風車小屋だより
アルフォンス・ドーデ/大久保和郎訳
目 次
まえがき
居《きょ》をかまえる
ボーケールの乗合馬車
コルニーユ親方の秘密
スガンさんの牝山羊《めやぎ》
アルルの女
法皇の騾馬《らば》
サンギネールの燈台
セミヤント号の最後
税関吏
キュキュニャンの司祭
老夫婦
散文のバラッド
ビクシウの紙入れ
金の脳《のう》みそを持った男のお話
詩人ミストラル
三つの読誦《どくしょう》ミサ
オレンジ
二軒の宿屋
ミリアナーで
蝗《いなご》
ゴーシェ神父の養命酒
カマルグで
兵営への郷愁
解説
訳者あとがき
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まえがき
パンペリグゥスト在住の公証人《こうしょうにん》オノラ・グラパジ氏の前で、
出頭人、シガリエールと称する土地の所有者で同所に居住する、ヴィヴェット・コルニーユの夫ガスパール・ミチフィオ氏は、
本証書によって、法律上および事実上の保証のもとに、いっさいの債務、先取特権、抵当権の対象たらざるものとして、
同じく出頭人、パリ在住の詩人アルフォンス・ドーデ氏に、
プロヴァンス州中心部ローヌ渓谷《けいこく》の、松と冬青《そよご》の生《は》えている山腹にある製粉用風車を売却譲渡する。この風車は、その翼《つばさ》の先までからみついた野ぶどう、こけ、マンネンコウその他の寄生植物を見てもあきらかなように、二十年以上|放棄《ほうき》されており、製粉には役立たない。
こういう状態で、大輪はこわれ、床《ゆか》の煉瓦《れんが》のあいだから草が生《は》えているにもかかわらず、ドーデ氏はこの風車が自分にとって好都合なものであり、詩作の仕事に使えるものであると言明し、いっさい自己の責任において、かつまた修繕を必要とする場合にも売却者になんらの負担《ふたん》をかけることなく買い受けることにしたのである。
この売買は約定価格によって一括払いでおこなわれた。詩人ドーデ氏は全額を現金で机の上に出し、ミチフィオ氏はすぐその場でそれを受納した。以上は左記署名の公証人および証人の面前でおこなわれ、領収書は保存されている。
本証書はパンペリグゥストのオノラ公証役場にて、横笛吹きフランセ・ママイおよび白衣苦業団《ペニタン・ブラン》の十字架捧持者ル・キックことルイゼの立会いのもとに作成された。
本証書朗読の後、証人は当事者および公証人とともに署名した……
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居《きょ》をかまえる
驚いたのはうさぎたちだ!……もうずっと前から風車小屋の戸はしめられ、壁《かべ》も床《ゆか》も草におおわれたのを見て、奴《やっこ》さんたちはしまいに粉ひきという人種はもう滅び去ってしまったんだと思いこみ、場所がちょうどいいと思ったので、ここを司令部みたいなもの、作戦本部みたいなものにしてしまったんだ。うさぎ軍のジェマップ〔ベルギーの地名。仏軍の作戦本部の風車小屋があった〕といった風車小屋なのだ……。私が着いた夜は、いやまったくのはなし、ゆうに二十ぴきのうさぎが床の上に円陣をつくってすわって、月の光で脚《あし》をあっためていたもんだ……。明り取り窓をちょっとあけたとたん、どやどやどやっと露営部隊《ろえいぶたい》は総くずれ、小さな白いお尻《しり》はしっぽをおったてて残らず草むらのなかに逃げこんだ。奴さんたち、また帰って来てくれないものか。
私を見てこれもひどく驚いたのは、二階の住人の、風車小屋に二十年以上も前から住みついている思想家顔をした陰気なふくろうのじいさんだ。私はこいつが上の部屋の、漆喰《しっくい》や落ちた瓦《かわら》のまんなかで、風車の軸棒《じくぼう》の上に身動きもせず体をのばしてとまっているのを見つけた。じいさんは円《まる》い目でちょっと私をみつめた。それから、見知らぬ人間なのですっかりあわてふためいて「ホーホー」となきだし、ほこりで灰色になったその翼《つばさ》をやっこらさと振り出したものだ。――やれやれこういう思想家の手合いときては! 服にブラシなどけっしてかけやしないんだ……。まあいいさ、目をぱちぱちさせ、しかめっつらをしているが、この沈黙の下宿人はほかのものにくらべれば私にはまだましだ。で、私は急いでじいさんと賃貸《ちんたい》契約を結びなおした。じいさんは従来同様、屋根からの入り口が一つついた風車小屋の二階全部を占領し、私のほうは下の部屋《へや》、修道院の食堂のように低い丸天井《まるてんじょう》の、石灰で白く塗った小さな一室を自分のものにした。
私がこの手紙を書いているのはその部屋なんだよ。戸を大きく開いて、こころよい日の光を浴びながら。
きれいな松の林が日の光にきらめきながら私の前の山の麓《ふもと》までずっとつづいている。地平線にはアルピーユ山脈がくっきりと美しい峰《みね》々を描き出している……なんの物音もしない……わずかに横笛の響《ひびき》、ラヴァンドのなかのタイシャクシギの鳴き声、道を行く騾馬《らば》の鈴の音がときに聞こえるだけ……このプロヴァンスの美しい風景はただ光のみによって生きているんだ。
その今、私が君らの騒々しく黒ずんだパリをなつかしがるなんてどうして君は思うんだい? 私のこの風車小屋はとても居心地がいいんだよ! 私がさがしもとめていた片田舎《かたいなか》、新聞や辻馬車や霧《きり》から千里も離れた、香《か》ぐわしくあたたかい片田舎じゃないか! それに、まわりを見ればどれほど結構《けっこう》なものばかりか! ここに居をかまえて一週間そこそこなのに、私の頭はもういろんな印象や記憶でいっぱいになっちまった……。ねえ、いいかい、つい昨日《きのう》の夕方のことだ、私は山の麓《ふもと》にある農家《マス》に羊《ひつじ》の群れが帰って来るのを見た。そして私は断言するが、今週パリでおこなわれる芝居《しばい》の初演の切符を全部もらったって、この光景を見のがすのはまっぴらだな。まあ、話を聞いてから判断してくれ。
ことわっておかなくちゃならんが、プロヴァンスじゃ暑さがくると家畜をアルプス山中にやるのがしきたりだ。動物も人間も山の上で、腹までとどく草のなかで野宿しながら五、六か月すごす。そして秋の気配《けはい》が感じられるとともに家《マス》へ帰って来て、マンネンコウのにおいのする灰色の小さな丘でまた天下太平に草を食《は》みだすというわけだ……。で、昨日の夕方、羊の群れが帰って来たんだ。朝から表門は大きく開かれて羊どもを待っていた。羊小屋は新しい寝藁《ねわら》でいっぱいだった。人々は絶えず言っていた。「今ごろはエイギエールに来てるぞ、今ごろはパラドゥだ」と。それから夕方ごろとつぜん、「ほら来たぞ!」という大きな叫び声があがる。なるほど遠くのほうに羊の群れが埃《ほこり》の暈《かさ》につつまれて進んで来るのが見える。道全体が彼らといっしょに進んで来るみたい……。年取った牡羊《おひつじ》どもが角《つの》を前に突き出して荒々しい様子で先頭に立って来る。そのうしろから羊の本隊、赤んぼを脚《あし》のあいだに歩かせているちょっと疲れぎみの母羊たち。――生まれたばかりの小羊のはいった籃《かご》を背にして、歩きながらゆすっている赤い玉総《たまぶさ》をつけた騾馬《らば》たち。それから舌《した》を地面までたらして汗みどろになっている犬ども、裾《すそ》をまるで司祭《しさい》さんの祭服みたいにかかとのところまで垂らした焦茶《こげちゃ》色のセルのマントで身を包んだふたりの大柄《おおがら》な羊飼《ひつじか》いの若い衆《しゅ》。
こういったすべてが私たちの前に楽しげに行列を作って行き、まるで夕立のような足音をたてて表門のなかへなだれこんで行く……。家のなかではまあどんな騒ぎか。チュールのとさかをつけた緑色と金色の大きな孔雀《くじゃく》たちはその止り木の上から、帰って来た連中を認めて、ものすごいラッパのような声を張りあげて迎える。それまで眠っていた鶏小屋《とりごや》もはっと目を覚《さ》ます。鳩《はと》もあひるも七面鳥《しちめんちょう》もほろほろ鳥も立ちあがっている。家禽《かきん》全体がまるで気がちがったみたい。雌鶏《めんどり》たちは今夜は眠らないなどと言っている!……まるで羊《ひつじ》どもがめいめいその毛のなかに、自然のままのアルプスの香気とともに、人を酔《よ》わせ踊《おど》らせるあの山のすがすがしい大気をすこしずつ持って来るようだ。
こういう大騒ぎのさなかに羊の群れは自分のすみかに帰るのだ。この引っ越しの様子ほど心を捉《とら》えるものはない。年取った牡羊《おひつじ》たちはなつかしい秣桶《まぐさおけ》を見てしんみりする。子羊たち、いちばん若い、旅のあいだに生まれてまだ一度もこの農家《マス》を見ていなかった連中は、びっくりしながらあたりを見まわす。
だが、いちばん人の心を打つのは犬たち、羊たちを休みなく追っかけまわし、農家のなかで羊しか見ていないあのかいがいしい牧羊犬《ぼくようけん》たちである。番犬がいくら小屋の奥から彼らを呼んでも目もくれない。新鮮な水をたたえた井戸《いど》の水桶《みずおけ》が誘っても見向きもしない。羊どもがおさまってしまい、小さな格子戸《こうしど》に太い掛金がかけられ、そして羊飼いたちが土間で食卓につかぬかぎり、彼らは何も見ようともせず、聞こうともしないんだ。そのあとではじめて彼らは犬小屋に帰ることに同意し、どんぶり一杯のスープをすすりながら、あの山のなかで、狼《おおかみ》が住み、縁《ふち》まで露《つゆ》がたまった紅《くれない》の大きなジギタリスが咲く無気味な国で自分らがしたことを、家の仲間たちに話してやるのである。
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ボーケールの乗合馬車
私がここに着いた日のことだ。私はボーケールの乗合馬車に乗っていた。だいぶ古いがた馬車で、自分の車宿までもどるのにそうたいした道のりがあるわけでもないのに、道中ずっとぶらぶらしているので、夕方になるととても遠いところからやって来たみたいな様子になっている。この馬車の屋上席《アンペリアル》にいたのは、馭者《ぎょしゃ》をのぞいて五人だった。
まずカマルグの羊番《ひつじばん》、ずんぐりとした、毛むくじゃらの、野獣《やじゅう》のにおいのする小男で、充血した大きな目をし、耳に銀の輪《わ》をつけている。つぎはふたりのボーケール人、パン屋とその練粉《ねりこ》職人で、ふたりともひどく顔が赤く、ひどく喉《のど》をぜいぜいさせているが、横顔はまったくみごとで、まさにウィテリウス〔紀元一世紀のローマ皇帝〕の肖像のついた二枚のローマ時代の古銭《こせん》といったところだ。最後に、前部の馭者のそばに、ひとりの男……いや! 一つの鳥打帽《とりうちぼう》といったほうがいい、うさぎの皮でつくったものすごくでっかい鳥打帽が、あまり口をきかず、陰気くさい様子で道を眺めている。
この連中はみんな知り合い同志で、ごくあけっぴろげに用事のことやなんかを大声でしゃべり合っていた。カマルグの男はひとりの羊飼いを熊手《くまで》でぶんなぐったため予審判事《よしんはんじ》に呼ばれてニームから来たんだと言っていた。カマルグの連中は血の気《け》が多いんだ。……いや、ボーケールだってそうさ! 例のふたりのボーケール人は聖処女のことで斬合《きりあ》いでもおっぱじめようとしていたじゃないか。パン屋は、プロヴァンス人が|やさしいお母さん《ボンヌ・メール》と呼んでいる、幼いイエスを両腕《りょううで》でかかえた聖母をずっと昔からいただいている小教区のものだったらしい。練粉職人のほうはそれに反して、清浄受胎《インマキュレ・コンセプシオン》の聖母、両腕をたらし、その手は光に包まれたものとして描かれているあの美しいにこやかな像に捧げられたごく新しい教会の聖歌隊で歌っている。喧嘩《けんか》の原因はそこにあった。このふたりの善良なカトリック教徒が相手と相手の聖母をどんなに罵《ののし》ったかは見ものだった。
「別嬪《べっぴん》だよ、おめえの|清浄な方《インマキュレ》は!」
「おめえの|やさしいお母さん《ボンヌ・メール》と駈《か》け落ちするがいいや!」
「いろんなことを言われたんじゃねえか、おめえのは、パレスティナでよ!」
「そいじゃおめえのはどうだい、へっ! まずい面《つら》をしてよ!……何をしてるかわかったもんか……。まあ聖ジョゼフにきいてみるといいや」
これで匕首《あいくち》がひらめきさえすりゃあ、ここはナポリの港だと思っちまうところだ。そして、まったくの話、もし馭者《ぎょしゃ》が仲裁にはいらなかったら、この愉快な神学論争もほんとにそこまで行ってしまったろうと思う。
「いいかげんでその聖母の話はやめてくれや」と馭者は笑いながらふたりのボーケール人に言ったのだ。「そんなのはみんな女のことだ。男が口を出すんじゃねえ」
そう言うと彼はちょっと懐疑的《かいぎてき》な顔をして鞭《むち》を鳴らし、みんなはその顔を見て彼の意見に賛成したものだ。
議論は終わった。だがはずみがついてしまったパン屋は、はやりたった気持ちを残らず吐《は》き出してしまわぬことにはおさまりがつかなかった。で、隅のほうで黙々として沈みこんでいる鳥打帽のほうを向いてからかうような調子でこう言った。
「ところでおめえのおかみさんはどうだい、研《と》ぎ屋さん?……どっちの教区の味方なんだね?」
この文句にはひどく滑稽《こっけい》な下心が含まれていたと見ねばなるまい。というのは、屋上席《アンペリアル》の連中はみんないっせいにげらげら笑い出したからだ……。研ぎ屋のほうは笑わなかった。聞こえないような様子だった。それを見るとパン屋は私のほうを向いた。
「あんたはあの男の細君をご存じないでしょう、旦那《だんな》? 妙な教区民でね、まったく! あんなのはボーケールにもふたりといませんや」
笑い声はいっそう大きくなった。研ぎ屋は身動きもしない。ただ頭を上げずにごく低くこう言っただけだ。
「よしなよ、パン屋さん」
しかしこのパン屋の野郎《やろう》、いっこうにやめる気がないどころか、ますます調子に乗ってまくしたてたもんだ。
「ばかめ! あんな女房がいるからって、なにも奴《やっこ》さんのことを気の毒がる必要はねえんだ……。あの女といっしょなら一時《いっとき》も退屈することはねえんだから……。まあ考えておくんなさい、いい女で、半年ごとにだれかにさらわれて、帰って来るときにゃ何か話の種を持って来るというんですからな……。まあそんなこたあどうでもいい、とにかく奇妙な夫婦でさあね。……まあどうです、旦那《だんな》、結婚して一年もたたねえってのに、あろうことか、女房はチョコレート屋といっしょにスペインへ駈《か》け落ちとおいでなすったね。
亭主《ていしゅ》はひとり残されて泣いたり酒を飲んだりしている……。まるで気がちがったみたいでしたぜ。しばらくして別嬪《べっぴん》さんはスペイン風の服を着て鈴のついた長太鼓《ながだいこ》を持って帰って来た。
『身をかくしな。殺されっちまうぜ』とあっしらはみんな言ってやりましたよ。
いや、まったくの話ね、殺されるぞって……。ところがふたりはなんのこともなくまたぞろいっしょになって、女はバスク風の長太鼓の打ち方を奴《やつ》に教えてやったもんでさあ」
またしてもどっと笑い声がおこった。あいかわらず隅のほうで頭も上げずに研《と》ぎ屋はまたつぶやいた。
「やめてくれよ、パン屋さん」
パン屋はそんなことなど問題にせずにつづけた。
「きっと旦那は、スペインから帰って来たあと女はおとなしくしていたんだろうとお思いでしょう……。ところがそうじゃねえんでさ!……亭主はすべてを悪く取らねえから文句を言わねえ! だもんで女はまたやりたくなっちまった……。スペイン人のつぎは将校、そのつぎはセーヌ河《がわ》の船頭、そのつぎは音楽家、そのつぎは……いや、もうおぼえちゃいられねえや……。とにかくおもしろいのは、いつも同じお芝居《しばい》がくりかえされることで。女は出奔《しゅっぽん》する、亭主は泣く。女がもどって来る、亭主は安心する。こうしていつもだれかが女をかっさらい、亭主が女をとりもどすって調子でさ……。辛抱《しんぼう》強いとお思いでしょう、この亭主は! それに、こいつはことわっておかにゃならねえが、この研《と》ぎ屋のかみさんてのがまたたいした美人なんでね……ぴちぴちしてて、愛らしくて、ぽっちゃりしてさ、まったく玉の輿《こし》に乗っても恥かしくねえって代物《しろもの》ですよ。おまけに肌《はだ》は白く、はしばみ色の目はいつも笑いながら男を見るんでさあ……。まったくの話、パリの旦那《だんな》、いつかまたボーケールに立ちよることがおありでしたら……」
「おお、やめてくれよ、パン屋さん、お願いだ……」と、もう一度哀れな研ぎ屋は悲痛な声をしぼって言った。
ちょうどそのとき乗合馬車はとまった。レ・ザングロールの農家《マス》についたのだ。ふたりのボーケール人はそこで降りた。もちろん私は彼らを引き止めようなどとはしなかった……。あのふざけたパン屋め! 奴《やつ》は農家の中庭にいたが、彼の笑い声はまだ聞こえていた。
この連中が行ってしまうと屋上席《アンペリアル》はからっぽになったように思えた。カマルグの男はアルルでおろしてしまっている。馭者《ぎょしゃ》は馬とならんで道を歩いている。……研ぎ屋と私だけが屋上席にいた、それぞれ自分の席から動かず、口もきかずに。暑かった。幌《ほろ》の革《かわ》はやけていた。ときどき、私は瞼《まぶた》が合わさり頭が重くなるのを感じた。でも眠ることはできない。私の耳には、痛切きわまる、しかもじつに物静かなあの「やめてくれよ、お願いだ」という言葉が絶えず鳴っていた……。その哀れな男も同じだった! 彼も眠れないでいた。うしろから私は彼のごつい肩がわななき、彼の手――血の気《け》のない、間《ま》の抜けた長い手――が座席の背でふるえているのを見た。彼は泣いていたのだ……
「お宅に着きましたぜ、パリの旦那《だんな》!」と不意に馭者《ぎょしゃ》が叫んだ。そして鞭《むち》の先で彼は風車が大きな蝶《ちょう》のようにその上にとまっている私の緑の丘をさした。
私は急いで降りようとした……。研《と》ぎ屋のそばを通るとき私はその鳥打帽《とりうちぼう》の下をのぞいてみようとした。別れる前に彼の顔を見ておきたかったのだ。私の気持ちがわかったかのように不幸な男はいきなり頭を上げ、まっすぐ私の目をみつめながら、
「この顔をよく見ておいてくんなよ」と彼は押し殺したような声で言った。「そしていつかボーケールで不祥事《ふしょうじ》があったと聞いたら、あんたはその犯人《はんにん》を知っていると言うことができるぜ」
それはしぼんだような小さな目をした、生気のない陰気な顔だった。その目のなかには涙があった。そしてその声のなかには憎悪《ぞうお》があった。憎悪、それは弱者の怒りなのだ!……もし私が研ぎ屋の女房だったら用心するところだが。
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コルニーユ親方の秘密
年よりの横笛吹きのフランセ・ママイは、ときどき私の家に来て夜ばなしをして行くのだが、いつぞやの晩、煮ぶどう酒を飲みながら、二十年ばかり前、私の風車も一役買ったささやかな村の悲劇《ひげき》を話してくれた。じいさんの物語は私の心を打った。で、聞いたとおりをそのままにお話ししてみよう。
親愛な読者諸君、しばし香り高いぶどう酒の壺《つぼ》の前にすわって、年寄りの横笛吹きが君に話しているのだと思っていただきたい。
ねえ旦那《だんな》、昔はこのあたりは今みたいにさびれはてた歌声一つ聞こえない土地じゃなかったんですぜ。以前は粉屋《こなや》がとても繁昌《はんじょう》していて、十里四方の農家《マス》の連中はわしらのところへ麦を持って来てひかせていたもんだわな……。村をめぐる丘という丘にはずらりと風車がならんでいてな。右を向いても左を向いても、松の木より高くそびえ、ミストラルを受けてまわっている風車の翼《つばさ》と、袋をしょって道をのぼったりくだったりしている小さな驢馬《ろば》どもの行列しか見えなかったよ。そして平日は丘の上じゃ鞭《むち》の音、布《ぬの》でできた翼のばたばたいう音、そして粉屋の若い衆《しゅ》の「はいはいどうどう!」という掛け声が聞こえるのが楽しみだった……。日曜にはわしらは三々五々風車小屋に行ったもんさ。行きゃあ粉屋たちがマスカットぶどう酒をふるまってくれる。粉屋のかみせんたちはレースの肩掛けや金の十字架を身につけて女王みたいにきれいだったよ。わしゃあ横笛を持って行った、そしてみんなは日がとっぷり暮れるまでファランドールを踊《おど》るのさ。あの風車は、ねえあんた、この国の喜びになり、この国を豊かにさせてもいたんだ。
ところが困ったことに、パリのフランス人がタラスコン街道沿いに蒸気製粉工場を建てようと考えやがった。新しいものはなんでもいいってやつでね! みんなは麦を製粉工場に送るようになっちまった。で、風車のほうはかわいそうに失業さ。それでもしばらくのあいだは対抗しようとしてみたが、蒸気のほうが強かった。そして、あわれや、つぎからつぎに風車はみんな廃業《はいぎょう》しなくちゃならなかった……。もう小さな驢馬《ろば》もやって来ねえ……。きれいな粉屋の細君も金の十字架を売っぱらう……。マスカットぶどう酒もなけりゃ、ファランドールも見られねえ!……ミストラルがいくら吹いたって風車の翼《つばさ》は動きゃしねえや……。そのうち、ある日のこと村はこうした廃屋をみんなとりつぶして、そのあとにぶどうとオリーヴを植えつけてしまったんだ。
ところがよ、この総崩《そうくず》れのなかで一軒の風車小屋だけはがんばりとおして、製粉工場の鼻っ先で雄々しく翼をまわしつづけていたもんだあね。そいつはコルニーユ親方の風車だった、今夜こうしてわしらがおしゃべりしているこの風車小屋さ。
コルニーユ親方ってのは六十年来、粉のなかで暮らして来て、粉屋って商売のほかに目のない老粉ひきだった。製粉工場が建ったのを見て奴《やっこ》さん気ちがいみたいになった。一週間てもの村じゅう走りまわって、村人たちをまわりに呼び集めちゃあ、奴《やつ》らは工場で作った小麦粉でプロヴァンスじゅうの人間を毒殺しようとしてるんだと声をかぎりにわめきたてる。「あっちに行くんじゃねえぞ」と奴さんは言ってた。「あの悪党めら、パンを作るのに蒸気なんぞを使いやがる。蒸気ってのは悪魔《あくま》が発明したもんだぞ。おらのほうはミストラル〔ローヌ河岸を吹きまくる北東風〕とトラモンターヌ〔北風〕で仕事するんだ、こっちは神さまの息吹《いぶき》なんだからな……」まあこういった調子で、山のように美辞麗句《びじれいく》をつらねて風車を讃《たた》えるんだが、だれひとりとして奴さんの言うことに耳をかさねえ。
そこでじいさんかんかんになっちまって、自分の風車小屋にとじこもって、野獣《やじゅう》みたいにたったひとりで暮らしはじめた。孫娘《まごむすめ》のヴィヴェットをそばに置いておこうともしねえんだ。これは十五になる娘っ子で、両親が死んじまってからはこの「おじいさん」のほかに身寄りはひとりもなかったんだがね。かわいそうな娘っ子は自分で身過ぎ世すぎして、そこらの農家《マス》の収穫《とりいれ》だの養蚕《おかいこ》だのオリーヴ摘《つ》みだのに雇《やと》われねばならなくなった。それでもじいさんはとても愛しているように見えた、この娘っ子だけは。日がかんかん照ってるなかを四里も歩いて娘の働いている農家に来ることもよくあった。そして娘のそばにいるときにゃ、何時間も泣きながら娘を眺めているのさ……
このあたりの連中は、粉屋のじいさんがヴィヴェットを追っぱらったのはけちんぼだからだと思ってた。そして実際、孫娘をこうして農家から農家へとほっつきあるかせ、作男《ヴァイル》の乱暴《らんぼう》や、奉公する若い娘のいろんな苦労にさらさせておくのは、奴《やっこ》さんの名誉にゃならなかった。それにまた、コルニーユ親方ほどの名望があり、それまでは体面も重んじていた人間が、今じゃ靴《くつ》もはかずに穴《あな》だらけの帽子にぼろぼろの|毛の飾帯《タイヨール》という恰好《かっこう》で、ほんものの浮浪者《ふろうしゃ》みたいにあっちこっちほっつき歩くのはまことに困ったことだとみんなは思った……。じつを言うと、日曜日に奴さんがミサにやって来るのを見ると、わしら年寄り連中は恥かしく思ったもんだよ。そしてコルニーユにもそれがわかったんで、もう教会理事席にはすわろうとしなくなった。いつも御堂のうしろのほうの、聖水盤《せいすいばん》のそばの貧乏人連中のところにいてな。
コルニーユ親方の暮らしぶりにはなにかはっきりしねえところがあった。もうずっと前から村じゃだれも奴さんのところへ麦を持って行かねえってのに、奴さんの風車の翼《つばさ》はあいかわらず従前同様まわっているのさ……。夕方になるとこの粉屋のじいさんが通りで大きな粉袋をしょった驢馬《ろば》を追ってるのに出くわす。
「こんばんは、コルニーユ親方!」と百姓《ひゃくしょう》たちは声をかける。「粉ひきはあいかわらずうまく行ってるかい?」
「あいかわらずさ、皆の衆」とじいさんは威勢よく答えたもんだよ。「ありがてえことに、わしらにゃ仕事がなくなるってことはねえわな」
そこで、いったいどこからそんなに仕事が来るかとたずねると、奴さんは唇《くちびる》に指をあてて、もったいぶってこう答えたもんだ。「シッ! わしは輸出の仕事をしとるんじゃよ……」それ以上は何一つ奴さんから聞き出せなかった。
奴《やっこ》さんの風車をのぞいてみようなんてことは思いもよらなかった。娘のヴィヴェットさえ入れねえんだからね……
小屋の前を通って見ると、戸はいつもしまっており、風車の翼《つばさ》はいつも動いている。老いぼれの驢馬《ろば》は台地の芝を食ってるし、痩《や》せた大きな猫《ねこ》は窓の縁《へり》で日なたぼっこしながら、意地悪そうにこっちをにらみつけるといった具合なんでさ。
どうもこれは隠れた事情がありそうで、人々はしきりに噂《うわさ》したもんだ。めいめいが自分流にコルニーユ親方の秘密を解き明かしていたが、まず一般の風評じゃあ、あの風車小屋のなかには粉袋よりも金貨の袋のほうがたくさんあるということだった。
けれども時がたつにつれてなにもかも判明した。まあこういった次第さ。
横笛を吹いて若い連中を踊らせているうちに、ある日わしはうちの長男とヴィヴェットが恋し合ってるのに気がついたんだ。じつはわしは悪い気持はしなかったよ、コルニーユという名はこのあたりじゃ尊敬されていたし、それにあのヴィヴェットというかわいい小雀《こすずめ》が家のなかをはねまわってるのを見るのはわしにとって楽しみだったろうからな。ただこの好《す》いた同志はなにかといってはよくいっしょにいるんで、わしはつまらねえことがあっちゃ困ると思って、すぐに話をつけようと思った。そしてちょっとじいさんの耳に入れておこうと思って風車小屋まで出かけて行ったのさ……。ああ、あの糞《くそ》じじいめ! まあわしをどんな風にあしらいやがったことか! 戸をあけさせることすらできねえ相談だ。わしはどうにかこうにかこっちの言い分を説明した。鍵穴《かぎあな》越しにね。そしてこちらのしゃべっているあいだじゅう、あの痩《や》せ猫《ねこ》の畜生《ちくしょう》が頭の上でまるで悪魔《あくま》みたいにふうふういってやがるんだ。
じじいはわしにしまいまで言わせねえで、まことに無作法《ぶさほう》にも家に帰って笛を吹いてろなどとどなりつけるんだ。そんなに急いで倅《せがれ》を結婚させてえんなら、製粉工場に行って娘を連れて来りゃいいじゃねえか、などとね。こんな悪態《あくたい》をつかれちゃわしだって胸が煮えくりかえりまさあね。それでもまだわしには自分を抑えるだけの分別《ふんべつ》はあった。そして気ちがいじじいを臼《うす》のそばに残して、この失敗のてんまつを子供たちに知らせるためにひきかえした……。だがこの子羊《こひつじ》たちは、かわいそうに、わしの話を信じることができねえんだ。じいさんと話をするためふたりいっしょに風車小屋に行かしてくれと、慈悲《じひ》を乞《こ》うようにたのむのさ……。それをことわる勇気はわしにゃあなかった。そしてあっという間《ま》にふたりは飛び出して行っちまった。
ちょうどふたりがあちらに着いたとき、コルニーユ親方は出かけたところだった。戸には厳重に鍵がかけてあったが、奴《やっこ》さん、梯子《はしご》を外に置きっぱなしにして行っちまったんだ。すぐさま子供たちは、窓から中にはいって、評判のこの風車小屋のなかがどうなっているかちょっと見てみようと思いついた。
なんと奇怪《きかい》なことに、挽《ひ》き臼《うす》部屋《べや》はからっぽだった!……袋もない、小麦一|粒《つぶ》もない。壁にもクモの巣にも小麦粉はこれっぱかりもかかっていない……。風車小屋特有のあのひきつぶされた小麦の温いよい匂《にお》いさえしねえときている……。風車の軸棒《じくぼう》は埃《ほこり》だらけで、大きな痩せ猫がそのうえで寝ているだけ。
下の部屋《へや》も同じように見る影もなく打ち捨てられた様子なんだ――粗末《そまつ》な寝台、ぼろぼろの衣類、階段の途中に一きれのパン、それから片隅に、穴のあいた袋が三つか四つ、そのなかから崩《くず》れた壁土《かべつち》と白土がこぼれ出ているのさ。
これがコルニーユ親方の秘密だったんだよ! 風車の名誉を守り、まだ風車で粉が作られているんだと人々に信じさせるために、奴《やっこ》さんが夕方街道筋を運んで見せていたのはこの漆喰《しっくい》の屑《くず》だったのさ……かわいそうな風車! かわいそうなコルニーユ! とっくの昔に製粉業者は奴さんから最後のおとくいさんまで奪っていたんだ。翼《つばさ》はあいかわらずまわっていた、だけど臼《うす》のほうはからまわりしていたにすぎないんだよ。
子供たちは涙にくれながら帰って来て、見たことを話してくれた。わしはそれを聞いて胸が張り裂《さ》けそうだったよ……一刻も無駄《むだ》にせずにわしは近所の人たちのところをかけまわり、事情を手みじかに説明し、それぞれの家にあるかぎりの小麦をその場ですぐコルニーユの風車小屋に持って行かにゃならんと衆議一決した……。話がきまりゃただちに実行だ。村じゅうのものが出かけたね。そしてわしらは麦を――こいつはほんとの麦ですぜ!――つめた袋をしょった驢馬《ろば》の行列といっしょに丘の上に着いた。
風車小屋はあけっぱらってあった……戸の前でコルニーユ親方は漆喰の袋の上に腰をおろして、両手で頭をかかえて泣いてたよ。奴さん、帰って来て、自分の留守中にだれかが家に忍びこんで自分の悲しい秘密を見つけてしまったということに気がついたんだ。
「ああ情けない!」と奴《やっこ》さんは言っていた。「こうなってはもうわしは死ぬほかはない……。風車小屋の面目はつぶれた」
そうして奴さん、身も世もないように泣いてるんだよ、自分の風車のことをいろんな名で呼んで、本当の人間にしゃべるように風車に話しかけながらね。
そのとき驢馬《ろば》たちが台地に着いたんだ、そしてわしらはみんな、粉屋の全盛時代のように大声を張りあげて叫んだのさ。
「おおい、粉ひきを頼むぜ!……おおい、コルニーユ親方!」
そうして戸の前に袋が積みかさなる、美しい焦茶《こげちゃ》色の麦がそこらじゅうの地面にこぼれる……
コルニーユ親方は目をみはったね。年寄りじみた手のひらに麦をすくって、泣き笑いしながら奴さんは言っていた。
「麦だ!……おお神さま!……ほんとの麦だぜ!……まあとにかく、よく拝《おが》ませてくれ」とな。
それからわしらのほうを向いて、
「ああ、おまえさんたちがまたわしのところへ来てくれるのはわかってたよ……。あの製粉工場の野郎《やろう》どもなんぞはみんな泥棒《どろぼう》だからな」
わしらは奴さんを凱旋《がいせん》将軍みたいに村へ引っぱって行こうと思った。
「いやいや、みなの衆、なによりもまず風車に食い物をやらなくちゃならんて……。まあ考えてもみな! 風車のやつ、もうずいぶん長いこと食い物にありつけなかったんだからな!」
そしてわしらはみんな、麦がひきつぶされ、こまかい麦粉のほこりが天井に舞いあがって行く一方で、この哀れなじいさんが右へ左へといそがしく動きまわって、袋の口をあけたり臼《うす》の具合を見たりしているのを見て涙をもよおしたもんだよ。
わしらのしたこととしちゃあ、これは善行だったと思うが、この日からわしらは粉屋のじいさんに仕事を欠かさせることはけっしてしなかった。その後、ある朝コルニーユじいさんは死んだ。このあたりで最後の風車の翼《つばさ》ももうまわらなくなった、今度こそ永久にね……。コルニーユが死んでもそのあとをつぐものはひとりもいなかったから。しようがねえやな、旦那《だんな》……この世じゃどんなものにでも終わりがある。そしてローヌ河《がわ》の川船や高等法院、大きな花模様のついた長上着の時代と同様、風車の時代も過ぎ去ったと思わにゃあなるまいて。
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スガンさんの牝山羊《めやぎ》
パリの抒情詩人ピエール・グランゴワール君に
君はいつまでたっても変わるまいよ、ねえグランゴワール君!
なんだって! パリの立派な新聞記者の口が提供されているというのに、いけしゃあしゃあとそれをことわるんだと……。まあ君のその≪なり≫を見てみろよ、かわいそうに! その穴のあいた胴着《どうぎ》、惨憺《さんたん》たるズボン、空腹《くうふく》をうったえてるその痩《や》せこけた御面相をさ。美しい韻《いん》に熱中したあげくのはてがそのざまなんだぜ! アポロン〔ギリシャ神話の太陽神、音楽・詩・芸術の神〕陛下《へいか》のおそばに十年間忠勤を励んで来た報《むく》いがそれなんだぜ……。いいかげんで恥かしいと思わないのかい?
