ジュール・ヴェルヌ/村上啓夫訳
海底二万リーグ(下)
目 次
第二部
一 インド洋
二 ネモ艦長の新提案
三 海底の大真珠
四 紅海
五 アラビア・トンネル
六 エーゲ海
七 地中海の四十八時間
八 ヴィゴ湾
九 消え失せた大陸
十 海底の炭坑
十一 藻海
十二 マッコウとクジラ
十三 氷山
十四 南極
十五 椿事《ちんじ》か事故か?
十六 空気の欠乏
十七 ホーン岬からアマゾンへ
十八 大ダコ
十九 メキシコ湾流
二〇 北緯四七度二四分――西経一七度二八分
二十一 復讐の犠牲
二十二 ネモ艦長の最後の言葉
二十三 結び
解説「ジュール・ヴェルヌその人と作品」
第二部
一 インド洋
私たちの海底旅行は、心に深い感銘をのこしたサンゴの墓の劇的な場面をもって、ひとまず第一部を終え、ここで第二部に入ることになるのである。
大海原を背景としたネモ艦長の生活は、こうして彼が自ら深海の底に設けた墓場に入るまでつづくことであろう。そこには、生前も死後も変らぬ友情によって結ばれたノーティラス号の艦員たちの最後の眠りを妨げるような、どんな海の怪物もいないだろう。いや「どんな人間もいないだろう」と艦長は言った。人間の社会に対する、なんという激しい、執拗な敵意!
私は結局、コンセイユの意見に、賛成することはできなかった。
コンセイユに言わせると、ノーティラス号の艦長は、自分を無視した世間の人間に軽蔑をもって報いようとする、世に知られない学者の一人だ、というのである。
つまり、地上の虚偽の生活に愛想をつかした結果、世人の近づき難いこの潜水艦内に姿を隠し、自分の欲するままの生活を送っている、理解されない天才だ、というのだ。だが、私には、これはネモ艦長の性格の一面しか説明していないように思われるのだった。実際、前夜の監禁といい、催眠薬の一件といい、また私の手から望遠鏡を奪いとった艦長の激しい警戒ぶりといい、さらにノーティラス号の謎の衝突事件が生んだあの男の致命傷といい――すべてが新しい疑惑の種子でないものはなかった。そうだ、ネモ艦長は人間を避けるだけで満足してはいないのだ。この恐るべき潜水艦も、彼の自由への欲求を満たすためだけでなく、何か恐ろしい復讐を果たすための手段なのではなかろうか。
だが、今はまだ、私には何もわからない。暗黒の中にチラッと一点の光を認めただけにすぎないのだから。私はただ、その後に起った出来ごとを、ありのままに記して行くほかはない。
その日、一八六八年一月二十四日の正午、副長が太陽の位置を測定しに現われた。私は甲板にのぼり、葉巻に火をつけて、その作業を見まもっていた。私には、この男がフランス語を解していないように思えた。なぜなら、数回私は大声で自分の意見を述べたので、もしそれがわかったら、注意をひかれる気ぶりぐらい見せただろうに、彼は終始落ちつきはらって黙々と仕事をつづけていたからである。
副長が六分儀を使って観測をつづけていたとき、ノーティラス号の水夫の一人(私たちが初めてクレスポ島へ海底散歩を試みた時、同行したあのたくましい男)が、探照灯のガラスをみがきに上ってきた。私はその装置を調べてみたが、それは灯台のランプと同じようにとりつけられたレンズ状のガラスの輪によって光力が百億に強められ、かつ水平にその光を投じるようになっていた。また電灯そのものもたえず最強の光を出せるように工夫されていた。つまり、光の強度と不変性とを保証するために、それは真空の中で作られていたのである。この真空ということは、光の弧をつくる黒鉛の多量の消耗を防ぐことができたので、容易にそれを取りかえることができなかったにちがいないネモ艦長にとっては、重要な節約にもなったわけだ。
ノーティラス号が潜航を再開する準備がととのったのを見て、私は広間へおりた。するとすぐ昇降口が閉まり、羅針盤のコースは真西を示した。
艦はそのまま針路を真西にとって、広さ十二億エーカーからある広大なインド洋の透明な水の中を進んで行った。艦はたいてい五十尋から百尋の海底を潜航した。こうした日が幾日かつづいた。それはたいていの人にとっては退屈なものだろうが、海の大好きな私は、時々艦が海面に浮き上る際に新鮮な空気を胸いっぱいに吸って甲板上を歩きまわる日課の散歩や、広間の窓をとおして見る珍しい水中の眺めや、読書や、記録の整理などに、時のうつるのを忘れた。
その数日間、私たちは水鳥やカモメの大群に出会った。そのうちの何羽かは巧みに射落されて、ある方法で調理され、とても結構な水鳥料理となって食卓に供された。また遠くの陸地からの長い空の旅に疲れて、波の上に翼を休めている羽根の大きな鳥の中には、ロバのような調子はずれの鳴き声を発する巨大なアホウドリの姿も見られた。同じく長翼の鳥では、海面すれすれに飛んで魚をとらえるウミツバメやいろいろな熱帯鳥もいたが、なかでも、ピンクがかった白い羽毛に、赤い線のはいった黒い翼をもった、ハトぐらいの大きさの熱帯鳥は、翼の黒さが引き立って見えた。
魚類についていえば、窓ガラス越しにのぞいた彼らの水中生活の秘密は、いつも私たちの嘆賞をさそった。それらの中には、今まで観察する機会のなかったたくさんの種類を発見することもできた。
私はつぎに、コンセイユ先生の日記から一節をかりて、私の報告に代えることにしよう。
「背が赤く、胸が白くて、縦に三条の細い縞をもった、ここの海に特有の、ペトロドン科のある種の魚、きわめて鮮やかな色彩で全身をおおわれた長さ十八センチほどの電気ウオ。それから、ほかの種類の見本では、白い縞があって尾のない、暗褐色の卵に似たタマゴウオ。棘をはやしていて、針を逆立てたクッションみたいにふくれる、海のヤマアラシともいうべきハリセンボン。世界中のどこの海にもいるタツノオトシゴ。胸鰭が長くのびて翼の形をしているので、飛ぶとまでは行かないが、少なくとも空中にとび上ることのできる、口ばしの長いウミテング。全身美しい色でかがやいている、長さ二十五センチほどの、顎の長いすばらしい長顎魚。また長い管状の口ばしをもっていて、空気銃をうつようにそれから一滴の水を飛ばして、昆虫を巧みに射とめるヤッコダイ。これは海のハエ取り器と呼んでいいであろう。……」
一月二十一日から二十三日にかけて、ノーティラス号は一日平均五百四十マイル、時速に直して約二十二マイルの速力で航走をつづけた。艦の周囲には電灯の光を慕ってたくさんの魚類が集まって来て、しばらくの間、私たちの後を追ってきたが、大ていの魚は、すぐ艦の快速力に引きはなされて落伍してしまった。二十四日の朝、私たちは、南緯一二度五分、東経九四度三三分の洋上に、ヤシの繁みにかこまれたキーリング島の島影を認めた。ここは、かつてダーウィンとフィッツロイ艦長が訪ねたことのある島である。
ノーティラス号は、この絶海の孤島の海岸に沿って進んだが、その時私たちの投じた網には、たくさんの珍しい植虫類や貝類の収穫があった。
まもなくキーリング島は水平線下に没し、ここで、艦は針路を北西に転じて、インド半島の方角に向かった。
キーリング島を過ぎてからは、艦の速力はかなり緩慢不規則になり、時々海底深く潜航した。ある時など、真っ直ぐに約二マイルも潜下したが、七千尋の測鉛もかつて届いたことのないといわれるインド洋の最深所に達することはできなかった。そうした深所になると、温度は常に一定不変で四度を保ち、上層の部分よりもかえって暖かいことがわかった。
一月二十五日は、終日荒涼たる洋上を、ノーティラス号は高い飛沫をあげて驀進した。こうしたノーティラス号を見た者は、誰だって巨大なクジラと見誤るにちがいない。その日は日中の約三分の一、私は甲板に出て、海をながめて暮した。水平線には何も見えなかったが、四時頃、はるか遠くの洋上を私たちの艦と反対に西に向かって汽走する一隻の汽船の影を認めた。こちらからはその汽船のマストがはっきり認められたが、相手は船体の低いノーティラス号の姿には気がつかなかったらしい。私はとっさに、それはセイロン島からキング・ジョージ岬、メルボルン経由でシドニーに向かうP・O汽船会社の船だと思った。
夕方の五時、昼から夜へ移る熱帯のあわただしい黄昏《たそがれ》の光の中に、コンセイユと私は、珍しい光景をながめて、眼を見張った。
それは海面を移動するタコブネの大群だった。おそらく数百匹に上ったであろう。それはインド洋特産の珍しい軟体動物だった。この美しい軟体動物は、その管のような口からいったん吸いこんだ水を吐き出して、その勢いで後へ後へと進むのだが、その際八本の脚のうち六本は真っ直ぐにのばして水中にひろげ、あとの二本は平らに巻いて帆のように水上に立てているのである。私は、キュヴィエがいみじくも美しい小舟にたとえた、その螺旋形の横溝彫のある貝殻を見たが、それはまったく文字どおり舟だった。
一時間近く、ノーティラス号は、このタコブネの群の只中を航進した。そのうちに何に驚いたのか、突然彼らはいっせいに帆を下し、脚を折り曲げ、貝殻をくるりとふせたかと思うと、たちまち一匹のこらず水中に姿を消してしまった。どんな船隊だって、おそらくこれ以上統制ある行動をとることはできないだろう。
とたんに、夜の闇が海面におりてきて、静かな波の音が、ノーティラス号の舷側に平和な楽の音を秦ではじめた。
次の日、一月二十六日には、艦は東経八二度の地点で赤道を通過し、北半球にはいった。その日は、終日フカの大群が艦を追ってきたが、それらのフカはこの辺の海に特に多い、非常に危険な、獰猛なやつで、一名「ネコザメ」ともいい、背が褐色で、腹が白く、十一列の歯をそなえ、喉に白い輸でかこまれた眼のような大きな黒点をもっていた。また、まるい鼻先に黒い斑点のある、イサベラザメというのもいた。これらの恐ろしい怪魚の群は、ときどき広間の窓ガラスにすさまじい勢いでぶつかり、私たちをひやひやさせた。が、そんな時、ネッド・ランドはじっとしていられぬらしく、すぐにも水面に飛び出して、それらの怪物――とりわけ寄木細工のような歯ならびをもった、すべっこい肌の大フカや、長さ五メートル半近くもある大きなトラザメを、一撃の下に仕留めたい衝動に駆られるらしかった。だが、まもなく速力を増しはじめたノーティラス号は、たちまち彼らを、後方はるかに引きはなしてしまった。
一月二十七日、私たちは広大なベンガル湾口で、ふたたびものすごい光景に出会った。それは海面に人間の死体が幾つも幾つも浮いているのだった。それらはどれもインド人の死骸で、ガンジス河を下って海に流れこんだもので、この地方の唯一の葬儀屋であるハゲタカも、あんまり数が多くて食いきれなかったものらしい。が、そのかわり、フカどもがこの葬いの手伝いを、ぬかりなくつとめていた。
夕方の七時頃、ノーティラス号はなかば船体を水中に沈めて、ミルク色の海を航行していた。海はまるでいちめんに乳汁を流したように見えた。これは月の光のせいだろうか? だが、月はようやく二日たったばかりの細い弦月で、それもまだ太陽の光線の残っている水平線下にかくれていたので、空は星こそ出ていたけれども、海の白さにくらべて真っ黒に見えた。
コンセイユは、自分で自分の眼を信ずることができず、この不思議な現象について私にたずねた。さいわい、私は彼に説明してやることができた。
「これはアンボイナの海岸や、この近海にしばしば見られる乳海という現象だよ」
「しかし、何のためにそうなるのですか? わたしには、水がミルクになるなんて、とても信じられませんがね」
「いや、そうじゃないんだよ。この白さは一口にいうと、何億何千万という滴虫類の仕業なのだよ。この滴虫類というやつは、無色で膠質《こうしつ》の、非常に微小な発光虫の一種で、長さは一センチの千分の三くらいしかないのだ。それが互いに付着して、時とすると数リーグ四方に及ぶことがあるんだよ」
「数リーグ四方ですって?」
「そうなんだよ。とても計算なんかできるもんじゃないさ。わたしの記憶に誤りがなければ、なんでも四十マイル以上もこの乳海の上をただよった船さえあるという話だ」
夜半近く、海は突然もとの色に返ったが、振りかえってみると、遠く水平線のあたりの空には、まだ白い海が反映して、しばらくの間かすかな薄明りをただよわせていた。
二 ネモ艦長の新提案
一月二十八日、正午、ノーティラス号が北緯九度四分の地点にさしかかった時、西方八マイルの洋上に陸地の影を認めた。最初に私の眼にとまったのは、高さ六百メートルばかりの奇妙な恰好をした一連の山脈であった。方位を測ってみると、艦は今しも、インド半島の耳朶にぶらさがった真珠ともいうべきセイロン島に近づきつつあることがわかった。
この時、ネモ艦長と副長とが姿を現わした。艦長は地図をちらっと見てから、私の方を振り向いて言った。
「真珠採集で名高いセイロン島です。ひとつ行って見る気はありませんか?」
「ぜひ行って見たいですね、艦長」
「わけありませんよ。ただし漁場だけで、漁夫は見られないかもしれません。まだ季節《シーズン》が始まっていませんから。では、マナール湾に針路を向けさせましょう。たぶん夜中までにそこに着くでしょう」
艦長が何かささやくと、副長はすぐ艦内におりて行った。まもなくノーティラス号は潜航に移り、圧力計は九メートルの深度を示した。
「われわれはこれからマナール湾を訪れるわけですが、運よく漁夫がいれば、彼らの働いているところが見られますよ。――ところで、アロンナクスさん、あなたはフカが恐ろしくありませんか?」
「フカですって!」と、私は叫んだ。
この質問は、ずいぶん無茶な質問のように思われた。
「いかがです?」と、艦長はつづけた。
「さあ、わたしはどうもあの魚だけには親しみがもてませんがね」
「われわれは馴れています。今に、あなたがたも馴れますよ。しかし、武装だけはしてください。ひょっとすると、途中でフカ狩りができるかもしれませんから。そりゃ面白いですよ。では、明朝早く」
そう無造作に言って、ネモ艦長は広間を出て行った。
ところで、読者諸君、もし諸君がスイス山中のクマ狩りに誘われたとしたら、諸君はなんと言うだろうか?
「結構ですね。さっそく明日出かけましょう」と言うにちがいない。
また、アフリカのライオン狩りとかインドのトラ狩りに誘われたとしても、たぶん諸君はためらわないであろう。
しかし、これがもし海底のフカ狩りに招待されたとしたら、諸君だって、その招待を受諾する前にちょっと考えるにちがいない。私もまた、冷汗のにじむ額に手をあてて考えざるを得なかった。
「こりゃ考えものだぞ。この前のクレスポ島の海底の森林でラッコ狩りをやったのとは訳がちがうからな。なんでも、アンダマン島の現地民などは、片手に短剣を握り、片手に輸索《わなわ》を持って、平気でフカに向かって行くそうだが、大ていは生きて帰らぬという話だ。しかし、俺は現地民じゃない、俺だったら、そんな場合考えるがな」
その時、コンセイユとネッド・ランドが、にこにこしながらはいって来た。彼らはフカ狩りのことについては、まだ何も知らないらしかった。
「先生、あなたのネモ艦長が――ちぇっ、何が艦長だ――わしたちに、今すばらしい申し出をしましたよ」と、ネッド・ランドが言った。
「ほお、どんな?」
「艦長は」とコンセイユが口を入れた。「明日先生もいっしょに、わたしたちをセイロン島の真珠漁場に招待してくれたのでございます。艦長はいかにも紳士らしく、丁重な態度でそれを申しました」
「ほかに何も言わなかったかね?」
「別に何も」と、カナダ人は言った。「ただ、この散歩のことは、先生にももうお話してある、と言って、ましたぜ」
「先生」とコンセイユがまた言った。「真珠漁業のことを、くわしく話してくださいませんか」
「いいとも、二人とも坐りたまえ。ゆっくり話すから」
ネッドとコンセイユは、長椅子に腰をおろしたが、カナダ人の発した第一問はこうだった。
「先生、真珠ってなんですか?」
「真珠とは、詩人に言わせれば海の涙だし、東洋人に言わせれば露の雫《しずく》の凝《こ》ったものだし、貴婦人の眼から見れば、指とか首とか耳とかを飾るための美しい光沢をもった楕円形の宝石さ。また化学者の眼からすれば、それは炭酸石灰と燐酸石灰の化合物に少量の膠質の加わったものだ。そして、最後に博物学者の眼から見ると、それは二枚貝の間に真珠母をつくる器官の病的な分泌物に過ぎないのだよ」
「軟体動物がつくるものですね」と、コンセイユが言った。
「そうなんだよ。コンセイユ。つまりアワビとかシャコガイのように、その貝殻の内側に美しい色の真珠母をもった貝類は、みんな真珠をつくることができるわけさ」
「イガイもですか?」と、カナダ人がたずねた。
「もちろん。ことにスコットランドとか、ウェールズとか、アイルランドとか、ボヘミアとか、フランスなどの沿海に産するイガイはね」
「よおし、これからはわしもよく気をつけよう」と、カナダ人は叫んだ。
「しかし、真珠質を一番分泌する特別の軟体動物は、真珠貝(アコヤ貝)だろうね」
「ところで、真珠をそれらの貝類から取り出すには、どういう方法でやるのですか?」
「いろいろな方法を用いているよ。貝殻に付着しているのは鋏を使って剪《けず》りとることもある。が、最も普通な方法は、土手の上に海草を敷いて、その上に貝を並べておく。そうすると貝は外気にあたって死に、十日ほどすると、腐敗しはじめる。そこでそれを海水をたたえた大きな水槽に浸して洗い、真珠を取り出すのだ」
「真珠の価値は大きさによって決まるのでしょうか?」
「いや大きさばかりじゃないね。形とか、色とか、光沢とかによっても違う。一番美しいのは、処女真珠またはバラゴンと呼ばれる真珠で、貝肉の繊維の中で形成され、色は白くて不透明なのが普通だが、時とすると蛋白石のように透明なのもある。形は普通円形または楕円形で、円いのは腕環につくられ、楕円形のは首飾りなどにつくられる。どちらも非常に珍重されているよ。貝殻に付着しているのは、形が不規則なので目方で売られ、またもっと下等な、一般に種真珠という名で知られている小粒の真珠は、桝で量って売られ、教会堂の装飾などに用いられる」
「真珠採取は危険なのでしょうか?」と、コンセイユがたずねた。
「いや、あらかじめ用心してかかれば、危険なことはあるまい」
「危険なんかあるもんですか。せいぜい塩水を二、三杯飲むくらいのもんですよ」と、ネッド・ランドが言った。
「まったく、ネッド君のいうとおりだよ」と、私はネモ艦長の無造作な調子を真似ながら言った。
「ところで、君は、フカは怖くないかね、ネッド?」
「わしがですか! わしは銛撃ちですぜ。だいたい奴らを軽蔑するのがわしらの商売でさ」
「しかし、わたしの言うのは、旋回砲で奴らを仕留めて、船の上に引っぱり上げたり、肉切り庖丁で皮を裂いたりすることをいっているのじゃないよ」
「じゃ、水中での話ですか?」
「そうさ」
「なんでもありませんよ、銛一本あれば! ご存じのように、フカって奴あ、|ぶざま《ヽヽヽ》な動物でしてね。人間に食いつく時には、腹を引っくりかえさなきゃならんのです。その時をねらって――」
ネッドは「食いつく」という言葉を使ったが、この言葉は私の全身の血を凍らせた。
「コンセイユ、お前は――お前はフカをどう思うね?」
「わたしですか。わたしは、正直に申し上げましょう」(その方がいい)と、私は内心思った。
「もし先生がフカに立ち向かうおつもりなら、忠実な従僕として、どうして自分だけ引っこんでいられましょう」
三 海底の大真珠
翌朝四時に、私は、いつも食事を運んでくる給仕に起された。私は急いで飛び起き、身支度をととのえて、広間へ行った。
艦長はもう待っていた。
「ムシュー・アロンナクス、ご用意はいいですか?」
「はい」
「では、わたしについてきてください」
「連れの者はどうしましょう、艦長?」
「あの人たちにも知らせましたから、もう待っているでしよう」
「潜水服を着なくてもよろしいのですか?」
「まだ、結構です。実はノーティラス号をあまり岸近くへよせたくないので、マナール湾から少し離れたところにいるのです。で、ボートの用意ができていますから、潜水具もそれに積んで行って、いよいよ海底旅行をはじめる間際に、着ることにしましょう」
ネモ艦長は私を案内して、中央階段から甲板に出た。そこには、すでにネッドとコンセイユがこの日の「愉快な旅行」を胸に描いて、うれしそうに立っていた。また艦の舷側にぴったり横づけにされたボートには、五人の艦員がオールを手にして待っていた。
夜はまだ明けはなたれていなかった。黒い雲の層が空をおおい、その間からわずかに三つ四つの星がまたたいているだけだった。私は陸の方をながめたが、ただ黒い線が南西から北西へかけて水平線の四分の三をさえぎっているだけで、何も見えなかった。夜の間にセイロン島の西海岸に回航したノーティラス号は、その時本島とマナール島とに挾まれた湾の西側に碇泊していた。その辺一帯の暗い海底には、真珠の無尽蔵の宝庫である全長三十キロに及ぶ浅瀬があるのだった。
ネモ艦長とネッド・ランドとコンセイユと私は、ボートの艫《とも》の方に座を占めた。水夫の一人が舵席につき、あとの四人はオールをにぎりしめた。やがて舫索《もやいづな》が解かれて、ボートは艦を離れた。
ボートは進路を南にとって、ゆっくりと進んだ。
五時半頃になると、水平線の上がほのかに白みはじめて、島の輪郭が次第にはっきりしてきた。島は東側が平坦で、南に行くに従い小高くなっていた。島まではまだ八キロほどの距離があったが、水の上なので、むろんはっきりしたことはわからなかった。六時頃になると、熱帯特有の早さで、あたりが急に明るくなり、樹木のまばらに生えた島の景色がはっきりと眼にうつった。ボートはマナール島の南側に近づいていた。ネモ艦長は座席から立ち上って、海面をじっと見つめた。
やがて艦長の合図でボートは錨を入れたが、錨索《いかりづな》はほんのわずかばかりしか伸びなかった。このあたりは浅瀬のうちでも特に高いところで、水深一メートルぐらいしかなかった。
「さあ着きました。アロンナクス先生。あの陸地に囲まれた湾内をごらんなさい。あとひと月もすると、この湾内には真珠輸出業者の漁船がたくさん集まって来るのですよ。ここは強い風からさえぎられているので、海の荒れる心配はなく、潜水夫の活動にはもってこいの場所なのです。さあ、支度をして、われわれの海底散歩に出かけましょう」
私は返事をせずに、黙って海面をながめながら、艦員の手をかりて、重い潜水服を着はじめた。艦長も私の二人の連れも、潜水服に着かえた。ノーティラス号の艦員たちは、この散歩には加わらなかった。
身支度がととのうと、私たちは気槽を背負った。私は銅の兜をかぶる前に、艦長に向かって、電灯を持って行く必要はないか、とたずねた。
「その必要はないでしょう。ごらんのように、浅い海底ですから、太陽の光線が充分足もとを照らしてくれますよ。それに、ここいらの海に電灯を持ってはいるのは危険なのです。電灯の光はこの辺の海に棲んでいる危険な奴の不意の襲撃を招くことになりますからね」
艦長の言葉を聞いて、私は思わずコンセイユとネッド・ランドの方を振りかえったが、二人はもう兜をかぶっていたので、何も聞こえぬらしかった。
私にはまだ、ネモ艦長にたずねたい最後の質問が残っていた。
「で、武器は――銃は持って行かないのですか?」と、私はたずねた。
「銃? 何のためです? 山国の人はクマ狩りをするのに短剣を持って行くそうですが、鉄砲の弾丸《たま》よりも刃物の方がよっぽど確かですよ。ここに頑丈な短剣がありますから、これを帯にはさんでいらっしゃい」
私は二人の仲間の方を見た。彼らも私と同じように武装していたが、ネッド・ランドはそのほかにあらかじめ用意してきた大きな銛をたずさえていた。
やがて、艦長の例にならって、私も胴の兜をかぶった。私たちの背の空気箱はすぐ活動をはじめた。そこで、四人は次々と水中におり立ったが、そこは水面下約二メートルの平らな砂地だった。私たちは、艦長の合図に従い、ゆるい傾斜を次第に深い方へおりて行った。
そのうちに不意に、尾鰭のほか鰭を一枚ももたない、いわゆる単鰭魚の群が、まるで沼地のシギの群のように、足もとから姿を現わした。私はそれが「ジャワヘビ」という、長さ八十センチほどの、腹部が鉛色をしたウミヘビであるのを認めた。もし胴の両側に金色の線がなかったら、アナゴと見まちがえたかもしれない。また、からだが平べったい楕円形をしたマナガツオ属の魚では、草刈り鎌のような背鰭をもった、輝くような冴えた色のものを、何匹も見た。これは食用魚としてもすばらしいものである。
空高くのぼりつつあった太陽は、海の水をますます強く照らした。一方、海底の様子も次第に変ってきた。細かい砂地の次には、軟体動物や植虫類でいちめんに蔽われた、玉石だらけの道がつづいた。その中には、円い貝殻をもったオレンジ色のマルチジミガイもいたし、何かをとらえんとしている手のように、波の下でからだを上へのばしているカサゴの姿も見えた。また、このあたりの海の最も豊富な産物の一つである、巨大な扇のような、みごとなビワガライシもあった。
これらの生きた植物の間や、樹木のような水生動物の下には、不恰好な関節動物の群がうようよしていた。その中で特に私の眼をひいたのは、幾分円味をおびた三角形の甲羅をもったアサヒガニと、見るからに恐ろしい恰好をしたヒシガニの姿だった。
七時頃、私たちは、とうとう、何百万という真珠貝を生みだす広大な貝床に着いた。
ネモ艦長は、そのおびただしい、累々たる真珠貝の山を指さした。私はここの真珠貝が無尽蔵なことを理解することができた。自然の創造力は人間の破壊欲を遥かに凌駕するものだ、と思った。ネッド・ランドはさっそく彼の欲望に従って、中でも一番見事なやつを二つ三つ急いで腰の網袋の中に入れた。が、私たちは、案内役の艦長がずんずんさきへ進んで行くので、しばらくも、そこに立ち止まっていることはできなかった。このあたりから、海底は急に高低がはげしくなり、手を上げると水面にとどきそうになるほど高くなるかと思うと、次にはたちまち低くなり、また何度も私たちはピラミッド形にそそり立った大きな岩塊の裾をまわらなければならなかった。それらの暗い岩の裂け目には、大きな脚をひろげた巨大な甲殻類がじっと私たちを睨んでいたし、また足もとにはいろいろな種類の環虫類《かんちゅうるい》が這いずりまわっていた。
まもなく、私たちの面前には、絵のような岩の塊りで蔽われ、きれいな海底の草花で床を敷きつめられた、大きな洞穴の口が現われた。はじめ穴の中は真っ暗に見えたが、ネモ艦長がずんずん入って行くので、私たちもついて行くと、まもなく眼が闇に慣れ、花崗岩の土台の上にトスカナ式建築の大円柱のように立っている自然の柱と、それがつくり出している気まぐれな恰好のアーチを、見ることができた。ネモ艦長は、なぜ私たちをこの海底の洞窟へ案内したのだろうか? しかし、すぐそれはわかった。やや急な傾斜道を下ると、私たちは円形の洞窟の底に達した。そこで艦長は立ち止まって、何かを指さした。よく見ると、それは直径二メートル半もある大盥《おおだらい》のような、ノーティラス号の広間にあるものよりももっと大きい、途方もない真珠貝――巨大なシャコ貝であった。私は近よって、この世にも珍しい軟体動物をながめた。それは花崗岩の台石の上に、ぴったりと付着し、洞窟の奥の静かな水の中にじっと独り暮しをしていた。私の見たところでは、この貝の重量は少なくとも六百ポンド、肉の重さだけでも三十ポンドはあった。
ネモ艦長は、前からこの大二枚貝の存在を知っていて、その生育の状況に特別の興味を持っているらしかった。その軟体動物は二枚の貝をかすかに開いていた。と、艦長はいきなりつかつかとそれに近よるや、短剣を貝の間にさし込んで、口を閉じるのを防ぎ、片手でその外套膜《がいとうまく》の縁を持ち上げた。見ると、その折りたたんだ褶《ひだ》の間にはヤシの実ほどもある、大きな真珠が燦然と光を放っていた。その円い形といい、澄んだ色合いといい、美しい光沢といい、それは実に比類を絶した見事な真珠で、私は思わず好奇心から手を伸ばして、それに触れようとしたが、艦長は手を振ってそれを止め、急いで短剣を引き抜いた。すると、貝はすぐ口を閉じてしまった。私は艦長の気持を察することができた。艦長はこの真珠を、この二枚貝の外套膜の中に隠しておいて、それが年々成長するのを楽しみにしているのだ。私の見たところでは、この真珠の価値は少なくとも五十万ポンドを下らなかった。
洞窟を出て、さらに十分ほど歩いてから、艦長は不意に立ち止まった。引きかえすためかと思ったが、そうでもなかった。艦長は手を振って、岩蔭の彼のそばにうずくまるように私たちに命じた。そして前方の水中をじっと指さした。
見ると、五メートルほど前方に一つの黒い影が現われ、まっすぐに海底に沈んで来た。瞬間、私はフカではないかと、胆を冷やしたが、よく見ると、それは一人のインド人の漁夫が、季節前にひそかに真珠を漁りに来たのだった。
その男の頭上二、三メートルのところには、カヌーの底が見えた。彼は綱で自分のからだを舟に結びつけ、両足の間に砂糖の塊りのような白い手ごろの石をはさんで、するするとおりて来た。そして約五メートルの水底に達すると、膝をまげて、手当りしだいに真珠貝を集めて、腰の袋の中に入れた。それから、彼は大急ぎで水面に上って行き、貝を舟の中へあけると、ふたたび石をたぐり上げて、前のような操作を繰りかえした。その間三十秒とかからなかった。
彼は岩蔭に隠れている私たちの姿には、気がつかないらしかった。もっとも、この貧しいインド人でなくとも、誰だってこんな海底に自分と同じような人間が身をひそめて、自分の行動を見張っていようなどとは、思うまい。こうして、彼は何回ももぐったり、浮かび上ったりしたが、もともと強靱な足糸で海底の岩に密着している貝を取るのだから、彼はどうしても一回に十個以上を運び上げることはできなかった。しかも、危険を冒して彼がせっかく手に入れたそれらの貝も、大部分は体内に真珠なんか持っていないのだ、とおもうと、なんとなく哀れに感じられて、私は息をころしながら、彼の規則正しい運動をじっと見まもっていた。が、半時間ほどは、何の変ったこともなく過ぎた。
と、突然、海底にかがんでいたインド人が、ハッとして立ち上り、あわてて水面に浮き上ろうとした。
その理由はすぐわかった。大きな黒い影が、その不幸な漁夫の真上に現れ、不意に彼に襲いかかって来たのである。それはまぎれもないフカ――らんらんと眼を輝かし、カッと口を開いて、斜めに水中を突進して来る巨大なフカだった。私は恐怖のために、息がとまりそうになった。この貪婪な怪魚は、インド人めがけて躍りかかった。インド人はとっさに身をかわそうとしたが、その暇がなかった。彼はフカの尾鰭で激しく胸を打たれ、そのまま海底にたたきつけられた。
それはほんの数秒間の出来ごとだった。フカは身をひるがえして、再びインド人に襲いかかったが、その時だった。私の眼に、いきなり、ネモ艦長が岩蔭から立ち上り、短剣を振るってフカに跳びかかったのが見えた。フカはこの新しい敵を見ると、すぐ身を転じて、こんどは艦長に躍りかかった。
私は今でも、その時のネモ艦長の態度を、忘れることができない。艦長は少しもあわてずに、落ちつきはらって、矢のように突進して来るフカをひらりとかわし、電光石火の早業で短剣をズブリとその胴中に突き刺した。が、それで戦いは終ったのではなかった。俄然ものすごい格闘が開始された。
猛り狂ったフカの傷口からは、赤い血が奔流のようにほとばしり、あたりいちめん海水を真っ赤に染めて、ちょっとの間なにも見えなくなったが、やがて海水の濁りが薄らぐに従い、私の眼前には、片手でフカの鰭にぶら下り、片手で敵の急所に矢つぎ早やに猛烈な突きをくらわせながら、巨大な海の怪物を相手に組打ちを演じている勇敢な艦長の姿が、うかび上った。だが、艦長のこの勇ましい奮闘も、まだ相手に最後のとどめを与えることはできなかった。
私はなんとかして艦長の手助けをしたいと思ったが、恐ろしさのために身がすくんで、動くことができなかった。
そのうちに艦長の眼には、明らかに疲労の色が現われてきた。それと同時に、戦いの形勢は一変した。ついに艦長は真向うから押しかぶさってくる相手の巨体に圧倒されて、どっと海底に倒れた。それと見るや、フカはまるで工場の剪断機のような大きな顎をぱっくり開けて、艦長に飛びかかろうとした。と、その時だった。突如ネッド・ランドが岩蔭からとび出して、眼にもとまらぬ早業で、その鋭い銛さきをフカの急所に突き刺したのである。
海水は血の塊りでふたたび真っ赤に染り、死物狂いになって暴れるフカの運動で、上下に激しく揺れ動いた。ネッド・ランドの狙いはたがわず、フカは心臓を貫かれて、断末魔の苦しみにもがいているのだった。そのあおりで、コンセイユは、その場に投げ出されたほどだった。
一方、ネッド・ランドに危いところを助けられた艦長は、立ち上ると、いきなり倒れているインド人を抱き起し、そのからだを両手に抱えて、踵でパッと海底を蹴って、海面に浮かび上った。
私たち三人も、つづいて水面に浮かびあがり、漁夫の小舟にはい上った。
ネモ艦長は、何よりもまずその不幸な漁夫を蘇生させようとして、いろいろ看護の手をつくした。私にはもう手おくれのような気がした。というのは、その哀れなインド人は、水に漬っていた時間は長くなかったが、フカの尾鰭から受けた一撃が致命傷となっていたからである。
さいわい、艦長とコンセイユの摩擦のおかげで、漁夫は次第に意識を回復し、やがてぽっかりと眼を開いたが、意外にも自分をのぞきこんでいる四つの大きな銅の兜をながめて、びっくり仰天したらしかった。ことに、艦長がポケットから真珠の袋を取り出して彼に与えた時の、漁夫の驚きは、どんなであったろう。彼は震える手でこの見知らぬ海の人からの結構な贈物を受け取った。そして、自分の生命を救ってくれたばかりか、莫大な財宝まで恵んでくれたこの不思議な人物を見上げて、ただ眼を見張るばかりであった。
艦長の合図で、私たちはふたたび海底におり、三十分ほど歩いて、ノーティラス号のボートが錨を下しているところに戻った。
ボートに上ると、一同は水夫たちの手をかりて、その重い銅の兜を脱いだ。
ネモ艦長が最初に言葉をかけたのは、カナダ人に対してだった。
「ありがとう、ランド君」と彼は言った。
「なあに、艦長、お返しですよ」と、ネッド・ランドは答えた。「大分あんたには借りがありますからね」
薄気味悪い微笑が、チラッと艦長の口もとに浮かんだが、それっきり何も言わなかった。
「ノーティラス号へ」と、艦長は命じた。
ボートは波を分けて進んだ。数分後、私たちはさっきのフカの死体が波間に浮いているのに出会った。それは、鰭の先端が真っ黒なインド洋特産の恐ろしい黒フカの一種だった。長さが八メートル以上もあり、その大きな口はからだの三分の一を占めていた。上顎に六列の歯が二等辺三角形にならんでいるところから見ても、それは充分成育したフカだった。
私がこの怪魚の死骸をながめていると、急にボートの周囲にそれと同じような貪婪なフカが十二、三匹現われて、私たちの方には眼もくれずに、先きを争って仲間の死骸に喰らいついた。
八時半、私たちはノーティラス号に帰った。私は艦に上ると、今日マナール島への海底散歩中に起ったいろいろな出来ごとを思いかえしてみた。
私はそれから否応なしに二つの結論を引き出さずにはいられなかった。一つは、ネモ艦長が比類ない勇気の持主であるということ、いま一つは、彼がすてたはずの地上の人間に対しても献身的な愛を持っているということであった。たとえ口でどんなことを言おうと、この不思議な人物はまだ温い心をまったく失ってはいないのだ。
私がこの考えを彼に述べると、艦長は幾分感動した調子でこう答えた。
「あのインド人は、他国の圧制下に苦しんでいる民族の一人です。わたしもまた、最後の息を引きとるまで、彼らの仲間の一人でしょう!」
四 紅海
一月二十九日の昼の間に、セイロン島は水平線下に影を没し、ノーティラス号は時速二十ノットの速力で、ラカディバ諸島とマルディバ諸島との間の迷路のような水路に進み入った。まもなく、艦は一四九九年にヴァスコ・ダ・ガマが発見したキルタン島というサンゴ島のすぐそばを通過したが、この島は、東経六九度五〇分の線に沿って北緯一〇度と一四度の間に散在するラカディバ群島中の主な島の一つであった。
かえりみれば、私たちは日本近海を出発してから、もう一万六千二百マイル(七千五百リーグ)を航海しているのだった。
