茸は、高さが一〇メートルから一三メートルもあり、笠の直径もそのくらいあるのだ。それが何千となく並んでいる。光はその厚いしげみを貫いてさしこまない。アフリカの町の円屋根のように、びっしり並んだこの笠の下は、まっ暗だった。
だが、ぼくはもっとなかまで入ってみたいと思った。肉の厚いその円天井から、ぞくぞくするような冷気がおりてきた。三〇分ものあいだ、ぼくたちはこのじめじめする闇のなかをさまよった。ふたたび海岸に出たときには、ほんとうにほっとした。
ところで、地下の国の植物は、この茸だけではなかった。もっと先のほうに、色あせた葉をしたたくさんの木々が、群れをなして聳えていた。それがなにかはすぐにわかった。地上でなら見ばえもしない小|灌木《かんぼく》のたぐいだが、それがあきれるほど大きいのだ。三〇メートルもある|ひかげのかずら《ヽヽヽヽヽヽヽ》、巨人のような封印木《ふういんぼく》、緯度の高い地方に生える樅《もみ》の木ぐらいの大きな木状羊歯、先端に長い葉をつけ、厚葉植物の化物みたいに堅い毛をいっぱい生やした、円筒状の茎《くき》が分岐している鱗木《りんぼく》。
「驚いた、すごい、すばらしい!」と叔父は叫んだ。「地球の中生代、古生代のあらゆる植物があるぞ。わしたちの家の庭にあるつまらない植物が、太古の時代にはこんな大木だったんだ。見ろ、アクセル、すばらしいじゃないか! こんな見ものにぶつかった植物学者はいないぞ!」
「まったくですね、叔父さん。学者たちが智慧《ちえ》をしぼってやっと復原してみせた昔の植物を、あのノアの洪水以前の植物を、神さまはこの広大な温室のなかにそっくりとっておいてくださったらしい」
「うまいことを言うじゃないか、おまえ、まったく温室だ。しかし、動物園とでも言えば、もっといいかもしれん」
「動物園ですって!」
「そうだよ。わたしたちが踏んずけているこの土を見ろ、地面は骨だらけじゃないか」
「骨!」とぼくは叫んだ。「なるほど、古代の動物の骨だ!」
ぼくはこの破壊されない鉱物質の古いかけらにとびついた。枯木《かれき》の幹みたいに巨大な骨が、なんの骨かはすぐわかった。
「これはマストドンの下顎《したあご》だ」とぼくは言った。「こっちのはディノテリウムの臼歯《きゅうし》ですよ。これは大腿骨《だいたいこつ》だけど、こういう動物のなかで一番大きいメガテリウムのにちがいありませんよ。ほんとだ、たしかに動物園ですよね。この骨は洪水でここまで運ばれてきたわけじゃありませんものね。この骨の動物たちは、この地下の海の海岸で、この大木の木陰に棲《す》んでいたんですよ。ほら、完全な骨格がありますよ。だけど、なあ……」
「だけど、なんだ?」と叔父が言った。
「こんな四足獣が花崗岩の洞窟にいたなんて、わかりませんね」
「どうしてだ?」
「だって、動物が地球上に現れたのは、中生代になってからでしょう、つまり、原生代の灼熱《しゃくねつ》した岩石にかわって、沖積作用によって水成岩の地盤ができてからのことでしょう」
「そうか、アクセル、おまえの疑問に答えるのはごく簡単なことだ。それはな、ここの地盤は水成岩なんだよ」
「なんですって! 地表からこんなに離れた深いところに!」
「そうさ、このことは地質学的に説明できる。ある時代には、地球はもっぱら柔らかい地殻《ちかく》でできていて、引力の法則にしたがって、交互に上下の運動をしていたのだ。土地の沈下が起こって、突然口をあけた穴の底に、その水成岩の地盤の一部が落ちこんだということもありうるわけだ」
「そりゃあ、あるかもしれませんね。だけど、そんな大昔の動物がこの地下の世界に生きていたとすれば、いまでもこの暗い森のなかや、あの切りたった岩のうしろに、そういう怪物がうろついていないとは言いきれませんね」
そう考えると、ぼくはおそるおそる地平線のあちこちを見まわした。しかし、この淋《さび》しい岸辺には、どんな生き物の影もなかった。
ぼくは少し疲れていた。それで、岬の突端に行って腰をおろした。足もとには波が音をたてて砕けていた。そこからは、岸に切れこんだこの湾全体が見わたせた。奥のほうは、ピラミッド型の岩に挾《はさ》まれて、小さな港ができていた。そこの水は、風を受けず、静かに眠っている。二本マストの小帆船一隻に、スクーナー船二、三隻ぐらいなら、楽に停泊できるだろう。いまにも、帆をいっぱいにあげて、南風を受けながら沖に出ていく船が見えそうな気がした。
だが、そんな幻想はじきに消えた。この地下の世界にいる生き物は、ぼくたちだけだったのだ。ときどき風が凪《な》ぐと、沙漠の沈黙よりも深い沈黙が、不毛の岩の上におりてきて、海の上に重くのしかかるのだった。すると、ぼくははるかかなたの霧を突き破り、神秘にみちた地平線の奥にかかるそのカーテンを切り裂いてやりたくなった。どんな問いがぼくの唇《くちびる》をついて出ようとしていたのだろう? この海はどこまでつづいているのか? 行きつく果てはどこなのか? 向こう岸をぼくたちはたしかめることができるのか?
叔父のほうは、そんなことは考えるまでもなかった。ぼくは、向こう岸を見たかった。そしてまた、そうすることがこわかった。
このすばらしい光景を一時間も眺《なが》めつくしたのち、ぼくたちは砂浜の道をとって返して、洞窟に戻った。そして実に奇怪な思いにとりつかれながら、ぼくは深い眠りにおちた。
三一
翌日、完全に元気をとりもどして、ぼくは目を覚ました。水浴びでもすれば、とても体にいいだろうと思った。ぼくは出かけて行って、この地中海の水にしばらくつかった。地中海という名前は、まさにこの海にぴったりの名前だ。
戻ると、朝飯をもりもり食べた。ハンスは貧弱な献立でじょうずに料理をつくってくれた。水と火が存分に使えるので、いつものとは少し変化をつけることができたのだ。食後にはコーヒーをだしてくれたが、それが実においしくて、こんなにうまいコーヒーを飲んだことはないと思った。
「さあ」と叔父が言った。「上げ潮の時間だ。こういう現象を研究する機会をのがすわけにはいかんぞ」
「ええっ、上げ潮ですって!」とぼくは声をあげた。
「そうだ」
「月や太陽の影響がこんなところまで感じられるんですか?」
「きまってるじゃないか、物体はすべて万有引力の作用を受けるんじゃないのか? この水だって、その普遍的な法則をのがれることはできんさ。だから、水面に空気の圧力がかかっていたって、大西洋と同じに潮のあがるのが見えるはずだ」
このとき、ぼくたちは岸辺の砂を踏んでいたのだが、波が少しずつ浜にあがってきた。
「ほんとだ、潮があげはじめた」とぼくは叫んだ。
「そうだな、アクセル。ここらまで波にかぶったあとがあるから、三メートルぐらいは海はあがるだろう」
「驚いたなあ!」
「いや、当たりまえのことだ」
「そうおっしゃいますがね、叔父さん、ぼくにはすべて驚きですよ。自分の目が信じられないくらいです。こんな地殻の下に、ほんものの海があって、潮が満ちたり引いたり、風が吹いたり、嵐《あらし》もあるなんて、誰に想像ができますか!」
「どうしてそれじゃあいけないんだ? そんなことがあってはならんという物理的な理由でもあるかな?」
「地球の中心高熱説を捨てざるをえない以上は、そんな理由は見あたりませんが」
「では、これまでのところは、デーヴィー説が正しいということになるな?」
「そのとおりです。そうなると、地球の内部に海や陸地があってもいけないわけはなにもありません」
「そうだろう、だが生き物はいないな」
「さあ、どうかな。この水になにか未知の種類の魚でもひそんでいないとはかぎりませんよ」
「ともかく、これまでは、一匹も見てはいないぞ」
「そんなら、釣《つり》の道具をこしらえて、ここでも地上の海と同じに、獲物がかかるかどうかやってみたらどうです」
「やってみよう、アクセル。なにしろ、この新しい土地の秘密はなんでもさぐる必要があるからな」
「それはそうと、叔父さん、ここはどのあたりなんですか? まだこの質問をしていなかったんですが、計器の測定でわかっているんでしょう」
「アイスランドから水平距離で一四〇〇キロだ」
「そんなに来ましたか?」
「一キロとは違っていない自信がある」
「それで、コンパスは相変わらず南東をさしているんですか?」
「ああ、そうだ、一九度四二分西に傾いている。これは地上と別に変わったことはないんだが。伏角のほうがな、わしはよく注意して観察したんだが、奇妙な事実が起こっている」
「どんなことです?」
「磁針は、北半球では北極に向かって頭をさげるのに、それが逆に上を向いているのだ」
「すると、磁極が地表とぼくたちの到達した場所との中間にあるということになりますね」
「そうなんだ。だから、もしもわしたちが北極地方に向かったとして、ジェームス・ロスが磁極を発見した北緯七〇度あたりに行ったら、磁針が垂直に立つのが見られるかもしれん。つまり、この不思議な磁力の中心はたいして深いところにあるんじゃないのだな」
「なるほど、それは科学が思ってもみなかった事実ですね」
「科学というものは、誤りから成りたっているのだ。だが、誤りを犯すのはいいことなんだよ。それでもって少しずつ真理に導かれるのだからな」
「ところで、ここの深さはどのくらいですか?」
「一四〇キロだ」
「そうすると」とぼくは地図を調べて言った。「ぼくたちの上はスコットランドの山岳地帯ですね。グランピアン山脈が、峰に雪をいただいて、そそりたっていますよ」
「そうだな」と教授は笑いながら答えた。「かつぐには少し重いが、天井はしっかりしている。宇宙を作った大建築家は、いい材料でこしらえたもんだよ。人間じゃあ、とてもこんな天井はできやしない! どんな橋のアーチや大聖堂のドームにしたって、天井まで一二キロもあるこの大広間にくらべたら、問題にもならん。その下で海と嵐が思うさま暴れられるんだものな」
「おやおや、天が頭の上におっこちてくる心配なんか、ぼくはしていませんよ。それより、叔父さん、これからの計画は? 地上にひき返すつもりはないんでしょう?」
「ひき返す! とんでもない! 反対だ、旅をつづけるのさ。これまですべてうまくいっているんだからな」
「しかし、この水の下にどうやって入っていくんです、わかりませんね」
「なにを! わしだって頭から飛びこもうなんて言いやしないさ。だがな、どんな海だって、正確に言えば、湖にすぎん。まわりには陸があるんだからな。だとすれば、この内海なんかなおさらだ、花崗岩のなかに閉じこめられているんじゃないか」
「そりゃ、そのとおりです」
「するとだ、向こう岸に行けば、きっと別の口が見つかるとわしは思うんだ」
「じゃあ、この海はどのくらいの広さだと思っているんですか?」
「一二〇キロか一六〇キロかな」
「へーえ」ぼくはその推定をいいかげんなもんだと思いながら言った。
「だから、ぐずぐずしているひまはないのだ。あしたには海に乗りだすんだぞ」
思わずぼくは、ぼくたちの乗る船を目で探した。
「ふーん」とぼくは言った。「船に乗るんですか。そりゃいいですが、どんな船に乗って航海するんです?」
「船に乗るんじゃあない。上等な頑丈《がんじょう》な筏《いかだ》に乗って行くんだ」
「筏!」とぼくは叫んだ。「筏だって、船と同じです、作れやしませんよ。それに、見たところ、なにも……」
「見たってありゃしないさ、アクセル。しかし、耳をすませば、聞こえるはずだぞ」
「聞こえるって?」
「そうさ、槌《つち》の音だよ。わかるだろう、ハンスがもう仕事にかかっているのだ」
「筏を作っているんですか?」
「ああ」
「なんですって! もう木を切り倒したんですか? 斧《おの》を使って?」
「いやいや、木はちゃんと倒れていた。おいで、ハンスの仕事を見てやれよ」
一五分ほど歩くと、岬の反対側の小さな自然の港になっているところで、ハンスが働いているのが見えた。もう少し歩いて、彼のそばに行った。驚いたことに、半分できかかった筏が、砂の上に横たわっていた。へんてこな木で桁《けた》が組んである。厚い板やら、曲がった材木、肋材《ろくざい》になりそうなのなど、いろいろとあたりに文字どおり撒《ま》いたようにある。船がまるまる一|艘《そう》できそうなほどあった。
「叔父さん」ぼくは言った。「この木はなんでしょう?」
「松や、樅や、樺《かば》、北国のいろいろな針葉樹が海水の作用で鉱物化したものだな」
「そんなことがあるんですか?」
「これが『シュルタルブランドゥール』と呼ばれているものだ。つまり木の化石だよ」
「それじゃあ、亜炭と同じで、石みたいに硬くて、水に浮かないでしょう?」
「ときにはそういうこともある。この木なんかはすっかり無煙炭になっちゃっているが、ここらのあたりは、まだ化石になりかけたばかりだ。まあ、見てみろ」そう言って、叔父はこの珍しい木切れを一つ海に放りこんだ。
木切れは、一度沈んだが、また浮きあがり、波のまにまにゆれた。
「わかったかい?」と叔父は言った。
「わかりました、信じられそうもないことだっていうのが、とくによくわかりましたよ」
翌日の夕方、有能な案内人のおかげで、筏は完成していた。長さ約三メートル、幅は一・五メートル、じょうぶな綱でつなぎ合わせた化石木の桁は、見るからにがっしりとしていた。そして、水に入れると、この即製の小舟は、リーデンブロック海の水面に静かに浮かんだ。
三二
八月一三日、朝早くに目が覚めた。速くてあまり疲れない旅が始まるのだった。
二本の棒をつないで作ったマスト、もう一本の棒で帆桁《ほけた》、毛布を借用した帆、これが筏の艤装《ぎそう》である。綱は十分あった。どこもかしこも頑丈にできていた。
六時、教授は乗船の合図をした。食糧、荷物、計器類、武器、それに岩のあいだで汲んだ大量の真水が積みこまれてある。
ハンスが舵《かじ》をつけていて、それでこの浮かぶ乗り物の方向を操ることができるようになっていた。彼は舵の位置についた。ぼくは筏を岸につなぐとも綱をといた。帆が張られ、ぼくたちはするすると岸を離れた。
小さい港を出ようというとき、地名をつけることの好きな叔父は、この港に名前をつけようと言った。しかも、ぼくの名前をだ。
「実は」とぼくは言った。「ぼくは別の名前を提案したいんですけど」
「どんなのだ?」
「グラウベンです。グラウベン港、地図にはぴったりですよ」
「よし、グラウベン港にしよう」
かくしてぼくのいとしいフィルラント娘の思い出が、ぼくたちの冒険旅行と結びつくことになった。
風は北東から吹いていた。ぼくたちは風を背に、非常な速さで進んだ。たいへん密度の濃い大気層はかなりの風圧をもっていて、強力な送風機のように帆に作用した。
一時間も走ると、叔父はかなり正確に速度を見積もれるようになった。
「この調子で走りつづければ」と叔父は言った。「二四時間で少なくとも一二〇キロは行ける。たちまち向こう岸が見えてくるぞ」
ぼくは返事をしないで、筏の舳先《へさき》に行った。北方の岸はすでに地平に低い。陸は、ぼくたちを出発しやすくするかのように両腕を大きく開いていた。目のまえには広い海が広がっている。大きな雲が灰色の影を海面に足早やに落としていく。影はこのどんよりした水に重くかぶさるようだった。電光の銀色の光線が、そこここのしぶきに反射して、筏のつくる渦《うず》のなかにきらきら光る点を湧《わ》きたたせている。やがて、陸地はすっかり見えなくなり、目標となるものもなくなった。筏のひく泡だつ航跡がなかったら、まったく静止しているとしか思えなかった。
正午ごろ、巨大な藻《も》が波間にただよってきた。ぼくはこの植物の生長力の強さは知っていた。深さ三六〇〇メートル以上の海底でも根づいて、四〇〇気圧の水圧下で繁茂し、ときには船の航行を妨《さまた》げるほど大きな群落をなすこともある。だが、このリーデンブロック海の藻ほどむやみにでかいやつはまずあるまいと思う。
ぼくたちの筏は、一〇〇〇メートルにものびた|ひばまた《ヽヽヽヽ》の脇を通っていった。まるで見わたすかぎりつながる大蛇《だいじゃ》の群れだ。ぼくは面白《おもしろ》がって、もう終わるか、もう終わるかと思いながら、この延々とつづくリボンを目で追ったが、何時間たっても我慢は裏切られどおしで、ただただ呆《あき》れるばかりだった。
どのような自然の力がこんな植物を生みだすことができたのだろう! 地球ができたばかりのころ、熱と湿気の作用で植物だけが地表を支配してはびこっていたころの、地球の姿はどんなだったのだろう!
夕方になった。そして、昨日見たのと同じに、空の明るさは少しもへりはしなかった。これは永久につづくと考えてよい、不変の現象なのだ。
夕食後、ぼくはマストの根もとに寝そべった。すると、じきに呑気《のんき》な夢を見ながら眠りこんでしまった。
ハンスは、舵のところに陣どったまま、筏を走らせていた。もっとも、追い風を受けた筏は、舵をとる必要もなかったが。
グラウベン港を出発して以来、リーデンブロック教授はぼくに『航海日誌』をつける役を受けもたせた。観察したことを細大もらさず記録する、いろいろな珍しい現象から、風向き、走行速度、航行距離まで、要するに、この不思議《ふしぎ》な航海のすべての出来事を書きとめるのだ。
それで、ぼくはここに、ぼくたちの航海のいっそう正確な模様を伝えるために、いわば事件を口うつしに書きとった、この毎日の記録をひき写すだけにしよう。
八月一四日《ヽヽヽヽヽ》、金曜日《ヽヽヽ》。――相変わらず北西の風。筏は速く一直線に進んでいる。岸は風上一二〇キロにある。水平線にはなにもない。光の強さは変わらぬ。上天気、すなわち、雲はきわめて高く、白い大気のなかにうっすらと浸って、とけた銀のようだ。気温摂氏三二度。
正午にハンスが糸の先に釣針《つりばり》をつける。それに小さな肉片をつけて餌《えさ》とし、海に投げる。二時間のあいだ、なにもかからない。この海にはなにもいないのか? 否。あたりがある。ハンスが糸をあげると、激しく暴れる魚がとれた。
「魚だ!」と叔父が叫ぶ。
「蝶鮫《ちょうざめ》だ!」とぼくも叫んだ。「蝶鮫の小さいやつだ!」
叔父は注意深くその魚を見て、違うと言う。その魚は頭が平たくてまるい。体の前部は骨のような鱗《うろこ》で覆《おお》われている。口には歯がない。かなり発達した胸びれが胴体についており、尾はない。この魚は、生物学者が分類する蝶鮫と同種目に属しているが、かなり本質的な点でいろいろ違いがあるのだ。
叔父はそこを見誤らない。しばらく調べてから、こう言う。
「この魚は、何世紀もまえに絶滅した科に属するもので、デヴォン紀の地層に化石として見られるだけだ」
「なんですって!」とぼくは言った。「太古の海にすんでいた魚を、生きたままつかまえられたってことですか?」
「そうだ」叔父は観察をつづけながら答える。「知ってのとおり、こういう化石魚は現在の種類に同種のものはまったくいないのだ。こんなやつを生きたままつかまえるなんて、博物学者の冥利《みょうり》につきるな」
「ですが、何科に属するんですか?」
「骨甲目のケファラスピデス科だ、属は……」
「ええ?」
「プテリクティス属にまちがいない。しかし、これは地下水魚によくあるとされる特徴があるな」
「どんな特徴です?」
「盲なんだよ」
「盲!」
「ただ盲というんじゃない、視覚器官が全然ないんだ」
ぼくは見た。まったくそのとおりだ。だが、これは例外かもしれない。そこで、糸にまた餌がつけられて、海に投げこまれた。この海は、たしかに魚がたいへん多い。二時間で、大量のプテリクティスと、同じくいまは絶滅したディプテリデス科に属する魚をとったが、叔父にもその属はわからない。どれにも視覚器官がない。この思いがけぬ大漁で、ぼくたちの食糧は大いに面目をあらためた。
こうしてみると、疑う余地はないように思われるが、この海には化石生物しかいないらしい。この種の生物では、魚類も爬虫類《はちゅうるい》も、その発生が古いものほど完成しているのだ。
もしかすると、科学が骨や軟骨のかけらから復原したあの恐竜類のどれかに、出会うのではないだろうか?
望遠鏡をとって、海を調べる。なにも見えない。おそらくまだ海岸に近すぎるのだ。
空中を見る。あの不朽の人キュヴィエが復原した鳥が、なぜこの重い大気の層に羽ばたいていないのか? 魚が鳥たちの十分な餌となるだろうに。空をよく観察するが、海岸同様、空中にも生物はいない。
しかし、ぼくは想像力に運ばれて、古生物学の驚嘆すべき仮説の世界にさまよう。水面には、浮き島のように巨大な太古の亀、ケルシテスがまざまざと見えてくる。小暗い岸辺には、原初の大きな哺乳《ほにゅう》類が歩いている。ブラジルの洞窟で発見されたレプトテリウム、シベリアの氷河地帯から来たメリコテリウムなどだ。さらに向こうには、巨大な貘《ばく》のような厚皮動物のロフィオドンが岩かげにかくれて、奇怪な動物アノプロテリウムと獲物を争おうと身がまえている。犀《さい》と馬と河馬と駱駝《らくだ》の合の子のようなアノプロテリウムは、創造主が天地|開闢《かいびゃく》のときに急ぎすぎて、いろいろな動物を一つにつなぎ合わせてしまったかのようだ。大きなマストドンが鼻をふりまわし、岸辺の岩を牙で砕いているかと思えば、巨大な足を踏んばったメガテリウムが、地面を掘りかえしては、咆《ほ》えたけり、その声が花崗岩にこだまして鳴り響く。高いところには、地球上に最初に出現した猿、プロトピテコスが、けわしい頂をよじ登っている。さらに上には、翼肢をそなえたプロダクティロスが、大きな蝙蝠《こうもり》のように、濃い大気のなかを飛んでいる。最後に、最高層の上空では、火喰鳥よりもたくましく、駝鳥《だちょう》よりも大きい巨大な鳥が、広い翼をひろげて、いまにも花崗岩の円天井に頭をぶつけんばかりだ。
こんな化石動物の世界がぼくの空想のなかによみがえってくる。ぼくは聖書の天地創造の時代、人類が生まれるよりはるか以前、地球が未完成でまだ人間の誕生に適していなかった時代に運ばれる。そうして、ぼくの夢想は動物の出現よりもさらに昔にさかのぼる。哺乳動物が消える。つぎに鳥類が、ついで中生代の爬虫類が消える。そして、ついには、魚も、甲殻《こうかく》類も、軟体動物も、関節動物もいなくなる。古生代の植虫類もまた虚無の世界にもどる。地球上のすべての生命は、ぼくのなかに集中して、このなにもいない世界で、ただぼくの心臓がひとり鼓動している。もう季節もない。気候もない。地球自体の熱がたえず増大して、太陽の熱と伯仲する。植物がおびただしく繁茂する。ぼくは木のような羊歯の森のなかを、影のように通り、頼りない足で、虹色の泥灰岩とさまざまな色をした砂岩の地面を踏んでいく。巨大な針葉樹の幹によりかかり、三〇メートルもあるスフェノフィレスや、|とくさ《ヽヽヽ》や、|ひかげのかずら《ヽヽヽヽヽヽヽ》の影に横になる。
一世紀が一日のように流れる。ぼくは地球の変貌《へんぼう》を刻々とさかのぼる。植物が消える。花崗岩もその純度を失う。さらに強烈になった熱の作用を受けて、固形のものはなくなり、液状のものに変わる。地球の表面には、水が流れ、たぎり、蒸発する。水蒸気が地球を包んでいるが、地球は次第にもはやガス状のかたまりにすぎなくなり、白熱し、太陽のように大きくなり、太陽のように輝く!