だから記者になれよ、わからず屋! 記者になれったら! そうすりゃバラの模様のついた美しい金貨もかせげる、ブレバン料理店〔文士・ジャーナリストが通ったパリの有名な料理店〕では定連になれる、そして芝居《しばい》の初日には縁無帽子《ふちなしぼうし》にまあたらしい羽をつけて出かけて行けるというもんだぜ……
いやだ? なりたくないって? 最後まで自分の流儀で自由にやってゆくっていうんだな……。よし、それじゃちょっと「スガンさんの牝山羊《めやぎ》」の話を聞いてみたまえ。自由に生きようとすればどんなことになるか、これでわかるだろう。
スガンさんは山羊《やぎ》のことじゃあ一度も運がよかったためしがなかった。
全部同じようないきさつでなくしたんだ。つまり、ある日|綱《つな》を切って山に行ってしまう、そして山の上で狼《おおかみ》に食われてしまうという筋書きさ。主人の愛撫《あいぶ》も狼への恐怖《きょうふ》も、何も山羊たちを引きとめることはできなかった。どんなことがあっても広い自由な天地がほしいという独立|不羈《ふき》の山羊たちだったらしいね。
お人よしのスガンさんは自分の山羊たちの気心が一向に呑みこめなかったから、あきれかえってしまった。
「もうやめた。山羊はおれんとこじゃ退屈なんだ。もう一ぴきも飼うもんか」
そうは言いながらも彼はあきらめなかった。そしてすべて同じいきさつで六ぴきなくしたあげく、七ひきめの山羊を彼は買った。ただ今度は、なるべく自分のところへ居つけるように、ごく若いのを買うように心がけたのだ。
ああ、グランゴワール君、このスガンさんの小山羊はどんなにきれいだったことか! おだやかな目、下士官《かしかん》みたいなひげ、黒くぴかぴかした蹄《ひづめ》、縞模様《しまもよう》のある角《つの》、外套《がいとう》のように体《からだ》をおおう白い長い毛があってさ! あのエスメラルダ〔ユゴーの『ノートル=ダム・ド・パリ』に登場するジプシー女〕の小山羊のことをおぼえてるだろう、グランゴワール君、ほとんどあれと同じくらいかわいかったんだよ――それにまた、すなおで、あまったれで、乳をしぼられるときにも動いたり鉢《はち》のなかに足をつっこんだりしなくてさ。ほんとにかわいい小山羊《こやぎ》だった……
スガンさんの家の裏手には山査子《さんざし》の垣《かき》をめぐらした囲い地があった。彼はそこにこの新顔を入れたんだ。草地のいちばんきれいな場所に、縄《なわ》もたっぷりあるようにしてやって、杭《くい》につないでやった。しかも、具合が悪くないかときどき見に行ってやったのだ。山羊はとても幸福で、よろこんで草を食べているので、スガンさんはたいそう御満悦だった。
「やれやれ、こいつだけはおれのところで退屈すまいて!」と哀れな男は思った。
スガンさんの思い違いだった。山羊は退屈していたんだ。
ある日、山羊は山を眺めながらひとりごとを言った。
「ああ、あの山の上はどんなに気持ちがいいかしら。首をすりむく、このいやらしい綱《つな》なんかなしに、ヒースのなかをはねまわったらどんなに楽しいだろう!……囲われたところで草を食《は》むのは驢馬《ろば》や牛にはふさわしいだろう!……山羊には広いところが必要なのよ」
このときから囲い地の草は彼女には味気なく思われた。退屈がきざしてきた。山羊は痩《や》せ、乳はすくなくなった。山のほうへ顔を向けて、鼻の穴《あな》をひらいて悲しげに「メエ!……」と啼《な》きながら、一日じゅう綱を引っぱっているのは見るも哀れだった。
スガンさんは自分の牝山羊《めやぎ》の様子がどうもおかしいことに気がつきはしたが、どこがおかしいのかはわからなかった……。ある朝彼が乳をしぼりおえたとき、山羊《やぎ》はふりむいて山羊の言葉でこう言った。
「ねえスガンさん、あたし、あなたのところにいるのはうんざりなんです。山に行かせてくださいな」
「ああ、なんてこった!……こいつもか!」とスガンさんはびっくり仰天して言うなり、持っていた鉢《はち》を取りおとした。それから山羊とならんで草のなかに腰をおろして、
「なんだって、ブランケット、おれのところから行っちまおうってのか?」
ブランケットは答えた。
「そうなの、スガンさん」
「ここでは草がたりないのかい?」
「ああ、そんなことはないわよ」
「綱《つな》が短すぎるのかな。もっと縄《なわ》を長くしてほしいか?」
「そんな必要はありませんわ、スガンさん」
「それじゃ何が不足だ? 何がほしいんだ?」
「あたしは山に行きたいのよ、スガンさん」
「困ったやつだね、山には狼《おおかみ》がいるのを知らんのだな……。狼が来たらどうする?」
「角《つの》で突いてやりますよ」
「狼はおまえの角なんか問題にもしないよ。おまえよか大きな角を持ったおとなの山羊が何びきも食われてるんだぞ……。知ってるだろ、去年うちにいたかわいそうなルノードばあさんのことを? 牡《おす》のように力があって抜け目のない女親分みたいな山羊《やぎ》のばあさんだった。あいつは一晩じゅう狼とたたかった……。あげくのはて、朝になって狼はあいつを食っちまったんだよ」
「かわいそうに! 気の毒なルノードさん!……でもかまわないわ、スガンさん、あたしを山に行かせてよ」
「なんてこったい! いったいおれの牝山羊《めやぎ》どもはどうしたってんだろ? また一ぴき狼に食われっちまうんだ……。やい、駄目だぞ……。あばずれめ、おまえがいやだって言ったっておれはおまえを守ってやる! 縄《なわ》を切るといけねえから、小屋にとじこめてやる。けっして小屋から出してやんねえから」
そう言ってスガンさんは山羊をまっくらな小屋に連れて行き、小屋の戸に厳重《げんじゅう》に鍵《かぎ》をかけてしまった。不幸にして彼は窓を忘れていた。そして彼が背を向けるやいなやチビさんは逃げ出した……。
君は笑ってるな、グランゴワール? そうさ、わかってるよ、君は山羊の味方なんだね、あの人のよいスガンさんを向こうにまわして……。もうちょっとしてまだ君が笑っていられるかどうか、まあ見るがいい。
白い牝山羊が山にやって来ると、だれもかれもがうっとりしたもんだ。年を取った樅《もみ》の木たちもこんなにきれいなものは見たことがなかった。みんなは小さな女王のように山羊を迎えた。栗《くり》の木は梢《こずえ》で撫《な》ぜてやろうとして地面まで頭をさげた。金エニシダは彼女が通るとき道をあけて、できるだけいい香りを放った。山じゅうのものが彼女を歓迎《かんげい》したのだ。
われらの牝山羊《めやぎ》がどんなに幸福だったかは、グランゴワール君、言うにおよぶまい! 縄《なわ》もない、杭《くい》もない……思う存分はねまわり草を食《は》むことを妨《さまた》げるものは何もないんだ……。ここにこそほんとの草があった。彼女の角《つの》より高いほどの……。あの囲い地の芝なんかとはぜんぜん違っていた。それにまた花だ!……青い大輪の風鈴草《ふうりんそう》、長い萼《がく》のついた緋《ひ》色のジギタリス、酔《よ》わせるような汁液にあふれた野の花がいちめんに咲き乱れているのだ!……
白い牝山羊はなかば酔い心地でそのなかに仰向けになってころげまわり、落葉や栗《くり》の実といっしょになって斜面《しゃめん》をころげ落ちた……。それからいきなりぱっと跳《は》ね起きる。そら! さあ走り出した。頭を突き出して、叢林《そうりん》やツゲの茂みを抜け、あるいはとんがった山にかけのぼり、あるいは凹地《くぼち》にかけおりる、縦横自在にいたるところに……。まるでスガンさんの牝山羊が十ぴきも山にいるみたいだった。
何もこわくなかったのだ、ブランケットは。
彼女は一躍して大きな早瀬《はやせ》をとびこえた。しぶきや泡《あわ》がはねかかった。と、ずぶぬれのまま彼女はそこらの平たい岩の上に行って身を横たえ、日の光で体《からだ》をかわかした……。一度などエニシダの花を口にくわえて台地のはしまで進み出ると、下の、ずっと下の平地にスガンさんの家とその裏の囲い地が見えた。それを見ると彼女は涙が出るほど笑ってしまった。
「まあ、なんて小さいんだろう! どうしてあんな中にいられたのかしら?」
かわいそうに! 自分がこんな高いところにいるかと思うと、彼女は自分の体がすくなくとも世界と同じくらい大きいのだと思いこんでしまった。
とにかく、これはスガンさんの牝山羊《めやぎ》にとっては楽しい一日だったのだ。おひるごろ、右に左に飛びまわっているうちに彼女は野ぶどうをばりばり食べているカモシカの一隊にぶつかった。白いドレスのこの小さなランニング選手は大もてだった。野ぶどうのいちばんいい場所が彼女にゆずられた。そしてこのカモシカ紳士《しんし》たちはみんなしきりに彼女に色目をつかった……。それどころか――グランゴワール君、これはここだけの話だが――一匹の黒い毛皮のカモシカは運よく彼女に気に入られた。好《す》いた同志は一時間か二時間森のあいだを二ひきだけでさまよった。奴《やつ》らがどんなことを話し合ったか知りたければ、苔《こけ》のなかを目に見えず流れるおしゃべりな泉の水のところへ行ってきいてみたまえ。
急に風がつめたくなった。山は紫《むらさき》色になった。夕方だ……
「もう!」と小山羊は言った。そしてすっかり驚いて彼女はたちどまった。
下のほうの野原は靄《もや》にかすんでいた。スガンさんの囲い地は霧《きり》のなかに消え、あの小さい家で見えるものは細い煙の立っている屋根だけだった。家路につく羊《ひつじ》の群れの鈴の音に彼女は耳をすまし、なんとも言えず悲しくなった……。ねぐらに帰る一羽のはやぶさの翼《つばさ》が彼女をかすめて行った。彼女はぎょっとした……と、山のなかで何かが吠《ほ》えた。
「ウオー! ウオー!」
彼女は狼《おおかみ》のことを思った。昼間は一日浮かれていて一度も狼のことなど考えなかったのだ……。そのときずっと遠くの谷でラッパの音がした。あの親切なスガンさんが最後の努力をこころみていたのだ。
「ウオー! ウオー!……」と狼。
「お帰り、お帰り!……」とラッパは叫ぶ。
ブランケットは帰りたかった。けれど杭《くい》を、縄《なわ》を、垣《かき》を思い出すと、今となってはもうあの生活になじむことはできない、いっそ帰らぬほうがいいと思った。
ラッパの音はもうしなかった……
山羊《やぎ》は自分のうしろに葉のざわざわする音を聞いた。振りかえると、まっすぐ突っ立った二つの短い耳と、ぎらぎらする二つの目を暗がりのなかに見た……。狼だった。
大きな図体《ずうたい》をして、後足ですわりこんで身じろぎもしない狼は、白い小山羊をにらみつけ、食べぬうちからもう舌《した》つづみを打っていた。どうせ食べてしまうんだとわかっていたから、狼は急ぎはしなかった。ただ彼女が振りかえったときに狼は意地わるく笑い出した。
「ははは! スガンさんの小山羊かい」
そう言って彼は赤い厚ぼったい舌で≪ほくち≫のような唇《くちびる》をなめたものだ。
ブランケットはもうおしまいだと感じた……。一瞬、一晩じゅうたたかって朝食べられてしまったルノードばあさんのことを思い出して、いっそ今すぐ食べられっちまったほうがよかないかと心に思った。それからまた考えなおし、頭をさげ角《つの》を突き出して身がまえた、なにしろ彼女はスガンさんの勇敢《ゆうかん》な牝山羊《めやぎ》だったんだから……。狼を殺せるなんて望みがあったからじゃない――牝山羊が狼を殺すなんてことはないのだ――ただ、ルノードばあさんと同じくらい持ちこたえられるかどうか知りたかったのだ……
そのとき怪物は進みよった。そして小さな角は行動を開始した。
ああ、勇敢な小山羊、どんなに彼女は勇ましくたたかったことか! 十回以上も――ぼくは嘘《うそ》を言ってるんじゃないよ、グランゴワール君――狼は息をつくために退却《たいきゃく》せざるを得なかったのだ。この短い休戦のあいだにも、食いしんぼの彼女はあわただしく大好きな草を一束摘《ひとたばつ》まむのだった。それから彼女はまた戦いに臨《のぞ》んだ、口をいっぱいにしたままで……。これは一晩じゅうつづいた。ときどきスガンさんの山羊は澄んだ空に舞っている星たちを見上げて言った。
「ああ、夜明けまで持ちこたえさえすれば……」
一つまた一つと星は消えていった。ブランケットはここを先途《せんど》と角をふるい、狼は牙《きば》をふるった……。ほんのりとした光が地平線にあらわれた……。しゃがれ声の鶏《にわとり》がどこかの畑で≪とき≫をつくった。
「やっと!」と、死ぬためにもう夜の明けるのしか待っていなかった哀れな山羊は言った。そして美しい白い毛皮を血みどろにして彼女は地面に横たわった……
そこで狼は小山羊に飛びかかって食べてしまった。
さようなら、グランゴワール君!
今君が聞いた話はぼくの作り事じゃないんだよ。いつか君がプロヴァンスへ来たら、ここの地主たちは「スガンどんの山羊《やぎ》っこ」のことをちょいちょい話してくれるだろうぜ。
「あいつぁあ一晩じゅう狼《おおかみ》とたたかっただがなあ、朝になると狼は山羊っこを食っちまっただあよう」とね。
わかったかい、グランゴワール君。
「朝になると狼は山羊っこを食っちまっただあよう」
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プロヴァンスのある羊飼いの物語
リュブロン山の上で羊《ひつじ》の番をしていたころのことだが、私は何週間もずっと人っ子ひとり見ずに、犬のラブリと羊どもだけを相手に放牧地で暮らしたものだ。ときどきモン=ド=リュールの隠者《いんじゃ》が薬草《やくそう》をさがしに行くとき通りかかったり、ピエモンテ〔イタリア北西部の地方〕人の炭焼きか何かの黒い顔を見かけることもあった。だがそんなのは、あまり人里から離れて暮らしてばかりいるため無口になり、しゃべる興味もなくなり、下の村や町で言われていることなどはてんで知らない素朴《そぼく》な人たちだった。だから二週間ごとに、二週間分の食べものを運んで来る私の家の騾馬《らば》の鈴の音が山道を登って来るのを聞き、小さなミアロ(農家の小僧)の陽気な顔か、ノラードばあさんの茶色の帽子が山の斜面の上にだんだんとあらわれて来るのを見ると、私はほんとにうれしかった。私は下界のいろんな消息、洗礼《せんれい》や婚礼《こんれい》のことを話してもらった。しかしなによりも関心があったのは、主家のお嬢《じょう》さん、このあたり十里四方でいちばんきりょうよしのステファネットお嬢さんがどうなったかということだった。あまり関心があるような様子を見せずに、私は彼女がよくお祝いや夜の集《つど》いに呼ばれて行くか、あいかわらず新手《あらて》のにやけ男たちが彼女の御機嫌《ごきげん》を取りに来ているかときいた。そして、山の貧《まず》しい羊飼《ひつじか》いにすぎなかった私にそんなことがなんの関係があったかときく人たちには、私は二十歳《はたち》だったし、あのステファネットは私がこれまで見たいちばん美しい人だったのだと答えよう。
ところで、ある日曜日、私は二週間分の食べものが来るのを待っていたが、たまたまそれが着くのがとても遅れた。「大ミサのせいだ」と朝のうちは私は心に思った。それから、お昼ごろひどい嵐《あらし》になった。で、道が悪いために騾馬《らば》が出発できなかったのだと私は想像した。とうとう、三時ごろになって空は晴れ、山は水気と日光にきらめいていたが、木の葉からしたたる滴《しずく》の音と水かさをました谷川の氾濫《はんらん》する音にまじって、復活祭の日の大チャイムの音と同じくらい楽しげで活発な騾馬《らば》の鈴の音が聞こえた。だが騾馬をひいて来たのは小さなミアロでもノラードばあさんでもなかった。それは……だれだと思う?……お嬢《じょう》さんだったんだよ、いいかい! お嬢さんその人だったのだ、柳《やなぎ》の籃《かご》のあいだに腰をかけ、山の空気と嵐のあとの涼しさに顔をほてらせて。
ちびは病気、ノラードばさんは休みをもらって自分の子供たちのところへ行っている。きりょうよしのステファネットは騾馬から降りながらそう教えてくれた。そして、道に迷ったので着くのが遅れたのだ、とも言った。しかし花模様のリボンをつけ、派手《はで》なスカートをはいてレースで飾り立てている晴着姿を見ると、藪《やぶ》のなかで道をさがしたというより、どこかのダンスにひっかかっておくれて来たように見えた。おお、なんと愛くるしい娘だろう! 私の目は彼女を眺めて飽きなかった。今までこんなにまぢかで彼女を見たことがなかったことも事実だが。冬になって羊の群れが平地に降りてしまってから、夕方食事のために家に帰ると、ときどき彼女が足ばやに広間を通ることがあった、召使いたちにはほとんど言葉もかけずに、いつも着飾って、ちょっとつんとして……。ところが今、その彼女が私の前にいる、私ひとりのために。こうなっては私ものぼせあがらずにいられたろうか。
食糧《しょくりょう》を籃《かご》から引っぱり出すと、ステファネットはあたりを見まわしはじめた。晴着のスカートを痛めないようにちょっとからげて彼女は囲い場にはいり、私の寝場所、羊の皮と藁《わら》を敷いた寝台や、壁にかけられた私の大カッパや、牧杖《ぼくじょう》や燧銃《ひうちじゅう》を見ようとした。そういったすべてが彼女にはおもしろかったのだ。
「それじゃ、あんたはここで暮らしてるのね、かわいそうに。いつもひとりぼっちでどんなに退屈することだろう。あんた、何をしてるの? どんなことを考えてるの?……」
「あなたのことですよ」と私は答えたかった。またそう言っても嘘《うそ》にはならなかったろう。しかしひどくおろおろしていたので私は一言《ひとこと》もいうべき言葉が思いつかなかった。彼女はそれに気がついたと思う。そして人の悪い彼女は私をからかっていっそう私をへどもどさせて喜んでいたのだろう。
「で、あんたのいい人はね、ときどきあんたに会いに来てくれるの?……むろんそれは金の牝山羊《めやぎ》か、山の頂《いただき》ばかりかけまわっているあの妖精《ようせい》のエステレルに相違ないけど」
ところが、そう私に言っている彼女自身が妖精エステレルみたいだった。頭をのけぞらせてあだっぽく笑う様子といい、また変転自在に出没する妖精のようにあわただしく立ち去ろうとする様子といい。
「さようなら」
「お気をつけて」
こうして彼女はからの籃《かご》を持って行ってしまった。
彼女の姿が山道に消えてしまうと、私は騾馬《らば》の蹄《ひづめ》の下にころがり出す小石の一つ一つが、私の心臓の上に落ちて来るような気がした。私はいつまでもいつまでもその小石の音を聞いていた。そして日の暮れるまで私はうつらうつらとしていた、夢が消え去りはしないかと心配で身動きもせずに。夕方、谷の底が青くなりはじめ、羊たちが囲いのなかに帰ろうとしてめえめえ啼《な》きながら体《からだ》を寄せてひしめきあっているころ、だれかが私を呼んでいるのが聞こえ、それからお嬢《じょう》さんがあらわれた。さっきのように笑顔ではなく、寒さやら不安やら体が濡《ぬ》れたことやらでぶるぶるふるえているのだ。山の麓《ふもと》まで降りてみると、ソルグ川が雷雨で増水していて、無理に渡ろうとしておぼれかけたらしいのだ。いちばんこまったのは、夜こんな時刻になってしまっては家に帰るなどということはもはや問題にならないことだった。なぜなら近道を行こうとしてもお嬢さんひとりではほとんど方角がわからなかったろうし、私のほうは羊を置いてゆくわけにはゆかなかったから。山の上で夜を過ごすことを考えると彼女は居ても立ってもいられなかった。なによりも家族が心配することを思ってだ。私のほうはできるだけ安心させようとつとめた。
「七月の夜は短いですよ、お嬢さん……。ほんのちょっと辛抱《しんぼう》すりゃあいいんです」
そして私は、足やソルグ川の水でびしょぬれになった服をかわかすように、急いでさかんに火を燃やしてやった。それからミルクとクリーム・チーズを彼女の前に持って行った。けれども、かわいそうにこの小娘は火にあたろうとも食べようともしなかった。そして彼女の目にうかぶ大粒《おおつぶ》の涙を見て私までも泣きたくなってしまった。
そのうちすっかり夜になってしまった。もう山々の峰《みね》にはかすかに煙るような日の光、西のほうは靄《もや》のような光しか見えなかった。私はお嬢《じょう》さんに囲い場にはいって休んでもらいたかった。新しい藁《わら》の上におろしたてのきれいな皮を敷いて、おやすみなさいと彼女に言い、自分は外に出て戸の前に腰をおろした……。私の胸に燃える思いは血をわきたたせるほどだったにもかかわらず、悪い考えが全然頭にうかばなかったことは神さまがごぞんじだ。この囲い場のかたすみに、その寝顔を見守る好奇心の強い羊たちのすぐそばで、主家のお嬢さんが――特別大切な、特別まっしろな羊のように――私ひとりに守られて休んでいると思うと、私は大きな誇《ほこ》りしか感じなかった。空がこんなに深く、星がこれほどかがやかしく見えたことはこれまで一度もなかった……。と、不意に囲い場の柵《さく》があいて、美しいステファネットがあらわれた。彼女は眠れなかったのだ。羊たちは動いて藁をきしませたり夢を見て啼《な》いたりした。彼女は火のそばに行ったほうがましだと思ったのだ。そこで、私は自分の牝山羊《めやぎ》の皮を彼女の肩《かた》にかけてやり、火をかきたて、そうして私たちは何も言わずに寄りそってすわっていた。あなたもきれいな星空の下で夜を明かしたことがあったら、人々が眠っているころあいに、一つの神秘な世界が人気《ひとけ》のない沈黙のなかに目ざめるのをごぞんじだろう。そうなると、泉はますます澄んだ声で歌い、沼には小さな炎《ほのお》がちらちらする。山のすべての精霊たちが自由に行き来する。そして、まるで木々の枝が成長する音、草が伸びる音が聞こえるかのように、空気のなかに葉ずれの音、かすかな物音がするのだ。昼は生き物の生活がある。しかし夜は物の生活があるのだ。それに慣《な》れていない人は恐怖《きょうふ》を感じる……。で、お嬢さんもわなわなふるえ、ほんのちょっとでも物音がすると私にしがみついた。一度、下のほうで光っている沼から、哀調をおびた長い叫び声が波を打つようにして私たちのほうへのぼって来た。その瞬間、美しい流れ星が一つ私たちの頭上を同じ方向へ流れた、まるで今聞こえた歎声《たんせい》そのものが光をおびていたかのように。
「あれは何?」とステファネットは低い声できいた。
「天国にはいる魂《たましい》ですよ、お嬢《じょう》さん」そう言って私は十字を切った。
彼女も十字を切り、しばらく一心に何かを考えるように空を仰いでいた。それから彼女は言った。
「それじゃ、あんたがた羊飼《ひつじか》いは魔法を知っているというのはほんとなの?」
「そんなことはありませんよ、お嬢さん。でも私たちはこうして星に近いところで暮らしていますからね、あちらで起こることを平地の人よりもよく知ってますよ」
彼女はあいかわらず、頭を片手でささえ、小さな天上の牧童《ぼくどう》のように羊の皮にくるまって空を眺めていた。
「たくさんあるわねえ! なんてきれいだろう! こんなにたくさん見たことは一度もないわ……。あんた、あの星たちの名前を知っていて?」
「知ってますとも……。ほら、ちょうど私たちの頭の上のが〈聖ジャークの道〉(銀河)ですよ。あれはフランスからまっすぐにスペインへ行っている。勇敢《ゆうかん》なシャルルマーニュ〔フランク王。東西を平定して西ローマ皇帝になる〕がサラセン人とたたかったとき、ガリシアの聖ジャークがシャルルマーニュに道を教えるためにあれを作ってやったんですよ。そのちょっと先に〈魂《たましい》の車〉(大熊座《おおくまざ》)が見えるでしょう。四つの車軸《しゃじく》が光っている。その前を行く三つの星が〈三匹の獣《けだもの》〉、そしてその三番めの星のそばのごく小さいのが〈車ひき〉です。そのまわりにぐるりと星が雨のように降っているのが見えますか? あれは神さまが自分のところへ入れようとなさらない魂なんですよ……。もうちょっと下にあるのが〈熊手《くまで》〉、別名〈三人の王〉(オリオン)です。私たち羊飼《ひつじか》いには時計がわりになってくれる。あれを見ただけで私には今十二時過ぎだとわかります。これも南のほうにちょっとさがって光っているのが〈ジャン・ド・ミラン〉(シリウス)です。天の松明《たいまつ》といったところで。この星については羊飼いたちはこんな話をしてますよ。ある夜〈ジャン・ド・ミラン〉は〈三人の王〉や〈雛箱《ひなばこ》〉(スバル星座)といっしょに、仲間の星の婚礼《こんれい》に呼ばれたんだそうだ。〈雛箱〉はいちばん急いでいたのでまっさきに出かけて行き、上のほうの道を取ったという。ほら、ごらんなさい、空のてっぺんを。〈三人の王〉はもっと下のほうを突っ走って〈雛箱〉に追いついた。ところがあの怠《なま》けものの〈ジャン・ド・ミラン〉は寝過ごして、すっかり遅れてしまい、怒って仲間を引き止めようとして杖《つえ》を投げた。〈三人の王〉が〈ジャン・ド・ミランの杖〉と呼ばれるのはそのためなんですよ……。しかしほかのすべてにまさって美しい、いちばんえらい星は、私たちの星、〈羊飼い星〉で、明け方羊を外に出すとき、そしてまた夕方入れてやるときに私たちを照らしてくれる。私たちはこの星のことを〈マグロンヌ〉とも呼んでいます。〈ピエール・ド・ブロヴァンス〉のあとを追いかけて、七年めごとに結婚《けっこん》する美しいマグロンヌですよ」
「なんですって! それじゃ星の結婚なんてことがあるの?」
「ありますとも、お嬢《じょう》さん」
そして私がその結婚がどんなものかを説明しようとしていると、何かひんやりとしたやわらかなものが軽く私の肩《かた》にもたれてくるのを感じた。それは眠りこんで重く垂れた彼女の頭が、リボンやレースや波を打つ髪《かみ》の毛を美しく乱して私によりかかってきたのだった。空の星たちがのぼって来る日の光にだんだんと消えて行くときまで、彼女はそのまま身動きもしなかった。私のほうは胸の底に何か悩《なや》ましい思いをおぼえながらも、美しい想念のみを私にさずけてくれたこの澄んだ夜に浄《きよ》らかに守られて、彼女の寝姿を眺めていた。私たちのまわりでは、星たちは羊のように素直に沈黙の歩みをつづけていた。そしてときどき私は、それらの星たちのなかでいちばん優美でいちばんよく光る星が道に迷って、私の肩にきて眠っているのだと空想したものだった……
(天文についてのこうした民間|口碑《こうひ》はすべて『プロヴァンス年鑑』から訳した―原註)
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アルルの女
私の風車からおりて村へ行くには、街道のそばの、榎《えのき》を植えた大きな庭の奥に建っている農家《マス》の前を通る。赤い瓦《かわら》、不規則に窓を開けた褐色《かっしょく》の広い正面、ずっと上の納屋《なや》の風見《かざみ》、藁束《わらたば》をあげるための滑車《かっしゃ》、そしていく束かの褐色の乾草《ほしくさ》がはみだしている、この様子はいかにもプロヴァンスの地主《メナジェ》の家である。
どうしてこの家が私の目を打ったのか? どうしてこの閉ざされた正面玄関が私の心をしめつけるのか? それは私にもわからない。とにかくこの家を見ると私は背筋《せすじ》が寒くなるのだ。まわりがあまりにもひっそりとしていすぎる……。人が通りかかっても、犬は吠《ほ》えないし、ほろほろ鳥は啼《な》きもせずに逃げ去る……。家のうちには声一つしない! 何もないのだ、騾馬《らば》の鈴の音すらも……。窓の白いカーテンと屋根からあがっている煙がなければ、人の住まぬ家と思われただろう。
昨日《きのう》、正午の鐘《かね》が鳴ったとき、私は村から帰るところだったが、日ざしを避けようとして農家の壁に沿って榎の木陰《こかげ》を歩いていた……。農家の前の路上で作男たちが黙りこんだまま荷馬車にまぐさを積み終えようとしていた……。玄関は開かれていた。私は通りすがりにちらっと中をのぞいたが、庭の奥に、大きな石のテーブルに肘《ひじ》をついている――両手で頭をかかえているのだ――髪《かみ》の毛のまっしろになった大柄《おおがら》な老人が見えた。短すぎる上着にぼろぼろの短ズボンをはいている……。私はたちどまった。男たちのひとりが低い声で私に言った。
「シッ! この家の主人ですよ……。息子《むすこ》さんの不幸があってからずっとあの調子なんです」
ちょうどそのとき喪服《もふく》を着たひとりの女と小さな男の子が金色の大きな祈祷書《きとうしょ》を持って私たちのそばを通り、家のなかにはいって行った。
男はつけくわえた。
「……ミサから帰って来たおかみさんと次男坊ですよ。息子が自殺してから毎日ミサに行ってるんです……。ああ、旦那《だんな》、まったくおいたわしいことでさ!……おやじさんはまだ死んだ息子の服を着ていましてね。なんとしたって脱がせることができないんですよ……。ハイハイ、ドウドウ」
荷馬車はごとごとと動き出した。私はもっとくわしく知りたかったので、馭者《ぎょしゃ》にいっしょに乗せて行ってくれとたのんだ。そうして車の上のまぐさのなかで、私はつぎのような悲惨《ひさん》な一件を聞いたのである。
彼はジャンといった。二十歳になる立派な百姓で、女の子のようにおとなしく、頑丈《がんじょう》で、明るい顔をしていた。とても男前がよかったので、女たちは彼に色目をつかった。けれども彼はひとりの女のことしか頭になかった――アルルの闘技場《とうぎじょう》でたった一度会ったことのある、ビロードとレースずくめのアルル娘だった――。家のものたちは最初この関係をよろこばなかった。娘は浮気《うわき》ものと見られていたし、その両親はこの国のものではなかったからだ。しかしジャンはぜがひでもこのアルルの女を自分のものにしたかった。
「あの女をもらってくれなければ、ぼくは死んじまう」と彼は言っていた。
どうにもしようがなかった。とりいれが終わってからふたりを結婚させることに話はきまった。
さて、ある日曜の夕方、中庭で一家の夕食が終わろうとしていた。ほとんどそれは婚礼の披露宴《ひろうえん》みたいなものだった。婚約者は来ていなかったが、みんなはしょっちゅう彼女を祝福して乾盃《かんぱい》していたのだ……。ひとりの男がそのとき門口《かどぐち》にあらわれた。そしてエステーヴ親方とふたりだけで話をしたいと言うのだった。エステーヴは立ちあがって街道に出た。
「親方」と男は言った。「あんたは息子《むすこ》さんを、二年間私の情婦《じょうふ》だったあばずれ女と結婚させようとしているんです。私が言うのは根も葉もないことじゃありませんよ。ここに手紙がある!…… 両親はなにもかも知っているし、娘を私にくれると約束したんです。ところがあんたの息子さんが追っかけまわすようになってから、両親も娘も私なんぞにはもう用がないっていうんだ……。けれど私は、あんなことがあった以上、娘はもうほかの男の女房にはなれないと思ってたんだが」
