十五少年漂流記
ジュール・ヴェルヌ/波多野完治訳
目 次
十五少年漂流記
解説(波多野完治)
改版あとがき
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十五少年漂流記
第一章
[#この行4字下げ]大嵐《おおあらし》――難破船――マストが折れた――遠く霧《きり》にかすんで陸が――暗礁《あんしょう》
一八六〇年三月九日の夜。
低くたれこめた雲が、海の上に重くおおいかぶさっていた。数メートル先は、なに一つ見えないやみである。吹《ふ》き荒《あ》れる風に、波は、白いしぶきをあげて、大きく巻き返している。
この嵐の中を、帆《ほ》を半分張った一|隻《せき》の船が、飛ぶように走って行くのが、時々きらめく、青白い稲妻《いなずま》の光に、はっきりと浮《う》かび上がった。
船は百トンほどの、アメリカやイギリスでは、スクーナーと呼ぶ帆船《はんせん》の一種である。
この船の名をスルギ号という。だが、船の名を捜《さが》してもどこにも見当たらない。船尾《せんび》に打ち付けてあった名板《ないた》は、とっくになくなってしまったのだ。
波がもっていったのか、それとも、なにかほかの事件でもあったのか。
時刻はちょうど、夜の十一時。
いま、この船の走っている緯度《いど》のあたりでは、三月の夜は長くないはずだ。だが、夜が明ければ、スルギ号の危険はいくらかでも減るというのか。
スルギ号は、きゃしゃで形も小さい。果たして、朝の来るまでその姿を海上に浮かべていることができるかどうか危《あや》ぶまれる。
だが、いま嵐が止《や》みさえしたら、船は悲しい運命から救われるのだ。
スルギ号の甲板《かんぱん》には、四人の少年の姿があった。十四|歳《さい》が一人、十三歳が二人、あとの一人は十二歳になる黒人の少年である。
少年たちは、いま、全力を出して、舵輪《だりん》を握《にぎ》り、船を正しい進路に向けるために戦っているのだ。だが、舵輪は、少年たちのか弱い力では、いくら押《お》さえつけても、元にもどってしまう。
船尾のあたりに、大きな、山のような波がぶつかり、どっと甲板に向かって押し上がってきた。舵輪が手から放れ、少年たちのからだが甲板にたたきつけられた。だが、すぐにみんなは起き上がって、舵輪に飛びついた。その中の一人が、よろめきながら叫《さけ》んだ。
「船はだいじょうぶか、ブリアン」
「だいじょうぶだとも、ゴードン」
と、自信のある声で答えたのは、ブリアンと呼ばれた、いちばん先に舵輪にもどった少年であった。彼《かれ》は、他の一人に向かって言った。
「ドノバン、勇気を出そうよ。船室には、小さいお客さんたちが、大勢いるんだからね」
このブリアンの英語には、どこかフランス人らしい訛《なまり》があった。ブリアンは、今度はただ一人の黒人の少年に話しかけた。
「モーコー、怪我《けが》はなかったかい」
「はい、ブリアンさん、だけど、この大嵐では、よっぽどじょうずにやらないと、船はでんぐり返りますよ」
モーコーの黒い顔が、心配そうにブリアンを見返したとき、甲板から下の船室へ通ずるドアがあいて、まだやっと八つか九つくらいの二人の少年が顔を出した。それといっしょに、茶色の毛をした一|匹《ぴき》の犬が、嵐におびえてキャンキャンと吠《ほ》えたてるのだった。少年の一人がべそをかいて言う。
「ブリアン、船はだいじょうぶ?」
「なんでもない、アイバースン、早く、部屋へお帰り」
「だって、部屋にいても、僕《ぼく》、こわいんだもの」
「なにがこわいものか、さあ、早く行きなさい。そして、毛布をかぶって、じっと、目をつぶっているんだ」
その時、また、大きな波が船尾にぶつかるのが見えた。船は大きく揺《ゆ》れた。
「危ない、早く、下へ降りないか」
こらえかねて、いちばん年上のゴードンが、二人の少年をしかりつけた。それでやっと二人の姿が消えたと思うと、また、別な一つの顔が――。今度は、ずっと年上の少年である。
「ブリアン、僕も手伝うよ」
「いいんだ、バクスター」
ブリアンの手は、いよいよ堅《かた》く、舵輪を握りしめる。
「君や、クロッス、ウェッブ、サービス、ウィルコックスの諸君は、小さい人たちの面倒《めんどう》をみてやってくれたまえ、ここは、僕たち四人で引き受ける」
いままででわかったように、いまこの嵐のまっただ中に漂《ただよ》う船に乗《の》り込《こ》んでいるのは、少年たちだけである。そんなことがありうるだろうか。
船長はいないのか? その下で船をあやつる水夫たちは? こんなあらしの時にこそ腕《うで》をふるう舵手《だしゅ》は?
そうだ。大人たちは一人もいないのだ。そればかりではない。この世界でいちばん大きな海――太平洋の真ん中で、自分の船がどこを走っているかさえ正確に知っている者はなかった。
それではどうして、そんなことになったのか。恐《おそ》ろしい事件、海賊《かいぞく》か、人さらいか、それとももっと別なわけがあるのか。
小さいといっても、百トンの船である。少なくとも、船長一人、運転士一人、水夫五、六人は乗り組んでいなくてはならない。ところがこのスルギ号には、船員と名のつくものは、黒人のボーイ一人だけだ。
さらに、この船はどこの港を出たのか、オーストラリアか、それともオセアニア群島か。
出帆はいつ? 行く先は?
いま、スルギ号にすれちがう船があったら、きっとその船長からこんな質問が飛び出したであろう。
太平洋を横断する汽船はたくさんあるし、アメリカやヨーロッパの諸国は、太平洋に何百という商船を送っている。
だが、見渡《みわた》す限りの海上には、一隻の船の姿もなかった。
海はほえ、嵐はますます激《はげ》しくなるばかりだった。船はさっきから、幾度《いくど》転覆《てんぷく》しかけたかしれない。
メーンマストは、二日前に吹き飛ばされてしまっていた。甲板に立っているのは、もはやわずか一メートルあまりのへし折れた一本の柱に過ぎない。新しく帆を張り替《か》えることはできず、少年たちがどんなに頑張《がんば》ったとしても、船を正しい進路に向けることはむずかしいであろう。
だが、フォアマスト(船首の帆柱)は、まだやられてはいなかった。しかし、少年たちの力では、この吹きすさぶ嵐の中で、帆を巻き上げることはできない。マストは、大きく弓のようにしない、今にもメリメリと音を立てて倒《たお》れそうだった。もし、このマストを失ったらすべてはおしまいなのだ。
行く手に目じるしになる明かりの一つでも見えないかと、少年たちは、眼《め》をいっぱいに開いて捜し求めた。しかし、眼に入るものは、真っ暗なやみばかり。
午前一時ごろだった。風のうなりにまざって、何か異様な物音が起こった。その音を聞いて、ドノバンがキッとやみの中を見つめた。
「あっ、船首のマストが折れたんだぞ」
「いや、違《ちが》いますよ。帆がちぎれて飛んだんです」
黒人のモーコーが言った。
「ほう、そうか、だが、こうなれば、いっそ帆をすっかり取ってしまった方がいいかもしれないぞ」
ブリアンは、言いながら、舵輪から手を放した。
「ゴードンとドノバン、君たちは、ここを頼《たの》む、僕はモーコーと行って見てくるから」
黒人のモーコーは、船のボーイだったから、いくらか船の知識があった。フランス生まれのブリアンは、父に連れられて、ヨーロッパからニュージーランドへ渡って来た少年である。その間、大西洋から太平洋まで長い船旅をしている。だが、外の少年たちときたら、船に乗るのは生まれて初めてなのだから、心細いことだが、この船ではブリアンが船長というわけである。
二人の少年は、大きく揺れる甲板を足をすべらせながら走り、やっとのことで、マストの所にたどり着いた。
帆の上方は、ちぎれて風にはためいているが、下の半分は、まだしっかりと帆げたに付いている。それを見ると、ブリアンの考えは変わった。
「この嵐の中で、もし、帆が全くなくなったら、――そうだ、やはり、帆はできるだけ残しておいた方がいい」
そこで、ちぎれた帆を切り取ってしまい、残りの分を甲板から一メートルあまりの所までひき下ろした。さらに、帆げたのすみに綱《つな》を通し、それをしっかりと甲板にくくりつけた。
これで、小さくはなったが、立派な帆ができあがった。この仕事を終えて、ブリアンとモーコーが、舵輪の所にもどった時である。また船室へのドアがあいて、別な顔が現われた。ブリアンの弟でやっと八歳にしかならないジャックだった。ジャックは、あわてきったさまで叫んだ。
「兄さん、大変だっ。部屋に水が入ってきた――」
「よし、すぐ行く」
ブリアンの足は、もう階段にかかっていた。
船室では、つりランプの薄暗《うすぐら》い光の下で、十人ばかりの少年が眼を光らせていた。ソファにもたれているもの、寝台《しんだい》に寝《ね》こんでいるもの、幼い少年たちは、互《たが》いにからだを抱《だ》き合うようにして震《ふる》えている。
「君たち、もう船は危ないところを通り越《こ》したんだ。みんな安心していいんだよ」
ブリアンは、わざと笑顔《えがお》をつくって、少年たちを元気づけた。それから、蝋燭《ろうそく》の光で床《ゆか》を調べにかかった。
ほんのわずかの水であるが、船がゆれるたびに、床の上に筋を引いて走っている。
「はて、この海水はどこから入ってくるのかな」
ブリアンは、船の横腹に穴があいたのだとすると大変だぞと、船内をくまなく見て回った。
しかし、すぐに危険のないことがわかった。甲板に打ち寄せる海水が、階段を伝わって、船室の奥《おく》の荷物置場にしみこんできたのだ。
ブリアンは、ほっとした気持で、幼い少年たちを元気づけ、ふたたび階段を上って甲板へ出た。
もう午前二時に近かった。
空は相変わらずインクを流したように黒い。風も依然《いぜん》としておさまらない。
頭の上を、時々キイキイと悲しい声をあげながら、海つばめが飛んで行った。陸! という考えが頭にひらめいたが、これだけで陸が近いということはできない。海つばめは、陸からはるか隔《へだ》たった海上を飛ぶことも珍《めずら》しくはない。それに、この鳥が、風に向かって飛ぶだけの力がないことを思えば、あるいは風に流されて、飛行を続けているのかもしれないのだ。――ちょうどスルギ号が、ほどこす術《すべ》もなく、風のまにまに海上をさまよっているのと同じように。
それから、一時間ほどたった時だった。突然《とつぜん》、何かすさまじい音が、空中に響《ひび》きわたった。船首のマストの帆の残りが真二つに裂《さ》けたのである。ばらばらにちぎれた帆は、激しい風の中に、かもめの一群れのように舞《ま》い散った。
「ああ、これで、帆はすっかりなくなったんだ」
ドノバンが悲しそうに言った。
「なに、帆なんかなくたって。見たまえ、船は相変わらず猛《もう》スピードで走って行くじゃないか」
ブリアンは、明るく言ったが、船に経験のあるモーコーは、心配そうだった。
「船の走るのは、波が後ろから来るからです。それだけに、わたしたちは、波にさらわれる危険があるんです。からだをしっかり綱で舵輪にくくりつけておかないと」
モーコーの言葉がまだ終わらないうちに、船尾の方に頭を持ち上げたと見えた大波が、「ゴーッ」というたけりとともに、甲板の上に押し寄せてきた。
「あっ」という間もなかった。ブリアン、ドノバン、ゴードンの三人のからだは、船室のドアに、いやというほどたたきつけられていた。が、三人は、とっさにドアの手すりにつかまって、危ういところを助かった。けれど、どうしたのか、モーコーの姿はそこにはなかった。そればかりか、救命ボートが二隻と小型ボート一隻、船にいちばん大事な羅針盤《らしんばん》もなくなっている。いやいや、そればかりではない。波は、船べりまでもぎとっていってしまったのである。しかし、この事は、いまの場合、かえって幸いだったのだ。なぜなら、船べりがはがれなかったら、波は甲板に残り、その重さで船はひとたまりもなく沈没《ちんぼつ》してしまったであろうからだ。
「モーコーはどこへ行った。モーコー、モーコーオ」
ブリアンは、立ち上がると、嵐に向かって声をかぎりに叫んだ。
「波にさらわれてしまったのかもしれない」
ドノバンが言った。すぐに、ゴードンが、甲板の手すりからからだを乗り出した。暗い海上には、人間らしいものは見えなかった。
「どんなことをしても、モーコーを救わなくてはならない――浮袋《うきぶくろ》と綱の用意を頼む」
ブリアンは、力強く言うと、また海に向かって声を張り上げた。
「モーコー、モーコーオ」
すると、どこからか、「助けてくれ! 助けて!」というかすかな声が聞こえてきた。
「ほう、あれは、海からじゃない、船首の方らしいぞ」
ゴードンがきっと眼《め》を向けた。
「よし、僕が行ってみよう」
ブリアンは、荷物置場に通ずる階段のドアの方へ進んだ。
「モーコー、モーコー」
ブリアンは、ここでも声をふりしぼったが、もうさっきの声は聞かれなかった。あの声を最後に、モーコーは、海の中に消えていってしまったのだろうか。もしそうだとすれば、モーコーのからだは、船からはるか隔たったあたりに、流れ去ったであろう。なぜなら、船は波とは比べものにならないほどの速さで海上をすべっているのだから。
だが、なんと幸いだったことか。
その時、モーコーの助けを求める声がもう一度ブリアンの耳に伝わってきたのである。ブリアンは、声を頼《たよ》りに進んだ。
モーコーはいた。錨《いかり》を巻き上げる巻轆轤《まきろくろ》と、船首の柱の間に倒れていたのである。どうしたのか、からだには太い綱が幾重《いくえ》にも巻きついている。
「モーコー、気を落とすんじゃない、いま、すぐらくにしてやる」
ブリアンはポケットからナイフを取り出すと、太い綱をぶつぶつと切った。
モーコーは、さっきの大波にさらわれて、船首のはずれまで押し流された。幸い、そこは幅《はば》が狭《せま》く、その上少し高くなっていたので、やっとのこと波から身を守ることができたが、ちょうどそこに置いてあった綱がからだに巻き付き、もがけばもがくほどぐいぐいと締《し》めつけられてしまったのだった。そこへ、もう一つ大きな波をかぶったので、また大きく甲板にたたきつけられ、その拍子《ひょうし》に綱は、こんどは首にも巻き付いてしまった。ブリアンの来るのが遅《おそ》かったら、命はなかったかもしれない。――「ブリアンさん、ありがとう」とモーコーは、幾度も礼を言うのだった。
時がたつにつれて、帆を失ってもスピードは変わらないというブリアンの考えは、誤っていたことがわかってきた。船の進みぐあいは、だんだん衰《おとろ》えてきたのである。大きな波が船を追い越していくようになり、このままでは、いよいよ転覆は避《さ》けられないであろう。
どうしたら、少年たちは、危険からのがれることができようか。いまはもう、帆を作ろうにも、役に立つものは何一つない。
南半球の三月は、北半球の九月にあたる。夜と昼との長さが、ほぼひとしい季節だ。午前四時にもなれば、明るくなってくるだろう。
風は、スルギ号を東へ東へと追いやっているのだから、朝は、行く手の空から明けてくることになる。
夜が明ければ、風の勢いもいくらか衰えてくるかもしれない。また、陸が見つからないものでもない。――どちらにしても、少年たちの運命のきまる時は、目の前に迫《せま》っている。
午前四時半|頃《ごろ》になると、はるか東方の水平線上がほのかに白《しら》みかかってきた。だが、そう思ったのも束《つか》の間《ま》、海上には厚い霧が降り、前方四百メートルほどの所しか見えなくなった。
雲は相変わらず低くたれ、それが恐ろしい速さで飛んで行くのだ。風は少しも衰えない。海はといえば、前も後ろも大きな白い牙《きば》をむいて巻き返している。
甲板《かんぱん》の上で四人の少年たちは、いまはもうものを言う気力もない。
その時である。とつぜん、
「陸、陸が見える」
というモーコーの声が起こった。
動いて行く霧の間から、確かに陸らしいものが見えたというのである。だが、モーコーの眼の誤りであろう。こんな視界では、雲と陸との見分けがつくものではない――ほかの三人は信じなかった。モーコーは、一生懸命《いっしょうけんめい》だった。
「まちがいではありません。いまにまた、霧に晴れまができますから、船首のマストのちょっと東の所を、注意して見て下さい。ほら、あそこに――」
モーコーのしゃべっているうちに、霧は見る見る晴れ始めたのだ。
「あっ、陸! まちがいない、陸だ」
ブリアンが飛び上がるように叫《さけ》んだ。
水平線の上に、長さ五、六マイル(約八キロメートル)の海岸線が薄くかすんでいるのが見えた。もう疑いをはさむ余地はなかった。
スピードが落ちてはいるけれど、それでも一時間の後には、だいじょうぶ、スルギ号は陸に着くことができるだろう。
望遠鏡で見ると、海岸から少し奥まった所に、岩壁《がんぺき》がそそり立っているのが見えた。高さは、五、六十メートルもあろうか。岩壁の手前は、黄色い砂の浜《はま》べで、その右手には、大きな林があった。この林は、どうやら陸の奥深くへと続いているようである。
だが、見渡したところ、あたりには、船をいれるような、湾《わん》も、入江《いりえ》も、河口もなさそうだ。岸に近い所は、岩ばかりである。巻き返す波のあいまに、大きな岩が、無気味な頭を現わしている。ブリアンには、
「もし、あの岩にぶつかったら、船はこなごなだぞ」
という新しい心配がわいた。
そこで、万一の時に備えて、全員が甲板に集まっていることにした。
犬が、真っ先に飛び出してきた。続いて、十一人の少年たちが、元気よくかけあがってきた。
岸に近くなって、底が浅くなると、船にぶつかる波の勢いは、かえって激しくなった。
午前六時少し前にスルギ号は、岩の多い海岸にたどり着いた。
「みんな、気をつけて。これからがかえって危ないんだから」
ブリアンは、幼い少年たちに注意した。そして、もし波にさらわれる者があったら、いつでも飛びこめるように、上着をぬいだ。
とつぜん、だーんと音がして、船は大きく揺《ゆ》れた。心配したとおり、岩にぶつかったのだ。だが、幸いなことに、ぶつかった所が海面から上の部分だったから、船の中に海水は入ってこなかった。
第二の大波がぶつかってきた。今度は、うまく波に乗って、船は岩と岩との間を約十五メートルほど前に進むことができた。こうしてスルギ号は、波が白くあわだつ浅瀬の真ん中に、左舷《さげん》を下にしたまま動かなくなってしまったのである。波打ちぎわは、まだ四百メートルのかなたにあった。
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第二章
[#この行4字下げ]浅瀬《あさせ》にて――ブリアンとドノバン――上陸の準備――マストの上から――ブリアンの冒険《ぼうけん》
ブリアンとゴードンは、船室と荷物置場を回ってみた。幸い、どこにも異常はない。そこで、ブリアンは甲板《かんぱん》にもどると、不安におののいている幼い仲間たちに言った。
「だいじょうぶだ、船はいたんでいないし、岸は眼《め》の前だ、ゆっくり上陸の手はずを考えよう」
ブリアンの言葉が終わるのを待ちかねたように、荒々《あらあら》しい声が起こった。
「ブリアン、どうして、すぐ上陸しないんだ」
ドノバンだった。それに続いてウィルコックスという少年が言った。
「ドノバンに賛成、すぐ上陸した方がいい」
「ごらんよ、まだ波があんなに高い、いま海に下りれば、岩にたたきつけられてしまうだけさ」
ブリアンは、海面をさした。
「ふん、のんびり波の引くのを待っているうちに、船が岩にぶつかってしまわあ」
あざけるように言ったのは、ウェッブという少年だ。
「心配|御無用《ごむよう》、じきに引き潮になる、そうなれば、ずっと浅くなって、らくらく歩いて渡《わた》れるからね」
ブリアンは、あくまで落ち着きはらっている。干潮になれば、海は浅くなる。それに、風も次第《しだい》に和《やわ》らいできている。――ブリアンの説明は理屈《りくつ》に合っているのだが、ドノバンと三人の少年たちは、耳を傾《かたむ》けない。それはいまに始まったことではなかった。ドノバン、ウィルコックス、ウェッブそれにクロッスの四人は、これまでも、ことごとにブリアンに反対してきた。しかし、船が海上を漂《ただよ》っている間は、しぶしぶながらも、ブリアンのさしずに従わないわけにはいかなかった。ブリアンが、いちばん船に明るいからだ。
だが、もう、陸は手をのばせば届きそうなところにある。一刻も早く上陸して思うままにふるまってみたい――四人の中でも、ドノバンは、とくにその気持が強い。なぜなら、自分は、ブリアンよりもずっと学校の成績はいいし、本だってたくさん読んでいるとうぬぼれているからだ。だが、心の底には、さらに深い理由がひそんでいた。それは、ブリアンが、フランス人であることだった。自分はイギリス人だ。フランス人のさしずなんか受けたくないという気持である。この大きな危険を前にし、国の違《ちが》いで友達をきらう。こんなことがあとで、どんな大きな災《わざわ》いの根にならないものでもない。ドノバンたち四人は、みんなから離《はな》れて、何かひそひそと話し始めた。
波は依然《いぜん》としておさまらない。しかも、強い風が波と反対の方向から吹《ふ》いてくるのだ。ドノバンたちも、いますぐ上陸するのは無理だと知ったのか、またみんなのところにもどってきた。ちょうどその時、ブリアンやゴードンたちも、何か輪になって話し合っているところだった。ブリアンは、
「僕《ぼく》たちはどんなことがあっても一緒《いっしょ》にかたまっていなければだめだ。もし一人が自分勝手にふるまってみたまえ、そのためにみんなが助からないのだから」
ブリアンは、小さな船長のような調子で言い出した。
ドノバンがその話を聞きつけた。
「ブリアン、君は、法律をつくって、僕たちに押《お》しつけるのか」
「法律だって。僕は、みんなが安全に上陸できるためには、心を一つにしなければならないと言ったまでさ」
「ブリアンの言う通りだ」
ゴードンが言った。ゴードンは、いちばん年上で、しかも考え深い少年だった。
「そうだ」「ほんとだ」
幼い少年たちも口々に賛成した。これらの少年たちには、航海の間に、強くブリアンを慕《した》う心が芽ばえていたのである。
ドノバンは、堅《かた》く押し黙《だま》ってしまった。
それにしても、眼の前に見える陸地は、いったいどこなのだろう。太平洋にたくさんある小島の一つであろうか。それとも大陸のはずれなのか。浜《はま》べは、三日月形に真ん中が入り組んでいて、両端《りょうはし》は、岬《みさき》になっていた。
北の岬は、高くけわしい絶壁《ぜっぺき》だが、南は低い丘《おか》となって、細長く海中に突《つ》き出ていた。
もしこの陸地が島であるとした場合、どうしたらここから抜《ぬ》け出ることができようか。帆《ほ》のないスルギ号は、もはや大洋を航海することはできない。しかも、それが無人島だとしたら――。
だが、大陸のはずれであれば、少年たちの運命は明るい。緯度《いど》から考えると、南アメリカであることはまちがいないし、必ず人間が住んでいるはずだ。
しかし、いまの問題は、いかにして無事に上陸するかにある。もう、夜はすっかり明けている。緑の林は、この土地が、温帯地方と同じように地味《ちみ》が肥えていることを物語っている。
だが、海岸には、人家はおろか小舟《こぶね》一つさえ見当たらない。
「煙《けむり》がどこにも上っていないぞ」
ブリアンは、望遠鏡を眼に当てながら言った。
「浜べには、一|隻《せき》も舟が見えません」
モーコーが言った。
「きまってるさ、港がないのに船があってたまるかい、ハッハ」
ドノバンの意地の悪い笑いだった。
「だけど、それは理由にならないね、遠くから漁船がやってくることだってあるさ。きっと、嵐《あらし》を恐《おそ》れて、漁船はどこかに避難《ひなん》しているんだよ」
ゴードンの意見はなかなかうがっていた。しかし、それが正しいかどうか。
いずれにしてもここは、人間があまり来ない、寂《さび》しい場所であることだけはまちがいがない。
やがて、午前七時に近くなると、引き潮になった。風がいぜんとして吹きつけるので、波はほんのわずかずつしか引かないが、上陸の用意を始めなければならない。
少年たちは、みんなで、船の中の食糧《しょくりょう》を甲板に運んだ。ビスケット、干した果物《くだもの》、コンビーフのかんづめ――そんな物を、みんなは、手わけをして、運びやすいようにと小さな包みに作った。
しばらくすると、風向きが変わり、勢いも弱まった。おかげで、潮はぐんぐん引いていく。ところが、そのために困った事が起きた。海が浅くなるにつれ、船はますます左舷《さげん》に傾いてしまったのだ。スクーナーは、スピードを出すために、竜骨《キール》を高く、船底の幅《はば》を狭《せま》く作ってある。それで、このままいけば、上陸しないうちに船は横倒《よこだお》しになってしまう。
いま、ボートさえあったら――これは、みんなが考えるところだったが、その時、どうしたことだろう、ワーッという喜びの声が甲板いっぱいにわきおこった。
バクスターが、船首の柱の間から、一隻の小さなボートを見つけ出したのである。
ところが、このボートをめぐって、ブリアンとドノバンたちの間で、また争いが起こったのだ。
ボートが見つかったという知らせに、ブリアンもこおどりして駆《か》けつけた。行ってみると、ドノバンたち四人がボートをかかえて海に下ろそうとしている。ブリアンは思わず叫《さけ》んだ。
「な、何をする」
「君の知ったことかい」
ウィルコックスは、冷然と言い放った。
「なぜ、勝手にボートを下ろすのだ」
「ブリアン、おせっかいはたくさんだよ、止めないでくれ」
「君たちが友達を見捨てて行くのを、黙って見ていられるか」
「見捨てる? ブリアン、もう少し頭を働かせてもらいたいね。海岸へこぎ着いたら、一人は、またここへボートでもどってくるのだ」
ドノバンが、得意げにいって、肩《かた》をそびやかした。
「だが、もし、失敗したら――岩にぶつかったらどうする」
「うるさいっ、どいてくれ」
ウェッブが、いきなりブリアンを押しのけた。そうして、ウィルコックスとクロッスの三人でボートをかかえた。ブリアンは、ボートに駆け寄って、ぐっと端をつかんだ。
「王様みたいに、好き勝手なまねをさせてたまるかい」
「ようし、やってみせてやらあ」
ドノバンが言い返した。
「やらせるものか、ボートは、まず、小さい諸君から乗せるのだ」
「黙れ! 余計な口を出すな」
ブリアンとドノバンはだんだん言いつのり、互《たが》いにこぶしを振《ふ》り上げた。こうなると、少年たちも、自然と二つに分かれる。もちろん、ウィルコックス、ウェッブ、クロッスはドノバンの味方で、バクスター、サービス、ガーネットはブリアンについた。そして、もしこの時、ゴードンが駆けつけてこなかったら、甲板の上では、激《はげ》しい取っ組みあいが始まったに違いない。
ゴードンは、静かに、両方の言い分を聞いた。それから、ドノバンに諭《さと》すように言った。
「ねえ、君、もうほんの少しの辛抱《しんぼう》だ。まだ波が高い。もしやりそこなったら、大切なボートを失うばかりか、君たちの命だって危ない」
「だけど……僕は、ブリアンのさしずを受けるのはあきあきしたんだ」
ドノバンの言葉について、クロッスとウェッブも、
「僕もだ」
「僕だって――」と叫んだ。
「変だなあ、僕は、君たちをさしずしているなんて、夢《ゆめ》にも思ってやしないのに。ただみんなが心を一つにすべき時に、自分勝手はいけないと言っただけだ」
ブリアンは、いまは落ち着いて言った。
「ドノバン、君は少し強情《ごうじょう》すぎるよ。とにかく、ボートを下ろすのにいい時が来るまで待ちたまえ」
年上のゴードンに言われると、ドノバンもこれ以上言葉が返せなかった。
潮が六十センチほど引いた。
ブリアンは、急いで、船首のマストに上って望遠鏡を眼に当てた。
よく見ると、浜べまで、一帯に頭を出している岩と岩の間に、一筋の道がある。うまくその道をこいでいけば、ボートは岩にぶつからずにすむかもしれない。
ブリアンは、長いことかかって、遠くの海岸のはずれの方まで望遠鏡を向けた。
やはり、人家もなく一隻の漁船も漂ってはいない。
ブリアンは、マストから下りると、自分の見た海岸のありさまをみんなに話した。
その時も、ドノバンたちは、横を向いていかにも聞きたくないというふりをしている。
ゴードンは、ブリアンの話が終わるのを待って言った。
「ブリアン、潮がいちばん引くのは何時だろう」
「十一時――確かそのころじゃないかと思うんだが」
「上陸するには、都合がいい時間だな。どうだろう、今のうちにお昼にしたら。物を食べてすぐ水中に入るのは、からだに悪いからね」
そこで、さっそく甲板の上ではビスケットにジャムの昼食が始まった。こういう時にも、ブリアンは、ジェンキンス、アイバースン、ドール、コスターなどの幼い少年たちに心を配ることを忘れない。昨夜からのひどい疲れのあとだから、食べ過ぎておなかを悪くしてはいけない。なにしろ、少年たちは、二十四時間もの間一|杯《ぱい》の水も口にしていなかった。
食事が終わると、ブリアンはまた船首の方へ行った。ついて行ったモーコーが、測量綱《そくりょうづな》を海の中に沈《しず》めて深さを計ってみると、まだ、二・五メートルはたっぷりある。
風が、潮の引く方向から吹きつけるから、いっこうに海水は減らないのだ。ブリアンは、そっとゴードンを船首の方へ呼んだ。
「どうしたらいいんだろう、ブリアン」
ゴードンは、重いためいきといっしょに言った。
「僕にもわからなくなった」
ブリアンは腕《うで》を組んだ。そして、悲しげにじっと波がしらを見つめていたが、急に、
「ゴードン、いいことがある」
と叫んだ。ゴードンがびっくりした顔を上げた。
「船から海岸の岩まで綱を張るのだ。そして、その綱につかまって、ボートを進めるんだ」
「それはうまい考えだが、誰《だれ》かが初めに綱を結びつけにいかなくてはならない」
「それをやる者はきまってるさ」
「誰だい」
「もちろん、僕だ」
ブリアンはにっこりとして答えた。
この高い波の中を、綱を持って目的の岩まで泳ぎ着こうというのは、命がけの冒険である。これを自分でやろうというブリアンの決心は堅かった。
ブリアンは甲板にころがっていた綱の中から、手ごろの重さの一本を選んだ。
「オーイ、みんなここへ来て、手伝ってくれ!」
ゴードンに呼ばれて少年たちは集まって来た。ブリアンのからだに結びつけた綱の一方をみんなで握《にぎ》るのである。
こうなると、ドノバンたちも遠くで見ているわけにはいかなかった。浮《う》かない顔つきでそばに寄って来た。
すっかり用意ができると、ブリアンは甲板の端に立った。とつぜん、少年たちの間から飛び出してきた弟のジャックが、兄の腰《こし》にしがみついた。
「兄さん――」
「ジャック、心配はないよ、兄さんは、きっとうまくやってみせるから」
ブリアンは、弟の手をもぐようにして、さっと海の中へとびこんだ。しぶきが高く上がった。
甲板の上の綱は、だんだん繰《く》り出されていく。
寄せ返す波はかなり激しい。勇敢《ゆうかん》なブリアンも、まっすぐに進むことはできない。ブリアンの力の衰《おとろ》えていくのが、甲板の上の少年たちにもわかった。まだ、船から十五メートルも離れてはいないのに、ブリアンのすぐ前には、眼もくらむような渦《うず》が待ちかまえていた。ブリアンは、その渦からうまくのがれようと努めたが、それは空《むな》しかった。見るまに、彼のからだは波に取り巻かれ、渦の真ん中に向かって吸いこまれていった。
甲板の上ではもう気が気ではない。
「引っ張れ、早く、綱を引っ張れ」
ゴードンが声をからしてわめいている。
十四人の少年の手で、綱はたぐりよせられ、一分もたたないうちに、ブリアンのからだは甲板の上に引き上げられた。すでに、気を失っていた。みんなの介抱《かいほう》で、ブリアンはじきに正気にかえり、眼をあけた。
船と海岸とを綱で結ぶ冒険《ぼうけん》は失敗に終わった。
もうとっくに正午を過ぎていた。海はふたたび上げ潮の時間だ。波はだんだん高くなっていく。
今夜は新月である。潮は昨夜よりもずっと高くなるはずだ。船はふたたび浮かび上がって岩にぶつかり、最後は木片《もくへん》となって砕《くだ》け散るであろう。そう思っても、いまの少年たちにはどうすることもできない。ただ、船尾《せんび》に一かたまりになって、岩の頭が、一つ一つ上げ潮の中に隠《かく》れていくのを見つめているばかりだ。
さらに悪いことに、風はまた西風に変わった。昨夜と同じように、海岸目がけて、一直線に吹きつけていた。海はますます水かさを増していく。
いま少年たちを救うことのできるものがあるとすれば、それは神のみであろう。少年たちのうちしおれた祈《いの》りの声が、風の中に消えていった。
午後二時の少し前であった。
上げ潮を受けて船は浮かび上がったと思うと、傾いていた左舷がもとにもどった。しかし、まだ、船尾は岩の間にはさまっていた。波が打ち寄せるたびに、船は、上下に、左右に、大きく揺《ゆ》れた。
少年たちは、いまは、堅く抱《だ》き合うことで、海中にころがり落ちるのを防ぐより仕方がなかった。
とつぜん、大波が滝《たき》のような激しい勢いで船尾を打った。そのあおりで、船は大きく前へと押し出された。それは、船底に岩のぶつかる暇《いとま》もないほどの早さだった。
スルギ号は、こうして、あっという間に、海岸の林から六十メートルほどの堅い砂の上にどっかりと腰を下ろしたのである。
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第三章
[#この行4字下げ]チェアマン学校――夏休みの船旅――スルギ号――二月十五日の深夜――大嵐《おおあらし》――救助船出発――悲しい最後
さて、このころ、ニュージーランドの首府オークランド市に、チェアマン学校という評判の高い小学校があった。ニュージーランドは、イギリスが南太平洋に持っている重要な植民地の一つである。チェアマン学校では、原住民の子供の入学を許さなかった。百人あまりの生徒は、いずれも島に渡《わた》ってきた白人たち――イギリス人、フランス人、アメリカ人、ドイツ人などの子供ばかりである。
ニュージーランドは、南緯《なんい》三十四度から四十七度の間にまたがる大きな島で、狭《せま》いクック海峡《かいきょう》によって、北と南に分けられている。
首府のオークランド市は、北島の北西、細長い半島の首に当たる所にあった。南半球のコリントと言われるのは、その位置の状態が、ギリシャのコリント市に似ているからだ。
オークランド市の東西には港があった。その一つの、東のハウラキ湾《わん》に造られた港では、海が遠浅なために、大きな商船は、海中に長く突《つ》き出た棧橋《さんばし》に横づけになった。一方、小さな船は、女王通りのはずれにある荷上げ棧橋に着く。
女王通りは、オークランドの目抜きの大通りだ。チェアマン学校も、この通りに面して建っている。
一八六〇年二月十五日の午後のこと。
校門から大勢の生徒たちが喜びの声を上げて走り出て来た。まるで、かごから放たれた小鳥のようなはしゃぎようである。
それも無理はなかった。南半球の二月は、我々の住む北半球の八月に当たる。この日から、夏休みが始まるのだ。生徒たちの前には、自由な、楽しい二カ月が待っている。
この生徒たちの中に、とりわけ楽しそうな一群れがあった。それは、翌朝、オークランド港を出るスルギ号で、ニュージーランド沿岸一周の旅に上る少年たちである。
親たちは、持主ガーネット氏からスルギ号を借り受け、楽しい船旅のプランをたててくれたのだ。ガーネット氏の息子《むすこ》も生徒の一人、もちろん一行に加わる。二本マストの美しい帆船《はんせん》スルギ号で六週間の船旅――こんなすばらしい夏休みが、またとあろうか。
チェアマン学校は寄宿制度で、すべて、イギリス本国に倣《なら》って生徒を教育した。
自分のことは自分で――と幼い一年生から最上級の五年生まで、きびしくしつけられた。しかし、生徒たちが明るさを失わないようにと、心を配ることも忘れてはいない。生徒たちの行動を見張ることもなかったし、小説でも新聞でも自由に読ませた。勉強の時間よりも、スポーツやゲームを楽しむ時間が多くさかれた。
さて、船旅に参加する少年は十四人で、一年生から五年生までの各学年にわたっていた。いまや、この少年たちの楽しい船旅の夢《ゆめ》は破れ、思いもかけぬ不幸に突き落とされてしまったわけだが、ここで、十四人の少年の一人一人を紹介《しょうかい》しておくことにしよう。
イギリスの植民地だけあって、ブリアン兄弟がフランス人、ゴードンがアメリカ人である外は、みんなイギリス人だ。
ドノバンとクロッスは十三|歳《さい》で五年生。この二人は従兄弟《いとこ》のあいだがら。父親は、いずれもニュージーランドで勢力のある大地主である。ドノバンは、勉強家で優等生だ。いつも、きちんとした身なりで、ツンとすましているので、「お殿様《とのさま》」というあだ名がある。良い成績をとるのも、クラスの者にいばりたい気持からだ。クロッスは、とりたてて言うところのない平凡《へいぼん》な少年で、従兄《いとこ》のドノバンに心から敬服している。
バクスターは、五年生。おとなしい、手先の器用な少年である。父は手広く商売をやっている。
ウェッブは十二歳、ウィルコックスは十三歳。同じ四年生だ。二人とも、成績はクラスの中ほど。わがままで、喧嘩《けんか》の絶えまがない。
ガーネットとサービスは十二歳で三年生。ガーネットの父は退役海軍士官、サービスの父は、オークランドに近いウェイマラに大きな農園を持っている。親たちが親しくしているので、二人とも仲がいい。ガーネットはアコーディオンをひくのが大好きで、こんどの船旅にも、持ってくることを忘れはしない。
サービスは、いつも冒険《ぼうけん》を夢みている明朗型。読む本は『ロビンソン・クルーソー』や『スイスのロビンソン』など、冒険小説ばかりだ。
ジェンキンスの父は、王立科学協会の会長。アイバースンの父は牧師だ。二人とも九歳だが、二年生と三年生だ。下級生の中では、いちばん将来が期待されている。
次は、一年生で、ドールは八歳、コスターは九歳、二人とも、オークランドから六マイル(約十キロメートル)ほど離《はな》れた、ウチョンガの町に住む海軍士官の子供、ドールの意地っ張り、コスターの大喰《おおぐら》いは、どちらも学校で評判だ。
ただ一人のアメリカ人のゴードンは十四歳で五年生。優等生の一人だ。同級生のドノバンのような才ばしったところはないが、常識に富み、慎重《しんちょう》にものごとに当たる。ゴードンの頭の中には、たくさんの知識が、彼《かれ》の机の上の品物のようにキチンと詰《つ》めこまれている。生まれたのは、アメリカのボストン。幼い時に両親を失い、オークランドの郊外《こうがい》、セント・ジョン山のふもとの美しい別荘《べっそう》に住む、ある紳士《しんし》に育てられた。
フランス人の兄弟、ブリアンとジャックは、二年前に、北島の中央にある沼沢地《しょうたくち》の、排水《はいすい》工事の指導のために招かれた父とともに、ニュージーランドに渡って来た。
兄のブリアンは十三歳、あまり勉強には精を出さないが、心の豊かな少年だ。クラスで一位を占《し》めるより、ビリでいる方が気楽でいいと思っている。それでも、すばらしい記憶力《きおくりょく》と持ち前の明るさで、たちまちクラスの人気者になってしまった。ドノバンはそれがねたましくてならない。ブリアンはスポーツが好きだし、じょうずだ。明朗で、しかもすなお、身なりは一向にかまわない――まったくのフランス少年であると言えよう。幼い生徒たちもブリアンを頼《たの》みにしている。下級生がいじめられているのを見ると、飛び出していってかばってやるのは彼だ。そのために、いままで、何度友達と争ったかしれない。ブリアンが、見事にスルギ号のさしずをすることができたのも、日ごろからのみんなの信頼《しんらい》があったからだ。弟のジャックは三年生で、学校一のいたずらっ子。いつでも、何かいたずらのタネはないかと捜《さが》しまわっている。だが、どうしたわけか、スルギ号が港を離れてからは性質は一変し、沈《しず》みがちな、無口な少年になってしまった。
以上で、十四人の少年の紹介は終わる。つぎに、スルギ号遭難《そうなん》の顛末《てんまつ》を説明することにしよう。
スルギ号の船長はガーネット氏。この人の帆船をあやつる腕前《うでまえ》は、オーストラリアからニュージーランドにかけて、その右に出るものはないと言われている。いままでも、スルギ号で、ニューカレドニア島、ニューホーランド島、トール海峡から、タスマニアの南のはて、さらにはるかモルッカ海、フィリピン群島までも航海している。
乗組員は、運転士一人、水夫六人、コック一人、それに黒人のボーイのモーコーであった。彼の両親は、オークランドの近くの農園で働いている。このほかに猟犬《りょうけん》のフヮン。アメリカ産で、ゴードンの飼《か》い犬だ。
出帆《しゅっぱん》は二月十六日の早朝の予定であった。しかし、待ちきれない小さい船客たちは、十五日の夜から、もう船に押《お》しかけた。迎《むか》えに出たのは、運転士とモーコーの二人だけである。ガーネット氏は、出帆の時刻きっかりにやってくることになっていたし、水夫たちは、ウイスキーを飲みに町へ出かけてしまっていた。運転士も、少年たちが船室のベッドで寝息《ねいき》を立て始めたのを見届けると、港近くの酒場へと船から出て行った。
モーコーは、前甲板《ぜんかんぱん》の下にある水夫室のベッドにもぐりこんで、いびきを立てていた。
ところが、なんという不思議! いつのまにか、スルギ号を岸壁《がんぺき》につなぎ止めていた艫綱《ともづな》が解けてしまったのだ。不注意からか、それとも誰《だれ》かの悪だくみであろうか。陸からの微風《びふう》と、潮流の助けを借りて、スルギ号はみるみる海上をすべっていく。
ふと、眼《め》をさましたモーコーは、船の揺《ゆ》れ方が変わったのに気がついた。いぶかしく思いながら、甲板に駆《か》け上がってみると――。
「た、たいへんだっ!」
モーコーのけたたましい叫《さけ》び声に、ゴードン、ブリアン、ドノバンの三人は、毛布を蹴《け》ってはね起きた。
町の明かりも、港も、深いやみの中に隠《かく》れて見えない。船は少なくとも海岸から三マイルの沖合《おきあい》に出てしまっていた。
少年たちは、帆《ほ》を張って船を港へ向けようとした。だが、帆は重かった。かえって、西風を受けて、船は湾の外へとすべっていく。
まもなくスルギ号は、コルビイユ岬《みさき》を回り、岬とグレートバーリア島との間の海峡を横断して、湾外に出てしまった。
さあ、たいへんなことになった。だが、港からの助けに望みをかけることはできなかった。すぐさま救助船が出発したとしても、追い着くまでには二、三時間はかかる。しかも、やみは深い。
ただ一つの望みは、港へ向かう汽船に出会うことだ。モーコーは、前甲板のマストの上高く、カンテラをくくりつけた。
幼い少年たちは、この不幸な出来事も知らずに、安らかに眠《ねむ》っている。いま眼をさまさせて、悲しがらせてはならない。ただいたずらにこの場を混乱させてしまうばかりだ。
なおも、船は、東へ東へと進んだ。
とつぜん、二つの灯火《とうか》が、二、三マイル前方のやみの中に見えた。白い光――。航行中の汽船のしるしである。続いて、また二つ。赤と青だ。二つが同時に少年たちの眼に飛びこんできたのは、汽船がまっすぐに、スルギ号の方向に進路を取っているからだ。
少年たちは、声をふりしぼった。
だが、波と汽船の蒸気機関の立てる音に、おりから激《はげ》しく吹《ふ》き始めた風のうなりが加わって、少年たちの声は吹き消されてしまう。
その上、なんと不幸なことか――。綱が切れて、唯一《ゆいいつ》の目じるしであるカンテラが、暗い海中にころがり落ちてしまったのだ。もう、スルギ号が海上にあることを、汽船に知らせる方法は、何一つとして残っていない。
やがて、一時間十二、三マイルの速度で進んで来た汽船は、大きな船体をスルギ号の船尾《せんび》にぶつけると、そのまままっしぐらに、ニュージーランドめざして、深いやみに消えてしまった。汽船では、雲の動きに嵐が近いとおびえきっていたのである。船乗りの間では、難破船の近くを航行しながら救助の手をさしのべないことは、重い罪とされている。
しかし、汽船の人たちにはスルギ号の姿は見えず、まして船尾にぶつかったことなど、全く気がつかなかったのだ。
少年たちが、失望のどん底に突き落とされたことは言うまでもない。
夜が明けた。だが、一|隻《せき》の船も見当たらなかった。オーストラリアとアメリカの間を往復する汽船は、スルギ号の漂《ただよ》っている位置より、さらに北か、あるいは南に航路をとるからであった。
また、夜が訪《おとず》れた。風は、昨夜よりも一層吹きつのった。しかも、相変わらずの西風である。
このような苦境にあって、ブリアンは、十三歳の少年とは思えない勇気をふるいおこした。夜も昼も、休みなく甲板で見張りに立った。スルギ号の遭難を知らせる紙片を入れた瓶《びん》を、何本も海に流した。
スルギ号がオークランドの岸壁を離れてから数日の後、南太平洋一帯に大嵐が吹きまくった。嵐は二週間にわたったが、それからの次第《しだい》は、すでに読者が知っているとおりである。
スルギ号が、いつのまにか岸壁から消えうせたことを知った船長ガーネット氏を始め、家族たちの驚《おどろ》きは、いかに大きかったことか。ただちに、二隻の汽船が救助に出発した。
だが、夜が明けると、救助船は、スルギ号の悲しい最後を告げる一つのしるしを持って、港に帰ってきたのである。
それは、スルギ号が、やみの中でペルー行きの汽船キット号にすれちがった時ふりおとされた、船尾の名板の切れ端《はし》であった。少年たちの家族は、スルギ号の沈没《ちんぼつ》を信ずるよりほかはなかった。
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第四章
[#この行4字下げ]海岸の探検――林の中――洞穴《どうけつ》を求めて――ゴードンの手帳――安らかな眠《ねむ》り
スルギ号が、帆柱《ほばしら》は折れ、船べりははがれた疲《つか》れきった船体で、砂の上に腰《こし》をすえてから、もはや一時間以上になる。
ブリアンとゴードンの二人は、じっと海岸に瞳《ひとみ》をこらしている。だが、土地の人間はいっこうに姿を現わさないし、人家も漁船の影《かげ》もない。これを見てブリアンは、海岸の近くに住まいになる洞穴を見つけておきたいと思った。そうすれば、今後スルギ号がどうなろうと安心だ。さっそく、かたわらに立つゴードンに言った。
「どうだい、海岸を探検して見ないか」
「よし、行こう」
スルギ号を出た二人は、岩壁《がんぺき》の手前に茂《しげ》る林をめざした。
林に足を踏《ふ》み入れると、大きな老木が幾本《いくほん》となく倒《たお》れていた。落葉にひざはうずまってしまう。足音を聞きつけた小鳥が、バタバタと飛び立つ。
「人間を恐《おそ》れることを知っているんだな」
