TITLE : 風車小屋便り
風車小屋便り
ドーデ 著
村上 菊一郎 訳
目次
序文
風車小屋便り
居を定めて
ボーケール町の乗合馬車
コルニーユ親方の秘密
スガンさんの山羊
アルルの女
法王の騾馬
サンギネールの灯台
セミヤント号の最後
税関吏
キュキュニャン町の司祭
じいさんばあさん
散文で書いた幻想詩
T 王太子の死
U 野原の郡長さん
ビクシューの紙入れ
黄金の脳味噌を持った男の物語
詩人ミストラル
三つの読唱ミサ
オレンヂ
二軒の旅籠屋
ミリアナにて
ばった
ゴーシェ神父の養命酒
カマルグ狩猟記
兵営への郷愁
訳者後記
わが妻に捧ぐ
序文
パンペリグスト駐《*》在ノ公証人、オ ラ・グラパジ氏立会ノ下ニ、
「シガリエールト《**》呼バルル地所ノ地主ニシテ、同地ニ居住セル、ヴィヴェット・コルニーユノ《***》良人、ガスパール・ミチフィオ殿ハ、
ココニ出頭セル上、
此ノ証書提出ニ依リ、法律上並ビニ事実上ノ保証ノ下ニ、一切ノ債務、先取特権及ビ抵当権ヲ抜キニシテ、左ノ物件ヲ売却シ譲渡セリ。
買受主ハ、同ジクココニ出頭セル、詩人、パリ居住、アルフォンス・ドーデ殿。
物件ハ、プロヴァンス州ノ中央、ローヌ河ノ流域ニ位置セル、松ト常緑槲ノ林アル丘ノ上ノ製粉用風車小屋壱棟。該風車小屋ハ、ソノ翼ノ先端ニマデ絡ミ纏ハレル野葡萄、苔、迷迭香《マンネンコウ》ソノ他ノ寄生植物類ニ徴シテ明ラカナル如ク、二十余年来放擲セラレ、製粉ニ使用スルコトハ不可能ナル状態ナリ。
カカル現状ニ加フルニ、大輪ハ破損シ、台地ノ煉瓦ノ間ニハ雑草ノ生ジ居ル有様ニモ拘ラズ、ドーデ殿ハ、該風車小屋ガ自己ニ適セルモノナルコトヲ言明シ、自己ノ詩作ニ能ク役立ツモノトシテ、自ラノ危険ト損害トニ於イテ、ソヲ買取ル次第ナリ。ソコニ施サルベキ修繕ニ際シテハ、売主ニ対シ何ラノ請求ヲモ為サザルモノトス。
コノ売買ハ、詩人ドーデ殿ガ此ノ机上ニ置キタル通貨ニ依リテ、両者合意ノ決定価格ノ全額一時払ニテ行ハレタリ。ミチフィオ殿ハソノ代金ヲ直チニ受納セリ。以上一切ハ左ニ署名セル公証人並ビニ証人ノ面前ニテ行ハレ、払済証書ハ保存セラレタリ。
此ノ証書ハ、パンペリグストニ於ケルオノラ事務所ニテ、横笛吹キフランセ・ママイ、並ビニ白衣苦業団《ペニタン・ブラン》ノ十字架捧持者、通称ル・キック事ルイゼ、以上両名立会ノ下ニ作製セラレタリ。
右立会人両名ハ本証書朗読ノ後、売買当事者及ビ公証人と共に署名セリ。」
* パンペリグスト――架空の地名。
** シガリエール――同じく架空の地名。蝉の多い地所の意味。
*** ヴィヴェット・コルニーユ――後出「コルニーユ親方の秘密」に登場する女性。
風車小屋便り
居を定めて
度胆《どぎも》を抜かれたのは兎たちである!……奴さんたちは、よほど前から、風車小屋の戸が閉ざされ、壁も台地も草ぼうぼうたるさまを見て、粉挽きという人種が滅んだものと思いこんでしまい、さてこそ、これは屈強な場所じゃわいと、ここをまるで総司令部か作戦本部のようなものにしていたのである。いわば兎軍のジェマープ《*》の風車小屋といったかたち。……私の到着した晩に、台地の上に輪になって坐り、折しも月光に肢を温《ぬく》めていた連中が、正直な話、まさしく二十匹ばかりはいた。……私が天窓をひらきかけた途端、ツツツッ! いっせいに露営部隊は潰走し、尻尾をぴんと立てたまま、その小さな白い後姿は、一匹残らず草藪の中に逃げこんだのだ。私はせつに望んでいる、奴さんたちの戻ってくることを。
さて、同じく私を見て、大そうたまげたご仁が一人いる。それは二階の間借人、二十余年来この風車小屋に住んでいる思索家面《づら》した陰鬱な梟《ふくろう》の爺さんである。彼が二階の部屋の壁の剥げ土や落ちた瓦などの真中に、風車の軸棒の上にじっと動かず真直ぐにとまっているのを私は見つけた。先方はその円い眼でしばらく私を見下ろしていたが、ついぞ見かけたことのない男と知って、ひどくびっくり仰天し、「ホー! ホー!」と啼き出して、埃りで灰色になったその翼を――なにしろ思索家先生のことだ! ブラッシなぞかけたためしは一度もない、――難儀そうにばたばたと動かし始めた。……まあ、そんなことはどうだっていい! 眼をしばたたき、顔をしかめてはいるけれど、この無口な間借人が私には誰よりも気に入った。で私は早いとこ、賃貸契約を更新してやったのである。入口が屋根のところについている風車小屋の階上全部は、今までどおり彼の専有とし、この私は一階の部屋を自分用に取ったのである。それは僧院の食堂のように低い穹窿形をした、壁は白堊塗りの小さなひと間である。
私がいま諸君に手紙を書いているのはその部屋からだ、戸を広々と開け放ち、気持よい陽光を浴びながら。
きれいな松林が、陽《ひ》にきらきらと輝きながら眼の前を丘の麓まで急傾斜で続いている。地の涯には、アルピーユの連山が、美しい頂をくっきりと浮べている。……物音一つしない。……ただ僅かに、間《ま》を置いて、横笛の音、ラヴァント草の中にはたいしゃく鷸《しぎ》の囀り、路上には牝騾馬の鈴の音。……このプロヴァンスの美しい風景は、すべて外光を受けて、はじめて生気溌剌となる。
いまや私は、騒々しい黒ずんだ君たちのパリなんぞに、未練のあろう筈がない。私の風車小屋は快適至極! これこそまさに私の探し求めていた片隅である。新聞や辻馬車や霧から千里もへだたった、馥郁と薫る暖かいささやかな一隅である!……そうして私の周囲には、何とさまざまの可憐なものがあることだろう! ここに居を定めてからまだ一週間になるかならないのに、私の頭には印象と追憶がもうぎっしりとつまってしまった。……そうだ! 私はつい昨夕《ゆうべ》も、羊の群が、丘の麓のとある mas《マス》(農家)に帰ってくるのをまのあたり見たのだった。諸君に誓っていうが、私はこの光景を、今週パリで上演された初演の芝居全部と取り換えようといわれても真ッ平ご免だよ。ね、そうじゃないか。
そもそもプロヴァンス地方では、炎暑の候になると、家畜をアルプス山中に送るのが慣例となっている。動物も人間も、腹まで草に埋まって、野宿をしながら、その高い山の上で五六カ月を過ごすのだ。やがて、秋冷のきざす頃になると、山を下り、再び農家《マ ス》へと帰ってきて、迷迭香《まんねんこう》の咲き匂う灰色の小さな丘べで気楽そうに草を食《は》むようになる。……ところでちょうど昨夕《ゆうべ》、その羊の群が帰ってきたのである。朝から、正面入口は、二枚扉《ど》を左右に開いて待ち、羊小屋には新しい藁が一杯入れてあるのだった。人々はしょっちゅういいかわしていた。「今時分はエイギエールを通っているよ、今時分はパラドゥーだよ。」と。やがて不意に、夕方ごろ、「あそこにきた!」と大きな叫び声が起きた。はるか向うのほうに、羊の群が、土埃りの暈《かさ》に包まれて進んでくるのが見える。路がそっくり羊たちと一しょに歩いてくるような気がする。……年とった牡羊たちが、角《つの》を前に突き出し、野育ちの荒っぽい様子をして、一番先にやってくる。その後ろが羊の本隊で、少々疲労気味のお母さん羊たちと、その肢の間をちょこちょこと歩いている仔羊たち。――赤い飾リボンをつけた牝騾馬は、籠の中に生れたての赤ちゃん羊を入れて、歩きながらそれを揺すぶっている。その次には、舌を地面まで垂らした汗まみれの犬たちが続き、さて最後に、法衣のように踵の上まで垂れ下っている焦茶色のセルの外套にくるまった、丈の高い羊飼の若い衆が二人やってくる。
これらがみな、私たちの眼の前を愉しげに練り歩き、驟雨のような騒音を立てて地面を踏みならしながら、正面入口の下になだれこむ。……家の中に捲き起った感動こそ見ものである。止り木の上から、網目織りの冠毛《とさか》のある、金緑色の肥った孔雀どもは、帰ってきた一行を見知っていて、猛烈なラッパを一声吹奏して迎え入れる。眠りこんでいた鳥屋《とや》は、はッとばかり眼を覚ます。鳩も、家鴨も、七面鳥も、小紋鳥も、残らずみんな起ち上るのである。養鶏場は気が狂ったようになり、牝鶏どもは、今夜は夜明かししようと語り合う始末!……まるで、羊たちが各々その毛の中に、アルプスの野生的な薫りと一しょに、うきうきと陶酔させたり踊り出させたりするあの溌剌たる山気《さんき》を少々持ち帰ったかのようである。
このような大騒ぎのさい中に、羊の群は、自分たちのねぐらへと辿りつくのである。こうした身の落ちつけ方の次第ほど魅力的なものはない。年とった牝羊たちは、なつかしい秣桶を再び見ては感慨を催す。仔羊たち、赤ちゃんの羊たち、旅先で生れてまだ農家を見たことのない者たちは、驚異の眼をみはって身のまわりを眺めわたす。
だが、ここになお、私たちを最も感動させるのは犬の群である。これらの律義な羊飼の犬ときたら、受持の羊たちのことにかまけて繁忙を極め、農家《マ ス》に帰ってからもその羊たちから眼を離さない。留守居役の番犬が、犬小屋の奥から、いくら彼らを呼んでも無駄である。新鮮な清水を満々とたたえた井戸のつるべが、いくら目くばせをしても無駄である。羊たちがねぐらに入り、小さな格子戸に大きな掛金《かけがね》がはめられ、羊飼の男衆が土間で食卓に就くまでは、彼らは少しも傍見《わきみ》などしようとはせず、何の音にも耳をかそうとはしない。やがてようやく、彼らは、犬小屋に入るのを承諾して、そこでは椀のスープをなめながら、農家の朋輩の犬どもに話をして聞かせるのである、あの高い山の上で、狼が出たり、花のふちまで露のあふれている真紅の大きなジキタリスが咲いたりする恐ろしい土地で、自分たちがどんな働きをしたかということを。
* ジェマープ――ベルギーの小邑、一七九二年十月仏軍がオーストリー軍を破った古戦場。付近のある風車小屋に仏軍の本営が置かれていた。
ボーケール町の乗合馬車
当地に到着した日のことだった。私はボーケール町《*》からの乗合馬車に乗っていた。相当古ぼけたぼろ馬車で、車庫に帰り着くまでにそう長い道のりをゆくというわけではないが、なにしろ道中ぶらりぶらりとしどおしなので、夕方には、ひどく遠方から着いたようにも見えようというしろものである。屋上席には、馭者は別として、われわれ五人の乗客がいた。
まずカマルグ《**》の牧場の番人が一人。充血したぎょろッとした眼をし、耳に銀の環をつけた、ずんぐりとした、毛むくじゃらな、野獣の臭いのする小柄な男だった。次にはボーケール人が二人、パン屋とその捏粉《こ ね》職人で、どちらも大そう赭ら顔で、息切れのし易い質だったが、ヴィテリウス皇帝の肖像を浮彫にした古代ローマの貨幣を二枚ならべたように、その横顔は堂々たるものであった。最後に、前方の、馭者のそばにいる一人の男は、……いや! 一箇の鳥打帽は、といったほうがいいのだが、その兎皮の巨大な一箇の鳥打帽は、口数も少く、悲しそうな様子で往来を眺めていた。
この連中はみんなお互に顔見知りで、自分たちの用向を大声で手放しに語っていた。カマルグの男は、ある羊飼を草掻きで殴った廉《かど》で予審判事から呼び出しを喰らい、ニームからやってきたのだと話していた。カマルグの者はかッとし易い性分なのだ。……ところでボーケールとてご他聞に洩れない! わが二人のボーケール人も、いま聖処女のことで斬り合いをおっぱじめようとしているではないか? パン屋のほうは、プロヴァンス人たちが善き御母《ボンヌ・メール》と呼んでいる、幼児キリストを腕に抱いている聖母マリアの像に、ずっと以前から帰依している教区の者と見受けられるが、反対に、捏粉《こ ね》職人の方は、腕を垂れ両手は光に溢れたように描いてある、あのにこやかな美しい絵姿をした、「純潔受胎《インマキユレ・コンセプシヨン》」の聖母に捧げられたところの、新興の教会の詠歌隊席で歌う一派である。喧嘩はそこから生じた。この二人のカトリック教徒が、どんな風に自分たちのことやお互の聖母のことを言い争ったかは見ものであった。
――どうせ別嬪《べつぴん》だよ、お前のインマキュレは!」
――お前なんか駆落《かけおち》しちまいな、お前のボンヌ・メールと一しょに!」
――お前のは、パレスチナで、ひどい目に逢ってるんだぞ!」
――お前のほうこそ、ウフ! 見られた顔かい! 何をやらかしたか知れたもんじゃない……むしろ聖ヨゼフ《***》にでも聞いてみるがいいぜ」
これでナイフの閃くのを見さえしたなら、さしずめナポリの港にいるとしか思われない。いや全くの話、この見事な神学試合は、もし馭者が仲裁に入らなかったら、結局はそこまで行ったかも知れない。
――おッと、もうそんな聖母のことなんかたくさんだ、たくさんだ」と馭者は笑いながらボーケール人たちにいった。「そんなことはみんな女どものいう話ですぜ、男が口出ししちゃいけませんや」
こういって、彼は、いささか懐疑論者めいた面持で鞭を鳴らしたが、一同は彼の意見に服従した。
口論は終った。しかし調子づいていたパン屋は、熱の残りを出しきってしまわずにはおられなかった。で、彼は、片隅に黙々と悲しそうに坐っていた、例の哀れな鳥打帽のほうへ向き直って、からかうような調子で話しかけた。
――ええとあんたのおかみさんは、あんた、研屋《とぎや》さんだね?……何ちゅう教区のひとだっけな?」
この文句の中には何か非常に滑稽な企らみが隠されていたに相違ない。なぜなら屋上席の全員はどッと笑い出したから。……だが当の研屋は笑わなかった。彼には聞えたようには見えなかった。それを見ると、パン屋は私のほうに向いて、
――旦那、あなたはあの男の女房をご存じないのでしょう! それはほんとに変な教区民なんでしてね! あんなのボーケール町にゃ二人といませんや」
笑い声は一そう増した。研屋は身動きもしない。頭も上げずに蚊の鳴くような声でこういっただけである。
――やめてくれ、パン屋さん」
しかしパン屋の奴は口をつぐもうとするどころか、ますますはげしくしゃべり出した。
――阿呆め! あいつ、あんな女房がいるからって何も気の毒な男じゃないんで……あの女と一しょにいればちょっと退屈しようたってできやしません。……考えてもごらんなさいまし! 半年ごとに駈落するあばずれのあの女ときたら、帰ってくるときにはいつも何かしら新しい話のネタを仕入れているという寸法で。……とにかく妙な若夫婦なんです。……ねえ旦那、二人が結婚して一年も経たぬうちに、チェッ! 女はあるチョコレート商人と手に手をとってスペインへ行っちまったんですよ。
亭主は家《うち》にひとりぼっちで居残って、泣いたり飲んだり……まるで気ちがいのようでした。しばらく経ってから、そのあまっちょはスペイン風の服装《みなり》をして、タンバリンを一梃携えて、村に帰ってきました。私たちはみんなでその女にいってやったものです。
――身を隠しな。亭主がお前さんを殺そうとしてるぜ。
ええ! 確かにそうです。あの女は殺される……ところが何のいざこざもなく二人はまた一しょになりました。そして女は亭主にタンバリンの鳴らし方まで教えたのです」
ここで新たな爆笑が起った。片隅で、頭も上げずに、研屋はまた呟いた。
――やめてくれ、パン屋さん」
パン屋はその言葉に一顧だにせず話を続けた。
――旦那、あなたは恐らく、そのあまっちょが、スペインから帰った後は、おとなしくしていたろうとお思いでしょう。……ところがなかなかどうして!……亭主ときたら何事でも良いほうにとる男だもんで! だから女はまたしても始めたくなってしまいました。……スペイン人の次はある士官、お次はローヌ河のある船乗り、そのまたお次はある音楽家、その次はどこかの……私もいちいち覚えちゃいませんや。……おめでたいことに、毎度同じ喜劇《コメデイ》の繰り返しなんです。女が出てゆく、亭主が泣く。女が帰ってくる、亭主の気がおさまる。こうしていつも誰かが女を亭主のところからさらってゆき、そしていつもまた亭主の手へ戻す。……この亭主、なんて辛抱強い男でしょう! おまけにまた、女はめっぽう美人なんでしてね、この研屋の若いおかみさんというのは、……活気があって、愛くるしくて、ぽちゃぽちゃしていて、本当に贅沢なご馳走みたい。その上、肌は白いし眼は榛《はしばみ》の実のような色で、にっこり笑いながらいつも男を見つめます。……実際ですよ! パリの旦那、いつかまたボーケール町をお通りがかりの節には……」
――おお! やめてくれ、パン屋さん、お願いだ……」と可哀そうな研屋は、悲痛な声をしぼってもう一度繰り返した。
この時、乗合馬車はとまった。レ・ザングロールという農家《マ ス》に着いたのだった。二人のボーケール人はそこに下りた。そうして私は断じて二人を引きとめはしなかったのである。……パン屋の阿呆め! 農家《マ ス》の中庭にいる彼の笑い声はまだ聞えていた。
この連中が出て行ったので、屋上席は空っぽのようになった。カマルグの男は先刻すでにアルルに残してきた。馭者は馬のそばについて路の上を歩いている。……屋上席には、研屋と私と二人きりで、各々片隅に坐って、口も利かなかった。暑い日だった。幌の革は灼けついていた。時々、私は両眼がとろりとし、頭が重くなるのを感じた。しかし眠ることはできなかった。私の耳の底には、「やめてくれ、お願いだ」という、あのいとも悲痛な、しかも物静かな声が、いつまでもこびりついていた。……可哀そうに、彼のほうも、同じようにやはり眠れなかった。私は彼のごつい肩が顫え、その手が、――蒼白い愚鈍そうな長い手が、――座席の背の上で、老人の手のようにわなないているのを背後から眺めていた。彼は泣いているのだった。……
――さあ、お宅へ着きましたよ、パリの旦那!」と馭者が突然私に叫んだ。そして鞭の先で、風車がピンで刺された大きな蝶のように上方にくっついている、私の緑の丘を示していた。
私は急いで下りようとした。……研屋のそばを通り抜ける際、私は鳥打帽の下を覗こうと試みた。出てゆく前に彼の顔が見たかったのである。私の肚が読めたかのように、不幸な男は不意に頭をもたげた。そうして、私の眼差にじっと見入りながら、
――私の顔をよく見て下さい。ねえ、あなた」と鈍い声で言った。「近々ボーケール町に、とんでもない事件が起きたとお聞きでしたら、その下手人を知ってるとおっしゃることができるでしょう」
それは艶《つや》のない悲しそうな顔で、小さな両眼は光が褪せていた。その両眼には涙がたまっていたが、声には怨みがこもっていた。怨み、それこそは弱い者たちの怒りである!……もし私が研屋の女房なら、用心するところだが。
* ボーケール町――アヴィニョンとアルルのほぼ中間に位する町。ローヌ河を隔ててタラスコン町と相対している。
** カマルグ――ローヌ河口西岸一帯の大きなデルタ地帯。家畜の放牧場。
*** 聖ヨゼフ――聖母マリアの良人。
コルニーユ親方の秘密
ときどき私の家《うち》にきて夜噺をする、年とった横笛吹きのフランセ・ママイは、いつぞやの晩、葡萄シロップを飲みながら、かれこれ二十年ほど前に私の風車小屋が目撃した、村の小さな一つの悲劇《ドラマ》を私に物語ってくれた。爺さんの話は私を感動させたので、私は聞いたとおりをそのまま諸君にお伝えしてみようと思う。
読者諸君、暫時、薫りゆたかな葡萄シロップの壺の前に坐った気になり給え。そして話をしてくれるのは横笛吹きの一老人だと想像し給え。
この地方は、ねえ旦那、いつだって、きょう日《び》のようにさびれた、ひっそり閑《かん》としたところじゃなかったのです。以前は、製粉業が大繁昌で、十里四方の農家《マ ス》の連中は、みんな私たちの村へ麦を挽いて貰いに持ってきたものです。……村のぐるりはどちらを向いても、丘に風車が立っていました。右を見ても左を見ても、眼に入るものといえば、ただ、松林の上の方でミストラル《*》に吹かれて回る風車の翼と、坂道に沿うて上り下りする、袋を積んだ小さな驢馬たちの群ばかり。こうして週の間じゅう、丘の上では、鞭の鳴る音や、翼の布のバタバタとはためく音や、粉挽きの手伝どもの「ハイハイ、ドウドウ!」と叫ぶ声など、聞くからに楽しいものでした。……日曜日には、私たちは隊を組んであちこちの風車小屋へ出かけてゆきます。上ると、そこの粉挽きたちが麝香葡萄酒《ミ ユ ス カ》をふるまってくれました。おかみさんたちは、レースのネッカチーフや金の十字架をつけて、女王さまのようにきれいでした。私は愛用の横笛持参です。そしてすっかり暗くなるまで、みんなはファランドールを踊ったものです。ね、おわかりでしょう、こういった風車小屋が、この地方の喜びと繁栄のもとになっていたのです。
ところが生憎なことに、パリのフランス人どもが、タラスコン街道のほとりに、蒸気仕掛の製粉工場を建設することを思いつきました。「新しきものはすべて結構!」ってわけで、みんなは製粉工場へ麦を送る習慣《しきたり》になってきたので、可哀そうに風車小屋のほうは失業というていたらくです。しばらくの間は張り合ってもみたのですが、なにしろ蒸気の力のほうが強いために、一軒また一軒と、情けなや! こちらはみな閉鎖の憂き目。……小さな驢馬ももう来なくなる。……粉挽きの美しいおかみさんたちも金の十字架を売り払う。もう麝香葡萄酒《ミ ユ ス カ》どころか!……ファランドールどころか!……ミストラルがいくら吹きまくっても風車の翼はじっとしたままです。……そしてやがて、ある日のこと、村ではこうした廃屋を一つ残らず取り払って、みんなはその跡へ葡萄の樹とオリーヴの樹を植えつけました。
しかしながら、このような没落騒ぎの中で、一つの風車だけがびくともせずに残り、製粉工場の鼻っ先で、丘の上に勇ましく回り続けていました。それこそコルニーユ親方の風車小屋、私たちがいまこうやって夜噺をしている、他ならぬこの風車小屋です。
コルニーユ親方は、六十年このかた粉の中で暮らし続け、自分の仕事に凝りかたまっている、粉挽きの老人でした。製粉工場が設置されると、この爺さんは気ちがいのようになりました。爺さんは一週間というもの、村の中を駈け回っては、自分のまわりにみんなを寄せ集め、「奴らは製粉工場の粉でプロヴァンスを毒殺しようとしているんだぞ」と懸命に叫んでいました。「彼処《あつち》へは行くんじゃないぞ」と爺さんはいいます。「工場の追剥ぎどもは、パンを作るのに蒸気を使うが、蒸気なんてものは悪魔が発明したものだ。ところがわしのほうはな、慈悲深い神さまの呼吸《い き》であるミストラルやトラモンターヌ《**》で仕事をしているんだ。……」そうして爺さんは、風車を賞め讃えるためにこんな具合にたくさんの美辞麗句を見つけ出すのでしたが、誰一人耳を傾けようとはしません。
そこで爺さんはかんかんに怒り、自分の風車小屋に閉じこもって、人前に出たがらぬ獣のようにたった一人で暮らしました。孫娘のヴィヴェットさえもそばに置こうとはしなかったのです。両親に先立たれてからはこの世で「お祖父さん」だけが頼りだった十五になる女の子でしたが、可哀そうにその娘《こ》は、自活の道を講じなくてはならず、やむを得ず、収穫《とりいれ》やら、養蚕やら、あるいはオリーヴ摘みなどに、処々方々の農家《マ ス》に傭われてゆきました。そのくせ、お祖父さんのほうではこの娘《こ》が可愛くてたまらないらしいのです。陽《ひ》の照りつける中を徒歩で四里も、娘の働いている農家《マ ス》まで会いにいくというようなことが、しばしばありました。そして娘のそばにゆくと、涙を流しながらその顔を見つめて、何時間でも過す始末です。……
村の衆は、この粉挽き爺さんがヴィヴェットをよそへ遣ったのは、吝嗇《けちんぼ》でしたことだと思い込んでいました。で、孫娘を、下男頭《げなんがしら》の手荒な仕打ちの前にさらしたり、若い娘としてのいろんな苦労を嘗めさせたりして、こんな風に次から次へと農家めぐりをさせておくのは、爺さんにとって名折れだったわけです。それにまた、いっぱしコルニーユ親方と名の通った、これまで自負心の強かった人が、今では本物のジプシーのように、はだしで、穴のあいた縁無し帽をかぶり、ぼろぼろの飾帯をつけて、道を行くその姿は、見るからに顰蹙《ひんしゆく》ものでした。……実際、日曜日に、彼がおミサに入ってくるのを見ると、はたのわれわれ老人のほうが、肩身の狭い思いをしたものです。ところでコルニーユ親方もちゃんとそれを感づいていたので、敢てもう管理委員席に坐りに来ようとはしません。いつも会堂のとっつきの聖水盤のそばに、貧乏人たちと一しょに控えているのでした。
コルニーユ親方の暮らしには何かしらはっきりしていない点がありました。だいぶ前から、村では、もう誰も麦を持って行かなかったのですが、それでいて風車の翼は相変らず元のとおり回っているのです。……夕方、往来で、ずっしりとした粉袋を積んだ驢馬を追ってくる粉挽き爺さんに出会うことがあります。
――今晩は、コルニーユ親方!」とお百姓たちは声をかけます。「相変らずうまく行ってますかい、風車稼業は?」
――うん、相変らずだよ、皆の衆、」と爺さんは元気な調子で答えます。「有難いことに、こちとらは仕事に不自由するなんてことはないんでね」
そこで、一体どこからそんなにたくさん仕事が来るんですと訊ねようものなら、爺さんは唇に指を一本あてて、しかつめらしい顔で答えるのです。「しいッ! わしは輸出向の仕事をやっているんで……」そして絶対にそれ以上は嗅ぎ出すことが出来ません。
爺さんの風車小屋を覗くなんてことはとんでもない話です。孫娘のヴィヴェットでさえ入れなかったのですから。……
前を通りかかったとき、目につくものといえば、いつも閉まったままの戸口、絶えずくるくる回っている大きな翼、台地の芝草を喰べている老いぼれ驢馬、それに、窓べりで日向ぼっこをしながら、意地悪そうな様子でこちらを見つめている大きなやせ猫などでした。
何もかもうさん臭い感じで、そのためあれこれとうるさい評判が立ちました。人々はめいめいコルニーユ親方の秘密に自分勝手な解釈を下していましたが、この風車小屋の中には銀貨の袋のほうが粉の袋よりどっさりあるのだというのが世間一般の噂でした。
けれど時の経つにつれて一切合財ばれてしまいました。そのわけはこうです。
私は、自分の横笛で若い連中にダンスをやらせているうち、ある日のこと、うちの長男と小娘のヴィヴェットとがお互に想い想われる仲になっていることに気がつきました。実際の話、私は腹を立てませんでした。何といってもコルニーユという名前は村で重きをなしていたし、それに、このヴィヴェットという可愛らしい小雀が私の家《うち》の中で動きまわるのを見るのは、私にとっても楽しみだろうと思われたからです。ただ、この惚れ合った二人が一しょにいる機会が多すぎるので、もしや間違いでもしでかしてはというわけで、私はすぐさま話をまとめようと思い、事情をひと言お祖父さんの耳に入れておこうと、風車小屋まで上ってゆきました。……ああ! あのつむじ曲りの老いぼれめ! 彼がどんな具合に私をあしらったか察して下さい! 戸を開けさせることもできやしません。私は鍵穴越しに、どうにかこうにかわけを説明してきかせました。こうして私のしゃべっている間じゅう、例のやせ猫の奴は、私の頭の上の方で悪魔のように息を吐きかけているのでした。
爺さんは終りまで聞こうともせず、ひどくつっけんどんに、笛でも吹きに帰りゃがれ、とわめき立てました。おまけに吐《ぬ》かすことが、息子の嫁をそんなに急いで貰いたいなら、製粉工場へ行って女工でも探せばいいじゃないか、とこうです。……ねえ、察して下さい、いくら私だってこんな悪態を聞いてはむかむかッとなります。しかし、それでもまだ腹の虫を抑えるだけの分別は持っていました。で、私はこの気ちがい爺を挽臼のそばに残したまま、自分の不首尾を子供たちに告げに帰りました。……可哀そうな仔羊どもは私のいうことが信じられないのでした。お祖父さんに話をするため、後生だから、二人を一しょに風車小屋まで行かせて欲しい、とせがむのです。……私にはことわる勇気がありません。で、二人の恋人同士は、とっとと出かけて行きました。
二人がちょうど丘の上に着いたとき、コルニーユ親方は外出したばかりのところでした。戸口にはしっかり錠がかかっていましたが、爺さんめ、出がけに、梯子を外に置きっぱなしにしておいたのです。そこで子供たちはさっそく、窓から入って、この名題の風車小屋の中に何があるのかちょっと見ようと思いつきました。……
不思議千万! 挽臼部屋は空っぽです。……袋一つもないし、麦一粒もない。……壁にも蜘蛛の巣にも、麦粉はこれっぱかしも付いていない。……風車小屋特有のあの挽かれた小麦のむんむん匂う強い香りさえも感じられないのです。……軸棒は埃まみれで、大きなやせ猫がその上に眠っています。
下の部屋も、同じように惨めなうっちゃり放しの様子を呈していました。――みすぼらしい寝床、数枚の古着、階段の上にひと切のパン、それから、壁の落ち屑や白い泥土《どろつち》のこぼれ出ている穴のあいた袋が、片隅に三つ四つ。
これこそコルニーユ親方の秘密だったのです! 風車小屋の面目を保つために、その中で粉をこしらえていると見せかけるために、爺さんが夕方、往来を運び歩いていたのは、この壁土だったのです。……哀れな風車小屋! 哀れなコルニーユ! ずっと前から製粉工場の奴らが、爺さんと風車小屋から最後の顧客《とくい》を奪い取っていました。翼は絶えず回っていたが、しかし挽臼は空回りしていたのです。
子供たちは涙ながらに引返してきて、見たままを私に話してくれました。それを聞いて私は胸が張り裂けるようでした。……時を移さず、近所合壁を駈けまわり、私はみんなにかいつまんでわけを話しました。そして家々にある小麦を全部コルニーユの風車小屋に持って行かねばならないと、即座に衆議一決しました。……善は急げです。村じゅう総動員で、麦――それこそ正真正銘の麦!――を積んだ驢馬の行列を引き連れて、私たちは丘の上に到着しました。
風車小屋は大きく開け放されていました。……戸口の前には、コルニーユ親方が、壁土の袋の上に坐りこんで、頭をかかえて泣いていました。親方は帰宅して、留守中に誰かが忍び込んで自分の悲しい秘密を見抜いてしまったのに気づいたところです。
――何ちゅうことだ!」と爺さんはいうのでした。「こうなったからには死ぬよりほかはない。……風車は赤恥をかかされた」
そうして断腸の思いで啜り泣きをしていました。自分の風車をあらゆる種類の呼び名で呼んでは、本当の人間に対するように話しかけながら。折しも、驢馬の行列が台地のところに到着しました。そして私たち一同は、粉挽きの全盛だった時代のように、大声で叫び出しました。
――おーい! 仕事だよオ!……おーい! コルニーユ親方!」
見る見る袋は戸口の前に積み重ねられ、美しい焦茶色の麦粒はあたり一面、地上に散らばりました。……
コルニーユ親方は眼を丸くしました。よぼよぼの掌《て》の窪みに麦をすくって、泣き笑いしながらいうのです。
――麦だ!……やれやれかたじけない!……上等の麦だ!……よォく拝ませてくれ」
それから、私たちの方に向いて、
――ああ! わしはな、お前さん方がわしのところへ戻ってくることをちゃんと知っていましたわい。……あの製粉工場の奴らはみんな泥棒じゃ」
私たちは凱歌を揚げて爺さんを村へかついで連れていこうと思いました。
――いやいや、皆の衆。何よりもまずわしの風車に食べさせてやらんことには。……ねえ、考えてもごろうじ! 奴さんはもうずいぶん永いあいだ何一つ喰わせて貰えなかったのじゃから!」
こういって気の毒な爺さんが、袋の口を開けたり、挽臼の調子を見たりしながら、右や左にきりきり舞いをするのを見ると、私たちはみな眼に涙を浮べました。そうこうするうちに、麦粒は挽かれて、細かい小麦粉が天井まで舞い上ってゆきます。
これだけは私たちも鼻が高いのです。その日以後、私たちはこの粉挽き爺さんに一度だって仕事を欠かせるようなことはしませんでした。やがて、ある朝、コルニーユ親方はみまかりました。そして私たちの最後の風車の翼は、今度こそ永遠に回らなくなってしまいました。……コルニーユが死んでからは、誰もその後を継ぐ者がありません。仕方ありませんや、ねえ旦那!……この世では何にだって終りというものがありますよ。ローヌ河の乗合船《***》や最高裁判所や大きな花模様の上衣《ジヤケツト》などの時代が過ぎたように、風車の時代ももう過ぎたのだと思わなくてはなりませんね。
* ミストラル――ローヌ河沿岸の南フランス一帯を吹く烈しい東北風。
** トラモンターヌ――同じくその北風。
*** 乗合船――一、二頭の馬で曳き舟する平底の船。
スガンさんの山羊
パリにいる抒情詩人ピエール・グランゴワール君《*》に
ほんとに君はいつまでもうだつが上らないだろうよ、気の毒なグランゴワール君!
どうしたというのさ! せっかくパリの大新聞の雑報記者の席を提供されたのに、臆面もなくそれを断るなんて……ねえ、自分の風態《な り》を見てごらんよ、何というみすぼらしさ! 穴のあいたその胴衣、ぼろぼろのそのズボン、飢えを訴えるその痩せこけた顔を見るがいい。ところがそれこそ、君が美しい韻に熱中していた結果なんだぜ! アポロさまのお小姓どもの一員として十年間忠実にお仕え申したお陰なのさ……それでも恥かしくないかね?
だから記者になり給えったら。馬鹿だな! 記者になることだよ! そうすればばらの模様のついた美しい銀貨がたんまり入ってくるだろうし、ブレバン亭《**》の常連にもなれようし、お芝居の初日には、帽子《バレツト》に新しい羽根をつけて乗り込むこともできるだろうに……。
いやだって? なりたくない? 飽くまで自分勝手に自由気儘でいようという寸法かね……よろしい、「スガンさんの山羊」の話をちっと聞くがいい。気儘に暮らそうとするとどんなことになるか、合点がゆくだろうよ。
スガンさんは牝山羊のことで今まで一度もうまく行ったためしがなかった。
どの山羊もみな同じ流儀でなくしたのだった。ある朝、山羊は綱を切って、山の中へ逃げ去ってしまう。そうして山では狼が彼女たちを食べてしまうのである。飼主の愛撫も狼の脅威も、いっこうに彼女たちを引きとめることはできなかった。万事を賭して大気と自由とを欲する独立不羈の牝山羊どもであったらしい。
人の好いスガンさんは、その山羊どもの気性がちっともわからず、ただ茫然としてしまうのである。彼はいう。
――やれやれ駄目だ。山羊はわしのうちが厭になるのだ。もう一匹も飼わないことだな」
だが、あきらめたわけではなかった。そして、六匹の牝山羊を同じような手でなくした後、彼は七匹目のを買い求めた。但し、今度は、特に用心して、ごく若いのを手に入れた。よく飼い馴らしてうちに居つかせようという肚である。
ああ! グランゴワール君、今度のスガンさんの小さな牝山羊は、何と美しかったことだろう! 眼は優しくて、あご鬚は下士官のようで、蹄は黒くてピカピカしているし、角《つの》には縞模様があるし、長い真白な毛は、まるで裲襠《うちかけ》のような具合だし、いやもうその美しいこと! 例のエスメラルダ《***》の仔山羊、ねえ、覚えているかい、グランゴワール君? あれとほぼ同じくらい可愛らしかったのだ。――それに、従順で、人なつこくて、お椀の中に足を突っ込んだりなどせずに、じっと動かずに乳をしぼらせるのだ。この小さな牝山羊の愛らしさ……。
スガンさんは屋敷の裏手に、山査子《さんざし》の垣根をめぐらした菜園を持っていた。彼がこの新参の寄宿生を置いたのはそこである。草地の一番美しい場所に、一本の杭に山羊をつないで、綱はできるだけ長く延ばしておいてやり、ときどき、スガンさんは、山羊が上機嫌でいるかどうかを見にきた。山羊は大そう幸福そうで、喜んで草をパクついているものだから、スガンさんは嬉しくてたまらなかった。
――やれやれ、今度の一匹だけは、わしのうちが厭にならないようだぞ!」気の毒にも、彼はそう考えていた。
それこそスガンさんの勘違いだった。この牝山羊も倦いてきたのだ。
ある日、山を眺めながら彼女は考えた。
――あの高いところはどんなに居心地がいいだろう! 首の皮を擦り剥く、こんな憎ったらしい綱なんかなくて、ヒースの茂った中を跳ね回るのは、どんなに楽しいことだろう!……菜園の中で草を食べるなんて、驢馬か牛にはもってこいだけれど!……しかし山羊には、もっと広々したところが必要なんだ」
この時以来、菜園の草が牝山羊には味気ないものに思われた。彼女は嫌気がさしてきた。痩せて、乳の出も少くなった。日がな一日、綱をぴんと引っ張って、山の方へ頭を向けて、鼻の孔を拡げ、悲し気に「メー!……」と啼いているのは、見るからにいじらしかった。
スガンさんは、どうも牝山羊の様子がおかしいなと充分気づいてはいたが、さてそれが何であるかはわからなかった。……ある朝、スガンさんが乳をしぼり終ったとき、牝山羊は振り返って、山羊弁まるだしで話しかけた。
――あの、もし、旦那さま、お宅にいるとわたしはやつれてしまいます。山の中へ行かせて下さい」
――おやおや! 何と!……こいつまでも!」
と、スガンさんはあっけにとられて叫んだ。そしてそのはずみに、ばたりとお椀を落してしまった。それから、牝山羊に寄り添って草に腰を下ろしながら、
――どうしたというのだ、ブランケットや、お前、わしから離れたいなんて!」
するとブランケットは答えるのだった。
――はい、旦那さま」
――ここじゃ草が足りないのかい?」
――いいえ! とんでもない! 旦那さま」
――じゃ何かい、綱が短かすぎるんだろう。もっと長くして欲しい?」
――いいえ、それには及びません」
――それじゃ、一体どうしろというのだ? 何が望みなのだ?」
――山の中へ行きたいのです、旦那さま」
――仕様のない子だね、お前は山の中に狼がいることを知らないな。……狼がきたら、お前、どうする?」
――角《つの》で突いてやります」
――狼はお前の角など何とも思やしないよ。お前なんかとはまるで角の違う、うちの牝山羊どもが何匹も食われてしまったのだ。……去年ここにいた、あの可哀そうな年寄のルノードをお前よく知ってるだろうね? 牡のように力の強い剛情なおかみさん山羊だったが、彼女でさえ、一晩じゅう狼と闘って……やがて、朝になると、食われてしまったのだよ」
――なんてまあ! 可哀そうなルノードさん!……でも、かまいません、旦那さま、山の中へ行かして下さい」
――やれやれ!……だが、うちの牝山羊どもは一体どうしたというんだろう? またも一匹、狼に食われようとしている。……いいとも、やるものか。……わしはいやでもお前を助けてやる、あばずれ娘め! 綱を切らないように、山羊小屋の中に閉じ込めてやろう。さあ、いつまでもそこに入っていなよ」
こういって、スガンさんは、真暗な小屋の中へ牝山羊を連れてゆき、扉にしっかりと錠をかけた。だが、生憎と、窓のことは忘れていた。で、彼が背を見せるや否や、小さな牝山羊はさっさと抜け出した。……
君は笑っているのかい、グランゴワール君? そうだろうとも! てっきり君は、この親切なスガンさんには反対で、牝山羊の味方をしてるに相違ないのだ。……いつまでも笑っておられるかどうか、いまにわかるさ。
白い牝山羊が山に着くと、山じゅうの者がうっとりした。年経た樅も、いままでこんなきれいなのはついぞ見たことがなかった。山羊はお姫さまのように迎え入れられた。栗の木は、枝の先で彼女を撫でようとして、地面に届くほど身をかがめた。金色のえにしだは、彼女の通る路のほとりに花を開いて、精一杯のよい匂いを薫らせた。山じゅうが挙げて彼女を歓待した。
思っても見給え、グランゴワール君、われらの山羊はどんなに幸福だったろう! もう綱もなければ杭もない。……思う存分跳ね回れるし、草は勝手に食い放題。……そこには草が一杯あったのだ! 角《つの》の上まで茂っているのだよ、君!……しかも何という草だろう! 風味のいいのや、柔らかいのや、縁にギザギザのついているのや、数限りない牧草類、……菜園の芝草なんかとはまるっきり話が違う。さてそれから花々といえば!……碧い大きな釣鐘草やら、長い萼のついた緋色のジキタリスやら、あたり一面、強烈な液汁の溢れ出る野生の花々の林立なのだ!……
白い牝山羊は、もう半ば満腹気味で、その中を仰向けに転がり回ったり、落葉や栗の実ともつれ合って、坂をころげ落ちたりした。……それから、不意にひと跳ねして起ち上った。それ行け! 彼女はたちまち駈け出した。頭を前に突き出して、灌木地帯や黄楊《つ げ》の林を横ぎって、時には絶壁の頂に上ったかと思うと、時には窪地の底に下りたりして、高いところや低いところや到るところに姿を見せて。……いわばスガンさんの山羊が十匹も山の中にいるみたいだった。
それというのが、ブランケットは何も怖いものがなかったからである。
彼女は大きな谷川をいくつも飛び越え、その拍子に水のしぶきや泡を跳ねかけられた。で、滴をぽたぽた垂らしながら、とある平らな岩の上に行って横になり、身体を陽《ひ》に乾かした。……またあるときは、えにしだの花の一つをくわえて、高地のはずれに進み出ると、下のほうに、はるか麓の平野の中に、スガンさんの、あの裏手に菜園のある家が眼についた。それを見るとおかしくなって涙が出た。
――なんてちっぽけなこと!」と彼女はいった。「どうしてまああんな中にじっとしていられたんだろう?」
可哀そうに! こんな高みに立っているものだから、彼女は自分を少くとも世界と同じくらい大きなものと思い込んだのだ。……
要するに、その日はスガンさんの山羊にとって楽しい一日であった。お昼ごろ、右や左に走り回っていると、野葡萄をばりばり喰べている羚羊の一群の間にまぎれ込んだ。白い衣裳をつけたわれらの小さな疾走者は、彼らにセンセーションをまき起した。野葡萄を食べる一番いい場所を彼女に与えて、この羚羊の殿御《ムツシユー》たちは、一人残らず、ちやほやと色目を使った。……のみならず、――グランゴワール君、これはわれわれ二人だけの間の話だが、――一匹の毛並の黒い若い羚羊は、ブランケットのお気に召す幸運を獲たらしいのだ。二人の恋人同士は、一、二時間、森の中をさまよい歩いたのだが、もし君がこの二人の語り合ったことを知りたいというのなら、苔の下を人目にふれず流れている、あのおしゃべりな泉の水に聞きにゆくがいい。
突然、風が冷たくなった。山は紫色になった。夕暮である。……
――おや、もう!」と小さな牝山羊は呟いて、愕然として立ちどまった。
下の方では、野良は靄の中に沈んでいた。スガンさんの菜園も夕靄の中に姿を没し、その小家《こいえ》で見えるものといえば、ただかすかな煙の立ち昇る屋根だけであった。家路を指して急ぐ羊の群の鈴の音を聞くと、彼女はたまらなく悲しい気持になった。……ねぐらに帰る一羽の鷹が、通りすがりにその翼で彼女を掠めて去った。彼女は顫え上った。……やがて山の中で遠吼えが聞えた。
――ウォー! ウォー!」
彼女は狼のことを思い出した。一日じゅう遊び呆《ほう》けて、狼のことなど考えもしなかったのである。……ちょうどそのとき、はるか遠くの谷あいでラッパの音が響いた。あの親切なスガンさんが最後の努力を試みているのだった。
――ウォー! ウォー!」……狼は吼えていた。
――帰っておいで! 帰っておいで!」……ラッパは叫んでいた。
ブランケットは帰りたくなった。しかし、あの杭と、あの綱と、あの菜園の垣を思い出すと、今はもうあんな暮らしに甘んじることはできない、むしろここにいるほうがずっとましだと考えた。
ラッパはもう響かなかった。……
牝山羊は自分の背後に、木の葉がガサガサ鳴る音を耳にした。振り返ると、物陰に、ぴんと立った短かい二つの耳と、ぎらぎら光る二つの眼が見えた。……狼である。
大きな図体をして、身動きもせず、どっかと後肢で坐り込んだ狼は、小さい白い牝山羊を見つめながら、食べぬうちから舌なめずりしていた。どうせ自分の餌食になることはわかっているから、狼は急ぎはしなかった。ただ、牝山羊が振り向いたとき、彼は意地悪そうに笑い出した。
――あはは! スガンさんのお嬢さん山羊だね」そう言って、大きい赤い舌を、火口のような唇の上でぺろぺろと動かした。
ブランケットはもうこれまでと思った。……一晩じゅう闘って、朝になると食われてしまったという、あの年寄のルノードの話を思い出して、一時《いつとき》、彼女は、すぐにもいさぎよく食べられるほうがましだとも思ったが、やがて、思い直すと、あっぱれスガンさんの勇ましい牝山羊らしく、頭を低く下げ、角《つの》を前に突き出し、さっとばかり身構えた。……彼女には何も狼を殺せるなどという当てがあったのではない、――牝山羊どもに狼が殺せるわけのものではない、――ただ、自分がルノードおばさんと同じくらい長く持ちこたえられるかどうかを見ようというのに過ぎなかった。……
すると、怪物は前進してきた。そこでちっぽけな角《つの》も戦闘を開始した。
ああ! 勇敢なお嬢さん山羊、なんと彼女は健気に闘ったことだろう! 十ぺん以上も、嘘じゃないよ、グランゴワール君、彼女は狼を退却させて息を入れさせたのだ。こうして一瞬の休戦の間にも、食い道楽の彼女は、なおもそそくさと大好きな草の一株を摘むのである。それから口一杯にそれを頬張りながら、再び戦闘を始めるのだった。……これが一晩じゅう続いた。ときどき、スガンさんの山羊は、晴れた空に舞っている星を見つめて思ったものだ。
――ああ! せめて夜明けまで持ちこたえさえすれば……」
一つ、また一つと、星影は消えて行った。ブランケットは角の突撃を、狼は牙の襲撃を重ねた。……白々と一条の仄明りが地平線に現われそめた。……しゃがれた一羽の雄鶏の歌声が畠のほうから昇ってきた。
――やっと朝になった!」と哀れな牝山羊はいった。彼女は死ぬためにただもう夜明けだけを待っていたのである。こうして、すっかり血に染まった美しい純白の毛皮にくるまって、彼女は仆れたのだった。……
そこで狼はこの小さな牝山羊に飛びかかって、食べてしまったのだ。
さようなら、グランゴワール君!
