ヴィドック回想録2
フランソワ・ヴィドック/三宅一郎訳
目 次
一六 変装
堅気の暮らし
にせオーストリア人
一七 ブーローニュの野営地
デュファイとっつぁん
一八 私掠船『報復』丸
四万人斬りの美女
銀獅子ホテル
化けた女役者
名前を変える
公現祭
一九 海軍砲兵伍長
ウール砦の防衛
オリンポス党
裏切られる
野営地の魔術師
二〇 アネットとの出会い
無益な脱走
妻の再婚
行商人
パリに落ち着く
二一 つきまとう悪党
やなぎ馬車
警察に協力
下着姿で捕まる
二二 アンリ部長
脱獄にイヤ気がさす
老婆殺し
偽装脱獄
二三 自由の身に
鬼の天使
初捕物
二四 密偵ヴィドック
悪所通い
アネット
私は殺された
二五 城内探査
図に乗るケイズ買い
二六 アンタン窃盗団
グーヴィヴ一味
自分を張りこむ
カセット街の盗み
十八人の日
二七 総監へのお年玉
目こぼし泥棒
デルゼーヴ兄弟
二八 盗賊たちを追って
マダム・ノエル
合鍵をつくる
部下の裏切り
二九 稀代の大盗
刑事たちの妬み
黄色いカーテン
石炭屋に化ける
オードコロンは死の匂い
錠前無用
三〇 特捜班の成立
クルチィユの手入れ
特捜班と政治警察
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一六 変装
堅気の暮らし
お察しのように、いろいろとワケありで、まっすぐ親の家に帰るわけにはいかなかった。とりあえず伯母さんの家へ行ってみたら、親父が死んだと聞かされた。この悲しい報せは、やがて、お袋の口からも本当のことだとわかった。お袋は、この二年間に恐ろしい目に会ったのを埋め合わせてくれるように、やさしく迎えてくれた。彼女は、私がそばに居ることだけを願っていたが、私は一日じゅう隠れていなければならなかった。あきらめて、三カ月のあいだ一歩も家を出なかった。三カ月も終わりの頃になると、籠の鳥の暮らしがやりきれなくなりはじめ、ある時は甲の変装、またある時は乙に変装して、思いきって外に出てみた。よもやバレてはいないと思っていたが、とつぜん、私が町にいるという噂が拡がり、警察が私を逮捕しようと捜索を始めた。母親のところにも、ひっきりなしにやって来たが、いつも隠れ場所は見つけだせなかった。そこは、たいして広くはなく、縦三メートル、横一・八メートルくらいあった。私が、たいへん巧妙に作った隠れ部屋で、後ほど、その家を買った婦人も、その部屋があるのを気づかずに四年も住んでいたほどだった。私が教えてやらなかったら、おそらく今でも知らないでいたろう。
この隠れ場所があれば大丈夫だ、外に出ても捕まることはないだろうと思い、やがて遠出を再開した。そして、すっかり大胆になった私は、謝肉察の最終日のサンジャックの仮装踊りの場、二百人以上の人々の中に姿を現わした。私は侯爵の仮装をしていたが、前に関係のあった女が私に気づいて、別の女に私を見つけたことを話した。その女は、私に恨みつらみを言いたがっていたので、そんなこんなで、十五分もたたないうちに、ヴィドックが、どんな仮装をしているかが全員に知れ渡った。この噂は、踊り場の警備に当たっていた二人の警官、デルリュとカルパンチエの耳にも届き、デルリュが私に近づくと、二人だけで話があると低い声で言った。ここで騒ぎを起こしてはたいへんヤバい。私は場外に出た。中庭に入ると、デルリュが私の名を尋ねた。あわてないで私とは違った名前をひねりだし、なんなら仮面を取り外しましょうかとインギンに申し出た。
「無理にとは言わんが、お前さんの顔を見ても腹は立たないよ」
「だったら、仮面《マスク》の紐をほどいてくれませんか。もつれちゃったんで……」
デルリュは、自信たっぷり、私のうしろにまわった。と同時に、えいっとばかりに体《たい》落としで奴さんをひっくり返し、彼の部下に一発くらわせて地面に転がした。そいつが起き上がるのを待ってなんかいない、一目散に城壁を目ざし、それを乗り越えて田舎へ逃げようと思った。ところが、何歩か駈けだしたところで、思わず袋小路に入りこんだことがわかった。アラスを離れていた間に、通り抜けられない道になっていたのだった。
そんなふうに道を迷っていると、鋲《びょう》打ちの靴音が聞こえ、二人のポリ公が追って来たのがわかり、すぐにサーベルを手に駈け寄ってくるのが見えた。私は丸腰だ……わが家の大きな鍵をピストルのように構えて、狙いをつけるフリをして道を開けろと迫った。
「勝手に行きやァがれ、フランソワ……バカな真似はよせ……」
うわずった声でカルパンチエが言った。二度までは言わずに、数分のうちに隠れ家に帰った。
この出来事は噂《うわさ》になった。もっとも、二人の警官は、世間の笑いものになるので事件を秘密にしておこうと努めたのだったが。私のほうもマズいことになった。つまり、それからというものは、当局が警戒を倍加したので一歩も外へ出られない羽目になったからだ。そんなわけで、二カ月間も閉じこもりっきりで、まるで二世紀くらいに感じられた。もう、とても我慢できなくなり、アラスを去る決心をした。どっさりレース商品を仕入れてもらい、ある晴れた夜、友人のブロンデルという男が貸してくれた通行証を身につけて家を離れた。人相書は合っていなかったが、やむを得ない、それで間に合わすしかなかった。だが、幸い、道中は無事であった。
私はパリに来た。商品を捌《さば》きながら、私の裁判を再審してもらえるかどうかを遠まわしに探りを入れてみた。結果、それにはまず先に自首して囚人に戻らねばならないことがわかった。だが、これまでに、いやというほど味わった極悪人との付き合いを二度と蒸しかえす気にはなれなかった。拘束されるのが怖かったのではない。四つの壁のあいだに一人で閉じこめられるというのなら喜んで同意しただろう。それが証拠に、アラスでは狂人収容所で刑期を勤めあげさせてくれと検事に頼んだくらいだ。だが、あの嘆願書は梨のツブテに終わった。
レースは売れていたが、あんまり儲けが少ないので、その商売で暮らしをたてて行こうという気にはなれなかった。サンマルタン街の同じホテルに泊まっていた行商人に仕事のことをチラッと口にしたら、定期市を回って歩く女商人の小間物店で働かないかと言ってくれた。そして、私は、じっさいに、その仕事についたが、十カ月しか勤めなかった。なにかと気に入らないことがあって辞めざるを得ず、もう一度アラスに帰った。
すぐに、私は、またぞろ日暮れ時のそぞろ歩きを始めた。ある憲兵の娘が、すこしばかりの面倒をみてやったことのある家に出入りしていた。これを利用して、当局が私に仕掛けてくる一切のことを前もって知ってやろうと考えた。その憲兵の娘は私を知らなかったが、アラスでは私のことが世間話の種になっていたので、娘が私の話をしても別に不思議ではなかった。ときおり、たいへん気負った言葉をつかい、ある日、こんなことを言った。
「ああ、あの悪党、いつかは捕まるわ。なんたって、中尉さん(デュモルチエ氏、現在アブヴィルで警視になっている)が、さっぱり捕まんないんでムキになってるもん。賭けてもいい、あいつを捕まえるためなら、あのひと、一日分の給料を喜んで投げだすわ」
「もし、ぼくがその中尉さんで、ヴィドックを捕まえたくてたまらんとしても、やつは、やっぱり逃げちゃうだろうな」
「やっぱ、あんたもねェ……あいつは、いつもビンビンに武装してるんだものねェ。デルリュさんとカルパンチエさんに二発ピストルをぶっぱなしたって話は知ってるわよね……そんだけじゃない、好きなときにワラ束に姿を変えるんだって」
「ワラ束にだって?……ワラ束にですか?……どうやって?」
世間が新しく授けてくれた自分の能力にびっくりして声をあげた。
「そうなんよ、あんた……ある日、お父っつぁんが、あいつを追っかけて、襟首をとっつかまえようとした瞬間、つかんだのはワラ束だけ……これで言うことなしでしょ。憲兵隊の全員が、そのワラ束を見たのよ。構内の庭で焼かれちまったけど」
この話には開いた口がふさがらなかった。後で聞いたところでは、いつまでたっても私を捕まえられないのでヤケくそになった当局者たちが、迷信ぶかいアルトワの人々に、こんな話をひろめたのだという。同じ動機から、私は狼男が変身したものだという話を、まことしやかに仄めかし、この眉唾《まゆつば》な幻が、その地方の分別のある人たちまで恐怖にふるい上がらせた。幸い、私が気をひかれた可愛こちゃんたちは怖がらなかった。もし、嫉妬の悪魔が、そういう女たちの一人に不意にとりつかなかったら、おそらく、当局は、私をそう長くは追求しなかったろう。口惜しさのあまり、その女が口をすべらしたので、私がどうなったか、あまり知らなかった警察が、私がアラスにいるという確信を再び新たにした。
ある晩、警戒もせずに、棒一本という武器だけでアミアン街から帰って来た。ゴゲ街のはずれにある橋を渡っていたら、七、八人の男が襲いかかって来た。変装した刑事たちだった。私の服をつかんで逮捕したと思いこんだらしかったが、はげしく身をふりほどいて欄干を乗りこえて川に飛びこんだ。十二月だった。水嵩《みずかさ》は多くて流れが速く、誰一人として私を追って飛びこもうとする物好きはいなかった。岸で待っていれば逃げられまいと考えたのだが、私が下水|渠《きょ》に這い上がったので、かれらの見込みは、まんまと裏切られた。かれらが、今か今かと待っていた間に、私は、ちゃっかり母の家に落ち着いていた。
にせオーストリア人
毎日のように新たな危険をくぐり、毎日のように切羽つまった新しい逃げ方をみつけた。だが、それが長くつづくと、自分の習慣に引きずられ、隠れるのが空しく思われてきて、気ままに振舞うようになった。××街の尼さんたちが、しばらくのあいだ泊めてくれた。しかし、尼さんたちの厚意に甘えているのはやめようと決心し、大手をふって世間を歩ける方法はないものかと思案した。当時、アラスの城砦には何千というオーストリア人の捕虜がスシ詰めになっていて、市民のところや近郊の畑などに働きに出ていた。この外国人の存在が役に立つのではないかという考えが浮かんだ。ドイツ語が話せたので、捕虜の一人に話しかけて親しくなり、相手も私を信用するようになって、じつは脱走するつもりなんだと打ち明けてくれた……その計画は、私の目論見に好都合だった。彼は、皇帝軍《カイゼルリク》の軍服に閉口していたので、私の服と取り換えてやり、なにがしかの金と引き替えに喜んで身分証を譲ってくれた。この瞬間から、私は、オーストリア人の眼から見てもオーストリア人になった。かれらは、いろいろな違った部隊に属していたので、お互いに顔見知りではなかった。
この新しい変装姿で、○○街に小間物店を持っている若い後家さんと親しくなった。頭がキレると思ってくれて、住み込みで手伝ってくれと言い、まもなく、二人は、いっしょに定期市や市場まわりをするようになった。お客さんと話が通じてこそ手助けになるというもの、私はドイツ語とフランス語のチャンポン言葉をでっちあげ、それが、またよく通じて、あんまり馴れっこになったものだから、も少しで他の言葉を忘れるくらいだった。こうして、完璧にゴマ化し切ったので、四カ月も同居生活をすると、後家さんは、皇帝軍の兵士だと自称している男が、幼な馴染み同様だと思いこんで露ほども疑わなかった。しかし、私としては、彼女が、あまりにも良くしてくれるので、それ以上だましてはいられなくなって、とうとう、ある日、私が誰なのかを思い切って打ち明けた。ところで、女には、あっと驚かす意外性がある、と私は思う。彼女は、私を悪く思うどころか、打ち明け話が、いうなれば、私たちの結びつきをさらに親密なものにしただけになった。このように、女というものは、時として、秘密めいたことや冒険じみたものに夢中になる。内緒の悪事を知ることに、いつも、たまらない魅力を感じるのではなかろうか? ともすれば、女たちが、脱獄囚や逃亡犯の救いの神になることを私以上に承知している者がいるだろうか?
さて、私の無事を妨げるものは何もなく、安全に十一カ月がすぎた。人々は、町で私を見かけるのに慣れ、しょっちゅう警官たちと顔を合わせたが、かれらは私に眼もくれず、すべてが安泰のうちに続くかのように思えた。そんなある日、私たちは店の奥の部屋で食事を始めたところだった。憲兵の姿が三つ、ガラス戸ごしに見えた。私はポタージュに口をつけるところだったが、思わずスプーンが手から落ちた。だが、すぐに不意の襲来の驚きから立ち直り、戸口に飛んで行って錠をかけた。次に十字窓から飛んで屋根裏部屋へ上がり、そこから隣りの家の屋根に移り、大急ぎで街路へ出る階段を下りた。戸口に回ってみると、二人の憲兵が守っていた……幸い、かれらは新参者で私の人相を知らなかった。私は二人に言った。
「上に行って下さい。班長さんが男をつかまえたんだが、そいつが暴れてる……上がって手を貸さにゃ……ぼくは警官を呼びに行く」
二人の憲兵が大急ぎで上がって行き、私はドロンした。
あきらかに誰かが私をサツに売ったのだ。幼な馳染みの女友だちとまで思っている女に、そんな汚ないことはできない。でも、彼女が口をすべらせたにちがいない。眼をつけられてしまった今となっても、まだアラスにとどまっているべきだろうか? だとしたら、また籠の鳥になって外に出られないのを覚悟しなきゃならない。そんな惨めな暮らしは真っ平だ。私は、きっぱりとアラスを見限る決心をした。女店主は必死になって私について行くと言い、商品を輸送する段取りは付いていたので、す早く品物を荷造りして、手に手をとって出発した。こういう場合、いつもそうなのだが、彼女の動きを知らないではすまされない警察が、いちばん後で彼女の失踪を知った。警察は、いまだにベルギーが逃亡者の国であるかのような古風な考え方で、私たちがベルギーへ行くだろうと思って昔の国境の方向へ追手をかけていた間に、連れの女が商売で歩っていて、知った間道を無事に通ってノルマンディへ向かっていた。
私たちが落ち着こうとしていたのはルーアンだった。町に着いたが、私が持っていたのは、アラスで借りたブロンデル名義の通行証で、そこに書いてある人相書は私の人相とは似ても似つかないものだったので、ぜひとも、もう少し恰好をつけねばならなかった。
そのためには警察を誑《たぶら》かさねばならない。その頃のノルマンディ沿岸地方は、イギリスにいる亡命貴族が連絡をとる場所になっていたので、警察はピリピリしていて疑い深くなっていた。そこで、私は、こうやった。市役所へ行って、ルアーヴルへ行くための通行証の査証をしてもらった。ふつう、査証は、かなり簡単にやってもらえる。通行証の期限さえ切れていなければいいのだ。私のは大丈夫だった。手続きがすみ、私は外へ出た。二分後に事務所に戻り、書類入れがありませんでしたかと尋ねた……誰も見かけなかったという。そこで、私は絶望してみせた。急ぎの仕事がルアーヴルで待っている、今夜にも出発しなきゃならないのに、通行証を失くしてしまった……
すると、一人の事務員が、
「こうしたらどうですか? 査証の登録簿から写しを作ってあげよう」
思うつぼだった。ブロンデルの名はそのままで、すくなくとも今度は私の人相書が付いている。この計画を完全なものにするために、申告どおりにルアーヴルへ出発しただけではなく、私の手から連れの女の手に渡しただけの書類入れを尋ねるビラまで作らせた。
この、ちょっとした芸当で、私の復権は完璧なものになった。立派な証明書も手に入ったし、後は堅気の生活をするだけだ。私は、そのことを真剣に考え、その結果、マルタンヴィル街に小間物と編物類の店を手に入れて商売を始めた。商売は、うまくいき、ひそかに母に知らせたら、私たちと一緒になりに来ることになった。一年のあいだ、私は本当に幸福だった。商売の基礎も固まり、顔も広くなって信用も確立した。たぶん、ルーアンの銀行の一つや二つは、『ブロンデル』のサインが業界で好評だった頃のことをまだ覚えているはずだ。とうとう、多くの狂瀾怒濤《きょうらんどとう》をのりこえて港にたどり着いた、と私は思った。だが、その時、思いがけない出来事が、またも新たな浮沈の海に私を押し流すことになった……
いっしょに暮らしていた小間物商の女は、とことん愛と献身の実《じつ》を見せていたのだが、私が彼女の胸につけた火とは別の情炎に燃えるとは本人も予期していなかったと思う。私は、なろうことなら、その不貞に気づきたくなかったのだが、現場を押さえてしまった。人のいい亭主が知らないフリをするのに都合のいいような間男の事実にシラをきるもへチマもなかった。
昔なら、そんな羽目になったらカンカンに怒り狂ったところだったが、時移り人変わる、不幸な出来事を目のあたりにして即座に別れようと肚《はら》をきめ、冷静に決意を告げた。懇願、哀願、貞女になる約束なんかクソくらえ、なにものも私の決心を変えることはできなかった。私は頑として耳を貸さなかった……これまでの恩義からだけでも許せたにちがいなかったのだが、恩人だっただけに浮気の相手と御破算にしろとは誰が言えよう? 相手との歓びが高まったはずみに信頼を裏切って私の正体をバラすんじゃないかとビクついていなくちゃならないのか? というわけで、商品を山分けして、彼女は私から去って行き、以来、彼女のことは耳にしなかった。
人の口には戸がたてられない、この出来事が噂になり、私はルーアンで暮らすのがイヤになった。露店商になって、マント、サンジェルマン、ヴェルサイユなどの地方を回って歩き、短期間にいいお得意先ができた。かなり儲かるようになって、ヴェルサイユのフォンテーヌ街に小さな住居付きの店を借りることができ、私が旅に出ているあいだは母が留守番をした。その頃の私の素行はケチのつけようがないものだった。どこに商いに行っても、みんなに良く言われた。これまで、運命は、たえず私を汚辱の道におっぽりだし、全力を尽くして遁れようとしてきた。どうやら神さまも根負けしたなと思った。と、そのとき、幼な馴染みの男が、昔のいざこざの仕返しに私を密告し、マントの定期市からの帰り道で逮捕されてしまった。私はヴィドックじゃない、通行証に書いてあるとおりブロンデルだ、と頑強に言い張ったが、サンドニに送られ、そこからドーエに移されることになった。脱走をふせぐために特別に配慮され、要注意人物になっているのがわかった。憲兵が持っていた書類をちらっと見て、まったく特殊な警戒が払われるのがはっきりした。
≪ヴィドック(ウージェーヌ‐フランソワ)、欠席裁判によって死刑を宣告さる。きわめて大胆かつ危険な人物なり≫
つまり、こんなふうに、護送兵の気を抜かせないようにして、私を大犯罪者に仕立てあげたのである。身動きできないように縛りあげられて護送車に乗せられサンドニを出発した。ルーヴル〔パリのルーヴル美術館ではなく(第六章併照)前出のマント、サンジェルマン、ヴェルサイユ、サンドニなど、いずれもパリ郊外の町〕に着くまで、護送兵は、片時も私から眼を離さなかった。その様子からすると、これからの厳しさが察せられたが、かえって私は、それまで何度となく自由を取り戻した気力を、またも奮い起こすのだった。
われわれは、ルーヴルの町の牢獄に衣替えした鐘楼に入れられた。私は、マットレス二つと毛布一枚、何枚かのシーツを集めて裂いて編み、墓地に下りるのに使うことにした。いっしょにブチこまれていた三人の脱走兵がナイフで格子を切り、夜中の二時、私が先陣を買って出た。綱の端まで下りてみると、地面にとどくには四、五メートルほど足りていないことがわかった。ためらってはいられない。そのまま下へ落ちた。だが、リールの城壁から飛び下りたときのように左足を挫《くじ》いてしまい、歩くのがやっとの有様になった。それでも、墓地の塀を乗りこえようとしたとき、錠の中で鍵が静かにまわるのが聞こえ、牢番と犬が出てきた。ところが、どっちも鼻ききではなかった。まず、牢番は、綱の下を通ったのに気がつかず、番犬も、私が伏せていた溝のすぐそばにいたのに何も嗅ぎつけなかった。かれらは、巡回を終えて引っこんだ。仲間が後につづくものと思ったが、誰も出てこない。塀を乗り越えると畑の中だった。足の痛みが、ますますひどくなる……しかし、苦痛も何のその、勇気をふるって力いっぱい早く逃げた。一キロばかり走ると、とつぜん脱獄を知らせる早鐘が鳴るのが聞こえた。頃は五月のなかば、射しそめた陽の光に、武器を持った百姓たちが家々から出てきて、脱獄囚狩りに野原に散って行くのが見えた。たぶん、かれらは、詳しくは知らないだろうが、痛めた足は疑いを招くし、見知らぬ顔を見れば、何はともあれ、その正体を確かめようとするのは必至だ……五体満足なら、追手なんか、まいてしまえるのだが、つかまる他にどうしようもない。という次第で、二百歩も歩かないうちに、畑を走って来た憲兵に追いつかれて逮捕され、いまいましい鐘楼に逆戻りした。
この脱獄行は悲しい結末に終わったが、なかなかどうして私はめげなかった。われわれはバポーム〔現在のパドカレ県にあるアラスに近い町〕に連れて行かれ、砦にある昔の警察のブタ箱に入れられた。そこは、第三十戦列部隊の新兵哨戒所の監視下にあって、たった一人の歩哨が窓の下におり、囚人と話ができるくらい近くにいた。私がやったのはこうだ。話しかけた兵士は気のいい男のようで、買収は難しくないだろうと思った……彼の歩哨中に逃がしてくれたら五十フランやるがどうだと持ちかけた。初めは断ったが、声の調子や眼ばたきからノドから手が出そうになっているな、ただ、度胸がないだけなんだと見てとった。そこで、もっと大胆にしてやろうと、鼻薬をふやした。三ルイ〔五十フランより十フランほど多い〕をチラつかすと、手助けしようと答え、同時に、次の勤務は真夜中から二時までだと教えてくれた。取り決めが成立した。私は仕事にとりかかり、通り抜けられるように壁に穴を開けた。あとは出るに都合がいい潮時を待つだけだ。とうとう深夜の鐘が鳴り、兵士がやって来て、来たぞと教えた。私は三ルイ渡して、大急ぎで必要な手配をし、準備がととのったので、
「いいか?」
と歩哨に声をかけたら、ちょっとためらってから、
「ああ、急げ」
と答えたが、すぐに答えなかったのはおかしい、その態度は何か怪しいと気づいた。耳をすますと、足音が聞こえるような気がする。月明かりで、そこらに大勢の人影が見える。まちがいない、裏切られたのだ。しかし、そう決めてかかるのは早いかもしれない。ひとつ確かめてやれと、急いで藁で人形を作って服を着せ、さっき開けた穴からツン出した。とたんに、鉄《かな》床までも一刀両断するかのように、さっとサーベルが振りおろされた。あやういところで命拾いをしたとわかって、新兵さんは信用できないと言われているのが、だんだん本当だと思えてきた。と、ふいに牢内に憲兵たちが押しこんできて、われわれを尋問して調書を作成し、洗いざらい調べあげようとした。私は、三ルイ渡したと供述し、新兵は否認したが、私は供述をひるがえさなかった。新兵を身体検査すると、靴の中からお金が出てきた。彼は独房入りになった。
われわれのほうは、どえらい大目玉をくらったが、当事者は罰することはできなかったので、見張りを倍にして満足した……これではもう脱獄は無理だったが、ただチャンスさえあればと、たえず機会をうかがっていた。その機会は、意外に早くやって来た。翌日は出発の日で、われわれは兵営の中庭に下りた。中庭は、ごったがえしていた。囚人の移送とブーローニュ〔正式の呼称はブーローニュ・シュルメール、現在のパドカレ県にあるドーバー海峡に臨む港町〕の設営地に向かうアルデンヌ〔ベルギーに接した現在のアルデンヌ県地方〕新兵の分遣隊が重なったせいだ。曹長たちは、分隊を編成して点呼をとろうとし、憲兵たちと場所の取りあいをしていた。めいめいが、自分のところの人員を数えているあいだに、私は、こっそり、ちょうど中庭から出て行こうとしていた荷車の荷台にもぐりこんだ……じっと動かず、見つからないようにできるだけ身をちぢめたまま町を通り抜けた。いったん城壁の外に出てしまえば、あとはドロンするだけだ。荷馬車の車力などの御多分にもれず、しょっちゅうノドを渇かしている馬方が一杯やりに居酒屋に入り、馬は道端で待っていたチャンスをつかみ、馬方が積んでいるとは思っていなかった荷物、つまり私を荷馬車からおろして軽くしてやった。すぐに私は菜種畑に隠れ、夜になってから方向をきめて出発した。
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一七 ブーローニュの野営地
デュファイとっつぁん
私は、ピカルディ〔ブーローニュがあるアルトワ州とパリがあるイール・ド・フランス州の間の旧県名〕を横切ってブーローニュへ向かった。そのころ、ナポレオンは、イギリス侵攻計画をあきらめて、大軍を率いてオーストリアで戦っていた〔一八〇五年十一月ごろ〕。だが、まだ多くの部隊が英仏海峡の沿岸に残っていた。左右に二つの野営地があり、ヨーロッパのほとんど全部の国の部隊と兵隊がいた。イタリア人、ドイツ人、ピエモンテ人〔イタリア北西部のピエモンテ地方は、一七二一年から一八六〇年までサヴォワとサルジニアと合併してサルジニア国を形成していた〕、オランダ人、スイス人、アイルランド人までがいた。
軍服もたいへんさまざまで、その多様性が隠れみのになるのに都合がいいかもしれない……しかし、軍服を借りないと変装は難しい。ふと、本当に兵隊になろうかとも考えたが、入隊するには身分証が必要だ。持っていない。だから、その計画はあきらめた。だが、どこかに潜《もぐ》りこまねば、このままブーローニュにいるのは危険だ。
服装を心配するどころか身の置きどころに困っていたところ、ある日、山の手の広場で、パリで会ったことのある海軍砲兵曹に出会った。私と同じくアルトワ州出身の男だったが、ガキのころからと言ってもいいくらいの時から海軍に入って船に乗り、一生の大半を植民地ですごしてきたおっさんだった。ながいこと国に帰っていないので、私の不始末についてはまったく知らなかった。ただ、私のことを陽気で呑気なやつくらいに思っていて、飲み屋でイザコザがあったとき、強力な助太刀をしてやったことがあったので、私の勇気を高く買っていた。
「よォ、風来坊。ブーローニュくんだりで、一体全体、なにしとるんだい?」
「なにしとるかって? 同郷の先輩、軍隊のオコボレ仕事をさがしているんです」
「ああ、仕事さがしか。今日びは、職にありつくなァ滅法むつかしいんだぜ。なァ、わしのお節介が聞きてェなら……だがな、うん、ここじゃゆっくり話もできねェや。ギャランの店へでも行くか」
私たちは、広場の角にあった地味な建物の一杯屋へ足を向けた。
「よォ、にちわ、パリっ児だってね」
兵曹が亭主に声をかけた。
「いらっしゃい、デュファイとっつぁん。何にします? 野菜スープ? 甘いの、辛いの?」
「コン畜生、なんてことを。ヤイ、ギャランのオヤジ、わしらが空っけつだと思っとるんか? 極上のレムラード・ソースを添えた料理と三十年物のワインだ。わかったか?」
と言って、こんどは私に、
「なァ、ポン友、友だちの友だちは、やっぱり友だちとちがうか。だろう」
と言って、私の手をたたき、亭主のギャランが得意客に使っていた小部屋に連れて行った。
私はモーレツに腹がへっていたので、これからゴチになる料理の皿数を満足しきって眺めた。二十五から三十歳がらみの、スタイルもお面《めん》も気っぷも、全部隊の兵隊を幸せにしてやれそうな女が食卓のサービスをしにやって来た。張りきっているリエージュ女で、陽気で、わけのわからない方言をあやつり、なにかにつけて助平な冗談を喋りまくる気性が兵曹の笑いを誘った。デュファイが私に言うには、
「亭主の義理の妹なんだ。でっかいオッパイしとるだろうなァ。浮標《ブイ》みたいにまんまるで、毛糸玉みたいにポッテリしていて、さぞ、いい心もちだろうなァ」
と言いながら、デュファイは、両手で丸い形をつくり、船乗りがよくする気をひく手ぶり身ぶりを女にしてみせ、彼女を膝の上に引き寄せたかと思うと(彼は椅子にかけていた)、すべすべの頬っぺたに音をたててキスをし、人前も何のその、御執心ぶりを見せつけた。
彼の振舞いが気にならなかったと言ったら嘘になる。給仕するのが遅れるからだ。と思ったら、ジャネット(これがギャランの義妹の名だった)が、私の招待主の腕からさっとすり抜けて、たっぷり芥子《からし》をきかした七面鳥の半分と二本の酒瓶を持って戻ってきて前に置いた。すると、兵曹が大きな声で、
「ずいぶん早いな。さァ、食ったり飲んだりだ。もうじき窮屈なところともオサラバだ。そうなりゃ、みてろ、このボロ家じゃ何でも勝手放題とくらァ。あごで指図だ。そうだろ? ジャネットちゃん。だとも、相棒、わしは、この家の主人になるんだ」
私には何のことかわからなかったが、とにかくおめでたいなとお祝いを言い、二人して盛大に飲み食いを始めた。久しぶりの大盤振舞いだったので鱈腹《たらふく》つめこんだ。何本も酒瓶が空になり、たしか七本目だったと思うが、栓を抜いたら兵曹が出て行った。たぶん用でも足しに行ったのだろうと思っていたら、早くも二人の客を連れて帰ってきた。給養兵曹と主計兵曹長だった。
「いや、ほんと、わしは賑やかなのが好きでな。だもんで、同郷の、わしが募兵した二匹をつかまえて来た。徴兵にかけちゃお手のもんなんだ。なんなら、この二人の旦那に訊いてみな」
デュファイが喚《わめ》くと給養兵曹が、
「ああ、そいつァ本当だ。ニセのバッジをごてごて付けて、だまくらかして新兵にするなァ、とてもデュファイとっつぁんにかなわねェ。考えてみりゃ、俺だってペテンにかかって船に乗る羽目になったんだ」
「ヘェー、まだ覚えとったか?」
「覚えとる、覚えとる、先輩、忘れちゃいねェ、俺も兵曹長もな。なんたって、図々しく連隊付きの公証官をかたったんだからな」
「まァいいじゃねェか。それにしても出世したじゃねェか? ヤイ、この野郎、事務所で紙切れをペンで引っ掻いているほうが砲手仲間の会計主任よりいいとでもぬかすんか? どうなんだ、給養兵曹?」
「ごもっとも、だけど……」
「だけど、だけど、こう言いてェんだろ、きさまは。主人の身体が弱ってくると、如雨露《じょうろ》を持たされてチューリップに水をかけるのを待つ、このほうが、もっと幸せだった、とな。わしらがブレストで軍艦『無敵』に乗りこむことになったとき、きさまは園芸係じゃなくちゃ乗らねェとぬかした。そこで、わしが言ってやった、さァさァ園芸係になりな、艦長は花が好きだ、タデ食う虫も好き好きって言うからな。だが、おんなじように、人それぞれの仕事がある。わしは自分の仕事をやったまでさ。今でも眼に見えるようだぜ。きさまは、海草の世話でもする気でいたところ、イヤんなるほど張綱の作業をやらせられたり、砲撃のときに臼砲の火つけをやらせられた。あんときなんざ、いやはや、見ちゃいられなかったぜ。だが、もう、この話はヤメて、一杯いこう。オイ、同郷の、こいつらに注いでやってくれ」
私がグラスに注いでまわっていると、デュファイ兵曹が、
「見てのとおり、こいつらは、もう、わしを恨んじゃいねェ。今じゃ三人組の友だちだ。わしは、まんまとだまくらかしたんだが、どうってこたァねェ。なんでもねェこった。わしら海軍の募兵係は、昔の徴兵人にくらべりゃ、てんで聖人さまみてェなもんだ。おめェらは、まだ口ばしが黄色いから、ベルローズを知らねェだろうが、あいつこそインチキ手配師そのものだった。知ってのとおり、わしだって間抜けじゃなかったが、あいつの足元にも及ばなかった。これは、前にも話したことがあったと思うが、念のため、田舎者のために、もういちど聞かせてやろう。
革命前は植民地がいっぱいあった。フランス島、ブルボン、マルチニーク島、グアドループ島、セネガル、ギアナ、ルイジアナ、サンドミンゴ島なんかがあった。今じゃきれいさっぱりで、オレロン島〔現在のシャラント・マルチイム県に属しビスケー湾に臨む。デュファイはフランス海軍がイギリス海軍に敗北して植民地を失ったことを云々している〕しか残っていねェ。何もないよりゃましってとこかな。それとも、この島は待機基地になる。侵攻すりゃみんな戻ってくるかもしんねェが、もう侵攻なんて考えられねェや。ばかばかしい、すんだことだ。ちゃちな艦隊は、港で立ち腐れになっちまい、廃船で焚火でもするさ。どうも、わしの話は梯子をして漂流しそうだぞ。そこで、まずベルローズだ。なんたって、ベルローズの話をしようとしてるんだからな。
さっきも言ったように、抜け目のない野郎だった。それに、あの頃の若者は、今の連中ほど頭が切れなかったからな。
わしは十四のときにアラスを出た。そのあとパリに半年いて、武具屋に丁稚《でっち》奉公をしとった。ある朝、主人から、修理にあずかっていたピストル二丁をロワイヤル広場に住んでいた陸軍大佐のところに届けろと言いつかった。わしは、さっさと用事をすませたが、くそったれ銃の修理代の十八フランを店に持って帰らにゃならんかった。それが不運のはじまりさ。大佐が金を数えて渡してくれて、そこまでは上々だった。ところがだ、いいか、ペリカン街を通っていたら、とある家の四角い窓ガラスを裏からコツコツたたくのが聞こえたので、誰か知ってるやつかと思って上を見上げた。なにを見たと思う? ポンパドール風の一人の婦人が、ひときわ明るい窓ガラスのうしろに鎮座ましまし、にっこり微笑みながら合点々々をして、上がってこいと合図してるじゃねェか。額ぶちの中の動くカラクリ人形みたいだった。すばらしい身体つき、雪のような白い肌、上のほうには惚れぼれする顔ときた。わしがノボせたのも仕方あんめェ。路地に飛びこむと、すごい勢いで階段を駈け上がった。わしは、お姫さまの前に通された。あまてらす女神さまだった!
『こっちへお寄りよ、坊や。あたしに、ちょっとした贈り物してくれない、どう?』
こう言って、わしの頬っぺたを軽くつっついた。わしは、ふるえながらポケットをさぐって大佐がくれた金を引っぱりだした。
『オヤ、可愛らしいひと、あんたはピカルディ生まれにちがいないと思うわ。そう、そうなのよ、あたしも。地酒を一杯おごって下さる?』
女神さまのお望みを喜んで承知した。ことわる気力なんかなかった。一杯が二杯、三杯、そして四杯と重ねるうちに酔いがまわり、大佐の十八フランが消えてなくなった。とうとう夜になり、どうしてそうなったのかわからなかったが、眼が覚めたら朝になっていて、表通りの税務署の前の石のベンチの上にいた……まわりを見て腰が抜けるほど驚き、財布の底を見て、もっと驚いた……すっからかんの空っけつになっとった……
どの面《つら》さげて主人のところに帰れよう? どこへ行って泊まったらいいんだ? 陽が昇るまで歩くことにした。暇をつぶすことしかすることがなかった、というより昨日の失敗の続きを忘れようとしていた。なんとなくイノサン市場のほうへ足を向けた。同郷の女を信用したばっかりに、わしは独りごとを言った、お蔭でこのザマだ。いくらかでも金が残っていたらなァ……
白状するが、そのとき、お笑い草な考えが頭をかすめた……パリのあちこちの壁に貼り紙がしてあるのを、たびたび見かけたことがある。書類鞄を紛失、届けて下さった方には千、二千、三千フラン御礼いたします、というやつだ。そんな鞄を見つけてやろうと考えたっていいだろう? そこで、捜し物をしている男のように舖道の敷石を一つ一つ穴のあくほど眺めながら、大まじめに幻の幸運にとりつかれて歩っていたら、ひょいと背中をどつかれて夢から引き戻された。
『よォ、チビすけ、朝っぱらから、こんなとこで何やってんだい?』
『ああ、あんたか、ファンファン。こんな場所で、こんな時間に会うなんて珍しいね』
ファンファンはパン屋の小僧で、紅燈街で知り合った仲だった。彼が手短かに語ったところによると、パン屋のカマドとおさらばしてから六週間になる、貢いでくれる情婦《いろ》がいたが、思わぬときに女の旦那が訪ねてきて、十五分前から宿無しになっているとのことだった。さらに、こうも言った。まァ気にするな、だが、朝っから家へ戻ってきて、ゆんべから警察が探しているとしたなら、今日じゅうに捕まるぞ。パン屋のファンファンは抜け目のないやつのように見えたので、こいつなら今の窮地から抜けだす手を教えてくれるかもしれないと思い、わしの苦境をブチまけたところ、
『そんだけのことか? お午《ひる》に入市税木戸のとこの居酒屋に会いに来な。たぶん、いい手を教えてやるよ。ともかく昼飯でも食おうや』
わしは約束どおりに行った。ファンファンは、わしより前に来ていて待たせなかった。入って行くと、すぐに小部屋に通され、そこに彼がいた。一籠の牡蠣《かき》を前にして、二人の女に挾まれて食事をしていた。と、女の一人が、わしを見て大笑いをはじめた。
『なんだ、こいつだったんか?』
ファンファンが大声をあげる。
『そうなのよ、ごめんね、この同郷の人よ』
わしのほうも、すこしどぎまぎして、
『この同郷女だ。そうなんだ、きみ、この同郷の女なんだ』
ゆうべ酷い目に合わされたことに文句を言ってやりたかったが、その女がファンファンを『兎ちゃん』なんて呼んでキスしながら、ますます大きな声で笑いだしたんで、ここは一番、男らしくあきらめるのがいいと見てとった。
『ところでと、神さまを見限っちゃいけねェことぐれェ百も承知だな。豚の足が焼けてる。豚の足が好きかい?』
白ワインを注いでくれて、牡蠣を十ばかり取って寄こしながら、ファンファンが言い、返事をする暇もなく、わしの皿に豚足がのっていた。わしが、あんまり猛烈な勢いで食ったもんだから、ファンファンも、もう好みを聞くには及ばねェやと思ったらしかった。そのうち、シャブリ〔ヨンヌ県の主邑、白ワインの産地〕の白ワインで陽気になり、店のオヤジに怒られる心配などケロリと忘れ、同郷の女の連れの女に色目を使われ、夢中になって女を口説いた。デュファイ様が誓って言う、おとなしくて、可愛い女だった。ウンと言ってくれた。
『なら、そんなに、あたいが好きなの』
と、ファンシェットが言った。それが、そのお喋り女の名前だった。
『ああ、惚れているとも』
『そう、だったら結婚しましょうよ』
『そうだ、結婚しろよ。まずは結婚式をあげるんだ。俺が結婚させてやる。チビすけ、わかったか? さァ、キスしろ』〔マリエ(結婚する)という動詞の俗語用法には性交するという義がある〕
そう言うと同時に、ファンファンは、わしら二人の首をつかんで顔をくっつけた。すると、こんどは、ファンシェットが、わしの友だちの手助けなしに二度目のキスをしながら声をあげた。
『だいじょうぶ、あたいが仕こんであげる』
わしは天にも昇る心地だった。夢のような一日をすごし、まもなくベッド教育を卒業した。ファンシェットは、それほどまでに自分の授業を絶妙に活用する生徒にめぐりあって鼻たかだかで、もちの論、開けっぴろげで御ほうびをくれたっけ。
当時、名士会というものができたばかりだった。名士会は、おめでたいカモが揃っていて、かれらの会合にファンシェットたちがもぐりこんで連中から巻きあげ、わしらみんなで、そのアブク銭で御馳走をいただき、毎日が宴会のつづきだった。つまり、名士会たちが酒盛をさせてくれたわけで、けっきょく連中のおごりだったというわけさ。もっとも、いつもふくらんでいた、わしのポケットの分は別にしてのことだ。
わしとファンシェットとは一心同体だった。だが、幸せは短し……ああ、まっこと、ほんの束《つか》の間だった。
安楽な暮らしが一カ月つづいたか続かないかのとき、ファンシェットと例の同郷の女が逮捕されて、ラ・フォルス監獄に連れて行かれた。何をやらかしたのか? わしにゃわからなんだ。だが、町雀が、しきりに懐中時計をクスねた噂をしとったんで、わしとしては、警視総監殿とお近づきになるのは御免こうむりたかったから、今回のことをホジくらねェほうが無難だと考えた。
とにかく、この逮捕は予想もしなかった打撃で、わしとファンファンには大ショックだった。あんなにいい子だったファンシェット! さて、これから、どうなるんだろう。もう金づるはないぞ、と独りごとを言った。鍋はひっくり返されちまった。牡蠣よさらば、シャブリ酒よさらば、世話女房よさらば、だ。ぼけっとしてられねェんじゃねェかな? ファンファンもパン屋をやめるんじゃなかったと後悔していた。
わしらは、そんなふうに悲しくなってフェライユ河岸を歩っていた。そのとき、とつぜん、軍楽隊の楽の音で我にかえった。二人のクラリネット吹きと大太鼓とシンバルを叩くのが荷馬車に乗っていて、そのジンタのまわりに大勢の人が集まっていた。荷馬車の上には色とりどりの旗と羽根飾りが、ひらひらと風にひるがえり、たしか、『こよなき我が家』という曲をやっていたと思う。音楽が終わると、太鼓がドンと鳴り、服の縫目という縫目に飾り紐をつけた紳士が立ち上がり、制服の軍人を画いた大きなプラカードを群集に見せながら演説を始めた。
『国王陛下の御|允許《いんきょ》によりまして、ここに、陛下よりフランス臣民に賜わりまする入植許可の特典について説明に参上しました。お集まりのお若い衆は、桃源国《コカーニュ》という国のことを耳にしたことがございましょう。かの国を見たいとお望みなら、インドの奥地へ行かねばなりません。その国こそ、あらゆる物が望みしだいに手に入る幸福の国なのです。
黄金、真珠、ダイヤモンドをお望みかな? そんな物は道にゴロゴロしている。かがんで拾いさえすればよいのです。かがむのがイヤなら、土人が拾い集めてくれます。オナゴは、お好きかな? どのような好みにも応じられますぞ。まず黒い美女、誰のものにもなります。次に来るのが外地白人《クレオール》女、皆さんや私のように白人で、白人の男にガツガツしておる。黒人しかおらぬ国では、まことにもっともなことであります。しかも、驚いてはいけない、そういう女の誰もがクレジュス〔リディア王のクロイソスのこと。巨万の富の持主〕のような大金持ちなのですぞ。このことは、私どもとしては、結婚相手としてたいへんな利点ではありませんか。
酒はどうかな? 女と同様に、あらゆる種類がありますぞ。マラガ、ボルドー、シャンパンなどなど。とは申しても、皆さんをだましたくはない、ブルゴーニュ酒には再三お目にかかることはできません。ブルゴーニュは航海に保《も》たないのです。ですから、地球上の他のどんな銘柄でもお試しあれ。白銅貨六枚で一本、競争が激しいから大喜びで飲ませてくれます。そのとおり、皆さん、白銅貨六枚なりです。つまり、こういうことがおわかりになれば、なるほどと合点されましょう。ときには、百、二百、三百隻ものワインを満載した船が、一つの港に同時に入港してくるもんで、そういう時の船長たちの困惑を御推察ねがいたい。帰りをせかされて、早く樽を空にしてくれたらロハにすると言って積荷を陸上げするんであるんである。それだけではありません。いつでも砂糖が手に入るということは、たいそう結構なことだとは思いませんか?
コーヒー、レモン、ザクロ、オレンジ、パイナップルなど、エデンの園のように人手をかけないでも自然に実る百千の美味しい果実については申し上げますまい。そこらの島々の地酒のことは言うにゃ及ぶです。たいそう珍重され、失礼ながら、そのノド越しの良さといったら、一巻き十五スーもする上質の紙のように滑《なめら》かであります。
ここで、私が、御婦人がたやお子たちに話をするのであれば、おいしいお菓子がいっぱいあるのをホメることもできるのですが、今は男子の皆さんに説明しているところです。
家族の中の御子息の皆さん、私は、宝の山へ行く道から若者たちを必死になって引き戻そうとするのは、たいていは親御さんだということを知らないではありません。どうか父上や、とりわけ母上よりも理性的になっていただきたい。たとい親御さんが、野蛮人はヨーロッパ人を塩をつけて食うそうだ、なんてなことをおっしゃっても耳を貸してはなりませんぞ。そんなことは、クリストファー・コロンブスやロビンソン・クルーソーの時代の話でございます。
黄熱病の恐ろしさを言われても聞き流して下さい。黄熱病って? ねェ、皆さん、それが世間で言うほど恐ろしいものなら、国じゅう病院だらけになるはずです。ところが、なんと、その国には病院なぞ一つもないんです。
親御さんは、かならずや、きびしい気候のことを言うでしょうな、正直いって、それが嘘だとは申しません。たしかに暑い。ですが、ふんだんに自然が恵んでくれる涼しくなる物があって、よほどのことがないかぎり暑さなどは気になりません。熱帯蚊に刺されるとか、ガラガラ蛇に咬まれるぞと脅かされるでしょうが、御安心いただきたい、のべつ幕なしで蚊を追っぱらう奴隷がいるではありませんか? 蚊のほうは、わざわざ音をたてて逸早く知らせてくれるではありませんか?
いろいろと難破の話を聞かされるでしょうが、わかって下さい、私は五十七回も海を渡り、なんども何度も熱帯の人のいい人間を見てきています。北極から南極まで行くのも平気の平佐、筏《いかだ》もない食糧もない大海原にあろうとも、七四砲の軍艦の上にあれば、オセールの馬引き川船にあるよりも、パリからサンクレールに行く運河船の上よりも、よっぽど安全であります。これだけ申せば、皆さんの御心配を晴らすに十分と存じます。この快適な風景に付け加えることがあります……狩りと釣りのことをお話しできるのです。考えてもごらんなさい、人間を恐れない獲物がいる森のことを。逃げようとせず、そのくせたいへん臆病なんで、ちょっと大声をだすだけで倒れるんです。魚が岸にあふれるほどたくさんいる河や湖を想像して下さい。一切が奇跡みたいで、しかも一切が真実なのであります。
馬のことを話すのを忘れておりました。馬なら、皆さん、一歩、歩いたら何千という馬に出会います……まるで羊の群と言ってもいいくらいですが、羊よりずっと大きい。馬は好きですかな? 乗ってみたいと思いますか? よろしい、だったら、ポケットに綱を一本、すこし長めのやつを持っている。すべり結びにして、馬が草を食っている瞬間を狙えば気づかれません。そっと近づく。いいのを選んで、これと決めたら綱を投げる。これで、馬は、あなたの物です。あとは、またがって行くか、御自分の判断で調馬場へ曳いて行くだけです。なんといっても、そこは自由の国ですからな。
さよう、皆さん、何度でも申します。これ、すべて真実、ほんとの本当。その証拠は、フランス国王、ルイ十六世陛下が親しく王宮において私を接見あそばされ、皆さんに陛下よりの恩恵をあたえる権限を私めにたまわったのであります。王様のお膝元で、なんで偽りなど申せましょうや?
王様は、臣民が衣食足りて富み栄えるように念じておられますが、皆さんには何も求めてはおられません。働かないで給金どっさり、食事は上等、寝るも起きるも勝手次第。ただし、月に一度の教練、サンルイ〔当時のブルボン島、現在のインド洋にあるレユニオン島の港町〕での閲兵式があります。残念ながら、これだけは、正直いって免除してもらうわけにはいかない。もっとも、許可があれば話は別で、申請さえすれば決して断られることはありません。この義務さえ果たせば、他の時間は自分のものです。これ以上、なにをお望みかな? 正規の志願書? 差し上げますとも。ですが、お急ぎ下さい。あらかじめお知らせしておきますが、おそらく明日では間に合いません。船は出帆準備をととのえ、帆を上げる風を待つばかりになっています……駈けつけたまえ、パリの諸君、駈けつけたまえ。もし、万が一、遠い外地にウンザリしたら、いつでも好きな時に休暇をとればよろしい。常時、港にはホームシックの者をヨーロッパに連れて帰る小舟が待機しております。以上が、私の申し上げたいことでありまして、別に詳しくお知りになりたい方は、どうぞ私に会いにお越し下さい。私のことは、皆さん先刻ご存知なので、いまさら名前は申しあげるまでもありますまい。宿は、ここから眼と鼻の先、最初の街灯のところの居酒屋でムッシュ・ベルローズとお尋ねください』
その時の境遇のせいで、わしは、その口上に熱心にのめりこんだ。あれを聞いてから二十年もたっとる今でも、一語一語を覚えとるし、一句だって抜かしちゃいねェ。ファンファンも少なからず感銘を受け、わしらは、志願するかどうかを相談しにかかっていたとき、それまでまったく気にもとめていなかった一人のウドの大木みたいな大男が、いきなりファンファンに平手打ちを食わせて帽子をふっとばした。
『この下司野郎、おれにガンつけやがって、どうなるか思い知らせてやる』
ファンファンは、その不意打ちに呆然としていたので、わしが庇《かば》ってやろうとしたところ、ウド野郎は、今度は、わしに手を振りあげてきた。あっという間に人垣ができ、本物の喧嘩がおっぱじまり、弥次馬は、どっちが勝つか高見の見物。とつぜん、人垣をかきわけて一人の人物が現われた。ムッシュ・ベルローズだった。
『どうしたんです、こりゃ? 一発やられていますね。こりゃたいへんだ。だが、きみは勇敢だ。眼を見ればわかります。うん、大丈夫、万事おさまりますよ』
と、泣いているファンファンに向かって言うと、ファンファンは、自分のほうは悪くない、それに殴られてはいないと言った。すると、ベルローズが、
『どっちみち片をつけなくっちゃなりませんね』
ウド野郎が言う。
『このままじゃ済まされねェ。こいつがイチャモンつけたんだ。落とし前をつけてもらわなくっちゃ。二人のうち、どっちが生き残れるかだ』
すると、ベルローズが、
『ほォ、なるほど、じゃ、片をつけましょうよ。お二人の決着は、私があずかりましょう。いつがよろしい?』
『そっちは?』
『明朝五時、大司教館の裏。私が剣を持って行きます』
誓約が成立してウド野郎は引き退った。ベルローズは、ファンファンの腹をポンとたたいた。胴着の金を入れておくところだったので、わしらの消え去った栄華の名残りの何個かの小銭がチャリンと音をたてた。
『いや、まったく、きみ、きみは気にいった。私と一緒にいらっしゃい。あんたも御一緒に』
彼は、こうファンファンに言うと、わしの腹を同じようにポンとたたいた。
ベルローズは、わしらをジュイヴリ街の居酒屋の入口まで連れて行って中に入らせた。
『私は一緒には入らない。私のような立場の者は作法を守らねばならんのでな。軍服を脱いで、すぐ来る。上等の赤ワインとグラスを三つ頼んでおいてくれたまえ』
彼は、わしらにさようならをして、振りかえって繰りかえし言った。
『上等の赤、上等の赤』
わしらはベルローズの命令を間違いなくやった。なるほど、彼は、すぐに戻って来たので、わしらは、あらためて帽子をとって挨拶をした。
『なんだ、なんだ、きみたち、そんなことして。かぶりなさいよ。われわれの間じゃ堅苦しいことは抜きだ。さァてと、腰をおろすとして、私のグラスはどれかな? 最初の一杯を一気にやるよ(彼は一息に呑みほした)。えらくノドが渇いて、口の中が埃《ほこり》だらけだ』
話しながら、ベルローズは、二杯目をぐいぐい飲んだ。それからハンカチで額をぬぐい、テーブルに両肘をついて、わしらを不安にさせる謎めいた表情を浮かべた。
『さて、きみたち、いよいよ明日は戦うことになるが、いいかな』
と言ってから、安心どころではないファンファンに向かって、
『相手は手強い。フランス随一の剣客で、竜退治の聖ジョルジュもタジタジの腕前だ』
『聖ジョルジュもタジタジ!』
ファンファンは、惨めな顔をして、わしを見ながら繰り返し言った。
『ああ、そうなんだ、そのとおり、聖ジョルジュもタジタジなんだ。そんだけじゃない、これは知らせておくのが私の義務、彼は不吉な手の持ち主でな』
すると、ファンファンが、
『俺の手もそうなんだ』
『えっ、きみもかね』
『そうですとも、たしかにそう思います。奉公してたとき、皿にかぎらず、俺が物を壊さない日はなかったです』
『ふん、よくわかっていないようだな、きみは。不吉な手を持っているというのは、戦えば必ず相手を殺すという意味なんだ』
この、はっきりした説明にファンファンの五体が震えだした。玉のような冷や汗が額を流れ、パン屋の小僧らしいバラ色の頬っぺたに青白いかげりがさした。顔がこわばり、心臓がふくらまって息をつまらせ、最後に大きなタメ息をついた。
すると、ベルローズがファンファンの手を取って、
『大丈夫。私は怖がらない男が好きだ……怖がっちゃいないね?』
と言ってからテーブルを叩き、
『給仕《ギャルソン》、お代わり一本、同じやつだ、わかったか? この旦那のおごりだ……きみ、ちょっと立ってみて。右足を踏み出して、からだを起こし、腕をのばす。肘を折って、ななめに構える、そうそう、おみごと、おみごと。すばらしい』
こう言いながらベルローズはグラスを空けた。
『ベルローズが誓う、きみを剣士に仕上げたい。自分の立派な体をご存知ない。剣を取ったらピッタリだ。剣術師範の中にも、きみほどの素質を持っている者は四人といない。その腕前が発揮されなんだとは何たることだ。いや、ちがう。そんなはずはない。ずい分と道場に通いましたな』
『と、とんでもありません』
『試合をしてきたと打ち明けなさいよ』
『ぜったいにない』
『謙遜しなくたっていい。腕前を隠して何の足しになる? 私は、とっくに見通し……』
わしが大声をだした。
『ちがいます。こいつは生まれてから刀など握ったことはありません』
『きみが保証するんじゃ信じないわけにいかないな。だが、ねェ、二人とも意地悪だね。老いぼれ猿に恥をかかせちゃ困るな。本当のことを白状したまえよ。私が裏切るとでも思ってるんじゃないかな? 友だちじゃなかったんか? 信じてもらえないなら、私は引き退《さが》ったほうがよさそうだ。さようなら、皆さん』
ベルローズは、腹だたしげに出て行こうとして戸口のほうへ行きかけた。とっさに、ファンファンが大声で、
『ああ、ムッシュ・ベルローズ、見捨てないで下さい。俺が嘘をついているかどうか、このチビすけに聞いてみて下さい。俺はパン職人なんです。素質があるなんて、俺のせいですかね? 麺棒《めんぼう》は握ったことはあるが……』
『だと思った。なにか握ったことがあるはずだと思った。私は率直なのが好きだ。率直さ、きみにはそれがある。軍人になくてはならない基本精神だ。それがあれば昇進できる。きみなら立派な兵士になること請合いだが、さし当たっての問題は、それじゃない。ギャルソン、ワインのお代わり一丁。試合の経験がないとなると、嘘か本当かは別として……』
しばらく黙ったあとで、
『どっちにしろ、私は若い人の手助けをするのを喜びとしている。一撃を教えよう、必殺の一撃をね(ファンファンは眼を丸くした)。誰にも洩らさないと約束するか?』
『誓います』
『よろしい、この秘伝を教えるのは、きみが初めてだ。よっぽど、きみに惚れこんでしまったらしい。この一撃をかわす方法はないんだ。私ひとりが会得している一撃だが、まァいいや、明日になったら明かすとしよう。伝授してあげますぞ』
この瞬間から、ファンファンは、いくらか元気がでたようだった。ムッシュ・ベルローズを命の恩人だとしてお礼の言葉を浴びせ、片や友情を、片や感謝の言葉を交じえながら、わしらは乾杯をつづけ、夜も更けたので、ベルローズは別れを告げた。しかし、いかにも苦労人らしく、わざわざ別れる前に今夜の寝場を教えてくれた。
『私に言われたと言ってモルテルリ街のグリフォン旅館へ行くといい。私の名を忘れんでな。ゆっくり眠れば、万事うまくいくさ』
そこで、ファンファンが嫌な顔もせずに飲み代を払うと、ベルローズが、
『さらばだ。起こしに行くからね』
わしらはグリフォン旅館の戸をたたいて泊めてもらった。ファンファンは眠れないらしかった。おそらく、ベルローズが披露してくれるという一撃を知るのが待ちきれなかったのか、それとも、たぶん、怖くなっていたのか、このほうだったのだろう。
夜明けに、ドアの錠に鍵がまわった。誰かが入って来る。ベルローズだった。彼は怒鳴った。
『ヘェー、二人だけで寝とるんか? さァ、みんな、起きるんだ』
わしらはパッと飛び起きた。支度ができると、彼は、ちょっとのあいだファンファンと部屋をはずし、すぐに一緒に戻って来た。
『さァ行こう。ぜったいにヘマするんじゃないぞ。ほかに何もせんでいいんだ。左上段に構えるんだ。あとは独りでに刺さる』
ファンファンは、秘技を伝授されたにしては浮かぬ様子だった。決闘場に着くと、生きた人間の顔をしていなかった。相手と立会人は、もうすでに待ち構えていた。
『戦う場所はここだ』
こうベルローズは言うと、わしに持たせていた二本の剣を取り上げて切先のタンポを外した。次に刃渡りを測って、
『片方の刃渡りが十五センチも長いのなんかはない。さァ、執《と》った、ムッシュ・ファンファン』
と言いながら十字に交叉させた剣を差しだした。だが、ファンファンは、ためらった。しかし、もう一度すすめられると柄を握ったが、すっかり固くなっていて取り落とした。ベルローズが剣を拾いあげ、相手と向かい合わせてからファンファンの手に剣を握らせて、
『平気、平気、さァ、構えた。どっちがケリをつけるか、これからわかる』
すると、相手側の立会人が声をかけた。
『ちょっと待った。その前に聞いておきたいことがある』
と前置きして、立っているのも危なげに見えるファンファンに、
『ムッシュは、剣術の師範代とか師範ではないでしょうな?』
『なんのことですか?』
ファンファンが死にそうな声で答えると、立会人が、
『決闘の規則に従って、私は、あなたに、あなたが師範代または師範であるかを名誉にかけて言明させるのが私の義務と心得えます』
ファンファンは黙りこくって、何を言ったらいいのかを尋ねるようにベルローズのほうを見た。
『答えて下さい』
立会人がせまった。
『俺は……俺は……俺は、ただの奉公人だ』
ファンファンは口ごもった。
『奉公人?』
『素人だと言ってるんだ』
と、ベルローズが説明した。
『それなら、素人殿に脱いでもらいましょう。肌を見たいんです』
すると、ベルローズが、
『なるほど、そいつは気づかなかった。脱ぎたまえ。早く、ムッシュ・ファンファン、上着とシャツを脱いで』
ファンファンは、いやーな顔をした。胴着の袖が、いかにも窮屈そうな身ぶりをした。下のほうからボタンを外し、また上から掛け直した。チョッキを脱いだらシャツの襟紐がほどけなくなり、紐を切らねばならなかった。ついに、パンツを残して芋虫のように素っ裸になった。ベルローズが、もう一度、ファンファンに剣を渡した。
『さァ、きみ、構えて』
『行くぞ』
相手が叫んで、剣が交叉した。ファンファンの刀は、ぐらぐら震えていて、相手の刀は微動だにしなかった。ファンファンは気を失いそうに見えた。
とつぜん、ベルローズと立会人が二人の剣に飛びついて叫んだ。
『もういい、これで十分だ。二人とも勇敢だ。きみたちが殺し合うのは見たくない。仲直りするんだ。抱き合いたまえ。それで、もう問題はない。いやはや、脂がのっているからって、みんな殺さなくたっていいんだ……だが、この若いのは太い肝っ玉だ。さァ、落ち着いて、ムッシュ・ファンファン』
ファンファンは息を吹きかえし始めた。勇気があるところを見せたぞと言われて、すっかり立ち直った。相手は、仲裁に形ばかりの難色を示したが、最後には態度をやわらげた。二人は抱き合い、ノートルダム寺院の前庭のところにある聖歌隊の連中が行く酒場で昼飯をやりながら手打ちの仕上げをしようということになった。あそこは、いい酒を飲ませるんだ。
わしらが着いたときには、なんともうテーブルの用意がととのい、昼飯もできていて、店のほうで待っていた。食卓につく前に、ベルローズは、わしとファンファンを脇に呼んで言った。
『さて、きみたち、これで決闘がどんなものかわかったわけだ。大した難事ではないんだ。私は、きみに満足している、ファンファンくん。聖天使のようにやってのけた。だが、最後まで堂々と振舞わなくちゃならん。何のことを言ってるかわかるな、相手に支払いの心配をさせてはならんということだよ』
この言葉にファンファンの顔が曇った。財布の底を知っていたからだ。すると、ベルローズがファンファンの困った顔を見て付け加えた。
『あ、そう、じゃ万事まかせたまえ。もし金がないなら、なんとかしよう。いいから収めときたまえよ、金がいるんだろう? 三十フラン? 六十フラン? 友だちの間だ、気にすることはない。これだけあれば御二人には十分、いい目が見られる』
と言って、ポケットから六リーヴル貨で十五エキュ〔約七十五フラン〕を取り出した。ファンファンは迷った。
『さァ、受け取った。返せるときに返せばいい。この条件なら借金にはならない』
わしは、とにかく受け取れよ、というふうにファンファンの肘を押した。彼は合図を理解し、わしらは金をポケットにおさめた。ところが、わしらは、やがて後悔することになる。世間知らずもいいとこだった。くそっ、ベルローズの抜け目のなさ!