なんという夢想だ! どこまでぼくを連れていくのか? ぼくの熱っぽい手は、その奇怪な夢想をこまごまと紙に書きつけている。ぼくはすべてを忘れていた。教授のことも、案内人のことも、筏のことも! 幻覚がぼくの心を捉えていたのだ……
「どうした?」と叔父が言う。
ぼくの目はいっぱいに見開いて、波の上にすえられているが、波を見てはいない。
「気をつけろ、アクセル、海に落ちるぞ!」
それと同時に、ハンスの手が力強くぼくを掴むのを感じた。ハンスがいなかったら、ぼくは夢に捉えられたまま、波間に落ちこんでいた。
「こいつ、気でもちがったか?」と教授がどなる。
「どうかしましたか?」やっと、われにかえって、ぼくが言う。
「病気か?」
「いいえ、ちょっと幻覚にとらえられたんです。でも、もう終わりました。ところで、万事うまくいっていますか?」
「上々だ、風はよし、波はよし、どんどん走っとるぞ。わしの見こみが間違っていなければ、遠からず上陸できるぞ」
この言葉を聞いて、ぼくは立ちあがり、水平線を見る。だが、水平線は依然として雲の線と一つにとけている。
三三
八月一五日《ヽヽヽヽヽ》、土曜日《ヽヽヽ》――海は依然、単調で変化がない。陸地はまったく見えない。水平線がひどく遠のいたような感じだ。
ぼくは強烈な夢想のせいで、まだ頭が重い。
叔父は夢想などしなかったが、機嫌《きげん》が悪い。望遠鏡でそこらじゅうを眺めまわしては、くやしそうな様子で腕組みをしている。
リーデンブロック教授がまた以前のような気短かな人間に戻りかかっているのが、ぼくには見える。それで、そのことをぼくはこの日誌に書いておく。彼から情味の火照りをなにほどかでもひきだすためには、ぼくが危険な目に遭ったり、苦痛にさいなまれたりしなければならなかったのだ。しかし、ぼくが回復してからは、本性《ほんしょう》たがわずもとの木阿彌《もくあみ》になった。だが、なにを苛《いら》だつことがあるのか? 旅はこの上なく順調に進んでいるではないか? 筏はすばらしい速さで走っているではないか?
「叔父さん、なにか心配そうですね?」叔父がやたらに望遠鏡を目にやるのを見て、ぼくは言う。
「心配? そんなことはない」
「じゃあ、じれているんですか?」
「まあ、そういうことだ」
「でも、かなりの速さで進んでいますよ」
「そんなことは問題じゃない。速力が遅いんじゃない。海が広すぎるのだ!」
それで、出発まえに教授がこの海の幅を一二〇キロぐらいと予測していたことを、思いだした。ところが、ぼくたちはすでにその三倍もの距離を走っている。そして南岸はまだ見えてこないのだ。
「わしたちは下におりてはいないじゃないか!」と教授はまた言う。「こんなことは全部、時間の無駄だ。だいたい、わしは池で舟遊びをするために、こんな遠くまで来たんじゃない!」
彼はこの航海を舟遊びだと言う。この海を池だなんて言う!
「でも」とぼくは言う。「ぼくたちはサクヌッセンムが言ったとおりの道を来たんですから……」
「そこが問題だ。はたしてわしたちはその道を通ってきたのか? サクヌッセンムはこんな海に出くわしたのだろうか? ここを渡ったのかな? わしたちが道しるべにしたあの小川が、すっかり狂わせちゃったんじゃないのか?」
「ともかく、ここまで来たことを後悔する必要はありませんよ。景色はすばらしいし……」
「景色を見に来たんじゃないぞ。わしは目的をたてたんだ。その目的をはたしたいんだ。だから、景色の話なんぞしないでくれ!」
よろしい、承知した。ぼくは教授が苛だって唇を噛《か》んでいるのをほっておく。午後六時、ハンスが給料を請求し、三リスクダラーが支払われる。
八月一六日《ヽヽヽヽヽ》、日曜日《ヽヽヽ》――新しいことはなにもない。天候も同じ。風がやや涼しくなりだす。目を覚まして、ぼくが最初に気をつけるのは、光の強さだ。電光現象が暗くなって、消えてしまいはしないか心配なのだ。筏の影は波の上にくっきりと映っている。
ほんとうにこの海ははてしがない! 地中海か、あるいは大西洋ぐらいもの広さがあるのかもしれない。そうじゃないのか?
叔父はたびたび水の深さを測る。綱の先に一番重い鶴嘴《つるはし》を結びつけて、二〇〇尋《ひろ》もくりだす。底につかない。綱を引きあげるのが、たいへんな苦労だ。
鶴嘴が筏にあがったとき、その表面にひどくはっきりした傷跡がついているのを、ハンスが指摘する。この鉄塊が二つの硬い物体に激しく挾みつけられたかのようである。
ぼくはハンスの顔を見た。
「テンデル!」と彼は言う。
わからない。叔父のほうを見ると、叔父はすっかり考えこんでいる。叔父の邪魔《じゃま》をするつもりはない。アイスランド人のほうにまた戻る。彼はなんべんも口を開けたり閉めたりして、自分の考えていることをぼくにわからせようとする。
「歯だ!」そう言いながら、より注意してその鉄の棒を見て、ぼくは呆気にとられる。
そうだ、鉄に刻みつけられているのはたしかに歯のあとだ。こんな歯をそなえた顎《あご》は、ものすごい力をもっているにちがいない。この海の深層には、鮫よりもがつがつした、鯨《くじら》よりもおそろしい、絶滅した種属の怪物がうごめいているのか? 食いちぎられかけたその鶴嘴から、ぼくは目を離すことができない。昨夜の夢が現実になろうとしているのか? こんなことを考えて、ぼくは一日中不安だった。ぼくの想像は、数時間の眠りのなかでやっと静まる。
八月一七日《ヽヽヽヽヽ》、月曜日《ヽヽヽ》――ぼくは、中生代の古生物に特有の本能を思い描こうとつとめる。それは、軟体動物、甲殻類、魚類のあとに出てき、地球上に哺乳動物が出現する以前にいた生物である。そのころ、世界は爬虫類のものだった。この怪物どもはジュラ紀の海をわがもの顔に支配していた。自然は彼らにもっとも完全な身体組織を与えたのだった。なんという巨大な体躯《たいく》! なんというものすごい力! 現在の爬虫類でもっとも大きくもっともおそろしい、アリゲーターやクロコダイルなど、原始時代の先祖の貧弱な複製にすぎない。
そんな怪物たちを思い描くと、身ぶるいが出る。どんな人間の目も、生きている彼らを見たことはないのだ。彼らは人間より何十万年もまえに地球上に現れたのだが、イギリス人がライアスと呼んでいる粘土《ねんど》質の石灰岩のなかで発見されたその化石から、解剖《かいぼう》学的に復元され、その巨大な体躯を知ることができたのである。
ぼくはハンブルクの博物館で、こういう爬虫類の骨格を見たことがあるが、それは体長一〇メートルにもおよぶものであった。いったい、地上の住人であるぼくが、そんな有史前の生物の一員と顔をつき合わせる運命にあるのだろうか? とんでもない! そんなことがあっていいものか。しかし、現にがっしりした歯のあとが鶴嘴の鉄に刻まれている。しかもその歯型を見れば、鰐《わに》の歯のような円錐形であることがわかるのだ。
ぼくの目はおどおどと海上を見つめて離れない。海底の洞窟の住民が飛びだしてきはしないか、ぼくはおそろしい。
ぼくのようにこわがってはいないようだが、リーデンブロック教授もぼくと同じことを考えているらしい。鶴嘴を調べてしまうと、彼も海の上をしきりと見まわしている。
「どうしようもないじゃないか」とぼくは胸のなかで思う。「海の深さを測ろうなんて気を起こすもんだから! 静かにかくれていた動物を起こしてしまったんだ。途中で襲《おそ》われなければいいけれど……」
ぼくは武器のほうをちらっと見て、いつでも使えるようになっているのを確かめる。叔父もぼくの仕草を見て、同感の身振りをする。
海面がすでに大きくざわめきだして、深いところでなにかが動いていることを示している。危険は近い。警戒しなければならぬ。
八月一八日《ヽヽヽヽヽ》、火曜日《ヽヽヽ》――夕方がくる、というより、眠けが瞼《まぶた》を重くする時間がくる。なぜなら、この海には夜がないからだ。仮借ない光が、執拗《しつよう》にぼくたちの目を疲れさせる。まるで北極海の太陽の下を航海しているみたいだ。ハンスが舵《かじ》をとっている。彼の見張り番のあいだ、ぼくは眠る。
二時間後、おそろしい揺れで目が覚める。筏は言いようもないすごい力で波から持ちあげられ、四〇メートルも投げとばされた。
「どうしたんだ?」叔父が叫ぶ。「坐礁《ざしょう》か?」
ハンスは、指で四〇〇メートルほど向こうをさす。黒っぽいかたまりが浮いたり沈んだりしている。ぼくは見て、叫んだ。
「でっかい|ねずみいるか《ヽヽヽヽヽヽ》だ!」
「そうだ」と叔父が答える。「ほら、あそこには、ずばぬけて大きい|海とかげ《ヽヽヽヽ》がいるぞ!」
「もっと向こうに、怪物みたいな鰐がいます! あの大きな顎、歯並びのすごいの、見えますか。あっ、もぐった!」
「鯨! 鯨!」とそのとき教授が叫んだ。「大きなひれが見える。見ろ、潮を吹いているぞ!」
事実、二本の水柱が海の上たいへんな高さに吹きあげられている。ぼくたちは、この群らがる海の怪物どもを目のあたりにして、ただもう驚き、呆《あき》れ、胆《きも》をつぶしてしまった。どいつも桁はずれの大きさだ。一番小さなやつでも、この筏なんかひと噛みで粉々だろう。君子危うきに近よらずと、ハンスは舵を風上にとろうとする。ところが、反対側にも、負けず劣らずおそろしげなべつの敵がいる。一二メートルはあろうかという大亀と、波の上に大きな頭を突きだした一〇メートルもの蛇《へび》。
逃げられない。その爬虫類どもが近づいてくる。猛スピードの護送船でもかなわないような速さで、筏のまわりをぐるぐるまわりながら、その輪をせばめてくる。ぼくはカービン銃をとりあげた。しかし、この動物どもの体を覆っている鱗《うろこ》に、弾丸の一発ぐらいがどうなるというのか?
ぼくたちはおそろしさのあまり、口もきけない。さあ、すぐそこにやつらがきた。一方には鰐が、一方には蛇が! ほかの海獣どもは見えなくなった。ぼくは発砲しようとした。ハンスがよせと身振りで押しとめる。二匹の怪物は筏から一〇〇メートルほどのところを通りすぎると、互いに相手に飛びかかり、たけり狂っているので、ぼくたちのことには気がつかない。
闘いは筏から二〇〇メートルばかり向こうで始まる。取っ組みあっている二匹の怪物がはっきりと見える。
だが、いまや、ほかのやつらがみんな、|ねず《ヽヽ》|みいるか《ヽヽヽヽ》も、鯨も、|海とかげ《ヽヽヽヽ》も、亀も、格闘に加わったらしい。それらがたえずちらっちらっと見える。ぼくはそれをアイスランド人に教える。するとこの男は首を振って否定した。
「トゥヴァ」と言う。
「なに! 二匹だって? 二匹だけだって言ってますが……」
「そのとおりだ」望遠鏡から目を離さないでいる叔父が大声で言う。
「そんなばかな!」
「そうなんだよ! あの怪物の片方のやつは、鼻面が|ねずみいる《ヽヽヽヽヽ》か、頭は|とかげ《ヽヽヽ》で、歯は鰐なんだ。それで見まちがえたんだ。あれは古代爬虫類のなかで一番おそろしいやつだ、魚竜《イクティオサウルス》だよ!」
「じゃあ、もう一匹は?」
「もう一匹か、あれは亀みたいな甲羅《こうら》のある蛇だ。魚竜の強敵だよ。蛇頸竜《プレシオサウルス》ってやつだ」
ハンスの言うとおりだった。たった二匹の怪物がこんなに海面を騒がしているのだ。古代の海の爬虫類が二匹、ぼくの眼前にいるのだ。人間の頭ほどもある魚竜の血走った目が見える。自然はこの動物に、それが住む深い海底の水圧にも耐えられる、きわめて強力な視覚器官を与えたのだ。鯨竜とも言うが、うまい名前だ。たしかに、鯨のように大きくて速い。大きさは三〇メートルをくだらない。波の上に垂直な尾びれを立てたときに見れば、その大きさがわかる。顎もばかでかい。博物学者によれば、一八二本も歯があるということだ。
蛇頸竜のほうは、蛇に円筒状の太い胴体と短い尾をつけたと言ったらよいか、それに櫂《かい》の形をした足が生えている。全身甲羅で覆われ、白鳥の首のようによく曲がる頸《くび》が、波の上に一〇メートルももちあがっている。
二匹の動物は、言い表しようもないほどたけり狂って、闘っている。山のような波をもりあげ、それが筏めがけて、押し寄せる。ぼくたちは何度も転覆しそうになる。異様に激しい唸《うな》り声が聞こえる。二匹の怪獣はからみあっている。どっちがどっちか区別もつかない。勝ったほうが荒れ狂ったらこわい。
一時間がたち、二時間がすぎる。格闘は相変わらず激しくつづいている。闘いながら、筏に近づいたり、遠のいたりする。ぼくたちはじっとしたまま、いつでも発砲できるように身がまえている。
突然、魚竜と蛇頸竜は、波のただなかに、大きな渦を起こして姿を消した。何分も何分もたつ。闘いのけりは海の底でつくのだろうか?
不意に大きな頭がつきだした。蛇頸竜の頭だ。怪物は致命傷を負っている。もう巨大な甲羅は見えない。ただ長い頸だけがもちあがり、倒れ、またもちあがり、くず折れ、大きな鞭《むち》のように波を叩き、そして、切られたみみずのようにのたうちまわる。水しぶきがひどく遠くまで飛ぶ。それでなにも見えなくなる。だが、やがて、この爬虫類の断末魔も終わりをつげ、動きが少なくなり、のたうちまわるのも静まる。そして蛇のように長い頸が、静かになった波の上に、丸太のように横たわる。
魚竜のほうは、海底の洞穴にもどったのだろうか? それとも、また海上に現れてくるのだろうか?
三四
八月一九日《ヽヽヽヽヽ》、水曜日《ヽヽヽ》――幸いにも、風が強く吹いて、ぼくたちは闘いの舞台からすみやかに逃《のが》れることができた。ハンスがずっと舵を握っている。怪獣騒動で気をそらされていた叔父は、ふたたびいらいらしながら海を眺めはじめている。
航海は変わらぬ単調さをとりもどす。しかし、昨日のような危険とひきかえに、この単調さを破りたいとは思わない。
|八月二〇日《ヽヽヽヽヽ》、木曜日《ヽヽヽ》――北北東の風、かなりむらな風だ。気温は高い。時速一四キロで走る。
正午ごろ、はるか遠くになにか音が聞こえる。なんの音かわからないが、その事実だけをここに記しておく。なにかの轟くような連続音だ。
「遠くに」と教授は言う。「岩か小島でもあるんだ、波が当たって砕けているんだろう」
ハンスがマストのてっぺんによじ登る。しかし、岩礁など見あたらないと言う。海は水平線まで平らである。
三時間がすぎる。音は遠くで水の落ちる音らしい。
ぼくが叔父にそう言うと、叔父は首を横に振る。しかし、ぼくには間違っていないという自信がある。ぼくたちはどこかの滝に向かって走っていて、淵《ふち》につっこむのではないだろうか?そういう降り方なら垂直に近い降り方だから、教授のお気には召すかもしれない。しかし、ぼくには……
いずれにしても、風下数キロのところに、なにか音をたてる現象があるにちがいない。なぜなら、いまは、その轟きがひどく激しく聞こえているからである。それは空から来るのか、それとも海から来るのか?
ぼくは、空中にかかる雲のほうに目を向け、その厚さを測ろうとする。空は静かだ。円天井のはるか高くにある雲は、少しも動かないように見え、強い光の拡がるなかに消えていく。してみれば、あの音の原因は、よそに求めなければならない。
そこで、靄《もや》のすっかり晴れた澄みきった水平線のほうを調べてみる。変わった様子はない。だが、もしもこの音が、水の落ちる音、滝の音だとしたら、もしもこの海があげて低い盆地にでも流れこんでいるのだとしたら、もしもあの轟きが流れ落ちる大量の水の発する音だとしたら、水の流れは急になるはずだし、その速さは増してくるから、それでぼくたちを脅かしている危険の程度を測れるはずだ。ぼくは流れを調べてみる。流れは全然ない。海に投げこんだ空壜《あきびん》は、風に吹かれていくだけだ。
四時ごろ、ハンスが立ちあがり、マストにつかまって、てっぺんに登る。そこから、筏のまえに拡がる半円形の海面を眺めまわしていたが、その目は一点でとまる。顔はなんの驚きも表してはいないが、目はじっと動かなくなった。
「なにか見つけたな」と叔父が言う。
「そうらしいですね」
ハンスはおりてきて、手で南のほうをさしながら言う。
「デル・ネーレ!」
「あっちか?」と叔父が返事する。
そして、望遠鏡を掴むと、一分間ばかり注意深く眺めていたが、ぼくにはそれが一〇〇年もかかったような気がする。
「そうか、そうか!」と叔父が叫ぶ。
「なにが見えるんです?」
「大きな水柱だ、波の上にあがっている」
「またなにか海の動物ですか?」
「たぶんな」
「それじゃあ、筏をもっと西に向けましょう。古代の怪物に出くわしたら危険なことは、よくよくわかっていますからね」
「このまま行くんだ」と叔父は答える。
ぼくはハンスをふり向いて見る。ハンスは梃子《てこ》でも動かぬいかめしさで、舵を握っている。
しかし、その動物から少なくとも五〇キロぐらいは離れていると思われるが、それだけの距離から吹きあげる潮が見えるのだから、その動物の大きさはとてつもないものにちがいない。逃げだすのが、ごく当たりまえの用心の道というものだろう。しかし、ぼくたちは用心するために、ここまでやってきたのではないのだ。
というわけで、前進だ。近づくにつれて、水柱はますます大きくなる。こんなにたくさんの水を吸いこんで、こんなにひっきりなしに吐きだせるのはどんな怪物だろう?