ゴードンが、後ろをふりかえった。
「そうだね、無人島ではないかもしれない」
答えるブリアンは、明るい調子だ。
この地が、地続きの大陸なら、いつかは人の住む村か町へ出られるからだ。
十分ほどで林は尽《つ》きた。すると、そこには高さ六十メートルもある岩壁が立ちはだかっていた。
「ここで洞穴を見つけたいね」
「それならシメたものだ。林が海から吹《ふ》きつける風をくい止めてくれる。どんな大しけでも、まさかここまで波は来ないよ」
二人は話し合った。だが、岩壁は一枚の板のようにそそり立ち、手を掛《か》ける小さなくぼみすらない。向こう側に出るためには、湾《わん》の北のはずれに見えた岬《みさき》を回らなければならないのだ。とにかく行けるだけ行ってみようと、二人は、今度は南へ三十分ほど歩いた。だがそれ以上は進めない。川に出たのだ。
二人の立っている右岸は、木がうっそうと茂っている。だが、対岸には緑色はまったく見られない。ただ、荒《あ》れ果てた、平らな土地がどこまでも続いている。
二人は、この川までで探検を打ち切ってスルギ号に帰った。
ブリアンとゴードンは、甲板《かんぱん》の上にみんなを呼び集めた。そして、いましがたの探検の結果を話した。
「こんなわけで、しばらくこの浜《はま》べから動けない。船は大分いたんだが、まだまだ雨風をしのぐ役には立つ。幸いなことに、炊事場《すいじば》は無事だった」
このブリアンの終わりの言葉は、とくに幼い少年たちを喜ばせた。
十五人を入れる格好な洞穴が見つかるまでは、船が住みかときまった。それには、できるだけ住みよくしなければならない。右舷《うげん》から繩梯子《なわばしご》をたらした。これで、幼い少年たちも、らくらくと船への出入りができる。
仕事の受け持ちも自然にきまっていく。コックは、多少|腕《うで》に覚えのあるモーコーだ。サービスが手伝う。
夕方、食事が終わると、さすがにはりつめた二十日間の疲れがどっと出て、少年たちはすぐさまベッドにもぐりこんだ。
ブリアン、ゴードン、それにドノバンの三人は、甲板の上で見張りに立つ。船の明かりを目がけて、土人や恐ろしい獣《けもの》が押し寄せてこないかと心配したのである。だが、案ずるようなことは何もなかった。夜は静かに明けた。
まずみんなそろって朝の祈《いの》り。それが終わると仕事だ。船に積んである品物を調べるのだ。これから先、食物をどうやって得ていくか。これは、少年たちの生命にかかわる問題である。もし無人島であれば、猟《りょう》と魚釣《さかなつ》りにたよるほかはない。
船には、ビスケット、干した果物《くだもの》、ハム、ソーセージ、コンビーフ、塩魚、など二カ月分が積《つ》み込《こ》まれていた。とにかくこれだけの食物を節約することだ。幸い大陸であるにしても、町のある所へ出るには、長い旅を覚悟《かくご》しなければならない。
船内の調査には、幼い少年たちは、かえって足手まといになる。それで、モーコーが貝拾いに連れて行くことにきめた。
「早く!」「モーコー、早くったら」
ジェンキンス、ドール、コスターとアイバースンの四人は、モーコーの手を引っ張ってせきたてる。
「ジャック、お前も行っておいで」
ブリアンは、弟に向かって優《やさ》しく言った。しかし、ジャックは浮《う》かない顔つきで、返事もしない。いったいこの激《はげ》しい変わりようはどうしたことか、ブリアンの胸は痛んだ。
幼年組の姿が甲板から消え去ると、年上の少年たちは、いよいよ仕事に取りかかった。ドノバンは、なかまのクロッス、ウィルコックス、ウェッブの三人と、船中の銃《じゅう》、弾薬《だんやく》、衣服、工具などを調べる。ブリアン、ガーネット、バクスター、サービスの四人は、荷物置場が受け持ち。ゴードンは、全体をさしずして記録をつける。手帳を持って、ドノバン、ブリアンの両方の組を回って、品物の数を書き留めていく。この手帳に、ゴードンは、嵐《あらし》との戦いの中で一日も欠かさず、日記をつけてきたのだ。
さて、手帳には、船内にあった品物が次のように記されていた。
帆布《ほぬの》、鎖《くさり》、錨《いかり》、ロープ。――これらは、きっと、小屋を建てるときには役立つことだろう。
釣道具。釣糸、手網《たも》、ひき綱《づな》。
銃、弾薬。ライフル銃八、鴨銃《かもじゅう》一、ピストル一ダース、弾薬三百包み、火薬二十五ポンド(十一キログラムあまり)入り二|箱《はこ》、鉛玉《なまりだま》、小鳥用散弾。――これらはいずれも、少年たちに船旅を楽しく過ごさせようとの心づかいから、積み込まれたのである。だがいまは、少年たちの命をささえていくための、大切な道具となった。さらに、夜の信号に使うロケット弾、船にすえつけの二門の大砲《たいほう》の砲弾三十。
炊事用品のうち皿《さら》はほとんどかけてしまっている。だが、炊事やテーブルで使うものには困らない。
衣服、毛の服地、木綿《もめん》、フランネル、麻《あさ》。――天気が変わるたびに服を取《と》り替《か》えて着られるほど、たくさんある。船がまっすぐ東へ流されたとすれば、ここはニュージーランドと同《どう》緯度《いど》の地である。おそらく、夏の暑さは耐《た》えがたく、冬はまたきびしい寒さであろう。衣服は、多いほどいいわけだ。この外に、藁布団《わらぶとん》、敷布《しきふ》、枕《まくら》なども山のように積んである。手帳の品物の名はまだ続く。
気象観測用《きしょうかんそくよう》の気圧計二、温度計二、精密時計一、通信用ラッパ一、望遠鏡三、羅針盤《らしんばん》大小二、嵐を知らせる暴風鏡一、イギリス国旗、信号用の手旗、ゴムで作ったボート、これは、折りたたんで持ち運びができるもので川や湖水で使う。
工具は、大工道具一式、釘《くぎ》一|樽《たる》などで、船をなおすのに事欠かない。
また、縫針《ぬいばり》、糸、ボタン、それに、マッチ、火打石など、至れり尽くせりだ。
次は、大きな海図数枚、ただし、ニュージーランド近海のもの。今のところは役に立たない。
世界地図一枚、これは、スチラーの地図で、新旧両大陸(ヨーロッパと北アメリカ大陸)も載《の》っている。地図の中で、いちばん正確とされているもの。
図書室には、旅の間も退屈《たいくつ》しないようにと、本がぎっしりと詰《つ》まっていた。サービスの好きな『ロビンソンもの』もある。ガーネットのアコーディオンも無事であったことは、幸いだ。さらに、ペン、インク、鉛筆《えんぴつ》、紙などの文房具《ぶんぼうぐ》、一八六〇年のカレンダー。カレンダーには、簡単な日記をつけることになり、バクスターの受け持ちときまった。
「僕《ぼく》たちがこの海岸に着いた記念日の、三月十日からつけていこう」
バクスターは、ペンで、十日より前には線を引いた。
金庫には、金貨で五百ポンドあった。いまはありがたくはないが、幸いにどこかの港に出ることでもできれば、故郷へ帰る船賃に必要だ。
一方、ブリアンたちの調べ上げた荷物置場には、酒類が積んであった。ビール、ぶどう酒の樽は、大かた中身がこぼれてしまっていた。それでもまだ、シェリー酒百ガロン(一ガロンは約二|升《しょう》に当たる)、ジン、ブランデー、ウイスキーがそれぞれ五十ガロン、ビールの二十五ガロン入りの樽が四十もある。
以上が、船内の調査の結果であった。これだけあれば、十五人の少年たちは当分の間、何一つ不自由せずに暮《く》らしていける。
正午に近い頃《ころ》、幼年組が獲物《えもの》を入れた大きな袋《ふくろ》を背負って帰って来た。
「岸伝いに行くと、岩壁に鳩《はと》が群れていました。きっと、巣《す》には卵があるに違《ちが》いありません」
モーコーは、ブリアンたちにはずんだ声で報告する。
「うれしいニュースだ。一度、朝早く行ってみよう」
ブリアンが答えた。
「三、四人で行けば十羽はらくです。綱も用意して行って卵を捜《さが》しましょう」
「どうだい、ドノバン、明日の朝は」
ゴードンに言われてドノバンはツンとして答えた。
「悪くはないね、だけど、ウェッブ、クロッス、ウィルコックスが行ってくれるかな」
「もちろん、行くさ」
ウェッブたち三人が声をそろえて言った。
「欲張って一度にたくさん採らないようにね。弾丸《たま》は限られているのだから」
ブリアンの言葉に、「わかっている」とドノバンが声を強めた。
「まるで僕たちが、生まれて初めて鉄砲を持ったみたいな言い方だね」
一時間ほどたつと、モーコーが腕をふるった昼食ができた。
献立《こんだて》は、幼年組の拾ってきた貝、コンビーフ、それにブランデーをたらした水。
コックの腕前は、じょうずとは言えない。しかし、腹のすいた少年たちには、この上もない御馳走《ごちそう》だった。
午後は、船内の修繕《しゅうぜん》。幼年組は、川へ魚釣り。
この日も、夜の食事が終わるとすぐに、少年たちは寝室《しんしつ》に引っ込んだ。バクスターとウィルコックスの二人は甲板で見張りについた。
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第五章
[#この行4字下げ]島か大陸か――ブリアン探検に出発――ペンギンの群れ――岩の上の朝食――岬《みさき》の頂から三つの島かげ――地平線に水色が――スルギ号へ
この土地は、島かそれとも大陸か――これがリーダー格の三人、ブリアン、ゴードン、ドノバンたちの心にいちばん重くかかっていることであった。三人は、船室の暗いつりランプの下でおそくまで話し合った。
ここが熱帯地方でないことは、林を見てもわかる。かし、ぶな、松《まつ》、もみなど、いずれも赤道近くでは見られないものばかりだ。確かに、ニュージーランドよりもずっと南極に寄っているのだ。冬の寒さが思いやられる。もうすでに大地には厚く落葉が敷《し》きつめられている。枝《えだ》に葉を残しているのは、松ともみの木だけだ。
「僕《ぼく》たちは、こんなところにいつまでもとどまってはいられないよ」
と、ゴードンが言い出した。
スルギ号が仮の住まいときめられてから、二、三日たったある夜のことである。
「賛成! いますぐ、人家を見つけに旅立たないと冬がきてしまう。何百マイルあるか見当がつかないんだからね」
ドノバンが言った。
「気が早いなあ、まだ、三月(北半球の九月)半ばだぜ」
ブリアンは笑った。
「君は、寒い冬、しかも雨の季節が迫《せま》っているのに、この雨もりのする船にしがみついていようというのか」
「そうさ、当てもなく不案内な土地をさまようなんて馬鹿《ばか》なことだ。どんなに苦しくても早まってはならない」
「ブリアン、君は自分の考えに反対する者を馬鹿|扱《あつか》いするのか。君の意見なんてちっとも正しいと思わないよ」
ドノバンは、顔にあざけりの色を浮《う》かべていた。さすがのブリアンもムッとしてそれに答えようとすると、ゴードンが止めた。
「喧嘩《けんか》はやめたまえ。議論をする時は、相手の意見をよく聞かなければだめだ。まずドノバンの考えをもっと聞こうじゃないか」
「初めに北に向かって歩いてみる。それでも人家に出合わなければ南。さらに東。こうすれば、いつかは必ず人家にぶつかるよ」
「この土地が、大陸ならね。だが、無人島なら別だ。ここが、島か、大陸なのか、それをまず確かめることが必要だ。スルギ号を見捨てるのはそれからのことだ」
「そんなのんきなことを言っているうちに、船はどんどんいたんでいく。いまに冬の強い風が吹《ふ》き始めたら、こなごなになってしまうぜ」
ドノバンは、あくまでくい下がる。
「どこへ向かって出発するにせよ、この付近の地理を知ることが大切だ。どこか、見はらしのきく高い所に登ってみることにしよう」
ゴードンの意見はもっともだった。ドノバンも口をつぐんだ。
「それにはおあつらえむきの所がある」
しばらく考えこんでいたブリアンが、からだを乗り出した。
「ほら、湾《わん》の北のはずれに見える岬、あそこなら大分高い」
「僕もいま君と同じことを考えていた。あの岬なら九十メートルはある」
ゴードンが言った。
「この探検は僕が引き受ける」
ブリアンが言うと、すぐにドノバンが口をはさんだ。
「ふん、むだだよ、あんな所に登って何が見えるものか」
「ほかに高い所があるかい」
ブリアンはピシリと報《むく》いた。
湾の北のはずれに、岩だらけの岬が突《つ》き出ていることを読者も覚えているだろう。船から岬までは、海岸伝いなら六、七マイル(十キロメートル前後)、直線距離なら五マイルそこそこ。頂上に立てば、北方の様子がわかるはずだ。はたして、大洋の波が岸べを洗っているのだろうか。
岬探検は、ドノバンが強く反対したが、すぐにとりかかることにきまった。ドノバンの反対は探検にあるのではない。ブリアンにたてつくのが目的なのだとわかっているからである。
だが、ブリアンの出発は少し延びた。
翌日から天気が変わったのである。霧《きり》が深く、ぬか雨が終日降り続いた。
雨の間を、少年たちは、むなしく送りはしなかった。
ブリアンは、モーコーと二人で大きな水夫服を縮めて、十五人の冬服を作った。
ガーネットとバクスターは、干潮の時間になると川へ魚釣《さかなつ》り。ドノバンたち四人組は、フヮンをつれて猟《りょう》に出かけた。フヮンは、海の中であろうと撃《う》ち落とされた獲物《えもの》を目がけて勇ましく飛びこんで行く。
霧の日は獲物が多い。コックのモーコーは、てんてこまいの忙《いそが》しさ。それに、鵜《う》やかもめ、かいつぶりのように、どう料理したものかと頭をひねる獲物まである。あかあししぎ、別名カキトラエという鳥も撃ち落とした。この鳥は貝を常食にしている。いちばん多いのは、鳩《はと》、がちょう、野鴨《のがも》。あぶらののった肉の味はすばらしい。
雨は三月十五日になってやっと上がった。空いっぱいの雨雲も消えた。すがすがしい秋晴れである。ブリアンは、探検に出発しようと思った。ゴードンと二人で――と考えるが、それでは幼年組が気にかかる。
夜に入ると、気圧計は当分快晴が続くことを示していた。夕食のあとで、ブリアンはゴードンに言った。
「明日の朝、早いうちに船を出る。往復十マイルほどだから一日で帰って来る」
「くれぐれも気をつけてね。留守番《るすばん》は僕が引き受ける」
ゴードンはブリアンの手を握《にぎ》りしめた。
翌日の明け方、ブリアンはスルギ号の繩梯子《なわばしご》を下りた。まだみんなはぐっすりと眠《ねむ》っていた。
獣《けもの》などが出たときのために、杖《つえ》とピストルを持った。肩《かた》から望遠鏡をつるし、腰《こし》には小さな袋《ふくろ》を下げた。その中には、ビスケットとコンビーフ、ブランデーと水の小瓶《こびん》を入れた。
一時間も歩いたろうか。遠くまで猟に出かけるドノバンたちも、まだ足を踏《ふ》み入れてはいないところまできた。全コースの半分は歩いたことになる。道さえよければ八時には、岬のふもとに着ける。だが、そう簡単にはいかなかった。岩壁と波うちぎわの間は狭《せま》くなり、足を踏み入れるのがやっとだ。波のしぶきが顔にかかる。岩が続き、海藻《かいそう》が隙間《すきま》もなく生えている。この分では予定よりも二時間は遅《おく》れそうだ。
「満潮になったら弱るぞ」
ブリアンは独言《ひとりごと》を言った。
「このあたりは波をかぶってしまう。といって、潮の引くのをぼんやり待ってはいられない」
ブリアンは、足を急がせた。
靴《くつ》を脱《ぬ》いで、ひざまで水につかる所もあった。歩きながらも、ブリアンはあたりに注意をはらうことを忘れない。
猟にはもってこいの場所だ。頭の上で、鳩と野鴨の群れがざわざわと羽音をたてている。またあざらしがのんびり波に浮かんでいた。ブリアンを見ても逃《に》げようともしない。いままでに、人間を見たことがないのであろう。
「あざらしの住むのは寒い地方のはずだ。ここは、僕たちが考えているよりもずっと南極に近いのだな」
と、ブリアンは思った。
スルギ号は、東へ東へと流されたと思ったのは誤りで、じつは南東に向かったのであろう。
この考えは、岬に近づいたときに確かなものとなった。ブリアンは思わず叫《さけ》んだのである。
「やっ、ペンギンがいる」
浜《はま》べには、何百羽となくペンギンが群れているではないか。この鳥は南極地方の名物だ。ブリアンが近づくと、おどけた格好でヨチヨチと砂の上を逃げ回った。
ブリアンはすっかり疲《つか》れてしまっていた。やっとのことで岬のふもとに着いた時は、太陽はもう大分高くなっていた。十時近い太陽だった。ブリアンは岩の一つに腰を下ろした。安心したせいか、急に空腹を覚えた。まだ朝食をすませていなかったのだ。
腰の袋からコンビーフと飲物とを取り出した。
「これから先、十五人が、仲よくしかも元気に暮らしていくためにはどうしたらいいか」
食事をすませると、ブリアンは静かに友達の上を思った。何よりも心にかかるのは、ドノバンたちの態度である。あのままでは十五人の堅《かた》い団結などは思いもよらない。それでどうして困難に打ち勝つことができようか。
「僕の役目は、みんなが一つに溶《と》けあうように努めることだ」
ブリアンは堅く心に誓《ちか》った。次に、弟のジャックの上を――。どうやら、ジャックには、兄である自分にさえも言えないことがあるようだ。それは、何かの大きな過《あやま》ちを犯《おか》したのではないか。おそらくスルギ号がまだ岸壁《がんぺき》に横づけになっている時に。船にもどったら強く問いただしてみよう、とブリアンは思った。
一時間ばかり休んだおかげで、また元気が出てきた。いよいよ頂上を目ざす。
この岬は、花崗岩《かこうがん》の塊《かたま》りだ。それは、噴火《ふんか》によってできたものであることを物語っている。
上りは苦しい。岩かどに手を掛《か》けてよじ登るのである。だがブリアンは、学校では「登山家」とあだ名があるほど山登りは得意である。途中幾度《とちゅういくど》も足を踏みはずして、やっと頂上に着くことができた。
ブリアンはまず東から見ていくことにした。はるか奥《おく》まで平地がひろがっている。ゴードンと二人で洞穴《どうけつ》はないかと捜《さが》しまわった岩壁から、ゆるやかな傾斜《けいしゃ》を見せて伸《の》びていっている。平地の尽《つ》きる所には大きな森林があり、一筋の川がその間から海へ向かって流れている。
森林の先には地平線が走っていた。ここから三十マイルはあろうか。だがそこが海か陸か見きわめはつかない。
次に、北方にレンズを向けた。岬から七、八マイルの間は、一直線の海岸だ。その向こうにまた岬がある。その先も海岸で、砂浜が砂漠《さばく》のように続く。
南はどうか。ブリアンの立っている岬と湾をはさんで、もう一つの岬が突き出ている。そのかなたにひろがる海岸に沿って、沼地《ぬまち》がのぞかれる。これは、北方の砂浜とは全く違っていることだ。大陸か島かはまだきめられないが、もし島だとしてもそれは非常に大きいに違いない。
最後に、ブリアンは、スルギ号が二十日間戦った西の大洋に望遠鏡を向けた。太陽は、はるかな水平線に向かって傾《かたむ》きかけている。光が波にキラキラと砕《くだ》けてまばゆい。その時ブリアンは、十五マイルほど沖合《おきあい》に三つの黒い点のようなものを認めた。確かに船である。だが煙《けむり》が上っていない。元気づいたブリアンの胸に黒いかげがよぎる。レンズに写る黒点の位置はいつまでも動かない。ブリアンの喜びは失望に変わった。そして、やがてそれが島で、スルギ号がその近くを通りながらも立ちこめる霧のために見つけることのできなかったものだということがわかった。
もうすでに二時である。潮は再び引き始めた。岬のすそに群がる岩は一つ一つ頭を出していく。
引き潮の間に船にもどらなければならない。けれども、まだ島か大陸かを見きわめる目的は残っている。ブリアンはそれを捨てて帰ることにきめた。
太陽は、大分傾いた。岬を下りようとして、もう一度東の方へ望遠鏡を向けてみた。光線のぐあいで、さっきとは違ったものが見えるかもしれないと思ったからである。ブリアンは念入りにピントを合わせた。森林の先に走る地平線に沿《そ》って、一筋の線が見えるではないか。
「海か――」もし海だとしたらもはや北、南、西、東、すべてが海ということになる。四方海に囲まれているとすれば、ここは明らかに島だ。
突然《とつぜん》、ブリアンの口から大きな驚《おどろ》きの声がもれた。
「おお、海――海だっ」
いままで、ただ一つ疑問の残っていた東方も海であった。この地は大陸ではなかった。太平洋の果てに、波が置き忘れていったような孤島《ことう》――ブリアンはこう思った時、もはやニュージーランドに帰れる望みは全くなくなってしまったのだと知った。
ブリアンは、眼の前がまっくらになったような気がした。だが、スルギ号の十四人の友達の上を思うと、ここで絶望してはならないと自分に言い聞かせた。
下りはらくだった。ふもとまで十五分とはかからなかった。朝の道を飛ぶように歩いてブリアンがスルギ号に着いたのは、五時に近かった。
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第六章
[#この行4字下げ]ブリアンの報告――探検隊の計画――悪天候――魚釣《さかなつ》り――亀《かめ》に乗ったコスターとドール――出発の準備――南十字星に祈《いの》る
その夜のこと。食事をすませると、年上の少年たちは、ブリアンを囲んで探検の結果を聞いた。
「やっぱり孤島だ。こうなれば沖合《おきあい》を過ぎる船に、助けを求めるよりない」
ブリアンの話が終わると、聞いていた少年たちの顔にはサッと失望の色が走った。その時、いつものようにドノバンがすっくと立ち上がった。
「あきらめるのはまだ早い。ブリアンの見まちがいかもしれないじゃないか」
「それなら僕《ぼく》もうれしいよ。だけど、僕は東方にはっきり青い水の色を見たんだ」
ブリアンは自信にみちていた。
「僕は、君の言うことを信じないね。自分の眼《め》で見届けるまでは」
ドノバンは冷たく言う。この時、二人の間にまた言い合いが始まってはと、ゴードンが口を開いた。
「ここが大陸であるか島であるかは、僕たちにとっての大問題だ。いっそ、ブリアンの見たという東方の海岸まで、遠征《えんせい》してみたらどうだい」
「それがいい。早いとこでかけようよ。そろそろ天気が悪くなりだしている。もし、大陸ときまったら、すぐにもここを出発しなければならない」
バクスターが言った。ゴードンはそれに答えた。
「僕は、天気さえよければ明日にも出発したらと思う。この遠征は二、三日かかるものと見なければならない。それに、森の中を行くのだから、途中で天気が悪くなると大変だ」
「君の言う通りだ。遠征隊が島の向こうがわに着いたら……」
ブリアンが言いかけると、横からドノバンが声を張り上げた。
「よしてくれ。島だなんて、まだきまりもしないうちに」
「島だ。まちがいない。僕はこの眼ではっきり見たんだ」
「誰《だれ》にだってまちがいはあるさ」
ドノバンの言葉にブリアンは言った。
「よし、それならドノバン、僕と一緒《いっしょ》に行ってみようじゃないか」
「望むところだ」
ドノバンも負けずに言い返す。
「僕も行く」「僕も」
二人の話を聞いていた三、四人が、声をそろえて叫んだ。ゴードンが手を振《ふ》った。
「まあ落ち着けよ。こんな時にあわててはだめだ。いいかい、僕たちがみんなこの遠征に加わるわけにはいかない。小さい人たちの世話がある。それでブリアン、ドノバンに入ってもらうことにして、あとは二人でいいと思う」
「一人は僕だ」
まずドノバン組のウィルコックスが名のりを上げた。すかさず、ブリアンと仲の良いサービスが叫んだ。
「僕も行こう」
「よし、じゃ君たち四人にきめよう。君たちは、このスルギ号が十五人の家であることを忘れないでほしいな。もし帰りがあまり遅《おそ》いようだったら、迎《むか》えに行くよ」
遠征隊の四人は、その夜すぐさま準備を整えた。だが、あいにく翌日から天候ががらりと変わった。冷たい雨がしとしとと降り始め、強い風さえも加わった。おかげで船はいたむ一方だ。横腹には大きな口があいた。船室は雨漏《あまも》りがする。タールを塗《ぬ》った防水布を甲板《かんぱん》にはって雨漏りを防いだ。ドノバンたち四人組は、雨の晴れまを見ては、あいかわらず鉄砲《てっぽう》をかついで狩《か》りに出かけた。ガーネットとサービスは幼年組を連れて魚釣り。海では鱈《たら》がよく鉤《はり》にかかった。河口では川鱚《かわぎす》が釣れた。鱈は味もいいし、塩づけにしてとってもおけるのでありがたい獲物《えもの》なのだ。
三月二十七日のことである。愉快《ゆかい》な事件が起きた。この日、午後になって雨がやんだ。待ち構えていた幼年組は、釣竿《つりざお》を抱《かか》えて川へと出かけた。ゴードン、ブリアン、サービス、モーコーは、金鎚《かなづち》をふるって甲板の修繕《しゅうぜん》に忙しかった。
と、とつぜん、甲高《かんだか》い叫びが聞こえてきたのである。
「早く来てー」
ジェンキンスの声だ。甲板の少年たちは、仕事をやめると急いで繩梯子《なわばしご》を下りた。幼年組の声は続く。
「早くー、コスターが馬に乗っているんだよ」
「ブリアン、急いで」
アイバースン、ジェンキンスがわめきたてる。それにまざって、「止めて、止めて、こわいよう」と、コスターの泣き声が聞こえてくる。ゴードンたち四人が駆《か》けつけてみると――。なんと、大きな海亀が背にコスターとドールを乗せて、浜《はま》べをいっさんに逃げて行くではないか。ドールはコスターの腰《こし》をしっかりとつかまえている。ジェンキンス、アイバースンが亀の首に巻きつけた綱《つな》を引っ張るのだが、亀はビクともしないで、古巣《ふるす》の海へとまっしぐらに進んで行くのだ。
「こわいよう、止めてー、止めてよー」
コスターは亀の背でわめいている。何事かと心配して駆けつけて来ただけに、ゴードンたちは笑ってしまった。
「しっかりつかまれ、コスター」
「馬に手をかまれるなよ」
ゴードン、サービスがからかう。だが、いつまで笑ってもいられない。もし、ドールがコスターの腰の手を離《はな》せば、激《はげ》しく砂にたたきつけられる。あるいは、亀はコスターを乗せたまま海へ飛びこんでしまう。ブリアンたちも綱を握《にぎ》った。しかしずるずると引きずられた。ゴードンとブリアンはピストルを握っているが、あつい亀の甲羅《こうら》では弾丸《たま》ははね返るばかりだろう。斧《おの》で攻《せ》めたてても、頭と足をすばやく甲羅の中へ隠《かく》してしまうにきまっている。
亀をつかまえるにはどうしたらいいか。少年たちは途方にくれた。ゴードンがその時、「いいことがある」と手をたたいた。
「亀をひっくりかえしてしまうんだ」
「あいつの目方は、どうしたって三百ポンド(約百三十五キログラム)はあるぜ」
「だいじょうぶだ、丸太を使おう」
ブリアンがスルギ号へ大急ぎで走って行った。モーコーがあとに続いた。亀はあと三十メートルで海に飛びこんでしまう。ゴードンは走り寄ると、コスターとドールの手を握って亀からおろした。そして少年たちは、力を合わせて綱を引っ張った。この綱引は、チェアマン学校の生徒がみんなでかかったって勝てそうもない。ちょうどそこへ、ブリアンとモーコーが丸太をかかえてもどってきた。亀は、もう波打ちぎわに着いていた。
すばやく、二、三本の丸太を亀の腹の下にすべりこませた。それをてこにして、少年たちはまんまと亀をひっくり返した。こうなれば少年たちのものだ。大あわてに首を引《ひ》っ込《こ》めようとしたところを、ブリアンが斧を振り下ろした。
ブリアンは、恐《おそ》る恐る亀をのぞきこんでいるコスターに笑いかけた。
「どうだ。まだこわい?」
「死んだ亀なんか、ちっともこわくないさ」
「それじゃ、こわがらずに肉を食べるね」
「おいしいの」
「亀の肉は、とびきり上等な御馳走《ごちそう》ですとも」
モーコーが白い歯を光らせて笑った。
「もちろん、おいしいなら食べるよ」
大喰《おおぐら》いで有名なコスターだ。もう舌なめずりしている。
この大きな亀を、船まで運ぶことはとうていできない。それで、斧で幾つもの塊《かたま》りにたちわった。これは何としても気持のいい仕事ではなかった。だが、少年たちは、島で暮《く》らしていくためには、どんなことにでも勇敢《ゆうかん》に取り組まなければならないのだ。いちばん骨がおれたのは腹の殼《から》だった。堅くて、てんで斧を受け付けない。それで、のみ《ヽヽ》を使ってやっと肉をほじくり出すことができた。
その日の夕食には、亀の料理が次々に運ばれた。コックのモーコーが腕《うで》をふるったのである。スープもうまかったし、焼肉も黒く焦《こ》げてはいたが結構食べられた。フヮンも余りをもらって大喜びだった。
この海亀の肉は、計ってみると十五ポンドもあった。これだけあれば、大いに食糧《しょくりょう》の節約に役立つ。
こんな愉快なできごともあって、雨の多い三月は終わった。
少年たちが島で暮らすようになって、すでに三週間が過ぎた。いまこそ少年たちは、真剣《しんけん》に冬に備えなければならなかった。それには、この地が大陸か島かを見きわめることがどうしても必要である。
幸い、四月一日になると、雨も風もやんだ。気圧も急に上がり、当分の間は好天気が続きそうであった。
いよいよ、東方の遠征にとりかかることになった。ゴードンは、四人の遠征隊の少年に向かって言った。
「今度の遠征は、ただ東方が海かどうか見きわめるばかりではない。住めるような洞穴《どうけつ》を見つけることも忘れないでくれたまえ。このスルギ号で冬を送ることは、考えただけでも恐ろしいからね」
「だいじょうぶだ、ゴードン、僕たちはきっといい洞穴を見つけて帰って来るよ」
ブリアンが言った。すかさずドノバンが言葉をはさんだ。
「危ないもんだな。もし洞穴が見つからなかったら、すぐにもここを出発することにしたいね」
ゴードンはたしなめるように言った。
「とにかくベストを尽《つ》くしてくれたまえ」
出発の準備はすぐに整った。四日分の食糧と弾薬《だんやく》を袋《ふくろ》に詰《つ》めた。めいめい、鉄砲とピストルを持つことにした。その他二|梃《ちょう》の手斧、ポケット用の磁石、望遠鏡、毛布、マッチ、火打石を用意した。
ゴードンは、遠征中にブリアンとドノバンとが争いを始めないかと心配でならない。だが、幼い少年たちの事を考えると、自分はこの遠征に加わることはできない。それで、ブリアンにひそかに言った。
「ドノバンがどんな無理を言っても、相手にしないように頼《たの》むよ。いいかい」
ブリアンは大きくうなずいた。
夜になると空にわずかばかり残っていた雲も消えうせた。天気は定まったらしい。まもなく南方の地平線に降るように星がきらめきはじめた。その中には南極に近い地方にだけ見える南十字星があった。
短いとは言えしばらくの間別れるのだと思うと、少年たちは互《たが》いに寂《さび》しかった。遠征隊の行く手には、どんな危険が待ち構えているかしれない。十五人の少年たちは眼を天上の星に向けた。胸に浮《う》かんでくるのは、遠い故郷のなつかしい両親、学校の友達の顔――思うと胸がしめつけられるようであった。幼い少年たちは、教会で十字架《じゅうじか》の前にひざまずいた時のように、きちんとひざまずいて南十字星に祈りをささげた。
少年たちには、宇宙を作り給《たも》うた全能の神に救いを求めるよりほかなかったからである。
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第七章
[#この行4字下げ]樺《かば》の林――断崖《だんがい》の頂上――森を抜《ぬ》けて――小川――野宿――荒《あ》れ果てた小屋――フヮンの発見
翌朝七時、ブリアン、ドノバン、ウィルコックス、サービスの四人は、スルギ号をあとに東方の遠征の旅に出発した。
雲一つない空に太陽がおごそかに上った。暑くも寒くもない北半球の十月に見られるような、気持のいい日和《ひより》だった。
十五分も歩くと、四人の少年は林の中に足を踏《ふ》み入れた。小鳥がバタバタと飛び立つ。ドノバンが口惜《くや》しそうに見送る。先を急がなければならないのだ。
フヮンは、クンクン積もった落葉の匂《にお》いをかぎながら、一行の先になったりあとになったりしてついてくる。岩壁《がんぺき》のふもとまで行き、そこからブリアンが東方に海を見たという岬《みさき》へ道をとることにした。岬の頂上をきわめてから、東方めざして進もうというのである。これはかなりの道のりだが、安全で、しかも確実らしく見えた。
ブリアンは、ふとサービスの姿が見えないのに気がついた。ついいましがたまで、一行の右手百メートルほどに見える岩壁の出っ張りのあたりを、フヮンを連れて歩いていたのである。
「サービス、サービス」
だが、すぐにサービスの声が聞こえた。フヮンがけたたましく吠《ほ》え立てている。サービスの身に、何か危険が迫《せま》ったのか。
「おーい、ここだ」
サービスは岩壁の深い裂《さ》け目の前で呼んでいた。それは、焼けつくような太陽の熱と、冬のきびしい寒気を受けたためであろう、岩壁に一筋の裂け目ができているのであった。岩壁は四十五度か五十度ぐらいの傾斜《けいしゃ》で、しかも、岩かどが所々飛び出ているので、足を掛《か》けるのには好都合である。もし、足を踏みはずしさえしなければ、頂上に達することができる。ドノバンがまず元気よく最初の岩に飛び上がった。
「早まってはいけない」
ブリアンが声をかけたが、ドノバンは振《ふ》り向《む》きもしないで岩から岩へと上って行く。続いて三人の少年たちも。
三人が頂上にたどりついてみると、ドノバンは望遠鏡で東方を眺《なが》めていた。眼《め》の届く限り森と空である。
「どう、海が見える?」
ウィルコックスがたずねた。
「見えるわけがないよ」
ドノバンは満足そうに振り向いた。
「こんどは僕《ぼく》が見よう」
ドノバンはウィルコックスに望遠鏡を渡《わた》した。
「僕にも水の色は見えないね」
そして、ちょっと東方を眺めやったが、ウィルコックスは望遠鏡を眼からはなした。
「ブリアン、どうやら君のまちがいらしい。見たまえ」
ドノバンは、ブリアンに望遠鏡を差し出した。
「それは当たり前だ。ここは岬よりも三メートルも低い。君だってあの岬の頂上に立てば、いやでも六、七マイル(十キロメートル前後)の先に、水色の線が走っているのを見るだろうよ」
「言いのがれがうまいね」
「言いのがれだって! よし、うそだと思うなら、森をまっすぐに行ってみよう。必ず海にぶつかる」
「そんなむだなことはごめんだ」
ドノバンはブリアンに言った。
「よし、それなら君たちは残りたまえ、僕とサービスで行くから」
ブリアンは、ゴードンとの約束《やくそく》を守って怒《いか》りを抑《おさ》えた。
「僕たちも行こうよ。ドノバン、そうときまれば、さあ出発だ」
ウィルコックスはドノバンを促《うなが》した。それを聞いて、サービスがあわてて言った。
「まあ、そう急ぐなよ、昼食を食べてから出発ということにしよう」
三十分ほどで、早めの昼食をすませた。四人は東方へ向かって歩き始めた。一マイルほどはらくだった。柔《やわ》らかい草がぎっしりと生えており、所々|苔《こけ》むした石の丘《おか》があった。寒い地方にも花を開く羊歯《しだ》、ヒース、バーベリの草むらもあった。森にかかると、たけ高い草がぎっしりと茂《しげ》っていた。太い樹《き》がごろごろと倒《たお》れていた。ちょうど、新世界(アメリカ大陸のこと)の密林に分け入る開拓者《かいたくしゃ》たちのように、斧《おの》で草を切り倒して進むのだ。足よりも腕《うで》が疲《つか》れてしまう。
正午になっても、やっと三、四マイル歩いたにすぎない。森のどこにも、かつて人間が足を踏み入れたらしい気配はなかった。倒れた樹も、自然に老い朽《く》ちたのであろう。草むらが荒々《あらあら》しく踏み倒されているのも、野獣《やじゅう》の通った跡《あと》らしい。
午後二時ごろ、少年たちは小さな流れにぶつかった。北アメリカでは、クリークとよぶ小さな河である。
澄《す》んだ水がゆるやかに岩の床《とこ》の上を流れていた。ちり一つ浮《う》かべていないのは水源地が近いことを示しているのであろう。
「おかしいぞ」
岸べに立ったドノバンが流れを指さした。
「見たまえ、まるで、誰《だれ》かが飛び石で橋を作ったようだ」
流れの一カ所には大きな平らな石が、向こう岸まである間隔《かんかく》で頭を出しているのだ。少年たちは念入りに調べてみた。だが、この石を人間が置いたものときめることはできなかった。永い年月の間に、流されて来た石が、自然の橋を作ったのかもしれない。
クリークは北東に向かって流れていた。ブリアンが見た東方の海に注ぐのではなかろうか。
少年たちは、クリークを渡ると岸に沿って下った。下流へ行くにつれて河幅《かわはば》は広くなり、渡りにくくなるかもしれないからである。二、三カ所流れの中にまで根を張る木が、岸から岸へと枝《えだ》を伸《の》ばして河筋は見えなくなったが、下るのはたやすかった。
流れは、西へと方向を変える所もあり、行けども行けどもその河口ははるか遠く、流れはゆるやかで、河幅は一向に広くならなかった。五時半近く、河は北方に流れていくことがわかった。このまま河に沿って行っては回り道である。ふたたび林の中に道をとることにした。
こんどは河岸のようにらくではない。自分たちの頭よりも高い草を、斧で倒しながら進むのである。
離《はな》れ離れにならないために名前を呼び合った。一向に森は終わりそうもない。ブリアンは不安になってきた。
「ドノバンの言う通り、あの岬から海を見たと思ったのは、自分の眼の誤りだったのだろうか」
だがブリアンは、心の中できっぱりと打ち消した。
「いや、違《ちが》う、確かに青い水の色だった」
夕方七時近くなったがなおも森は続く。
やみは濃《こ》くなり、もう一歩も進むことはできない。少年たちは、野宿をすることにきめた。
コンビーフとクラッカーで簡単に夕食をすますと、大きな松《まつ》の木の根もとにからだを横たえた。寒さを防ぐのは毛布だけだった。土人が見つけるといけないからと、火をたくわけにはいかない。
ところが、サービスは、二、三メートル離れた所に大きな茂みがあるのを見つけた。茂みの真ん中には、暗やみでよくはわからなかったが一本の樹が立っていた。その枝は地面までたれていた。茂みの中には、枯葉《かれは》が深々と積もり、自然のベッドができている。少年たちは、松の根もとから移ると眠《ねむ》りについた。
翌朝、少年たちが眼をさましたのはもう七時近かった。真っ先に茂みから出たサービスは、とつぜん高い声をはりあげた。
「ブリアン、ドノバン、ウィルコックス、来てごらん、大変だ」
三人が茂みから出ると、サービスが、
「僕たちの野宿した所を見たまえ」
サービスが驚《おどろ》いたのも無理はない。少年たちが一夜を明かしたのは茂みではなかったのである。小屋《アジュッパ》と呼ぶ、木の枝であんだインディアンの住居ではないか。小屋は、建てられてからすでに永い年月がたったことは確かである。屋根と壁《かべ》には太い木が残っているばかりだ。
「どうだい、無人島ではなかった」
ドノバンはすっかり元気づいて言った。
「少なくとも、昔《むかし》はね」
ブリアンは答えた。
「これで見ると、昨日クリークにあった|飛び石《フット・ブリッジ》も人間が作ったものだね」
ウィルコックスが言った。
「とにかくありがたい土人だよ。ちゃんと僕たちのために寝《ね》る所を作っておいてくれたのだからな」
サービスが笑いながら言った。
だが、はたしてサービスの言う通り、ありがたい土人たちだろうか。
もし、この土地が新世界(アメリカ大陸)に属するならば、かつてこの小屋を作ったのは、アメリカインディアンであることはまちがいない。だが、オセアニア(大洋州)の島の一つであるとしたら、ポリネシア(豪州《ごうしゅう》東部の群島)人か恐《おそ》ろしい人食い人種かもしれない。
少年たちの不安は濃くなった。小屋の回りを詳《くわ》しく調べてみることにした。さらに、人間の残した道具でも見つけることができるかもしれない。
四人の少年は、枯葉の上をたんねんに調べた。サービスが土器のかけらを見つけた。明らかに人間の作ったものだ。なおも捜《さが》したが、もう何も発見できなかった。少年たちは、さらに、磁石を頼《たよ》りに森の中をまっすぐに進んだ。ついに、十時少し前、森のはずれに出た。
たちじゃこう草、ヒースが一面に生えている草原であった。だが、その東、半マイルほど先には、砂浜《すなはま》が続き、ブリアンが見た青い波が静かに打ち寄せていたのである。
いまこそ、疑いをはさむ余地はなかった。
この地は孤島《ことう》であった。
ブリアンたちは、砂丘《さきゅう》の上に腰《こし》を下ろした。朝食をすませて、また元の道をもどらなければならない。
誰も、一言も発しなかった。
「さあ、出発しよう」
ドノバンが立ち上がると、袋と鉄砲《てっぽう》を肩《かた》にした。
四人は、海に向かって別れの視線を投げた。その時である。急に、フヮンが水ぎわへ走って行った。
「やあ! 水を飲んだぞ!」と、何げなく見送っていたドノバンが叫《さけ》ぶと、砂浜を矢のように波打ちぎわへと走った。そして両手で水をすくい、口にもっていったが、大きな声を立てた。
「真水《まみず》だ!」
なんと、海と思ったのは湖水であったのだ。
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第八章
[#この行4字下げ]湖水の西岸へ――駝鳥《だちょう》発見――岩壁《がんぺき》を巡《めぐ》る――船つなぎ場――ボートの名残《なご》り――刻まれた文字――洞穴《どうけつ》
島か、大陸か――少年たちの運命を握《にぎ》る大問題は、またもわからなくなってしまった。眼《め》の届くかぎり青い水である、このような大きな湖水があるのは、島でないようにも思える。
「大陸だとすれば、アメリカ大陸に違《ちが》いない」
ブリアンが言うと、ドノバンは得意そうに笑った。
「僕《ぼく》は、前からそう思っていたんだ。僕の方が正しかったわけだ」
「だけど、僕が岬《みさき》の上から見たのが水の色だったことは、嘘《うそ》ではなかったろう」
「君は海だって言ったぜ」
ドノバンは勝ち誇《ほこ》ったように言った。
すでに、四月の初めである。南極地方の冬は早い。たとえこの地が大陸であるとしても、東方を目ざして出発するのは、春が訪《おとず》れるまで待たなければならない。しかも、スルギ号は日増しにいたんでいく。この月の終わりまでには、どうしても船を去らなければならない。
住居になる洞穴を見つけることも探検の目的である。この湖水の岸べに住居となる場所を見つける必要がある。食糧《しょくりょう》は、まだ二日分は十分だ。天気も変わりそうにない。
しかも、川に掛けられた飛び石の橋、土人の小屋は、かつて人間が住んだことを表わしている。さらに念を入れて捜せば、他《ほか》にも見つけられるかもしれない。
少年たちは探検を続けることにきめた。問題は、コースを南へとるか北へとるか。南へ向かえば、スルギ号に近くなる。少年たちは南に向かうことにした。
湖水の岸を南へ、その日十マイルも歩いた。だが、どこにも、この土地に人間の住んでいた跡《あと》は見当たらなかった。木の間から煙《けむり》も立ち上らず、砂の上には人間の足跡はなかった。
午後、右手の林の中に、大きな鳥が見え隠《かく》れするのが見えた。サービスがうれしそうに叫《さけ》んだ。
「駝鳥だ」
「それにしては小さすぎる」
ドノバンが言った。
「駝鳥がいるとすると、ここが大陸なら……」
「まだ、君はそれを疑っているのか」
ドノバンが腹立たしそうに言った。
「僕は、アメリカ大陸かもしれないというのだ。あそこには、駝鳥が多い」
夜七時ごろ、一行は、またもや川で行く手をさえぎられた。これが湖水から流れ出ていることは明らかであった。
昼間の疲《つか》れで、少年たちは、たとえ大きな雷《かみなり》がそばに落ちても目をさまさないほどぐっすりと眠《ねむ》った。
翌朝、ブリアンが仲間を起こしたときは、七時近くなっていた。川の向こう岸に眼をやった少年たちは驚《おどろ》きの声をあげた。前日は暗やみでわからなかったが、対岸は一面の沼地《ぬまち》であった。
「昨日、川を渡《わた》らなくてよかった」
「沼に足を取られて弱ったぜ」
少年たちは話し合った。ドノバンは早くも、
「野鴨《のがも》がいる、しぎも」
と、眼を輝《かがや》かせた。
このあたりに冬に備える住居を発見できれば、狩《か》りの獲物《えもの》には困らないであろう。
一行は出発した。川について下った。右手には高い岩壁が見えた。この岩壁はスルギ湾《わん》から見える岩壁の南のはずれであろうか。右岸は幅二十メートルで、川は岩壁のふもとへと流れている。
左岸は狭《せま》く、南にひろがる沼地とほとんど見分けがつかない。この川がどう流れていくか、それを確かめるためには、岩壁に登る必要があった。ブリアンは、スルギ湾に帰るまでには、岩壁に登って確かめようと思った。
「あれを見たまえ」
とつぜん、ウィルコックスが叫んだ。川岸に、石を積み重ねた船つなぎ場の跡があったのである。
「あそこにも」
ドノバンは、あたりに散らばっている木片《もくへん》をさした。
ボートの名残りである。なぜなら、苔《こけ》の生えた丸太がころがっていた。その形から判断すると、ボートの竜骨《キール》である。しかも、その端《はし》にはさびついた鉄の輪がついていた。
少年たちは、身動きもせずに立ち尽《つ》くした。かつてこのボートをこぎ、この船つなぎ場を作った人が、いまにも現われてくるような気がしたのである。しかし、もちろん、誰《だれ》も現われはしなかった。ボートがこの川岸に捨てられてから永い年月がたったのであろう。持主の運命はどうなったのか。
「フヮンの様子がおかしい」
サービスが言った。フヮンは急に、耳をピンと立て尾《お》を強くふると鼻を地面にこすりつけた。
「何か、かぎつけたな」
ドノバンが、犬の方に走り寄った。
フヮンは前足を上げると岩壁の方へと走り出した。
ブリアンたちはあとを追った。まもなく、一本のぶなの老木の前に出た。幹には、次のように、姓名《せいめい》の頭文字《イニシアル》と数字が刻みこまれていた。
(図省略)
四人の少年が、幹に瞳《ひとみ》を釘《くぎ》づけされたように見つめていると、またフヮンが走り出した。岩壁のはずれまで行くと、姿が消えた。
「フヮン、フヮン」
ブリアンが後ろから呼びかけたが、もどってこない。
「キャン、キャン」と吠《ほ》え立てる声だけが聞こえる。
「危ないぞ、みんなかたまれ」
ブリアンは言った。インディアンの一隊が、近くにひそんでいるかもしれない。手には弾丸《たま》を込めた鉄砲とピストルを握りしめ、少年たちは進んだ。岩壁のかどを曲がった所で、ドノバンは立ち止まって何かを拾い上げた。それはさびついた鋤《すき》であった。ポリネシア人たちの作るような、粗末《そまつ》なものではない。アメリカ人かヨーロッパ人の手になったものである。そればかりではない。岩壁のふもとには畑の跡があり、わずかに畝《うね》が残っていた。一区画では、ジャガイモが野生となって伸びほうだいである。