昼食は、たいへん陽気に取りはこんで行った。わしらは、たがいに話をし、親がケチン坊だったとか、奉公先の親方がセコいやつだったとか、独り立ちが幸せだとか、インドで大儲けした連中の話だとかを語りあった。ベルローズの話の中には、ケープタウン、シャンデルナゴル、カルカッタ、ポンディシェリ、チプーサイーブなどの地名や人名が巧みに織りこまれ、最近ベルローズが徴兵した若者が莫大な財産を作った例が引きあいに出された。
『自慢じゃないが、私は不吉な手なんか持っちゃいない。あのチビのマルタンを徴兵したのは私なんでね、なんと、今じゃ大富豪だ。金銀の上を転げまわって、お高くとまっているにちがいない。もういちど私と会ったって、あいつは誰だっけくらいにきまっている。いやはや、これまで何人の恩知らずを育てたことか。仕方ないね、これが人の運命というものさ』
酒宴は、ながながと続いた……デザートになると、ベルローズは、アンチル諸島の素敵な果物をテーブルに持って来させた。高級なワインを飲みながら、
『ケープ産のワイン万歳。これこそ極上の美禄』
などと大声を張りあげ、コーヒーのときは、マルチニーク・コーヒーをうっとりと味わってみせた。コニャックが出てくると、しかめ面をして、
『おお、おお、タフィア酒〔ラム酒の一種〕にはかなわないね。ジャマイカの美味しいラム酒にも劣るよ』
カクテルの〈熱愛〉を注ぐと、
『まァ飲めるがね、やはり、あの有名なアンフー夫人のリキュールを台にした弱いビールみたいなもんだな』
ベルローズは、わしとファンファンの間に陣取って、食事のあいだじゅう世話をやき、ずっと同じ歌を歌った。〈さーかずき干《ほ》せや〉、と歌っては、空けるそばから満杯にした。また、こうも言った。
『いったい、誰が、きみたちみたいな腰抜けにしたんだ。さァ、競争だ、ほら、飲むぞ』
こうして、いろいろとハッパをかけられて煽《あお》られ、その効き目が現われてきた。わしとファンファンは、いわゆる餌に食いついたわけで、とくにファンファンのやつが、まんまと釣針に引っかかった。彼は、酔って気がおかしくなり、船に乗っている気になって、時折り繰り返して言った。
『ベルローズさん、植民地は、まだまだ遠いんですか、シャンデルナゴルは、スリナガル・パタンは? まだ、うんと遠いんですか?』
やっとのことでベルローズが返事をした。
『まだだ。そのうち着く。それまで、ちょっとした話をしてやろう。ある日、私は総督邸の門で歩哨に立っていた……』
『ある日、彼は総督だった』
ファンファンが言葉尻をとると、その口をベルローズが手でふさいで、
『だまっとれ。そのころの私は、ただの一兵卒で、哨舎の前の椅子に静かに腰をおろしていた。そのとき、私の銃を持たせていた黒ん坊の家来が……植民地の兵士は、男と女の奴隷を一人ずつ持っていたと知っとくと便利だ。つまり、男女の召使いといっても差し支えないのだが、そいつらを好きなようにできて、気に入らなかったら生かすも殺すも思いのまま、いうなれば、蝿でも殺すように殺してもかまわんのだ。女のほうには、もっと関心があると思うが、もちろん勝手に自由にできる……さて、私は、さっき言ったように歩哨に立っていた。黒ん坊の家来が私の銃を持っていた……』
ベルローズが、こう言ったか言わないかに、一人の大男の兵士が部屋に入ってきて、彼に一通の手紙を渡した。彼は大急ぎで開けた。
『海軍大臣からだ。サルチーヌ閣下は〔ガブリエル・ド・サルチーヌ(一七二九〜一八〇一)、警察長官のあと海軍大臣。なお第三十一章を参照〕、王命によってスリナム〔南米、当時のオランダ領ギアナ〕へ行けと書いてきておられる。やれやれ、スリナム行きか、あーあ』
と言ってから、わしらに向かって、
『こんなに早く別れようとは思わなんだが、諺《ことわざ》にも言うように、間違い勘定は二度の手間というからな。どっちでもいいが』
ベルローズは、右手にグラスを持つと、たて続けにテーブルをたたいた。その間に、同席の決闘の相手側の男たちは一人また一人と姿を消し、やがて給仕がやってきた。
『値段表だ。主人をよこせ』
じっさいに、主人が勘定書も持って現われた。
『こりゃ驚きだ。こんなに高くなるとは。百九十リーヴルと十二ソルに六ドゥニエ。とりあえず生皮を剥いでやろうという気かね、ニヴェさんよ? ほら、まず、この項目を見のがすわけにはいかない。レモン四個、二十四ソル。レモンは三つしかなかった。最初の値引き箇処だ。なるへそ、ニヴェのとっつぁん、お前さんがボロ儲けをするのは当然だね。ドミタス七杯、あっぱれだ。はっきりしすぎている。われわれは六人しかいなかったんだからな。ほかにも間違いがあるにきまっとる……アスパラガス、十八リーヴル、高すぎる』
亭主のニヴェが、
『四月ですよ。初物なんです』
『なるほど。次を見てみよう。グリンピース、朝鮮アザミ、魚か。四月は魚が安い月だぞ。イチゴはどうかな……二十四リーヴル……文句なしか……ワインは、まァまァの値だ……あとは、お前さんがやった計算だ。ゼロを置いて一を上げ、もういちど上げた三を……合計は合ってる。十二ソルと六ドゥニエを引いて百九十リーヴル残る。私のツケでいいね、ニヴェのとっつぁん?……』
酒場の亭主が、
『せ、殺生な。昨日ならハイだが、今日はダメです……陸の上にいるのなら、なんぼでも信用しますが、いったんボロ船に乗りこまれたら、いったい、どこへ探しに行けって言うんですか? スリナムにですかい? 海の外のお客なんて真っ平ごめんだ……言っときますが、欲しいのは現金ですよ。払いがないうちは、ここから出てもらっちゃ困りますよ。とにかく、いま、夜警兵を呼びにやります。そうなれば……』
ニヴェは、一見、ひどくプリプリして出て行った。ベルローズが言った。
『あいつは、ほんとにやる男だ。だが、ちょっと思いついたことがある。大怪我に荒療治ってやつだよ。まさか、ルノワール警部のところに連れて行かれて四本ローソクのあいだに坐らされるのを私ほどには心配しとらんとは思うが、兵役に志願する者には一人に百フランの御下賜金がある。きみら二人で二百フランになる……きみらが兵籍登録にサインする、私が金を取りに行く、戻ってきて解放する。どうかね、これ?』
わしらは黙っていた。
『オヤ、尻ごみかい? きみたちを買いかぶりすぎたかな。こんなにタメを思ってるのに……志願するのは損じゃない……くそっ、きみたちの年になって、今ほどの知恵があったらなァ……若いときは、いつだって運が開けるもんだ』
彼は、わしらに書類を突きつけて言い続けた。
『さァ、金を作るチャンスだ。この書類の下に名前を書きたまえ』
ベルローズが、あんまりせっついて頼んだのと、夜警兵のことが大いに心配だったので、わしらがサインすると、ベルローズが大声をあげた。
『ばんざいだ。そんじゃ、私から払ってあげる。不満があれば、いつだって間に合う、金さえ返せばいいんだから。もっとも、そんなことにはならんだろうがね……しばらくの辛抱だ、きみたち、じき戻ってくる』
すぐにベルローズは出て行ったが、しばらくすると戻ってきた。
『足留めは解けた。今は、もう、帰るも居るも勝手だ。そうそう、きみたちは、まだ私の家内に会っていなかったね。ひき会わせたいな。爪の先まで才気あふれた女だよ』
ベルローズは、わしらを彼の家へ連れて行った。あまりパッとしない住居で、マリオン陸橋から少し行ったところにある、かなり見すぼらしい家のうしろの二部屋だった。ベルローズ夫人は、二つ目の部屋の奥にある壁に切りこんだ寝床に枕を積み上げて頭を高くして横になっていた。ベッドには二本の松葉杖が立てかけてあり、そこから遠くないところにナイトテーブルがあって、その上に、痰壺、貝殼製のタバコ入れ、銀のゴブレット、ほとんど空になっているブランデーの瓶などが載っていた。彼女は、四十五から五十歳くらいだったろうか、大胆なネグリジェ姿で、髪飾りに結びリボンをつけ、糸レースの付いた化粧着を羽織っていた。もったいぶった顔付きをしていて、わしらが入っていくと、はげしい咳の発作を起こした。
『おさまるまで待ってくれたまえ』
と、ベルローズが言い、やっと咳がやむと、
『話せるかい、おまえ?』
『ええ、子猫ちゃん』
『なら、ひとつ、親切心をだして、どれほどの財産が植民地で作れるか、この方たちに話しておくれ』
『そりゃ、もう莫大な、あんた、莫大な財産ができる』
『どんな結婚相手が見つかるかな?』
『結婚相手? すてきな娘さんがいっぱいだよね、あんた、すんばらしい。いちばん見劣りのする跡取り娘でも何百万ピアストルも持ってるんだからね』
『どんな暮らしができるかね?』
『安楽な暮らしですよ、あんた』
彼女の夫が、わしらのほうに向かって、
『聞いたかね。私が言わせてるんじゃないんだよ』
茶番が演じられていた。ベルローズは、口なおしにと言ってラム酒を一杯すすめた。わしらは、奥さんの健康を祈ってグラスを触れ合わせて乾杯し、彼女は、わしらの航海の無事を念じて飲んだ。
『というのはね、この方たちが身内のような気がするからよ』
と、ファンファンに向かい、
『ねェ、あなた、あなたは、あっちの国へ行ってもモテるタイプよ。がっしりした肩、広い胸、恰好のいい足、それに大きなワシ鼻』
こんどは、わしに向かって、
『あなたもそうよ。ほんと、二人とも、たくましい快男児ね……』
すると、ベルローズが、
『この快男児たちは、他人に踏みつけにされちゃいないよ。この人はね、お前が睨《にら》んだとおり、今朝その証拠を見せたんだ』
『アラ、あなたは証明なすったのね。ご挨拶しなくっちゃ。さァ、こっちへいらっしゃい、かわいい方、キスしてあげるわ。あたしったら昔から若い男の人が好きなの。生まれつきの情熱ね。誰だって情熱はあるでしょ。あんた、嫉《や》かないわよね、ベルローズ?』
『嫉くって、何に? ファンファンさんはバイヤール〔恐れを知らぬ完璧な騎士と称された大尉(一四七六〜一五二四)〕さながらの決闘をしたんだ。このことは隊に知らせて大佐殿にも知ってもらわにゃならんわい。そしたらたちまち昇進だ。士官とまではいかなくても、すくなくとも伍長だな……えーと、肩章をつけたらシャンとなるさ』
ファンファンは、あまり嬉しそうでもなかった。わしとしては、彼より勇敢だという確信があったので、心の中で思った。やつが昇進するんなら、わしだって負けるものか、と。ともあれ、わしら二人はまァまァ満足だった。徴兵屋は、さらに言葉を続けた。
『ひとつ言っとかにゃならんことがある。きみたちのように推薦された者は、どうしても妬《ねた》みを受ける、とにかく、どこでもそうだが、軍隊にも至るところに妬みぶかい人間がおる……だが、覚えておいてもらいたい、きみたちに一言でも文句を言うやつがいたら、私が相手になる……誰でも、いったん私の庇護のもとに入ったら……まァ、このくらいでいいだろう。手紙をくれたまえ』
ファンファンが、
『なんですって? 俺たちと一緒に行くんじゃないんですか?』
『いんや、たいへん残念だが、大臣が、まだ私に御用がある。ブレストで合流する。明日、八時に、ここで待ってるから遅れんように。今日のところは、これ以上いっしょしてはおれん、軍務がある。では、明日』
わしらは、ベルローズ夫人に別れを告げ、彼女は、わしにもキスしてくれた。翌朝、グリフォン旅館でおなじみになった南京虫に起こされて、わしらは七時半に駈けつけた。やがてべルローズがやって来て、わしらを見て声をあげた。
『時間をまもる者、バンザイだ。私も時間には厳格にしている』
きびしい口調になって、
『もし、友人や知り合いがあるのなら、別れを告げるのに今日一日ある。これから通行証を渡す。この許可証で四キロにつき三スーが支給され、暖房と照明付きで宿泊できる。勝手に宿泊地を飛ばすこともできるが、それは私には関係がない。だが、忘れてはならん、明日の夜、きみたちをパリで見かけたら、こんどは、目的地に連行するのは憲兵である』
この脅しに、わしもファンファンも、手足から力が抜けてしまった。だが、栓を抜いたワインは飲まなきゃならない。わしらは覚悟をきめた。パリからブレストまでは名にし負う悪路で、足にマメをこさえながら一日に四十キロを歩き、とうとうブレストに着いたが、ベルローズを千度も呪わずにはいられなかった。わしらは一カ月後に乗船し、十年後の今日、早くも伍長になった。ファンファンも給料を貰えるようになり、ルクレルク〔フランスの将軍(一七七二〜一八〇二)〕の遠征隊に加わってサンドミンゴ〔ハイチ島の旧称〕でくたばった。さすがのしたたか男も土人の熱帯病にかかった。わしときたら、まだ眼も足もたしかだし胸も腹も丈夫だから、梅毒さえなきゃ、おめェらより長生きできるくれェ元気なんだ。さんざん酷い目にあって、植民地から植民地へ引っぱりまわされ、どこへ行っても精いっぱい働かされた。それでいて、余分な金なんかたまっちゃいねェ。ま、いいさ、喜びの子らは亡びざるべし、だ……それに、お楽しみってやつは、もうないのかと思うと、またあるもんなんだ」
デュファイ兵曹は、よれよれの軍服のポケットをポンとたたき、チョッキを持ち上げて、はち切れそうに一杯になった胴巻を見せた。
「いいか、もうすぐイギリス野郎が貸してくれる分を別にしてもだ、海軍の倉庫にゃバターもあるし卵もある。わしはまだ、イギリスの東インド会社に貸しがある。三本マストの船が貸しを持ってきてくれるんだ」〔デュファイが船主代理をしている私掠船がイギリス船を掠奪することを言う〕
すると、給養兵曹が、
「あんたにくっついて果報を待ってたほうがよさそうだ、デュファイとっつぁん」
「すごく上等な考えだ」
主計兵曹長がオウムがえしに繰り返した。
そうだ、上等な考えだ、と私はこっそり考えて、はからずも出会ったデュファイとっつぁんと深く友情を培おうと心に決めた。
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一八 私掠船『報復』丸
四万人斬りの美女
徴兵屋とのいきさつを語りながら、デュファイとっつぁんは、だいたい一区切り話すごとに酒を呑んだ。言葉が湿っていると、すらすら出てくるというのが彼の言い分であった。それなら、いっそ、言葉を水につけたら、もっと滑《なめ》らかになるはずだが、海に落ちてからは、と彼は言っていた、怖くなったという。一七八九年に彼の身の上に起きた事故である。さて、彼は、話すのと飲むのとが半々の有様になり、前後不覚に酔っぱらってしまって、とうとう、とうてい喋れないところへきてしまった。つまり、呂律がまわらなくなったのである。こうなると、給養兵曹と主計兵曹長どのは、お暇《いとま》をしたくなってくる。
デュファイと私は二人きりになった。彼はテーブルに寄りかかって眠っていたが、やがて鼾《いびき》をかきはじめた。彼が正気をとり戻しているあいだ、私は物思いにふけった。三時間たったが、彼の眠りは終わらなかった。だが、やっと眼を覚ますと、そばに誰かがいるのがわかってびっくりしたらしかった。はじめは、厚い霧を通して私がいるのがわかったものの、こちらの顔かたちは識別できなかった。そのうち、知らず知らずのうちに霧が消えて、やっと私だとわかってくれたが、てんで気が抜けた状態で、ふらふらっと立ち上がると、ブラック・コーヒーが入っている大カップを持ってきて塩入れの塩をぶちこみ、ごくごくと呑みほすとゴボー剣を身に付けて私の腕にぶら下がり、ドアのほうへ引っぱって行った。まるで、楡《にれ》の幹にまとわりついたブドーの木みたいだった。「おめェは道案内しろ、わしは水先案内する。あの身振りは何だい? ばんざいして何を言っとるんだ? デュファイが、へべれけになっとるとぬかしとるんだ……デュファイ丸はな、せいぜい三百トン足らずの船かもしんねェが、心配いらねェ、方角は迷わねェよ、デュファイ様はな」
こんなクダをまきながら、やはり腕を放さないで、帽子を脱いで指先に引っかけてクルクル回し、
「ほら……わしの羅針盤だ。気をつけっ! この帽子飾りの尖《と》んがりが指針なんじゃ。説教通りの岬へ向かって、出発、進行っ」
デュファイが号令をかけ、いっしょに下町へ行く道を歩きはじめると、彼は大袈裟な身振りをして帽子をかぶりなおした。
デュファイは、私に相談事があると言っていたが、今は、それどころではなかった。私は、早く正気に返ってくれと望んだ。まずいことに、外の空気と身体を動かしたのが逆効果になった。大通りを下って行くと、駐留軍の連中があふれている酒場がたくさんあって、そこへ入ろうといってきかなかった。そこここで、長かったり、短かかったりの道草をし、私は、なるたけ短く切り上げるように努めた。デュファイの言い草によると、酒場の看板の一つ一つが心の安らぎであり、いやでも梯子《はしご》をしてしまうのだが、どっこい、その一つ一つの心の安らぎで、これまで背負って来た心の重荷をさらに重くするのだという。ときどき、こんなふうに言った。
「わしはヤクザもんみてェな酔っぱらいだが、わしゃヤクザじゃねェ。だってよォ、ヤクザもんは自前で酔っぱらう。誰も呑ませてはくれんもんな。そうじゃねェか、若いの?」
何度おっぽりだそうと思ったか知れないが素面《しらふ》のときの彼は、私の救いの神と言ってもよかった。彼の脹《ふく》らんだ胴巻きを思いだし、彼から眼をはなさないようにしているうちに、どうやら彼には兵曹の給料以外の出所があるのだと合点した。アルトン広場の教会の前に来ると、靴を磨《みが》こうという気まぐれを起こし、靴台の上に片足をのせて、
「フランスの磨き蝋は卵なんだ、知っとるか?」
「図星です、士官さん」
靴磨屋が答えたとき、ふらっとデュファイがよろめいたので、てっきり倒れると思い、支えてやろうと、そばへ寄ったら、
「ふん、同郷の、おっかながるんじゃねェ。今のは横揺れだったかな? わしには海の男の足があるんだ」
待っているうちに、靴磨屋が、さっさっとブラシを動かし、彼の履物に新しい艶をだした。そして、靴が完全に黒々となると、デュファイが、
「仕上げは、明日《あした》まわしか?」
と言って、磨き賃を一スウやると、靴磨きが、
「金持ちにゃしてくれねェんですかい、兵曹さん」
「なるほど、だったら、用心しな、わしの長靴で一発カマしてやっからな」
デュファイが蹴とばす構えをすると、その動作で帽子がぐらついて地面に落ちて、風に吹きとばされて舗道をころころ転がった。靴磨きが走って追っかけ、拾いあげて持って来た。
「三文の値打ちもねェ安物だが、ま、いい、おめェは、いいやつだ」
大きな声で言うと、ポケットをさぐって一握りのギニー金貨をつかみだし、
「ほら、とっとけ。わしの息災のための呑み料《しろ》だ」
「ありがてェこって、大佐様」
靴磨屋は、デュファイの太っ腹にふさわしい称号で礼を言った。
「さて、こんどは、いろんなヨカとこへ連れてってやらにゃな」
デュファイは、少しずつ正気に返っているらしかった。私は、彼が行くところならどこまでもついて行く気になっていた。彼のキップのよさは見せられたばかりだし、酔いどれ人間は、仲間うちで親切にしてくれる者に矢鱈《やたら》と親しくなるものだということは知らなかった。だから、したいようにさせといた。やがて、説教通りにやって来たが、ある一軒の粋《いき》な新築の家があって、門のところに歩哨番所があり、数名の伝令兵がいた。
「あそこだ」
「なに、あそこですって? 司令部へ連れて行くんですか?」
「司令部だと? 笑わすな。ブロンドの別嬪、マッデレーヌ、もっと上等な、ここでの呼び名で言おうなら、四万人斬りのマダムがおるところだと言っとるんじゃ」
「まさか、同郷の先輩、からかったりしちゃって」
「法螺《ほら》じゃねェ。オヤ、番兵が見えんが?」
すぐにデュファイが前進し、入ってもいいかと尋ねた。
「退却だ。貴様の日でないのはわかっちょるくせして」
竜騎兵の軍曹が乱暴に答えたが、デュファイは入れろと言い張った。
「退却しろと言っちょるんだ。ごり押しするなら然るべき場所へ連行するぞ」
下士官の脅しに私はブルった。
デュファイが頑張ると、私の身元がわかってしまう。だが、私の懸念を打ち明けるのは軽率というものだ。とにかく場所がよくない。私としては、あいかわらず彼が食い下がっているのをじっと見ているだけにした。
「指令なんかクソくらえだ。お天道さまは世界じゅうを照らしてるんだ。自由と平等、それとも死をな」
繰り返して喚く彼の身体をねじ曲げて、懸命に引き退らせようとした。
「平等だと言っとるんだ」
と言ったかと思うと、デュファイは、のけぞった体勢で、発酵酒を飲みすぎて阿呆になった男の、あの空虚な眼を見すえて、私の鼻の下からじっと見上げた。
私は、一巻の終わりに来たなと絶望したが、そのとき、『オーザルム』〔フランスの国歌、ラ・マルセイエーズにある「武器をとれ」〕という大声につづいて、
「砲手、各艦脱出だ。兵曹長だ。ベヴィニャックだ」
という号令が聞こえたとたんにデュファイは直立不動の姿勢をとった。五十歩の高さから酒でイカれた頭の上に落とすシャワーも、それほど早く正気にかえらす効き目はなかったろう。ベヴィニャックという名は、ブロンド美人が住む住居の一階の前にへばりついていた兵隊たちに奇妙な影響をあたえた。つまり、あまりにも怖れていたので、互いに顔を見合わせて息をのんだ。やせた大男の兵曹長は、用をすませて帰るところだったが、ステッキを振って待機している連中を数えはじめた。私は、そんなに怒っている人間の顔は見たことがなかった。やせた馬|面《づら》に鳩の両翼を付けた帽子をかぶり、髪粉なしの髪がはみだして、習い性となっている、服従しない者は容赦しないぞという気概の何ものかがはっきりと現われていた。彼の怒りは年代記ものといってもよく、それも通り越した歴史的なものになっていた。眼は血走り、おそろしげに下顎を引きつらせると、さて、こう怒鳴った。
「神のケツ穴にかけて! ほォ、神妙にしとるな。キマリは心得とるわい。士官もへったくれもない。神のケツ穴にかけて、誰もが順番だ」
次に、みんなに思い知らせてやろうとばかりにステッキを振り上げて私たちのところへ来ると、
「ヤイ、腰ぬけ兵曹、ここで何しとるんだ?」
ぶん殴られるなと思ったが、彼はデュファイに向かって、
「まァ、心配するな。酔っとるな。一杯ぐっと迎え酒をやったらいい。さっさと寝ちまいな。また会おうぜ」
「ハイ、司令どの」
デュファイが声を張りあげて返答し、私たちは、ふたたび説教街を下って行った。
ブロンド美人の職業が何だったのかは言わずもがなであるが、あまり詳しくは教えてもらえなかった。ピカルディー女〔現在のソンム、オワーズ、エヌ県を含むフランス北部のピカルディー地方出身の女〕マッデレーヌは大柄な娘で、年のころは二十と三くらい、とび抜けて涼しげな顔色と美しい身体をしていた。誰のものにもならないのを誇りにし、良心の信念に従って、全軍団、それとも軍団全員に我身を捧げるのが義務であると思いこんでいた。軍楽隊のフルート吹きであろうと元帥閣下であろうと、軍服を着ている者なら誰でも家に迎えた。彼女がペカン、民間人と呼んでいた者は大軽蔑すると自分から言っていた。だから、あえて彼女の情けにあずかろうとする市民はいなかった。彼女は、海軍さんを大事にしないで、お楽しみに法外な金を要求した。というのは、どうしても兵隊のような気がしなかったからだ。ともあれ、マッデレーヌは、私には気に入らなかったが、雀百まで踊りを忘れずの諺どおりに生き、落ちぶれたが祖国の旗にたいする忠節を守って、一八一二年、アルドルの施療院で死んだ。二年後、やはりパリでたいへん有名になった別の女もそうだったが、ワーテルローの惨敗以後は、自分を『大軍団の後家さん』と呼んで悲しんだという。
マッデレーヌの思い出は、今でもフランスの隅々で、いやヨーロッパ全土といってもよい、旧軍隊の生き残りの者たちのあいだで語り伝えられている。彼女は、当時の現代女だったのであり、あまり確実なことは知らないが、現代の現代女にも彼女がいると思う。察するに、彼女は、やや男みたいな感じを持っていたと思われるが、顔かたちに、いやらしさはなかったと考えられる。その髪の風情は、艶と生気のない縮れたブロンドではなく、編み毛の金色のかがやきが眼の淡い青色と完全に調和し、その鼻は、鷲《わし》鼻のように尖《とが》って角ばって曲がっている不恰好な形はしていなかった。淫《みだ》らっぽい口をしていたが、なんとなく上品で無邪気なものがあった。ちなみに、マッデレーヌは無筆で、警官や夜警に一服してくれと酒手をやる以外に警察というものを知らなかった。
二十年以上もたってマッデレーヌの面影をたどる嬉しさに、つい、いっときデュファイのことを忘れていた。酒の毒気に当てられてぽォとなった頭脳で定まった考えをまとめるのは難しい。デュファイは、どこかの女郎屋で一日のケリをつける肚《はら》づもりをしていた。だから、いったん、それを言いだしたら後へ退かなかった。五、六歩も歩ったかと思うと私をふり向いて、
「急ぐんだ、さァ。こっちへ来な」
と言って腕をほどき、ある家の入口の段を三段上がると、小さなドアをたたいた。しばらくすると、通ってくれとばかりに戸が半開きになり、一人の老婆の顔が見えた。
「どなたかな?」
デュファイが答えた。
「誰だい、そんなこと訊くなァ。名無しかい。それとも、友だちの見分けもつかなくなったんか?」
「ああ、あんた、デュファイとっつぁんか。満席だよ」
「友だちの席がないだと。笑わせるなよ、ママ。さては、じらす手管《てくだ》だな」
「んや、あたしゃまっ正直な女だよ。わかってるくせに、色男、あこぎな真似はしやしないよ。案内通訳の大尉さんとシャンベラック将軍がお成りなんだよ。十五分したら、もういっぺん来なさいな。ものわかりがよかったんじゃなかった?」
「聞いたふうなことを言うじゃないか? わしらが騒ぎを起こしに来たとでも言うんかい?」
「そうは言ってないよ、お客さん。だけど、見てのとおり家じゅう静かにしているでしょう。物音ひとつ聞こえやしない。ここへ来る方たちゃ、みんなこうなんだよ。総司令官さん、主計部長さん、糧秣《りょうまつ》本部長さん、皆さん、ちゃんとおとなしく遊んでくださる、ありがたいこった」
すると、デュファイは、金貨一枚を女将《おかみ》の眼の前に突きつけて、
「ああ、そうかい、トマ・ママさんよ、これなら、わしらを十五分も待たそうとは思わないよな。どっか小っちゃな空き部屋がねェかな?」
「いつだってダダをこねるんだから、デュファイのパパは、断りきれんじゃないか。さァ、早く、早く、おはいりよ。見られるとマズいからさ、あそこに隠れて、しっ」
マダム・トマは、私たちを低まった部屋の衝立《ついたて》のうしろの物置場所にもなっているところに案内したが、外へ出るには、そこを通り抜けねばならない場所だった。とにかく、二人が我慢しきれなくなる前にポーリーヌという若い娘がやってきて、三人でラインワイン一本をかこんだ。
ポーリーヌは、まだ十五歳になっていなかったが、白粉を塗りたくり、しゃがれ声をだした。この、ませた堕落娘が私の相手をすることになり、次に来たテレーズは、禿げ頭の相棒にお似合いの女だった。そのうち、拍車が付いた長靴の乱暴で忙《せわ》しない動きが聞こえ、案内通訳の大尉が帰るのだとわかった。すると、あわてたデュファイが不意に椅子から立ち上がったが、足がゴボー剣にからまり、テーブルや徳利やコップもろとも衝立《ついたて》を引きずって倒れた。
「お許し下さい、大尉どの。壁のせいで」
懸命に立ち上がろうとしながら言うと、
「ああ、いいんだ」
と将校が答え、いささか慌てていたが、親切に手をかしてデュファイを起こしてやり、ポーリーヌとテレーズとママのトマは笑いが止まらなかった。大尉は、デュファイを起こすと出て行き、転倒はしたが打身も傷もなく、われわれは、なんの支障もなく元の陽気さを取り戻し、それぞれの部屋にしけこんだ。
午前一時、深い眠りに落ちていたとき、ふいに、どえらい騒ぎで眼を覚まされた。すわ一大事と、なんのことかわからぬままに大急ぎで服を着ていたら、とたんに「お巡りさん、人殺しっ」というトマ・ママさんの叫び声が聞こえ、こちらに危険がせまっているのがわかった。私は丸腰だったので、すぐにゴボー剣を借りにデュファイの部屋に駈けた。私のほうが剣を使うのに自信があった。ちょうど、五、六人の水兵が屋敷に侵入し、サーベルを手に騒々しく駈けまわって、泊まっている客にとって代わろうとしていた時だった。連中は、はじめから私たちを窓からおっぽり出そうと決めてかかっていた。そして、家に火をかけ血の海にするぞと脅していたのだったが、マダム・トマが、あらん限りの金切声で警鐘を鳴らしたので、あたり一帯をびっくりさせたという次第。私は、めったなことには怖れない男だったが、正直いって心配だった。なにがどうであれ、その場面が、たいへん困ったことになるキッカケになるかも知れなかった。
ともあれ、いちおう、平気な顔をしていようと肚をきめたが、ポーリーヌは、いっしょに閉じこもっていてもらいたく、
「閂《かんぬき》をかけて、おねがい、閂をかけて」
必死になって頼んだが、そのオンボロ部屋は難攻不落とは思えず、侵入者を防ぐには、出て行って近づくやつらを阻止するほうがいいと考えた。ネズミ捕りの中の鼠のように身をさらして捕まるよりましだった。そこで、必死になって引きとめるポーリーヌを振り払い、思いきって部屋の外へ出た。すぐに二人の襲撃者と出会い、狭い廊下で敵の中に飛びこんだ。猛然と突っこみ、たちまちのうちに打ち負かし、かれらは、あっという間に上がってきた狭い階段の一番上の段まで退却したかと思うと、うしろへ引っくりかえって階段の下まで転げ落ち、ぺしゃんこになってノビてしまった。すると、ポーリーヌ、その姉とデュファイが、勝利をさらに決定的なものにしようと、手あたり次第に、椅子、溲瓶《しびん》、ナイトテーブル、古い糸くり機、その他の家財道具を上から投げつげた。一つ投げるたびに、床にノビている敵さんに命中し、痛さと怒りの悲鳴があがり、たちまち階段がふさがってしまった。
この朝の一時の騒動は、あたり界隈の眼を覚まさずにはおかず、夜警兵や警官やパトロール兵をマダム・トマの住居に呼び寄せる結果になり、武装した者が五十人以上にもなったみたいで、わいわい、がやがやの大騒ぎになった。マダムが、家は大丈夫だからと宣伝これ努めたが、みんなは納得しなかった。次の言葉には大いに聞きずてならないものがあった。
「この女を引ったてろ。さァ、あばずれ、おれたちと来るんだ……おーい、担架を持ってこい……しっかり、つかまってろ。一階へ来たぞ。全員パクれ、全員パクれ。武器を取りあげろ。ゴロツキ野郎め、えらい騒ぎを起こしゃあがって、思いしらせてやっからな」
ところで、その話しっぷりには、プロヴァンスやオク地方の産物のニンニクやピーマンに独特の匂いや味があるように、プロヴァンス弁やオク語の抑揚が混じっていて、はっきりとベヴィニャック兵曹長が先頭に立っているのがわかった。デュファイは、兵曹長に捕まるのは苦にしていなかったが、私のほうは、彼から逃げたいという立派な理由があったことは言うまでもない。
「階段だ。通路をふさげ。階段だ、神の尻《けつ》穴にかけて」
ベヴィニャックは命令し、そんなふうに声をからして息切れしているあいだに、私はシーツを窓枠に結《ゆわ》えつけ、われわれと武力集団とをへだてていた障害物が取り除かれないうちに、ポーリーヌ、テレーズ、デュファイと私は、かれらの手がとどかないところに脱出していた。遠くのほうで、
「心配するな、助けだしてやっからな」
という恐い文句が聞こえ、私たちは、どっと笑うだけだった。危険は去った。
銀獅子ホテル
その夜をすごしにどこへ行こうかと相談し合った。テレーズとポーリーヌは、町を出て田舎の遊山としゃれこもうと言いだした。いつだってベッドにアブれることなんかないわ。すると、デュファイが、
「だめ、だめ。すぐ近くにあるブートロワがやっている『銀獅子』へ行こう。あのホテルなら避難するのに持ってこいだ」
ということになり、時ならぬ時刻だったが、亭主のブートロワが、いんぎん丁重に私たちを迎えてくれて、
「なるほど、いろいろとお困りのことわかりました。よくぞ私どものところに来てくださいました。上等のボルドー酒もございます。御婦人がたは、ほかに何かお望みでしょうかしら?」
とデュファイに言って、鍵束と灯りを手にすると、私どもが落ち着く部屋にいそいそと案内した。
「ご自分の家にいるつもりで、くつろいで下さい。それに、誰も邪魔をしに来ません。たとい、陸軍司令官や海軍大将、警察長官には雑炊を出しても、皆さんには、とても、そんなことは……たとえばですね、だいいち家内、マダム・ブートロワが承知しませんよ。そりゃもう、お連れがあることはソツなく申し聞かせておきます。あれは、いい女です、うちの女房どのは、でも、風紀、いいですか、風紀のことになると、ぜんぜん聞き分けがない石頭のカチカチなんです。いったん、ここにおられる御婦人がたを疑ったらさいご、もう何もかにも終わりだ、そういう娘さんと関わったらオシマイだと思いこむんです。ええい、くそ、おたがい生きている者同士で生きてはいけないんですかね? 私は達観しています、私は。世の中、スキャンダルがなかったら……そうですな……みんな楽しく振舞って、要は、誰にも偏見を持たないことですね」
ブートロワは、なおも張りきって、ぺらぺらと、格言じみたことをいっぱい喋り、酒倉には酒が揃っているからご存分にどうぞと言ってのけ、暖炉は時間がたっていないので、まだ少し冷えているが、お客さまの言いつけ次第で、すぐにも仕度いたします、と付け加えた。そこで、デュファイが、そこに居れば十分に暑いくらいだったが、ボルドー酒をたのんで火を焚《た》かせた。
ボルドー酒が運ばれ、五、六本の太い薪が炉の中に投げこまれ、どっさり軽食が並べられた。冷肉の鶏一羽がテーブルの真ん中に置かれ、間に合わせの食事の目玉料理として猛烈な食欲に備えられた。デュファイは、みんなが食べ足りないことがないように気をくばり、十分に支払ってもらっていたブートロワも同じ心構えをしていた。テレーズと妹は、さも惜しそうに貪り食ったが、私は、あまり行儀を悪くしないようにした。
私がカシワを切り分け、デュファイはボルドー酒の味見をした。彼は、味ききしながら「甘露、甘露」と繰り返して言い、こんどは大コップで飲みはじめた。そして、他の者が食べ始めたころには、もう睡気に勝てずに安楽椅子に動けなくなり、デザートになるまで、ぐっすりとイビキをかいて眠った。やがて、眼を覚ますと、
「オヤ、風がつめてェな。ここはどこだ? なんだって不意に寒いんだ? さっぱりワケがわからん」
と言うと、警備隊の工兵さんよろしく私の頭をかかえていたポーリーヌが、
「ああ、あんたのトーストが半分以上も残ってるわ」
すると、こんどは、テレーズが、嗅ぎ煙草入れにしている貝殼製のキャンデー入れみたいな物を開けて、
「背中が痛いでしょ、パパ。一服やんなよ、おじいちゃん、眼が開くよ」
デュファイは合点して一服もらった。ところで、この場面を述べるについて大して重要ではないが、ポーリーヌの姉は、とっくに三十代をすぎた女だということを述べるのを忘れていた。だから、彼女が、裁判所や警察の書記のようにタバコをくんくん嗅ぎ、彼女が少女期をすぎているどころか、とんだ姥桜であるという結論が容易に引きだせるのである。
いい調子で話をしていたら、大きな音をたてて歩く男どもの一隊の靴音が聞こえた。
「ポーレ船長ばんざい。ポーレ船長ばんざい」
と叫び、やがて、その一隊がホテルの前に停まって、
「おーい、ブートロワのおやじ、ブートロワのおやじ」
一斉に、続けざまに呼んだ。戸をゆさぶる者があり、振り鈴の紐にぶら下がるやつ、窓の戸の内側に石を投げこむやつがいた。
この騒ぎに私は身ぶるいした。またしても隠れ家が荒されるのではないかと思った。ポーリーヌと姉も、あまり安心している様子ではなかった。とうとう、みんなも飛ぶように階段を降りる。ときに、最後の障害物であったらしい戸が開く。どっと水夫たちがなだれこみ、わけのわからない口調の甲《かん》高い声が、ごちゃまぜに入り乱れる。
「ピエール、ポール、ジェニィ、エリザ、みんな、家じゅう、おれのスケ、起きろ。ちえっ、木の株みてェに寝てやァがる。家の中にゃ火があるそうだ」
やがて、そこらの出入口を行ったり来たりする音が聞こえて大騒動が始まり、想像もつかないような物音、みだらな、なれなれしい助平ったらしい言葉で不平をこぼす女中、どっと爆発する騒々しい笑いが起こり、徳利がぶつかり、大皿小皿、コップなどを慌てて動かす音、焼肉器を回す音などが騒ぎと競争しあう。銀器が、ぶつかりあって音をたて、イギリス語やフランス語でののしりあう声が、喧騒の中でごっちゃに呼びかわされて空中にひびく。
デュファイが言った。
「同郷の、こいつァ宴会だぜ。それともマトはずれかな。なんだってまた、こん畜生ら、なんだって? スペインのガリオン船〔南米から金銀を運んだスペイン船〕でも掠奪したんかな? 道筋じゃねェがな」
デュファイは、その大喜びのバカ騒ぎの原因が何かをカンぐったが、一向にはっきりしないでいると、ブートロワが、喜びに顔をかがやかして、火をわけてくれといってやって来た。
「ご存知ないでしょうが、私掠船『報復《ラ・ルヴァンシュ》』丸が港に戻って来たんです。わがポーレ船長は、やっぱり、やることをやったんです。ツイていたんですな……ドーバーの砲火にさらされて三百万も分捕《ぶんど》ったんです」
「三百万! わしがおらんときに」
デュファイが大声をだすと、ポーリーヌが子山羊のように飛び上がって横から声をあげた。
「ねェ、ねェちゃん、三百万だって」
「三百万!」
テレーズも繰り返した。デュファイが、
「わしにゃ分け前はねェや、三百万の。もっと詳しく話してくれよ、ブートロワのおやじさん……」
と言ったが、亭主は、そんなヒマはないと弁解し、
「とにかく、よくは知らないんだし、忙しいんです」
と付け加えた。
バカ騒ぎは続いた。そのうち、椅子を並べなおしているらしい気配のあと、すぐに静かになったので、大食い連中が食事の席についたとわかった。はたせるかな、数時間、騒ぎが中断した。そこで、私が、また寝床にもぐろうやと一同に申し出ると、みんなも同意見で、私たちは二度目の床入りをした。夜明け間際だったので、お天道さまに邪魔されずに損した時間を気楽に取り戻そうと、用心ぶかくカーテンを引いた。
だが、思ったより早く眼を覚まされた。水兵たちは、さっさと食べて、飲むのに時間をかける。ふいにガラス戸がふるえるほどの歌声で安眠がさまたげられた。調子っぱずれの四十人の声が有名な『ロラン』音頭の合唱を繰り返した。
「クソいまいましい御詠歌野郎め。いい夢を見ていたとこだったのに……ツーロンにいたんだ。ツーロンへ行ったことあるかい、同郷の?」
こうデュファイが怒鳴ったので、ツーロンは知っているが、あの町と楽しい夢と何の関係があるのかわからんな、と返事をしたところ、
「わしは徒刑囚でな、ちょうど脱走したとこだった」
デュファイは、この夢の話が、私の心に眼には見えない影響をあたえたのに気づいた。私はシラを切る名人ではなかった。
「オヤ、どうした、同郷の? わしが話しとるのは夢じゃないとでもいうんか? ちょうどトンズラしたとこだった。徒刑囚にゃ悪い夢じゃねェと思うがな。まだある。私掠船の仲間になってな、わしの身体《からだ》ぐれェ大きな金塊をモノにした」
私は縁起かつぎではなかったが、正直いって、デュファイの夢は私の将来を予言していると思った。おそらく、ある一つの決断を命ずる天啓なのだ。だが、と心のうちでつぶやいた、これまでの自分は、神が心配してくれるだけの値打がある人間ではなかったし、だいいち、心配してくれたことなんかない。やがて、別の思いが頭をかすめた。たぶん、老兵曹は当てこすりをしたんだ、と。そう思うと切《せつ》なくなって身を起こした。デュファイは、いつもの私より暗い顔をしているのを見て、
「オイ、どうした、同郷の? チンケな面《つら》して」
そして、すぐに来いよと合図したので、ついて行くと、階下の部屋へ連れて行ったが、そこには乗組員たちと一緒にポーレ船長がいた。たいていの者が興奮してノボせ、酒に酔っぱらっていた。私たちが姿を現わすと、わっと一斉に、
「デュファイだ、デュファイだ」という声があがり、ポーレ船長が、
「これは、これは、先輩」
と言って、私の相棒に自分の横の席をすすめた。
「ん、まァ、そこに落ち着いてくんろ、先輩、神さまが偉ぇつうこんは、うめェこと言ったもんだば。おーい、ブートロワ、ブートロワよ、和尚酒《ビショップ》〔赤ワインにレモンや砂糖を加えた温かい飲料〕だ、どんとだ。さァ、さァ、いまどきシケた気分はいけねェだよ」
ポーレは、デュファイの手を固く握りながら言うと、すぐあとで私をじろじろ眺めて、
「知っとる顔みたいだが、船さ乗ったことあったべ、若ェの」
私掠船の『バラス』丸〔第十二章末段参照〕に乗りこんだことはありますが、あなたを見たことはないと思います、と私は答えた。
「ならば、今っから知り合いだ。おらだけの話だが、いい面《つら》がめェの犬コ面《づら》してけつかるわ。世間で言う万能犬だば。な、みんな、いい顔しとるワン公みてェじゃねェか? おらハァ、こんな面《つら》が好きだば。おらの右さ坐れ、せがれや、いい身体《からだ》つきだ。この肩みろてば。このブロンドの若衆は、赤顔の田舎っぺ(イギリス漁師)なんどより名前ば売るべし」
こうした言葉を言い終わると、ポーレは、自分の赤い帽子を私にかぶせ、親切いっぱいにピカルディ方言で言った。
「ぴったんこだ」
とたんに、私は、船長が私を配下に加えてもいいと思っていると見てとった。デュファイは、あいかわらずの口調で、この機を逃がすなと懸命に私をはげまし、そうした強い言葉は、いい助言であり、それに従うことにした。私は、敵船を掠奪することを承諾し、翌日すぐに船主のショワナール氏に引き会わされ、いくらかの前金をもらった。
新しい仲間が歓迎してくれたことは言うまでもない。船長は、ホテルで、かれらに千エキュの信用貸しをし、多くの船員は町で貯金していて、あとで自分で引き出すのだった。そんな気前のいいやり方は見たことがなかった。私掠船の乗組員にとって、こんなに親切なことはなく、また、これは、ほんとに珍しいことだった。また、ブートロワは、その町と周辺の物資を調達して、かれらを満足させるように務めねばならず、おそらく、急ぎの使いを出して、一日では終わらない大酒宴の食物や飲物の補給をしたにちがいなかった。われわれは月曜から飲みはじめて、誰もが次の日曜まで酔いがさめていなかった。私も、やたらと胃袋がふくれていて、もう、これっぽっちも受けつけない状態だった。
まもなく、ポーリーヌと姉のテレーズがやって来たが、絶望した身振りでポーリーヌが、
「ねェ、あたいたち、なんて不幸せなんだろう」
と言うので、私が、
「えっ、なんかあったんか?」
と言うと、涙だらけの顔で、
「もう、おしまいなのよ。あの騒ぎで水兵二人が腰骨を折って病院へかつぎこまれ、夜警兵が怪我したんですって。だもんで、管区の司令官がママの家を封鎖しちゃったの。あたいたち、どうなるの? どこへ行ったら安心できるネグラがあるの?」
「安心できるネグラだと。どこだって見つかるさ。で、ママはどこだ?」
テレーズが言うには、ママのトマは、はじめ豚箱に連れて行かれたあとで牢屋にぶちこまれ、噂によると、ちっとやそっとの端金《はしたがね》では釈き放してはもらえぬそうだという。
この報せは、もの凄い不安をあたえた。おそらく、トマのママさんは管区司令部か警察本部に引っぱり出されて尋問され、誰かの名を出すかデュファイを名指しするにきまっている。そうなるとデュファイは危くなり、私もヤバくなる。一刻も早く危険を知らさねばならない。酒宴をやっている兵曹をつかまえて相談しようと大急ぎで再び階段を降りた。幸い、彼は、まだ分別を失うほど酔っていなかった。危険が迫っている点だけ話すと、納得し、胴巻から二十何ギニー〔イギリスの金貨〕かを取りだし、
「ほら、これで、大丈夫、トマかァちゃんを黙らせられるさ」
と言ってからホテルのボーイを呼んで金をあずけ、囚われているマダムに渡すように頼んだ。
「監獄の門番の息子でな、下士官どもと顔なじみで、どこでも面《つら》パスなんだ。それに律儀者ときている」
この使いの者が早いとこ戻って、ママのトマは二回尋問されたが、誰の名も出さなかったと語った。好意を有難く受け、私たちを仄めかすようなことは首にかけても言わないと心に決めているとのことだった。となると、私にとって、その方面からの心配はないことがはっきりした。そこで、デュファイに、
「だるま宿屋の女の子は、どうするかな?」
「あの子たちはダンケルクへやるしかねェな。わしが旅費を出してやろう」
と決めて、すぐに出発しなくちゃならんと女たちに知らせた。女たちは、まずは驚いた様子だったが、あまり長くブーローニュにいては身のためでないわけをいくらか言って聞かせてやったらさようならをする決心をし、その日の晩に旅に出た。あっさりした別れだった。デュファイが、どっさり費用を出したこともあり、また会えるという望みもあった。『二つの山は出会わない』……だが、この諺の後のほうは誰でも知っているとおり〔二つの山は出会うことがないが、二人の人間は再会する〕、事実、われわれは、もっと後になって彼女たちと会った。かの有名なジャン・バール〔ダンケルク生まれの海賊船長(一六五〇〜一七〇二)、ルイ十四世が海軍大佐に任命〕という名の大評判になっていた酒場で会った。
トマのママさんは、六カ月の拘留で自由の身になった。ポーリーヌと姉は、生まれた土地が恋しさにママのところへ戻って来て、いつもの暮らしをつづけた。彼女たちが一財産こさえたかどうかは知らないが、とてもできなかったろうと思う。とにかく、その後のことはわからないので、ここで彼女らの話はケリにして、私の話をつづけることにする。
ポーレと部下たちが、われわれが席を外したのに気づいたかどうか、そのときはもう元のところに戻っていた。みんな、かわるがわる、歌い、飲み、食った。万事その有様で、ひっきりなしに、夜中まで、みんな混然と一体になって酒宴をつづけた。ポーレと副長のフルリオが酒盛の主役だった。二人は、からだも心も、まったく互いに正反対だった。船長は、ずんぐりと肥った男で、がっちりしていて角ばっていた。牡牛のような首をしていて肩幅が広く、ふっくらとした顔だが、なんとなくライオンを思わす顔立ちだった。眼付きは、いつも、怖いか優しいかの両方であった。いざ戦闘となると冷酷非情、それ以外のところではどこでも人間的で思いやりがあった。敵船に接舷すると悪魔になり、家族にかこまれて女房や子供のそばにいるときは、たまには、つっけんどんになるが、やさしい天使になる。けっきょく、彼は、人のいいお百姓で、純朴でバカ正直な肥っている一族の長といった観があり、私掠船つうもんは何だんべいと言いそうだった。ところが、いったん船に乗ると、とたんに態度や言葉が変わり、あくまでも荒々しく凶暴になり、その命令は手短かで問答無用、東洋の暴君のようであった。鉄の腕と意志を持っていて、逆らう者は死ねであった。ポーレは、向こうみずでお人好し、多感で粗暴、彼くらいざっくばらんで義理がたい男はいなかった。
ポーレの代理をつとめる副長のフルリオは、それまでに私が出会った一番の変わり者だった。やけに強そうな身体つきをしていて、まだ若造なのに、ありとあらゆる極道をし尽くしていた。前もって自分の一生の内金をたくさんもらい、人生の資本《もとで》の青田刈りをする道楽者であった。燃える気性、はげしい情熱、熱狂的な考え方、こういうものが早くから彼を前へ押しだした。二十歳にはなっていなかったが、胸をやられ、からだが衰弱して、十八で入隊した砲兵隊をやめざるを得なかった。いま、この哀れな若者は息をするのがやっとで、ぎょっとするほど痩せ細り、蒼白い悲しげな顔色に大きな両眼だけが黒く目立って、まだ魂の火が死体同然のからだに生き残って燃えているという形相を呈していた。フルリオは、寿命が尽きたのに気付いていなかったが、もはや生きる能力がなくて死ぬのだという神託を感じ、まもなく確実に来る終わりを知ると、ふしぎな居直りの覚悟ができてきた。その上で、私に語ってくれた話は次のとおりである。
「おれは志願兵になって第五軽砲兵隊にいた。メス〔ベルギーに接するモーゼル県の主邑〕が連隊の駐屯地だった。女、調馬、夜間砲撃演習にくたくたになり、羊皮紙みたいにカラカラに干上がってしまった。ある朝、馬に鞍をつけろというラッパが鳴って出発したが、行軍中に病いで倒れて病気証明書をもらった。そのあと二、三日して、どっさり血を吐いたのを見た医者どもが、おれの肺は、とうてい馬と一緒の勤めはできない状態になっていると診断し、その結果、徒歩の砲兵隊に転属されることになった。そのうち、医者が提案してくれた配転のお蔭で、からだが恢復するとすぐに大砲の口径を大きくしていった。小から大へ、六から十二へ、つまり、ゲートルを外して拍車を持ったわけだ。おれは田舎インバイとはあそばず、堅気の娘さんと砲座の上でワルツを踊り、牝山羊に入れたり出したり、ブルネット女を押しころがし、ふっくらしたところを掘りかえし、つまらんスケをオンブし、もっと具合が悪かったのは、女船頭がくれたお土産が、おれの背骨にへばりついたことだ。この不治の瘡病《かさ》がマレンゴ〔イタリア、ピエモンテ州の村、一八〇〇年六月十四日、ナポレオン軍がオーストリア軍を敗る〕の砲撃で死んだ者より、もっと大勢の新兵を殺したんだ。カサのやつ、世間で言うだろう、おれの下っ腹に一撃をくらわせた。処置なしだった。おれは退役を申請して承認され、悪徳将軍のサラザンの検分は問題なく通るはずだった。やつは、おれのところへ来て、
『ふむ、やっぱり肺病にまちがいない、こいつは。きさま、肺病なんだな、ちがうか?』
『結核の二期であります』
と副官の少佐が答えた。
『だと思うた。みんな、こうなるんだ。肩がすぼみ、胸がちぢまり、顔がやつれる。こいつの手足を見てみい。われわれは、四つの戦場で戦っとるんだ』
と、おれの、ふくらはぎをぴしゃぴしゃ叩きながら将軍の野郎がつづけた。
『いま、何を望んどる? 休暇か? だめだ。途中で、へこたれるやつだけが死ぬんだ。隊へ行け……ほかの隊へ……』
『お話があるんですが……』
『だまれ、ほかの隊へだ』
と将軍は繰り返した。
検分が終わり、おれは幕舎に戻ってベッドに身を投げだした。一メートル半くらいの寝床に横になって、将軍の冷酷な仕打ちを思いかえしているうちに、あいつの同僚の口添えがあれば何とかなるかもしれないという考えが浮かんだ。おれの親父は、アンブルツーズ〔パドカレ県ブーロニュ郡にある一港〕の野営地にいるルグラン将軍にコネがあった。保護者になってもらえるのをアテにして面会した。彼は、おれを旧友の息子として迎え、サラザン宛に手紙を書いてくれてサラザンのところまで副官を同伴させてくれた。口添えは緊急を要したが、成功は間違いなしと思った。おれと副官は、左側の野営地に着いて、将軍の宿舎を尋ねたところ、兵士の一人が教えてくれて、おんぼろバラックの戸口に着いた。司令官の営舎を示すものは何も出ていなかった。歩哨もいないし標識もなく、もちろん哨舎もない。副官がサーベルの柄で戸をたたいた。
『はいれ』
ご機嫌ななめの調子の声が怒鳴った。紐を引っぱると、木のロックが持ち上がった。そして、その隠れ家に足をふみ入れたとたんに、まず最初に眼に映ったのは、わずかなワラの上の毛布にくるまって寄りそっている将軍とオカマの黒ん坊だった。サラザンは、その状態で、おれたちの言葉を聞いて手紙を受けとり、その恰好のままで読んでから副官に言った。
『ルグラン将軍は、この若造を気にしとる、で、どうしてもらいたいんだ? 退役にしろか? わしは、そうしようとは思うとらん』
こんどは、おれに向かって、
『退役したら肥る。故郷へ帰れば十分に見込みはあるが、金持ちなら、ちっとばかし養生して我慢したら、ゆっくり死ねる。貧乏なら、親に惨めな思いをさせて貧救院で終わる。これでも、わしは医者だからな、治るのは、なかなか厄介だぞ。感染していないなら、きさまの勝ちだ。それとも行軍や演習で治るかもしれん。それも一つのチャンスだ。とにかく、わしのようにやれ、シェニク〔チェリーブランデー酒〕を飲むんだ。水薬や少々のミルクよりいいぞ』
と言うと同時に、手をのばして、うしろにある柳細工で包んだ細首の大きな瓶の頸《くび》をつかんで別の小瓶に酒を一杯にして差しだした。断りきれず瓶のほとんどを飲まされた。副官もまた、その奇妙なもてなしから逃げられなかった。おれたちが飲んだあとで将軍が飲み、黒ん坊に小瓶を渡すと残り全部を飲みほした。
いくら頼んでみても、将軍の決定を取り消してもらえる望みはなくて、大不満のまま退きさがった。副官はアンブルツーズに戻り、おれはシャーチヨン砦に移されて、まるで死人みたいになっていた。おれは、このときから悲しみボケになっちまって、いっさい、何をする力も抜けてしまった。作業免除になって、夜も昼も、うつ伏せに寝たきりで、まわりのことにはまったく無関心だった。その状態は、もっと続いたと思うが、ある冬の夜、イギリス野郎が船団に火をかけた。ぜんぜん疲れていないのに、なんとなく疲れがあって、なかなか眠れなかった。とつぜん爆発音が聞こえ、はっと眼が覚めた。起き上がったら、小さな窓の格子を通して、どんどん空にひろがる無数の焔が、おれがいたところまで虹のように尾をひき、おまけに、星が赤くハジけて飛び跳ねているみたいだった。はじめは花火の火かと思ったが、高い岩壁から落ちる滝のような音がしてきて、思わず身ぶるいをした。ときどき、暗闇が赤い光にとって代わり、まさに地獄が出現して大地をつつんだようであった。おれは熱でたかぶり、脳髄がふくれあがるような気がした。みんなが、そこらじゅうを叩きまわり、『オーザルム』と叫び歌うのが聞こえ、足の裏から髪の先まで恐怖が走った。おれは、本当に錯乱し、長靴のところへ飛んで行って穿《は》こうとしたがダメだった。狭すぎる。脚がスネのところで支えるので抜こうとしたが端まで抜けない。ムキになって努力している間も、一秒ごとに恐怖が大きくなり、そのうち、とうとう、仲間全員が服を着てしまい、おれの周りが静かになって、おれが独りぽっちになっているのがわかった。いっぽうでは、そこらじゅうを人がバラバラと走りまわり、おれが靴で困っているのは知らん顔だ。おれは、服を腕にかかえ、大急ぎで戦場を横切っていた。
翌日、おれは、みんなの前に再び姿をあらわした。自分が生きているのがわかった。我ながら臆病だったのが恥ずかしく、みんなが信じてくれそうな大胆者よと言われそうな作り話をした。ところが、残念ながら、みんなは、狸の皮算用どおりに籠の中に祝儀を入れてくれるほど甘くはなかった。誰一人、おれの嘘にだまされず、そのために、おれは冷やかしと嘲《あざけ》りの的になった。口惜しさと怒りで腹わたが煮えくりかえり、場合によっては、みんなをぶっとばしてやるところだったが、おれは衰弱していた。次の夜になって、やっといくらか元気をとり戻した。
イギリス軍は、町の砲撃を再開した。やつらは陸地のそばまで来ていて、こちらまで話し声が聞こえた。海岸にあるたくさんな大砲からの砲弾は、あまり高いところから発射されるので敵の頭上を越えるだけだった。そこで、なるたけ敵に近寄るために、潮の干満に応じて遊動砲台を砂浜に出動させた。おれは、真っ先に十二名一分隊の中に入れられ、波打ちぎわに着くと停止した。とたんに敵の砲撃の目標になり、いくつかの砲弾が運搬車の下、別の砲弾が馬の腹の下で炸裂した。
まわりは暗かったが、おれたちがイギリス軍の照準の的になっていることは明らかだった。要は反撃することだ。砲身|嵌入《かんにゅう》の変更命令があって、その作業が行なわれた。おれの分隊の伍長は、先日のおれみたいにオロオロして、砲耳が発射嵌入に通るのを確かめようとして片手を突っこんだ。とつぜん、彼は、海岸一帯にひびく怖ろしい叫び声をあげつづけた。指が、二千キロの青銅の下でぺたんこになったのだ。みんなが必死になって指を放すことをしてやり、もう指を圧しつぶしていた重い塊りがのしかかっていないのに、本人は、まだ挾まれていると感じていた。彼は気を失い、気付薬の数滴で正気に戻ったので、おれが営舎に連れて行ってやろうと申し出た。わかると思うが、その場から離れる口実だったのさ。
おれと伍長は、一緒に道を歩いて行った。通り抜けねばならない軍需品置場に入ったとき、一発の焼夷弾が火薬を満載した二台の運搬車のあいだに落ちた。危機一髪、数秒後に置場がすっ飛ぶ。そこを逃げれば避難場所が見つかったのだが、どんな変化が自分に起こったのかわからないが、もう死ぬのは怖くなくなった。電光石火の早業で、タールと火花が噴きだしている金属筒の上に飛びついた。焼夷弾を消そうと思ったのだが、とうていダメなので、そいつをつかんで遠くへ持って行って地面に置いた。と同時に、そいつの中にある榴弾が破裂して外被を粉々にした。おれの行動の証拠は歴然、手や顔、焼けた服、黒焦げになった運搬車の横がわ、すべて、おれの勇気を物語っていた。
覚えはないが、得意になっていたと思う。ただもう満足だった。置場の兵隊たちも悪い冗談は浴びせなかった。おれたちは、また歩きだしたが、何歩か行くと、もう空は一面の火で、七カ所の火災が同時にあたり一帯を照らし、もの凄い猛烈な火元は港の中にあった。真っ赤に屋根が燃えるにつれてスレートがぱちぱちはじけた。一斉射撃が聞こえたみたいで、原因は不明だったが、そいつに迷わされた分遣隊が、索敵行動を起こして四方八方を駈けめぐる。近くにあった造船所から少し離れたところのワラ屋根から煙と焔の渦巻が立ち昇り、火の粉が風に乗って散らばる。こちらまで悲鳴が聞こえる。子供の声だ。ぞっとなった。一刻の猶予もならない。おれは身を挺《てい》して子供を助けだして母親に返してやった。一瞬、母親は後ずさりしたが、子供が助かったのを知って泣きながら駈け寄った。
おれは、元どおりの面目を十分に取り戻し、もう誰も臆病者よばわりはしなくなり、中隊に戻ると、みんなからお祝いの言葉で迎えられた。おれたちを指揮していた大隊長が、彼自身まだもらっていない十字勲章を約束してくれた。彼は、三十年も軍務に服しているのに、いつも大砲の後方にいて前面に出ないという不運な人だった。だから、せっかくの推薦があっても、彼より前に受勲すべきではないと考え、もちろん受諾はしなかった。それはともかく、おれは有名になって、万事好調だった。ところで、フランスとイギリスのあいだでは和平交渉が行なわれていて、ローダーデイル卿が全権を委任されてパリに来ていたときにブーローニュ砲撃の電報がとどいた。コペンハーゲン海戦〔一八〇一年、ネルソンがロシア艦隊を敗る〕に次ぐイギリスの二度目の裏切りだった。この、和平交渉中の理不尽な敵対行為の再開の報せにカンカンになった皇帝は、ローダーデイルを呼びつけてイギリス内閣の背信を責め、ただちにブーローニュへ出発して事態を収拾するように厳命した〔このフルリオの体験談はヴィドックの経歴と直接関係はないが、一八〇三年三月、イギリスがフランスに宣戦し、フランス軍がブーローニュに集結したことを想起すべきである。なお、ナポレオンが帝位についたのは翌年の一八〇四年四月である〕。
十五日後、ローダーデイルが馬車でやって来て、ここ『金砲台』で降りた。イギリス野郎だぞと、激昂した群集は、仇を討ってやれと、がやがやと集まってきて暴徒化し、イギリス全権の通り道にひしめきあい、彼が姿をあらわすと、護衛の二人の制服将校など屁とも思わず、四方八方から石や泥を雨あられと投げつけた。彼は、真っ青になって震えあがり、打ちのめされて立ちすくみ、あわやギセイ者になりそうになったので、おれはサーベルを振りまわして群集を突破し、彼のところまで行くと大声で叫んだ。
『投げてみろ、たたっ斬るぞ』
怒鳴りつけて群集を遠ざけ、一行と一緒に波止場に着いたが、べつに実害には会わなかった。一行は軍使用の船に乗り、まもなくイギリス艦隊に乗り移った。ところが、その夜も、やつらは町を砲撃し、次の夜、おれたちは、またも砂浜に陣取った。朝の一時、イギリス軍は、数発を打ちこんで砲火を停止した。おれは疲れきって砲架に身を横たえて眠る。どのくらい寝こんだかわからないが、眼が覚めると、首まで浸かって水の中にいる。血が凍り、五体がしびれ、記憶も視力もボンヤリして、ブーローニュの様子が変わっていて、敵艦隊と砲火を交じえていた。これが長い病気の始まりだったが、その間、強情を張って入院は拒んだ。とうとう、恢復のときがきたが、立ち直るのが、あまりにも長かったので、あらためて退役をすすめられた。こんどは、サラザン将軍の意向だったので、不本意ながら除隊になった。
もうベッドの上で死のうなんて思わなかった。自分から立ち停まらずに『生者必滅』という言葉の意味を悟り、いろいろな仕事はあるが、あまり辛い労働をしないで暮らすことにした。残り少ない寿命だと悟って、そいつを上手に使い果たそうと決心して私掠船員になった。危ない橋だったかな? どうせ、ちょっぴり損をして殺されるだけだ。それを待ちながら、あらゆる感情、危険、快楽、ないものなしだ。けっきょく、おれは立ち停まらない」
これで、読者は、ポーレ船長と副長が、どんな人間か、おわかりのことと思う。副長は、生き残って息をしているかぎり、戦闘でもどこでも、あくまでワキ役の囃子《はやし》方だった。ときどき落ちこんで物思いにふけっているかのようなのが、ふいに身を震わせて別人のようになり、頭の神経がピリピリするのか、止めどもなく燥《はしゃ》ぎだすが、羽目をはずしたり突拍子もない行為はしない。しかし、この不自然な興奮状態になると、なんでもできる気分になって、空へも昇りたくなってくる。デュファイが引き会わせてくれた初めての酒宴での錯乱したフルリオの行状の全部を述べることはできないが、いま、こうこういう遊びをやろうと言いだしたかと思うと、すぐに別の憂さ晴らしの話を持ちだし、はては何かまた他の演《だ》し物が頭にひらめくのだった。
「今日は何をやる? 『人間ぎらいで後悔する』茶番か。おれは『二人兄弟』のほうが好きだな。諸君、泣きたいやつは誰だ? 毎年、船長は誕生日に泣いとる。おれたちは、なァみんな、そういう喜びがわからん。一家のオヤジにならんとな。たまには芝居見物するかい、先輩? 見なくちゃいけねェよ。たいへんな人出だ。おかいこぐるみの小エビとりの女漁師の結構な社交場さ。おらが国さの貴婦人ってわけだ。ああ、神さま、天国は短刀でぐさり、助平男にワッパをかけろ。それでも女にはお芝居がなくちゃならんのだ。また、もしも、女どもにフランス語がわかるかどうか? わかるなら、フランス語だべ、オヤマア、ふんとに上等だば。ならば、お前さんも仲間入りして喋りなよ。こないだの舞踏会を思いだすな。あそこにいた女どもに踊りませんかと誘うと、こう答える――おらハァ、出戻りだ」
「なるほど、だども、この土地ばケナすなァお終《す》めェにしたら?」
ポーレが副長に言ったが、ほかの乗組員は誰も口を挾まなかった。フルリオが答えた。
「船長、おれは、おれの言い分を言ったんだが、誰も何も言わんし、泣こうともしねェ。あばよ、これから独りで泣くとするよ」
と言って、すぐにフルリオは出て行った。すると、船長が、
「脳が焼けとるんだ。だども、勇気にかけちゃ、あんほどのもんは天下におらんな」
と一同にフルリオをホメてから、これまでの素晴らしい分捕《ぶんどり》品が、いかに彼の向こうみずな勇猛なお蔭だったかを語った。奇妙な癖になっている連音の間違いが、かえってポーレの言葉に味をつけ、その話には活気があって面白かった。ポーレは、船の仲間と一緒のときは、その都度やたらにtを発音して連音を狂わせ、一般人と話をしたり祭日などには、上品にするつもりでsを強くする。tを強くして話すと、戦闘の話が滑稽味を帯びてきて、いつものことながら、車地棒で十何人もイギリス人を殴り殺したことになる。
化けた女役者
酒宴が盛りあがってきて、まだ女房や子供に会っていないポーレが座を立とうとしたときフルリオが戻ってきた。一人ではなかった。
「船長、おれが徴発してきた、おとなしい水夫を何と見る? 赤い帽子が可愛い顔に似合うじゃないか?」
席に入って来ながら言うと、ポーレが、
「んだ、だども、おめェが連れてきたなァ小僧っ子じゃねェか? ヒゲも生えとらん……え、ヤッ、おなごだ」
びっくりした声をあげ、もっとはっきりと驚いて、
「こりゃ、まっこと、聖人《サン》さまだ……」
「当たりき車力《しゃりき》、エリザさんだ。ブーローニュを楽しく遊べるところにしてくれている元締の別嬪さんの御新造さんだ。おれたちの祝いにあやかろうと来てくだすったんだ」
すると、船長が、あまりはっきりとしない軽蔑のまなざしを変装している女役者に投げかけながら、
「マダーム、コルセール船の一同に代わって御礼いたしますだ」
と挨拶すると、彼女は、もっとお世辞を言ってもらいたいだけであった。いくらでも悪《わる》になれるのが女というもの。ときにフルリオが大声をあげた。
「さァさァ、お頭目《かしら》、コルセール船員が人食い人種だなんて誰も言っちゃいねェ。このひとを取って食やァしねェや。それに、こういう合いの手を知ってるはずだ。
笑うのが好き、飲むのが好き、
おれたちみたいに歌うのが好き
なんか文句がありますかい?」
「ねェだ。ねェだがよ、おっぺしつけるにゃ持ってこうの季節だし、野郎どもはピンピン、この上ここにマダムに来てもらって張りきるにゃ及ばねェだ」
この、ふざけた口のききように、エリザは眼を伏せた。
「あんた、赤くなるこたァねェ、船長は冗談いってるんだ」
フルリオが言うと、
「いいや、とんでもねェす、冗談いっちゃいねェ。おら、聖ナポレオン弁天を思いだすだよ。ブリュン元帥以下、参謀全員が御参拝でよ。その日は、ちっちゃな戦争もなくてすんだ。なんでだかマダムはわかるだんべい。これ以上、言わさんでくんろ」
この言葉に、エリザは面子《メンツ》をなくして、フルリオについて来たのを後悔しはじめ、困った立場になってしまい、『銀獅子』に現われたのは正しいことだと弁解した。おだやかな口調、上品な態度、しとやかな顔付きで話し、いかにも卑俗な風習を一掃するかのようであった。彼女は、『感嘆』、『栄光』、『勇敢』、『英雄的行為』について語り、ポーレを感激させようと、彼にはフランス騎士の資格があると言い、その優雅な人品を強調した。おべっかを言われると悪い気はしない。ポーレは、まったくいんぎん丁重になり、例のs音が口に戻ってきて、晴れ着を着ている気分になって矢鱈《やたら》にsをひびかせた。彼は、あらんかぎりの誠意をもって詫びを入れてエリザに許してもらい、ささ、もっと楽しんでくんろと会食者たちにすすめ、自分は引きとらせてもらいたいと一同にたのんだ。みんなは退屈しなかったにちがいないが、私は、とても眼をさましてはいられなくなり、ベッドにたどりつくと、そのままバタンキュウ。あくる日、すがすがしい気分で元気になった私を……フルリオが船主のところへ連れて行ったが、船主は、私の元気な顔を見て、またも五フラン貨何枚かを前渡しにくれた。七日の後、仲間のうちの八人が入院した。あのとき彼女と遊んだ連中である……サンという女役者の名が……芝居のチラシから消えた。噂によると、病気をうつした彼女は、大急ぎで安全な場所に落ち着くために、連隊の帽子飾りまで賭けるほど困っていた某大佐に金をつかませ、その職権を利用してパリへ旅立たせてもらったという。
私は、しびれを切らして乗船の時を待っていた。ショワナール氏が前金でくれた五フラン貨の何枚かには限りがあって、それで生きていろというのは元々ムリな話で、たいして役にはたたないものだった。いっぽう、陸地に長くいると、なにか厄介なことにぶつかりそうで、そいつが心配だった。ブーローニュには大勢のゴロツキどもが横行していた。マンシュイ組、トリブー組、サレ組などが、港町で賭場を開帳していて、新兵たちをハダカにしていた。こいつらは、カニヴェという別の元締の指図で動いており、彼は、軍や軍のお偉方の前では、ことさらに『獄門首の執行人』だと自称していた〔十七世紀前半から十九世紀半ばにかけてのフランスの死刑執行人は多くの特権を付与された勅許を受けていて、全国の主要都市で家元のサンソン一家の系列者が世襲した〕。その銘と、剣と髑髏《どくろ》を十字にぶっちがえた死の頭を画いた警察帽をかぶっていたのが今でも目に浮かぶ。カニヴェは、徴税人か、それとも小箱やサイコロをかかえた胴元みたいな野郎で、親分衆やお役人、曲芸師やスリその他の仕事人を取りしきり、こうした連中は、そのイカサマ稼業をする権利のための冥加金を納めていた。彼は、たえず連中を見張っていて、なにかの裏切りがあると疑うと、たいていは刀でばっさりと罰した。私は、このシマに脱獄囚がいないわけはないと思った。一人でも顔見知りがいるのが気がかりだったが、その心配が本物になった。赦免になった大勢の徒刑囚が、工兵隊や船舶の軍労務者の中にいるというのを聞いたからだ。しばらく前から、世間では、殺人や謀殺や窃盗、その他のあらゆる犯罪で、それこそ腕ききの悪者の仕業だと思われる事件の話でもちきりだった。たぶん、多くの極道者の中には、ツーロンで知り合ったやつが何人かいよう。要は、かれらから逃げることだ。また新たな関係をもつと、ヤバいことに巻きこまれるのを避けるのが難しくなるからだ。泥棒はズベ公のようなものだという。仲間や悪事から抜けたいと言うと、その心変わりを妨げるために全員が団結する。みんなで悪いことはやめるという仲間を吊し上げ、自分たちが抜けたくないので他の者にも抜けさせない。かれらにとっては、その下劣な状態に引きとめるのが晴れがましい誇りなのである。リヨンで密告者になったのを思いだしたが、元はといえば、かれらが私を仲間に留めておこうとしたからだった。しかも、あの経験は最近のことだったので、いきおい、我が身のタメになるように身構えして、気をくばることにした。結果、なるたけ町に出ないようにして、下町のアンリ小母さんのところで、ほとんどの時間をすごした。私掠船の乗組員を下宿させて分捕品をアテにして前貸しをしている女だった。マダム・アンリは、結婚したことがあるとすると、なんとも小意気な後家さんといったところで、三十七歳そこそこだったが、まだまだ色気たっぷりだった。可愛らしい二人の娘がいて、いつも身持ちをよくして、財産がある若者に希望をつないで親切にしていた。家で散財してくれる者なら誰でも歓迎し、いちばんハズんでくれた者は、金を使っているかぎり、後で母と娘にいいことをしてもらえた。娘たちは、二十回は結婚を承諾し、たぶん二十回は婚約したが、その婦徳の誉《ほまれ》はまったく傷つかないでいた。娘たちは平気で何でも話したが、いちおう行ないは慎しみぶかく、じっさいは無垢な白さどころではなかったので、一丁かましてやったと言っても自慢にはならなかった。ところが、なんと大勢の海の男が娘たちの魅力にひかれ、恋いこがれ、媚びにだまされて虻蜂《あぶはち》とらずになり、幸せにしてやるからと片思いに自惚《うぬぼ》れたことか。さらに、貞女たちの、いつも変わらぬ親切には、どんな時でも、どの男にしようかなという気配があるのが本当の気持だったのを取りちがえしなかったか?