午後八時には、ぼくたちはそいつから八キロと離れていない。黒ずんだ山のように巨大な体が、海上に横たわっている。まるで小島だ。幻だろうか? おそろしい現実だろうか? 長さは二〇〇〇メートルを超えると思われる。キュヴィエもブルーメンバッハも予想しなかったこの鯨は、いったいなにものだ? じっと動かず、眠っているみたいだ。海もこれを揺らすことはできないようで、波のほうがその横腹で揺れている。一五〇メートルもの高さに吹きあげられた水柱は、耳がつんぼになりそうな音をたてて、雨のように降ってくる。一日に一〇〇頭の鯨を餌にしてもたりなそうな、このばかでかい怪物めがけて、ぼくたちは向こうみずにつっ走る。
恐怖がぼくを捉える。これ以上行きたくない! しかたがなければ、帆綱を切ろう! 教授に反対するが、彼は返事もしない。
突然、ハンスが立ちあがり、そのおそろしいものを指さして、
「ホルメ!」と言う。
「島だ!」と叔父がどなる。
「島か!」とぼくも首をすくめながら言う。
「たしかに島だ」と教授は答えて、大笑いをする。
「でも、あの水柱は?」
「ゲイゼル」とハンスが言う。
「うん、そうだ、ゲイゼル(間歇泉《かんけつせん》)だ」と叔父も言う。「アイスランドにあるのと同じゲイゼルだ」
ぼくは、はじめ、こんなにひどい勘違いをしたなんて、思う気になれない。島を海の怪物ととり違えたなんて! だが、明らかにそうなのだ。結局、間違いを認めざるをえない。これはただの自然現象にすぎないのだ。
近づくにつれて、水柱の大きさは壮大になる。小島はいかにも大鯨と間違えられそうな恰好で、頭にあたるところが波の上二〇メートルぐらいの高さでつきでている。ゲイゼルは、アイスランド語では『ゲイジル』と発音し、『憤激』を意味する言葉だが、それが島の突端部からおごそかに吹きだしている。ときどき、にぶい爆発音がすると、巨大な噴水はさらに激しい怒りにかられて、蒸気の煙をゆり動かしながら、低い雲のあたりまで躍りあがる。間歇泉はただ一つだけだ。まわりに噴気孔も、温泉の湧出もない。火山の力がすべてそこに集中している。このまばゆい水柱に、発光する電気の光線がまじり入って、水滴の一つ一つがプリズムのさまざまな色にきらめく。
「岸につけよう」と教授が言う。
しかし、あの噴水は気をつけて避けなければならない。筏がたちまち沈められかねない。ハンスが巧みに舵をとって、島のはしにつける。
ぼくは岩に飛びあがる。叔父も身軽にあとにつづく。しかし、猟師は、こんな騒ぎなど超越したような顔をして、舵のところを離れない。
ぼくたちは硅土《けいど》質の凝灰岩《ぎょうかいがん》のまじった花崗岩の上を歩く。地面は、過熱した蒸気がなかで渦まいている罐《かま》の横腹のように、ぼくたちの足の下でふるえている。地面は焼けるようだ。ゲイゼルが吹きだしている中央の小さな穴が見えるところにつく。煮えたぎりながら流れている水のなかに、温度計を斜めに入れてみると、それは一六三度を示した。
してみると、この水は燃えている火床から出てくるのだ。これはリーデンブロック教授の理論とはひどく矛盾することになる。ぼくはそのことに注意をうながさないではいられない。
「それで」と叔父は答える。「それがわしの説とちがうどんなことの証明になるのかね?」
「べつにどんなことも」ぼくはそっけなく言う。こちこちの強情っぱりにぶつかったのがよくわかったからである。
とはいえ、これまでぼくたちが不思議なほど順調だったこと、また、理由はわからないが、この旅が特別な温度条件のもとで行われたことは、認めないわけにはいかない。しかし、いつかは、地熱が最高度に達して、温度計の目盛をこえてしまうような場所に行きつくことは、明瞭確実と思われる。
いずれはっきりするさ。これは教授のよく言う言葉だ。彼はこの小火山島に甥《おい》の名前をつけたのち、乗船の合図をした。
ぼくは、なおしばらくのあいだ、ゲイゼルを見つめていた。その噴出が不規則で、ときには弱まったかと思うと、あらためて激しくなるのに気がついた。そのタンクのなかに溜《た》まる蒸気の圧力の変化によるものだと思う。
やがて、ぼくたちは南の切りたった岩をまわって出帆する。ハンスはこの休憩を利用して、筏の修理をしていた。
だが、沖に出るまでに、ぼくは計器を調べて、走行距離の計算をし、それを日誌に記入する、グラウベン港を出てから一〇八〇キロの海を渡ったことになる。アイスランドから二四八〇キロ、イギリスの真下だ。
三五
八月二一日《ヽヽヽヽヽ》、金曜日《ヽヽヽ》――一日たって、あの壮大なゲイゼルは見えなくなった。風が冷えてきた。ぼくたちはアクセル島から急速に遠ざかった。轟く音も次第に消えた。
天候と言っていいならばだが、その天候が、まもなく変わりそうだ。大気中には蒸気がたちこめ、蒸気は塩水の蒸発によって生じた電気を帯びている。雲が目に見えて低くなり、一様にオリーヴ色がかった色をしている。電光は、やがて嵐《あらし》のドラマが展開する舞台の上に垂れたこの不透明な緞帳《どんちょう》を、かろうじて突きぬけて光る。
地上の動物はすべて異変が近づくのを感じとるものだが、ぼくも妙な予感がする。南のほうに厚く重なっている『積雲《キュミュリュス》』が不吉な様相を呈している。嵐のまえにしばしば見かける、あの『よりつきがたい』姿だ。空気は重く、海は静まりかえっている。
遠くの雲は、綿の大きなかたまりをみごとなほど乱雑に積みあげたように見える。それが次第にふくれあがり、より合っては大きくなる。重いので、水平線から浮きあがることができない。だが、強まってきた風に吹かれて、雲は少しずつ崩され、暗さをまし、やがて不気味に空一面を覆う。ときどき、まだ光の当たっている雲のかたまりが、この鼠色《ねずみいろ》の絨毯《じゅうたん》の上をころがるが、それもじきに不透明な分厚い雲のなかに呑みこまれてゆく。
明らかに大気の湿度は飽和《ほうわ》状態だ。ぼくは全身べっとりと濡れ、髪の毛は発電機のそばにでも寄ったように逆だった。いまもし叔父たちがぼくに触ったら、激しい電気ショックを受けるだろうと思う。
午前一〇時、嵐の兆候はいよいよ決定的だ。風はひと息つくためかのように、静かになる。雲は、なかに暴風雨がつまった、巨大な革袋のように見える。
ぼくは天気が荒れてくるとは思いたくないのだが、やはり言わないではいられない。
「いやな天気になりそうですね」
教授は返事をしない。海が目のまえにはてしなくつづいているのを見て、ひどく機嫌が悪いのだ。ぼくの言葉に、彼は肩をそびやかしてみせる。
「嵐になりますよ」水平線を手でさして、ぼくは言う。「あの雲は垂れさがって、まるで海を押しつぶしそうですよ」
すべて静まりかえっている。風はやんでいる。自然は死んだようで、もう息もしない。マストの上には、早くも小さなセント・エルモの火が現われ、帆は重いひだをつくってぐったりと垂れている。筏《いかだ》は、波一つ立たないよどんだ海のまんなかで、とまってしまった。だがもう動かないのなら、帆をあげておいてなんになる。嵐がやってきたらたちまちひっくり返るもとになりかねない。
「帆をおろしましょう」とぼくは言った。「マストも倒しましょう。そのほうが安全ですよ!」
「駄目だ、とんでもない!」と叔父は叫ぶ。「なんていったって、駄目だ! 風にさらわれたほうがいいんだ! 嵐に飛ばされたほうがいいんだ! 筏なんかこなごなになったっていい、岸の岩の見えるところまで行くんだ!」
この言葉が終わらないうちに、南の水平線の様子がにわかに変わった。たちこめた蒸気が雨となり、蒸気が凝結して生じたその空間を埋めようと、空気がなだれこんで、暴風になった。風はこの大洞窟のはるかな果てから吹きよせてくる。あたりはますます暗くなる。おぼつかない記録を記すのもやっとのことだ。
筏はもちあげられ、躍りあがる。叔父がすくわれて倒れる。ぼくは叔父のところに這《は》い寄る。彼は綱のはじにしっかりしがみついている。この荒れ狂いだした四海の景色を嬉《うれ》しがって眺めているらしい。
ハンスは身じろぎもしない。長い髪が強風に煽《あお》られて、無表情な顔にまといつき、異様な面相だ。なにしろ、髪の毛の尖端がすべて放電して光りながら、逆立っているのだ。おそろしいその顔は、さながら魚竜やメガテリウムと同じころの有史前の人間の顔だ。
それでも、マストは頑張っている。帆はいまにもはち切れそうな風船のように張りつめている。筏は信じられないほどに猛り狂って走るが、筏の下を矢のように走っていく水の流れはさらに早い。
「帆を! 帆を!」ぼくは帆をおろす身ぶりをしながら言った。
「駄目だ!」と叔父が答える。
「ネイ」と、ハンスも静かに首を振って言う。
そうこうしているうちに、ぼくたちが気ちがいのように走っていく水平線のほうで、雨がごうごうと滝のように降りはじめた。だが、その雨がぼくたちのところまでやってこないうちに、雲のヴェールが裂け、海は泡だち、上空で起こった大規模な化学作用によって生じた電気が活動を始めた。けたたましい雷鳴にまじって、稲妻が火花となってほとばしり、無数の電光が、雷鳴の轟くなかに交錯する。雲のかたまりが白熱し、雹《ひょう》が、船上の器具や武器の金具にぶつかって、光を散らす。もりあがった波は、うちに火をはらんだ噴火丘のつらなりを思わせ、波頭には炎が燃えている。
目は強烈な光にくらみ、耳は轟く雷鳴に裂ける。マストにしがみつかないではいられないが、そのマストは強風の激しさに葦《あし》のようにしなう!
…………
(ここで、ぼくの航海日誌はきわめて不完全なものとなってしまった。これから先は、その場その場で、いわば機械的に記しつけた観察にすぎない。しかし、その記述が短くて、曖昧《あいまい》なものであっても、そのときぼくを捉えていた気持ちがよく出ている。そして、ぼくの記憶よりも、そのときの状況の感じがよくわかる)
…………
八月二三日《ヽヽヽヽヽ》、日曜日《ヽヽヽ》――ぼくたちはどこにいるのか? ものすごい速さで運ばれている。
昨夜はおそろしかった。嵐は静まらない。ぼくたちは音のるつぼと、たえまない雷鳴のなかにいる。耳が破れそうだ。ひと言も言葉を交すことができない。
稲妻もいっこうやまない。稲妻がさかだちのジグザグを描くのが見える。ぱっと光がほとばしったかと思うと、電光は下から上へのぼって、花崗岩の天井にぶつかっていく。もし天井が崩れたら、どうしよう! さらにまた、あちらでは、稲妻が二つに裂け、あるいはまた、火の玉となって爆弾のように破裂する。これ以上の音はありそうにもない。人間の耳が知覚できる大きさの限界を超えてしまっている。世界じゅうの火薬庫が一度に爆発したって、『これ以上大きい音を聞くことはできないだろう』
雲の表面は、不断に発光している。雲の分子から帯電物質がたえまなく発散しているのだ。明らかに大気の気体構成は変質している。無数の水柱が空中にあがっては、泡だちながら落ちてくる。
ぼくたちはどこへ行くのだろうか?……叔父は筏のはしにながながと寝そべっている。
暑さが増す。温度計を見る。温度は……(数字は消えている)
八月二四日《ヽヽヽヽヽ》、月曜日《ヽヽヽ》――これはもう終わらないんじゃないか! あんなにも密度の高かった大気が、一度その状態が変わったら、これはもうどうしたってもとに戻らないんじゃないだろうか?
ぼくたちはへとへとだ。ハンスはいつものとおりだ。筏は変わることなく南東に向かって走る。アクセル島から八〇〇キロ以上走った。
正午、嵐の激しさは倍加する。積荷を全部しっかりとしばりつけなければならぬ。ぼくたちも同様、たがいに体をしばりつけあう。波が頭の上を越す。
ここ三日間というもの、ひと言も言葉を交すことができない。口を開け、唇を動かすが、相手に聞こえる音にならない。耳に口をつけて話しても、通じないのだ。
叔父がぼくのそばに寄ってきた。なにか言った。『もう駄目だ』と言ったように思うが、はっきりしない。
ぼくは字を書いて見せることにした。『帆をおろしましょう』
叔父は同意の合図をする。
叔父のうなずいた頭があがらぬうちに、筏のへりに火の玉が現れた。マストと帆がひとかたまりになってふっとんだ。それが驚くほど高く舞いあがって太古の幻想的な鳥、翼竜のように飛ぶのが見えた。
ぼくたちはおそろしさに凍りついた。三〇センチの弾丸ぐらいの大きさをしたこの火の玉は、半分は白く、半分は青く、吹きつける突風を受けてものすごい速さで回転しながら、ゆっくりと移動していた。ここに来たかと思うと、あちらに行き、筏の板の上に乗り、食糧の袋に飛びあがり、またかろやかにおりてきては、跳びはねて、火薬の箱をかすめる。危ない! 吹き飛ばされるぞ! いや、だいじょうぶ。火の玉は遠ざかる。今度はハンスに近づく。ハンスはそれをじっと見つめる。叔父に近づく。叔父は急いで四つんばいになってよける。ぼくのところへ来る。ぼくはその強い光と熱を浴びて、青くなってふるえる。足のそばでぐるぐる回っている。ぼくは足をひっこめようとする。うまくいかない。
硝酸《しょうさん》ガスの臭いがあたりにたちこめ、喉《のど》や肺に入って、息がつまる。
どうして足をひっこめられないのだろう? 筏に釘《くぎ》づけになっているのだ。ああ、そうだ、この電気の玉が落ちたので、筏の上の鉄という鉄が磁気を帯びてしまったのだ。計器や道具や武器が、かちかち鋭い音をたててぶつかりあっている。ぼくの靴《くつ》の釘が、筏にはめこんだ鉄板にぴったり吸いついているのだ。ぼくは足をひっこめることができない!
火の玉がぐるぐる回りながら、いまにも足をつかまえて、ぼくをひきずってゆこうとしたとき、必死の努力でやっと足をひっこめた。もしも……
ああ! なんて強い光だ! 玉が破裂した!ぼくたちは吹きでる炎に包まれた!
そして、すべての火が消えた。筏の上に叔父がのびてしまったのと、相変わらず舵を握っているハンスが、体内を貫いた電気の影響で口から『火を吐《は》いている』のを見るだけの時間はあった。
ぼくたちはどこへ行くのだろうか? いったいどこへ行くのか?
…………
八月二五日《ヽヽヽヽヽ》、火曜日《ヽヽヽ》――ぼくは長い失神状態からぬけだした。嵐はつづいている。空中に蛇の子をまき散らしたように、稲妻が走っている。
ぼくたちは依然として海の上にいるのか? そうだ、ものすごい速さで運ばれている。イギリスの下を、英仏海峡の下を、フランスの下を、おそらくは全ヨーロッパの下をぼくたちは通りすぎてしまった!
…………
またなにか音が聞こえてくる! 明らかに、海が岩に当たって砕けている!…… だが、そのときは……
三六
ぼくが『航海日誌』と名づけたものは、ここで終わる。幸い難船から救いだせたのだ。まえのような語り方に戻ろう。
筏が海岸の暗礁《あんしょう》にぶつかったとき、どんなことが起こったのか、ぼくには言うことができない。ぼくは波のなかに転がり落ちるのを感じた。ぼくが死をまぬかれ、ぼくの体が尖《とが》った岩でずたずたにされなかったのは、ハンスのたくましい腕がぼくを波の底からひきあげてくれたからだ。
勇敢なアイスランド人は、ぼくを波のとどかない、熱い砂の上に運んでくれた。そこに、ぼくと叔父とは並んで寝ていた。
それから、彼はいかり狂う波がうち寄せる岩場にひき返して行った。難破した筏の積荷をいくらかでも救おうというのだ。ぼくは口がきけなかった。興奮と疲労でくたくただった。気をとりなおすまで、たっぷり一時間はかかった。
そのあいだにも、ノアの洪水のような雨が降りつづいていたが、雨足は勢いを増して、嵐の終わりを告げていた。重なり合った岩のかげに入って、篠《しの》つく雨を避けた。ハンスが食べ物を用意してくれたが、手をつける気にはなれなかった。ぼくたちはみんな、三晩つづきの徹夜でへとへとになって、寝苦しい眠りに落ちた。
翌日、すばらしい天気だった。空も海も、申し合わせたように静かになっていた。嵐はあとかたもなく消えていた。目を覚ますと、教授が陽気な声でぼくに呼びかけた。彼はすごく機嫌がいい。
「どうだい、おまえ」と大きな声で言う。「よく眠ったかい?」
まるで、ケーニッヒシュトラーセの家にいて、ぼくが静かに朝食におりてきて、今日これからあのかわいいグラウベンと結婚式をあげようとでもいうところみたいではないか?
ああ、嵐が筏をほんの少しでも東に吹き寄せてくれていたら、ぼくたちはドイツの下を通ったのだ。なつかしいハンブルクの町の下を、この世でぼくが愛するすべてのものがあるあの街《まち》の下を、ぼくたちは通ったのだ。そうすれば、あの街とぼくとのあいだは、わずか一六〇キロメートルにすぎなかった! もっとも、花崗岩の壁で、垂直一六〇キロメートルだ、しかも実際には、四〇〇〇キロ以上も回って行かなければならない。
こんなつらい思いが、叔父に返事をするまえに、ぼくの胸のうちをすばやく横切った。
「おい、どうした!」と叔父はまた言った。「よく眠れたかどうか言いたくないのか?」
「とってもよく眠りましたよ」とぼくは返事した。「まだくたくたですが、じきに治りますよ」
「そうさ、なんともないさ。ちょっと疲れているんだ。それだけのことさ」
「でも、今朝はばかに楽しそうですね、叔父さん」
「嬉しいんだ、嬉しいんだよ、おまえ、とうとうついたんだよ!」
「探検の終点にですか?」
「そうじゃない。あのきりのない海が終わったんだ。いよいよまた陸の道を通って、ほんとうに地球の腹のなかに入って行くんだ」
「叔父さん、一つ質問をしていいですか?」
「いいとも、アクセル」
「それで、帰りは?」
「帰り! ああ、おまえは行きつきもしないうちから、帰ることを考えているのか?」
「いいえ、ぼくはただ、どうやって帰るのかききたいだけですよ」
「世にも簡単な方法でだ。地球の中心についたら、地表にのぼる新しい道を見つけるか、それとも、ごく平凡にもと来た道をひき返すかだ。通った道がふさがることはないと考えたいね」
「それじゃあ、筏をちゃんと直しておかなければいけませんね」
「そりゃそうだ」
「でも、食糧のほうは、そんな大仕事がやれるだけ残っていますか?」
「だいじょうぶ、あるさ。ハンスは手ぎわのいいやつだ。積荷の大部分はきっと救ってくれたと思うよ。ともかく、たしかめに行こう」
ぼくたちは吹きさらしのその洞穴を出た。ぼくには期待があったが、また不安でもあった。筏があんなひどいつき方をした以上、積んであったものが全滅しないなんてことはありえないと思われたのだ。ぼくはまちがっていた。海岸に出てみると、たくさんの荷物をきちんと並べたまんなかに、ハンスの姿が見えた。叔父は心から感謝をこめて、ハンスの手を握った。おそらくちょっとほかに見られないほど、人なみはずれて献身的なこの男は、ぼくたちが眠っているあいだに働いて、いのちを危険にさらしながら、もっとも大事な品物を救いあげてくれたのだ。
それでも、かなりの損害がなかったわけではない。たとえば、武器だ。しかし、結局のところ武器などはなくてもすむ。火薬の箱は、嵐のときはもう少しで爆発しそこなったくせに、無事だった。
「さあて」と教授が声を張って言った。「鉄砲がないんだから、猟をしないですむわけだな」
「それはいいですが、計器のほうはどうですかね?」
「圧力計はここにある。こいつが一番役に立つ。これがあれば、ほかのものなんかくれてやったっていいようなもんさ。これでもって、深さが測れるし、いつ地球の中心についたかもわかる。こいつがないと、中心を行きすぎちゃって、地球の向こう側に出てしまうかもしれんからな!」
話にならない陽気さだ。
「でも、コンパスは?」とぼくはきいた。
「ここにある。その岩の上だ。どこもこわれてないぞ。クロノメーターも温度計もだ。なんともたいした男だよ、あの猟師は!」
まさにそのとおりと認めざるをえない。計器類はなに一つなくなってはいなかったのだ。器具、道具のたぐいは、砂の上にばらばらに置いてあった。縄梯子《なわばしご》、綱、鶴嘴《つるはし》、ピッケルなど。
しかし、まだ食糧の問題をはっきりさせなければならなかった。
「それで、食糧は?」とぼくは言った。
「見てみよう」と叔父が答えた。
食糧を入れてあった箱は、完璧《かんぺき》な保存状態で、浜辺に並べてあった。海は食糧を大半そっとしておいてくれたのだ。つまり、乾パン、乾し肉、ジン、魚の干物など、まだ四か月分ぐらいはだいじょうぶそうだった。
「四か月か!」と教授は叫んだ。「行って帰る余裕はあるな。残ったぶんで、ヨハネウム学院の同僚たち全員に盛大な宴会を開いてやりたいね」
ぼくは、もう長いこと、叔父の気質には慣れているはずだったが、この人にはいつも呆《あき》れてしまう。
「さて」と彼は言った。「嵐で花崗岩の窪みにたまった雨水を汲んで、飲料水にしよう。それで、喉《のど》の渇《かわ》きに悩まされる心配はないな。筏のことは、できるだけ修繕するようハンスに頼んでおこう。もっとも、もう使わなくてすむかもしれんが」
「そりゃどういうことですか?」とぼくは叫んだ。
「わしには考えることがあるんだ。アクセル、わしたちは入ってきた道を通って、出ることにはならないように思うんだよ」
ぼくはうさん臭げな目で教授を見つめた。気がちがっちゃったんじゃないかと思った。しかし、『この人はうまくものを言うことができない人なのだ』
「さあ、飯にしよう」と彼は言った。
叔父がハンスになにくれと指示したあとで、ぼくは叔父にしたがって、小高い岬に行った。そこで、乾し肉と乾パンと紅茶のすてきな食事をした。実のところ、生まれてこのかた、こんなにうまい食事はめったにしたことがなかった。おなかはすいているし、空は広いし、騒動のあとでほっとしたし、なにもかもがぼくの食欲を増してくれたのだ。
食事をしながら、ぼくはいまぼくたちがどのへんにいるのか知ろうとして、叔父に質問した。
「これは」とぼくは言った。「計算がむずかしいでしょうね」
「正確に計算しようというなら、そうさ」と叔父は答えた。「不可能と言っていい。なにしろ、この嵐の八日間というもの、わしは筏の速力も方向も記録をとれなかったのだからな。しかし、だいたいの位置なら推定はできる」
「ほんと、最後に観測をしたのが、あのゲイゼルのあった小島でしたものね……」
「アクセル島だぞ、おまえ。地の底で発見された最初の島におまえの名前がついている名誉を辞退するって法はないぞ」
「そうでした。そのアクセル島まで、海を約一〇八〇キロ渡ったんですから、アイスランドからは二四〇〇キロ以上のところだったわけです」
「よろしい、では、その地点から始めて、嵐を四日間と数えよう。そのあいだ、わしたちの速度は一日に三二〇キロはくだらなかったはずだ」
「そうでしょうね。すると、一二〇〇キロを加えなければなりません」
「そうだ。そうすると、リーデンブロック海は岸から岸までだいたい二四〇〇キロあることになる。わかるか、アクセル、これは地中海と太刀打ちできる広さだよ」
「ええ、ぼくたちの横断したのが狭いほうの幅だったとすれば、なおさらそうですよ」
「そりゃ大いにありうることだ!」
「それに面白《おもしろ》いことがあります」とぼくはつけ加えた。「この計算が正しいとすれば、いまぼくたちの頭の上には地中海があることになりますよ」
「ほんとうか!」
「ほんとうですよ、レイキャヴィクから三六〇〇キロのところなんですから、ここは」
「いやはや、面白いところに来たもんだなあ。しかしな、トルコや大西洋の下じゃなくて、地中海の下だというのは、わしたちの進んだ方向にずれがなかったという場合にしか言えないことだぞ」
「だいじょうぶですよ、風向きはずっと変わらなかったようですし。だから、この海岸はグラウベン港の南東になるにちがいありません」
「よし、それはコンパスを見ればすぐにわかることだ。コンパスを見てみよう」
教授は、ハンスが計器を並べておいた岩のほうに行った。彼は楽しげで、身もかるがるとしていた。もみ手をしたり、ポーズをしたりしている! まるで青年だ! ぼくは、自分の推定がまちがっていないか、とても知りたくて、叔父のあとを追った。
岩のところにつくと、叔父はコンパスをとって、水平に置き、針を見た。針は揺れていたが、地磁気の力にひかれ一定の位置でとまった。
叔父はじっと見つめた。それから目をこすって、もう一度見なおした。とうとう、あっけにとられたような顔をして、ぼくのほうを振り向いた。
「どうしたんですか?」とぼくはたずねた。
彼は、自分で計器を見ろという身振りをした。ぼくも思わず、あっと叫んだ。ぼくたちが南だとばかり思っていた方向を、針は北と示していたのだ。針の先は沖のほうをささないで、陸のほうに向いていた!