君に聴いて貰ったこの物語は、僕の作り噺ではないのだ。もし君がいつかプロヴァンスに来ることがあれば、ここの地主たちは、「スガンどんの山羊ッペ」のことをたびたび君に話して聞かせるだろうよ。「その山羊ッペはな、夜通し狼と闘ったんですが、やがて、朝になるてえと、狼め、そいつを食っちまったんでがすよ」
よく合点が行ったろう、グランゴワール君。
「やがて、朝になるてえと、狼め、そいつを食っちまったんでがすよ」
* グランゴワール――十六世紀初頭のフランスの諷刺詩人。また、ユゴーの「ノートルダム・ド・パリ」に出てくる貧乏文士の名前。ここではもちろん若き日のドーデ自身への呼びかけであろう。
** ブレバン亭――当時有名だったポワソニエール大通りの料理店。文人の出入が多かった。
*** エスメラルダ――前記、ユゴーの「ノートルダム・ド・パリ」の女主人公たるジプシー女。常に金の角の山羊を伴って歩いていた。
プロヴァンスのある羊飼の話
リュブロンの山に登って羊の番をしていた時分、私は何週間も人の顔を見ずに、番犬のラブリや羊を相手に、牧場の中に一人きりで居残っていました。時たまモン・ド・リュールの行者が薬草を探しに通りかかったり、ピエモンのある炭焼きの真黒い顔を見かけたりすることはありますが、なにしろそれは世間知らずの連中で、人里離れた暮らしをしているために無口になり、話をする興味も失くし、麓の村や町で交されている話題なんぞは何一つご存じない手合でした。ですから、半月ごとに、二週間分の食糧を届けにくる村の農場の牝騾馬の鈴の音《ね》が、山道に聞えるときとか、小さな「ミヤロ」(農場の小僧のこと)の溌剌たる顔や、或いは年とったノラードおばさんの焦茶色の頭巾が、坂の上に少しずつ現われるのが見えてくると、本当に嬉しくてなりませんでした。私は麓の里の噂を、洗礼や結婚のことなどをいろいろ話して貰うのでした。しかし特に関心を持っていたのは、主家《う ち》のお嬢さんの近況を知ることでした。わがステファネットお嬢さんは、この界隈十里四方で一番器量よしなんです。大して興味は感じていないようなふりをしながら、私は、お嬢さんがしょっちゅうご馳走に呼ばれたり夜噺に出かけたりするかどうか、お嬢さんのところに相変らず新顔《しんがお》の男たちがちやほやいいにやってくるかどうかなどと聞き訊したものでした。ところで、そんなことが、山にいる貧しい羊飼の私に何になるのだと尋ねる人があれば、私は次のように答えるでしょう。自分の年は二十歳、そしてこのステファネットさんこそ私が生れてから見たひとの中で一番美しいひとだったのだと。
さてある日曜日に、私は例の二週間分の食糧を待ちこがれていたのですが、それは午後非常におそくなってからでなくては着きませんでした。午前中は、「大ミサのせいだ」と思っていました。そのうちお昼ごろ、ひどい夕立がやってきました。で、こいつは道の具合が悪いので牝騾馬が出発できなかったんだな、と考えました。やっと、三時ごろになって、空が洗いきよめられ、山が水気《すいき》と日光にきらきら輝いているとき、私は、木の葉から滴がしたたる音と、谷川が水かさを増して氾濫する音の中に、復活祭の日に鳴りひびく鐘の合鳴《カリヨン》と同じくらい晴れやかで急ピッチなあの牝騾馬の鈴の音《ね》を耳にしました。しかし騾馬を連れてきたのは、小さな「ミヤロ」でもなければ年とったノラードおばさんでもありません。それは……誰だか当ててごらんなさい!……そら、あのお嬢さんです! 柳で編んだ籠の間に真直ぐに腰をかけて、山の空気と夕立のあとの爽かさとで頬を紅潮させた、他ならぬわがお嬢さんです。
小僧は病気、ノラードおばさんは休暇で子供たちのところへ帰っている。美しいステファネットさんは騾馬から下りながら、そう私に教えてくれました。そしてまた、途中で道に迷ったので着くのが遅れたのだとも教えてくれました。しかし、お嬢さんが、花模様のリボンだの、派手なスカートだの、レースなどをつけて、晴着に着飾っている姿を見ると、藪の中で道を探していたというより、むしろどこかでダンスでもしていて遅れたのだという風に思えるのでした。ああ、可愛いお嬢さん! 私はじっと見つめていて倦きることを知りませんでした。全くのところ、今までこんなに間近で見たことはなかったのです。冬、羊たちが平地に下りていて、夕方私が主家《う ち》へ食事に帰ると、ときどき、お嬢さんが元気よく広間を横ぎってゆくことがありました。奉公人どもには殆んど口も利かず、いつもめかしこんで、少しばかりつんとして。……ところが今、そのお嬢さんが眼の前にいるのです。それもただ私だけに用事で。なんでぼうッとせずにいられましょう?
籠から食糧を取り出すと、ステファネットさんは珍らしそうに周囲《あたり》を見回しはじめました。傷《いた》むかも知れない晴着の美しいスカートをちょいとたくし上げて、お嬢さんは「牧舎」の中に入り、私の寝る隅っこを、羊の毛皮を敷いた藁の床《とこ》を、壁に懸っている私の大きな頭巾付外套を、私の杖や火縄銃などを見たがりました。こういったものがすべてお嬢さんを面白がらせたのです。
――じゃお前、ここで暮らしているんだね? いつも一人ぼっちでどんなに退屈することだろう! 何をしているの? どんなことを考えているの?……」
私は「お嬢さん、あなたのことです」と答えたかったのでした。そう答えても嘘ではなかったでしょう。しかし、ひどくどぎまぎしてしまって、満足な言葉一つ見つけ出すことができませんでした。お嬢さんのほうでもそれに気づいたに相違ありません。いたずらっぽくからかって私を一そう当惑させては面白がるのでした。
――で、お前のやさしい女友達《ア  ミ》は、ときどき会いに上ってくるの?……それはきっと金の牝山羊か、それとも山の峰々だけを駈けまわるあの仙女のエステレルに違いないわね。……」
ところがそういうお嬢さん自身、顔を仰向けにして愛らしく笑う風情や、ひょっこり訪ねてきてまた大急ぎで帰ってしまうところなど、仙女のエステレルにそっくりでした。
――では、さようなら」
――ご機嫌よろしく、お嬢さま」
こうしてお嬢さんは、空《から》になった籠を持って、帰って行ってしまいました。
下り坂の小径にその姿が見えなくなると、騾馬の蹄に蹴られて転がる小石が、私の心臓の上に一つ一つ落ちてくるような気がしました。その音は永い間いつまでも聞えました。そして私は自分の夢を消すまいとして、日暮れになるまで身動きもせず、うとうとと眠っているみたいにじっとしていました。たそがれごろ、谷底が蒼みはじめて、羊たちが「牧舎」に入るためにメーメー啼きながら互に身体をすり寄せる時分、誰かが坂道で私を呼んでいるのが聞えました。見るとお嬢さんが、さっきの笑顔はどこへやら、寒さと恐怖とびしょ濡れのためにがたがた顫えながら現われたのです。山の麓でソルグ川が夕立のため増水していて、それを無理に渡ろうとしたとき、あぶなく溺れるところだったらしいのです。困ったことに、もうこんなに夜になってしまっては、家《うち》へ帰ることは思いもよりません。近道はお嬢さん一人ではとても探せないだろうし、そうかといって私は羊どもから離れるわけにはゆかないのですから。山の上で夜を過ごすのだと思うと、お嬢さんはひどく悩みました。何よりも家《うち》の人たちが心配するでしょうから。私は全力を尽してお嬢さんを安心させるのでした。
――お嬢さま、七月は夜がすぐ明けます。……ほんのちょっとの辛抱ですよ」
そして私はお嬢さんの両足と、ソルグ川の水ですっかり濡鼠になった着物とを乾かすために、急いでどんどん焚火をしました。続いて羊の乳と羊乳酪《フロマジヨン》とをお嬢さんの前に持ってきましたが、可哀そうにお嬢さんは暖まろうともせず食べようともしません。眼に浮んだ大粒の涙を見ると、私までが泣きたくなりました。
そうこうするうちに日はとっぷりと暮れてしまいました。もはや山々の頂には、茫とした陽の光、西空のかすかな光線が残っているばかりです。私はお嬢さんに、「牧舎」の中に入って休んで貰おうと思いました。新しい藁の上にまだ使ったことのない真新しいきれいな毛皮を敷いて「おやすみなさい」と挨拶をし、自分は戸外《そ と》に出て戸口の前に坐りました。……神さまがご存じです。胸の火で私の血は燃えるほど熱かったにもかかわらず、よこしまな考えは毛頭起きなかったのです。「牧舎」の片隅に、寝顔を物珍らしげに覗きこむ羊たちのすぐそばで、主家《う ち》のお嬢さんが、――他のいかなる羊にもまして大切な且つ純潔な羊として、――私の守護の下に信頼しきって休んでいらっしゃるのだと思う、大きな誇りがあるばかりでした。空がこんなに深く、星がこんなに輝いて見えたことは今までに一度もありませんでした。……すると突然、「牧舎」の柵戸が開いて、美しいステファネットさんが姿を現わしました。お嬢さんは眠れなかったのです。羊たちが身動きして藁をガサガサいわせたり、夢を見て啼いたりしたからです。お嬢さんは焚火のそばに行くほうがましだと思ったのでしょう。そうと知って、私はその肩に牝山羊の毛皮を着せかけて上げ、火をもっと盛んにしました。そして二人は黙々といつまでも並んで坐っていました。もしあなたが野天で夜を明かされたことがあるなら、人々が眠っている時刻に、ある神秘な世界が孤独と静寂の中に眼を覚ますのをご存じでしょう。そのときは泉はひとしお澄んだ声で歌を歌い、沼は小さな焔を点《とも》します。山のあらゆる精霊たちは自由自在に往き来して、大気の中には軽く擦れ合う音、気づかないほどのかすかな響が起ります。まるで枝々が大きくなったり、草が伸びたりする気配が聞えるかのように。……昼間は生物の世界ですが、夜は物象の舞台です。慣れないと恐ろしい。……だからお嬢さんはすっかり身顫いして、ちょっとでも音がすると私のほうにすり寄るのでした。ふと、ずっと下の方で光っている沼から生じた、長く尾を曳くメランコリックな叫び声が、波打ちながら二人の方へ上ってきました。と同時に、同じ方角に当って、美しい流れ星が一つ、まるで、二人のいま耳にしたあの嘆きの声が一つの光を伴っているかと思えるように、二人の頭上を越えて流れました。
――あれは何かしら?」とステファネットさんは低い声で訊ねました。
――天国に入る霊魂《たましい》ですよ、お嬢さま」そういって私は十字を切りました。
お嬢さんも十字を切りました。そしてしばらくのあいだ一心に空を見上げていましたが、やがて私に向って、
――じゃあ、お前たち羊飼はみんな魔法使だっていうのほんと?」
――そんなことはありませんよ、お嬢さま。でもこうして星の間近で暮らしているので、私たちは平地にいる人々よりか星の世界の出来事はずっとよく知っているんです」
お嬢さんは相変らず上を見つめていました。頭を片手で支え、羊の毛皮にくるまって、愛らしい天上の牧童のように。
――なんてどっさりあるんだろう! まあきれい! こんなにたくさんの星見たことがないわ。……お前あの名前をみんな知ってるの?」
――知ってますとも、お嬢さま。……ねえ、あの私たちの真上にあるのが、「聖ヤコボの道」(銀河)ですよ。フランスから真直ぐにスペインの上まで行っているんです。チャールス大帝がサラセン人を征伐したとき、ガリスの聖ヤコボさまがあれをお作りになって、この勇ましい大帝に道筋を教えられたのでした《*》。その遠くに見えるのは、キラキラと四つの車軸が輝いている「霊柩車」(大熊星座)です。先頭を行く三つの星が「三匹の獣」で、三番目の獣のそばのあの大そう小さいのが「車挽き」というわけです。そのずっと周囲に、雨のように降りそそいでいる星屑が見えますか? あれは神さまがおそばに要らないとおっしゃる霊魂《たましい》なんです。その少し下手《しもて》の空に、「熊手」があり、又の名を「三人の王様」(オリオン星座)ともいいます。私たちにとっては時計の役を勤めてくれる星です。あれを見ただけで、私はいま真夜中過ぎだということがわかります。もう少し低みに、やはり南の空に当って、星の中の炬火《たいまつ》である、「ジャン・ド・ミラン」(天狼星《シリウス》)がきらめいています。この星については、羊飼仲間でこんなことを話していますよ。ある晩、「ジャン・ド・ミラン」が、「三人の王様」や「雛籠《ひなかご》」(すばる星)と一しょに、彼らの友達の星の、結婚式に招待されたらしいのです。「雛籠《ひなかご》」は一番急いで真先に出かけ、高く上って行ったそうです。ごらんなさい、あの星は空の果てのあんな高いところにいるでしょう。「三人の王様」はもっと低いところを近道して、「雛籠《ひなかご》」に追いつきました。ところがこの無精者の「ジャン・ド・ミラン」の奴は、寝坊しすぎてすっかり遅れてしまったので、腹立ちまぎれに、連れを引きとめようと、手にしていた杖を投げつけました。「三人の王様」が別名「ジャン・ド・ミランの杖」というのはこういうわけなんです。……ところで、あらゆる星の中で一番美しいのは、お嬢さま、それは私たちの星、すなわち「羊飼の星」(金星)で、夜明けに私たちが羊の群を連れ出すときにも光り、夕方入れるときにも光っています。私たちはこの星を「マグロンヌ」とも呼んでいます。美しいマグロンヌは、「ピエール・ド・プロヴァンス」(土星)の後を追って、七年目ごとに彼と結婚するんですよ。」
――あらあら! それじゃお星さまの結婚ってあるのね?」
――そうなんです、お嬢さま」
それから私が、その結婚がどんなものであるかを説明して上げようとしていると、何か爽々しい柔らかなものが軽く私の肩にかかるのを感じました。それはリボンやレースやウェーヴした髪を愛らしく押しつけて、私にもたれかかった、眠りで重くなったお嬢さんの頭でした。お嬢さんはこうして、満天の星が朝日に消されて薄らぐときまで、身動きもせずにじっとしていました。私はといえば、胸を少々わくわくさせながら、しかし美しい思いのみを私に授けてくれたこの晴れた夜に浄らかに護られて、お嬢さんの寝顔を見つめていました。二人のまわりでは、星が大勢の羊の群のように黙々と歩み続けていたのです。そうしてときどき、私は、これらの星の中で一番きれいな、一番輝かしい一つの星が、道に迷って、私の肩に止《とま》りにきて眠っているのだと想像したりするのでした。……
* 原註 私はこうした通俗天文学の細目のすべてを、アヴィニョンで発行されている「アルマナック・プロヴァンサル」(訳註――ミストラル一派の機関誌)から翻訳した。
アルルの女
村へ出るには、私の風車小屋から下りてゆく途中、往来の近くに建てられ、榎を植えた大きな庭の奥にある一軒の農家《マ ス》の前を通りかかるのである。それは正真正銘のプロヴァンスの「地主」の家で、屋根瓦は赤く、褐色の幅広い正面の壁《フアサード》には不規則に小窓がひらき、それから一番高いところには、屋根裏部屋の風見だの、積藁を捲き上げるための滑車だの、はみ出した二つ三つの茶色の秣の束などが見える。……
なぜこの家が私の心を動かしたのだろうか? なぜこの閉された戸口が私の心を緊めつけるのだろうか? それは口ではいえないが、とにかくこの建物は私をぞっとさせるのだった。周囲はあまりにもしいんとしている。……通りかかっても、犬の吠え声がするでなし、ほろほろ鳥は啼音《なくね》も立てずに飛び去ってゆく。……家の中には、声一つしない! ひっそりとして、牝騾馬の鈴の音さえもない……窓々の白いカーテンと、屋根から立ち昇る煙とがなければ、まさに空家《あきや》だと思いかねない。
昨日、お昼ごろ、私はちょうど村から帰ってくるところだった。そして、陽を避けるために、榎の木陰を、この農家の塀に沿って歩いていた。……家の前の往来では、黙々と傭人たちが荷車に秣を積み了えるところだった。……表門は開いたままになっている。通りすがりに覗き込んでみると、庭の奥に、――頭を両手でかかえて、――幅の広い石のテーブルに肱をつき、短かすぎる胴衣を着て、ぼろぼろの半ズボンをはいた、背の高い白髪の老人が見えた。……私は立ちどまった。男衆の一人が大そう低い声で私にいった。
――しいッ! ご主人でがすよ。……息子さんのご不幸からこっちは、いつもあのとおりなんで」
この時、一人の婦人と一人の小さな少年が、どちらも喪服を着て、金縁の分厚い祈祷書を手に、私たちのそばを通り抜け、家の中へ入って行った。
男衆はいい足した。
――……おミサから帰ってきたおかみさんと次男坊です。上の息子さんが自殺してからというもの、一日も欠かさずお出かけなんで。……ねえ、旦那、なんてお気の毒なことでしょう! 親父さんはいまでも死んだ息子さんの着物を着ていますよ。脱がそうたってとてもとても。……それッ、ハイハイ! ドウドウ!」
荷車はがたりと揺れて出発した。私はこの話をもっと先まで知りたいので、馭者に頼んでそのわきに乗せて貰った。こうして、その荷車の上で、秣の中で、私はこの痛ましい物語の一部始終を聞いたのである。……
彼はジャンという名前だった。二十歳の立派な農夫で、少女のようにおとなしく、身体つきは頑丈で、屈託のない顔をしていた。すこぶる好男子なので、女たちから騒がれたが、しかし彼の頭には一人の女性しかなかった。――ビロードとレースずくめの若いアルルの女で、彼は一度、アルルの闘技場でその女に出会ったことがあるのだった。――家の者はこの関係を最初のうちは喜ばなかった。女は蓮葉娘《コケツト》として通っていたし、女の両親は土地の者ではなかったからだ。だがジャンは是が非でもそのアルルの女と一しょになりたがっていた。彼はいうのだった。
――あの女を貰えないくらいなら死んでしまう」
どうにも止むを得なかった。人々は収穫《とりいれ》が済んでから二人を結婚させることに決めた。
さて、ある日曜日の夕方、この農家《マ ス》の庭で、家族の者たちは晩餐を終りかけていた。それは殆ど婚礼祝いの宴会といってもよいほどだった。婚約の女はその席にきていなかったが、皆は絶えず彼女のために祝杯を上げた。……すると一人の男が戸口に現われて、顫え声で、エステーヴ親方に話がしたい、親方にだけ、と申し出た。エステーヴは起ち上って往来へ出た。
――親方」と男は彼にいった。「お前さまは、二年の間おらの情婦《い ろ》だったあばずれ女に息子さんを添わせようとしていなさる。おらのいうことに嘘はござんせん。この手紙が証拠でがす!……あいつの両親も万事承知して、おらにくれる約束でした。ところがお前さまの息子さんが、あの女を嫁に欲しがってからというもの、両親もあまっちょも、おらなんぞにもう見向きもしませんや。……おらはそれでも、あんな仲だった後では、よもやほかの男の嫁にはなれまいと信じていたんですが」
――よろしい!」と手紙を見終るや否やエステーヴ親方はいった。「まあ、こっちへ入って、麝香葡萄酒《ミ ユ ス カ》でも一杯やんな」
男は答えた。
――有難うござんす! おらは胸が苦しくて、とても飲むどころじゃねえんで」
そして彼は立ち去った。
父親は何喰わぬ顔で席へ戻り、再び食卓に就いた。そうして食事は陽気に終了した。
その晩のこと、エステーヴ親方と息子は、一しょに畑へ出て行った。二人は長いあいだ戸外《そ と》にいた。二人が帰ってきたとき、母親はまだ寝ないで待っていた。
――おい」と地主は、母親のところに息子を連れてきていった。「接吻《キ ス》しておやり! ふしあわせな奴さ……」
ジャンはもうアルルの女のことは口に出さなかった。しかし相変らず彼女を愛していたし、他の男のものだと教わってからは、前よりも一そう愛するようにさえなっていた。ただ自尊心が強すぎたので、何もいわなかっただけである。それがつまり彼を殺したのだ、可哀そうな若者!……時には一日じゅう身動きもせずに片隅に引っ込んだまま一人きりで過ごした。また別《べつ》の日には、猛然と野良へ飛び出して、一人で日傭十人分の仕事をやってのけた。……夕方になると、アルルへの街道を歩いて、町のひょろ長い鐘楼が西空にくっきりと見えるところまで、真直ぐに進んで行った。そしてそこから引き返すのである。それより先へは断じて行かなかった。
このようにいつも悲しそうな一人ぼっちの彼の姿を見ると、家の人たちは、もうどうしていいかわからなかった。皆は何か不吉なことが起きなければよいがと警戒した。……ある時、食卓で、母親は眼に涙を一杯浮べて彼を見つめながら、こういった。
――あのねえ、ジャン、お前がやはりあの女を欲しいというのなら、貰って上げるよ……」
父親は、慚愧の念で赧くなり、うなだれた。……
ジャンは首を横に振って、ぷいと出て行った。……
この日から、彼は生活態度を一変して、両親を安心させるために、いつも陽気に振舞った。舞踏場や、酒場や、牛馬に烙印をおす祭礼などに、彼の姿をまた見かけるようになった。フォンヴィエーユ《*》の村祭で、ファランドールの音頭を取ったのも彼である。
父親は「あの子は癒ったぞ」というのだった。しかし母親のほうでは、相変らず心配して、前よりも一そう息子に注意を払った、……ジャンは養蚕室のすぐそばに、弟と一しょに寝るのだが、可哀そうに母親は、彼らの寝室の次の間に自分の床を取らせた。……夜中に、蚕のことで用があるかも知れないというわけである。
地主たちの守護神である聖エロワの祭日がめぐってきた。
家では大へんなお祭騒ぎだった。……みんなにシャトーヌフが出されるし、浴びるほど葡萄シロップもあった。それに麦打場では、爆竹が鳴り、かがり火が燃え、榎には色提灯が一杯つるされた。……聖エロワさま万歳! みんなはへとへとになるまでファランドールを踊った。弟は新調のブルーズを焦がした。……ジャン自身も上機嫌らしかった。彼は母親にも踊りなさいよといった。哀れな母親は嬉し涙をこぼした。
真夜中に、みんなは寝に行った。誰もかれも睡くてたまらなかった。……しかし、ジャンだけは眠らなかった。あとで弟が語ったところによれば、彼は夜通しすすり泣きをしていたそうである。ああ! 確かに、彼はひどい痛手を蒙っていたのだ。……
翌日、夜明けごろ、母親は誰かが自分の寝室を走り抜ける気配を耳にした。彼女は何か胸騒ぎのようなものを感じた。
――ジャン、お前かい?」
ジャンは答えなかった。彼はもう階段に取りついている。大急ぎで、ぱっと母親は飛び起きた。
――ジャン、どこへ行くの?」
ジャンは屋根裏の納屋に上った。母親もそのあとから上る。
――お前、ほんとにお願いだよ!」
ジャンは戸を閉めて、閂《かんぬき》をさした。
――ジャン、わたしのジャネ、返事をおし。一体どうしようというの?」
手探りで、わななく老いの手で、彼女は掛金《かけがね》を探した。……窓が開いて、庭の石畳の上に何やらどさりと落ちる物音がした、そしてただそれっきりだった。……
可哀そうにジャンはこう思いつめていたのだ。「自分はあの女を愛しすぎている。……いっそ死んでしまおう……」と。ああ! われわれ人間の心なんてなんとなさけないものだろう! それにしても相手を軽蔑しながら愛着の念が絶てないとは、あんまりな話ではないか!……
その朝、村人たちは、お互に訊ね合ったものだ、向うの、あのエステーヴの家のほうで誰があんなに大声を立てているのだろうかと。……
それは、庭の中で、露と鮮血とにまみれた石のテーブルを前に、死んだ息子を両腕に抱き上げ、あられもない姿で嘆き悲しんでいる母親であった。
* フォンヴィエーユ――アルルの北東にある町。
法王の騾馬
わがプロヴァンスのお百姓たちが、よく話の修飾《あやかざり》に使う、いろんな愉快な格言や、諺や、箴言などの中で、これ以上に華麗《ピトレスク》な、これ以上に奇抜なものを私は知らない。私の風車小屋の方十五里以内では、遺恨を忘れぬ復讐の念の強い男のことを話すとき、次のようにいうのである。「あの男ときたら用心しろよ!……あいつはまるで七年のあいだ足蹴《あしげ》をしまっておいた法王の騾馬みたいな奴だ」
この諺はどこから起ったのだろう、法王の騾馬だとか、七年間も蔵っておいた足蹴だとかいうのは、何のことだろう、私はずいぶん長いあいだ探したものだ。村の衆は誰一人この問題を私に説明することができなかった。プロヴァンスの昔噺集を知り抜いているわが横笛吹きのフランセ・ママイでさえ落第だ。フランセは私と同じように、この諺の背後には何かアヴィニョン地方の古い年代記がひそんでいるものと睨んでいる。ところがその奴さんも、これが諺として用いられる以外には噺を聞いたことがない始末である。
――そりゃ『蝉の図書館』に行かなきゃ見つかりますまいて」と横笛吹きの爺さんは、笑いながら私にいった。
なるほどそうだなという気がした。ところで『蝉の図書館』なら、うちのすぐ目と鼻の先にあるのだから、私は一週間ほど日参して入りびたった。
それはすばらしい図書館で、驚くばかり蔵書が揃っており、詩人に対して日夜開放され、絶えず音楽を奏でてくれるシンバルを具えた可愛い館員たちに管理されているのである。私はそこで気持のいい数日を過ごし、一週間――仰向けに寝そべって――探求した結果、とうとう望んでいたものを、すなわち例の騾馬と七年間しまっておいたあの有名な足蹴の物語を発見し了せたのである。この小噺はちと素朴ではあるが痛快なものであるから、これから諸君にお伝えして見ようと思う。乾いたラヴァンド草のよい匂いがし、大きな 蜘 蛛 の 糸 《フイル・ド・ラ・ヴイエルジユ》が栞《しおり》代りにはさまっている、季節のままの色をした写本の中で、昨日《きのう》の朝、私が読んだそのままを。
法王時代のアヴィニョンの街を見なかった者は、何一つ見たとはいえないのである。陽気で、活気があって、賑やかで、いつもお祭騒ぎ、一体どこにこんな街があったろう。朝から晩まで、やれ行列だの、やれ巡拝だの、花を撒き散らし竪機織《たてはたおり》を敷きつめた街路だの、旗を風にひるがえし満艦飾の船に乗り、ローヌ河をさかのぼって、枢機卿たちのご着任だの、広場広場でラテン語の歌をうたう法王の兵士たちだの、托鉢の僧侶どもがガラガラと鳴らす楽器など。それにまた、まるで巣箱のまわりの蜜蜂の群のように、法王の大きな宮殿の周囲にごちゃごちゃと密集した、民家の上から下までが、レースの織機のカタコトいう音や、僧袍の金糸を織る梭《おさ》の往き来や、酒水瓶《ビユレツト》に彫模様を施す職人たちの小さな鎚《かなづち》の音や、絃楽器をこしらえる店で音階を調整している音響板や、縦糸《たていと》を巻く女工たちの歌う讃美歌などである。そのまた上のほうでは響きわたる鐘の音、かなたでは、橋のほうで、絶え間なく鳴っている幾つかのタンバリン。それというのがこの街では、人民たちは嬉しいときには、踊らないではいられない、踊らないではいられないからである。それに、当時は、街の通りがファランドールを踊るには狭過ぎたので、横笛やタンバリンは、ローヌ河の涼風《すずかぜ》に吹かれながら、アヴィニョン橋の橋の上に出向いたものである。そうしてそこで、昼となく夜となく、いや踊ったこと、踊ったこと! ああ、楽しかった時代! 楽しかった街! 人を殺《あや》めることをしない鉞付《まさかりつき》の槍、葡萄酒の冷蔵庫となった政府の牢獄。断じて饑饉もなく、断じて戦争もなかった。……ル・コンタ・ヴネサン《*》の歴代の法王は、こんな具合にその民を治めてゆく術《すべ》をわきまえていたのである。だから人民もあれほどまでに法王たちを慕ったのである!……
わけても一人、ボニファスと呼ばれる、善良な老法王がいた。……おお! この法王ときたら、その崩御したとき、どんなにたくさんの涙がアヴィニョンでこぼされたことだろう! それは極めて愛想のよい、極めて親しみやすいご領主さまだった! 彼は牝騾馬の上からいとも優しく微笑みかけるのである! そばを通りかかる人には、――貧しい賤《しず》の茜草《あかねぐさ》採りであろうと、または都の大司法官であろうと、――大そう慇懃に祝福を与えるのである! 正にイヴト《**》の法王だが、それもプロヴァンスのイヴトで、その笑顔には何となく粋《いき》なところがあり、三角の法帽には一輪のマヨラナ花を挿し、おまけにジャンヌトン《***》などは一人も囲っていないのだ。……この善良な法王にとって、今まで人に知られた唯一人の愛人《ジヤンヌトン》はといえば、それは彼自身の葡萄畑であった。――アヴィニョン市から三里離れた、シャトー・ヌフ村のミルト花咲く丘の上の、彼が手ずから栽培した小さな葡萄畑である。
いつも日曜日には、午後のお祷りがすむと、このやんごとないお方は、愛人の許へご機嫌取りに出かけてゆく。丘に上り、傍らに騾馬をつないで、日向《ひなた》に腰を下ろすと、ぐるりには枢機卿たちが切株の根元に手足を伸ばす。そのとき、法王はここの地酒の葡萄酒の栓を抜かせるのである。――紅玉《ルビー》色《いろ》をしたこの見事な葡萄酒は、爾来「法王のシャトー・ヌフ」と呼ばれた。――さて法王は感に堪えた様子で葡萄畑を眺めながら、ちびりちびりと酒の味をきこしめす。やがて、壜が空っぽになり、日が西に傾くと、一同を随えて、楽しげに街へと帰ってゆく。そうして、アヴィニョン橋にさしかかり、太鼓やファランドールの間を通り抜けるとき、音楽に調子づいた彼の騾馬が、ぴょこぴょこと小刻みの〓足《だくあし》をやらかすと、片や法王ご自身は、三角の法帽を揺すぶって踊りの足踏みをする有様。これを見て枢機卿たちは眉をひそめたが、人民は一人残らずいったものである。「ああ! 優しいご領主さま! 気さくな法王さま!」
シャトー・ヌフ村の葡萄畑の次に、法王がこの世で最も愛したものは、彼の騾馬であった。人の好い法王はこの動物に首ったけであった。毎晩、彼は寝る前に、の戸締りがしっかりしてあるかどうか、秣桶の中に何か足りないものがありはしまいかと見にゆくのである。また、食卓を離れるときには、いつもきまって自分の眼の前で、砂糖や香料をたっぷり入れたフランス風葡萄酒の大きな椀を用意させ、枢機卿たちの諫言にはお構いなく、自分で騾馬のところへ持ってゆく。……もちろんその動物もそれだけの面倒を見てやる値打はあったのである。赤い斑《ぶち》のある黒毛の美しい騾馬で、しっかりした足、つやつやした毛並、大きな肥った尻を具え、玉総《たまふさ》、結び玉、銀の鈴、リボンの小布《こぎれ》などで飾り立てられた、小さな痩せぎすな首を得意そうにもたげている。かてて加えて天使のように優しく、その天真爛漫な眸と、いつも動いている長い両の耳が、善良な子供のような風情を添えている。アヴィニョンじゅうの者がこの騾馬を尊敬し、騾馬が往来を行くときは、下にも置かぬもてなしをした。なぜなら、そうすることが法王の寵遇を得る最上の方法であり、また、ティステ・ヴェデーヌとその並々ならぬ僥倖に徴しても明らかなように、法王の騾馬が何喰わぬ顔をしながら幾人もの人を幸運にありつかせたという事実を各自知っていたからである。
いまいったティステ・ヴェデーヌという男は、もともと図々しい腕白者だった。父親の彫金師ギー・ヴェデーヌは、息子が何一つしようとはせず、徒弟どもを唆かしたりするので、止むを得ず家から追い出してしまった。半年の間、人々はアヴィニョン市のあらゆる下層社会、それも主として法王の宮殿の近くをうろつき回るジャケット姿の彼を見かけた。というのは、この与太者は、以前から法王の騾馬に対してある考えを持っていたからで、それがどうやら性悪な考えだったことはいまに諸君も気づかれるであろう。……ある日のこと、法王がただ一人で、例の騾馬に跨って城壁の下を散歩していると、そこへひょっこりティステが飛び出して、法王に近づき、感嘆の素振りで両手を合わせながら声をかけた。
――ああ! なんとまあ! 法王さま、颯爽たる騾馬をお持ちのことでしょう! ちょいと私に拝ませて下さいまし! ……ああ! これはこれは、いかにもご立派な騾馬! ドイツ皇帝だってこんな逸物は持っておられませぬ」
そして騾馬を撫で、小娘にいうように優しく話しかけた。
――こちらにおいで、私の宝石、私の宝物《たから》、私の貴重な真珠よ……」
で、人の好い法王は、すっかり感動し、心の中でこう考えた。
――なんと愛《う》い奴!……なんとこの小僧はわしの騾馬に親切なんじゃろう!」
かくてその翌日、どんなことになったか、諸君おわかりだろうか? ティステ・ヴェデーヌは古びた黄色いジャケットを、レースずくめの白い僧服、紫の絹の法衣と取換え、ビジョウ止めの靴をはき、法王の唱歌隊の中に加えられたのである。今までそこへは貴族の子弟や枢機卿の甥でなければ絶対に入れて貰えなかったのに。……これこそ悪知恵と申すものでござる!……しかしティステはそれだけでは甘んじなかった。
一たび法王に仕えると、このいかさま師は有卦に入った賭博を更に続けた。あらゆる人に無礼の限りを尽くして、騾馬以外の者には親切味を見せず慇懃にも振舞わない。そうして一握りの燕麦《からすむぎ》か一束の毬豆《いがまめ》を手に、法王の露台《バルコン》を見上げながら、ばら色の飼料の房を優しく振って、「ヘン、どうです!……こりゃどなたさまに食わすんで?……」といわんばかりの様子をする彼の姿がいつも宮殿の中庭に見られた。とかくするうちに、とうとう、寄る年波を感じた善良な法王は、の番をしたりフランス風葡萄酒の椀を騾馬のところに持って行ったりする世話を彼に一任するようになってしまった。これは枢機卿たちにとって笑いごとではなかった。
騾馬の身にとっても、やはり笑いごとではなかった。……今では、葡萄酒の時間になると、いつも唱歌隊の小僧どもが五、六人おしかけてきて、法衣やレースの服を着たまま藁の中へ急いでもぐり込む。やがて、しばらくすると、焼糖《カルメラ》や香料の温かそうないい匂いがの中にみなぎって、ティステ・ヴェデーヌが用心深くフランス風葡萄酒の椀を持参して現われる。するとあわれな動物の受難が始まるのである。
身体をぽかぽかさせ、飛び上るほどの元気をつけてくれる、この、騾馬の大好物の香料入りの葡萄酒、それを残酷にもそこの秣桶に入れ、鼻先に持ってきて嗅がせるのだ。それから、騾馬が鼻孔《は な》一杯にいい匂いを吸い込むと、よろしい、さあ済んだ! というわけで、ばら色に輝く立派な飲物はすっかりあの腕白小僧どもの咽喉《の ど》の中へおさらばしてしまう。……しかも、葡萄酒を盗むだけならいいが、飲んでしまうと、この小僧どもは一人残らず悪魔のようになる! 耳を引っぱる奴がいる、尻尾を引っぱる奴がいる。キケは背中に乗っかる、ベリュゲは法帽をかぶらせてみる。そうしてこの腕白どもの誰一人として、勇ましい動物が、腰を一ひねりするか足蹴を一つするだけで、彼らを悉く北極星かまたはもっと遠方まで飛ばしてしまうことができただろうということは考えもしなかったのだ。……いや、考えるどころか!……みんなは法王の騾馬なんか屁とも思っていなかった、恵み深い寛大な騾馬なんか。……子供たちが何をしようと、騾馬は、腹を立てなかったが、ただティステ・ヴェデーヌに対してだけは含むところがあった。……例えば、こいつが背後にいるのを感ずると、騾馬は蹄がむずむずした。実際その理由はどっさりあったのである。このならず者のティステめはとんでもない悪戯をやらかしたのである! 酒を飲んだ後でずいぶん酷《むご》い企みをくわだてたのだ!……
ある日、彼は、あの高い、一番高い、宮殿の天辺《てつぺん》の、唱歌室の小塔へ、自分と一しょに騾馬を上らせようと思いついたのである!……私がこういったからとて何も作り話ではないので、これは二十万のプロヴァンス人が目撃した事実である。想っても見給え、螺旋階段を盲滅法に一時間も回って、幾つあるかわからないほどの段々を攀じ登った挙句、突然、外光を受けてまばゆい物見台に出たとき、そして脚下千フィートのところに、幻想的なアヴィニョン全市、榛《はしばみ》の実ほどの大きさの市場のバラック、兵営の前に赤蟻のように群れている法王の兵隊、向うの、銀糸のような一筋の河の上に、人々が踊り狂っているごく小さな一つの橋などを見つけたときの、ふしあわせな騾馬の恐怖を。……ああ! 可哀そうに! どんなに狼狽したことだろう! 騾馬の上げた悲鳴に、宮殿の窓ガラスは悉く震動した。
――いかがいたした? 騾馬に何かあったのか?」と善良な法王は露台《バルコン》に飛び出して叫んだ。
ティステ・ヴェデーヌはすでに中庭に下りていて、泣き面をして頭髪を掻きむしりながら、――ああ! 法王さま、大変です! あなたさまの騾馬が、……やれやれ! 私どもはどうなることでございましょう? あなたさまの騾馬が塔へ上ってしまいまして……」
――たったひとりでか???」
――はい、法王さま、たったひとりで。……まあ、ご覧下さいまし、あの高いところを。……はみ出ている両の耳の端がお見えになりますか?……二羽の燕とでもいったような……」
――あッ、大変じゃ!」と気の毒な法王は見上げながらいった。「……さては気でも狂ったのじゃな! 死ぬるぞ、死ぬるぞ、……下りてくるがいい、仕様のない奴め!……」
可哀そうに! 騾馬の方でも下りたいのは山々だったろうに。……だが、どこから? 階段なんて滅相もない。上るときはまだしもだが、下りるとなると百ぺんぐらい足を挫くのが落ちだろう。……で、あわれな騾馬は悲嘆に暮れ、眩暈《めまい》ばかり感じる腫れぼったい眼をして、物見台をうろうろしながら、ティステ・ヴェデーヌのことを考えた。
――おのれ! 悪党め、もし自分が助けられたら……明日の朝、いやというほど蹴飛ばしてくれるから!」
足蹴のことを考えると、腹に少々気力が回復した。そうでなかったら騾馬はもう斃れたかも知れないのだ。……やっと高みから引き下ろされる運びになった。しかしそれは全く大事《おおごと》であった。起重機や、綱や、舁《かき》台で下ろさなければならなかった。そして諸君も考えられる通り、糸の先に吊された黄金虫のように肢を宙に泳がせながら、こんな高空《たかぞら》にぶら下った姿を見られるというのは、法王の騾馬にとって、何たる屈辱であったろう。しかもアヴィニョンじゅうの人がそれを見ていたのだ!
あわれな動物はその夜まんじりともしなかった。絶えず、脚下の街の笑い声を聞きながら、あの小癪な物見台の上を、ぐるぐる回っているような気がするのだった。次に騾馬はあの卑劣なティステ・ヴェデーヌのことや、翌朝喰《くら》わせてやろうとする痛快な足蹴のことを考えた。ああ! 諸君、それは何という猛烈な足蹴だろう! パンペリグストからもその土煙りが見えるかも知れない。……さて、でこのようなすばらしい応対《レセプシヨン》の準備がととのえられている間、ティステ・ヴェデーヌは何をしていたかご存じですか? 彼は法王のガリー船に乗って、歌いながらローヌ河を下り、外交術や礼儀作法を修業するために毎年アヴィニョン市からジャンヌ女王の許へ派遣される若い貴族の群と一しょに、ナポリ宮廷へ出かけてしまったのである。ティステは貴族ではなかった。しかし法王は、彼が騾馬に尽くした世話と、特にあの救助の日に発揮した抜群の働きとに酬いたいものと切望したからである。
翌日、がっかりしたのは騾馬である!