さて、今日ただいまの色男は、ちやほやされ大事にされる。なにかと細かい心づかいをされ、少々の馴れなれしさは大目に見てくれて、たとえば、こっそりキッスぐらいしてもお構いなしである。色目をつかって煽《あお》りたて、うまく金を使わせて倹約しなさいとお為ごかしを言って男の財布を牛耳《ぎゅうじ》る。たいていは、本人が知らない間に金が減っていて、持ち金が底をついたのに気付いたところで、初めて御用立てしましょうかと親切に持ちかける。けっして追い払うようなことはしない。ほんとは無関心で気がないことはオクビにもださず、金欲しさと色恋から危ない橋を渡るのを待つ。そして、恋の戦士を運んで来た船が出帆して、彼が、偶然の婚姻と巻きあげられた金の百分の一くらいの安い報酬に賭けて、新しい幸運のチャンスに向かって航海していると、もう誰か別のモテモテ男が代わっている。アンリ小母さんの家に、どんなに恋慕《れんぼ》男たちが出入りしても、二人の娘は二つの城砦のようなもので、いつも包囲されていて、見たところ、いつでも落城しそうだが決して降伏しない。一人が攻囲陣を解くと、別の者がとって代わる。みんな幻想を描いていたが、なるほど、そこには幻想しかなかった。
アンリ小母さんの娘の一人セシルは、二十《はたち》をすぎていて、陽気で笑い上戸、どんな話でも顔を赤くしないで聞く。妹のオルタンスは、もっと若くて内気な性分、ときにはバカげたことも話すが、この二人の子供の血管には蜂蜜と橙花《オレンジ》水〔鎮静作用があるとされた〕が流れているみたいで、それだけに、どんな場合でも、やさしく物静かだった。彼女たちの胸には燃えやすいものはまったくなく、その場で何かを決めないし、船員のちょっぴり図々しい態度にも驚かない。たしかに、二人は、ヴォクールール〔ベルギーと国境を接しているムーズ県の一邑〕、あるいはピカルディの寒村の羊飼い娘というアダ名にふさわしかった。
私は、この家族の炉端が気に入ったので、我ながら真面目に一カ月も腰を落ち着けて、カード遊びや軽い冗談や少々のビールなどで時間をつぶした。だが、この、私を抑えつけていた無為の状態も、いよいよポーレが、いつもの遠征に出かけることにしたのでケリになった。われわれは獲物の船を追い求めたが、なにしろ夜が十分に暗くなく、やけに昼間が長くなっていて、オンボロの石炭船に格下げしたり、何を積んでいるのかわからない価値の少ない一本マストのスループ船を襲ったりした。もっとも、旨い物が食える望みもあって掠奪した船の料理人と海の散歩としゃれこみ、そいつの負担でヴェルダン虹鱒《にじます》を買ってこさせて食べたりした。
海の閑散期が近づいて船の往来が少なくなり、ほとんど分捕品がなかった。船長は、気むずかしくなって黙りこくり、悲しげだった。フルリオはヤケを起こして呪《のろ》いちらし、朝から晩まで荒れ狂った。晩から朝にかけては本当に気違いじみてきて、乗員のみんなが、俗に言う表現に従うと、不安でヒヤヒヤ……三甲板の船を襲ったのは、たしか、そういう気分でいたときだった。真夜中だった。ダンケルクのそばの小さな入江を出て、イギリス沿岸に向かって進んだ。とつぜん、月が雲間から現われて海峡の波の上を照らしだし、少し離れたところに白い帆が見えた。二本マストの軍艦が光りかがやく波を蹴立てていた。ポーレが敵艦を確認して怒鳴った。
「野郎ども、いただきだ。みんな腹ばいになっとれ。見張り場から号令する」
あっという間に、彼は、船を敵船に近づけた。イギリス人は猛然と防戦した。おそろしい戦いが敵の甲板上で行なわれ、フルリオは、いつものように一番乗りをしたが、死人の数に入ってしまった。ポーレは負傷したが、自分の仇と副長の仇を討った。彼は、あたるを幸いなぎ倒し、私は、そんな殺戮《さつりく》は見たことがなかった。十分たらずで敵船を乗っ取り、赤いイギリスの旗に代わって三色旗が掲げられた。あちこちで同じような激戦が繰りひろげられたこの戦闘で、我方の十二名が死んだ。
名前を変える
死亡した乗組員の中にルベルという名の男がいて、ほんとに私によく似ていたので、しょっちゅう悪どい軽蔑の対象になっていた。私は、この瓜《うり》二つの男が正規の身分証を持っていたのを思いだした。まて、まて、いい機会だぞ、と繰り返し思った。何があったかは誰も知らない。ルベルは魚の餌食にされるんだから通行証は必要ない。彼の通行証は私にうってつけだ。この発想は素晴らしいような気がした。ただ一つ心配なことがあった。ルベルは財布を船主の机にあずけているかも知れない。そこで、彼の胸をさぐってみて、嬉しさがいっぱいになった。そこで、すぐさま誰にも見られずに身分証を失敬し、死体が海底に落ち着くように砂袋に仏さんを入れて海に投げこんだときは、これでもう、さんざんな目に会ったヴィドックとはさようならだと思い、重荷を下ろしたようにほっとした。
だが、まだ安心しきったわけではなかった。船主代理のデュファイは私の名を知っている。このことで私はヤキモキした。そこで、彼にたいしてビクつかないためには、偽りの信用をしてくれて秘密をまもってくれるように頼む以外にないと決心した。余計な心配だったのだ。私はデュファイを呼んだ。拿捕《だほ》した帆船の上を探したが、いなかった。そこで、こんどは報復丸に上がって行って探し、また呼んでみたが返事がない。火薬庫に降りてみたがデュファイはいない。どうしてるんだろう? 食糧貯蔵室へ上がったところが、杜松《ねず》の樽と何本かの酒瓶のそばに誰かが横たわっているのに気付いた。彼だった、ゆすぶった。仰向けにした……黒っぽくなって……死んでいた。
これが私の保護者の最期で、酩酊による脳溢血か卒中、あるいは窒息が彼の生涯を終わらせたのであった。海軍砲兵曹として勤務して以来、彼ほど倦まずたゆまず飲みつづけた者は他になかった。一言で彼を表わすなら、この酔いどれ殿様は、彼なりの最良の生涯をおくった。
公現祭
公現察〔異邦人である東方の三博士にも救世主の光栄が公現した御公現の祝日。一月六日から八日間。祝い菓子の中のソラ豆を見つけた者が王様あるいは女王になって遊び祝う行事〕の日に、デュファイがソラ豆を見つけた。王威をたたえて、仲間たちが、四人の砲手が担《かつ》ぐ担《にな》い台の上に彼を坐らせた。新しく選ばれた王を大楯に乗せるフランク族の趣向だ。担架の一つ一つの柄には、その朝に配給になったブランデーの瓶がぶら下がっていた。デュファイは、この即席の輿《こし》のようなものの上にふんぞりかえって、野営地の各営舎の前でポーズをとり、恒例の喝采をあびて、飲み、飲む真似をした。こんなふうにして、あっちこっちに停まっては飲むのを繰り返したものだから、とうとう頭がクラクラしている一日王様を分隊にお迎え申しあげ、グリュエル・チーズ〔スイス産の名品〕のつもりでべーコン半キロを呑みこませ奉った。こいつは不消化で、デュファイは兵舎に戻るとベッドに身を投げたが、吐気がしてムカついた。なんとか抑えようと思ったが、ばっと小間物店をひろげてしまい、危機は去った。彼は眠る。有象無象が徳利のそばでガヤガヤ口論していようが、犬が吠えようが猫が爪で引っ掻こうが、彼を深い眠りから引き戻せない……いやはや、人間の尊厳なんてどうなったのか? この見苦しい光景の中で、デュファイだけが承知していたのは、あのスパルタの子供たちが教わった気質ではなかったか?
ちょっと道草をしたのは、同郷の士に最後の一筆を棒げるためである。もう彼はいない。神よ、彼に平安を!
帆船に戻ると、ポーレが、捕虜にした敵艦長以下と報復丸の船員五名を私にあずけた。捕虜たちが逃げないように昇降口を塞《ふさ》ぎ、なるたけ岸に沿ってブーローニュに近づいた。ところが、われわれの行手に敵のフリゲート艦が一隻あらわれて、そいつに接舷する前にイギリス野郎が数発の砲弾をあびせた。かれらは、われわれを砲撃しようと全速で向かってきて、あまり接近しすぎたので砲弾が頭の上を越した。このようにして、その船はカレーの緯度まで追って来たが、そのころ海のウネリが高くなり、強烈な風が海岸をたたきつけだしたので、敵船は、暗礁に乗り上げて難破するのを怖れて遠ざかるものと思った。ところが、敵船は、とっくに陸地に向かって突進していて、あらゆる努力をして陸から離れようと必死になっていた。助かる方法は唯一つ、座礁してしまうしかなかった。あっという間に突堤にあるルージュ砲台の『鉄岸』からの十字砲火の中に突っこんだ。四方八方から爆弾や砲丸や砲弾が雨あられと降りそそぎ、何千という物凄い爆発音の中から悲鳴が聞こえ、フリゲート艦は、とうてい助けられないまま波間に沈んだ。
一時間の後、夜が明けた。ところどころで、沈没船の破片が波に持ちあげられて漂っていた。グルネ岬を回ったところで、男と女がマストにつかまってハンカチを振っている合図に気付いた。私は、その不運な男女は助けられると思い、捕虜の艦長にボートを降ろしてくれと頼んだところ、あっさりと拒否したので、ついぞなく憐みを感じていたはずみで、すんでのとこで相手の脳天をぶっとばすところだった。彼は、ふふんと笑いを浮かべ、肩をそびやかして言った。
「なんなら行きたまえ。ポーレ船長は、お前より人情味があったが、あんなのを見ても動かなかった。どうしようもないんだ。あいつらはあそこ、おれたちはここさ。せち辛い世の中だ、みんな自分がかわいいのだ」
そういえば、フルリオまでやられて、あんなにたくさんの味方を失った。私は、この男の言葉に無関心を取り戻し、われわれは、この先、思いもかけないさらに大きな危険の中を走らねばならないことを我が胸に納得した。事実、大波が重なりあい、頭上ではカモメやウミネコの類が吹きすさぶ朔風に鋭い啼き声を投げかけて翔《と》び交い、だんだん暗くなっていく水平線に長くて赤黒い帯がのびていた。空模様が怖ろしくなって、すべてが暴風雨の前触れを示していた。幸い、ポーレは、いつも天候と距離を計算に入れていたので、ブーローニュへ行く航路は外れたが、ブーローニュから遠くないポルテルに安全な海岸と避難港を見つけた。そこに上陸する際、私が救助したいと思った二人の不運な男女が砂浜に打ち上げられているのが見えた。引き潮の加減で息絶えた二人を異国の地に運んだのだ。われわれは埋葬してやったが、おそらく二人は恋人同士だったのだろうと思った。かれらの運命には心が傷んだが、別の心配事が、その哀惜の念から私を引き離した。上陸した村じゅうの者、女や子供や老人たちが海岸へ駈けだしていた。百五十人の漁師の家族が、六隻のイギリス戦艦に撃破された、か弱い漁船や小舟を見て絶望に沈んでおり、その残骸が怒濤とぶつかりあっていた。一見してわかる、とても書き表わせないような不安をもって、村人の一人一人が、自分が気になる小舟だけを眼で追い、沈没しているか助かっているかによって泣き叫び嘆き、または途方もなく喜んで躍りあがった。女や娘、母や妻が髪を掻きむしり、着ている物を引き裂き、大地を転げまわって、呪い文句や罰あたりの言葉を喚《わめ》きちらし、一方では、それほど痛手を受けなかったと思う連中が、ついさっきは両手を上げてお願いしていた神に感謝するのを忘れて踊ったり歌ったりしていたが、さすがにまだ涙で顔が濡れているまま、この上ない活々した喜びを表わしていた。熱狂的な神への誓い、福者聖ニコラの加護、その取りなしの功徳など、一切合財が忘れられていた。おそらく、のちほど、ある日、このときのことを思いだし、ちょっぴり隣人に憐みをもつかも知れないが、エゴイズムという暴風が吹きまくっていた間は……あの艦長が私に言ったように、みんな自分がかわいいのだった。
[#改ページ]
一九 海軍砲兵伍長
ウール砦の防衛
ブーローニュに戻ったその晩、総司令官の命令で、各隊の素行不良と報告されている者全員を直ちに逮捕して私掠船に乗船させろということになっているのを知った。これは、軍の粛正を実施する一種の圧力で、司令部に不安をあたえはじめた士気喪失に終止符をうつためだった。となると、今後、誰も私のことを知らない世界で独りになるためには報復丸をやめる以外に途はなく、その場合、船主は、この前の戦闘で失った人員を補充したければ、将軍がクビにした兵たちを乗船させれば困ることはない。それに、闇の元締カニヴェや顔見知りの子分たちも、粛正のあおりで営舎に姿を見せないはずなので、兵士になっても大丈夫だろうと考えた。そこで、ルベルの身分証などを提出して沿岸防衛をする海軍砲隊に編入され、ルベルが部隊の伍長だったので、最初の休暇、つまり入隊許可から十五日目に伍長の階級になった。そして、古参の砲手として心得ているはずの規律ある動作や色々な操作上の完璧な知識を巧くひけらかしたので、すでに私は上官たちに覚えがめでたくなり、ボロをだすかもしれなかった状況だったのに、かえってかれらに評価される結果になった。
私は、ウール砦〔セーヌ川の支流ウール川に臨む〕の防衛に当たっていた。ウール川の大潮《おおしお》期間は怖ろしい時季になる。川の水が山脈のように次から次と激しい勢いで砲床を洗い流し、三十六基の大砲が砲眼の中でぐらぐら動く。大波が押し寄せてくるたびに砦全体が押し流されるようだと言ってもよかった。だから、英仏海峡も波静かどころではなく、一隻の船も上がって来ないのはわかりきっていた。そこで、夜になると哨戒を中止して、翌朝まで兵舎のベッドで甘い夢でも見ろと当番兵たちに許可し、私が代わって見張ることにした。もっとも、私は眠くなかったので眠らなかったまでだったのだが、朝の三時ごろ、英語だとわかる声が耳を打ち、同時に砲台へ上がる階段の下にある戸に誰かがぶつかる音がした。そこで、すぐさま全員を起こして銃に装填《そうてん》させ、とことん戦って死ぬ覚悟になったところ、助けを求める女の声と呻きが聞こえた。やがて、それがフランス語だということがはっきりした。
「開けて、難破した者です」
一瞬ためらったが、敵意をもって現われたら真っ先に血祭にあげてやろうと身構えて開けたら、瀕死の女と子供、それに五人の水夫がいた。とりあえず、かれらを暖めてやった。ぐっしょり骨まで濡れていて、寒さに凍えていた。砲手たちや私の、下着や服を貸してやり、やや人心地がつくと、われわれのところへ御入来になった事故のことを語った。三本マストの船でハバナを出帆し、昨日まで快適に航海してきたが、われわれの砦を囲っている防波堤にぶつかって難波し、帆柱の上部を砲台に正面《まとも》にぶつけて死から遁れられず、船長を含む航海を共にしてきた十九人が大波に呑まれてしまったという。
それから八日間も海に閉じこめられ、われわれを連れ出してくれるランチなどは派遣してくれなかった。大潮の時季が終わると、私は遭難者たちと陸に上がって海軍の司令所に連れて行ってやったが、かれらを囚人扱いにしなかったことをホメられた。もし、あのとき、捕虜をつかまえたと偉ぶったら、かれらにとって私は単なる恐怖の的だったと言ったことだろう。なにはともあれ、一緒にいたあいだ、私を最高に評価してくれた。
私は正しい模範を示しながら義務の遂行を続けた。三カ月が流れ、ただもう讃められる一方であったし、自分としても、いつも讃められるように心がけた。しかし、これまで危ない橋を渡ってきた関係から、突如として自分の身の上を心配するのをやめたわけではなかった。私には、生まれつき心ならずも何かに引きずられてしまう癖があり、しかも知らず知らずのうちに、いつも運命を自分で制御しようとするのに逆らう人間や事物に近づいていく。そして、この奇妙な癖があるばっかりに、加盟はしなかったが軍隊内のいくつかの秘密結社の隠された内幕を知る羽目になってしまった。
オリンポス党
こうした結社が誕生したのはブーローニュである。ノジエ氏は、その『友の会史』で述べているが、最初のものはオリンポス会で、あきらかに創設者はナミュールのクロンベという名の人物であった。はじめ、その会は、海軍少尉候補生だけで構成されていたが、急速に成長して、とくに砲兵隊を主とした陸軍全体に所属する者の入会も認めるようになった。
あまりにも年が若かったクロンベは(初級候補生にすぎなかった)、オリンポス会長の称号を返上して同志の列に引き下がり、同志たちが一人の『議長』を選んで秘密結社の形態を組織した。その会は、まだ政治的な目的は持っておらず、しいて持っていたとすれば幹部会員だけだった。表面的な目的は相互の昇進であって、昇進したオリンポス会員は、下級オリンポス会員の昇進に全力をあげて協力せねばならなかった。好ましい有様は、海軍にいる者なら、すくなくとも二級候補生になって大佐まですすむ。陸上部隊に勤務していれば准尉から大佐までが限界である。オリンポス会員が、その会合で政府の管理に関する問題を討議したという話は聞いていないが、かれらは平等と友愛を宣言し、それと大いに対照的な帝国主義的な論義を発言していた。
ブーローニュでは、オリンポス会員が恒例的にエルヴュー夫人の家に集まっていた。あまり人の出入りがない怪しげなコーヒー店である。かれらは、そこで会議を開き、取っておきの部屋でレセプションを催した。
ブーローニュには陸軍の士官学校や理工科学校があって、オリンポス会に加入させる場所になっていた。一般に入会式を知らせるには、口で伝えるか合図をするか、軽く手を触れて新会員に知らせることにしていたが、正会員たちは他の方法を知っていて、その方法を使うようにしていた。この連中の考えは、会のシンボルがよく説明していた。短剣を握った一本の腕が天から突き出て、その下に人の上半身が倒れている。カエサル〔俗に言うシーザー暴君を象徴〕の半身である。このシンボル自体が、その意味を表わしており、卒業証書の印章の猿真似であった。もともと、この印章は、砲兵隊の指示でボーグランとかベルグランとかいう砲手が作ったレリーフを雛型《ひながた》にしたもので、彫金技術を使って修正し、それを鋳造方法で銅の鋳型をこしらえたのだった。
オリンポス会員として認められるには、勇気と才能と分別があることを証明しなくてはならない。すぐれた功績のある陸軍の候補生は優先的に加入を望まれた。また、帝位の設置に反対した愛国者や、そのために迫害された者たちの子弟は、できるだけ入会させるようにした。帝政下では、不満を抱く家族の一員で入会許可の範囲にある者を見つけさえすれば事が足りた。
この結社の本当の幹部たちは闇の中にいて、その計画を教えてくれない。かれらは誰も信頼していなかったのである。計画の成就を期するためには、どうしても会員たちには知らさないで企てる必要があった。誰にも協力を頼まないでよい、会員たちが、各々の本来の立場で力量と意志を発揮してくれればよい。これが、この計画の長所で、とうとう陸海軍の最低階級の者までオリンポス会員にならないかと募るまでになった。
下士官であれ兵士であれ、その訓練ぶり、持ち前の気力、力強さ、独立心がオリンポス会員の眼にとまると、やがて結社の仲間にされて、お互いに助けあい援護することを神にかけて宣誓させられる。結社の唯一の絆は、会が約束する相互の支持のようだが、その奥にはあらかじめ隠されたコンタンがあった。会員として認められた百名のうち、かろうじて十名が、その成績に見合った昇進を手に入れた。となると、この百人のうちの九十人は、近々何年も前から適所に置かれず昇進もせず、自然に当局の敵になることをあらかじめ見越していたことになる。まことに巧妙きわまる類別方法であった。お互い同じ呼称のもとで、やがては確実に不満が共通しあう者や、あせったり不公平に腹を立てている者たちが、必ずムキになって報復の機会を狙うのは眼に見えていた。こうして自然に一つの戦線が醸成され、もはや現実に実在し、陰謀の要素が結集して次第に機能し発達していったが、そこに首謀者がいないので発覚しなかった。いざという時を待っていた。
オリンポス会は『友の会』より何年も前からあったが、後になって二つが混同されるようになった。その結社の起源は、ナポレオンの戴冠式〔一八〇四年五月、教皇ピウス七世がパリに行って挙行、ダヴィッドの画が有名〕の時期より少し前になる。かれらが初めて団結したのは、終身統領〔一八〇二年八月、ナポレオン終身統領(執政)になる〕に反対投票をしたツルゲ提督の失脚がきっかけだったと確認されている。モロー〔ジャン・ヴィクトル・モロー(一七六三〜一八一三)、ナポレオンに反対して流罪になった〕の有罪判決のあと、結社は、さらに広い範囲の下級軍人たちによって構成され、ブルトン人やフランシュ・コンテ人〔ブルターニュ州出身者とフランシュ・コンテ州出身者〕の大勢が加わったとされている。この後者の中にウーデという男がいて、オリンポス会員から最初の友愛精神を引きだした。
政府のオリンポス会にたいする不安が表面化するまで二年近くが経過し、ついに、一八〇六年、ブーローニュの警察本部長ドヴィリエ氏がフーシェ〔ジョゼフ・フーシェ(一七五九〜一八二〇)、フランスの怪物政治家、当時の警察大臣〕に書簡を送って会員たちの集会を報告した。これは、オリンポス会員が危険分子だと報告したのではなくて、かれらを監視するのが義務だと思ったからであった。ところが、本部長の側近には、そういう監視任務をまかせられる要員がいなかったので、政治警察が、いつも手許に置いている優秀な密偵のブーローニュへの派遣方を要請した。これについての大臣の回答は、皇帝にたいする任務熱心には大いに感謝する、ただし、中央では、前々からオリンポス会その他の同様な多くの結社には眼を光らせている、かれらが、陰謀を企てても政府は十分に強力であるから何らの恐れもない、また、かれらにはイデオロギー的な陰謀はあり得ず、この点、皇帝はまったく御懸念されていない、あらゆる観点から見て、オリンポス会員どもは夢想家であって、その結合は、ひよっ子どもが遊びのために考えだした幼稚な秘密結社にすぎない、というものであった。
このフーシェの楽観説は本心ではなかった。彼は、ドヴィリエ氏が送ってきた意見書を読むと、すぐさま若いL伯爵を執務室に呼んだ。ヨーロッパのたいていの結社の内情に通じていた男である。
「ブーローニュから報告があったが、オリンポス会ちゅう名称の秘密結社のようなもんが軍隊内でできちょるそうじゃ。結社の目的はさだかでないが、うんと広い範囲に枝葉がのびちょると言うてきちょる……たぶん、ベルナドット〔ジャン・ベルナドット(一七六三〜一八四四)、フランスの将軍、スウェーデン王の養子になりフランスに敵対した〕やスタール〔スタール・ホルスタイン男爵夫人、作家、その『ドイツ論』などでナポレオンに流刑にされた〕屋敷の秘密集会とつながりがあるもんと思うが、そこで何が行なわれているかは百も承知しとる。九三年〔一七九三年、ルイ十六世やマリイ・アントワネットの処刑、公安委員会の設置、マラー暗殺、恐怖政治の開始などがあり、政治家の去就不安の年〕のときよりも、私を多少とも友だちだと信じ、私が依然として愛国者だと思っとるお人好しのガラ〔ジョセフ・ガラ(一七四九〜一八三三)、司法大臣や内務大臣を歴任〕が何でも話してくれる。私が共和国を懐しがって再建に手を貸すものと妄想しちょるジャコバン党員どもがおる。とんだバカ者どもじゃ。私は、そういうやつらこそ追放するか好きなように処置してやるんじゃ。ツルゲ、ルッセラン、ガングネ〔いずれも反ナポレオンの軍部内の大物〕どもは一歩も動けんし、私が今すぐにも本心を明かさないかぎり一言も言えない……こいつらは、モローの徒党と同じく別に怖れるに足りない輩《やから》で、よく喋るが大したことはできん。しかし、かれらは、しばらく前から軍隊内で党派を作ろうとしているようじゃ。かれらが何を望んどるのかを知るのが肝要、おそらく、オリンポス会などというものも、かれらが作りだしたもんじゃろう。きみがオリンポス会員になってくれたら便利だがなァ。連中の内緒事を報せてくれたら、然るべく善処できるちゅうもんだが……」
L伯爵は、フーシェが提案した使命を果たすのは厄介なことだと答えた。おそらく、オリンポス会は、新入会員については事前に当人についての情報を得た上でなくては何人も受け入れないだろうし、まして軍に所属しない者の入会が許可されるはずがない、と。フーシェは、こうした障害についてしばらく考えていたが、また言葉を続けた。
「きみが早いとこ入会できる方法をみつけたぞ。ジェノバへ行ってくれたまえ。あそこには徴兵したリグリア人〔イタリアのリグリア地方の者〕新兵の別隊があって、間断なくブーローニュへ送られてきては第八徒歩砲兵連隊に編入されちょる。その別隊にボッカルジ伯爵というのがいて、家族が交替を願い出とるが一向に実現しとらん……きみは、そのジェノバ貴族に代わろうと申し出るんじゃ。この件についての一切の困難を除去するために徴兵上の法規にかなったベルトランという偽名の有効な身分証を作って渡すから、これを使って入隊して別隊と共に出発する。ブーローニュに着いたら、秘密結社とか天啓説や錬金術などに頭がイカれている大佐くらいなやつと関わりを持つようにする。なるたけ人目につくように振舞い、きみが貴族階級の出の者だとわかると、必ず眼をかけてくれるようになる。そこでだ、きみの家柄について口から出まかせの打ち明け話をする。はじめ、この打ち明け話は、いつも身代わり入隊者に向けられる不評判のようなものを和らげる効果がある。次に、その話は他の指揮官たちの注意をひくようになるが、きみが兵士にならざるを得なかったことを信じさせることが不可欠の条件だ。つまり、きみの本当の名では皇帝側の追求のマトになるので、追放を免かれるのに軍隊に隠れたことにする。これが、きみの身の上話だ。話は野営地にひろがり、きみが皇帝派の犠牲者で敵だということを誰も疑わなくなる……これ以上、くどくどと詳しく話す必要はあるまい……あとは独りでに巧くいく……とにかく、すべては、きみの才覚まかせじゃ」
こういう指図を胸にたたんで、L伯爵はイタリアへ旅立ち、やがてリグリア人新兵たちとフランスに戻って来た。オーブリ大佐は、久しく別れていた弟のように彼を迎え、演習や教練を休ませてくれたり、営舎で歓迎会を催したり、いんぎん腰を低うして一般人なみの行動を許し、一言で言うと、この上ない特別の扱いをした。そうなると、幾日もたたないうちに、全軍団にムッシュ・ベルトランは特別な人物だということが知れ渡り、肩章なしで軍曹どのと呼び、将校たちも、彼が軍隊の階級では下級兵士であるのを忘れて、すすんで自分たちと親しく交際するのを認めた。
ベルトランは、本当に部隊の神社的な存在になった。才気煥発、指示縦横、誰もが彼に啓発され、これまでより一段と精神を高めた。それはさておいて、彼は、さっそく数人のオリンポス会員と親しくなり、その連中にはとくに敬意を表した。そして、まもなく入会を許されて、いったん会の最高幹部たちとの連絡に成功すると、警察大臣に情報を送りはじめた。
以上、私が、オリンポス会やベルトランについて述べたことは、ベルトラン本人から聞いた話で、たぶん、こう言っても余計ではないと思うが、彼は、なにかにつけて彼が帯びていた使命を信じさせようと、私が初めて右に述べたような詳しい内幕を打ち明けたのであって、これで私の話の真実性を認めていただきたい。
ブーローニュでは、ついぞなく決闘が盛んで、いまわしい決闘熱がウェルーウェル提督の指揮下にある平穏なオランダ艦隊にまで波及した。とくに、左翼兵舎から程遠くない丘の麓の隣りに誰も通らぬ小さな森があって、そこが決闘場になっていて、いわゆる名誉ある試合をしている十数人の人間も、森のふちからは昼間でも見えなかった。その場所こそ、かの有名な女丈夫D嬢が、愛人だったC大佐の刃《やいば》の下に倒れた所である。大佐は、相手が男装していたので、女と知らずに珍しい決闘を受けたのであった。D嬢は、愛人に棄てられて、自分の手で倒そうと思ったのだ。
ある日、私は、左翼兵舎のバラックの長い列が並んでいた平地の端から決闘場があるほうを眺めていたら、例の小さな森から少し離れたところに二人の男がいるのが見えた。一人が野原を逃げているのを、もう一人が追いすがっていた。白ズボンからするとオランダ兵と知れた。私が、ちょっと眼をそらした間に、攻撃していたやつが尻ごみをしていたが、とうとう、互いに怖くなったのか、サーベルを振りまわしながら同時に後ずさりをし、一人が勇気一番、軍刀をかざして敵に打ってかかり、相手が飛びこえられない溝のふちまで追いつめた。すると、二人ともサーベルや飛道具を使うのをやめて、拳骨《げんこつ》で喧嘩の片をつける闘争がはじまった。私は、その奇怪な決闘に興味をもった。と、そのとき、われわれが時たまコジオー(小麦粉と卵で作った白粥のようなもの)を食いに行く農場のすぐそばに、立会人のもと、剣に手をかけた別の二人の人物がいるのが見えた。片方は、第二竜騎兵連隊の軍曹で、もう一人は砲兵隊の下士官だった。やがてチャンバラが始まり、小柄なほうの決闘者である砲手軍曹が勇猛果敢に打ってかかり、五十歩ばかり立ちまわったので、あちこち相手を刺したなと思ったとたん、まるで足元の大地が口を開けたかのように忽然として彼の姿が消え、すぐにどっとばかり笑い声が聞こえた。それからワイワイと大騒ぎがあった後で、立会人たちが歩み寄ってキスしあうのが見えた。私は好奇心にかられて連中がいるほうへ行ってみたところ、あの不意に消えて私を驚かせた哀れな男を豚の飼料槽の排水口から引っぱり出すところで、私も手伝う羽目になった。彼は窒息同然で、足の先から頭まで泥まみれになっていた。大気に当たって早いとこ意識を取り戻したが、息をしようとせず口と眼を開けるのを怖がった。彼が落っこちた汚水は、なんとも悪臭ぷんぷんだったのだ。その上、彼は、そんな辛い状態にあって、まず冷やかしの言葉をあびせられた。その不親切にむっとした私は、自分のまったく正しい怒りにまかせて、兵隊同士なら説明はいらない、犠牲者の決闘相手を挑発的に睨みつけてやった。すると、そいつが、
「上等だ、相手になってやるぜ」
と乗ってきたので、そこらにあった剣を拾って身構えたとたん、その剣を防ごうとした相手の腕に見覚えのある入れ墨が見えた。錨《いかり》の足に蛇が巻きついている図柄だった。
「お突きといくぞ、脳天ご用心」
こう大声で予告しながら右足を前に突っこんで相手の右乳に当てた。すると、相手が、「やられた。血が出とるか?」
「おお、出とるとも。深くは刺しとらん」
と私は答えて、こちらの務めとして傷の手当てをしてやろうと下着を裂きにかかった。胸をはだけねばならなかった。胸の端を咬んでいるはずの蛇の頭がある場所に見当をつけた。思ったとおりのところにあった。そこで、文身《いれずみ》と彼の顔立ちを交互に確かめたが、それを見て私の敵は不安でたまらないようだった。私は、急いで彼の耳元でささやいて安心させた。
「お前が誰だか知っているが、心配するな、秘密は守る」
「おれも貴様を知っとる」
彼が答えて手を握りしめたので、私は黙った。こうしてダンマリを約束した男は、ツーロン徒刑場を脱走した囚人だったのだ。私に彼の偽名を教え、第十竜騎兵連隊の曹長で、連隊の全将校におごってやっていて身を隠しているとのことだった。
こうして、われわれが互いに再会をしていたあいだに、仁侠の騎士ぶりを発揮して私が護ってやった御当人は、ひどい汚物だらけの身体を小川で洗い、私どものところへ急いで戻ってきた。みんなしーんとなり、いさかいは水に流れ、まじめに和解しようという気持になってきて笑いだすのをこらえる始末。
ごく軽く傷を負わした曹長は、『金の大砲』亭で仲直り式をしたいと申し入れてきた。あそこには、いつも美味しいマトロット〔川魚の赤ワイン煮〕と、なによりもまず羽根をむしった家鴨料理があるという。彼は、私と決闘相手に豪勢な昼飯をおごり、それが夕食になるまで続き、みんな相手方が支払った。やがて、一日の行事も終わって別れたが、曹長は、また会うことを私に約束させた。しかし、決闘相手だった軍曹は、私が彼のところへ行くのを喜ばなかった。
この軍曹がベルトランだった。彼は、山の手の高級将校の宿舎を占領していた。そこに二人が着くと、大きな危険から救われた臆病者が、飲んだあとでは、あらんかぎりの熱意をこめて感謝の気持をあらわし、どんな御礼でもすると言ったので、礼なんか何もいらないと答えると、
「たぶん、きみは、ぼくが何もできん男だと思ってるだろうが、ぼくの後楯は、ちゃちな小物とはちがうんだ、きみ。ぼくは一介の下士官でしかないが、さりとて別のものになりたいとも思わん。ぼくには野心はない。オリンポス員は、みんな、ぼくと同じだ。かれらは、ケチな階級差別なんか問題にしていない」
私が、そのオリンポス員なるものについて尋ねると、こう彼は答えた。
「つまり、自由を尊び、平等をたたえる連中のことだ。オリンポス会員になりたくないかね? ちょっとでも、その気があるなら、入会の世話をするよ」
私はベルトランに礼を述べ、遅かれ早かれ警察に眼をつけられる結社というものに急いで入る必要はないように思われると言うと、彼は、ありありと本気になって、
「もっともだ。きみを入れるのはよしにする。どうせロクなことにはなるまいからな」
といったところで、彼は、この回想記で前述したオリンポス会の内幕を語りはじめた。そして、むやみ矢鱈にシャンパンを飲んだせいか、秘密を守るという約束のもとで、今も極秘の命令で動いており、ブーローニュに来て果たしている使命について打ち明けた。
この最初の出会いのあと、私は引き続きベルトランと会ったが、彼は、しばらくの間は依然として偵察者としてとどまっていた。だが、ついに慎重かつ十分に指図された時機が到来、彼は一カ月の休暇を申請した。莫大な遺産を相続するためだという口実だった。しかし、一月たったが、ベルトランは帰隊しなかった。オーブリ大佐が彼に委託していた装備や馬匹のための一万二千フランの金を拐帯《かいたい》したという噂がひろがった。これ以外に、連隊口座の購買用の金が、ベルトランが同じ方法を操作して使いこんでいて、パリのノートルダム・デ・ヴィクトワール街の、ミラノホテルに宿泊していることにして架空の信用状で無制限に詐取したことがわかった。
これらすべてのイキサツは謎につつまれ、だまされた側は、あえて正面きって訴えなかった。ただ、ベルトランが失踪したことを確認し、脱走兵として五年の労役を宣告しただけだった。しばらくして、オリンポス党の主要人物たちにたいする逮捕と結社の解散命令が送達されたが、この命令は、一部の者にしか実施されず、政府は、幹部たちにたいしては厳罰すると通告し、ヴァンサンヌの監獄や国内の他の牢獄に投獄して悲惨な生きざまをさせて死に追いやった。同じ日に五件の自殺があった。第二十五戦列の特務曹長と別の部隊の二人の軍曹が頭をブチ抜き、前の日に少佐任官の辞令をもらった大尉が剃刀でノドを切った……彼は『銀獅子』ホテルに泊まっていたが、いつものように他の将校たちと食事に降りて来ないので、亭主のブートロワが部屋の戸をたたきに行って腰を抜かした。そのとき、大尉は、血を受ける洗面器の上にかぶさっていたが、起ち上がってネクタイを付け、戸を開け、なにか言おうとしたが、倒れて死んでしまった。火薬が積んであった平底船にいた一人の海軍将校が放火し、その火が隣船にも引火して爆発し、そのまわり何キロにもわたって大地をゆるがせた。下町のガラス窓の全部が砕け、港に面した多くの家の正面が崩れた。索具の破片、折れた帆柱、死体の切れはしが千八百トワーズ〔一トワーズは二メートル弱〕以上に飛び散った。二隻の船の乗組員が死亡し、奇跡的に一人が助け出された。その水兵はマストのてっぺんにいたが、マストと一緒に空高く吹っとばされ、水が涸れていたドックの泥の中に真っ逆様に落ちて、三メートルも深くめりこんだ。水兵は生きていたが、うーんと言ったきり生きかえらなかった。
ブーローニュでは、いろいろな事件が同時に起こったので誰もがびっくりした。医師たちは、自殺の同時発生が大気の特殊な状態による心的傾向のせいだと主張し、オーストリアのウィーンで観察された結果による説だとした。昨年の夏、大勢の若い娘が一種の発狂状態になって、同じ日に自殺したことを引用したのである。ある人々は、この状況の異常性を次のように説明した。つまり、ある自殺の話がひろまると、二、三の他の自殺を誘伴することが稀にある、と。とどのつまり、大衆は、何がなんだかよくわからず、警察は、反帝運動が知れるものが残るのを恐れて、故意に、世にも不思議な現象だという噂をひろめ、注意ぶかく周到に対処したので、今回の場合、オリンポスの名は、ただの一度も野営地では人の口にのぼらなかった。しかし、それほどの多くの悲劇的な出来事の原因はベルトランの密告にあった。まちがいなく彼は褒賞され、どんな形だったかはしらないが、おそらく、彼の活動に満足した高級警察が引き続き彼を雇ったものと思われる。というのは、数年後、スペインで彼に出会った人の話によると、彼はイザンブール連隊の中尉になっていて、モンモランシイ家やサンシモン家に劣らぬ名流人士か、なんらかの別のフランス名家の後裔が同部隊に配属されたものと思われていたという。
ベルトランが蒸発してから間もなく、私が所属していた中隊は、ブーローニュから四キロばかりのところにあるサンレオナールへ派遣された。われわれの任務は、大量の軍需品が貯蔵してある弾薬庫を警備することに限られていた。勤務は辛くはなかったが、哨戒場所は危険なことで有名で、そこで多くの歩哨が殺されていた。イギリス側が倉庫を爆破しようと決意していると思われていて、その種の試みが何度か砂丘の諸処で行なわれており、この点、まったく疑う余地がなかった。だから、われわれには絶えず警戒の枠をひろげる強い理由があった。
一夜、私が警備当番だったが、一発の銃声で、はっと眼がさめた。ただちに、すべての哨戒所に歩哨が立った。私は、いつものように急いで歩哨を交替しに行った。彼は新兵だったが、その勇敢なことを大いに買っていた。何があったのかと尋ねたところ、その返答から察してワケもなく怯えたことがわかった。しかし、私は、元は古い教会だった弾薬庫のまわりを走って付近を入念に点検した。なにも見つからず、人の足跡はなかった。よし、敵影なしだ、と信じて営倉行きだぞと新兵を叱った。とはいうものの、警備隊への戻り道で、あらためて質問したところ、こんどの彼は断固たる口調で何者かを見たと言い張り、詳しく聞いてみると、どうやらカラ怯えをしたのではないと思えてきた。胸騒ぎがしたので隊を出て、もういちど弾薬庫へ行ってみた。戸が細目に開いていた。そいつを押して入口のところから見ると、暗いはずなのに二列に高く実包箱が積んである間を弱い明かりが反射していた。私は、通路のようになっている箱の列のあいだにさっと入りこんだ。端まで行って、見た……端っこの箱の山から一つだけずらした箱の下に灯りをつけたランプが置いてあり、その焔が箱の樅材にとどいて、早くも樹脂の匂いがひろがっている。一瞬の猶予もならなかった。すかさずランプを消して箱を元の位置に戻し、小便をかけて火元を消した。まったくの闇になったが、それがかえって際どいところで大事を防いだことの証明になった。だが、匂いが完全に消えないうちは心配だったので、それを待って引き退った。放火犯人は誰か? 私にはわからなかったが、ただ、その男が心の中で次第に強く推測されてきた。倉庫係を疑った。真相を知るために、すぐに彼の宿舎へ出向いた。女房だけがいて、用事があってブーローニュへ戻ったが、今日は泊まって明日の朝に帰ると言った。では、弾薬庫の鍵を出してくれと頼んだところ、みんな彼が持って行っていた。この鍵の持ち出しで、彼が犯人だと確信したが、それを報告する前に、彼が戻ってくるかどうかを確かめるために十時間の猶予を置いた。いっぽう、その同じ日に在庫検査を行なった結果、彼が倉庫ぐるみ灰にしてしまおうとしていたことが判明した。大量の盗みを犯したことを隠す独特の方法である。この男の行方が不明のまま四十日がすぎたが、麦刈りの人たちが彼の死体を麦畑でみつけた。そばに拳銃があった。
弾薬庫の爆発を防いだのは、咄嗟《とっさ》の機転であったが、その褒賞として昇進し、私は軍曹になった。司令官の将軍に呼ばれ、よしなに大臣に伝えると約束してくれた。そこで、こう覚悟をきめた。どうせ自分は股旅暮らしだと納得しているんだから、わが道を行きたいなら、ヴィドックの悪いくせをルベル〔前章参照。ヴィドックは死亡した私掠船員ルベルになりすまして入隊して伍長になった〕に出さないようにとくに気をつかい、ブーローニュで生活品の配給を手伝う必要があるときなどは、まったく別の召集兵になったつもりでいれば申し分のない国民になれるだろう、と。そのくせ、町へ行くたびにベルトランに代わって剣を交じえた竜騎兵隊の曹長を訪ねた。あのときは、べつに頼まれたわけではなかったが、ベルトランを助けてやらねばと思った。ところで、こうして曹長を訪ねているうちに一日じゅう酒盛をやったりして、心にもなく自分の更生計画に背いていく私だった。
上院議員の伯父さんだという人の援助金を受け継ぐことが決まったと言って、昔の徒刑場の仲間だった曹長どのは、たいへん快適な生活を送っていた。一家の息子の資格でもらえる信託金は無制限に近いものだということで、ブーローニュの大金持も彼ほど高く尊敬を受けた者はいなかった。下心がある父親たちは誰もが彼を婿にしようと願い、その娘たちは選《よ》りどり見取りだった。また彼は、自分の好きなときに誰彼の財布をハタかせる特権のようなものを持つようになったが、すべてこれ、彼に気に入られようとする人たちであった。大佐なみの供の者や、犬や馬や召使いを持っていた。大物らしい口調や動作をよそおい、人を煙にまいてお高く取りすます最高の技《わざ》を心得ていた。そして、ふつうは、肩章がもつ特権をバカみたいに嫉む将校たち自身が、彼に威圧されているのがごく自然だと感じるところまで来ていた。さらに、ブーローニュでは、この快男児がペテン師で、言うなれば無教育な男だということに気付くのが遅すぎた。とにかく、ごく最近に中産階級になって、あいかわらず服装だけで立派な人物だと思ってしまう市民のあいだでは、人をだますのはチョロイものだった。
フッサールというのが曹長の本当の名で、徒刑場ではイポリットという名でしか知られていなかった。たしか、低部ノルマンディ出身で、いかにも率直な見てくれと明るい顔立ち、おっちょこちょいな若者らしい軽薄な感じで、ドンフロン〔低部ノルマンディーにある現在のオルヌ県アランソン郡の一邑〕の住民を悪く言う、いわゆる抜け目のない性格をしていた。一言で言うと非行少年で、他人に信頼の念を起こさす狡い手だてをトコトン知りつくしていた。彼の田舎の猫の額ほどの土地も多くの悪事をするエサ場になり、隣人を破産させる運命の糸口になった。だが、イポリットは無一物だったので、相手は訴訟しても仕方がなく、彼は、しぜんに詐欺師になり、次はニセ物作り、次は……と、あとは推して知るべしである。何が起こるか、私には予測できなかった。
私が町に来るたびに、イポリットは御馳走をしてくれた。ある日、食事の終わりに言うには、
「おれが貴様に惚れこんどるのはわかっとるな。田舎で食うや食わずの乞食暮らしをして、一日に二十二文ぽっちのポタージュにありつく。そんなチンケな暮らしなんざ、とてもじゃねェ。おれだったら死んだほうがマシだ。だが、貴様は、こっそり勤め(山をふむ)ができる。べつに金ヅルもねェんだろう」
私は、今の給料で十分であり、食べて着て、なんの不足もない、と答えると、
「ずうっと前から、ここにゃ盗賊団がある。『月の軍団』のこたァ聞いとるだろう。仲間に入るんだ。承知なら儲け仕事を世話するぜ。サンレオナール界隈を荒すんだ」
裏切られる
私は、『月の軍団』が極悪人の集団で、幹部連中は警察の捜査から巧みに遁《のが》れていることは知っていた。これらの悪党どもは、各地の連隊から半径四十キロ以上のところで殺しと盗みを働いていた。夜になると、かれらは、野営地をうろついたり街道で待ち伏せしたりして、ニセの巡邏《じゅんら》やニセの哨戒をよそおい、これはと思うカモなら誰でも網にかける。正規の勤務だと信じこませるために、いつでも、あらゆる階級の制服を適当に用意している。必要に応じて大尉や大佐や将軍に化け、正しい合言葉の問いと答えを使いわける。おそらく、参謀部にいる仲間が十五組の合言葉を内通していたのであろう。
こうしたことを知っていたので、イポリットの申し出は、けっこう私を怖がらせた。ひょっとすると、彼は『月の軍団』の幹部かもしれない、それとも警察の秘密工作員で軍団の壊滅を画策しているのかもしれない。おそらく、そのどっちかだ……わが運命の糸が、またも縺《もつ》れてくるぞ……リヨンでのように煽動者を密告して事態を切り抜けるしかないのか。だが、イポリットが密偵だった場合、密告するのが得策だろうか? そこで、私は、自分は堅気でいたいと心に決めているからと、きっぱりと言って彼の申し出を断った。すると、彼が、
「おれが冗談かましてるたァ思っちゃいねェよな。マジに考えてくれ。そういう気持でいるたァ、貴様、見上げたもんだ。おれだって同じよ。まっとうな道に戻ったんだが、今は抜けられねェんだ」
と言って、話題を変え、それ以上『月の軍団』のことは口にしなかった。
八日後に彼と会ったが、いきなりイポリットは前言を取り消した。ちょうど、そこを通りかかった私の隊の大尉が武器を点検すると言い、私の装具にシミがある、二十四時間の営倉入りだと難癖をつけた。そのシミなるものは、眼を皿のようにして見つけようとしたがムダに終わったのだが、なんとしても、その場を切り抜けられなかった。なにはともあれ、私は有無を言わさず野営地の警備係に出頭させられた。二十四時間、そんなものはたちまちすぎてしまう。明日のお午《ひる》には罰は消える……朝の五時に馬の足音が聞こえ、すぐに次の対話が交わされた。
「誰か?」
「フランス軍だ」
「連隊は?」
「帝国憲兵隊だ」
この憲兵隊という言葉に思わず身ぶるいした。とつぜんドアが開いて、ヴィドックはどこだと叫ぶ声がした。営倉にいるタチのよくない連中のド真ん中で、この名を不意に言われ、その瞬間、びっくりしなかったと言ったら嘘になる。
「さァ、来るんだ」
憲兵班長が怒鳴り、逃がさないように用心ぶかく私を縛りあげ、さっそく衛戍《えいじゅ》監獄へ連行して監房のベッドに放り出した。見ると、大勢の親しい仲間がいて、私が入っていくのを見て、声なまりでピエモンテ人とわかる砲兵隊の兵士が声をあげた。
「言っちゃなんだが? どこの隊からも、ここに来るやつがいるもんだなァ……」
「ああ、そうだ、ごらんのとおり罪人が一匹来たぜ。首を賭けてもいい、おれは、あの竜騎兵曹長の悪党にハメられたんだ。あん畜生、ぶちのめしてやらにゃ」
こう私が言うと、大勢の新入りらしい中から二番目の囚人がしゃしゃり出て、
「ほォ、だったら、やつを探しなよ、その曹長を。だが、やっこさん、その後ずうっと逃げているとすれば、今じゃかなり遠方へ行ってらァ。あいつがトンズラしたのは先週だったもんな。やっぱり、ぶっちゃけた話だが、なァみんな、あいつは古狸さ。三カ月もたたねェうちに町で四万フランも借金をしてるんだからな。そういうタマなんだ、やつに幸《さち》あれだ! それに、あいつがこさえたガキは……だとは思いたかァねェが……娘六人を孕ませ、町でも指折りの金持の家のだ。おなごどもはアンヨで神さまをからめたつもりだったんだが……たっぷりお恵みがあったってわけだ……」
私の寝床の世話をやいていた番人が、
「さよ、そのとおりや。あん人は派手やったもんな。気ィつけなはれ、あんなん、のさばらしとうてはあかんで。でもなァ、こんどは脱走兵になったんやから、いまに、つかまるで」
私が口をだした。
「逃がさんようにしてくれなくちゃ。ベルトランを捕まえそこなったみたいに捕まえそこなうかもしれん」
ピエモンテ人が、
「やつをとらまえたら、ギロチンかけにトリノ〔ピエモンテ地方の中心地〕に行かせてくれないかなァ? ほかのところでもいい、ぜったいにやりたい、おれの首を切られても……」
すると四番目の質問者が、
「へー、ならば、やつは、お前さんの笠の台と一緒なら自分の首を切られてもいいと言っとるんかい? わしらは囚人になったんだ。元には戻れん」
そうだ、やつの首が誰に切られようが構やしない。こいつの言うとおりだ。それに、当て推量で、あれこれ言っても始まらない。『月の軍団』一味を密告したのは彼だとしても、私の逮捕を仕掛けたのがイポリットだということは知られないほうがいい。あいつにきまっている。私が脱走徒刑囚だと知っていたのは彼一人だったからだ。
いろいろな兵種の大勢の軍人が、心ならずも定員いっぱいに同じ獄房に詰めこまれ、『月の軍団』の幹部たちも一かたまりになっていた。小さな町の牢獄に落ち目になった人間が、そんなに集まったのは珍しいことだった。牢名主《プレヴオ》、つまり獄房の古参はルリエーヴルという男で、三年前から死刑を言い渡されている哀れな兵士だったが、生きのびたい一心から絶えず執行猶予が満期になるのをアテにしていた。令状更新を求められた皇帝は寛大な恩赦をあたえたのだが、その赦免が未確認のまま、効力発生に必要な公文書が法務大臣に送達されておらず、ルリエーヴルは、あいかわらず禁錮状態を続けていた。この不幸な男のためを計って当局がしてくれたことは、もういちど皇帝の注意を彼に向けさす機会をつくる時まで刑の執行を停止することであった。この、ぜんぜん自分の運命がアヤフヤな状態で、ルリエーヴルは、自由への希望と死の恐怖のあいだをただよい、希望を抱いて眠り、死におびえて眼を覚ました。毎晩、明日は出所かと思い、毎朝、銃殺されるのを待った。やたらと陽気になったかと思うと、むっつりして物思いにふけり、片時も心の安らぎがなかった。トランプ遊びをしていても、勝負の最中に不意にヤメたと言いだし、カードを投げだし、おでこを拳骨でたたき、気がふれた者みたいに暴れだして五、六回も飛び上がり、あげくの果ては、おんぼろベッドに身を投げて腹ばいになり、気落ちして何時間もじっとしていた。病院は、ルリエーヴルの憩いの家で、うんざりした気分でないときは、アレクサンドリーヌ尼の慰めを求めに行き、彼女は、心から献身的に不幸な人々をいたわってくれるのであった。この思いやりのある若い尼さんは、囚人に深く同情していて、彼は正に同情の的になっていた。というのは、彼は犯罪者でなくて犠牲者で、往々にして軍法会議がコジつけの確信をでっち上げるが、そういう不当な解釈の結果として彼が逮捕されたのであった。ある混乱を緊急に鎮めるために作りだされた犯人を前にすると、裁判官の良心や人道精神も沈黙せざるを得なくなる。ルリエーヴルは、悪徳に同化しないごく少ない人間の一人で、ひどく不純な者たちと接していても自分の道徳性が危なくならない男だった。牢名主、つまり看守代行の役目を本当の司法官職をあたえられているかのように公正に果たした。彼は、けっして新入りを脅すようなことはせず、拘留者が守らねばならない規則を説明するにとどめ、拘束された最初のショックに堪えられるように心がけてやり、彼が取りしきる獄房の誇りのようなものを作りあげた。
囚人たちから尊敬と愛着を持たれていた別の人物がいた。みんながデンマークと名をつけたクリスチールンで、フランス語が話せず身振り手振りでしか通じなかったが、頭のよさで相手が思っていることを判断した。悲しげで考えぶかく好意的な風采に気品と無邪気さと侘《わび》しさが混じりあい、それらが一緒くたになって人をひきつけ感動させた。水兵服を着ており、手際よく整えた長い黒髪、ふさふさした巻き毛、真っ白い下着類、おっとりした顔色や動作、きれいな手、こういうものからも、かなり上流の出の人間であることがうかがわれた。ときどき唇に笑みを浮かべるクリスチールンは、深い悲しみにとらわれている様子だったが、それを内に秘め、どういう理由で投獄されているのかは誰も知らなかった。しかし、ある日、彼は呼び出された。ちょうど水夫の素描《デッサン》をガラスの上から火打石の尖でナゾって写していたときで、それが彼の唯一の気晴らしだった。ときには女の肖像を模写して似た画を作るのを楽しみにしていた。われわれは彼が出て行くのを見た。やがて、彼が連れ戻され、房の戸が閉められると、彼は、すぐに革袋から祈祷書を取りだして熱心に読みはじめた。その夜、彼は、平常どおり翌朝まで眠ったが、太鼓の音がして分隊が監獄の庭に入って来たのがわかると、大急ぎで服を着て、ベッド仲間のルリエーヴルに時計と金を渡し、いつも胸にかけている小さなキリスト像に何回も口づけをしてから、われわれの一人一人と握手した。その場に立会っていた看守がたいへん感動して、クリスチールンが出て行くと次のように言った。
「銃殺されるんだ。分隊は整列している。十五分以内に彼の苦しみもなくなる。まァ、不幸な人の話も少しは聞きな。あの水兵は、お前らがデンマーク人だと言っとるが、ダンケルクの生まれでね、本名はヴァンデアモットというんだ。軍艦『つばめ』に乗っていて、イギリスの捕虜になった。ほかの捕虜と一緒に平底の幽囚船に放りこまれ、よごれた空気を吸い腹がへってフラフラになっていたら、東インド会社の船に乗るなら墓穴のような幽囚船から出してやると言われてヴァンデアモットは承諾した。ところが、その船が帰りの航海でフランスの私掠船にとっ捕まり、彼は、ほかの乗組員と一緒にブーローニュに連れて来られた。ヴァランシェンヌ〔現ノール県の一邑〕へ移送されるはずだったが、通訳が出発間際に質問したところ、その返事から英語になじんでいないことがわかった。たちまち怪しいやつだと疑いをもたれた。やっこさんは、デンマーク国王の臣民だと強調したが、その主張を裏付ける証拠は何もなかったんで、白黒がはっきりするまでは俺んとこに残しておくことになった。こうして何カ月かすぎて、どうやらヴァンデアモットのことは忘れられそうになっとった。そこへ二人の子供を連れた女が監獄に出頭して来てクリスチールンに面会を求め、やっこさんを見ると大声をあげた。
『あなたっ』
『坊や、おまえっ』
女房と子供の腕の中に飛びこんだんで、俺はクリスチールンの耳に低い声で言ってやった。