「わかった!」と、エステーヴ親方は手紙に目をやってから言った。「うちにはいってマスカットぶどう酒を一杯やって行きなさい」
「ありがとう、でも私には喉《のど》のかわきよりも悲しみのほうが大きいんだ」
そう答えて男は行ってしまった。
父親は平然として家にかえって、もとのとおり食卓についた。そして夕食は陽気に終わった……。
その夜、エステーヴ親方と息子《むすこ》はいっしょに畑に行った。ふたりは長いこと外にいた。帰って来たとき、母親はまだ彼らを待っていた。
「おい」と地主は息子を彼女のところへ連れて行って言った。「接吻《せっぷん》してやれよ、かわいそうに……」
ジャンはもはやアルルの女のことを口にしなかった。けれどもあいかわらず彼は女を愛していた。それどころか、女がほかの男の手中にあるものと教えられてからは今までにもまして愛したのだ。ただ彼は誇《ほこ》りが高かったから何も言わなかった。それが彼の命取りになったのだ、この気の毒な息子の!……ときどき彼は朝から晩まで片隅にとじこもって動こうともしなかった。また別の日には、気ちがいみたいに畑に出て、ひとりで日雇《ひやと》い十人分の仕事をやってのけた……。夕方になるとアルルのほうへ歩き出し、落日の光のなかに町のひょろ長い鐘楼《しょうろう》のそびえたつのが見えるところまでまっすぐに歩いて行った。そこまで来て彼はひきかえした。けっしてそれより先へは行かなかったのだ。
彼がそういう風にいつも沈んでひとりぼっちでいるのを見て、家の人たちはもうどうしていいかわからなかった。何か不幸がおこりはしないかと人々はおそれた……。一度食事のときに母親は目に涙をたたえて彼をみつめて言った。
「いいかい、聞いておくれ、ジャン。どうでもあの子がほしいというのなら、もらってやるよ……」
父親は恥辱《ちじょく》をおぼえてまっかになって顔をふせた……
ジャンは頭を振って出て行った……
この日から彼は生き方を変え、両親を安心させるためにいつも陽気そうにふるまった。彼の姿はまた舞踏会や飲み屋やフェラード〔牛馬に焼き鏝《ごて》で印をつける行事〕で見られた。フォンヴィエイユのお祭りでファランドールの音頭《おんど》を取ったのは彼だった。
父親は「正気にかえったぞ」と言った。母親のほうはあいかわらず不安が去らず、今までにもまして息子《むすこ》の様子に注意した……。ジャンは蚕室《さんしつ》のすぐそばで次男坊といっしょに寝ていた。老母はふたりの寝室の隣に自分のベッドを置いた……。夜のあいだ蚕《かいこ》を見てやる必要があるかもしれないといって。
地主たちの守護聖者《しゅごせいじゃ》である聖エロワのお祭りが来た。
農家《マス》では大浮かれだ……。だれもがシャトーヌフのぶどう酒にありつくし、煮ぶどう酒はふんだんにあった。それから麦打ち場で花火だ、かがり火だ、榎《えのき》の木にはいっぱいの色|提燈《ちょうちん》だ……。聖エロワ万歳《ばんざい》! くたくたになるまでファランドール踊りだ。次男坊はおろしたての上っ張りを焦《こ》がした……。ジャンさえもうれしそうな顔をしていた。彼は母親を踊らせようとした。かわいそうな母親はうれし涙にくれたものだ。
夜の十二時にみんなは寝に行った。だれもねむたかったのだ……。ところがジャンは眠らなかった。次男坊は彼が夜っぴてすすり泣いていたとあとで言った……。ああ、よっぽど惚《ほ》れこんでいたにちがいない、この男は……
翌日の夜明けに、母親はだれかが自分の寝室を走り抜けるのを聞いた。彼女は何か予感のようなものをおぼえた。
「ジャン、おまえかい?」
ジャンは答えなかった。彼はもう階段に行っていた。
大急ぎで母親は起きあがった。
「ジャン、どこへ行くのさ?」
彼は屋根裏部屋へのぼった。母親はそのあとを追った。
「ジャン、後生だから」
彼は戸をしめ、閂《かんぬき》をかけた。
「ジャン、ジャネや、答えておくれ。何をしようというんだい?」
老いた手をふるわせながら彼女は掛金のありかをさぐった……。窓があく音、中庭の敷石の上に体《からだ》の落ちる音、それがすべてだった……
彼はこう心に思ったのだ、あのかわいそうな息子《むすこ》は。「ぼくはあの女が好きでたまらない……死んでしまおう……」ああ、人の心のみじめさ! いくら相手を軽蔑《けいべつ》しても、思う心を断ちきれぬとは少々情けなさすぎるではないか!……
その朝村の人々は、エステーヴ家の屋敷のほうであんなに叫んでいるのはだれだろうと言い合ったものだ……
それは、中庭の朝露《あさつゆ》と血におおわれた石のテーブルの前で、死んだわが子を両腕《りょううで》に抱いて裸《はだか》のまま嘆き悲しんでいる母親だったのだ。
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法皇の騾馬《らば》
プロヴァンスの百姓たちが話の合の手にはさむ、ありとあらゆる気の利《き》いた諺《ことわざ》や格言や金言のうちで、これ以上ぴりっとした、これ以上風変わりなのを私は知らない。私の風車から十五里四方の一帯では、怨恨《えんこん》を忘れない執念《しゅうねん》深い男のことが話題になるとこう言うのである。「あの男か! 気をつけろよ!……七年間|蹴《け》っとばす機会をうかがっていた法皇の騾馬《らば》みてえな奴《やつ》だからな」
この諺《ことわざ》の由来《ゆらい》はどこにあるのか、この法皇の騾馬と彼が七年間その機会をうかがっていた足蹴《あしげ》とはなんのことなのかを知ろうと、私は長いこと心がけてきた。当地ではだれひとりそれについて私に教えられるものはいなかった。横笛吹きのフランセ・ママイすら、プロヴァンスの古伝説は何から何まで知ってるくせに、そのことは知らない。フランセも私と同じく、アヴィニョン地方の何かの故事がこの諺のかげにあると思っている。しかし彼も、諺として以外にそういう話を聞いたことは一度もないのである。
「蝉《せみ》の図書館にでも行かなきゃそいつはわかりますまいて」と、じいさんは笑いながら私に言ったものだ。この考えは悪くないと私は思った。そして蝉の図書館ならすぐ私の家の前にあるから、私は一週間そこへとじこもった。
これは驚くべき図書館で、すばらしく充実しているし、日夜詩人たちには開放されていて、絶えまなしに音楽を奏するシンバルたたきの小さな館員たちがサーヴィスしてくれる。私はそこで快適な数日を送り、そして――あおむけに寝ころんだまま――一週間の調査のあげく、ついに望みのもの、つまり例の騾馬《らば》と七年間その機会をうかがったあの有名な足蹴《あしげ》の一件を見つけ出したのだ。この小話はちとばかり素朴《そぼく》だが愉快なものだ。それで私は、昨日《きのう》の朝、乾いたラヴァンドのいい匂いがし、≪しおり≫のかわりに大きな蜘蛛《くも》の糸がはさんである、お天気しだいで色のかわる写本で読んだままに、その話をここにしてみることにしよう。
法皇時代のアヴィニョンを見なかったものは何も見なかったのと同じだ。陽気さといい、活気といい、にぎわいといい、お祭りの騒ぎといい、これに匹敵する町はなかった。朝から晩まで、行列だ、巡礼《じゅんれい》だ、花をまきちらし竪機《たてはた》で織った敷物を敷きつめた往来だ、旗を風になびかせ大橈船《だいとうせん》に満艦飾《まんかんしょく》をほどこして枢機卿《カルジナル》がローヌ河からやって来た、広場でラテン語の歌をうたう兵士たちだ、寄捨《きしゃ》を求めて歩く坊さんたちの戞鳴器《クレセル》〔子供の玩具のガラガラのような祭具〕だ。それからまた、巣にむらがる蜜蜂《みつばち》のように法皇の大宮殿のまわりにわんわんとうなり声をあげてひしめいている家々の上から下まで、レース織りの機《はた》のかたかたいう音、祭服の金糸を織る梭《ひ》の往復する音、ミサ用の壜《びん》を作る職人の小さな槌《つち》の音、絃楽器《げんがっき》作りの家で仕上げている響板《きょうばん》、経糸《たていと》をそろえる女工たちの賛美歌《さんびか》。その上から鐘の音、そして絶えずむこうの橋のほうから聞こえるいくつかの長太鼓《ながだいこ》の音。なぜならこの国では、人々はうれしいときはいつも踊らずにいられないのだ、踊らずには。そして当時は町の通りはファランドールを踊るにはせますぎたから、横笛と長太鼓はローヌ河の涼しい風をあびて橋の上に陣取った。そして昼となく夜となくみんなは踊ったのなんのって……ああ、楽しい時代だった! 楽しい町だった! 戈《ほこ》はあっても人を斬ることがなく、牢屋《ろうや》はあってもぶどう酒を冷やすためにしか使われなかった。飢饉《ききん》も皆無なら戦争もない……。法皇領の歴代法皇たちはこのようにして、その民《たみ》を統治することができたのだ。だからこそその民衆は法皇たちをあれほど追慕《ついぼ》したのだ!……
とりわけ、ボニファスと呼ばれたやさしい老法皇がいた……。おお、この人が死んだときアヴィニョンではどれほどの涙が流されたことであろう! ほんとに愛すべき、ほんとに親しみやすい君主だったのだ! 騾馬《らば》の上からいかにもやさしく人々に笑いかけるのだ! そしてだれかが彼のそばを通ると――たといそれが貧《まず》しいガランス搾《しぼ》りであろうと町の大法官であろうと――いともていねいに祝福を与えるのだ! まさしくイヴトの法皇〔小唄に唄われたセーヌ=マリチーム県イヴトのお人よしの王様。その愛妾がジャヌトン〕だ、ただしプロヴァンスのイヴトだが。その笑いにも何か上品なところがあり、その角帽《かくぼう》には一本のマルジョレーヌをさし、ジャヌトンなどはいない……。いや、この善良な神父の愛した唯一《ゆいいつ》のジャヌトンとして知られているものといえば、彼のぶどう園だった――アヴィニョンから三里ほどのところ、シャトーヌフのミルトの林のなかにある、彼が手ずから植えたぶどう園だった。
日曜日ごとに、夕べのお勤めが終わると、この尊敬すべき人物はぶどうの機嫌《きげん》を取りに行くのだ。そして騾馬《らば》をかたわらに日なたに腰をおろし、枢機卿《カルジナル》たちがあたりの切株《きりかぶ》の根もとに寝そべると、ここでできたぶどう酒の――それ以後法皇のシャトーヌフと呼ばれるようになった、あのルビー色の上等のぶどう酒の――栓《せん》をぬかせて、思いのたけをこめた様子で自分のぶどう園を見まわしながら、ちびちびとそれをあじわうのである。それから、暮れ方|壜《びん》がからになると、おつきのものども一同をしたがえて楽しげに町に引きあげる。そして太鼓《たいこ》の音とファランドールのあいだを縫ってアヴィニョンの橋を渡るとき、彼の騾馬《らば》は音楽に浮かれてぴょこぴょこと跳《は》ねはじめ、一方法皇自身は帽子を振ってダンスの拍子《ひょうし》を取る。これには枢機卿たちはいたく眉《まゆ》をひそめたが、民衆はみな言ったものだ。「ああ、やさしい殿さまだ! ああ、立派な法皇さまだ!」
シャトーヌフのぶどう園のつぎに法皇がこよなく愛していたものは、彼の騾馬だった。好々爺《こうこうや》はこの騾馬に夢中だった。毎夜、床《とこ》にはいる前に、厩《うまや》の戸がちゃんとしまっているか、かいば桶《おけ》のなかはちゃんとしているかを見に行き、食卓から立つ前にはかならず、自分の目の前で砂糖や香料をたっぷり入れたフランス風ぶどう酒を大きな椀《わん》に一杯つくらせて、枢機卿たちのとやかく言うのもかまわずに自分で騾馬《らば》のところへ持って行ってやるのだ……。騾馬もそうされるだけの逸物《いちもつ》だったということは言っておかねばならない。それは黒地に赤い≪ぶち≫のある立派な騾馬で、足もたしかなら、毛はつやつやし、尻《しり》は広くて肉づきがよく、玉総《たまぶさ》や結びリボンや銀の鈴や小房《こぶさ》のついた馬具で固めた小さな痩《や》せた頭を堂々ともたげているのだ。その上、天使のようにおとなしく、天真|爛漫《らんまん》な目をしていて、長い耳をいつも振っているところはいかにも気だてがよさそうなのだ。アヴィニョンの人々はみんなこの騾馬に敬意をいだいていて、通りを行くときにはありとあらゆる礼儀をつくした。なぜなら、それが法皇の寵《ちょう》を得る最良の方法だということや、チステ・ヴェデーヌとその驚くべき幸運が証明するように、無邪気そうな顔をしながらこの法皇の騾馬のいく人もの人間を出世させてやったことはだれもが知っていたからだ。
このチステ・ヴェデーヌというのは元来ずうずうしい腕白小僧《わんぱくこぞう》で、何もしようとせずに徒弟《とてい》たちを誘惑《ゆうわく》してばかりいるので、父親の彫金師《ちょうきんし》ギ・ヴェデーヌはやむなく家から追い出してしまったのである。半年のあいだ彼はアヴィニョンのいかがわしい界隈《かいわい》をほっつきまわっていた。ただし、主として法皇宮のあるあたりの、である。というのは、このやくざ者はずっと前から法皇の騾馬について、あるたくらみをいだいていたからだ。それが少々たちの悪いものだったことはいずれわかる……。
ある日、猊下《げいか》はたったひとりで騾馬に乗って城壁《じょうへき》の下をぶらぶらしておられたが、そこへこのチステが近づいて、感にたえぬといった顔で両手を合わせて言ったものだ。
「ああ、これは驚いた! 法皇さま、なんというすばらしい騾馬をお持ちで!……ちょっと拝見させてくださいまし……。ああ、法皇さま、みごとな騾馬で!……ドイツの皇帝だってこれほどのものは持っておりませんや」
そして彼は騾馬《らば》を撫《な》でさすり、女の子にでも言うようにやさしく語りかけた。
「さあいらっしゃい、かわいいかわいい、大事な大事な、すばらしい騾馬さんや……」
すると善良な法皇はすっかり感動して、心のなかで言ったものだ。
「なんというやさしい小僧だ!……わしの騾馬をこうまでかわいがるとは!」
そしてその翌日、さてどういうことになったでしょう? チステ・ヴェデーヌは古い黄色の上着をきれいなレースの白衣、紫《むらさき》色の絹の小|外套《がいとう》、留金つきの短靴《たんぐつ》に着換えて、法皇の聖歌隊に加わったのだ。彼以外には貴族の子弟や枢機卿《カルジナル》の甥《おい》しかはいれなかった聖歌隊に……。策略とはまさにこういうものなのだ!……しかしチステはそれだけでは満足しなかった。
法皇に仕える身になってしまうと、この茶目小僧はみごと図にあたった芝居をなおもつづけた。だれに対しても横柄《おうへい》にかまえて、騾馬以外にはだれに対しても関心や親切を示さない。そして宮殿の中庭ではいつも一つかみのからす麦か一|束《たば》のイワオオギを持っていて、法皇のバルコンを見あげながら「さあ……これはだれのためでしょうか……」とでも言っているような具合にその桃《もも》色の房《ふさ》をやさしく振ってみせるのだ。あげくのはて、寄る年波を感じていた善良な法皇は、厩《うまや》の世話やフランス風ぶどう酒の椀《わん》を騾馬に持って行くことを彼にまかせるにいたったほどである。これは枢機卿たちにとって愉快なことではなかった。
また騾馬《らば》にとっても、これは愉快なことではなかったのである。今はぶどう酒の時間になると、きまって五人か六人の聖歌隊の小坊主どもがやって来て、小外套やレースの服のまま急いで藁《わら》のなかにもぐりこむ。それからしばらくすると、カルメラや香料のあたたかいよい匂《にお》いが厩のなかにたちこめる。そしてチステ・ヴェデーヌが注意深くフランス風ぶどう酒の椀《わん》を持ってやって来る。かくしてこの哀れな獣《けもの》の受難ははじまるのだ。
身うちをあたためてくれ、空を翔《は》せるような気持ちにさせてくれる大好きな大好きなこの香り高いぶどう酒を、残酷《ざんこく》にも、そこのかいば桶に入れて嗅《か》がせるのだ。それから、騾馬がそのにおいを鼻いっぱいに吸いこむと、そら、それでよしとばかり、桃色に燃える美しい液体は一滴も残さずこの悪童どもの喉《のど》のなかに消えてしまうのである……。いや、酒を盗むだけならまだしもだったが、飲んだとなったらこの小坊主どもはみんな悪魔のようになるのだ!……ひとりが騾馬の耳を引っぱる、べつのものがしっぽを引っぱる。キケは背に乗り、ベリュゲは自分の帽子をかぶせてみる。そしてこの腕白《わんぱく》どもはひとりとして、腰をひとふりするか後脚《あとあし》で一|蹴《け》りすればこの勇敢な動物は彼らなぞみんな北極星までも、いやもっと遠くまでもかっとばしてしまうかもしれないのだなどということは考えてもみなかった……。いや、考えてみるどころか! 法皇の騾馬なんてものにはそう簡単になれるものじゃない、恵み深く寛大な騾馬などには……。子供たちがいくら何をしても、騾馬は腹を立てなかった。騾馬が怒っていたのはチステ・ヴェデーヌのことだけだった……。こいつがたとえば自分のうしろにいると感じると、騾馬は蹄《ひづめ》がむずむずしてくるのだ。しかもそれにはそれだけの理由があった。このろくでなしのチステときたらじつにひどいいたずらをやったのだから! 酒をくらったあとではじつにむごいいたずらを思いついたものだ!……
ある日こいつは、宮殿のずっとずっと高い尖端《せんたん》の、聖歌隊の小鐘楼《しょうしょうろう》にまで騾馬《らば》を引っぱりあげようと思いついたものじゃないか!……今ここでお話ししていることは作り話ではない、二十万のプロヴァンス人がそれを見たのだ。この哀れな騾馬が、一時間もかかって螺旋階段《らせんかいだん》をわけもわからずにぐるぐるまわり、数知れぬほどの段々を昇ったあげくのはて、目のくらむほど光の降りそそぐ台の上に突然出て、千尺も下のほうに現実と思えぬアヴィニョンの町の全景を見出したときの恐怖を、あなたは想像してやれるだろうか。はしばみの実ほどの大きさの市場のバラック、営舎の前の赤蟻《あかあり》のような法皇の兵士、そしてむこうのほうには、銀の糸のような河にかかったちっぽけなちっぽけな橋、その上で踊りに踊る人々……。ああ、かわいそうに、どれほどの驚愕《きょうがく》をおぼえたことか! 騾馬のあげた叫び声のため宮殿じゅうの窓ガラスがふるえた。
「どうしたんだ? 騾馬に何かしたのか?」と善良な法皇はバルコニーに飛び出しながら叫んだ。
チステ・ヴェデーヌはすでに中庭にいた、泣きながら髪の毛をかきむしっているふりをして。
「ああ、法皇さま、なんということでしょう! じつは法皇さまの騾馬が……おお神さま、私どもはどうなることでしょう? 騾馬が鐘楼にのぼってしまいましたんで……」
「ひとりでか?」
「さようで、法皇さま、ひとりで……。ほれ、ごらんください、あちらを……。耳のさきが見えておりますでしょう?……まるで二羽のつばめみたいで……」
「これはしたり!」と哀れな法皇は目をあげて言った。「……それでは気が狂《くる》ったのじゃな! 自殺しようというのじゃ……。かわいそうに、降りておいで!……」
気の毒に! 騾馬《らば》としては降りたくてたまらなかったのだ……が、どこから? 階段からなんてとても考えられない。のぼるのならばまだしもだ。が、くだりとなれば百度も足を折ってしまいそうだ……。そして哀れな騾馬は途方にくれ、大きな目をくらくらさせて台の上をうろうろしながらチステ・ヴェデーヌのことを考えた。
「ああ、悪党め、もし助かったら……明日《あす》の朝こっぴどく蹴《け》っとばしてやるから!」
蹴《け》っとばしてやろうと考えると少々|肝《はら》もすわった。そうでなければ立っていられなかったろう……。ようやく人々は騾馬を救い出すことに成功した。しかしこいつはたいへんな大仕事だった。起重機や縄《なわ》や釣台《つりだい》やらを使っておろさねばならなかったのだ。紐《ひも》につながれた黄金虫《こがねむし》みたいに足を宙にばたばたさせながら、こんな高いところにぶらさげられるざまなんて、法皇の騾馬にとってはどれほどの屈辱《くつじょく》だったことであろうか。しかもアヴィニョンじゅうの人々が見ていたのだ!
不幸な動物はその夜眠れなかった。下で町の人々が笑っているのを見ながら、あのいまいましい台の上をぐるぐるまわっているような気持ちがいつまでも消えなかった。それからあの卑劣《ひれつ》なチステ・ヴェデーヌのこと、明日の朝|奴《やつ》を思いきり蹴っとばしてやることを思った。ああ、諸君、なんという蹴っとばし方を考えていたことか! パンペリグゥストからだってその土煙が見えようというほどの蹴っとばし方だ……。
ところで、厩《うまや》のなかではこんな愉快なたくらみが練られているあいだ、チステ・ヴェデーヌのほうは何をしていたか諸君はおわかりか? 彼は法皇の大橈船《だいとうせん》の上で歌をうたいながらローヌ河をくだり、ナポリの宮廷へむかったのだ、町が毎年ジャンヌ女王のもとへ送って外交術と礼儀作法を習得させる一群の若い貴族たちといっしょに。チステは貴族じゃなかった。しかし法皇は彼が騾馬《らば》の面倒を見てくれたこと、そしてなによりも、例の救助の日に大活躍をしてくれたことにぜひむくいてやりたいと思ったのである。
翌日がっかりしたのは騾馬だった。
「ああ、悪党! 何か感づいたんだ!……」と、憤然《ふんぜん》として鈴を振りながら考えた……。「でも、かまうものか、行くがいい! 帰って来たときにしてやるまでのことさ、蹴《け》っとばすのをね……。それまでおあずけだよ!」
そして事実おあずけにしておいたのだ。
チステが行ってしまうと、法皇の騾馬は以前の無事平穏な暮らしと態度をとりもどした。もうキケもベリュゲも厩《うまや》に来ない。フランス風ぶどう酒の楽しい日々がまたやってきた。そしてそれとともに上機嫌《じょうきげん》も、長いお昼寝も、アヴィニョンの橋を渡るときのガヴォットを踊るような小刻みな足どりも。ただ、例の一件以来、町の人々は少々冷い様子を見せた。道を歩いていると人々は何かひそひそとささやく。年よりたちは頭を振り、子供たちは鐘楼《しょうろう》を指さし合って笑う。善良な法皇さえももう以前ほど信用しなくなっていた。そして、日曜、ぶどう園から帰る道々その背《せ》の上でついうとうとしはじめながらも、「目がさめたらあの鐘楼の台の上にいたことなんてことになったら!」という思いを心のなかからぬぐいきれなかったのだ。騾馬にはそれがわかり、口には出さずともそれに悩《なや》んでいた。ただだれかがチステ・ヴェデーヌの名を口にすると、その長い耳はわななき、にんまり笑って敷石の上で蹄《ひづめ》を研《と》ぐのだった。
七年がこうして過ぎた。そしてその七年めの終わりにチステ・ヴェデーヌはナポリの宮廷から帰って来た。彼の修業期間はまだ終わっていなかったのだが、アヴィニョンで法皇の大膳頭《だいぜんのかみ》が急死したと聞き、この職は悪くないと思ったので、候補者になろうとして大急ぎでかけつけて来たのである。
この策謀家《さくぼうか》のヴェデーヌが宮殿の広間にはいって来たとき、法皇にはなかなか彼だということがわからなかった。それほど大きくなり、肉もついていたのだ。それにまた、法皇のほうも年を取り、眼鏡《めがね》なしではよく見えなかったのである。
チステはひるまなかった。
「なんですって! 法皇さま、私のことがもうおわかりない?……チステ・ヴェデーヌでございますよ……」
「ヴェデーヌ?……」
「そうですとも、よくごぞんじでいらっしゃいましょう……フランス風ぶどう酒をあなたの騾馬《らば》に持って行ってやった男で」
「ああ、そうそう……思い出したよ……。いい子供だった、あのチステ・ヴェデーヌは!……で、こんどは何が所望《しょもう》なのじゃ?」
「いや、たいしたことじゃございません、法皇さま……。お願いにまいりましたのは……それはそうと、まだおりますか、あの騾馬は? 元気で?……ああ、そりゃあ結構でした!……じつは、最近なくなった大膳頭《だいぜんのかみ》の地位をおあたえくださるようお願いにまいりましたんで」
「大膳頭だって、おまえが!……おまえは若すぎるよ。いったいおまえはいくつじゃ?」
「二十歳と二か月でございますよ、法皇さま、あなたさまの騾馬《らば》よりちょうど五つ多いんです……。ああ、すばらしかったなあ、あのかわいい騾馬は!……私はどんなにあの騾馬を愛しておりましたことでしょう!……イタリアでどんなにあれのことをなつかしく思ったことか!……会わせていただけませんでしょうか?」
「よしよし、合わせてやるとも」と善良な法皇は感動して言った……。「そんなにあの騾馬を愛しているんなら、わしはおまえをあいつから引き離したくはない。今日《きょう》からおまえは大膳頭としてわしのそばづかえをするんじゃ……。わしの枢機卿《カルジナル》たちはわいわい言うだろうが、それは仕方がない、そんなことにはわしは慣れとるからの……。明日、夕べのお勤めの終わったときに会いに来なさい、みなの衆の立会いのもとにおまえの地位をあらわすしるしをつけてつかわそう。それから……騾馬のところへ連れて行ってやるよ。そうして三人でぶどう園に行こう……。さあさあ、もう行け……」
大広間から出るときチステ・ヴェデーヌは満足していたが、あくる日の儀式をどれほど待ちこがれていたかは言うまでもあるまい。けれども宮殿には、彼以上に幸福な、彼以上に待ちこがれているものがいた。それは騾馬だった。ヴェデーヌの帰ったときから翌日の夕べのお勤めまで、この恐ろしい動物は絶えずからす麦を腹につめこみ、後足の蹄《ひづめ》で壁をねらって蹴《け》るのをやめなかった。騾馬もまた儀式をひかえて準備をおこたらなかったのだ……
で、翌日夕べのお勤めが終わると、チステ・ヴェデーヌは法皇宮の中庭にあらわれた。高僧たちはみんな来ていた、赤い服の枢機卿《カルジナル》たち、黒ビロード服の糺問《きゅうもん》役、小さな僧帽をかぶった修道院長たち、聖アグリコ寺院の理事たち、聖歌隊の紫《むらさき》色の小外套《しょうがいとう》、それから下役の僧たち、大礼服の法皇の兵士たち、三つの苦業団の苦業僧たち、人づきあいの悪そうな顔つきのヴァントゥー山の行者たち、鈴を持ってあとに続く雛《ひな》僧たち、帯のところまで裸《はだか》の鞭打苦行《べんだくぎょう》者たち、裁判官みたいな服できらびやかに着かざった聖器守りたち、いやそれどころか、聖水を授《さず》けるもの、燈明をつけるもの、消すものにいたるまで、ひとり残らずいた……欠けたものはひとりもいなかったのだ……。ああ、すばらしい叙任式《じょにんしき》だった! 鐘、花火、日の光、音楽、そして絶えずむこうのアヴィニョン橋の上で踊りの音頭を取っている狂ったような長太鼓《ながだいこ》……
ヴェデーヌがこの会衆のまんなかにあらわれたとき、その威厳《いげん》ある風貌《ふうぼう》と美しい顔を見て感歎のささやきが走った。堂々たるプロヴァンス人、しかし髪《かみ》の毛はブロンドで、さきはちぢれてふさふさしており、父親である彫金職人の鑿《のみ》から落ちた金のかけらを取ってつけたような生毛《うぶげ》の≪ちびひげ≫をはやしている。このブロンドの髯《ひげ》にジャンヌ女王がときどき指をつっこんで撫《な》ぜまわしたという噂《うわさ》が流れていた。そしてヴェデーヌ殿はじっさい、女王に愛される男たちにふさわしい晴れがましい様子とおっとりとした目つきを持っていたのだ……。この日は自分の祖国に敬意を表して、彼はナポリの服をプロヴァンス風のバラ模様《もよう》の縁《ふち》どりをした上着に替え、頭巾《ずきん》の上にはカマルグの黒|鴇《とき》の大きな羽がゆらゆらしていた。
入場するや新|大膳頭《だいぜんのかみ》は優雅《ゆうが》に頭をさげて、法皇が彼の地位をあらわすしるしである≪つげ≫のスプーンとサフラン色の服とを渡してやろうとして待っている高い階段のほうへむかった。騾馬《らば》は馬具をつけ、ぶどう園へ行く準備をととのえて階段の下にひかえていた……。チステ・ヴェデーヌは騾馬のそばを通るときやさしくほほえんで見せ、法皇が自分を見ているかどうか横目でうかがいながら、たちどまって騾馬の背を親しげに二つ三つたたいてやろうとした。頃合《ころあ》いもよし……騾馬は一躍した。
「ほら、これでもくらえ、悪党! 七年間おあずけにしておいたんだぞ!」
そうして猛烈《もうれつ》な蹄《ひづめ》の一撃を加えたのだ。それはじつに猛烈なものだったので、パンペリグゥストからさえもその土煙と、金色の煙の渦《うず》が見えたほどである。そしてその渦のかなに一片の黒鴇の羽が舞っていた。それが不幸なチステ・ヴェデーヌの唯一《ゆいいつ》の形見だったのだ!……
騾馬の蹴《け》っとばし方は普通はこんなにものすごいものじゃない。しかしこいつは法皇の騾馬だった。それにまた、まあ考えてもみたまえ、七年間もおあずけにしていたのだ……。宗門の怨《うら》みのこれ以上見事な例はない。
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サンギネールの燈台
昨夜は私はまんじりともしなかった。ミストラルは怒り狂い、その猛烈《もうれつ》な風音に私は朝まで眠れないでいたのだ。船の帆綱《ほづな》のように北風に鳴るこわれた翼《つばさ》を重く揺《ゆ》らせながら、風車小屋全体がめりめり音を立てていた。瓦《かわら》はばらばらと屋根から飛ぶ。遠くでは、丘をおおう密生した松の林が闇《やみ》のなかで騒ぎ、うなる。まるで大海のただなかにいるみたいだった。
それが私に、三年前コルシカのアジャクシオ湾《わん》の入口にあるサンギネール燈台に住んでいたとき味わったひどい不眠の夜をまざまざと思い出させた。
これもやはり、夢想にふけり孤独《こどく》を味わおうとして見つけ出した恰好《かっこう》の土地だったのだが。
赤みがかった色の、人をよせつけないような様子の一つの島を思い描いていただきたい。一方の岬に燈台が、もう一つの岬にジェノヴァ風の古い塔があり、私がいたころはこの塔に一羽の鷲《わし》が巣を作っていた。下のほうの浜には、いちめん草におおわれた朽ちはてた検疫所《けんえきじょ》、それから窪《くぼ》地、灌木林《かんぼくりん》、大きな岩、いく匹《ひき》かの野生の山羊《やぎ》やたてがみを風になびかせてはねまわるコルシカの小馬たち。最後に、ずっと上のほうの、海鳥たちが渦《うず》をまくように飛びまわるあたりに、燈台守りの家、番人たちが縦横に歩きまわる白い石づくりの露台《ろだい》、尖頭《せんとう》アーチ形の緑の戸、鋳鉄《ちゅうてつ》の小さな塔、そしてその塔の上に、日の光を受けてかがやいて日中でも光を送る多面ガラスの大きな燈室……。これが、松のうなるのを聞きながらあの夜私が眼前に思いうかべたサンギネールの姿なのだ。風車を手に入れる前、大気と孤独《こどく》に飢《う》えたときにときどき私がとじこもりに行ったのは、この魅惑《みわく》の島だったのだ。
そこで私が何をしたかって?
