皇帝の密使(下)
ジュール・ヴェルヌ/江口清訳
目 次
第二部
一 タタール軍の野営地
二 アルシード・ジョリヴェの態度
三 鞭には鞭
四 勝利の入城式
五 〈見るがいい、おまえの二つの眼で見るがいい〉
六 国道における一人の友人
七 エニセイ川の渡河
八 道を横ぎる野うさぎ
九 草原地帯にて
十 バイカル湖とアンガラ川
十一 両岸のあいだで
十二 イルクーツク
十三 皇帝の密使
十四 一〇月五日から六日にかけての夜中の出来事
十五 大団円
訳者あとがき
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第二部
一 タタール軍の野営地
コリヴァンから徒歩で一日行程の、ディアチンスクの町から数露里手前には広い野原がひろがっていて、そこには主として松や杉のような大きな樹がそびえたっていた。
草原のこの付近は、暑い季節になると、シベリアの牧人たちによって占められていた。そこには、多くの家畜に食べさすだけの草がじゅうぶんにあった。ところが、そのときはいつもいる牧人の姿は一人も見あたらなかった。といっても、この草原が無人の地になったわけではなかった。それどころか、大勢の人で異常なまでの活気を呈していた。
じじつ、そこにはブハラの獰猛《どうもう》な王であるフェオファル汗の野営地があって、タタール軍のテントが立ちならんでいた。ロシア軍の小部隊が全滅したその翌日、つまり八月七日に、コリヴァンでつかまった捕虜が、ここに連れてこられた。オムスクとトムスクに拠った、敵の二つの縦隊のあいだにはさまれた二千の兵のなかで生き残ったのは数百名にしかすぎなかった。これで事変は悪いほうに向かったわけで、ウラルの境界のかなたでは、政府の威令はもはや――少なくとも一時的には、行なわれないようにみえた。なぜならばロシアは、いずれはこれらの侵入軍を撃退することになるだろうからだ。だが侵入軍は、ついにシベリアの中枢部に達したのであって、今後は反乱を起こした地方から、東部の諸州へ、あるいは西部の諸州へと、その勢力をのばすであろう。
イルクーツクとヨーロッパとの連絡は、いまや絶たれてしまった。もしもアムール地方の軍隊と、イルクーツク地方の軍隊とが早くイルクーツクを守備するために到着しないと、このアジアにあるロシアの首都は兵力が手薄なためにタタール軍の掌中に帰してしまうであろう。そしてこの首都が奪還される前に、皇帝の弟君である大公は、イヴァン・オガリョフの復讐の餌食となってしまうだろう。
ところで、ミハイル・ストロゴフは、どうなったであろうか? ついに、あまりの試練の重さに打ちひしがれてしまったのであろうか? あのイシムの事件以後、だんだん彼に不利になってきた一連の不幸に打ち負かされてしまったであろうか? この勝負は自分の負けで、自分の使命は不成功に終わった、自分の務めは遂行できなくなったと考えたであろうか?
彼は、死んで倒れるその日まで立ち止まらぬ人びとの一人であった。ところで、彼はまだ生きていた。傷さえ受けていなかった。皇帝の密書はあいかわらず肌身はなさず持っていたし、彼の身分も知られていなかった。彼はタタール人が汚らしい家畜のように引きつれている捕虜のなかにいたのである。だが彼はトムスクに近づくことによって、またイルクーツクに近づきつつあるのだった。けっきょく彼は、いつもイヴァン・オガリョフの先をこしていたのであった。
「きっと、着いてみせるぞ!」と、彼は心のなかで、くり返して言っていた。
コリヴァンの事件以後、彼の生命力は〈もう一度自由になりたい!〉という考えにのみ集中していた。どうしたら、タタール軍から逃れられるだろうか? 機会さえ得られれば、彼のことだからなんとかするだろうが。
フェオファル汗の野営地は、まことに壮観だった。動物の皮や、フェルトや、あるいは綿布でつくられた多くのテントが、太陽の光をあびて、いろいろな色に光っていた。円錐形のテントの先端には、長い房飾りが、いろいろな色の小旗や、三角旗や、大きな旗のまんなかでゆらいでいた。これらのテントのなかでもっとも豪奢なものは、汗国の第一級の人物である首長たちのものであった。手ぎわよく組み合わされた赤白の棒の束の上に、馬の尻尾をかざった竿が突きでている特別なテントは、タタール人の首長たちの高い位を示すものだった。またこの広い野原には、見渡すかぎり数千の〈カラオワ〉と言われるテントが張られていた。それらは、ラクダの背ではこばれてきたものだった。
この野営地には、少なくとも一五万の歩兵と騎兵とが集まっていた。これらの兵のなかでは、トルキスタンの典型的な民族として、目鼻だちが整い、肌が白く、背が高くて、目と髪は黒く、タタール軍隊の主力となっているタジク族が目についた。それからホハンド汗国とクンドゥーズ汗国が、ブハラ汗国とほとんど同数の兵を出していた。それからこれらのタジク人に、トルキスタンに住んでいるいろいろな民族、またはトルキスタンに隣接している国々の民族がまじっていた。まずウズベック人、彼らは背が低くてひげが赤く、ミハイル・ストロゴフを追跡してきた連中によく似ていた。つぎはキルギス人で、彼らの顔はカルマク人と同じように平べったく、鎖かたびらを着ていて、ある者はアジア製の槍や弓矢を持ち、またある者はサーベルや火縄銃、それに致命傷を与える柄の短い小さな斧を使っていた。蒙古人、彼らの背丈は中くらいで、黒い髪をあんで背にたらし、顔は丸くて赤銅色で、目はくぼんで鋭く、ひげは少なく、黒い絹綿ビロードの飾りをつけた浅黄色の南京木綿の服を着、銀のバックルのついている革バンドをしめていた。そして派手な色の飾り紐のついた長靴をはき、毛皮の縁と、後ろにたれた三本のリボンのついた絹の帽子をかぶっていた。最後に、黒ずんだ褐色の皮膚をしたアフガニスタン人、美しいセム族の原型を保っているアラビア人、まるでまぶたがないような、細い糸のような目をしたトルコマン人などもいた。――これらの民族がみな、タタール軍の首領の旗のもとに、放火や掠奪の旗をかかげて集まったのである。
これらの兵士のほかに、相当な数にのぼる奴隷がいて、その主なる者はペルシア人で、やはりペルシア人の士官がこれを指揮していた。彼らはフェオファル汗の軍隊のなかでも、けっして弱い兵士ではなかった。
これらのほかに、さらに下僕として働くユダヤ人の名前をつけ加えておこう。彼らは綱で服を帯がわりにしめ、ターバンを巻くことを禁じられていたので、くすんだ色の小さな羅紗《ラシャ》の縁なし帽をかぶっていた。それから一種の乞食僧で、ぼろ衣の上に豹の毛皮をまとっている数百人の〈カレンデル〉がいた。以上がタタール軍という総称のもとに含まれる、雑多な種族の総合体のほぼ完全な全貌であろう。
これらのうち五万人が馬に乗っていた。そして馬も人間と同じように種々雑多だった。馬はそれぞれ平行に張られた二本の綱に、一〇頭ずつつながれていた。馬は尻尾を結ばれ、尻は黒い絹の小さな網でおおわれていた。トルコマン種の馬は足が長く、胴長で、毛の艶がよく、全体に上品な感じで人目をひいていた。次はウズベック種で、これも良質の馬だった。ホハンド種は、兵士を乗せた上にテント二張、台所用具一式を積んでいた。また、エンバ河畔でタタール人の投げ縄〈アルカーヌ〉でとらえられた、明るい色をしたキルギス種の馬も目についた。その他多くの雑種の馬がいたが、性能はいずれも劣っていた。
運搬用の動物も数千頭いた。その多くはふたこぶらくだで、小柄だが毛が長くて恰好がよく、ふさふさしたたてがみが首に垂れていた。おとなしい性質で、ひとこぶらくだより扱いやすかった。ひとこぶらくだの〈ナール〉種は、毛が火のような赤い色で、その毛は巻き毛になってまるまっていた。つぎに驢馬《ろば》であるが、こいつはどんなつらい仕事にも耐え、その肉は非常に珍重されていて、タタール人の食糧の一つになっていた。
これらの人と動物の上に、そしてひろびろと広がったテントの集団の上に、あちこちにこんもりした茂みをつくっている松と杉とが、ところどころに太陽の光線が穴をうがっている、さわやかな影を投げかけていた。これ以上に絵画的な風景はなく、これには強烈な色彩画家だったら、パレットの上の絵具を全部使いはたしてしまうだろう。
コリヴァンで捕えられた捕虜がフェオファル汗や高官たちのテントの前に着いたとき、陣営内で太鼓が打ち鳴らされ、ラッパが吹奏された。これらの音だけでもすでにやかましいのに、さらにいっせい射撃のかんばしった銃声や、砲兵隊の四インチ砲や六インチ砲の大きな砲声が加わった。
フェオファル汗の住居は、あきらかに軍隊式のものだった。彼の平常の住居ともいうべきものや、ハレムや、彼の同盟者たちの住居は、いまは完全にタタール軍の掌中のものとなったトムスクにあった。
この野営地を引きあげれば、トムスクがフェオファル汗の居住地になるであろう。ただしそれは、彼が東シベリアの首都を奪い、それと替えるまでの話だが。
フェオファル汗のテントは、まわりのテントを断然おさえていた。光沢のある絹布が大きくひだをとって垂れさがり、その裾は、金の房飾りのついた綱でつりあげられてあった。テントは大きな樺の木や高い松のカーテンで閉ざされた空地のまんなかに立っていて、その上には羊毛や絹などの大きな房が風に吹かれて、まるで扇のようにゆれていた。テントの前には、宝石をちりばめた漆《うるし》塗りのテーブルが置かれてあって、その上にコーランの聖典が開かれてあった。聖典の各ページには薄い金箔で、こまかい文字が刻まれてあった。上のほうには、王の紋章を描いたタタール軍の軍旗がはためいていた。
この空地の周囲には、半円を描いて、ブハラの高官のテントが張られてあった。そこには馬に乗って宮殿の中庭にまで王についてゆける侍従長、鷹匠の長、王印の奉持者、砲兵隊長、王の接吻を受け、王の面前にらくな姿で伺候できる顧問官、僧侶の代表者である回教法典学者団長、王の不在中、軍司令官たちの作戦計画の異なった意見を調整する任にあたる最高軍事顧問官、最後に、王が移動するにあたり、その星占いの大任を仰せつかっている占星師たちの長などがいた。
捕虜たちが野営地に引きたてられてきたとき、王は彼のテントにいた。彼は姿を現わさなかった。おそらくそれは、運がよかったといえよう。なぜなら彼の身ぶり一つ、彼の命令一つで、たちまち血なまぐさい殺戮が行なわれたからだ。しかるに彼は、これが東洋の王たるものの威厳をつくる点でもあるが、その隔離されたテントのなかに引きこもっていたのだ。人びとは姿を見せない者を尊敬し、とくに恐れてもいたのだった。
一方、捕虜はといえば、囲い地のなかに閉じこめられて虐待を受け、わずかの食料しか与えられず、気候の不順に悩まされ、フェオファル汗の勝手気ままな意のままになることだろう。
捕虜のなかでもっともおとなしいのは、でないとしても少なくとももっとも辛抱づよいのは、たしかにミハイル・ストロゴフだった。彼は、されるがままになっていたからだった。というのは彼自身が行こうと思っているところへ、しかもきわめて安全に、もし自由の身であったらコリヴァンからトムスクへのこの道はとても安全とはいえなかったであろうに、連れていってもらえるからだった。トムスクへ着く前に脱走することは、草原を歩きまわっている斥候につかまる危険をおかすことだった。このときタタール軍の縦隊によって占拠されていた最東方の線は、トムスクを横ぎっている東経九二度を越えてはいなかった。そこでこの線を越えたら彼は、もはや敵地の外に出られるわけで、フェオファル汗が侵入する先に、なんらの危険なしにエニセイ川を渡り、クラスノヤルスクに到達しうると考えることができた。
「トムスクに着きさえすれば」と、彼はなかなか抑えにくい焦燥感をおさえるために、くり返しくり返し考えた。「数分間で前哨線の外に出られる。そしてフェオファル汗やオガリョフに一二時間の差をつけさえすれば、彼らより先に、じゅうぶんイルクーツクに着くことができるだろう!」
じつを言うと、ミハイル・ストロゴフが何よりも恐れていることは、イヴァン・オガリョフがタタール軍の陣営内にいることだった。というよりも、もうじき現われるにちがいないことだった。相手に顔をおぼえられているという危険のほかに、彼は一種の本能によって、どうしてもこの裏切者の先をこさねばならないということを感じとっていたのだった。彼にはまた、イヴァン・オガリョフの軍隊がフェオファル汗の軍隊に合流したら侵入軍の兵力は完全に強化され、大集団となったこの軍隊は、大挙して東シベリアの首都に押し寄せることが、よくわかっていた。それゆえ彼の恐れはいつもこのことにあったので、たえず、イヴァン・オガリョフの到着を知らせるラッパの音が聞こえはしまいかと、耳をすましていた。
こうした考えに、さらに彼の母親とナージャのことが気にかかっていた。母親はオムスクで抑留され、ナージャはイルトイシ川で船に乗せられたのだが、おそらくマルファ・ストロゴフと同じように、捕虜になったにちがいなかった! 彼はいま、彼女たちのために、何もしてやることができなかった! ふたたび彼女らに会えるだろうか? どうにも解決策のないこの種の質問に、彼の心はおそろしく締めつけられた。
ミハイル・ストロゴフや他の捕虜たちと同時に、ハリー・ブラントとアルシード・ジョリヴェも、タタール軍の野営地に連れてこられた。彼らといっしょに電信局でつかまったかつての旅の道づれであるミハイル・ストロゴフは、多くの歩哨に見張られているこの囲い地に、彼らも同じように収容されていることを知っていたが、あえて彼らに近づこうとはしなかった。少なくともいまは、彼らがあのイシムの駅の事件以来彼のことをどう思っていようとも、彼にとってはまったく問題でなかった。それに、いざというときには一人で行動しなければならなかったので、一人でいたかったのだ。そこで彼は、離れていたのだった。
アルシード・ジョリヴェは、彼の仲間が彼のそばで倒れたときから、ずっとその世話をおこたらなかった。コリヴァンから野営地までのあいだ、つまり歩いて数時間のあいだを、ハリー・ブラントは商売がたきの腕にささえられて、捕虜の一隊のあとについてくることができたのだった。彼は最初、イギリス人という資格に敬意を払わさせようと思ったが、相手が槍かサーベルで答えることしか知らない野蛮人では、そんなものはなんの役にも立たなかった。そこで〈デイリー・テレグラフ〉の通信記者は、このような待遇の償いを得ることはいずれあとになって要求することにして、いまはみんなと同じ運命を甘受しなければならなかった。しかしこの行程は彼にとっては、けっして楽なものではなかった。なにしろ傷がたいへん痛むので、おそらくアルシード・ジョリヴェの助けがなかったら、彼は野営地にまでたどり着けなかったであろう。
あくまでも実践哲学を信奉しているアルシード・ジョリヴェは、彼に許されるあらゆる手段を用いて、同僚を肉体的にも精神的にも力づけた。いよいよ囲い地内に入れられたとき彼がまず最初にやったことは、ハリー・ブラントの傷を調べることだった。彼は手ぎわよく服を脱がせた。そしてただ肩先を霰弾がかすめて擦過傷《さっかしょう》を受けているにすぎないことを確かめた。彼は同僚に言った。
「なんでもないさ。ただのかすり傷だよ! 二、三度手当てしたら、傷あともなくなるさ!」
「だが、その手当ては?」と、ハリー・ブラントはたずねた。
「ぼくが、やってやるよ!」
「では、きみは、医者の心得がいくらかあるのかね?」
「フランス人はみんな、多少は医者のまねごとぐらいするさ!」
こうはっきり言い切ってアルシード・ジョリヴェは、彼のハンケチを裂くと、包帯と止血栓とをつくった。それから囲い地のなかに掘られてある井戸から水をくんで、傷口を洗った。さいわい、傷はたいしたことはなかった。彼は器用に、濡れた布をハリー・ブラントの肩にあてた。
「ぼくは真水で、きみの治療をするんだ」と、彼は言った。「この液体は、傷の手当てとしては、これまでに知られているもっとも効果のある鎮痛薬でもあるんだ。現在では、もっとも広く用いられているんだ。医者はこのことを発見するのに六千年もかかったんだよ! そうさ、六千年たっぷりかかったんだよ!」
「ありがとう、ジョリヴェ君」と、ハリー・ブラントは、同僚が樺の木蔭につくってくれた枯葉のベッドの上によこたわりながら言った。
「なあに! お礼なんかにはおよばないよ! きみだって、ぼくの立場になったら、こうしてくれるだろうからね!」
「さあ、それはわからんね……」と、ハリー・ブラントは、いささか正直すぎた返事をした。
「なに言ってるんだい! イギリス人は、心が広いからな!」
「もちろんそうさ。だが、フランス人は?」
「さあ、フランス人は人がいいんだな、ばかと言ってもいいくらいだ! だが、そう言われたって、フランス人なればこそなんだ! まあ、そんな話はよそうや。とにかく、ぼくの言うことを聞いて、いまは口をきかないほうがいいな。きみには休息が絶対に必要なんだよ」
だがハリー・ブラントは、だまっていろと言われたって、そうしていられるような男ではなかった。たとえ負傷者は用心して休息しなければならないとしても、この〈デイリー・テレグラフ〉の通信員は、わが身をいたわるような男ではなかった。
「ジョリヴェ君」と、彼はきいた。「ぼくらの最後の電報は、ロシアの国境を越えることができたろうかね?」
「越えられないなんてありうるかい?」と、アルシード・ジョリヴェは答えた。「いまこそはっきり断言するが、ぼくの幸福な〈従妹〉は、コリヴァンの事件をどう解すべきか、ちゃんと心得ているよ!」
「ところで、きみの〈従妹〉さんは、受け取った電報を何部ぐらい印刷するのかね?」とハリー・ブラントは、こんな思いきった質問ははじめてするのだが、彼の同僚にたずねた。
「なるほどね!」と、アルシード・ジョリヴェは笑いながら答えた。「ぼくの〈従妹〉はひどくはにかみ屋なんでね、人に噂されることはきらいなんだ。それに、きみにいま必要な眠りを邪魔していると知ったら、彼女はきっと恐縮するだろうよ」
「ぼくは眠たかないよ」と、イギリス人は答えた。「きみの〈従妹〉さんは、こんどのロシアの事件をどう考えているだろうね?」
「いまのところ情勢は険悪だと考えてるだろうね。だが、なあ! モスクワ政府は強力だから、蛮族の侵入をそう本気になって心配はしていないようだな。シベリアが奪われることなんかないだろうよ」
「だが、大きな野望が最大の帝国を滅亡させた例はあるからな!」とハリー・ブラントは言った。彼は中央アジアにおけるロシアの特権にたいして、いかにも〈イギリス人的な〉嫉妬心といったものをもたざるをえないからだった。
「なあ! 政治の話はやめよう!」と、アルシード・ジョリヴェはさえぎった。「医者も禁じているからね! ことに肩の傷には、これ以上悪いものはないそうだよ! きみは、眠らなければいけないよ!」
「では、これからどうしたらいいか、相談しようじゃないか」と、ハリー・ブラントは言った。「ジョリヴェ君、いつまでもこんなふうにタタール軍につかまっているのはごめんだね」
「もちろん、ぼくだって、そうさ!」
「機会があったら逃げるかね」
「そりゃ、そうさ、自由になれる手段がほかにネかったらね」
「そんな手段があるかね」と、ハリー・ブラントは友人の顔を見つめながらたずねた。
「あるとも! ぼくたちは交戦国の人間じゃない。中立国の者だ。だから要求するんだよ!」
「あの人でなしのフェオファル汗にかね」
「いや、あいつはわからん男だからだめだ。彼の片腕のイヴァン・オガリョフに話そう」と、アルシード・ジョリヴェは答えた。
「あいつは悪党だ!」
「そりゃ、そうさ。だが、あいつはロシア人だ。人権を無視できないことは知っているし、それにぼくたちを抑留しておいてもなんの利益にならないどころか、めんどうなことになることも知っているはずだ。ただ、あんな奴に何かをたのむのは、あんまり愉快なことじゃないな!」
「でも、あいつはここにはいないぜ、少なくとも、ぼくは見たことはないな」と、ハリー・ブラントは言った。
「いや、きっとここへやってくるよ。うけあって来るよ。あいつはフェオファル汗に会わなきゃならないんだ。シベリアはいま二つに分断されていて、フェオファル汗の軍隊はイルクーツクに進撃するために、あきらかに彼を待っているんだ」
「で、自由の身になったら、どうしよう?」
「自由になったら、われわれの仕事をつづけるさ。情勢が変わって、反対の陣営に行くことができるようになるまで、タタール軍について行くことにしよう。勝負を途中で投げちゃだめだぜ! ぼくたちは仕事を始めなけりゃならないんだ。きみは〈デイリー・テレグラフ〉のために負傷した。だがぼくは〈従妹〉のために、まだなんにも犠牲にしちゃいないんだ。やろうぜ、おおいにやろう!」と、アルシード・ジョリヴェはつぶやいた。「よし、眠ってしまったな! 数時間眠って、冷たい水で湿布すれば、イギリス人をちゃんと立ち上がらせることができるさ。なにしろイギリス人なんてものは、ブリキでつくられたような人間だからな!」
そしてハリー・ブラントが休んでいるあいだ、アルシード・ジョリヴェは彼のそばで見張っていた。ジョリヴェはノートを取り出してメモをとったが、この材料を同僚にもわけてやって、〈デイリー・テレグラフ〉の読者もおおいに喜ばせてやろうと決意していたのだった。事件が二人を結びつけたのだった。彼らはもう、互いにねたみ合ってなどはいなかったのである。
このようにしてミハイル・ストロゴフがなによりも恐れていたことが、二人の新聞記者にとってはもっとも大きな希望だったのである。イヴァン・オガリョフの到着は、あきらかに彼らに役立つにちがいなかった。イギリスとフランスの通信員だという身分がひとたび認められれば、自由の身になれることはまず間違いないだろう。新聞記者なら簡単にスパイだときめてかかるフェオファル汗を、オガリョフが説得してくれるにちがいなかった。そこでアルシード・ジョリヴェとハリー・ブラントの利害関係は、ミハイル・ストロゴフのそれとは反対だった。それゆえ、ほかにも多くの理由があったが、このためにかつての道づれに近づくことを避けていた。彼は二人に見つからないように用心した。
四日間が過ぎた。そのあいだに、事態は一向に変化しなかった。捕虜たちは、タタール軍の陣営が取り払われることについては、何も聞いていなかった。彼らは、厳重に見張られていた。昼夜をわかたず見張っている騎兵や歩兵の警戒線を突破することは、不可能なことだった。彼らに与えられる食糧たるや、じつにわずかなものだった。二四時間に二度、炭火で焼いた山羊の腸のひときれとか、あるいは〈クルート〉と呼ばれるチーズがいくつか投げ与えられるだけだった。これはすっぱい羊の乳でつくられたもので、一般に〈クミス〉と言われているキルギスの料理で、馬の乳にひたされたものである。食べ物は、それだけだった。それに加えて、悪天候があった。雨をともなう突風という大きな気候の変化に見舞われた。不幸な捕虜たちは、身を隠す場所もなく、からだに悪い気候不順に耐えねばならず、そのような不幸にたいしては、なんらの手心も加えられなかった。数人の負傷者や、女子供が死んでいった。番兵たちは葬ってくれないので、捕虜たち自らがこれらを埋葬してやらなければならなかった。
このような辛い試練にあたって、アルシード・ジョリヴェとミハイル・ストロゴフとは、それぞれ数人分の働きをした。彼らはできるだけのことをして、みんなのために尽くした。彼らは健康で頑健なので、他の連中よりも苦しみを感じなくてすみ、よく耐えることができたので、助言を与えたり世話をやくことによって、苦しんだり絶望したりしている人びとの役に立った。
こうした状態はいつまでつづくのだろうか? フェオファル汗は最初の成功に満足して、イルクーツクに進撃するのを、しばらく待つだろうか? 人びとは、そうなるのではないかと思っていたのだが、そうではなかったのだ。アルシード・ジョリヴェとハリー・ブラントがあんなにも望み、ミハイル・ストロゴフがあんなにも恐れていたことが、八月一二日の朝に起こったのである。
その日はラッパが鳴りひびき、太鼓がとどろきわたり、火縄銃が発射された。大きな砂煙が、コリヴァンへ通じる道でまき起こった。
イヴァン・オガリョフが数千の兵を率いて、タタール軍の野営地に入ってきたのである。
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二 アルシード・ジョリヴェの態度
それは、イヴァン・オガリョフがタタール王のもとへ連れてきた一兵団であった。これらの騎兵と歩兵とは、オムスクを占領した縦隊の一部だった。イヴァン・オガリョフは――読者はすこしも忘れなかったろうが――総督と守備隊とが逃れて死守していたオムスクの山の手を攻略することができなかったので、これはそのままにしておいて、東部シベリアを征服する行動をおくらせてはならないと思い、このように決定したのだった。そこでオムスクには、じゅうぶんな駐屯兵を残しておいたのだった。そして途中でコリヴァンで勝利を得た軍隊をあわせて兵力を強化しながら、フェオファル汗の軍隊に合流しにやってきたのである。
イヴァン・オガリョフの軍隊は、野営地の前哨線で停止した。彼らは、ここで露営する命令は受けていなかった。隊長の考えでは、もちろんここには止まらずに小休止ののち前進し、当然将来の軍事行動の中心地となるべき重要な町トムスクに到達することにあった。
イヴァン・オガリョフは彼の兵隊とともに、オムスクやコリヴァンで捕えたロシア人やシベリア人の捕虜の一部隊をひきつれていた。これらの不幸な連中は、すでにそこに収容されている捕虜でいっぱいなので、彼らは前哨線で立ち止まらなければならず、そこには身を寄せる小屋もなければ、食糧もほとんどなかった。フェオファル汗は、これらの不幸な連中をどう処理するつもりだろうか? トムスクで監禁するつもりだろうか? それともタタール族の首領たちになじみのいつものやり方で血なまぐさい処刑をし、人べらしをするつもりだろうか? それは気まぐれなタタール王の胸一つにあった。
オムスクとコリヴァンからきたこの兵団のあとには、いつも行軍中の軍隊の後衛部隊を形づくっている乞食や、掠奪者や、商人や、ジプシーの群れがつき従っていた。彼らはすべて通過する土地にある物資によって生活していたので、彼らが去ったあとには、もはや奪うべきものは何も残っていなかった。そこで遠征軍が補給を確保するためには、彼らの先を越す必要があった。イシム川とオビ川とにはさまれた地方は徹底的に荒らされていて、いかなる物資も残っていなかった。タタール軍の通ったあとは砂漠にひとしかったので、さぞやそのあとを通ったロシア軍は苦労したにちがいない。
西部の諸州からやってきたジプシーたちのなかには、ペルミまでミハイル・ストロゴフといっしょだったジプシーの群れがいた。そのなかに、サンガールがいた。イヴァン・オガリョフに盲従しているこの野性的な女スパイは、主人のそばを離れなかった。彼らがロシアにおいても、またニジニー・ノヴゴロド管区においても悪だくみをはかったことは、読者も知ってのとおりだった。ウラル山脈を越えたのち、彼らはたった数日間だけ離ればなれになっていた。イヴァン・オガリョフは急いでイシムに入り、サンガールとその一行とは、この地方の南部からオムスクへ向かったのだ。
この女がイヴァン・オガリョフにどのような手助けをしたかは、容易に理解できるであろう。彼女は仲間のジプシーの手引きによってどんなところへも入りこみ、なんでも聞きこみ、すべてを通報した。イヴァン・オガリョフはこの女によって、侵入した地方の内部で起こっていることは、なんでも知っていた。それはまさに、彼のために開かれた一〇〇の眼、一〇〇の耳であった。それゆえ彼は、おおいに彼に利するところのあるこのスパイに、莫大な金を与えていた。
サンガールは、かつてある非常に重大な事件にまきこまれたとき、このロシアの士官に助けられたのだった。彼女はこの受けた恩をけっして忘れず、心身をなげうって彼に尽くしたのだった。イヴァン・オガリョフは反逆をくわだてたとき、この女を利用することを考えた。彼が命令すれば、どんなことでもサンガールはやってくれた。なんとも説明できない本能のようなものが、感謝の本能というよりも生まれつきの本能が、彼女をこの裏切者の奴隷にしたのであって、彼女はシベリアに追放された若いころから、この男に固く結ばれていたのだった。腹心でもあり共犯者でもあるこのサンガールには、祖国もなければ家族もなく、イヴァン・オガリョフによってシベリアに投入された侵入者たちに、放浪者である彼女の生活を役立てることを喜びとしているのであった。彼女には、彼女の民族特有の驚嘆に値するずるさがあるうえに、容赦も憐憫も知らない残忍な気性があった。まさにアパッチ族のテントでも、アンダミヤン族の小屋にでも住める野性的な女だった。
オムスクに到着して、そこで仲間のジプシーといっしょになった彼女は、イヴァン・オガリョフのもとから離れなかった。ミハイルとマルファ・ストロゴフとが偶然出会ったことは、彼女も知っていた。また皇帝の密使についてイヴァン・オガリョフが心配していることも知っており、その心配をともに分け合っていた。捕虜のマルファ・ストロゴフを、インディアン女のような巧妙さをもって拷問にかけ、秘密を吐き出させる役を、彼女は託されたのだった。だが、イヴァン・オガリョフがこのシベリア女に泥を吐かせようとする時期はまだ来なかったのだ。そこでサンガールは、待たねばならなかった。だが彼女は待ってはいたが、老婆からは目を離さずに、相手に気づかれないようにしてこっそり様子をさぐり、ちょっとした身ぶりも見逃さず、ほんのすこしの言葉を聞きもらさずに夜昼となく注意して、老婆の口から〈息子〉という言葉が洩れるのを聞こうとした。だがこれまでのところは、マルファ・ストロゴフの一向に動じない平静さのために、彼女は目的を達しえなかった。
さて、軍楽隊のラッパがたかだかと吹奏されると、タタール軍の砲兵隊長とタタール軍の侍従長とが、美しく着飾ったウズベック騎兵の儀仗兵を従えて、イヴァン・オガリョフを迎えるために、野営地の正面に立ちならんだ。
彼らはオガリョフの前に出ると、うやうやしく敬礼をし、フェオファル汗のテントに案内すると述べた。
イヴァン・オガリョフはいつものとおり泰然自若として、出迎えの高官たちの挨拶に、冷ややかな態度で答えた。彼はごくあっさりした服装をしていたが、一種の不遜な傍若無人ぶりを発揮して、まだロシア士官の軍服を着ていた。
彼が野営地の囲いのなかに入ろうとして馬の手綱をゆるめたとき、サンガールが護衛の騎馬隊のあいだを通り抜けて彼に近づき、じっと立ち止まった。
「異常はないかね?」と、イヴァン・オガリョフはたずねた。
「何もございません」
「辛抱強く待つんだぞ」
「あの婆さんに泥を吐かせるときはきましたでしょうか?」
「もうすぐだ、サンガール」
「いつのことでしょうか?」
「トムスクに着いたらばだ」
「で、トムスクへ入るのは?……」
「三日のうちにだ」
サンガールの黒い大きな眼が、異様に輝いた。彼女はゆったりした足どりで、引きさがった。
イヴァン・オガリョフは馬の脇腹をしめつけた。そしてタタール軍の幕僚たちを従えて、首長のテントのほうに行った。
フェオファル汗は、彼の片腕の到着を待っていた。王印奉持者や顧問官といった高官たちが、テント内に控えていた。
イヴァン・オガリョフは馬から降りて、テントのなかに入り、首長の前に進み出た。
フェオファル汗は四〇歳ぐらいで、背が高く、青白い顔をして、目は意地悪そうで、野蛮な顔つきをしていた。黒いひげは小さな輪状になって、胸の上に垂れていた。金銀の鎖かたびらに、宝石をちりばめた肩帯をかけ、ヤタガン刀〔トルコ人やアラブ人が主として用いるS字型にそりかえった刀〕のようにそり返った長剣の鞘《さや》にはまばゆいばかりの宝石が輝き、黄金の拍車のついた長靴をはき、ダイヤモンドの光っている羽飾りのあるかぶとをかぶるといったそのような武装をしたフェオファル汗は、まさにタタール人のサルダナパール〔伝説上のアッシリア王で放埒な君主として知られる〕ともいうべき奇妙な出《い》で立ちで、威厳があるというよりは異様な感じを与えていた。彼は絶対的な権力をもち、臣下の生命と財産を自由にし、その力たるや限りがなく、ブハラでは彼に〈エミール〉〔アラビア語ではアミール、首領の意だが、マホメットの子孫の尊称である〕の称号を与えていた。
イヴァン・オガリョフが姿を現わしたとき、高官たちは金でふちどられた座ぶとんの上に坐ったままだった。だがフェオファル汗は、厚いブハラ絨毯が敷きつめられてあるテントの奥にある豪奢な長椅子から立ち上がった。そして首長はイヴァン・オガリョフに近づいて接吻した。この接吻の意味するところはじつにはっきりしていて、オガリョフを一時的に、現在の首席顧問の上席に置くということだった。
それからフェオファル汗は、イヴァン・オガリョフに言った。
「予はなにもおまえにたずねることはない。イヴァン、おまえから話してくれ。ここにいる者はみな、おまえの話を聞きたがっているのだから」
「殿下《タフシル》〔ブハラのサルタンに与えられる「殿」「陛下」に相当する尊称〕」と、イヴァン・オガリョフは答えた。「じつは、このことをお耳に入れたいのですが」
そう言って彼は、タタール語でしゃべりだした。そして彼自身の言葉に、東洋人特有の大げさなしゃべり方をつけ加えた。
「殿下、いまはいたずらにおしゃべりをしているときではありません。殿下の軍隊の先頭に立って、わたくしがどういうことをしたかは、殿下がよくご存じのはずです。イシム川とイルトイシ川の線は、いまやわれわれの勢力下にあります。トルコマン族の騎馬隊たちは、いまやタタール族の所有に帰した川のなかで、彼らの馬を水浴びさせることができるのです。キルギス人も、フェオファル殿下の呼び声に応じて立ち上がりました。シベリアの主要な道路は、イシムからトムスクにいたるまで、殿下のものです。ですから殿下は軍隊を、太陽ののぼる東方へも、陽の没する西方へも軍を進めることができるのです」
「もしわたしが太陽とともに兵を進めたら?」と、心のなかを全然顔に出さずにじっと聞いていた首長が、たずねた。
「太陽とともに進軍すれば」と、イヴァン・オガリョフは答えた。「ヨーロッパへ向けて進軍することになり、トボリスクからウラル山脈にいたるシベリアの諸州を、一挙に征服することになりましょう」
「では、その太陽に向かっていったとしたら?」
「そうしたらイルクーツクとともに、中央アジアのもっとも豊かな地方を、タタール軍の支配下におくことができるでしょう」
「ところで、ペテルスブルグの皇帝《サルタン》の軍隊は?」とフェオファル汗は、ロシア皇帝をこのような奇妙な称号で呼んでいた。
「太陽ののぼるほうにあっても、沈むほうにあっても、そのような軍隊はすこしも恐れることはありません」と、イヴァン・オガリョフは答えた。「われわれの侵入は、迅速に行なわれているのです。ロシア軍が助けにくるまえに、トボリスクとイルクーツクは、殿下の勢力下に入るでしょう。皇帝《ツァーリ》の軍隊は、コリヴァンで徹底的に壊滅させられました。これからも到るところでこれらのヨーロッパの身のほど知らぬ兵士どもは、殿下の軍隊と闘って、同じ運命をたどることでしょう」
「ところで、今回のタタール軍の動機にたいするおまえの献身ぶりからみて、おまえの意見を聞かしてもらいたいが?」と、しばらく沈黙したあとで、タタールの汗はたずねた。
「わたしの意見を申しますと」と、イヴァン・オガリョフは勢いこんで答えた。「太陽に向かって進軍することです! 東方の草原地帯の草を、トルコマン族の馬にすっかり食わしてやることです! 東部の諸州の首都であるイルクーツクを占拠することです! そしてそれと同時に人質を捕えることで、この人質を捕えることは、まさに一国を占領するぐらいの値打ちがあるでしょう。皇帝がだめなら、その弟の大公を捕えたらいいでしょう」
これが、イヴァン・オガリョフの求めている最後の目的だった。彼の言うことを聞いていると、まるで一八世紀に南部ロシアを荒らしまわった有名な盗賊ステンカ・ラージンの残虐な子孫の一人ともとれそうだった。大公を捕えて情け容赦なく打ちすえてやることが、彼の憎悪心を完全に満足させることなのだった! それに、イルクーツクを占拠することは、ただちに東部シベリア全部をタタール軍の支配下におくことになるのだった。
「そうすることにしよう、イヴァン」と、フェオファル汗は答えた。
「では、殿下のご命令は?」
「本日そうそうに、わが司令部をトムスクに移すことにしよう」
イヴァン・オガリョフはうやうやしく頭をさげ、王印の奉持者を従えて、王命を実行せしめるために引きさがった。
彼が前哨にもどるために馬に乗ろうとしたとき、すこし離れた捕虜を収容した野営地のあたりで、なにか騒ぎがもちあがった。人びとの叫び声が聞こえ、二、三発の銃声がした。捕虜が反抗したのだろうか、それとも逃亡をくわだてて、すぐに取り押さえられたのだろうか?
イヴァン・オガリョフと王印の奉持者とは、数歩そのほうに歩きだした。すると、それとほとんど同時に二人の男が、兵士たちの手を振り払って、彼らの前に現われた。
王印の奉持者はべつに事情も聞かずに、殺せという身ぶりをしてみせた。二人の首がまさに地上にころがろうとしたときに、イヴァン・オガリョフがなにやら言ったので、すでに彼らの頭上に振り上げられた長剣は打ちおろされなかった。
ロシア人であるオガリョフは、これらの捕虜が外国人であることに気づいたので、連行するようにと命じたのだった。
それは、ハリー・ブラントと、アルシード・ジョリヴェだった。
二人は、イヴァン・オガリョフが野営地に着いたときから、彼に会わせてくれるように頼んでいたのだった。兵士たちは、それをこばんだ。そこで争い、二人は逃げ出そうとして、兵士が銃を撃ったのだった。運よく二人には当たらなかったが、もしもイヴァン・オガリョフの干渉がなかったら、二人は処刑されたにちがいなかった。
イヴァン・オガリョフはしばらくのあいだ、これらの捕虜をじろじろ眺めていたが、彼にとっては、ぜんぜん見おぼえのない人びとだった。だが二人は、ミハイル・ストロゴフがこの男になぐられた、あのイシムの宿駅の現場にいあわせたのだった。だが、この乱暴な男は、待合室にいた人たちには、すこしも注意を払わなかったのである。
それに対してハリー・ブラントとアルシード・ジョリヴェは、彼のことをよく覚えていた。アルシード・ジョリヴェは、つぎのように低い声でつぶやいた。
「おや! オガリョフ大佐と、イシムのあの乱暴者とは同一人物だったのか!」
それから彼は同僚の耳元でささやいた。
「ブラント君、ぼくたちのことを説明してくれたまえ。こんどは、きみがサービスする番だよ。このロシアの大佐は、タタール軍の野営地のなかで、ぼくのいちばんきらいな奴なんだ。こいつのおかげで、ぼくの頭はまだぼくの肩の上にのっかっているわけだが、こいつの顔をまともに見ようとしたら、ぼくの目は蔑視感からそらされてしまうだろうよ!」
こう言ってアルシード・ジョリヴェは、尊大ぶってみせるとともに、いかにも無頓着をよそおってみせた。
イヴァン・オガリョフは、こうした捕虜の態度が彼を侮辱したものであることがわかっただろうか? いずれにしても彼は、感情をすこしも顔に表わさなかった。
「あなた方は、どういう御仁かな?」と、彼はロシア語で冷ややかに、だがいつもの乱暴な調子をおさえながらたずねた。
「イギリスとフランスの新聞記者です」と、ハリー・ブラントは簡単に答えた。
「では、本人にちがいないということを証明するものを持っていますかな?」
「ここにロシアにおけるわたしたちの信用を保証するイギリスとフランスの大使館の手紙があります」
イヴァン・オガリョフは、ハリー・ブラントが差し出した手紙を受け取って、注意ぶかく読んでからこう言った。
「では、シベリアにおけるわが軍隊に従軍したいというんだね?」
「自由の身になりたいんです、ただそれだけです」と、イギリスの新聞記者はそっけなく答えた。
「きみらは自由だ」と、イヴァン・オガリョフは言った。「〈デイリー・テレグラフ〉に書かれるあなたの記事を読みたいものですな」
「新聞は」と、ハリー・ブラントは落ち着きはらって答えた。「一部六ペンスです。郵送料は別ですがね」
そう言ってハリー・ブラントは同僚のほうを振り向いた。その同僚は彼の応答ぶりに心から賛成だといった顔をしてみせた。
イヴァン・オガリョフは、眉一つ動かさなかった。そして馬にまたがると、護衛兵の先頭に立って、まもなく砂塵のなかに姿を消した。
「ジョリヴェ君、タタール軍の隊長のイヴァン・オガリョフ大佐をどう思うかね?」と、ハリー・ブラントはきいた。
「それよりも」と、アルシード・ジョリヴェは微笑しながら、はぐらかした。「あの王印の奉持者がぼくたちの首を斬れと命令したときは、ぞっとしたね!」
二人の新聞記者に対するイヴァン・オガリョフの態度がどうあろうとも、とにかく彼らは自由になって、ふたたび戦場を思いのままに駆けまわることができるようになったのだった。彼らは最後まで仕事をつづけるべく決意したのだった。これまで互いに感じていた一種の反感は、心からの友情に席をゆずってしまったのである。危険によって結ばれた二人は、もう別れようなどとは考えなかった。競争というようなくだらない問題は、もはや永久に消えてしまったのだ。ハリー・ブラントは相手の男の世話になったことを忘れることができなかった。けっきょくこういうふうに二人が結ばれたことは取材を容易にし、彼らの読者を喜ばすことになったのである。ハリー・ブラントが言った。
「さて、こうなれば、われわれの自由をどう使おうかね?」
「おおいに利用しようじゃないかね」と、アルシード・ジョリヴェは答えた。「おとなしくトムスクへ行って、どんなことが起こるか、見ようじゃないか」
「ロシア軍にふたたび会えるときまでとしても、そのときが、ごく近いことを希望するよ」
「きみの言うとおりだよ、ブラント君! すべてがタタール化することはごめんだね。勝利は、武器を文明開化のために用いる者の上に輝くにきまっているよ。中央アジアの人間は、この侵入によってすべてを失い、絶対に何一つ得られないにきまっている。だがロシア軍は、かならず侵入軍を追っぱらうことができるよ。ただ時間の問題だがね」
ところで、アルシード・ジョリヴェとハリー・ブラントに自由を与えたイヴァン・オガリョフの到着は、ミハイル・ストロゴフにとっては重大な危険となった。もしも偶然顔を合わすようなことになったら、イヴァン・オガリョフは、かならずいつかイシムの宿駅でなぐりつけたあの旅行者だと思い出すにちがいなかったのだ。あのときミハイル・ストロゴフは、いつもとちがって侮辱に抵抗しなかったが、それはかえってオガリョフの注意をひいたかもしれなかったのだ。――そうだとすると、ミハイル・ストロゴフの使命の遂行はむずかしくなるかもしれなかった。
以上は、イヴァン・オガリョフが来たことによって生じた困った一面だった。だが、つごうのいい面もあった。それは、その日のうちに野営地を取りはらって、司令部をトムスクに移す命令が出されたことである。
これでミハイル・ストロゴフの烈しい望みは達成することになるのだった。知ってのとおり彼の意図は、トムスクの付近にうようよいる斥候に捕えられる危険をおかすことなしに、この重要な町に入りこむことだった。しかしイヴァン・オガリョフが到着したのでは、彼に見つかりはしまいかということが心配なので、この最初の計画は断念して、途中で逃げ出したほうがよくはないかと思った。
彼はフェオファル汗とイヴァン・オガリョフとが数千の騎馬隊の先頭に立って出発したと聞いたとき、彼の計画はどうやら最後のほうに落ち着いたようだった。彼は心のなかで、このように考えていた。
「逃げるにおあつらえむきの機会がくるまで待つことにしよう。トムスクのこっち側ではチャンスは少ないが、トムスクの向こうへ行けばチャンスは多くなるだろう。そうなれば数時間のうちに、タタール軍の東の最前線を突破できるだろうから。あと三日の辛抱だ。どうぞ神さま、わたしをお助けくださいますように」
じじつそれは三日間の旅であって、捕虜たちは多くのタタール人に見守られて、草原を横ぎらなければならなかった。じじつ野営地からトムスクまでは、一五〇露里あった。不足しているものは何一つないタタール軍の兵士たちにとってはらくな旅だったが、食事が与えられず弱りきっている不幸な人びとにとっては、つらい旅だった。シベリアのこの道には、死骸で道しるべができたにちがいなかった!