またフヮンの声が静かな空気をふるわせた。フヮンはまっしぐらに駆《か》けて来ると、少年たちを見上げて、ついてくるようにと訴《うった》えるのであった。
「行ってみよう、何か見つけたんだ」
ドノバンはウィルコックスとサービスに指で合図した。フヮンは、岩壁の前の野ばらの茂《しげ》みの前で止まった。
ブリアンは、からみあった林の中に危険な動物が隠《かく》れてはいないかと、静かに進んだ。が、後ろを振《ふ》り向《む》いて叫んだ。
「おーい、洞穴があるぞ」
三人は走り寄った。野ばらの茂みを通して、岩壁に狭い口が開いているのが見えた。
「洞穴の中に、何かいるのかな」
「じきにわかるよ」
ブリアンは、斧《おの》で入口をふさいでいる木の枝を伐《き》った。サービスはせっかちだ。すぐに洞穴に飛び込もうとしたが、ブリアンが止めた。
「フヮンがどうするか見よう」
犬は狂《くる》ったように吠え立てている。もし、洞穴の中に猛獣《もうじゅう》が隠れていれば、飛び出して来るに違いない。何も、出ては来なかった。
ブリアンは、乾《かわ》いた草の束《たば》を作ると、火をつけてポイと中に投げ込んだ。草はパチパチ音を立てて燃えた。空気は害がないようだ。
「中に入ろう」
ウィルコックスがせきたてる。
「待ちたまえ、明かりがなくてはだめだ」
ブリアンは、松の木の枝を切り落として火をつけた。少年たちは、続いて洞穴の中へ入って行った。
洞穴の入口は、高さ一メートル半、幅《はば》六十センチである。だが、奥《おく》は、高さ三メートルから四メートル、幅六メートルの部屋になっていた。
床《ゆか》はさらりと乾いた砂が敷《し》きつめてある。部屋に足を踏《ふ》み入れた。ウィルコックスは椅子《いす》につまずいてころんだ。それは、テーブルと同じく手製のものである。そしてそのテーブルには、土で作った水差し、大きな貝殼《かいがら》――皿《さら》の代用品であろう――、刃《は》のこぼれたさびついたナイフ、釣針《つりばり》が二、三本、錫《すず》のコップが一つ載《の》っていた。水差しも、コップも、もちろん中は空《から》である。
壁には大きな木の箱《はこ》が据《す》えてあった。中には古びた衣服が入っていた。
部屋の奥には、中身のはみ出した藁布団《わらぶとん》があり、地の薄《うす》くなった毛布が掛《か》かっていた。
ベッドのすぐ横の腰掛けには、コップと木でつくった蝋燭立《ろうそくた》てが載っかっていた。
少年たちは、ベッドの前に来ると、思わず二、三歩後ずさりした。毛布の中に、この部屋の主のなきがらが隠されていると思ったからである。だが、ブリアンが、勇気をふるってパッと毛布をはねのけた。
ベッドは空《から》であった――。
一通り洞穴を調べ終わると、少年たちはまた入口にもどった。
フヮンは、外で激《はげ》しく吠え立てている。少年たちは、フヮンのあとについて二十メートルほど川岸を下った。
とつぜん、四人は止まった。恐《おそ》ろしさに、足は一歩も前に進まない。
大きなぶなの、こぶだらけの根の間の土に、人間の骨が散らばっていたのだ――。
この洞穴に、数年にわたって住み、ついに世を去っていった不幸な人の骨である。故郷から遠く離《はな》れ、死んでも墓さえも無いとは、なんと寂《さび》しい生涯《しょうがい》であろう。
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第九章
[#この行4字下げ]洞穴《どうけつ》の中――投げ弾丸《だま》と投げ繩《なわ》――銀時計の発見――一枚の地図――スルギ号めざして
少年たちは呆然《ぼうぜん》と立ちすくんだ。驚《おどろ》きと恐《おそ》ろしさのあまり声も出ない。この骨となった人はいったい誰《だれ》か。難破船の乗組員ではなかったのか。救いを求め続け、ついに寂《さび》しくこの世を去っていった――。
少年たちの胸には、次から次へと疑問がわきあがってくる。中でもいちばん大きな謎《なぞ》は――なぜ、この人はこの人里|離《はな》れた洞穴で生涯を終えなければならなかったのか、この土地が大陸ならば、奥地の都会、または海岸の町を訪ねていけばいいではないか、ということであった。その道が、長く、かつ困難だったからなのか。この謎を解く鍵《かぎ》が、もっと詳《くわ》しく洞穴の中を調べれば見つかるかもしれない。
「さあ、もう一度、洞穴に入ってみよう」
ブリアンは、三人を促《うなが》した。
洞穴に足を踏《ふ》み入れてまず眼《め》についたのは、右の壁《かべ》に添《そ》って立つ戸棚《とだな》の蝋燭《ろうそく》であった。洞穴に住んだ人が自分で作ったものである。サービスが、すぐさまその一本に火をつけ、蝋燭立てにはさむと、少年たちはいよいよ調査に取りかかった。
洞穴の中には、湿気《しっけ》が全くなかった。空気の入る所といえば戸口しかないのだが、岩壁《がんぺき》は花崗岩《かこうがん》のように乾《かわ》いている。西側の壁で海からの風を防いでいた。窓がないので、薄暗いが、これは壁に穴を打《う》ち抜《ぬ》けばすむことだ。それに、いますぐ、少年たちの望むように、寝室《しんしつ》、食堂、台所、物置に分けて使うだけの広さはないが、冬の五、六カ月の住居と考えれば申し分がない。
調査が進むにつれて、かつて洞穴の主人だった人は、すべてのものを使い果たした末に死んでいったことがわかってきた。難破船の名残《なご》りと思えるものは、折れた二、三本のマストだけだ。それをいろいろに工夫して、道具を作ったのだ。その外、鋤《すき》、斧《おの》、二、三の炊事道具《すいじどうぐ》、ブランデーが入っていたらしい小さな樽《たる》、金鎚《かなづち》二本、鑿《のみ》、鋸《のこぎり》などが発見された。
これらの品物のある物は、川岸の船つなぎ場のいまは木屑《きくず》となってしまったあのボートに乗せて、難破船から運び出したものであろう。
「僕《ぼく》たちは、この人に比べれば、ずっとたくさんの品物や道具を持っている」と考えて、少年たちは少し元気を取りもどした。
さらに、欠けたポケットナイフ、湯わかし、|鉄びん《アイアン・ポット》、|船の綱通し《マーリング・スパイク》を発見した。だが、どうしたことか、望遠鏡も、磁石も、鉄砲《てっぽう》も見当たらない。
「鳥や獣《けもの》はどうして捕《とら》えたんだろう」
「きっと、罠《わな》か落とし穴を使ったんだよ」
少年たちは話し合った。その時である。ウィルコックスが、身をかがめると、床から何かおかしな物を拾い上げた。丸い二つの石を、しっかりと紐《ひも》で結び合わせたものである。
「なんだい、これは」
「おもちゃじゃないか」
サービスが笑いながら言った。
「見せたまえ、おもちゃだって――」
ブリアンは、石をてのひらに載《の》せて眺《なが》めた。やがて言った。
「わかったよ。これは投げ弾丸といって、南アメリカのインディアンたちが使う猟《りょう》の道具だ。これを投げて、動物を動けなくしておいて、まんまと生けどりにしてしまうのさ」
投げ弾丸の近くでは、やはりインディアンが、動物を生けどりにする時に使う投げ繩も発見された。確かに、少年たちは、この洞穴の住人に比べればはるかに恵《めぐ》まれている。
だが、ただ一つの、しかも大きな違《ちが》いがある。彼《かれ》は一人前の大人であるが、少年たちは、八|歳《さい》の子どもを交えた小学生であることだ。
ところで、いままで発見された品物からは、彼はただの水夫に過ぎないのか、学問のある船員《オフィサー》なのかはわからない。だがその答えはすぐに出た。
ウィルコックスが、壁の釘《くぎ》に下がっている時計を見つけたのである。時計の側《がわ》も、鎖《くさり》と鍵も銀である。こんな上等の時計をぶら下げるのは、船長か高級船員だけだ。冒険《ぼうけん》小説好きらしく、サービスが言った。
「この人が何時何分に死んだか調べてみようや」
「だめ、だめ、時計の止まったのは、持主の死ぬ数日前だよ」
ブリアンが笑いながら時計の蓋《ふた》をこじあけようとした。だが、さびついているのでなかなかあかない。
やっとのことで、パチンと蓋をはねのけると、針は三時二十七分をさして止まっていた。
「蓋に、時計屋さんの名前が刻んであるものだぜ――それを見たら、時計の持主がどこの国の人かわからないかな」
ドノバンが言った。
「いいことに気がついてくれた」
ブリアンは、うなずいて、時計を眼に近づけた。
「Delpleuch《ドルプリュシュ》 Saint《サン》 Malo《マロー》.」と、蓋の内側には刻みこまれていた。
「これは、フランス人の名前だ。この洞穴に住んだのは、僕の国の人だ」
ブリアンは、しみじみとした口調で言った。
この洞穴に、かつて一人の不幸なフランス人が住んだ。しかも、彼は死に、不幸から解き放たれることはなかった。
さらに、ドノバンがベッドを動かすと、床に一冊の帳面が現われた。
永い年月が帳面の紙を黄色に変えていた。鉛筆《えんぴつ》の字もかすれて読めない。それでも、ブリアンは、やっと、|Francois Baudoin《フランソワ・ボードアン》≠ニいう文字を見つけることができた。あのぶなの木の幹に刻みつけてあった頭文字《イニシアル》、F. B. と一致《いっち》することを思うと、洞穴《どうけつ》の主人の名前であることがわかる。
この手帳は、おそらく、彼がこの土地に住みついてから死ぬまでの記録であろう。ブリアンは、さらに、|Dugay Trouin《デュゲー・トルーアン》という文字を読むことができた。これは、難破船の名前ではあるまいか。手帳の第一ページには、頭文字の下にあったのと同じ一八〇七年という数字があった。おそらく難破の年であろう。フランス人、フランソワ・ボードアンが、この土地に住みついてから今日まで、五十三年の歳月が流れたのだ。その永い洞穴の生活の間に、ついに、救いの手を握《にぎ》ることができずに死んでいったのである。少年たちは、自分たちの運命の重大さを、ひしひしと感じた。あらゆる困苦に慣れているはずの船乗りでさえ、打ち勝つことのできなかった不幸を、少年たちのか弱い手で、払《はら》いのけることができるであろうか。そしてドノバンが最後に発見した一枚の紙片は、少年たちのわずかの希望さえも、無残に打《う》ち砕《くだ》いてしまったのであった。手帳のページを熱心に繰《く》っていたドノバンは、やがて折りたたんだ一枚の地図を見つけた。煤《すす》を水で溶《と》いて作ったインクで書いたものである。
「大発見だ」
「フランソワ・ボードアンが自分で書いたんだね」
四つの頭が地図をのぞきこんだ。最初に、鋸の歯のような岩で縁取《ふちど》られた海岸――スルギ湾《わん》が眼についた。次に、昨日少年たちがその西岸を通って来た湖水、奥深く東へと延びる森林。一つ一つ地図の上を追っていったドノバンの指は、ぴたりと止まった。森林の尽《つ》きる東の果てには、海岸線が書かれていたのだ。
ブリアンが、結局正しかったのだ。
この地は孤島《ことう》であった。少年たちの疑問は解けた。フランソワ・ボードアンが、洞穴に生涯を終えたのはこのゆえであった。
地図には、この島の形が大まかに描《えが》かれていた。だがもちろん、三角法によって正確に測量したのではない。おそらく足で距離《きょり》の計算をしたのであろう。フランソワ・ボードアンは、地図に書き留めるために、ただ一人、全島をくまなく探検したものとみえる。
少年たちが洞穴までの間に見た小屋も、飛び石橋も、彼が作ったものなのだ。
地図によると、島は大きな蝶《ちょう》のような形をしている。その北をのぞいた東、西、南の海岸は、深く入り込んだ湾である。島の真ん中は、森林に囲まれた湖水だ。湖水の長さは十八マイル、幅は五マイルもある。ブリアンたちがその西岸にたどり着いた時に、向こう岸が見えず、海と思い違えたのは当然であった。湖水からは数本の川が流れ出ていた。その一つは、洞穴のすぐ近くを流れ、やがてスルギ湾へ入る。
島で高い所はただ一つ、スルギ湾の北に見える岬《みさき》だけである。島の北部は、砂地、南部はそれと正反対の沼地《ぬまち》である。
地図の下にボードアンが使った縮尺がしるしてあった。それで計ると、島の大きさは、南北約五十マイル、東西の幅は二十五マイルである。
地図では、この島が、ポリネシア群島に属する小島の一つか、広い太平洋の中の全くの孤島なのかはわからなかった。たとえどちらであろうと、少年たちは、島の生活がいつまでも続くものと覚悟《かくご》しなければならない。だが、さしあたり、この洞穴は、住み心地《ごこち》よい住居といえる。冬の先ぶれの暴風が吹《ふ》いたら、スルギ号はひとたまりもない。できるだけ早く、品物、道具類をこの洞穴へ移してしまった方がいいと、少年たちの意見は一致した。そうときまれば、すぐにも、仲間たちの待つ船に向けて出発だ。遠征《えんせい》に出てからすでに三日たった。ゴードンたちの心配は一通りでないだろう。
ブリアンの言葉で、別な道を通って船へもどることになった。地図を見ると、東から西へと、島を横断して流れる川がある。その岸沿いに行けば、スルギ湾まで七マイルもない。少年たちの足なら、せいぜい三、四時間である。
少年たちは、出発の前に、不幸な難破船の乗組員、フランソワ・ボードアンの墓を作ることにした。フランソワ・ボードアンの骨は、かつて彼が自ら作った鋤《すき》で、ぶなの木の根もとに掘《ほ》られた穴に埋《う》められた。その上には、木の枝《えだ》を組み合わせた粗末《そまつ》な十字架《じゅうじか》が立てられた。
少年たちは、この神聖な仕事を終えると、野獣《やじゅう》が入り込まないように、洞穴の入口をふさいだ。
一行は、岩壁のすそを静かに流れる川岸を下り始めた。木や藪《やぶ》が少なく、歩くのはらくだった。
一時間ほどで、川が岩壁から離れる所に出た。川は北西をさして曲がりくねっていく。ブリアンは考えていた。「スルギ湾と湖水との間の往復には、この川を利用できる。重いものを運ぶのも、骨をおらずにすむ」
やがて、川岸に沿う大きな沼が行く手をさえぎっていた。森の中に道をとるよりない。
磁石を持つブリアンを先頭に、一行はなおも北西に進んだ。川岸とはちがって、生《お》い茂《しげ》った下草に歩みは遅《おそ》い。その上、松《まつ》やもみがうっそうと枝をひろげている。あたりは日暮《ひぐ》れのように暗かった。
七時近くになると、やみはだんだん濃《こ》くなった。またも、野天で一夜を明かさなければならないと思われた。元気いっぱいの少年たちだ、野宿はいっこうに恐ろしくはない。だが、食糧《しょくりょう》はすっかりなくなってしまった。空腹をみたさなくてはならない。ブリアンはみんなを励《はげ》ました。
「とにかく、ぐんぐん歩こう。西に向かって行けば、必ずスルギ湾の浜《はま》べに出るのだから」
さっそくドノバンが応じた。
「地図が正しいとしたらばね」
「ドノバン、君は正しくないと言うのかい」
「へえー、君は正しいと言いきれるの」
ドノバンは、フランソワ・ボードアンの作った地図を、正しいと認めたくないのだ。だが、ブリアンは、こんな時に争うことはよくないと、相手にならなかった。
一行は黙《だま》りこくって、草を分けて進んだ。八時近くなると、もうどこをどう歩いているのか、全く見当がつかなくなってしまった。
と、サービスの声が沈黙《ちんもく》を破った。
「見たまえ、あれを」
前方の梢《こずえ》の隙間《すきま》に、スーッと青白い光が走ったのだ。
「流れ星か」
ウィルコックスが疲《つか》れきったらしい声で答えた。
「いや、違う」
ブリアンは強く打ち消した。
「ロケットだ。スルギ号で打ち上げたロケットだよ」
「そうだ。きっと、ゴードンが合図をしてくれたのだ」
ドノバンは、叫《さけ》ぶが早いか、鉄砲を空に向けた。
パーン、パーン。
新しい元気がわいて、少年たちは、ロケットの見えた方角を目ざして足を早めた。それから一時間後には、なつかしい友の待つスルギ号にたどり着くことができた。案の定、青白い光は、スルギ号の位置を知らせるために、ゴードンが撃《う》ったロケットであった。
ブリアンたちは、心からゴードンの思慮《しりょ》の深さに感謝した。もし、このアメリカ人の少年の親切な思いつきがなかったとしたら、ブリアンたち四人は、疲れきったからだを、柔《やわ》らかいベッドに横たえることができなかったからである。
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第十章
[#この行4字下げ]遠征《えんせい》隊の報告――引《ひ》っ越《こ》しの決定――スルギ号の解体――思わぬ援助《えんじょ》――川岸でテント生活――筏作《いかだづく》り――川をさかのぼる――洞穴《どうけつ》に到着《とうちゃく》
次の朝、夜が明けるのを待ち構えていたように、十二歳以上の少年たちは甲板《かんぱん》に集まった。ゴードン、ブリアン、ドノバン、バクスター、クロッス、ウィルコックス、サービス、ウェッブ、ガーネット、それに、いつもみんなのよい相談相手の黒人のモーコーの十人だ。
ブリアンとドノバンは、交替《こうたい》に、遠征中見たことを話した。
洞穴で発見した地図が、みんなの真ん中にひろげられた。
少年たちは、はっきりと、自分たちが打ち上げられた土地が孤島《ことう》であったことを知らされたのである。船はもう、役に立たぬほどこわれていた。島の沖合《おきあい》を過ぎる汽船が差し延べてくれる救いの手を、待つよりないのだ。それは、十年、二十年先のことか、あるいはまた、この地図を書いたフランス人と、同じ最期《さいご》をたどるのかもしれない。遠征隊の話にじっと耳を澄《す》ましていた少年たちは、眼《め》の前が真っ暗になった気持だった。だが、その中でただ一人、少しも驚《おどろ》きの色を見せない少年がいた。ゴードンである。なぜなら、このアメリカの少年には、ニュージーランドで帰りを待ちわびる、親も兄弟もいなかったからだ。その上、彼には、島の生活を築き上げていくことは、自分の力を試《ため》す絶好の機会に思えたのである。
「さあ、元気を出そう。僕《ぼく》たちが努力すれば、この島でも楽しく暮《く》らしていけるよ。そのうちには、必ず、ニュージーランドへ帰れる日がやってくるさ」
明るい口調で、仲間の沈《しず》んだ心を引き立てるのであった。
地図で見ると、島はかなり大きい。この島が南アメリカ大陸の近くにあるとすれば、当然世界地図に載《の》っているはずだ。さっそくスチラーの地図を出してきて、たんねんに調べてみた。南アメリカの海岸には、狭《せま》い海峡《かいきょう》で本土と分かたれている群島があった。だが、その中には、これほどの大きさの島は見つからなかった。しかも少年たちは、島の位置を測定する機械も、知識も、持ち合わせてはいなかった。
「僕たちが今できることは、一刻も早く、湖水のほとりの洞穴に住居を移すことだと思う」
ブリアンは言った。もちろん、誰《だれ》一人反対するものはなかった。だが、このまま船を見捨てていけば、冬の風を受けてひとたまりもなくつぶれてしまう。そして、波に持っていかれるだけだ。洞穴へ出発する前に、船を解体する方が賢《かしこ》い。船から剥《は》いだ鉄、鉛板《えんばん》、帆柱《ほばしら》の残り、甲板の材木は、洞穴に移ってから大いに役に立つであろう。
「その仕事の間、ぼくたちはどこに住むんだい」
ドノバンが言った。
「テント暮らしさ。川岸の林で」
ゴードンは答えた。
スルギ号を解体したあと、荷物を運ぶ筏を作らなければならない。期間は少なくとも一カ月は必要である。洞穴に向けて出発するのは、五月の初めになる。島の五月は、北半球の十一月、冬が眼の前に迫《せま》っている。この仕事はできるだけ急がなければならなかった。
その日、すぐさま川岸の林にテントを張った。テントといっても、ぶなの木の枝《えだ》の間に長い枝を渡《わた》し、その上に帆布をかぶせたものだ。
船からこのテントに、さしあたり必要な食糧、衣服、鉄砲《てっぽう》、炊事道具などを移した。
翌日から、少年たちは、オークランドの岸壁を離《はな》れてから二カ月間、苦難をともにしてきたスルギ号をこわしにかかった。この仕事の間は、強い風が吹《ふ》いても文句を言えなかった。かえって船体がかわき、仕事がぐんぐんはかどるからである。しかしこの月の終わりになるにつれて、仕事の進みぐあいははかばかしくなくなった。
めっきり寒くなり、明け方には、寒暖計の目盛《めも》りは、氷点下を示す日さえもあった。
船は、内側からこわしていき、それが終わって船腹に向かった。
全く経験のない、しかも力の弱い少年たちには、手にあまる仕事であった。ところが、少年たちに、思いもかけない援助の手が差し延べられた。
四月二十五日、夜に入ると風が激《はげ》しく吹き始めた。テントは、ばたばたとあおられ、幾度《いくど》か吹き飛ばされそうになった。稲妻《いなずま》が不気味にやみの中を走った。雷《かみなり》の音が、明け方まで鳴りやまなかった。
風は、翌朝になると、ぴたりとおさまった。川岸に立って浜《はま》べを眺《なが》めやった時、少年たちは思わずアッと叫《さけ》んだ。
スルギ号は、強い風と大波を受けて、一夜にしてつぶれてしまったのである。この日から三日間、少年たちの仕事は、浜べから川岸までの材木運びだった。
船体をほどきおわると、道具類を移さなければならなかった。巻轆轤《まきろくろ》、鉄の竃《かまど》、大きな用水桶《ようすいおけ》など、重い機械や道具を動かす時、ブリアンは、「お父さんがいてくれたらなあ」と土木技師の父を思い出すのだった。
しかし、少年たちの努力によって、ついに四月二十八日の夕方、スルギ号の解体は終わった。
だが、少年たちには、一息つくまもなかった。その日の夜の食卓《しょくたく》で、ゴードンは言った。
「明日から筏作りにかかろう」
その言葉にバクスターが立ち上がった。
「それについて、僕に一つの考えがある。筏を陸で作って、川まで運ぶのでは大変だ。僕は、川の中で仕事をしたらいいと思う」
「なるほど、それは名案だね」
ゴードンは、深くうなずいた。みんなももちろん大賛成だった。筏は、ただ少年たちを運ぶだけではない。重い、嵩《かさ》のはる道具をたくさん積むのだ。大きく、しかもがっしりとしていることが必要だ。
筏の骨組は、スルギ号の竜骨《キール》、折れた帆柱、帆げたで作る。
翌日、少年たちは、川岸に満潮時だけ水をかぶる地点を選んで、工事にかかった。まず、細長い材木を流れに浮《う》かべ、一列に結びつけた。その上に、短い材木を横に渡した。夕方、仕事を終えてテントに帰る時は、筏を川岸の下につなぐことを忘れなかった。夜のうちに流されてしまっては、せっかくの苦心が水の泡《あわ》だ。
こうして、まず、長さ九メートル、幅《はば》四・五メートルの骨組みができた。次は、床板《ゆかいた》を張るのだ。これには、スルギ号の船腹と甲板に使われていた厚板を利用した。
床板を張るのには、三日間かかった。
この頃《ころ》になると、毎朝、川岸はひどい霜《しも》だった。テントでは、夜にはストーブをたきつづけた。それでも、寒気は帆布をつらぬいて、少年たちを苦しめた。
五月二日、筏は見事にできあがった。
ブリアンは、ゴードンに言った。
「あと四日のうちには出発できるように、荷物の積《つ》み込《こ》みを急ごう」
「理由は?」
「明後日《あさって》はちょうど満月だ。それから二、三日が、潮がいちばん高くなる。筏で川をさかのぼるのにはもってこいだ」
「よし、さっそく積み込みにかかろう」
翌日、三日の朝から、荷物の積み込みを始めた。筏の上に、うまく釣合《つりあ》いを取って、荷物を並《なら》べるのはむずかしい。
これは、ゴードンのさしずで、ブリアンとバクスターが手ぎわよくやってのけた。幼年組も軽い道具を運んだ。
鉄や、銅板、食糧を詰《つ》めた箱《はこ》、衣服の包みなど、重い道具は、バクスターが巻轆轤を使って積むことを考え出した。
こうして、五日の午後には、筏の上に荷物の山ができた。もう艫綱《ともづな》を切るだけだ。
翌朝の午前八時に上げ潮が始まる。少年たちは、それまで、久しぶりに休息が楽しめると喜んだ。だが、思慮深いゴードンは、さらに一つの仕事を考え出した。
「このままでここを立ち去れば、船が沖を通っても、この島に僕たちの住んでいることに気がつかない。僕は、あの岩壁《がんぺき》の頂上に、目じるしの旗を立てようと思うんだ」
少年たちは、疲《つか》れきってはいたが、元気よく立ち上がった。
そして、力を合わせて、一本の柱を岩壁の頂上まで引き上げた。
頂上では、イギリスの国旗が、潮風にはたはたと鳴った。ドノバンは、空に向けて鉄砲を撃った。祖国の国旗に対する敬礼であった。
翌朝早く、川岸のテントを取《と》り払《はら》った。テントの帆布は、筏の荷物の上に掛《か》けた。
七時には、出発準備は終わった。炊事係のモーコーは、四日分の食糧《しょくりょう》を用意した。
八時半、全員は筏に移った。年上の少年たちは、長い棒《ポール》を流れに差した。九時近く、潮が海からぐんぐんと差してきた。
「出発!」
ゴードンの澄んだ声が、静かな川の上に響《ひび》き渡った。筏は動き始めた。
少年たちの間から、万歳《ばんざい》の叫びが湧《わ》き起こった。もし、少年たちが、将来豪華《ごうか》な汽船を作り上げたとしても、おそらく、この時ほどの満足を味わうことはできないであろう。
筏は、右岸に沿って進んでいた。潮の勢いがいちばん強かったのだ。
十一時に近くなると、潮が引きだした。少年たちは、筏を岸につなぎ止めなければならなかった。次の満潮は夜になる。ゴードンは、夜の川を上ることは危険と考えた。翌朝の満潮を筏の上で待つことにきめた。
ドノバンは、三人の仲間と鉄砲をつかむと、岸に飛び移った。もちろん、フヮンを連れてだ。やがて、すばらしく大きな野生の七面鳥を二羽と、小鳥を一羽ぶらさげてもどってきた。
「こいつで、引っ越しのお祝いの御馳走《ごちそう》を作りましょう」
モーコーは、にこにこして言った。
その夜は、バクスター、ウェッブ、クロッスの三人が、交替に見張りに立った。潮が強くなったり、向きが変われば、それにつれて艫綱を加減しなければならないのだ。
だが、幸い、その必要は起こらなかった。翌日、午前十時十五分、筏はふたたび川に乗り出した。少年たちの上を吹く風は、日中でも冷たかった。
午後一時ごろ、岸に沿って広い沼《ぬま》が見えた。ブリアンたちが、遠征の帰りに行く手をさえぎられた所だ。また、潮が変わった。少年たちは筏を止めた。
ドノバンとウィルコックスは、モーコーに頼《たの》んで、広い沼にボートを出した。水鳥の群れが舞《ま》い上がるたびに、ドノバンは眼を輝《かがや》かせた。
その夜も、筏の上で過ごした。寒さは一層きびしかった。沼には薄《うす》い氷が張った。少年たちは、厚い帆布にくるまったが、寒さのためになかなか寝《ね》つかれなかった。ジェンキンスやアイバースンたちは、スルギ号のベッドをなつかしく思い出していた。
翌日の午後三時半近く、湖水の波が西陽《にしび》にきらめくのが見えた。
そして、まもなく、筏はすべるように岩壁のふもとに着いたのであった。
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第十一章
[#この行4字下げ]洞穴《どうけつ》の中で――荷物を下ろす――フランソワ・ボードアンの墓へ――ゴードンとドノバン――狩《か》りの獲物《えもの》――冬の足音
少年たちは、我勝《われが》ちにと岸におどりあがった。環境《かんきょう》が変わるということはうれしいものだ。幼い少年たちは、永い筏《いかだ》の旅にあきあきしていたから、なおさらうれしそうだ。
ドールは、まるで子馬のように元気よくはねまわった。アイバースンとジェンキンスは、岸で駆《か》けっこを始めた。大喰《おおぐら》いのコスターは、モーコーにさっそく昼食の催促《さいそく》だ。
「おいしい御馳走《ごちそう》を頼むよ」
「コスターさん、お気の毒さま、今日は昼御飯|抜《ぬ》きですよ」
「えっ、なんだって」
「忙《いそが》しくて、料理の暇《ひま》がないんです。その代わり、夕食には御馳走を作りますよ、ドノバンさんが撃《う》ち落とした、七面鳥がとってありますからね」
「それならいいや」
モーコーの答えにすっかり満足して、コスターは友達のいる方へ走って行った。
幼い少年たちの元気なさまに、ブリアンはジャックに声をかけた。
「お前も、みんなと遊びなさい」
「兄さん、僕《ぼく》ここにいた方がいいの」
「どこか、からだでも悪いのかい」
「ううん、なんでもないよ」
このジャックの答えを、ブリアンは聞きあきている。ジャックに、何か秘密があることは明らかだ。だが、いまは、みんなを洞穴に案内しなければならない。一刻も時間をむだにはできない。少年たちは、筏を岸につなぐと、そろって洞穴へ向かった。洞穴に着くと、入口をふさいでおいた木の枝《えだ》を取《と》り払《はら》って、一人ずつ中に入った。
洞穴の中は、モーコーが手に持ったカンテラで、明るく照らし出された。
まず、バクスターが叫《さけ》んだ。
「へえ、こんなに狭《せま》くて、息ができるのかい」
ブリアンが笑って答えた。
「バクスター、君は、僕たちが客間、食堂、寝室《しんしつ》、浴室のそろった、すばらしいホテルを発見したと思ったのかい」
次に、クロッスが言った。
「だが、炊事《すいじ》をする所は、どうしても必要だね」
「なあに、外でやりますよ」
モーコーが答えた。
「いや、それでは、天気の悪い日には困る。ここで炊事のできるように工夫してみよう」
ブリアンがモーコーに言うと、はたで聞いていたドノバンが、吐《は》き出すように言った。
「あきれたね、寝室で料理をするとは」
朗《ほが》らかなサービスが笑って言った。
「君は、気つけ薬にアンモニアを忘れないようにしたまえ。殿様《ロード》ドノバン」
「もちろん、忘れないさ。僕が君みたいに、コックの手伝いになる時にはね」
ドノバンも負けてはいない。
その時、じっとみんなの話を聞いていたゴードンが、強い口調で言った。
「とにかく、当分はこのままで我慢《がまん》しよう。部屋の中に竃《かまど》をすえれば、ストーブの代わりになるよ。冬ごもりの間に、洞穴をひろげればいい」
その日の午後は、筏から、とりあえず必要なベッドや、炊事道具、テーブルなどを洞穴に運んだ。
一方では、モーコーが夕飯の支度《したく》を進めていた。
岩壁のふもとに、大きな石で竃を築いた。スープ鍋《なべ》からは、うまそうな匂《にお》いが流れていた。七面鳥の焼串《やきぐし》をぐるぐる回すのは、ドールとコスターだ。そのそばで、フヮンが鼻をくんくんいわせている。
七時少し前に、全員は大テーブルのまわりに集まった。
「やあ、すごい」
コスターが、テーブルの上を眺《なが》めて手をたたいた。この夜の献立《こんだて》は、スープ、コンビーフ、焼き鳥、ブランデーをたらした水、チーズだった。その上、食後にはシェリー酒まで運ばれた。食事が終わると、ゴードンの言葉で、少年たちは、うちそろってフランソワ・ボードアンの墓に向かった。
地平線はすでに、夕やみの中に隠《かく》れていた。少年たちは、ぶなの木の下の粗末《そまつ》な十字架《じゅうじか》の前にひざまずいた。そして、孤島《ことう》でさびしく一生を終えた不幸なフランス人に、心からの祈《いの》りを捧《ささ》げたのであった。
翌日から三日の間、少年たちは、筏の荷を下ろすのに忙しかった。冬が眼《め》の前に迫《せま》っている。いつ、雪か雨が降り始めるか知れなかった。食糧《しょくりょう》や弾薬《だんやく》をぬらさないためにも、すみやかに洞穴の中に移さなければならないのだ。その仕事が終わると、今度は筏を解きほぐした。だが、洞穴は、材木を入れて置くだけの広さがなかった。少年たちは、将来は、洞穴をひろげるか、戸外に物置小屋を建てなければならないと思った。
それから、二、三日後に、バクスター、ブリアン、モーコーの三人で苦心して、洞穴の戸口近い壁《かべ》ぎわに、竃をすえつけた。幸い岩は柔《やわ》らかかったので、バクスターはたやすく煙突《えんとつ》を通す穴をあけることができた。煙突から流れ出る青い煙《けむり》に、モーコーは、「おかげで、雨の日にもぬれないですみます」とうれしそうに言った。
次の週のことであった。鉄砲を肩《かた》にして、洞穴の近くの林に出かけたドノバンたち四人組は、奇妙《きみょう》なものを発見した。林の所々に深い穴が掘《ほ》られていたのである。穴の上には、木の板がかぶさっていた。それをとりのけると、穴の底に、白い骨が散らばっていた。
ドノバンたちは穴の回りで話し合った。フランソワ・ボードアンが掘った落とし穴である。
「あれは、きっと大きな獣《けもの》の骨だよ」
「とにかく、四つ足の動物であることは確かだ。ほら、足の骨が四本ある」
「ライオンか、虎《とら》かな」
「いや、この辺にいるのは、アメリカ豹《ひょう》だ」
とにかく、林の奥深《おくふか》く狩りに出るのは危険である。クロッスは、フヮンの頭をなでて言った。
「いいかい、フヮン、この林には恐《おそ》ろしい獣がたくさんいるんだよ。お前も用心しておくれ」
だが、フヮンは、尾《お》を振《ふ》るだけで、一向にクロッスの言うことをわかった様子はなかった。
ドノバンたちは、この発見に、狩りをやめて洞穴に帰る気持になった。だが、二、三歩歩き出すと、急にウィルコックスが、三人を呼び止めた。
「いいことを考えついた。この穴に、また木の枝をかぶせていこう。大きな動物を生けどりできたらすごいよ」
ウィルコックスたち三人が新しく木の枝を折り始めると、ドノバンも手伝わないわけにはいかなかった。落とし穴をすっかりふさぐと、四人は洞穴へ帰った。
寒さはきびしくなったとはいえ、まだ湖水に氷の張るほどではなかった。川では、魚がよく釣《つ》れた。アイバースンの鉤《はり》にさえ、大きな鮭《さけ》がかかった。
ウィルコックスは、時々、林に落とし穴をのぞきに出かけたが、そのたびに失望した顔つきで帰ってきた。獲物は一向にかからなかったのである。肉の塊《かたま》りを置いてみたがだめだった。少年たちは、すっかり落とし穴をあきらめてしまった。ところが、五月十七日に、大変な獲物がかかったのである。その日、ブリアンは、四、五人の仲間と、物置に使える洞穴を捜《さが》して、岩壁に近い林を歩いていた。と、その時、落とし穴の方角から、耳慣れない動物の鳴き声が聞こえてきた。ブリアンは声の方へ急いだ。ドノバンがあとに続いた。フヮンは、鼻をくんくん言わせながら、先に立って走って行く。
落とし穴に着いて見ると、真ん中に大きく口があいていた。動物がかかったことは、まちがいなかった。だが、危険な猛獣《もうじゅう》かもしれない。
「フヮン」
ドノバンが呼んだ。フヮンは、はげしく吠《ほ》え立てながら、穴のまわりをぐるぐる走り回った。ドノバンが、からだを乗り出して、穴の中をのぞき込《こ》んだ。
クロッスが、不安そうな顔でたずねた。
「豹かい」
「いや、ちがう、二本足の動物だ」
ドノバンが、振り向いて答えた。
落とし穴に落ち込んでいたのは、駝鳥《だちょう》であった。それも、アメリカ駝鳥であった。アメリカ駝鳥は、アフリカ駝鳥よりも小さい。鴨《かも》に似た顔で、からだじゅうに灰色の羽根が生えている。少年たちにとって、この島に駝鳥が住んでいることがわかったのは喜びだった。南アメリカ大陸に近い、一つの証拠《しょうこ》である。その上、駝鳥の肉はすばらしい味なのだ。
「しめ、しめ、生けどりにしよう」
ウィルコックスが、言うより早く、パッと穴に飛び下りた。駝鳥は、バタバタと翼《つばさ》を大きくあおって逃《に》げ回る。ウィルコックスは、駝鳥の嘴《くちばし》で、何度も頭や手をつつかれるが、一向にひるまない。とうとう、駝鳥の頭に上着をかぶせてしまった。目をふさがれて、駝鳥は少しおとなしくなった。すかさず、ウィルコックスは、駝鳥の足をハンカチーフで縛《しば》り上げた。そして、穴の上の仲間と力を合わせて、とうとう駝鳥を引き上げた。
「ばんざーい。大成功」
ウェッブが、おどり上がって喜んだ。気の小さいクロッスは心配そうにたずねた。
「この鳥をどうするんだい」
「きまってるじゃないか。洞穴へ連れていくんだ。僕が、立派な乗馬に飼《か》い馴《な》らしてみせるよ」
サービスは、得意そうに友達を見回して、言葉を続けた。
「僕の大好きな『スイスのロビンソン』にも、主人公のジャックが、やはり駝鳥を乗り回すところがあるよ」
ゴードンは、サービスの話を聞きながら、駝鳥の餌《えさ》のことが気がかりだった。だが、駝鳥は草や木の葉を常食としていることを思い出すと、この珍客《ちんきゃく》を洞穴に迎《むか》え入れようという気持になった。
幼い少年たちは、わーっと大声を上げて走り寄って来た。その上、サービスから駝鳥を馬のように乗り回すと聞いて、もう大変な騒《さわ》ぎだった。コスターは、サービスをつかまえて、いまから約束《やくそく》している。
「サービス、僕も乗せてね」
「いいとも、コスター。だけど、君はこわがらないかな」
「へいちゃらだい」
「ふーん、君はもう、海亀《うみがめ》の背中で震《ふる》えていたことは、忘れてしまったのかい」
「だいじょうぶ、駝鳥はまさか、海へは行かないもの」
この時、ドールが口をはさんだ。
「その代わり、コスター。駝鳥は、君を空へ連れていくよ」
ゴードンは、少年たちが、日増しに新しい住居に落ち着いていくのを見ると、ブリアンに言った。
「幼い少年たちにも、仕事を受け持たせようと思う。それに、勉強も教えてやらなければいけない」
ゴードンの考えには、ブリアンも大賛成だった。
「ぜひ、そうしよう、ゴードン。本はそろっているし、僕たちが交替《こうたい》で先生になればいい」
「ブリアン、僕は、ニュージーランドに帰った時に、友達に向かって、僕たちが少しもむだな日を過ごさなかったことを、見せてやりたいんだ」
冬が来ると、少年たちは洞穴から出られなくなる。勉強するのがいちばんいい時間の使い方だ。そのためにも、いまの洞穴は狭過ぎた。
どんなことをしても、部屋を広くするか、新しい洞穴を発見しなければならなかった。
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第十二章
[#この行4字下げ]洞穴《どうけつ》の工事――奇妙《きみょう》な物音――姿を消したフヮン――広間で――悪天候――島の名前――ゴードン大統領
岩壁《がんぺき》に新しい洞穴はないかと、少年たちは一生懸命《いっしょうけんめい》に捜《さが》し回ったが、むだだった。こうなれば、いま住んでいる洞穴をひろげるという、最初のプランにもどるよりない。洞穴の岩は柔《やわ》らかかった。バクスターは、すでに戸口をひろげて、スルギ号からはずしたドアをつけていた。そればかりではない。戸口の右と左に窓をあけた。おかげで、洞穴の中はずっと明るくなり、新鮮《しんせん》な空気がふんだんに流れこんだ。
まもなく、冬の前ぶれと思われる激《はげ》しい風が、一週間にわたって荒《あ》れ狂《くる》った。そのために、少年たちは囚人《しゅうじん》のように洞穴にとじこめられ、洞穴をひろげる仕事に専念することができた。
この工事は、五月も終わりに近い二十七日からとりかかった。鶴嘴《つるはし》と鋤《すき》を使って、洞穴の右壁をひろげるのだ。仕事を始める前に、ブリアンはみんなに説明した。
「ここをまっすぐに掘《ほ》っていけば、湖水の前の岩壁に出る。一つ戸口がふえるわけだ。もし風が一方から吹《ふ》きこんでも、もう一つの戸口から出入りができる」
岩壁までは、十二メートルから十五メートルの距離《きょり》である。その間、まず狭《せま》いトンネルを掘り抜く。その上で、必要に応じて、高くも広くも、思いのままにひろげようという計画だった。
工事はぐんぐんはかどっていった。ただ、岩が柔らかいので、天井《てんじょう》が落ちてくる心配があった。それで、柱でトンネルを支《ささ》えることにした。これには、筏《いかだ》の骨組にした帆柱《ほばしら》を使った。掘り出した岩のかけらを、戸外に運び出すのが一苦労であった。
トンネルが、やっと、一メートル半あまりの長さになった。三十日の午後のことである。少年たちを震《ふる》え上がらすような、一つの事件が起きた。
床《ゆか》にひざをついてコツコツと鶴嘴を動かしていたブリアンは、ふと、岩の中から何か物音が聞こえるような気がした。驚《おどろ》いたブリアンは、すぐさまゴードンとバクスターの所へ這《は》って行った。
「君の気のせいだよ、ブリアン」
ゴードンは笑った。
「まあ、来てみたまえ、そして、右の壁《かべ》にじっと耳を当ててごらん」
ゴードンは、しぶしぶ暗いトンネルの中に入った。だが、すぐに、ゴードンはトンネルから飛び出して来た。
「ブリアン、君の言う通りだ。確かに物音が聞こえる。動物のうなり声のようだ」
続いて、バクスターが、トンネルの中に入って行った。そして、また同じように、あわただしく飛び出して来た。
「僕《ぼく》にも聞こえた! いったい何だろう」
「まるっきり見当がつかない。とにかく、ドノバンたちにも知らせてやろう」
ゴードンが、洞穴を出て行った。その後をブリアンの声が追いかけた。
「だけど、小さい人たちには、黙《だま》っていた方がいいね。こわがらせるだけだ」
ゴードンの知らせで、さっそく、ドノバン、ウィルコックス、ウェッブが駆《か》けつけて来た。そして順繰《じゅんぐ》りにトンネルの中に入った。だが、不思議なことに、もう物音は聞こえなかった。
「君たちの耳はおかしいよ。岩の中に動物がいるなんて、馬鹿《ばか》なことがあるものか」
ドノバンは、あざけるようにいった。
物音が聞こえない以上、仕事を進めなければならない。ブリアンは、昼飯をすませると、また、トンネルの中で鶴嘴を握《にぎ》った。
夜の九時ごろであった。ふたたび奇妙な物音が聞こえ出した。今度は、昼間よりもはっきり聞こえた。フヮンがうなりながら、トンネルの中に走って行った。すぐに飛び出して来たが、毛をさかだてて、いつになくおびえている。少年たちも、だんだん薄《うす》気味《きみ》悪くなってきた。もう、ドールやコスターたちに、隠《かく》してはおけなかった。ブリアンが優《やさ》しく慰《なぐさ》めたが、幼い少年たちはいつまでも寝《ね》つかなかった。
翌朝、少年たちはいつもより早く起きた。さっそく、バクスターとドノバンがトンネルの中に這って行った。しかし、コトリとも音は聞こえなかった。フヮンは、いつもの元気を取りもどして、トンネルを出たり入ったりしていた。
「さあ、仕事にかかろう」
ブリアンは言った。
「そうだ。また、音が聞こえ出したらやめればいい」
バクスターが賛成した。この時、じっと考え込んでいたドノバンが口を開いた。
「僕は、岩の間を伝わって、水が流れているのじゃないかと思うんだが」
「それは違《ちが》うよ。あの音は間をおいて聞こえてくる。水の流れなら、絶えまなく聞こえるはずだ」
ウィルコックスが言った。
「僕は、岩の隙間《すきま》に、風が吹き込んで立てる音のような気がする」
ゴードンが言った。
「岩壁の頂上に登ってみたら、何かわかるかもしれない」
サービスが言った。
洞穴の戸口から五十メートルの所に、曲がりくねった道があった。そこを通って、バクスターたち二、三人が、岩壁の頂上に登った。しかし、その努力は空《むな》しかった。頂上には、短い芝草《しばくさ》が一面に生えていて、空気や水のしみこむ割れ目はなかった。
その日は、トンネルの中の工事は、夕方まで続けられた。物音は全く聞こえなかった。
ただ、鶴嘴を振《ふ》り下《お》ろすと、岩はかすかにうつろな音を立てた。岩の中に、空洞があるのであろうか。もしそうとすれば、少年たちにとってはありがたい。コツコツと掘り進む苦労が、大いに省けるからだ。
こうなると、仕事への意気ごみは違ってくる。それだけに、この日は、疲《つか》れはいちばん激しかった。少年たちはくたくたに疲れきって、食卓《しょくたく》を囲んだ。その時、ゴードンは、ふとフヮンの姿が見えないのに気がついた。
「フヮン! フヮン!」
ゴードンは戸口をあけ、やみに向かって叫《さけ》んだ。フヮンの答えはなかった。フヮンは、声の届かない遠くにいるに違いない。道に迷ったのか、野獣《やじゅう》に捕《とら》えられたのか。すでに、夜の九時である。湖水も岩壁も、濃《こ》いやみに隠《かく》れて見えなかった。フヮンを捜すことは、あきらめるよりなかった。少年たちは、あの賢《かしこ》い犬が二度と帰っては来ないのかと思うと悲しかった。
と、とつぜん、あの奇妙な物音が聞こえ出したのである。それに続いて、確かに動物のうなり声が――。
「音はここから聞こえてくる」
ブリアンは叫ぶと、トンネルの中へ入って行った。少年たちは一斉《いっせい》に立ち上がった。幼い少年たちは、あわてて毛布の中に顔をうずめた。しばらくして、トンネルから出てきたブリアンは、ゴードンに向かって言った。
「やはり、この岩の先に、別な洞穴があるんだ」
「では、きっと、その洞穴が、動物のねぐらになっているんだよ」
「僕も、そう思うね。明日、新しい洞穴の入口を見つけてやろう」
ブリアンが答えた時、トンネルの中から、荒々《あらあら》しいうなり声にまざって、キャン、キャンという犬の吠《ほ》え立てる声が聞こえてきた。
「あれは、フヮンの声だ。獣《けもの》と戦っているんだ」
ウィルコックスが立ち上がって叫んだ。
「よし」
ブリアンは勇敢《ゆうかん》に、トンネルの中に飛び込んで行った。だが、彼《かれ》が何度壁に耳を押《お》しつけてみても、物音は聞こえなかった。少年たちは、その夜は岩の中に別な洞穴があることを確かめただけで、満足するよりなかった。
翌朝、少年たちは、日の出とともにベッドからはね起きた。ブリアンとバクスターは、すぐさまトンネルの中に入って、工事を進めた。鶴嘴の一振りごとに、前方の岩がくずれて獣が飛び出しはしないかと、ひやひやだった。万一に備えて、幼い少年たちは、戸外に出ているように命ぜられた。ドノバン組は、鉄砲《てっぽう》を構えてトンネルの口に立った。
午前中は、別に変わったことは起こらなかった。午後二時ごろ、ブリアンの口から「あっ」という叫びがもれた。鶴嘴を振り下ろした時、壁に大きな口があいたのである。と、思ったとたん、ガサガサという音を立てて、一|匹《ぴき》の動物が、トンネルの中に飛びこんで来た。
フヮンだ。フヮンは、まっしぐらに水瓶《みずがめ》に走って行くと、息もつかずに水を飲んだ。それからゴードンに飛びついて、なつかしそうにクンクン鼻を鳴らした。
ブリアンは、蝋燭立《ろうそくた》てを手にして、新しい洞穴の中に足を踏み入れた。ゴードン、ドノバン、ウィルコックス、バクスターがあとに続いた。
新しい洞穴は、いままでの住居と同じほどの大きさである。この洞穴の中は真っ暗で、外とつながりがないように思われた。だが、蝋燭が燃え続けるのは、どこかに空気の入ってくる口があいているからに違いない。それに、入口がないとしたら、どうしてフヮンが入れようか。その時、ばたりと、ウィルコックスが何かにつまずいて倒《たお》れた。ブリアンが蝋燭立てを近よせて見ると、山犬の死体があった。