翌日(一月三十日)、ノーティラス号は、洋上を航走したが、見渡すかぎり水の世界で、陸の影らしいものは一つも認められなかった。艦の針路は北々東、すなわちアラビア半島とインドとに挾まれたオマーン海の方向を指しているところから見て、おそらくペルシア湾に向かうらしかったが、ペルシア湾に出口のないことは明らかであった。ネモ艦長は私たちをどこへ連れて行くつもりなのだろうか? その日、カナダ人はそのことをたずねに、私のところへやって来た。
「ネッド君、われわれは艦長の好きな所へ連れて行かれるだろうよ」
「好きなところって、ペルシア湾には出口がありませんぜ。たとえ入っても、すぐまた出て来ることになりますよ」
「そう、そしてペルシア湾を出たら、こんどは紅海を訪れるだろうよ。バブ・エル・マンデブ海峡を通ってね……」
「しかし、紅海だって、まだスエズ運河ができ上っていないはずだから、ペルシア湾同様行き止まりですぜ。たとえ開通していたって、ノーティラス号のような船が水門で遮断された運河を秘密に通り抜けることはできますまい。結局、紅海も、ヨーロッパへ帰る道筋じゃありませんよ」
「しかし、僕はヨーロッパへ帰るなんて一度も言いはしないよ」
「じゃ、先生はどんなふうに考えていられるのですか?」
「僕の考えじゃ、アラビアやエジプトの海岸を訪れた後、ノーティラス号はふたたびインド洋に出て、多分モザンビーク海峡を通って、喜望峰へ向かうだろうね」
「で、喜望峰から?」と、カナダ人は勢いこんでたずねた。
「それから、艦はわれわれのまだ知らない大西洋へ出ることになるだろう。はは! ネッド君、君はこの珍しい海底旅行に飽きが来たのだね。だが、僕としちゃ、めったにできないこの航海がこれで終るとしたら、残念だね」
二月三日までの四日間、ノーティラス号は、たえず速力を変え、ある時は水上に浮かび、ある時は水面下に没しながら、オマーン海をあちこちと周航した。それは行くべき道に迷っているようだったが、結局艦は北回帰線を越えなかった。
この海を去る間際に、私はオマーン地方のもっとも重要な都市の一つであるムスカットをちらっと海上から遠望した。街を囲繞《いにょう》する黒い岩山の上に真っ白な建物と城壁がそびえ立っているこの古都の奇観に、私はおもわず嘆賞の眼を見張った。回教寺院の円屋根、その高塔の優美な頂き、新緑におおわれた高台なども見えた。が、それはほんの一瞬の眺めだった。ノーティラス号はすぐ海中に潜ってしまった。
それから、艦はところどころ古代の廃墟の残っているアラビアの山々を遠く望みながら、海岸に沿って南下し、二月五日に、紅海の入口、バブ・エル・マンデブ海峡に通ずるアデン湾にはいった。
二月六日、ノーティラス号はアデンの沖に浮かび上った。ここは紅海のジブラルタルともいうべき要害の地で、一八九三年以来、イギリスはこの地を領有し、要塞を築いてきた。私は、かつてこの辺きっての富裕な商業都市であったこの古い街の所々にそびえる八角形の高塔を、はるかに望み見ることができた。
ここでネモ艦長はきっと引き返すだろうと思ったが、意外にも、彼はそんな気配を少しも見せなかった。
翌二月七日、艦はバブ・エル・マンデブ海峡にはいった。これはアラビア語で『涙の門』という意味であって、幅二十マイル、長さ三十二マイルほどしかなかった。ノーティラス号は全速力で走ったので、海峡を通過するのに一時間とかからなかった。ここの狭い水路には、スエズからボンベイ、カルカッタ、メルボルンへ向かう英仏の船舶がたくさん群がっていたので、ノーティラス号は用心して潜航したため、私はペリム島をはじめ海峡の様子を、全然見ることができなかった。正午頃、私たちはいよいよ紅海の水域にはいった。
紅海に入ると同時に、艦は速力をおとし、ある時は海面に浮かび、ある時は行き交う船を避けて潜航したので、私はこの珍しい海の上も下も、つぶさに観察することができた。
二月八日の早暁、前方にモカの廃墟が見えた。かつては、六つの公立市場と二十六の回教寺院とをもち、十四の砦にかこまれた名高い都会の一つだったのだが、今はその城壁も砲弾のために見る影もなく崩れ、ここかしこに緑のナツメジュロが徒らに生い茂っているばかりだった。
ノーティラス号はそれから水深の比較的深いアフリカ海岸の方に近づいて行ったが、このあたりの海水は水晶のように透き通っていて、私たちは艦の広間の窓ガラスを通して輝くサンゴの美しい茂みや、高価な毛皮のような滑らかな緑の藻を敷きつめた大きな岩石をながめることができた。
二月九日、ノーティラス号は西海岸《アフリカ》のスアンキンと東海岸《アラビア》のクンフィダとが約十九マイルの海をへだてて向かい合っているあたり――紅海のうちでも最も幅の広い水面――を通過した。
正午、方位の観測がすんだ後、ネモ艦長が甲板に姿を現わした。ちょうど私も甲板に出ていたので、今日こそ彼の心中を訊いてみようと決心した。彼は私の姿を見かけると、近づいて来て、葉巻を一本さし出した。
「いかがです、紅海は? この海が蔵しているいろいろな驚異――魚類とか、植虫類とか、海綿の花園とか、サンゴの森とかを、ごらんになりましたか?」
「ええ、おかげで充分観察することができました。この種の研究には、ノーティラス号はもってこいの船ですな」
「ええ、それにこの艦は不死身ですよ。紅海特有の恐ろしい暴風にも、潮流にも、砂洲にも、びくともするものじゃありませんからね」
「たしかにそうですな。わたしの記憶に間違いがなければ、この海は昔から魔海の一つにかぞえられているくらいで、ひどく評判の悪い海ですね」
「そうです。ギリシアの歴史家も、ラテンの歴史家も、この海をよく言ってる者はありませんよ。ギリシアのストラボンは、夏季西北風の吹く頃と雨季とは特に危険だ、と言っていますし、アラビアのエドリシなども、ここの砂洲では難破する船が多いため、夜中航海する船がない、と言っています。彼に言わせると、この海はたえず恐るべき暴風の危険にさらされ、避難所もない荒涼たる島々の散らばった海だというのです」
「艦長、あなたはたいへんこの海のことを研究していらっしゃるようですが、この紅海という名の起源を話してくださいませんか?」
「その問題については、いろいろの説があるのですが、その一つとして十四世紀のある年代史家の意見を、ご紹介しましょう」
「どうぞ」
「この空想的な歴史家の意見によると、紅海という名は、モーゼの率いるイスラエル人がこの海を徒渉した時、後を追って渡ろうとしたパロ(エジプト王)の軍勢がモーゼのひと声で波に呑まれて全滅したために、起ったのだというのです」
「詩人の説明ですね。しかし、どうもそれだけでは、わたしは満足できませんな。あなた自身のご意見はどうなのですか?」
「わたしの考えでは、紅海という名称は、ヘブライ語の〈エドム〉の訳で、それはこの海の水の特殊な色から出たのだと思いますね」
「しかし、今まで見たところでは、非常に透明な水で、特殊な色などついていないようですが」
「ごもっともです。が、海底深く沈むにつれて、変化が現われて来るのです。わたしの記憶しているところでは、トル湾の水など血のように真赤ですよ」
「やはり微生物の存在するためでしょうか?」
「そうです」
「すると、あなたは、ノーティラス号で紅海を航行なさるのは、これが初めてではないわけですね? さっきイスラニル人の徒渉とエジプト軍の全滅の話をされましたが、海底で何かこの歴史的事実の痕跡をごらんになったのですか?」
「いや、ありません。が、それには充分な理由があるのです」
「どんなことですか?」
「モーゼの一行が通った地点は、今では砂に埋もれて、ラクダの脚の深さぐらいしかないのですから、ノーティラス号などとうてい行ける場所ではないのです」
「その地点というのは?」
「それはスエズ地峡の、やや上部に位置する場所で、紅海が死海に通じていた頃、その入口を形づくっていた岬のあたりです。その徒渉が伝えられているような奇蹟的な方法で行われたかどうかは別問題として、とにかくイスラエル人はそこを通って〈約束の地〉に達し、一方パロの軍勢はそこで全滅したことは、たしかですね。今でもあの辺の砂を掘ったら、エジプト製の武器や器具がたくさん出てくるでしよう」
「スエズ運河の完成後、地峡には幾つも新しい都会が建設されているのですから、この機会に早晩そうした発掘が行われることは、考古学者のために望ましいことですね。スエズ運河といえば、この運河なんか、ノーティラス号のような船には全然無用なものですね」
「そうかもしれません。しかし、人類のためには非常に有益な仕事ですよ。紅海と地中海との交通の重要性ということは、古代の人々も通商の必要上、充分に理解していましたが、彼らは直接二つの海の間に運河を掘ることは考えずに、ナイルを仲介にして連絡を図ったようです。伝説によると、ナイルと紅海とをつなぐ運河の開鑿は、すでにセソストリスの時代に始められたようですが、少なくとも紀元前六一五年にエジプト王ネコがエジプト平野を横切って、ナイルと紅海との間に運河工事を起したことだけは、たしかです。この運河を上るには四日間を要し、その幅も二隻の三段|撓船《とうせん》がならんで進むことができるほど広かったそうですが、結局この工事は未完成に終り、その後ダリウス二世の手でつづけられ、ついにプトレマイオス二世の時代に完成されました。現にストラボンはその運河を船が航行するのを目撃して、その様子を書き残していますが、ブバステス付近の運河起点から紅海までの勾配が非常に緩やかだったため、実際に船が航行できたのは、一年のうち二、三カ月ぐらいだったそうです。それでもこの運河はアントニウスの時代まで、いろいろな商業上の目的に利用され、非常に貢献したものですが、その後カリフ・アルマンスの手で徹底的に破壊され、今ではわずかにその痕跡が残っているだけです」
「すると、艦長、古代人が手をつけなかった紅海と地中海とを直接結びつける仕事を、レセップス氏は初めて計画し、それに成功したわけですね?」
「そうです。アロンナクス先生、あなたには同国人としてそれを誇るだけの権利がありますよ。レセップス氏のような人は、偉大な航海者よりも、もっと国にとっては名誉の人物ですからね。彼は多くの先駆者たちと同じように、世間の嘲笑と侮辱を浴びながら、ついに勝利を得ましたが、これは彼が天才的な意志の所有者だったことを証明しています。このような国際的な、画時代的な仕事が、一個人の独力でなされねばならなかったということは、考えれば遺憾なことです。とにかく、レセップス氏は尊敬すべき人物ですよ」
「そうですね。たしかに偉大な市民ですね」と、私はネモ艦長の熱心な語調に引きこまれて、うなずいた。
「ところで、残念ながら、そのスエズ運河にはあなたをお連れすることはできませんが、しかし、明後日あたりは地中海に出て、ポート・サイドの長い防波堤をお見せすることができるでしょう」
「地中海!」と、私は思わず叫んだ。
「そうです。どうしてびっくりなさるのですか?」
「どうしてって――あなたは明後日地中海に出るとおっしゃったが、これが驚かずにいられますか」
「なぜです?」
「明後日地中海にはいるためには、ノーティラス号は恐るべき速力でアフリカ沿岸をまわり、喜望峰をまわって走らなければなりますまい」
「誰がアフリカをまわるなんて言いましたか?」
「でも、地上を飛び越さぬかぎり、ノーティラス号は――」
「地下を潜ればいいでしょう」
「地下を!」
「そうです」と、ネモ艦長は静かに答えた。「人間が地球の表面で今日なし遂げようとしていることを、自然は久しい以前に地下でなし遂げているのですよ」
「なんですって! そんな通路があるのですか?」
「ええ、地下水道があるのです。わたしはそれをアラビア・トンネルと呼んでいますが、この地下水道はスエズの下を通って、ペルシウム湾に通じているのですよ」
「でも、この地峡は流砂でできているのではありませんか?」
「ある深さまではね。しかし、五十メートル以下は硬い岩層です」
「あなたは偶然その水道を発見なさったのですか?」と、私はいよいよ驚きながら、たずねた。
「偶然と推理によってです。むしろ偶然よりも推理によったといった方がいいかもしれません。しかし、単にそんな水路があるというだけでなく、わたしはもう幾度もそれを利用しているのですよ。さもなければ、今日この行き止まりの紅海にはいってくるわけがないでしょう。最初、わたしは紅海と地中海とに、同じ種類の魚がかなりいることに、気がついたのです。この事実に気がつくと同時に、わたしはひょっとするとこの二つの海に連絡があるのではなかろうか、と考えたのです。もし連絡があるとすれば、水準の相違から、地下の流れは紅海から地中海へ注いでいるにちがいない、と考えました。わたしはスエズの付近でたくさんの魚を捕え、その尻尾に銅の環を通して、海に放してやったところ、数カ月後にシリアの海岸近くで、銅の環をつけた魚を幾匹か発見しました。これで二つの海をつなぐ交通路のあることが、わかりました。その後、わたしはノーティラス号に乗って探しまわった末、とうとうそれを発見したのです。まもなく、あなたもこのアラビア・トンネルを通ることになるでしょう!」
五 アラビア・トンネル
その日の夕刻、北緯二一度三〇分の地点で、ノーティラス号は海面に浮かび上り、アラビアの海岸に近づいた。エジプト、シリア、トルコ、インド間の通商上の要地であるジェダの海港が遠く波の上に見え、町の建物や、波止場に碇泊している大小の船舶がはっきりと望まれた。水平線に沈みかけた太陽は、家々の白壁に明るく反射し、町の外側には、一見して遊牧民の住居と知れる木造小屋や、葦造りの小屋がたちならんでいた。まもなくジェダの港は夕闇の中に姿を没し、ノーティラス号はふたたび燐光のかすかに光る水中に沈んだ。
翌二月十日、私たちは風上に向かって走る幾隻かの船を見た。そこでノーティラス号は、ただちに潜航状態にかえったが、正午頃、方位観測のためふたたび水面に浮かび上った。
私はネッド・ランドとコンセイユを伴って甲板に出てみた。東側のアラビア海岸は、濃霧のため墨絵のようにぼおっとかすんで見えた。私たちは艦上のボートによりかかって、とりとめのない話にふけっていたが、そのうちに突然ネッド・ランドが海上の一点を指して、言った。
「先生、あすこに何か見えやしませんか?」
「いや、何も見えないがね」
「よく見てごらんなさい。右舷の航海灯のさきの辺りに、何か動いているものが見えませんか?」
「なるほど、そういえば、細長い黒いものが、たしかに水面に浮かんでいるぞ」と私は瞳をこらしながら言った。
やがて、その黒いものと私たちとの距離は一キロ半に迫った。それは海面に突き出た大きな砂洲のように見えたが、よく見るとまぎれもない巨大なジュゴン(海牛類に属する動物)だった。
ネッド・ランドは熱心にそれを見つめていた。その眼はらんらんと輝き、片手は獲物を狙って銛を投げる時のような恰好を見せていたので、知らぬ人が見たら、いまにも海中に身を躍らせて、ジュゴンめがけて飛びかかって行くのではないかと思えたにちがいない。
その時、ネモ艦長が甲板に姿を現わしたが、彼はジュゴンとカナダ人の様子をながめると、つかつかと彼に近づいて、言った。
「ランド君、もしいま銛を持っていたら、手に火傷《やけど》をしやしないかね?」
「まったくですよ、艦長」
「では、艦を停めるから、一日だけ君の本業にかえって、ひとつあの怪物を仕留めたらどうだ」
「わるくないですな、艦長」
「よろしい。ではやってみたまえ」
「ありがとうございます、艦長」と、ネッド・ランドは眼を輝かせながら言った。
「だが、一つだけ君のために忠告しておくが、万が一にも射損じないようにしたまえよ」
カナダ人は肩をすくめたけれど、私は少し心配になってたずねた。
「ジュゴンを狩るのは危険ですか?」
「危険ですとも」と艦長は答えた。「時々あいつは逆襲に出て、ボートを引っくりかえしたりしますからね。しかし、ランド君の眼と腕なら恐れることはありますまい」
その時、七人の艦員が、いつものように黙りこくって、甲板に上って来た。一人は銛と捕鯨用の綱とを持っていた。ボートが海面におろされ、六人の漕手と舵手がそれぞれ席につくのを待って、ネッドとコンセイユと私は、ボートの後部に乗り込んだ。
「艦長、あなたはいらっしゃらないのですか?」と、私はたずねた。
「行きません。が、せいぜいご活躍を祈っています」
六本のオールがあがると、ボートは艦の舷側を離れて、ノーティラス号から三キロほど離れた海面に浮かんでいるジュゴンの方へ全速力で進んで行った。
やがて、二、三百尋の距離に迫ると、ボートは速力をおとし、静かな水面を軽くオールが滑りはじめた。ネッド・ランドは銛を手にしてボートの舳《へさき》に立った。捕鯨用の銛は、一般に長い綱がついていて、傷ついたクジラが引っ張るままにどこまでも伸びるようになっているが、いまネッドの持っている銛の綱はせいぜい十尋ぐらいしかなく、その尖端に小さな樽がついていて、ジュゴンがどこへ逃げてもその居所がわかるようになっていた。
私は立ち上って、カナダ人の敵をじっと見まもった。このジュゴンは一名ハリコールともいい、ウミウシに酷似した動物で、楕円形のずんぐりした胴体に、長い尻尾と指状の側鰭とをもっていた。ただウミウシと異なる点は、上顎に二本の長い尖った牙をもっていることだった。
ネッドがいま攻撃しようとしているジュゴンは、長さ六メートル以上もある巨大なジュゴンで、ボートが近づいても、まるで眠ってでもいるように動かなかった。
ボートが六メートル以内に近づいた時、オールはいっせいに橈受《かいうけ》の上に引き上げられた。ネッド・ランドは身体を反らして、手にした銛を振り上げた。
突然シュッという音が聞こえて、ジュゴンの姿が見えなくなった。銛は非常な勢いで投げられたが、明らかに獲物をそれて水面を打ったようであった。
「畜生! やり損なった!」と、カナダ人はじだんだ踏んで叫んだ。
「いや、銛は刺さらなかったが、ジュゴンはたしかに傷を受けたらしいよ――見たまえ、あの血を」と、私は言った。
「早く銛を! 銛を!」と、ネッドは叫んだ。
水夫たちはふたたび漕ぎはじめ、舵手は浮いている樽の方へボートの舳《へさき》を向けた。銛を拾い上げるや、私たちはすぐさま怪獣の追跡にかかった。
ジュゴンは息をするため時々水面に浮かび上ったが、傷のために弱った様子はなく、非常な速さで逃げまわった。
ボートも精いっぱい力漕して、その跡を追った。そして数回二、三メートルのところまで接近したが、カナダ人が銛を振り上げると、そのたびにジュゴンはすばやく海中に姿を没して、それ以上どうしても近づけなかった。
短気なネッド・ランドがこのためにどんなに口惜しがったか、読者諸君よ、想像して頂きたい。彼は英語でありとあらゆる罵詈讒謗《ばりざんぼう》を、その不幸な海獣に浴びせかけた。
私たちは一時間あまり、息もつかずにジュゴンを追いまわした。が、いよいよこれはむずかしいと、私が思いはじめた時、突然敵はいままで隠していた復讐の執念をあらわして、ものすごい勢いで私たちのボートめがけて逆襲して来た。
カナダ人はこの気配を見のがさなかった。
「気をつけろ!」と、彼は叫んだ。
舵手も、なにやわらからぬ言葉で、漕手たちに警告を発した。
ジュゴンはボートから六メートルばかりのところまで来ると、急に停止して、その大きな鼻孔ですばやく息をつき、それから一躍して、ボートに飛びかかった。
ボートはそのあおりで横に傾き、少なくとも二トンばかりの塩水をかぶったが、舵手の機転でからくも顛覆だけは免れた。ネッドは舳にしがみつきながら、銛を振るって、つづけざまにその巨大な海獣を殴りつけたが、相手はすこしもひるまなかった。その鋭い牙を舷に突き立てたかと思うと、いきなりシシが小ジカをくわえたようにボートを水面から高く持ち上げた。私たちは将棋倒しに倒れた。が、もしその時カナダ人がとっさにジュゴンの心臓に銛を打ち込まなかったら、どんなことになっていたかわからない。
鉄板に牙の軋る音が聞こえて、そのままジュゴンは銛と一緒に海中に姿を消したが、まもなく樽が水面に浮き上り、つづいてジュゴンの死体が仰向けになって水面に現われた。ボートはそれを曳いて、急いでノーティラス号に帰った。
このジュゴンの巨体を甲板に引き上げるには、途方もない大馬力の轆轤《ろくろ》を要した。それは約一万ポンドからの重量があった。
翌二月十一日、ノーティラス号の食糧庫は、さらに珍しい獲物を幾種類か加えることができた。その一つは、ノーティラス号の甲板上に翼を休めたエジプト特産のウミツバメの一種で、嘴が黒く、頭が灰色で尖っており、眼の周囲に白い斑点があり、黒い翼と、灰色の尾と、赤い脚とをもった美しい鳥だった。その日はナイルガモの獲物もだいぶあったが、これまた、すこぶる美味な野鳥で、喉と黒い頭のてっぺんに白い斑点をもっていた。
夕方五時頃、私たちはスエズ湾とアカバ湾との中間に突き出たラス・モハメッド岬を、北方に望んだ。
ノーティラス号はスエズ湾に通ずるジュバル海峡にはいって行った。ラス・モハメッド岬が分けている二つの湾のちょうど中ほどに、空高く一つの山がそびえていたが、これはホレブ山、すなわちモーゼがその頂上で神と対面したと伝えられている、かのシナイ山であった。
六時頃、ノーティラス号は時々水面に出たり水に潜ったりしながら、トルの沖合を通過した。トルはネモ艦長が先日語った海水の赤い同名の湾の端に位する町であった。やがて、夜が深い静寂の中に訪れたが、時々その静けさを破ってペリカンの鳴き声や、岸や岩にあたって砕ける波の音や、また遠く湾内を行く汽船の騒がしい外輪の音などが聞こえた。
八時から九時までの一時間は、一度も水面に浮かばずに、ずっと海底を潜航した。私の推測では、艦はスエズのすぐそばに来ているようであった。私は、広間の舷窓から、電灯に輝く岩だらけの海底をながめて過した。
九時十五分に、艦はふたたび水面に浮かび上った。私はネモ艦長のいったトンネルが待ち遠しく、じっとしていられなかったので、新鮮な夜の空気でも吸おうと思って、甲板に出て見た。
しばらくすると、一マイルほど前方に、霧にぬれて青白い灯火がまたたいているのが見えた。
「灯船ですよ」と、誰かが後ろで言った。
振りかえって見ると、ネモ艦長であった。
「あれはスエズの灯船ですよ。もうまもなくトンネルの入口です」
「トンネルにはいるのは、なかなか難かしいでしょうね?」
「いや、その時は、わたしが舵機をとることにしていますから、大丈夫です。さあ、おりましょう。艦はこれからまた潜航です。そしてアラビア・トンネルを通過するまでは、海面に出ませんよ」
艦長は私を案内して中央階段をおり、中途の扉を開けて、廊下を横切ってから、甲板の端の方に突き出ている操舵室にはいった。そこは、二メートル四方ほどの、ミシシッピ河やハドソン河通いの汽船の水先案内がはいるような小部屋で、中央に舵輪が据えてあり、壁には凸面レンズをはめこんだ四つの円窓が仕切ってあって、四方を見渡せるようになっていた。
室内は暗かったが、私の眼はすぐ闇に慣れて、舵輪を操っている一人のたくましい舵手の姿が眼にうつった。外側の海は、この部屋の背後の方から放射されている探照灯の光で、真昼のように明るかった。
「さあ、ひとつ水先案内をつとめますか」と、ネモ艦長は言った。
操舵室と機関室との間には何本も電線が通っているので、艦長はいながらにして艦の針路も速力も自由に変えることができるのだ。彼がボタンを押すと、すぐ推進器は回転速度を減じた。
私は窓のそばに立って、黙って窓外を走り過ぎる高い砂岩の断崖をながめていた。艦はその崖からわずか数メートルのところを、それに沿って一時間ほど走った。
ネモ艦長はたえずボタンから眼を離さなかった。そして艦長の簡単な合図に従って、舵手は刻々艦の針路を変じた。
十時十五分になると、艦長は自分で舵輪をとった。まもなく行手に、真っ暗な大きな地下道が口を開けているのが見えた。ノーティラス号は大胆にもその中へ進み入った。入ると同時に、あたりはすさまじい轟音にとざされた。それは、この海底トンネルを激しい勢いで地中海に向かって流れる水の音だった。ノーティラス号はそれに抵抗するために、推進器を全速力で逆転させたが、それでも激流に押し流されて、矢のように走った。
狭い水路の両側の壁は、艦の放射する輝かしい電灯の光に照り映えて、あかるい光線と焔の縞のほかは何も見えなかった。私の心臓は早鐘のように鳴りつづけた。
十時三十五分、ネモ艦長は舵輪を離れて、私の方を振りかえりながら、言った。
「地中海です!」
わずか二十分足らずで、ノーティラス号は地下の激流に乗って、スエズ地峡を突破したのだった。
六 エーゲ海
翌二月十二日の払暁《ふつぎょう》、ノーティラス号は水面に浮かび上った。私は急いで甲板に出て見た。南方三マイルほどのあたりに、エジプトのペルシウムの町の輪郭が朝霧に煙って見えた。地下の激流は一夜のうちに、私たちを一つの海から他の海へはこんでくれたのだ。七時頃、ネッドとコンセイユが、甲板に出て来た。
「博物学の先生、地中海はどうなりましたか?」と、カナダ人はちょっとからかうように言った。
「今われわれの浮いているのがその地中海だよ、ネッド君」
「なんですって! では、昨夜のうちに?」
「そうだよ。昨夜、ほんの二、三十分の間に、われわれはこの地峡を通過したのだよ」
「へえ、どうもわしには信じられませんがね」
「信じられないったって、そうだからしかたがないよ。ネッド君、あの南方に円味をおびて伸びている低い海岸は、エジプト海岸だ。君はいい眼を持っているのだから、見えるだろう。あの海に突き出ているのが、ポート・サイドの突堤だ」
カナダ人はじっと眼をこらして、その方をながめた。
「なるほど、おっしゃるとおりですね。いや、あの艦長はまったく偉い男ですな。ここがもう地中海ですか。――じゃ、ひとつ、内証でご相談したいことがあるのですが、いかがでしょう?」
カナダ人の望んでいることがなにか、私にはすぐ察しがついたが、とにかくその心中をきいてみようと思って、私たち三人は波の飛沫のあまりかからない灯柱のかげに腰をおろした。
「ネッド君、なんだね、君の話したいというのは?」
「ほかでもありませんが、わしたちは、いまヨーロッパの海にいるのでしょう。ところで、いずれネモ艦長の気まぐれはもう一度わしたちを、北極の海底とかオーストラリアの海底とかへ、引っ張って行くにちがいありませんが、そのまえにわしは、ノーティラス号におさらばを告げたいと思うんですよ」
私は決して自分の仲間の自由を束縛したくはなかったが、それかといってネモ艦長とも別れたくはなかった。
艦長とその潜水艦のおかげで、私はいま自分の海底研究の完成に一日一日近づきつつあるのだ。いわば、自分の海洋に関する書物を、実地について書き直しているようなものだった。海底の驚異を心ゆくまで観察できるこのような機会に、二度とめぐりあえるだろうか? いや、絶対にないにちがいない。私は自分の研究が完成するまでは、どうしてもノーティラス号を離れる気にはなれないのだった。
「ネッド君、率直に言ってもらいたいが、きみはもうこの船に乗っていることに飽きたのかね? 運命がわれわれをネモ艦長の手中に投げこんだことを、悲しんでいるのかね?」
カナダ人はしばらく腕を組んで黙っていたが、やがて言った。
「正直いって、わしはこの海底旅行を決して悔んではいませんよ。むしろ喜んでいるくらいです。が、この辺がそろそろ打ち切りどころじゃないかと思うんです」
「しかし、そのうちに終るだろうと思うがね」
「いつ、どこでですか?」
「それはわからない。が、僕の考えでは、海がもうこれ以上われわれに教えることがなくなった時、ひとまずずこの旅行も終るわけだ。その時に機会をつかんで決行すればいいさ。六カ月もたてば、きっとそういう機会が来るよ」
「へえ! それで六カ月したら、一体わしたちはどこにいるとお考えですか?」
「たぶん中国あたりだろうね。君も知ってのとおり、ノーティラス号はまるで空飛ぶツバメのように、水中を走る韋駄天旅行だからね。だが、それまでにきっとフランスや、イギリスや、アメリカの海岸ちかくを通ることだってあるだろうから、機会はいくらだってあるよ」
「先生」とカナダ人は言った。「あなたの議論は大体土台がぐらついていますよ。先生は将来のことを言って、たぶんああなるだろう、こうなるだろう、とおっしゃるが、わしのは現在の話なんです。現在こうだから、この機会を利用しなければいけないと言ってるんですよ」
ネッド・ランドの論法は、少なからず私を弱らせた。私は内心負けたと感じた。
「先生、こんなことは考えられないこってすが、万一ネモ艦長が今日あなたに自由を与えると申し出たら、先生はそれをお受けになりますか?」
「わからんね」と私は答えた。
「では、その申し出をのがせば、二度とその機会が得られないとしたら、先生はお受けになりますか?」
「ネッド君、それは理屈というもんだよ。われわれはネモ艦長の好意なんか絶対に当てにしてはならない。常識から考えても、彼はわれわれに自由を与えはしないだろうよ。それだけに、われわれは慎重に機会をえらぶ必要があるわけだ。決行したら、是が非でも成功させなくてはならない。万一失敗すれば、二度と機会は来ないだろう。またネモ艦長も決してわれわれを許しはしないだろうよ」
「そりゃそうです。しかしそのお考えは、二年さきにやろうと、二日さきにやろうと、すべての脱走計画に当てはまるわけでしょう。問題は、好い機会が来たら、それをのがさぬようにするってことじゃないでしょうか」
「賛成だね。ところで、好い機会というのはどんな場合をいうのだね?」
「たとえば、暗い夜、ノーティラス号がどこかヨーロッパの海岸に接近した時です」
「すると、泳いで逃げようというわけだね」
「そうです。さいわい岸が近くて、艦が水面に浮いている時なら、です。もし岸から遠く離れていて、艦が沈んでいるような時には、泳いでは逃げられませんが、その時はなんとかしてボートを利用するのです。わしはその扱い方を知ってますから、ボートの内側にはいってボルトを外せば、わしたちは艦首にいる舵手にも気づかれずに、水面に浮かび上ることができますよ」
「よろしい。では機会を見張っていてくれたまえ。しかし、くれぐれも言っておくが、仕損じたら身の破滅だということを、忘れないでくれたまえよ」
「忘れやしませんよ、先生」
「だが、僕の考えじゃ――これは希望するわけじゃないが――そんな好機会はまず絶対に来ないだろうよ」
「なぜです?」
「なぜって、艦長だってわれわれが自由を取りもどす望みをすてていないことは知ってるはずだから、ヨーロッパ大陸の沿海では特別用心するだろう」
「まあ、いずれわかるこってす」と、ネッド・ランドは、昂然と頭を振りながら答えた。
「ところで、ネッド・ランド君」と私は言った。「この話はもうこれで打ち切りとしよう。いよいよその時が来たら、知らせてくれたまえ、われわれは君の意見に従うことにするから。万事君に任せるよ」
ちょっとの間に重大な結果をもたらした私たちの会談は、こうして終った。だが、カナダ人には気の毒だったけれど、いろいろな事実から見て、私の予想はどうやら的中したようだった。ネモ艦長がはたして私たちを疑ってそうしたのか、それとも地中海を往来する各国の汽船の眼を恐れてそうしたのかは、もちろんわからなかったけれど、とにかくその日、ノーティラス号は海岸から遠く離れて、潜航する度数がいつもよりもずっと多くなった。それに、艦は時々非常な深所まで潜り、エーゲ海と小アジアとの中間では、一千尋以上の深海を潜航した。
そんなわけで私は、ネモ艦長が星座表の一点を指しながら、次のようなウェルギリウスの詩の一節を朗吟したのを聞いて、艦はいま、スポラデス諸島の一つであるカルパトス島のそばにいるのだということを、わずかに知っただけだった。
Est in Carpathio Neptuni gurgite vates, Caeruleus Prsteuo (カルパチオのネプチューンの洞窟にプロテウスがいる……という意味)
それは、大昔海神ネプチューンの家畜の番人であったプロテウスのかつての住家、今のカルパトス島(ロードス島とクレタ島の中間にある)だったが、私には、広間の窓ガラスを通して花崗岩の土台のほか何も見えなかった。
翌二月十四日、私はエーゲ海の魚類の研究に数時間を費そうと決心したが、どういう理由からか、広間の窓はかたく閉されたまま開かなかった。海図によってノーティラス号の針路を推測すると、艦はいましもクレタ島に向かって進みつつあるらしかった。私がエブラハム・リンカーン号に乗りこんだころ、この島の住民はトルコの専制政治に反旗をひるがえして、叛乱を起したようであったが、この叛乱事件はその後どうなっただろうか、陸上の消息に没交渉なネモ艦長にそんなことをきいても、わかるはずがなかった。
その夜、広間で、艦長と二人きりになった時も、私はこの問題には触れなかった。それに、彼は黙りこんで、何か考えにふけっているらしかった。しばらくすると、艦長はいつもの彼に似合わず、両側の窓の覆いを開けるように命じ、二つの窓の間を行ったり来たりしながら、熱心に海中を観察しはじめた。私にはそれがなんのためか見当がつかなかったので、私自身はそのあいだ眼の前を通り過ぎる魚類を研究することにした。
それからしばらくして、私がいつものように海中の驚異に眼を奪われていると、突然思いがけないものが出現して、私を驚かした。眼の前の水中に潜水夫らしい一人の男の姿が現われたのである。それは海中にすてられた死骸などではなく、たくましい腕で水をかきながら泳いでいる生きた人間だった。彼は時々呼吸をするために海面へ姿を消した。
私はネモ艦長の方を振り向いて、興奮した調子で叫んだ。
「難破船の船員です! なんとかして助けてやってください!」
艦長はそれには答えずに、窓のところへ近よると、外をのぞいた。
水中の男も窓に近づいて、窓ガラスに顔を押しつけて、私たちの方を見た。
すると、意外にも艦長は、彼に向かって何か合図をした。その男は手を振ってそれに答えると、すぐ海面に浮かび上って、そのまま姿を見せなくなってしまった。
「ご心配になることはありません」と、ネモ艦長は言った。「あの男はマタパン岬のニコラスという男です。またの名をペスカといい、キクラデス諸島では知らぬ者のない大胆な潜水夫ですよ。海はあの男の住家です。陸で暮すよりも海で過ごすほうが多く、たえず一つの島から他の島へ、時とするとクレタ島の方まで行きます」
「艦長はあの男をご存じなのですね?」
「むろんです」
そう言いながら、ネモ艦長は広間の左側の窓近くにおいてある頑丈な箱形の家具のところへ行った。見ると、そのそばに一個の鉄製の櫃《ひつ》がおいてあって、その櫃の銅蓋にはノーティラス号の名前を組合せ文字で表わしたモノグラムと紋章とが彫りつけてあった。
艦長は私がいるのも忘れて、その家具の扉を開いた。中には金塊がいっぱいつまっていた。
こんな莫大な金塊を、艦長はどこで集めたのだろう? そして一体それでもって、何をしようとしているのだろう? 私は呆然として、それをながめていた。ネモ艦長はその金塊を一つ一つ取り出し、それを丁寧に傍らの櫃の中につめかえた。見たところ、それらの金塊は重さにして少なくとも四千ポンド、価額にして約二十万ポンドはあるらしかった。
櫃に詰めおわると、艦長はかたく蓋をし、その上に現代式のギリシア文字で宛名を書いた。
それから艦長はボタンを押して、四人の水夫を呼んだ。はいって来た彼らは、大した苦労もせずにその櫃を室外に押し出した。しばらくすると、彼らが櫃を滑車にのせて鉄の梯子を引きずり上げる音が聞こえて来た。
それを聞くと、艦長は不意に私のほうを振り向いて、言った。
「何かおっしゃったですか?」
「いえ、何も申しませんが」
「では、失礼します、お休みなさい」
そう言って、彼はくるりと背を向けて、広間から出て行った。
私はなんとなく気にかかりながら、自分の室に戻った。あの潜水夫の出現と、金塊のつまった櫃との間には、きっと何か関係があるにちがいない――そんなことを考えながら、私はしばらくのあいだ眠れなかった。まもなく艦は、海底を離れて、水面に浮かび上って行くらしかった。
つづいて、甲板上に足音が聞え、ボートをおろす気配がした。が、それもちょっとのあいだで、すぐ物音は止んだ。
二時間ほどすると、ふたたび同じような物音と人々の行ったり来たりする足音が聞こえた。そしてボートは引き揚げられ、ノーティラス号はふたたび海底に沈んだ。
こうして、あの莫大な金塊は、どこかへ運ばれたらしいのだが、それは大陸のどの地点なのだろうか? ネモ艦長と連絡をとっている者は何者なのだろうか?