――うぬ! 悪党め! 何か感づきおったな!」……騾馬は鈴を激しく振りながら考えた。
「まあ、いいさ、行っちまえ、意地悪め! 足蹴は、帰ってきてからのことだ。……よし、しまっておくぞ!」
そうして騾馬は彼のためにそれをしまっておいたのである。
ティステの出発後、法王の騾馬は平穏な生活と以前の態度とを取り戻した。にはもうキケもベリュゲも姿を見せなくなった。フランス風葡萄酒の楽しい日々が再び訪れてきて、来る日も来る日も、上機嫌と、永い午睡と、アヴィニョン橋を渡るときの、ガヴォット曲に合わせる小刻みな歩調と。しかしながら、例の椿事以来、街に出ると人々からいつも少々冷淡な色を示された。行く先々でいろんな囁きが聞えるのだ。老人どもは馬鹿にして頭を振るし、子供たちは互に塔を指さして笑う。人の好い法王自身も、愛する騾馬をもはや以前ほど信用しなくなった。だから、日曜日、葡萄畑からの帰り途に、騾馬の背中でこくりこくりと居眠りしながら揺られてゆくとき、法王の胸の底にはこういう考えがわだかまっていた。「眼が覚めたとき、わしはあの塔の上の物見台に連れて行かれているんじゃないかな!」騾馬にはそれがわかっていたが、ひと言もいわずに堪え忍んだ。ただ、人々が自分の前でティステ・ヴェデーヌの名を口にすると、長い両耳を顫わせて、ニヤリとしながら舗道の上で蹄の鉄を研ぐのであった。
かくて七年の星霜は流れた。やがて、その七年目も終るころ、ティステ・ヴェデーヌがナポリの宮廷から帰朝した。留学期間はまだ終ったわけではないが、法王の大膳頭《だいぜんのかみ》がアヴィニョンで急逝したことを知り、これこそ絶好の地位だという気がしたので、その候補者になろうと大急ぎで帰ってきたのである。
この喰《く》わせ者のヴェデーヌが宮殿の広間に入ってきたとき、法王は、彼が見違えるほど大きくなり肉付もよくなっていたので、思い出すのに骨が折れた。また、法王自身も、すっかり老人になってしまい、眼鏡がないとよく見えないのであった。
ティステは気おくれなどしなかった。
――これはしたり! 法王さま、もう私の顔がおわかりにならないのですか?……私でございます、ティステ・ヴェデーヌで!……」
――ヴェデーヌ?……」
――さようでごさいます、よくご存じの……あなたさまの騾馬にフランス風葡萄酒を運んでいた男でございます」
――ああ! そうじゃ、……なるほど、……覚えている。……可愛い児じゃったのう、あのティステ・ヴェデーヌは!……ところで今、何か願いの筋でもあるのか?」
――ええ、ほんの少々、法王さま、……お願いがあって参上いたしました。……時に、相変らずお抱えでいらっしゃいますか、あの騾馬を? して、あれは元気でおりますか?……ああ! それは結構なことで!……私がお願いに上りましたのは、先だって亡くなられた大膳頭の地位でございます」
――なに、大膳頭、お前が!……しかしお前は若すぎる。一体何歳《いくつ》じゃ?」
――満二十歳と二カ月でございます、法王さま、騾馬よりもちょうど五カ月年上でございます。……ああ! 本当に、颯爽たる騾馬でございました! 私はどんなにあの騾馬を愛していたことでございましょう!……イタリーではどんなにあれに会いたかったことでしょう! 会わせていただけませんでしょうか?」
――うん、会わせてやるとも」と人の好い法王はすっかり感動していった。……「あの善良な騾馬を、それほどまでに愛している以上は、お前をもうあれから離して暮らさせたくはない。今日から、お前を大膳頭の資格でわしの側近に置いておく。……枢機卿たちがつべこべいうだろうが、仕方ない! わしはそんなことには慣れっこじゃ。……明日、午後のお祷りが終ったら、わしに会いにやって来い。僧会員立会の下に、位階の標章を授けて仕わそう。それから……わしが騾馬に会わせに連れて行こう。そうしてお前は、わしや騾馬と一しょに葡萄畑へ出かけるのだ。……さ、さ! もう退るがいい」
大広間から退出しながらティステ・ヴェデーヌがどんなに満足していたか、明日の式をどんなに待ちこがれたか、諸君にいう必要はない。しかしながら、宮殿には彼よりももっと喜んでいる、そしてもっと待ちこがれている誰かがいたのである。すなわちそれは騾馬であった。ヴェデーヌが帰国してから翌日の午後のお祷りの時まで、この怖るべき動物は、絶えずせっせと燕麦《からすむぎ》を詰め込んだり、後肢の蹄で壁を蹴ったりした。騾馬もまた、式に対して準備おさおさ怠りなかったのである。……
さて、翌日、午後のお祷りが済むと、ティステ・ヴェデーヌは法王の宮殿の中庭に入場した。身分の高い聖職者たちが残らずそこに臨席していた。すなわち、赤い法服の枢機卿、黒ビロードの聖職候補者審査官、小さな僧帽をかぶった修道院長、聖アグリコ派の教会理事、紫の法衣をつけた唱歌隊。そしてまた身分の低い聖職者、すなわち、礼服を着けた法王の兵士、苦業会の三団体、きつい顔付のヴァントゥー山の行者、鈴を携えて背後に従う小坊主、腰のあたりまで露わな笞刑信徒《****》、着飾った聖器守、更に、聖水を授ける係、灯明を点す係、消す係に至るまで、全員悉く居並んでいて、……欠席は一人もなかった。……ああ! それは盛んな叙聖式であった! 鐘、爆竹、花火、音楽、そうして相変らず彼方では、アヴィニョン橋の橋の上で踊りの音頭をとっている例のタンバリン狂の人々。……
ヴェデーヌが来会者の真中に現われたとき、その威厳とその美しい容貌は、讃嘆の囁きを満座に走らせた。堂々たるプロヴァンス人、しかも毛の色はブロンドで、端の縮れた豊かな頭髪と、彫金師たる父親の鑿《のみ》からこぼれ落ちた鈍金の削り屑をつけたようなちょび鬚とを具えている。世間の噂では、このブロンドの口鬚にときどきジャンヌ女王の指が戯《じや》れたとか。実際、ヴェデーヌ卿は、確かに、女王がたからご寵愛を受ける殿御の華かな風采ととろりとした眼差とを具備していた。その日は、祖国に敬意を表して、ナポリ好みの衣裳をプロヴァンス風のばら色に縁取った上衣に着換え、そうして垂帽子《シヤプロン》の上には、カマルグ産の朱鷺《イピス》の大きな羽飾りが顫えていた。
入るや否や、この大膳頭は粋な態度で敬礼し、高い正面階段の方へ進み寄った。そこには法王が彼に位階の標章たる黄色い黄楊《つ げ》の匙とサフラン色の衣服とを授与するために待っている。騾馬はすっかり馬具をつけ、葡萄畑に出かけんばかりの支度をととのえて、階段の下にかしこまっていた。……ティステ・ヴェデーヌは、騾馬のそばを通りかかったとき、優しく微笑んで、法王が見ているかどうか流盻《ながしめ》に窺いながら、その背を二、三度親しげに軽く叩こうと立ちどまった。絶好の位置だ。……騾馬は身体にはずみをつけた。
――それッ! 悪党め、ざまァ見ろ! 七年間お前のために取っておきのものだぞ!」
そして騾馬は猛烈な足蹴を一つ喰《くら》わせた。その猛烈なことは、パンペリグストからさえも、その土煙り、渦巻く亜麻色の土煙りが、見えたほどである。その中には朱鷺《イピス》の羽飾りがひらひらと舞っていた。これこそ薄命なりしティステ・ヴェデーヌが残した唯一の形見であった!……
騾馬の足蹴は、通常こんなに怖ろしいものではない。しかしこれは法王の騾馬である。その上、考えても見給え! この騾馬は、七年も前から彼のために足蹴をしまっておいたのだ。……宗門上の遺恨でこれ以上すばらしい例はこの世にない。
* ル・コンタ・ヴネサン――古代フランスの州名。法王領。首府アヴィニョンに法王がいた。
** イヴト――ベランジエ(1780―1857)作るある小唄の主人公。善良な無邪気な王様の典型。
*** ジャンヌトン――イヴト王の愛人。
**** 笞刑信徒――苦行のために鞭打たれることを会則としていた十三世紀頃の修道会会員。
サンギネール《*》の灯台
昨夜、私はまんじりともしなかった。ミストラルが吹きすさんでいて、そのびゅうびゅうと吹く激しい音が、朝まで私を眠らせなかったのである。船の索具《つなぐ》のように北風に鳴りはためく、破れた翼を重苦しく揺りながら、風車小屋全体が軋んでいた。瓦は算を乱して屋根から吹き飛ぶ。遠くでは、丘一面の松の密林が、暗闇の中に波立ち、ざわめいていた。まるで海原の真っ只中にいるような心地だった。……
それが私にまざまざと、三年前、あの遠いコルシカ島の沿岸の、アジャックシオ湾の入口にある、サンギネールの灯台に住んでいた時分の、ひどい不眠の夜々を想い起させた。
そこもやはり、夢想に耽ったり一人きりでいようとして、私が見つけ出した、楽しい片隅だったのである。
赤味を帯びた、荒涼たるたたずまいの、一つの島を想像し給え。灯台はその一角にあり、他の突端にはジェノア領時代の古塔が一つあって、私の滞在当時、この塔には一羽の鷲が棲んでいた。下の磯辺には、雑草が四方八方から侵入した荒れ果てた検疫所があり、更にまた、そこかしこに、窪地や、灌木の茂みや、大きな岩や、数匹の野生の牝山羊や、たてがみを風になびかせて跳ねまわっている小さなコルシカ馬などが見える。そして最後に、一番高いところには、海鳥が渦を巻いて飛びめぐる中に、例の灯台の建物が聳えていて、灯台守が縦横に歩き回る白い石造の露台《テラス》、尖頭形の緑色の戸口、小さな鋳鉄製の塔、それからその上方には、太陽を照りかえして昼間でもギラギラと光っている切子ガラスをはめた大きな灯室《とうしつ》がついている。……これが、昨夜、丘の松林の唸りを聞きながら、私が思い浮べたサンギネール島の姿である。風車小屋を手に入れる前、大気と孤独とが恋しくなると、ときどき出かけて行って閉じこもったのは、この魅惑的な島であった。
私が何をしていたかって?
それはいまこの風車小屋でしている仕事よりも、もっと少いことであった。ミストラル乃至トラモンターヌの大して強く吹かないときは、鴎やつぐみや燕に囲まれ、水面すれすれの二つの岩の間に行って坐り、海を見つめて味う、あの一種ここちよい忘我と虚脱との中に、殆ど終日、じっとしているのであった。魂のこのすばらしい酔い心地を、諸君もご存じではないだろうか? 考えるでもなく、夢みるでもない。諸君の全存在が諸君から脱け出て、飛び去って、散り散りになってしまう。水に潜る鴎、陽を受けて波間に漂う水泡《みなわ》、遠ざかりゆくあの商船の白い煙、赤い帆をかけたあの珊瑚採りの小さな舟、あの真珠のような飛沫《しぶき》、あのひと刷毛の靄、自分以外のありとあらゆるもの、それらがそのまま自分自身なのだ。……ああ! 私はこの島で、半睡と放心の、こうした快い時間を、どんなに数多く過したことだろう……!
風の烈しい日は、磯辺には出ておられないので、検疫所の中庭に閉じこもった。迷迭香《まんねんこう》や野生の苦蓬《にがよもぎ》の匂いの立ちこめた、物寂しい小庭である。そしてそこで、古びた壁にもたれてうずくまった私は、古代の墓のように周囲全部の開け放しになった石造の小部屋の中に、陽の光と共に漂っている荒廃と哀愁のそこはかとない薫りが、この身をやんわりと侵すままにまかせていた。ときどき、扉をカタコトいわせたり、草の中を軽く跳びはねたりする気配がする。……それは風を避《よ》けて草を喰《は》みにきた牝山羊であった。私を見て、びっくりして立ちどまり、私の前にじっと立ちつくしたままでいる。溌剌たる様子で、角《つの》は高く立て、あどけない眼差で私を見つめながら。……
五時ごろ、灯台守のメガホンが私を夕食に呼ぶ。すると私は、海から直かに続く急勾配の灌木地帯《マ    キ》の中の小径を辿り、ゆっくりと灯台さして帰ってゆくのである。登るにつれて拡がってゆくような気のする、あの水と光との広大無辺な水平線のほうを、一足ごとに振り返りながら。
灯台の内部は実に気持がよかった。大きな石畳を敷きつめ、樫の羽目板を張った、あのきれいな食堂、その真中に湯気を立てているブイヤベース《**》、白い露台《テラス》に面して大きく開かれた扉、そして一面に射し込む夕陽などが、今も眼の前に浮んでくる。……灯台守たちはそこにいて、食卓に就くために私を待っている。彼らは三人だった。マルセーユ生れの男が一人とコルシカ人が二人。三人とも小柄で、鬚もじゃで、同じような渋皮色の、油気の切れた顔をして、山羊の毛で編んだ同じようなプローヌ(合羽)を着ているが、物腰や気質はまるっきり正反対であった。
この連中の暮らし方で、双方の生国の相違がすぐに嗅ぎつけられた。マルセーユの男は、器用で、活溌で、いつも忙しそうに、しょっちゅう小まめに動いていて、野菜作りをしたり、魚を釣ったり、斑鴎《グアイユ》の卵を拾い集めたり、通りがかりの牝山羊の乳をしぼるために灌木の茂みに待ち伏せたりして、朝から晩まで島の中を駈け回っている。そうしていつもアイヨリ《***》かブイヤベースを鍋で煮ている。
ところがコルシカの男たちときたら、自分の職務以外には、てんで何もしないのである。彼らはお役人のように高くとまって、日がな一日、台所で、際限《き り》のないスコパ《****》の勝負をして過し、時たま、勿体ぶった様子でパイプに火をつけたり、大きな緑の煙草の葉を掌《てのひら》に鋏で刻んだりするために、トランプ持つ手を休めるだけであった。……
しかし、マルセーユの男にしろ、コルシカの男たちにしろ、いずれも単純で素朴な、そして彼らの客人に対してはすこぶる親切な、好人物であった。実際は、彼らの客人たるこの私がとても風変りな旦那に見えたに相違ないのだが。……
まあ考えても見給え! 気晴らしに灯台へ閉じこもりにくる客人だなんて!……これに反して彼らのほうは、一日一日がひどく永く思われ、陸へ行く番が回ってきたときにはとても嬉しくてたまらないのである。……好い季節には、この大きな幸福が毎月彼らを訪れる。灯台暮らし三十日に対して陸上十日、これが規則である。だが、冬だの、時化《し け》だのになると、もう規則もへちまもあったものではない。風は吹きすさぶ、浪は高い、サンギネールの島々は泡で白くなる。すると当番の灯台守たちは、二、三カ月ぶっつづけに、しかも時には怖るべき情況の中で籠城の憂目に遭う。
――わっしは、ねえ旦那、こんなことがありましたぜ」――と、ある日、みんなで夕食を認ためているとき、バルトリ爺さんが私に話して聞かせた。――「五年前の、冬のある晩、いまみんながこうやっている同じこのテーブルで、こんなことがありましたんで。その晩、灯台にいたのは、わっしと、それからチェコという仲間と、ただ二人きりでした。……他の連中は病気やら休暇やらで、陸に行っていましたっけ。……二人はぼそぼそと夕飯を済ましかけていたのです。……と、突然、相棒は食べるのをやめて、ちょっとのあいだ妙な眼つきでわっしを見つめていましたが、バッタリ! と、腕を前に伸ばしたまま、テーブルの上につんのめってしまいました。駈け寄って、揺り起しながら、わっしは名前を呼びました。
――おい! チェの字!……おい! チェの字!……
うんともすんともいいません! 奴さん死んでいたのです。……わっしがどんなにショックを受けたかご想像つくでしょう! 一時間以上もその死骸を前に茫然として顫えていましたが、やがて、ふと、「おっと、灯台だ!」と気がつきました。とっさに灯室《とうしつ》に駈け上って火を点ける。もうとっぷりと夜になっていました。……何という夜だったでしょう、旦那! 海も、風も、いつもとはもうまるで違う音なんです。しょっちゅう誰かが階段のところでわっしを呼んでいるような気がします。しかも、熱は出るし、咽喉は渇くし! そのくせ下りろたって下りられるわけのものじゃありません。……死人が怖くてなりませんや。でも、夜の明けそめる頃には、少し勇気が湧いてきました。わっしは奴さんをその寝床へ運んでゆき、布をかけて、ちっとばかしお祈りを上げ、それから急いで危急信号を掲げました。
あいにく、海は大荒れで、いくら呼んでも、いくら呼んでも、誰も来てはくれません。……可哀そうなチェコと共に灯台の中にいるのはわっし一人、それもいつまでこうなのかさっぱり見当もつかない始末。……わっしは船が着くまでそばへ置いておければと思っていました! だが三日経つともうそれは不可能になりました。……どうしよう? 戸外《そ と》へ運び出そうか? 土に埋めようか? 岩は堅すぎるし、島には鴉がたんといる。この基督教徒を鴉のついばむにまかせてしまうのは可哀そうだ。そこでわっしは、検疫所の小部屋の一つに運び下ろそうと思いました。……この悲しい骨折り仕事は、午後一杯かかりました。しかも全くの話、大へん度胸が要《い》ったのですよ。ねえ、旦那、今でもまだ、大風の午後に、島のあの辺を下りてゆくときには、わっしはいつも肩の上に死人をかついでいるような気がしますんで。……」
気の毒なバルトリ爺さん! 当時のことを思い出すだけで、その額にはびっしょりとあぶら汗が流れていた。
私たちの食事はこんなふうに、長話のうちに進んで行った。灯台のこと、海のこと、難破船の話、コルシカの山賊の物語。……やがて、日が暮れかかると、第一当番の灯台守は小さな手提ランプに火をともし、パイプと水筒とサンギネールでただ一冊の蔵書である縁の赤い分厚なプリュターク英雄伝とを持って、奥の戸口から姿を消す。しばらくすると、鎖や、滑車や、柱時計の大きな分銅を捲き上げる音が、灯台じゅうに響き渡る。
私は、その間に、戸外《そ と》の露台《テラス》に出て腰を下ろした。すでに沈みかけた太陽は、全水平線を己れの後ろに引き寄せるようにして、次第に早く海のほうへ落ちて行った。風は冷たくなり、島は紫色になった。私の近くの空を、一羽の巨きな鳥が、重苦しく飛び去った。例のジェノアの古塔に帰る鷲である。……次第次第に海の靄が濃くなってくる。まもなく、眼に見えるものとては、もはや島の周囲に打ち寄せる白い波がしらばかりになる。……と、不意に、私の頭上に、柔かな光の大きな波がほとばしり出た。灯台に灯《ひ》が入ったのである。島全体を闇の中に残して、明るい光芒は沖辺はるかにふり注ぎ、私は、通りすがりに私に飛ばっちりを浴びせかけるその大きな光の波の下に、露台《テラス》で夜の闇に包まれていた。……だが風はますます冷たくなった。帰らなくてはならない。手探りで、私は厚い扉を閉め、鉄の閂《かんぬき》をしっかとさし、それから、なおも手探りで、足もとに揺れては鳴る鋳鉄製の小さな階段を伝って、灯台の頂上に達した。そこは、いやはやなんと明るかったこと。
灯芯が六列もある大規模なカルセル・ランプを想像して見給え。その周囲を灯室《とうしつ》の内壁がゆるゆると旋回しており、内壁のある部分は巨大な水晶レンズをはめられ、また他の部分は焔を守る風除けの大きな固定ガラス戸に面して開かれている。……入ったとたんに私は眼がくらんだ。それらの銅、それらの錫、合金の反射鏡、青味がかった大きな円を描いて回転する凸レンズの壁、こうした一さいの反射光、こうした一切の光のかち合いが、一瞬、私に眩暈《めまい》を催させたのである。
しかし、次第に、眼は光に慣れてきて、私はランプの真下にさえ行って坐った。居眠りすまいと大声でプリュターク英雄伝を読んでいる灯台守のそばに。……
外は、暗黒と深淵。ガラス戸のぐるりにある小さな張出縁《バルコン》には、風がわめきながら狂人のように駈けまわっている。灯台は軋めき、海は唸る。島の突端の暗礁の上に、怒濤は砲撃のごとくとどろいている。……ときどき、眼に見えない指が窓ガラスを叩く。灯《ひ》に惹き寄せられ、ガラスに頭を打ち砕きにくるどこかの夜の鳥である。……煌々たる熱い灯室《とうしつ》の中には、焔のパチパチと鳴る音、油のポタポタ垂れる音、鎖のたぐられてゆく音、それ以外には何も聞えない。そうしてまた、デメトリウス・ド・ファレール《*****》の伝記を朗読する単調な声。
深夜十二時に、灯台守は起ち上り、灯芯に最後の一瞥をくれた。そして私たちは下りてゆく。階段の途中で、眼をこすりながら上ってくる第二当番の仲間に出会う。水筒とプリュターク英雄伝とが手渡される。……それから、寝床にもぐる前に、私たちは、ちょっとの間、鎖や大きな分銅や錫製の貯水槽《タ ン ク》や綱などのぎっしりつまった奥の部屋に入った。そこでは、灯台守が、小さな手提ランプの明りをたよりに、いつも開いたままになっている大きな灯台日誌に、こう書き込むのであった。
「午前零時。海荒る。暴風。沖に船影見ゆ。」
* サンギネール――コルシカ島アジャクシオ湾頭四つの島。その最大の島に灯台あり。
** ブイヤベース――マルセーユ料理。種々の魚を野菜や油やサフランと一しょに水または白葡萄酒で煮たもの。
*** アイヨリ――プロヴァンス料理。砕いたにんにくとオリーヴ油でつくりマヨネーズソースで味をつける。
**** スコパ――コルシカ人の好むトランプの勝負の一種。
***** デメトリウス・ド・ファレール――紀元前二七三年に没したギリシヤの政治家。プリュターク英雄伝所載。
セミヤント号の最後
先夜のミストラルはわれわれをコルシカ島の沿岸に放り出してくれたので、今日はついでに、あの島の漁師たちがよく夜噺にしゃべる、恐ろしい一篇の海洋物語を語らせて貰おう。この物語に関しては偶然にも私は極めて奇怪な詳報を聞き込んだのである。
……あれからもう二、三年になる。
私は当時、七、八人の税関水夫と一しょに、サルジニア沖を航海していた。不慣《ふなれ》な者にはつらい旅だった! 三月まるひと月、凪の日は一日もなかった。東風が私たちの後ろからしつこく吹きつけてきて、海の怒りは鎮まらなかった。
ある夕方、嵐を未然に避けて、私たちの船はボニファシオ海峡《*》の入口の、密集した小さな島々の間へ逃げ込んだ。……あたりの眺めは何一つ心をたのしませるものがない。鳥の一杯むらがっている禿げた大岩、苦蓬《にがよもぎ》の茂っている叢、乳香樹の藪、そうして、ここかしこ、泥の中には、朽ちかけている木材の切れっぱし。しかし、実際のところ、夜を過ごすには、この不気味な岩だらけの土地も、甲板が半分しかない老朽船の、大波がざぶりと押し入ってくる船室よりはまだましなので、私たちはその地に甘んじたのである。
上陸するとすぐ、水夫たちがブイヤベースを作るために火を焚いている間、船長は私を呼んで、島のはずれの、霧にとざされた白い小さな石囲いを指さしながら、
――墓地へ行ってみませんか?」といった。
――墓地ですって、リヨネッチ船長! じゃここはどこなんです?」
――ラヴェッツィ群島ですよ。セミヤント号の六百人が葬ってあるのはここです。彼らの乗っていた帆走戦艦《フリゲート》は同じあのあたりで難破したのです、十年ほど前に。……気の毒な連中です! 墓を訪ねる人なんかめったにありはしませんよ。私たちはちょうどここへ立ち寄ったのですから、せめてちょっとでも弔ってゆきましょう……」
――ええ、船長、喜んで」
セミヤント号の墓地は何と侘しいものだったろう!……小さな低い垣、錆びついて開《あ》けにくい鉄の扉、ひっそりとした礼拝堂、草に埋《うも》れた何百という黒い十字架、いまでもその墓地の情景はまざまざと眼に浮ぶ。……百日草の花環もなければ、供え物もなかった! 何一つなかったのだ。……ああ! 見捨てられた哀れな死者たち、知らぬ他国の墓の下で彼らはさぞかし寒くてたまらないことだろう!
私たちは跪いたまましばらくそこにいた。船長は大声でお祈りをした。唯一の墓守である大きな鴎が、私たちの頭上を旋回し、そのしゃがれた啼き声を海の慟哭《なげき》に交えていた。
お祈りが終ると、私たちは、船のつないである島の一角へしょんぼりと帰ってきた。二人の留守中、水夫たちは時間を無駄に費してはいなかった。大きな焚火が岩陰で燃え、鍋からは湯気の昇っているのが眼についた。みんなは車座になって、足を火に暖めた。そしてまもなく、たっぷり汁に浸した二きれずつの黒パンを、各自赤い陶器のお碗によそって、膝の上にのせた。黙々たる食事だった。着物は濡れていたし、腹はへっていたし、それに墓地の近くだったものだから。……だが、お碗が空《から》になると、みんなはパイプに火をつけてぼそぼそとしゃべりはじめた。話はおのずからセミヤント号のことになった。
――それにしても、どうしてそんなことが起きたのです?」と、私は、頭を両手で抱えて思いに沈んだ様子で焔を見つめている船長に訊ねた。
――どうして起きたのですかって?」とリヨネッチ船長は深い溜息を洩らしながら答えた。「ああ! この世で誰一人それを説明できる者はおりますまい。わかっているのは、セミヤント号が、クリミヤへの軍隊を乗せ、前日の夕方、悪天候を冒して、ツーロンを出帆したということだけです。夜になっても時化《し け》は募るばかりでした。今まで一度も出遭ったことがないような、風と、雨と、大波でした。……朝になると、風は少し落ちましたが、波は依然として高く、おまけに、四歩離れたら舳の灯《ひ》さえ見分けがつかないような憎らしい濃霧の奴が発生したのです。……その濃霧ってものは、想像もつかないほど陰険な奴なんですよ。……でもそんなことは問題じゃないのでして、私はセミヤント号が、朝のうちに舵を失くしたに相違ないと思いますな。なぜって、霧が原因というわけじゃないんですから。破損さえしていなければ、船長は決してここに乗り上げたりしなかったでしょう。私たちがみんなよく知っているやかましい船乗りだったのです。彼は三年間コルシカ島で碇泊所の采配をふるっていて、そうです、他のことは知らなくてもそれだけには詳しいこの私と同じくらい、コルシカ島の海岸線には精通していましたっけ」
――で何時ごろセミヤント号は難破したのでしょう?」
――お昼ごろだったに相違ありません。そう、昼の日中でした。……ところがあいにくと、例の海の霧で、真昼間とはいいながら、狼の口に入ったも同然、闇夜と大差なかったのです。……海岸の一税関吏が私に話してくれたところによると、その日、十一時半ごろ、外れた鎧戸をはめようと小屋から出ると、一陣の突風に帽子をさらわれたので、自分までが怒濤にさらわれそうになるのも構わず、磯伝いに四つん這いになってそれを追っかけはじめたそうです。ご承知でしょう! 税関吏なんて金持じゃありませんから、帽子一つだって高いものです。ところがこの男が、ひょいと頭を上げたとたん、帆を下ろした一隻の巨船が、ラヴェッツィ群島のほうへ風に押し流されてゆくのが、すぐ間近に、濃霧の中に見えたような気がしました。その船は猛烈なスピードで走り去って行ったので、税関吏がよく見極める余裕は殆どなかったのです。しかしながらいろいろ考えてみるに、それはまさにセミヤント号であったと思われます。というのは、それから半時間後に、島の羊飼が、あそこの岩の上で耳にした響は、……おや、噂をしているその羊飼がちょうど来合せました。奴さんが自分で話をしてくれるでしょう。……今晩は、パロンボ!……こっちへ来て少しおあたり。遠慮することはないよ」
最前から私たちの焚火のまわりをぶらついている姿を見て、私は島に羊飼がいるなんて知らなかったから、乗組員の誰かだろうと思っていたのだが、その、頭巾をかぶった一人の男が、おそるおそる私たちに近寄ってきた。
それは年とった癩病患者で、殆ど白痴といってもよく、何か壊血病にでも冒されたのだろうか、厚く突き出た大きな唇をして、見るからに恐ろしい男だった。船長はどういうことが話題になっているかをやっとのことで彼に説明した。すると爺さんは、病気の唇を指で持ち上げながら、私たちに話してくれたのである。実際、当日のお昼ごろ、岩の上でメリメリッという物凄い響が爺さんの掘立小屋の中まで聞えたそうだ。島はすっかり水をかぶっていたので、外に出ることはできなかった。で、戸を明けて、波に打ち上げられた船の破片と死骸とで足の踏み場もない浜辺を眼にしたのは、やっと翌日になってからであった。爺さんは肝をつぶして、ボニファシオ町《**》へ人を呼びに行こうと、自分の小舟の方へ走って逃げたそうである。
しゃべりくたびれて、羊飼は坐り込んだ。そこで船長が再び言葉を続けた。
――そうです、私たちに知らせにきたのはこの気の毒な爺さんでした。恐怖のために殆ど気ちがいになっていました。そうしてその事件のショックで、彼の頭はいまだに調子が狂ったままです。全く無理もない話です。……想ってもごらんなさい、木のかけらや帆の断片《きれはし》などとごっちゃになって、砂の上に六百人の死骸が折り重なっていたとは。……哀れなセミヤント号……海がこの船を打ち砕いてしまったのです。しかもよくまああんなに粉々にしたもので、その破片の中から、羊飼のパロンボは、自分の小屋のまわりに板囲いを作る材料をやっとのことで見つけ出せたほどなんです。……人間はと見れば、誰もみな殆ど顔の形が変っていて、手足は無惨に〓ぎ取られていました。……次々と鈴生りにつながり合っているのは見るからに哀れでした。……私たちは正装した艦長、首に襟垂《ストラ》を懸けた従軍司祭を認めました。片隅には、岩と岩との間に、一人の少年水兵が、眼を見開いたまま横たわっていました。……まだ生きているかと思われるくらいでしたが、いや、そうではなかった! 一人として逃れられない運命だったのです。……」
ここで船長は話を切って、
――気をつけろ、ナルジ! 火が消えるぞ」と叫んだ。
ナルジは燠《おき》の上にタール塗りの板ぎれを二、三枚投げ込んだが、それが燃え上るとリヨネッチは続けた。
――この物語で最も悲惨なのは、次に申し上げることです。……この椿事の三週間前、セミヤント号と同様にクリミヤへ行く一隻の小さな三等軍艦が、同じようないきさつで殆ど同じ地点で難破しました。ただ幸いにも、その時は、私たちが乗組員及び同船した二十人の輜重兵たちを首尾よく救助することができたのでした。……気の毒に兵隊さんたちは陸地とは勝手がちがったわけです! 私たちは彼らをボニファシオに連れてゆき、私たちと一しょに二日間『船員会館《マ リ ー ヌ》』に泊めて、介抱してやりました。……すっかり服も乾き、元気に起き上れるようになると、彼らは、さようなら! ご機嫌よろしく! こういってツーロンに帰ってゆき、しばらくすると、そこから更めてクリミヤさして船に乗せられました。……何という船か当ててごらんなさい!……それがセミヤント号なんです。……私たちは彼ら全部が、二十人が二十人とも、この場所で、死者たちの中に横たわっているのに再会したというわけです。……私は粋な口髯を生やした快男児の伍長を自分の手で抱き起しました。金髪のパリジャンで、以前私が宿舎に寝かしてやった男ですが、いつも冗談話をしては私たちを笑わせたものでした。……その男をここで見かけるとは、胸の張り裂けるような気がしました。ああ! 聖母さま《サンタ・マドレ》!……」
ここで律義なリヨネッチは、すっかり感慨に耽って、パイプの灰を落し、私にお休みなさいといいながら、自分の合羽にくるまって寝ころんだ。……その後なおしばらくの間、船員たちは声を落して内緒話を交わしていた。……やがて、一つまた一つと、パイプの火は消えて行った。……もう話し声もやんだ。……羊飼の爺さんは立ち去った。……そうして私はただひとり、眠っている船員たちの間で、いつまでも夢想に耽っていたのである。
聞いたばかりの悲惨な話の印象がなお消えやらぬうちに、私は難破したこの哀れな船と、鴎だけが目撃したこの断末魔の情景とを、再び心の中に組み立てて見ようとした。正装した艦長、従軍司祭の襟垂《ストラ》、二十人の輜重兵、こういった幾つかの、私の胸を打った具体的な事柄が、私にこの悲劇《ドラマ》の一さいの顛末を判断させる助けとなった。……私は夜陰にツーロンを出帆した帆走戦艦《フリゲート》を瞼に描いた。……艦は港を出る。海は荒れてひどい風だ。しかし勇敢な船乗りが船長をしているのだから、全員は船の中で高枕である。……
朝になると、海の上に濃霧がたちこめた。みんなは不安になり出した。乗組員はすべてデッキに出ている。艦長は上部後甲板を離れない。……兵隊たちの閉じこめられている中甲板の船室は暗くて、空気は蒸暑い。二、三の者は病気に罹って、背嚢を枕に横たわっている。船は恐ろしく縦揺《ピツチング》する。立っていることは不可能である。みんなは三々五々寄り集まって、床《ゆか》に坐ったまま、腰掛にしがみついては話をしている。大声を出さなければ相手に通じない。ぼつぼつ怖がり出した者もいる。……まあ聞けよ! この辺の海岸じゃ難船なんてしょっちゅうなんだぜ。そう語るのは例の兵士たちで、その話を聞くと気が落ちつくどころではない。特に伍長は、いつも駄法螺を吹くパリジャンで、得意の冗談を飛ばしてはみんなに鳥肌を立たせるのである。
――難船だって!……いや難船ってとても愉快なものさ。凍るような冷たい水に浸《つか》ればそれでもういいんだ。それからボニファシオへ連れてって貰い、リヨネッチ船長のとこでつぐみをご馳走になるだけの話だよ」
これを聞いて兵隊たちは笑う。……
と、突然、メリメリッという響。……「何だ? 何が起きたんだ?……」
――舵がもげてしまった」とずぶ濡れになった一人の水兵が中甲板を走り抜けながらいう。
――舵はお発《た》ちか、ボン・ボワイヤージュ!」と冗談に余念のない伍長が叫ぶ。だがこのせりふにはもう誰も笑わない。
デッキの上では大騒ぎである。濃霧のためにお互の顔も見えない。船員たちはおびえて、手探りで、右往左往している。……舵はなくなった! 操縦は不可能だ。……セミヤント号は押し流されて風のように走ってゆく。……税関吏が艦の通って行くのを見たのはこの時である。十一時半だ。帆走戦艦《フリゲート》の舳《へさき》に、巨砲のような轟音が聞えた。……暗礁だ! 暗礁だ! もう駄目である、もはや一縷の望みも失せた、船は真直ぐに海岸へ進んでゆく。……艦長は自分の船室に下りてゆく。……やがてすぐに引っ返してきて、再び上部後甲板の位置に就く、――正装して。死出の旅路に立派な服装をしたかったのである。
中甲板の船室では、兵隊たちが、不安に駆られ、ひと言も口を利かずに、互に顔を見合わせている。病人たちは起き上ろうと努める。小柄の伍長ももう笑わない。そのとき、戸が開いて、従軍司祭が襟垂《ストラ》を懸けて入口のところに現われた。
――皆さん、跪きなさい!」
全員それに服従する。司祭はよく響く声で臨終のお祈りを始める。
不意に、物凄い激動、叫喚、ただ一つの叫喚、大きな叫び声、差しのべた腕と腕、すがり合う手と手、死の幻影が稲妻のように横ぎってゆく愕然たる眼差。……
ああ、万事休す!……
こんな具合に私は一夜を夢想に耽って過ごした。その破片が私を取り巻いている哀れな船の魂を、十年の昔から喚び起しながら。……遠くでは、海峡の中に、嵐が荒れ狂っている。露営の焚火の焔は疾風になびいている。そして私は、自分たちの船が纜《ともづな》を軋ませながら岩の根元で躍っているのを聞いていた。
* ボニファシオ海峡――コルシカ島とサルジニア島の間の海峡。
** ボニファシオ町――コルシカ島南端の町。
税関吏
私がそれに乗ってラヴェッツィ群島へ例の陰惨な航海をしに行った、ポルト・ヴェッキオ港《*》のエミリー号という船は、税関所属の古ぼけた端艇《ボート》で、甲板は半分しかなく、そこには風と波と雨とを避けるために、タール塗りの小さな船室が一つあるばかり、その室内の手狭なことは、辛うじて一脚のテーブルと二つの小寝台を容れられるだけであった。従って時化のときの船員たちのみじめさといったらなかった。顔には雨がだらだらと伝わる。びしょ濡れの作業服は乾燥室の中の下着のように湯気を立てる。こうして冬の最中にも、この気の毒な連中は、まる一日じゅう、夜中でさえ、濡れた腰掛にうずくまり、身体に毒な湿気の中でいつも顫えて過ごすのである。船の上では火は焚けないし、往々にして岸に乗りつけることも期待しがたい状態だったから。……ところでこの連中のうち誰一人として不平を鳴らす者はなかった。どんなにひどい天候のときでも、私の見た船員たちは、いつも同じように穏かで、同じように上機嫌だった。だがそうはいうものの、これら税関水夫たちの生活は、なんと悲惨なものだったろう!
大抵みな妻帯者で、女房や子供たちを陸に残したまま、幾月も家をよそに、この危険極まる沿岸を、風を間切《まぎ》って帆走しつづけるのである。身を養うものといったら、黴《かび》の生えたパンと野生の玉葱ばかり。葡萄酒もなければ肉類もない。というのは葡萄酒や肉類が高い上に、彼らは年に五百フランしか給料を貰えないのだから! 年に五百フラン! それじゃ彼らの港町の小屋はどんなに汚いか知れないね、子供たちははだしで歩き回っているに相違なかろうと、こう諸君は考えるだろう!……しかしそんなことは問題じゃないのだ! この連中は誰もみな満足しているように見えるのだ。艫《とも》には、船室の前に、雨水の一杯入っている大きな桶があって、乗組員たちはそこへ水を飲みにくるのだが、私は今でも思い出す、最後の一口まで飲み終えると、この気の毒な連中の一人一人が、すっかり満足して「ああ、旨かった!」と言いながら湯呑を振っていたのを。このご満悦の表現は、滑稽でもあるし同時にまたほろりともさせられた。
みんなの中で一番陽気で一番嬉しそうなのは、パロンボと呼ばれる、陽にやけた、ずんぐりとした、ボニファシオ生れの一人の男だった。この男は唄ばかり歌っていて、どんな荒天のときにもそれをやめなかった。波がひどくなり、暗く低く垂れこめた空が霙《みぞれ》をはらみ、一同が空を仰ぎながら帆の下隅の綱具に手をかけて、まさに吹かんとする疾風を待ち受けていると、そのとき、船中の深い沈黙《しじま》と不安の中から、パロンボの落ちついた歌声が聞えはじめるのであった。
いえいえ、殿さま、
それじァ冥利に尽きまする。
リゼットはただ おとォ……なしく
残っておりましょ このォ……村に……
そうして突風が、船具を唸らせ、船を揺り動かして波を浴びせ、いかに吹きまくろうとお構いなく、パロンボの唄は波頭にただよう鴎のように揺られながら続けられた。時には風の伴奏が強すぎて、歌詞が聞きとれなくなることもあった。しかし、次々にばさりとかぶさってくる怒濤の間、甲板から排《は》けてゆく潮水《しおみず》の流れの中に、あの短かい反覆句《ルフラン》は、絶えず戻ってくるのであった。
リゼットはただ おとォ……なしく
残っておりましょ このォ……村に……
ところが、雨風の烈しいある日のこと、その唄が聞えないのである。めったにないことなので、私は船室から顔を出して訊ねた。
――やあ! パロンボ、もう歌わないのかい?」
パロンボは返事をしなかった。腰掛の下に寝たままで動かない。私はそばに近寄った。彼は歯の根も合わず、熱のために全身が顫えていた。
――『プントゥラ』にやられたんです」と仲間の者が悲しそうに私に告げた。
彼らが『プントゥラ』と称するのは、脇腹の痛む病気、肋膜炎のことである。鉛色のこの大空、甲板を波に洗われるこの船、雨に濡れて海豹の皮膚のように光る古いゴム外套《マント》にくるまって、転がっているこの可哀そうな熱病患者、私は今までにこれ以上痛ましい情景は見たことがない。やがて、寒気と、風と、波のうねりが、その男の病気をますます悪化させた。彼は譫言《うわごと》をいいはじめた。岸に着けなければならなかった。
長い時間と大きな努力の後に、私たちは夕方ごろ、とある荒涼たる寂しい小さな船着場に入った。数羽の斑鴎《グワイユ》が空に輪を描いて、僅かにあたりの景色を生気づけているばかり。浜辺を囲んで四方には、高い絶壁や、四季を問わず暗緑色の灌木のごちゃごちゃと茂った密林などが聳えていた。その裾には、波打ち際に、灰色の鎧戸のついた一軒の小さな白い家があった。税関の監視小屋である。この人気《ひとけ》のない土地の真中に、制帽のように番号のついているこの官有の建物は、何となく不吉な気を起させるのであった。みじめなパロンボが下ろされたのはここである。病人に対し何という侘しい救護所だろう! 家の中では税関監守が炉ばたで細君や子供たちと食事をしているところだった。彼らはみな憔悴した黄色い顔付をしていて、大きく見ひらいた眼のまわりには熱のために隈《くま》ができていた。乳呑児を抱いたまだ若い母親は、私たちに話をしながら寒さに顫えていた。
――ここは怖るべき職場なんですよ」と監督官が小声で私に告げた。「われわれは二年目ごとに監守を替えなければならないのです。マラリヤ熱に蝕まれてしまうので……」
それはさておき、今はお医者に来て貰うことが問題だった。お医者はサルテーヌより手前にはいなかった。つまりここから六里か八里さきである。どうしたらいいだろう? 船員たちはもう疲れきっている。子供たちの一人を遣るには遠すぎる。そのとき細君が戸外《そ と》のほうに向いて呼んだ。
――セコ!……セコ!」
見ると背の高くて姿の好い一人の若者が入ってきた。褐色の羅紗の縁無し帽をかぶり、山羊の毛の「合羽《プローヌ》」を着て、見るからに密猟者か「お尋ね者」といったタイプである。船から下りる際、私はすでに、この男が火のついたパイプをくわえ、両足の間に銃を挟んで、戸口の前に腰を下ろしているのに眼をつけていた。しかし、彼は、なぜだか知らぬが私たちが近づくと逃げてしまった。たぶん私たちが憲兵を連れているとでも思ったのだろう。彼が入ってくると、監守の細君は少々顔を赧らめた。
――わたしの従弟でございます……」と彼女は私たちにいった。「この男なら灌木地帯《マ    キ》の中で道に迷う気遣いはございません。」
それから彼女は病人を指さしながら、声をひそめて彼に話をした。男は黙々と頷いて、外に出て、口笛で犬を呼び、銃をかついで出発した。長い脚で岩から岩へと跳び移りながら。
とかくするうちに、監督官のいるためにおびえていたらしい子供たちは、栗の実と「ブリュキオ」(乳酪)との夕食をそそくさと済ました。そうしてここでも相変らず水であった。食卓の上には水しかなかった! この子供たちにとって、葡萄酒の一杯なりとあれば、とても嬉しいことだったろうが。ほんとに可哀そうに! やがて母親は彼らを寝かせるために二階へ上って行った。父親は、大きな手提ランプを点して海岸を巡視しに行き、そして私たちは炉ばたに残って、沖の大波にまだ揺られてでもいるように粗末な寝台の上でもがいている、例の病人を看護していた。少しでも『プントゥラ』の苦しみを和らげてやろうと、私たちは磧石や煉瓦を温《ぬく》めて彼の脇腹にあてがった。私が一、二度寝台に近寄ると、気の毒な男は私だということがわかって、感謝の意を示そうと、辛うじて手を差し伸ばした。ざらざらした、しかも火の中から取り出した煉瓦のように熱い、大そうごつい手であった。……
何という侘しい宵! 戸外《そ と》は、日没と同時に再び時化模様となった。波の砕け散る音、寄せ返す音、飛沫《しぶき》のほとばしる音、まさに岩と水との戦いであった。ときどき、沖から吹きつける突風が、湾の中まで滑り込んできて、この家を包囲する。急にぱっと燃え上る焔の色でみんなはそれと察するのである。暖炉のまわりに集って、広々とした海面と涯しない水平線とを見慣れたあの平静な表情で火を見つめている船員たちの陰鬱な顔を、その焔は不意に照らす。時にはまた、パロンボが静かに呻くことがある。するとみんなの眼は、可哀そうな仲間が家族から遠く離れて、寄るべもなく死にかかっている、その暗い片隅のほうを振り向くのである。みんなは胸が一杯になって、あたりに聞えるほどの深い溜息を洩らす。忍耐強くて優しい、海に働くこれらの人々が、身の不運を感じて洩らすものといえば、ただこの溜息ばかりであった。反抗もなければストライキもない。溜息、ただそれだけである!……いや、そうではなかった、私は間違っていた。小枝を火に投げ入れようとして私の前を通り過ぎながら、彼らの一人は沈痛な声で低く私に囁いたのだ。
――ねえ、おわかりでしょう、旦那、……手前どもの職業にはときどき苦しいことがどっさりあるんでしてね!」
* ポルト・ヴェッキオ――コルシカ島東南部の小港。
キュキュニャン町の司祭
毎年、聖燭節《*》には、プロヴァンスの詩人たちは、きれいな詩や気のきいた小話《コント》を満載した愉しい小冊子をアヴィニョンで発行する。本年度の号がいま私のところに届いたが、私はその中にすばらしい一篇の寓話詩を見つけたので、少し約《つづ》めて、フランス語に翻訳して聞かせて上げようと思う。……パリジャン諸君、さあ籠を出し給え。このたび諸君に差上げようというのは、プロヴァンス生粋の、上等の小麦粉ですよ。……
マルタン師は司祭さまでした……キュキュニャン《**》という町の。
パンのように立派で、黄金のように純粋なこの方は、キュキュニャンの町の人々をさながら慈父のような気持で愛しておられました。町の人々がもう少し満足をお与え申したなら、司祭さまにとって、管区のキュキュニャンという町は地上の楽園だったことでしょう。ところが、いやはや! 教会の告白室には蜘蛛が巣を懸け、復活祭のおめでたい日にも、その聖体盒の底には聖体パンが残っている始末でした。優しい司祭さまはこのことで心を痛められ、四散した信者たちを聖堂へ連れ戻すまでは、なにとぞ自分に寿命がありますようにと、いつも神さまにお祈りしておられました。
さて皆さんは、神さまがその願いを聞き入れられたことがいまにおわかりになるでしょう。
ある日曜日のこと、福音書朗読の後、マルタン師は説教壇へ上られました。
――信者の皆さん」と司祭さまは口をひらきました。「どうか私の言うことを信じて下さい。先だっての晩、罪障深い憐れな私は、天国の入口に立っていました。
戸を叩くと、聖ペテロさまがそれを開けて下さいました!