「フヮンが倒したんだ。これで、やっと奇妙な物音の謎《なぞ》が解けたよ」
ブリアンはみんなに向かって言った。続いて、フヮンがどこから入り込んだかという謎も解けた。湖水のほとりの地面に、ポッカリ小さな穴があいていた。山犬は、そこからからだをすべりこませては、洞穴を出入りしていたのだ。この穴をひろげれば、湖水に出る戸口が一つふえる。
こうして、少年たちは、それほど骨をおらずに、新しい洞穴を手に入れることができた。
第二の洞穴には、「広間《ホール》」と名前をつけた。ここを、寝室《しんしつ》と勉強部屋にして、いままでの洞穴は、食堂、台所、物置に使うことにきめた。
少年たちは、二週間かかって、広間を住めるように設備を整えた。ベッドを並《なら》べ、船にあったソファやテーブルをすえ、真ん中に大テーブルを置いた。今度も、器用なバクスターが、戸口にドアをつけ、窓を打《う》ち抜《ぬ》いてくれた。
しばらくすると、また毎日、激しい風が洞穴を襲《おそ》った。
湖水は、荒海のように大きく波立った。だが、広間では、一日中ストーブが音を立てていた。少年たちは、島に打ち上げられて以来、初めて落ち着いた日を過ごすことができた。
いまこそ、毎日を空しく過ごさないために、勉強を始める時であった。だが、その前に、少年たちは、島での生活を便利なものにする一つの方法を考えついた。
六月十日の夕食の後であった。少年たちが広間のストーブを囲んでいる時、一人が言い出した。
「どうだい。島の大切な場所に名前をつけることにしたら」
「それは、いい思いつきだ」
ブリアンがすぐに言った。それに続いてドノバンが言った。
「僕たちは、すでに、スルギ号が打ち上げられた海岸をスルギ湾《わん》と呼んでいる。あれは、そのまま使おう」
もちろん、反対はなかった。
「この洞穴は、前に住んでいた人を記念して、フランス人の洞穴とつけたら」
ブリアンが言った。これには、いつもブリアンの言うことに反対するドノバンも賛成した。こうして、洞穴の前の川は、故郷を記念して(ニュー)ジーランド川、湖水は家族や友達の思い出にと、ファミリー湖、同じように、岩壁はオークランド丘《おか》と名前がついた。
ブリアンが東方に海があると思い誤った高い岬《みさき》は「まちがい海《うみ》岬」、落とし穴の発見された林は「落とし穴の林」、岩壁とスルギ湾の間の林は「沼《ぬま》の林」、島の南部の沼地は「南沼」、飛び石橋のあった小川《クリーク》は「堤防河《ダイク・クリーク》」。
続いて、フランソワ・ボードアンの地図にある、おもな岬にも名前がついた。
北端《ほくたん》の岬は「北岬」、南端の岬は「南岬」。一方、西海岸では、上から「フランス岬」「イギリス岬」「アメリカ岬」と少年たちの母国の名がつけられた。
最後に、島の名前が残った。みんなが頭をひねっていると、とつぜん幼いコスターが手を上げた。
「僕、いい名前を思いついた」
「へえ、君が――」
ドノバンが、いかにも見下すような口調で言った。
「|赤ちゃん島《ベビー・アイランド》とでもつけるのかい」
サービスがからかった。
「まじめに、コスターの考えた名前を聞こうじゃないか。さあ、コスター言ってごらん」
ブリアンが、優しく促《うなが》した。
「僕、島の名前は、いちばん大事だと思うの、それで、僕たちはみんな、チェアマン学校の生徒でしょう。チェアマン島と呼んだら」
コスターは、恥《は》ずかしそうに言った。
だが、これほどふさわしい名前は考えられない。たちまち、大喝采《だいかっさい》がわきおこった。コスターは、まるで王様になったような喜びようだった。
この楽しい集まりも終わって、少年たちがベッドに入ろうと立ち上がった時、ブリアンが、
「ちょっと、待って」と、止めた。
「この島にもすばらしい名前がついた。ここで、大統領を選んだらどうだろう」
「大統領だって!」
ドノバンが、驚いたように叫んだ。
「そうだ。僕は、僕たちの中の誰《だれ》か一人が命令を下して、みんなはそれに従うことにしたら、すべてが順調に運ぶと思うんだ」
「賛成」「賛成だ」
少年たちは、口々に叫んだ。ドノバンも仕方なく言った。
「僕も賛成する。だが、大統領の任期をきめておこう。たとえば一年というように」
「それはいい。ただし、再選を認めることにしたいね」
ブリアンが答えた。
「いったい、誰を選ぶつもりだい」
ドノバンが、不安そうに言った。彼は、ブリアンが大統領に選ばれたら困ると思ったのである。しかし、ブリアンはすぐに言った。
「僕たちの中で、いちばん考え深い人さ、つまり、僕たちの親友、ゴードンだ」
「大賛成だ」
「ゴードン、ばんざーい」
みんなの拍手《はくしゅ》で、ゴードン大統領はきまった。ゴードンは、この思いがけない名誉《めいよ》に面くらった。そして、大統領を引き受けるのをよそうと思った。彼は、人の上に立ってさしずをすることよりも、黙って働くことの方が性《しょう》に合っているのだ。だが、将来、少年たちの間に争いが起こった時には、大統領の力が役に立つと思いかえした。それで、元気よく立ち上がると、はっきりと答えた。
「僕は喜んで、チェアマン島の大統領を引き受けます」
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第十三章
[#この行4字下げ]日課表――日曜日――雪合戦――大雪――たきぎ取り――落とし穴の林へ――スルギ湾《わん》訪問――あざらしとペンギン
五月の末には、チェアマン島はすっかり冬景色となった。少年たちは、十月の初めまでの五カ月間は、洞穴《どうけつ》にとじこめられることを覚悟《かくご》しなければならないのだ。大統領のゴードンは、みんなの日課表を作った。
ゴードンは、この島では、少年たちが、それぞれ一人前の人間として、働き、考えるようになってほしいと思っている。それゆえにこの島では、イギリスの寄宿学校のように、下級生が上級生のために靴《くつ》をみがいたり、食事を運んだりするようなことはやめた。そのほかの点は、チェアマン学校の習慣が多く取り入れられた。幼い少年たちにも、年齢《ねんれい》と力にふさわしい、手を動かす仕事が割り当てられた。毎日の生活は、次の三つの精神でつらぬかれていた。
一、一度行おうときめたことは、必ずやりぬくこと。
一、機会《チャンス》を失ってはならない。
一、疲《つか》れることを恐《おそ》れるな、疲れることなしには、値うちのある仕事はなしとげられない。
みんなの賛成を得て、きまった日課は次のようなものである。
午前午後二時間ずつ、広間で勉強。先生にはブリアン、ドノバン、クロッス、バクスターたち五年生が交替《こうたい》でなる。課目は、数学、地理、歴史だ。スルギ号の図書室にあった書物の助けを借りて、いままで学校で学んだ知識を教えるのだ。これは、先生になる少年たちにとっても勉強になることだ。この毎日の課目のほかに、週に二回、日曜日と水曜日には、自然科学、歴史、その他毎日の生活の中で起こる問題について討論する。ゴードンの役目は、大統領として、この日課がきちんと行われているかどうかを、見守ることである。そしてもし、この日課にぐあいが悪い点があれば、すぐに改める。
このほか、少年たちの仕事の受け持ちがきめられた。その中でも大切なのは、日づけと時刻を正しく知ることである。広間の壁《かべ》には、スルギ号から持って来たカレンダーが掛《か》けてあった。一日が終わるたびに、その日の数字を消していった。少年たちは、腕時計《うでどけい》と柱時計を持っていた。この時計が正確な時を刻むように、規則正しくネジをまく仕事は、ウィルコックスとバクスターの受け持ち。毎日寒暖計と気圧計の目盛《めも》りを読んで記録するのはウェッブ。また、島の生活を日記につけるのはバクスターだ。今日我々が少年たちの島の生活を知ることができるのも、バクスターの努力の結果があるからだ。もう一つ、大事な、しかもありがたくない仕事がある。それは洗濯《せんたく》である。ゴードンがやかましく注意をしても、幼い少年たちは衣服をよごした。それだけに、洗濯ものはすぐ山のようにたまる。モーコーにだけ任せておいては気の毒だというので、年上の少年たちが手伝うことになった。
日曜日は、仕事は休む。湖水の回りを歩き回ったり、本を読んだりして、一日を自由に過ごす日だ。夕食が終わると広間で音楽会を開く、ガーネットがお得意のアコーディオンをひいて、少年たちが調子はずれの声を元気に張り上げるのだ。こんな時にも、学校で歌のじょうずだったジャックは、一人|黙《だま》りこくっていた。
六月に入ると寒さはますますきびしくなった。毎日寒暖計は氷点下十度から十二度をさしつづけた。それでも、ある日風向きが変わると、やや寒気が和《やわ》らいだ。と見るまに、大雪が降り出した。元気な少年たちは、さっそく洞穴を飛び出して雪合戦を始めた。たちまち二、三人が頭に雪の弾丸《たま》をぶつけられた。友達が楽しく雪合戦をするのを、さびしそうに見物していたジャックの頭に、いきなりクロッスが投げた弾丸が当たった。ジャックは、頭を押《お》さえて泣き出した。クロッスはジャックに駆《か》け寄ると言った。
「ごめんよ、僕《ぼく》は君にぶつけるつもりはなかったんだから」
これは、不注意な人間の好んで使う言葉だ。
「もちろん、そうだろう。だが、これからは気をつけて投げてくれたまえ」
弟の泣き声を聞きつけて走ってきたブリアンが、クロッスに言った。するとそばに立っていたドノバンが、クロッスをかばうように言った。
「なんて大騒《おおさわ》ぎするんだろう」
「大騒ぎだって、僕はクロッスに、ただこれから気をつけてくれと頼《たの》んだだけだ」
「ブリアン、そんなことは余計なお節介《せっかい》だよ。クロッスはジャックをねらって投げたんじゃないからね」
「ドノバン、君こそお節介だ、僕とクロッスの話に口を出したのは君だ」
「何っ」
「何をっ」
二人はこぶしを固めた。だが、ゴードンが間に入ったので争いにはならなかった。この事件は、小さかったが、ブリアンとドノバンの仲たがいをますます深めることになった。
六月の終わりになると、雪合戦も遠い昔《むかし》の夢《ゆめ》になった。雪は一メートルほども積もった。洞穴から百メートルも出ようものなら、二度と帰れなくなってしまうおそれがあった。少年たちは、七月の中ごろまで、全く洞穴の中で囚人《しゅうじん》のように過ごした。しかし、勉強の方は大いにはかどった。討論会はきちんと定められた日に開かれた。これは楽しい集まりだった。ドノバンは、いつも討論をリードした。頭がよく、話も巧《たく》みだった。彼はすぐれた才能を持っていたが、不幸なことに、その高慢な態度のために、みんなから好かれなかった。
冬になって少年たちがいちばん困ったのは、水を得ることができなくなったことだった。それまで水は、川から汲《く》んでいたのだが、川にも厚く氷が張りつめた。ゴードンは、さっそくバクスターに相談した。バクスターは、さすがに、仲間から技師と呼ばれているだけあった。洞穴から川までの地面の下に一本の管を通して、台所や物置に水を引くことを考えた。この管には、スルギ号の浴室に使われていた鉄管を利用した。次に少年たちの心配は、食糧《しょくりょう》だった。猟《りょう》にも釣《つ》りにも出られない。料理を受け持つモーコーの苦心は一通りではなかった。まず、船から持って来た食糧をできるだけ節約することにした。ゴードンの心は、モーコーから食糧の表を見せられるたびに重く沈《しず》んだ。いまはまだ、モーコーが冬に備えて作っておいたあひるや七面鳥の樽《たる》づけ、鱈《たら》や鮭《さけ》の塩づけがあった。だが、食べ盛《ざか》りの少年たち十五人の食欲を満足させなければならないのだ。駝鳥《だちょう》は物置の一隅《いちぐう》に飼《か》われているが、これの餌《えさ》も大変であった。サービスは、根気よく雪をかきわけては木の根や草を集めた。広間では二つのストーブが終日燃え、台所では竃《かまど》がうなり声を立てている。たきぎの山はみるみる減っていく。ある日、ブリアンはゴードンに言った。
「たきぎが残り少なくなった」
「心配はないさ、この島の林がなくなったわけではないからね、さっそく、みんなでたきぎ取りに出かけよう」
「それはできるだけ早い方がいい。僕は寒暖計を見てくる」
ブリアンはすぐさま寒暖計の掛かっている台所に飛びこんだ。火の気の絶えまのない台所でも、寒暖計はわずかに五度、戸外につるすと、みるみる、氷点下十七度まで下がってしまった。幸い、その日は風がなく、空は奇麗《きれい》に晴れていた。雪は堅《かた》く凍《こお》って歩いて行ける。全員が林へたきぎ取りに行くことにきまった。モーコーが、車の代わりに、三・五メートルはたっぷりある大テーブルを逆さにして使うことを考えついた。これなら、一度にたくさんのたきぎを運ぶことができる。洞穴から林までは半マイルしかなかった。一行はじきに林に着いた。
若い木こりたちの振《ふ》り下《お》ろす斧《おの》の音が、林にこだました。昼食に洞穴にもどる時は、机の車に二つの大きなたきぎの束《たば》を積《つ》み込《こ》むことができた。
この日から一週間、少年たちは林へ出かけた。こうして、当分の間はたきぎはふんだんに使えるようになった。
カレンダーによると、七月十五日はセント・スイシン祭であった。ブリアンは、みんなに言った。
「ヨーロッパでは、もし今日雨が降れば、四十日間降り続くと言われているんだ」
「だけどこの島では、いまは冬だから困らないよ、ヨーロッパのように七月が夏の所とは違《ちが》う」
サービスが言った。
その通りだった。この地方では、北半球の人々にとって夏の聖者であるセント・スイシンの力を恐れる必要はなかった。それに聖者の予言のようには雨は降らなかった。風は南東から吹《ふ》き始め、寒さはますますきびしくなった。八月の半ばには、寒暖計は氷点下二十七度に下がった。裸《はだか》の手で鉄製の物に触《ふ》れたら大変だった。少年たちは運動不足からみんな顔色が悪くなった。しかし、風邪《かぜ》をひいた者、のどを痛めた者が、わずか出ただけだった。それも、暖かい飲物のおかげで、じきに回復してしまった。
八月も十六日になると、風も和らぎ寒気も薄《うす》れた。天気は続くように見えた。
年上の少年たちの間では、スルギ湾を訪《おとず》れようという話が持ち上がった。朝早く出発すれば、その日の夕方には帰って来られる。目的は、極地地方にだけ住む動物が海岸には見られるのではないか、また、岩壁《がんぺき》の頂上のぼろぼろになった国旗を取《と》り替《か》えようというのである。
十九日の明け方、少年たちの一隊は洞穴を出発した。青い月が雲のない空で冷たく光っていた。
河口までは六マイルの道のりだ。堅く凍りついた雪の上を歩くのも、元気な少年たちには少しも苦にならなかった。沼《ぬま》も一面の氷野原だった。そのために、遠回りをせずに沼の上を一直線に進むことができた。
スルギ湾に着いたのは、午前九時だった。
「あれを見たまえ」
まずウィルコックスが海岸を指さした。岩の下には、ペンギンが群れていた。
「まるで小人の観兵式のようだね」
サービスが手をたたいて喜んだ。
ペンギンは、少年たちの姿を見ても逃《に》げようともしなかった。少年たちは、ありあわせの棒や石で、またたくまに何十羽となく倒《たお》した。ドノバンはみな殺しにしたがったが、ブリアンは止めた。ペンギンの脂《あぶら》でも蝋燭《ろうそく》を作れないことはない。だが、海岸には、もっと大きな動物がいたのだ。それは、あざらしだった。
氷でおおわれた岩の上で、あざらしがはねまわっているのが見えた。あざらしは、ブリアンたちが近づくと、すばやく海中に飛び込んだ。
少年たちは、あざらしを捕《とら》えようと思うならば、特別な遠征《えんせい》隊を作って出直さなければならないことを知った。昼食をすませてから、海岸を調べ始めた。ニュージーランド川の川岸から、まちがい海岬《みさき》にかけて深い雪が残っていた。ペンギンを除いて、すべての鳥たちは、島の奥深《おくふか》くへと飛び去って行ってしまったように思えた。
スルギ号の破片《はへん》は、七、八十センチもある雪にうずもれて見えなかった。少年たちは岩壁に立てた柱から古い国旗を下ろすと、新しい旗と取り替え、さらにフランス人の洞穴の位置をしるした板ぎれも打ち付けた。一行はこの仕事をすませると、直ちに帰途《きと》についた。そして午後四時、あたりが薄暗くなりかけたころに洞穴に着いた。
八月が終わり、九月の第一週を迎《むか》えた。風向きが変わり、気温は急に上がった。つらい冬は去った。少年たちは、見事に冬に耐《た》えることができたのだ。十五人そろって健康であり、勉強もめきめき進んだ。
大統領のゴードンは、みんなの振《ふ》る舞《ま》いに失望させられることは少なかった。だが、ある日、幼いドールを罰《ばっ》する必要に迫《せま》られた。ドールは、それまで何度も命ぜられた仕事を怠《なま》け、そのたびにゴードンからきつく注意を受けていたのであった。ゴードンは、ドールにまる一日パンと水の食事しか与《あた》えないことにした。さらに、ドールは鞭《むち》で打たれることになった。
イギリス人の少年は、フランス人の少年とはちがって、このような罰を受けることをいやがらない。ブリアンは、この罰には強く反対した。彼は、たとえ大統領の命令でも、誤ったことには従うことはないと信じていたからである。だが、結局ドールはこの罰に服した。それは、イギリス人の少年が、罰を受けることを恐れたと思われることをこの上もない恥《はじ》としているからだ。ドールは鞭を受けることも承知した。
ウィルコックスは、ドールのからだに鞭を振《ふ》り下《お》ろすというありがたくない任務を命ぜられた。この鞭の罰の結果、ドールは二度と注意を受けるようなことはなくなった。
やがて、九月十日になった。スルギ号がチェアマン島の海岸に打ち上げられてから、ちょうど六カ月がたったのであった。
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第十四章
[#この行4字下げ]春の訪《おとず》れ――新しい車――北方探検――ストップ・リバー――湖水のはて――北砂漠《きたさばく》
島はすっかり春めいた。いまこそ、少年たちが、冬の間練ってきた計画を、実行に移す時が来たのだ。
島の西側は太平洋で、小島すら見えない。だが、北、南、東の海岸には、一筋の希望が残っていた。フランソワ・ボードアンには、望遠鏡がなかった。肉眼では、オークランド丘《おか》の頂上に立っても、わずか数マイルしか見えない。少年たちは、精巧《せいこう》な望遠鏡を持っていた。これを使えば、不幸なフランス人には見ることのできなかった島影《しまかげ》を発見できるかもしれないのだ。
地図によると、東海岸には広い湾《わん》があった。島影を求めるならば、そこまで遠征《えんせい》隊を繰《く》り出《だ》すことが考えられる。だが、少年たちは、まず、洞穴《どうけつ》に近い、オークランド丘、ファミリー湖、落とし穴の林のあたりの探検をすることにした。少年たちの生活に必要な、動物や植物を発見するのが目的である。
だが、この探検も、しばらく延ばされた。激《はげ》しい風が、全島を昼も夜も襲《おそ》ったのであった。
それは、岩壁《がんぺき》さえも揺《ゆ》り動かすかと思われた激しさだった。風は、洞穴の戸口から、音を立てて広間に吹《ふ》き込《こ》んだ。少年たちの苦しみは、氷点下三十度に下がった寒い冬よりもひどかった。小鳥は島の奥《おく》深く飛び去り、魚は湖水の底にひそんでしまった。しかし、少年たちは、空《むな》しく日を送りはしなかった。
雪が消え去ったいまとなっては、テーブルの車は役に立たなかった。バクスターは、洞穴にとじこもっている間に車を造ろうと考えた。彼《かれ》が眼《め》をつけたのは、巻轆轤《まきろくろ》についている歯車であった。たくさんの歯車の中から、いちばん大きい二つをはずして車輪にしようというのだ。しかし、いざ仕事にとりかかってみると、これは慣れた職人でなければ手におえないことがわかった。歯車の縁《ふち》のギザギザを切り取るのが大変なのだ。だが、さすがはバクスターだ。たちまち一策を考えだした。歯の間のみぞを板で埋《うず》め、その上に鉄板の帯を巻き付けたのである。こうしてできた、二つの車輪を鉄の棒でつなぎ、その上に車体を載《の》せた。見ばえはしないが、物を運ぶのには大いに役立つ。島には、馬も驢馬《ろば》もいないので、車は少年たちが引くよりない。戸外に出られるようになったら、どうしても、車を引かせる動物を生けどりにしなければならない。それにつけて思い出されるのは、駝鳥《だちょう》のことであった。サービスの努力は大変なものだったが、駝鳥を馴《な》らすことはむずかしかった。
駝鳥は、いつまでたっても、飼主《かいぬし》のサービスになじまないのだ。彼が近づくと、たちまち鋭《するど》い嘴《くちばし》で向かってくる。だが、サービスは少しも気を落とさなかった。彼は、駝鳥に、『スイスのロビンソン』の主人公ジャックにまねて、「はやて号」と名前をつけてやった。
「まあ、見ていたまえ。ジャックは駝鳥を見事に乗馬に飼い馴らしたんだ」
サービスは、ゴードンに、愛読書『スイスのロビンソン』を差し出して言う。
「だが、君とジャックとは、君の駝鳥と彼の駝鳥が違《ちが》うように違っているんだよ」
「それは、どういう意味だい、ゴードン」
「つまり、空想《イマジネーション》 と実際《リアリティ》の違いさ」
「なあに、僕《ぼく》は必ず君の鼻をあかしてやるよ」
サービスは、自信たっぷりに言った。
毎日吹き荒《あ》れた激しい風も、十月の半ばにはやんだ。木の枝《えだ》は、一斉《いっせい》に緑の芽を吹き出した。少年たちがまた戸外に出られるようになると、サービスは駝鳥に乗って見せると言い始めた。
二十六日の朝だった。場所は、湖水のほとりの広場である。もちろん、少年たちは、そろって見物に押《お》しかけた。幼い少年たちは、サービスがうらやましかった。一方、果たしてうまくいくものかと、心配もしていた。サービスが、駝鳥の手綱《たづな》を取って現われると、ゴードンが言った。
「もし、駝鳥に振り落とされて、怪我《けが》でもしたら大変だ。やめた方がいい」
「ハッハ、心配ないよ。ゆっくりと見物してもらいたいね」
サービスは、ゴードンの言葉を頭から取り上げなかった。
「じゃ、好きなようにしたまえ」
ゴードンもあきらめて、見物席にもどった。
駝鳥には目隠《めかく》しがしてあった。サービスは、二、三回落ちたが、とうとう背中にまたがった。それから、大きな声を張り上げた。
「進めっ!」
それから、サービスは、目隠しをはずした。次に、彼は、足で駝鳥の腹を強くけった。駝鳥は、大きくはねると、まっしぐらに林に向かって走り出した。サービスは、あわてて目隠しをつけようとした。だが、駝鳥のすばやいこと。サービスは、振り落とされまいと、その長い首にしがみつこうとした。と、あっと言う間もなかった。サービスのからだは、もんどりうって、地面にころがった。
その間に、駝鳥は、林の中に走り込んでしまった。
見物の少年たちは、急いでサービスに走り寄った。
「なんて恩知らずなやつだ」
やっと起き上がったサービスは、うらめしげに林を眺《なが》めやった。その顔に、ウェッブが笑って言った。
「君の親友のジャックは、君よりずっとうまく飼い馴らしたぜ」
だが、サービスは大《おお》真面目《まじめ》に答えた。
「僕の駝鳥は、ジャックのやつほどには、馴れていなかったんだ」
サービスの言葉に、ゴードンが言った。
「いや、いつまで飼ってみても、同じことだったよ。サービス、君はもう、駝鳥を相手にするのはやめた方がいいね。それに、もう一つ大事なことは、ウイスが小説に書いたことを、そのまま真実だと思わないことだ」
十一月の初めには、天気はすっかり定まった。かねての計画の、ファミリー湖岸の探検が話に上った。空は晴れ渡《わた》り、風は静かだ。この分なら、二、三夜の野宿なら危険はないと思われた。
ゴードンは、この探検は、留守《るす》をブリアンとガーネットにまかせて、年上の少年全員が参加すると発表した。ブリアンは、この探検のあとで、東海岸の遠征に出かけることになっていたからである。
十一月五日の朝、ゴードン、ドノバン、バクスター、ウィルコックス、ウェッブ、クロッス、サービスの総計七人の探検隊は、洞穴を出発した。
モーコーは、この探検には加わらないが、読者は、一行が炊事《すいじ》に困りはしないかと心配はしないでもいい。なぜなら、サービスがいる。サービスは、モーコーの助手を熱心につとめたので、いまはもう一人前のコックだ。彼は探検隊の仲間をあっと言わせてやろうと、自信たっぷりだった。サービスには、この探検に加わったもう一つの理由があった。それは、また駝鳥を捕《とら》えてやろうというのだ。
鉄砲《てっぽう》を持つのは、ゴードン、ドノバン、ウィルコックスの三人だ。バクスターは、投げ弾丸《だま》と投げ繩《なわ》を持った。彼は、この二つの道具を自由自在に扱《あつか》えるようになっていた。それで、この道具を実際に使ってみたくてならなかった。
ゴードンは、スルギ号にあったゴム製のボートを用意した。これは、たたむと鞄《かばん》の大きさになり、重さは十ポンド(約四・五キログラム)しかない。フランソワ・ボードアンの地図によると、湖水からは二本の川が流れ出ていた。ボートがあれば便利であろう。
少年たちは、地図の写しを見ながら進んで行った。湖水の西岸は、十八マイル(約二十九キロメートル)の長さだった。往復には、三日かかると見なければならない。
一行は、まず落とし穴の林を抜《ぬ》けた。それから、フヮンを先頭に、湖水の岸の砂浜《すなはま》を横断した。まもなく、小さな林にかかった。たけ高い茂《しげ》みがそこここにあり、進むのには骨が折れた。ふと、少年たちは、足もとにたくさんの穴があいているのに気がついた。フヮンが、穴の一つに鼻を突《つ》っ込んでくんくん匂《にお》いをかいでいたが、そのうち、爪《つめ》で土をかきだした。穴は、兎《うさぎ》の巣《す》らしかった。
ドノバンは、すぐさま肩《かた》の鉄砲をはずした。だが、ゴードンが引き止めた。
「弾丸を節約しよう」
「残念だな、うまい朝飯ができるのに」
その時、ウィルコックスが口を開いた。
「ドノバン、僕に任せてくれ、一発の弾丸も使わずに捕えてみせる」
「どうするんだ」
「煙《けむり》でいぶし出すのさ」
ウィルコックスは、枯草《かれくさ》の束《たば》を作ると穴に詰《つ》めた。そして、火を放った。煙が立ち上り出してから、一分もかからなかった。穴からは、兎が次々に飛び出して来た。待ち構えていたサービスとウェッブが、手斧《ておの》を振《ふ》り下《お》ろした。フヮンも兎に飛びかかった。収穫《しゅうかく》は全部で十二羽だ。
「これで、朝飯にシチューを頼《たの》む、サービス」
「いいとも、ゴードン、お望みとあらば、いますぐにでも」
「まあ、もう少し歩いてからのことにしよう」
ゴードンは答えた。
この林を抜けて、九時近くに堤防河《ダイク・クリーク》の岸に出た。洞穴を出発してから六マイル来たわけである。川岸の大きな松《まつ》の木の下で、休憩《きゅうけい》ときめた。
サービスは、さっそく朝食の支度《したく》にかかった。まもなく、兎の蒸焼《むしや》きがみんなの前に運ばれた。サービスの腕前《うでまえ》にしては、上出来であった。
それから、少年たちは川を渡った。そこは、大きな森のはずれになっていた。あたりの様子は、少年たちの洞穴のまわりに似かよっていた。森の中では、啄木鳥《きつつき》や小鳥が楽しくさえずっていた。サービスは、鳥の中に、ロビンソン・クルーソーでなじみの深い鸚鵡《おうむ》が見当たらないのに、すっかり失望していた。彼は、駝鳥では見事に失敗したが、あのおしゃべりな鳥なら、自分の手にも負えると思ったのであった。
午後五時ごろ、一行の行く手は、また川でさえぎられた。川の幅《はば》は十二メートルほどだった。地図によると、この川は、湖水から流れ出てオークランド丘の北のはずれを回り、太平洋にそそいでいる。少年たちは、朝からたっぷり十二マイルは歩いた。ゴードンは、この夜は川岸で野宿ときめた。
この川で少年たちは、歩みをストップさせられたわけだ。そこで、この川に、ストップ・リバー(停止川)と名前をつけた。
翌朝空が白みかけると、もう少年たちははね起きた。前の日に、川にストップ・リバーと名前をつけたのは正しくはなかった。なぜなら、少年たちは、先へ進むためにはこの川でストップするわけにいかなかったからだ。川は深かった。そこで、用意してきたゴム製のボートを使うことになった。このボートは一人乗りだった。七人が渡りきるためには川岸を南から北へと、七回往復させなければならなかった。そのために、一時間以上もつぶしてしまった。しかし、食糧《しょくりょう》と弾薬《だんやく》をぬらさずにすんだことはありがたかった。
フヮンは、水を恐《おそ》れなかった。身をひるがえして飛び込むと、たちまち向こう岸に着いた。
一行は、湖水の岸を目ざして進んだ。十時少し前に、湖水の岸に着いた。果てもなくひろがる湖面には、空と水が見えるばかりであった。
正午近く、熱心に望遠鏡をのぞいていたドノバンは、仲間の方を振り返って叫《さけ》んだ。
「向こう岸の林が見える」
少年たちは、ドノバンの指先を眺《なが》めた。青い水の果てに、わずかに黒い影が見えた。
「急ごう。夕方までには、向こう岸に着けるように」
ゴードンの言葉に、一行は、さらに、足を早めた。
湖水の北岸には、砂の平野が見わたすかぎり広がっていた。その平野の所々には、灯心草《とうしんぐさ》と葦《あし》の茂みの青い色が眼についた。同じ島の中でも、洞穴のあたりの林の多いのとは、大きな違《ちが》いのようだった。少年たちは、この砂の平野に北砂漠と名前をつけた。
午後三時ごろには、対岸がくっきりと見え出した。対岸までは二マイルもない。一方、湖水の北岸の北砂漠には、時おり湖水を目がけて舞《ま》い立つ水鳥のほかに、生物の住む気配はなかった。もしスルギ号が、この方角の海岸に打ち上げられたら、おそらくいまごろは、少年たちは飢死《うえじに》してしまっていたであろう。これ以上、探検を続けてもむだと思われたが、湖水の北端《ほくたん》を見届けることにした。それは、大した道のりではなかったからだ。
まもなく、湖水の北端の入江《いりえ》の岸に出た。そこには、一本の木も草もなかった。少年たちはビスケットの夕食を終えると、砂原の上に毛布をひろげた。
少年たちの北砂漠の第一夜は、静かにふけていった。
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第十五章
[#この行4字下げ]二つの帰り道――西方に向かって――茶ノ木の発見――川岸で――恐《おそ》ろしい一夜――バクスターの妙技《みょうぎ》――洞穴《どうけつ》へ
少年たちが一夜を明かした場所から二百メートルほどの先に、高さ十五メートルの砂丘《さきゅう》があった。その頂上に立てば、あたり一帯を見回すことができるに違《ちが》いない。
太陽とともに起きた少年たちは、砂丘を目ざして急いだ。地図にある通り、砂原が海岸まで続いているものとすれば、少年たちは、そこまで行くわけにはいかない。海岸へ出るには、北に向かえば十二マイル、東には七マイルある。いずれの海岸に出ても、帰り道が長くなる。
「どうしたものか」と、少年たちは論じ合った。ゴードンは「いままでの道をもどろう」と言い、ドノバンは「別の道を帰るべきだ」と言い張った。ドノバンの意見には、もちろんクロッスは賛成する。
「僕《ぼく》は、ドノバンが正しいと思う。同じ道をもどるなんてつまらないよ、ゴードン」
「僕も、その点は同感だ。僕は、ストップ・リバーまでは湖水の岸を行き、それからまっすぐ、オークランド丘《おか》へ向かおうと言うのだ」
「それならどうして、もっと近道をしないんだい。この北砂漠をつっきって、落とし穴の林に出れば、三、四マイルは違うよ」
ドノバンは、一度言い出したらなかなかあとへ引かない。
「いや、とにかくストップ・リバーに出るべきだ。不案内な道を行くのは危険だ」
「いつも、君は慎重《しんちょう》だね、ゴードン」
ドノバンは、皮肉な口調で言った。
「慎重にこしたことはないよ」
ゴードンは、あくまで落ち着いて言った。
少年たちは、また野宿した場所にもどると、簡単な朝食をすませた。そして、毛布を巻き、鉄砲《てっぽう》を肩《かた》にして、前日の道を引き返した。
空は青く澄《す》み、湖面は静かだった。この天気があと三十六時間続いてくれたらと、ゴードンは思った。彼《かれ》は、翌日の夕方までには、ブリアンたちの待つ洞穴へ帰り着く予定だった。
ストップ・リバーまでの九マイルは、三時間で歩いた。その間の唯一《ゆいいつ》の出来事は、ドノバンが大きな七面鳥を仕止めたことである。これで、ドノバンはすっかり機嫌《きげん》を直した。サービスも、この七面鳥には大喜びだった。このごろ彼は、鳥を見ると、羽をむしり、料理することを考える。ストップ・リバーを、前日と同じようにゴム製のボートで渡った。
この時、ゴードンは、思い出したようにバクスターに話しかけた。
「洞穴に着くまでに、君の投げ弾丸《だま》と投げ繩《なわ》を試《ため》す機会があればいいが」
これを聞いて、ドノバンがクロッスに言った。
「あんなものが、役に立つものか」
「そうさ、だめにきまってるよ」
クロッスは、すべて従兄《いとこ》のドノバンの言う通りになる。
「君たち、バクスターがそれを使うときまで、けちをつけるのは止《や》めたまえ。僕はきっと、すばらしい力を現わすと思っている」
ゴードンは、自信ありげに言った。
まもなく、一行は昼食を取ることになった。
食事の支度《したく》は大分手間取った。七面鳥が大きかったからである。なにしろ三十ポンド(十三キログラムあまり)近い目方があり、頭から尾《お》の先までは九十センチもあった。それでも、少年たちは、一|片《ぺん》もあまさず平らげてしまった。フヮンも、骨をもらって大満足だ。
食事が終わると、少年たちは、落とし穴の林に足を踏《ふ》み入れた。ストップ・リバーが近くを流れていた。地図によると、この川は、さらに北西に向かい、河口はまちがい海岬《みさき》の上七マイルほどにあった。もし川について下れば、大変な遠回りになる。少年たちは、オークランド丘を目ざして、西へ一直線に進むことにした。
林の中には、木立のないところがあった。そこは、太陽がいっぱいにさしこむので、色とりどりの花が咲《さ》いていた。一メートル前後もある茎《くき》の先で、大きな白《しら》百合《ゆり》の花がゆれていた。ゴードンは、とげのある一本の木を見ると走り寄った。その木の枝《えだ》には、豆《まめ》のような赤い実がぎっしりついていた。
「これはトルルカの木だ。インディアンたちは、この実をよく使うんだよ」
「インディアンに食べられるのなら、僕たちだって同じことだ」
サービスは、言うが早いか、実を口の中にほうりこんだ。ゴードンがあわてて止めたが、遅《おそ》かった。サービスは、「ペッ、ペッ」と実を吐《は》き出した。そして、顔をしかめて、ゴードンにくってかかった。
「ひどいなあ、君は。すっぱくて、口がしびれそうだ」
「僕は、食べられるなんて言った覚えはないよ。インディアンは、その実で酒を作るのだ。この実があれば、ブランデーがなくなっても安心だ」
ゴードンの説明に、サービスは自分の早合点《はやがてん》を恥《は》ずかしく思った。
だが、その実を取ることはむずかしかった。枝にはとげがあって、棒で叩《たた》き落とさなければならなかった。
少年たちは、トルルカの木の近くでアルガロッベの木を発見した。この実も、南アメリカでは、酒の原料にしているものだ。今度は、サービスも、さっきで懲《こ》りているので、口には入れなかった。
まもなく、少年たちは、オークランド丘のふもとの近くに着いた。このあたりの森は、暖かい太陽の光を受けて、植物の種類が非常に豊富だった。小鳥も楽しく戯《たわむ》れていた。
ここでも、ゴードンは、茶ノ木を発見した。これは、寒い地方にも生える一種特別の茶ノ木で、その葉は香《かお》り高い飲物になるのだ。
少年たちがオークランド丘の北のはずれにたどり着いた時は、もう四時近かった。丘のふもとに沿って、一路洞穴へ急いだ。二マイルほど歩くと、急流の音が聞こえてきた。丘のふもとの狭《せま》い谷間を流れて行く河であった。河岸に立つと、ドノバンが言った。
「これは、僕たちが、洞穴を発見した時に渡った小川の上流だよ」
「あの、飛び石のあった河だね」
ゴードンがたずねた。
「そうだ。僕たちは、堤防河《ダイク・クリーク》と名前をつけたんだ」
ドノバンが答えた。
もう五時近かった。少年たちは、河岸の大木の下で野宿ときめた。サービスは、すぐに夕食の支度にかかった。ゴードンとバクスターは、植物採集に出かけた。バクスターは、投げ弾丸と投げ繩を持って行くことを忘れなかった。
百メートルほど歩いた時であった。前方に、一群れの動物が草を食っていた。
「山羊《やぎ》だね」バクスターがゴードンにささやいた。
「確かに似ている。バクスター、さっそく生けどりにしたまえ。ドノバンが見つけたら鉄砲で狙《ねら》うだろうから」
その時、動物の一|匹《ぴき》が頭を上げた。と、同時に、ヒュウという音が起こった。バクスターが投げ弾丸を投げつけたのだ。弾丸は、動物の足にからまった。ゴードンとバクスターはいっさんに走った。動物は足をもがいていた。そのそばで二匹の子が鳴いていた。投げ弾丸の成功に、バクスターは大喜びだ。
「ゴードン、これが山羊ならすばらしいね」
「僕はビクーニヤだと思う」
「そいつは、乳を出すのかい」
「もちろんだ」
「ビクーニヤばんざい」
ゴードンの観察通り、その動物はビクーニヤだった。ビクーニヤは、山羊にそっくりだ。だが、山羊よりも足が長い。短い、絹のような毛が生えている。それに、頭が小さく、角がない。南アメリカの平原地帯から南端のマゼラン海峡付近までに見られる動物だ。
二人は、ビクーニヤの母子《おやこ》を引っぱって、野宿の場所にもどった。この獲物《えもの》を見ては、ドノバンも、投げ弾丸が役に立つことを認めないわけにはいかなかった。
ビクーニヤを一本の木につないだ。二匹の子は、母のそばを離《はな》れようとしなかった。少年たちは、明け方三時ごろ、野獣《やじゅう》のうなり声に眼《め》をさました。
「ジャガーかな、それともピューマかな」
ゴードンが起き上がると、見張りに立っていたドノバンにたずねた。
「どっちだって同じさ」
「そんなことはない。ジャガーの方がピューマよりもずっと恐ろしい。とにかく、十分近くにひきつけて撃《う》つんだ。火をどんどんたいてくれ」
フヮンの激《はげ》しい吠《ほ》え方から、野獣が近いことがわかった。おそらく、野獣は、毎夜小川へ水を飲みに来るのだ。二十メートルほど前方に、黒い眼が光った。一発の銃声《じゅうせい》が響《ひび》いた。少年たちは、一斉《いっせい》にピストルをかまえた。
バクスターは、燃えている木の束《たば》を投げつけた。銃声が続いて起こった。草を分けて逃《に》げる音が聞こえた。
「助かったぞ」
サービスが高い声を立てた。
「もどってこないかな」
クロッスが心配そうに言った。
「もう安心だ。だが、朝までは用心しよう」
ゴードンは、たき火に木の枝をくべた。
翌朝六時、少年たちは出発した。
サービスとウェッブは、ビクーニヤの子をかかえた。母親の方は、素直《すなお》にバクスターのあとを追ってくる。
オークランド丘に沿った道は、どこまでも平らだった。一方には絶壁《ぜっぺき》がそびえ立ち、片方は密林である。七時に朝食をとった。それからは速かった。夕方までには、必ず洞穴に着くことができると思われた。
午後三時近くであった。一発の銃声が鳴り響いた。続いて、「そっちへ逃げたぞ」という叫《さけ》び声が聞こえた。ドノバンとウェッブ、クロッスの三人は、ゴードンたちよりもはるか前方を歩いている。もちろん、姿は見えない。銃声も、声も、ドノバンからだ。ゴードンが立ち止まると、森の中から牛に似た動物が走り出して来た。バクスターが、すかさず投げ繩を放った。輪は、見事動物の頭に命中した。動物は逃《のが》れようとしてあばれた。バクスターは、繩を握《にぎ》ったままずるずると引きずられた。
ゴードンとウィルコックス、サービスが三人がかりで、繩の端《はし》を木の幹に結びつけた。ちょうどそこへ、ドノバンを先頭に、ウェッブ、クロッスがもどってきた。ドノバンは叫んだ。
「これは、僕らがいましがた見失ったんだ」
「バクスターが、一足お先に、投げ繩で生けどりにしたよ」
サービスに言われて、ドノバンの顔には怒《いか》りの色が表われた。
「生けどりにしたって偉《えら》くないさ。どっちみち殺すんじゃないか」
「なんだって、君は、この動物が役に立つことを知らないんだね」
ゴードンは、言葉を続けた。
「これは、ラマといって、ビクーニヤと同じ南アメリカにいる動物だ」
ラマはらくだの一種である。頭はすらりとして品がある。足は長くて、栗色《くりいろ》の毛並《けなみ》には白い斑点《はんてん》がある。美しさはアメリカ産の名馬に負けない。足が速いので、アルゼンチン共和国の農園では、家畜《かちく》として珍重《ちんちょう》している。
おとなしいラマは、バクスターが投げ繩をはずしても逃げなかった。
サービスは、ラマにまたがって帰り、洞穴の仲間をびっくりさせてやりたかった。だが、ゴードンは、堅《かた》く許さなかった。
「けとばされるだけだよ。君は駝鳥《だちょう》の教訓を忘れたのかい。そのうち、車を引かせよう。その時まで、がまんしたまえ」
この探検は大成功だった。ラマ、ビクーニヤ、茶ノ木、トルルカ、アルガロッベと、洞穴の生活をうるおす収穫《しゅうかく》が豊富にある。それに、投げ弾丸と投げ繩が立派に役立つこともわかった。
六時近く、洞穴に着いた。ブリアンたちが、手を振《ふ》って迎《むか》えてくれた。
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第十六章
[#この行4字下げ]ブリアンの心配――動物小屋――砂糖かえでの発見――狐狩《きつねが》り――ふたたびスルギ湾《わん》へ――あざらしの群れ――クリスマス――ブリアン万歳《ばんざい》
ゴードンたちの探検の間、洞穴《どうけつ》ではすべてがうまく運ばれていた。少年たちは心からブリアンを敬った。とくに幼い少年たちは、彼《かれ》を兄のように慕《した》った。
だが、このブリアンにも、一つの、しかも大きな心配があった。それは、弟のジャックが、眼《め》に見えて元気がなくなっていくことだ。しかも、何度たずねても、答えは同じ「なんでもないの」の一点張りだった。
ブリアンは、ゴードンたちの留守《るす》の間に、一度強く問いただしてみた。
「ジャック、お前には何か秘密があるね。兄さんに、打ち明けなさい」
「――――」
ジャックは黙《だま》って眼を伏《ふ》せた。顔には苦しみの色が浮《う》かんだ。やがて、彼は思い切ったように顔を上げた。
「兄さんは、許してくれるかもしれません、だけどほかの人たちが……」
「えっ、一体どういうことなんだ」
「そのうちにきっと言います。それまで、待って……」
ジャックの眼には、大粒《おおつぶ》の涙《なみだ》が光っていた。
ブリアンには、それ以上弟を苦しめることはできなかった。彼の不安は、一層濃《こ》くなった。探検から帰って来たゴードンに、ブリアンは弟のことを相談した。
「僕は心配でたまらない、ゴードン、君からもジャックに聞いてみてくれないか」
ゴードンは、ブリアンの肩《かた》に手を置いて言った。
「何か子供っぽいいたずらを気にやんでいるんだよ、そっとしておいてやりたまえ」
ブリアンもゴードンの言葉に従うことにした。仕事が忙《いそが》しくなり、弟の事をかまってはいられなくなったのであった。
食糧《しょくりょう》が欠乏《けつぼう》しかけていた。林に仕掛《しか》けた罠《わな》や落とし穴には、兎《うさぎ》や小鳥など小さな獲物《えもの》しかかからなかった。少年たちには、もっと大きな獲物が必要である。その上、火薬や弾丸は努めて節約しなければならなかった。そのために、少年たちは、ペッカリー(アメリカいのしし)やビクーニヤのような動物を捕《とら》える大きな穴を掘《ほ》ることにした。
この仕事は、十一月いっぱいかかった。
探検隊が連れて帰ったラマとビクーニヤは、洞穴の戸口近くに生えている木につないでおいた。これにも、小屋を作ってやらなければならなかった。ゴードンは、その場所として、オークランド丘《おか》のふもとを選んだ。そこは、広間の戸口からほんのわずかの距離《きょり》だった。
スルギ号にあった道具箱《どうぐばこ》には、大工道具がすべてそろっていた。バクスターのさしずで、少年たちは、動物の小屋つくりに励《はげ》んだ。枝を切り落として作った杭《くい》で、十二、三頭の動物が十分に運動できる広さに囲いを巡《めぐ》らした。杭には、横に板を張り、野獣《やじゅう》が入れないようにした。
小屋には、スルギ号の厚板が役立った。屋根には、防水布を張った。毎日動物たちに、新鮮《しんせん》な草を入れてやり、寝藁《ねわら》を取り替えるのは、ガーネットとサービスの受け持ちだ。これは、面倒《めんどう》な仕事だった。だが、二人は、鼻をすりつけて寄ってくるラマやビクーニヤを見ると、つらいことも忘れた。
やがて、囲いの中には新しい客がふえた。いちばん初めは、落とし穴に落《お》ち込《こ》んだ二頭のビクーニヤだった。雄《おす》と雌《めす》で、バクスターとサービスが、二人がかりでやっと穴から引き上げたものだった。次は、フヮンが追い立てた駝鳥《だちょう》だった。この駝鳥を、サービスは今度こそと、熱心に世話をするのだが、いつまでたっても彼になつかなかった。
動物の囲いの一部に、鳥を飼《か》う場所を作った。罠にかかった七面鳥やほろほろ鳥を貯《たくわ》えておこうというのである。鳥の世話は、幼い二人の少年、ジェンキンスとアイバースンの受け持ちだった。二人はこの仕事がすっかり気に入った。
モーコーは、ビクーニヤの乳やほろほろ鳥の卵が手に入るので、料理をするのがらくになった。彼は、ゴードンが、日曜日や祭日以外にも砂糖を使わせてくれたら、と残念でならなかった。砂糖があれば、ドールやコスターの喜ぶ、甘《あま》い食後の菓子《かし》をこしらえることができる。
「僕《ぼく》たちだって、砂糖の代わりになるものを発見できないことはない」
サービスは、『スイスのロビンソン』を例にひいて主張した。
だが、それは本当だった。数日の後に、ゴードンはすばらしい発見をした。
彼は、落とし穴の林で、秋になると葉が紫色《むらさきいろ》に変わる一群の木を見つけた。
「やっ、これは砂糖かえでだ」
さすがのゴードンも嬉《うれ》しそうに叫《さけ》んだ。
「砂糖かえでだって、ばんざーい」
この発見に、少年たちはわきかえった。