今ここでしていることと同じだ、ただし、もっとすくなかったが。ミストラルやトラモンターヌがあまり強く吹かないときには、カモメやツグミやツバメといっしょになって汀《みぎわ》の岩と岩とのあいだにすわりこみ、ほとんど一日じゅうそこで、海の眺めのもたらすあの茫然《ぼうぜん》とした気落ちしたような感じを味わっていた。あなたがたもごぞんじだろう、魂《たましい》のあのこころよい酔《よ》い心地を? 考えもしない、夢も見ない。存在のすべてが体《からだ》から抜け出て、飛び去り、散ってゆくのだ。自分というものがあの水にもぐるカモメ、日の光を浴《あ》びて波と波とのあいだにただよう水泡《みなわ》、あちらへ行くあの商船の白い煙、赤い帆《ほ》をかけたあの珊瑚《さんご》採りの船、この水玉、この一片の靄《もや》に化す、ただ自分というものだけにはならないで……。おお、この島で私はどれほどこのような半睡《はんすい》と放心のこころよい時間を過ごしたことだろう!……
大風の日には汀にはいられなかったから、検疫所《けんえきじょ》の中庭にとじこもった。マンネンコウや野生のニガヨモギの芳香《ほうこう》に満ちた物寂しい小さな庭だった。そこの古い壁に身をよせてうずくまりながら私は、古代の墓のようにそこらに口を開いている石づくりの小房のなかを日の光とともにただよっている、荒廃《こうはい》と憂愁《ゆうしゅう》のほのかな香りにこころよくひたされていた。ときどき、どこかの戸のばたんという音、草のなかで何かがちょっと跳《は》ねる……それは風をよけて草を食《は》みに来た山羊《やぎ》だった。私を見ると山羊はどぎまぎしてたちどまり、いかにも生き生きと、角《つの》を振り立てて、あどけない目で私を眺めながら前に突っ立っているのだ……
五時ごろ、番人のメガフォンが夕食に呼ぶ。すると私は海にむかって垂直にきりたっている灌木林《かんぼくりん》のなかの小道をたどって、ゆっくりと燈台にむかってひきかえすのだ、一歩ごとに頭をめぐらして、私が登るにつれて広がって行くように見える水と光のこの広大な視野を眺めながら。
上のほうもまたすばらしかった。今でも私には、大きな畳石《たたみいし》を敷き槲《かしわ》の羽目板《はめいた》をはったあの美しい食堂、そのまんなかで湯気をたてているブイヤベース、白いテラスにむかって開いた大きな扉《とびら》とそこへさしこむ夕日が目にうかぶ……。番人たちはそこで私の帰りを待って食卓へつこうとしていた。番人は三人、マルセーユの人がひとりにコルシカ人がふたりだが、三人とも背が低く、髯《ひげ》もじゃで、同じように日に焼け、ひびわれた顔をし、同じ山羊の毛皮のプローヌ(頭巾《ずきん》付き外套《がいとう》)を着ていたが、物腰や気質はまるっきり反対だった。
この連中の生き方を見れば、二つの人種の違いはすぐ感じられた。マルセーユ人は勤勉で活発で、いつもせかせかし、いつも動きまわり、やれ畑だ、やれ釣だ、グワイユの卵を集めるのだ、灌木林に身をかくして通りがかりの山羊をつかまえて乳をしぼるのだと、朝から晩まで島を飛び歩いている。そしていつもアイヨリかブイヤベースか何かを煮ているのだ。
コルシカ人のほうは勤務以外は全然なんにもしない。彼らは自分は役人だと思っており、日がな一日台所ではてしもなくスコパ〔トランプの一種〕をやって暮らす。それを中断するのは、もったいぶった顔でパイプに火をつけるか、青いたばこの大きな葉を手のひらの上で鋏《はさみ》で刻むときだけだった……
それにしても、マルセーユ人にしろコルシカ人にしろ三人とも単純|素朴《そぼく》な好人物で、お客にはいたって親切だった。もっとも実際のところ、このお客さんは彼らの目にはずいぶん変わった旦那《だんな》と映じていたに相違ないが……
まあ考えてもみたまえ、道楽で燈台にとじこもりに来るなんて!……彼らにしてみれば一日がたまらなく長く、陸《おか》へ行く番がくるのがどんなにうれしいかわからないというのに……。好季節には、この大きな幸福は一か月ごとにまわってくるのだ。燈台の三十日につき陸で十日、これが規則である。が、冬や時化《しけ》のときになれば、もう規則などは問題にはならない。風はひゅうひゅう吹き、波は高まり、サンギネール諸島は白い泡《あわ》でおおわれる。そうして勤務に当たった番人たちは二か月も三か月も、ときとしては恐ろしい目にあいながらも籠城《ろうじょう》しなければならない。
「私はね、旦那、こういう目にあったこともありますよ」と、ある日夕食のときに老バルトリが私に話してくれた。「五年前のことですがね。今私らの囲んでいるこの食卓で、しかも今と同じように冬の夜でしたがね。その夜は燈台にはふたりしかいなかった、私と、チェコと呼ばれていた同僚と……。ほかの連中は陸へ行っていた、病気だったか休暇だったか、もうよくおぼえていませんがね……。静かに食事を終えようとしていたとき……とつぜんその同僚が食べるのをやめて、妙な目つきで私を眺め、それからばたっと食卓につっぷしたんです、腕《うで》を前へ伸ばして。私はそばへ行って、ゆすぶり、名前を呼びました。
『おい、チェ!……おい、チェ!……』
なんの反応もない! 死んじまってるんです……。まあどんなに驚いたか! 私は一時間以上もこの死骸《しがい》の前に茫然《ぼうぜん》としてふるえていましたが、そのうち不意に『や、燈台だ!』と気がついた。急いで燈室へ飛んで行って、火をつけました。もう夜になっていたんです……。なんという夜だったか! 海の声も風の声ももう普通じゃなかった。絶えずだれかが階段で私を呼んでいるような気がするんです。おまけに熱が出てきて、喉《のど》がかわく! しかし下におりることはどうしたってできない……死体がこわくってたまらないんですよ。けれども明け方になると、少々勇気が出てきた。私は仲間をベッドへ運んでやり、毛布《もうふ》をかけ、ちょっとお祈りをしてから、急いで緊急信号を発しました。
あいにく海はものすごく荒れている。呼んでも呼んでもだれも来てくれはしない……。かわいそうなチェコと燈台のなかでふたりっきりになってしまった。しかもそれがどれだけつづくかは神ならぬ身にはわからない……。私は船が着くまで死体をそばに置いとけるだろうと思っていましたがね! ところが三日もたつともう駄目《だめ》でさあ……。どうしたらいいか? 外へ運び出すか? 埋《う》めるか? 岩は堅すぎるし、島には鴉《からす》がたくさんいる。鴉どもにこのキリスト教徒をやってしまうなんて殺生《せっしょう》なことはできない。そこで私は検疫所《けんえきじょ》の一室に運びおろすことを思いついた……。午後いっぱいかかりましたよ、この憂鬱《ゆううつ》な仕事は。それにどれほどの勇気が必要だったか。ねえ、旦那、今だって風の強い午後に、島のあちらのほうへおりるときには、まだ死人を肩《かた》にかついでいるような気がするほどです……」
かわいそうな老バルトリ! 考えただけでも額《ひたい》に冷汗《ひやあせ》が流れるのだった。
私たちの食事はこういう長話のうちに進んだ、燈台だの海だの難船《なんせん》のことだのコルシカの山賊の物語だのと……。それから、日が暮れかかると、一番立ちの番人が小さなランプに火をつけ、パイプと瓢箪《ひょうたん》と、サンギネール燈台に置いてある唯一《ゆいいつ》の本である縁《ふち》の赤い厚いプルタルコス〔紀元四七〜一二〇、ギリシャの文人で『名士列伝』の著者〕とを持って、奥のほうに姿を消す。しばらくすると、鎖《くさり》や滑車《かっしゃ》や時計の大きな分銅を捲く音が燈台じゅうにひびきわたる。
私はといえば、そのあいだ外のテラスに出てすわる。もうずっと低くなった太陽はますます速度をはやめながら水面にむかっておりて行き、水際の空もそれといっしょに落ちて行く。風はつめたくなり、島は紫《むらさき》色になる。近くの空を大きな鳥がばたばたと飛んで行く。あのジェノヴァ風《ふう》の塔に巣くう鷲《わし》がねぐらに帰るのだ……。だんだんと海の靄《もや》があがって来る。やがて島のまわりには波の泡《あわ》の白い縁取りしか見えなくなる……。とつぜん私の頭の上にやわらかい光の大波がほとばしり出る。燈台の火がついたのだ。全島を闇《やみ》のうちに残して、明るい光線は沖《おき》に落ち、私はときたまほんのわずかに飛沫《ひまつ》をかけるだけのこの大きな光の波の下で、夜の闇《やみ》に包まれたままでいる……。だが風はなおもつめたくなる。もう帰らねばならない。手さぐりで私は大きな戸をしめ、鉄の閂《かんぬき》をしっかりとおろす。そうしてあいかわらず手さぐりしながら、足をおろすたびにふるえて響く鋳鉄《ちゅうてつ》の小さな階段を登り、燈台のてっぺんに出る。こここそまさに光の洪水だ。
六列の芯《しん》がある巨大なカルセル燈〔フランスの時計職人カルセルが発明した機械仕掛けのランプ〕を考えてみたまえ。そのまわりに燈室の壁がゆっくりとまわっている。壁の一部はクリスタル・ガラスの大きなレンズがはめられ、またほかの部分は炎《ほのお》を風から防ぐ大きな固定したガラスのおおいにむかって開かれている……。中にはいると私は目がくらんだ。これらの銅《どう》、錫《すず》、ホワイト・メタルの反射器、青みがかった大きな円を描いてまわるこのレンズの壁、これらすべてのまばゆい輝き、光のきらめきに私は一瞬《いっしゅん》目がくらんだ。
それでもだんだんと目はなれてくる。そして私はランプのすぐ下の、居眠りすまいと思って大声でプルタルコスを読んでいる番人のそばに行ってすわる……
外は闇《やみ》であり、深淵《しんえん》である。ガラスのおおいのまわりにめぐらされている小さな露台《ろだい》に出ると、風はわめきながら狂ったようにかけまわる。燈台はめりめりと音を立て、海はごうごうとうなる。島の突端の防波堤《ぼうはてい》に大波が砲声のようにとどろいている……。ときどき目に見えぬ指が窓ガラスをたたく。光にひきつけられて来て、クリスタル・ガラスにぶつかって頭を砕《くだ》く夜鳥でもあろうか……。煌々《こうこう》とした熱い燈室のなかは、炎《ほのお》のぱちぱちいう音と、油のしたたる音、鎖《くさり》の捲《ま》かれる音、そしてファレロスのデメトリウス伝を読む単調な声だけしか聞こえない……
夜の十二時に番人は立ちあがり、燈芯《とうしん》に最後にもう一度目をやる。それから私もいっしょにおりて行く。階段の途中で二番立ちの同僚が、目をこすりながらのぼって来るのに出会う。瓢箪《ひょうたん》とプロタルコスが渡される……。それから床にはいる前にわれわれは、鎖《くさり》や大きな分銅や錫《すず》製の容器や索具でいっぱいになった奥の部屋《へや》にちょっとはいる。そこで小さなランプのあかりで番人はいつも開かれている大きな燈台日記に記入する。
「午前零時、時化《しけ》、暴風、沖《おき》に船影あり」
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セミヤント号の最後
この前の夜のミストラルがわれわれをコルシカ海岸へ投げ出してくれたから、ついでにあの島の漁師たちがよく夜話にする恐ろしい海の物語をさせてもらおう。偶然私はそれについていろいろおもしろいことを聞きこんだのだ。
……もう二年か三年前のことだ。
私は七、八人の税関の船員とともにサルディーニャ沖《おき》を航海していた。無経験なものにはつらい船旅だった! 三月いっぱい晴れた日は一日もなかった。東風が私たちをさんざんいためつけ、海の怒りは解けなかった。
ある夕方、嵐《あらし》をのがれて私たちの船はボニファチオ海峡《かいきょう》の入口に群がっている小さな島々のまんなかに避難《ひなん》した……。その島々の眺めはどう見ても人の心をひくようなところはない。鳥がいちめんに群らがっている大きな禿《は》げ岩、ニガヨモギのくさむらがいくつか、乳香樹《にゅうこうじゅ》の藪《やぶ》、そしてあちこちの泥《どろ》のなかに腐りかけている木片。しかしじっさいの話、夜を明かすことになればこの陰惨《いんさん》な岩のなかのほうが、大波が遠慮《えんりょ》会釈《えしゃく》もなくはいって来る半分しか甲板《かんぱん》のない古い船の船室よりも、まだましだったのだ。
上陸するとすぐ、水夫たちがブイヤベースをつくるため火をおこしているあいだに、船長は私を呼んで、島のはずれの霧《きり》に包まれた白い石囲いを指して言った。
「墓地に行ってみますか?」
「墓地ですって、リオネッチ船長! いったいここはどこなんです?」
「ラヴェッツィ群島ですよ。セミヤント号の乗組員六百人が埋葬《まいそう》されているのはここなんです。十年前あのフリゲート船が難破したちょうどその場所にね……。かわいそうに、連中の墓にもうでてやる人はあまりいない。ちょうどここに来たんですから、ちょいと挨拶《あいさつ》しに行ってやるくらいのことはごく簡単ですよ……」
「それじゃあ行きますとも、船長」
セミヤント号の墓地はなんと惨《みじ》めなものだったことか!……小さな低い石垣、錆《さ》びついてなかなかあかない鉄の門、ひっそりとした礼拝堂、そして草に埋《うず》もれた幾百基の黒い十字架がまだ私の目に見えるようだ……。百日草の花環《はなわ》一つ、記念の品一つない! 何もないのだ……ああ、打ち捨てられた哀れな死者たち、粗末な墓の下はどんなにつめたいことだろう!
私たちはしばらくそこにひざまずいていた。船長は声をあげて祈った。唯一《ゆいいつ》の墓守りである大きなカモメが私たちの頭上で輪《わ》を描き、そのしわがれた啼《な》き声は海の歎きとまざった。
祈りを終えると私たちは、船のつながれているところへ悲しい心でひきかえした。私たちのいないあいだも水夫たちは無駄に時を過ごしていなかった。岩のかげに火はあかあかと燃えており、鍋《なべ》は湯気をあげていた。一同は足を炎《ほのお》のほうへ突き出して車座にすわり、やがてめいめいスープをたっぷりかけた二きれの黒パンを入れた赤い陶器《とうき》の碗《わん》を膝《ひざ》の上にのせていた。食事のあいだみんなは黙《もだ》しがちだった。体《からだ》は濡《ぬ》れていたし、腹はすいていたし、それにまた墓地のそばだったから……。けれども、碗がからになるとみんなはパイプに火をつけ、すこしばかりおしゃべりをはじめた。もちろん話題はセミヤント号のことだった。
「だが要するに、どうしてそんなことになったのですか?」と、両手で頭をかかえて感慨《かんがい》にふけっているような様子で火をみつめている船長に私はきいた。
「どうしてそんなことになったかというんですか?」と、リオネッチさんは大きく溜息《ためいき》をついて答えた。「残念ながら神さま以外はだれにもそれはわからないでしょう。われわれの知っていることといえば、クリミア半島へむかう軍隊をのせたセミヤント号がその前夜、悪天候をおかしてトゥーロン港を出帆《しゅっぱん》したことだけです。夜にはいって天気はますます悪くなった。風、雨、今まで見たこともなかったほどのものすごい波……。朝になって風はすこし落ちたが、海はあいかわらず荒れ狂っており、それに加えて、四フィート離れた舷燈《げんとう》さえ見分けられないほどの、始末に負えないガスが出てきた……。こういったガスときたら、あなた、どれほど危険なものか想像もつきません……。
が、そんなことはどうでもいい、私はセミヤント号は午前中に舵《かじ》をこわしていたに相違ないと思う。というのは、ガスなんてそうたいしたもんじゃないんで、どこかこわれていなければあの艦長《かんちょう》がこんなところにぶつかってしまうなんてことはけっしてなかったでしょう。したたかな船乗りでしたからね、私たちはみんな知ってましたが。コルシカの海上警備区の長を三年間もやっていましたから、コルシカ沿岸のことは私に劣らぬほどよく知っていましたよ、私のほうはそれ以外のことは何も知らないんだが」
「で、セミヤント号はいつ難破したと見られているんですか?」
「お昼でしょう。ええ、正午ですよ……。いやはや、ガスのおかげで、正午というのに狼《おおかみ》の口のような闇夜《やみよ》とほとんど変わらなかったんですよ……。海岸の、ある税関吏が私に話していましたが、その日の十一時半ごろ、はずれた雨戸をはめようとして家を出ると、突風で帽子《ぼうし》を吹きとばされた。自分が波にさらわれそうになるのもかまわず四つんばいで海岸沿いにそのあとを追っかけたということです。おわかりでしょう、税関吏なんて金に縁《えん》はありませんが、帽子は高いですからね。
ところで、この男がふと頭をあげると、すぐそばのガスのなかを、帆《ほ》をたたんだ大きな船が風にただよいながらラヴェッツィ群島のほうへ走って行くのが見えたとか。その船は猛烈《もうれつ》な速さですっとんで行ったので、税関吏ははっきり見る時間もなかったほどだったそうです。しかしどう考えてみてもこれがセミヤント号だったとしか思えない。というのは、それから三十分後に島の羊飼《ひつじか》いがこのあたりの岩の上で何かを聞いた……や、ちょうど今の話の羊飼いが来ましたよ……。自分で話してくれるでしょう……。やあ、パロンボ!……こっちに来てちょっとあったまれよ、遠慮《えんりょ》しないでいい」
頭巾《ずきん》をかぶったその男はしばらく前から私たちのたき火のまわりをうろついていて、私は島に羊飼いがいるとは知らなかったから乗組員のひとりと思っていたのだが、おずおずと私たちのほうへ近づいた。
それは癩病《らいびょう》やみのじいさんで、ほとんど白痴《はくち》で、何か壊血病《かいけつびょう》みたいなものにやられたのか、大きな唇《くちびる》の肉が見るもむざんに厚くなっている。男に事のしだいをのみこませるのには大変な手間がかかった。それからじいさんは病気の唇を指で持ちあげて、事実その日の正午ごろ、岩の上で何かがくだけるものすごい音がするのを小屋で聞いたと話した。島は水びたしだったので、彼は外に出ることができなかった。翌日になってはじめて彼は小屋の戸をあけて、波に打ちあげられた船の破片や死体が浜辺いっぱいに散らばっているのを見たのだ。ぎょっとして彼は逃げ出し、自分の小船のところへかけつけて、ボニファチオへ人を呼びに行こうとしたのである。
こんなに長いことしゃべったのに疲《つか》れて羊飼《ひつじか》いは腰をおろし、船長がそのあとを引き取った。
「そうなんですよ、私たちに知らせに来たのはこの哀れなじいさんでした。こわくて気が違ったみたいになっていましたよ。この一件以来|奴《やっこ》さんの頭は狂ったままなんです。まったくのところ、それも無理はありませんやね……。考えてもごらんなさい、木材や帆《ほ》のきれはしと入りまじった六百もの死体が砂浜に積みかさなってるなんて……。哀れなセミヤント号……海は一撃《いちげき》であの船を打ち砕《くだ》いてしまったんですよ。しかも徹底的《てっていてき》にこなごなにしてしまったもんだから、パロンボが自分の小屋のまわりに柵《さく》をつくる材料をその破片のなかから拾いだそうとしても、なかなか集まらなかったそうです……。人間のほうも、ほとんどみな顔形も手足もむざんにめちゃめちゃになってね……そういう連中が房《ふさ》のようにくっつきあっているのは見るも哀れでしたね……。艦長《かんちょう》は礼装《れいそう》していたし、従軍司祭はストラ〔典礼を行うときに司祭がつける布〕を首につけていた。片隅の岩と岩のあいだには若い見習水兵が両目を開いたままで……まるで生きてるみたいでしたよ。だが、どうして! ひとりとして逃れられぬ運命だったんです……」
ここで船長は話を中断して、
「気をつけろ、ナルディ! 火が消えるぞ」と叫んだ。
ナルディは燠《おき》の上に、チャンを塗《ぬ》った板を幾枚か投げこみ、板が燃えあがるとリオネッチは話をつづけた。
「この話のなかでいちばんいたましいのは、こういうことです……。じつはこの海難の三週間ほど前、セミヤント号と同様クリミアにむかう小さなコルヴェット艦《かん》が、ほとんど同じ場所で同じようにして難破したんです。ただそのときは、われわれは乗組員と、乗っていた二十人ばかりの輜重兵《しちょうへい》を救出するのに成功した……。かわいそうに、この輜重兵どもにしてみれば、海を相手にたたかうのは商売じゃないやね! ボニファチオに連れて行って、二日ほど私らといっしょに船員宿舎に泊めてやった……。服がかわき元気をとりもどすと、さよなら、ごきげんようってわけで連中はトゥーロンに帰り、そして数日後そこからクリミアに向けてまた船に乗った……。それがどの船だったかわかりますか!……セミヤント号なんですよ、あなた……。二十人ともみんな、今私たちのいるこの場所で、死人たちのあいだにまじっていましたっけ……。私が抱きおこしたのは口髭《くちひげ》をはやした美男の伍長《ごちょう》だった、金髪《きんぱつ》のパリっ子で、私の家に泊《と》めてやったんですが、しょっちゅうおもしろい話をしてみんなを笑わしてくれたものですよ……。その男がそんな風になっているのを見て、私は胸が張り裂《さ》けるような気がしましたな……。ああ、|聖母さま《サンタ・マドレ》!……」
そう言うと、気のいいリオネッチさんは悲しみをあらたにしながらパイプの灰をはらい、私におやすみといって合羽《かっぱ》にくるまった……。なおしばらくのあいだ水夫たちは仲間同志で小声でしゃべっていた……。それからつぎつぎにパイプの火は消えた……。もう話し声もなかった……。羊飼《ひつじか》いのじいさんも行ってしまった……。そして私はひとり、眠りこんだ一同のなかで起きていた。
今聞いた、いたましい物語から受けた感銘《かんめい》の消えぬうちに、私はこの哀れな船の姿と、カモメだけが見ていたその最後の情景を心のなかで思い描いてみようとした。礼装の艦長《かんちょう》とか司祭のストラとか二十人の輜重兵《しちょうへい》とかの、とくに私の心を打ったいくつかの事実が、この悲劇のすべての経緯《けいい》を推察する≪よすが≫となった……。夜のうちにトゥーロンを出帆《しゅっぱん》するフリゲート艦が目にうかんだ……。港を出て行く。海は荒れ、風はすさまじい。しかし艦長は勇敢《ゆうかん》な船乗りであり、乗組みのもの一同は安心している。
朝、ガスがたちこめてくる。不安がきざしはじめる。乗組員は全員デッキにいる。艦長は船尾の上甲板《じょうかんぱん》を離れない……。兵士たちがとじこめられている中甲板は暗く、空気は暑い。幾人かは病人で、袋の上に横たわっている。船はものすごく縦揺《たてゆ》れする。立っていることはできない。みんなはあちこちにかたまって、床《ゆか》にすわり、腰掛けにしがみつきながら話をしている。どならなければ聞こえない。おじけづきだしたのもいる……。まあ聞いてくれ! このあたりでは難船は多いのだ。そこにいる輜重兵《しちょうへい》たちがその話をしてくれるよ。そして奴《やつ》らの話というのはあまり人を安心させてくれる≪てい≫のものではない。とりわけその伍長《ごちょう》は、いつもでたらめを言っているパリっ子だが、冗談《じょうだん》ながらに人の心胆《しんたん》を寒からしめるのだ。
「難破だって!……そりゃあおもしろいもんだぜ、難破ってのは。氷みたいな水につかりゃすむ。それからボニファチオに連れて行かれて、リオネッチ船長の家で鶫《つぐみ》を食わしてもらうのさ」
そして輜重兵どもは笑う……
とつぜんばりばりという音……。どうしたんだ? 何がおこったんだ?……
「舵《かじ》が吹っ飛んじまった」と、ずぶぬれの水夫が中甲板を走り抜けながら言う。
「舵さん、ごぶじで!」と調子に乗ったあの伍長がどなる。が、もうだれも笑わない。
デッキでは大騒ぎだ。ガスのためにたがいの顔も見えない。水兵たちはおびえあがって、手さぐりで右往左往《うおうさおう》している……舵はもうない! 操縦《そうじゅう》は不可能だ……。漂流《ひょうりゅう》するセミヤント号は風のようにつっぱしる……。税関吏がセミヤント号の通るのを見るのはこのときだ。十一時半。フリゲート艦の前方には砲声《ほうせい》のようなとどろきが聞こえる……。暗礁《あんしょう》だ! 暗礁だ!……おしまいだ、もはや望みはない、船はまっすぐに岸へむかって進む……。艦長は自分の部屋《へや》におりる……それからすぐまた上甲板のもとの位置にかえる――礼装をしてだ……。きれいな服で死にたかったのだ。
中甲板では兵士たちが不安にさいなまれながら物も言わずに目を見かわしている……。病人も起きあがろうとする……。小男の伍長ももう笑わない……。そのとき、戸があいて従軍司祭がストラをつけて戸口にあらわれる。
「さあひざまずいて、みなさん!」
みんなはひざまずく。朗々《ろうろう》たる声で司祭は臨終《りんじゅう》の祈りをはじめる。
とつぜんものすごい衝撃《しょうげき》、叫び声、ただ一つの大きな叫び声、差しのべられた腕《うで》、しっかりと握り合う手、驚愕《きょうがく》の目のなかを死の幻影《げんえい》が、一瞬|稲妻《いなずま》のようにかすめる……
万事休す!……
このようにして私は、その破片に取り巻かれ、十年の歳月《さいげつ》をへだてて哀れな船の亡霊《ぼうれい》を呼びおこして夢想にふけりながら、その一夜を過ごしたのであった……。遠くの海峡《かいきょう》では嵐《あらし》が狂っていた。野営の炎《ほのお》は突風を受けてなびいた。そして、私たちの船が岩の下でともづなをきしませながら踊っているのが聞こえた。
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税関吏
私がそれに乗ってラヴェッツィ群島へあの陰気《いんき》な航海をしたポルト=ヴェッキオ〔コルシカ島南部の港町〕のエミリー号は、税関の古い小船で、甲板は半分しかなく、風や雨や波をしのぐためには、かつかつ机一つと寝床二つを入れる余裕しかないタール塗《ぬ》りの小さな船室があるだけだった。だから時化《しけ》のときには水夫たちはひどいものだった。顔には水が流れっぱなし、ずぶぬれの仕事着は乾燥室《かんそうしつ》の下着みたいに湯気を立てる。そして真冬にはこの気の毒な連中は朝から晩まで、いや夜さえも、濡《ぬ》れた腰掛けにすわってこの不健康な湿気《しっき》のなかでふるえているのだ。というのは、船では火をたくことはできないし、岸はしばしば近よりにくかったからだ……。ところが、この連中はひとりとしてそれに不平を言わなかった。どれほどひどい荒天《こうてん》のときでも、彼らはいつも同じようにおちつきはらって上機嫌《じょうきげん》だった。だがそれにしても、この税関の船員たちの生活はなんと惨《みじ》めなものだったろう!
ほとんどみな妻帯者で、妻子を陸《おか》に残して何か月も家をあけ、このまことに危険な海岸沿いに風とたたかって船を走らせているのだ。食べ物といっては、かびの生《は》えたパンと野生の玉ねぎばかりといっていい。ぶどう酒や肉などにはお目にかかるためしがない。ぶどう酒や肉は高いし、彼らは年に五百フランしかもらっていないのだ! 年に五百フラン! それじゃ彼らの船員宿舎の小屋はさぞかしきたならしいだろう、彼らの子供ははだしで歩かねばなるまいなどと諸君はお考えだろう!……そんなことはどうでもいいのだ! この連中はみな満足しているように見える。船の後部の、船室の前に、雨水をみたした大きな桶《おけ》があって、乗組員がここに水を飲みに来る。そして私は思い出すが、最後の一口を飲み終えるとこの哀れな連中はみないかにも満足したように「ああ!」と言って湯呑《ゆのみ》を振る。その滑稽《こっけい》でまた同時にいじらしい満悦《まんえつ》の表情。
みんなのなかでいちばん陽気でいちばん満足しているのは、パロンボという名の日焼けしてずんぐりしたボニファチオ生まれの小男だった。この男ときてはどんなにひどい時化《しけ》のときでも歌ばかりうたっていた。波のうねりが大きくなり、暗く低い空はみぞれをはらみ、みんなは空を仰ぎながら帆足綱《ほあしづな》に手をかけ、今か今かと突風の吹きおこるのを待っている、そんなとき、船の上の深い沈黙《ちんもく》と緊張のなかで、おちついたパロンボの声が歌いはじめるのだ。
[#ここから1字下げ]
いえいえ、殿さま、もったいない
身のほど知ってリゼットは
村に残っておりまする……
[#ここで字下げ終わり]
そして疾風《はやて》がいくら吹きすさぼうと、船具をきしませ、小船を揺《ゆ》すぶり、水びたしにしようと、この税関水夫の歌は波がしらにうかぶカモメのように揺れながらつづくのであった。ときには風の伴奏《ばんそう》があまりにも強くて、歌詞が聞こえなくなった。しかし風波の切れめ切れめに、船を洗って行く水のなかで、かわいい|折返し句《ルフラン》はいつももどって来るのだ。
[#ここから1字下げ]
身のほど知ってリゼットは
村に残っておりまする……
[#ここで字下げ終わり]
けれども、風雨がとくべつひどかったある日、彼の歌が聞こえなかった。あまりめずらしかったので、私は船室から頭を出して言った。
「おい、パロンボ、もう歌わないのかい?」
パロンボは答えなかった。腰掛けの上に横になって動かない。私は近づいた。歯ががちがちいっていた。全身が熱でわなないていた。
「プントゥーラにかかったんです」と彼の同僚《どうりょう》たちはしずんだ顔で言った。
彼らの言うプントゥーラとは、あばらの痛み、肋膜炎《ろくまくえん》である。このいちめんに鉛《なまり》色の空、この水びたしの船、雨に打たれてあざらしの皮のように光る古いゴム合羽《がっぱ》にくるまって熱にふるえている哀れな男、これ以上いたましい光景を私はかつて見たことがなかった。まもなく寒さと風と波のうねりで彼の病気はますますひどくなった。彼はうわごとを言い出した。陸《おか》に着けなければならない。
長い時間と、ひじょうな努力ののちに、夕方近くわれわれは殺風景なひっそりとした小さな港にはいった。目を楽しますものといっては、円を描いて飛んでいる幾羽のグワイユだけだった。浜の周りには高い懸崖《けんがい》と、季節にかかわりなく暗緑色をしている灌木《かんぼく》の密生した藪《やぶ》があるばかり。その下の水際に灰色の雨戸のついた白い小さな家。それは税関の監視所《かんしじょ》だった。この人気のないところにある、制帽のように番号のついた官有のこの建物は、なにかしら陰気な感じがした。運の悪いパロンボはここに入れられたのだ。病《やまい》の身を横たえるにしてはなんという惨《みじ》めなところか! 私たちが行ったとき、税関吏はちょうど細君や子供たちと炉《ろ》ばたで食事をしているところだった。この一家はみんな、血の気《け》のない黄色い顔をし、目ばかり大きく、しかも熱病のためにその目には隈《くま》ができていた。母親はまだ若かったが、乳呑児《ちのみご》をふところに抱いて、私たちに物を言いながらがたがたふるえていた。
「ひどい監視所ですよ」と監視官はごく低い声で私たちに言った。「二年ごとに役人を交代させなくちゃならんのです。マラリヤにむしばまれてしまうのでね……」
とにかく医者を見つけねばならなかった。ところが医者はサルテーヌからこちらにはいない、つまり六里から八里まで離れたところにしかいないのだ。どうしたらいいか? 水夫たちはもう疲れはてている。子供らのひとりをやるには遠すぎる。そのとき、細君が外へ体《からだ》を乗り出して呼んだ。
「チェッコ!……チェッコ!」
すると、すらりとして背の高い若者がはいって来た。まったく密猟者《みつりょうしゃ》や山賊《バンディッティ》といったタイプで、茶色の毛の縁無帽《ふちなしぼう》に山羊《やぎ》の毛皮のマントといったいでたちだ。上陸するとき私はこの男を見かけていた。赤いパイプを口にくわえ小銃《しょうじゅう》を股《また》にはさんで、戸口の前にすわっていたのだ。しかしなぜか知らないが、私たちが近づくと彼は逃げ出した。おそらく私たちが憲兵を連れて来たと思ったのだろう。彼がはいって来ると、税関吏の細君はちょっと顔を赤らめた。
「あたしのいとこなんです……」と彼女は私たちに言った。「この人なら藪《やぶ》のなかで迷う心配はありません」
それから彼女は病人を指さしながらごく低い声で男に何か言った。男は黙って頭をさげ、外へ出て自分の犬を口笛で呼び、出発した、銃を肩に、長い脛《すね》で岩から岩へと飛びながら。
そのあいだ、監視官のいるのにおびえたらしい子供たちは、栗《くり》とブルチオ《クリーム・チーズ》の夕食を急いですました。やはりここでも水だった、食卓の上には水しかないのだ! ぶどう酒が一杯でもあれば、この子供たちにとってはどんなによかったろう。ああ、かわいそうに! やがて母親は子供たちを寝かせに行った。父親は角燈《かくとう》に火をつけて海岸を巡視《じゅんし》に行く。そして私たちは炉《ろ》ばたに残って、まるでまだ海のまっただなかで波に揺《ゆ》られているかのように粗末な寝台の上でばたばたしている私たちの病人を見守った。プントゥーラの痛みを多少なりとしずめようとして、私たちは小石や煉瓦《れんが》をあたためて彼の胸の横に当てた。一度か二度、私がベッドに近づいたとき、気の毒な男は私を認め、感謝をあらわそうとしてやっとのことで私に手をさしのべた。火から出したばかりの煉瓦のように熱い、ざらざらした大きな手を……
陰気な夜だった! 外では、日が落ちるとともに嵐がまたはじまっていた。そして波はくだけ、とどろき、泡《あわ》はほとばしり、水と岩とのたたかいがおこなわれていた。ときどき、沖《おき》からの突風が湾《わん》のなかまではいりこんで来て、私たちのいる家を包んだ。それは炎《ほのお》がぱっと上がることでわかった。広大な海面と広大な水平線をいつも見ているために癖《くせ》になってしまった、あの物に動じない表情で火をみつめながら暖炉《だんろ》のまわりにかたまっている水夫たちの陰鬱《いんうつ》な顔を、炎はときどきさっと照らすのである。