『気いつけろ。俺一人だけたァ限らんぞ』
やっこさんに用心するように約束させたが、手遅れだった。つまり、こういうことだ。やつが女房に手紙を出したところ、亭主が死んだものとばかり思っていた女房が、その便りを見て喜びのあまり手紙を隣り近所の連中に見せた。その中に彼を密告した弥次馬どもがいたんだ。かわいそうに。そいつらが今日やっこさんを死に追いやったんだ。軍艦『つばめ』の前に彼が乗っていた船は戦いもせずに曳航されたが何基かの古い小型砲で武装していた。このため、彼は祖国に背いて武器を持ちだしたとして密告されていた。
「法律が不当なもんだってことがわかるだろう」
「ああ、そうだとも、法律って不当なもんだ」
その場にいた大勢の者が同じことを繰り返し、ベッドのまわりに集まってトランプをしたりシェニク酒を飲んだりし、コップを回し飲みをしていた一人が、
「オイ回せよ、おやじさんに飲ませろよ」
と言うと、看守の話に茫然となっているルリエーヴルに気付いた二番目の男が腕をのばして、
「さァ、どうぞ、戸惑っていなさるんじゃねェでしょうな? 今日は、あの人、明日は、あっしらの番でさァ」
こうした対話が、おっそろしく長々と続き、悪どい冗談に落ちるところまで落ちた。そして、とうとう、太鼓と横笛の音が、あちこちで繰り返しては響く川の音のように聞こえて、野営地に戻る行進を始めた銃殺隊が離れていくのがわかった。牢獄が、数分のあいだ陰気な沈黙につつまれた。みんな、クリスチールンが彼の運命に従ったものと思った。ところが、彼は、今はの際の目隠しをされて跪《ひざまず》いたとき連隊副官が駈けつけて来て一斉射撃の合図を取り消し、囚人は、ふたたび娑婆の光を見た。彼は妻子のもとに帰されることになったのだ。家族の哀願書を受けとったブリュン元師〔ギョーム・ブリュン(一七六三〜一八一五)、白色テロに暗殺された〕が命の恩人になったのであった。だが、いちおう獄房に戻されたクリスチールンは嬉しそうではなかった。みんなは、すぐにも自由の身になれるぞと言ってやり、彼に恩赦を賜わるようにという元帥自身の名で皇帝に懇願した請願書は、ちゃんとした根拠にもとづく思いやりのあるもので、どう考えても、それが通らないはずはなかった。
野営地の魔術師
クリスチールンが戻ってきたことは、みんなで祝ってやる出来事でないはずはなく、命びろいをして帰ってきた彼の健康を祈って飲み、さらに六人の新入りの到来を大々的に歓迎し、それも手伝って一段と喜びを盛りあげた。かれらの大半は、私がポーレ船長の私掠船に乗っていたとき知り合った連中で、イギリスの海軍大尉から強奪して拿捕《だほ》した船に放置したのが戦時法の違反で罰せられて、数日間の拘置になってきたのであった。かれらは返還を強制されていなかったのでイギリスのギニー金貨を持っていて大っぴらに使った。みんな大満悦で、牢番などは、金の雨のオコボレまでも頂戴して新規のお客さんが気に入って監視の喜びをなおざりにするていたらく。だがしかし、われわれの房には極刑を宣告されている者が三人いた。ルリエーヴル、クリスチールン、それにピエモンテ人のオルシノ。この男は密輸団の頭目だったが、アレッサンドリア〔イタリア、ピエモンテ地方の農工業の中心地〕近くで、フランスに派遣される新兵部隊に潜りこんで兵士になりすまし、善意の脱獄囚と言われてきた。オルシノは、フランス軍旗の下にいるようになると申し分のない勤務ぶりを示したが、そうやって図々しく身を隠していたのであって、トリノで落ちるはずだった彼の首には賞金がかかっていた。ほかの五人の囚人も重罪の起訴の重荷を背負っている者ばかりで、まず四人の警備艇の水兵、二人のコルシカ人と二人のプロヴァンス人は、農婦を殺して金の十字架と銀の耳輪などを奪った罪に問われていた。五人目も他の連中と同じように『月の軍団』員だったが、彼には不思議な能力があるとされていた。兵隊どもが言うには、遁甲の術を心得ていて姿を消す力を持っており、自由自在に変身し、遍在の天才があるという。言うなれば、彼は魔術師で、すべてこれ即興の物真似太郎の道化者、皮肉たっぷりな大法螺吹きで、その場その場でゴマ化しをやって巧みにネタ箱をあやつっていた男だった。このような在監者を相手にした看守たちの誰もが特別な注意を払い、われわれの看守も、私たちを凄腕の手だれ者としか見なさず、こちらにおべっかを使った。だから、袖の下しだいで何でも言うことを聞いてくれて、こちらが彼とさようならをしようと思っているとは夢にも考えていなかった。これは、ある点まではもっともな次第だった。というのは、ルリエーヴルもクりスチールンも、これっぽっちも脱獄しようなんて考えていなかったし、オルシノもあきらめていたからだった。警備艇の水兵たちは、悪いようになるとは思っていなかったし、魔術師は証拠不十分をアテにしており、私掠船の連中は、いつも陽気にワイ談の花を咲かせ、メランコリなんかになるどころではなかった。私は、自分ひとりで計画を練った。しかし、ずばり見抜かれないように呑気に構えていて、いかにも監獄が性に合って水にいる魚のようだと誰もが信じるように仕向けた。クリスチールンが生きて戻ったお祝いのときに一度しか酔わなかった。その夜は、みんなイビキをかいて眠っていたが、朝の二時ごろ、ひどくノドが渇き、からだがほてった。起き上がって、半分寝呆けたまま十字窓のほうへ行って水を呑もうとし、とんでもない勘違いをしてしまった。水差しを呑まないで便器の中身を一気に呑んだことがわかった。てきめんに腹が痛くなり、昼間になっても、ひどい胃の痛みが鎮まらなかった。ときに、牢番が入ってきて作業を始めろと号令をかけた。外気に当たる機会でもあり、気分もおさまるだろうと思い、当番の私掠船員に代わってやろうと申し出て、そいつの服に着替えた。庭を横切っていたら、外套を腕にかけた知り合いの下士官に出会った。見世物小屋で騒動を起こして一カ月の禁固になったので自分から収監されに来たと言ったので、
「だったら、この際、今すぐから作業をしてくれよ。ほら、バケツだ」
と頼んだら、下士官は気安く承知してくれたので、彼が作業にかかっているあいだに、こわごわ見張番の前を通ったが、べつに私に気をとめなかった。
監獄の建物を出ると、すぐに野原のほうへ飛ぶように駈けだし、小さな溝の谷にかかっていた煉瓦の橋の上で立ちどまり、ちょっとのあいだ追手の裏をかく方法を考えた。はじめはカレーへ行くつもりだったが、悪い予感がしたのでアラスへ戻ることにした。その夜は漁船の水揚げ人足の宿場になっている農場小舎のようなところへ泊めてもらいに行った。私より三時間後にブーローニュを出たという連中の一人が、全市をあげてクリスチールンの処刑を悲しんでいたと教えてくれた。
「なんでもハァ、こう言うとっただ、皇帝野郎の恩赦ば待っとったが、銃殺すべしつゥ電報がきたんだと……いつどは危ねェとこを助かったんだが、今日はやられちまっただ。はずめの鉄砲のあとで、起きべいとしてな、許してくれっ、許してくれっ、と頼む声を聞くなァ哀れだったつゥこんだ。うしろにおった犬こがタマさくらってキャーン、魂が抜けたなァ、あっという間のこんだったが、ま、運命つゥやつだんべ」
この、魚の水揚げ人夫が語った報せは、私を深く悲しませたが、クリスチールンの死が脱走気分の転換になった。そんな話は他人事なような顔をし、まだ世間には私の名が評判になっていないことを知って大いにほっとした。無事にベチュヌに着き、軍隊にいた昔の知人に泊めてもらいに行った。たいへん快く迎えてくれたが、用心に越したことはない、いつ何が起きるかわからないと思って、別の友だちの好意で一夜の世話になった。ところが、その友人は新婚ほやほやで、すっかりアテられっぱなしまではよかったが、彼の女房の弟というのが反体制派で、ナポレオン帝国の栄光なんざ糞くらえ、平和のためだけに心の臓が鼓動している男だという。その結果、当然のことながら、私が泊めてもらった住居や若者の両親の家などには、毎度のように憲兵さまが御訪問あそばされるとのことだった。こいつらが、まだまだ夜が明けるには間がある時刻に友人の家に押し入ってきて、眠っていた私をたたき起こし、身分証を見せろとせっついた。だが、そいつらに見せる通行証などあろうはずもなく、なんとか言い訳をしようとしてシドロモドロになっていたら、ちょっと前からヤケにじろじろ私を眺めていた憲兵班長が、ふいに大声をあげた。
「まちがいない。やつだ。このオトボケ野郎はアラスで見たことがある。ヴィドックだ」
起き上がらざるを得ず、十五分後にはベチュヌの監獄にぶちこまれていた。
ここで、もっと先へ飛ばして、私がブーローニュに残してきた囚人仲間がどうなったかを知っていただいても、たぶん読者のみなさんは怒られないと思う。今からすぐ、すくなくとも数人については、みなさんの好奇心を満足させてあげることができる。クリスチールンが銃殺されたことは述べた。いいやつだった。おなじくお人好しのルリエーヴルは、一八一一年まで希望と不安を続けたが、このアレコレ男にチフスがケリをつけた。殺人犯だった四人の警備艇の水兵は、ある晴れた夜に釈放されてプロシアに送られ、そのうちの二人はダンチッヒの城壁の下で十字勲章をもらった。魔術師も裁判なしで釈放され、一八一四年、コリネという偽名でウェストファリヤ〔今日の西ドイツ、ボンなどがある地方〕連隊の兵站《へいたん》部付きの将校になり、金庫の金の持ち逃げをたくらんで、急いで金を預け入れようと一目散にブルゴーニュへ向かったが、フォンテーヌブローの郊外でコサック部隊のドまん中でとっ捕まり、持ち金そっくり献上する羽目になり、それが彼の最期の日で、槍の一突きで殺された。
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二〇 アネットとの出会い
無益な脱走
ベチュヌには長くいなかった。逮捕の翌日すぐに、ものものしい護衛付きでドーエに送られた。
ドーエの監獄の中庭に足を踏み入れたとたんに、たびたびの脱獄で私に腹を立てていたローソン首席検事が格子門のところに現われて叫んだ。
「ふむ、とうとうヴィドックが着いたか。鉄枷は付けてあるな?」
そこで、私が、
「ああ、ムッシュ、そんなに悪く思われるようなことをしましたか? 何回も脱獄したからですか? そんなにたいへんな罪なんですか? 私にはたいへん値打ちがある自由を悪用したことがありますか? 捕まったときは、いつだってまっとうな暮らしをたてようと一所懸命だったじゃないですか。ああ、私は罪人というより運が悪い人間なんです。私を可哀そうだと思って下さいな。哀れな母親を不憫だと思って下さいな。また徒刑場に戻らなきゃならんことになったら、お袋は死んじまいます」
この言葉と実《じつ》のこもった声の調子がムッシュ・ローソンに何らかの感銘をあたえたらしく、その晩、またやって来て、ツーロンを脱走してからの私の生きざまについて長々と質問した。私は、自分の言葉を裏付けるために動かぬ証拠を挙げたので、彼は、いくらか好意を見せはじめた。
「何を考えているんだ? 恩赦とか、せめて減刑でも願い出るつもりかね? 法務大臣に話してみよう」
私によかれと思ってくれる司法官の好意に礼を言った。その日すぐに私に心からの同情を寄せてくれたドーエの弁護士、トマ氏が訪ねて来て、親切にも請願書を作成してくれて私にサインさせた。
妻の再婚
請願書の返事が来るのを待っていた。そんなある朝、文書課に呼びだされた。てっきり大臣の決定が伝達されるものと思った。早く知りたくて、吉報を聞きに行く人のように大急ぎで牢番の後について行った。首席検事がいるだろうと思っていたら、なんと、眼の前に現われたのは私の妻だった。知らない二人の男が同伴している。面会の目的は何だろうと頭をひねったとき、マダム・ヴィドックが、あっさり言ってのけた。
「離婚の判決を知らせに来たのよ。こんど結婚することになったんで、ちゃんと正式の手続きをしておかないとね、それに、あんたに判決を読んで聞かせる執行吏さんも来てるわ」
釈放命令は別として、この結婚の解消は最高に喜ばしい報せだった。これでイヤな女を永久に厄介ばらいできる。だが、あまり喜びを見せてはいけなかったのだが、きっと顔に出たにちがいなかったと思う。嬉しくなる理由《わけ》は大ありだったから、その場に悪妻を引き継いでくれる男がいたら、彼のものになるお宝に私がまったく未練をもっていないとわかって結婚をやめたかもしれなかった。
ドーエでの牢屋暮らしは、おっそろしく長びいた。たっぷり五カ月も暗いところにいたが、パリからは何も言って来なかった。検事はたいへん同情してくれたが、不運な人間は疑りぶかくなるものだ。検事は、徒刑場行きのクサリ行列の出発まで私に脱獄を考えさせないために空手形で釣っているのではないかと疑いはじめた。この考えにハタと思いあたって、またもや私は熱心に脱獄計画を練ることになった。
ヴェッチュという看守は、もう私が恩赦を受けたものと考えて、それなりの配慮をしてくれていた。なんども小部屋で差し向かいで食事をした。その小部屋には一つしか十字窓がなく、スカルプ川に面していた。鉄格子もついていないその窓を利用すれば、いつかある日、食事のあとで失礼してさようならをするのはやさしいと思った。肝心なのは変装用の服を手に入れることで、それさえあれば、いったん外へ出たら追手の眼をくらますことができる。そこで、何人かの信頼している仲間に頼んでおいたら、お誂え向きに軽砲兵大尉の制服が手に入ったとのことで、次のチャンスに使ってやろうと心に決めた。ある日曜の夜、看守と廷丁のユルトレル〔ヴィドックとは面識の男、第六、十三章参照〕と一緒に食事をした。むりやり、どんどん瓶を空けさせたので、旦那がたはボーヌワインでいい気分になり、ユルトレルが言った。
「なァ、おあにィさんよ、あれから七年になるなァ。ここにお前を入れるなァ利口じゃないかもしれんな。窓に格子もねェんだからな。まったく、安心してられねェからな」
「だったら、ユルトレルとっつぁん、からだがコルクでできてるんでもなきゃ、こんな高いところから飛びこもうなんて気にゃなれねェよ。だいいち、泳げないやつにとっちゃ、スカルプ川は深すぎるわ」
「だとも」
と看守がうなずき、話はそこまでだったが、こちらの肚は決まった。やがて仲間たちがやって来て、看守はカード遊びを始めだした。彼が勝負に熱中している時を狙って、私は窓から川に飛びこんだ。その音で、現場にいた連中が窓に駆けより、いっぽうヴェッチュは、大声をあげて衛兵と牢番を呼んで私を追わせた。幸い、夕暮れどきだったので物の形がさだかでなかった。それに、わざと岸に投げておいた帽子にだまされて、すぐに私が川から上がったものと思い、そのあいだに水門の方角へ泳ぎつづけ、やっとの思いで下をくぐり抜けた。寒さに凍えて力がつきてきた。川が町を離れると、すぐに陸に上がった。服は水びたしになり、ずっしりと重かったが、それでも走りつづけてアラスから八キロのところにあるブランジ村に着くまで立ちどまらなかった。朝の四時だった。カマドに火を入れていたパン屋が服を乾かしてくれて食べ物をくれた。人心地がつくと、すぐまた歩きはじめてデュイザンへ向かった。そこには友人だった元船長の未亡人が住んでいて、仲間がドーエで手に入れてくれた大尉の制服を急行便で届けてくれることになっていた。そいつを受け取るが早いかエルサンにいる従兄の家へ行ったが、そこには二、三日しかいなかった。いろいろなヤバい話がたいへん巧い具合に耳に入ったので立ち退《の》くことにした。警察が、その地方に私がひそんでいると確信して犯人の狩り出しを命令しようとしているとのことだった。もちろん、私の逃走経路の手配も抜かりはあるまい。私は、逃げきってやろうと肚をきめ、ぐずぐずしてはいなかった。
パリだけが逃げ場所だということは初めからわかっていた。だが、パリへ行くには、いったんアラスに戻らねばならず、あの町を通ったら必ず見つかってしまう。そこで、その困難を切り抜ける方法をじっくりと考えた。ここは慎重にやるべきだと思い、従兄の柳の二輪馬車〔車体が柳の枝でできている〕に乗ることにした。彼は一頭の駿馬を持っていて、そのあたりの裏道の知識にかけては第一人者だった。おれは評判どおりのピカ一の道案内だ、お前が生まれた町の城壁を巧く回ってやっからな、まかしとけと胸をたたいた。そのほかは、やってもらわなくてよかった。あとは変装まかせだ。そこで、よほど近く寄って見ないとヴィドックとはわからないように変装した。だから、ジィ橋まで来て、宿屋の前に八頭の憲兵の馬が繋がれているのを見ても、あまり怖いとは思わなかった。憲兵と出会っても、うまく通り抜けられると思っていたのが本音だった。だが、その出会いは真っ正面からのものになった。窮地を脱するには正面きって立ち向かうしかない。私は従兄に言った。
「さァ、ここは一番、度胸を決めなくっちゃ。降りろ、早く、早く。なんか注文するんだ」
すぐに従兄は降りて、憲兵なんか屁とも思わない肝っ玉野郎といった態度で宿屋に入って行った。すると、憲兵たちが、
「オイ、コラ、乗せてるのは従弟のヴィドックか?」
「かもな。見て来な」
従兄は笑いながら答えた。
一人の憲兵が、じっさいに馬車に近づいてきたが、疑うというより単なる好奇心からの行動のようだった。私の制服を見たとたんに、うやうやしく帽子に手をやって、
「今日は、大尉どの」
と敬礼して、すぐさま仲間たちと馬に乗った。
「ごきげんよろしゅう。あの野郎をふんづかまえたら知らしてくんなせェよ」
鞭を鳴らしながら従兄が大声をかけると、分隊長の軍曹が、
「さっさと行け。隠れ家はわかっとるんだ。命令はエルサン行きだ。明日の今頃はブチこまれとるさ」
私たちは無事安泰に道中をつづけたが、ふと心配になりかけたことがあった。将校バッジが言いがかりの種になるかもしれない。というのは、プロシアとの戦争が始まっていたので、士官の姿は、あまり国内では見られず、せいぜい負傷して後送された者くらいしかいない。そこで、腕を包帯で吊り、戦線離脱の場所はイエナ〔現在の東ドイツにあり、一八〇六年ナポレオン軍がプロシア軍を敗る〕ということにした。もし尋ねられたら、何月何日だったとか、公報で読んだ詳しい戦闘の経緯だけではなく、じっさいに参加した者、しなかった者たちから聞いた虚実とり混ぜの体験談から集めた話を山ほど用意していた。要するに、私はイエナの戦いには詳しく、事情を知っている者にでも話をしてやることができ、私以上に知っている者はいなかった。だが、こうした芝居もボーモンまでで、その後は完全に縁切れになった。一日半で百四十キロも走った馬の疲れを考えて、ボーモンに泊まらなくてはならなかった。ところで、宿屋に話をつけてしまったあとで、一人の憲兵軍曹が、まっすぐ竜騎兵隊の士官のところへ行って携行書類の提示を求めているのを見た。そこで、私は、自分から軍曹に近づいて、なんでそんな用心をするのかと尋ねた。すると、彼は、こう答えた。
「ハイ、大尉どの、旅行許可証を見せてもらい申しました。全国民が武器ばとって戦うとる非常時に、五体満足な士官がフランス国内におるちゅうはずがごわさん」
「まさにその通りだ、きみ、任務は厳格に果たさねばならんからのう」
こう私は言うと同時に、私が正規な旅をしているかどうかを確かめる気を起こされないように、彼を夕食に招待した。食事しているうちに、すっかり信用されるようになり、パリへ行ったら勤務地を変更してもらえるように世話して下さらぬかとまで頼まれた。そこで、何もかも承知してやったら相手はニコニコ。おれの絶大な信用や、もっと信用のある他の人の力を使って役に立ってやるからと言ってやった。口先だけならケチるには及ばない。それはともかく、徳利が、みるみるうちに何本も空になり、お客さんは、どんぴしゃりの後援者に感激し、でき上がった酔っぱらいのクダを巻きはじめた。ちょうどそのころ、一人の憲兵がやって来て至急便を渡した。軍曹どのは、あぶなっかしい手つきで帯封を破って読もうとしたが、もうろうとした眼では、とうていムリで、代わって読んでくれませんかと私に頼んだ。通達書を開く。いきなり眼に飛びこんできたのは、
――アラス憲兵隊。
という文字だった。私は、さっと眼を通した。それは、私のボーモン通過を知らせたもので、『銀獅子』便の乗合馬車に乗ったに相違ないと付記してあった。困ったなとは思ったが、人相書を違ったふうに読み上げた。
「よか、よか。馬車は明日の朝にならんと通らんとです。そいつば押さえればよかたい」
生まじめで警戒きびしい軍曹どのがのたまい、新規まきなおしで飲みたがったが、気ばかりが逸《はや》っても本体がついていかない。寝床へ連れて行ってやらなきゃならないていたらくで、居合わせた人々が呆れかえり、怒りをこめて何度も言った。
「軍曹ともあろうもんが、階級があるもんが、このザマたァなァ」
この階級があるもんの目覚めを待っていなかったことは申すまでもない。五時にボーモンから乗合馬車に乗り、その日のうちに何事もなくパリに着いた。ひきつづきヴェルサイユに住んでいたお袋がやって来て再会した。私たちは城外のサンドニで数カ月を暮らしたが誰とも付き合わなかった。ただし、ジャクランという宝石商には、ある点まで内輪の事情を話さねばならなかった。彼は、ルーアンでブロンデルと名乗っていた私を知っていたからだ。このジャクランの家でアネットという婦人に会った。私は、この女に生涯で最高の愛情をささげることになる。アネットは、私は、そう呼んでいた、とても美しい女で、夫が悪事を働いたあおりで彼に捨てられ、夫はオランダに逃げ、それ以来ずうっと何の便りもないという。だから、アネットはまったく自由の身になっており、私を好いてくれた。私は、彼女の気立てと頭のよさと誠意がある人柄に惚れこみ、思いきって胸のうちを打ち明けた。彼女は、初めから私が付きまとうのを、さして嫌がりもしなかったが、そのうち、お互いが無しではいられない仲になった。アネットは私といっしょに暮らすようになり、私が小間物の行商に戻ったので、旅回りに連れて行くことにした。はじめて一緒に回った旅が一番たのしかった。ただ、ムランを発つ間際に、私たちが泊まった宿屋の亭主が、こういうことを教えてくれた。同地の警察が、私の通行証などを調べればよかった、残念なことをした、先に延びたが、これっきりというワケじゃない、こんど来たとき会ってみよう、と言っていたという。私は、これを聞いてびっくりした。早くも、私は、容疑者になっているに違いなかった。これ以上、行商をつづけると、たぶんヤバいことになる。すぐ私はパリに戻り、もう遠出はしないことにし、これまで、あれほどひどい目にあわせられた悪運に会う機会が来ないようにした。
ある朝、うんと早く家を出て、朝まだきに城外のサンモルソーに着いた。町中に入って行くと、布告人が終わり文句を我鳴りたてているのが聞こえた。
「……右、周知の両名は、本日、グレーヴ広場において死刑を執行されるものである」
私は聞き耳をたてた。エルボーという名が聞こえたような気がした。エルボー、私の一切の不幸を引き起こした公文書偽造の張本人だ。私は、さらに注意ぶかく耳をかたむけた。ふいに、思わずゾクッとした。もっと近寄っていくと、こんどは布告人が別の宣告文を読みあげた。
「セーヌ県刑事裁判所の判決は、殺人罪その他で起訴され有罪と認められたバヨンヌ生まれ、元水兵、アルマン・サンレジェならびにノール生まれ、釈放徒刑囚、セザール・エルボーの両名にたいし死刑を宣告した」
もう疑う余地はない。私を破滅させた真犯人は死刑台で首をハネられるのだ。彼は私に告白するだろうか? ともあれ、そのとき私は喜びを感じながらも、恐怖に震えた。からだの中に不安が湧いてきて新たな苦しみに悩まされた。かれらは残酷な誣告《ぶこく》をして私を破滅の淵に投げこみ、そこから出すまいとした。私は監獄や徒刑場の連中を皆殺しにしてやりたいと思ったこともあった。そこで、本当に彼かどうかを自分の眼で確かめようと急いで裁判所へ駆けつけたのも不思議ではなかった。まだ正午になっていなかった。やっとのことで群集を掻きわけて門のところまでたどり着き、そのすぐそばに陣取って運命の時を待った。
ついに四時の鐘が鳴った。門が開いた。まず一人の男が護送車の中に現われた……エルボーだ。顔一面が死人のように青く、毅然としたところを見せようとしていたが、それとは逆に頬がピクピクと引きつっている。相棒に話しかけるふりをしても、相手は、もう何も耳に入らない。出発の合図で、エルボーは、むりに不敵さを見せた面がまえで群集を見まわした。彼の眼が私の眼とあった……彼は動揺し、顔色が変わった……行列が通りすぎた。私は、つかまっていた青銅の柱の一部になってしまったように身動きができないでいた。裁判所の巡査に追いたてられなければ、その恰好のまま長いこと我を志れていたことだろう。二十分後、赤い籠をのせた馬車が憲兵に護られて両替橋を速足で渡って囚人墓地へ向かった。私は、胸が締めつけられ、その場を離れると、悲しい思いにふけりながら家に帰った。
後で聞いたのだが、エルボーは、ビセートルで囚われていた間に、無実の私に罪をかぶせたことを悔いていたという。この極悪人を処刑台に送ることになった犯罪というのはサンレジェと共謀してドーフィヌ広場に住んでいた婦人を殺害した罪だった。二人の下手人は、彼女の息子と軍隊で会ったと言い、その消息を知らせてあげるという口実で家に入りこんだのだった。
行商人
つまるところ、エルボーの処刑は、私の立場に直接には何らの影響も及ぼすはずのないものだった。あの処刑が私をがっくりさせてしまった。私を首切人へ追いやる悪党どもが接触してくるのではないかと脅えた。自分の眼から見ても、これまでの思い出は芳《かんば》しいものではなく、いわば、我と我身を恥じた。記憶を消して、きっぱりと過去と現在の間に一線を画せたらと心から願った。というのも、未来は大いに過去に依存しているものだとしか考えなかったからで、いつも分別のある行動をするとは限らない警察というものが私を忘れずにいれば、それだけ私は、より一層に不運になるからだった。私は、またもや追いつめられている野獣になりかけている自分を感じた。まともな人間にはならせてくれないんだと思いこんで、どうやら破れかぶれになりかけていた。むっつりと不機嫌になり、落ちこんだ。これに気づいたアネットが、元気だしてよとなぐさめ、私のためなら何でもするからと言ってくれた。だが、しつこく問いただされて、つい隠していたことを洩らしてしまったが、そのことで後悔しなくてもすんだ。というのは、彼女は、私の秘密を知っても心変わりなどするどころか、その行動力、熱意、沈着さが、かえって大いに役に立つようになった。通行証が入用だった。彼女はジャクランに彼の通行証を貸すように話をしてくれて、私が使えるようにしてくれた。ジャクランは、彼の家族や親戚のことを洗いざらい教えてくれて、その知識を身につけた私は、またも行商の旅に出た。低地ブルゴーニュ地方を一まわりしたが、たいていのところで規定にかなっている者だということを説明しなくてはならなかった。もしも手配されているヴィドックの人相書と実物を比べられたら、あっさりインチキが見破られていただろう。だが、どこでも文句は言われなかった。そして、一年以上ものあいだ、ここで述べるまでもないような、ちょっぴりヤバいときもあったが、ジャクランという名は私に幸運をもたらした。
ある日、オセールで荷物を解いて、ゆっくりと港をブラついていたら、パケイという男に出会った。ビセートルで会ったことのあるプロの泥棒で、禁錮六年の刑を務めあげていた。知らん顔をするに越したことはないと思ったが、彼は、だしぬけに近寄って来た。話しかけてきた言葉を聞いたとたんに、半兵衛をきめこむのは利口じゃないと判断した。彼は、私が何をしているのか、しきりに知りたがり、話をしているうちに盗みに加わらないかと誘い、乗合馬車の貨物取扱所を荒したのは俺たちだと自慢した。それなら、ひとつ、オセール警察の話をして厄介ばらいをしてやろうと思いついた。ここの警察の警戒は抜群だから、いつも柳の下にドジョウがいるとは限らんぞと脅したらA私の忠告がこたえたとみえ、私の大げさな話を心配そうに聞いてから、とうとう不意に大声で、
「ちきしょう、ここはヤバいみたいだな。あと二時間で馬車が出る。なんなら一緒にズラかろう」
「わかった。ズラかるんだな。お伴をするぜ」
こんな調子で答えて、野暮用をすませたら、すぐに落ち合うからと約束して彼と別れた。私としては、脱獄囚という哀れな身分とは縁を切りたく、もし密告されたり犯罪に巻きこまれたくなければ先手をうつしかない。つまり、自分が密告者になるのだ。そこで、宿屋に戻ると、さいきん起こった乗合馬車の貨物取扱所の盗難事件を捜査している憲兵隊の中尉に宛て次のような手紙を書いた。
『拝啓、
身元を知られたくない者からお知らせします。この町の馬車貨物取扱所で窃盗を働いた犯人の一人が、六時発の乗合馬車でジョワニへ向けて出発します。おそらく、ジョワニでは共犯者が待っています。とり逃がさないために、また適時に逮捕できるように、変装した憲兵を二名、乗合馬車に乗せるとよいと思考します。事を慎重に運ぶのが肝要、ホシを見失わないように。抜け目のない男ですから。』
この手紙には細かく描いた似顔絵をつけたので見まちがうことはあり得なかった。出発の時刻がきたので、遠まわりをして発着所がある波止場へ行き、居酒屋に陣どって窓からパケイが馬車に乗りこむのを見た。それから間もなく二人の憲兵が乗った。風体からして確かにそうだと知ったが、どこがどうだとはわからない感じだった。二人は、ときどき、互いに紙切れを見くらべていたが、とうとう私が知らせた男に視線をとめた。彼は、泥棒らしくない目立つ服装をしていた。馬車が走りだし、私は大喜びで遠ざかって行くのを眺めた。つまりは、パケイ本人も彼の誘いも、まさかとは思ったが、ひょっとした気まぐれから私を密告するかもしれない心配も、一切合財、馬車が運んでいってしまった。
この出来事があった翌々日、居酒屋の宿で商品しらべをしていたら異様なざわめきが聞こえた。窓からのぞいて見たところ、徒刑場へ行く囚人のクサリ行列で、引率しているのはチエリ中尉〔ヴィドックとは面識、第八章参照〕と配下のアルグザンたちではないか。その、私にとっては、なんとも怖ろしい危険な光景を見て、すばやく身を引っこめたが、慌てたので窓ガラスを壊してしまった。とたんに、行列の眼が一斉に私のほうを見上げ、地の底に潜りたい気がした。それだけではない。誰かが部屋の戸を開けて私を不安の絶頂に追い上げた。それは、『雉子』屋の女将《おかみ》、マダム・ジェラで、
「いらっしゃいな、ジャクランさん、クサリ行列を見物に来なさいよ……まァ、こんな大行列は久しぶりだわ……すくなくとも百五十人はいるわねェ。名の通った悪党もいますよ……聞こえますか、連中が歌っているのが?」
私は、女将が呼んでくれた礼を言い、忙しいフリをして、じきに降りて行くからと返事をすると、女将が、
「アラ、急ぐことないですよ。時間はあるわ……うちの馬小屋、ここに泊まるんですから。もし、隊長さんと話をしてみたいんなら、旦那さんの隣りの部屋にしときますから」
チエリ中尉がお隣りさん! これを聞いて前後がわからなくなった。もし、女将が気をつけて私を見たなら、顔が青ざめ全身がふるえていたのがわかったはずだ。チエリ中尉がお隣りさん! 私を見知っていて名指しできる人だ。身振り一つ、何でもないことでバレることになる。そこで、用心して姿を現わさないようにした。行商の商品の点検をやってしまわねばならないという口実で、好奇心がないと言われた弁解をした。恐ろしい一夜をすごした。ついに、朝の四時、鎖の音で地獄行列が出発したのがわかった。ほっと息をついた。
私が、かれら悪人どもと送り狼の一隊のド真ん中に投げこまれて味わったような恐怖を経験したことのない者は、本当の苦しみはわからない。あんなに苦労して断ち切った鉄枷を、またもこの身に付けられる思いが絶えず私につきまとっていた。私の秘密、これは私一人が知っているわけではなくて、そこらじゅうにいる徒刑囚が、もし私が背を向けたら、私を売り渡そうと手ぐすねをひいている。いつでも、どこでも、私の安泰や暮らしが脅《おびや》かされていた。警視の名前や憲兵の姿、判決文の朗読などをチラリと見聞きするだけで、はっとして肝を冷やす。私の青春を踏みにじった背徳者たちをいくたび呪ったことか。やつらは、私が血気にはやった行動をしたのを見てあざ笑い、不当な宣告が私を奈落の底に突き落とし、そこで染みついた汚れを拭いきれないでいる。この世の仕組みは、悔い改めた者にも扉を閉ざしている……私は社会からハジキだされていた。それでも、私は、社会に保証を受けとってくれと言っているだけなのだ。もう保証は与えたではないか。脱獄した度に、いつも変わらぬ行動で証明してみせたではないか。堅気な生活、きちんと約束を果たす真面目な誠実さを示したではないか。
さて、こんどは、私が逮捕させるように仕向けたパケイのことが何となく不安になってきた。よく考えてみると、あの場合、いささか軽はずみな行動だったように思われてきた。なんだか悪い予感がし、その予感が現実のものになった。まだ私がオセールの町にいるというのだから対決させようと、いったんパリに連行されたパケイがオセールに連れ戻された。彼は、私がタレこんだものと疑いつづけ、つまり復讐に出たのだ。私について知っていることを洗いざらい牢番にバラし、牢番が当局に報告した。しかし、私が三カ月のあいだ滞在していたオセールでは、私は実直な人間だという評判が定着していたので、厄介な騒ぎを避けようと、その名は伏せておくが、某司法官が私を呼んで事態を知らせてくれた。本当のことを打ち明けるまでもなく、司法官は、動揺した私を見て、すべてを見通したと思う。私は、こう言うだけの力しかなかった。
「ああ、ムッシュ、まっとうな人間になりたかったんです」
なにも答えず、司法官は、私一人を置き去りにして出て行った。私はその寛大な沈黙の意味を汲みとり、十五分間のうちにオセールから姿を消した。そして、隠れ家から宿に残したアネットに手紙を書いて、こんどの新しい破局を知らせ、疑いをそらすために、あと二週間ばかり『雉子』屋に残っていて、まわりの者には、私がルーアンへ仕入れに行っていると言っておくように指示し、その期間が過ぎたらパリで落ち合うことにした。やがて、指示した日にパリにやって来た彼女が言うには、私がフケた次の日に変装した数人の憲兵が私の出店に現われたが、私が見つからないので、これですんだと思うな、けっきょくは見つけだしてやっからなと言っていたという。
だから、これからも捜査は続けられるだろう。とにかく、思わぬ出来事のために私の計画はオシャカになった。ジャクランの名で通報されているので、その名前を捨てて、またまた、せっかく築いてきた商売をやめざるを得なかった。
パリに落ち着く
もう通行証はなかった。通行証があれば何かと都合がよく、いつも行商して歩いていた郡部で安全な隠れ場所を見つけることもできただろう。私を見たこともない場所では、おそらく変わった新顔の出現は疑いを招きかねない。噂が噂を生んで恐ろしい危険を迎えるようになる。どうすればいい? 私は、そればかり考えていた。ところが、そのころ、たまたま、サンマルタン小路の洋服屋と知り合いになった。彼は店を売りたがっていたので、彼と取引きをした。かんたんに群集の中に紛れこめる首都の真ん中がどこよりも安全だと信じた。じっさい、八カ月近くも母とアネットと私で味わっていた平安を乱すことは起こらなかった。店は栄えた。日ごとに商売は繁盛し、以前の店の持主のように服を仕立てるだけではなく、服地の取引きも手がけて、おそらく、そのままで行けば一財産できたところだった。が、とつぜん、ある朝、またもや苦難が始まった。
私は店にいた。伝言屋がやって来て、オメール街の仕出し屋で人が待っていると伝えた。取り決めてしまわねばならない取引きのことかなと考え、すぐに指定の場所へ行った。小部屋に通された。そこにいたのはブレストから逃げてきた二人の脱獄囚だった。一人は、あのブロンディで、ポンタルザンで失敗に終わった私の脱獄を指導した男だ〔第八章参照〕。こいつが、いきなり、「俺たちゃ十日前からパリにいるんだが、文なしなんだ。きのう、おめェが店にいるのを見た。あの店は、おめェのもんだってね。嬉しかったぜ。この友だちにも言ってやった……もう心配いらねェ。あいつのこたァ、みんなが知ってる。困ってるダチを見捨てるような男じゃねェとな」
ゴロツキ二人に首根っこを押さえられた思いだった。なんだってやるやつらだということは百も承知だ。嫌がらせのためだけでも、自分らが破滅するのを覚悟で私を警察に売りかねない。私は、二人に会えて嬉しくてたまらないと言いつづけ、金持ではないので、五十フランしか都合してやれないと残念がると、かれらは、その金額で満足したように見えた。別れるとき、シャロン・シュール・マルヌへ行くつもりだと言い、かれらの話では、そこに『仕事』があるということだった。このまま、ずうっとパリを離れていてくれるなら有難いと思ったが、アバヨを言いながら、そのうち、必ず戻ってくるからなと誓ったので、その戻ってくるのが怖かった。私を金ヅルだと思い、やつらが黙っていることに値をつけるのではないか? どこまでも付け上がるんじゃないか……? かれらの厳しい要求はどこまでに限られていると誰が答えられようか? もうすでに、私は、あいつらや他の大勢の仲間たちのスポンサーになっていると見てよく、盗賊たちに通用している習わしによると、私がやつらを満足させきれなくなると、新たに私から搾り取れるように知り合いの者にバトンタッチするのは今からわかっていた。かれらと巧くやっていけるのは最初の断りを言う時までで、その時が来たら必ず嫌がらせをするに決まっていた。こうしたゴロツキにつきまとわれていて、私が安閑としていられなかったのはわかってもらえよう。これまでの境遇も楽しいものではなかったが、まったくツイていない出会いによって、なおさら悪化した。
さきほど述べたように、私の妻は、私と離婚したあとで再婚した。パドカレ県で自分と夫の幸せに専念しているものと思っていたが、プチカロー街で彼女とバッタリ出会った。避けられなかった。私に気づいた。仕方なく話を交わしたが、私が受けた迷惑には触れずに、ひどい身なりだったので幸せではないなと察していくらか金をめぐんだ。おそらく、そのとき彼女は、口止料だと思ったろうが、まったくそういう意味合いではなかった。ヴィドックの前妻が密告するなんてことは考えもしなかった。じっさい、後になって昔の二人のいざこざを思いだしてみると、彼女に金をやる気持になったことは、用心という意味では、本当に自分の助けになったと思った。だから、自分がしたことに拍手を送り、あの女が金に困って私の助けをアテにするのはかえって都合がいいように思えた。私が捕まったりパリを離れたりしたのでは、もう彼女を助けてやれなくなる。このことは、彼女に黙秘の決心をさせるにちがいない。すくなくとも、私は、そう考えた。私が間違っていたかどうかは後でわかる。
別れた女房の生活費を出すのは重荷だったが、あきらめて背負いこんだものの、私には、その荷物の本当の重さがわかっていなかった。私たちが出会ってから二週間ほどたったある朝、エシキエ街の家に立ち寄ってくれと頼みこまれた。行ってみると、中庭の奥にある、まァまァの家具付きの小ぎれいな一階にいたのは、私の前の妻だけではなく、彼女の姪たちと父親、あのアラスのジャコバン党員だったテロリストのシュヴァリエ〔第二章参照〕までがいたではないか。彼は、銀製品の盗みで六カ月の刑期を終えて出所したばかりだった。私は、一目で、その一家族を抱えこんでしまったと知らされた。全員が徹底した貧窮状態にあった。私は、かれらが嫌でたまらず恨んでいたのに、かれらに手をさしのべてやるしか他にどうしようもなかった。すこしずつ血のでるような金を渡した。かれらを絶望に追いやれば、こっちもおしまいになる。アルグザンの棍棒で追いたてられるくらいなら、最後の一文まで投げだす覚悟だった。その頃は、世界中がグルになって私に敵対しているような気がした。その都度、財布の紐を解《と》かねばならなかった。誰のために? 私の施しを当然の義務だとみなし、私が確実な金ヅルではないと見たとたんに裏切ろうとしている人間どものためだ。前妻の家から帰ってくると、また一つ、脱獄囚につきまとう不幸な出来事が待ちうけていた。お袋とアネットが泣いていた。私の留守に二人の酔っぱらいがやって来て私を出せと言い、留守だと答えると、さんざん毒づいて脅し文句を並べた。その言動から察して、かれらが裏切りをたくらんでいるのは疑いの余地がなかった。アネットが語った二人の人相はブロンディと仲間のデュリュックにぴったりで、名前を当てるのは造作もないことだった。おまけに、かれらは、ある住所に四十フラン持って来いというお定まりの命令を残して行ったという。そんな手を使うからには、わかりきっている、パリで、そんな命令じみたことが私に言えるのは、あの二人しかいなかった。私は言いなりになった。ただただ言いなりになった。それでも、二人の悪党に冥加金《みょうがきん》を払いながらも、間抜けた真似をしてくれたと文句を言わずにはいられなかった。
「いや、まったく御立派なことをやってくれたもんだ。おれのお宿じゃなんにも知らなかったのに、おめェらが食い散らかしゃあがった(みんな喋った)。店は女房の名義になってるんだ。たぶん、たたき出される。そしたら、おれは、敷石をひっかいていなくちゃならん(惨めな生きかたをする)」
私は、なんとか二人を説得しようとした。しょっちゅう警察の動きを怖れているよりも、働いて暮らしをたてるほうが、どのくらいマシかしれない。警察は、遅かれ早かれ悪人に網をかけてしまうんだから。さらに、こうも言った。たいてい、一つの犯罪は別の犯罪を生む。なァに首枷くらいだと思って悪事に走るやつは、まっすぐにギロチンへ向かって駈けているんだ。とにかく、今やっている危険な仕事から足を洗うのが利口というもんだ、と締めくくった。すると、この、私の説得が終わったところでブロンディが、
「悪くないね。悪かないが、とりあえず、どっか、あきないに行けるマブいヤサ(盗みに入れる金がある部屋)はねェかな? いいか、俺たちゃアルルカン〔無定見な道化者〕なんだ。欲しいのはお説教じゃなくて金なんだ」
かれらは、せせら笑って出て行こうとしたので、それを呼びとめて、何でもするからと誓い、もう家には来ないでくれと頼んだ。
「そんだけのことなら我慢してやるぜ」
とデュリュックが言うと、ブロンディが、
「うん、そうだな、我慢してやるよ。奥方の気に入らねェだろうからな」
ブロンディの我慢は長つづきしなかった。早くも翌々日になると、夜になってから店にやってきて、二人だけで話があるというので私の部屋に上がらせた。
「俺たちだけだな?」
じろり、部屋を見まわし、誰もいないのを確かめると、ふところから十一個の銀食器と金時計を二つ取りだして円テーブルに並べた。
「全部で四百発(フラン)だ……高かねェ……ウグイスに白ワイン(金時計と銀器)だ。シンタ来い来い(金を払え)」
だしぬけに催促されてドギマギした私が、
「四百フラン。持ってないよ」
「俺にゃどうでもいいこった。バイ(売る)しろよ」
「だが、なんか訊かれたら……」
「ごまかしな。ガンヤク(貨幣)がいるんだ。それとも、なんならサツのお馴染みさんと会ってもらってもいいんだぜ……言ってること、わかってるな……丸薬だ。もったいぶるんじゃねェよ」
彼の言ってることはわかりすぎるほどわかっていた……密告され、築きあげた身上を奪われ、またも徒刑場に引っぱられて行く自分の姿が眼に浮かんだ……四百フランを支払った。
[#改ページ]
二一 つきまとう悪党
やなぎ馬車
さて、私は、盗品隠匿者になった。心ならずも犯罪者になったのだ。犯罪に手を貸したのだから犯罪者に変わりはない。私が味わった地獄にいる思いは誰にも想像がつくまい。たえず落ち着かず、後悔と恐怖が、いっぺんに襲いかかってきた。夜も昼も、四六時じゅうビクビクしていた。眠れず、食欲がなくなり、仕事の世話も頭になかった。なにもかにもイヤになった。なにもかにもか? ちがう、そばにアネットとお袋がいた。二人を見捨てられようか? 私の住み家が忌わしい盗賊の巣窟になるのかと思ったり、警察に踏みこまれて家宅捜索を受け、起訴される悪事の証拠が明るみに出ることも思い、そういう色々な心配で脅えふるえた。いっぽう、私を貪り食らうシュヴァリエ一家に悩まされ、金を巻きあげるのをやめないブロンディに苦しめられ、おそろしい救いのない立場に追いこまれているのが怖くなり、この世の最悪の畜生どもにいいように踊らされているのが恥ずかしくなり、私を人類の汚ないものにガッチリと結びつけている人間のしがらみという鎖を断ち切ることができないのに苛立って絶望に駈りたてられる自分を感じた。その一週間というものは、最高に禍々《まがまが》しい計画を頭の中でめぐらしていた。とくに私の怒りは、あの呪うべきブロンディに向けられ、なんなら喜んで締め殺してやりたかった。それなのに、私は、まだ迎え入れて気をつかっていた。私のような短気で粗暴な男が、それほどまで我慢できたのは奇跡だったが、そうさせたのはアネットであった。ああ、あのころ、どれほど真剣に次のことを願ったことか。つまり、ブロンディが、たびたび出かける盗みの最中に、誰か優秀な憲兵が、あいつの襟首をむんずと掴んでくれないものか、と。そんなことが今すぐにも起こるんではないかと期待した。だが、彼の足が、いつもよりやや遠のき、やれやれ、あのゴロツキから遁れられたと糠《ぬか》喜びをした度に、またぞろ野郎が姿をあらわし、と同時に私の悩みが全部そっくり戻って来た。
ある日、ブロンディは、デュリュックと、私がルーアンで知っていたサンジェルマンという間接税務所の元の雇人だった男と連れだって姿を見せた。ルーアンでは、いちおう、一般の人と同じような堅い男だという評判しか知らなかった。私は、彼には卸売商のブロンデルということになっていたから、こんなところで出会って大層びっくりしていた。だが、私の素姓をわからせるには、ブロンディが言った一言、こいつは札つきの悪党なんだ、で十分だった。信頼が驚きにとって代わり、私を見て初めは眼をパチクリさせていたサンジェルマンがにやっと笑った。ブロンディは、これから三人でサンリス辺りに行くところなんだと言い、私が定期市を回るのに使っていた柳馬車を貸してくれと頼んだ。そんなことでゴロン棒どもを厄介ばらいできるのなら願ってもないと思い、急いで馬車を預けてある人へ手紙を書いて渡した。馬具一式を付けて馬車を渡してもらって出発したはずだった。そして十日間、かれらの消息を聞かなかったが、サンジェルマンが報せを持ってきた。ある朝、彼は、私の家に入ってきたが、びくついていて疲れきっているように見えた。
「たいへんだ。仲間がパクられた」
「パクられたって」
私は、嬉しさを抑えきれずに、つい声をあげてしまった。しかし、すぐに冷静さをとり戻し、心配しているフリをして事情を尋ねた。すると、サンジェルマンは、残り二人が何で捕まったかをごく手短かに語り、通行証を持たずに旅をしただけのことでやられたと言った。だが、彼の言うことは、ぜんぜん信じられなかった。なにかヤマを踏んだにきまっている。金を送ろうかと言ったら、その心配はいらないと答えたので、私の疑いが裏付けられた。パリを離れるとき、三人で五十フラン持っていた。当然、それっぽちの金では倹約しようにもできない金額だ。それなのに、まだ困っていないというのは、どうなっているのか? 真っ先に考えられたのは、かなりの盗みをやったということで、私には打ち明けるつもりがないということだ。それが、どえらい犯罪だったことはしばらくしてわかった。
サンジェルマンが帰ってきた二日後、ふと返還されていた馬車を見に行く気になった。そして、まず、床板が取り代えられているのに気づいた。中に入ってみると、白と青のズックの内張りに、さいきん洗い落とした赤い汚点《しみ》があった。次に、スパナを取ろうと荷物入れを開けたところ、いっぱい血がたまっていて、まるで死体でも入れておいたようだった。すべてが、はっきりした。真実は、私の推測より遥かに恐ろしいものだったとわかった。ぐずぐずしてはいられなかった。たぶん、殺しの下手人以上に痕跡を消そうと必死になった。その夜、セーヌの岸に馬車を走らせて人気のないベルシーの上流まで行くと、詰めこんでおいた藁と乾いた木に火をつけ、馬車が崩れて灰になるまで見まもった。
翌日、馬車を焼いたことは言わずに、私が気づいた血痕のことなどをサンジェルマンに話したところ、とうとう彼は白状した。ルーヴルとダンマルタンの間でブロンディが運送屋を殺し、どこかの井戸に投げこむまで荷物入れに死体を隠しておいたのだという。このサンジェルマンという男は、これまでに会った悪党の中でも最高に図太い野郎で、その大それた犯罪のことを話すのに、まるっきり罪のない行為のような話しっぷりだった。唇に笑みを浮かべ、まったく他人事だといった口ぶりで、こと細かく状況を並べたてた。私は、ぞっとしながら呆気にとられて彼の話を聞いていた。そのうちに、私の知人の借家人がいるアパルトマンの鍵型が欲しいと言いだしたので恐ろしくてたまらなくなった。私が断りじみた言い訳を言うと、
「それが俺にどうだと言うんだい? 仕事は仕事だ。百も承知じゃねェか?……ワケありなんだ。おめェは、あそこの連中を知ってる。手引きしな。山分けといこうや。さァ、尻ごみするな。鍵型がいるんだ」
私は、彼の強談判に負けたフリをしたが、なおも、こう言った。
「尻の穴のちいせェやつだな……つべこべぬかすな。手こずらすんじゃねェ(彼の言い方は、ややぴったりしていなかった)。さァ、これで決まりだ。俺たちゃ五分五分だ」
まったく、なんて相棒だ。ブロンディの災難を喜んでいる場合ではなかった。私は、文字どおり火の中に投げこまれた。ブロンディは、いくらか遠慮をしてくれていたが、サンジェルマンときたら遠慮のエの字もなく、もっと高圧的に要求をしてきた。
警察に協力
いまにも悪事に巻きこまれそうになったので、私は、警視庁のアンリ保安部長に働きかける決心をした。私は彼に会いに行き、名前は告げずに自分の差しせまった立場を打ち明けた上で、このままパリにいるのを大目に見てくれるなら、大勢の脱獄徒刑囚についての貴重な情報を提供する、かれらの隠れ家や企んでいることも知っている、と申し出た。
アンリ警視は、かなり好意的に私を迎えてくれたのだが、私の言ったことをちょっと考えてから、お前にたいしては何の約束もできないと答え、さらに、こう言った。
「だからといって情報提供をやめることはない。そいつが、どのくらいの価値があるかは、こちらで判断する。たぶん……」
「ああ、ムッシュ、多分はないですよ。命がかかってるんです。私が通報しようという連中がやることが、どんなもんかムッシュはご存知ない。もし、私が何かのことで取調べられ、また徒刑場行きになって、私がサツにタレこんだことがバレたら、私は死んだも同じです」
「とにかく、今は、話は終わりだ」
こう彼は言って、私の名も聞かずに行ってしまった。
この試みが失敗に終わったので、私は悲しくなった。サンジェルマンは必ず戻ってくる。約束を守れと催促するだろう。もう、どうしたらいいかわからなかった。彼と盗みに入ろうとしている家人に知らすべきだろうか? サンジェルマンのお伴をして行かないですむなら、知らせても危険は少ないだろうが、私は手助けすると約束してしまっている。どんな口実を作っても約束を免れる見込みはない。死の宣告を待っているように彼が来るのを待った。途方にくれたまま一週間、二週間、三週間がすぎた。この期間が終わるころになって、はじめてホッとし始め、二カ月後には、すっかり安心してしまった。彼も、二人の仲間のようにどこかで逮捕されたんだろうと考えた。このときアネットは、いつも思いだすが、九日祈祷というのをした。一ダースちかくのローソクをともして悪人ばらの足止めを祈った。彼女は、ときどき、こう大声をあげていた。
「神さま、お願いです。どうか、あの人たちを今いるところに置いといて下さい」
苦悩は長くつづき、平穏な時間は短かかった。このあとから私の人生を決定づける破局が訪れた。
一八〇九年五月三日の夜の引き明けに、店の戸をたたく音で眼が覚めた。何事かと階下に下りて戸を開けようとしたら低い話声が聞こえた。こう片方の話し手が言った。
「手ごわいやつだぞ。用心しろ」
もう疑いの余地がなかった。私は、大急ぎで寝室に戻って事の次第をアネットに知らせた。彼女が二階の窓を開けてポリ公どもと話を始めて時をかせいでいる間に、私は下着姿のまま階段の踊り場へ出られる出口から逃げ出し、すばやく上の階へ行った。五階まで行って、あたりを見まわし、聞き耳たてた。誰もいない。部屋に入ってみると、壁のくぼみにベッドがあり、まっ赤なダマスク織の端切れをカーテンにして隠してあった。さしせまった状況だったし、階段には警官が張りこんでいるのは必至だったので、いきなりマットレスの下にもぐりこんだ。だが、私が身を縮めたか縮めないかに誰かが入って来た。話している。誰の声かわかった。フォッセという若い男の声で、銅細工職人の父親が隣りの部屋で寝ていたのだった。対話が始まった。
第一場
父親、母親、息子
息子―おとっつぁん、知らんだろう? 洋服屋を捜してるんだ……逮捕しに来たんだ。この建物はたいへんな騒ぎだよ……呼び鈴が聞こえたね……ホラ、ホラ、刑事が時計屋の部屋の鈴を鳴らしてら。
母親―鳴らさせときな。関わりあうんじゃないよ。よそ様のことは知ったこっちゃないんだ。(亭主に)さァ、あんた、服を着な。あいつら、うちにも来るにきまっとるからさ。
父親―(あくびをしている。同時に顔をこすっているらしい)デカなんかクソくらえだ。いってェ、洋服屋がなんだってんだ?