ぼくはコンパスをゆすぶった。よく調べてみた。どこもこわれてはいない。針をどんな位置に置いてみても、思ってもいなかったこの陸の方向に、どうしても戻ってしまうのだ。
こうしてみると、もう疑う余地はない。嵐のあいだに、風向きが変わったのだ。ぼくたちはそれに気がつかなかった。そして、筏は、叔父がうしろにあるとばかり思っていた岸辺へと押し戻されたのである。
三七
リーデンブロック教授をつぎつぎに襲った感情、驚き、疑い、そして最後には怒りだしてしまったその気持ちを描きだすことは、ぼくにはできそうにない。最初はあんなにもうろたえ、それからあんなにも腹をたてた人を、ぼくはかつて見たことがない。航海の疲れ、せっかく乗りこえた危険、これをみんな、やり直さなければならないのか! ぼくたちは前進するかわりに、後退していたのだ!
しかし、叔父はじきに気をとり直した。
「ああ、運命はこんないたずらをする!」と彼は叫んだ。「自然があげてわしに陰謀をたくらんでいるんだ。風も火も水も、力を合わせて、わしの通るのを邪魔《じゃま》しおる。よろしい、わしの意志がどんなものか思いしらせてやるぞ! わしは負けんぞ、一歩だって退くもんか! 人間が勝つか、自然が勝つか、いまに見ていろ!」
岩の上に立ちはだかって、怒り、いまにも躍りかからんばかりのオットー・リーデンブロックの姿は、あの猛《たけ》だけしいアイアスに似て、神々に挑むかとみえた。しかし、ぼくは、こんなにやみくもに血がのぼったのには、割りこんでブレーキをかけたほうがいいと判断した。
「叔父さん、聞いてください」ぼくは強い口調で言った。「この世では、どんな野心にだって限度というものがありますよ。できないことにたち向かってはいけません。ぼくたちは海の上を旅行するような装備は十分していないんです。がらくたの材木を寄せ集めて、杖《つえ》をマストに、毛布を帆にして、しかも荒れ狂う風に逆らって、二〇〇〇キロはとても行けません。舵もとれやしないんですよ。嵐のおもちゃになるだけです。もう一度あんなむちゃな航海をしようなんて、気ちがい沙汰ですよ!」
このように反駁《はんばく》の余地のない理屈を、遮《さえぎ》られることなく、一〇分間ものあいだ、ぼくはとうとうと開陳《かいちん》することができた。それというのも、ただただ教授が注意をはらわず、ぼくの議論などひと言も聞いていなかったからである。
「筏に乗ろう!」と彼は叫んだ。
それが彼の返事だった。頼んでも、怒っても、なにをしても無駄だった。ぼくは、花崗岩よりも固い意志にぶつかったのだ。
そのときハンスは、筏の修理を終わるところだった。この不思議な男は、まるで叔父の計画を見ぬいているみたいだった。化石木をいくつか使って、筏は補強されていた。すでに帆があがり、はためく襞《ひだ》に風がたわむれていた。
教授がふたことみこと案内人に言った。するとすぐさま、この男は荷物を積みこみ、出発の準備を整えた。空気はかなり澄んでいて、北西の風は上々だった。
ぼくになにができたろう? 一人で二人に対抗するのか? とても駄目だ。せめてハンスがぼくについてくれたら。いや、とんでもない! このアイスランド人ときたひには、自分の意志なんてものはいっさい脇《わき》に置いて、献身の誓いをたてているみたいなのだ。主人にこんなに忠勤をはげむ召使から、なにも期待することはできない。前進するほかはない。
そこで、ぼくは筏のぼくの定席《じょうせき》にすわろうとした。すると、そのとき、叔父がぼくを手でひきとめた。
「出発はあすにしよう」と彼は言った。
ぼくは、どうでも結構という身ぶりをした。
「どうもわしは、なにごともいいかげんにしておけなくてな」と彼はつづけて言った。「運命がわしを、ここの海岸に吹き寄せた以上、ここをよく調べないうちは、出発するわけにはいかんのだ」
ぼくたちが北の海岸に戻ったといっても、最初出発したのと同じところに戻ったわけではないことを思えば、叔父がこう言うのも理解できよう。グラウベン港は、もっと西のほうにあるはずだった。してみれば、この新しい上陸地点の近辺を念入りに調べてみようというのは、しごくもっともなことだった。
「探検に行きましょう!」とぼくは言った。
そして、仕事をしているハンスを残して、ぼくたちは出発した。波打ちぎわと山|裾《すそ》とのあいだはずいぶん広かった。岩壁のところまで行くのに、半時間はかかるだろう。ぼくたちの足は、あらゆる形、あらゆる大きさの無数の貝殻を踏みしだいた。そのなかに太古の生物が生きていたのだ。直径が、ときには五メートル以上もある大きな甲羅が目についた。それは鮮新世の巨大な彫歯獣のもので、現代の亀などはそのちっぽけな複製でしかない。そのほかに、地面には、波にもまれてまるくなり、列をつくって並んでいる玉石のような石ころが、たくさん散らばっていた。それで、このあたりにはむかし海がきていたにちがいないと、ぼくは気づいた。いまは波のとどかないところに点々とある岩の上にも、かつて波が洗ったあとがはっきりと残っていた。
これらのことから、地表から一六〇キロもの下に、こんな大海が存在することを、ある程度までは説明できた。しかし、ぼくの考えでは、この大量の水は、地球の内部に少しずつ吸いこまれているにちがいなかったし、また、この水は、どこかの割れ目を通って流れこんできた、地上の大海の水であることも明らかだった。ただ、その割れ目は現在はふさがっていると、認めざるをえない。なぜなら、さもなければ、この洞窟、というより巨大な水槽といったほうがよいが、これくらいはかなり短時間でいっぱいになってしまっただろうからである。おそらく、この水だって、地下の火と闘って、一部は気化したのだろう。そう考えれば、ぼくたちの頭上にかかっている雲の説明もつくし、地底の嵐をひき起こすあの放電現象も説明できる。
ぼくたちが目撃した諸現象をこのように理論づけるのは、満足すべきことと思われた。自然の驚異というものは、どんなに不思議であっても、かならず物理的理由によって説明できるものだからだ。
という次第で、ぼくたちは、地表に広く分布しているこの時期のすべての地層と同様に、水によってつくられた一種の沖積土の上を歩いていたのだ。教授は岩のすきまを一々たんねんに調べていた。穴でもあろうものなら、さも重大そうな顔をしてその深さを測るのだった。
リーデンブロック海の海岸に沿って一キロ半ほど行くと、突然、地面の様子が変わった。下の地層が激しく隆起したために、地面がひっくり返ったり、ひきつったりしたらしい。いたるところに、窪みや、盛りあがったところがあって、地盤の激しい変動を示していた。
ぼくたちは、燧石《ひうちいし》や石英や沖積土のまじった、こうした花崗岩の襞の上を、苦労しいしい進んでいった。すると、骨の原っぱ、というより、骨の平原が目のまえに現れた。それは、二〇〇〇年もの長きにわたって生物が次々と永遠の遺骸《いがい》を積み重ねてきた、巨大な墓場ともいうべきか。高く盛りあがった骨のかけらが、遠くまで重なっていた。地平線の果てまで波うつようにつづき、はるかな靄《もや》のなかに消えている。おそらく、そこには、およそ七平方キロにもわたって、動物の生命の歴史がすべて積み重なっているのだ。人の住む世界のまだ新しい土地にはほとんど書き記されていない歴史が。
そのあいだにも、ぼくたちは抑えきれない好奇心にひきずられて行った。ほんのかけらだけでも、珍しい興味あるものとして、大都市の博物館が奪いあいをするにちがいない、この有史前の動物たちの残骸や化石を、ぼくたちの足は、乾いた音をたてて、踏みつぶして行った。この壮大な納骨堂に横たわる動物の骸骨《がいこつ》を組みたてるには、キュヴィエのような学者が千人いてもたりないくらいだった。
ぼくは唖然《あぜん》としていた。叔父は、空のかわりの厚い円天井に向かって、両腕を大きくあげていた。口をあんぐりとあき、眼鏡のレンズの下の目をぎらぎらさせ、首を上下左右に動かし、要するに、彼は全身でかぎりない驚きを表していたのだ。彼のまえには、考えることもできないような一大コレクションがあったのだ。レプトテリウム、メリコテリウム、ロフォディオン、アノプロテリウム、メガテリウム、マストドン、プロトピテコス、プテロダクティロスなど、有史前のありとあらゆる怪物どもが、彼ひとりを満足させるために、るいるいと積み重なっている。たとえば、ウマルによって焼かれた、かの有名なアレクサンドリアの図書館が、奇跡によって灰からよみがえったその書庫のなかに、突然つれてこられた熱狂的な愛書家を想像していただきたい! これこそ、まさに、わが叔父、リーデンブロック教授の姿だったのだ。
しかし、この有機質の骨灰のなかを歩きまわっているうちに、彼がつるっとした一つの頭蓋骨を手にしたときときたら、それこそまた新規まきなおしの驚愕《きょうがく》だった。叔父はふるえる声で叫んだ。
「アクセル! アクセル! 人間の頭だ!」
「人間の頭ですって! 叔父さん」ぼくもおとらずびっくりして、問いかえした。
「そうだよ、おまえ! ああ! ミルヌ・エドヴァルス先生! ああ! カトルファージュ先生! どうしてあなた方はここにいらっしゃらないのですか、このわたし、オットー・リーデンブロックがおるここに!」
三八
叔父がこのフランスの有名な学者に呼びかけたわけを理解するためには、ぼくたちが出発する少しまえに起こった、古生物学上のきわめて重要な事件のことを知らなければならない。
一八六三年三月二八日、フランスのソム県、アブヴィル近郊のムーラン・キニヨンの採石場で、ブーシェ・ドゥ・ペルト氏の指揮にしたがって発掘をしていた土工たちが、地下四メートルのところで、人間の顎《あご》の骨を発見した。これは、この種の化石で日の目を見た最初のものであった。そのそばには、時を経て一様に古色を帯びているが彩色のある、石斧《せきふ》や刻んだ燧石《ひうちいし》が見出された。
この発見の評判は大きく、たんにフランスにとどまらず、イギリス、ドイツにも聞こえた。フランス学士院の多くの学者たち、なかでもミルヌ・エドヴァルス、カトルファージュ両氏はこの事件に強い関心を示し、問題の骨がまがうかたなく本物であることを証明して、イギリス式表現での、いわゆるこの『顎骨事件』の熱烈な擁護者となった。
この事実をたしかなものと考える連合王国の地質学者たち、フォーコナー、バスク、カーペンター等々の諸氏に、ドイツの学者たちが加わった。そのなかでも最前線で、もっとも激しく、もっとも熱狂的だったのが、わが叔父リーデンブロック氏だったのである。
これがほんものの第四紀の人間の化石であることは、かくて異論の余地なく証明され、承認されたとみえた。
もっとも、この学説には、エリ・ドゥ・ボーモン氏のような猛烈な反対者があった。きわめて高い権威のあるこの学者は、ムーラン・キニヨンの地層は『洪積世』に属するものではなく、もっと若い地層だと主張し、この点ではキュヴィエと意見を同じくして、人類が第四紀の動物と同時代のものとする説を認めなかった。リーデンブロック叔父は圧倒的多数の地質学者と協力して、善戦奮闘、討論し、弁駁《べんばく》し、その結果、エリ・ドゥ・ボーモン氏はほとんど孤立してしまったのである。
ぼくたちは事件のこうしたいきさつはすべて知っていたが、ぼくたちの出発後、問題が新たに進展したことは知らなかった。ほかにも同じような顎骨が、人種も異なり、タイプもさまざまな人間のものではあったが、フランスやスイスやベルギーにあるいくつかの洞窟内の柔らかい灰色の土のなかから発見された。同時に、武器や、炊事《すいじ》用具、工具、それに子供、青年、壮年、老人の骨も発掘された。したがって、第四紀に人類が存在したことは、日に日に確実となってきたのである。
しかも、これだけではなかった。第三紀鮮新世の地層から新たに発掘された出土品によって、さらに大胆な学者たちは、人類の存在がより古代にさかのぼることまでも主張するようになっていた。それらの出土品は、なるほど人間の骨ではなかったが、ともかく人間の作ったもので、化石となった動物の脛骨《けいこつ》や大腿骨《だいたいこつ》に規則的なすじがついており、いわば彫刻がほどこされていて、人間の作業のあとを残していたのだ。
こうして、人類は時の梯子《はしご》をひととびに何百世紀も溯ったのである。人類はマストドンよりも古く、『エレファス・メリディオナリス』と同時代ということになった。鮮新世の地層が形成された年代は、もっとも高名な地質学者たちによって一〇万年まえと決定されているから、人類は一〇万年まえから存在していたことになる!
これが当時の古生物学の状況であった。したがって、ぼくたちがもっていたこういう知識を思えば、リーデンブロック海の骨の山をまえにしたときのぼくたちの興奮は、しごく当然のことだったのである。だから、ましてや、それから二十歩ばかり先で、叔父のまえに第四紀の人間の標本が、いわば鉢《はち》合わせみたいにして、現れたときの、その驚き、その喜びようは、おわかりいただけよう。
それははっきりと人間の体とわかるものであった。ボルドーのサン・ミシェル墓地のような、特殊な性質をもった土壌のせいで、何百世紀ものあいだこうして形を保ったのだろうか? ぼくにはなんとも言えない。だが、その死骸は、はりのある黄ばんだ皮膚をして、四肢は――少なくとも見た目には――まだ柔らかく、歯はそろっていて、髪も多く、手足の爪《つめ》はおそろしくのび、まるで生きているようだった。
別の時代からぬけでてきたこの幽霊をまえにして、ぼくは声も出なかった。ふだんなら、あんなにもおしゃべりで、あんなにも勢いよく気炎をあげる叔父もまた、だまりこくっていた。ぼくたちはその死体をもちあげて、立たせた。それはくぼんだ眼窩《がんか》でぼくたちを見つめている。体を叩いてみると、ぽこぽこ音がした。
しばらくだまりこんでいたが、やがて叔父はオットー・リーデンブロック教授たる本性をあらわした。先生根性のおもむくままに、ぼくたちが旅行ちゅうであることも、いまいる場所も、ぼくたちを包んでいるこの大きな洞窟のことも忘れてしまった。おそらく叔父は、ヨハネウム学院で、学生たちを相手に講義をしている気になってしまったのだ。講義口調で、架空の聴講者に向かって、彼は始めた。
「諸君」と教授は言った。「わたくしは第四紀の人間を諸君に紹介することを光栄とするものであります。偉大な学者たちがその存在を否定されましたが、またそれに劣らず偉大な学者たちがその存在を肯定されました。古生物学界における聖トマスともいうべき方々が、いまもしここにおられるならば、指をもってこれに触れ、かならずや自らの誤りを認めざるをえないでありましょう。学問がこの種の発見に対して慎重でなければならぬことは、わたくしもよく承知しております。かのバーナムのごときやから、その他同じような山師どもが、化石人と称していかなるものを発掘したか、知らないわけではありません。わたくしは、アイアスの膝《ひざ》の骨とか、スパルタ人が発見したオレステスの遺骸《いがい》と称するものとか、さらにはまた、パウサニアスが記すところの、身のたけ五メートルにも達するアステリウスの遺骸とかの話を知っております。十四世紀に発見され、これこそポリュフェモスの骨なりとされようとした、トラパニの骸骨に関する報告や、パレルモの近くで十六世紀に発掘された巨人の話も読みました。一五七七年に、ルツェルンの近くで行われた、巨大な骸骨の分析については、諸君、諸君もわたくしと同様よくご存じでありましょう。かの高名な医師フェリックス・プラッターが、六メートルもある巨人の骨だと申したものであります。わたくしはカッサニオンの論文も読破しましたし、一六一三年、ドフィネ地方の砂採り場から発掘された、ガリアの征服者、キンブリー族の王チュートボックスの遺骸なるものについて発表された、あらゆる記録、パンフレット、賛否両論の論文も読破いたしました。もしわたくしが十八世紀の人間であったら、わたくしはピエテル・カンペルとともに、ショイツァーの言うアダム以前の人類存在説に論争を挑んだでありましょう。わたくしの持っております本に、|ギガンス《ヽヽヽヽ》……」
ここで叔父のもちまえの悪いくせ、公衆のまえだと難しい発音の言葉が言えなくなるという、例のくせが出た。
「本の名は|ギガンス《ヽヽヽヽ》……」と彼はまた言った。
その先に進めない。
「|ギガンテオ《ヽヽヽヽヽ》……」
どうしても駄目だ! このいまいましい単語は出てこようとしない! ヨハネウム学院だったら、ここで大笑いとなったところだ!
「|ギガントステオロギー《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》」とリーデンブロック教授は、悪態を吐きちらしながら、やっとしぼりだした。
それから、ますます勢いづいて、熱を帯びてつづけた。
「そうです、諸君、わたくしはこれらのことをすべて知っているのであります。そうしてまた、キュヴィエやブルーメンバッハが、これらの骨を第四紀のマンモスその他の動物の骨にすぎないとしたことも、わたくしは知っているのであります。しかしです、いまや疑念をいだくだけでも科学に対する冒涜《ぼうとく》となるでありましょう!死体がここにあるのであります! 諸君はそれを見、それに触ることができるのであります。これはたんなる骸骨ではありません。完全な人体であります。ひとえに人類学の目的のため保存された人体なのであります!」
ぼくはこの断定に異を唱《とな》えまいと思った。
「もしも硫酸溶液につけてこれを洗うことができましたならば」と、さらに叔父はつづけた。「死体に付着しておるきらきらした貝殻や、泥《どろ》などことごとく落とすことができましょう。しかし、その貴重な溶剤がここにはありません。しかしながら、この人体は、このあるがままの姿で、彼自身の歴史をわれわれに物語ってくれるでありましょう」
ここで教授は、化石となった死骸を持ちあげ、見世物師のように器用に、それを動かしてみせた。
「ごらんのように」と彼はつづけた。「身長は一メートル八〇もありません。いわゆる巨人とはほど遠いものであります。これがいかなる人種に属しているかといえば、明らかにコーカサス系であります。つまり、白人種、われわれと同じ人種です! この化石の頭蓋《ずがい》は整った卵形で、頬骨《ほおぼね》は張りだしておらず、顎《あご》も突きだしておりません。顔面角を変化させる顎骨突出《プログナティスム》の特徴はまったく現れていないのであります。その角度を測ってみますと、およそ九〇度であります。しかし、わたくしはさらに推論をおしすすめて、あえて申しましょう。すなわちこの人体標本は、インドから西ヨーロッパの果てまで拡がっているヤペテ族に属すものであると。笑ってはいけません、諸君!」
誰も笑いはしなかった。だが、教授は、彼の学殖豊かな論述のさいちゅうに、聴衆の顔が笑い崩れるのを、これほどさように毎度見ていたのである。
「そうです」ふたたび勢いをとりもどして、彼はつづけた。「ここにあるのは化石人であります。しこうして、この大講堂いっぱいに骨をさらしているマストドンと同時代の人であります。しかし、この人がいかなる道をたどってここにきたのか、この人が埋まっていた地層が、どのようにしてこの地下の巨大な洞窟まで滑り落ちたのか、それを申しあげることは、あえていたしますまい。おそらく、第四紀のころには、まだかなりの変動が地殻に現れておった。地球の冷却が進行して、多くの亀裂、割れ目、断層を生み、おそらくそこに上層の地盤の一部が陥没した。わたくしは断言はいたしません。しかし、ともかくここに人間がいる。そのまわりには、彼の手になる製品がある。石器時代を特徴づけるこれらの石斧や刻んだ燧石があるのであります。この人間が、わたくしのように旅行者として、科学の開拓者としてここに来たのでないかぎり、まちがいなくこれが太古の人であることは、疑えないのであります」
教授は口を閉じた。ぼくはわれるような拍手をあびせた。ともかく、叔父の言ったことは正しい。彼の甥よりも学問のある人だって、彼に反対することはできなかったろう。
さらに証拠があった。この広い墓場のなかに、化石となった人体は、これ一つではなかったのだ。ぼくたちが骨の山を一歩進むごとに、人間の化石に出会ったのだ。叔父は、疑う人たちを納得させるために、そのなかからもっともすばらしい標本を選ぶことができた。
まったく、この墓場のなかに、幾世代もの人間と動物がごっちゃになっている光景は、驚くべき光景だった。ただ重大な疑問が一つあったが、それは解決できないままにしておくしかなかった。これらの動物は、すでに死んでしまってから、地殻の変動によってリーデンブロック海の海岸に陥没したのだろうか? それとも、ここに、この地下の世界で、このまがいものの空の下で、地上の生物と同じように、生まれ死にして、暮らしたのだろうか? これまでのところ、ぼくたちのまえに生きている姿を現したのは、海の怪物と魚だけだった。地底の人間が、この荒涼とした浜辺に、いまなおさまよっているのだろうか?