――おや! あなたですかい、マルタンさん、何とまあいいあんばいに……して御用というのは?
――聖ペテロさま、あなたさまは大きな名簿と鍵とをお持ちでいらっしゃいます。こんなことをお訊ねしてはあまり詮索好きで恐縮ですが、一体何人ほどキュキュニャン町の人たちがこの天国にいるものやら、どうか私にお教え下さいませんでしょうか?
――あなたの申出を断る筋は毛頭ありませんよ、マルタンさん。まあお掛けなさい、二人で一しょに調べて見ましょう。
こういって聖ペテロさまは厚い名簿を手にとると、それを開いて、眼鏡をおかけになりました。
――ちょっと見てみましょう。キュキュニャンといいましたな。キュ……キュ……キュキュニャン。ほら、ここです。キュキュニャン……マルタンさん、この頁は真白ですよ。一人もいません。……七面鳥の胃袋に魚の骨が一本もないように、キュキュニャンの人は一人だっていやしません。
――なんですって! キュキュニャンの人がここに一人もいないんですって? 一人も? そんなことがあってなるものですか! もっとよくご覧になって下さいまし……
――一人もいませんよ、司祭さん。わしが冗談でもいっているのだとお思いなら、自分でご覧になるがよろしい。
本当だ、ああ、なさけない! 私は地団太を踏み、それから、掌《て》を合わせて、お慈悲を、と叫びました。すると聖ペテロさまがおっしゃるには、
――わしを信じなさい、マルタンさん、そんなに気を顛倒さしてはいけませんよ、卒中でも起すと身体に毒ですからね。とにかく、あなたの落度じゃないんです。ね、キュキュニャンの人たちは、たしかに、ちょっとのあいだ煉獄に隔離されていなければならないのです。
――ああ、聖ペテロさま、お慈悲でございます。せめて私が彼らに会って慰めてやることができるようにして下さいまし。
――いいとも、さあ、早くこのサンダルをはきなさい。道があまりよくないからね……そうそう、それでよろしい。……さてそれから、真直ぐに前へと進んでゆきなさい。向うの、突き当りに、曲り角があるでしょう? 黒い十字架を一面にちりばめた銀の扉がそこで目につきますよ……右手のほうに。……そこを叩くと開けて貰えるでしょう。……じゃさようなら! ご達者に元気でね。
で私は歩いて行きました……ぐんぐん歩いて行きました! なんとまあ疲れる道だったことでしょう! 思い出すだに鳥肌が立ちます。茨が生い茂り、光る蜂鳥《はちどり》やしゅうしゅう音を立てる蛇がうようよといる一本の小径が、私を銀の扉のところまで連れて行ったのです。
――ドンドン! ドンドン!
――誰? としゃがれた悲しげな声が応じました。
――キュキュニャン町の司祭でございます。
――なに、どこの……?
――キュキュニャン町の。
――おや、そう!……お入り。
私は入りました。背の高い、美しい一人の天使が、夜のようにくすんだ色をした翼をつけ、昼のように光り輝く衣を着て、帯にはダイヤの鍵を吊し、聖ペテロさまのそれよりももっと厚い大きな名簿に、何やらこつこつ書き込んでいました。
――で、何のご用、何のお願いですか? と天使はいいました。
――天使さま、大へん立ち入ったお話で恐縮ですが、――私は知りたいのでございます、――ここにキュキュニャンの人たちがいるかどうかを。
――え……?
――キュキュニャンの人たち、キュキュニャン町の連中でございます。……私が彼らの司祭だもんで。
――ああ! マルタン師ですね。
――さようでございます、天使さま。
――さてキュキュニャン町とか言われましたな……
こういって、天使は大きな名簿を開き、頁をめくりました。紙がよく滑るようにと唾で指を濡らしながら……
――キュキュニャンは、と天使は長い溜息を洩らしつつ申しました、……マルタンさん、煉獄にはキュキュニャンの人たちは一人もいませんよ。
――エスさま! マリアさま! ヨゼフさま! 煉獄にもキュキュニャンの人たちは一人だっていない! 何たることだ! じゃ一体どこにいるのでしょう?
――ええと! 司祭さん、彼らは天国にいるのですよ。一体、どこにいたらいいとおっしゃるのです?
――だって私はそこから来たのですもの、その天国から……
――天国から来たのですって!……それで?
――それで、彼らはそこにはいなかったのです!……ああ! 優しいマリアさま!……
――致し方ありませんね、司祭さん! 天国にも煉獄にもいないというのなら、その中間というのはないのですから、きっと彼らは……
――えッ! ダビデの子、エスさま! これはしたり! そんなことってあり得るでしょうか?……聖ペテロさまは嘘をつかれたのだろうか?……それにしても鶏の歌うのは《***》聞えなかったが! やれ、なさけないことだ! わがキュキュニャンの人たちが天国にいないとすると、私もどうやってそこへ行かれよう?
――まあお聴き、可哀そうなマルタンさん、あなたはぜひとも一さいをたしかめたい、事の顛末を自身の眼で見たい、とこう望んでおられるのだから、この小径を行きなさい。走ることができれば、走って行きなさい。……すると、左手に当って、大きな玄関が見えてくるでしょう。万事そこでお訊ねなさい。神さまが教えて下さいます!
こういって天使は扉を閉めました。
それは真赤な燠《おき》を一面に敷きつめた長い小径でした。私はお酒でも飲んだあとのようによろめきました。一足ごとにつまずいて、汗びっしょりになり、全身の毛の一本一本が汗の滴を垂らし、私はのどが渇いて息が切れました。……しかし、実際、親切な聖ペテロさまの貸して下さったサンダルのおかげで、足に火傷《やけど》はしないで済みました。
跛《びつこ》をひきひき、幾度もつまずいた挙句、私は左手に、一つの門を……いや、一つの玄関、大きなかまどの口のようにぱっくりと開いている巨大な玄関を認めました。ああ! 皆さん、何という眺めだったでしょう! そこでは、誰も私の名前を訊ねたりはしません。帳簿なんてものもありません。ぞろぞろと入口をふさいで、人々は中へ入ってゆきます。皆さん、日曜日にあなたがたが居酒屋へ入ってゆくみたいに。
私は大粒の汗をかいていましたが、そのくせちぢみ上って、がたがた顫えていました。髪の毛は逆立ちました。焦げくさい匂い、肉の焼ける匂い、蹄鉄工のエロワが蹄鉄《て つ》をはめるために年とった驢馬の蹄を焼くとき、わがキュキュニャンの町に拡がるようなある匂いがしていました。私はこの臭い焦げついたような空気の中で息がつまりました。恐ろしい喧騒と、呻き声と、怒号と、冒涜の言葉が耳に入りました。
――おい! 貴様、入るのか入らないのか?――と、角の生えた悪魔《デモン》が、鉄叉《てつまた》で私をつつきながら訊ねるのです。
――私ですか? 入りません。私は神さまの友達です。
――神さまの友達だと、……ふん! 白癬《しらくも》じじいめ! ここへ何しにやってきた?……
――私は、ああ! そんなことは聞かないで下さいまし。私はもう立っていることもできませんので。……私は、……私は遠方からやってきました、……折入ってあなたさまにお訊ねしようと、……もしや……もしや、ひょっとして、……ここに……誰か……キュキュニャン町の誰かがおりますかどうかを……
――えい! しゃらくさい! ふざけるにもほどがある、貴様、ここにキュキュニャンの奴らが全部いるのを知らないとでもぬかすのか。さあ、みっともない鴉坊主め、とくと眺めるがよい、さすれば貴様は、悪名高きキュキュニャンの奴らがここでどんな目に会っているかがわかるだろうて……
こうして私は見ました、渦巻く恐ろしい紅蓮の炎の真っ只中に、
のっぽのコック・ガリーヌを、――皆さんどなたも顔見知りだった、――あの、しょっちゅう酔っぱらって、しょっちゅう可哀そうな娘のクレーロンを折檻していたコック・ガリーヌを。
私は見ました、カタリネを、……たった一人で納屋に寝ていた……獅子っ鼻の……あの淫売娘を。……皆さん、覚えがあるでしょう!……いや、先へ進みましょう、ちと言葉が過ぎました。
私は見ました、ジュリアンさんのオリーヴの実で自分の油を作っていた、《松脂《や に》指《ゆび》》のパスカルを。
私は見ました、自分の束をもっと早くたばねようとして、拾う拍子に、藁束の山から握れるだけ藁を引き抜いていた、落穂拾いのバベを。
私は見ました、自分の手押車の車輪にだけはたっぷり油を塗っていたグラパジ親方を。
それから、わが家の井戸水をめっぽう高く売りつけていたドーフィーヌを。
それからまた、私が重病人に聖体を授けにゆくのに出会うと、三角帽をかぶり、パイプをくわえ……アルタバン《****》のように威張りくさって、……犬にでも出会ったように素知らぬ顔で道を歩いて行った捩足先生《ル・トルテイヤール》を。
さらにまた、情婦のゼットを連れているクローを、それからジャックを、それからピエールを、それからトニーを。……」
衝動を受け、恐怖に蒼ざめた聴衆は、開け放された地獄の中に、それぞれ、父親や、母親や、お祖母さんや、お姉さんを見て、呻き声を立てました。……
――よくおわかりでしょう、皆さん」と、優しいマルタン師は語を継がれました。「こんなことが続いてはいけないということがよくおわかりでしょう。私は皆さんの魂をお引き受けしております。だから、皆さんが一人残らずまっさかさまに転げ落ちようとしていらっしゃる奈落から皆さんをお救いしたいものと、せつにせつに望む次第です。明日から私は仕事に着手します。明日からさっそくです。しかもその仕事というのはそれからそれへとどっさりあるのです! 次のようにやってのけましょう。万事をうまくやるには、何事も順序よく運ばなくてはなりません。ジョンキエールでダンスをするときのように、順々にやりましょう。
明日の月曜日には、私は爺さんや婆さん方の懺悔を聴きましょう。それは何でもありません。
火曜日には、子供たち。これもすぐすんでしまうでしょう。
水曜日には、若い衆と娘さんたち。これは手間どるかも知れませんな。
木曜日は、殿方。手短かに切りをつけましょう。
金曜日は、ご婦人方。長話は禁物! と申し上げましょう。
土曜日は、例の粉挽き!……この男一人のために一日を当てても永すぎはしません。……
こうして、日曜日に一さい片付いてしまっていたら、私たちは大そう幸福なことでしょうね。
皆さん、麦が熟したときには、それを刈らなくてはなりません。葡萄酒は栓を抜いたならば、飲まなくてはなりません。この町には汚れた下着類が相当たまっておりますから、洗濯することがかんじんです。よく洗濯することがかんじんです。
私は皆さんに主のお恵みをお祈りいたします。アーメン!」
言われた通りが実行されました。洗濯が行われたのです。
この記念すべき日曜日以来、キュキュニャン町の徳行の薫りは、近在十里四方まで匂っております。
善良な司祭のマルタンさんは、幸福で、喜びに満ち、先だっての夜、こんな夢をご覧になりました。町の信者たちを全部随え、きらびやかな行列をつくって、点された大蝋燭や、馥郁と薫る香《こう》の烟や、謝恩讃美歌《テ ・ デ ウ ム》を歌う唱歌隊の子供たちに囲まれ、神の国への明るい道を登ってゆく夢を。
以上がキュキュニャン町の司祭の物語で、あのルマニーユの奴さんが、ほかの仲よしから聞いてきて、あなた方に話してくれと私にことづてしたそっくりそのままです。
* 聖燭節――二月二日聖母マリアの潔めの祝日。
** キュキュニャン――架空の地名。
*** 鶏の歌うのは――新約聖書マタイ伝第二十六章、「……爰《ここ》にペテロ盟《うけ》い、かつ契《ちか》いて『我その人を知らず』と言い出ずるおりしも鶏鳴きぬ。ペテロ『にわとり鳴く前に、なんじ三度われを否まん』とイエスの言い給いし御言《みことば》を思い出し、外に出でて甚《いた》く泣けり。」
**** アルタバン――十七世紀のフランスの小説家ラ・キャルプルネードの作品の主人公。高慢な性格を以て有名。
じいさんばあさん
――アザンおじさん、手紙かい?」
――そうです、旦那、……パリから来たんですよ」
この律義なアザンおじさんは、パリから来た手紙を配達して大得意だった。……私はそうじゃない。不意に朝っぱらから私のテーブルの上に届いたパリ、ジャン・ジャック街からのこの手紙のために、一日がまるつぶれになってしまうのじゃないかなと、どうやらそんな予感がした。果してそのとおりだった。まあ、読んでくれ給え。
「友よ、僕のために用事を一つしてくれないか。君の風車小屋を一日だけ閉めて、すぐさまエイギエールまで行ってくれ給え。……エイギエールは君のところから三、四里離れた大きな村だ。――ほんのひと散歩で行けるね。着いたら、孤児修道院と訊ね給え。修道院のすぐ次の家は、小さな裏庭のある、灰色の鎧戸のついた低い家だ。戸を叩かずに入ってゆけるよ、――戸口はいつも開けっ放しだ、――そして、入ったら、大声で、『やあ、こんにちは、皆さん! 私はモーリス君の友人です。……』と叫び給え。すると、小柄な老人夫婦が、それこそもうほんとによぼよぼの大変な年寄りが、深々と坐った大きな肱掛椅子から君のほうへ両腕を差しのばすだろう。で君は僕の代りに二人をまごころこめて抱いてやってくれ給え。君のおじいさんやおばあさんのように。それからみんなで話をするのだ。年寄りたちは僕のこと、ただ僕のことばかりを、しゃべるだろうよ。いろいろと愚にもつかない話をするだろうが、笑わずに聞いてやってくれ給え。……笑わずにだよ、大丈夫かい? この二人は僕の祖父母で、僕を杖とも柱とも頼んで暮らしているが、十年このかた僕とは会っていないんだ。……十年といえば永いね! でも致し方ない! 僕のほうは、パリが手放してくれないし、祖父母のほうは、大変な齢《とし》なんだもの。……僕に会いに来ようとしても、途中でくたばってしまうかも知れないほど、耄碌しきっているのだ。幸いなことに君がそちらに住んでいる、親愛な粉挽き君。で、君を抱けば、その可哀そうな年寄りどもも、ちっとは僕自身を抱いたような気になるだろう。……僕は祖父母にしょっちゅう手紙で知らしてあるのだよ、僕たちのことや、僕たちの深い友情のことを……」
やれやれ友情が聞いて呆れる! ちょうどその朝はすばらしい上天気だったが、道を歩き回るには全然不向きだった。やたらにミストラルが吹き、太陽がかんかんと照りつけて、正真正銘のプロヴァンス日和だった。この失敬な手紙が届いたとき、私はすでに私の cagnard《カニヤール》(避難所)を二つの岩の間に選んで、松風の音を聞きながら、とかげのように日向ぼっこをして一日じゅうじっとしていようと夢想していたのである。……しかし、こうなっては止むを得ない。私はぷりぷり怒りながら風車小屋を閉めて、猫の通る穴《シヤチエール》の下に鍵をしまった。ステッキにパイプ、さて出発だ。
二時ごろエイギエールに到着した。村はひっそりしていて、みんなは野良へ出ているらしい。埃りをかぶって真白になっている遊歩場の楡の梢は、クロー《*》の真中ででも聞くような蝉しぐれである。村役場の広場には驢馬が一匹陽を浴びているし、教会の噴水の上には鳩の群が飛んでいるが、孤児院を教えてくれそうな人影は一つも見当らない。運よくも、一人の年とった仙女が、ふと私の前に現われた。戸口の隅にうずくまって糸をつむいでいる老婆である。私は彼女に尋ね先を告げた。するとこの仙女はよほど神通力を持っていたと見えて、その紡錘《つ む》竿《ざお》を上げただけだのに、まるで魔法を使ったように忽然と孤児修道院が私の眼の前に聳えたのである。……陰気な黒い大きな建物で、尖頭形の正面玄関の上の方に、周囲に少しばかりのラテン語を刻んだ赤い砂岩の古めかしい十字架を、さも得々と見せびらかしている。この建物の横に、それよりずっと小さな一軒の家が眼についた。灰色の鎧戸、裏手の庭。……私はとっさにこの家だなと直感したので、戸を叩かずに入って行った。
涼しくて静かなあの長い廊下、ばら色に塗った仕切りの壁、明るい色の回転窓掛を越して奥に顫えている小さな庭、羽目板という羽目板に描いてあった色褪せた花々やヴァイオリンの絵模様を、私は一生涯忘れないだろう。……私はスデーヌ《**》当時のある老代官の屋敷に来たような気がした。……廊下のはずれの左手に当って、小開きの扉から、大きな柱時計のチクタク響く音と、子供の、それも小学生の、一音節ごとに区切りながら朗読する声とが聞えていた。「時…に、聖…イ…レ…ネ…叫び…給…えり、われ…は…主《しゆ》…の…小…む…ぎ…なり。…われ…は…かの…け…も…の…の…き…ば…に…噛み…砕…かる…べし。……」私は扉にそっと近寄って覗き込んだ。……
小さな部屋の静寂と薄明りとの中に、頬骨のあたりがばら色に染まり、指の先まで皺の寄った、人の好さそうな爺さんが、肱掛椅子に深々と坐り、あんぐりと口を開けて、両手を膝の上に、居眠りをしている。その足元に、青い服――大きなケープに小さな紐付帽子、修道院孤児の制服――を着た一人の少女が、身体よりも大きな本を開いて聖イレネ《***》の伝記を朗読している。……この驚嘆すべき読書は、家じゅうのものに作用を及ぼしていた。爺さんは肱掛椅子に、蠅は天井に、カナリヤは向うの窓の上の鳥籠の中に、それぞれ居眠りをしている。大きな柱時計はチクタク、チクタクと鼾をかいている。部屋じゅうで眼を覚ましているのは、鎖《とざ》された鎧戸の隙間から真直ぐに白くこぼれ落ちている、生動する火花と踊り跳ねる微粒子とに充ちた、一筋の光線の大きな帯《バンド》ばかり。……すべてがこくりこくりと居眠りをしているその中に、少女は荘重な口調で朗読を続ける。「直《ただ》…ち…に、…二匹の…獅子は、…聖…者…に…飛び…かか…り…て…その…肉を…引き…裂き…喰《くら》…いぬ。……」私が入って行ったのはその時である。……聖イレネの獅子どもがこの部屋の中に飛び込んだとしても、私が入ったとき以上の驚愕をまき起しはしなかったであろう。文字通り舞台急転! 少女はキャッと叫ぶ、大きな本は落ちる、カナリヤも蠅も眼を覚ます、柱時計は鳴る、爺さんはたまげてパッと起ち上る。ところで私自身も、少々めんくらって、大声で叫びながら閾ぎわに立ちどまる。
――やあ、こんにちは、皆さん! 私はモーリス君の友人です」
おお! とたんに、もしも諸君がこの可憐な爺さんを見てくれたなら、もしも諸君が、腕を差しのばして私のほうへ歩み寄り、私を抱き、私の両手を握りしめ、部屋の中をおろおろと歩き回る爺さんの姿を見てくれたなら。爺さんはこういっていた。
――なんとまあ! なんとまあ!」
顔じゅうの皺が笑っていた。爺さんは紅潮して口ごもるのである。
――ようこそ! ようこそ!」
それから奥のほうへ行って呼んだ。
――マメットや!」
扉の開く気配がして、廊下を廿日鼠のようにちょこちょこと走ってくる足音。……マメット婆さんであった。飾リボンの布帽《ボンネ》をかぶり、薄褐色の衣服《ドレス》を着て、私に敬意を表するため、昔流に、繍取《ぬいと》りのあるハンカチを手に持っている、この小柄な婆さんほど愛らしいものはまたとなかった。……ほろりさせられたのは、爺さんと婆さんの二人がよく似ていることである。かもじを入れて黄色いリボンを飾れば、爺さんもまたマメットと呼ぶことができたかも知れない。ただ、本当のマメット婆さんのほうは、今までの生涯にたんと泣いたことがあるに違いなかった。そうして爺さんよりももっと皺が多かった。爺さんと同じように、彼女も手許に孤児院の一少女、いつも彼女のそばから離れない青いケープをまとった可愛い護衛を置いていた。これらの孤児たちに守《も》りをされているこの老人夫婦の姿は、世にも感動的な眺めであった。
入ってくるなりマメット婆さんは、私に対して大そう丁寧なお辞儀をはじめたが、爺さんがひと言つげるとそのお辞儀は中途でとまった。
――モーリスのお友達じゃよ――」
たちまち婆さんは身体を顫わし、涙をこぼし、ハンカチを手から落して、赤くなり、真赤になり、爺さんよりも紅潮した顔になった。……この老人夫婦ときたら! 血管の中に血潮は一滴しか残っていないのに、ほんの些細な感動を受けただけでも、すぐにその血が顔に上ってくる。……
――椅子を、早く、早く、……」と婆さんは自分の女の子にいう。
――鎧戸を開けておくれ、……」と爺さんも自分の女の子に叫ぶ。
そうして両方から私の手をとって、私の顔をもっとよく見るために、大きく開け放した窓のところまで、よちよちしながら二人で私を引っ張って行った。肱掛椅子が近寄せられ、私は二人の間の折畳み椅子に席を占め、私たちの後ろには青い服の少女たちが付添って、さてそれから訊問がはじまった。
――モーリスの機嫌はいかがです? 何をやっています? なぜ来ないんでしょう? 幸福に暮らしていますかな?……」
それからそれへと、ぺちゃくちゃ! ぺちゃくちゃ! 何時間もこんな調子だ。
ところで私は、二人のあらゆる質問に、できるだけ答えてやり、友達について知っている限りの詳しい話をし、知らないことは厚かましくもつくり話をした。そして窓がちゃんと閉まっているかどうか、部屋の壁紙がどんな色であるかなどという点は気をつけたことがない、と白状するのは特に慎んだ。
――部屋の壁紙ですって! ……それは青です、おばあさん、淡青色で、花模様がついていて……」
――おや、そうですか?」と憐れな婆さんはほろりとして答えた。そしてご亭主のほうを振り向いてつけ加えた。「とてもやさしい子ですからね!」
――そうだとも! ほんとにやさしい子じゃ!」と爺さんは感激して続けた。
こうして、私の話の間じゅう、二人はお互に、うなずき合ったり、にっこりと微笑を浮かべたり、眼くばせをしたり、合点し合ったりしていた。時にはまた、爺さんが私に近寄ってこういったりした。
――もっと大声で話して下さい。……家内は少し耳が遠いので」
婆さんはまた婆さんで、
――どうぞ、もう少しお声を高く!…… 爺さんにははっきりと聞えませんから……」
そこで私は声を高めた。すると二人ともにこにこして私に感謝する。そうして、孫のモーリスの姿を私の眼の奥底にまで探ろうと私のほうへかがみこむ、この二人のしなびた笑顔の中に、私は模糊としてヴェールをかぶった、殆ど捕捉しがたい友の面影を見出して、すっかり感動したのである。遠く遠く、霧の中に、私に向って微笑んでいるわが友に出会ったかのように。
突然、爺さんは肱掛椅子から起ち上った。
――おっと、そうそう、マメットや、……たぶん昼食《おひる》が済んでないよ!」
それを聞くとマメット婆さんは、びっくりして、両腕を差し上げ、
――昼食《おひる》が済んでない!……それはそれは!」
私はやはりモーリスのことだと思ったので、律義な彼は正午より遅く昼食のテーブルに就くようなことは絶対にないと答えようとした。ところが、あにはからんや、話の対象はまさにこの私であった。そして、私が、まだ食べていません、と白状したときの騒動こそは見ものだった。
――さあさあ、子供たち、急いでお膳のお支度だよ! 食卓は部屋の真中に、それから日曜日のテーブル・クロスと、花模様のお皿じゃ。さ、そんなに笑ってばかりいないで! 大急ぎ、大急ぎ……」
少女たちは本当に急いだに相違ない。お皿を三枚割るか割らないうちに、たちまち食事の準備はととのった。
――何もございませんが充分にどうぞ!」マメット婆さんは食卓に案内しながら私にそういった。「ただあなたさまお一人だけですが、……私どもはもう今朝食べましたので」
この可哀そうな老人夫婦! 何時《い つ》訪ねて行っても、彼らは今朝食べましたというのが口癖なんだろう。
マメット婆さんの、何もございませんが充分にどうぞ、という昼食は、ごく少量の牛乳と、幾つかの棗椰子の実と、軽い焼菓子のような「バルケット」とであった。これだけあれば、婆さんとカナリヤとを少くとも一週間養うのに充分である。……ところが私一人でこの貯えをすっかり食べてしまうというのだ! だから食卓の周囲にはどんなに憤慨がもちあがったことだろう! 青い服の少女たちは、肱で押し合いながら囁くし、向うの鳥籠の奥では、カナリヤが、こう独語《ひとりごと》をいっているようだった。「おや! あの旦那が《バルケット》をみな食べちまうぞ!」
私は実際、みな食べてしまった。昔の品々の匂いのようなものがただよっている、明るいのどかなこの部屋の中で、自分のまわりを眺めわたすのに夢中だった余り、自身ではみな平らげたことに殆ど気がつかなかったが。……中でも特に、私が眼を離せなかった二つの小さな寝台があった。まるで二つの揺籃のようなこの寝台を見ると、私は、爺さんと婆さんが、朝、夜明け前に、総《ふさ》の垂れた大きな帷《とばり》の下に、まだ夜具に埋っている姿を思い浮かべた。朝の三時が鳴る。すべての老人たちが眼を覚ます時刻である。
――マメットや、眠っているのかい?」
――いいえ、おじいさん」
――モーリスはやさしい子じゃなあ」
――ええ、ほんとに! やさしい子ですとも」
寄り添って並んでいるこの老人夫婦の二つの小さな寝台を見ただけで、私はこんな風に、おしゃべりの一部始終を想像していた。……
この間に、部屋の向うの隅では、戸棚の前で、大変な劇《ドラマ》が行われていた。最上段の棚にのせてある、ブランデー漬けのさくらんぼの壜を取ろうという騒ぎである。十年前からモーリスの来訪を待っていたのだが、いまそれを私のために開けようというのだ。マメット婆さんの嘆願にもかかわらず、爺さんは自分でさくらんぼを取りに行くといってきかない。そうして、お婆さんをひどくはらはらさせながら、椅子の上に乗って、棚に手を届かせようとしていた。……その場の情景は諸君の眼にも浮ぶことだろう。顫えながら背伸びをしている爺さん、その椅子にしっかりつかまっている青い服の少女たち、爺さんの後ろで両腕を伸ばし、息をはずませているマメット婆さん、これらすべてのものの上に、開いた戸棚と堆く積み重ねた褐色のナプキンとから発散する仏手柑《ベルガモツト》の淡い薫り。……いかにも心を魅する情景だった。
大変な努力の後、とうとう、この名にし負うガラス壜を棚から下ろすことができた。そしてそれと一しょに、モーリスが幼い時分に使ったという、一面に浮彫をほどこした古風な銀杯も下ろされた。さくらんぼは私のためにその銀杯にたっぷりと盛られた。モーリスはさくらんぼが大好物だったのだ! で、私に給仕しながら、爺さんはいかにも食べたそうな様子で私の耳元にこう囁いた。
――あなたは全く仕合せなお方じゃ、これを口にすることができるなんて!……家内が自分で作ったものです。……風味は格別でございましょう」
おやおや! お手製はいいとして、婆さんは砂糖を入れるのを忘れたらしいぞ。何とも致し方がない! 年をとれば人間はぼけてくるものだ。マメット婆さん、あなたのさくらんぼは、いやもうひどいしろものでしたよ。……でも私は眉もしかめず一粒あまさず平らげてしまった。
食事が済むと、私は老人夫婦に暇《いとま》を告げようと起ち上った。彼らはやさしい孫のことを話すためにぜひもうしばらく私を引きとめておきたかったようだが、日は西に傾き、風車小屋は遠いので、私は出発しなければならなかった。
爺さんは私と同時に起ち上った。
――マメットや、服を出しておくれ!…… 広場までお送りしたいから」
マメット婆さんは、私を広場まで送ってゆくには、もはやちと冷えびえしていると内心で思ったに相違ないのだが、そんな気持はおくびにも出さなかった。ただ、爺さんの服、螺鈿のボタンのついたスペイン煙草の色をした立派な外出着に袖を通すのを手伝いながら、この可憐な婆さんが、亭主にやさしくこういっているのが聞えた。
――あまり遅くならないうちに帰っていらっしゃいよ、いいですか?」
すると爺さんのほうは、いささか意地悪な様子で、
――いやどうも! そいつはわからんぞ、……たぶんあの……」
そうして二人は顔見合せて笑うのである。二人が笑うのを見て、青い服の少女たちも笑い、籠の隅では、カナリヤもまたカナリヤ流に笑うのである……。これは私たちだけの話だが、さくらんぼの匂いで彼らはみな少々酔っていたのだろう。
……モーリスの祖父と私とが外へ出たとき、日は暮れていた。青い服の少女が、爺さんを連れて帰るために遠くから私たちの後についてきた。しかし爺さんのほうはその少女に気づかず、私の腕につかまって、いっぱしの壮年のように歩きながら大得意だった。マメット婆さんは、晴れやかな顔で、戸口の閾《しきい》のところからそれを見ていた。そうして婆さんはこちらを眺めながら、「やっぱり、うちのおじいさん! ……まだ足はたしかじゃ。」とでもいっているように、上機嫌でうなずいていた。
* クロー――ローヌ河口の東岸一帯に拡がる小石の多い不毛の曠野。
** スデーヌ――フランスの劇詩人(1719―1797)。
*** 聖イレネ――三世紀初頭に殉教したリヨンの司教。
散文で書いた幻想詩
今朝、戸を開けてみると、私の風車小屋の周囲には、真白な霜の大きな敷物が敷きつめられていた。草はガラスのようにきらめいてパリパリと音を立てていた。丘全体が寒さに顫えている。……今日一日だけ、わが愛するプロヴァンスは北国の姿に変装したのである。そうして私は、氷花《ひばな》の縁飾りをつけた松の木立や、水晶の花束となって花咲いたラヴァンド草の茂みの中で、ややゲルマン風な幻想《フアンテジー》に依る次の二つの幻想詩《バラード》を書いた。その間、霜はその白い火花を私に吹き送り、頭上では、晴れた空に、ハインリッヒ・ハイネの国から来た鵠《こうのとり》の群が、大きな三角形を幾つもつらねて、「大寒《おおさむ》……小寒《こさむ》……」と叫びながら、カマルグのほうへと下りて行った。
T 王太子の死
幼い王太子はご病気だ。幼い王太子は命《めい》旦夕に迫っている。……王国じゅうの教会という教会では、王子のご病気平癒を祈って、聖体が昼夜を分たず顕置され、大蝋燭が幾本となく燃えている。古い都の街々は、悲哀に沈んで、ひっそりとしており、もはや鐘も鳴らず、馬車も徐行で進むのである。……王宮の付近では、物見高い市民どもが、中庭で沈痛な面持をして話をしている太鼓腹した金ぴか服の衛兵たちを、柵越しに眺めている。
城じゅうが憂慮に閉されている。……侍従や大膳職は、大理石の階段を小走りに上り下りする。……廊下には、人々の群から群へと低い声でご容態を尋ね歩いている絹の衣裳を着たお小姓や廷臣たちが溢れている。……広い正面入口の段々では、涙にくれた女官たちが、繍取《ぬいと》りのあるきれいなハンカチで眼をぬぐいながら、仰々しく挨拶を交わしている。
「柑子《こうじ》の間《ま》」では、長衣《ガウン》をまとったお医者たちが寄り寄り協議を凝らしている。ガラス窓越しに、彼らの黒い長い袖の動くのや、彼らの三尾鬘《ペリユク・ア・マルトー》がもったいぶって傾いたりしているのが見える。……傅育官と近習とが扉の前をうろうろしながら、医師団の診察の結果を待っている。厨房係の小者たちが傍らを挨拶もせずに通り過ぎると、近習どのは異教徒のように悪罵を放ち、傅育官どのはホラチウスの詩を口ずさむ。……そしてその間、向うののほうでは、悲しげな長い嘶《いなな》きが聞える。それは馬丁に忘れられて、空っぽの秣桶の前で悲しそうに呼んでいる、幼い太子の栗毛の馬である。
ところで王さまは? 王さまはどこにいらっしゃるのだろう?……王さまは城のはずれの一室にたった一人で閉じこもっておられるのだ。……国王というものは泣いてるところを人に見られるのを好まない。……王妃さまとなると、話は別だ。……幼い王太子の枕もとに坐って、王妃さまは美しいお顔を涙に濡らし、一介の羅紗商人のおかみかなんぞがするように、みんなの前で大声にむせび泣いている。
レースずくめの小寝台には、身体の下に敷いている褥よりも白い王太子が、眼をつぶって横たわっている。眠っているように思われるが、さにあらず。幼い王太子は眠ってはいない。……彼は母君のほうを向き、泣いているのを見て、こう話しかける。
――お母さま、なぜ泣くの? 僕がもうじき死ぬのだと本気に思っていらっしゃるの?」
王妃さまは答えようとする。しかし涙にむせんで口もきけない。
――ね、泣かないで下さい、お母さま。僕が王太子だってことをお忘れですね、王太子がぽっくりと死ぬわけはありません……」
王妃さまは一そう激しくむせび泣く。そこで幼い王太子も怖気《おじけ》がつきはじめる。
――しいッ、もうたくさん、僕は死神に連れて行かれるのはご免です。あいつがここまでやってこられないようにしてみせましょう。……寝台の周囲を固めるために、とても強いドイツ傭兵を四十人、すぐ来さして下さい! 大きな大砲が百門、火縄には火をつけて、この窓の下で夜も昼も番をするようにして下さい! それでも敢て近寄ろうとするなら、その死神の奴に禍《わざわい》あれ!……」
王子の気に入るようにするために、王妃さまは合図をする。たちどころに、大きな砲車の轍中庭に響くのが聞え、また四十人の丈高いドイツ傭兵が、戟《ほこ》を握りしめて、病室のまわりにやってきて整列する。灰色の髭を生やした老兵たちである。幼い王太子は、彼らを見て手を打って喜ぶ。その中の一人の顔を見知っていて声をかける。
――ロランや! ロランや!」
当の老兵は寝台のほうへ一歩進み出る。
――ロラン爺《じい》、僕はお前が大好きだよ、……お前の長いサーベルをちょっと見せておくれ、……もし死神が僕をさらいにきたら、殺してやらねばならないんだから、ね。」
ロランは答える。
――さようでございますとも、王子さま……」
そうして渋皮色の頬の上にハラハラと大粒の涙を流す。
そのとき、宮廷司祭が幼い王太子に近づいて、十字架像を見せながら、低い声でしばらく話をする。太子は非常にびっくりした様子で聞いていたが、やがて不意にその話をさえぎって、
――神父さま、あなたのおっしゃることはよくわかります。ですが、僕の友達のベッポに、お金をどっさりやって、僕の身代りに死んで貰うことはできないかしら?……」
宮廷司祭は低い声で話を続ける。すると幼い王太子はますますびっくりした様子をする。
司祭が語り終ったとき、太子は深い溜息をついて再び口をきく。
――神父さま、あなたのおっしゃったことは、どれもみな大そう悲しいことです。でもただ一つ僕の慰めになるのは、あの天上の、星の光る天国に行っても、僕はやはり王太子だろうっていうことです。……僕は知っています、神さまは僕の従兄ですから僕を身分相応に鄭重に取扱って下さるでしょう」
それから太子は、母君のほうへ顔を向けて、つけ加える。
――僕の一番きれいな着物と、白い貂《てん》の胴着と、ビロードの上靴を持って来させて下さい! 僕は天使たちに会うために晴姿になりたいのです。そして王太子の服装で天国に入りたいのです」
三たび、司祭は幼い太子のほうに身をかがめて、しばらく低い声で話をする。……その説教の最中に、王子は立腹して言葉をさえぎる。
――でもそれじゃ」と王子は叫ぶ、「王太子だってことが何にもならないや!」
そうしてもうひと言も聞こうとはしないで、幼い王太子は、壁のほうを向き、くやしそうに泣くのである。
U 野原の郡長さん
郡長さんは、巡視にお出かけである。先頭には馭者、後には従僕。郡役場の馬車は、颯爽と、郡長さんを、ラ・コンブ・オ・フェ《*》村の共進会へ運んでゆく。この記念すべき日のために、郡長さんは、繍取《ぬいと》りのある立派な服を着て、小さな大礼帽をかぶり、銀筋のついたぴったりとしたズボンをはき、螺鈿の柄の式刀を吊っている。……膝の上には、型で模様を押した粒起革の大きな折鞄がのっていて、郡長さんはそれを情けなさそうに見つめている。
郡長さんは、型で模様を押した粒起革の折鞄を情けなさそうに見つめている。ラ・コンブ・オ・フェ村の住民の前でもうじきしなくてはならぬ堂々たる大演説のことを彼は考える。
――来賓諸氏並びに親愛なる郡民諸君……」
しかし、いくら頬鬚の亜麻色《ブロンド》の剛毛《こわげ》をひねっても、
――来賓諸氏並びに親愛なる郡民諸君……」と立続けに二十回繰り返しても、それはしょせん無駄である。……あとの文句が出てこない。
あとの文句が出てこない。……馬車の中はひどく暑い! ……眼路の限り、ラ・コンブ・オ・フェ村の街道は、南仏《ミデイ》の太陽の下に埃りを立てている。……大気は灼けついている。……そして真白な埃りにまみれた道ばたの楡の梢では、無数の蝉が、木から木へと鳴き交わしている。……と突然、郡長さんは小躍りして喜ぶ。向うの小山の麓に、彼にウインクしているらしい常緑槲の小さな森が眼についたのである。
常緑槲の小さな森が彼にウインクしているらしい。
――郡長さん、こちらへいらっしゃいな。演説の草稿を作るには、わたしの樹蔭の方がずっといいことよ……」
郡長さんは誘惑に負けてしまう。彼は馬車から飛び下りて、従者たちに、これからあの常緑槲の小さな森の中で演説の草稿を作るのだから待っているようにといいつける。
常緑槲の小さな森の中には、鳥がいる、すみれがある、小草の下に泉も流れている。……きれいなズボンをはいて、型で模様を押した粒起革の折鞄を持った郡長さんの姿を見たとき、鳥はおびえて歌をやめ、泉はもはやせせらぎの音を立てようともせず、すみれは芝草の蔭に身をひそめた。……この可憐な連中は今まで一度も郡長さんを見たことがなかったので、銀筋入りのズボンをはいて散歩しているこの立派なご仁は何者だろうと、ひそひそと訊ね合う。
ひそひそと、葉の茂みの下で、みんなは、銀筋入りのズボンをはいているこの立派なご仁は何者だろうと訊ね合う。……その間、郡長さんは、森の静寂と涼しさにうっとりとなって、礼服の裾をからげ、大礼帽を草の上に置き、常緑槲の若木の根元の苔の上に腰を下ろす。それから、型で模様を押した粒起革の大きな折鞄を膝の上に開いて、官庁用紙の大きな紙きれを中から取り出す。
――芸術家だ!」と頬白がいう。
――いや、ちがう」と鷽《うそ》がいう。「芸術家じゃないさ、だって銀筋入りのズボンをはいてるもの。むしろ公爵だろう。」
――むしろ公爵だろう。」と鷽《うそ》がいう。
――芸術家でもないし、公爵でもない」と、春の間じゅう、郡役所の庭で歌っていた年とった夜鶯がそれをさえぎる、……「わしは知ってるよ、郡長だ!」
それを聞いて森じゅうのものが次々に囁きつづける。
――郡長だ! 郡長だ!」
――なんて禿げあたまなんだろう!」と見事な毛冠を具えた雲雀が注目する。
すみれは訊ねる。
――悪い人なの?」
――悪い人なの?」とすみれは訊ねる。年とった夜鶯が答える。
――いやいや、めっそうもない!」
この太鼓判を耳にして、鳥たちはまた歌い出し、泉はまた流れ出し、すみれはまた匂いはじめる。まるで郡長さんがそこにいなかったときのように。……この愉快な大騒ぎの真っ只中に、郡長さんは平然と、心の中で、農事共進会の詩神《ミユーズ》の加護をお祈りし、さて、鉛筆を取り上げて改まった口調で演説を始める。
――来賓諸氏並びに親愛なる郡民諸君、……」
――来賓諸氏並びに親愛なる郡民諸君、……」と郡長さんは改まった口調でいう。……
爆笑が彼のせりふをさえぎる。振り返ると、大礼帽の上にとまって笑いながら彼を眺めている肥っちょの啄木鳥《きつつき》以外には何も見えない。郡長さんは肩をすくめて、演説を続けようとする。しかし啄木鳥《きつつき》はまたしてもそれをさえぎって、遠くから叫びかける。
――愚にもつきませんや!」
――何? 愚にもつかないって?」と郡長さんは真赤になっていう。そして腕を振り上げて、この図々しい奴を追い払い、一段と声を張り上げて続ける。
――来賓諸氏並びに親愛なる郡民諸君、……」
――来賓諸氏並びに親愛なる郡民諸君、……」と郡長さんは一段と声を張り上げて続ける。
だが、そのとき、可愛いすみれが茎の先で彼のほうへ背伸びをして、優しく声をかける。
――もォし、郡長さん、私たち、どんなにいい匂いがするかおわかりでしょう?」
さらに泉は苔の下で神聖な音楽を彼のために奏で、頭上では、枝々の間に、頬白の群が飛んできて、彼のために最も愛らしい節《ふし》を歌う。こうして小さな森じゅうのものが共謀して、演説の草稿が作られないように妨害する。
小さな森じゅうのものが共謀して、演説の草稿が作られないように妨害する。……郡長さんは、薫りにうっとりとし、音楽に酔って、彼を襲う新しい魅力に抵抗しようと試みるが無駄である。彼は草の上に肱をつき、立派な服のホックをはずし、なおも二、三度呟くのである。
――来賓諸氏並びに親愛なる郡民諸君、……来賓諸氏並びに親愛なる郡、……来賓諸氏並びに親愛なる……」
やがて彼は郡民諸君のことなんかおっぽり出してしまう。こうなってはもう農事共進会の詩神《ミユーズ》も顔を蔽うほかはない。
顔を蔽うがいい、おお、農事共進会の詩神《ミユーズ》よ!……一時間の後、郡役場の従者たちが、ご主人いかにと心配して、小さな森の中に入ってきたとき、彼らはおやおやと愕いて後退りするような情景を見た。……郡長さんは、ジプシーのようなだらしない恰好で草の中に腹這いになっていた。礼服を脱ぎ棄てて、すみれをもぐもぐ噛みながら、なんと郡長さんは詩を作っていた。
* ラ・コンブ・オ・フェ――仙女ケ谷の意味。諧謔的な架空の地名。
ビクシューの紙入れ
十月のある朝、パリを離れる数日前のこと、――私が食事をしていると、――一人の老人が、擦り切れた着物をまとい、両足をX形に曲げ、泥にまみれ、背骨をかがめて、羽の脱け落ちた渉禽類よろしく、長い脚で突っ立ったまま、がたがたと顫えながら、私の家にやってきた。見ればビクシューだ。そうだ、パリジャン諸君、君たちのビクシュー、精悍でしかも愛嬌のあるビクシュー、時事諷刺文《パンフレツト》や漫画をものし、十五年このかた君たちをひどく喜ばせてきた、あの辛辣な嘲弄家《ユーモリスト》なのだ。……ああ! それが零落して、何とまあ窮迫した姿だろう! 入ってくるとき渋面を作っていなかったなら、私にはとても彼だということはわからなかったろう。
頭を肩までかしげ、ステッキをクラリネットのようにくわえて、この名題《なだい》の悼ましい剽軽者は、つかつかと部屋の真中まで来ると、私の食卓の傍らに身を投げ出し、哀れっぽい声でこういった。
――可哀そうな盲人に、なにとぞお慈悲を!」
あまり物真似がうまいので、私は吹き出さずにはいられなかった。しかし彼は、極めて冷然と、
――僕がふざけていると思っているんだね。……この眼を見てくれ給え」
こういって、私のほうへ、視力の失せた二つの大きな白い眸子《ひとみ》を向けた。
――僕は盲目なんだぜ、ねえ君、もう一生涯眼が見えないんだ。……硫酸を使って書いたせいだよ。あの結構な職業のおかげで眼を焼きつぶしてしまったのさ。それもほら、こんなに、徹底的に、……土台まで焼きつぶしたのだ!」と睫毛の影さえもはやとどめていないぼろぼろに焼けた眼瞼《まぶた》を見せながら、彼はつけ加えた。
私はいたく胸を打たれていうべき言葉も見当らなかった。私の無言が彼を不安がらせた。
――仕事中かい?」
――いいや、ビクシュー、食事をしているんだ。一しょに食べないかね?」
彼は返事をしなかったが、鼻の孔をひくつかせているところを見ると、食べたくてたまらないことがちゃんと読めた。私は彼の手をとって、自分の横に坐らせた。
食事の支度がととのえられている間、気の毒な奴さんは、食卓の匂いを嗅いでにっこりとした。
