皇帝の密使(上)
ジュール・ヴェルヌ/江口清訳
目 次
第一部
一 新宮殿における宴会
二 ロシア人とタタール人
三 ミハイル・ストロゴフ
四 モスクワからニジニー・ノヴゴロドへ
五 二項目の布令
六 兄と妹
七 ヴォルガ川を下る
八 カマ川をさかのぼって
九 タランタス馬車で昼夜兼行
十 ウラル山中の暴風
十一 遭難した旅行者たち
十二 挑戦
十三 なによりもまず義務を
十四 母と息子
十五 バラバの沼地
十六 最後の努力
十七 聖書の言葉とシャンソン
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第一部
一 新宮殿における宴会
「陛下、電報でございます」
「どこからだ?」
「トムスクからです」
「トムスクから先は、電線が切られたのか?」
「昨日から切断されました」
「将軍、ひきつづいてトムスクに電報を打って、情報を知らせるようにするように」
「かしこまりました。陛下」と、キソフ将軍は答えた。
このような会話は、新しい宮殿で催された宴たけなわの午前二時にかわされたのだった。
夜会のあいだじゅう、プレオブラジェンスキー連隊とポーロースキー連隊の軍楽隊がひっきりなしに、その演奏リストのなかでもっともすぐれた曲であるポルカや、マズルカや、スコットランド舞踏曲や、ワルツを演奏していた。踊る男女のパートナーがこの豪華な宮殿内のサロンのなかに、ぞくぞく集まってきた。この新しい宮殿は、かつて多くの恐ろしい悲劇が行なわれた〈石づくりの旧宮殿〉から数歩のところに建てられてあったので、旧宮殿は今夜、カドリールの主題を大きくこだまして響かせていた。
宮内大臣はまずそのむずかしい役割を果たすにあたって、多くの人びとの援助を受けていた。大公やその副官や、侍従や近習たちが、ダンスの組み合わせを引き受けていた。ダイヤモンドでおおわれた大公妃たちや、礼装で着飾った皇妃の化粧係りの侍女たちが、〈白い石でつくられた古い大都会〉の文武高官連の夫人たちに、けなげにもお手本を示していたのだった。そこで〈ポロネーズ〉の楽の音《ね》が響きわたり、列をつくった招待客たちが、一種の荘重きわまりない国民的なダンスという重大な要素をもっているこのリズミカルな踊りの輪のなかに加わると、レースでひだどった裾《すそ》の長い衣裳と、勲章で飾られた軍服とが入りみだれて、鏡の照り返しで光が十倍にもなっているその数百にもおよぶシャンデリアのもとで、筆紙にも尽くしがたい光景を呈していたのだった。
それはまさに、まばゆいばかりだった。
なかでも、この新しい宮殿にある多くのサロンのうちでもっとも美しい大サロンは、高位高官の貴族や、きらびやかに着飾ったその夫人たちの行列で、まさにその豪華さにふさわしい背景をつくっていた。その大きな円天井は、塗られた黄金が古色蒼然としてすでに光はうすらいでいたものの、まるで星をちりばめたように輝いていた。窓や扉の錦地《にしきじ》のカーテンは、ゆったりしたひだをつくり、あたたかい色調で深紅にもえ映《は》え、そのずっしりした布地の四隅は、色が急にうすらいでいた。
サロンじゅうにひろがった光は、半円アーチの大きなまるい張り出し窓を通して、外のうすい霧に濾《こ》され、外から見るとまるで火事を反映しているかのように思われ、ずっと数時間にわたってこの光り輝いている夜と、くっきり明暗をきわだたせていた。それゆえこの対照は、ダンスに加わらない客人たちの注意をひいていた。窓辺に身を寄せた彼らは、闇のあちこちに大きな影絵をぼんやりと浮かびださせている鐘楼のいくつかを見たのだった。彫刻のあるバルコニーの下には、たくさんの歩哨が銃を垂直に肩にかついで、もくもくと歩いていたが、その先のとがった彼らの軍帽は上から差してくるあかりをまともに受けて、まるで炎の羽飾りでもつけているかのように光っていた。また、舗石の上を歩く歩哨の足音も聞こえた。それらはおそらく、大広間の嵌木《はめき》の床を踏み鳴らす踊り手たちの足並よりも正確だったであろう。ときどき哨所から哨所へと歩哨の叫び声が伝達され、ときにはラッパの響きが、オーケストラの調べにまじって、その穏やかな調べのなかで、一段と高くひびきわたった。
はるか下のほうの建物の正面の前には、黒い大きな塊が、新宮殿の窓から投射された大きな円錐形の光のなかに、くっきりと浮かび出ていた。それは川を下っていく船の群れで、川の流れが標識灯のゆらめく光を受けて、テラスの台下をひたしていた。
この夜会を主催し、その舞踏会の中心人物であり、キソフ将軍がうやうやしく敬意を表したところの人物は、たんに近衛猟騎兵の士官の制服を着ているだけであった。この服装はけっして気どりではなくて、派手な飾りが好きでない人間の習慣でしかなかった。そこで皇帝の服装は、周囲にむらがっているはなばなしい服装と、いい対照をなしていた。皇帝はだいたいいつもこの服装で、コーカサスのきらきらした派手な制服で身を飾った護衛兵のグルジア族や、コサック族や、レスギア族に囲まれていたのである。
背が高くて、いかにも愛想のよいこの人物は、額をくもらせながらも落ち着きはらった様子を見せて、一つの群れから他の群れへと歩きまわっていた。だが、ほとんど口をきかず、若い連中の陽気な話にも、また高官たちや、彼の側近くにいるヨーロッパの重立った国ぐにを代表している外交官たちの生《き》まじめな話にも、まるで注意を払っていないかのようだった。人相見を職業としていると言っていい洞察力のするどい二、三の見識のある政治家が、皇帝の顔に何か不安の色があるのを見てとった。だがその原因は彼らにはわからなかったし、もちろん誰もそのようなことを皇帝にたずねることはできなかった。いずれにしても、この近衛猟騎兵の士官の服装をした人物の意図するところは、この夜会の空気をなんとしても乱さないことにあったのであって、彼はほとんどすべての人びとから心服されている類《たぐ》い稀《まれ》なる君主として、舞踏会の楽しみは一瞬たりともゆるがせにしてはならぬと考えていた。
そうしているうちにもキソフ将軍は、トムスクからの電報を受け取った皇帝から引きさがってもよろしいと言われるのをいまかいまかと待ちうけていたのだが、士官服のその人はじっとだまったままだった。彼は電報を手にして、それを読んだが、その額はいよいよくもっていった。その手はひとりでに剣の柄《つか》のほうにのびたが、それは眼の上にもっていかれて、瞬間そこでかざされた。それはあたかも光線がまばゆくて、考えをまとめるために暗闇を求めているとでもいったかのようだった。
「つまり」と、皇帝はキソフ将軍を窓辺に連れていって、やっと言った。「きのうからずっと、弟の大公とは連絡がつかないんだね?」
「連絡がございません、陛下。このようすでは、まもなく電報はシベリアの国境を越せなくなるのではないかと心配でございます」
「しかし、アムール地方とヤクーツク地方の軍隊は、トランスバイカル地方の軍隊同様、ただちにイルクーツクに進撃するようにと命令を受けたのではないか?」
「その命令は、バイカル湖から遠方に送ることができた最後の電報によって与えられたものでございます」
「エニセイスク、オムスク、セミパラチンスク、トボリスクの当局とは、侵入の当初からずっと直接に連絡がとれているのであろうが?」
「はい、陛下。当方の電報は届いております。ただいままでのところ、タタール族〔クリミア、コーカサス、ヴォルガ、シベリアにかけて分布する蒙古系、トルコ系諸民族の総称で、ダッタン族とも呼ばれる〕が、イルトイシ川やオビ川までは進撃していないことは確実でございます」
「ところで、反逆者イヴァン・オガリョフの消息は、何もわからんかね?」
「それが、さっぱりわかりませんでして」と、キソフ将軍は答えた。「警視総監も、彼が国境を越えたかどうか、はっきり申し上げかねるしだいでございます」
「では、さっそくあの男の人相書を、いまなお通信のきくすべての電報局、ニジニー・ノヴゴロド、ペルミ、エカテリンブルグ、カシーモフ、チュメニ、イシム、オムスク、エラムスク、コリヴァン、トムスクなどに流すようにしてくれ!」
「ご命令どおり、さっそく手配いたします」と、キソフ将軍は答えた。
「本件については絶対秘密だぞ!」
将軍は委細承知したとうなずいてみせ、うやうやしくお辞儀をしてから、まず混雑にまぎれこみ、それからまもなくして、誰にも気づかれないようにして大広間から出ていった。
皇帝はといえば、しばらくのあいだ物思いにふけっていたが、軍人や政治家の群れのなかにやってきたときには、その顔は先程しばらく失っていた落ち着きを、すっかり取りもどしていた。
ところで、手短に取りかわされた先程の会話の原因となった重大事件は、彼ら二人はそう思っているかもしれないが、皇帝とキソフ将軍だけが知っていたのではなかった。じじつ人びとはこの事件については、公式はもちろん非公式にでも口に出さなかった。こうしたことを語ることは〈命令によって〉禁じられていたからだが、しかし幾人かの高官たちは、国境の向こうで起こっている事件を多少は知っていたのだった。いずれにしても彼らがほんのすこししか知らないこと、外交官のあいだでもまだ語られていないことを、礼装もしていなければ勲章もつけておらず、この新宮殿の集まりではすこしも人目につかない二人の客が低声《こごえ》で語り合っていたが、どうやらそれはかなり正確な情報をつかんでいるように見えた。
このごく普通の人間である二人が、いったいどうやって、どういう方法を用いて、多くの政府の顕官たちがやっと知っているようなことまで知っているのだろうか? それは誰にもわからなかったろう。二人には物事を予知したり予見したりする特別の才能でもあったのだろうか? すべての人間の視線がとどかない地平線のはるか彼方までも見られるような誰も持っていない感覚があるからだろうか? とてつもない秘密のニュースをかぎつける特別の嗅覚でも持っているのだろうか? 彼らにとっては第二の天性となっている、情報によって生きるというそうした慣習によって、つまり情報のために彼らの持って生まれた性格までも変わってしまったのだろうか? どうも、そう認められたがっているようだった。
この二人の男のうち、一人はイギリス人で、もう一人はフランス人だった。二人とも背が高くてやせていたが、フランス人はプロヴァンス地方の南国人らしく焦茶色の髪をし、イギリス人はランカシャーの紳士の装いで赤毛だった。このノルマン系のイギリス人は几帳面《きちょうめん》で冷静で、粘液質で、動作も話し方も控え目で、まるで一定間隔をおいてゆるむ発条仕掛《ばねじかけ》のように話したり動いたりしていた。ところがガロ=ロマン人〔ローマに征服されてその文明の支配を受けたゴール人、つまりフランス人のこと〕のほうは反対で、元気がよくて、せっかちで、唇と目と手とを同時に動かして自分の言いたいことを表現するので、相手はきまった紋切型の話し方しかもっていないのに、彼のほうは二〇もの方法をもっているわけだった。
この二人の肉体上の違いは、まったく人の見分けのつかない人にも容易にわかったであろうが、もしも人相見ならこのいっぷう変わった二人をちょっと見ただけで、彼らを特徴づけている生理的な対照をはっきりと見きわめて、フランス人が〈全身すべてが目〉なら、イギリス人のほうは〈全身すべてが耳〉だと言えたであろう。
じじつこのフランス人の視覚器官は、絶えず使うことによって奇妙に発達していた。彼の網膜の感受性は、カードをすばやく切る瞬間に、または他人には気づかれないカードの配置によって、一枚のカードをすばやく見ておく奇術師のように、スナップ写真をとるときの機敏さをもっているにちがいなかった。つまりこのフランス人は、高度のよく言われる〈目の記憶力〉というやつを持っていたのである。
それに反してイギリス人はとくに聞くために、聴きわけるために作られてあるようだった。彼の聴覚器官はある音声を聞きとると、それをどうしても忘れることができず、一〇年後でも、二〇年後になろうとも、千のなかからそれを聴きわけたであろう。彼の耳は、大きな外耳をもっている動物の耳のように動かすことはきっとできなかっただろうが、学者たちが人間の耳は〈ほとんど〉動かないと言っているのだから、前述のイギリス人の耳は、博物学者にはいくらかわかるようなふうにして、聞き耳を立てたり、ねじれたり、斜めにのびたりして音を聴きわけようとしていると断定されてもしかたあるまい。
この二人の視覚と聴覚との完璧な発達が、二人の職業にすばらしく役立っているということを、ここで注意しておいても差しつかえあるまい。というのは、イギリス人は〈デイリー・テレグラフ〉の通信記者であり、フランス人も、どこかの新聞の通信記者だったからだ。それがなんという新聞だか彼はけっして言わなかったが、人からたずねられると、彼は冗談めかして、〈従妹《いとこ》のマドレーヌ〉に手紙を出しているのだと答えていた。このようにうわべは軽佻浮薄のようでありながらこのフランス人は、ほんとうはじつに賢くて、ぬけめがなかった。いささかでたらめな話し方をしていたが、たぶんそれは、知りたいという自分の気持をよりよく隠すためになされたのであって、けっして自分の感情の赴くがままに身をまかさなかった。おしゃべりのために彼はかえってだまっていることができたというべきで、たぶん彼のほうが〈デイリー・テレグラフ〉の記者よりも口がかたく、つつしみぶかかったと言えよう。
この二人が、七月一五日から一六日にかけて新宮殿で催された宴会に出席したのは、ジャーナリストとしての資格であって、読者におおいに有益な記事を送らんがためであった。
もちろん二人がこうした社会における自分たちの使命について情熱を感じていたのは言うまでもないことであって、ちょうどうさぎ狩でうさぎを追いだす役の白イタチのように、まったく予期しないニュースに飛びかかるのが好きだったし、成功するためには何ものも恐れず、また尻ごみもしないし、彼らは一向に動じない沈着さと、新聞人としての真の勇気とをもっていた。彼らこそまさに障害物競走、報道競走の騎手であって、垣根を乗り越え、川を飛び越し、芝生の斜面の上を飛んで、一着になるか、さもなければ死なんとする、あの純血な競馬馬のもっている比類稀なる純血さをもってなしたのだった!
それに彼らの新聞は、彼らに金をおしまなかった。それは情報を得るために、これまで知られているもののなかでもっとも確実な、もっとも手っとりばやい、そしてもっとも完全な要素であった。ここで彼らの名誉のためにつけ加えておかねばならないことは、彼らはどちらも、私的生活の壁のなかに秘められたことは、見ようともしなければ聞こうともしなかったことで、彼らは政治的危機、または社会的危機に際会して、はじめて行動を起こすのだった。ひとことにして言えば、彼らは数年来言われている〈政治的、軍事的の大きな報告記事〉を書いていたのだった。
ただ、彼らをよく観察すると、彼らが大部分の時間を、ふつうとは違ったやり方で、だがそれぞれ〈自分なりのやり方で〉見たり観察して、事実を、とくにその結果を熟考していることがわかるであろう。だが、つまるところ彼らは本気になって仕事に取り組んでいるのであって、いかなる場合でも彼らのやり方を非難するような真似はできなかったであろう。
フランス人の通信記者は、アルシード・ジョリヴェといった。イギリス人の通信記者の名前は、ハリー・ブラントだった。彼らはそれぞれ自分の新聞に記事を送るためにこの新宮殿の祝宴に来て、はじめて出会ったのだった。性格が違っているうえに、職業上の嫉妬心もはいるから、どうしても互いに気持の通じ合うはずはなかった。ところが彼らは、どちらも避けようとはせず、むしろその日のニュースについて互いに相手の意中をさぐろうとした。けっきょく彼らは、同じ土地の同じ禁猟区で狩をする二人の狩猟家だった。一人が射そんじたものを、運よくもう一人が仕とめるかもわからなかった。この共通の利益のために、彼らは互いに見えるところに、互いに聞こえるところにいなければならなかった。
そこでその夜は、二人とも待ち伏せしていた。じじつ、その場の空気に何かが感じられた。
「たかが家鴨《あひる》ぐらいが通るんだったら、あいつが撃ってくれたらいい!」アルシード・ジョリヴェはつぶやいた。
そこで二人の記者は舞踏会のあいだじゅう、キソフ将軍が退出したあともなおしばらくのあいだ話し合っていた。お互いに相手の腹をすこしさぐってみようと、話しだしたのである。
「ほんとうに、この夜会は、魅力的《シャルマン》ですな!」と、アルシード・ジョリヴェは、とくにフランス的な表現で会話を始めるべきだと思い、このように愛想のいい調子で言った。
「ぼくはもう電報を打ちましたよ、じつに|すばらしい《スプレンディッド》! とね」と、ハリー・ブラントは、イギリス市民の誰でもが感嘆の気持を表現するのにとくにつかうこの言葉をつかって、冷ややかに応じた。
「ところで」と、アルシード・ジョリヴェはつけ加えた。「ぼくは同時に、このことを従妹にも知らせてやらなければいけないと思いましたよ……」
「あなたの従妹さんにですって?」ハリー・ブラントは相手の言葉をさえぎって、さもびっくりしたように、くり返して言った。
「そうです、ぼくの従妹のマドレーヌにです……」と、アルシード・ジョリヴェは答えた。「ぼくは彼女に通信を送っているんです! ぼくの従妹は迅速に、また正確に知らせてくれることを好んでおりますので……。そこでこの夜会のあいだに、憂いの影のようなものが皇帝の額をくもらせたように見えたことを、彼女に知らせてやらなければならないと思ったのです」
「ぼくには、皇帝は晴れやかな顔をしているように見えましたがね」このことについては、おそらく自分の考えを知らせたくないと思っているハリー・ブラントはこう言ったのである。
「では当然〈デイリー・テレグラフ〉の紙面には、晴れやかな顔の皇帝が出るわけですね!」
「もちろんですとも」
「きみはおぼえていられますかな?、ブラントさん?」と、アルシード・ジョリヴェが言った。「一八一二年に、ザクレットで起こったことです……」
「おぼえていますとも、まるで、ぼく自身がその場に居合わせたように」と、イギリス人の記者は答えた。
「あのときはご存じのとおり」と、アルシード・ジョリヴェは言葉をつづけた。「アレクサンドル皇帝のために開かれた夜会の真っ最中に、ナポレオンがその前衛部隊とともにネマン川をいま渡ったと報道がはいったのです。それでも皇帝は、宴会場からお立ちにはなりませんでした。このニュースは、帝国の運命がかかっているきわめて重大なものだったのに、皇帝はすこしも不安の色をお見せになりませんでした……」
「キソフ将軍が国境とイルクーツクの政府当局とのあいだの電線が切断されたと告げたときも、皇帝はそのようなことは顔に出しませんでしたよ」
「ああ、あなたはあのことをご存じなのですか?」
「ええ、知っていますとも」
「ぼくのほうは、知らないわけにはいかなかったのです。なにしろ、ぼくの最後の電報は、ウジンスクまでしか届かなかったのですからな」と、アルシード・ジョリヴェは、さも満足そうに言った。
「ぼくの電報は、クラスノヤルスクまでしか届きませんでしたよ」と、ハリー・ブラントもまた、まんざら満足でなくもないといった口調で答えた。
「ではあなたは、命令がニコラエフスクの軍隊に送られたことも、ご存じなんですね?」
「ええ。トボリスク管区のコサック隊に集結するようにと命令が出されたこともね」
「おっしゃるとおりです、ブラントさん。そのような処置は、ぼくもご同様に存じております。ですから、ぼくの大好きな〈従妹〉も、あす早速なにかニュースを知るでしょうよ!」
「〈デイリー・テレグラフ〉の読者も、もちろんニュースを知るでしょうな、ジョリヴェさん」
「ほんとうに! 起こっている事件はよく見えるもんですな!……」
「人の言ってることが、よく聞こえるもんですな!……」
「こんどの事件は、なかなかおもしろそうではないですか、ブラントさん」
「ぼくも取材しますよ、ジョリヴェさん」
「ではぼくたちは、この大広間の嵌木床《はめぎゆか》よりはたぶん安全でない場所で、ふたたびお会いすることになりますね!」
「安全でない、まあ、そうでしょうな、だが……」
「だが、ここよりは滑りませんよ!」アルシード・ジョリヴェは、話し相手が立ち去ろうとしてからだの平衡を失いそうにしたのをつかまえてやりながら、そう言った。
ここで二人の通信記者は、どちらも自分が出し抜かれていないことがわかったので、おおいに満足してわかれた。じじつ、二人の勝負は勝ち負けなしだった。
このとき大広間に隣接している部屋べやの扉が全部開かれた。そこには、すばらしいご馳走がならべられ、高価な陶器や金の皿が所狭しとばかり乗っている大きな食卓が、たくさんもうけられてあった。皇族や、その夫人、外交官連にあてられた中央のテーブルには、ロンドンで作られた評価できないほど高価な飾り鉢が輝いていて、この金銀細工の傑作品のまわりには、シャンデリアの光のもとで、セーヴル焼の製造元にも見られなかったようなすばらしい食器類がいくつも並べられてあった。
そこで新宮殿のお客たちは、夜食の部屋のほうへ移りはじめた。
そのとき、もどってきたキソフ将軍が、急いで近衛猟騎兵の将校服を着た皇帝に近づいた。
「どうだ?」皇帝は最初のときと同じように、気ぜわしくたずねた。
「陛下、電報はもはやトムスクにも届きません」
「ただちに急使を出せ!」
皇帝は大広間を出て、隣接する広い部屋に入った。そこは古い柏材のごく簡素な家具が置かれてある書斎で、新宮殿の片隅にあった。いくつかの絵画が、とくにオラース・ヴェルネの署名のあるものが数多く、壁にかかっていた。
皇帝は、まるで肺に酸素が欠乏しているかのように、勢いよく窓をあけ、広いバルコニーに出て、七月の美しい夜がまき散らしている新鮮な空気を吸いこんだ。
眼下には、月光を浴びた城壁が円弧を描いていて、そのなかに二つの大寺院と三つの宮殿と、一つの兵器|廠《しょう》が建っていた。城壁の周囲には、キタイ・ゴロド、ベロイ・ゴロド、ゼムリアノイ・ゴロドの三つの町がはっきり見え、それらはヨーロッパ人やタタール人や中国人の住まっている大きな町で、それらの町を塔や鐘楼や、回教寺院の長尖塔や、屋根のてっぺんに銀の十字架のある三〇〇もの教会の緑色の円屋根が見おろしていた。曲がりくねって流れている小さな川があちこちで、月の光を反射していた。こうしたすべては、周囲四〇キロメートルにわたる大きな額縁にはめこまれた、種々さまざまに彩られた家々の奇妙なモザイック模様を形づくっていた。
この川はモスクワ川であり、この町はモスクワであって、城壁はクレムリンだった。そして腕を組み、物思いに額をくもらせて、新宮殿からモスクワの古い町の上にまき散らされている物音にぼんやり耳かたむけているその人こそ、近衛猟騎兵の将校服に身をかためたロシア皇帝であった。
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二 ロシア人とタタール人
文武の高官やモスクワの知名人を集めて催した大宴会がまさにたけなわになろうとしたとき、皇帝が不意に席をはずしたのは、ウラル国境の向こうに重大な事件が起こったからだった。おそるべき侵入がシベリアの諸州をロシアの統治からひき離そうとしているのは、もはや疑うべくもなかった。
アジア・ロシアと言われるシベリアは面積二二四万平方キロメートルにおよび、人口は約二〇〇万をかぞえていた。それは、ヨーロッパ・ロシアと分けへだてるウラル山脈からはじまって、太平洋の沿岸までのびていた。南はトルキスタンと、その国境がはなはだはっきりしていないシナ帝国に接していた。北はカラ海からベーリング海峡におよぶ北極海に至っていた。そしてシベリアは、トボリスク、エニセイスク、イルクーツク、オムスク、ヤクーツクの管区または州に分かれ、オホーツク、カムチャツカの二地方と、現在モスクワ政府が支配しているキルギスとチュクチの二国を占めていた。
東西に経度一一〇度以上にわたってひろがっているこの大草原は、罪人のための流刑地であり、皇帝の命令により追放された人びとの亡命先でもあった。
二人の総督が、この広大な領土におけるツァーたちの最高権力を代表していた。一人は東シベリアの首都であるイルクーツクに、もう一人は西シベリアの首都トボリスクに駐在していた。エニセイ川の支流であるチュナ川が、東西のシベリアを分かっていた。
この広大な平原は、そのある部分はじつに肥沃な土地であったが、まだ鉄道は敷かれていなかった。シベリアの土地は広い地上よりも地下のほうが資源が豊富だが、その貴重な鉱山にも、鉄道はまったく通じていなかった。人びとはこの地を旅行するには、夏は馬車か荷馬車、冬はそりに乗るのである。
東西シベリアの二つの国境をむすぶ唯一の連絡機関は電線によるもので、八千|露里《ヴェルスタ》、約八五三六キロメートル〔一ヴェルスタは約一キロ〕以上におよぶ。ウラルからはじまって、エカテリンブルグ、カシーモフ、チュメニ、イシム、オムスク、エラムスク、コリヴァン、トムスク、クラスノヤルスク、ニジネ・ウジンスク、イルクーツク、ヴェルフネ=ネルチンスク、ストーリンスク、アルバジン、ブラゴヴェチェンスク、ラド、オルロムスカヤ、アレキサンドロスコエ、ニコラエフスクとつながり、電報料は最終地点まで打つと、一字が六ルーブル一九カペイカ〔約二七フラン〕かかった。イルクーツクからは、蒙古との国境のキアトカまで支線がのびていて、キアトカからは一字三〇カペイカの割合で、郵便局が電報を北京まで二週間かかって配達した。
エカテリンブルグからニコラエフスクにつながるこの電線が切られたのだった。最初トムスクの先で切られ、数時間後には、トムスクとコリヴァンのあいだで切断されたのである。
そこでキソフ将軍が二度目に持ってきた報告を聞くと、皇帝は次の数語を発したのみだったではないか、「では、ただちに急使を出せ!」と。
皇帝はしばらく前から書斎の窓にもたれて、身動きもしなかった。そのとき取りつぎの者がふたたび扉を開いた。警視総監が入口に現われた。
「入れ、総監」と、皇帝は手短に言った。「イヴァン・オガリョフについて知っていることを残らず言ってくれ」
「あの男は、じつにひどい危険な人物です、陛下」と、警視総監は答えた。
「階級は大佐だったな?」
「はい、陛下」
「頭のいい士官だったそうだが?」
「頭がよすぎて、御しにくい男で、何ものにもあとにひかぬといった狂暴な野心家でした。まもなく秘密の陰謀に加わりまして、大公殿下から軍籍を剥奪され、シベリアに追放されたのでございます」
「それは、いつごろかね?」
「二年前のことでございます。六か月追放の刑に服したのち、陛下の恩赦のおかげで、ロシアにもどってまいりました」
「で、そのとき以来、シベリアへは送り帰されていないのだね?」
「はい、さようでございます。この度シベリアへ行きましたのは、自分の気持からでございます」と、警視総監は答えた。それから、すこし声を低めて、こうつけ加えた。
「陛下、昔はシベリアへ送られますと、二度とそこからもどってこられなかったものです!」
「いや、わたしの生きているかぎり、シベリアは行っても帰れるところであり、そうでなければならない」
皇帝はこうした言葉を、真の誇りをもって言う権利があったのである。というのはロシアの法律は赦免を認めていることを、仁慈の心によってしばしば示してみせたからだった。
警視総監は、ひとことも答えなかった。しかし彼がこうした中途半端なやり方に賛成する者でないことは、はっきりしていた。彼の考えでは、一度憲兵にかこまれてウラル山脈を越えた者は、二度とそれを越えて帰ることは許されないのである。それが新しい皇帝になってからはそうでなくなったので、警視総監は心底から残念がっていた。なんということだ! もはや普通の法律による犯罪にしか終身刑がないとは! なんていうこった! 政治犯がトボリスクや、ヤクーツクや、イルクーツクから帰ってくるとは! じじつ、従来けっして赦免ということのなかった専制的な判決に慣れていた警視総監にとっては、このような統治の仕方を認めることはできなかった! しかし彼はだまったままで、皇帝のつぎの質問を待った。
「イヴァン・オガリョフは」と、皇帝はたずねた。「シベリアへ旅行したのち、つまり真の旅行目的がわからないままに旅行したのち、もう一度ロシアに帰ってきたのではないかね?」
「はい、帰ってまいりました」
「で、帰ってから、その後の彼の足どりを、警察は見失ってしまったのだな?」
「いいえ、陛下、そのようなことは。受刑者は恩赦を受けた日から、ほんとうに危険な人物になるものでございます」
皇帝の額が一瞬くもった。おそらく警視総監は、自分の言葉がすぎたと恐縮しているにちがいなかった――彼のこうした頑固な考えは、少なくとも皇帝に対してはかぎりない忠誠の現われにほかならないのだが、しかし皇帝は内政に対するこうした間接的な非難などは無視して、手短に質問を連発した。
「イヴァン・オガリョフは、最後はどこにいたのかね?」
「ペルミ管区にいました」
「なんていう町かね?」
「ペルミ市でございます」
「そこで何をしていたのかね?」
「何もしていなかったようで、彼の行動にはべつに疑わしいところはございませんでした」
「あの男は、特別高等警察の監視は受けてはいなかったのかね?」
「はい、受けておりませんでした、陛下」
「いつ、ペルミを離れたのか?」
「三月ごろでございます」
「どこへ行ったのかな?」
「それが、わからないのでございます」
「そしてそのときから、彼がどうなったか、わからないんだね?」
「誰もわからないのでございます」
「それが、わたしにはわかっているんだ!」と、皇帝は答えた。「匿名の通報が、警察を通じないで入ったんだ。いま国境の向こうで行なわれている事実に照らし合わせてみると、この知らせがほんとうであると信じられるんだ!」
「では陛下には」と、警視総監は叫んだ。「イヴァン・オガリョフがタタール人の侵略に手を貸しているとおぼし召すのでございますか?」
「そうなんだ、警視総監、いいか、おまえの知らないことを教えてやろう。イヴァン・オガリョフはペルミ管区を立ち去ってから、ウラル山脈を越えたんだ。そしてシベリアに入り、キルギスの草原地帯で遊牧民に反乱を起こさせようと奔走し、いくらかは成功したんだ。それから彼はなおも南へ下り、トルキスタン自由国にまで行った。そしてそこのブハラ、ホハンド、クンドゥーズなどの汗《カン》を説得して、首領たちにタタール人の遊牧民をシベリアへ投入させることにし、アジアのロシア帝国領内に侵入させようとしたのだ。この運動はごく秘密裡になされていた。それがいまになって爆発したのだ。そしていまや、西シベリアと東シベリアとの通信機関は断たれてしまったのだ! さらに、復讐の鬼となったイヴァン・オガリョフは、わたしの弟の生命までも奪おうとしている!」
皇帝は話しているうちに興奮してきて、足ばやに行きつもどりつした。警視総監はなにも言わなかったが、心のなかでは、ロシア皇帝が追放者にけっして恩赦を与えなかった時代だったら、イヴァン・オガリョフの計画などは実現しなかったろうにと思っていた。
警視総監がだまりこんでいるあいだに、数分たった。それから彼は、肘掛椅子に身を投げかけた皇帝のそばに近づいた。
「陛下にあらせられましては、この侵入ができうるかぎり迅速に撃退されますよう、ご命令を出されたことと拝察いたしますが」
「さよう」と、皇帝は答えた。「ニジネ・ウジンスクに到達したはずの最後の電報は、エニセイスク、イルクーツク、ヤクーツク管区の軍隊、アムール州、バイカル湖州の軍隊に行動を起こさせたにちがいない。同時にペルミ連隊、ニジニー・ノヴゴロド連隊、それから国境のコサック隊は、強行軍でウラル山脈に向かっている。だが不幸にして、これらの軍隊がタタール軍の縦隊と遭遇するには、数週間を要するだろう」
「そして陛下のご舎弟、大公殿下にあらせられては、いまイルクーツク管区に孤立されていられて、もはやモスクワとは直接の連絡がつかないのでございますな?」
「そうだ」
「しかしながら大公殿下には、最後の電報によって、陛下がどのような手段を講じていられるか、またイルクーツク管区にもっとも近い管区からどういう援軍が期待できるか、ご存じなされていらっしゃるのでございましょうね?」
「それは知っておる」と、皇帝は答えた。「だが、知らないことがあるんだ。それはな、イヴァン・オガリョフが、反逆者の役割と同時に、裏切者の役割をも演じるということなのだ。大公は、個人的に執拗に自分を狙っているという敵があるということを知らないんだ。イヴァン・オガリョフは最初に大公の不興をこうむったのだが、もっとも重大なことは、大公は直接この男を知らないということなのだ。そこでイヴァン・オガリョフの企ては、まずイルクーツクに赴いて、偽名を使い、大公に奉仕を申し出る。そして大公の信頼を得たのち、タタール軍がイルクーツクに侵入してきたら、町とともに大公をもタタール軍に引きわたすつもりなんだ。大公の命が危ないんだ。これらは情報で得たことで、大公はこのことを知らない。だから、どうしても知らせる必要があるんだ!」
「では陛下、さっそく頭のいい勇敢なお使者を……」
「予は、そうした男を待っておる」
「急いでなさねばなりませぬ」と、警視総監は言い添えた。「おそれながら陛下、シベリアの地は反乱を起こすには恰好《かっこう》の地でございますので!」
「つまり、追放者どもが、侵入軍に加担すると言うのか?」警視総監のほのめかしに対して自分を抑えることのできなくなった皇帝は、声を大きくして言った。
「お許しください、陛下!……」と、口ごもりながら警視総監は答えた。なぜならそうした考えは、彼の不安な疑いぶかい精神によって示唆されたものだったからだ。
「予は愛国主義を唱える連中よりも、追放者どもの愛国心を信じているんだ!」と、皇帝は言い返した。
「シベリアには、政治犯で追放された者以外に、受刑者がたくさんおります」と、警視総監は答えた。
「犯罪者か! あの連中のことなら、総監、おまえにまかせる! あいつらは人間の屑だ。どこの国の者でもない。だが、反乱、というよりも外敵の侵入というのは、皇帝に向かってなされるものではなくて、それはロシアに対してなされるものだ。追放された者たちは、もう一度祖国を見ようという希望を捨ててはいない……いや、かならず祖国を見るだろうよ! いや、そんなことはありえない、ロシア人たる者が、モスクワの力を弱めるために、一時間たりともそのようなことをすることはない!」
皇帝が政治上の立場から一時遠ざけられた人びとの愛国心を信じるのは、もっともなことだったのである。彼が自ら判決を下すときは、彼の裁きの底にある慈悲心によって、昔はじつに苛酷なものであった勅命の適用におおいに手心を加え、彼自身が間違っていないことを証明してくれたものだった。だが、侵入に成功をもたらせたこの有力な要素がなかったにしても、事態はけっして重大でないとは考えられなかった。なぜならば、キルギス人の大部分が侵入軍に加担するおそれが多分にあったからなのである。
キルギス人は大、小、中くらいの三つの遊牧群に分かれ、約四〇万の〈テント〉をもち、人口二〇〇万を数えた。いろいろな部族があって、あるものは独立し、あるものはロシア、またはヒヴァ、ホハンド、ブハラといった、つまりトルキスタンのもっとも恐ろしい首領たちの治める汗国の主権を認めていた。中くらいの遊牧群がもっとも裕福で、同時にもっとも重んじられており、その宿営地はサラ=スー川、イルトイシ川、イシム川上流、ハジサン湖、アクサール湖のあいだにはさまれた全域にわたっていた。大規模な遊牧群は、中くらいの遊牧群の東にある地方を占め、オムスクやトボリスク管区にまでのびていた。そこで、これらのキルギス人が蜂起すると、アジア・ロシアが侵略され、まずエニセイ川の東で、シベリアは本国から切りはなされてしまうのだ。
これらキルギス人の戦法たるや幼稚きわまりないもので、正規の軍隊というよりも、隊商を襲う夜盗といったほうがいい。レフチン氏も言ったように、「訓練された歩兵の密集部隊か方形陣なら、十倍の数のキルギス人の群れに対抗できるし、大砲が一門あれば、ものすごい数のキルギス軍を殲滅《せんめつ》することができる」
まさにそのとおりである。だがそれには訓練を受けた歩兵の密集部隊がこの反乱を起こした土地にやってこなければならないし、大砲にしたって二、三千キロメートル以上も離れたロシアの各州から運ばれなければならないわけだった。ところで、エカテリンブルグとイルクーツクとを結ぶ直線道路はいいが、沼地の多い草原地帯に入ると、兵の移動が容易ではないので、ロシア軍がタタール人の遊牧民を撃退するにいたるまでには、どうしても数週間はかかるだろう。
オムスクは、キルギス族を制圧するべき任にあたっている西シベリア軍の中心地である。完全に征服されていないこの遊牧民は、一再ならずこのあたりまで攻めてきた。それゆえ陸軍省は、オムスクがすでにきわめて危険な状態にあると考えたのは、もっともなことだった。駐留警備隊の戦線、つまりオムスクからセミパラチンスクまで縦長に配置されたコサック警備隊の戦線は、いくつかの点に変えられざるをえなかったにちがいなかった。ところで、キルギス地方を治めている〈大サルタンたち〉が、やはり彼らと同じ回教徒であるタタール人の支配を自らすすんで受けたのではあるまいか、あるいはどうしても受けざるをえなくなったのではないだろうかというおそれがあった。または隷属状態にあったことからひきおこされた憎悪感が、ギリシア正教という宗教上の対立による憎しみとむすびついて、こうなったのではなかろうか。
じじつトルキスタンのタタール人、主としてブハラ、ホハンド、クンドゥーズなどの汗国のタタール人は、かなり以前から力と説得によって、キルギスの遊牧民をモスクワの支配から引き離そうと試みていたのだった。
これらのタタール人について、ひとこと述べておこう。
タタール人をさらにくわしく分けると、コーカサス族と蒙古族というまったく違った二つの種族に属していた。
「コーカサス族は」と、アベル・ド・レミュザ〔一七八八〜一八三二、フランスのシナ学者で「仏教史」の著あり〕は言った。「ヨーロッパにおいては美人の原型とみられている。なぜならばヨーロッパのあらゆる民族はこの種族から出ているからだ」と、そして同じコーカサス族という名称のもとに、トルコ人やペルシア系の土着民を集めている。
純粋に蒙古族といえば、蒙古人、満州人、チベット人を含んでいる。
その当時ロシア帝国をおびやかしていたタタール人はコーカサス族であって、とくにトルキスタン地方を占拠していた。この広大な地域は種々異なった国ぐにに分割され、汗国という名称が由来する汗〔蒙古人やトルコ人やタタール人の首長の称号〕によって治められていた。主な汗国は、ブハラ、ヒヴァ、ホハンド、クンドゥーズである。
当時にあってもっとも勢力があり恐ろしい汗国は、ブハラであった。ロシアはすでにいままで何度もブハラの首長たちと戦わねばならなかった。これらの首長たちは個人的な利益のために、また彼らに別の首枷《くびかせ》を押しつけるために、モスクワの支配に反対するキルギス人の独立運動を支持していた。ブハラの現在の首長であるフェオファル汗も、老人たちと同じ方針を採っていた。
このブハラの汗国は北から南へと、北緯三七度から四一度にかけて、また東経六一度から六六度にかけて広がっていた。つまり四万キロ平方の土地を占めていたのである。
この汗国は人口およそ二五〇万、戦時にはその三倍になる六万の歩兵と、三万の騎兵とをもっていた。いろいろな動植物、鉱物にめぐまれた豊かな国で、バルク、オーコイ、メイマネの土地を併合して大きくなったのである。この国には、主要な町が一九あった。ブハラは矢倉のそびえ立つ長さ一三キロにもおよぶ城壁にかこまれていて、アヴィケンナ家その他の一〇世紀の学者たちによって名をとどめた栄光の町であり、回教文化の中心地と見られ、中央アジアのもっとも著名な町の一つに数えられていた。サマルカンドにはタメルラン〔びっこのチムール人とも呼ばれたタタール人の征服者、一三三六〜一四〇五〕の墳墓と、即位するに際し新しい汗がその上に坐らねばならない青い石の保存されているかの著名なる宮殿があって、はなはだ強固な城砦によって守られていた。カラチは三重の城壁がめぐらされてあって、亀やトカゲのむらがっている沼地でかこまれているオアシスのなかにあり、ほとんど難攻不落と言ってよい。チャルジュイは二万近くの人びとに守られていた。最後にカタ=クルガン、ヌラタ、ジザ、パイカンド、カラクル、クザンといった町は、なかなか攻略できない町の一群をつくっていた。山々にかこまれ、草原のなかに孤立しているこのブハラ汗国は、まことに恐るべき国であったので、ロシアも莫大な兵力をここに投入しなければならなかったのである。
さて当時このタタール地方の一角を支配していたのが、野心に燃えた残忍なフェオファルだった。この男は他の汗たち――ことに残酷な戦士であり掠奪者であって、タタール人の本能にぴったりしている冒険に身を投じたがっているホハンドやクンドゥーズの汗たち――の支持を受け、また中央アジアのすべての遊牧民を支配している首領たちに助けられて、こんどの侵入の先頭に立ったのであるが、その侵入の中心人物は、イヴァン・オガリョフにほかならなかった。無分別な野望と憎悪によって狩りたてられたこの反逆者は、シベリアの本道を切断するという巧妙な作戦に出たのだった。このようなことによってモスクワの支配力に打撃を与えられると信じるとは、まさに気違いざただった! 彼の勧告に従って首領《エミール》〔元来がマホメットの子孫の尊称だが首領とか王を意味する称号である〕は――これはブハラの汗たちが用いている称号である――彼の遊牧民たちを、ロシアの国境のかなたへ投入したのだった。かくて彼らはセミパラチンスク管区に侵入したのだが、その地にいたコサック軍はあまりに僅少だったので、後退しなければならなかった。首領は進撃の途中でキルギス人を味方にひき入れながら、バルハシ湖の先まで進出した。掠奪したり、荒らしまわったりして、従う者は兵に組み入れ、反抗する者は捕虜にしながら、東洋の王のお荷物と言われる非戦闘員の彼の家族、彼の多くの妻妾、多くの奴隷たちを従えて、町から町へと移動した。――こうしたことを無謀な大胆不敵さをもってする以上、彼はまさに現代のジンギス汗だと言えよう。
彼はこのときどこにいたのだろうか? 侵入の情報がモスクワに到ったとき、彼の軍隊はどこまで進出したのだろうか? ロシア軍はシベリアのどの地点まで後退したのだろうか? 誰もそれを知ることはできなかった。連絡が断たれたからだった。コリヴァンとトムスクのあいだの電線は、タタール軍の斥候《せっこう》によって切断されたのだろうか、それとも首領はエニセイスク地方までやってきたのか? 西シベリアの低地帯は焼き討ちにされたのだろうか? 反乱はすでに東部地方にまでひろがったのだろうか? 誰にもわからなかった。暑さも寒さも恐れず、冬の酷寒も夏の暑熱も阻むことができず、電光のような速さで飛んでゆく唯一の伝令である電流は、もはや草原地帯を横ぎってゆくことができなくなったのであって、イルクーツクに閉じこめられている大公殿下に、イヴァン・オガリョフの裏切りによってその生命が危険にさらされていることをあらかじめ知らせることはできなくなったのである。
急使だけが、切られた電線にとって代わることができた。だが、モスクワとイルクーツクとをへだてる五二〇〇露里、つまり五五三〇キロメートルを突破することは、急使といえども相当な日数を要するであろう。それに反乱軍や侵入軍のあいだを通り抜けるには、いわば超人的な勇気と英知とを必要とするだろう。なにしろ頭脳と心臓とをもって、やってのけなければならないのだ!