ときどきはまたパロンボが静かに苦痛を訴える。と、みなの目は哀れな同僚が肉親から遠く離れて救いもなく死のうとしている暗い部屋《へや》の隅のほうへ向けられた。彼らの胸はふさがり、深い吐息《といき》が聞こえた。辛抱《しんぼう》づよくおとなしい海の労働者たちが自分らの不幸を感じてもらすのは、こういう吐息だけだった。反抗もしない、ストライキもしない。ただ吐息をもらすだけなのだ!……いや、やはり私はまちがっていた。彼らのひとりが火に小枝を一束《ひとたば》くべようとして私の前を通るとき、沈痛な声で私にささやいたのだ。
「ねえ、旦那《だんな》……わしらの仕事はときにはひどく苦しいものなんですよ……」
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キュキュニャンの司祭
毎年|聖燭祭《シャンドルール》〔二月二日の聖母マリアの祝日〕のときに、プロヴァンスの詩人たちは美しい詩やおもしろい物語がはちきれそうにつまっている楽しい小さな本をアヴィニョンで出版する。今年の分がちょうど私のところに着いたが、そのなかにじつに愉快な小噺《こばなし》があったので、少々はしょって翻訳《ほんやく》してごらんに入れよう……。パリのみなさん、籠《かご》を出しなさい。今度差しあげるのはプロヴァンスで最上等の小麦粉ですよ……
マルタン師は司祭だった……キュキュニャンの。
あたたかくほかほかした人柄で、子供のように無邪気で、キュキュニャンの人たちをわが子のように愛していた。キュキュニャンの人たちがもうすこし彼を満足させてくれたら、彼にとってこのキュキュニャンはこの世の天国だったろう。ところが、残念ながら、蜘蛛《くも》が教会の懺悔《ざんげ》室に巣をはっているし、復活祭の日にも聖体パンが聖体盒《せいたいごう》の底に残っているという始末。善良な司祭はこれに心を痛めており、散らばった羊《ひつじ》たちを牧舎に連れもどすまでは死なさないでくださいと、いつも神さまに祈っていた。
ところが、神さまは彼のこの願いをお聞きとどけになるのである。
ある日曜日、福音書を朗読したあとでマルタンさんは説教壇《せっきょうだん》に上がった。
「兄弟たちよ、私の言うことを信じる信じないは自由だが、先だっての夜、この罪深い私が天国の門の前に立っていたのです。戸をたたくと、聖ペテロがあけてくださった。
『おや、あなたかい、マルタンさん、どんな風の吹きまわしで……どんな御用です?』
『ペテロ聖人さま、あなたは大きな名簿と鍵《かぎ》をお持ちでいらっしゃる。こんなことをうかがうのもどうかと思うんですが、キュキュニャンの人が何人ほど天国にいるのか教えていただけませんか?』
『あなたには何一つことわる理由はない、マルタンさん。まあすわんなさい、いっしょに調べてみましょう』
というわけで、聖ペテロは厚い名簿を取って開き、眼鏡《めがね》をかけて、
『ちょっと見てみましょう。キュキュニャンでしたな。キュ……キュ……キュキュニャン。あったあった。キュキュニャン……。いやマルタンさん、このページは真白ですよ。ひとりもおらんわ……。七面鳥に魚の背骨がないと同様、ここにはキュキュニャン人は皆無《かいむ》ですわい』
『なんですって! キュキュニャンの人はひとりもいないって? ひとりも? そんなことが! もっとよく見てください……』
『ひとりもですよ、ほんとに。冗談《じょうだん》を言っているのだとお思いなら、自分で見てごらんなさい』
ああ、情けなや! 私はじだんだ踏《ふ》み、それから両手を合わせてお慈悲《じひ》を、と叫びました。すると聖ペテロは、
『まあまあ、マルタンさん、そんなに身も世もなく悲しむものじゃありませんよ、卒中《そっちゅう》か何かになっちまいますからね。結局のところ、あなたが悪いんじゃないんだから。キュキュニャンの人たちは、おわかりでしょ、きっと煉獄《れんごく》でしばらく身を浄《きよ》めねばならんというわけなんですよ』
『ああ、後生です、ペテロ聖人さま! せめて私にその人たちに会わせ、慰《なぐさ》めさせてください』
『お安い御用ですよ……。ほら、このサンダルをはきなさい。道があまりよくありませんからね……。さあ、それでよろしい……。それではまっすぐに行きなさい。あちらの奥のほうに曲り角《かど》があるのが見えますか? そこに黒い十字架をちりばめた銀の扉《とびら》があります……右手に……。たたいてごらんなさい、あけてくれますから……。それではさようなら。お元気で』
で、私は歩いて行ったのです……ずんずんと歩いた! なんという道! 今それを思い出しただけでも私は肌《はだ》に粟《あわ》ができる。いばらにおおわれ、ざくろ石が光り、蛇《へび》がしゅうしゅういっている細道が、私を銀の扉まで導いた。
トントンとたたくと、
『だれだ?』としわがれた哀れっぽい声が答えた。
『キュキュニャンの司祭です』
『キュ……?』
『キュキュニャン』
『ああ!……はいんなさい』
私ははいりました。夜のように黒い翼《つばさ》と日の光のように光る服の、背の高い美しい天使が、帯にダイアモンドの鍵《かぎ》をぶらさげて、聖ペテロよりももっと厚い大きな帳簿にすらすらと何か書いていました……
『さて、どんな御用です、どうしてくれというんです?』と天使は言いました。
『天使さん――こんなことを申すのはあまりぶしつけかもしれませんが――こちらにキュキュニャン人がいるかどうか私は知りたいので』
『キュ……?』
『キュキュニャン人、キュキュニャンの住民です……私がそこの司祭なんでして』
『ああ、マルタン師ですね』
『いかにもさようで』
『キュキュニャンとおっしゃいましたね……』
そうして天使は大きな名簿を取り、紙がよくすべるように唾《つば》で指をぬらしてそれをぱらぱらめくって、
『キュキュニャンか』と長い溜息《ためいき》をつきながら言いました……。『マルタンさん。この煉獄《れんごく》にはキュキュニャンの人はひとりもいません』
『おお、なんということだ! キュキュニャンの人は煉獄にはひとりもいないんですって! おお、神さま! それじゃどこにいるんでしょう?』
『そりゃあ、あなた、天国にですよ。ほかのどこにいるとおっしゃるんです?』
『しかし私は今そこから来たんですよ、天国から……』
『天国からいらっしゃった!……それで?』
『いや、天国にはおらんのですわい!……ああ、なんたるこった!……』
『しかたがありませんよ、司祭さん! 天国にも煉獄にもいないというんなら、その中間はありませんから、その人たちは……』
『ああ、どうしよう! イエスさま! ああ、ああ、ああ、そんなことがあるもんでしょうか?……ペテロ大聖人は嘘《うそ》をおつきになったんでしょうか?……でも私には鶏《にわとり》の声は聞こえなかった!〔新約聖書マタイ伝に、聖ペテロがイエスを知らないと言ったとき、鶏が鳴いたとある〕 ああ、情けなや、キュキュニャンの人たちが天国にいないとなれば、どうして私が天国へ行けよう!』
『まあお聞きなさい、マルタンさん、あなたは是《ぜ》が非《ひ》でもすべてを知りたい、自分の目で事をはっきりさせたいとおっしゃるんですから、この道をいらっしゃい。走れるなら走っていらっしゃい……。左側に大きな門がありますよ。そこでなにもかもお聞きになるんですな。神さまが教えてくださるでしょう』
そして天使は扉をしめました。
それは赤い火を敷きつめた長い道でした。私は酔っぱらったようにふらふら歩いて行った。一歩ごとに私はつまずいた。体《からだ》じゅう汗《あせ》みどろ、毛穴の一つ一つに汗の滴《しずく》が吹き出し、渇《かわ》きにあえいでいました……。ところがなんと、親切な聖ペテロが貸してくれたサンダルのおかげで、まったく足にやけどをしませんでした。
びっこをひきひき幾度となくつまずいたあげく、左手に扉《とびら》……いや、門が、大きな門が、大竈《おおがま》のような口を開いているのが見えました。おお、みなの衆、なんという光景だったか! そこには私の名をきく人もいない、名簿などありはしない。人々は群れをなし、押し合いへし合いそこへはいって行く、日曜にあなたがたが居酒屋にはいって行くときのようにね。
大粒《おおつぶ》の汗が体に吹き出すのだが、私は凍《こご》えきり、ぞくぞく寒気がしました。髪《かみ》の毛はさかだつ。焦《こ》げくさいにおい、肉の焼けるにおい、蹄鉄工《ていてつこう》のエロワが蹄鉄をつけるため年取った驢馬《ろば》の蹄《ひづめ》を焼くときにこのキュキュニャンの町にひろがる≪あれ≫のようなにおいがしました。この臭《くさ》い熱した空気のなかで私は息がとまるかと思いましたよ。恐ろしい叫喚《きょうかん》、呻《うめ》き声、怒号《どごう》、罵《ののし》りの声も聞こえてくる。
『どうした! はいるのか、はいらねえのか、おめえは?』と、角《つの》の生《は》えた悪魔《あくま》が熊手《くまで》で私をつっつきながら言います。
『私が? はいりませんよ。私は神さまのお友だちですから』
『神さまの友だちだって……。へ、白癬野郎《しらくもやろう》め! それじゃここになにしに来た?……』
『私は……。ああ、もうそんな話はやめてください、私はもう立っていられない……。私は……私ははるばると……あなたにおたずね申しあげたいと思ってまいりましたんで……もしかしてここに……だれか……だれかキュキュニャンの人がいないかどうかと……』
『なにを! すっとぼけたことを言ってやがる、キュキュニャンの奴《やつ》らはみんなここにいることを百も承知のくせに。ほら、みっともねえ鴉野郎《からすやろう》、見てみな、おめえのそのキュキュニャン人どもがここでどんな目にあってるかがわかるだろう……』
そして私が恐ろしい炎《ほのお》のうずまきのなかに見たのは、
あののっぽのコック=ガリーヌ――兄弟たち、あなたがたはみな知っていましたね――よく酔っぱらって、かわいそうな女房のクレロンをしょっちゅうひっぱたいていたコック=ガリーヌ。
それから、カタリネ……こまっちゃくれた顔をした……納屋《なや》にひとりで寝泊りしていた……あの淫売《いんばい》ですよ……。あなたがたもおぼえがあるでしょう、しようがない人たちだ!……が、まあそれはやめておこう、ちょっと言いすぎたね。
それから、ジュリアンさんのオリーヴを搾《しぼ》って自分の油を作っていた松脂指《まつやにゆび》のパスカル。
落穂《おちぼ》ひろいのバベ、この女は仕事中、自分の束《たば》をなるべく早くつかねようとして、藁《わら》の山からどっさり藁を引き抜いていた。
自分の手押し車の車輪《しゃりん》にだけたっぷり油を塗《ぬ》っていたグラパジ親方。
それから、自分のところの井戸の水を目の玉の飛び出るような値段で売っていたドフィーヌ。
私が聖体を持って行くのに出会うと、帽子をかぶったままパイプをくわえて……アルタバン〔十七世紀の小説家カルブルネードの小説『クレオパトラ』に出てくる高慢な人間〕のようにえらそうな顔をして……まるで犬にでも会ったように……ずんずん行ってしまった|びっこさん《ル・トルチャール》。それからクゥローとビット、ジャーク、ピエール、トニ……」
ぎょっとし、恐ろしさに蒼《あお》くなった聴衆《ちょうしゅう》は、口を開いた地獄《じごく》のなかに、あるいは自分の父や母、あるいは自分の祖母、姉を見て歎き悲しんだ……
「みなさんもよくわかったでしょう」とマルタン師はつづけた。「こんなことがこれ以上つづいてはならないということがよくわかったでしょう。私はみなさんの魂《たましい》をあずかっている。だから私は、私は、あなたがたがまっさかさまにころがりこもうとしている奈落《ならく》の淵《ふち》からあなたがたを救いたいんだ。明日《あす》から私は仕事にかかりますぞ、さっそく明日から。仕事がなくて困るということはありますまいよ! だから私はこういう具合にやることにします。すべてをきちんとやるためには、順序よくやらねばならない。ですから、ジョンキエールでみんながダンスをするときのように、順序正しくやることにしましょう。
明日《あす》の月曜日には、私は年よりの人たちの懺悔《ざんげ》を聞きます。こんなことはなんでもない。
火曜日は子供たち。こんなのはすぐかたづく。
水曜日は若いものたち。これはちょっと長くなるかもしれない。
木曜日は男。早く切りあげましょう。
金曜日は女。よけいなおしゃべりはごめんですよ。
土曜日は例の粉屋!……この男ひとりのために一日あてても長すぎはしない……
こうして日曜日にはすべて終わっていたら、私たちも安心していられましょう。
よろしいか、みなの衆、麦が熟《う》れたら刈らねばなりません。酒の栓《せん》を抜いたら飲まにゃなりません。よごれた下着がだいぶあります、これは洗わなくちゃなりません、しかもきれいに洗わなくちゃ。
みなさんに神さまのお恵みがありますように。アーメン」
言われたことは実行された。洗濯《せんたく》がおこなわれたのだ。
この記念すべき日曜日以来、キュキュニャンの町の徳望は十里四方まで芳香《ほうこう》を放ったものだ。
そして善良な司祭のマルタンさんはうれしくてうれしくてたまらず、先だっての夜こんな夢を見た。すべての信者たちを引きしたがえて、かがやかしい行列をつくり、燃える大|蝋燭《ろうそく》とかぐわしい香煙《こうえん》と謝恩聖歌をうたう聖歌隊の子供たちのあいだを、神の国への光明の道を登ってゆく夢を。
これがキュキュニャンの司祭の話だ。親しい仲間からこれを聞いたあの大の食わせ者のルゥマニーユ〔プロヴァンス派の文学結社「フェリブリージュ」を結成した文人〕が、あなたがたに話してくれと言って聞かせてくれたままを書いたのだ。
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老夫婦
「手紙かい、アザンじいさん?」
「ええ……パリからですぜ」
パリからというので大得意だった、この律儀《りちぎ》なアザンじいさんは……。私のほうはちがう。パリのジャン=ジャーク街からだしぬけに、しかもこんな朝っぱらから私の机の上に舞いこんで来た手紙のおかげで、一日がつぶされてしまうんじゃないかという虫の知らせがしたのだ。じっさいそのとおりだった。まあとにかく、手紙を見ていただこう。
「ぜひ君にしてもらいたいことがあるんだがね。一日だけ君の風車小屋の戸をしめて、すぐさまエイギエールに行ってくれないかね……。エイギエールは君の家から三、四里離れたちょっとした村だ、――いい散歩さ。そこへ行ったら孤児修道院はどこだときくのだ。その修道院のすぐつぎの家は、屋根が低く雨戸が灰色で、裏に小庭のある家だ。ノックをせずにはいっていい――戸はいつもあいている――、そしてはいったら『こんにちは! 私はモーリスの友人です……』と、そうとう大きな声でどなるんだ。そうするとふたりの小さな年寄りが、いやはや、年寄りも年寄り、おっそろしい年寄りが、大きな肘掛椅子《ひじかけいす》にちょこなんとすわったまま、君に腕《うで》を差しのべるだろう。ぼくのかわりに、君自身のじいさんばあさんに対するように心から接吻《せっぷん》してやってくれ。それからおしゃべりがはじまるだろう。ふたりはぼくのことを話すだろう、ぼくのことばかり。ばかげたことばかり、とめどなく話すだろうが、笑わずに聞いてやってくれ……。笑わないでくれるだろうね、え?……ふたりはぼくの祖父母で、ぼくだけがふたりの生き甲斐《がい》なんだが、そのぼくはもう十年も会っていないんだ……。十年といやあ長いよ! が、しょうがない! ぼくのほうはパリに縛《しば》られてる、あちらは高齢だ……。なにしろたいへんな年だから、ぼくに会いに来たら、途中でぽっくり行っちまいかねない……。さいわい、親切な粉屋どん、君がそちらにいる。そして君に接吻しながら、年寄りたちは多少ぼくに接吻しているような気がするだろう……。ふたりにはよく話してあるんだ、君とぼくのこと、そしてこのあたたかい友情……」
とんだ友情さ! ちょうどこの朝はすばらしい天気だったが、外を歩きまわるにはてんで向かなかった。ものすごいミストラルにかんかん照り、まさにプロヴァンス日和《びより》というやつだ。このいまいましい手紙が着いたときには、私はすでに岩と岩とのあいだに「カニャール」(かくれ場)を見つけて、松籟《しょうらい》の音を聞きながらそこで一日トカゲのように日なたぼっこをしていようと考えていたんだ……。が、こうなってはしょうがない! 私はぶつぶつ言いながら風車小屋をしめ、猫《ねこ》の通路の下に鍵《かぎ》をかくした。杖《つえ》とパイプを取る。そして私は出発した。
二時ごろエイギエールに着いた。村には人気《ひとけ》はなく、だれもかれも野良《のら》に出ている。埃《ほこり》で白くなった中庭の楡《にれ》の木のなかで、蝉《せみ》たちがまるでクロー〔大ローヌ河左岸の石の多い荒地〕のまんなかのように鳴いている。いかにも村役場前の広場には、一頭の驢馬《ろば》が日なたぼっこをしていたし、教会の噴水《ふんすい》の上には鳩《はと》が飛んでいたが、孤児院を教えてもらおうと思ってもだれもいないのだ。運よく妖婆《ようば》みたいなばあさんがふと目についた。自分の家の戸口の隅にうずくまって糸をつむいでいる。私はさがしているところを言った。すると、この妖婆はよほど魔力のあるものと見えて、彼女がつむぎ竿《ざお》を上げただけで孤児修道院が忽然《こつぜん》と私の前にたちあらわれたものだ……。陰気くさい黒い大きな建物で、得々としてアーチ形の正面玄関の上にラテン語をまわりにちょっと書きこんだ赤い砂岩の古い十字架を見せびらかしている。この建物のわきにもっと小さな建物があった。灰色の雨戸、裏に庭……。すぐそれとわかり、ノックせずになかにはいった。
死ぬまで私はありありと思い出すだろう、あの涼しい静かな長い廊下《ろうか》、バラ色に塗《ぬ》った壁、淡い色の日よけを通して奥のほうにちらちら見える小庭、そして羽目板《はめいた》という羽目板の上の色あせた花とヴァイオリンの模様を。スデーヌ〔十八世紀の劇詩人〕の時代の年取った田舎《いなか》裁判官の家にでも来たような気がした……。廊下のどんづまりの左手の、半開きのドアから、大きな時計のこちこちという音と、子供みたいな、それもつかえつかえ綴《つづ》りを一つ一つ拾って読んでいる小学生みたいな声が聞こえた。「その……とき……聖……イレ……ネ……は……叫んだ……われは……主の……小麦……である……あの……けもの……たちの……牙《きば》に……くだかれねば……ならない……」私はそっとドアに近づいて、のぞきこんだ……
小さな部屋《へや》の静けさとうすあかりのなかに、桃《もも》色のほっぺたをした、指のさきまで皺《しわ》のよったおじいさんが、口をあけ、両手を膝《ひざ》の上にのせて肘掛椅子《ひじかけいす》に腰かけたまま眠っていた。その足もとに、青い服の――大きなケープと小さな頭巾《ずきん》、孤児院の服だ――女の子が、自分の体《からだ》よりも大きな本で聖イレネの伝記を読んでいた……。この奇蹟《きせき》の書の朗読《ろうどく》は家じゅうに影響を与えていた。じいさんは椅子の上で眠っていたし、蠅《はえ》は天井で、カナリアはむこうの窓ぎわで眠っていたのだ。大きな時計はちくたく、ちくたくといびきをかいていた。部屋のなかで目覚めているものといえば、閉ざした雨戸のあいだからまっすぐにしらじらとさしこんでいる光の太い帯だけだった。それは生き生きときらめき、目に見えぬようなワルツを踊っていた……。なにもかもまどろんでいるなかで、娘だけは、しかつめらしい顔で読みつづけていた。「たち……まち……二ひきの……ライオン……は……彼に……とび……かか……り、む……さぼり……食っ……た」私がはいったのはちょうどそのときだったのだ……。聖イレネのライオンがこの部屋にとびこんでも、このときの私ほどの驚きはひきおこさなかっただろう。それこそ芝居《しばい》の山だ! 女の子は悲鳴《ひめい》をあげる、大きな本はおっこちる、カナリアも蠅も目を覚ます、じいさんは仰天してはっと身をおこす、そして私自身といえば少々どぎまぎしながら、敷居ぎわに立ちどまって大声で呼ばわった。
「こんにちは! 私はモーリスの友だちです」
おお、このときのこの哀れな老人の姿をごらんに入れたかった。両腕《りょううで》をひろげながら私に接吻《せっぷん》しようと私のほうへ歩みより、私の手を握《にぎ》りしめ、
「これはこれは! これはこれは!……」
と言いながら部屋《へや》のなかをおろおろ歩きまわっている老人を。
顔じゅうの皺《しわ》で笑っていた。顔は赤くなっていた。
「ああ、あなた……ああ、あなた!」とつぶやく。
それから
「マメット!」と呼びながら部屋の奥へ行った。
どこかのドアがあき、廊下《ろうか》に二十日鼠《はつかねずみ》のようなちょこまかした足音がする……それがマメットだった。蝶《ちょう》むすびのリボンのついたボンネットに淡褐色《たんかっしょく》の服を着たこの小さなおばあさんほど感じのいい人はなかった、しかも昔風に私に敬意を表するために縫い取りのついたハンケチを手に持って……。なんとも感動的なのは、このふたりが瓜《うり》二つであることだった。髷《まげ》をつけて黄色の蝶リボンを結べば、おじいさんのほうもマメットと呼ばれておかしくなかっただろう。ただ、ほんもののマメットのほうはこれまでの生涯《しょうがい》たくさん涙を流したに相違ない。おじいさんよりも皺が多かった。そしておじいさんと同様、彼女も孤児院の女の子をそばに置いていた。もうけっしてそばから離れない青いケープのかわいい護衛といったところ。そしてこの老人たちが孤児の少女に守られているところほど感動的な光景は考えられなかった。
はいって来るとマメットはまず頭を低くさげてお辞儀《じぎ》をしようとしたが、おじいさんの一言でそのお辞儀は中断されてしまった。
「モーリスのお友だちだよ……」
たちまち彼女はふるえだし、泣き出し、ハンケチをおっことし、赤くなった、まっかに、おじいさんよりもまっかに……。この老人たち! 血管のなかにはわずか一滴の血しかないのに、ほんのちょっと感動しただけでその血は顔にのぼってくるのだ……
「早く早く、椅子《いす》を……」とおばあさんはそばの娘に言う。
「雨戸をあけて……」とおじいさんは自分の娘に叫ぶ。
そして両方から私の手を取って、私の顔をよく見るために大きくあけはなっておいた窓のほうへ引っぱって行くのだ。肘掛椅子《ひじかけいす》が寄せられ、私はふたりのあいだの折畳み椅子に腰をおろし、ふたりの青服の娘たちはうしろにすわる。そして訊問《じんもん》がはじまるのだ。
「あれは元気ですか? どうしていますか? なぜ来ないんですか? 満足していますか?……」
なんだかんだと、何時間もこの調子でつづくのだ。
私のほうはできるだけふたりのすべての質問に答えてやった。友だちについて知っていることは教えてやり、知らぬことは思い切って創作して話した。そして彼の家の窓がよくしまるかどうか、彼の部屋《へや》の壁紙《かべがみ》は何色だったかなどということは気がついたことがないなどとは、老人たちの前では言わぬようにした。
「部屋の壁紙ですか!……青ですよ、淡青の、花模様のついた……」
「ほんとうですか?」と哀れなおばあさんはほろりとして言うのだった。それから自分の連れ合いのほうを向いて、
「いい子でしたからね!」
「ほんとに、いい子じゃった!」と相手は感激して受ける。
そして私のしゃべっているあいだじゅう、ふたりはうなずきあう、軽くほほえみあう、目くばせを、ははあんという表情を交わす。あるいはまたおじいさんは近づいて来て言うのだ。
「もっと大きな声で願います……。あれはちょっと耳が遠いんで」
そしておばあさんはおばあさんで、
「もうちょっと大きな声でどうぞ!……あの人、耳がよく聞こえないんで……」
そこで私は声を高める。ふたりとも笑顔で私に謝意をあらわして見せる。そして、私の目の底にまで愛するモーリスの姿を求めてこちらへかがみこむ、このしなびた笑顔のなかに、私のほうも、まるで霧《きり》のなかで遠くから私にほほえみかけてくる友を見るように、漠《ばく》とした、おぼろな、ほとんど捕えがたいあの面影を認めて、ほんとうにしんみりとした気持ちになったものだ。
急におじいさんは肘掛椅子の上で身をおこした。
「そうそう、マメット……こちらさんは、まだお昼を食べていらっしゃらんのじゃないかな!」
すると、マメットはおろおろして両手を差し上げて、
「お昼がまだですって……そりゃたいへん!」
私は、これもモーリスの話だと思って、あの男ならお昼をするのが十二時過ぎになることは絶対ないと答えようとした。ところがそうじゃないのだ、私のことなのだった。私がまだ腹をすかせたままだと白状したときどんな騒ぎがおこったかは、見たものでなければわからない。
「さあ子供たち、早くお膳《ぜん》を出して! 食卓を部屋《へや》のまんなかに出して、日曜に使うテーブル・クロスを敷くんだよ、お皿は花模様のをね。さあ、そんなに笑ってるんじゃないよ! 急いで急いで……」
女の子たちはたしかに急いでいたとも。皿を三枚割るか割らないかの時間でお昼の支度はできたのだから。
「まあちょっとお口よごしに!」とマメットは私を食卓に案内しながら言った。「ただ、まったくお相手がなくてすみません……。あたしたちはもう朝のうちにいただいてしまったんでね」
この哀れな老人たち! いつ行ってみても、いつも彼らは朝のうちにいただいてしまってるというんだ。
マメットのお口よごしというのは、すこしばかりの牛乳と、棗椰子《なつめやし》の実と、バルケットという軽いケーキみたいなものだった。それでも、おばあさんとカナリアたちにとってはすくなくとも一週間分の食糧にはなったろう……。それなのに、私ひとりでこれだけの量を全部たいらげてしまったのだ!……だから食卓のまわりの連中の憤慨《ふんがい》ぶりはどれほどだったか! 青服の女の子は肘《ひじ》でつつきあいながらひそひそささやき、むこうの籠《かご》のなかでカナリアたちが「まあ、あのおじさんときたらバルケットをみんな食べっちまうよ!」と言い合っているようだった。
事実私はみんな平らげてしまった、しかもほとんどそんなことは気がつかずに。昔の物のにおいのただよっているこの明るい平和な部屋《へや》のなかをしきりに見わたしてばかりいたのだから……。とくに二つの小さなベッドからは私はどうしても目を離すことができなかった。ベッドというよりも揺り籃《かご》といいたいほどだが、私はそれを見て、明け方まだふたりが総《ふさ》のついた大きなカーテンのかげでベッドに埋《う》まっているところを思い描いた。三時が鳴る。すべての老人たちが目を覚ます時刻だ。
「眠っているのかい、マメット?」
「いいえ、おじいさん」
「モーリスはいい子じゃないかえ?」
「おお、そうですとも、いい子ですともさ」
こういったように、二つならんだ老人のこの小さなベッドを見ただけで、ふたりのおしゃべりの一部始終を私は想像してしまった……
そのあいだに、部屋のあっちのほうの戸棚の前でたいへんなドラマが演じられていた。戸棚のいちばん上の段から火酒漬《ブランデーづ》けの桜桃《さくらんぼ》の壜《びん》を取るの取らないのと騒いでいたのだ。もう十年も前からモーリスのために置いてあるのを、私のために口あけしようというわけである。マメットが哀願するのに、おじいさんはあくまで自分で桜桃を取ると言い張っている。そして椅子の上にのぼっておばあさんの肝《きも》をつぶさせながら、上のほうへ手をとどかせようとしている……。その情景を諸君も想像できるだろう、ふるえながら体《からだ》を伸ばしているおじいさん、その椅子にしがみついている青い服の女の子たち、うしろで息をはずませながら両手を伸ばしているマメット、開いた戸棚や茶色の下着の大きな山から発するベルガモット油のほのかな香りがそれらすべての上にただよう……。これはすばらしかった。
さんざん苦労したあげくにとうとうそれを引っぱり出すのに成功した、その曰《いわ》くつきの壜《びん》を。そして壜とともに、すっかりでこぼこだらけになった古い銀の盃《さかずき》、モーリスが小さいころ使っていた盃も。その盃に溢《あふ》れそうになるまで桜桃《さくらんぼ》が盛られた。モーリスは大好きだったのだ、桜桃が! そして私のために盛ってくれながら、おじいさんはいかにも食いしんぼらしい顔つきで私に耳打ちするのだった。
「あなたは果報者《かほうもの》ですわい、ねえ、これを食べられるなんて……。家内が作ったんですからな……。きっとおいしいですぞ」
ああ、たしかに彼女が作ったには作ったが、砂糖《さとう》を入れ忘れてしまっているのだ! しょうがないじゃないか、年を取ればぼんやりする。マメットさん、ひどいものでしたよ、あなたの桜桃は……。それでも私は眉毛《まゆげ》一つ動かさず最後の一粒《ひとつぶ》まで食べてしまった。
食事が終わって私は辞去しようとして立ちあがった。ふたりはまだもうすこし私を引きとめて、いい子の話をしたいのは山々だったのだが、日はもう傾いているし、風車小屋は遠いし、どうしても引きあげねばならなかった。
おじいさんは私と同時に立ちあがった。
「マメット、わしの服を!……広場までお送りしよう」
内心ではマメットは、広場まで送って行くにはもう少々空気が冷えすぎていると思ったに相違ない。しかしそんな気《け》ぶりも見せなかった。ただ、上着の、それも真珠母《しんじゅぼ》のボタンのついたスペインたばこの色の立派な上着の袖《そで》をとおすのを手つだいながら、おばあさんがそっとおじいさんにこう言っているのが聞こえた。
「遅くなりはしないでしょうね」
するとおじいさんのほうはちょっといたずらっぽい顔で、
「ふんふん……わからんね……ひょっとすると……」
そうしてふたりは顔を見合せて笑う。すると青い服の女の子たちも彼らの笑うのを見て笑い、そしてむこうのカナリアもカナリア流に笑ったものだ……。これは内緒《ないしょ》だが、桜桃《さくらんぼ》のにおいがみんなを少々ほろ酔《よ》いかげんにしていたようだ。
……おじいさんと私が外に出たとき、日は暮れようとしていた。青い服の女の子のひとりが、おじいさんを連れもどすために遠くからついて来た。しかし彼はそれに気がつかなかった。若いもののように私と腕を組んで歩けるので彼は得意だった。マメットは満面に笑みをたたえて戸口からそれを見ていた。そして私たちを眺めながらうれしそうにうなずいていたが、それは「やっぱりね、おじいさん……あれでまだ足はしっかりしているよ」と言っているみたいだった。
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散文のバラッド
今朝《けさ》戸をあけてみると、風車小屋のまわりには真白な霜《しも》が敷きつめている。草はガラスのように光り、ばりばり音をたてる。丘全体が寒さにふるえているのだ……。今日《きょう》一日は、わが愛するプロヴァンスは北国に衣替《ころもが》えだ。そしてこの霧氷《むひょう》の総《ふさ》をつけた松や水晶の束のように花開いたラヴァンドの茂みのなかで、私は少々ゲルマン的な幻想《げんそう》を盛ったこの二つのバラッドを書いたのだが、そのあいだにもきびしい寒さはその白い火花を私にもたらし、晴れた空にはハインリヒ・ハイネの国から来たコウノトリたちが大きな三角形を描いて、カマルグのほうへ降りながら「大寒《おおさむ》……小寒《こさむ》……」と叫んでいた。
1 王太子の死
小さな王太子は病気だ、小さな王太子は死にかけている……。王国のどの教会でも、王子の御快癒《ごかいゆ》を祈って昼も夜も御聖体が出され、お燈明が燃えている。古い王都の通りは悲しみに包まれてひっそりとし、鐘《かね》も鳴らず、車も徐行している……。王宮のあたりでは、物見高い町の人たちが、中庭で厳粛《げんしゅく》なおももちでしゃべっている太鼓腹《たいこばら》の金ぴかのスイス人衛兵たちを柵《さく》越しに眺めている。
城じゅうが不安にざわめいている……。侍従《じじゅう》や大膳職《だいぜんしょく》たちが大理石の階段をかけ足でかけあがったりおりたりする……。廊下《ろうか》は絹《きぬ》の服の小姓《こしょう》や廷臣《ていしん》たちでいっぱいで、彼らはこちらの群れからあちらの群れへと動きまわって低い声で様子をききあっている……。広い石階には泣きぬれた侍女《じじょ》たちが、刺繍《ししゅう》したきれいなハンケチで目をぬぐいながら深々とお辞儀《じぎ》をしている。
オレンジ園ではガウンを着た医師たちがしきりに鳩首《きゅうしゅ》協議する。ガラス戸越しに彼らが長い袖《そで》をふりまわしたり古風な鬘《かつら》をもったいぶってかしげたりしているのが見える……。小さい王太子の傅育官《ふいくかん》と東宮侍従《とうぐうじじゅう》は、戸の前でうろうろしながら医師団の決定を待っている。料理番の小僧《こぞう》が会釈《えしゃく》もせずにそのそばを通って行く。東宮侍従殿は異教徒のように罵《ののし》り、傅育官殿はホラティウス〔古代ローマの大詩人〕の詩を朗誦《ろうしょう》する……。そしてそのあいだに、むこうのお厩《うまや》のほうで悲しげに長くいななく声がする。別当《べっとう》に忘れられた小さい王太子の栗毛《くりげ》が、からになった秣桶《まぐさおけ》の前で悲しげに呼んでいるのだ。