八月一二日の午後二時には気温があがり、雲一つない炎天下のもとで、砲兵隊長は出発命令を下した。
アルシード・ジョリヴェとハリー・ブラントとは馬を買い求めて、すでにトムスクへと向かっていた。事件の必然的な動きにしたがい、この物語の主要人物はすべて、この町に集まろうとしていた。
イヴァン・オガリョフによってタタール軍の野営地に連れてこられた捕虜のなかに、一人の老婆がいた。この老婆はだまりこんでいるので、彼女と同じ運命をわかちあっている女たちのあいだでも、一人だけぽつねんとしているようだった。だが彼女の口からは歎きのつぶやき一つ洩れなかった。それはまるで、苦痛の立像ともいうべきだった。他の女以上に厳重に見張られ、そしてじっとしてほとんど動かないこの老婆は、ジプシー女のサンガールによって注意ぶかく監視されていたのだが、老婆はそれに気づいているようには見えなかった。あるいは知っていたのかもしれないが、それを気にしているようには見えなかった。彼女はその老齢なのにもかかわらず、徒歩で捕虜たちの列のあとについて行かねばならなかったが、そのみじめな有様にたいしては、すこしも手心は加えられなかった。
だが、神の助けといおうか、老婆のそばにあって、彼女をよく理解し、彼女を助けてくれる、一人の勇敢で情けぶかい女性がいた。この若い娘は、これらの不幸な人たちのあいだにあって、その美しさでひときわ目立ち、ものに動じないその態度ではけっして老婆にひけをとらず、彼女はいつも老婆を見守っているようだった。この二人の女囚のあいだでは言葉はとりかわされなかったが、老婆が助けを必要とするときには、この若い娘がいつもそばにいたのだった。最初のうちは老婆は、この未知の娘の心遣いを疑心なしで受け入れようとはしなかったが、そのうちにこの若い娘のすぐにそれとわかる正直なまなざしと、そのつつしみぶかさ、それから同じ不幸をなめている者同士の共通した感情とが、マルファ・ストロゴフの尊大な冷淡さをすこしずつほぐしていったのだった。この娘こそナージャであったが――彼女はこうして、それとは知らずに、彼女が老婆の息子から受けた恩恵を、その母親に返していたのだった。彼女の本能的な善良さが、彼女を二倍に勇気づけていたのだった。ナージャは老婆に献身的に尽くしながら、その若さと美貌によって、この老いたる女囚の保護にあたっていたのだ。苦しみのために気持がとげとげしくなっているこれらの不幸な捕虜の群れのなかにあっては、祖母と孫娘のように見えるこのだまりこんでいる二人づれは、みんなに一種の尊敬の念をおこさせていたのだった。
ナージャはイルトイシ川の船でタタール軍の偵察隊に捕えられてから、オムスクに連行されたのだった。そしてこの町に女囚として抑留された彼女は、イヴァン・オガリョフの縦隊によってそれまでに捕えられた人たち、つまりマルファ・ストロゴフもそうだが、それらの人びとと同じ運命をともにすることになったのである。
ナージャがもしも気力のない女だったら、彼女がこうむった二重の打撃のために、うちのめされてしまったことだろう。旅行が中断され、ミハイル・ストロゴフが死んだことは、彼女を絶望させたと同時に、彼女の反抗心をもかきたてたのだった。これまでの努力のおかげで幸いにも父親に近づきつつあったのに、おそらくもう永久に父親と引き離されてしまったのだ。さらに悲しいことには、神が彼女を目的地へ導くためにおつかわしになった勇敢な旅の道づれからも、引き離されてしまった彼女は、一度にすべてを失ってしまったのである。彼女の見ている前で槍に刺されてイルトイシ川のなかに姿を消したミハイル・ストロゴフの姿が、彼女の脳裡から去らなかった。あのような男が、あんなふうにして命をおとすなどありうるだろうか? きっと気高い意図をもって行動していたにちがいない正しい人間が、その途中であんなみじめな挫折をしなければならないとしたら、いったい神は誰のために奇跡を用意なされているのだろうか? ときどき彼女のなかに怒りがこみあげてきて、苦悩を忘れしめた。また彼女は旅の伴侶がイシムの駅で侮辱を甘受したあの異様な光景を思い浮かべた。この思い出に彼女の血は、煮えくりかえるようだった。
「自分の手では復讐できないあの人のために、誰が復讐してやれるだろうか?」と、彼女は考えた。
そして彼女は心のなかで、神にたいしてこう叫んだ。
「神さま、わたくしのしなければならないことをさせてくださいますように!」
せめてミハイル・ストロゴフが死ぬ前に秘密を打ち明けていてくれたなら、そうしたら彼女は、たとえ自分が女であれ、年のいかぬ身であろうとも、神がすぐに取り上げてしまわれて、ついに自分にはお与えくださらなかったあの兄さんの途中で挫折させられた仕事を、自分が代わってやってのけられたかもしれないのに!
こうした物思いにふけっている彼女は、彼女自身が囚われの身であるということを、まるで感じていないようだった。
こういうときに偶然にも彼女は、まったくこの老婆が誰であるかはすこしも知らずに、マルファ・ストロゴフに出会ったのだった。どうして彼女が、彼女と同じ女囚のこの老婆が、彼女にとっては商人ニコライ・コルパノフでしかなかった旅の伴侶の母親だと想像することができたであろうか? また一方マルファにしても、感謝の絆《きずな》がこの未知の娘を彼女の息子に結びつけているとは、どうして推測できたであろうか?
ナージャがマルファ・ストロゴフに接してまずびっくりしたことは、つらい試練にたいする耐え方がじつによく似ていることであった。その日常生活の物質面の苦痛にたいするこの老婆の克己的な無頓着、肉体的な苦痛にたいする蔑視感、マルファはそうしたものを、彼女自身の精神的な苦痛に等しい苦痛をなめている一人の女性のなかにしか汲みとれなかったのだろう。ナージャはそのように考えていたが、これは彼女の思い違いではなかった。マルファ・ストロゴフが表面に見せようとしない苦悩にたいする本能的な共感が、ナージャをして老婆に近づけさせたのだった。不幸をじっとがまんしている老女の態度は、彼女の毅然とした態度にぴったりとあった。彼女は老婆に奉仕することを申し出たのではなくて、だまってそれをしたのだった。だからマルファはべつにそれを拒絶したりあらためてそれを承諾したりする必要はなかった。歩きにくい道のところへ来ると、この若い娘がそばにいて老婆の腕をとった。食糧を分配するときには老婆は動かなかったが、ナージャが彼女の乏しい食べ物をわけてやったのだ。このようにして二人はどうやら、この辛い旅をつづけることができたのである。この若い女の道づれができたおかげで、マルファ・ストロゴフは、他の多くの不幸な女のように鞍の前輪にしばられて引きずられるようなこともなく、捕虜を護送する兵士たちのあとについていくことができた。
「娘さん、あたしのような老婆に尽くしてくださって、どうか神さまのおむくいがありますように!」と、あるとき、マルファ・ストロゴフが若い娘に言った。これが最初のころに、不幸な二人のあいだで交わされた、たった一度きりの言葉だった。
二人にとっては一〇〇年のように思えたこの数日間に、彼女たちはそれぞれの境遇を双方とも互いに語りたい気持にかられることがあった。少なくとも、そういうふうにみえたことがあった。でもマルファ・ストロゴフは用心して、自分のことはごく簡単に語っただけだった。老婆はその息子のことも、互いに顔を合わせたあの悲しいめぐり会いのことも、まったく語らなかった。
ナージャも長いあいだずっとだまりこんでいたわけではなかったが、少なくとも彼女は不必要な言葉は口にしなかった。だがある日のこと、彼女は自分の前にいる老婆が素朴で気品のある人であるとみて、彼女の心はいっぱいになり、ウラジミールを出発してからニコライ・コルパノフの死にあうまでの一部始終を、隠すことなく物語った。彼女が道づれになった若い男について語ったことは、老婆の興味をたいへんひいたので、彼女はこうたずねた。
「ニコライ・コロパノフですって! そのニコライについて、もうすこし話してくれませんか! そのような行動がとれる人間は、いまの若者たちのあいだでは、ただの一人しかいないと思われるけれども。ほんとうに、ニコライ・コルパノフっていう名だったんだね? たしかにそうだったんだね、娘さん?」
「でも、どうしてあの人が、そのようなことであたしをだましたりするんでしょうか?」と、ナージャは答えた。「だって、ほかのことでも、あたしをだましたことなどなかったんですもの!」
だがマルファ・ストロゴフは一種の予感にかられて、つぎからつぎへと質問した。
「あんたは、その男がとても勇敢だったと言われたね! 彼が勇敢だった証拠を話しておくれだったね!」
「そうですわ、とても勇敢でしたわ!」と、ナージャは答えた。
「その人は、まるでわたしの息子のようだ」と、マルファ・ストロゴフはつぶやいた。そして老婆はなおも言葉をつづけた。
「あなたはその人がなにものにも引きとめられなかったし、なにものにも驚かなかったと言ったね? それに、そんなに強くてもとてもやさしくて、まるで姉さんか兄さんのようだったし、まるで母親のように世話をやいてくれたとお言いだね?」
「そうですわ、そのとおりですわ!」と、ナージャは言った。「あの方は兄さんでもあれば姉さんでもあり、お母さんでもありましたわ!」
「そしてライオンのように力が強く、あなたを守ってくれたんだね?」
「ええ、ほんとうに、ライオンのようでしたわ!」と、ナージャは答えた。「そうですわ、ライオンのような英雄でしたわ」
「わたしの息子だ、わたしの息子だ!」と、老婆は心中ふかくそう思いこんだ。
「でもあなたはその男が、イシムの宿駅でひどい侮辱をじっとがまんしていたとお言いだね」
「ええ、じっとがまんしていましたわ!」と、ナージャは顔を伏せて言った。
「がまんしていたんだね?」と、マルファ・ストロゴフは、からだをふるわせながら言った。
「でも、おばあさん、あの人を非難しないでください。きっとなにか隠すことがあったのです。あのときは、神さまだけがご存じのなにか秘密があったのですわ!」
「そして」とマルファは頭をあげて、ナージャの心の奥底まで読みとろうとするかのように、娘の顔をじっと見つめた。「そのニコライ・コルパノフがはずかしめられたとき、あなたは彼を軽蔑なさったかね?」
「いいえ。わたしにはなんのことかわかりませんでしたけれども、りっぱだと思いましたわ!」と、娘は答えた。「あのときほど、あの方が尊敬に値する人だと思ったことはありませんでしたわ!」
老婆は、一瞬おしだまった。それから彼女はまたたずねた。
「その人は背が高かったかね?」
「とても大きい人でした」
「そして、とても美男子だったろう? ねえ、そうだったろう? 話してごらん」
「ええ、きれいな方でしたわ」と、ナージャは、まっ赤になって答えた。
「その男は、わたしの息子だったんだよ! たしかに、わたしの息子にちがいないよ」と、老婆は娘を抱きしめながら言った。
「まあ、あなたの息子さんですって!」びっくりして、ナージャは叫んだ。「あの人があなたの息子さん!」
「さあ! すっかり話してね!」と、マルファは言った。「あなたの同伴者で、お友だちで、保護者でもあったその人には、母親があったのだよ! あの子は母親のことを、一度も話さなかったかしら?」
「お母さまのことですって?」と、ナージャは言った。「あたくしがお父さまのことを話したように、あの方はよく、いいえ、しょっちゅうですわ、あたしにお母さまの話をなさいましたわ! あの方はお母さまのことを、ほんとうに愛していらっしゃいましたわ!」
「ナージャ、ナージャ! あなたがわたしに話してくれたことは、みんな息子のことですよ」と、老婆は言った。それから老婆は、押しかぶせるようにして言った。
「ではその人は、オムスクへ行く途中で、愛していると言ったその母親に会ったとは言いませんでしたかね?」
「いいえ」と、ナージャは答えた。「そんなはずはないと思いますわ」
「そんなはずはないって?」と、マルファは叫んだ。「そんなはずはないって、断言するんだね?」
「ええ、そう申しましたわ。でも、一つだけ申しておかねばならないことがございますの。それは、あたくしにはよくわからないことですが、なにものにも取ってかわる重大な理由があって、ニコライ・コルパノフさんは、絶対に秘密な旅行をなさっていらっしゃるのだと思いますわ。それはきっとあの方にとっては生死の問題であり、それにもまして、義務と名誉の問題なのだと思いますわ」
「なるほど、義務としてね、絶対に重要な義務としてね」と、このシベリアの老婆は言った。「その義務を仕とげるためにすべてを犠牲にする、すべてを捨ててかえりみない、年とった母親に接吻をしにゆく喜びも、おそらくは最後の接吻をしにゆく喜びまでも捨ててしまう! ナージャ、あなたの知らないこと、わたし自身も知らなかったことが、いまこそみんなわかってきましたわ! でも、あなたがわたしの心の奥底ふかく投げ入れてくれた光を、わたしはあなたの心のなかに投げ入れることができないんですよ。ねえ、ナージャ、わたしの息子の秘密、あの子があなたに言わなかったのだから、わたしとしても、秘密を守ってやらなければならないんですよ! 許してくださいね、ナージャ! あなたがわたしに良くしてくれてるっていうのに、わたしはそのお返しができないんですよ」
「お母さま、あたくしは、何も求めてはおりませんわ」と、ナージャは答えた。
こうしたわけで、老婆にはすべてがわかったのだった。オムスクの宿駅でめぐり会ったときのみんなの目の前でとったわけのわからぬ態度が、はっきりしたのだった。この若い娘の同伴者がミハイル・ストロゴフであったこと、そして彼が秘密の使命をおびて蛮族の侵入している土地を通り、なにか重大な至急の命令を伝えるためにやむをえず皇帝の密使であるという身分を隠さないわけにいかなかったことは、もはや疑うまでもないことだった。
「ああ! 勇敢なわが子よ、ええ、わたしは、おまえを裏切るようなことはしないとも!」と、マルファ・ストロゴフは思った。「どんな拷問を受けようとも、オムスクで会ったのがおまえだったなどとは、けっして言わないから!」
マルファ・ストロゴフはたったひとことで、ナージャが自分に尽くしてくれた献身的な行為に報いることができたであろうに。老婆は彼女の同伴者であるニコライ・コルパノフが、いやミハイル・ストロゴフが、じつはイルトイシ川で死にはしなかったことを彼女に知らせてやることができたにちがいなかったのだ。というのは、マルファが息子にめぐり会って話しかけたのは、イルトイシ川の事件のあと数日後のことだったからだ……。
ただ彼女はじっと自分を抑制して、だまっていた。そして、ただつぎのようなことを言うだけにとどめた。
「希望をもつんですよ、娘さん! 不幸はいつまでも、しつこくつきまとってはいませんからね! きっと、お父さんに会えますよ、わたしには、そんな気がしてなりません。それに、あなたを妹と呼んだあの子も、ひょっとすると死ななかったかもしれないよ! 神さまは、あなたの勇敢な友だちが死んでしまうなんて、お許しになるはずはありませんものね。……ねえ、希望をもつんですよ! いいですか、希望を捨てないこと! わたしを見習って! わたしが身につけている喪服は、息子のためのものじゃないんですからね!」
[#改ページ]
三 鞭には鞭
マルファ・ストロゴフとナージャの二人の関係は、いまのところ、このようなものであった。このシベリアの老婆には、すべてがわかっていた。そして若い娘は、あんなにも懐かしい友がまだ生きているとは知らなかったけれども、少なくとも彼女がいま母にたいするように世話している老婆にとって彼がどういうものであるかを知ったのだった。彼女はこの女囚の傍らにあって、老婆が失った息子の代わりをすることができるという喜びを与えたもうたことで、神に感謝していた。
だが、この二人はいずれも、コリヴァンで捕えられたミハイル・ストロゴフが同じ行列に入って、彼女たちといっしょにトムスクに連行されていたとは知らなかった。
イヴァン・オガリョフが連れてきた捕虜たちは、フェオファル汗がすでに野営地内に収容していた捕虜といっしょにされていた。ロシア人、あるいはシベリア人の軍人または民間人のこれらの不幸な人たちは、数千人の多きに達していた。そして彼らは、数露里にもおよぶ長蛇の列をつくっていた。彼らのなかでも危険人物と見なされていた連中は、手錠をはめられ、長い鎖につながれていた。また女や子供たちもいたが、彼らは鞍の前輪に縛りつけられたり、釣りさげられたりしていて、情け容赦もなく道の上をひきずられていた! 彼らはみな、人間の容貌をもった獣のように、追い立てられていた。彼らを護送する騎兵たちは、ある程度の秩序を彼らに保たせようとしていたので、おくれる者が倒れれば二度と起き上がることができなかった。
タタール軍の野営地を立ち去った最初の列、つまりコリヴァンの捕虜のなかにいたミハイル・ストロゴフは、最後の列にいるオムスクから来た捕虜といっしょになることはなかった。そこで彼は、この行列のなかに母とナージャがいるとは思ってもいなかった、ちょうど彼女たちが彼がいるとは思ってもみなかったように。
兵士たちに鞭打たれながらする野営地からトムスクへのこの旅は、多くの者にとっては死の旅であり、すべての者にとっては恐ろしい旅であった。捕虜たちはタタールの首長とその前衛部隊とが通ったあとの砂塵のもうもうとあがる道を通って、草原地帯を横ぎらねばならなかった。速く歩くようにという命令が出されていたのだった。ごく短い休止が、たまに与えられるだけだった。焼けつくような太陽の下を一五〇露里も歩くことは、どんなに急いで歩いたにしても、彼らにとっては果てしない旅のように思われた!
それは、オビ川の右岸を、南北の方向にサヤンスク山脈の支脈のふもとまでつづいている不毛の地だった。わずかに焼かれた貧弱な茂みが、あちこちで、ひろびろとした平原の単調さを破っていた。この地には水がないので耕作は行なわれていなかったが、苦しい行進によって喉がからからに渇ききっている捕虜たちにとっていちばん辛いのは、この水のないことだった。流れを見つけるには、東へ五〇露里ほど歩いて、オビ川とエニセイ川の流域のあいだで流れを分かっている支脈のふもとまで行かなければならなかった。そこにはトム川という、オビ川の小さな支流が流れていて、これは北方の大きな水の網目のなかに入る前に、トムスクの町を通っていた。そこまで行けば水は豊富で、草原もこんなに乾ききってはおらず、気候もこんなに暑くはなかった。だが、最短距離を通ってトムスクへ行くようにという厳重な命令が、護送隊の隊長に与えられていたのだった。なぜならタタールの首長は、北方の諸州から南下してくるロシア軍によって側面をつかれて兵力を切断されることを恐れていたからだった。ところでシベリアの大きな道は、少なくともコリヴァンとザベディエロという小さな部落のあいだでは、トム川に沿っていなかった。捕虜は、この大きな道を歩いていかなければならなかったのである。
不幸な捕虜たちの苦しみについては、いまさらここにながながと述べる必要はあるまい。数百人の捕虜が草原で倒れた。そして彼らの死骸は、冬になると現われる狼が、その最後の骨をかじるまで、ここに打ち捨てられるままになるのだ。
ナージャがいつも老婆のそばにいて、彼女を助けようとしているように、行動の自由がきくミハイル・ストロゴフは、彼よりも弱い不幸な仲間たちに、事情が許されるかぎりの奉仕をしていた。彼はあるいは勇気づけたり、あるいは抱きかかえてやったりして、骨身を惜しまず行ったり来たりして働いたので、ついに一人の騎兵が槍で、彼を自分の席にもどらせたほどだった。
なぜ彼は、逃げようとしないのであろうか? じつは大丈夫だとわかったときに草原のなかに逃げこもうというのが、彼の計画なのだった。彼は〈タタールの首長に便乗して〉トムスクまで行くという考えに固執したのだったが、けっきょく彼の考えは正しかったのだ。多くの分遣隊が捕虜の進んでいる両側を、たえず北へ南へと警戒して動いているのを見れば、たとえ逃げたとしても二露里も行かないうちにつかまるのは、あきらかだった。タタール軍の騎兵が急にふえてきて、ときには夕立のあとに毒虫が地面にうようよ現われてくるように、まるで大地からわき出てきたかのように思われることもあった。それにこうした状態では、逃げ出すということは不可能ではないにしても、たいへんむずかしかった。護衛の兵士たちは警戒を極度に厳重にした。なぜならば、もしも見張りが失敗すると、彼らの首が飛ぶからだった。
八月一五日の夕方に、やっと捕虜の行列は、トムスクから約三〇露里ほど離れたザベディエロの小部落に到着した。ここで道は、トム川の流れに出た。
捕虜たちの気持としては、すぐにもこの川の流れのなかに飛びこみたかったであろう。だが護送の兵士たちは、休息の許可が出るまでは、列を乱すことを許さなかった。トム川はいまのこの時期には、奔流のような勢いで流れていたが、大胆な者や、絶望のあまり逃げ出す者にとってはおあつらえむきの場所であったかもしれないので、この上なく厳重な警戒手段がとられた。ザベディエロで徴発された舟がトム川に、錨を降ろして数珠つなぎに碇泊し、通り抜けができないような障害物をつくっていた。部落のとっつきの家々を背景にして作られた細長い野営地は、突破することのできない歩哨線で守られた。
ミハイル・ストロゴフは、いよいよ草原に逃げ込む時期がきたと考えられもしたであろうが、状況を注意ぶかく観察した結果、まだ逃走計画を実行にうつすのはまず無理だと判断したので、危険をおかすことは止めにして待つことにした。
その夜、捕虜たちはトム川の岸辺で野宿することになった。じじつタタールの首長は、トムスクへ軍隊を進駐させるのを明日にきめていた。彼ははなばなしい軍隊の入城式をやったのち、この重要な都市にタタール軍の司令部を設けようというのだった。フェオファル汗は、この都市の砦はすでに占領したが、彼の軍隊の大部分は、厳粛な入城式をする瞬間を待ちながら、城壁の下で露営していたのだった。
イヴァン・オガリョフはタタールの首長をトムスクに残したままで、ザベディエロの野営地に帰っていた。明日あらためてここから彼はタタール軍の後衛部隊を率いて出発することになっていた。一軒の家が、彼が一夜を過ごすために用意されてあった。朝日がのぼると同時に彼の指揮のもとに歩兵隊と騎兵隊とがトムスクへ向けて行進を起こし、タタールの首長がアジアの王者にふさわしい盛儀をもって、彼を迎え入れることになっていた。
野宿の準備ができたので、捕虜たちは三日間の旅から解放され、喉がやけつくようになっていた彼らは、やっとのことで渇きをいやし、すこしばかり休息をとることができた。
太陽はすでに沈んでいたが、地平線はたそがれの光でまだ明るかった。そのときナージャがマルファ・ストロゴフをささえながら、トム川の岸辺にやってきた。二人はいままで、岸辺に殺到する人びとのあいだをくぐり抜けることができなかったが、やっとのことで水を飲みにこられたのである。
シベリアの老婆は、冷たい流れの上にからだをかがめた。するとナージャが手で水をすくって、老婆の口に持っていった。それからこんどは、彼女が飲んだ。このようにして老婆と若い娘とは、恵みの泉でやっと生命を取りもどしたのだった。
岸辺を去ろうとしたとき、とつぜんナージャが飛び上がった。思わず叫び声が、彼女の口から出たのだった。
ミハイル・ストロゴフがそこに、彼女から数歩のところにいるではないか!……たしかに、あの人だ!……夕暮の最後の明るみが、まだその姿を照らし出していた!
ナージャの叫び声を聞いて、ミハイル・ストロゴフは身をふるわせた……だが彼はぐっと自分を抑えて、わが身を危うくするような言葉は口から出さなかった。
だが彼は、ナージャとともに、母の姿もそこに認めたのだった!
ミハイル・ストロゴフは、こうした思いがけないめぐり会いに、もはや自分を抑えきれないと感じたので、眼に手をあてると、ただちにその場から立ち去った。
ナージャは本能的に、彼をとらえようとしておどり出た。だがシベリアの老婆は彼女の耳元に、つぎのようにささやいた。
「そのまま、じっとしておいで!」
「あの方ですわ!」感動で息を切らして、ナージャは答えた。「あの人は生きてらっしゃったのですわ、お母さま! あの方ですわ!」
「そう、わたしの息子だよ」と、マルファ・ストロゴフは答えた。「ミハイル・ストロゴフだよ。でも、わたしは、あの子に一歩も近づかなかった! わたしのようになさいよ、娘さん!」
ミハイル・ストロゴフは、いま、感じやすい人が受けるもっとも烈しい感動を味わっていたのだった。母とナージャが、そこにいたのだ! 彼の心のなかでほとんど一つになっていたこの二人の女囚を、神さまはその共通の不幸のなかで近づけたもうたのだ! ではナージャは、自分が何者であるかを知っていたのであろうか? いや、そんなことはない。なぜなら彼女が自分のほうへ駆けよろうとしたとき、母は彼女をひきとめたではないか! 母はなにもかもわかっていたので、彼の秘密を守ってくれたのだった。
一晩じゅう彼は、幾度となく母を捜しに行きかけたが、しかし彼は、母をこの胸に抱きしめたい、もう一度あの若い娘の手を握りしめたいという強い欲望を、どうしても抑えなければいけないと悟った! ほんのちょっとした不謹慎な行為が、この身を危うくするからだった。それに彼は、母には会うまいと誓っていたのだった……彼は、自らすすんでは母に会わないであろう! この夜はとうてい逃げ出せなかったが、トムスクへ着いたらすぐにも、全生命ともいうべき二人に接吻もしないで、彼女らを多くの危険にさらしたままで、草原のなかに飛びこまねばならないのだ!
そこでミハイル・ストロゴフは、ザベディエロの野営地におけるこんどの出会いは、べつに母親にも彼自身にもいまわしい結果をもたらすことはあるまいと期待することができた。だが彼は、このわずかな瞬間的な場面が、イヴァン・オガリョフのスパイであるサンガールに見られたということを知らなかった。
このジプシー女は、川の岸辺の数歩離れたところで、あいかわらず老婆の様子を、先方からは見られないようにして探っていたのだった。彼女が振り向いたときはミハイル・ストロゴフはもういなかったので、彼には気づかなかったが、ナージャを引きとめた老婆の動作は見逃さなかった。そしてそのときのマルファの目の光が、彼女にすべてを悟らせたのである。
いま、マルファ・ストロゴフの息子である皇帝の密使がこのザベディエロにおいてイヴァン・オガリョフの捕虜のなかにいることは疑うべくもなかった!
サンガールは、彼の顔は知らなかった。だが、彼がここにいることはわかったのだ! 彼女は彼を捜そうとはしなかった。この暗闇のなかで、しかもこんな大勢の人間のなかでは、それは不可能だったからだ。
さらにナージャとマルファ・ストロゴフの見張りをつづけるということも、同じように無駄なことだった。あの二人の女が警戒するだろうことは確かだし、それに皇帝の密使の身を危うくするような話を彼女らから聞き出すことは不可能であったろう。
そうなると、このジプシー女にとっては、もはや一つの考えしかなかった。イヴァン・オガリョフに知らせることだ! 彼女はすぐに、野営地を出ていった。
一五分で、彼女はザベディエロに至った。すぐにタタール王の片腕のいる家に案内された。
イヴァン・オガリョフは、すぐにジプシー女に会った。
「何かあったのかね、サンガール?」と、彼はたずねた。
「マルファ・ストロゴフの息子が、野営地内にいるんですよ」と、サンガールは答えた。
「捕虜としてかね?」
「そうなんです!」
「そうか!」と、イヴァン・オガリョフは叫んだ。「では、早速やろう……」
「あなたには、何もできませんよ、イヴァン」と、ジプシー女は言った。「だってあなたは、彼の顔を知らないじゃありませんか!」
「だが、おまえは知ってるんだろう! だって会ったんだから、サンガール!」
「会ったんじゃないですよ、でも彼の母親の素振りで、すべてがわかったんです」
「思い違いじゃないかね?」
「思い違いなんかしませんよ」
「おまえは、わたしがその密使を捕まえることをどんなに重要視しているか、知ってるだろうな」と、イヴァン・オガリョフは言った。「奴がモスクワから持ってきた手紙がイルクーツクに届くと、そしてそれが大公の手に渡ると、大公は警戒して、おれは大公のそばに近づけなくなるんだ! その手紙は、どんなことをしても手に入れなければならない! ところでおまえはいま、その手紙を持っている男が、おれの掌中にあると言ったな! もう一度言うが、サンガール、思い違いじゃないだろうな?」
イヴァン・オガリョフははなはだ興奮して言った。その興奮した様子から察して、彼がこの手紙を奪うことをどんなに重要視しているかがわかった。サンガールはいくらイヴァン・オガリョフにしつこく念を押されても、すこしも当惑した様子は見せなかった。
「思い違いじゃありませんよ、イヴァン」と、彼女は答えた。
「だが、サンガール、野営地内には数千人の捕虜がいるんだ。おまえは、ミハイル・ストロゴフの顔は知らないと言ったな!」
「知りません」とジプシー女は答えたが、その視線は残忍な喜びで輝いていた。「あたしは知りませんわ、でも母親は、彼のことを知ってるでしょう! イヴァン、母親にしゃべらせるべきですよ!」
「よし、あす、婆の口を割らしてやろう!」と、イヴァン・オガリョフは叫んだ。
それから彼は、ジプシー女に手を差し出した。彼女はそれに接吻した。これは北方民族の慣習であって、この尊敬の動作のなかには、けっして卑屈なものはなかった。
サンガールは野営地にもどった。彼女はナージャとマルファのいる場所を見つけて、その夜はずっと彼女たちを監視しつづけた。老婆と娘とは疲労でくたくたになっていたが、眠れなかった。心配のあまり、眠れなかったにちがいなかった。ミハイル・ストロゴフは生きていたのだ。だが、彼女たちと同じように囚われの身だった! イヴァン・オガリョフは、彼のことを知らないのだろうか、もし知らなかったとしても、そのうちに知ってしまうようになるのではなかろうか? ナージャの頭のなかは、死んだと思っていたあの友が生きているということでいっぱいだった! だがマルファ・ストロゴフは、もっと先のことを考えていた。彼女はわが身を軽んじていたが、息子のためにあらゆる場合を考えるということは、もっともなことだった。
サンガールは闇を利用して、二人の女のそばにまで忍び寄り、耳をすまして数時間そこにじっとしていた……だが彼女は、何も聞きとることはできなかった。本能的な感覚から用心ぶかくなった二人のあいだには、ただのひとことも言葉は交わされなかった。
翌八月一六日、朝の一〇時ごろ、高らかな軍楽隊の吹奏する音が野営地のはずれでひびきわたった。タタール軍の兵士たちは、ただちに武装した。
イヴァン・オガリョフはザベディエロを出て、タタール軍の多くの参謀将校の集まっているなかに到着した。彼の顔は、ふだんよりも暗かった。その緊張した顔つきは、爆発する怒りが陰にこもっているような気配を示していた。
ミハイル・ストロゴフは捕虜の群れのなかにあって、この男が通っていくのを見た。彼は何か事件が起こりそうな予感がしてならなかった。なぜならイヴァン・オガリョフはいまや、マルファ・ストロゴフが皇帝の伝令隊長ミハイル・ストロゴフの母であることを知っていたからである。
イヴァン・オガリョフは陣地の中央に来ると、馬から降りた。するとすぐに警護の騎兵たちが、彼のまわりに大きな輪をつくった。
このときサンガールが彼のそばに近づいて言った。
「何もあらたにお知らせするようなこともございません」
イヴァン・オガリョフはそれに答える代わりに、士官の一人に、ごく簡単な命令を与えた。
するとただちに捕虜たちの列は、兵士らによって乱暴にかきみだされた。これら不幸な人たちは鞭で追われたり、槍の柄で押されたりして、大急ぎで立ち上がらなければならなくなり、陣地のはずれに整列させられた。四列の歩兵と騎兵が背後に配置されているので、逃げ出すことはまったく不可能だった。
あたりは、すぐに静かになった。イヴァン・オガリョフの合図で、サンガールが、マルファ・ストロゴフのいる群れのほうに向かってきた。
シベリアの老婆は、ジプシー女が自分のほうにやってくるのを見た。これからどんなことが起こるか、彼女はよくわかっていたのだ。軽蔑するような微笑が、彼女の唇に浮かんだ。それから老婆はナージャの上にかがみこんで、低声《こごえ》でささやいた。
「あんたは、わたしのことは何も知らないことにするんだよ、いいかい? どんなことが起ころうとも、どんなにわたしがひどい目にあおうとも、ひとことも口をきいてはいけないし、身ぶりしてもいけないよ! わたしなんかより、あの子がだいじなんだからね!」
このときサンガールが、老婆をちらっと見て、その肩に手をおいた。
「何かご用ですか?」と、マルファ・ストロゴフは言った。
「おいで!」サンガールは答えた。
そして手で老婆を押しやって、イヴァン・オガリョフの前の、用意された場所のまんなかに連れていった。
ミハイル・ストロゴフは、眼光によって見破られないようにと、まぶたをなかば閉ざしていた。
マルファ・ストロゴフはイヴァン・オガリョフの前に出ると、からだをぐっと起こして腕を組み、待ちかまえた。
「おまえは、たしかにマルファ・ストロゴフだな?」と、イヴァン・オガリョフはたずねた。
「そうです」老婆は、落ち着きはらって答えた。
「三日前にオムスクで、わたしがおまえにたずねたときに答えた返事をひるがえすかね?」
「いいえ」
「では、おまえのせがれのミハイル・ストロゴフ、皇帝の密使がオムスクを通ったことを知らないというのかね?」
「知りません」
「ではいつか宿駅で、おまえが自分のせがれだと思った男は彼ではなかったんだね、おまえの息子ではなかったんだね?」
「せがれではありませんでした」
「その後、これらの捕虜のなかで、おまえはせがれを見なかったかね?」
「見ませんでした」
「もしおまえにその男を見せたら、それがせがれだと認めるかね?」
「いいえ」
いかなることも認めまいという固い決意を示したこの答を聞いて、捕虜のあいだからざわめきが起こった。
イヴァン・オガリョフは、威嚇するような身ぶりを抑えることができなかった。彼はどなった。
「いいか、おまえの息子は、ここにいるんだぞ。おまえはただちにその男を指差すんだ」
「いやです」
「オムスクとコリヴァンで捕えた捕虜を全部、おまえの前を通らせる。もしミハイル・ストロゴフを指し示さないと、おまえの前を通る人間の数だけ鞭を受けることになるぞ!」
イヴァン・オガリョフには、どのようにおどかそうとも、またどんなに拷問にかけようとも、この強情な女がほんとうのことを言わないことはわかっていたのだった。そこで皇帝の密使を見つけ出すためには老婆ではなくて、ミハイル・ストロゴフ彼自身をあてにしていたのだった。母と子が面と向かえば、かならずなにかの素振りでそれとわかると、彼は信じていたのだった。たしかに、もし彼が皇帝の密書だけをおさえることしか望んでいなかったならば、ただたんに捕虜の身体検査をするように命じさえすれば、それですんだであろう。だが、ミハイル・ストロゴフはそれを記憶にとどめて、手紙は破いてしまうことも考えられた。そこで彼が認められずにイルクーツクへ行ってしまうことになると、イヴァン・オガリョフの計画は挫折することになるだろう。つまりこの裏切者に必要なのは手紙だけではなくて、その所持者それ自身でもあったのだった。
ナージャは、いまこそすべてを聞いたのだった。ミハイル・ストロゴフがどういう人間であるか、なぜ見つからないようにしてシベリアの占領された諸州を突破しようと望んでいたかを知ったのである。
イヴァン・オガリョフの命令によって捕虜たちは一人ずつ、立像のように身動きもせず、ただ放心したように虚ろな視線で見やっているマルファ・ストロゴフの前を通って行った。
彼女の息子は、最後の列にいた。いよいよ彼の番がやってきて、彼がその母親の前を通ったとき、ナージャは見ているに耐えられずして目を閉じた!
ミハイル・ストロゴフは表面は平静であったが、握りしめた掌には爪が喰いこんで、血がにじんでいた。
イヴァン・オガリョフは、この母と子にみごとに打ち負かされたのだった!