「そうした頭脳と心臓の持ち主は見つかるかな?」と、皇帝は自問自答した。
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三 ミハイル・ストロゴフ
まもなく皇帝の書斎の扉が開かれて、取次の者がキソフ将軍が見えたことを告げた。
「急使は見つかったか?」皇帝は勢いこんでたずねた。
「そこにまいっております、陛下」と、キソフ将軍は答えた。
「必要とする人間は見つかったか?」
「陛下のご要望にお応えできるとあえて申しましょう」
「その男は宮廷に仕えていた者か?」
「はい、さようでございます」
「おまえは、その男をよく知っておるのだな?」
「個人的に存じております。何度となくむずかしい使命を首尾よく果たした者でございます」
「外国でか?」
「シベリアにおいてでもいたしました」
「どこの出身かね?」
「オムスクの出身ですから、シベリア生まれでございます」
「その男は沈着で、頭のはたらきがよく、勇気があるかね?」
「はい、陛下、ほかの者でしたらおそらく失敗するようなことでも成功させる、すべての資格をもっています」
「年齢は?」
「三〇歳でございます」
「たくましい男かな?」
「陛下、彼は寒さ、飢え、渇き、疲労を極限まで耐えることのできる男でございます」
「鉄のようなからだをもっているんだな」
「はい、陛下」
「で、心臓のほうは?」
「黄金の心臓です」
「なんていう名だね?」
「ミハイル・ストロゴフと申します」
「出発の用意はできておるのか?」
「近衛隊の士官室で、陛下のご下命をお待ち申しております」
「来るようにと申せ」と、皇帝は言った。
しばらくして、急使ミハイル・ストロゴフが、皇帝の書斎に入ってきた。
ミハイル・ストロゴフは長身でたくましく、肩幅が広くて、厚い胸をしていた。力強いその顔は、コーカサス民族特有の美しい性格を示していた。はなはだ頑健な手足は、どんな力仕事でもみごとにやってのけるといった鉄梃《かなてこ》同然だった。このきちんと身がまえて立っている美しい頑健な青年を、むりやりにそこから動かすことは容易ではなかったろう。なぜならば両足をぴったり床につけているのを見ると、その両足はまるで根が生えているように思われるからだった。額の広い、角ばった頭の上には豊かな髪がちぢれていて、軍帽をかぶると巻毛がはみ出て見えた。ふだん青白い彼の顔が変わることがあるとすれば、それは心臓の鼓動が激しくなって、血液の循環が活発になり、動脈に血が送られるときだけである。彼の眼は濃いブルーで、その変わることのない純真な視線で相手をまっすぐに見つめた。それは筋肉がかすかに痙攣している眉の下で輝いていて、生理学者の表現を借りれば、〈怒ることのない英雄のもつ勇気〉を示していた。鼻孔の大きな力強い感じのする鼻は、均斉のとれた口と、寛大で善良な人間性を示すすこしばかり突き出た唇の上に、どっしりかまえていた。
ミハイル・ストロゴフは決断力のある性格の持ち主で、あれやこれやと迷ったあげく爪をかんだり耳をかいたり足ぶみをしたりするようなことはなく、すばやく決断を下した。身ぶりも口数も少なく、彼は上官の前に直立不動の姿勢をする兵士のように、いつまでもじっとしていることができた。だが歩きだすと、その足どりはいかにもゆっくりした余裕を示し、その動きはおそろしく正確だった。――そのことは彼の精神の自信と激しい意志とを同時に示していた。彼はその手がいつも〈好機をけっして逃さない〉人間であることを示しており、ふだんはいささか不自然な顔つきをしているが、いざとなるとさっと本来の自分の生地《きじ》を見せるのだった。
ミハイル・ストロゴフは、優雅な軍服を着ていて、その長靴、拍車、ゆったりしたズボン、毛布で縁どられ、褐色の服地の上に黄色い飾り紐をつけたマント、そうした彼の服装は戦時における猟騎兵の士官のそれとよく似ていた。そしてその広い胸の上には、一つの十字勲章とたくさんの勲章が輝いていた。
ミハイル・ストロゴフは皇帝直属の伝令隊に属し、その選ばれた人びとのあいだにあって、士官に任ぜられていた。彼の動作、その表情、そのからだ全体から感じられるすべては、とくに皇帝が造作なく認めたこと、つまり〈彼こそ命令の実行者〉であったということである。そこで彼は、有名な小説家であるツルゲーネフの観察によれば、ロシア帝国における最も高い地位に人を導くところの長所、ロシアにおける推賞に値する長所の一つをもっていたのである。
じじつモスクワからイルクーツクまで、多くの障害を乗りこえ、あらゆる危険をおかし、侵入された土地を突破してこの旅行を成功させることのできる人があるとすれば、それはミハイル・ストロゴフをおいてほかにはいなかった。
ミハイル・ストロゴフがこの計画を成功させるのにごく適していることは、彼がこれから横断しようとする土地をたいへんよく知っていることであり、またそこで話されている多くの方言に通じていることだった。これはかつて彼がこの地方を歩きまわったことがあるばかりではなく、彼がシベリア生まれだったからである。
彼の父の老ピョートル・ストロゴフは一〇年前に亡くなったが、同じ名の管区のなかにあるオムスク市に住まっていた。そして母のマルファ・ストロゴフは、いまでもそこに住んでいた。このオムスクとトボリスク州の荒れはてた草原地帯で、この力強いシベリアの猟師は、息子のミハイルを、俗なことばで言えば〈しごいて〉育てたのである。ピョートル・ストロゴフの本来の仕事は、猟師だった。夏でも冬でも、焼けつくような炎天下においても、ときには氷点下五〇度まで下がる厳寒のもとにあっても、彼は氷でかたくなった野原を、唐松や樺の林、樅《もみ》の森をかけまわっては罠《わな》をしかけ、小さな獲物を銃でねらい、大きな獲物を熊手や短刀で倒した。大きな獲物というのはシベリア熊にほかならず、この恐ろしい獰猛《どうもう》な動物は北極海の白熊ぐらいの背丈があった。ピョートル・ストロゴフは三九頭以上の熊を殺した。つまり四〇頭めの熊も、彼の短刀のもとに倒されたのである。――ロシアの狩猟に関する伝説に従えば、じつに多くの猟師が幸運にも三九頭までは熊を殺せるが、四〇頭めには彼のほうが殺されると言われている!
ところでピョートル・ストロゴフは、かすり傷一つ負わずに、この不吉な数字を通りこした。このとき以来、当時一一歳だった息子のミハイルは、父が猟に行くときは、短刀しか持っていかない父を助けるためにいつも〈ラガチーナ〉という鉄製の熊手を持って、かならずついて行った。ミハイル・ストロゴフは一四歳のとき、はじめて一人で熊を倒した。――そのことだけなら、まあたいしたことではないが――彼は皮をはいだのちに、その大きな熊の皮を、数露里はなれた家まで引っぱっていったのだ――このことは、この子供がいかに、並はずれた頑健さをもっているかを示していた。
こうした生活は彼におおいに利するところがあったので、大人になった彼は、寒さ、暑さ、飢え、渇き、疲れといった、あらゆる苦難に耐えることができたのだった。彼は、北の国ぐにに住んでいるヤクート人と同じように、鉄の人だった。彼は二四時間も何も食べずにいることができたし、一〇日間夜眠らずに過ごすことができた。草原地帯のまっただなかで、ほかの人なら凍え死んだであろうが、彼は身を隠してしのぐことができた。彼は極度に鋭敏な感覚にめぐまれていたので、雪原のまっただなかでも、デラウェア族のインディアンのように本能の力によって導かれ、霧が地平線をさえぎっているようなときでも、または高緯度の土地で北極の夜が幾日も幾日も続いているときでさえも、またおそらく他の人間だったら自分を導くことができないような場所にあってさえも、自分の道を見失うようなことはなかったのである。父親のもつ秘訣はすべて、彼に知得されていた。彼はほとんど知覚しえない徴候によって、自分を導くことを知っていた。氷柱《つらら》のたれ具合だとか、樹木の枝ぶりだとか、または地平線の果てに見える光の放射、森林中の草の上に残った動物のかすかな足跡、大気を動かすかすかな物音、はるか遠くに聞こえる砲声、霧のなかを渡る鳥の群れ、そういったものはすべて、それらを感知できる者にとっては、道しるべになったのである。それに雪のなかに埋まっても、水につかったシベリアの緞子《どんす》のように一向に平気で、まったく彼はキソフ将軍が言ったように、鉄のような健康をもった男だった。それに黄金のような心臓をもっていることも、じじつそうだった。
ミハイル・ストロゴフのもつ唯一の愛情は、年老いた母のマルファに対するものであった。彼女は、年とった猟師とともに長いあいだ一緒に暮らしていたオムスクのイルトイシ川の河畔にあるストロゴフ家の古家を、けっして離れようとしなかった。息子が彼女のもとを去るときは大きな悲しみだったが、彼はできるだけ帰ってくると約束した。――じじつその約束はいつも良心的に守られていた。
ミハイル・ストロゴフは二〇歳のとき、皇帝直属の伝令隊に入ることにきまったのだ。大胆で頭がよく、熱心で品行方正な若いシベリア人が最初に出かけたのは、シャミールの後継者が騒乱を起こした困難きわまる国であるコーカサスへの旅だった。その後また彼は重大な使命をおびて、アジア・ロシアの極地であるカムチャツカのペトロパブロフスクまで出かけた。この長い旅行中に、彼は沈着と慎重と勇気の長所を発揮して、上官の賞賛と庇護とをかち得た。そして迅速に出世した。
遠隔の地における使命を果たしたのち当然の権利として与えられる休暇を、彼はけっして怠ことなく老母にささげた――老母がいかに数千キロ離れた遠隔の地にあろうとも、また冬場は道が通れないだろうが、そんなことは問題でなかった。ところが、こういうことははじめてなのだが、彼は南部にずっと派遣されていたので老母に三年も会えなかった――それは彼にとっては三〇〇年にも等しかった! さて、規定による休暇は数日中に与えられることになっていて、彼はすでにオムスクへ向けて出発する準備をしていたときに、諸君もご承知の事情がもちあがってきたのである。そこでミハイル・ストロゴフは皇帝の前に呼びだされたのだが、皇帝がどういうことを彼に期待していたかは、まったく知らなかったのである。
皇帝は言葉もかけずに、しばらくのあいだじっと彼を見ていた。するどい刺すような眼で彼を観察していたが、ミハイル・ストロゴフのほうは直立不動の姿勢だった。
それから皇帝は、たぶんこの試験に満足したのだろう、事務机のそばにもどって、警視総監に腰かけるように合図をし、低声《こごえ》で、数行しかない手紙を口述した。
手紙が作成されると、皇帝は注意ぶかく読み返してから署名をした。それから皇帝は自分の名前の前に Bytpo semou と記した。これは〈アーメン〉を意味し、ロシア皇帝が最終的に重大な決意をするときに用いる言葉であった。
そこで手紙は封筒におさめられ、皇帝の紋章のついた封印で閉じられた。
皇帝は立ち上がると、ミハイル・ストロゴフに近づくようにと言った。
ミハイル・ストロゴフは数歩前に出ると、またもや直立の姿勢をとって、返事をする構えをとった。
皇帝はもう一度真正面から彼をじっと見て、その目のなかを注視した。それから言葉短くたずねた。
「おまえの名は?」
「ミハイル・ストロゴフであります、陛下」
「階級は?」
「皇帝陛下直属の伝令隊の大尉です」
「おまえは、シベリアをよく知っているな?」
「わたくしはシベリア生まれでございます」
「生地は?」
「オムスクであります」
「オムスクに身寄りの者がいるか?」
「はい、陛下」
「どういう関係か?」
「年老いた母でございます」
皇帝は瞬間、つづいて発せられた質問をとぎらせた。それから手に持っている書簡を示しながら言った。
「ここに一通の手紙がある。これを、ミハイル・ストロゴフ、おまえに托すが、いいか、大公殿下自らの手に渡すのだ。殿下以外の者には、けっして手渡してはならんぞ」
「かならずお渡しいたします。陛下」
「大公殿下はイルクーツクにいる」
「イルクーツクにまいりましょう」
「しかし、反乱軍が蜂起している土地、タタール人が侵入している土地を横断しなければならない。彼らはこの手紙をうばいとろうとするだろう」
「通り抜けてごらんにいれます」
「たぶん途中で会うだろうが、裏切者のイヴァン・オガリョフには用心しなければならんぞ」
「じゅうぶん用心いたします」
「オムスクを通るかね?」
「通る道にあたっております」
「もしおまえが母親などに会ったりすると、見つけられるおそれがある。母親に会ってはならん!」
ミハイル・ストロゴフは瞬間ためらったが、「はい、会いますまい」と、言った。
「どんなことがあっても自分の身分をあかしたり、行き先を洩らしてはならんぞ、予にそれを誓え!」
「お誓いいたします」
「ミハイル・ストロゴフ」と、皇帝は若い密使に手紙を渡しながら、ふたたび言った。「では、この手紙を持っていけ。この手紙に、シベリア全土の救いと、予の弟大公殿下の生命がかかっているのだぞ」
「このお手紙は、かならず大公殿下のお手にお渡しいたします」
「どんなことがあっても通り抜けられるかな?」
「通り抜けてごらんにいれます。さもなければ死ぬばかりです」
「どうあっても、おまえに生きてもらわねばならない!」
「わたくしはかならず生きて、通り抜けます」と、彼は答えた。
皇帝はミハイル・ストロゴフが答える、その簡単な、いかにも落ち着いた確信ありげな態度に満足したようすだった。
「さあ、行け、ミハイル・ストロゴフ」と、皇帝は言った。「神のために、ロシアのために、予の弟のために、そして予自身のために!」
ミハイル・ストロゴフは軍隊式の敬礼をして、ただちに皇帝の書斎から立ち去った。そしてしばらくしてから新宮殿を出ていった。
「将軍、おまえはうまい手先を持ったようだな」と、皇帝は言った。
「陛下、わたくしもそう思います」と、キソフ将軍は答えた。「陛下、ご安心くださいませ、ミハイル・ストロゴフは、男のなしうるどんなことでもやってのけるでしょう」
「まったく、彼こそほんとうの男子だ」と、皇帝は言った。
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四 モスクワからニジニー・ノヴゴロドへ
ミハイル・ストロゴフがモスクワからイルクーツクまで踏破しなければならない距離は五二〇〇露里(五五三〇キロメートル)であった。電線がまだウラル山脈からシベリアの東部国境のあいだに通じていないころは、至急便は郵便馬車によって送られ、モスクワからイルクーツクまでは、どんなに早くても一八日間かかった。だがこれは例外によるものであって、アジア・ロシアを横断するには、あらゆる交通機関が皇帝の使者たちの意に従って行動しえたとしても、ふつう四、五週間はかかったのである。
寒さも雪も恐れない男であるミハイル・ストロゴフは、全行程をそりを仕立てて行くことのできる冬の厳寒に旅行することのほうを好んだであろう。そうすれば、どんな旅行の方法をとったにしろ避けられない困難が、雪で一面平らにされた草原地帯《ステップ》では、いくらかは減少されるのだ。まず川を渡る必要がなかった。一面氷を張りつめた広がりの上を、そりなら全速力でらくらくとすべっていけるのである。だがこの季節には恐ろしい自然現象が、たとえばいつまでたっても晴れない濃霧だとか、極度の寒さ、長期間の恐ろしい烈風といったものが起こるかもしれず、烈風が旋風となって、ときには隊商全部を巻きこんで殲滅させることもありうるのだ。また飢えにかられた狼が群れをなして野原をうずめることもある。とはいえ、こうしたきびしい冬にあっては、侵入者のタタール軍は町に宿営したがるだろうし、軍隊の行動が思うようにいかないので奴らも草原地帯を歩きまわらないだろうから、こうした危険をおかしたとしても、なおましだったろう。ミハイル・ストロゴフは、はるかに容易に突破できたにちがいなかった。だがいま彼は、季節や時間を選んではいられなかった。状況がどうあろうとも、彼はそれを承知のうえで出発しなければならなかった。
こうした情勢をはっきり見きわめたうえで、ミハイル・ストロゴフはそれに対処すべく準備を整えた。
まず彼は、いつものように皇帝の使者を名乗るわけにいかなかった。このような身分は旅行中、誰にも気づかれないようにしなければならなかった。侵略された土地には、スパイどもが群がっていた。彼の身分がわかったら使命は果たされないだろう。そこでキソフ将軍は彼に、旅行するのにじゅうぶんで、いくらか旅行をらくにさせる程度の金額を与えただけで、困ったときには難関突破の|まじない《セアザム》になるはずの皇帝の使命をおびた者であるという書きつけは渡さなかったのだ。将軍はただ、一枚の〈特別通行証《ポダロシュナ》〉を与えただけだった。
この特別通行証は、ニコライ・コルパノフという名前のイルクーツク商人ということになっていた。この通行証があれば、もし必要とあればニコライ・コルパノフをして一人ないし数人の供を連れてゆくことが許されるのだった。それにはさらに特別の記載があって、モスクワ政府がすべてのロシア人に国外に出ることを禁じた場合でも有効だった。
要するにこの特別通行証は、駅馬をやとうときの許可証でしかなかった。だがミハイル・ストロゴフはこの許可証にしても、自分の身分が疑われるようなことがないときにしか使えなかった。つまりこうした状況だったから、シベリアへ入ったら、反乱の起きている地方を旅行するときには、馬を替える駅でわがもの顔にふるまうこともできなければ、ほかの人よりもいい馬をよこせと要求することもできなかったし、自分自身のために馬を徴発することもできなかったのだ。ミハイル・ストロゴフは、このことをけっして忘れてはならなかった。彼はもはや急使ではなくて、モスクワからイルクーツクへ行くただの商人であるニコライ・コルパノフなのだ。それゆえ、ふつうの旅行に起こりうるさまざまな偶然の出来事にも、すべて従わなければならなかったのだ。
誰にも気づかれずして通り抜ける。――すこしでも早く――とにかく通り抜けること、それが彼の予定表であるべきだった。
三〇年前には身分ある者の護衛隊といえば、二〇〇人のコサック騎兵、二〇〇人の歩兵、二五人のバスキール騎兵〔ヨーロッパ・ロシアの東南部にいる蒙古系の民族〕、三〇〇頭のらくだ、四〇〇頭の馬、二五台の荷馬車、二隻の携帯用の舟、それから二門の大砲から成り立っていた。これだけのものが、シベリア旅行には必要だったのである。
さて、ミハイル・ストロゴフには大砲もなければ、騎兵も歩兵も荷馬車もなかった。できさえすれば馬車か馬をやとうわけだが、さもなければ徒歩で旅行しなければならなかった。
モスクワからロシア国境までの一四〇一露里(一四九三キロメートル)は、さしたる困難もなかった。汽車、駅馬車、蒸気船、継ぎ馬など、誰にも利用できた。したがって皇帝の密使もそれらを使うことができたのである。
そこで七月一六日の朝にはミハイル・ストロゴフはさっさと制服を脱ぎすてて、胴のぴったりした上着にロシア農村特有のバンドを締め、ゆったりしたズボンにガーター式に革紐でしめられた長靴をはいた一般ロシア人の簡単な服装をして、旅行用のリュック・サックを背負い、始発の汽車に乗ろうとして駅に行った。彼は少なくとも表面上は、武装していなかった。しかしバンドの下には拳銃が隠されてあったし、ポケットのなかには、包丁やヤタガン〔トルコ人やアラブ人が用いるS字形にそりかえった短剣〕によく似たもので、シベリアの猟師が貴重な皮を傷つけないようにして熊の腹をさくのに用いる大きな短剣が隠されてあった。
モスクワの駅は、大勢の旅行客でいっぱいだった。ロシアの各駅は、旅行に出かける人と同じくらいの人数の見送り人がいるので、いつもたいへん混雑していた。そこは、ちょっとしたニュースの交換所ということもできた。
ミハイル・ストロゴフの乗った汽車は、ニジニー・ノヴゴロドで彼を降ろすことになっていた。モスクワとサンクト=ペテルスブルグとを結んでロシア国境まで延びるはずの鉄道は、当時はそこまでしか行かなかった。それは約四〇〇露里(四二六キロメートル)の行程で、汽車は約一〇時間でそのあいだを走った。ミハイル・ストロゴフはニジニー・ノヴゴロドに到着したらそのときの状況しだいで、陸路をとるか、あるいは蒸気船でヴォルガ川を行くか、いずれにしてもできるだけ早くウラル山脈まで行かなければならなかった。
ミハイル・ストロゴフは車室の一隅にあって、あたかも相当な金持がべつに商用の心配もなく、ただ居眠りで時間を費やそうとしているような恰好で、ながながとからだを伸ばしていた。
しかし車室のなかは彼一人ではないので、彼は片目をつぶっているにしかすぎず、両耳はちゃんと聞き耳を立てていた。
じじつキルギス人の反乱やタタール人の侵入の噂は、どうしても洩れないわけにはいかなかった。偶然旅をともにした同室の連中は、いくらか用心しながらもそのことを語り合っていたのである。
彼らは、この汽車の大部分の乗客がそうなのだが、ニジニー・ノヴゴロドの有名な市場《いちば》に行く商人たちだった。そこで当然のことながら乗客には種々雑多な民族が入りまじっていて、ユダヤ人、トルコ人、コサック族、ロシア人、グルジア人〔コーカサス山脈の南方黒海に面する地方〕、カルマク人〔蒙古族で、その大部分がロシアの属国である〕、その他の民族がいたが、ほとんどすべての者がロシア語を話していた。
人びとは、ウラル山脈の彼方で起こった重大事件について賛否それぞれ意見を述べていた。商人たちはロシア政府がなんらかの抑圧手段を、とくに国境に近い諸地方で採りはしまいかと、――そうなれば当然商売に影響するので、それを恐れているようだった。
これらの利己主義者たちは戦争を、つまり反乱の抑圧や侵入に対する戦闘を、彼らの利害が脅威にさらされるかどうかという観点からだけしか考えていないのだということは言っておかなければならない。ここに軍服を着た兵士が一人でもいたら――知ってのとおり、ロシアでは軍服は非常に大きな力をもっているので、商人たちの口は固くとざされてしまうことだろう。だが、ミハイル・ストロゴフのいるこの車室には、軍人がいるような疑念を抱かせる点はすこしもなかった。微行の皇帝の密使は、身分がばれては困るのである。
そこで彼は、ただじっと聞き入っていた。
「隊商の扱っている茶が値上がりしているそうですな」と、そのアストラカンの毛皮の帽子と、大きなひだのある擦り切れた褐色の服でそれとわかるペルシア人が言った。
「へえ! そのうち茶が値下がりしたって、べつに驚くことはありませんや」と、年とったユダヤ人が、しかめっつらをして答えた。「なにしろニジニー・ノヴゴロドで商いしている連中は、西からわけなく商品を仕入れられますからな。だが困ったことには、ブハラの絨毯はそうはいかないんでね!」
「なんですって! あなたはブハラからの品物を期待しているんですか?」と、ペルシア人がきいた。
「いや、サマルカンドからの品を期待しているんですよ、でもこれもどうやら危ないんですがね! そこで、反乱を起こしたヒヴァからシナの国境に至るまでの汗たちの地方から品物を送ってもらうより手はありませんな!」
「なるほど!」と、ペルシア人は答えた。「絨毯が来ないとなると、ほかの商取引もだめということになりますな!」
「ですが、こうした商売の利益は、たいしたものですぞ!」と、小柄のユダヤ人は叫んだ。「ふところ手していて儲かりますぜ」
「おっしゃるとおり」と、べつの旅行者が言った。「中央アジアの商品は、市場でひどく不足するでしょうからね。サマルカンドの絨毯にしたってそうでしょうし、羊毛にしたって、獣脂にしたって、東洋のショールにしたって」
「だが、用心したまえ!」と、このとき一人のロシアの旅行者がからかうような口調で言った。「ショールと獣脂とをいっしょにすると、ショールにひどくしみがつきますぞ!」
「つまらんことは言わんでくださいよ!」と、こうした冗談を解さない商人は、手きびしく言い返した。
「お互いに敵味方で髪の毛をむしり合おうと、灰をひっかけ合おうと」と、ロシア人の旅行者はそれに応じた。「ものの流れが変わりますかね? そんなことはないでしょう! 商品の流れだって同じでさあ!」
「それで、あなたが商人でないってことが、わかりましたよ」と、小柄のユダヤ人は言った。
「まさに、おっしゃるとおりで、アブラハムの立派なご子孫さん! わたしは、ホップも、綿毛も、蜂蜜も、蝋も、麻の実も、塩漬けの肉も、キャビアも、材木も、羊毛も、リボンも、大麻も、亜麻も、モロッコ革も、毛皮も売らないんでね……」
「でも、そういったものを買いはするでしょう?」と、ペルシア人は、ロシア人の旅行者の長広舌をさえぎってたずねた。
「なるべく少なくね。飲み食いするものはべつですがね」と、ロシア人は目くばせしながら言った。
「ふざけた奴だ!」と、ユダヤ人がペルシア人に言った。
「スパイかもしれんな」ペルシア人が声を低めて言った。「用心して、必要以外のことはしゃべらないようにしましょう! このご時勢では、警察は情け容赦がありませんからな。まったく、隣の客が誰だか、わかったものではありませんよ!」
車室のもう一方の隅では、金儲けのことよりもタタール人の侵入や、そのために生じるいまわしい結果のことが話題になっていた。
「シベリアでは、馬が徴発されそうですな」と、一人の旅客が言った。「ですから中央アジアと各地との交通は、むずかしくなりそうですよ!」
「ところで」と、その隣の旅客が彼に問いかけた。「穏健な遊牧民のキルギス族がタタール人に加担したとはほんとうですか?」
「そんなことを言ってますな」と、相手の男は声を低くして答えた。「この国では、何かを知ってるなんてえらそうなことは言わんほうがいいですよ!」
「軍隊が国境方面に集結している話も聞いたんですがね。ドンのコサック兵がすでにヴォルガ河畔に集結して、キルギスの反乱軍に攻撃をかけるそうですよ」
「もしもキルギス族がイルトイシ川沿いに下ってくると、イルクーツクへ行く道は安全でなくなりますね!」と、隣の客は答えた。「それに、きのうクラスノヤルスクに電報を打とうとしたら通じませんでしたよ。もうじきタタール軍が東シベリアを孤立させやしないか心配ですな!」
「けっきょく」と、最初に話しかけたほうがまた話しかけた。「商人たちが商売上の取引のことを心配するのも、もっともだということになりますな。馬が徴発されたあとは舟、車というわけで、そのうちすべての輸送機関が徴発されて、しまいにはこの帝国内では一歩も動けないということになりかねないですからな」
「ニジニー・ノヴゴロドの市《いち》が始まっても、始まったときと同じように景気よく終わらないと困りますね」と、相手の男は頭を振りながら言った。「でも、なによりもまずロシア領内の安泰と秩序が大事です。商売はあくまでも商売でしかありませんからな」
この車室の旅客たちの話題はとくに取り立てて言うほどのこともなかったが、ほかの車室での会話も、まあだいたい同じだった。だがよく観察する人だったら、これらの会話のなかに極端な用心ぶかさが隠されているのを見てとったであろう。ときにはこまかいことに立ち入って話すような場合にも、モスクワ政府の意図を推測したり、それを批判するようなことはけっして言わなかった。
列車の一号車に乗っていた一人の旅客は、そのことをはっきりと感じとっていた。この旅客は――あきらかに外国人だったが――まわりの旅客を見まわして、いろいろと質問を発していたのに、彼らからは逃げるような返事しか得られなかった。たえず彼は同室の客の迷惑もかまわずに昇降口のガラス窓をおろして、そこから身を乗り出し、右のほうの地平線の一点を見つめていた。彼はどんなつまらない地方についてもその名前と、そこの商業の実態、住民の数、男女別の平均死亡率などを聞いていた。そしてそれらを、すでにいっぱい書きこみのあるノートに書きとめていた。
それは通信記者のアルシード・ジョリヴェだった。彼は多くの意味のないような質問をしていたが、そうした質問から引きだせる多くの答のなかから、彼の〈従妹〉に興味があるような事実をかぎだそうとしていたのだった。だが、当然みんなは彼をスパイだと見てとったので、彼の前ではいま起こっている事件に関してはひとこともしゃべらなかった。
そこで彼はタタール人の侵入については何も知ることができないと思って、つぎのようにノートに書きこんだ。
「旅行者たちは極度に慎重で、政治問題については断じてしゃべろうとしない」
アルシード・ジョリヴェがこのように旅の印象をことこまかに書きこんでいるときに、彼と同じくこの列車に乗りこんだ彼の同業者は、別の車室で同じような観察に余念がなかった。どちらもその日は、モスクワの駅で顔を合わさなかった。それゆえ戦争の舞台を訪れるためにこの列車に乗りこんだことを、お互いに知らなかった。
だがハリー・ブラントのほうは口数が少なくて耳ばかりはたらかせていたので、同行者に対して、アルシード・ジョリヴェのように警戒心を起こさせなかった。したがって誰も彼をスパイ視することはなく、気がねなどしないで、ほんとうなら用心して口にするのをつつしまねばならないことまでしゃべっていた。そこでこの〈デイリー・テレグラフ〉の記者は、こんどの事件がいかにニジニー・ノヴゴロドへ赴くこれらの商人たちの関心事であるかということと、中央アジアとの通商がいかに危険にさらされているかということを観察することができた。
そこで彼は躊躇することなく、これ以上正確なものはないような観察をノートに書きとめた。
「旅行者たちは、極度の不安におそわれている。戦争しか話題にのぼらず、彼らはそうしたことをヴォルガ川とウィスラ川間の人びとだったらびっくりするにちがいない自由さをもって語っている!」
〈デイリー・テレグラフ〉の読者たちは、アルシード・ジョリヴェの〈従妹〉と同じくらいに正確な情報を間違いなく知らされるわけだった。
なおハリー・ブラントは汽車の左側に坐っていて、平原がずっと続いている右側は見ずに、かなり起伏の多い左側の土地しか見ていなかったので、いかにもイギリス人らしい落ち着きはらった態度で、つぎのようにつけ加えた。
「モスクワとウラジミールのあいだは山の多い地帯である」
しかしながらロシア政府が、このような重大事件に直面して、たとえそれが帝国の内部事情であろうと、なんらかの厳重な処置を打ち出すことはあきらかだった。反乱軍はまだシベリアの国境を越えてはいなかったが、キルギス地方に近いこのヴォルガの流域に、悪い影響が出てくるおそれが多分にあった。
じじつ警察は、まだイヴァン・オガリョフの行方をつかむことができなかった。この反逆者は個人的なうらみをはらすために、異国人の助けを求むるべく、フェオファル汗に会いに行ったのではあるまいか? あるいは一年のこの時期に、いろいろな異民族が集まっているニジニー・ノヴゴロドで、暴動を煽動しようとたくらんでいるのではなかろうか? 大きな市に集まってくるペルシア人やアルメニア人、それからカルマク人のあいだに、国内で暴動を挑発する任務をおびた腹心のスパイどもを潜入させているのではなかろうか? このような仮定は、とくにロシアのような国にあっては可能だった。
じじつ一二〇〇万平方キロメートルもあるこの広大な帝国を、西欧諸国と同一に談じることはできない。この帝国を構成している諸民族のあいだには、当然ニュアンス以上の違いがあった。ロシアの領土は、ヨーロッパ、アジア、アメリカの諸大陸にわたり〔アメリカ合衆国がアラスカをロシアから買収したのは一八六七年である〕、東西は東経一五度から西経一三三度、つまり二〇〇度近く(約一万キロ)にわたってひろがり、南北は北緯三八度から北緯八一度、つまり四三度(約四〇〇キロ)もひろがっている。そこには、七千万以上の人間が住んでいる。そして三〇もの違った言葉が語られているのである。もちろんスラブ民族が支配しているが、スラブ民族はロシア人のほかに、ポーランド人やリトアニア人、クルランド人をも含んでいる。このほかにフィンランド人、エストニア人、ラプランド人、マリ人、チュヴァシュ人、ペルミアク人、ドイツ人、ギリシア人、タタール人、コーカサスの諸民族、蒙古の遊牧民、カルマク人、サモイエド人、カムチャツカ人、アリューシャン人がいる。こうした広大な国家の統一がいかに困難なことであったか、またそれが賢明な政府によって支持され、長年の歳月をかけねば得られなかったことは、誰にもわかることであろう。
なにはともあれイヴァン・オガリョフは、これまであらゆる当局の探索の手を逃れていた。たぶんタタール軍のなかに潜入したにちがいなかった。だが汽車が駅に着くたびごとに警官がやってきて旅行者を調べ、綿密な検査をした。なぜならば警視総監の命令で、警官らは依然としてイヴァン・オガリョフを探していたからである。じじつ政府は、この反逆者がいまなおヨーロッパから逃走していないものと信じていたのだ。疑わしい旅行者は身のあかしを立てるために警察に連行された。そのあいだに汽車は、容疑者におかまいなしに出発していた。
はなはだ高圧的な警察に対しては、理屈を言っても、まったく役立たない。警察官は軍隊と同じ位階を与えられていて、彼らは軍隊式にふるまっていた。まず、勅令の冒頭につぎのような書式を用いる権利をもっている主権者の命令には、絶対に服従しなければならなかったのだ。「神のみめぐみによって、全ロシア、モスクワ、キエフ、ウラジミール、ノヴゴロドの帝王にして専制君主であり、カザン、アストラカンの皇帝、ポーランドの皇帝、シベリアの皇帝、クリミアの皇帝、プスコフの領主、スモレンスク、リトアニア、ヴォクニア、ボドリア、フィンランドの大公、エストニア、リヴォニア、クルランド、セミガリ、ビアリストック、カレリ、イウグリ、ペルミ、ヴィアトカ、ボルガリその他諸国の君主、ニジニー・ノヴゴロド、チェルニゴフ、リャザン、ポロック、ロストフ、ヤロスラヴリ、ビエロゼルスク、ウードリ、オブドリ、コンディニ、ヴィテプスク、ムスチスラフ諸領地の大公であり、極北地方の支配者であり、イヴェリ、カルタリニア、グルジア、カバルジニア、アルメニアの領主であり、チェルケス地方の諸侯の宗主、山岳地帯その他の地方の諸侯の宗主であり、ノルウェーの相続者、シュレスウィヒ=ホルスタイン、ストルマルン、ディットマルゼン、オルデンフルクの公爵たる予は」と、じじつ皇帝の紋章は、ノヴゴロド、ウラジミール、キエフ、カザン、アストラカン、シベリアの楯形模様にかこまれ、王冠のついた聖アンドレイ勲章を首にかけていたのだった!
ところでミハイル・ストロゴフは、ごくふつうの服装をしていたので、警官に調べられることもなかった。
ウラジミール駅で、汽車は数分間停車した。――〈デイリー・テレグラフ〉の通信記者にとっては、これだけの時間があれば、このロシアのかつての首都の概念を、精神、物質の両方面から捉《とら》えることがじゅうぶんできそうに見えた。
ウラジミール駅で、新しい旅客が乗りこんできた。そのなかに一人の娘がいて、ミハイル・ストロゴフが乗っている車室の入口に姿を現わした。
皇帝の密使の前に、一つ空席があった。娘は荷物が全部入っているらしい赤革の粗末なバッグをそばに置いてから、そこに腰かけた。それから眼を伏せて、偶然いっしょになった同室の客のほうを見ようとはしないで、これから数時間かかるはずの旅に対する心づもりをしていた。
ミハイル・ストロゴフは、この新しい隣人のほうを、つくづく見ないではいられなかった。彼女は列車の進行方向に背を向けて坐ったので、自分の席のほうが気に入るだろうと思って、席をゆずろうとした。だが彼女はかるく会釈をして、彼の好意を感謝しただけだった。
この娘は一六歳か、一七歳ぐらいにちがいなかった。その魅惑的な顔は、あきらかにまじりけのないスラブ型だった。――ややきびしい顔つきで、数年たって容姿がはっきり整うときは、かわいいというよりは、むしろ美人といわれるタイプだった。頭にかぶった頭巾のようなものからは、豊かな金髪がはみ出ていた。眼は褐色で、その視線にはなんとも言えない優しさがこもっていた。まっすぐな鼻は、かすかに動いている小鼻によって、青白くやや痩せ気味の頬につながっていた。きちんと整った口は、かなり前から笑いを忘れているかのようだった。
その着ているごく簡素なゆったりした外套から察すると、彼女は背が高くてすらりとしているように思われた。まだ〈ほんとうにうら若い娘〉だったが、そのおでこの額や、顔の下半分のくっきり整った形は、彼女がしっかりした気性の持ち主であることを示していた――こうしたこまかい点をミハイル・ストロゴフは見逃さなかったのである。たしかにこの少女は過去に苦しみをなめたことがあるにちがいなかったし、彼女の未来もまた明るい様相を示してはいなかった。だが彼女はこれまで立派に苦しみに耐えぬいてきたし、これからも困難に対して闘う固い決意があることが、はっきりと感じとられた。彼女の意志は強烈で、執念ぶかそうだった。そしてその落ち着きはらった態度は、男性がひるんだりいらいらするような場合でも、ぜんぜん変わりそうもないように見えた。
以上が、この若い娘をひとめ見たときにすぐ浮かんだ印象だった。ミハイル・ストロゴフは、彼自身が精力的な性格だったので、少女のこうした気持に心うたれたにちがいなかった。彼はあまりしつこく見つめて相手に不快な感じを与えてはいけないと思い、それとなく観察することにした。
娘の服装はごく簡素なものであったが、じつに清潔だった。彼女が裕福でないことは、すぐに察せられた。しかし服装にどこかだらしのないところがありはしまいかとさがしたが、それは無駄骨折りだった。荷物はすべて革のかばんに入れられ、鍵がかかっていた。彼女は場所がないので、かばんを膝の上に置いていた。
彼女はくすんだ色の袖のない長い外套をはおっていたが、外套の襟にブルーの見返しがついていたので、それが襟元にやさしい風情を与えていた。その外套の下に、やはりくすんだ色の服を着ていたが、それはくるぶしのあたりまで垂れていて、裾のひだは、ほとんど目立たない刺繍でかざられていた。かわいい足には細工のしてある革の半長靴がはかれていたが、その靴底はあたかも長途の旅を予想しているかのように、かなりがっちりしていた。
ミハイル・ストロゴフは娘の服装を細部にわたって観察した結果、それがリヴォニア地方の服装のように思われた。そこで彼女はおそらく、バルト海沿岸地方の者にちがいないと彼は考えた。
だがこの娘はたった一人で、この年齢で、いわば父母か兄弟の保護が必要な年頃だというのに、いったいどこへ行くのだろうか? これまで長い旅をして、ロシアの西部地方からやってきたのだろうか? たんにニジニー・ノヴゴロドまで行くのだろうか、それとも目的地は、帝国の東部の国境のかなたにあるのだろうか? 汽車が着いたら、誰か親戚か友だちが待っているのだろうか? それとも汽車から降りたら、この車室でそうであるように、あの都会のまんなかに、ひとりぼっちでほうりだされるのではなかろうか?――おそらく彼女もそう思っているにちがいないが、誰も彼女のことなど心配しないのではなかろうか? どうもそう思われてならなかった。
じじつこの若い旅行する女の物腰態度には、はっきりと孤独の影がさしていた。車室に入ってきてから旅のことだけをじっと考えているそのようす、周囲の誰にも邪魔になるまいと気をくばっている遠慮ぶかい態度、そうしたすべてが彼女がいかに孤独で自分自身しかあてにしていないことを示していた。
ミハイル・ストロゴフは興味をもって彼女を観察していたが、彼自身も遠慮ぶかい男だったので、ニジニー・ノヴゴロドに着くまではまだ数時間はあったというのに、ついに話しかける機会をつくろうとはしなかった。
ただ一度、娘の隣席の男――それは軽率にも獣脂とショールとをまぜあわせようとしたあの商人だったが、居眠りしていたために左右にゆれる大きな頭で彼女の邪魔をしたので、ミハイル・ストロゴフはかなり荒っぽく男をゆすり起こして、からだをきちんとまっすぐにしているように、礼儀正しくしているようにと注意したのだった。
かなり粗野な性質のこの商人は〈自分に関係のないことにくちばしを入れる〉人間に向かってしばらく文句を言っていたが、ミハイル・ストロゴフが気むずかしそうな顔をして見つめたので、居眠りしていた男は反対側に寄りかかり、少女は不愉快な隣人から救われた。
娘は瞬間、まなざしに無言のつつましやかな感謝の意をこめて、青年の目を見つめた。
ところでここに、ミハイル・ストロゴフが娘の性格をはっきり知ることのできた事件がもちあがったのである。
ニジニー・ノヴゴロド駅から一二露里手前にある線路は急カーブをしていたが、その地点にさしかかったとき、とつぜん列車は烈しい衝撃を受けた。そしてなおしばらくのあいだ、列車は線路の土手の斜面を走っていた。
乗客は倒れてころがり、叫び、車内はたちまち大混乱におちいった。なにか重大な事故が起こったのにちがいないと、誰しも考えた。それゆえ汽車が停止する前に、みんなは昇降口を開いた。おびえた旅行者たちは、早く汽車から飛びおりて線路に逃げだそうという考えしかなかった。
ミハイル・ストロゴフはすぐに真向かいの少女のことを考えた。ところが他の乗客たちが口ぐちにわめきながら押し合いへし合いしているというのに、ただ顔色がすこし青ざめただけで彼女は落ち着きはらって席にじっとしていた。
彼女は待っていた。ミハイル・ストロゴフも待っていたのだ。
彼女は汽車から降りる気配を見せなかった。彼もまた動かなかった。
二人とも平然としていて動じなかった。
「しっかりした女だ!」ミハイル・ストロゴフは心中でそう感じた。
そのうちに危険はすべて直ちに去った。最初貨物列車の車輪がはずれたので衝撃が起こり、それから列車が停止し、もうすこしでレールから外に投げだされるところだったので、そうすれば土手の上から沼地のなかに落ちるところだったのだ。そのために一時間ほど遅延した。けっきょく、レールはなおって、汽車はまた動きだし、夜の八時半にニジニー・ノヴゴロド駅に着いた。
乗客たちが列車から降り立つ前に、警察の検閲官が昇降口に張りこんで、旅客たちを取り調べた。
ミハイル・ストロゴフは、ニコライ・コルパノフという名になっている通行証を呈示した。そこで、なんら問題はなかった。
同じ車室のほかの乗客たちは、みんなニジニー・ノヴゴロドまでの旅行者だったが、さいわいなんら疑わしいところはなかった。
娘はパスポートではなくて――パスポートはロシアではもう役立たなかったので、特別の印のおしてある許可書を差しだした。それはなにか例外な性質のものらしかった。
検閲官は、それを注意ぶかく読んだ。そしてそれに記載されてある特徴挙止によって、彼女を注意ぶかく観察した。
「おまえはリガからきたんだね?」
「はい」と、娘は答えた。
「イルクーツクへ行くんだね?」
「はい」
「どの道を通って?」
「ペルミを通ります」
「よろしい」と、検閲官は答えた。「この許可書をニジニー・ノヴゴロドの警察へ持参して査証をしてもらったらいい」
娘はわかったしるしに、うなずいてみせた。
このやりとりを聞いてミハイル・ストロゴフは驚きと同時にかわいそうな気持がした。なんだって! この娘はたった一人で、遠いシベリアまで旅行をするのか! そうでなくても道中危険なのに、それに加えていまは反乱が起きて、侵入されて危険だというのに! どうやって目的地へ行くのだろう? いったいこの女はどうなるだろう?