翌る日、私はコンセイユとネッド・ランドに昨夜の出来事をくわしく物語った。彼らも非常に好奇心を刺激されたらしく、私と同じように驚いた。
「しかし、一体どこへそんな金を運んだんでしょう?」と、ネッド・ランドはたずねた。
だが、私にも答えることは不可能だった。
朝飯をすませた後、私は広間に帰って、自分の仕事にかかった。そして夕方の五時頃までノートの整理に没頭した。と、突然、私は上衣を脱がずにいられないほどの蒸し暑さを感じた。いま私たちのおかれている緯度から考えて、不思議なこともあるものだと考えながら、なおも仕事をつづけていたが、温度はますます上るばかりで、どうにもたえられなくなってきた。「艦内に火事でも起ったのではなかろうか?」私は急に心配になった。
広間を出ようとすると、ネモ艦長がはいって来た。彼は寒暖計に近よって、それをたしかめてから、私を振りかえって言った。
「四十二度ですね」
「わたしも気づいていましたが、艦長、これ以上暑くなったら、とても辛抱できませんね」
「おいやなら、暑くならないようにできますよ」
「すると、自由に温度を調節することができるのですか?」
「いや。しかし、この熱いストーブから遠ざかることはできますよ」
「すると、これは外部の熱の影響ですね」
「そうです。われわれは今、熱湯の流れの中に浮いているのですよ」
「ほお、そんなことがあるのですか!」と、私は叫んだ。
窓を開けると、海は真っ白に煙って見えた。硫黄の煙が波間に渦巻き、海水はさながら薬鑵《やかん》の湯のように煮えたぎっていた。私は窓ガラスにさわってみたが、思わず手を引っこめたほど熱くなっていた。
「ここはどこなのですか?」と、私はたずねた。
「ここはサントリニ火山島の近くです。海底噴火の珍しい光景を、あなたにお見せしようと思ったのです」
「新しい火山島の形成期はもう終ったのだと思っていましたが」
「地底の火は、いつだって活動を中止したことはありませんよ。この辺ではたえず火山島が現われたり、消えたりしているのです。最近の実例では、一八六六年二月六日に、ネア・カメンニー島の近くにジョージ島が出現し、それから七日後の二月十三日には、同じくネア・カメンニー島近くにアフロエッサ島が噴出しました。当時わたしはこの近海にいたのでその状況をくわしく観察することができましたが、アフロエッサ島は直径九十メートル、高さ九メートルほどの円形の小島で、長石の混った黒い熔岩からでき上っていました。最後に、その年の三月十日には、やはりネア・カメンニー島のそばに、レカという小島が噴出し、その後この三つの島は合体して、一つの島になってしまいました」
「で、今わたしたちのいるところは?」
「ここです」と、ネモ艦長は、私にエーゲ海の地図を示しながら、「ごらんなさい。これが当時わたしの書き込んでおいたそれらの新しい島々です」
私はふたたび窓際に帰った。いままで白かった海は、いつのまにか鉄塩のために赤く変っていた。艦には一分の隙間もないはずだのに、鼻をつく硫黄の臭気が広間いっぱいに充満し、電灯の光が真紅の焔のように見えた。私は蒸風呂にはいっているみたいな、あるいは火焙りにされているみたいな、苦しさを覚えた。
「この熱湯の中には、もうこれ以上いられませんね」と、私は艦長に言った。
「そう、あまり感心しませんな」それでも平然として、艦長は答えた。
命令が下されると同時に、ノーティラス号は針路を転じてこの熔鉱炉のような海から脱し、十五分後には私たちは海面に浮かび上って、新鮮な空気を呼吸していた。その時ふと私の頭に浮かんだのは、もしネッド・ランドがこんな場所を私たちの脱走地に選んだならば、私たちはこの火の海から生きては出られなかったろうという考えだった。
翌二月十六日、私たちはロードス島とアレクサンドリアとの間の、千五百尋もある深海を後に、セリゴの沖を通過し、マタパン岬をまわって、エーゲ海に別れを告げた。
七 地中海の四十八時間
ヘブライ人の「大海」、ギリシア人の「海」、ローマ人の「|我らの海《マーレ・ノストルム》」、オレンジ、キャラの木、サボテン、松に縁どられた輝く紺青の海、地中海。テンニンカの芳香がただよい、峨々たる山々に囲繞《いにょう》され、清澄な空気に満されながら、たえず地底の火の活動している地中海。海神と地神とが今もなお世界の覇権を争う檜《ひのき》舞台となっている地中海! 地球上で最も美しい気候に恵まれた地方の一つは、これらの海岸であり、海であると、ミシュレは言っている。
だが、この美しい地中海も、私の見たのはわずかに百六十万平方メートルの小湾にすぎなかった。その間ネモ艦長がどうしていたかということも、私には全然わからなかった。この謎の人物は全速力で行われたこの航海中、一度も私たちの前に姿を見せなかったからだ。私の推定では、ノーティラス号は約六百リーグの航程を終始潜航し、しかもわずか四十八時間でそれを突破した。すなわち、二月十六日の朝ギリシア海岸を出発して、十八日の夜明けにはジブラルタル海峡を通過してしまった。
艦長がかねてから避けたがっていた多くの国々にかこまれたこの地中海が、彼にとって決して愉快な海でないことは、私にもわかっていた。打ちよせる波も、海面を吹く微風も、すべて思い出のたねでないものはなかったろう。ここではさすがの彼も、平素ほかの海で示すような自由|豁達《かったつ》な態度を失い、彼の指揮するノーティラス号までが、アフリカとヨーロッパとの間にはさまれてなんとなく窮屈そうに見えた。
この航海中の艦の速力は、時速二十五マイルを越えていたので、ネッド・ランドも残念ながら彼の脱走計画を思い止まらざるを得なかった。一秒間十一、二メートルの速力で走っているノーティラス号からボートを出すことは、全速力で疾走している急行列車から飛びおりるに等しい無謀なことだからである。それに、艦は夜半換気を行なうために一時水面に浮かび上るだけで、あとは羅針盤と測程器によってずっと潜航をつづけた。したがって、私もこの航海中は、急行列車の乗客が眼の前を飛び過ぎる風景をながめるようにしか、地中海の景色を見ることができなかった。眼にうつったのは、遠い水平線ばかりで、近くを閃光のように通り過ぎる景色は、ほとんど眼にとまらなかった。
それでも、コンセイユと私は、広間の窓ガラスを通して、ノーティラス号について来る地中海の魚類の幾つかを観察することはできた。
明るい電灯の光に照らされた海水の中には、ほとんどどこの海にもいる、長さ一メートル近いヤツメウナギが何匹もいたし、また腹が白くて背中に灰色の斑点をもった、幅一メートル半もあるエイの一種「オクシュリュンキ」が、潮に流れる大きなショールのように、そのからだをひろげているのにも出会った。だが、ほかの種類のエイは、あまりに速く通りすぎたので、はたして彼らが古代ギリシア人によってつけられた「ワシ」という綽名にふさわしいかどうか、あるいは、現代の漁夫たちがつけた「ネズミ」とか「ガマガエル」とか「コウモリ」とかいった綽名にふさわしいかどうか、たしかめることができなかった。また潜水夫たちから最も恐れられている、長さ四メートル近くもあるミランダー・ザメが、数匹で格闘を演じているのにも出会ったし、異常な嗅覚をそなえた、長さ二メートル半ほどのオナガザメが、大きな青い影のように現われたのも見た。やはりサメの一種で、大きいのは二メートルからあるシイラも、その暗色の鰭と対照的な色の帯を巻いた青と銀色の服をまとって姿を現わした。これはヴィーナスに捧げられた魚で、眼のまわりに金の環がはまっており、淡水にも塩水にもなじみ、あらゆる気候の河川、湖水、大海に住んでいるが、地球の地質時代に発生した貴重な種属であって、初期の美しさを今でも保っている。また長さ八、九メートルからある、ものすごい速さをもった巨大なアオザメも、小さな褐色の斑点のある青味がかった背中を見せながら、その強力な尻尾で窓のガラスを打ったが、彼らはサメに似ているけれども、力の点ではサメの比ではなく、世界中のどこの海にも住んでいる。
しかし、地中海に住んでいるいろいろな動植物を観察したうちで、私にもっとも有益だったのは、ノーティラス号が海面に近づいた時に見た、硬骨魚の第六十三類に属する魚だった。それはマグロの一種で、背が青黒く胸が銀色で、背鰭が金色にかがやいていた。彼らは熱帯の焼けるような空の下では船のすずしい蔭を求めてあとを追ってくると伝えられているが、この場合もその言い伝えを裏切らなかった。というのは、彼らはかつてラ・ペルーズの船のあとを追ったと同じように、ノーティラス号のあとに尾《つ》いてきたからである。しばらくのあいだ、彼らはわれわれの艦に遅れまいとして一生懸命についてきた。スピードのためにつくられたようなこの魚は、いくら見ても見飽きなかった。小さな頭と、時に三メートル以上もある葉巻形をした、しなやかな胴体。ものすごい力をもった胸鰭と、二またに分れた尾鰭。彼らは同じ速さのある種の鳥の群のように三角形をなして泳ぐので、昔の人はこの魚を評して、彼らは幾何と戦略を心得ている、と言ったものだ。
しかし、彼らもあのプロヴァンス人(フランス東南部の古い州)の追跡をのがれることはできなかった。プロヴァンス人はプロポンティスやイタリアの住民たちが珍重するようにこの魚を珍重している。そのため、この貴重な、しかし盲目的で愚かな魚は、マルセイユの漁夫たちの網にかかって年々何十万何百万と減りつつある。
大西洋と地中海に共通の魚類に関しては、ノーティラス号のものすごい速力のために、私は正確にそれらを観察することをあきらめた。
海の哺乳動物については、アドリア海の入口を通り過ぎた時、背中に一枚の背鰭をもったフュセテラ属のマッコウクジラを二、三頭と、後頭部にシマウマのような細い縞のある、地中海特産のグロビケファリ属のイルカを、何頭か見たように思う。また腹が白くて毛の黒い、「坊主」という綽名で知られている(そして、事実ドミニコ会の修道僧のように見える)アザラシも十数頭見たが、これは長さが三メートル近くもあった。
植虫類については、しばらく左舷の窓ガラスにくっついて離れなかった美しいオレンジ色のガレオラリアというクラゲを観賞することができた。それは一本の長い繊糸によって支えられ、それから無数に枝が分れていて、その先端はクモさえも容易に織りなし得ないような、細い美しいレースをつくっていた。残念ながら、私はこのすばらしい標本を採取することができなかった。
だが、もし十六日の夜、ノーティラス号が急に速力をゆるめなかったなら、疑いもなく私はこれ以上地中海の植虫動物を観察することはできなかったろう。それは次のような事情によるものだった。
十六日の夜、艦はシチリア島とチュニス海岸との間を通過したが、ボン岬とメッシナ海峡のあいだの海底は、その一部が堤のようにいきなり隆起していて、両側が九十尋以上もあるのに、そこだけ水深が九尋ぐらいしかなかった。
ノーティラス号はこの海底の障壁《しょうへき》に、衝突しないように細心の注意をはらいながら進まなければならなかった。
私は地中海の地図をひろげて、コンセイユにこのサンゴ礁のある地点を指し示した。
「いかがでしょう、先生」とコンセイユは言った。「これはヨーロッパとアフリカをつなぐ地峡のように思われますが」
「そうだよ、コンセイユ。これはリビア海峡に対して完全な砂洲を形成しているのだよ。スミスの水深測量によると、大昔ボン岬とフェリナ岬との間はつづいていたらしいのだ」
「わたしもそう信じますが」と、コンセイユは言った。
「なお、ジブラルタルとセウタとの間にも、同じような砂洲があり、大昔は完全に地中海だったのだね」
「もし将来、噴火でもあって、この二つの障壁が海面に隆起したら、どうなるでしょう?」
「そんなことはあり得ないね、コンセイユ」
「でも、万が一ですよ。かりにそんな現象が起ったら、せっかく苦心して地峡を切り開いたレセップス氏はさぞがっかりするでしょうね」
「そりゃそうだろう。しかし、そんな現象は絶対に起らないよ。地下の活動力は日増しに減じつつあるし、地熱も次第に低下しつつあるのは確かな事実だし、熱は地球の生命だからね」
「しかし、太陽が?」
「太陽だけでは充分じゃない。太陽は死体に熱を与えることはできないからね」
「そうでしょうか」
「そうさ。地球はいずれ冷たい死骸《むくろ》になるだろう。久しい以前に熱を失った月と同じように、生物の棲息できない世界になるだろう」
「それまで何世紀ぐらいかかるでしょうか?」
「まず数十万年後のことだね」
「じゃ、ネッド・ランド君が邪魔さえしなければ、まだ旅行をつづける暇は充分あるわけですね」
それでコンセイユはすっかり安心して、ふたたび海底の砂洲の研究にかえった。ノーティラス号は速力をおとして、その海底の堤の縁を進みつつあった。
二月十六日から十七日にかけての夜中、私たちは地中海の第二の盆地と言われる千四百五十尋の深所にはいった。艦はその斜面路を上り下りするようにして、もっとも深い場所を潜航した。
二月十八日、午前三時頃、私たちはジブラルタル海峡の入口に着いた。ここには二つの潮流があって、上層の流れは以前から知られている、大西洋から地中海に向かって注ぐ潮流で、下層のは最近理論上存在を証明されたその逆の流れである。事実、地中海の水量は、大西洋から流れこむ水と河川が注ぐ水とを合わせて、年々その水準を高めなければならぬはずだのに、そうでないところを見ると、どうしてもジブラルタル海峡を通って、地中海から大西洋へその余剰水量を注ぎ込む暗流の存在することが、認められなければならない。が、やはりそれは事実だった。そしてノーティラス号が利用したのもこの逆流であった。艦はその狭い水道を全速力で航進した。
私はちらっとヘラクレス寺院の廃墟――プリニウスによると地中に埋没したといわれる――その美しい廃墟と、それが立っている海底の島とを瞥見したが、数分後には、艦はもう大西洋の水面に浮かんでいた。
八 ヴィゴ湾
大西洋! 長さ七千マイル、幅二千七百マイル、広さ二千五百万平方マイルに達する渺茫《びょうぼう》たる大海原――相対する東西のえんえんたる海岸線は、涯しもない周線を描き、セントローレンス、ミシシッピ、アマゾン、ラ・プラタ、オリノコ、ニジェール、セネガル、エルベ、ロワール、ライン等、世界の最も文明化した国々と最も未開な国々とから流れこむ大河巨川の水をあわせ呑む大洋。各国の船舶によって絶えず耕され、各国の国旗によって蔽われ、その両端には船乗りの最も恐れるホーン岬と暴風岬(喜望峰)の二難所を控えた広大な水の平野。
ノーティラス号はその鋭い艦首で波を裂きながら進んだ。この三カ月半に、艦はすでに二万リーグを航海したが、それは地球の周囲よりもさらに長い距離であった。これから私たちはどこへ行くのだろう? 行手には何が待っているだろうか? 艦はジブラルタル海峡を出てから、もうかなり来ていた。それはふたたび海面に浮かび上り、私たちの日課の甲板散歩も解禁されることになった。
私はただちに、ネッド・ランドとコンセイユとを伴って、甲板に上った。十二マイルほど彼方に、イベリア半島の西南端を形づくっているセント・ヴィンセント岬が煙って見えた。強い南の烈風が吹き、海は荒れていた。ノーティラス号は激しく前後に揺れ、たえず波をかぶるので、甲板に立っていられないほどだった。私たちは、新鮮な空気を胸いっぱい吸うと、すぐ艦内におりた。
コンセイユは彼の部屋に帰ったが、カナダ人の方はなにか屈託ありげな様子で、私のあとについて来た。彼は、地中海の航海があまりに迅速に行なわれたので、その計画を実行に移すことができなかったのが、いかにも残念であるらしかった。私の部屋にはいって扉を閉めると、彼は腰をおろして、黙って私を見つめた。
「ネッド君」と、私は口を切った。「君の気持は察するが、そう自分を責めてはいけないよ。あんな場合に艦を逃げ出すことは愚の骨頂だからね」
ネッド・ランドは返事をしなかった。彼の一文字に結ばれた唇と、しかめられた眉とは、激しい決意を語っていた。
「しばらく様子を見るんだね」と私はつづけた。「絶望するには当らないよ。われわれは今ポルトガルの沿岸を走っているのだから、フランスもイギリスもそう遠くはない。そのうちには逃げる機会が見つかるさ。ノーティラス号がジブラルタルから南へ進んで、大陸の見えない海の真中へわれわれを連れて行くのだったら、わたしも君同様心配になるが、今のところネモ艦長は当分文明国の近海を離れるようなことはあるまい。近いうちに、きっと好い機会があるよ」
ネッド・ランドはなおも黙って、私をじっと見つめていたが、とうとうその固い唇を割って、言った。
「今夜がいいと思うんです」
私は思わずいずまいを正した。まさかそんな相談をうけようとは思っていなかったので、返事をしたいと思いながら、言葉が出なかった。ネッド・ランドはつづけた。
「機会を待とうということでしたが、とうとうその機会が来たのです。今夜、艦はスペインの海岸に接近するでしょうが、さいわい空は雲っていますし、風も出ています。先生、約束ですから、ご異議はないでしょうね?」
私が黙っていると、カナダ人は身体を近よせて、ささやいた。
「今夜九時。コンセイユ君にも伝えておきました。その時刻には、艦長も自分の部屋に閉じこもって、たぶん寝床にはいってるでしょう。機関士にも艦員にも見つけられる心配はありません。コンセイユ君とわしは、中央階段の下に行きますから、先生は図書室にいて、わしらの合図を待っていてください。オールも、マストも、帆も、ボートの中にあります。食糧もある程度用意しておきましたし、ボートと艦の胴体とを留めているボルトを外すためのイギリス製のネジ回しも手に入れておきました。万事準備はととのっています」
「海は荒れているよ」
「知っています。しかし、そこを冒険しなければなりません。自由を得るためには、それくらいのことは当然でしょう。それに、この艦のボートは頑丈ですから、風に乗れば、数マイルは大丈夫出ます。明日までには、百リーグくらい艦から離れることができるでしょう。うまく行けば、十時か十一時には、どこかの陸地に着きますよ。では、今夜またお目にかかります」
こう言って、カナダ人は、黙っている私を残して出て行ってしまった。急に、私はこの問題についてはもっとよく相談すべきではなかったろうかと考えた。が、結局、私に何が言えよう? ネッド・ランドの言ったことは完全に正しいのだ。今こそ利用すべき機会かも知れない。明日にでも、ネモ艦長は私たちを陸地から遠く離れたところへ連れて行くかもしれないからだ。
その時、急に水槽に水を満たすらしい騒音が聞えて、ノーティラス号は大西洋の波の底に沈んで行った。私はその日一日、自由を取りもどしたい欲望と、このすばらしいノーティラス号をすて去って、自分の海底研究を未完成に終らせる名残り惜しさとにはさまれて、苦悶の時を過した。時々、私は、自分たち三人が無事に上陸する時の光景を眼の前に浮かべたり、そうかと思うと急に、何か思いがけない故障が起って、ネッド・ランドの計画が実現しなければよいがと願う気持になるのだった。
二度私は広間に行って見た。羅針盤を調べて、ノーティラス号の針路が海岸に向かっているか、それとも海岸から遠ざかりつつあるかを知りたかったからだが、ノーティラス号は依然、ポルトガルの海岸に沿って進みつつあった。
そうすると、私はやっぱり脱走の準備をしなければならない。しかし、私の荷物は軽かった。ノート以外には何もなかった。
私は考えた。ネモ艦長は私たちの脱走をどう考えるだろうか、万一それが発見されるか失敗した場合には、彼はどうするだろうか、と。もちろん、私は彼に対して露ほども不平など抱いてはいない。それどころか、彼の厚遇には感謝しているくらいである。だから、今彼のもとを去っても、私は忘恩の責を負わされることはあるまい。私たちは一言も彼に対して誓言はしていないからだ。
私は、サントリニ島以来、まだ一度も艦長に会っていなかった。艦を去る前、彼ともう一度顔を合わせる機会があるだろうか? ぜひ会いたいのものだと思いながら、また一方ではなんとなく恐ろしくもあった。彼の部屋になっている隣室に足音でも聞こえはしないだろうかと、耳をすましてみたが、なんの音も聞こえなかった。私はたまらない不安を感じた。時のたつのがのろくさく、一日が千秋のように思われた。
夕食がいつものように部屋に運ばれて来たが、胸がいっぱいで、ろくろく喉へ通らなかった。七時に、私は食事をすませた。いよいよあと百二十分だ、とひそかに胸のなかで計算した。私の鼓動は急にはげしくなった。じっとしていることができずに、室内を行ったり来たりして、少しでも気持を落ちつけようと努力した。私としては、この大胆な企ての成功失敗は大して気にかからなかったが、ノーティラス号を去る前に、ことが露見して、怒りと悲しみにとざされた艦長の前に引き出されることが、なんとしてもたまらなかった。
私は最後の見おさめに、もう一度広間を見ておきたいと思った。そこで階段をおり、これまでたびたび有益な楽しい時を過ごさせてくれた、その博物室を訪れた。私は終身流刑を宣告されて、二度と帰らぬ旅に出る前夜の流罪人のように、室内の財宝を一つ一つながめてまわった。
長い間親しんで来たこれらの自然の驚異、美術の傑作を、私は永久にすてて去ろうとしているのだ。私は広間の窓からもう一度大西洋の水を眺めたいと思ったが、窓はかたく閉ざされて、鋼鉄の外扉《がいひ》が私と大洋の水とを冷たく隔てていた。
広間を通り抜けて、私は艦長室の扉口に近よった。見ると、意外にも扉が少し開いているので、私は思わず身を引いた。もし艦長が室内にいれば、私の姿を見たにちがいない。だが、なんの物音もしないので、私は再び扉口に近づいて見た。室内はがらんとしていた。そこで、扉を押して二、三歩進み入ってみた。室内は依然僧院のような森閑さにとざされていた。とそのとき、突然、時計が八時を打った。それを聞くと、私はハッとして夢からさめたような気がした。私はまるで見えない眼に心の秘密をのぞかれたように、ゾッと身震いを感じて、あわてて艦長室を出た。
私の眼は、ふと羅針盤の上に注がれた。針路は相変らず北を指していた。測程器は通常速度を示し、圧力計は水深十八メートルを示していた。
部屋に帰った私は、温かい海底用長靴と、カワウソの帽子と、アザラシ裏の亜麻外套を着て、身支度をととのえ、時の移るのを待った。推進器の震動だけが、艦内の静寂を破って聞こえた。私はじっと耳をすました。だれかが不意に大きな声で、ネッドが脱走を計画している、と叫びはしないだろうか? たえられぬ恐怖にとらわれて、私はどうしても平素の落ちつきを取り戻すことができなかった。
九時数分前に、私は艦長室の扉に耳を押しつけてみたが、やはり、なんの物音も聞こえなかった。私は自分の室を出て、ふたたび広間に行った。薄暗い広間の中には誰もいず、がらんとしていた。
私は図書室に通ずる扉を開けてみた。そこも薄暗い電灯がともっているだけで、森閑としていた。私は中央階段に近い扉口に立って、ネッド・ランドの合図を待った。
と、そのとき、艦の推進器がにわかに震動を減じ、やがてピッタリと停ってしまった。あたりの静寂をみだすものは、もう自分の心臓の鼓動だけだった。突然、軽い衝撃が感じられ、私は艦が海底にとまったのを知った。私の不安はますます大きくなった。カナダ人からは、まだなんの合図も聞こえなかった。私はネッド・ランドに会って、計画の中止を勧めなければならない、と思った。こんな状態では、脱走など思いもよらないと感じたからである。
と、その時、広間の扉が開いて、不意にネモ艦長がはいって来た。彼は私を見ると、優しい調子で話しかけた。
「ああ、先生、あなたを探していたところです。あなたはスペインの歴史をご存じですか?」
私は気も心も顛倒していたのですぐ返事ができなかった。
「いかがです、スペインの歴史をご存じですか?」
「いや、ほんの少ししか――」と、私は答えた。
「では、ひとつスペインの歴史のうちでも珍しい挿話《エピソード》をお話ししましょう。まあ、お掛けなさい。この話はきっと興味をもって聞いて頂けると思うのです。それは、今日まであなたが解くことのできなかった謎にも、解決を与えるものですから」
「うかがいましょう」
私は艦長の言葉が何を意味しているのかわからなかったが、ひょっとしたら私たちの脱走計画に関係していることではなかろうか、とも考え、そう答えた。
「では、おさしつかえなかったら、われわれは一七〇二年に帰ることにしましょう。その頃、あなたのお国のルイ十四世が、ピレネー山脈を自分の支配下におこうと考えて、孫のアンジュウ公をスペイン王の位につかせたことはご存じでしょうね。これがフィリップ五世ですが、彼のスペイン統治はあまりうまく行かず、国外にも有力な敵を持っていました。現にその前年、オランダとオーストリアとイギリスの三王は、ハーグで同盟条約を結び、フィリップ五世の頭からスペイン王の王冠を奪って、さきに彼らがチャールズ三世の称号を与えた一大公の頭に載せようとしたのです。
スペインはこの同盟軍に対抗しなければなりませんでしたが、陸軍も海軍もほとんど問題にならぬほど劣勢でした。しかし、金さえあればまたなんとか形勢を挽回することもできるだろうと考え、彼らは、一七〇二年の秋、植民地のアメリカから金銀を満載した商船隊を仕立てて、本国へ向わせました。その時、すでに大西洋上には同盟国の艦隊が出動していましたので、フランスはシャトー・ルノー提督の率いる二十三隻の艦隊を派遣して、この商船隊の護衛に当らせました。この護送船隊はスペインのカディス港に入るはずでしたが、ルノー提督は、イギリス艦隊がその方面の海上を遊弋《ゆうよく》しているという報告を耳にしたので、急にフランスの港にはいることに決意しました。
ところが、スペインの士官たちは、この決定に異議を唱えました。もしカディスが駄目なら、当時まだ同盟国の艦隊に封鎖されていないスペイン北西岸のヴィゴ湾にはいりたい、と主張したのです。
軽率にもルノー提督は、この要求を容れ、商船隊はヴィゴ湾に投錨しました。
あいにくこの港は、地勢上非常に防禦しにくい、口の開いた湾でしたので、彼らは連合艦隊の来襲前に一日も早く荷揚げをする必要がありましたが、突然ここに不幸な反対運動が起ったのでした。それは、当時西インド方面から来る商品を一手に引き受ける特権を持っていたカディスの商人たちが、これらの金銀塊がヴィゴに陸揚げされることは、自分たちの権利を侵害するものだと考え、そのことをマドリッドに訴え出たのです。そして結局、彼らは意志薄弱なフィリップ五世を動かし、スペインの商船隊は敵艦隊の立ち去るまで積荷を載せたままヴィゴ湾に碇泊せよ、という命令を下させました。
だが、そんなことをしている間に、一七〇二年十月二十二日に、イギリス艦隊はヴィゴ湾に到着し、ルノー提督は劣勢な艦隊を率いて勇敢に戦いましたが、その際金銀塊が敵の手に落ちることを恐れて、全部の商船に火をかけ、莫大な財宝と一緒に、自分たちを海底に葬ってしまったのです」
ネモ艦長はここで言葉を切った。私はこの歴史がどうして私に関係があるのか、まだわからなかった。
「それで?」と、私はたずねた。
「アロンナクスさん、われわれはいま、そのヴィゴ湾にいるのですよ。その神秘を探る探らないは、あなたのご自由ですが」
艦長は、私について来るように言って、立ち上った。私はもう平常の落ちつきを取り戻していたので、彼の言葉に従った。広間は暗かったが、透明な窓ガラスを通して海水がキラキラ輝いていた。私は瞳をこらして窓外をながめた。
ノーティラス号の周囲半マイルほどの間は、電灯の照明をうけて、真昼のように明るかった。見ると、潜水服に身をかためた数名の艦員が、白砂の海底に横たわっている黒い難破船の胴中から、なかば朽ちた樽や函《はこ》をせっせと取り出していた。それらの函や樽の裂目からは、金銀の塊や、宝石が流れるようにこぼれ出て、たちまち海底の砂の上に山をつくった。艦員たちは、これらの貴重な戦利品を手分けしてノーティラス号に運び、荷を下すと、ふたたびまたこの尽きるところのない金銀の漁場へと引き返して行った。
私は初めて理解することができた。ここは、一七〇二年十月二十二日に海戦が行なわれ、スペイン政府の商船隊が全滅した古戦場なのだ。ネモ艦長は必要が生ずるとここに来て、それらの金銀を拾い上げ、ノーティラス号に積み込むことにしているのだ。
艦長は微笑を浮かべながら、たずねた。
「どうです、あなたは、この海にこれほどの富が蔵されているのをご存じなかったのですか?」
「知っていました。この海底に埋没されている金は二百万にのぼるということですが」
「そうです。しかし、それを引き揚げるには、莫大な費用を要するので、誰も手を出さなかったのです。で、わたしはただ世間が棄てているものを、こうやって拾い上げているにすぎないのですよ。ヴィゴ湾ばかりじゃありません。難破船が沈んでいる何千何百という港湾が、わたしの海底地図には、ちゃんと記入してあるのです。わたしが巨万の財源を持っている理由がおわかりになりましたか?」
「わかりました。しかし艦長、あなたは世間が棄ててかえりみないものとおっしゃったが、ヴィゴ湾の海底探検では、あなたはほんの一歩競争者に先んじただけだということを、ご存じですか?」
「競争者というと?」
「スペイン政府から沈没船引き揚げの認可を受けている会社があるのです。株主たちは莫大な儲けを夢見て多額の金を出資しているわけですが、それらの株主に警告を発してやることは、一つの慈善行為でしょうな。もっともその警告が好意をもって受けとられるかどうかはわかりません。普通賭博者の一番恐れることは金の損失ではなくて、自分たちの抱いている馬鹿げた夢が失われることですからね。それよりもわたしが気の毒に思うのは、世間の多数の不幸な人々のことです。もしこのたくさんの富が世間に出て、それらの人々に正しく分配されるなら、どんなに有益なことかと思うのですが、それは永久に望まれないことでしょうね」
私はこう言って残念がったが、その言葉が終るか終らないうちに、それはネモ艦長の心を傷つけたらしかった。
「永久に望まれない? では、あなたは、これらの富をわたしが苦心して集めているのは、自分一人のためだとでも思っていられるのですか? わたしがそれを死蔵しているとでも考えていられるのですか? 世の中には圧制の下に苦しんでいる人々、慰めてやらねばならぬ不幸な人々や、仇を討ってやらねばならぬたくさんの犠牲者がいることを、わたしが知らないとでも思っていられるのですか? あなたにはおわかりにならないのですか?」
ネモ艦長はここまで言うと、不意に言葉を切った。すこし喋り過ぎたのを後悔しているかのようだった。だが、彼がどんな動機から海底に自主独立の生活を求めるようになったにせよ、いまでも彼が一人の人間として、人類の苦悩に心を痛め、圧制に苦しむ民族に同情を寄せていることだけは、私にも察しがついた。先夜、ノーティラス号がクレタ島の近海を航行した際、ネモ艦長の発送したあの多額の金塊が、誰にあてて送られたものであるかも、私はだいたい理解することができた。
九 消え失せた大陸
翌二月十九日の朝、カナダ人が私の部屋にはいって来た。私も彼の訪問を待っていたところだった。彼はいかにもがっかりした様子で、
「先生、いかがです?」と言った。
「やあ、ネッド君、昨夜は運が悪かったね」
「まったくですよ。いよいよやろうという間際に、艦長が艦を停めてしまったものですから」
「そうだね。ネッド君、あのとき艦長は銀行家に用があったのだよ」
「銀行家?」
「むしろ銀行といった方がいいかもしれない。この海には、国庫などよりもずっと安全に彼の富を保管してくれる銀行があるんだよ」
それから私は、できることならこのカナダ人に脱走を思い止まらせようと考えて、なるべくくわしく前夜の出来事を語ってきかせたが、私の長話も結局大した効き目はなく、むしろネッドは、自分でヴィゴ湾の古戦場を漕ぎ渡ることができなかったのを、いっそう残念に思ったらしかった。
「だけど」と彼は言った。「こんなことではへこたれませんよ。銛を一本打ち損ねただけのことですからね。この次はうまくやりましょう。よければ、今夜にも――」
ネッドはコンセイユのところへ戻って行った。私は服を着替えると、すぐ広間へ行って、羅針盤をのぞいてみた。針路は南々西を指し、艦はヨーロッパに背を向けつつあった。
私は艦の位置が海図に記されるのを、いらいらしながら待った。十一時半頃、気槽が空になったので、艦は海面に浮かび上った。私は急いで甲板に上ってみた。ネッドも私より一足さきに甲板に出ていた。四方をながめ渡したが、どこにも陸地の影は見えず、はてしない大海原のほか何も見えなかった。ただ、水平線上にチラッと帆影らしいものが見えたが、それは喜望峰をまわってサン・ロケへ行く船らしかった。空はいちめんに曇り、風も出かかっていた。ネッドは夢中になって、曇った水平線をじっとみつめていた。彼はその雲の彼方に憬れの陸地が見えはしないかというはかない希望を、いつまでもすてきれないでいるらしかった。
正午頃、太陽がチラッと顔を出した。副長は早速その光を利用して観測をすませた。その頃から次第に浪が高くなって来たので、私たちは下におりた。
一時間ほどして、海図を見ると、ノーティラス号の位置は、西経一六度一七分、北緯三三度二〇分、最も近い陸地から百五十リーグも離れていた。もう脱走の道はなかった。私がそのことをネッドに報告した時、このカナダ人の口惜しがり方がどんなものであったかは、読者の想像にまかせよう。
私自身としては、さほど悲しくもなかった。むしろ肩の荷がおりたような気がして、落ちついて仕事に没頭することができた。
その夜の十一時頃、私は思いがけなくネモ艦長の訪問をうけた。彼は昨夜の見物で疲れを感じなかったかと、優しくたずねた。私は、なんでもない、と答えた。
「ところで、アロンナクスさん、またひとつ面白い旅行をやりたいと思うのですが」
「ほう、どんな旅行ですか、艦長?」
「いつぞやあなたを海底にご案内した時は、太陽の照っている昼間でしたが、こんどは暗夜の海底を歩いてごらんになる気はありませんか?」
「結構ですな」
「しかし、お断りしておきますが、こんどの道は疲れますよ。大分歩かなければならないうえに、山もありますし、第一道が前のように平坦ではないのです」
「ますます行ってみたいですね。ぜひお供させてください」
「では、いらっしゃい。潜水服に着替えましょう」
被服室に行ったが、そこではじめて私は、今夜の旅行には私の二人の仲間も艦員もついて行かないことを知った。ネモ艦長は、ネッドやコンセイユを連れて行こうとは言わなかった。
数分の後、二人は潜水服を身に着け、気槽を背負ったが、電灯の用意はしなかった。私が艦長にそのことを注意すると、
「その必要はありません」と、彼は答えた。
私は艦長の返事を聞き違えたのではないかと思ったが、艦長はもう銅の兜をかぶってしまったので、繰りかえしたずねることができなかった。身支度が終ると、私たちは先の尖った杖を持って、いつものようにして艦を出、数分後には水深百五十尋の大西洋の海底に立った。海中は真っ暗だったが、ネモ艦長は三キロほど向こうに見える赤い大きな光を指さして、歩き出した。その火が何か、何が燃えているのか、またどうして水中で光っているのか、私にはまったく見当がつかなかった。が、とにかく、それがかすかながら私たちの進路を照らしてくれた。まもなく私の眼は深い闇にも慣れ、なるほどこの様子では電灯の必要もあるまいと納得がいった。
進むにつれ、頭の上になにかパラパラいう驟雨のような音が聞こえた。その原因はすぐわかった。それは頭上の海面をたたく豪雨の音だった。瞬間、私の心を本能的にかすめたのは、雨に濡れやしないか、という考えであった。水の真ん中にいながら、水に濡れる――この馬鹿げた考えに、私は思わず吹き出さざるを得なかった。が、実際、厚い潜水服に包まれていると、どうしても水の中にいるという感じがしないのだった。
半時間ほど歩くと、道は石ころ道に変り、クラゲや微小な甲殻類がそのからだから発する燐光で、ほのかにそれを照らしていた。それらの石ころは、無数の植虫や細かい海草で蔽われていたので、私は何度もこの厚い海草の絨毯の上で足を踏みすべらした。もし鉄の穂のついた杖をもっていなかったら、幾度転んだかしれない。振りかえって見ると、ノーティラス号の白い灯火が、はるか遠くの方にまたたいていた。
前方の赤い火光はますます光を増し、あたりを明るく照らした。海中で火が燃えるということは、私には解き難い謎だった。それはまだ地上の科学者には知られていない自然現象なのだろうか? それとも、誰か人間の仕業なのだろうか? この海底にはネモ艦長の仲間がいて、彼と同じような不思議な生活を送っているのだろうか? そこには地上の不幸な生活に飽きて、この深海の底に自由と独立を発見した亡命者の部落でもあるのだろうか?
これらの馬鹿げた荒唐無稽な考えが、つづけざまに私の心に浮かんでは消えた。この時の心の状態では、たとえネモ艦長の夢想するような海底の都市が眼の前に出現したとしても、私は驚かなかったであろう。
道はますます明るくなってきた。気がつくと、前方に高さ二百五十メートルばかりの山があり、その頂から白い微光がさしていた。が、私の見たのは単なる反射光線で、その不可解な光の源は、山の向こう側にあるらしかった。
大西洋の底を迷路のように走っているこの石ころだらけの道を、ネモ艦長は平気でずんずん進んで行った。艦長は度々ここへ来たことがあるらしく、少しも道に迷う様子がなかった。私は安心して彼の後からついて行った。光り輝く水の中に黒く浮き上った彼の頑丈な後姿は、私の眼にはまるで水中の魔人のように頼もしく見えた。
山の麓に着いたのは、午前一時頃であったが、その傾斜を登るには、広大な灌木林に蔽われた、嶮しい小道を通り抜けなければならなかった。
灌木林といっても、それは葉もなく、樹液もない、海水の作用で石のように硬化した枯木の林で、ちょうど石炭の柱が立ち列んでいるみたいであった。その枝はきれいに切り抜かれた黒い紙細工のようにくっきりと水の天井をかぎっていた。海草のクロツノマタに蔽われた林中の小道を、私は岩をよじり、倒れた木の幹をまたぎ、海ヒルガオの蔓をかき分け、樹間を泳ぎまわる魚を驚かしながら、進んだ。それでいながら、私は少しも疲れを感じなかった。なんというすばらしい光景だろう!
下の方は暗い闇にとざされながら、上部は水を通してくる光の反射をうけて、ほのぼのと赤い色調に色どられた、この海底博物館の樹木や岩石の美しさを、私はとうてい筆にも言葉にも表わすことはできない。私たちが岩をよじり進むと、岩は雪崩のようなものすごい響きをたてて、下へ転落して行った。道の左右には、ところどころ長い暗い坑道が口を開き、また人の手で造られたらしい林中の空地が見えた。時々私は、この辺の海底には人が住んでいて、いまにも私の面前に姿を現わすのではなかろうか、という気がした。
しかし、ネモ艦長はなおも、どんどん登って行くので、私は休むことができなかった。杖はこの場合非常に役に立ち、両側が深い谷間をなしている狭い小道を登る時も、なんの眼まいも感ぜずに大胆に進むことができた。陸上の氷河ならばとても渡れそうもない深い裂け目も飛び越えることができたし、深淵の上に渡されたグラグラした木の幹も平気でわたることができた。
ノーティラス号を出てから二時間ほど、樹木の間を歩いた頃、頭上三十メートルくらいのところに、まばゆい火光を背にして、山の頂が見えた。あたりには石化した灌木の木立が奇妙な恰好をして立ちならび、いろいろな魚が草叢《くさむら》の中の小鳥のように足もとから飛び立った。累々と層をなした岩山の中腹には、至るところ深い裂け目や底知れぬ洞穴が口を開いていた。時々大きな触角が道をさえぎり、また恐ろしい動物の脚肢《あし》が洞窟の蔭でガサガサ音を立てていた。そんな時は、さすがに血の凍るような思いがした。また無数の光の玉が真っ暗な闇の底にまたたいていたが、それは穴の中にうずくまっている巨大なエビや、カニや、その他名も知れない甲殻類の眼であった。
やがて、私たちは最初の台地に到着した。そこにはさらに驚くべき光景が私を待っていた。私たちの面前には、おそらく造物主の仕業ではない、たしかに人間の手になったらしい絵のような廃墟が横たわっていた。いちめんうず高く積まれた石の山の間には、明らかに城や寺院の跡とおぼしい石垣や柱が立ちならび、花をつけた無数の植虫とツタカズラならぬ海草が、それを蔽っていた。おそらく地質の大変動で海底に埋没したらしいこのあたりは、いったい地球のどこに当るのだろうか? 有史以前の遺物と思われるこれらの岩や石の建物は、いったい誰が造ったのだろうか? 私はいまどこにいるのだろうか? ネモ艦長の気まぐれは、私をどこに連れて来たのだろうか?
私は艦長にそのことを問いたかったが、その方法がないので、彼の腕をつかまえて、立ち止まらせた。だが艦長は首を振り、山の頂上を指さしながら、
「さあ、いらっしゃい、もっと上へ――」
というように、どんどん登って行った。
やむなく私も彼の後に従ったが、数分たつと、私たちはその頂上に達した。そこには周囲十メートルほどの円い平地があって、あたりをひと目で見渡すことができた。
私はいま登ってきた方の側を見おろした。山は麓の平原から二、三百メートルの高さしかなかったが、振り返って反対側を見ると、その方は約二倍の深さがあり、眼下はいちめん猛烈な光の海であった。意外にも、この山は海底の火山だったのである。
その巨大な噴火口は、頂上から十五メートルほどの高さにまで熔岩を噴出し、石や灰を雨のように降らしていた。その火山は、巨大な炬火のように海底の平原を地平線の果てまで照らしていた。海底の噴火口からは熔岩が噴出していたが、火焔は見えなかった。焔を生ずるには空気中の酸素が必要だが、海中にはそれがないからだった。そのかわり、白熱化した熔岩の流れは、白光を発し、海水と戦って、それを蒸気に変じていた。
激しい潮流は、これらのガスを四方へまきちらし、熔岩の奔流はヴェスヴィオの噴出物がテルラ・デル・グリコを襲ったように、山麓に向かって流れ落ちていた。
見おろすと、そこにはさらに荒廃破壊した都市の残骸が横たわっていた。屋根は落ち、アーチは崩れ、円柱は地上に倒れていたが、それはまごうかたなきトスカナ式の建築であった。向こうには、巨大な水道が今なおその面影をとどめ、近くにはパルテノンの神殿に似た城砦《アクロポリス》の高い土台が残っていた。かつては大洋の岸辺に沿って多数の商船や軍船を繋いだらしい古代の港の埠頭の跡もあった。崩れた城壁、広い荒涼たる市街――正にそれは海底のポンペイであった。ネモ艦長が私に見せようとしたのは、この光景だったのだ。
ここはどこだろう? 私は今どこにいるのだろう? 私はなんとかして、それを知りたいと思った。私がしゃべろうとすると、ネモ艦長は手振りでそれをとどめ、落ちている白い石を拾って、黒い玄武岩のそばに進みより、その上に
アトランティス
と、ただ一語書き記した。
パッと一道の光が、私の心を照らした。アトランティス――それはテオポンプスの言う古代都市メロピス、プラトンの言うアトランティスで、その後オリゲネスや、ヤンブリコスや、ダンヴィルや、マルト・ブルンや、フンボルトや、その他多くの学者たちからは伝説的物語としてその存在を否定されて来た謎の大陸である。今私はその廃墟を眼《ま》のあたりにながめることができたのだ。この大陸はかつてヨーロッパとアフリカの彼方、かの『ヘラクレスの柱』の彼方に存在し、そこには有力な国民アトランティス人が住んでいて、幾度か古代ギリシア人と戈《ほこ》を交えたと伝えられている。
私はゆくりなくも不思議な運命の手に導かれて、今この大陸の山を脚下に踏み、数万年を経たその廃墟に手を触れ、最初の人類が歩いた同じ道を歩いているのである。
私が心の中にこの壮大な風景の一つ一つを刻みつけようとしている間、ネモ艦長は苔に蔽われた岩石にもたれて、何か感慨にふけっているかのように、じっと動かなかった。彼は遠い昔、この大陸と共に消え去った人々のことを空想しているのだろうか? 彼はそれらの人々に人類の運命の秘密をたずねているのだろうか? 現代の生活を好まぬこの不思議な人物は、太古の生活を回想し、自らその中に生きるためにここへ来たのだろうか?