息子―わかんないよ、おとっつぁん。だけどまァ、うじゃうじゃいるわ。警視が密偵や憲兵を連れて来てらァ。
父親―ただの空《から》騒ぎさ。
母親―何をしでかしたんだろうね? 服屋さんは。
父親―あいつに何ができる? できるとすれば……ああ、わかったぞ……生地を商ってたもんな、イギリス生地で服を作ったんだ。
母親―植民地産のを使ってるという話だけど、笑わしちゃいけないよ、あんた、そんなことでお縄になるかね?
父親―やっぱり、そのせいだと思うな。大陸封鎖〔一八〇六年ナポレオンが布告〕は屁の役にも立っとらんというのかい?
息子―タイリクフウサって何だい、おとっつぁん? 海の上のことかい?
母親―ああ、そうだね、なんのことか教えとくれな、ちゃんとわかるように。
父親―それはだな、たぶん服屋が閉じこめられるつうこんだ。
母親―オヤ、ほんと。可哀そうに。あいつらは、しょっぴくにきまっとるよ……こんなんして罪もないのに咎人《とがにん》にされちまうんだ。あたしにまかせてくれたら……シミーズの中にかくまってやるよ。
父親―だけんど、かなりかさばるぞ、あの服屋は。いいカラダしとるからな。
母親―どうだっていいさ。そんでも、かくまってやるよ。ここに来りゃいいのにと思ってるくらいだもん。あの脱走兵のこと覚えてるかい?……
父親―しっ、しっ、あがって来たぞ。
第二場
前場の人物、警視、憲兵や密偵たち
ときに、警視と部下たちが建物の上から下までガサを終わって五階の踊り場にやってくる。
警視―オヤッ、戸が開いている。邪魔してすまんが、公共の利益のためだ。下どなりの洋服屋は大悪党で、父親や母親さえ殺しかねない男なんだ。
母親―なんですって、ヴィドックさんが?
警視―そう、そのヴィドックだ。奥さん、もし奥さんかご亭主があの男をかくまっているんなら、ただちに届け出ることを厳命しますぞ。
母親―ああ、警視さん、なんなら家じゅうお捜しなすって構いませんよ、そうしたいんならね……あたしたちが誰かをかくまってるんだなんて……
警視―なによりもまず、きみたちの身にかかわることだからね。法は非常にきびしい。あだやおろそかな事柄ではない。たいへん重い罰を受けることになる。いいかね、死刑を宣告されている者は、何をやろうと平気……
父親―(気負いこんで)わしらァ何もおっかなかァねェですよ、警視さん。
警視―だろうとは思うが……そりゃ、きみたちを信じとるがだ、後顧《こうこ》の憂いがないように、ちょっとばかし家宅捜査をやらせてもらう。なァに、ほんの形だけのもんだ。(部下に向かって)、諸君、出口は、ちゃんと固めてあるな?
かなり綿密に奥の部屋を調べたあと、警視は、私がいる部屋に戻ってくる。
「このベッドには?」
彼は、真っ赤なダマスク織の布切れを持ち上げながら言ったが、その間、足のほうでマットレスの隅が動いて無造作に元に戻されたのを感じた。
「ヴィドックの影も形もない。やれやれ、消えちまった。あきらめるしかないな」
この、警視の言葉が、私にのしかかっていた重圧をどのくらい軽くしたかは想像もつくまい。やっとサツの一団は帰って行き、銅細工職人のお上さんは、むりをして丁重に見送って出て行き、あとに父親と息子と小さな女の子、それに私だけが残った。誰も私が、そんなに近くにいるとは夢にも思っていなかった。みんなが、私のことで不平をこぼしているのが聞こえた。だが、まもなく、フォッセのお上さんが大慌てで階段を駈け上がってきた。はァはァと息を切らしていた。まだまだ、私は、びくびくものだった。
第三場
父親、母親、息子
母親―ああ、たいへん、たいへん、通りは人でいっぱい……あのネ、みんなヴィドックさんのこと、ひどいこと言ってるよ。ぺらぺら悪口を言ってるが、根も葉もないといいんだけど。でも、いくらかは本当のこともあるにちがいないよ。火のないところに煙はたたないって言うからね……あたしゃ、あのヴィドックさんは、ひどい怠け者だと思ってた。だってさ、服屋にしては、足を組んでるときより腕組みしているほうが多かったもん〔仕立屋はアグラをかいて仕事をした〕。
父親―なんだ、おめェも、やっぱり他の連中なみに当てずっぽうときた。どうしようもねェ金棒ひきだ……それから、こういう時に役だつ言葉は一つしかねェ。『あっしらにゃ関わりねェこって』だ。とは言うものの、やっぱり関わりがあると思うな。ところで、いったい、警察は何で追ってるんだろう。なんだとぬかしてた? わしゃ、知りたがり屋じゃねェけどな……
母親―なんだとぬかしとったかと? 思っただけで、ぞっとするよ……人殺しで死刑になってる人だと言ってたんだもんね。広場の上手にいるチビの洋服屋が言ってたことを聞かせたかったよ。
父親―ふん、商売上のネタミだ。
母親―二十七番地の門番のお上さんたら、毎晩、あの人が太い棒を持って出かけるのを確かに見た、うまく変装してたんで、あの人とはわからんかった、なんて言ってた。
父親―門番の女房が、そう言ってたんか?
母親―シャンゼリゼ界隈で追剥《おいは》ぎしに行ってたんだとさ。
父親―おめェはバカか。
母親―ヘェー、あたしがバカ。だったら、呑み屋の旦那もバカだよ、たぶん、あそこに来るのは泥棒ばっかりだが、ヴィドックさんが人相が悪い連中と来てたのを見たって言ってたもの。
父親―ほォ、人相が悪いのが、そんで……
母親―そんで、そんでと、警視さんも乾物屋に言ってたそうだよ。あいつは碌《ろく》でなしだ……いや、もっと悪いやつだ。警察も、あの重罪人を土壇場で捕まえそこなってるんだ、とね。
父親―そんな話を本気にしたってわけだ……まったく、いつまでたっても田舎者だよ。警視のことを信用しとるが、ただの巡回おまわりかもしれねェ。それに、いいか、ヴィドックさんを悪者だと思う者には会ったこともねェや。それどころか、あの人はいい男でまっとうな方だと思うな。なんたって、あの人は自分のしたいようにすりゃいいんで、わしらの知ったこっちゃねェ。てめェの蝿を追ってりゃいいんだ。オヤ、こんな時間だ……がんばらなくっちゃ。さァ、さっさと仕事だ。
これで幕になった。父親、母親、息子、それに小さな娘、フォッセ一家全員が出て行った。私は、鍵がかかった部屋に残されて、隣り近所がホシに協力しないようにするために、警察が悪どいデマを流しているのがわかった。警察は、やっきになって私を稀代《きだい》の悪党に仕立て上げようとしていた。その後、何度も、この手が使われるのを見たが、いつも、ひどい中傷をバラまいて、けしからんやつだと思わせ、反感をあおって成功していた。だが、これは、狙いとはまったく反対の効果を生むことがあるという点では下手な戦術ともいえる。なぜなら、盗賊逮捕に協力してくれるはずの市民が、罪の意識や死刑台へ送られる恐怖で死にもの狂いになっている男を相手に戦うのが怖くなって尻ごみするからだ。
私は二時間ちかく閉じこめられていた。家の中からも外の通りからも何の物音も聞こえない。弥次馬は散って行ったのだ。私は安心しはじめたが、折りも折り、まったくバカ気た事情で状況が複雑になった。おっそろしく腹が痛くなってきて、どうにも待てない生理的な要求に突き上げられた。ベッドの下から這い出して部屋の中を見まわしたが、ちょうどいい受け皿がない。もう、どうにもならないギリギリの思いで、そこらの隅々まで探しまわり、やっと鋳物《ずく》鍋をみつけた……ほっとして鍋の蓋をとって危機を脱した……用を足し終わったか終わらないかに、錠前に鍵を差しこむ音が聞こえ、あわてて蓋をすると、またぞろ元の隠れ場所に素早くすべりこんだ。人が入ってきた。フォッセの女房と娘、すぐ後から親父と伜《せがれ》が来た。
最終場
父親、母親、子供たち、私
父親―オイ、きのうのスープの残り、まだ温まらねェんか?
母親―帰ってきたかと思うと、もう怒鳴るんだから。いま、火にかけるところだよ、あんたのスープの残りはね……あんたときたら、せかしてばっかりいて。
父親―子供が腹をすかしているとは思わんのか?
母親―なにさ、えらそうに。これ以上、早くはできないよ……子供は待ってるよ、あたしを見習って。ぶつぶつ言わないで火でも扇《あお》いだらどう。
父親―(あおぎながら)この鍋は凍ってるのかい?……ぐつぐついってきたらしい……聞こえるか?
母親―いんや。でも、臭うね……ほかの物ってことはない、なんかが……
父親―きのうのキャベツだ……それとも、おめェが臭うのかな……フランソワが笑ってらァ。きまっとる、あいつが臭いの元かも……?
息子―いつだって、こうなんだから、おとっつぁんたら、すぐ人になすりつけるんだ。
父親―それはな、甘やかされたエテ公が、どんなになるかを知っとるからだ。おめェは、眼が離せねェガキだからよ。うへっ、臭せェ、なんだ、こりゃ? 馬小屋にいるみてェだ?(妻に向かって)ヤイ、おめェがやったんなら、そうだと言えよ。
母親―今度は冗談かい? なんでも、あたしのセイにしたがって。これは、そうはいかないよ、この臭いは。
父親―だんだん、ひどくなるぞ。
女の子―おっかさん、お鍋が煮たってる。
母親―いまいましい蓋だ、この。あっ、ヤケドしちゃった。
全員―わっ、すげェ臭いだ。
母親―毒ガスだ、とても保《も》たない……フォッセ、早く窓を開けて。
父親―ごらんの通りです、奥さま、またお宅の坊ちゃんが……
息子―おとっつぁん、おいらじゃないってば。
父親―だまれ、くそガキ……これだけの証拠じゃ足りねェのか……? きさま、六階の便所まで行けなかったんか……? あんまり疲れて階段が上がれなかった……よく働いたもんな……だもんで足にラクさせてやろうと思った……心配するな、その根性をたたき直してやる。
息子―だって、おとっつぁん……
父親―言い訳すんじゃねェ……この箒《ほうき》の柄が見えるな……こいつが背中で折れても知らんぞ。こっちへ来い、とび上がらせてやる……さァ、来いって言っとるのがわからんか? 思い知らせてやる……こいつ、まだ自分じゃねェと……
息子―(泣きながら)だって、そうなんだもん、おいらじゃないんだから。
父親―きさまがやったんだ……嘘つきは泥棒のはじまりって言うんだぞ。
母親―なんだって本当のことを言わないんだよ?
父親―だめだ、こいつは、痛ェ目に遭いたがっとるんだ……だったら会わせてやろう……ああ、めった打ちされたいんだな? オイ、窓を閉めろ、近所の手前があらァ。
母親―たいへんだよ、フランソワ、ひどいことになるよ……たいへんだよ。
間違いなく仕置きが始まる。私は、ためらわずにマットレスやシーツや毛布をはねのけ、ダマスク織の切れ端のカーテンを開けて、ぱっと家族の前に姿をあらわしたので、一同は唖然とするばかり。その人のいい人たちが、どんなに驚いたか想像するのは難しい。ものも言えず、たがいに顔を見合わせているあいだに、できるだけ手短かに部屋に入りこんだ次第を説明した。なんでマットレスの下に隠れたか、なんでまた……鍋の一件では大笑いになったのは言うまでもない。また、この際、仕置きのことなど問題ではなくなった。夫婦は、あんなところに隠れていて、よく窒息しなかったもんだと驚く始末。かれらは私に同情して飲み物などを出してくれた。こういった温い人情は庶民の間では珍しくはないのだが、午前中、さんざん苦労したあげくだったので、なおさら有難かった。
この場面が大団円になるまでの長いあいだ、私が針の筵《むしろ》にいる心地だったと考えるのは当然で……じっさい、冷汗タラタラだった。これがまったく別の時なら面白がることもできたが、今にも見つかるのが必至で、その後のことを思い浮かべていたら、私でなくても笑いごとではすまされなかった……エイ、もうこれまでだと肚をきめたら運命の決着を早めて、きれいさっぱり面倒なことにケリもつけられた。しかし、状況の動きを考えて、成り行きを見まもることにした。よく考え抜かれた計画が、ときとして挫折したり、ぜんぜん望みがないような事態に打ち勝った経験が一度ならずあった。
フォッセ一家の応対ぶりから判断すると、騒ぎが終わるのを待っていたのは賢明だったようだった。それでも、まるっきり安心したわけではなかった。その家族は裕福ではなかった。腹黒い人間だって、いちおうの親切や同情は見せるものだ。その気持が、私を警察に渡していくらかの褒賞をせしめようという希望と入れ替わるかもしれない? また、その家族が、いわゆる裏表のない人たちだとしても、うっかり私が隠れていることを洩らすかもしれない。ともあれ、フォッセは、とくに人の心が読める男とは思われなかったが、私の内心の不安を読みとって、信頼を裏切るようなことは決してないからと言って安心させてくれた。
フォッセが、私の安全を監視する役目を引き受けてくれた。とりあえず、いろいろと偵察して報せてくれたところによると、警察は、私がその界隈を離れていないと確信していて、その建物や隣り近所の道路に見張りを常駐させているし、また、その建物の全住人の住居を再度捜索しようとしているという。この報せを聞いて、私は、早急に立ち退かねばならないと決心した。なぜかというと、こんどの捜索は徹底的なものになりそうだったからだ。
フォッセ一家は、パリの職人の大半がそうするように、近所の居酒屋に食糧を持って行って夕食をする習慣だった。その時を待って、家族にまぎれて外に抜け出すことにした。夜までに何かと手を打つ時間があった。まずアネットに便りを届けることを考え、フォッセに伝言の段取りをしてもらった。彼が直《じ》かにアネットに会うのは不用心この上ないので、こういう手を使った。グラモン街へ行ってパテを買う。その中に次のように書いた私のメモを入れる。
――わたしは安全だ。自分の用心をしろ。誰にも気を許すな。おまえを捕まえる気もないし権限もない、という言葉にまどわされるな。≪知りません≫の五文字以外は何も言うな。バカになっていろ。それが根性のあるところを見せる一番いい手なんだ。会う約束はできないが、外出したら必ずサンマルタン街と大通りを通れ、ぜったい振り向くな。万事、わたしにまかせとけ。
フォッセが買って段取りしたパテは、ヴァンドーム広場の宅配屋に委託されてマダム・ヴィドック宛に配達され、予期したとおり警察の手に渡った。警官はパテの中のメモを調べてからアネットに届けさせた。こうして、私は同時に二つの目的を達した。一つは、私がその界隈にいないと警察に信じさせて一杯くわせること、もう一つは、私が安全圏にいることを知らせてアネットを安心させることだった。これは巧くいった。私は、まず一つ成功して気が大きくなり、すこしは落ち着いて逃げだす準備にとりかかった。最初の朝ガケをくらったとき、たまたまナイトテーブルの上に置いていた金を持って逃げていたので、ズボンと靴下と靴、上っ張り、それに青い木綿の帽子を手に入れて変装の仕上げをした。夕食の時間になった。私は家族全員と部屋を出た。用心に用心を重ねて、インゲンと羊肉料理の大皿を頭にのせ、その旨そうな湯気が一同の外出目的をはっきりさせていた。それでも、三階の踊り場の隅に隠れていた密偵と顔を付きあわせたときは、はじめは気づかなかったので、心臓がドキン。
「ローソクを消せ」
だしぬけに密偵がフォッセに怒鳴った。
「なんでだね?」
疑いを招かないために灯りを持っていたフォッセが訊きかえした。
「さァ行った。べつに理由なんかない」
密偵は、そう言うと、自分でローソクを吹き消した。私は嬉しくなって彼にキスしてやりたいくらいだった。表へ出る通路にも彼の仲間が大勢いたが、いんぎんに脇に寄ってくれて私たちを通してくれた。とうとう外に出た。広場の角を曲がると、フォッセが皿を受け取り、私は別れた。フォンテーヌ街までは人目をひかないように、ゆっくりゆっくりと歩いた。いったん、そこに着くと、ドイツ人の言い草ではないが、『服のボタンを数えて』あそんではいなかった。タンプル大通りの方向に走り、風を切ってボンディ街に着いても、まだどこへ行こうという考えが浮かばないでいた。
しかし、最初のガサ入れから逃げられただけで満足してはいられない。ますます追求は厳しくなるにきまっている。肝要なのは、警察の追求を別の方向へそらすことだ。慣例に従って大勢のイヌどもが他のすべてを放りだして私の追求に専念するだろう。そこで、私は、この危機にあって、私を密告したと思われる連中を逆に利用して助かってやろうと決心した。その連中とはシュヴァリエ一家だ。その前の日にかれらに会っていた。そのとき交した会話の中で、今になって初めてわかった意味の言葉をいくつか洩らした。あんな見下げはたて連中は、金輪際、もう面倒はみてやらないぞと肚をきめ、やつらに仕返しをしてやろうと決心すると同時に、これまでタカられてきた物を吐きださせてやろうと思った。これが、かれらに課した無言の条件だった。やつらは、自分たちの利益に背《そむ》いてまで約束を破って私に害を加えた。おのれの利益を見誤った報いを受けさせてやるぞ。
大通りからエシキエ街まではたいして遠くなかった。私がシュヴァリエの家に爆弾のように飛びこむと、違中は、自由な身の私を見てびっくりしたが、それが疑惑を裏付ける何よりの証拠だった。最初、シュヴァリエは、口実をつくって外に出ようとしたが、私は戸口の鍵を二重に回し、その鍵をポケットに入れると、テーブルナイフをつかみとり、元の義理の兄弟に言ってやった。声をたてたら、おまえも家族もお陀仏だぞ、と。その脅しの効果はてきめん、みんなのド真ん中にいる私の破れかぶれの暴力は怖いはずだった。女たちは生きた心地がなさそうで、シュヴァリエはコチコチになって、もたれかかっていた砂岩製の水溜めのように動けなくなり、消え入りそうな声で何が望みだと尋ねた。
「今にわかる」
私は答えて、まず、先月作ってやった三つ揃いの背広を要求することから始めた。彼は返した。それに加えてシャツと長靴と帽子を出させた。みんな私の金で買った品物だ。彼は、それを返しているだけなのだ。シュヴァリエは渋い顔をし、眼を見ると何か企んでいるのが読みとれた。おそらく、私がやって来て困っているのを隣りの人たちに知らせる方法を考えているなと見てとった。そこで、前もって用心ぶかく、不意に警察が夜中にやって来るのに備えて退路を確保しておこうと思い、庭に面した窓が二本の鉄棒で塞《ふさ》がれていたので、一本はずせとシュヴァリエに命じた。しかし、私が、あれこれ指示しても、彼は、なんとも不器っちょなので、私は自分で仕事にとりかかった。その間、あんなに彼が怖がったナイフを私の手から彼の手に渡したが、彼は無意識に握っていた。作業が終わり、私は武器を自分の手に取り戻して、彼と脅えている女たちに向かって、
「さてと、もう寝に行けや」
私のほうは眠るつもりはなかった。椅子に身を投げだして不安の一夜をすごした。これまでの人生の浮沈が次々と脳裡に浮かび、自分には呪いがかかっているのだと思って疑わなかった……犯罪から逃げても逃げても、犯罪が追いかけてくる。この宿命に全力をあげて敢然と立ち向かってきたが、宿命は、たえず私を不名誉と切羽つまった止むを得ないことに追いこんで、私の世渡り計画をひっくりかえして楽しんでいるように思えた。
夜明けにシュヴァリエを起こし、手元に現金があるかと尋ねた。小銭が少々しかないと答えたので、居住許可証と四人分の銀食器を持ってついて来いと命令した。その食器だって私の施しで買った物にちがいなかった。本当は、ついて来させる必要はなかったのだが、家に残しておくと危険があった。警察に駆けこんで、こちらが用心の手だてをする前に私の後を追わせるかもしれなかった。シュヴァリエは承知した。女どものことは、あまり心配しなかった。大事な人質を連れて行くのだし、女たちはシュヴァリエとはまったく意見が別だったからだ。私は、出かける際に鍵を二重にかけて閉じこめ、それで満足した。
われわれは、都の昼間でも人気のないような道を通ってシャンゼリゼに向かった。朝の四時で、誰にも会わなかった。私が食器を持っていたが、彼に持たせておいたほうが護身の上ではよかったかもしれない。もし彼が反抗したり騒いだりしたら、邪魔物がないほうが姿をくらますのに都合がよい。幸い、彼は大層おとなしくしていた。もっとも私は、おっかないナイフを持っていたので、シュヴァリエは、ちょっとでも反抗の素振りを見せたら、有無を言わさずナイフが心臓に突き刺さるものと思いこんでいたらしい。やましい気持があるだけに、なおさら激しく恐怖を感じているだろうから、安心していられた。
私たちは、長いあいだシャイヨ宮のまわりを歩いた。シュヴァリエは、この先どうなるかわからないまま、私の隣りを機械的に歩いていた。ぽかんとしてバカみたいになっていた。八時に辻馬車に乗せてブーローニュの森の通路に連れて行き、私の見ている前で、彼の名を使って銀食器を質入れさせた。百フラン貸してくれたので、その金をとり上げた。これまで、ちびちびとせびり取られた分を巧い具合にまとめて取り返せたので満足だった。それから、もういちど一緒に馬車に乗ってコンコルド広場で停めさせた。そこで私は降りたが、その前に釘をさしておいた。
「覚えとけ、こんどからは、もっと慎重にやるんだな。もし俺が捕まったら、誰に捕まろうが、きさまに礼をするからな」
大急ぎで彼をエシキエ街二十三番地へ連れて行ってくれと御者に命じ、他の方角へ行かないのを確かめるために、ちょっとの間、そこに立って見送った。それから、私は馬車で『赤十字』堂という古着屋に行って、着ていた服と職人服とを交換した。その新しい服装で廃兵院《アンヴァリッド》広場のほうへ歩って行くと、廃兵院の仕着せ服が買えないものかを尋ねることにした。義足の男をつかまえて率直に尋ねたところ、サンドミニク街の古物商を教えてくれた。教わった店でお目当ての服一式を見つけた。その古物屋は、どうやら生まれつきのお喋り男で、
「あたしゃね、べつに詮索ずきじゃありませんが(これは、たいてい、ぶしつけな質問の前置きである)、旦那は五体そろっておられる。自分で着るんじゃないんでしょう」
「でもあるよ」
と私が答えると驚いた顔をしたので、芝居に出るんだと付け加えた。
「演《だ》し物は?」
「『孝行美談』」
取引きはまとまった。私は、すぐにパッシー郊外区へ行って、気に入った貸部屋を見つけると、さっそく変身にとりかかった。傷痍《しょうい》軍人の中でも一番の不具者に変身するのにかかった時間はたった五分間。片腕を胸のくぼみに寄せて、革紐とズボンのベルトで胴体にくくりつけ、すっかりズボンの中に隠した。空っぽの袖の上部にボロ切れをつっこみ、袖の端を廃兵服の前に結びつけて腕の残りのように見せると、最高級の錯覚を起こさせる。髪と頬ヒゲを黒く染めるのに使ったポマードが、私を別人に仕立て上げた。この変装なら、ユダヤ人の観相屋がいるエルサレム街でもどこであろうと、たしかに人相見の眼でもゴマ化せることが確実だ。そこで、その夜すぐに、思い切ってサンマルタン界隈に出かけてみた。そして、警察が、あいかわらず私の住居を占拠しているばかりか、商品や家財の目録まで作っていることを聞いた。うろついている警官の数を見れば、今どきには珍しく力を倍加して捜査を続けているのが容易にわかった。当時の抜け目のない政府は、政治的な逮捕以外は、どんな場合でもムキにならなかった。それなのに、これほどの捜査ぶりを見たなら、私以外の者だったらブルってしまって、たといしばらくの間でもパリにおさらばするのが利口だと考えたろう。暴風雨がすぎ去るにまかせておくのがいいにきまっていた。しかし、私を慕って一緒にいたばかりに苦労の真っ只中にいるアネットを置き去りにする決心がつかなかった。事実、このとき、彼女はたいへんな苦しみを味わった。警視庁のブタ箱に入れられ、極秘裡に二十五日間も拘留された。強情を張らずに私の隠れ家を教えたら出してやる、さもないとサンラザール監獄に死んで腐るまでブチこむぞと脅された。胸にドスを突きつけられても、アネットは喋らなかったろう。彼女が、そんな痛ましい境遇にいることを知った私の悲しみを察していただきたい。私は、彼女を救うことができなかった。もし、なんとかできるものなら、真っ先に駈けつけて救いだしただろう。数百フラン貸してあった友人が返してくれたので、その金の一部を彼女にとどけ、その拘留は間もなく終わるだろうと楽観していた。なぜなら、けっきょく、脱獄囚と同棲していたということしか彼女を責める理由はないからだ。私はパリを離れるつもりだった。ただ、出発前に彼女が釈放されなければ、後ほど行先を知らせることにした。
私は、チクトンヌ街のブアンという革職人の家に泊まっていた。彼は、礼金と引き換えに通行証をとって譲ってくれると約束した。彼と私の人相は、ぴったり一致していた。彼は、私と同じに金髪で青い眼、血色がよく、また、たまたま不思議なことに、上唇の右側にかすかな傷痕があった。ただ、私より背丈が低かった。だから、警察で身長を測る前に、私と同じ高さになるように靴下にトランプを数枚入れておかねばならなかった。ブアンは、この方法を実際に使った。もっとも、私は、必要があれば、望みに応じて十センチぐらいは小さくなれる不思議な能力を使うこともできたのだが、彼が売ってくれた通行証のお蔭で縮小術を発揮しなくてすんだ。こうした通行証を手に入れ、これだけ似ていれば私の自由は保障されていると思って満足した。そんなとき、ブアンが、(私は一週間前から彼の家にいた)、ある秘密を打ち明けた。それを聞いて、私は震えあがった。この男は常習的なニセ金づくりだったのだ。腕前を見せてやろうと、私の眼の前で五フラン銀貨を八枚、鋳造して見せ、その日のうちに女房が使って帰ってきた。ブアンの打ち明け話が、私にとってどれほどの驚きだったか察していただけると思う。
まず、こんなことがあろうかという結論を引きだした。いずれ、彼の通行証は、憲兵隊の眼には最悪の証明書になる。というのは、ブアンがやっている仕事から見て、遅かれ早かれ拘引状が出るに違いないからだ。してみれば、そんな物に金を払ったのはきわめて危ない真似だったし、彼の代わりに逮捕されるというオマケまでついてくるところだった。それだけではない。判事や世間の偏見から、いつも脱獄囚を疑ってかかるのは避けられず、ブアンがニセ金づくりで告訴されたら、私は共犯者と思われると推定できないだろうか? これまでも、司法当局は山ほど誤審をやっている。私は無実なのに最初から有罪にされたのだから、二度目もそうならないと誰が保証できる? 不当になすりつけられた犯罪で公文書偽造者にされたが、これはブアンの犯罪と名称の上で同じ種類になる。私は、こうした推測や見通しの重みに押しつぶされてしまった。おそらく、私の弁護人は、弁護するのが恥ずかしくなり、判事に情状酌量を懇願するしかないと思うようになろう。死の宣告を聞いたような思いだった。
ブアンに仲間がいると知って、私の不安は倍になった。テリエという医者で、しょっちゅう家に出入りしていた。いかにも悪党らしい顔付きをしていて、そいつを一見しただけで世界中の警察が追っかけ始めるに相違ないという御面相だった。彼が何者かを知らなくても、その男の後をつければ、必ず悪事の源に行き着けると思ったりした。一言で言えば、彼は、彼が出入りする場所にとってはどこでも不吉な看板になる。彼の訪問は、その家にとって験《げん》が悪いと信じ、そんなヤバい仕事はやめたらどうかとブアンに勧めた。だが、分別のある忠告もブアンには糠《ぬか》に釘で、なんども繰り返して頼んだ末に、やっとのことで、私がいる間は銭コの製造と使用を中断しようと承知したのが関の山だった。警察がやって来たら、まちがいなく私は捕まるから、その際の家宅捜索を受けないためだった。ところが、そういう約束をしたのに、二日後には、またもや大々的にニセ金を作っている現場を押さえた。こうなったら、彼の相棒に言ってやったほうがいいと考え、かれらが、どんなに危険なことに身をさらしているかを色あざやかに説明してやった。すると、医者が答えた。
「よくわかった。お前さんも、そこらにラリってる腰抜けの一人だってことがな。見つかったら、どうなるって? グレーヴ広場へ行ってごらん、ニセ金作って死刑になったのがゴマンといる。だが、わしらは、あそこへは行かん。国会のお歴々を両替屋にしてから十五年になるが、まだ誰も気がつかない。万事好調だ。それに、なァ、お前さん」
彼は不機嫌そうに言い足した。
「ひとつ忠告がある。大きなお世話だってことよ」
下着姿で捕まる
こうした雲行きからみて、それ以上、議論をつづけても無駄だと思い、慎重に自分を警戒することにした。とにかく、できるだけ早くパリを離れることが、これまで以上に必要になってきた。その日は火曜日で、翌日にも出発したかったが、アネットが週末には釈放されるだろうという報せがあって、彼女が出でくるまで出発を延ばす気になった。さて、金曜日の朝の三時、表通りに面した入り口を軽くたたく音がした。たたき方、時間、状況のすべてから察して、私を逮捕に来たなと直感した。ブアンには何も言わずに、すぐに踊り場に出た。階段を上りきって天辺まで行き、樋《とい》をつかんで屋根によじ登り、煙突のうしろに身をひそめた。私の直感は的中した。一瞬のうちに建物は警官でいっぱいになり、隅から隅まで探しまわった。私が見つからないのに驚き、服がベッドのそばに置きっぱなしになっているのを見て、私が下着姿で逃げたと気づいたにちがいあるまい。してみれば、あまり遠くへは行けないし、普通の通路は通れないと結論したらしい。私のあとを追う勇者がいなかったので、数人の屋根職人を呼んで来て、屋根全体を探させ、私は発見されて、とっ捕まった。足場が悪くて、抵抗して落ちたら危険きわまりなかったからだ。だから、ポリ公に二、三発ぶん殴られた以外は、派手な立ち回りもなく逮捕された。警視庁に連行され、アンリ部長の尋問を受けた。数カ月前に私が交渉に来たのをはっきり覚えていて、彼の裁量の範囲で私の立場が有利になることなら何でもしてやると約束してくれた。それでも、私は、ラ・フォルス監獄に送られ、そこからビセートルに移されて、次のクサリ行列の出発を待つことになった。
[#改ページ]
二二 アンリ部長
脱獄にイヤ気がさす
私は、脱獄そのものにも、また脱獄で得られる自由のようなものにもウンザリし始めた。徒刑場に戻りたくはなかったが、シュヴァリエやブロンディ、デュリュックやサンジェルマンたちに似たような宿命を負い続けなくてはならないくらいなら、そんなパリにいるよりもツーロンの徒刑場にいるほうがマシだった。これまでにイヤというほど顔を合わせたことのある徒刑場の常連が大勢いるビセートル監獄の中で、そんな気持になっていた。そのうち、大勢の連中が、救済院〔ビセートル監獄は養老院や精神病院と隣接していた、第七章参照〕の庭からフケる手助けをしてくれと持ちかけてきた。これが昔だったら、その計画を喜んだところだが、今はちがっていた。ダメだとは言わなかったが、場所カンがある先輩として、また、これまでの実績から評価される優越性を保っておくために、連中の計画に水をさした。みんなが、私の実績だとすることは、たとい嘘でも、自分からその通りだと認めた。というのは、獄内で悪党どもと暮らすからには、いつも極め付きの狡賢《ずるがしこ》い極悪人で通すほうが有利だからだ。私の評判も、こんな具合にたいへん巧く作りあげられた。どこであろうと、囚人が四人いれば、すくなくとも三人は私の噂を聞いていた。徒刑囚という者が存在して以来の、とてつもない事件は、みんな私の名に結びつけられて語られた。兵隊がやった功労の全部が手柄にされる将軍のようなものだった。どこそこで私が牢破りをしたとは説明できないくせに、あらゆる牢番が私に一杯くわされ、私に切り落とせなかった鉄枷はなく、私が穴を開けられなかった壁はないことになっていた。抜群の勇気と器用な腕前があるとの名声が高く、いざとなれば捨身になれる男だと言われていた。ブレストでも、ツーロン、ロシュフォール、アンヴェルスでも、つまりどこの盗賊の間でも、最も悪賢くて命知らずの男だと考えられていて、悪いやつほど、私と一緒にいれば、もっと何かを学べると考え、私と仲良くしようとした。新入りの連中は、私の言葉を御利益のある御託宣のように受けとめ、ビセートルで、私は、じっさいに王様になったみたいで、みんなが私のまわりに群がって取り巻いた。かれらの心づかいや敬意は想像もつかないものだった……。
だが、今となっては、そうした監獄の栄光も、いやらしいことに思えるばかりだった。悪人どもと心の絆が強まるにつれ、かれらの正体がはっきりすればするほど、そうした連中を社会の懐に飼っているのが嘆かわしく思われてきた。以前は、おなじ不幸な仲間だと感じていたが、今では、そんな感情は持ってなかった。つらい経験を重ねたことと年をとって物事の是非がわかってきたことで、そうした悪人ばらと自分を区別して考える必要があるのがわかってきた。かれらの助力や俗悪な言葉がイヤになった。そこで、これから先はどうなろうと、堅気な人の側に立って連中に立ち向かおうと決意して、アンリ部長に手紙を書き、手助けさせてくれと改めて申し出た。どこの監獄でもかまわない、あきらめて刑期を勤めるから徒刑場にだけは戻さないでくれという他には条件をつけなかった。
手紙には、私が、どんな情報を提供できるか詳しく書いたので、アンリ部長は大いに関心をもったが、たった一つの点で二の足を踏んだ。つまり、それまでにも多くの容疑者や囚人が警察の捜査に協力すると約束しておいて、とるに足りない情報しか渡さなかったり、それどころか、しまいには当の本人が現行犯で挙げられるといった前例を考えたからだった。この強い考えを知った私は、私の有罪判決の理由(注)、私が自由の身になる度に法を守って行動したこと、まっとうな生活をするための不断の努力、以上を挙げて反論した。最後に、私の手紙や書籍や帳簿を提出し、仕事上で関係があったすべての人々の証言を引用した。とりわけ、債権者たちの証言は、誰もが私に絶大な信用を置いていた。
〔原脚注〕私が提出した書類の中に左記のものがあったので、ここに転写しておく。これは私の判決理由に関係があるし、また同時に私が最後にドーエ監獄に収監されていたときローソン主席検事が私のために奔走してくれたことを証明する。
ドーエ、一八〇九年一月二十日
ノール県刑事裁判所
帝国検事正 殿
ヴィドックなる者は、共和国五年雪月七日、釈放命令書偽造により懲役八年の刑を宣告されたることを実証する。
当時、ヴィドックは、軍の命令不服従、もしくは他の軍律違反により収監されていたもののごとく、有罪判決を受けた公文書偽造は、囚人仲間の脱獄に便宜を供与することだけが目的であった。
さらに、主席検事である本職は、下記の事実も実証するものである。すなわち、裁判所の記録所に保存しある当人の供述によれば、前記ヴィドックは徒刑場への移送時に刑場より脱走し、再逮捕され、再び脱獄。さらにまた逮捕されたが、当時のドーエ駐在の主席検事ローソン氏は、謹んで法務大臣閣下に書簡を呈上、ヴィドックの判決時点より再逮捕時までの期間を勘考して刑期を勤めたものと看做《みな》し得るかに関して大臣閣下の御判断を仰いだ。
しかるに、最初の書簡には回答がなく、ローソン氏は、再三再四、書簡を送った。ヴィドックは大臣閣下の回答がないのを不利と判断して、さらに脱獄した。
主席検事である本職は該書簡を一通も提出できない。前任者のローソン氏の記録簿と書類を同氏の家族が持ち去って検事局への返還に応じないからである。  ――ロジ
私が引き合いに出した右の事実は、たいへん有利な働きをした。アンリ部長は、私の要求を警視総監パスキエ氏の判断にまかせ、総監は要求に応じる決断をした。その結果、私はビセートルに二日間いた後でラ・フォルスに移され、当局は、私が疑われないように、私が某重大事件に連座したように見せかけて、その予審が始まるという噂を流した。この慎重な地ならしは私の悪名と結びついて、すっかりいい雰囲気になった。私が噛んでいるという事件の重大さを敢えて疑おうとする囚人は一人もいなかった。懲役八年の刑から逃れるためには、犯人だと決まったら処刑台に上らされるくらいな大きな罪を犯しているつもりになって、大胆で粘り強い男だということを見せねばならなかった。結果、ラ・フォルス監獄では、みんなが小声で、あるいは大っぴらに私のことを『あいつは殺人鬼(人殺し)だ』と呼んだ。私がいた牢獄という場所では、ふつう殺人犯には絶大な信頼が寄せられるので、これほど私の計画にとって有利になる誤解を反駁《はんばく》しないようにした。ところが、そのときは喜んで広まるままにしておいた身に覚えのない噂が後々まで流布されて、後日、回想録を出す時になって、私は一度も殺人を犯したことはありませんと余計な弁明をするようになろうとは、当時の私には予測もつかなかった。
世間で私のことが云々されるようになってからというものは、私の人となりについて、どれほど多くのバカげた話が流されたことか。警察関係の者たちが、私を極悪人に仕立てるために、どんな嘘をでっちあげたか。ある時は、烙印を押された終身懲役者だと言われ、またある時は、月に一定の数の人間を警察に引き渡すという条件で、やっとギロチンを免れたので、一人でも足りないと即座に取引きが御破算になる、だから、真犯人がいないときは勝手に誰かを犯人に仕立てるといった私流のやり方をしていると、まことしやかに断言する者もいた。『カフェ・ランブラン』で、学生のポケットに銀食器を入れたと私を告発するところまで行ったではないか? 後ほど、本書の若干の章の中で、こうした中傷のいくつかを折りにふれて取り上げるつもりだ。そのときは、警察の手口や行動や内幕、私に明らかになったこと、私が知ったことの一切を白日のもとに暴露することにする。
私がした約束を果たすのは、はたの人が思うほど易しいものではなかった。じっさい、私は大勢の犯罪者を知ってはいたが、ありとあらゆる暴力沙汰や司法の手によって、また、徒刑場や監獄の恐ろしい管理や、悲惨な生活苦によって、たえず殺され消えて行き、あの忌わしい世代の泥棒たちが、あっという間にいなくなった。新しい世代が犯罪舞台を占拠し、そこに登場している人物の名まではわからず誰が名うての者かも知らなかった。当時、大勢の盗賊が首都を荒しまわっていたが、その中心になる人物たちについてはひとかけらの情報も提供できなかった。そこで、こうした文明社会の中の渡世人たちの本家本元の事情を知るには、私の古い悪名に頼るしかなかった。この名声は、思った以上とは言わないが、望んだだけの役には立った。ラ・フォルスには、私と付き合いたくないという泥棒は一人もいなかった。たとい私とは会ったことがない者も、仲間の眼に偉く見せるためと自尊心から、私と親密なように見せかけたがった。私は、この奇妙な虚栄心をくすぐってやった。この方法で、じわじわと探索の道にすべりこみ、やがて山ほど情報が手に入るようになり、もはや使命を果たすのに障害を感じなくなった。
老婆殺し
私が囚人たちの心に与えていた影響力がどの程度のものであったかは、これだけ言えば十分であろう。つまり、私は、自分の意見や好意や恨みを意のままに囚人たちに吹きこみ、かれらは私を通してでしか考えず誓わなかった。あるとき、みんなが一人の同囚の男を嫌いだしたことがあった。いわゆる羊イヌ〔囚人の仲間になって探る警察のスパイ〕らしいと思われたからだった。その男は、私が保証してやっただけでたちまち名誉を回復した。私は有力な保護者であり、また誰かの誠実が疑われたときなどには保証人にもなった。このような保証を最初に与えてやったのは、前記の男とは別の、密偵になって警察の役に立っていると疑われた若い男だった。みんなは、彼がヴェイラ部長刑事に雇われているんだと主張し、その部長のところに報告に行った際に銀器が入れてあった籠を盗んだとも言い足した……刑事の家で盗みをやるとは乙リキな話だが、報告に行ったなんて……これが、今日の私の後任者であるココ・ラクールに負わされていた大罪だった。囚人全員から脅され、追いたてられ、のけ者にされ、いじめられて、中庭に足を踏み入れることもできず、ココは、私の保護を頼みにくると、気に入ってもらおうとして、私が利用できる打ち明け話を始めた。そこで、まず私の信用度を使って、彼と囚人たちを仲直りさせた。囚人たちは報復の企みを捨てた。私の他には、それ以上のことはしてやれなかったろう。ココは、感謝の気持と、まだ話したかったこともあって、もう私には何も隠さなくなった。ある日、予審判事に呼び出されて戻ってくるなり、こう言った。
「ウヒヒ、おれはツイてるぜ……訴えたやつらの誰も俺だと確認できねェんだ。だけど、これで助かったとは思っちゃいねェ。まだ銀時計を盗んだ門番の畜生がいるんだ。ながいこと話しこんだから、俺の顔を覚えてるに違いねェ。もし、あいつが呼び出されたら、面通しで一巻の終わりだ。でェいち、仕事がら、門番ってのは人の顔をよく覚えてるもんだからな」
彼の思惑は当たっていた。しかし、私はココに言ってやった。その門番は見つかりそうもないし、今日まで申し出ていないんだから、おそらく自分から出頭して来るなんてことはあるまい、と。さらに、この考えを納得させるために、世の中には呑気で不精なやつがいて、坐ったきりで自分の場所を動くのをイヤがるもんだと話して聞かせた。場所を動くなどと言ったのに釣られて、ココは、時計の持主が住んでいる地区の名を言った。通りと番地を洩らしてくれさえすれば言うことなしだったのだが、そこまで完全な情報を聞きだすのは控えた。そんなことをすれば裏目にでる。それに、それだけで捜査には十分だと思われた。このことをアンリ部長に知らせたところ、捜査員をさし向けて探させた結果、私が予期したとおり門番が見つかり、彼と対面をさせられたココは、被害者の証人の前にグウの音もでず、裁判所は禁錮二年を言い渡した。
そのころ、パリには脱獄囚の一団がいて、毎日のように盗みを働き、その悪業を終わらせる望みはなかった。何人も逮捕されたが、まったく証拠がなく、頑として否認し、ながいあいだ司法当局に挑戦していた。当局としては、現行犯を押さえるか証拠物件を手に入れるかしないと対抗できなかった。盗品を押さえるには、連中の住居を知らねばならないのだが、まったく巧みに居所をくらましているので、どうしても発見できずにいた。一味の中にフランス、通称トルメルという男がいた。この男、ラ・フォルスに来るなり、自費独房に入りたいから十フラン都合してくれないかと私に頼んできた。私は、すぐに金を渡してやった。それ以来、彼は私と同じ房に入り、私の配慮を喜んで、すっかり私を信用した。彼は、逮捕されたときに千フラン札を二枚、警官の検査をごまかして持ちこんでいた。その金を私に預けて、必要に応じて少しずつ渡してくれと頼んだ。
「おめェさんは、おいらのことを知らねェが、これが保証金だ。預けとく。おいらが持ってるよか、おめェさんが持ってたほうがいいや。あとで両替することにしよう。今はヤバい。持ってたほうがいい」
私もフランスの意見に賛成し、彼の望みどおりに銀行代わりになる約束をした。私が持っていてもヤバくなかった。
フランスは、フェドー小路の傘屋に押しこみ強盗を働いた廉《かど》で逮捕され、何度も尋問されたが、一貫して住所不定だと供述していた。しかし、警察は、住居があるにきまっている、そこには泥棒の七つ道具や盗品があるのは確かだと思いこんでいたので、なおさら場所を知りたがった。それを探りだすのが最重要な課題で、それがわかれば物証を手に入れることができるのだった。アンリ部長は、その成果を得るのに私をアテにしていると言ってきた。そこで、私は、いろいろとフランスに働きかけ、まもなく、彼が逮捕時にモンマルトル街とノートルダム・デ・ヴィクトワール街の角に住んでいたことを知った。彼は、そのアパルトマンをジョゼフィヌ・ベルトランという女の故買屋の名で借りていた。
この情報は確かだったが、これをフランスに疑われないように活用するのは難しい。私にしか打ち明けていないのだから、裏切りを疑われるのは私しかいない。だが、私は、うまくやってのけた。彼は、私が秘密をバラしたとは夢にも思わず、アンリ部長と打ち合わせた計画がすすむにつれて感じる不安を私に話した。つまり、警察は、偶然に見つけたようにして巧く立ち回った。これがサツのやり方だ。
警察は、フランスが住んでいた建物の借家人の一人を抱きこみ、この借家人が、三週間くらい前からマダム・ベルトランの部屋に人の動きがないと家主に注意した。これが警戒心を呼び、かんぐりが始まる。人々は、その部屋にいつも出入りしていた人間を思いだす。近頃は会わないのを不思議がる。もう、あの人はいないんだと噂しだす。失踪という言葉が口にのぼるようになり、そのへんから警察に話す必要があるということになる。その次は、証人が立会ってドアが開けられる。次に、その界隈で盗まれた品物の発見、最後に泥棒道具の押収、となる。さて今度は、ジョゼフィヌ・ベルトランという女の行方を知るのが問題になってくる。警察は、彼女が家を借りに来たとき、知人として名を挙げた人たちのところへ行ってみたが、その女については誰も知らなかった。ただ、彼女を引き継いでモンマルトル街の例の住居に入ったランベールという女の子が逮捕されていることがわかった。その娘はフランスの情婦だと言われていたので、二人は、そこを共同の巣にしていたに違いないと結論した。その結果、フランスは現場に連れて行かれ、すべての隣人が彼を確認した。彼は、みんなが人違いしているんだと主張したが、彼を裁いた判事たちは、彼の主張とは反対の決定を下した。彼は、八年の懲役を宣告された。
いったんフランスが落ちたとなると、共犯《れつ》の足どりをたどるのは容易だった。その主だった二人はフォサールとルガニュールという男だった。しかし、かれらを追いつめたのだが、せっかく私が捜査の手引きをしたのに、刑事たちの怠慢とドジのせいで逃げられてしまった。フォサールはたいへん危険な男で、合鍵作りの名人だった。十五カ月も警察をコケにしていたが、ある日、タンプル街の下水渠の向かいにあるカツラ師のヴィエイユの家にいると聞きこんだ。おっそろしく変装が巧いし、二百歩も向こうでポリを嗅ぎつけるので、どうやら家の外でパクるのは無理なことだった。それに商売道具や稼いだブツのド真ん中で捕まえたほうがいい。だが、その捕物には何かと困難があると思われた。フォサールは、誰かが戸をたたいても決して出て来ないだろうし、奇襲されたときの逃げ道や屋根に出る手筈をととのえているだろう。彼を捕まえる唯一の方法は、留守を狙って住居に忍びこみ、待ち伏せすることだと思った。アンリ部長も私と同じ考えだった。そこで、警視が一人立会って入口の錠前を開け、三人の刑事が壁のくぼみに隣りあった戸棚に身をひそめた。そして、七十二時間ちかくが誰も来ないまま過ぎた。三日目の終わりには、食糧が尽きて、刑事たちが引き上げようとしたとき、鍵穴に鍵を差しこむ音がした。帰ってきたのはフォサールだった。すかさず二人の刑事が命令どおり戸棚から飛びだして彼にとびかかった。だが、そのとき早くも、フォサールは、テーブルにあった短刀をつかんで刑事に突きつけて震え上がらせた。彼は、もう一人の刑事が閉めたドアを他の刑事に開けさせ、こんどはフォサールが鍵をかけて三人を閉じこめ、静かに階段を下りて行き、かれらに完全な報告書を作成する時間をあたえてやった。ただし、かれらは、その報告書には短刀の一件は触れないように気くばりをした。一八一四年に、私がフォサールを捕まえたイキサツは、この『回想録』の後段で述べるが、ここの話に負けないくらい面白い。
フランスは、その後も私の友情を信じつづけて、コンシェルジュリ〔パリ裁判所付属牢獄〕に移される前に、彼の親友を推挙してくれた。それが彼の仲間の脱獄囚ルガニュールで、モルテルリ街で合鍵を使って盗みに入っていたところを逮捕されていた。この男は、仲間のフランスが行ってしまって金づるがなくなったので、グロカイユウ地区ドミニク街の故買屋に預けてある金を引き出そうと考えた。この相談を受けた私は、アネットに使いを頼んだ。彼女は、せっせと私がいたラ・フォルス監獄に面会にやって来て、ときどき、たいへん手際よく私の捜査の手伝いをしていた。だが、故買屋は、警戒したのか、それとも預り金を猫ババしようと思っていたのか、アネットに剣もほろろの応待をした。彼女が食い下がると、逮捕してもらうぞと脅しまでした。アネットは戻ってきて、使いが失敗に終わったことを告げた。これを聞いたルガニュールは、故買屋を密告しようとしたが、その決意は、ついかっとなったはずみにすぎなかった。平静になると分別を取り戻し、復讐を延期して自分のトクになる方法をとった。
「もし、こっちがタレこんだら、虻蜂《あぶはち》とらずになるばかりか、あいつは手前の弱身が見つからないようにするにきまってる。娑婆に出るのを待ってたほうがいいや。たっぷり歌わせて(お礼参りする)やるぜ」
ルガニュールは、故買屋から金を取り戻す望みがなくなったので、二人の仲間に手紙を書くことにした。評判の泥棒、マグリとヴィクトル・デボワだ。ささやかな贈り物が友情を長続きさせるという昔からの道理をわきまえていたので、援助してもらう代わりに、自分のためにとっておいたいくつかの鍵型図を二人に送りとどけることにし、もういちどアネットに仲介を頼んだ。彼女は、ドゥポン街にある、みすぼらしい中二階で二人をみつけた。あばら家のような部屋だったが、かれらは、そこに住んでいたのではなく、よくよく用心してからでないと、そこへは決して寄りつかなかった。私からアネットに、できる限りのことをして、かれらのヤサを突きとめてくれと頼んであったので、かれらを見失わないように気をくばった。二日間、いろんな変装をして二人を尾行し、三日目にサンジャン小路の庭園の出口にある家をネグラにしていることを確かめて知らせた。こうした事情の報告を受けたアンリ部長は、現場の状況に応じたあらゆる措置を執るように命令したが、部下たちは、フォサールを逃がした連中より勇敢でも利口でもなく、二人の泥棒は庭園を通ってズラかってしまった。この二人をサンヤサント街とサンミッシェル街で捕まえることができたのは、ずっと後になってからだった。
ルガニュールもコンシェルジュリに移送される番になった。彼に代わって私の房に入って来たのは、ロバンというヴェルサイユの居酒屋の息子で、パリ中のペテン師どもと付き合いがあった。私と語りあっていて、その連中の前歴から現在の状況、これからの計画に至るまで完璧な情報を与えてくれた。単なる脱走兵として拘置されていたマルダルジャンという囚人が、実は脱獄囚だと教えてくれたのもこの男だった。マルダルジャンは、懲役二十四年の刑を受けて徒刑場にいたのだ。私は、徒刑場にいたときのメモと記憶の助けを借りて、すぐに彼とツーカーの仲になった。彼は、私が不幸を共にした昔の仲間に会って喜んでいるものと思いこみ、囚人の中にいる大勢の仲間を教えてくれた。当局が、たぶん証拠不十分として再び社会に野放しにする多数の悪者を徒刑場に逆戻りさせ、私は大いにほっとした。私の警察界へのデビューを飾る諸発見は、これまで誰もやったことがないような重大なものばかりだった。警察行政に加わったとたんに、早くも首都の治安に、フランス全土の治安にさえも大いに貢献したことになったのだ。こうした手柄話の全部を語っていたら、読者の辛抱づよさに甘えることになるが、私が牢を出る前の一カ月たらずの間の出来事は黙ってすごすわけにはいかない。
ある午後、なにか騒ぎが中庭でもちあがり、すさまじい殴りあいが始まった。その時間にはよくあることだったが、今度のはオレストとピラード〔ギリシア神話、オレステースとピュラデースは親友〕の喧嘩だったのでびっくりした。二人の戦士は、ブリニョンとシャルパンチエ、通称『おんどり』だった。かれらは、どんなに厳しい拘禁生活の中でも文句なしの腹がたつほどの仲良しで知られていた。ものすごく殴り合っていた。嫉妬が原因で仲たがいしたとのことだった。それはどうであれ、喧嘩が終わると、打撲傷だらけの『おんどり』が傷を冷やしに酒保に入って来た。そのとき、私はピケ遊び〔トランプ遊びの一種〕をやっていた。『おんどり』は、負けたので頭にきて我を忘れ、夢中で飲んだ気付けのブランディで元気を取り戻すと、誰かに胸のうちをブチまけたい気分になって、私に話しかけた。
「なァ、おめェ、おめェは俺のダチだもんな、おめェさんは……見たか、あいつがやったことォ、ブリニョンの畜生が?……極楽にゃ行かせねェからな……」
「あんなのは、ほっとけよ、あいつのほうが強いんだ……あきらめるんだな。こんど、やられたら……」
「ああ、それを言いてェんじゃねェ。俺が、その気になれば、あいつは、もう誰も殴れなくなるんだ。俺も、だーれもだ。知る人ぞ知るだ……」
「えっ、なにを知ってるんだ?」
いちばん後の言葉の調子に驚いて、私が声をあげた。すると、ますますヤケになった『おんどり』が、
「んだ、んだ。俺を怒らせやァがった。口を割る(しゃべる)だけでいいんだ……とたんに、あいつはチョン(ギロチンにかけられる)だ」
私は信じないフリをした。
「黙らんか。型どおりの御託《ごたく》を並べてやァがる。お前が誰かをこうと思ったら、そいつの首が飛ばなきゃならんのかい」
「そう思うか。あいつがナゴを眠らせた(女を殺した)って言ったらどうする?」
彼は拳固でテーブルをたたいて喚《わめ》いた。私は、内緒ぶって口に指をあてた。
「声がデカいぜ、おんどり、声がデカい。ロルスフェ(ラ・フォルス監獄)の壁にゃ耳があるのを知ってんだろ。仲間をホカしちゃ(偽わりの密告をする)いけねェやな」
「なんでホカすなんて言うんだ? あいつの熱を上げるなァ俺の胸三寸にかかってると言ってるんだ」
私が喋らせまいフリをすると余計に苛立った。
「けっこうなこった、がな、人ひとりをパン焼き板にのっけるにゃ(重罪裁判所へ送る)、証拠ってもんがいる」
「証拠だと、パン屋(悪魔)がネタを欠かしたタメシがあるかい?……まァ聞け……ノートルダム橋の下《しも》でやってる淫売屋の女将《おかみ》を知ってるな?」
「むかし共食い屋(娼婦)に衣裳などを貸す商売をやってた、シャトネの情婦で、せむしの亭主がいる?」
「それだ。さて、三カ月前だ、ブリニョンと俺がプランシュ・ミブレ街の茶屋で、のんびりと煙草をふかしてた。そこへ、あの女がやって来て、俺たちを見つけると言ったもんだ。『おいしい話があるんだよ。こっから遠くない。ソヌリ街だよ。あんたら、いい子だから教えたげるよ。婆さんなんだけどね、うなるほど金を集金してくるんだ。幾日か前にゃ金貨か札で一万五千から二万フラン持ってた。たいていルヨ(夜)になってから戻ってくっからノド笛をすぱっとやって銭コをガメて(金を奪って)から、川にド……でいいさ』。はなっから、女が、こう持ちかけてきたんだが、俺たちゃ話を聞こうとしなかった。タタキ(殺人)はやってなかったんでね。けど、あの札つき女郎めが、しつこいたらなくて、御馳走(たくさんな金)なんだと繰り返すんだ。それに、ババア一人をバラし(殺し)たって大して悪いこっちゃないとか、あんまりせっつくんで、とうとうミコシをあげることになり、共食い女が具合のいい日と時を知らせることでナシがついた。だけどな、俺は、そのヤマをふむのは気がすすまなかった。やっぱ、ホラ、なれねェことをする時は、たいてい、そんな気がするもんさ、とにかく、どっちにしろ、事は決まったんだ。その次の日に、俺たちは、セーヴル〔パリ郊外の町〕近くの『四本煙突』亭で、ヴォワヴネルと、もう一人のノビ師(盗人)が一緒にいたのに出会った。ブリニョンが、このヤマはイヤなんだがと言いながら仕事の話をした。そしたら、連中が、そっちが承知ならスケてやろうかと言いだした。するとブリニョンが、『オンの字だ。二人分が四人分になるだけさ』、と答え、連中がレツ(共犯)になることが決まった。その日から、ヴォワヴネルのダチ公が俺たちにへばりついた。ただもう決行の時を待ってたってわけだ。とうとう共食い女が知らせてきた。十二月の三十日だった。霧がかかっていた。今日だぞ、とブリニョンが俺に言った。盗っ人の誓いに誓う、信じてくれ、俺は行きたかなかったんだが、引っぱられちまった。ほかの連中と婆さんの後をつけた。夜になって、集金が終わると、婆さんが、おとむらい小路にある貸馬車屋のルーセの家から出てきた。俺たちはババァをやっつけた。ウメアイした(短刀で刺す)のはヴォワヴネルのダチ公で、うしろからブリニョンがケープを巻きつけて押さえつけた。手を出さなかったのは俺だけだが、何もかも見た。ケンシ(見張り)をやらされてたからだ。だから、あのブリニョンの畜生に引導を渡せる(ギロチン処刑)だけのこたァ知ってるってわけさ」
『おんどり』は、殺しの一部始終をこまごまと、また珍しいほどの無感覚で語った。その恐ろしい話を最後まで聞くには、その都度、憤りを隠すのに信じられないほどの努力をしなければならなかった。彼が口にする言葉は、どんな情の強《こわ》い男だって髪が逆立つ思いのものだった。その悪党が、ガイ者の苦しみを恐ろしく正確にたどり終えたあとで、私は、あらためて、友だちのブリニョンをダメにするのは止めろと忠告した。これは、火を消すように見せかけて、同時に上手に油をそそいだのだった。腹立ちまぎれにブチまけた恐ろしい暴露を、当局にも平然と喋らすように仕向けたつもりだった。また、殺人犯人をキメつけるのに必要な証拠も司直に差しだしたいと思った。はっきりさせねばならないことが山ほどあった。もしかして、『おんどり』は、酒の勢いと復讐の念に燃えて作り話をしただけなのかもしれなかった。なにはともあれ、アンリ部長に報告し、その中で私の疑問点を述べておいた。すぐに返事がきて、私が密告した犯罪は、まぎれもなく実際にあった事件だと知らせてきた。と同時に、その殺しの前後の状況について確かな情報を手に入れるように指示してきた。さっそく、その時点から、私は策を練り始めたが、仕掛けの出どころを疑われずに共犯者を突きとめるのは難しいことだった。だが、別のことでもよくあったが、このときも偶然が手を貸してくれた。夜が明けると、『おんどり』を起こしに行った。昨日から、まだ病人のままで起きられずにいた。私はベッドの端に腰をかけて、前の日の徹底した酔っぱらいぶりや不用意なお喋りのことを咎めた。咎められてびっくりしたようだった。きのう彼から聞いた話の一言二言を繰り返して聞かせると、ますます驚いて、そんなことを言う筈はないと言い張った。本当に忘れたのか、それとも私を警戒してのことか、なにがあったのか少しも覚えていないと私を言いくるめようとした。そこで、彼が嘘をついているかいないかは別として、本気になって言い切ったその言葉をつかまえ、そいつを利用して『おんどり』に言ってやった。殺人のいきさつを話したのは私にだけじゃない、酒保で大声で喋ったんで、あそこにいた大勢の囚人が、みんな私と同じようにちゃんと聞いていたんだぞ、と。すると、彼は、がっくり落ちこんで、