この木の幹に傷を付けると、汁《しる》が吹《ふ》きでる。それを煮詰《につ》めれば、砂糖ができるのだ。砂糖きびで作るものには劣《おと》るが、料理の味付けには十分まにあう。
砂糖が手に入ると酒が作れる。ゴードンのさしずで、モーコーは、トルルカとアルガロッベの実を醗酵《はっこう》させて甘い酒を作った。
茶の葉は、中国|産《さん》のものと同じように香気《こうき》が高かった。
島には、贅沢《ぜいたく》を望みさえしなければ、少年たちの必要なものはすべてそろっていた。ただ一つ、野菜がなかった。オークランド丘のふもとには、フランソワ・ボードアンが植えたじゃがいもが生えていた。ブリアンは、それにいろいろと手を加えてみたが、すっかり野生にもどってしまっていて、どうにもならなかった。少年たちは、かんづめの野菜や果物《くだもの》に頼《たよ》るほかなかった。
ゴードンは、弾丸の節約を常に考えていた。彼はある日、バクスターに、弾力のある|※[#「木+(山/今)」、unicode68a3]《とねりこ》の枝《えだ》で弓を作るように言った。矢は、葦《あし》の先に釘《くぎ》を付けて作った。この手製の弓矢でも、慣れると、鳥を落とすことができた。
十二月の初めのある日だった。
ドノバンがゴードンをつかまえて言った。
「このごろ狐と山犬が、夜、罠にかかった獲物を盗《ぬす》みにやってくる」
「落とし穴を方々に掘ってみたら」
「山犬はそれでもいいが、狐はどうしたって鉄砲《てっぽう》でなければだめだ。狐は、落とし穴を嗅《か》ぎ分けてしまうんだ。いまのうちに退治しないと、動物小屋をねらわれる」
「よし、それなら、火薬を奮発しよう。だが、大切に使ってくれたまえ」
「だいじょうぶだとも、今夜、泥棒狐《どろぼうぎつね》をみんな退治してしまうから」
ドノバンは、久しぶりに思いきり鉄砲が撃《う》てるので、うれしそうだった。
狐に動物小屋をねらわれたら大変である。南アメリカ産の狐の恐《おそ》ろしさは、ヨーロッパ産の狐とは比べものにはならない。牧場で馬をつなぎとめておく皮紐《かわひも》までかみ切ってしまうほど狡猾《こうかつ》なのだ。
その夜、ドノバン、ブリアン、サービス、ウィルコックス、バクスター、ウェッブ、クロッスの七人は、落とし穴の林に入って行った。
フヮンは、洞穴につないでおいた。吠《ほ》え立てて狐を警戒《けいかい》させてはならないからだ。
十二時近く、数匹の狐が、林の中を走って来るのが見えた。七人の少年は、草の中に隠《かく》れて息をひそめた。狐は、あたりに眼を配りながら、だんだん近づいて来た。
パーン。
まず、ドノバンの鉄砲が火を吹いた。
パーン、パーン。
続いて、一斉に銃声が起こった。
狐たちは総くずれになった。右へ左へと逃《に》げ回った。そこをねらって、弾丸が飛んだ。
夜が明けてみると、草のそこここに、十二匹の狐が倒《たお》れていた。狐狩りは三日間続けられた。その後、狐は全く出なくなった。その上、上等の毛皮が五十枚も手に入った。
十二月十五日に、少年たちは、ふたたびスルギ湾遠征《えんせい》に出かけることになった。天気に恵《めぐ》まれたので、この遠征には、十五名が全部そろって出かける。幼い少年たちには、初めての遠征だ。
この遠征の目的は、あざらしを取ることだった。洞穴では、明かりに使う油が残り少なくなった。冬ごもりの間に、大方使ってしまったのだ。油は動物から取るよりなかった。少年たちの手に入る動物で脂《あぶら》の多いのはあざらしだった。あざらしを取るとなれば、ぐずぐずしてはいられなかった。暑さに向かえば、あざらしは、南極の寒い海へ移動してしまうからだ。
今度は、車は二頭のラマに引かせた。車には、食糧、弾薬《だんやく》、大きな鉄鍋《てつなべ》、油を入れる空樽《あきだる》を積んだ。
朝早く洞穴を出発したので、八時ごろには沼地《ぬまち》のほとりに着いた。その時、ドールが驚《おどろ》きの声を張り上げた。
「あそこに、変なものがいる」
沼の水面からぶざまな動物が顔を出していた。
「あれは、河馬《かば》だよ」
ゴードンが教えた。幼い少年たちは、生まれて初めて見る河馬の姿に、眼を丸くした。ブリアンがゴードンに続いて説明した。
「河馬というのは、つまり河に住む馬という意味さ」
わきで聞いていたサービスが、まじめくさって言った。
「僕は、むしろ、河豚《かわぶた》の方がふさわしいと思うね」
この言葉に、みんなは腹をかかえて笑った。
一行は、十時過ぎ、スルギ湾に着いた。スルギ号の解体の仕事の間テントを張った、思い出の川岸に荷を下ろした。
岩の上には、無数のあざらしが寝そべっていた。少年たちが昼食をすませるころ、正午近い太陽の光を浴びて、あざらしは浜《はま》べに集まって来た。
少年たちは、手はずをととのえた。
ドノバンが海に入ってあざらしの退路をさえぎる。残りの少年たちは、岩に隠れて浜べに進んだ。三十メートルの間をおいて、半円形にあざらしを囲んだ。ドノバンの合図で、少年たちは一斉《いっせい》に立ち上がった。
的は大きい。弾丸《たま》はおもしろいように命中した。沖《おき》へ逃げようとするあざらしに、待ち構えたドノバンのピストルが火を吹いた。
たちまち二十頭を倒した。少年たちはいったん、川岸に引き上げた。
午後からの仕事は、あまりうれしいものではなかった。まず、岩の間に倒れているあざらしを、川岸まで引いてきた。そこではモーコーが、大鍋でぐらぐら湯を沸《わ》かして待っていた。あざらしの肉を五、六ポンドの塊《かたま》りに刻んで、鍋の中に投げ入れた。
やがて、湯の表面には、ぎらぎら油が浮かび上がった。ひどい悪臭《あくしゅう》が立ち上った。
こうして、翌日の夕方には、大きな六つの樽にいっぱいの油が手に入った。
次の日の朝、少年たちは、岬《みさき》の上に翻《ひるがえ》るイギリスの国旗と太平洋の波に、別れを告げた。一行は夕方六時、洞穴にたどりついた。
さっそく、カンテラに油を使ってみた。明るいとはいえなかったが、ともかく、冬の間暗やみの中で過ごす心配だけはなくなった。
あざらし狩りから帰ると、少年たちは今度はクリスマスの準備にかかった。
ゴードンは、この日を、できるだけ楽しく祝うことにきめていた。彼は、もしできることなら、故郷の両親、友達に、次のような挨拶《あいさつ》を送りたいと思った。
「僕たち十五人は、チェアマン島で元気で暮《く》らしています。必ずまたお会いできると信じています。神様は、僕たちをお見捨てにならないでしょう」
十二月二十五日、クリスマスの日は来た。夜が明けると、祝砲の音が、オークランド丘を震《ふる》わせた。
洞穴の中は、色テープ、小旗、国旗で、美しく飾《かざ》り立てられていた。バクスターとウィルコックスが一日がかりで飾り付けたのだ。少年たちは、新しい服に着替《きが》えた。手を握《にぎ》って「クリスマスおめでとう」と挨拶をかわした。
午前中は、少年たちは、湖水の岸を散歩したり学校で習った競技をやって遊んだ。
また、大砲の音が響《ひび》き渡《わた》った。宴会《えんかい》が始まる合図だ。少年たちは、そろって食堂に入った。
大テーブルには、雪のように白い布がかかっていた。その真ん中には、花と草をあしらった大きな鉢《はち》が置かれ、クリスマスツリーが植えてあった。枝には、英、米、仏の小さな国旗がつるされていた。
テーブルに向かって、献立表《こんだてひょう》を見た時、少年たちは一斉に喜びの声を上げた。
いずれも、モーコーがサービスを助手に、この日のために腕《うで》のかぎりをふるった料理であった。
アグーチの詰め物、小鳥のぶどう酒煮、兎の照り焼き、七面鳥の、嘴《くちばし》と翼《つばさ》をぴんと張ったまま焼いたもの、かんづめ野菜三種、プディング――このプディングは、すばらしいものだった。ピラミッドの形に盛《も》り上げ、その中には、一週間以上もブランデーにつけておいたアルガロッベの実と干ぶどうをまぜ合わせたものが、ぎっしりと詰まっていた。飲み物としては、ぶどう酒、シェリー酒、茶、コーヒーが用意されていた。
まず、ブリアンが立ち上がって、ゴードン大統領の健康を祝うあいさつを述べた。次に、お互《たが》いの幸福と故郷の家族、友人たちのために乾杯《かんぱい》した。最後にコスターが立った。彼は、幼年組を代表して、これまでのブリアンの親切に対して、心からの感謝の言葉を述べた。激《はげ》しい拍手《はくしゅ》がわきおこった。
ブリアンの眼は、感激《かんげき》にうるんだ。だが、拍手の音は、ドノバンの心を、ますます不愉快《ふゆかい》にかりたてるばかりであった。
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第十七章
[#この行4字下げ]冬の準備――遠征《えんせい》隊の編成――湖水を横断して――東方川――東海岸へ――洞穴《どうけつ》に向かう
クリスマスから一週間の後、少年たちは一八六一年の新年を迎《むか》えた。島では真夏である。
少年たちが、ニュージーランドから、少なくとも千八百マイル(約二千九百キロメートル)離《はな》れたこの島に住みついてから、すでに十カ月がたった。この寂《さび》しい孤島《ことう》の暮らしから抜《ぬ》け出る見こみは、いっこうにない。唯一《ゆいいつ》の頼《たよ》りは、海からの救いである。だが、それも、夏の終わりまでに得られなければ、少年たちは、二度目のきびしい冬を迎えなければならない。現在まで、少年たちは健康には恵まれてきた。これは、ゴードンが、不注意や度を過ごすことを、許さなかったためである。それにもかかわらず、少年たちの心が晴れ晴れすることはなかった。
「どうにかして、この島から抜け出る方法はないか」と何度もブリアンは考えた。だが、一|隻《せき》の小さなボートで、どうして長い航海ができよう。大洋の荒波《あらなみ》を航海する船を作ることは、少年たちの手に負えない大仕事である。いかに頭をひねっても、ブリアンには、島から抜け出す名案は浮《う》かんでこなかった。腰《こし》を落ち着けて、救いの手を待つこと以外にない。そのためには、この洞穴を住みよくすることが第一だ。
この島の冬が、どんなにつらいものかは、少年たちはよく知っている。寒さと飢《う》え、この二つが少年たちの最も恐《おそ》ろしい敵である。寒さを防ぐものは、たきぎだ。ゴードンは、秋のうちに、終日ストーブをたいても十分なたきぎを貯《たくわ》えておこうと思った。動物たちのことも考えてやらなければならない。冬の間、洞穴に動物たちを入れることは、健康上からも不潔である。洞穴の近くに小屋を作り、煖炉《だんろ》をそなえてやることが必要である。この仕事は、バクスター、ブリアン、サービス、モーコーの四人で、一月中かかって完成させた。
冬の間の食糧《しょくりょう》も早くから心掛《こころが》けておくことにした。ドノバンたちは、せっせと狩《か》りに出かけた。罠《わな》や落とし穴を、毎日見張った。余った獲物《えもの》は、モーコーが、塩づけや燻製《くんせい》にした。こうして、たきぎも食糧も、どんなに冬が長くきびしくとも、困らないだけの貯えができた。
このような努力の間にも、島の東方を遠征する計画を忘れたわけではなかった。
ある日、この遠征について、ゴードンとブリアンは次のように話し合った。
「ボードアンの地図には書かれていないが、東方の海に、僕《ぼく》たちの望遠鏡なら陸地が見えるかもしれないね。どうしても、東方へ遠征する必要があるよ。どう思う、ブリアン」
「もちろん、賛成だ。何人ぐらいで行く」
「六、七人か――」
「それは多過ぎるよ、僕は、この遠征は、ボートを使って湖水を横断したらいいと思う。二、三人で十分だ」
「誰《だれ》がボートをあやつる」
「モーコーさ、彼《かれ》はボートをこぐのはうまい。それに、僕も少しはやる。帆《ほ》とオールの両方を使えば、五、六マイルはらくだ。地図を見ると、島の東には、森の中を流れる川がある。その川を下れば海岸まで行ける」
「なるほど、それはいい。モーコーのほかには誰が行く」
「僕だ、僕はこの間君たちが行った探検に行かなかった。今度はぜひ僕に行かせてくれたまえ」
「あとの一人は?」
「ジャックを連れて行こうと思う。僕にはあの様子が心配でならない。探検に連れて行って、二人だけのときに聞いてみようと思う」
「ぜひ、ジャックを連れて行きたまえ」
ゴードンは、その日、みんなにブリアンたちの遠征のことを発表した。
ドノバンは、自分が遠征に加えられなかったことが不満であった。ゴードンに向かって言った。
「この遠征は、まるでブリアンのためみたいだネ」
「そんなことを言うのは、ブリアンばかりでなく、僕まで傷つけることだ」
ゴードンはきびしい口調で言った。ドノバンは黙《だま》った。そして、ウィルコックス、クロッス、ウェッブの三人のところに行った。モーコーは、遠征でボートをあやつると聞かされて、顔をくずして喜んだ。
モーコーの留守《るす》は、サービスがコック役を引き受ける。サービスは、日ごろからこのコックの役をねらっていたのである。
ジャックも、兄と一緒《いっしょ》に遠征に出ることはいやではないらしかった。
ボートのいたんだ個所《かしょ》を修繕《しゅうぜん》し、小さな三角帆を張った。そして、鉄砲《てっぽう》二、ピストル三、弾薬《だんやく》、毛布数枚、食糧、オール二本など、必要な品物|一切《いっさい》を積《つ》み込《こ》んだ。
二月四日の朝八時、ブリアン、ジャック、モーコーの三人は、友人たちの見送りを受けて、ニュージーランド川の船つなぎ場から出帆《しゅっぱん》した。
美しい朝であった。南西の風が吹《ふ》いていた。帆をいっぱいに張ったボートは湖水へ乗り出した。三十分ほどたつと、岸に立つゴードンたちの姿は小さな黒点となり、やがて消え去ってしまった。
モーコーが船尾《せんび》に、ブリアンは真ん中に、ジャックは船首の帆柱の下に坐《すわ》った。
一時間たつと、オークランド丘《おか》の頂上も、水平線の下へ沈《しず》んでしまった。まだ湖水の対岸は見えなかった。
太陽が上るにつれて風はないだ。
「困ったね、風が続かないのは」
ブリアンが言った。
「向かい風の方がもっと困りますよ」
モーコーが答えた。
「なるほど、君はなかなか哲学者《てつがくしゃ》だね」
「それはどういうことなんですか。わたしは、どんな場合でも物事をいい方に考えるんです」
「それこそ、本当の哲学者だよ。モーコー」
「からかうのはそれくらいにして下さい、私はオールを使います。夕方までには、向こう岸に着かないと大変です」
「よし、僕もオールを一つ握《にぎ》ろう。ジャック、お前は舵《かじ》を取ってくれ」
モーコーは帆を下ろした。風は全くないでしまった。まず昼食を食べてから、モーコーとブリアンは一心にオールを動かした。ジャックは、北東へと舵を向けた。その方向に、湖水から川が流れ出ているのだ。
三時ごろ、望遠鏡を取り上げたモーコーは、遠くに岸が見えると言った。まもなく梢《こずえ》がはっきりと見え出した。
ブリアンとモーコーは、なおもオールを忙《いそが》しく動かした。疲《つか》れは感じなかったが、太陽が照りつけるのが耐《た》えがたかった。
湖水の面は鏡のようになめらかだった。水は澄《す》み、底の水草が見えた。無数の魚がその間を泳ぎ回っていた。
夕方六時近く、かしと松《まつ》の葉で埋《う》まる丘のふもとに着いた。そこには、上陸する格好の場所はなかった。三人は、岸に沿って半マイルほど北に進んだ。やがて、湖水から流れ出す川の一つに出た。
「これが、地図にかいてある川だ」
「この川の名前をつけましょう」
モーコーが言った。
「どうだい、東方川は。この島を東に横断して流れているのだから」
「いいですね、今度はこの東方川を河口まで下りましょう」
「それは、明日にしよう。今夜はここで泊《とま》った方がいい」
「上陸して?」
ジャックがたずねた。
「もちろんさ、今夜は木の下で野宿だ」
ボートをつないで、岸に飛び上がった。かしの木の根もとに、赤々と大きなたき火をたいた。
少年たちは、堅《かた》パンとコンビーフで夕食をすますと、毛布にくるまった。夜は静かにふけていく。
「おーい、起きろよ、もう六時だ。出発だ」
翌朝、ブリアンは、真っ先に眼をさますと、二人のからだをゆすぶった。三人の少年は、ふたたびボートに乗り込むと、川をこぎだした。急流であった。干潮が三十分前から始まっていて、ボートをこぐ手間ははぶけた。ブリアンとジャックは船首に坐っていればいい。モーコーが、丸木舟《まるきぶね》をあやつるようにオールを動かす。河口まで六、七マイルとすれば、一回の干潮でボートを岸まで運んでくれるわけだ。
「この川は、ニュージーランド川よりずっと急だね」
「その代わり、帰りは大変ですよ、できるだけ早く帰ることですね」
「海岸に出て、陸があるかどうかを調べたらすぐにもどるつもりだ」
川の岸は、ニュージーランド川の岸よりも高かった。川幅《かわはば》十メートルはあろうか。ブリアンは、河口までの間に、滝《たき》か渦巻《うずまき》でもありはしないかと心配だった。岸には深い森が迫《せま》り、落とし穴の林と様子がよく似ていた。
ブリアンは、ゴードンよりも植物の知識は少なかったが、学校の標本で見た木があった。それは枝《えだ》をかさのように拡《ひろ》げていて、十センチほどの、先がとがり殼《から》の光っている実がいっぱいになっていた。
「石松《ストーン・パイン》だ」
「船を着けてみましょうか、ブリアンさん」
オールで軽く二、三回流れをかくと、ボートは左岸に着いた。ブリアンとジャックは元気よく岸に飛び上がった。まもなく、木の実を腕《うで》いっぱいかかえてもどってきた。木の実は、卵形で殼は薄《うす》く、はしばみの実に似ていた。ストーン・パインの実からは上等の油が取れる。
川岸の森に獲物が多いかどうかを見ることは、遠征の任務である。ブリアンは、ボートから、駝鳥《だちょう》、ラマ、兎《うさぎ》などが森を逃《に》げて行くのを見た。小鳥は、ドノバンがいたら有頂天《うちょうてん》になるほどである。
十一時、森の木はだんだんまばらになり、潮の香《か》がにおってきた。海が近いのだ。やがて、かしの木の林を過ぎると、一はけの水の色が見えた。
流れは一向に広くはならなかった。せいぜい十三、四メートルである。ボートは海岸に着いた。
海岸の様子は、スルギ湾《わん》とはいちじるしく違《ちが》う。大きな岩が群がっていた。住居にいい洞穴は至る所にあった。もし、スルギ号がこの海岸に打ち上げられたのであったら、たやすく洞穴を見つけられたわけだ。
ブリアンは、海岸に立つと、熱心な瞳《ひとみ》を向けた。だが、帆も島影《しまかげ》も見えなかった。霧《きり》や靄《もや》の中に海岸を見分けることに慣れているモーコーでさえ、望遠鏡の助けを借りても陸を発見することはできなかった。チェアマン島は、西海岸と同じく、東海岸も陸地からはるか遠く離れているのだ。
フランソワ・ボードアンが、地図に近くの陸地を記さなかったのもまちがいではなかった。ブリアンの失望は大きかった。彼は、東海岸に立てば、島を発見できると信じきっていた。それで、太陽をうけてキラキラと光っている大きな入江《いりえ》に、失望湾と名づけた。
「モーコー、僕は、もう少し水平線に島を捜《さが》してみたい。高い岩に登って」
「それならブリアンさん、次の満潮に出帆しましょう。今夜十時ごろになると思います」
「夜の川は危険ではないかな」
「いいえ、それに今夜はちょうど満月です」
「出発まで十二時間はある。その間を海岸の探検に使おう」
その日の残りの時間に、三人は海岸をくまなく歩き回った。海岸近くの森には鳥が多かった。この海岸は、花崗岩《かこうがん》の大きな岩が多い。ブリアンは、なぜフランソワ・ボードアンがこの海岸に住居を作らなかったかと、不思議に思った。彼がこの海岸を訪《おとず》れたことは、地図にこのあたりが正確に記されていることでもわかる。おそらく、フランソワ・ボードアンは、湖水のほとりの洞穴に住みついてしまったあとで、この海岸にやってきたのであろう。
三人は一つの大きな岩に登った。それは熊《くま》に似た形の岩で、三十メートルの高さはある。頂上までたどりつくのは楽ではなかった。だが、頂上に立てば遠くまで見はらせるだろうと、一心に登った。岩の後ろには、その果てに、ファミリー湖のある密林があった。
南は広い砂原が続いていた。そこここに背の低い松《まつ》が生《は》えていた。
北は深く入りくんで、その果ては眼《め》の届くかぎり砂原である。この島は、わずかに湖水のほとりだけ人間が住めるのだ。
ブリアンは望遠鏡を取り上げて東方を眺《なが》めた。空気は澄み、七、八マイルの間がはっきりと見渡《みわた》せた。だが、眼に映るものは広い海原《うなばら》だけ――。
一時間ほど頂上で過ごすと、三人は岩を下ることにした。その時、モーコーがブリアンに言った。
「あれは何でしょう」
ブリアンは、北東に望遠鏡を向けた。水平線にぽつんと白い点が見えた。雲のようでもある。空は少し曇《くも》って来た。ブリアンは、じっと望遠鏡を眼に当てていた。やがてその点は、全く動かないことがわかった。太陽は西に傾《かたむ》き、白い点は見えなくなった。
白雪におおわれた山の頂上であったか、それとも海が反射したのであろうか。ジャックとモーコーは、山とは思えないと言い張った。だが、ブリアンの胸には、疑問となって残った。
三人は河口に帰った。そこにはボートが錨《いかり》を下ろしていた。ジャックは枯葉《かれは》を集めてきてたき火をつくった。モーコーは食事の支度《したく》にかかった。七時ごろ夕食をすませた。ブリアンは、ジャックを連れて満潮になるまで海岸をぶらついてくると、でかけた。モーコーは、川の左岸にストーン・パインの実を拾いに行った。
モーコーがボートの所にもどってきた時は、もうあたりは薄暗かった。ブリアンもジャックもまだ帰ってはいなかった。
ふと、その時、モーコーの耳にすすり泣きの声が聞こえてきた。それにまざって、怒《いか》りに満ちた声も聞こえてくる。ブリアンの声だ。兄弟の上に何か危険でもせまっているのではないか。不安にかられたモーコーは、すぐさま声の方に走った。
モーコーは岸の大きな岩を回ると、ハッとして立ち止まった。ジャックがブリアンの足もとにひざまずいているではないか。ジャックは、すすり泣きながら許しを乞《こ》うているのだ。
他人の話を立ち聞きしてはいけない。モーコーは、すぐにその場を立とうと思った。だが、遅《おそ》かった。モーコーは、ジャックが泣きながら打ち明けた秘密を知ってしまったのである。
「馬鹿《ばか》! なんてことをしたんだ」
「許して、兄さん許して下さい」
「それが、お前がいつもみんなから離《はな》れている理由だったのか――みんなはとうていお前を許してはくれないだろう」
モーコーの性質では、秘密を聞いて黙っていることはできなかった。元気なく一人でボートに帰ってきたブリアンに、モーコーはささやいた。
「わたしはすっかり聞きました」
「えっ、じゃあ君はジャックの罪を」
「そうです。ブリアンさん、ジャックちゃんを許して上げて下さい」
「だが――、ほかの人たちが許してくれると思うかい」
「おそらくはだめでしょう。ここしばらく、皆《みな》さんには黙っていることです。安心して下さい。わたしは決してしゃべりません」
「モーコー、ありがとう」
ブリアンは、黒人の少年の手を強く握りしめた。
それから、出発までの二時間、ブリアンはジャックと一言も口をきかなかった。ジャックは岩のふもとに腰を掛けて、深くうなだれていた。
十時ごろ、潮がぐんぐんとさしはじめた。三人はまた、ボートに乗った。ボートは波に押《お》されて川をさかのぼった。
日が暮《く》れると、まもなく月が上った。ボートの行く手を明るく照らした。午前一時ごろまで、オールの必要は全くなかった。そのうち、ボートは一時間に一マイルしか進まなくなってしまった。翌朝の満潮の時刻まで錨を下ろすことにした。
翌朝六時、ボートはふたたび流れをかきわけて進んだ。九時には湖水に着いた。ここでモーコーはボートに帆を張った。
快い東風に、ボートは面白《おもしろ》いように湖上をすべった。夕方六時ごろ、帆を納めて近づいて来るボートを、岸で釣《つ》りをしていたガーネットが見つけた。ボートはゴードンたちの出迎えを受けて、船つなぎ場にぴたりと着いた。
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第十八章
[#この行4字下げ]塩をつくる――高足駄《たかあしだ》をはいて――冬の支度《したく》――運動の時間――輪投げ事件――ゴードンの忠告――飛び去る小鳥――大統領選挙
ブリアンは、その夜広間で、少年たちに遠征《えんせい》の結果を報告した。遠く海の果てに見た白い点のことも、付け加えた。
もしそれが島であったとしても、そこまで渡《わた》ることはできなかった。少年たちは、忍耐強《にんたいづよ》く、救いの手をまつよりないのだ。少年たちは、冬を迎《むか》える準備に一層|励《はげ》むことを誓《ちか》い合った。
遠征から帰ってから、ブリアンの態度はすっかり変わった。友達と話をする機会を避《さ》けて、努めて一人になろうとしていた。
ゴードンは、この親友の様子に心を痛めた。そして、注意深く見守っていた。彼《かれ》は、ブリアンが、危険な仕事をきまって弟に引き受けさせるのに気がついた。ジャックも喜んでそれに従った。兄弟の間には、何か堅《かた》い約束《やくそく》ができているように思えた。
二月の末に、ウィルコックスは、鮭《さけ》の群れが黒く背を光らせて川を下って行くのを見つけた。さっそく流れに刺《さ》し網《あみ》を張って、多くの鮭を捕《とら》えた。少年たちは、鮭を貯《たくわ》える塩を得るために、二、三度スルギ湾《わん》に出かけた。ブリアンとバクスターが、海水を太陽の熱で蒸発させて塩を作ることを考えついたのである。
三月の前半から、ドノバンたちは、ニュージーランド川の左岸沿いの南沼《みなみぬま》探検を行なった。この探検のために、バクスターは軽い板で高足駄を作った。それをはいて、沼地の水の中を歩こうというのであった。
十七日の朝、ドノバン、ウィルコックス、ウェッブの三人の少年は、川を渡って左岸に上陸した。
三人は、用意してきた高足駄を靴《くつ》につけて、沼に入って行った。フヮンは、平気で少年たちのあとをついていく。
岸から一マイル(約一・六キロメートル)ほど南西に進むと、沼の中の土の肌《はだ》が現われている場所に着いた。ここで、高足駄をはずした。
あたりには、しぎ、鴨《かも》、プロバ(千鳥の一種)、小鴨が群れていた。黒いかいつぶりも多かった。この鳥の羽根は柔《やわ》らかいので貴《とうと》ばれている。肉も、料理の仕方によってはうまく食べられるのだ。
三人は、たちまち何十羽と獲物《えもの》を仕止めた。しかし、獲物は水の中に落ちたので、フヮンがくわえて来た十二、三羽で満足するよりなかった。沼には、いかにモーコーがすぐれたコックでも、しまつに困ると思われる鳥もいた。浜《はま》ひばり、嘴《くちばし》が細長くてとがっている白さぎである。ドノバンは、これらに鉄砲《てっぽう》を構えてみたが、弾丸《たま》の節約を考えて思いとどまった。
しかし、彼はフラミンゴの群れを見つけた時は、自分を抑《おさ》えることができなかった。フラミンゴは泥水《どろみず》を好み、肉は山うずらに似たすばらしい味だ。この鳥は必ず群れをなしている。その中の一羽を見張りに立てる。危険が迫《せま》ると、その見張りの鳥が、ラッパの音のような鳴き声を張り上げるのだ。
ドノバンは、嘴から尾《お》の先まで一・二メートルもある見事な一羽をねらった。彼が近づくと、見張りの鳥が高く鳴いた。ドノバンがあわてて鉄砲を構えるうちに、フラミンゴの群れは南の空へ飛び去ってしまった。
しかしこの日、聖書に出てくるあの猟《りょう》の名人ニムロッドの弟子《でし》のような三人の少年は、重い獲物を背負って洞穴《どうけつ》へ帰った。
ゴードン大統領は、冬の準備をあれこれと考えた。二週間にわたって、毎日ラマに車を引かせて、たきぎを集めに林と洞穴を往復した。その間にも、勉強は怠《おこた》らなかった。
週に二回の討論会では、相変わらず、ドノバンが自分の知識を鼻にかけた。これこそ、彼が不幸にも、友達から愛されない原因であった。
ドノバンは、ウィルコックス、ウェッブ、クロッスの三人の仲間のほかには、全く人気がなかった。しかし、彼は、あと二カ月後に迫った大統領の選挙には、自分が当選するものときめていた。彼の仲間も「もちろん、君の当選は疑いないよ」と元気づけた。
幼い少年たちの中には、ドノバンに投票しようと考えているものは一人もいなかった。ゴードンに対しても同じだった。ゴードンも、自分が幼い少年たちに人気がないことを知っていた。ゴードンは、この一年間、幼い少年たちをきびしい態度でしつけてきた。食後の菓子《かし》もわずかしか与《あた》えなかった。もし、衣服を汚《よご》したり靴に穴をあけようものなら、こわい顔で叱《しか》りつけた。
彼は毎日、幼い少年たちがベッドに入る前に、チョッキやシャツのぼたんの数を調べた。そして、一つでも足りない少年に対して、翌日のおやつを抜《ぬ》くか、戸外で遊ぶことを禁じた。
これは、幼い少年たちに、限られた品物を大切にする気持を植えつけようというゴードンの考えからであった。だが、幼い少年たちは、ゴードンをすっかりこわい人と思いこんでしまった。
ブリアンは、ジェンキンスやドールたちがゴードンに叱られているのを見て、何度となくかばってやった。幼い少年たちには、ブリアンが大統領だったらという気持が芽生えていた。
そんな小さなことで――と思うかもしれない。だが、少年たちの生活は社会の縮図である。人間は、子供の時から、一人前の大人のように扱《あつか》ってもらいたいものなのだ。
ところで、少年たちの一日は、もちろん働くことと勉強することだけではなかった。
運動にも多くの時間がさかれていた。これは、気分を引き立て、健康を保つのに大いに役立った。
少年たちは、木登りをしたり、綱《つな》で枝《えだ》から枝へ飛び移ったり、棒高とびをやったりした。また夏は湖水で水泳をした。賞品を出して、競走もやった。フット・ボール、輪投げにも、少年たちは夢中《むちゅう》になった。
この輪投げから、ブリアンとドノバンの間に、激《はげ》しい争いが起きてしまった。
四月二十五日の午後のことであった。
ドノバン組とブリアン、バクスター、ガーネット、サービスの組は、洞穴の前の広場で輪投げをやっていた。
広場には、二本の鉄の棒が立てられた。四メートル半|離《はな》れて、その鉄の棒に、直径二十センチ、厚さ五センチの二つの鉄の輪を投げ入れるのだ。輪が、二つとも棒に入れば四点、一つなら二点。棒に触《ふ》れて落ちた場合は、二つなら二点、一つなら一点ときめられていた。
その日の勝負は、非常な接戦となった。
最初はブリアン組が七点で勝った。二回目は、ドノバン組が六点とって勝った。いよいよ決勝戦となった。試合は始まった。両方とも、得点は五点、あと残っているのは、ブリアンとドノバンが一回ずつだった。
まず、ドノバンが輪を投げた。
輪は、棒に触れて地面にころがった。
一点だ。ドノバン組の得点は六点。
次に、ブリアンが、地面に引かれた線の前に立った。
彼は、無造作に輪を投げた。
輪は、見事に棒に入った。二点だ。ブリアン組は一点の差で勝った。
ブリアン組の少年たちは、手をたたいて喜んだ。その時、ドノバンが腹立たしそうに叫《さけ》んだ。
「君たちは勝ちじゃない、ブリアンはごまかしをやったんだ」
「僕《ぼく》が――」
ブリアンが不審《ふしん》そうに言った。
「そうだ、君は、線から足を踏《ふ》み出して輪を投げたんだ」
「君の言う通りだとしても、知らずにやったことだ。僕は決してごまかしなんかしない」
ブリアンは、おとなしく言った。
「ブリアン、君は、自分でやったごまかしを認めないのか」
ドノバンは肩《かた》をいからせた。
ブリアンは、線の所に走って行った。そして、じっと地面を見つめていたが、やがてドノバンを呼んだ。
「ここを見たまえ、ちゃんと線の内側に僕の足の跡《あと》がついている。ドノバン、君こそいいかげんな嘘《うそ》をついたんだ」
「なにっ」
ドノバンは、ぐっとブリアンに詰《つ》め寄った。それにつれてウェッブとクロッスが、ドノバンの背後に回った。
一方、バクスターとサービスは、ブリアンに加勢しようと身構えた。
ドノバンは上着を脱《ぬ》いだ。シャツの袖《そで》をまくりあげた。それを見ても、ブリアンは落ち着いて言った。
「ドノバン、君は、僕にありもしない罪を着せた、その上|喧嘩《けんか》をしかけるのかい」
「ブリアン、君はこわくなったんだな、臆病者《おくびょうもの》!」
「なんだって!」
今度はブリアンも袖をまくって、ドノバンに詰め寄った。
少年たちが二組に分かれて、いまにもつかみあいを始めようとした時、ゴードンが走って来た。
「二人とも離れたまえ」
彼はきびしい口調で言った。
「ゴードン、ブリアンは僕を嘘つきと言ったんだ」
「ドノバン、君こそ、僕がごまかしをやったと言い、その上臆病者と呼んだではないか」
二人は口々に言い立てた。ゴードンは、黙《だま》って聞いていたが、やがてドノバンに向かって言った。
「僕はブリアンをよく知っている。ブリアンは、喧嘩をしかけるような人間ではない」
「ありがとうよ、ゴードン、君はいつもブリアンの味方だね」
このドノバンの言葉に、ゴードンはきっとして言った。
「ドノバン、僕は、お互《たが》いの間に仲たがいの種をまき散らし、まじめな友達を苦しめるような振《ふ》る舞《ま》いは許せない」
ドノバンは、薄《うす》ら笑いを浮《う》かべた。
「ブリアン、君はゴードンのお説教に礼を言うがいい。僕はもう仕事にかかるから」
ドノバンがその場を立ち去ろうとした。だが、ゴードンが激しい声で呼び止めた。
「待て、ドノバン、僕は大統領として、これからこの島では腕力《わんりょく》に訴《うった》えるようなことを禁ずる。ブリアン、君は洞穴へもどりたまえ。ドノバンは、好きな所へ行って、気持を静めてきなさい。僕の注意が納得《なっとく》いってから洞穴にもどってくるように」
このゴードンの言葉に、少年たちは一斉《いっせい》に拍手《はくしゅ》を送った。
その夜、ベッドに入る時間になって、やっとドノバンは洞穴にもどってきた。彼は、誰《だれ》とも口をきかなかった。胸の中は、怒《いか》りでわきかえっていたのであろう。
五月の初めになると、寒さがひどくなった。ゴードンは、ストーブをすえつけるように命じた。このころから、毎日、小鳥が暖かい地方を目ざして飛び立ち始めた。
ブリアンは、一羽の燕《つばめ》を捕えた。そして、その首に、チェアマン島のだいたいの位置を記した紙片《しへん》を入れた小さな袋《ふくろ》を付けた。
燕は、空に放たれると、北方目ざして飛んで行った。少年たちは、それをいつまでも手を振って見送った。
五月二十五日には初雪が降った。昨年よりも二、三日早かった。冬の寒さが思いやられた。
六月十日で、ゴードンの大統領の任期は切れた。その日の午後、新しい大統領を選ぶ選挙が行われた。
幼い少年たちも、小さな紙片にペンを走らせた。モーコーには選挙権はなかったから、投票の数は十四票だ。その中の八票を得たものが当選するのだ。
ゴードンが、椅子《いす》に坐《すわ》って投票を見守った。少年たちは、しかつめらしい顔で投票箱《とうひょうばこ》に進んだ。開票の結果は次のようだった。
ブリアン 八点
ドノバン 三点
ゴードン 一点
ゴードンとドノバンはどちらも棄権《きけん》し、ブリアンはゴードンに投票していた。
この結果に、ドノバンはすっかり不機嫌《ふきげん》な顔になった。一方ブリアンにとっても、大統領に選ばれたことは非常な驚《おどろ》きだった。初め彼は、この名誉《めいよ》を受けまいと思った。が、ジャックの姿が眼《め》に映った時、彼の心は変わった。ブリアンは、立ち上がると静かに言った。
「ありがとう、大統領を引き受けます」
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第十九章
[#この行4字下げ]目じるしの球――きびしい寒さ――湖上のスケート遊び――ドノバンの勝手な振《ふ》る舞《ま》い――濃霧《のうむ》
ブリアンが大統領に選ばれたのは、彼《かれ》の勇気とすぐれた実行力が、みんなに認められたからであった。ニュージーランドからチェアマン島への間、スルギ号を指揮して以来、ブリアンは、いかなる危険も困難も決して避《さ》けようとはしなかった。イギリス人の少年たちも、国の違《ちが》いを乗《の》り越《こ》えてフランス人のブリアンを愛した。特に幼い少年たちは、ブリアンの親切に心からなついていたから、一人残らずブリアンに投票した。ただ、ドノバン、クロッス、ウィルコックス、ウェッブの四人は、ブリアンの良さを認めようとはしなかった。
だが、彼らとても、心の底ではブリアンに対する自分たちの態度が、正しくないことは認めていた。ゴードンは、ブリアンが大統領に選ばれると、ドノバンたちとの間の溝《みぞ》が一層深くなると心配はしていたが、やはり嬉《うれ》しかった。なぜならば、少年たちが正しい人を選んだと思ったからである。ブリアンの大統領に対して、ドノバンたちが激しい不満を抱《いだ》くことは明らかである。それだけにブリアンは、できるだけ自分を抑《おさ》えようと思った。ジャックは、兄が大統領を引き受けたことに驚《おどろ》いた。
「兄さんの気持は多分……」
言いかけて口ごもった。
「そこだよ。いままで以上に僕《ぼく》たちは、みんなのために一生懸命《いっしょうけんめい》に働こう。それが、お前の罪を償《つぐな》うことだ」
「ありがとう、兄さん。僕を思いきり使って下さい」
ジャックは答えた。
大統領になったブリアンは、まず一つの名案を思いついた。読者はおそらく、スルギ湾《わん》を見下ろす岩壁《がんぺき》の上に、英国の旗が翻《ひるがえ》っていたことを思いだすであろう。ブリアンは、バクスターに頼《たの》んで、沼《ぬま》のふちに生えている弾力《だんりょく》のある葦《あし》の茎《くき》で球を作らせた。
六月十七日、ブリアンは英国の国旗の代わりに、岩壁の頂上にこの新しい目じるしを立てた。まもなく洞穴《どうけつ》では、昨年と同じような冬の生活が始まった。ブリアンは、忠実に自分の任務を果たしていった。少年たちもまた喜んでそれに従った。ゴードンは進んで、ブリアンの言いつけを守った。ドノバンたちも、あらわにはブリアンに反対はしなかった。ただ、いつもみんなから離《はな》れて、自分たちでかたまっていた。食事の時や、煖炉《だんろ》の回りで楽しく夜を過ごす時も、話に加わろうとはしなかった。
少年たちは、広間で過ごさなければならない長い時間を勉強に当てた。ジェンキンス、アイバースン、ドール、コスターは、目ざましい進歩をみせた。ある時は、一人が声を立てて旅行記を読むのを、みんなそろって聞いた。またある時は、ガーネットがアコーディオンを弾《ひ》き、楽しく合唱した。このような間も、ブリアンは、ニュージーランドへ帰るという望みを捨ててはいなかった。いつも、彼の心はその事でいっぱいであった。この点はゴードンとは違う。ゴードンは、島の生活で満足していた。
失望湾を訪ねた時、遠方に眺《なが》めたあの白い点の思い出が、ブリアンを絶えずかりたてた。
「あれは、近くの島にそびえる山かもしれない」彼は一人考える。「もしそうだとしたら、ボートを作って、島へこぎ渡《わた》れないものかな」だが、彼がこのことをバクスターに話すと、バクスターは頭を振《ふ》って言った。
「それは、僕らの力を越えた仕事だ」
それを聞くと、ブリアンは悲しそうに言った。
「なぜ、僕たちは子供なんだろう。大人でなければならない時に」
八月の初めには、四日間非常に寒い日があった。寒暖計が零下《れいか》三十度に下がるのを見て、ブリアンは驚いた。空気はすばらしく澄《す》んでいた。吹《ふ》いて来る風は、身を切られるようだった。洞穴を一歩でも出ようものなら、骨まで凍《こお》る思いであった。幼い少年たちには戸外に出ることをやめさせた。年上の少年たちも、動物小屋に煖炉の火をつぎにいく時のほかは、洞穴を出なかった。幸いこの寒さは、短い期間であった。
八月六日に、激しい西風が吹いて来た。しかし洞穴はびくともしなかった。おそらく、洞穴の堅《かた》い壁《かべ》を震《ふる》わせるものは地震《じしん》だけであろう。大きな汽船を海岸に打ち上げ、岩を吹き飛ばす強い風も、この切り立ったような岩壁には何の力も及《およ》ばなかった。林では木が何本となく吹き倒《たお》された。おかげで、たきぎ取りの手間をはぶいてくれた。この西風は、寒さを和《やわ》らげるのに大変役に立った。八月の終わりになると、戸外で仕事ができるようになった。だが、釣《つ》りだけはだめだった。川と湖水は、まだ厚い氷におおわれていたからである。だが、罠《わな》や落とし穴の獲物《えもの》で、モーコーは常に新鮮《しんせん》な肉を食卓《しょくたく》に載《の》せることができた。
ある日、ブリアンは、スケート遊びをやってみんなを元気づけようと考えた。さっそく、バクスターがスケート靴《ぐつ》をこしらえた。スケートは、ニュージーランドの子供たちにとって馴染《なじ》み深いスポーツである。ブリアンの話に、みんなはファミリー湖の上で、思う存分すべりまくろうと喜んだ。
八月二十五日、昼少し前、ゴードン、ドノバン、ウェッブ、クロッス、ウィルコックス、バクスター、ガーネット、サービス、ジェンキンス、ジャック、それにブリアンの十一人が、湖水を目ざして洞穴を出発した。ブリアンは、水夫用の古いラッパを肩《かた》からつるした。万一|誰《だれ》かが行《ゆく》方不明《えふめい》にでもなった時には、役立つかもしれないと考えたのである。スケートに適した所へは、二、三マイル(四キロメートル前後)歩かなければならなかった。ドノバンとクロッスが鉄砲《てっぽう》を持って行ったことは、言うまでもない。湖水の岸で、ブリアンはみんなに言った。
「細かい注意をする必要はないと思う。だが、勝手に遠くへ行ってはいけない。もし道に迷ったならば、ゴードンと僕がここに立っていることを思い出したまえ。ラッパの音が聞こえたらば、すぐに集まるように」
注意が終わると、少年たちは湖水へ降り立った。最初、二、三人が氷上にころがったが、まもなくみんな自由自在にすべりはじめた。なかでもジャックが、いちばんじょうずであった。自由自在に大きな輪、小さな輪を描《えが》いていく。久しぶりに元気な弟を見て、ブリアンはうれしく思った。ドノバンは、みんながジャックをほめそやすのを見て、ねたましくてならない。ブリアンの注意があったにもかかわらず、クロッスを誘《さそ》うと、みんなの所から離れた。
「おい、クロッス、あの東に野鴨《のがも》の群れが降り立った。見えるかい」
「見える」
「鉄砲を持ちたまえ、あの野鴨を撃《う》ちに行こう」
「だけど、ブリアンが……」
「ブリアンのことなんか構わないよ。大急ぎで行ってみよう」
ドノバンとクロッスは、鴨の群れを目がけて湖上をすべって行った。
「おや、あの二人はどこへ行くんだ」
驚いたブリアンが、ゴードンに言った。
「さては、何か獲物を見つけたんだな。好きな鉄砲を撃ちたいんだろう」
「鉄砲よりも、自分勝手が好きなんだ」
「危なくはないかな」
「それはわからないが、みんなから離れるのはいけないよ。もうあんなに遠くへ行ってしまった」
二人は、湖上のはるかかなたに、二つの黒い点になってしまっていた。
日の暮《く》れるまでには、まだ数時間ある。だが、安心してはいられない。この季節には、天候が急に変わるのだ。風の向きが少しでも変われば、雪か霧《きり》になる。二時ごろ、地平線にあつい霧がたちこめはじめた。クロッスとドノバンの姿は見えない。
「僕の心配していた通りになった。ゴードン、二人は帰れるだろうか」
「ラッパを吹きたまえ」
ゴードンはすぐに言った、ラッパは三回湖上に響《ひび》き渡った。少年たちは、何事が始まったかと集まってきた。ドノバンたちから答えの鉄砲の音が聞こえるかと耳を澄ました。だが、なんの物音も聞こえなかった。霧はぐんぐん濃《こ》くなっていく。まもなく湖は乳白色の霧で隠《かく》されてしまった。
「どうしたらいいだろう」
さすがのゴードンも不安そうに言った。
「霧にすっかり巻きこまれてしまわないうちに、見つけ出さなければならない。誰か一人がドノバンたちの方向にすべっていって、ラッパを吹くんだ」
「ブリアン、僕が行く」
「いや、僕だ」
「僕」
二、三人が争って叫《さけ》んだ。ジャックが兄の手を取った。
「兄さん、僕に行かせて、僕はスケートは得意だから」
ブリアンは弟の顔をじっと見つめた。
「よし、お前が行け、時々立ち止まっては、鉄砲の音が聞こえないかと耳を澄ますんだ」
兄の手からラッパを受け取ると、すぐさまジャックの姿は霧の中へと消えた。
三十分ほどたった。
ドノバンとクロッスからも、二人のあとを追ったジャックからも、何の知らせもなかった。
三人がもどる前に夜になったら――。
ウィルコックスとバクスターは、銃《じゅう》を構えると引金を引いた。パーン、パーン。だが、何の答えもない。すでに三時を過ぎた。霧は濃くなるばかりだ。
「よし、大砲を撃とう」
ブリアンが叫んだ。
鉄砲の音では、霧にさえぎられてしまう。道に迷った三人に、大砲を撃って湖水の岸を知らせようというのだ。スルギ号の甲板《かんぱん》にあった小さな大砲が湖岸の広場の真ん中に引き出された。砲口を北東に向けた。ダーン、ダーン、静けさが破られた。数マイルの先までも聞こえるであろう。だが、答えはなかった。
ダーン、ダーン、一時間以上もの間、大砲は十分おきに火をはいた。五時少し前に、鉄砲の音が聞こえた。
「ドノバンたちだ」
サービスが叫んだ。バクスターは、大砲に走り寄ると、合図の一発を放った。まもなく、二つの黒い影《かげ》が、霧の中に見え出した。広場から一斉に叫び立てる少年たちに、影も答えた。ドノバンとクロッスであった。ジャックはどうしたのか。ブリアンの心配は大きかった。ドノバンたちは、ジャックの吹き鳴らすラッパの音を聞かなかったという。ジャックは東に向かったが、クロッスとドノバンは湖水の南岸にいたのである。もしジャックが、氷の上で一夜を明かすことになったとしたら――。
「僕が行けばよかった」
ブリアンは深く悔《くや》んだ。
また、数発大砲を撃った。ジャックが近くにいるならば、砲声を聞くはずだ。そして、ラッパを吹いて答えるであろう。砲声が消えたあと、湖水はまた元の静けさにもどった。夕やみが迫《せま》っていた。心強いことに、強い風が吹き始めた。霧を散らしてくれるかもしれない。が、やみがジャックの帰りを妨《さまた》げる。唯一《ゆいいつ》の頼みは、岸で火をたくことであった。ウィルコックスとバクスター、サービスの三人は、広場にたきぎを山のように積み上げた。
「待て」
北東の方向を熱心に望遠鏡で見つめていたブリアンが叫んだ。
「何かが動いている」
そして喜ばしげに叫んだ。