三九
さらに半時間ばかり、ぼくたちはこの骨の山を踏んでいった。激しい好奇心にかられて、まえへまえへと進んだ。この洞窟には、まだどんな驚くべきものが、科学にとってのどんな宝が、かくされているのだろうか? ぼくは目を皿にし、想像力をたくましゅうして、あらゆる驚異、あらゆる不思議が出てくるのを待ちかまえていた。
海岸は、だいぶまえから、骨の丘のかげにかくれてしまっていた。向こうみずな教授は、道に迷う心配などてんでしないで、ぼくをどんどんひっぱっていく。ぼくたちは電光の波にひたりながら、黙って歩いていった。ぼくには説明のできない現象だが、そのときは光がくまなくゆきわたって、もののどこの面も一様に明るくなっていた。光源はもう空間のどこか一点にあるのではなく、影というものをぜんぜん作らないのだ。まるで赤道地帯のまんなかで、真夏の真昼に、真上から太陽の光を浴びているみたいだった。蒸気はまったく消えてしまっている。岩も、はるか向こうの山々も、遠くにごちゃごちゃとかたまって見える林も、一様に光の流れを受けて、異様な様相を呈している。ぼくたちは、ホフマンの小説の、あの影をなくした不思議な人物そっくりだった。
一キロ半ほど行くと、大きな森のへりに出た。だがこの森は、グラウベン港の近くにあったような、きのこの森ではなかった。
それは第三紀の植物が実に盛大に茂っているのだった。今日では絶滅してしまった大き な棕櫚《しゅろ》の木、みごとなパルマシット、松、|いちい《ヽヽヽ》、糸杉、|このてがしわ《ヽヽヽヽヽヽ》などの毬果《きゅうか》植物がおい茂げり、それに蔓草《つるくさ》が網のようにびっしりとからみついている。苔《こけ》や|すはまそう《ヽヽヽヽヽ》の絨毯《じゅうたん》が地面を柔らかく覆っている。小川が木陰をさらさらと流れている。もっとも影がないのだから、木陰というのはあまり適切ではない。小川のへりには、人の住む地上なら温室にあるような、大きな羊歯が生えていた。ただ、生命の源泉である太陽熱がここにはないので、これらの喬木《きょうぼく》も灌木《かんぼく》も草も、色がよくない。どれも一様に茶色がかった、あせたような色で、区別がない。木の葉には緑がなく、第三紀にはあんなに数多く咲いた花も、いまは色も香りもなく、大気にさらして変色した紙でできているみたいだった。
リーデンブロック叔父さんは、この大きな林のなかにずんずん入っていった。ぼくは多少不安がないではなかったが、あとについていった。自然が餌になる植物をこれだけこしらえておくからには、おそろしい哺乳動物に出くわさないとどうしていえようか? 時をへて、木々が倒れ朽ちてできた、広い林間の空地には、豆科、|かえで《ヽヽヽ》科、|あかね《ヽヽヽ》科などの植物、そしてあらゆる時代の反芻《はんすう》動物が好んで食べる灌木が目についた。それから、地上ではそれぞれ非常にちがった土地に生える木が、一緒にまざって姿を見せていた。棕櫚のそばに柏《かしわ》の木が生え、オーストラリアのユーカリがノルウェーの樅《もみ》の木によりかかり、北国の白樺《しらかば》がニュージーランドのカウリ松と枝をさし交している。地上の植物のもっとも優れた分類学者でも、これでは頭が混乱してしまうだろう。
急にぼくは足をとめた。手で叔父をひきとめた。
光がゆきわたっているので、林の奥のどんな小さいものでもよく見えたのだ。ぼくはなにか見えたような気がした……そうじゃない! ほんとうにいる。なにか大きなものが木の下で動いているのが、この目に映っている。なんと、それは巨大な動物、マストドンの群れだった。しかも、化石じゃなくて、生きている。一八〇一年にオハイオ州の沼地で遺骸が発見されたのと似ている。その大きな象たちの長い鼻が、木の下で蛇の群れのようにうようよ動いているのが見える。長い牙で大木の幹をねじ切っている音が聞こえる。枝がぽきぽき鳴り、一度にたくさんむしりとられた葉が、この怪物どもの大きな口に吸いこまれる。
ぼくがいつか見た、あの有史以前の時代の夢、第三紀、第四紀の世界の夢が、とうとう現実となったのか! そして、ぼくたちは、ここ、地球の胎内で、二人きりで、この野獣どもにやられてしまうのか!
叔父はじっと見つめていた。
「行こう」いきなりぼくの腕を掴んで、叔父は言った。「前進だ、前進だ!」
「駄目ですよ!」とぼくは叫んだ。「駄目です! 武器がないんです! あのでっかい四つ足どもの群れのなかで、なにをしようっていうんです? 戻るんです、叔父さん、戻りましょう! どんな人間だって、こんな怪物をおこらせたら、ひどい目に会うにきまっています」
「どんな人間もだって!」叔父は声を低めて言った。「ちがうぞ、アクセル! 見ろ、あそこを見ろ! なにか生きものがいるらしい! わしたちみたいなものが! 人間だ!」
ぼくは、肩をそびやかし、そんなことがあってたまるものかと思いながら、そっちを見た。だが、ぼくがどう思おうと、明らかな事実にはしたがわないわけにはいかなかった。
ほんとうに、四〇〇メートルもないところに、大きなカウリ松によりかかって、一人の人間がいたのだ。この地底の国のプロテウス、ネプトゥヌスの新しき子が、マストドンの大群を見はっているではないか!
オソロシキ獣ノ群レノ番人ノ、ソレ自身イヤマシテオソロシキ姿ナリ!
まったくだ! ソレ自身イヤマシテオソロシキ姿だった! それは、ぼくたちが骨の山のなかで死体をだき起こした、あの化石人とはちがう。あそこにいる巨獣どもを思うように動かすことのできる巨人なのだ。身のたけは三メートルを越えている。頭は水牛の頭のように大きく、のびるにまかせたやぶのような髪の毛にかくれている。まさに原始時代の象のたてがみそのままだ。彼は大きな木の枝を手でふりまわしている。この太古の牧人にはうってつけの杖《つえ》だ。
ぼくたちは呆然《ぼうぜん》として、立ちすくんでいた。だが、見つかるおそれがあった。逃げなければいけない。
「行きましょう、行きましょう」そう言って、ぼくは叔父をひっぱった。叔父ははじめてぼくの言うことをきいた。
一五分後、ぼくたちはこのおそろしい敵の目のとどかないところにいた。
このことを落ち着いて考えられるようになった現在、心に平静をとりもどし、奇怪なこの世のものとも思えない出会いから何か月もたったいま、どう考えたらいいのか、なにを信じたらいいのか? ちがう! ありえないことだ! ぼくたちの感覚がおかしかったのだ。ぼくたちの目は、見えるとおりに、ものを見なかったのだ。あの地底の世界に、人間なんかいはしない! 地上に住む人間のことなど考えもせず、交渉もなく、あんな地中の洞窟のなかに、人間が住んでいるなんてことはない! そんなことはばかげている。まったくばかげている!
ぼくはむしろ、人間の構造に近い構造をもつなんらかの動物、地質時代初期の猿かなにかがいたのだと考えたい。プロトピテコスとか、またはラルテ氏がサンサンの骨塚で発見したたぐいのメゾピテコスのようなものだ。しかし、あいつは近代の古生物学で考えられている身長よりはるかに背が高かったが! そんなことはかまうものか。猿だ、そうだ、どんなにおかしくても、あれは猿なのだ! 人間が、生きた人間が、地底にとじこもって代々暮らしているなんて! 絶対あるもんか!
さて、そうこうするうちに、ぼくたちは明るい光の森を出ていた。驚きのあまり口もきけず、肝をつぶして、まるでばかみたいになっていた。無我夢中で走っていたのだ。悪夢のなかで、こわいものに追いかけられているみたいに、ただもう逃げに逃げたのだ。ぼくたちは本能的に、リーデンブロック海のほうに帰ってきていた。ぼくには、自分の頭がどこをどうふらついていたのかわからない。気をとりなおして、ものをちゃんと見ようともしなかった。
ぼくは、自分たちがまったくはじめての地面を歩いているのだとばかり思っていたが、ときどき、あたりの岩の恰好がグラウベン港の岩に似ているような気がした。だが、そうだとすると、コンパスの針は正しく、やっぱりぼくたちは、そうとも知らずに、リーデンブロック海の北岸にもどってきてしまったのだ。ときには、まるで同じところじゃないかと思うほどだった。小川や滝が、ごつごつ突きでた岩から無数に流れ落ちていた。化石木の層や、忠実なハンス川や、ぼくが息を吹きかえした洞穴を見ているような気がするのだった。そうして、少し先に行くと、岩壁の様子や、小川の流れぐあい、岩のひょっこり出てくる恰好が、こんどはまたこれはちがうんじゃないかと思わせるのだった。
ぼくは叔父に、このどっちともつかない判断を話してみた。叔父もぼくと同じにためらった。どこも同じような景色なので、叔父にもよくわからなかったのだ。
「たしかに」とぼくは言った。「ぼくたちが上陸したのは、出発したところとはちがいます。でも、嵐でわりと近くに吹き寄せられたんですよ。岸に沿っていけば、グラウベン港に出るんじゃないですか」
「そうだとすれば」と叔父は答えた。「こんな探検をつづけても、無駄なことだな。筏にもどるのが一番だ。だが、アクセル、まちがいはないだろうな?」
「それははっきり言えませんね。叔父さん。だって、この辺の岩はどれもこれも似ていますもの。しかし、どうも、ハンスが筏を作ったのは、あの岬の下じゃないかと思うんですが。ここがあの小さい港じゃないとしても、その近くにはちがいありませんよ」そう言いながら、ぼくは見覚えのあるような気がする入江をしげしげと見た。
「いや、ちがうな、アクセル。それなら、せめてわしたちの足あとぐらいは見つかりそうなものだが、なんにも見あたらんし……」
「いえ、なにかありますよ、ほら」砂の上に光っているものを見つけて、声をあげて、ぼくはかけだした。
「なんだい、いったい?」
「これです」ぼくは答えた。
そして、ぼくはいま拾いあげた錆《さび》だらけの短刀を見せた。
「なんだ!」と叔父は言った。「おまえはこんな武器を持ってきてたのかい?」
「ぼくが? ちがいますよ! 叔父さんじゃあ……」
「いや、わしは知らん」と教授は答えた。「こんなものわしは持ったことはないよ」
「おかしいですね」
「いいや、アクセル、おかしくはない。アイスランド人はよくこういう刀を持っている。ハンスだ、これはハンスのだよ、あいつが落としたんだろう……」
ぼくは首を振った。ハンスはこんな短刀を持ってはいなかった。
「でないとすると、原始時代の戦士が持っていた武器じゃないかしら?」とぼくは叫んだ。「さっき象の番をしていた巨人と同類の、いま生きている人間のものじゃないですか? いや、ちがいますね! これは石器時代の道具じゃない! 青銅器時代のでもありませんね! この刃は鋼《はがね》ですからね……」
叔父は、ぼくの話がさらにとめどなくそれていこうとするのを押しとめて、冷静な口調で言った。
「落ち着けよ、アクセル。筋道たててよく考えてみるんだ。この短刀は十六世紀の武器だぞ。ほんものの短剣だ。貴族たちが腰にさしていて、とどめを刺すときに使ったものだよ。これはスペインでできたものだ。おまえのものでも、わしのものでも、ハンスのものでもない。この地底に生きているかもしれない人間のものでもないのさ!」
「それじゃあ、どういうことですか?……」
「見ろ、人間の喉《のど》に刺したぐらいじゃ、こんなに刃こぼれはしないよ。それに刃についている錆の厚さは、一日や一年、いや一〇〇年でもこれほどにはならんよ」
教授は、想像力にかられて、例によって興奮しだした。
「アクセル」と彼はつづけた。「これは大発見になりそうだぞ! この刀は、一〇〇年、二〇〇年、いや三〇〇年もまえから、砂の上に捨てられているのだ。そして、この刃こぼれはこの地下海の岩に当たって欠けたのだ!」
「でも、刀がひとりで歩いてきやしませんよ」とぼくは言った。「刀が自分ではねまわったりしませんよ。ぼくたちよりまえに誰かが……」
「そうだ! ある人がね」
「で、その人って?」
「その人がこの短刀で自分の名前を彫ったんだ。その人は、もう一度自分の手で、地球の中心への道にしるしをつけようとしたのだ。探そう、探そう!」
そこで、もうすっかり夢中になったぼくたちは、高い岩肌《いわはだ》に沿って、どんな小さい割れ目でも、もしかしてそれが地下道になっているんじゃないかと、探しはじめた。
そうやって、ぼくたちは、岸が狭くなっているところまで来た。海が岩の裾《すそ》を洗わんばかりに迫っている。通れるところは、せいぜい二メートルぐらいの幅しかない。つき出した二つの岩のあいだに、暗いトンネルの入口らしきものが見えた。
そこだ、平たい花崗岩の上に、なかば消えかかった神秘的な二つの文字、大胆にして途方もない旅行者の頭文字が刻まれていた。
「A・S!」と叔父は叫んだ。「アルネ・サクヌッセンム! やっぱり、アルネ・サクヌッセンムだ!」
四〇
この旅行が始まってからというもの、ぼくはもう驚かされどおしだった。だから意外なことには免疫《めんえき》になっていて、どんな不思議なことにも感じなくなっているつもりだった。しかし、三〇〇年もまえからそこに刻まれているその二つの文字を見ては、しばらくはぼんやりしてしまうほど仰天してしまった。なにしろ、あの碩学《せきがく》の錬金術師の署名が岩の上に読めるばかりか、その名を刻んだ短剣までがぼくの手に握られているのだ。よほどの悪意でも持たないかぎり、ぼくはもう、この旅行者が存在したことニ、彼の旅行が事実であったことを疑うわけにはいかなかった。
こんな思いがぼくの頭の中で渦をまいているあいだに、リーデンブロック教授はアルネ・サクヌッセンムに対するいささか気ちがいじみた讃辞を、発作にとりつかれたように口走りだしていた。
「驚嘆すべき天才よ!」と彼は高らかに言った。「あなたは地底への道を、他の人間たちに開くべく、なに一つとしてお忘れにならなかった。さればあなたの同類は、あなたが三世紀まえにこの暗い地底に残された足跡を見つけることができるのです。あなたは、あなた以外の人間の目のために、この驚嘆すべき景色を残してくださったのだ。あなたの名は要所々々に刻まれて、あなたのあとにしたがわんほどの勇気ある旅行者を、その目的地へとまっすぐに案内するのだ。そして、われらの星の中心には、またもやあなたの名があなた自身の手で刻まれてあるだろう。されば、わたしもまた、この花崗岩の最後のページに、わたしの名を記すことにしよう! しかしながら、あなたが発見したこの海のほとりの、あなたがしかと見たこの岬は、いまよりのち永遠に、サクヌッセンム岬と呼ばれなければならぬ!」
以上がだいたいぼくの聞いた言葉である。そして、この言葉に息づいている熱狂がぼくにものりうつってくるのをぼくは感じた。胸のうちに、心の火が燃えた! ぼくは、旅の危険も、帰路の危うさも、すべてを忘れた。ほかの人のしたことを、ぼくもやってのけたかった。人間のしたことなら、ぼくにやれないことはないような気がした!
「行きましょう、前進だ!」とぼくは叫んだ。
ぼくは早くも暗い地下道に向かって突進した。すると、教授はぼくをひきとめた。そして、すぐのぼせあがるこの人が、ぼくに忍耐と冷静とを説くのだった。
「まずハンスのところへ戻ろう」と彼は言った。「そして、ここに筏をもってこよう」
ぼくは不承々々にこの命令にしたがって、そそくさと海岸の岩のあいだを歩きだした。
「ねえ、叔父さん」歩きながらぼくは言った。「これまでは不思議とうまい具合にいきましたね」
「ほう、アクセル、おまえもそう思うか?」
「そりゃそうですよ。嵐までがぼくたちを正しい道に連れ戻してくれたんですからね。嵐さまさまですよ。あの嵐のおかげでぼくたちはこの海岸に来られたけれど、もし天気がよかったらどこへ行っちゃったことですか! まあちょっと考えてもみてください、ぼくたちの筏の舳先《へさき》が(筏の舳先なんて変ですけどね)、リーデンブロック海の南の海岸についていたら、どうなっていたことでしょう? サクヌッセンムの名前はぼくたちの目にふれなかったでしょうし、いまごろは出口もない浜辺で途方にくれているでしょうよ」
「そうだな、アクセル、南に向かって帆をあげたのに、北のサクヌッセンム岬にうまいことまい戻ったというのは、神のみ心とでもいうほかはないな。驚いたぐらいのことじゃすまないよ。これはまったく説明のつかない事実だ」
「まあまあ、それはいいでしょう! 事実は説明するものじゃなくて、活用すべきものですよ!」
「そうかもしれん。しかしな、おまえ……」
「しかしです、これでまた北の道を行くことになりますね。ヨーロッパの北の国々の下をぼくたちは通っていく、スウェーデンかシベリアか知らないけど、ともかくアフリカの沙漠や大西洋の波の下にもぐるんじゃない。それだけわかっていれば十分ですよ」
「そうだな、アクセル、おまえの言うとおりだ。すべて申し分なしだな。なにしろ、横に行くばかりで、なんにもならなかったこの海とは、おさらばだからな。これからは、おりて、おりて、おりまくるんだ! いいな、地球の中心に達するには、あとたった六〇〇〇キロ行けばいいんだからな!」
「なんだ!」とぼくは叫んだ。「全然問題にもなりませんよ! さあ、出発! 出発!」
こういうむちゃくちゃな話をさらにつづけているうちに、ぼくたちは猟師のいるところに戻った。すぐにも出発できるよう、準備万端整っていた。荷物は一つ残らず積んである。ぼくたちは筏に乗り、帆をあげ、ハンスは、海岸沿いにサクヌッセンム岬をさして、舵をとった。
思うように帆を操ることのできない筏には、風向きはよくなかった。それで、あちこちで、アルペンシュトックを棹《さお》がわりに使って進まねばならなかった。ときには、岩が水面すれすれになっていて、かなりのまわり道もさせられた。三時間かかって、やっと、つまり午後の六時ごろに、上陸に好適な場所についた。
ぼくは陸にとびおり、叔父とアイスランド人があとにつづいた。こうやって海を渡ってきても、まだぼくの興奮は静まっていなかった。むしろ逆だった。ぼくは、背水の陣をしくために、『ぼくたちの船』を燃やしてしまおうとまで言いだした。だが、これには叔父が反対した。叔父は妙になまぬるいなとぼくは思った。
「じゃあ、せめて」とぼくは言った。「一刻も無駄にしないで出発しましょう」
「そうしよう。だが、そのまえに、梯子でも用意する必要があるかもしれん、こんどの地下道を調べてみよう」
叔父はルームコルフ装置の明りをいれた。筏は岸につないで、あとに残した。もっとも、地下道の入口はそこから二〇歩とない。ぼくたち小部隊は、ぼくを先頭に、さっそくでかけた。
入口は、ほぼ円形で、直径およそ一メートル半ある。暗いトンネルは岩肌をむきだしにくりぬかれ、むかしそこを通って噴出した熔岩がていねいに磨きをかけた感じだ。トンネルの底部は地面とすれすれなので、なんなく入りこむことができた。
ほとんど傾斜のない道を行こうとしたところ、六歩も入ったら、大きな岩にふさがれて、先に進めなくなった。
「いまいましい岩だ!」越えられそうにもない障碍《しょうがい》物で突然とめられたのを知って、ぼくは腹をたてて、どなった。
右も左も、上も下も探してみたが駄目だ。通れる道も、枝道もない。ぼくはひどくがっかりしたが、こんな障碍を事実だと認める気になれなかった。身をかがめて、岩の下をのぞいてみた。少しのすきまもない。上のほうはどうだ。同じく花崗岩がふさいでいる。ハンスが壁にもれなくランプの光を当ててみた。しかし、壁には割れ目一つない。通りぬけることはすっぱり諦《あきら》めなければならない。
ぼくは地べたに坐りこんでしまった。叔父はトンネルのなかを大股《おおまた》に歩きまわっている。
「でも、サクヌッセンムはどうやったんだろう?」とぼくは声をたてた。
「そうだな」と叔父は言った。「彼もこの石の扉《とびら》で立ち往生させられたのかな?」
「ちがう、ちがう!」ぼくは勢いこんで叫んだ。「この岩のかたまりは、地震か、それとも地殻を動かす磁気現象かなにかのせいで、突発的にこの道をふさいだんですよ。サクヌッセンムがここから帰っていってから、この岩がここに転がるまでには、長い年月があったんです。この地下道がむかし熔岩の通り道だったことは、はっきりしているじゃありませんか。そのころは熔岩はここをどんどん流れていたんです。ほら、そこの花崗岩の天井に新しい筋がいくつもついていますよ。流れてきた岩のかけらや大きな石で、天井がこうなったんです。まるでなにか巨人の手がこの地下工事をやったみたいですね。それが、あるとき熔岩の圧力が強くなって、この大岩が崩れてきて、はまっていなかったアーチの要石《かなめいし》がはまるみたいに、通路をすっかりふさいでしまったんですよ。こいつは偶然にできた障碍物ですよ、サクヌッセンムはこれには出会わなかったんです。こいつをどかさないかぎり、ぼくたちは地球の中心に行く資格はありませんよ」
なんとまあ、ぼくはこんなふうにまくしたてたのである! 教授の魂《たましい》が突然にぼくにのりうつっていたのだ。明察の魔力がぼくをかりたてていたのだ。ぼくは過去も忘れ、未来も眼中になかった。地球というこの球体の内奥にもぐりこんでしまったぼくにとっては、地表の一切はもう存在しないに等しかった。都会も、田園も、ハンブルクも、ケーニッヒシュトラーセも、可哀そうなグラウベン、きっとぼくのことを地底深くに永遠に消えたと思っているにちがいない、あのグラウベンも!
「よし!」と叔父が応じた。「鶴嘴《つるはし》をぶちこんで、ピッケルをぶちこんで、道をつくろう! この壁をひっくりかえしてやろう!」
「ピッケルじゃ、こいつは硬すぎますよ」とぼくは言った。
「それじゃあ、鶴嘴だ!」
「鶴嘴でも、壁が厚すぎますよ!」
「そんなことを言ったって……」
「そうだ! 火薬だ! 発破《はっぱ》です! 発破をかけましょう! それで邪魔《じゃま》物を吹きとばしましょう!」
「火薬!」
「そうです! 岩のはしっこを砕くだけでいいんです!」
「ハンス、仕事だ、かかれ!」と叔父は叫んだ。
アイスランド人は筏《いかだ》にひき返し、じきにピッケルを持って戻ってきた。彼はそれを使って、火薬をつめる穴を掘った。これはなまやさしい仕事ではなかった。大砲の火薬の四倍は爆発力のある綿火薬二五キロを入れるには、かなり大きな穴をあけなければならない。
ぼくは異常なほど興奮しきっていた。ハンスが穴を掘っているあいだに、せっせと叔父を手伝って、火薬を濡らし、細長い布の袋につめて、長い導火線を作った。
「これで通れますよね!」とぼくは言うのだった。
「通れるさ」とそのたびに叔父も言った。
真夜中に、ぼくたちの坑夫仕事はすっかり終わった。発破の穴に綿火薬がつめこまれ、導火線が地下道を伝わって、穴の外までひかれた。
このものすごい仕掛けを働かすには、あとはちょいと火をつければいいのだ。
「あしただ」と教授は言った。
じっと我慢して、あとたっぷり六時間も待たなければならなかった!