「ああ、俺は、なんてドジなんだ。俺としたことが何をやっちまったんだ? この際、どうすりゃ助かるんだ?」
私は答えてやった。
「なァに、お安い御用だ。もし誰かが昨日のことを聞いたら、こう答えりゃいい。『いや、まったく、俺って酔っぱらうと、なにを言いだすやら。とくに、誰かを面白く思っていねェと、なんでもデッチあげちまうんだ』、とな」
『おんどり』は、この忠告を現ナマ同様に受けとった。その同じ日に、みんなから羊イヌだと思われていたパンソンという男がラ・フォルスから警視庁に連れて行かれた。これほどタイミングがいいことはなかった。私は大急ぎで『おんどり』に知らせると、どの囚人も、パンソンが引っぱり出されたのは何かをバラしに行ったにちがいないと考えていると付け加えた。これを聞いて、どきっとしたらしい彼は、すぐにこう尋ねた。
「あいつは酒保にいたかな?」
さァどうだったか、気をつけていなかったから、と私は答えた。すると、彼は、もっと率直に不安を訴えたので、さらに新しい情報をつかむことができた。すぐさま新情報をアンリ部長に伝えた結果、殺人の共犯者の全員が召捕られ、その中に共食い女と亭主も入っていた。かれらは分離して独房に入れられ、ブリニョンと『おんどり』は新獄舎に、共食い女と亭主、ヴォワヴネルと四人目の下手人は医療監獄に長いあいだ入れられていた。起訴されて予審に付され、私は、それ以上この事件には関わらなかった。裁判は成果を上げなかったが、もともと出だしが悪かったからだ。被告たちは放免された。
偽装脱獄
ビセートルとラ・フォルスで拘置されること二十一カ月にもなり、その間、なにか重要な仕事をしない日とてはなかった。その一方では、このまま終身の羊イヌのままでいるのではないかとも思った。ことほど左様に、当局と私の間にある繋がりを少しでも疑う者は誰もいなかった。看守も衛兵も私の役目には気づかなかった。盗っ人たちに崇拝され、兇悪きわまる悪党どもからも尊敬された。そういう連中にだって、いわゆる尊敬の念というのはある。そんなわけで、どんな時でも、かれらの献身を当てにすることができ、かれらも私のためなら骨身を惜しまなかった。その証拠に、前にも述べたビセートルにいたマルダルジャンという男などは、私がラ・フォルスから出かけるのは警察に協力しているからだと言いだした囚人たちを相手に何度も殴りあいをしたことを見てもわかろうというもの。ココ・ラクールとゴローは、同じ建物に矯正不能の窃盗犯として収監されていたが、やはり他の者に劣らず温く私をかばってくれた。その二人には他の者よりもとくに気をくばってやった訳でもなく、自分の使命に従ったまでだったのだから、アコギな真似をされても仕方がなかったのだ。しかし、今日、かれらは、私の感謝の気持から密偵としての報酬を受けることになったし、私の働きだけが社会のタメになっていると私を買いかぶっていたが、それ以上の協力をした。
アンリ部長は、私が頭を働かせて内偵した数々の発見を警視総監に報告するのを怠らなかった。この役人は、いかにも頼りになる人物のように見えたが、とうとう私の拘置期間を終わらせることに同意した。私が自由を回復したと思われないように、あらゆる手段がとられた。ラ・フォルスに迎えが来て、最も厳しい警戒のうちに連行された。手錠をかけられ、やなぎ馬車に乗せられた。だが、途中で脱走する手筈がついていて、実際に私は逃げた。その夜、全警察が私を追いかけた。この脱走は大評判になり、とくにラ・フォルス監獄では、友だちが大喜びして祝った。かれらは、私の健康と無事を祈って乾杯した。
[#改ページ]
二三 自由の身に
鬼の天使
警視総監パスキエ男爵とアンリ警視の名は、けっして私の記憶から消えることはあるまい。この寛大な二人の人物は私の解放者で、いくら感謝しても足りない方だ。私に生命以上のものを取り戻してくれたのだ。かれらのためなら何度でも命を投げだすし、かれらから満足のまなざしを向けてもらうために、いつも私が命を危険にさらしていたのを知ったら、私のことを信じてもらえるものと思う。
私は自由に呼吸し、自由に歩きまわり、もう何の心配もない。今では密偵になって神聖な義務を持っている。尊敬すべきアンリ警視が私の教育を引き受けた。なんといっても、首都の治安は彼の双肩にかかっていて、犯罪を予防し、悪人を見つけて当局に引き渡すのが、私に託された任務の主なものだった。この義務を果たすのは並大抵のことではなく、アンリ警視は、初歩の私を丁寧に指導して困難を取り除いてくれた。後ほど、私が警察畑でいくらかでも名声を得たとすれば、すべて彼が与えてくれた助言と教育のたまものである……冷静で慎重な性格にめぐまれたアンリ部長は、いかにも罪のなさそうに見える外観の下にひそむ罪状を見抜く第一級の炯《けい》眼の持主だった。ものすごい記憶力と、びっくりするほどの洞察力を備えていた。どんなことも見のがさなかった。加えて、すぐれた人相見でもあり、盗賊たちは、もっぱら『鬼の天使』、鬼天《おにてん》と呼んだ。なるほど、彼は、あらゆる意味で、このアダ名にふさわしかった。というのは、彼にあっては、やさしさと策略が手をとりあっていたからだ。彼に尋問されると、大犯罪者も、自白するか、罪を認めさす何らかの手がかりを洩らすかしないと、滅多なことに部屋から出てこられなかった。アンリ警視には真実を見つけだす本能のようなものがあった。これは習得したものではなく、彼と同じ結果にたどりつこうとして同じやり方をしたとしても、けっきょくは誰もが道に迷ってしまう。というのは、彼のやり方は単一のものではなくて、状況によって変化したからだ。他の人間では代わりが務まらなかった。早い話が、仕事と寝食を共にし、どんな時でも公務を行なう態度にあった。そのころ、市民は、今日のように、お午までは役所へ来るなとか、昼間の四分の一を待合室で待たねばならないというようなことはなかった。いきおい、業務繁多だったが、仕事熱心だったので、いささかの疲れも覚えずにイヤ気がさすことがなかった。こうして、勤続三十五年の後、病苦に打ちひしがれて役所を去った。この部長が、私に与える指示を考えたり、いろいろな犯罪を早急に制圧するために、週に二晩も三晩も時間をすごしていたのを何度も見かけた。病気がたいへん重いときでも、辛い仕事を中断することはなかった。自分の執務室で手当をうけた。けっきょく、彼は、めったにいないような男、おそらく、めったどころか、そんじょそこらにはいないような男だった。彼の名を聞くと泥棒たちは震え上がり、彼の前に連れ出されると、どんなに図太い連中も大ていは降参して、しどろもどろになった。彼が、かれらの心のうちを読みとっていると、誰もが思いこむからだった。
これまで、たびたび実例を見て気づいていたが、有能な人物には、いつも優秀な補佐する者がいるものだ。まさに、『類は友を呼ぶ』、という古い諺《ことわざ》どおりではないか? 私には、その真否のほどはさだかでないが、アンリ警視には、彼にふさわしい協力者たちがいたのは忘れられない。尋問の達人ベルトー氏は、そのうちの一人で、事件の本質をつかむ特別な才能の持主で、彼の記念すべき勝利の記録は警視庁の文書庫にある。この人と並んで、その名を挙げたいのは、みごとな手腕でアンリ警視を補佐した刑務部長のパリゾ氏である。つまり、アンリ警視、ベルトー氏、パリゾ部長の三人は、本当の『三頭政治』を形作って、たえず犯罪に立ち向かって協力し合っていた。パリの悪を根絶して、その巨大都市の住民に本当に安心できる安らぎをもたらしてやろう、これが、かれらの目的であり唯一の願望であった。そして、その成果は十分に期待に応えるものになっていた。当時は、警察の首脳たちのあいだに率直さと和合と親愛の情があったのは事実であるが、そういったものは五、六年前から消え去ってしまった。今日では、上司も部下も、互いに不信の念をいだき、みんなが、お互いに恐れあい、いつも敵対状態にある。各人が同僚を裏切者ではないかと疑い、さまざまな行政機構のあいだには一致も調和もなくなってしまった。こんなことになったのは何が原因だろう? 明確な権限と完全な区別がなく、頂点に立つ人たちから下っ端の者までが適材適所でないからだ。もともと警察には門外漢な人が総監の地位につく。彼は最高の役職で修業してきていて、気に入りの取り巻き連中をぞろぞろ連れて来るが、その連中の最大の欠点は、なんにも特別な取柄がないということだ。連中には、それ以上の長所はなく、総監にへつらって、真実が彼の耳にとどくのを邪魔する。こんな訳で、あるときは、しかじかの方針で、またあるときは別の方針で機構が作り上げられる、というより警察機構がバラバラにされるのを見てきた。総監の更迭ごとに新米が起用されて経験ゆたかな部下が排除される。後ほど、こういう交替人事の結果がどんなものかを述べるが、新しく来た連中に俸給をやる必要からというだけの理由で異動が行なわれるのだ。それはそうとして、私の話の筋に戻ろう。
初捕物
密偵の資格をあたえられると同時に、私は街をうろつくことから始めた。自分を見直して役に立つ働きができるようにするためだった。歩きまわっているうちにたくさんのことに気づいた。そんなことを二十日ほど続けたが、その間は行動の準備だけをした。戦場を研究していたのである。ある朝、保安部長から呼び出しを受け、ニセ金とニセ札の製造と使用の罪で告訴されているヴァトランという男を見つけることになった。ヴァトランは、いったん刑事たちに逮捕されたのだが、お定まりどおり、かれらはホシを逃がさないようにしておけなかった。アンリ部長は、彼の足どりをたどるに役立つと考えられる手がかりをくれたが、まずいことに、その手がかりは、彼の昔の習慣についての簡単なものだけだった。彼が、ひんぱんに出入りしていた場所は全部書いてあったが、そういう場所に、すぐに現われることはありそうにもなかった。だいいち、彼の立場になって考えると、慎重に構えて、むかし知っていた場所は避けるはずだ。そうだとすると、私に残されていたのは、まわり道をして彼のところに辿りつくしかなかった。そんなとき、彼が前に借りていたモンパルナッス大通りの家に家財道具を残していると聞きこんだ。となると、遅かれ早かれ、自分で来るか、他の人を頼むかして引き取るのではないかという話で、私もそう思った。そこで、その一点に私の追求を絞り、家の様子をよく調べてから、すぐそばで昼夜の張りこみをして出入りを監視した。しかし、この監視を始めてから一週間ちかくが過ぎたが、一向に何事もないので、とうとうイヤ気がさし、家主を抱きこむことを思いついた。建物の中のアパルトマンを借りてアネットと一緒に住む。そうすれば、私がいても怪しまれない。さて、部屋を借りてから二週間ほどたったある夜の十一時ごろ、ヴァトランが、もう一人の男と一緒に姿をあらわしたと家主から知らせがあった。私は、ちょっと加減が悪くて、いつもより早く床に入っていたが、いきなり跳ね起きると階段を飛んで駈け下りた。急ぎに急いだのだが、ヴァトランの仲間に追いつくのがやっとだった。私には、そいつを逮捕する権限はなかったが、彼を脅せば情報が手に入るかもしれないと思ったので、とっつかまえて脅しをかけた。たちまち男は震えだし、自分は靴屋で、ヴァトランは、サンジェルマン悪童街四番地に彼と一緒に住んでいるとゲロした。それだけでたくさんだった。下着の上に粗末なオーバーしか引っかけていなかったが、着替えなんかせずに、いま聞いた住所に駈けつけた。
ところで、その家の階に上がったとたんに、ちょうど家から誰かが出てきた。こいつがヴァトランだと思って捕まえようとしたが取り逃がした。うしろから階段で飛びついたが、男にとどいた瞬間、足げりを胸に受けて二十段を転げ落ちた。また跳ね起きて追った。あまり追跡が急なので、男は、踊り場の十字窓から自分の家に逃げこむしかなかった。私はドアに体当たりして開けろと言ったが拒んだ。アネットがついて来ていたので、夜警兵を呼んでこいと命じ、彼女が呼びに行っているあいだに、下へ降りていく足音の真似をした。ヴァトランは、このペテンに引っかかって、本当に私が行ってしまったかを確かめようと十字窓から頭を出した。待っていましたとばかり髪をつかんだが、彼も私の髪をつかんで格闘になった。彼は、二人を隔てている壁にしがみついて頑強に抵抗した。しかし、彼が弱ってきたのを感じたので、全力を集中して最後のユサブリをかけた。部屋の中には足しか残っていない。もうひとふんばりだ、そしたら、こっちのもんだ。えいとばかり引っぱったら、彼は廊下に落ちた。あっという間に、彼が持っていた革切り包丁を取りあげ、縛って外に引きずり出した。アネットだけを連れて本庁に男を連行した。まず、アンリ部長の称賛を受け、次に総監にホメられて礼金をもらった。ヴァトランは稀に見る器用な男で、卸売商だったが、手先の器用さにまかせてニセ金づくりに専念した。死刑を宣告されたが、処刑場に引っ立てられる間際に執行猶予になった。組み立てられていた死刑台が解体され、せっかく見物に来た人々はムダ足をふんだ。このことはパリじゅうの人が覚えているはずである。ヴァトランは、新事実を暴露することになっているという噂が流れた。だが、じっさいは何も陳述することがなかったので、数日後、判決が執行された。
ヴァトランは、私の初捕物で、大手柄だった。この初仕事の成功は、保安の役人や配下の警官の嫉妬を呼びさました。かれらは、私のほうが有能だというのが我慢できず、大いに腹を立てたが、なんの効果もなかった。これに反して部長たちは、大いに私を買ってくれたので、私としても、その信頼により一層応えるために仕事にたいする熱を倍加した。
そのころ、大量の偽造五フラン貨が市場に出まわっていた。私も数個を見せられて、詳しく調べてみると、私を売ったブアンと仲間のテリエ医師が造ったもののような気がした。そこで、ひとつ、真実を確かめてやろうと決意して、二人の動静をうかがうことを始めた。だが、連中には面が割れているので、あんまり近づくと警戒されてしまう。だから、必要なことをはっきりさせるのは骨だった。それでも、根気よく粘ったお蔭で、私が間違っていなかったという確証をつかむことができ、二人のニセ金づくりは製造している現場を捕まり、しばらくして死刑を宣告されて処刑された。世間では、刑事たちの口から、まことしやかに流された噂をもとにして、テリエ医師は私に引きずりこまれたとか、どうやら私が犯罪に使った道具を手に入れてやったらしいとか話しあった。しかし、読者諸君は、私がブアンの家で、犯罪になる稼業をやめるように説得しようとしたとき、彼が何と答えたか思いだしていただきたい。また、テリエが、人に引きずりこまれるような男かどうかも判断できようというもの。
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二四 密偵ヴィドック
悪所通い
パリくらい人口の多い都市には、ふつう、かなりな数の悪所があるものだ。堕落した連中は、そういう場所で落ち会う。私は、連中に出会ったり見張ったりするために、いかがわしい場所に熱心に通った。ある時はある名前、別のときは別の名を名乗って、いかにも警察の眼をくらまさなくてはならない人間のように、しょっちゅう服装を替えた。いつも顔を合わせていた泥棒たちは、私のことを、あいつは俺たちと同類さ、と言い切り、私は脱走者だと思いこんでいたから、私を匿《かく》まうためならひと苦労してくれたろう。頭から私を信用しきっていただけではなく、私を気に入っていたからだった。だから、仕事の計画も教えてくれたが、いっしょにヤマをふもうと誘わなかったのは、私が脱獄囚だから巻き添えにするのを気がねしたからだった。だが、万事その調子でいかなかった次第は、これからの話でわかろうというもの。
隠密行動をやりだしてから数カ月たったころ、あのサンジェルマンと偶然に出会った。なんども訪ねて来ては私を困らせた男だ。ブダンという男と一緒だった。プルヴェール街でレストランをやっている男で、ときどき、もちろん金を払って食事をしに行く家の主人として見知っていた。ブダンのほうも、すぐに私がわかって、なれなれしく声をかけてきたが、わざと返事をしてやらなかった。すると、
「口もききたくない顔をされるようなこと、あっしが何かしましたかい?」
こう突っかかって来たので、
「んや、だけんど、お前さんがサツのイヌだったって聞いてたもんでね」
「そんだけですかい? うん、そりゃ、密偵だったが、ワケを知ったら、ぜったい、そんな気にゃならねェさ」
サンジェルマンが言った。
「そのとおりだ。そんな気にゃならねェよ。ブダンはいいやつだ。俺自身のことと同じに俺が保証するぜ。浮世で生きてるとな、思いがけねェことが、いろいろとあらァな。ブダンが、おめェが言ったような仕事を引き受けたんも、舎弟を助けるためだけだったんだ。でェいち、こいつが、そんなワルだったら、俺がダチになるはずがあるめェ」
サンジェルマンの結構な保証をよしとして、それからはブダンと平気で口をきいてやることにした。
当然のことだったが、サンジェルマンは、彼が最後に姿を消して私を大喜びさせた後どうしていたのかを話して聞かせた。いちおう、私が脱走したのをホメてから、次のことを語った。つまり、また私が捕まった後で元の仕事に戻ったが、すぐに職を失い、またぞろ荒かせぎに舞い戻っているという。ブロンディとデュリュックは、どうなったと尋ねたら、
「ああ、あいつらか。俺と組んで馬車屋をバラした二人は、ヴーヴェーで首をハネられたよ」
あの二人の悪党が、とうとう罪の報いを受けたと聞いて、ただ一つ残念だったのは、共犯者のサンジェルマンの首も同じ断頭台で落っこちればよかったと思ったことだった。
われわれは、何本もワインを空けてから別れた。アバヨをした際、私が、かなりシケた身なりをしているのを見て、サンジェルマンが、今なにをやっているんかと尋ねた。なんにもしていないと答えると、私のことを心配して、きっといい仕事を持ってきてやると約束してくれた。そこで、私が「捕まるといけないんで滅多に出歩かないから、そんなに早々とは会えないと思ってくれ」と言うと、
「俺のほうへ好きなときに会いに来りゃいい。いんや、ぜったい来なきゃだめだ」
行くと約束すると、住所を教えてくれたが、こちらの居所は聞かなかった。
サンジェルマンは、もう前ほど恐ろしい存在ではなく、彼を見失わないように心掛けていようと思った。というのは、いわゆる悪党どもを見張るというんなら、この男以上に私の注意をひく者はいなかったからだ。つまり、私は、そんな怪物を社会から一掃したい思いでいっぱいだった。とりあえずは、首都を毒している悪者の群に戦いをいどむことにした。あらゆる種類の盗みが、とほうもなく多くなった時期があった。市民の話すことといったら、やれ手摺《てすり》が盗まれたとか、陳列窓をやられたとか、鉛屋根を剥がされたなどということばかりだった。フォンテーヌ・オロワ街では、次々に二十基以上も街灯が盗まれたが、引っこ抜いた泥棒は捕まらなかった。まるまる一カ月、現場を押さえようとデカたちが張りこんだが、見張りを中断した当夜に、またいくつか街灯が消え失せた。まるで警察を挑発しているようだった。私は、その挑戦を受けてたち、まもなく、その図太い盗賊どもを司直の手に渡し、ノール河岸〔当時パリ警視庁はセーヌ川のノール河岸にあった?〕の英雄刑事たちをがっかりさせた。全犯人が徒刑場に送られた。その中の一人にカルツーシュという名の男がいたが、姓名の影響なのか、それとも一族に伝わる能力を発揮したのかはわからないけれど、ひょっとしたら、あの有名なカルツーシュ親分の子孫だったのか?〔大盗カルツーシュについては第七章注を参照〕この疑問の解決は系図学者にまかせよう。
毎日、私は、新しい悪事をさぐりだした。私の情報で大勢の悪者が続々と牢屋に入れられたが、収監させたのが私だとは誰一人として気づかなかった。牢内にいた時と同じように娑婆にいても巧く立ちまわったので、私のことはバレなかった。知り合いの泥棒たちは、私を最高の仲間だと思っていたし、その他の連中は、私と話しあうのを嬉しがり、ときたま何かを相談するときは、自分たちの秘密をブチまけられるのが幸せだと考えていた。私は、誰であれ、こうした連中とはとくに城外で会うことにしていた。
ある日、城壁の外の大通りを歩いていたら、サンジェルマンが近寄ってきた。あいかわらずブダンが一緒だった。食事に誘われたので承知した。そして、デザートになったときに、光栄ある三人目の殺人共犯者にならないかと持ちかけてきた。ブダンが住んでいるプルヴェール街の同じ建物にいる二人暮らしの年寄りを消す話だった。私は、悪党どもの打ち明け話にゾッとしながらも、二人を私のほうへ向けた眼に見えない力に感謝し、最初は、その企みに加担するのをためらい、けっきょくは、かれらの熱心で執拗な頼みを断りきれなくなったフリをした。そして、とにかく、その怖ろしい計画を実行するチャンスを待つことになり、話が決まって、サンジェルマンと相棒にさようならを言い、犯罪を知らせることにして急いでアンリ警視に報告に行った。すると、部長は、即座に命令して、その件についてさらに詳しく事情を探《さぐ》れと言った。また、本当に頼まれたのか、それとも、履きちがいの勇《いさ》み足から二人をそそのかしたのではないかを確かめたい気だなと察したので、ぜったいに自分から言いだしたことではありませんと弁明した。すると、警視は、私の申し立てを真実だと認め、満足だと言ってくれた。なお、彼は、オトリ捜査をする警察官について一場の訓話をしてくれたが、その話は肝に銘じた。そういう堕落した職員たちは、どうして警視の言葉を聞き入れなかったのだろう。王制復古〔一八一四年ナポレオン失脚、ルイ十八世、シャルル十世と王制になり一八三〇年七月革命まで続く〕からは、オトリ捜査のためにたくさんの人が犠牲になった。また合法性の時代が再来しても、状況によっては、他の時代の血にまみれた日々のことなどは思いだされないだろう。
話を結びながらアンリ部長は言った。
「よく覚えておきたまえ、社会に最大の災いをあたえるのは挑発をする人間だ。そそのかす者が一人もいないとすると、罪を犯すのは意志が強い者だけということになる。犯罪を心に抱くのは強者だけしかできないからだ。弱い人間は人に引きずられ、そそのかされる。そういう人たちを破滅の淵に投げこむには、かれらの情熱や自尊心の中に動機を見つければよい。この手段で、かれらを誘惑に負けるようにするのが悪の怪物だ。罪があるのは煽動者で、剣で倒すべきは、その怪物なのだ。警察は、事件を作りださないほうがいい」
この教訓は、私には必要なかったが、アンリ部長にお礼を言うと、人殺し両名に張りついて兇行までいかないように妨害するのを怠ってはならないと命令し、さらにこう言った。
「警察があるのは、悪人を罰するためと、かれらが罪を犯すのを防ぐためでもある。犯罪は、常に、事後より事前に知るほうがいい」
アンリ部長の指示に従って、毎日、必ずサンジェルマンとダチ公のブダンに会った。かれらが計画していた襲撃では、大金が入るということだったので、少し待ち切れないところを見せても不思議には思わないだろうと考えて、かれらに会うたびに言った。
「なァ、例のヤマはいつなんだよ?」
すると、サンジェルマンが、
「まだ梨が熱れてねェんだ。その時になったら、こいつが知らせに行くよ」
と言ってブダンを指した。
こうした成行きで、何回も会合したが、まだ何も決まらなかった。私は、またも、いつもの質問をした。ところが、こんどこそ、サンジェルマンがこう返事をした。
「ああ、明日だ。話があるんで待ってたところだ」
落ち合う場所はパリの外だった。私は遅れないように気をつけた。サンジェルマンも同じくらい正確だった。
「まァ、聞いてくれ、こんどのヤマをよく考えてみたが、今やるのは無理だな。だけど、別口がある。断っとくが、やるかやらねェか、はっきりしてもれェてェってわけさ。その仕事のことで、ここに来てもらったんだが、その前に、ひとつ、昨日聞いた内緒話をしとかにゃならん。おめェがラ・フォルスで一緒だったカリエって野郎が、おめェが、あのムショを出られたんは、サツの手助けをするって条件だったんで、おめェは密偵だって言うんだ」
この『密偵』という言葉に息が詰まりそうになった。だが、すぐに立ち直った。けっして顔や態度に出してはならない。サンジェルマンが、じっと見ていて、申し開きを待っていたからだ。これまで、とり乱したことのない機転をきかせて当意即妙な言い訳をした。
「おれが密偵だって噂したって、べつに驚くこたァないんだ。その話のモトは、おれ様だからさ。おれがビセートルに移されることになったなァ知らなかったな。途中でズラかったんだが、他所へ行けなかったんでパリにいるんだ。生きる手だてがあるとこで暮らすしかねェからな。だが、まずいことに、おれは日蔭者だ。捜査の眼をくらますために変装しているが、それでも、おれを見知ってる誰かがいるもんだ。たとえば、むかし仲良くしてたやつかなんかだ。そん中にゃ、おれをノシてやろうとか、金欲しさからパクらせてやろうというのがいねェとも限らねェだろう? そこでだ、そんな気を起こさせねェように、たれこみそうだと思うたびに、おれはサツとつながってるんだと言ってやってるんだ」
「そんならいいんだ、信用するよ。その証拠に、今夜やることになってるヤマを教えてやろう。アンジアン街とオートヴィル街の角に銀行屋の家がある。広い庭があるからタタクにもフケるにも都合がいい。今日は銀行屋のやつ、留守なんだ。金庫にゃ金貨や銀貨や札束が唸《うな》ってて、番人は二人しかいねェ。夜になったらすぐ、いただくことに決めたんだ。今までは、このヤマをふむなァ三人だったが、おめェは四人目になった。アテにしてるぜ。断るようなら、ほんとにイヌだと思うからな」
サンジェルマンの内心はわからなかったが、その話に熱心に乗ってみせたところ、彼もブダンも満足したようだった。まもなく、三人目の見知らぬ男がやって来た。ドベンヌという二輪馬車の御者で、一家の親父さんなのに極道者たちに引きずりこまれたのだった。一同、あれこれと相談を始めたが、私のほうは、かれらを現場で逮捕させるにはどうしたらいいかを前もって考えこんでいたが、食事の割り勘を払う段になって、サンジェルマンがこう言いだしたのでギクッとなった。
「オイ、みんな、おたげェ首がかかってるんだ。慎重にやらなきゃならねェ。今日のヤマでドジは踏みたかねェ。こっちにツキが回るように、こう決めたんだが、異存はねェはずだ。例の家にゃ真夜中ごろに四人とも忍びこむ。ブダンと俺が家の中を受けもつ。おめェら二人は庭に残って、不意を突かれたときに手が貸せるようにしてるんだ。このヤマが筋書どおりに上首尾だったら、当分のあいだは呑気に暮らせるだけのミイリがあるはずだ。だがな、おたげェの安全のために、仕事の時間になるまでは、ばらばらになっちゃならねェ」
この言葉の、終わりのところがよくわからないフリをしたら、サンジェルマンのやつ、もういちど同じことを繰り返して言った。となると、今度こそはお手上げかなと思った。なんか手だてがあるかな? サンジェルマンは無類の向こうみずな男で、金に汚く、日頃から金を手に入れるためなら血を流すことなんか屁の河童というやつだ。まだ朝の十時にもなっていなかった。真夜中までには、かなり間がある。その待っているあいだに、うまく連中の眼をかすめて警察に知らせる機会が来るのを祈った。そこで、もう、どうなろうとままよとばかりにサンジェルマンの提案に賛成し、その用心ぶかさには反対しなかった。なるほど、そうすれば、みんなが秘密を守れる最良の策である。さて、一同に異議なしと見てとると、事実上の首謀者であり精力と自信にあふれたサンジェルマンが満足の言葉をかけた。
「これで、おめェたちの気持が納得いって安心したぜ。俺としちゃ、先行き長く友だちがいのあるところを見せなくっちゃな」
みんな揃ってサンタントワーヌ街の入り口にある彼の家へ行くことになった。辻馬車で家の前に乗りつけて部屋へ上がった。彼は、出発のときまで私たちを部屋に閉じこめておくつもりだった。四つの壁に囲まれて盗賊どもと差し向かいになっては神も仏も頼めない。外に出る口実を考えだすのは到底ムリだった。すぐにサンジェルマンが見抜くだろうし、ちょっとでも疑えば脳天をぶっとばすくらい平気な男だ。どうなるのだろう? 私は、あきらめて居直り、成行きにまかせた。喜んで犯行の支度を手伝うほかはなかった。かれらは、すぐに仕事を始めた。テーブルに数丁のピストルを持ちだして、弾丸を抜いたり、こめ直したり、点検したりした。サンジェルマンは、その中の二丁が役に立たないようだと見て、そいつを別にして脇に置くと、
「分解掃除をしてくれている間に、この豚足〔ピストルのこと。大盗カルツーシェや大密輸屋マンダランが使った言葉〕を取っ替えてくらァ」
こう言って出て行こうとしたので、私が声をかけた。
「ちょっと待った。誰も一人っきりで、ここから出ちゃならねェ約束だ」
「ちげェねェ。約束を守るのが俺の身上だ。じゃ、いっしよに来いや」
「こっちの二人は?」
「二重鍵をかけとく」
その言葉どおり二重に鍵をかけて、私はサンジェルマンについて出かけた。われわれは、弾丸と火薬と火打石を買い、故障しているピストルを別のと交換して部屋に戻った。それで支度がととのって、私は身ぶるいした。ブダンが、静かに二丁のテーブルナイフを研《と》いでいる姿は見るからに恐ろしかった。
時間は、どんどん過ぎていき、午後の一時になったが、なんの切り抜け策も浮かばなかった。あくびをして伸びをし、さも退屈そうに隣りの部屋へ行くと、休むフリをしてベッドに横になった。それからしばらくして、いかにも所在なくて参っているという顔で戻ってきたが、ほかのやつらも私以上に退屈しているように見えた。
「一杯やるか?」
サンジェルマンが言ったので、ほっとして私は声をあげた。
「そいつァいい考えだ。ちょうど飛びきり上等のブルゴーニュ・ワインが家に一籠ある。よかったら取りにやったらどうかな」
アネット
みんなが、いいことを思いついたと喜んで、サンジェルマンは、アネットのところへ門番を使いにだして取っときの酒を持って来てくれるように言づけた。そして、彼女が来たら、ぜったいヤマの話はしないことにして、全員あげて私の気前のよさを有難がった。私は、もう一度ベッドに行って寝ころぶと、鉛筆でメモを書いた。
『ここを出たら、変装して俺たちを見張れ。サンジェルマン、ブダン、それに俺だ。ぜったいに気どられないように注意。俺が落とす物に気をつけていて、拾ったら、あそこに届けろ』
たいへん短いが、これで指示は十分だ。アネットは、これまでも似たような指示を受けている。ちゃんと意味がわかるものと信じた。アネットは、ぐずぐずしていないでワインの籠を持って来た。彼女の顔を見て、みんな陽気になって御世辞を言ったりした。私としては、早いとこ帰ると言いだしてくれないかと待ったが、その時が来たので、キスしながら、そっとメモを渡した。
たっぷり腹ごしらえをしたあと、私は、サンジェルマンと二人で現場を下見に行こうと切りだした。万一に備えて、明るいうちに現場の配置を調べておいたがいいと言うと、そうした用心はもっともなことだったから、サンジェルマンも怪しまなかった。ただ、私が馬車で行こうと言ったら、彼は歩いて行くほうがいいと言い、現場に着くと、いちばん乗り越えやすいと思われる場所を教えてくれたので、間違いなく警察に知らせなくてはと、しっかり頭に入れておいた。さて、偵察が終わると、サンジェルマンは、覆面用の黒布が要ると言いだしたので、それを買うためにパレロワイヤルに立ち寄り、店に入ると、用足しをしてくるからと言って便所に閉じこもり、警察が犯行を防止できるだけの全情報を書き留めた。
サンジェルマンは、たえず眼を光らせて私を見張っていて、とある一杯屋へ連れて行き、二人でビールを何本か飲んだ。そこから隠れ家へ帰ろうとしたときに、アネットが私が帰るのを見張っているのに気づいた。変装していたので、私以外の者には見分けられなかったろうが、彼女が私を見張っているのは確かだったので、戸口をまたぐ時に紙切れを落として、運を天に任せた。
押しこみの時を待っていたあいだ、どれほど私が恐怖にとらわれていたかは、とても言い表わせない。通報はしたが、手配が遅れて犯罪が行なわれてしまうのではないかと心配だった。私一人でサンジェルマンや共犯者を捕まえられるだろうか? しくじったら、私も共犯者として裁かれて罰せられないという保証があるか? 同じような状況で、警察が大勢の密偵を見捨てたのが思いだされた。よしんば、そうでないとしても、裁判所が密偵を犯罪者と混同するのを警察が止められなかったことが多かった。
私は殺された
びくつきながら不安におびえていたら、サンジェルマンがドベンヌと一緒に行ってくれと言いつけた。つまり、金貨や銀貨の袋を積む馬車を街路の角に停めておくことになっていたからだ。階下に降りて外へ出ると、またもアネットの姿が見えた。彼女は、私のメモを入手したという合図をした。と同時に、ドベンヌが、どこで落ち合うのかと尋ねた、ところで、私は、どういう仏心からか、その哀れな男を救ってやろうと思いついた。彼は、根っからの悪人ではないと見ていたし、悪事の淵へ押しやられたのも、犯罪に走る禍々《まがまが》しい性癖があるからではなく、貧乏や邪悪な唆《そそのか》しによるものだと思われた。そこで、指示されたところとは別の場所を教えて待たせておいて、私は、サンドニ大通りの角でサンジェルマンとブダンと落ち合った。まだ十時半にしかなっていなかった。二人には、あと一時間しないと馬車の用意ができないので、ドベンヌにはフォブール・ポワゾニェール街の角で待っていて、合図したら駈けつけろと指示しておいたと話した。仕事をする場所の、あまり近くに馬車を置くと疑いを招くから、離しておいたほうがいいと考えたのだと言うと、二人は私の用心ぶかさに賛成した。
十一時が鳴った。われわれは、サンドニ横町でチビチビやっていたが、そろそろ銀行屋の家へと向かった。ブダンと共犯者は、パイプをくわえながら歩いており、その落ち着きぶりが怖くなった。ついに、われわれは、梯子がわりにする塀の柱の下に着いた。すると、サンジェルマンが、私のピストルを寄越せと言ったので、さては見破られていて命を奪おうとしているのかと思った。ピストルを渡したが勘違いだった。彼は、火皿を開けて雷管を交換して私に戻した。自分のピストルとブダンのピストルにも同じことをすると、手本を示すように真っ先に柱をよじ登った。二人ともパイプをふかすのをやめずに庭に飛び下りた。ついて行かなきゃならない。ふるえながら塀のてっぺんによじ登ると、一気に不安がよみがえった。警察は待ち伏せる時間があったろうか? サンジェルマンのほうが先だったのではあるまいか?
私は、こんなふうに考えて、疑念が昂《たか》まった。そして、ついに、その恐ろしい迷いの中で肚を決めた。勝ち目のない戦いで死んでもかまわん、犯罪を阻止するんだ、と。だが、そのとき、まだ塀の上で馬乗りになっていた私を見たサンジェルマンが、もたついているのに痺《しび》れを切らして叫んだ。
「ヤイ、早く下りろ」
そう言い終わったとたん、ばらばらっと大勢の人間が襲いかかって来た。ブダンと彼は、はげしく抵抗し、ピストルを射ちあい弾丸が唸った。しかし、数分の戦いの後、二人の殺人者は取り押さえられた。この戦いで数人の警官が負傷し、サンジェルマンと子分も傷を負った。ただ一人の見物人だった私は、なんの差し障りもなかったが、最後まで役目を演じるために致命傷を受けたフリをして修羅場に倒れた。すぐに誰かが覆いをかけてくれて、ブダンとサンジェルマンが入れられた同じ部屋に運ばれた。サンジェルマンは、私が死んだのを深く悲しんでいるふうで、涙をいっぱいにし、もう死体だと思いこんでいる私のところに駈け寄りたいのを必死にこらえているようだった。
サンジェルマンは、一メートル八十五もある大男で、筋骨隆々、福助頭で眼が小さく、夜鳥のように半眼だった。アバタが深く刻まれている顔はたいへん醜いものだったが、それでも才気と生気があふれていたので感じは悪くなかった。彼の人相を詳しく見ていくと、ハイエナか狼のような何かがあるのに気づく。とりわけ、鰓《えら》が張っているのを気にすると、そんな感じがした。ものすごく顎《あご》が張りだしていた。全身を支配しているのは猛獣の本能そのもので、熱狂的に狩猟を好み、血を見るのを嬉しがった。その他の情熱は、賭け事と女と美食に向けた。口ぶりや物腰をガラリと変えて上品に見せ、たくみに自分を表現し、ほとんどいつも優雅な身なりをしていた。育ちのいい悪党と言ってもよく、そのつもりになれば誰にも負けないくらい穏やかで愛想のいい男になれた。それ以外のときは、冷たくて残忍な男になった。四十五歳で、一件以上の殺しをやっているらしく、同類の連中といるときは陽気な仲間で通っていた。
相棒のブダンは、ずっと小柄で、一メートル六〇そこそこの下卑《げび》て痩せた男だった。顔色が悪く、金壺眼《かなつぼまなこ》の奥に黒い瞳が鋭く光っていた。日頃、料理包丁で肉を切っているので残忍な男になった。ガニ股だったが、殺し屋や兇悪で名が通っている者にガニ股が多いのを見てきた。
この悪党どもを逮捕した時ほど、私の生涯の出来事のうちで嬉しかったことはない。社会から二匹の怪物を排除したことも満足だったが、同時に、かれらに引きずられた御者のドベンヌを巡り合う兇運から救うことができて嬉しかった。なんといっても、いちばん満足を感じたのは自分の立場に関することだったが、その反面、自分が処刑台に上るか、それとも他人を上らせるかの二者択一を絶えず迫られている宿命を悲しく思わざるを得なかった。
密偵の身分は、そのまま続き、私の自由は本物だった。もう脱獄囚がさらされる危ない綱渡りをしなくてもすむし、同じ不安を感じることもない。だが、恩赦が得られないうちは、いま味わっている自由は、かりそめのものでしかない。いつ何時、上司の意向で取り上げられるかもしれなかった。いっぽう、私が果たしている任務が軽蔑の的になっていることを知らないではなかった。命ぜられた役目と義務がイヤにならないためには、よく筋道を立てて考えてみる必要があった。そうしてみた結果、私が浴びている軽蔑は、偏見によるものにすぎないとわかった。毎日、私は、公共の利益のために献身していないかな? 堅気の人の側に立ってプロの悪者に立ち向かっているではないか、それなのに、世間は私を軽蔑する……闇の中の犯罪を探索し、殺人の陰謀を挫折させる。それなのに、世間は私を軽蔑する……大罪の舞台で悪人を追いつめ、かれらが手にしているドスを取り上げ、かれらの復讐を一身に引き受ける。それなのに、世間は私を軽蔑する……役割こそ違っているが、テミス女神〔正義の掟の女神、ギリシア神話〕の剣にも似たような方法で、危険を伴わずに法の制裁に持ちこむのはホメられることではないか。それなのに、世間は私を軽蔑する……私は、軽蔑なんか吹っとばし、恩知らずで不公平な世論に敢然と立ち向かった。
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二五 城内探査
デカの裏切り
次から次と、私がいくつかの逮捕実績をあげたので、しばらくのあいだ、盗賊どもは恐れをなしていたが、まもなく、以前よりも数がふえて大胆になって現われてきた。かれらの中には脱獄囚が大勢いて、徒刑場で腕をみがき、たいへん危険な仕事ができるようになってパリに舞い戻り、すご腕をふるって恐怖を拡げていた。そこで、警察は、こうした悪党どもの仕業にケリをつけようと決意し、けっきょく、私が追跡捜査を任された。ただし、逮捕するところまで追いつめたら、必ず事前に治安や公安の警察上司と協議するように命令された。
やれやれ、たいへんな任務になった。さっそく、私は、市内と郊外の悪所めぐりを始め、日ならずして、悪人どもに御目にかかれる巣窟を知りつくした。クルチィユ木戸やコンバ木戸、それにメニルモンタン木戸界隈が連中の好んで集まる場所だった。そこが溜りの本部になっていて、いつでも、わんさとたむろしており、そこへやって来て連中を見つけた警官は災難もいいとこ、まちがいなく袋だたきにされた。憲兵も、やはり姿を見せるのを足踏みし、それほど無頼の徒の団結は勢いさかんなものがあった。私は、それほど臆病ではなかったので、思いきって悪党どものド真ん中に乗りこみ、せっせと通って仲良くなり、やがて、光栄にも仲間うちだとみなされるようになった。その連中と仲間になって飲みながら、かれらが行なった罪科や、これからやろうとしている犯罪を聞きこんだ。うまく話しかけては、住んでいる家や同棲している女の住居などを易々と聞きだした。腹の底から信用させたと言ってもいいが、もし、誰か、かれらの中の勘のいい男が、ちょっとでも疑いを見せたら、とたんに私はヤキを入れられるにきまっていた。しかし、そんなこんなで、必要な情報は何もかも手に入り、私が逮捕の合図をするのは、犯行が行なわれようとしているときか現行犯か、それとも法的に断罪できる盗品を所持しているのがほとんど確実な場合であった。
パリの『城内《イントラ・ムロス》』探査は成果をあげた。パレロワイヤル、イギリス旅館、タンブル大通り、ヴァンヌリ街、モルテルリ街、プランシュ・ミブレ街、サンジャック市場、駅馬車の停留所、ジュイヴリ街、カランドル街、シャトレ街、モベール広場、シテ島全域などの近辺にある盗賊の溜り場を次々とうろついた。毎日のように重大な発見があり、すでに行なわれたもの、行なわれているもの、すべての状況が私の耳に入った。どこへでも顔をだし、何もかも知り、私の出動要請が空振りに終わることはなかった。アンリ警視は、私の神出鬼没の活躍に眼を瞠《みは》ってホメてくれたが、いっぽうでは、大勢の上役の警察官や下っぱの刑事たちは臆面もなく不平を鳴らした。デカたちは、週に何度も徹夜するのに馴れていなかったので、言うなれば私のせいで休みなしのような勤務は、とてもじゃないと思ったのだった。そのうちの何人かは、浅はかと言おうか、卑劣と言おうか、せっかく私が巧く段取りをつけた作戦をコッソリと裏切ることがあった。その行為は厳しく懲戒されたが、それでも、かれらは、そういう行ないを慎みもせず、また任務に精をだすようにもならなかった。
ほとんどと言っていいくらい、いつも悪人どものあいだで暮らしていると、悪事に手を貸せと言われるのは避けられないことだった。私は、ぜったいに断らなかったが、いよいよ決行が近づくと、約束の場所で落ち合えない口実を作ることにした。だいたい、泥棒という者には阿呆なところがあって、どんなバカげた言い訳でも納得させることができた。連中をダマすのは、それほど頭を使うこともなかったと言いきれる。しかも、いったん逮捕されると、もう物事の見分けがつかなくなる。それに、もう少し利口なやつがいると仮定して、とうてい私を疑うなんて考えないような手を打ってあった。逮捕されそうになってズラかった者が、仲間がパクられたという不吉な報せをもって、わざわざ私に会える場所に駈けつけて来たことさえあった。
盗っ人どもと仲良くしていると、故買屋と知り合いになるのは朝飯前のことだった。私は何人も故買屋を見つけだし、有罪を立証する動かぬ証拠をつかみ、泥棒たちの保護者は、まちがいなく徒刑場行きになった。そうした危険人物の一人を首都から追っぱらうのに使った方法の話は、たぶん興味があるものと思う。
図に乗るケイズ買い
何年も前から、警察は、その男を追っていたが、いまだに現行犯で捕まえることができないでいた。何度となく彼の住居にガサイレを行なったが、なんの成果もなく、証拠になる品物は一つも見つからなかった。そのくせ、彼が盗っ人たちから買い入れているのは確かで、私がサツと通じているとは夢にも思っていない泥棒たちは、彼は頼りになる男だと教えてくれていた。彼についての情報は山ほどあったが、盗品を所有しているところを押さえなければ話にならない。この目的を達するために、アンリ部長は、あらゆる策を講じたが、警察側が不手際だったのか、故買屋の手際が巧妙なのか、いつも失敗に終わっていた。そこで、私にツキがあるかどうか、やらせてみようということになった。私は計画をたてて、こんなふうにやった。
故買屋の家から離れたところに張りこんで、やっこさんが出てくるのを待った。やっと出てくる。出てきたらすぐ、通りを五、六歩ついて行き、ふいに彼の名でない名を呼びながら近づく。彼は、きっぱりと、人違いですよと言う。私は、そんなことはないと言い張る。彼は、私が間違っていると言い続ける。こちらもまた、きみはまさにそうだ、かねがねパリや地方の警察からお尋ね者になっている者だと言ってのける。
「冗談じゃありませんよ、人違いなさってるんです。私は、これこれこういう名で、しかじかの場所に住んでいる者です」
「信じないね」
「ああ、勘違いもいいとこです。証明して見せろって言うんですか?」
私は、そうしてもらいたいと同意し、だったら最寄りの番所に同道してくれと言うと、
「喜んで行きますよ」
と彼は言い、すぐに一緒に警備兵詰所へ行って中に入り、身分証明書を見せろと促すが、持っていない。なら、身体検査をすると要求する。その結果、三個の時計とナポレオン金貨五十枚が出てきた。それらを警察に連行されるのを待つあいだ預けておくことにし、彼のハンカチで品物を包んだ。さて、私は、そのハンカチを取り上げて、使い屋に化けて故買屋の家へ急いだ。家には彼の女房と他に数人の男がいた。女房は私を知らなかったが、私は二人だけで話がしたいと言い、二人きりになると、ポケットからハンカチを出して確認のしるしとして見せた。彼女は、まだ、なんのために私が訪ねてきたのかわからなかったらしいが、表情がひきつっている。当惑している。
「あんまりいい報せじゃないんですが、旦那さんが、とっつかまって、いま、番所に留められてるんです。持ってたもんを、みんな押さえられちゃいました。イヌどもが洩らした言葉によると、どうもタレこまれたらしいんで。そんで、すぐに例のブツを他所に移せと言ってくれと頼まれました。よかったら手伝いますよ。言っときますが、ぐずぐずしてる暇はねェようです」
急な報せだし、ハンカチも包んでいた中身の話も確かだし、伝言に疑いの余地はなかった。ケイズ買いの女房は、しかけた罠に、すっぽりとハマった。彼女は私に、馬車を三台つかまえて、すぐに戻って来てくれと頼んだ。私は、頼まれた用事をしに外へ出ると、途中で部下の一人に、馬車から眼を離さず、合図したら取り押さえろと命令した。
馬車が戸口に横づけにされる。私が部屋に上がってみると、もう移動の準備ができている。家の中は、いろんな種類の贓品《ぞうひん》でいっぱいになっている。掛け時計、枝付き大燭台、エトルリアの壺、ラシャ布、カシミヤ、麻布、モスリンなどなど。それらの品物は、うまく入口をタンスで隠した小部屋から持ち出した物で、なるほど、これでは気づかなかったのも無理からぬことであった。私は積みこみを手伝った。それが終わると、タンスが元の場所に戻された。故買屋の女房は、私について来てくれと頼んだので希望どおりに振舞った。彼女が、いざ出発しようとしている一台の馬車に乗りこんだとたん、私は馬車の窓ガラスを上げて合図をした。すると、とつぜん、私たちは取り囲まれた。
この夫婦は、重罪裁判所に起訴され、抗弁の余地のない大量の物証を前にして、告訴の重圧にぺしゃんこになった。おそらく、パリという都から真の害虫である故買屋の一人を駆除するのに使った私の戦略を非難する人もあろうが、それが認められようが、られまいが、私は自分の義務を果たしたのだと自負する。それに、社会に公然と挑戦している悪人を捕えるためなら、挑発はいけないが、どんな手段を使ってもよいと思う。
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二六 アンタン窃盗団
グーヴィヴ一味
故買屋を挙げて間もないころ、サンジェルマン〔たぶん現在のパリ六区のサンジェルマン・デプレ。第二一、二四章のは人名。フランスにはサンジェルマン何々という地名が多い〕の場末町に盗賊団のようなものが結成され、勝手気儘にパリ市内の他の地区を荒らしまわった。一味は、グーヴィヴ、通称コンスタンタン、略してアンタンという名の首領がたばねているらしかった。盗賊仲間では、売春婦のヒモやサクラ、詐欺師仲間もそうだが、名前の最後の音節だけを呼ぶのが習わしになっていたからだ。
グーヴィヴ、あるいはアンタンは、身分の低い宮廷人たちのお抱え剣士の仕事をしていたが、悪の人生の浮き沈みの果てに、盗っ人稼業の達人になった。あいつなら、なんだってやるタマで、殺しをやったという証しはないが、事と次第では血を流すは平気な男だ。みんなが、こう保証していた。彼のスケがシャンゼリゼで殺されたが、犯人は彼だとする疑いが濃かった。ともかく、グーヴィヴは、向こうみずで大胆不敵、並はずれた図太い男だった。すくなくとも、そのように仲間たちは考え、悪党仲間に名がとどろいていた。
以前から、警察は、グーヴィヴと仲間たちに眼をつけていて、逮捕に至らないまま、毎日のようにどこかの屋敷が襲われ、かれらがノンビリ遊んでいないことがわかるのだった。そこで、とうとう、警察も本腰を入れて盗賊どもの悪業にケリをつけようと決意し、その結果、私が探索して、いうなれば『袋に手を入れた』ところを捕まえるよう努力せよという命令を受けた。この最後の点がとくに強調され、それが最も肝心なところだった。そこで、私は、ヤクザな服装をして、その夜すぐにサンジェルマン地区に出張って悪所を歩きまわった。真夜中に、ヌーヴギユマン街のブーシェという家に入って商売女たちと一杯やった。女たちとワイワイやっていると、隣りの席でコンスタンタンという名前が呼ばれるのが聞こえた。最初は、そこに彼がいるのかと思って、何気ないフリをして一人の女にきいた。すると、女が、
「いないわよ。だけど、毎日、友だちと来るわ」
と答えた口ぶりから察して、女は連中の習慣をよく知っているらしかった。喋らせてやろうと思って、いっしょに食事でもしないかと誘うとウンと言った。さて、あの酒この酒の酔いがまわって勢いづくと、女はタガをゆるめて喋りだした。私のナリやフリ、とりわけ言葉からダチ公(泥棒)だと信じきったらしかった。そこらの夜の集合場所に一緒に出かけ、グーヴィヴがよく出入りする、あちこちの場所を聞きだすまでは帰らなかった。
翌日の正午にブーシェの店へ行った。ゆうべのお相手がいて、入っていくとすぐに私に気づいた。
「アラ、いらっしゃい。グーヴィヴと話したいんなら、ほら、あそこにいるわ」
と言って指さしたのは、年のころなら二十八から三十歳くらい、上着から見るかぎりでは身なりのいい男だった。一メートル八十くらいのハンサム野郎で、黒い髪、りっぱな頬ヒゲを生やし、きれいな歯をしていた。かねて聞いていたとおりの人相だった。私は、すかさず近寄ってタバコの火を貸してくれないかと声をかけた。すると、彼は、しげしげと私を眺め、軍隊にいたことがあるかと尋ねた。軽騎兵だったと答えると、やがて、グラス片手に軍隊の話をするようになった。
飲んでいるうちに時間がたって夕飯の話になった。グーヴィヴは、会食の予定があるんだが一緒に出てくれると有難いが、と私を誘った。断る場合であろうはずがない。もったいぶらずに招きに応じ、メーヌ木戸へ行くと彼の友だちが四人待っていた。私と彼が着くと、すぐに食事になった。四人とも私の知らない顔で、かれらにも私は新顔だった。そのため、みんな、かなり用心ぶかくなっていた。だが、話の合間にとびだす隠語から、その愛想のいい一同は職人(盗っ人)ばかりだということが早くもわかった。
かれらは、私が何をやっているのかを知りたがった。私が、自分流な話をデッチあげると、話を聞いて、私が田舎出であるばかりか、なにかヤマを探している泥棒だと思いこんだ。その点については、こちらから進んで話さず、わざと職業がバレるような態度をみせて、身の振り方に困っているなと感じさせるように振舞った。
気前よくワインが開けられ、みんなの舌がゆるんできて、食事が終わらないうちに、グーヴィヴや彼の右腕のジュベールの住居、それに大勢の仲間の名も、ちゃっかり知ってしまった。別れるときになって、実はドヤなしなんだと言うと、ジュベールが、俺んちへ来いと言い、サンジャック街九十九番地の裏手の三階にある彼の部屋に連れて行ってくれた。その部屋で、彼のスケ、酒臭い女のベッドを分けあった。
眠る前に、ながいこと話をかわし、ジュベールは、質問をあびせて、なにをして私が暮らしているかを何としても聞きだそうとした。身分証明書を持っているかとか、その好奇心は切りがなかった。彼を得心させるために、質問をそらしたり嘘をついたりしながらも、いつも私が同業者だと思わせるように努めた。そして、とうとう納得したみたいに、こう言った。
「とぼけるなァよしな。おめェ、ノビ師だな」(ごまかすのはやめろ。おまえは盗っ人だな)
私は、むかっ腹をたてたフリをして、お門違いだと答え、そんなふうにオチョクルつもりならサイナラしなくちゃならないと言った。すると、ジュベールは黙ってしまい、翌朝の十時にグーヴィヴが起こしに来るまで何も訊かなかった。
自分を張りこむ
氷室《ひむろ》屋と呼ばれていた飯屋で昼飯を食おうということになって三人で出かけた。道々、グーヴィヴは、私を脇に呼んで、
「アノな、おめェはいい奴だと思う。力になってやりてェ。あんまり隠すなってば。何者、どっからやって来たんか言っちまいな」
どうやら、私がツーロンの徒刑場から脱走して来たらしいと半信半疑で、彼の仲間には伏せといたほうがいいと忠告し、
「あいつらは滅法いい奴らなんだが、ちっとばかし口が軽いでな」
そこで、私が、
「そりゃ、用心してまさァ。それに、パリでモタついてる気はないんだ。わんさとイヌ野郎がいるんで、その、枕を高く何とかさ」
「ちげェねェ。だがな、ヴィドックにさえ感づかれなきゃ心配いらねェ。俺と一緒なら大丈夫ってことよ。俺様は鼻がきくんだ。カラスが火薬を嗅ぎつけるみてェにな」
「おれっちは、それほどハシこくはねェが、人相を聞いて頭に刻みこんどるから、ヴィドックが眼の前に現われたら一発でわかると思うな」
「ナニ言ってやがる。おめェって、てんで、あん畜生を知っちゃいねェんだな。いいか、あいつは変身自在なんだ。たとえばだ、朝のうちは、おめェみてェなナリをしてるが、昼にゃもうちがう。晩になると、また別の姿だ。つい、きのうのことだ、俺が、あいつと大っぴらに出会ったなんて本気にするかい?……実は出会ったんだが、俺は変装なんかにだまされなかった。つまり、ムダだったということよ。あいつだって誰だって一目でお見通しだ。ダチ公らが、みんな俺式に鼻がきけば、あの野郎なんか、とっくの昔にポシャッてるよ」
「ヘェー、パリじゅうのもんが同じことを言っとるが、あいつは、まだピンピンしてるじゃねェか」
こう、私が意見を述べると、
「まったくだ。だがな、俺は弥次馬どもたァ違うってところを見せてやるぜ。どうだ、いっしょに来て、今夜から奴を張らないか。思い知らせてやろうよ」
彼は、私の住居を本当に知っていると言ったが、どうせ眉唾だと高をくくり、手助けしようと約束した。日暮れになったら、二人が、それぞれ、二スウ銅貨を十枚ハンカチに丸めて持って行くことにした。ヴィドックの畜生が家に入るところか出るところを襲って、思いきり数発ぶん殴ってやろうというのだ。
兇器のハンカチを用意して、私たちは出かけた。コンスタンタンは、ちょっぴり張りきって、ヌーヴ・サンフランソワ街十四番地の家の前へ連れて行った。じっさいに私が住んでいたところだ。どうやって、その住所を知ったのか想像もつかなかった。こうなると、正直いって、その状況が不安になってきて、家を知っているのに私の人相を知らないというのが腑《ふ》に落ちなかった。私たちは何時間も張りこみをやったが、ヴィドックは、誰もが先刻承知のとおり現われなかった。だが、コンスタンタンは、ツキがなかったことに参らなかった。
「今日は逃がしたが、そのうち、ぜったいに会ってやる。そしたら、俺たちをオチョクリやがった礼に、たっぷり可愛がってやるぜ」
真夜中になって、計画を明日に延期して退きあげた。私は、自分を待ち伏せする手伝いをさせられたのは、かなり刺激的だった。コンスタンタンは、私のヤル気を大いに買い、この時から隠しごとをしなくなった。彼は、カセット街で盗みに入る計画をしていて、片棒かつがないかと誘った。私は、仲間になる約束をしたが、身分証がないから夜は外へ出るとヤバいし、出歩きたくもないと言うと、彼が、
「しかたねェや、部屋で待ってな」