私たちは、こうして一時間あまりこの場所に足をとどめ、時々驚くほど強烈な熔岩の光輝に照らし出される広大な平原を見渡していた。時折、激しい鳴動が山をふるわし、海水を通して重々しい反響を伝えた。折から月が海水の厚い層を通して姿を現わし、その蒼白い光を海底の廃墟の上に投げた。それはほのかな光にすぎなかったが、なんという素晴らしい効果を与えたことであろう! 艦長は立ち上り、最後の一瞥を脚下の平原に投げると、私をうながして帰路についた。
私たちは急いで山を下り、枯木の林を抜けると、はるか彼方に星のようにまたたいているノーティラス号の電灯の光を認めた。それを目あてに二人はなおも歩きつづけ、暁の最初の光が大洋の水面にさしそめる頃、ようやく艦に帰り着いた。
十 海底の炭坑
次の日、二月二十日の朝は、おそく眼をさました。前夜の疲れで、十一時までぐっすり寝すごしてしまったので、起きるとすぐ、私は服を着替え、大急ぎでノーティラス号の針路を調べに広間に行って見た。計器は、艦が依然南をさして五十尋の深度を、一時間二十ノットの速力で進んでいることを示していた。
舷窓にうつる魚の種類は、いままで挙げたものと、大して違いはなかった。長さ四メートル半もある巨大なエイや、いろいろな種類のフカがいたが、フカの中には長さ五メートル近くもあって、鋭い三角形の歯をもち、水中ではほとんど見えないほど透明なものもいた。
コンセイユは、骨の多い魚類の中に、鋭い刃を立て並べたような上顎をもった、長さ三メートルもあるものや、アリストテレス時代から海竜と呼ばれて知られている美しい色彩のものなどを見つけた。この海竜は背にスパイクがあるため、危険でなかなか捕えにくいものとされているのである。
四時頃になると、今まで石化した樹木の混った泥土から成っていた海底の土が、次第に変化して、石ころが多くなり、礫岩《れきがん》や玄武岩や熔岩の破片がいくらも見えた。
私は、長い平原が終って、いよいよ山岳地帯に近づいたのだろうと考えた。果してノーティラス号が少し進むと、南方の限界は高い絶壁で閉され、すべての出口を塞がれたようなところに出た。その絶壁の頂上は確かに海洋の水面を越しているにちがいなかった。それは大陸、あるいは少なくとも島――カナリア諸島か、ケープ・ヴェルデ諸島の一つにちがいない。まだ方位の観測がすんでいなかったので、私は艦の正確な位置を知ることができなかったが、とにかくこれらの絶壁はあのアトランティスの境をなしているように思われた。前夜私たちが見たのは、その大陸のほんの一小部分にすぎなかったのである。長いこと、私は窓際に残って、海底の美しさに見とれていたが、やがてノーティラス号がその高い垂直な絶壁の側面に着いたと思われる頃、突然窓の扉が閉った。どうしたのか私にはわからなかった。私は自分の部屋に帰ったが、艦はもう動かなかった。数時間眠ったら起きるつもりで、私は床にはいった。だが、眼がさめて広間に行ったのは、翌日の八時であった。圧力計はノーティラス号が海面に浮かんでいることを、知らせてくれた。おまけに、甲板には足音が聞えた。さっそく昇降口に行ってみると、扉は開いていたが、予期に反して外は真っ暗だった。艦はいまどこにいるのだろう? 私は思い違いをしているのだろうか? まだ夜中なのだろうか? いや夜ではない、星が一つも輝いていないし、夜はこんなに真っ暗ではないはずだ。
私が考えまどっていると、突然、耳の近くで声がした。
「先生、あなたでしたか?」
「ああ、艦長、ここはどこなのですか?」と、私は聞きかえした。
「地下ですよ」
「地下! それでいて、ノーティラス号は、浮いているのですか?」
「艦はいつだって浮いていますよ」
「しかし、わたしには、どうものみこめませんが」
「ちょっと待ってください、電灯をつけますから。明るいところの方がお好きなようだから」
私は甲板に立ったまま、待っていた。闇は漆《うるし》のように真っ暗で、ネモ艦長の姿さえ見えないほどだったが、頭上を見上げると、円く穴があいているような一種の薄明りがぼんやり認められた。と、そのとき電灯がパッと点いて、その強い光のために弱い徴かな光はかき消されてしまった。私はちょっとの間まぶしさに眼を開けることができなかったが、しばらくして眼を開くと、ノーティラス号は埠頭のような形をした山のちかくに浮いていた。
そこは、四方を絶壁でかこまれた、直径二マイル、周囲六マイルほどの湖水で、その水面は(圧力計で見ると)外界の水面とほとんど同じ高さにあるらしかった。すると、湖水と海との間には当然何か連絡がなければならないはずである。その絶壁は前のめりに突き出て、大きな漏斗《じょうご》をさかさまにしたような形の円天井を形づくっており、高さは約五百メートルほどあった。その頂上に一つの円い穴があいていて、そこからかすかな光がさしこんで来るのだが、それは明らかに太陽の光線らしかった。
「ここは一体どこなのですか?」と、私は再びたずねた。
「死火山の真ん中ですよ。幾度も地球に大変動があったのち、その内部に海水がはいってたのですね。あなたが眠っていられる間に、ノーティラス号は、海面下十メートルばかりのところに通じている自然の地下水道から、この湖へ入って来たのです。ここはどんな台風にも平気な、全く安全で便利な避難港ですよ。どんな大陸や島の海岸にも、暴風雨に対して、これほど完全な避難所はありません」
「なるほど。ここなら安全でしょうね。まさか火山の真ん中まであなたを追っかけてくる者はないでしょうから。しかし、あの頂上に穴があいているようですが――」
「ああ、あれは噴火口です。昔は、熔岩や、水蒸気や、火焔がいっぱいとぐろを巻いていたところですが、今では、わたしたちが呼吸する大事な空気の流通孔になっているのです」
「で、この火山はどういう山なのですか?」
「この近海には、たくさんの島が散在していますが、その一つです――船から見れば単なる砂浜にすぎませんが――わたしたちにとっては立派な港なのです。わたしは偶然これを発見したのです」
「でも、この避難所がなんの役に立つのですか? ノーティラス号には、港なんか必要はないはずですが」
「いや、船を動かすには、電気が必要です。そして電気を作るにはナトリウムが要ります。ナトリウムを採るには石炭が要ります。その石炭を供給するのは、炭坑です。この海底には、地質時代の諸紀に大森林が埋没されたらしく、今日ではそれが完全に炭化しているのです。わたしにとっては、まさに無尽蔵の炭坑ですよ」
「すると、あなたの部下たちは、今坑夫の仕事をしていられるのですね?」
「そうです。ここの炭坑は、ニューキャッスルの炭坑と同じように、海の下に広がっているのです。わたしの部下たちは潜水服を着、鶴嘴とシャベルとで、石炭を掘り出すのです。わたしは地上の炭坑から石炭の供給を受けようなどとは、微塵も思っていません。わたしがその石炭を燃やしてナトリウムをつくるときには、あの噴火口から煙が出て、火山が再び活動をはじめたように見えるでしょうよ」
「その人たちが働いているのを見せて頂けましょうか?」
「いや、それは駄目です。少なくとも、こんどは駄目です。急いで海底旅行をつづけなければならないので、わたしもこんどは貯蔵してあるナトリウムで我慢することにしたのです。積み込むには一日で充分ですし、積み込みが終ったらすぐ航海をつづけるつもりですから、もし洞窟へ行くとか湖水をまわって見たいというご希望でしたら、今日のうちになさるのですね」
私は艦長に礼を述べ、私の連れを探しに艦内におりた。二人はまだ自分たちの部屋に閉じこもっていた。私は彼らを誘って私のあとからついて来るように言ったが、私たちが今どこにいるかは告げなかった。二人は甲板に上って来た。どんなことにも驚いたことのないコンセイユは、海の下で眠りこんだのだから、山の下で眼がさめたって不思議はない、とでもいったような、平気な顔をしていたが、ネッド・ランドの方は、この洞窟のどこかに出口はないものかと、そればかり考えているようだった。朝食をすませると、十時頃、私たちは海岸におり、山の方へ出かけた。
「また上陸できましたね」と、コンセイユが言った。
「コンセイユ君、これは陸地とは言えんよ。地上にいるんじゃなくって、地下にいるんだからね」と、カナダ人は抗弁した。
山の絶壁と湖水との間には、一番広いところで、百五十メートルばかりの砂浜があった。この砂浜をつたって行くと、楽に湖水を一めぐりすることができそうであったが、高い絶壁のすぐ裾はいちめん石ころだらけで、火山岩や大きな軽石が、美しい形に盛り上っていた。これらの石塊群はすべて地下の火の作用で磨き上げられたと見えて、つやつやとした光沢を放ち、私たちの電灯の光に燦然と輝いていた。歩くにつれて、私たちの足もとからは雲母の細片が火の粉のように舞い上った。まもなく三人は、長いスロープの麓に達したが、この坂道は水晶や長石や石英などで足がすべりそうになるので、礫岩の間を用心して歩かなければならなかった。
この巨大な洞窟が火山性のものであることは、一見して明らかだったので、私は二人に、そのことを説明した。
「この噴火口内が煮えたぎった熔岩でいっぱいになり、灼熱した液体が噴出したときの光景を、想像してみるんだね」と、私は言った。
「まったく、ものすごかったでしょうね。でも、どうしてこの火山は活動を休止したのでしょうか? またどうしてその熔鉱炉がこんな静かな湖水に代ったのでしょうか?」と、コンセイユがたずねた。
「それはだね、コンセイユ、おそらく大洋の底で地震が起り、ノーティラス号を通過させるような裂け目をつくったのだよ。そして、大西洋の水がこの山の内部に侵入したのさ。そのとき、水と火との間には恐ろしい争闘があったにちがいないが、その争闘は結局海神の勝利に帰したんだね。だが、それも大昔のことで、今では海中の火山もこんな風に平和な洞窟となっているというわけだ」
すると、ネッド・ランドが口を入れた。
「なるほど、お説のとおりでしよう。しかしわしたちの立場からいうと、先生のおっしゃったその割れ目が、海面上にできなかったことは、まことに遺憾至極ですね」
「しかし、ネッド君、その割れ目が海の下でなかったらノーティラス号はそれを通ってこんなところへは来なかったろうよ」と、コンセイユが言った。
私たちは、坂道を登りつづけた。道はますます嶮しく、狭くなって行った。ところどころ深い洞窟をくぐり抜けたり、また小高い岩山を迂回しなければならなかった私たちは、膝ずりするようにして這い登った。しかし、コンセイユの機転とカナダ人の腕力とで、それらの障害もすべて克服された。十メートルばかり登ると、そこからは土質が変化し、礫岩や粗面岩は黒い玄武岩に変って、規則正しい三稜形をなした玄武岩が、大自然のつくった驚嘆すべき巨大な円天井の迫持《せりもち》を支える列柱のように並んでいた。玄武岩層の間には、冷却した熔岩の流れが、瀝青のような光を放っていた。また、ところどころ、大きな硫黄の絨毯がひろげられていた。頭上の噴火口からは次第に強力な光が射してきて、この巨大な山の底に永久に埋っている火山の陥没地を、ほの暗く照らし出した。だが、やがて七十五メートルほどの高さに達すると、円天井のアーチが私たちの上にのしかかるようになり、一歩も進めなくなってしまった。
そこで、やむなく私たちは方向を変えて、中腹まわりをすることにした。この頃から、鉱物の間にちらほら植物の影が見えるようになり、ある種の灌木や樹木さえが、絶壁の隙間から生えていた。また、ある種のタカトウダイ科の植物や、色も匂いもあせた花を物うげに垂れているヘリオトロープなども見えた。また、生気のない長い葉をもったアシの根もとには、幾株かの野ギクが心細げに咲いていたし、また熔岩脈の間には、なおいくぶん匂いをもった小さなスミレもあったので、私はなつかしくそれを嗅いでみた。匂いは花の魂であるが、海の花には魂がなかった。
私たちはやがて、岩間に根を張った頑丈なドラゴン樹の根元のところへ来た。すると突然、ネッド・ランドが叫んだ。
「やあ、ハチの巣だ! ハチの巣だ!」
「ハチの巣!」と、私は半信半疑で訊きかえした。
「ええ、ハチの巣ですよ」と、カナダ人は繰り返した。
「ハチが現にそのまわりでブンブン唸ってますよ」
私は近づいて、自分の眼でそれを見とどけた。一本のドラゴン樹に空洞があって、数千の蜜バチが群がっていた。カナリア諸島には、至るところに蜜バチがいて、その蜜は非常に珍重されているのである。カナダ人はさっそく蜜の採集を思い立ち、枯葉をたくさん集めて来て、硫黄を交ぜ、燧石《ひうちいし》で点火して、ハチを煙攻めにしはじめた。ハチの唸り声は次第に止み、ついに私たちはハチの巣から数キログラムの蜜を採集することができた。ネッド・ランドの雑嚢はハチ蜜でいっぱいになった。
「先生、パンの木の実にこいつをつけて、おいしい菓子を作って上げますよ」と、ネッドは言った。
「つまり、菓子パンてやつだね」と、コンセイユが口を入れた。
「菓子パンなんかどうでもいいよ。さあ、早く行くことにしよう」と、私はせきたてた。
道をまわるにつれて、湖水はその全貌を現わしてきた。艦の電灯が静かな湖面を照らしていたが、さざ波一つ立っていなかった。ノーティラス号は少しも動かずに、もとのままの位置に浮かんでいた。甲板の上や山の上には、艦員たちが電灯の光を浴びて、黒い影絵のように働いているのが見えた。私たちはちょうど、円天井を支えている第一岩層の頂をまわっていた。やがて私は、蜜バチだけがこの火山の内部における動物王国の代表者でないことを知った。胸の白いハイタカや、マグソダカのような猛禽が、薄暗りの中をあちこち飛びまわっていたり、また長い脚でスロープを駆けおりる肥った美しい野ガンの群なども見えた。カナダ人が、このうまそうな獲物を見て、どんなに欲しがったか、鉄砲を持ってこなかったことをどんなに残念がったかは、読者の想像にまかせたい。結局、彼は石をひろって弾丸にかえ、熱心に獲物を狙って、幾度もしくじった末、やっと一羽のすばらしい鳥を倒すことに成功した。彼は危険を冒してようやくそれを捕え、例のハチ蜜の入っている雑嚢にしばりつけた。
そのうちに頂上へ行く道がなくなったので、私たちは海岸の方へ下りなければならなくなった。頭上の噴火口は井戸の口みたいに見え、そこから明るい青空と、西風に吹き散らされた霧のような断雲がのぞまれた。その雲の高さから見ても、この火山がせいぜい海抜二百五十メートルぐらいしかないことがわかった。
カナダ人が大手柄を立ててから半時間ほどして、私たちは湖水の岸にもどった。その辺の湖岸には、海水晶が敷物を敷きつめたように咲き乱れていた。それは一名ピアース・ストンまたはシー・フェンネルとも呼ばれている小さな草花だった。コンセイユは幾束もそれを採集した。動物では、エビとか、カニとか、クモガニのような甲殻類や、カサゴとか、ヨメガサラのような貝類が無数にいた。
それから十五分後に、私たちは山の中腹めぐりを無事にすませて、ノーティラス号に帰り着いた。艦員たちはちょうどナトリウムの積み込みを終ったばかりのところで、ノーティラス号はすぐにも出帆できる用意ができていた。しかし、ネモ艦長はなかなか出発の命令を下さなかった。彼は海底のトンネルを秘密にしておくために、出発を夜まで待つつもりらしかった。とにかく、翌朝私たちが気づいた時には、ノーティラス号はすでにこの避難港を出て、大西洋の波の下数メートルの海中を沖に向かって進んでいた。
十一 藻海
その日、ノーティラス号は大西洋の不思議な場所を通過した。大西洋には、メキシコ湾流の名で知られている暖流の存在することは、誰も知らぬ人はないであろう。この暖流は、アメリカのメキシコ湾を出てから、北緯四五度の付近で二つに割れ、その主流はアイルランド沖を通って、ノルウェーの沿岸へ流れて行き、一方支流はアゾレス諸島の辺から南へ曲って、アフリカ大陸の海岸を洗い、長い楕円形を描いてアンティル諸島へと帰って来るのである。この第二の暖流が楕円状に囲んでいる水域が、大西洋の湖水ともいうべきいわゆるサルガッソ海(藻海)で、この静かな、冷たい水域を一循するのに、暖流は約三年の日子を費す、といわれている。
ノーティラス号は、この藻海にはいったのだが、そこはいわば洋中の牧場であって、クロツノマタの熱帯ホオズキのような海藻が敷物のようにぎっしりと密生していた。ネモ艦長は、この海藻群に推進器をとられるのをおそれて、海面下数メートルのところを潜航した。サルガッソの語源は、スペイン語のホンダワラという意味の「サルガッツオ」から出たもので、この広大な水域を埋めている海藻類のもっとも主要なものが、ホンダワラだからである。これらの海藻が、この大西洋の平和な盆地に集合するのはなぜか?
有名な『地球地文学』の著者のモーリは、この理由をつぎのように説明している。ビンの中にコルク屑のような水に浮くものを入れ、ビンの中の水をかきまわすと、分散していたコルク屑は水面の中央に、すなわち、最もかきまわされることの少ない部分に集まってくる。この現象から考えると、大西洋はビンで、湾流はかきまわされた水、サルガッソ海はコルク屑の集まる中心に該当するわけである。
私もこのモーリの説に賛成するのだが、いま私は計らずも、他の船舶がめったにはいっていかぬ海藻の真ん中にはいって、その現象をしたしく観察することができた。頭上には、それら褐色の海藻に混ってあらゆる種類の浮遊物がただよっていた。その中には、アンデス山脈やロッキー山脈から出て、アマゾン河やミシシッピ河を流れ下った大木の幹や、難破船の遺物らしい竜骨や船底や舷側の破片などが見えたが、これらのものにはいろいろな貝が付着して非常に重くなっているため、海面には浮かび上ることができずにいた。時がたてば、モーリの説によると、これらの漂流物はこうして数世代のあいだ堆積されている間に、水の作用で炭化し、無尽蔵の炭坑――人間が大陸の炭坑を消尽してしまう場合を予想して、先見ある自然が人間のために準備してくれた貴重な宝庫となるだろう、というのであった。
このもつれ絡んだ海藻群の中に、私は長い触糸を引いた、きれいな淡紅色のイソギンチャクや、緑と赤と青のクラゲなどを見つけた。
二月二十二日は終日、私たちはサルガッソ海を通ったが、そこでは海藻に似た魚類がたくさん餌をあさっていた。次の日には、海は普通の状態にかえった。その日から、つまり二月二十三日から三月十二日までの十九日間、ノーティラス号は一日百リーグのスピードで、大西洋の真ん中を走りつづけた。ネモ艦長は、明らかに彼の海底旅行のプログラムを果してしまうつもりらしかった。私は、きっと艦長はホーン岬をまわってから、太平洋のオーストラリア近海に帰るつもりだろう、と想像した。
ネッド・ランドは恐怖をいだいた。島一つないこうした大洋の中では、脱走を企てることなど、思いもよらなかったからである。今や私たちは、ネモ艦長の意志に反することは何一つ講ずることができなかった。残された道は、ただ脱走することであった。だが、私から執拗に頼んだなら、艦長はこの航海が終った後、彼の存在を決して世間に知らせないという誓いのもとに、われわれの自由を復活してくれないだろうか? しかし、私たちはこの微妙な問題については慎重に考えてみなければならない。私はみだりにこの自由を要求してよいものだろうか?
彼は最初に厳然とした態度で自分の秘密を守るために、われわれをノーティラス号に幽閉して置かなければならない、と言い渡したではないか。その後四カ月の沈黙は、私たちの無言の諦めを、彼に示したことになりはしないだろうか? して見ると、これからさき幸運な機会が到来しないとも限らないのに、今この問題に触れることは、かえって彼に疑念を起させ、私たちの計画を妨げる結果になりはしないだろうか?
この十九日間に、私たちの航海には、目立つほどの事件は何も起らなかった。私は艦長の姿をほとんど見かけなかったが、彼は何か研究に熱中しているらしかった。図書室で時々彼の書籍が、ことに自然科学の書籍が開いたままになっているのを、私は見た。海底に関する私の著書も彼は熟読したらしく、傍註がいっぱい書き入れてあったが、その中には私の学説や方法にぜんぜん反対の意見もあった。こんなふうに艦長は私の著述を修正しながら、私と討論することはめったになかった。また時折、彼が、オルガンに向かって物うげな曲を弾いているのを耳にすることはあったが、それはノーティラス号が絶海の深みで眠っている真夜中に限られていた。
この航海中、艦はたいてい海上を走りつづけた。来る日も来る日も、水また水の世界で、その間わずかに二、三隻の帆船が喜望峰をまわってインドに向かうのが見えただけであった。そのうちにある日、私たちは突然数隻の捕鯨船に追いかけられたが、彼らは疑いもなく、艦を巨大なクジラと見誤ったらしかった。しかし、ネモ艦長は、彼らに時間と労力とを空費させないため、すぐ潜没して、その追跡を断念させた。
三月十三日、ノーティラス号はいろいろな測量を行って、私に非常な興味を与えた。顧れば、私たちは太平洋を離れてからすでに一万三千リーグを航海しているわけであった。その時、艦の位置は南緯四五度三七分、西経三七度五三分であった。この辺は、ヘラルド号のデンハム船長が七千尋まで測量したがついに海底までは到達できなかったところである。その後、アメリカの巡洋艦コングレス号のパーカー大尉が、一万三千六百メートルまで測ったが、なお海底に達することができなかった。ネモ艦長は、ノーティラス号の舷側の側翼を四十五度に傾けて斜行し、この深海の底を探ろうと決心したのである。やがて推進器は全速力で回転をはじめ、その強力な推進力でノーティラス号の胴体を絃楽器の絃《いと》のように震わせながら、海底めざしてまっしぐらに沈降して行った。
七千尋のところで、海底から屹立している幾つかの黒い山の頂が見えた。これらの峰は、おそらくヒマラヤかモン・ブランのような、あるいはもっと高い山かも知れなかった。深淵の深さは、依然として計り知れなかった。ノーティラス号は、強大な圧力を受けながら、なおも深く沈降をつづけた。艦の鋼鉄板は、ボルトでとめられている継目のところで震え、梁材は曲り、隔壁は軋み、広間の窓は海水の圧力で歪んだように見えた。この堅牢な建造物も、もし艦長が言ったような強大な抵抗力をもっていなかったなら、ひとたまりもなく圧《お》し潰《つぶ》されてしまったことであろう。
艦は岩山のスロープに沿って沈降して行ったが、こんな深いところにも、軟体動物が棲んでいるのを見て、私は意外の感に打たれた。まもなく、十キロばかりの深所に達すると、それらの動物界の最後の代表者も見えなくなってしまった。やがて一万五千メートルの深所に達すると、ノーティラス号の側面は、千六百気圧、すなわちその表面一平方センチ毎に、千六百キログラムの圧力を受けることとなった。
「こんな深所に達した人間は、古来一人もないでしょうな」と、私は叫んだ。「艦長、ごらんなさい、あのすばらしい岩や、何も棲んでいない巨大な洞窟を。ここでは、どんな生物も生きることを許されないのですね。なんという珍しい光景でしょう! 何とかして、これらを記録しておけないものでしようか?」
「記録よりももっといい方法がありますよ」と、ネモ艦長が言った。
「それはどういう意味ですか?」
「この水中の光景を写真に撮っておくのです」
この新らしい提案に驚きを表明する暇もなく、ネモ艦長が声をかけると、写真機が艦員の手で運ばれて来た。広間の窓からは、満々たる水の堆積が電光に照らされているのが見えた。まもなく、ノーティラス号は、推進器の回転を停止し、その細長い船体を大洋の底に横たえた。その数秒間に、私たちは急いで写真を撮った。
撮影が終ると、ネモ艦長は言った。
「さあ、上りましょう。ぐずぐずしてはいられません。ノーティラス号を、こんな高圧のもとに、いつまでも放って置いたら、大変なことになります」
「では、早く上りましょう!」と、私も叫んだ。
「さあ、しっかりつかまっていてくださいよ」
艦長がなぜこんな注意を与えたのか、よくのみこめなかったが、それを考える暇もなく、私はいきなりつきとばされたように絨毯の上に顛倒した。艦長の信号で、推進器が回転を開始し、側翼が垂直に上ると同時に、ノーティラス号は激しい音をたてて積水を切りながら、矢のような速さで浮揚し、気球のように飛び上ったのだった。何も見えなかった。四分とたたぬまに、それは海面下四リーグの距離を突破し、飛魚のように水面に躍り出たかと思うと、すごい高さの水柱をあげて再び水中に落下した。
十二 マッコウとクジラ
三月十三日から十四日にかけての夜間、ノーティラス号はふたたび、針路を南方へ戻した。ホーン岬のあたりで舵を西に向け、太平洋へ出て世界周航を終るのかと私は考えていたが、艦はそんな気ぶりも見せず、一路南方へ走りつづけた。どこへ行くのだろうか? 南極へか?
それは気ちがい沙汰だと言わなければならない。私は、ネッド・ランドが艦長の向こう見ずに恐れをなしているのも、もっともだ、と思いはじめた。近頃このカナダ人はすっかり沈黙勝ちになり、例の脱走計画についても、なにも喋らなくなった。私は、この長い間の幽閉生活が彼を憂欝にさせているのだと察したが、彼は内心むかむかしているらしく、艦長と出会ったときの彼の眼には、抑え切れない憤りが燃えていた。私は、彼の激情が極端なことをしでかさなければいいがとひそかに警戒していた。すると、三月十四日の朝、コンセイユとネッドが、不意に私の部屋にはいって来た。
私は二人の訪問のわけをたずねた。
「先生、ちょっとおたずねしたいことがあるんです」と、カナダ人が言った。
「言って見たまえ、ネッド君」
「このノーティラス号には、どのくらい艦員がいるのでしょうか?」
「さあ、僕にはわからんね」
「このくらいの仕事には、大して乗組員は要らんと思うのですが」
「そうだね。現在の状態では、たかだか十人もいれば、充分だろう」
「それなら、なぜあんなにたくさんいるのでしょう?」
「なぜって――」と、私は、ネッド・ランドの気持はよくわかったが、彼の顔をじっと見ながら答えた。「それはだね、もし僕の推測に間違いがなければ、このノーティラス号は、ただ船というだけではなく、その指揮官と同じように、地上のあらゆる束縛を断ち切った人間の隠れ家なんだよ」
「そうかもしれません。しかし、どっちにしても、ノーティラス号には、たしかに相当の乗組員がいますね。先生はどのくらいいるとお考えですか?」と、こんどはコンセイユが言った。
「どうしてかぞえるんだ、コンセイユ?」
「計算するんですよ。この艦の大きさはご存じでしょう。そうすると、この艦に貯えられている空気の量がわかります。それから各人が一呼吸毎にどれだけの空気を消費するかもわかりますね。その結果と、ノーティラス号が二十四時間毎に水面に出て換気する事実とを比較するのです」
コンセイユの言葉が終らないうちに、私は彼のいう意味を理解した。
「わかった、しかしその計算は非常に簡単だが、ごくあいまいな数しか出ないよ」
「結構です」と、ネッド・ランドがせき込んで言った。
「では、話すが、人間一人は大体一時間に二十ガロンの空気に含まれている酸素を消費するものだ。で、二十四時間には、四百八十ガロンの空気中に含まれた酸素を消費するということになる。それで、ノーティラス号の空気の量は、四百八十ガロンの幾倍あるかを見なければならない」
「なるほど」と、コンセイユが言った。
「ノーティラス号の大きさは千五百トンだから、一トン当り二百ガロンとして、全体で三十万ガロンの空気をもっているわけだ。それを四百八十ガロンで割ると六百二十五という数字が出る。つまり、ノーティラス号に蓄積されている空気で、六百二十五人の人間が二十四時間呼吸することができるわけだ」
「六百二十五人!」と、ネッドは繰りかえした。
「しかし、実際は、われわれも入れて全部でその十分の一もいないだろうよ」
「それにしても、多すぎますね。こっちの三人に対して」と、コンセイユはつぶやいた。
カナダ人は頭を振り、額をこすりながら、黙って部屋を出て行った。それを見送りながら、コンセイユは言った。
「先生、わたしの考えを一つお聞きください。ネッド君は、気の毒に、現在得られないものに憧れているんですよ。あの人には、過去の生活がいつも現在なのです。わたしたちが何もかも禁じられているのが、不服なんですね、あの人の頭は、旧い思い出でいっぱいになっているのです。わたしたちは、あの人を理解してやらなければなりません。あの人はここで何をしたらいいのか? すべきことが何もないのです。あの人は、先生みたいに学者ではありません。また、わたくしのように海の美しさにたいして趣味を持ってもいません。あの人は、なんとかしてもう一度、自分の故郷の居酒屋に帰りたくってたまらないのですよ」
考えて見れば、たしかにこの艦内の単調な空気は、自由な活動的な生活に慣れて来たカナダ人には、たえられないものにちがいなかった。彼を少しでも元気づけるような出来事は、めったに起らないからだ。だが、偶然にもその日、この銛撃ちに過去の明るい時代を思い出させるような事件が起った。
朝の十一時頃、ノーティラス号は海面を航行していたが、その時ふと一群のクジラに出会った。捕鯨船に追跡されたクジラは、高緯度の方へ逃げるということを聞いていたので、これらのクジラの群を見ても、私は別段驚かなかった、
私たちは甲板に坐って、静かな海をながめていた。この辺りでは、十月になると、いかにも秋らしい、うららかな小春日和がつづくのである。そのとき、はるか東の水平線上に二頭のクジラを眼ざとく見つけたのは、カナダ人だった。よく見ると、いかにもノーティラス号から八キロほどの波間に、クジラの背が浮きつ沈みつしていた。
「ああ!」とネッド・ランドは大きな声で言った。「こんなときに捕鯨船に乗っていたら、さぞ面白いだろうな。や、あいつはでかいぞ。あの潮を噴いているのをごらんなさい。すばらしい水柱をあげてますよ! ちぇっ、いまいましいな、こんな鋼鉄船に縛りつけられて、手も足も出ないなんて」
「どうした、ネッド君」と私は言った。「昔のクジラ捕りのことが忘れられんと見えるね」
「クジラ捕りが、自分の古い商売を忘れられるもんじゃありませんよ。あんな感激が忘れられますか?」
「君はこの近海でクジラを捕ったことはないのか?」
「ありません。北の海ばかりでさ。ベーリング海や、デーヴィス海峡が舞台でした」
「じゃ、南方のクジラはまだ君にお目見えしていないわけだね。君がこれまで仕留めたのはグリーンランドのクジラで、そいつらは赤道の暖流を通過したことはないのだよ。クジラはその種類によって、一定の海洋に棲みつき、そこを立ち去らないものらしいよ」
「わしはまだ南の海ではクジラを捕ったことがありませんから、どんな種類のクジラが多いのか知りませんがね」
「そうだろう」
「じゃ、なおのこと、あんたの腕を見せてやらねばならんね」と、コンセイユが言った。
「ほら、ほら」と、カナダ人はまたも大声で叫んだ。「近づいて来ましたよ。本当にじらしゃがるな。あいつはわしがどうにもできないことを知ってやがるんだな」
ネッドは、地だんだ踏んでくやしがった。彼の手は、まるで銛をつかんでいるみたいに震えた。
「ここいらのクジラも、大きさは北方のクジラと同じでしょうか?」と彼はたずねた。
「まあ、大体同じだろうね」
「わしはずいぶん大きなクジラを――三十メートルもあるクジラを見ましたが、アリューシャン列島のハラモックとかアンガリックとかのクジラは、時とすると四十五メートルもあるって話ですぜ」
「それは少し大げさのようだね。このあたりのクジラは、マッコウのように、グリーンランド・クジラよりは、一般に小さいらしいよ」
「やあ! いよいよ近づいて来たぞ」海面から眼をはなさずにいたカナダ人は叫んだ。「奴らは、ノーティラス号と同じ潮に入ったぞ」
それからふたたび私との会話に帰って話をつづけた。
「先生は、いまマッコウを小さいとおっしゃったが、わしはとてもでかい奴の話を聞きましたぜ。奴らはなかなか利巧なクジラだそうですね。海草などを引っかぶって、島に見せかけてるのもいるって言いますよ。人間がその上にのぼって、腰をおちつけて、火を焚いて……」
「そして家を建てて――」とコンセイユがまぜっかえした。
「そのとおり。そしてある天気のいい日に、そのクジラは人を乗せたまま、海の底へ沈んでしまったとさ」
「なんだか、船乗りシンドバットの旅物語みたいだね」と、私は笑いながら口を入れた。
そのとき、ネッドが突然また叫んだ。
「やあ! 一頭じゃねえぞ。十頭――二十頭もいる――大群じゃないか! それでいながら、おれは何もできねえのか! 手も足も出ねえのか!」
「じゃ、ネッド君、奴らを追撃したいって、艦長に、願い出てみたらどうだね?」と、コンセイユが言った。
コンセイユの言葉が終るか終らないうちに、ネッド・ランドは階段を駆けおりて、艦長を探しに行った。しばらくすると、二人は一緒に甲板に上って来た。
ネモ艦長は、ノーティラス号から一マイルほど離れた海面を遊弋《ゆうよく》しているクジラの群を、じっと見ていた。
「あれは、南方クジラだ」と、彼は言った。「しかも全艦隊そろって行進している」
「それでですね、艦長、わしは昔の銛撃ち商売を思い出したんですが、奴らを追っかけることを許して預けないでしょうか?」と、カナダ人は艦長に頼んだ。
「何のために?」と、ネモ艦長は言った。「ただ殺すだけだろう! 艦にはクジラの油なんか少しも要らんよ」
「でも、紅海ではジュゴン狩りを許してくださったじゃありませんか」と、カナダ人は言いつづけた。
「あのときは、艦員に新鮮な肉を食わせたかったからだよ。しかし、この場合は殺生のための殺生だからな。それは人間に与えられた特権かもしれんが、わたしはそんな慰みには賛成できんよ。南方クジラは、グリーンランド・クジラ同様無害のクジラだからね。それを殺すのは罪だよ。ランド君、バフィン湾のクジラは、すでに全部君たちのために根絶やしされてしまったそうじゃないか。有用な動物の一種族が全滅してしまったのだ。かわいそうに、見逃してやりたまえ。クジラは君が手を下さずとも、マッコウやカジキトオシやノコギリザメなどのような自然の強敵を、たくさん持っているんだからね」
艦長の言葉は正しかった。これらの捕鯨者の野蛮な、無思慮な貪欲は、やがては海洋のクジラを絶滅させてしまうかもしれないのだ。だが、艦長の言葉を聞くと、ネッド・ランドは、口笛で『ヤンキー・ドゥードル』を吹きながら、両手をポケットに突っこんで、私たちの方へ背を向けてしまった。ネモ艦長はクジラの群をながめていたが、私を振りかえって言った。
「クジラは人間と戦わなくても、自然の敵をたくさん持ってると言いましたが、あのクジラの群も、まもなくそれらの敵と戦わねばならないでしょう。ほら、あの二キロばかり風下に黒いものが動いているでしょう?」
「ええ、艦長」と、私は答えた。
「あれはマッコウですよ――実に恐ろしい奴です。わたしは、奴らが二、三百も隊をつくって来るのに出会ったことがありますが、まったく狂暴無類な動物で、奴らこそ絶滅させてもいいやつですよ」
この最後の言葉を聞くと、カナダ人は急に振り向いた。
「じゃ、艦長、まだ間に合いますから、ひとつあのクジラに加勢してやりましょう」
「人間が危険を冒すには及ばんよ、ノーティラス号が片づけてくれるだろう。ランド親方の銛に劣らぬ鋼鉄の衝角を持っているからね」
カナダ人は、馬鹿にしたように、肩をすくめた。衝角でクジラを突くなんて、私も聞いたことのない話だった。
「しばらく待ってください、アロンナクスさん」と、ネモ艦長は言った。「これまでごらんにならなかったものをお見せしますから。わたしたちは、あんな獰猛な奴には、同情なんか持てません。奴らは口と歯ばかりの動物ですよ」
口と歯ばかり! 時として長さ二十二メートルもあるこの頭でっかちのマッコウクジラを、これほどうまく形容した言葉はあるまい。全身の三分の一は、その巨大な頭なのである。彼らは、上顎にただクジラ鬚を持っているだけの、普通のクジラと違って、長さいずれも二十センチ、重さそれぞれ一キログラムもある、さきの尖った円錐形の、二十五本の歯で武装している。そして、その巨大な頭の上部、軟骨で仕切られた大きな窩腔《こうこう》には、鯨脳油と呼ばれる貴重な油が三百キログラムから四百キログラムも入っているのである。とにかく、このマッコウという奴は、非常に無気味な恰好をしていて、フレドルの記録によると、魚というよりもむしろ巨大なオタマジャクシに近く、とても不恰好で、左側は全部『退化』しており、右の眼しか見えないのである。
ところで、その恐ろしいマッコウの一隊は、私たちの方に刻々近づいて来た。彼らはクジラの群を見つけると、さっそく攻撃準備にとりかかった。この一戦でマッコウが勝つことはあらかじめわかっていた。彼らは相手のクジラよりも攻撃武器において優れているだけでなく、水中にずっと長時間潜っていることができるからだった。クジラの救援におもむくなら、今だった。ノーティラス号は、ただちに水中に潜没した。コンセイユとネッド・ランドと私は、広間の窓の前に陣取り、ネモ艦長は展望室にはいって自ら舵をとった。まもなく推進器が激しく回転し、速力の増して行くのがはっきり感じられた。ノーティラス号が現場に着いたときは、マッコウとクジラの戦闘は、すでに開始されていた。最初のうち彼らは、新しい怪物が戦闘に加わったのを見ても、大して気にとめないらしかったが、そのうちに彼らもノーティラス号の攻撃に備えなければならなくなった。
なんというものすごい戦闘! ノーティラス号は、まるで艦長の手で振りまわされる恐ろしい銛そのものだった。艦は、肥った敵に体当りを食わせると、それを真っ二つに切断して、その間を突き切った。艦は、恐ろしい尾鰭の打撃をうけても、びくともしなかった。一頭をたおすと、すぐつぎの一頭に飛びかかり、あっという間に相手を屠《ほう》って、ただの一頭ものがさなかった。艦は前後左右に舵を転じ、マッコウが水中に潜れば艦も潜航し、海面に浮かべば艦も浮かび上る、といった調子で、縦横に突進し、四方八方になぎ立てた。海面は、この凄惨な殺戮に波立ち、これらの怒れる動物に特有の鋭い咆哮と荒い鼻息でみたされた。
この大仕掛けの虐殺は、一時間ほどつづいた。その間、マッコウは幾たびとなく十頭ないし十二頭ぐらい一緒になって、その重量でノーティラス号をおしつぶそうと、飛びかかって来た。そのたびに、窓ガラスの向こうには、鋭い歯の生えた彼らの巨大な口や恐ろしい眼が見られた。ネッド・ランドは、我慢ができず、しきりに彼らに悪口をあびせかけた。マッコウは、野猪に吠えつく犬みたいに艦にからみついて来たが、ノーティラス号は平気で推進器を回転させながら、彼らをあちこちと追いたて、あるいは海面へ狩り出した。こうして、ついにマッコウの一団は全滅し、荒れ狂った波もふたたび静まって、船は海面に浮かび上った。
昇降口が開かれると、私たちは急いで甲板に上って見た。艦の周囲には、大きな瘤《こぶ》のいっぱいできている、青味をおびた背と白い腹をした、巨大な死体がいちめんに浮かんでいた。中には、おびえて水平線の彼方へ遁走したマッコウも幾頭かはあった。波は数キロのあいだ真っ赤に鮮血で染まり、ノーティラス号は血の海の中に浮いていた。まもなくネモ艦長が上ってきた。
「どうだね、ランド君?」
「いや、まったくすごい見ものでしたよ。しかし、わしは屠殺者じゃありません、漁師ですよ。あれは実際ただの屠殺ですな」と、カナダ人は答えた。
「獰悪な動物に対する虐殺さ。ノーティラス号だって、屠殺者じゃないよ」と、艦長はいった。
「わしは銛のほうがいいですね」と、カナダ人はなおも抗弁した。
「誰だって、自分の方法がいいと思うものさ」艦長は、ネッド・ランドを見つめたまま答えた。
私は、ネッドが何か不幸な結果を引き起すような乱暴なことをしでかしはしないかと、はらはらして見ていたが、彼の怒りは、その時ノーティラス号の行手に浮かび上った二頭のクジラを見て、まぎらわされたらしかった。そのクジラはマッコウの歯をのがれることができなかったと見え、重傷を負っていた。それは頭が平らで、全身真っ黒なところから見て、すぐ南方クジラであることがわかった。解剖学的には、白クジラやノース・ケープ・クジラと違って、頸の椎骨が七本あり、肋骨が二本だけ多かった。この不幸なクジラは、横向きになって浮かんでいたが、脇腹を噛み破られて瀕死の状態に陥っていた。その切断された鰭から一匹の仔クジラがぶら下っていたが、これも助かる見込みはなかった。大きく開いた口からは、ちょうど岸に打ちよせる波のように、海水が出たり入ったりしていた。
ネモ艦長は、このクジラの死骸に艦を近づけた。二人の艦員がクジラの脇腹に乗り移ったが、驚いたことに、彼らはその胸から、約二、三トンのミルクをしぼり取った。艦長はまだ温かいミルクを一杯、私にすすめた。私は思わず顔をそむけずにはいられなかった。だが、艦長が牛乳と少しも違わないからと言うので、思い切って一口飲んでみたが、なるほど艦長の言うとおりだった。それはバターやチーズにして貯蔵され、その後たびたび食卓を賑わすことになった。
その日以来、ネモ艦長に対するネッド・ランドの敵意は、ますます激しくなったようであった。私は不安を感じ、それとなく、このカナダ人の挙動に注意を怠るまい、と決心した。
十三 氷山
ノーティラス号は、西経五〇度の子午線に沿い、かなりの速力で、南をさして航進をつづけた。艦長は本当に南極に行くつもりなのだろうか?