彼のそば近くにいたサンガールがたったひとこと、
「鞭で打て!」と言った。
「やれ!」ついにがまんできなくなったイヴァン・オガリョフは叫んだ。「このくそ婆を鞭打て! くたばるまで打つんだ!」
恐ろしい責め道具を持った一人のタタール兵が、マルファ・ストロゴフに近づいた。
その鞭は数本の革の紐でできていて、鞭の先端に曲がった針金がついていた。この鞭で一二〇回打たれたときは死刑に値すると言われていた。マルファ・ストロゴフは、そのことを知っていた。だが彼女はまた、どのような拷問も自分の口を割らせることはできないだろうということも知っていた。彼女は自分の身を犠牲にしていたのだった。
マルファ・ストロゴフは二人の兵士につかまえられて地面に引きすえられた。衣服は破れ、背中がむきだしになっていた。一本の剣が彼女の胸の前二、三〇センチのところに突きつけられてあった。彼女が苦痛に耐えかねてからだをかがめると、その胸にするどい切先が突き刺さるのである。
タタール兵は立ったままだった。
彼は命令を待っていた。
「打て!」イヴァン・オガリョフが叫んだ。
鞭が宙でうなった……。
だが鞭が打ちおろされる前に、一つの強い腕がタタール兵の手から鞭をうばった。
ミハイル・ストロゴフがそこにいたのだ! 彼はこの恐ろしい光景の前におどり出たのだった! イシムの宿駅でイヴァン・オガリョフの鞭を受けたときはがまんできたが、目の前で母親が鞭打たれようとするのを見ては、もはや自分を抑えることができなかったのだ。
イヴァン・オガリョフは目的を達したのだ。
「ミハイル・ストロゴフだ!」と、彼は叫んだ。
それから彼は近寄ってみて、彼は驚いて言った。
「やあ、これは! イシムで会った男だ!」
「あのときのおれだ!」と、ミハイル・ストロゴフは言った。
そして、さっと鞭を振り上げると、イヴァン・オガリョフの顔を引き裂いた。
「鞭には鞭だ!」と、彼は言った。
「やったぞ!」と、見ている人たちからいっせいに声があがったが、さいわいにそれはざわめきのなかに消えてしまった。
二〇人ほどの兵士がミハイル・ストロゴフにおどりかかって、まさに彼を殺そうとした……。
だがイヴァン・オガリョフは、怒りと苦痛の叫びをあげながらも、身ぶりでそれを押しとどめて言った。
「この男は、タタール首長の裁きにまかせよう! からだを調べてみるように!」
ミハイル・ストロゴフは密書を破る閑がなかったので、皇帝の紋章のついた手紙が彼の胸中から見つかり、イヴァン・オガリョフに手渡された。
「やったぞ!」と叫んだ見物人は、アルシード・ジョリヴェだった。彼は仲間とともにザベディエロの野営地に引きとめられていたのが、この場の情景に接したのである。
「まったく!」と、彼はハリー・ブラントに言った。「北国の人間は荒っぽいね! いまこそぼくたちは、あの旅の友人に恩返しをしなくてはいけないな! コルパノフだってストロゴフだって、同じ人間だものね! だが、イシムのかたきうちは、みごとだった!」
「そう、まったくりっぱなものだった」と、ハリー・ブラントは答えた。「だが、ストロゴフは、もう死んだも同然だ。利害関係からみれば、あのときのことを思い出さなかったほうがよかったのじゃないかな!」
「そうして、母親を鞭の下で死なせるのかね!」
「あんなふうに逆上して、彼の母親や妹の運命によい結果をもたらしたと思うかね?」
「ぼくにはどうなるともわからんし、どうとも言えんがね。しかしかりにぼくがあの立場にあったとしたら、ああするよりほかに仕様がなかったろうね! ひどい傷を顔に受けたじゃないか? ねえ! きっと! ときどきはらわたが煮えくりかえるような思いがしたにちがいないよ! もし神さまがぼくたちにいつどこであっても冷静であるようにとお望みになったとしたら、神さまはぼくたちの血管に血ではなくて水をお入れになったはずだ!」
「新聞種だとしたら、こんなすばらしいものはないな!」と、ハリー・ブラントは言った。「もしイヴァン・オガリョフが、あの手紙の内容をぼくたちに知らせてくれたならばなあ……」
さて、その手紙だが、イヴァン・オガリョフは血まみれになった顔をぬぐってから、封を切った。彼はそれを読んだ。そしてその書かれていることの裏を見抜こうとするかのように、いつまでも読みかえしていた。
そして彼は、ミハイル・ストロゴフを厳重にしばりあげて、他の捕虜といっしょにトムスクへ護送するように命じてから、ザベディエロに野営している軍隊の指揮をとった。そして耳もろうさんばかりのラッパや太鼓の音とともに、タタールの首長が待っているトムスクの町めざして進んでいった。
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四 勝利の入城式
トムスクは一六〇四年にできた、シベリア諸州の中心といってもよく、アジア・ロシアのもっとも重要な町の一つであった。北緯六〇度線上にあるトボリスクと、東経一〇〇度の彼方にあるイルクーツクとは、トムスクがそれらの町々をしのいで大きくなったのを見たのである。
しかしながらトムスクは、すでに述べたように、この重要な州の首都なのではない。州の総督と公式機関が存在するのは、オムスクである。だがオムスクは、アルタイ山脈に接している地方、つまり蒙古地方との国境に接している地方の、もっとも重要な町なのである。これらの山脈の斜面では、トム川の渓谷に至るまで、プラチナ、金、銀、銅、それらを含有している鉛などが、たえず発掘されていた。この地方は富んでいるので、この町もまた豊かだった。なぜならばこの町は、莫大な利益のあがる企業の中心地だったからである。それゆえ、この町の家や、その家具や、馬車などの豪華さは、ヨーロッパの大都市にも匹敵できるものだった。つるはしによって財をなした金持のいる町で、皇帝の代表者に住居を提供する名誉は持たないにしても、著名人の第一線として、帝国政府の鉱山採掘権の主なる所有者である大商人を持っていることで、自ら甘んじていた。
かつてはトムスクは、世界の果てだと考えられていた。そこに行くのは、まさに大旅行だった。だがいまでは、道が侵入軍によって蹂躙されていないかぎりは、たんなる散歩にすぎないのである。やがてはウラル山脈を越えて、この町とペルミとを結ぶ鉄道も敷設されることだろう。
トムスクは、美しい町だろうか? この点については旅行者の意見がかならずしも一致していないことを認めなければならない。上海《シャンハイ》からモスクワへ行く旅行の途中この町に滞在したブルブロン夫人は、この町には絵画的なものはまったくないと言っている。夫人の記述によれば、この町はとるに足らぬ町で、石と煉瓦の古びた家屋が立ちならび、道路は狭くて、シベリアの他の大都市とはまったく大違い、ことにタタール人の集まっている汚らしい区域があるし、この町にはおとなしい酔っぱらいがたくさんいて、〈その酔い方そのものが、北方民族すべてに見られるように無感覚〉なのだった。
ところが、旅行家のアンリ・ルセル=キルは、トムスクに最上の賛辞を呈している。それは彼がこの町を、雪でおおわれた冬のまっただなかに見たからであって、ブルブロン夫人は夏のあいだに訪れたのではあるまいか? こういうことはよくあることであって、暑い地方は夏にしかその良さが見られないように、寒い国は冬にしかその良さがわからないという意見を証明するものである。
なにはともあれ、ルセル=キル氏は、トムスクはシベリアのもっとも美しい町であるのみならず、世界でもっとも美しい町の一つであると断言し、柱廊のある家々、木をはめこんだ歩道、広くて整然とした道路、そしてフランスのどんな川よりも大きなトム川の流れに影をうつしている一五のすばらしい教会の眺めを挙げている。
真実性は、この二つの意見のどちらにもあった。二万五千の人口をもつこのトムスクの町は、かなり激しい傾斜をもった長い丘の上に、美しく積み重ねられていた。
だが、世界でもっとも美しいこの町も、侵入者が占拠しているときは、もっとも醜い町になっていた。このときのこの町を、誰がほめることができたであろうか? コサック歩兵の数大隊で守られていたこの町は、頑強に抵抗したのだが、タタール軍の縦隊の攻撃には抗しえなかった。それに一部のタタール系の住民たちは、彼らと同じ種族のタタール軍を歓迎しないことはありえないので、トムスクは一時、まるでホハンドやブハラの汗国のまんなかへ移されたかのように、ロシア的にもシベリア的にも思えなかった。
そのトムスクでタタールの首長は、戦いに勝った彼の軍隊を迎えようとしていた。歌や踊り、騎馬芸の祝宴、それにつづく賑やかな大盤振舞が、彼らのために用意されてあった。
アジア趣味によって挙行されるこれらの祝典のために用意された舞台は、三〇メートルほどの下にトム川の流れを見おろす丘の中腹の広い場所に設けられた。長くつづいている優雅な家々、ふっくらしている円屋根の教会堂、うねりくねったいくつもの川の流れ、熱っぽい靄《もや》のなかにかすんで見える背景の森、そうしたものがはるか地平線上に、大きな松や杉の美しい茂みとともにすばらしい緑の額縁のなかに入っていた。
広場の左手には、一種のごてごて趣味の装飾の奇妙な建築の宮殿が――おそらくそれはなかばマウル式、なかばタタール式のブハラ建築の見本のようなものだが――広い台地の上に大急ぎで作られてあった。この宮殿の上の、いたるところにそびえ立っている尖塔の上や、広場に陰をつくっている樹々の高い梢のあいだに、タタール軍とともにブハラから持ってこられた、よく飼いならされたコウノトリが数百羽旋回していた。
この台地の上は、タタールの首長とその同盟者である汗たち、それらの汗国の高官たち、それらトルキスタンの諸国の汗たちの妻妾の場所にあてられてあった。
その大部分がトランスコーカシアやペルシアの市場で買われた奴隷にすぎないこれらの妻妾は、ある者は顔を見せていたが、ある者はヴェールで顔を隠していた。すべての女が豪奢な装いをしていた。優雅な毛裏つきのマントをはおり、その袖は後ろにたくしあげられて、ヨーロッパふうの腰当《プーフ》〔スカートの腰をひろげるために用いる〕のようなものにつなぎとめられ、腕をあらわに見せていた。その腕には宝石の鎖でできた腕輪がはめられ、そのかわいらしい手の指の爪は、〈ヘンナ〉の汁で赤く染められてあった。これらのマント、そのあるものは繊細な蜘蛛の糸にも比べられるような絹の布でつくられ、またあるものは細い縞の綿布である、しなやかな〈アラジャ〉でつくられていたが、それらがちょっとでも動くと、東洋人の耳にはじつに気持よくひびくきぬずれの音がするのである。このマントの下には、錦織のスカートが玉虫色に光っていて、それは絹のズボンをおおい、ズボンは華奢な靴のちょっと上のところで、紐で結ばれてあった。そして靴は優美にV字型に切りこまれ、真珠で刺繍がしてあった。ヴェールで顔が隠されていない女たちについては、さまざまな色のターバンの下から垂れている長く編んだ髪や、美しい眼や、すばらしい歯ならびや、黒い眉毛によっていっそう引き立てられているまばゆいばかりの顔の色艶を嘆賞することができよう。二つのその眉毛は、まぶたの上にほっそりした線がひかれ、擦筆《さっぴつ》を使って黒鉛がまぶたにうすく塗られているので、結ばれているように見えた。
王旗や軍旗でおおわれている台地の下には、腰に長い半月刀をおび、帯に短刀を差し、手に三メートルにおよぶ長槍を握っている王の親衛隊が見張っていた。これらのタタール兵のあるものは白い棒を持ち、またある者は金糸銀糸の房飾りをつけた大きなほこ槍を手にしていた。
周囲には、広場の裏手や、そのふもとをトム川が流れているけわしい崖の上にまで、中央アジアの種々さまざまの民族からなる土民の群れが、ひしめきあっていた。ウズベック人は黒羊の革の大きな縁なし帽をかぶっていて、そのひげは赤く、目は灰色で、〈アルカルク〉というタタールふうに裁断した長い上着をきていた。そこにはまた、けばけばしい色彩のゆったりしたズボンに、らくだの毛で織った上着と外套をきたトルコマン人もつめかけていて、円錐形や上が朝顔型にひろがった帽子という彼ら特有の恰好で、ロシアふうの長靴をはき、そりのある軍刀と短刀とを細い革紐で胴回りにぶらさげていた。彼らのそばにはトルコマンの女たちがいたが、彼女たちは山羊の毛でできている飾り紐で長く垂れた髪を結び、青、赤、緑の縞のある〈ジュバ〉の下に前のひらいた肌着をつけ、脚には色のついた細い帯紐を交叉させて下まで巻きつけて革の靴をはいていた。またそこには――あたかもロシアと中国の国境の全民族がタタールの首長の命令のもとに立ち上がったとでもいったように――満州人もいた。彼らは額とこめかみを剃り、髪の毛を編み、長い服をきて、絹のシャツの上に帯をしめ、黒いへりに赤い房飾りのついた、もも色の繻子《しゅす》の卵形の帽子をかぶっていた。彼らとともに満州人の女がいたが、じつにすばらしい美人ぞろいで、造花をあだっぽく髪にさし、それを金のピンや蝶の止め金で巧みに黒い髪につけていた。なおそのほかに蒙古人、ブハラ人、ペルシア人、トルキスタンの中国人などで、このタタール王の祝宴に招かれた群衆は成り立っていた。
ただシベリア人だけが、この侵入軍の歓迎会には姿を見せていなかった。避難しそこなった彼らは、フェオファル汗がこの勝利の祝典をりっぱに終わらせるために掠奪を命じるのではないかと恐れおののいて、家に閉じこもっていたのだった。
タタールの首長がラッパの吹奏、太鼓の音、大砲小銃のいっせい射撃とともにこの広場に姿を現わしたのは、もはや午後四時であった。
フェオファル汗は、頭にダイヤモンドの飾りをつけた愛馬にまたがっていた。首長は軍服を着用していた。彼の両側にはホハンドやクンドゥーズの汗や、それらの汗国の高官たちがつき添い、後ろには彼の多くの幕僚たちが従っていた。
そのとき台地に、フェオファル汗の第一夫人、もしブハラ諸国の支配者の夫人にそのような資格が与えられるとすれば、王妃が現われた。王妃なのか奴隷なのか、とにかくペルシア生まれのこの女は、すばらしい美人だった。彼女は回教徒の慣習に反して、おそらくはタタールの首長の気まぐれからか、顔をあらわに見せていた。四つ編みにした髪は、黄金の糸をまぜて織られた絹のヴェールでわずかにおおわれている、まばゆいばかりの白い肩をなでていた。そしてヴェールは後ろのほうで、とても高価な宝石をちりばめた帽子にとめられていた。濃いブルーの太い縞が入っている青い絹のスカートの下には、絹の紗の〈ジル・ジャメ〉が垂れさがっていて、帯の上のほうには、同じく絹の紗の肌着〈ピラーン〉が首元まで優美な線を描いてV字型に切れこみ、ゆったりとひだをつけていた。だが、頭からペルシアふうの上靴をはいた足元まで宝石で飾られていて、銀糸に通した金貨、トルコ玉の数珠、エルブールスの有名な鉱山から出た〈フィルーゼ〉、紅玉髄《こうぎょくずい》や瑪瑙《めのう》やエメラルドやオパールやサファイアの首飾りなどで、彼女の胴着もスカートも、まるで宝石で織られているようだった。彼女の首や腕や手や帯や足にきらめいている無数のダイヤモンドは、数百万ルーブルでも買えないものにちがいなく、それらが投げかける光の強さは、それらの一つ一つの光をいっせいに浴びたとき、それらの光の流れが太陽の光線でつくられた電弧に点火したのだと思えるほどだったろう。
タタールの首長と他の汗たち、それから随行した高官たちも馬から降りた。彼らは台地の中央に張られた豪華なテントの下に席を占めた。テントの前には慣例によりコーランが聖卓の上に置かれてあった。
フェオファル汗の片腕は、待つ間もなくやってきた。五時前に、高く鳴りひびいたラッパの音が、彼の到着を知らせた。
イヴァン・オガリョフ――みんなはすでに彼のことを〈切傷をつけられた男〉と呼んでいたが――こんどはタタールの士官の軍服姿で、タタールの首長のテントの前に馬で乗りつけた。彼はザベディエロの野営地にいた一部の兵士を従えてきたが、それらの兵士が広場の両側に整列したので、広場の中央には、もはや余興をするための場所しか残っていなかった。この裏切者の顔には、斜めに大きな傷痕がついているのが見えた。
イヴァン・オガリョフはタタールの首長に、彼の重立った士官たちを紹介した。フェオファル汗は、その威厳のある冷ややかな態度をくずさずに、それでも彼らが満足するように迎え入れた。
ハリー・ブラントとアルシード・ジョリヴェは、少なくともこのように解釈したのである。二人はもはや離れられない仲になってしまって、いまやニュースを追うのに力を合わせていた。彼らはザベディエロを去ってから大急ぎでトムスクにやってきたのだった。彼らのたしかにきまっている計画は、タタール軍から逃げ出して、できるだけ早くどこかのロシア軍といっしょになり、できることならそのロシア軍といっしょにイルクーツクに入りたかったのだ。彼らはタタール軍の侵入、放火、掠奪、虐殺を見て心底から嫌悪感を覚えたので、それゆえすこしでも早くシベリアのロシア軍のもとに行きたかったのである。
しかしアルシード・ジョリヴェは同僚に、このタタール軍の勝利の入城式の模様をすこしでも書き送ったあとでなければ――たとえそれが彼の〈従妹〉の好奇心を満足させることでしかなくとも――トムスクを去ることはできないと納得させたので、ハリー・ブラントも数時間ここにとどまることにきめた。だが夕方には二人ともイルクーツクへ出発することにきめていたのであって、いい馬を手に入れて、タタール軍の斥候の先を越したいものだと願っていた。
こうしてアルシード・ジョリヴェとハリー・ブラントとは群衆のなかにまじって、一〇〇行の記事にまとめなければならない祝典の模様をすこしも見逃すまいと、じっと見ていた。彼らはフェオファル汗の堂々とした容姿、その妻妾たちや、士官や護衛兵、それにヨーロッパの儀式からはおよそ想像もつかぬ東洋の盛儀に、ただただ目を見張っていた。だが、イヴァン・オガリョフがフェオファル汗の前に現われたときには、軽蔑のあまり、彼らは視線をそらしてしまった。そしていらいらしながら、祝典の始まるのを待っていた。
「なあ、ブラント君」と、アルシード・ジョリヴェは言った。「どうやらぼくたちは早く来すぎたようだな、入場料分だけは見ようとするけちな町人のようにね! こんなのはみんな、幕あけの演《だ》し物さ。バレエだけ観にくるというのが通《つう》というものだがね」
「バレエって、どんなバレエなんだね?」と、ハリー・ブラントはたずねた。
「そうだよ、無理やりにやらされるバレエなんだ! でも、もうすぐ幕があくぜ」
アルシード・ジョリヴェは、まるでオペラ座にでもいるような気になって話していた。そして鞄からオペラグラスを取り出して、〈フェオファル汗の軍隊の最初の主題〉をいかにも通人らしく観察しようとした。
だが、余興の前に、見るにしのびない儀式が行なわれることになった。
じじつ征服者の勝利というものは、被征服者を公の場所ではずかしめなければ、完全なものにはならなかった。そこで数百人の捕虜が引きずり出され、兵士たちの鞭を受けることになった。彼らはこの町の牢獄に仲間とともにぶちこまれる前に、フェオファル汗の前を一列に並んで通らなければならなかった。
これらの捕虜の最初の列に、ミハイル・ストロゴフの姿が見えた。イヴァン・オガリョフの命令によって、彼はとくに一小隊の兵士によって、厳重に見張られていた。彼の母親もナージャも、同じくそこにいた。
彼女自身だけのことならいつも気力をみせるマルファ・ストロゴフも、いまはひどく真っ青な顔をしていた。彼女は、なにか恐ろしい場面が始まるのを、恐れていたのだった。息子がタタール王の前に引き出されたことは、理由のないことではなかったのだ。それゆえ彼女は息子のために、恐れおののいていたのだった。彼女にたいして振り上げた鞭を、公衆の前で自分に加えられたイヴァン・オガリョフは、そのままで許すような男ではなかった。彼の復讐は情け容赦のないものであるにちがいなかった。中央アジアの蛮族どもが慣れ親しんでいる恐ろしい刑罰が、ミハイル・ストロゴフの上に加えられることは確かだった。兵士たちがストロゴフに飛びかかったときにイヴァン・オガリョフがそれをとめたのは、タタールの首長の裁断にまかせたほうがいいと、彼はよく知っていたからだった。
それに母も息子も、ザベディエロの野営地の忌わしい事件以後、互いに言葉を交わすことはできなかった。無慈悲にも二人は引き離されていた。これは二人の苦痛をさらに辛いものにしていた。なぜならば、こうして捕われている数日間だけでもいっしょにいることができれば、二人の苦悩もいくらかはなだめられるであろうが! マルファ・ストロゴフは息子に向かって、心ならずも不幸の種をまいたことを詫びたいと思っていたのだろうか。彼女は母親としての感情を抑えることができなかった自分を責めていたのだった! もしオムスクのあの宿駅で息子に出会ったときに自分を抑えることができたならば、ミハイル・ストロゴフは見とがめられずに通り過ぎることができ、このような不幸も避けられたであろうに!
一方ミハイル・ストロゴフは、こう考えていた、彼の母親がここにいたのは、そしてイヴァン・オガリョフが自分を母親に会わせたのは、母親を拷問でさいなむためであり、そしておそらくはまた、自分と母親とを恐ろしい死に追いやるためであったにちがいないと!
ナージャとしては、この二人を救うためにいかにすべきかと自問していた。彼女はただ、あれこれと想像するだけで、ただ彼女は漠然と、自分に注意をひきつけることだけはなんとしても避けなければいけない、身をひそめて、小さくなっていなければいけないと感じていた! そうしていれば、ひょっとすると、ライオンを閉じこめている網の目を齧《かじ》ることができるかもしれない。どっちにしても、もし行動を起こす機会が到来すれば、彼女はやってのけるだろう、彼女はマルファ・ストロゴフの息子のためなら、身を犠牲にしてもいとわないにちがいなかった。
そうしているあいだにも大部分の捕虜が、タタール王の前を通り過ぎていった。彼らは一人ひとり、通り過ぎるときに、奴隷になったというしるしに頭をさげて、額を砂塵に埋めなければならなかった。まず屈辱によって奴隷状態が始まるのである! これらの不幸な連中が、もし身をかがめるのがおそいと、番兵のあらあらしい手が容赦なく彼らを乱暴に地面に突き倒した。
アルシード・ジョリヴェとその友とは、心からの憤りを感じることなしに、このような光景を見てはいられなかった。
「なんて卑劣なんだ! 行こう!」と、アルシード・ジョリヴェが言った。
「いかん!」と、ハリー・ブラントは答えた。「すべてを見なけりゃいかんよ」
「すべてを見るんだって?……おや!」とつぜんアルシード・ジョリヴェは叫んで、その友の腕をつかんだ。
「どうしたんだい?」と、ハリー・ブラントがたずねた。
「見ろよ、ブラント! 彼女だ!」
「彼女だって?」
「ぼくたちといっしょに旅した男の妹さ! 一人で捕虜になっているんだ! 助けてやらなくちゃ……」
「まあ、がまんしたまえ」と、ハリー・ブラントは冷ややかに言った。「あの娘のためにわれわれが手だしをするということは、かえって悪い結果になるだろうからね」
アルシード・ジョリヴェはいまにも飛び出そうとしたが、やめることにした。ナージャは髪が前に垂れていたので二人の姿に気がつかずに、タタールの首長の前を、しかも首長の注意もひくことなくして通り過ぎた。
ところが、ナージャのあとに、マルファ・ストロゴフがやってきた。老婆はすぐに砂塵のなかに身を投げだそうとしなかったので、番兵が彼女を突き飛ばした。
彼女は倒れた。
息子がものすごい力で身もだえたので、見張っていた兵士たちがやっとのことで取りおさえた。
だが、老婆は立ち上がったので、兵士が彼女を連れて行こうとしたが、そのときイヴァン・オガリョフがそれを引きとめて、叫んだ。
「その女は、そこに残しておけ!」
ナージャは捕虜の群れのなかに入れられた。イヴァン・オガリョフの視線は、彼女の上にそそがれなかった。
このとき、ミハイル・ストロゴフが、タタール王の前に引き出された。彼は目も伏せずに、立ったままだった。
「額を地面につけろ!」イヴァン・オガリョフが怒鳴った。
「いやだ!」ミハイル・ストロゴフは答えた。
二人の番兵が彼を地面に倒させようとした。だが、青年のたくましい腕力によって、彼らは地面に叩きつけられたのだった。
イヴァン・オガリョフは、ミハイル・ストロゴフのほうへ歩み寄った。そして、
「おまえは、死ぬんだ!」と、言った。
「死んでやろう」毅然として、ミハイル・ストロゴフは答えた。「だが、イヴァン、裏切者のおまえの顔からは、恥ずべき鞭のあとは永久に消えないだろうな!」
この答を聞いて、イヴァン・オガリョフの顔は、おそろしく色青ざめた。
「この男は何者だ!」タタール王が静かだが、それだけに凄味をきかせた声でたずねた。
「ロシアのスパイです」と、イヴァン・オガリョフは答えた。
ミハイル・ストロゴフをスパイ扱いにしたことによってオガリョフは彼にたいして言いわたされる判決が恐ろしいものになるだろうことを、よく知っていたのだった。
ミハイル・ストロゴフは、イヴァン・オガリョフのほうへ歩みよった。
兵士たちが彼を取りおさえた。
このときタタール王が、ある身ぶりをしたので、なみいる者はみなひれ伏した。それから王は、手でコーランを指差した。コーランはただちに、もってこられた。王は聖典を開くと、あるページの上に指を置いた。
それは偶然、というよりも東洋人の考えでは、神自らがミハイル・ストロゴフの運命をきめたもうたということだった。中央アジアの住民たちは、このような儀式に〈ファル〉という名を与えている。裁判官の指が触れた聖典の節の意味を解釈したのち、それがどのようなものであろうとも、それを判決に適用するのだった。
タタール王は、コーランのページの上に置いた指をはなした。すると回教の法典学者の長がやってきて、つぎのような言葉で終わる一節を、大きな声で読みあげた。
「そして彼は、もはや地上のものを見ないであろう」
「ロシアのスパイ」と、フェオファル汗は言った。「おまえは、タタール軍の野営地内で行なわれることを見にきたんだ! だからよく見るがいい、おまえの二つの眼で見るがいい!」
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五 〈見るがいい、おまえの二つの眼で見るがいい〉
ミハイル・ストロゴフは両手をしばられて、台地の下の、タタールの首長の王座の前に引きすえられた。
彼の母は心身両面の拷問に堪えかねて、もはや見る力も、聞く力もなく、その場に倒れていた。
「見るがいい、おまえの二つの眼で見るがいい!」と、フェオファル汗は、ミハイル・ストロゴフを威嚇するように、手を差しのべて言った。
おそらくタタール人の習慣をよく知っているイヴァン・オガリョフは、この言葉の意味がよくわかったにちがいなかった。というのは彼の唇が瞬間ゆるんで、残忍なうす笑いが浮かんだからだった。それから彼は、フェオファル汗の脇に坐った。
まもなくして、ラッパの音が、高らかにひびきわたった。これが余興の始まる合図だった。
「さあ、バレエだ」と、アルシード・ジョリヴェが、ハリー・ブラントに言った。「だが、この蛮族どもは、一般の慣習とは反対に、ドラマの前にバレエを演《や》るんだな!」
ミハイル・ストロゴフは見ろという命令を受けていたのだった。で、彼は見た。
そのとき踊り手の群れがいきなり広場に現われた。タタールのさまざまな楽器、マンドリンのような楽器で四重奏用の絹糸をよった二本の弦に、桑の木で作った長い棹《さお》の〈ドゥタール〉、前のほうの部分があいていて、馬の尻尾の毛でつくった弦を弓で弾く、一種のセロのような〈コビズ〉、長い葦笛の〈チビズカ〉、ラッパ、タンバリン、銅鑼《どら》、それに男性の歌手たちの喉から出る声が入って、奇妙なハーモニーをつくっていた。それから一ダースほどの凧《たこ》があがっていて、その凧の中央に張ってある弦が風をうけてハープのような音を立てる、空中オーケストラの妙《たえ》なる音のこともつけ加えておかねばなるまい。
すぐにダンスが始まった。
これらのバレリーナは、みんなペルシアの生まれだった。彼女たちは奴隷ではなく、自由にこの職業に従事していた。かつては彼女たちはテヘランの宮中の儀式に、正式に出演していたのだった。だが新たな王が王座についてから王国から追放されたといったようなもので、他国に稼ぎに出ねばならなかった。彼女たちは祖国の衣裳をまとい、たくさんの宝石で飾っていた。小さな三角形の金と、長い西洋梨型の宝石とが、彼女たちの耳朶《じだ》でゆれ動き、黒金《ニエロ》を象眼した銀の輪が、首に巻いてあった。宝石を二列に並べた腕輪が、腕とさらに脚とをしめつけ、真珠、トルコ玉、紅玉髄などをふんだんに取り合わせたペンダントが、長く編んだ髪の先で、ふるえるように光っていた。胴をしめつけているバンドは、ヨーロッパの十字勲章に似た、きらきら輝いている留金でとめられてあった。
バレリーナたちはじつに優美に、ときには離れ、ときにはいっしょに群れをなして、さまざまに変化に富んだ踊りを見せた。彼女たちは顔をあらわに見せていたが、それでもときどき薄いヴェールで顔をおおい、そのきらきら光る眼の上をよぎる雲のような薄い布は、まるで星空に浮かぶ靄のようにかかっていた。これらペルシア女のある者は、真珠の刺繍をした革の肩帯のようなものを肩にかけていて、それには口が先についている三角形の袋が一つぶらさがっていて、彼女たちはときどきそれをひらいては、金糸で織ったそれらの袋から、真紅の長くて細い絹の布を引き出すのだった。これらの布の上には、コーランのいくつかの節が刺繍されてあった。それらの布を彼女たちはお互いのあいだで帯のように張りめぐらし、その下を他の踊り子たちがすり足でかいくぐっていった。そしてそのコーランのそれぞれの節が刺繍された布の前を通るたびごとに、それに書かれてある戒律にしたがって、ある女たちは地上にひれ伏し、またある女たちは軽やかに飛び上がって、さながら回教徒の天国にいる美女たちの仲間に入ろうとするかのようだった。
だが、とくにすばらしい点は、つまりアルシード・ジョリヴェが感心したところは、これらのペルシアのバレリーナたちが熱狂的ではなくて、むしろもの憂げに踊ってみせたことだった。踊り狂うという熱演ぶりは見られないが、彼女らの踊りはその種類からみても、また演出からいっても、エジプトの熱狂的な舞妓よりもインドの静かで控え目な舞姫たちを思わせた。
この最初の余興が終わったとき、重おもしい声が聞こえた。
「見るがいい、おまえの二つの眼で見るがいい!」
このタタール王の言葉をくり返して言った男は、背の高いタタール人で、フェオファル汗の死刑執行人だった。この男はミハイル・ストロゴフの背後にいて、手に大きな半月刀を握っていた。これはカルシかイサルの有名な刀鍛冶が焼きを入れた刀の一つで、その刃には波紋状の浮彫模様がほどこされてあった。
彼のそばには、番兵たちが持ってきた三脚台があり、その上に置かれた炉には真っ赤に焼けた石炭が燃えていたが、煙はまるで出ていなかった。石炭の火の上にうっすらと湯気がたっているのは、芳香のする油質のものが燃えているからにちがいなく、それは乳香と安息香とを混ぜたものをその上にそそいだからであろう。
ところで、ペルシアのバレリーナの踊りがすむと、すぐに他のグループの踊りが始まった。このグループの踊り子たちはまったく別の人種で、ミハイル・ストロゴフもすぐにそれが何者であるかがわかった。
二人の新聞記者にもすぐそれが何者であるかはわかったらしく、ハリー・ブラントがその仲間に言った。
「ニジニー・ノヴゴロドで会ったジプシーたちだぜ!」
「ほんとにそうだ!」と、アルシード・ジョリヴェも叫んだ。「あの女スパイたちの眼は、彼女らの脚よりも金を儲けるらしいぜ!」
彼女たちをタタール王に仕えるスパイだと見抜いたアルシード・ジョリヴェの眼は、読者も知ってのとおり、狂っていなかったのである。
ジプシーたちの第一列にサンガールがいたが、彼女の美しさをいっそう引き立たせるような、異国的で絵画的な衣裳をつけたその姿はすばらしかった。
サンガールは踊らなかった。しかし彼女はバレリーナたちのまんなかで、パントマイムの役者のようなポーズをとっていた。バレリーナたちの即興的な踊りは、その民族がヨーロッパじゅうを放浪するボヘミアだとか、エジプトだとか、イタリアだとか、スペインだとか、そういった国ぐにのものを採り入れたものだった。彼女たちは、腕でがちゃがちゃ鳴らせるシンバルの響きや、指でかき鳴らして鋭い音を立てるタンバリンのような〈ダイレ〉の甲《かん》走った音に興奮していた。
そのとき、やっと一五歳ぐらいの一人のジプシーの男が進み出てきた。彼は手にマンドリンのような〈ドゥタール〉を持ち、爪をかすかに動かしながら、二つの弦をふるわせた。彼はうたった。そのひどく奇妙なリズムの歌がうたわれているあいだに、一人の踊り子がその男のそばに寄ってきて、じっとしたままで歌に聞き入った。だが歌のリフレーンが若い男の口をついて出ると、彼女は中断されていた踊りをふたたび始め、彼のそば近くで〈ダイレ〉を振りまわし、彼の耳をろうさんばかりにカスタネットをひびかすのだった。
最後のリフレーンが終わると、バレリーナたちが、男をダンスの渦のなかに巻きこんだ。
そのとき金貨の雨が、タタールの首長、彼の同盟軍の首長たち、あらゆる階級の士官たちの手から投げられた。それらの貨幣が踊り子たちのシンバルにあたるひびきに、まだ打ち鳴らされている〈ドゥタール〉やタンバリンの音が入りまじった。
「まるで盗んだ金のように遣いっぷりがいいね!」と、アルシード・ジョリヴェが、仲間の耳にささやいた。
じじつ雨と降りそそいだこれらの金は、盗んだ金だった。なぜならばそこには、イランのトマン貨や、タタールの貨幣ばかりでなく、デュカ金貨やロシアのルーブル貨も入っていたからだった。
それから一瞬静まりかえった。すると、ミハイル・ストロゴフの肩に手を置いた死刑執行人の声が、いよいよ不気味さをましてくり返された。
「見るがいい、おまえの二つの眼でよく見るがいい!」
だが、こんどは死刑執行人が抜き身の剣を手にしていないのに、アルシード・ジョリヴェは気づいたのだった。
そのあいだに太陽は、地平線の彼方に没していた。たそがれどきが、平原の背景に忍びこんできた。杉と松のこんもりとした茂みはますます黒ずんできて、トム川の流れは遠くのほうが暗くなり、たちこめはじめた靄のなかにとけこんだ。やがて暗闇が、町を見おろしているこの広場まで押し寄せてくるだろう。
そのとき数百人の奴隷が手に手に松明をかざして、入ってきた。サンガールを先頭に、ジプシーとペルシアの踊り子たちが、ふたたびタタールの首長の前に現われて、さまざまに異なる彼らの踊りをタタール王の王座の前で競演して見せたのだった。まるきり種類の違った踊りは、その対照の妙で、いずれも引きたって見えた。タタール人のオーケストラの楽器は、かなり野性的なハーモニーのなかで湧き立ち、歌手たちの喉にかかった高い声を伴っていた。地上に引きおろされてあった凧が、いろいろな色の堤燈をきら星のようにつけて、ふたたび空に放たれると、それらはさわやかな微風を受けて、空中のイリュミネーションのなかで、昼間よりもさらに強い高い音色をひびかせるのだった。
そのうちに軍服を着たタタール軍の騎兵が踊りのなかに加わり、彼らの熱狂ぶりはいっそうつのった。そのとき歩兵の曲芸が始まったが、これはじつに奇妙なものだった。
これらの兵士たちは、抜き身のサーベルと長い拳銃とを振りまわして、一種の曲芸を演じながら、たえず空中に弾をぶっぱなした。その爆音はタンバリンの騒音や、〈ダイレ〉や〈ドゥタール〉の甲高い音を圧した。中国ふうに、なにか金属の原料で着色された火薬をつめた彼らの銃は、赤や緑や青い色の長い火の矢を空中に打ち上げていて、これらの群れは、まるで花火のなかで踊り狂っていると言ってよかった。これらの余興は、たしかに一面においては、古代ギリシアの大地の女神を祭る踊りに似ていて、一種の戦闘の踊りであり、バレエの主役たちは、林立する剣や短剣のなかで、さかんに動きまわっていた。このような伝統舞踊が、中央アジアの諸民族のあいだに伝えられていたのはありうることである。しかもこのタタール人の踊りは、バレリーナたちの頭上をうねりくねり飛んでいく色花火によっていっそう奇妙なものにされ、バレリーナの衣裳についている金属の薄片は、まるで点火された点のように光っていた。それらはまさに火花の万華鏡とも言うべきもので、その配合のみごとさは、踊り子たちの一つ一つの動きによって、無限に変化した。
現代の舞台装置ははるかに進歩しているので、このような効果にはパリの新聞記者は無感覚だったが、やはり軽い興奮は抑えられず、アルシード・ジョリヴェにしても、これがモンマルトルとマドレーヌ広場のあいだで行なわれていようものなら、さぞかし「悪くはないぞ! 悪くはないぞ!」と言ったことだろう。
とつぜん、なにか合図があったようで、乱舞していた火が消え、踊りが止んで、バレリーナたちが姿を消した。儀式が終わったので、さっきまであかあかと明るかったこの広場も、いまは松明で照らされるだけになった。
タタール王の合図で、ミハイル・ストロゴフは、広場のまんなかに引っ立てられた。
「ブラント君」と、アルシード・ジョリヴェは、その友に言った。「きみは、終わりまで見るつもりかね」
「いや、断じてそんな気はないね」と、ハリー・ブラントは答えた。
「〈デイリー・テレグラフ〉の読者は、タタール式の死刑執行の詳細を知りたがらないだろうね?」
「その点、きみの〈従妹〉と同じさ」
「かわいそうな青年だ!」アルシード・ジョリヴェは、ミハイル・ストロゴフを見ながら言った。「勇敢な兵士は、戦場で死んでこそ本望だろうがね!」
「彼を助けるために、われわれとして何かできることがあるだろうかね?」
「何もできやしないさ」
二人の新聞記者は、ミハイル・ストロゴフが彼らに尽くしてくれた親切な行為を思い出していた。彼らはいまや、彼が自分の義務の遂行のためにどのような試練をへたかがわかったのだ。そして彼は、さらに困難を乗り越えねばならなかった。そして彼らは憐憫の情などまったくないタタール人にたいして、彼のために何もしてやることはできないのだった!
彼らは、この不幸な男の処刑に立ち会いたくなかったので、トムスクへ帰った。
それから一時間後には、彼らはイルクーツクの道を走っていた。彼らはロシア軍のなかへ入って、アルシード・ジョリヴェがあらかじめ〈復讐戦〉と呼んでいるものに従軍したいものだと思っていたのだ。
一方ミハイル・ストロゴフは、タタール王には尊大な視線を向け、イヴァン・オガリョフには軽蔑のまなざしを投げながら、突っ立っていた。彼は、死を覚悟していた。だが彼のなかに弱気の兆候を見出そうとしても、むだであったろう。
見物人たちは、フェオファル汗の幕僚たち同様、広場のまわりに残って、処刑を待っていた。彼らにとっては処刑は座興の一つにしかすぎないので、それが実行されるのを待っているのだ。そしてその好奇心が満足されれば、この野蛮人どもは、酔っぱらうために立ち去るだろう。
タタールの首長が、身ぶりをして見せた。ミハイル・ストロゴフは番兵たちに押されて、台地に近づいた。そのとき彼は、彼の知っているタタール語でフェオファル汗がこう言うのを聞いたのである。
「おまえはロシアのスパイとして、見にやってきた。そしておまえは、いま最後のものを見たんだ。一瞬にしておまえの眼は、永久に光から閉ざされるであろう!」
ミハイル・ストロゴフが受けるのは死刑ではなかった。盲目にされる刑だった。視力を失うことは、あるいは生命を失うことよりも恐ろしいことかもしれない! この不幸な男は、盲目にされる処刑を受けるのだった。
しかしながらミハイル・ストロゴフは、タタール王からこのような処刑を申し渡されても、がっくりしなかった。彼は泰然として大きく目を見ひらき、まるで自分の全生命を最後の視線のなかに集中しようとするかのようだった。こんな残酷な人間に嘆願したって、むだなことだった。それに、そのようなことは、彼にはできなかった。そんなことは考えてもみなかった。彼のすべての考えは、もはやどうにもならず失敗した彼の使命と、ふたたび見ることのできない彼の母親とナージャの上に集中されていた! だが彼は、心の動揺をすこしも人に見せなかった。
やがて、復讐をしなければならないという気持が、彼のからだ中に満ちわたった。彼はイヴァン・オガリョフのほうに向き直って、威嚇するような声で言った。
「イヴァン、裏切者のイヴァンめ、おれのこの最後のおまえをおびやかす視線を、よく見ておけ!」
イヴァン・オガリョフは肩をすくめた。
だが、ミハイル・ストロゴフは間違っていた。彼の眼はイヴァン・オガリョフを見て、永久に消えてゆくわけにはいかなかった。
マルファ・ストロゴフが、彼の前に立ちふさがったのである。
「お母さん!」と、彼は叫んだ。「そうだ、そうだ! わたしの最後の視線は、お母さんに向けられるのだ、こんな畜生にではない! そこにいてください、わたしの目の前に! 愛するお母さんの顔がまだ見えますように! わたしの眼は、お母さんを見ながら閉じるのだ!」
老婆はひとことも言わずに、近づいてきた……。
「ばばあを追っぱらえ!」と、イヴァン・オガリョフが言った。
二人の兵士が、マルファ・ストロゴフを追いやった。老婆はあとずさったが、息子から数歩離れたところで、立ち止まっていた。
執行人が現われた。こんどは、抜刀したサーベルを手にしていた。白熱したそのサーベルを、彼はいま、石炭が匂いをはなって燃えている炉のなかから抜きとってきたところだった。
ミハイル・ストロゴフは、タタールの慣習によって、焼いた刃によって目の前をかすめさせられ、めくらにされようとしているのだった。
彼は抵抗しようとはしなかった。彼の眼には、そのとき喰い入るようにして見入っている彼の母親の姿しかなかった! 彼の全生命は、最後のこの視力のなかにあった!
白熱した刃が、ミハイル・ストロゴフの目の前をかすめた。
絶望の叫び声が聞こえた。老いたるマルファは、意識を失って、地面に倒れた。
ミハイル・ストロゴフは、めくらになった。
命令が実行されたのでタタールの首長は、家族の者を連れて立ち去った。その場にはもはやイヴァン・オガリョフと、松明を持つ者しかいなかった。
ではこの憎むべき男は、なおも彼の犠牲者を侮辱し、刑罰の執行人につづいて、とどめの一撃を加えようというのであろうか?
イヴァン・オガリョフは、ゆっくりとミハイル・ストロゴフに近づいた。彼はオガリョフが近づくのを感じたので、昂然と頭をあげた。
イヴァン・オガリョフはポケットから皇帝の親書を取り出して、それを開き、それから最高の皮肉を弄し、それを皇帝の密使の見えない目の前にかざして言った。
「さあ、読め、ミハイル・ストロゴフ。読んで、イルクーツクへ行き、大公に読んだ文句を伝えたらいい! ほんとうの皇帝の密使は、このイヴァン・オガリョフさまだぞ!」
そう言って反逆者は、手紙を胸にしまいこんだ。そして振り返りもせずに、その場を立ち去った。松明を持った男たちが、そのあとにつづいた。
ミハイル・ストロゴフは、意識を失ってまるで死んだようになっている母親から数歩離れて、一人残っていた。
遠くのほうで人びとの叫び声や歌声や、酒宴のざわめきが聞こえた。あかあかとあかりのついたトムスクの町が、祝典の町らしく輝いていた。
ミハイル・ストロゴフは耳をすました。広場は静まりかえり、人影はなかった。
彼は手さぐりで、母親の倒れているところへ這っていった。そして母親を探しあてると、その上に身をかがめ、顔を母の顔に近づけた。彼は母の心臓の音を聞いたのだ。それから彼は低い声で、母親に話しかけているようだった。
年老いたマルファは、まだ生きていたのだろうか? 息子の話す言葉を聞いたのであろうか?