取り調べが終わって、昇降口が開かれたが、ミハイル・ストロゴフが彼女のほうへ行こうとする前に、このリヴォニアの娘はまっ先に下車して、プラットホームの雑踏のなかに姿を消してしまった。
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五 二項目の布令
ヴォルガ川とオカ川の合流点に位置するノヴゴロド低地、そのニジニー・ノヴゴロドは、この名前の管区の郡役所所在地であった。当時は鉄道はこの町から先へは行っていないので、ミハイル・ストロゴフはここで汽車を降りねばならなかった。それゆえ旅をつづけるにつれて、まず交通手段のスピードが落ち、つづいて旅がだんだんと危険になる。
ニジニー・ノヴゴロドの人口は、普通は三万から三万五千人だが、このときは三〇万以上に、つまり一〇倍以上にふくれあがっていた。この人口増加はこの町の城壁のなかで、三週間にわたって有名な市《いち》が開かれていたからだった。かつてはマカリエフの町がこのような商品の競売からおおいに利益を得ていたが、一八一七年以後、市はニジニー・ノヴゴロドに移されたのである。
それゆえいつもは寂しいこの町も、非常な賑わいを呈していた。ヨーロッパとアジアの一〇以上の異なった民族の商人たちが、商取引のおかげで仲よくやっていた。
ミハイル・ストロゴフが駅を出たときはもうかなりの時間だったが、ヴォルガ川でへだたれているこれら二つの町は――同じニジニー・ノヴゴロドで山の手と下町にわかれていた――人群れで大混雑を呈していた。この町のいちばん高いところは険阻な岩の上に建てられていて、ロシアでは〈クレムリン〉と呼ばれている城壁によって守られている。
もしもミハイル・ストロゴフがこのニジニー・ノヴゴロドに滞在しなければならないとしたら、まあどうにかよかろうというホテルや宿屋にしても、見つけるのがかなり困難であったろう。なにしろ大勢の人が集まっていたからである。それにしてもヴォルガ川を航行する蒸気船に乗らなければならないので、すぐに出発するわけにはいかないし、どこか宿をさがさなければならなかった。しかしその前に正確な出発の時間を知りたいと思ったので、ニジニー・ノヴゴロドとペルミのあいだに船を運航している汽船会社の事務所に行ってみた。
行ってみて非常にがっかりしたのは、コーカサス号は――これがその蒸気船の名前だった――翌日の正午にならなければペルミに向かって出発しないことだった。一七時間も待たねばならない! 彼のように急いでいる人間にとってはやりきれないことだったが、やはりあきらめねばならなかった。彼は待つことにした。彼は、わるあがきをするような人間ではなかった。
それに現在のところ、どんな馬車でも、たとえば四輪馬車でも二輪馬車でも、有蓋四輪のベルリン馬車でも一頭立二輪の無蓋馬車でも、またどんな馬でも、船よりも早く、ペルミやカザンに彼をはこんでくれることはできなかった。そこで、蒸気船の出発を待つほうが賢明だった。どんな乗り物よりも早く行って、失われた時間をとりもどしてくれるにちがいなかった。
そこでミハイル・ストロゴフはそれほど心配しないで、一夜を過ごす宿を捜すために町をぶらついた。しかし、宿についてはそれほど苦にしなかったので、もし空腹のために悩まされなければ、おそらく彼は朝までニジニー・ノヴゴロドの町をほっつき歩いていたであろう。彼が捜し求めていたのはベッドよりも夕食だった。ところで彼は〈コンスタンティノープル館〉という看板の出ている旅館でその両方ともを満たすことができた。
その宿の主人は、家具こそついていなかったが、額縁代わりに金色の布がそのまわりをかこんでいる聖母像と何枚かの聖人像が壁にかかっている、かなり快適な部屋を提供してくれた。こまかくきざんで酢漬けにして厚いクリームで包んだ鴨の挽肉、大麦のパン、凝乳《ぎょうにゅう》、肉桂のまじった粉砂糖、ロシアでは一般に飲まれているビールの一種であるライ麦酒のポットがすぐにはこばれたが、ただ堪能するためなら、こんなにたくさんの料理は必要でなかった。隣のテーブルに坐った男は、ロシア反正教会主義の〈古い信者〉として節食を誓い、皿からじゃがいもを取りのぞいたり、お茶を砂糖なしで飲んだりしていたが、そうした男よりも彼はずっと満腹したのだった。
夕食を終えるとミハイル・ストロゴフは、自分の部屋には行かずに、ただあてもなく町のなかをぶらぶら歩きまわった。まだ夕方の薄明りは続いていたが、群衆はすでに散りはじめて、街路はしだいに人影がまばらになり、みんなそれぞれ家に帰っていた。
なぜミハイル・ストロゴフは、まる一日汽車に乗ったあとでは当然そうするであろうに、すぐにベッドに入らなかったのだろうか? では、数時間いっしょに汽車に乗り合わせた、あのリヴォニアの若い女のことを考えていたのだろうか? 彼はいまは何もすることがないので、彼女のことを考えていたのだった。彼は、この雑踏の町に姿を消した彼女が、なんらかの侮辱を受けはしまいかと、それを恐れていたのであろうか? そう、彼はそれを恐れていたのだ、また恐れるだけの理由があった。そこで、できれば彼女に出会って、もし必要とあらば彼女の身を守ってやろうと願っていたのだろうか? いや、彼女に会おうなんて、できないことだった。彼女を守るということにしたって……どういう権利があって、そんなことができるのだ?
「こうした流浪者のなかにあって、彼女はたったひとりぼっちなのだ!」と彼は思った。「でもいまの危険は、これから出会うかもしれない危険にくらべればたいしたことではない! シベリア! イルクーツク! おれがロシアと皇帝のためにこれからおかそうとしている危険を、彼女もまたおかそうとしているのだ……彼女は……誰のために、なんのためなのだろうか? 彼女は国境を越える許可をもらっている! そして国境のかなたには反乱が起きているのだ! タタール人の群れが草原地帯を走りまわっているのだ!……」
ミハイル・ストロゴフはときどき立ち止まっては考えこんだ。
「おそらく旅行の計画は、侵入が始まる前にたてられたのだろう! おそらく彼女自身、いま起こっていることを知らないのだろう!……いや、そんなことはない、商人たちは彼女の前で、シベリアの暴動のことを話していた……だが彼女は驚いたようすはなかった……彼女は説明を求めさえもしなかったではないか……そうすると彼女は知っていたのだ。知っていて、なおも行こうとする! かわいそうに! 彼女を旅へ追いやった理由は、非常に強いものにちがいない! だが、たとえどんなに彼女に勇気があろうとも――たしかに彼女は勇気があるが――途中で力が尽き果てるだろう、危険や障害は申すにおよばず、このような旅行の疲れには耐えきれないだろう……とうていイルクーツクへ行き着くことはできないだろう」
そうしているあいだにミハイル・ストロゴフはあいかわらず行きあたりばったりに歩いていたが、彼はこの町をよく知っていたので、道に迷うようなことはすこしもなかった。
一時間ほど歩きまわったのちに、彼は大きな掘っ立て小屋の壁によせかけてあるベンチに腰をおろした。大きな広場には、こういう小屋がたくさんあった。
彼はそこに五分もいたろうか、一つの手が彼の肩先をぐっと押さえた。
「おまえはそこで何をしてるんだ?」と、どこからともなく現われた背の高い男が、あらあらしい声でたずねた。
「休んでいるんだよ」と、ミハイル・ストロゴフは答えた。
「このベンチの上で夜明かしするつもりかね?」と、男はたずねた。
「そうだ、もしさしつかえなかったらね」とミハイル・ストロゴフは、それで通さねばならなかったが、たんなる商人としてはいささか語気をあらげて言い返した。
「よし、顔を見せろ!」と、その男は言った。
ミハイル・ストロゴフは、なによりもまず慎重でなければならないことを思い出して、本能的に身を引いた。そして、
「おれの顔を見たってはじまらないだろう」と答えた。
それから慎重に、相手とのあいだに一〇歩ばかりの間隔をおいた。
そのとき彼は相手をじっと観察して、どうやらジプシーらしいなと見てとった。よく市などで出会う輩《やから》で、これらの連中と接触するのは、精神的にも肉体的にもあまり気持のよいものではなかった。それから彼は、ようやく濃くなりはじめた闇のなかを注意ぶかく見やったとき、小屋のそばに大きな馬車を認めた。それは数カペイカでも儲かるところがあればロシアのどんなところへでも集まってくるボヘミアン、ジプシーの移動する住居だった。
そのうちにジプシーの男は二、三歩近寄ってきて、もっとくわしく問いただそうとしたとき、小屋の戸があいた。そしてはっきりとは見えなかったが一人の女が勢いよくやってきて、かなり荒っぽい方言で、ミハイル・ストロゴフにはそれが蒙古語とシベリア語の入りまじっている言葉と思えたが、こう言った。
「またスパイかい! そんな奴はほっといて、夕飯を食べにおいでよ。〈パプルカ〉〔皮がうすくはがれるように作ってある菓子〕もできてるよ」
ミハイル・ストロゴフは、彼のほうこそとくにそれを恐れているスパイだと自分が思われたので、笑いがこみあげてくるのをがまんできなかった。
ジプシーの男は、アクセントは女のそれとはかなり違っていたが同じ言葉で、つぎのような意味のことを述べた。
「おまえの言うとおりだ、サンガール! ところで、あすは出発だぞ!」
「あしただって?」女は驚きのこもった低い声で聞き返した。
「そうだ、サンガール」と、ジプシー男は答えた。「あすは、ありがたいことに、おれたちが行こうと思っていたところへ、|おやじ《ヽヽヽ》のほうで送りこんでくれるんだ!」
そう言って男と女は小屋のなかに入り、戸が注意ぶかく閉められた。
「よかった!」と、ミハイル・ストロゴフは思った。「もし奴らがわかっちゃ困るというなら、おれの前で話すときには違った言葉を話したほうがいいと忠告してやるよ!」
シベリア人として生まれ、少年時代を草原地帯で過ごしたミハイル・ストロゴフは、タタール人の言葉から北極海の地域で使われている方言まで、ほとんど聞きわけることができた。ジプシーの男と女とがかわした会話のはっきりした意味については、彼はべつに気にしなかった。とくに興味をひくようなことでもなかったからだった。
もう時間もだいぶたっていたし、彼は宿屋に帰ってすこし休もうと思った。彼は無数の舟の黒い塊を浮かべているヴォルガ川の流れに沿って歩いた。川の流れで彼は、いま自分が立ち去った場所がどこかはっきりとわかった。あの密集した馬車や小屋は、毎年大きな市がたつニジニー・ノヴゴロドの広場を埋めつくすのだ。そこには世界の隅ずみからやってくる香具師《やし》やジプシーが集まった。
それから一時間後にミハイル・ストロゴフは、外国人にとっては固くて寝ぐるしいロシアのベッドで眠っていた。そして翌七月一七日、夜がすっかり明るくなってから目覚めた。
まだなお五時間、このニジニー・ノヴゴロドで過ごさねばならなかったが、彼にはそれがまるで一世紀ものように思われた。前の晩のようにあちこち歩きまわる以外に、この朝の時間をつぶしようがあったろうか? 朝食をすませ、リュックサックの口をしばり、警察署で通行証の裏書をしてもらえば、出かけるほかはなかった。だが彼は太陽が上がってから起き出るような人間ではなかったから、ベッドから飛びおりると着替えをして、皇帝の紋章のついた密書を上衣の裏にあるポケットの奥に念入りにひそませて、バンドをしっかりと締めた。それからリュックサックの口をしばって、背負った。それがすむと、もう〈コンスタンティノープル館〉には帰らないつもりで、食事はヴォルガ川の船の発着場ですませることにして、勘定をすませると宿を出た。
用心することにこしたことはないと思ったので彼はまず蒸気船の会社の事務所へ行って、コーカサス号がきめられた時間にかならず出航することを確かめた。このときはじめて、つぎのような考えが頭に浮かんだ。あのリヴォニアの若い女はペルミへ行く道をとるにちがいないから、おそらくこのコーカサス号に乗りこむにちがいない、そうしたらいっしょに旅行ができるだろうと。
周囲二露里もある城壁《クレムリン》、それはモスクワにあるそれとよく似ていたが、それをめぐらした山の手の町は、当時は荒れるがままにまかされてあった。総督はもはや、そこには住んでいなかった。だが、山の手がさびれるにつれて、下町は活気を呈していた!
ミハイル・ストロゴフは、一騎馬兵のコサックに守られた、舟をつないでつくった橋を渡って、前の晩にジプシーのキャンプに突き当たった広場へ赴いた。ライプチヒの市《いち》もかなわないようなニジニー・ノヴゴロドの市がたっているのは、町からちょっとはずれたところだった。ヴォルガ川を渡ったところにある広い野原に総督のかりの官邸は建っていて、市がたっているあいだは総督は命令で、ここに住まっていなければならなかった。この市にはいろいろ雑多な民族が集まるので、たえず監視することが必要だった。
この野原は、いまは掘っ立て小屋でいっぱいで、それらは左右相対して建てられ、そのあいだにかなり広い通路ができていて、客が自由に歩きまわれるようになっていた。小屋の大きさや形はそれぞれ異なっていて、商売によってべつべつの区画をつくっていた。鉄器具の区域、毛皮の区域、羊毛の区域、材木の区域、織物の区域、乾し魚の区域といったふうに分けられてあった。またなかには、とんでもない材料で作られた家もあった。あるものはお茶を煉瓦のかたさに固めて作ったり、塩づけの肉を切り石のようにして作ったもの、つまりその店で売る品物で作られてあったのである。アメリカとは違って、じつに奇妙な宣伝のしかただった。
これらの通路は、太陽は朝の四時前にのぼっていたので、中天にある朝日で照りつけられていたが、もうすでに人間でごった返していた。ロシア人、シベリア人、ドイツ人、コサック族、トルコマン人〔トルキスタン、ペルシア、アフガニスタンに住むトルコ人〕、ペルシア人、グルジア人、ギリシア人、トルコ人、インド人、中国人、そのほか珍しいヨーロッパ人とアジア人の混血児などが、がやがや大声でしゃべりまくり、まけろ、まけないで大騒ぎを演じていた。売られるもの、買われるもののすべてが、この広場に積み重ねられているようだった。荷かつぎ、馬、らくだ、ろば、舟、馬車など、商品の運搬に役立つもののすべてが、この市場に集まっていた。毛皮、宝石、絹布、インドのカシミヤ織、トルコの絨毯、コーカサスの武器類、スミルナやイスパハンの織物、チフリスの甲冑《かっちゅう》、隊商のはこんできた茶、ヨーロッパの青銅像、スイスの時計、リヨンのビロードと絹織物、イギリスの木綿類、馬車の部分品、果物、野菜、ウラルの鉱石、くじゃく石、青金石、香料、香水、薬草、材木、瀝青《れきせい》、綱具、角《つの》製品、西洋かぼちゃ、すいかなど、インドや中国やペルシアのあらゆる産物、カスピ海や黒海でとれたあらゆるもの、またアメリカやヨーロッパのあらゆる商品が、地球上のこの一点に集まっていた。
それはなんとも形容のしようのない雑踏と興奮と叫喚のざわめきで、下層階級の土着民は感情を露骨に表わしていたが、よそから来た連中も、その点ではけっして負けてはいなかった。そこにはまた、広大な平原を一年もかかって商品をはこんできて、また一年たたなければ自分の店や商品をならべる台を見ることができないといった中央アジアの商人たちもいた。ニジニー・ノヴゴロドの市はこんなにも大規模だったので、その取引高は一億ルーブルをくだらなかった。
それからこのにわかづくりの町のあちこちの広場に、あらゆる種類の香具師《やし》が集まっていた。手品師や曲芸師の見世物が、ジンタや客寄せの口上などで、人びとの耳をつんざくばかりにがなり立てていた。山岳地方からやってきたジプシーたちは、ぞくぞくつめかけてくる弥次馬のなかから客をつかまえて、占いをやっていた。ロシア人がそう言っているコプト族〔古代エジプト人の子孫〕の古い子孫であるジプシーのほうは、つやっぽい歌をうたったり、一風変わったダンスを踊ったりしていた。旅役者たちは、ここに集まった観客の趣味にあわせて作りかえたシェイクスピアの劇を演じていた。それから長い大通りでは熊使いが、四つ足の曲芸師たちを、鎖もつけずに連れていた。動物の見世物小屋では、鉄具をつけた鞭や、赤く焼いた棒などに興奮させられた動物たちが、しゃがれた叫び声を上げていた。最後に、中央の大広場のまんなかでは、〈ヴォルガ川の船乗りたち〉のコーラス団が、その四倍にもあたる熱狂的な音楽好きの連中にぐるりと取りかこまれていた。コーラス団は彼らの船の甲板上にでもいるような気になって地面の上に腰をおろし、じじつこの仮想の船の舵手であるオーケストラの指揮者のタクトにつれて櫂《かい》を漕《こ》ぐ真似をしていた!
これはなんと奇妙な、おもしろい風習であろうか? こうした群衆の頭上に、かごに入れておいた無数の小鳥を放つと、鳥たちは雲のように空一面に群がって飛び立つのである。なおニジニー・ノヴゴロドの市につきものの慣習によって、慈善家たちによって提供された若干のカペイカと交換に看守たちが囚人に獄舎の門を開いてやると、幾百人の囚人が口ぐちに喜びの叫び声をあげて走り出た。
このニジニー・ノヴゴロドの有名な市はふつう六週間続くが、そのあいだにここの平野にこのような光景が見られるにちがいなかった。そしてこのさわがしい時期が過ぎると、こうした恐ろしい騒音はまるで魔術にかかったように消え去って、山の手の町は官庁街らしい性格を取りもどし、下町はいつもの単調さに立ちかえって、ヨーロッパと中央アジアのあらゆる国ぐにから流れこんできた商人たちは、売るべきものはすべて売りつくし、買うべきものは残らず買いとって、もはや一人の売り手も一人の買い手もここには残っていなくなるだろう。
今回のこのニジニー・ノヴゴロドの市においては、少なくともフランスとイギリスとは、近代文明のもっともすぐれた産物である二人の人物、アルシード・ジョリヴェ氏とハリー・ブラント氏によって代表されたと言っても過言ではあるまい。
じじつこの二人の通信記者は、読者を喜ばせる印象記を書くためにこの市にやってきたのであって、彼らは無駄に費やすことになるかもしれない数時間を、最大限に利用したのだった。なぜならば彼らもまた、コーカサス号に乗ろうとしていたからだった。
彼らは市場でぱったり顔を合わせたが、べつにたいして驚きもしなかった。同じ本能によって同じ道に彼らが導かれるのは当然だったからである。だがこんどの場合は、ずいぶんそっけなく挨拶をかわしただけで、二人とも言葉を交わさなかった。
生まれつき楽天家のアルシード・ジョリヴェは、まずすべてが都合よくはこんでいると思っているらしく、偶然だったが宿も食事もらくに見つかったので、ニジニー・ノヴゴロドの町について特に好意的な意見をノートに書きしるした。
それに反してハリー・ブラントは、夕食を食べさすところをむだに捜しまわったあげくの果てに、星空のもとに寝なければならなかった。そこで彼は、万事をまったく違った観点から見てとって、この町では宿屋は、〈精神的にも肉体的にも〉不快な目にあうのを覚悟している旅行者までも拒絶したという、この町に対するひどい攻撃の記事を考えついたのだった!
ミハイル・ストロゴフは片方の手をポケットにつっこみ、もう一方の手に野生桜でつくった長いパイプを持って、いかにものんきそうに、べつに急いでもいないような人間らしくかまえていた。だが目のきく人が見たならば、眉のあたりの筋肉がかすかに痙攣するのを見て、彼がいらだたしさをじっとがまんしているのに気づいたであろう。
二時間ほど前から彼は町のあちこちを歩きまわっては、きまって市場にもどってきていた。人ごみのあいだを歩きまわっているうちに彼は、アジアに近い地方からやってきた商人たちのあいだに、じじつ不安な気持があるのを見てとった。商取引は、あきらかにそのために苦労していた。香具師や手品師や軽業師などは、掛小屋の前で大声を張りあげていた。それは理解できた。なぜならば彼らは商取引がどうなろうと、べつに損害はなかったからだ。だが商人たちは、タタール軍の侵入によって乱れている中央アジアの貿易商と契約を結ぶのをためらっていた。
もう一つ、彼の気づいた兆候があった。それはロシアでは、軍服姿があらゆる場所に現われるということだった。兵士たちは気楽に群衆のなかにはいりこんだ。現にニジニー・ノヴゴロドでも、市が開かれているあいだじゅう、警官たちはいつも多くのコサック兵に援護されていたのだった。槍を肩にしたコサック兵が、三〇万におよぶ外国人の群衆のなかで秩序を維持していたのである。
ところがその日は、コサック兵をはじめその他の軍人の姿が市場に見えなかった。おそらく急な出発が予測されたので、彼らは兵営内に禁足されているのにちがいなかった。
しかしながら兵士たちは姿を現わさなかったが、士官たちはそうではなかった。前日から副官たちが総督の官邸から出ては、四方八方に飛んでいた。この常にない動きは、重大事件が起きているということでしか説明がつかなかった。騎兵の伝令が、ウラジミール方面やウラル山脈方面へ向かう道にあいついで飛びだしていった。モスクワとサンクト=ペテルスブルグとのあいだの電報の往来がひんぱんになった。シベリアとの国境からそれほど遠くないニジニー・ノヴゴロドの情勢は、あきらかに極度の警戒を要するものとなった。一四世紀にこの町がフェオファル汗の野心のためにキルギスの草原を横ぎって侵入してきたタタール人の先祖に二度も占拠されたことを、人びとは忘れることができなかった。
総督と同じくらい多忙な政府の高官は、警察の署長だった。署長と検察官とは秩序を維持し、人びとの要求を聞き、規則の実行を見守るなどすこしも休めなかった。官公署の扉は昼夜を問わず開かれていて、住民やヨーロッパとアジアの外国人たちが、たえず押しかけていた。
ところでミハイル・ストロゴフがちょうど中央広場にいたときに、警察署長が総督府に赴くようにとの命令を受けたという噂がひろがった。モスクワから重大な電報がきたのでこのような処置が採られたのだと、もっぱらの噂だった。
ミハイル・ストロゴフは、人びとの言うことに耳をかたむけていた。もしものときには、それらの噂を利用しようと思っていた。
「市は閉ざされるだろう!」と、一人が言った。
「ニジニー・ノヴゴロド連隊は、いま出発命令を受けたそうだ!」他の一人が言った。
「タタール人がトムスクをおびやかしているそうだ!」
「そら、警察署長が来たぞ!」あちこちで叫び声が起こった。
大きなざわめきがひととき起こったが、だんだんと静まって、ついに水をうつように静かになった。誰もかれも、政府の重大な通達があると予感していたのである。
警官たちに先導されて警察署長が総督府から出てきた。コサックの分遣隊が署長についてきて、銃の台尻で群衆を整列させた。手荒いやり方だが、群衆はがまんして従った。
警察署長は中央広場のまんなかまで来た。署長の手に一つの電報が握られてあるのが見られた。
さて署長は声を張りあげて、つぎのような通達を読みあげた。
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ニジニー・ノヴゴロド総督府布令。
一、ロシア人はいかなる理由があろうとも州から出ることを禁じる。
二、アジア系のすべての外国人は二四時間内に州から立ち去ることを命じる
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六 兄と妹
個人の利益からみればたいへん不幸なこうした処置も、現在の情勢から判断すれば、絶対に必要だった。
〈ロシア人はいかなる理由があろうとも州から出ることを禁じる〉――なるほどもしもイヴァン・オガリョフがこの州内にいるとすれば、この禁令は、少なくとも非常にむずかしいことではあるにしても、彼がフェオファル汗のもとに赴くことを阻止し、この恐るべき士官をタタール首長から取りあげることができた。
〈アジア系のすべての外国人は二四時間以内に州から立ち去ることを命じる〉――この命令によって、中央アジアから来た商人たちも、ボヘミア人も、ジプシーも、みんなひとまとめにして退去させることができるのだ。彼らは市のためにここに集まったのだが、多かれ少なかれタタール人や蒙古人と関係をもっているので、けっきょくはみんなスパイだと考えてもいいわけで、彼らを退去させることは、いまの情勢としてはぜひとも必要なのだった。
だが、ニジニー・ノヴゴロドの町の上に落ちたこの二発の砲弾がどういう結果となったかは容易に理解できることであって、これらの砲弾はどの砲弾よりも必然的にはっきり狙いをきめて発射され、確実に目標に命中したのである。
かくして、用事のためにシベリアの国境を越えようと思ってやってきたロシア人たちは、たとえ一時的にせよ、もはやこの州から出ることはできないのだ。布令の第一項の文面は絶対的なものだった。それはいかなる例外をも許さなかった。私的な利害関係は、一般の利害関係の前では問題にならなかった。
布令の第二項についても、この退去命令は有無を言わせないものだった。アジア系でない外国人は関係なかったが、アジア系の外国人はすぐに商品を荷造りして、はるばるやってきた道を引き返さねばならなかった。その数が少なくない大道芸人は、いちばん近い国境まで行くにしても、千キロの道を踏破しなければならない。それでも彼らの災難は他の者にくらべれば、短い期間ですんだわけだ。
まず州当局のこうした不当な処置に対して、不平の声と絶望の叫びが起こったが、警官とコサック兵とが、すぐにそれをしずめてしまった。
ただちにこの広い野原で、移転さわぎが始まった。屋台の前に張られたテントはたたまれ、旅芝居の掛小屋は、ばらばらにこわされた。ダンスや歌はやみ、客寄せの口上も聞こえなくなった。火もすっかり消えて、綱渡りが使った綱もはずされた。移動家屋を引っぱるために、老いぼれた喘息病みの馬は馬小屋から引きだされて、梶棒につながれた。警官と兵士は鞭や棒などを手に持って、ぐずぐずしている者をせきたて、気の毒なジプシーたちがまだなかにいるというのに、情け容赦なくテントをこわした。こうした処置により夕方までには、ニジニー・ノヴゴロドの広場は完全にからっぽになって、あれほど騒然としていた大きな市のあとに砂漠のような沈黙がくるにちがいなかった。
なおくり返して言わなければならないが――というのは、こうした処置のあとには当然生じることなのだが――退去命令の打撃を直接に受けた流浪者たちとしては、シベリアの草原地帯は通れないことになったわけだった。そこで彼らにとっては、カスピ海の南に出るか、ペルシアへ出るか、トルコに行くか、あるいはトルキスタンの平原に逃れるかしなければならなかった。ウラル川流域の各駅、そしてロシアの国境のこの川の延長のようなウラル山脈の各駅は、彼らにとっては通行禁止となったのである。だから自由な地方の土を踏むためには、千キロ以上の道のりを迂回しなければならなかった。
布令の朗読が警察署長によってなされたとき、ミハイル・ストロゴフはあることに気づいて、はっとなった。
「こいつはくさいぞ!」と、彼は考えた。「アジア系の外国人を追放する布令と、昨夜の二人のジプシーの話していたことがぴったり一致する。ジプシーの男は『おれたちが行きたいところへ、おやじのほうから送りこんでくれる』と、あのとき言ったっけ。だが、〈おやじ〉というのは皇帝のことだ! 人民のあいだでは皇帝以外にこのように呼ばれる者はいないはずだ! ところで、どうやってあのジプシーたちは、あの布令を知ることができたのだろうか? いったいどこへ行こうとしているのだろう? あやしい奴らだ。総督の布令は、彼らにとってはつごうが悪いどころか、むしろ有利のように思われる!」
ところがこのとき、たいへん的を得たような彼の考えは、もう一つの彼の胸に浮かんだ考えによってとぎれたのだった。そのもう一つの考えは、彼の頭のなかにあるすべての考えを追いはらうほどのものだった。彼はジプシーのことも、彼らのあやしい会話のことも、この布令とのいかにもうさん臭い一致のことも、すべてすっかり忘れさせてしまった……それはリヴォニアの若い女のことが、とつぜん頭に浮かんだからだった。
「かわいそうに!」と、思わず彼は叫んだ。「あの娘は、けっして国境を越えることはできまい!」
じじつあの娘はリガの生まれでリヴォニア人であり、したがってロシア人だから、もはやロシアの土地を離れることはできなかった! 新しい処置が採られる前に与えられた許可は、あきらかに効果のないものになっていた。シベリアへ行くあらゆる道は、無慈悲にも閉ざされていて、彼女がイルクーツクへ行く理由がなんであろうとも、いまとなってはもはやそこへ行くことはできなかった。
このような考えは、ミハイル・ストロゴフの頭のなかに強く根づいた。最初、彼は漠然と、自分に課せられた重要な使命をおこたらずに、このけなげな少女に何か力を貸してやることができるだろうと思い、そう考えることが彼にとっては心持よいものだった。彼のように力強くて精力的であり、これから行く道について精通している男にしても、これからどんな危険をおかさねばならぬかということをよく承知していただけに、そのような危険が娘にとってどんなに恐ろしいものであるか、わかりすぎるほどわかっていたのだった。娘はイルクーツクへ行くのだから彼と同じ道をたどるわけで、彼と同じように侵入者たちの群れのあいだをくぐり抜けなければならないわけだろう。そのうえ、たぶんそうだと思うが、もし彼女が旅行に必要なふつうの金額しか持っていないとしたら、どうして目的地まで行きつけるだろうか? 事件のために旅行の条件がたんに危険になったばかりでなく、費用にしてもおおいに要することになったのだ。
「そうだ!」と、彼は考えた。「彼女もペルミへの道をとるのだから、きっと会えないことはあるまい。そうしたら彼女に気づかれないように彼女を見守ってやることもできるだろうし、彼女もまたイルクーツクに早く着きたがっているようだから、彼女のために自分の到着がおそくなるようなこともあるまい」
だが、つぎからつぎへと考えが浮かんだ。いままでミハイル・ストロゴフは、自分のやることは他人に役立つという仮定のもとに物事を考えていた。ところがここに新しい考えが生まれてきたので、問題はまったく違った様相をおびてきた。
「そうだ」と、彼は思った。「彼女がおれを必要とする以上に、自分のほうが彼女を必要とすることになるかもしれないんだ。彼女の存在が、おれにとって役に立つかもしれない。おれに対する疑いをそらすことに役立つかもしれないんだ。男が一人で草原地帯を歩いていると、とかく皇帝の密使などと見られがちだ。ところがあの娘といっしょなら、誰の目にも身分証明書のとおり、ニコライ・コルパノフと見えるだろう。だから、どうしても彼女といっしょに行こう! そこで、どんなことがあっても、彼女を捜しださなければならないんだ! 昨夜からこの方、ニジニー・ノヴゴロドを逃れるために、彼女が馬車を手に入れたとはどうしても考えられない。彼女を捜してみよう。神さま、どうぞわたくしをお導きくださいますように!」
ミハイル・ストロゴフは、命令の遂行のために混乱がその極に達している広場から立ち去った。追い立てられる外国人の非難の叫び、彼らを手荒く扱う警官やコサック兵のがなりたてる声、まさに名状しがたい混乱状態だった。彼が捜している娘が、こんなところにいるはずはなかった。
時刻は午前九時だった。蒸気船は、正午にならなければ出航しなかった。そこでミハイル・ストロゴフが旅の道づれにしようとする彼女をさがす時間は、なお二時間ほどあるわけだった。
彼はまたもやヴォルガ川を渡って、それほど人通りが多くない向こう岸の町を歩きまわった。彼は山の手から下町へと、道から道へと歩きまわった。泣きたいと思う者、心の悩みを訴える者すべての自然の避難所である教会にも入ってみた。だがどこにも、あのリヴォニアの若い娘はいなかった。
「だが」と、彼は心のなかで何度も言いきかせた。「まだニジニー・ノヴゴロドを去りっこない。もっとさがしてみよう」
彼はこうして二時間もさまよい歩いた。すこしも立ち止まらずに歩いたが、疲れを感じなかった。彼はやむにやまれぬ気持にかられて、じっくり考える余裕はもはやなかった。だが、すべての努力はむなしかった。
そのとき彼は、あの娘はひょっとすると布令のことを知らないのではないかという気がした。だが、そんなことはありえなかった。あの青天の霹靂《へきれき》のような布令が、みんなの耳に入らないことはありえないことだった。あきらかにシベリアからのニュースならどんな小さなことでも聞きもらすまいとしている彼女が、直接自分に関係のある政府の処置を知らないということはありえなかった。
だがついに、もしも彼女がそれを知らずに数時間後に船着場に来て、無慈悲な警官に乗船を拒否されたとしたら! どんなことをしてもその前に彼女を捜さなければならないし、自分の手でそのような失敗を避けるようにしてやらねばならないと、彼は思った。
しかし、いくら捜してもむだだった。やがて彼は、彼女を見つけるという希望を失った。
そのとき、十一時だった。ミハイル・ストロゴフは、ほかの場合だったらそんな必要はなかったのだが、彼の身分証明書を警察署長に見せに行ってみようと思いついた。こんどの布令については、前もってこんなこともあろうと思っていた彼としては、あきらかになんらの関係もなかった。だが彼は、なにものも彼がこの町を出ることの妨げにはならないことを確かめておきたいと思ったのだ。
そこで彼は、警察署のあるヴォルガ川の向こう岸に引き返さなければならなかった。
警察署は人でいっぱいだった。なぜならば外国人はこの州を去るように命令されたのだが、出発するにはやはりそれだけの手続きをしなければならなかったからだ。こうした用心をおこたると、タタール人の反乱計画に多少なりとも関係しているロシア人が、変装して国境を越えるおそれがあったからだ。布令はそうすることのないようにと、発令されたのである。外国人は追放されたものの、出発の許可を受ける必要があった。
そこで香具師たちやジプシーたち、ペルシア、トルコ、インド、トルキスタン、中国の商人たちが、警察署内や中庭にあふれていた。
みんな、急いでいた。なぜならば、これら追放された人たちは、輸送機関を必死になって求めていたからだった。もし輸送方法を見つけるのがおくれたりすると、命じられた期間内に町を出発できないおそれがあったのだ。――そこで勢い警官たちは、これらの人びとを整理するためには、手荒い手段をとらざるをえなかった。
ミハイル・ストロゴフは肱の力にものを言わせて、中庭を横ぎることができた。だが署内に入って窓口まで行くのは、なかなかたいへんなことだった。だが彼が一人の整理にあたっている男の耳にひとことささやき、二、三枚のルーブル紙幣をそっと握らせると効果はてきめんで、人波のなかをかき分けて通ることができた。
警官は彼を待合室に案内すると、上司に知らせに行った。
ミハイル・ストロゴフは、すこしでも早く話をつけて、自由な身になりたかった。
そして待っているあいだに、彼は自分のまわりを見まわした。彼はそこに、何を見出したであろうか?
ベンチの上に一人の娘が、絶望のあまりぐったりと、坐っているというよりもじっとだまりこんで倒れかかっているのを見た。その横顔だけが壁を背景にくっきりと浮かびでていて、顔はほとんど見えなかった。
だが彼は、見間違えなかった。彼はたしかにリヴォニアの若い娘だと見てとったのである。
彼女は総督の布令を知らないで、許可書に裏書をしてもらいに、警察署に来たのだった! ところが裏書は拒否された。もちろんイルクーツクへ行く許可は得ていた。だが布令は絶対的なものだった。それ以前に取得した許可は、すべて無効になったので、シベリアへの道は閉ざされてしまったのだ。
彼はやっと彼女を見つけたのでうれしくてたまらず、娘に近づいた。
彼女は一瞬ミハイル・ストロゴフを見た。その顔は、列車で同室した客に再会したので、ぱっと明るくなった。彼女は思わず立ち上がった。溺れる者が漂流物につかまるように、彼女は彼に救助を求めようとしたのだった……。
そのとき警官が、彼の肩を叩いた。そして言った。
「署長がお待ちです」
「ありがとう」と、ミハイル・ストロゴフは答えた。
そして彼は、昨夜以来あれほど捜していた彼女にはひとことも声をかけず、また身ぶりで彼女を安心させるようなこともしないで、そんなことをしたら彼も彼女も身を危険にさらすおそれがあったが――彼は人波をかき分けて警官のあとについていった。
リヴォニアの娘は、彼女を助けてくれることができたかもしれないたった一人の人間が遠ざかるのを見ると、ふたたびベンチにくずれ倒れた。
三分もたたないうちにミハイル・ストロゴフは、一人の警官を従えて出てきた。彼は手に、シベリアの道を自由に通行することのできる許可書をもっていた。
そのとき彼はリヴォニアの娘に近づくと、手を差しのべながら言った。
「妹よ……」
彼女はその意味がわかった! とつぜん彼女は霊感を受けたかのようにすこしのためらいも見せずに立ち上がった!