四一
翌日、八月二十七日、木曜日は、この地底旅行にとって記念すべき日であった。この日を思いだすと、いまでもぼくはおそろしさに胸がどきどきする。あの瞬間から、ぼくたちの理性も判断力も智慧も、もう出る幕はなくなって、ぼくたちは地球の演ずる諸現象にもてあそばれるままになってしまったのだ。
六時には、ぼくたちは起きだしていた。花崗岩の壁に火薬で通路をあける瞬間が近づいていた。
ぼくは爆薬に火をつける晴れの役をやらしてくれるよう願った。火をつけたら、筏に乗っている仲間のところに飛んでいくことになっていた。筏は荷物を積んだままにしてある。それから、爆発の危険を避けて、沖に出るのである。爆発の力が地下道内でとどまらないかもしれないからだ。
ぼくたちの計算では、火薬に火がつくまで、導火線は十分間燃えているはずであった。だから、筏に戻るに必要な時間はあるのだ。
ぼくは役目をはたす用意をしたが、さすがに興奮を感じないわけにはいかなかった。
そそくさと食事をすますと、叔父と猟師は筏に乗りこんだ。ぼくは岸に残った。導火線に点火するためのカンテラに火をともして、ぼくはかかえていた。
「さあ、行け」と叔父がぼくに声をかけた。「すぐここに戻ってこいよ」
「だいじょうぶです」とぼくは答えた。「道草なんか食いませんよ」
すぐにぼくは地下道の入口に向かった。カンテラをあけ、導火線のはしを掴《つか》んだ。
教授はクロノメーターを手にしている。
「いいか?」と彼が怒鳴った。
「いいです」
「ようし、点火!」
ぼくは手早く導火線を炎のなかにつっこんだ。たちまち、しゅうしゅうと火を吹いた。ぼくはつっ走って、浜辺に戻った。
「乗るんだ」と叔父が叫んだ。「筏を出せ!」
ハンスがぐいとひと押しすると、筏は岸を離れた。四〇メートルばかり海に出た。
息のつまるような時間だった。教授はクロノメーターの針を目で追っていた。
「あと五分」と彼は言った。「あと四分! あと三分!」
ぼくの脈は秒針の倍も早い。
「あと二分! 一分!……崩れろ、花崗《かこう》岩の山!」
そのとき、なにがどうなったのだろう? 爆発の音は、聞こえなかったような気がする。だが、目のまえの岩の形がみるみる変わり、カーテンのように開いた。海岸いっぱいに底知れない淵《ふち》がえぐられたのが見えた。海は、くらくらとよろめいて、あとはただ一つの巨大な波であった。その波の背で、筏は垂直につっ立った。
ぼくたちは三人ともひっくり返った。一瞬のうちに、光がまっ暗闇に変わった。それから、しっかりした支えがなくなったような感じがした。ぼくの足の支えではなく、筏をのせる支えがだ。筏が棒立ちになって沈んでいくのだと思った。そうではなかった。叔父に声をかけたいと思ったが、ごうごう鳴る水の音でとても聞こえそうもなかった。
まっ暗で、轟く音、ぼくは驚き、逆上していたが、それでもなにが起こったのかはわかった。
吹き飛んだ岩の向こうに、深い淵があったのだ。あの爆発で、ひびのはいっていた地盤に一種の地震が起こって、大きな穴があいた。そして、海が激流と変じて、ぼくたちをその穴のなかにひきこんだのだ。
もう駄目だと思った。
一時間、二時間、いや何時間かわかるものか、こうして過ぎた。ぼくたちは筏からふり落とされないように、腕を組み合い、手をとり合っていた。筏が壁にぶつかるたびに、ものすごいショックが起きた。そのうちに、衝突が少なくなったので、穴がかなり広くなったのだなと判断した。これは、疑いもなく、サクヌッセンムの通った道だ。だが、ぼくたちは軽率なことをしたために、ぼくたちだけでおりていくかわりに、海まで一緒にひっぱりこんでしまったのだ。
こんなことが、といっても、おわかりいただけようが、ぼんやりしてとりとめもない形で心に浮かんだのだ。墜落といってもいいくらいの目のくらむような勢いで流されていては、考えをまとめることなど容易にできるものじゃない。鞭《むち》のように顔に吹き当たる空気から判断すると、流れはどんなに速い汽車よりも速そうだった。だから、こんな状態で松明《たいまつ》に火をつけることは不可能だったし、ぼくたちの最後の電気装置は、爆発のときに壊れてしまっていた。
だから、突然ぼくの脇で明りがぽっとつくのを見たときには、とても驚いてしまった。ハンスの落ち着いた顔が照らしだされた。この器用な猟師はうまくカンテラに火をともしたのだ。炎は消えそうにゆれたけれど、おそろしい闇にそこばくの光を投げた。
地下道は広かった。ぼくの思ったとおりだった。カンテラの弱い明りでは、両側の壁を一どきに見ることができない。ぼくたちを運んでいる水の傾斜は、アメリカ大陸の一番ものすごい急流よりも急だった。水面は、極度に強い力で放たれた水の矢の束のようだった。ぼくの印象をこれ以上適切な比喩《ひゆ》で表すことはできない。筏は、ときどき渦《うず》に巻かれて、ぐるぐるまわりながら走った。地下道の壁に近づいたとき、カンテラの光で照らして見ると、岩の角《かど》々が直線の軌跡を残して飛び去り、まるでぼくたちは走る線の網のなかにとりこめられたように見えるので、その速さがわかった。時速一二〇キロには達しているにちがいないと、ぼくは思った。
叔父もぼくも、爆発のときにぽっきり折れてしまったマストの残りにしがみついて、目をぎらぎらさせていた。ぼくたちは、窒息しないように、風に背を向けていた。この速さは、どんな人間の力だって、とめられはしない。
そのあいだにも、時間はどんどん流れた。状況は変わらなかったが、さらに厄介《やっかい》なことがでてきた。
積荷を少しきちんとしようと思って見ると、積んでおいたものが大部分、爆発のときになくなってしまったのがわかったのだ。海がすごい勢いで襲いかかってきたときだ。なにがあるのか正確に掴んでおきたいと思って、カンテラを手にして、調べはじめた。計器類で残っているのは、コンパスとクロノメーターだけだった。梯子《はしご》や綱では、マストの根本に巻きついている太索《ふとづな》のきれはししかない。鶴嘴も、ピッケルも、ハンマーもない。そして、どうにも弱ったことには、食糧が一日分しかなかった。
ぼくは筏のすきまというすきま、横桁のあいだにできたどんな小さな窪みも、板の継ぎ目も探しまわった! なにもない! ぼくたちの食糧は、乾し肉ひときれと、乾パン少々だけだった。
ぼくはぼんやりして眺めていた。事態をのみこみたくなかったのだ。しかし、それにしても、ぼくはなんの心配をしていたのだろう? 食糧が、何か月分、何年分、たっぷりあったところで、とどめようもない急流にひきこまれたぼくたちが、この淵からどうやってぬけ出せるというのか? すでにほかの死に方がいくらでもここにひかえているというのに、飢えの苦しみなんか心配してなんになるのか? 飢え死にする、そんな時間がぼくたちにあるというのか?
しかしながら、想像力というのはなんとも奇妙で説明のつかないものだ。ぼくは、あれこれとおそろしげに見える先のことに脅《おび》えて、目のまえの危険を忘れていたのだ。それに、もしかしたらぼくたちは、この猛り狂う急流からぬけ出して、地上に戻れるかもしれない。どうやって? それはわからない。どこで? そんなことどうだっていいじゃないか? 千に一つのチャンスだって、チャンスはチャンスだ。ところが、飢え死にというやつは、どんなに小さな希望でも、これっぽっちも残してはくれないのである。
叔父にすべてを話そうかと思った。どんな窮乏状態にぼくたちがたちいたっているかを教え、ぼくたちがあとどれだけ生きられるか正確に計算してみようかと思った。しかし、ぼくは健気《けなげ》にも黙っていた。叔父の冷静さをそっとしておきたかったのだ。
そのとき、カンテラの光がだんだん小さくなって、とうとう消えてしまった。芯《しん》が燃えつきてしまったのだ。またもやまっ暗闇になった。この皆目見えない闇を押しのけることは、もう思いもよらなかった。松明が一本残ってはいたが、とても火をつけておくことはできまい。それで、ぼくは、この闇を見まいとして、子供のように目をつぶった。
かなり長いことたったとき、流れの速さが増した。顔に当たる風の強さで、それがわかった。流れの傾斜がひどくなったのだ。もう滑《すべ》るどころの話ではない。落ちて行くのだ。ほとんど垂直に落ちているような感じだった。叔父の手と、ハンスの手が、ぼくの腕をぎゅっと掴んで、ぼくをしっかりとおさえてくれた。
どのくらい時間がたったか、突然、ぼくはショックのようなものを感じた。筏は、堅いものにぶつかったのではなかった。急に落下がやんだのだ。龍巻《たつまき》のような水が、大きな水柱が、筏の表面をたたいた。ぼくは息がつまった。溺《おぼ》れそうだ……
しかし、この突然の水の襲来は長くはつづかなかった。数秒のうちに、ぼくは自由な空気のなかに出て、空気を胸いっぱいに吸いこんだ。叔父とハンスは、ぼくの腕を折れそうなほど、強く掴んでいた。筏はまだぼくたちを三人とも乗せていた。
四二
夜の一〇時ごろだったと思う。さっきの水の襲来後、ぼくの五感のうちで一番はじめに働きだしたのは、聴覚だった。ほとんどすぐに、ぼくは沈黙を聞いたのだ。これは真実、聴覚の働きだったから言うのだが、地下道に沈黙がゆきわたるのを聞いたのだ。何時間ものあいだ、ぼくの耳を満たしていた轟音《ごうおん》のあとに、それがきたのだ。やがて、叔父の言葉が、なにか呟《つぶや》くように、耳に入った。
「登っているぞ!」
「なんですって?」とぼくは大声で言った。
「うん、登っている、わしたちは登っているぞ!」
ぼくは腕をのばした。壁にふれた。手から血が出た。ぼくたちはものすごい速さで登っていた。
「松明《たいまつ》! 松明!」と教授がどなった。
ハンスは、苦労して、やっと松明に火をつけた。勢いよく登っているにもかかわらず、炎はちゃんと下から上へ立っていて、あたりを照らしだすだけの光を投げた。
「思っていたとおりだ」と叔父が言った。「ここは狭いたて穴だ。直径は八メートルもないな。水が淵の底に達して、こんどは水位をあげだしたのだ。それと一緒にわしたちもあがっているわけだ」
「どこへです?」
「それはわからん。とにかく、あらゆる事態にそなえておかなくちゃならん。わしの見るところ、登っていく速度は、秒速四メートル、つまり、毎分二四〇メートル、一時間なら一四キロ以上だ。この調子なら、はかどるぞ」
「ええ、なんにもとめられなければね、この穴に出口があればですよ! でも、もし穴がふさがっていたら、水柱の圧力で、空気がだんだん圧縮されて、ぼくたちは押しつぶされちまいますよ!」
「アクセル」と教授は落ち着きはらって答えた。「状況はほとんど絶望的だ。しかし助かるチャンスはなにかしらある。わしはそれを考えているんだ。いつ死ぬかもしれんが、いつ助かるかもしれん。だから、どんなわずかなことでも利用できるようにしておかなくちゃならん」
「でも、なにをするんですか?」
「なにか食べて、元気をつけるんだ」
この言葉をきいて、ぼくはきつい目で叔父を見つめた。とうとう、言いたくなかったことを、言わなければならない。
「食べるんですか?」とぼくはおうむ返しに言った。
「そうだ、いますぐな」
教授はデンマーク語でなにかつけ加えた。ハンスは首を振った。
「なんだと!」叔父は叫んだ。「食糧がなくなったって?」
「そうなんです、残っているのはこれだけですよ! 三人で乾し肉がひときれ!」
叔父は、ぼくの言葉がわかりたくないような顔をして、ぼくをじっと見つめた。
「さあ!」とぼくは言った。「これでもまだ助かると思いますか?」
ぼくの問いに、答えはかえってこなかった。
一時間が過ぎた。ぼくは猛烈な空腹を感じはじめていた。ほかの二人も辛そうだった。そして、だれ一人としてこの最後のあわれな食糧に手を出そうとしなかった。
そのあいだにも、ぼくたちは依然として非常な速さで登りつづけていた。ときには、急上昇する気球に乗った人のように、風で呼吸がきれることがあった。しかし、気球では、上空にのぼるにつれて、だんだん寒さを感じるのだが、ぼくたちはまったく反対だった。暑さが不安になるほど増してきて、いまではきっと四〇度ぐらいになっているにちがいなかった。
この変化はなにを意味しているのだろう? これまでは、いろいろな事実がデーヴィー=リーデンブロック説に軍配をあげていた。ということは、つまりこれまでは、耐火性の岩石や、電気や、磁気の特殊な条件が重なって、自然の一般的な法則からはずれて、適度の温度が保たれていたのである。なぜならぼくの目には、地球の中心高温説だけがやはり、真実で、唯一納得のいくものだったからだ。だとすると、自然現象がきびしく現れて、熱のために岩石が完全な溶融状態になっているようなところに、ぼくたちは近づきつつあるのだろうか? ぼくは心配だった。それで、教授に言った。
「ぼくたちは溺れてもいないし、つぶされてもいない、餓死《がし》することもないかもしれませんが、まだまだ生きたまま焼かれるおそれが残っていますね」
彼は肩をすくめただけだった。そしてまた考えこんでしまった。
一時間たった。温度が少しあがったほかには、なにごとも起こらず、状況は変わらなかった。とうとう、叔父が沈黙を破った。
「さあ」と彼は言った。「決心をしなくちゃならんな」
「決心をするって?」とぼくは問いかえした。
「そうだ。力をつけなければならん。この残った食糧をけちけちと惜しんで、何時間かいのちを延ばそうとすれば、わたしたちは最後まで弱ったままだ」
「そうです。その最後もそう遠いことではないでしょうよ」
「そこでだ。もしも助かるチャンスが出てきて、行動しなければならなくなっても、腹がへって弱ったままだったら、どこから力をだすんだ?」
「だけど、叔父さん、この肉を食べてしまったら、なにが残りますか?」
「なんにも残らんさ、アクセル、なにもだ。だがな、目で食ったほうが、力がつくか? おまえのは、意志薄弱な人間のすることだ。弱虫なやつのすることだ!」
「じゃあ、叔父さんは諦めてはいないんですか?」ぼくは腹をたてて叫んだ。
「そうさ!」教授はきっぱり答えた。
「なんですって! まだ助かるチャンスがあると思ってるんですか?」
「そうだ! そうだとも! 意志の強い人間は、心臓が動いているかぎり、肉体が生きているかぎり、絶望してはならんのだ」
なんという言葉だ! こんな状況でこんなことを言う男は、たしかにざらにはない根性だ。
「結局」とぼくは言った。「どうしようっていうんですか?」
「残っている食糧を、最後の一かけらまで食べるんだ。そうして、弱った力をとりもどすんだ。これが最後の食事になるかもしらんが、かまうものか! 少なくとも、ふにゃふにゃにはならずに、人間らしくなるだろう」
「いいです! 食べちゃいましょう!」とぼくは叫んだ。
叔父は、難破をまぬかれた肉のかたまりとわずかばかりの乾パンをとって、三等分して、分配した。一人あたり約五〇〇グラムの食糧だった。教授は、なにか熱に浮かされたような勢いで、がつがつと食べた。ぼくは、おなかがすいていたのに、嬉《うれ》しくもなく、なかばいやいや食べた。ハンスは、静かに、おだやかに、少しずつ音をたてずによく噛《か》んで、先の心配などには煩《わず》らわされない人間らしく、落ち着きはらって味わいながら食べた。ハンスは、そこらじゅうを探して、ジンが半分ばかり入っている水筒を見つけてあった。彼がそれをだした。このありがたい酒のおかげで、ぼくは少し元気をとりもどすことができた。
「フェルトラフリック!」とハンスも飲みながら言った。
「うまい!」と叔父も応じた。
ぼくはいくらか希望をとりもどしていた。だが、ぼくたちの最後の食事はついに終わってしまった。そのとき、午前五時だった。
人間の健康というやつは、もっぱら否定的な働き方をするものである。そんなふうに人間はできている。つまり、ひとたび食欲が満たされてしまうと、飢えのおそろしさなどなかなか思い浮かばなくなるのだ。飢えのおそろしさがわかるには、それを現に感じていなければならないのだ。だから、長いこと絶食したあげくに、乾パンと肉をほんの少し食べたら、ぼくたちはそれまでの苦しみなんかけろっと忘れてしまった。
しかし、この食事がすむと、三人ともそれぞれ自分の考えごとにふけった。西欧の西の果ての人間でありながら、東洋人の宿命論的諦観に徹しているこの男、ハンスはなにを考えていたのだろう? ぼくはといえば、ぼくの頭のなかにあるのは思い出ばかりだった。そして、その思い出が、決して離れるべきでなかったあの地上に、ぼくを連れもどすのだった。ケーニッヒシュトラーセの家、ぼくのグラウベン、女中のマルタ、そんな姿が目のまえを幻のように通りすぎた。そして、地中をつらぬいて流れてくる無気味なごうごういう音に、ぼくは地上の都会の騒音を聞いているような気がしていた。
叔父のほうは、『つねに仕事中』で、松明を手にして、地層の性質を注意深く調べている。重なる地層を観察することによって、自分のいる位置を知ろうとしていたのだ。そんな計算、というよりそんな推定では、ごくおおよその見当しかつけられるわけはなかったが、学者というものは、落ち着いていられるときには、いつだって学者の仕事をやめないのである。そして、まさにリーデンブロック教授こそ、この資格を人なみはずれて持っている学者だった。
彼が地質学の用語をぶつぶつ呟いているのが、ぼくの耳に入った。ぼくにはなんのことかわかった。それで、ぼくもつい、この死にぎわ最後の研究に興味をもってしまった。
「噴出した花崗岩だ」と彼は言っていた。「まだ原生層だな。だが、のぼっている、どんどんのぼっている! どうなるのかな?」
どうなるのか、だって? この人は相変わらず希望を抱いているのだ。手で垂直の壁に触っている。しばらくすると、またこんなことを言いだした。
「おっ、片麻岩《へんまがん》だ! これは雲母片岩だ! よし、もうじき、古生代の地層になるぞ、そうすると……」
教授はどういうつもりだったのだろう? ぼくたちの頭上にかぶさっている地殻の厚さを測ることができたのだろうか? なにか計算する方法があるのだろうか? そんなはずはない。圧力計はなくなっている。どんな計算をしても、圧力計のかわりになるわけはなかった。
そのあいだにも、温度は急速にあがってきて、ぼくは熱風のなかにつかっているような気がした。熔鉄《ゆ》を出すときに熔鉱炉からほてりかえる熱とでも比較するほかない。次第に、ハンスも叔父もぼくも、上着を脱ぎ、チョッキを脱がないではいられなくなった。少しでも着ていると、苦しいとは言わないまでも、気分が悪くなるのだった。
「熱源に向かってのぼっているんでしょうか?」熱さがさらに激しくなったとき、ぼくは大きな声で言った。
「いや」と叔父は答えた。「そんなことはない! そんなことがあるもんか!」
「でも」と壁に触りながら、ぼくは言った。「この壁は焼けるようですよ!」
こうぼくが言ったとき、ぼくは手が水に触ったのだが、もう大急ぎでひっこめた。
「この水、熱湯ですよ!」とぼくは叫んだ。
教授は、こんどは返事をしないで、ただおこったような身ぶりをした。
そのとき、どうにもならない恐怖がぼくの頭にとりついて、もうとれなくなった。いよいよ破局が間近だという気持ちでいっぱいだった。それも、どんな奔放《ほんぽう》な想像力をもってしても、とうてい思い描けないような最後なのだ。はじめは漠然として、定かでなかった一つの考えが、ぼくの頭のなかで、はっきりしたものに変わってきた。ぼくはそれを払いのけたが、執拗《しつよう》に戻ってくる。それを口に出して言う気にはとてもなれなかった。けれども、見るつもりもなく見えてしまったことが、ぼくの確信を決定的にした。松明の心もとない光に照らされて、花崗岩の地層がぐらぐら動いているのに気がついたのである。明らかにある現象が起ころうとしている。電気も一役買っている。そして、この極度の暑さ、この煮えたぎる水!……ぼくはコンパスを見ようと思った。
コンパスは狂っていた!
四三
そうだ、狂っていた! 針が、一方の極からもう一方の極へと、急激に振れながら跳びはね、文字盤上をかけまわって、まるで目まいにとりつかれたように、ぐるぐる回っていた。
もっとも承認されている理論によれば、地殻《ちかく》は決して完全な静止状態にあるのではなく、地球内部の物質の分解によって生じる変形や、大きな流動体の移動からくる動揺や、磁気の作用などによって、たとえ地上に散らばっている人間にはそんな動きは思いもよらなくとも、たえず揺れ動く傾向があるのだ。このことはぼくもよく知っていた。だから、このくらいの現象に、ぼくがこわがることは別になかったはずなのだ。少なくとも、ぼくの頭に、おそろしい考えが浮かんでくることはなかったはずなのだ。
ところが、それとは別の事実、若干の『特異ナ』現象があったので、どうにももう思いちがいのしようがなくなったのだ。ごうっという音が、おそろしい勢いで増してくるのだ、たくさんの車が敷石の上を飛ぶように走る音とでもいうほかはない。まるでたてつづけに鳴る雷鳴だった。
それに、電気現象のためにコンパスが狂って、がたがた揺れていることも、ぼくの考えの正しさを裏書きしていた。いまにも地殻が破れ、花崗岩の岩盤がくっつき合い、割れ目が埋まり、すきまがふさがろうとしていた。そして、あわれなけし粒《つぶ》のようなぼくたちは、そのおそろしい圧搾力におしつぶされようとしているのだ。
「叔父さん、叔父さん!」とぼくは叫んだ。「ぼくたち、もう駄目です」
「なにをまたこわがっているんだ?」と叔父は驚くほど落ち着いて答えた。「どうかしたか?」
「どうかしたかですって! よく見てください、壁が動いてますよ。岩が崩れますよ。このひどい暑さ。水は沸騰《ふっとう》して、蒸気はたちこめるし、コンパスの針は狂っています。どう見たって、地震が来ますよ」
叔父は静かに頭を振った。
「地震だと?」と彼は言った。
「そうです!」
「おまえ、そりゃあちがうぞ」
「なんですって! この徴候がわからないんですか?……」
「地震のだというのか? いいや、ちがう! わしはもっとましなものを期待しているんだ!」
「なんのことですか?」
「噴火だよ、アクセル」
「噴火!」とぼくは言った。「じゃあ、ここは活火山の噴火口なんですか!」
「だと思うよ」と叔父は微笑して言った。「これは、わしたちには、これ以上なしって幸運だよ!」
これ以上なしって幸運だと! 叔父は気が狂っちゃったのか? この言葉はどういうことだ? どうしてこんなに落ち着いて、笑っていられるんだ!