「神様、ありがとう。ジャックだ」
少年たちは、大きな声を張り上げてジャックの名を呼んだ。
ジャックは、氷上をつばめのように、身軽にすべってくる。
「おや、ジャックの後ろを何かがつけてくるぞ」
バクスターが、ブリアンを振り向いて言った。少年たちは、ジャックから百メートルほど後ろを、二つの黒い影が動いているのを見つけた。
「あれはなんだ」
「動物らしい」
ジャックが進むと影も進む。
「おおかみに違いない」
ドノバンは叫ぶと、鉄砲を手にして湖上をすべりだした。またたくまにジャックに近づくと、その後ろに向けて二発撃った。影はあわてたように向きを変えると、やみの中へと逃《に》げて行った。意外にも、二頭の熊《くま》であった。少年たちは、いままでこの島で、熊を見たことはない。おそらく熊は、この島に住んでいるのではない。凍り詰めた海上を渡って、島の海岸にたどりついたのか、氷山に乗って流れついたのである。これは、チェアマン島が、大陸に遠くないことの証拠《しょうこ》ではないだろうか。
ジャックは救われた。万歳《ばんざい》の声が、この勇敢《ゆうかん》な少年の上に浴びせ掛《か》けられた。ジャックは、ラッパを吹きながら、広い湖上にドノバンとクロッスを捜《さが》し求めたがむだであった。そのうちに、自分がどこにいるのかさえわからなくなってしまった。その時に、大砲の音が聞こえたのである。
「あれは洞穴《どうけつ》で撃った大砲に違いない」
ジャックは、音のした方向に全力ですべった。やがて、風が吹いて霧が散り始めると、二頭の熊があとをつけてくるのに気がついた。もし何かの拍子《ひょうし》でつまずけば、たちまちジャックの命はなかったのだった。
兄のブリアンに手を取られて、洞穴に帰りながらジャックは低い声で言った。
「ありがとう、兄さん、僕にドノバンたちを捜しに行かせてくれて、ありがとう」
ブリアンは何も言わずに、ジャックの手を握《にぎ》りしめた。ブリアンは、洞穴の入口でドノバンに顔を合わせると、彼に言った。
「僕は、みんなから離れてはいけないと注意したはずだ。君たちがそれを破ったために、この大騒《おおさわ》ぎになった。君の行いはまちがっていた。けれども、君がジャックを助けてくれたことは、お礼を言うよ」
「僕は、義務を果たしただけだ」
ドノバンは冷たく言うと、ブリアンが差し出した手には、触《ふ》れようともしなかった。
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第二十章
[#この行4字下げ]湖水の南岸で――ドノバン組の相談――洞穴《どうけつ》を離《はな》れて
前の章で述べた事件があってから約六週間後、十月十日の夕方のこと。
ファミリー湖の南岸で野宿の準備をする四人の少年があった。林も大地も緑で飾《かざ》られ、そよ風が湖水にさざなみを立てていた。太陽は西に傾《かたむ》いたが、あたりはまだ明るい。小鳥の群れは、林や岩壁《がんぺき》の巣《す》を求めてはばたいた。
一本の大きなかしの木の根もとでは、火が勢いよく燃えていた。二羽の肥《ふと》った鴨《かも》があぶられていた。食事が終わると、少年たちは、毛布にくるまり、静かな眠《ねむ》りについた。
四人の少年は、ドノバン、クロッス、ウェッブ、ウィルコックスである。彼《かれ》らが、仲間から離れてここに野宿するまでには、次のようなわけがあった。
冬が終わりに近づくにつれ、ドノバンとブリアンの間は、ますますうまくいかなくなった。
読者は、ブリアンが大統領に当選した時の、ドノバンの不愉快《ふゆかい》な顔を忘れないであろう。ドノバンは、新しい大統領の命令に従うことがいやでならなかった。一方、ブリアンは、洞穴の平和を破る者に対しては、はっきりした態度を取るべきであると考えていた。その間にあって、ゴードンは、ドノバンの感情を和《やわ》らげようと骨折ったがむだであった。食事の時をのぞいて、ドノバンたち四人組は、みんなと一緒《いっしょ》になろうとはしなかった。彼らは、広間のすみに集まって、何事か低い声で話し合っていた。
「あの四人は、ここから出て行こうと考えているに違《ちが》いない」
「そんなことはない」
「ウィルコックスは、ボードアンの地図を一生懸命《いっしょうけんめい》写していた。きっとあれを持って行くつもりなんだ」
「えっ、本当か」
「そうだとも、ゴードン、僕《ぼく》は、誰《だれ》かに大統領を代わってもらいたいと思う。君か、またはドノバンに、そうすればドノバンの気持もおさまる」
「それはいけない。そんなことをすれば、君を選んだ人に対する君の義務をどうするのだ」
十月に入ると、湖水や川の氷は全く消え去った。九日の夕方であった。ドノバンは、ウェッブ、クロッス、ウィルコックスと、洞穴を出て行くと言い出したのである。
「僕たちを見捨てていくのか」
ゴードンが言った。
「見捨てる? そんなことは考えていない。別な所に住むだけだ」
「理由は、ドノバン」
「僕たちは、自由に暮《く》らしたいんだ。ブリアン大統領の下にいるのはいやなんだ」
「僕のどこが悪いのか、言ってくれたまえ」
ブリアンが言った。
「何もない。ただ、君は、僕たちの上に立つ権利がないだけだ。この前の大統領はアメリカ人だ。君はフランス人だ。その次は黒人のモーコーの番だろうよ」
「君は本気で言っているのか、ドノバン」
ゴードンが叫《さけ》んだ。
「僕は大まじめだ」
このドノバンの言葉に、ブリアンはきっとして言った。
「わかった。ここを出て行くのは君たちの自由だ。洞穴にあるものの中で、君たちの分は持って行きたまえ」
「もちろんだ。じゃ、僕たちは明日の朝、ここを去る」
ドノバンは、言い終わると、仲間を促《うなが》して部屋のすみへ行った。
ブリアンの報告によると、島の東海岸には住居にできる洞穴がある。しかも、ファミリー湖からの森には猟《りょう》の獲物《えもの》が多い。洞穴から東海岸までは、わずか十二マイル(約十九キロメートル)。「フランス人の洞穴」との連絡もたやすい。これらの点から、ドノバンたちは東海岸に住もうと考えた。
まず、住まいを見つけるために、東海岸まで探検をして、その上で本格的な引《ひ》っ越《こ》しをしようというのだ。こうして、次の朝、日の出とともに洞穴を出発した。
モーコーに頼《たの》んでボートで川を渡《わた》ると、四人は湖水の岸を南へと歩いた。やがて、広い南沼《みなみぬま》のほとりに出た。眼《め》の届くかぎり、南、西に、沼がひろがっていた。空は曇《くも》っていたが、雨になる気配はなかった。風は北東から吹《ふ》いていた。第一日は、四人は、わずか五、六マイルしか進まなかった。湖水の南の端《はし》についたのは、夕方の五時近かった。その夜は、読者が初めに見た通り、岸のかしの木の下で野宿をしたのである。
地図によれば、東方川までは七マイルもなかった。翌日の夕方には、らくに着くことができる。翌朝も早くから旅を続けた。まもなく、湖岸の道がせりあがりだした。その左側は湖水であり、右側は砂丘《さきゅう》が続いていた。そこから土地は進むにつれて高くなり、それまでとは、わずか数マイルで、全く様子が変わってしまった。
ドノバンたちは、十一時ごろ湖水の小さな入江《いりえ》の岸で昼食をとった。そこから見ると、先は見わたすかぎり森だった。一行は、この森の中に入り、北へ北へと道をとった。島の奥《おく》よりも、そのあたりは、獲物が多いのを見て大いに満足に思った。また、駝鳥《だちょう》、ラマ、ペッカリーの走るのが見えた。六時近く、一筋の流れの岸に出た。東方川に違いないと思われた。川の狭《せま》い入江の岸に、たき火の跡《あと》があった。それは、ブリアンが、モーコーとジャックと、東海岸への探検の第一夜を過ごした場所であった。ドノバンたちは、同じ場所に野宿することにきめた。枯枝《かれえだ》を集めた。食事を終えると、ブリアンたちが一夜を明かした木の下に横になった。ブリアンがこの場所に野宿した時、八カ月後に四人の仲間がここで野宿しようとは、夢《ゆめ》にも思わなかったであろう。「フランス人の洞穴」の居心地《いごこち》のいい住まいから離れて寂《さび》しく野宿することに、ウェッブ、クロッス、ウィルコックスの三人には、後悔《こうかい》の気持があった。だが、かれらは、ドノバンに逆らうことはできなかった。一方ドノバンにも、後悔の気持はわいていた。だが、いまとなっては、計画を捨てて競争相手のブリアンの所へもどることは、彼の自尊心が許さなかった。
翌朝になると、ドノバンは、
「一刻も早く川を横切ろう。日の暮れるまでに海岸に着くことができる」
と言った。
「賛成だ。向こう岸で、モーコーがストーン・パインを拾ったんだよ。僕たちも、歩きながら拾い集めていける」
クロッスが言った。その日の道は非常につらかった。正午少し前に、ストーン・パインの木の下で昼食を食べた。そこから二マイルほど歩くと深い茂《しげ》みになり、斧《おの》で道を切り開かなければならなかった。そのために時間をとられ、森のはずれに着いた時は、もう午後七時を過ぎていた。ドノバンには、そこからどう道をとれば海岸に出られるのかわからなかった。それで、やむなく木の下で夜を過ごすことにした。
「明日の夜は、河口に近い洞穴でらくらくと眠れるよ」と、ドノバンは三人を励《はげ》ました。翌朝までたき火を絶やさないことにした。ドノバンは、喜んでその役目を引き受けた。クロッスたち三人は、毛布にくるまって横になった。疲《つか》れきっていたので、すぐに深い眠りに落ちた。見張りを引き受けたドノバンも、さすがに眼を開いていることはむずかしかった。それでも、初めのうちは、交代の番がきてもぐっすりと眠っている仲間を起こさなかった。しかし、ついに彼は、太い木を何本も火に投げこむと、横になり眼を閉じた。翌日、朝日が海に上るまで、少年たちは眼を開くことはできなかった。
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第二十一章
[#この行4字下げ]失望湾《しつぼうわん》の探検――大熊岩《おおくまいわ》――洞穴《どうけつ》へ帰る計画――海岸目ざして――恐《おそ》ろしい一夜――夜明け
少年たちは海岸に急いだ。そして、浜《はま》べに立って果てもなく青く続く大洋を見つめた。
「もし、チェアマン島がアメリカ大陸に遠くないなら、ペルー行きのケープ・ホーンを回る船は、島の東――この沖合《おきあい》を通ることはまちがいない」
ドノバンは、三人の仲間に説明するのである。そして、さらに自信ありげに続けた。
「僕《ぼく》が、この失望湾に住もうと考えたのは、こういうわけなんだ。僕は、ブリアンがここに失望湾とつけたのは、まちがいだと思う。失望なんかするものか」
だが、この説明は、洞穴を出たことのドノバンの言い訳に過ぎなかった。ブリアンの報告通り、河口には自然にできた港があった。おそらく、船は、風と波から守れるだろう。この港の大きな岩の背後からファミリー湖に向かい、さらに北へ伸《の》びる大森林が始まっていた。花崗岩《かこうがん》の洞穴が多いというのも本当だった。
ドノバンは、まもなく一つの洞穴を住居に選んだ。「フランス人の洞穴」にある荷物をすっかり入れても、まだ余るほどの広さである。三人は、この日はほとんど一日、海岸を調べて回った。その間にも、ドノバンとクロッスは雷鳥《らいちょう》を撃《う》つことを忘れない。読者は、東方川の河口に、大きな熊の形をした岩があったことを覚えているだろう。ドノバンも、その奇妙《きみょう》な形には驚《おどろ》いた。彼《かれ》は、その湾に大熊港と名をつけた。
午後、ドノバンとウィルコックスは、大熊岩に登った。ブリアンが、北東に見た白い点は見えなかった。それは夕方であったゆえかもしれなかった。
その夜、四人は木の下で夕食を終えた。東海岸に目的の洞穴を見つけた以上、この探検の目的は達せられたわけである。少年たちは、品物や道具を受け取りに、いったん洞穴に帰らなければならない。
「すぐ出発しよう。洞穴とこことの往復には、二、三日かかるからね」
ウェッブは言った。
「今度来る時は、ブリアンがしたように、川を下った方がよくはないか」
ウィルコックスが言った。
「それはいい。ずっと近道だし、第一|疲《つか》れなくてすむ」
ウェッブが言った。
「君はどう思う。ドノバン」
クロッスが聞いた。
「君の言う通りだ。モーコーにボートをこがせよう」
ドノバンが言った。
「だが、モーコーが承知するかな」
ウェッブが言った。
「承知しないなんてことがあるものか。モーコーに命令できるのはブリアン一人なのかい、無理にも承知させるんだ。林の中を荷物を運ぶのは大仕事だよ」
「だが、ブリアンがボートを使わせなかったら」
ウェッブが言った。
「そんなことができるか」
ドノバンは、腹立たしそうに叫《さけ》んだ。
「ブリアンは大統領だぜ、僕たちは勝手にボートを使えないよ」
「確かに、ボートはブリアンの許しがなければ使えないさ。しかし、もしブリアンが許さなかったら――」
ドノバンは、意味ありげに言葉を切った。それは、どんなことをしてもボートを使ってみせるという、激《はげ》しい決意があふれていた。だが、目下きめるべきことは、このまま一路洞穴にもどるかどうかということだ。このことは、ドノバンの次の言葉で簡単にきまった。
「僕は、島の北岸を回ってみたい。フランソワ・ボードアンは、この方角については何も知らなかったらしい」
翌十月十四日の朝早く、ドノバンと三人の仲間は、森に向かって海岸を北へと出発した。三マイル(約五キロメートル)ほどは、海岸と森との間に大きな岩がはだかっていた。海岸沿いの森の所々に、幅《はば》三十メートルもない砂の盛《も》り上がりが道のように走っている。昼近くになると、もう浜べに岩はなくなった。
東の湾にそそぐ流れの岸で昼飯を食べた。その流れが真南へ向かうところを見ると、ファミリー湖から流れてくるものではなくて、島の北部に源を発する流れの一つであろう。このことから、ドノバンは、その流れを北クリークと名づけた。それは、川というほど広くはなかったのである。この流れを渡《わた》ると、深い林に入った。だが、まもなく、これは海岸には遠くなり、予定の進路からそれることがわかった。それで東へ向かおうとすると、とつぜんクロッスが立ち止まって叫んだ。
「ドノバン、見たまえ」
彼の指さした方向には、一頭の大きな動物が、岸に生える葦《あし》をがさがさゆり動かしているのだ。ドノバンは、「じっとしていたまえ」と、ウェッブ、ウィルコックスに言った。そして、彼はクロッスと二人で、足を忍《しの》ばせてその動物の方へと進んだ。それは、犀《さい》に似た動物であった。だが、角もないし、鼻も短かかった。十五メートルほど近づくと、ドノバンとクロッスは銃《じゅう》を撃った。動物の皮には弾丸《たま》の跡もつかない。激しい勢いで葦を踏《ふ》み倒《たお》して、林へと消えてしまった。ドノバンは残念そうに見送った。だが、この大きな動物が、川岸に住むバクであることを知って気を取りなおした。バクは、大きいばかりで使いものにならないのだ。
このあたりの林は、美しいぶなの木が多いことから「ぶなの木の林」と名づけた。その日、四人は九マイル歩いた。北の海岸までまだ九マイルある。翌日の夜までには、到着《とうちゃく》できるであろう。翌日も、朝早くから歩き出した。天気が変わりそうに見えたので、ぐずぐずしていられない。風も強くなった。もし雨が降り出したならば、探検を諦《あきら》めて、大熊岩にもどらなければならない。四人は強い風に逆らって足を急がせた。だんだん荒《あ》れ模様になってきた。五時ごろ、空には稲妻《いなずま》がひらめいた。雷《かみなり》が鳴り響《ひび》いた。ドノバンたちは勇敢《ゆうかん》に進んだ。目的地の海岸は近い。それに、風が激しい時は雨は降らないものである。もし雨が降り始めたら、「ぶなの木の林」に逃《に》げ込《こ》むことにきめていた。九時ごろ、遠くで波の吠《ほ》える音が聞こえた。雲はますます低くたれ、あたりは暗くなった。あえぎながらやっと、浜べの見える所まで来た。小山のような波が巻き返していた。疲れきってはいたが、少年たちはいっさんに走った。暗くなる前に、このあたりの海の様子を見ておきたかったからである。見渡すかぎり、果てしない海であろうか。それとも、近くに、大陸か島影《しまかげ》でも見えないであろうか。
その時である。仲間よりもわずか先頭を走っていたウィルコックスが、急に立ち止まった。そして、黙《だま》って、はるかかなたの波打ちぎわに横たわっている黒い塊《かたま》りをさした。一|隻《せき》のボートが打ち上げられていたのである。そればかりではない。ボートからわずか離《はな》れて、波が置いて行った二人の人間が倒れている。一|瞬間《しゅんかん》、少年たちは、黙ってたちすくんだ。少年たちは、先へ進もうとはしなかった。激しい恐怖感《きょうふかん》に襲《おそ》われて、倒れている人間に、まだ息が通っているかどうかを調べようともせずに、森へ逃げた。あたりはまっくらであった。稲妻が光ると、森の中がはっきりと見えた。だが、それもほんの一瞬で、あとはまた真のやみだ。不気味な風のうなりに、荒れ狂《くる》う波の音がまざって聞こえてくる。
何という強い風であったことか。大木が大きく揺《ゆ》れ、森の中も危険であった。だが、浜べに出ることはできない。風によって巻き上げられた砂が、まるで小鳥を撃つ弾丸のように、少年たちの顔にばらばらと当たる。その上、やみは濃《こ》い。ドノバンたちは、林の中で生きた心地はなかった。寒さにがたがたと震《ふる》えるからだを温めようにも、火をたくことはできない。かわききった木の枝《えだ》は、ギイギイと音をたてて触れ合い、火を発するおそれがある。その上、興奮してとうてい眠《ねむ》るどころではなかった。
あのボートはどこから来たのか、浜べに倒れていた二人は、難破船の船員であろう。とすれば、国はどこか、この島の近くには島があるのだろうか。いや、いや、あのボートは、強い風のために、遠くから流されて来たのかもしれない。時折り風が静まると、少年たちは、熱心に話し合った。
その時、遠くの方に叫び声を聞いたように思えた。難破船の船員たちが、浜べを救いを求めてさまよっているのであろうか。だが、それは、少年たちの耳の誤りに過ぎなかった。まもなく少年たちには、最初の驚きが収まるにつれて、後悔の念が湧《わ》き上がってきた。二人を救うために、浜べにもどりたいと思った。だが、やみは濃い、しかも、波は高い。どうして行くことができよう。ボートが横たわっている場所を発見することも、砂の上に倒れていた人間を見つけることもできるはずはない。とはいえ、スルギ号の難破以来、初めて仲間以外の人間を見たのである。落ち着きを取りもどすと、少年たちには、しなければならないことがはっきりとわかってきた。夜が明けたらすぐに浜べに走って行って、砂に穴を掘《ほ》り、哀《あわ》れな難破者を葬《ほうむ》り、魂《たましい》の安息を祈《いの》ってやることである。
どんなに、その夜が長かったことだろう。朝は、ふたたび巡《めぐ》っては来ないような恐れにさえとらわれた。時刻もわからなかった。毛布の中に注意深くしまっておいたマッチは、湿《しめ》っていた。ついに、朝のほの白い光がさしはじめた。風は、やや静まった。しかし、低くたれた雲は、雨が近いことを示している。おそらく、四人の少年が大熊岩にたどり着くまでには降り出すだろう。海岸が見えるようになると、少年たちは森を飛び出した。
風に吹き飛ばされまいと、四人は寄り添《そ》った。ボートは低い砂丘のはずれにころがっていた。浜べには海藻《かいそう》が打ち上げられていた。だが、どうしたことか、二個の死体はどこにもなかった。浜べ中を捜《さが》し回ったが、足跡すら見つからなかった。波がさらっていったのであろうか。
「それとも、あの人たちは生きていたのかな」
ウィルコックスが言った。
「とすれば、どこへ行ったんだろう」
クロッスが言った。
「どこへだって? きまってるさ、あそこだ」
ドノバンは、怒《いか》れる海をさしながら言った。
「波が遠くへ運んだに違《ちが》いない」
ドノバンは、そのあたりでいちばん高い岩の上によじ登った。そして、望遠鏡を取り上げると熱心に見つめた。だが、どこにも死体は見えなかった。あの二つの死体が海へ運ばれたことは明らかである。ドノバンは、ボートの近くにいる仲間たちの所にもどった。
「何か、ボートの中に発見できるかもしれない」と思ったのだ。
それは、汽船にそなえつけの九メートルに近いボートであった。もはや永い航海には耐《た》えられそうもなかった。右舷《うげん》の底には大きな穴があき、帆《ほ》はわずかしか残っていない。食糧《しょくりょう》も、炊事用具《すいじようぐ》も、武器も見つからなかった。船首には、本船の名と港の名が、ペンキで書いてあった。
『セバーン・サンフランシスコ』
サンフランシスコは太平洋の港の一つである。このボートの本船は、アメリカ合衆国から来たのであろう。
『セバーン号』のボートが打ち上げられた海岸からは、ドノバンの願ったような島影は見えなかった。
ただ、はるか遠く、水平線が走っていた。
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第二十二章
[#この行4字下げ]ブリアンの気持――凧《たこ》を上げる――婦人ケート――セバーン号の謀反《むほん》――ドノバン組を救いに――ブリアンの活躍《かつやく》――そろって洞穴《どうけつ》へ
ドノバンたち四人が洞穴を去って行ったことは、残った少年には深い悲しみであった。ブリアンは、自分がまちがっていたとは思わない。しかし、ドノバンたちが自分をきらって去って行ったことは確かだ。それを考えると、ブリアンは、責任を感じずにはいられない。ゴードンは慰《なぐさ》めた。
「きっともどって来るよ。ドノバンがいくら強情《ごうじょう》でも、冬が来るまでには、また僕《ぼく》たちと一緒《いっしょ》になるさ」
ブリアンは頭を振《ふ》った。そして、何も語ろうとはしなかった。
「冬の来るまで」とゴードンは言う。少年たちは、この島で三度目の冬を迎《むか》えなければならないのであろうか。島から抜《ぬ》け出す見込《みこ》みはないのか。オークランド丘《おか》に立てた目じるしは、海面から六十メートルの高さしかない。よほど島の近くを通る船でなければ、見えない。ブリアンは、もっと高い場所に目じるしを立てる方法はないかと考えた。その結果、彼《かれ》はある日、バクスターに、凧を使ってみたらどうだろうと言った。
「僕たちには、帆布《ほぬの》と麻《あさ》がある。これを利用して大きな凧を作れば、三百メートルの高さにだって上げることができる」
「ただし、風のない日はだめだ」
バクスターは笑って言った。
「この島ではそんな日はめったにないよ」
ブリアンは答えた。バクスターは、しばらく考えていたが言った。
「とにかく、やってみようじゃないか」
「凧か、尾《お》に明かりをつりさげれば、夜だって見える」
ブリアンの思いつきには、みんな大賛成だった。特に幼い少年たちは、いままで見たこともないような大きな凧の話に、わきかえった。
「尾をうんと長くしてよ」
「凧には、ポンチ式の大きな頭の絵をかこう」
と、口々にわめきたてた。ブリアンとバクスターは、ドノバンたちが去っていった日から二日たった後、凧作りにかかった。
「僕の大好きなロビンソン・クルーソーも、こんなお化けのような凧を上げることは考えつかなかった」
サービスは愉快《ゆかい》そうに笑った。
「この島なら、どこからでも、その凧は見えるのかい」
ガーネットがたずねた。
「もちろんさ、それに、海のずっと遠くからだって」
「じゃあ、オークランドからは」
ドールが真顔でたずねた。
「それは、無理だね」
ブリアンは、幼い少年の心を察して、悲しそうに答えた。だが、すぐ元気よく言った。
「ドノバンたちがこの凧をみたら、ここへもどってくるかもしれないよ」
凧作りはまる二日かかった。八角凧である。骨組は、湖水の岸に生えている葦《あし》で作った。これは強くて、しかも軽い。その骨組の上に、薄《うす》いゴム引き布を張った。それは、船の明かり窓のおおいとして使われていたものであった。これなら、ゴムと同じで風を通さない。凧が空中で釣《つ》り合《あ》いを保つために長い尾をつけた。
この大きな凧なら、必要があれば、少年たちを載《の》せて空中に上ることだってできるだろう。
凧は、どんな激しい強い風にも乗って、上空に上がっているだけの大きさはあった。
もちろん、こんな大凧を、人間の手で上げ下ろしできるものではない。下手《へた》をすれば、凧に引きずられてしまう。太い綱《つな》を巻轆轤《まきろくろ》で回すのだ。幼い少年たちは、凧に
「|空の巨人《ジャイアンツ・オブ・ジ・エア》」号という名前をつけた。
凧ができあがったのは、十四日の夕方であった。さっそく翌日の午後に、「空の巨人」号を上げることになった。あいにく激《はげ》しい嵐《あらし》が吹《ふ》いたので、延期された。それは、ドノバンたちを北の海岸で襲《おそ》い、さらに、あのアメリカの汽船、セバーン号のボートを難破させた嵐であった。
嵐は翌日おさまった。
少年たちは、翌十月十七日に凧上げを実行することにきめた。チェアマン島の歴史に記録されるべき日だ。あいにく、不吉《ふきつ》な金曜日ではあったが、ブリアンは、さらに一日延ばそうとはしなかった。
凧上げにおあつらえの風だったのである。午前中は、最後の仕上げを念入りにやった。午後一時、全員が広場に集まった。凧が、風に乗って、空高く舞《ま》い上がろうとした時であった。ブリアンは、フヮンの異様な鳴き声を聞いた。
フヮンは、林の中で、何事か知らせるように吠《ほ》えているのだ。
「何かあったのかな、ゴードン」
「なんでもないよ、ブリアン、草の中に何か獲物《えもの》をかぎつけたのさ」
「それにしては、吠え方が変だ」
「凧はあとにして行ってみよう」
サービスが言った。
「鉄砲《てっぽう》を持たないと危険だ」
ブリアンの言葉に、サービスとジャックが洞穴へ走って行った。そして、まもなく弾丸《たま》を詰《つ》めた鉄砲をかかえてもどってきた。
ゴードンを先頭に、ブリアン、サービス、ジャックは森の中へ入った。フヮンの吠える声は聞こえるが、姿は見えなかった。
声を頼《たよ》りに、少年たちは、五十メートルも歩いたろうか。フヮンは、木の下に止まって、少年たちに向かって吠え立てていた。
見ると、その足もとには、人間があおむけに倒《たお》れている。まるで死んだように動かない。女の人だ。毛の服を着て、腰《こし》の回りには茶色のショールを着けていた。顔には激しい苦痛の跡《あと》が残っていた。年は四十五以上とは見えない。疲《つか》れと飢《う》えで気を失ったのであろう。
ゴードンは走り寄ると、抱《だ》き起こした。そして叫《さけ》んだ。
「息がある、だいじょうぶだ」
ゴードンが口を開く前に、ジャックは洞穴へ向かって走り去っていた。そして、すぐさま、ビスケットとブランデーの瓶《びん》を持ってもどってきた。
ブリアンは、女の人の堅《かた》く結ばれた口をあけると、ブランデーを流し込んだ。まもなく、その女の人は、かすかにからだを動かした。力のない眼《め》で、自分を取り巻いている少年たちを眺《なが》めた。すかさず、ジャックが差し出したビスケットを奪《うば》うようにつかむと、口に持って行った。疲れよりも、飢えで倒れたらしかった。
ビスケットを食べ終えると、女の人は半身を起こして、はっきりした英語で言った。
「ありがとう――。みなさん」
三十分後、女の人は、洞穴のベッドで、少年たちの手厚い看護を受けていた。
別にどこも悪くはなかったと見えて、やがてすっかり元気を取りもどした。そして、自分の身の上を話し出した。
以下は彼女《かのじょ》の話である。
アメリカ人で、永いことアメリカ合衆国の西部地方で暮《く》らしていた。名前をカザリン・レディという。友達にはケートと呼ばれている。
ニューヨーク州の首府オルバニーに住む、ウィリアム・ペンフィールドという人の家庭の女中頭《じょちゅうがしら》を二十年以上も勤めてきた。一カ月ほど前のこと、ペンフィールド氏夫妻は、ケートを連れて、南米のチリにいる親戚《しんせき》を訪ねることになり、サンフランシスコ港を商船セバーン号に乗って出帆《しゅっぱん》した。
船長は、ジョン・エフ・ターナという人である。この商船の行く先はバルパライソで、水夫は八人しかいなかった。
ところが、サンフランシスコを出帆して十日後、とつぜんワルストンという水夫が、仲間をそそのかして謀反を起こした。そして、無残にも、船長ターナ氏、一等運転士、ペンフィールド氏夫妻は殺されてしまった。この狂暴《きょうぼう》な水夫たちは、セバーン号を奪い、そのころまだ南アメリカのある地方では行われていた、奴隷《どれい》の売買に使おうというのであった。
ホーブスという水夫のとりなしで、ケート、それにもう一人、二等運転士のイバンスは、殺されることだけは免《まぬ》かれた。この恐《おそ》ろしい事件は、十月八日の夜、南米チリ国の海岸から二百マイル(約三百二十キロメートル)の海上で行われたのである。水夫たちが、二等運転士イバンスの命を取らなかったのは、船の運転をさせるためであった。水夫たちは、南アメリカ大陸の突端《とったん》、ケープ・ホーンを回り、一直線にアフリカの西海岸へ向かうというのである。
ところが、この事件があった数日後、どうしたわけかセバーン号に火事が起こった。火は燃え盛《さか》り、消火の見込みはなかった。水夫の一人、ヘンリーは、炎《ほのお》の熱さに耐えかねて海中に飛び込んで見えなくなった。ワルストンとその一味は、わずかの品物と武器を身につけると、船のボートに移った。セバーン号が焼け落ちる直前に、ボートは本船を離《はな》れた。
もし、このボートに、善人のケートとイバンスが乗っていなかったら、神はボートを転覆《てんぷく》させてしまったことであろう。
二日後、ボートは激しい嵐に見舞われた。帆柱《ほばしら》は折れた。そして、ボートはついに、チェアマン島の北岸に打ち上げられたのである。
ボートが浜《はま》べに打ち上げられる直前、どっと押《お》し寄せた大波が、ワルストンをはじめ六人をさらっていった。ケートは残った水夫二人とともに、浜べの砂の上にたたきつけられた。
もちろん、ケートも水夫も気を失ってしまった。しばらくして、ケートは息を吹き返した。ケートは、ワルストンたちが海中に沈《しず》んでしまったものと思ったが、用心深くボートの陰《かげ》に身をひそめていた。午前三時ごろ、ケートは近づいてくる足音を耳にした。なんと、ワルストンではないか。彼は、ブラントとロックという水夫を引き連れて、ボートに向かって歩いて来る。彼らは、悪運強く島に打ち上げられたのである。ワルストンは、ケートのそばに倒れているホーブスとパイクを見つけると、手当てを尽《つ》くして息を吹き返させた。幸い、ケートには気がつかないらしい。そっと頭を上げてうかがうと、イバンスが、コープとブルックにきびしく見張られている。ワルストンは仲間と相談を始めた。話し声は、ケートの耳にはっきりと聞こえてくる。
「ワルストンの頭《かしら》、ここはどこかね。この浜べを歩いて行って見ようじゃねえか」
「鉄砲はどうだね」
「ちゃんと五つ残ってる。弾丸もぬれてはいない」
ワルストンは、ボートから、鉄砲と箱《はこ》の中の弾丸を取り出して見せた。
「ケートはどうした。あいつに逃《に》げられると俺《おれ》たちの悪事がばれるぜ」
ワルストンは答えた。
「あいつの事は心配はいらない。俺は、この眼で、ケートが波にさらわれていくのを見た。いまごろは海の底さ。どっちみち、俺はあいつを永いこと生かしておくつもりはなかったんだ。かえって手間が省けたってものよ。ワッハハハ」
ワルストンは、大きな声で笑った。相談がまとまったとみえて、ワルストンの一行は歩き出した。ホーブスとパイクは、傷ついた足を引きずりながらあとをついていった。
ワルストンの姿が東方に消えると、ケートは立ち上がった。満潮の時刻が迫《せま》っていた。ぐずぐずしていると波にさらわれてしまう。ケートは反対の方角へと走った。林に生《な》っていたわずかの果物を口に入れただけで、夜の間走り続けた。そして、ついに木の下に倒れてしまったのだ。
ケートの話は、少年たちを震《ふる》え上がらせた。七人の悪人が、平和なこの島に足を踏《ふ》みいれたのだ。
もし、ワルストンたちが、少年たちの住む洞穴を発見したら――。洞穴の武器と食糧《しょくりょう》に目をつけることは疑いない。洞穴には大工道具がそろっている。それさえあれば、悪人どもは、ボートを修繕《しゅうぜん》することができるのだ。しかも、悪人の襲撃《しゅうげき》を受けたら、いちばん年上でも十五|歳《さい》の少年たちが、勝てることはありえない。
ブリアンの頭には、まずドノバンたちが浮《う》かんだ。彼らは、セバーン号の水夫のことも知らずに、なお島の東をさまよっているのだ。もし、小鳥を捕《とら》えようと鉄砲を撃《う》ったら、ワルストンたちにその居場所を教えるようなものだ。
「一刻も早く、ドノバンたちに知らせてやろう」
ブリアンは立ち上がって言った。
「それに、この洞穴に連れて来なければならない。いまは、僕たちが一つになって、悪人どもに向かう時だ」
ゴードンの顔も、緊張《きんちょう》で青ざめていた。
「もちろん、ドノバンたちも承知するだろう。この任務は僕に任せてくれたまえ」
「ブリアン、君が」
「頼《たの》む、僕に行かせてくれ、ゴードン」
「どの道を通って行くのだ」
「モーコーと、ボートで湖水を横断して東方川を下る。きっと、ドノバンたちは、河口の近くにいるに違《ちが》いない」
「出発はいつだ」
「今晩、やみに紛《まぎ》れてボートを出せば、ワルストンたちに見つからずにすむ」
「僕も連れてって、兄さん」
ジャックが、おずおずとブリアンに言った。
「いけない。ドノバンたちをボートに乗せて帰ってくる。ボートは六人が乗るだけでも無理なんだ」
少年たちは、暗くなるまで一歩も洞穴の外に出なかった。少年たちは、かわるがわる、ケートに島での苦心を話した。ケートは涙《なみだ》を浮かべて聞いていた。サービスは、何事か考えていたが、勢いこんで言った。
「今日は、金曜日だ。ロビンソン・クルーソーが土人の男を助けたのも金曜日、それで、クルーソーは男にフライデー(金曜日)と名前をつけた。僕たちも、ケートをフライデーと呼ぶことにしよう」
午後八時、ブリアンとモーコーの出発の準備は整った。モーコーは、この重大な使命を帯びた探検に、ブリアンと行けるので大喜びである。
二人は、仲間に別れの握手《あくしゅ》をするとボートに乗った。折りから強い風が吹いて来た。ボートは岸を離れた。
流れも、まわりの森も、静まりかえっていた。とうてい、恐ろしい悪人を隠《かく》しているとは見えない。十時半ごろ、ボートの船尾《せんび》に坐っていたブリアンの腕《うで》を、とつぜんモーコーがぐっとつかんだ。黙《だま》って、モーコーは右岸を指さした。やみの中に、ポツンと赤い火が見えた。
野宿のたき火に違いない。ワルストン一味か、またドノバンたちか。
「岸へ着けてくれ、モーコー」
「私も行きましょうか、ブリアンさん」
「いや、僕一人でいく。その方が敵に見つからない」
オールを軽く二、三回かくと、ボートは岸に着いた。
「モーコー、ここで待っていてくれ」
ブリアンは言い捨てると、岸へ飛び上がった。彼は手に短刀を握《にぎ》り、腰のバンドにはピストルをつるした。
ブリアンは、火を目がけて林の中を足を忍《しの》ばせて進んだ。その時、ガサガサという音がして、前方の茂《しげ》みの中を、大きな黒いものが矢のように走って行った。ブリアンは立ち止まった。と、同時に、恐ろしい野獣《やじゅう》のうなり声が聞こえてきた。黒い塊《かたま》りは大きなジャガーであったのだ。続いて、
「助けて――」という悲鳴が起こった。
ドノバンの声である。
ブリアンが駆《か》けつけると、地面に倒れたドノバンに、いまにもジャガーが飛びかかろうとしている。ドノバンの叫びに眼をさましたウィルコックスが、鉄砲の引金を引こうとかまえていた。
「撃つな――」
ブリアンが鋭《するど》く叫ぶと、ジャガーを目がけて飛びついた。ジャガーは向きを変えると、こんどはブリアンに向かった。ブリアンは、パッと身をかわすと、ジャガーの喉《のど》にぐさりと短刀を突《つ》き立てた。ジャガーは、どうと倒れた。非常な早わざであった。物音を聞いて、ウェッブとクロッスが駆けつけて来た。ブリアンの肩《かた》は、ジャガーに爪《つめ》を立てられて、血が吹き出ていた。
「ブリアン、どうして、君が、ここへ」
我にかえると、ウィルコックスが驚《おどろ》いたように叫んだ。
「あとで説明する。早く、僕とここから出るんだ」
「ブリアン、君にお礼を言うまで待ってくれたまえ。君は、僕の命を救ってくれた」
ドノバンは、心の底から感動したのであった。
「君だって、僕と同じことをやったろうよ。とにかく僕と来たまえ」
ブリアンの肩の傷は、ひどくはなかった。ウィルコックスがハンカチーフで包帯をしてくれている間、ブリアンは、手短かにワルストンたちのことを話した。
ドノバンたちが波にさらわれたと考えた浜べのあの二人は、生きていて島をさまよっているのだ。ブリアンは、ウィルコックスに向かって言った。
「さっき、僕が君に鉄砲を撃つなといったのも、ワルストンたちに銃声《じゅうせい》を聞かれてはならないからだ」
「ブリアン、君はなんていいやつなんだ」
ドノバンの顔には、いつもの高慢《こうまん》は消え、感謝の情が表われていた。
「ドノバン、僕に君の手を握らせてくれ。僕はこの手を、君が、僕と一緒に洞穴に帰ることを約束《やくそく》するまでは離さないよ」
「ありがとう、ブリアン大統領、僕は、これから君に従う。明日の朝、夜が明けたらすぐ出発しよう」
ドノバンの声は震えていた。
「いや、出発はいますぐだ、僕たちは、やみに紛れて帰るのだ」
「林の中を通ってかい」
「モーコーがボートで僕たちを待っている」
「ああ、そんなにも、僕たちのことを思っていてくれたのか」
ドノバンは強くブリアンの手を握りしめた。
ドノバンたちが、東方川の河口ではなく、この川岸の林で野宿していた理由は簡単であった。
四人は、十六日の夕方|大熊岩《おおくまいわ》へもどり、翌朝から東方川を左岸沿いに歩いて、夕方ここに着いた。ここで一夜を明かし、翌朝早く洞穴へ向かって出発するつもりであったのだ。
六人はボートに乗り込んだ。午前四時ごろ、ボートは、ゴードンたちが出迎えるニュージーランド川の船つなぎ場に着いた。
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第二十三章
[#この行4字下げ]十五人の団結――牛の木の発見――ケートの計画――ブリアンの奇抜《きばつ》な思いつき
洞穴《どうけつ》には、ふたたび十五人の少年がそろった。ケートという婦人までふえた。しかも、十五人の少年たちの心は、一つに溶《と》け合ったのだ。
ブリアンの我が身を捨てた行いは、ドノバンたちの心をすっかり変えてしまった。その上、「フランス人の洞穴」が、敵の危険におびやかされているということが、少年たちの心をしっかりと結び合わせたのである。ワルストンたちが、できるだけ早くチェアマン島を去ろうと思っていることは確かだ。それだけに、彼《かれ》らが洞穴を発見し、喉《のど》から手の出るほどほしい道具が沢山《たくさん》そろっていることを知ったならば、大変である。少年たちは、最大の注意を払《はら》わなければならなかった。少年たちは、ドノバンたちが、大熊岩《おおくまいわ》からの帰り道に、セバーン号の水夫に姿を見られたのではないかと気がかりであった。
「その点はだいじょうぶ。水夫たちは、僕《ぼく》たちが海岸の林へ逃げこんでいる間に息を吹《ふ》き返して、浜《はま》べを立ち去ったにちがいない。地図を見たまえ。この島は、失望湾《しつぼうわん》の上部に深い入江《いりえ》がある。そこで、住居になる洞穴を見つけられるはずだ」
ドノバンはきっぱりと答えた。この答えに、少年たちは胸をなで下ろした。ゴードンがケートに向かって言った。
「あなたが、チェアマン島の位置について知っているとありがたいのですが」
だが、残念なことに、ケートは、ゴードンの質問に正確に答えることができなかった。
燃え盛《さか》るセバーン号からボートに乗り移ると、イバンスは、南アメリカの海岸目がけて、まっすぐに船をこいだ。チェアマン島が、南アメリカから遠くはなれてはいないことは確かだ。だが、ケートはこの島の位置も名前も知らなかった。
十月も終わりに近くなったが、ワルストンたちは、一向に姿を現わさなかった。ボートをなおして、島を立ち去ったのであろうか。これはあり得ないことではなかった。ケートは、ワルストンが一梃《いっちょう》の斧《おの》を持っていることを知っていた。それに、水夫は、必ずジャックナイフをからだから離《はな》さないものだ。だが、はっきりしたことがわからないうちは、洞穴から遠くへは出られない。それでも、ブリアンとドノバンは、スルギ湾へ、岩壁《がんぺき》の頂に立てた目じるしを下ろしに出かけた。岩壁の頂上から、二人は望遠鏡で熱心に調べてみたが、島のどこにもワルストンたちの野宿の煙《けむり》は立ち上ってはいなかった。鉄砲《てっぽう》を使うことをかたく禁じた。幸い、罠《わな》と落とし穴に獲物《えもの》が十分かかった。その上、鳥小屋の鳥は非常にふえたので食糧《しょくりょう》の心配はない。茶の葉も、砂糖かえでの汁《しる》も、貯《たくわ》えがたっぷりある。少年たちは、自由さえ奪《うば》われていなければ、愉快《ゆかい》に暮《く》らすことができるわけだ。
さらに、また新しい植物の発見があった。沼《ぬま》の林のはずれに、四メートル半の高さで、二十五センチほどの大きな月桂樹《げっけいじゅ》のような葉をつけた木があった。
十月二十五日、ケートはこの木を見つけると叫《さけ》んだ。
「牛の木です」
一緒にいたドールとコスターは、思わず笑った。
「牛の木ですって」
「乳を出す木ですよ。ビクーニヤよりも、ずっと上等の乳を」
ケートの知らせを受けたゴードンは、サービスと沼の林に急いだ。ゴードンは、木を丹念《たんねん》に調べた。それは、アメリカの林にも沢山にあるガラクトデンドロン種の一つだった。
これは大発見である。木の幹からは、白い乳が流れ出す。味も栄養も牛乳に劣《おと》らない。それを固めれば、チーズが作れる、油にもなる。光の強い蝋燭《ろうそく》を作ることもできる。
十一月が来た。洞穴の近くにワルストンたちの訪《おとず》れる気配はない。ブリアンは、彼らがもはや島から立ち去ったことは、まちがいないと考えた。しかし、念には念を入れなければならない。
ブリアンは、ファミリー湖の東へ様子を捜《さぐ》りに出かけてみようかとも思った。ドノバン、バクスター、ウィルコックスは、喜んでついていくだろう。だが、万一ワルストンたちが島から立ち去っていなければ、彼らの恐《おそ》ろしい手に捕《とら》えられる危険がある。ブリアンは、その計画を諦《あきら》めなければならなかった。
ケートはある夜、少年たちが広間に集まっている時に言い出した。
「明日、朝早く、私がここを出て行くことを許してくれますか」
「ここを出るんだって、ケート」
「そうです。私は、これ以上皆さんの不安なさまを見ていることはできません。私が様子を見てきましょう。もし、浜べにボートがあれば、ワルストンはまだいるし、なくなっていればもう心配はないわけです」
「何を言うんです。ケート、もし必要があれば、僕たちでやります」
ドノバンが答えた。
「ドノバン、あなたたちよりも、私の方がずっと危険が少ないのですよ」
「もしもワルストンたちの手に捕えられたら、今度こそ殺されますよ」
ブリアンが言った。
「私は、一度彼らの手から逃《に》げて来ました。また、逃げられないことがあるでしょうか。洞穴への道も知っていますから。それに、私がイバンスを連れてくることができたら、どんなに力強いことでしょう」
「ワルストンから、逃げ出すなんてできるものか」
ドノバンが言った。
「ドノバンの言う通りだ。イバンスは、ワルストンたちの秘密《ひみつ》を握《にぎ》っている。彼らは、イバンスが自分たちの敵にまわったとなったならば、生かしてはおきませんよ。僕たちは、もっと安全な方法を考えましょう」
ブリアンは言った。
もし、夜、高い山にでも登ることができさえしたならば、ワルストンたちがいるかどうかを確かめられる。だが、不幸なことに、島には九十メートル以上の高い所はない。オークランド丘《おか》の頂上からは、ファミリー湖の向こう岸さえも見えない。失望湾の海岸まで一望の下《もと》に見渡《みわた》すには、どうしても数百メートル高く登る必要がある。その時、さっと、ブリアンの頭に一つの奇想天外な考えがひらめいた。
読者は、おそらく凧《たこ》の実験を忘れていないであろう。凧は、もはや目じるしとして使うことはできない。しかし、何とか役立たせることはできないだろうか。
ブリアンは、かつてイギリスの新聞で読んだ、前世紀の終わりに、一人の婦人が凧にぶら下がって空中高く上がったという記事を、思い出したのである。女の人でさえ成功したとすれば、勇気のある少年たちにできないことではないはずだ。もちろん、危険な計画である。だが、その危険は、ワルストンたちを敵に回して戦うことに比べればなんでもない。それに、注意深く計画をたてれば、危険を防ぐこともできる。
十一月四日の夜、ブリアンは、ゴードン、ドノバン、ウィルコックス、ウェッブ、バクスター、サービスが広間に集まった時、この凧の話を始めた。
「凧を使ってどうするんだい。空に上げようというのかい」
ウィルコックスが言った。
「もちろん、そのために作るのさ」
「昼間に」
バクスターがたずねた。
「いや、そんなことをすれば、すぐにワルストンたちに見つかってしまうよ」
「だって、夜、明かりをつるしたならば、もっと注意を引くぜ」
ドノバンが言った。
「明かりはつけないんだ」
「それでどうするのだ」
ゴードンが聞いた。
「ワルストンたちが、島にいるかどうかを見るのだ」
ブリアンは、みんなに笑われるかもしれないと思ったが、簡単に自分の考えた計画を話した。
だが、話が終わった時、誰《だれ》一人として笑う者はなかった。ただ、ゴードンは、ブリアンが本気で話をしているとは思わなかったが――。
少年たちは、いままでの島の生活で、いやというほど危険な目に合ってきている。それだけに、もと通り平和な島にするためなら、どんなことでもやってのけようという気持があった。
ドノバンが言った。
「この間の凧は、僕たちを乗せるにしては小さすぎるよ」
「もちろん、もっと大きなものにしなければだめさ」
「どのくらいの高さまで上げるつもりだい」
バクスターがたずねた。
「二百メートルに上がれば、島中が見下ろせる」
「とにかくやってみようや、僕はもう、こんな囚人《しゅうじん》のような生活はいやだ」