で、王さまは? 王さまはどこにおいでか?……王さまはお城の奥の一室にたったひとりでとじこもっておられる……。陛下《へいか》とも呼ばれる身になれば泣いているところを見られたくないのだ……。王妃《おうひ》さまのほうはそうではない……。小さな王太子の枕《まくら》もとにすわって、美しいお顔を涙だらけにして、ラシャ屋のおかみさんみたいにみんなの前で声をあげてむせびないていらっしゃる。
レースの寝台の上には、小さな王太子は敷いた褥《しとね》よりも白い顔で、目をつぶって横たわっている。眠っているのかとみなは思うが、そうじゃない。小さな王太子は眠っていない……。母君のほうを向き、その涙を見てこう言われる。
「お母《かあ》さま、どうして泣いていらっしゃるの? ぼくが死ぬとほんきで信じていらっしゃるのですか?」
王妃は答えようと思っても、涙にむせんで口がきけない。
「泣かないでください、お母さま。ぼくが王太子だっていうこと、そして王太子はそんなに簡単に死ぬもんじゃないってことをお母さまは忘れていらっしゃる……」
王妃はますます激しくむせびなき、小さな王太子はこわくなってくる。
「もう黙って。ぼくは死神《しにがみ》につかまえられるのはいやだ。死神がここまではいって来られないようにしてやるんだ……。今すぐうんと強いドイツ傭兵《ようへい》を四十人呼んで、このベッドのまわりを警備《けいび》させてください! 大きな大砲《たいほう》を百門、昼も夜も火縄《ひなわ》をつけたままで、宮殿の窓の下に待機させるんだ! それでも死神が近づいて来たら、見ていろ、ひどい目にあうから!……」
王子を満足させるように王妃は合図した。ただちに中庭に引きまわされる大砲の音が聞こえた。そして四十人の背の高いドイツ傭兵が戈《ほこ》を手に部屋《へや》のまわりにならぶ。それはごま塩色の髯《ひげ》をはやした老兵たちだ。小さな王太子は彼らを見て手をたたいてよろこぶ。そのなかのひとりの顔を思い出して彼は叫ぶ。
「ロラン! ロラン!」
その老兵はベッドのほうへ一歩進み出る。
「ぼくはおまえが大好きだよ、ロランじいや……。おまえの大きなサーベルをちょっと見せておくれ……。死神がぼくをつかまえようとしたら、殺してやらなくちゃならない、そうだろう?」
「はい、殿下」とロランは答える。
そして鞣《なめ》されたような彼の頬《ほお》の上を大粒《おおつぶ》の涙が二つ流れる。
ちょうどそのとき、宮廷司祭《きゅうていしさい》が小さな王太子に近づいて、十字架を見せながら低い声で長いこと話しかける。小さな王太子はひどく驚いたような顔で司祭の言葉を聞いていたが、急に相手をさえぎって、
「あなたのおっしゃることはよくわかります、神父さん。でも、お友だちのベッポにお金をたくさんやって、ぼくのかわりに死んでもらうわけにはゆきませんか?……」
宮廷司祭は低い声で話しつづけ、小さな王太子はますますびっくりした顔になる。
司祭が話し終えると、小さい王太子は深い溜息《ためいき》をついて答える。
「神父さん、あなたが今おっしゃったことはほんとに悲しいことですね。でも一つだけ、ぼくにとって慰《なぐさ》めになることは、あの星の天国に行ってもぼくはやはり王太子だということです……。神さまはぼくの親戚《しんせき》だし、ぼくの身分にふさわしく扱ってくれるにちがいないということはわかっていますから」
それから母君のほうを向いて、
「ぼくのいちばんきれいな服と、白貂《しろてん》の胴着《どうぎ》と、ビロードの飾《かざ》り靴《ぐつ》を持って来させてよ! 天使たちに会うためにいちばんいい服を着、王太子の礼服で天国に行きたいんです」
三たび司祭は小さな王太子のほうへ身をかがめて、長いこと低い声で話して聞かせる……。話のさいちゅうに王子は憤然《ふんぜん》として相手をさえぎって叫ぶ。
「でもそれなら、王太子であってもなんにもならないじゃないの!」
そして、もうそれ以上何も聞こうとせずに小さい王太子はくるりと壁のほうを向き、さめざめと泣いた。
2 野原の郡長
郡長さんは巡視《じゅんし》中だ。前には馭者《ぎょしゃ》、うしろには従僕《じゅうぼく》、郡役所の四輪馬車は、|魔女が谷(コンブ=オ=フェ)の地方共進会へしずしずと郡長さんを運んで行く。この記念すべき日のために郡長さんは刺繍《ししゅう》のついたきれいな礼服を一着におよび、小さな山高帽に銀の筋《すじ》のはいったぴったりとした短ズボン、螺鈿《らでん》の柄《つか》の式刀といういでたちだ……。膝《ひざ》の上には型押し模様のついた粒起革《りゅうきかく》の大きな折りカバンが鎮座《ちんざ》ましましており、彼はそれを憂鬱《ゆううつ》そうに眺めているのだ。
郡長さんは型押し模様のついた粒起革の折りカバンを憂鬱そうに眺めている。これからコンブ=オ=フェの住民たちの前でしなければならない大演説のことを彼は考える。
「来賓および親愛な郡民のみなさん……」
けれど、いくら金色の絹《きぬ》のような頬髯《ほおひげ》をひねくりまわして「来賓および親愛な郡民のみなさん……」と二十ぺんもくりかえしてもはじまらない、つづきが出てこないのだ。
つづきが出てこないのだ……。この四輪馬車のなかはいやに暑い!……目のとどくかぎりコンブ=オ=フェへの街道は南国の日の光のもとに埃《ほこり》っぽくつづいている……。大気は燃え立っている……。そして白い埃にすっかりおおわれた道ばたの楡《にれ》の若木では、数千という蝉《せみ》が木から木へと呼びかわしている……。とつぜん、郡長さんははっとする。むこうの丘の麓《ふもと》に、彼に合図《あいず》をしているように見える冬青《そよご》の小さな森を認めたのだ。
冬青の小さな森は彼に合図しているように見える。
「ここへいらっしゃい、郡長さん。演説の草案を書くのなら、私の木陰のほうがずっといいですよ……」
郡長さんは誘惑《ゆうわく》されてしまう。四輪馬車から飛び降りて、お供《とも》のものたちに、自分は冬青の小さな森で演説の草案を書いて来るから待っていろといいつけた。
冬青の小さな森のなかには鳥がいるし、菫《すみれ》が咲いているし、やわらかい草の下に清水が湧《わ》いている……。きれいな短ズボンをはいて型押し模様の粒起革《りゅうきかく》の折りカバンを持った郡長さんを見ると、鳥たちは恐れをなして歌うのをやめ、清水はもはやざわめこうとせず、菫たちも芝草のかげに身をひそめる……。このかわいい連中は一度も郡長なんてものを見たことがなかったので、銀色のズボンでぶらぶら歩いているこのりっぱな紳士《しんし》は何ものだろうとささやきあっているのだ。
葉かげで、銀色のズボンをはいたこのりっぱな紳士は何ものだろうとささやきあっている……。そのあいだ郡長さんは、森の静けさと涼しさにうっとりしながら、礼服の裾《すそ》をまくり、帽子を草の上に置き、若い槲《かしわ》の木の根もとの苔《こけ》の上に腰をおろす。それから彼は膝《ひざ》の上に型押し模様の粒起革《りゅうきかく》の大きな折りカバンを開き、大きな官庁用紙を一枚そのなかから取り出す。
「芸術家なんだ!」と虫喰《むしくい》が言う。
「ううん」と鷽《うそ》が言う。「芸術家じゃない、銀色のズボンをはいてるもの。それよか公爵《こうしゃく》だよ」
「それよか公爵だよ」と鷽が言う。
「芸術家でも公爵でもないさ」と、郡役所の庭で季節いっぱい歌っていた年取った夜啼《よな》き鶯《うぐいす》が口をはさむ……。「私は知ってるよ、あれは郡長だ!」
すると小さな森全体にささやきが走る。
「郡長だってさ! 郡長だってさ!」
「なんていう禿《は》げだろう!」大きな冠《かんむり》を持ったひばりが言う。
菫《すみれ》たちがきく。
「悪い人なの?」
「悪い人なの?」と菫たちはきく。
年取った夜啼き鶯は答える。
「いいや、ちっとも」
こう保証されると、まるであの紳士《しんし》などいないかのように、鳥たちはまた歌いはじめ、泉はまた流れはじめ、菫は香りを放ちはじめる……。このかわいらしい騒ぎのまんなかで郡長さんは平然として、心のなかで農事共進会の詩神《ミューズ》の加護《かご》を求め、鉛筆を取りあげて改まった声で朗誦《ろうしょう》しはじめる。
「来賓および親愛な郡民のみなさん……」
「来賓および親愛な郡民のみなさん」と郡長は改まった声で言う……
どっと笑い声がおこって彼の言葉をさえぎる。振り向いて見ると、山高帽の上にとまって笑いながら彼を眺めている大きな啄木鳥《きつつき》のほかには何もいない。郡長は肩をすくめ、演説をつづけようとする。けれど啄木鳥はまた彼をさえぎり、遠くから彼に叫ぶ。
「そんなことして何になるの?」
「なんだと! 何になるかだって?」と郡長はまっかになって言う。そしてこの無礼な鳥を手を振って追っぱらうと、前より声を張りあげてまたはじめる。
「来賓および親愛な郡民のみなさん……」
「来賓および親愛な郡民のみなさん……」と郡長は前より声を張りあげてまたはじめる。
が、そのとき菫《すみれ》たちが茎《くき》の先で彼のほうへ顔をあげて、やさしく言う。
「郡長さん、私たちのいい匂《にお》いがわかりまして?」
それから泉は苔《こけ》の下で妙《たえ》なる音楽をかなでてやる。また彼の頭上の木の枝には、一群の頬白《ほおじろ》たちが飛んで来て、彼らの取って置きの歌を聞かせる。そして小さな森全体が共謀《きょうぼう》して演説の草案を書かせまいとするのだ。
小さな森全体が共謀して演説の草案を書かせまいとするのだ……。郡長さんは芳香にふらふらになり音楽に酔《よ》いながら、襲《おそ》いかかる新しい魅惑《みわく》に抵抗しようとするが無駄だ。草の上に肘《ひじ》をつき、美しい礼服のホックをはずし、それでもなお二度か三度、
「来賓および親愛な郡民のみなさん……親愛な郡民……親愛な郡……」とつぶやく。
それからもう郡民のことなんかおっぽり出してしまう。農事共進会の詩神《ミューズ》などはもう顔をかくして逃げ出すほかはない。
おお、農事共進会の詩神よ、顔をかくしたまえ!……一時間後、郡役所の連中が御主人の身を案じて小さな森のなかにはいってみると、ぎょっとしてあとずさるような光景を見せつけられた……。郡長さんはジプシーのようなだらしない恰好《かっこう》で草の上に腹《はら》ばいになっていた。礼服を脱《ぬ》ぎすてて……そして菫《すみれ》を噛《か》みながら、郡長さんは詩を作っていたのだ。
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ビクシウの紙入れ
十月のある朝、パリを離れる数日前、私のところへ――私は食事をしていた――ひとりの老人がやって来た。すりきれた服を着て、脚《あし》は|X《エックス》型にまがって、泥《どろ》だらけで、猫背《ねこぜ》で、羽をむしられた鷺《さぎ》か鶴《つる》みたいに長い脛《すね》の上でがたがたふるえている。ビクシウだった。そう、パリの方々、あなたがたのごぞんじのビクシウ、獰猛《どうもう》で愉快なあのビクシウ、パンフレットや戯画《ぎが》でもう十五年も諸君をしきりにうれしがらせてきたあの猛烈《もうれつ》な皮肉屋の……。ああ、かわいそうに、なんという尾羽《おわ》打ち枯《か》らした姿か! はいって来るときにして見せたあのしかめ面《つら》を見なければ、私もけっして彼だと気がつかなかったろう。
頭を片方の肩《かた》のほうにかしげて、ステッキをまるでクラリネットのように口にくわえ、この名うての薄気味の悪い道化者《どうけもの》は部屋《へや》のまんなかまで進み、
「哀れな盲人《もうじん》にお慈悲《じひ》を!……」
と哀れっぽい声で言いながら私のテーブルにしがみついたものだ。
その真似《まね》がじつに真に迫っていたので、私は笑わずにはいられなかった。が、彼はごく冷やかに、
「ぼくがふざけていると思うのか……ぼくの目を見たまえ」
そして私のほうに、視線《しせん》のない二つの大きな白い瞳《ひとみ》を向けた。
「ぼくは盲《めくら》なんだよ、君、一生見えないんだ……。硫酸《りゅうさん》で物を書いた結果がこの始末さ。このすばらしい商売のおかげで目を焼いてしまったんだ。ほらね、底まで……眼玉の土台までさ!」と、もはやまつげの影さえ見えない焼けただれた瞼《まぶた》を見せながら彼はつけくわえた。
私はひどく心を打たれて、なんと言うべきかわからなかった。私の沈黙《ちんもく》が彼を不安にした。
「仕事中かい?」
「いや、ビクシウ、食事中なんだ。君も食べないかね?」
返事はしなかったが、鼻《はな》の穴《あな》がひくひくしているのを見て彼がこの申し出を受けたくてたまらないでいることがわかった。私は彼の手を取り、私のそばにすわらせた。
食事の支度をしているあいだ、この哀れな奴《やっこ》さんはにたにた笑いながらテーブルをかぎまわした。
「こいつはうまそうだな。これで御馳走《ごちそう》にありつける。もう長いこと昼飯《ひるめし》なんて食ったことがないんだよ! 毎朝一スーのパンを、役所から役所へかけまわりながら食うのさ……じつは今役所まわりをやってるんでね。これがぼくの唯一《ゆいいつ》の職業さ。たばこ屋の権利を得ようと思ってね……。しょうがないよ、家のものを食わさにゃならんからな。ぼくはもう漫画《まんが》はかけない。文章も書けない……。口述かい?……だが何を?……ぼくの頭のなかにゃあもう何もないんだ。全然何も出てこやしないよ。ぼくの職業は、パリの連中のする気取った様子を見て、≪あかんべえ≫をしてやることだった。今じゃもうどうしようもないよ……。そこでたばこ屋を考えたんだ。大通りに開こうなんていうんじゃないよ、もちろん。踊り子のおふくろでも、高級将校の後家《ごけ》さんでもないぼくにゃあ、そんな恩典を求める権利はないやな。いや、どこかずっと遠くの、ヴォージュ地方の片|田舎《いなか》のちっぽけな店でいいのさ。太い陶器のパイプでも持って、エルクマン=シャトリアン〔エミル・エルクマンとA・シャトリアン、十九世紀の作家で小説を共作した〕の芝居《しばい》に出てくるようにハンスとかゼベデとかいう名を名乗るんだ。そして現代作家の書いた本でたばこを入れる紙袋を作りながら、もう何も書けなくなった身の憂《う》さを忘れるのだ。
ぼくの願いというのはこれだけだ。たいしたことじゃないだろう、え?……ところがだ、それを実現しようとすると大変なんだ……。ぼくにだって後楯《うしろだて》はいくらでもあったってよさそうなものなのにな。以前ははなばなしくやっていたんだから。元帥《げんすい》や公爵《こうしゃく》や大臣の家の晩餐《ばんさん》にも出たんだ。そういった連中はみな、ぼくを呼びたがったものさ、ぼくが奴《やつ》らを楽しませたから、あるいはまたぼくがこわかったからだ。それが今じゃ、もうだれにもぼくの睨《にら》みは利《き》かない。ああ、この目! この情けない目だ! もうどこでもぼくを招待などするもんか。宴席《えんせき》に盲人《もうじん》などがいちゃ興ざめさね。すまないがパンを取ってくれないか……。ああ、ひでえ奴らだ! つまらんたばこ屋一軒のことでさんざん苦労させやがる。この半年、ぼくは請願書を持ってありとあらゆる役所をほっつきあるいてるんだぜ。朝、ストーヴに火が入れられ、閣下《かっか》の馬が中庭の砂の上で運動させられているころにむこうへ行く。帰るのは夜になって、大きなランプが運ばれて来、調理場からいい匂《にお》いがしはじめるころさ……
控《ひか》えの間《ま》の薪箱《まきばこ》にすわって待つのがぼくの今の生活のすべてだ。だから守衛もぼくの顔をおぼえちまったよ。内務省では奴らはぼくのことを『あのおっさん』と呼んでやがる。そしてぼくのほうは、贔屓《ひいき》をしてもらいたいから、洒落《しゃれ》を言ったり、吸取紙のはしに大きな口髭《くちひげ》を一筆《ひとふで》描きにかきなぐって笑わせてやったりする……。二十年間ヤイヤイともてはやされたあげくが、このていたらくさ、芸術家生活の末路がこれさ!……それなのに、この商売をよだれをたらして眺めている青二才どもがこのフランスには四万人もいるとはね! 毎日地方には、文学にあこがれジャーナリズムに名を出したくてうずうずしている阿呆《あほう》どもを十把一《じゅっぱひと》からげにパリへ送り出そうとして罐《かま》をたいている汽罐車《きかんしゃ》があるとはね!……ああ、夢多き地方青年よ、このビクシウの落魄《らくはく》の姿がおまえさんたちにとって教訓になりゃあいいが!」
そう言うと彼は皿に鼻をつっこんで、一言《ひとこと》もいわずにがつがつと食べだした……。彼のそんなさまは見るも哀れだった。しょっちゅうパンやフォークをなくしたり、手さぐりでコップをさがしたりする。かわいそうに、まだ慣れていないのだ。
しばらくして彼はまた話し出した。
「ぼくにとってもっとたまらないことがあるのがわかるかい? それはもう新聞が読めないってことだ。この商売のものでなけりゃ、それはわからんよ……。ときどき、夕方家に帰る道で新聞を一つ買う、湿《しめ》った紙と新しいニューズのにおいをかぐだけの目的でね……。いいもんだよ、こりゃあ! が、ぼくには読んでくれるものはひとりもいやしない! 女房はもちろん読めるはずだが、読もうとしない。社会面にはおもしろくないことが書いてあるなどとぬかしやがって……。ああ、ああいう甲羅《こうら》を経た情婦《じょうふ》ってものは、いったん結婚しちまうと、まるっきりごたいそうな淑女《しゅくじょ》みたいなことをぬかしやがる。妻の座に据《す》えてやってからは、あいつは小うるさい信心屋にならなくちゃならんと思ったんだね、しかも極端に!……ラ・レッサトの聖水《おみず》で目をこすらせようとまでしやがるじゃないか! それにまた、やれ聖パンだ、やれ義捐金《ぎえんきん》だ、やれ育児院だ、やれシナの子供の救済だとか何だとかかんだとか……。慈善《じぜん》事業に首まで漬《つ》かっちまってさ……。ぼくに新聞を読んでくれるのだって慈善事業だろうにな。ところが、駄目、あいつにゃその気はないのさ……。せめて娘がうちにいたら読んでくれたろう、あの子なら。ところが盲《めくら》になってからぼくはあれをノートル=ダム=デ=ザール修道院にはいらせっちまったんだ、一つでも養わなくちゃならない口を減らそうと思ってね……
あれもぼくをさんざん楽しませてくれたもんだよ、あの子もな! 生まれてから九年のあいだに、もうかからない病気はないって有様だ……。しかも陰気《いんき》で! そして醜《みにく》くて! もしかするとぼくよか醜いんだ……人三化《にんさんば》け七《しち》さ!……しようがないよ、ぼくはポンチ絵をかくほかに能がなかったんだから!……いやはや、ぼくとしたことが家族の話を君にするなんて、おめでたいこった。君にはなんの関係もないものな……。さあ、そのブランデーをもうちょっとついでくれ。すこし元気をつけにゃならん。ここを出たら文部省に行かなくちゃならんのだが、あすこの受付はちょっとやそっとじゃ、にこりともしない。みんな教員あがりときてるんだ」
私はブランデーをついでやった。彼はしおらしい顔でちびちびそれを味わった……。と、とつぜん、どんな気まぐれをおこしたのかはわからないが、コップを手に取って立ちあがり、これから話しはじめようとする紳士《しんし》とでもいった愛想《あいそ》のいい微笑《びしょう》をうかべながら、しばらくその盲《めくら》の蝮《まむし》のような頭をぐるぐるめぐらしてから、まるで二百人も会食者のいる宴会で演説するように、金切声で叫んだ。
「芸術のために! 文学のために! ジャーナリズムのために!」
そうして、十分にもわたる長い乾盃《かんぱい》につづいて、この道化《どうけ》の頭から出てきたもっともすっとんきょうな、もっとも奇妙きてれつな即席演説をおっぱじめたのである。
「一八六…年の文学往来」と題する、年末刊行の雑誌を一つ想像していただきたい。われわれのいわゆる文学的集会、おしゃべり、けんか、変人|奇人《きじん》の社会のありとあらゆる珍聞《ちんぶん》、たがいに首を斬り、はらわたをつかみ出し、人のものをふんだくり、ブゥルジョワ仲間におけるよりもしきりに利害や金の話が出、それでいてほかのどこよりもたくさんの人間が飢《う》えで死んでいる、なんとも情けない地獄《じごく》、われわれの卑劣《ひれつ》さや惨《みじ》めさのすべて。お椀《わん》を持って淡青色の燕尾服《えんびふく》を着てチュイルリ宮殿に行って「うう……うう……うう……」と唖《おし》の真似《まね》をして物乞《ものご》いしようとしたT・ド・ラ・トンボラ男爵《だんしゃく》、それからその年に死んだ文士、会葬の広告、葬儀《そうぎ》委員殿の弔辞《ちょうじ》、墓石の費用も払ってもらえない死んだ人にむかって言われるおきまりの「哀惜《あいせき》する君よ! 今は亡き友よ!」そして自殺した連中、気の狂った連中。天才的な皮肉《ひにく》屋がこうした委細《いさい》をことこまかに身振り手|真似《まね》よろしく物語るところを想像していただきたい。そうすればビクシウの即席演説がどんなものだったか察せられようというものだ。
乾盃《かんぱい》を終え、コップをほすと、彼は何時かとたずね、別れも告げずにぶすっとした顔をして出て行った……。デュリュイ氏〔文相をつとめ、重要な教育改革をおこなった政治家・歴史家〕のところの守衛がこの朝彼の訪問をどう取ったかは私は知らない。たしかなことは、あの恐るべき盲人《もうじん》の出て行ったあとほど、私が悲しい、しょんぼりとした気持ちになったことは一度もなかったということだ。インキ壺《つぼ》を見るとむかむかし、ペンを取るとぞっとした。遠くへ行っちまいたい、走り、樹木を見、何かこころよいものを感じたいと思った。ああ、なんという憎《にく》しみか、なんというねたみか! すべてに唾《つば》を吐《は》きつけ、すべてを汚《けが》そうとする猛烈《もうれつ》な欲望! ああ、いやな奴《やつ》だ……
そして私は、奴が自分の娘のことを話しながらして見せた嫌悪《けんお》をこめた冷笑がまだ聞こえるような気がして、憤然《ふんぜん》として部屋《へや》のなかを歩きまわった。
そのときふと、盲人のかけていた椅子《いす》のそばで、何かが私の足もとにころがるのを感じた。かがんで見ると彼の紙入れだった。彼が手放したことのない、そうして「おれの毒袋《どくぶくろ》」と呼んでいた、角《かど》がいたみ手垢《てあか》で光っている大きな紙入れだった。この毒袋は、われわれの仲間では、ド・ジラルダン氏〔当時の有名なジャーナリスト〕の有名な紙ばさみと同じくらい評判になっていた。あのなかには恐ろしいものがはいっているとみなは言っていたが……。ひょんなことで中身をたしかめられることになった。詰めこみすぎた古い紙入れは落ちたはずみで口をあけてしまい、なかにはいっていたすべての紙が絨毯《じゅうたん》の上にぶちまけられていた。一枚一枚ひろいあげねばならなかった……
花模様のついた便箋《びんせん》に書いた、どれもこれも「なつかしいパパ」ではじまり、「マリア児童会、セリーヌ・ビクシウ」と署名《しょめい》してある手紙の束《たば》。
ジフテリア、ひきつけ、猩紅熱《しょうこうねつ》、麻疹《はしか》など、いろいろの小児病のための古い処方箋《しょほうせん》……(かわいそうに、この娘は何一つまぬがれることはできなかったのだ!)
最後に、女の子の帽子《ぼうし》からのぞいているような具合に黄色いちぢれた髪の毛が二、三本はみだしている、封をした大型の封筒。そしてその上には、盲人《もうじん》の手で書いた太いふるえた文字でこうあった。
「セリーヌの髪の毛、五月十三日、修道院入りの日にこれを切る」
これがビクシウの紙入れのなかにはいっていたものだ。
どうです、パリのみなさん、あなたがたはみんなおんなじだ。嫌悪《けんお》、皮肉、騒々しい笑い、猛烈な大法螺《おおぼら》、そしてあげくのはてが「……セリーヌの髪の毛、五月十三日にこれを切る」
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金の脳みそを持った男のお話
――愉快な話を求められる夫人に
奥さま、お手紙を拝見して申しわけないような気がしました。私のお話ししてきた小話の色合がちとばかり暗すぎたのを後悔《こうかい》した次第で、今日《きょう》は一つ陽気な、底抜けに陽気なのをお聞かせしようと決心したのです。
結局のところ、なんで私が悲しんでいられましょう。パリの霧《きり》から遠く離れて、長太鼓《ながだいこ》とマスカットぶどう酒の国の光に満ちた丘の上で暮らしているというのに。家のまわりにあるのは日の光と音楽ばかり、腹の白い鳥たちのオーケストラ、四十雀《しじゅうから》の合唱団を私はかかえているのです。朝は|たいしゃくしぎ《クルリ》どもが「クルリ! クルリ!」と啼《な》く。お昼は蝉《せみ》たち。それから横笛を吹く羊飼《ひつじか》い、ぶどう畑のなかで笑いさざめく日に焼けた美しい娘たち……。まったくの話、暗い思いに沈むにはここは不向きな場所です。むしろ御婦人方にばら色の詩や艶《つや》っぽい小噺《こばなし》をどっさりお送りすべきでした。
ところが、さにあらず! じつはまだパリに近すぎるのです。毎日、パリはその悲惨事《ひさんじ》のとばっちりを私の松林にまで送ってよこす……。今この手紙を書いているときにも、哀れなシャルル・バルバラ〔作家〕の悲惨な死を知ったところです。そして私の風車小屋はそのため悲しみにとざされています。たいしゃくしぎも蝉《せみ》もさようなら! 私はもう陽気なことなどてんで受けつけられない……。というわけで、奥さま、あなたにお聞かせしようと決心していたひょうきんなおもしろいお話のかわりに、今日《きょう》もまた哀愁《あいしゅう》のこもった昔話をお送りすることになってしまいました。
むかしむかし、金の脳《のう》みそを持った男がいました。そうなんです、すっかり金の脳みそなんです。彼が生まれたとき、お医者さんたちは生き伸びまいと考えました。それほど頭が重く、頭蓋骨《ずがいこつ》はとてつもなく大きかったんです。ところが彼は死なず、美しいオリーヴの苗《なえ》のようにすくすくと成長しました。ただその大きな頭がいつも邪魔《じゃま》になっていて、歩きながらいつも家具にぶつかっているところは見るも哀れでした……。よくころんだものです。ある日、石段の上からころがって、大理石の段におでこをぶつけたところ、頭の骨はまるで金のかたまりのようにかーんと鳴ったものです。みんなは彼が死んだと思いました。ところが、だきおこしてみると、軽い傷《きず》しか見当たらず、その金髪《きんぱつ》のなかに金が二粒《ふたつぶ》か三粒《みつぶ》こびりついていたのです。こうして両親は、この子が金の脳みそを持っていることを知ったのでした。
この事実は秘密《ひみつ》にされていました。かわいそうな子供自身はそんなことはつゆも知らない。ときどき彼は、どうしてもう町の子供たちといっしょに門の前をかけまわらせてくれないのかとききました。
「そんなことをしたらさらわれて行ってしまうよ、かわいい子や!……」とお母さんは答えました。
そこで子供はさらわれるのがこわくてたまらず、またたったひとりで何も言わずに遊ぶようになり、部屋《へや》から部屋へと重い体をひきずって歩きました……
十八歳になったときはじめて両親は、運命から与えられた恐ろしい賜物《たまもの》のことを子供に打ち明けました。そして、これまで育て、養ってきたのだから、おかえしにすこしばかり金をくれないかと言ったのです。子供は躊躇《ちゅうちょ》しませんでした。その場ですぐ――どんな風に、どんな方法でかは伝説は伝えていませんが――彼は頭蓋骨《ずがいこつ》からずっしりとした金のかたまりを、くるみの実ほどの大きさのかたまりを引きちぎって、意気揚々とお母さんの膝《ひざ》の上に投げ出したものです……。それから、自分の頭のなかにある富に目がくらみ、欲望にわれを忘れ、自分の力に酔《よ》って、父の家を飛び出し、自分の財宝を浪費《ろうひ》しながら世界をめぐろうとして行ってしまったのです。
湯水のように金《かね》をまきちらす豪奢《ごうしゃ》な彼の暮らしぶりを見れば、彼の脳《のう》みそは無尽蔵《むじんぞう》みたいでした……。けれどもやはり減っていったのであり、それにつれて彼の目は光がなくなり、頬《ほお》はこけてくるのが見て取れました。とうとうある日、遊蕩《ゆうとう》にうつつをぬかした翌朝のことですが、杯盤狼籍《はいばんろうぜき》のなかでうすれてゆくともし火のかげにひとり残されたこの不幸な男は、自分の金塊《きんかい》にものすごく大きな穴《あな》があいているのを知ってぎょっとしました。もうやめねばならないときだったのです。
このときから彼の生活は一変しました。金の脳みその男は仲間から離れて自分の腕《うで》で働こうとしはじめました。守銭奴《しゅせんど》のように疑い深くおずおずと、誘惑《ゆうわく》を逃れ、もう触《ふ》れたくないあの宿命的な富のことをみずから忘れようと努めながら……。不幸にしてひとりの友だちが、孤独になろうとする彼についてきました。しかもこの男は彼の秘密を知っていたのです。
ある夜哀れな男は、頭の痛み、それもものすごい痛みのためにはっと目を覚《さ》ましました。夢中で身をおこすと、あの友だちが外套《がいとう》の下に何かをかくして逃げて行くのが月の光のなかに見えました……
またしても脳《のう》みそがいくらか持ち去られたのです!……
それからしばらくして金の脳みその男も恋を知りました。そして今度という今度こそ最後でした……。彼は心の底からひとりの金髪《きんぱつ》の娘を愛し、娘もまた彼を愛しましたが、しかし玉総《たまぶさ》や白い羽や靴《くつ》の上でばたばたする金茶色の総《ふさ》のほうがもっと好きだったのです。
このかわいい娘――なかば鳥、なかばお人形のような――の手のなかで、小銭《こぜに》などはわけもなく消えてなくなりました。彼女は言いたいほうだいのわがままを言い、彼のほうはけっしていやだと言うことができません。それどころか、相手を悲しませてはと思って、自分の富の悲しい秘密を最後まで彼女にかくしていました。
「あたしたちはそれじゃほんとにお金持ちなのね?」と彼女は言います。
「おお、そうとも!……大金持ちさ!」と哀れな男は答えるのです。
そして、何も知らずに彼の頭をついばんでいる青い小鳥に、愛情をこめてほほえんで見せます。それでもときどき恐怖《きょうふ》に襲われることがありました。けちけちやってゆきたいと思いました。すると娘はぴょんぴょんはねながら彼のほうへやって来て言うのです。
「ねえ、あなたはお金持ちじゃないの。何かとても高いものを買ってちょうだい……」
そうして彼はとても高価なものを買ってやるのでした。
二年間こういう調子でつづきました。そしてある朝娘は死にました、理由もわからず、いかにも鳥みたいに……。財宝はなくなりかけていました。残っただけのもので夫は愛する妻のためにりっぱなお葬式《そうしき》をしてやりました。ひっきりなしに鳴り響く鐘《かね》、黒い布《ぬの》におおわれた大きな馬車、飾りたてた馬、ビロードに包まれた銀の涙〔涙をかたどった葬儀用の祭具〕、どれとして彼には結構《けっこう》すぎるとは思えませんでした。金など今となってはなんになりましょう?……彼は金を教会に寄進し、棺《かん》をかつぐ人夫や菊売りの女にやりました。気前よくどこまでもばらまきました……。だから、墓地から出るときにはあのすばらしい脳みそはもうほとんどぜんぜん残っていませんでした、頭蓋骨《ずがいこつ》の内側にほんのすこし残っただけで。
それから人々は、彼が両手を前に突き出し、酔《よ》っぱらいのようによろよろしながら、正気を失ったように町々を歩いて行くのを見ました。夜になって、市場にあかりのつくころ、布地や装身具が入りみだれて光にかがやいているショーウィンドーの前に彼はたちどまり、白鳥の綿毛《わたげ》で縁《ふち》どった繻珍《しゅちん》の青い婦人靴を長いこと眺めていました。「この靴を買ってやれば喜ぶものがいるんだ」と彼はひとりつぶやいてほほえみました。そしてあの娘が死んでしまったことを忘れて、彼はそれを買いになかにはいったのです。
店の奥の部屋《へや》にいたおかみさんは大きな叫び声を聞きました。かけつけてみると、ひとりの男が売台によりかかって、ぼんやりとした顔で苦しそうに自分をみつめながら立っているので、こわくなってあとずさりました。男は片手で白鳥の縁飾りのある青い婦人靴を持ち、爪《つめ》のさきに金がわずかにくっついている血まみれの片手をさしだしているのでした。
これが、奥さま、金の脳みそを持った男のお話です。
幻想物語のように見えますけれども、この話ははじめから終わりまで真実なんです……。この世には自分の脳髄《のうずい》によって生きるほかなく、どんなつまらないものを買うにも、純金で、つまり自分の骨肉《こつにく》を削《けず》って支払っている気の毒な人々がいます。こういう人たちにとっては一日一日が苦しみです。そして、苦しむことに倦《う》んだときには……
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詩人ミストラル
この前の日曜日、朝起きながら私はパリのフォブール=モンマルトル通りで目を覚ましたような気がした。雨だった、空は灰色で、風車小屋は陰鬱《いんうつ》だった。私はこの冷え冷えとした雨の日をうちで過ごすのはたまらないと思った。そしてすぐに、私の松林から三里ばかり離れた、マイヤーヌという小さな村に住んでいるあの大詩人、フレデリック・ミストラル〔プロヴァンス語文学の代表者。一九〇四年ノーベル文学賞受賞〕のところへ行ってちょっとあったまってきたいという気になった。
思い立つとさっそく家を出た。ミルトの木の太い杖《つえ》を手に、愛読のモンテーニュ一巻を取り、雨具を持って、さあ出発だ!