私には信じられなかった。なぜなら、これまで南極に達しようとした企ては、一つとして成功したためしがないからだ。それに季節ももうおそすぎた。南極地方の三月十三日は、北半球の九月十三日に相当し、どちらも彼岸の初めに当っていた。三月十四日に、私は南緯五五度の辺で、はじめて流氷を見た。それは長さ六メートルから、八メートル近くもある蒼白い氷塊の破片で、それに波があたって、渦を巻いていた。
ノーティラス号は、依然洋上を走りつづけた。北極洋で捕鯨に従事した経験のあるネッド・ランドは、氷山を見慣れていたが、コンセイユと私は、どちらも初めてだった。
南の水平線上に、真っ白な光る帯が見えた。イギリスの捕鯨者はこれを『氷の閃光』と呼んでいるが、どんなに雲が出ていても、それははっきりと見え、氷山や流氷の存在を知らせてくれるのである。案のじょう、やや大きな流氷が霧の中からいくつも姿を現わしはじめた。これらの流氷群のなかには、ちょうど硫酸銅で条をつけたような、緑色の波形の縞の入ったものや、巨大な紫水晶のような光を放ったものもあった。また無数の面を持った水晶のようにキラキラ日の光を反射しているものや、大理石みたいに石灰質的な反射をにぶく投げているものもあった。南へ近づけば近づくだけ、これらのただよう氷の島は、数も大きさも増して行った。
やがて南緯六〇度まで来ると、艦の針路はまったくとざされてしまった。だが、ネモ艦長はすぐ氷の間に狭い水路を見つけて、そこへ大胆にすべりこんで行った。ノーティラス号はコンセイユが思わず見とれたほど、巧みな操縦ぶりで氷の中を通り抜けた。行手には見上げるような氷山や広大な氷原が涯しもなくつづき、その間を無数の浮氷が渦巻き流れている。温度はかなり低く、寒暖計は空気中で零下二度ないし三度を示したが、私たちはシロクマやアザラシの毛皮を温かくまとっていたし、ノーティラス号の内部は電熱で暖められていたので、どんな厳しい寒さにもたえられた。
それに、もっと凌ぎいい温度が欲しければ、海面下数メートルのところを潜航すればよかった。もう二カ月早かったら、こちらの緯度では四六時中昼であったろうが、この時はすでに一日のうち三、四時間は夜であった。もう少したつと、この南極地方には六カ月の長い長い夜がやって来るのである。
三月十五日、艦はニュー・シェトランド諸島やサウス・オークニー諸島の緯度圏内に入った。艦長の話によると、昔そこには無数のアザラシがすんでいたのだが、その後イギリスやアメリカの捕鯨業者が無茶苦茶に狩りつくし、成獣も幼獣もすべて虐殺してしまったので、今は一頭も存在しないとのことだった。
三月十六日の朝八時頃、ノーティラス号は五五度の子午線に沿って、いよいよ南極圏に入った。四面見渡す限り氷に囲まれて水平線も鎖されていた。しかし、ネモ艦長は水路を次から次へと発見して、艦を進めて行った。これらの新しい地域の壮観に、私がどんなに驚異の眼を見張ったか――それをここに表現することは難かしい。
回教の寺院や尖塔がそびえ立つ東洋の都市みたいな氷塊の大集団があるかと思えば、彼方には地球の大変動で倒壊した都市そのままの氷山があり、それらの光景が斜めに射す太陽の光線をうけて刻々と相貌を変え、また急に灰色の霧に包まれて吹雪の中に姿を没してしまうのだった。また時々、轟然たる響きを立ててそれらの氷山が崩壊し、ジオラマみたいに全体の景観を変えてしまうこともあった。
その間、幾たびも出口が見つからなくなり、今度こそ艦は氷にとざされたかと胆を冷したこともあったが、そのたびにネモ艦長は、彼一流の敏感な本能で、巧みに新しい水路を発見した。彼は、氷原に沿って走っている青い、細い、糸のような水流も、決して見のがさなかった。艦長はきっと以前にもこの南極の海洋に来たことがあるにちがいないと、私は思った。
しかし、三月十六日になると、氷原は艦の通路をまったく塞いでしまった。それは氷山自身が塞いだのではなく、広大な原野が寒さで凍結してしまったのである。しかしこうした障害にも、ネモ艦長は決して屈しなかった。彼は恐ろしい勢いでそれにぶつかって行った。ノーティラス号は氷塊の中に楔《くさび》を打ちこむように突入し、その恐ろしい破砕力で氷を砕きながら進んだ。氷の破片は空中たかく舞い上り、私たちの周囲に雷のように落下した。艦はその推進力で道を開くだけでなく、時にはその動力で自から氷原の上に乗り上げ、艦の重量で氷を砕くこともあったし、また時には氷の下に潜って、底から大きな穴をあけることもあった。
そのうちに激しい突風が濃霧を吹きつけて来て、甲板の端から端まで何も見えなくなってしまった。風は四方から吹きつけ、雪は甲板上に堆《うず》高く凍りついて、鶴嘴で道をつけねばならないほどになった。温度はずっと零下五度をつづけ、ノーティラス号の外観は、どこもかしこも氷で張りつめられてしまった。とうとう三月十七日には、幾たびも無駄な攻撃を試みたのち、ノーティラス号はまったく氷に閉じこめられてしまった。もう流氷もなく、浮氷もなく、氷原もなく、ただじっと動かぬ涯しもない氷の砦が、蜿蜒《えんえん》たる山脈をつくっていた。
「氷山ですよ!」と、カナダ人は私にささやいた。
これは、私たちの先輩であるすべての航海者にとってばかりでなく、ネッド・ランドにとっても、不可抗の障害であった。太陽は正午ちょっとのあいだ現われるだけで、ネモ艦長ができるだけ近く観測したところによると、艦の位置は西経五一度三〇分、南緯六七度三九分であった。私たちは南極の中心へさらに二度進んだわけである。
海面には、もうチラッとした光も見えなかった。あたりには、針のようにさきの尖った高さ六十メートルもある氷山があちこちにそびえ、斧でたち割ったような断崖が灰色の鈍い光を放っていた。この荒涼とした自然の表面には、時折りウミツバメやウミガラスの羽ばたきが、かすかに聞えるばかりで、身の引きしまるような厳粛な沈黙が支配していた。あらゆるものが――物音までが、凍りついていた。ノーティラス号は、この氷原の真只中で、一歩も進むことができなくなってしまったのである。
どんなに努力しても、どんなに強力な機関の力で氷を砕こうとしても、ノーティラス号はもう微動もしなかった。ふつうならば、進むことができなければ、引き返せばいいのだが、この場合は背後の道までがすっかり閉されているので、引き返すこともできなかった。ちょうど午後二時頃であったが、私たちが数分間停止している間にも、新しい氷が恐ろしい速さで艦の周囲に張りはじめ、ぐずぐずしていると艦そのものまでが完全に氷の虜となってしまう恐れがあった。
しかし、ネモ艦長はふだんよりもいっそう落ちついているように見えた。彼はしばらくあたりの情況を観察していたが、いきなり私の方を振り向いて言った。
「アロンナクス先生、あなたはこれをどうお考えになりますか?」
「すっかり氷に閉じこめられてしまったようですね、艦長」
「では、あなたは、このノーティラス号はもう動けない、とお考えなのですね?」
「少なくとも難かしいですね、艦長。第一、氷を割って進むには季節がもうおそすぎますよ」
「はは!」と、ネモ艦長は皮肉な調子で言った。「あなたは相変らずですな。いつも困難や障害のことしか眼につかないのですね。わたしは断言しますが、ノーティラス号はこんな氷原を脱出することなんか、なんでもないばかりかもっともっとさきへ前進するつもりですよ」
「もっと南へ?」私は思わず艦長の顔を見つめながら、訊きかえした。
「そうです。南極へ行くつもりです」
「南極へ!」私は、とても信じられないといった調子で叫んだ。
「そうです。南極へです」と、艦長は落ちついて答えた。「地球のすべての子午線が集まっている前人未到の極点へ行くのです。あなたは、わたしがノーティラス号を思いのままに動かすことができるのを、ご存じでしょう」
もちろん、私は知っていた。また、この人物が大胆で向こう見ずなことも知っている。しかし、南極の周囲を取りまいている、どんな剛胆な航海者をも寄せつけない多くの障害(南極探検が北極探検よりも遙かに困難なものとされている多くの障害)を征服しようなんて、狂人だけしか思いつかない、狂気の計画ではないか?
そのとき私の頭には、もしかしたらネモ艦長はこの前人未到の南極へ一度行ったことがあるのではなかろうか、という考えが浮かんだので、私はそのことをたずねてみた。
「いや、まだ行ったことはありません。これからご一緒に探検に行くわけです。他人が失敗したからって、わたしも失敗するとは思っていませんよ。わたしはまだ、南へこんなに遠くまで来たことは一度もありませんが、もっともっと先へ進むつもりです」
「艦長、わたしは、あなたを信じています」と、私は幾分皮肉な口調で言った。「前進しましょう。障害なんかなんでもありません。この氷山を砕いて進みましょう。それができなければ、ノーティラス号に翼をつけて氷山の上を飛び越しましょう」
「飛び越す? いや、それはできません。下を潜るんです」と、艦長は、落ちついて言った。
「下を潜る!」艦長のもくろみを察して、私は思わず叫んだ。ノーティラス号の恐るべき能力は、その超人的な計画でわれわれを救おうとしているのだ。
艦長は、半ば微笑しながら答えた。
「お互いにわかりかけてきたようですね。あなたはこの計画の可能性を理解してくださったようだが、わたしは成功を断言しますよ。普通の船にはできないことも、ノーティラス号にとっては何でもないのです。もし極地の手前に大陸があれば、艦は大陸の手前で停まらなければなりませんが、もし極地が海洋の中にあるなら、艦は必ずその極点まで行き着けるでしょう」
「行き着けますね。海面は氷結していても、深いところは凍らないわけですから。海水の密度は、氷点よりも一度高い場合に最大だという自然の法則によっても、それは想像されます。しかし、もしわたしの記憶に誤りがなければ、海面に出ている氷山の部分は、沈んでいる部分の四分の一だそうじゃないですか?」私は艦長の理論に引きずられながら言った。
「そのとおりです。海面上一メートルの氷塊は、海面下の部分が三メートルあるのが普通です。ですから、もしこれらの氷山が、海面上百メートルあるとすれば、海面下の部分は三百メートルぐらいでしょう。海面下三百メートルを潜ることくらい、ノーティラス号にとってはなんでもありませんよ」
「そりゃ、なんでもないでしょう」
「もっと深いところへ行けば、海水の温度が一定している場所だってあるのです。海面の温度が、零下三十度あろうが、四十度あろうが平気ですよ」
「なるほど、なるほど」と、私は元気づきながら答えた。
「一つだけ困ることは、数日間、換気できないことです」と、ネモ艦長はつづけた。
「そんなことですか。でもノーティラス号には、大きな気槽があるじゃありませんか。あれに空気をいっぱい入れておけば、要るだけの酸素を供給してくれるでしょう」
「ごもっともですが」と、艦長は微笑しながら言った。「そう行かない場合があるのです」
「どんなことですか?」
「たった一つ――これは充分あり得ることですが――もし南極が海だとすると、その表面は凍結しているでしょう。その場合、わたしたちは表面に浮かび上ることができないわけですよ」
「しかし、ノーティラス号には強力な衝角があるじゃありませんか。あれを斜めに氷原の底へぶっつければ、突き抜けられませんか?」
「やあ、これはどうも。今日はなかなかあなたは機略縦横ですな」と艦長は言った。
そこで、さっそくこの大胆な計画の準備がはじめられた。ノーティラス号の強力なポンプは、気槽に空気をいっぱい入れ、高圧力でそれを貯蔵した。四時頃、ネモ艦長は、甲板の昇降口を閉める命令を下した。私は、艦がこれから横ぎろうとする大氷山にちらっと最後の一瞥を投げた。天気は快晴で、大気は澄み渡り、温度は零下十二度であったが、風が凪いでいたのでこの温度はこたえられないほどではなかった。
ノーティラス号の艦員十人ばかりが、鶴嘴で艦の周囲の氷を砕いていたが、まもなく、艦は自由になった。私たちはみんな下におりた。水槽は、新しく注入された水でいっぱいになり、ノーティラス号はすぐ海中に沈みはじめた。私はコンセイユと一緒に広間に坐っていたので、開いた窓越しに南極洋の海底を見ることができた。
寒暖計は、次第に上昇して行った。ネモ艦長が予言したとおり、三百メートルほどのところでうねっている氷山の底が見えたが、ノーティラス号はなおも沈下をつづけて四百尋の深さまで達した。海面の水の温度は零下十二度であったが、ここでは十度しかなかった。いうまでもなく、艦内の温度は暖房装置で暖められていたので、それよりもずっと高かった。
「どうでしょう、通り抜けられますかね?」と、コンセイユが言った。
「大丈夫だと思うね」と、私は確信ある調子で言った。
この広々とした海中を、ノーティラス号は、南極に向って針路をとった。六七度三〇分から、南極の九〇度までは、なお二二度半、すなわち約五百リーグあるわけだった。ノーティラス号は、一時間二十六ノットの平均速力――急行列車の速力――で走っていたから、この調子で行けば、四十時間内に南極に達するはずであった。
その夜、しばらくの間、私たちは窓際から離れなかった。電灯に照らしだされた海は、ただ荒涼索漠を極め、この氷の下に閉じ込められた水路には、一匹の魚もすんでいなかった。艦は全速力で走っていた。それは長い鋼鉄製の艦体の震動からも察せられた。午前二時頃から、私は四、五時間休むことにし、中甲板を通って自室に帰ったが、ネモ艦長の姿は見えなかった。たぶん展望室にいるのだろう。
翌三月十八日の朝、私はふたたび広間に行ってみたが、計器を見ると、ノーティラス号は速度を緩めて、徐々に注意深く海面に向かっているようだった。私の心臓は急に鼓動が激しくなった。艦は水中から出て、広い海洋の大気を吸おうとしているのだろうか? だが、そう思ったとたんに、ノーティラス号は、どしんと揺れて、氷山の底に衝突した。そのものすごい音響から判断しても、それは非常に、厚いものらしかった。
その日ノーティラス号は幾度も上昇を試みたが、そのたびに頭上に天井のごとく横たわっている氷の障壁に衝突して、はたさなかった。その夜、私たちの状態には何の変化も起らなかった。氷は四、五百メートルの深さにも見られた。氷の厚さは明らかに減退しつつあったが、それでもなお、私たちと海面との間の氷の層はかなりの厚さをもっていた。時刻はちょうど八時であった。ノーティラス号の毎日の習慣に従うと、艦内の空気はすでに四時間前に換気されていなければならなかった。
その夜、私の眠りは苦しかった。希望と恐怖が、かわるがわる、私を訪れた。私は幾度も眼をさました。ノーティラス号の暗中模索は依然つづいていた。午前三時頃、氷山の比較的低い表面は、わずか十五メートルほどになったらしかった。今や私たちは、海面から四十五メートル離れているにすぎなかった。氷山は次第に氷原となり、山は平原となりつつあった。私の眼は圧力計から離れなかった。艦は海面に向かって斜めに上昇しつつあった。氷山は、上下とも長いスロープをつくって、一マイルごとに次第に薄くなりながら、延び広がっていた。ついに三月十九日、この記憶すべき日の朝六時に、広間の扉が開いて、ネモ艦長が姿を現わした。
「海へ出ましたよ」
彼は、ただ一こと、そう言っただけであった。
十四 南極
私は甲板に駈け上ってみた。なるほど、広々とひらけた海で、ただわずかに、ところどころ小さな氷塊が散らばり、流れ、ただよっているだけであった。空には鳥が飛びかい、水中には無数の魚類が泳いでいた。海水は海底の変化につれて紺青《こんじょう》から淡緑色に変っていた。寒暖計は摂氏三度を示していた。北の水平線には大氷山の長い列がぼんやり見えたが、私たちはその背後に閉じ込められているので、温度はかなり高く、春みたいだった。
「いよいよ南極にきたのでしょうか?」
と、私は胸をとどろかせながら、艦長にたずねた。
「まだわかりません」と、彼は答えた。「正午に位置の測定をしてみましょう」
「しかし、こんな霧の中で太陽が見えるでしょうか?」私は鉛色の空を見上げながら言った。
「ほんのちょっとでいいから、顔を見せてくれるといいのですがね」と、艦長は答えた。
南方十マイルばかりのところに、高さ百メートルばかりの孤島が見えた。暗礁があるかもしれないので、艦は用心の上にも用心しながら、その島に向かって進んで行った。一時間後に、私たちは島に着いたが、それからさらに二時間ばかり費してその島を一周した。それは周囲四、五マイルほどの小島で、せまい水路によって、かなり広大な陸地(おそらく大陸らしい)から切り離されていたが、陸地のはては見えなかった。
この陸地の存在は、モーリの説にある程度の証明を与えるように思われた。この聡明なアメリカ人は、南極と南緯六〇度との間には、北大西洋ではけっして見られない巨大な浮氷に蔽われた海があり、この事実から推して、南極圏はかなり広大な大陸を包容しているものと見ていい(なぜなら、氷山は外海でできるものではなく、海岸で形成されるものだから)と結論した。
この推定に従うと、南極を取りまいている氷の堆積は、周囲少なくとも四千キロからある。大きな縁無し帽を形成しているわけである。しかし、ノーティラス号は擱座することを恐れて、大きな岩山のそびえている小島から三百尋ばかりのところに停った。ボートがおろされ、艦長と二人の部下と、それからコンセイユと私が、乗りこんだ。ちょうど朝の十時であった。ネッド・ランドの姿は見えなかった。このカナダ人は、明らかに南極を発見することなんかに興味をもっていないらしかった。ボートはすぐ砂浜に着いた。コンセイユがあわてて岸へ飛び上ろうとしたので、私はそれを引きとめて、艦長に言った。
「さあ、艦長、この陸地に最初に足をつける名誉はあなたにあります」
「ありがとう。わたしが躊躇せずにこの南極に上陸するのは、これまでこの土地には誰も足跡を印さなかったからです」
こう言いながら、艦長は身軽に砂浜の上に飛びおりた。艦長の胸は感動で震えているらしかった。彼は、小さな岬の方へ傾斜している岩山の上に登り、腕を拱《こまぬ》きながら、黙って身じろぎもしなかった。五分間ばかり、われを忘れてうっとりしていた彼は、私たちの方を振りかえって言った。
「さあ、あなたがたも、上っていらっしゃい」
私は、コンセイユを連れて上陸したが、艦員二人はボートに残っていた。足もとの土は、砕けた煉瓦のような赤ちゃけた砂石や、火山岩や、溶岩や、軽石などのまじり合ったものだった。火山のためにできたものであることは、一見して明らかだった。ところどころに硫黄臭い細い煙が立ちのぼっていた。それは、四方数マイルの間に火山の姿こそ見えないが、地中の火がまだ爆発力を失っていないことを証明していた。われわれはジェームズ・ロスがこの南極大陸で、西経一六七度、南緯七七度三二分の地点に、エレバスとテラーの二活火山を発見したことを知っている。
この荒涼たる大陸の植物は、非常に貧弱なように、私には思えた。黒い岩にむした苔と、発育不良の硅藻類と、岸辺に打ち上げられた紫や深紅の名も知れぬ海草類だけであった。海岸には、小さなイガイやヨメガカサのような軟体動物が散らばっていた。私はまた、長さ三センチほどの無数のカメガイも見たが、それは全部クジラの餌食になるものだった。
植虫類では、ジェームズ・ロスが、南極洋で九百メートル以上の深海にも棲息していると言った、ある種のサンゴが見られた。また土の上には、小さなカワセミヒトデなども散らばっていた。しかし、生物がいちばん活躍しているのは、空中であった。幾百幾千という鳥が、羽ばたきしながら空を飛びかい、その鳴き声は耳を聾せんばかりだった。岩の上に群がっている鳥は、私たちが通っても少しも恐れず、しばらくすると私たちの足もとに、馴れ馴れしく近よって来た。
陸上では鈍重で不恰好だが、水中では非常に機敏なペンギンもいた、彼らは大集団をつくって、たえずガアガアわめきたてていた。アホウドリはその翼の広さが少なくとも四メートルはあって、海洋のハゲタカと呼ばれるにふさわしい姿で、悠々と空を飛んでいた。大きなウミツバメや、腹部が黒と白の縞になっている一種の小ガモ類もいた。ウミツバメの中には白っぽくて縁が鳶色をしている翼を持ったものがいたが、南氷洋特産の青色のものは、私がコンセイユに話したように、非常に油ぎっていて、フェロー諸島の現地民たちは、この鳥の死骸に灯心を植えつけて灯火をともすほどであった。
「こりゃ、まったくランプそっくりですね」と、コンセイユは言った。
半マイルほど進むと、あたりの地面はエリマキシギの巣で穴だらけで、その穴からたくさん鳥が飛び立った。ネモ艦長は、たちまちの間に、数百羽も仕留めた。これらの鳥はロバの鳴き声みたいな声をあげて鳴いた。大きさはガチョウぐらいで、背中が黒ずんだ青色をおび、腹部は白色で頸のまわりに黄色い線が入っていた。石を投げても、決して逃げようとしなかった。
しかし霧は一向はれ上らず、十一時になっても太陽は顔を見せなかった。太陽の出ないことは、私を不安にした。太陽が出なければ、方位を観測することは不可能だし、したがって、われわれが南極に達したかどうかを、確かめることもできないからだった。私はネモ艦長に追いついたが、彼は岩角にもたれて黙って空を見上げていた。どうやら艦長も途方にくれているらしかった。どうすればいいか、さすがに向こう見ずなこの豪気な人物も、海と太陽だけは自由にすることができなかった。
正午になっても、太陽はとうとう顔を出さなかった。霧のとばりに妨げられて、私たちはその位置さえ見定めることができなかった。そのうちに霧が雪に変った。
「明日まで待ちましょう」と、艦長は落ちついて言った。
私たちは、この荒模様の天候の中をノーティラス号へ引きかえした。
吹雪は翌日までつづいた。とても甲板の上には出ていられなかった。広間でこの南極探険中に起った出来事を記録していると、激しい吹雪の中で戯れているウミツバメやペンギンの鳴き声が聞こえた。ノーティラス号は、そのまま碇泊していることをやめて、吹雪の中を海岸に沿って南へ十マイルほど進んだ。
翌三月二十日は、雪は止んだが寒さが少し加わって、寒暖計は零下二度を示した。霧がはれかかっていたので、この分では観測ができるかもしれないと思った。ネモ艦長は姿を見せなかったので、コンセイユと私だけが、ボートに乗って上陸した。地質は前日と同じように火成岩で、いたるところに熔岩や焼石や玄武岩の痕跡があった。しかし、これらの火成岩を噴出した噴火口は見えなかった。
南に下るに従って、この大陸には無数の鳥が棲息していたが、今日は鳥類のほかにいろいろな海獣が大群をなして、やさしい眼で私たちを見つめているのにも出会った。それは主に各種のアザラシで、地面に寝そべったものや、氷上にうずくまったものもいたが、多くは海中に飛びこんだり、這い上ったりしていた。彼らは人間と出会ったことがないと見えて、私たちが近づいても、けっして逃げようとしなかった。これを全部捕えれば、船にして数百隻分の食糧になるぞ、と私は思った。
「先生、この連中は何ですか?」と、コンセイユが訊いた。
「アザラシとセイウチだよ」と、私は答えた。
ちょうど朝の八時だった。太陽が見られるまでには、なお四時間あった。私は花崗岩の断崖にかこまれた、広い入江の方へ進んで行った。地面も氷も、無数の海獣で隙間もないほど蔽われていたが、中でもアザラシが一番多く、他の海獣と離れて集団をつくり、父親はその家族を護り、母親は仔を育てていた。
幼獣の中には、すでに二、三歩あるけるほどの大きさのものもいた。彼らが場所をかえようとするときは、身体を縮めて飛んだ。彼らは、その生活の本城である水の中では、水掻きのついた脚で巧みに泳いだし、また陸上で休息しているときは、非常に優美な姿態をしめした。昔の人々は、絶世の美女もおよばぬその優しい表情的な顔立と、その澄んだ情熱的な眼と、美しい姿と、詩的な所作を見て、その雄を半人半魚《トリトン》に、雌を人魚《マーメイド》にたとえたものである。
私はコンセイユに、これらの動物の脳組織がかなり発達していることを教えた。人間をのぞけば、アザラシほど脳の発達した動物はいず、適当に仕込めば、馴らすことも容易なので、ある博物学者が言ったように、立派な海の猟犬として役立つにちがいない。彼らの大部分は岩や砂の上で眠っていた。これらのアザラシ中にはいろいろな種類があって、身長が三メートルもあり、皮膚が白くてブルドッグのような頭をもったものもいた。またアザラシの一種で、セイウチと呼ばれる脚の短い柔軟な体躯のものもいて、のそのそとそこらを歩きまわっていた。セイウチの大きなものは、胴回りが六メートル、身長十メートルもあったが、彼らは私たちが近づいても動かなかった。
「この動物は危険じゃありませんか?」と、コンセイユがたずねた。
「いや、こっちから攻撃しなけりゃ、危険なことはないよ。ただ、子供を捕ろうとすると、それこそ大変なことになる。漁船ぐらい木端微塵にしてしまうそうだ」
「そりゃ当然ですね」と、コンセイユは言った。
さらに二マイルほど進むと、入江の南に突き出て、南風を防いでいる岬の近くに出た。と、不意にその岬の向こう側から、一群の牛の咆えるような声が聞こえて来た。
「おや! 牛の合唱かな」と、コンセイユが言った。
「いや、あれはセイウチの合唱だよ」
「喧嘩でもしているんでしょうか?」
「喧嘩もしているだろうし、ふざけてもいるだろうよ」
私たちは黒い岩の上に登りかけたが、石の上には氷が張っているのと、さきが見えないため、幾度もすべって転んだ。コンセイユの方は、用心深いため、一度も転ばなかった。彼は私を助け起しながら言った。
「もっと、歩幅を広くして歩かれれば、転ぶようなことはありませんよ」
岬の頂上に達して、見おろすと、白く雪のつもった広大な平原に、セイウチがいっぱい群がっていた。彼らは互いにふざけ合っていた。私たちが聞いたのは、喧嘩の咆え声ではなく、歓声だということがわかった。
そばを通り過ぎても、ぜんぜん逃げないので、私はこの珍しい動物を仔細に観察することができた。彼らの皮膚は厚くて皺だらけで、赤味をおびた黄色をしており、毛は短くてまばらだった。中には、身長が四メートルにおよぶものもいた。北極のセイウチよりも臆病でなく、落ちついていて、その周囲に見張りを置くようなこともしなかった。このセイウチの大群を視察してから、私は帰ることを思い出した。ちょうど十一時であった。
ネモ艦長の天測に私も立ち会って助言したかったからだ。私たちは、嶮しい海岸の断崖づたいに細い道を通って帰途につき、十一時半に上陸地点に帰り着いた。艦長はもうボートで来ていた。彼は玄武岩の上に立って、かたわらに六分儀をおき、ちょうど太陽が長いカーヴを描いているはずの北の水平線をじっと見つめていた。私は彼のそばに立って、黙って待っていた。
正午になったが、太陽はやはり姿を見せなかった。天測はまたも失敗に終ったのだ。万一明日も駄目なら、われわれは観測を断念しなければならないのである。その日はちょうど三月二十日であったから、明日は春分にあたるわけである。太陽はその日から六カ月間水平線下にかくれて、南極では長い夜が始まるのだ。そして九月の秋分になると、太陽はふたたび北方の水平線上に現われ、十二月二十一日まで上昇をつづけ、北半球の夏至にはその頂点に達するが、それからふたたび下り始める。明日はその最後の光を南極圏に投げる日であった。私は自分の恐怖と考えをネモ艦長に告げた。
「おっしゃるとおりです」と、艦長は言った。「もし明日太陽の高度を測ることができなければ、あと六カ月間は駄目です。しかし、偶然にもわたしは三月二十一日にこの海に来たので、もし正午に太陽を見ることができれば、われわれの位置は、容易に測定されるでしょう」
「なぜですか、艦長?」
「太陽が細長いカーヴを描いているときは、水平線上の高さを正確に計ることは困難だからです。計器を使っても大きな誤差を生ずるおそれがあるのです」
「では、あなたはどうなさるのですか?」
「時辰儀を使います。もし明日、つまり三月二十一日に、太陽が北の水平線で等分されれば、われわれは南極にいるわけですよ」と、ネモ艦長は答えた。
「そうですか、しかし、それは数学的には正しくありませんね。なぜなら、春分は必ずしも正午に始まるとは限りませんからね」
「そりゃそうです。しかし、その誤差は百メートルとちがいませんよ。そのくらいはやむを得ません。ではまた後ほど――」
ネモ艦長は、艦に帰って行った。コンセイユと私は、なおものこって海岸を調査し、五時まで視察と研究をつづけた。やがて帰艦して寝床に入ったが、その晩私はインド人のように、輝かしい太陽の恵みを祈らずにはいられなかった。
次の日、三月二十一日は午前五時に起きて、甲板に出てみると、すでにネモ艦長が立っていた。
「空が少し明るくなってきましたね。望みがありますよ。朝食をすましたら、海岸に行って天測の場所をきめましょう」と、艦長は言った。
私はネッド・ランドも一緒に連れて行きたいと思って、彼を探した。しかし、カナダ人は相変らず頑固にそれを拒んだ。彼は日増しに無口になり不機嫌になっていた。だが、こんな場合にまで強情を張るのは、少しわからなすぎると、私は思った。朝食がすむと、私たちはすぐボートに乗って、海岸に行った。ノーティラス号は夜の間に数マイル沖の方へ移動し、海岸から四キロほどのところに投錨していた。海岸のうしろには、高さ五百メートルばかりのかなり嶮しい山がそびえていた。ボートには私たちとネモ艦長と二人の艦員が乗り込み、時辰儀や望遠鏡や気圧計などの器械を積みこんだ。
走るボートの中から、私は南極洋特有の三種類のクジラがたくさん泳いでいるのを見た。クジラ、もしくはイギリスでいう『マクジラ』には、背鰭がなかったが、『ザトウクジラ』は凹んだ胸と大きな白い鰭をもっていた。最も元気なクジラは、黄色がかった鳶色の背鰭をもっていた。この巨大なクジラは、煙がとぐろをまくような、すばらしい高い水柱をあげるので、遠くの方からでも見ることができた。これらの三種類のクジラは、それぞれ隊伍を組んで、静かな海面を遊弋していた。この南極の内海は、クジラにとっては捕鯨者の追撃をのがれる絶好の隠れ場所であった。私はまたアシの中に漂っている大きなクジラを見つけた。
九時に、私たちは上陸した。空は明るくなり、雲はちぎれて南へ飛び、霧も冷たい海面から離れかけていた。ネモ艦長は、もちろん山の頂上で観測するつもりなのだろう。山頂さして登りはじめた。大気の中には煙といっしょに亀裂から立ちのぼる硫黄の臭気がただよっていたので、嶮しい熔岩や軽石岩をよじ登るのは辛かった。だが、陸地の歩行に慣れない艦長が、猟師も羨むほどの軽快さで嶮しい傾斜を登って行ったのには驚いた。
二時間かかって私たちは、なかば斑岩、なかば玄武岩から成る岩山の頂上に達した。そこから広い海を見渡すと、北方にはくっきりと大空の境界線が眺められ、足もとには真白な雪の平原がまばゆく横たわっていた。頭上の空は、霧がはれて、青空がのぞいていた。北方には、太陽が火の玉のように輝いて、すでに水平線上に浮かんでいた。ノーティラス号は、はるか遠くの海面に、クジラが眠ってでもいるように横たわっていた。私たちの背後の東南方には、広大な平地と、岩と氷の堆積がはてしもなくつづいていた。
頂上に着くと、艦長は観測するために、気圧計を使って、注意深く気圧を測った。やがて十二時十五分前、黄金の円盤のような太陽が、前人未到のこの荒涼とした大陸と海洋の上に、最後の光を投げかけた。ネモ艦長は、反射鏡で屈折を修正するようになっている望遠鏡で、長い弧を描いて水平線に沈んで行く太陽を観測した。私は時辰儀をじっと見つめた。心臓がどきどき鳴った。水平線で二分された太陽が、時辰儀の十二時に合致すれば、われわれは南極点に立っていることになるのだ。
「十二時!」と、私は叫んだ。
「南極点です!」と、ネモ艦長は、望遠鏡を私に手渡しながら、厳粛な声で答えた。望遠鏡をのぞくと、太陽は水平線によって正確に、二等分されていた。
最後の光線が峯を這い、その影が次第にスロープを登りかけていた。と、ネモ艦長は、私の肩に手をかけて、言った。
「われ、ネモ艦長は、一八六八年三月二十一日、南緯九〇度において南極に達し、既知諸大陸の六分の一に相当するこの地を占領せり」
「誰の名によってですか」
「わたしの名によってです」
そう言いながら、ネモ艦長は、金文字でNと染め抜いた黒色旗をそこに立てた。それから、最後の光線を水平線に投げている太陽に向き直って、彼は宣言するように言った。
「さらば、太陽よ! 消え失せよ。汝輝かしき太陽よ! 広き海の下に眠れ。そして六カ月にわたる長き夜をして、その影をわが新領土の上にひろげしめよ!」
十五 椿事《ちんじ》か事故か?