――これはこれは、旨そうだな。さあご馳走にありつけるぞ。僕はもう長い間朝食を食べないのだ! 毎朝一スウのパンひと切、そしてお役所を駈け回る。……なぜって、ご存じかも知れないが、僕は今、お役所ばかり駈けずり回っているのだ。それが僕の唯一の仕事だ。僕は煙草屋をやらして貰おうと運動しているんだよ。……仕方ないじゃないか! 食べていかねばならないもの。僕はもう絵が描《か》けない。文章も書けない。……口述して書かせろだって? でも何を?……僕の頭の中は空っぽだよ。何一つ生み出せるものか。僕の職業は、パリのさまざまな虚飾を見抜いて、それを描き出すことだった。今じゃそれがもうどうしても出来ない。……で、煙草屋を考えたのだ。もちろん、大通り《ブルヴアール》界隈でなくたっていいんだよ。踊り子の母親でもないし、お役人の未亡人でもないんだから、そんなお誂え向きをいえる権利はないさ。いや! ただ、どこかずっと遠方の、ヴォージュ辺《*》の隅っこの、田舎のちっぽけな店で結構、僕は頑丈な陶製パイプをくわえて店番だ。エルクマン=シャトリアン《**》の小説にでも出てきそうな、ハンスとかゼベデとかいう名を名乗ってやろう。そして、現代作家の書いた本の紙きれで煙草を入れる漏斗《じようご》形の袋を作り、筆の執れなくなった憂《う》さ晴らしをしよう。
僕の願いというのはこれだけだ。ね、大したことじゃないだろう?……ところがさて、それを達成しようとなると、とても容易なことじゃない。……しかし僕にだってパトロンがあっていい筈なんだ。昔は鳴らした男だからね。元帥、皇族、大臣の邸で食事をしていたんだ。昔こういった連中がみんな、僕を招きたがったものさ。僕が奴らを楽しませるか、それとも奴らが僕を恐れたからだよ。今じゃ僕はもう誰も怖がらせることができない。おお! この眼! この哀れな眼! もうどこからも招《よ》んでは貰えない。食卓に盲人の面《つら》は興冷めものさ。すまないが僕にパンを取ってくれ給え。……ああ! 畜生め! たかが煙草屋一軒になんてお百度を踏ませることだろう。朝、みんながストーブを焚きつけ、そしてお供が閣下の馬を中庭の砂の上で一回りさせている時分に、僕はお役所に出頭する。夜になって、大きなランプが持ち込まれ、調理場から旨そうな匂いがただよい出す頃でなくちゃ引き下れない。……
僕の一生は、控室の、腰掛《ベンチ》代用の、薪を入れた箱の上で過ぎてゆく。だから受付の奴さんたち、実際僕の顔をよく知っているんだよ。内務省では、連中が僕のことを「おっさん!」と呼ぶ始末だ。で僕の方でも、贔屓《ひいき》にして貰いたいばっかりに、駄洒落を飛ばしたり、或いは吸取紙の隅に、奴さんたちを笑わせるでかい髭面《ひげづら》を、さっと一筆描《か》いてやったりする。……二十年間の突拍子もない成功の挙句がこんなていたらく。これが芸術家渡世のなれのはてだ! ところがフランスには、こんな芸術家稼業を涎を垂らして羨んでいる青二才が四万人もいる! 毎日、地方では、文壇に憧れたり書いたものを世に問いたくてうずうずしたりしている阿呆どもを、幾つとなく籠詰めにしてこちらに運ぶために罐《かま》を焚いている機関車があるんだ!……ふん! ロマネスクな田舎っぺども。ビクシューの貧窮がお前さんがたに他山の石にでもなればいいんだが!」
それから彼は皿の中に鼻を突っ込んで、ひと言もいわず、がつがつと食いはじめた。……その姿は見るからになさけなかった。しょっちゅうパンやフォークを見失ったり、コップを見つけようと手探りしたりする。可哀そうに! まだ不慣れなのだ。
しばらくして、彼はまた言葉を継いだ。
――僕にとって、もっともっと恐ろしいことがあるのをご存じかね? それは、もう新聞が読めなくなったことだ。その道の者でなくちゃこの気持はわかるまい。……ときどき、夕方、帰り途で一枚買うことがある。あのしっとりとした紙の匂いと新しいニュースの匂いを嗅ぐだけのために。……とてもいい匂いだ! でもそれを僕に読んでくれる者は誰もいない! 女房は、よく読めるくせに、厭だという。三面記事にはいかがわしいところがあると、こうぬかすんだ。……チェッ! 古くさい情婦なんてものは、いったん結婚してしまうと、いやに淑女振るものさ。ビクシュー夫人と納ったからには、信心家の凝り固りにならなければいけないとでも思い込んだのだ。それもとことんまでね!……彼女《あいつ》はラ・サレット《***》の霊水で僕の眼を擦《さす》って貰おうと望んだこともあった! それから、聖パン、義捐金、育児院、支那の子供、そのほかいろいろな慈善事業に手を出したっけ。……たっぷり善行を積んだというわけさ。……しかし、僕に新聞を読んでくれるのも一つの善行だと思うんだがね。ところが、駄目だ、彼女《あいつ》はそれが厭なんだ。……僕の娘が家《うち》にいたら、きっと読んでくれるだろうよ、あの娘なら。しかし僕は盲目になってから、一人でも扶養家族を減らすために、ノートル・ダム・デ・ザールへ入れさせてしまった。……
あの娘《こ》もやはり僕には有難い一人だったよ! 生れてまだ九年しか経たないのに、もう罹らない病気はないという有様だった。……陰鬱な性格! 醜い顔! もしかすると僕よりか醜いだろう、……まるで化けものなんだ!……どうにも仕方がないさ! 僕はポンチ絵を描《か》く以外には何もできなかったんだもの。……おっと、これは脱線。君に家族の話をするなんて僕もおめでたいな。そんなことが君に何になるというのだ?……さあ、そのブランデーをもう少し注《つ》いでくれ給え。僕は活動を開始しなければならない。ここを出たら文部省へ行くんだ。あそこの受付の連中は容易なことじゃにこりともしない。みんな教員上りだからね」
私はブランデーを注《つ》いでやった。彼は感に堪えた様子でチビリチビリと味わいはじめた。……と突然、いかなる幻想《フアンテジー》にそそられたのか知らないが、コップを手にして起ち上り、暫時、その周囲に、眼の見えない蝮《まむし》のような頭をめぐらして、話を始めようとする紳士のように愛想のいい微笑を浮かべ、さてそれから、二百人の大宴会にでも臨んで演説をするような具合に、甲高い声で、
――芸術のために! 文学のために! 新聞のために!」
こうして長い乾杯に引き続いて、今までこの道化師の脳味噌から出た中で最も道化た、最もすばらしい、即席演説がおっ始まった。
諸君は「千八百六十×年度の文壇消息」と題する年末発行の一雑誌を想像されるがいい。文学的と自称する集会のこと、文士たちの饒舌、喧嘩口論、変人社会のあらゆる綺譚、泡沫文学、寝首を掻いたり、臓腑を掴み出したり、お互に強奪し合ったり、俗世間以上に利害得失や金儲けの話に憂身をやつす狭苦しい文壇地獄、他処《よ そ》よりも一そう仲間の餓死を見殺しにする垣の内、文士たちのあらゆる卑劣、あらゆる貧窮沙汰。淡青色の夜会服を着てお椀を手に「右や左の……」といいながらチュイルリー公園へ托鉢に出かけた、T……ド・ラ・トンボラ老男爵の逸話。それから、その年の物故文学者たちのこと、故人の提灯持ちをする告別式、誰からも墓石の代を払って貰えない不幸者に月並の「親愛なる懐かしの君よ! 在天の霊よ!」と繰り返す代表者の弔辞。また、自殺した文士たちや、発狂した文士たちのこと。諸君、以上のような四方山話が、天才的な諷刺家によって、詳細に手真似を交えて話されるのを想像して見給え。さすれば諸君は、ビクシューの即席演説なるものがどんなものだったか合点がゆくだろう。
乾杯を終え、コップを飲み乾してしまうと、彼は私に時間を訊いて出て行った。獰猛な顔付をして、さよならともいわずに。……私は文部大臣デュリュイ氏の受付係がその朝の彼の訪問をどう思ったかは知らない。しかし確かに私は、今までのわが生涯のうちで、この怖るべき盲人の出かけた後ほど陰鬱な不快な気分を味わったことは一度もなかった。私はインキ壺を見ても気持が悪くなり、ペンを見てもぞっとした。遠くへ行ってしまいたい、駈け出したい、木立を眺めたい、何かいい匂いでも嗅いで見たい。……畜生! いまいましい! なんという後味の悪さ! むやみにそこらじゅうに唾を吐きかけ、何もかも汚してしまうなんて! ああ! いやな野郎だ……
こうして私は荒々しく部屋の中を大股に歩き回っていた。奴が自分の娘のことを話したときに浮かべた不興げな冷笑が、絶えず私には聞えてくるような気がした。
突然、盲人の腰かけていた椅子の近くで、私は足元に転っているある品物に気づいた。かがんで見ると、彼の紙入れだとわかった。角《かど》のいたんだ、手垢でつるつる光っている大きな紙入れで、彼はこれをいつも離したことはなく、笑いながら、毒嚢《どくぶくろ》と名づけていた。この嚢《ふくろ》は、われわれ文人仲間では、ド・ジラルダン氏《****》の有名な紙挟みと同じくらい評判になっていたものだ。あの中には怖るべき品々が入っているといわれていた。……中味を確める絶好の機会が到来した。その古い紙入れは、膨れすぎていたため、落ちたとたんに口が開いてしまい、中の紙はことごとく敷物の上に転がり出ていた。私は一枚また一枚と拾い集めなければならなかった。……
花模様入りの便箋に書かれた一束の手紙は、書き出しがどれも「なつかしきお父さま」で、署名は「マリア会員、セリーヌ・ビクシュー」となっている。
お次は、ジフテリヤ、痙攣《ひきつけ》、猩紅熱、麻疹《はしか》など、さまざまな小児病のための古びた処方書き。……(この可哀そうな娘《こ》はこれらの病気を一つとして免れることができなかったのだな!)
最後に、まるで女の子の帽子からでものぞいているように、黄色い縮れ毛が二、三本はみ出している、封をした大きな封筒。そしてその封筒の表には、盲人が書いたと見えて、ふるえた筆太な字で、こう記してある。
「修道院入りの五月十三日に剪りしセリーヌの頭髪。」
以上がビクシューの紙入れの中に入っていたものだ。
さて、パリジャン諸君、君たちだってみな同じことだよ。不興面、皮肉、馬鹿笑い、すごい大法螺、そしてとどのつまりは、……「五月十三日に剪りしセリーヌの頭髪」ってわけさ。
* ヴォージュ――フランス東北隅の県。
** エルクマン=シャトリアン――エミール・エルクマン(1822―1899)、アレクサンドル・シャトリアン(1826―1890)この二人のフランス作家は常に連名で歴史小説を書いた。
*** ラ・サレット――フランス、イゼール県にある山村。有名な霊地。
**** ド・ジラルダン――当時、論戦の烈しさを以て鳴らしていた新聞記者(1806―1881)。
黄金の脳味噌を持った男の物語
陽気な話を求められる夫人に
奥さま、お手紙を拝読し、何ともはや申訳ないような気がいたしました。私の小噺の数々がちとしめっぽい色合だったのを後悔した次第です。そこで、今日は何か愉快なお話、とびきり愉快なお話をお聞かせ申そうと決心していたのです。
そもそもこの私になんで悲しいことなどございましよう? 私はパリの霧から千里も離れた、タンバリンと麝香葡萄酒《ミ ユ ス カ》の国の、明るい丘の上で暮らしております。寓居のまわりにはただ陽の光と音楽ばかり。私のお抱えは腹白《のびたき》の管絃楽団、四十雀《しじゆうがら》の男声合唱団。朝は「クールリ! クールリ!」と囀るたいしゃく鷸《しぎ》、昼の日中は蝉しぐれ。それに横笛を奏でる羊飼や、葡萄畑に笑いさざめく栗色の髪をした美しい娘たち。……実際、ここは愁いに沈むにはふさわしからぬ土地柄です。私はむしろ御夫人がたに、ばら色の詩歌や籠にたっぷり盛った粋なコントなどをお送りすべきでございましょう。
ところが、さにあらず! 私にはまだまだパリが近すぎます。毎日、家《うち》の松林の中まで、パリはその悲しみの飛沫《とばつちり》を私に跳ねかけてくるのです。……現《げん》にこのおたよりを認めている今も、私は気の毒なシャルル・バルバラ《*》の悲惨な逝去の報を知ったばかりのところです。そうして私の風車小屋はすっかり喪に服しております。さようなら、たいしゃく鷸《しぎ》や蝉たちよ! 私はもう陽気な気持どころではありません。……こんなわけですから、奥さま、あなたにお聞かせしようと決心していた愉快な笑い話の代りに、今日もまた、メランコリックな物語しか申上げられないことになってしまいました。
昔々あるところに、金の脳味噌を持った男がいました。そうです、奥さま、すっかり金でできた脳味噌なのです。生れたとき、お医者さまがこの子は育つまいと思ったくらい、頭は重く、頭蓋骨は並外れて大きかったのです。しかし子供は死にもせず、美しいオリーヴの苗木のようにすくすくと成長しました。ただその大頭はいつも彼を引きずっていました。で、歩く拍子にいろんな家具にぶつかる姿は見るからに哀れでした。……彼はよく転びました。ある日、戸口の踏段の上から転げ落ちて、額《ひたい》を大理石の段に打ちつけると、頭蓋骨が地金のような音を立てました。即死だと思われましたが、抱き起して見ると、かすり傷を一つ受けているだけでして、金髪の中には黄金が二、三粒こびりついているのが見えました。こうして両親はこの子が金の脳味噌を持っているということを知ったのでした。
事情は秘密のままに保たれ、可哀そうに子供自身もそんなことはつゆ知りません。ときどき彼は、なぜ今までのように街の子供たちと一しょに表を駈け回らしては貰えないのかと訊ねました。
――人さらいがいるからだよ、坊や!」母親はそう答えるのでした。
そこで子供もさらわれるのが怖さに、家の中で黙って遊ぶようになり、部屋から部屋へと重そうに身体を引きずっていました。……
十八歳になったとき、両親は初めて因果な恐ろしい天の賜物《たまもの》のことを彼に打ち明けました。そして、この年まで育て上げてやったのだから、お返しに、金をちょっぴり分けてくれと頼みました。子供は何の躊躇もなく、その場で、――どんな具合にしたのか、どんな方法でしたのかは、話に伝わっていませんが、――ずっしりとした黄金のひと塊、胡桃《くるみ》のようにでっかいひと塊を、頭蓋骨からもぎ取って、それを母親の膝の上に昂然と投げ与えました。……それから、この男は頭の中に持っている財宝のためにすっかり眼がくらみ、前途の望みに気もそぞろになり、自己の能力《ちから》に酔い痴れて、両親の家を飛び出すと、その宝を浪費しながら、世界をあちこちとさまよい歩いたのであります。
湯水のように黄金を撒き散らす、王さまみたいに派手な暮らしぶりを見ると、彼の脳味噌はまるで無尽蔵のようでした。……しかし実際は消耗して行ったのです。そして次第に、彼の眼の光は鈍くなり、彼の頬はこけ落ちてゆくのが眼につくようになりました。とうとうある日のこと、気ちがいじみた遊蕩に耽った翌朝《あくるあさ》、この憐れな男は、饗宴の残渣と、光の薄らいでゆく釣燭台との間にただ一人とり残されて、自分の地金にあけてしまった大きな隙間に竦然としました。思いとどまらねばならぬ時機だったのです。
爾来、新しい生活が始まりました。金の脳味噌を持った男は、人々から遠ざかって、自分の腕で働いて生活しようと思い、守銭奴《けちんぼ》のように疑い深く小心になって、誘惑からは逃れ、二度と手を触れたくない例の因果な財宝をみずから忘れようと努めたのでした。……あいにくと、一人の友人が彼の隠れ家まで後をつけてきました。この友人は彼の秘密を知っていたのです。
ある夜、可哀そうな男は、頭にものすごい痛みを感じて、はッと眼を覚ましました。夢中で起き上って見ると、月の光の中に、友達が外套の下に何かを匿して逃げてゆくのが見えました。……
またもや脳味噌が少々奪い去られてしまったわけです!……
その後しばらくして、金の脳味噌を持った男は恋に陥りました。そして今度こそ一さいけりがついてしまいました。……彼はまごころこめて一人の金髪の乙女を愛し、乙女の方でもまた深く彼を愛しましたが、しかしこの娘《こ》が一そう好きなのは、結びリボン、白い羽飾り、編上靴の外側にひるがえるきれいな海老茶の総《ふさ》なのでした。
この可愛らしい――半ば小鳥、半ばお人形のような――恋人の手の中で、金の小銭《こぜに》は、面白いように濫費されて行きました。彼女はあらゆる我儘をいいましたが、彼のほうではどうしてもいやとはいえないのでした。のみならず、恋人に心配をかけまいとして、自分の財産の悲しい秘密のことは最後まで隠しておきました。
――あたしたち、とてもお金持なんでしょう?」と彼女が訊きます。
気の毒な男は答えるのでした。
――ああ! そうだとも……大金持だよ!」
こういって彼は、自分の頭蓋骨を無邪気に啄《ついば》んでいる青い小鳥に、愛情こめて微笑みかけるのでした。でも時には、ふと怖くなって、倹約したいとも思うのですが、そんなとき、乙女は彼のほうへ飛んできて、こう申します。
――あなた、お金持ですわね! 何かうんと高い品を買ってちょうだいな……」
で、彼は、すこぶる高い品を買ってやるのです。
こんな調子が二年間続きました。そしてある朝、どうしたことか乙女は小鳥のようにぽっくりと死んでしまいました。――宝はもうおしまいに近づいていましたが、残っている分で、この鰥夫《おとこやもめ》は死んだいとしい女のために立派な葬式を営んでやりました。盛んに打ち鳴らされる弔いの鐘、黒い布を張りめぐらした荘重な幌付四輪馬車、羽飾りをつけた馬、ビロードの衣にちりばめた銀の珠、しかしどれ一つとして彼の眼には美し過ぎるとは思えなかったのでした。今となっては自分の黄金など何の大切なことがあろう?……彼はそれを教会にも、柩をかつぐ人足にも、百日草を売る女にもくれてやりました。到るところで、惜しげもなく投げ与えました。……ですから、墓地を出たときには、このすばらしい脳味噌はもう殆どなくなって、辛うじて頭蓋骨の内側にほんのちょっぴり残っているばかりでした。
どうするのかと見ていると、彼は茫然とした面持で、両手を前に突き出して、酔っぱらいのようにひょろつきながら、街の方へ立ち去ったのです。その夕方、勧工場にイルミネーションが点るころ、彼は、布地や装身具が一面にごちゃごちゃと灯火を浴びて輝いている、とある大きな陳列窓《シヨーウインドー》の前に立ちどまり、白鳥の柔毛《にこげ》で縁取った一足の青繻子の婦人靴を、長い間じっと見つめていました。「この靴を見たらとても喜んでくれるひとがいるんだ」と彼はにっこりしながら、ひとり言をいいました。そして乙女が死んだのだということはもはや忘れてしまって、靴を買いに入って行きました。
次の間の奥にいた店のおかみさんは、大きな叫び声を耳にしました。走り出て見ると、一人の男が売場に倚りかかって、今にも死にそうな様子で苦しげにこちらを眺めながらつっ立っているので、ぎょッとして後退りしました。男は片手に白鳥の毛で縁飾りをした青い靴を握り、血まみれになったもう一方の手を差しのべていましたが、その爪の先には金の削屑《けずりくず》がついているのでした。
以上が、奥さま、黄金の脳味噌を持った男の物語です。
この物語はコント・ファンタスティクじみてはおりますが、初めからお終いまで実際なのです。……世間には自分の脳髄を削って生活してゆくように強いられ、人生の最もつまらないことのために、見事な純金で、自分の膏血で、支払いをしている気の毒な連中がいるものです。これこそその人たちにとっては日ごとの悩みです。その上また、苦しみに疲れたあかつきには……
* シャルル・バルバラ――フランスの小説家(1822―1866)。
詩人ミストラル
先週の日曜日、寝床から起きながら、私はパリ、フォーブール・モンマルトル街の自宅で眼を覚ましたのかと思った。雨が降っていて、空は灰色、風車小屋はうら悲しそうだった。こんな冷たい雨の一日《ひとひ》を家《うち》で暮らすのかと思うとうんざりしたが、ふと、これからフレデリック・ミストラル《*》のところへちょいと温《ぬく》もりに行って来ようという気になった。この大詩人は家《うち》の松林から三里離れたマイヤーヌという小さな村に住んでいる。
思いつくや否やすぐに出発である。ミルトの木でつくったステッキをついて、愛読のモンテーニュ一巻をたずさえ、雨具をまとって、さあお出かけだ!
野良には人っ子一人いない。……カトリックの盛んなわが美しいプロヴァンスでは、日曜日には土を休息させる。……犬だけが留守番をしていて、農家は戸が閉まっている。……路上ところどころに、滴の垂れる覆布《おおい》をかけた大八車、枯葉色のマントを頭からかぶった老婆、青と白のだんだらのスパルト布の鞍敷に、赤い結びリボンや銀の鈴をつけて、――おミサへ出かける農家《マ ス》の人々を満載した二輪車を、ちょこちょこと速歩《はやあし》で輓いてゆく、盛装凝らした牝騾馬たち。更にまた、向うには、靄を隔てて、「灌漑用運河《ル ー ビ ー ヌ》」に浮かんでいる小舟と、立って投網《とあみ》を投げている漁師と。……
今日は道すがら本が読めるどころではない。雨はどしゃ降りで、トラモンターヌはバケツの水でもぶちまけるように雨を顔に叩きつける。……私は一気に、三時間ぶっつづけに歩いた後、とうとう眼の前に小さな糸杉の林を認めた。マイヤーヌの村はその真中に、風を恐れて身を寄せている。
村の道には猫一匹いない。人々はみな大ミサへ行っていた。教会の前を通りかかると、蛇状喇叭《セ ル パ ン》が鳴っていて、色ガラスの窓越しに、大蝋燭の輝いているのが見えた。
詩人の栖居《すまい》は村はずれにある。聖ルミ街道に沿うた左手の最後の家、――前に庭のついている二階建ての小さな家である。……私はそっと入ってゆく。……誰もいない! 客間の扉は閉まっている。しかし、その向う側を誰かが歩き、高い声で話しているのが聞える。……この足音、この声、私はよく知っている。……扉《ドア》の把手《ハンドル》に手をかけたまま、感慨無量で、私は白堊塗りの狭い廊下にしばらくのあいだ立ちどまっている。心臓がどきどきする。――彼が内部《な か》にいるのだ。詩作中なのだ。……一節終るのを待たなくちゃならないだろうか?……いや! 止むを得ない、入って行こう。
ああ! パリジャン諸君、マイヤーヌの詩人が、愛するミレイユ《**》に花のパリを見せようと諸君のところにやってきたとき、そうして、都衣裳を着たアメリカ・インディヤンよろしく、立襟《たちカラー》をつけ、己れの名声と同じくらい気づまりな、大きな帽子をかぶって、諸君のサロンに目のあたり現われたとき、諸君は、これこそミストラルだと信じたことだろう。……ところがそうじゃない、それは彼ではなかったのだ。世界じゅうにミストラルは一人しかいない。私が先週の日曜日、その村にひょっこり訪ねて行った人、それこそほんとのミストラルで、フェルト帽を耳までかぶり、チョッキなしに上衣《ジヤケツト》を着込み、腰にはカタロニア風の赤い飾帯をめぐらし、眼を輝かせ、頬骨のあたりに霊感《インスピレーシヨン》の火を燃やし、颯爽として、しかも優しい微笑を浮かべ、ギリシャの牧人のように優雅な風〓で、両手をポケットにつっ込み、詩作に耽りながら、大股に歩いている。……
――よう! 君か!」と私の頸に飛びついてミストラルは叫んだ。「こりゃいいときに来てくれた!……ちょうど今日はマイヤーヌのお祭りなんだ。アヴィニョンから来た楽隊の演奏、闘牛、行列、ファランドールなどがあって、とても賑やかなんだよ。……母はもうじきおミサから帰ってくる。みんなで一しょに昼食を食べて、それから、ウフフ! きれいな娘さんたちの踊りを見に行こう。……」
彼が話しかけている間、私は明るい色の壁布の掛けてあるこの小さな客間を、感慨深く眺めやっていた。だいぶ永いこと見なかったが、私は以前ここで愉しい幾時間かを過したことがあるのである。何一つ変ってはいなかった。相変らず、黄色い格子縞の長椅子、藁をつめた二脚の肱掛椅子、煖炉棚《マントルピース》の上には腕のないヴィーナスと、アルルのヴィーナス、また、エベールの描いた詩人の肖像画、エチェンヌ・カルジャの撮影した彼の写真、そして片隅には、窓の近くに、古文書や辞典類を積み上げた、――まるで登記受付係の貧弱な小机のような――彼の仕事机。この机の中央に、私は厚いノートが開いてあるのを認めた。それは今年の暮、クリスマスの日に出版される筈の、フレデリック・ミストラルの新作叙事詩『カランダル』であった。この詩に、ミストラルは七年前から没頭していて、最後の一句を書き上げてからも、もうかれこれ半年になる。しかるに今なおそれから手を離そうとはしないのだ。諸君もおわかりだろうが、いつまでも節《ストロフ》を彫琢し、なお一そう響き高い脚韻《リーム》を見出だそうと努めなければ気が済まないのである。ミストラルは人々の知らないプロヴァンス語で書いているが、その詩作の態度たるや、あたかも世人が一人残らずこれを原文のまま読んでくれるに相違ない、そしてすぐれた工匠のごときこの努力を見て自分のことを理解してくれるに相違ないと、信じ切っているかのようである。ああ! なんという律義な詩人、そうだ、まさしくこのミストラルのことを、モンテーニュは次のようにいったのかも知れない。「世人に殆ど認められそうもない芸術などになぜそんなにご精進なさるのじゃ、と問われたとき、『わしはわしの芸術を知ってくれる人が少しでもいれば充分じゃ、一人でもいれば満足じゃ、しかし一人もいなくたって構わない。』と答えたあのご仁のことを、諸君、思い出されるがよい」
私は『カランダル』の詩稿を手に取って、感動に満ちてそれをめくっていた。……と不意に横笛とタンバリンの奏楽が窓に面した往来で鳴り響いた。わがミストラルは、いきなり、戸棚のほうへ走ってゆき、コップや酒壜を取り出し、客間の真中へ食卓を引きずってくると、さてそれから楽手たちに戸を開きながら、私に向ってこう告げる。
――笑っちゃいやだよ。……朝奏楽《オーバード》を奏でに来てくれたんだ。僕は村会議員だからね」
狭い部屋は満員になった。タンバリンは椅子の上に、古びた幟は片隅に置かれ、そうして葡萄シロップが回される。やがて、フレデリック氏の健康を祝して数本の壜が空《から》になり、ファランドールは去年と同じくらい美しいだろうか、闘牛はうまく行くだろうかなどと、祭のことを真面目くさってしゃべり立てた後、楽隊はここを引揚げて、他の議員の家へ朝奏楽《オーバード》を奏でに行った。入れ違いに、ミストラルの母堂が帰ってきた。
たちまちのうちに食卓はととのえられた。美しい真白なテーブル・クロスに二人分の食器。私はこの家《や》の習慣を知っている。ミストラルに誰かお客があると、母堂は食卓に坐らないのである。……この気の毒な老婦人はお国言葉のプロヴァンス語しか知らず、フランス語でしゃべる人たちと話すのはどうも窮屈らしいのだ。……それに、彼女は台所になくてはならないひとなのである。
なんとまあ! その朝ご馳走になった食事の見事だったこと。――仔山羊の焼肉、山で作ったチーズ、葡萄液を入れたジャム、無花果、麝香葡萄《ミ ユ ス カ》の粒。そして合間に飲むのは、コップの中に大そう美しいばら色をたたえているあの芳醇な「法王のシャトー・ヌフ」。……
デザートのとき、私は詩稿を探しにゆき、それをミストラルの前の食卓の上に持ってきた。
――外へ出かけようっていったじゃないか」と微笑みながら詩人はいった。
――いや! いけない!……『カランダル』だ!『カランダル』だ!」
ミストラルは諦めて、音楽的な優しい声で、片手で詩句の抑揚を取りながら、第一章を朗読し始めた。
――われはいま、恋に狂える乙女子の――悲しき濡れごとを語りし後、――神もしそれを望み給わば、カシスの若者のことを歌わんかな、――貧しき〓《ひしこ》釣りの若者のことを……」
戸外《そ と》には、午後の祷りの鐘が鳴り、爆竹は広場に炸裂し、横笛はタンバリンと一しょに再び往来を戻ってきていた。闘牛場に連れて行かれるカマルグの牡牛の群が吼えていた。
私はといえば、テーブル・クロスの上に肱をつき、眼に涙を浮かべて、プロヴァンスの漁師の若者の物語に耳を傾けていた。
カランダルは一介の漁師に過ぎなかった。恋の力が彼を英雄にするのである。……いとしいひと――美しいエステレル――の愛情を獲《かちえ》んものと、彼は数々の奇蹟を企てるのであるが、かのへルクレス《***》の十二の力業《ちからわざ》も、カランダルの離れ業に比べれば物の数ではなかった。
時には、金持になろうと決心して、驚くべき漁具を発明し、海の魚をことごとく捕獲して港に帰ってくる。またある時は、オリウル峡道の兇悪なる山賊セヴェラン伯を、その巣窟の、荒らくれ男や妾《めかけ》どもの群れている中にまで襲って追い回す。……この若者カランダルは何たる剛勇の快男児であろう! ある日、彼は、サント・ボームにおいて、二組の大工仲間に遭遇した。大工たちはなんと、この地に会して、ソロモン王の殿堂を組み立てたプロヴァンスの棟梁、ジャック親方の墓のほとりで、コンパスをふるって殴り合いをし勝敗を決しようとしているのであった。カランダルは乱闘の真只中に身を挺し、理を説いて双方の大工たちを取り鎮めた。……
さらにまた超人的な企ての数々を挙げよう! かの峻険なリユールの岩山の奥に、樵夫《きこり》も通《かよ》ったことのない人跡未踏の杉の密林があった。カランダルこそはそこへ登ったのである。彼は三十日の間たった一人で森の中に頑張りつづけた。三十日の間、杉の幹に丁々発止と打ちこむ斧の音が聞えた。森林は叫び声をあげた。一本また一本と次々に、古い巨木は倒されて、深い谷底へと転がり落ちた。かくてカランダルが下山したとき、峰の上にはもはや一本の杉も残ってはいなかった。……
かくてついに、数多の勲功の酬いで、この〓《ひしこ》釣りはエステレルの愛を得て、しかもカシスの住民たちから執政官に任ぜられた。以上がカランダルの物語である。……だが実はカランダルなどはどうだっていいのだ! 何よりも先ずこの詩の中で問題になるのは、プロヴァンスである。――独自の歴史、風習、伝説、風光を有し、滅亡する前に自国の大詩人を見出した、素朴な自由なあらゆる民草のいる――海のプロヴァンス、山のプロヴァンスである。……今や鉄道も敷くがいい、電柱も立てるがいい、学校からプロヴァンス語を追い払うのもいいだろう! しかしプロヴァンスは永久に『ミレイユ』と『カランダル』の中に呼吸《い き》づいていることだろう。
――詩はもうたくさんだ!」とミストラルはノートを閉じながらいった。「さあ、お祭りを見に行かなくちゃ」
私たちは戸外《そ と》へ出た。村じゅうの人々が往来をぞろぞろ歩いていた。北風がさっと強く吹きつけて雲を掃き散らし、雨に濡れた赤い屋根に空は嬉々として照り映えていた。私たちは行列の戻りを見物するのに間に合った。それは一時間にわたる涯しない行列で、頭巾のついた袖無しの僧衣を纏った苦業団員《ペ ニ タ ン》、白衣《ブラン》、青衣《ブリユー》、灰色衣《グ  リ》のそれぞれの苦業団員《ペ ニ タ ン》、面紗《ヴエール》をつけた少女たちの信徒団、金糸で花模様を繍いつけたばら色の幟、四人の肩にかつがれた金箔の剥げた大聖人の木像、大きな花束を手に持った、偶像のように彩色された陶製の聖女、長袍、聖体盒、緑のビロードの天蓋、白い絹布を腰にまとったキリスト磔刑像、すべてこういったものが、聖歌や連祷やしきりに打ち鳴らされる教会の鐘のただ中を、大蝋燭と太陽の光を浴びて、風に波打っていた。
行列が終り、神聖な品々が礼拝堂に安置されてしまうと、私たちはまず闘牛を、それから麦打ち競技、レスリング、三段跳、穴くぐり遊戯、革嚢担ぎ、プロヴァンスのお祭りのあらゆる愉快な余興の数々を見に行った。……二人がマイヤーヌへ帰ったときは日が暮れていた。広場では、ミストラルが、夜、いつも友人のジドールを相手にトランプの勝負をしにゆくという小さなカフェの前で、お祝いの大篝火《かがりび》が焚かれていた。……ファランドールが始まるところだった。切り抜きのある紙でつくった提灯が、到るところ暗闇の中に点されて、若い人たちは位置についていた。そしてまもなく、タンバリンの音をきっかけに、焔のまわりで、夜を徹して続けられる賑やかな狂わしい輪舞《ロンド》が始まった。
晩餐の後、ひどく疲れてもう歩き回れそうもないので、私たちはミストラルの寝室に上って行った。大きな寝台が二つあって、農夫の住むような質素な部屋である。壁には壁紙もなく、天井の梁《はり》もまる見えである。……四年前、翰林院が『ミレイユ』の著者に三千フランの賞金を授与したとき、ミストラルの母堂には一つの考えがあった。
――お前の寝室に壁紙と天井とを張らせようじゃないの?」と彼女は息子にいった。
――いいえ! いけません!」とミストラルは答えた。……「これは詩人たちのためのお金ですから手をつけてはなりません」
こうして寝室はもとのまま手入れをしないで残された。しかし、その詩人たちのためのお金が続く限り、ミストラルの門を叩いた人々は、彼の財布が快く開かれているのをいつも認めたのである。……
私は『カランダル』のノートをこの部屋に持ってきていた。そうして眠る前にもう一くだり読んで貰いたいと望んだ。ミストラルは陶器の挿話《エピソード》の箇所を選んだ。以下かいつまんでそれを述べよう。
昔あるところで大饗宴が催された。食卓の上にはムスティエ焼のすばらしい食器が一揃い運ばれた。その皿の底には一枚ごとに藍の染付けでそれぞれプロヴァンスに取材した絵が描かれてあった。この国の全歴史が皿の中にあるというわけである。だから、これらの美しい陶器の絵がどんなに愛情を傾けて描かれているか、まさに見ものであった。皿一枚ごとに詩が一節《ストロフ》ずつ書かれ、こうして皿と同じ数だけ、テオクリトスの小品のように完成された素朴にしてしかも巧緻極まる労作の小詩篇が並んでいるのである。
ミストラルが、かつては王妃たちの口に語られ、今ではこの地方の羊飼にしか理解されない、四分の三以上もラテン語そのままの、あの美しいプロヴァンス語で、以上のような自作の詩句を私に読んでくれている間、私は心の底でこの人を嘆美していたのであった。そして、彼が気づいた母国の言葉の衰頽し切った状態と、彼がなしとげた功績とを思い浮かべながら、私はアルピーユ山中で見かけるようなあの歴代のボー家《****》の古びた宮殿の一つを想像していた。屋根は崩れ、踏段の欄干も失せ、窓には焼絵ガラスもなく、アーチ形の門の三葉飾りはこわれ、扉の紋章は苔蒸していて、牡鶏は禁苑に餌を啄み、豚は回廊の細い小さな柱の下に転がり、驢馬は雑草の生い茂った礼拝堂の中で草を食《は》み、鳩は雨水をたたえた大きな聖水盤に水を飲みにくる。そしておまけに、この瓦礫の中に、二、三の農夫の家族が、古い宮殿の横手に小屋掛けをしている。
やがて、ある日のこと、それらの農夫の中の一人の息子が、この偉大な廃墟の価値に目覚め、かかる冒涜の現状を見て悲憤慷慨する。さっそく、彼は家畜どもを禁苑の外に追い払う。そして、妖精の来援を仰ぎ、ただ一人で大階段を再建し、壁には再び鏡板をはめ、窓には再びガラスを入れ、塔を建て直し、玉座の間《ま》の金箔をつけ換え、法王や皇后がお泊りになったこともある昔の宏壮な宮殿を復興した。
この再興された宮殿、これこそすなわちプロヴァンス語である。
この農夫の息子、それこそすなわちミストラルである。
* フレデリック・ミストラル――プロヴァンスの大詩人(1830―1914)。プロヴァンス語復興の文学運動の雄。
** ミレイユ――ミストラルの長篇叙事詩。プロヴァンスの富裕な地主の娘ミレイユの悲恋を通じて、プロヴァンスの風俗習慣歴史を謳う。ミストラルはこれを携えてパリにゆき、ラマルティーヌに捧げてその絶讃を得た。
*** ヘルクレス――ギリシヤ神話の巨人。
**** ボー家――中世紀南仏一帯に君臨していた大名、ボー伯爵家のこと。
三つの読唱ミサ
クリスマス夜話
T
――松露《トラフル》を入れた七面鳥が二羽もかい、ガリグーや?……」
――そうですとも、僧正さま、松露《トラフル》をつめ込んだすばらしい七面鳥が二羽です。私だって多少は知っていますよ、つめるのを手伝ったのはこの私ですもの。あぶっているうちに皮がはじけそうになったくらいぴィんと張り切ってる奴なんで……」
――占めたぞ! わしはな、松露《トラフル》が大好物じゃて!……さ、急いでわしの白衣《ころも》をくれ、ガリグー。……ところで七面鳥のほかに、調理場でどんなものが目についたかな?……」
――それはもう! いろいろとおいしそうなものばかり。……お昼から私たちは、雉子《きじ》だの戴勝鳥《やつがしら》だの松鶏《えぞやまどり》だの雷鳥などの羽根ばかりむしっておりました。羽根はそこら一面に飛び散っていましたっけ。……そのほか、池から取ってきたのが、鰻だの金色の鯉だの鱒《ます》などで……」
――大きさはどれくらいだった、その鱒は、え、ガリグー?」
――こんなに大きいのです、僧正さま、……でかいのなんのって!……」
――ふうん! 見事じゃ! 眼に見えるような気がする。――葡萄酒は瓶子《ビユレツト》に入れておいたかな?」
――はい、僧正さま、ちゃんと瓶子《ビユレツト》に入れておきました。……ああ! しかし、真夜中のミサからお出《で》になったすぐあとでお飲みになる葡萄酒にはかないっこありませんよ。お城の食堂の、いろんな色をした葡萄酒が一杯入っている燦然たる酒壜をお目にかけたいほどです。……それに、銀の皿、彫模様のある大きな盆、盛花《もりばな》、枝付燭台!……こんなクリスマスの夜食は二度とは見られませんでしょう。侯爵さまは近隣のお殿様を残らず招待なされました。大法官と記録係とは勘定に入れないでも、少くとも四十人の人々が食卓につくことでございましょう。……ああ! 僧正さま、あなたさまもその一員であらせられるとは、なんたる果報なこと!……あの見事な七面鳥を嗅いだだけで、松露《トラフル》の匂いがどこまでも私につきまとってきます。……うむ、たまらない!……」
――これ、これ、お前、食いしんぼうの罪は慎みましょうぞ、特にクリスマスの晩は。……さ、早く行って大蝋燭に火を点し、ミサの最初の鐘を鳴らすことだよ。真夜中はもうすぐじゃからな、われわれは遅刻してはならない……」
この会話はキリスト紀元千六百何年のクリスマスの夜に、元のバルナビト僧院長、今はトランクラージュ侯お抱えの礼拝堂付牧師たるバラゲール僧正と、その納所坊主ガリグー、いや少くとも僧正が納所坊主ガリグーだと思い込んでいた者との間に交わされたのである。今におわかりだろうが、その晩、悪魔は、巧みに僧正を誘惑して食いしんぼうの大罪を犯させるために、丸顔の、はっきりしない目鼻立の、若い納所坊主に化けていたのである。さて自称ガリグー(ふん! 怪しいものさ!)が、お城の礼拝堂の鐘を、あらん限りの力をふるって打ち鳴らしている間に、僧正は城内の小さな聖器室で外袍をつけ終った。そうして、今しがた聞かされたいろんなご馳走の話に気はすでにそぞろになって、着更えをしながら繰り返し独りごとをいっていた。
――七面鳥の丸焼……金色の鯉、こんなに大きな鱒!……」
戸外では、夜風が吹いて鐘の音楽を散りぢりにし、トランクラージュの古い塔が頂上に聳えているヴァントゥー山の山腹の暗闇には、次々に灯火《あかり》が現われてきた。それはお城に真夜中のミサを聞きにくる小作人たちの家族であった。彼らは三々五々、歌いながら坂道を登ってくる。父親は先頭に立って角灯《ランタン》を手にし、女たちは大きな茶色のマントにくるまり、そのマントの中には子供たちが互に身体をすりよせてちぢこまっている。夜は更けているし、寒気もひどいが、この善男善女たちは、ミサから出たら、例年どおり、階下の調理場に自分たちのために食卓が用意されているという当てがあるので、みないそいそと歩いている。ときどき、峻しい坂道を、どこかの殿様の四輪馬車が、松明《たいまつ》持ちを露払いにして、窓ガラスを月明りに光らせながら過ぎてゆき、或いは牝騾馬が、小さな鈴を鳴らしながら小刻みに走ってゆく。すると靄に包まれた大形提灯《フ  ア  ロ》の灯影に、小作人どもは自分たちの大法官を認め、そばをお通りのとき挨拶をする。
――アルノトンさま、今晩は、今晩は!」
――今晩は、今晩は、皆の衆!」
夜空は晴れて、星屑は寒気の中に冴えていた。北風が肌を刺し、粉雪《こなゆき》は着物の上にサラサラと滑り、白皚々《はくがいがい》のクリスマスという伝統を忠実に守っていた。丘のてっぺんに、お城はあたかも標的のように見えてきた。塔や破風の巨大な堆積、蒼黒い空に聳える礼拝堂の鐘楼、そしてまた暗い建物の正面の窓という窓には、焦げた紙の余燼の中を走る火花によく似たおびただしい小さな光が、またたいたり、往きかいしたり、ゆらいだりしている。……跳《は》ね橋を渡り、暗道《あんどう》をくぐると、礼拝堂へ行くために、最初の中庭を横ぎらなくてはならない。馬車や供の男や轎が一杯群れていて、松明《たいまつ》の火や調理場のかまどの火で昼のように明るい。焼串の回る音、鍋の音、食事の準備に運ばれる水晶の器や銀の器の触れ合う音が耳に聞える。その上方にただよう生温かい湯気は、焼肉やら手の込んだソースを煮つめる強烈な草などの美味しそうな匂いを放って、小作人たちにも、僧正にも、大法官にも、誰にも彼にも、こう呟かせるのである。
――ミサの後ではめっぽう素敵なクリスマスのお夜食がちょうだいできるぞ!」
U
ドゥルランダン、ダン!……ドゥルランダン、ダン!……
真夜中のミサが始まったのである。大聖堂をそのまま縮小したようなお城の礼拝堂の中には、交叉した半円形の円天井にも、高い壁のところまで届く樫の板張にも、綴れ織が張りめぐらされ、あらゆる大蝋燭には火が点されていた。それになんというおびただしい人! なんとまあ着飾った衣裳! まず第一に、聖歌隊の席の周囲の彫刻をほどこした聖職者席には、トランクラージュ侯が、鮭肉の色をした琥珀織の服を着て坐り、その傍らには招待に預ったやんごとない殿様たちがことごとく居並んでいる。正面には、ビロード張りの祈祷椅子に、真紅の錦襴の長衣《ながぎぬ》を着た老侯爵未亡人と、フランス宮廷最新流行の襞付きレースの高い帽子をかぶったトランクラージュ侯夫人とが控えている。下座には、先の尖った大きな鬘《かつら》をかぶり、鬚を剃った顔を並べ、黒い服を着て、トマ・アルノトン大法官と記録係アンブロアとが、派手な絹と綾錦の緞子との間に、二人とも荘重な態度でかしこまっている。さてその次には、肥っちょの大膳職、小姓、調馬師、執事の群、腰につけた純銀の鍵輪にあらゆる鍵を吊しているバルブ尼僧。出口に近い腰掛には、小者、侍女、家族連れの小作人たち、そして最後に、向うの戸口のすぐ外側では、炊事番の男衆が扉を開けかけたり、そっと閉めたりしている。彼らはソースを煮つめる合間におミサの様子をちょっと覗きにきて、たくさんの大蝋燭の火で生温かい、お祝い最中の礼拝堂の中に、お夜食の匂いを持ちこんでくるのだ。
この料理人たちの小さな白いコック帽が眼について、僧正は上《うわ》の空になるのだろうか? いやむしろ、ガリグーの鳴らす鈴の音、祭壇の足もとでひどくそそくさと揺り動かされ、絶えず、
――急ぎましょうよ、急ぎましょうよ、……早く済めば済むほど、それだけ早く私たちは食卓につくことができるのですよ」
といっているような気のする、あのいらいらした小さな鉦《かね》の音を耳にして、上《うわ》の空になるのではなかろうか?