「さあ、妹よ」と、彼はくり返して言った。「ぼくたちはイルクーツクへ旅を続けられる許可をもらってきたよ。さあ、行こう!」
「行きましょう、兄さん」娘はそう答えて、ミハイル・ストロゴフの掌中に彼女の手をおいた。
そして二人は警察署を出た。
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七 ヴォルガ川を下る
正午すこし前に、ヴォルガ川の船着場につながれてあった蒸気船の鐘が鳴ると、出発する人と出発したいと思う人たちが、どっと押し寄せた。コーカサス号のボイラーは、じゅうぶん圧力がかかっていた。煙突からはもはやわずかな煙しか出ていなかったが、排気管の先端やバルブの蓋は、白い蒸気でおおわれていた。
警官たちがコーカサス号の出航を見張っていたのはもちろんのことで、彼らは町を去るに必要な条件を満たしていない旅客に対しては情け容赦しなかった。
たくさんのコサック兵が必要があれば警官に手助けしようと、河岸を行ったり来たりしていたが、べつに手だしすることもなく、すべてなんらの妨害もなくはこんだ。
定まった時刻に最後の鐘が鳴り、錨づなが引き上げられた。蒸気船の外輪の水かき板が強く水をたたき、コーカサス号は、ニジニー・ノヴゴロドを構成する二つの町のあいだを迅速に進んでいった。
ミハイル・ストロゴフとリヴォニアの若い娘とは、コーカサス号に乗りこんだ。二人の乗船はなんらの支障もなくすんだ。ニコライ・コルパノフの名前が書き入れてある通行証には、知ってのとおり、この商人はシベリアの旅行中供を連れてもよいことになっていた。だから彼らは兄妹として、皇帝の警察の保護のもとに旅行ができた。
二人は船尾に腰をおろして、総督の布令でひどく混乱している町が遠ざかっていくのを見ていた。
ミハイル・ストロゴフは娘に向かって何も言わなかったし、質問もしなかった。彼女が話したくなれば自分のほうから話すだろうと、彼は待っていた。彼女は、この思いがけない保護者である神の加護がなかったならば囚人のようにとどまっていなければならなかったこの町から、なんとかして早く抜け出したかった。彼女は口に出してこそ何も言わなかったが、その眼が代わって、感謝の気持をあらわしていた。
昔はラー川と呼ばれていたヴォルガ川は、ヨーロッパ中でもっとも大きな川だと考えられていて、その長さは四千露里(四三〇〇キロメートル)を下らなかった。上流でははなはだ非衛生的なこの河水も、ニジニー・ノヴゴロドでオカ川が流れこむことによって緩和されていた。このオカ川は、ロシアの中央の地域から流れてくる流れの速い支流なのである。
ロシアの運河や川の全体を、その枝がロシア全土に広がっている一本の大きな樹木に比べたのは、まさに言いえていた。この巨大な樹木の幹をなすのがヴォルガ川であって、それは七〇本の根をもっており、それらの根はカスピ海の沿岸に河口を形づくっていた。この川はトゥヴェリ管区の町ルジェフから航行可能で、つまり河川の大部分が航行できたのである。
ニジニー・ノヴゴロドとペルミのあいだを航行する船は、この町とカザンの町とをへだてる三五〇露里(三七〇キロメートル)間においては、かなり速く運航する。そこまではこれらの蒸気船はヴォルガ川を下るだけで、船の速度はその固有の時速に約三キロ足らずの流れの速度が加わるのである。だがカザンからすこし下流にあるカマ川の合流点に達すると、そこでヴォルガ川をすててカマ川に入り、ペルミまで川をさかのぼらなければならない。そうなると、どんなにコーカサス号の機関が丈夫で、優秀であろうとも、時速一六露里以上をだすことはできなかった。そこでカザンで停泊する一時間を入れて、ニジニー・ノヴゴロドからペルミへと航行するには、約六〇時間から六二時間はかかるはずだった。
まずこの蒸気船は設備がよくととのっていて、船客はその身分や資力によって、はっきり三つの等級に分かれていた。ミハイル・ストロゴフは気をつかって一等船室を二つ予約したので、その若い同伴者はいつでも好きなときに一人きりになって、自分の船室にこもることができた。
コーカサス号はあらゆる人種の船客を満載していた。アジア地方の商人の大部分は、ただちにニジニー・ノヴゴロドを立ち去るほうが得策だと考えたのだ。一等船客のなかには、長い服をまとい、僧侶のような帽子をかぶったアルメニア人、円錐形の帽子でそれとわかるユダヤ人、青や紫や、または黒い、前と後ろが開いたたいへんゆったりした服を着て、その上に袖口が司祭のそれを思わせる大きな袖のある上っ張りをはおった金持の中国人、いまなお民族的なターバンを頭に巻いているトルコ人、四角い縁なし帽をかぶり、腹帯代わりに一本の簡単な紐をまきつけているヒンドスタン人などがいて、そのなかの幾人かは特にシカルプール人という名で呼ばれ、中央アジアの貿易を一手に握っていた。最後はタタール人で、いろいろな色の飾り紐のついている靴をはき、刺繍のしてある胸あてをつけていた。すべてこれらの商人たちは、めいめいが持っている多くの荷物を、船倉や甲板の上に積み重ねなければならなかった。一人二〇ポンドの荷物しか持ちこめないことになっているのだから、その運搬費は莫大な額にのぼったことだろう。
コーカサス号の船首には、さらにたくさんの乗客が群がっていて、外国人ばかりではなくロシア人もいた。これらのロシア人は、彼らの住んでいる各州の町へ帰るので、とくに許されたのだった。
そこには、縁なし帽や庇《ひさし》のついた帽子をかぶり、毛裏つきのゆったりした上着の下に小さな格子縞のシャツを着たロシアの百姓や、青いズボンを長靴のなかにつっこみ、ピンクの木綿のシャツを紐でしめつけ、ひらべったい庇のついた帽子やフェルトの縁なし帽をかぶったヴォルガの農民がいた。何人かの女が、花模様のある木綿の服を着て、派手な色をしたエプロンをかけ、赤い模様のあるハンケチで髪をおおっていた。彼らは主として三等船客であって、この長い帰りの旅路は、さいわい前途に不安はなかった。けっきょく、甲板のこの部分は、たいへん混雑していた。それゆえ船尾の旅客たちは、雑多な人間の群がっているこの人ごみのなかには、あえて入ろうとはしなかった。
そうしているあいだにコーカサス号は、ヴォルガ川の両岸のあいだを、外輪船がもっている全速力を挙げて走っていた。多くの船に出会ったが、それらの船は曳船《ひきぶね》にひかれて川をさかのぼり、あらゆる種類の商品をニジニー・ノヴゴロドへはこぶ途中だった。それからまた、大西洋の海藻の果てしないつながりのような材木の筏《いかだ》や、荷物をいっぱい積んだために船べりまで沈んでいる平底船などに出会った。ところでいまとなっては、これらの旅行はすべて無駄になってしまったのだ、市は開かれたとたんに閉ざされてしまったからである。
蒸気船が通ったあと、そのためにできる小波《さざなみ》がひたひたと打ち寄せる岸辺には鴨が群がっていたが、耳をろうさんばかりの啼き声をあげて飛び去った。岸からすこし離れた、榛《はん》の木や柳やポプラにかこまれた乾いた平野には、あちこちに、くすんだ赤い牝牛の群れや、白や黒の豚や子豚の群がりが見えていた。そばやライ麦の畑が、なかば耕されている丘の背景にまでひろがっていた。しかしこうした眺望は、とくに美しい眺めだとは言えなかった。このような単調な風景においては、画家の筆が絵画的な風景を求めても、描くに足るものは見出せなかったであろう。
コーカサス号が出航してから二時間して、はじめてリヴォニアの若い娘は、ミハイル・ストロゴフに声をかけた。
「兄さんはイルクーツクにいらっしゃるの?」
「そうだよ、妹」と、青年は答えた。「わたしたちは二人とも同じ道を行くのだ。だからわたしが通るところは、きみも通るっていうわけさ」
「あしたになったら、兄さん、あたしがバルト海の沿岸を離れてウラル山脈の向こう側に行くわけを話すわ」
「わたしはなんにも聞こうとは言わないよ」
「すっかりお話しするわ」と娘は、唇に悲しそうな微笑をかすかに浮かべて言った。「妹なんだから兄さんになんにも隠しちゃいけないわ。でも、きょうは話せないの……疲れて、がっくりしているので、くたくたなんですもの!」
「船室で休むかい?」と、ミハイル・ストロゴフはたずねた。
「ええ……そうするわ……では、あした……」
「じゃ、おいで……」
あたかも彼は、まだ彼のよく知っていないこの連れの名前をつけ加えたいかのように、言葉を切るのをためらった。すると彼女は、
「ナージャよ」と、手を差しのべながら言った。
「おいで、ナージャ」とミハイル・ストロゴフは言った。「きみの兄さんのニコライ・コルパノフを遠慮なく使ったらいい」
そして彼は、彼女のために予約しておいた船尾の一等船室に若い娘を案内した。
それからミハイル・ストロゴフは、彼の旅程を変更させるかもしれないニュースを求めて旅客の群れのなかに入りこんだ。彼は耳をすまして聞いていたけれども、話のなかには加わらなかった。そのうえ、なにかの拍子で人から問いかけられてどうしても答えなければならないときは、コーカサス号で国境に向かって帰る商人ニコライ・コルパノフとして通すつもりだった。特別の許可をもらってシベリアを旅行するなどとは、どんなことがあっても知られてはならなかった。
蒸気船ではこばれていく外国人たちは、その日の出来事、布令、そしてその結果についてしか表面上はしゃべらなかった。はるばる中央アジアを横断してやってきて、その疲れがやっと回復したばかりでまたもや強制的に帰らせられるこれらの気の毒な連中が、彼らの怒りと絶望とを大きな声でしゃべれないのは、何事も思いきって言うことができなかったからだ。思惑のまじった恐怖感が彼らを引きとめていたのだった。旅客の動静をさぐる任務をおびて刑事たちがひそかにこのコーカサス号に乗りこんでいることはじゅうぶんあり得ることなので、口を閉ざしているのにこしたことはなく、牢獄に幽閉されることよりも追放されることのほうがまだしも増しだからだった。それゆえ、お互いにだまりこんでいたり、あるいは用心ぶかく会話を交わしている人びとから何か役立つような情報を引きだすことは、まずむずかしかった。
だからミハイル・ストロゴフはそういう方面のことは何も聞きだせなかったし、彼が近づくと人びとが急に口を閉ざすようなことは一度ならずあったが――なぜなら彼は人びとにとっては知らない顔だったからだ――ところがまもなくして、他人に聞かれようがまったく問題にしないような大声を聞いて、彼は自分の耳を疑った。
その快活な声で話している男は、ロシア語で話していた。だがアクセントは外国人のもので、相手の男はその男に比べると声の調子がずっと控え目で、同じように自分の母国語でないロシア語で答えていた。
「なんだ君も」と、最初の男が言った。「この船に乗ったのかい? モスクワの皇帝の夜会で会い、ニジニー・ノヴゴロドでちょっとおみかけした君がね?」
「そうだよ、ぼくだよ」と、二番めの男はそっけない口調で答えた。
「はっきり言って、こんなに近くまで君にあとをつけられているとは思っていなかったね」
「あとをつけたんじゃないよ、こっちのほうが先を歩いていたんだよ!」
「先を歩いてたんだって! へえ、そうかな! どうだい、ぼくたちは並んで、同じ歩調で歩くことにしようじゃないか、衛兵勤務に就く二人の兵士のようにな。少なくとも当面は、相手を出し抜かないという協定をつくろうじゃないか!」
「いや、そんなことより、ぼくは君を追い抜いていくよ」
「そいつは、いざ戦争の舞台になったらやることにしようじゃないか。それまでは、なあ! 旅は道づれというじゃないか。いずれあとで、ぼくたちが競争相手になるときはやってくるよ!」
「いや、お互いに敵同士だ!」
「敵か、よかろう! きみの言うことは、じつにはっきりしてるな、なあ相棒、はっきりしてるほうが、こっちにとっても気持がいいんだ。きみが相手だと、少なくとも、どうしたらいいかはっきりしてきてよろしい!」
「どこが、悪いんだね?」
「いや、べつに悪いところなんかないさ。だから、こんどはぼくが、お互いの立場をはっきりさせることを許してくれと言いたいんだ」
「はっきりさせたらいいだろう」
「きみは、ペルミに行くんだね……ぼくと同じように?」
「そうだ、きみと同じようにね」
「そして、たぶんきみは、ペルミからエカテリンブルグに向かうんだろうね。なにしろそれが、ウラル山脈を越えるもっとも安全で、もっとも確実な道だからね」
「たぶん、そうなるだろうな」
「いったん国境を越えてしまえば、ぼくたちはシベリアにいることになって、つまり反乱軍のまっただなかにいるってわけさ」
「そういうことになるだろうね!」
「そうなったら、いや、そうなってこそ、はじめてぼくたちはこう言えるだろう『さあ、お互いに自分たちのためにやろうぜ、神さまは……』」
「神はぼくの味方だ!」
「神さまはきみだけの味方だと言うのかい! それもよかろう! だが、あと一週間ばかりは休戦状態だ。そのあいだはニュースもべつにないだろうから、競争相手になる日までは、友だち同士でいこうじゃないかね」
「いや、敵同士だ」
「よし承知した、敵同士か! だが、そうなるまでは、協力していこうじゃないか、共食いはやめようぜ! 誓って言うけれど、目で見たものは、すべて自分の胸のなかにしまっておくよ」
「ぼくは、耳にしたことすべてをだ」
「じゃ、いいね?」
「承知した」
「きみの手をくれたまえ?」
「さあ」
こうして最初に話しかけた男の手が、つまり大きく開かれた五本の指が、冷静に差し出された二番めの男の二本の指をぎゅっと握りしめた。
「それはそうと」と、最初の男が言った。「けさ一〇時一七分に、布令の全文を〈従妹〉に電報で知らせたよ」
「こっちは一〇時一三分に、〈デイリー・テレグラフ〉に通知した」
「そいつはよかったね、ブラント君」
「きみとしたら、できすぎだ、ジョリヴェ君」
「このつぎは、仇をうってやる!」
「そうは、いかないだろうよ!」
「いや、やってみせるとも!」
そう言いながらフランスの通信記者は、さも親しそうにイギリスの通信記者に一礼したが、相手は軽くうなずいて、いかにもイギリス人らしい冷たい態度で挨拶を返した。
ニュースを追い求めるこの二人は、ロシア人でもなければアジア系の外国人でもなかったから、総督の布令とは無関係だった。そこで彼らは出発したのだが、二人が同じようにニジニー・ノヴゴロドを去ったのは、同じ本能によって彼らは前進したからだった。そして彼らが同じ輸送機関を利用したこと、シベリアの草原へ行くのに同じ道をたどったことは、当然なことだった。友であろうが敵であろうが、旅の道づれとなった彼らは〈猟が始まるまで〉には、なお一週間あるわけである。そこではるかに如才ないアルシード・ジョリヴェが自分のほうから手を差しのべ、ハリー・ブラントが冷ややかながらもそれを受け入れたのだった。
いずれにしてもその日の夕食には、いつも開けっぱなしでいささかおしゃべりなフランス人と、いつも閉じこもって取りすましているイギリス人とが同じテーブルに席を占めて、この付近の白樺の新鮮な樹液から作った一瓶六ルーブルするほんもののクリコ酒を酌みかわしていたのである。
アルシード・ジョリヴェとハリー・ブラントとがこのようなことを話しているのを聞いたミハイル・ストロゴフは、こう思った。
「この無遠慮で好奇心が旺盛な彼らとは、おそらく途中で会うことになるだろう。だが適当な距離をおいておくほうが、どうやら賢明のようだな」
リヴォニアの少女は、夕食には来なかった。彼女は船室で眠っていたので、ミハイル・ストロゴフは起こそうとしなかったのである。夕方になっても、とうとう彼女は甲板に現われなかった。
そのとき、いつまでも続く夕暮が、日中のやけつくような暑さのあとで涼を求めていた旅客たちに、さわやかな気分を与えてくれた。そこで時間がたっても、大部分の者がサロンにも船室にも戻ろうとしなかった。彼らはベンチの上によこたわって、走る蒸気船が巻き起こすわずかな微風を気持よさそうに受けていた。この時期の空は、この緯度では夕方と朝のあいだにわずかに暗くなるだけなので、ヴォルガ川を上り下りする多くの船のあいだを縫って船を運航していかねばならない舵手にとっては、まったくつごうがよかった。
しかし十一時と午前二時のあいだには、月が新月になるので、まるで真っ暗になった。この時刻には、甲板の乗客のほとんど大部分が眠っていて、あたりの沈黙は、規則正しく水面を打つ外輪の水かき板の音によって乱されるだけだった。
ミハイル・ストロゴフは何か不安をおぼえて、起きていた。彼はずっと船尾の甲板上を行ったり来たりしていた。ところがそのうちに機関室を通り越してしまった。そして二、三等船客にあてられた箇所に出たのだ。
そこでは船客がベンチの上ばかりではなく、商売上の積荷の上や一般の荷物の上や、さては甲板の上で眠りこんでいた。ただ当直の水夫たちが前甲板に立っているだけだった。左右両舷の舷灯から投射されている赤と緑の二つの灯火が、蒸気船の船腹に斜めに光を送っていた。
彼はそこらに思い思い勝手に寝ころんでいる人たちを踏みつけないように注意しなければならなかった。その多くは固い寝床に慣れている農民たちで、甲板の上でもじゅうぶんなのだ。だが、うっかり無器用な人間が靴で蹴って起こしでもしようものなら、きっと一波瀾はまぬがれまい。
そこでミハイル・ストロゴフは、誰にもぶつからないように用心した。そのようにして彼は船の先端まで歩いていったが、散歩をしつづけることで眠気とたたかうことしか念頭になかった。
そのうち彼は甲板の前部へさしかかって、前甲板の梯子をのぼったとき、彼のすぐそばで話し声がするのを聞いたのだった。彼は立ち止まった。声は、その姿こそ暗闇のためにはっきりは見分けがつかなかったが、ショールや毛布でおおわれた船客の群れのなかから聞こえてくるようだった。ときどき蒸気船の煙突が煙のうずまきのなかから赤っぽい炎を吐き出すと、火花がその群れのあいだを飛んでいくように見えた。それは、まるで数千のぴかぴか光る金属片が、急に明るい光線で照らしだされたようだった。
ミハイル・ストロゴフは、そのまま行き過ぎようとしたが、そのとき彼は前の晩に市場で彼の耳を驚かしたあの異様な言葉が話されているのを耳にしたのだった。
ひとりでに彼は耳をすました。船首楼の蔭になっているので、相手から見られる心配はなかった。そのかわり話している相手を見ることもできなかった。そこで聞き耳を立てることにとどめなければならなかった。
最初にかわされた言葉の内容は、少なくとも彼にとっては、たいしたことではなかった。だが、それはたしかに彼がニジニー・ノヴゴロドで耳にした二人の男女の声にちがいなかった。そこで、さらに注意して耳をすました。じじつ彼が言葉の端ばしを小耳にはさんだあのジプシーたちが、仲間といっしょに追放されて、このコーカサス号に乗りこんでいることは、考えられないことではなかった。
彼が耳をすましたのはよかった。なぜならタタール語で交わされた会話が、彼の耳にかなりはっきりと入ってきたからである。
「なんでも密使がモスクワを発って、イルクーツクへ向かったそうだね!」
「そうらしいな、サンガール。だがその飛脚は、ことがすんでから着くか、または着かないだろうか、どちらかだろうよ!」
ミハイル・ストロゴフは、あきらかに彼のことをさして言っているこの返事に思わず身ぶるいして、いま話している男女が果たして自分の推測している奴らかどうかを見きわめようとしたが、闇があまりに濃いのでできなかった。
しばらくしてからミハイル・ストロゴフは、気づかれないうちに船尾のほうに帰ることができた。そして人から離れて腰をおろすと、頭を手でかかえてうずくまった。誰かが見たら、眠っていると思ったであろう。
彼は眠ってはいなかった。眠るなどとは思いもおよばぬことだった。彼はかなり強い危惧を感じながら、物思いにふけっていたのである。
「では、誰がおれの出発を知っているのだろうか? それを知りたがっているのは、いったい誰なのだろう?」
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八 カマ川をさかのぼって
翌日の七月一八日、午前六時四〇分に、コーカサス号は、カザンの町から七露里(七・五キロメートル)離れている桟橋に着いた。
カザンは、ヴォルガ川とカザンカ川の合流点にあった。そこは州管区とギリシア正教の大司教管区の重要な首府であり、また大学の所在地である。この〈管区の首府〉に住んでいるさまざまな住民は、チェレミス人、モルヴィア人、チュヴァシュ人、ヴォルサク人、ヴィグリッチ人、タタール人などから成っていた。なかでもタタール人は、アジア人的な性格をもっていた。
町はこの桟橋からかなり離れたところにあるのだが、多くの群衆がこの河岸にひしめき合っていた。人びとは、ニュースを求めてやってきたのだ。この州の総督も、ニジニー・ノヴゴロドの総督と同じ布令を受けたのだった。河岸には、袖の短い毛皮の裏のついたマントをはおり、その広い縁は伝統的なピエロの帽子を思わせる先のとがった帽子をかぶったタタール人の姿が見えた。そのほか、長い外套に包まれたからだに、小さなお碗のような帽子をちょこなんとのせて、ポーランドのユダヤ人のような恰好をしている者もいた。女たちは胸のあたりに安物の金ぴかものを光らせ、三日月形の冠のようなものをかぶって、あちこちで群れをなし、がやがやしゃべっていた。
これらの群衆にまじって、警官と槍を手にしたコサック兵とが秩序の維持にあたり、コーカサス号から降り立つ旅客と、これから乗りこむ旅客の見張りに当たっていたが、その前に次の二種類の旅行者は入念な取り調べを受けていた。それは、一方は追放令を受けたアジア人であり、もう一つはカザンにとどまる百姓たちの家族の者らであった。
ミハイル・ストロゴフは、蒸気船が着くたびごとに桟橋で見られる一種特有のこれらの往き来を、かなり無関心な様子で見やっていた。コーカサス号は、燃料を積みこむために、カザンに一時間だけ停泊しなければならなかった。
彼は、船を降りてみようなどという考えは、まったくなかった。まだ甲板上に姿を現わさなかったリヴォニアの若い娘を一人船に残しては行かれなかったであろう。
二人の新聞記者は、勤勉な狩猟家にいかにもふさわしく、未明のうちから起きだしていた。彼らは河岸に降り立って、それぞれ思い思いに、群衆のあいだに入りまじっていた。ミハイル・ストロゴフは、ノートを片手に人物をスケッチしたり、何か観察を書きとめたりしているハリー・ブラントの姿を見た。一方アルシード・ジョリヴェは、けっして何事も忘れないという記憶力に自信満々で、おおいにしゃべりまくっていた。
ロシアの東部国境では反乱と侵入とが広範囲にわたって行なわれているという風評が流れていた。シベリアとロシア本国とのあいだの連絡は、すでにまったく困難になっていた。ミハイル・ストロゴフはこうした情報を、船の甲板から降りないでも、新しく乗りこんだ人びとから聞いていた。
ところでこうした情報を聞いた以上、心から不安をおぼえずにはいられなかった。彼は早くウラル山脈を越えて、自分自身の目で事態の重大さを確かめ、情勢によって起こりうることにそなえたいという焦燥感にかられていた。そこでカザンの土着民にもっと正確な情報を求めにいこうと思っていたとき、彼の注意はとつぜんほかのことにそらされた。
ミハイル・ストロゴフはコーカサス号を降りようとする旅行者のなかに、前日ニジニー・ノヴゴロドの大市にいたジプシーの群れを見たのだった。そこの甲板の上には老人の男と、彼をスパイだと見てとった女とがいた。彼らといっしょに、おそらく彼らに引率されているのだろうが、二〇人ばかりの踊り子と歌うたいの娘が船から降りようとしていた。彼女らは一五歳から二〇歳ぐらいの娘で、ぴかぴか光る金属の飾りのついたスカートをはき、粗末な毛布を肩にひっかけていた。
朝日を受けて輝く彼女たちの衣服は、彼が昨夜見とどけたあの異様な効果を思い出させた。船の煙突が炎を吐き出したとき、闇のなかできらきら光ったのは、これらジプシー女の金属性の飾りだったのだ。
「これで、はっきりした」と、彼は思った。「このジプシーの群れは、昼は甲板の下にいて、夜になると船首楼の下にたむろしに出てきたのだ。では、これらのジプシーどもは、できるだけ人目につかないようにしていたのだな? しかし、これは、この民族としては珍しいことだ!」
こうなればもうミハイル・ストロゴフは、彼に直接関係したあの言葉が船のあかりできらきら光ったこの黒い群れのなかから出たこと、ジプシーの老人と、サンガールという蒙古名で呼ばれた女とのあいだに交わされたものであることを疑うまでもなかった。
ジプシーの群れがもはやふたたび帰ってこないこの船から立ち去ろうとしたとき、彼は無意識のうちに蒸気船の舷門のほうへ歩み寄った。
ジプシーの老人は、彼の仲間たちのもって生まれたあのずうずうしさとはおよそかけ離れた控え目な態度で、そこにいた。どうやら彼は、人目をひくよりも、むしろそれを避けているようすだった。世界中のあらゆる太陽の光を浴びて焼かれた彼のあわれな帽子は、しわのよった彼の顔の上にふかぶかとかぶさっていた。その曲がった背中は、暑いのを一向平気でぴったりからだを包んだよれよれの長外套の下で、まるでこぶのようにふくらんでいた。このようにみじめな異様な服装をしていては、彼がどんなからだつきであるか、どんな顔つきをしているか、見分けることはむずかしかった。
彼のそばにジプシー女のサンガールがいた。三〇歳ぐらいの女で金髪、肌は褐色で背は高く、がっしりしていて目をきらきら光らせ、いかにも尊大なようすを示していた。
これら若い踊り子たちの多くは、この民族特有の目立った特徴をそなえていて、じつにきれいだった。ジプシー女は概して魅力的だったので、とっぴなことをすることにかけてはイギリス人にひけをとらないロシアの貴族たちは、ジプシー女のなかから妻を選ぶのを躊躇しなかったほどだった。
彼女たちの一人が、異様なリズムの歌を、低い声でうたいはじめた。その最初の詩句は、つぎのような意味だった。
[#ここから1字下げ]
わたしの褐色の肌に、さんごが光り、
わたしの巻き毛には黄金のピンが!
わたしは捜しに行こう、幸福を求めて
遠い国まで、どこまでも……
[#ここで字下げ終わり]
この陽気な娘はなおも歌いつづけたが、ミハイル・ストロゴフはもう聞いていなかった。
じつを言うと、あのジプシー女のサンガールが、彼のほうをしつこいほどじっと見つめていたからだった。このジプシー女は、彼の顔の特徴を、記憶のなかにいつまでもとどめておこうとしているかのようだった。
だがしばらくしてサンガールは、老人とその仲間が下船したあとから、ゆっくりと一人で降りていった。
「なんてずうずうしい女なんだろう」と、彼は思った。「あいつはこのおれを、ニジニー・ノヴゴロドでスパイ扱いをした男と同じだとわかっただろうか? 呪われたジプシー女ときたら、まるで猫のような目をしている! 夜でもはっきり物が見えるんだ。あいつはほんとに、おれとはっきりわかったろうか……」
ミハイル・ストロゴフはもうすこしで、サンガールとその仲間のあとを追うところだった。だが、思いとどまった。
「いや」と、彼は考えた。「無謀な真似はしてはいかんぞ! かりにおれがあの老占師とその仲間を逮捕させただけでも、おれの身分はばれてしまうだろう。それに彼らは船を降りてしまったのだから、彼らが国境を越える前に、おれはもうウラル山脈のはるか彼方に行っているわけだ。彼らはきっと、カザンからイシムへの道をとるだろう。だが、あの道を行ったって、べつに策のほどこしようはあるまい。シベリアの早馬をつないだタランタス馬車は、いつもジプシーの馬車の先を越すだろう! まあ、コルパノフ君、落ち着きたまえ!」
それに、そのときはすでに老人とサンガールとは、群衆のなかに姿を消していた。
カザンが〈アジアの門〉と言われるのはまさしくそうであって、この町はシベリア地方とブハラ地方の商品の通過する中心地と考えられ、ウラル山脈を横ぎる二つの道が、ここから始まっているのである。ところでミハイル・ストロゴフが、ペルミ、エカテリンブルグ、チュメニの道を選んだのは、まさに正しい選択だと言えた。これは駅馬車の通っている大きな道路で、国家の費用で経営されている宿場が整備されており、それはイシムからイルクーツクまで延びていた。
彼が先程話した第二の道は、ペルミへのちょっとしたまわり道を避けて、同じようにカザンとイシムとを結んでいた。この道はエラブーガ、メンツェリンスク、ビルスク、ズラトゥスト――ここでヨーロッパを立ち去る――チェリャビンスク、シャドリンスク、クルガンを通っていた。おそらくこの道のほうが、もう一つのよりもほんのすこし短いだろう。だがこの利点も、駅馬の宿場がないこと、道路が整備されていないこと、村落が少ないことによって利用価値はずっと減っていた。ミハイル・ストロゴフが第一の道を選んだことはもっともなことで、その選択は賞賛に値した。そしてどうもそう思われるのだが、もしあのジプシーたちがカザンからイシムへの第二の道をとったとすれば、彼のほうが彼らよりも先に着く機会にめぐまれていた。
一時間後にコーカサス号の船首では鐘が鳴って、あらたに乗りこむ船客を呼び、下船していた客を呼びもどしていた。いまは午前七時だった。燃料の積みこみも、いま終わったところだ。ボイラーの鉄板が蒸気の圧力で、ぶるぶるふるえていた。船はまさに出航しようとしていた。
カザンからペルミへ行く旅行者たちはすでに乗りこんで、それぞれ自分たちの席にいた。
このときミハイル・ストロゴフは、二人の新聞記者のうちハリー・ブラントだけしか蒸気船にもどっていないのに気づいた。
ではアルシード・ジョリヴェは、乗りおくれたのだろうか?
だが錨づながとかれた瞬間、アルシード・ジョリヴェが息せききって駆けつけてきた。蒸気船はすでに岸を離れ、タラップも河岸に引き上げられていた。だがアルシード・ジョリヴェはすこしも困らなかった。彼は道化師の身軽さで飛んで、まさしくコーカサス号の甲板の上にいた彼の相棒の腕のなかに落ちたのである。
「コーカサス号はきみを乗せずに出発するだろうと思ったよ」とイギリス人の記者は、なかば冗談とも、なかばまじめともつかぬ口調で言った。
「ばか言うない!」アルシード・ジョリヴェは言い返した。「ぼくの〈従妹〉の金で船をやとっても、一キロにつき二〇カペイカの割で駅馬車をやとっても、きみに追いついてみせるよ。しかたがないだろう? 桟橋から電報局までずいぶんあるものな!」
「では、電報局まで行ったのかい?」と、ハリー・ブラントは口をとがらせてきいた。
「行きましたよ」とアルシード・ジョリヴェは、愛想笑いを浮かべながら答えた。
「では、電報はコリヴァンまで通じてるのかい?」
「さあ、それは知らないね。だがたしかに言えることは、カザンからパリまでは、どうやら通じるってことだ!」
「じゃ、きみはほんとうに電報を打ったんだね?……きみの〈従妹〉に!」
「熱情をこめてね」
「いったい、どんなことがわかったんだい?」
「ロシア流に言うとね、なあ、とっつぁん」と、アルシード・ジョリヴェは答えた。「こちとらは聞きわけのない子供だよ、だから、きみに隠しだてなんかしたくないんだ。いいかい、タタール軍がフェオファル汗に率いられて、セミパラチンスクを通って、イルトイシ川を下ったんだ。どうぞ、このニュースを自由に使ってくれたまえ!」
なんだって! こんな重大なニュースがあったのか! それをハリー・ブラントは、知らなかったのだ。彼の競争相手はそれをカザンに住んでいる誰かからじじつ聞いたらしく、すぐにパリに通知したのだった! イギリスの新聞は、出し抜かれてしまったのだ! そこでハリー・ブラントは両手を背中に組んで、ひとこともつけ加えずに船尾のほうへ行って、腰をおろした。
午前一〇時ごろ、リヴォニアの若い娘が船室から出てきて、甲板上に姿を現わした。
ミハイル・ストロゴフは彼女のそばに行って、手を差し出した。
「外を見てごらん、妹よ」と、彼は娘をコーカサス号の船首のほうへ連れていってこう言った。
じじつあたりの景色は、注意をはらって見るだけのことがあった。
コーカサス号はそのとき、ヴォルガ川とカマ川の合流点にさしかかっていた。船は四〇〇露里以上下ってきてこの大河を去り、こんどはやはり大きな川を四六〇露里(四九〇キロメートル)もさかのぼるのだ。
この場所では二つの水の流れが、それぞれすこし違った色を見せていて、オカ川がニジニー・ノヴゴロドの町を横ぎりながら右岸をうるおしたと同じように、カマ川は左岸に利益をもたらしていた。つまりそのきれいな水で左岸の流れを浄化していたのだ。
そのときカマ川が大きくひろがって、両岸は樹木におおわれ、美しかった。幾艘かの帆船の白い帆が、太陽の光線で輝いている美しい流れに趣を与えていた。ポプラの一種や、榛《はん》の木や、ときには柏の大木が植わっている丘のつらなりが、なだらかな線で地平線をかぎり、正午の輝かしい光が、ところどころでその地平線を空の深みへ溶けこませていた。
だがこれらの自然美も、リヴォニアの若い娘の思いを、一瞬たりともそらすことはできないようだった。彼女はただ到着する目的地のことしか見ていなかった。そしてこのカマ川は彼女にとっては、そこに到着するためのいちばんらくな道でしかなかった。その眼は東のほうを見て、異常に光っていた。それはあたかもその視線で、透視できない地平線を貫いてみせようとするかのようだった。
ナージャはその手を、連れの男の手にまかしていた。まもなくして彼のほうに向きなおって、ナージャはたずねた。
「あたしたちはいま、モスクワからどのくらい来ているのでしょうか?」
「九〇〇露里!」と、彼は答えた。
「七千露里のうち、まだ九五〇キロしか来ていないのだわ!」と、若い娘はつぶやいた。
鐘の音が、朝食の時刻を知らせた。ナージャはミハイル・ストロゴフに従って蒸気船の食堂へ降りていった。彼女はキャビア、薄く切った鰊《にしん》、それからロシア、スウェーデン、あるいはノルウェーのような北国に共通の慣習であるアニスの実で味つけしたライ麦のブランデーの出る前菜に触れようともしなかった。ナージャはまるで買う金がなくて食事を制限されている貧しい娘のように、まったくすこししか食べなかった。そこで彼もこの連れの口に合った食事で満足しなければならないと思った。で彼は、卵の黄味でつくった一種のパイ料理の〈クールバット〉をすこしと、米とひき肉と、キャビアをつめた赤キャベツと、それから飲み物はお茶でがまんしなければならなかった。
それゆえ食事は長くかからず、費用もいらなかった。二人が食卓について二〇分もたたぬうちに、ミハイル・ストロゴフとナージャとは甲板にいた。
二人は船尾へ行って、腰をおろした。そのときナージャはなんらの前触れもなしに、彼だけにしか聞こえないような低い声で言った。
「兄さん、あたくしは、追放された者の娘なのです。名前は、ナージャ・フョードルと言います。お母さんは、まだ一か月ほどしかたちませんが、リガで亡くなりました。そこであたしはイルクーツクへ行って、父といっしょに暮らそうと思ったのです」
「わたしもイルクーツクへ行くんだよ」と、ミハイル・ストロゴフは答えた。「わたしがナージャ・フョードルをお父さんのもとへ無事に送りとどけることは、神さまのおぼし召しだと思っているよ」
「兄さん、ありがとう!」と、ナージャは答えた。
それから彼は、自分がシベリアを旅行する特別の許可書を持っていることと、ロシアの官憲が彼の行く手をはばむことができないことをつけ加えて言った。
ナージャはそれ以上は、何も知ろうとしなかった。彼は、この純真で善良な青年と幸運にもめぐり会ったことについては、ただ一つのこと、そのおかげで父のもとに行けるということしか見ていなかった。
「あたしは」と、彼女は言った。「イルクーツクまで行ける許可証を持っていたのでした。でも、ニジニー・ノヴゴロドの総督の布令で無効になってしまったのです。兄さん、あなたがいらっしゃらなかったら、あたしのいた町から立ち去ることはできなかったでしょう。おそらくあの町で死んでしまったでしょうね!」
「ナージャ、きみは一人で」と、ミハイル・ストロゴフは言った。「一人っきりで、シベリアの草原地帯を横ぎろうとしたんだね!」
「それがあたしの義務だったんです、兄さん」
「でも、あの地方には反乱が起きていて、ほとんど誰も旅行できなくなっていたことを、きみは知らなかったのかい?」
「タタール人の侵入は、あたしがリガを出たときには知らされていませんでしたわ」と、若いリヴォニア娘は答えた。「モスクワに来て、やっとそのことを知ったのです!」
「それなのに、きみは旅をつづけたんだね?」
「でも、それがあたしの義務なんですもの」
この言葉は、この勇敢な娘の性格を要約していた。ナージャは彼女の義務を遂行するのに、すこしもためらわなかったのだ。
そのとき彼女は、父親ワシリー・フョードルのことを話した。父親はリガで、人びとに尊敬されていた医者だった。彼はその地で成功し、家族とともに幸福に暮らしていた。ところがある外国人の秘密結社に関係したためにイルクーツクに追放されることになり、その命令を持ってきた憲兵たちは、すぐその場で彼を国境の彼方へ連れ去ったのだ。
ワシリー・フョードルは、すでに重病で苦しんでいた妻と、おそらく誰一人も身寄りなくして残された娘に接吻するだけの時間しか許されずに、愛する二人の身の上を思って涙にくれながら出発した。
二年前から、彼は東シベリアの首都に住まっていた。彼はその地で医師の職業をつづけることは許されていたが、それで利益を得ることはほとんど許されていなかった。それでも妻と娘がそばにいてくれたら、おそらく彼は追放者として得られる幸福にひたっていられたであろう。だが、すでにからだがひどく衰弱していたフョードル夫人は、リガを離れることができなかった。夫が出発して二〇か月後に、夫人は身寄りもなく、ほとんど財産もない娘一人を残して、彼女の腕に抱かれながら息をひきとったのだった。そこでナージャ・フョードルは、イルクーツクにいる父のもとへ行きたい旨をロシア政府に願いでて、簡単にその許可を得たのだった。彼女は、出発することを父に書き送った。やっとのことでこの長途の旅をするのに必要な金を手に入れると、彼女はすこしもためらうことなくこの長い旅行をくわだてた。彼女は、自分でできるだけのことはしたのだ……あとは神さまにおまかせするとしよう。
そうしているうちに、コーカサス号は川をさかのぼっていった。すでに夜ともなって、大気は気持のいい涼しさに満ちみちていた。松の木を燃料にたいているので、蒸気船の煙突からはおびただしく火花が飛び散り、その船首にくだける水の音響に、カマ川の右岸の闇のなかに出没する狼の遠吠えがまじって聞こえた。
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九 タランタス馬車で昼夜兼行
翌七月一九日に、コーカサス号はカマ川最後の船着場であるペルミの桟橋に着いた。
ペルミを首都とするこの管区は、ロシア帝国内でもっとも大きな行政区の一つであって、それはウラル山脈を越えて、シベリアにまでも及んでいた。大理石の石切り場、岩塩鉱、プラチナと金の鉱床、石炭鉱山などが、大規模に開発されていた。ペルミはその地勢上に占める位置によって第一級に属する町になったのだが、そうなるまでは、汚くて泥だらけで、すこしも魅力がなく、生活物資も容易に手に入らないという町だった。ロシアからシベリアへ行く人びとにとっては、生活物資がこの町に欠けていても、べつにたいしたことではなかった。なぜならば彼らは国の内部からやってきたので、必要なものはすっかりそろっていたからである。だが、つらい長旅をして中央アジアの諸地方から来た人びとにとっては、アジアとの境にあるこのヨーロッパの最初の町が物資が豊富であることは、けっして不快なことではないだろう。
旅行者たちはこの町で、シベリアの平原の長途の旅行で多かれ少なかれ損傷した乗り物を売り払うのである。またヨーロッパからアジアに来た人たちは、数か月間大草原を旅行する前に、夏ならば車を、冬ならばそりを買うのである。
ミハイル・ストロゴフは、すでに旅行のプログラムをきめていたので、いまはただそれを実行にうつすだけだった。
ウラル山脈をかなり早く越す郵便馬車の便があったが、いまは事情がこうなので、この便は中止されていた。だがミハイル・ストロゴフは誰にもたよらずに急いで行こうと思っていたので、かりにこの便が中止されなかったとしても、これに乗ろうとはしなかったであろう。彼はむしろ一台の馬車を買い求め、チップをおおいにはずんで、この地方では〈ヤムシチック〉と呼んでいる御者の情熱をおおいにあおって、駅から駅へと、馬を替えながら突っ走ったであろう。このほうが理にかなっていたのだ。
ところが不幸なことに、アジア系の外国人に対してあのような処置が採られたので、大部分の旅行者はすでにペルミを去っていたために、したがって輸送機関は極端に不足していた。そこでミハイル・ストロゴフは、他人の残り物で満足しなければならないのである。馬に関してなら皇帝の使者である以上は、シベリアでさえなければ身分証明書を見せてもなんの危険もなく、駅の主人たちが優先的に馬をつけてくれたであろう。しかしいったんヨーロッパ・ロシアの外に出たとなると、彼はもうルーブル紙幣の力しかあてにできないのである。
では、どんな種類の馬車に馬をつけたらいいだろうか? テレガか、それともタランタスか?
テレガは、幌《ほろ》のないありきたりの四輪馬車でしかなく、材料としては木しか使ってなかった。車輪、車軸、釘、車体、棍棒すべてが、この付近の木材で間にあわされていて、各部分部分を結びつけるには粗悪な綱《はがね》が使われていた。これほど原始的で、これほど乗り心地の悪い馬車はなかったが、また途中で何か故障ができたときには、これほど修繕しやすい車もなかった。樅の木はロシアの国内にはどこにも生えていたので、なんのことはない、車軸が林のなかに自然に生えているようなものだった。このテレガを使って〈ペレクラードノイ〉という名で知られている特別の駅馬制度ができていて、これによるとどんな道にでも入っていけるのだった。だがほんとうのことを言うと、この馬車の各部分をつないである綱はときには切れることがあって、あるときなどは、後ろの部分が泥にはまってあとに残ったというのに、前の部分は二つの車輪に乗ったままで駅に到着したという――だが、こんなことは、まだいいほうだと考えられていた。
ミハイル・ストロゴフにしても、もし不幸にしてタランタスが見つからなかったとすれば、このテレガを使わなければならなかったであろう。
だからといってこのタランタスが、馬車製造業における進歩の最後の切札というわけではなかった。この馬車にもテレガと同じようにスプリングはついていなかったし、鉄の代わりにやはり木材が使われていた。だが、四つの車輪が各車輪の端で二メートル半から三メートル離れているので、かなりひどく揺れるでこぼこ道でも、どうやら平衡がとれたのである。泥よけは道路の泥土から乗客を守ってくれたし、皮製の丈夫な幌は下げることもできるし、ほとんどすっぽりかぶせることもできるので、夏の暑さや突風の不快な思いをすくなくすることができた。それにタランタスは、テレガと同じように頑丈で、また修理しやすかった。しかも、車体の後半を立往生させたままで残しておくようなことはなかった。
ともかくもミハイル・ストロゴフは、このタランタスを捜すのにずいぶん骨折った結果、やっと一台見つけた。ペルミの町中を捜しても、もう一台はとうてい見つかるまいということだった。それなのに彼は、ひどく値ぎった。これは形式的にそうしたまでであって、あくまでもイルクーツクの一商人ニコライ・コルパノフだということを見せるためだった。
ナージャは、彼の馬車捜しのお供をした。それぞれ行かなければならない目的は違っていても、二人とも早く目的地に着きたがっていたので、したがって早く出発したかった。同じ気持が、二人を元気づけたと言えよう。
「ナージャ」と、ミハイル・ストロゴフは言った。「あなたのために、もっと乗り心地のいい馬車を見つけたかったんだがな」
「まあ、そんなことをおっしゃって、お兄さん。あたしはお父さんに会うためなら、もしどうしてもそうしなければならないなら、歩いてでも行きましたわ!」
「ナージャ、わたしは、あなたの勇気を疑うわけじゃないが、けれども女にはとうてい肉体的に耐えられない疲労というものがあるんだよ」
「どんな疲労だろうと、あたしがまんしますわ」と、娘は答えた。「もし、あたしの口から歎きのつぶやきがちょっとでも出たら、あたしを道においてきぼりにして、お一人で旅を続けてくださるように!」
三〇分後には、身分証明書を見せたためもあって、三頭の駅馬が馬車につながれた。長い毛でおおわれた馬は、四つんばいになった大きな熊に似ていた。これらの馬はシベリア種なので、からだは小さかったが、癇《かん》は強かった。
つぎに御者《ヤムシチック》は三頭の馬をどういう具合に車につないだであろうか。まず、いちばん大きな馬を二本の長い梶棒のあいだにつないだ。この二本の梶棒の先端には〈ドゥガ〉と呼ばれる輪があって、それには羊毛の束や鈴がぶらさがっていた。ほかの二頭はただ綱によって御者台のステップにつながれてあった。そのほかに馬具のようなものはなく、手綱としては一本の綱しかついていなかった。
ミハイル・ストロゴフも、リヴォニアの若い娘も、荷物は持っていなかった。一人はできるだけ早い旅行をしなければならなかったし、もう一人は金がなかったので、荷物をたくさん持っていかれなかった。この場合はそのほうがよかったので、というのはこの馬車は、人を乗せれば荷物を積めなかったし、荷物を積めば人は乗せられなかったからだ。この馬車は、御者はべつとして、二人の人間を乗せるようにしかできておらず、御者はせまい御者台の上に、奇蹟的な平衡を保って乗っかっていた。
さてこの御者は、宿駅ごとに交替するのだ。最初の行程の馬車の操縦をまかされた御者は、馬と同じようにシベリア生まれで、馬と同じように毛深く、その長い髪の毛は額の上で四角に刈られ、縁のまくりあがった帽子をかぶり、赤いバンドをしめ、長い外套を着て、その袖口の折返しが皇帝の紋章をうったボタンの上のところでとめられてあった。
馬車に馬をつけてきた御者は、まず二人の旅行者にさぐるような視線を投げかけた。荷物もない!――いったいどこに隠したんだろう?――見たところ金もなさそうだ。彼ははっきりそれとわかるような、ふくれっつらをして見せた。
「こいつらは〈カラス〉だ」と、彼は聞かれることも一向に気にかけずに言った。「これじゃ、一露里に六カペイカしかくれめえ!」
「ばか言え! おれたちは〈ワシ〉だぞ!」御者たちの隠語がよくわかっているミハイル・ストロゴフは答えた。「わかったな、おれたちは〈ワシ〉なんだぞ。一露里に九カペイカだそう。それにチップをはずむぜ!」
はずんだ鞭の音が、彼に答えた。これらはロシアの御者仲間のことばで、〈カラス〉というのは一露里につき二、三カペイカしか払わない貧乏人か、けちな旅行者なのである。〈ワシ〉というのは、高い賃金に尻ごみしないで、そのうえ気前のいいチップをはずむ旅行者のことだった。それゆえ〈カラス〉は、〈ワシ〉と同じように早く飛ぶ望みは持てなかった。
ナージャとミハイル・ストロゴフとは、すぐに馬車に乗りこんだ。あまりかさばらない予備の食糧を、馬車の荷物入れのなかに積みこんだ。もし馬車がおくれたときは駅馬の宿泊所に行けばいいわけで、そこは政府の監督の下に設備がよくととのっていた。幌はおろされた。なにしろ耐えがたいほどの暑さだったからだ。そして正午に、タランタスは三頭の馬に鞭をくれて、もうもうとした砂塵《さじん》をあげながら、ペルミを立ち去った。
この馬をあやつる御者の操縦の仕方は、こういうやり方に慣れていないロシア人でもシベリア人でもない一般の旅行者にとっては、きっと驚きの目を見はらせるものがあるにちがいない。じじつ歩調を調整するために中央の梶棒につけられた他の二頭よりもすこし大きい馬は、どんな坂道にかかろうとも平然として、脚の非常によく伸びる、しかも完全に調子の整った速度で駆けていた。ところが他の二頭は、まるで疾駆することしか知らないというふうで、じつに奇妙な、おもしろい気まぐれな駆け方をしてみせた。それに御者は、馬に鞭をくれなかった。せいぜい鞭をぴしりと鳴らせて興奮させるだけだった。だが馬がおとなしく言うことをきくときには、おもしろい言葉を続けざまにだした。聖人の名前までも、あびせかけるのだ! 手綱として使われている細い綱は、馬がすこしあばれかけたときにしか、じっさいには使われなかった。だが、〈ナ・プラヴォ〉〔右へ〕、〈ナ・レーヴォ〉〔左へ〕という喉から出る叫び声が、手綱や軽勒《けいろく》以上に効果があった。
それにしても、そのときに応じて、なんというやさしい掛け声をするのだろうか!
「走れ、鳩ちゃん!」と、御者はくり返した。「さあ、走れ、かわいいつばめちゃん! さあ、飛ぶんだぞ、ちいちゃな鳩ちゃん! 頑張れ、左のいとこくん! もう一息だ、右のおっつぁん!」
だが馬の歩みがのろくなると、ののしりのことばが口をついて出るのだが、敏感な動物には、どうやらその意味がわかるようだった!