サービスが言った。
「落とし穴も見に行けないなんてつまらない」
ウィルコックスが言った。
「僕も、鉄砲を撃てないなんてあきあきしたよ」
ドノバンが言った。
「よし、では、明日から仕事にかかろう」
ブリアンは言った。少年たちはそれぞれのベッドに入った。ゴードンは、ブリアンと二人だけになるとたずねた。
「君は、本気なのかい」
「本気だとも」
「危険な計画だ、やめた方がいい」
「君が考えているほど、危険ではないよ」
「誰が、この生命をさらす任務につくんだい、くじでも引いてきめるのか」
「いや、こんな仕事は無理に押《お》しつけることはできない。希望者に申し出てもらおう」
「君の心には、凧に乗る人間は、もうきまっているんだね、ブリアン」
「たぶんね」
ブリアンは、ゴードンの手を静かに握った。
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第二十四章
[#この行4字下げ]最初の実験――大凧《おおだこ》にかかる――試験の成功――ジャックの告白――空中から――綱《つな》が切れた――ブリアンの報告
翌十一月五日から、さっそく、ブリアンとバクスターは凧作りにかかった。まず、先日の凧が、どれくらいの重さの物を持って空に上がれるかを、調べてみる必要があった。その結果から、ほぼ少年一人の目方、百二、三十ポンド(五十五キログラム前後)の重さをつけて空に上がる凧の大きさを、割り出そうというのである。
「この実験は、夜でなくても心配はいらない。南西の弱い風だから、ワルストンたちの眼《め》に入るほど高くは上がらないよ」
ブリアンは言った。
実験は成功だった。凧は、二十ポンドの重さの袋《ふくろ》をつけて空に上がることができた。
いよいよ目的の大凧にかかるのだが、ブリアンもバクスターも、力学の知識がないことが残念であった。凧の重さ、大きさ、重心、風の圧力を受ける中心、綱をつける場所などを、正しく計算することはできない。また、綱が、どれだけ凧の引く力に耐《た》えるかを知ることも大切である。籠《かご》に乗って空に上がる者の命は、綱にかかっているのだ。幸い、綱は、船の太いロープが六百メートルもあるので、それを利用できる。
大きな凧の場合、尾《お》は役に立たないことがわかったので取りはずした。長い尾を気味悪がっていたコスターやドールたちは、大満足である。
出来上がりは、七平方メートルの大きさの八角形の凧になる。一辺は百二十センチメートルである。これなら、空中に百または百二十ポンドの重さを十分上げることができる。凧には、船にあった柳《やなぎ》の枝《えだ》で作った大きな籠をつける。この籠は、年上の少年が乗っても胸までうずまる。その上、十分動ける広さがあった。必要とあれば、飛び下りることもできる。
この凧作りは、五日の朝に始めて七日の午後に完成した。それで、試験はその夜ときまった。
この間にも、少年たちは交替《こうたい》で見張りに立ったが、森にも湖水にも、少しも変わりはなかった。銃声《じゅうせい》も聞かれず、煙《けむり》が立ち上るのも見られなかった。
ブリアンは、ワルストン一味が島を立ち去ってしまったことは、確実ときめてもいいと思った。だが、とにかく、凧に乗って空に上がれば、いっさいの疑問は解けるのだ。ドノバンとゴードンは、ブリアンに、地上に下りる時の合図はどうするのかとたずねた。ブリアンは答えた。
「明かりで合図するわけにはいかない。そこで、バクスターと僕は考えたんだ。凧にもう一本綱をつける。その綱は、初めに鉛《なまり》の輪を通しておく。綱の端《はし》は、籠にしっかりと結ぶ。一方の端は、地上で握《にぎ》っている。凧を下ろそうと思ったら、この鉛の輪を落とすのだ」
「なるほど、名案だ」
ドノバンは言った。
いっさいの準備は終わった。あと残るのは、試験をすることだけだ。月の上るのは午前二時だった。強い風が南西から吹いている。凧を上げるには、この上もない。午後九時ごろ、やみは濃《こ》くなった。どんなに凧が高く昇《のぼ》っても見つけられる心配はない。
巻轆轤《まきろくろ》は、広場の真ん中にどっしりと据《す》えられた。籠には、百三十ポンドの重さの入った袋が積んである。
ドノバン、バクスター、ウィルコックス、ウェッブは、凧の近くに立った。凧は、巻轆轤から百メートル離《はな》れた地面に横にしてある。ブリアンの合図で綱を静かに引くのだ。ブリアン、ゴードン、サービス、クロッス、ガーネットは、巻轆轤で、綱を出したり引いたりする。
「気をつけ」
ブリアンは、低い声で叫《さけ》んだ。
「準備終わり」
ドノバンの答えがあった。
「放せっ!」
凧は、綱に引かれて起き上がった。やがて、籠を揺《ゆ》ら揺らさせて、空中にゆっくり上がって行った。幼い少年たちの間で万歳《ばんざい》の声が起こった。だが、「空の巨人」号は、すぐにやみの中に消えてしまったので、ドール、コスターはがっかりした。彼《かれ》らは、凧は湖上にかかるまでは見えると楽しみにしていたのだ。ケートが優《やさ》しく慰《なぐさ》めた。
「もうじき、昼間に凧が上げられるようになりますよ」
凧は見えなくなったが、強く綱を引っ張った。うまく釣《つ》り合《あ》いが取れているらしい。ブリアンは、この一度の試験ですっかり調子を調べたいと思った。それで、綱をぐんぐんくれてやった。すでに、三百六十メートルの綱が繰《く》り出《だ》された。二百二、三十メートルの高さにはなっているだろうか。時間は十分とはかかっていない。試験は大成功だ。少年たちは、綱を引くハンドルを回し始めた。この方が始めよりも時間がかかった。三百六十メートルの綱を巻くのに、一時間はたっぷりかかった。大きな凧を下ろすのは、非常にむずかしい仕事だ。だが、この日は、風の強さが一定していたのでうまくいった。凧は、やがて、出発した場所に静かに下りた。またもや、幼い少年たちは、万歳の声を張り上げた。試験が終わったので、少年たちは、ブリアンが洞穴《どうけつ》へ帰ろうと言い出すのを待っていた。だが、どうしたことか、ブリアンは腕組《うでぐみ》して考えこんでいる。
「ブリアン、引き上げよう」
たまりかねたゴードンが声をかけた。
「ちょっと、待ってくれ。ゴードン、ドノバン、相談があるんだ」
「なんだい」
「試験は大成功だった。風が一定で、強過ぎも弱過ぎもしないからだ。この風が、明日も吹《ふ》くかどうかはわからない。僕《ぼく》は、今夜、籠に乗ったらと思うのだ」
ブリアンの意見はもっともであった。だが、誰《だれ》も答えようとはしなかった。危険きわまる冒険《ぼうけん》である。いざとなってみてためらうのは、自然と言わなければならない。
ブリアンは言葉を続けた。
「誰が乗る」
すかさずジャックが進み出た。
「兄さん、僕」
「僕だ」「僕」
ドノバン、ウィルコックス、バクスター、サービスが、続いて名のった。ジャックが繰り返した。
「兄さん、僕は、僕は、みんなに代わって凧に乗らなきゃいけない」
「なぜだい、ジャック」
「どうして」
意外なジャックの言葉に、少年たちは驚《おどろ》いて質問を浴びせた。
「僕は、みなさんに、とんでもない悪いことをしたの」
「えっ、悪いこと」
「そう」
ゴードンは、進み出ると、ブリアンの手を握った。ジャックの言葉の意味を、ブリアンの口から知ろうと思ったのであった。ブリアンの手は、激《はげ》しく震《ふる》えていた。やみに隠《かく》れてゴードンには見えなかったが、ブリアンの頬《ほお》は青ざめ、眼は涙《なみだ》にあふれていた。
「さあ、兄さん、早く」
ジャックはせきたてた。ドノバンが、ブリアンに向かって言った。
「僕に答えてくれたまえ。ジャックは、自分の命を危険にさらすことを義務だと言う。それは、僕たちみんなの義務じゃないか。いったい、ジャックは何をしたというのだい」
「ドノバン、僕のしたことを言います」
「ジャック」
ブリアンは、弟にしゃべらせまいと叫んだ。
「兄さん、僕に言わせて」
ジャックの声は震えていた。そして、しっかりした口調で話し出した。
「僕は、これ以上|黙《だま》っていられない。ゴードン、ドノバン、みんなが、両親や友達と遠く離れてここにいるのは、僕のせいなんです。スルギ号が海へ出たのは、僕のいたずらからなんです。あの夜、僕は、みんなをびっくりさせてやろうと、艫綱《ともづな》をほどきました。船が岸を離れたので、驚いてみんなを呼ぼうとしたけれど、もう遅《おそ》かったんです。どうか僕を許し――」
ジャックは、胸も張り裂《さ》けんばかりに泣き伏《ふ》した。ケートが、優しく抱《だ》きかかえて慰めたが、ジャックは、「許して、許して」と泣き叫ぶばかりだ。ブリアンはきっぱりと言った。
「ジャック、お前は自分の罪を打ち明けた。いまお前は、自分の罪の償《つぐな》いをするんだ」
「ブリアン、ジャックの罪は、もう消えている」
ドノバンが叫んだ。そして、真心を込《こ》めて続けた。
「ジャックは、何度も、みんなのために命を投げ出してきた。ブリアン、僕たちは、いまこそ、君がいつもジャックを危険の中に追いやった理由がわかったよ。あのスケート遊びの時に、クロッスと僕を、霧《きり》の中をおかして捜《さが》しに来てくれた理由も。さあ、ジャック、僕たちみんなは、君を許すよ。君は、もうちっとも、みんなにひけめを感じなくてもいいんだ」
少年たちは、ジャックに駆《か》け寄った。
少年たちは、いまこそあの、チェアマン学校でいちばん朗《ほが》らかでいたずらっ子であった少年が、沈《しず》み勝ちになり、みんなから離れていた謎《なぞ》が解けたのである。
ジャックは自分の罪を償うために、常に進んで危険な仕事に当たってきた。しかもなお、それでは十分ではないと、仲間のために自分自身の生命を捧《ささ》げようというのだ。ジャックは泣きやむとはっきりと言った。
「兄さん、僕が乗ります」
「よく言った。ジャック」
ブリアンは、弟を暖かく抱き寄せた。ドノバンたちが口をはさむ余地はなかった。風が少し強くなった。ジャックは、一人一人友達の手を握ると、ブリアンの方を向いた。
「兄さん、キッスをさせて下さい」
「さあ、おいで、キッスするのは僕の方だ。籠には、僕が乗るんだ」
「兄さんが」
ジャックは叫んだ。
「君が」
ドノバンとサービスが叫んだ。
「そうだ。僕だ。弟の罪を、兄の僕が償うのは当然だ。だいたい僕が思いついたのだから、他人にやらせるわけにはいかないよ」
「兄さん、僕が乗る」
「いや、いいんだ。ジャック」
「それなら、僕にだって乗る権利がある」
ドノバンが言った。
「止めないでくれ。僕の心は前からきまっていたんだ」
「僕にはそのことがわかっていたよ」
ゴードンは、ブリアンの手を握って言った。ブリアンは、すたすたと籠の方へ歩いた。そして、凧を上げるようにと命じた。バクスター、ウィルコックス、クロッス、サービスは、巻轆轤の位置についた。ガーネットは、合図の綱を握った。
まもなく「空の巨人」号は、ふたたびやみの中に見えなくなった。前のように万歳の声は起こらなかった。深い沈黙《ちんもく》があるばかりだった。
少年たちの勇敢《ゆうかん》な大統領、ブリアンの姿は、風とともに見えなくなった。しばらくたつと、凧の上がりぐあいはゆるやかになった。右にも左にも揺れていないように思えた。
ブリアンは、両手で籠の綱を握っていた。この大きな籠に乗って空中に上がった時、彼は初め、奇妙《きみょう》な感じであった。それは、大きな鳥に天国へと連れていかれるような、あるいは、大きなこうもりの翼《つばさ》に乗っているような気持であった。ブリアンは、少しもあわてなかった。十分ほどたつと、凧はもう上には上がらなかった。二百メートルほどの高さにいるに違《ちが》いない。ブリアンは、片方の手で綱を握りしめながら、一方の手で望遠鏡を取り上げた。湖水、森、岩壁《がんぺき》も、やみに包まれて見えない。だが、島は、まわりの海からはっきりと見分けることができた。昼間ならば、近くの島か大陸が見えるかもしれない。
北、南、西の三方は、空に雲が多くて何も見えなかった。東には、雲が少なく、星が輝《かがや》いていた。ブリアンは、その方向に明かりが輝いているのに気が付いた。
「ワルストンたちの野宿の火であろうか。それにしては遠すぎる。島からはるか遠いらしい。火山の噴火《ふんか》ではないか。そうだとすれば、東には島があるに違いない」
ブリアンは、失望湾《しつぼうわん》を訪ねた時に見た白い点を思い出していた。と、その時、すぐ近く、ファミリー湖の東の林の中に、一つの火が輝いているのを見つけた。
「あれは、林の中か、海岸だ」
確かにそれは、東方川の河口に近い、野宿のたき火であった。ワルストンとその一味は、大熊岩《おおくまいわ》の港の近くで野宿をしているのだ。セバーン号の悪人どもは、島を見捨ててはいなかったのだ。まだ洞穴は危険にさらされている。このことを見届けた以上、ブリアンは、いつまでも空にとどまっているべきではないと思った。風は眼に見えて強くなっていた。籠は激しく揺れた。ブリアンは、下りる合図の鉛の輪を落とした。まもなく、巻轆轤は綱を巻き出した。
ブリアンが空の上で過ごした二十分は、地上の少年たちには、非常に長い時間に思われた。ドノバン、バクスター、ウィルコックス、サービス、ウェッブは、巻轆轤のハンドルを急がしく回した。少年たちは、綱がねじれるたびに、ブリアンがそのあおりを受けて籠から落ちはしないかと、心配になった。巻轆轤は、六十メートルばかり綱を巻くと動かなくなった。風はますます強くなり、ブリアンが下りる合図をしてから四十五分ほどたった。
凧はまだ、湖水の上三十メートル以上の高さにあった。とつぜん、綱が強くねじれた。ウィルコックス、ドノバン、ウェッブ、バクスターは、地面に投げ倒《たお》された。綱が切れたのだ。
「ブリアン」「ブリアン」
少年たちは声をかぎりに呼んだ。
まもなく、湖水の岸で、ブリアンの声が聞こえた。少年たちは一斉《いっせい》に走り寄った。
「ワルストンは、まだ島にいる」
これがブリアンの口をついて出た最初の言葉であった。ブリアンのからだからは、しずくが落ちていた。それは、次のような理由からだった。空中で凧の綱が切れた時、籠は斜《なな》めにゆっくりと空から落ちた。凧は、パラシュートの働きをしたのだ。
ブリアンは、湖水目がけて飛び下りた。そして、泳ぎじょうずな彼は、なんなく岸へ泳ぎ着いたのである。
一方、綱の切れた凧は、風に乗って、北の方へと飛ばされて行った。
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第二十五章
[#この行4字下げ]コスターの病気――帰って来たつばめ――ラマの死体――新しい発見――嵐《あらし》の夜――一発の銃声《じゅうせい》――ケートの驚《おどろ》き
その夜、モーコーは、一人で洞穴《どうけつ》の見張りに立った。少年たちは、前夜の疲《つか》れで、翌朝|遅《おそ》くまで眠《ねむ》りこんでしまった。ベッドから起きると、年上の少年たちは、物置に集まった。そして、ブリアンを囲んで相談をした。ワルストン一味は、すでに二週間以上にわたって島にいるわけだ。その間に船をなおすことができなかったのは、道具を持っていないからに違いない。
「それは確かだよ。ボートはそれほど傷《いた》んでもいなかった。もし、僕《ぼく》たちならば、航海に使えるようになおせるよ」
ドノバンは言った。ワルストンには、この島に住む気持がないことは明らかである。もしその気持があるならば、当然いまごろまでには島の奥《おく》へ来るわけだ。洞穴も見つけたはずだ。ブリアンは、ここで空中で見たことを語った。
「君たちは、僕が東海岸で白い点を見たと言ったことを、覚えているだろう。あれは島にある火山だ。昨夜《ゆうべ》、僕は、空中から東の方を眺《なが》めた時に、海の彼方《かなた》に明かりを見た。あれは、火山の噴《ふ》き出す炎《ほのお》に違《ちが》いない。セバーン号の水夫たちが、そのことを知らないはずがない。彼《かれ》らは、どうにかして船を直して、その島に着こうとやっきになっているはずだ」
それだけに、ワルストンたちが、島の奥へと人家を求めて上って来れば、この洞穴はわけもなく発見される。少年たちは、ますます用心をしなければならない。
真にやむをえない時のほか、戸外に出ないことにした。
バクスターは、木の枝《えだ》で、動物の小屋、洞穴の二つの戸口を隠《かく》した。ところが、この時もう一つ悪いことが起きた。
コスターが高熱を出して、命も危なくなったのである。ゴードンは、船にあった薬箱《くすりばこ》に薬を捜《さが》した。幸い、ケートが、まるで母親のように、心のこもった看病をしてくれた。ケートは、日夜、コスターのベッドのそばについていた。おかげで熱はまもなく下がり、コスターはよくなった。もし、ケートがいなかったならば、コスターはどうなっていたかわからない。少年たちにとって、この愛情の深い婦人が洞穴に加わったことは、この上もなくありがたかった。
十一月の初めには、雨が多かった。十七日に、気圧計はわずか上がり、暖かくなった。木も草も緑におおわれ、南沼《みなみぬま》は鳥が多くなった。ドノバンは、狩《か》りに出られないことが残念でたまらなかった。ある日、洞穴の近くの罠《わな》を見にいったサービスは、首に小さな袋《ふくろ》を付けた一羽のつばめを見つけた。少年たちへの返事が入っているのであろうか。だが、つばめは、何の返事も持たずに帰って来たのだった。少年たちは、一日の大部分を広間で過ごした。毎日が同じことの繰《く》り返《かえ》しで、バクスターは、日記をつけるのに弱った。しかも、四カ月後には、三度目の冬がくる。
ブリアンでさえも、ふたたび故郷へは帰れないのではないかと考え始めていた。もちろん、そのような気持は、顔には現わさなかった。むしろ、仲間たちには、なつかしい父母、友人のもとに必ず帰れる日が来ると励《はげ》ましたのである。
十一月二十一日の午後二時ごろであった。ドノバンは、ファミリー湖に近い川岸で釣《つ》りをしていた。からすによく似た鳥が、うるさく鳴き立てていた。鳥は、大きな輪を描《えが》き、向こう岸の草の茂《しげ》みの中に舞《ま》い下りた。
ふと、ドノバンは、鳥が動物の死体を見つけたのではないかと思った。
彼は洞穴へ急いでもどると、モーコーに頼《たの》んで、ボートを出してもらった。十分ほどで二人は対岸に着いた。鳥は、ばたばたと羽音を立てて飛び去った。
ドノバンの思った通り、上陸した地点から十メートル先に、一頭の大きなラマが倒《たお》れていた。ドノバンがさわってみると、からだにはまだぬくみが残っている。二人は、ラマのからだを調べた。横腹には血がどす黒く流れていた。その傷口は、ジャガーや野獣《やじゅう》の歯でつけられたものではなかった。
「鉄砲《てっぽう》の弾丸《たま》でやられたのだ」
ドノバンが、声を低めて言った。
「これをごらんなさい」
モーコーは、ナイフで傷口を切り開き、一個の弾丸をつまみだした。二人の少年は、ラマの死体を鳥の餌《え》じきにまかせて、洞穴の仲間たちに、この発見を知らせに急いだ。
ラマはいつどこで傷を受けたのか。傷口から考えると、弾丸を受けて長い時間|逃《に》げ回ったとは思えない。どんなに長くても、三、四時間前に、ワルストン一味が湖水の南岸で撃《う》ったのであろう。ワルストンたちは、東方川をさかのぼって、次第《しだい》に洞穴に迫《せま》りつつあるのだ。河口付近は、岩が多く、その上狩りの獲物《えもの》が少ない。ワルストンたちは、新しい住居を捜しているのだ。
この日から三日後、危険がいよいよ目前に迫っていることを知らされた。
二十四日の午前九時ごろ、ブリアンとゴードンは、湖水から沼へ通ずる狭《せま》い道に、鉄砲を据《す》える場所を作ることができないかと調べに出かけた。土を積み重ねて、ドノバンたち――少年たちの中での名射撃手《めいしゃげきしゅ》が、その後ろに身を隠して、敵をねらおうというのである。
二人は、川岸の林の端《はし》を歩いて行った。ブリアンの足は、ぐしゃりと何かを踏《ふ》みつぶした。彼は、おそらくあたり一面に散らばっている貝殼《かいがら》の一つであろうと、気にも止めなかった。だが、一足|遅《おく》れて歩いているゴードンが立ち止まって声をかけた。
「待って、ブリアン」
「なんだい」
ゴードンは、右手をブリアンの方へ差し出した。いましがたブリアンが踏みつぶしたものである。
「これは、パイプだ。僕たちの中には、たばこを吸う者はいない。どうしたって、これは、ワルストンたちが落としたものだ」
「フランソワ・ボードアンかもしれないじゃないか」
「違う、この砕《くだ》けた跡《あと》を見たまえ。二十年も前に死んだ人が持っていた物とは思えない。ほら、まだ中にたばこが残っている。数日前、いや、数時間前に、ワルストンかワルストンたちの一人が、湖水の岸まで来たんだ」
ゴードンとブリアンは、飛ぶように洞穴に帰った。ただちに、ワルストンたちに備える手はずを整えなければならない。敵が近づいて来るのを一刻も早く発見するために、岩壁の上に見張りを立てた。夜に入ると、少年の中の二人が、広間と物置の二つの戸口に銃を持って立った。戸には頑丈《がんじょう》なかんぬきを掛《か》けた。戸外から押《お》してもびくともしない。さらに、必要なときは戸口を固めるために、大きな石をそばに積み重ねた。
窓には、二門の大砲の口をはめこんだ。一門は、ニュージーランド川の岸を、一門は湖水を向いている。その上、小銃とピストルを手の届く所に並《なら》べた。ケートも、この仕事を熱心に手伝ったことは言うまでもない。だが、彼女《かのじょ》は、セバーン号の水夫と少年たちとを心の中で比べて、不安を感ずるのであった。
「ああ、あの勇敢《ゆうかん》なイバンスがいてくれたら」
と、幾度《いくど》もつぶやいた。もしイバンスが少年たちの仲間に加わったら、どんなに心強いことであろう。だが、不幸にも、イバンスはワルストンたちにきびしく見張られているのだ。あるいはすでに、ワルストンたちは、彼を必要としなくなり、その生命を奪《うば》ってしまったかもしれない。
十一月二十七日のことであった。二日ほど前から暑さが耐《た》えがたかった。厚い黒雲が島の上に重くかぶさっていた。気圧計も遠くにとどろく雷《かみなり》も、嵐が近く始まることを教えていた。ブリアンたちは、早くから洞穴に閉じこもった。少年たちは、ベッドに入る以外に何もすることがなかった。九時半ごろから嵐になった。広間は、窓の隙間《すきま》から差し込む稲妻《いなずま》で、真昼のように明るく照らし出された。雷は休みなしにとどろいた。オークランド丘《おか》でさえもゆれるかと思われる、激《はげ》しい嵐だった。
風も雨も伴《ともな》わない、恐ろしい嵐であった。雲の中に電気が集まり、大きな塊《かたま》りとなる。これが、一点に噴きでる場合に起こる恐ろしい嵐である。時には、一夜|荒《あ》れ狂《くる》い、なおおさまらないことさえもある。
幼いコスター、ドール、アイバースン、ジェンキンスたちは、雷の音がとどろきわたるたびに、毛布を深くかぶった。雷は、オークランド丘の頂上に、何回となく落ちた。
時々、ブリアンとドノバン、バクスターは、戸を半分あけて戸外のありさまを眺めた。そのたびに、稲妻の光に目がくらんで、あわてて逃げ帰るのだった。
空は、赤く火の色に染まっていた。湖水は、空の色を映して、一面の炎の海のようだった。真夜中を過ぎると、だんだん、雷の音が間をおいて響《ひび》き渡るようになった。風が吹《ふ》き、低い雲の層を払《はら》い、雨が滝《たき》のように降り始めた。
幼い少年たちも、少し元気を取りもどした。一人、二人と毛布から頭を出した。ブリアンたち年上の少年たちも、ベッドに入ろうとした。その時である。フヮンが、急に広間の戸をガリガリと爪《つめ》でかき、狂ったように吠《ほ》え立てた。
「フヮンが何かかぎつけたぞ」
ドノバンが、フヮンの方へ近づいて行った。
「この犬が吠える時は、何か変わったことが起こった時だ」
バクスターも、戸の方へ進んだ。
「寝《ね》るのはあと回しにして、フヮンが吠えるわけを確かめよう」
ゴードンが、ブリアンに言った。
「だが、洞穴から外へ出ない方がいい」
ブリアンの言葉で、年上の少年たちは、めいめい鉄砲とピストルを持った。
ドノバンは広間の戸を、モーコーは物置の戸を守る。二人は、戸外に物音がするかと耳を澄《す》ました。フヮンはまだ吠えるのをやめない。ゴードンがいくら静めようとしてもむだであった。
とつぜん、一つの物音が、少年たちの耳にはっきりと聞こえた。雷の音ではなかった。
確かに、洞穴から二百メートルほど離《はな》れたあたりで撃った銃声である。
ベッドに入っていた少年たちも、一斉に起き上がった。ドノバン、バクスター、ウィルコックス、クロッスは、銃を構えて戸口に立った。他の少年たちは、大きな石を戸に積み重ねた。その時、一つの声が、戸外で聞こえた。
「助けて下さい。助けて」
危険が、まぢかに迫っている人間の声だ。
「助けて」声はまた聞こえた。
その声に、ケートは顔色を変えて戸口へ走り寄った。
「おお、あの人」
「誰《だれ》です」
驚いたブリアンがたずねた。
「早く戸をあけて。戸を――」
戸はあいた。さっと、一人の男が、洞穴に飛びこんで来た。からだからは、滝のように滴《しずく》がたれている。
イバンスであった。
あの、セバーン号の運転士のイバンスであった。
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第二十六章
[#この行4字下げ]イバンスの話――大熊岩《おおくまいわ》のワルストン――奇妙《きみょう》なもの――洞穴《どうけつ》の発見――イバンスの逃走《とうそう》――川を渡《わた》って――ゴードンの意見――ハノーバー島
イバンスは、二十五からせいぜい三十|歳《さい》ぐらいに見えた。広い肩幅《かたはば》、たくましい胸、鋭《するど》く光る眼《め》、見るからに頼《たの》もしい青年であった。顔は、セバーン号からのがれて以来かみそりを当ててないと見えて、髭《ひげ》でうずまっている。イバンスは、洞穴に入ると、また戸口にもどって耳をつけた。もう物音は聞こえなかった。
ほっと安心したように、イバンスは真ん中に進んだ。そして、驚《おどろ》きの眼で、自分を取り巻く少年たちを眺《なが》めた。そして悲しそうにつぶやいた。
「ほんとうに、子供さんたちばかりなんだな」
彼《かれ》の眼は、とつぜん明るく輝《かがや》いた。顔には喜びの色があふれた。
「おお、ケートさん、生きていたんですか」
イバンスは、走り寄ったケートの手を握《にぎ》った。
「もちろん、この通り、ピンピンしていますよ、イバンス。神様は私をお救い下さいました。また、あなたをも救って下さったのです。そして、この子供さんたちを救うようにと、あなたをおつかわしになったのです」
イバンスは大きくうなずいた。しかし、言った。
「全部で十五人。そのうち戦える者はわずか、五、六人――」
「いますぐ、ワルストンたちは攻《せ》めて来ますか。イバンスさん」
ブリアンが不安そうに聞いた。
「いいえ、まだ安心です」
イバンスは答えた。少年たちは、イバンスに聞きたいことが山ほどある。だが、その前に、イバンスは、衣服を取《と》り替《か》え、食物を取らなければならなかった。ゴードンは、乾《かわ》いた衣服を出してきた。モーコーが、冷肉とビスケット、茶、ブランデーの食事をすすめた。十五分ほどですっかり元気を取りもどしたイバンスは、セバーン号のボートが海岸に打ち上げられてからの話をした。
「ボートが岩に着こうとした時、私も含めた六人が大波にさらわれました。あと二人の水夫は、姿が見えなくなっていました。波にさらわれたか、生き延びたかわかりませんでした。ケートさんは、当然溺《おぼ》れ死んだものと思っていました。ここで再び会えるとは、夢《ゆめ》にも思いませんでした。私たちは、海岸に上陸してからしばらくして、ボートが打ち上げられているのを見つけました」
その時、ドノバンが口をはさんだ。
「あなた方の難破した日の夕方、僕《ぼく》たちは、セバーン海岸で二人の水夫が倒《たお》れているのを見ました。だが、不思議にも、朝になったらもう姿が見えませんでした」
「そのわけを説明しましょう。その二人は、ホーブスとパイクなのです。まもなく、ワルストンたちが、二人を見つけました。そして、ジンを口に流してやると、息を吹《ふ》き返しました。ワルストンたちにとっては幸いなことに、ボートの荷物箱《ロッカー》は傷《いた》んでいませんでした。食物もちゃんと残っていました。僕は、ワルストンたちに連れられて、海岸を下っていきました。悪人の一人、ロックだったと思いますが、ケートさんが見えないと言いだしました。ワルストンは、ケートは波にさらわれたのさ、とかえって喜んでいました。それを聞いて、私もこの連中の役に立たないとなれば、命はないと思いました。だが、いったい、ケートさんはあの時どこにいたのです」
「私はボートの近くに倒れていました。ワルストンたちが立ち去ったのを見て、夢中《むちゅう》で反対の方角に走りました。飢《う》えと疲《つか》れで死んだように倒れているところを、『フランス人の洞穴』の皆さんに助けられたのです」
「フランス人の洞穴ですって」
イバンスは不審《ふしん》そうに聞いた。
「それは、この洞穴の名前です。この洞穴に、前に住んでいたフランス人を記念してつけたのです」
「フランス人の洞穴、――セバーン海岸、いい名前ですね。君たちは、この島のほかのところにも名前をつけたのですか」
「ええ、みんな、美しい名前ばかりです」サービスが答えた。
「ファミリー湖、南沼《みなみぬま》、ニュージーランド川、落とし穴の林」
「すばらしい、そのあとは、明日ゆっくり聞かせてもらうことにして、話を続けましょう。ところで、いま何か物音がしませんでしたか」
「いいえ、何も」
戸口に立っていたモーコーが答えた。
「よろしい、さて、その夜は林で野宿をしました。翌日から二、三日、ワルストンたちは、ボートの修繕《しゅうぜん》にかかりましたが、道具がないのでどうにもなりません。そこで、獲物《えもの》の多い新鮮《しんせん》な水の手に入る川岸を捜《さが》し回り、海岸から十二マイル(約二十キロメートル)ほどの所で、小さな流れを見つけました」
「東方川です。失望湾《しつぼうわん》にそそぐ」
サービスが言葉をはさんだ。
「その河口は、住むのに適していました。ワルストンたちは、ボートを河口の小さな湾まで引いて来ました。せっかくボートを引いて来たものの、道具がないので、なんとも仕様がありませんでした。いまでも、道具さえあれば、僕は――」
「道具は、この洞穴にはすっかりそろっています」
ドノバンがすかさず言った。
「なるほど、やはり、ワルストンがこの島が無人島ではないと考えたのは、正しかったのですね」
「どうして、そのことがわかったのですか」
ゴードンが聞いた。
「一週間ほど前、ワルストンたちは、私を連れて、島の奥《おく》に探検に出発しました。東方川の流れ出る湖水の岸の葦《あし》の中に、布でできている奇妙な八角形のものを見つけました」
「凧《たこ》ですよ」
ドノバンが、思わず言った。
「そうだ。風で、湖水の向こう岸まで運ばれたんだ」
ブリアンは付け加えた。
「凧でしたか。ワルストンたちは、大分長いこと頭をひねっていましたが、とにかく、人間の手になるもので、この島は無人島ではないと考えました。この奇妙な物を作った人間はどこにいるのか、ワルストンは、どうにかしてそれを捜し出そうと思いました。私の方は、いつか隙《すき》をうかがって逃《に》げ出そうと決心しました。島の住民がたとえ野蛮人《やばんじん》であっても、ワルストンたちほど恐《おそ》ろしくはないと思いました。しかし、島に人間がいるとわかってから、ワルストンたちの見張りは一層きびしくなりました」
「どうして、この洞穴があることがわかったのです」
バクスターが聞いた。
「これからお話ししましょう」
イバンスは、少年たちを見回して続けた。
「ワルストンは、島の住民を熱心に捜しました。湖水の東岸の林をくまなく探検したあとで、南の岬《みさき》に向かいましたが、人間の姿は見えず、鉄砲《てっぽう》の音も聞こえません」
「僕たちは、洞穴から一歩も出ないことにし、鉄砲も撃《う》たないことにきめたからです」
ブリアンが答えた。
「だが、ワルストンは、君たちをついに発見しました。十一月二十三日か二十四日の夜、ワルストン一味の一人は、洞穴の隙間から明かりがもれているのを見つけました。翌日、ワルストンは、一人でこの近くに来ました。長いこと川岸の茂《しげ》みに隠《かく》れて、洞穴の様子をうかがっていました」
「僕たちは、それを知っています」
ブリアンが言った。
「知っているんですって」
「そうです。僕たちは、ワルストンのパイプを拾いました」
「なるほど、ワルストンは、パイプをなくしたと、大変くやしがってもどってきましたよ。だが、彼は、洞穴に住んでいるのは子供ばかりであることを知りました。ワルストンは、帰ると、さっそくこの洞穴を襲《おそ》う計画を相談しました」
「なんというひどい人たちでしょう。罪もない子供さんたちを」
ケートは叫《さけ》んだ。
「なにしろ、セバーン号の船長やお客さんを、平気で殺したやつらですからね。ところで今日、ワルストンたちは、ホーブスとロックを僕の見張りに残して出ていきました。逃げるのに絶好の機会です。昼少し前、私は隙をうかがって林へ逃げこみました。ホーブスとロックは私の逃げたことに気がつくと、さっそく私のあとを追いました。二人は鉄砲を持っていますが、私はナイフ一つです。私は、ワルストンの話から、君たちが西へ流れる川の岸に住んでいることを知っていました。私は、十五マイルも走り続けました。悪人どもは、なおもしつこく追いかけて来ます。私に、秘密を知られているので逃げられては困るのです。
夜になってもまだ追いかけて来ます。そのうち嵐《あらし》が始まり、稲妻《いなずま》は私の姿を浮《う》き出しました。私は全力で走りました。私が川の左岸に着いた時、ぴかりと稲妻が光りました。と、同時に、一発の銃声《じゅうせい》が聞こえ、弾丸《たま》は私の肩をかすめました。私は川へ飛び込《こ》みました。川を泳ぎ渡ると、水草の茂みに隠れました。ロックとホーブスが岸に着きました。二人の話が聞こえました。
『確かに、やつに命中したかい』
『確かだ。手ごたえがあった』
『いまごろは、川の底だな。ハッハハ』
『うまくいったよ』
二人は引き返して行きました。
私は茂みから出ました。犬の鳴き声が聞こえてきました。やっと洞穴に着くことができたのです」
イバンスは言葉を切った。そして、湖水の方角を指さして、力強く言った。
「さあ、皆《みな》さん、一緒《いっしょ》に力を合わせて、この島から悪人どもを追い払《はら》いましょう」
今度は、少年たちが、イバンスに向かって、スルギ号がニュージーランドを離れてから二十カ月の苦心を簡単に語った。
「君たちは、その間、一|隻《せき》の船も見なかったのですか」
イバンスはたずねた。
「ええ」
ブリアンは答えた。
「何か目じるしを立てておいたのですか」
「もちろんです。海岸の岬の上に旗竿《はたざお》を立てました。だが、四週間前に、ワルストンたちの眼に入ってはと下ろしました」
「それは正しかった。だが、すでに、悪人どもは君たちを発見しました。私たちは、昼も夜も厳重に注意しなければなりません」
その時、ゴードンがイバンスにたずねた。
「ワルストンたちに、船を修繕する道具を貸してやったらどうでしょう。船がなおり次第《しだい》、島を立ち去るという条件で。そうすれば、ワルストンたちが攻めて来ることもなくなるわけです」
イバンスは、ゴードンの言葉を注意深く聞いていた。
「ゴードン君、君たちは、ワルストンをそんなに信用できる人間だと思うのですか。もし君たちが道具を貸してやれば、ワルストンはさらに君たちの物をすべてほしくなります。ワルストンたちには、こちらがよくしてやっても、それに感謝するなどという気持は毛頭ありません。それに、ワルストンたちがボートを直してこの島を立ち去ったら、私たちはどうやってこの島を出るのです」
「僕たちも、そのボートで故郷に帰れるというのですか」
ゴードンは聞いた。
「そうですとも、ゴードン君」
「太平洋を横断して」
ドノバンが付け加えた。
「太平洋を横断するのではありません。まず近くの港を目ざします。そこで、君たちの国に向かう船を見つけるのです」
「ほんとですか。数百マイルの航海をあんな小さな船でできるのですか」
バクスターがたずねた。
「数百マイルですって! そんなことはありません。わずか三十マイルです」
「では、この島のまわりは、大洋ではないのですか」
ドノバンが驚いたようにたずねた。
「西側はそうです。だが、南、北、東は、近くの島と海峡《かいきょう》で分かれているだけです。せいぜい六十時間で渡れます」
「この島の近くに島があるかもしれないと考えたのは、まちがいではなかったのですね」
「そうです。君たちはここをどこと思っていましたか」
「太平洋の孤島《ことう》の一つ」
「島ですが、孤島ではありません。南アメリカの海岸に沿う、群島の一つです。君たちは、岬、湾、川に名前をつけましたが、この島の名前は?」
「チェアマン島、僕たちの学校の名前を取ったのです」
「チェアマン島、よろしい。この島は二つの名前を持ったわけです。この島の本当の名前はハノーバー島というのです」
この話が終わると、イバンスは、明日世界地図で、ハノーバー島の正確な位置を教えようと言った。一同は寝室《しんしつ》に入った。
モーコーとゴードンは、みんなが眠《ねむ》ったあとも見張りに残った。夜は静かに過ぎていった。
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第二十七章
[#この行4字下げ]マゼラン海峡《かいきょう》――付近の島――イバンスの計画――はかりごと――ロックとホーブス――深夜の物音――走り出たロック――ケートの願い
「南アメリカ大陸|南端《なんたん》に、大西洋岸のバージン岬《みさき》から、太平洋岸のロス・ピラーレス岬に至る約三百八十マイル(およそ六百キロメートル)の長い海峡があります。この海峡の両岸には、高さが九百メートルもある山が連なり、至る所に安全な港があります。この海峡を通って太平洋、大西洋を往復する方が、南端のケープ・ホーンを回るより、距離《きょり》も短く波も穏《おだ》やかであるために、最近は多くの船が往来するようになりました。
この海峡が、一五二〇年にポルトガルの有名な航海家マゼランによって発見された、マゼラン海峡です。
マゼランがこの海峡を発見してから、次々に、スペイン、イギリス、オランダ、フランスの有名な航海家がここを訪《おとず》れました。
それにつれて、このマゼラン海峡は広く世界に知られ、世界の名高い航路の一つとなりました。とくに、帆船《はんせん》がすたれ、汽船の時代になると、風に向かい、潮流にさからって進むことができるので、遠洋航海が盛《さか》んになり、この海峡も汽船の出入りが多くなったのです。
マゼラン海峡の東口、すなわち大西洋側は、大きな湾《わん》をなしています。だが、西口、太平洋側は、これとは様子が違《ちが》って、大小の島、海峡、湾がまざりあっています。この太平洋側のチリの海岸に、散らばっている一群の島があります」
翌十一月二十八日の朝、イバンスは、少年たちにスチラーの地図をさしながら、説明していた。
「この中にある一つの島が、南緯《なんい》五十一度に位置するハノーバー島です。この島に、君たちは、チェアマン島と名前をつけ、二十カ月以上も暮《く》らしたのです」
イバンスは、言葉を切って、少年たちを見回した。少年たちは、深い驚きに打たれて、口もきけなかった。やがて、ゴードンがイバンスにたずねた。
「この島は、チリの近くなんですか」
「そうですとも、だが、たとえ君たちが南アメリカ本土に渡《わた》ったとしても、都会に出るには、何百マイルという大旅行をしなければなりません。その上、平原には恐《おそ》ろしいインディアンが住んでいます。私は、君たちが、この島を見捨てて行かなくてよかったと思いますね」
ハノーバー島を囲む海峡は、ある場所では、わずか十五マイルから二十マイルの幅《はば》しかなかった。天気の良い日なら、少年たちのボートでも渡ることができた。
ブリアンが東海岸で見た海上はるかな白い点は、南アメリカ大陸にそびえるアンデス山脈の白雪だった。凧《たこ》の籠《かご》から見つけた赤い火は、火山の噴火《ふんか》であった。
ゴードンは、またイバンスにたずねた。
「もし、僕《ぼく》たちがセバーン号のボートを手に入れたら、どういう航路を通ってニュージーランドに帰るのですか」
「南に向かいます。風さえよければ、安全にチリの港に着きます」
「そこで、うまく故郷へ行く船を見つけられますか」
「もちろんです。地図を見て下さい、このスミス海峡を下れば、もうマゼラン海峡の西口です。ここまで来れば、初めにお話ししたように、港がたくさんあります。タマー港、ガラント港、ファミン港、プンタアレナ港などです」
イバンスの説明は正しかった。マゼラン海峡の中に入れば、オーストラリア、または、ニュージーランド行きの汽船を見つけることはたやすい。タマー港、ガラント港、ファミン港の町は貧弱《ひんじゃく》だが、プンタアレナはにぎやかな港町だ。チリ政府の支配下にあり、林の間には教会の屋根が美しく見える。
イバンスの話に耳を傾《かたむ》けているうちに、少年たちは胸の中に一筋の光がさしこんでくる思いになった。だが、その光も、セバーン号のボートを手に入れなければ、空《むな》しく消え去ってしまうのだ。
イバンスは、地図の説明を終わると立ち上がった。そして、洞穴《どうけつ》の中を見て回った。
広間と物置の戸口で、川岸と湖水の両面からの敵を迎《むか》え撃《う》つことができる。窓からは、敵に姿を見せずに、鉄砲《てっぽう》を構えることができる。洞穴には、武器として、鉄砲八、大砲二がある。敵がまぢかに迫《せま》れば、ピストル、手斧《ておの》、短刀がそろっている。ただ一つの不安は、十五人の少年のうちで戦えるものは、わずかに六人だけであることだ。しかも敵は、腕《うで》には自信のある水夫七人だ。
ゴードンは、心配げにイバンスにたずねた。
「ワルストンたちは、みんな悪人ばかりですか」
「もちろんです」
イバンスがきっぱりと答えると、ケートが言葉をはさんだ。
「私はホーブス一人は望みがあると思います。私の命を助けてくれたのを見ても」
「ケートさん、ホーブスだって、ワルストンたちと少しも変わりはありませんよ、あなたの命を救ったのも、女手がある方が便利だからですよ。ワルストンたちが、この洞穴に攻《せ》めて来る時は、ホーブスはきっと先頭に立っていますよ」
二、三日過ぎても、ワルストンたちの近づく気配はなかった。イバンスは不思議に思った。その時、ふと彼《かれ》の頭に一つの考えがひらめいた。ワルストンたちは、はかりごとで洞穴を攻めようというのに違いない。
イバンスは、さっそく、ブリアンとゴードンに自分の考えを話した。
「ワルストンたちは、自分たちが島にいることを、君たちがまだ知らないと思っています。そこで、一つのはかりごとを巡《めぐ》らしているのに違いありません。きっと彼らの一人が難破船の水夫になりすまして、ここに救いを求めにやってきますよ、そして、うまくごまかして洞穴の中に入り込《こ》み、様子をうかがって、外で待つ仲間に合図をするのです。洞穴の内と外から、一斉《いっせい》に君たちを攻め落とそうというわけです」
「もしそうだとしたら、僕たちは、どうすればいいのです」
「むこうがはかりごとでくるなら、こっちも、はかりごとで向かってやりましょう」
イバンスは、自信ありげに答えた。
翌日の午前中も、何事も起こらなかった。だが、夕方、見張りのウェッブとクロッスが、息を切らせて洞穴に駆《か》けこんで来た。
二人の男の姿が、川の向こう岸に見えたというのであった。
ケートとイバンスは物置に入って、窓から外をうかがった。イバンスは、少年たちを振《ふ》り向《む》くと言った。
「ロックとホーブスです、敵はやはり、私の考えた通りのはかりごとでくるようです」
少年たちは、かねての手はずに従って任務についた。
ケートとイバンスは、広間から物置への通路にある納屋《なや》に隠《かく》れた。
ゴードン、ブリアン、ドノバン、バクスターの四人は、川岸へ向かった。
ホーブスとロックは、少年たちの姿を見ると、驚きの表情を作って走り寄ってきた。
「わしらは、この島の南方で難破した水夫です。どうか、お助け下さい」
少年たちは、いたましそうな眼《め》で二人を眺《なが》めた。
「それは、お気の毒ですね。ほかの人たちはどうしました」
「みんな溺《おぼ》れて、わしたち二人がやっとのことで岸にはいあがりました。お願いです。わしたちに、食物とねぐらを恵《めぐ》んで下さい」
「難破した人たちは、誰《だれ》にでも救いを求める権利があります。さあ、僕たちの洞穴に来て下さい」
ゴードンは、丁寧《ていねい》な口調で言った。
ロックは、ひたいが狭《せま》く、下あごが突《つ》き出ていた。見るからに悪人らしい顔つきだった。それに比べると、ホーブスの顔には、いくらか人間らしいところがあった。
二人は、広間に入ると、すばやくあたりを見回した。そして、品物や道具の多いのに眼を見はった。鉄砲と大砲には、ぎくりとした様子だった。
二人は、少年たちをうまくだましおおせたものと信じきっているらしかった。案内された物置のすみで、じきに高いいびきを立て始めた。
モーコーも二人の近くのベッドに入った。彼は、眠《ねむ》ったふりをして、二人を見張ろうというのだった。
ブリアンたちは、広間でモーコーの合図を待ち構えていた。
十二時近くになった。物置のすみでかすかな物音が起こった。モーコーが見ているのも知らず、二人は、ベッドから抜《ぬ》け出し、足を忍《しの》ばせて戸口へ歩いて行くのだ。
戸口には、大きな石が積み重ねてあった。二人は、音を立てないように気を配りながら石を取り除いた。
ロックが戸のかんぬきをはずした。次に、戸を押《お》しあけようとした時だった。力強い手がロックの肩《かた》をつかんだ。
「あっ」とロックは、低く叫《さけ》んで振り返った。そこには、思いもかけないイバンスの顔があった。
「イバンス、お、お前が……」
「かかれっ」
イバンスの合図に、少年たちがどっと物置に飛びこんで来た。四人の少年が、たちまちホーブスを取《と》り押《お》さえてしまった。
ロックは、イバンスの腕から抜け出ようと激《はげ》しく身をくねらせた。やっと一つの手が自由になると、いきなりナイフをイバンスの左手に突き刺《さ》した。イバンスが思わずひるむ隙《すき》に、ロックは戸口を押しあけると、戸外におどりでた。
イバンスが、すぐさま鉄砲を構えて、引金を引いた。弾丸《たま》はやみの中にそれた。
「しまったっ」
イバンスは、残念そうに鉄砲の台尻《だいじり》で地面をたたいた。だが、ホーブスに気がつくと、短刀を握《にぎ》りしめて近寄った。