「なんですって!」ぼくは叫んだ。「ぼくたちは噴火口につかまっちゃったんですか! 白熱した熔岩や、燃えあがる岩や、煮《に》えたぎる熱湯やなんか、そんなものが噴きだす穴のなかにとうとう投げこまれたんですね! ぼくたちはもうじき、炎に巻かれて、岩のかたまりだの、灰や、のろの雨と一緒くたに、押しあげられ、押しだされ、投げとばされ、吐きだされ、空に吹きとばされるんですね。それがこれ以上なしって幸運なんですか!」
「そうだよ」教授は眼鏡ごしにぼくを見つめて答えた。「なんせ、地上に戻れるチャンスはそれしかないからな」
ぼくの頭のなかには実に無数の思いがみだれ飛んだが、ここは駈け足で通りすぎることにする。叔父は正しかった。絶対に正しかったのだ。平然として噴火のチャンスを待ち、それを計っていたこのときの叔父の姿ほど、大胆で確信にみちた姿を、ぼくは見たことがない。
そのあいだにも、ぼくたちは依然としてのぼっていた。この上昇運動のうちに、一夜が過ぎた。周囲の音はますますすさまじくなった。ぼくは息がつまりそうだった。最後の時が来たと思った。それだのに、想像力というものはまったく奇妙なものだ。ぼくはまるで子供みたいな穿鑿《せんさく》にふけっていた。もっとも、頭に浮かんでくることにぼくがひきずられていたのであって、ぼくが自分の考えることを支配していたわけではない。
ぼくたちが噴火の圧力に押しあげられていることは明らかだった。筏の下は熱湯だった。その熱湯の下には、どろどろの熔岩があり、たくさんの岩がつまっていて、噴火口のてっぺんにきたら、四方八方に飛び散るのだ。ぼくたちは火山の噴火する穴のなかにいるのだ。この点は疑う余地がない。
だが、こんどの火山は、死火山のスネッフェルスではなくて、さかんに活動している火山だった。しからば、この山はどこの山か、ぼくたちは世界のどのへんに噴きだされるのか、それをぼくは考えたのだ。
北のほうであることは、なんの疑いもない。狂うまでのコンパスは、この点は一貫していた。サクヌッセンム岬からは、まっすぐ北に、なん百キロも流されたのだ。とすると、ぼくたちはアイスランドの下あたりに戻っているのだろうか? あの島のヘクラ火山か、それとも、ほかに七つある活火山のうちのどれかの火口から投げだされるのだろうか? そこから半径二〇〇〇キロ以内なら、西のほうでは、アメリカの北西岸にある名もない火山が、同じ緯度に見あたるぐらいである。東では、北緯八〇度のところに、一つだけある。スピッツベルゲンから遠くないジャン・マイヤン島のエスク火山だ。たしかに火口の数に不足はないし、どれも軍隊一つぐらい吐きだせるほどの広い火口だ。だが、そのどれがぼくたちの出口になるのか、ぼくはそれが知りたかった。
朝がた、上昇の速度が速くなった。温度は、地表に近づくにつれて、さがるどころか、高くなったが、それはこの熱が火山の影響による、まったく局地的なものだからである。ぼくたちの運ばれ方には、もう疑問の余地はなかった。ある巨大な力、地球の内部に蓄積された蒸気のために生じた、数百気圧もの力が、ぼくたちを否応なしに押しあげているのだ。だがそれは、なんという数しれぬ危険にぼくたちをさらしていることか!
やがて、広くなった垂直の地下道に、ほんのりとした黄褐色の光がさしてきた。右にも左にも、大きなトンネルのような深い穴がいくつも見える。そこから濃い蒸気が吹きだし、炎の舌となってめらめらと内壁をなめていた。
「見て、見て! 叔父さん!」とぼくは叫んだ。
「ああ、あれは硫黄が燃えてるんだ。噴火にはごく当たりまえのことさ」
「でもあの火に包まれたら?」
「火に包まれることなんかない」
「でも、窒息しちゃったら?」
「窒息なんかせんさ。穴は広くなっている。それに、いざというときには、筏を捨てて、どこかの割れ目にもぐりこめばいい」
「そんなことして、水が、水がのぼってきたら?」
「もう水はないよ、アクセル、あるのはどろどろの熔岩みたいなものだ。それが火口までわたしたちを持ちあげるんだ」
事実、水の柱はなくなっていた。かわりに、煮えたぎっているが、かなりどろっとした噴出物質になっている。温度は我慢できないほどになっていた。この空気に温度計をさらしたら、七〇度以上をさすだろう。汗びっしょりだった。のぼる速度が速くなかったら、ぼくたちはきっと窒息していただろう。
とはいえ、教授は、筏を乗り捨てるという案は実行に移さなかった。それでよかった。筏の木組はかなりがたがたになっていたが、それでもしっかりした足場となって、ぼくたちを支えてくれていた。ほかのどこにも、ぼくたちを支えてくれるものなどなかったろう。
午前八時ごろ、新しい事態がはじめて起こった。上昇運動が突然やんだのだ。筏はまったく動かなくなった。
「どうしたんでしょう?」まるで衝突したみたいに、この急停止でよろけて、ぼくはたずねた。
「休止だ」と叔父は答えた。
「噴火がやんだんでしょうか?」
「そうじゃないことを祈るね」
ぼくは立ちあがった。あたりを見ようとした。もしかすると、筏が岩の出っぱりにでもひっかかって、噴出物のもりあがるのを一時的に抑えたのかもしれない。そうだとしたら、大至急はずさなければならない。
そうではなかった。灰と軽石と岩のかけらのこの柱自体が、上昇をやめたのだった。
「噴火がとまるんでしょうか?」とぼくは大きな声をだした。
「ははん」と叔父は口をひんまげて言った。「おまえはそれが心配なんだな。安心するんだ。この休止の時間は長くはあるまいよ。もう五分たっている。じきまた上昇を始めるさ、火口に向かってな」
教授はこういいながら、クロノメーターをずっと見つめていた。こんども彼の予想は当たることになった。まもなく筏は、急速な、そしてめちゃくちゃな動き方を始めた。これがほぼ二分間つづいた。そして、またとまった。
「よし」と時間を見ながら、叔父は言った。「一〇分もすれば、また動きだすぞ」
「一〇分ですか?」
「そうだ。この火山は間歇《かんけつ》性の噴火なんだ。一緒にわしたちも息がつけるよ」
そのとおりだった。叔父の言った時間になると、ぼくたちはまたものすごい速さで押しあげられた。筏から放りだされないように、丸太にしがみつかなければならなかった。そしてまた、上昇はとまった。
その後、ぼくはこの奇妙な現象のことをいろいろ考えてみたが、満足のゆく説明は見つからない。しかし、ぼくたちがいたのは、火山の主要な噴火道ではなくて、きっと横っちょに付随する噴火道だったのだ。そこに噴火の余波が伝わってきていたのだ。
何回こんな動きが繰り返されたか、とてもわからないくらいだ。はっきり言えることは、動き始めるたびに、ぼくたちはますます強い力で投げあげられ、まるで弾丸のようにはね飛ばされたということだけである。とまっているあいだは息がつまりそうだった。はねあげられるときには、熱風で息切れがした。零下三〇度もの寒さの極北の地でもさっと行けたらいい気持ちだろうなと、ちらっと考えた。ぼくの興奮しきった想像力は、北極地方の雪原にさまよいだし、北極の氷の上をころがる瞬間を、ぼくは熱望したのだ。その上、ぼくの頭は、繰り返しゆすぶられてふらふらになり、次第にわけがわからなくなってきた。ハンスの腕が掴まえてくれなかったら、何度、花崗岩の壁にぶつかって、頭を割ったかしれはしない。
だから、それからの数時間に、どんなことが起こったか、正確なことはなにも覚えていない。たえず爆発の音が轟き、岩という岩が揺れ、筏がぐるぐるまわっていたような、漠然とした感じがある。筏は灰の雨のなかを、熔岩の波にもまれていた。ごうごうと唸《うな》る炎が筏を包んだ。巨大な送風機から送られたような突風が、地下の火をあおりたてていた。最後に、ハンスの顔が、猛火の照りかえしのなかに、浮かんで見えた。あとはもう、大砲の口に縛《しば》りつけられた死刑囚が、まさに発射されて、手足が空中に飛び散ろうという瞬間に感じる、いやな気持ちの恐怖感だけだった。
四四
目をあけたとき、ぼくは案内人のたくましい手でバンドをしっかりと掴まえられているのがわかった。彼はもう一方の手で、叔父をつかまえていた。ぼくはひどい怪我はしていなかったが、それより体全体がくたくたに疲れていた。見ると、ぼくは山の斜面に横になっていて、二歩と離れぬわきには深い谷があり、ちょっとでも動いたらまっさかさまに落ちてしまうところだった。ぼくが火口の山腹を転がっているところを、ハンスが死から救いだしてくれたのだ。
「ここはどこだ?」と叔父が言った。叔父は地上に戻ってきてしまったことで、ひどく腹をたてているように見えた。
猟師は肩をすくめて、知らないという身ぶりをした。
「アイスランドでしょう」とぼくが言った。
「ネイ」とハンスが答えた。
「なんだ、そうじゃないって!」と教授は大きな声をだした。
「ハンスが間違っているんだ」ぼくは起きあがりながら言った。
この旅行では数えきれないほど驚くことがあったのに、なんと、まだびっくりすることが残っていたのだ。ぼくは、きわめて緯度の高い北国の不毛の荒地のまんなかで、極地の空の青白い光をあびて、万年雪に覆われた円錐形の山が見えるものと思っていた。ところが、そういう予想とはまったく違って、叔父とアイスランド人とぼくは、太陽の激しい暑さでからからになった山の中腹に横たわって、その光にじりじりと照りつけられていたのだ。
ぼくは自分の目を信じる気になれなかった。しかし、現にぼくの体がひりひりするところをみれば、どうにも疑う余地はなかった。ぼくたちは、なかば裸同然の恰好で火口から出てきていたのだ。そして、二か月このかた、ぼくたちがなに一つ求めないできた輝く太陽が、光と熱を惜しみなくまき散らして、溢《あふ》れるほどに燦々《さんさん》とぼくたちに降りそそいでいた。
長いこと忘れていたこの輝きに目がなれてくると、ぼくは自分の想像の誤りを訂正しようとして、目を四方に向けた。せめて、スピッツベルゲンぐらいにいることと思っていた。そうやすやすと意見を変える気にはなれなかった。
教授がさきに口を開いて言った。
「なるほど、これはアイスランドとは似ていないな」
「ジャン・マイヤン島では?」とぼくが言った。
「それでもないな。こりゃあ、花崗岩の丘に雪の帽子をかむった北国の火山とはちがうぞ」
「だって……」
「見ろよ、アクセル、よく見るんだ」
ぼくたちの頭上、せいぜい一五〇メートルばかりのところに、火山の噴火口があいていた。そこから一五分ぐらいおきに、ものすごい轟音《ごうおん》とともに、軽石や熔岩のまじった高い火柱が吹きあげていた。ぼくは、鯨《くじら》が潮を吹くように、その巨大な鼻の穴からときどき火と空気を吹きあげては息づく、山の身ぶるいを感じた。下のほう、かなり急な斜面には、噴出物が二〇〇から二五〇メートルぐらい下にまでいっぱいに広がっていた。この火口丘の高さは全部で六〇〇メートルは越えないようだ。裾野《すその》は花壇さながらにぐるりをかこむ緑の木々のなかに没していたが、そこにはオリーヴや|いちじく《ヽヽヽヽ》や、赤い房をつけた葡萄《ぶどう》の木などが見わけられた。
どうしたってこれは北極地方の景色じゃない。それはたしかに認めざるをえなかった。
この緑の裾野を越えて目をやると、たちまち、海か湖か、はっとするほど美しい水面が目路はるかに広がっていて、それでこの夢のような土地がたかだか数キロの広さの島だということがわかった。日ののぼるほうには、少しばかりの人家を手前に置いて、小さな港が見え、港には変わった形をした船が紺碧《こんぺき》の波にゆらゆら揺れていた。その向こうには、いくつもの小島が水面に浮かんでいるが、あまりたくさんあるので、蟻《あり》がうようよ這《は》っているみたいだ。日の沈むほうは、遠く海岸が、弧を描いて水平線をかぎっていて、あるところは形のよい青い山々がくっきりと連なり、またあちらのもっと遠くには、ひときわ高い峰が見え、その頂に煙が羽飾りのように揺れていた。北には、果てしなく広がる水面が、太陽の光をあびてきらきらと輝き、ところどころに、マストの先や、風をはらんだ帆が見える。
こんな景色にぶつかろうとは思ってもいなかったので、そのえもいえぬ美しさはことさらだった。
「ここはどこかしら? どこかしらね?」とぼくは小さな声で繰り返した。
ハンスはどうでもいいような顔で、目をつぶっている。叔父はじっと眺めているが、わからないようだ。
「この山がどこの山か知らんが」やっと彼は口をきった。「少し暑いな。爆発はやんでないし、せっかく噴火口から出たのに、岩のかたまりでも頭にぶっつけられてはかなわんだろう。おりよう。そうすりゃあ、どうしたらいいかわかるさ。ともかく、腹がへって、喉《のど》が乾いて、わしは死にそうだよ」
まったくの話、教授は景色に見とれるようなたちの人ではなかった。ぼくのほうは、空腹も疲労も忘れて、何時間でもここにいたいくらいだった。しかし、仲間についてゆかないわけにはいかない。
火山の斜面は、非常に急な傾斜だった。ぼくたちは、火の蛇のようにのびる熔岩の流れを避けながら、文字どおりどろどろの灰のなかを滑りおりた。おりながら、ぼくはたてつづけにしゃべった。頭のなかに思い浮かぶことがいっぱいで、言葉にして出さなければいられなかったのだ。
「ここはアジアですよ」とぼくは叫んだ。「インドの海岸か、マライの島か、大洋州のまんなかですよ! ぼくたちは地球の半分を横ぎって、ヨーロッパの反対側に来てしまったんです」
「しかし、コンパスはどうだ?」と叔父は言った。
「そうだ! コンパスだ!」そう言って、ぼくは困った顔になった。「コンパスを信ずるとすれば、ぼくたちはいつも北に向かっていたんでしたね」
「じゃあ、コンパスがうそをついてたのか?」
「そう、うそをついてたんです!」
「ここが北極じゃない以上はな」
「北極なんて、とんでもない、でも……」
なんとも説明のつかない事実だった。ぼくはどう考えていいかわからなかった。
そう言っているあいだにも、ぼくたちは見るも心地よいあの緑の森に近づきつつあった。空腹がつらく、喉の乾きもつらかった。幸いなことに、二時間も歩いたとき、きれいな平原が目のまえに開けて、そこ一面に、オリーヴや、|ざくろ《ヽヽヽ》や、葡萄の木が生えていた。それは天下万民のもののように見えた。もっとも、ぼくたちの腹のすきぐあいでは、そんなけちなことにはかまっていられなかった。おいしい果物を唇《くちびる》に押しつけ、赤い葡萄の房にかぶりつくのは、実に嬉しかった! その近くの気持ちのいい木陰の草むらに、ぼくが清水のわく泉を見つけた。ぼくたちは快感にぞくぞくしながら、そこに顔や手をひたした。
三人がこうして、それぞれに休息の喜びにひたっていたとき、オリーヴの茂みのあいだに、子供が一人現れた。
「おや!」とぼくは声をあげた。「この幸福の国に人がいる!」
それは貧乏人の子らしく、ひどくみすぼらしいなりをして、体もかなり貧弱な子供だったが、ぼくたちを見てたいへんこわがっているようだった。実際、ぼくたちときたら、半分裸で、鬚《ひげ》はのびほうだいだったし、ひどい人相だった。この国が泥棒の国ででもないかぎり、ここの人たちにこわがられて当然の恰好だったのだ。
子供が逃げだそうとしたとき、ハンスが追いかけて、わめいたり足で蹴《け》とばすのもかまわず、ひっぱってきた。
叔父はまず、できるだけ子供を安心させるようにして、それからきちんとしたドイツ語できいた。
「ぼうや、あの山の名はなんというのかね?」
子供は答えなかった。
「そうか」と叔父は言った。「ここはドイツじゃないんだな」
そして、同じ質問を英語できいた。
やっぱり子供は返事をしない。ぼくはひどく興味をそそられた。
「この子は唖《おし》かい?」と教授はどなったが、いろいろな国の言葉をしゃべれるのが自慢の教授は、こんどは同じ質問をフランス語できいた。
相変わらず子供は黙っている。
「それじゃあ、イタリア語でやってみよう」と叔父は言って、イタリア語でこう言った。
「|ドヴェ・ノイ・シアモ?(ここはどこか?)」
「そうだよ、ここはどこなんだい?」いらいらして、ぼくも言った。
子供はうんともすんとも言わない。
「おいこら! しゃべらんか?」叔父は怒りにとりつかれ始め、子供の耳をひっぱってどなった。「|コメ・シ・ノマ・クエスタ・イソラ?(この島の名はなんというか?)」
「ストロンボリ」とその羊飼いの少年は答えると、ハンスの手をするっとぬけだし、オリーヴの林を横切って野原に逃げていった。
そうとは考えもしなかった! ストロンボリか! この思いがけない名前は、ぼくの想像力になんという効果をもたらしたことだろう! ぼくたちは地中海のまんなかにいるのだ。神話に満ちたアイオレイス群島のまんなか、アイオロスが風と嵐《あらし》を鎖《くさり》につないだというあのいにしえのストロンギュレ島にいるのだ。そして、あの東に弧を描く青い山々は、カラブリアの山脈だ! 南の水平線に聳《そび》え立つあの火山は、エトナ、あのあばれもののエトナ火山そのものなのだ!
「ストロンボリ! ストロンボリ!」とぼくは繰り返した。
叔父も身ぶりと声とで、ぼくに合わせた。ぼくたちはまるで合唱でもしているみたいだった!
ああ、なんという旅だ! なんという驚くべき旅だ! ぼくたちは火山から入って、別の火山から出た。そしてこの別の火山たるや、スネッフェルスから、地の果てに投げだされたあの不毛の国アイスランドから、四八〇〇キロ以上も離れたところにあるとは! この探検旅行のさまざまな偶然に運ばれて、ぼくたちは地上のもっとも美しい国のただなかに来たのだ。永遠の雪の国を捨てて、無限の緑の国に来たのだ。凍てついた地の灰色の霧を頭上に残して、シチリアの紺碧《こんぺき》の空の下に帰ったのだ!
果物と清水のすばらしい食事をすませて、ぼくたちはストロンボリの港をめざして、また歩きだした。ぼくたちがどうやってこの島に来たかを話すのは、賢明なこととは思われなかった。イタリア人は迷信深いから、ぼくたちを地獄の底から吐きだされた悪魔とでも思いかねなかった。だから、難破した哀れな男たちということにするよりしかたがない。あまり体裁がよくはなかったが、このほうが安全だった。
歩きながら、叔父がぶつぶつ言っているのが耳に入った。
「しかしな、コンパスのやつめ! コンパスは北をさしていたんだ! このことをどう説明するんだ?」
「なあんだ!」とぼくはえらそうに見くだして言った。「そんなこと説明する必要はありませんよ。そのほうが簡単じゃないですか」
「ばかを言え! ヨハネウム学院の教授ともあろうものが、宇宙現象の理由がわからんなんて、恥というものだ!」
なかば裸で、腰のまわりに皮の財布を巻きつけている叔父は、こんなふうに言いながら、眼鏡を鼻の上に押しあげると、ふたたびあのおそるべき鉱物学教授に戻ったのである。
オリーヴの林を出てから一時間後に、ぼくたちはサン・ヴィチェンゾの港についた。そこでハンスは一三週目の給金を請求し、熱情のこもった握手とともにそれは支払われた。
この瞬間、彼は、ぼくたちならごく当たりまえに表すような感動を示したわけではないが、少なくともめったに見せない感情の動きをおもてに表した。
ハンスは指の先で、ぼくたち二人の手を軽く握って、にっこり笑ったのである。
四五
どんなことにも驚かないくせのついた人でも、とても信用する気にはなれそうにないこの物語の、結末はこうだ。もっとも、人間の疑い深さに対しては、あらかじめぼくの覚悟はできているが。
ぼくたちは難船にあった男として、ストロンボリの漁師たちから親切にもてなされた。彼らは着るものと食べるものを与えてくれた。四八時間待たされて、八月三一日、小さなはしけでぼくたちはメッシナに運ばれた。そこで数日間休んだので、ぼくたちはすっかり疲労から回復した。
九月四日、金曜日、ぼくたちはフランス帝国汽船会社の郵船ヴォルテュルヌ号に乗りこんだ。そして、三日後、マルセーユに上陸した。ただあのいまいましいコンパスのことだけがまだ胸にひっかかっていた。とにかくこの説明のつかない事実には、ぼくはいいかげんくよくよしていたのである。九月九日の夕方、ぼくたちはハンブルクについた。
マルタがどんなに驚いたか、グラウベンがどんなに喜んだか、それを書くことはとてもできない。
「あなたはもう立派な英雄ですわ」とぼくのいとしいフィアンセは言った。「アクセル、あなたはもうわたしを置いてゆく必要もなくなったのね!」
ぼくは彼女をまじまじと見た。彼女はほほえみながら泣いていた。
リーデンブロック教授の帰還が、ハンブルクにセンセーションをまき起こしたかどうかは、御想像にまかせよう。マルタが口をすべらしたおかげで、教授が地球の中心に向けて出発したというニュースは、全世界に広まっていた。人々はそんなことは信じようとしなかった。教授が帰ってきたのを見て、なおさら信じなかった。
しかし、ハンスというものがいたこと、そしてアイスランドからいろいろと情報が入ってきたことから、世間の考えも少しずつ変わった。
そうなると、叔父は偉人ということになった。そして、ぼくは、偉人の甥《おい》というわけだ。これだけでもうたいしたものだ。ハンブルク市はぼくたちを讃える祝賀会を開いてくれた。ヨハネウム学院では公開講演会が行われた。教授はそこで探検旅行の話をしたのだが、例のコンパスに関することだけははぶいて話した。同じ日、彼は市の古文書館にサクヌッセンムの資料を寄贈するとともに、自分の意志ではどうにもできなかった状況から、このアイスランドの旅行家のあとを、地球の中心までたどれなかったことに、心からの遺憾《いかん》の意を表明した。彼は名誉をえても謙虚であった。そのため彼の名声はいよいよ高くなった。
これほど名声が高くなれば、かならず彼をそねむものが出てくるにきまっていた。事実そういう連中が出てきた。しかも、彼の学説は、いくつかの確実な事実に基づいてはいたが、地球の中心の燃焼問題についての科学上の諸学説とは対立するものであったから、彼はペンと言葉でもって、あらゆる国々の学者と、はでな論争を行ったのである。
ぼくとしては、彼の地球冷却説を認めることはできない。ぼくが見た事実にもかかわらず、ぼくは中心燃焼説をいまも信じているし、今後も信じつづけるだろう。だが、まだはっきりと決められない若干の状況によっては、この法則が自然現象の作用下で修正されることがありうることは、ぼくも認める。
これらの問題がやかましかったちょうどそのころ、叔父は一つほんとうに悲しい思いをした。ハンスが叔父のひきとめるのもきかずに、ハンブルクを去ってしまったのだ。ぼくたちがすっかり世話になったこの男は、ぼくたちにその埋め合わせをさせてくれなかった。彼はアイスランドが恋いしくてたまらなくなったのである。
「ファルヴァル」とある日、彼は言った。そして、この簡単な別れの言葉を残して、彼はレイキャヴィクに帰ってゆき、つつがなく、帰りついた。
この実直な毛綿鴨の猟師に、ぼくたちは独特の愛着を感じていた。彼がいなくなっても、命を助けてもらったぼくたちは、決して彼のことを忘れないだろう。そして、ぼくは死ぬまでに、かならずもう一度彼に会うつもりだ。
最後に当たって、つけ加えておかなければならないが、この『地底旅行』は世界中に一大センセーションをまき起こした。これはあらゆる言葉に翻訳《ほんやく》され、印刷された。もっとも信用のある新聞が、奪いあってその主要な挿話を掲載し、これを信じる者、信じない者、両陣営がひとしく確信をもって、注釈し、論議し、攻撃し、支持した。実に珍しいことだが、叔父は、生きているうちに、あらゆる名誉を獲得し、それを享受したのである。あのバーナム氏までが、非常に高額の報酬で、合衆国内において『教授を展示したい』と申しこんでくるしまつだった。
だが、こうした栄光のなかに、一つ困ったこと、というより悩みといったほうがいいかもしれないが、一つの悩みがしのびこんでいた。あること、つまりコンパスのことが、説明のつかないままになっていたのだ。そもそも、学者にとって、こんな説明のつかない現象があるというのは、知性への拷問《ごうもん》にひとしい。そうだ、天は叔父が、完全に幸福になることを留保していたのだ!