なにはともあれ、老婆は動かなかった。
ミハイル・ストロゴフは母親の額と、その白髪に唇をあてた。それから彼は立ち上がると、足でさぐりながら、また自分を導くように両手を前に差し出そうとしながら、すこしずつ広場のはしのほうに歩いていった。
とつぜん、ナージャが現われた。
彼女は、その友のほうへまっすぐに行った。彼女は持っていた短刀で、彼の腕をしばっていた綱を切った。
彼は目が見えないので、誰がいましめをといてくれたのかわからなかった。なぜならばナージャは、ひとことも言わなかったから。
だが、綱を切りおえると、
「兄さん!」と、彼女は言った。
「ナージャ! ナージャか!」と、彼はつぶやいた。
「さあ、いらっしゃい!」と、彼女は言った。「これからあたしの目が、兄さんの目ですわ。あたしが、イルクーツクへお連れしますわ」
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六 国道における一人の友人
半時間後にミハイル・ストロゴフとナージャとは、トムスクを立ち去ったのだった。
この夜、何人かの捕虜が、タタール軍の手から脱走することができた。なにしろ士官も兵士も、多かれ少なかれ気がゆるんでいたので、これまで厳重だった監視が、ザベディエロの野営地でも、また護送の途中にあっても、なんとなくゆるんでいたからだった。ナージャは最初、他の捕虜とともに連れ去られたのだが、途中で逃げることができ、ミハイル・ストロゴフがタタールの首長の前に引き出されたときには、高台にもどってきていたのだった。
彼女はそこの群衆のなかにまぎれこんで、すべてを見ていたのである。白熱した刃がその友の目の前をかすめたときも、叫び声一つ彼女の口から洩れなかった。彼女はじっとだまって、その場にとどまっているだけの自制力があった。神の霊感が彼女に、自由の身であるからには、マルファ・ストロゴフの息子を、彼が到達しようと誓った目的地に連れていく機会を待っていなければならないと伝えたからだった。老婆が意識を失って倒れたとき、彼女の心臓は瞬間とまったが、しかし一つの考えが、彼女に勇気を与えてくれたのだった。
「あたしは、目の見えない人の犬になろう!」と、彼女は思ったのである。
イヴァン・オガリョフが立ち去ったあとも、彼女は闇のなかにひそんでいた。彼女は群衆が高台から立ち去るまで、待っていたのだった。ミハイル・ストロゴフはもはや恐るるに足らぬみじめな人間として打ちすてられ、一人で残っていた。彼女は、彼が母親のそばまで這っていき、その上に身をかがめて額に口づけをし、それからふたたび立ち上がって、手さぐりで逃げようとしているのを見た……。
それからしばらくしてから彼と彼女とは、手に手をとり合って急な傾斜を降りていった。そしてトム川の岸辺に沿って町のはずれまで行くと、城壁の割れめから、うまく逃げ出すことができたのである。
イルクーツクへの道は、東へ行くただ一つの道だった。間違いようがなかった。ナージャは急ぎ足で、ミハイル・ストロゴフを引っぱっていった。あすになれば酒宴の数時間がすむので、タタール軍の偵察隊がふたたび草原に入りこんで、あらゆる交通網を遮断するにちがいなかった。そこで彼らの先を越して、トムスクから五〇〇露里離れたクラスノヤルスクに、彼らより先に入ることが必要だった。けっきょく、国道からはずれることは、できるだけ後にしなければならなかった。このはっきりした道から離れることは、不確かな未知の道を行くことであって、まごまごしていると死につながった。
どうしてナージャは、八月一六日から一七日にかけての夜道を、疲労に耐えられたのであろうか? どうしてこの長い行程を歩くだけの体力を見出しえたのだろうか? 強行軍のために血まみれになったその足で、どうしてそのようなことができたのであろうか? それは、ほとんど理解しがたいことである。だが、翌日には、トムスクを出て一二時間後に、ミハイル・ストロゴフと彼女とは五〇露里の道程を歩いて、セミロフスコエの町にたどり着いたのである。
ミハイル・ストロゴフは、ただのひとこともしゃべらなかった。その夜一晩じゅう手を握っていたのである。その手はただふるえるだけだったが、彼を導いてくれるこの手のおかげで彼は、いつもの足どりで歩くことができたのだった。
セミロフスコエは、ほとんど完全に見すてられていた。住民たちはタタール人を恐れて、エニセイスク州へ逃げてしまっていた。わずか二、三軒の家に、人が住んでいただけだった。町にあった役立つもの、高価なものはすべて、荷車で運び出されていた。
だがナージャは、ここで数時間休止しなければならなかった。彼ら二人には、食糧と休息とが必要だった。
そこで娘はその連れを町はずれまでつれていった。そこに戸があいたままになっている空家があった。二人は、そこに入った。部屋の中央にある、シベリアのすべての家に共通した背の高い暖炉のそばに、一つの粗末な木の椅子があって、二人はその上に腰かけた。
ナージャはそのときはじめて、この盲目の連れの顔を真正面からじっと見た。これまで彼女は彼の顔を、こんなに見つめたことはなかったのだ。彼女の視線のなかには、感謝と憐憫の情しか見られなかった。もしミハイル・ストロゴフが彼女を見ることができたならば、彼はこの美しく哀しげなその瞳のなかに、かぎりない愛情と献身の情とを見たにちがいなかった。
白熱した刃のために赤くただれた盲人のまぶたは、ひからびきった眼をなかばおおっていた。その眼球を取り巻く鞏膜《きょうまく》は、かすかにしわがより、まるで角質化したようになっていて、瞳孔は大きく見ひらかれたままだった。虹彩は、その青い色が、前よりもいっそう濃くなっているようだった。睫毛と眉とは一部分が焼かれていた。だが、青年のあの刺すようなまなざしは、少なくとも外面は、いっこうに変わったようには見えなかった。もし完全に失明してしまったとすれば、もしその失明が完全だったとすれば、網膜と視神経の働きとが、白熱した刃によって根本的に破壊されてしまったからだ。
そのときミハイル・ストロゴフは、両手を伸ばした。
「ナージャ、きみはそこにいるね?」と、彼はたずねた。
「ええ、あなたのそばにいるわ、もうけっしてあなたのそばを離れないわ、ミハイル」と、娘は答えた。
はじめてナージャの口から自分のほんとうの名前を言われた彼は、思わず身ぶるいした。彼はこの若い娘がすべてを知っていて、彼がどういう人間であるか、彼とマルファとがどういう関係にあるのか知っていることがわかったのだった。
「ナージャ」と、彼はふたたび言った。「わたしたちは別れなければならないね!」
「別れるんですって? どうしてなんですの、ミハイル?」
「わたしは、きみの旅行の邪魔をしたくないんだ! きみのお父さんは、イルクーツクできみを待っておられるんだ! きみはお父さんに会いに行かなくてはならない!」
「あたしのために尽くしてくれたあなたを見捨てたら、お父さんはきっとあたしをお叱りになるでしょうよ、ミハイル!」
「ナージャ、ナージャ!」と、ミハイルは、彼の手の上に置かれた彼女の手をしっかり握りしめながら答えた。「きみは、きみのお父さんのことだけを考えなければいけないんだよ!」
「ミハイル」と、彼女は言い返した。「あなたは、お父さん以上にあたしを必要としているんだわ! では、あなたは、イルクーツクへ行くのを断念したの?」
「いや、けっして!」と、ミハイル・ストロゴフは、気力を失っていないことを示すように、力強い調子で叫んだ。
「でも、もうあの手紙はないわね……」
「イヴァン・オガリョフが奪った手紙かね……だいじょうぶだよ、ナージャ、あの手紙がなくても! やつらはわたしをスパイ呼ばわりした! よかろう、わたしはスパイのように行動してやろう! イルクーツクへ行って、わたしの見たすべてを、わたしの聞いたすべてを話そう。そして生きている神によって誓うが、わたしはいつかかならず、あの反逆者と面と向かって相対してみせる! だが、それには彼よりも前にイルクーツクに着かねばならない!」
「それなのに、あたしたちは別れるって言うの、ミハイル?」
「ナージャ、あの人でなしどもは、わたしからすべてを奪ってしまったのだ!」
「あたしにはいくらかのルーブル紙幣と、あたしの目が残っているわ! ミハイル、あたしは、あなたの代わりに見ることができるわ。だから、あなたが一人で行けないところへも、連れて行ってあげるわ!」
「でも、どうやって行けるだろうか?」
「歩いて行くのよ」
「どうやって生きていけるだろうか?」
「物乞いをしながらよ」
「では行こう、ナージャ!」
「いらっしゃい、ミハイル」
若い二人は、もはや兄とか妹とか呼ばなかった。共通の苦しみのなかにあって二人は、いままでよりもいっそう親密に結ばれてきたのを感じ合っていた。一時間ばかり休んだ後、二人はこの家を出た。ナージャはこの町のあちこちの通りを歩きまわって、大麦でつくった一種のパンである〈チョルネフレフ〉をいくつかと、ロシアでは〈メオド〉という名で知られている蜂蜜水をすこしばかり手に入れてきた。お金はぜんぜんいらなかった。なぜなら彼女は、もう乞食を始めていたからだった。このパンと蜂蜜水とで、どうやらミハイル・ストロゴフの飢えと渇きとは静まったようだった。ナージャはこのとぼしい食べ物の大部分を彼に与えたのだった。彼は、彼女が一つまた一つと渡してくれるパンのひとかけらを食べた。そして彼女が唇にあててくれる水筒の口から飲んだ。
「きみは食べているのかい、ナージャ」と彼は幾度となくたずねた。
「食べているわよ、ミハイル」と彼女はそのつど答えたが、じつは彼の食べ残しで満足していたのだった。
ミハイルとナージャとはセミロフスコエを去って、イルクーツクへの苦しい道を歩きはじめていたのだった。若い娘は必死になって、疲労に抵抗していた。もしストロゴフに彼女を見ることができたならば、おそらく彼はこれ以上旅をつづける勇気をもたなかったであろう。だがナージャはけっして不平を言わなかった。ミハイル・ストロゴフにしても溜息一つさえ聞かなかったので、足の進むのを抑えることのできない彼としては、急いで歩きつづけた。なぜだろうか? では彼はいまだに、タタール軍の先を越せるという望みを持っているのだろうか? 彼は徒歩で、金もなく盲目だった。だからもし彼の唯一の案内人であるナージャがいなくなったとしたら、彼は道のほとりに倒れて、みじめな死に方をしなければならないだろう! だが、力のかぎり歩いてクラスノヤルスクへ行けば、なおまだ希望がなくもなかったのだった。なぜならばそこの総督に自分のことを話せば、イルクーツクへ到達する便宜をただちに与えてくれるだろうからだった。
そこで彼はほとんど口をきかず、物思いに耽りながら歩いていた。彼はナージャの手をしっかり握っていた。二人の気持は、ひきつづきに通じ合っていた。彼らは気持を通じ合わすのには、もはや言葉の必要もないように思えたのだった。ときどきミハイル・ストロゴフが言った。
「話してくれ、ナージャ」
「そんな必要があって、ミハイル? あたしたちはいっしょになって考えてるんですもの!」と、娘は答えた。そして彼女は、その声で彼女の疲れが相手にわかるようなことがないようにと配慮した。
だがときには、心臓の鼓動が一瞬とまりでもしたかのようになり、脚ががくがくになって、歩みがとまり、腕はのびたままになって、彼女はおくれた。そうするとミハイル・ストロゴフは立ち止まって、まるで暗闇を通して彼女の姿を認めようとするかのように、かわいそうな娘のほうをじっと見た。彼の胸はいっぱいになった。それからしっかりと彼の連れを支えながら、ふたたび前進するのだった。
ところがこの日、このように休みなしに苦労をしつづけている最中に、思いがけない幸運にめぐまれて、二人を疲労から救ってくれることになったのである。
二人がセミロフスコエを去ってから二時間ばかりたったころ、ミハイル・ストロゴフが足をとめた。
「道に、何かいないか?」と、彼はたずねた。
「何も見えないけれども」と、ナージャが答えた。
「後ろのほうで、何か物音がしないか?」
「なるほどね」
「もしタタール軍だったら、隠れなければならないよ。よく見て!」
「ちょっと待って、ミハイル!」そう言って彼女は、右のほうへすこし曲がっている道を引き返した。
ちょっとのあいだ一人になった彼は、耳をすました。
ナージャはすぐに引き返してきて言った。
「二輪馬車よ、一人の男が御してるわ」
「一人かね?」
「ええ、一人」
ミハイル・ストロゴフは、瞬間ためらった。身を隠すべきか? それとも逆に、この乗り物に運よく乗せてもらえるかどうか、あたってみようか、自分がだめでも、せめて彼女だけでも乗せてもらえるように頼んでみようか? 彼自身は、片手を馬車にかけるだけでいい、もしなんなら押してやってもいい、なぜなら彼の脚は、まだ疲れていなかったからだ。だが彼はナージャが、オビ川を渡ってからずっと、つまり一週間も歩きつづけているのだから、もう体力の限界にきていることを感じていたのだ。
彼は待つことにした。
まもなく馬車が、道の曲がり角にやってきた。それは、やっと三人乗れるぐらいのおんぼろ馬車で、この地方で〈キビトカ〉と呼んでいるものだった。
〈キビトカ〉はふつう馬を三頭つなぐのだが、この馬車には一頭しかつながれていなかった。しかしその馬は毛が長く、尻尾も長く、元気よくたくましい蒙古系の馬だった。
一人の青年がそれを御していて、一匹の犬がその脇に坐っていた。
ナージャは、その男がロシア人であると見た。やさしい、物に動じない顔つきをしていて、信用がおけそうだった。それに、すこしも急いでいるようではなかった。彼は馬を疲れさせないように、ゆっくりした歩調で歩かせていたので、それを見ていると、いまにもタタール軍が遮断するかもしれない道を通っているのだとは思えないほどだった。
ナージャはミハイル・ストロゴフの手をとって、道の脇に寄った。
〈キビトカ〉は止まった。御者は微笑しながら若い娘を見た。
「そんな様子で、いったいどこへ行くんです?」と彼は、目をまるくしてたずねた。
その声音を聞いてミハイル・ストロゴフは、どこかで聞いたことのあるような声だと思った。そしておそらくその声は、この〈キビトカ〉の御者の人柄を彼に知らせたにちがいなかった。というのは彼の顔が、すぐに晴れやかになったからだ。
「ねえ、どこへ行くんです?」青年はこんどはミハイル・ストロゴフに向かって、くり返して言った。
「イルクーツクへ行くんです」と、彼は答えた。
「おや、それは! イルクーツクまではたいへんな道のりだということを、あんたは知らないんですね?」
「いや、知ってますよ」
「で、歩いてですか?」
「そうです、歩いて」
「あなたは、いいとしたって! この娘さんは?」
「これは、わたしの妹です」と彼は、前のようにナージャを妹にしておくほうが慎重だと判断したのだった。
「そう、妹さんですか! でも妹さんは、とてもイルクーツクまでは歩けませんよ!」
「ねえ」と、ミハイル・ストロゴフは近づいて言った。「わたしたちは、タタール兵に身ぐるみ剥がれたんです。ですからあなたにさしあげられる一カペイカも持ってはおりません。でも、もし妹をあなたのそばに乗せてくださったら、わたしは歩いて馬車のあとについて行きますよ。もし必要なら走りもしましょう。一時間だって、あなたを遅らせるようなことはしませんよ」
すると、ナージャが叫んだ。「兄さん! あたしはいいわ……あたしはいいことよ!……兄さんは、目が見えないんです!」
「ええっ、目が見えないんですか!」青年は、さも驚いたといった声で言った。
「タタール兵が、兄さんの目を焼いたんです!」と、ナージャは憐れみを乞うように、両手を差し出しながら言った。
「目を焼かれたんですって? まあ、お気の毒に! わたしはクラスノヤルスクへ行くところなんです。では、この馬車に妹さんといっしょに乗ったらどうです。すこしからだを押しつけ合えば、三人乗れますよ。それに、わたしの犬は、歩くのをいやがりませんからね。ただ、速くはやりませんよ、馬をいたわらねばなりませんからね」
「ご親切な方、あなたのお名前は?」
「ニコライ・ピガソフです」
「お名前は、一生忘れません」と、ミハイル・ストロゴフは言った。
「さあ、お乗りなさい、目のご不自由な方。妹さんはあなたとごいっしょに、馬車の奥のほうに、わたしは馬車を御すので前にいます。奥には、樺のむいた皮と大麦の藁がありますよ。それで寝床になるでしょう。――さあ、セルコ、席をゆずってくれ!」
犬は、すぐに下に降りた。それはシベリア種で、灰色の毛をした大きさは中くらいの、かわいらしい大きな頭の犬でよく主人になついているようだった。
ミハイル・ストロゴフとナージャとは、すぐに〈キビトカ〉に乗りこんだ。彼はニコライ・ピガソフの手をさぐるようにして、両手をのばした。
「これが、あんたが握ろうとしているわたしの手ですよ。さあ、気のすむまで握ってください」と、ニコライは言った。
〈キビトカ〉は動きだした。ニコライはけっして鞭打たないので、馬はゆっくりと歩いた。ミハイル・ストロゴフは速く行くことはできなかったが、少なくともナージャにさらに疲れさせることだけは免れさせることができた。
ナージャは疲れきっていたので、馬車の単調な動きにゆすぶられながら、まもなくぐっすり眠りこんだ。ミハイル・ストロゴフとニコライとは、彼女を樺の葉の上に、できるだけ具合のいいように寝かせた。親切なこの青年はすっかり感動していたのにたいして、ミハイル・ストロゴフの眼から涙の最後の一滴も出ないのは、ほんとうに白熱した鉄が涙の最後の一滴までからからにしてしまったからだった。
「ほんとうに、かわいいですね」と、ニコライが言った。
「そうですね」と、ミハイル・ストロゴフは答えた。
「強くなろうとしているんですね。なかなか勇気がありますな。でも、こうした娘さんは、実際は弱いものなんです。――ところで、あなた方は、遠くから来たんですか?」
「ええ、とても遠くからなんです」
「それは、お気の毒なことで。――目を焼かれたときは、ずいぶん痛かったでしょうね!」
「痛かったです」とミハイル・ストロゴフは、まるでニコライの顔が見えるかのように、彼のほうを見て言った。
「泣きませんでしたか?」
「そりゃ、泣きましたよ」
「わたしだって、泣いたろうな。自分の愛する人を、もう見られなくなるんですからね! でも、相手のほうは見られるんですから。まあ、それが、せめてもの慰めですね!」
「まあ、たぶんね。――ところで、あなたは、わたしをどこかで見たことはありませんでしたか?」
「あなたをですか? いや、ありませんな」
「あなたの声は、はじめて聞いたんではないのでね」
「へえ!」と、微笑しながらニコライは答えた。「わたしの声を知ってるんですって! たぶんあなたは、わたしがどこから来たか知りたくて、そんなことを言うんでしょう。ええ、言ってあげますよ! わたしはコリヴァンから来たんです」
「コリヴァンからですって!」と、ミハイル・ストロゴフは言った。「では、あそこで会ったんだ。あなたは電信局にいたでしょう?」
「そりゃ、そうですよ」ニコライは答えた。「わたしは電信局にいましたからね。わたしは送信係を担当してました」
「そしてあなたは、最後まで持ち場にいましたね?」
「そうですとも! いなければいけないというときまではね」
「それは、イギリス人とフランス人とが手にルーブル紙幣をつかんで、あなたの窓口で先を争った日でした。イギリス人が聖書の最初の一節を送信したでしょう?」
「さあ、そういうこともあったでしょうな。でも、思い出せませんな!」
「なんですって! 思い出せないんですか?」
「わたしは、送信する電文は、けっして読みませんからね。わたしの義務は、電文を忘れることにあるんだから。それには、電文を覚えていないことが、いちばんよろしい」
この返事は、このニコライ・ピガソフという男の人柄をよく表わしていた。
そうしているあいだにも〈キビトカ〉は、じつにゆっくりと進んでいたので、ミハイル・ストロゴフは、どんなにもっと速く行ってくれるようにと望んだことか。だがニコライとその馬とは、ゆっくりした歩き方に慣れていたので、どちらもその習慣を捨てることはできなかったのだろう。馬は三時間進むと、一時間休んだ――夜でも昼でも、そうだった。休んでいるあいだは、馬は草を食べ、乗っている人間は犬のセルコも仲間に入れて食事をした。この〈キビトカ〉には、少なくとも二〇人分の食糧が用意されてあった。ニコライは気前よく、その貯えを、兄妹と思っている二人に分けてやった。
一日休むとナージャは、いくらか気力を回復した。ニコライは、なるべく彼女がらくにしていられるようにと配慮した。旅行は緩慢ではあるがきちんと行なわれたので、まあがまんのできる状態で進められた。ときには夜中に、ニコライが馬を御しながら眠りこんで、さも気持の平静さを示すように安心しきっていびきをかくことがあった。そういうときに、目をこすってよく見たら、ミハイル・ストロゴフの手が手綱を捜して、馬を速く走らせているのを見たであろう。セルコはそれを見てびっくりしたが、もちろんなんにも言わなかった。やがてニコライが目を覚ませば、その速歩は緩慢な歩き方にもどったが、だが〈キビトカ〉は、いつもの速度で行くよりも数露里多く走ったことになるのである。
こんなふうにして彼らはイシムスク川を渡り、イシムスコエ、ベリキルスコエ、クスコエなどの町を過ぎ、マリインスク川を渡って同じ名前の町と、ボゴストフルスコエを通り、ついに西シベリアと東シベリアとを分ける小さな流れであるチュラ川を渡った。道は、ときには、広い畑がはるか遠くまで見渡せるような広大な野原を横ぎり、ときには、抜け出せないと思われるほどよく繁茂した、果てしなくつづく樅の樹林の下を通っていた。
どこもここも荒れ果てていた。どの町も、ほとんど完全に見捨てられていた。農夫たちはエニセイ川のような大河ならば、たぶんタタール軍を阻んでくれると思って、この川の向こう側に逃げこんでいた。
八月二二日、〈キビトカ〉は、トムスクから三八〇露里離れたアトチンスクの町に着いた。クラスノヤルスクまでは、なお一二〇露里あった。この旅行には、なんらの事故も起こらなかった。彼らがいっしょになってから六日間になるが、ニコライもミハイルもナージャも、最初のときと変わりなく、一人はあいかわらず平静さにひたっているし、他の二人は不安にかられていて、この道づれと彼らが別れねばならぬときのことを考えていた。
もうそう言ってかまわないだろうが、ミハイル・ストロゴフは、ニコライと若い娘の目を通して、この地方の風景に接することができた。二人が代わるがわるに、〈キビトカ〉が通っていく風景を彼に説明してくれたからである。彼はいま自分が森のなかにいるとか、平野にいるとか、小屋らしいものが草原のなかに建っているとか、シベリア人が地平線のかなたに現われたとかいうことを知ることができた。ニコライはたえずしゃべった。彼は、しゃべることが好きだったので、彼のものの見方がどうあろうとも、彼の話を聞くのはたのしかった。
ある日、ミハイル・ストロゴフが天候のことを聞いた。
「いいお天気ですよ」と、ニコライは答えた。「でも、夏ももう数日ですな。シベリアの秋は短いから、もうすぐ冬の最初の寒さがやってくるでしょう。おそらくタタール軍は、冬のあいだは宿営することを考えているんじゃないでしょうか?」
ミハイル・ストロゴフは、それは疑問だというふうに頭を振った。
「そうは思わないんですか?」と、ニコライはたずねた。「だとすると、イルクーツクへ進撃してくると思うんですね?」
「そう思いますね」と、ミハイル・ストロゴフは答えた。
「そう……あんたのほうが正しいな。タタール軍には、途中で休ませないように尻をたたく悪い奴がいますからな。……あんたは、イヴァン・オガリョフのことを聞いたことがあるでしょう」
「ええ」
「祖国を裏切るなんて、悪いことだとは思いませんか!」
「そのとおり……悪いことです」と、ミハイル・ストロゴフは、つとめて平静にあるようにと努めながら答えた。
「どうも、あんたは」と、ニコライはふたたび言った。「イヴァン・オガリョフの話をしても、あんまり憤慨しないようですね! ロシア人はみな、この名前を聞くと、飛び上がりますよ!」
「信じてください、わたしはあなたよりもはるかに、あの男を憎んでいるんですよ」と、ミハイル・ストロゴフは言った。
「それどころではない」と、ニコライは答えた。「いや、それどころではない! わたしはイヴァン・オガリョフのことを考えると、あいつが、わが聖なるロシアにおよぼした害悪を考えると、怒りに燃えてくるんだ。もしも、奴をつかまえたら……」
「もしつかまえたら、どうします……」
「殺しちまうでしょうな」
「わたしもきっと、そうするでしょうね」と、ミハイル・ストロゴフは、静かにそう答えた。
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七 エニセイ川の渡河
八月二五日の夕方に、〈キビトカ〉はクラスノヤルスクが見えるところまで来た。トムスクを出発してから、一週間たったのである。ミハイル・ストロゴフがどんなに努力しても、これ以上早く来られなかったのは、とくにニコライがまったく眠らなかったからだった。そこで、馬の歩みを急がせることができなかったからで、ほかの人だったら、この距離を走らせるのには六〇時間しかかからなかったであろう。
たいへんさいわいなことに、タタール軍のことは、まだ問題にしないですんだ。〈キビトカ〉が通ってきた道には、まだ偵察隊は現われなかった。それははなはだ、了解に苦しむようなことだった。あきらかに何か重大な事態が生じて、タタールの軍隊が急遽イルクーツクに進撃するのを妨げたにちがいなかった。
じじつ、そうした事態が生じたのだった。エニセイスク管区に至急に集結した新しいロシア軍が、トムスクを奪還しようと、その町に向かって進撃を開始したからだった。だが、いまトムスクに集結しているタタールの軍隊にたいしてはあまりに弱体だったので、退却しなければならなかったのだ。フェオファル汗は、彼自身の将兵に、ホハンドやクンドゥーズの汗国の将兵を加えて、二五万の大軍をもっていた。それに対してロシア政府は、まだじゅうぶんな兵力を対抗させることはできなかった。したがって侵入軍をそんなに早く阻止することはむずかしいようで、タタール軍の全部隊は、いまにもイルクーツクへ向かって進撃できそうだった。
トムスクの戦闘は、八月二二日に行なわれた。――ミハイル・ストロゴフは、それを知らなかったのである。――だが、タタール軍の前衛部隊が二五日にはまだクラスノヤルスクに現われなかったのは、そのためなのだった。
しかしながらミハイル・ストロゴフは、彼の出発したあとに起こった最近の出来事は知らなかったとはいえ、少なくとも彼は、こうしたことは知っていたのである。彼はタタール軍に数日間先立っていること、まだあと八五〇露里あるけれども、彼らより先にイルクーツクの町に到着することに望みがなくもないということだった。
それに、人口約一万二千もあるクラスノヤルスクなら、乗り物を見つけることが期待できた。ニコライ・ピガソフはこの町にとどまらねばならないので、それに代わる案内人を探し、〈キビトカ〉よりももっと速い乗り物を求めなければならないだろう。ミハイル・ストロゴフが町の町長を訪れて、彼が皇帝の密使であるという身分を明かしてそれを証明しさえすれば、――それは彼にとっては容易なことだった――短期間のうちにイルクーツクへ着けることも疑いなかった。そのときはこの親切なニコライ・ピガソフに礼を述べて、ナージャといっしょに出発するまでのことだ。なぜならば彼は、彼女を父親の手に渡してからでなければ、彼女と別れたくなかったからだった。
ところでニコライは、クラスノヤルスクにとどまる決心はしていたけれども、それは彼も言っていたように、〈ここで仕事の口が見つかるという条件〉においてであった。
ほんとうにこの模範的な電信局員は、最後のときまでコリヴァンの職場を守ったのち、またあらたに電信局の仕事をしたいものだと、捜していたのだった。
「働かないで、月給がもらえますかね?」と、彼はくり返し言っていた。
それゆえ、いつものとおりイルクーツクとのあいだに電信が通じているはずのクラスノヤルスクで彼の技術を役立てることができない場合は、彼はウジンスクの電信局か、あるいはシベリアの首都まで行くつもりだった。そこで、もしそんなことになれば、彼はあの兄妹と旅をつづけることになるだろうし、彼らにしても、彼ならこれ以上確実な案内人はなかったし、これ以上献身的な友人は見つけられないであろう。
〈キビトカ〉はもはやクラスノヤルスクから半露里しかないところまで来ていた。町に近づくにつれて道の左右に、たくさんの木の十字架が立っているのが見えた。いまは夕方の七時だった。澄みきった空に教会堂の輪郭と、エニセイ川の高い断崖に建てられた家々の側面とが、うっすらと浮き出ていた。川の水は、大気に散乱している残光を受けて、きらきら光っていた。
馬車は、止まっていた。
「ここはどこだね?」ミハイル・ストロゴフがたずねた。
「町の最初の家並から、どうみたって半露里も離れていないわ」と、ナージャは答えた。
「じゃ、町は眠っているのかね?」と、ミハイル・ストロゴフはきいた。「わたしの耳には、なんの音も聞こえないが」
「暗闇に光一つ輝いていないわ、空に煙一筋ものぼっていないわ」と、ナージャはつけ加えた。
「おかしな町だ!」と、ニコライも言った。「物音一つしないし、みんな、こんなに早く寝てしまうなんて!」
ミハイル・ストロゴフは、悪い予感がするのを感じた。彼はナージャには、クラスノヤルスクに希望をかけていることは、まったく言ってなかった。クラスノヤルスクへ行けば、旅行を完遂する手段を見つけることができると当てにしていた彼は、こんどもまた、彼の希望がまたもやついえてしまうのではないかと、心配になってきた! だがナージャは、彼の考えを見抜いていた。彼女は、どうして彼が密書を奪われてしまったのにイルクーツクへ早く行きたがっているのかわからないので、ある日、そのことについて彼の意中をさぐったことがあった。
だが彼は、「わたしは、イルクーツクへ行くと誓ったから」と、答えただけだった。
だが使命を完遂するためには、とにかくクラスノヤルスクで、何か速い乗り物を探さなければならなかった。
「ところで、どうして前進しないんですか?」と、彼はニコライに言った。
「馬車のひびきで、町の人の眠りを覚ましたくないんでね!」
そう言うとニコライは、馬に軽い鞭をくれた。セルコが五、六度吠え、馬車はやや速歩で、クラスノヤルスクへ行く道を下っていった。そして一〇分後には、町の大通りに入った。
クラスノヤルスクは、まったく蛻《もぬけ》の殻だった! ブルブロン夫人が〈北国のアテネ〉と呼んだこの町には、一人のアテネ住民もいなかった。きらびやかな引き具をつけた馬車一台も、清潔でひろびろとした通りを走ってはいなかった。木造のすばらしい家が立ちならんでいる歩道には、誰一人として歩いてはいなかった! 樺の林のなかにつくられ、エニセイ川の河岸までのびている美しい公園には、フランスの流行服を着た優雅なシベリア美人の姿も見受けられなかった! 大聖堂の大きな鐘も沈黙を守り、数多くの教会から鳴りひびく鐘の音も黙して聞こえなかった。だが、ロシアの町が教会の鐘の音で満たされていないということは、珍しいことだった! だが、ここでは、すべてのものが完全に打ち捨てられていた。かつてはあれほど賑やかだったこの町に、人っ子一人いなかった!
電線が切断される前に政府から届いた最後の電報によって、総督と駐屯軍とすべての住民たちはクラスノヤルスクを放棄すること、値打ちのあるものや、タタール軍に役立ちそうなものはいっさい運び去ること、そしてイルクーツクに避難することを命令したのだった。またこの州の町のすべての住民に、同じ命令が出されていた。モスクワ政府は侵入軍を前にして、完全な無人の地をつくることを欲していたのだった。かつてロストプシーン〔モスクワの都督、一七六三〜一八二六、ナポレオンの侵入にあたってモスクワ市を炎上させた〕に与えられた命令は、その是非を論ずる余裕は、一瞬たりとも与えられずしてそれは実行に移された。それゆえこのクラスノヤルスクには、ただ一人の人間もいなかったのである。
ミハイル・ストロゴフとナージャとニコライとは、だまりこんだまま、町の通りから通りへと歩きまわった。彼らは思わず茫然と立ちすくんだ。この死せる町のなかで音を立てているのは、彼らだけだったからだ。ミハイル・ストロゴフは心で感じていることは、何一つ顔には出さなかった。だが、彼につきまとっている不幸に対しては、なにか怒りのようなものが心の底からこみあげてくるのを抑えることはできなかった。なぜなら彼の望みは、またしても裏切られてしまったからだった。
「ちぇ!」と、ニコライは叫んだ。「人のいない町じゃ、給料ももらえやしないや!」
「あなたも、あたしたちといっしょに、イルクーツクへ行かなくちゃなりませんね」と、ナージャが言った。
「ほんとうに、そうしなくちゃ!」と、ニコライは答えた。「ウジンスクとイルクーツクとのあいだの電線は、まだだいじょうぶでしょう。あそこまで行ってみましょう。さあ、出発しましょう」
「あしたまで待ちましょう」と、ミハイル・ストロゴフは答えた。
「あなたの言うとおりだ」と、ニコライは答えた。「エニセイ川を渡らなければならないからね。そのためにはあたりがよく見えないと……」
「よく見えないと!」ナージャは、盲目の友のことを考えてつぶやいた。
ニコライはそれを聞いて、ミハイル・ストロゴフのほうを振り向いて言った。
「ごめん、ごめん、あんたにとっては、昼も夜もまったくおんなじなんだからな」
「そんなこと、なんとも思っちゃいませんよ」と、ミハイル・ストロゴフは、手を眼にあてて言った。「あなたという案内人がいるから、わたしはまだ動けるんです。さあ、幾時間か、休みましょう。ナージャ、おまえも休むといい。明日まで待とう!」
ミハイル・ストロゴフとナージャとニコライとが休息の場所を見つけるのには、手間どらなかった。入口のドアを押した最初の家は、他の家同様に空家だった。そこには、木の葉の束がいくらかあるだけだった。やむをえず馬は、この貧弱な食糧で満足しなければならなかった。馬車に積んであった食糧はまだなくなってはいなかったので、みんなはそれぞれ自分たちの分を食べた。それからランプの最後の光で照らされているつましい聖母像の前にひざまずいてから、ニコライと娘とは眠りこんだ。だがミハイル・ストロゴフはどうしても眠れないので、起きたままでいた。
翌八月二六日、夜明け前に〈キビトカ〉に馬をつけて、エニセイ川の川べりに出るために樺林の公園を横ぎった。
ミハイル・ストロゴフは、しきりに考えていた。おおいにありうることなのだが、もしもすべての船や渡船が、タタール軍の進撃をおくらせるために破壊されていたとしたら、いったい、どうやって川を渡ったらいいだろうか? 彼はいままで何度となく川を渡ったことがあるので、エニセイ川をよく知っていた。川幅が非常に広くて、小島と小島とのあいだに深く掘られている河床では流れがものすごく速いことなどを、よく知っていた。ふつうのときでも、旅客や馬車や馬をはこぶために特別につくられた渡船で三時間かかった。こうした船でも右岸に着くことは、とてもむずかしかったのだ。それで船が全然ないとしたら、どうやって向こう岸まで行けるだろうか?
「とにかく渡ってみせるぞ!」と、彼はくり返して言った。
陽がのぼりはじめた。〈キビトカ〉は公園の大きな道が終わっているところで左岸に到着した。この場所からだと、河岸は三〇メートルばかり下にエニセイ川を見おろしているので、川一面を見わたすことができた。
「どうです、渡船は見えますか?」と、ミハイル・ストロゴフは、おそらく機械的な習慣なのだろうが、まるで目が見えるとでもいったふうに、あちこちにすばやく目をくばりながらたずねた。
「やっと、いま夜が明けてきたところなのよ、兄さん」と、ナージャが答えた。「霧が川の上に立ちこめているので、水面がよく見えないの」
「だが、水の音は聞こえるね」と、ミハイル・ストロゴフは答えた。
じじつ霧のふかい層のなかから、流れと逆流とがぶつかり合う、かすかなざわめきが聞こえてきた。一年のこの時期は、川は非常に水かさが増すので、逆巻く激流となって流れているのにちがいなかった。三人とも霧が晴れるのを待って、耳をすましていた。太陽がすばやく地平線にのぼってきて、その最初の光線がまもなく霧を散らしはじめた。
「どうだね?」と、ミハイル・ストロゴフがきいた。
「霧が流れはじめたわ、兄さん」と、ナージャが答えた。「陽の光がもう霧のなかに差しこんできたわ、兄さん」
「まだ川の上は見えないかね?」
「まだよ」
「もうすこしの辛抱だ」と、ニコライが言った。「いまにすっかり晴れるよ! そら! 風が出てきた! 霧を散らしはじめた。右岸の高い丘が、樹の列を見せてきたぞ、みんな消えろ! みんな飛んでいってしまった! 太陽の暖かい光線が、霧を塊にしちゃったよ! ああ! なんて美しいんだ! ねえ、気の毒に、あんたは、こうした景色が見られないんだからな!」
「船は見えるかね?」と、ミハイル・ストロゴフがきいた。
「まるっきり見えない」と、ニコライが答えた。
「こっちの岸も、向こう岸も、見渡すかぎりずっと! 大きな舟でも、小さな舟でも、樹皮の小舟でもいいんだ!」
ニコライとナージャとは断崖の樺の木につかまって、川の上に身を乗り出した。彼らの目の前には、大きな視野が広がっていた。エニセイ川はこの場所では、川幅が少なくとも一・五露里はあり、そこには大小二つの流れがあって、そこに激流が流れていた。この二つの腕のあいだにはたくさんの小島があって、榛《はん》の木や柳やポプラが生えていて、それらはまるで川の流れのなかに錨を降ろしている緑の船のようだった。その向こうには林におおわれた東岸の高い丘が階段をつくって重なり、それらの丘の頂は、朝日を受けて赤く染まっていた。エニセイ川は川上と川下に、見わたすかぎりひろがっていた。このすばらしいパノラマは、円周五〇露里の円を描いていた。
だが、左岸にも右岸にも、また小島のへりにも、船の影は一つも見えなかった。すべて命令によって壊されたか、はこび去られたのである。たしかにタタール軍が船の橋を作るのに必要な材料を南方から持ってこなければ、イルクーツクへの彼らの進撃は、このエニセイ川の障害によって、しばらくのあいだ阻まれるだろう。
「そう、思い出したよ」と、ミハイル・ストロゴフは言った。「もっと川上へ行って、クラスノヤルスクの最後の家のあるあたりに、小さな船着場があるんだ。そこに渡船が着くんでね。ねえ、川上へ行ってみよう。そこに舟が置き忘れられているかどうか、見てみよう」
ニコライは、示された方向に走った。ナージャもミハイル・ストロゴフの手をとって、急ぎ足で連れていった。〈キビトカ〉をはこべるくらいの船でもあれば、いや、それがなければ、三人を乗せるだけの舟でも、ミハイル・ストロゴフはためらうことなく渡河を試みるであろう!
二〇分後に、三人は小さな船着場に着いた。岸辺に近い最後の幾軒かの家は、水面と同じくらいに軒が低かった。それはクラスノヤルスクの町の低地にある小さな村だった。
だが岸辺には、船はもちろんのこと、はしけも、また三人を乗せるための筏《いかだ》をくむ材料さえもなかった。
ミハイル・ストロゴフはニコライにきいた。だが彼は、川を渡ることはとても不可能だと、まったくがっかりさせるような返事だった。
「とにかく、渡らなくちゃならないんだ」と、ミハイル・ストロゴフは言った。
そこで、家捜しをつづけた。クラスノヤルスクのすべての家同様に見捨てられた岸辺の家のなかを、みんなして捜した。どの家も、ドアを押すだけで、すぐにあいた。それらは貧しい人たちの小屋で、なかには何もなかった。ニコライが一軒を捜すと、ナージャがほかの一軒を捜した。ミハイル・ストロゴフもあちこちの家に入って、手さぐりで、何か役に立つようなものはないかと捜しまわった。
ニコライと若い娘とがそれぞれ捜しまわって何も見つからず、もう諦めようとしかけたときに、彼らは自分たちを呼ぶ声を耳にした。
二人は岸辺に走り出た。すると、一軒の家の戸口に、ミハイル・ストロゴフが立っていた。
「おいで!」と、彼は二人を呼んだ。
ニコライとナージャは、急いで彼のほうに駆けていった。そして彼のあとから、小屋のなかに入った。
「これはなんだね?」ミハイル・ストロゴフは、物置の奥に積み重ねてあるいろいろなものをさわりながら言った。
「これは革袋ですよ」と、ニコライが答えた。「おや、六つもある!」
「なかはなんだ……」
「馬乳酒《クミス》がいっぱい入っている、これはありがたい、ちょうどいいときに、飲み物が手に入った!」
馬乳酒というのは、馬の乳やらくだの乳でつくられた、滋養分もあり酔いもする飲料だった。ニコライはこの発見物に、ただただ喜んでいた。
「一つだけとっておいて、あとはみんなあけるんだ」と、ミハイル・ストロゴフが言った。
「すぐ、やるよ」
「これを使ったら、エニセイ川を渡れるだろう」
「筏にくむんですか?」
「いや、〈キビトカ〉をそっくり運ぶんだ。馬車は軽いから、だいじょうぶ浮かぶよ。馬車も馬も、この革袋を使って運べるさ」
「うまい考えだ」と、ニコライは叫んだ。「神さまのお助けで、無事に渡れるだろう……だが、たぶんまっすぐには行かれないだろう、流れが速いから!」
「そんなことはかまわんさ!」と、ミハイル・ストロゴフは答えた。「まず、渡ることだ。向こう岸へ着けば、イルクーツクへ行く道は、なんとかして見つかるさ」
「さあ、仕事だ」と、ニコライは言って、革袋の一つをあけると、馬車まで持っていった。
馬乳酒のいっぱい入っている一袋だけはとっておいて、ほかの革袋には空気を満たし、口をしっかり結んで、浮き袋として使った。これらの革袋の二つは、馬の脇腹に結びつけられて、馬を水面に浮かばせるためにあてられた。また他の二つは、車輪と車輪とのあいだの〈キビトカ〉の轅《ながえ》につけられた。こうすれば車体は筏のようになるわけだろう。
この作業は、まもなくすんだ。
「こわくはないかね、ナージャ?」と、ミハイル・ストロゴフがたずねた。
「いいえ、兄さん」
「で、きみはどうだね?」
「わたしかね!」と、ニコライは叫んだ。「わたしはついに、わたしの夢の一つを実現するってものよ、馬車で川を渡るっていう夢をね!」
このあたりの岸はかなり勾配があったので、馬車を川に乗り入れるにはつごうがよかった。馬は馬車を、水ぎわまで引っぱっていった。するとまもなくして浮遊装置が水面に浮かんだ。セルコは勇敢に泳ぎはじめた。
三人は車体の上に立っていた。用心して靴は脱いでいたが、革袋のおかげで、水はくるぶしまでもこなかった。
ミハイル・ストロゴフが馬の手綱を握っていた。そしてニコライの指図に従って、馬を斜めに進めていった。だが、流れに逆らって馬を疲れさせたくないので、手加減しながら進めた。〈キビトカ〉が水の流れに従って進んでいるあいだは、うまくいった。そして数分後には、クラスノヤルスクの河岸を過ぎていた。馬車は北のほうへ向かっていた。このぶんだと、町のずっと川下で向こう岸に着くことがはっきりした。しかし、そんなことはどうでもよかった。
もしも流れの方向が一定していたら、このエニセイ川の渡河も、こんな不完全な装置によろうが、たいして苦労もなく行なわれたことだろう。だが、たいへん困ったことには、さわぎ立つ水面に、多くの渦巻が巻いていたのだった。そしてまもなく〈キビトカ〉は、それをなんとかして避けようとしたミハイル・ストロゴフの努力にもかかわらず、漏斗形の大きな渦のなかに、ずるずる引きこまれてしまった。
ひどく危険なことになった。〈キビトカ〉はもはや、東の岸をめざして斜めに進んでいくことはできなくなった。もはや前へは進めず、ものすごい速さでぐるぐるまわりながら、ちょうどサーカスの舞台の曲馬師のように渦の中心へと傾いていった。その速さといったら、馬は水面に頭をもたげているのがやっとだった。そして、その渦のなかで、いまにも窒息しそうだった。セルコは〈キビトカ〉にしがみつかねばならなかった。
ミハイル・ストロゴフには、いま起こっていることが、よくわかっていた。彼は、ぐるぐる円を描いている流れに引きこまれ、その円がしだいに小さくなっていって、そしてしだいにそこから遁《のが》れ出ることができないのが、はっきりと感じられた。彼は、ひとことも言わなかった。彼の眼は、なんとかしてうまく遁れるために、この危険を目《ま》のあたりに見たかったであろう……だが、見ることはできなかった!