次の日、三月二十二日の朝六時、艦は出発の用意にとりかかった。薄明りの最後の光が消えて、次第に夜のとばりが濃くなってきた。寒さは鋭く、星座は光を増し、天頂には驚嘆すべき南十字星が燦然ときらめいていた。寒暖計は零下十二度を示し、風は肌を裂くように冷たかった。
広い海面は刻々氷にとざされて行った。無数の黒い斑点が、海面にひろがって行くのは、新しく氷が張って行くしるしだった。南極の海は、冬の六カ月間は完全に凍結し、どんなものも絶対に近よせないのだ。その間、クジラはどうしているか? むろん彼らは、氷山の下をもぐって、もっと適当な海を探して移動するのである。ただ、アザラシとセイウチだけは、厳しい風土に棲みなれているので、これらの凍結した海岸に居残るらしい。彼らは氷原に穴をあける本能をもっていて、その中に入って息をつくのである。寒さに追われて、多くの鳥までが北方へ移動しても、これらの海獣だけは、南極大陸の主として居残るのである。
やがてノーティラス号は、水槽に水を満たすと静かに沈みはじめ、海面下三百メートルのところで一時停止したが、すぐ推進器が波を打ちはじめ、艦は一時間十五ノットの速力で北方へまっすぐ進みはじめた。夜になると、艦はすでに巨大な氷山の真下にあった。
午前三時頃、私は激しい衝撃を感じて、眼をさました。私は寝台に腰かけて暗中に耳をすましたが、そのうちに、突然部屋の真中に投げ出された。ノーティラス号が、何かに突き当って激しくはねかえったのだ。起き上ると、私は手さぐりで広間に行って見た、広間には、いつものように天井から明るい電灯が射していたが、家具類は全部ひっくり返っていた。幸い、窓だけはしっかりしまっていた。右舷の壁の絵画は、まっすぐにかかっていずに壁紙にひっついていたし、左舷の壁の絵画は、少なくとも三十センチほど壁から離れてぶらさがっていた。ノーティラス号は、右舷に傾斜したまま動かなくなってしまったのだ。足音とガヤガヤいう声とが聞こえたが、ネモ艦長は姿を見せなかった。
広間を出ようとすると、ネッド・ランドとコンセイユがはいって来た。
「どうしたんだ?」と、私はすぐたずねた。
「わたしも、それをうかがいにあがったのです」と、コンセイユが答えた。
カナダ人は、いまいましそうに叫んだ。
「ちえっ! わかってますよ、衝突したんでさ。このあんばいじゃ、トレス海峡の時のように、うまい工合には行きませんぜ」
「しかし、海面に出ることはできたのだろう?」と私はたずねた。
「わかりませんね」と、コンセイユは答えた。
「それはすぐわかるよ」私は圧力計を調べながら答えたが、驚いたことには、圧力計は百八十尋以上の深度を示していた。私は思わず叫んだ。
「これは一体どうしたことだ?」
「ネモ艦長にきいてみましよう」と、コンセイユが言った。
「しかし、艦長はどこにいるんだ?」と、ネッド・ランドがたずねた。
「まあ、僕について来たまえ」と、私は二人に言った。
私たちは、広間を出た。図書室には誰もいなかった。艦員の寝室のそばの中央階段室にも、人影は見えなかった。ネモ艦長はきっと、展望室にいるにちがいないと、私は思った。待つよりほかなかった。私たちはふたたび広間に戻った。こうして二十分ほど待った頃、ネモ艦長がはいって来た。彼は私たちには気がつかないらしかった。その顔は、さりげない様子を装ってはいたが、明らかに不安の色が浮かんでいた。彼は黙って羅針盤を見つめ、それから圧力計を調べ、海図の前に行って、南極洋の一点に指をおいて、何か考えていた。
私は、彼の邪魔をしないように黙っていたが、数分たってから、彼が私の方を振りかえったのを見て、トレス海峡のとき彼が使った表現を真似て、たずねてみた。
「ちょっとした事故ですか、艦長?」
「いや、こんどは、不慮の事件ですよ」
「重大事件ですか」
「おそらく、そうだと思います」
「危いわけですか?」
「いや、そんなことはありません」
「ノーティラス号は坐礁したのですね」
「そうです」
「一体、どうしたのです?」
「人間の無知からではなく、自然の気まぐれからですよ。仕事の間違いからでもありません。しかしわれわれは、自然の均衡作用をどうすることもできません。人間の作った法律なら何とかならぬこともありませんが、自然の掟には逆らうことができませんよ」
ネモ艦長は、妙な機会をえらんで、こんな哲学を述べた。が、彼の答は、私にはよくのみ込めなかった。
「椿事の原因は何ですか」
「山のような氷塊が落下して来たんです。氷山が暖流のために底をくずされ、崩壊したのですね。これがまあ、原因なのですが、その氷塊の一片が落下するとき、ノーティラス号をかすめて船体の下にすべり込み、あまり深くない海底に沈んだので、その上にノーティラス号が乗り上げることになったのです。まったく不可抗力というほかありません」
「しかし、水槽の水を排出して、ノーティラス号を引き離すことはできないのですか」
「今、それをやってるところです。ほら、ポンプの音が聞こえるでしょう。圧力計の針をごらんなさい。ノーティラス号は浮き上がりつつありますよ。だが、それと一緒に氷塊がくっついてくるのです。障害物のために、浮揚を邪魔されている間は、艦の姿勢を変えることができないのです」
実際、ノーティラス号は、まだ右舷に傾いたままの姿勢だった。言うまでもなく、その氷塊がなくなれば、艦はまっすぐになるのだ。しかし、その瞬間、二つの氷塊にはさまれて、砕かれないともかぎらないのである。ネモ艦長は、圧力計を見つめたまま、動かなかった。と突然、艦がかすかに動いて、明らかに艦体が少し立ち直ったようであった。広間に懸っていたものも、次第に正常の位置に復しはじめた。
誰も黙っていた。胸をどきつかせながら、私たちはこの困難な事件の成り行きを見まもっていた。そのうちに甲板が水平になって、私たちはまっすぐに立つことができるようになった。十分間たった。
「とうとう、まっすぐになりましたね!」と、私は叫んだ。
「ええ」ネモ艦長は広間の扉口の方へ歩きながら言った。
「しかし、艦は中途に浮いているのですか」と、私は追いかけるようにたずねた。
「そうです。水槽がまだ空になっていませんのでね。空になれば、ノーティラス号はいやでも海面に浮き上りますよ」と、艦長は答えた。
艦は、広い海中に浮かんでいたが、左右十メートルほどの距離には眩しい氷の絶壁がそびえていたし、また上にも下にも同じような氷の壁があった。上のは大きな天井のように私たちの頭上に蔽いかぶさっている氷山の底で、下のは落下した氷塊が左右の壁にひっかかって、そこに居すわってしまったのだ。
ノーティラス号は、二十メートルほどの幅をもった、静かな水をたたえている、完全な氷のトンネルの中に閉じこめられてしまったのである。しかし、前後には容易に動くことができ、数百メートル深く根をおろしている氷山の下を自由に通ることはできた。天井の電灯は消されていたが、広間の中は強烈な光で眩しいほど明るかった。それは探照灯の光が氷の壁にあたってはねかえる強力な反射のためであった。気まぐれに断ち割られたさまざまな大氷塊に反射する電灯の光のすばらしさ、美しさは、とうてい筆舌の及ぶところでなかった。探照灯の光力は、一流の灯台の水晶板を通す光のように、百億にも増大されたように見えた。
「なんという美しさでしょう! なんという美しさでしょう!」と、コンセイユが言った。
「まったく、すばらしい光景じゃないか、ネッド君?」と、私はネッド・ランドを振りかえって言った。
「そうですね。たしかに、こりゃすばらしいですね。誰だってこんなものを見たことはないでしょう。しかし、この眺めはわしたちには高いものにつきそうですね。ざっくばらんに言やあ、わしは神様が決して人間に見せようとは思わなかったものを見たような気がしますね」と、ネッド・ランドは答えた。
ネッドの言うとおりだった。それはあまりに美しすぎた。突然コンセイユが叫んだので、私は振りかえった。
「どうしたんだ」
「眼をおつむりなさい。先生、見てはいけません」
そう言いながら、コンセイユは、両手で眼を蔽った。
「しかし、一体どうしたと言うんだ?」
「まぶしくって、眼がつぶれそうです」
私は無意識に窓ガラスの方を振りかえって見たが、ガラスのおもては炎々と焔が燃えているようで、それを直視することができなかった。私にはすぐその訳がわかった。ノーティラス号が全速力を出したのだった。それと同時に、今まで静かな光をおびていた氷壁が、たちまち焔の光に変じ、無数のダイヤモンドから発する焔の光で、あたりが何もかもわからなくなってしまったのだ。私たちはしばらくの間、眼さきがちらついて、何も見ることができなかった。
「実際これは、とても信じられないことです」と、コンセイユは言った。
ちょうど朝の五時だった。その時、また突然ノーティラス号の艦首に衝撃が感じられた。艦の衝角が氷塊にぶつかったにちがいない。これはきっと操縦を誤ったのだろう、というのは、この海中トンネルの航海は、氷塊に邪魔されて、容易ではなかったからだ。だが、おそらく、ネモ艦長はその針路を変えて、障害物を避けるか、それとも曲りくねったトンネルの壁に沿って進むかするだろう。
いずれにしても、私たちの行手は全然閉されているわけではあるまい、と私はおもった。が、私の予想に反して、ノーティラス号は、突然逆行を開始した。
「後戻りしていますね」と、コンセイユが言った。
「そうだね、このトンネルの端に、出口がなかったのかもしれない」と、私は答えた。
「すると、どうなるのでしょう?」
「そうなれば、後戻りして南へ出るほかあるまい。それだけだよ」
ノーティラス号は推進器を逆転させながら、全速力で逆行をはじめた。
「弱ったことになりそうですね」と、ネッドが言った。
「とにかく、ここを出るにしても、数時間はおくれることになるだろう」
私は立って、広間から図書室へ行った。私の二人の仲間は黙りこんでいた。私はすぐ長椅子に身を投げかけ、手近の書物を取り上げて機械的に読みはじめた。十五分ばかりすると、コンセイユが近づいて来て言った。
「先生、何か面白い本ですか?」
「とても面白い本だよ」と、私は答えた。
「それはそうでしょうよ。先生ご自身の書かれたご本ですもの」
「僕が書いた本?」
なるほど、私が手にしていたのは、自分の著書の『大海底の神秘』だった。それにちっとも気がつかなかったのである。私は本を閉じて、ふたたび歩きはじめた。ネッドとコンセイユも、立ち上ってついて来た。
「まあ待ちたまえ。やっぱりここにいて、この氷塊を脱け出るまで、待つことにしよう」と、私は二人に言った。
「先生のご自由に」と、コンセイユは答えた。
数時間経過した。私は広間にかかっている計器を何度もながめた。圧力計は、ノーティラス号がたえず三百メートル以上の深さにいることを示したし、羅針盤は依然として南を指していた。測程器は時速二十ノットという、こんな狭い場所としてはかなりの速力を示していた。しかし、ネモ艦長は、この場合どんなに急いでも急ぎすぎるということはないこと、いまは数分が数年に当ることを、知っていたのだ。
八時二十五分に、こんどは艦尾の方に、第二回目の衝撃が感じられた。私は真っ青になった。ネッドとコンセイユは私のそばに身をすりよせた。私は思わずコンセイユの手をにぎった。私たちの顔色は、言葉よりもはるかによく心中の感情をあらわしていた。そのとき艦長が広間にはいって来たので、私は駈けよってたずねた。
「南方も塞がったのですか?」
「そうです、氷山の位置が変って、すべての出口が塞がれてしまったのです」
「では、わたしたちは完全に封じ込められてしまったわけですね?」
「そうです」
十六 空気の欠乏
こうしてノーティラス号の周囲は、上も下も隙間のない氷の壁に取りかこまれ、私たちは完全に氷山の虜となってしまったのである。私は艦長の顔を見つめた。が、彼の表情は、もういつもの平静を取り戻していた。
「みなさん、今わたしたちは二つの死に直面しているわけです。(この困惑した人物は数学の教師が生徒に講義するような態度で話しはじめた)第一は押しつぶされて死ぬか、第二は窒息して死ぬかです。餓えて死ぬようなことはないでしょう。ノーティラス号の食糧準備は、思ったより永続きしそうですから。運を天に任せることにしましょう」
「窒息の恐れはありますまい、気槽にいっぱい空気があるじゃありませんか」と、私は言った。
「それも、しかし、二日間しか支えられません。もう三十六時間も水中にいたので、そろそろ艦内の空気を換気しなければならなくなっているのです。四十八時間のうちには、その貯蔵もつきてしまうでしょう」
「でも、艦長、わたしたちは、あと四十八時間のあいだにのがれ出ることができるでしょうか?」
「とにかく、この周囲の氷壁を突き破ることにしましょう」
「どの方面を破るのですか」
「わたしは擱座しているノーティラス号をもっと低いところにおろして、氷山の一番薄い側を破ってみるつもりです」
ネモ艦長はこう言って、出て行った。まもなく、水槽に海水の奔入する音が聞えた。ノーティラス号は、静かに沈んで行って、深さ三百二、三十メートルのところにある氷上に横たわった。
「こと重大な場合だから、君たちも大いに元気を出して働いてくれたまえ」と、私は二人の仲間に言った。
「承知しました。みんなの助かるためなら、どんなことでも働きますよ」と、カナダ人は答えた。
「ネッド君、よく言ってくれた」と、私はカナダ人に手をさし出した。
「もし、艦長の役に立つなら、鶴嘴を銛のように使って見せますよ」と、彼はつづけた。
「それを聞いたら、艦長もきっと喜ぶだろう。一緒に行ってみよう」
私はノーティラス号の艦員が潜水服を着ている部屋へネッドを連れて行った。艦長にネッドの申し出を告げると、艦長も喜んで承諾した。
カナダ人はさっそく潜水服に着替えて、身支度をととのえた。ネッドが準備をしている間に、私はふたたび広間に引きかえした。そして、窓際のコンセイユのそばに席を占めて、ノーティラス号を支えている氷の床を観察した。
しばらくすると、十二人の艦員が氷上におり立つのが見えた。その中にネッド・ランドも混っているのが、身振りですぐわかった。ネモ艦長もいっしょだった。作業をはじめる前に、艦長はまず測量にとりかかった。長い測鉛線が側方の氷壁の間に沈められたが、十五メートルばかりで、それは厚い氷壁に触れて止った。艦長は、さらに下方の氷の厚さを測ったが、そこは十メートルほどの氷壁が、私たちを海水からへだてていた。そこで、ノーティラス号を通す穴を掘るには、どうしてもそこの部分を六千立方メートルばかり切り取る必要があった。
作業は直ちに開始された。艦長は、ノーティラス号の周囲を困難な思いをして掘るよりも、左舷から八メートルほどのところに、大きな壕を掘ることにした。やがて艦員たちは、手に手に螺旋推進器をもって、その円周の数カ所でいっせいに仕事にかかった。まもなく、鶴嘴がきめの細かい氷に元気よく打ちこまれ、大きな氷片が切り離された。重力の関係で、水よりも軽いこれらの氷片は、トンネルの天井に浮かび上って、下方の氷が薄くなると同じ比例で上部の天井が厚くなって行った。が、下方の氷が薄くなりさえすれば、そんなことは問題ではなかった。
二時間ほど激しい労働をつづけた後、ネッド・ランドたちはすっかり疲れきってかえって来た。そこで新手の組が代って働くことになったが、それにはコンセイユも私も加わり、ノーティラス号の副長が私たちを監督した。
水はとても冷たかったが、鶴嘴を振るっているうちに暖かくなってきた。二時間働いた後、私たちは食事と休息をとるために艦に戻ったが、艦内に入ると、潜水用気槽の供給する純粋な空気と、すでに炭酸化しているノーティラス号の空気との間には、著しい相違のあることがわかった。艦内の空気は、もう四十八時間換気を行っていない上に、その補給力もかなり弱っていた。
しかし、それから十二時間たっても、私たちはわずかに厚さ一メートルの氷片を掘り取ることができただけであった。これだけの仕事に十二時間要するとなると、この作業を完全にやり遂げるには、少なくとも四日五晩かかるわけである。四日五晩かかっては大変だった。気槽には、もう二日間の空気しかないのだから。
結局私たちは、ノーティラス号が海面に浮揚しないうちに窒息してしまうのではなかろうか? なにもかも一緒に、この氷塚の中で朽ち果てるように運命づげられているのではなかろうか? 情勢は切迫していた。全員の表情は緊張して、誰も最後の瞬間まで奮闘する決意を示した。
予期したように、その夜は、一メートル四分の一ほどの氷塊が新しく掘り出され、さらに大きな穴があけられたが、次の朝、コルクジャケットを着て、零下六、七度の海中を横ぎったとき、ふと私は周囲の氷壁が次第にせばまって来ているのに気がついた。壕から一番遠い海水が徐々に、凍りはじめて来たのだ。これは新しい危険だった。もしこのまま進めば、私たちの助かる見込みはますます少なくなり、艦と氷壁との間の海水が凍結して、ノーティラス号は結局ガラスのように砕かれてしまうのではなかろうか?
私は、この新しい危険のことは、誰にも告げなかった。一生懸命に働いている人たちを落胆させるようなことは避けなければならない、と考えたからだ。しかし艦長には、帰艦するとすぐ、そのことを話した。
「それは、わたしも気づいていました」と、艦長は落ちついた調子で言った。「また一つ危険が増えたわけです。この上は一刻も早く、海水が凍結しないうちに、ここを脱出するほかありません。先手を打つ方法を講じるだけです」
その日、数時間、私は元気よく鶴嘴を振るった。この仕事は私を元気づけた。それに、作業中はノーティラス号を離れて、空気箱から新しい空気を吸うことができたので、気持もずっとらくだった。夕方までに、壕はさらに一メートル深く掘られた。だが、艦に帰ると、炭酸ガスで一杯になった汚れた空気で私は窒息しそうになった。この有毒なガスを除く何か化学的な方法はないものだろうか? 酸素はたくさんあるのだ。海水の中にも多量にふくまれているので、それを強力な電池で分解すれば、新鮮な空気を得ることだってできそうである。
私は、そのことを何度も考えてみたが、すでに艦内は至るところ私たちの排泄する炭酸ガスでいっぱいになっていたので、今さらどうすることもできなかった。夕方、ネモ艦長は気槽を開けて、新しい空気を少しばかりノーティラス号の内部に放出しなければならなかった。そうしなければ、私たちは、窒息をのがれることができなかったからである。
翌三月二十六日には、私たちは五メートルの深さから、ふたたび作業を開始した。左右の氷壁と氷山の底部は、眼に見えて厚くなってきた。ノーティラス号がここを脱出するまえに、周囲が凍結してしまうことはもう明らかだった。私はちょっとの間、絶望に襲われて危く鶴嘴を落しそうになった。どうせ石のように凍結した海水で押し潰されてしまうものなら、いくら掘っても無駄な話である――こんな残酷な懲罰は兇猛な野蛮人だって考えはしないだろう。
ちょうどその時、ネモ艦長が私のそばを通りかかったので、私は彼の手をつかまえて、私たちの方に近づきつつある氷壁を指さした。左舷の氷壁は、ノーティラス号から、少なくとも四メートルほどの距離に迫っていた。艦長はうなずいてから、私について来るように合図して、艦に引き返した。私は自分のコルクジャケットを脱ぎ、彼と一緒に広間に行った。
「アロンナクス先生」と彼は言った。「いよいよ最後の手段をとらなければならなくなりました。ぐずぐずしていると、われわれはこの凍結した海水でセメントのように封じ込められてしまうでしょう」
「そうです。しかし、どうすればいいでしょうか?」
「もしノーティラス号が、この氷の圧力にたえて、押し潰《つぶ》されないほど頑丈なら、いいのですが――」
「といいますと?」
私は、艦長の考えていることがのみこめずに、たずねた。
「おわかりになりませんか? 海水が凍れば、この艦はかえって助かることになるわけです。水が凍ると、どんな固い石でも破裂するように、それはこの艦を閉じこめている氷原を破るにちがいありません。そうなれば、艦はかえって救われることになるのですが」
「たぶん、そうかもしれません。しかし、ノーティラス号にどんなに抵抗力があるにしても、こんな恐ろしい圧力にはたえられますまい。鉄板のようにぺしゃんこにされてしまうでしょう」
「そうです。わたしも、それは知っています。で、わたしたちは自然の救助などをあてにしないで、自分自身の力を頼むよりほかありません。この海水の凍るのを止めなければなりません。両側の氷壁が近づいて来るだけでなく、前後の氷壁も三メートルに迫ってきました。凍結は四方から迫ってきているのです」
「艦内の空気はいつまでつづきますか?」
艦長は私の顔を見つめて答えた。
「明日いっぱいです」
冷たい汗がにじみ出て来た。思えば三月二十二日に、ノーティラス号が南極洋の海中に入ってから、今日で五日間、私たちは艦内の気槽を頼りに生きてきたのだ。残った空気は、できるだけ労働する者のために、とっておかなければならない。この記録を書いている今でさえ、思い出すと、当時の光景がまざまざと胸に浮かんで、私の肺臓から空気がからになって行くような気がするのである。ネモ艦長はしばらく黙って考えていたが、ふと何か思いついたらしくちょっとためらってから、つぶやくように言った。
「熱湯がいい!」
「熱湯?」と、私は叫んだ。
「そうです。われわれは今、比較的狭い場所にとじこめられているわけですから、熱湯をたえず放出させたら、あたりの海水を幾分なりと温ためて、凍結を防ぐことができるかもしれません」
「やってみようじゃありませんか」と、私は力をこめて言った。
「やってみましょう」
その時、寒暖計は零下七度であった。ネモ艦長は、私を司厨室に連れて行った。そこには大きな蒸溜器がいくつもあったが、たちまちそれに水が張られ、電池から電熱が送られると、数分後にその水は百度に熱せられて、ポンプの方に送られ、あとにはすぐ新しい海水が満たされた。こうして熱湯の放出が開始されたが、三時間ほどすると、寒暖計は一度上昇して、零下六度になり、さらに二時間後には四度になった。
「うまく行きそうですね」作業の様子を心配して見まもっていた私は、ほっとして、艦長に言った。
「これでもう押し潰される心配はないでしょう」と、艦長は答えた。
その夜のうちに、海水の温度は零下一度まで上ったが、それ以上はいくら熱湯を放出しても、駄目だった。しかし、海水の凍結点は少なくとも、零下一度であるから、凍結の恐れだけはなくなった。
翌三月二十七日には、六メートルの氷が切り開かれて、残りはわずかに四メートルとなった。が、それでもなお四十八時間分の作業が残っていた。艦内の空気は、もう少しも更新されなかった。
午後三時頃になると、空気はますます悪くなり、あくびがだらしなく出てきた。私は一種の道徳的麻痺症にかかり、力がぬけ、ほとんど無意識の状態に陥った。健気なコンセイユは、私と同じように苦しみながらも、片時も私のそばをはなれようとしなかった。彼は私の手をとり、私を元気づけながら、
「わたしは息ができなくてもいいから、先生にもっと空気をさし上げたい」とつぶやいているのが、聞こえた。
私は眼頭《めがしら》が熱くなった。艦内がたえられなくなるにつれ、私たちはコルクジャケットを着て、仕事に出て行くのが待ち遠しくなった。鶴嘴の音は、凍結した氷の床に響いた。私たちは誰も腕が痛み、手の皮が剥げただれていたが、それくらいの疲れや傷がなんだろう。作業している間は、すがすがしい空気が吸えるのだ。息がつけるのだった。
しかし、誰も規定の時間以上仕事を延ばそうとするものはなかった。自分の仕事が終ると、生命を回復してくれるその潜水用の気槽を、喘いでいる仲間にわたした。ネモ艦長は自ら範を示して、この厳しい鍛錬を行なった。時間が来ると、彼は他の者に気槽をわたし、落ちついて、黙々として、汚れた空気の艦内に帰って来た。
その日、仕事はだいたい予定通り進行し、残る氷の壁はわずか二メートルとなった。だが、艦の気槽はもうほとんどからっぽになり、残っているわずかな空気は作業する者に供給しなければならないので、艦内には全然供給されなかった。艦に帰ると私はなかば窒息状態に陥った。なんという夜であったろう。私は叙述するすべを知らない。翌日、私の呼吸はいよいよ苦しくなり、たえず眼まいと頭痛がして、酔っ払いみたいな状態がつづいた。みんなも同じような徴候を示し、艦員のうちには喉をゴロゴロ鳴らしているものもあった。
その日は、私たちが幽閉されてから六日目であったが、ネモ艦長は作業が遅々として進まなくなったのに気づいて、思い切って残りの氷層を打ち破ることに決心した。艦長の冷静さと底力とは、決して彼を見すてなかった。彼は精神力で自分の肉体の苦痛をおさえていた。
艦長の命令で、艦は氷の床から少し浮かび上らせられ、すでに吃水線のところまで掘られている大きな壕の上に曳かれて行った。
やがて、艦員は全部艦内に引き上げ、二重扉が閉された。ノーティラス号はその時、氷上に横たわっていたが、その氷層は厚さ一メートル足らずで、測量錘で無数に穴があいていた。まもなく、全部の水槽の栓が開かれて、百立方メートルの海水が注入され、ノーティラス号の重量は千八百トンに増加した。私たちは、苦痛を忍びながら耳をそばだてて、結果いかにと待った。
私たちの安全は、この最後の機会にかかっているのだ。なにか砕けるような音がノーティラス号の真下で聞こえた。氷が、紙を裂くような、特殊な音をたてて砕け、ノーティラス号は次第に沈降して行った。
「脱れ出ました!」と、コンセイユが耳もとでささやいた。
私は返事をすることができなかった。私は震えながら彼の手をにぎりしめた。非常に重くなったためか、ノーティラス号は、まるで弾丸のような勢いで水中へ沈んで行った。ちょうど真空の中を走るような感じだった。やがて、全電力をポンプにかけて、海水を水槽から排泄しはじめた。数分後、艦の沈降は止まった。と、すぐ圧力計が、上昇を示した。推進器は全速力で回転し、鉄の船体を震動させながら、北方へ進行を開始した。
図書室の長椅子に倒れて、私は窒息しかけていた。顔は紫色に変り、唇は青ざめ、すっかり気力を失って、何も見えもしなければ聞こえもしなかった。時間の観念もなかった。こうして、どのくらい時間がたったか知らないが、苦痛の意識だけは残っていた。私は刻々死に近づきつつある自分を感じた。
そのうちに、ふとわれにかえると、新しい空気が私の肺にそそぎこまれていた。海面に浮かび上ったのだろうか? 氷山から脱れ出たのだろうか? が、よく見ると、そうではなかった。ネッドとコンセイユが――二人の勇敢な友が、自分を犠牲にして、私を救おうとしていたのだ。まだいくぶん潜水用の気槽の底にのこっている空気を、自分たちが窒息しかけているのも顧みずに、私の口にそそいでくれているのだった。私はそれを押しかえそうとしたが、二人は無理に私の手をおさえたので、私はしばらくのあいだ自由に呼吸することができた。時計を見ると、午前十一時だった。おそらく、三月二十八日にちがいない。
ノーティラス号は、一時間四十ノットの恐るべき速力で突進していた。ネモ艦長はどうしただろうか? 倒れたのではなかろうか? 艦員たちも一緒に死んだのではなかろうか? その時、圧力計は海面下六メートル弱の深度をしめしていた。私たちと大気との間には、ただ一枚の氷の板がへだてているきりであった。私たちはそれを突き破ることができないだろうか? できないことはないだろう。ノーティラス号も、それを試みようとしているらしかった。
艦は、艦尾を下げ、艦首を上げて、ななめに突進しているように感じられた。そのうちに、艦は強力な推進器の力をかりて、巨大な破城槌《はじょうつち》のように下から氷原にぶつかって行った。幾度も繰りかえし激突したのち、最後に弾丸のように突きあたると、氷原はもろくも打ち破られて、艦はすさまじい勢いで氷原の上に飛び出した。扉が開かれると――叩きこわされたといったほうがいいかもしれない――新鮮な外気が、一度にノーティラス号の隅々まで流れこんで来た。
十七 ホーン岬からアマゾンへ
どうして甲板へ連れ出されたのか、私には、おぼえがなかった。たぶん、カナダ人が連れて来てくれたのだろう。私はすがすがしい海風を、胸いっぱい吸いこんだ。私の二人の仲間も、新しい空気を貪るように吸っていた。
「ああ、なんてこの酸素はうまいのだろう! 先生、この酸素なら、もういくらでもご心配なく吸えますよ。いくら吸っても尽きることがありませんからね」と、コンセイユが言った。
ネッド・ランドは黙々として、フカでも驚きそうな大きな口を開けて空気を吸っていた。私たちはすぐ元気を回復したが、ふと見まわすと、甲板には私たちのほか誰の姿も見えなかった。ノーティラス号の艦員たちは、艦内に流れ込むだけの空気で満足しているようであった。誰一人外気を吸いに上って来る者はなかった。
私はまず二人に感謝の言葉をのべた。ネッドとコンセイユは、この長い苦悶の最後の時間に私の生命を助けてくれた恩人である。私の感謝の気持は、こんな言葉くらいで述べつくされるものではなかった。
「ねえ、僕らはいつまでも生死を共にすることを誓おう。僕は、君らになんとお礼を言っていいかわからないくらいだ」と、私は言った。
「では、早速わしはそのお言葉を利用しますよ」と、カナダ人が大声で言った。
「それはどういう意味なのかね、ネッド君?」と、コンセイユがたずねた。
「このいまいましいノーティラス号を脱れ出るときは、先生も一緒にお連れするという意味だよ」
「なるほど。ところで、これで針路はいいのでしょうか?」と、コンセイユがたずねた。
「いいだろう。太陽のほうに向かっているからね。ここからは、太陽は北にあるわけだから」と私は答えた。
「そりゃわかってますが、しかし、艦長は一体この船を太平洋に向けるつもりなんでしょうか? 大西洋に向けるつもりなんでしょうか? つまり交通の頻繁な海に向けるつもりなんでしょうか? さびしい海に向けるつもりなんでしょうか?」と、ネッド・ランドが言った。
私はこれに答えることができなかった。が、心の中では、アジアとアメリカの両海岸に同時に接触している大洋に連れて行かれるのではないかと危ぶんだ。こうして彼は、海底一周旅行を終え、ノーティラス号が自由に航海できる海洋に帰るのではなかろうか?
私たちはさっそくこの重要な問題を決定しなければならなかった。ノーティラス号は全速力で走っていた。南極圏はまもなく過ぎて、針路はケープ・ホーンの方へ向けられた。三月三十一日の夕方七時には、アメリカ岬の沖を通過した。まもなく私たちは、苦しかったこともすっかり忘れてしまった。氷に幽閉された記憶は、私たちの心から拭い去られ、私たちはふたたび未来のことだけを考えるようになった。
ネモ艦長は、広間にも甲板にも、姿を現わさなかった。が、艦の位置は副長が毎日海図に記してくれたので、私はノーティラス号の正確な針路を知ることができた。その日の夕方、私たちは、大西洋に沿って北方へ進んでいることをはっきり知って、非常に嬉しかった。
次の日、四月一日、ノーティラス号が、正午数分間、海面に浮かび上ると、西方に陸地の影が見えた。それは、初めてここを訪れた航海者が、現地民の小屋から立ちのぼる煙をながめて名づけたテラ・デル・フェゴであった。
海岸は低いように見えたが、遠くに高い山々がそびえ、そのなかにはサルミエント山もちらっと見えた。この山は頂上が非常に尖っていて、海抜二千メートルもあり、この山が見えるか見えないかによって天候が予知される、と言われていた。ちょうどこの時は、その山頂が大空にくっきりと浮き上って見えた。
ノーティラス号はふたたび海中に沈んで、海岸からわずか数キロの沖を通過した。広間の窓からは、長い海藻類や大きなクロツノマタの類が見えた。その中には、光沢のある繊維をもったものがたくさんあって、たとえば長さ三百メートル近くもあり、親指よりも太くて非常に強靱な、昔よく帆索《ほづな》に用いられた海草や、またヴェルプという名でよく知られている海草もあった。これは長さ一メートルばかりの葉をもち、サンゴの塊りの中に交っていて、甲殻類や軟体動物やカニやイカなどの巣となったり、餌となったりした。この豊饒な海底をノーティラス号は全速力で通過した。
その夜、艦はフォークランド諸島に近づき、翌朝私は群鳥の山々をながめることができた。海の深さは適度だった。海岸で網を曳くと、美しい海藻、ことにクロツノマタがたくさんとれたが、その根もとにはイガイの類が群棲していた。ガンやカモが数十羽甲板に射ち落されて、すぐ料理された。
フォークランドの山が水平線に消えると、ノーティラス号は二十ないし二十五メートルの深さに沈んで、アメリカ大陸の海岸沿いに進んだ。ネモ艦長はまだ姿を見せなかった。四月三日まで、私たちはパタゴニアの海岸近くを、ある時は潜航し、ある時は海面に浮んで航走した。それからウルグアイの大三角州の沖合を通過し、針路を北東にとって、さらに南アメリカの曲りくねった長い沿岸を進んだ。日本近海を出発してから、私たちはすでに一万六千リーグを航海していた。
午前十一時頃、艦は西経三七度で、南回帰線を横ぎり、フリオ岬の沖を通過した。ネモ艦長は住民の多いブラジル海岸を好まないのか、矢のような速力でこの水域を走りぬけたが、このことはネッド・ランドをひどく不愉快にさせた。どんな速い魚も鳥も、艦について来ることはできなかったし、この近海の珍しい風景も、まったく観察することができなかった。
数日間全速力で走りつづけた私たちは、四月九日の夕刻、南アメリカの最東端サン・ロケ岬を視野にとらえた。しかしこの時ノーティラス号はふたたび潜航して、この岬とアフリカ海岸のシエラレオネ岬との間にある海中の最も深い谿谷をたどった。この谿谷はアンティル列島に平行して二叉に別れ、九千メートルの巨大な窪地をつくっていた。この海洋の地質学的盆地は、小アンティル列島にかけて、高さ五キロ近い断崖を形成すると共に、一方ヴェルデ岬諸島と平行して、それに劣らぬ巨大な絶壁を形成し、その間に、陥没したアトランティス大陸を包囲しているのである。
この巨大な谿谷の底には、山脈が点綴《てんてい》していて、これらの海中に風致を添えていた。もっともこれは、ノーティラス号の図書室にあった手書きの海図――いうまでもなく、ネモ艦長の個人的観察によって作られたものだが――によったものである。
二日間、この荒涼とした深い海中を潜航した。ノーティラス号は、四月十一日、突然浮かび上って、大三角州のアマゾン河口に姿をあらわした。この河口は非常に大きく、そのため十数キロ沖まで、海水が塩分をなくしているほどであった。
十八 大ダコ
数日間、ノーティラス号はアメリカ大陸の海岸から離れて航海をつづけた。明らかにそれは、メキシコ湾やアンティル列島の近海を避けているらしかった。
四月十六日、私たちは三十マイルばかり彼方に、マルティニック島とグァダループ島との島影を認めた。ちょっとの間、私はそれらの島の高い山々の頂を遠くにながめた。
カナダ人は、艦がメキシコ湾内に入ったら、海岸を航行中の船のどれかをとらえて、脱走を決行しよう、ともくろんでいたので、すっかり失望してしまった。もしネッド・ランドが、艦長に気づかれずに船をとらえることができたら、脱走は可能だったかもしれない。しかし、この広い外海では、そんなことは思いもよらなかった。カナダ人とコンセイユと私とは、この問題についていろいろと相談した。すでに六カ月もの間、私たちは、ノーティラス号の虜となって幽閉されてきたのだ。そして、もう一万七千リーグも航海をつづけて来たのだ。ネッド・ランドが言うように、私たちは最後まで一緒について行く理由はないのである。だが、このことについては、私たちはノーティラス号の艦長に期待することはできなかった。自分たちで道を切り開かなければならないのである。
それに少し前から、艦長は憂鬱になり、引きこもりがちでめったに姿を見せなかった。彼は私を避けているようにさえ見えた。以前は海底の珍しい現象を喜んで私に説明してくれた彼が、近頃は私の勝手な研究にまかせて、広間にも出て来ないのだった。何か変ったことが起きたのだろうか? どうしたわけなのだろう?
私は自分の新しい研究を、このまま自分の身体といっしょに葬ってしまいたくはなかった。私は、今や海の真相を書く自信ができた。そして、早晩その著述を刊行したいという思いに駆られた。だが、そのときの私たちに最も近い陸地は、バハマ諸島だった。そしてこのあたりの海底には、ところどころ高い絶壁が聳え、それが大きな海草で一面に蔽われていた。
午前十一時頃、舷側の窓から外を眺めていたネッド・ランドは、大きな海草でつくられた、恐ろしい棘のある洞窟を私に指さした。
「ああ、あれは、マダコの洞窟だよ。この付近にはそういった怪物がだいぶいるらしいんだ」と、私は言った。
「なんです、タコですか、頭足類のタコですか?」と、コンセイユが言った。
「いや、すばらしく大きなマダコだよ」
「そんな大きなタコがいるなんて、わたしには信じられませんね」と、ネッドは言った。
「ところが、わたしは、現に大きな船がタコの腕で海中へ引きずり込まれるのを、見たことがありますよ」と、コンセイユが真面目な顔つきで言った。
「本当に見たのかね?」と、カナダ人が問いかえした。
「本当に見たんだよ、ネッド君」
「君自身の眼でかね?」
「そう、わたし自身の、この眼でだよ」
「一体、どこでそんなことがあったんだね?」
「セント・マローでですよ」と、コンセイユは答えた。
「港でかね?」ネッドは皮肉に問いかえした。
「いや、教会で」と、コンセイユは答えた。
「教会!」カナダ人は、思わず大きな声をあげた。
「そうだよ、ネッド君。そういった大ダコの絵が懸ってたんだよ」
「なんだ!」と、ネッド・ランドは笑いこけた。
「いや、コンセイユの言うことは本当だよ」と私は言った。「その絵のことは僕も聞いている。その画題は伝説からとったんだね。オラエス・マグヌスという人は、長さが一マイルもある、動物というよりは、むしろ島のようなタコがいる、と言っている。またニドロス僧正は、大きな岩の上に礼拝堂を建てたところ、ミサがすんだら、その岩が歩き出して海中へノコノコ帰って行ったという話だ。その岩はマダコだったというのさ。また、ポントピダンという僧正は、マダコの上で騎兵連隊が閲兵式を行なったとも言っている。もう一つ、古い昔のある博物学者は、その口が入江のようで、途方もない大きな図体をしているため、ジブラルタル海峡につかえて通れなかった怪物もいたと、伝えてもいるよ」
「しかし、そんな話はどこまで本当なのでしょうか?」と、コンセイユがたずねた。
「みんなでたらめさ。しかし、クジラ類には及ばないが、タコやイカには大きな種類のあることは、否定できないよ。アリストテレスは、五キュービット、すなわち二メートル八十センチのイカがいたと述べているし、現代の漁夫も、長さ一メートルぐらいのものにはよく出会うらしい。トリエストやモンペリエの博物館に保存されているマダコの骨の中には、長さ二メートルからのものもあるよ。また、ある博物学者の計算によると、これらの動物の中には長さ一メートル半ぐらいのものでも、八メートルからの足を持ってるものがいるということだ。これだけでも、恐るべき怪物たるの資格は充分あるね」
「今日でも、そんなものが捕れたことがありますかね?」とネッドが訊いた。
「捕れないかもしれないが、少なくとも船乗りは時々そんな奴に出会うらしいね。僕の友人の一人で、アーブルのポール・ボス船長は、インド洋ですばらしくでかいのを見たと、言ってたよ。ところが、これらの巨大な動物の存在を否定できない、驚くべき事実が、数年前に起ったのだ」
「どんなことです、その事実ってのは?」
「一八六一年に、いま僕らがいるとほとんど同じ緯度のテネリフェ島の北東で、通報艦アレクトル号の乗組員が海中を遊弋中の奇怪なタコを見つけたんだ。艦長のブーゲルはさっそくそれに近づいて銛と鉄砲で攻撃したが、うまく成功しなかった。というのは、銃弾も銛も、肉が柔かいので、辷《すべ》ってしまったんだ。幾度もしくじったのち、乗組員はその軟体動物の身体のまわりに、網を投げかけて、艦内にそいつを引き揚げようとしたが、相手がとても重いため網が締まりすぎて、尻尾がちぎれてしまい、とうとう逃がしてしまったそうだ」
「へえ、本当ですか?」
「間違いない事実だよ、ネッド君。彼らはその大ダコをブーゲルイカと名づけたくらいだからね」
「長さはどのくらいあったのです?」
「五メートル半ぐらいではありませんか?」
窓際に立って曲りくねった絶壁を見つめていたコンセイユが、口を入れた。
「そのくらいはあったろうな」と、私は答えた。
「眼が頭のうしろについていて、ものすごく光ってやしませんでしたか?」
「そうだよ、コンセイユ」
「そして、口はオウムの嘴みたいではありませんか?」
「そのとおりだよ」
「ではねえ、先生、あすこにいるのはブーゲルイカでなければ、少なくともその兄弟分ですよ」と、コンセイユは落ちついて言った。
私は思わずコンセィユの顔を見つめた。ネッド・ランドは急いで窓際へ駈けよったが、
「あっ、恐ろしい奴がいるぞ!」と、大声で叫んだ。
そこで私も駈けよってみたが、一目見てぞっとしないわけに行かなかった。眼の前には、奇怪な伝説に登場するにふさわしい恐ろしい怪物が――長さ七メートル以上もある大ダコが、ギラギラ光る大きな緑色の眼で私たちを睨みながら、ノーティラス号と同じ方向へ、全速力で泳いでいるのだった。八本の腕、というよりも足が、頭にくっついていて、そのために頭足類の名もあるのだが、それが身体の長さの二倍もあり、髪の毛のようにとぐろをまいていた。その触手の内側には二百五十もの吸盤が見えた。この怪物の口はオウムの嘴のように角状で、垂直に開閉し、舌も角状で、尖った凸起を幾列ももっており、それが嘴のような口の間からちょろちょろのぞいていた。軟体動物に鳥の嘴がついているなんて、何という自然のいたずらだろう!
紡錘形の胴体は、それだけで四千ないし五千ポンドの重さがあるらしかった。この怪物は何かひどく腹を立てているらしく、身体の色が鈍い灰色から赤褐色に変りつつあった。いったいこの軟体動物は、何に憤慨しているのだろうか? いうまでもなく、それは、自分よりも大きなノーティラス号が眼の前に出現し、その吸盤も顎も、歯がたたないのを怒っているのだった。しかし、それにしてもこの大ダコは、なんという怪物だろう! その動作のなんというものすごさだろう! しかも彼らは心臓を三つも持っているのだ!