ある日、ぼくは、叔父の書斎で鉱物の標本を整理しているとき、あの問題のコンパスを見つけた。ぼくはそれをしげしげと見た。
六か月まえから、このコンパスは、自分が悩みの種となっていることも知らずに、この片すみに、そうしていたのだ。
突然、ぼくはなんてびっくりしたことだろう! あっと叫んでしまった。教授がかけつけてきた。
「なんだ、いったい?」と彼はたずねた。
「このコンパスが……」
「どうしたというのだ?」
「でも、針が南をさしているんです。北じゃありません!」
「なんだって?」
「ごらんなさい! 極が変わっているんです」
「極が変わったって!」
叔父はじっと見つめ、あれこれと眺めまわしていたが、壮烈に飛びあがって、家じゅうを震動させた。
叔父とぼくの頭に、同時に光が閃《ひらめ》いた!
「そうか、じゃあ」と、やっと口がきけるようになって、叔父は大きな声で言った。「サクヌッセンム岬についたときから、この糞《くそ》いまいましいコンパスめ、針が北をささずに、南をさしていたんだな?」
「そうなんですよ」
「それでわしたちの間違いの説明がつく。しかし、こんなに極がひっくりかえるなんて、どういう現象のせいかな?」
「ごく簡単なことですよ」
「説明してくれ、おまえ」
「リーデンブロック海で嵐にあったとき、火の玉が筏の上の鉄に磁気を帯びさせたでしょう。あの火の玉がこのコンパスを狂わしたんです。それだけのことですよ!」
「ああ!」と教授は叫んで、げらげら笑いだした。「なんだ、電気のしわざだったんだな?」
この日から、叔父は学者のなかで一番幸せな学者となった。そして、ぼくは男のなかで一番幸せな男となった。というのは、ぼくのすてきなフィルラント娘が、後見人つきの孤児という身分からぬけだして、ケーニッヒシュトラーセのこの家での、姪《めい》であり、かつ妻であるという二重の資格をもった家族になったからだ。その叔父というのが、世界五大陸のすべての地理学会、鉱物学会の通信会員にして、かの高名なるオットー・リーデンブロック教授その人であったことは、つけ加えるにもおよぶまい。(完)
解説
ジュール・ヴェルヌの名はわが国のフランス文学翻訳史の第一ページを飾っている。明治十一年に、これはのちに横浜正金銀行の重役になった人だそうだが、川島忠之助という人が訳した『新説八十日間世界一周』がそれである。それから明治二十九年に森田思軒訳の『十五少年』が出るまで、ヴェルヌの小説は三十種ぐらい刊本がある。なかには同じもので何度も出ているのがあるから、作品の種類は十五くらいだが、時代を考えてみれば、ちょっと驚くほどの数である。当時世界中で人気のあったヴェルヌの冒険科学小説は、それほど時をおかずに、次々と紹介されているようだ。ところが、思軒の『十五少年』が大当たりをとってから以後は長いこと、ヴェルヌといえば、わが国ではまず『十五少年』で、あとは『海底二万里』と『八十日間世界一周』ぐらい、ほかの作品はあまり読まれなかった。一方、わが高名なる『十五少年』は、本家のほうでは、ヴェルヌとしてはそういう本もあったなという程度のものなのである。
こうしたヴェルヌ像の彼我の奇妙な相異は、勤倹力行して立身出世をめざすことが世上の美徳と疑いなく信じられた、近代日本発展史上の、明るくも、またやや寒々しくもある一現象として説明がつくだろう。事実、明治の少年たちをもっとも鼓舞した本は、一に『西国立志篇』(自助論)であり、二に『十五少年』であったという。
〔冒険科学小説の祖〕
ジュール・ヴェルヌ(一八二八〜一九〇五)は、十九世紀の後半まる半世紀にわたるその文筆生活の間に、約十五の芝居やオペレッタの台本、ついで約八十の小説、それに多くの啓蒙的な科学読物を書いた。
彼が故郷ナントからパリに出てきたとき、パリの劇界に君臨していたのは「パリの王様」アレクサンドル・デュマ(父)だった。野心に満ちた青年はデュマの栄光をわが身に夢みたにちがいない。彼の処女作は『麦わらの賭』(一八五〇)という芝居なのである。この芝居はデュマの知遇によって上演もされたし、評判もまあまあだったが、現代生活との関連がないとの批評を受けた。
それから約十年、ヴェルヌはいくつかの戯曲や小説を書いたが、鳴かず飛ばずだった。しかし彼は好奇心と研究心の旺盛な不屈の努力家で、常に図書館に通って知識の吸収に努めていたという。おそらく、そうしながら、彼の胸のうちでは、「現代生活と結びついた文学」があれこれと工夫されていたのだろう。
当時ヨーロッパでは、産業革命に続いて、自然科学の発達がめざましく、ファラデー、ダーウィン、パストゥール等々の大学者が輩出し、種々の発明、発見によって、人々の生活に大きな可能性の展望が開けつつあった。
また、人類の探求のエネルギーは新天地の探検にも向けられ、いわば第二の「大航海時代」が始まっていた。ことに暗黒大陸南アフリカをはじめて横断して、ヴィクトリア瀑布《ばくふ》を発見した宣教師リヴィングストンの壮挙によって、アフリカ熱、冒険熱がひときわ高まったのである。
ちょうどこのころ、一八六〇年、ヴェルヌは、空中からの地形写真を撮ることに熱中し、「巨人号」という気球を建造中であった写真家のナダールと知った。その気球を眺めたとき、ヴェルヌのうちで閃《ひらめ》くものがあったにちがいない。一八六二年、彼は『気球の旅五週間』という小説を書きあげたのである。
それは、気球という最新科学の発明による空からのアフリカ探検旅行であり、しかも気球の名は「ヴィクトリア号」、宣教師救出の挿話まである。この小説は一八六三年の出版界最大の成功を収め、冒険科学小説《ヽヽヽヽヽヽ》の創始者として、ヴェルヌを一躍世界的な流行作家にのしあげた。
〔先見性〕
それから約二十年、一八八六年、甥《おい》からピストルで狙撃《そげき》されるという不幸なそして不可解な事件が起こる日まで、ヴェルヌの生活は、創作と外洋ヨットを駆っての旅行に明け暮れる華やかな成功者のそれであった。出版者エッツェルと交した契約を忠実に守って、年平均二冊の小説を書き、その大半が出版と同時に各国語に翻訳されて当たりをとるという順風満帆の生活だ。かつて夢みた、今は亡きデュマの栄光が、おのれのものとなった。「私の生活は満ち足りている。どこにも不安はない。ほとんど望むとおりだ」とそのころヴェルヌは書いている。
しかし、ヴェルヌは実に研究熱心な勉強家であったのだ。そして同時に、想像力をこれまた実に律義に細部まで懸命に振った人であったのだ。ここ一世紀の科学の進歩のうちに次々と実現された、あるいはまだ実現されない多くの人間の夢が、ヴェルヌの作品のなかで正確な予見によって先取りされて、われわれを感心させる。飛行船、ヘリコプター、ロケット、潜水艦、蓄音機、映画、テレヴィジョン、空陸水上水中走行車、人造人間、宇宙旅行、地底探検など、彼の知識と想像力による縦横な先見は、まさにSFの祖として彼を遇するに足るものだが、これは彼の鋭い才能というより、彼の勤勉努力の才能によるものだ。
人間のなかには、現実を超えたものへのやみがたい夢がある。あるいは非現実界の魅惑からの吸引に誘われる心がある。ヴェルヌにはそのような夢や誘惑を的確に捉える才能があった。そして、人間がこれまでに到達しえた知識を最大限に集めて、その可能な延長線上に、夢を結ばせようと、精一杯の努力を照れることなくなしえたところに、ヴェルヌの成功があったのである。彼の見事な先見性は、そのような律義な勤勉によってのみ支えられていたと言っていいだろう。
〔『地底旅行』について〕
ヴェルヌの小説はほとんどすべて、「旅」を軸《じく》として展開していると言っていい。ヴェルヌは人間を描ける人でも、描く人でもない。物語を描くのである。面白い物語に読者が期待する新奇なもの、意外なものを、次々と無理なく繰り出すには「旅」は最適の形式である。ヴェルヌは、その手中に集めた該博《がいはく》な知識を、彼の『驚異の旅』のあちこちにばらまくことによって、空想の旅に現実感を与えるすべを心得ていた。そして、当時としてはまったくの空想でしかなかった、空中、宇宙、海中、地中の旅行を、彼は敢然として彼の主人公たちに行わせたわけだが、そのうち現代になってもいまだに実現できないでいるのが、この『地底旅行』である。今後とも行われることはありそうにない。地に潜ることが不可能そうだからというのではない。潜っても面白いことはなさそうだからだ。ただの暗黒の世界、それだけ。
そのおよそ興味をひくもののなさそうな地下世界の旅行を、いかに興趣と変化に富んだものにするか、そこにヴェルヌの振いたかった腕があったのだろう。前年、『気球の旅五週間』で華々しいデヴューをしたヴェルヌのこれが第二作とあれば、なおのことである。その世間の期待に応えるべく、彼はSF作家としての最善をつくしたと言ってよい。ことに、後半の地底の大海から以後は、想像力と科学的知識を総動員して、天外(?)の奇想を荒唐無稽に堕す一歩手前で守って、読者の夢を鼓舞するのである。もちろん誰一人として信ずるわけはないが、それでもおしまいまで読んで、ストロンボリ火口から噴き上げられたリーデンブロック教授とともに、シチリアの眩《まぶ》しい空を仰いでほっとすれば、『驚異の旅』は首尾よく実現されたわけだ。
なお、この小説は、明治十四年に、織田信義という人が『地中紀行』と題して翻訳したが、公刊にいたらなかったらしく、明治十八年、三木愛花、高須治助共訳の『拍案驚奇地底旅行』(九春社)が、わが国での最初の刊本のようである。
代表作品解題
ヴェルヌの作品は、出版者エッツェルによって『驚異の旅』叢書と名づけられたように、多く物語が主人公たちに旅をうながし、その旅につれて物語が展開する。そこで、ここでは主として、「旅」を軸とする波瀾に富んだ小説を選んで、若干紹介しよう。
『グラント船長の子供たち』(一八六七年)
一八六四年七月二六日、新造船ダンカン号を試運転中の船主グレナヴァン卿は、鮫《さめ》の腹中から、遭難救助を求める文書の入った壜《びん》を発見した。それは、二年前に南緯三七度線上のどこかの大陸付近で遭難した、ブリタニア号の船長グラントが投じたものであった。知らせを聞いて駆けつけたグラントの二人の子供を乗せて、ダンカン号は捜索の旅へと出発する。
南緯三七度といっても、経度の数字は欠落してわからないのである。かくて、ダンカン号の人々は南緯三七度線に沿って、南米パタゴニアから、南アフリカ、インド洋、オーストラリアと経めぐり、数々の危険困難を克服して、ついにニュージーランド東方の無人島タボル島で遭難者を発見する。五か月の冒険旅行であった。
この小説は『驚異の旅』叢書の五作目で、それまで気球旅行、地底旅行、月世界旅行と、主として科学的空想の旅を繰り広げてきたヴェルヌが、地球上の僻地《へきち》と海と悪人を相手の冒険を描いた初期の作品である。彼はここに出てくる土地や海に行ったことはないのだが、例によって、読書による丹念な調査と想像力で、いかにも|写実的な《ヽヽヽヽ》画面を堂々と展開して、読者に未知と冒険に満ちた世界の魅惑を提示し、それとともに危険に挑む人間の勇気の爽《さわや》かさを語るのである。
明治二十二年一月から三月にかけて、郵便報知新聞に西滸生訳として、『探征隊』の名で、この小説の三分の一ほどが連載された。訳者は森田思軒の門下格の原抱一庵であるらしいという。不完全ながら、これが本邦の初訳である。完訳は大久保和郎氏のものがある。
『八十日間世界一周』(一八七三年)
一八七二年一〇月二日の晩、ロンドンの改革クラブで友人たちとホイストをしていたフィリアス・フォッグは、八十日間で世界を一周できると断言し、二万ポンドの金を賭けることになった。そのころスエズ運河が開通し、インド横断鉄道が開通し、世界は狭くなったのである。
その夜、八時四十五分ロンドン発の汽車で、フォッグは、フランス人の従僕パスパルトゥーをつれて出発する。この早回り旅行は、フォッグをイングランド銀行盗難事件の犯人とにらんだ探偵フィックスにつきまとわれながら、次から次へと彼の足を遅れさせるさまざまの障碍《しょうがい》を切り抜け、エジプトから、インド、香港、日本、アメリカと大特急で走り過ぎ、八十日目の夜、ロンドンに帰り着いた。だがそれは八時五十分。八十日を五分過ぎていた。
フォッグは破産した、と思った。ところが東回りの世界一周のため、実は二十四時間の得《とく》をしていたのだ。翌日の夜になって、それに気づいたフォッグが大急ぎで改革クラブに飛びこんだ時、ちょうど八時四十五分を時計がさした。
『八十日間世界一周』は数あるヴェルヌの小説のなかでも、最も成功した部類のものだ。時間と競走しつつ世界を回る、そのスリルと、さまざまな風物と事件の展開、そこに織りこまれる局面打開の機略とユーモア、それは時好にも投じた実にうまい趣向だったが、のちに映画になると、これは数々のパロディを生んだ物語展開の古典的な筋立ともなった。
わが国では、明治十一年(一八七八年)に出た、川島忠之助による『新説八十日間世界一周』(丸屋善七刊)が初訳である。
『十五歳の船長』(一八七八年)
一八七三年二月、帆船ピルグリム号は船主ウェルドン氏の夫人とその子らを乗せてオークランドからアメリカへ向けて出帆した。船上には船長ハルのほか、見習水夫ディック・サンド、なにやら胡散《うさん》くさい料理人ネゴロ、そして途中難破船から救出した数人の黒人と、なぜかネゴロに激しい敵意を見せる犬のディンゴらがいた。
順調な航海も束の間、大鯨を捕ろうとして船長以下船員がすべて海の藻屑《もくず》となり、船と乗客の安全を守る全責任は、十五歳の水夫サンドの肩にかかった。少年船長は黒人たちの協力を得て船を東に進めた。そうすれば、アメリカ大陸のどこかに着くはずだ。
ところが、普通では考えられない日数を要してやっと到達した陸地は、意外や意外アフリカのアンゴラだった。ひそかにネゴロが羅針盤を狂わした結果である。
ネゴロは、かつてディンゴの主人を殺した奴隷商人で、古巣のアフリカに戻って、ウェルドン氏から夫人の身代金を取ろうと企らんだのであった。
かくて未知の暗黒大陸を、奸悪な奴隷商人たち、蛮人、猛獣、瘴癘《しょうれい》の風土に取り巻かれて、絶望的な状況のなかを一行は行く。
十五歳の船長サンドの責任感と勇気と智慧と、超人的な黒人エルキュールの力によって、苦難の果て、悪は滅び、大団円となる。
この小説は、孤立無援の窮境に置かれた人間が自分の智慧と力だけで難局を切り開くという、ヴェルヌ得意の主題で、『十五少年漂流記』(原題『二年間の休暇』)とともに、ことに少年たちに独立敢為の気性を涵養したいと願う彼の心がこめられている。邦訳はまだない、と思う。
『マーチャーシュ・サンドルフ』(一八八五年)
トランシルバニアのアルテナクの城主サンドルフ伯爵は、同志バートリ教授、ザトマール伯爵らとともに、オーストリアの圧政に苦しむハンガリーの独立を企てるが、奸智にたけた悪漢サルカニーと強欲な銀行家トロンタルにかぎつけられ、その策謀によって、捕えられ、死刑を宣告される。
伯爵ら三人は処刑の前夜、嵐をついて決死的にパジンの要塞から脱獄を計る。地下を流れるフォイバ川の激流に身を投じて、脱獄は成功したかに見えたが、追求の手はきびしく、二人は次々と捕えられ、サンドルフ伯爵も銃弾を浴びてアドリア海の波間に消えた。
それから十五年後、莫大な富をもつ謎の名医アンテキルト博士が地中海沿岸にヨットを駆って神出鬼没、かつての独立運動の闘士たちの遺族を援助糾合し、サルカニー、トロンタルの旧悪を暴いて、追いつめる。
アンテキルト博士こそ奇跡的に脱出したサンドルフ伯爵の復讐の姿だった。
この小説は『ミシェル・ストロゴフ』と並んで、ヴェルヌの作中もっとも波瀾万丈の一大活劇だが、これはデュマの『モンテクリスト伯』(『巌窟王』)を下敷にし、その向こうを張って書いたのである。物語作者としてのヴェルヌの力量を存分に見せた快作で、複雑周到な筋立、なかなか魅力のある登場人物たち、地中海沿岸の町々の珍しい情景など、興趣に満ちている。私事で恐縮だが、かつて私はこれを『アドリア海の復讐』(集英社、一九六八年)という題で訳したことがあるが、面白くて訳筆の進みがまだるこしいと思ったものだ。
『征服者ロビュール』(一八八六年)
一八八九年の夏、最後の審判のトランペットのような音を響かせて、大空を飛ぶ不思議な物体が世界中を驚かせた。征服者ロビュールと名のる謎《なぞ》の人物が指揮する空中船『あほうどり号』だった。
空気より重いものが飛ぶはずがないと頑《かたく》なに信ずる気球主義者たちのクラブ、ウェルドン協会の会長プルーデントと事務長エヴァンズは、『あほうどり号』に拉致《らち》され、空中世界一周をすることになる。空気より重い飛行物体の優秀性を身をもって体験させようとのロビュールの企てである。
だが、二人は頑迷な心を解かず、何度かの失敗ののち、ついに逃亡して、気球船『前進号』を完成する。その試験飛行のとき、『あほうどり号』が飛来して、決定的な優劣の差を見せつけ、「科学の進歩も早すぎては受け入れられないようだ。人類がもっと賢くなるときまで、諸君さようなら」と演説して去る。
ライト兄弟の飛行機が飛んだのは一九〇三年のことである。それより十数年前にすでにヴェルヌは飛行機に軍配をあげていたのだ。科学の未来を洞察するヴェルヌの先見性を見事に示した一例である。ヴェルヌは学者ではない。通俗啓蒙家にすぎないが、それでも学問知識の発展の情況をつぶさにたどって、将来なにが可能かを正確に見抜くことができたし、さらにその可能性のなかに人間にとって危険なものが含まれうることさえ予知している。それは旺盛な知識欲と克明な努力によって獲得された健全な常識なのであって、これこそヴェルヌの最大の美質であろう。
この小説は手塚伸一氏の訳が一九六七年に集英社から出ている。
あとがき
本書は Jules Verne: Voyage au centre de la terre. 1966. (Hachette, Le Livre de Poche) の全訳である。明治十八年以来、数多くの邦訳がある。多くは抄訳だが、近年は川村克己氏のものなど完訳も出ている。(川村氏の訳は参考にさせていただき、いろいろと教えられた)ヴェルヌに抄訳が多いのはそれなりに理由があるのだが、この本の場合は、到底ありえない空想の世界をいかにして現実的に構築するか、そのヴェルヌの工夫の跡にこそ意味も面白さもあるので、多少煩雑なところもあるが、逐一翻訳した。
解説でも触れておいたが、どう考えても、泥と岩ぐらいしかなさそうな地下の世界を、まったくの幻想物語としてでなく、科学的空想小説として、読者を飽かせぬ相当の長編に仕立てるのは容易ではあるまい。この小説には、ジェームス・メイスンがリーデンブロック教授に扮した映画もあって、御覧になった方も多かろうが、映画は子供だましで、普通SFものは映像トリックの方が有利なのだが、この場合ははっきりと小説に軍配があがる。SF作家としてのヴェルヌの貫録を示すものと言ってよかろう。
ヴェルヌの人と作品についての解説は、先にこの文庫に収めた拙訳『十五少年漂流記』でやや詳しく書いたので、本書では簡略にとどめた。
最後に、ヴェルヌに関する種々の情報の収集に協力してくださった、阿津坂林太郎氏、安田貴子嬢、その他の方々、ならびにいろいろとお世話になった旺文社の皆さんの御厚意に感謝を申し上げる。
一九七六年八月 訳者
〔訳者紹介〕
金子博《かねこ・ひろし》
横浜市立大学教授。一九二八年(昭和三)東京生まれ。東大仏文科卒。ボードレールを中心にフランスのロマン主義から象微主義にいたる文学を専攻。訳書『我が友の書』(アナトール・フランス)『偽りの春』(フランソワーズ・マレ)『幸福の谷間』(ジュール・ロワ)『作家とその影――文学の美学序説』(共訳、ガエタン・ピコン)ほか。
◆地底旅行
ジュール・ヴェルヌ/金子博 訳
二〇〇三年七月二十五日 Ver1