ナージャも、無言のままだった。彼女は両手で馬車の横木をしっかりと握って、渦の中心へとますます傾いていく革袋の不規則な動きから、横木を支えていた。
ニコライはといえば、彼はこの場の重大さがわからないのであろうか? いま彼のなかにあるものは沈着さであろうか、それとも危険への蔑視感だろうか、勇気だろうか、または無関心か? 生命そのものが彼には価値のないものだろうか? 東洋人のいう、六日目には、いやが応でも去らねばならない〈五日目の宿屋〉にすぎないのであろうか? いずれにしても、彼のにこやかな表情はただの一瞬間も変わらなかった。
〈キビトカ〉はこうして、渦に巻き込まれたままだった。馬はもう力尽きてしまった。するととつぜんミハイル・ストロゴフが邪魔な服を脱ぎ捨てて、水のなかに飛びこんだ。そしてその頑丈な腕で、おびえきった馬の手綱をつかみ、そしておおいに活気づけて引っぱったので、ついに馬を渦のなかから抜け出させることに成功したのだった。〈キビトカ〉はすぐに速い流れにふたたびのって、あらたに速度を加えて進んでいった。
「万歳《ウラー》!」と、ニコライが叫んだ。
船着場を出てからわずか二時間ほどで、〈キビトカ〉はエニセイ川の大きなほうの流れを横ぎって、一つの小島の岸辺に着いた。そこは出発点から、六露里以上も川下だった。
馬は馬車を岸辺に引き上げた。一時間の休みが、この勇敢な馬に与えられた。それから大きな樺の木がしげっている林の下をくぐって、この小島を横ぎり、エニセイ川の小さな流れのほうの岸辺に出た。
この流れを渡るのは、はるかにたやすかった。ここでは川の流れをさえぎるような渦は巻いていなかった。だが流れは非常に速いので、〈キビトカ〉は五露里川下でやっと右岸に到達した。全部で一一露里、流されたわけである。
シベリア地方のこれらの大河は、当時はまだ橋がかかっていなかったので、交通の大きな障害となっていた。これらの川はミハイル・ストロゴフにとっては多かれ少なかれ、不幸の種になったのだった。イルトイシ川では、ナージャといっしょに乗った渡船が、タタール兵に襲われた。オビ川では、奇跡的に追跡する騎兵隊から逃れることはできたが、乗馬を弾丸で射たれた。結局、このエニセイ川の渡河が、まあいちばん無事になされたのだった。
「これほど困難でなかったら、こんなにおもしろくもなかったでしょうな」右岸にあがるとニコライは、両手をこすりながらこう言った。
「ねえ、きみ、われわれにとっては困難でしかなかったが、おそらくタタール人なんかにはできない芸当でしょうよ!」と、ミハイル・ストロゴフは答えた。
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八 道を横ぎる野うさぎ
ミハイル・ストロゴフはやっと、イルクーツクへの道が自由であることを信じることができた。彼はトムスクに引きとめられていたタタール軍の先を越すことができたのだった。タタールの首長の軍隊がクラスノヤルスクに到着したときには、放棄された町しか見出されない。そこでは、エニセイ川の二つの流れをただちに渡るというような手段は見つからないだろう。船の橋をつくるということ、これもなかなか大仕事だが、それをつくって軍隊を渡らせるには、数日間おくれるにちがいない。
皇帝の密使はこのときはじめて、オムスクでのイヴァン・オガリョフとの不吉な邂逅以来いくらか不安がなくなり、もうこれからは目的地に至るまで、新しい障害物は現われまいと思った。
〈キビトカ〉は斜めに一五露里ほど東南へ進むと、草原を横ぎっている長い道を見つけて、その道をとった。
道はたいへん良かった。クラスノヤルスクとイルクーツクとのあいだの道は、いちばんいい道だと言われていたのである。旅行者は車の動揺で苦しめられることもなく、緑のしげみが、灼熱の太陽から彼らを守ってくれた。ときには、松や杉の林が、一〇〇露里もつづくことがあった。それは、円を描いた緑が地平線上で空と一つになるといった、あの広大な大草原ではなかった。だが、この豊かな地方も、いまは打ち捨てられていた。いたるところに人気のない部落があった。ほとんどがスラブ系であるシベリア農民の姿は、そこには見えなかった。それは無人の境で、しかもそれは知ってのとおり、命令によってなされたのだった。
天気はよかった。だが、すでに夜のうちに冷やされた空気は、太陽の光にあたっても、なかなか暖まらなかった。じじつ九月の初旬になると、緯度の高いこの地方では、地平線上に太陽の描く弧が、目に見えて短くなった。シベリアのこの地域は、北緯五五度、つまりエジンバラとコペンハーゲンとの線以上には出ていなかったが、秋はほんとうに短かった。ときには冬が不意に、夏のすぐあとにつづくこともあった。アジア・ロシアの冬は、じつに早くやってくるのだ。寒暖計が、零下四二度ぐらいまでさがることもあった。だから人びとは、平均して零下二〇度ぐらいの気温はがまんできると考えているのである。
そこで、この三人の旅行者にとっては、いまの気候が快適だった。嵐もなければ、雨もそれほど降らなかった。暑さもちょうどよく、夜は涼しかった。ナージャの健康も、ミハイル・ストロゴフの健康もまず申し分なく、そしてトムスクを出てからは、それまでの疲れもすこしずつ回復してきた。
ニコライ・ピガソフにいたっては、彼の健康はこの上なしだった。彼にとってはこんどの旅行は散歩にすぎなかったので、仕事のない電信局員が休暇をとってしている、快適な遠足といっていいだろう。彼はこう言っていた。
「ほんとうにこれは、一日に一二時間椅子に坐って送信機をいじくっているよりは、どんなにましかわからない!」
ところでミハイル・ストロゴフは、ニコライにもっと速く馬を走らせてもらえるようにしてもらうことができた。そうするためには彼は、ナージャと彼はイルクーツクに追放されている父に会いに行くので、そのためにできるだけ早く行かねばならないのだと、打ち明けなければならなかった。もちろん、馬はあまり酷使できなかった。なにしろ代わりの馬を交換することができなかったからだ。だが、ときどき休息を与えてやれば、たとえば一五露里走るごとに一回というふうにすれば、二四時間で六〇キロはだいじょうぶこなせるだろう。それに、馬は元気だった。種類から言っても、長途の疲れによく耐えることのできる馬だった。途中で牧草にはこと欠かなかった。草はたくさんあって、栄養豊富だった。それゆえすこしくらい骨折ってもらうことも要求できたのである。
ニコライは、このような要求を承知してくれた。彼は追放された父のもとに赴き、その父と運命をともにしようとする二人の事情を聞いて、ひどく感動した。彼にとっては、これほど心打たれる話はないように思われた。彼は微笑しながらナージャに言った。
「ほんとにねえ! コルパノフさんがあんたたちに会い、あんたたちを腕に抱きしめたら、どんなに喜ぶことだろうなあ! もしわたしがイルクーツクまで行ったら――どうやらそういうことになりそうだが、――わたしにもその場面に立ち会わせてもらいたいもんだね! ねえ、いいでしょう?」
そう言ってから彼は額を叩いて、つづけた。
「でもね、息子さんがめくらになったことを知ったら、どんなに悲しむだろうね! まったくこの世の中は、いいことと悪いことと、なにもかもごちゃまぜだ!」
けっきょく、こうしたわけで、いまでは〈キビトカ〉は前よりは速く走ることになった。ミハイル・ストロゴフの計算では、いま一時間に一〇露里ないし一二露里走っていることになる。
その結果八月二八日には、旅行者たちはクラスノヤルスクから八〇露里離れたバライスク、二九日にはバライスクから四〇露里のリビンスクを通過した。
その翌日には、さらに三五露里離れたカムスクに至った。これはバライスクやリビンスクよりも大きな町で、同じ名前の川がその町のそばを流れていた。この川はエニセイ川の小さな支流で、サヤンスク山から出ていた。この町は木造家屋が一つの広場のまわりに絵のように密集しているたいして重要でもない町だが、大聖堂の高い鐘楼がそびえ、頂上にある金の十字架が、太陽の光を受けて美しく輝いていた。
家はどこもがらんとしていて、教会にも人影はなかった。宿駅もなくなっていたし、宿屋にも誰もいなかった。馬屋にも馬一頭いなかった。草原にも、家畜一匹いなかった。モスクワ政府の命令は、完全に施行されていた。運び出されないものは、破壊されていた。
カムスクを出たときミハイル・ストロゴフは、ナージャとニコライに、あとイルクーツクまでは、ニジネ・ウジンスクという多少重要な小さな町があるばかりだと教えた。ニコライは、その町には電信局があるのでよく知っていると答えた。もしニジネ・ウジンスクがカムスクと同じように放棄されていたら、彼は東シベリアの首都まで職場を捜しに行かなければならないだろう。
〈キビトカ〉はカムスクの先で、道を横ぎっている小川をらくらくと渡った。それに、エニセイ川と、その大きな支流の一つであるアンガラ川、この川はイルクーツクに注いでいるのだが、この二つの川のあいだにはジンカ川以外にはたいして障害になる川はなかった。それゆえ旅行は、そんなにおくれるようなことはなさそうだった。
カムスクからつぎの町までの行程はたいへん長く、約一三〇露里あった。もちろん、きまった休息は正確に守られていたのであって、「これを守らないと、馬から異議申し立てがあるでしょうよ」と、ニコライは言っていた。この勇敢な馬とは、一五露里走るごとに休むという約束になっていたのであって、たとえ動物との約束でも、契約の条文は正確に守らなければならなかった。
ビリウサの小川を渡ったのち、〈キビトカ〉は九月四日の午前に、ビリウシンスクに到着した。
その地でたいへん幸運なことに、食糧がなくなろうとしていたニコライは、一軒の空家の台所のかまどから、羊の脂肪をまぜて作った一種の菓子である〈ポガチャ〉と、水につけた相当の量の米とを見つけた。この獲物は、クラスノヤルスクで馬車にたっぷり積みこんだ馬乳酒の貯えに、さらにうまい具合に加わったと言えよう。
適当に休息した後、九月五日の午後に、ふたたび出発した。イルクーツクまでの距離は、もはや五〇〇露里しかなかった。後方に、タタール軍の前衛が現われたようすは、まったくなかった。そこでミハイル・ストロゴフは、これでもはや彼の旅行は邪魔されることなく、一週間かおそらく一〇日後には大公にお目通りできるだろうと考えることができた。
ビリウシンスクを出たとき、一匹の野うさぎが〈キビトカ〉の前三〇歩のところを横ぎった。
ニコライが、「あっ!」と叫んだ。
「どうしたんだね」ちょっとした物音にも目を覚ます盲人といったふうに、ミハイル・ストロゴフがせきこんでたずねた。
「あんたは見なかったかね……」そう言ったニコライの晴れやかな顔が、急にくもった。
それから彼は、こうつけたした。
「そうだ! あんたは見えないはずだ! そのほうが、あんたにとって良かったよ!」
「でも、あたしも何も見なかったわよ」と、ナージャが言った。
「そりゃよかった! よかったね! でも、わたしは……わたしは見ちゃったんだ!」
「いったい、なんのことなんです?」と、ミハイル・ストロゴフがたずねた。
「一匹の野うさぎが、われわれの行く手を横ぎったんだよ!」と、ニコライが答えた。
ロシアには、一匹の野うさぎが旅行者の行く道を横ぎると、近いうちに何か不幸が起きるという迷信があった。
多くのロシア人と同じように迷信ぶかいニコライは、馬車をとめてしまった。
ミハイル・ストロゴフは、野うさぎが道を横ぎるからどうしたなんていう迷信などちっとも信じてはいないが友の躊躇する気持はよくわかるので、彼を安心させようとして言ってやった。
「心配することは、なんにもないよ」
「あんたや妹さんにとっては、なんでもないだろうがね、でも、わたしにとっては!」と、ニコライは答えた。そしてまた言いつづけた。
「まあ、これもめぐり合わせだ」
そして彼は、ふたたび馬を走らせはじめた。
しかしながら、そうした忌わしい前兆があったのに、その日は何事もなくてすんだ。
翌九月六日の正午に、〈キビトカ〉はアルサレフスク村で休んだ。ここもまた他の町村と同じように、誰もいなかった。
その村の一軒の家の戸口で、ナージャは、シベリアの猟師が使う丈夫な刃の短刀を二つ見つけた。彼女はその一つを、ミハイル・ストロゴフに渡した。彼はそれを服の下に隠し、もう一つはナージャが自分のためにとっておいた。〈キビトカ〉は、ニジネ・ウジンスクまで七五露里しかないところまで来ていた。
ニコライはこの二日間というもの、いつもの上機嫌さを取りもどすことができなかった。あの悪い前兆は、人が想像する以上に彼に作用したのであって、いままでは一時間もしゃべらずにはいられなかったのに、それがときどき長い沈黙に陥ってしまうので、ナージャは彼を沈黙から引きだすのに苦労した。こうした徴候は、たしかに強いショックを受けた人間にはありうることであって、これは北方民族に属す人たち、あの北方楽土の神話をつくった迷信ぶかい先祖をもった人間なら、じゅうぶん考えられることである。
エカテリンブルグを出ると、イルクーツクへの道はほとんど並行に北緯五五度の線に沿っていたが、ビリウシンスクからは明らかに東南に斜行し、東経一〇〇度線を斜めに切っていた。道はサヤン山脈の勾配を越えて、東シベリアの首都へ行く最短コースを取っていた。この山脈は、二〇〇露里の彼方に見えるアルタイ山脈の一支脈にすぎなかった。
〈キビトカ〉は、この道を走っていた。そう、たしかに疾駆していた。ニコライはもう馬をいたわることは忘れてしまって、いまでは彼も早く目的地へ着こうとしているかのようだった。いささか宿命論者的な諦観をもっていたにもかかわらず、イルクーツクの城壁のなかに入れば安全だと、彼は信じていたのである。多くのロシア人が、彼と同じように考えたにちがいなかった。誰だって、野うさぎが行く手を横ぎるのを見たら、馬の向きを変えて、あとに引き返したにちがいなかった!
ところで彼のした観察によれば、ナージャはそれをミハイル・ストロゴフに伝えながらそれが正確であると認めたが、おそらくなお幾多の辛い試練が彼らに残されているにちがいないと信じさせたのだった。
じじつ、クラスノヤルスクからここまで来るあいだ、土地は自然の状態そのままだったが、森は焼かれたり伐採された痕を示し、道に沿って広がっている牧場は、荒らされていた。あきらかに、たくさんの人の群れが、ここを通ったにちがいなかった。
ニジネ・ウジンスクから三〇露里手前まで来ると、最近荒らされたという徴候が歴然としていた。これらは、タタール人の仕業と考える以外に考えようがなかった。
じじつ畑は、馬のひづめで踏みにじられたばかりでなく、森はたんに斧で切り倒されただけではなかった。道路に沿って散在している何軒かの家は、たんに空家になっているのではなくて、ある家は一部破壊され、ある家はなかば焼かれていた。弾丸の痕が壁に残っていた。
ミハイル・ストロゴフの不安がどんなであったかは、容易に察せられるであろう。タタール軍の部隊が最近この道を通っていったことは、疑う余地もなかった。だが、それがフェオファル汗の軍隊であるはずはなかった。なぜならば彼らが、彼の気づかぬうちに先を越して行くということはありえないからだった。だが、それではこの新しい侵入者は何者であろうか? 草原のどの道を迂回して、このイルクーツクへの大道に出ることができたのであろうか? 今後、皇帝の密使は、どのような新手の敵に遭遇するのだろうか?
ミハイル・ストロゴフはこのような危惧を、いたずらに心配させてもいけないと思ったのでナージャにもニコライにも伝えなかった。それに彼は、どうしても越えられない障害に邪魔されないかぎり、このまま道をつづけるつもりでいた。もっとあとにならなければ、どうしたらいいかはわからないだろう。
つぎの日には、最近かなりの騎兵と歩兵の部隊が通過したことが、いよいよはっきりとしてきた。地平線の彼方に、煙が立ちのぼっているのが見えた。〈キビトカ〉は用心しながら走った。打ち捨てられた村の何軒かの家はまだ燃えていて、それらはたしかに、火をつけられてからまだ二四時間たってはいなかった。
ついに、九月八日になって、〈キビトカ〉が立ち往生した。馬が進むのをこばんだのである。セルコが悲しそうに吠えた。
「どうしたんだ?」と、ミハイル・ストロゴフがきいた。
「死体だ!」とニコライは答えた。馬車から飛び降りた。
その死体は、農夫だった。ひどく切りきざまれて、もう冷たくなっていた。
ニコライは、十字をきった。それからミハイル・ストロゴフの手を借りて、死体を道の斜面に移した。彼は草原の狼どもがこの哀れな遺体に襲いかからないうちに、丁重に土ふかく埋めてやりたいと思ったが、ミハイル・ストロゴフが、そのような時間を、彼に与えなかった。
「さあ、出かけよう、出かけよう!」と、彼は叫んだ。「もう、一時間だって、ぐずぐずしてはいられない!」
〈キビトカ〉は、また走りだした。
それにニコライはもはや、シベリアのこの国道にころがっている死骸全部に最後の義務を果たそうとしても、とても手がまわりきらなかったであろう! ニジネ・ウジンスクに近づくにつれて、このような死骸が二〇ずつかたまって、地面のあちこちによこたわっていた。
だが、とにかく、もうとてもこれから先へは行けないというところまでは、侵入者どもの手につかまらないようにして、道をつづけなければならなかった。だから道路は変更しなかったが、荒廃と侵略のあとは、村ごとにひどくなってきた。ポーランドの亡命者たちの手によって作られ、彼らの名前が与えられたこれらの村々は、掠奪と放火の蛮行の思いのままにまかされてあった。犠牲者たちの血潮は、まだ凝結してなかった。どのような状態のもとで、このような残忍なことが行なわれたか、知るよしもなかった。なにしろ、そのことを語る人間が、一人も生きていなかったからだ。
その日、午後の四時ごろ、ニコライは地平線上に、ニジネ・ウジンスクの教会堂の高い鐘楼がそびえているのを指差した。その鐘楼の上あたりに大きく渦をまいている煙霧は、どうも雲のようには思われなかった。
ニコライとナージャはじっとそれを見て、その観察の結果をミハイル・ストロゴフに伝えた。ここで決断を下さねばならなかった。もし町が放棄されていたら、危険なしに町を横ぎることができた。だが、もしタタール軍が不可解な行動によって町を占拠しているとすれば、なんとしても町を迂回しなければならなかった。
「用心しながら前進しよう」と、ミハイル・ストロゴフは言った。「とにかく前進しよう!」
一露里ほど、また走った。
「あれは雲ではないわ、煙だわ!」と、ナージャが叫んだ。「兄さん、町に火をつけたのよ!」
実際、それは、あまりにもはっきりしていた。くすんだ色をした赤い炎が、煙のなかに見えていた。それらの渦巻きはだんだん濃くなってきて、空に立ち昇った。だが、逃げてくる者はいなかった。おそらく放火した連中は、町が放棄されているのを見て、焼き払ったということが考えられた。だが、こんなことをしたのは、はたしてタタール軍だろうか? ロシア兵が、大公の命を受けてやったのではなかろうか? ロシア政府は、クラスノヤルスクからこちらへかけて、つまりエニセイ川からの一つの町、一つの村も、タタール王の兵士たちに寝泊りするところを与えないようにしたのではあるまいか? さて、ミハイル・ストロゴフとしては、とどまるべきか、それとも道をつづけるべきであろうか?
彼は迷っていた。だが、あれこれ考えたあげくに、草原を横断する旅行がどんなに疲れようが、また道がついていまいが、またもやタタール軍の手につかまることだけはなんとしても避けなければならないと決心した。そこで彼はニコライに、この道を離れるように、どうしてもそうしなければならないなら、ニジネ・ウジンスクを迂回してからまたこの道に出るようにと提案しようとした。するとそのとき、右手のほうで銃声がひびいた。一発の弾丸が飛んできて、〈キビトカ〉の馬の頭にあたり、即死した。
それと同時に一二人ほどの騎兵が道に現われて、〈キビトカ〉は包囲された。ミハイル・ストロゴフ、ナージャ、ニコライは顔を見合わす閑もなくして捕虜となった。そしてただちに、ニジネ・ウジンスクのほうへ連れていかれた。
ミハイル・ストロゴフは、このような襲撃を受けながらも、いつもの平静さをすこしも失っていなかった。敵の姿が見えないので、彼は抵抗しようと考えることもできなかったのだ。だが、たとえ目が見えたにしろ、彼はそのようなことはしなかったであろう。それは、自らすすんで虐殺されるようなものであったろう。だが彼は、目は見えなくとも、彼らが話すことを聞いて、理解することはできた。
じじつ彼らの言葉によって、これらの兵隊がタタール軍であること、そして彼らの話から、彼らが侵入軍の軍隊よりも前にここに来ていることもわかった。
さらに彼はその後、耳にしたきれぎれの会話によって、つぎのようなことを知ったのである。
これらの兵士は、いまなおエニセイ川の彼方にいるフェオファル汗の命令を直接に受けているのではなかった。彼らは主としてホハンド汗国とクンドゥーズ汗国のタタール人より成っている第三軍に属していて、フェオファルの軍隊と近いうちにイルクーツクの付近で合流しようと、作戦を展開していたのだった。
この縦隊がセミパラチンスク管区の州境を越え、バルハシ湖の南を過ぎて、さらにアルタイ山脈のふもとに沿ってやってきたのは、イヴァン・オガリョフの進言によるものであって、これにより東シベリア侵入の成功を確実にするためだった。クンドゥーズ汗の一士官によって指揮されたこの部隊は、途中掠奪したり荒らしまわったりしながら、エニセイ川の上流に至った。その地で、クラスノヤルスクが皇帝の命令で放棄されると予想したこの士官は、タタール軍の本隊の渡河を容易にするために、小舟の一戦隊を上流から出発させたのだった。これらの小舟は、兵士をはこぶのにも役立つし、また橋の代わりにもなり、フェオファル汗の軍隊がエニセイ川の右岸に渡って、イルクーツクへの道を進撃する手助けになるわけだった。それからこの第三軍の縦隊は、山脈のふもとを迂回して、エニセイ川の谷間に降り、アルサレフスクの高地から、この国道に出たのである。そしてそこから、この小さな町をはじめとして、タタール軍のおきまりの恐るべき焦土戦術を開始したのだった。ニジネ・ウジンスクも、いま同じような運命を受けたところだった。そして、その数五万といわれているタタール軍は、すでにこの町を去って、イルクーツク前面の最初の陣地を占領しようとしていた。まもなく彼らは、タタールの首長の軍隊と合流するであろう。
以上が、その当時の状況だった。――この状況は、完全に孤立している東シベリアのこの地方にとっては、またなんといっても劣勢なこの首都の守備軍にとっては、この上なく重大なものだった。
つまりミハイル・ストロゴフの知りえたことと言えば、タタール軍の第三軍がイルクーツクの前方に到着していること、近いうちにタタールの首長とイヴァン・オガリョフとが、その軍隊の主力を率いてこれに合流すること、したがってイルクーツクは包囲され、陥落はもはや時間の問題でしかないこと、おそらくそれはごく短期間のうちに実現されるであろうということなどであった。
ミハイル・ストロゴフは、どのような考えを抱いていたであろうか、わかるだろうか! こうした状況にあっては、彼がついに勇気を失い、希望を失ったとしても、誰がそれを意外に思うだろうか? だが彼は、けっしてそのようなことはなかった。彼の唇は、ただこのようにつぶやいていただけだった。
「おれはかならず着いてみせるぞ!」
タタール軍の騎兵に襲撃されてから三〇分後に、ミハイル・ストロゴフ、ナージャ、ニコライは、ニジネ・ウジンスクに入った。忠実な犬は彼らのあとを追ってきたが、かなり遠く距離をおいていた。彼らは、この町にとどまるわけにはいかなかった。町は炎上していたし、最後の掠奪者も引きあげようとしていたからだった。
そこで三人の捕虜は馬に乗せられて、急いで引ったてられていった。ニコライはあいかわらず諦めきっていたし、ナージャは依然としてミハイル・ストロゴフを信じきっていたが、そのミハイル・ストロゴフはといえば、表面は無頓着をよそおっていたが、すきあれば逃げ出そうと、その機会をつかまえようとかまえていた。
タタール兵は、捕虜の一人がめくらなのに気がついたが、彼らはその生まれつきの残酷さから、この不幸な人間を慰みものにすることを思いついた。彼らは行進を急いでいた。ミハイル・ストロゴフの馬は、彼以外に案内人はいないので、行きあたりばったりに歩きまわり、しばしば大隊の列から離れて秩序を乱した。すると口ぎたなくののしられ、彼に暴力が加えられた。それは若い娘の胸を裂き、ニコライを憤慨させたが、彼らにどうすることができたであろうか? 彼らはタタール語を話すことができなかった。それゆえ手心を加えてくれるようにとたのんでも、無慈悲にはねつけられた。
まもなくこれらの兵士たちは、野蛮人のもっている狡猾さから、ミハイル・ストロゴフの乗っている馬を、めくらの馬と取り替えた。一人の騎兵が、それを思いついたのだった。だがその一人の騎兵がこうつぶやいたのを、ミハイル・ストロゴフは聞いたのである。
「このロシア人は、ひょっとすると、目が見えるのかもしれんぞ!」
それは、ニジネ・ウジンスクから六〇露里先の、タタンとシバルリンスコエのあいだで起きたことだった。ミハイル・ストロゴフをめくらの馬に乗せ、皮肉にも手綱を彼の手に握らせた。それから馬を鞭で打ったり、石をぶつけたり、どなりつけたりして興奮させ、走らせた。
馬は、なにしろ乗り手もめくらなのでまっすぐに走ることができず、ときには木にぶつかったり、道の外に飛び出したりした。こんなふうに衝突したり、落馬したりしていれば、そのうちに彼は不幸な結果になるかもしれなかった。
だがミハイル・ストロゴフは、すこしも反抗しなかった。不平を訴えもしなかった。馬が倒れれば、誰かが起こしにきてくれるのを待っていた。そうすると、誰かが起こしにきた。そうして、この残酷な遊びがつづけられた。
ニコライは、このようなひどい待遇にがまんできなかった。彼は駆けだしていって、その友を救おうとした。人びとは彼を引きとめて、乱暴した。
ついにこの遊びは、もし大きな事故によって終止符を打つにいたらなかったならば、それこそいつまでもつづけられて、きっとタタール兵をおおいに喜ばせたことだろう。
九月一〇日の日中、ちょっとしたことでめくらの馬が暴れだし、道のそばにあった深さ九メートルから一二メートルにおよぶ穴に向かって、まっしぐらに走りだした。
ニコライは飛んでいこうとした! だが、引きとめられた。馬は御してくれないので、乗り手といっしょに穴のなかに落ちこんだ。
ナージャとニコライとは、恐怖の叫び声をあげた。……二人は、彼らの不幸な友が墜落してからだをこなごなに打ちくだかれて死んだにちがいないと思った。
彼を起こしに行ってみると、ミハイル・ストロゴフは鞍から飛び降りたので傷一つ負っていなかった。だが馬はかわいそうに両脚を折って、もう使いものにならなかった。
タタール兵は馬にとどめもささずに、そのまま野垂れ死にさせた。そしてミハイル・ストロゴフは一人のタタール人の鞍につけられて、歩かせられることになった。
こんども彼は不平一つ言わず、反抗もしなかった! 自分を縛りつけている綱にかろうじて引っぱられながら、足ばやに歩いた。キソフ将軍が皇帝に話したように、彼はまさしく〈鉄の男〉だった!
翌九月一一日、騎兵小隊は、シバルリンスコエの部落を通過した。
そのとき、重大な結果をひき起こすことになった、一つの事件が生じた。
夜になっていた。タタール軍の騎兵たちは、休んだときに酒を飲むので、多少なりとも酔っていた。そして彼らは、ふたたび行進した。
ナージャはいままで、まったく奇跡的にこれらの兵士たちから尊敬されていたのだが、そのとき彼らの一人によって陵辱された。
そのときニコライは、よく考えもせず、おそらくは自分が何をしようとしているかを意識もしないで、ゆっくりとその兵士のほうへ向かっていった。そしてその兵士が彼をつかまえようとして行動を起こす前に、鞍につけられてあった拳銃を奪って、相手の男の胸をぶち抜いた。
小隊を指揮していた士官は銃声を聞いて、すぐに駆けつけてきた。
騎兵たちは、この不幸なニコライを八つ裂きにしようとしたが、士官の命令で彼を縛りあげ、馬の背に横に乗せると、小隊は駆け足で走り去った。
ミハイル・ストロゴフはこれまで、縛られていた綱をかじっていた。そこで馬が急に走りだしたので綱が切れた。その馬に乗っていた兵士は半分酔っていたし、急に走りだしたこととて、そのことに気づかなかった。
ミハイル・ストロゴフとナージャとは、二人だけ道の上に置き去りにされた。
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九 草原地帯にて
ミハイル・ストロゴフとナージャとはまたしても、かつてペルミからイルトイシ川の岸辺まで旅したときと同じように、自由の身となった。だが、あのときとは、旅の条件がどんなに変わったことだろう! あのときは、乗り心地のよい〈タランタス〉馬車があり、たえず継ぎ馬は替えられたし、宿駅がちゃんとしていて、急ぎの旅が確実にできた。ところがこんどは徒歩で、乗り物を手に入れる手段はまったくなくて策の施しようもなく、それに食糧を得ることもできなくて、これからなお四〇〇露里も歩かねばならない! しかもミハイル・ストロゴフは、ナージャの目をたよりにするしかなかったのだ。
偶然いっしょになった友人は、あの忌わしい事件のために失ってしまった。
ミハイル・ストロゴフは、道の斜面の上によこたわっていた。ナージャは立ったままで、彼が出発の言葉をかけるのを待っていた。
夜の一〇時だった。三時間半前から太陽は、地平線の彼方に姿を没していた。一軒の家も、一つの小屋も見えなかった。最後のタタール兵の姿が、はるか彼方に消え去った。ミハイル・ストロゴフとナージャとは、完全に彼らだけになった。
「あの連中は、あの人をどうするでしょうね?」と、若い娘は言った。「気の毒なニコライ! あたしたちに会ったばかりに、とんだ目にあったんだわ!」
ミハイル・ストロゴフは答えなかった。
「ミハイル、あなたがタタール兵のおもちゃにされていたときあなたの身を守ったことや、あたしのために身を犠牲にしたことをご存じなの?」
彼はあいかわらず、だまりこんでいた。頭を両手で抱えて、いったい彼は何を考えこんでいるのだろうか? 彼は何も答えないが、いったい彼はナージャの言っていることを聞いているのだろうか?
そう! 彼は聞いていたのだ。なぜならナージャがさらに、「ミハイル、あたしはあなたをどこへ連れていったらいいの?」と言ったとき、彼はこう答えたからだった。
「イルクーツクへ!」
「この国道を通って?」
「そうだよ。ナージャ」
ミハイル・ストロゴフは目的地へどんなことがあっても達すると誓いを立てた以上は、それを変えるような男ではなかった。国道を行くことは、最短距離を行くことだった。もしフェオファル汗の軍隊の前衛部隊が現われたら、そのとき脇道にそれたらいい。
ナージャは彼の手をとった。そして彼らは出発した。
翌九月一二日の朝、二〇露里離れたツルノフスコエの部落で、二人はすこしばかり休んだ。この部落も焼かれて、人の姿は見えなかった。ナージャは一晩じゅう、ニコライの死体が道の上に放り出されていやしなかと捜してみたが、部落の焼け跡や、死人のあいだを捜してみても、それらしいものは見あたらなかった。いままでのところ、ニコライはまだ死をまぬかれているようだった。だが、イルクーツクの陣営に着いたときには、どんな残酷な刑罰を受けることだろうか?
飢えでへとへとになったナージャは、もちろんその連れもひどく苦しんでいたが、さいわいなことに部落の一軒の家で、わずかばかりの干した肉と、〈スーハリス〉という栄養分のあるいつまでも保存のきく乾燥パンとを見つけた。ミハイル・ストロゴフと若い娘とは、持って行かれるだけ、それらを持った。こうして数日分の食糧は確保できたし、水はアンガラ川の無数の小さな支流が流れているこの地方では、不足するようなことはなかった。
彼らはふたたび歩きはじめた。ミハイル・ストロゴフは、しっかりした足どりで歩いた。そしてナージャが疲れたときしか、足をゆるめなかった。彼女はおくれたくなかったので、おおいに努力して歩いた。さいわいなことにその連れは、彼女が疲れてどんなにひどい状態にあるかは見えなかった。
だが彼は、よくそれを感じとっていたのだ。
「もうずいぶん疲れたろう」と、彼はときどきたずねた。
「いいえ」と、彼女は答えた。
「きみがもう歩けなくなったら、おぶってあげるよ」
「ええ、そうしましょう、ミハイル」
この日のうちに、オカ川の小さな流れを渡らねばならなかった。だが浅瀬を渡れたので、この渡河はすこしの困難もなかった。
空は曇っていたが、気温は耐えることができた。だが天気はどうやら雨になる心配があった。そうなったら、いっそうみじめなことになった。ときどき夕立になったが、長くはつづかなかった。
彼らはこうして手に手を取り合い、ほとんどしゃべらずに歩いていった。ナージャは前後をたえず警戒していた。一日に二度休んだ。彼女はまたある小屋で、羊の肉をすこし見つけた。これはこの地方ではごくふつうに用いられている食糧で、一ポンドが二カペイカ以上もしなかった。
だが、ミハイル・ストロゴフがおそらく望んでいたであろう馬やらくだのたぐいは、このあたりには一頭も見つからなかった。みんな殺されたり奪われたりしてしまったのだ。そこでどうしても、この果てしない草原地帯を歩きつづけなければならなかった。
イルクーツクへと進撃をつづけているタタール軍の第三の縦隊の通ったあとは、はっきり痕が残っていた。こちらには馬が死んでいるし、あちらには荷車が捨てられてあった。道には気の毒なシベリア人の死骸がよこたわっていて、ことに村の入口に多かった。ナージャは胸の悪くなるのをがまんして、それらの死骸を眺めた!
けっきょく、危険は前方ではなくて、後方にあった。イヴァン・オガリョフの指揮するタタール軍の主力をなす前衛部隊が、いつ現われてくるかわからなかったからだった。エニセイ川の下流に送られた舟は、もうクラスノヤルスクに着いて、すぐに渡河するのに役立ったにちがいなかった。道にはそのとき、侵入軍を邪魔するものは何もなかった。クラスノヤルスクとバイカル湖のあいだでは、ロシア軍が彼らを阻むということはありえなかった。ミハイル・ストロゴフは、タタール軍の偵察隊が現われることを覚悟していた。
そこで休憩するときには、ナージャがすこし高いところにのぼって、注意ぶかく西のほうを眺めた。だが騎兵隊の出現を知らせるような砂塵はまだ現われなかった。
それから、ふたたび歩きはじめた。ミハイル・ストロゴフは、気の毒なナージャを自分が引っぱっているのを感じると、歩みをゆるめた。彼らはほとんど話さなかった。話せばニコライのことだけだった。若い娘は、この数日間の友が彼らに尽くしてくれたことを思い出しては話した。
ミハイル・ストロゴフはそれに答えながら、自分自身ではもうそんなことはすこしも思ってはいないのだが、彼女にはまだいくらか希望を持たせるように努めた。というのは、あの不幸な男が死を免れないことは歴然としていたのだった。
ある日彼は、ナージャに言った。
「きみは、わたしの母については、何も話してくれないんだね?」
彼のお母さん! ナージャは彼の母親については、何も話したくなかったのだ。どうして彼の苦しみをかき立てることができようか? あのシベリアの老婆は、死んだのではあるまいか? 彼女の息子は、トムスクの高台でよこたわっているその死体に、最後の口づけをしたのではなかったか? でも彼はなおも言った。
「母のことを話してくれ、ナージャ! ぼくには、それがうれしいんだよ!」
そこで彼女は、いままで話してなかったことを話した。彼女がオムスクでマルファとはじめて会ったときからどんなことがあったか、すべてを語った。口に出しては言えないような本能のようなものが彼女を未知の老いたる女囚に近づけたこと、彼女がなにくれとなく老婆の世話をしたこと、また彼女は老婆からおおいに勇気づけられたことを、なにもかも話した。そのころはミハイル・ストロゴフは彼女にとっては、まだニコライ・コルパノフだったのだ。
「わたしはいつまでも、それで通さねばならなかったのだが!」と、彼は顔を曇らせて言った。
それからしばらくして、彼はまた言った。
「わたしは誓いを破ったのだよ、ナージャ。わたしは母に会うまいと誓いを立てていたんだよ!」
「だって、あなたが会おうとしたんじゃないわ、ミハイル!」と、彼女は答えた。「ただ偶然なことから、お会いしたんだわ!」
「わたしはどんなことがあろうとも、自分の身分をあかすまいと誓ったんだ!」
「ミハイル、ミハイルったら! あなたは、お母さんに振り上げられた鞭を見て、がまんできたの? できないでしょう! どのような誓いにしろ、息子が母親を救いに行くのをさまたげることなんかできないわ!」
「わたしは誓いを破ったんだよ、ナージャ」と、彼はまたもや言った。「神さま、父なる皇帝よ、どうぞお許しください!」
「ミハイル」そのとき若い娘が言った。「あたし、あなたに一つおたずねしたいことがあるの。もし答える必要がないと言うんなら、答えなくてもいいわ。あなたのなさることなら、あたしを傷つけることはなんにもないんだから」
「話してごらん、ナージャ」
「なぜ皇帝の密書が奪われてしまったというのに、こんなに急いでイルクーツクへ行かなければならないの?」
ミハイル・ストロゴフは、その連れの手を強く握りしめた。だが彼は答えなかった。
「じゃ、モスクワを発つ前に、密書の内容は知っていたのね?」ナージャはふたたびたずねた。
「いや、わたしは知らないんだよ」
「では、ミハイル、あたしをお父さんに引き渡したいというだけのことで、イルクーツクへ行くのだと考えてもいいの?」
「いや、そうじゃないよ、ナージャ」と、おもおもしい口調で彼は答えた。「きみをそんなふうに考えさせているとしたら、わたしはきみをだましていたことになる。わたしは、わたしの義務が行くようにと命じているところに行くのだ! わたしはきみをイルクーツクへ連れていくというけれども、いまでは、ナージャ、きみがわたしを連れていってくれてるのじゃないかね! きみの目がわたしの代わりに見て、きみの手がわたしを導いてくれているのじゃないかね? 最初わたしがしてあげたことを、きみはいま一〇〇倍にして、わたしに返してくれているのじゃないかね! 運命がわたしたちを押しつぶそうとしているのを止めてくれるかどうかはわからない。だがしかし、きみをお父さんの手に渡したことをわたしに感謝してくれる日は、わたしもきみに、イルクーツクへ導いてくれたことを感謝するだろうよ」
「まあ、お気の毒なミハイル!」と、ナージャはすっかり感動して言った。「どうか、そんなふうにおっしゃらないで! あたし、あなたに感謝なんか求めませんわ。でも、ミハイル、どうしていまになっても、そんなに急いでイルクーツクへ行こうとなさるんですか」
「イヴァン・オガリョフより先に、イルクーツクに着かなければならないからさ!」と、彼は叫んだ。
「いまでも」
「いまでもだ、行かなければならないんだ!」
ところで、この最後の言葉を口に出して、ミハイル・ストロゴフは、裏切者にたいする憎しみだけを言いあらわしているのではないのだ。だがナージャは、友が彼女にすべてを打ち明けていないこと、またすべてを言うことができないことを、よくわかっていた。
それから三日後、九月一五日に、二人はツルノフスコエから七〇露里離れたクイツンスコエという部落に着いた。若い娘はもう苦痛がひどくて歩けなかった。足が痛くて、立ってもいられなかった。だが彼女はがまんして、疲労と闘った。彼女の頭には、つぎのような考えしかなかった。
「あの人にはあたしが見えないのだから、倒れるまで歩こう!」
それに、タタール軍が立ち去ってしまったので、道にはなんの障害物もなく、またこの時期に旅行するのには、なんの危険もなかった。あるのはただ、ひどい疲労だけだった。
三日間は、このような状態だった。侵入軍の第三部隊が、急速に東方めざして進撃していることは、あきらかだった。それは、彼らが残していった破壊の跡が、もはや煙を出していない灰や、地上によこたわって腐敗しかけている死体でもわかった。
西のほうにも、まだ敵の姿はすこしも見られなかった。ミハイル・ストロゴフは、この遅延を説明するために、まるきりありえないようなことまで推測するにいたった。じゅうぶんな兵力をもったロシア軍が、直接トムスクかクラスノヤルスクを攻撃しはじめたのではなかろうか? そうなれば他の二軍から孤立した第三軍は、連絡を断たれたのではなかろうか? もしそうだとすれば、大公としては、イルクーツクが防御しやすいことになり、侵入軍に対して時をかせげば、しまいには彼らを撃退しうるわけだ!
彼はときどき、このような希望的な見方に身をまかせていた。だがすぐにそれが、夢のようにはかないものであることが、わかった。そこで彼は、あたかも大公を救うことが彼の掌中にのみかかっているかのように、もはや自分自身しかあてにしないことにした!
クイツンスコエから、アンガラ川の支流のジンカ川のごく近くにあるキミルティスコエまでは、六〇露里あった。彼は、途中にあるかなり大きな流れであるこの川が障害になりはしまいかと、心配だった。渡船も船も見つかるはずはなかったし、もっといい季節にこの川を渡ったときも、徒渉がむずかしかったことを思い出した。だが、この川さえ渡ってしまえば、あと二三〇露里のイルクーツクまでは、もはや邪魔になる河川はなかった。
キミルティスコエまで行くのに、たっぷり三日を要した。ナージャは、足をひきずっていた。いかに精神力が強かろうと、体力は尽き果てようとしていた。ミハイル・ストロゴフには、それがよくわかっていた!
もし彼がめくらでなかったなら、おそらく彼女は彼にこう言ったであろう。
「行ってちょうだい、ミハイル、あたしをどこかの小屋に残したままで! イルクーツクに行ってちょうだい! そしてあたしの父に会ってください! あたしがどこにいるかを話して! あたしが待ってると伝えてください! そして二人して、あたしを捜しにきてくれるわね! さあ、行ってください! あたしは、こわくなんかない! あたしはタタール軍からうまく身を隠してみせるわ! 父のためにも、あなたのためにも、からだをだいじにするわ! さあ、行ってちょうだい、ミハイル! あたしはもう歩けないわ……」
何度となくナージャは、立ち止まらなければならなかった。そうするとミハイル・ストロゴフは、自分の腕のなかに彼女を抱きあげた。抱きかかえてしまえば、もう彼女の疲れのことなど心配する必要がないので、彼は疲れを知らぬ彼の足で、さっさと歩きだした。
九月一八日の夜の一〇時に、二人はやっとキミルティスコエに着いた。ナージャは丘の上から、はるか地平線上に、いくらか明るい一条の線を見た。それが、ジンカ川だった。雷鳴を伴わない稲妻が空中を明るくし、そのいくつかが水に映った。
ナージャは友の手を引いて、荒らされた部落を横ぎった。焼け跡の灰は、もう冷たくなっていた。最後のタタール兵が立ち去ってから、少なくとも、もう五、六日はたっていた。
部落のはずれの家まで来ると、ナージャは、石のベンチの上にくずれ倒れた。
「すこし休むかね?」と、ミハイル・ストロゴフはたずねた。
「もう夜ですわ」と、彼女は答えた。「数時間ここで休みませんか?」
「ジンカ川を渡りたいんだがね」と、彼は答えた。「われわれとタタール軍の前衛とのあいだに、この川をおきたいんだがね。でも、かわいそうに、ナージャ、きみはもう歩けないんだね!」
「いらっしゃい、ミハイル」と彼女は言うと、彼の友の手をとって歩きだした。
ジンカ川がイルクーツクへの道をさえぎっているところは、そこから二、三露里あった。ナージャは彼が彼女に求めた最後の努力を、やってみようと思った。そこで二人は、稲妻の光を浴びながら歩いた。彼らは、そのまんなかを小川が流れている果てしない荒野を横ぎって行った。シベリアの草原がふたたび始まろうとしているこの広い平野には一本の木もなければ、一つの小さな丘もなかった。大気にはすこしの風もなく、その静けさは、ちょっとした物音でも、かぎりなく遠くまで伝えたであろう。
とつぜん、二人は、彼らの足が大地の割れ目かなにかにとらえられたかのように、立ち止まった。
犬の吠える声が、草原を渡って聞こえてきた。
「あなた、聞いた?」と、ナージャが言った。
すると、それにつづいて悲しい叫び声が聞こえてきた。死にかけている人間の最期の叫び声のような、絶望の叫びだった。
「ニコライだわ! ニコライだわ!」彼女は不吉な予感にかられて叫んだ。
ミハイル・ストロゴフはじっと耳をすましていたが、頭をゆすった。
「いらっしゃい、ミハイル、いらっしゃい」と、ナージャが言った。
さっきまで足をひきずっていた彼女が、激しい興奮状態におちいって、とつぜん力を回復したのだった。
「道からはずれたのかね?」と、彼は足の下に砂埃だらけの道ではなくて短い草を感じたので、たずねた。
「そうなの……そうしなくちゃならないの!」と、ナージャは答えた。「右のほうから、叫び声が聞こえたわ!」
数分後に二人は、川から半露里ほどのところに来ていた。
もう一度、犬の吠えるのが聞こえた。前より力がなかったが、近いことは確かだった。
ナージャは立ち止まった。
「そうだ!」と、彼は言った。「吠えたのはセルコだ。……主人のあとを追っていったのだ!」
「ニコライ!」と、若い娘は叫んだ。
だが、彼女の叫び声には答えはなかった。
ただ数羽の猛禽類が飛び立って、空高く消え去っていった。
ミハイル・ストロゴフは耳をすました。ナージャは稲妻に照らされて、鏡のように光っている平野を見渡した。だが彼女には、なにも見えなかった。そのとき、もう一度、声が聞こえた。こんどは、うめくような声でつぶやいた。「ミハイル……」
そして、血まみれの犬が、ナージャに飛びついてきた。それは、セルコだった。
ニコライは、遠くではない! ミハイルの名前をつぶやけるのは、彼だけなのだ! どこにいるのか? ナージャはもう、彼を呼ぶだけの力もなかった。
ミハイル・ストロゴフは地面を這いながら、手さぐりで捜した。
とつぜんセルコが一声吠えて、地面すれすれに飛んでいる大きな鳥に飛びかかった。
それは、禿鷹だった。セルコが飛びかかると飛び立ったが、すぐ反撃に転じて、犬に襲いかかった! 犬はなおも禿鷹に飛びかかった! 恐ろしいくちばしが、犬の頭を突いた。こんどはセルコは、地面に倒れて息絶えた。
それと同時に恐怖の叫びが、ナージャの口からほとばしり出た。
「ここよ、ここよ!」と、彼女が言った。
一つの頭が、地面から出ていた! 稲妻の強い光が空から草原を照らさなかったら彼女はもうすこしでつまずくところだった。
ナージャは、その首のそばにひざまずいた。
ニコライはそこに、タタール人の残忍な慣習にしたがって、首まで土に埋められていた。彼らはこのように草原のなかに打ち捨てて、飢えと渇きのもとで死なせるか、あるいはまた狼の牙か猛禽のくちばしで死なすのだった。土のなかに埋められて、土をはねのけることのできない犠牲者にとっては、これほど恐ろしい刑罰はなく、腕をぴったりからだにくっつけられているのだから、これでは棺のなかの死体と同じだった! 犠牲者は、こわすことのできない粘土の鋳型のなかで生きているのだが、もはや死を願うよりほかなく、しかもその死ははなはだ緩慢にやってくるのだった!