「くたばっちまえ、このかたつむりめ! このなめくじめに呪いあれ! この亀め、生きながらに皮をひんむいてやるぞ、おまえなんか地獄へ行っちまえ!」
御者の腕の力強さよりも喉の丈夫さを必要とするようなこうした手綱さばきはそれとしても、とにかく馬車は飛ぶように疾駆して、一時間で一二露里から一四露里も飛ばした。
ミハイル・ストロゴフは、こうした馬車や、旅行の仕方に慣れていた。車が飛びあがったり、大揺れしても平気だった! ロシアの馬は小石も、わだちの跡も、泥水のたまりも、倒木も、道の上にできた溝もけっして避けないことを彼は知っていた。ロシアの馬は、そんなふうに慣らされていたのである。だが彼の同伴者は、馬車が飛びあがるたびごとに、もうすこしで負傷するところだった。だが彼女は、不平がましいことは言わなかった。
こんなふうに全速力ではこばれてゆくナージャは、最初のあいだは話しかけなかった。そのうちに、早く着きたいという考えに取りつかれていた彼女は、こう言った。
「兄さん、ペルミとエカテリンブルグとのあいだは三〇〇露里と計算しましたが、間違っているでしょうか?」
「間違っていないよ、ナージャ」と、ミハイル・ストロゴフは答えた。「エカテリンブルグへ着くと、わたしたちはウラル山脈のふもとに、しかもその向こう側にいることになるのだ」
「山越えには、何時間ぐらいかかるのでしょうか?」
「四八時間かかるね、夜昼旅をつづけるわけだから。――ナージャ、夜も昼もだよ」と、彼はつづけた。「なぜならばわたしは、一瞬たりとも立ちどまることはできないんだからね。わたしは休みなしに、イルクーツクへ旅をつづけねばならないのだ」
「一時間だって旅をおくらせるようなことはしませんわ、兄さん、夜も昼も旅をしつづけましょう」
「そうだよ、ナージャ、タタール人が侵入してても、無事に通れればいいが。そうすれば二〇日たたないうちに到着できるよ!」
「兄さんは、この旅行をなさったことがあるの?」と、ナージャがたずねた。
「何度かね」
「冬だともっと早く、もっと安全に行けるのでしょうかね?」
「そう、早くは行けるね。でも、寒さと雪に苦しまなければならないがね」
「そんなこと、かまわないわ! 冬はロシアの友ですもの」
「そうだね、ナージャ。だが、そうした友情に耐えるためには、あらゆる試練に耐えるだけのからだができていなければならない! わたしはシベリアの草原地帯では、氷点下四〇度以下に気温が下がったのを見たことがよくあったよ! そんなときは、トナカイの毛皮の服〔この服はダッハとよばれ、軽くて寒さを通さない〕を着ていても、心臓が冷たくなり、手足がかじかみ、毛の靴下を三枚はいていても、足がこごえるのを感じたものだよ! そりをひく馬は氷のよろいを着たようになり、馬の吐く息は鼻先で凍ってしまった! そして、わたしの水筒のなかのブランデーは、ナイフでも傷がつかないような、かちかちの石のようになってしまったものだ! だが、わたしのそりは、疾風のように走っていった! 見わたすかぎり白く一面に広がっている平原には、もはや障害物は何一つとしてなかった! 歩いて渡れる場所を探さねばならないような川もなかった! 舟で渡らねばならないような湖もなかった! いたるところが固い氷、自由な道、安全な道なのだ! だがナージャ、どのような苦痛を味わわねばならなかっただろうか! それは、まもなくして吹雪によってその死体が隠され、ふたたび帰ってこなかった者のみが言いえるであろうよ!」
「でも兄さんは、帰ってらっしゃったわ」と、ナージャが言った。
「そう、だがわたしはシベリアの生まれだからね。まだ子供のころからお父さんの猟についていって、いろいろな辛い試練に慣れてるからね。だが、ナージャ、きみが冬でさえもきみを引きとめることはできないし、一人だけでも出かけていって、シベリアのおそろしく不順な気候とたたかうつもりだと言ったとき、わたしは雪のなかで迷って、倒れたままついに二度と立てないきみの姿が目に見えたような気がしたものだ!」
「何度ぐらい、冬のあいだに草原地帯を横断なさったことがおありになるの?」と、若いリヴォニアの娘はたずねた。
「三度あるよ、ナージャ、オムスクに行ったときにね」
「オムスクに、何をしにいらっしゃったの?」
「わたしの来るのを待っている母に会いに行ったんだよ」
「あたしは、あたしの来るのを待っている父に会いに、イルクーツクに行くんですわ! 母の最期の言葉を伝えるためにね! ですから何ものも、あたしが出発するのを引きとめることはできなかったのですわ、兄さん、おわかりでしょう!」
「きみは勇敢な娘だよ、ナージャ」と、ミハイル・ストロゴフは答えた。「神さまがきみをお導きくださることだろう!」
その日は一日じゅう、馬車は駅でつぎつぎと交替する御者によって、はなはだ迅速に飛ばされた。山に住む鷲どもは、この大道の〈ワシ〉によって、その名をけがされるようなことはなかったであろう。それぞれの馬に支払われる高い値段、気前よくはずまれるチップは、この二人の旅行者を特別扱いにさせた。おそらく宿駅長も、あの布令が出ているというのに、あきらかにロシア人である若い兄と妹が、他のロシア人には通行禁止になっているシベリアを自由に旅行できるのを不思議に思っていたにちがいないが、しかし彼らの書類は規定にかなったものなので、彼らには通行する権利があったのだ。このようにして二人の乗った馬車は、里程表をつぎつぎとあとに残して、迅速に走っていった。
しかしながら、ペルミからエカテリンブルグへ行くこの道を走っているのは、ミハイル・ストロゴフとナージャだけではなかった。最初の駅を出たときから彼は、彼らの前に一台の馬車が走っているのを知っていた。だが、馬がやとえないようなことはなかったので、それほど気にしてはいなかった。
その日、彼らが何度か停止して馬車を休ませたのは、たんに食事をするためでしかなかった。宿駅にある駅では、泊ることも食事をすることもできた。そのほか駅馬のないところでは、ロシア人の百姓の家が客をもてなしてくれた。これらはみな似たりよったりで、白壁と緑色の屋根の礼拝堂のある村々では、旅行者はどの家の入口の戸でも叩くことができた。どの家の戸も、旅行者に開かれるであろう。顔に微笑を浮かべた百姓が出てきて、客人に手を差し出すであろう。そしてパンや塩を差し出し、火の上にサモワールをのせてくれるだろう。そこでは旅行者は、自分の家にいるような気になれるだろう。旅行者に席をゆずるために、そこの家の者がすすんで家を出さえするのだ。他国者はその家に入ると、みんなの親類同様なのだ。それは〈神が送りたもうた者〉なのだ。
その日の夕方、とある宿駅に着くとミハイル・ストロゴフは、一種の本能にかられてその宿駅長に、前の馬車は何時間前に通っていったかときいた。
「二時間前だね」と、宿駅長は答えた。
「車はベルリン馬車かね?」
「いや、テレガだったよ」
「その旅行者は何人で?」
「二人づれだったよ」
「やつらは豪勢だったかね?」
「〈ワシ〉だったよ」
「大急ぎで馬をつけてくれ」
ミハイル・ストロゴフとナージャとは、一時間も休むまいと決心して、一晩じゅう馬を走らせた。
天気はひきつづいて晴れていたものの、大気が重くるしく感じられ、だんだんと電気が充電してくるような気がしてきた。雲が星の光をさえぎるようなことはなかったが、一種の温かい水蒸気が地面から立ち昇ってくるように思われた。山のほうで嵐が起こりそうな気配がした。そうなると、山は危険だった。天候の変わる徴候を見るのに慣れているミハイル・ストロゴフは、自然との闘いが近づきつつあるのを身に感じ、心配しないではいられなかった。
その夜は、何事もなくして過ぎた。馬車の動揺にもかかわらず、ナージャは何時間か眠ることができた。幌を半分あげておいたので、この息苦しい大気のなかでも、肺がしきりに求めている空気を、いくらか吸い込むことができた。
ミハイル・ストロゴフは御者について安心できず、一晩じゅうまんじりともしなかった。御者は御者台の上で、よく眠りこんでしまうのだ。宿駅の継ぎ馬では一時間も無駄にしなかったので、途中でも一時間たりと無駄にはできなかった。
翌七月二〇日、朝の八時ごろ、ウラル連峰がはじめて東の空に姿を見せはじめた。だが、ヨーロッパとシベリアとをへだてるこの大きな山脈はまだかなりの距離にあったので、夕方までにそこに到着する望みはまずなかった。したがって山越えは、その夜のうちに行なわれることになるだろう。
その日は一日じゅう、空はずっと曇っていた。それゆえ気温はどうやらしのぎやすかった。だが、いまにも暴風になりそうだった。
こうした空模様のときには、なんとかして夜中に山に入らないことが、おそらく慎重なやり方だったにちがいない。ミハイル・ストロゴフにしたって、もし待つことが許されたら、そうしたであろうが、だが最後の宿駅で、御者が山の奥のほうで雷鳴がとどろいたことを注意したとき、彼はただこう言っただけだった。
「テレガは、あいかわらず前を走っているかね?」
「ええ」
「どのくらいわれわれより先に行ってるかね」
「一時間ぐらいかな」
「出発だ。あすの朝エカテリンブルグに着けたら、チップを三倍はずむぜ」
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十 ウラル山中の暴風
ウラル山脈はヨーロッパとアジアのあいだに、約三千露里(三二〇〇キロメートル)にわたってのびていた。それらはタタール語を語源とすればウラルであり、ロシア語の呼称ではポヤスだが、いずれの名称も適切であった。この二つの名前はそれぞれ〈帯〉という意味だったからである。北極海の沿岸から始まるこの山脈は、カスピ海の海岸で終わっている。
ミハイル・ストロゴフがロシアからシベリアに入るために越さねばならないのはこの国境だったが、前にも言ったように、彼がペルミからウラル山脈の東側の傾斜にあるエカテリンブルグへの道をとったのは、賢明な策であった。この道はもっともらくな、もっとも確実な道であって、中央アジアのあらゆる商品を運送するのに役立っていた。
この山脈を越すことは、もし不慮の出来事さえ偶発しなければ、じゅうぶん可能なことであった。ところが不幸にして、雷鳴が鳴りだして、嵐が来ることを知らされた。このあたりの大気の特別の状態からみて、嵐は恐るべきものになりそうだった。大気中の電圧は緊張しきって、烈しい雷鳴が起きなければ、おさまりそうもなかった。
ミハイル・ストロゴフは、同伴の若い娘ができるだけらくに坐っていられるように配慮した。突風にあえばすぐに吹き飛ばされそうな幌は、しっかりと綱でとめられ、綱は幌の後ろと上で十文字に結ばれた。馬具の引き綱は二重にされ、さらに用心して車の轂《こしき》のつぎ輪には藁がつめられた。こうすれば車輪が丈夫になって、暗い夜道には避けられない衝撃をやわらげることができるのだ。最後に、それぞれの車軸は車体に簡単に釘で打ちつけられてあるにすぎなかったが、車の前半部と後半部は、ボルトとねじでしっかりとめられた横木で、互いにつながれてあった。この横木は白鳥の首のような車体の上にぶらさがったベルリン馬車の、二つの車軸をしっかり結びつける曲がった棒の役目をしていた。
ナージャは車の奥に席をとり、ミハイル・ストロゴフはそのそばに腰をおろした。すっかり下までさげられた幌の前面には、二枚の皮革のカーテンがたれていた。これらは雨と突風とから、乗客をいくらか守ってくれた。
二つの大きな角灯が御者席の左側につけられてあって、道を照らすにはあまり役立たない青白い光を斜めに投げかけていた。だが、これは馬車の在り場所を指示する灯火であって、たとえそれは闇を散らすことはできなくても、少なくとも向こう側から走ってくる他の馬車との接触は避けることができた。
このようにして準備万端ととのえられた。このような危険な夜を前にしては、そうするにこしたことはなかった。
「ナージャ、用意ができたよ」と、ミハイル・ストロゴフが言った。
「では、出かけましょう」と、若い娘は言った。
命令が御者に伝えられた。すると馬車はひと揺れして、ウラル山脈の最初の傾斜をのぼりはじめた。
午後八時だった。太陽は沈もうとしていた。このあたりの緯度なら夕暮はいつまでも長くつづくというのに、水蒸気をふくんだ大きな雲が、空の天蓋を低めたように見えた。だが、それらの雲を動かす風は、まだ出ていなかった。しかしながらこのように、一方の地平線からもう一方の地平線にかけて、雲はじっと動かずにいたが、天頂から下のほうにかけてはそうではなくて、雲と地上との距離は目にみえて縮まってきた。これらの雲のあるものは一種の燐光を放っていて、六〇度から八〇度の弧の両端をつなぐ弦《げん》のような形を描いていた。雲の帯はしだいに地上に近づいてきて、そのレースのような網目はまもなくして、まるで上空にあるような暴風が雲を上から下へ吹きつけるかのように山をしめつけるようにして閉じこめようとした。ところが道は、非常に密度の濃い、厚い雲の塊のほうへのぼっていった。そして、ほとんどその凝縮の頂点に達したようだった。もうじき道と雲とはいっしょにまじり合ってしまい、いますぐにも雲が雨となって分解しないかぎりは霧はますます濃くなって、馬車はもはや断崖から落ちこむ危険をおかすことなしには前進できなくなるにちがいないだろう。
ところがウラル山脈は、それほど高くはなかったのだ。いちばん高い山でも一六二五メートルを出なかった。永遠に消えない雪はここにはなく、シベリアの雲がこの連峰の頂に積もらせる雪も、夏の太陽に出会うとすっかり溶けてしまうのだった。植物や樹木が、どんな高いところにもはえていた。ここでは鉄や銅山の開拓や、宝石の鉱脈の採掘のために、多くの労働者が必要だった。そこで〈ザヴォディ〉と呼ばれている部落に、よく出会った。そして長い山間の狭い道をひろげてつくった道を、駅馬車が自由に通ることができた。
だが、いい天気のときにはらくにできることも、天候がひどく荒れて、それと闘わねばならないときには、困難と危険がともなうのは理の当然であろう。
ミハイル・ストロゴフはすでに経験があるので、山中の暴風がどういうものであるか、よく知っていた。こうした大気現象は、冬に荒れ狂う烈風と同じくらいに恐ろしいものだと思っていたが、そうした考えは、じじつもっともなことだった。
出発したときは、雨はまだ降っていなかった。ミハイル・ストロゴフは馬車の内部を守る革のカーテンをあげていた。そして前方を見ながら、角灯の揺れるあかりで、奇妙な影絵の踊る道の両側を見つめていた。
ナージャは腕を組んで、じっとしたままでやはり前方を見ていたが、からだをかがめてのぞきこむようなことはしなかった。それに反して連れのほうは、なかばからだを外に乗り出して、空と大地を同時にながめていた。
大気は完全に静まり返っていたが、その静けさは不気味だった。空気の分子はまだ一つも動いていなかった。なかば窒息させられた自然はもはや呼吸ができず、その肺、つまりこれらのどんよりした薄気味の悪い雲は何かの原因で萎縮させられて、もはや動くことができなかった。道の砂利をくだく馬車の車輪のきしり、轂《こしき》や車体の板のきしみ、呼吸をしないで荒あらしく息を吸ってばかりいる馬、小石を蹴って火花を散らす蹄鉄の音、そういったものがなかったなら、絶対の沈黙と言えたであろう。
それに、道にはまったく人気《ひとけ》がなかった。このように危険をはらんだ夜のウラル山中の狭い道では、歩いている人もなければ、騎馬の人もなく、また一台の馬車も通らなかった。森のなかには炭焼きの火もなく、採石場には人夫のキャンプもなく、輪伐樹林の下に隠れた小屋一つさえなかった。こうした状態のもとでウラル山脈を横ぎることは、躊躇も遅延も許されない理由がなければならなかった。ミハイル・ストロゴフは、躊躇したことはなかった。彼にとっては、それは許されないことだった。――だがそのとき、テレガに乗ってその馬車を走らせている旅行者はいったい誰なのだろう、どんな重大な理由があってそのような無謀なことをあえてしているのだろうかという疑問が、妙に気になってきた。
ミハイル・ストロゴフはこのようにして、しばらくあたりを観察した。十一時ごろになって稲妻が空を明るくしだしたが、その後稲妻がとぎれるようなことはなかった。その素早い光の明滅で、道のあちこちにかたまっている大きな松の黒い影が見えたり隠れたりした。それから馬車が道のはしにすれすれに寄ったときに、とつぜん燃えたった雲の下に、大きな深淵が照らし出された。ときどき車輪の音が大きくなるので、樫や樅の製材していない丸太そのものが、地面の割れ目の上にかけられてあることがわかった。そして雷は、ずっと下のほうで鳴っているようだった。まもなく空間は、空の高みにのぼっていくにつれて鈍くなっていくその単調な響きによってみたされた。こうしてさまざまな物音にまじって、かわいそうな馬の機嫌をとったり怒鳴りつけたりする御者の叫び声が聞こえた。馬は道のけわしさというよりも、空気の重苦しさで疲れていた。もはや梶棒の鈴の音にも元気づけられず、ときどき脚をがくりとさせていた。
「乗越《のっこし》の上には何時に着けるかな?」と、ミハイル・ストロゴフが御者にたずねた。
「朝の一時かね、もっとも着けたらばの話だが」と、御者は頭を振りながら答えた。
「ところでおまえは、はじめて山で嵐に会うってわけでもないだろうが?」
「そうだとも。なにもこれが最後だってこともないだろうからね!」
「こわいかい?」
「こわかないよ、だがくり返して言うようだが、あんたが出発したのは間違ってたな」
「出発していなかったら、もっとどえらい間違いをすることだったろう」
「では行くとするか、なあ鳩ちゃん!」御者は議論するためにやとわれているのではなく、命令どおりにするためにやとわれているのだから、それに応じた。
このとき遠くで、ざあっという音が聞こえた。それはいままで静まり返っていた大気を横ぎる耳をつんざくような鋭い音が数かぎりなく集まったような響きだった。ミハイル・ストロゴフは、すぐそのあとで恐ろしい雷鳴をともなうまばゆい稲妻の光で、山頂の大きな松の木が大きく揺れているのを見た。風が荒れ狂ってきた。だがそれはまだ大気の上層しか乱してはいなかった。何本かの老木か、また根のしっかり張っていない木が最初の突風の攻撃に耐えられずして、乾いた音をたてた。折れた幹のなだれが、岩の上でもんどり打ってはねあがってから、馬車の前方二〇〇歩ばかりの先の道を横ぎって、左側の谷底に落ちていった。
馬がとつぜん立ち止まった。
「さあ、行くんだ、かわいい鳩ちゃん!」と呼んで、御者は雷鳴のなかで鞭をならした。
ミハイル・ストロゴフは、ナージャの手をつかんだ。
「眠ってるのかい?」と彼はきいた。
「いいえ、兄さん」
「用意はいいね、嵐だよ!」
「いいですわ」
ミハイル・ストロゴフは、馬車の革のカーテンを閉める余裕しかなかった。
突風が、いきなり襲ってきた。
御者は御者台から飛び降りて、馬の前に立ちはだかり馬を取りおさえようとした。いよいよ大きな危険が迫ってきたからだった。
ちょうど馬車は、突風が吹きつけてくる道の曲がり角に、立ち止まっていた。そこで風に真正面から立ち向かわねばならなかった。そうしないと風を横から受けることになり、馬車はかならず転覆して、道の左側の深い谷底に落ちたであろう。馬は突風に押しもどされて、後足で立ち上がった。そして御者は、どうしてもそれをしずめることができなかった。はじめはやさしい言葉をかけていたが、その後は口ぎたないののしりが口をついて出た。どんなことをしてみても、だめだった。かわいそうに馬は稲妻で目がくらみ、大砲の音響のような絶えまない雷鳴におびえて、いまにも綱を切って逃げだしそうだった。御者はもう抑えることもできなかった。
そのときミハイル・ストロゴフはひと飛びで馬車から飛び降りて、助けにきた。人並以上の怪力の持ち主である彼は、どうやら馬をしずめることができた。
だが嵐は勢いを倍加して荒れ狂った。道はちょうどこの場所で漏斗《じょうご》形にひろがっていたので、突風はちょうど船の通風筒に吹きこむときのように、ここに吹きこんできた。同時に石や樹木の幹がなだれとなって、斜面の上から落ちはじめた。
「ここには、もういられんぞ!」と、ミハイル・ストロゴフが言った。
「やっぱり、ここにはいられない!」御者は力のかぎりこの恐ろしい暴風に抵抗しながらも、すっかりおじけづいて叫んだ。「いまに風にふっ飛ばされて、山の下に落っこちるでしょう、いちばん近道を通ってな」
「右の馬をつかまえろ、腰抜けめ!」と、ミハイル・ストロゴフはそれに答えて言った。「おれは左のやつを引きうける!」
新しい突風が吹きつけて、彼の言葉をさえぎった。御者と彼は吹きとばされないように、地面に身をかがまねばならなかった。だが馬車は彼らの努力と、彼らが風に向かって立ち向かわせている馬の抵抗にもかかわらず、だいぶあともどりした。ちょうどそこに大樹の幹があってそれが馬車を引きとめなかったら、道から下に転落したであろう。
「こわがるんじゃないよ、ナージャ!」ミハイル・ストロゴフが呼びかけた。
「こわくはありませんわ」と、若いリヴォニアの娘は答えた。その声には、おびえている様子はすこしもなかった。
雷鳴がちょっとのあいだ止んだ。恐ろしい突風も道の曲がり角を吹きすぎて、隘路の奥のほうに消え去った。
「山を下るかね?」と、御者がたずねた。
「いや、のぼらなくてはだめだ! この曲がり角を通り過ぎなくちゃいかん! もっと上へ行けば、斜面に避難場があるはずだ!」
「でも、馬が承知しませんよ」
「おれのするようにしたらいい、前へ引っぱるんだ!」
「また突風がやってきますぜ!」
「おれの言うとおりやらんか!」
「いくらあんたがそう言ってもなあ!」
「父なる方が、そうするようにと命令なさるのだ!」と、ミハイル・ストロゴフは、このときはじめて皇帝の名に加護を求めたのだった。この名前はいまや、世界の三大州に力をおよぼしていたのである。
「では行こうぜ、つばめちゃん!」と、御者は右の馬の手綱をつかんで叫んだ。ミハイル・ストロゴフは、左の馬をつかまえていた。
こうしてつながれた馬は、やっと歩きだした。両側の馬はもう脇のほうへ行くことはないし、梶棒につながれた馬は両方から引っぱられるようなこともなくなったので、道のまんなかを歩くことができた。だが立ったまま突風に立ち向かう人と動物とは、三歩進んでは一歩、ときには二歩さがった。彼らはすべって倒れ、そして立ち上がった。こんなふうに馬車の運行は、はかばかしくいかなかった。幌にしても、もししっかりゆわえてなかったならば、最初の突風ではがされてしまったであろう。
ミハイル・ストロゴフと御者とは、せいぜい半露里ぐらいの道のりを、突風の平手打ちをまともに受けて二時間以上もかかってのぼった。いまさしあたっての危険は、ただ馬と二人の馬を御する男に襲いかかっている恐ろしい暴風だけではなくて、山の上から彼らの上に落ちかかってくる石塊や折れた木の幹だった。
とつぜん稲妻の閃きのなかに大きな石塊が見えたかと思うと、それは速度を加えながら馬車の行く手めがけて落ちてきた。
御者は、あっと叫んだ。
ミハイル・ストロゴフは鞭をふるって、馬を進ませようとしたが、馬がいうことをきかなかった。
もし数歩でも先へ行っていたら、石塊は馬車の後ろを通り過ぎたであろうが!
馬車が横だおしになり、連れの娘がその下敷きになったのを、ミハイル・ストロゴフはあっというまに同時に見てとった! 彼は娘をそのまま馬車の下から引き出す余裕のないことが、すぐにわかった!
すると彼は、いきなり馬車の後ろに飛びかかると、このような大きな危険に際してまさに超人的な力をふるいおこし、車軸を背にして足をぐっと踏んばり、重たい車体を数歩押しやったのだった。
そのとき大きな石がころげ落ちてきて彼の胸をかすめて飛んだ。彼は砲弾が胸先をかすめたかのように、はっと息を呑んだ。石は道ばたの火打ち石を打ちくだいて、その衝撃で火花が飛び散った。
「兄さん」と、稲妻の光でこの光景を目《ま》のあたりに見たナージャは、恐怖にかられて叫んだ。
「ナージャ!」と、ミハイル・ストロゴフは答えた。「ナージャ、なにもこわがることはないよ!」
「あたしは、自分のことをこわがってるのではありませんわ!」
「神さまがわたしたちにはついてるんだよ!」
「ほんとにそうだわ、兄さん、だって神さまは、兄さんをあたしの道づれにしてくださったんですもの!」と、彼女はつぶやいた。
ミハイル・ストロゴフが力いっぱい馬車を押しただけのことはあった。それで力づけられておびえた馬が、最初のときと同じ方向をふたたびとりはじめたからである。このようにして、いわばミハイル・ストロゴフと御者にひっぱられて、馬はふたたび道をのぼり、狭い峠に着いた。峠は南から北へと通じていたので、彼らは暴風の直撃を避けることができたのである。右側の斜面は、風がうずをまいている大きな岩の突起のおかげで、そこに一種の突角堡をつくっていた。それゆえ、そこでは風がうずをまいてはいなかったので、その場所は安全だった。この旋風にまきこまれたら、人も馬もとうてい耐えられないであろう。
じじつ、岩の上から顔を出している幾本かの樅の木の上の部分は、あっというまにもぎとられて、まるで大きな鎌で平らにされた土手のようになってしまった。
いまが嵐の荒れ狂っている真っ最中だった。稲妻が隘路を走りまわり、雷鳴がひきつづいて鳴りひびいていた。大地はこの怒り狂った攻撃にふるえあがり、あたかもウラル山脈全体が地揺れしているように思われた。
たいへん運がよくて、馬車は突風が斜めから吹きつけない深い窪地のなかに、いわば車庫に入れられたようにはまりこんでいた。だが完全にかこわれているわけではないので、傾斜の突起によって屈折した斜めの逆風が、ときどき烈しく吹きつけた。すると馬車は、こなごなにこわれやしないかと思われるほど岩壁にぶつかった。
ナージャは、彼女が占めている馬車の席を離れねばならなかった。ミハイル・ストロゴフは角灯の光で捜した結果、どこかの鉱夫がつるはしで掘ったにちがいない一つの穴を見つけた。そこで若い娘は、ふたたび旅がつづけられるまで、そこで待つことができた。
そのとき――それは午前一時であったが、雨が降りはじめた。まもなくして雨と風をともなった疾風が、しかもあいかわらず稲妻を走らせて吹きつけてきた。このように悪いことが重なっては、出発することはまったく不可能だった。
そこでミハイル・ストロゴフの焦燥感がどのようなものであろうとも――それがどんなに大きいものであるかは、読者はよくおわかりのことと思うが――彼はこの嵐の最高潮が過ぎるのを待たねばならなかった。ペルミからエカテリンブルグへ通ずる道の峠にまで来たのだから、あとはウラル山脈の傾斜面を降りさえすればよかったのだ。だがこうした条件のもとにあって、奔流のような山くずれによって地面がうがたれた道を、この暴風雨をついて下るということは、完全に生命を危険にさらすことであり、すすんで谷底に突入することであった。
「待つということは、たいへんなことだな」と、そのときミハイル・ストロゴフが言った。「でもこれは、きっともっと長い遅延を避けることになるのだ。嵐が烈しいのは、つまりそれがそう長くはつづかないという希望をもたせる。三時ごろには、日も出はじめるだろう。太陽が出れば、暗闇のなかでは敢行できない下山も、まあ容易ではないにしても、できなくはないだろう」
「待ちましょう、兄さん」と、ナージャはそれに応じた。「でも兄さんが出発をおのばしになったのは、あたしを疲れさせまい、危険な目にあわせまいとお考えになったからではないでしょうね!」
「ナージャ、わたしはあなたがどんな危険でもおかす気持なのを、よく知ってるよ。でも、わたしたちが自分の身を危険にさらすことは、わたしやきみの生命以上のものを危険におとしいれることになるのだ。わたしは、なんとしても成しとげなければならない任務を遂行しないことになり、義務にそむくことになるんだよ!」
「義務ですって!」と、ナージャはつぶやいた。
そのとき、烈しい稲妻が空を引き裂き、それはなにか、雨を蒸発させたように思えた。すぐそのあとで、乾いた音響がひびきわたった。空気が毒ガスといってもいいようなきな臭いにおいに満たされ、馬車から二〇歩ほど離れた松の木立に落雷して、それがまるで巨大な松明《たいまつ》のように燃えていた。
御者は一種の反動的な衝撃を受けて地面に投げ出されたが、さいわい怪我もなく立ち上がった。
やがて最後の雷鳴が山の奥のほうに消え去ったとき、ミハイル・ストロゴフは、ナージャの手が彼の手を強く握っているのを感じた。彼は彼女の声が耳元でこうささやいているのを聞いた。
「兄さん、叫び声がしますわ! ほら、よくお聞きになって!」
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十一 遭難した旅行者たち
じじつ、この暴風の小止みのあいだに、道の上のほうから叫び声が聞こえた。馬車を避難させた窪地から、かなり近い距離からだった。
それは、たしかに遭難した旅行者らしいものの助けを求める絶望的な声だった。
ミハイル・ストロゴフは、耳をすまして聞いた。
御者も聞き耳を立てたが、この叫び声にはとても応じられないといったふうに、頭を振った。
「旅行者たちが助けを求めているんですわね!」と、ナージャが叫んだ。
「わたしたちを、あてにしてるんじゃないでしょうかね?……」と、御者も言った。
「そうしちゃいけないってこともあるまい」と、ミハイル・ストロゴフは言った。「わたしたちだって同じような目にあったら、彼らをあてにしないってことは、きっとないだろうよ」
「でも、そんなことをすりゃ、あなたさまは馬車と馬を危険な目にあわすことになりますぜ!」
するとミハイル・ストロゴフは御者の言葉をさえぎって、「わたしは歩いて行こう」と答えた。
「あたしも、ごいっしょに行きますわ、兄さん」と、若いリヴォニアの娘も言った。
「いや、残っていておくれ、ナージャ。御者のそばにいておくれ。御者を一人にしておきたくないんでね……」
「では、残りますわ」と、ナージャは答えた。
「どんなことがあっても、この避難場所から離れてはいけないよ!」
「ちゃんと、ここにいますわ」
彼は連れの女の手を握りしめた。それから斜面の曲がり角をぐるりとまわって、闇のなかに姿を消した。
「あなたの兄さんは、余計なことをしたもんだ」と、御者は彼女に言った。
「兄さんは正しいわ」と、ナージャは簡単に答えた。
そのあいだにミハイル・ストロゴフは、急いで道をのぼっていった。彼は遭難の叫び声を上げた人たちをはやく救ってやりたい気持と同時に、この嵐をものともしないで山中に入っていったこれらの人たちはいったいどんな人間であるかを突きとめたかったのだ。なぜならばこの人たちはテレガでずっと彼の前を走っていた連中にちがいなかったからだ。
雨は止んでいたが、突風はさらに烈しさをましていた。風ではこばれてくる突風は、しだいにはっきりしてきた。ナージャを残してきた場所は、もう見えなかった。道は曲がりくねっていて、稲妻の光は、曲がりくねった道をたち切っている斜面の突起しか見せなかった。このようにいくつかの突起の角で、いきなり進路を阻まれた突風はつむじ風になって、そこを越えることはむずかしかった。ミハイル・ストロゴフは、そこを通り抜けるには並なみならぬ力を必要とした。
だが、叫び声を上げている旅行者たちとは、もうそんなに離れていないことがわかった。彼らは道の脇に投げ出されているのか、または暗闇のために見えないのか、ミハイル・ストロゴフはまだ彼らの姿を見ることはできなかったが、その言葉だけは、かなりはっきり聞こえてきた。
ところで彼が耳にしたことはつぎのようなことだが――これにはいささか驚かされた。
「おい、とんまの兄さん! きみは引き返す気かい?」
「なにをっ! つぎの宿駅に着いたら、笞《むち》うちしてくれるわ!」
「いいかい、御者の悪党め! 奴は、行っちまったんだぜ!」
「ああ、こんな山のなかに連れてこられるなんて!……」
「それに、あのテレガっていう馬車!」
「畜生め! あいつはあいかわらず突っ走っているんだ。そしておれたちを途中でおいてきぼりにしたことに気がつかないんだ!」
「おれをこんな目にあわすなんて! 信任のあついイギリス人をな! 大使館に訴えて、あいつを絞首刑にしてやる!」
このように話している男は、たしかにたいへんな怒りようだった。ところがどうやらもう一人の話し相手のほうは、何事もなかったかのように思っているらしくミハイル・ストロゴフには見えた。というのは、こんな場合なのに、思いがけず笑いが爆発して、そのあとでつぎのような言葉がつづいたからだった。
「まあまあ、あまり言うな! ほんとうのところ、じつに滑稽きわまる話じゃないかね!」
「よく笑っていられるな!」この連合王国の市民は、あきらかに不快な口調で答えた。
「そうとも、わが親愛なる同僚よ、ほんとうに、よくやったと思うな。そう思うほうが、最善の方策さ! きみもそうするようにとすすめるよ! ほんとうの話が、じつに滑稽じゃないか、こんな目には、二度とあえないぜ!」
このとき烈しい雷鳴が、ものすごい音響で隘路を満たし、山のこだまがその音響をさらに幾層倍にもした。そして最後の雷鳴が消え去ると、陽気な声がまたもやひびきわたった。
「そうさ、まったくありえない滑稽なことさ! もちろんフランスでは見られっこない!」
「イギリスでだって、見られやしないさ!」と、イギリス人は答えた。
このとき、稲妻で明るく照らしだされた道の上に、ミハイル・ストロゴフは二〇歩ばかり離れたところに、二人の旅行者の姿を認めた。彼らは馬車の轍《わだち》に深くはまりこんだらしい途轍《とてつ》もない乗り物の後部の席に、ならんで腰かけていた。
彼は、一方はあいかわらず笑いつづけていたし、もう一人はぶつぶつぼやいている二人の旅行者に近づいた。見るとそれはコーカサス号に乗って、彼といっしょにニジニー・ノヴゴロドからペルミまで同行したあの二人の新聞記者だった。
「やあこんにちは、きみだったのか!」と、フランス人は叫んだ。「こんなときにお目にかかれて、たいへんうれしく存じます! さあ、ぼくの親愛なる商売がたきであるブラント氏をご紹介します」
イギリス人の報道記者はあいさつした。こんどは彼が、おそらく礼儀作法にしたがって、記者仲間のアルシード・ジョリヴェを紹介しようと思ったらしい。しかしミハイル・ストロゴフは彼に言った。
「それにはおよびませんよ、わたしたちはもう知り合いですから。いっしょにヴォルガ川を旅行したんですからな」
「ああ、そうでしたな! なるほど! で、あなたのお名前は?」
「イルクーツクの商人、ニコライ・コルパノフです」と、ミハイル・ストロゴフは答えた。「ところで、お一人にとっては歎かわしい事件で、もう一人の方にはたいへん愉快そうな事件がおありのようですが、いったいどういうことが起きたのですか?」
「では、あなたに判決をつけてもらいましょう、コルパノフさん」と、アルシード・ジョリヴェが言った。「まあ、こういうわけなんで、ぼくたちの馬車の御者が、馬車の前半部といっしょに先に行ってしまったんです。後半部に乗っていたぼくたちをあとに残したままでね! テレガの使いようのない後半部と、御者も馬もないのではね! これこそまったく、大笑いですよ!」
「滑稽どころのさわぎじゃないよ!」と、イギリス人は言った。
「いや、滑稽だとも! きみは物事をいい面から見ることをほんとうに知らないんだからな!」
「だが言うがね、どうやってこれから先、ぼくたちは旅行がつづけられるかね?」と、ハリー・ブラントがたずねた。
「しごく簡単さ」と、アルシード・ジョリヴェは言ってのけた。「きみが馬車の残りにつながれる。そしてぼくが手綱をとるんだ。ぼくはきみのことを、ほんものの御者がやるように、かわいい鳩ちゃんと呼ぶんだ。そうするときみが、ほんものの駅馬のように走りだすっていうわけさ!」
イギリス人はどなった。「ジョリヴェ君、ちと冗談も度がすぎるぞ、それに……」
「まあ、まあ、静かにしたまえよ。きみが疲れたら、ぼくが代わればいいじゃないか。もしぼくが全速力できみをはこばなかったら、ぼくのことを息切れのしているかたつむりでも、目をまわしてる亀でもなんとでも呼んだらいいじゃないかね!」
アルシード・ジョリヴェがユーモアたっぷりにこんなことを言うので、ミハイル・ストロゴフも思わず笑わずにはいられなかった。そこで彼はこう言った。
「みなさん、もっといいことがありますよ。わたしたちは、ウラル山脈のもっとも高い峠に来ているんです。ですから、あとは山の傾斜を降りるだけなんです。わたしの馬車が、ここから五〇〇歩ばかり後方にいます。わたしの馬を一頭お貸ししますから、あなた方の馬車の車体につなぎなさい。そうすれば明日には、とくに事故さえなければ、わたしたちはごいっしょにエカテリンブルグに着くことができるでしょう」
「コルパノフさん」と、アルシード・ジョリヴェが言った。「じつに寛大きわまるご提案ですな!」
「申しそえておきますが」と、ミハイル・ストロゴフは言った。「わたしの馬車に乗るようにと申し上げられないのは、座席が二つしかないからでして、妹とわたしとが乗ってるものですから」
「へえ、そうですか」と、アルシード・ジョリヴェは答えた。「では、ぼくの同僚とぼくとは、あなたの馬と半分残ったテレガの後ろの部分とで、世界の果てまで行くのですかな!」
「ありがとう」と、ハリー・ブラントは言った。「あなたのご親切なお申し出をよろこんでお受けします。ところで、あの御者めは、いったいどうなったのでしょうかね!……」
「あいつにとっては、こんなことは、はじめてじゃありませんよ!」と、ミハイル・ストロゴフは答えた。
「でも、どうしてもどって来ないのでしょうね? ぼくたちをあとに残したことを知ってるくせに」
「あいつがですか! いや、ぜんぜん知っちゃいませんよ!」
「なんですって! テレガがまっぷたつに割れちまったことを知らないんですか?」
「知らないんですよ。あのまま馬車の前半分を、エカテリンブルグまで連れていったのでしょうね!」
「だからぼくは、こんな滑稽な話はないって言ったじゃないか!」と、アルシード・ジョリヴェは叫んだ。
「では、みなさん、わたしについてきてください」と、ミハイル・ストロゴフは言った。「わたしの馬車のところまで行きましょう、そして……」
「だが、このテレガの半分は?」と、イギリス人が注意した。
「だいじょうぶ、飛んでいきっこないから、ブラント君!」と、アルシード・ジョリヴェが言った。「土のなかにすっかり根をおろしているから、このままにしておけば、来年の春には、葉っぱが出てくるだろうよ!」
「さあ、いらっしゃい、みなさん」と、ミハイル・ストロゴフはうながした。「ここに、わたしたちの馬車を持ってきましょう」
フランス人とイギリス人とは、いまは前の席となってしまった後ろの席から飛び降りて、ミハイル・ストロゴフのあとに従った。
歩きながらもアルシード・ジョリヴェは、いつものとおり、性格上どうにもならない陽気さをもって、しゃべりまくっていた。
「ほんとうにコルパノフさん」と、彼はミハイル・ストロゴフに言った。「どうにもならない窮地からお救いくださって!」
「わたしはただ、誰でもがしたにちがいないことをしたまでですよ」と、ミハイル・ストロゴフは答えた。「もし旅行者がお互いに助け合わないようになったならば、道路をふさいでしまうよりしかたないでしょうな!」
「いつかご恩返しをしますよ。もしあなたが草原地帯をいらっしゃるんでしたら、ぼくたちはまたお目にかかることもあるでしょうから、そのときには……」
アルシード・ジョリヴェは、ミハイル・ストロゴフの行先をはっきりとはきこうとしなかったが、ストロゴフはそれを隠すような様子もしたくなかったので、すぐに答えた。
「わたしは、オムスクにまで行くのです」
「ブラント君とぼくとは」と、アルシード・ジョリヴェはまた言った。「まあ、行き当たりばったりというわけなんで、たぶん弾丸は飛んでくるだろうが、その代わりニュースはかならずあるというところへ行くんです」
「侵入されている地方へですか?」と、ミハイル・ストロゴフは、いくぶん性急にたずねた。
「まさしくそのとおりで、コルパノフさん。でも、そんなところでは、お会いすることもないでしょうな!」
「そりゃそうですよ」と、ミハイル・ストロゴフは答えた。「わたしはどうも鉄砲や槍は苦手でしてね。生まれつき平和が好きですから、殺し合いをしているところへ入っていくなんてまっぴらごめんです」
「残念ですな、ほんとうに残念ですよ、すぐにお別れしなくちゃならないなんて! でもエカテリンブルグを去っても、ぼくたちはよい星のめぐり合わせをもっているから、たとえ数日間でもごいっしょに旅行するようになるかもしれませんね」
「あなたたちは、オムスクのほうへいらっしゃるのですか?」ちょっと考えたあとで、ミハイル・ストロゴフはたずねた。
「まだぜんぜんわからないんです」と、アルシード・ジョリヴェは答えた。「でも、イシムまでまっすぐ行くことは、はっきりしているんです。そこまで行ったら、あとは成り行きしだいですな」
「では、イシムまでごいっしょにまいりましょう」と、ミハイル・ストロゴフは言った。
彼としてはもちろん一人で行きたかったのだが、自分と同じ道を行く二人の旅行者から離れようとすることは、少なくとも変に思われてもしかたがないだろう。それにアルシード・ジョリヴェとその仲間とは、イシムに滞在してすぐにはオムスクへ行く気持はないのだから、そのあいだの旅行をいっしょにしたとて、べつに差しつかえはなかった。
「さあ、これでよしと」と、彼はつづけた。「ごいっしょに旅行ができて。ところで」と、さりげないようすで彼はきいた。
「タタール人はどこまで侵入したか、いくらかはっきりしたことをご存じですか?」
「じつはね、われわれはペルミで聞いたことしか知らないんですよ」と、アルシード・ジョリヴェは答えた。「フェオファル汗の率いるタタール軍がセミパラチンスクの全州に侵入して、この数日間、強行軍でイルトイシ川沿いに下っているとのことです。ですから、もし彼らより先にオムスクに入ろうとなさるんでしたら、急がなくちゃなりませんね」
「ほんとうにそうですね」と、ミハイル・ストロゴフは答えた。
「それに、こんなことも言われていますよ、オガリョフ大佐は変装して国境を越えるのに成功した。そしてまもなく反乱の起きている地方の中央で、タタール軍の首領に会うだろうと」
「でも、どうしてそんなことがわかったんでしょうね」とミハイル・ストロゴフは、多かれ少なかれ真実を伝えているこれらのニュースに強く心ひかれてたずねた。
「なあに! こんなこと、べつに変わったことでもありませんよ」と、アルシード・ジョリヴェは答えた。「こういったニュースは、空気のなかから嗅ぎとるものなんですよ」
「で、あなたは、オガリョフ大佐がシベリアにいると考えられるはっきりした理由をおもちですか?」
「大佐はカザンからエカテリンブルグへ通じる道をとったにちがいないという話も聞きましたよ」
「へえ! ジョリヴェ君、きみは、そんなことを知ってたのかい?」そのとき、ハリー・ブラントは、フランスの通信記者の観察によって沈黙から引きだされたといったふうに、こう言った。
「知ってたとも」と、アルシード・ジョリヴェはそれに応じた。
「では彼が、ジプシーに変装していたことも知ってたかね?」と、ハリー・ブラントがたずねた。
「ジプシーにだって!」思わず、ミハイル・ストロゴフは叫んだ。彼は、ニジニー・ノヴゴロドでジプシーの老人を見たこと、彼がコーカサス号に乗りこんだこと、そしてカザンで下船したことを思い出したのである。
「もちろん知っていたから〈従妹〉宛の手紙に書いてやったよ」アルシード・ジョリヴェは微笑しながら答えた。
「では、きみはカザンで時間を無駄にしなかったわけだね!」と、イギリス人は冷ややかな口調で、こう言った。
「とんでもない、ぼくはコーカサス号が航海に必要なものを積みこんでいるあいだに、ただその真似をしていたにすぎんよ!」
ミハイル・ストロゴフはもはや、ハリー・ブラントとアルシード・ジョリヴェのあいだで交わされるおしゃべりなど聞いてはいなかった。彼はあのジプシーの一行、顔は見ることができなかったがあのジプシーの老人、そのそばにいて、妙な目つきで彼を見ていたあの気味の悪い女のことを考えていた。そして、あのとき出会ったときのこまごましたことを改めて思い出そうとしていたとき、すぐ近くで銃声を聞いたのだった。
「さあ! みなさん、行ってみましょう!」と、ミハイル・ストロゴフは叫んだ。
「おや! 銃声を聞いたら逃げだすと言っていた商人が、銃声のしたほうへ大急ぎで駆けていったぞ!」
そうつぶやいてアルシード・ジョリヴェは、ハリー・ブラントをあとに従えて、ミハイル・ストロゴフを追いかけた。イギリス人にしても、この場に残っているような男ではなかった。
すぐに三人は、馬車を隠してある道の曲がり角にある岩の突起の前に出た。
雷で焼けた松の木立は、まだ燃えていた。道には、誰もいなかった。だがミハイル・ストロゴフが考え違いをするはずはなかった。たしかに鉄砲の音を聞いたのだった。
とつぜん恐ろしい唸り声が聞こえて、つづいて二度目の銃声が斜面の向こう側でした。
「熊だ!」その唸り声を聞き間違えるはずのないミハイル・ストロゴフは叫んだ。「ナージャ! ナージャ!」
そして腰帯から短刀を取り出すと、一足飛びに走って、娘が待っていると約束した岩の突起をぐるりとまわった。
松の幹から上の枝へ燃えうつった炎が、その場の情景を明るく照らし出していた。
彼が馬車に駆けつけたとき、大きな塊が彼のほうへ引き返してきた。
それは、大きな熊だった。暴風雨のために、ひそんでいたウラル山脈の山腹の森のなかから追い出されて、おそらくいつも避難所としていたにちがいないナージャが入っているこの穴に逃げこんできたのだろう。
二頭の馬は大きな熊が現われたのでびっくりし、綱を切って逃げた。御者は馬のことしか考えず、若い女一人を熊の前に残したままなどということはすっかり忘れて、馬のあとを追いかけていったのである。
勇敢なナージャは、冷静さを失わなかった。熊は最初彼女には気がつかず、梶棒につながれている馬におそいかかった。そのときナージャはうずくまっていた窪地から出て馬車に駆けつけ、ミハイル・ストロゴフの拳銃を取り出して、大胆にも熊のそばに寄ると、銃口を突きつけて発射したのだった。
肩先に軽い傷を受けた熊は、ナージャめがけてやってきた。彼女はそのとき、まず馬車のまわりをまわって逃げようとした。だが、馬が綱を切ろうとしているのを見た。馬が山中に逃げこめば、もう旅はできなくなるのだ。そこで彼女はふたたび熊のほうへ取って返し、驚くべき冷静さで、熊の手がまさに彼女の頭上にふりおろされようとしたその瞬間に、二度目の弾を発射したのだった。
ミハイル・ストロゴフが数歩離れたところで聞いたのは、この二度目の銃声だったのだ。ところで、彼はもうそこにいた。いきなり飛び上がると、熊と若い女とのあいだに入った。そして彼の腕が、ひと突きで、下から上へ動いただけだった。巨大な動物は腹から喉まで切り開かれて、力を失った塊のように地面に倒れた。
これは高価に売れる貴重な熊の毛皮をいためまいとする、シベリアの猟師のみごとな手練のほどを示す、すばらしいお手本ともいうべきものだった。
「けがはなかったかね、ナージャ?」彼は若い娘のほうへ駆けよった。
「大丈夫よ、兄さん」と、彼女は答えた。
そのとき、二人の新聞記者が現われた。
アルシード・ジョリヴェは馬の頭に飛びついた。この男はなかなかしたたかな腕力の持ち主にちがいない。なにしろ馬を取り押さえることができたからだ。彼とその仲間とは、ミハイル・ストロゴフの手練の早わざを見てしまったのだ。
「たいしたもんだ!」と、アルシード・ジョリヴェは叫んだ。「コルパノフさんはふつうの商人だと言うのに、猟師の短刀を、じつにみごとに使いますな!」
「まったくすばらしい腕前だ」と、ハリー・ブラントがつけ加えた。
「シベリアでは」と、ミハイル・ストロゴフは答えた。「みんな誰でも、どんなことでもすこしはやらなければならないんですよ!」
そのときアルシード・ジョリヴェは、この若者をじっと見つめた。
明るい光に照らされて、血まみれの短刀を手にもち、倒したばかりの熊の上に足をかけ、毅然とした様子を見せている背の高いミハイル・ストロゴフは、じつにりっぱなものだった。
「たけだけしい若者だ!」と、アルシード・ジョリヴェは思った。それから帽子を手にしてうやうやしく若い娘に近づくと、あいさつをした。
ナージャは軽く礼を返した。
アルシード・ジョリヴェは、そこで仲間のほうを見やって言った。
「兄さんにお似合いの妹さんだね! ぼくが熊だとしたら、この勇敢な男と美しい女性の好一対には手を触れないだろうよ!」
ハリー・ブラントはすこし離れて帽子をとり、棒杭のように突っ立っていた。彼の相棒があけっ放しな態度を見せるので、よけいにいつものぎごちなさが目立った。
このとき、やっと二頭の馬をつかまえた御者が姿を見せた。彼はまず、このまま鳥どもの餌じきに残しておかなければならない地面によこたわっている大きな熊を残念そうに見やってから、馬をつなぎにかかった。