野良《のら》には人影はいない……。信仰厚い美しいプロヴァンスでは、土地も日曜日は休ませられる……。犬だけが小屋にいて、農家《マス》は閉ざされている……。ときたま出会うのは、雨覆《あまおお》いから水がざあざあ流れている荷車、朽葉色《くちばいろ》の袖《そで》なしマントを頭からかぶった老婆、青と白のスパルトリー〔スパールという植物の繊維で織った布〕の背おおいに赤い玉総《たまぶさ》と銀の鈴をつけた晴れの姿で――ミサに行く農家の人たちをのせたぼろ車をちょこちょこと小走りに引いて行く騾馬《らば》たち、それから霧《きり》をとおしてむこうのほうに、灌漑用水路《ルウビーヌ》にうかぶ小舟、立って投網《とあみ》を投げる漁師……
この日は歩きながら本を読むわけにはゆかない。雨は土砂降《どしゃぶ》りだ。北風《トラモンターヌ》はその雨をバケツでぶちまけるように顔にたたきつける……。私は息もつかずに歩き、そして三時間歩きつづけたあげくようやく前方に糸杉の小さな林を認めた。マイヤーヌの村はそのまんなかに風をよけてちぢこまっているのである。
村の通りには猫《ねこ》一ぴきいない。みんな大ミサに行っているのだ。私が教会の前を通ったときにはセルパン〔金管楽器の一種〕がうなっており、色ガラスをとおして燈明《とうみょう》がかがやくのが見えた。
詩人のすまいは村はずれにあった。サン=レミ街道の左手のいちばんしまいの家――おもてに庭のある二階建ての小さな家だ……。私は静かにはいる……。だれもいない! 客間の戸はしまっている。けれども戸のうしろでだれかが歩き、大きな声でしゃべっているのが聞こえる……。この足音、この声は私のよく知っているものだ……。私は石灰《せっかい》を塗《ぬ》った小さな廊下《ろうか》に、ドアの把手《とって》に手をかけたまま、ひどくなつかしい思いがしてしばらく立ちどまる。心臓《しんぞう》が高鳴る。――彼はそこにいるのだ。仕事をしている……。一節書き終えるまで待たねばならないだろうか?……いや、しょうがない、はいっちまおう。
ああ、パリのみなさん、このマイヤーヌの詩人が自分の生んだミレイユ〔ミストラルの代表作が『ミレイユ』〕にパリを見せようとして君らのパリに行ったとき、そして都会風の服を着、高いカラーをつけ、その名声と同じくらい彼にとって窮屈《きゅうくつ》な大きな帽子をかぶったこのシャクタス〔シャトーブリヤンの『アタラ』の主人公。ここでは野蛮人の意味で使われている〕を君らのサロンのなかで見たとき、君らはこれがミストラルだと思っただろう……。さにあらず、それは彼ではなかったのだ。ほんとうのミストラルはただひとりしかいない。この前の日曜日、私が彼の村に不意討ちに訪《おとず》れたミストラルだ。フェルトの頭巾《ずきん》を深くかぶり、チョッキなしに長い上着を着て、赤いカタルーニャ風の帯《おび》を腰《こし》にまき、目をきらきらさせ、霊感《れいかん》の火に頬骨《ほおぼね》のあたりをほてらせ、堂々として、しかもやさしい微笑《びしょう》をうかべ、ギリシャの牧人のように優雅《ゆうが》で、両手をポケットに入れて詩を作りながら大股《おおまた》に歩きまわっている彼……
「おや! 君か!」とミストラルは私の首に飛びつきながら叫んだ。「よく来てくれたね!……ちょうど今日《きょう》はマイヤーヌのお祭りなんだよ。アヴィニョンから楽団が来る、闘牛《とうぎゅう》や行列やファランドールもある、すばらしいぜ……。おふくろももうじきミサから帰って来るだろう。飯《めし》を食って、それから、ふふん、きれいな娘たちの踊りを見に行こうじゃないか……」
彼がしゃべっているあいだ、私は久しぶりで見る明るい色の壁紙《かべがみ》を貼《は》ったこの小さな客間を感動をこめて見まわした。私はこれまでにもここでじつに楽しい時間を過ごしているのだ。何も変わっていない。あいかわらず黄色い格子縞《こうしじま》の長|椅子《いす》、二つの藁椅子《わらいす》、マントルピースの上の腕《うで》の欠けたヴィーナスとアルルのヴィーナス、エベール筆の詩人の肖像、エチエンヌ・カルジャ撮影の彼の写真、そして片隅の窓ぎわには書き物机、古い本や辞書《じしょ》がいっぱいのっかっている、――登記所の受付のそれのような小さな貧相《ひんそう》な書き物机。その机のまんなかに大きなノートが開かれているのを私は認めた……。それはフレデリック・ミストラルの新作『カランダル』で、今年の暮れ、クリスマスの日に出版されることになっている。この詩にミストラルは七年前に取りかかり、最後の一行を書きあげてからもう一年近い。それなのに彼はまだ思い切って手放せないでいるのだ。おわかりのことと思うが、ある節はもっと推敲《すいこう》しなければならないし、もっと響きのいい韻律《いんりつ》を見つけねばならないということはいつもあるのだ……。ミストラルはいくらプロヴァンス語で書くとしても、だれもが彼の詩をプロヴァンス語で読み、優《すぐ》れた職人の精神の跡《あと》を理解しなければならないとでもいうように、その詩に鏤骨《るこつ》する……。おお、なんという律儀《りちぎ》な詩人だろう。モンテーニュならばまさにこのミストラルのことをつぎのように言ったろう。「ほとんど人に知られることのない芸術のため、なんでそんなに苦心するのかと言われて、『ほんのわずかの人が知ってくれれば充分だ。ひとりだけでも充分、ひとりすらなくても充分だ』と答えた人のことを忘れてはいけない」
私は『カランダル』のノートを手に取って、感動に溢《あふ》れながらそのページを繰《く》った……。とつぜん横笛と長太鼓《ながだいこ》の音楽が窓の前の街路ではじまる。するとわがミストラルは戸棚にかけよって、コップや酒の壜《びん》を取り出し、テーブルを客間のまんなかに引っぱり出し、私にこう言いながら楽師たちのために戸をあけてやった。
「笑わないでくれ……。連中は朝の音楽をやりに来てくれたんだ……ぼくは村会議員なんでね」
小さな部屋《へや》はいっぱいになった。長太鼓は椅子《いす》の上、古い旗《はた》は片隅に置かれた。そして煮ぶどう酒は人々の手へまわる。それから、フレデリックさんの健康を祈って幾本かあけ、ファランドールは去年と同じようにりっぱにやれるだろうか、牛たちはみごとにたたかうだろうかなどと、お祭りのことをもったいぶって話してから、楽師たちは引き揚げて、ほかの議員たちのところへ朝の音楽をやりに行った。ちょうどそのときミストラルの母親がやって来た。
あっという間《ま》に食卓はととのった。真白なテーブル・クロスとふたり分の食器だ。私はこの家のしきたりを知っている。ミストラルにお客があるときには、お母さんは食卓につかないのだ……。このお年寄りはプロヴァンス語しか知らないので、ほかのフランス人と話すのが気まずいのだろう……。それにまた、台所で彼女が必要なのだ。
ああ、この朝はなんという御馳走《ごちそう》だったことか!――子山羊《こやぎ》の焼肉、山で作ったチーズ、ぶどう液のジャム、いちじく、マスカットぶどう。それらすべてを、コップのなかでじつに美しい桃色《ももいろ》を呈する「法皇のシャトーヌフ」の美酒で流しこむ……
デザートのとき、私は詩帖を取りに行き、ミストラルの前のテーブルの上に置いた。
「出かけようと言っていたじゃないか」と詩人はほほえみながら言った。
「いやいや……カランダルだ、カランダルだ!」
ミストラルはあきらめ、手で詩のリズムを取りながら音楽的なやさしい声で第一の歌を朗読しはじめた。――「恋に狂いし乙女の、――悲しき愛を語りしが、――つぎに歌うはカシスの子、――貧しき漁夫の子の物語……」
外では鐘が午後の礼拝を告げ、広場では花火が上がり、横笛は長太鼓《ながだいこ》といっしょに通りを行ったり来たりする。闘牛場《とうぎゅうじょう》に連れて来られたカマルグの牛どもも啼《な》いている。
私はといえば、テーブル・クロスに肘《ひじ》をつき、目に涙をうかべ、プロヴァンスの漁夫の少年の物語に聞き入っていた。
カランダルはしがない漁夫でしかなかった。愛が彼を一個の英雄にしたのだ……。恋人――美しいエステレル――の愛情を得んがために彼は奇蹟的《きせきてき》な事をやってのけようとする。しかも、ヘラクレスの十二の偉業《いぎょう》も彼のそれにくらべれば問題にならないほどだ。
あるときは富を得ようと思い定めて、大変な漁具を発明し、海のありとあらゆる魚を港に持って帰る。またあるときは、オリウル峡谷《きょうこく》に巣食う恐るべき山賊《さんぞく》セヴェラン伯爵《はくしゃく》を、彼が獰猛《どうもう》な手下どもや妾《めかけ》どもに囲まれてひそんでいる縄張《なわば》りのなかまで追いまわす……。この小さなカランダルはなんというしぶとい若者だったことか! ある日サント=ボームで彼は二組の職人に出会った。この連中は、はばかりながらソロモンの殿堂の骨組を作ったというプロヴァンス人ジャーク親方の墓の上で、コンパスをふるっていざこざの片をつけようとして来たのだった。カランダルは殺し合いのただなかに飛びこんで、言葉をつくして職人たちをしずめる……
人間わざと思えぬ行為だ!……リュールの岩山のなかに人をよせつけぬ杉の林があった。木こりもここはけっしてはいろうとしなかった。ところがカランダルはこの林に行った。三十日のあいだそこにたったひとりでとじこもった。三十日のあいだ、木の幹《みき》に食いこむ彼の斧《おの》の音が聞こえていた。林は悲鳴をあげる。老木は一本また一本と倒れ、深い谷へころがり落ちる。そしてカランダルがおりて来たときには、山の上にはもう一本も杉の木は残っていなかった……
最後に、これらさまざまな偉業はむくわれて、鰯《いわし》取りの漁夫は美しいエステレルの愛を得、カシスの住民によって町役人に選ばれる。これがカランダルの物語だ……。しかしカランダルなど、なにほどのものだろう。何よりもこの詩のなかに存在するものは、プロヴァンス――海のプロヴァンス、山のプロヴァンス――だ。その歴史、その風習、その伝説、その風土、死滅する前に自分らの偉大な詩人を持つことのできた素朴《そぼく》で自由な住民だ……。もうこうなったら、鉄道を引くがいい、電信柱も立てるがいい、学校からプロヴァンス語を追放するがいい! プロヴァンスは『ミレイユ』と『カランダル』のなかに永久に生きるだろう。
「詩はもうたくさんだ!」とミストラルはノートを閉じながら言った。「お祭りを見に行かなくちゃ」
われわれは外に出た。村じゅうの人が通りに出ていた。北風がひとしきり吹きまくって雲を追いやり、空は雨で濡《ぬ》れた赤い屋根の上でかがやいていた。私たちはちょうど間《ま》に合って行列が帰って来るのを見ることができた。一時間にもわたる、はてしもない行列だ。頭巾《ずきん》付|外套《がいとう》の苦業団員、白服、青服、灰色の服の苦業団員、ヴェールをかぶった娘の信徒団、金の花模様のついた桃《もも》色の団旗、四人の肩《かた》にかつがれて行く金メッキのはげた大きな聖者の木像、大きな花束《はなたば》を手に持った、偶像《ぐうぞう》のように彩色した聖女たちの陶器像《とうきぞう》、祭服、聖体入れ、緑色のビロードの天蓋《てんがい》、白い絹《きぬ》で囲んだ十字架。これらすべてが、聖歌や連祷《れんとう》やじゃんじゃん鳴る鐘のなかで、ろうそくや太陽の光に包まれて風にゆらめいている。
行列が終わり、聖者たちがそれぞれのお堂に安置されてから、私たちは闘牛《とうぎゅう》を、それから麦打ち競技、相撲《すもう》、三段|跳《と》び、穴《あな》くぐり、袋かつぎ、そのほかすべてのプロヴァンスのお祭りの楽しい余興《よきょう》を見に行った……。私たちがマイヤーヌに帰ったときには夜になっていた。広場の、ミストラルが夜その友だちのジドールと一勝負やりに行く小さなカフェの前に、祝いの大きなかがり火がたかれていた……。ファランドールの組が作られていた。切り紙の提燈《ちょうちん》がそこらじゅうの闇《やみ》にともされ、若い連中は位置についた。やがて長太鼓《ながだいこ》の合図で、炎《ほのお》のまわりで騒々しい狂ったような輪舞《ロンド》がはじまった。これは夜を徹しておこなわれるのだ。
夕食ののち、これ以上歩きまわるには疲れすぎているので、私たちはミストラルの寝室に行った。それは二つベッドを置いた質素な農家らしい寝室だった。壁には壁紙がなく、天井の梁《はり》も見えている……。四年前、アカデミー・フランセーズが『ミレイユ』の作者に三千フランの賞を与えたとき、ミストラル夫人はこう思い立って息子《むすこ》に言った。
「おまえの寝室に壁紙を張り、天井板をつけたらどうだろうね?」
「いやいや……」とミストラルは答えた。「これは詩人たちのためのお金です、手をつけるものじゃありません」
で、寝室は裸《はだか》のままなのだ。そのかわり、詩人たちのお金がつづくかぎり、ミストラルの家の戸をたたく人々にはいつも彼の財布《さいふ》は開かれていたのである……
私は『カランダル』のノートを寝室に持ちこんでいた。眠る前にもう一度その一節を読んでもらおうと思ったのだ。ミストラルは陶器《とうき》のエピソードを選んだ。要約するとそれはつぎのようなものである。
どこかで大宴会があった、その席上でのことである。テーブルの上にムゥスチエ陶器のすばらしい食器が一そろい運ばれてきた。それぞれの皿の底に、プロヴァンス風の主題が青く染めつけてある。この国のすべての歴史がそこに語られていたのだ。だから、この美しい陶器のことがどれほど愛情をこめて語られているかは、見たものでなければわからない。皿一枚について一節ずつ詩が書かれている。つまり皿の数と同じだけの、テオクリトス〔古代ギリシャの詩人〕の小|叙景詩《じょけいし》のように完成した、素朴でしかも巧《たく》みに仕上げられた小詩が書かれているわけだ。
四分の三以上はラテン語のままの、昔は王妃《おうひ》たちも口にしていたが今はこの国の羊飼《ひつじか》いたちにしか理解されない美しいプロヴァンス語でミストラルがその詩を誦するあいだ、私は心のうちでこの人間に感嘆していた。そして彼が衰亡状態にある母国語を見出し、それを今のようなものにしあげたのを思うと、私はアルピーユ山脈中に見られるようなボーの君主たちのあの古い宮殿の一つを思いうかべた。もはや屋根もない、石階には欄干《らんかん》もない、窓には絵ガラスもない、尖《とが》った迫持《せりもち》の上の三葉飾りもこわれ、戸についた家紋は苔《こけ》におおわれ、中庭では鶏《にわとり》たちが餌《えさ》をついばみ、通廊の精巧《せいこう》な列柱の下には豚《ぶた》がころがりまわり、驢馬《ろば》が礼拝堂のなかに生《は》えた草を食《は》み、雨水のたまった聖水盤《せいすいばん》に鳩《はと》たちが水を飲みに来る。そしてこの瓦礫《がれき》のなかに、二家族か三家族の百姓が、故宮の側面に小屋がけしているときている。
やがて、ある日この百姓たちのひとりのせがれが、この偉大な廃墟《はいきょ》に夢中になり、それがこのように冒涜《ぼうとく》されていることに憤慨《ふんがい》する。たちまち彼は中庭から家畜どもを追い出す。そして妖精《ようせい》たちが手伝ってくれたので、彼は独力で大階段を作り、壁には羽目板《はめいた》を、窓にはガラスをはめ、塔を建て、玉座《ぎょくざ》の間《ま》を金色に塗《ぬ》り、こうして法皇や皇后たちが泊ったあの往時の壮大な宮殿を建てなおす。
復興したその宮殿、それがプロヴァンス語である。
その百姓のせがれ、それがミストラルである。
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三つの読誦《どくしょう》ミサ
クリスマス夜話
「松露《しょうろ》入りの七面鳥が二羽だって、ガリグー?……」
「ええ、司祭さま、松露をつめたすばらしい七面鳥が二羽ですよ。そりゃわかってますよ、この私が詰めるのを手伝ったんですから。焼くとき皮がはじけそうでしたよ、ものすごく張り切っていたから……」
「ありがたい! わしは松露が大好きなんじゃ!……早く祭服を出してくれ、ガリグー……。で、七面鳥のほかに台所で何を見た?……」
「おお! ありとあらゆる御馳走《ごちそう》ですよ。正午《おひる》から私たちは雉《きじ》や戴勝《やつがしら》や雷鳥や松鶏《えぞやまどり》の羽をむしってばかりいました。羽がそこらじゅうに飛び散ってね……。それに、池からは鰻《うなぎ》や金色の鯉《こい》や虹鱒《にじます》や……」
「どれくらいの大きさだ、虹鱒は?」
「これくらいですよ、司祭さま……。ものすごく大きいんで……」
「おお、すごい! 目に見えるようだ。ミサ用の壜《びん》にぶどう酒を入れてあるか?」
「はい、司祭さま、入れましたよ……。しかしね、まったくの話、これから深夜ミサを終えてお飲みになるやつにくらべれば問題になりませんぜ。お城の食堂のあれをごらんになったらなあ、ありとあらゆる色のぶどう酒が満ちてきらきらしているあのガラス壜《びん》をね……。それに銀のお皿、彫《ほ》りをほどこした大鉢《おおばち》、花、枝付|燭台《しょくだい》!……こんなクリスマス・イヴの宴会は二度と見られませんな。侯爵《こうしゃく》さまは近所の領主たちをみんなお招きになりましたからね。会食者はすくなくとも四十人にはなりますよ、法官と公証人は別として……。ああ、司祭さま、そのお仲間に加われるなんて、あなたさまもほんとに運がよくていらっしゃる!……あのすばらしい七面鳥のにおいをかいだだけで、どこへ行っても松露《しょうろ》のにおいが鼻《はな》についてはなれませんよ……むむむ!……」
「まあまあ、よしなさい。食いしんぼの罪《つみ》はつつしまねばならんよ、とくに降誕祭《クリスマス》の夜は……。早く行ってろうそくに火をつけ、ミサの最初の鐘をつくんだ。もうじき夜十二時だ。おくれてはならん……」
この会話は、キリスト紀元一六……年のクリスマスの夜、もとバルナビト修道院長、現在はトランクラージュ侯家おかかえの礼拝堂付司祭、尊敬すべきバラゲール師と、その見習僧ガリグー、すくなくともバラゲール師がガリグーだと思っているものとのあいだにかわされた。というのは、この夜|悪魔《あくま》が尊敬すべき神父をたくみに誘惑して、恐ろしい食いしんぼの罪をおかさせるために、聖器がかりの青坊主の丸い、はっきりしない顔つきに化《ば》けていたことは、やがてわかるからだ。で、その自称ガリグー(ふん、ふん)が領主家の礼拝堂の鐘を力のかぎり鳴らしているあいだ、神父は城の小さな聖器室《サクリスチ》で長袍《ちょうほう》を着終えた。そして、御馳走《ごちそう》についていろいろと聞かされたことでもうすっかり気もそぞろになって、気つけをしながらくりかえしこうつぶやいていたのだ。
「七面鳥の丸焼き……金色の鯉《こい》……こんなに大きい虹鱒《にじます》!……」
外では夜の風が鐘の音楽を吹き散らし、その頂《いただき》にトランクラージュの古い塔がそびえているヴァントゥー山の山腹の闇《やみ》のなかに、だんだんと光があらわれて来た。小作人たちが家族づれで城へミサを聞きに来るのだ。父親が提燈《ちょうちん》を手にして先頭に立ち、大きな茶色のマントを身にまとった女たちをしたがえ、子供たちはそのマントのなかにちぢりこまり、こうして五人か六人のグループをなして歌いながら彼らは山腹を登って来る。この夜更《よふ》けと寒さにもかかわらず、この正直な連中は足取りも軽く歩いている、ミサが終わったら例年と同様、下の台所に自分らのための食卓が準備されているという考えに力づけられながら。ときどきひどいのぼり坂を、松明《たいまつ》持ちを先に立てた領主の馬車が月の光に窓のガラスをきらめかせて行く。あるいはまた、騾馬《らば》が鈴を鳴らして走って行く。そして、霧《きり》に包まれた角燈《かくとう》の光で小作人たちは法官を認め、すれちがいにあいさつする。
「こんばんは、こんばんは、アルトノンさん!」
「こんばんは、こんばんは、みなの衆!」
夜空は晴れ、星は寒気によってかえって光をましていた。北風は肌《はだ》を刺《さ》し、こまかい霰《あられ》はぬらすことなく服の上をすべり落ちて、ホワイト・クリスマスの伝統を忠実に守っていた。斜面のずっと上のほうに、城は目的の場所としてあらわれていた。塔や切妻《きりづま》のずっしりとしたかたまり、礼拝堂の鐘楼《しょうろう》は青黒い空にそびえ、無数の小さな光がありとあらゆる窓にまたたき、行きつもどりつ動きまわって、建物を暗い背景として、まるで燃えた紙の灰の上を走る花火みたいだった……。跳《は》ね橋を渡り暗道を通りすぎてから、礼拝堂に行くためには第一の中庭を横切らねばならない。その中庭は馬車や侍僕《じぼく》や轎《かご》でいっぱいになり、松明《たいまつ》や調理場の火で白昼のように明るい。焼串《やきぐし》をまわす音、鍋《なべ》のがちゃがちゃいう音、食事の支度のために動かされるクリスタル・ガラスや銀《ぎん》の食器のぶつかる音が聞こえる。そしてそれらすべてを、焼肉と複雑微妙なソースを作る、精の強い草のにおいのするなまあたたかい湯気がおおっている。この湯気を嗅《か》いで小作人たちは、礼拝堂付司祭や法官やその他すべての人々と同様に言うのだ。
「ミサのあとでどんなにすばらしい御馳走《ごちそう》にありつけることか!」
ガラガラ ガン、ガラガラ ガン!……
深夜ミサがはじまる。大|伽藍《がらん》をそのまま小型にしたようなお城の礼拝堂には、交叉《こうさ》したアーチ形の天井にも、壁いっぱいに張った槲《かしわ》の羽目板《はめいた》にも、綴《つづ》れ織《お》りが掛けられ、すべてのろうそくがともされている。そしてなんというおおぜいの人々! なんという衣装《いしょう》! まず第一には、聖歌隊席をとりまく彫刻《ちょうこく》をほどこした聖職者席にトランクラージュの殿《との》がサーモン・ピンクのタフタの服を着てすわり、そのそばにすべての招待された貴族領主たちが居並ぶ。正面のビロードを張った祈祷台《きとうだい》には、真紅の錦襴《きんらん》のローブを着た老|侯爵未亡人《こうしゃくみぼうじん》と、フランス国王の宮廷《きゅうてい》で最新流行の波形模様のレースのついた高い帽子《ぼうし》をかぶったトランクラージュの若奥方が着席する。もっと下のほうには、とんがった大きな鬘《かつら》をかぶり黒い服を着てきれいに髯《ひげ》を剃《そ》った法官トマ・アルノトンと公証人アンブロワが、派手《はで》な絹や錦綾《きんりょう》のなかで二つの重々しい色調を打ち出している。それから脂《あぶら》ぎった家令たち、小姓《こしょう》たち、露《つゆ》ばらいの供先《ともさき》、執事たち、腰につけた純銀の鍵輪《かぎわ》にありとあらゆる鍵をぶらさげているバルブ夫人。奥のほうのベンチには使用人たち、下女や家族づれの小作人だ。そして最後に、細目にひっそりと開閉される戸のすぐそばには、賄番《まかないばん》の連中。彼らはソースを作る合間にちょっとミサの空気を吸いに来て、無数のともされたろうそくのおかげで温くなった儀式最中の会堂のなかに御馳走《ごちそう》のにおいを運びこむ。
祭式を執行する司祭がときどきうっかりするのは、この小さな白いコック帽が見えるからなのだろうか? それよりも、ガリグーの鳴らす鈴のためだろうか? その狂ったような小さな鈴は祭壇の下で猛烈《もうれつ》なスピードで打ち振られ、しょっちゅうこう言っているように聞こえるのだ。
「急ぎましょうよ、急ぎましょうよ……。早く終われば早く食卓につけますよ」
じつは、それが、その悪魔の鈴が鳴るたびに、礼拝堂付司祭は自分の執《と》りおこなっているミサのことを忘れ、御馳走のことしか念頭になくなるのである。がやがや言っている料理人、かっかと火が燃えているかまど、ちょっとあいた蓋《ふた》からたちのぼる湯気、そしてその湯気のなかの、松露《しょうろ》をつめこんで張り切った斑《まだら》模様のある二羽のすばらしい七面鳥が思い描かれるのだ……
あるいはまた、食欲をそそる湯気に包まれた皿を運ぶ小姓たちの列が目にうかぶ。そして彼もその小姓たちといっしょに、すでに饗宴《きょうえん》の用意のできた大広間にはいって行く。おお、こたえられない! 御馳走《ごちそう》がぎっしりならんだ煌々《こうこう》たる大テーブル、羽がついたままの孔雀《くじゃく》、赤褐色《せきかっしょく》の翼《つばさ》をのばした雉《きじ》、ルビー色の酒の壜《びん》、緑の枝のあいだにつやつやした果物を盛りあげたピラミッド。ガリグーが(そうとも、ガリグーだ!)言っていたあのすばらしい魚は、今水から出て来たばかりみたいに鱗《うろこ》を真珠母《しんじゅぼ》色に光らせ、においのいい草の束《たば》を巨大な鼻にさしこまれて、茴香《ういきょう》の上にならべられている。こういうすばらしい御馳走のイメージがあまりあざやかだったので、バラゲール師は自分の前の祭壇覆《さいだんおお》いの刺繍《ししゅう》の上に、それらすべてのすばらしい料理が出されているような気がしたほどだった。そして二度か三度、「|主は汝らとともに《ドミヌス・ウオビスクム》」と言うかわりに、食前の祈りをとなえているのに気がついてぎょっとしたものだ。こういうちょっとした間違いを除けば、この御仁《ごじん》は一行も抜かさず、一つの跪拝《きはい》もおこたらずに、ひじょうに良心的にお勤めをやってのけた。そして第一ミサの終わりまではすべてはかなりうまくいった。クリスマスにはひとりの司祭がつづけて三度ミサをおこなわねばならぬことはごぞんじのとおりである。
「これで一つ終わった!」と礼拝堂付司祭はほっと安堵《あんど》の息をついてつぶやいた。それから一分も無駄にせずに彼は青坊主に、いや、彼がそう信じているものへ合図を送り、そして、
ガラガラ ガン! ガラガラ ガン!……
第二のミサがはじまる。それと同時にバラゲール師の罪もはじまる。
「さあ早く早く、急ぎましょう」と、ガリグーの鈴は低いけれども少々とんがった声で彼に叫ぶ。今度は不幸な司祭は食いしんぼの悪魔《あくま》にすっかり取りつかれてしまって、祈祷書《きとうしょ》に飛びかかり、猛烈《もうれつ》な食欲にかられてそのページをどんどん≪くって≫いった。熱に浮かされたように身をかがめ、身を起こし、十字を切るのも跪拝《きはい》もあわただしく、できるだけ早く終えるためにすべての動作をはしょってしまう。福音書に腕を伸ばすことも、痛悔《つうかい》の祈りで胸をたたくことも、ほとんどそれとわからぬほど。青坊主と競争で、できるだけ早口に祈りの文句をつぶやく。唱句《しょうく》と答唱《とうしょう》は追いかけっこし、ぶつかりあう。一つ一つの言葉などは、時間が惜しいので口も開かずに、半分言うだけなので、わけのわからぬつぶやきとなって終わってしまう。
「|祈らんかな《オレムス》、プス……プス……プス……」
「|わがあやまち《メア・クルパ》……パ……パ……」
摘み取ったぶどうを桶《おけ》のなかで大急ぎでしぼる人みたいに、ふたりともミサ祭文のラテン語のぬかるみのなかをばしゃばしゃと歩きまわり、四方に泥水《どろみず》をはねちらかす。
「ドム……スクム……」とバラゲールが唱《とな》える。
「ストゥトゥオー……」とガリグーが応じる。そして間断もなくあの呪《のろ》わしい鈴めが彼らの耳のはたで鳴っているのだ、全速力で走らせるために駅馬車の馬につける鈴みたいに。いや、まったくの話、読誦《どくしょう》ミサはこういった調子でさっさとかたづけられたのだ。
「これで二つ!」すっかり息を切らせて司祭は言った。それから一息つく間《ま》もなく、赤い顔をして汗《あせ》をかきながら祭壇の階段をごとごとかけおりると……
ガラガラ ガン!……ガラガラ ガン!……
第三のミサがはじまる。もう食堂までは一投足の労でしかない。が、いかにせん! 御馳走《ごちそう》が近づくにつれて、不幸なバラゲールは焦燥《しょうそう》と食い気《け》の熱気にとりつかれるのを感じた。イメージはますますはっきりしてくる、金色の鯉《こい》、七面鳥の丸焼きはもう目の前にある……。彼はそれに触れる……彼はそれを……おお、神さま!……皿からは湯気が立っている、ぶどう酒はいい匂《にお》いをぷんぷんさせる。そして狂ったように揺れて鈴は叫ぶ。
「さあ早く早く、もっと早く!……」
しかしどうしてこれ以上早くできよう? 彼の唇《くちびる》はほとんど動かない。もう口から言葉は出てこない……。神さまをまるっきりだまくらかし、ミサをごまかすのでもないかぎりは……。いや、じっさい彼はそうしてしまったのだ、けしからん奴《やつ》だ!……誘惑につぐ誘惑で、彼は一節飛ばし、やがて二節飛ばす。それから使徒書簡《しとしょかん》も長すぎるので、最後までは読まず、福音書はちょっとかすめただけ、信仰箇条は中にはいらずに素通り、主祷文《しゅとうぶん》は飛ばし、序誦《じょしょう》は敬遠し、このようにして、あいかわらず極悪人のガリグー――(|悪魔よ、さがれ《ワデ・レトロ・サタナス》!)――をしたがえて、猛烈な勢いで永遠の地獄《じごく》のなかへ飛びこんで行ってしまった。そのガリグーは以心伝心で彼を補佐《ほさ》し、長袍《ちょうほう》を引きあげてやったり、二ページずつ紙をめくってやったり、台にぶつかったり、ミサ用の壜《びん》をひっくりかえしたりしながら、ひっきりなしにますます強く、ますます早く鈴を打ち振るのだった。
会衆一同の驚いた顔ときては見物《みもの》だった! 司祭の身振りによってこの一言もわからないミサについてゆくよりほかにないので、あるものが立ったときにはほかのものはひざまずき、あるものがすわったときに、ほかのものは立っている有様。そしてこの奇妙なお勤めの進行のすべての過程は、信者席の人々のいろいろな態度動作のなかで混乱《こんらん》となってあらわれる。かなたの大空をあの小さな厩《うまや》にむかって進むクリスマスの星は、この混乱を見て恐怖《きょうふ》に蒼《あお》ざめる……
「神父さんは早すぎる……ついてゆけないわ」と、おろおろして帽子《ぼうし》を揺すりながら老未亡人はつぶやく。
大きな鉄縁《てつぶち》の眼鏡《めがね》を鼻の上にかけたアルノトン氏は、いったいどこをやっているのかと祈祷書《きとうしょ》のなかをさがしている。しかし肚《はら》の底では、この善良な人々もみんなやはり御馳走《ごちそう》のことを考えているから、ミサがこのように韋駄天《いだてん》走りで進むことに腹を立ててはいない。そしてバラゲール師が精いっぱい声を張りあげて「|かくてミサ終わりぬ《イタ・ミサ・エスト》」と叫びながら会衆のほうを向いたとき、礼拝堂の一同は声をそろえて「|神に感謝す《デオ・グラテイアス》」と答えたが、その声はじつに嬉々としたじつに陽気なもので、もうみんな食卓について最初の祝盃をあげているものと思われかねなかった。
五分後、領主たち一同は大広間にすわり、礼拝堂付司祭は彼らのまんなかの位置についていた。上から下まで煌々《こうこう》と照らされた城は、歌声や叫び声や笑い声や、がやがやという声にどよめいていた。そして尊敬すべきバラゲール師は修道院製のぶどう酒やおいしい肉汁の大洪水のなかに自分の罪についての自責《じせき》を押し流しながら、雷鳥の片羽にフォークをつきさした。見さかいもなく飲み、かつ食ったので、かわいそうにこの坊さんは、その夜のうちに恐ろしい発作で悔悟《かいご》するひまもなく死んでしまった。そして翌朝、彼は、前夜のがやがやした気分のまだ残っている天国にたどりついたが、そこで彼がどんな風に迎えられたかは御想像にまかせよう。
「目どおりならん、それでもキリスト教徒か!」と、われわれすべての主である天帝は言われた。「おまえのあやまちは一生の徳行を一掃するほど大きい……。ああ、おまえはわしに対しておこなうべき深夜ミサをちょろまかした……。よろしい、その償《つぐな》いとして三百回ミサをおこなわねばならんぞ。おまえ自身の礼拝堂で、おまえのあやまちによって、おまえとともに罪をおかしたすべての者どもの前で、三百回クリスマスのミサをあげてからでなければ、おまえは天国にはいれないぞ……」
……というのが、このオリーヴの国の人々が語る本物のバラゲール師伝説である。今日ではもはやトランクラージュの城は存在しない。しかし礼拝堂はヴァントゥー山の頂《いただき》の冬青《そよご》の茂みのなかにまっすぐに立っている。風ははずれた戸をがたがたさせ、草は敷居をおおっている。祭壇の隅や、もうずっと前にその色ガラスがなくなってしまっている高窓の枠《わく》には鳥の巣ができている。けれども毎年のクリスマスには、この世のものならぬ光がこの廃墟《はいきょ》のなかをさまよい、ミサやクリスマスの宴会に行く百姓たちは、雪のなか風のなかでも、露天《ろてん》に燃えている目に見えぬろうそくに照らされた、あの礼拝堂の幽霊《ゆうれい》を見かけるらしい。笑いたければ笑いたまえ、しかしこの土地のぶどう作りで、多分あのガリグーの子孫だろうが、ガリーグという名の男が私にこう話した。あるクリスマスの夜、彼は少々酔っぱらっていて、トランクラージュのほうの山のなかで道に迷った。以下がそのときの彼の見聞である……。
十一時までは何もなかった。すべては沈黙し、消滅《しょうめつ》し、生命を失ったようだった。とつぜん十二時ごろ鐘楼の鐘が高々と鳴り出した。古い古い、十里も先のほうから聞こえてくるような鐘だった。やがてのぼって行く山道に火がちらちらし、はっきりとしない物の影が動くのをガリーグは見た。礼拝堂の玄関で足音がする、ささやきが聞こえる。
「こんばんは、アルノトンさん!」
「こんばんは、こんばんは、みなの衆!……」
みんながはいってしまうと、このぶどう作りはとても勇敢《ゆうかん》な男だったので、そっと近づいて破れた扉《とびら》からのぞきこみ、奇妙な光景を見た。さきほど通って行くのを見たあの人々はみんな、まるで昔の腰掛けがまだ存在しているかのように、崩《くず》れ落ちた内陣《ないじん》の聖歌隊席のまわりにならんでいた。レースの帽子《ぼうし》をかぶり錦襴《きんらん》の服を着た美しい貴婦人たち、上から下まで飾りたてた領主たち、われわれの祖父たちが着ていたような花模様の長上着の百姓たち、それらの人々はみな、年老いた、しおたれた、埃《ほこり》っぽい、疲れたような様子をしているのだ。礼拝堂の常客である夜の鳥がこれらの光に目を覚《さ》まされて、ときどきろうそくのまわりにさまよいに来る。ろうそくの炎《ほのお》は、紗《しゃ》のむこうで燃えているかのようにぼんやりと、しかしまっすぐ立っている。ガリーグをとくに喜ばせたのは、鉄縁《てつぶち》の眼鏡《めがね》をかけて絶えず高い黒い鬘《かつら》をゆすっているひとりの人物だった。その鬘の上にはあの鳥たちのなかの一羽が音もなく羽ばたきしながら、毛に足をからまれてまっすぐにとまっている……
奥のほうで子供みたいな背丈の小さな老人が、聖歌隊席の中央にひざまずいて、舌《した》のない音の出ない鈴をやけになって振っており、古い金色の袍《ほう》を着たひとりの司祭が祈りをとなえながら祭壇の前を行ったり来たりしているのだが、その祈りの言葉は一言《ひとこと》も聞こえなかった……。もちろんこれは、三番めの読誦《どくしょう》ミサをとなえているバラゲール師だった。
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オレンジ
幻想曲
パリでは、オレンジは木の下に落ちているのを拾われた果物《くだもの》みたいな情けない様子をしている。雨の多い寒い冬のさいちゅうにオレンジがパリの君たちのところへ着くときには、すべてがおとなしい風味を持つこの地方では目もあざやかに見えるその皮、どぎつく思えるその香りは、この果物を異様な、少々|奇抜《ボヘミアン》な感じのものにする。霧《きり》の深い夜、オレンジは行商の小さな荷車に積まれ、赤い紙提燈《かみちょうちん》の光に照らされながら、悲しげに歩道に沿って行く。抑揚のないかぼそい声が、車輪の音や乗合馬車の騒音にかきけされながらもそれについてまわる。
「ヴァランスのオレンジ、一つ二スー!」
大部分のパリ人にとっては、遠くの国で摘まれ、その丸みにもなんの奇《き》もなく、それのなった木の名残りは小さな縁の蔕《へた》にしかないこの果物は、甘いお菓子といったようなものでしかない。薄葉紙で包んであったり、お祭りがその季節にあるということもあって、そういう感じがするのだろう。とくに正月近くになると、町のどこにも見られる無数のオレンジ、どぶの泥《どろ》のなかに投げ捨てられているその皮が、造り物の果物をいっぱいにつけた枝々をパリの町の上にゆすっている巨大なクリスマス・ツリーでもあるのかという感じがする。どんな場所でもオレンジにぶつかる。明るいショーウィンドーには選《え》り抜いた盛装《せいそう》したのが陳列《ちんれつ》されている。監獄《かんごく》や養育院の門前ではビスケットの包みやりんごの山のあいだに、舞踏会《ぶとうかい》や日曜の見世物の入口に。そしてそのおいしそうな香りは、ガスのにおい、安ヴァイオリンの音、天井桟敷《てんじょうさじき》の腰掛けの埃《ほこり》にまじる。そんな具合だから、オレンジを作るにはオレンジの木が要《い》るということを人は忘れてしまう。なぜなら、果物が箱づめされて南フランスから直送されて来るあいだ、刈りこまれ、形を変え、もとの姿を失った木は温室で冬を過ごし、公園に出されてちょっと大気に触れるだけだからだ。
オレンジというものをほんとに知るためには、その生まれた国であるバレアレス諸島〔地中海西部のスペイン領の諸島〕、サルデーニャ、コルシカ、アルジェリアの、金色をおびた青い空気、地中海の温暖な大気のなかで見ておかねばならない。ブリダー〔アルジェリアのアトラス山脈のふもとの都市〕の近郊《きんこう》の、ある小さなオレンジの森を私は思い出す。ここではオレンジの実はなんと美しかったことか! 色の濃《こ》いニスをかけたようにつやつやした葉のあいだで、果物は色ガラスのような輝きを持ち、色あざやかな花を取り巻くあの派手《はで》な光の輪《わ》で周囲の空気を金色にしていた。ところどころにある空き地から枝越しにこの小さな町の城壁《じょうへき》、回教寺院の尖塔《せんとう》、小堂の丸屋根、そしてそれらすべての上にそびえるアトラス山脈の巨大な塊《かたま》りが見えた。麓《ふもと》は緑で、頂《いただき》には白い毛皮のような、落ちた毛屑《けくず》のようにふわふわしてちぢれた雪があった。
その地にいたときのある夜、どういうわけか、三十年来絶えてなかったことだが、あの凍った寒波《かんぱ》が眠った町の上を襲《おそ》い、目覚《めざ》めたときはブリダーの姿は一変して白い粉をまぶされていた。ごく軽い、ひじょうに澄んだこのアルジェリアの空気のなかでは、雪は真珠母《しんじゅぼ》の粉末のように見えた。雪は孔雀《くじゃく》の羽のようなきらめきを持っていた。いちばん美しかったのはオレンジの木だった。しっかりした葉はラックを塗った皿の上のシャーベットのように雪をきれいにのせていた。そして粉雪にまぶされた果実はすべて、白い透《す》きとおる布《ぬの》で包まれた金のように燦然《さんぜん》としたやわらかさ、控《ひか》え目な光を見せていた。それはなんとなく、教会のお祭り、レースの長衣の下にかくれた赤い僧服、糸レースに包まれた祭壇《さいだん》の金泥《きんでい》といった感じだった……
しかし、オレンジをめぐるいちばん楽しい思い出はやはりバルビカリアにある。これはアジャクシオ〔コルシカ島の首都〕のそばの大きな庭園で、暑さのはげしい時刻に私はここへ昼寝をしに行っていた。ここのオレンジの木はブリダーのよりも高く、植え方もまばらで、下のほうの道路まで伸びている。その道路と庭園とは生垣《いけがき》と溝《みぞ》でへだてられているだけなのだ。その先はすぐ海になっている、無限の青海原に……。この庭園で私はなんという楽しい時間を過ごしたことであろう! 頭上には花咲き実を結ばせたオレンジの木がその特有の香りを燃やしている。ときどき熟《う》れた実が不意に枝を離れて、暑熱《しょねつ》のために重さを増したように反響のない鈍《にぶ》い音をたてて私のそばの地べたに落ちた。私は手を伸ばしさえすればよかった。中が真紅になっているすばらしい果実《かじつ》だった。こんなにおいしいものはないように思われた、それに見晴しはじつにいい! 葉のすきまに、海は靄《もや》のなかに反射するガラスの破片のようにまばゆい青の空間をちりばめている。その上また、大きく間《ま》を置いて大気をゆすぶる波のうねりは、リズミカルなつぶやきにも似て、目に見えぬ小舟に乗っているかのように静かに人の体《からだ》をゆすってくれる。そして暑さと、オレンジのにおいと……。おお、バルビカリアの庭園で眠るのはなんとこころよかったか!