タタール兵が彼らの捕虜をここに埋めたのは、三日前だった。……その日から三日間、ニコライは、とても間にあいそうもない助けを待っていたのだ!
禿鷹が、地面から出ているこの頭を見つけた。そして数時間のあいだ、犬はこの残忍な鳥から主人を守っていたのだ!
ミハイル・ストロゴフは、この生きている男を掘り出そうとして、短刀で地面を掘った!
それまで閉ざされていたニコライの眼が、見ひらいた。
彼は、ミハイルとナージャの姿を見たのだ。
それから彼は、「さよなら」と、つぶやいた。「あんたたちにまた会えてうれしい! わたしのために祈ってくれ……」
これが彼の最後の言葉だった。
ミハイル・ストロゴフは、土を掘りつづけた。土は踏み固められてあったが、やっと彼はそこから、不幸な男のからだを引きだすことができた。彼は、心臓がまだ打ってはいないかと、耳を押しつけた。……だが、もう打ってはいなかった。
彼は死体を草原にさらしたくなかったので埋葬したいと思った。彼はニコライが生きたまま埋められてあった穴を大きくひろげた。そこにゆっくり休めるようにと、穴をひろげにかかった! 忠犬セルコも、主人のそばに埋めてやろう!
そのとき、半露里ほど遠くの国道でさわがしい音がした。
ミハイル・ストロゴフは、耳をそば立てた。
その物音で彼は、騎馬隊の一小隊が、ジンカ川に向かっていることがわかった。
「ナージャ! ナージャ!」と、彼は低声《こごえ》で言った。
この声を聞いて、お祈りをしていたナージャは立ち上がった。
「見てくれ! 見てくれ!」と、彼は言った。
「タタール兵だわ!」と、彼女はつぶやいた。
じじつタタール軍の前衛部隊が、大急ぎでイルクーツクへの道を疾駆していた。
「だが、やはり埋めなくてはいけない!」と、ミハイル・ストロゴフは言った。
そして彼は、仕事をつづけた。
まもなくニコライの死体は、胸の前に腕を組まされて、この墓によこたえられた。ミハイル・ストロゴフとナージャとはひざまずいて、自分たちのために命まで捨てて尽くしてくれた、この気の毒な善良な青年のために、最後のお祈りをした。
「これで、草原の狼どもも、死体を食い荒らすこともあるまい!」土をかけながら彼はつぶやいた。
それから彼は、通り過ぎていった騎馬隊のほうへ、威嚇するように手を突きだして言った。
「さあ、ナージャ、出かけよう!」
ミハイル・ストロゴフは、もはやタタール兵のいる道を行くことはできなかった。草原を通って、イルクーツクを迂回しなければならなかった。そこで彼は、ジンカ川を渡ることは、考える必要がなくなった。
ナージャは、もう這うことすらできなかった。だが、彼に代わって、見ることができた。彼は彼女を抱きかかえて、この州の西南部に入っていった。
あと二〇〇露里以上を歩かなければならなかった。どうして歩き通せるだろうか? 疲労のあまり、倒れてしまいはすまいか? 途中で、どうやって食糧を手に入れるのだろうか? どのような超人的な力をふるって、彼はサヤンスク山脈の低い傾斜地を通り過ぎることができるだろうか? 彼もナージャも、それを言うことはできなかったであろう!
しかしながら、それから一二日めの一〇月二日の夕方の六時に、ひろびろとした水面が、ミハイル・ストロゴフの足元にひろがっていた。
それは、バイカル湖だった。
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十 バイカル湖とアンガラ川
バイカル湖は、海抜五五二メートルのところにあった。長さは約九〇〇露里で、幅は一〇〇露里あった。深さは、まだわからなかった。ブルブロン夫人の報告によれば、船頭たちの話では、この湖水は〈海夫人〉と呼ばれることを欲しているという。もしかして〈潮君〉とでも言おうものなら、この湖水はたちまち怒りだすそうだ。だが、この地方の伝説によれば、この湖水で溺れて死んだロシア人は一人もいないということである。
三〇〇以上の河川が注いでいるこの大きな淡水湖は、大きな火山群に取りかこまれている。この湖水から流れ出る川はアンガラ川だけで、この川はイルクーツクを過ぎたのち、エニセイスクのすこし川上で、エニセイ川に注いでいる。湖水の周辺にある山はツングース山脈で、大きなアルタイ山脈から出ているのである。
もはやこの時期には、寒さが感じられていた。秋はこの土地にあっては、特別な気候条件に支配されるらしく、たちまち初冬のなかに吸収されてしまうようだった。いまは、一〇月の初旬だった。太陽は夕方の五時には地平線の彼方に去り、長い夜は、気温を零度にまでさげた。来年の夏まで消えない初雪が、バイカル湖を取りまく山々の頂を、すでに白くしていた。冬になると、この内海のような湖は、一メートル以上の厚さに凍って、その上を郵便や隊商のそりが走りまわった。
〈潮君〉などと呼んで機嫌をそんじるせいか、それとも気象的な原因によるのか、バイカル湖は烈しい嵐に襲われることがよくあった。どこの内海でもそうだが、そうしたときの波は三角波で、これは夏期に湖面を渡る筏《いかだ》や、平底船や、蒸気船にとっては、たいへん危険だった。
ミハイル・ストロゴフがナージャとともに到着したのは、湖水の西南にある岬だった。ナージャの全生命は、いわば彼女の両眼のなかに凝集されてあった。この荒れはてた土地に来て、二人はなにを期待できたであろうか? 力尽き、無一物になって、ここで死ぬよりほかはないのではあるまいか? 皇帝の密使はその目的を達するために、すでに六千露里も長い道程をやってきたが、このうえさらに、なにをしなければならないのであろうか? アンガラ川の河口まで、湖水の岸辺に沿って六〇露里以上、アンガラ川の河口からイルクーツクまでは八〇露里以上も歩かなければならなかった。合わせて一四〇露里以上の道程は、健康で元気な男にとっても、徒歩で三日間の旅だった。
ミハイル・ストロゴフは、いまでもなお、そのような男になりうるであろうか?
おそらく神は、彼をそうした試練にかけることは、お望みにならなかったのではあるまいか。いままで彼の上に襲いかかった宿命は、瞬間、彼を大目に見てやろうとしたようだった。バイカル湖のこの一端、いつもは人がいないようだったこの草原の一隅は、このときばかりはそうでなかった。
五〇人ばかりの人が、湖水の西南の岬がつくっている一角に集まっていた。
ミハイル・ストロゴフがナージャを抱きかかえて山の狭い道から出てきたとき、彼女はすぐにこの群れに気づいた。
彼女は瞬間、バイカル湖畔を探索するために派遣されたタタール軍の小隊ではないかと思った。もしそうだとしたら、二人はもはや逃げることはできなかったであろう。
だがナージャは、その点すぐに安心できた。
「ロシア人だわ!」と、彼女は叫んだ。
だが、この最後の努力ののちに、彼女のまぶたは閉じ、その頭はがっくりと、ミハイル・ストロゴフの胸にもたれかかった。
だが彼らの姿は、人びとに見つかった。数人のロシア人が彼らのところへ駆けよってきて、めくらと若い娘とを、一隻の筏がつなぎとめられてある小さな岸辺へと連れていった。
筏はまさに出発しようとしていた。
これらのロシア人は避難民たちで、身分はそれぞれ違うが、等しい関心から、彼らはバイカル湖のこの一箇所に集まったのだった。タタール軍の斥候に追われた彼らはイルクーツクに避難しようと考えたのだが、侵入軍がアンガラ川の両岸を占領したので陸路によりそこへ行くことができなくなり、町を横ぎっているこの川を下って行こうと思ったのである。
彼らの計画は、ミハイル・ストロゴフの胸をおどらせた。最後の機会が、ついにやってきたのだ。だが、これまで以上に自分の身分を隠さなければならないと思った彼は、ぐっと自分を抑えて、感情はすこしも顔に表わさなかった。
避難民たちの計画は、しごく単純だった。バイカル湖のなかの一つの流れが、湖水の北岸に沿って、アンガラ川の河口まで流れていた。彼らはこの潮流を利用して、まずバイカル湖の排水口に到着しようと考えていた。そこからイルクーツクまで、アンガラ川の急流が、一時間一二露里の速力ではこんでくれるだろう。そうすれば一日半で、町の見えるところまで行けることになる。
ここには、いかなる船もなかった。だから作らなければならなかった。一つの筏、というよりもシベリアの河川でよく見かけるような材木をつなぎ合わせたものが作られた。岸辺にそびている樅の林が、浮かぶ材料を提供してくれた。材木は柳の枝でつなぎ合わされて、一種の甲板をつくった。その上には、らくに一〇〇人が乗れた。
ミハイル・ストロゴフとナージャが移されたのは、その筏の上だった。若い娘は、意識をとりもどした。人びとは彼女とその連れの男に食物を与えた。それから彼女は木の葉の寝床に寝かされて、深い眠りに入った。
ミハイル・ストロゴフは人びとにいろいろと聞かれたが、トムスクの出来事はなにもしゃべらなかった。彼は、自分はクラスノヤルスクの住民だが、タタール軍がジンカ川の左岸に到着する前にイルクーツクに行けなかったのだと語った。そして彼は、たぶんタタール軍の主力は、シベリアの首都の前面に陣地をかまえているにちがいないと、つけ加えた。
そこでもはや、一瞬も無駄にすることはできなかった。それに、寒さがますますきびしくなってきた。夜には気温は、零度以下にさがった。すでに氷片がいくつか、バイカル湖の水面に浮かんでいた。かりに筏がらくに湖水を乗りきることができたとしても、氷片が川の流れを邪魔することになると、アンガラ川を下るのは、らくではなかった。
そこで、こうしたいろいろな事情から、避難民たちは即刻に出発しなければならなかった。
夜の八時に、舫索《もやいづな》がとかれた。筏は流れに乗って、岸辺に沿って流れた。数人の頑健な百姓が竿をあやつって、方向を見さだめた。
バイカル湖の老船頭が、この筏の指揮をとっていた。それは六五歳の老人で、その顔は湖上の風に吹かれて陽焼けしていた。ふさふさとした白いあごひげが、胸のあたりまで垂れさがっていた。毛皮の帽子をかぶり、いかめしい顔つきだった。バンドをしめた、ゆったりした長くて厚い羅紗の外套が、くるぶしのあたりまで垂れさがっていた。この無口の老人は筏の後ろにいて、身ぶりで指図をして、ふたこと、みことしか口をきかなかった。それに操縦するといっても、岸に沿って流れている流れにうまく乗せて、沖に出さないようにするだけのことだった。
すでに述べたように、この筏には、いろいろな身分のロシア人が乗っていた。じじつ老若男女の土着の農民たちに、旅行中にタタール軍の侵入に出くわした三人の巡礼や、数人の修道僧や、一人の司祭が入っていた。巡礼たちは旅の杖を持ち、バンドに水筒の代わりをするひょうたんをぶらさげて、嘆くような声でお経をとなえていた。一人はウクライナから、もう一人は黄海から、三人めはフィンランドから来たのだった。この三人めの巡礼はかなりの高齢で、バンドに、教会の柱にかかっているような小さな献金箱をぶらさげていた。長途の旅のあいだにもらった金は一文も彼のふところに入るのではなく、彼はこの小箱をあける鍵さえも持っていなかった。故郷へ帰って、はじめてこの小箱はあけられるのだった。
修道僧たちは、帝国の北部から来たのだった。彼らは、ある旅行者が東洋の町の面影を見出したというアルハンゲリスクの町を、三か月前に出発したのだった。そしてカレリアの海岸に近い聖なる島じま、ソロブェックの修道院、トロイッサの修道院、キエフの聖アントンや聖テオドシウスの修道院、モスクワのシメオノフの修道院、カザンの修道院、それから同じくカザンのロシア正教会離脱者の教会などを遍歴したのち、あいかわらずサージ地の頭巾つきの修道服をまとって、イルクーツクへと向かって旅立っていたのだった。
司祭はごくふつうの村の司祭さんで、ロシア帝国内に六〇万もいる坊さんの一人だった。彼は農夫たちと同じようにみすぼらしい服装をしていて、司祭といっても彼らと変わったところはすこしもなく、教会にあっても地位もなければ権力もなく、農夫と同じようにわずかの土地を耕しながら洗礼を受けさせたり、結婚させたり、葬式をしたりしているのだった。彼の妻子は北方に避難していたので、タタール人の乱暴を受けないですんだ。ところが彼は、教区に最後の瞬間まで踏みとどまっていた。それから逃げなければならなかったが、イルクーツクへの道は閉ざされていたので、バイカル湖まで来なければならなかったのである。
これらの僧侶たちは筏のへさきに集まって、夜の沈黙のなかに声をあげながら、規則正しい間隔をおいて、お祈りをささげていた。そしてお祈りの各節の終わりには、〈|神よ栄光あれ《スラヴァ・ボーグ》〉ということばが、彼らの唇からもれた。
この航行の途中では、なんらの事故も起こらなかった。ナージャは、深い眠りにおちいっていた。ミハイル・ストロゴフは、彼女のそばで、寝ずの番をしていた。ねむけは長い時間をおいて、ときどき襲ってくるだけだったが、そういうときでも彼の頭は、ちゃんと目覚めていた。
筏はかなり激しい風を受けたので、朝になっても、まだアンガラ川の河口から四〇露里の距離にあった。これでは夕方の三、四時前に河口に着くことは、とてもできなかった。だが、これはべつにつごうが悪いことではなく、避難民たちは夜のうちに川を下ることにしていたのだから、むしろ逆だった。暗闇のほうが、イルクーツクに着くのには、つごうがよかった。
老船頭がときどき口にしたただ一つの心配は、水面に氷片のできることだった。夜になると、ひどく寒かった。かなり多くの氷片が、風に吹かれて西へ流れていくのが見えた。これらの氷片はアンガラ川の河口を通り過ぎて、アンガラ川に流れこむことはなかったから、たいして心配することはなかった。だが、湖水の東部から流れてくる氷片が流れに引きよせられて、アンガラ川の両岸に流れてくる懸念があった。そうなると筏の操縦がむずかしくなって、おくれる心配があり、あるいはどうしても筏を進めることができなくなる場合も考えられた。
それゆえミハイル・ストロゴフは、湖水の状態を非常に知りたがった。氷片が水面にたくさん見えてきたかどうかを知りたがった。ナージャが目を覚ましたので、彼はそのことをしばしば彼女にたずねた。すると彼女は湖面の状態を、ことこまかに彼に報告した。
こんなふうに氷片ができるときは、奇妙な現象が湖面に生じた。造化の神が湖水の底に掘った井戸から沸騰した熱湯が、ものすごい勢いで吹きあげてくるのである。それは非常な高さにまで噴出し、そこで水蒸気となって、太陽の光を受けて虹を描きだし、そしてほとんどすぐそのあとで凍結してしまうのだった。この珍しい眺めは、もしこれが平和のときであったら、この湖水に遊ぶ旅行者の目をおおいにたのしませたことであろう。
夕方の四時に老船頭は、沿岸の高い花崗岩質の岩のあいだに、アンガラ河口が見えると指差した。川の右岸に、リヴェニチニヤの小さな港と、教会と、それから岸の上に建てられた数軒の家が見えた。
ところが困ったことには、東方から流れてきた最初の氷片が、すでにアンガラ川に流れこんで、つまりイルクーツクのほうへ落ちこんでいたのだった。だが、その数は、まだ川の流れをふさぐほど多くはなかったし、寒さにしても、それらの氷片を集めて固めるほどきびしくはなかった。
筏は小さな港に着いて、とまった。老船頭は、どうしても必要な準備のために、ここで一時間休むことにした。材木をつないであった柳の枝がゆるんで、このままだとばらばらになるおそれがあったので、アンガラ川の急流に耐えるには、もっとしっかりとつながねばならなかったのだ。
このリヴェニチニヤの港は、季節のよいときには、ロシアと中国との国境の最後の町であるキアフタへ行ったり来たりする観光客の発着所だった。それゆえ蒸気船や、沿岸航路の小さな船が、たえずここに寄港していた。
だがこのときは、リヴェニチニヤの町は、放棄されていた。住民たちは、いまアンガラ川の両岸を走りまわっているタタール軍の掠奪にさらされてこの地にとどまってはいられなかった。そこで彼らは、いつもならこの港で冬を過ごすはずの持ち船を、全部イルクーツクへ送ってしまったのである。船は積めるだけ積みこんで、東シベリアの首都へ避難させることができたのだった。
だから老船頭は、この港であらたに避難民を拾うなどとは予期していなかった。ところが筏が岸に着こうとしたとき、二人の旅行者が一軒の空家から飛び出して、大急ぎで岸辺に駆けつけてきた。
筏の後ろに坐っていたナージャは、うつろな眼で、それを見ていた。
だが、もうすこしで叫ぶところだった。彼女はミハイル・ストロゴフの手を握った。彼はびっくりして顔をあげてたずねた。
「どうしたんだね、ナージャ?」
「途中で道づれになった、あの二人よ、ミハイル」
「ウラル山脈で出会った、あのフランス人とイギリス人かい?」
「そうよ」
彼は、思わず身ぶるいした。どうしても隠しておきたい彼の身分が、こんどこそばれると思ったからだった。
じじつアルシード・ジョリヴェにしても、ハリー・ブラントにしても、もはや彼をニコライ・コルパノフとは考えてなくて、じつは皇帝の密使ミハイル・ストロゴフだということを知っていた。二人の新聞記者は、イシムの宿駅で別れてから、すでに二度も彼を見ていたのだ。一度めはザベディエロの野営地で、彼がイヴァン・オガリョフの顔を鞭で傷つけたとき、二度めはトムスクで、タタールの首長から処刑されたとき、それゆえ彼らは、彼のほんとうの身分を知っていたのだった。
彼はすぐに、ある決意を固めた。
「ナージャ、あのフランス人とイギリス人とが乗りこんできたら、さっそくわたしのところへ来るようにと言ってくれ!」
それはまさしくハリー・ブラントとアルシード・ジョリヴェで、ミハイル・ストロゴフがそうであったように、偶然というよりも、当然の結果でこの港に導かれてきたのだった。
諸君も知ってのとおり、彼らはタタール軍のトムスク入城を見たのち、祝宴の最後の残酷な処刑が行なわれる前に出発したのだった。だから彼らは、かつての旅の道づれは、死刑にされたものだとばかり思いこんでいた。タタールの首長の命により、たんに盲目にされただけだとは知らなかったのである。
二人は馬を手に入れて、その晩さっそくトムスクを発った。今後は東部シベリアのロシア軍の陣地で通信を書こうという意図をもって。
二人はイルクーツクめざして、全速力で疾駆した。彼らはフェオファル汗の先を越して、イルクーツクに入るつもりだった。もしあの第三軍が南方からエニセイ川の谷間を通ってやってこなかったならば、きっとそうできたでもあろう。ところがミハイル・ストロゴフと同じように、ジンカ川に到着する前に、行く手を阻まれてしまったのだ。そこでバイカル湖まで下がってこなければならなかったのである。
彼らがリヴェニチニヤに着いたときには、この港にもすでに人影はなかった。だが、タタール軍が侵入しているので、ここ以外にはイルクーツクへ入ることはできなかった。それゆえ彼らはひどく当惑しながらも、三日間ここにいた。そこへ、筏が着いたのだった。
彼らは、避難民たちの計画を知らされた。これこそ確かに、夜のあいだに気づかれずにイルクーツクへ侵入できる好機会だった。そこで彼らも、それに加えてもらうことにした。
アルシード・ジョリヴェは、すぐに老船頭に交渉した。いくらでも金を払うから、なんとかして彼とその同僚とを乗せてくれるようにとたのんだ。
「この人たちは金を払って乗ってるんじゃないんだ」と、老船頭はおごそかに言った。「みんな命がけで逃げようとしているんだ、ただそれだけのことよ」
二人の新聞記者は乗りこんだ。ナージャは、彼らが筏の前のほうに席をとったのを見た。
ハリー・ブラントは、あいかわらず冷たい感じのイギリス人だった。彼はウラル山脈を越える途中でも、ほとんど言葉をかけなかった。
アルシード・ジョリヴェは、いつもよりいくらかまじめそうな顔をしていた。それはこうした場所だったから、当然まじめにならざるをえなかったのだろう。
ところでアルシード・ジョリヴェが、筏のへさきに腰をおろしたとき、彼の腕を一つの手が触れた。振り向いてみると、そこに、ナージャを見た。それは、もはやニコライ・コルパノフではなくて、皇帝の密使ミハイル・ストロゴフの妹なのである。
思わず驚きの叫び声が口から洩れようとした。そのとき彼女は唇に、指を一本あてた。
「いらっしゃってください」と、ナージャは言った。
そこで彼は知らん顔をして、ハリー・ブラントにも来るようにと合図をして、いっしょに彼女のあとに従った。
この筏の上でナージャに会うとは、新聞記者たちにとっては大きな驚きだったが、生きているとは思わなかったミハイル・ストロゴフを見たときの驚きは、さらに大きかった。
彼らが近づいてもミハイル・ストロゴフは、身動き一つしなかった。
アルシード・ジョリヴェは、若い娘のほうをふり返った。
「あなた方の顔が見えないんですよ」と、ナージャが言った。「タタール兵が、兄の目を焼いてしまったんです! かわいそうに兄さんは、めくらになってしまったんです!」
激しい憐憫の思いが、アルシード・ジョリヴェとその友の顔に表われた。
すぐに二人はミハイル・ストロゴフのそばに坐って、その手を握り、彼が話すのを待ち受けた。
「お願いです」と、彼は低い声で言った。「わたしが何者であるか、また何をしにシベリアまでやってきたか、どうか知ろうとなさらないでください。わたくしの秘密を、どうかそっとしておいてください。お約束ねがえるでしょうか?」
「名誉にかけて」と、アルシード・ジョリヴェは答えた。
「紳士としての名誉にかけて」と、ハリー・ブラントも、つづけて言った。
「ありがとう、みなさん」
「何か、あなた方のお役に立つことでもありましょうか?」と、ハリー・ブラントがきいた。「あなたの仕事を成就させるためにお手つだいしましょうか?」
「わたし一人でやりたいのです」と、彼は答えた。
「でも、あいつらは、あなたの目を焼いたのでしょう」と、アルシード・ジョリヴェが言った。
「でも、ナージャがいます。彼女の目があれば、じゅうぶんです!」
それから三〇分後に、筏はリヴェニチニヤの小さな港を出て、川に入った。夕方の五時だった。夜になろうとしていた。ひどく寒い、まっ暗な夜になりそうだった。なぜなら気温はもう零度以下だったから。
アルシード・ジョリヴェとハリー・ブラントは、ミハイル・ストロゴフの秘密を守ると約束したが、彼のそばを離れなかった。彼らは低い声で話した。ミハイル・ストロゴフは自分がすでに知っていることを彼らから聞いたことで補足して、現在の状況についてかなりはっきり知ることができた。タタール軍の三つの軍団が合流して、いまイルクーツクを包囲していることは確かだった。だからタタールの首長とイヴァン・オガリョフがイルクーツクの前面に来ていることは間違いなかった。
だが、皇帝の密使は、どうしてこんなに急いで首都に到着したがっているのだろうか? 皇帝の密書は、いまでは手ずから大公に渡すことができないというのに、しかも彼はその内容を知らないというのに。アルシード・ジョリヴェも、ハリー・ブラントも、ナージャがわからなかったと同じように、さっぱりその理由がわからなかった。
なおアルシード・ジョリヴェは、つぎのようなことでミハイル・ストロゴフに詫びを言ったが、そのような過ぎ去ったことは、もはや問題ではなかった。
「イシムの宿駅を出るときに、あなたにお別れの握手をしなかったことを、お詫びしなければなりません」
「いや、あなた方が、わたしを卑怯者だと思ったのは当然ですからね!」
「それにしても」と、アルシード・ジョリヴェはつけ加えた。「あなたはあいつの顔を、じつにみごとに鞭打ったものですな、傷の痕がいつまでも残るでしょうね!」
「いや、いつまでも、あのままにはしておきません!」と、ミハイル・ストロゴフは、ただたんに、そう答えた。
筏がリヴェニチニヤの港を出てから三〇分ほど、アルシード・ジョリヴェとその友とは、ミハイル・ストロゴフとナージャとがつぎつぎに味わった残酷な試練を聞かされた。彼らは、ナージャの、誰も真似のできないような犠牲的な精神のもつその精力に賛辞を惜しまなかった。そしてミハイル・ストロゴフについては、かつてモスクワで皇帝が彼について言った「まったく、彼こそほんとうの男子だ!」という言葉を、まさに感得した。
アンガラ川がはこぶ氷片のなかを、筏はかなり迅速に下っていった。動くパノラマが、川の両岸に展開していった。それは目の錯覚によって、こちらが不動のままのなにかの浮かんでいる装置の上にあって、つぎつぎに絵画的な景色が目の前を通過していくように思われた。あるときは花崗岩の高い断崖が異様な横顔を見せ、つぎには急流が落ちこんでくる荒涼たる峡谷が現われた。またときには、いまなお煙の見える村と遮断された広場が、そしてつぎにはあかあかと燃えているこんもりした松林が過ぎ去った。このようにタタール軍の通過した跡はいたるところに見られたが、彼らの姿はまだ見えなかった。というのは、彼らはとくにイルクーツクの近くに集まっていたからだった。
こうしているあいだに巡礼たちは大声で、お祈りを唱えつづけていた。そして老船頭は、近くまで寄ってくる氷片を押しやりながら、アンガラ川の急流のなかを泰然自若として筏をあやつっていた。
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十一 両岸のあいだで
夜の八時になると、空模様で予感したように、深い闇があたり一面をおおった。月は新月なので、まだ地平線上には出てこなかった。川のまんなかからは、両岸は見えなかった。断崖はすこし高いところで、ほとんど動かない垂れこめた雲といりまじっていた。ときどき風が、東から吹いてきたが、アンガラ川のこの狭い谷間の上までくると止んでしまうようだった。
この暗闇は、避難民たちの計画におおいに役立っていた。じじつ、タタール軍の前哨は、両岸に配備されているにちがいなかったが、筏は幸運にも見つからずに下っていった。それにまた攻撃軍はこの流れを、イルクーツクの川上で堰《せき》とめることは考えていないようだった。というのはロシア軍の援軍が南方から来るということはありえないと、彼らは知っていたからだった。それに、もうじき両岸のあいだに集まってくる氷片が寒さのために固まって、自然の堰ができあがるだろうから。
筏の上は、いまはすっかり静まりかえっていた。川の流れを下ってから、巡礼の声はもはや聞こえなかった。彼らはまだお祈りをとなえていたが、その祈りはつぶやくようなもので、岸辺には聞こえなかった。避難民たちは筏の上によこたわって、その横になったからだがわずかに水面の上に見えるだけだった。老船頭はへさきで、他の船頭たちのそばで身を伏せて、ただ氷塊を遠ざけることに専念していたが、その作業は音を立てずになされていた。
この氷塊が漂流していることは、たとえそのうちこの氷塊のために筏の運航に大きな障害をきたすとも、これがまた良い条件ともなっているのだ。じじつこの筏だけが川を流れていたら、たとえどんなに闇がこくても見つかる危険があったが、それがこれらのいろいろな形をした大きな動く氷塊といりまじっていれば、はっきり見えないし、また氷塊がぶつかり合って立てる音にしても、ほかの疑わしい音を消してくれた。
身を刺すような寒さが、大気中にひろがってきた。避難民たちは、からだをおおうものとしては樺の葉しかないので、ひどくつらかった。彼らは互いにからだを寄せ合って、気温の低下になんとか耐えようとしたが、気温はその夜のうちに零下一〇度までさがるにちがいなかった。雪の降りつもった東部の山々から吹いてくる風は、たとえごくわずかな風でも、骨身にこたえた。
ミハイル・ストロゴフとナージャとは、後ろのほうによこたわって、だんだん増してくるこうした苦痛を、嘆こうともせずにじっと耐えていた。アルシード・ジョリヴェとハリー・ブラントとは彼らのそばにいて、シベリアの冬のこの最初の攻撃にできるだけ抵抗していた。いまとなっては彼らはいずれも、たとえ低声でもしゃべらなかった。それに現在の情勢に、まったく心を奪われていたのである。いまにも偶発的な事件が起こるかもしれないし、なにかの危険が、どうしても抜け出せないような大異変が起こるかもわからなかった。
まもなく目的を達することができようとしている人間としては、ミハイル・ストロゴフはふしぎに落ち着いているようだった。それに、どのような重大な局面にぶつかろうと、彼の精力はけっして彼を見捨てるようなことはなかったのだ。いまでこそやっと彼は、母のことや、ナージャのことや、また彼自身のことを考えることが許されるだろうときが来ると思いみることができたのだった! 彼はもはや最後の不運しか恐れていなかった。それはイルクーツクに着く前に、筏が氷塊の堰でまったく阻まれてしまうことだった。彼はそのことしか考えていなかった。そしてそのような場合、もし必要なら、なにか思いきった大胆なことをやってのけようと決意を固めていた。
ナージャは数時間休息したおかげで、肉体的な精力を取りもどしていた。彼女はこれまで何度も苦難にあったが、肉体的な精力に押しつぶされるようなことはあっても、精神力がゆるがされるようなことはけっしてなかった。彼女はまた、ミハイル・ストロゴフがその目的を達するために、なにか新しい努力をするような場合には、彼女がそばにいて彼を導いてやらなければなるまいと考えていた。だが彼女はイルクーツクに近づくと同時に、父の姿がいままでよりもはっきりと心に浮かんできた。彼女は愛する人から遠く離れて、包囲されている町にいる父、そして彼女はそうだとしか思えないが、愛国心に燃えてきっと侵入軍と闘っているにちがいない父の姿を思いみていた。もしもついに神のお恵みがあるならば、もう数時間すれば父の腕に抱かれて、母の最後の言葉を伝えることができるであろうが。そうなればもはやなにものも、二人を引き離すことはできないであろう。もしもワシリー・フョードルの追放の期間がまだ残っているならば、彼女は娘として彼とともにこの亡命の地に残るであろう。それから、当然のことのように、彼女は父に会うことに助けの手を差しのべてくれた恩人であり、勇敢な友であるこの〈兄さん〉のことを考えた。だが彼は、タタール軍が撃退されればふたたびモスクワへ旅立ってしまって、おそらくは二度と会えないかもしれないのだ……。
アルシード・ジョリヴェとハリー・ブラントに関して言えば、彼らは共通した、ただ一つの考えしか持っていなかった。情勢はまったく劇的であって、いよいよ本舞台ともなれば、このうえなくおもしろい通信の材料にありつけるかもわからなかった。そこでイギリス人は〈デイリー・テレグラフ〉の読者を、そしてフランス人は〈従妹マドレーヌ〉の読者を考えていた。二人とも心底では、いくらか興奮を感じていた。
「まあ、結構なことさ!」と、アルシード・ジョリヴェは考えた。「ひとを興奮させるには、まず自分が興奮しなければならないからな! たしかこうしたことについて、有名な詩があったっけ。だが、これはなんと! 忘れてしまったな……」
そして彼は、よく訓練された眼で、川をおおっている厚い闇を見とおそうとした。
ときどき大きな光明がこの暗闇を破って、両岸のいろいろな塊を、異様な姿に浮かびださせていた。それは森林や村がまだ燃えているからであって、昼間の光景の不気味な再現だったが、夜のためにいっそう不気味だった。アンガラ川は、こちらの岸から向こう岸まで照らし出された。氷塊は一つ一つが鏡になって、岸辺の炎をあらゆる角度から、またあらゆる色に反射して見せ、そしてこの鏡は気まぐれな流れにつれて、移動していた。筏はこれらの浮かんだ氷塊のあいだにまぎれこんで、見つかることなくして下っていった。
したがって危険は、まだ何もなかった。
ところが、まったく性質のちがった危険が避難民たちをおびやかしていた。それは彼らの予想することもできないことで、またとくに避けることもできないことだった。それはアルシード・ジョリヴェが、偶然それに気づいたのである。それは、こういう次第だった。
アルシード・ジョリヴェが筏の右側に身を伏せて、水面に手をたらしていた。するととつぜん、彼は水面に異様な感じがしたので、びっくりした。なにかねばねばした、鉱物性の油のようなものにさわったような感じがしたからだった。
そこで彼はその匂いをかいでみて、思い違いでないことがわかった。たしかに石油がアンガラ川の流れの表面に浮かんでいて、水とともに流れているのだ!
では、筏は、ほんとうに可燃性のつよいこの物質とともに流れているのだろうか? この石油は、いったいどこからやってきたのだろうか? アンガラ川の表面にこれが投入されたのは、これは自然現象によるものか、またはタタール軍によって仕組まれた破壊手段として用いられるためなのか? タタール軍は、イルクーツクの町のなかにまで、文明国としては許されない方法によって、火災を持ちこもうというのであろうか?
アルシード・ジョリヴェはこのことを、このように二つの問題としか考えなかった。だが彼はこのことはハリー・ブラントにしか教えず、二人はまた彼らの旅の伴侶には、心配させてもいけないと思ったので、このあらたな危険のことは隠しておくことに意見が一致した。
周知のごとく中央アジアの土地は、石油がしみこんでいる海綿のようなものだった。ペルシアの国境に面するバクー港において、アプシェロン半島において、カスピ海上にて、その他小アジア、中国、ビルマなどに、石油の泉は地面に幾千となく湧き出ている。まさに北アメリカと同じように、〈石油王国〉の名にふさわしかった。
ある宗教的な祭りのときには、とくにバクー港においてはそうなのだが、火をあがめる現地民たちは、海の上に石油を流すのだ。石油は水よりも比重がないので海の表面に浮くわけである。さて夜になって、石油の層がカスピ海にひろがると、現地民たちはそれに火を点じる。火は微風を受けて広がり、一面火の海という他に見られない光景を現出するのである。
しかしこの火祭りは、バクーにおいては楽しいものであろうが、アンガラ川の上で行なわれては災害しかもたらさないだろう。悪意からであろうが、不注意によってであろうが、これに火をつけられると、たちまちのうちに炎は、イルクーツクの彼方にまでひろがってしまうだろう。
いずれにしても、筏の上では不注意で事故を起こすという心配はなかった。だが、アンガラ川の両岸で炎上している火災が、なんといっても心配だった。なにしろ火の粉なり火花が川に落ちでもしようものなら、たちまち石油の流れに引火するだろうからだ。
アルシード・ジョリヴェとハリー・ブラントの心配は当然のことで、それを言いあらわすのはむずかしいほどだった。こうしたあらたな危険に直面した以上は、筏を岸辺のどちらかにつけて上陸し、またの機会を待ったほうがいいのではないか? 彼らは、そのことを相談し合った。アルシード・ジョリヴェは言った。
「いずれにしても、いかなる危険があろうとも、けっして上陸しない誰かさんがいるよ!」
それは、ミハイル・ストロゴフのことをさしていた。
そうしているあいだにも筏は、氷塊のあいだをどんどん下っていった。その数は、ますます多くなってきた。
これまでアンガラ川の両岸には、タタール軍の分遣隊は姿を見せなかった。そのことは、筏がまだ彼らの前哨線にまでは到達していないことを示していた。ところが夜の一〇時、ハリー・ブラントは、氷塊の上に数多くの黒い影が動いているのを見た。それらの影は、氷塊から氷塊へと飛び移って、急速に近づいてくる。
「タタール兵!」と、彼は考えた。
そして彼は、へさきにいる老船頭のところへ這っていって、その疑わしい動くものを指し示した。
老船頭は、目をこらしてじっと見た。
「あれは、狼なんだ」と、彼は言った。「狼のほうが、タタール兵よりはまだいい。でも防がなければならない、音をたてずにな!」
じじつ避難民たちは、飢えと寒さでこのあたりに出没する恐ろしい肉食獣と闘わなければならなかった。筏を嗅ぎつけた狼どもは、まもなく襲いかかってきた。そこで避難民たちは闘わないわけにはいかないのだが、火器を用いることはできなかった。なぜならば、タタール軍の陣営から、そう離れてはいなかったからだ。女子供は筏の中央に集まり、男たちは、ある者は竿で、ある者は短刀で、大部分の者は棒切れを使って、襲ってくる奴らの撃退にかかった。だが叫び声ではなくて、その吠え声は、空気を引き裂いた。
ミハイル・ストロゴフも、じっとしてはいられなかった。彼は狼の群れが襲ってくる筏の縁によこたわった。そして短刀を抜き放って、狼が彼の手のとどくところを通る度ごとに、彼の手は狼の喉を突き刺すことができた。ハリー・ブラントとアルシード・ジョリヴェももちろん手をこまねいてはいなかった。だが彼らにとっては、骨の折れる仕事だった。ミハイルとナージャとが、勇敢に彼らを助けた。数人の避難民はひどい咬み傷を避けることはできなかったが、この虐殺は沈黙のうちになされた。
しかしながらこの闘いは、そう早くは終わりそうになかった。狼の群れは絶えず新手を加えて襲ってきた。アンガラ川の右岸に出没しているにちがいなかった。
「こいつは、なかなか終わりっこないや!」アルシード・ジョリヴェは、血で真っ赤になった短刀を振りまわしながら言った。
実際、襲撃が始まってから三〇分もたつというのに、狼はまだ何百頭となく氷塊の上を走っていた。
避難民たちは力尽き、目に見えて弱ってきた。闘いは、彼らに不利になってきた。そのとき、怒りと飢えでいっそう残忍性をおびた一〇頭ほどの大きな狼が群れをなして、まるで火のおきのような目をらんらんと輝かせ、筏の上におどりこんできた。アルシード・ジョリヴェとその友とは、これらの恐るべき獣のまっただなかに身を投じた。ミハイル・ストロゴフも彼らのほうに這っていった。そのとき、とつぜん戦線に変化が生じたのである。
わずか数秒のうちに狼どもは筏を見捨てたばかりでなく、川の上に散在している氷塊からも逃げていった。これらの黒い生き物は姿を消したが、彼らは大急ぎで右岸のほうへ逃げていったことが、まもなく確認された。
狼どもが行動するには、闇が必要なのである。ところがいま明るい光が、ぱっとアンガラ川の流れを照らし出したのだ。
それは、大きな火事のあかりだった。ポシハウスクの部落が、全焼しているのだ。こんどはタタール兵がそこにいて、この焼き討ちをやってのけたのだった。ここからイルクーツクの彼方に至るまで、彼らが両岸を占拠していた。そこで避難民たちは危険地帯に入ったわけで、それでもまだ首都までは三〇露里あった。
いまは夜の十一時半だった。筏は闇にまぎれて、氷塊のなかをそれらとあくまでもいっしょになりながら、下っていった。だが、ときどき、かなり大きな光が、筏のところまでとどいた。そこで避難民たちはからだが見えないように筏の上に身を伏せて、すこしも動かなかった。
この部落の火災はじつに激しく燃え上がった。樅の材木で作られた家は、まるで松脂《まつやに》のように燃えていた。そこには一五〇軒ほど家があって、それらが同時に燃えているのだ。その燃えるぱちぱちという音に、タタール兵の叫喚が入りまじって聞こえた。老船頭は筏のそばの氷塊をぐっと押しやって、筏を右岸のほうへ持っていくことができた。これでやっと一〇〇メートルほどの距離が、燃えているポシハウスクの部落の岸辺とのあいだにできた。
だが火事が早く部落を燃えつくしてしまわないと、避難民たちはときどき照らしつけられるので、そのうちに見つけられてしまう恐れがあった。しかしそのとき、筏が石油の流れの上をただよっているのを思って、アルシード・ジョリヴェとハリー・ブラントがどんなに心配しているかはよくわかるだろう。
じじつ燃えているかまどのようなたくさんの家からは火花の束が飛び出ていた。煙のうずまきのなかにそれらの火花は、一六〇から一八〇メートルの高さにまで噴き出た。この火事の現場から正面にあたる右岸では、樹木や断崖がまるで燃えてでもいるように思われた。ところで、たった一つの火花でもアンガラ川の河面に落ちたら、火は水の流れにひろがり、その災害は対岸にもおよぼすだろう。そしてたちまちのうちに筏は燃えついて、乗っている人間は焼け死ぬだろう。
ところがさいわいにも、夜の微風は、右岸のほうには吹いていなかった。あいかわらず風は東から吹きつけていて、炎を左に吹きおろしていた。そこで避難民たちはどうやら、このあらたな危険から免れることができそうだった。
やっと筏は、燃えさかっている部落を通り過ぎることができた。火事のあかるみがすこしずつ弱まり、火花のぱちぱちいう音も間遠くなって、やがて最後のあかりも、川の急な曲がり角に立っている高い断崖の彼方に見えなくなった。
ほとんど真夜中だった。闇はまた濃くなって、またもや筏を守ってくれた。タタール兵はあいかわらず、両岸を行ったり来たりしていた。その姿は見えなかったが、その気配は聞こえた。前哨の陣地の火が、とくにきわ立って燃えていた。
だが筏は、これまで以上に正確に、押し寄せてくる氷塊のなかで、あやつらなければならなかった。
老船頭は立ち上がった。農夫たちは、ふたたび爪竿を手にとった。みんなが一生懸命にやらなければならなかった。そして筏の操縦は、よりいっそうむずかしくなっていった。なぜならば河床が、目にみえてふさがってきたからだった。
ミハイル・ストロゴフは、へさきまで這っていった。
アルシード・ジョリヴェも、そのあとについていった。
二人は、老船頭とその手下の者たちの言う言葉に耳をかたむけた。
「右側を用心しろ!」
「左側からやってくる氷塊に気をつけろ!」
「ふせげ! 爪竿でふせぐんだ!」
「一時間たたないうちに、立ち往生だぜ……」
「これが神さまのおぼし召しだと言うなら」と、老船頭はつぶやいた。「そのおぼし召しにたいしては、どうすることもできない」
「彼らの言うことを聞いたかね?」と、アルシード・ジョリヴェが言った。
「聞いたよ」と、ミハイル・ストロゴフは答えた。「だが、神はわれわれとともにあるのだ!」
しかしながら情勢は、ますます悪化してきた。もし筏が動かなくなるとすると、避難民たちはイルクーツクへ行けなくなるばかりではなく、この浮かんでいる筏は氷塊につぶされてまもなく沈んでしまうから、筏を捨てざるをえないだろう。柳の綱は切れ、樅の幹はいきなりばらばらになって、固い塊の下に沈み、不幸な人たちは氷塊そのものの上に逃げるほかはしかたがなくなるだろう。そして夜が明けると、彼らはタタール兵に見つかって、容赦なく殺されてしまうだろう!