カセット街の盗み
とうとう窃盗が行なわれた。コンスタンタンと仲間たちは、たいへんな闇夜だったので、足元を照らすのに、大胆にも街灯をはずして先頭の男が持った。さて、ジュベールの部屋に戻ってくると、部屋の真ん中に街灯を据えて戦利品あらためを始めた。かれらは、遠征の成果を眺めて有頂天になっていたが、帰宅してから五十分ほど経ったころ、誰かが戸をたたいた。ぎくっとして泥棒たちは互いに顔を見合って、誰も応答しない。私が通報してやったドッキリ楽しみだった。またドアをたたく。と、コンスタンタンが、静かにしろと合図して低い声で言った。
「サツだ。まちげェねェ」
すぐに私は立ち上がり、ベッドの下に潜りこんだ。戸をたたく音が激しくなり、誰かが仕方なく戸を開けた。
とたんに刑事の一団が部屋になだれこんで、コンスタンタンと四人の盗賊が逮捕された。部屋じゅう隈《くま》なく捜索され、ジュベールの情婦が寝そべっていたベッドを調べ、別の小さな寝台の下もステッキで探ったが、何も見つからなかった。そうなるだろうと思っていた。
警視が調書を作成した。泥棒たちは盗品目録と一緒に警視庁に送致された。
逮捕作戦が終わって一同が引きあげたので、私は小寝台の下から這い出した。酒臭女と二人きりになったわけである。女は、私が無事なのを驚きもせず、一緒にいてくれと誘った。
「本気なのか? サツが戻ってくるかしれんのだぞ」
おどしておいて、『宙吊り』酒場で会うことを約束してアバヨをした。
十八人の日
家に帰って一休みしてから、決めた時間ぴったりに約束の場所へ行った。酒臭女が私を待っていた。女から聞きだして、シュベールとコンスタンタンの一味全員のリストを作り、私を彼女のツバメということにして、早いとこ連中とつなぎをつけてくれた。そして、二週間もたたないうちに、一味にもぐりこませた部下のお蔭で連中を根こそぎパクることに成功した。全部で十八人、コンスタンタンと同様に全員が徒刑場送りを宣告された。
クサリ行列が出発するとき、コンスタンタンが私に気づいて怒り狂った。私に向かって悪口雑言を吠えたてたが、もの凄く喚き罵《ののし》るのにも腹も立てずに、そばへ寄って冷ややかに言ってやった。ヴィドックを見知っていて、カラスが火薬を嗅ぎつけるみてェに、遠くから密偵を嗅ぎつける凄い才能を持っているお前さんほどの男が、あんなふうに化かされるたァ、まっこと驚き桃の木だ、と。この強烈なしっぺ返しにペシャンコになり、ぽかんとなったコンスタンタンは眼を伏せて黙ってしまった。
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二七 総監へのお年玉
目こぼし泥棒
私だけが警察の密偵だったのではなかった。ユダヤ人のガフレという男が私の助手をしていた。私より前から雇われていたのだが、主義主張が合わなくて長いこと仲良くやることができないでいた。この男の行ないが悪いのに気づいて部長に知らせたところ、部長は私の報告が正しいのを認め、彼をクビにしてパリから追放した。監獄で身につけた悪だくみの他には、これといった能のない連中が、やはり同じように警察に雇われていたが、かれらには固定給がなく、その働きで逮捕があったときしか報酬がもらえなかった。言うなれば、この連中は保釈された囚人で、その他には現役の泥棒もいた。かれらは、犯罪者を見つけて密告して逮捕させるという条件で、パリにいるのを目こぼしされていた。かれらは、行きづまってくると、しばしば仲間を売った。目こぼし泥棒の次に、三番目か四番目にくるのが、タチのよくない夜の女のヒモになって生きている大勢のヤクザ者どもだ。この卑しい階級の者は、ときたま、ペテン師やスリを捕まえるのにたいへん役に立つ情報をくれた。たいていの場合、自分の情婦がブチこまれると、釈放してもらうためなら、どんなことでも喋る気になる。これらの他には、ビセートルに出たり入ったりを繰り返している改悛の見込みのない札つきの盗っ人たちの情婦《ばした》を利用した。連中は、みんな人間の屑だったが、これまでのところ、どうしても利用せざるを得なかった。つまり、こうした男や女は、ながいあいだの不運な経験の持主で、刑事たちの熱意や知恵も顔負けなことがわかったからだった。当局としては、正規の職員以外の者を盗賊の捜査に使いたくはなかったのだが、なにがしかの報酬をもらい、カーテンのうしろにいて一定の免責が得られるなら警察の役にたとうという者の熱意を利用するのはまったく易しいことだった。アンリ警視は、この両刃の刀を使うのが、どれだけ危険であるかを前々から承知していた。だから、かねてから連中とは手を切りたいと考えていた。私を警察に入れたのも、そういう見地からでもあり、強窃盗の傾向がはっきりしている者たちを粛清しようとしていた。これまでは、医者が毒をもって毒を制するやり方だった。社会的な癩《らい》を治すには、似たような方法によるしかなかったかもしれないが、これでは毒が猛毒すぎた。そのことは、当時の、ほとんどの密偵が私の手で現行犯逮捕され、いまだに大勢の者が徒刑場にいるのが何よりの証しである。
私が警察に入ると、当然のことながら、密偵たちは、男も女も、私に対抗して結束した。自分たちの天下が終わりそうだと見てとって、各人が全力をつくして自分を引きのばそうとした。私は、一徹と不偏不党を押し通し、かれらが言う『両手でいただき』をやろうとしなかったので、いきおい、かれらが私を眼の仇《かたき》にするのは当然だった。かれらは、どんな攻撃も惜しまずに私を降参させようとしたが、しょせんムダ骨だった。私は暴風雨に耐え、ちょっとやそっとでは頭を下げない樫の老木のように吹き荒れる風雨に立ち向かった。
毎日のように私の非が告げ口されたが、中傷の声には力がなかった。総監に信任されていたアンリ警視が私の素行を彼に保証し、私にたいする告発を、すぐに私に伝えてくれて書面で反論できるようにしてくれた。この信頼の証しは嬉しかった。べつに私が任務に忠実で精勤だと言ってくれているわけではなかったが、すくなくとも、上司たちが私を正しく評価していることが明かになった。なにものも、私が執っていた行動計画を違《たが》えさせることはできなかっただろう。
なにごとであれ、成功するには、ちょっぴり情熱がなくてはならない。『密偵』を名誉あるものとは思わなかったが、誇りをもって任務を果たしたいと念じた。公明正大、清廉潔白、大胆不敵、不撓不屈《ふとうふくつ》だと思われたかったし、どんな場合でも有能で知的に見られたいと願った。こうした評判をとるには、任務の成功が役立ち、まもなく、アンリ警視は、何をするにも私の意見を聞くようになった。われわれは徹夜して取締方法を練り、それが成果をあげて、日ならずして盗難届の数がぐっと減った。あらゆる種類の泥棒の数が、それだけ減ったということになる。家宅侵入の銀器泥棒、辻馬車や駅馬車を襲う強盗、時計や財布を狙うスリなどが、生きている気配を見せなかった一時期さえあったと言える。後ほど新しい世代の悪人どもの世の中になったには違いないが、そのころの御馳走組、侯爵党、樽屋一家、睦会、一発隊、プランジェ一家、金ピカ組、ローズ一家、エサくれ組、マルタン一家、その他の私が壊滅に追いこんだ狡賢《ずるがしこ》い一味とくらべたら、新しい世代の盗賊は、その巧妙さの点で、とうてい太刀打ちできなかった。私は、かれらの後継者が、先輩たちの稀にみる手腕を身につける暇をあたえまいと決意した。
六カ月ほど前から、私は独り歩きをしていた。何人かの忠実な娼婦だけが助っ人になってくれていた。ふとしたきっかけから警察の捜査官たちとの腐れ縁から離れられるようになった。それまで、かれらは、たくみに私の捜査の手柄を横取りしていた。だから、私の独り歩きの状態は、刑事たちの無為無能の証拠がはっきりして、私にとっては有利なことだった。かれらは、私が、あまり仕事をこさえすぎてやりきれんと不平たらたらだったのだ。さて、本筋に帰って、もっとマシな話に戻そう。
一八一〇年、とてつもなく大胆な新しい型の窃盗が頻発して、とつぜん、警察は、新しい盗賊団の存在に気づいた。ほとんどの盗みが梯子を使って押し入っており、二階、三階にある家までが並々ならぬ泥棒に荒された。それまでのところ、金持の家しか襲わなかったが、連中には完全な場所カンがあるのが容易に読みとれた。
この器用な盗賊を見つけようと努力したが、すべて徒労に終わった。そんな時に、とうてい泥棒に入るのはムリだと思われるような場所、ブルボン・ヴィルヌーヴ街寄りのサンクロード街にある中二階の上の三階のアパルトマンが盗みに入られた。同じ建物には、その地区の所轄署の警視が住んでいたが、その役人の家の戸口に吊り下げてあった角灯の綱が梯子の代わりに使われた。
まぐさ袋(停止している馬に食糧をあたえるための小さな布袋)が一個、犯罪現場に遺留されていた。これは、泥棒たちが辻馬車の御者か、それとも、すくなくとも辻馬車が犯行に使われたものと推理された。
デルゼーヴ兄弟
アンリ部長は、御者についての情報を集めるよう指示し、私は、例のまぐさ袋が七一二番の辻馬車の御者、ユソンの所有物であることを突きとめた。この報告によってユソンが逮捕され、彼の供述からデルゼーヴという二人の兄弟が浮かびあがり、まもなく兄のほうが警察の手に落ちた。この兄貴が、アンリ警視に尋問され、いろいろな重要事項を自白し、それに基づいてメトラルという男が逮捕された。ジョゼフィヌ皇后邸の床磨きをやっていながら盗賊団の故買屋をしていた。一味は、ほとんど全員がレマン県生まれのサヴォワ人だった。私は、引きつづき捜査をすすめて、ピサール兄弟、グルニエ、ルブラン、ピーサール、偽薬剤師ことマブー、スラッセ、デュランの身柄を押さえ、けっきょく二十二名を逮捕した。後ほど、全員が懲役刑を受けた。
これらの泥棒の大半が、運び屋、床磨き、御者をやっていて、伝統的に実直者として、大昔からパリ市民のあいだでは正直者として通っている階級に属していた。みんな、隣り近所から律気な男で他人様の物には手がだせない者だと見られていただけに、それだけ余計に恐ろしい手合だった。雇い主は、木を挽かせるとか、その他の仕事をやらせるために、警戒もしないでどこへでも入りこませていた。だから、かれらが犯罪事件に連座していたと聞いても、人々は、かれらが犯人だったと信じようとしなかった。私自身も、しばらくは、そう思うのをためらったが、明白な事実に従うしかなかった。パリでは、何世紀にも亘って無疵《むきず》だった昔からのサヴォワ人の評判は、これっきりで地に落ちてしまった。
一八一二年のあいだに、一味の主だったメンバーを司法の手に委ねたが、まだデルゼーヴの弟の所在は突きとめられず、警察の捜査をくぐり抜けていた。十二月三十一日になって、アンリ部長が、
「うまくやればザリガニ(デルゼーヴの弟のアダ名)を捕まえられるところに来ていると思うんだ。今日は大晦日《おおみそか》だ。必ずホシは、あの洗濯女に会いに行くにちがいない。あの女には、あいつも兄貴も何度も匿まってもらったことがある。やつが、そこへ行くという予感がするんだ。夕方になるか夜中か、あるいは明日の朝になるかも」
私は部長と同意見だった。そこで、彼は、三人の刑事と一緒に行って、洗濯女の住居の近くに張りこめと命令した。彼女は、小ポーランド地区のサントノレ城外町のグレジョン街に住んでいた。
私は満足感をもって命令を聞き、これは確かに成功するという前兆を感じた。そして、晩の七時に三人の刑事と指示された場所へ行った。ひどい寒さだった。地面は雪に覆われていて、まだまだ、冬の厳しさはこれからだった。
われわれは見張りについた。数時間たつと、刑事たちは凍えて我慢できなくなり、持場を離れようと言った。私も半凍りになっていて、えらく薄い運送屋の服を着ていただけだったが、いちおう異議を唱え、ほんとは退《ひ》き上げるのが嬉しくてたまらなかったが、真夜中までは頑張ろうということにした。さて、退き上げ時間の真夜中の鐘が鳴ったか鳴らないうちに、デカたちが約束を守れとせっつき、夜明けまで守れと指示されていた張りこみ場所を放棄してしまった。
われわれはパレロワイヤルに向かった。カフェが一軒、店を開けていたので、あったまろうと中に入り熱燗《あつかん》で一杯やってから家に帰ることにして別れた。私は、家に向かって歩きながら自分がしたことを反省してみた。
「なんてこった。おれとしたことが、こんなに早く命令された指示をすっぽかすなんて。部長の信頼を裏切るとは、許せない卑怯なことだ」
こう独り言を言いながらも、考えてみると、私の行動は、ただ咎《とが》められるだけではすまないで厳罰ものだと思った。刑事たちの衝動的な考えに従ったことを絶望し、失敗を償おうと決意し、独りで定められた持場に戻って、たといあの場所で死のうとも一晩じゅう見張ろうと心に決めた。そこで、またポーランド地区に戻り、ひょっとしてデルゼーヴがやって来ても気づかれないように、とある片隅に身をちぢめた。
その場所に一時間半いた。血が凍り、気力が弱まるのを感じた。とつぜん、すばらしい考えが閃いた。そこから遠くないところに堆肥《たいひ》やゴミの集積所があった。湯気が立ちのぼって、内部が醗酵しているのがわかる。ゴミ捨て場と呼ばれていた所だが、そこへ駈けて行って、帯の高さまで埋まるくらいの穴を掘り、堆肥の中に入りこむとホンワカと温かくて血行が戻った。
朝の五時、あいかわらず同じ隠れ場にいた。臭いを別にすれば、けっこう快適だった。とうとう見張っていた建物の門が開いて女が出てきた。閉めずに行った。すぐに私は音をたてないようにゴミ捨て場を抜けだし、あっという間に中庭に入りこんだ。建物の様子をうかがったが、どこにも灯りは見えない。かねてからデルゼーヴの仲間が口笛で合図しあうのを知っていたし、御者連中がやる吹き方もわかっていたので、その真似をして吹いてみた。二度目に声が聞こえた。
「誰だ、呼んどるのは?」
「馬車屋(デルゼーヴに御者の仕事を教えた男)だ、ザリガニいるかい」
「おぬしか?」
また同じ声が呼ばわった(デルゼーヴだった)。
「そうだ。馬車屋が呼んでいるんだ。下りてこい」
「いま行く。ちょっと待て」
「ひでェ寒さだ。角の一杯屋で待っている。急ぐんだ。わかったか?」
一杯屋は、もう店を開けていた。元日は、午前中の営業ときまっていた。どのみち、私は飲みたいわけではなかった。デルゼーヴをペテンにかけるために、小路の出口を開けて、出て行かずに大きな音をたてて閉めてから中庭の階段の下に隠れた。その後すぐにデルゼーヴが下りて来たのを見て、まっすぐ側に近寄って襟首をつかみ、胸にピストルをつきつけ、お前は逮捕されたんだと言ってやった。
「ついて来い。いいか、ちょっとでも妙な真似をしたら、手足がブッとぶぞ。それに、おれ一人じゃないんだからな」
呆っ気にとられて口もきけないデルゼーヴは、うんともすんとも言わずに私について来た。ズボン吊りを寄越せと命令すると、おとなしく渡した。そうなったら、こっちの思いのままだ。両手でズボンを押さえているので、抗《さか》らうことも逃げることもできない。
いそいで彼を連行しようとした。ロシェ街に入ったとき、大時計が六時を打った。辻馬車が通りかかったので合図して停めた。御者のやつ、私の姿を見て馬車が汚れるのではないかという心配顔をしたので、倍増し料金を出すと言ったら、金につられて乗せるのを承知した。という次第で、われわれはパリ城内の石畳の道を走っていたが、正気を取り戻して暴れたくなってはと、より安全を期して彼を縛った。私の力からみて、そんな手段をとらなくてもよかったのだが、白状させるつもりだったので、彼とドタバタやりたくなかった。暴力行為は、反抗によって誘発されたものでも、必ず恨みを残す結果になる。
とうていズラかれない状態になっているデルゼーヴに道理を説いてきかせた。丸めこむために一杯どうだと言ったら受けた。御者に酒を買って来させて、飲みながら目あてなしに馬車を走らせた。
まだ早朝だった。二人だけで顔を付き合わせている時間を引きのばしたほうが有利と考えて、個室があるところで飯を食いに連れて行こうかと言ってみた。すると、彼は、すっかり気がしずまったらしく、べつに恨みはないように見えた。私の招待を断らなかったので『青い時計盤』屋に連れて行ったが、そこへ着く前に、まだパリでのさばっている大勢の仲間についての貴重な情報を教えてくれた。私は確信した、この調子ならテーブルに着いたら洗いざらい泥を吐くだろうと。そこで、司直の好意を得る一つしかない方法は情報を提供することだと言って聞かせ、彼の決心を固めさせようと、容疑者を宥《なだ》めるのに効果がある日頃のやり方、つまり何か才ばしった議論をするように持っていった。その結果、馬車がレストランの戸□に停まったときには、彼も、ついにその気になっていた。すぐに彼を私の前に立たせて部屋に上がらせ、さて、注文する段になったとき、安心して食べたいから、私の流儀で縛らせてくれないかと頼んだ。なーに、腕とフォークは自由に使える、食卓で、それ以上の自由はあるまいが、と言うと、私の予防策にぜんぜん抗《さか》らわなかった。私は、こうやった。二枚のナプキンで、片足ずつを床から八、十センチのところで椅子の脚に結わえつけた。こうすると、頭をぶつける危険を冒さないと立ち上がれない。
彼は、がつがつと飯を平らげ、私にゲロしたこと全部をアンリ部長の前で繰り返すと約束した。正午になったのでコーヒーを飲み、デルゼーヴは、ほろ酔い機嫌だった。われわれは仲直りした恰好で友だちになり、またも辻馬車で出かけた。十分後、警視庁に着いた。ちょうどアンリ部長は幹部職員たちに囲まれていて、元旦の祝辞を受けていた。私は、入って行くと、こう警視に挨拶をした。
「悪名高いデルゼーヴを伴いまして、新年のお慶びを申し上げます」
「これはまた、過分なお年玉というやつだね」
アンリ部長は逮捕者を見やりながら答えると、保安や公安の幹部たちに向かって、
「諸君も、こういうお年玉を総監閣下に持って来られむことを」
それから、デルゼーヴを留置場に入れるように命令し、好意をこめて、
「ヴィドック、家に帰って休みたまえ。君に満足しているよ」
デルゼーヴの逮捕で、当局は、はっきりした満足の証しを私に示し、と同時に、幹部警察官やその部下たちの憎しみを増すだけの結果になったが、一人だけ、チボー氏は私を正当に評価してくれた。警察畑の恵まれない職員たちが、泥棒や悪人たちの合唱に合わせて、私に火と燃える悪口をあびせた。かれらが言っているのを聞くと、社会の安寧《あんねい》を乱す悪人ばらを粛清するのにヴィドックの熱意を利用するのは破廉恥で嫌悪すべきことである。なぜなら、彼は有名な盗賊で、ありとあらゆる犯罪に手を染めているからだ、と。かれらは、こういう噂を言いふらし、世人を信じさせて得々としていた。たぶん、一部の人は本当だと信じたことだろう。すくなくとも、泥棒たちは、かれらと同じように私が盗っ人稼業をやっていたと信じ、そのように本気で口にしていた。そのわけは、網にかける前は、私も連中の仲間だと信じさせる必要があったからだ。いったんパクられると、私を裏切者よばわりしたが、かれらの眼には、やはり私は『お偉い大盗』(大物泥棒)であった。もっとも、私は、盗みをして罰を受けなかったことがある。これは、警察の作戦上で必要だったからで、これが監獄で噂話になり、幹部職員や下っ端の警官たちが、その噂を本当のことのように嬉しがって広めた。また、おそらく、私を大いに恨んでいる罪人たちのあいだで噂が大きくなって、連中が言っているのは嘘だと思わなくなったのかもしれない。というのは、私の前歴を調べるという面倒なことをしない場合、ある程度までは、私が泥棒だったと思われても仕方なかった。なぜなら、大昔から密偵は、みんな二股稼業をしていたからだ。つまり、野狐一家、睦会、フロランタン組、レヴェスク一家、ココ・ラクール組、ブルダリ一家、エリエ弟分、一発隊、ガフレ一家、マニガン組など、私より前に密偵をやっていたり私の助手をしていた全員が、昔は泥棒だったことは知られており、ほとんどの密偵が過ちを繰り返して再犯しているのを見てきた。だから、私も連中と似ていて、もともと、かれらより悪賢くて活動的で大胆なのだから、密偵として抜群なら、泥棒としてもピカ一の腕前だったはずだという結論をだした。この間違いは無理もないとして許しもするが、私が毎日のように盗みをしているという中傷を目的にした主張は許せない。
アンリ部長は、こうしたバカげた非難に驚いて、こんな批判をして答えた。
「ヴィドックが、毎日、盗みをしているというのが本当なら、それは、むしろ君たちの無能を証明することになる。彼は一人、君たちは大勢。彼が盗みをやっていると知った、それなら、なんで事実に基づいて彼を逮捕しないのかね? 彼のほうは、たった一人で、君たちの部下を現行犯で逮捕した。君たちのほうは、みんなで同じようにして彼に報復ができない」
刑事たちは、返答に詰まって黙りこんだが、かれらの敵意が日ましに大きくなっていくのが眼に見えてきたので、総監は、私を独立させることにした。この時から、私は、任務上いいと判断した場合、自由に行動できるようになった。アンリ部長から直接に命令を受けるだけで、作戦の報告も部長だけにすればよいことになった。
できるものなら、これまでの努力を倍にもしたかった。アンリ部長は、私の献身の度が鈍るなどとは心配しなかったが、私が生きているのを面白がらない連中がいるのを知っていたので、遠くから私を尾行して見張る助《すけ》っ人《と》を一人つけてくれた。あの世へ葬り去ろうとする襲撃を逸早く知らせてくれるためである。それはともかく、みんなが孤立状態にしてくれたお蔭で、それが、かえって私の成功に大いに役立った。私は大勢の盗賊を逮捕した。もし私が、幹部警察官や金魚の糞みたいな刑事たちの監視から解放されていなければ、盗賊どもは、いつまでも捜査の手を遁《のが》れていただろう。だが、あまり派手に動いたので、とうとう名前を知られてしまった。盗っ人どもは、私を消してやると誓い、何度となく殺されかかった。しかし、肉体的な力と、言わせてもらうなら、勇気のお蔭で、うまく仕掛けられたワナから無事に脱出することができた。何回やってみても襲った手合いは必ず痛い目に遭い、私の命は安売りしないと決めているのを肝《きも》に銘じたはずである。
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二八 盗賊たちを追って
マダム・ノエル
改心するつもりで脱獄する徒刑囚などは滅多にいない。たいていは、徒刑場で身につけた悪事の腕を発揮して銭《ぜに》コをモノにしたいだけである。つまり、わが国の監獄の大方は、他人の財産を我物にする技術を磨く学校である。ほとんどの大泥棒は、多少とも徒刑場づとめをした後で凄腕と言われるようになっている。高名な盗賊《グランシュ》になる前に五回も六回もムショ暮らしをした者もいる。悪名高いヴィクトル・デボワと相棒のモンジュネ、通称『ワン公』もそうだった。二人がパリに現われるたびに、大胆で手際がいいと世間がもてはやすような盗みを数多くやっていた。
この二人は、数年前からクサリ行列の出発時には中に入っているが、いつも途中でトンズラをし、今またパリに舞い戻っていた。これを知った警察が、私に捜査を命じた。かれらは、自分たちに劣らぬくらい危険な他の犯罪者たちともグルになっていることが前もってわかっていた。当局は、俗称『ガンカクシ〔眼隠し、眼鏡の隠語〕のノエル』という有名な悪党の息子を持ったピアノの女教師が、ときどき例の二人に隠れ家を提供していることを疑っていた。
マダム・ノエルは、育ちのいい女で、優れた音楽家だった。中流階級の家に呼ばれて娘たちに稽古をつけていて、優秀な芸術家だったという評判だった。出稽古をして回っていたのはマレー地区やサンドニ地区で、その上品な物腰や、きれいな言葉、ちょっとした服装の気づかい、落ちぶれても消えない威厳がある態度などから、革命で一切を奪われて、お高くとまることと悔しがることだけが残っているたくさんの家族のうちの一つの出だろうと思われていた。彼女を知らない者が、その姿を見たり話しているのを聞くと、マダム・ノエルは、たいへん好いたらしい可愛い女だと思う。さらに、その人には何か感動させるものがあったが、それが何かは謎めいていた。彼女の夫が、どうなったのかは誰も知らない。たいへん若いうちから未亡人になったのだと言い切る人もあれば、夫に棄てられたのだと言う人もおり、女たらしの毒牙にかかったのだと主張する者もいた。そうした憶測のうちで、どれが最も真実に近いのか私にはわからなかった。私が知っていたかぎりでは、マダム・ノエルは小柄なブリュネット女で、いきいきした、いたずらっぽい眼ざしが、いかにも愛想のいい笑顔と魅力的な声が、その優しい外観と調和していた。しかし、その顔には天使と悪魔が同居しており、悪魔のほうが勝っていた。つまり、歳月が、よこしまな思いを特徴づける表情を刻みこんでいたからだ。
マダム・ノエルは、やさしくて親切なひとだったが、やさしいのは司直といざこざを起こした者に限っていた。彼女は、そういう人間を息子の戦友を迎える兵士の母親のように受け入れた。彼女に歓迎してもらうには、『ガンカクシのノエル』と『同じ連隊』だったと言うだけで十分で、そうなると、息子可愛さと、おそらくは自分の好みもあって、喜んで世話をしてくれた。そんなわけで、盗っ人たちからお袋のように思われていて、家に泊めてもらえて、なんでも入用な物がもらえた。親切もいいとこ、『仕事』までも見つけてやり、どうしても身の安全のために通行証が要るとなったら、手に入れないうちは、じっとしていられない性分だった。彼女には女友だちが大勢いて、たいていは、そういう友だちの名で通行証を取得した。下付されると、すぐに酸塩化物の漂白剤で文字を消し、女の特徴の代わりに男の特徴と名乗りたい姓名を書き入れた。マダム・ノエルは、いつも手元に、どんな鞍でも乗せられる馬よろしく洗濯済みの通行証を適当に用意していた。
徒刑囚は、みんなマダム・ノエルの子供だった。ただ、息子と関わりがあった者にはとくに目をかけた。そういう男たちには限りなく尽くし、彼女の家は脱獄囚に扉が開けてあって、かれらの落ち合う場所になっていた。その中には感謝の気持をもつ者があるのは当然のことで、ただノエルおっかさんの顔を見るのが楽しみで、ちょくちょく訪ねるのを警察は知っていた。かれらは、これからの計画や経験、今の不安など、なんでも彼女に打ち明けた。つまり、連中は、とことん彼女を信頼し、その誠実さを疑わなかった。
ノエルおっかさんは私を見たことがなく、しょっちゅう名前は聞いていただろうが、ぜんぜん私の人相は知らないはずだった。だから、不安をあたえずに彼女の前に出るのは難しくはなかったが、私の目的は、見つけだそうとしている者たちの隠れ家を聞きだすことだったので、よっぽど巧く立ち回らないと目的を達することはできまいと思った。とにかく、まずは脱獄囚になりすまそうと決めた。だが、彼女の息子か、息子の仲間と仲が良かった関係だったように見せかける泥棒の名を借りねばならない。また、そいつに少しは似ていることも必要だ。そこで、私が知っている徒刑囚の中に『ガンカクシのノエル』に結びつく者はいないかと探したが、私の年に近い者、あるいは私にやや似ている男は見つからなかった。あれやこれやと必死に考え、記憶をたぐって、やっとジェルマンという男を思いだした。通称をロワイエ、または『大尉』といって、ノエルと親しかった。私とはまったく似ていなかったが、その人物に似せてやろうと思った。
ジェルマンも、私と同じように何回も徒刑場から脱走し、その点だけが二人に共通だった。年は、ほぼ私と同じだったが、彼のほうが背が低かった。彼は褐色の髪、私は金髪。彼は痩せていて、私は肥っていた。彼の肌は陽焼けしたような色をしていたが、私は白い皮膚で透きとおった肌だった。このほか、ジェルマンは天狗鼻で、やたらと嗅ぎ煙草をやって、いつも、いっぱい鼻水をため、そいつをたらし、同時に鼻の穴をつまらせ、そのために鼻声になっていた。
ジェルマンという男になりきるにはたいへんな苦労をしたが、なにくそとばかり困難に挑んだ。徒刑場ふうに髪を切り、一週間ヒゲを伸ばしておいて一緒に黒く染めた。顔色を茶色にするために、クルミの皮の煎《せん》じ汁で洗い、ジェルマンそっくりに似せるように、コーヒーを台にしてアラビヤゴムで練ったものを鼻の下に接着して鼻汁に見せかけた。これは、余計な飾りにはならず、ジェルマンの鼻声の調子を出すのに役に立った。同じく足にも技巧をこらして仕上げた。ブレストで処方を教わった調剤のようなもので擦って水腫を作り、足枷の痕をこしらえた。このお化粧が終わると、脱獄囚の境遇にふさわしい身なりをととのえた。完全に変身しきるためには何事もおろそかにせず、靴も、恐ろしいGAL〔ガレリアン、徒刑囚を意味する囚人服のマーク、第十章参照〕の文字が入った下着も抜かりはなかった。これで身なりは完璧だった。あと足りないのは、ある種の何匹かの虫だけで、こいつは淋しさをまぎらわせてくれて、バッタやヒキ蛙と共に古代エジプトの七つの災い〔蚤のこと。旧約聖書、出エジプト記にある神がエジプト王を困らすために下した七つの災い。バッタは蛇の誤りか?〕の一つだったと思う。そいつらを金をだして手に入れ、一分間で私になじますと、チクトンヌ街にあったノエルおっかさんの家へ向かった。
家に着いて、戸をたたく。彼女が開ける。一目で事情を察して中に入れる。私は、彼女と二人だけだとわかって、自分が何者かを話そうとすると、
「アラまァ、かわいそうな子。どこから来たのか聞くまでもないわ。おなか、すいてるんでしょ?」
「ええ、そうなんで。ものすごく減ってるんで、まるっきり一日、なんにも食っていねェんで、ヘェ」
すぐさま、こちらの説明も聞かないで出て行ったかと思ったら、豚肉料理の皿とワイン一本を持って戻ってきて私の前に置いた。私は食べるというよりは呑みこんで、あんまり慌ててノドを詰まらせる。片っぱしから平らげ、ものも言わずに次から次へと口に放りこんだ。ノエルおっかさんは、私の食欲を嬉しそうに眺めていた。そして、食べる物が片付くと、口直しの酒を持って来てくれた。私は彼女の首に抱きついてキスをしながら、
「ああ、おっかさん、お蔭で命びろいをしましたぜ。やっぱりノエルの言ったとおり、あんたはいい人だ」
それをきっかけに話を始め、十八日前に息子のノエルと別れたことや、彼女が気にしていた囚人たちの消息を語った。私が話した細かい内容が、いかにも本当で事情がわかっている話ぶりだったので、彼女は、まさか私がカタリ者だとは思いもしなかった。
「俺のこと、聞いていなさるたァ思うけど、いやもう、さんざんな目に遭って来たんで。『大尉』なんて呼ばれてる、ほら、ジェルマンなんで。名前は知っていなさるね」
「ええ、ええ、知らないどころか。そりゃもう、息子やお友だちが、あなたの苦労のことは、たんと話していましたよ。よく来たわね、大尉さん。でも、まァ、なんて恰好なの。そのままじゃいけないわ。どうやら嫌らしい虫に悩まされて具合が悪そうね。下着を替えて、もっとさっぱりしたのを着せてあげる」
私は、ノエルおっかさんにお礼を述べ、もう頃合いだと思ったので、ヴィクトル・デボワとモンジュネはどうしているかと尋ねた。
「デボワとワン公、ああ、そのことは言わないで。あのヴィドックめのせいで、そりゃ二人とも難儀してるのよ。ジョゼフ(元刑事、ジョゼフ・ロングヴィル)って方と二人が二度ほど通りで会ったところ、このあたりをヴィドックがうろついているって教えてくれたそうで、あいつに不意にやられないようにズラからなくちゃならんかったのよ」
「なんだ、もうパリにいねェんか」
私は、ちょっぴりガッカリした。
「でもね、そう遠くに行ったわけじゃないの。大樹〔パリのこと〕の近辺にいるわ。あたしは、まだ、ときたま会っているんだけど、もうそろそろ会いに来てくれるんじゃないかと待ってるところなの。ここで、あんたと会ったら喜ぶと思うよ」
「うん、そりゃもう、俺のほうが、ずっと嬉しいさ。あいつらに手紙を書いてくれたら、俺が呼んでるんで、きっと飛んで来ると思うがな」
「それがねェ、どこにいるのか知っていれば、自分で行って連れて来て、あんたを喜ばせてあげるんだけど。なんたって、隠れ家がわかんないんだから、辛抱して待ってるのが一番いいんじゃない」
遠来の客として、私はノエルおっかさんの至れり尽くせりの世話を受けた。私に、かかりきりだった。
「あんたは、ヴィドックと二匹の手下の犬ども、レヴェスクとコンペールに面が割れてる?」
「ああ、うん、前に二度つかまったことがある」
「だったら、気をつけることね。ヴィドックは、しょっちゅう変装をするからね。上から下まで服をとり替えて、あんたみたいな運の悪いもんをパクるのよ」
私たちは二時間ほど話しこんだが、マダム・ノエルが足を洗ってあげると言いだした。私が有難く受けると、すぐに用意ができた。靴を脱いで足を出すと、彼女は気色が悪くなりかけたが、母性愛を爆発させて、
「まァ、ひどい、どんなにか痛かったろうに。でも、なんで、すぐに言わなかったの? 叱られても仕方がないわよ」
小言を言いながら足の手当てにかかった。一つ一つ水腫を破ってラシャ布でぬぐい、効き目が速いという軟膏を塗ってくれた。この、ほろりとする心づかいには、なにか昔風な趣があり、もし私が名が通った旅の客人で、マダム・ノエルが、やんごとない異国の女だったら、私たちのような野暮な風景にはならなかったろう。手当てがすむと、白い下着を持ってきてくれて、何から何までの心づかいとでも言おうか、ヒゲを剃るようにと剃刀を添えて寄越した。
「あとで、タンプル街へ行って職人服を買ってきてあげる。困っている人が行く古着屋さんがあるところよ。ねェ、いいでしょう、掘出物が新品よりいいときがあるもんよ」
さっぱりと身ぎれいになると、すぐに大きな寝室に連れて行かれた。そこは合鍵を作る作業場にもなっていた。部屋の入口は、外套掛けにかけてある衣服で隠されていた。
「ほら、これが、お友だちたちが何度も寝たベッドよ。ここなら警察に嗅ぎつけられる危険はないわ。枕を高くして眠ってちょうだい」
「なら安心だ」
しばらく休ませてくれと頼むと、彼女は私一人にして出て行った。三時間後、眼を覚ます頃合いだと見はからって起きて行き、また話を始めた。ノエルおっかさんと引けをとらずに話し合うには、鉄枷をはめられた経験がないといけない。徒刑場の事情は隅から隅まで知っていたし、会ったことのある泥棒全員の名を覚えていただけでなく、その他のたいていの連中の生きざまも、ほんの些細な事まで知っていた。夢中になって有名な事件の話をし、とりわけ息子の事件のことを話した。息子を愛していると同時に崇拝していると言ってもいいくらいだった。
「可愛い息子さんと、また会えたら、さぞかし満足だろうな?」
「ええ、そりゃもう、大満足だわ」
「ふむ、じゃ、じきに喜ばれること間違いなし。ノエルは脱獄の段取りをつけ、今じゃ、チャンスを狙ってるだけなんだもん」
マダム・ノエルは、息子を抱きしめられるという希望に嬉しくなって感激の涙を流した。正直いって、この私までが感きわまり、あわや、今回にかぎって密偵の義務を守るのを、ちょっとだけ休もうかとさえ思った。だが、ノエル一家がやった多くの犯罪をふりかえり、とくに社会の利益ということを思い合わせて、私の計画を最後までやり抜こうと断固として決心した。
合鍵をつくる
私どものやりとりの中で、ノエルおっかさんは、目星をつけているヤマ(盗みの計画)はあるのかと尋ね、もし、ないなら、一つ世話してやろうかと持ちかけ、合鍵を作るのは上手かと訊いた。フォサール〔合鍵作りの名人、第二十二章参照〕くらい腕がいいと答えた。
「そんなら安心したわ。すぐに元の調子を取り戻すよ。腕がいいんなら、金物屋で鍵を買ってくるから、うちの錠前に合わせておくれ。そしたら自分で持ってて、好きなときに出入りできるじゃないか」
私は、どれほど彼女の親切を有難く思っているかを表明し、時間も遅くなったので寝ることにした。横になりながら、万一、こちらの手配がととのわないうちに、私が追っている悪党どもが不意に来た場合、そのスズメバチの巣から殺されずに逃げだす方法などを考えた。
私は眠らなかった。ノエルおっかさんが火を熾《おこ》すのが聞こえると急いで起きて出た。彼女は、私が早起き男だと思い、私に必要な物を探しに行ってくると言った。しばらくすると、彼女は、凹みが付いていない鍵を持ってきて、大小のヤスリと小さな万力を貸してくれた。私は、万力をベッドの足に固定して道具をそろえると、女主人の見ている前で作業にとりかかった。彼女は、私が仕事に慣れているのを見て作業ぶりに世辞を言い、いちばん感心したのは、私の仕事が早いことだった。事実、上手に仕上げた鍵ができあがるのに四時間とかからなかった。試してみると、ほぼ完璧に働いた。ヤスリを数回かけて傑作ができあがり、これで、他の連中のように、私の都合にまかせて家に入ることができるようになった。
私はマダム・ノエルの居候になった。夕食の後、前に目星をつけていた仕事が、まだやれるかどうか確かめたいので、日暮れに一回りして来たいと言うと、彼女は、私の考えには同意したが、よくよく気をつけるように勧めて、
「あのヴィドックには油断がならないよ。あたしだったら、足が治るまでは、なんにも手をつけないね」
「なーに、遠くにゃ行かねェ。じき戻ってくる」
すぐに戻ると請合ったので、どうやら安心したらしく、
「じゃあ、行っておいで」
私は、足を引きずりながら出かけた。
ここまでは私の思惑どおりに運んだ。だが、これ以上、ノエルおっかさんの好意に甘んじてはいられない。あの家に居つづけていたら、ぶっ殺されないと誰が保証できる? 二、三人の徒刑囚が一度に訪ねてきて私を見破り、ひどい目に遭わせるかもしれない? そうなったら万事おしまいだ。だから、ノエルおっかさんの友情の果実を失わずに、そういう危険に備える算段をしなくてはならない。私が、あの家に出入りする常連の眼を避けているのは、それだけの理由があるんじゃないかと彼女に疑わせては不用意すぎる。ここはひとつ、彼女を仕向けてさようならをさせる、つまり、これ以上、彼女のところに泊っていては私のためにならないと、彼女のほうから助言さすのだ。
マダム・ノエルが、同じ建物に住んでいる果物屋のお上さんと仲良くしていることを知った。そこで、その女にナンソーという助手をさし向け、マダム・ノエルについて、こっそりと野暮な聞きこみをしろと命じた。質問の仕方を口述して教え、とくに、お上さんに、けっして人には洩らさないでくれと念を押せと言いつけた。
事の成りゆきは、私の予想どおりだった。部下が使命を果たすが早いか、果物屋のお上さんは、ノエルおっかさんに御注進に走った。こんどは、彼女が、一刻も早く私に内緒事を知らせる番になった。隣りの、おせっかいお上さんの家の戸口の踏段で見張っていて、遠くのほうに私の姿を見ると、まっすぐ、こちらへやって来て、いきなりついておいでと誘った。私が逆戻りをしてヴィクトワール広場までついて行くと、彼女は立ち停まり、まわりを見て誰も二人を見ていないのを確かめてから側へ寄り、果物屋のお上さんから聞いた話をした。
「だからね、ジェルマン、うちに泊まるのはヤバいよ。昼間も来るのは、やめておいたほうがいい」
こう話を締めくくった。
ノエルおっかさんは、彼女をひどく悩ませている時ならぬ事態を私が仕掛けたとは夢にも思っていなかった。私は、もっと彼女の疑いをそらすために、私のほうが何倍も悲しいというフリをし、二つ三つ呪いの言葉でヴィドックをののしった。あん畜生のせいで一休みする暇もねェや、くそったれ野郎のヴィドックのお蔭でパリを外れたとこにドヤを探す羽目になっちまった。私がサヨナラを言うと、ノエルおっかさんは私の幸運と早く戻ってくることを祈ってくれて、私の手に三十スウの銭を握らせた。
彼女がデボワとモンジュネが来るのを待っていることはわかったし、その他にも、彼女の在宅中や留守のときを問わず、あの家に出入りしている連中のいることがわかった。ふつう、彼女がピアノの出稽古で町に外出しているときのほうが多いようで、そういう常連の名を知ることが大切だった……そのために何人かの助手を変装させて町角に配置した。そういうところに居れば便利屋だと思われて疑われなかったからだ。
こんな策を講じておいてから、姿を見せるのを用心しているかのように、二日間はノエルおっかさんに会いに行かなかった。さて、ある晩、その遅らせた期間のあとで、私が厄介になっている女の弟だという触れこみで一人の若い男を連れて彼女の家を訪ねた。実は、その若造は密偵だったのだが、彼女には、この男は完全に信用がおけるから、もう一人の私だと思ってくれて差支えない、それに、イヌどもに顔を知られていないので、自分で来てはマズイと思うときは、この男を使いにだすからと話した。
「これからは、こいつが橋渡し役、おっかさんや友だちの様子を聞きに二日か三日ごとに寄越しまさァ」
すると、ノエルおっかさんが、
「ああ、わかったよ。それにしても、ほんとに間が悪かったねェ。もう二十分早かったら、あんたがよく知っている女のひとに会えたのに」
「とすると誰かな?」
「マルグリの姉さんよ」
「ははん、弟と一緒に何度も会ったことがあるわ」
「そんで、あんたのことを話したら、あんたの姿そっくりのままを話してた。やせっぽちで、いつも鼻にいっぱい嗅ぎ煙草を詰めこんでるって」
マダム・ノエルは、マルグリの姉が帰る前に私が行かなかったのをたいへん残念がったが、もちろん私は、顔を合わせずにすんで大喜びだった。もし顔を合わせていたら、こちらの計画はブチこわしになるところだった。なぜかというと、その女はジェルマンを見知っており、ヴィドックも知っていたから、二人を見違えるはずはないからだ。それほど二人は違っていた。いくら似ているように顔を作って、聞きこんだとおりに完全に似せても、親しく付き合って覚えている者に詳しく調べられたら一発でバレてしまうにきまっている。だから、マルグリの姉が、かなり頻繁に訪ねてくるというノエルおっかさんの話は、とてもタメになる警告だった。そこで、今後は、その女と絶対に顔を合わせないために、おっかさんの家へ行くときは、必ずニセの弟を先にやって、マルグリの姉が来ていなければ、指の先に糊を付けておいて窓ガラスに捺《お》して合図させることにした。この合図を見たら訪ねて行き、不愉快な不意打ちを食わないように部下が付近の見張りをはじめる。また、そこから遠くないところには、ノエルおっかさんの家の鍵を預けてある別の助手たちがいて、私が危くなった場合には救助に駈けつけられる態勢をとった。というのは、遅かれ早かれ、脱獄囚たちの只中に不意に躍りこむか、連中が私を見破って襲いかかるといった事態になるはずだったからだ。その時は、十字窓のガラスを一撃で破れば、かれらと互角に戦うための加勢を必要としている合図になる。
これで万端の準備がととのった。大団円は目前だった。火曜日に私が追っていた男たちからノエルおっかさんに手紙が来て、金曜日に訪ねてくることを報せてきた。
部下の裏切り
盗賊どもにとって、金曜日は厄日のはずだった。やつらの習慣として、ノエルおっかさんの家に入る前に通りを何度も行ったり来たりするだろうから、私は、こちらの姿を見られないように、朝早くから近くの居酒屋に腰をすえ、ニセ弟になっていた男を偵察にやった。彼は、すぐに戻ってきて、マルグリの姉さんは来ていないから安心して行っても大丈夫だと報告した。
「嘘じゃないな?」
心なしか、彼の声が上ずっているようだったので念を押し、心の底まで見すかすような眼でじっと見つめてやったら、彼の表情がこわばったのがわかった。嘘をつこうとしている人間が、止めるに止まらぬ、あの顔のこわばりだった。けっきょく、なんだかわからぬ何かが、裏切り者を相手にしているぞと教えてくれた。それが、稲妻のように私を照らした最初の印象だった。そのとき、私たちは居酒屋の個室にいたが、彼の同僚もいる前で、いきなり襟首をつかんで怒鳴ってやった。いいか、裏切りはわかってるんだ、たった今ゲロしねェとロクなことにゃならねェぞ。おっ魂《たま》げた彼は、二、三の言い訳をつぶやき、私の膝にすがると、マダム・ノエルに何もかもバラしたと白状した。
この内通は、もし見抜かなかったら、おそらく私の生命とりになっていただろう。しかし、個人的な恨みは横に置いて、せっかく港のそばまで来て座礁したのが社会の利益のために残念でたまらなかった。裏切者のナンソーは逮捕され、まだ若かったが、償わねばならない昔の罪もあってビセートルに送られ、次にオレロン島に移されて生涯を終えた。
ご推察のとおり、脱獄囚どもは、もうチクトンヌ街には姿を見せなくなったが、まもなく、かれらの大半は逮捕された。
ノエルおっかさんは、まんまと私にしてやられたのが許せなかった。仇を討ってやろうと、ある日、家から家財の全部をどこかに運びだし、家を空にして鍵をかけずに外出し、戻ってくるなり泥棒が入ったと喚きたてた。近所の人たちを証人にして警察署に届けを出し、私が泥棒犯人だと指名した。私が部屋の鍵を持っているからだと主張したのだった。この告発は重大だった。彼女の事件は、ただちに本庁に移牒《いちょう》され、その翌日、私は通知を受けた。しかし、私の潔白を証明するのは難しいことではなく、総監もアンリ警視も誣告《ぶこく》だと考え、かれらが命じた捜査が着々と運んで、マダム・ノエルが隠した家財が発見された。悔い改める時間を与えるために、彼女はサン・ラザールに六カ月間ブチこまれた。
これが、周到な準備をして行なった計画の経緯であるが、これほど手を尽くさないで成功したことは何度もある。
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二九 稀代の大盗
刑事たちの妬み
密偵に裏切られた私が、どれほどの迷惑をこうむったかは前述のとおりである。当てにならない者に託した秘密は守りきれないことくらい、とっくの昔から知っていたのだが、今回の悲しい経験から、どんな場合でも、できることなら単独で行動する必要を次第に納得せざるを得なかった。だからこそ、これから述べるように、非常に重大な事件では、そういう行動をしたのである。
何回も有罪宣告を受けたあとで島抜けをした、前にも述べたことのあるゴローと、通称『城主さん』ことフロランタンの二人が、矯正不能の泥棒としてビセートルに収監されていた。かれらは、生きながら埋葬されているような独房生沽に音をあげてアンリ警視に手紙を書き、パリで毎日のように盗みを働いている大勢の仲間を逮捕できる手がかりを教えるからと上申した。その中でもピカ一の凄腕で、同時に最も危険な男は、終身刑を受けて何度も徒刑場から脱走しているフォサールだと名指し、次のように書いた。
『コノヤロノ右ニデルモノナイ命シラズ、ヨウジンシナイトソバニ行ケナイ。ピンキリぶそうシテ、ゴヨウノダンナのうてんブチヌクカクゴシテイマス』
警察の上層部は、そのような兇盗を首都から消すことができるなら願ってもないと考えた。最初は、その捜査に私を当たらそうと考えたが、うるさ方が口をだし、私はフォサールや彼の情婦に顔を知られているから、本件を私にまかせては難しい捜査に支障を来たすおそれがあるとアンリ警視に申し入れ、けっきょく保安部の幹部たちの采配に頼ることにした。そこで、正確な情報とやらに従って刑事たちを捜査に向かわせたが、かれらにツキがなかったのか、それとも『ピンからキリまで武装』しているフォサールと対面したくなかったのか、あいかわらずフォサールは荒稼ぎを続けていた。彼の活動のせいで積まれた苦情の山を見れば、刑事諸公は、いかにも熱心そうに見せかけてはいるが、いつものデンで、旦那がたは、仕事よりも口を動かしていただけだったということが明らかになった。
その結果、部下がお喋りをしているより仕事をしているほうが好きだった総監は、ある日、一同を呼びつけた。ときに、かれらが我慢しきれずに洩らした不平から察すると、かなり大きな雷が落ちたに違いなかった。
ちょうど、かれらが首を洗いなおしたばかりのとき、サンジャン市場で、かれらの中の一人、イヴリエ刑事とばったり出くわした。私が挨拶すると、そばに寄ってきて、ぷりぷり怒りながら、
「よォ、お前、大物インチキ屋か。パリにおるとかいう牢破りのフォサールってやつのことで、お灸《きゅう》をすえられたなァお前のせいだ。総監の寝言を聞いてると、警察にゃ何かやれるなァお前しかいねェみたいだ。ヴィドックに捜査をまかせていたら、とっくに逮捕できてた、とさ。さァ、どうだ、ヴィドックさんよ、あっさり見っけたらどうかってんだ。そんなに腕がいいんなら評判どおりズル賢いとこを見せてみな」
イヴリエ刑事は老人だった。無礼な物言いだとは思ったが、相手の年を尊重して我慢した。私に話しかける口調がいかにもトゲトゲしかったので、むっとはなったが腹を立てないで、こう返事するだけにしておいた。目下のところは、フォサールにかまけている暇はありません。その獲物は、元旦までとっておいて、総監にお年玉として差し上げるつもりです。昨年、あの悪名たかいデルゼーヴを進上したようにね。
この皮肉に腹をたてたイヴリエ刑事が、
「やれるもんならやってみろ。すぐにお前の正体がバレるさ。生意気な気どり屋め」
あとは、わけのわからぬ何か悪口を口の中でモゴモゴ言いながら離れて行った。
黄色いカーテン
この一幕があった後でアンリ部長の部屋に行き、この話をしたところ、部長は笑いながら、
「ああ、連中は頭にきてるんだ。いいじゃないか、お前の腕を認めとる証拠だ。思うに、あの連中は後宮の宦官《かんがん》みたいなもんで、自分が不能だから他人にもやらせたくないんだ」
そして、次のような指示をした。
「フォサールはパリにいる。中央市場から大通りへ通じる街路ぞいに住んでいる。つまり、コンテス・ダルトワ街からモントルゲイユ街とプチカロー街を経てポワソニエール街までということだ。彼が建物の何階に住んでいるかはわかっていない。ただし、彼の部屋の十字窓には黄色い絹のカーテン、他の窓には刺繍がしてあるモスリンのカーテンがかかっている。その同じ建物には、お針子をしている傴僂《せむし》の小女が住んでいて、フォサールと同棲している情婦《すけ》の友だちだ」
この情報は、見てのとおり、いかにもアイマイだったので、まっすぐ目的地へ行けるというわけにはいかなかった。
せむし女と黄色いカーテン。他の窓には刺繍したモスリンのカーテン。捜索しなくてはならない地域が広すぎて、そこから見つけだすのは確かに容易なことではない。おそらく、この三つの条件が一致しているのは一カ所だけとは限らないはずだ。せむし女は、老若とりまぜて、パリにはゴマンといるだろうし、黄色いカーテンときたら数えきれるかな? 要するに、与えられた手がかりは、かなりアヤフヤなものだということだった。といって、問題は解決しなくてはならない。懸命に探せば、守護神が、その場所を示してくれるかどうか、とにかく、やってみようと思った。
どこから始めていいものやらわからなかったが、尋ねまわって相手にするのは、主に町のお上さんたち、つまり亭主持ちか独身かの小母さん連中だと見越したので、どんな姿かたちが具合がいいかは簡単に決まった。人品いやしからぬ紳士になるにかぎることは自明の理であった。何本かの皺《しわ》を作り、燕尾服、白い髪粉を振りかけた縮らし髪、金の握りがついた太目のステッキ、三角帽、耳飾り、相応の胴着やズボンなどで、オールドミスたちがイカす男だと思いそうな六十年配の善良な旦那に変身した。どう見てもマレー地区〔現在のパリ三、四区〕のお大尽の風体になっていた。人なつっこい赤ら顔が、ゆとりのある暮らしをしていて、初老の不運な人たちを幸せにしたい気持が表われるように努めた。これなら、どんなせむし女でも気に入るにちがいないし、いかにも好人物の顔になったから、よもや誰も私をだます気にはなるまい。
こんなふうに変装して街を歩きまわった。上を見上げ、例の色のカーテンを片っぱしからノートに記入した。調査に夢中になって、周りのものは、一切、見えざる聞こえざるであった。これで、もう少し貧乏くさく見えたら、哲学者か、それとも、たぶん、煙突のあたりを眺めて半チクな詩句を考えている詩人に間違えられただろう。何度も馬車に轢《ひ》かれそうになった。四方八方から、「気をつけろ、バカヤロー」、と怒鳴られ、振りかえると、あわや車輪に敷かれそうだったり、馬とキスしそうになっていたりした。ときには、馬の口泡で汚れた袖を拭いていると、顔に鞭が飛んできたりし、おとなしい御者なら、ふつうは、やさしく、「気をつけな、耳の遠い爺さん」だが、「三角帽のクソじじい」と怒鳴られたことまであったのを覚えている。
黄色いカーテンを調べあげるのは一日でできる仕事ではなかった。カーテンの所在を百五十カ所以上も手帳に書きこみ、その中に本命が入っていることを期待した。だが、今のところ、下世話で言うプロシアの王のために働いた、つまり、無駄骨を折っていたんじゃなかろうか? そのうしろにフォサールを隠していたカーテンは、しみ抜き屋に渡され、白か緑か赤のカーテンが代わりにかけてあるということはないだろうか? なにはともあれ、ひょっとして、ひょっとすればツキになることもある。私は勇気をふるい起こしたが、六十男になっているので、百五十もの階段を上り下りするのは辛いはずで、五階建の建物とすれば約七百五十階分を行き来することになり、段数で言うと三万段以上、チンボラソ山〔南米エクアドルにある死火山、六二七二メートル〕の二倍の高さなる。だが、足も丈夫、息切れもしない私だったので、この重労働をやってのけた。金羊毛を手に入れようとアルゴー船で航海した乗組員たちと同じような希望に支えられていた。私が探していたのはせむし女だった。階段を上がって行って、幸運の星の導きで目指す女が現われると信じて、何時間も張りこんだ踊り場がどのくらいあったろうか? あの勇ましいドンキホーテも、私ほど熱心にドルシネア姫を探し求めはしなかったろう。お針子というお針子を訪ねて、一人また一人と調べたが、せむし女など一人もおらず、うっとりするほど美しいか、たまたま瘤《こぶ》があっても、背骨が曲がっているのではなくて、いずれは産院で解消する膨《ふくら》みで、これはどこにいようと、整形外科の助けがなくともすむものだった。
こんなふうにして、目指す女の影も拝めないままに幾日もがすぎた。まるで地獄の仕事だった。毎晩、くたくたになって家に帰り、毎朝、同じことをやりなおさねばならなかった。思い切って尋ねてまわれば、たぶん誰か親切な人が筋道を教えてくれたかも知れなかったが、それでは飛んで灯に入る夏の虫になるおそれがあった。そして、この堂々めぐりにうんざりして、とうとう別のやり方を思いついた。
ふと気がついたのだが、たいていのせむし女は、お喋りで知りたがり屋だ。いつも町内に噂を流すのは彼女たちで、そうでないときは、いずれ他人の蔭口をきくのに備えて、そのネタを貯えておく。何事があっても、彼女らに気どられずにはすまされない。こういう事柄から次のように結論した。つまり、これまで、さんざ無駄足を踏ませた、まだ見知らぬ女も、やはり御多分にもれず、ちょっと買物の途中なのよ、とか何とか言っては、牛乳屋やパン屋、果物屋、小間物屋、乾物屋などに立ち寄って、お喋りをするのを怠るはずはあるまい。そこで、できるかぎり多くの噂話の震源地を巡《めぐ》り歩こうと思いたった。せむし女なら、亭主が欲しくてたまらずに、まじめな早起き女であることを見せて家政の切りまわしが上手なのをひけらかしたがるに決まっているから、探している女も早起きするに違いなく、お目にかかるには早朝から現場へ行く必要がある。私は、夜が明けるとすぐに出かけた。
最初は、どこの会議場に見当をつけようかと思った。せむし女は、どんな牛乳屋をひいきにするだろうか? わかりきっている、少々遠くでも一番お喋りの花が咲き、いちばん繁盛している店にきまっている。テヴノ街の角の店が、この二つの条件に合っているように思えた。店のまわりには、お客さん用の小さな壺が積んであって、ぎっしり集まった人垣の真ん中で牛乳屋が休みなく喋りながら応待していた。お客さんたちは列を作っていたが、どうやら牛乳屋が客たちに列を作らせているらしく、それは別に私の心配の種ではなかった。肝心なのは、きめ手になる一つの会合場所がわかったことで、そこから眼を離さないようにしようと思った。
二度目に会議場に出かけると、前の日のように見張りについて、辛抱づよく女イソップ〔寓話作家のアイソポスはセムシだったと伝えられる〕の御到来を待った。すらりとした背丈の、明るい顔をして地味な胴着を付けた、まともなのや蓮っぱなのや、若い娘たちがやって来たが、みんな|I《イ》の字のように真っすぐな身体をしていた。私は絶望しかけていた……と、そのとき、ついに地平線に明星が現われた。典型的なせむしのヴィーナスだった。ああ、なんと可愛らしく、最も目立つ部分が、なんと美事に曲がっていたことか。博物学者なら、人類にさらに一つの人種を加える考慮をするにちがいない出っぱりから、私は眼を離さなかった。不具であるために余計に魅力的だった中世の仙女を見ているような気がした。