偶然にもこの怪物の出現に出会った私は、この標本的な頭足類を仔細に研究する機会を失いたくないと思い、襲いかかってくる恐怖をおさえながら、ペンをとって、それを写生しはじめた。
「たぶん、あれはアレクトル号が出会ったのと同じものですよ」と、コンセイユが言った。
「いや、こいつには尻尾もすっかりそろっているから、それとはちがうよ」と、カナダ人は答えた。
「それは理由にならんよ。こうした動物の胸とか尻尾とかは、すぐまた再生するものだからね。ブーゲルイカの尻尾も、七年たてば立派にもと通りになっているはずだ」と、私は説明した。
この時また、別のマダコが左舷の窓のところに現われた。全部で七匹いた。彼らはノーティラス号のうしろから列をつくってついて来たが、その嘴でしきりに鉄の艦体を突っつく音が聞こえた。これらの怪物は水中にじっとしていて、少しも動いているようには見えなかった。と、突然ノーティラス号が停り、艦体がブルブルと震動した。
「また何かに衝突したらしいぞ」と、私は言った。
「でも、大丈夫でしょう。とにかく浮いていますからね」と、カナダ人が答えた。
ノーティラス号は、なるほど浮いてはいたが、ぴったり動かなくなってしまった。一分間ほど過ぎた。すると、艦長が副長を連れて、つかつかと広間にはいって来た。彼は私たちには眼もくれず、無言のまま窓際に寄って、大ダコの群をじっと見つめていたが、やがて副長に何かささやいた。副長が出て行くと、窓の扉がすぐ閉められて、天井の電灯が点いた。私は艦長のそばに歩みよった。
「珍しいタコが集ったものですね?」と、私は言った。
「まったくですよ、博物学者先生。でも、われわれはこれから奴らと一戦を交えようと思うんです。人間と動物との戦いですよ」と、彼は答えた。
私は思わず艦長の顔を見かえした。何か聞きちがえたのではないかと思ったのだ。
「人間と動物との戦いですって?」
「そうです。推進器が止ってしまったのですが、大ダコの角状の顎が、推進器の翼の間にはさまったらしいのです。艦が動かなくなったのは、そのためですよ」
「どうなさるつもりですか?」
「海面に上って、あの悪党共を退治するほかはありません」
「難かしい仕事ですね」
「まったく難かしい仕事です。電気弾も奴らの柔かな肉には効力がありませんからね。われわれは手斧でやっつけるつもりです」
「よろしかったら、銛がありますが」とカナダ人が言った。
「お手伝い願おう、ランド君」
「わたしたちも、みんな行きましょう」と私は言った。そしてネモ艦長の後について、三人は中央階段の下に行った。
そこには、手斧を持った十人ばかりの艦員が、すでに攻撃の準備をしていた。コンセイユと私も、手斧を持ち、ネッド・ランドは銛をつかんだ。ノーティラス号はそのときちょうど海面に浮き上った。艦員の一人が梯子の頂上に登って、昇降蓋のボルトを外した。とたんに、蓋は非常な勢いではね上った。明らかに、マダコの吸盤が蓋に吸いついていたのだった。蓋があくと一本の腕が、蛇のようにすばしっこくすべりこんで来たが、ネモ艦長が一撃ちに斧で叩き切ると、のたうちながら梯子の下へころがり落ちた。
私たちが押しあいながら甲板に出ようとすると、こんどは二本の腕が空中にひらめいて、いきなり艦長の前にいた艦員の身体に巻きついたと思うと、驚くべき力で彼を宙につり上げた。ネモ艦長は、あっと叫びながら、甲板に駈け上った。私たちもつづいてその後を追った。
なんというものすごい光景だろう! 大ダコの触手につかまり、吸盤に吸いつけられたその不幸な男は、高々と宙に吊りさげられながら、引きつりそうな声をしぼって、
「助けてくれ! 助けてくれ!」と叫んでいた。が意外なことに、それはフランス語だった。艦内には私と同国人がいたのだ。
その不幸な男の苦しげな叫び声を聞くと、私は身を切られるような思いがしたが、誰だってこの男を救い出すことはできないにちがいない。だが、ネモ艦長は勇敢にもそのマダコに躍りかかるや、さらにもう一本の腕を斬り落した。一方副長は、ノーティラス号の舷側に忍び寄って来たもう一匹の怪物と激しい格闘を開始した。他の艦員たちもそれぞれ斧で応戦した。カナダ人とコンセイユと私も、怪物の身体に各自の武器を打ち込んだ。たちまち血なまぐさい臭いがあたり一面にただよい、凄惨な修羅場を現出した。
一瞬間、私はタコにさらわれた不幸な男のことを考えた。くだんのタコは八本の腕のうち七本まで斬り落されたが、残った一本でなおも捕えた犠牲者を羽根のように、打ち振りながら、空中にのたうっていた。やがて、ネモ艦長と副長が最後の一撃を加えようとすると、怪物はとたんに真っ黒な墨汁を真向うから吹きかけた。私たちは眼がくらんで、しばらくの間、眼を開くことができなかった。墨汁の雲がはれたときは、すでにその大ダコは私の同胞もろとも姿を消してしまっていた。
見ると、十匹ないし十二匹のマダコがあらたにノーティラス号の甲板と舷側とに侵入して来た。私たちは、血と墨汁とにまみれながら、甲板でのたうっている蛇の巣の中で無茶苦茶に戦った。彼らの粘っこい触手は多頭蛇の頭みたいにはねまわった。ネッド・ランドの銛は、打ち込むごとに大ダコのギラギラ光る眼玉に突き刺さった。が、この大胆不敵な友人も、そのうちに突然彼の足を襲った怪物の触手に身をかわすことができず、不覚にもその場に顛倒した。
はっとして、私の胸は早鐘のように鳴った。大ダコの恐ろしい嘴がネッド・ランドの頭の上でカッと開いた。この不幸な男は真二つにされるかもしれない。私は思わず走りよって彼を救おうとした。が、そのとき早く、ネモ艦長が斧をふるって、怪物の上下の顎の間にハッシと打ちこんだ。奇蹟的に助かったカナダ人は立り上りざま、大ダコの心臓に彼の銛を深く突き立てた。
「この前のお返しだよ」と、艦長はカナダ人に言った。
ネッドは、黙ったまま会釈した。戦いは、十五分ばかりつづいた。さんざんな目に会った怪物群は、ついに私たちに背を見せて、いつのまにか波間に姿を消してしまった。血にまみれた、疲れきったネモ艦長は、部下の一人を呑み込んだ海をしばらくの間じっと見つめていたが、その眼には涙があふれていた。
十九 メキシコ湾流
この四月二十日の恐ろしい光景を、私はいまでも忘れることができない。私はその場にあるような興奮をもって一気にそれを書き記し、その後推敲を加えてから、コンセイユとカナダ人に読んで聞かせたが、彼らは事実に間違いはないけれど、どうもまだ実感が出ていないと評した。このような場面を描くには、おそらく『海に働く人々』の作者みたいな、優れた詩人の筆によらなければ不可能かも知れない。
いま述べたように、ネモ艦長は、涙を浮かべて海面を見つめていたが、彼の悲しみは大きかった。私たちがノーティラス号に乗り込んでから、これで彼は二人の部下を失ったわけだ。が、こんどの艦員の死はいっそう彼を悲しませたにちがいない。マダコの恐ろしい腕に締めつけられ、鋲のような固い顎にかかって非業の最後を遂げた彼は、あの平和なサンゴの墓に友と並んで安らかな眠りにつくこともできなかったのだ。
格闘中に絶望の悲鳴をあげたあの不幸な男の声は、私の心をかきむしらずにはおかなかった。あの可哀そうなフランス人は、その最後の瞬間にふだん使いなれた言葉も忘れて、おもわず母国語で叫んだのである。身も魂も艦長と一体となって、世間から絶縁している艦員たちの中に、私は計らずも同胞の一人を見たのだ。しかし、明らかに各国民の寄合い世帯であるこの不思議な集団の中に、フランス人は果して彼一人であろうか? これは、その後もたえず私の念頭から去らない謎の一つだった。
ネモ艦長は、それ以来自分の部屋に閉じこもったまま、しばらく姿を見せなかった。彼が深い悲しみと不決断にとざされていることは、彼の魂である艦の行動を見てもわかった。ノーティラス号は、きまった針路をとらず、まるで死骸のように波のまにまに漂って、あてもなく走りつづけた。艦長は部下の一人を呑み去ったこのあたりの海を、またあの時の凄惨な光景を、どうしても忘れ去ることができないのだろう。
こうして十日間が過ぎ去った。五月一日、バハマ海峡の入口でバハマ群島の島影を遙かにながめてから、ノーティラス号はふたたび北方へ針路をとった。その後は、艦は大河から海に注ぎ入る流れに乗って進んだが、この流れには、堤防もあれば、魚類も棲み、温度も適度の温かさを保っていた。これこそメキシコ湾流の名によって知られる大海流で、大西洋の真中を自由に流れる大河にも比すべきものであった。その水は周囲の海水と決して混じり合わず、周囲の海水よりもはるかに塩分が強く、その平均深度は約一千五百尋、幅は平均十マイルに及び、速度は場所によって一時間四キロからあり、その水量は地球上のすべての河を集めたよりも多い、といわれている。ノーティラス号が流れに乗って航走をつづけたのは、実にこの大洋中の大河であった。
なお一言、言い添えておきたいことは、夜の間、ことにしばしば襲来する暴風雨のときなどは、この湾流の水が燐光を放って、ノーティラス号の探照灯と光を競い合ったことである。五月八日、艦はノース・カロライナ州のハッタラス岬沖を通過したが、このあたりは湾流の幅が七十五マイル、深さが二百メートルもあった。
ノーティラス号は依然針路を一定せず、でたらめに走りつづけていたが、ここらあたりの場所は、脱走するには最も好都合のように思われた。実際、海岸にはいたるところに人家があり、海上にはたえずニューヨークやボストンとメキシコ湾の間を往復する汽船が航海し、またアメリカ沿岸通いの小さな帆船が夜も昼も頻繁に走っていたからである。
私たちは急に元気づいてきた。アメリカ海岸まで三十マイルほどへだたってはいたが、脱走するには絶好の機会だった。が、ただ一つ、あいにく悪天候つづきなのが非常に不利だった。私たちは、ちょうど暴風雨の多い海岸に近づいたわけで、そこは湾流のために、よく竜巻や旋風の発生するところだった。だから、小さなボートで乗り出すなどということは、それこそ身の破滅を意味した。だが、ネッド・ランドは、もはや脱走する以外には治療の途のない郷愁病にとりつかれていたので、じりじりしていた。
「先生、わしはもうとても我慢ができませんよ。この船は陸を離れて、北の方へ進んで行くらしいですが、わしはもう南極探検だけでたくさんです。北へは断じて行きませんよ」
「しかし、今すぐに脱走はできそうもないが、どうしようというのだ、ネッド君?」
「艦長に談じこむんです。あなたは自分の国の海に近づいた時も、何もおっしゃらなかったが、わしは言いますよ。ここはわしの生国ですからね。もう少しすると、ノーティラス号は、ノヴァスコシア半島の沖を通るでしょう。ニューファウンドランドのちかくに大きな湾があって、その湾にセント・ローレンス河が注いでいますが、その河岸のケベックがわしの故郷なのです――それを思うと、わしはもうたまりません。髪の毛がよだつようです。いっそのこと、海の中へ飛びこんでしまおうかと思うくらいです。わしはもうこれ以上、この船に止まってはいられませんよ」
カナダ人は、確かに自制力を失っていた。彼の溢れるような元気は、この幽閉にいつまでもたえることができないのだった。彼の顔つきは日増しに変り、ますます怒りっぽくなって行った。私も幾分郷愁病にかかっていたので、彼の気持はよくわかった。もう七カ月というもの、私たちは陸地の消息をまったく聞いていないのだ。ネモ艦長の近頃の独居、ことにマダコとの戦闘以来変化したらしい彼の心境は、私に一種の光明を感じさせた。
「どうでしょうね、先生?」私が返事をしないのを見て、ネッドは言った。
「つまり、われわれのことをネモ艦長にかけ合ってみてくれというんだね?」
「そうですよ、先生」
「しかし、それはもうはっきり宣告されているじゃないか」
「ですが、それをもう一度念を押して、最後の決心をつけたいんです。なんでしたら、わしがそう言ってたとおっしゃって、先生から訊いて見てくださいませんか?」
「しかし、近頃めったに会わないのでね。あの人は僕を避けているらしいのだ」
「ですから、艦長に会いに行ってください。お願いします」
私はいったん自分の部屋に帰ってから、ネモ艦長の部屋へ出かけた。ドアを叩いてみたが、返事はなかった。ふたたび叩いてから、私は把手をまわして室内にはいった。艦長はいたが、私には気がつかないらしく、テーブルに前こごみになって何か書きものをしていた。近づくと、急に頭を上げて、眉をひそめながら、荒っぽい口調で言った。
「やあ、何かご用ですか?」
「少しご相談したいことがあるのですが――」
「今ちょっと忙しいのですけれど。わたしもあなたのじゃまはしないつもりですから、あなたもそうしていただきたいですね」
この挨拶には、私も少しまごついたが、この機会をのがしてはと思って、何もかもぶちまけてしまおうと決心した。
「緊急なことでご相談したいのです」と、私も冷静な態度で言いかえした。
「どんなご用件ですか? 何かわたしの見落したことでも発見なさったのですか? 海が何か珍しいことでも見せてくれたのですか?」と、彼は皮肉な調子でたずねた。
私たちの気持は、完全に食いちがっていた。が、それに対して私が答えないうちに、艦長はテーブルの上に開いたままになっている原稿を指さしながら、厳粛な口調で言った。
「アロンナクスさん、これはわたしの海に関する研究を、各国語で書いた原稿です。どうかして、これだけは、わたしの身体といっしょに亡びさせたくないのです。この原稿はわたしの名前を記し、わたしの経歴も書きそえて、小さな箱に密封しておき、ノーティラス号の最後の生存者が、それを海中に投げ込むことにしてあるのですが、さだめし波のまにまにただよい流れて行くことでしょう」
それが本当なら、この人物の名前も、この人物が自分で書いた経歴も、彼の秘密も、いつかは明らかになるにちがいない。
「艦長、わたしは、あなたがそうした手配をとられるようになったことを、心から喜びます。あなたのご研究の結果を亡ぼしてはならないからです。しかし、あなたのとられる手段は少々軽率のように思われますね。この箱は一体、どこに運ばれて誰の手に落ちるか、わかったものではありません。何か他の方法をとられてはどうですか? あなたご自身とか、それともあなたの部下の誰かが……」
「いや、それは駄目です」と、彼はあわてて私の言葉をさえぎった。
「しかし、わたしとわたしの連れとは、いつでもその原稿をお預りいたしますよ。そして、もしあなたが、将来わたしたちを解放してくださるときは――」
「解放ですって?」艦長は立ち上りながら言った。
「そうです。わたしがご相談したいと申したのも、そのことなのです。わたしたちがこの艦に収容されてから、もう七カ月になりますが、あなたは今後もずっと、わたしたちを引きとめておかれるおつもりなのですか? わたしは今日そのことをおたずねに上ったのです。わたしの連れのために、またわたし自身のために――」
「アロンナクスさん、わたしは、やはり七カ月前と同じお答えしかできません。ノーティラス号にいったん乗りこんだ者は、二度とここを出ることは許されないのです」
「では、われわれを奴隷になさるおつもりなのですね?」
「それはどうとも勝手にお呼びになったらいいでしょう」
「しかし、どこの奴隷だって、いつかは解放される権利を持っていますよ」
「誰がその権利を否定しました? わたしはあなたに宣誓を強要した覚えはありませんよ」
彼は腕を組みながら、私を見つめた。
「艦長、この問題を繰りかえすことは、あなたにとっても、わたしにとっても、不愉快なことですが、これはわたしだけの問題ではないので、あえて申し上げるのです。わたし自身は、研究に夢中になっていますと、何もかも忘れてしまうことができます。ちょうどあなたと同じように自分の仕事の結果を将来に残すために世間から離れて生活することもできます。しかし、ネッド・ランドはちがいます。人間はそれぞれ違った要求を持っているものです。あの男は、自由を愛し、奴隷を嫌うあまり、カナダ人特有の性質からどんなことを企てないとも限りません。あの男はそんなことをやりかねない人間なのです」
私が口をつぐむと、ネモ艦長は立ち上って言った。
「ネッド・ランドなどが、何を考えようと、何を企てようと一向かまいませんよ。わたしは、あの男をここに止めておくのが面白いわけではないのです。アロンナクスさん、あなたはどんなことも、沈黙さえも、理解することのできる方だから、何も申し上げませんが、この問題はこれが最初で最後としましょう。二度とお聞きしたくありません」
私たちの間は、すっかりこじれてしまった。私はそのまま艦長室を辞去し、広間に戻って、一部始終を二人の仲間に報告した。
「仕方がありませんよ、あの男にはもう何を頼んでも駄目です。ノーティラス号はロング・アイランドに近づいていますから、荒天でもかまわず、脱走することにしましょう」と、ネッドは言った。
しかし、天候はますます険悪となり、暴風の徴候がはっきり現われてきた。大気はどんよりとよどみ、妙に湿っぽくなってきた。水平線には美しい巻雲が消えて、積雲が現われ、その下を低い雲が走りはじめた。海は大きなうねりでふくれ上った。暴風の友といわれるウミツバメのほか、鳥もすっかり影をひそめ、気圧計は急速に下降して、湿度の増大を示した。
五月十八日、ノーティラス号がニューヨーク港から数マイルの、ロング・アイランド沖にさしかかった時、ついに暴風雨はやって来た。
私は、この風雨の荒れ狂う光景を、今でも眼の前に描くことができる。なぜなら、その時ネモ艦長はどういう気まぐれからか、艦を潜航させずに、海上を走りつづけさせたからだった。艦長はスコールの降りしきる中を甲板に出て、大波にさらわれぬよう、しっかりと身体を欄干に縛りつけて、立っていた。私も暴風とそれに対決するこの非凡な人物に感服しながら、同じく甲板に上って、しっかり身体を欄干にしばりつけた。荒れ狂う海は、低く垂れさがった雲と一つに融け合い、ノーティラス号は、横に傾いたり、マストのように突き立ったりした。
五時頃になっても風波は衰えないばかりか、豪雨さえそれに加わった。台風は時速約二百キロの速さで吹き荒れた。家を倒し、鉄門を破壊するのは、おそらくこうした風にちがいない。しかし、ノーティラス号は、暴風の中にあっても、『よく建造された船は沈まぬ』という権威ある技師の言葉を見事に立証した。索具《さくぐ》もマストもない、紡錘状の鋼鉄船は、荒れ狂う暴風雨にもびくともしなかった。
私は、なおもそれらの荒波をじっと見つめて立っていた。波は高さ五メートル、長さ百四十から百五十メートルにおよび、秒速じつに九メートルに達した。その容積と圧力は、海水の深さにつれて増大した。このような波はヘブリディーズ群島では、八千四百ポンドの重さがあったと言われている。一八六四年十二月二十三日、日本の江戸を襲い、おなじ日にアメリカの沿岸を見舞ったのも、こうした巨浪であった。
夜になると、暴風はいよいよ激しくなった。気圧計は、一八六〇年旋風に襲われたレユニオン島におけると同じように、日没には十分の七に下降した。水平線には大きな船が難航しているのが見えた。おそらくニューヨークからリヴァプールかアーヴルへ行く汽船の一つであろう。まもなくそれも夕闇に見えなくなってしまった。夜の十時頃になると、空が電光で火のように明るくなった。艦長は、それを見つめながら暴風雨の威力をつくづく羨んでいるように見えた。波の怒号と風の咆哮とはためく雷鳴とが絡みあって、轟々と空いっぱいに響き渡った。
と突然、風が水平線の方向へ転じたと思うと、東から旋風が巻き起り、南半球の暴風と逆に、北、西、南と一巡して帰って来た。これはメキシコ湾流の旋風の特徴で、旋風が起るのは、気流と潮流の温度の差によるものであった。豪雨につづいてすさまじい雷光があたりを照らし、雨脚が鋭い閃光にかわった。ネモ艦長は、彼にふさわしい死――雷光に打たれて死のうとしているのではないかと思われた。
ノーティラス号は猛烈に前後に動揺し、鋼鉄の衝角を空中高く上げるごとに、長い火花を散らした。私はすっかり疲れてしまい、くたくたになって、昇降蓋のところまで這って行き、ようやくそれを開けて広間へおりた。折しも暴風は絶頂に達していたので、艦内ではまっすぐ立っていることができなかった。十二時頃、ネモ艦長もおりて来た。それと同時に、水槽に水を入れる音がし、まもなくノーティラス号は静かに海中へ沈んだ。広間の窓からは、水中を幽鬼のように泳ぎ過ぎる怯えた大きな魚の影が見えた。
ノーティラス号は、なおも静かに沈降をつづけた。八尋ぐらいの深さまで沈んだら、海水も穏やかになるだろうと見ていたが、そうではなく、上部の方はまだ激しく動揺していた。二十五尋以上沈んでから、初めて私たちは休息の場所を見つけることができた。それは、しかし、なんという静かな、なんという平和な寂境であろう! あんなに恐ろしい台風がすぐ真上の海面で吹き荒れているとは、とても信じられない静けさであった。
二〇 北緯四七度二四分――西経一七度二八分
暴風のため、私たちは再び東方へ押し流されてしまった。ニューヨークかセント・ローレンスの海岸で脱走しようという希望も、これですっかり消え失せ、可哀そうなネッドは失望のあまり、ネモ艦長と同じように、自室に閉じこもったきり姿を見せなくなってしまったが、コンセイユと私はけっして離れなかった。
ノーティラス号は、東へ方向を変えたといったが、正確には、北東へというべきだったろう。その後数日間、艦は船乗りが最も恐れる濃霧に包まれながら、海面を走ったり、潜航したりして、航海をつづけた。この濃霧のためにこれまでどれだけの事件が起ったことだろう! ことに暴風の夜など、このためにどれだけの船が暗礁に乗り上げたり、衝突したりしたことだろう!
このあたりの海底はまるで戦場さながらで、海洋の征服者たる船舶が、累々とその死骸をさらしているのだった。ある船はすでに朽ち去り、ある船はまだ新しく、鉄や銅の金具がノーティラス号の探照灯に照らされてきらきら光っていた。
五月十五日に、艦はニューファウンドランド海床の南端に達した。この海床は主としてメキシコ湾流が赤道から運んでくる、もしくは、アメリカ海岸を伝って南下する逆寒流が北極から運んでくる、種々様々な有機物の堆積から構成されていて、そこにはまた流氷のもたらした漂石や、幾百万と知れない軟体物動の死骸が堆高く埋もれていた。ニューファウンドランド近海では、海の深さは大したことはなく、せいぜい数百尋にすぎなかったが、その南方には千五百尋の海溝があって、そこへ来ると湾流は急に幅が広くなり、速力も温度も失って、普通の海となってしまうのだった。
五月十七日、ハーツ・コンテントから八百キロへだたった千四百尋の深海で、私たちは海底電線を見た。コンセイユは、はじめそれを巨大なウミヘビだと思ったが、私はそうでないことを説明して聞かせ、なお彼の興味をそそるために、この海底電線の敷設に関するいろいろな逸話を話してやった。
最初の海底電線は、一八五七年から一八五八年にかけて敷設されたが、これは四百余通の通信を行なっただけで、不通になってしまった。そこで一八六三年にさらに新しい計画がたてられ、長さ二千マイル、重さ四千五百トンのものがつくられ、グレート・イースタン号の手で敷設されることになったが、この企てもまた失敗に終った。
しかし、この事業の発起者たるサイラス・フィールドは、決して失望しなかった。彼は自分の全財産を蕩尽《とうじん》しながら、あらたに寄付金を募集して、事業の継続を志し、前よりもいっそう入念な計画のもとに新しい電線をつくった。これらの電線の束は、それぞれペルシャゴムで包まれ、大麻の填絮《てんじょ》で保護され、その上を金属製のカヴァーで蔽われた。
グレート・イースタン号は、一八六六年七月十三日に出帆し、その敷設作業はだいたい順調にすすんだ。そして、七月二十三日に、グレート・イースタン号は、ニューファウンドランドから八百キロの地点に達したが、そのとき、プロシアとオーストリアとが、サドワの戦闘ののち休戦したというニュースを受電した。そして、二十七日には、濃霧の中を、ハーツ・コンテントに無事入港した。こうしてこの事業は、首尾よく成功したのである。
私は、こんな原始的な場所に電線があろうとは、予期しなかった。ノーティラス号は、その電線に沿って、二千二百十二尋もある最深所まで下ったが、電線はこの深海の底に別段繋留もされずに横たわっていた。まもなく私たちは、一八六三年に敷設作業の挫折した場所に達した。そのあたりの海底は、幅百マイルほどの谿谷を形成し、モン・ブランがそのまま入ってしまいそうな深さをもっており、この谿谷の東側には、高さ二千メートル以上の絶壁が垂直にそびえていた。
私たちがそこに着いたのは、五月二十八日であったが、ノーティラス号はその時アイルランドから百二十マイルほどの距離にあった。
ネモ艦長は、イギリス諸島に上陸するつもりなのだろうか? だが意外にも、艦長はここで突然針路を南へ転じ、もう一度ヨーロッパ近海へ引きかえしはじめた。エメラルド島をまわった瞬間、私の眼にちらっとクリーア岬の灯台が見えた。この灯台は、グラスゴーやリヴァプールから来る数千の船舶の道標であった。ふと私の心には、重大な疑惑が頭をもたげた。ノーティラス号は大胆にも海峡に入り込むつもりではなかろうか? 陸に近づくようになってから、ふたたび姿を見せるようになったネッド・ランドは、矢つぎばやに質問をあびせて、私を困らせた。
ネモ艦長は依然顔を見せなかったが、彼は意地悪くも、カナダ人にアメリカ海岸をちらっと見せたと同じように、こんどは私にフランス海岸を見せつけるつもりなのだろうか?
しかし、ノーティラス号はなおも南へ進みつづけ、五月三十日には、イングランドとシリー諸島との中間を、ランズエンド岬を右舷に眺めて通過した。もし海峡に入るつもりなら、東方へまっすぐ行かねばならぬはずだが、艦長はさすがにそれはしなかった。
五月三十一日、ノーティラス号は海面に浮かび上って、付近の海上に幾回も円を描いた。それは非常に私の興味をそそった。何かある位置を探しているらしく思われた。正午、艦長は自分で天測を行なうために姿を現わしたが、私には言葉もかけず、いつもよりいっそうふさいでいるように見えた。何でこんなにふさいでいるのだろうか? ヨーロッパの海岸へ近づいたためだろうか? 見すてた国を思い出しているのだろうか? 悔恨か未練か? そのことが長いあいだ私の心を去らなかった。私は遠からず艦長の秘密がなんとなく暴露しそうな一種の予感を持った。
翌六月一日も、ノーティラス号は前日と同じように幾日も海面に円を描いた。明らかに、この海洋中にある特殊な地点を探し求めているらしかった。正午になると、艦長は前日と同様に姿を現わして、自分で太陽の高度を測った。海は美しく凪ぎ、空は澄み渡っていた。そのとき東方十二キロばかりの水平線上に大きな汽船の姿が認められたが、マストに国旗が掲げてないので、その船籍を知ることはできなかった。
太陽が頂点を通過しようとする数分前に、ネモ艦長は六分儀をとって、注意深く観測をはじめた。海が鏡のように凪いでいたので、この作業はうまく行ったらしかった。その間、ノーティラス号はじっと動かずに海面に浮いていた。
観測が終ったとき、私は甲板上にいたが、不意に艦長が、「ここだ――」と、つぶやいた声を聞いた。
艦長はそのまま下へおりて行ったが、その時、水平線上の汽船が急に針路をかえて艦の方へ近づいて来るのに、彼は気がついたろうか? 私もすぐ広間に引き返した。同時に、昇降口が閉って、水槽に海水の奔入する音が聞こえ、ノーティラス号はまもなく垂直に沈降しはじめた。数分後に、艦は四百二十尋の海底に横たわった。天井の電灯が消えると、舷窓の扉が開き、周囲一キロほどの海中を探照灯の光が、まぶしく照らし出した。
左舷は満々たる水の世界で何も見えなかったが、右舷を見ると、海底に大きな隆起があって、私の注意を引きつけた。雪のように真っ白な貝殻に蔽われた廃墟のようでもあったが、よく注意して見ると、それはマストのない大きな船で、確かに旧時代のものだった。この難破船は、これほど石灰質で固められているところから見ても、海底に沈んでからすでに長い年月を経過したものに相違なかった。
この船は一体なんだろうか? ノーティラス号はなぜこんな船の残骸をわざわざ訪ねたのだろうか? そのとき、ネモ艦長が私に近づいて、低い声でささやいた。
「この船は一時マルセイユ号と呼ばれたフランスの軍艦で、七十四門の砲を備え、一七六二年に進水したものです。一七七八年八月十三日に、ラ・ポワイプ・ヴェルトルーに指揮されてプレストン号と勇敢に戦い、一七七九年七月四日には、エスタン提督の艦隊に属して、グレナダの攻略戦に参加し、また一七八一年九月五日には、チェサピーク湾のコント・ド・グラッスの戦いにも参加しています。一七九四年に、この船はフランス共和国によって改名され、同じ年の四月十六日に、ブレストでヴィラレ・ヨワイユーズの艦隊に属し、ヴァン・スタベル提督指揮のもとにアメリカから来る穀物船の護衛に当りました。そして翌年|共和暦第九月《プレーリアル》(太陽暦の五月二十日より六月十八日までをいう)の十一日と十二日にイギリス軍艦と戦って沈んだのです。今日は一八六八年六月一日ですが、ちょうどプレーリアルの十三日にあたるわけです。この船が北緯四七度二四分、西経一七度二八分のこの場所に沈んでから、今年で七十四年になります。この船は勇敢に戦いましたが、三本のマストは折れ、艦艙《かんそう》には水が侵入し、乗組員の三分の一を失ったので、残る三百五十人の乗組員は、降伏するよりも沈没を選んだのでした。そして最上後甲板に国旗を釘づけにし、『共和国万歳』を叫びながら、彼らは海の藻屑と消えたのでした」
「復讐号ですね!」と、私は叫んだ。
「そうです、復讐号です。実にいい名前ではありませんか」
ネモ艦長は腕を組みながら、そうつぶやいた。
二十一 復讐の犠牲
最初は冷静な態度で、この思いがけない光景の物語や、愛国船の歴史を語っていたが、最後に復讐号の名前を口にしたとき、この不思議な人物が異常な興奮をしめしたのを、私は見のがさなかった。彼は、腕を組んだまま、燃えるような眼で、この光栄ある難破船をじっと見つめていた。私は、彼がどんな経歴の人物で、どこから来て、どこへ行こうとしているのか、全然知らなかったが、艦長と彼の部下が、ノーティラス号に閉じこもっているのは、普通一般の厭世観からではなく、それが凶暴なものであるか崇高なものであるかは別として、深い憎悪――時がたっても決して弱められぬ憎悪のためであることは、明らかだった。その憎悪は、今もなお復讐を求めているのだろうか? それはやがてわかるだろう。
ノーティラス号は、静かに海面へ浮揚しはじめ、復讐号の残骸は次第に見えなくなった。まもなく、艦は軽く動揺して、広い大気の中に出たことがわかった。と、そのとき、突然鈍い轟音があたりの空気を震わした。私は驚いて艦長の顔をながめたが、彼はじっと眼をとじたまま動かなかった。
「艦長!」と、私は呼びかけた。
彼は答えなかった。私は、彼をそのままにしておいて、急いで甲板に出てみた。コンセイユとカナダ人もすでに甲板に出ていた。
「いまの音はどこから聞こえたのかね?」
「あれは大砲の音ですよ」と、ネッド・ランドが答えた。
私はさっき見かけた汽船の方を見た。その汽船はノーティラス号の方へ近づきつつあった。艦との距離は六マイルほどだった。
「あの船は何だろう、ネッド君?」
「索具やマストの様子からいって、軍艦だと思いますね。もっと近づいて来りゃいいのに――なんなら、こんないまいましいノーティラス号なんか、撃沈してくれればいいんだ」
「だけど、ネッド君、このノーティラス号には歯がたたんよ。どんな軍艦だって、海の底まで砲撃することはできんからね」と、コンセイユが口を入れた。
「おい、ネッド君、どこの国の軍艦だろうね?」と、私は言った。
カナダ人は、眉を寄せ、眼を細めて、しばらくの間その船をじっと見つめていたが、
「わかりませんね。国旗を揚げていないんで。しかし、軍艦にはちがいありませんよ。メーンマストに長旗がひるがえってますもの」
十五分ばかり、私たちは近づいて来るその船を見まもっていた。しかし、私はあんな遠くからその軍艦がノーティラス号を見つけて、潜水艦であることを看破したとは信じられなかった。まもなく、カナダ人はその汽船が二重甲板で、衝角のある、大きな軍艦であると報告した。その二本の煙突からは、黒煙が濛々とあがり、長旗が細いリボンのように嵐になびいていた。軍艦は全速力で進んでいた。もしネモ艦長がもう少しあの軍艦の近づくのを放っておいてくれれば、私たちは救われるかもしれないと思った。
「先生、あの軍艦が一マイルのところまで近づいたら、わたしは海中へ飛び込みますよ。先生もそうしてください」と、ネッド・ランドが言った。
私はカナダ人の提案には答えずに、なおもその軍艦を見つづけていた。イギリスの軍艦か、フランスの軍艦か、アメリカの軍艦か、ロシアの軍艦かはわからないが、どこの国の軍艦にしても、あの船に泳ぎ着くことができれば、私たちは必ず救われるのだと思った。と、その時、白い煙がパッと軍艦の艦首に上ったかと思うと、数秒して何か重いものがノーティラス号の艦尾に落下し、凄まじい爆音と共に高い飛沫をあげた。
「おや、この船を砲撃してるぞ!」と、私は叫んだ。
「結構じゃありませんか。一角獣とでも思って砲撃してるんでしょう」と、ネッドは言った。
「しかし、人間が乗っているのがわからないのかな?」
「わかるからこそ、砲撃してるんでしょう」と、ネッド・ランドは私の顔を見ながら答えた。
パッと一道の光が私の心を照らした。そうだ、彼らは怪物の正体をちゃんと知っているのだ。きっと、カナダ人がエブラハム・リンカーン号の艦上から銛を投げたとき、ファーラガット艦長は、その一角獣の正体を超自然的な巨鯨よりも危険な潜水艦だと看破したのだ。確かにそうだ。そしてそれ以来、彼らは世界のあらゆる海洋をしらみ潰しに、この恐るべき破壊力をもった潜水艦を探しているのだ。
もし私たちの想像通り、ネモ艦長がノーティラス号を復讐に使用しているとしたら、彼らにとってそれはどんなに恐ろしい存在か知れないからである。私たちが密室に幽閉された夜、インド洋の真ん中で、艦長はある船を攻撃しなかったか? サンゴの塚に葬られた艦員はノーティラス号によって引き起された戦いの犠牲者ではなかったか? 確かにそうだ。ネモ艦長の秘密の存在はすでに一部分暴露されているのだ。もし彼の正体が認められなかったら、少なくとも諸国民は、この得体の知れない動物狩りにいまだに憂身をやつしているはずはないからだ。
砲弾はつづけざまに捻りをあげて私たちの周囲に落下したが、ノーティラス号には一発も命中しなかった。軍艦は三マイルほどの距離に迫って来た。だが、こんなに激しい攻撃を受けながら、ネモ艦長はまだ甲板に姿を現わさなかった。もし円錐形の砲弾が一発でもノーティラス号の胴体に当ったら、それきりだろうに。そのとき、カナダ人が言った。
「先生、こうなったら、わしたちは全力をつくしてここから逃げ出す工夫をしなければなりませんよ。ひとつ合図をして見ようじゃありませんか。そうしたら、たぶん奴らも、わしたちに敵意のないことを知るでしょうから」
ネッド・ランドはハンカチーフを取り出して、それを振ろうとした。と、だしぬけにうしろから鉄のような頑丈な手がのびたかと思うと、かわすひまもなく大力のネッドを甲板上に打ち倒した。
「馬鹿め、あの船をやっつける前に、このノーティラス号の衝角で八つ裂きにされたいのか!」と、艦長がどなった。
このときのネモ艦長の声の恐ろしさ、形相の凄まじさは形容を絶していた。彼の顔色は興奮のために真っ青に変っていた。彼は倒れているカナダ人に躍りかかるや、その肩を抑えつけて、何かどなりつづけていたが、やがてネッドを離すと、なおも砲弾を彼の周囲に集注しつつある軍艦の方に向き直って、力強い声で叫んだ。
「やい、呪われた国の船、貴様はこのわしが誰であるか知っているのか? 貴様の国の国旗などは知りたくもない。さあ、見ろ、わしの旗を見せてやろう!」
ネモ艦長は、南極で立てたのと同じ黒色旗を、甲板の前方にひるがえした。その瞬間、敵の放った一弾が、ノーティラス号の艦体に当ったが、それは不発のまま艦長の近くではねかえって、海中に落ちた。艦長は肩をそびやかし、私を振りかえって、早口に言った。
「おりてください。お連れの方と一緒におりてください」
「艦長、あなたはあの軍艦を攻撃なさるおつもりですか?」
と、私は思わず大声で言った。
「撃沈するつもりです」
「思い止まって頂けませんか?」
「断じてやるつもりです。何も言わないでください。あなたは、見てはならないものを見たのです。さあ。攻撃がはじまります。早くおりてください」と、彼は冷然と答えた。
「あれはどこの国の船ですか?」
「ご存じなかったのですね。それは好都合でした。あの船の国籍は、少なくともあなたには秘密です。さあ、早く降りてください」
私たちは、命令に従うほかなかった。艦長を取りかこんだ十五人ばかりの乗組員は近づいて来る軍艦を憎悪に燃える眼で睨みつけていた。復讐の念は、どんな人間の魂をも奮いたたせるものである。私が艦内におりた瞬間、二発目の砲弾がまたノーティラス号に命中したようであったが、つづいて艦長の叫び声が聞こえた。
「撃て、気狂い船! いくらでも無駄弾を撃つがいい。だが、どんなにもがいても、貴様はノーティラス号の衝角をのがれることはできないのだぞ。しかし、貴様が沈むのはここではない! 復讐号の遺骸と貴様の死骸とを一緒にすることはできない!」
私は自分の部屋に帰った。艦長と副長はいつまでも甲板に残っていた。推進器が回転しはじめると、ノーティラス号は全速力を出して着弾距離を脱したが、軍艦は依然追跡を止めなかった。ネモ艦長は巧みに同じ間隔を保って艦を進めた。
午後四時頃、私はもう我慢できなくなって、中央階段のところへ行った。昇降口は開いていた。で、私はそっと甲板に出てみた。艦長は依然せわしい足取りで、甲板上を歩きまわりながら、風下五、六マイルの距離をへだてて艦を追って来る軍艦をじっと見つめていた。
艦長は軍艦を東方へ誘いよせるために、敵の追跡を許しているらしかった。彼はまだ攻撃にかからなかった。たぶん躊躇しているのかもしれない。私はもう一度仲裁してみようと思った。が、私がまだ一言も口をきかないうちに、ネモ艦長は私の姿を認めて、おっかぶせるように言った。
「わたしは掟であり、審判者であるが、同時にわたしは被圧制者でもあるのです。わたしは圧制者のために、愛するもの、いとしいもの、崇めるもののすべてを――国も、妻も、子供も、父も、母も――すべてを失ってしまったのです。わたしは、それらのすべての者が滅ぼされるのを見たのです。あすこにいるのは、わたしの仇敵です。もう何も言わずにいてください」
私は、全速力で進んで来る軍艦に最後の一瞥をなげてから、ネッドとコンセイユのところへおりて行った。
「逃げることにしよう」私は興奮して言った。
「結構ですな。でも、あれはどこの国の軍艦でしょうか?」と、ネッドがたずねた。
「わからない。が、そんなことはどうでもいいじゃないか。あの船も夕方頃は撃沈されるだろう。とにかく、理由のわからぬ復讐の手伝いをするよりは、あの軍艦と一緒に沈められた方がましだよ」
「わしも同じ考えですが、夜まで待ちましょう」と、ネッド・ランドは落ちついて言った。