この悪魔の鉦《かね》が鳴る度ごとに、僧正がおミサを忘れて、お夜食のことばかり考えるのは事実であった。僧正が想像するのは、がやがやいう料理人、火のかッかとおこっているかまど、半ば開いた蓋の間から立ちのぼる湯気、そしてこの湯気の中に、松露《トラフル》をつめ込まれぴィんと張り切って斑紋を浮かべているすばらしい二羽の七面鳥のことだった。……
それにまた、食欲をそそるような湯気に包まれたお皿を運ぶ、小姓たちの行列が眼の前にちらちらする。そして小姓たちと一しょに、宴会の準備すでに成った大きな広間に入ってゆく。おお、うまそうだな! ご馳走が一杯のっていて燃えるように輝く大食卓、羽で飾られた孔雀、海老茶いろの翼を拡げた雉子、紅玉《ルビー》の色をした酒壜、緑の小枝の間に艶々と光る果物の山、それから、魁偉な鼻の孔に匂いのいい草の束を挿し込まれ、水から出たばかりのときのように鱗を真珠母いろに光らせ、茴香《ういきよう》を敷いた上に並べられている、ガリグーが話した(ああ、ほんとにそうだ、ガリグーが話した!)あのすばらしい魚。こういった素敵なご馳走の幻影が大そう鮮かであったため、バラゲール僧正にとっては、この驚くべきお皿のすべてが、自分の眼の前の祭壇布の繍取りの上に並べられているような気がする始末だった。で、二、三度、「主は汝らと倶にあらん《ドミヌス・ヴオビスクム》!」という代りに、思わず「食前のお祈り《ベネデイシテ》」を唱えてしまった。このような軽い間違いを除いては、僧正は一行も飛ばさず、一つの跪拝も省かずに、極めて忠実にお勤めを果した。こうして万事は第一のおミサの終りまでかなり順調に運んだのである。だが、ご承知のとおり、クリスマスの晩には、同一の司祭が連続三つのおミサを行わねばならないのである。
――やれ、一つ済んだ!」と僧正はホッと安堵の溜息をついて呟いた。続いて彼は、一分の猶予もならず、その納所坊主に、いや納所坊主だと信じ込んでいる者に、合図をした。そこで……
ドゥルランダン、ダン!……ドゥルランダン、ダン!……
第二のおミサが始まった。そうしてそれと一しょにバラゲール僧正の罪も始まったのである。
――早く、早く、急ぎましょうよ」とガリグーの鳴らす鉦《かね》がやや辛辣な小声で彼に叫ぶ。そして今度こそ、食いしんぼうの悪魔にすっかり身を委してしまった気の毒な僧正は、おミサの祈祷文集の上に飛びついて、食欲を過度に昂進させ、ただガツガツと頁をめくった。憑《つ》かれたようにそわそわと、身をかがめたり起したり、ぞんざいに、十字を切ったり跪いたり、できるだけ早く済まそうと、あらゆる動作を短かく約《つづ》めた。福音書の朗読で両腕を伸ばすのも、「告白の祈り《コンフイテオール》」で胸を叩くのも、いずれもそこそこに済ませてしまった。彼と納所坊主とは、いずれ劣らぬ早口で大急ぎに話そうとするのだった。唱句も追唱も、ただせかせかと、押し合いへし合いのていたらく。口も開かず、むにゃむにゃと半分ほど唱えるだけで、それでもなお時間がかかりすぎるとでもいうのか、要領を得ない呟きで終ってしまう。
「倶に祈らん《オ レ ム ス》、プス……プス……プス……」
「わが過ちによりて《メ ア ・ ク ル バ》、……パ……パ……」
まるで葡萄摘みの男が醸造桶の葡萄を急いで押しつぶすように、両人とも、四方八方にとばっちりをはねとばしながら、おミサのラテン語をしどろもどろに唱えた。
「ドム……スクム!……」とバラゲール僧正がいう。
「……スツツオ!……」とガリグーが受ける。そして呪うべき小さな鉦《かね》は、駅馬《えきうま》を大速力で疾駆させるために馬の頸に結びつけるあの鈴のように、絶えず二人の耳元で鳴っていた。読唱ミサはこんな調子でさっさと片づけられたのである。
「さあ、二つ済んだ!」と僧正は息をすっかり切らしながらいった。それからひと息つく間もなく、紅潮した汗だくの顔で、祭壇の階段を飛び降りると、さて……
ドゥルランダン、ダン!……ドゥルランダン、ダン!……
第三のおミサが始まった。もうちょっとやりさえすれば、それで食堂へ行けるのだ。ところが、いやはや! お夜食が近づくにつれて、不幸にもバラゲール僧正は、無性に食い意地が張ってきて辛抱できなくなってしまった。幻影はますますはっきりと現われて、金色の鯉、七面鳥の丸焼が、それ、そこに並んでいて、……手が届かんばかりだ、……手が。……ああ、畜生!……皿からは湯気が立ち、葡萄酒はぷんぷん匂う。そして、小さな鉦《かね》は、いらいらと鈴を動かして彼に叫ぶ。
――早く、早く、もっともっと早く!……」
しかし、これ以上どうやって早くやれるというのか? 僧正はただもぐもぐと唇を動かすばかり。もう口も利けないのである。……早くやるには、神さまをすっかりペテンにかけて、ミサをごまかすのでなければ。……ところがとうとうそれをやってのけたのである、この憐れな男は!……誘惑の魔手が強まるにつれて、まず唱句を一つ飛ばし、続いて二つ飛ばしてしまった。それから使徒行伝は長すぎるので中途で端折り、福音書はざっと済まし、「信仰箇条《ク  レ  ド》」の前は素通りし、「主祷文《パテール》」は抜きにし、序誦は敬遠し、こうして一足飛びに、永遠の劫罰へと突進して行った。相変らずけがらわしいガリグーを従えて(サタンよ、退け《ヴアテ・レトロ・サタナス》!)。当のガリグーはすばらしい手並で彼を補佐し、法衣の裾をからげてやり、頁を二枚ずつめくり、譜面台にぶつかり、瓶子《ビユレツト》をひっくりかえし、ますます強く、ますます早く、小さな鉦《かね》を絶え間なく揺り動かしていた。
会衆一同のあっけに取られた顔つきこそ見ものであった! 司祭の身振りに応じて、一語も解らないこのおミサについてゆかねばならないので、他の人々が跪くときに起ち上ったり、立っているときに坐ったりする者もいる。かくてこの奇妙なお勤めの進んでゆく間じゅう、信者席ではさまざまの異った姿勢が混り合う。クリスマスの星は、天上の道を彼方の小さなのほうへ歩いてゆく途すがら、この混乱を眺めて、びっくりして蒼ざめる。……
――僧正さまは早すぎる。……ついてゆくことができない」と、まごつきながら帽子を振り立てて、老侯爵未亡人は呟く。
アルノトン侯は、大きな鉄縁眼鏡をかけて、はてな、一体どこらじゃろうと祈祷書の中を探している。しかし、入口に近い席で、同じくお夜食を食べることばかり考えている例の善男善女たちは、おミサが大急ぎで進んでゆくことに腹を立てはしない。さればバラゲール僧正が、晴れやかな顔で会衆のほうに向き直って、力一杯の大声で、「いざ、ミサは終れり《イテ・ミサ・エスト》」と叫んだとき、礼拝堂の中にはただ、いとも嬉しそうな、いとも意気込んだ、まるですでに食卓についてクリスマスの夜食の最初の乾杯をしているかと思えるほどの、「神に感謝せん《デオ・グラチアス》」の声ばかりが、それに応じて響きわたったのである。
V
それから五分の後、殿様たちは大広間に坐り、僧正はその中央に座を占めていた。お城は、上から下まで灯《ひ》に飾られて、歌声や叫び声、笑声や喧騒にどよめいていた。そしてバラゲール僧正は、なみなみと注《つ》がれたシャトー・ヌフの葡萄酒とおいしい肉汁とに、己れの罪業に対する悔恨の念を紛らしながら、松鶏《えぞやまどり》の翼にフォークを突き刺していた。こうして暴飲暴食の挙句、あわれ、僧正は、怖るべき急病を起し、後悔する暇もあらばこそ、その夜のうちにぽっくりと死んでしまった。やがて彼は、翌る朝、まだ夜来のお祭り騒ぎに湧き返っている天国に到着したが、そこでどんな風に迎えられたか考えていただきたい。
――目通りかなわぬ、不埒者めが!」と、万物の主《しゆ》なる天帝はいい給うた。「汝の過ちは有徳なりし汝の全生涯を抹殺するほど大きいのじゃ。……ああ! 汝は余から夜のミサを一つ盗み取った。……よろしい、その代りにミサを三百、余に支払うがよい。かくて汝は、汝自身の礼拝堂において、汝の過失から汝とともに罪を犯した一同の者の面前にて、クリスマスのミサを三百とり行った後でなければ天国には入れぬであろう……」
……以上が、オリーヴ実《みの》る地方で語られている正真正銘のバラゲール僧正物語である。今日ではトランクラージュのお城はもう存在していないが、その礼拝堂は今もなおヴァントゥー山の頂に、常緑槲の木立に囲まれて立っている。風ははずれかかった扉をがたつかせ、雑草は入口に蓬々と茂っている。祭壇の隅々や、ずっと以前から焼絵ガラスの失せてしまった高い窓枠には、鳥の巣がある。しかしながら、毎年、クリスマスになると、妖しい光がこの廃墟の中をさまようらしく、百姓たちは、おミサやお夜食に出かける途中、雪が降っても風が吹いても大気の中で燃えている眼には見えない大蝋燭の点った、あの妖怪じみた礼拝堂を見かけるようである。おかしな話だと思われるかも知れないが、きっとガリグーの後裔なのだろう、この土地の葡萄作りでガリグーという男が、あるクリスマスの晩に、少し酔っぱらって、トランクラージュの方角の山の中に迷い込んだことがあった。そして彼が目撃したのは次のようなことだった。……十一時までは、何事も起らなかった。何もかもひっそりとしていて、暗くて、生気がなかった。ところが、突然、真夜中ごろ、鐘楼のてっぺんで鐘が鳴り出した。十里も先まで響くような古い音色の合鳴《カリヨン》だった。そのうち、坂道に幾つもの灯《ひ》が揺れて、おぼろな人影の動いているのをガリグーは見た。礼拝堂の玄関を潜《くぐ》りながら、人々はこう囁いている。
――アルノトンさま、今晩は!」
――今晩は、今晩は、皆の衆!……」
みんなが入ってしまうと、豪胆な葡萄作りは、そっと近寄って、毀れた戸口から覗き込み、奇妙な情景を目撃したのだった。さきほど眼の前を通って行った連中が一人残らず、今もやはり昔の腰掛があるかのように、聖歌隊の席の周囲や、崩れ果てた脇間《わきま》の中に居並んでいるのだ。錦襴の衣裳をまとい、レースの帽子をかぶった貴婦人たち、頭から足の先までけばけばしく飾り立てた領主たち、われわれのお祖父さんが着ていたような花模様のある上衣《ジヤケツト》を着込んだ百姓たち、それらがいずれも、年とった、艶のない、埃まみれの、疲れた様子をしている。ときどき、礼拝堂を棲家にしている夜の禽が、堂内に点った灯火《あかり》に眼を覚まし、紗の向うで燃えているようにぼおっと真直ぐに焔を上らせている大蝋燭のまわりに、うろうろとさまよい出る。そうしてガリグーをひどく愉快がらせたのは、大きな鉄縁眼鏡をかけたある人物で、そのご仁は丈高い黒い鬘《かつら》を絶えずゆすぶっており、鬘の上には例の夜の禽が一羽、ひっそりと羽ばたきしながら、足を絡ませて真直ぐにとまっていた。……
奥では、子供らしい身体つきの小柄な老人が、聖歌隊の席の中央に跪き、鈴のもげた、音のしない小さな鉦《かね》を、やけに振っている。その間、一人の司祭が、古びた金色の衣をつけて、ひと言もわからないお祈りをむにゃむにゃと唱えながら、祭壇の前を行きつ戻りつしている。……これこそたしかに第三のおミサを唱えている最中のバラゲール僧正であった。
オレンヂ
幻想曲《フアンテジー》
パリでは、オレンヂは、まるで木の下に落ちているのを拾われた果物といったような、なさけない様子をしている。雨もよいの寒い厳冬のころ、オレンヂが諸君のところに着くときは、風味の穏かだった原産地の、あの艶々と輝く皮や、あのすばらしい芳香が、奇妙な少々放浪者《ボヘミヤン》じみた風貌に変っているのである。靄の濃い宵に、オレンヂは行商人の小さな荷車に山と積まれ、赤い紙提灯の鈍い灯影を浴びて、しょんぼりと、歩道に沿うて進んでゆく。行き交う車や轣轆たる乗合馬車の轍の響に掻き消されながら、細くて鋭い単調な売り声が、その脇で叫んでいる。
――えェ、二スーのヴァランス・オレンヂ!」
大部分のパリ人にとっては、遠い国で摘みとられた、丸味も平凡な、もとの枝付の部分だけちょっぴり緑色をとどめているこの果物は、砂糖菓子や有平糖《あるへいとう》と何ら選ぶところがない。オレンヂをくるんでいる薄紙とか、オレンヂの出回る頃やってくるお祭りが、そういった印象を与えるのにあずかって力があるのだ。殊にお正月が近づくと、路上に並べ立てられた無数のオレンヂ、溝の泥の中に散らばっているあの皮という皮が、何か突拍子もなく大きなクリスマス・ツリーでもあって、パリの街の上に人造果実のたわわにみのった枝々を揺すぶっているのではないかと想像させるのである。パリじゅうでこの果物を見かけない片隅はない。明るい陳列窓《シヨーウインドー》には、一粒選りのれっきとしたオレンヂが陳列してある。刑務所や養育院の門前では、ビスケットの包みや林檎の山の間にある。また、ダンス・ホールとか日曜日の見世物などの入口の前にも並べてある。そしてその妙《たえ》なる薫りは、ガス灯の悪臭や、安ヴァイオリンの騒音や、天井桟敷の腰掛《ベンチ》の埃りに入り混っている。オレンヂがみのるにはオレンヂの木がなくてはならないということも、ついには忘れられてしまう。なぜなら、この果物が箱にぎっしりとつまって、南仏《ミデイ》から真直ぐにわれわれのところへ到着する時分には、公園のオレンヂの木は、枝を刈り込まれ、形を変えられ、姿をやつし、その冬ごもりする温室から、外気の中に日中ほんの束の間だけ持ち出されるに過ぎないのだから。
オレンヂというものを充分に認識するには、その原産地の、バレアル群島、サルヂニヤ島、コルシカ島、アルジェリヤなどにおいて、金泥をまぶした蒼い大気の中、地中海の温暖な雰囲気の中で眺めなくてはならない。私は思い出す、ブリダー町《*》のすぐ近くにあったささやかなオレンヂ畑を。そこではどんなにオレンヂの美しかったことだろう! くすんだ色の、艶々した、ニスを塗ったような葉の茂みに、オレンヂの実は色ガラスのような輝きを見せ、撩乱たる花々をとりかこむあの燦然たる後光で以て、あたりの空気を金色に光らせていた。ここかしこの空地からは、枝越しに、小さな町の城壁やら、回教寺院の塔やら、廃堂の円屋根などが見え、さらにその上方には、山麓は緑色、頂上は白い毛皮のようなふっくらとした斑《まだ》らの新雪に覆われているアトラス山の巨大な山塊が望まれるのだった。
滞在中の一夜、どうした風の吹き回しか三十年来稀有の現象で、寒い冬の空気が、睡眠中のこの町の上にまで押し寄せてきた。ためにブリダー町は様相一変、白皚々《はくがいがい》たる姿で眼を覚ました。あの大そう軽い大そう澄んだアルジェリヤの大気の中では、雪は螺鈿の粉末のように思えた。それはまた、白孔雀の羽のような光沢を持っていた。一番美しかったのはオレンヂ畑である。オレンヂの木の堅い葉は、漆器のお盆の上の氷菓子《シヤーベツト》のように、ふんわりと雪をそのままのせていた。そしてまた、オレンヂの実は一つ残らず薄化粧をして、白い寒冷紗に包まれた黄金のように、ほんのりと輝き、つつましやかな光りを放っていた。その様子はどことなく、教会の祭典、レースの服の下の赤い法衣、透かしレースの覆いをかけた祭壇の金泥といったような感じをいだかせるのだった。……
しかし、何といっても、オレンヂに関する私の最もなつかしい思い出は、暑い時刻に昼寝をしに行っていた、アジャクシオ湾の近くの大きな果樹園、あのバルビカグリヤから浮かんでくるのである。そこでは、オレンヂの木は、ブリダー町のときよりももっと高台に、もっと疎らに植えられていて、下の往来まで拡がっており、果樹園と往来とはただ生垣と溝とで隔てられているばかり。往来のすぐ向うは、海、蒼い涯しない海だった。……なんという楽しい時間を私はこの果樹園の中で過ごしたことだろう! 頭上には、花が咲いたり実がなったりしているオレンヂの木々が、その薫りのエキスを燃やしている。ときどき、熟れた実が、不意に枝から離れ、暑熱にうだったかのように、何の反響もない鈍い音を立てて、私のそばの地面《じべた》に落ちる。私はただ手を伸ばしさえすればよかった。内部《な か》が真紅色をしている見事な果実である。とてもうまそうだ。それにまた、見はるかす水平線の美しかったこと! 葉の間に、海は、もやもやした大気の中で反射するガラスの破片のようにまぶしい青々とした空間を拡げている。その上また、永い間《ま》をおいてあたりの空気を揺り動かす波のうねりの、眼に見えない小舟に乗っているようにこの身を揺すぶるリズミカルな囁き、そして暑熱と、オレンヂの匂い。……ああ! バルビカグリヤの果樹園で眠るのは、なんと快適だったことだろう!
しかしながら、気持よく昼寝をしている最中に、時たま、太鼓の音ではッと夢を破られることがあった。下の往来へ練習しに来る忌々しい鼓手たちである。生垣の隙間越しに、私は太鼓の銅張りの部分や、赤いズボンの上に垂れた白い大きな前掛が眼についた。往来の埃りが容赦なく照りつけてくるギラギラした光線を少しでも避けようとして、気の毒に奴さんたちは、果樹園の裾の、生垣の短かい日陰の中に、腰を下ろしにやってきたのだ。そして太鼓を叩いているのだ! 暑いだろうに! で、私は、自分の催眠状態《イプノチスム》をむりやり払いのけながら、面白半分に、手近に垂れ下っている例の赤味がかった金色の美しい実を二つ三つ、彼らめがけて投げつけた。狙いをつけられた鼓手は手を休める。彼は一瞬ためらって、眼の前の溝に転がり落ちた見事なオレンヂの実はどこから来たのだろうと、あたりをきょろきょろ見回すのである。それから、大急ぎで拾うと、皮もむかずにかぶりついた。
私はまた思い出す、バルビカグリヤのすぐそばに、小さな低い塀で境界《さかい》をつけられただけの、私のいた高台から見下ろせる相当風変りな小庭が一つあったことを。それは小ぢんまりと設計されたささやかな一劃であった。青々とした黄楊《つ げ》の樹で縁取った亜麻色の砂地の小径と、入口にある二本の糸杉とが、マルセーユ辺の小別荘のような外観を与えていた。物陰といっては毛筋ほどもない。奥には、白い石造の建物が一棟あって、地面すれすれのところに地下室の小窓がついている。私は最初、別荘だと信じていた。しかし、よくよく眺めると、屋根に十字架を戴いているし、文句ははっきりしないけれど、石に彫った墓碑銘も遠くから眼についたので、コルシカ人のある家族の墓だとわかった。アジャクシオ湾の周囲には、庭の真中にぽつんと立っている、死者をまつったこうした小さな礼拝堂がたくさんあるのだ。家族の者は日曜日にはそこへお詣りにくる。そうとわかってみれば、死は、雑然たる墓地の中でのように悲痛には感じられない。愛する遺族の足音のみが静寂を破るのである。
人の好さそうな爺さんが一人、小径を静かに歩いているのが、私の位置から望まれた。一日じゅう爺さんは、ごく丹念に、枝を刈り込んだり、鋤を入れたり、水をやったり、しぼんだ活花を取りのけたりしていた。やがて、日暮れになると、死んだ家族の眠っている小さな礼拝堂に入って行った。鋤や熊手や大きな如露をしまい込むのである。こうしたすべての動作が、まるで墓地の園丁のように落ちつきはらった平静な態度で行われたのだ。しかも、自分で意識してはいないが、この善良な男は、誰かの眠りを覚ますのを惧れているかのように、大きな音という音を立てないようにし、地下室の戸は一々そっと閉めたりして、ただもう一心に働いていた。光り輝く大きな静寂の中で、この小庭の手入れは、一羽の鳥の邪魔をしたわけでもなかった。そしてまた、近所に何一つ悲しい気配がただよっているわけでもなかった。ただ、このために、海は一そう広く、空は一そう高く見え、また、あまりにも生気溌剌たるために却って人の心を不安にし切なくする大自然の中で、死者のあの果てしない昼寝は、周囲のすべてに、永遠の休息という感じをいだかせていた。……
* フリダー町――アルジェリヤ、アルジェー地区の一小邑。オレンヂの産地及び避寒地として有名。
二軒の旅籠屋
七月のある午後、ニームからの帰り途のことだった。堪えがたいほど蒸暑い日である。見渡す限り、灼けついた白い往還が、空一面にはだかったいぶし銀の大きな太陽の下、オリーヴ畑と樫の苗木畑の間に、埃りっぽく続いている。一点の物陰もなく、そよとだに風も吹かない。ただ熱気の顫動と、そのギラギラ光る果てしない顫動の反響そのもののような気のする、耳を聾する、急ピッチな、気ちがいじみた音楽の、ミンミン鳴きしきる蝉の声、それ以外には何もない。……私はもう二時間も、沙漠の真中のようなところを歩いていた。と、そのとき不意に、眼の前に、一むれの白壁の民家が、往環の埃りの中から浮かび出た。サン・ヴァンサンという宿場であった。五、六戸の農家《マ ス》、赤い屋根の細長い納屋、やせた無花果の木立の中に水の涸れた水かい場が一つ、そして宿場の出はずれには、道の両側に面と向い合った、二軒の大きな旅籠屋。
旅籠屋同士がこんなに近接しているということは、何となく私をぎくりとさせた。一方は、真新しい大きな建物で、活気に溢れ、景気がよくて、戸はことごとく開け放たれ、乗合馬車は門口《かどぐち》にとまり、車からはずされた馬は湯気を立て、馬車から降り立った旅人たちは、壁ぎわの短い日陰に入って、路ばたで、さっそくぐい飲みをやっている。牝騾馬や荷車などでごった返している中庭、物置の軒下に寝そべって涼風の吹くのを待っている荷車輓きたち。屋内では、叫び声、憎まれ口、拳《こぶし》でテーブルを叩く音、コップの触れ合う響、騒々しい玉突の音、跳ね飛ぶレモン水の栓、そして、このようなあらゆる喧騒の中にひときわ高く、窓ガラスを顫わせて歌っている弾《はじ》けるような陽気な声。
きりょうよしのマルゴトン
いつもいそいそ早起きで
銀の水がめ手にとると
泉へ出かけて行ったとさ……
……お向いの旅籠屋は、これに反して、ひっそり閑としてまるで見捨てられたようであった。玄関先の雑草、こわれた鎧戸、戸口の上に古ぼけた羽飾りのように垂れ下っている銹《さび》病にかかった細い柊《ひいらぎ》の小枝、往来の小石でつっかいをした入口の段々。……それらが何もかも、ひどく貧相で、いかにもあわれっぽい様子なので、一杯飲むためにこちらに立ち寄るのは、本当に一つの慈善であった。
入って見ると、荒れ果てた陰気な細長い部屋で、カーテンのない三つの大きな窓から射し込むまぶしい日の光が、室内をいやが上にも陰気な荒れ果てたものに見せていた。埃りでくすんだコップが幾つも散らかっている片ちんばの数台のテーブル、四隅の孔がお椀のように大きくなったぼろぼろの玉突台、黄色く日に焼けた長椅子、古びたカウンターなどが、この室内の不健康な重苦しい暑気の中にまどろんでいた。そして、おびただしい蠅の群! 蠅の群! 私は今までこんなにたくさんの蠅にお目にかかったことがない。天井にとまっている奴、窓ガラスにへばりついている奴、コップの中にたかっている奴、いやもううようよと。……私が戸を開けると、ブンブン唸って、翅を顫わせ、私はまるで蜜蜂の巣の中に首を突っ込んだも同然であった。
部屋の奥には、窓口に、ガラスに額《ひたい》を当ててつっ立ったまま、夢中になって戸外《そ と》を眺めている一人の女がいた。私は二度も呼んだ。
――もしもし! おかみさん!」
彼女はゆっくり振り向いて、この近辺のお婆さんたちがかぶるような焦茶色のレース製の長い頭巾にくるまった、皺の寄った、油気の切れた、土色の、いかにも田舎女くさい見すぼらしい顔を見せた。しかし、年とった女というわけではない。ただ、涙のためにすっかりしなびてしまっていたのだ。
――何かご用で?」と彼女は眼頭をぬぐいながら訊ねた。
――ちょっと腰を下ろして何ぞ飲みたいんだが……」
彼女は、合点が行かないかのように、その場から身動きもしないで、ひどくびっくりした顔で私を見つめた。
――じゃあここは旅籠屋じゃないの?」
女は溜息をついて、
――いいえ、……あの、お望みなら、商売もいたしますが、……でも、どうしてひとさまのようにお向いへいらっしゃらないのです? お向いの方がずっと賑やかですのに……」
――僕には賑やかすぎるんだ。……おかみさんのとこにいるほうが好きなのさ」
そういって、返事を待たずに、私は一台のテーブルの前にみこしを据えた。
こちらが本気で話していると見極めがつくと、おかみさんは、非常に忙しそうな様子で往ったり来たりしはじめた。引出しを開けたり、壜を振ったり、コップを拭いたり、蠅を追いのけたりして。……お給仕しなければならぬ旅人が訪れたことは、まさに一大事件の感があった。ときどき憐れな女は立ちどまり、何とも匙を投げる以外には仕方がないといったような恰好で頭をひねるのである。
やがて彼女は奥の間に入った。大きな鍵を動かし、錠前をガチャつかせ、パン櫃の中を掻き回し、皿を吹いたり、はたいたり、洗ったりするのが聞えてきた。ときどきは、深い溜息や、忍び音のむせび泣きも……
こうして十五分ほどかかって寄せ集めた挙句、私の前には、一皿の「パスリーユ」(乾葡萄)、砂岩のように堅いボーケール町の古パン、一壜の粗製葡萄酒が出された。
――お待ち遠さま」と奇妙な女はいって、それからそそくさと、またもとの窓の前へ行って座を占めた。
飲みながら、私は彼女にしゃべらせようと試みた。
――お客はあまり来ないんだね、そうだろう、おかみさん?」
――それはもう! あなた、一人だって来やしません。……村にうち一軒きりだった時分には、こんなではなかったのです。ここは宿駅に当っていたので、鴨の時節には猟師たちが食事に寄りましたし、馬車ときたら一年じゅう。……ところがお向いの連中が来て店開きをしてからというものは、すっかり駄目になってしまいました。……お客さまはお向いにいらっしゃるほうが好きなんです。手前どもは鬱陶しすぎるのですね。……実際の話、うちは居心地がよくありません。わたしはべっぴんじゃありませんし、よく熱が出るし、二人の娘も死んでしまいましたし、……あちらは、これと反対に、しょっちゅう笑い声が絶えません。宿《やど》を営んでいるのはアルル生れのある女で、レースの着物に、頸には金ぐさりを三まわりも巻いている美人です。その情夫というのが馭者なんで、乗合馬車を女のところへ着けるという寸法。おまけに、女中には口の上手な女がどっさりいて。……だからお華客《とくい》の来ることったら! ブズース、ルデッサン、ジョンキエールへんの若い衆はみんな常連です。荷車輓きは回り道をしてまであの女のところに立ち寄ります。……わたしのほうは、一人だってお客がなく、一日じゅうここにこうして痩せ細ってゆくばかりです」
彼女は相変らず額《ひたい》を窓ガラスに押し当てたまま、上《うわ》の空の、よそよそしい声でこういった。明らかに、お向いの旅籠屋に、何かしら彼女の気を奪っているものがあるのだった。……
突然、往来の向側がひどくざわつき出した。乗合馬車は埃りの中に動きはじめた。鞭の音、馭者のラッパの音、戸口に走り出て叫ぶ女たちの声。
――さようなーら!……さようなーら!……」
そうして、それに浴びせかけて、さっきのすばらしい声が、ひとしお美しくまた始まった。
銀の水がめ手にとると
泉へ出かけて行ったとさ
そこなる泉へさしかかる
三人づれのお武家さま……
……この声におかみさんは全身を顫わせ、それから、私のほうを振り向いた。
――お聞きですか?」と彼女は低い声で私にいう。「あれはわたしの亭主です。……ね、上手に歌うでしょう?」
私は唖然として、女の顔を見つめた。
――なに? ご亭主だって! じゃ、ご亭主も、あっちへ出かけるの?」
すると、おかみさんは、いかにも悲しそうな様子で、しかし非常にものやさしく、
――だって旦那さま、どうにも仕方がないじゃありませんか? 男ってそんなものです。男はめそめそするのを見るのが嫌いです。ところがわたしはというと、娘たちが死んでからこっちは、いつも泣いてばかりいます。……それに、お客一人来ないこの大きなバラックは、とても鬱陶しくて。……ですから、あまり気がふさぐと、気の毒にうちのジョゼは、お向いへ飲みに行くのです。そして好い声をしているものだから、あのアルルの女が歌わせるのです。しいッ!……それ、また始まりましたよ」
こういって、顫えながら、両手を前に差しのばし、ポロポロと流れる大粒の涙でその顔をますます醜くしながら、彼女は、うっとりとしたように、窓の前に立ちつくして、亭主のジョゼがアルルの女のために歌う声に聞き惚れていた。
先頭《さ き》なるお武家がいうことにゃ
「やあこんにちは、べっぴんさん!」
ミリアナにて
旅のノート
今度は、諸君を、風車小屋から二、三百里離れた、アルジェリヤのある美しい小さな町へ連れて行って、一日を過ごさせて上げよう。……タンバリンや蝉とは少々変った感じがするだろう。……
……ひと雨きそうだ。空は灰色で、ザカール山の頂は霧に包まれている。悲しい日曜日だ。……アラビヤ風の城壁に面して窓が開かれているホテルの小さな自分の部屋で、私は煙草をくゆらしては気を紛らせようとする。……ホテルに備付けの書物は、どれを引き出そうと私の自由であった。登記に関する極めて詳細な一冊の沿革史と、数冊のポール・ド・コック《*》の小説本との間に、落丁のあるモンテーニュ一巻を発見する。……漫然とそれを開いて、ラ・ボエシ《**》の死についての、例のすばらしい書簡を一読。……すると今までになく物思わしい、鬱陶しい気分になった。……雨はぽつりぽつりともう降ってきた。……どの滴も窓の縁に落ちかかると、去年の雨以来そこに積っている土埃りの中に大きな星形のしみをつくる。……本は手から滑り落ち、私はしばらくこのメランコリックな星形を眺めて時を過ごす。……
町の大時計で二時が鳴る。――大時計は、ここからひょろ長い白壁の見える古い「回教の廃堂《マ ラ ブ ー》」に懸っている。……見すぼらしい廃堂! 三十年前には、こいつに向って誰が、「お前さんは今にやがて、胸の真中に、町の時計の大きな文字板をつけて、日曜日ごとに、正二時には、ミリアナじゅうの教会に午後の祈りの鐘を鳴らす合図をするようになるだろう」などといった者があるだろうか?……ディン! ドン! そうら、鐘が鳴り出した!……その音はいつまでも消えない。……この部屋は侘しくてたまらない。俗に哲学的瞑想と呼ばれる大きな朝蜘蛛どもが、四隅に巣を懸けている。……どれ、戸外《そ と》へ出よう。
私は広場に出た。少々の雨などにはびくともしない歩兵第三連隊の軍楽隊が、今しも楽長の周囲に整列したところだった。師団の建物の窓の一つに、師団長が、令嬢たちに囲まれて姿を現わす。広場では、郡長が治安裁判所判事と腕を組んで、あちらこちらを歩き回っている。半裸体のアラビヤ人の子供たちが五、六人、野蛮な大声を上げて、片隅でビー玉遊びをしている。向うには、襤褸《ぼろ》をまとったユダヤ人の老人が一人、昨日この場所に残しておいた日の光を探しにきて、それがもう見当らないのでびっくりしている。……『一、二、三、始めッ!』軍楽隊はタレクシーの古いマズルカを奏で始める。この冬、パリの私の家の窓の下で手回しオルガンが弾いていた曲だ。その時分はこのマズルカは私をうんざりさせたものだったが、今日は涙が出るほど私を感動させる。
おお! 第三連隊の楽手たちは何と仕合せなことだろう! 十六分音符をじっと見つめ、リズムと騒音とに酔い痴れて、拍子《タクト》を数えること以外には何も考えない。彼らの精神、彼らの全精神は、掌ほどの大きさのあの四角い紙きれの中に集中しているのだ。――その楽譜は二つの銅製のクリップの間に挟まれて、楽器の先端で顫動している。『一、二、三、始めッ!』これらの善良な連中にとっては、それがすべてである。母国の歌曲《う た》を奏でても、彼らは別段ホームシックに罹るわけではないのだ。……ああ! 私はちがう、私は軍楽隊の連中ではないのだから、この曲には胸がうずく。で、私は逃げ出すことにする。……
どこへ行ったらうまく過ごせるだろうか、この灰色に曇った日曜日の午後を? 占めた! シドマールのコーヒー店が開いている。……シドマールのところに入ろう。
店を構えているけれど、シドマールはただの商人ではない。反旗を翻した近衛歩兵の手にかかって絞殺されたアルジェの元の太守の子息で、王族なのである。……父の非業の最期に遭うや、シドマールは敬愛する母堂と一しょにミリアナに難を避け、この地に数年間、兎猟犬《レヴリエ》や鷹や馬や女官たちの間で、オレンヂの木や泉水の多い大そう涼しいきれいな宮殿の中に、哲人風な大領主として暮らしていた。フランス軍がやって来た。シドマールは最初のうちはフランスに敵対して、アブ・デル・カデールと同盟を結んでいたが、ついにこの首長と仲違いをし、フランス軍に帰順した。首長はその仕返しに、シドマールの不在に乗じてミリアナに侵入し、王宮を掠奪し、オレンヂ畑を荒らし、馬や女官たちを拉致し、あまつさえ大きな櫃の蓋で母堂の咽喉《の ど》を圧し潰した。……シドマールは怒り心頭に発した。時を移さず彼はフランスの軍隊に身を投じた。首長討伐の戦闘の間じゅう、わが軍には彼以上に立派で勇猛な兵士は一人もいなかった。戦闘が終ると、シドマールはミリアナに帰ってきた。しかし現在でもなお、彼の前でアブ・デル・カデールの話が出ると、彼はさっと蒼ざめて、両眼が爛々と光るのである。
シドマールは六十歳である。老齢で、あばたの痕もあるけれど、その容貌はいまなお美しさをとどめている。太い眉、女のような眼差、魅力ある微笑、王者の風格。戦争のために破産して、シェリフ平野の農園が一カ所とミリアナの住宅が一つ、昔の富裕の名残りとして残っているばかりである。彼はこのミリアナの自宅に、自分で薫陶した三人の息子たちと一しょに、安楽な暮らしをしている。原住民の首領たちは絶大な尊敬を彼に払っている。何か紛争が持ち上ると、みんなは進んで彼を調停者にし、その裁定は殆んどいつも法律の役割を果した。彼はあまり外出しない。いつも午後には、住宅の隣りの、往来に面して開かれている店にその姿が見受けられる。店の調度の数は豊富ではない。――白堊塗りの壁、円形の木製の腰掛が一つ、何枚かのクッション、長い烟管、二つの火鉢。……シドマールが人々に謁見し、裁きをつけるのはそこである。店頭のソロモン王とでも申すべきか。
今日は日曜日、来訪客が多い。十二人ほどの首領たちが、毛外套にくるまったまま、広間の周囲にずらりとうずくまっている。各自、手許に大きな烟管を置き、精妙な金線細工の鶏卵立ての中には少量のコーヒーが注《つ》いである。私が入っても、誰一人身動きしない。……シドマールは私の顔を見ると、自席から魅力ある微笑を送り、彼のそばの黄色い絹のクッションに坐るようにと手招きする。それから、唇に指を一本当てて、謹聴してくれと私に合図をする。
事件というのは次の通り。ベニ・ズグズグス族の原住民官吏が、ちょっとした地所のことでミリアナの一ユダヤ人といざこざを始め、両者ともこの紛争をシドマールのところに持ち込んで、その裁きに服そうということになった。会合は即日ということに定《き》まり、証人たちが召集された。ところが、突然、ユダヤ人の方が意見をひるがえし、証人も連れずに単身やってきて、シドマールに頼むよりはフランス人の治安裁判所判事のところに持ち込むほうがましだ、と言明した。……そういったいきさつのところにちょうど私は来合わせたのである。
ユダヤ人は、――年寄りで、くすんだ鬚を生やし、栗色の上着を着、青い靴下にビロードの帽子をかぶり、――鼻を空に向けて、嘆願するように眼玉を動かし、シドマールのトルコ・スリッパに接吻して、首をかがめ、跪いて、掌《て》を合わせる。……私は、アラビヤ語はわからないが、しかしユダヤ人の所作《パントマイム》や、しょっちゅう繰り返される「治安裁判所判事《ズージユ・ド・ペー》、治安裁判所判事《ズージユ・ド・ペー》」という言葉によって、この見事な弁舌を次のように判断した。
――私どもはシドマールさまを疑いは致しませぬ。シドマールさまは賢いお方じゃ、シドマールさまは公平じゃ。……しかしながら治安裁判所判事《ズージユ・ド・ペー》のほうがわれわれの事件をもっとよく裁いて下さるじゃろう」
聴衆は憤慨しているのだが、いかにもアラビヤ人らしく、色には現わしていない。……クッションの上に身を横たえ、ぼやッとした眼つきで、琥珀の吸口の烟管をくわえ、無二の皮肉屋、シドマールは傾聴しながら微笑んでいた。話が最高潮に達したとき、不意に、「馬鹿《カランバ》!」という断固たる一語がユダヤ人をさえぎったので、ユダヤ人の話はぴたりとやんだ。同時に、原住民官吏の証人としてそこに来ていた一人のスペイン人の移民が、席を蹴って、このイスカリオテのユダ《***》に近づき、あらゆる調子の呪詛の言葉をあらゆる国語で彼の頭上にいやというほど浴びせかけた。――その中にはここに繰り返すのも大人気ないようなひどいフランス語の単語もあった。……フランス語のわかるシドマールの息子は、父親の面前でこんな言葉を聞いたので顔を赧らめ、部屋から飛び出した。――アラビヤ式教育にもそんな一面がある点は覚えておかなければなるまい。――ところで、聴衆は依然として眉一つ動かさないし、シドマールは相変らず微笑を浮かべている。ユダヤ人は、起ち上って、戸口のところまで後すざりする。おびえてがたがた顫えながら、そのくせますます口達者に、性懲りもなく「治安裁判所判事《ズージユ・ド・ペー》、治安裁判所判事《ズージユ・ド・ペー》」とほざきながら。……そして彼は戸外《そ と》へ出た。スペイン人は怒ってその後から飛び出し、往来で追いすがりざま、二度ほど――ピシャリ! ピシャリ!――頬ぺたに平手打ちを喰らわせる。イスカリオテのユダは跪いて、腕を十字に組む。スペイン人は少々恥じて、店へ引返してくる。――彼が立ち去るや否や、ユダヤ人は起き上って、周囲にたかってきた肌の色のとりどりな群衆を、陰険な眼差で眺めわたした。そこにはあらゆる皮膚の色の人々がいた。――マルタ人、マホン人、黒人、アラビヤ人、いずれもユダヤ人種を憎むことにかけては同じで、いまその一人がいじめられるのを見て、彼らは喜んでいるのだった。……イスカリオテのユダは一瞬ためらったが、やがて一人のアラビヤ人の外套の裾をつかむと、
――見ただろう、アクメド、お前、見ただろうな。……そこにいたんだから。……キリスト教徒がわしをひっぱたいたんだ。……お前、証人になってくれよ。……さあ……よろしいな。……証人になってくれよ」
アラビヤ人は外套を手から引き離し、ユダヤ人を押しのける。……自分は何も知らない、何一つ見なかった、あの時はちょうど傍《わき》を向いていたのだという。……
――じゃお前は、カドゥール、お前は見ただろう。キリスト教徒がわしをぶんなぐったのを見ただろうな……」みじめなイスカリオテのユダは、さぼてんの実をむしっている肥った黒人にこう叫ぶ。
黒人は軽蔑のしるしに唾を吐いて、向うへ行ってしまう。彼も何一つ見なかった。……真黒な眼を四角い帽子の陰で意地悪そうに光らせているあの小柄なマルタ人も、やはり何も見なかった。ざくろを入れた籠を頭上にのせて、笑いながら逃げてゆく煉瓦色の顔をしたあのマホン人の女も、何一つ見なかった。……
ユダヤ人は空しく喚き立て、頼み散らし、騒ぎ回っている。……証人は一人もいない! 誰も何一つ見なかった。……幸いにも彼と同宗の男が二人、こそこそと壁沿いに、折しも往来を通りかかった。ユダヤ人は二人を見つけて、
――早く、早く、兄弟たち! 大急ぎで代言人のところへ! 大急ぎで治安裁判所判事《ズージユ・ド・ペー》のところへ!……お前さんがたは目撃なさったね、お前さんがたは。……老人が殴られたのを目撃なさったね!」
彼らが目撃しただって! 冗談いっちゃいけない。
……シドマールの店の中は大へんなざわめきだ。……店主は客にコーヒーを注《つ》いだり、烟管に火をつけてやったりしている。みんなは上機嫌で談笑している。ユダヤ人のぶんなぐられるのを見たのが愉快でたまらないのである!……がやがやいう音と煙草のけむりの中を、私は静かに戸口のほうへ行く。イスカリオテの同宗徒たちが仲間に与えられた侮辱をどう取ったかを知るために、私はユダヤ人町のほうへ少しぶらつきに行きたくなったのだ。……
――今晩食事に来て下さいよ、旦那《ムーシユー》」
と親切なシドマールが声をかける。……
私は承諾して、お礼を述べる。そして戸外《そ と》へ出た。
ユダヤ人町では、住民がみないきり立っていた。事件はすでに大評判になっていた。店には人影もない。刺繍職人も、仕立屋も、馬具屋も、――イスラエルの民は一人残らず往来に出ていた。……男たちは――ビロードの帽子をかぶり、青い毛糸の靴下をはき――あちらこちらで一塊りになって、がやがやと身振りをまじえて語っている。……女たちは、蒼ざめたむくんだ顔で、金色の胸当のついた平べったい服を着て木偶《で く》のようにぎすぎすと、黒い細目のネッカチーフで顔をくるみ、こちらの群からあちらの群へと走り回っては、猫のような声でしゃべり散らしている。……私が着いたとき、大きな動揺が群衆の中にまき起っていた。人々は大急ぎで駈け出してゆく。……証人たちに倚りかかって、例のユダヤ人――事件の主人公――が、両側に並んだ帽子の垣の間を、雨のように降りそそぐ激励の言葉を浴びて通りかかったのである。
――復讐しなよ、兄弟。われわれのために、ユダヤ民族のために、復讐しておくれよ。何も怖れるこたあない。お前さんには法律がついているんだ」
松脂や古い革の匂いのする大そう醜い一人の侏儒《こびと》が、あわれっぽい様子をして私に近づき、深い溜息を洩らしながらいった。
――おわかりでしょう! われわれユダヤ人は、可哀そうに、こんな仕打ちを受けるんですからね! ご覧なさい、老人じゃありませんか! それを半殺しの目にあわすなんて」
全く、可哀そうに、イスカリオテのユダは、生きているというより死んでいるみたいだ。彼は私の前を通り過ぎる。――どろんとした眼、血の気のない顔、歩くのではなくて、足を引きずっている。……莫大な賠償金だけが、彼を癒やすことができるのである。だから医者のところへではなく、代言人のところへ、彼は連れて行かれるのだ。
アルジェリヤには、殆んどばったの数と同じくらいたくさんの代言人がいる。この商売はぼろいものらしい。いかなる場合にも、試験なしで、保証金も要らず、見習にもならず、簡単にそれになれるという利益がある。パリでわれわれが文士になるのと同じように、アルジェリヤでは人々は代言人になる。そのためには、フランス語、スペイン語、アラビヤ語をちょっぴり知っていて、鞍嚢の中にいつも六法全書を入れておき、何よりもまず職業意識というものを持ち合わせていれば、それで充分なのである。
代言人の職務はすこぶる多種多様で、弁護士にもなれば、代訴人にもなり、ブローカー、鑑定人、通訳、帳簿係、取次業者、代書人になることもあり、いわば植民地の何でも屋《メートル・ジヤツク》である。ただ、アルパゴンには、何でも屋《メートル・ジヤツク》は一人しかいなかったが、植民地には余計なくらいたくさんいる。ミリアナだけでもその数は数ダースに達する。大抵、事務所の借賃を節約するため、この連中は広場のコーヒー店でお客に応接する。そうしてアプサントを飲んだりラム入りコーヒーを飲んだりして、その間に、自分の意見――かどうだか知らないが――を述べるのである。
二人の証人に両側から支えられて、いかめしくも例のイスカリオテのユダが目指してゆくのは、広場のコーヒー店である。ついてゆくのはよそう。
ユダヤ人町を出て、アラビヤ政庁の建物の前にさしかかる。スレートの屋根、その上にひるがえるフランス国旗、外から見ると、村役場としか思えない。私は通訳官を知っている。中に入って彼と一しょに煙草を喫おう。一服、また一服、そのうちにはうまい具合に、この陽の照らない日曜日の暇つぶしができようというものだ!