ミハイル・ストロゴフはナージャが待っている船尾にもどった。彼は若い娘に近づくとその手をとって、いつもと同じように質問を発した。
「ナージャ、用意はいいかね?」
それに対して彼女は、いつものように答えた。
「用意はできてるわ!」
なお数露里のあいだ、筏は漂う氷塊のあいだを流れつづけた。もしアンガラ川の流れがせばまって、流れがせきとめられれば、その結果、筏の航行はできなくなるだろう。すでにその進み具合は、ずっとゆるやかになってきた。一瞬ごとにぶつかったり、向きを変えていた。いま氷塊を避けたと思えば、次は早瀬に乗らなければならなかった。ついに遅れがめだってきた。
じじつ夜は、もう数時間しかなかった。朝の五時前にイルクーツクに着かないと、避難民の希望は、永久に失われてしまうにちがいない。
さて午前一時半に、筏はあらゆる努力を試みたにもかかわらず、厚い氷に阻まれて、決定的に止まってしまった。川上から流れてきた氷塊が筏にぶつかって、それを障害物に押しつけ、筏はまるで暗礁に乗り上げてしまったように、動きがとれなくなってしまった。
アンガラ川はここではせばまっていて、その河床は、普通の箇所の幅の半分ぐらいになっていた。そこで、積みかさなった氷塊が、強い圧力と、厳しさをましてきた寒さの二重の影響のために、しだいに溶接されたように互いにくっついてしまったのだ。ここから五〇〇歩ほど下流に行くと、河床はふたたび広くなり、くっついた氷塊はまたすこしずつばらばらになって、イルクーツクのほうへ流れつづけていた。だから、ここで川幅がせばまりさえしなければ、おそらく堰はできないだろうし、筏は流れを下ることができるのだった。だが、不幸はもはやとりかえしがつかなかった。避難民たちは目的地に到達する希望をすべてあきらめなければならなかった。
もしも彼らが、ふつう捕鯨船の乗務員たちが氷原で水路を開くのに使用するような道具を持っていて、この氷のつらなりを川幅が広くなるところまで切り開いて行けたならば、たぶん彼らはまだ間にあったかもしれないだろうが。だが、鋸《のこぎり》もなければ、つるはしもなく、厳寒のために大理石のように固くなったこの氷を割れそうなものは、何一つ持っていなかった。
どうしたらいいだろうか?
このとき、アンガラ川の右岸で銃声が起こった。弾丸の雨が、筏にそそがれた。では、これら不幸な人たちは見つかったのだろうか? あきらかにそうだ。なぜならば、左岸にも銃声が起こったからだ。避難民は両岸から銃火を浴びて、タタール兵のいい射撃の的になったのである。さいわい暗闇のなかなので、流れ弾しか飛んでこないが、それでも二、三の避難民が傷ついた。
「おいで、ナージャ」ミハイル・ストロゴフが、少女の耳にささやいた。
〈すでに用意のできていた〉ナージャは、ひとことも言わずに、彼の手をとった。
「この氷の堰を乗り越えるんだ」と、彼はごく低声《こごえ》で言った。「わたしを案内してくれ。ただ、筏から出ていくのを誰にも見られないようにしてな!」
ナージャは、言われるとおりにした。ミハイル・ストロゴフと彼女とは、すばやくこの氷原の上にすべり降りた。深い暗闇のなかをところどころ、銃火が引き裂いていた。
ナージャは、彼の前を這っていった。弾丸は彼らのまわりに雨あられと降りそそぎ、氷の上でぱちぱち音を立てた。氷の表面には、でこぼこした鋭い尖ったものがあって、手が血まみれになった。だが彼らは、どんどん進んでいった。
一〇分ほどして、彼らは氷原の縁に着いた。そこから川の水は、また自由に流れていた。いくつかの氷塊がすこしずつ氷塊から離れて、町のほうへと流れているのだ。
ナージャには、彼が試みようとしていることがわかった。彼女は氷塊の一つが、もうすこしで離れようとしているのを見た。
「さあ、行きましょう」と、ナージャは言った。
そして二人がその氷塊の上に身をよこたえると、氷塊はかるくひと揺れして、氷原から離れた。
氷塊は流れはじめた。河床は広くなって、自由に下ることができた。
ミハイル・ストロゴフとナージャとは、川上で聞こえる銃声や、悲鳴や、タタール兵の叫喚に聞き入っていた……しだいしだいに、ふかいうめき声や、残忍なよろこびの叫びは、遠くのほうへ消えていった。
「気の毒な人たち!」と、ナージャがつぶやいた。
三〇分ものあいだ、川の流れは二人の乗っている氷塊を、急速にはこんでいった。彼らはずっと、氷塊が溶けはしまいかと心配していた。その氷塊は水流の関係で川のまんなかを流れていたので、イルクーツクの河岸へ着くまでは、斜めに方向をとる必要はなかった。
ミハイル・ストロゴフは歯をくいしばり、耳をかたむけて、ひとことも口をきかなかった。もう目的地は目の前も同然だった。もうすこしでそこへ着けると、彼は感じていた。
午前二時ごろ、二つの光の列が、いままでうすぼんやりしていたアンガラ川の両岸を結ぶ地平線上を、ぱっと明るくした。
右手のは、イルクーツクの町のあかりで、左手はタタール軍の野営地の火だった。町へはあと半露里しかなかった。
「やっと、来た」と、彼はつぶやいた。
だが、とつぜん、ナージャが「あっ!」と叫んだ。
この叫び声を聞いて彼は、ゆらいでいる氷塊の上に立ち上がった。彼の手は、アンガラ川の空に向かってのばされた。青みがかった反射のあかりに照らし出された彼は、見るも恐ろしかった。そのとき彼の眼は、その光に向かって見開かれたかのようだった。彼は叫んだ。
「ああ! 神はついにわれわれに味方してはくれないのか!」
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十二 イルクーツク
東シベリアの首都イルクーツクは、ふだんは三万の人口をもった町である。アンガラ川の右岸はかなり高い絶壁になっていて、そこには一つの高い大聖堂が見おろしているいくつかの教会と、無秩序のなかにも絵画的に配置された家々が建っていた。
シベリアの国道を二〇露里ほど行ったところにそびえている山の頂上から、ある距離をおいてこの町を見ると、円頂塔、小さな鐘楼、回教寺院の塔のようなすらりとした高い尖塔、日本の陶磁器花瓶のようにまるくふくらんだ円屋根が望まれ、いくらか東洋的な趣《おもむき》を呈していた。だがこの固有の外観は、旅行者がいったんそのなかに入るとたんに、消えてなくなるのだ。なかばビザンチンふう、なかば中国ふうのこの町はヨーロッパふうの町になってしまって、通りには砕石が敷きつめられ、その両側には歩道があって、運河が町のなかを横ぎり、樺の大きな木が植えられ、あるものは数階もある煉瓦づくりや木造の家々が立ちならび、数多くの乗り物が、それもたんなるロシア式の〈タランタス〉や〈テレガ〉ばかりでなく、ヨーロッパふうの箱馬車《クーペ》や幌つきの四輪馬車《カレーシュ》などが、そのあいだを縫って走っている。最後に、ここには文明開化したはなはだ進歩的なあらゆる人種が住まっていて、ここではパリの最新式の流行も、けっして珍しくなかった。
当時シベリアの住民の避難所になっていたイルクーツクは、人であふれていた。ここには物資が豊富にあった。イルクーツク、そこは、中国や中央アジアやヨーロッパのあいだで取引が行なわれる無数の商品の倉庫なのである。そこでここにアンガラ川の谷間の農夫や、蒙古の辺境、ツングース、ブーレの農民たちが集まろうが、侵入者と町とのあいだに無人境がひろがろうが、一向に恐れるにはおよばなかった。
イルクーツクは、東シベリアの総督の駐在地だった。総督の下には、この州の行政権を掌握している文官の知事、政治上の亡命者の多いこの町では非常に多忙をきわめている警察署長、それに市長がいた。この市長は商人のなかの最有力者で、その巨大な財力と市民におよぼす影響力とによって尊敬をかちえていた。
当時のイルクーツクの駐屯兵は、約二千におよぶコサック歩兵の一連隊と、銀の飾り紐をつけた青い制服を着てかぶとをかぶった憲兵の一隊とから成っていた。
それに、すでに知ってのとおり、侵入が始まって以来、特別の情勢の変化により、皇帝の弟君の大公が、この町に閉じこめられていた。
この事情を、ここではっきりと述べておこう。
大公が東アジアのこの遠隔の地へはるばるやってきたのは、政治的に重要な目的があったからだ。
大公は皇族としてではなく、むしろ一軍人として、儀式ばった旅ではなく、数人の士官を従え、コサックの一分遣隊に護衛されただけで、シベリアの主要な都市をまわった後に、トランスバイカル地方まで赴いた。そしてオホーツク海沿岸にあるロシアの最後の町であるニコライエフスクを訪れたのだった。
広大なロシア帝国の辺境まで来た大公は、イルクーツクへ引き返してきた。そこからヨーロッパへの道をとろうと思ったのである。そのとき大公は、とつぜん起こった強力なタタール軍の侵入の知らせを受けたのだった。そこで大公は、急いで東部シベリアの首都に帰った。だがそこへ到着したときは、ロシア本国との通信は、中断されようとしていた。それでもなお大公は、ペテルスブルグとモスクワから数通の電報を受け取ったし、それに返電を打つこともできた。ところが読者もご存じのとおりの事情によって、電線は切られてしまったのである。
かくてイルクーツクは、世界の他の箇所から孤立してしまった。
大公は抵抗を計画するよりほかはなかった。大公は以前にも確固たる証拠を示したことのある確信と冷静さとをもって、それにとりかかった。
イシム、オムスク、トムスクが占領された報知は、つぎつぎとイルクーツクに達した。こうなっては、どうしてもシベリアのこの首都を確保しなければならなかった。近隣の援軍をあてにすることはできなかった。アムールの諸州やヤクーツク管区に散在しているわずかな軍隊が、タタール軍を阻むほどの強大な軍隊を伴って到着することは、ありえなかった。ところで、イルクーツクが包囲されることは避けられなかったので、なりよりも大切なことは、この町をかなり長期にわたってもちこたえるようにすることだった。
この仕事は、トムスクがタタール軍の掌中に帰した日から始められた。その最後の通知と同時に大公は、タタールの首長とその同盟の諸汗国の首領が自ら軍を進めていることを知った。だがこれら蛮族の首領の片腕が、大公自身は知らなかったが、自らの手で位階を剥奪したロシア人の士官イヴァン・オガリョフであることは知らなかった。
まず第一に、すでに読者も知ってのとおり、イルクーツク管区の住民たちは、町や村を捨てるように指示された。この首都に避難しない者は、バイカル湖の彼方にまで移らなければならなかった。そこまで行けば、おそらく侵入軍から掠奪を受けることは、まずなさそうだった。麦や馬糧の収穫はこの町のために徴発され、極東におけるモスクワ政府の最後の城塞は、しばらくのあいだは抗戦できる状態におかれた。
イルクーツクは一六一一年に建設され、イルクート川とアンガラ川との合流点の、アンガラ川右岸にあった。船が通れるぐらいの高さに打たれた杭の上に二本の木の橋が渡され、それで町と左岸にひろがっている郊外とを結んでいた。この方面の防御はやさしかった。郊外は放棄され、橋は破壊されていた。川幅が非常に広くなっているこの場所で、城塞からの砲火を受けながらアンガラ川を渡るのは、とうてい不可能だった。
だが、町の川上か川下かで渡河することはできた。したがってイルクーツクは、全然城壁の守りのない東のほうから攻撃される危険があった。
そこでまず、砦を築く工事が始められた。人びとは昼夜をわかたず働いた。大公は、仕事に熱心な人たちの姿を見た。それらの人びとが後に、町の防御に尽くすのを、大公は見るであろう。兵士、商人、亡命者、百姓、それらの人たちが力を合わせて、献身的に働いた。タタール軍がアンガラ川に姿を見せる一週間前に土の壁が築かれた。濠の内壁と外壁とのあいだの濠に、アンガラ川の水が満たされた。町はもはや単なる急襲によって陥落することはなかった。それには包囲攻撃によるほかはなかった。
タタール軍の第三軍団――エニセイ川の谷間をのぼってきたあの縦隊は、九月二四日に、イルクーツクの見えるところにまでやってきた。その軍団はただちに放棄されていた郊外を占拠した。郊外の家々は、大公の軍隊の砲兵の砲撃をさまたげないように破壊されてあったが、残念ながらこの砲兵の威力はじゅうぶん発揮されなかった。
このタタール軍は、タタールの首長とその同盟者たちによって指揮された他の二軍団が到着するのを待ちながら、編成し直ししていた。
これらの軍団は九月二五日に、アンガラ川の陣地で合流した。そして攻撃した主要な町々に残した駐屯隊をのぞいて、全軍がフェオファル汗の指揮下に入った。
イヴァン・オガリョフは、イルクーツクの正面からアンガラ川を渡ることは不可能だと考えたので、数露里下流に船の橋をかけて、かなりの部隊を渡河させたが、これは成功した。大公は、この渡河を防ごうとは試みなかった。大公はその軍に砲兵隊がなかったので、たとえ邪魔することはできても、それを阻止することはできなかったからだ。大公がイルクーツクにとどまったままでいたのは、それだけの理由があったのである。
タタール軍はこうして、右岸を占領した。それからイルクーツクへと攻めのぼってきた。途中で、アンガラ川の流れをはるかに見おろしている、森のなかに建てられた総督の夏の別荘を焼いた。それからイルクーツクのまわりをぐるりと包囲して、完全に攻撃態勢をつくるにいたった。
巧妙な戦術家であるイヴァン・オガリョフは、もちろん正攻法による攻撃作戦をとることもできた。だが、急速に行動するには、物資が不足していた。それゆえ彼は、彼の努力のすべての目的であるところのイルクーツクを奇襲することを思い立った。
しかし事は、彼が期待していたようには運ばなかった。一方ではトムスクの戦闘で、タタール軍の進軍はおくれた。また一方では、大公の防御工事が、思いのほか早くはかどった。この二つの理由によって、彼の計画は挫折した。そこで彼は、正攻法による攻撃をしなければならなくなった。
ところが彼の作戦のもとに、タタール王は二度も攻撃をしかけたが、多大な犠牲を強いられた。王は弱い箇所がいくつかある土でつくられた砦に向かって兵を進撃させたが、二度の攻撃とも勇敢な反撃をくって撃退させられた。大公も部下の士官たちも、ここを先途《せんど》とおおいに闘った。彼らは生命をものともしなかった。彼らは一般市民をも砦へ引きつれた。町民も農民も、りっぱに彼らの義務を果たした。二度めの攻撃のときはタタール軍は、城門の一つを破ることができた。戦闘は、ボリシャヤ大通りの入口で行なわれた。この大通りは長さ二露里にもおよび、一方の端がアンガラ川で終わっていた。だが、コサック兵、憲兵、市民たちが、激しく抵抗した。タタール軍は彼らの陣地に退却しなければならなかった。
そこでイヴァン・オガリョフは、力を尽くしてできないことを、奸策を用いて成就させようとした。知ってのとおり彼の計画は、町に潜入して大公に近づき、その信任を得てから好機をつかんで、城門の一つを攻撃軍の手に引き渡そうとすることだった。そして、そうしてから、大公にたいする彼の復讐心を満足させることだった。
アンガラ川の陣地までいっしょについてきたサンガールが、この彼の計画を実行させることになった。
じじつ、一刻も早く実行に移さねばならなかった。ヤクーツク管区のロシア軍が、イルクーツクに向かって進撃しはじめたからである。その軍隊はレナ川の上流に集結して、渓谷沿いにのぼっていた。六日もたたないうちに到着するにちがいなかった。その前に、策略を用いて、イルクーツクを手に入れなければならなかった。
イヴァン・オガリョフは、もはやためらわなかった。
一〇月二日の夕刻、総督の官邸の大広間で、軍事会議が開催された。大公も出席した。
官邸はボリシャヤ大通りのはずれにあって、ながながとつづく川の流れを見おろしていた。
正面の窓からは、タタール軍の野営地が望見された。もしタタール軍の大砲よりも射程距離の長い大砲があったならば、こんな野営地などは粉砕していたであろうが。
大公、総督のヴォランゾフ将軍、市長、商業組合長、それに数人の高級将校が集まって、さまざまな議題を議決したところだった。
「諸君」と、大公は言った。「みんなは、われわれの置かれている情勢をよくご存じのはずである。わたしは、ヤクーツクの軍隊が到着するまで、この町を守り抜くことができるという確信をもっている。そのときこそ、われわれは、あの野蛮人どもを追い払うことができるだろう。だが、奴らにこの侵入の代価を高く支払わせることは、わたし一人の力ではできることではない」
「殿下は、イルクーツクの全市民をご信頼なさることができます」と、ヴォランゾフ将軍は答えた。
「そのとおりだ、将軍」と、大公は、それに応えて言った。「わたしは、みんなの愛国心に敬意を表する。さいわい神のご加護により、彼らはいまだに伝染病や飢餓の恐怖に見舞われずにすんでいる。わたしは大丈夫そのようなことはあるまいと信じている。ところで、砦における彼らの勇気には、ただただ感嘆する以外にはない。商業組合長、きみはよくわたしの言葉を体して、みんなに伝えてほしい」
「殿下、市民一同に代わりまして、お礼を申し上げます」と、商業組合長は答えた。「ところで、おたずねすることをお許し願えれば、援軍の到着は、どのくらい遅延いたすのでございましょうか?」
「さよう、せいぜい六日だな」と、大公は答えた。「今朝方、勇敢でなかなか利発な使者が巧みに潜入してきて申すには、五万のロシア軍がキセレフ将軍に率いられて、強行軍で進撃しているそうだ。これらの軍隊は、二日前には、レナ川の沿岸のキレンスクにいた。いまの季節では、寒さや雪で妨げられるということもあるまいからのう。五万の優秀な部隊がタタール軍の側面を突いて、まもなくわたしたちを救出してくれるだろうよ」
「なおつけ加えさせていただきますが」と、商業組合長は述べた。「殿下が出撃命令をおだしになりましたその節は、わたくしどもはただちにご命令を実行いたす所存でございます」
「ありがとう」と、大公は答えた。「わが援軍の先頭が丘上に現われるのを待とう。そのときこそ侵入者どもを粉砕してやろう」
それから大公はヴォランゾフ将軍をかえりみて、言った。
「明日、右岸工事を見にいこう。アンガラ川に氷塊が流れてきているが、そのうちに氷結してしまうだろうからな。そうなると、たぶんタタール軍は川を渡ってくるだろう」
「殿下、わたくしの考えを述べさせていただきたいのですが」と、商業組合長は言った。
「どうぞ」
「わたくしは、アンガラ川が零下三〇度、四〇度になりましても凍結せずに、あいかわらず流氷を浮かべているのを、何度も見ております。きっと、流れが速いせいでございましょうが。そこでタタール軍がほかに渡河の方法を見つけないとすれば、彼らはイルクーツクには入れないだろうと、わたくしはおうけ合い申します」
総督が、商業組合長の断言を確証した。
「うまいぐあいにそうなればいいが」と、大公は答えた。「だが、われわれは、あらゆる場合に備えなければならんのでな」
それから大公は、警察署長のほうを見てたずねた。
「きみは、なにも言うことはないかね?」
「殿下」と、警察署長は答えた。「じつは殿下にお願い申してくれと、わたくしを介しまして」
「誰からの頼みだね……」
「シベリアに追放された者どもでございまして、殿下もご存じのとおり、当地にはそうした者どもが五〇〇人もおります」
じじつイルクーツクには、蛮族の侵入以来各地に分散していた政治上の亡命者たちが集められていた。彼らはそれらの地でいろいろな職業に従事していたのだが、命令を受けたので町や村を捨ててやってきたのだった。彼らのある者は医者であり、ある者は大学教授であって、体育の教師もいれば、日本語学校、航海学校の先生もいた。大公は皇帝と同じようにはじめから彼らの愛国心を信用していたのであって、彼らを武装させ、彼らのなかに勇敢なこの町の防御者を見出していたのだった。
「で、亡命者たちの願いとはどういうことかね?」
「彼らは自分たちで特別部隊をつくりまして、最前線にたたせていただきたいと、そう殿下にお願い申してくれとのことでございます」と、警察署長は答えた。
「さようか」と大公は、深い感動を隠そうともしないで答えた。「亡命者と言ったって、ロシア人なのだ。祖国のために戦うのは、彼らの権利だろう!」
「ほんとうに」と、総督も言った。「彼らほど優秀な兵士はないだろうと、確信をもって殿下に申し上げます」
「だが、指揮者が必要だな」と、大公は言った。「誰かいるか?」
「彼らが、殿下にお願いしたいと申しておる者がございます」と、警察署長は言った。「その男はいままでにもいろいろな機会に、すぐれた腕前を見せた者でございます」
「それは、ロシア人だね?」
「はい、バルト海沿岸州のロシア人でございます」
「名はなんと申す?」
「ワシリー・フョードルと申します」
この亡命者は、ナージャの父だった。
ワシリー・フョードルは諸君も知ってのとおり、イルクーツクで医者をしていた。彼は学問があり、慈悲深い心の持ち主であって、同時にはなはだ勇気に富む、心底からの愛国者だった。彼は病人の面倒を見ているほかの時間はすべて、抵抗運動を組織するのに専念していた。一つの共同の運動に、亡命者たちの仲間を集めていたのである。そこで、いままでは一般市民のあいだにまじっていた亡命者たちが、大公の注意をひくような活動を始めるにいたったのだ。幾度かの出撃にあたって彼らは、彼らの血をもって聖なるロシア――じじつ国民から敬愛されている聖なるロシアだ――にたいする義務を果たしたのだった。ワシリー・フョードルは勇敢に闘った。彼の名前は幾度となく人の口にのぼった。だが彼は一度も恩赦を願ったこともなければ恩恵を請うたこともなかった。それゆえイルクーツクの亡命者たちが特別部隊の編成を考えたとき、彼らが指揮者として彼を選んだということなどは、彼はまったく知らなかったのである。
警察署長が大公の前でこの名前を口にしたとき、大公自らもその名は知っていると言った。
「ほんとうに」と、ヴォランゾフ将軍も言った。「ワシリー・フョードルは勇敢な、りっぱな人物です。仲間にたいする彼の影響たるや、なみなみならぬものがあります」
「彼はいつごろからイルクーツクにいるのかね?」
「二年前からでございます」
「で、彼のふだんの行動は?」
「彼の行動は、彼に課せられている特別な規則に添ってなされております」と、警察署長は答えた。
「将軍」と、大公は言った。「その男をすぐに連れてきてはくれぬか」
大公の命令は伝達され、三〇分もたたぬうちに、ワシリー・フョードルは、大公の前に案内された。
彼はせいぜい四〇歳ぐらいで背は高く、きびしいが悲しそうな顔をしていた。彼の生涯は〈闘い〉の一語につきるように思われた。闘って苦しんだ、というような感じだった。彼の容貌は、娘のそれにそっくりそのままだった。
タタール軍の侵入は、なににもまして彼の胸を痛めた。それは、故郷から八千露里も離れた地に流されているこの父親の崇高な希望をすっかり失墜させてしまった。彼は一通の手紙により妻の死を知ったが、同時に娘が政府からイルクーツクの父に会いに行ってよろしいという許可をもらって出発したことも知ったのだった。
ナージャは、七月一〇日にリガを出発したはずだった。タタール軍の侵入が起こったのは七月一五日だった。もしこのころナージャが国境を越えたとすれば、侵入軍のあいだに巻きこまれて、どういうことになったかわからなかったろう? 不幸な父親が不安にさいなまれたことは容易に察せられるであろう。なにしろそのころから、彼はなんらの便りも娘からもらっていなかったからである。
ワシリー・フョードルは大公の前に出ると、うやうやしくおじぎをして、大公の言葉を待った。
「ワシリー・フョードル」と、大公は言った。「亡命者たちのおまえの仲間は、選抜隊を組織したいと申し出たのじゃ。この部隊は最後の一兵にいたるまで戦死するのを覚悟しておらねばならぬことを、彼らは知っておるのかな?」
「知らないことはないと存じます」と、ワシリー・フョードルは答えた。
「ついては指揮者として、彼らはおまえを望んでいる」
「わたくしをですか、殿下?」
「彼らの先頭に立って闘うことを承知するかね?」
「はい。もしもロシアの幸福がそれを要求するのでしたら」
「フョードル隊長、おまえはもはや流刑者ではない」と、大公は言った。
「ありがとうございます、殿下。しかしまだ流刑者である彼らを、わたくしが指揮することができましょうか?」
「いや、彼らももはや流刑者ではないぞ!」
皇帝の弟君がいま、流刑者たちの仲間すべてを、武器をとって闘っている仲間たちを赦免してくれたのだ!
ワシリー・フョードルは、大公の差し出した手を感動をこめて握りしめ、そして退出した。
大公は士官たちのほうをかえりみて、微笑しながら言った。
「皇帝はわたしが送る特赦状を承認するのをこばむまいよ! シベリアの首都を防衛するためには、われわれとしては勇敢な人たちが必要なのだ。わたしはいま、それをつくったのだ」
じじつ、イルクーツクの亡命者たちに、このような寛大な恩赦を与えたことは正しい裁きであり、政治的にもよいことであったのだ。
夜になった。官邸の窓からは、アンガラ川の向こう岸できらきら輝いているタタール軍の陣地の火が望まれた。川は多くの流氷を浮かべていて、そのいくつかは古い木の橋の最初の杭にひっかかっていた。だがいまのところ、水路の流氷は、ものすごい速さで流れていた。これでみると、先ほど商業組合長が言ったようにアンガラ川の表面が全部凍結するようなことは滅多になさそうだった。そこで、イルクーツクの防衛者たちは、町がこの方面から攻撃されることは考えなくてもよかったのである。
夜の一〇時が鳴った。大公は士官たちを引きさがらせて、自分の部屋へ行こうとした。
そのとき、官邸の外でなにやら騒がしい物音がした。
するとまもなくして、客間の扉が開かれて、一人の副官が入ってきた。そして大公の前に進み出て言った。
「殿下、ただいま皇帝の密使が到着いたしました!」
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十三 皇帝の密使
会議に列席した者でその場に居合わせた者は、みんな一時にどっと、なかば開かれた扉のほうへ向かった。皇帝の密使が、イルクーツクに到着したのだ! もしもこれらの士官たちが、一瞬でも、そのようなことはあやしいと考えたならば、きっとそのようなことがありえないと思ったであろうが。
大公は、勢いよく副官のほうに歩いていった。
「これが、使者でございます!」と、副官は言った。
一人の男が入ってきた。ひどく疲れきったような様子だった。その男はシベリアの農民の服装をしていたが、それはすり切れ、破れてさえいて、弾丸のかすった痕さえ見えた。頭には、モスクワふうの縁なし帽をかぶっていた。顔には、まだ治っていない切り傷の痕があった。この男はあきらかに、長くつらい旅をつづけてきたにちがいなかった。ぼろぼろになっている靴は、その長途の旅の大部分を徒歩でしたことを物語っていた。
「大公殿下であらせられますか?」彼は入ってくるなり言った。
大公は彼のほうへ近寄って、
「おまえは皇帝の密使かね?」と、たずねた。
「さようでございます、殿下」
「どこからきたのか……」
「モスクワからでございます」
「いつモスクワを発った?」
「七月一五日でございます」
「おまえの名は……?」
「ミハイル・ストロゴフでございます」
だがそれは、イヴァン・オガリョフだった。彼は無能力者にしてしまったと思いこんでいた男の身分と名前とを奪ったのである。このイルクーツクでは、大公もそのほか誰一人として、ミハイル・ストロゴフを知っていなかった。そこで彼は、変装する必要もなかった。それに彼には、彼が本人にちがいないことを証明する手段があったので、誰も彼を疑うことはできなかったであろう。そこで彼は鉄のような意志にささえられ、裏切りと暗殺とによって、この侵入の結末をはやくつけてやろうと思い、やってきたのだった。
イヴァン・オガリョフの返事を聞き終わると、大公は合図をした。士官たちはみんな引きさがった。
にせのミハイル・ストロゴフと大公だけが、客間に残った。
大公はしばらくのあいだ、注意ぶかく、じっとイヴァン・オガリョフを見つめていた。
「おまえは七月一五日に、モスクワにいたのだな?」と、たずねた。
「さようでございます、殿下。わたくしは一四日の夜から一五日にかけて、新しい宮殿において、陛下に拝謁したのでございます」
「おまえは、皇帝の手紙を持参したのだな?」
「はい、これがそうでございます」
そう言ってイヴァン・オガリョフは、小さく折りたたまれた皇帝の手紙を大公に手渡した。
「この手紙は、このままの形で、おまえに手渡されたのか?」
「いいえ殿下、タタール軍の兵士の目をくらますために、封筒を破らなければなりませんでした」
「では、おまえはタタール軍の捕虜になったのか?」
「はい、殿下、数日間、捕えられていました。ですからこの手紙の日付が示しておりますとおり、七月一五日にモスクワを出発しましたが、七九日間の旅行の後に、やっと一〇月二日に、イルクーツクに到着したのでございます」
大公は手紙を手にとった。そしてそれをひろげてみて、その重大な文句のあとに、まぎれもない皇帝自身の手で書かれた署名を認めた。その結果、この手紙が正しいものであること、密使がたしかに本人であることも、もはや疑う余地がなかった。はじめその獰猛《どうもう》な顔つきが大公に疑心を抱かせたが、もっとも大公はそのような気持を顔に表わしはしなかったものの、その疑心もいまはまったく消えてなくなった。
大公はしばらくのあいだ、だまったままだった。そして、手紙の意味をはっきりくみとるために、ゆっくりと読んでいた。それから言葉をつづけて、
「ミハイル・ストロゴフ、おまえは、この手紙の内容を知ってるわけだな?」と、たずねた。
「はい、殿下。わたくしは、この手紙がタタール人の手に渡らないようにと、それをそのままの形にしておくわけにはいきませんでした。で、もしもの場合には、それを正確に殿下にお伝えしようと思ったのです」
「では、おまえは、この手紙に、イルクーツクを敵に渡すぐらいなら、全員死ぬようにと厳命されていることを知っているのだな?」
「はい、存じております」
「それから、侵入軍を阻止するための作戦が書かれてあることも知っているのだな?」
「はい、殿下、でもその作戦は成功しませんでした」
「で、どうした?」
「イシム、オムスク、トムスクなどの東西シベリアの主なる都市は、つぎつぎに侵入軍によって占拠されました」
「だが、戦闘は行なわれたのだろう? わがコサック兵は、タタール軍と遭遇したのだろうな?」
「はい、何度も戦いました」
「で、わが軍は撃退されたのか?」
「わが国には、じゅうぶんな戦力がございませんでした」
「で、おまえの言うその戦闘は、どこで行なわれたのか?」
「コリヴァンと、トムスクで……」
ここまでは、イヴァン・オガリョフの語るところは事実であった。だが彼は、イルクーツクの防御軍の士気をゆるがせるために、タタール軍の勝利を誇張して語った。それから彼はつけ加えた。
「それから三度めは、クラスノヤルスクを前にして」
「で、その最後の戦闘は……」と大公は唇を噛みしめ、言葉もとぎれとぎれにたずねた。
「殿下、それはもはや戦闘といったようなものではなく、まさに大会戦でした」と、イヴァン・オガリョフは答えた。
「大会戦か?」
「国境方面の諸州と、トボリスク管区から来た二万のロシア軍と、一五万のタタール軍とが衝突したのです。そしてロシア軍は勇敢に闘ったのですが、全滅してしまったのです」
「嘘だ!」と、大公は叫んだ。大公は怒りを抑えようとしたが、抑えきれなかった。
「わたくしは、ほんとうのことを申しておるのでございます、殿下」と、イヴァン・オガリョフは冷ややかに言った。「わたくしは、クラスノヤルスクの大会戦を、この目で見たのでございます。そのときに捕虜になったのでございますから!」
大公は平静に返った。そして、ちょっとした身ぶりで、相手の話の真実性を疑っていないことを示した。
「そのクラスノヤルスクの大会戦は、いつ行なわれたのかね?」
「九月二日でございます」
「そして現在は、タタール軍の全軍が、このイルクーツクの周辺に集結しているのかね?」
「はい、全軍が集結しております」
「して、そのおよその兵力は?」
「四〇万はあると存じます」
イヴァン・オガリョフは、やはり同じ目的のために、誇張して大げさに言った。
「ではわたしは、西方からの援軍は、ぜんぜん期待できないのかね?」と、大公はたずねた。
「ぜんぜん見こみはございません、殿下。少なくとも冬が終わるまでは」
「だが、いいかね、ミハイル・ストロゴフ。たとえ西からも東からも援軍が到着しないとしても、また蛮族の兵力がたとえ六〇万あろうとも、わたしはこのイルクーツクを敵の手には渡さんぞ!」
イヴァン・オガリョフの意地の悪い眼が、すこしほそまった。この裏切者は、大公が自分の悪計を知らないのを、ほくそ笑んでいるようだった。
神経質な大公は、このような不幸なニュースを聞いて、心の平静さを保つのに苦慮した。そしてイヴァン・オガリョフの見ている前で、客間のなかを行ったり来たりしていた。そうした大公をイヴァン・オガリョフは、さも復讐の餌食を狙うように、じっと見ていた。大公は窓辺に立ち止まって、タタール軍の陣地の火をながめ、それから物音を聞き分けようとして耳をすました。その物音の多くは、アンガラ川を流れる流氷のぶつかり合う音だった。
一五分くらい、大公はなんら質問をしなかった。が、ふたたび手紙を取り上げて、その一節を読みかえした。
「ミハイル・ストロゴフ、この手紙のなかに、わたしが警戒しなければならぬ裏切者のことが書いてあるが、そのことは、おまえも知っているな」
「はい、存じております、殿下」
「その男は変装してイルクーツクに忍びこみ、わたしの信頼を得ようとしているにちがいない。それから機会をつかんで、この町をタタール軍に引き渡そうと企んでいるにちがいないのだ」
「わたくしもそう思います、殿下。それにまたわたくしは、イヴァン・オガリョフが、個人的に殿下に復讐を誓っていることも、存じております」
「なぜ、わたしに復讐するというのだ?」
「噂によりますと、この士官は、大公によって軍籍を剥奪される辱しめを受けたとか申しております」
「さようか……わたしもいま思い出した……だが、やつは、それに値する男だったのだ。その後祖国にそむき、蛮族を引き入れるようなことをしたではないか!」
「陛下は」と、イヴァン・オガリョフは言った。「イヴァン・オガリョフが殿下にたいして恐ろしい企てをたくらんでいることを、一刻もはやく殿下にお知らせしたいと、とくに御心を悩ましておられました」
「さよう……手紙にも、そのようにしるしてある」
「そして陛下は、口づてにわたくしめに、シベリア横断中はとくにこの裏切者に注意するようにと申されました」
「あまえは、あいつに会ったのか?」
「はい、殿下、クラスノヤルスクの会戦のあとで会いました。もしわたくしがその手紙によってその企てがあばかれている殿下への密使であると感づきでもしましたら、とうてい彼は、わたくしを容赦しなかったでしょうが」
「そう、おまえは殺されていたろう!」と、大公は答えた。「ところで、どうやって彼の手から逃れることができたのかね?」
「イルトイシ川に飛びこみました」
「どうしてイルクーツクに入れたのかね?」
「今晩、タタール軍の小隊を撃退するための出撃がありましたので、それを利用いたしました。町の防御軍のなかにまぎれこんで、わたくしのほんとうの身分を認めてもらうことができまして、すぐに殿下の御前に連れてこられたのでございます」
「ご苦労だった、ミハイル・ストロゴフ」と、大公は言った。「おまえは、困難な使命を果たすために、おおいに勇気と熱意とを示してくれた。予はけっして、おまえを忘れまいぞ。――予に何か特別な頼みごとでもないだろうか?」
「はい、何もございません。ただ、殿下のおそばにあって戦うという望みのほかは」と、イヴァン・オガリョフは答えた。
「よし、ミハイル・ストロゴフ。今日よりおまえを予のそばにおこう。この官邸内に住まうがいい」
「ありがとう存じます、殿下。で、もしあのイヴァン・オガリョフが偽名を使いまして、殿下のおそばにまいりました節は?」
「やつを知っているおまえにより、やつは化けの皮をはがされるだろう。そうしたらそやつに体刑を課して殺してやろう。もうよい、行け」
イヴァン・オガリョフは皇帝の伝令隊の隊長になりすまして、大公に軍隊式の敬礼をすると、引きさがった。
イヴァン・オガリョフは卑劣にも、こうしてミハイル・ストロゴフに化けおおせたのである。大公は彼を、すっかり信用した。こうなればいつでも、どこでも、彼はそれを利用することができるであろう。彼は官邸に住むようになるだろう。そうなれば、防御の作戦の秘密は筒抜けになるであろう。したがって勝負の鍵は、彼の掌中に帰したわけだ。イルクーツクでは誰一人として彼のことを知らないし、彼の仮面を剥がすことはできなかった。そこで彼は、さっそく仕事にかかることにした。
じじつ、もはや時間的に余裕がなかった。北方と東方から来るロシア軍の援軍が到着する前に、この町を陥落させねばならなかったのだ。それは、この数日の問題だった。タタール軍がこの町をいったん占領すれば、それを奪還することは、けっして容易なことではなかった。いずれにしても後ほど彼らがこの町を放棄するようなことがあろうとも、それはこの町を徹底的に破壊した後のことであって、フェオファル汗の足元に大公の首が打ち落とされた後のことになろう。
イヴァン・オガリョフは自由に見たり、観察したり、行動したりする自由を取得できたので、翌日早々に、さっそく砦を調べにかかった。彼はいたるところで、士官や兵士や市民たちからあたたかく迎えられた。彼らにとってはこの皇帝の密使は、彼らを祖国に結びつける絆《きずな》のようなものだった。イヴァン・オガリョフは、けっして見破られるようなことがないものだから、あつかましくも旅行中に出会ったという偽りの突発的な事件を物語った。それから戦局の重大さを、さもまことしやかに後にはおおいに誇張して語った。また大公に話したと同じように、タタール軍の勝利と、それがもっている兵力について語った。彼の話を聞いていると、たとえ援軍が来たにしても、その兵力はたいしたことはなく、イルクーツクの城塞のもとで行なわれる戦闘は、コリヴァンやトムスクやクラスノヤルスクの場合と同じように、味方にとっては不利に終わるのではないかという懸念が生じた。
だがイヴァン・オガリョフは、このような陰険なほのめかしは、いつも口にするようなことはしなかった。彼は慎重にも、それがすこしずつ防御者の心のなかに染みいるようにした。彼は、しつこく問われなければ答えないようにしたのである。そしてそういうときは、やむをえず答えるような振りをした。そしてかならず、最後の一兵まで戦わねばならぬ、そして、この町を敵に渡すぐらいなら、むしろ町を爆破させたほうがいいとさえつけ加えた!
もしも不幸にしてそういうことになったら、これもまたやむをえないことであろう。だが、イルクーツクの兵士も一般市民も愛国心が旺盛で、そのような話を聞いても士気がおとろえるようなことはなかった。アジアの果てのこの孤立した町に閉じこもっているこれらの兵士や市民のなかで、降服を口にするような者は、一人もなかった。蛮族に対するロシア人の軽蔑は、はかり知れぬものがあった。
だが、いずれにしても、このイヴァン・オガリョフが演じている卑劣きわまる役割にたいして、疑いをかけるような者は一人もいなかった。誰一人として自ら名乗る皇帝の密使が反逆者であることを見抜くことはできなかった。
当然のことながら、彼が到着して以来、彼とこの町のもっとも勇敢な防御者の一人であるワシリー・フョードルとの往来はひんぱんになってきた。
この不幸な父親がどんなに心配していたかは、人びとの知るところである。娘のナージャ・フョードルが、リガから書き送った最後の手紙にあったその日にロシアを出発したとしたら、その後彼女はどうなったであろうか? いまもなお、侵略された諸州を経《へ》めぐっているのであろうか、それとも捕虜になったのだろうか? ワシリー・フョードルは、タタール軍と戦っているときでなければ、この心配を忘れ去ることはできなかった。そのような機会は、彼が望むほど、それほど多くはなかった。
ところでワシリー・フョードルは、思いがけなく皇帝の密使が到着したのを知ったとき、この使者がひょっとしたら娘の消息をもたらしてくれるのではないかという、漠《ばく》とした予感を覚えた。それはおそらくは、夢のような希望にしかすぎなかったかもしれないが、彼はそのことにふかく執着した。この密使は、ナージャが捕えられたときと同じときに捕虜になったのではなかろうか?
ワシリー・フョードルは、イヴァン・オガリョフに会いにいったが、相手もこの機会を捉えて、この指揮者と毎日のように会うような関係となった。ではこの裏切者は、このような関係をうまく利用しようと思ったのであろうか? 彼はすべての人間を、自分の立場から推量して判断したのであろうか? ロシア人は、それが政治犯なら、祖国を裏切れるとでも思ったのであろうか?