そこでミハイル・ストロゴフは彼に、この二人の旅行者の立場と、自分の馬車の馬を一頭彼らにまわしてやる気持をつたえた。
「お好きなようになさったらいいが、ただ、馬車が一台でなくて二台となると……」と、御者はつぶやいた。
「いいよ、わかったよ!」このほのめかしがわかったアルシード・ジョリヴェは言った。「二倍払えばいいわけだろう」
「じゃ行こう、きじ鳩のひなさん」と、御者は叫んだ。
ナージャはふたたび馬車に乗り、そのあとをミハイル・ストロゴフと二人の仲間とは歩いてついていった。
いま三時だった。突風ももう勢いが弱まってきたので、それほど烈しく隘路を吹き抜けてはいなかった。それで道ははかどった。
タランタス馬車が、ご丁寧にも車軸のあたりまで泥のなかにはまっているテレガの残りの部分のある場所まで来たとき、夜明けの曙光が差しはじめた。なるほどこれでは、馬が力一杯ひっぱれば車体が二つに割れてもしかたがあるまい。
タランタス馬車の脇の馬の一頭が、綱でテレガの車体につながれた。二人の新聞記者は、またこの奇妙な乗り物に腰かけ、二台の馬車はすぐに動きだした。もう馬車はウラルの斜面を下るだけなので、べつに困難なことはなかった。
六時間後には二台の馬車は、あいついでエカテリンブルグに着いた。この旅行の後半においては、なんら困った事件も起こらなかった。
新聞記者たちが宿駅の戸口で見た最初の人間は、彼らの来るのを待っていた彼らの御者だった。
このあっぱれなロシア人は、まことにいい顔をしていて、すこしも悪びれたふうも見せずに眼に微笑を浮かべながら、お客のほうへやってくると、彼らに手を差し出してチップを要求した。
ほんとうのことだから言わねばならないが、ハリー・ブラントの怒りはまったくイギリス流に爆発した。もしも御者が用心ぶかく身をひかなかったら、ボクシングの型にはまった一撃が、御者の顔に猛烈な〈酒手《ナ・ウォットク》〉を喰らわしたことだろう。
アルシード・ジョリヴェはこうした憤慨ぶりを見て、からだをよじるほど笑った。まるでたぶんいままでけっして笑ったことなどなかったかのように。そして、こう大声で言った。
「しかし、こいつの言うのはもっともだよ! 親愛なる同僚殿、この男はチップを要求する権利はあるぜ! なぜなら、ぼくたちがこいつに追いつく方法を見出さなかったのは、こいつの責任じゃないものな!」
彼はポケットからカペイカを何枚か取り出すと、それを御者に手渡しながら言った。
「さあ、ポケットにしまいたまえ! おまえがぼくの仲間からももらえなかったのは、おまえが悪いからじゃないよ!」
この言葉はハリー・ブラントの怒りをさらに焚きつけたようなもので、彼はこれを宿駅長の責任だといって、宿駅長を訴えてやるとまで言い張った。
「ロシアの訴訟かね!」と、アルシード・ジョリヴェは叫んだ。「だが、この国では旧態依然たるものがあるから、訴訟なんかしたって、いつ決着がつくかわかったもんじゃないぜ! では、きみは、この国の乳母が乳児の家族に、一年乳をやったその代償を要求した、あの有名な話は知らないとみえるね?」
「知らないね」と、ハリー・ブラントは答えた。
「では、この訴訟が乳母の勝ちときまったとき、そのときの乳児がなんになっていたかも知らないんだね?」
「なんになったんだね?」
「近衛騎兵の大佐にだよ!」
これには、一同大笑いした。
アルシード・ジョリヴェは、こういう自分の当意即妙の才にいい気になって、ポケットからノートを取り出すと、微笑しながら、いずれは彼のモスクワ辞典に載せるためのものではあるが、つぎのような覚え書をしたためた。
〈テレガ、ロシアの四輪馬車、出発するときは四輪だが、到着するときは二輪になる!〉
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十二 挑戦
エカテリンブルグは、地理的にはアジアの都会である。なぜならばウラル山脈のかなたの、東側の最後の傾斜の上にあるからだった。だが、ペルミの州政府に属していて、したがってヨーロッパ・ロシアのもっとも大きな州の一つのなかに含まれているのである。こういうふうに行政上で侵入を許しているということは、それだけの理由があるにちがいない。ここは、ロシアのあごとあごのあいだに残っているシベリアの一部分なのである。
ミハイル・ストロゴフにしても、また二人の新聞記者にしても、一七二三年につくられたこうした大都会では、乗り物を探すには、べつに困るようなことはなかった。エカテリンブルグには、ロシア帝国でいちばん大きな造幣局があるし、この地に鉱山の監督局もある。それゆえこの町は、精錬所とか、プラチナや金を水簸《すいは》する作業所とかが多いこの地方の、重要な工業の中心地なのである。
当時は、エカテリンブルグの人口は、はなはだ増加していた。タタール軍の侵入におびやかされたロシア人やシベリア人たちは、フェオファル汗の軍隊によってすでに侵入された地方、とくにイルトイシ川の南西からトルキスタンの国境にまでひろがっているキルギス地方から逃れてきて、ここに集まったのである。
そこでエカテリンブルグに来るには乗り物は少なかったが、反対にこの町から出るには、いくらでも入手できた。じじつこの際、危険をおかしてまでシベリアのほうへ行こうと考えている旅行者はほとんどなかった。
こうした状況だったので、ハリー・ブラントとアルシード・ジョリヴェとは、彼らをどうにかこうにかエカテリンブルグまではこんできたあの妙ちきりんな半分のテレガの代わりに、完全な一台のテレガをらくらくと入手することができた。ミハイル・ストロゴフはと言えば、彼にはウラル越えをしてもたいして痛まなかったタランタスがあったので、これに三頭の丈夫な馬をつなぎさえすれば、イルクーツクへの道は迅速に突っ走ることができた。
チュメニまでは、いやノヴォ=ザイムスコエまでも、道はかなり悪かった。というのはこの道はまだ、ウラル山脈の傾斜につづく土地の起伏の上にのびていたからだった。だがノヴォ=ザイムスコエの宿駅を過ぎると、広大な草原地帯がはじまって、これはクラスノヤルスクの近くまで、約一七〇〇露里(一八一五キロメートル)の距離にわたってひろがっていた。
すでに読者もご存じのとおり、二人の記者はイシムまで、つまりエカテリンブルグから六三〇露里あるその町まで行くつもりだった。その地で情勢いかんにより、反乱軍の侵入した地方に行く予定だった。いっしょに行くか、それともべつべつに行動するかは、そのときの彼らの猟師としての本能の命ずるままであった。
ところで、このエカテリンブルグからイシムへの道は――それはイルクーツクに向かってのびていたが――それこそミハイル・ストロゴフがとりうる唯一の道だった。ただ彼はニュースを追っているわけではなく、それどころか侵入軍によって荒らされている地方は避けたいと思っていたので、どこにも足をとどめまいと決心していた。そこで彼は、新しくできた道づれにたずねた。
「わたくしは、みなさんとごいっしょに旅の一部分をともにすることができそうで、たいへんうれしく存じております。でも前もって申し上げておきますが、わたくしはオムスクへ着くのを非常に急いでいるのです。というのは、妹とわたくしは、そこで母に会うことになっているものですから。なにしろ、タタール軍があの町に侵入する前にわたしたちのほうが早く着けるかどうか、まったくわかりませんからね! ですからわたしは、駅には馬を替える時間しかとどまりません。夜も昼も旅行をつづけなければならないのです!」
「ぼくたちもそうするつもりですよ」と、ハリー・ブラントが答えた。
「それは、けっこうです」と、ミハイル・ストロゴフは言葉をつづけた。「でも、一刻も猶予はなりませんぞ。馬車をやとうなり、借りるなりしてください」
「こんどは後ろ半分も、前の半分といっしょに、イシムに着きますよ」と、アルシード・ジョリヴェが言い返した。
三〇分後には、敏捷なフランス人が、ミハイル・ストロゴフのそれとよく似ている一台のタランタスをうまく見つけてきたので、すぐに二人の新聞記者はそれに乗りこんだ。
ミハイル・ストロゴフとナージャも、彼らの馬車に乗った。正午には二台の馬車は、いっしょにエカテリンブルグの町を出ていった。
ナージャはやっとシベリアに入って、イルクーツクに通じる長い道を行くことができるのだ! このときの若いリヴォニアの娘の考えはいかばかりであろうか! 三頭の駿馬が、故国から遠く離れて彼女の父が、おそらくこれからも長いあいだ罪人としての生活を送らねばならないその亡命先の土地へ、彼女をはこんでいるのだ。だが一瞬彼女の目は閉ざされて、その眼には、彼女の前にひろがっている広大な草原地帯が、辛うじて見えるだけだった。というのはその視線が地平線の彼方にまで延びて、その後ろに亡命している父親の顔を捜し求めていたからだった! 彼女は一時間一五露里の速力で突っ走っていくこの土地、東部とはまったく違ったこの西部シベリア地方の風景を、何一つ見ようとはしなかった。じじつこの地方には耕作地はまったくなく、少なくとも表面で見るかぎりは痩せた土地だが、地下資源は豊富であって、鉄、銅、プラチナ、金をたくさん埋蔵していた。それゆえ、いたるところに工業上の施設は見受けられたが、農家は稀にしかなかった。火薬で爆破したり、つるはしをふるったりして地面の下を発掘するほうが生産的だというのに、土地を耕したり、種をまいたり、麦を刈り入れたりする腕を、どうして見つけることができよう? ここでは農夫が坑夫に席をゆずっていた。つるはしはどこにでもあるが、すきはどこにもなかった。
しかしながらナージャの思いは、ときどき遠いバイカル湖畔の諸州を離れて、現実の自分の状況にうつった。父の面影はすこし影をひそめ、まずウラジミールの汽車のなかで神の手引きによりはじめて出会った、あの彼女に親切な連れの姿が目に浮かんできた。それから旅のあいだじゅうの彼の心づかい、ニジニー・ノヴゴロドの警察署で彼があたたかい率直な態度で妹と呼んでくれたこと、ヴォルガ川を下るあいだじゅうそばにいて面倒を見てくれたこと、ウラル山脈越えの恐ろしい嵐の夜に彼自ら危険をおかして自分の身を守ってくれたことなどが、つぎつぎに思い出された。
そこでナージャは、ミハイル・ストロゴフのことを考えてみた。彼女は旅行の途上で、ちょうどいいときに、この親切でつつしみぶかい友であり勇敢な保護者を与えてくださった神に感謝した。彼のそばにいれば、彼に守られていれば、この身が安全であるように感じられた。ほんとうの兄でも、このように尽くしてはくれなかったであろう! 彼女はもはやいかなる障害も恐れていなかったし、いまではかならず目的を達せられると信じていた。
一方ミハイル・ストロゴフはといえば、口こそあまりきかなかったが、心のなかではいろいろと考えていた。彼のほうでもナージャに出会ったこと、そのために彼のほんとうの身分を隠す手段と、同時に善行をなしうる機会を与えられたことで、神に感謝していた。この娘の落ち着いていて大胆なのは、彼の勇敢な心をよろこばせてくれた。彼女がほんとうに自分の妹であってくれたならば、どんなにうれしいだろうか? 彼はこの美しくて勇敢な連れに、愛情と同時に尊敬心を抱いた。これこそ心から信頼しうる、純潔で稀にみる心の持ち主だと、彼は感じていた。
しかしながら、シベリアの土地に足を踏み入れてからは、ほんとうの危険がミハイル・ストロゴフの身にふりかかりはじめていたのだった。もしも二人の新聞記者の言うことが間違っていなくて、イヴァン・オガリョフが国境を越えていたならば、よほど慎重に行動しなければならなかった。状況が、いまはすっかり変わったのだ。なぜならばシベリアの諸州にはタタール人のスパイが横行していたから、もしも身分がばれて皇帝の密使であるということがわかったならば、彼の使命はそれまでで、おそらくは彼の生命も危ういであろう! ミハイル・ストロゴフはいまこそ彼の身にかかっている責任の重大さを、いっそう強く感じたのだった。
最初の馬車のなかの思いはこのようだったが、二番めの馬車ではどうだったろうか? ただ、ごくありきたりのこと以外には何もなかった。アルシード・ジョリヴェは美辞麗句をつらねて語り、ハリー・ブラントは簡単な単語をならべて答えていた。各人それぞれのやり方で物事を観察し、旅行中のいくつかの事故についてノートに記していたが、事故といってもこの西シベリア地方の旅行では、べつに変わったことはなかった。
宿駅に着くたびごとに、二人の記者は馬車を降りて、ミハイル・ストロゴフといっしょになった。ナージャは駅内で食事をとることがないかぎり、けっして馬車から降りなかった。昼食にしろ夕食にしろ、食事をしなければならないときは食卓についたが、いつもごく遠慮していて、まるで会話に入らなかった。
アルシード・ジョリヴェは、けっして礼儀作法にはずれるようなことはしなかったが、美しいと思うこのリヴォニアの娘のそばでなにくれとなく世話をやいた。彼は、このようなつらい条件の旅行で疲れもみせず、黙々と耐えている彼女の精神力に感嘆していた。
どうしても止まっていなければならないこうした時間は、ミハイル・ストロゴフにとっては、あまりありがたいものではなかった。そこでどの宿駅でも出発を急いで宿駅長をせきたて、御者たちを叱咤《しった》激励して馬の取り替えを急がせた。そして食事を急いですませて出発した。――この大急ぎの食事は、ただきまって食事をとることしか考えていないハリー・ブラントの気に入った。いざ出発すると、新聞記者たちも、まるで鷲のように飛ばされた。というのは、彼らはまるで王侯のように、アルシード・ジョリヴェの言うところによれば〈ロシアのワシ〉〔五ルーブルに値するロシアの金貨〕で支払っていたからだった。
ハリー・ブラントが若い娘に対して機嫌をとろうとするなどは、もちろん考えられなかった。彼女の存在は、彼にとっては仲間とする議論の対象にならないのだ。この尊敬すべき紳士は、同時に二つのことをする習慣を持ち合わせていなかったのである。
アルシード・ジョリヴェが一度、リヴォニアのあの娘はいくつぐらいだろうかと、彼にたずねたことがあった。
「リヴォニアの娘って?」彼は目をなかば閉じながら、世にもまじめな顔をして聞き返した。
「こりゃ、驚いた! ニコライ・コルパノフの妹だよ!」
「あれは、あの男の妹かね?」
「でなければ、彼のおばあさんとでも言うのかい!」アルシード・ジョリヴェはあまりの無関心さに呆れはてて、言い返した。「彼女は何歳だと思うかね?」
「もし彼女が生まれたのを見ていたら、わかるだろうがね!」とハリー・ブラントは、こんな話にはもうかかわりたくないといったふうに、あっさりと答えた。
二台のタランタスが走っているこの地方は、ほとんど人影がなかった。空はなかば雲でおおわれていたが天気はかなりよく、気温もじゅうぶんがまんできた。これでスプリングのきく馬車に乗っているのだったら、旅行者たちは文句の言いようはなかったであろう。彼らはまるでロシアのベルリン馬車といったふうに、つまり全速力で走っていた。
だが、この地方が見捨てられたように感じられたとすれば、それは現在の状況とおおいに関係があった。畑には、かつて有名な旅行者がいみじくも評したように、尊大なふうのないカスティーリャ人といった青白くて謹厳な顔をしたシベリアの農民の姿はほとんどというより、まったく見当たらなかった。あちこちに、すでに人びとが立ち退いた部落が散見され、それらはタタール人の軍隊が近づいていることを示していた。住民たちは羊の群れや、らくだや、馬などを連れて、北方の平野に逃れていった。自分たちの土地に愛着をもっているキルギスの大遊牧民の数部族にしても、侵入者たちの掠奪を避けるために、彼らのテントをイルトイシ川やオビ川のかなたに移していた。
たいへんありがたいことに、駅馬の業務は規則どおりに、いつものように行なわれていた。同様に電報業務も、電線がまだつながれている地点までは打電することができた。どの宿駅でも宿駅長は、規定どおりの条件で、継ぎ馬を提供してくれた。どこの電信局でも、窓口に坐っている局員たちが、たのめば電報を打ってくれた。ただ公用の電報は優先だったので、そこでハリー・ブラントもアルシード・ジョリヴェも、おおいにそれを利用した。
かくて、ここまでは、ミハイル・ストロゴフの旅行は、満足な状態において完遂されていた。皇帝の密使は、すこしも遅れてはいなかった。これで、もしクラスノヤルスクの前方まで進出しているフェオファル汗のタタール軍の尖兵をうまく回避することができさえすれば、従来得られた時間上の記録を破って、タタール軍よりも先にイルクーツクに着けることは確実だった。
二台のタランタスは、エカテリンブルグを出発した日の翌日の午前七時に、べつに取り立てて言うような事故もなく、二二〇露里の距離を突っ走って、トルギスクという小さな町に着いた。
ここで三〇分ほど、朝食の時間にあてられた。食事がすむと、旅行者たちはふたたび全速力で走った。これは、数カペイカはずんでやるという約束のためだとしか、説明のしようはなかった。
その同じ日、つまり七月二二日の午後一時に、二台のタランタスは、六〇露里ほど離れたチュメニに着いた。
チュメニの人口はふだんは一万人だが、そのときは二倍にふくれあがっていた。この町はロシアがシベリアで建設した最初の工業の中心地で、りっぱな精錬工場や鐘の鋳造工場で有名だが、これほどの賑わいをみせたことはかつてなかった。
二人の新聞記者はさっそくニュースの取材に出かけた。戦禍の舞台を逃れてきたシベリア人のもたらしたニュースは、けっして安心できるようなものではなかった。
なかでも、フェオファル汗の軍隊が急速にイシム川に接近しつつあることが言われていた。そしてタタール軍の首領は、まもなくイヴァン・オガリョフ大佐と会うだろう、いや、もうすでに会っているかもしれないと断言する者もいた。もしそうだとすると、当然の結果として軍事行動は最大の速力をもって東部シベリアにまで推し進められることだろう。
ところでロシア軍だが、これは主としてロシアのヨーロッパの諸州から呼ばなければならなかったが、それがまたたいへん離れているので、すぐに侵入軍と相対するわけにはいかなかった。そこでトボリスク管区のコサック兵が、タタール軍の縦隊を切断する目的で、トムスクめざして強行軍で向かいつつあった。
夕方の八時に、二台のタランタスはさらに七五露里走って、ヤルトロフスクに到着した。
彼らは急いで駅馬を替えると、町を出て、ドボル川を渡船でわたった。この川の流れはたいへん静かなので、こうしたことがたやすくできたのだが、これから先の行程でもこうして渡船を利用することは一再ならずあろうが、おそらくここのようにつごうよくはいかないだろう。
真夜中に、五五露里先のノヴォ=ザイムスコエに着いた。旅行者たちはこの地でやっと、樹木でおおわれた丘がなだらかな起伏を見せている、このウラル山脈の最後の麓から別れたのである。
ここからは、ほんとうにシベリアの草原地帯と呼ばれているものがはじまって、それはクラスノヤルスクの付近にまでひろがっていた。それらの地域は果てしない平原で、草におおわれた無人の広野だった。その周辺では空と大地とが、コンパスで描かれたような曲線を描いて互いに接していた。この草原で目にとまるものといえば、道の両側に立っている電柱だけであって、その電線が微風にふるえて、ハープの弦のような音を立てていた。ところで、道そのものも、馬車の車輪の下から立ちのぼるわずかな砂埃で、やっと野原と見分けがつくくらいだった。もし目路《めじ》のとどくかぎりつづいているこの白っぽい帯のような道がなかったならば、旅行者たちは砂漠のなかにいるような気持になったであろう。
ミハイル・ストロゴフとその仲間たちとは、さらに速度をだして、草原地帯を突進した。馬は御者の叫びにいきり立ち、それに、なんらの障害もないので、まっしぐらに走った。馬車はイシムに向かって、一直線に走った。二人の新聞記者は、とくに旅程を変更させるような事件がないかぎり、この地にとどまることになっていた。
ノヴォ=ザイムスコエからイシムまでの距離は約二〇〇露里で、一刻も時間を空費しないかぎりは、翌日の午後八時までにはそこに着けるはずであり、到着することができるのだった。御者の考えによれば、これらの旅行者たちは貴族でも高官でもないが、おおいにチップをはずんでくれるからそれらと同等の者だった。
翌日七月二三日には、二台のタランタスは、イシムからわずかに三〇露里のところに来ていた。
このときミハイル・ストロゴフは、道の前方を一台の馬車が走っているのを認めた。それは砂埃の渦巻のなかではっきりとは見えなかったが、彼の馬は疲れていなかったので、前の馬よりはずっと速く走っていたから、そのうちに追いつくにちがいなかった。
それはタランタスでも、テレガでもなく、すでに長い旅をつづけていたらしく埃まみれのベルリン馬車だった。御者は力いっぱい馬に鞭をくれ、どなったり鞭うったりして、やっとギャロップで駆けさせていた。このベルリン馬車は、たしかにノヴォ=ザイムスコエを通ってきたものではなかった。草原地帯の人たちの知らないどこかの道から、このイルクーツクへの道に出てきたものにちがいなかった。
ミハイル・ストロゴフとその連れとは、イシムに向かって走っているこのベルリン馬車を見て、同じような考えしか抱かず、こいつを追い越して、こいつより早く駅に着き、なによりもまず継ぎ馬を確保してやろうと思っていた。そこで彼らは御者にひとことそう言ったら、まもなくして彼らの馬は、疲れきったベルリン馬車の馬と同じ線にならんだ。
ミハイル・ストロゴフの馬が先頭に立った。
そのとき一つの頭が、ベルリン馬車の窓からのぞいた。
ミハイル・ストロゴフはその顔をよく見る余裕がなかった。そのうちに、全速力で追い越したのだが、居丈高な声で自分に向かって投げつけられる声を、はっきりと耳にしたのである。
「止まれ!」
だが、止まらなかった。それどころかそのベルリン馬車は、まもなく二台のタランタスに追い抜かれてしまった。
それはまさにスピード競走だった。というのはベルリン馬車の馬は、おそらく彼らたちを追い越した馬の疾走ぶりに興奮したのであろう、しばらくのあいだは力を取りもどして走りつづけたからだった。三台の馬車は、砂埃の雲のなかに隠れた。そしてその白っぽい雲のなかから、鞭のぴしりという音や、興奮した怒号などが、花火の爆音のように聞こえてきた。
だが、ミハイル・ストロゴフとその道づれのほうが勝った。ところでこの勝利は、もし宿駅に着いて馬が少ないとなると、非常に重大なものになるのだった。二台の馬車に継ぎ馬をするということは、おそらく宿駅長にとっては、少なくとも短い時間内にはなかなかできかねることだった。
三〇分のちには、あとに残されたベルリン馬車の姿は、草原地帯の地平線上に辛うじて見える一点にしかすぎなくなった。
二台のタランタスが、イシムの町の入口にある宿駅に着いたのは、午後の八時だった。
侵入のニュースはますます悪いものばかりだった。この町は、タタール軍の前衛の縦隊によって、直接の脅威を受けていて、二日前から当局者たちはトボリスクに逃げていた。このイシムの町には、もはや一人の役人も、一人の兵士もいなかったのだ。
宿駅に着くとミハイル・ストロゴフは、すぐに馬をたのんだ。
ベルリン馬車を追い抜いたのは、いい考えだった。すぐに馬車につけられる馬は、三頭しかいなかったからだ。ほかの馬は長い駅と駅とのあいだを走って、疲れて帰ってきたところだったのだ。
宿駅長は、馬をつけるようにと命令した。
二人の新聞記者はイシムにとどまるほうがよさそうに思われたので、すぐに出発の準備をしなくてもよく、彼らの馬車を車庫にしまわせた。
駅に着いて一〇分もすると、ミハイル・ストロゴフは馬車の用意ができたことを知らされた。
「けっこう」と、彼は答えた。
それから二人の新聞記者のところへ行って、
「では、みなさんはここにお泊まりになるので、いよいよこれでお別れですね」
「へえ、コルパノフさん、ではあなたは、イシムに一時間もいないんですか?」と、アルシード・ジョリヴェが言った。
「そうなんですよ、わたしたちが追い越したあのベルリン馬車が到着する前に、宿駅を出てしまいたいのです」
「ではあの旅行者が継ぎ馬のことで言いがかりをつけやしないかと、心配していらっしゃるのですね?」
「わたしは、どんな争いでも避けたいもんですから」
「では、コルパノフさん」と、アルシード・ジョリヴェは言った。「ではあらためてもう一度、あなたがぼくたちを助けてくださったことと、ごいっしょに楽しい旅をさせてくださったことに感謝します」
「それに、またいつかオムスクで、お目にかかれるかもしれませんね」と、ハリー・ブラントが言い添えた。
「ほんとうに、そうですね、わたしはまっすぐにオムスクへまいりますから」と、ミハイル・ストロゴフは答えた。
「では、よいご旅行を! コルパノフさん」と、アルシード・ジョリヴェが言った。「神さまがテレガからあなたをお守りくださるように!」
二人の新聞記者はできるだけの熱意をこめて握手をしようとミハイル・ストロゴフに手を差し出したそのとき、外で馬車の音がした。
それと同時に宿駅の戸がとつぜん開いて、一人の男が現われた。
それは、ベルリン馬車に乗っていた旅行者だった。軍人らしい身なりで四〇歳ぐらい、背が高くて、がっちりしていて、いかめしく、肩幅は広く、濃い口ひげがこげ茶色の頬ひげとつながっていた。この男は、襟章のない軍服を着ていた。騎兵のサーベルがバンドにさがっていて、手には柄の短い鞭をもっていた。
「馬を出せ!」いかにも命令することに慣れているといった横柄な態度で言った。
「もう、使える馬はございません」と、宿駅長は頭をさげて答えた。
「すぐにいるんだ」
「でも、どうにもなりません」
「では、駅の入口にあるタランタスにつながれてある馬は、どうなんだ?」
「あれは、この方の馬でございます」と、宿駅長はミハイル・ストロゴフを指し示しながら言った。
「あいつをはずせ!」その旅行者は、返答を許さないような口調で言った。
そこでミハイル・ストロゴフは前に出て言った。
「あの馬は、わたしがやとったものです」
「そんなことは、どうでもいい! おれには馬がいるんだ。さあ! 早くしろ! 時間がないんだ!」
「わたしだって、時間がないんです」と、ミハイル・ストロゴフはやっと自分をおさえて、つとめて落ち着こうとした。
ナージャは彼のそばにあって、これもまた落ち着いていたが、心中ひそかに、この争いは避けたほうがいいのではないかと気をもんでいた。
「つべこべ言うな!」と男はかさねて言って、そして宿駅長のほうへ歩み寄った。
「このタランタスから馬をはずして、おれのベルリン馬車につなぐんだ」と、おどかすような身ぶりで命じた。
宿駅長は非常に困って、どっちに従っていいかわからず、あきらかにこの人のほうに不当な要求をしりぞける権利があるはずのミハイル・ストロゴフの顔をじっと見た。
ミハイル・ストロゴフは、一瞬ためらった。彼は相手に注意を喚起することを恐れて、身分証明書を示したくはなかった。さりとて馬をゆずって旅行をおくらせたくもなかった。しかも彼の使命を危うくする恐れもあるので、この場で喧嘩をしたくもなかった。
二人の新聞記者は、もし彼が助けを求めにきたら彼を支持するつもりで、じっと彼のほうを見ていた。
「馬は、わたしの車につけたままにしておいてくれ」とミハイル・ストロゴフは言ったが、それはいかにもイルクーツクの商人にふさわしいように荒っぽい口調ではなかった。
するとその旅行者はミハイル・ストロゴフのそばに寄ってきて、彼の肩にあらあらしく手を置いた。
「それが返事か!」と、ひびきわたる大声でどなった。
「きさま、馬をゆずらん気か?」
「お断わりします」と、ミハイル・ストロゴフは答えた。
「よろしい、では馬は、われわれ二人のうち出発することができる者がとることにしよう! さあ、かまえろ、もう容赦はしないぞ!」
そう言って旅行者はいきなりサーベルを抜いて、身がまえた。
ナージャは、ミハイル・ストロゴフの前に飛び出した。
ハリー・ブラントとアルシード・ジョリヴェも、彼のほうへ進み出た。
「わたしは決闘なんかしないよ」と、彼はたんにそう言って、さらに自分をおさえようとするかのように、胸の前で腕を組んだ。
「闘わないのか?」
「いやだ」
「こんな目にあってもか?」と、旅行者は叫んだ。
そして止めるまもあらばこそ、彼の鞭の柄がミハイル・ストロゴフの肩の上に打ちおろされた。
このような侮辱を受けて、ミハイル・ストロゴフの顔はものすごく青ざめた。彼はこの兇暴な男を絞め殺そうとでもするように、両手を広げて高くあげた。だが、たいへんな努力によって、やっと自分をおさえることができた。決闘したら、時間のおくれだけですまなかった。たぶん使命を果たすことができなくなるかもしれなかった! それよりも数時間おくれるほうが、まだましだった! そうだ! こうした侮辱はがまんしよう!
「これでも闘わないのか? 腰抜けめ!」と、男は乱暴さに加えて、さらに野卑な口調をもってくり返した。
「いやだ!」とミハイル・ストロゴフは答えたが、その場を動かず、じっと相手の目をにらみつけていた。
「馬をつけろ! すぐにだ!」そう言い放って男は、部屋から出ていった。
宿駅長はミハイル・ストロゴフをいささか軽蔑するような眼で見やってから肩をすくめ、男のあとについて出ていった。
この事件が新聞記者たちに与えた印象は、ミハイル・ストロゴフにとってはあまりいいものではなかった。彼らは失望の色をありありと顔に出していた。こんな頑丈な若者があんなふうになぐられたままになっていて、しかもこうした侮辱の理非曲直をつけようともしない! そこで彼らは、彼に挨拶だけして引きさがった。アルシード・ジョリヴェは、ハリー・ブラントに言った。
「ウラルの熊の腹をあんなにみごとにさいた男がこんなだとは信じられないな! なるほど勇気には、それは発揮する時間と、それぞれ形式があるとはほんとうなのだろうかね? どうも、よくわからんよ! こういうのを見ると、われわれはみな、かつては奴隷だったのかもしれんな!」
まもなくして車輪のひびきと鞭の音が、タランタスの馬をつけたベルリン馬車が急いで宿駅を出ていったことを示していた。
平然として動じないナージャと、まだからだを小きざみに震わしているミハイル・ストロゴフとが、宿駅の部屋のなかに残っていた。
皇帝の密使はあいかわらず胸の上で腕を組んだまま腰かけていた。まるで彫像のように見えたであろう。だが、彼の男らしい顔には蒼白さと取って代わって赤味がさしていたが、それは恥ずかしさのための赤面ではなかった。
ナージャは、このような勇敢な男があのひどい侮辱を耐えぬいたのには、きっと大きな理由があるにちがいないと信じて疑わなかった。
そこでニジニー・ノヴゴロドの警察で彼が彼女のそばに寄ってきたように、こんどは彼女が彼のそばに近寄って、
「兄さん手を」と言った。
それと同時に彼女の指は、まるで母親のような動作で、連れの男の眼からこぼれ落ちようとする涙をぬぐった。
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十三 なによりもまず義務を
ナージャは、なにか秘密の動機がミハイル・ストロゴフのあらゆる行動を左右しているのであって、彼は彼女の知らないなんらかの理由から自分勝手なことをすることができないのだ、だからこんどの場合にしたって、あのようにひどい侮辱を受けた恨みまでも、雄々しくも義務のために堪え忍んだのだと見抜いていたのだった。
しかしナージャは彼に対して、さらに説明を求めなかった。彼女が彼に差し出した手が、すでに彼が彼女に言うかもしれないことすべてにたいする前もってなされた彼女の返事だったのではなかろうか?
彼は、その夜は一晩じゅうだまりこんでいた。宿駅長は、翌朝にならなければ新しい馬を供給してくれないので、その夜は宿駅で過ごさなければならなかった。そこでナージャはそれを利用してすこし休息をとることにしたので、彼女のために部屋が一つ用意された。
ナージャはもちろん、連れのそばを離れたくなかった。だが彼女は、彼が一人になりたがっているのを感じたので、自分にあてがわれた部屋に行こうとした。
だが彼女は引きさがろうとしたときに、やはり彼に挨拶をしないわけにいかなかった。
「兄さん……」と、彼女はつぶやいた。
だが彼は身ぶりで彼女を押しとどめた。溜息が、彼女の胸をふくらませた。それから部屋を出ていった。
彼は横にならなかった。一時間だって、彼は眠れなかっただろう。あの乱暴な旅客に鞭でなぐられたあとが、やけどのように感じられた。
「祖国と、父なる方のために!」彼は夜の祈りを終えてから、こうつぶやいた。
このとき彼は、彼をなぐったあの男がいったい何者か、どこから来て、どこへ行こうとするのか、なんとかしてそれを知りたいと思った。あの男の顔やその表情は記憶のなかにしっかりと刻みこまれたので、けっしてそれを忘れる心配はなかった。
ミハイル・ストロゴフは、宿駅長を呼んだ。
生粋のシベリア人である宿駅長は、すぐにやってきた。そしてすこし見おろすようにしながら、青年の質問を待ち受けた。
「きみはこの土地の者かね?」と、青年はたずねた。
「そうですよ」
「わたしの馬を奪っていったあの男を知ってるかね?」
「知りませんな」
「いままで見たこともないかね?」
「一度も!」
「では、いったい誰だと思うかね?」
「人を服従させることを知っている貴族かなんかでしょう!」
ミハイル・ストロゴフの視線は短刀のように、シベリア人の心臓を突き刺した。しかし宿駅長は、まばたき一つしなかった。
「おまえはおれを批判する気か!」ミハイル・ストロゴフは叫んだ。
「しますとも」と、シベリア人は叫んだ。「なぜならたとえ商人だって、返報しなきゃならないことはありますものね!」
「鞭でなぐられたことかね?」
「そうですとも、お若い方! わたしはこの年になっても、まだあなたにはっきりとそう言えるだけの力はありますよ!」
ミハイル・ストロゴフは宿駅長に近づいて、がっちりしたその両手で、相手の肩をつかんだ。
それから異様なほど落ち着いた声で言った。
「出ていけ! 出ろ! さもないと絞め殺すぞ!」
宿駅長も、さすがにこんどは、よくわかった。
「こんなふうな男なら、おれだって好きだ」そう彼はつぶやいて、なにも言わずに出ていった。
翌七月二四日午前八時、タランタスには元気な三頭の馬がつながれた。ミハイル・ストロゴフとナージャは乗りこんだ。そして、二人がいつまでもいやな思い出をもちつづけるにちがいないイシムの町はまもなくして、道の曲がり角をあとにして消え去った。
その日立ち寄ったいろいろな宿駅で彼は、ベルリン馬車があいかわらずイルクーツクへの道を先に立って走っていることを、そしてその旅行者は彼と同じように急いでいて、草原地帯を横ぎるのに一刻たりとも失うまいとしていることを確認することができた。
夕方の四時に、七五露里先のアバトスカイヤ駅で、イルトイシ川の主要な支流の一つであるイシム川を渡らなければならなかった。
この渡河は、トボル川を渡るときよりは、いくらかむずかしかった。じじつイシム川の流れは、この場所ではかなり速かったのである。シベリアの冬では、これら草原地帯のすべての流れは三、四〇センチ以上の厚さに凍結するのでらくに渡ることができるのである。それゆえ旅行者は、川があることもわからずに渡ってしまう。なぜなら川床は一面に草原地帯をおおっている広漠とした白いものの下に隠されてしまうからだが、しかし夏になると、渡河は非常にむずかしくなるのである。
じじつ、イシム川を渡るには二時間かかった。――しかも船頭たちからタタール軍侵入のいやなニュースを聞いたので、ミハイル・ストロゴフはいっそう苛立った。
彼らの語るところによれば、つぎのようだった。
フェオファル汗の軍隊の斥候は、トボリスク管区の南部地域にあたるイシム川の下流の両岸に、すでに現われたらしいのだ。したがってオムスクは、非常な危険にさらされることになった。また噂によると、キルギスの国境で、シベリア軍とタタール軍とのあいだに戦闘が始まったそうだが、これはこの方面ではあまりに弱体のロシア軍には勝目はなかったとのことだった。そこでロシア軍は退却をはじめ、それにつれて、この地方の農民の大移動が始まった。侵入者による掠奪、放火、虐殺といった、恐ろしい残虐行為が行なわれたらしかった。これはタタール軍の戦争のやり方だった。そこで人びとは、どの方面でも、フェオファル汗の前衛部隊を避けていた。このように町や村から人がいなくなっては、ミハイル・ストロゴフとしては駅馬の便がなくなるという、もっとも大きな心配があった。そこで彼は、大急ぎでオムスクに着かなければならなかった。おそらくオムスクを出てしまえば、イルトイシ川の渓谷を降りてくるタタール軍の斥候隊の先を越して、イルクーツクまで自由な道を走ることができるであろう。
ところで、タランタスがイシム川を越えたこの場所で、軍隊用語で言う〈イシム線〉は終わるのである。これは木造の塔や小さな砦でできている戦線で、シベリアの南の国境から、約四〇〇露里におよんでいた。昔はこれらの砦にはコサックの分遣隊が駐屯していて、キルギス人やタタール人の侵入にそなえていた。ところがモスクワ政府は、これらの民族は完全に征服されたものだと思い、これらの砦はもはやいらないと見て放棄してしまったが、じつは、いまこそ非常に必要であったであろう。これらの砦の大部分はちょうどいま焼きはらわれたところで、ミハイル・ストロゴフが船頭の指差すほうをみると、南の地平線上に煙がうずまいていて、タタール軍の前衛部隊が近づきつつあることを示していた。
渡船が馬車と曳馬とをイシム川の右岸に降ろすと、馬車は草原地帯を、ふたたび全速力で走りだした。
夕方の七時だった。空模様がたいへんあやしくなった。そのうち、ぱらぱらっと、激しい雨が吹きつけ、そのために砂埃が静まって、道はかえって走りやすくなった。
ミハイル・ストロゴフはイシムの駅を出てから、ずっとだまりこんでいた。そうしながらも彼は、休止も休息もないこの長途の疲れをナージャに感じさせまいとして、たえず気をくばっていた。だが、彼女は、それにたいして不平を言わなかった。彼女は、このタランタスの馬に、翼を与えてやりたいものだと思ったであろう。彼女はなんとなく、同伴者は彼女自身よりもイルクーツクに速く着きたがっていると感じていた。だがイルクーツクまでは、まだどのくらいあるだろうか!
また彼女は、こんなことも考えた。もしオムスクがタタール軍に侵略されたならば、この町に住まっているミハイル・ストロゴフの母親の身が危険にさらされるので、息子である彼はひどく不安であるにちがいなく、それで速く母親のもとに行きたいのだと、そのように彼の焦燥感を解釈していた。
そこでナージャは、こうした事変のさなかにひとりきりで暮らしている年老いた母親マルファのことを彼に話すべきだと思いたった。
「反乱が始まってから、お母さんからは全然お便りがないんですか?」と、彼女はたずねた。
「まるでないんだよ、ナージャ。母親から最後の便りがあったのは、もう二か月前のことなんだ。だが、それにはいいことしか書いてなかったよ。マルファかあさんはしっかりした人で、気丈夫なシベリア女だ。年はとっていても、精神力はあるからね。苦しみに耐えられるんだ」
「あたしもお会いしたいわ、兄さん」と、ナージャははしゃいで、こう言った。「だってあたしを妹と言ってくれたんですもの、あたしだってマルファかあさんの娘だわ!」
だが、それに対して彼が返事をしないので、ナージャはさらに言った。
「おそらくお母さんは、オムスクからお逃げになったかもしれないわね?」
「そういうことも考えられるね、ナージャ」と、彼は答えた。「わたしは母がトボリスクへ行ってくれたらいいがとさえ思っているよ。母は、タタール人が嫌いだからね。母は草原地帯をよく知っているし、こわがっていないからね。杖をついて、イルトイシ川の川べり沿いに下ってくれればいいがと思っているんだ。この地方のことで、母の知らないことはないくらい、詳しいからね。何度となく父といっしょにこの地方を歩きまわったからね。わたしにしたって子供のとき、父母とともにシベリアの荒野を歩きまわったものだよ! そうなんだよ、ナージャ、わたしはむしろ母が、オムスクを去ってしまうことを望んでいるよ!」
「では、いつお会いになるの?」
「そう……会うのは、帰りだね」
「でも、もしもお母さんがオムスクにいらっしゃったら、接吻しに一時間ぐらいはいらっしゃるんでしょう?」
「いや、わたしは行かないだろうよ!」
「お会いにならないの?」
「そうだよ、ナージャ……」と彼は答えたものの、もう胸がいっぱいになってしまって、これ以上娘の質問に答えつづけることはできないように思われた。
「そうだよと、おっしゃったわね、兄さん! ねえ、どういうわけなの? お母さんがオムスクにいらっしゃるのに、会いに行かないなんてことができるの?」
「どういうわけかって、ナージャ! きみはその理由が聞きたいのかい!」と彼は叫んだが、その声がいつもとまるで違うので、若い娘は思わず身ぶるいしたほどだった。「じつはその理由のために、あんな憎らしい男から卑怯者と言われても、がまんしなければならなかったんだ、あいつを……」
彼は言葉をつづけることができなかった。
「気を静めてください、兄さん」と、ナージャは、たいへんやさしい声で言った。「あたしは、たった一つのことしか知らないの、いいえ、知っているというんじゃなくて、感じているんだわ! それは、ある感情がいま兄さんのすべての行動を支配していることなの。おそらく息子をその母親に結びつけている愛情よりも、もしあるとすればもっと神聖な一つの義務感なのだわ!」
ナージャはだまった。そしてそのときから彼女は、ミハイル・ストロゴフの特別な事情に結びつきそうな話題を避けることにした。たしかに彼には触れてはならない秘密がなにかあるのだ。彼女はそれを口にしないことにした。
翌七月二五日の午前三時に、タランタスはイシムの渡し場から一二〇露里の距離を走って、チュカリンスクの宿駅に着いた。
その駅で、大急ぎで継ぎ馬をした。ところがそのときはじめて、御者が出発するのをいやがりだした。タタール軍の別働隊が草原地帯に入りこんでいて、旅行者や馬や馬車は、これらの強盗どもにつかまるにちがいないと言ってきかないのだ。
ミハイル・ストロゴフは金の力で、やっと御者のしぶる気持をなだめた。というのはこの場合にしてもほかの場合と同じように、持っている身分証明書を利用したくなかったからだ。最近発令された皇帝の勅令は電信によってシベリアの各州に知らされているにちがいなく、そういうときにその命令に従うことを特に免除されているロシア人ということになれば、必ず一般の人びとの注意をひいたからで――それは皇帝の密使としては、どうしても避けねばならないことだった。御者が躊躇したのは、あるいは旅行者が急いでいるので、それにつけこんで儲けようとしたのかもしれなかった。だがあるいは、ほんとうに不幸な事態が起こるのを恐れたのかもしれない。
ついに馬車は出発し、全速力で飛ばしたので、午後三時には、八〇露里も走ってクラチンスコエに到着した。それから一時間後には、イルトイシ川の岸辺に着いた。オムスクへはあと約二〇露里しかなかった。
イルトイシ川は大きな川で、アジアの北部へ水を注ぐシベリアの大動脈の一つである。アルタイ山脈に源を発して、東南から西北へと斜めに向かい、約七千露里を流れてからオビ川に合流するのである。
一年のこの時期はシベリア全土の河川が増水するので、イルトイシ川の水位も非常にあがっていた。したがって流れはほとんど奔流のように激しくなっていて、渡河はかなり困難をきわめていた。たとえ熟練した泳ぎ手でも、この川を泳いで渡ることはできないだろうし、渡船にしたって、危険がないとは言えなかった。
しかしこうした危険も、ほかの危険の場合と同じように、それがどのような危険であろうともあえてものともしないミハイル・ストロゴフとナージャとを、一刻たりとも引きとめてはおかなかった。
けれどもミハイル・ストロゴフは若い連れの女性にたいして、まず彼だけが馬車と馬とを渡船に乗せて渡ってみようと提議した。というのは、みんないっしょでは重みがかかるので、渡船が危ないのではないかと、心配したからである。そして馬と馬車とを対岸にあげてから、ナージャを迎えにくると言うのだった。
ナージャは反対した。それでは一時間おくれることになるし、彼女の身の安全のために急ぎの旅をおくらせたくなかったからである。
乗船は、けっして楽ではなかった。なぜなら河岸の土手がところどころ水びたしになっているので、渡船を岸の近くにつけることができなかったからだ。
しかしながら三〇分間いろいろとやってみた結果、船頭は三頭の馬と馬車とを船に乗せることができた。そこでミハイル・ストロゴフと、ナージャと御者とは、船に乗りこんだ。船は岸を離れた。
はじめのうちは、すべてが順調にいった。イルトイシ川の流れは、長く突き出た河岸によって川上でさえぎられ、うずを巻いて逆流しているので、らくに渡ることができた。二人の船頭は長い爪竿を巧みにあやつって船を押していた。ところが川の中央へ出るにつれて川底が深くなり、まもなく竿を肩にあてて押すのに、もう先のほうしか残っていなかった。爪竿の先は水面から三〇センチぐらいしか出ていなかった。――これでは竿を使うのがむずかしく、思うにまかせなかった。
ミハイル・ストロゴフとナージャとは船尾に腰をおろして、あいかわらずおくれることを心配しながら、船頭たちの竿の操作を不安げにながめていた。
「気をつけろ!」船頭の一人がその相棒に言った。
この叫び声は、船が全速力で新しい方向に向かったので発せられたのだった。船は流れを直接に受けて、急速に川を下りだした。そこで爪竿を巧みに使って、水の流れを斜めに切って進んで行かなければならなかった。船頭たちは爪竿の先端を、船べりの下に並んで作られてある切りこみにあてて、やっと船を斜行させることができた。船はすこしずつ、右岸へと進んでいった。
これで確実に、乗船した場所から五、六露里川下に着く見通しができた。馬と人とがなんの事故もなく船から降りることができれば、どこに着こうがそんなことは、けっきょく問題ではなかった。
二人の船頭はいずれもたくましい男たちで、高い船賃がもらえるというのでおおいに張りきって、とにかくこのむずかしいイルトイシ川の渡河をなんとかしてやってのけるつもりだった。
だが、彼らにも予想できない故障が起きるということはありうることであって、そうしたときには、いくら彼らが熱を入れてやっても、いかに彼らが熟練していようとも、どうしようもなかったろう。
船が両岸からちょうど同じくらいの距離の中心の流れにつかまってしまったのだ。船は一時間二露里の速さで下りはじめた。そのときミハイル・ストロゴフは立ち上がって、上流のほうを注意ぶかく見つめた。
彼はそのとき、数隻の船が全速力で下ってくるのを認めた。水の流れの速度に、船についている櫂《かい》の力がそれに加わっているからだった。
ミハイル・ストロゴフの顔が、急に緊張した。思わず叫び声を発した。
「どうしたんです?」ナージャがたずねた。
だが、ミハイル・ストロゴフが彼女に答える前に、船頭の一人がおびえた声で叫んだ。
「タタール人だ! タタール人だ!」
じじつタタール人の兵士を乗せた船が、イルトイシ川を急速に下ってきた。数分もたたないうちに、彼らから逃げるにはあまりに重たいものを積みすぎている渡船に追いつくだろう。
船頭たちはタタール人の出現におびえきって絶望の叫び声をあげ、彼らの爪竿を手放してしまった。
「しっかりしろ、みんな!」と、ミハイル・ストロゴフは叫んだ。「しっかりするんだ! やつらが来るまでに右岸に着けたら、五〇ルーブルやるぞ!」
船頭たちはこの言葉に元気づいて、ふたたび船をあやつって、流れを斜めに横ぎりだした。だが、まもなくしてタタール人に追いつかれることは明らかだった。
タタール人どもは彼らをおびやかさずに通り過ぎるだろうか? そのようなことは、ありえなかった。それどころか、これら掠奪者に関する最悪の場合を心配しなければならなかった。
「こわがることはないよ、ナージャ」と、ミハイル・ストロゴフは言った。「だが、どんなことが起ころうとも覚悟はしておかねばならないよ!」
「覚悟はできてますわ」と、ナージャは答えた。
「わたしが合図をしたら、川に飛びこむ覚悟もあるかね?」
「あなたがそう言ってくだされば、いつでも」
「わたしを信頼してくれ、ナージャ」
「ええ、信頼しますわ!」
タタール人の船との距離は、もはや三〇メートルほどしかなかった。それらの船には、オムスクを偵察に行くブハラ人の分遣隊が乗っていた。
渡船は、岸辺から船の長さの二倍ぐらいの距離にまで来ていた。船頭たちは努力を倍にした。ミハイル・ストロゴフも彼らに協力して爪竿をつかみ、超人的な力であやつった。もしタランタスを降ろして、馬を全速力で走らせることができれば、馬に乗っていないタタール人から逃れる機会はあった。
だが、こうした努力も、むだになりそうだった!