役所の前にある広庭はぼろ着をまとったアラビヤ人でごった返していた。彼らはその数約五十人、毛外套にくるまったまま、壁際にずらりとうずくまって、面会を待っている。このアラビヤ人の待合所は、――戸外にあるくせに、――一種強烈な体臭を発散している。早く通り抜けよう。……役所に入ると、通訳官が、大声で話す丈の高い二人の男を相手に応対これ努めているところであった。二人の男は裸体の上に垢じみた長い毛布をじかにひっかけて、私にはよくいきさつがわからないが何でも数珠を盗まれたということを、いきり立った身振りで訴えている。私は片隅の茣蓙《ナツト》の上に腰を下ろしてじろじろと眺めわたす。……きれいな制服である、通訳官のこの制服は。しかもミリアナの通訳官どのは何と上手にそれを着こなしていることだろう! 一つ一つ特別誂えで仕立てさせたようだ。制服は空色で、黒い肋骨飾りとピカピカ光る金ボタンとがついている。通訳官はすっかりウェーブをかけた金髪をして、頬はばら色である。ユーモアたっぷりで想像力も豊かな、立派な青衣の竜騎兵といったところだ。少々饒舌家で、――いろんな国の言葉を話す!――多少懐疑派で、――東洋学院ではルナンの面識を得た!――それに大のスポーツ好きで、誰よりも上手にマズルカが踊れるし、誰にも出来ないようなクースクース《****》が作れるし、郡長夫人の夜会のときと同様、このアラビヤ政庁詰めでやに下っている。つまり、パリジャンなのである。こんな男だから、ご婦人がたがちやほやするのも驚くには当らない。ハイカラの点にかけては、ただ一人の好敵手がいるばかり。それは政庁勤務の軍曹どのである。この軍曹というのは――上等の羅紗の軍服を着、真珠母のボタンのついたゲートルをはき――駐屯部隊全員に失望と羨望の念をいだかせる男だ。アラビヤ政庁勤務を命ぜられた彼は、隊の使役を免除され、いつも白手袋をはめ、ウェーブをかけたばかりの髪をして、大きな帳簿を小脇に抱え、往来に姿を現わす。人々は彼を讃美し、彼を恐れる。何しろ大変な勢力である。
ところで、数珠盗難の一件は。確かに話がまだまだうんと長びきそうだ。さようなら! 済むまで待ってはおられない。
出がけに私は待合所がざわめいているのに気がついた。群衆は、黒い毛外套を羽織った、丈の高い、蒼白い、きりっとした顔の一人の原住民のまわりに詰めかけている。この男は、一週間ほど前に、ザカール山中で豹と組打ちをしたのである。豹は死んだ。しかし男も腕を半分喰い取られてしまった。朝夕、彼は役所に治療を受けにくる。そしてその度に、人々は広庭に彼を引きとめて豹を殺した話を聞こうとするのだ。彼は咽喉の奥から出る美しい声でゆっくりと話をする。ときどき、外套をまくって、胸に吊った血のにじんでいる繃帯を巻いた左の腕を見せたりする。
私が往来に出るや否や、不意に激しいスコールが起った。雨、雷鳴、稲妻、シロ《*****》コ……さあ早く、雨宿りしよう。私は行きあたりばったりに、とある門の中に駈け込んだ。見ればモール風の中庭の拱門の下に一群の浮浪者どもがうようよとかたまっている真っ只中である。この中庭はミリアナの回教寺院に隣接していて、大そう貧しい回教徒がいつも逃げ込む場所なので、俗に「貧乏人の庭」と呼ばれている。
虱の一杯たかっている痩せた大きな兎猟犬《レヴリエ》どもがやって来て、意地悪そうな様子で私の周囲をうろつく。私は回廊の柱の一本に背を寄せかけて、努めて平静な風を装い、誰にも言葉をかけず、中庭の彩色をした石畳の上に跳ねかえる雨脚を眺めていた。浮浪者どもは一塊りになって地べたの上に寝そべっている。私の近くでは、ちょっとこぎれいな一人の若い女が、胸をはだけ脛も露わに、手首と踝《くるぶし》に大きな鉄の環をはめて、メランコリックな鼻声の三音階で、奇妙な歌曲《う た》を歌っている。歌いながら赤銅色の素裸の赤坊に乳を飲ませ、そうして、空いている一方の腕で、石の乳鉢《にゆうばち》の中の大麦を搗いている。ひどい風に吹きつけられて、雨はときどき、母親の脛や赤坊の身体をびしょ濡れにする。しかしこの女は一向に意に介せず、大麦を搗いたり乳房をふくませたりしながら、突風を浴びて歌いつづける。
スコールは収まりかけた。霽れ間を利用して、私は大急ぎでこの奇蹟の庭《クールザデ・ミラクル》を離れ、シドマールの晩餐さして赴いた。もう約束の時間である。……広場を横ぎるとき、私は先刻のユダヤ人の老人にまためぐりあった。彼は代言人に倚りかかっていた。証人たちは後から嬉しそうに歩いてくる。汚ならしいユダヤ人の子供の群が彼のまわりで飛び跳ねている。……みんなの顔が晴々としている。代言人が事件を引受けてくれたのである。彼は法廷で二千フランの賠償金を要求するだろう。
シドマールの家における豪奢な晩餐。――食堂はモール風の優雅な中庭に面して開かれており、その中庭には噴水が二つ三つさざめいている。……ブリス男爵《******》に紹介してもよいような、すばらしいトルコ料理。多くの皿の中で特に、アマンド入りの若鶏、ヴァニラ入りのクースクース、肉をつめた亀――少々消化には悪いが最高級の味、――それから、「酋長煎餅《ブーシエ・デユ・カジ》」と呼ばれる蜜入りのビスケットが私の注意を惹いた。酒は贅沢にもシャンパンばかりである。回教徒の戒律にもかかわらず、シドマールは――給仕人たちが背を向けた隙に――それを少し飲んだ。……晩餐の後、私たちは主人の居間に移った。果物の砂糖煮や烟管やコーヒーが運ばれる。……この部屋の調度は最も簡素で、一脚の長椅子と数枚の茣蓙と、奥には、金糸で繍取りを施した赤い小さなクッションの散らばっている丈高い大きな寝台が一つあるばかり。壁にはハマヂ某提督の武勲を描いた古いトルコの絵が懸けてある。トルコでは画家は一つの絵に一つの色彩しか使わないものらしい。この絵は緑一色である。海も、空も、軍艦も、ハマヂ提督自身も、みんな緑だ。しかもなんという濃い緑だろう!……
アラビヤの慣習では夜早く辞去するのがいいのである。コーヒーを飲み、烟管をくゆらしてから、私は主人にお休みなさいと挨拶をして、彼を女たちと共に後に残した。
どこでこの宵を終えようか? 就寝するには早過ぎるし、アフリカ騎兵のラッパも、まだ帰営の時刻を告げない。それに、あのシドマールの金色の小さなクッションが、私の周囲でちらちらと幻影のようにファランドールを踊って、私の眠りを妨げることだろう。……おや、劇場の前に出た、一寸入って見よう。
ミリアナの劇場は、もとは糧秣倉庫だったが、今はどうやら演芸場らしい恰好に見える。幕間に油を差す大きなケンケ洋灯《ランプ》が、釣燭台の役目を果している。平土間の一部は立見《たちみ》で、前方の席は腰掛け式である。桟敷は藁をつめた椅子の座席だというので大威張りだ。……客席の周囲には、床《ゆか》のない暗い長廊下がある。……まるで往来にいるような気がする。いや、往来と寸分ちがわない。……私が入ったとき、芝居はすでに始まっていた。意外千万なことに、役者たちは下手じゃないのだ。私がいうのは男優のことだが、彼らは張り切っていて、元気がいい。……殆んどみな素人《アマチユア》で、歩兵第三連隊の兵隊たちである。連隊側でもこれが自慢で、毎晩、彼らに拍手を送りにやってくる。
女優のほうは、いやどうも!……このほうはやはり相変らず田舎芝居のぱっとしない女どもで、きざで、大袈裟で、でたらめだ。……しかし、この連中の中で、私に関心を持たせたのが二人いた。この劇場で初舞台を踏んでいる、うら若い、ミリアナ生れの二人のユダヤ娘である。……両親は客席にいて、悦に入っているらしい。彼らは娘たちがこの商売で何千というスペイン銀貨を稼いでくれるものと確信している。百万長者になった女優、例のユダヤ女ラシェルの話が、東邦のユダヤ人たちのところまですでに伝わっているのである。
舞台の上のこの二人のユダヤ娘ほど滑稽でしかも哀れを催させるものは他にない。……白粉を塗り、紅《べに》をつけ、あられもない恰好で、すっかり固くなり、舞台の片隅でおずおずしているばかり。彼女たちは寒くて、恥ずかしいのだ。ときどき、意味もわからずにとんちんかんな台詞《せりふ》をいう。そして台詞《せりふ》をいう間、そのヘブライ民族特有の大きな眼は、あっけらかんと客席をみつめている。
私は劇場から出る。……私を取り巻く暗がりの中で、広場の一隅に当って叫び声が聞える。……きっと五、六人のマルタ人たちが、何かいざこざの話合いをつけるためにナイフを振り回しているところなんだろう。……
私は城壁に沿うて、ゆっくりと、ホテルへ帰ってゆく。オレンヂやチュイヤの木々のすばらしい香気が平原から昇ってくる。大気は甘く、空は殆んど霽れわたっていた。……向うの、道のはずれに、昔のある聖堂の名残の古い牆壁が幻のように立っている。この壁は神聖である。毎日そこへアラビヤの女たちが、外被《アイク》や下着《フータス》の断片だの、銀糸で結んだ褐色の髪の長い組毛だの、毛外套の裾だの、いろんな「奉納物《エクス・ヴオト》」を懸けにくる。……それらがすべて、夜の生温かい風に吹かれ、今しも淡い月光のもとでひるがえっている。……
* ポール・ド・コック――フランスの作家(1794―1871)。
** ラ・ボエシ――フランスの作家、モンテーニュの親友(1530―1563)。
*** イスカリオテのユダ――福音書所載キリスト十二使徒の一人。裏切者の代名詞。
**** クースクース――アラビヤ料理、肉だんごの一種。
***** シロコ――地中海沿岸一帯に吹きまくる沙漠の熱気を含んだ南東風。
****** プリス男爵――当時の著名な食通(1813―1876)。
ばった
アルジェリヤの思い出をもう一つ。それから風車小屋に帰るとしよう。……
あのサエル村の農園に辿り着いた晩、私は眠ることができなかった。始めての土地、旅の気疲れ、金狼《シヤカル》の遠吼、おまけに、蚊帳の網目をくぐって一そよぎの風も入ってこないかのように、ぐんなりさせる押えつけるような暑気、どうしようもない息苦しさ。……夜明け近く、窓を開けると、ゆるやかに動く重たい夏の靄が、黒とばら色の総《ふさ》飾りに縁どられ、戦場にただよう硝煙のように空中に浮かんでいた。木の葉一枚動かない。そして、私の眼の下にあるあの美しい庭には、葡萄酒に甘味をつける太陽を一面に浴びて、斜面に疎らに植えてある葡萄の樹、物陰に陽《ひ》を避けた欧洲産の果樹、小さなオレンヂの木、眼に見えないほど遠くまで連なっている蜜柑の木などが、いずれもみな同じような陰鬱な風情、スコールを待ちうける木の葉のあの不動の姿を保っていた。ちょっとした風にもその薄い軽やかな葉を縺らせて絶えず揺らぐ、あの丈高い薄みどりの葦ともいうべきバナナの木さえ、ひっそりとして真直ぐに、揃いの羽飾りのようにつっ立っていた。
私はなおしばらくの間、このすばらしい大農園《プランテーシヨン》を眺めやっていた。ここには、自分たちの季節がくればそれぞれ異郷にありながら花をひらき実をみのらせる、世界じゅうのさまざまな木が集まっているのだ。小麦の畑とコルク樫の木立との間に、一筋の小川が輝いていて、この息苦しい朝、見るからに爽々しい気分になる。モール風の拱廊と、暁の光に真白く光る露台《テラス》とを備えたこの美しい農家、その周囲にかたまっていると納屋、こういった豪奢と整頓ぶりとに驚嘆しながら、私はここの実直な人々が、このサエルの渓谷に入植した二十年前のことを想像した。当時彼らが見出したものといえば、道路工夫のお粗末な掘立小屋《バ ラ ツ ク》一棟と、矮小な棕櫚や乳香樹などの一面に生えている未開墾地だけであった。すべてを創造し、すべてを建設しなければならなかった。絶えずアラビヤ人は反抗する。それを射撃しようとすれば手にとる鋤を投げ出さねばならなかった。続いて、悪疫、眼病、熱病、不作、無経験に基づく暗中摸索、やたらに干渉ばかりする朝令暮改の施政に対する闘争。何たる努力! 何たる疲労! 何たる不断の心遣い!
苦難時代は終り、粒々辛苦、財産を築き上げたとはいえ、今でもやはり農家では、主人と主婦とが、二人とも一番早く起き出すのである。私はこんなに朝っぱらから、彼らが労働者に飲ませるコーヒーの加減に気を配りながら、階下の大きな台所を行ったり来たりしている気配を聞いた。間もなく鐘が鳴り、しばらくすると労働者たちが往来に並んだ。ブルゴーニュ生れの葡萄作りたち、襤褸《ぼろ》を着て赤いトルコ帽をかぶったカビリア出の百姓たち、素足のマホン人の土方の群、マルタ人、リュック人、すべて人種がまちまちで、指図するのに骨が折れる。彼らの一人一人に向って、農家の主人は戸口の前で、やや荒っぽいぶっきら棒な声で、その日の仕事を割り当ててやった。それが済むと、主人は頭を上げ、心配そうな面持で空模様を見た。それから窓際にいる私の姿を認めて、
――畑仕事には悪いお天気です」と彼はいった。「……そうれ、シロコが吹いてきました」
実際、太陽が昇るにつれて、灼けつくような、息の詰まる風が、まるで開けたり閉めたりするかまどの口から出るように、南からどっと押し寄せてきた。身の置きどころもない。どうなることだろう。午前中はこんな具合で過ぎた。私たちは話す元気もなく、動く元気もなく、回廊の茣蓙《ナツト》の上でコーヒーを飲んだ。犬どもはひんやりしている石畳を求めて、ぐったりとした姿勢で寝そべっている。昼食で私たちは少し元気を取り戻した。たっぷり品《しな》数の出る風変りな昼食で、鯉、鱒、猪の肉、椎茸、スタウエリ産のバター、クレシヤの葡萄酒、蕃石榴《ばんじろう》の実、バナナ、何もかも、私たちを取り囲んでいるこみいった大自然によく似た、どこから手をつけてよいか途方に暮れさせる料理であった。……食卓から起ち上ろうとしたとき、坩堝のような庭の熱気を防ぐために閉めきってある出入り窓のところで、突然、大きな叫び声が響いた。
――ばった! ばった!」
主人は凶報を知らされた人のように真蒼になった。私たちはそそくさと外に出た。今まであんなに静かだった家の中に、十分間ほど、あわただしい足音や、床《とこ》から飛び起きるざわめきにかき消されたはっきり聞き取れない声が響いた。召使たちは、昼寝をしていた玄関の物陰から、棒や熊手や連枷《からざお》を手にして、そこらにあり合わせのさまざまな金物《かなもの》類、銅の鍋、金盥《かなだらい》、シチュー鍋などを叩き鳴らしながら、表へと飛び出した。羊飼たちは放牧用のラッパを吹き鳴らした。船の法螺貝や狩の角笛を鳴らす者もいた。乱調子な恐ろしい大騒ぎである。そして近隣の部落から駈けつけたアラビヤ女たちの「イュー! イュー! イュー!」と叫ぶ鋭い音色が、その中にひときわ際立っていた。ばったを遠ざけて、下りて来ないようにさせるには、大きな物音を立て、空気をびりびりと鳴りゆるがせれば、それでもう充分なこともしばしばあるらしい。
それにしても、一体どこにその恐ろしい虫けらがいるというのだろう? 熱気に顫える大空には、森の無数の梢をそよがせる嵐のような音を立てて、雹をはらんだ雲さながらの、銅色の、ぎっしりつまった一かたまりの雲が、地平線に現われた以外には何一つ私には見えなかった。ところが、それこそばったの群なのであった。ぱさぱさした翅を拡げてお互に支え合い、一団となって飛翔して、私たちの叫び声や努力の甲斐もなく、その雲は、平原の上に大きな影を投じながら、ぐんぐんと進んできた。そして間もなく私たちの頭上に達した。と、見る見る、縁はほぐれて裂け目が生じた。驟雨がぱらぱらと降り出すように、判然たる茶褐色を帯びた幾匹かが群を離れ、続いて雲はすっかり裂けて、虫は霰のように音を立ててどっと落ちてきた。見渡す限り、畑はばったに蔽われてしまった。太さが指ほどもある大きなばったの群に。
そこで虐殺が始まった。麦藁を粉砕するような、押しつぶす作業の陰惨なざわめき。耙《まぐわ》や鶴嘴《つるはし》や鋤を持ち出して、人々はこの動く地層を掘り返した。ところが殺せば殺すほど、虫の数は殖えるのである。長い肢を絡ませては、累々層々とうごめいている。上にいる奴は苦しまぎれに跳ね上り、この奇妙な仕事のために鋤につながれた馬の鼻面に飛びついたりする。農家の犬や部落の犬は、畑の中に放たれ、ばったに躍りかかって、猛烈に噛み砕く。このとき、アルジェリヤ狙撃兵が二中隊、ラッパ手を先頭に立て、不幸な移民たちの救援に到着し、ために殺戮は様相を一変した。
ばったを押しつぶす代りに、兵士たちは地上に細長く火薬を撒いて、ばったを焼き払うのであった。
殺すのに疲れ、悪臭に嘔気を催して、私は引き返した。家の中にも、戸外と殆んど同じ位ばったがいた。戸や窓の隙間や煙突の口から入ったのである。板壁の縁だの、すっかり喰い破ってしまったカーテンのあいだを、ばったは這い回り、下に転げ落ち、宙を飛び交い、醜さを一そうひどく見せる大きな影を落して、白い壁面を攀じ登ったりしていた。そうして相変らずあのぞっとするような臭気。夕食はなしで済まさねばならなかった。水槽も泉水も井戸も生簀《いけす》も、残らずばったの臭気がしみこんでいた。あんなにたくさん殺したのに、夕方、私の寝室では、家具の下にうようよと動き回る音や、豆の莢が炎天にはじけるような、翅のばりばり軋る音が聞えた。その夜も私はやはり眠ることができなかった。一方、農家のまわりでも一人残らず起きていた。焔は平原の端から端まで、地面すれすれに流れていた。アルジェリヤ狙撃兵は絶えず殺戮を続けていた。
翌朝、私が前日と同じように窓を開けて見ると、ばったの群は立ち退いていた。しかし何という廃墟を後《あと》に残して行ったことだろう! 一輪の花、一株の草の芽もない。何もかも齧られて、焼けただれたようにどす黒くなっていた。バナナや杏の木も、桃や蜜柑の木も、裸にされた枝々の恰好で、辛うじてそれと見分けがつくばかり。魅力は失せ、木の生命である葉のそよぎもない。人々は水を入れる樽や貯水槽を洗っていた。到るところで労働者たちは虫の残して行った卵を殺すために地面を掘っていた。土くれは一つ一つ掘り返されては、丹念に打ち砕かれていた。そうして、この沃土のばらばらに崩れた中に、樹液の充ち溢れた無数の白い木の根がはみ出ているさまは、見るからに私の心を緊めつけた。
ゴーシェ神父の養命酒
――飲んでごらんなさい。味はいかがです」
こういって、一滴ずつ、まるで真珠を数える宝石商人のような細心の注意を払って、グラヴゾン司祭は、金色を帯びた、温かそうな、光り輝く、えもいえない緑のリキュール酒を、ほんのちょっぴり私に注《つ》いでくれた。……おかげで私の胃袋はすっかりぽかぽかしてきた。
――ゴーシェ神父の養命酒ですよ。これこそわがプロヴァンスの喜びと健康の素《もと》です」と司祭は得意満面語るのであった。「これはあなたの風車小屋から二里ばかり離れたプレモントレの僧院で造っています。……世界じゅうのシャルトルーズ《*》の中でこれに匹敵するものがあるでしょうか? それに、この養命酒の由来というのが、それはそれは愉快なんでしてね! まあ、聞いて下さい……」
そして司祭は、「十字架の道」の小さな額と、白い法衣のように糊のきいたきれいな明るいカーテンの懸っている、いかにも清楚な、いかにも閑静な司祭館の食堂で、エラスムス《**》かダスーシ《***》の作品《コント》風な、ちょっと懐疑的な、いささか不信心めいた短い物語を、何の悪気もなく、極めて淡々と語り始めたのである。
――二十年ほど昔、プレモントレの教団員たち、わがプロヴァンス人のいわゆる白衣僧《ペール・ブラン》たちは、貧窮のどん底に陥っていました。当時の彼らの住居をごらんになったら、あなたもほんとに気の毒だとお思いになったことでしょう。
大きな壁も、パコーム聖人を祀る塔も亀裂《ひ び》だらけになってしまいました。回廊の周囲には一面に雑草が生い茂り、並び立つ柱には割れ目ができ、壁龕《へきがん》にある諸聖人の石像は崩れ落ちているのでした。満足な窓ガラス、ちゃんとしている扉は一つだってありはしません。中庭や礼拝堂には、ローヌの河風が、カマルグを吹きまくるように吹き抜けて、大蝋燭の火を消し、ガラス窓の鉛の桟をこわし、聖水盤の水をこぼしました。しかし何よりもみじめなのは、空っぽの鳩小舎のようにひっそりとした僧院の鐘楼と、お金が無いので鐘も買えず、アマンドの木で作った拍子木を叩いて暁の勤行を知らさなければならぬ坊さんたちでした!……
気の毒な白衣僧《ペール・ブラン》たち! 聖体祭の行列のとき、「檸檬《シトル》」や西瓜に露命をつないでいる、顔色の悪い、痩せこけた坊さんたちが、つぎはぎだらけの外套をまとって悲しそうに練り歩き、その後から僧院長がうなだれて、金箔の剥げた笏杖と虫に食われた白い毛糸の僧帽を白日にさらすのをいたく恥かしがっていた姿が、今もまざまざと眼に浮かびます。参列している信徒の婦人たちは、それを見ると気の毒がって涙を流し、また、肥っちょの旗手たちは、あわれな坊さんたちを指さし合いながら、ひそひそ声でこっそりと次のように嘲笑するのでした。
――椋鳥は一団となって出かけたんじゃ痩せ細るばかりですぜ」
全く白衣僧《ペール・ブラン》たち自身としても、てんでに世間を飛び回って、めいめい勝手に餌を探したほうがましかも知れないな、と考えるようになりました。
さてある日のこと、この重大問題が会議の席で討論されているところへ、同宗のゴーシェがお耳に入れたいことがあると申している旨、僧院長に知らせにきた者がありました。……ご参考までに申し上げておきますが、このゴーシェなる男は、僧院の牛飼なんです。つまり、石畳の隙間に草を探す痩せ衰えた二頭の牝牛を追いながら、回廊の中を拱廊から拱廊へと歩き回って、その日その日を過ごしている男なのでした。十二の歳までボーの田舎の、ベゴン婆さんと呼ばれる気の変な老婆の手で養育され、その後僧院に引きとられたこの不幸な牛飼は、牛を追うことと、「主祷文《パテール・ノステール》」を諳誦すること以外はからっきし何も覚えることができませんでした。しかもそのお祈りの文句をプロヴァンス語で唱える始末です。頭が悪くて勘の鈍い男でしたから。しかし、少々誇大妄想的ではあったけれど、熱心な信者で、喜んで苦行帯もつけるし、道念堅固に戒律も守るし、それになかなかの働き者でありました!……
単純で愚鈍な彼が、会議室に入ってきて、片足を後ろに引いて一同に挨拶をする姿を見ると、僧院長も坊さんたちも会計係もみんな笑い出しました。山羊鬚を生やし少し間の抜けた眼つきをしたこの胡麻塩頭の人のよさそうな顔が、どこかに現われると、いつもそうなのでした。従ってゴーシェはべつだん驚きはいたしません。
――ご一同さま」とオリーヴの核をつらねた数珠を爪ぐりながら、彼は朴訥な口調でいいました。
「一番いい音を出すのは空樽だというのは尤もでございます。この空っぽの貧弱な頭を絞ったおかげで、私は皆さまの苦しみを切り抜ける方法が見出せたと信じます。……
その方法というのはこうです。幼い時分に私を育ててくれた例のベゴン婆さんを、皆さまはよくご存じでございましょう。(神さま、あの不埒な婆さんの魂をお許し下さい! 飲んだあとではとても下品な唄を歌っていましたっけ。)ところで皆さま、お聞き下さい、このべゴン婆さんは、存命中、コルシカ島の年老いた鶫《つぐみ》と同じくらい、いやそれ以上に、山の草のことに詳しかったのでした。しかも、晩年には、私と一しょにアルピーユの山中へ摘みに行った薬草を五、六種類混ぜ合わして、比類のない養命酒を造ったのです。あれからもうずいぶん長い年月が経ちました。しかしオーガスチン聖人のお加護と僧院長さまのお許しがあれば、私は――よく調べた上で――この霊妙な養命酒の醸造法を見つけることができるだろうと思います。そうしたらさっそく壜に詰めて、少々高い値段で売ればいいのです。トラップやグランドのお坊さんたちのようなあんばいに、私たちも居ながらにしてたんまりと儲かることでございましょう……」
終りまでいわさず、僧院長は起ち上って、彼の首っ玉にしがみつく。坊さんたちは手を握る。なかんずく会計係は感極まって、ゴーシェの肩衣の、ぼろぼろにほぐれた縁《ふち》に、尊敬こめて接吻しました。……やがて評議を凝らすためにめいめい自席に戻りました。そして、立ちどころに衆議一決、ゴーシェがその養命酒の醸造にすっかり没頭できるようにと、牝牛はトラシビュール修道士に委ねることになりました。
ゴーシェはベゴン婆さんの製法をどうやって再び見出すことができたのでしょう? どんなに努力を傾けたことでしょう? どれほど徹夜をしたことでしょう? そういう点は伝わっておりません。ただ、確かなのは、半年後には白衣僧《ペール・ブラン》の養命酒がすでに赫々たる名声を博していたことです。隈なくル・コンタじゅうに、アルル地方全体にわたって、「食糧庫《デパンス》」の奥の、葡萄シロップの壜とオリーヴの実の漬物壺との間に、プロヴァンスの紋章の封印をつけ、一人の坊さんが陶然と酔っている姿を銀色の貼札《レツテル》に描いた、褐色の小さな陶器の瓶を見かけない農家《マ ス》は一軒もありませんでした。この養命酒のはやるおかげで、プレモントレの僧院は見る見る富んでゆきました。パコームの塔は再建されました。僧院長は新しい僧帽をかぶるし、聖堂には数寄を凝らした見事な焼絵ガラスがはめられました。細かい鉄細工をほどこした欄干のついている鐘楼では、復活祭の朝、大小の鐘が一せいに殷々と鳴りひびくようになりました。
ところでゴーシェは、野暮臭いためにいつも会議の席で笑いの種を蒔いていたあの哀れな平《ひら》修道士は、僧院においてもう問題ではなくなりました。これから後というものは、一躍、頭の良い博識なゴーシェ神父としてのみ知られ、僧院の細かい雑事からはすっかり遠ざかって、一日じゅう自分の酒造場に閉じこもって暮らし、その間、三十人の坊さんたちが山の中を飛び回っては彼のために香気の高い草を探すのでした。……誰一人、僧院長さえも、入る権利のないこの酒造場は、庭のはずれにある打っちゃり放しにされていた古い礼拝堂でした。単純な坊さんたちはこの酒造場を何となく神秘な怖ろしい場所だと思い込んでしまいました。豪胆で物好きな小坊主が、偶然、壁を這い上る葡萄の蔓にしがみついて、正面玄関の上のばら形窓《ロ ザ ー ス》のところまで達しても、かまどの上に身をかがめ、秤を手にした、まるで魔法使いのような頤鬚を生やしたゴーシェ神父の姿を隙見すると、びっくり仰天、たちまち転げ落ちる始末でした。それに、神父のまわりには、赤砂石で作った彎形蒸溜器《レ ト ル ト》だの、巨大な蒸溜器《ランビキ》だの、水晶製の蛇形管などが無気味にごたごたと散らばっていて、焼絵ガラスの赤い薄明りの中に妖しく光っているのでした。……
日が暮れて、最後のお告の鐘《アンジエルス》が鳴りわたると、この神秘な場所の扉が音もなく開かれて、神父は夕べの勤行のために聖堂へと足を運びます。彼が僧院の中を横ぎってゆくとき、どんなに厚く迎えられたかは全く見ものでした! 坊さんたちはその通り路に人垣を作りました。そして囁き合うのです。
――しいッ!……秘法をわきまえておられるお方じゃ!……」
会計係は神父の後に随って、頭を下げては話をします。……このようなお追従の只中を、神父は鍔《つば》の広い三角帽を光背のようにあみだにかぶり、オレンヂの木の植わっている広い中庭や、新しい風見の回っている青い屋根や、それから、白く輝く回廊の中、――花模様のある優雅な細い柱の間を、――二人ずつ並んで平和そうな顔つきで歩いてゆく新調の衣を着た坊さんたちなどを、いかにも満足気に眺めやりながら、額《ひたい》を拭き拭き、進んでゆきました。
これはみんな自分のおかげなのだ! と神父は心の中で思いました。そしていつもそう考えるたびに、高慢不遜な気持がこみ上げてくるのでした。
この可哀そうなご仁はそのためにひどい罰を受けました。いまにおわかりになるでしょう。……
ある夕方、勤行中に、彼が常になく興奮して聖堂に入ってきたと想像して下さい。真赤な顔をして、息を切らし、頭巾を斜《はす》っちょにかぶって、大そうそわそわしていたので、聖水を取るときに両袖を肱まで濡らしてしまったほどです。人々は最初、遅刻したのでまごついているのだろうと信じていました。しかし主祭壇に礼拝する代りに、パイプ・オルガンや側廊の二階にうやうやしくお辞儀をしたり、風の吹き抜けるように聖堂の中を横ぎって、自分の席を探すために五分間も内陣をうろうろし、やがて、一たん自席に坐ると、さも信心深そうな様子で微笑みながら、右や左に会釈をしたりする姿を見ては、驚愕のざわめきが三つの脇間に伝わりました。人々は聖務日祷の合間にひそひそと話をしました。
――ゴーシェ神父は一体いかがなされたのじゃ?……ゴーシェ神父は一体いかがなされたのじゃ?」
僧院長は見るに見かねて、沈黙を命ずるために、二度までも、床《ゆか》を笏杖で叩きました。……向うの内陣の奥では、聖詩が相変らず唱えられていましたが、しかし追唱には気合が抜けていました。……
突然、「聖体讃美の祈り《アヴエ・ヴエルム》」のクライマックスに、なんとわがゴーシェ神父は、自席に大の字になって、弾《はじ》けるような高い声で歌い出しました。
パリには、白衣僧《ペール・ブラン》がおりまする。
パタタン、パタタン、タラバン、タラバン……
いや愕いたの愕かないの。満場総立ちになって、叫びました。
――つまみ出せ。……悪魔に取り憑かれたのじゃ!」
坊さんたちは十字を切る。僧院長の笏杖は躍起となって制止する。……しかしゴーシェ神父には何一つ見えず、何一つ聞えません。そこで屈強な坊さん二人が、悪魔祓いをされる男のようにじたばたしながら一そう大きな声をしてパタタン、タラバンと歌い続ける彼を、やむなく内陣の小さな戸口から引きずり出さねばなりませんでした。
翌日、夜明け前に、あわれ、彼は僧院長の祈祷室に跪き、ぽたぽたと涙を流しながら「悔悛」をしていました。
――養命酒でございます。僧院長さま、私をあんな目に会わせたのは養命酒なのでございます」と胸を叩きながら彼は申しました。
こんなに深く後悔し、こんなに繰り返して訴える様子を見ると、優しい僧院長はすっかりほろりとしてしまいました。
――さ、さ、ゴーシェ神父、お気を鎮めなさるがいい。あんなことはすべて、朝露が日の光を受けて乾くように、消え失せてしまうでしょう。……あの失態はあなたがお考えになるほど大事件じゃありませんよ。唄がどうも少々、いや、……つまりその、新参の坊さんたちには聞かせたくないというわけなんで。……さあ、これから、一体どうしてあんなことが起ったか、おっしゃって下さい。……利《き》き酒をなさったんでしょうな? 手に負えなかったのですって、……そうでしょうとも、よくわかりますよ。……火薬の発明者であるシュヴァルツ師のように、あなたも自分の発明の犠牲になられたわけです。……ところで、お訊ねしますが、どうしても自分自身で利《き》き酒をしなければならないのですか、あの怖るべき養命酒を?」
――あいにくと、そのとおりなんで、僧院長さま。……試験管はアルコールの強さや度合をちゃんと教えてはくれますけれど、しかし、仕上げをしたり、舌ざわりをよくしたりするには、やはりどうも私の舌に頼るほかはないのでして……」
――おや! それはそれは。……でももう少し私のいうことをお聞きなさい。……そんな具合に止むを得ずお酒を味わうとき、おいしいと思いますか? 嬉しい気がしますか?……」
――ああ! そうなんです、僧院長さま」と気の毒な神父はすっかり赤面しながら答えました。……「この二晩というもの、滅法素敵な香りがするのです!……こんな不埒な悪戯《いたずら》をするのは確かに悪魔の奴に相違ありません。……ですから私は、今後は一さい試験管だけで用を足そうと決心しました。お酒の品《しな》がかなり落ちようが、真珠のような泡が減ろうが、致しかたありません……」
――と、とんでもない」僧院長はすばやく話をさえぎって、「お得意先の不満を買うようなことをしでかしてはいけません。……あんなことがあった以上は、用心なさることが何よりも肝腎。……さ、味利《あじき》きするにはどれだけの分量が必要ですか?……十五滴か二十滴でいいでしょうな?……二十滴としましょう。……もし二十滴であなたを虜《とりこ》にするような悪魔なら、ずいぶんしたたか者の悪魔ですよ。……それにまた、万一のことがあるといけませんから、あなたは今後は聖堂に来なくてもいいということに致しましょう。夕べの勤行は酒造場でお唱えなさい。……ではこれで安心なさるがいいでしょう。くれぐれもぬかりなく滴の数を勘定なさい」
ところがなさけないことに、哀れな神父は滴の数を勘定しても無駄なのでした。……悪魔が彼を捕えて金輪際手放さなかったのです。
奇怪な勤行の声が酒造場から聞えてくるようになりました。
昼間はまだ万事うまくゆきました。神父はかなり落ちついていて、焜炉や蒸溜器《ランビキ》を用意し、柔かな、灰色の、葉にぎざぎざのある、香りゆたかな、よく乾いたプロヴァンスの種々さまざまな草を念入りに択り分けていました。……しかし、夕方、薬草が煎じられ、養命酒が赤銅の大鍋の中で生温かくなってくると、哀れなご仁の例の殉難が始まるのです。
――……十七……十八……十九……二十!……」
滴は吹管から金メッキした銀のコップの中に落ちました。この二十滴を神父は格別喜びもせずにぐっと一気に呷《あお》りました。さて飲みたくてたまらないのは二十一滴目です。ああ! この二十一滴目!……で、誘惑から逃れようと、実験室の片隅へ行って跪き、ひたすらお祈りを捧げました。しかし、温かいお酒からは、香料のたっぷり沁《し》みた細い一筋の酒気が立ち昇り、彼のまわりに低迷して、否応なしに鍋のほうへと彼を引き寄せるのでした。……お酒は美しい金緑色を帯びています。……その上にかがみこんで、鼻の孔をひろげ、神父が吹管でそろりそろりと掻き回すと、エメラルドの波の転がす閃く小さな砂金のような泡の中に、こちらを見つめて笑っているきらきら光るベゴン婆さんの眼が見えるような気がしました。……
――さあ! もう一滴!」
そこで一滴また一滴と、とうとう不幸な神父はコップに一杯になるまで注《つ》いでしまいました。すると、ぐったりとなって、大きな肱掛椅子に腰を落し、放心の態《てい》で、瞼を半ば閉じ、心地よい悔恨の念に駆られて低い声でこう呟きながら、チビリチビリと己れの罪業を味わっていました。
――ああ! わしは地獄に堕ちる、……地獄に堕ちる……」
一番こわいのは、この魔性のお酒の底から、何の祟りか知りませんが、ベゴン婆さんのいろいろないやらしい唄が浮んでくることでした。「ちっぽけなおかみさんが三人で、酒盛しましょとしゃべってる……」だの、「アンドレどんのベルジュレット、たった一人で森へとお出まし……」だの。そしていつも白衣僧《ペール・ブラン》たちのあの名題《なだい》の「パタタン、パタタン」です。
翌日、隣りの小部屋の人たちから意地悪そうな様子で次のようにからかわれると、どんなに恥じ入ったか想ってもごらんなさい。
――もしもし! ゴーシェ神父さん、昨晩お休みになるときには、あなたの頭の中に蝉が何匹もとまっていましたね」
神父は涙を流して、絶望し、断食したり、苦行帯を着けたり、戒律を守ったりするのです。しかしお酒の悪魔に対しては何の効き目もありません。そして毎晩、同じ時刻に、悪魔に取り憑かれてしまうのでした。
その間にも注文は主《しゆ》の恵みのように僧院へ雨と降り注いできました。ニームからも、エクスからも、アヴィニョンからも、マルセーユからも、註文は続々殺到です。……日一日と僧院は何となく工場めいてきました。荷造り坊主、札貼り坊主、その他、字を書いたり、運送したりする者もいます。神さまへのお勤めはすっかりないがしろにされて、あちらでもこちらでもほんの申しわけ程度に鐘が鳴るばかり。そうかといって土地の信者たちまでがそのために堕落したというわけでは毛頭ありませんよ。それは私が保証します。……
さて、ある日曜日の朝、会計係が年度末の総決算を満座の中で読み上げているとき、そして善良な坊さんたちが眼を輝かし、唇に微笑を浮かべてそれを謹聴しているとき、ゴーシェ神父がその席の真っ只中に飛び込んできて叫びました。
――駄目だ。……もうやめます。牝牛を返して下さい」
――一体どうしたというんです、ゴーシェ神父?」と、何が起きたかをうすうす感づいていながら僧院長は訊ねました。
――どうしたとおっしゃるのですか、僧院長さま?……私は地獄の劫火に焼かれ、鉄叉《てつまた》でこづきまわされるような目に会っているのです。……私はお酒を飲みすぎるのです。下司《げす》下郎のように飲むのです。……」
――滴の数を勘定しなさいと教えて上げたじゃありませんか」
――ええ、仰せのとおり、ちゃんと滴は勘定しましたとも! しかし今はもうコップで何杯と勘定しなけりゃならない始末なんで。……そうです、僧院長さま、そんなに度を過ごしてしまったのです。毎晩フラスコに三杯。こんなことが続けられるものでないことはよくおわかりでしょう。……ですからお酒はどなたかあなたのお望みの方に造らせて下さい。……これ以上かかり合っていようものなら、神さまの火で焼き殺されてしまいます!」
坊さんたちはもう笑いませんでした。
――それにしても、滅相もないお方じゃ、あなたは私たちを破産させようとなさるのか!」と大きな帳簿を振り回しながら会計係が喚きました。
――では私が地獄に堕ちるのを望まれるのですか?」
そのとき、僧院長が起ち上りました。
――あいや、ご一同」と聖職の指輪の光る白い美しい手を伸ばしながら、彼はいいました。「万事まるく納める方法があります。……ねえ、ゴーシェ神父、悪魔があなたを誘惑するのは晩でしょうな?……」
――ええ、僧院長さま、いつもきまったように晩です……ですから、夜になったと見るや、私は、失礼ではございますが、あのカピトゥーの驢馬が荷鞍《にぐら》をつけられるときのように、汗びっしょりになるのです」
――よろしい! ご安心なさるがいい。……今日から後は、毎晩、勤行のときに、私たちはあなたのために、大赦の意味が結びついている聖オーガスチンのお祈りを唱えて上げましょう。……それさえ唱えて上げれば、どんなことが起きようともあなたの一身は安全です。……罪を犯している間にそのお赦しを願う祈りですから」
――それはそれは! 僧院長さま、何とも忝けないことでございます!」
そういって、それ以上は何も聞きたださずに、ゴーシェ神父は、雲雀のようにいそいそと、蒸溜器《ランビキ》のほうへ帰ってゆきました。