いずれにしてもイヴァン・オガリョフは、ナージャの父親の訪問を、うわべを装っていそいそと迎えた。ワシリー・フョードルは自ら密使と名乗るその男が到着したその日の翌日に、総督の官邸に出かけていった。そしてイヴァン・オガリョフに、娘がヨーロッパ・ロシアを出発したときの状況を語り、いま娘について心配している心境を訴えた。
イヴァン・オガリョフは、ナージャがミハイル・ストロゴフといっしょにイシムの駅にいたときに会ったはずなのだが、彼女を覚えていなかった。あのとき、同じように宿駅にいた二人の新聞記者にたいしてもそうだったが、彼らにたいする以上にまして、彼女には注意を払わなかった。そこで彼はワシリー・フョードルに、彼の娘の消息については、べつにこれといって教えてやることができなかった。
「ところで、いつごろお嬢さんはロシアを出発なされたのでしょうか?」
「ほとんど、あなたと同じころでしょうね」と、ワシリー・フョードルは答えた。
「わたしは、七月一五日にモスクワを発ちましたが」
「ナージャもそのころ、モスクワを出発したにちがいありません。娘の手紙に、ちゃんとそう書いてありますから」
「お嬢さんは、七月一五日には、モスクワにいらっしゃったのですか?」と、イヴァン・オガリョフはたずねた。
「そう、たしかに、そのころは……」
「それでは……」と、イヴァン・オガリョフは答えたが、また思いなおして、
「いや、わたしの思いちがいです……わたしは日付を間違えていました」と、つけ加えた。「どうもお気の毒ですが、お嬢さんは国境を越えられたほうの公算が大きいですな。だとすると、あなたのおもちになれる唯一の希望は、お嬢さんがタタール軍の侵入をお聞きになって、途中のどこかに滞在なされたということでしょうな!」
ワシリー・フョードルは、うなだれた! 彼は娘の気持をよく知っていた。なにものも彼女が出発するのを阻むことはできなかったにちがいなかった。
イヴァン・オガリョフは、べつに特別な動機はなかったのだが、まったく残酷なことをしてしまったものだ。たったひとことで、ワシリー・フョードルを安心させることができたのに。ナージャは知ってのとおり、実際にはシベリアの国境を越えたのではあるが、ワシリー・フョードルが、娘がニジニー・ノヴゴロドにいた日付と、そこから出ることを禁じられたあの禁足命令の出た日付とを引きくらべてみれば、ナージャは侵入軍の危険にさらされることはなく、彼女はやむなくまだヨーロッパにいるにちがいないという結論が出るはずだったのだ。
他人の苦痛などにはすこしも心を動かされないイヴァン・オガリョフは、たったひとことでワシリー・フョードルを安心させてやれたのに、彼自身のよこしまな気持のおもむくがままに、それを言ってやらなかったのだ。
ワシリー・フョードルは、胸が張り裂けるような気持で引きかえした。この会見で、彼の最後の希望は消え去ってしまったのだ。
その後の二日間、つまり一〇月三日と四日に、大公は幾度となく自称ミハイル・ストロゴフに、新しい宮殿内で行なわれたことをたずね、それをくり返させた。イヴァン・オガリョフは、そうした質問にたいする答えをあらかじめ用意してあったので、すこしのためらいもなく答えた。彼は、政府がこの侵略によって完全に不意を突かれたこと、反乱は極秘のうちに準備されていたこと、反乱の報がモスクワに達したときは、すでにタタール軍はオビ川の戦線を占拠していたこと、最後に、ロシアの諸州においては、侵入軍を撃退するに必要な軍隊をシベリアに投入する準備が全然なされていなかったことなども、わざと隠さずに伝えた。
それからイヴァン・オガリョフは、完全に自由に行動することを許されていたので、イルクーツクの現在の状態、つまりその防備の状況や、備えの手薄な箇所などを調べはじめた。あとでなにか突発的なことが起こって、自分の裏切り行為がうまくいかなかったときの用心のためだった。とくに彼は、なんとかして開門させようとたくらんでいるボリシャヤの城門をよく調べた。
毎晩二度ほど、彼はこの城門の斜堤にやってきた。そして彼は、城壁から一露里もへだたっていないところに陣どっている攻撃軍の前線から射撃されることも恐れずに、その上を歩きまわった。彼は、彼自身の生命が危険にさらされていないことをはっきり知っていたのだ。彼の姿が向こうから認められていることさえ知っていた。彼は、盛土の下にまで忍びよってくる一つの影を見たのである。
サンガールが命がけで、イヴァン・オガリョフと連絡をとりにやってきたのだった。
ところでこの二日間は、籠城軍は平穏な状態にあった。これは、包囲が始まって以来、はじめてのことだった。
それは、イヴァン・オガリョフの命令によるものだった。フェオファル汗の片腕である彼は、力ずくでこの町を攻略することを止めることにしたのだった。それゆえ、彼がイルクーツクに到着して以来、砲兵隊は完全に沈黙を守っていた。あるいは彼は、少なくとも、籠城軍の警戒がゆるむことでも期待していたのだろうか? いずれにしても前線では、数千のタタール兵が、イヴァン・オガリョフの合図を待って、防御の手薄な城門めざして突進しようと待機していた。
だがそれは、いつまでも遅らせるわけにはいかなかった。ロシア軍がイルクーツクの見えるところにまで来る前に解決しなければならなかった。イヴァン・オガリョフの心はきまったので、その晩、斜堤の上から一枚の紙片がサンガールの掌中に落とされたのだった。
翌日、一〇月五日から六日にかけて夜中の午前二時に、イヴァン・オガリョフはイルクーツクをタタール軍の手に渡すべく決意したのだった。
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十四 一〇月五日から六日にかけての夜中の出来事
イヴァン・オガリョフの計画は、綿密に練られたものであって、よほどのことがないかぎりは、成功するにちがいなかった。その計画の実行にあたっては、まずボリシャヤの城門がらくに出入りできることが必要だった。そのためには、籠城兵の注意を、町のべつの方面に引きつけねばならなかった。そのために、タタールの首長の手になる牽制攻撃が決定された。
この牽制攻撃は、イルクーツク郊外の、右岸の上流と下流の二箇所で開始されることになった。これらの二箇所に対する攻撃は、ごくまじめに行なわれなければならないだろう。と同時に左岸においては、いかにもアンガラ川の渡河作戦が行なわれているように見せかけなければならなかった。そうすれば、ボリシャヤの城門はたぶん放棄されるだろうし、この方面のタタール軍の前衛が後退して、いかにもこちらの陣地から撤退したように見せれば、いっそうこの城門の守りは手薄になるであろう。
一〇月五日になった。もう二四時間すれば、東シベリアの首都は、タタールの首長の掌中に帰すにちがいなかった。そして大公は、イヴァン・オガリョフの意のままになるだろう。
この日は一日じゅう、アンガラ川の敵陣地に、異常な動きが起こった。総督官邸や右岸の家々の窓から、対岸で重大な攻撃準備が行なわれているのが、はっきりと望見された。多くの小隊が野営地のほうに集まってきて、刻一刻とタタール軍の兵力は増強していった。これは牽制攻撃の準備が、これみよがしになされているのだった。
それにイヴァン・オガリョフは、この方面が攻撃を受ける心配のあることを、大公に指摘した。彼は、町の上流と下流が攻撃されるにちがいないと思うから、直接脅威を受けているこの二つの地点の兵力を強化するようにと、大公に勧告したのだった。
敵の準備が見えたのでイヴァン・オガリョフの勧告は支持され、急速に配備がなされた。そこで総督官邸でなされた軍事会議の結果、アンガラ川の右岸と、町の両辺境に、そこには盛土が川べりに築かれていたが、これらの方面に防御の兵力を集結すべく、命令が下された。
それはまさに、イヴァン・オガリョフの望むところだった。もちろん彼は、ボリシャヤの城門が防御なしになるとは期待していなかったが、この方面の守りが少人数になることは確かだった。それにイヴァン・オガリョフは、牽制攻撃のために大公が手持ちの全兵力をもって防御しなければならなくなるほどの兵力を向けようとしていたのを知っていた。
じじつ、イヴァン・オガリョフの考案した特別重大な事件が、彼の計画の遂行をおおいに助けることになっていたのだった。イルクーツクが、ボリシャヤの城門から遠く離れた地点を攻撃されなかったとしても、この特に考案した事件が起これば、防御軍の兵力をすべて川の右岸に、イヴァン・オガリョフがあきらかに導きだそうと思っていた地点に引きつけることは、じゅうぶんできるであろう。そうなればただちにこの町にとって、恐るべき破局をもたらすことになるだろう。
そこですべての手筈が、指定された時間に、思いのままになった城門が東の森のしげった林のなかに隠れている数千のタタール兵によって奪われるようにと整えられてあった。
この日は一日じゅう、イルクーツクの駐屯兵と市民とは引きつづいて警戒していた。これまで侵害されないと思っていた地点に危険が切迫したというので、それに対処する手段がとられた。大公とヴォランゾフ将軍は、命令によって強化された陣地を訪れた。ワシリー・フョードルの率いる選抜隊は町の北部を固めていたが、いよいよ危険が迫ったときには、ただちにそこへ駆けつけられる態勢をとっていた。アンガラ川の右岸には、ごくわずかの砲兵が配備されていた。うまい具合にイヴァン・オガリョフが勧告してくれたおかげで、どうやら間にあって攻撃に備えることができたので、タタール軍が準備した攻撃も成功しまいという希望を抱くことができた。そうした場合、タタール軍は一時的には出鼻をくじかれようが、おそらく数日後にはふたたび攻撃をしかけてくるだろう。だがそのうちには、大公の待っている軍隊がやってくるかもしれないのだ。つまりイルクーツクが助かるか陥落するかは、きわめて微妙な問題だった。
この日、太陽は六時二〇分にのぼって、地平線の上に一一時間弧を描いたのち、五時四〇分に没した。たそがれは、なお二時間、夜と闘わねばならなかった。それがすむと、空間は濃い闇で満たされた。なぜなら大きな雲が空中にただよっていて動かず、それに月が出ない時期に入っていたからだった。
この深い闇は、イヴァン・オガリョフの計画の遂行には、さらにいっそう都合がよかった。
この数日来というもの、シベリアの厳寒の前ぶれのきびい寒さがやってきたが、その夜はことにそれが強く感じられた。アンガラ川の右岸にいた兵士たちは、姿を隠していなければならないので、火を焚くことができなかった。そこで彼らは、この温度の急降下に、ひどく苦しめられた。彼らの数メートル下には、川の流れに乗って氷塊がはこばれていた。彼らは一日じゅう、それらが互いにひしめき合いながら、両岸のあいだをすばやく流れるのを、じっと見ていた。大公もその部下の士官とともにこうした川の状態を見守っていたが、これは都合のいいことだというふうに考えていた。じじつこのようにアンガラ川の河床が塞がれていれば、渡河は完全に行なわれなかった。タタール軍は、筏も船も出せなかったからだ。ところで、寒さのためにこれらの流氷が凝結したら渡河できるかというと、それも不可能だった。凝結したばかりの氷の表面は、攻撃軍の渡河にじゅうぶんなほど固くなかったからだった。
ところで、イルクーツクの防御軍とっては好都合に思えるこうした状況を、イヴァン・オガリョフは残念に思っていたであろうか。いや彼は、ぜんぜん、そのようなことは考えていなかった。彼は、タタール軍がアンガラ川の渡河を試みないことを、はっきり知っていたからだった。少なくとも彼は、この方面の行動はただ見せかけにすぎないのだと、知っていたからである。
ところが夜の一〇時ごろになって、川の様子が目にみえて変わってきたので、籠城軍はおおいにあわてた。彼らにとって、いまや不利になってきたからである。いままで不可能だった渡河が、とつぜん可能になったからだった。アンガラ川の河床は、ふたたび自由になった。この数日来たくさん流れていた氷塊が下流のほうに見えなくなって、いまはわずかに両岸のあいだに五つか六つ見えるだけだった。そしてそれらの流氷の形も、いつもの寒さの影響による普通の状態のそれとはちがっていた。それは氷原から切り離された氷片で、その切れ口はきれいに切られてあり、その表面もでこぼこなふくらみをもって盛りあがってはいなかった。
ロシア軍の士官たちは、このような川の変化に気づいたので、大公に知らせた。これは上流のどこか川幅のせまいところで氷塊が積みかさなり、堰《せき》ができたためにちがいなかった。
読者も知ってのとおり、じじつそうだった。
そこで攻撃軍は、アンガラ川を渡れるようになった。そのためにロシア軍は、いままで以上に見張りを厳重にしなければならなかった。
真夜中まで、べつになんら事件も起こらなかった。東方のボリシャヤの城門のほうは、静まりかえっていた。地平線の上で、低く垂れさがった雲とまじり合っている大きな森のなかには、火の影一つ見えなかった。
アンガラ川の野営地では兵士の動きが激しくなり、それは光の度重なる移動によってわかった。
城壁が川岸にそそり立っているあたりから川上と川下にかけてそれぞれ一露里ほどのところでかすかな物音が聞こえ、タタール兵がそこでなにか合図を待ちながら待機していた。
なお一時間たった。まだべつに変わったことはなかった。
午前二時の鐘が、イルクーツクの大聖堂で鳴ろうとしていた。敵意に燃えている攻撃軍のあいだでは、なんの動きも見えなかった。
大公と部下の士官たちは、思いちがいをしているのではないか、タタール軍の計画のなかに、ほんとうにこの町を襲撃するという試みがあるのかどうかと、ふしぎに思った。これまでの夜で、こんなにも静かだったことはなかった。前哨線のあたりでは、いつも小銃の撃ち合いがあり、砲弾が空中を飛来したものだが、それが今夜は、なんの物音もしなかった。
そこで大公と、ヴォランゾフ将軍とその副官たちとは、状況しだいですぐに命令が出せる用意をして、待つことにした。
知ってのとおり、イヴァン・オガリョフは、総督官邸の一室にいた。それは一階のかなり広い部屋で、窓の外は横に長いテラスになっていた。このテラスの上に二、三歩出れば、アンガラ川の流れがすぐに見おろせた。
部屋のなかには、濃い闇が立ちこめていた。
イヴァン・オガリョフは窓辺に立って、行動を起こす時間の来るのを待っていた。もちろんその合図は、彼が出すのであったが。いったんこの合図を出せば、大部分の防御軍は、タタール軍が攻撃を仕かける地点に集結されるだろう。そうなったら彼はさっそくこの官邸を去って、自分の仕事を遂行するということになっていた。
彼はそこで、いまにも獲物に飛びかかろうとする野獣のように、身がまえていた。
ところが二時数分前に大公は、ミハイル・ストロゴフを――大公はイヴァン・オガリョフを、こういう名前で呼ぶよりほかにしかたがなかった――連れてくるようにと命じた。一人の副官が、彼の部屋まできた。だが、その扉は閉ざされていた。副官はその名を呼んだ。
イヴァン・オガリョフは窓辺にじっとしていたので、彼の姿は闇のなかにあって見えなかった。彼は答えるのを差しひかえていたのだった。
そこで副官は引き返して、皇帝の密使はいま官邸にはいないと、大公に報告した。
二時が鳴った。それはタタール軍が牽制攻撃を仕かける時間だった。
イヴァン・オガリョフは部屋の窓を開けて、横に長いテラスの北の端に出た。
彼の眼下の暗闇のなかには、アンガラ川が流れていた。それは支柱の角でくだけながら、ごうごうととどろいていた。
イヴァン・オガリョフは、ポケットから一本の雷管を取り出して火をつけ、また粉火薬をふりかけた綿屑にも火をつけて川に投げこんだ。
アンガラ川の水面には、イヴァン・オガリョフの命令で、まるで急流のように石油が流されていた。
右岸のポシカウスクの部落とイルクーツクとのあいだには、いくつかの油田が掘られてあった。イヴァン・オガリョフは、イルクーツクを焼くために、恐ろしい手段を用いようと決心していたのだった。彼は、石油の大きな貯蔵タンクを占領した。石油を川に流しこむには、そのタンクの一部を破壊するだけでじゅうぶんだった。
その破壊工事は、その晩、数時間前に行なわれた。そのために、ほんとうの皇帝の密使やナージャや、それから多くの避難民を乗せた筏が、石油の流れている上を漂ったのである。数百万立方メートルもの貯蔵量があるタンクの破壊された口から、石油が奔流のようにほとばしり出た。そして地面の傾斜にしたがって川に流れこみ、川の表面にひろがった。
これが、イヴァン・オガリョフが仕かけようとした戦争だったのである! タタール軍に加わった彼はタタール軍のように振るまい、彼自身の同胞を苦しめようとしているのだった!
綿屑が、アンガラ川の水面に投げ入れられた。すると一瞬間のうちに、電流でも伝わるような速さで、炎が川上と川下にひろがり、川全体がまるでアルコールが流されているかのように、ぱっと燃え上がった。あおみがかった炎が、二つの岸のあいだを走った。すす色の大きな煙が、その上で渦を巻いていた。ただよっていたいくつかの流氷が、火のついた液体にかこまれて、まるで火床の上の蝋のように溶けていった。そして水はシュッシュッとものすごい音を立てて蒸発し、水蒸気はたかく、空中に舞い上がっていた。
このとき、町の北部と南部とに銃声が起こった。アンガラ川の野営地に砲列をしいた大砲が、めくらめっぽうに撃ってきた。数千のタタール兵が、河岸に攻撃をしかけてきた。川岸の木造家屋は、あちらこちらで燃えはじめた。その大きなあかりで、夜の闇が蹴散らされた。
「ついに、やったぞ!」と、イヴァン・オガリョフは叫んだ。
彼が喜んだのも無理はなかった。そのとき彼が考えだした牽制攻撃は、じつにものすごかった。イルクーツクの防御軍は、タタール軍の攻撃と、火事の災害とに直面して、二つに分断されてしまった。鐘がさかんに鳴った。市民のなかで壮健な者はみな、攻撃をかけられている地点の防御と、いまにも全市に延焼するかもしれない燃えている家の消火にかけつけた。
ボリシャヤの城門は、ほとんどあけわたされたも同然だった。わずかに数人の者が守っているにすぎなかった。それもイヴァン・オガリョフの勧告により、これらの人びとは亡命者のなかから選ばれた。つまり、この城門をあけ渡したのは彼ではなくて、彼らの政治上の怨恨によってなされたものだと、彼らに罪をなすりつける魂胆だったのである。
イヴァン・オガリョフは、部屋に帰ってきた。部屋のなかは、アンガラ川の炎で、あかあかと照りはえていた。炎は、テラスの手すりをこえて入ってきた。そこで彼は、外に逃れようとした。
だが、彼がドアをあけたとたん、一人の女が部屋に飛びこんできた。女は衣服をびしょびしょにぬらし、髪をふり乱していた。
「サンガール!」と、とっさにびっくりして、イヴァン・オガリョフは叫んだ。まさかそれが彼女以外の女性であろうとは、彼は思っていなかった。
だが、それはサンガールではなくて、ナージャだった。
流氷の上に逃れたナージャが、アンガラ川の水面が燃えているのを見て驚きの叫びをあげたとき、ミハイル・ストロゴフは彼女を小脇にかかえて、水底にもぐったのだった。彼は彼らをはこんだ流氷が、イルクーツクの最初の船着場から、もはや五〇メートルと離れていないことを知っていたのだった。
ミハイル・ストロゴフは水底をもぐって、ナージャとともに岸に上がることができた。
彼は、やっと目的地に着いたのだった。いまや、イルクーツクにいるのだ!
「総督の官邸へ!」と、彼はナージャに言った。
一〇分もたたないうちに、二人は官邸の入口に達した。アンガラ川の長い炎は、建物の石の土台をなめてはいたが、燃えつくことはできなかった。
川上では、河岸の家々がさかんに燃えていた。
ミハイル・ストロゴフとナージャとは、すでに開けっぱなしになっている官邸に、わけなく入ることができた。彼らの衣服はびしょぬれだったが、上を下への混乱のさなかだったので、誰一人として彼らに注意する者はいなかった。
命令を求めに来る士官たち、それを実行に移すべく駆けだす兵士たちで、一階の大広間はごった返していた。ミハイル・ストロゴフとナージャとは、いきなりなだれのように押し寄せてきた狂気じみた群衆のなかに巻きこまれて、離ればなれになってしまった。
ナージャは狂乱したように、部屋から部屋へと駆けまわった。連れの名前を呼ばわりながら、また大公の前に連れていってくれと叫びながら。
あかあかと炎に照らされている部屋の扉が、彼女の前に開かれた。彼女は、なかに入った。すると思いがけなく、そこに、彼女がイシムと、それからトムスクで見た男がいた。一瞬の後には、そのよこしまな手で、この都市を蛮族にひき渡そうとしている男が!
「イヴァン・オガリョフ!」と、彼女は叫んだ。自分の名前が呼ばれるのを聞いて、さしもの悪漢も身ぶるいした。ほんとうの名前を知られては、すべての計画が水泡に帰してしまう。いまの彼にすることは、一つしかなかった。それは相手が誰であろうとも、自分の名を呼ばわった者を殺さねばならぬということだった。
イヴァン・オガリョフは、ナージャに飛びかかった。だが若い娘は短刀を手に持ち、壁を背にして、身がまえた。
「イヴァン・オガリョフ!」と、彼女はふたたび叫んだ。
この呪わしい名前を耳にすれば、連れの彼が助けにきてくれることを知っていたからである。
「だまれ、こいつめ!」と、イヴァン・オガリョフは言った。
「イヴァン・オガリョフ!」と、大胆な彼女は三度めに、憎しみをこめて声をふりしぼって叫んだ。
イヴァン・オガリョフは怒りにまかせて、バンドから短刀を抜き放ち、ナージャにおどりかかり、彼女を部屋の一隅に追いつめた。
あわやという瞬間、イヴァン・オガリョフは、抵抗しようもない強い力で、いきなり持ち上げられて、床に叩きつけられた。
「ミハイル!」と、ナージャは叫んだ。
まさしくそれは、ミハイル・ストロゴフだった。
彼は、ナージャの叫び声を聞いたのだった。そしてその声に導かれて彼はイヴァン・オガリョフのいる部屋までやってきて、開かれたままになっている扉から入ってきたのである。
「もう、こわがることはないよ、ナージャ」そう言って彼は、彼女とイヴァン・オガリョフとのあいだに立ちはだかった。
「ねえ! 用心してよ、兄さん……」と、娘は叫んだ。「裏切者は、短刀を持ってるわ……目もよく見えるのよ!」
イヴァン・オガリョフは立ち上がった。そして相手はめくらだと見くびって、ミハイル・ストロゴフにおどりかかった。
すると目の見えない彼は、一方の手で目あきの相手の腕をつかみ、もう一方の手で短刀を叩き落すと、もう一度相手を床に叩きつけた。
怒りと恥ずかしさに真っ青になったイヴァン・オガリョフは、長剣をさげているのを思い出した。彼はその鞘《さや》をはらうと、立ち向かってきた。
彼は、相手がまさしくミハイル・ストロゴフだということがわかった。たかが、一人のめくらだ! 要するに、めくらでしかないんだ! 勝負は、もうきまったようなものだ!
このような力の釣り合わない勝負では連れの男が危ないと恐怖のあまり、ナージャは扉に飛びついて助けを求めた!
「戸を閉めるんだ、ナージャ!」と、彼は言った。「誰も呼ぶんじゃない、わたしの勝手にさせてくれ! 皇帝の密使は、今日という日は、もうこの悪者を恐れる必要はないんだ! さあ、かかってこれるものなら、かかってこい! 相手になってやるぞ」
だがイヴァン・オガリョフは、虎のようにからだを縮めて、ひとことも口をきかなかった。彼は足音も、彼の呼吸さえも、盲人の耳に入れまいとした。彼は相手が彼の近づくのに気づく前に切りつけよう、確実に切りつけてやろうと思ったのだ。裏切者は、その名を偽称した男を相手に闘うのではなくて、だまし討ちしてやろうと思ったのだった。
ナージャは恐怖と信頼感とを同時に覚え、この恐ろしい場面を、いわば感動して見入っていた。ミハイル・ストロゴフの冷静さが、いきなり彼女にもおよぼしてきたような感じだった。彼は武器としてはシベリアの短刀しか持っておらず、しかも長剣を持っている相手の姿は見えないのだ。まさに、そのとおり。だが、神の恩寵が、ずっと高いところから彼を庇護してくださるのではなかろうか? 彼はほとんど動かずに、相手の剣の切っ先をじっと見すえているではないか!
イヴァン・オガリョフはあきらかに不安にかられながら、この異様な相手の様子をうかがっていた。その超人的な冷静さは、彼の上にのしかかってきた。このような不均衡な闘いでは、当然彼に利があると、いくら理性に訴えて自分に言いきかせてみても、むだだった! 盲人が微動だにしないのを見ると、身が凍るような思いがするのだった。彼は、相手のどこに打ってかかろうかと、目でさがした……見つかったぞ! さあ、これで、けりがついただろうか?
彼はひと飛びで、ミハイル・ストロゴフの胸を長剣で突き刺した。
だが盲人の短刀は、目にもとまらぬ速さで、その切っ先をかわした。ミハイル・ストロゴフは傷つけられなかった。彼はあくまでも冷静に、あえてこちらからは仕かけずに、第二の攻撃を待ちかまえているようだった。
冷たい汗が、イヴァン・オガリョフの額から流れていた。彼は一歩さがって、またもや突っこんだ。だが、こんども前と同じように、二度目の突きも相手にとどかなかった。刃の幅広い短刀をちょっと動かしただけで、裏切者の長剣はみごとにかわされた。
イヴァン・オガリョフは、こうした生きた立像を前にして、怒りと恐怖に興奮し、盲人の大きく見ひらいた眼に、おびえた視線をそそいだ。彼の心の奥底までも読みとろうとするかのようなその眼は、たしかに見えず、見えるはずがないのに、なにか恐ろしい呪縛にでもかかったかのような思いがするのだった。
とつぜん彼は、思わず叫んだ。ふと、頭のなかに、一つの考えがひらめいた。
「そうだ、眼が見えるんだ!」と、彼は叫んだ。「この男は、見えるんだ……」
そして彼は、自分の穴のなかに逃げようとする野獣のように、恐怖におびえながら、一歩一歩と、部屋の隅にまであとずさりした。
すると、立像が動きだした。盲人はまっすぐにイヴァン・オガリョフのほうへ向かっていき、彼の前にすっくと立ちはだかった。
「そうだ、おれは見えるんだ!」と、彼は言った。「おれは、おまえの顔につけた鞭の痕《あと》が、はっきり見えるんだぞ、この卑劣な裏切者め! おれが、これからおまえに切りつける場所も、見えるんだぞ! さあ、身を守るがいい! おれは、おまえに決闘を申しこんでやる! おまえの長剣にたいし、この短刀でたくさんだ!」
「まあ、眼が見えるんだわ!」ナージャは心のなかでつぶやいた。「神さまが、お助けくださったんだわ!」
イヴァン・オガリョフは、負けたと感じた。だが気をとりなおし、勇気をふるいおこして、長剣をふりかざしながら、平然とかまえている相手におどりかかった。二つの刃は合わされたが、シベリアの猟師の手がひらめき、その短刀の衝撃のもとに、長剣は折れて飛んだ。そして極悪人は胸を刺されて床に倒れ、息絶えた。
そのとき部屋の扉が外から押されて、大公が数人の士官を従えて、入口に現われた。
大公は進みでた。そして皇帝の密使だと思っていた男の死体が床によこたわっているのを見た。
そこで大公は、声をあらげて詰問した。
「誰が、この男を殺したのだ?」
「わたくしでございます」と、ミハイル・ストロゴフは答えた。
士官の一人が彼のこめかみにピストルを突きつけて、引金をひこうとした。
「おまえの名は?」大公は彼の頭をぶち抜く前に、たずねた。
「殿下」と、ミハイル・ストロゴフは言った。「それよりも、殿下の足元に倒れている男の名前を、わたくしにおたずねくださいまし」
「この男は、わたしの知っている者だ! 兄の召使だ! 皇帝の密使だぞ!」
「いいえ、殿下、この男は皇帝の密使ではございません! イヴァン・オガリョフなのです!」
「なに、イヴァン・オガリョフだと?」と、大公は叫んだ。
「さようでございます。反逆者イヴァンでございます!」
「では、おまえは?」
「ミハイル・ストロゴフでございます!」
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十五 大団円
ミハイル・ストロゴフは、めくらではなかった。これまでも、めくらではなかったのだ。純粋に人間としての一つの現象、それは精神的なものであり、また肉体的なものでもあるのだが、――それが、フェオファル汗の刑罰執行人が彼の目にかすらせた白熱した刃を無効にしてしまったのだった。
あの刑罰の場面を思い出してみると、あのときマルファ・ストロゴフは、息子のほうに両手を差しのべていた。ミハイル・ストロゴフは、これが最後の見おさめかと、母親をじっと見ていた。涙が胸のなかから眼にぐっとこみあげてきて、彼は自尊心から抑えようとしたのだが、どうしてもできなかった。涙はまぶたの下にたまっていたが、それが角膜の上で蒸発したために、視覚を救ってくれたのだった。涙によってつくられた水蒸気の気層が、焼けたサーベルと瞳とのあいだに入って、熱の力を無効にしてしまったのだ。それは鋳造工が、溶けた鉄を鋳型に流しこむのをなんでもなくやってのけるが、そのときまず手を水にひたしてからすれば火傷をしないのと同じ理屈なのである。
ミハイル・ストロゴフはこの秘密を、たとえ誰であろうとも知られては身の破滅だと判断した。逆に彼は、こうした立場を利用すれば自分の計画を遂行するのに役立たせることができると感じたのである。というのは、めくらだと思いこませておけば、人びとは彼を自由に放任しておいてくれるだろうと思ったからだった。だから誰にたいしても、たとえナージャにたいしてさえも、めくらでなければならなかった。一言でいえば、いかなる場所でも、いかなるときでも盲人でなければならなかったので、たとえたった一つの見ぶりでも、それを疑わせるようなことをしてはならなかったのである。彼の心は、きまった。みんなに盲人であるということを示すためには、生命さえも危険にさらさねばならなかったのであって、彼がいかに身を危険にさらしたかは、諸君もすでに知ってのとおりである。
ただ、彼の母だけはほんとうのことを知っていた。あのトムスクの広場の暗がりのなかで、母のからだの上にかがみこんで接吻したとき、彼はその耳元にそっとささやいたのだった。
これで読者もおわかりになったであろうが、イヴァン・オガリョフが残酷で皮肉なやり方を思いついて、皇帝の密書を、すっかり見えなくなったと思いこんだミハイル・ストロゴフの目の前にひろげて見せたとき、じつは彼はそれを読むことができたのである。彼は、裏切者の憎むべき計画をあばいているその密書を読んでしまった。そういうわけで彼は旅の後半であのように精力的に活動できたである。だからこそ彼はどうしてもイルクーツクにおもむいて、自分の口からその使命を伝えたいという、なにものにもめげない不屈の精神を発揮できたのである。彼はこの町が、裏切者の手によって引き渡されることがわかっていたのだ! 大公の命が危険にさらされていることがわかっていたのだった! つまり皇帝の弟君の身の安泰とシベリアの救いとは、彼の掌中にあったのである。
ミハイル・ストロゴフはこうした事柄を手短に、またどんなに感動して語ったことか! 彼はまた、ナージャが果たした役割をも語った。
「その娘は何者だね?」と、大公はたずねた。
「流刑者ワシリー・フョードルの娘でございます」と、彼は答えた。
「指揮官フョードルの娘であって、もはや流刑者の娘ではない」と、大公は言った。「このイルクーツクには、流刑者は一人もいないのだ!」
ナージャは苦痛にたいしては耐えられても、喜びにたいしてはたわいなく、大公のひざもとにくずれ落ちた。大公は片方の手で彼女を起こし、もう一方の手をミハイル・ストロゴフに差し出した。
一時間後にはナージャは、父の腕に抱かれていた。
ミハイル・ストロゴフとナージャと、ワシリー・フョードルとは、いっしょになった。彼らはいずれも、このうえなく幸福だった。
タタール軍はこの町にたいする二重の攻撃において敗れた。タタール軍はボリシャヤの城門が内部からすぐに開けられるものと思いこんで押し寄せたが、ワシリー・フョードルがわずかな手勢でこれを撃退した。彼はなんとなく予感がしたので、この城門をあくまでも守備していたのだった。
タタール軍が撃退されると同時に、籠城軍は火事を消すことができた。石油はアンガラ川の水上で急速に燃えてしまったので、炎は河岸の家だけに集中して、町の他の部分にまではおよばなかった。
夜明け前にフェオファル汗の軍隊は、多くの死者を砦の外に残したままで、野営地に引きあげた。
二日間、タタール軍は、あらたに攻撃を仕かけてこなかった。彼らはイヴァン・オガリョフの死によって戦意を失ってしまったのだ。この男がこんどの侵入の中心人物だったので、彼一人がずっと前から陰謀をたくらみ、蛮族の汗たちや彼らの率いる遊牧民たちに大きな影響をおよぼし、彼らをアジア・ロシアの征服へとかり立てたのだった。
だが籠城軍は、警戒の手をゆるめなかった。包囲はなおもつづけられていたからである。
ところが一〇月七日の夜明けに、イルクーツクを取り巻いている高地から、大砲の音がひびいてきた。
これはキセレフ将軍の率いる援軍が到着したことを、大公に知らせる合図だった。
タタール軍はもはや長いあいだ持ちこたえられなかった。彼らは城壁の下で戦う危険をおかしたくなかったので、アンガラ川の陣地をただちに引きはらった。
かくてイルクーツクは、ついに解放されたのである。
最初に入城したロシア兵とともに、ミハイル・ストロゴフの二人の友も、いっしょに町に入ってきた。それは、いまでは切っても切れぬ仲のブラントとジョリヴェだった。彼らはあのとき、炎が筏に燃えつく前に、他の避難民たちとともに流氷の堰をつたわって逃れることができ、アンガラ川の右岸にたどりつくことができたのだった。アルシード・ジョリヴェはそのときのことを、つぎのようにノートに記したのである。
「もうすこしで、ポンス鉢のなかのシトロンのように燃やされるところだった!」
ナージャとミハイル・ストロゴフとが無事だったと知ったとき、とくに彼らの勇敢な友が盲人でないとわかったときの彼らのよろこびは、たいへんなものだった。ハリー・ブラントは、つぎのように感想を記した。
「真っ赤な鉄も、視力の神経を破壊することはできなかった。ただ変えただけだった!」
それから二人の新聞記者はイルクーツクに腰を落ち着けて、彼らの旅行印象記を整理しにかかった。タタール軍の侵入についての興味ある記事が、ここからロンドンとパリへ送られたが、珍しいことに、これら二つの記事は、ごく重要でない点でしか違っていなかった。
そして戦況は、タタールの首長とその同盟者たちにとって不利になってきた。彼らの軍隊は、まもなく皇帝の軍隊によって寸断され、ロシア軍はあいついで、占領されていた都市を奪還した。おまけに恐ろしい冬の季節になったので、これら遊牧民は寒さのために全滅し、故郷の草原地帯にまで帰ることができた者は、ごくわずかしかいなかった。
かくして、イルクーツクからウラル山脈までの道は、通行が自由になった。そこで大公は急いでモスクワに帰ることになったが、ロシア軍の入城後数日中に行なわれた感きわまる儀式に列席するために、出発を延ばしたのだった。
ミハイル・ストロゴフはナージャに会いにいったのだが、そのとき彼女の父の面前で、彼女に言った。
「ナージャ、まだわたしの妹であるきみは、イルクーツクへ来ようとしてリガを立ち去ったとき、あとにお母さんにたいする心残り以外のものを残してきたかね?」
「いいえ、なんにも」と、彼女は答えた。「なんにも心残りなんかないわ」
「じゃ、きみの気持は、あそこには全然残ってないんだね?」
「全然ないわ、兄さん」
「では、ナージャ」と、彼は言った。「神さまがわたしたちを会わせてくださって、そしてあのような辛い試練のなかを、わたしたちに共に手をたずさえてくぐり抜けさせてくださったと思わなければいけないね。それはつまり、わたしたちを永久に結びつけようとおぼし召されたのではないだろうか!」
「ええ!」とナージャは、ミハイル・ストロゴフの腕に身を投げかけながら言った。
そして彼女はワシリー・フョードルのほうを向いて、顔をあからめながら言った。
「お父さん!」
「ナージャ」と、ワシリー・フョードルは言った。「わたしはおまえたち二人を、わたしの子供たちと呼ぶことができれば、こんなうれしいことはないよ!」
結婚式は、イルクーツクの大聖堂で行なわれた。式はごく簡単だったが、軍人を含む全市民が集まって、じつに立派な式だった。市民たちは、その冒険物語がすでに伝説となっているこの若い二人に、心からの感謝をささげたいと思ったのである。
アルシード・ジョリヴェとハリー・ブラントも、当然この結婚式に参列した。彼らはその模様を彼らの読者に伝えたいと思ったのだ。
「ところできみは、あの二人の真似をしたいもんだとは思わないかね?」と、アルシード・ジョリヴェは同僚にたずねた。
「そうさね!」と、ハリー・ブラントは言った。「きみのように、従妹でもいればね!」
「ぼくの〈従妹〉と結婚なんかはできないよ!」と、笑いながら彼は言った。
「それは結構だ」と、ハリー・ブラントはつづけて言った。「というのはね、ロンドンと北京とのあいだがどうやら険悪になってきたんでね。――どうだね、あちらで起こっていることを見に行く気はないかね?」
「いや、親愛なるブラント君」と、アルシード・ジョリヴェは叫んだ。「じつは、ぼくもそのことをきみに言おうと思ってたんだよ!」
かくて二人の気の合った同士は、中国に向かって出発した。
結婚式の数日後、ミハイル・ストロゴフとナージャとは、ワシリー・フョードルに伴われて、ヨーロッパへと旅立った。行きにはあんなにも苦難に満ちた道が、帰途は幸福にあふれた道となった。彼らはシベリアの凍りついた草原を、まるで急行列車のように走るそりに乗って、急速に走った。
だが、ジンカ川の岸辺まで来たとき、ビルスコエの手前で一日逗留した。
ミハイル・ストロゴフは、あの気の毒なニコライを埋めた場所を見つけた。そしてそこに、十字架を立てた。ナージャは、彼ら二人が永久に忘れることのできない、この誠実で勇敢な友の墓に、最後のお祈りをした。
オムスクでは、年老いたマルファが、ストロゴフの小さな家で彼らを待っていた。彼女はこれまで何度も心のなかで娘と呼んでいたナージャを、腕のなかにしっかりと抱きしめた。この勇気のあるシベリア女性は、今日こそ晴れてミハイルを息子と呼び、そのような息子を自慢することができたのである。
オムスクに数日間滞在した後、ミハイルとナージャ・ストロゴフとは、ヨーロッパにもどった。そしてワシリー・フョードルはサンクト=ペテルスブルグに身を落ち着けることになったので、彼の息子も娘も、彼らの老母に会いにいくときにしか彼のもとを離れないことになった。
この若い使者は、皇帝の拝謁を賜わったが、とくに彼は皇帝の親衛隊に加えられ、聖ゲオルギー勲章を授与された。
ミハイル・ストロゴフはその後ロシア帝国において、高い地位を占めるにいたった。だが語るに値するのは彼の成功談ではなくて、彼の試練の物語なのである。(完)
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訳者あとがき
一八六三年初頭に刊行した『気球旅行の五週間』で大成功をかち得たジュール・ヴェルヌは、翌年『ハテラス船長の冒険』をエッツェル社の「教育の娯楽」誌に掲載して、またまた好評をはくし、その後〈驚異の旅〉シリーズものの傑作を、ぞくぞく刊行して、大いに洛陽の紙価を高めた。その主なるものを挙げれば、『地底旅行』(一八六四年刊)、『グラント船長の子供たち』(一八六六年刊)、『月世界旅行』(一八六九年刊)、『八十日間世界一周』(一八七三年刊)等、この小説は翌年脚色されてポルト・サン=マルタン座で上演され、大評判で二年間も続演されたという。
一八七五年には『神秘の島』『チャンセラ号』を刊行する。この『神秘の島』を書き終えようとしているときに、彼はロシアの東方政策に関心を抱き、この『皇帝の密使ミハイル・ストロゴフ』を書いて「家庭博物館」誌に掲載し、翌年エッツェル社から刊行したのである。雑誌発表のときは「皇帝の密使」であったが、ロシアの政情をあつかったこの小説が露仏間の外交関係に影響を及ぼすことを恐れたエッツェルの勧告をいれて、不本意ながらヴェルヌは、主人公の「ミハイル・ストロゴフ」を題名にしたのである。
ピョートル大帝は、その治世の後半において東方政策に意を用い、インドとの交易ルートを開拓するために、トルキスタンを広範囲にわたって制圧しようと図ったが、ウズベックのヒヴァにおいて敗退した。ベコヴィッチの率いる四千の派遣軍が、この地において一夜にしてヒヴァの汗《カン》のために騙し討ちにあい、みなごろしになったのである。
しかしながら、アラル海をとりまく砂漠地帯を支配する山岳の連峰につづいて、さらに確たる国境を設定しようとする大帝の意図は、その後継者たちによって引き継がれた。一八六五年以後、ロシアのアジアへの侵入政策は、新たな展開を見るに至った。すなわち、チェルニアエフ将軍の率いるロシア軍はトルキスタンの首都タシュケントを占領し、ロシア軍の前進に抗議したブハラの汗は、カウフマン将軍によって撃退され、カウフマン将軍は六七年以後、トルキスタンの総督となり、六八年には、ブハラの汗もロシア皇帝の臣下たることを承認しないわけにいかなくなった。
しかしその後、ロシアの進出を恐れたイギリスの干渉により、ついにロシアの外相ゴンチャロフは、一八七三年に、ロシアはヒヴァ汗国を合併する意志なしとの声明を発するに至ったが、その一方ではカウフマン将軍は、ロシアの支配権をヒヴァに及ぼそうと試み、約一万三千の兵をもって二方面から、一隊はタシュケントから、一隊はカスピ海から進撃せしめて、ついにヒヴァを攻略し、汗国の一小部分を除いて、すべてロシアに合併し、さらに翌年のゲオクー・テーペの勝利によって、ヒヴァ攻略に終止符を打つに至ったのである。
ヴェルヌの創作プランは、このようなロシア帝国の東方進出を考慮して立てられたのであって、ヒヴァのウズベック族が、ロシア軍によるその首都攻略の先手を打ってシベリアを侵略しようとする試みは、じゅうぶんに考えられることなのである。そして連絡を絶たれたイルクーツクの大公に危機を告げる親書をもたらす密使が、途中幾多の艱難を切り抜けて辛うじて目的を果たす筋立ては、あきらかに『八十日間世界一周』の成功を念頭において立てられたのであって、執拗にフォッグ氏の跡を追う刑事フィックスの代わりに執拗に復讐を遂げようとして大公に近づかんとするイヴァン・オガリョフを配し、脇役としてパスパルトゥの代わりにナージャを配したが、彼女はアウダ夫人のような蔭の存在ではなくて、主人公ミハイル・ストロゴフとともにニーチェ的な超人的な存在である。なおフランス人の忠実な下僕とフィックスとが演ずるギャグとサスペンスとを、フランスの新聞記者アルシード・ジョリヴェと、イギリスの〈デイリー・テレグラフ〉の記者ハリー・ブラントのやりとりにおいて再現しようと図ったが、これは表面的な応酬におわってしまって、前者ほどの効果は期し得なかった。
しかしながら、皇帝の密使が盲目になり、可憐な一少女に導かれて使命を果たすという波瀾に富む劇的効果はじゅうぶん挙がり、一八七六年に刊行されるや、予想以上の好評をもって迎えられた。さらにこの小説がデネリーの協力のもとに脚色されて、一八八〇年一一月にシャトレ座で上演されたときもたいへんな評判で、四〇〇回も連続公演されたという。本書が今世紀に入ってしばしば映画化されているのを見ても、いかにこの小説が劇的要素に富み、ロマンティックな作品のもつおもしろさがあるかがうかがわれるであろう。なおこの小説では、ヴェルヌの小説の特色である当時のシベリアの自然描写や風俗が克明に描かれているので、その点でも読者は大いに興味をそそられるであろう。ヴェルヌの数多い作品中にあって、傑作の一つとして挙げられる所以である。