夜になった。艦内は深い沈黙にとざされていた。羅針盤は、ノーティラス号が依然同じ針路をとって進んでいることを示した。艦はかすかに横揺れしながら、海面を走りつづけていた。私たち三人は、相手の軍艦の乗組員の声が聞こえ、その姿が見えるほど距離が縮まったなら、その時をのがさず脱走しようと相談を決めた。幸いなことに満月にまもない月が明るく照り輝いていた。ネモ艦長はまだ攻撃にかからず、敵を間近に引きよせてはまた引き離している様子だった。
夜は何ごともなく更けて行った。私たちは逃げる機会を狙っていた。あまり身体を動かし過ぎたので、私たちはろくに口もきかなかった。ネッド・ランドは幾度も海に飛び込みたがったが、私は強いておしとどめた。私の考えでは、ノーティラス号は軍艦の吃水線下を狙って攻撃するにちがいない。それなら、逃走は可能なばかりか、容易でもあったからである。
午前三時頃、私はたまらなく不安になって、甲板に出て見た。ネモ艦長はまだ甲板に残っていた。彼は微風になびく艦首の旗のそばに立って、軍艦の方をじっと睨んでいた。彼の緊張した顔つきは美しく見えた。月はちょうど頂点に達し、東の空には木星が静かにまたたいていた。このあくまで平和な自然の景色と、いまノーティラス号を包んでいる眼に見えない荒々しい感情とを比較したとき、私は思わず戦慄を覚えないわけには行かなかった。
軍艦はノーティラス号から二マイルばかりのところにあったが、ノーティラス号の存在を示す燐光をたよりに、次第に近づきつつあった。軍艦の緑色灯と赤色灯と前檣《ぜんしょう》の白色灯が薄闇の中に見えた。索具が震えているのはボイラーが極度に熱せられているためであろう。無数の火花と赤い灰が煙突から吐き出され、それが大気の中で星のように輝いていた。
私はこうして朝の六時まで甲板に出ていたが、ネモ艦長は気づかなかった。軍艦は私たちより一マイル半ばかりのところに近づいていたが、夜明けとともにふたたび砲撃をはじめた。私が下へおりようとしたとき、副長が数名の艦員を連れて甲板に上って来たが、ネモ艦長はそれにも気がつかず、振り向こうともしなかった。攻撃開始の合図ともとれるような手段が採られた。それは非常に敏速で簡単だった。甲板の周囲の鉄の欄干が低められ、探照灯も操舵室も艦内におし込められて、甲板と平行になってしまった。私は広間に帰った。ノーティラス号はまだ海面に浮かんでいたが、一道の光が海水の中を走った。波のうねりにつれて朝日の光がさし、窓の外が明るくなった。六月二日のこの恐るべき日は、明けはなれたのである。
午前五時、測程器はノーティラス号の速力が減退したことを示したが、これは軍艦をもっと引きつけるためらしかった。それと同時に、砲声はますますはっきりと聞こえ、海中に落下する砲弾の凄まじい音が、事態の急追を告げた。
「いよいよ来たぞ。さあ、お互いに手をにぎりあって、神の加護を祈ろう!」と、私は言った。
ネッド・ランドは毅然としていたし、コンセイユも落ちついていたが、私自身はなんとなくいらいらして、どうしていいかわからなかった。私たちは一緒に図書室に入ったが、何気なく中央階段の方へ通ずる扉を押すと、そのとたんに上部の昇降蓋が鋭く閉まる音が聞こえた。カナダ人は階段の方へ駈けつけようとしたが、私はおしとどめた。聞き慣れた騒がしい音が、水槽に海水の奔入していることを知らせた。やがて数分とたたぬうちに、ノーティラス号は海面下数メートルのところに沈んだ。その行動の目的が、私にはよくのみこめた。ノーティラス号は軍艦の堅固な装甲を狙わずに、比較的脆弱な吃水線下を攻撃しようとしているのだ。
私たちはふたたび幽閉されて、かねて企まれたこの恐ろしい悲劇を目撃しなければならなくなったのである。三人はぼんやり私の部屋に戻って、黙って互いに顔を見合わせた。私の心はまるでしびれたようになっていた。私はあらゆる感覚を耳に集めて恐ろしい報告を待った。ノーティラス号は急に速力を増しはじめた。それは攻撃開始の前知らせであった。艦全体が激しく震動した。
突然、私は衝撃を感じて、アッと叫んだ。それは比較的軽微な衝撃だったが、鋼鉄の衝角が何かに食い入るような感じだった。つづいて、鋭い金属の砕ける音、裂ける音が聞こえた。ノーティラス号は針を帆布に突き刺すように、非常な推進力で軍艦の胴体を貫いたのだ。
私は、ながく立っていることができなかった。気が狂いそうになって、自分の部屋から広間へ駈け込んだ。そこにはネモ艦長が、解き難い沈痛な表情をして、黙って左舷の窓をのぞいていた。見ると、一つの大きな影が水中を落ちつつあった。ノーティラス号は相手の苦悶を残りなく味わうために、撃沈した軍艦と一緒に海底さして沈んで行こうとしているのだ。私の眼前十メートルほどのところには、軍艦の無惨な破孔が見え、そこから海水がものすごい音をたてて奔入していた。つづいて、甲板上の二重砲列と索具が見え、艦橋には真っ黒な人影がうようよ動いていた。
水は次第に嵩《かさ》を増し、哀れな乗組員は、マストにかじりついたり、水中でもがいたりしていた。私はあまりの恐ろしさに髪は逆立ち、瞳孔は開き、息が止まりそうになって、声も出なかったが、なおもじっと見つめていた。抵抗し難い力に引きずられて、私はどうしても窓ガラスからはなれることができなかった。
と、突然、大爆発が起った。圧縮された空気が、ちょうど火薬庫に火がついたように甲板を吹き飛ばしたのだった。不幸な軍艦はいよいよ急速に沈んで行った。乗組員が鈴なりにかじりついている中檣《ちゅうしょう》、人の重みで曲っている円材、最後に主檣《しゅしょう》の頂点が見えた。が、次の瞬間、その真っ黒な塊りも見えなくなり、同時に、死んだ乗組員の死体が強力な渦の中に巻き込まれて行った。
私はネモ艦長の方を振りかえった。恐るべき復讐の使徒、憎悪の大天使は、まだ立って窓外を見つめていたが、やがてすべてが終ると、彼は自分の部屋に帰り、扉を開けて中に入った。私は、彼の姿をじっと見送った。艦長室の正面の壁には、まだ若い婦人と二人の子供の肖像画が懸っていた。ネモ艦長はしばらくのあいだその肖像画を見上げていたが、やがて両手をその方へさしのばすと、その場にひざまずき、声をあげてむせび泣いた。
二十二 ネモ艦長の最後の言葉
まもなく、窓の鉄扉《てっぴ》は恐ろしい幻を私の眼前からかき消したが、広間には電灯が点らなかった。ノーティラス号は死のような静寂と闇にとざされたまま、この荒涼たる戦場をあとに、海面下三十メートルの水中を全速力で離れて行った。どこへ行くつもりなのか? 北か、南か? このような恐ろしい復讐を果した後、あの不思議な人物は、どこへ急ぐのだろうか? 私は自分の部屋に帰ったが、そこにはネッドとコンセイユがまだ残っていて、黙りこんでいた。私はネモ艦長に対してどうすることもできない恐怖を感じた。たとえ彼があの人たちからどんな苦しみを受けたにしても、あのような刑罰を与える権利はないはずである。彼は私を、共犯者にしないまでも、少なくとも復讐の証人にしたのだ。
十一時頃、電灯が点いたので、私は広間へ行って見たが、ガランとして誰もいなかった。計器を調べてみると、ノーティラス号は一時間二十五ノットの速力で、あるいは海上を、あるいは水面下十メートルの海中を、北方へ進んでいた。海図で位置を測ると、艦はちょうどイギリス海峡の入口を通過し、恐ろしい速力で北の海へ向かって走っていた。その夜、私たちは大西洋を二百リーグ以上も突破した。日が暮れて、海は闇におおわれたが、やがて月がのぼった。私は自分の部屋に戻ったが、眠れなかった。恐ろしい悪夢に悩まされ、凄惨な破壊の光景が、いつまでも眼の前にちらついて、離れなかった。
その日以来、私はノーティラス号が北大西洋のどの方向へ進んでいるのか、皆目わからなくなった。来る日も来る日も、北方の濃霧の中を、艦はものすごい速力で走りつづけて行くのである。スピッツベルゲンかノヴァヤ・ゼムリヤの海岸にでも行くのだろうか? われわれのまだ知らない海洋――白海とか、カラ海とか、オビ湾とか、リアロフ群島とか、その他アジアの未知の海岸を探検するつもりなのだろうか? 私には全然わからなかった。
いつのまにか艦内の時計が全部とまってしまったので、極地におけるように、夜と昼の区別もわからなくなった。それはエドガー・アラン・ポーが空想したあの不思議な世界に引きずりこまれて行くような感じだった。私は、ポーの物語のゴードン・ピムのように、『極地の境にある巨大な瀑布の彼方に住んでいる、地球の住民よりもはるかに大きな謎の人間』の姿を見る日を秘かに待ちうけるようになった。
ノーティラス号のこの冒険的なコースは十五日ないし二十日は(正確なことはわからなかったが)つづいたように思われた。しかも、この航海が今後いつまでつづくのかは、私にもわからなかった。その後は、ネモ艦長も副長も、全然姿を見せなかった。一時は艦員の影も認められなかった。
ノーティラス号は、ほとんど絶えず海中を潜行していた。換気のために、海面に浮き上るときも、昇降蓋がただ機械的に開閉するだけであった。海図にも位置が記入されなかったので、私たちは一体どこにいるのか、見当がつかなかった。カナダ人はすっかり絶望して、部屋から出て来なかった。コンセイユは、彼が一ことも物を言わないので、突然気が狂って自殺でもしやしないかと、たえず看視を怠らなかった。
ある朝(幾日だったか覚えていないが)私は心配と疲労とでぐっすり寝こんでいると、突然誰かに呼び起された。気がついて見ると、ネッド・ランドが私の上にかがみ込んで、低い声でささやいていた。
「逃げましょう」
私は驚いて起き直った。
「いつ?」
「今日の晩です。ノーティラス号の警戒はすっかり緩んで、みんなぼんやりしています。用意してください」
「よろしい。だが、ここはどこだ?」
「とにかく、陸が見えます。今朝、霧の中で測定したのですが、東の方二十マイルばかりのところに陸が見えるのです」
「どこの国だろう?」
「わかりません。しかし、どこだってかまやしませんよ。とにかく逃げましょう」
「そうだ、そうだ! よし、今夜逃げよう。海に呑まれたってかまうことはない」
「海は荒れていますが、ノーティラス号のあの軽いボートでなら、二十マイルぐらい平気です。艦員に気づかれないように、食糧も水も用意しておきました」
「よし、君のいうとおりにするよ」
「しかし、もし発見されたら、わしは抵抗しますよ。殺されるまで戦いますよ」
「死なばもろともさ」
私は、すっかり覚悟を決めた。カナダ人は私の部屋を出て行った。私は甲板に出てみたが、波の動揺で危うく転げそうになった。空は暗澹としていたが、濃い灰色の光の中に、陸地の影が見えたので、私はいよいよ逃げるときが来た、と思った。
私は広間に帰ったが、ネモ艦長と会うのが恐ろしいような、それでいてひと目会いたいような、矛盾した気持に襲われた。しかし、彼に会ったとき、私は平気で言葉をかけることができるだろうか? 内心の恐怖を隠すことができるだろうか? いや、顔を会わせないほうがいい。忘れてしまったほうがいい。
しかも――ノーティラス号で過す最後のこの日が、どんなに長く思われたことか! 私はただ一人で終日過した。ネッド・ランドとコンセイユは、計画の露見を恐れて、口を交わさなかった。六時に食事が運ばれて来たが、私は少しも食欲がなかった。しかし、身体を弱らせないために、無理につめ込んだ。六時半にネッド・ランドが、部屋にはいって来て、言った。
「出発まで、お目にかからないようにします。十時にはまだ月がのぼりませんが、闇のほうがかえって都合がいいでしょう。ボートのところまでおいでください。コンセイユ君と二人で、お待ちしていますから」
カナダ人は、私の返事も聞かないで、出て行った。ノーティラス号の針路を確かめようと思って、私はもう一度広間へ行ってみた。艦は恐ろしい速度で、水深五十メートル以上の海中を、北々東に向かって走っていた。私は、やがてネモ艦長と共に海底に消えてしまう珍奇な博物の標本や、貴重な美術品に、最後の別れを告げた。私はいつまでも忘れないようにそれらの印象を心に刻みつけておきたいと思った。天井から降りそそぐ輝かしい電灯の光を浴びながら、私はガラス箱の中の宝物を一時間ばかりながめてから、自分の部屋に戻った。
私は丈夫な防水服に着替え、そして細かく書きためておいた自分の手記を一まとめにした。私の心臓は激しく高鳴り、どうにもその動悸を静めることができなかった。私のこの苦悶と興奮は、きっとネモ艦長の眼には、すぐ看破されてしまうだろう。だが、それにしても艦長はいま何をしているのだろうか? 私は彼の部屋の扉口に行って聴き耳をたてた。足音が聞えた。彼は確かにそこにいて、まだ寝ていないのだ。私はいまにも彼がひょっくり現われて、どうして脱走する気になったのか、とたずねそうな気がしてならなかった。
私はたえず警戒をつづけた。私の想像力は、あらゆる事柄を誇大化して私を脅かした。そのため、しまいには、いっそ自分から艦長室へ出かけて行って、自分の顔つきなり態度なりで、彼を安心させたほうがよくはないだろうか、とさえ思うようになった。
それはしかし、狂人の思いつきだった。私はやっとその欲望に打ち勝ち、寝床に横たわって、興奮を静めることに努めた。私の神経は幾分平静になったが、それと同時に興奮した頭の中に、ノーティラス号の中で見聞したいろいろなことが、次々と新しく思い出された。――私がエブラハム・リンカーン号から姿を消して以来、私の周囲に起った幸福な、あるいは不幸なさまざまな出来事――海底の狩猟、トレス海峡、スエズ・トンネル、サントリニ火山島、クレタ島の潜水夫、ヴィゴ湾、アトランティスの廃墟、氷山、南極、氷の牢獄、大ダコとの闘い、メキシコ湾流中の暴風雨、復讐号、撃沈された軍艦の凄惨な最後、それらの出来事のすべてが、劇の場面みたいに眼の前を通り過ぎた。すると、ネモ艦長が途方もない巨大な超人のように私には思われてきた。彼はもはや私と同列の者ではなく、海洋の巨人、海の魔人であった。
ちょうど九時半だった。私は割れそうな頭を両手でかかえて、じっと眼を閉じた。もう何も考えたくはなかった。まだ半時間待たねばならなかったが、それは悪夢の半時間だった。その間じゅう、私は気が狂いそうだった。
その時、かすかにオルガンの音が聞こえてきた。それは、なんとかしてこの地上の羈絆《きはん》を絶とうとする、魂のすすり泣きにも似た、物悲しげな哀切の曲であった。私はすべての感覚を耳にあつめて、ほとんど息もつかずに、うっとりとそれに聞き入った。
そのうちに、突然、あることに気がついて、私は恐怖に震えあがった。ネモ艦長は自分の部屋にいないのだ。私が脱走するにはどうしても通らなければならないあの広間にいるのだ。いよいよという時、私はそこで彼と顔を合わせなければならないのだ。彼は私を見てきっと話しかけるだろう。そうなれば、彼の姿を見ただけで私は気がくじけ、彼の一言を聞いただけで、私はこの艦に釘づけされてしまうにちがいない。
が、十時が、いよいよ迫って来た。もうそろそろ部屋を出て、仲間のところへ行かねばならない時刻だった。
たとえネモ艦長が私の前に立ちふさがろうと、私はためらってはならないのだ。私はそっと扉を開けた。その時、扉の蝶番が動いただけなのに、私には、それが恐ろしい音をたてたように思われた。私の想像力は極度に鋭敏になっていた。
私は暗い通路に沿って這うように進んだが、一足ごとに立ち止まって、心臓の鼓動をしずめなければならなかった。ようやく広間の扉口に近づいて、そっと扉を開けると、中は真の闇で、かすかにオルガンの音が鳴っていた。そこにはネモ艦長がいた。しかし、彼は私の方を振り向こうともしなかった。明るい光の中でも、おそらく私に気がつくまいと思われるほど、彼はまったく音楽に夢中になっていた。
私はぬき足さし足で、こっそり絨毯の上を横ぎった。そして五分ほどかかって、向こう側の図書室に通ずる扉口に達した。
そこの扉を開けようとしたとたんに、ネモ艦長が深い溜息をついたので、私はそこに釘づけにされてしまった。私は彼が立ち上ったのを知った。図書室の電灯が広間に射してきたので、彼の姿がありありと見えた。彼は腕を組みながら、歩くというよりもむしろ幽霊のようによろめきながら、私の方へ近よって来た。彼の胸は鳴咽で波打っていた。私の耳は彼が次のような言葉をつぶやくのを聞いた。(これが私の聞いた彼の最後の言葉だった)
「全能の神よ、もうたくさんです! たくさんです!」
これは果して、この男の良心から出た悔恨の告白だったのだろうか?
思い切って私は、図書室を突きぬけ、中央段階を上り、ボートのところへ駈けつけた。そして、すでに二人の仲間が待っているボートの中へ潜りこんだ。
「さあ、行こう! 行こう!」と私は興奮してせきたてた。
「すぐ出します」と、カナダ人が答えた。
ノーティラス号の方の鉄扉をまず閉めて、ネッド・ランドが用意して来た合鍵をかけた。それからボートの扉も閉めた。つづいてカナダ人は、潜水艦とボートを結びつけているボルトをはずそうとした。
と、突然、艦内に騒がしい物音が聞え、何か声高に呼びかわす人声が私の耳を打った。何ごとが起ったのだろう? 私たちの脱走に気づいたのだろうか? ネッド・ランドは短剣を私に渡した。
「よし、いさぎよく死のう!」と私はつぶやいた。
しかし、そのとき艦内からもれてくる一つの言葉が、この突然の騒動の原因を私に知らせた。艦員たちは、私たちを探しているのではなかった。
「メールストローム! メールストローム」私は思わず叫んだ。
メールストローム! 私たちにとってこれほど恐ろしい言葉があるだろうか! すると私たちはノルウェーのこの最も危険な沿海に来ていたのか?
ノーティラス号は、私たちのボートがいよいよ艦を離れようとした瞬間に、この恐ろしい深淵に引きこまれたものと見える。フェロー諸島とロフォーテン諸島との間でせきとめられた海水が、満潮時と干潮時に抵抗し難い激しい勢いで奔流し、どんな船ものがれることのできない巨大な渦巻をつくり出すことは、私たちもかねてから知っていた。水平線の八方から巨大な波がおしよせて、『大洋の臍《へそ》』といわれる渦を作っているのだが、その吸引力は十二マイルの遠距離にまでおよび、船ばかりでなく、クジラやシロクマさえも、この中に巻きこまれたら最後、助かる望みはないと言われているのだ。
故意か偶然か、ノーティラス号は、ネモ艦長によってこの渦の中に乗り入れられたのである。
艦は、螺旋形に円周を描きながら、次第に渦の中心に巻きこまれて行った。そして、それと同時に艦の側面にひっついているボートも、非常な速力で運ばれて行った。私はこの長い連続的な旋回運動のために、たまらない眼まいを感じた。
私たちの恐怖は絶頂に達し、血の循環は止まり、神経は麻痺し、冷たい汗が全身を浸した。私たちの弱いうめき声は外界の騒音に呑まれて、ものすごい咆哮が数キロ四方に反響した。それはいかなる物をも打ち砕かずにはおかない、海底の鋭い岩礁にあたって砕ける、波の叫喚だった。
なんという凄まじさだろう! 私たちは、ただ無茶苦茶にゆすぶられつづけた。ノーティラス号はさながら人間のように戦っていたが、その鋼鉄の筋肉は傷つき破れ、時々私たちの乗っているボートもろとも、棒立ちになった。
「しっかりつかまって、ボルトに注意していてくださいよ。ノーティラス号にしっかりくっついていれば、助かるかもしれませんから――」とネッドが言った。
が、この言葉が終るか終らないうちに、何か砕け飛ぶ音がして、ボルトがはずれ、ボートは艦の小穴からはねとばされて、投石器をはなれた石のように、渦巻の真只中に投げ出された。私は鉄板に頭を打ちつけ、激しい衝撃をうけて、そのまま気を失ってしまった。
二十三 結び
こうして、私たちの海底旅行は、ついに終ったのである。
その夜どうして過したのか――ボートがどうしてメールストロームの大渦《おおうず》から脱したのか――ネッドとコンセイユと私自身が、どうしてこの深淵からのがれ出ることができたのか。私には全然覚えがないのである。
気がついたときは、私はロフォーテン諸島のある漁夫の小屋に横たわっていた。私の二人の連れも無事で、私のそばに付き添って、私の手をにぎっていた。私たちは、互いに抱き合って無事だったことを心から喜び合った。
私たちはそれからすぐフランスへ帰ることはできなかった。当時ノルウェーの北部と南部との交通はきわめてまれだったので、私たちはノース岬から月に一回来る定期船を待たなければならなかった。
そこで篤志な人たちから、親切なもてなしを受けている間に、私はもう一度この冒険的手記を書きなおした。事実は一つも書きもらさなかったし、また少しの誇張もしなかったつもりである。これは、今日の人々にはちょっと想像もつかない不思議な探検旅行の忠実な記録であるが、しかし、世の進歩はいつかこうした旅行をも一般化することであろう。
読者諸君がはたしてこの物語を信じるかどうか、私にはわからない。しかし、そんなことは結局どうでもいいことである。ただ私がここに断言できることは、私たちがわずか十カ月足らずの間に二万リーグにわたって世界の海底を周遊し、多くの驚異に出会ったということである。
それにしても、ノーティラス号はどうなったか? あのメールストロームの大渦を無事に脱しただろうか? ネモ艦長は今なお生きているだろうか? あの恐ろしい復讐をまだ海底でつづけているだろうか? それともあの最後の殺戮の後に彼は復讐を思い止まっただろうか?
彼の生活の歴史にもふれたこの原稿を海に流したなら、いつかは彼の手にとどくだろうか? 私は永久にあの人物の真の名前を知ることができないのだろうか? 難破船の国籍を詳細に調べたなら、ネモ艦長の姓名を知ることができないだろうか?
私はそれを希望する。また、彼の強力な潜水艦があの恐ろしい深淵を征服し、これまで多くの船を呑んだあの渦を無事に脱し得たことを希望する。もしそうだとしたら――ネモ艦長が依然海洋に生存しているとしたら――願わくば、あの自然の心が彼の憎悪を和らげ、幾多の驚異がその復讐を忘れさせ、そして彼が審判者としてではなく、一人の哲学者として海洋の平和な探検をつづけていてくれるように。彼の運命は怪奇ではあるが、同時に荘厳でもある。私はそれをよく理解している。そして私は十カ月の間、ノーティラス号に乗ってあの世にも不思議な生活を送ったのである。三千年前『伝道の書』によって発せられた『ものごとの理は遠くしてはなはだ深し、誰かこれを究《きわ》むることを得ん』との問いに対して答える権利をもっている者は、現在生きている者では二人しかいない。
それはネモ艦長と私自身である。 (完)
解説「ジュール・ヴェルヌその人と作品」
ジュール・ヴェルヌはいま栄光の絶頂にあるように見える。原子力潜水艦ノーチラス号は彼の夢を現実のものとしてくれたし、アポロ十一号の月征服は彼の予言の正確さを証明してくれた。二十世紀後半のめざましい科学の発展にともなって、ヴェルヌの作品の読者層は子供から大人へと急速に拡大された。第二次大戦後の十年間に、最も数多く外国語に翻訳されたフランスの作家はヴェルヌである、とユネスコの調査も発表している。
祖国フランスにおいても、一九六六年以来、彼の傑作選集が刊行され、もはや彼がH・G・ウェルズとならんで、近代SF小説の始祖であることを疑う人はいないだろう。
SF小説ばかりでない。現代小説においてファンタスチックヘの傾向が現われるたびに、ヴェルヌの名前は必ずといっていいほど引き合いに出される。第二次大戦後の流行として、十九世紀小説の分析にあたって、従来のような合理主義的なとらえ方だけでなく、それに加えて非合理主義的な精神の存在が強調されるのがふつうである。たとえばバルザックは、「人間喜劇」を外面的に規定する大掛りな人間社会の整理分類家であるばかりでなく、実はそれらの社会科学的な人間観の持ち主の側面以上に、無限を志向する巨大な「夢」の提供者であったことが強調される。「幻視家バルザック」(アルベール・ベガン)のイメージは、意外とわれわれ現代人に近いバルザック像を再発見させてくれた。
ジュール・ヴェルヌに関しても、バルザックに対するのと同じ見方がなされることは可能であろうし、また最近のヴェルヌ再発見の動きのなかにそれがあることは否定できない。ヴェルヌにとって科学とは、巨大な空想世界へ出発するための起爆薬にすぎず、ひとたび空想の翼に自由な力が与えられれば、不用となったロケットのごとく切り捨てられることは明らかである。
いまや問題にされるのは、彼の科学的知識や予言の正確さよりも、それらによって触発された夢の内容である。だからこそ「ヌーヴォ・ロマン」派のチャンピオンであるミシェル・ビュトールも、そのユニークなヴェルヌ論(『レペルトワール』1)のなかで、次のように述べているのだ。
「ジュール・ヴェルヌがその的確な言葉で提示した神話は、いまなおわれわれのなかに生きている。それらがほとんどすべての近代の≪ファンタスチック≫文学の地下の源泉であり、現在ではより有名な作家たちの予測を読む人にとって、それらが≪驚異の旅≫のなかに最初の源泉を持っているのは明らかであろう……」
ついでに述べておくが、このビュトールのエッセイはヴェルヌの魅力をさまざまな方面から捕えようとしたものであり、たとえばヴェルヌ文学の真の味は、エリュアール、ロートレアモン、ミショオなと今世紀の詩人たちの特異な感性を通してはじめて感知できることを立証している。
二十世紀の急速な科学的発展が、いわばヴェルヌの作品世界の表面的な衣裳をひきはがし、その実体を露出しつつあることは、SF小説ばかりでなく、すべての小説芸術の愛好家にとって興味ある現象だろう。その意味で、かつて久しく子供たちのものであったヴェルヌは、決して大人たちに「誤解」されていたのでなく、ただ「忘れ」られていただけなのである。SF小説をふくめたすべての小説作家の存在理由の一つには、現実においてかなえられない人間の夢を、空想のなかで実現させることにある。
ヴェルヌの作品は、いわばこうした小説本来の機能を最も純粋な形で、より集中的に実現しているわけであり、それが純粋であるだけに、大人の読者たちのつまらない現実感に衝撃を与えることもたしかである。その本来の姿に復元されたヴェルヌの作品はまた、SF小説の本来の姿をも極めて明確な形で示しているわけであり、その意味で彼の作品はSF小説が自らの使命を疑うたびに、貴重な手本となることだろう。
栄光の絶頂にあると書いたが、ジュール・ヴェルヌその人については、われわれはまだあまり多くのことを知らない。たとえば彼の伝記についても、現在までのところ、最も信用がおけると言われているヴェルヌの姪、アロット・ド・ラ・フューイ夫人が書いた『ジュール・ヴェルヌ、生涯と作品』(一九二七年、五三年再刊)が残されているだけである。
なるほど、一九三五年に発足した「ジュール・ヴェルヌ協会」は、戦争などの中断をへながらも、現在なお活躍をつづけている。そのほか、フランスにはもちろん英米など諸外国においても、彼に関する多くの著作が刊行されている。しかし作品に対する再評価が高まるに比例して、またはそれに反比例して、ジュール・ヴェルヌその人の姿は、ますますわれわれの前から遠ざかっていくような印象を味わうのである。
事実から出発しよう。ヴェルヌの文学的生涯を語る場合、それを三つの時期に分けるのが適当であろう。
第一期は、一八六三年から一八八五年まで、つまり彼の創作力が最も盛んな時期である。
第二期は、一八八五年から一九〇五年の死にいたるいわゆる晩年である。
第三期は、一九〇五年より一九二〇年頃まで、つまり死後において遺作が刊行されつづけた時期である
第一期以前のヴェルヌ、フランス西部の港町ナントに生まれた(一八二八年)彼が、今日のジュール・ヴェルヌになるまでの生活については、比較的よく知られている。それは後の物語作家になるためのいわば修業期間であって、数多くの旅行や読書、さらには演劇活動などに捧げられている。
一八六二年、友人の写真家ナダールが空中撮影のために計画した大気球「巨人号」の構想が、彼の空想を刺激する。こうして彼は、後に「驚異の旅」と名付けられるシリーズの第一作『気球旅行の五週間』を書き、出版者エッシェルと二十年の出版契約を結ぶ。時にヴェルヌは三十四歳である。
翌六三年、この作品が刊行されると、たちまち大評判となり、相ついで各国語に翻訳され、ヴェルヌは流行作家としての地位を獲得する。こうして彼の生涯の最も輝かしく、最も実りの多い第一期がはじまった。現在われわれがヴェルヌの代表作と考えているほとんど大部分が、このほぼ二十年間に書かれていることに注目しよう。
『地底旅行』(六四年)
『月世界旅行』(六五年)
『グラント船長の子供たち』(六八年)
『海底二万リーグ』(七〇年)
『月世界探検』(七〇年)
『八十日間世界一周』(七三年)
『ドクター・オクス』(七四年)
『神秘の島』(七五年)
『ミシェル・ストロゴフ』(七六年)
『ジャンガダ』(八一年)
『ロビンソンの学校』(八二年)
『マシアス・サンドルフ』(八五年)
この二十年問のヴェルヌの活躍はまことに爆発的といえるもので、彼は内部より噴出する多彩な空想力によって、多くの読者を魅了したのである。その頃、彼は父に送った手紙のなかで、自分の脳が「沸騰するボイラー」のようであったと書いているが、まさしくその圧倒的な噴出力によって、彼はこの上もなくエキセントリックな人物たちを創造し、世にも不思議な事件をいくつも考え出したわけである。
一八八六年、突然の事件のために、この第一期は終りを告げる。この事件の事実そのものはよく知られている。つまり、「発狂」した甥の一人ガストンが、ヴェルヌに向ってピストルで二発撃ち、その一発は彼の膝に命中して、ために彼は死ぬまでびっこになってしまう。
この事件は、いわばヴェルヌの創造力を奪い取ったという意味において、単なる肉体的な負傷以上の深い精神的な傷を彼に与えたわけであって、極めて多くの重要性を持っていると思われる。ぼくはこの点に興味を感じて、手に入るかぎりの資料にあたってみたが、残念なことにははっきりした説明は与えられなかった。
前述したアロット・ド・ラ・フューイ夫人の伝記は、肉親だからだという理由もあろうが、極めて冷静である。冷静すぎるというべきかもしれない。
「一八八六年のある夜、帰宅途中のジュール・ヴェルヌは、玄関前において、予期しない悲劇的な事故の犠牲となった……一人の不幸な青年が、仕事による過労のため脳障害を起して、ピストルを片手に家をとび出したのである。いかなる迷いによって、彼は子供の頃より熱烈な読者であった作家に向かって銃を向けたのか? 死がジュール・ヴェルヌのそばをかすめた。銃弾はそれて、彼を傷つけただけだった。
新聞は色めきたったが、すぐに沈黙した。この世には他人が触れるべきではない不幸がいろいろとある。この不運な男と家族の不幸もそれであった……」
フューイ夫人ばかりでなく、ほかの伝記作家たちもこの控え目さを受けついでいるようである。後で語ることになる最新のヴェルヌ研究書『八十冊の著作を通してのジュール・ヴェルヌの旅』の作者、ギスラン・ド・ディスバックもまた、この事件のことを「神秘的なドラマ」とか「神秘的な事件」といった簡単な言葉で片づけているのである。
誤解を避けるために付け加えておくが、ぼくは何もこの事件の背景だけを知りたいわけではない。ヴェルヌという巨人の最も暗い私生活の部分を知りたいという気持はもちろんあるけれども、それがすべてではない。ぼくの考えでは、この象徴的な事件を軽視することは、そのまま第二期におけるヴェルヌの変化を見すごすことになりかねないからなのである。
いずれにしても、一八八六年という年は、ヴェルヌの生涯のまさに転回点となるべき年でああった。不具になると共に、彼は同じ年にそれまでの後援者であり友人であるエッシェルの死にも出会っている。「わたしはいまやびっこになってしまったが、タレイランやバイロン卿のことを考えて自分を慰めている」と彼は冗談めかして書いているが、精神的ショックは想像以上に大きかったようである。
彼はこうして旅行を断念し、愛用のヨットも売却し、アミアン市に定着すると共に、市会議員に立候補する。「わたしはアミアンから動かない。わたしはエッフェル塔を見たことがない数少ないフランス人の一人だ」と妹に書き送っている。
こうしてヴェルヌの第二期がはじまる。伝記作者をはじめ、ヴェルヌ研究家たちは、この時期のヴェルヌに対してひどく冷淡なようである。フューイ夫人の伝記にしても、これ以後、一九〇二年にいたる十五年間に対して、極めてわずかな紙面しか捧げていない。
ところがヴェルヌはこの第二期においても、第一期とほぼ同じ数の作品を書いているのである。
残念ながら、この時期のヴェルヌの作品は、あまり高い評価が与えられていないし、それもまたやむをえないだろうと思われる。『二年間の休暇』(八八年)『カルパチアの城』(九二年)『動く海上都市』(九四年)『キップ兄弟』(一九〇二年)など、一応は楽しく読める作品もあるけれども、ほかの大部分は第一期の作品の焼きなおしや二番せんじ的なもののようである。
第一期のあの輝かしい作品群を知っている人たちにとって、この晩年のヴェルヌの急速な創作力の減退、にもかかわらず職業作家的に規則的に生産されつづけた多くの凡庸な作品を見ることは、まさに苦痛といっていいだろう。心ある批評家たちは、これらの作品に対して沈黙を守っている。それはまたそれなりに理解できる態度であろう。
ただこの点で興味ある事実は、ヴェルヌの創作力が減退し、作品が平板になるのと比例するかのように、かつてはあれほど彼の作品に光彩を与えていた挿画画家たちの絵画もまた、急速に魅力を失いはじめたことである。こうした現象を、単に個々の芸術家の内面の問題としてではなく、一種の世紀末のデカダンスとして捕える研究家もいるが、それもまた興味ある主題といえるだろう。
一九〇五年、ジュール・ヴェルヌは死去する。七十七歳である。こうして彼の第二期は終り、死後出版がつづけられた一九二〇年までのいわゆる第三期がはじまる。第三期は、第二期において出版されなかった作品が刊行されたという意味において、実質的には前の時代の延長と見るべきだろう。
『地の果ての燈台』(一九〇六年)『トンプソン旅行代理店』(〇七年)『ウィルヘルム・ストリッツの秘密』『ジョナサン号の難船者』(一〇年)『密使バルザックの驚くべき冒険』(一九年)など、意外と面白いものが見られる。たとえば最後の作品などは、第二次世界大戦の悲惨を予言したものとして評価されているのである。
ここで最後の問題が残されることになる。簡単にいえば、それは第二期および第三期のジュール・ヴェルヌの作品が、またはそれらを通しての作者自身の世界観が、あの第一期と実質的にどのように変化したかの問題である。第一期以後を、第一期のただのデカダンスと見なす立場をとれば、こうした問題を提起する理由がなくなってしまうことは、先に述べた通りである。
従来の一般的な定説に従えば、ジュール・ヴェルヌのSF小説は、たとえばH・G・ウェルズの作品にくらべて、ずっと人類の未来に対して楽観的だとされている。別な表現を使うなら、ヴェルヌは子供のごとき素朴な驚異の目でもって、人類の科学的進歩の無限の可能性を信じていた、とされている。
ぼくはこの通説を否定するつもりはない。たしかにヴェルヌの傑作を真に魅力的たらしめているものは、まさに作者のこの単純で素朴な一種の科学信仰であり、それを否定すればヴェルヌの作品の大半は無意味なものになってしまう。それはまた十九世紀を代表する科学主義の源動力となったもので、ヴェルヌの作品はその輝かしい象徴というべきかもしれない。
しかし初期のヴェルヌの作品がすべて明るい色彩で統一されていたかというと、決してそういいきれないのであって、たとえば『海底二万リーグ』におけるネモ船長の存在などはその有力な証拠である。たしかにこの作品の力点は、主人公のアロンナクスや傍役のコンセイユが味わう素朴な響きにおおわれているけれども、やはり最も忘れがたい人間、また最もその真意が測りがたい人物はネモ船長なのである。
ネモ船長の暗い情熱の根拠となるものが、地上世界の不正に対する怒りであり、彼はその不正に対する復讐の道具として科学を利用していることは明らかである。この場合、ネモ船長が「利用」する科学が、結局は人間社会の波浪に向けられていることに注意しよう。ネモ船長の決意のなかには、人間社会に対するはげしい絶望と拒否とが読みとれるのである。
第二期以後のヴェルヌの晩年の作品が、いわばこうしたネモ船長の暗い情熱の延長線上にあることは、最近になってヴェルヌ研究家たちが一致して認めていることである。
先に述べたが、一九六九年になってフランスで出版された最新のヴェルヌ研究書『八十冊の著作を通してのジュール・ヴェルヌの旅』の作者であるギスラン・ド・ディスバックも、大体においてこの意見である。
ついでにこの奇妙な題名の著作について語っておくが、これは文字通りヴェルヌの大部分の著作を通して、彼の人間観や社会思想などを抽出しようとしたユニークな研究書である。従来の研究書のように、伝記的事実と作品とを総合したところから、ヴェルヌの人間像を提出しようとした試みのいわば正反対のものといえよう。
この著作で興味あるのは、八十冊の作品を通して抽出されたヴェルヌの姿が、まさしく十九世紀の人間の典型的なものであること、そしてそれはもはや今日のわれわれにはかなり理解しがたいものになっていること、などである。こうした研究の成果が、従来のジュール・ヴェルヌ像を、むしろわれわれから遠ざける結果になったことは、皮肉であるともいえるが、しかし一方ではやはり真の理解のために必要なことなのだろう。
このディスバックは次のように書いている。
「『グラント船長の子供たち』を書いた熱狂的で、寛大、自由主義的な男は、アミアンの塔の孤独のなかで、少しずつにがい哲学者に変容していった。この哲学者のペシミズムは、いくつかの点においてニーチェのそれと似通っている。『ジョナサン号の難船者』によって彼は自らの幻滅の総決算をしたのである。一九〇九年に出版されたこの作品はたいして成功しなかったが、これは幻滅を感じた小説家の精神的遺書と見なすことができると思われる……」
先にあげたミシェル・ビュトールのヴェルヌ論においても、この空想科学小説の「科学」に対する幻滅が、作品を追うごとに深まっていくことを、具体的に説明している。第一期の輝かしい作品の栄光に包まれて、小説家ヴェルヌのイメージはかなり歪んで伝えられているというべきだろう。
ぼくはあまりに後期のヴェルヌの変容に執着しすぎたかもしれない。素朴なSF小説愛好家たちは、ヴェルヌの頂点にある作品を楽しんで、あとは忘れてかまわないという意見も当然あってしかるべきだろう。
しかし、ぼくとしては、今日の時点で『海底二万リーグ』や『地底旅行』を読む人たちに、その後のヴェルヌのたどった道をいくらかでも知ってほしいのである。それは一方において、ジュール・ヴェルヌという作家を、子供の目ではなく大人の目によって再確認することであり、また一方において、SF小説の過去・現在・未来を考える場合に、極めて必要な作業なのである。
ぼくは最初に、ジュール・ヴェルヌはいま栄光の絶頂にある、と書いた。しかしこの栄光の座は、いわば作られたものであり、その後には冷たい忘却の闇が迫っていることを、おそらく地下のヴェルヌ自身がいちばんよく知っているのかもしれない。「ヴェルヌ神話」はもうそろそろ捨て去るべき時期に達しているのだろう。さもないと、ヴェルヌはまた子供たちのアイドルに逆もどりしてしまうかもしれないのである。 (三輪秀彦)
◆海底二万リーグ(下)◆
ジュール・ヴェルヌ/村上啓夫訳
二〇〇三年三月二十日 Ver1