実際、そのときから後は毎晩、晩祷の終りに、僧院長は一度も欠かさずこう申しました。
――われわれの利益のためにその魂を犠牲にする、いたわしきゴーシェ神父のために祈りましょう。……『いざ倶に祈らん《オレムス・ドミネ》』……」
そして本陣の暗がりの中でひれ伏している坊さんたちの白い頭巾の上を、お祈りの言葉が、雪の上を吹くささやかな北風のように顫えながら伝わってゆく間、一方、向うの僧院のはずれの、酒造場の灯影のゆらぐ窓ガラスの後ろでは、ゴーシェ神父が声を限りに歌っているのが聞えました。
パリには、白衣僧《ペール・ブラン》がおりまする、
パタタン、パタタン、タラバン、タラバン。
パリには、白衣僧《ペール・ブラン》がおりまする、
トラン、トランとお庭の中で
可愛い尼さん踊らせて、
踊らせて……
……ここまで話すと、善良な司祭はすっかり恐慌を来して話を打ち切った。
――大変大変! 教区の人たちにこんな話を聞かれたら事《こと》です!」
* シャルトルーズ――リキュール酒の一種。
** エラスムス――オランダの哲人にして文学者。ルネッサンス最大の人本主義者の一人(1467―1536)。
*** ダスーシ――シャルル・ダスーシ(1605―1675)。滑稽的な作風のフランスの詩人。
カマルグ狩猟記
T 出発
わが別荘は大へんなざわめきだ。使いの者が今しがた監視人からの言伝《ことづて》をもたらして、フランス語とプロヴァンス語とをちゃんぽんに、まじえながら報告したところによれば、すでに二、三度「鷺《ガレジヨン》」や「たいしゃく鷸《シヤルロテイーヌ》」の見事な通過が見られ、また「春の渡りの鳥《オワゾー・ド・プリム》」の群ももはや渡ってきているそうである。
『一しょに参りましょう』と親切な近隣の人たちから私は手紙で誘われていた。で、今朝、未明五時に、彼らの大型の四輪馬車が、猟銃、猟犬、食糧を積んで、丘の下まで私を迎えに来たのである。オリーヴの木々の薄緑はかすかに浮び、どぎつい常磐《ときわ》のケルメス樫はやや冬めいて不自然に見える、この十二月の朝、われわれ一行は、少し霜枯れたアルル街道を揺られてゆく。家畜小屋では牛がごそごそ動いている。夜の明けぬうちに起き出して、ガラス戸に灯《ひ》の見える何軒かの農家もある。黒々と石の影を浮き上らせたモンマジュール僧院では、まだ寝とぼけている鶚《みさご》どもが廃墟の中で羽ばたきをしている。しかし、溝に沿って、われわれはすでに、小騾馬を小刻みに走らせて市場へと急ぐ百姓の老婆たちとすれ違った。彼女たちはヴィル・デ・ボー村からやってくるのだ。六里余りもある道を、アルルのサン・トロフィーム寺院まで出かけ、そこの階段の上に一時間ほど坐って、山で採った薬草の小さな包みを売るのである!……
さあもうアルルの城壁まで来た。槍を手にした武士どもが身の丈《たけ》より低い斜面の上に現われる昔の版画で見かけるような、銃眼のついた低い城壁である。狭い通りの真中までアラビヤ風の透し戸のように張り出した、彫刻のある円形の露台《バルコン》が並び、ウイリアム短鼻《ひくはな》皇帝やサラセンの時代を偲ばせるモール風な尖弓型の低い小さな戸口のある古い黒ずんだ家並がつづいている、フランスにおける最も美しい都会の一つ、この素敵な小都市を、われわれは駆足《かけあし》で通り抜けた。こんな時刻なのでまだ戸外には誰も出ていない。ただローヌの河岸だけが活気づいている。カマルグ通いの蒸気船が、出航の準備をととのえて、石段の下で罐《かま》を焚いている。焦茶色のセルの上着を着た小地主たちや、農家の仕事に雇われてゆくラ・ロケット地区の娘たちが、仲間同士しゃべり合ったり笑い興じたりしながら、われわれと一しょに甲板に上る。肌をつんざく朝風を避けて頭からかぶった褐色の長いマントの下に、アルル風の高い髪かたちが、娘たちの顔を粋に、そして小作りに見せており、そこにはまた、何かの機会《はずみ》には嘲笑か皮肉でも飛ばそうとして頭をもたげたいといったような、おきゃんな厚かましさも、ちらりと窺われる。……鐘が鳴る。出発だ。ローヌの流れとスクリューとミストラル、この三拍子揃った速力に、両岸はぐんぐんと展開してくる。一方は、小石の多い不毛の原野、クローである。反対側は、短い草と葦の一面に生えている沼地とを海のところまで拡げている、緑の濃いカマルグである。
ときどき、船は左岸または右岸の、中世紀、アルル王国時代の言い方によれば、いや、現在でもローヌ河の古い船頭たちはそう呼んでいるのだが、帝国領《アンピール》やまたは王国領《ロワイヨーム》の、桟橋のそばにとまる。桟橋ごとに、一軒の白堊の農家と一むれの木立とがある。労働者たちは仕事道具をかついで下り、女たちは籠をかかえ、橋板の上にしゃんと立って下りてゆく。帝国領《アンピール》へ、或いは王国領《ロワイヨーム》へと着くたびに船は次第に空《す》いて、われわれの下りるル・マス・ド・ジローの桟橋に到着したときは、船内はもう殆んどがら空きになってしまった。
ル・マス・ド・ジローというのは、バルバンターヌの領主たちの所有していた古い農家である。われわれ一行は、迎えに来てくれる筈の監視人を待つために、家の中に入って行った。天井の高い厨では、小作人、葡萄作り、羊飼など、農家の男たちが全部食卓について、真面目くさった顔で、黙々と、ゆっくり朝食を認ためており、女たちがお給仕をしている。女たちは後《あと》で食べるらしい。間もなく監視人が幌付の二輪馬車で現われた。全くフェニモア《*》の小説にでも出そうな型《タイプ》の、密漁及び密猟の監視人、水陸かけもちの猟師である。土地の人々は彼のことを「ルー・ルーデイルー」(うろつく男《ル・ロードウール》)と呼んでいる。というのは、葦の茂みの間に身をひそめて待伏せをしたり、或いは小舟の中に身動きもせずにいたり、「クレール」(沼)や「ルービーヌ」(灌漑用運河)に仕掛けた自分の魚梁《や な》をわきめをふらず見張っていたりする彼の姿を、夜明けや日暮れの靄の中に、いつも見かけるからである。彼がこんなに無口に、こんなに無表情になったのは、おそらく、しょっちゅう見張りばかり続けている職掌柄であろう。しかしながら、彼は、猟銃や籠を積み込んだ小さな二輪馬車を走らせてゆく間、鳥の通過した回数とか、渡り鳥の群が舞い下りた場所とか、いろんな狩猟の情報をわれわれに教えてくれた。談笑しながら一行は土地深く分け入ってゆく。
耕地を通り越すと、そこはもう荒涼たるカマルグの真っ只中である。見渡す限り、放牧場の間に、いくつかの沼や運河が、厚岸草《あつけしそう》の中に光っている。〓柳《タマリス》や葦の茂みは、凪いだ海上に浮ぶ島のようである。高い木は生えていない。曠野の平坦な広々とした眺めを乱すものとては何もない。ただところどころに、家畜を入れる牧舎が、殆んど地面すれすれにその低い屋根を横たえている。塩気を含んだ草の中に散りじりになって横たわったり、或いは羊飼の焦茶色の合羽のまわりに密集して歩いていたりする羊の群も、青い地平と広い大空とのこの無限の空間のためにずっと小さく見え、一様な大きな線を中断してはいない。浪があっても平坦に見える海原と同様に、この曠野からも、寂寥と無限の感じが立ち昇り、その感じは、あの、弛みなく遮るものもなく吹きつけて、眼前の風景をその強烈な息吹きで平らにし押し拡げるように思えるミストラルのために、ひとしお強められるのである。ミストラルの前にはあらゆるものが撓《たわ》むのだ。どんな小さな灌木も、この風の吹きまくった痕をとどめている。どこまでも逃げのびようといった姿勢で南のほうへ身をねじまげて倒れ臥したまま。……
U 小屋
葦の屋根、枯れた黄色い葦の壁、それが小屋《カバーヌ》である。われわれの猟の集合所はこう呼ばれている。カマルグ式の建築様式である小屋《カバーヌ》は、天井の高い、窓のない、広い一室から成り立っていて、外光《ひかり》はガラスをはめた戸口から採り、その戸口は夕方になると鎧戸でぴったり閉ざされるのである。粗塗りの白堊の大きな壁一面に、ずらりと立てかけた銃架は、猟銃や獲物袋やゴム長靴を待ち受けている。奥には、床に立てられて屋根まで届き、屋根の支えになっている真物《ほんもの》のマストのまわりに、揺籃の型の寝台が五つ六つ並べてある。夜、ミストラルが吹きまくり、遠く潮騒の響と、その潮騒の響を絶えず募らせながら間近まで運んでくる風の音とに混って、小屋全体が軋むときには、まるで船室にでも寝ているような気がする。
しかし小屋《カバーヌ》が魅力的なのは、何といっても午後である。私は晴れた南国の冬の日々を、〓柳《タマリス》の株のくすぶっている丈高いストーブのそばに、一人きりで居残っているのが好きである。ミストラルかトラモンターヌが吹きつけて、戸は躍り、葦は喚いているけれど、そのどよめきはどれもみな私を囲む大自然の動揺の極めて小さな反響に過ぎない。巨大な風の流れに鞭打たれる冬の太陽は、砕け散ったり、光を結合したり、光を撒き散らしたりしている。大きな翳りがすばらしい青空の下を走る。陽射しはとぎれとぎれに激しく洩れ落ちる。響もやはり同じことである。羊の群の頸に吊した小鈴の音が、突然聞えてくるかと思うと、やがてまた聞えなくなり、風の中に消え去ったかと思うと、また揺れ動く戸口の下に戻ってきて魅力ある反覆句《ルフラン》のように響きわたる。……何ともいえない美妙な時刻はたそがれで、それも猟に出た人々が帰ってくる少し前である。その頃になると風も鎮まっている。私はちょっと戸外《そ と》へ出る。大きな真紅の太陽が、熱もなく燃えながら、静かに沈んでゆく。夜の闇が舞い下りて、下りる拍子に、すっかり湿った真黒い翼で私の顔を掠める。彼方では、地上すれすれのところに、あたりの暗さのために見え初めてきた赤い星影のように、ぶっ放す猟銃の閃光がきらめいている。消えなずむ仄明りの中を、生きとし生けるものはねぐらに急ぐ。長い三角形を作った鴨の群が、地上に下りようとするのか、低く低く飛んでくる。しかし不意に小屋《カバーヌ》に「カンテラ」が点されたので、彼らは遠ざかってしまう。すなわち、縦隊の先頭にいる鳥が、頸をもたげて舞い上ると、後に続く全員も、荒々しい啼き声を立ててばたばたと更に高く飛び去ってゆくのだ。
間もなく、雨の音によく似た、地を踏み鳴らす無数の足音が近づいてくる。何千頭という羊の群が、乱れた歩調の駆足《かけあし》と喘ぐ息づかいの番犬どもに追い立てられ、羊飼に呼び戻されて、おずおずと秩序もなく牧舎へと急いでゆくのである。その縮れた毛とメーメー啼く声の渦巻の中に、私は浸され、擦《こす》られ、巻き込まれてしまう。まるで真物《ほんもの》の大浪だ。その跳ね返る波頭《なみがしら》に羊飼たちは影ごと持ち上げられているように見える。……羊の群の後から、聞き覚えのある人々の足音や、愉しそうな声が帰ってきた。小屋《カバーヌ》は人影で一杯になり、活気づいて騒々しくなる。枯木の蔓が燃え上る。みんなは疲れていればいるほどよく笑う。それは快い疲労から来る放心状態である。銃は片隅に投げ出され、長靴は乱雑に脱ぎ棄てられ、獲物袋は開けられて、傍らには茶褐色、金、緑、銀とりどりの翼が血潮に塗《まみ》れている。食卓の準備がととのえられた。おいしい鰻スープの湯気の中に、沈黙が、旺盛な食欲のもたらす深い沈黙が、あたりを領し、それを破るものとては、戸口の前で盲滅法にお椀をなめている猟犬どものものすごい唸り声ばかり。……
夜噺は〓々に終ってしまった。すでに、火のそばには、監視人と私と、二人が残っているだけである。監視人もやはり眼をしばたたき始めた。私たちはお互に話をするとはいうものの、それは、ときどき、百姓たちがいうような短い言葉を交わしたり、燃え尽きた枯木の蔓の最後の火花のように束の間に消え失せる、あの殆んどアメリカ・インディアン風の間投詞を交わしたりするに過ぎない。とうとう監視人は起ち上り、手提ランプに火を点す。そして私は、夜の闇の中に消えてゆく彼の重い足音に耳を傾ける。……
V エスペール(待伏せ場)にて
「エスペール」! 隠れて獲物を狙う猟師の待伏せ場や、その待伏せの時間や、また、すべてのものが期待し、「希望《エスペール》」し、胸を躍らせる、あの昼と夜とのあわいの暮れなずむ時刻を指すには、なんという美しい名前であろう。朝の待伏せは日の出の少し前、夕方の待伏せはたそがれのころである。私の好きなのは後者の場合で、沼の水がいつまでも明るさをとどめているこの水郷においてはなおさらのことだ。……
時とすると「ネゴシャン」(犬の溺れる場所の意味)という舟の中に待伏せ場を構えることもある。竜骨のない浅い小舟で、幅も狭く、一寸でも身動きするとぐらぐらッと揺れる。葦の葉蔭に身をひそめて、猟師は舟底から鴨を待伏せる。舟縁《ふなべり》からはみ出しているのは、ただ鳥打帽の庇《ひさし》と、銃身と、犬の頭《あたま》ばかり。犬は風の匂いを嗅ぎ、蚊をぱくりと捕《と》り、或いは大きな肢を伸ばして舟を傾かせ、舟の中に水を入れてしまう。この待伏せは無経験な私にはちと面倒である。で、大抵の場合、私は、大きな一枚革でこしらえたでかい長靴をはいて、沼地の真中の泥水の中を、別の「待伏せ場《エスペール》」へと徒歩で出かける。泥にはまり込まないよう、ゆっくりと、用心深く進んでゆく。強い潮の香のこもった、しきりに蛙の飛び出す葦の茂みをかき分けて。……
やっとのことで、〓柳《タマリス》の生えている一つの小島に辿りつき、乾いた地面の一角に腰を落ちつける。監視人は、款待の意味で自分の犬を私につけてくれていた。白い厚毛のあるピレネー産の大きな犬で、水陸両用の第一級の猟犬であるが、いつもそばにおられては少々有難迷惑である。一羽の鷭《ばん》が私の狙いの届くところを通りかかると、犬は芸術家のような長髪をさっと一振りなびかせて、眼まで垂れ下るしなやかな長い両耳を後ろに引きながら、何となく皮肉たっぷりな様子で私を見つめる。それから構えの姿勢をし、しきりに尻尾をぴくつかせ、いかにもこういいたげな身振りをする。
――射ちなさい、……さあ、射つんですよ!」
私は射つ、弾丸《た ま》は当らない。すると、犬は長々と寝そべってあくびをし、退屈そうな、がっかりしたような、横柄な様子で伸びをする。……
いいとも! どうせご覧のとおり、私は下手な猟師なんだ。私が待伏せしているのは鳥ではなく、あの暮れかかる時刻なのだ。淡《うす》れて水中に姿をくらます光なのだ。暗くなった空の灰色の色合を繊細ないぶし銀にまで磨き上げてきらりと光る沼なのだ。私はあの水の匂い、葦の茂みの間に響くあの神秘な昆虫どもの羽の擦れ合う微かな音、あの顫える細長い葉のひそかなざわめきなどが好きである。ときどき、あるうら悲しい音色が中空《なかぞら》に船員の吹く法螺貝の唸りのように響いて過ぎる。それは水禽特有の大きな嘴を水の底に突っ込んで、ルルルーウーウー!……と息をする五位鷺である。鶴の群が私の頭上に列をなしてゆく。激しい羽ばたきの音、爽やかな大気の中に綿毛の乱れる気配、疲れすぎた小さな骨組の軋る音までが私には聞える。やがて、もう何の物音もしなくなった。夜である。水面にほんの少し明るみを残している深い夜の闇である。……
と突然、私ははッと身顫いを感じた。自分の背後に誰かいるような、一種ぎごちない気持がする。振り返って見ると、良夜の友である月、あの静かに上ってゆく大きなまんまるい月であった。最初は目立って速い昇り方であったが、水平線を遠ざかるにつれてテンポは次第にゆるやかになってゆく。
すでにして一番星の影は私の近くに鮮かに映っている。続いて二番星の影も少し離れたところに。……こうして今や沼一面に灯《ひ》が点ったようになった。一番小さな叢も月光を浴びて陰影《か げ》を生じている。待伏せはもうおしまいである。私たちの姿は鳥の目についてしまう。帰りなん、いざ。私たちは蒼い軽やかな、銀粉をまきちらしたような月光の氾濫する中を歩いてゆく。「沼《クレール》」や「運河《ルービース》」の水の中に踏み入れる私たちの一足一足は、天から落ちた無数の星の群と、水底まで射し入る月影とを揺れ動かす。
W 赤と白
私たちのところからつい鼻の先、小屋から弾丸《た ま》が届くほどの距離に、よく似てはいるが、しかしずっと鄙びたもう一軒の小屋がある。そこには監視人が、女房と上の子供二人と一しょに住んでいる。娘は男たちの食事の世話をしたり、漁網《あ み》の繕いをしたりする。息子は父の手伝いをして魚梁《や な》を揚げたり、沼の「マルティリエール」(水門)の見張りをしたりする。小さいほうの二人の子供はアルルの祖母のもとに預けてある。二人は読み方を覚えてしまうまで、そして「ボン・ジュール」(第一回聖体拝受)が済んでしまうまで、そこに預けられているのだ。何しろここでは教会や学校がひどく遠すぎる上に、カマルグの空気ときたら、こういう幼児には一向不向きだからである。実際、夏がきて、沼が乾《ひ》上ってしまい、「運河《ルービース》」の白い泥土が酷暑のために亀裂を生じると、島は本当に住めるどころの騒ぎではないのだ。
私はかつて一度、八月に、野鴨を射ちにきて、それを目撃したことがある。そうして私にはこの炎熱灼くがごとき風景の物悲しくも猛々しい眺めがいつまでも忘れられないであろう。沼はところどころ大きな醸造桶のように太陽を浴びて熱気を立てており、その底には生き残りのいもりや蜘蛛や水蠅どもが湿った隅を探してはうようよとうごめいていた。ペストのような毒気、重苦しくただようもやもやした瘴気が渦巻いていて、無数の蚊柱がその瘴気をいやが上にも濃くしていた。監視人のところでは、家じゅうの者が悪寒に顫え、一人残らず熱病に罹っている。黄色い引きつった顔に、隈《くま》のある眼ばかりぎょろぎょろ光らせて、三カ月の間、うんざりするほど照りつける苛酷な烈日の下に、熱のある物憂い身体を引きずらねばならないこれらの不幸な人々は、見るからに哀れであった。……こうしたカマルグの狩猟監視人の生活ほど悲惨でつらいものがまたとあろうか! しかしこの男は女房や子供がそばにいるからまだましだが、更に二里先の沼地に住んでいる放牧馬の番人はといえば、それこそ年がら年じゅうまったくの一人暮らしで、ロビンソンそのままの生活を送っている。自分で建てた葦の小屋の中には、柳の枝で編んだハンモック、かまど用に組合せた三つの黒い石、〓柳《タマリス》の切株でこしらえた腰掛を始めとして、この奇妙な住居の戸を閉める白木の錠前や鍵に至るまで、何から何まで彼の手細工でない什器は一つもない。
この男は少くともその住宅と同じくらいに風変りである。隠者のように寡黙な一種の哲人で、蓬々たる濃い眉毛の下に、田舎者らしい疑い深さを隠している。牧場にいないときは、戸口の前に坐って、子供のようにいじらしい熱心さで、馬に使ういろんな薬の壜を包んであるばら色や青や黄色の薄っぺらな効能書の一つを、ゆっくりと判読している姿が見かけられる。この気の毒な奴さんは読む以外には気晴しがないし、またこの効能書のパンフレット以外には本の持合せがないのである。隣り同士の小屋でありながら、私たちの監視人とこの男とは決して顔を合わさない。二人は出会うことすら避けている。ある日私が、うちの「監視人《ルーデイルー》」に仲違いの理由を訊ねてみたところ、彼は物々しい口調で答えたものである。
――意見の相違からでさあ。……奴は赤(共和党びいき)で、わしは白(王党びいき)ですからね」
このように、孤独のあまり近づきにならねばならぬ筈のこの荒野に住んでおりながら、どちらも同じように無知で同じように朴訥なこの二人の野人、年に一回そこそこ町に出かけ、金箔を塗りたくり鏡を飾り立てたちっぽけなアルルのカフェを見てさえ、さながらプトレメ《**》の宮殿を見たように眼を回す、テオクリトスの作品中の牛飼のようなこの二人の男は、めいめいの政治的信念の名の下に、睨み合いの種を見出したのである。
V ヴァカレス湖
カマルグ切っての絶景はヴァカレス湖である。私はよく猟を放擲して、この鹹湖のほとりにきては腰を下ろす。陸地の中に閉じこめられ、そのために何となく親しみ易いものとなっている、大洋の一片のような気のする小さな海である。付近一帯は見るからに蕭条たる乾燥と不毛の地であるのに、このヴァカレス湖だけは、ビロードのような柔かい草が青々と生えている小高い岸の上に、独特な魅力的な植物を誇らしげに並べている。矢車菊、水つめくさ、りんどう、それにまた、冬には青、夏には赤と、季節の推移に応じて色を変え、年じゅう絶え間なく花を咲かせてはそのさまざまな色調で四季を告げる、あの可憐なサラデル草。
夕方五時ごろ、日の傾く時刻になると、この三里に亘る水面は、湖の広々とした拡がりを区切ったり狭めたりする、小舟一つなく、帆影一つなく、すばらしい光景を呈する。到るところほんの僅かな地面の凹みにもすぐに水の湧き出しそうになるのが感じられる、あの泥灰岩質の土地のそこかしこの起伏の間で見かけるような「沼《クレール》」や「運河《ルービース》」の限られた美しさは、足もとにも及ばない。ここでは、印象は壮大で悠容迫らざる趣がある。
遠くから見ていると、湖の波の輝きに惹きよせられてきた、黒鴨や、青鷺や、五位鷺や、腹は白くて翼は桃色の紅鶴などの群が、色とりどりの姿を長い平らな一本の帯状に並べたかたちで、岸辺に沿って一列に魚を漁っている。それから、朱鷺《イビス》が、正真正銘のエジプトの朱鷺《イビス》が、輝く夕日を浴びて、この閑寂な水郷を、ふるさとのように楽しんでいる。実際、私の坐っている場所からは、ひたひたと岸を打つさざなみの音と、湖畔に散らばっている馬の群を呼び返す番人の声とが聞えるだけである。馬はどれも響のいい名前を持っている。「シフェール!……(金星《リユシフエール》)……レステロ!……レストゥールネロ!……」名前が聞えると、馬はそれぞれ、たてがみを風になびかせて走り寄り、番人の手から燕麦《からすむぎ》を食べる。……
同じ湖畔の、もっと遠くには、馬のように放牧されて草を食《は》んでいる牛の「群《マナド》」がある。ときどき、〓柳《タマリス》の茂みの上のほうに、彼らの曲った背中の線と、三日月形の小さな角とが見える。これらカマルグの牛の大部分は、村々のお祭行事である「牛祭《フエラード》」に出て走り回るために育てられているのだ。プロヴァンスやラングドックのあらゆるサーカスですでにその名を謳われているものもある。そんなわけだからここの近くの「群《マナド》」にも「羅馬兵《ル・ロマン》」と呼ばれる一頭の猛牛がいて、此奴はアルルやニームやタラスコンの競技場でどれくらい人間や馬を引き裂いたかわからない。従って仲間の牛は彼を頭《かしら》と仰いでいる。というのは、この風変りな群では、牛たちは指導者として選んだ年とった牡牛を中心にして、自治の生活をしているからである。何一つ風の勢を逸《そ》らしたり押しとどめたりするもののないこの広茫たる平原のカマルグの地に、ひとたび烈風がものすごく吹きつけてくるとき、頭《かしら》の後ろに互に身体をすりよせて、頭を低く下げ、全身の力を集中した広い額を風上に向ける「群《マナド》」の格好こそ見ものである。わがプロヴァンスの牛飼たちはこの習性を「ヴィラ・ラ・バノ・オー・ジスクル」――角を風に向ける――と称している。これに従わない牛の群ときたらみじめである! 雨に眼をふさがれ、烈風に引きずり回され、算を乱した「群《マナド》」は、ぐるぐると空回りをして、茫然自失、散りじりばらばらになり、こうして狂い立った牛どもは、嵐を逃れようと真一文字に走ってゆき、ローヌ河に、ヴァカレス湖に、或いは海に、飛び込んでしまうのだ。
* フェニモア――アメリカの冒険小説家。(1789―1851)。
** プトレメ――エジプトの王家の名称。
兵営への郷愁
今朝、夜が明けそめるころ、連打するものすごい太鼓の音に、私はびっくりして眼を覚ました。……ラン、プラン、プラン! ラン、プラン、プラン!……
こんな時刻に、うちの松林の中で太鼓が鳴る! どう考えても不思議千万。
そそくさと、私は寝台から飛び下りて、走って行って戸を開ける。
誰もいない! 音もやんだ。……濡れた野葡萄の茂みの真中から、たいしゃく鷸《しぎ》が二、三羽、羽ばたきしながら飛び立つ。……あるかなきかのそよ風が木立の中で歌っている。……東のほうでは、アルピーユ連山の美しい頂の上に、金色のもやもやしたものが重なっていて、そこから太陽がゆるやかに顔を出す。……最初の光は、もう風車小屋の屋根を掠めた。同時に、鼓手が、姿を見せない鼓手が、物陰で敬礼の太鼓を鳴らし出す。……ラン、……プラン、……プラン、プラン、プラン!
驢馬の皮を張ったいまいましい楽器め! 私はこんな太鼓のことなどは忘れていた。それにしても、今朝、太鼓をたずさえて、林の奥にやってきて、暁に対して敬礼をする野人は何者だろう? 眺めたけれど、何一つ見当らない。……ただラヴァンド草の叢と、麓の往還のほとりまでなだれ落ちている松林ばかり。……多分向うの茂みの中にある妖精が隠れていて、私をからかっているのだろう。……きっとアリエル《*》か、それともピュック《**》親方だ。奴さんこの風車小屋の前を通りかかって、こう考えたのだろう。
――あすこに住んでるパリジャンはちと静かすぎるから、朝奏楽《オーバード》を奏でてやろう」
そこで、でっかい太鼓をかかえて、さてこそ、……ラン、プラン、プラン!……ラン、プラン、プラン!……しいッ、腕白者のピュックめ! うちの蝉どもが眼を醒ますよ。
それはピュックではなかった。
通称ピストレことグゲ・フランソワだったのだ。歩兵第三十一連隊の鼓手で、目下六カ月間の帰休中である。ピストレはこの地に退屈しているのだ。この鼓手は郷愁を感じているのだ。そして――村の楽器を貸して貰うと――メランコリックな気持で、方々の林の中へ太鼓を叩きに出かけるのである。パリ、プランス・ウジェーヌ街の兵営を夢見ながら。
今日彼が夢想に耽りにきたのは私の緑の丘の上である。……その丘の上で、一本の松の木に凭れて立ったまま、太鼓を両脚の間にはさんで、思う存分楽しんでいる。……鷓鴣《しやこ》がおびえて足元から飛び立つけれど一向に気がつかない。フェリグール草が彼の周囲に薫っても一向に感じない。
枝々の間に陽を浴びて顫えている美しい蜘蛛の巣も、太鼓の上で跳びはねているこぼれ松葉も、もはや眼には入らない。ただもうすっかり夢想に耽って、音楽三昧、自分の撥《ばち》の躍るのをうっとりと見つめているばかり。そうして一連打ごとに、でっぷり肥った間抜け面が喜びにほころびるのである。
ラン、プラン、プラン! ラン、プラン、プラン!……
「なんて立派なんだろう、あの大きな兵営は、幅の広い石畳を敷きつめた営庭、きちんと並んだ窓の列、略帽をかぶった兵隊たち、飯盒の擦れ合う音のこもった低い拱廊《アーケード》!……」
ラン、プラン、プラン! ラン、プラン、プラン!……
「ああ! よく響く階段、白堊塗りの廊下、いい匂いのする内務班、磨きたてた革帯《バンド》、パンをのせる板、靴墨入りの壺、灰色の毛布のある鉄の小寝台、銃架にぴかぴか光っている銃!」
ラン、プラン、プラン! ラン、プラン、プラン!
「ああ! 衛兵所の楽しい日々、指にべたつく汚れたトランプ、ペンで落書きをされた醜いスペードの女王、衛兵所の寝台の上にころがっている落丁のあるピゴー・ルプラン《***》の古い小説本!……」
ラン、プラン、プラン! ラン、プラン、プラン!
「ああ! 政府の省の門前で歩哨勤務をする長い夜、雨の降り込む古い哨舎、冷える足!……通りすがりに泥水を跳ね飛ばす盛装した馬車!……ああ! 追加された使役、営倉の数日間、臭い桶、板の枕、雨降りの朝の肌寒い起床ラッパ、ガス灯に灯《ひ》の入《い》るころ、霧の中に響く帰営ラッパ、息を切らして滑り込む夕方の点呼!」
ラン、プラン、プラン! ラン、プラン、プラン!
「ああ! ヴァンセンヌの森《***》、だぶだぶの白木綿の軍手《ぐんて》、城壁の上の散歩。……ああ! 士官学校の鉄柵、兵隊相手の娼婦、軍神亭《サロン・ド・マルス》のコルネット、寄席に入って飲むアプサント、吃逆《しやつくり》二つする間に終る打明け話、抜き放つ短剣、片手を胸に当てて歌われるセンチメンタルな恋愛詩《ロマンス》!……」
夢見るがいい、夢見るがいい、可哀そうな男よ! 私は君の邪魔立てはしないよ。……思い切り太鼓の胴を叩くがいい、腕を振り回して叩くがいい。私には君をおかしがる権利はない。
君が君の兵営に対して郷愁を感じるなら、私だって私の家に対して郷愁を感じないではいられないじゃないか?
私のパリも君のパリと同じようにここまで私を追っかけてくる。君は君で松林の樹蔭に太鼓を奏でる! 私はここで原稿を書く。……ああ! 私たちはなんという善良なプロヴァンス人だろう! あの遠いパリの兵営では、碧いアルピーユの連山やラヴァンド草の野生の匂いを恋いしがったものだった。それが今では、このプロヴァンスの真中にいて、その兵営が私たちにないとなると、それを思い出させるものはみな私たちになつかしいのだ!……
村で八時の鐘が鳴る。ピストレは、撥の手を休めずに家路に就いた。……いつまでも叩きながら、林の蔭を下りてゆくのが私の耳に聞える。……ところで私は、草の中に横たわり、ホームシックに罹ったまま、あの遠ざかってゆく太鼓の音を聴いていると、私のパリ全体が松林の間に展けてくるのが見えるような気がする。……
ああ! パリ!……パリ!……いつもいつもパリ!
* アリエル――シェクスピヤの「颶風《テンペスト》」に出る大気の精。
** ピュック――茶目な小妖精。
*** ピゴー・ルプラン――フランスの通俗作家(1753―1835)。
**** ヴァンセンヌの森――パリ東南郊にあり。
訳者後記
鴎外はすでに明治二十二年、『医学の説より出でたる小説論』という小文の中で、ゾラの実験小説論を紹介しつつ、「小説を作るもの若《もし》事実を得て満足せば、いずれの処にか天来の妙想を着《つ》けむ。事実は良材なり。さればこれを役することは、空想の力によりて做《な》し得べきのみ。ドーデがゾラに優れるはここに得る所ありてならむ」と述べ、更に『今の諸家の小説論を読みて』と題するエッセーの中でも、ゾラを排してドーデを称揚し、「其自然を駆使するや、塵埃自ら脱落して詩美顕る。縦令《たとい》渠《かれ》をして自然主義を奉ぜしむるも、其天賦の空想はこれがために累せられずとも謂うべき歟《か》」と記している。(鴎外全集著作篇第十二巻)
漱石もまたドーデを愛読したらしいことは、所蔵英訳本中の「ボーケール町の乗合馬車」「コルニーユ親方の秘密」「法王の騾馬」「キュキュニャン町の司祭」「じいさんばあさん」「王太子の死」などの頁のところどころに、さすがは文豪であるとか、やはり名手であるとか、愉快々々とか、軽妙とか、立派な手腕なりとか、最大級の絶讃の言葉を書き込んでいるのを見ても察することができるのである。(漱石全集第十八巻)
自然主義文学に対して好意を示さなかった明治の二大文豪が、同じ自然主義作家の中でドーデに対してのみこのように同情的であったのは、マルティノ教授の名著『フランス自然主義』の左の一節を参照するとき、私たちの興味をそそる。
「自然主義は、ドーデにとっては、最初、真の小説に関する理論的見解などというものではなかった。それは単に若干の貴重な文学的友情であったに過ぎない。フロベール、エドモン・ド・ゴンクール、ゾラ、それから、出版商シャルパンティエのサロンやゾラの家で出会った青年作家たちとの友情である。ドーデの作風の知的構成は、彼をして自然主義の味方よりもむしろ反対者たらしめる傾向があった。彼は早くから一種の幻想的な詩的な文学のほうに向っていた。彼の気質がそうさせたのである。彼は夢のように過ごしたその幼年時代を、おそらく話し方に幾分か誇張をまじえて物語るのを好んだのである。
すばらしい感受性、驚嘆すべき感覚の記憶、『一種の感ずる機械』、これこそドーデが自己を研究したとき、みずからの裡に特に留意して認めた点であり、また友人たちが見出した点でもある。彼は『素焼のように気孔を具えており、従って数多の著書を充たすべき印象や感覚は、そこから体内に浸透してゆくことができたのだ。』………すなわちドーデは、その趣味からいっても、欲求からいっても、優美な詩人になるように運命づけられていて、自分の生活の種々な機会に関し、彼は微妙なフィクションを想像し、最も魅力的な自分の夢の時代の物語を同時代の人々に提供したのである。」(P. Martino; Le naturalisme fran?ais, p.148―150)
ドーデは一八四〇年(天保十一年)五月十三日、南仏プロヴァンス州の古都ニームに生れ、一八九七年(明治三十年)十二月十六日、パリで死んだ。リヨン市の官立中学《リ セ ー》に学んだが、家業破産のため中退し、一八五五年から五七年まで、アレーという田舎の公立中学《コレージユ》の代用教員となって自活した。一八五七年十八歳にして、パリに上り、兄エルネスト・ドーデと共に暮らし、刻苦辛酸の修業時代を過ごし、兄に励まされて文壇にデビューすることができた。一八五九年には処女作詩集『恋する女たち』によって識者の注目するところとなり、次いで幻想的な短篇や小さな戯曲の数々を発表、一八六一年から六二年にかけて南アフリカのアルジェリアに遊んだ。彼の出世作となったのは、一八六六年から書きはじめ一八六九年に上梓された『風車小屋便り』一巻である。相前後して世に問うた『プティ・ショーズ』(一八六八年)は彼の文壇的地位を確固不動のものたらしめた。普仏戦争には自ら青年遊動隊員として従軍し、その体験は短篇集『月曜物語』(一八七三年)を、パリ・コンミューンの見聞とともに彩っている。彼にはその他、『タラスコンのタルタラン』(一八七二年)、『ジャック』(一八七六年)、『ル・ナバブ』(一八七七年)、『流謫の王者』一八七九年)、『ニュマ・ルメスタン』(一八八一年)、『サフォ』(一八八四年)、『アルプスのタルタラン』(一八八五年)、『ポール・タラスコン』(一八九〇年)などの有名な長篇小説と、『ある文学者の思い出』(一八八八年)、『パリの三十年』(一八八八年)などの随筆集がある。
『パリの三十年』を繙く者は、そこに、ドーデの文名を不朽にさせた『風車小屋便り』執筆の顛末が、瑰麗な筆致で回想されているのを見て、感興の新たなるものを覚えずにはいられない。ドーデ自身の説明によれば、アルル街道をフォンヴィエユの石截場へと進んでゆく途中、コルド山やモンマジュール僧院の廃墟を過ぎたところに、右手に当って、石材置場のように白い土埃りをかぶった大きな村の上手《かみて》、灼けつくばかりのあたりの景色をうるおす松林の緑に蔽われた一つの丘があって、その丘の上に問題の風車の翼が回っている。そして風車小屋の裾には、一軒の別荘風な大きな白堊の家が倚りかかっている。それは見るからに風変りな古びた建物で、そこには、一八六六年のころ、住居と同様に風変りな、魅力に富んだプロヴァンス人の老家族が住んでいた。良人に死別したおかみさんは、年はとっても元気よく、畠のオリーヴや小麦や葡萄や桑の手入れに余念がなく、立身出世の野心をさらりと棄てた大きな四人の息子が、『おッ母さん《シエール・ママン》』のそばにやさしく仕えていた。
この実直な人々、祝福された一家! ドーデは、冬になると、この地にやってきては、南仏の美しい自然の中に溶け込んで、わずらわしいパリ生活の疲れを癒すのであった。彼は家族の一員のように厚くもてなされた。彼は一時はこの風車小屋を買い取ろうと思ったこともある。フォンヴィエユの公証人の家に行けば、売買証書の原案が見つかるかも知れないと彼は記している。『風車小屋便り』巻頭の序文は、その証書の原案を巧みに潤色したものである。とにかく、風車小屋は決してドーデの所有だったわけではないが、冬の日が西山に没するころまで、彼はそこにこもって夢想と回想の永い日課を過ごすのが常であった。快適な仕事部屋! そうして夜は、家の中で家人や質朴な村人たちとのたのしい談笑の数刻。それからある日は、プロヴァンスの大詩人ミストラルを近くのマイヤーヌ村に訪ねたり、遠くカマルグ地方まで狩猟に出かけたりした。
かくて、南仏特有の鳴きしきる蝉の声や、地方色ゆたかなファランドール踊りの音頭や、麝香葡萄酒《ミ ユ ス カ》の薫りに充ちみちた、詩情溢れる自然観照と、鋭い人間洞察とのないまぜになった『風車小屋便り』の最初の数篇が、一八六六年、パリの『レヴェーヌマン』紙に発表されるや、たちまち世人の絶讃するところとなった。翌年、ドーデはジュリア・アラール嬢と結婚し、新婦にこの風車小屋を見せるべく新婚旅行の目的地にはプロヴァンスを選んだ。旅行から帰ると、パリ、シャンプロゼー街の、ウジエーヌ・ドラクロアのもとアトリエだった自宅で、『風車小屋便り』後半の執筆に没頭、『フィガロ』紙に発表し、一八六九年、エッチェル書房から一本にまとめて刊行した。初版は三千部しか売れなかったと、ドーデ自身述懐しているが、年を逐うて新しい読者を獲得し、珠玉のコント集として世界的古典に数えられるに至ったことは贅言を要しない。この本の献辞が「わが妻に捧ぐ」となっているのは、新婚旅行の思い出をなつかしむドーデのやさしい心遣りからであろう。
翻訳のテクストには一九二八年発行のシャルパンティエ版 Alphonse Daudet: LETTERS DE MON MOULINを使用し、ネルソン版を参照した。原文は詩人的気質とレアリストの眼との渾然一致した名にし負う名文である。恩師山内義雄先生からフランス語の手ほどきに本書中の「兵営への郷愁」の一文を講義していただいた十数年前の学窓の日の追憶は、「ラン・プラン・プラン……」の名調子と共に絶えず胸底に去来して、訳文推敲中、私の感慨はひとしお切なるものがあった。
紙型磨滅して改版することになったので、この機会に新仮名に直し、なお全篇にわたって朱筆を加えたことを付記しておく。(昭和三十三年晩秋)
この作品は昭和二十六年九月新潮文庫版が刊行された。
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風車小屋便り
発行  2002年8月2日
著者  ドーデ(村上 菊一郎 訳)
発行者 佐藤隆信
発行所 株式会社新潮社
〒162-8711 東京都新宿区矢来町71
e-mail: old-info@shinchosha.co.jp
URL: http://www.webshincho.com
ISBN4-10-861214-0 C0897
(C) Hisashi Asai 1951, Coded in Japan