その世にも不思議な、いやむしろ超自然的な人間は、牛乳屋に近づいてしばらく話を交してから、私が予期していたとおりクリームを買った。それが、せいぜい彼女が欲しかったものだったのだ。次に乾物屋に入り、ちょっと臓物商に立ち寄って肺臓を買った。たぶん猫にやるのだろう。そこで買物が終わり、彼女は、プチカロー街にある一階が桶屋になっている家の路地に入って行った。私は、すぐに十字窓を見上げたが、願っていた黄色いカーテンは見つからなかった。しかし、前にも考えたとおり、その色がどうであれ、カーテンは、生まれながらのせむしのように永久に変わらない物ではない。よし、こうなったからには、あの美しくて小さな驚嘆すべき女と話をしないうちは退き下がるまいと考えた。私を導くはずの主な状況の一つについては当てが外れたが、彼女と話してみたら何か光明が見えるかもしれないという気がした。
そこで、その建物に上って行き、中二階まで行くと、そこらにいた人たちに尋ねた。ちょっぴりひどくせむしになった小柄の女のひとは何階に住んでいますか? すると、みんなは鼻先で笑い、
「あんたが言うとられるんはお針っ子のこってすけェ?」
「ハイ、そうなんで、お針子を探しているんです、ちょっと肩が変な」
また一同は笑い、四階の表側だと教えてくれた。たいへん丁重ではあったが、ひやかすような笑い方に思わずかっとなるところだった。いんぎん無礼そのものだったが、寛容な私は、おかしな奴らだと思って勘弁してやったが、私はお人好しではなかったかな? さもあらばあれ、その役割を演じきって、教えてもらったドアをたたくと、戸を開けてせむし女が中に入れてくれた。そこで、おきまりどおりに突然の訪問を詫びたあと、個人的な用件でお話をしたいので、ほんの少々お時間をいただけませんかと頼みこんだ。
「マドモワゼル、ある真面目な気持から、こうしてお目にかかった次第ですが、あなたは、わたしが参ったワケをご存知ありません。ですが、それがわかれば、おそらく、私の頼みに興味を持たれると思います」
彼女は、私が愛の告白でもすると思ったらしく、ぽォと顔が赤くなり、むりに眼を伏せようとしたが、きらきらと瞳が輝いた。私は続けた。
「この年で二十《はたち》の青年のように胸をときめかせていると申し上げたら、さぞかし驚かれるでしょうな」
「あら、ムッシュは、まだお若いですわ」
愛すべき彼女は愛想がよかったが、それ以上の勘違いは好まなかった。
「なんとか我慢してはおりますが、間題は、そのことじゃないのです。ご存知のように、パリでは、男と女が結婚せずに同棲しているのが珍しくありませんね」
「あたしを何だと思ってるんですか? ムッシュ、そんな申し出をするなんて」
彼女は、最後まで聞かずに声をあげた。こちらは、その勘違いに微笑して、
「あなたに申しこみに来たんではありませんよ。お願いしたいのはですね、この建物に、若い女のひとが夫だという男と一緒に住んでいると聞いたものでして、その婦人のことを教えていただきたいと思いまして」
「そんなの知らないわ」
彼女は、そっけなく答えた。そこで、フォサールと愛人のトノー嬢の人相を大ざっぱに説明したところ、
「ああ、わかった。旦那さんくらいの体格で三十から三十二くらいの年頃の恰福《かっぷく》のいい色男のことね。女のひとは、男好きのするブリュネットで、きれいな眼と歯、大きな口、長い巻毛をしていて、口元にウブ毛が生えてる。つんと鼻が上向いて、どっから見ても、おとなしくて優しそうに見える女。たしかに、あの人たちは、ここに住んでたわ。けどね、ちょっと前に引越しちゃった」
引越し先を教えてほしいと頼んだが、知らないと答えたので、どうか、あの不幸な女を探す手助をして下さい、裏切った女だが、まだ愛しているんですと泣いて懇願した。
お針子女は、私が流した涙にホロリとして、すっかり心を動かされたようだった。私は、ますます悲壮感をあおった。
「ああ、裏切られて、もう死にそうです。哀れな夫を可哀そうだと思って、おねがいです、居所を隠さないで下さい。一生恩に着ます」
総じてせむし女というものは情けぶかいものだ。さらに、彼女らから見れば、夫というのは貴重な宝物で、自分にはないので、夫を裏切るなんて思いもつかない。このお針子も不貞は怖ろしいことだと思っていた。心から私に同情し、できるだけ役に立ちたいと張りきったが、
「まずいことに、あの人たちの引越しをしたのは、この辺の運送屋さんじゃなかったんで、あの人たちがどこへ行って何してるか丸っきり知らないのよ。でも、大家さんに会ってみたらどうかしら?」
はっきりと女の誠実さが表われていた。そこで、家主に会いに行ったが、家賃が支払いずみであること、何も言い残していないこと、これだけが彼に言えることだった。
フォサールの旧居は確かに見つけだしたものの、これを別にすれば、私は以前より一歩も前進していなかった。しかし、万策つきるまでは捜査を投げるつもりはなかった。ふつう、運送屋は、甲乙の地区の同業者とは知り合いだ。私は、裏切られた亭主という触れこみでプチカロー街の運送屋たちに当たった。そのうちの一人が、私の恋仇の引越しを手伝った仲間を教えてくれた。
教えられた男に会って、例の作り話を語ったところ、こいつはコス辛《から》い野郎で、話を聞いて私をカモにしようと企んだ。私は、それには気づかぬフリをして、次の日にフォサールの引越し先に案内すると約束してくれたお礼に五フラン二枚をやった。その金は、その日のうちにクルチィユ〔パリ北部の旧地区、酒場や娼家が密集して犯罪者の溜り場になっていた〕の商売女にハタいてしまっただろう。
この男に最初に会ったのはクリスマスの翌々日(十二月二十七日)のことで、二十八日に再び会うことになっていた。一月一日に間に合わせるためには一刻の猶予もならなかった。私は約束の時間を守った。部下に尾行させていた運送屋も間違いなくやって来たが、またも何枚かの五フラン貨が私の財布から男の財布に宿替えをした。
さらに、昼飯までおごらされた。彼は、やっと出かける気になり、われわれはデュポ街とサントノレ街の角にある小ぎれいな家のすぐそばに来た。
「ここだ。階下《した》の酒場へ行って、そいつらが、やっぱりこの建物にいるかどうか聞いてみようじゃないか」
彼は、私に最後の御馳走をさせようとし、すぐに私は承知して酒場に入り、ポーヌワイン一本を二人で飲んだ。店の者にフォサールの所在をさぐりながら飲み終わったときには、私の妻ということにしていた女と誘惑者のネグラをついに突きとめたと確信して退き上げた。もう道案内をしてもらう必要はないので、男に礼を言って退きとってもらった。両方から礼金をせしめて私を裏切らないように手を打っておこうと思い、部下に見張らせ、とくに酒場に戻れないようにした。私が覚えているかぎりでは、彼に気まぐれを起こさせないようにブタ箱に入れたと思う。当時は、そのくらいのことは問題ではなかった。何を隠そう、彼を箱入りさせたのは私で、当然のお返しのつもりだった。
「ねェ、きみ、私は警察に五百フラン預けてあります。妻を見つけてくれた人への報奨金なのです。あの金は、きみのものです。受け取れるように手紙を書いてあげます」
こう別れ際に言って、じっさいに手紙を書いて渡し、それを彼はアンリ部長に届けた。
――この方を金庫《ケス》にお連れ下さい。
これを読んで、部長は係員に命令した。警察で金庫というのは森番小屋、つまり留置場のことで、運送屋は、そこでヌカ喜びの夢からさめる時間がたっぷりあったはずである。
石炭屋に化ける
そこでフォサールの住居かどうかは、まだ本当はわかってはいなかったが、いちおう、これまでの経過を当局に報告すると、待ったなしに、すぐ逮捕に必要な令状が与えられた。そこで、マレー地区のお大尽は、突如として石炭屋に変身し、お袋も日頃から見なれている本庁の連中も見分けができない姿になって、行動すべき現場の偵察に専念した。
フォサールの仲間、つまり彼を密告したゴローたちは、彼を逮捕する警吏が注意しなくてはならぬこととして次のことを知らせていた。彼は、いつもナイフ一本とピストル数丁を身につけていて、二つの兇器のうちの一つは手にしているリネンのハンカチの中に隠しているという。この警告から何らかの予防策が必要になってきたし、その上、これまでにわかっているフォサールの性格からして、逮捕されずに死刑を免れるためには殺人など平気でやるのは確実だと思われた。私は犠牲者になりたくなかったので、なるたけ危険を減らすには、フォサールの家主の酒場の主人と前もって打合わせておくのがいいと思った。酒場の亭主は真面目な男だったが、そのころの警察の評判が如何にも悪かったので、堅気な人に警察に協力を約束させるのは、いつも生易しいことではなかった。私は、彼が個人的にトクになることに結びつけて協力を確かなものにしようと決めた。それまでに二種類の変装姿で何度か通い、できるだけの暇をさいて現場の状況を覚えたり、店の常連になるようにした。さて、普段の服に着替えて店へ行くと、二人だけで話をしたいと亭主に声をかけた。私たちは一緒に小部屋に入り、だいたい次のような出たらめ話をした。
「警察の者だがね、あんたのところに泥棒が入るのを知らせに来た。押しこみの手筈をし、たぶん自分でやるのは、この家の借家人だ。そいつと同棲している女は、ここに何度も一緒に飲み食いに来て、ときにはカウンターの奥さんのそばに坐ったりしとる。奥さんと話をしながら、みんなが出入りする入口の戸の鍵型を手に入れたと見ていい。万事、抜かりがないんだ。戸が開いたのを知らせる鈴のバネは、戸が半開きのうちに金切り鋏で切る。いったん中に入ると、さっと寝室に駈け上がり、ちょっとでも、あんたが眼を覚ましているというおそれがあれば、なにしろ相手は札《ふだ》つきの兇悪犯だからな、あとは言わんでもわかろうが」
「あっしらをバラす」
おびえた亭主は、すぐに女房を呼んで私の報せを話した。
「アラまァ、ほんと。お友だちなのに。人様は信用しろと言うけどね。アザールの奥さんたら、罪のなさそうな顔してねェ、まさか、あのひとが、あたしらの首をばっさりやるんじゃないだろうね? 今夜にも寝首をかきに来るんかね」
「いやいや、安心して眠っていいんだ。今夜じゃない。売上金が少ないと思っとる。やつらは公現祭〔一月六日から八日間、第十八章参照〕が過ぎるのを待ってるんだ。だが、あんたがたが秘密を守って、私に協力してくれれば、万事うまくやれる」
アザールの奥さんというのはトノー嬢のことで、その住居でフォサールが使っている偽名を彼女も使っていた。私の内緒話で震え上がっていた酒場の夫婦には、その企みをバラした二人の借家人をいつものように愛想よく迎えるようにと勧めておいた。私に協力するつもりかどうかなど訊くまでもなかった。お互いにフォサールの動きを見ていて逮捕のチャンスをつかめるように、私が階段の下の小部屋に隠れていることにした。
十二月二十九日、朝早くから持場についた。おっそろしく寒かった。ながいこと見張っていて、火の気がないので余計に辛かった。もっとラクにしていてもよかったのだが、じっと動かずに鎧戸に開けた穴に眼をくっつけていた。ついに、午後三時ごろ、やっこさんが出てきたので私は後をつけた。まさしくフォサールだった。そのときまではいくらか疑いが残っていたが、本人に間違いないことが確かになったので、すぐさま令状を執行したかった。しかし、私に同行していた刑事が、おそろしいピストルを持っていたのが見えたと言い張った。そこで、その事実を確かめるために足を速めてフォサールを追い越し、また引き返した。彼を観察した結果、残念ながら刑事が間違っていなかったのがわかった。逮捕しようとすれば、こちらを危険にさらし、おそらく失敗するだろう。仕方ない、勝負は延期することにした。二週間を思いだすと、ただもう一月一日にフォサールを当局に引き渡そうと気負ったが、今となっては、むしろ遅れたのが嬉しいくらいだった。それまでは監視をゆるめてはならない。
十二月三十一日、午後十一時、わが方の態勢もととのったとき、フォサールが帰ってきた。なんの警戒もせずに鼻歌まじりに階段を上がり、二十分後、灯りが消えて寝たのがわかった。絶好のチャンス。かねてから手配してあった最寄りの詰所に待機していた警視や憲兵たちを呼びにやった。一同、音をたてずに集まると、すぐに、死傷者を出さずにフォサールを取り押さえる方法について討議を始めた。というのは、百に一つの何事か起きないかぎり、その悪漢は断固として手向かうことがわかっていたからだ。
はじめ、私が考えたのは、夜が明けるまでは動かないということだった。フォサールの女が、朝早く牛乳を買いに下りてくることがわかっていたので、そのとき女を押さえて鍵を取りあげ、彼氏の部屋に不意打ちをかければよいと思っていた。だが、いつもと違って女が先に出てこないことは有り得ないだろうか? こう考えて、別の策を練ることにした。
オードコロンは死の匂い
酒場のお上さんから聞いたところでは、ムッシュ・アザールことフォサールは、彼女にたいしては思いやりがあふれた男だという。お上さんは甥っ子を引きとって育てていた。十歳のガキだったが、年のわりには利口者で、ノルマン人だけに金欲しさにかけてはマセていた。
「坊や、おばさんが要るんだってさ、アザールの奥さんに頼んでオードコロンを借りてきて欲しいって。行ってきてくれたら、約束する、この小父さんが御褒美をあげよう」
こう子供をおだてると、そういう場合に似合った丁寧な言葉を教えこみ、
「そうそう、よくできた。それでいい」
チビ君に満足すると、われわれ一同の役割の分担にとりかかった。大詰めが近づいた。階段を上がる足音が聞こえないように、みんなに靴を脱がせ、私も脱いだ。下着姿のチビ君が案内の鈴を鳴らす。誰も答えない。もういちど鳴らす。「だーれ?」、と部屋の中から尋ねる声。
「ボクです。アザールの奥さん、ルイです。おばさんが痛がってるんです。オードコロンを少しわけていただけないかって。打ち身なんです。ボク、灯りを持ってます」〔オードコロンは大瓶に入っていてアルコールの含有量が示してあり(八〇〜九五パーセント)、化粧水としてよりも消毒、消炎に用いる〕
ドアが開く。トノー嬢が顔をのぞかせたとたんに、二人の屈強な憲兵が、彼女の口にタオルを押し当てて叫び声をたてられないようにして引きずり出した。と同時に、私は、突然の出来事にポカンとしているフォサールに、獲物に飛びかかるライオンよりも早く飛びかかって、あっという間にベッドの上で縛り上げた。彼は、身動き一つするひまも、ウンともスンとも言うひまもなく召捕られてしまった。あんまり驚いたので、口がきけるようになったのは小一時間たってからのことだった。誰かが灯りを持ってきて、まっ黒な私の顔と石炭屋の服装を見ると、彼は凄まじい恐怖の表情を見せた。悪魔の手に落ちたとでも思ったらしかったが、我に返ると、自分の武器、ナイトテーブルの上のピストルとナイフを思いだして、そっちのほうへ眼を向けた。ぴくっと身体を動かしたが、それっきりになった。手も足も出せず、おとなしくなり、歯をくいしばってじっと耐えていた。
恐怖の悪党と唱われたフォサールの住居の家宅捜索が行なわれた。大量の装身具、ダイヤモンド、八千から一万フランの現金が発見された。捜索中に正気にかえったフォサールが、ソムノ〔ローマ神話のソムヌス神のフランス俗称、眠りの神、眠らせ神〕の大理石像の下に、まだ千フラン札が十枚あると私に打ち明けた。
「持って行ってくんな。山分けしよう。それとも、なんなら、おめェがとっといて好きなようにしな」
私は、彼の望みどおりフラン札を押収した。われわれは辻馬車に乗り、まもなくアンリ警視の部屋に着いた。そこにはフォサール宅で見つかった盗品が並べてあった。あらためて目録を作り、最後の品物まで来たとき、一緒に逮捕に行った警視が、
「あとは調書を仕上げるだけだね」
「ちょい待ち、まだ一万フランある。犯人から預ったんだ」
そう言って、私は金を披露した。がっかりしたフォサールは、きっと私を睨んだが、その眼はこう語っていた。
「ちきしょう、許さねェ」
錠前無用
フォサールは、ごく若い時から悪の道に踏みこんだ。堅気の家の息子で、かなりの教育も受けた。両親は、彼の悪い性向を失くそうとできるかぎりのことをしたが、親の忠告なんかクソくらえとばかり、盲滅法に悪党仲間に飛びこんだ。チャチな盗みから始めたが、やがて危険な稼ぎが好きになり、おそらく通り一辺の盗賊と一緒にされるのを恥として、かれらが言う『ハクイ仕事』を選んだ。今日でもブレスト徒刑場で名士に数えられている悪名たかいヴィクトル・デボワとガンカクシのノエルが相棒だった。かれらが一緒になって犯した盗みが原因で終身刑を受ける羽目になった。ノエルは、音楽の才能とピアノ教師の資格を持っていたので、金持の家に出入りをして鍵型をとってくるとフォサールが合鍵を作る。ジョルジェ鍵屋の者にも、地球上のどんな錠前師にも、ひけをとらないだけの腕前になった。彼が征服できない障害物はなくなり、最高に複雑な錠前、巧緻《こうち》をきわめ侵入不能とされる秘密の仕掛けも、彼にかかるとイチコロだった。
このほか、律義な人たちに取り入ってペテンにかけるすべを心得ており、かてて加えて、狡くて冷酷な性格に勇気と根気を合わせて持っている男が、こうした悪辣《あくらつ》な技能をどんなふうに使うかはわかりきったことだった。仲間から盗賊のプリンスと見なされ、じっさい、大盗賊、つまり泥棒の貴族階級の中で彼に匹敵する者といったら、私が知っているかぎりでは、コニャール、自称ポンチス、サンテレーヌ伯爵、この回想録に登場したジョサス〔第七、十四章〕くらいのものだろう。
こんど私に逮捕され、またぞろ徒刑場に送られてから、フォサールは何度も脱獄を試みた。さいきん会った釈放された徒刑囚が断言したところでは、彼が自由になりたがっているのは、ただもう私に復讐したい一念からだという。私を殺してやると誓っているそうだ。その目論《もくろ》みを成しとげるのは彼の努力しだいだから、誓いを守るのは間違いあるまい。これから述べる二つの出来事で、この男の人柄がわかるはずである。
ある日、フォサールは、三階にあったアパルトマンに盗みに入っていた。外で見張りをしていた仲間がヘマをして家主を見すごし、泥棒たちが気づかない間に上がらせてしまった。主人は錠に鍵を差しこみ、戸を開け、いくつかの部屋を通り抜け、書斎にやってきて仕事中の泥ちゃんと鉢合わせをした。とっつかまえようとしたが、フォサールは抵抗して逃げた。眼の前に十字窓が一つ開いていたので飛びだし、大道に落ちたが怪我もしないで稲妻のように姿を消した。
また別の時には、脱獄しようとビセートル監獄の屋根の上に出たところを見つかって銃で撃たれた。このときフォサールすこしも慌てず、のろくもなく速くもなく歩きつづけ、畑がある側面にたどりつくと屋根を滑り下りた。ぜったいに首の骨が折れるようなところを無傷で下りきったが、ただ勢いがありすぎて服がズタズタになっていた。
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三〇 特捜班の成立
クルチィユの手入れ
フォサールを逮捕した頃には、保安部の特捜班が既にできていて、一八一二年、特捜班が創設されたときから、私は密偵ではなくて正規の刑事になっていた。ヴィドックの名が知れわたり、多くの人から、あいつがヴィドックなんだと思われるようになった。私が注目を浴びるようになった初仕事は、クルチィユ地区の主な溜《たま》り場をたたいた作戦だった。ある日、アンリ部長が、デノワイエの店に手入れをするつもりだと発表した。そこは、場末の酒場のなかでも、ゴロまき連中や、あらゆる種類の良くない手合いがどこよりも多く出入りする場所だった。公安の現役幹部、ムッシュ・イヴリエは、その手入れをするには一個大隊あっても足りないだろうと意見を述べた。とたんに、私が大きな声で、
「一個大隊、なんだって全軍と言わんのですかい? 俺だったら八人も付けてもらえば首尾よくやってみせますよ」
イヴリエが生来の怒りん坊なのは誰もが知っていたが、真っ赤になって怒り狂い、私のことを口だけが達者なやつだときめつけた。いずれにせよ、私は、その申し出に固執し、けっきょくは行動命令が出た。私がやろうとした手入れの目的は、泥棒や脱獄囚や植民地の軍隊からの脱走兵を一網打尽にすることであった。どっさり手錠を用意して三人の部下と八人の憲兵を伴って出発した。デノワイエの店に着くと、二人だけ憲兵を連れてホールに入り、楽隊に音楽をやめるように頼むと承知してくれた。だが、すぐにざわめきが起こり、つづいて『かえれ、かえれ』の大合唱が始まった。ぐずぐずしてはいられない。みんなが熱狂して暴動になる前に怒鳴っているやつらを鎮めねばならない。そこで、いきなり令状を見せると、法の名において、女を除いて全員退去しろと命じた。しかし、最初は、おいそれとは命令に従おうとしなかったが、何分かすると、いちばん強情な連中もあきらめて列を作って外に出はじめた。私は通路に陣取って、お尋ね者を見つけると、一人また数人と白墨で背中にバツ印をつけ、その印を見て外で待機していた憲兵が次々に御用にして縛り上げた。こうして、三十二人の犯罪者を逮捕し、数珠つなぎにして近くの憲兵詰所に連行し、そこから警視庁へ送った。
この大胆な奇襲が、場末の木戸あたりに出入りする連中のあいだで噂になり、日ならずして、ヴィドックという密偵の存在がペテン師やゴロン棒どもに知られるようになった。なかでも威勢のいい連中は、そいつに会ったら殺してやると息巻き、何人かは向かって来たが、どいつもこいつも散々な目に遭って追っぱらわれた。かれらの失敗は、私が恐ろしい男だという評判をいやが上にも高め、その飛ばっちりが特捜班の全員にまで跳ねかえった。実を言うと、かれらの中にはアルシィド〔ギリシア神話の超人的な英雄ヘラクレス及びその子孫たち(ヘーラクレダイ)の別名〕と呼ばれるほどの剛勇な者は一人もいなかったのだ。その場に私がいるのも知らずに、人々が眼の前で私や部下の話をしていると、誰のことを言っているのかも忘れて身ぶるいを覚えた。世間の噂では、われわれは大男ぞろいで、老獪《ろうかい》な山賊よりも恐ろしく、狂信的な回教徒に劣らぬくらい命知らずで狂暴だとされた。平気で相手の手足を折る。天下無敵、神出鬼没。この私は不死身で、臆病者だからという意味ではなく、全身を鎧《よろい》でかためていると言い張る者もいた。
特捜班ができたのは、クルチィユの手入れ直後だった。最初は部下が四人だったが、次に六人、十人、十二人になった。一八一七年には、それ以上になっていなかったが、この一握りの人員で、元旦から大晦日までに七百七十二人を逮捕し、三十九回の家宅捜索をして盗品を押収した。
次の表は、一八一七年の一年間の逮捕の概要で、これを見れば特捜班の活動の重要性がわかる。
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殺人または傷害犯………………………一五
襲撃または暴行による強盗………………五
梯子または合鍵等による侵入盗賊…一〇八
借家盗賊…………………………………一二
店頭盗賊と空巣………………………一二六
スリと詐欺師……………………………七三
脅迫盗賊とイカサマ賭博師……………一七
盗品|寄蔵牙保《きぞうがほ》者…………………………三八
徒刑場または監獄よりの逃亡犯………一四
追放宣告逮反の釈放徒刑囚……………四三
文書等偽造犯、略取犯、背任容疑者…四六
浮浪者とパリ追放の盗賊……………二二九
内務大臣命令による逮捕者……………四六
盗品の捜索と押収………………………三九
合計……………八一一
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私が保安部特捜班の主任捜査官に任命されると知った泥棒たちは万事休すと思った。かれらが最も不安になったのは、私が、以前は一緒に暮らして仕事をした仲間を部下にしていて、かれらのことがわかってしまっていると勘ぐったことだった。一八一三年の逮捕者数は、まだ一八一七年ほど多くはなかったが、かれらに警戒心を高めさせるには十分だった。一八一四年と一八一五年には、イギリス廃船の代用監獄から釈放された盗賊団がパリに戻ってくると、さっそく初仕事をやってのけた。この一味は私を見たことがなく、私のほうも連中の顔を知らなかった。かれらは、私の監視を悠々とかすめて得意になり、どえらい張り切りぶりで大胆な稼ぎを始めた。サンジェルマン界隈で、一夜に十件も押しこみ強盗が起きたことがあった。六週間以上も、この手の兇悪事件の話ばかりが耳に入ってきた。アンリ部長は、強盗の横行を鎮める策が見つからずに途方にくれていたが、それでも四六時じゅう監視を怠らなかった。私もお手あげの有様だったが、ついに、徹夜の捜査をつづけたあげく、元泥棒だった男を逮捕し、その男からいくらかの手がかりをつかんで、二カ月もたたないうちに二十二人組の盗賊団を司直の手に引き渡した。さらに二十八人組、三番目には十八人組、その他にも十二人、十人、八人と、一匹狼の連中や大勢の故買屋を挙げ、徒刑場の人数を増やしてしまった。ちょうどそのころ、徒刑場へ送られる前の盗賊のうちから四名を選んで、私の班を補強するようにという許可が下りた。
三名のベテラン盗賊、ゴロー、フロランタン、ココ・ラクールは、ながいことビセートルに拘置されていたが、かねてから雇ってくれと熱心に頼んでいた。心から改心し、これからは真正直に働いた収入、つまり警察からいただくお手当てで暮らすからと誓っていた。ガキのころから犯罪の道に足をつっこんだ連中で、いくら行ないを改めると固く決心しても、かれらに大事な仕事を任せる者などはいないだろうと思った。だからこそ、かれらの願いを聞いてやって採用しても、再犯のおそれありという反対の声があり、とくにフロランタンとココ・ラクールは危険だとされたが、かれらは役にたつからと奔走と懇願の末に釈放してもらった。なかでも、ココ・ラクールは、いちばん危ぶまれていた。以前、彼は密偵をしていたことがあったが、ウソかマコトか、ヴェイラ部長刑事の家から銀器を掻っぱらったとされていたからだが、このとき採用したのを後悔させなかったのはココ・ラクール一人であった。あとの二人は、まもなくクビにせざるを得ないことになり、その後、ボルドーで新たに有罪判決を受けたと聞いた。ココのほうは約束を守るように見えたし、そう期待したのは間違いではなかった。たいへん頭がきれて教育の基礎もあったので、とくに抜擢して私の秘書役にした。ずっと後になって、なにかのことで小言を言ったら、『与力』ことデコスタールとクレチヤンという二人の同僚と一緒に辞表を出したことがあった。
今日では、ココ・ラクールが特捜班の班長になっているので、彼が自分の回想録を出すのを待ちながら、どのような浮き沈みを経て、ながいあいだ私が占めていた部署にたどり着いたかを述べるのも一興であろう。彼の人生を見れば、彼に寛容になる理由も見つかるだろうし、本心から改心したという肝心な点について言えば、堕落した人間も、いつかは悔い改めることができるから、けっして絶望してはならないという強い理念が持てる。私の後継者の略歴は真正の記録にもとづき、まず、どんな足跡を残しているかを警視庁保安部の記録簿を開いて書き写すことにする。
『ラクール、マリ・バルテルミ、十一歳、リセ街居住、共和暦九年風月九日、窃盗未遂の容疑者としてラ・フォルスに収監。十一日後、軽罪裁判所において禁錮一カ月の判決。
『同人、同年草月二日逮捕、小売店よりレース窃盗の容疑者として再びラ・フォルスへ送致。同日、第二区司法警察官によって釈放。
『同人、共和暦十年熱月二十三日、警視総監命令によりビセートルに収監。十一年雨月二十八日、釈放されて警視庁に送致。
『同人、共和暦十一年芽月六日、警視庁命令によりビセートルに入監。同年花月二十二日、ルアーヴル送致のために憲兵隊に移送。
『同人、十七歳、スリ稼業、同行為により多数回逮捕。一八〇七年七月、ビセートルにおいて植民地軍に入隊を志願、同月三十一日、目的地送致のために憲兵隊に引き渡し。同年中にレ島〔大西洋に面したシャラント・マリティム県に属する島〕より脱走。
『同ラクール、通称ココ(バルテルミ)、またはルイ・バルテルミ、二十一歳、パリ生まれ、宝石の仲買業者、サンタントワーヌ郊外区二九七番地居住。一八〇九年十二月一日、窃盗容疑でラ・フォルスに収監。一八一〇年一月十八日、軽罪裁判所の判決により禁錮二年の刑、次いで脱走兵として海軍省へ送致。
『同人、一八一二年一月二十二日、矯正不能の窃盗常習者としてビセートルに収監。一八一六年七月三日、警視庁へ送致。
若いころのラクールは、悪い教育というものが、どんなに危険かという悲しい見本だった。釈放されてからの彼について知った一切のことが、生まれつき優秀な男だったことを示している。不幸なことに、貧しい家に生まれ、父親はリセ街で仕立屋と門番を兼業していて、得てして人間の運命が決まることが多い幼年期に息子を放ったらかしにしておいた。ココの子供時代は孤児のようだったと思われる。言うなれば、近所の人たちの膝の上で育ったのは確かで、その人たちというのは、エガリテ宮〔パリのパレロワイヤルというのは代々のオルレアン公の邸宅で当時フィリップ・エガリテ(平等公)が住んでいた〕界隈の娼婦や御引きずりたちであった。女たちは、ココが、おとなしい子だと知ると、やたらと優しくして可愛がったが、同時に女たちがイタズラと呼んでいたことを教えこんだ。そういう御婦人たちが幼い彼の面倒をみたのであって、いつもそばにおいて宝石のようにイジクリまわして気晴らしの種にし、お座敷がかかって無邪気にふざけている暇がなくなると、小さなココは公園に行って悪ガキどもの仲間入りをした。コルク倒しやコマまわしの合間にイカサマの手口を教えあった。娼婦たちに教育され、見習いスリから手ほどきを受けたココが、どんな方向に伸びていったかは言うまでもない。彼がたどった道は石ころだらけだった。ところで、ここに一人の女がいて、彼を正しく仕込んでやるのが自分の務めだと思いこんだにちがいなく、この女が少年を引き取った。イタリア広場で女郎屋をやっていた『女元帥』だった。
ココは、女元帥の家でたいへん立派に育ててもらったが、女主人が、彼女の務めとして身につけさせたいと気をつかったのは、ただ一つ、人情味のある性質だけだった。彼は、たいへん愛想のいい少年になり、誰の言いつけでもハイハイときき、すみずみまで知りつくしている娼婦の用事を何でもこなした。しかし、若いラクールは、一日とか何時間とか外出することもあり、どうやら、そういう時間を利用することを覚えた。というのは、十二歳にもならないうちに、レース泥棒のピカ一として名が挙げられるようになっていて、その後わずかの間に続けて逮捕され、『梁上の君子』こと空巣泥棒の名人級に数えられるようになった。行政措置によって四、五年間、危険かつ矯正不能の泥棒としてビセートル監獄に入れられていたが、なるほど一向に矯正された気配はなかった。だが、在監中に、せいぜい編物技能を身につけ、ちょっとした教育も受けた。素直で取っ付きがよく、ハンサムではないが優しい声と女性的な顔立ちのココは、ミュルネ氏という囚人の気に入られた。懲役十六年を特別な恩恵からビセートルで刑期満了を待っていた人だった。この囚人は、アンヴェルスの銀行家の兄弟で、もちろん世故にたけていて、気晴らしのためにココを生徒にした。愛情をもって励ましたらしく、いくらも経たないうちに、ほぼ正確に話したり書いたりができるようになった。好感がもてる見てくれのお蔭で与えられたのはミュルネ氏の親切だけではなかった。エリザというドイツ娘がココに熱を上げていて、投獄されていた間じゅう惜しみない援助をあたえ続けた。この娘は、まさに彼の命の恩人だったが、彼から受けたのは恩知らずな仕打だけだったという。
ラクールは、一メートル七十を越えない身長で、金髪の若禿げ、額が狭くて卑下しているみたいだとも言えた。眼は青いが生気がなく、疲れたような顔で、鼻のてっぺんが少し酒やけしていて、顔のなかで青ざめていないのはそこだけだ。装身具や宝石類が大好きで、時計の鎖や腕環などをひけらかして喜んだ。キザな表現で話すのが好きで、なるたけそうしようと心掛ける。彼ほどインギンで、へり下った男もいないが、それが堅気社会の作法でないことは一目でわかる。それは、もとはと言えば社交界の伝統が、監獄やラクールが出入りしていた場所にまで伝わったものである。ココには、雇われ者としてやっていくのに必須な腰の低さがあり、その上、びっくりするほどゴマスリが巧かった。いくらかタルチュフ〔モリエールの戯曲の主人公、偽善者の代名詞〕に似ているが、タルチュフだって、すくなくともココより上手にはやれなかったろう。
ラクールは、私の秘書になったが、最初は果物売りの女、次は洗濯女と似たようなバシタと暮らしていたので、お上の御用をつとめているんだから、もっとマシな職業の女を選んでもいいんじゃないかと言ってやったが、どうしても理解できなかった。このことで議論になり、彼は、私に譲歩するよりは辞めますと言って地位を捨て、行商人になって街角でハンカチなどを売った。噂によると、まもなく総会議《コングレガシオン》という教団に身を投じ、イエズス会の旗の下に加わった。それ以来、デュプレシス氏とドラヴォ氏の両氏〔おそらく両者とも警視総監、ド氏は後任者〕に好感を持たれるようになりラクールの心からの信仰心は両氏の眼に好ましくうつった。それについては私にも証言できることがある。彼の結婚に際して、留保事項〔教皇や司教でないと赦免できない罪〕を委任されていた告解司祭が、彼に最も厳しい苦行を課したが、その苦行期間をやり通したことがあった。一カ月間、夜明けに起きて跣足《はだし》でサンタンヌ街からカルヴェールの丘〔比喩的な場所、キリストが処刑されたゴルゴダの丘(カルヴァリオの丘)にたとえた〕まで歩いた。贖罪期間中は、その場所でしか妻と会うのを許されていなかった。ドラヴォ氏が新任されてからのラクールは、ますます信心を深め、そのころザカリ街に住んでいて、サンセヴラン教会の教区だったが、日曜ごとにノートルダムまでミサに通い、偶然にも、いつも新総監とその家族の横か向い側に坐った。ラクールが、それほど完全に自分を取り戻したのには誰しも感心するほかはなかった。ただ、それが、もう二十年早かったらと残念がられたが、遅くても改心しないよりはましだった。
ラクールの品行はたいへん温厚で、ときたま飲みすぎるということもなく、道楽といえば釣りだけだった。糸を垂れるのは新橋《ポンヌフ》あたりで、いまでも、ときどき、その沈黙の修行に数時間をかけている。そばには、いつも女がいて、ミミズを彼に渡している。それがラクールの奥さんで、昔はもっと男を誘うエサを差しだすのが得意だった。こうして彼が、イギリス国王陛下や詩人のクーピニと同じ趣味の、その無邪気な楽しみに打ちこんでいたとき、お偉方が彼を探してやって来た。ドラヴォ氏の使いの者たちがマリオン橋の下で彼を見つけ、むかしローマの元老院の使者がキンキナツスを鋤《すき》から引き離したように、使いの者がラクールを釣糸から引き離して特捜班の班長に迎えた。偉人たちの生涯には比較できる似た点があるものだ。してみれば、キンキナツスの奥さんも当時の娘たちに衣類などを売っていたかもしれない。今日、ココ・ラクールの妻の商売が正にそれと同じである。だが、私の後継者の話はこのくらいにして、保安部の特捜班の歴史に戻ろう。
特捜班と政治警察
わが特捜班が大きく拡大したのは一八二三年から二四年にかけてであった。そのころ、パリゾ氏の提案によって班員の数が二十人になり、二十八人にまでなった。そのうちの二人は、総監が大道での営業を認めた賭け事の収益で給付されていた。われわれは、この少ない人員で千二百人以上の前科のある元徒刑囚や懲役囚や禁錮囚を監視しなくてはならなかった。司法当局による令状より遥かに多い総監令状を年に四、五百件も執行し、情報を集め、あらゆる種類の捜査や奔走をし、冬は辛い多くの夜間パトロールを行ない、警視が担当する家宅捜索や共助依頼の執行を援助し、さまざまな屋内屋外の集会を調査、見世物小屋の出口、大通り、木戸その他、泥棒やスリが集まる溜り場などへ出かけねばならなかった。パリのような広い地域で、同時にたくさんな犯罪の場がある所を、たった二十八人で、もっとキメの細い活動なんて、どだいできない相談だった。部下たちは、一人で何役もこなせる資質を持っていたので、私は、かれらに熱意と献身の競争心を生まれさせ持たせておくように仕向け、自分から手本を示した。どんな危険な場合でも身を挺《てい》して当たり、巧名をたてたいという気持からではなく、すすんで手強い犯罪者を逮捕し、大勢の兇悪犯人を私の手で捕まえたと言うことができる。特捜班の主任捜査官であった私は、班長としてサンタンヌ街の執務室に閉じこもっていてもよかったのだが、もっと活動的で役立つことのほうにとらわれて、執務室へ行くのは、その日の指示をあたえたり報告を受けたり、盗難に遭って犯人を見つけて欲しいと届けに来る人たちの話を聞くためだけになった。
私が引退した時点までは、一つしかない必要な班として、そのために組んである特捜班の予算は、その大部分を使ってもよかったのだが、わが特捜班は三十人以上の人員は使用せず、年に五万フラン以上は費わなかった。その中から、私は、五フランを私に割当てた。これが特捜班の、ぎりぎりの人員と支出であった。こんなに少数の部下と節約した経費で、約百万人の住民をかかえる首都の治安を維持し、悪人一味を一掃し、かれらの再結党を妨げた。私が警察をやめてからの一年間に盗難は増えたものの、新しい盗賊団が結成されていないのは、私が追求する使命をもち、かれらを根絶やしにする権限があったときに、大物の親分株の全員を徒刑場に送ったからだ。
私が取締まる前のパリは、外国人や田舎の人たちから見ると、昼も夜も絶えず警戒していなくてはならない悪の巣窟で、お上りさんは、いくら用心していても必ず冥加金を払う羽目になった。私がやめてからは、例年、セーヌ県より犯罪件数が多く、しかも兇悪犯罪が起きている県は他になく、未逮捕者もセーヌ県が少なくない。実を言うと、一八一四年以来の国民軍〔一七八九年の大革命当時にできた治安維持のための民兵組織〕の不断の監視が、パリの治安維持に力づよい貢献をしてきた。自警団の監視がパリ以上に必要で強力なところは他になかった。フランス軍が解散して、脱走した外国兵が市や町に入ってきて、とくに大都市には、大勢のナラズ者やペテン師、諸国からの難民が流れこみ、国民軍がいても、特捜班として、また班長としては、やることがたくさんあった。だから、われわれは、そのたくさんなことをやった。国民軍にふさわしい賛辞を呈するとしたら、かれらの存在中と解散命令後に見聞した経験からはっきりわかったが、知性や援助の意志、公益のために献身するという総意を持っていたのは民兵だけだと断言する。正規兵や憲兵には、そういったものは見られなかった。連中が熱意をあらわすのは、たいていの場合、危険が過ぎてから乱暴に振舞うときだけだ。
私は、現在の特捜班のために無数の先例を作り、私のやり方の伝統は、そんなに早く忘れられることはあるまい。だが、後継者の腕がどれほどよくても、パリに自警団がいないと、四六時中、あらゆる場所を同時に監視することは不可能で、新しい世代が育っていて、悪人どもの活動を抑えることはできまい。特捜班の班長とても神出鬼没ではあり得ないし、部下たちもブリアレ〔ギリシア神話、百手の巨人〕のように百本も腕があるわけではない。新聞の社会欄をざっと見ても、毎夜のように物凄い数の押しこみ強盗があるのにゾッとする。しかし、新聞に載るのは十件のうちの一件にすぎない。さいきん、セーヌ川の岸辺に徒刑囚の集落ができたらしく、人通りの多い繁華街に住んでいる商人でさえ枕を高くして眠れないという。やれ梯子だとか合鍵で開けられた戸だとか、ごっそり荒らされた部屋などなどの話ばかりが耳に入ってくる。だが、今はまだ、貧乏人には一番いい季節なのだ。冬の厳しさが身にしみるようになり、もっと多くの人が失業して貧困にあえぐようになったらどうなるだろう? 国王の検事のうちの何人かは、かれらの周りで起きていることにムリに眼をつむって見当ちがいのことを主張するが、じっさいは、貧困が犯罪の温床になっている。社会体制の仕組みが不条理なときには、勤勉であればいつでも貧困という災難を防げるとは限らない。人間の数が少なかった時代の道徳屋は、怠け者だけが飢えて死ぬのだと言えたかもしれないが、今日ではまったく事情が違い、よく観察すれば、すぐにわかることだが、誰もが働けるだけの仕事がないだけではなく、仕事によっては、最低生活に必要なだけの給料も貰えない。状況が深刻になってくれば、どうなるかは予測がつく。商売が沈滞し、製造業は、いくら努力して製品の販路を求めても効果がなく、生産すればするほど赤字が大きくなる。そこまで事態が悪化したら、どうやって打開するのか? 貧しい人々の絶望を押さえこもうと考えるよりは和らげてやるほうがいいにきまっている。だが、なにも打つ手がなく、危機が身近に迫ったときは、何よりもまず治安の保障を強化すべきではなかろうか? その保障には、市民の自警団が、常時、存在していることよりいい方法があるだろうか? 自警団は、たえず法と名誉を守ることを念頭において監視し行動する。御都合主義で『枠《わく》』を広げたり縮めたりするルーズな警察が、自警団のような立派な心がけと親切心がある組織の代わりになれるだろうか? それとも、軍隊なみに無数の警官を仕立てて、用がすんだらクビにするのがよいだろうか?
治安当局が、今日まで、泥棒たちにとっては密偵の師範学校であり養成所のような監獄や徒刑場から引き抜いて人員を補充しているなどと考えてはいけない。そんな連中をワンサと雇い入れて、警察のやり方を身につけてから社会に送り返してみるがいい、みんな元の稼業に戻って、前より巧く悪事をやってのけるだろう。私の部下に関するかぎりでは、クビにした十人が十人、似たような事実が確かめられた。これは、前科者ばかりで構成されている特捜班のメンバーに限ったことではなく、皆が皆、真人間になりきれなかったというのではない。私は、受取り証もなしで、数えもせずに安心して大金を預けられる者を何人も挙げることができる。だが、そこまで改心する者は、やっぱりたいへん少ない。だからといって、(職業はさておき)、その他の誇り高い階級とされている人たちよりも正直者の割合が少ないとは言えない。部下の一人で、脳天をブチ抜いて自殺した元徒刑囚がいたが、預っていた五百フランの金をバクチでスッたからだった。証券取引所の年報には似たような自殺が山ほど載っているが、さて……しかし、ここでは任務以外のことで特捜班の弁明をしようというのではなく、はっきりさせたかったのは、密偵という重要な人物にたいする認識不足のことで、それは、これまで私が述べてきた一切の事情から発生している。すべての有罪判決は、確実な生存のための修業あるいは前進だという観念に慣らされた民衆の道徳感と、警察は徒刑囚の養老院だという考えの危険性を抜きにしても、私の言っていることには変わりがない。この回想録が本当に面白くなるのは特捜班ができてからなので、これまでは一身上の話が長すぎたと思われるかもしれないが、地上から恐ろしい怪物どもを一掃し、アウゲイアス王の馬小屋を掃除するように運命づけられたヘラクレスになるまでに、どんな浮き沈みの道をたどったかを知ってもらいたかった。私は、一日にして成ったのではなく、ながいあいだの観察と辛い経験のたまものだと思う。これまでに、いくつか私の駆引きをお眼にかけたが、これからは、私の仕事ぶり、やらねばならなかった努力、当面した危険、策略、戦略などについて述べる。力のおよぶ範囲で私の使命を果たして、この世で最も安全なパリの町にするためにした活動を披露する。泥棒の手口や、それを見破る特徴を暴露し、かれらの風俗習慣を語り、それぞれの専門によって異なる言葉や服装を明らかにしよう。盗賊たちは、かれらの慣習に従って固有の服装をするからだ。詐欺師やニセ調停人やニセ卸売業者などなど、すべての仕掛人の兇悪な手管《てくだ》をオシャカにし、カタリ者を根絶やしにする絶対確実な方法をお教えしよう。かれらは、サントペラジ監獄に送られて、理不尽で乱暴な民事拘束を受けた恨みだとばかり、毎日、何百万もカタリ盗る。こうした詐欺師がペテンにかけるときの小細工や駆引きのすべてを述べよう。さらに主だった連中の額に印をつけて、そういう悪者だとわかるようにしよう。人殺しからスリまで、さまざまな悪人を分類し、ラ・ブルドネー〔旧イールドフランスとブルボネ地区の知事だったことがある、一六九九〜一七五三〕の類別表より役に立つものを作ったが、一八一五年の追放者について役立ったはずだ。すくなくとも要注意の人物と場所が一目で見分けられる便宜があったと思う。仕掛けられるワナを庶民の眼に見せて、しばしば判事の不明に乗じて成功する犯罪者が使う色々な逃げ口上に刑法学者の注意を促そうと思う。
私は、わが国の刑事予審の堕落ぶりと当事者の大きな悪徳を白日のもとにさらして、いろいろな変更や改正を求めたい。けっきょく、私が云々することは、その原因が必ず納得されるものだと信ずるので、世の人は私が要求することに賛成されるはずである。現在の監獄と徒刑場の制度に重要な改革を行なうべきだと提議する。私は、服役中の、または釈放された昔の悲惨な同僚の苦しみを誰よりもよく味わっているので、どの点が悪いのかとか、こうこういう人たちがいるのだとか、博愛的な立法者に示せば、おそらく、囚人たちは、かなり幸せになると思う。つまり、立法者は、かれらの苦痛を和らげられる立場にあるのであって、これは、けっして絵空事ではない。世の中が新しいものへ流動していく様相のなかで、文明を蝕《むしば》んでいる、というより、あらゆる醜悪なものを伴っている文明の横で生き、その文明の懐からハミだした多くの集団社会の本来の姿を披露しよう。社会からハジき出された、そのような階級の者たちの顔を忠実に再現し、かれらをいくらかでも浄化し、一部の連中のしきたりを規制するには、これまでの制度の必要性に準じながらも、個々人をどうするかというよりも、けっきょくは全体を検討することになろう。これまでに述べた実例から、このような問題にたいする完全な認識をあたえたものと思う。いろいろと報告すれば読者の好奇心は満足するだろうが、そんなところには私が申し上げたい最終的な目的はないのだ。堕落する人が減り、所有権の侵害が、もっと稀なことになり、しかじかの不幸な境遇から起こる止むを得ない結果である売春がなくなり、誰もが頽廃的であることを本当に恥ずかしく思い、自暴自棄になる連中については、当然の罰として各人が受ける法律上の保護を打ち切り、つまり、かれらの恥を公けにすれば、神にたいしての誓願を理解し、それを尊重する人間になって一生つきまとう恥は消えるかもしれないし、消えないかもしれない。この世の悪は高所から来る。それを根絶するには、社会の上層部にメスを入れるのがよい。お偉方が腐れ病気にとりつかれていて、このところ物凄く蔓延している。こうした現代のサルダナパルス〔アッシリア王、柔弱で弱気な支配者〕たちが載っているリストの中のお偉方の名前を見ても、かれらは、とうてい、人間性の弱さに呻吟している者たちを救うことはできない。しかも、そのリストは、成るように成らせるとか、破廉恥な行為が及ぼす迷惑に応じて警察に介入させておけばいい式の御仁しか挙げていない。
世間では、私が、政治警察のことは語らないだろうと取沙汰しているが、警察活動についてできるかぎり洗いざらい話すつもりだ。イエズス会の坊主のことから宮廷野郎のこと、淫売女を扱う警察(風紀課)から外事課(三大強国のロシア、イギリス、オーストリアを念頭においたスパイ活動)まで述べるつもりだ。公共の利益のためでなくて、そこに汚れた油を差す、つまり、はなっから国庫の金を先取りする手合のために仕組まれたカラクリを御覧に入れよう。さらにまた、政治警察なるものは、機密費を予算に計上させるための手段であり、公然と、しかし往々にして非合法的に徴収される財源(娼婦にかける税金、その他の無数の形を変えた献金)を吹き替えて使う目的のためと、一部の為政者たちが国家にとって危険だからと信じこませ、政治警察を重要かつ不可欠な機関にするためと、さいごに、悪どい政治ゴロの群れ、陰謀屋、賭博師、破産者、密告屋などといった連中が儲けるための公金私消の組織に他ならない。おそらく、今後、ときたまにしか云々しないが、国家にたいする陰謀を予防するためと称する終身官である政治警察職員が、実は無用の存在であるということを明らかにするのは嬉しいことだ。かれらは、いまだ曾《かつ》て犯罪を予防したことがなく、実際の陰謀や、かれら自身がデッチあげた謀略以外のものを叩き潰したことはない。私は、何事についても手心を加えず、恐れることなく、気負わずに意見を述べたい。目撃者として、当事者として、ありのままの真実を語ろうと思う。
常日頃、私が政治工作員に深い軽蔑の念を抱いているのには二つの理由がある。使命を果たさないのだから詐欺師だし、使命を果たすとしたら人身攻撃をする極悪人だ。しかし、私は、立場上、ほとんどの雇われスパイたちと付き合いがあった。みんな、直接あるいは間接的に私を知っていたので、全員の名前を挙げることも……できるが、かれらの汚ない行動に加担したことはない。ただ、一般の人よりは少し近いところから謀略や対抗策を見てきたので、警察や警察に対抗する勢力が、どんな手を使うかを知っている。どうやって、かれらの活動から身を守れるか、陰険で悪意に満ち、ときには得体の知れぬ謀略を逆手にとって裏をかくにはどうすればいいかを学んだし、それを教えることもできる。私は、何もかも一つ残らず見聞した。見たり聞かせたりしてくれた連中は裏切り者ではない。私は警察の部局の班長だったので同僚という気持があったのだろうし、やはり、同じ穴のムジナだと思ったのではなかろうか?
信じるも信じないも皆さんの自由だが、これまで何かと恥さらしなことも告白してきたことを察していただければ、もし私が政治警察に手をかしたことがあるなら、それはこうだと率直に言うはずだと信じてもらえることと思う。新聞は、必ずしも正しい情報をつかんでいるとは限らず、いろいろな政治集会に私の姿が見られたと書いた。六月事件〔一八四八年パリで起こった反政府暴動〕同様に、私の任期中では、フォワ将軍の葬儀〔一八二五年十一月、将軍の葬儀に集まった一万人が反政府デモをした〕、若い学生ラルマンの追悼集会〔一八二〇年六月、近衛兵に殺された遺体に五千人が集まって葬儀デモをした〕、コングレガシオン〔イエズス会の総会議は王政復古期に政権を左右したことがある〕の主義主張に勝利をあたえるための法律学校や医学校の騒動などに、私は特捜班を率いて派遣された。とにかく、群集がいるところならどこでも私を見かけることができたろうが、だからと言って、どんなに正しい結論が出せるだろうか? 人混みを幸い稼ぎに来たスリや掻っぱらいを探し、巾着切りを警戒していたので、そいつが憲章〔一八一四年ルイ十八世が公布した〕を支持していようがいまいが関係なかった。群集を煽動したとして検挙された者の中に、私の部下に捕まったと言える者は一人もいないことを賭けてもいい。政治密偵と盗賊密偵は交換がきかない。二つの職権はまったく別のものだ。かれらには、もともと無抵抗の堅気の衆を逮捕する勇気だけあればよく、われわれのほうの勇気は、そんなのとはまったく違う。悪党どもは、そんなにおとなしくはしていない。一時、しつこく囁《ささや》かれた噂がある。レカミエ教授の講義をボイコットした学生たちのグループのド真ん中で、水運び屋に正体をバラされた私が、あやうく殺されかけたという話だ。ここで断言するが、その噂には何の根拠もなかった。ある刑事が実際に見つかって脅かされ、さんざんな目に遭ったことはあったが、私ではなかった。正直いって、そのことで腹を立ててはいないが、もし私が、その男に侮辱を加えた学生たちに会っていたら、ためらわずに名乗りをあげたろうし、かれら学生も、ヴィドックは財布も時計も狙わない良家の子弟と事を構えないことが、すぐにわかったと思う。もし私が、かれらの中にもぐっていたのなら、ぜったいトラブルを起こさないように振舞っただろうし、私の目的が激昂している連中を痛めつけるのではないことが誰の眼にもはっきりしただろう。かれらの怒りを避けて小路に逃げこんだのは、ゴダンという公安の刑事だった。それに、なんども言うが、煽動者や思想犯の取締りは私の分野ではない。たとい眼の前で反乱の鬨《とき》の声があがっても気にしなくていいと思っていた。
政治警察は正規の隊員なしですませている。とくに大事の場合は、いつも金を出すかタダでか志願者を雇って謀略の手助けをさせる。一七九二年、政治警察は、九月虐殺〔同年九月二日から五日間、反革命派が獄中で大量に虐殺された〕をやった革命派囚人を解放して地下から出し、あとで元の牢に戻した。一八二七年に、サンドニ街の虐殺〔同年四月十七日、自由主義者たちが殺された〕のきっかけを作った窓ガラスを割った連中は特捜班員ではないと思う。ドラヴォ総監に訴えたい、フランシュ部長に訴えたい、前科者だけがパリで極悪人ではない。一再ならず、一切の悪事は連中のせいだとするのは誤っているという証拠を手に入れた。政治警察に関わる私の役目は、王室検事や大臣の令状を執行することに限られていたが、そういう令状は、私抜きで執行されても合法性の条件は満たしていた。いかなる人間の権力も、おいしい報酬も、私のものでない主義や感情に従って行動させることはできない。この点から見て、十五年も勤めてきた職を自分から辞めた理由が何であったか、さらに、例のバカげた作り話の出所と理由を知れば、私の誠実さが納得いくものと信じる。その作り話によると、私がナポレオンの息子を暗殺しようと企て、ウィーンで絞首刑になるところだったというのだ。もうひとつ、ある泥棒の逮捕というデッチあげの裏に、どんな陰湿な策謀があったかを述べてもよい。つまり、私が、その泥棒を見のがしてやっていて、つい最近、私の馬車の後部座席に乗せてもらってボードワイエ広場を通っていた際、他の捜査員に捕まったというものであった。
この回想録を書くにあたって、初めは、私個人の立場に縛られて手心や制約をせざるを得ず、なにかと、そこのところに用心しなくてはならなかった。というのは、一八一八年に特赦を受けたとはいうものの、きびしい保護観察官の眼の外にいたわけではなかった。私がもらった赦免状は、再審理をして無罪だということにならないと法的に認証されないのだった。だから、たとい憲法上の自由の限界を越えていなくても、まだまだ私をどうとでもできる怖い小母さん、いや怖い当局が、埒《らち》もない暴露記事を書いたなと、私を後悔させる羽目に追いこむ心配があった。だが、この七月一日の巌粛な審問において、ドーエ法廷が、裁判の誤りで剥奪されていた私の諸権利が回復されたと宣言した今となっては、何も省略せず、言うべきことを隠さないつもりだ。すべて、これ、もう憚《はばか》ることのない国家と民衆の利益のためである。この意向は、これからの頁に大いに表われてくるだろう。思い残しのないように、世間が期待している話に誤りがないようにしようと、語るよりは行動するほうに慣れている私にとってはたいへん辛かったが、『回想録』の大部分を改訂する仕事を自分に押しつけた。
いったん脱稿したのだから、そのままでも世に出せたのだが、残念ながら慎重すぎた欠点の他に、私が知らないうちに他人が手を入れた跡があるのに読者が気づくかもしれなかった。文章には自信がなかったので、すこしは文学的にしたいと思って、物書きと自称する人に修正と助言を頼んだ。ところが、不運なことに、その検閲者が、ある筋から内密な任務を引き受けていたとは私が夢にも知らなかったのを幸いに、礼金と引きかえに私の原稿を歪曲して、いやらしい色合いの私を見せるようにし、私が言おうとした肝心な事項を削除して、私の声をなくしてしまった。そのころ、私は、大きな事故に遭って右腕を骨折し、あやうく切断手術をするところだったので、右のような計画を実行するには絶好の状況になっていた。私が、ひどい痛みに苦しんでいた期間を有効に使って事を急ぎ、その陰謀がわかったときには、一巻と二巻の一部が印刷されていた〔初版は四巻に分冊〕。その悪だくみを完全にフイにするために、新しい事実に基づいて書き直してもよかったのだが、印刷されたところまでは私的な出来事だけだったし、たえず私にとって具合が悪いように書いてあるが、そういう表現と悪意のある編集があっても、とどのつまりは事実が書いてあるのだから、読者が、それを正しく評価し、そこから、より正しい結論を引きだしてくれることを期待した。その部分の話は私生活に関することだけなので、そのままにしておき、責任をとって自尊心を犠牲にした。この犠牲は、動機を隠して歪《ゆが》められた告白にたいして、恥知らずと言われるのを覚悟の上のことで、その箇処は、そのままにしておくか破棄すべきかの境のところだ。ブーローニュの私掠船に参加したところからは、私一人のペンであるのが容易にわかると思う。その散文をパスキエ男爵〔かつての警視総監、第二十二章参照〕が褒めてくれて、そこが好きだとさえ隠さずに言って下さった。当時、総監にあてた報告書の作文をホメられていたのを思いだすべきだった。いずれにせよ、でき得るかぎり悪いところを書き直した。さいきん始めたばかりの大きな工場〔退職後の製紙工場〕の経営で仕事が増えたが、この回想録に警察の本当の内幕と赤裸な姿を書こうと決意し、警察に関することは、全部、ためらわずに根本的に書きあらためた。こうした作業の必要から、どうしても遅れを招いてしまったが、そうするのが正しいことであると同時に読者に損はないことになる。以前は、有罪判決の打撃を受けたヴィドックが、なんらかの遠慮をしながら語っていたが、今は、あけすけに自分を述べる自由市民のヴィドックである。