「サリン・ナ・キチュウ!」と、先頭の船の兵士たちが叫んだ。
ミハイル・ストロゴフは、タタール人の賊どもが叫んだ意味がわかったので、腹ばいになるほかはなかった。
だが、船頭も彼もこの命令に従わなかったので、いきなり猛射をあびせてきた。二頭の馬が重傷を受けた。
そのとき大きな衝撃を受けて……渡船は幾隻かの船に舷側で接触させられたのだった。
「さあ、ナージャ! 飛びこむ用意はいいか!」と、ミハイル・ストロゴフが叫んだ。
娘は彼のあとに従おうとした。そのときミハイル・ストロゴフは、槍で突かれて、川に落ちたのだった。彼は流れに押し流された。彼の手が一瞬、水の上でもがいた。それっきり姿を没してしまった。
ナージャは叫び声をあげた。だが彼につづいて身を投じるその前に、彼女はつかまり、抱きかかえられて、一隻の船に移された。
一瞬ののち、船頭たちは槍で突き殺された。そして渡船は流れのままにただよっていった。そのあいだにタタール人たちは、イルトイシ川を下りつづけて行った。
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十四 母と息子
オムスクは、西シベリアの公式上の首都である。だが、この名前をもった管区のいちばん重要な町ではない。なぜならトムスクがいちばん人口が多くて、いちばん重要な町だからだ。だがアジア・ロシアの最初の半分を治めている総督が駐在しているのは、このオムスクなのである。
オムスクは、厳密に言えば、はっきりと二つに分かれた町からなっている。一つは主として管区の官庁や役人たちの住宅であり、もう一つは、たいした繁華街ではないが、シベリアの商人たちが多く住んでいる。
この町の人口は、約一万二千から三千くらいであった。町の周囲は城壁で守られていたが、その砦は土でできているので、外敵を防ぐにはじゅうぶんとは言えなかった。それゆえ、このことを知っていたタタール軍は、この時期に全力を挙げて攻撃し、数日間にして占領してしまったのである。
二千人に減っていたオムスクの駐屯兵は、勇敢に闘った。だがタタール軍に圧倒されて、しだいに商業地区から追い出され、山の手の町に逃れなければならなかった。
総督をはじめとして、士官や兵士は、そこに立てこもった。彼らはオムスクのこの山の手地区の家々や教会に銃眼をつくって一種の城塞となし、援軍が救助に来るという大きな希望もなくして、このにわか造りの要塞のなかで、これまで勇敢にもちこたえてきたのだった。じじつ、イルトイシ川を下ってくるタタール軍は、毎日あらたな援軍を迎えていた。そしてもっと重大なことは、彼らはいま、祖国を裏切った一士官、しかしはなはだ有能の士であり、どんな試練にも耐えられる大胆不敵な男によって指揮されているということだった。
それが、イヴァン・オガリョフ大佐だった。
イヴァン・オガリョフは、いま彼が前線に送り出しているタタール軍の指揮者と同じように恐ろしい人間であるが、また教育を受けた軍人でもあった。彼は母系の蒙古人の血がすこしばかりまじっているアジアの出身で、権謀術数を好み、なんらかの秘密をつかんだり、なにか罠《わな》を張ったりするときは、いかなる手段をも選ばなかった。彼は生まれつきのペテン師で、好んで汚らしい姿に変装し、必要とあらば乞食姿にも身をやつすという、つまりどんな形、どんな姿にもなれるという特技を身につけていた。それに彼は残忍な人間であって、いざというときには死刑執行人にもなった。そこでフェオファル汗は、こんどの野蛮な戦争で、彼を自分の片腕とするに足る人物だと思ったのである。
ところで、ミハイル・ストロゴフがイルトイシ川の岸辺に上がったときには、イヴァン・オガリョフは、すでにオムスクの支配者になっていた。そしてタタール軍の主力が集結しているトムスクに早く行こうと思っていたので、オムスクの山の手区域の攻撃をひどくあせっていた。
トムスクはじじつ、この数日以来、フェオファル汗の軍隊によって占領されていたのだった。中央シベリアの支配者となった侵入軍は、イルクーツクめざして進軍を開始しなければならなかった。
イルクーツクが、イヴァン・オガリョフのほんとうの目的であった。
この裏切者の計画は、偽名を使って大公に取り入り、その信頼を得たのちに、時がきたら、町と大公自身とをタタール軍に引き渡そうというのだった。
この町と、このような人質とを握っていれば、アジア・シベリアの全部は、侵入軍の掌中のものとなるにちがいなかった。
ところで、すでに諸君もご承知のとおり、この陰謀は皇帝の知るところとなり、その裏をかくために重要な密書が、ミハイル・ストロゴフに托されたのである。そして彼は自分を隠して反乱軍の侵入した地方を突破して行くようにと、このうえもない厳しい命令を受けたのだった。
この使命を、彼はいままで忠実に果たしてきた。だがいまとなっては、それを完全に成しとげることができるだろうか?
ミハイル・ストロゴフの受けた傷は、致命的なものではなかった。彼は敵に見つけられないように泳いで右岸にたどり着いたが、そこのアシのしげみのなかで、気を失って倒れた。
われに返ったとき、彼は、とある農家の小屋にいるのに気づいた。彼がまだ生きていられたのはこの人のおかげで、この農夫は彼を小屋にはこんできて、介抱してくれたのである。いつから、この親切なシベリア人の世話になったのであろうか? それは彼にはわからなかった。だが目をあけたとき、彼は自分の上にかがみこんでいる、ひげだらけの人のよさそうな顔を見た。老人は彼を、思いやりのある目つきで見ていた。彼は自分がどこにいるのかきこうとした。すると農夫はそれと察して、彼に言った。
「口をきいてはいけないよ、まだ話をしてはいけない。あんたはまだ、からだが弱っているんだ。わしが話して進ぜよう、あんたがどこにいるか、わしがあんたをこの小屋にはこんできてから、どんなことがあったかをね」
そして農夫は彼に、その目で見た闘いの実況、タタール人による渡船の攻撃、タランタスの掠奪、そして船頭たちの虐殺の模様などを語った。
だが彼はもう農夫の話など聞いてはいなかった。手を衣服にもっていった彼は、密書があいかわらず胸のなかにしまわれてあるのを確かめたのである。
彼はほっと息をついた。だが、まだそれだけではなかった。
「若い娘が、わたしといっしょにいたのですが!」と、彼は言った。
「奴らは殺しはしなかったよ!」農夫は客人の目に不安の色を見てとって、そう答えた。「彼らは娘さんを船に乗せて、イルトイシ川を下って行ったよ! 大勢女がトムスクへ連れていかれたが、娘さんもそのなかに入れられたんだね!」
ミハイル・ストロゴフは、答えることができなかった。彼は手を心臓の上において、動悸を静めようとした。
だがこうした試練の数かずにもかかわらず、義務感が彼の心を支配していた。
「わたしは、どこにいるのでしょうか?」と、彼はたずねた。
「イルトイシ川の右岸だよ。オムスクからわずかに五露里のところだ」と、農夫は答えた。
「こんなにひどくやっつけられるなんて、どんな傷を受けたんでしょうね? 鉄砲の傷でしょうか?」
「いや、頭を槍で刺されたんだよ、もう傷口はふさがってるがね」と、農夫は答えた。「もう四、五日も休めば、旅をつづけられるだろう。あんたは川に落ちたんだよ。だがタタール人は、あんたを刺そうとも、捜そうともしなかったんだ。それからあんたの財布は、ちゃんとポケットに入ってるよ」
ミハイル・ストロゴフは、農夫に手を差しのべた。それから思いきって努力して、起き上がると、農夫にたずねた。
「いったい、いつごろからわたしはお宅の小屋に厄介になってるんですか?」
「三日前からだよ」
「三日も無駄にしたのか!」
「三日間、あんたは意識がなかったんだよ!」
「お宅に、売ってくださる馬はあるでしょうか?」
「出かけたいのかね?」
「ええ、いますぐにでも」
「馬も、馬車もないよ。タタール人が通ったあとには、なんにも残りやしないさ!」
「では、オムスクまで歩いて行って、馬を探します……」
「もう五、六時間、休んでいけば、らくに旅行ができるんだがなあ!」
「一時間だって、休んじゃいられないんです!」
「じゃ、行きな!」どうしてもこの客人の気持をまげることができないとわかったので、農夫は言った。そして、こう言いたした。「それに、まだオムスクにはロシア人がたくさんいるから、たぶん気づかれないように、そのなかにまぎれこむことができるだろうよ」
「おじいさん、あなたがわたしにしてくださったご親切にたいして、神さまのおめぐみがありますように!」と、ミハイル・ストロゴフは言った。
「神さまのおめぐみだって! この世でそんなものを期待するなんて、ばか者だけだよ」と、農夫は答えた。
ミハイル・ストロゴフは小屋から外へ出た。だが歩こうとすると、ひどくめまいがして、もし農夫がささえなかったら、その場に倒れたにちがいなかった。だが外気が、すぐに元気づけてくれた。そのとき彼は、頭に受けた傷の痛みを感じたが、毛皮の帽子をかぶっていたために、痛みはだいぶやわらいだ。これまでのことでもわかるように、精力絶倫な彼のこととて、これぐらいのことでまいるような男ではなかった。ただ一つの目標がいつも、彼の目の前にあったのだ。それはなんとしても、はるか彼方のイルクーツクへ行かねばならないことだった! だがそうするには、オムスクに止まらずに、通過しなければならなかった。
「神さま、どうぞ母とナージャをお守りくださいますように!」と、彼はつぶやいた。「わたしにはいまのところ、この人たちのことを考えてやることが許されていないのです!」
やがて彼と農夫とは、下町の商店街に至った。そこは軍事的には占領されていたものの、彼らはなんなく入ることができた。土造りの城壁はいたるところ壊されていて、その割れ目から、フェオファル汗の軍隊のあとについてくる無頼漢どもが入りこんでいた。
オムスク市内の街路や広場には、タタール人の兵士を多く見かけたが、一つの鉄の手が、彼らには不慣れな規律を彼らに課していることが、はっきり感じられた。じじつ彼らはけっして一人で歩いてはおらず、どんな攻撃に対しても防備できるように、武装したグループをつくっていた。
大広場は野営地に変わって、多くの歩哨が見張りにつき、二千人のタタール兵が秩序を保って露営していた。馬は杭につながれていたが、いつも馬具がつけられてあって、命令さえあればいつでも出動できるように準備ができていた。これらタタール軍の騎兵にとってはオムスクはかりの休息所にしかすぎなかったからで、こんなところよりも東部シベリアの豊かな平原のほうが彼らの望むところであって、そこでは町はずっと豊かで田舎は肥沃であり、つまり掠奪しがいがあったからである。
この商業地区の上のほうに山の手地区があったが、そこはいままでイヴァン・オガリョフが何度も攻撃をかけては勇敢な抵抗にあい、いまだに攻略できなかった。銃眼のあるこの砦の上には、ロシアの国旗がひるがえっていた。
ミハイル・ストロゴフとその案内役とはそれを見ておおいに誇りを感じ、心からの願いをこめてこの国旗に敬礼した。
ミハイル・ストロゴフは、オムスクの町はよく知っていた。それゆえ案内者について行きながらも、あまり人通りの多い通りは避けていた。彼は人に見られるのを恐れているのではなかった。この町で、彼をほんとうの名で呼べるものは、彼の母親だけだったろう。ところが彼はこの母に会うまいと、心に誓っていたのだった。そして、おそらく会わないだろう――彼は心からそうなることを願っていたのだ――おそらく母は、草原地帯のどこか静かな場所に逃げて行ったにちがいない。
たいへん具合のいいことに、農夫は宿駅長をよく知っていて、彼の言葉によれば、金さえ出せば宿駅長は馬車でも馬でも、貸すなり売るなりしてくれるとのことだった。町から出ることは困難だったが、城壁の割れ目をうまく利用すれば、できないこともなかった。
そこで農夫は、直接ミハイル・ストロゴフを駅のほうへ連れていった。そのとき狭い道で、とつぜん彼は立ち止まり、壁の後ろに身を隠した。
「どうしたんだね?」このとつぜんの動作にたいへんびっくりした農夫は、せきこんでたずねた。
「しっ!」と急いで答えて、彼は唇に指をあてた。
そのときタタール軍の一小隊が大広場から出てきて、いま彼らが歩いてきた小道に入ってきた。
二〇人からなるこの騎兵の先頭に、ごく質素な軍服に身をかためた士官がいた。この男の視線は忙しく左右に向けられていたが、すばやく身を隠したミハイル・ストロゴフの姿には気がつかなかった。
この小隊は、全速力で、この狭い道を駆け抜けていった。士官もその護衛兵も、住民のことなど眼中になかった。これらの気の毒な連中は、彼らのために道をあけるひまもなかった。それゆえなかば押し殺したような叫び声をあげると、すぐに槍の穂先がくりだされた。だから道は一瞬のうちに開けられた。
この護衛隊が見えなくなると、
「あの士官は誰です?」と、ミハイル・ストロゴフは農夫のほうを振り向いてたずねた。
こうした質問をしているあいだでも、彼の顔は死人のようにまっ青だった。
「あれが、イヴァン・オガリョフだよ」と、農夫は答えた。だがその低い声には、憎悪がこめられていた。
「あいつが!」と、ミハイル・ストロゴフは叫んだ。思わず口から出たこの叫びには、どうにも抑えきれない怒りの口調がみえた。
彼はこの士官が、イシムの宿駅で彼をなぐった旅行者であることを認めた。
そしてそのとき、彼の心にちらりと感ずるものがあった。あの旅行者は、ニジニー・ノヴゴロドの市場で、ちょっと見ただけだが、その言葉を聞いたことのあるジプシーの老人を思い出させたのだった。
彼の勘は、間違っていなかった。この二人の人物は、同一人物だった。イヴァン・オガリョフはジプシーの老人のような服装をしてサンガールの一行にまじり、ニジニー・ノヴゴロドから逃れることができたのだった。ニジニー・ノヴゴロドへ彼は、中央アジアからここの市に集まってきた外国人のなかに、自分の悪企みの遂行に加わろうとする腹心の者を探しに行ったのだった。サンガールと彼女の率いるジプシー女たちは、彼に買収されているほんとうのスパイで、彼にたいしては献身的に仕えていた。ニジニー・ノヴゴロドの市で、あの晩、いまこそその意味がはっきりわかるが、あの謎のような言葉を吐いたのは彼だったのだ。ジプシーの女たちといっしょにコーカサス号で船旅をしたのは、彼だったのだ。カザンからイシムまで、別の道を通ってウラル越えをしてオムスクへ着いたのは、彼だったのだ。そしていま彼は、ここで支配者として指揮しているのである。
イヴァン・オガリョフがオムスクへ着いたのは、やっと三日前のことだった。あのイシムにおけるいまいましい出会いさえなかったならば、イルトイシ川のほとりに三日間ひきとめられるような事件さえなかったならば、ミハイル・ストロゴフはあきらかに彼より先にイルクーツクへの道をとっていたであろうが!
だが、これから先、どのくらいの不幸が避けられるだろうか、それは誰にもわかるまい!
いずれにしてもミハイル・ストロゴフは、これまで以上にイヴァン・オガリョフを避けなければならず、また彼に見られないようにしなければならなかった。いずれこの男とは相対するときがあるだろうと思うが、そのときにはちゃんと会ってやろう――たとえ彼がシベリア全体の支配者になったとしても!
農夫と彼は町を横ぎって、宿駅に至った。城壁の壊れた裂け目からオムスクを立ち去ることは、夜になればそれほどむずかしいことではないようだった。タランタスにとって代わる馬車を買うことは、不可能なことであった。ここには売ってくれる馬車もなければ、貸してくれる馬車もなかった。だが彼は、いまは馬車を必要としなかった。ああ! 彼はたった一人で旅するのではないか? 一頭の馬さえあれば、それでじゅうぶんだった。しかもたいへんありがたいことに、彼はそれを手に入れることができた。長途の疲れにも耐えることのできるたいした馬で、それに彼は名うての騎手だし、うまく手綱をさばいて、突っ走ることができるだろう。
馬には高い値段を払った。そして数分後には、もう出発の用意ができた。
そのとき、午後の四時だった。
ミハイル・ストロゴフは城壁を抜け出るには夜を待たねばならなかったが、オムスクの町には出たくなかったので、宿駅に残っていた。彼はそこで、すこしばかり腹ごしらえをした。
宿駅の広間は、えらい混雑ぶりだった。当時のロシアの宿駅はどこでもそうだったが、非常に不安そうな顔をした住民たちが、ここにニュースを求めにきていた。人びとは近いうちにモスクワの軍隊がやってくると話し合っていたが、それはこのオムスクではなくて、トムスクにだった。その軍隊は、フェオファル汗のタタール軍からその町を奪い返すためにやってくるのだというのだ。
ミハイル・ストロゴフは、人びとの言うことにじっと耳を傾けていた。だが、けっしてその会話のなかに入ろうとはしなかった。
とつぜん、一つの叫び声を聞いて、彼は身ぶるいした。その叫び声は、彼の魂の奥底にまでひびいた。二つの言葉が、彼の耳朶《じだ》を打ったからだった。
「わたしの息子よ!」
彼の母親が、老婆のマルファが、彼の前にいるではないか! 彼女は喜びに身をふるわせながら、彼にほほえみかけていた! 彼女は、彼に腕を差しのべた!……
彼は立ち上がった。そして、まさに身を投げ入れようとした……。
だが、そのとき、義務を思う心が、このような不運なめぐり合いによって彼とその母親とにもたらされる大きな危機感とが、とつぜん彼をひきとめた。彼は強い自制力をもって、顔の筋肉一つ動かさなかった。
広間には、二〇人ぐらいの人が集まっていた。これらの人びとのなかにはスパイがいるかもしれなかったし、また町の人のなかで、マルファ・ストロゴフの息子が皇帝の伝令隊に属していることを知っている者がいないともかぎらなかった。
ミハイル・ストロゴフは、じっとしたままだった。
「ミハイル!」彼の母親は叫んだ。
「いったい、あなたはどなたさまなので、奥さま?」彼は言葉をはっきりさせずに、口ごもるようにして言った。
「あたしが誰だって? そんなことを、おまえはきくのかえ! あたしの息子、おまえは、あたしの顔が、わからなくなったのかね?」
「人違いです!」彼は冷ややかに答えた。「他人のそら似ですよ」
年老いたマルファは、彼のほうへまっすぐにやってきて、その目をじっとのぞきこんで、たずねた。
「おまえはピョートル・ストロゴフと、マルファ・ストロゴフの息子じゃないのかね?」
ミハイル・ストロゴフは、彼の腕のなかに思いきって母親を抱きしめることができるなら、彼の生命をも与えたであろう! だがここで彼が譲歩したら、彼自身をも、母親をも、彼の使命をも、彼の誓いをも、すべてがだめになってしまうのだ! そこで彼は極力自制して、母親がその尊敬している顔をひきつらせてなんともいいようのない苦悶を示しているのを見まいとして目を閉じ、彼を探し求めているふるえる手を握らないようにと手をひっこめた。
「わたしには、ほんとうのところ、あなたのおっしゃることがよくわかりませんね、おばあさん」と彼は答えて、数歩あとずさりした。
「ミハイル!」年とった母親は、もう一度叫んだ。
「わたしはミハイルという名ではありません! わたしはあなたの息子なんかじゃありませんよ! わたしはイルクーツクの商人で、ニコライ・コルパノフという者です!」
そして、いきなり彼は広間を出ていった。そのあとを、母親の最後の声がひびきわたった。
「あたしの息子! あたしの息子!」
ミハイル・ストロゴフは、すっかり疲れ切って外へ出た。彼はその老母がほとんど死んだようになって、どっとベンチにくずれるようにして倒れたのを見なかった。だが、宿駅長が彼女を助け起こそうとして駆けよったとき、老婆は自分で立ち上がった。急に一つの考えが、彼女の脳裡にひらめいたからだった。息子が自分のことを覚えていないなんて、ありえないことだった! また自分が見間違えるなんて、他人を息子と間違えるなんて、そんなこともありえないことだった。自分がいま見たのは、たしかに息子だった。それなのに息子が自分を認めなかったのは、認めたくなかったからなのだ、認めてはいけなかったのだ、こうまでするには、なにか恐ろしい理由があったのだ! そう考えたとき、彼女は自分の母親としての感情を抑えつけて、もはや一つの考えしかなかった。「あたしは自分で知らないうちに、あの子を破滅に追いやるようなことをしてしまったのではないだろうか?」
彼女は彼のことをたずねる人びとに、こう言った。
「あたし、頭がどうかしたんです! 見間違えたんですよ! あの若い男は、あたしの息子じゃありません! 声が違っていました! もう考えるのはやめましょう! しまいには、あっちこっちで息子を見かけることになりかねませんからね」
それから一〇分もたたないうちに、タタール軍の一士官が宿駅にやってきた。
「マルファ・ストロゴフはいるかね?」と、彼はたずねた。
「あたしですが」老婆は落ち着いた口調で答えた。そしてその顔もたいへん穏やかだったので、いましがた起きたことを目撃した人たちには、それが同じ彼女だとは思えなかったであろう。
「来い!」と、士官は命じた。
マルファ・ストロゴフはしっかりした足どりで、タタール軍の士官のあとについて、宿駅を出て行った。
しばらくすると彼女は、大広場の野営地で、すでにさっきのことを詳細にわたって直ちに報告を受けたイヴァン・オガリョフの前にいた。
イヴァン・オガリョフは事実を確かめたいと、自分自らこのシベリア人の老婆を調べてみる気になったのだった。
「おまえの名前は?」彼はあらあらしい口調でたずねた。
「マルファ・ストロゴフ」
「おまえには息子があるな?」
「はい」
「皇帝直属の伝令だな?」
「はい」
「どこにいる?」
「モスクワにおります」
「彼から便りはないかね?」
「ありません」
「いつごろからか?」
「もう二か月になります」
「では、いましがた駅で、おまえが息子と呼んだあの若者は、誰だね?」
「若いシベリア人を、息子と間違えたのです」と、マルファ・ストロゴフは答えた。「この町に外国人がたくさん来るようになってから、てっきり息子に会ったと思ったのは、これで一〇人めですよ! どこででも息子に会うように思われるのです!」
「では、その若者は、ミハイル・ストロゴフじゃなかったんだね?」
「ミハイルではありませんでした」
「わかってるだろうが、ばあさん、おまえがほんとうのことを白状するまでは、拷問にかけることだってできるんだよ!」
「あたしは、ほんとうのことを言っていますよ。拷問にかけられたって、あたしの言うことに変わりはありませんとも」
「あのシベリア人は、ミハイル・ストロゴフじゃなかったんだね」と、イヴァン・オガリョフは、もう一度たずねた。
「そうです、ミハイルではありませんでした。ひとさまの息子を、神さまがあたしにお授けくださった子供だなんて、どう考えたっておかしいじゃありませんか?」
イヴァン・オガリョフは、自分に正面から挑んでくるこの老婆を、意地悪そうな目でにらみつけた。彼は老婆があのシベリア人の若者を自分の息子だと認めたことを疑わなかった。ところで、息子が最初その母親を否認し、つぎに母親が息子を否認したとなると、これは何か非常に重大な理由がなければならない。
つまりイヴァン・オガリョフとしては、あの自称ニコライ・コルパノフが皇帝の密使ミハイル・ストロゴフであることは、もはや疑うまでもなかった。偽名を使って自分を隠し、何か重大な使命をおびているにちがいなく、それをなんとかして知らなければならなかった。そこで彼は、ただちにストロゴフのあとを追うようにと命令を下し、それからマルファ・ストロゴフのほうを見やって言った。
「この女を、トムスクに連れていけ!」
そして兵士が老婆を乱暴にひったてていくのを見て、口のなかでつぶやいた。
「そのときになりゃ、どんなことをしても口を割らしてみせるぜ、くそばばあめ!」
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十五 バラバの沼地
ミハイル・ストロゴフが大急ぎで宿駅を出ていったのは、よかった。彼がオムスクから出られないようにするためのイヴァン・オガリョフの命令は、すぐに町のすべての入口に伝えられ、彼の人相書はすべての宿駅長に送られた。だが、そのときすでに彼は城壁の壊れた口から脱出し、馬は草原を走っていた。すぐに追跡されなかったので、どうやらうまく逃げられそうだった。
ミハイル・ストロゴフがオムスクを出発したのは、七月二九日の午後八時だった。この町は、モスクワとイルクーツクの、ほぼ中間にあった。彼がタタール軍の縦隊より先にイルクーツクに入ろうとするなら、一〇日以内に着かなければならなかった。母親と出会ってしまったあの不幸な偶然によって、彼の偽名がわかってしまったことは、もう明白だった。イヴァン・オガリョフは、皇帝の密使がオムスクを通過してイルクーツクへ向かったことを、もはや知っていた。この使者が持っている至急の密書は、非常に重大なものにちがいなかった。そこでミハイル・ストロゴフは、彼を捕えるためにあらゆる手がうたれるであろうということを知っていた。
だが、彼の知らないこと、彼が知ることのできなかったことは、マルファ・ストロゴフがイヴァン・オガリョフに逮捕されたこと、そして、とつぜん息子を目の前にみて抑えきれなかった行動の償いを、おそらくは彼女の生命をもってしなければならないということだった! 彼がそれを知らなかったのは、幸福だった! 彼はこの新しい試練に、はたして耐えられたであろうか?
ミハイル・ストロゴフは、彼の身内にたぎっている熱病のような焦燥感を伝えることによって、馬を駆り立てていた。彼は馬に、ただ一つのことしか求めていなかった。それはすこしでも早く新しい宿駅へ着くことであって、そこへ着いたら、もっと速く走る馬とそれを取り替えることだった。
彼は七〇露里飛ばして、真夜中にクリコヴォの宿駅に着いた。だがそこでは、彼がおそれていたように、馬も馬車も見つからなかった。タタール軍の分遣隊がいくつか、草原地帯の大きな道を通って行ったのだった。村でも、宿駅でも、あらゆるものが盗まれたり、徴発されたりした。彼は馬にやる若干の馬糧と、彼自身のための食物を手にいれるのが、やっとだった。
そこで、馬をいたわってやる必要があった。なにしろ、いつ、どうやって馬を替えられるか、まったくわからなかったからだ。だが彼と、イヴァン・オガリョフが彼を追跡するために派遣したにちがいない騎兵たちとの距離を、できるだけ大きく開けておきたかったので、もっと先まで走りつづけようと決心した。そこで一時間の休息ののち、ふたたび草原を横ぎって疾駆した。
これまで天候はさいわいにも、皇帝の密使の旅行に便宜を与えていた。気温も耐えられた。この時期は夜が非常に短いので、雲を通して射す月のうすぼんやりした光に照らしだされて、道がよくわかった。それに彼は、いかにも自分の行く道に確信をもっている人間のように、いささかの疑いもためらいもなく馬を走らせた。彼は苦しい思いにつきまとわれながらも、澄みきった精神をもちつづけて、目的地に向かって、あたかもその目標がはっきり地平線のかなたに見えるかのように、馬を進めていた。ときには道の曲がり角などでちょっと止まることもあったが、それは馬に一息つかせるためであった。そういうときには、馬をすこしでも軽くしてやるために、彼は馬から降りた。それから地面に耳をあてて、馬の疾駆する蹄《ひづめ》の音が草原の表面にひびいてきはしまいかと、じっと聴き入った。そしてその心配がないことがわかると彼はふたたび馬を進めた。
ああ! シベリアの全土が、あの白夜、数か月間も続く白夜だったならば! それこそもっと確実に突っ走れて、どんなにかそれが望ましかったことだろう。
七月三〇日の午前九時に、ミハイル・ストロゴフはトルモフの駅を過ぎて、バラバの沼地の多い湿地帯に入った。
この三〇〇露里にわたる全域は自然の難所で、越えるのが非常に困難だった。彼はそのことを知っていた。だが同時に、それを越えられることもまた、知っていた。
北から南へと北緯六〇度と五二度のあいだにはさまれているこのバラバの広大な沼地は、オビ川へもイルトイシ川へも流れることのできない雨水の貯水池となっている。そしてこの広大な湿地は完全な粘土質なので、水がしみこまずにたまってしまうのである。そこでこの地方は、夏には非常に旅行がしにくくなる。
ところが、イルクーツクへの道は、ここを通っているのである。しかも道は、太陽が沼や池や湖水の毒気を発散させているまんなかを通っているので、旅行者は非常に疲れて、ときにはたいへん危険な目にあうことがある。
だが冬になると、寒さのためにすべての水が凍って、雪が地面を平らにし、毒気を凝結させてしまうので、そりはバラバの固い大地の上をらくらくと、無事にすべることができるのである。そこで猟師たちは、獲物の多いこの地方に、貂《てん》や黒貂や、毛皮がたいへん珍重されている高価な狐を求めて、よくやってくる。しかし夏になると、沼地はふたたび泥どろになり、悪臭を発し、水面がひどく上がってくると、歩くことができなくなる。
ミハイル・ストロゴフは、泥炭質の草原のまっただなかに馬を乗り入れた。ここにはもはや、シベリアの家畜の大群がとくに好んで食べる、草原地帯のあまり高くない芝草は生えていなかった。そこは果てしない草原ではなくて、木のような丈の高い草の生えている一種の大きな林だった。
ここの芝草は、一メートル半から二メートル近くの高さがあった。雑草はなくなって、沼地特有の植物が繁茂していて、湿気に夏の熱気が加わり、それらは大きく生長していた。それは主として藺《い》と花藺《はない》で、ほぐせない網目や、入りこめない格子をつくり、色彩のあざやかな花ばながたくさん点在しており、なかでもユリやイチハツの花が一段と美しく、その芳香は地面から立ちのぼる温かい水蒸気と入りまじっていた。
こうした藺《い》のしげみのあいだを疾駆しているミハイル・ストロゴフの姿は、道に沿っている沼地からは、もはや見えなかった。大きな草は彼の背丈よりも高く、彼の通ったあとは、ただ飛び立つ無数の水鳥によってわかるだけだった。これらの水鳥は道端から飛び上がって、鳴きながら群れをなして、空の高みへ散っていった。
だが、道ははっきりとついていた。あるところでは、沼地特有の植物がこんもりしげっているあいだをまっすぐに走り、またあるところでは大きな池、そのあるものは長さや幅が数キロもあって、むしろ湖といってよく、それら曲がりくねった岸辺に沿って走っていた。またあるところでは、よどんだ溜り水を避けることができずにその上を道が走っているのだが、そこには橋をかけるでもなく、粘土を厚く積み重ねた土台の上に樅や樫の厚板を敷いて道がついていたが、この厚板は深淵の上にかけられた薄っぺらな板のように、ぶらぶらゆれていた。こうした道が、七〇メートルから一〇〇メートル近くまでつづいているときがあるが、そうしたときには馬車の旅行者、ことに女性の場合は、そこを通るときには船酔に似た不快感を覚えたという。
ミハイル・ストロゴフは、地面が固かろうが、足の下がたわもうがおかまいなしに、ただひたすらに走りつづけた。厚板がくさって、あいだにぽっかり口のあいたところは、さっと飛び越した。が、どんなに速く走っていても、乗り手も馬も、この沼地に繁殖している双翅《そうし》の毒虫に刺されることは避けられなかった。
夏にこのバラバ地方を横断しなければならない旅行者たちは、馬の尻尾でつくったマスクと、肩をおおうための、ごく細い鉄線でつくった鎖かたびらといったものを用意する必要があった。こうした用心をしても、この沼地から出てきたときには、顔や首や手に、赤い斑点のできていない人はほとんどなかった。まるで空気のなかに細い針が一杯あるようで、騎士の鎧でもこれらの毒虫の槍は守りきれまいと思われるほどだった。まったく人間が、蚊や、ぶよや、あぶや、また肉眼では見えない無数の小さな虫と絶えず闘わねばならないとは、まったくいやな地方だった。これらの小さな虫は、たとえ目には見えなくとも、どうにも我慢できない刺された傷の痛みによって、その存在が感じられるのであって、その痛みには、どんなに頑健なシベリアの猟師たちでもけっして我慢することはできなかった。
ミハイル・ストロゴフの馬は、この双翅《そうし》の毒虫に刺されて、無数の拍車の歯が横腹に食いこんだかのようにおどりあがった。馬は狂おしい怒りにかられて猛然と突っ走ると、尻尾で横腹をはらいながら、急行列車のような速さで走りだした。疾走することによって、痛みをやわらげようとするのである。
馬が毒虫に刺されるのを避けようとして、急にあとに引いたり、立ち止まったり、飛び上がったりするとき振り落とされないためには、ミハイル・ストロゴフのような上手な乗り手でなければならなかった。彼は言わば知覚を失ってしまったかのようで、肉体的な苦痛には無感覚になっていて、どんなことがあっても目的地に着くのだという望みによってしか生きてはいなかったのだ。そしてこの気違いじみた疾走のなかで、彼はただ一つのこと、道が彼自身の後ろに飛ぶように逃げていくことしか見ていなかった。
夏のあいだはこんなに不健康なこのバラバ地方に、ある人たちが隠れ家を求めにきているということを、誰が信じるであろうか?
ところがそのとおりなのだ。大きな藺《い》の茂みのあちこちに、いくつかのシベリアの小さな部落が現われたのだった。動物の皮をまとい、顔に松やにを塗った男、女、子供、老人が、貧弱な羊の群れに草を食わせていた。だが、これらの動物を毒虫の襲撃から守るために、かまどで生木《なまき》をたいて、その風下に動物を入れ、そのかまどに夜昼休みなく薪《まき》をくべていた。そのけむたくて目にしみるような煙は、広大な沼地の上にゆっくりとひろがっていった。
ミハイル・ストロゴフは彼の乗馬が疲れきって、いまや倒れる寸前だと思ったので、それらのみすぼらしい小部落の一つにとめた。そして彼は自分自身の疲れは忘れて、気の毒な馬の刺された傷痕を、シベリア地方の慣習に従って、熱い油でこすってやった。それから、まぐさをたっぷり与えた。このように馬の世話をじゅうぶんしてやったあとでなければ、彼は自分自身のことは考えなかった。彼はパンと肉の幾片かを食べ、ライ麦酒を二、三杯飲んで、元気をとりもどした。一時間、せいぜい二時間休んだのち、彼はイルクーツクへの道を全速力で急いだ。
このようにして彼は、トルモフを出発してから九〇露里を飛ばして、七月三〇日の午後四時に、疲れも覚えずにエラムスクに到着した。
この地で彼は、一夜の休息を彼の乗馬に与えてやらなければならなかった。いくら勇敢な馬でも、これ以上旅をつづけることはできなかったであろう。
エラムスクでも、ほかの場所同様、替え馬を見つけることはできなかった。これまでの町と同じ理由で、馬車も馬もなかった。
このエラムスクという小さな町は、まだタタール軍に攻略されていなかったが、住民はほとんどいなかった。というのは、この町は南からはらくに侵入されうるのに、北側からはなかなか救援されにくいという位置にあったからだった。そこで宿駅や、警察や、役場などは、上からの命令で放棄されていた。そして一方、役人や移動できる住民たちは、バラバ地方の中心であるカムスクに避難していた。
そこでミハイル・ストロゴフは、馬に一二時間の休息を与えてやるために、このエラムスクで一夜を過ごすことを観念しなければならなかった。彼はモスクワを出発するときに与えられた注意を思い出した。それは、身分を隠してシベリアを横断し、どんなことがあってもイルクーツクまで行かねばならぬが、先を急ぐのあまり成功をだめにするようなことがあってはならないということだった。そこで彼は、自分に残された唯一の輸送手段である一頭の馬を大事にしなければならなかった。
翌日彼は、タタール軍の最初の偵察隊が一〇露里後方のバラバの道に現われたと聞いたので、またもや沼の多い土地を横ぎって走った。道は平坦で走りやすかったが、非常に曲がりくねっていたので、道のりは長かった。だが道を離れて一直線に進むということは、そこには池や沼が網の目のようになっていてそれを越すことはできないので、やはり道を行くより仕方がなかった。
翌々日の八月一日正午に、彼は一二〇露里離れたスパスコエに着いた。そして午後二時には、ポクロウスコエで休止した。
彼の乗馬は、エラムスクを出発して以来疲れきっているので、もうこれ以上は一歩も進めなかったろう。
この地でミハイル・ストロゴフは、やむをえない休息として、その日の残りと一夜とを費やさねばならなかった。だが翌朝早く出発すると、あいかわらずなかば水にひたされたような土地を横ぎって馬を走らせ、八月二日の午後四時には、七五露里先の宿駅カムスクに至った。
土地柄が、すっかり変わった。このカムスクという小さな町は、住みにくいこの地方のまんなかに、健康に適して住みやすい、一つの島のようなものになっていた。この町は、バラバ地方の中心でさえあった。イルトイシ川の支流のトム川がこの町を通っているが、この川を運河にすることによってこの辺一帯が衛生的になり、悪臭を発する沼地は、このうえなく豊かな牧場になっていた。だがこのような土地改良はできても、秋のあいだこの町に住まうことを危険にする熱病を、まだ完全に征服することはできなかった。だがバラバ地方の住民たちが沼地の毒気から逃げ出して避難所を求めにやってくるのは、この町である。
タタール軍の侵入のために移住が行なわれているが、カムスクの小さな町では、まだ人口はそれほど減っていなかった。住民たちはおそらく、このバラバ地方のまんなかにいれば安全だと思っていたろうし、少なくとも彼らは町が攻撃を受けるような場合でも、十分逃げる余裕があると考えていたからであろう。
ミハイル・ストロゴフは、この地でなにかニュースでも聞きたいものだと願っていたが、このぶんでは、ここでは何も得られなかった。むしろこの町の役人は、もしこの自称イルクーツクの商人のほんとうの身分がわかったなら、逆に彼にききたかったであろう。じじつこのカムスクは、その位置によって、シベリアの圏外に、つまりいまシベリアを混乱にまきこんでいる重大事件の外におかれているように思われた。
まずミハイル・ストロゴフは、ごく稀にしかというよりも全然といっていいほど、姿を見せなかった。人に姿を見られないというだけでは満足せず、自分というものが全然見えないものであってくれればいいがと思っていた。過去の経験は、現在においても、また未来にたいしても、彼をますます警戒させた。だから彼は誰にも接触しなかったし、町の通りを歩かなかったばかりでなく、泊った宿から一歩も外に出なかった。
彼はこのカムスクで馬車を見つけようと思えばできたであろうし、オムスクからずっと彼を乗せてきた馬を、もっと快適な馬車に替えようと思えばできたであろう。だが熟慮した結果、馬車を買うことによって人の注意をひきはしまいかと恐れたのだった。ほとんどイルトイシ川の渓谷沿いにシベリアを横断しているタタール軍によって占拠されている線を脱出しないかぎりは、嫌疑をかけられるような危険はおかしたくなかったのだ。
それにバラバ地域の困難な横断をなしとげるためには、危険が身に迫ったとき沼地を横ぎって逃げるためにも、また追跡してくる騎兵との距離の差をつけるためにも、いざというときに藺《い》の厚い茂みのなかに飛びこむためにも、たしかに馬車よりも馬のほうが便利だった。後になって彼はトムスクから先で、また西シベリアの重要な中心地であるクラスノヤルスクを出てからも、そのほうがよかったことを思い知ったのである。
それに彼の馬について言えば、彼はそれを別の馬と取り替える気持はまったくなかった。彼はこの勇敢な馬に慣れていた。彼はこの馬を御す術《すべ》を知っていた。オムスクでこの馬が手に入ったのはたいへん運がよかったわけで、あの親切な農夫が彼を宿駅長のところへ連れていってくれたことが、おおいに彼のために役立ったのだ。それに彼はすでにこの馬に愛着を感じていたのだった。彼の乗馬はこうした長途の旅の疲れにも、また彼が与える休息時間の条件にも、だんだんと慣れてきたように思えたからだった。それがこの乗り手に、侵略された地方から先にもこの馬で行けるという希望を与えたのだった。
そこで八月二日から三日にかけての夕方と夜とは、彼は町の入口にある宿屋に閉じこもっていた。この宿屋には客がほとんどなく、うるさい人間やせんさくずきの眼から逃れることができたのである。
馬に不足なものはないかと調べたのち、すっかり疲れきった彼は横になったが、ときどきうとうととするだけで、よく眠れなかった。あまりに多くの追憶、あまりに多くの不安が、同時に彼におそいかかった。誰一人守ってくれるものとてなく、あとへ残してきた老母の面影と、あの気丈な娘の面影とが、かわるがわる彼の心のなかを過ぎていった。そしてそれらはしばしば、同じ一つの思いのなかにまじり合った。
それから彼は、かならずやりとげてみると誓った彼の使命のことを思いみた。モスクワ出発以来彼がその目で見たすべてが、この使命がいかに重大なものであるかを、ますます彼の心にきざみつけた。事態はいっそう重大になってきて、オガリョフの陰謀は、さらにそれをいっそう恐るべきものにしていた。彼の視線が皇帝の封印のしてある手紙――それにはおそらく多くの不幸にたいする解決策、戦禍に苦しんでいる全土の救済策がしたためてあるにちがいない――その上に落ちたとき、彼は突如として草原を横ぎって行きたい烈しい願い、イルクーツクと彼自身とをへだてている距離を鳥のように飛んでいきたい、多くの障害物の上を飛び越すためには鷲になりたい、突風になって一時間一〇〇キロの速力で空間を突っ切っていきたい、そしてついに大公の前に参上して、「殿下、皇帝陛下の使者としてまいりました」と言上したい気持がぐっとこみあげてくるのを感じた。
翌朝六時に彼は、この日のうちにカムスクとウビンスクという小さな部落とのあいだ八〇露里を疾駆する予定で出発した。二〇露里を経過したとき、彼はふたたび、どんなに排水しても乾くことのないバラバの沼地を見出した。ここらの地面は、しばしば三〇センチもの水につかってしまうのである。そこで道はなかなか見つけにくくなったが、ごく慎重に行動したので、なんらの事故もなくして通り抜けることができた。
ウビンスクに着いた彼は、一晩じゅう馬を休ませた。というのは翌日は、ウビンスクとイクルスコエとのあいだの一〇〇露里を、途中で休まずに突破するつもりだったからだ。そこで翌朝、夜明けとともに出発した。ところが不幸にして、バラバの沼地は、ますますどうにも手に負えない状態になってきた。
じじつ、ウビンスクとカマコヴァのあいだでは、数週間前に降った多量の雨が、この狭い窪地に、まるで水のこぼれない金だらいのなかのようにたまっていた。そしてこれらの沼や池や湖水の果てしない網にはもはや切れ目がなくなって、つながってしまった。それらの湖の一つ――それは地理事典にも載っているかなり大きな湖だが――シナ式の呼称によるチャヌイ湖は、二〇露里以上も岸に沿って行かなければならず、かつまた非常に危険が伴った。それでいくらかおくれたわけだが、これはミハイル・ストロゴフがいくらあせっても、どうなるものでもなかった。ところで、カムスクで彼が馬車を買わなかったのは、非常に先見の明があったと言えよう。というのは彼の馬は、いかなる馬車も通れないようなところも、平気で通ることができたからだ。
夜の九時に、彼はイクルスコエに到着して、一晩じゅうそこにいた。バラバのこの見捨てられた町には、戦争のニュースはまったく入ってこなかった。一隊はオムスクへ、もう一隊はトムスクへと分かれたタタール軍の二つの縦隊が形づくっている叉《また》のまんなかにあるこの地方は、いままでのところは侵入軍の脅威から逃れていたのである。
ところで、さすがに自然の障害は、ついに少なくなってきた。けだしミハイル・ストロゴフがおくれを感じなくなったのは、その翌日になって、バラバ地方を脱け出てからである。コリヴァンまでをへだてている一二五露里を走りさえすれば、道はふたたび走りよくなるであろう。
この重要な町に到着すれば、トムスクまでは、これと同じくらいの距離しかないだろう。そして到着したら、いろいろと状況を調べてみよう。その結果フェオファル汗が占領しているというニュースが正しければ、トムスクの町を迂回することになるだろう。
だが、イクルスコエとか、翌日通過するカルギンスクなどの町が、タタール軍の縦隊が機動するのに困難なバラバ地方の地勢のおかげで比較的平穏であるとすれば、オビ川のもっとも豊かな両岸は、自然の障害はもはやないとしても、こんどは人間に気をつかうようになりはしないだろうか? それはじじつある得ることだった。だが、どうしてもそうしなければならないとしたら、彼はためらわずに、イルクーツクへ通じる道から脇道へそれるであろう。そうすれば草原を突っきって行くことになり、あきらかにどうにもならなくなってしまう危険がたぶんにある。実際そこには、それとわかる道もなく、町も村もなく、やっと孤立した何軒かの農家の小屋と貧困者の粗末な小屋があるだけだった。おそらく泊めてはくれても、そこで必要なものを見つけることはできないであろう! だが、いざとなれば躊躇してはいられまい。
やっと午後の三時半ごろに、ミハイル・ストロゴフはカルガトスクの宿駅を通り過ぎたのち、バラバ地方の最後の窪地から脱け出た。そして、シベリア地方の乾いた固い大地が、ひづめの下でまたもや鳴りはじめた。
彼がモスクワを出発したのは、七月一六日だった。そして今日は八月五日、イルトイシ川のほとりで七〇時間をむだにしたのも計算に入れて、出発以来二〇日が経過したことになる。
イルクーツクまでは、なお一五〇露里あった。
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十六 最後の努力
ミハイル・ストロゴフは、バラバ地方のかなたにのびている平原ではいやな奴に出会うかもしれないと心配していたが、じじつそのとおりだった。馬のひづめに踏みにじられた畑は、タタール軍が通り過ぎたことを示していた。これらの蛮族にたいしては、かつてトルコ人にたいして言われたことが適用されるのである。「トルコ人が通り過ぎたあとには、草さえも生えない!」
彼はそこで、この地方を過ぎるには、このうえなく細心の注意を払わなければならなかった。地平線上にうずをまいているいくつかの煙は、町や村がまだ燃えていることを示していた。あれらの火は、前衛部隊によってつけられたのであろうか、それとも首領の率いる本隊が、この地方の最後の境界にまで、もう前進してきたのであろうか? フェオファル汗自身が、エニセイスクの管区に来ているのであろうか? ミハイル・ストロゴフには、ぜんぜんわからなかった。この点がはっきりわかっていないと、今後どうするか心の決めようがなかった。それでは、情報を与えてくれる人間が一人も見つからないほど、この地方は見すてられてしまったのだろうか?