「悪人をこの世から一人少なくしてやる」
ホーブスは、床《ゆか》に身を投げて悲しい声を振《ふ》り絞《しぼ》った。
「お願いです。助けて下さい」
その時、恐ろしさのあまりじっと立ちすくんでいたケートが、走り寄ってイバンスの腕にすがりついた。
「イバンス、この人を助けて上げて下さい」
イバンスは短刀を納めた。
「よろしい、しばらくの間、助けておいてやりましょう」
少年たちは、ホーブスの手を綱《つな》で縛《しば》り上げた。それから、納屋へ引き立てて行った。
物置の戸口をしめ、また石をしっかりと積み上げた。
その夜は少年たちは、そのまま朝を迎えることにした。
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第二十八章
[#この行4字下げ]ホーブスへの質問――林の中で――野宿のあと――ドノバン重傷――洞穴《どうけつ》を襲《おそ》ったワルストン――意外な出来事――モーコーの機転
夜が明けた。イバンスは、ブリアン、ドノバン、ゴードンの三人を連れて、戸外の様子を探《さぐ》りに出かけた。川岸も林も静まりかえり、囲いの中では、いつものように動物が草を食べていた。イバンスがまず眼《め》を見はったのは、あたり一面の靴《くつ》の跡《あと》である。案の定、ワルストン一味は、昨夜は川を渡《わた》り、打ち合わせ通りロックとホーブスが洞穴の戸を開けるのを、待ち構えていたのであった。
少年たちが気がかりなのは、昨夜、敵が湖水の南から来たか、それとも北からかということだ。もし、北からとすれば、ロックは当然落とし穴の林に逃《に》げこんでしまったのだ。
この点は、ホーブスに問いただしてみるのがいちばん早い。四人は洞穴にもどった。イバンスは、納屋《なや》をあけてホーブスを出し、綱《つな》をほどいてやった。イバンスは、ホーブスに向かうと、静かな口調でたずねた。
「ホーブス、お前たちのはかりごとは、失敗に終わった。僕《ぼく》たちは、ワルストンのこれからの計画を知りたいのだ。質問に答えてくれ」
ホーブスは、頭を深くたれた。ケートや自分を取り巻く少年たちと、眼を合わせるのを避《さ》けている。ケートが進み出て、優《やさ》しく話しかけた。
「ホーブス、あなたはセバーン号で、私の命を救ってくれましたね。いま、この子供さんたちを、悪人たちの手から救おうという気にはなりませんか」
ホーブスの答えはなかった。
ケートは言葉を続けた。
「あなたのいままでの罪は、死に値《あたい》するのですよ。あなたには、もう人間らしい心は残っていないのですか」
ホーブスの口から、うめき声がもれた。
「わしは、どうしたらいいんです」
「昨夜《ゆうべ》のお前たちの計画を話しなさい。お前は、ワルストンのために洞穴の戸をあけようとしたのだね」
「はい」
「それでは、洞穴の人たちを殺すつもりだったのだね」
ホーブスは、頭を胸までたれた。この問いには、さすがに答えるだけの勇気がなかったのだ。
「ワルストンたちは、どの道を通って来たのだ」
「湖水の北を回って」
「お前とロックは南からだね」
「はい」
「ワルストンは、西海岸へ行ったことがあるか」
「いいえ、まだです」
「ワルストンは、どこにいるかわかるか」
「わしにはわかりません」
「これからのワルストンの計画は」
「なんにも聞いていません」
「お前は、ワルストンが、またここへやってくると思うか」
「はい」
これ以上の答えを、ホーブスから引き出すことはできなかった。彼《かれ》をふたたび納屋に入れ、外から鍵《かぎ》を下ろした。
昼に、モーコーが食事を持っていったが、ホーブスは手を触《ふ》れようともしなかった。自分の犯《おか》した罪を後悔《こうかい》し始めているのであろうか。
昼食の食卓《しょくたく》を囲んだ時、イバンスは、少年たちを見回して言った。
「ワルストンたちがどこに隠《かく》れているか、危険ではありますが、様子を探りに出かけたらと思います」
誰《だれ》一人、反対するものはなかった。じきに、イバンスのさしずで偵察隊《ていさつたい》が作られた。四人の幼い少年たちは、ケート、モーコー、バクスター、ジャックが洞穴で守る。
セバーン号の悪人たちは、ホーブスを失い六名となった。鉄砲は五|梃《ちょう》、それに、イバンスの話だと、弾丸《たま》はわずか、二、三|箱《ぱこ》だという。それに対して、少年たちの方は、鉄砲、ピストルは全員にわたるだけあるし、弾丸も豊富だ。ドノバン、ウィルコックス、クロッスの名射撃手《めいしゃげきしゅ》がいる。
午後二時、偵察隊は洞穴を出発した。留守を守る少年たちは、洞穴の戸口をかたくとざした。だが、石は積まなかった。必要があれば、すばやく戸をあけなければならないからだ。
イバンスたちは、オークランド丘《おか》のふもとを、絶えずあたりに注意を配りながら進んでいった。フランソワ・ボードアンの墓まで来た時である。急にフヮンが耳を立て、土の匂《にお》いをかぎ始めた。
「草にからだを隠して進むように。ドノバン、敵の姿が見えたら、君はすぐねらいたまえ」
イバンスが言った。
一行の少し先に、小さな茂《しげ》みがあった。そのすそにはたき火の跡があり、燃え残りのたきぎから、かすかに煙《けむり》が立ち上っていた。
「ワルストンたちは、ついさっきまでここにいたらしい。わたしたちは、岩壁《がんぺき》へ……」
まだ、イバンスの言葉が終わらないうちに、銃声《じゅうせい》が右手の木の間から聞こえてきた。
弾丸が、ブリアンの頭の上をかすめていった。続いて、また、銃声――。十五メートル前方で、
「あっ」と、いう叫《さけ》びが起こった。続いてあわただしく、草をかき分ける音――。
ドノバンが、銃声の方をねらって引金を引いたのであった。フヮンが、東方に向けてまっしぐらに走った。ドノバンがそれに続いた。
「進め! ドノバン一人では危ない」
イバンスが走りながら叫んだ。草むらに一人の男が倒《たお》れていた。すでに息は絶えている。
「これは、パイクです」
イバンスが男の顔をのぞき込んで言った。
「外の者も、まだ遠くへは行かない」
ドノバンが言った。
「そうです。敵に姿を見せないように、ひざを地面につけて、ひざを……」
イバンスが言いかけた時、三発目の銃声が空気を震《ふる》わせた。弾丸は、からだをかがめようとしたサービスの額をかすめた。
「だいじょうぶか」
ゴードンが走り寄った。
「なんでもない。ゴードン、ほんのかすり傷だ」
「おや、ブリアンは」
ガーネットがあたりを見回して叫んだ。ブリアンの姿はどこにもなかった。フヮンのけたたましく吠《ほ》える声が聞こえてくる。
「ブリアン! ブリアン」
ドノバンが大きな声で呼んだ。全員フヮンの方へ走った。
「イバンス、危ない!」
クロッスは叫ぶと、パッと地面にからだを伏《ふ》せた。すばやくイバンスはからだを折った。弾丸が頭上すれすれに飛んで行った。イバンスが頭を上げると、木の間を、悪人の一人が走って行くのが目についた。昨夜、洞穴から、イバンスの手を振《ふ》りほどいて逃げ去ったロックである。イバンスの構えた銃が火を吹《ふ》いた。ロックの姿は、まるで大地に吸いこまれでもしたかのように見えなくなった。
「残念! また逃がした」
イバンスが立ち上がって悔《くや》しがった。フヮンは、また吠え始めた。それにまじって、ドノバンの声が聞こえてきた。
「ブリアン、しっかり」
イバンスと少年たちは、声の方へ走った。ブリアンがコープと組打ちの最中であった。コープは、ブリアンの上にまたがり、今にも短刀を振り下ろそうとした。その時、走りよったドノバンが、ピストルを使うひまなく、とびかかった。コープの短刀が、きらりと光った。声も立てずに、ドノバンは地面に倒れた。
立ち上がったコープは、イバンス、ガーネット、ウェッブが近づくのを見ると、あわてて北へ向かって逃げ出した。
パーン、パーン。
二発の弾丸が飛んだ。彼の姿は見えなくなった。
ブリアンは、からだを起こすと、倒れているドノバンを抱《だ》き起こし、頭を両手で持ち上げた。
「ドノバン、ドノバン」
この時|駆《か》けつけて来たイバンスたちも、鉄砲を地面に置くと、ドノバンを取り巻いた。ワルストンとの戦いの最初の犠牲者《ぎせいしゃ》である。
眼をとじた顔は、蝋《ろう》のように白い。
イバンスは、彼の上におおいかぶさると、シャツを切り開いた。胸は血で染まっていた。左の第四|肋骨《ろっこつ》のあたりに、小さな三角形の傷口があった。短刀が心臓に突きささらなかったことは、まだ呼吸をしていることで明らかである。だが、呼吸がかすかなのを見ると、肺を傷つけられたのではないかと心配された。
「すぐ洞穴へ運ぼう。ここでは手当てができない」
「僕たちは、どんなことをしても君を救うよ、ドノバン――君が傷を受けたのは、僕のためなんだ」
ブリアンは心をこめて叫んだ。
悪人たちは、形勢不利と見てとって、落とし穴の林の奥《おく》へ逃げ込《こ》んだことは明らかである。イバンスは、ワルストン、ブラント、ブルックの三人の姿が全く見えなかったことに、ある不吉《ふきつ》な予感に捕《とら》われた。
ドノバンは、一刻も早く洞穴へ連れて行かなければならない。ウィルコックスとサービスは、木の枝《えだ》で担架《たんか》を作ると、できるだけの注意を払《はら》ってドノバンを寝《ね》かせた。四人の少年が担架を持ち、残りは左右に分かれ、ピストルを構えて進んだ。
担架の上で、ドノバンは、時々苦しそうなうめき声を立てた。そのたびに、担架を止めた。こうして、道程《みちのり》の四分の三を歩き、洞穴まで数百メートルの所に来た。まだ洞穴は、岩壁に隠れて見えなかった。
とつぜん、川の方に叫び声が起こった。フヮンはいっさんに走り出した。
ワルストン一味が、洞穴を襲ったのだ。あとで判《わか》ったのだが、事実は次の通りであった。
ロック、コープ、パイクが林の中の偵察を引き受け、その間に、ワルストン、ブラント、ブルックの三人は、堤防河《ダイク・クリーク》の水の涸《か》れた河底をさかのぼり、オークランド丘を尾根づたいに越《こ》えて、洞穴を襲ったのである。
勇敢《ゆうかん》なイバンスは、すぐさま計画を立てた。クロッス、ウェッブ、ガーネットはその場所で担架を守り、ブリアン、ゴードン、サービス、ウィルコックスは、イバンスについて、近道を回って洞穴へ急いだ。
やっと広場の見える所まで来た時、五人は思わず立ち止まった。洞穴からワルストンが、幼い少年を小わきにかかえて飛び出して来たのだ。少年はジャックであった。ケートが髪《かみ》を振り乱して、ワルストンのあとを追いかける。続いて、洞穴からブラントが出て来た。彼はコスターの腕《うで》を握《にぎ》り、引き立てて行く。バクスターがブラントにとびかかったが、たちまち地面にたたきつけられた。
残った少年たちの姿も、モーコーも見えない。すでに、洞穴の中で傷ついたか、皆殺《みなごろ》しに合ったのではないか。
ワルストンとブラントは、川岸に迫《せま》った。泳いで流れを横ぎろうというのか。川には、ブルックが、洞穴から持ち出したボートを浮《う》かべて二人を待っていた。彼らが川岸に着けば、もう少年たちは追いつくことができない。人質《ひとじち》のジャックとコスターを乗せて、ボートで一路|大熊岩《おおくまいわ》へと下って行ってしまう。
ワルストンたちが川を渡りきらないうちに広場に着こうと、イバンス、ブリアン、ゴードン、サービス、ウィルコックスは、死にものぐるいに走った。鉄砲《てっぽう》を撃《う》てば、ジャックとコスターを傷つけるおそれがあった。
その時、フヮンが電光のような早さで広場を横ぎると、ブラントの喉《のど》を目がけてとびかかった。ブラントは、フヮンを追い払うために、コスターを握っている手を放した。
その間ワルストンは、ジャックをひきずりながら、ボートを目がけて走って行く。
とつぜん、一人の男が洞穴からとびだしてきた。ホーブスであった。仲間たちに加勢しようと納屋を破って出て来たのであろうか。
「来い、ホーブス」
ワルストンは立ち止まって叫んだ。イバンスが鉄砲の引金を引こうとした時である。意外にもホーブスが、やにわにワルストンに飛びかかった。ワルストンは、思わずジャックを離《はな》した。そして、くるりとホーブスの方を向くと、力をこめて短刀を振り下ろした。一|瞬間《しゅんかん》の出来事であった。イバンスたちは、まだ広場へ数百メートルの所にあった。川岸では、ブルックとブラントの二人が、ワルストンの来るのを待っている。ワルストンは、ジャックをつかまえようと進み寄った。だがジャックは、ポケットに持っていたピストルを取り出して、いきなりワルストンの胸を目がけて撃った。ワルストンは、倒れかけた。あわててボートから駆け上がって来た二人の仲間が、ワルストンをボートの中にかつぎこんだ。ボートは、三人を乗せて川にすべり出て行った。
とつぜん、大きな物音が空気を震わせた。モーコーが、ボートを目がけて大砲を放ったのであった。命中!
いまや、落とし穴の林に姿を消した二人の悪人を残して、チェアマン島はもとの自由を取りもどした。
ワルストンたち三人の死体は、ニュージーランド川を、水草のように浮かんで流れて行った。
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第二十九章
[#この行4字下げ]ドノバンの容態――ホーブスの最期――大熊湾《おおくまわん》へ――ボートの修繕《しゅうぜん》――荷物の積《つ》み込《こ》み――チェアマン島
あまりにも意外な光景に、イバンスたちは、声をのんで立ち尽《つ》くすばかりであった。だが、すぐに落ち着きを取りもどした。
もし、あの時、ホーブスがワルストンにとびかからなかったら、また、モーコーが大砲《たいほう》を思いつかなかったとしたら、その結果を想像すると、冷たいものが背すじを走った。だが、いつまでも、ぐずぐずしてはいられない。
ブリアンは、ドノバンの担架《たんか》の所に走ってもどった。そこでは、大砲の音に、クロッスたちが不安げに立っていた。ブリアンは、簡単な説明で三人を安心させた。担架は、すぐに洞穴《どうけつ》へと運ばれた。
ドノバンは、広間のベッドの上に寝かされても、まだ意識を取りもどさない。ホーブスは、物置の急ごしらえのベッドに寝かせた。その夜、ケート、ゴードン、ブリアン、ウィルコックス、イバンスは、負傷者の看病に忙《いそが》しかった。
ドノバンの呼吸はかすかだが、規則正しい。コープの短刀は、肺を傷つけてはいないのであろう。
ケートは、ニュージーランド川の岸にたくさん生えているはんの木の葉を摘《つ》み取って、湿布薬《しっぷやく》を作った。この薬で傷口をつつむと、炎症《えんしょう》を防ぐことができる。
一方、ホーブスの腹部の傷は深く、手の尽くしようがなかった。彼《かれ》は、すでに、死期が眼《め》の前に迫《せま》っていることを悟《さと》っていた。ケートが慰《なぐさ》めの言葉をかけたが、彼は苦しい声で言った。
「ありがとうございます。ケートさん、だが、もうわしは諦《あきら》めています」
ホーブスは、自分の生命を投げ出して、少年たちを救った。この男にも、人間らしい心がすっかり消え去ってはいなかったのである。イバンスは、ホーブスの手を強く握《にぎ》りしめて言った。
「気の弱いことを言ってはいけない。ホーブス、君は立派に振《ふ》る舞《ま》ったんだ。もう一度、元気になろう」
だが、呼吸は次第《しだい》にかすかになっていった。
午前四時、ホーブスは最後の息を引き取った。自分が傷つけようとした相手の人たちから、罪を許され、彼は、安らかにこの世を去っていったのである。
ホーブスは、フランソワ・ボードアンの墓の隣《となり》に葬《ほうむ》られた。ぶなの木の根もとに、新しい十字架が立てられた。
この神聖な仕事が終わると、イバンスは、ゴードン、ブリアン、バクスター、ウィルコックスを連れて、ロックとコープの行方《ゆくえ》を探《さぐ》りに、落とし穴の林に向けて出発した。これはそんなに遠くまで行く必要はなかった。林に入ると、まもなく、草にうずまったコープの死体を発見した。ロックは、大きな落とし穴の底に冷たくなっていた。前の日、彼がとつぜん地面に消えたと見えたのは、穴に落ちたためであったのだ。
少年たちは、その穴に、コープと前の日ドノバンの弾丸でたおれたパイクの死体を投げこんで、土をかぶせた。
さあ、これでチェアマン島には平和がもどった。少年たちの顔は、久しぶりに明るくなった。ドノバンが一緒《いっしょ》にいてくれたら、喜びはさらに大きい。だが、ドノバンも、危険は通り越《こ》した。
そこで、イバンスは、ブリアン、バクスターと、セバーン号のボートを手に入れるために大熊湾に出かけることにした。三人は、いちばん安全でしかも早い、湖水を横断し東方川を下る道をとった。
ボートは、大熊岩の近くの砂の上にあった。イバンスはすぐにボートを調べにかかった。それが終わると、少年たちに言った。
「ここでは、ボートの修繕はできませんね。船体と上縁《うわべり》に必要な材料がないのです。私は、ボートを洞穴まで運ぼうと思います」
満潮を利用して、ボートを洞穴まで運ぶことはむずかしくはなかった。
イバンスたちが洞穴にもどって見ると、ドノバンは快方に向かっていた。口もきけるし、深い呼吸もできる。まだ食欲はないが、からだには力がついてきた。傷口もふさがりかけていた。ケートが二時間おきに取《と》り替《か》える、練薬《ねりぐすり》の湿布がきいたのだ。もう全快は時間の問題である。
セバーン号のボートの修繕もぐんぐん進んだ。ボートの長さは九メートル、幅《はば》は一・八メートル、十七人がらくらくと席を取れる広さだ。
イバンスは、大工の腕前もすぐれていた。バクスターが助手だ。修繕に必要な道具と材料には不足はしなかった。スルギ号を解体した時にとっておいた、円材、厚板、釘《くぎ》、それに甲板《かんぱん》の隙間《すきま》に詰《つ》める|まいはだ《ヽヽヽヽ》(填絮《オーカム》)やタールまでそろっていた。これからは雨の季節であることを考えて、ボートの半分に甲板を張った。そうすれば、雨の日にも身を隠《かく》すことができる。
イバンスは余分の帆《ほ》を使って、ボートを一本帆柱のスループ船に仕立てた。それに、船尾《せんび》に三角帆をつけた。これで、船は、どの方向からの風でも思いのままに受けることができる。
船の修繕がすっかり終わったのは、一月八日であった。約一カ月かかったわけである。その間に、洞穴《どうけつ》では、クリスマス、さらに新しい年、一八六二年を迎《むか》えた。チェアマン島で迎える最後の新年だ。
このころから、ドノバンは、足どりはまだしっかりしていないものの、戸外の散歩ができるようになった。おかげで、めきめき食欲が出て、からだに肉がついてきた。
出帆《しゅっぱん》は、ドノバンが数週間の船旅に耐《た》えられるようになってからのことときめられていた。一月の終わりは、船に積み込む荷物を選《え》りわける仕事で一苦労だった。少年たちは、洞穴の物は、一つもあまさず故郷へ持っていきたかった。それは、もちろん無理だ。それだけに、品物を選ぶことはむずかしかった。
金は故郷までの旅費として、持っていかなくてはならない。モーコーは、十七人の三週間分の食糧《しょくりょう》を積み込んだ。船中の分ばかりでなく、万一、途中《とちゅう》で島に立ち寄るような時のことも考えたのである。ドノバンは大砲を持っていきたいと言い張った。ブリアンは、弾薬《だんやく》、鉄砲、ピストルを船の荷物箱《にもつばこ》に入れた。それから、衣服、本、炊事道具《すいじどうぐ》、ゴムのボート、望遠鏡、カンテラ、綱《つな》、時計を選りわけた。ウィルコックスは、魚釣《さかなつ》り道具、ゴードンは、新鮮《しんせん》な水を貯《たくわ》えるのに苦心した。
二月三日に品物の積み込みが終わった。あとは、出帆の日をきめるだけだ。ドノバンは、もう航海に耐えられるだけの元気を取りもどした。傷口は全くふさがった。食欲も元にもどった。ただ、食べ過ぎはしないかという心配があるだけだ。
「早く立とう、僕《ぼく》のことなら心配はいらないよ」
出帆は、二月五日ときまった。
その前の日、ゴードンは動物小屋の囲いをこわした。ラマ、ビクーニヤ、七面鳥やほろほろ鳥を自由にしてやった。たちまち動物たちは林の中に逃《に》げこんでいった。
それを見送ったガーネットが言った。
「なんて恩知らずな連中だろう。僕たちが、一生懸命《いっしょうけんめい》世話をしてやったのに」
「それが世の中さ」
サービスが哲学者《てつがくしゃ》めいた口をきいたので、大笑いになった。
翌朝、全員は船に乗り組んだ。イバンスは船尾で舵《かじ》を握る。ドノバンは、イバンスの横に席を取った。ブリアンとモーコーは、船首で帆をあやつる。
潮を利用して、ニュージーランド川を下る。風は、岩壁にさえぎられて、一定の方向から吹《ふ》かないからだ。
船の上から、少年たちは、思い出の深い洞穴に向かって三度|万歳《ばんざい》を唱えた。まもなく、オークランド丘《おか》が岸の林の中に隠れた。川を下るにつれ、潮は引き始め、やっと沼の林まで着いたが、先には進めなかった。浅瀬《あさせ》に乗り上げるおそれがあったのである。次の満潮まで六時間待つことにした。
その間に、ドノバンは、川の右岸に舞い下りた大きな鴨《かも》を二羽仕止めた。ドノバンは満足そうに、鴨をぶら下げて言った。
「さあ、これで、すっかり病気が抜《ぬ》けたよ」
河口に着いた時、もう夜はふけていた。慎重《しんちょう》なイバンスは、海へ乗り出すのは、翌朝まで待とうと言った。
風は、夕方から全くないでいた。岩壁のあたりで、かもめや海つばめが鳴き立て、スルギ湾の静けさを破っていた。
翌日空が白みかけると、イバンスは、船乗りらしいたくましい腕で、舵を握りしめた。
船は、大洋へ乗り出した。
それから、船は南岬《みなみみさき》を回って、八時間後、ケンブリッジ島の見える海峡《かいきょう》に入った。
もう、チェアマン島は、北方の水平線の下に隠れていた。
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第三十章
[#この行4字下げ]マゼラン海峡《かいきょう》に入る――汽船「グラフトン号」――なつかしのオークランド港へ――沸《わ》きかえる歓迎《かんげい》――イバンスとケート――結末
船がマゼラン海峡に入るまでは、くどくどしい説明の必要はない。空には雲一つなく、波も穏《おだ》やかだった。過ぎ去っていく島々の海岸には、人間の住む気配はなく、かがり火のきらめくのが二、三度見えはしたが、ついにインディアンの姿は見えなかった。
少年たちは、安心の胸をなでた。このあたりに住むインディアンはきわめて残忍《ざんにん》な性質と聞いていたからである。
二月十一日、ボートは、スミス海峡を過ぎ、マゼラン海峡に入った。右手に、セント・アンヌ山がそびえ、左手、ボーフォール湾《わん》のはるかな果てには、白雪に輝《かがや》く連峰《れんぽう》があった。中でもひときわ高くそびえる峰《みね》こそ、ブリアンがハノーバー島の東海岸で見た、あの白い点であった。
海上の澄《す》んだ空気が効《き》いたのか、ドノバンは食欲が進み、夜はぐっすりと眠《ねむ》った。もう、いつでも上陸できる元気さであった。
十二日、タマー島が見えた。だが、このころ、この港は閉《と》ざされていたので、イバンスはボートを海峡の南東に進めた。一方には、デソレーション島の一本の木もない荒《あ》れた平野、片方は、クルッカー半島の鋸《のこぎり》の歯のような海岸が続いていた。
ボートは、フロワード岬を回り、ブルンスウィック半島の海岸沿いに、プンタアレナの港を目ざしていた。だが、その必要はなくなった。
十三日の朝であった。
船首に立っていたサービスが、とつぜん叫《さけ》んだ。
「右舷《うげん》の前方に煙《けむり》が見える」
「漁師が火をたいているんだよ」
ゴードンが気にも止めずに言ったが、イバンスがまじめな顔で言った。
「いや、汽船かもしれません」
ブリアンは、すぐに帆柱《ほばしら》によじ登った。サービスのさす方角に望遠鏡を向けた。そして、下に向かって高い声で叫んだ。
「船、船だ」
まもなく、汽船の姿がはっきりと見え出した。八、九百トンばかりの小さな汽船が、時速十二マイルの速力で走っていた。
少年たちは一斉《いっせい》に立ち上がると、声を振《ふ》り絞《しぼ》った。鉄砲《てっぽう》を空に向けて撃《う》った。
汽船でも、少年たちに気づいた。十分の後、十七人は、オーストラリア行きの汽船、グラフトン号の客となった。
船長ロング氏は、スルギ号の遭難《そうなん》を知っていた。帆船《はんせん》スルギ号がオークランド港の岸壁から行方《ゆくえ》不明になった事件は、当時、イギリス、アメリカまでも、大きく報道されたのであった。
親切な船長も船員も、行き届いた世話をしてくれた。その上、メルボルン行きの航路を変え、少年たちの故郷オークランド港へ、直行してくれることになった。グラフトン号は、二月二十五日、無事オークランド湾に錨《いかり》を下ろした。
スルギ号が、十五人の少年を乗せてやみの海上をすべり出してから、二年の月日が流れていた。大洋の波の底深く沈《しず》んだ我《わ》が子を思い出しては、家族たちは悲しみの涙《なみだ》にくれていた。そこへ十五人が一人も欠けずにもどってきたのである。家族の喜びのさまは、とうてい筆では表わすことはできない。
このニュースは、オークランド全市に、電光のような早さで伝わった。市民たちは、少年たちを見ようと家をとびだした。そして、いまは父母の腕《うで》に暖かく抱《だ》かれた少年たちに、心からの祝福を送るのであった。
すべての人たちは、チェアマン島での少年たちの生活を、知りたく思った。
ドノバンは、何度も講演会に引き出された。バクスターが毎日|丹念《たんねん》に書き綴《つづ》った日記は、出版された。たちまち飛ぶような売れ行きだった。ニュージーランドばかりでなく、広く世界中の人たちに読まれた。
その本を読んだ人は、スルギ号の冒険《ぼうけん》に富んだ運命、ゴードンの思慮《しりょ》深さ、ブリアンの一身を犠牲《ぎせい》にした献身《けんしん》、ドノバンの勇気、すべての少年たちの忍耐《にんたい》と不屈《ふくつ》な精神に強く心打たれた。
ケートとイバンスに対しても、感謝の言葉が投げかけられた。
もしこの二人がいなかったら、少年たちの運命はどうなっていたかわからないのだ。
オークランドの市民たちは、金を出し合って、イバンスに一|隻《せき》の商船「チェアマン」号を贈《おく》った。それには、イバンスがオークランドを母港とするという条件がついていた。イバンスは、航海を終えてオークランドにもどるたびに、少年たちの家庭から、真心のあふれた招待を受けた。彼《かれ》もまた、少年たちと会い、島の思い出を話すことを楽しみとしていた。
ケートには、ブリアン、ガーネット、ウィルコックスの両親たちが、争って自分の家に来てほしいと申し出たが、彼女《かのじょ》は、ドノバンの家に住むことになった。ドノバンは、ケートの看病によって救われたからである。
さて、この書『十五少年|漂流記《ひょうりゅうき》』(二カ年間の夏休み)から引き出される教訓は、簡単に言えば次のようになる。
もちろん、今後、いかなる小中学生も、このような夏休みを送ることはあり得ない。だが、なんであれ困難に直面した時に、勤勉、勇気、思慮、熱心の四つがあれば、少年たちでも、必ずそれに打ち勝つことができるということだ。
チェアマン学校の十四人の生徒は、二年間の島のきびしい生活の中で、すくすくと成長した。
幼年組は、たくましい少年に、年上の少年たちは、一人前の青年に――。
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解説
[#地付き]波多野 完治
一、ジュール・ヴェルヌの生涯《しょうがい》と作品
このものがたり『十五少年|漂流記《ひょうりゅうき》』の原作者、ジュール・ヴェルヌは、一八二八年フランスに生まれました。フランスには大きな川が四つありますが、ヴェルヌはそのうちの一つ、ロアール川の河口にある『フェイドー島』Ile Faydeau で少年時代をおくった、ということです。父親はピエール・ヴェルヌといい、弁護士でしたが、芸術にも理解ふかく、「詩人の心をもつ法律家」とよばれていました。
ジュールは小さいときから冒険《ぼうけん》ずきで、十|歳《さい》のとき、本当に海にのり出そうとおもって、家出をしました。すぐつかまって、大こごとをくいました。このとき、彼《かれ》は母親にいったということです。
「これからはアタマの中だけで空想の冒険をします」と。
本当にそうでした。彼は一生涯に約六十冊ほどの小説をかきましたが、それはほとんどが、冒険の旅行のおはなしでした。その旅行は地球のまんなかから、月の世界、北極、南極のあらゆるところにわたっています。ジュール・ヴェルヌが「空想科学小説」の祖といわれ、「宇宙旅行ものがたり」の父とよばれるのも、このためです。
彼は若いとき、飛行船によるアフリカ旅行の可能性を論じた一冊の本をかきました。それをある出版社へおくって、出版してくれるようたのみましたが、にべもなくことわられてしまいました。彼は腹を立てて、その原稿《げんこう》をストーブのなかになげこみました。
このとき、大いそぎでその原稿を火の中からひろい上げたのが、ジュールと結婚《けっこん》したばかりの若い妻、オノリーヌ・アンでした。彼女《かのじょ》はやけどの危険をおかして原稿を救い出し、それを他の出版社におくるように夫にすすめました。その最後の出版社主がエッツェルで、その後のジュール・ヴェルヌの本をすべて出版し、巨万《きょまん》の富をつくった人です。
エッツェルは、しかし、すぐにその原稿の出版を承諾《しょうだく》しませんでした。彼はジュールに「あなたの考えは大へん面白《おもしろ》いから、これを、そのまま小説にかきなおしてごらんなさい」とすすめました。こうして、ジュールは、妻と出版社とのはげましで、飛行旅行の空想小説をかくことができました。これが『飛行船五週旅行』で、一八六三年、ジュールが三十四歳のときでした。
もし、このとき、おくさんがいなかったら、この世にもめずらしい文学者は生まれなかったでしょう。ジュールは株式仲買人として一生をすごしてしまったかもしれません。
さいわい、この「飛行ものがたり」は大へん好評でしたので、ジュールは作家になることを決意し、一八六四年『地底探検』を、一八六五年に『月世界旅行』を出版しました。この二つの傑作《けっさく》でジュールの作家としての位置はまったく定まったのです。
その後四十年間に、彼は約六十冊の小説を発表します。一年に一冊半の割合になりますから、相当な多作であることがわかります。
つぎつぎに新しいアイディアを盛《も》った面白い小説の出ることが、奇怪《きかい》なうわさを生みました。あれはジュール・ヴェルヌという一人の作家の仕事ではあるまい、というのです。なんにんものユウレイ作家がいて、ジュール・ヴェルヌという名のもとに仕事をしているのだろう、と。
一八九六年のこと、イタリアの作家が、ジュール・ヴェルヌに会見を申込《もうしこ》みました。うわさの真偽《しんぎ》をたしかめたい、というのです。この人はエドモンド・デ・アミチスといい、『クオレ』をかいたので有名な人です。アミチスがじっさいにジュールに会ってみると、彼はある事件のため、ピストルで足をやられ、車椅子でうちの中をうごきまわらねばならず、それで人にあまり会いたがらないのですが、しかし、じっさいに執筆《しっぴつ》するのは自分でやっているのだ、ということがわかりました。アミチスのこの会見記によって、ジュール・ヴェルヌに関するこの不愉快《ふゆかい》なうわさは解消した、ということです。
ジュール・ヴェルヌの小説にはいくつかのきわだった特長があります。それを個条書《かじょうが》きにして説明してみましょう。
一 科学との結合
ヴェルヌの小説は、月世界の話や、地底や海底の話など、空想ものがたりなのですが、しかし、その空想がいつも、その当時の最新の科学的研究にうらうちされている、ということです。科学は毎日のように進歩しますので、こういう種類の小説は古くなります。しかし、もし読者が、いまから百年まえの世界に身をおいて彼の作品をよむことができれば、その叙述《じょじゅつ》はきわめて正確で、読者を納得《なっとく》させるものであることがわかります。つまり、ヴェルヌの小説は、まったくありえない空想なのではなく、科学の進歩によって、今後可能になることをとりあげた「健康な」空想科学小説なのです。
二 正確な記述
以上のことと関連して、機械や情景の叙述が非常に正確だ、ということがあげられます。たとえば、飛行船では、どこにプロペラがあり、どこに人ののる部分があるか、じつにはっきりしています。この点で、ヴェルヌは、同じく空想科学小説の大家である、H・G・ウェルズと対照的であるといわれています。ウェルズの方は、アイディアは理解できるけれども、現実に機械がどうなっているのか、よくわかりません。ヴェルヌの方はそういう点がはっきりしているのです。ですから、ヴェルヌが死んでから五十年たって、ヴェルヌの書いた科学道具をしらべてみたら、そのほとんどが、現実に発明されていた、というようなこともいわれるのです。
三 男の世界
そのつぎに指摘《してき》できるのは、ヴェルヌの小説の世界は「男の世界」である、ということです。この『十五少年』にしてからがそうです。そこには少女はでてこないのです。ヴェルヌが大人のためにかいた物語では女性もでてきますが、それはあまり上手でない、といわれています。男が理想を追って、最新の科学を駆使《くし》してかけまわるのが、ヴェルヌの世界なのです。
しかし、残酷《ざんこく》物語はかかず、たとえかいても一行ぐらいですませ、セックスはまったく省略する、ということ、しかもそれで読者をおわりまでひっぱっていく筆力をもっていること、これはおどろくほかはありません。
四 理想主義
ヴェルヌの小説には、あまり悪人がでてきません。科学者でエクセントリックな人はありますが、それもけっきょく、科学にこりすぎて人類全体を忘れたのです。つまり、ある目的にむかって、ひたむきにすすむ、男性的な人物が主人公であって、いんけんな人や、弱気な人はないのです。一八七一年に、普仏《ふふつ》戦争の結果、フランスは敗れました。その後ヴェルヌのかく人物はかわってきた、といいます。ドイツの科学者をかくことがすくなくなり、かいても、後年のナチ的独裁制を予想するような人物になったといわれます。しかし、全体として、ヴェルヌの小説は、人間の積極面、健康面をえがいた楽天小説なのです。
これはヴェルヌの宗教と無関係ではない、といわれています。ヴェルヌは一生涯忠実なカトリック信者でした。その信仰《しんこう》は、科学的探求心とよく調和していたのです。彼の著書はカトリック教会の推せん図書でした。
彼は一九〇五年に死にました。七十七歳でありました。
二、『十五少年漂流記』について
『十五少年漂流記』は一八八八年にかかれました。これはヴェルヌのかいたほとんど唯一《ゆいいつ》の少年小説です。あとのものは大人のための小説として出版されたのですが、前述したように、彼の作品は科学をもりこんであること、またそのモラルが健康で建設的なので、少年よみものとして、子どもにむかえられたのです。
しかし『十五少年漂流記』は、とくに少年をめあてにしてかかれたものであるだけに、ヴェルヌのモラルが一段とはっきりでているとおもわれます。
それは、子どもたちが、無人島で「共和国」をつくる、という構想にあらわれています。子どもたちでも、みんなが団結すれば、りっぱな政治ができるのだという考えは、十九世紀のなかばごろからあらわれていて、とくにヴェルヌの創案というわけではありませんが、ヴェルヌはこれを小説のかたちにして、共和主義、議会制民主主義の理想を少年にといてきかせたかったのでしょう。
一八八八年に出版されると、それはすぐ翌年英訳されました。英訳は『太平洋漂流』A drift in the Pacific となっていたようです。のちにのべるように、わたしがワシントンの議会図書館で見た本は『二カ年の休暇《きゅうか》』Two-Years Vacation となっていたので、あるいは、その後アメリカ版を出すときに原題 Deux Ans de Vacances と同じものにかえたのかもしれません。
この本は明治二十九年(一八九六)に森田|思軒《しけん》によって日本訳されました。森田思軒は明治初期の翻訳家《ほんやくか》として名高い人でありました。ただ、この人の訳は、おしいことに、フランス文学を英訳から日本語にうつしうえた、つまり「重訳」でありました。『十五少年漂流記』も、もちろん英訳からのものです。
『十五少年漂流記』という表題は、『二カ年の休暇』よりも『太平洋漂流』という題の方をより多くおもい出させます。で、森田思軒のつかった底本が『太平洋漂流』という題の英訳ではなかったか、という疑いをもたせますが、思軒の蔵書が失われてしまった今日、この疑問を解決する道はありません。
思軒が英訳を底本につかったことは、ヴェルヌの翻訳の場合、マイナスよりもプラスに作用したのではないか、とおもわれます。というのは、ヴェルヌは前章でのべたようにかずかずの美点をもっていますが、唯一の欠点は「文体」である、といわれているからです。彼の文章は正確ではありますが、ダラダラしていて、くりかえしが多く、退屈《たいくつ》をさそうものなのです。つまり、中味のよさでよませる文章でありました。思軒は英訳からこれを日本語にうつしうえたためにかなり自由に文章をなおし、たるんだ文章に漢語的な緊張《きんちょう》をあたえることができました。
『十五少年漂流記』は日本では非常な成功をおさめました。ほとんどすべての少年が、この思軒訳をよんでそだった、といいます。イギリスやアメリカでは、評判はそれほどではなかったようです。それは新版がほとんど出なかったことをもってもわかります。たぶん、これは、この「少年集団」のなかでいちばん活躍《かつやく》するのが、ブリアンという、フランス少年になっている、ということと関係があるのではないか、とおもわれます。
しかし、英米では人気がなくとも、日本人にとっては、イギリス人もフランス人もありません。少年たちが無人島に共和国を建設する、という話の筋だけで、日本の少年の空想力を開発するのに十分なのです。
で、思軒の成功に刺激《しげき》されて、桜井|鴎村《おうそん》その他の人々が、新訳をくわだてました。ところが、仏語原本の表題と英訳本の表題がちがっていること、および、森田思軒が、この本の出版にあたって、「この本は、ヴェルヌの『二カ年の休暇』によったものだ」とかいたことが一つの障害になったようです。つまり、思軒につづく人々が英訳をさがしましたが、それがみつからないのです。鴎村がなにをもとにして自己の『十五少年漂流記』を訳出したかは不明ですが、思軒以後、二、三の人がやった翻訳はすべて、思軒の「日本訳」をもとにしたものです。
そのうちのいちばんはっきりしているのは、宇野|浩二《こうじ》訳の『十五少年』です。氏は序文のなかで、この本の英訳原本をさがして、京都大学の図書館までもたずねたが、とうとうみつからなかった。そこで、わたしは思軒訳の日本語をもとにして、この新訳をこころみるとことわっています。
つまり、この『十五少年漂流記』は、日本が第二次大戦に突入《とつにゅう》するころ、すでに「原本」のみつからぬ訳本の一つになっていたのです。
戦後まもなく、児童文学者の小出《こいで》正吾《しょうご》氏が児童文学者協会の機関誌にこのことに関する研究を発表し、この比較《ひかく》文学上の難問を提起しました。
これはひとえに、イギリスで出版された英訳が『二カ年の休暇』という表題でなく、『太平洋漂流』という題にかえられていた、というところから来るものとおもわれます。
本訳者は、さいわい、一九五〇年に渡米《とべい》したおり、ワシントンの議会図書館でフランス訳と同名の英訳『二カ年の休暇』を発見することができ、それでこの比較文学上大へん面白い疑問を解決することができました。
その議会図書館での調査の模様を、訳者の渡米日記からぬきがきしてみます。
二月十六日、飛行機旅行のつかれと、船よいの絶食と、なれない英語になやまされた心身をかって、コングレス・ライブラリーに出かける。役所で一日はたらいた後だから、もちろん五時すぎである。ライブラリーは十時まで開いているのだから、時間の余裕《よゆう》は十分ある。
ライブラリーの内部のことは平常文化映画をみなれており、コングレス・ライブラリーについての映画も二、三度みている身のありがたさで、あんまりまごつかないで、カタログをしらべることにとりかかった。
ジュール・ヴェルヌの項《こう》は総数にして三百枚もあろうか。仏の原典はもとより、英、独、露、西、伊をはじめ、トルコ語、アラビア語の訳まであつめられている。ジュール・ヴェルヌについての評伝も二、三冊みうけられる。しかし『二カ年の休暇』はない。
全集はでていない。なにしろ事実談、フィクションとりまぜ五十冊以上も本をかいた大量生産の作家だから、全集はだせないだろう。選集はあるが、その中には『二カ年の休暇』はない。
初めから五分の三もみたろうか。約四十分ほどかかり、もうだめかとおもったところ、――あった。Two-Years Vacation として仏の原語とならべてかいてある。
早速《さっそく》かり出す。ついでに『キャプテン・フィフティーン』や『不思議の島』もみせてもらう。まさに『二カ年の休暇』である。一八八九年発行し,シーサイド・ライブラリーの一冊だが、その後再刊されていないところをみると、英仏諸国ではあまり評判がよくなかったとみえる。つまり原本では凡作《ぼんさく》といってよかったものが、思軒の名訳によって、日本では古典としてのこることになったのである。
こういうことは比較文学の上では時々あることで、日本でも森鴎外《おうがい》の『即興詩人《そっきょうしじん》』はそういう例の一つだが、しかし自分で実際にそういうものにぶちあたってみると、大へん興味がある。
その後二、三日して、仕事の合間をみつけてまた図書館にでかけ、今度は日本語部の主任ビール博士、竹下夫人の好意で、フランス語の原本をさがすことにする。思軒は日本訳を英訳からやったのであるから、そういう意味では仏原本は必要ないが、比較文学の研究としてはあった方がよいことは無論である。
仏原本はコングレス・ライブラリーにはない。しかし合同カタログをしらべてもらった結果ハーバード大学の図書館と、バッファロー大学の図書館にはあることがわかった。
英語版は竹下夫人のお世話でマイクロ・フィルムにして、コピーをとってもらうことにする。(下略)
さて、わたしの翻訳ですが、これは、議会図書館からおくってもらった、マイクロ・フィルムの英訳本と、フランスのアシェット社からでている仏語原本とを参照しつつ、日本文になおしました。ヴェルヌのものは、すでにのべたように「文体」が唯一の欠点だといわれているくらいのものです。ですからわたしは「筋」を生かすことを第一に考えました。その結果、わたしの訳は「思軒訳」とはかなりちがったものになっています。
翻訳にあたっては、児童文学の専門家である塚原亮一氏に労力のかなりの部分をわずらわせました。わたしと塚原氏との共訳といってもよいくらいです。
おわりにヴェルヌがこの本につけた「序文」を訳しておきます。
原著者 序文(抄《しょう》)
今日まで、数多くの「ロビンソン」ものが少年の読者たちの好奇心《こうきしん》を満足させてきた。
ダニエル・デフォーは、その不朽《ふきゅう》の名作『ロビンソン・クルーソー』で、孤独《こどく》な漂流者《ひょうりゅうしゃ》を描《えが》いた。ウイスは、『スイスのロビンソン』で、同様な状態におかれたある一家の姿を、興味深い物語につくりあげた。
私は、私で「不思議の島」で困難な環境《かんきょう》に投げこまれた数人の不幸な学者の姿を描いた。その他、『ロビンソンの十二年間』『氷山上のロビンソン』等々を著《あら》わした。
この無限ともいえるロビンソンもののリストは、八|歳《さい》から十三歳までの子どもたちの一団が孤島《ことう》に漂着し、国籍《こくせき》のちがうことから起こる偏見《へんけん》や愛情の中で、生存のための戦いに立ち向かう間の経験と冒険《ぼうけん》とが描かれれば、さらに完全となるように思われる。
一方、私は『十五歳の船長』で、あるそうめいな一少年が、年齢《ねんれい》以上の責任を負わされたことに原因する危険に直面した際に、立派に困難を切り抜けた姿を描こうと企《くわだ》てた。しかし、その書物の内容は、単に少年のみでなく万人《ばんにん》に対する教訓を含《ふく》んでいれば、完全であろう。
この二つが、いま、私が新しく『二カ年の休暇』の題名の作品を読者に贈《おく》る目的である。
[#地付き](昭和二十六年十一月)
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改版あとがき
この戦後新訳ともいうべき『十五少年漂流記』が、大へん世の中に迎えられ、旧《ふる》い版が磨滅《まめつ》するまでになった、ということは、訳者として、なにものにも替えられないよろこびです。
改版には二つの大きな変化をつけました。
一つは、漢字のふりがなをふやし、送りがなを現代式に変えたことです。この文庫を読まれる読者は、自分の見慣れた活字がでてくるので、たぶん旧い友人に会ったように読みやすいでしょう。
第二は、地図を多少変えたことです。もとの地図は、フランス版にある通りを複製したのですが、このフランス版地図だと、文章の方とどうも合わないのです。それで、思い切って、地図の方を変えてみました。
この小説は、フィクションで、ドキュメンタリーではありません。つまり、ロビンソン漂流記のように、元の実話はないのです。ですから、どんな地図でも、またどんな文章でも、つくってさしつかえはないのですが、翻訳となればそうもいきません。コーナン・ドイルの推理小説にも、そうしたあやまりがときどきあって、いるはずの人がいなかったり、突然にある人が現れたりするそうです。
この「十五少年」の場合、原作者のジュール・ヴェルヌは、太平洋をもっとあたたかい場所と考えていたようで、たぶん、太平洋を昔は「南海」といっていたところから、南の方へいっても、寒くなるとは想像しなかったのでしょう。また、北半球でも、ヨーロッパなど、暖流の通っているところでは、北緯五十度以北でも、かなりあたたかいので、南米も同じと考えてしまったのかもしれません。このチェアマン島もそうで、ヴェルヌは現地へいっていないのですから、そういうあやまりも生じたのでしょう。
そこでこの新しい版では、文章と地図とを、出来るだけちぐはぐにならないように工夫してみました。
百年以上もまえの小説を今日の読者の状態にあわせるには、やむを得ないと考えました。
[#地付き](平成二年三月)