彼は人一人いない道を、二露里走った。走りながら彼は、右に左に、人のまだ住んでいる家はないものかと目をくばった。だが彼が訪れた家は、すべて人が立ちのいていた。
ところがそのうちに彼は樹木のあいだに、まだ煙がくすぶっている一軒の小屋を見つけた。近づいてみると、焼け残りの家の近くに、泣いている子供たちに取りかこまれた一人の老人がいるのを見つけた。たぶんこの老人の娘で、これらの子供たちの母親にちがいない、まだ若い女が、地面にひざをついて血ばしった眼で、この歎かわしい光景をじっと見ていた。まだ生まれて数か月しかたたない赤ん坊に乳房をふくませていたが、その乳もまもなく出なくなってしまうであろう。この家族のまわりにあるものといえば、ただ焼け残りの家と貧困だけだった。
ミハイル・ストロゴフは、老人のそばへ行った。
「わたしにお答え願えるでしょうか?」と、彼はおもおもしい声でたずねた。
「どうぞ、おっしゃってください」と、老人は答えた。
「タタール軍が、ここを通ったのでしょうか?」
「そうですとも、だからわたしの家が燃えているんでさあ!」
「それは大部隊でしたか、それとも分遣隊でしたか?」
「大部隊でしたよ。ですからあんたの目のとどくかぎり、わたしたちの畑は荒らされているではないですか!」
「首領に率いられていたのでしょうか?」
「もちろん、そうですよ。その証拠に、オビ川の水がまっ赤になっているでしょうよ!」
「では、フェオファル汗は、トムスクに入ったのですか?」
「そう、トムスクにいるとも」
「タタール軍がコリヴァンを占領したかどうか、ご存じですか?」
「まだだろうね、だって、コリヴァンの町は、まだ焼けていませんもの!」
「どうもいろいろとありがとう。――ところであなたがたに、何かしてあげることがあるでしょうか?」
「いや、なんにもありませんな」
「では、また」
「さようなら」
そこで彼は気の毒な女のひざの上に二五ルーブルをのせたが、彼女はもう感謝する気力さえもなかった。それから彼は馬に乗り、ちょっと跡絶えていた道を急いだ。
いま彼は、一つのことがわかった。それはどんなことがあっても、トムスクを通ることは避けねばならないということだった。タタール軍がまだ入っていないコリヴァンに行くことはできた。この町で、これからの長い行程のために必要なものを補給しなければならなかった。トムスクを迂回するためには、オビ川を渡ったのち、イルクーツクへの道からそれる、それ以外にとるべき方法はなかった。
こうして新しい道をとるという決心がつくと、彼は一刻もためらわなかった。そこで馬を全速力で走らせて、そこからなお四〇露里もあるオビ川の左岸へ通じる道を急いだ。川を渡るのに渡船が見つかるだろうか、それともタタール軍が船をこわしてしまったので泳いで渡らねばならないだろうか? それはそのときのことだった。
馬はすっかり疲れきっていたので、この最後の行程に残っている力をふりしぼってもらったあとは、コリヴァンで新しい馬に取り替えるつもりだった。このかわいそうな馬がまもなく力が尽きてしまうであろうということを、彼ははっきり感じていたのだ。したがってコリヴァンが、新しい出発点になるであろう。というのは、この町を出発すると、彼の旅行は新しい条件のもとに実行に移されるわけだからだった。侵略されている地方を疾駆しているあいだはまだおおいに困難がつきまとっているが、トムスクを避けたのちは、侵入軍がまだ荒らしていないエニセイスク州を通ってイルクーツクへ行くのだから、数日中には目的地に到達できるにちがいなかった。
かなり暑かった一日のあとに、夜がやってきた。真夜中になると、まっ暗闇が草原をおおってきた。風は日没とともにすっかり落ちて、あたりはまったく静まりかえっていた。ただ馬蹄の音だけが、人気のない道の上でひびき、それに馬を元気づける主人の言葉がときどきまじった。このような暗闇のなかでは、道の両側に池やオビ川に注ぐ小さな流れがたくさんあったので、道の外に出ないようにと、細心の注意を払わねばならなかった。
そこで彼は警戒をおこたらずに、できるだけ早く馬を進めた。彼は闇をつらぬく彼の眼の確かさと、かしこい馬の慎重さとを信頼していた。
彼は馬から降りて、道の方向をはっきり確かめたいと思った。がそのとき彼には、西のほうから伝わってくる、かすかなざわめきが聞こえてきた。それは遠くで、乾いた地面の上を走っている馬のひづめの音のようだった。もはや、疑うべくもなかった。一、二露里あとで規則正しく地面をうつ足音が、一定のリズムをもって聞こえてきた。
彼は道にぴったり耳をつけて、いっそう注意をこめて聞いた。
「こいつはオムスクから疾駆してくる騎兵の小隊だ。音がどんどん高まってくるところをみると、かなり速く走ってくる。ロシア軍だろうか、それともタタール軍だろうか?」
ミハイル・ストロゴフは、なおも耳をすました。
「そうだ。騎兵隊は速歩でやってくる! 一〇分もしないうちに、ここまで来るだろう。おれの馬は、とてもその前を走って行くことはできないだろう。もしあれがロシア軍だったら、いっしょになればいい! だがタタール軍だったら、避けなければならない! だが、どうやって? この草原のなかで、どこに身を隠したらいいのだろうか?」
彼はあたりを見まわした。するどい眼力の持ち主である彼は、一〇〇歩ばかり先の道の左側に、闇にぼんやりかすんで見える一つのかたまりを見つけたのである。
「あそこに、木のしげみがある」と、彼はつぶやいた。「あんなところに身をひそめても、もし騎兵隊が本気で捜したら、おそらくすぐにつかまるだろう。だが、いまは選択の余地はない。もう奴らはやってくる! もうすぐにだ!」
すこししてから彼は馬の手綱を引いて、その小さな唐松の林に至る道を行った。林のこちら側と向こう側にはぜんぜん樹木がなく、そして道は、ハリエニシダやヒースなどの背の低いしげみでへだてられている水溜りや池のあいだを縫っていた。そこで道の両側の土地には絶対に入れなかったので、騎兵の小隊はどうしてもこの小さな森の前を通らなければならなかった。というのは、彼らはイルクーツクへ通ずる大きな道をたどっていたからだった。
ミハイル・ストロゴフは唐松のしげみのなかに入り、四〇歩ばかり入りこんだが、半円を描いてこの森を区切っている小さな流れにぶつかったので、そこでとどまった。
だが闇がこいので、念を入れて捜されないかぎりは、見つかる心配はなかった。そこで彼は馬を小さな流れのところまで連れていって一本の樹につなぎ、それから引き返してどんな奴がやってくるか知ろうとして、林の入口に腹ばいになった。
ミハイル・ストロゴフが唐松のしげみに身をひそめたと思うまもなく、ぼんやりした光が現われ、その光のなかで点々としたあかりが、あちこちでゆらめき闇を照らしていた。
「松明《たいまつ》だな?」と、彼は思った。
そして彼はぱっと身を引くと、野獣のように、こんもりしたしげみのなかにもぐりこんだ。
馬蹄のひびきは、森に近づくにつれて、だんだんとゆるやかになった。騎兵隊は、もっと近い迂回路でも捜そうと思って、道を照らしているのだろうか?
彼は当然それを恐れなければならなかった。そこで本能的に流れのへりまで引きさがって、もし必要とあらば流れに飛びこもうと決意した。
騎兵の分遣隊は林のところまで来ると、立ち止まった。乗り手は地面に降り立った。彼らは五〇人ほどだった。そのなかの一〇人ほどが松明をふりかざして、光の輪で道を照らしていたのだった。
彼らがなにやら準備しはじめたのを見てミハイル・ストロゴフは、これは予期しない僥倖《ぎょうこう》だが、この分遣隊は林のなかを調べようとするのではなくて、ただここで小休止して馬を休ませ、彼らも食事をとるためだということがわかったのだった。
じじつ馬は馬具をはずされて、あたりにいっぱい生えている草を食べはじめた。そして騎兵たちも道のへりに寝そべると背負い袋から食料を取り出して、わかちあった。
ミハイル・ストロゴフは冷静さを失わなかった。彼は背の高い草のあいだをはって近より、彼らの様子をさぐり、それから彼らの話を聞こうとした。
それは、オムスクからやってきた分遣隊だった。タタール地区の主要な民族で、そのタイプが蒙古人に非常によく似ているウズベック族の騎兵で構成されていた。背の高さは中以上で、がっちりしたからだつきをし、粗野で野蛮な面がまえをした彼らは、〈タルパック〉という黒羊の皮でつくった帽子をかぶり、かかとが高くて、先が中世の靴のように尖ってそり返っている黄色い長靴をはいていた。そしてさらしてない綿入れのインド更紗《さらさ》の外套に、赤い飾り紐をつけた皮のバンドを締めていた。彼らは防御用として楯をもち、攻撃用としては半月刀と長めの短刀とを帯び、鞍の前輪には火打ち石銃をぶらさげていた。そして肩には、色あざやかなフェルトのマントをはおっていた。
林のへりで自由に草をはんでいる馬も、乗手と同じようにウズベック産だった。それは、唐松のしげみの下を明るく照らし出している松明の光で、それとわかったのだった。これらの馬はトルコマン種の馬よりすこしばかり小さかったが、力は非常に強くて、疾駆する走り方しか知らないという良質の馬だった。
この分遣隊は〈ペンジャバスキ〉つまり五〇人を指揮する一人の隊長によって率いられ、その下に〈デバスキ〉という、部下一〇人をもつ指揮者がいた。この二人の士官はかぶとをかぶり、鎖かたびらの短い胴着を着ていて、彼らの鞍の前輪に結びつけられている小さなラッパで、その階級がはっきりとわかった。
隊長は長途の騎行で疲れた部下を、休息させなければならないにちがいなかった。彼と部下の士官とはしゃべりながら、アジア人が好んで吸う〈ハシッシュ〉のもとになる大麻の葉を吸っていた。彼らは林のなかを行きつもどりつしながらタタール語で話していたので、ミハイル・ストロゴフは自分の姿を見られないで、彼らの会話を聞き、よく理解することができた。
この会話の最初の言葉を耳にしたとき、ミハイル・ストロゴフの注意は、はなはだ刺激された。
じじつ彼らは、彼のことを話していたのである。
「その密使は、われわれよりそんなに先に行きっこない」と、隊長は言った。「あいつがバラバの道以外の道を行ったことは絶対にありえないんだから」
「オムスクを立ち去ったかどうかは、誰も知らないでしょう? あるいはまだ、町のどこかに隠れているのではないでしょうか?」と、もう一人の士官が答えた。
「ほんとうのところは、そうあってほしいがね! オガリョフ大佐は、たしかにその密使が持っているにちがいない至急の手紙が宛名人に届くことだけを心配しておられるのだ!」
「なんでもその男は土地っ子で、シベリア人だそうですが」と、相手の士官は言った。「そうだとすると、その男はこの地方のことをよく知ってるはずですね。そうすると、もうイルクーツクへの道から脇道へそれていて、ずっと先のほうで、またこの道にいっしょになるということも考えられますね!」
「だが、そうだとすると、われわれはもう彼を追いこしたということになるな!」と、隊長は答えた。「なにしろ彼が出たあと一時間もしないうちにわれわれはオムスクを出発して、いちばん近い道を全速力で走ってきたんだからな。だから彼がオムスクにとどまっていようと、あるいはわれわれが彼より先にトムスクに入って、彼の行手を断ちきることになろうと、どっちにしても彼はイルクーツクには着けないわけだ」
「それから、あの頑固なシベリア生まれのばあさんですが、たしかにあの女は、あいつの母親ですな!」と、もう一人の士官は言った。
この言葉を聞いて、ミハイル・ストロゴフの心臓は、張り裂けんばかりにつよく打ちだした。
「そうさ」と、隊長は答えた。「あのばあさんは商人と自称するあの男を息子ではないと頑張っていた。だが、もう手おくれだ。オガリョフ大佐は、けっしてもうごまかされてなんかいないよ。大佐は自分でも言っているとおり、いよいよそのときがきたら、あのくそばばあの口を割らせるにちがいないよ」
この言葉の一つ一つは、短刀のようにミハイル・ストロゴフの胸を突き刺した! 彼は皇帝の密使であると、わかってしまったのだ! 彼を追跡してきた騎兵の分遣隊は、彼の行く手を断つにちがいなかった! だが、彼のこのうえない苦痛は! それは彼の母親がタタール軍の掌中にあって、あの残忍なオガリョフが必要とするときには無理にも口を割らせると断言していることだった!
彼は、勇敢なシベリア女は、けっして口を割らないことを知っていた。そしてそのためには生命もかえりみないことも知っていた!
彼はイヴァン・オガリョフをこれほどまでに憎らしいと思ったことはなかった。いまこそあらたな憎悪が、ぐっと胸にこみあげてきた。祖国を裏切ったあの恥知らずめが、こんどは彼の母親を拷問にかけようとしているのだ!
二人の士官のあいだの会話はなおつづけられ、それによってミハイル・ストロゴフは、コリヴァンの近くで近いうちに、北からやってくるモスクワの軍隊とタタール軍とのあいだで戦闘が行なわれるにちがいないことを知った。オビ川の下流にいると伝えられる二千のロシア軍が、強行軍でトムスクに向かって急いでいるとのことだった。もしそうだとすると、この小部隊はフェオファル汗の軍隊の主力と交戦することになり、全滅は避けられないだろうし、イルクーツクへの道は、完全に侵入軍のものになるであろう。
そしてミハイル・ストロゴフは、その隊長の語る言葉によって、彼を殺そうと生捕りにしようと、いずれにしても彼の首に懸賞金がかけられていることを知ったのだった。
そこで、どんなことがあってもこのイルクーツクへ行く道で、ウズベック騎兵の先を越してオビ川を渡ってしまわなければならなかった。しかしそうするには、彼らの休止が終わらないうちに逃げださなければならなかった。
こう決心すると彼は、それを実行する準備にとりかかった。
じじつ休止は、これ以上にながびくことはありえなかった。彼らの馬はオムスクを出発してから継ぎ馬をすることができず、ミハイル・ストロゴフの馬と同じ理由で、同じように疲れていたけれども、隊長は部下に、一時間以上の休息を与えるつもりはなかったのだ。
もはや、一刻の猶予もなかった。いま午前一時だった。この小さな林から抜け出し、道を突っ走るためには、夜明けがまもなく追い払うであろうこの闇を利用しなければならなかった。だが、このような逃走の成功は、ほとんど絶望に近かった。
彼は偶然にすべてを任せたくなかったので、しばらく熟考したのち、あらゆる場合の成否を慎重に考えてみて、そのなかで、最善の策をとることにした。
土地の状況から見て、つぎのような結論に達した。この林の背後は大きな道を弦とし、唐松のしげみが弧を描いていて、そこから逃れることはできなかった。この弧に沿った水の流れは、たんに深いばかりでなく、かなり幅が広くて、たいへん泥ぶかかった。そして、大きなハリエニシダがはえていたので、とうてい流れを渡ることはできなかった。そのにごった水の底は、深い泥水の水たまりになっているように感じられ、足がそこにはまったら最後、抜けられそうもなかった。それに、流れの向こうは灌木のしげみになっていたので、すばやく抜け出すことはとてもできそうもなかった。もしも気づかれたら徹底的に追跡されて、たちまち追いつめられ、タタール軍の騎兵たちにつかまってしまうことは必然だった。
そうすると、残された実行可能な道はただ一つ、大きな道に出ることだった。森のへりをまわって大きな道へ出て、それから気づかれないようにして四分の一露里の距離を飛ばすのだ。たとえ馬がオビ川の岸に達したときに倒れてしまおうとも、そこへ行きつくまでは残っている精力を出しきってもらわなければならなかった。そして川を渡る方法がほかになかったら、渡船によるか、泳いででもこの川を渡るのだ、これがミハイル・ストロゴフの試みねばならないことだった。
彼の精力と勇気とは、危険を前にして一〇倍になった。これには彼の生命、彼の使命、祖国の名誉、それからおそらくは彼の母親の命もかかっているのだ。ぐずぐずしてはいられないので、彼はさっそく実行に移すことにした。
もはや一刻の猶予もなかった。すでに分遣隊のあいだでは、なんらかの行動が始まっていた。数名の騎兵が、林のへりの前の道の斜面の上を、行ったり来たりしていた。他の連中はまだ木の根元で寝ころんでいたが、彼らの馬はだんだんと林の中央に集まってきた。
ミハイル・ストロゴフは最初、これらの馬の一頭をうばおうかと考えたが、これらの馬も自分のと同じように疲れているにちがいないと思いなおしたのは、たしかにそのとおりだった。そこでいままで彼が信用していた馬、これまであんなにも尽くしてくれた馬に、万事をまかせることにした。この勇敢な馬は、ヒースのたけなすしげみのなかに隠されていて、ウズベック騎兵の目を逃れていた。彼らは林の奥のほうまでは、入ってこなかったのである。
彼は草の上をはいながら、地面によこたわっている彼の乗馬に近づいた。そして馬を手でそっとなでると、やさしく話しかけ、音を立てないようにして起こした。
このとき、うまいぐあいに松明が完全に燃えつきたので、闇はなお、少なくとも唐松林のなかだけには、かなり深く残っていた。
ミハイル・ストロゴフはくつわをはめ、腹帯をしめ、あぶみを確かめたのち、手綱をとってそっと馬を引きはじめた。それに馬もかしこいので、どういうことを主人が要求しているかがわかっているかのように、わずかないななきさえも立てずに、主人のあとからおとなしくついてきた。
だが数頭のウズベックの馬が頭を上げながら、すこしずつ林のへりのほうにやってきた。
彼は右手に拳銃を握って、もしタタール軍の最初の騎兵が近づいてきたら、その頭をぶち抜いてやろうとかまえていた。だがたいへんありがたいことに、彼らは気がつかなかったので、彼は道に接した林の右側の角まで出ることができた。
彼は見つけられないように、できるだけおそく馬に乗ろう、せめて林から二〇〇歩ほど離れた道の曲がり角をこしてから乗ろうと考えていた。
ところが不幸なことに、ミハイル・ストロゴフが林のへりから出ようとした瞬間に、一頭のウズベック兵の馬が彼のにおいをかぎつけていななき、道に飛び出してきた。
その馬の持ち主は、あとを追ってかけだしてきて、馬を連れもどそうとした。だが、このとき彼は夜明けの薄明りのなかにぼんやり浮きでている一つの影を認めたので、
「止まれ!」と叫んだ。
この叫び声を聞いて、露営していたすべての兵士が立ち上がり、いっせいに道に飛び出した。
ミハイル・ストロゴフは、もはや馬にまたがって、全速力で疾駆するほかはなかった。
二人の士官が先頭に立ち、部下を激励していた。
だがミハイル・ストロゴフはすでに馬にまたがっていた。
このとき一発の銃声がひびいて、一弾が彼の外套をつらぬいたのを感じた。
彼は振り返りもせず、また応戦もしないで、馬に拍車を二度くれると、林のへりをひとっ飛びに飛んで、オビ川の方向に向かって、まっしぐらに走った。
ウズベックの馬はみな馬具をはずしていたので、彼は分遣隊の騎兵たちから一歩先んずることができた。だが彼らはすぐに追跡にうつったので、彼が林を出てから二分もたたないうちに、数頭の馬のひづめの音が聞こえだした。そして彼らはすこしずつ、彼に追いついてきた。
そのとき夜が明けはじめた。そこでいっそう明るくなってきたなかで、ものの姿が見えてきた。
ミハイル・ストロゴフが後ろを振り向いたとき、一人の騎兵が全速力で彼に近づいてくるのを認めた。
それは一〇人の部下をもっているほうの士官だった。彼は巧みに馬をあやつって分遣隊の先頭に立ち、いまにも逃亡者に追いつこうとした。
ミハイル・ストロゴフは馬を走らせたままで、後ろの士官に拳銃を向け、ちっともふるえない手で、一瞬狙いをつけた。ウズベックの士官は胸のまんなかに弾丸を撃ちこまれて、地面にころげ落ちた。
だが他の騎兵たちがすぐに後ろに追っていた。彼らは死んだ士官のことなどすこしもかまわずに、叫び声をあげて互いに激励し合いながら、馬の横腹に激しい拍車をくれて、彼との距離をすこしずつ縮めてきた。
だが三〇分間は、彼はタタール軍の騎兵から追いつかれずに、馬を走らせることができた。しかし彼の乗馬が弱ってきたことが、はっきりと感じられ、何か障害物にでもつまずけば、倒れたままで起き上がれないだろうと心配になってきた。
太陽はまだ地平線には出ていなかったが、かなり明るくなっていた。
せいぜい二露里かなたに、まばらな間隔をおいた樹々でふちどられた一筋の青白い線がのびていた。
それはオビ川で、西南から東北へと、ほとんど地面とすれすれに流れていた。そこには渓谷はなくて、あたり一面が草原だった。
幾度となく彼をめがけて銃弾が発射されたが、命中しなかった。そして彼のほうも何度となく、すぐあとに迫った騎兵に対して拳銃を発射しなければならなかった。一発撃つごとに、一人のウズベック兵が戦友の怒りの叫びのなかに地上にころがり落ちた。
だがこの追跡はどうやら、ミハイル・ストロゴフの不利のうちに終わりそうだった。彼の乗馬はすでに力尽きたが、それでも彼は河岸まで走らせることができた。
このときウズベックの分遣隊は、彼の背後五〇歩ほどまでに迫っていた。
まったく人影のないオビ川には、渡船もなく、川を渡るに役立ちそうな船は一隻も見あたらなかった。
「さあ、元気を出してくれ、勇敢な馬よ! さあ、最後のがんばりだ!」と、ミハイル・ストロゴフは叫んだ。
そして彼は、川のなかに飛びこんだ。この場所では、川幅は半露里あった。
流れが激しいので、さかのぼることは非常にむずかしかった。ミハイル・ストロゴフの馬は、足が底につかなかった。もはやいかなる手段もなく、この奔流のような速い流れを、泳いで渡らねばならなかった。これを敢行することは、彼にとっても奇跡的な勇気を要することだった。
騎兵たちは河岸に立ち止まった。彼らは川に馬を乗り入れることを躊躇していた。
だがそのとき、隊長は銃をとって、すでに流れの中央まで来ている逃亡者をじっと狙った。弾丸が発射され、彼の乗馬は腹を撃たれて、主人の下にあって姿を没した。
彼は馬が水中に没した瞬間に、あぶみから足をはずした。それから弾丸が雨あられと飛んでくるなかをうまく水中にもぐって、川の右岸に達し、オビ川のへりに生いしげっている葦のなかに身を隠した。
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十七 聖書の言葉とシャンソン
ミハイル・ストロゴフは、どうやら助かった。しかしながら彼の立場は、なお恐るべきものがあった。
これまであんなにも勇敢に尽くしてくれた忠実な馬が死んでしまって水中に没したいまは、どうやって旅をつづけたらいいだろうか?
「神の助けによって、到着できるだろう!」と、一瞬頭に浮かんだ絶望感を追いやって、彼は叫んだ。「神よ、聖なるロシアを守りたまえ!」
そのとき彼は、もうウズベック騎兵の手のとどかぬところにいた。彼らはあえて川を渡ってまでして、彼を追おうとはしなかった。それに彼らは、彼が溺れたものと思いこんだにちがいなかった。なぜならば彼の姿が水中に没してから、彼がオビ川の右岸に達したところを、彼らは見ることができなかったからだった。
だがミハイル・ストロゴフは、川岸の大きな葦のあいだをすべりながら、やっと岸の高みに至った。洪水時にできた厚い泥土で足がぬかるからだった。
いったん固い地面の上に出ると、彼はこれからなすべきことを考えるために立ち止まった。なによりも彼が欲していたことは、タタール軍によって占領されているトムスクを避けることだった。しかしながら一頭の馬を手に入れるためにどこかの部落、場合によっては宿駅にも行かねばならなかった。もし馬が見つかったら、踏み固めた道は避けて、クラスノヤルスクの付近で、ふたたびイルクーツクへの道に出ることにしよう。そこから急げば、まだ敵の掌中に帰してない道を見出すことができるだろうから。そしてバイカル湖地方の東南部に出ることができるだろう。
まず彼は、自分のいる位置を知ることからはじめた。
オビ川の流れに沿って歩いていると、二露里先の、なだらかな高みに段々をつくって重なっている、絵のように美しい小さな町が見えた。緑と金でいろどられたビザンチンふうの円屋根のいくつかの教会が、灰色の空を背景として、くっきり輪郭を見せていた。
それはコリヴァンの町で、ここには夏のあいだ、カムスクやその他の町の役人や会社員たちが、バラバ地方の不健康な気候を避けて集まってきた。皇帝の密使が得た情報によれば、コリヴァンはまだ侵入軍の掌中に陥っていないはずだった。タタール軍は二つの縦隊に分かれて、一隊は左へオムスクに向かい、他の一隊は右へトムスクに向かったのでその中間の地方は、放置されていた。
ミハイル・ストロゴフが考えた単純で論理的な計画は、オビ川の左岸をさかのぼってくるウズベックの騎兵隊がコリヴァンに到着する前に、町に入ることだった。そしてそこで一〇倍の値段を払おうとも衣服と一頭の馬とを手に入れて、南の草原を横ぎり、イルクーツクへの道に出ることだった。
いま、午前三時だった。コリヴァンの近郊は静まりかえっていて、完全に放棄されているようだった。あきらかに田舎の人びとは侵入軍に抵抗できないのでそれを避けて、北方のエニセイスクの諸州へ逃げてしまったのだ。
そこで彼は足をはやめて、コリヴァンめざして急いだ。すると遠くで砲声が、彼のところまで聞こえてきた。
彼は足をとめて、大気の層をゆるがすにぶい砲声をはっきりと聞き分けた。それからさらにもっと乾いた、ぱちぱちという音がしたが、それがなんであるかは疑うまでもなかった。
「あれは大砲だ! それと小銃の音か!」と、彼は思った。「するとロシア軍の小部隊がタタール軍と戦闘をまじえているのだな? ああ、神さま、彼らより先にコリヴァンに入れますように!」
彼の思ったとおりだった。まもなく砲声はだんだんと烈しくなり、そしてコリヴァンの左手の後方から立ちのぼる煙が、濃くなってきた。それは煙の雲ではなくて、大砲の発射でできる輪郭の非常にはっきりした、あの白っぽい大きな煙のうずだった。
オビ川の左岸では、ウズベックの騎兵隊が、戦闘の結果を待って、待機していた。
彼はもう、この方面のことはなにも恐れることはなかった。そこで彼は町に向かって、急いで歩いた。
そのあいだにも砲声はいよいよ烈しくなり、あきらかに近づきつつあった。もはやぼんやりした砲声ではなくて、はっきりと聞き分けられる一連の砲声だった。同時に砲煙が風にあおられて、空中に立ちのぼり、戦闘はあきらかに南方面が急速に勝っていた。たしかにコリヴァンは、その北部が攻撃されつつあったのだ。ところでロシア軍はこの町をタタール軍の攻撃から守ろうとしているのだろうか、それとも占領されたこの町をフェオファル汗の手から奪回しようとしているのだろうか? それは知ろうとしても、不可能だった。その点について彼は、たいへん苦慮した。
コリヴァンにあと半露里というところまで来たとき、一筋の長い火矢のようなものが、町中の人家のあいだを流れた。すると教会の鐘楼がくずれおちて、火の粉と炎とがまき上がった。
ではコリヴァンで、戦闘が行なわれているのだろうか? 彼としては、そう考えないわけにいかなかった。そうだとすると、ロシア軍とタタール軍とが市街戦をやっていることは、あきらかだった。このようなときに、町のなかに避難所を求めるなどということができるだろうか? 町のなかでつかまるようなことにならないだろうか? オムスクから逃れられたように、このコリヴァンからもうまく逃れられるだろうか?
そのようないろいろな不慮の出来事が、つぎつぎと頭に浮かんだ。彼は躊躇して、ちょっとのあいだ立ち止まった。たとえ歩いても南か東へ行って、たとえばディアチンスクのような部落で、なんとかして一頭の馬を手に入れるほうがいいのではあるまいか?
そうするよりほかはなかった。そこで彼はオビ川の岸を離れると、思いきってコリヴァンの右のほうへ歩いていった。
このとき、砲声が一段とひどくなった。まもなく炎が町の左手にあがった。炎は、コリヴァンの四分の一をなめつくした。
ミハイル・ストロゴフは、ところどころに散らばっている数本の木の蔭を求めて、草原を横ぎって走った。そのとき、タタール軍の騎兵の分遣隊が右手に現われた。
あきらかに彼は、この方面には逃げることができなくなった。騎兵隊は町に向かって疾駆していた。彼らから逃れることは、むずかしそうだった。
とつぜん彼は、こんもりしたしげみの角に、一軒ぽつんと建っている家を見つけた。あそこなら、見つけられる前にたどりつくことができると考えた。
あそこへ駆けて行って隠れよう、そしてあそこで、できれば力を回復できるものをもらうことにしよう。とにかく彼は疲れと飢えとで、へとへとだったので、そうするよりほかにしようがなかった。
そこで彼は、せいぜい半露里ほど離れているその家に向かって走りだした。近づいてみると、それは電信局だった。二本の電線がそれぞれ西と東にのび、三本目の電線がコリヴァンへと張られてあった。
このような情勢では、電信局は打ちすてられて、誰もいないことが予想された。だが、たとえそうであろうとも、一時身をひそめることはできるだろうし、できれば一夜をここで過ごして、タタール軍の偵察隊が出没している草原にふたたびもぐりこむことができるだろう。
彼は電信局の入口のドアに飛びかかって、乱暴に押した。
すると、通信機のおかれてある部屋に、一人の人間がいたのだ。
この男は局員だった。いかにも冷静で、ものに動ぜず、外で行なわれていることに一向に無頓着な様子だった。彼はその職場を忠実に守って、窓口の後ろで、客が電報を打ちにくるのを待っていたのだ。
ミハイル・ストロゴフは駆けよると、疲れでしゃがれきった声でたずねた。
「状況はどうなのです?」
「ぜんぜんわかりませんな」と、その局員は微笑しながら答えた。
「闘ってるのは、ロシア軍とタタール軍ですか?」
「そうだといってますね」
「で、どっちが勝ってるんです?」
「知りませんな」
このような危機にのぞんで、こんなふうに落ち着きはらい、まったく無関心でいられるのは、ほとんど信じられないことだった。
「電線は、切られてないんですか?」と、ミハイル・ストロゴフはたずねた。
「コリヴァンとクラスノヤルスクのあいだは切られていますが、コリヴァンとロシア国境とのあいだはまだ通じていますよ」
「公用電報だけですか?」
「公用電報は適当にやっています。一般の客でも料金さえ払えば打てますよ。一語一〇カペイカです。――お打ちになりますか?」
ミハイル・ストロゴフがこの奇妙な局員に、自分は電報を打ちにきたのではなくて、ただわずかのパンと水とを求めにきたのだと答えようとしたときに、いきなり入口のドアがあいた。
ミハイル・ストロゴフはタタール軍が侵入してきたのだと思ったので窓から飛び出そうとしたが、タタール人の兵士とは似ても似つかぬ二人の男が入ってきたのだ。
彼らの一人は鉛筆で書いた電文を手に持って、もう一人の男に先んじて、落ち着き払っている局員のいる窓口に飛びついた。
ミハイル・ストロゴフはもうけっして会うまいと思っていた人間に出会ったので、この二人を見てどんなにびっくりしたかは、誰にも想像がつくまい。
それは、あの通信記者のハリー・ブラントと、アルシード・ジョリヴェだった。いまは二人は旅の道づれではなく、戦場で相まみえる敵同士であり、競争相手であった。
彼らはミハイル・ストロゴフが出発してから数時間後に、イシムを去ったのだった。彼らが同じ道をたどりながら彼より先にコリヴァンに着いたのは、彼がイルトイシ川のほとりで三日費やしたからだった。
で、いまは彼らは、町の前方で行なわれているロシア軍とタタール軍との交戦を目撃してから、ついで市街戦が行なわれている最中にコリヴァンを抜け出して、電信局に駆けつけたのだった。互いにすこしでも早く、この特種をそれぞれの国に送ろうと、競走してやってきたのだった。
ミハイル・ストロゴフは彼らから離れて、暗い物蔭に身をひそめた。そうすれば二人からは見られずに、すべてを見ることができ、すべてを聞くことができたからだった。これで彼にとって重大なニュースを知ることができ、コリヴァンに入ったほうがいいか悪いかがわかるだろう。
ハリー・ブラントが相手より先に窓口を占領して、電文を差し出した。そうしているあいだにアルシード・ジョリヴェは、いつもとは反対にいらいらしながら足ぶみしていた。
「一語一〇カペイカです」と、局員は電文を手に持って言った。
ハリー・ブラントは棚の上に、ルーブル銀貨を重ねた。彼の同僚はびっくりして、それを見ていた。
「承知しました」と、局員は言った。
そして平静そのものといった様子で、次の電文を打ちはじめた。
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ロンドン、デイリー・テレグラフ宛。八月六日、シベリア、オムスク州、コリヴァンより。ロシア軍とタタール軍、戦闘開始……
[#ここで字下げ終わり]
局員は大声で読み上げながら電報を打ったので、ミハイル・ストロゴフはイギリスの新聞記者が送る電文をすっかり聞くことができた。
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ロシア軍は大損害をこうむって退却。タタール軍は本日コリヴァンへ入城す
[#ここで字下げ終わり]
これで電文は終わった。
「こんどは、ぼくの番だ」そうアルシード・ジョリヴェは言って、フォーブール=モンマルトルの〈従妹〉に電報を打とうと思った。
だがイギリスの新聞記者は電文ができあがるにつれてそれを送ろうと思い、窓口をはなれようとしないで譲らなかった。
「だが、きみは終わったんだろう!」と、アルシード・ジョリヴェは叫んだ。
「まだ、終わっちゃいないよ」と、ハリー・ブラントは、あっさりと言ってのけた。
そして彼は電文を書きつづけて、局員に渡した。局員はそれを落ち着いた声で読んだ。
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はじめに神、天と大地をつくりたまえり……
[#ここで字下げ終わり]
それは聖書の一節だった。ハリー・ブラントは、時間をかせいで相手に席をゆずらないために、このような文句を打たしたのだった。おそらくそのために彼の新聞社に数千ルーブル支払わせることになるだろうが、彼の新聞は第一報を受けることになるのだ。フランスは待っていたらいい!
アルシード・ジョリヴェは、これがほかの場合だったら相手を良き敵手とみて感心したかもしれないが、このとき彼がどんなに怒ったかは容易に想像できるだろう! 彼は局員に、彼の同僚よりも優先的に彼の電報を打つことを承知させようとした。
「いや、この方に優先権があります」と、局員はハリー・ブラントを指し示しながら、愛想よく彼にほほえみかけて、静かに言った。
そして彼は〈デイリー・テレグラフ〉に、聖書の最初の一節を忠実に打ちつづけた。
局員が電報を打っているあいだ、ハリー・ブラントは静かに窓辺に近より、双眼鏡を目にあてて、報道を完全にするために、コリヴァン付近で起こっていることを観察した。
しばらくして、彼はまた窓口にもどり、電文をつづけた。
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二つの教会は炎上中。火炎は右に燃えうつるらしい。大地は形なくむなしくして、闇、淵《ふち》のおもてをおおえり……
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アルシード・ジョリヴェは〈デイリー・テレグラフ〉のこの憎むべき記者をしめ殺してやりたい兇暴な欲望にかられた。
彼はもう一度局員を呼んだが、局員はあいかわらず無感動な表情で、あっさりとこう答えた。
「あの方に権利がありますよ……一語一〇カペイカでね」
そして彼は、ハリー・ブラントが差し出したつぎのようなニュースをつづけて打った。
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ロシア軍は町より敗走しつつあり。さて、神、光ありと言いたまいければ、光ありき……
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アルシード・ジョリヴェは、怒り心頭に発した。
そのあいだにハリー・ブラントは、また窓の近くにもどった。だがこんどは、目の前で行なわれる光景にたぶん興味をひかれたのであろうか、すこしばかり観察の時間が長びいた。そこでアルシード・ジョリヴェは、局員が聖書の第二節を打電しおえると、音を立てないように窓口に近寄り、棚の上にそっとルーブル銀貨を重ねてから、電文を差し出した。局員はそれを、大声で読んだ。
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パリ、フォーブール=モンマルトル、一〇番地、マドレーヌ・ジョリヴェ宛。八月六日、シベリア、オムスク州、コリヴァンより。ロシア軍敗走、町より退却。タタール軍騎兵隊猛烈に追撃中……
[#ここで字下げ終わり]
ハリー・ブラントがもどってくると、アルシード・ジョリヴェが人をからかうような調子でシャンソンを口ずさみながら、電文を結んでいた。
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うすねずみ色の服を着た
ちんちくりんな男が
パリにいたとさ……
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彼の仲間がやったように、俗界の言葉に神聖な言葉をまぜるやり方はけしからんと言わんばかりに、アルシード・ジョリヴェは、ベランジェのたのしい繰り返し句で聖書の言葉にこたえたのである。
「しまった!」と、ハリー・ブラントは叫んだ。
「まあ、こんなもんさ」と、アルシード・ジョリヴェはやり返した。
そうしているあいだにも、コリヴァン周辺の情勢は険悪になりつつあった。戦闘が近づいていた。砲弾の炸裂する烈しい音がひびきわたった。
そのとき、とつぜん衝撃を受けて、電信局はぐらついた。
一発の砲弾が壁をぶち抜いて飛びこんできて、もうもうとした土埃が部屋のなかにいっぱいになった。
アルシード・ジョリヴェはちょうどそのとき、詞句を書きおえたところだった。
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頬っぺたは、りんごのようにふくらんでも
ポケットのなかには金はなし……
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だが彼は書く手を止めて砲弾に飛びつくと、砲弾が炸裂する前に両手でつかんで、窓からほうり投げた。そして窓口にもどってきたが、これはほんの一瞬間の出来事だった。
それから五秒たって、砲弾は外で炸裂した。だがアルシード・ジョリヴェは、世にも稀なる落ち着きぶりをみせて、電文を書きつづけた。
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六ポンドの砲弾、電信局の壁を爆破す。同種の砲弾のなお飛びきたるのを期す……
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ミハイル・ストロゴフには、ロシア軍がコリヴァンから撤退させられたことは、もはや疑いの余地のないことに思われた。こうなれば彼の最後の策としては、南の草原を横ぎって行くよりほかになかった。
ところがこのとき、電信局の近くで、ものすごい銃撃が始まった。雨あられのように飛来する銃弾で、窓ガラスがこなごなに飛び散った。
ハリー・ブラントは肩を撃たれて、床の上にどっと倒れた。
アルシード・ジョリヴェは、このようなときにあたっても、なお電文につぎのような補足をした。
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デイリー・テレグラフ紙の記者ハリー・ブラントは霰弾に当たって、予のかたわらに倒れたり……
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そのとき、落ち着きはらった局員が、ものに動じないいつもの冷静さをもって、彼に言った。
「とうとう、線が切られました」
そう言って彼は窓口をはなれると、静かに帽子を手にして肱で埃をぬぐい、それから例によって微笑を浮かべながら、ミハイル・ストロゴフの気づかなかった小さなドアから出ていった。
そのとき、タタールの兵士たちが、電信局に乱入してきた。ミハイル・ストロゴフも新聞記者たちも、逃げ出す閑はなかった。
アルシード・ジョリヴェは、もはや無用になった電文を手にしたままで床の上に横たわっているハリー・ブラントに駆けよった。親切な心をもった彼は、友を肩にかついで逃げようとしたのだった……だが、もうおそかった!
二人とも同時に捕えられた。ミハイル・ストロゴフも不意をつかれて、窓から飛び出そうとした瞬間に、タタール軍の兵士らにつかまってしまった!(つづく)