けれども、午睡がいちばん佳境《かきょう》にはいったというときに、太鼓《たいこ》の音ではっと目を覚まされることもときにあった。それは下のほうの道路に練習しに来る、かわいそうな鼓手《こしゅ》たちだった。生垣《いけがき》のすきまから太鼓の銅《どう》の部分や赤いズボンの上にかけた大きな白い前掛けが見えた。道路の埃《ほこり》が容赦《ようしゃ》もなく照りかえしてくる目のくらむような光を多少なりとよけようとして、この気の毒な連中は庭園の下端の、生垣の落とす短い影のなかに陣取る。そして太鼓をたたくのだ! しかも暑いときている! そこで私は一奮発《ひとふんぱつ》して催眠《さいみん》状態をはらいのけ、手ぢかにぶらさがっている赤みがかった金色の、このみごとな果実を三つ四つ取って彼らに投げてやって楽しんだ。狙《ねら》われた鼓手はたたく手を止めた。ちょっとためらって、目の前の溝《みぞ》にころげこもうとするこのすばらしいオレンジはどっから来たのかとあたりを見まわす。それからさっと拾いあげ、皮をむきもせずにいきなりかじりつくのだ。
バルビカリアのすぐそばに、小さな低い壁でへだてられただけの、私のいた所から見おろせるかなり風変わりな小庭園があったことも私はおぼえている。それはいかにもこぎれいに設計した一画だった。濃《こ》い緑のつげを両側に植えた、黄色い砂を敷いた道路と、門のそばの二本の糸杉のおかげで、マルセイユ風の小別荘みたいに見える。日陰はどこを見てもない。奥のほうに、地面すれすれに地下室のあかりとり窓のついた白い石造りの建物がある。はじめ私は別荘だと思った。ところが、もっとよく見ると、十字架がのっかっているし、文章は読み取れないが、何かの碑銘《ひめい》が石に穿《うが》たれているのが遠くから見えて、コルシカ人の一族の墓だとわかった。アジャクシオの周囲一帯には、ただそれだけのために設《もう》けた庭のまんなかに立っているこうした小さな死者のためのお堂がたくさんあるのだ。家族は日曜にはそこへ死者をたずねて来る。そのように解すれば、死は雑居の墓地におけるほど悲しいものではない。親しいものの足音だけが静寂《せいじゃく》をみだすのである。
私のいたところから、人のよさそうなひとりの老人が静かに通路を小刻《こきざ》みな足どりで歩いているのが見えた。一日じゅうその老人はひどくこまめに木を刈りこみ、地面を鋤《す》き、水をまき、しぼんだ花を取り除いたりする。そして日が暮れると、一族の死者たちの眠っている小さなお堂のなかにはいる。鋤《すき》や熊手《くまで》や大きな如露《じょうろ》をしまう。そういったことすべてを、墓地の園丁らしくいかにもゆうゆうと、のんびりとやるのだった。が、それでもやはりこの善良な男は、自分ではそう意識しなかったろうが、ある敬虔《けいけん》な思いにふけりながらそういう仕事をしていたのだ、まるでだれかの目を覚ますのを恐れるかのように、すべての物音を控《ひか》え目にし、墓室の戸を閉めるときにはいつも用心しながら。輝きに満ちた深い静寂のなかで、この庭の手入れは小鳥一羽をおどろかすこともなく、そばでそれを見ていてもぜんぜん気のめいるようなことはなかった。ただ海はそれによっていっそう広くなり、空はいっそう高くなるように思われた。そして死者たちのこの永久のまどろみは、あまり生き生きしているがゆえに人を不安にし圧倒するこの自然のなかで、その周囲のすべてのものに永遠の休息という感じをあたえていた……
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二軒の宿屋
七月のある日の午後、ニームから帰るときのことだった。たまらない暑さだった。目のとどくかぎり白い灼熱《しゃくねつ》した街道は、空全体を満たしている鈍《にぶ》い銀色の大きな太陽の下で、オリーヴ園と小さな槲《かしわ》の畑のあいだに埃《ほこり》っぽくつづいていた。一点の日影もなく、そよとの風もない。熱気の振動と、この厖大《ぼうだい》な光の振動の発する音そのものと思える、急速調の耳を聾《ろう》する気ちがいじみた音楽、つまり蝉《せみ》のかんだかい啼《な》き声とのほかは何もないのだ……。私はこんな沙漠《さばく》のまんなかをもう二時間も歩いていたが、とつぜん私の眼前に、一かたまりの白い家々が街道の埃のなかにあらわれた。それはサン=ヴァンサンの宿《しゅく》と呼ばれているところだった。五軒か六軒の農家《マス》、赤屋根のほそ長い納屋《なや》、ひょろひょろしたイチジクの木立のなかに水の涸《か》れた水飼い場、そしてその集落のいちばんはしに、道の両側に向き合った二軒の大きな宿屋。
二軒の宿屋がこう相接している様子には何か人を驚かせるようなところがあった。一方は新しい大きな建物、活気があってにぎやかで、戸はことごとく開かれ、乗合馬車が門前に止まっており、体《からだ》から湯気を立てている馬たちは車からはずされ、乗客は馬車から降りて、壁の落とすほんのわずかの日陰にはいって街道に立ったまま、あわただしく一杯ひっかけている。騾馬《らば》や荷車がひしめいている中庭、倉庫の下に寝ころがって涼気《りょうき》が来るのを待っている荷車ひき。店のなかからは叫び声、罵声《ばせい》、テーブルをがんとたたく音、コップのぶつかる音、玉突きの音、リモナードの栓《せん》をあける音、そしてそれらすべての騒音からぬきんでて、窓ガラスがふるえるほど大きく歌っている陽気な声。
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マルゴトンはきりょうよし
朝は早く起き出して
銀の水差し手に取って
出かけて行きます水汲みに……
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……その向かいの宿屋は反対に、ひっそりとして空屋《あきや》のようだった。玄関口には草が生《は》え、雨戸はやぶれ、扉《とびら》の上には錆病《さびびょう》にかかった小さな柊《ひいらぎ》の枝が古い羽飾りのようにたれさがっているし、戸口の階段は道の小石をつめて崩《くず》れないようにしてある……。なにもかもじつに貧乏たらしく惨《みじ》めで、そこに立ちよって一杯飲んでやるのはほんとに慈善的行為だと思われるほどだった。
中にはいると、がらんとして陰気なほそ長い広間で、カーテンのない三つの大きな窓からさしこんで来るまばゆい日の光が、かえってその広間をいっそう陰気に、いっそうがらんとした感じにしていた。びっこの机がいくつか、その上にころがっている埃《ほこり》でくすんだコップ、玉受けが四つとも乞食の持つお椀《わん》のように大きくなったこわれた撞球《どうきゅう》台、黄色い長|椅子《いす》、古ぼけたカウンター、そうしたものがそこの不健康な重くよどんだ熱気のなかに眠っていた。そして蠅《はえ》だ! 蠅だ! こんなにたくさんの蠅など私は一度も見たことがない。天井に、窓ガラスに、コップに、鈴なりになっているのだ……。私が戸をあけると翼《つばさ》がわーんと唸《うな》り、ふるえ出す、まるで蜜蜂《みつばち》の巣にはいったみたい。
広間の奥の、一つの窓のかまちに、ガラス戸によりかかって一心に外を眺めているひとりの女の姿があった。私は二度その女を呼んだ。
「おい、おかみさん!」
彼女はゆっくりとこちらを向き、このあたりの老婆たちがかぶっているような焦茶《こげちゃ》のレースの頭巾《ずきん》の長い垂れ布でふちどられた、皺《しわ》だらけで皹割《ひびわ》れた土色の哀れな百姓女の顔を私に見せた。けれどそれは老婆ではなかった。泣いてばかりいるためにこの女はすっかりしなびてしまったのだ。
「どんな御用で?」と女は目を拭《ふ》きながらきいた。
「ちょっと腰をおろして、何か飲みたいんだが……」
彼女はまるで私の言っていることが理解できないとでもいうように、ひどく驚きながらそこから動きもせずに私をみつめた。
「じゃあ、ここは宿屋ではないのかね?」
女は溜息《ためいき》をついた。
「ええ……宿屋といえば宿屋ですがね……。でも、どうしてみなさんと同じにお向かいにいらっしゃらないんで? あっちのほうがずっと陽気ですけど……」
「ぼくには陽気すぎるのさ……。ぼくはあんたのところにいたほうがいい」
私が本気で言っているとわかってしまうと、おかみは引出しをあけたり、壜《びん》を動かしたり、コップを拭《ふ》いたり、蠅《はえ》を追っぱらったり、いそがしそうにあっちこっちへ動きはじめた……。お客さんが来てくれたということがたいへんな出来事なのだと感じられた。ときどき哀れな女は手を止め、よくよく思いあまったというように頭をかかえた。
それから女は奥の部屋《へや》へ行った。大きな鍵《かぎ》をがちゃがちゃさせ、錠《じょう》をいじくりまわし、パン箱のパンをさがし、皿を拭き、はたき、洗うのが聞こえた。
十五分ほどそれがつづいてから、私の前にはパスリーユ(乾ぶどう)の一皿と、石のように固いボーケール風の古いパンと、安ぶどう酒の壜が一本出された。
飲みながら私は彼女にしゃべらせようとした。
「あんたのところにはあんまりお客が来ないようだね、おばさん?」
「ああ、来ませんとも、全然……。ここらへんにこの店一軒しかなかったころは話が別ですがね。ここは宿場だし、黒鴨《くろがも》の来る季節には猟師《りょうし》が食事をしたし、年がら年じゅう車が絶えなかったもんで……。ところがお隣さんが来て店を開いてからってものは、あたしどものところはすっかり駄目になっちまいました……。お客さんはお向かいのほうへ行きたがるんでね。あたしどものところは陰気すぎるって……。じっさいのところ、この家はあまり気持ちよくはありません。あたしは別嬪《べっぴん》じゃないし、熱を出すし、ふたりの娘も死んじまうし……。あちらのほうは反対に、しょっちゅう笑い声が絶えません。経営しているのはアルルの女ですよ、レースずくめの服を着て金鎖《きんぐさり》を首に三巻きにしている美人でね。その情夫が馭者《ぎょしゃ》で、乗合馬車を女のところへつけるんですよ。その上、女中はみんな口も八丁、手も八丁の女ばかり……。だからお客さんはいくらでも来ますよ! ブズース、ルデサン、ジョンキエールの若い連中をみんな客にしてしまっているんです。荷車ひきたちはわざわざまわり道してあちらへ寄って行くんですからねえ……。あたしのほうは一日じゅうこうしてひとりぼっちで、ただ自分というものをすりへらしてゆくだけですよ」
女はあいかわらず額《ひたい》を窓ガラスに押しつけたまま、上《うわ》の空の投げやりな声でこれを言った。あきらかに向かいの宿屋に、何か彼女の気にかかるものがあるに相違なかった……
とつぜん街道のむこう側がいやにざわざわしてきた。乗合馬車が埃《ほこり》のなかで動き出した。鞭《むち》の音、馭者のラッパ、戸口に走り出て女の叫ぶ声が聞こえた。
「さようなら!……さようなら!……」
そして、それらすべてにぬきんでて、さきほどのすばらしい声がさらにいっそう高らかに歌い出した。
[#ここから1字下げ]
銀の水差し手に取って
出かけて行きます水汲みに
いつの間《ま》にやらあらわれた
三人づれのおさむらい
[#ここで字下げ終わり]
……この声を聞くとおかみは全身をふるわせ、私のほうを向いて、
「聞こえますか?」と低い声で言った。「あたしの亭主なんです……。ねえ、上手に歌いますでしょう?」
私は唖然《あぜん》として彼女をみつめた。
「なんだって? あんたの御亭主?……それじゃ、御亭主まであっちへ行くのか?」
すると彼女は悲しげな顔で、しかしひじょうなやさしさをもって、
「しかたがありませんわ。男ってそんなものなんですもの、人の泣くのを見るのは嫌《きら》いなんですよ。あたしは子供たちに死なれてからしょっちゅう泣いてますから……。それに、だれも来ないこの大きなバラックみたいな建物はまったく味気ないですもの……。だから、どうにもうんざりしてしまったときには、うちのジョゼはお向かいに飲みに行くんですよ。そしてあの人、いい喉《のど》を持っているから、アルルの女はあの人に歌わせるんです。シッ、……また歌いだしましたよ」
そしてわなわなふるえながら、両手を前に突き出し、大粒の涙を流してますます目もあてられない顔になりながら、彼女は恍惚《こうこつ》としたように窓の前に立って、亭主のジョゼがアルルの女のために歌うのに聞き入っていた。
なかのひとりが言いました
「やあこんにちは、別嬪《べっぴん》さん」
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ミリアナーで
旅の覚え書き
今度は諸君を、風車小屋から二、三百里離れたアルジェリアの美しい小さな町へ連れて行って一日過ごしていただこう……。長太鼓《ながだいこ》や蝉《せみ》の声とはすこしばかり違った趣《おもむき》を味わえるというものだ……
……もうじき降りだすだろう。空は灰色、ザカール山の尾根筋《おねすじ》は霧《きり》に包まれている。陰気な日曜日……。アラビア風の城壁にむかって窓の開かれているホテルの小さな部屋《へや》で、私は巻たばこに火をつけながら気をまぎらそうとする……。ホテルにある蔵書《ぞうしょ》は全部私に提供《ていきょう》されていた。ひじょうに詳細《しょうさい》な登記の歴史と、ポール・ド・コック〔十九世紀の通俗作家〕の小説数種にまじって、モンテーニュ〔十六世紀の思想家〕の端本《はほん》があった……。行きあたりばったりにその本を開き、ラ・ボエシ〔十六世紀の文人。モンテーニュとの友情で知られる〕の死についてのすばらしい手紙を再読……。おかげでこれまでにもまして夢みがちな、暗澹《あんたん》とした気持ちになってしまう……。早くも雨がぱらついてきた。その滴《しずく》の一つ一つが窓の縁《ふち》に落ちると、去年雨が降ったとき以来そこにつもりにつもった埃《ほこり》のなかに大きな星形の紋《もん》をつくる……。本は私の手からすべりおち、私はこの憂鬱《ゆううつ》な星形を眺めながらしばしの間《ま》を過ごす……
町の大時計で二時が鳴る、――この部屋からその華奢《きゃしゃ》な白壁が見える古い小回教寺院の時計だ……。かわいそうな小寺院! 今から三十年前にこの寺院にむかって、いつかおまえは胸のまんなかに町の時計の文字|盤《ばん》をかかえて、毎日曜の正二時にミリアナーじゅうの教会に午後のお勤めを告げることになるだろうと、予言するものがあったろうか?……ディン! ドン! さあ鐘《かね》が鳴りだす!……その鐘は長く続くだろう……。たしかにこの部屋は味気《あじけ》ない。哲学的|思索《しさく》という妙な名のついた大きな朝|蜘蛛《ぐも》が隅々に巣を張っている……。外へ出よう。
大広場に出る。少々の雨などはものともしない歩兵第三連隊の軍楽隊がいましも指揮者《しきしゃ》を中心に整列したところだ。師団司令部の窓の一つに、令嬢《れいじょう》たちにかこまれた師団長があらわれる。広場では郡長が治安判事と腕《うで》を組んであちらへこちらへと歩きまわる。半裸《はんら》のアラビア人の子供が五、六人、ものすごい叫び声をあげて片隅でビー玉遊びをしている。あちらではボロを着たユダヤ人のじいさんが日の光にあたろうとして来る。昨日《きのう》はここで日にあたったのだが、今その日の光がないのでびっくりしている……。「一、二、三、はじめ!」軍楽隊はタレクシーの古いマズルカをかなでる。これは去年の冬、私の家の窓の下で手まわしオルガンがやっていたものだ。このマズルカは当時は私をうんざりさせた。今日それは、涙が出るほど私を感動させるのだ。
おお、第三連隊の楽隊はなんと幸福なことだろう! 十六分音符にじっと目をそそぎ、リズムと騒音に酔《よ》いながら、拍子《ひょうし》を取ることのほか余念がないのだ。彼らの精神、彼らの全精神は、手ほどの大きさの――楽器のさきのように二つの銅《どう》の留具《とめぐ》にはさまれてふるえている、四角の紙に集中している。「一、二、三、はじめ!」この連中にとってはすべてがそこにあるのだ。自分らのかなでる祖国の歌も彼らにはけっして望郷《ぼうきょう》の念をおこさせない……。ところが、ああ、楽手ではない私は、この音楽を聞くと悲しくなる。そして私は立ち去る……
いったいどこで過ごしたらいいのか、この灰色の日曜の午後を? よし! シドマールの店があいている……。シドマールの店にはいろう。
店は持っているがシドマールはけっして商人ではない。王族であり、近衛《このえ》兵にしめころされた昔のアルジェ太守《たいしゅ》の息子《むすこ》なのだ……。父の死後シドマールは最愛の母とともにミリアナーに逃《のが》れ、猟犬《りょうけん》や鷹《たか》や馬や女たちにかこまれながら、オレンジの木と噴水《ふんすい》のたくさんあるとても涼しいきれいな宮殿で、哲学者的|風貌《ふうぼう》を持つ大君主として数年を過ごした。やがてフランス軍がやって来た。シドマールははじめフランスに敵対してアブ=デル=カデル〔十九世紀、アルジェリアでアラブ人を率いてフランスに叛逆した首長〕と同盟《どうめい》したが、しまいにこの首長《エミル》と仲たがいし、フランスに帰順した。首長《エミル》は復讐《ふくしゅう》のために、シドマールのいないあいだにミリアナーにはいり、その宮殿を掠奪《りゃくだつ》し、オレンジを伐《き》りはらい、彼の馬と女たちを奪《うば》い去り、大きな箱の蓋《ふた》で彼の母親の首を押しつぶした……。シドマールの怒りはすさまじかった。即刻彼はフランス軍に身を投じた。エミルに対する戦争のつづくあいだ、彼ほど優秀な、彼ほど残忍《ざんにん》な兵はわが軍にはいなかった。戦争が終わるとシドマールはミリアナーにもどった。しかし今日《きょう》もなお、彼の前でアブ=デル=カデルのことをだれかが話すと、彼の顔は蒼白《そうはく》になり、目はらんらんと光り出すのである。
シドマールは六十歳になる。その年で、しかも≪あばた≫あるけれども、彼の顔は今もって美しい。大きな睫毛《まつげ》、女性的な目つき、魅力的な微笑《びしょう》、王公らしい物腰。戦争で破産して、昔の巨富のなかから、もはやシェリフ平野の一つの農場とミリアナーの一軒の家しか残っていないが、その家で彼は自分の手もとで育てた三人の息子《むすこ》とともに安穏《あんのん》に暮らしている。原住民の酋長《しゅうちょう》たちは彼をたいそう尊敬している。何か問題がおこると、人々は進んで彼を仲裁者《ちゅうさいしゃ》とし、そして彼の裁定《さいてい》はほとんどつねに遵守《じゅんしゅ》される。彼はあまり外出しない。毎日午後のあいだは、彼の家に接して通りにむかって開いている店にその姿が見られる。この店の調度は贅沢《ぜいたく》なものではない。――石灰を塗《ぬ》った白壁、木製の円いベンチ、クッション、長いパイプ、二つの火鉢《ひばち》……。シドマールが人々を引見《いんけん》し、裁《さば》きをくだすのはここなのだ。店頭のソロモン王というべきか。
今日は日曜だから、集まっている連中は多い。十数人の酋長たちが頭巾《ずきん》付|外套《がいとう》を着て広間のまわりにずらりとうずくまっている。めいめいが手もとに大きなパイプと、すこしばかりコーヒーを入れた金線細工《きんせんざいく》の気のきいたゆで卵入れを置いている。私がそこにはいっても、だれも動かない……。シドマールは自分の席から私へ精いっぱい魅力的な微笑を送り、自分の横の黄色い絹の大きなクッションにすわるように手|真似《まね》ですすめる。それから指を口にあてて話を聞けと合図する。
事件はこうだ。ベニ=ズグズグ族の酋長が、ちょっとした土地のことでミリアナーのあるユダヤ人と何かいざこざをおこし、双方《そうほう》はシドマールの前にこの紛争《ふんそう》を持ちだして彼の裁定にしたがおうということにきめた。寄り合いは今日《きょう》ときめられ、証人が呼ばれた。ところが急にそのユダヤ人の気が変わり、証人を連れずにひとりでやって来て、自分としてはシドマールよりもフランスの治安判事《ちあんはんじ》に事を任《まか》せたいと言明した……。そういういきさつになっているところへ私が来合わせたのだ。
ユダヤ人――年寄りで、土色の髯《ひげ》、栗《くり》色の上着、青い靴下《くつした》、ビロードの帽子《ぼうし》――は天を仰ぎ、哀願《あいがん》するように目をきょろきょろさせ、シドマールの長いスリッパに接吻《せっぷん》し、頭をさげ、ひざまずき、手を合わせる……。私はアラビア語はわからないが、ユダヤ人のしぐさや、しょっちゅう出てくる「≪つあんはんず≫、≪つあんはんず≫」という言葉で、この名演説がどんなものかを察することができた。
「手前どもはシドマールを疑ってはおりません、シドマールは賢人です、シドマールは公正でいらっしゃる……。けれども≪つあんはんず≫(治安判事)のほうがこの事件をもっとうまくかたづけてくださるでしょう」
聴衆《ちょうしゅう》は憤慨《ふんがい》しているが、いかにもアラビア人らしく泰然としている……。自分のクッションに身を横たえ、うるんだような目をして、琥珀《こはく》のパイプの吸口を口にくわえて、シドマールは――皮肉《ひにく》の神とでもいったように――にやにや笑いながら聞いている。演説の最高潮《さいこうちょう》に達したとき、とつぜんユダヤ人は「カランバ!〔スペイン語、驚きや怒りをあらわす間投詞〕」と一喝《いっかつ》されてはっと口をつぐんでしまった。それと同時に、酋長《しゅうちょう》側の証人として来ていたひとりのスペイン人の移民が自分の席を離れ、イスカリオテのユダ〔キリストを裏切った使徒の名〕に近づいて、ありとあらゆる国語、ありとあらゆる色合いの呪《のろ》いの言葉――そのなかのフランス語のある言葉などはとてもひどいもので、ここに書くわけにはまいりません――を思いっきり相手に浴びせかけた……。シドマールの息子《むすこ》はフランス語がわかるので、父の前でこのような言葉を聞いて恥かしくなって、広間から出て行ったほどだ。――アラビア人の教育のこういう点は記憶すべきことである。――聴衆はあいかわらず泰然としており、シドマールはあいかわらずにやにやしている。ユダヤ人は立ちあがって、恐怖《きょうふ》にふるえながら、そのくせあいもかわらぬ「≪つあんはんず≫、≪つあんはんず≫」をますます声を大にしてくりかえしながら、あとずさりしながら戸口まで退却《たいきゃく》する……。外へ出る。と、スペイン人は怒り狂ってそのあとを追いかけ、通りで追いついて、パン、パンと二回顔のまんなかをなぐりつける……。イスカリオテのユダは両腕《りょううで》をひろげてばったりとひざまずく……。スペイン人はちょっとてれくさくなって店に帰る……。彼が帰ったと見るや、ユダヤ人はまた立ちあがって、まわりに集まった色とりどりの人々を陰険《いんけん》な目つきで見まわす。ありとあらゆる肌《はだ》色の人間がそこにいる、――マルタ人、マホン人〔バレアレス諸島の一つ、ミノルカ島の首都マホンで生れた人〕、黒人、アラビア人、すべてユダヤ人を憎み、ユダヤ人がいじめられるのを見ておもしろがっている点では同じだ……。ユダは一瞬ためらい、それからひとりのアラビア人の外套《がいとう》の裾《すそ》をおさえて、
「おまえ見たな、アーメド、見たな……その場にいたんだから……。キリスト教徒がわしをひっぱたいたんだ……。証人になってくれるな……うん……うん……証人になってくれるな」
アラビア人は外套を相手の手から振りはなし、ユダヤ人を押しのける……。何も知るもんか、何も見るもんか、ちょうどおれは横を向いてたんだ……
「じゃおまえは、カドゥール、おまえは見たな……キリスト教徒がわしをなぐるのを見たな……」と不幸なユダはさぼてんの実の皮をむいているひとりの肥《ふと》った黒人にむかって叫ぶ。
黒人は軽蔑《けいべつ》のしるしに唾《つば》を吐《は》いて行ってしまう。何も見なかったのだ……。何も見なかった、真黒な目を縁無帽子《ふちなしぼうし》のかげで意地悪く光らせているあの小男のマルタ人も。何も見なかった、柘榴《ざくろ》の籠《かご》を頭にのせて笑いながら逃げ出すあの煉瓦《れんが》色のマホン女も……
ユダヤ人がいくらわめいてもたのんでもじたばたしても無駄だった……。証人はいやしない、だれひとり見たものはないのだ……。さいわい同宗のユダヤ人がふたり、ちょうどこのとき街《まち》を通りかかった、なぐられた犬のように、壁に身をよせて。ユダヤ人はそれを目にとめた。
「早く、早く、兄弟! 早く代言人のところへ! 早く≪つあんはんず≫のところへ!……おまえさんたちは見たろ、おまえさんたちはな……年寄りがなぐられたのをおまえさんたちは見たろ!」
見たかって!……たしかに見はしただろうが。
……シドマールの店のなかでは大騒ぎだ……。店の主人はコーヒーをついでやり、パイプに火をつけてやる。みんな口々にしゃべり、大口をあけて笑っている。ユダヤ人がぶんなぐられるのはじつにおもしろいから!……このざわめきと煙のただなかを、私はそっと戸口へ行く。あのユダの同宗者たちが、自分らの同胞《どうほう》に加えられた侮辱《ぶじょく》をどのように受け取るかを見るため、ちょっとユダヤ人町のほうをぶらついてみたくなったのだ……
「今夜|晩餐《ばんさん》に来てください、あなた」と人の善いシドマールが声をかける。
私は承諾《しょうだく》し、礼を言う。そして外に出る。
ユダヤ人町ではみながわいわい言っている。例の一件はもう大評判になっているのだ。だれも家にはいない。刺繍《ししゅう》職人、仕立屋、馬具職人、――ありとあらゆるユダヤ人が往来に出ている……。男たちは――ビロードの帽子、青い靴下という姿で――あちこちに群れをつくってやかましく身振り手|真似《まね》でしゃべっている……。青いむくんだ顔をして、金の胸当てのついた平べったい服を着て木偶《でく》のように固くなり、黒い巻紐《まきひも》で顔を包んだ女どもは、猫《ねこ》のような声でしゃべりまくりながら、あっちの群れからこっちの群れへかけまわる……。私が着いたときには、群衆のなかに大きな動揺《どうよう》がおころうとしていた。人々は急ぎ、どっと走り出す……。証人たちによりかかって例のユダヤ人――一件の立役者――が、両側にならぶ帽子の垣《かき》のなかを、激励《げきれい》の言葉を浴びながら歩いて行くのだ。
「仕返ししてやれ、兄弟。おれたちのため、ユダヤ民族のために仕返しするんだ。何もこわがるなよ。法律はおまえの味方だぞ」
松脂《まつやに》と古い皮革のにおいをさせたおそろしく醜悪《しゅうあく》な小人《こびと》が、あわれっぽい顔をして私に近より、太い溜息《ためいき》をついて言う。
「ねえおまえさん、なんてことをするんだ、われわれ哀れなユダヤ人に! 年寄りじゃないか! 見てごらん。それを半殺しにしてさ」
なるほど、哀れなユダは生きているというよりも死んだみたいな様子だ。私の前を通ったが、――目に光はなく、顔はゆがみ、歩くなんてものじゃなく、足を引きずって行くのだ……。彼を癒《なお》せるものはよほど高額の慰謝料《いしゃりょう》だけだろう。だから、人々は医者のところへ彼を連れて行くのではない、代言人のところへだ。
アルジェリアには代言人がたくさんいる。蝗《いなご》と同じくらいだ。この商売はみいりがいいらしい。いずれにしても、試験も保証金も見習期間もなしに造作《ぞうさ》なくなれるという利点がある。パリではみなが文士になるように、アルジェリアでは代言人になるのだ。なるためには、フランス語、スペイン語、アラビア語を少々心得、鞍袋《くらぶくろ》のなかにいつも法典を入れておき、そしてなによりもまずその職業に合った才幹《さいかん》を持っていればいい。
代言人の職務ははなはだ多様であって、そのときそのときで弁護士《べんごし》にも代訴人《だいそにん》にもブローカーにも鑑定人にも帳簿づけにも仲介《ちゅうかい》業者にも代書人にもなる。植民地のメートル・ジャーク〔モリエールの喜劇『守銭奴』に登場する料理番兼|厩《うまや》番。「何でも屋」〕といったところだ。ただアルパゴンにはメートル・ジャークは一人しかいなかったが、植民地には必要以上にいるのである。ミリアナーだけでも何十人といるのだ。一般にこのお歴々は事務所費をはぶくために町の広場のカフェで依頼者《いらいしゃ》に会い、アプサントとぶどう酒入りコーヒーの合い間に助言をあたえるのだ――ほんとうにあたえているかどうかはわからないが。
で、尊敬すべきユダはふたりの証人にはさまれて広場のカフェへむかって行くのだが、こちらはそのあとについて行くのはやめよう。
ユダヤ人町を出て私はアラビア人事務所の前を通る。外から見ると、スレートの屋根といいその上にひるがえるフランスの旗といい、まるで村役場のようだ。私はここの通訳を知っている。中にはいっていっしょに一服やろう。たばこを一服また一服と吸っているうちに、しまいにこの曇った日曜の一日をなんとか潰《つぶ》してしまえようというものだ!
役所の前にある庭はぼろを着たアラビア人でいっぱいだ。彼らは五十人ほどで、頭巾《ずきん》付|外套《がいとう》をまとって壁に沿ってうずくまりながら面会を待っている。このベドゥイン人〔好戦的なアラブ系遊牧民〕の待合所は――戸外にあるというのに――人間の皮膚《ひふ》の濃厚《のうこう》なにおいを発散している。早く通ろう……。役所のなかにはいって見ると、通訳は、垢《あか》だらけの長い毛布《もうふ》の下は何も着ていないふたりの大男とやりあっているところだ。大男はわいわいまくしたて、猛烈《もうれつ》な身振りをしながら数珠《じゅず》を盗まれたとかなんとかいうようなことを言っているのだ。私は一隅の茣蓙《ござ》に腰をおろして見守る……。しゃれた服装だ、この通訳の服は。しかもミリアナーのこの通訳はなんと上手にそれを着こなしていることか! 人間と服とが一分《いちぶ》の隙《すき》なくぴったり合っているような感じ。服は空色で、黒い肋骨《ろっこつ》がつき、金のボタンがぴかぴかしている。通訳は金髪《きんぱつ》で、血色がよく、髪《かみ》はすっかりちぢれている。ユーモアたっぷりで気まぐれな、青服の軽騎兵《けいきへい》だ。ちょっとおしゃべりで――何か国語もしゃべる!――、少々|懐疑《かいぎ》家で――東洋語学校でルナン〔十九世紀の有名な思想家。『イエス伝』の著者〕を知った!――、大のスポーツ好きで、アラビアの野営ででも郡長夫人の夜会ででも同じように自由にふるまい、だれよりも上手にマズルカを踊るし、クスクス〔アラビア料理の一種〕を作ることにかけては彼におよぶものはいない。おまけにパリっ子だときている。こういった男だ。だから御婦人方が彼にのぼせても驚くにあたらない。おしゃれにかけては彼の好敵手はひとりしかいない。アラビア人事務所づとめの軍曹《ぐんそう》だ。この男は――上等のラシャの軍服を着、真珠母《しんじゅぼ》のボタンのついたゲートルをはいて――駐屯《ちゅうとん》部隊全員を絶望させ、また羨望《せんぼう》の的《まと》となっている。アラビア人事務所に出向しているので隊の雑役は免除《めんじょ》されており、白い手袋をはめ、鏝《こて》を当てたばかりの髪をして大きな帳簿を小脇にかかえながらいつも通りを歩いている。人々は彼に感歎し、彼を恐れる。なにしろ権威者《けんいしゃ》なのだ。
どう見てもこの数珠盗難《じゅずとうなん》の一件はひどく長びきそうだ。さよなら、私は終わるまで待ってはいない。
立ち去ろうとすると例の待合所はざわざわしている。群衆は黒い頭巾《ずきん》付|外套《がいとう》をまとった蒼《あお》い誇らしげな顔をした背の高いひとりの原住民のまわりにひしめいている。この男は一週間ほど前ザカールの山の中で豹《ひょう》と格闘《かくとう》したのである。豹は殺されたが、この男も腕《うで》を半分食われてしまった。朝晩彼はアラビア人事務所に包帯《ほうたい》をしてもらいに来る。そのたびに人々は彼を引き止めて話を聞こうとする。彼は喉《のど》の奥から出てくる美しい声でゆっくり話す。ときどき外套をかきわけて、胸に結びつけて血だらけのキャラコで包んだ左腕を見せる。
通りに出るや否《いな》や猛烈な雷雨がはじまる。雨、雷、稲妻《いなずま》、熱風《シロッコ》……急いで雨をよけよう。やみくもにある門の下にかけこむ。飛びこんだところは、モール風の中庭のアーチの下にかたまっている一群の浮浪者《ふろうしゃ》のまんなかだった。この中庭はミリアナーの回教寺院に接している。回教徒の貧民がいつも逃げこむところで、「貧者の中庭」と呼ばれている。
蚤虱《のみしらみ》のたかった痩《や》せた大きなグレイハウンドどもがやって来て、かみつきそうな顔で私のまわりをうろつく。通廊の列柱の一つに背をよせて私はつとめて平然たる様子をよそおい、だれにも話しかけずに中庭の色づきの敷石にはねかえる雨脚を眺める。浮浪者たちはかたまって地べたに寝ころんでいる。私のそばで美人といってもいい若い女が胸をはだけ脛《すね》をむきだしにし、手首とくるぶしに鉄の太い環《わ》をはめ、哀愁《あいしゅう》のこもった鼻にかかった声で単調な節《ふし》の奇妙な歌をうたっている。うたいながら女は赤銅《しゃくどう》色の素《す》っ裸《ぱだか》の幼児に乳をふくませ、あいているほうの腕で石臼《いしうす》の大麦を搗《つ》いている。容赦《ようしゃ》のない風に吹きまくられた雨はときどき、乳をやる女の脚と赤ん坊の体《からだ》をびしょびしょにする。浮浪の女はいっこうそんなことは意に介《かい》さず、麦を搗き乳をやりながら突風のなかで歌いつづける。
雷雨は衰《おとろ》える。ちょっとした晴《は》れ間《ま》を見て私は急いでこの「|奇蹟の庭《クール・デ・ミラクル》」〔乞食の巣窟。不具や病気をよそおっていた乞食が、ここに集まると正常にもどるので奇跡の庭と呼ばれた〕を去り、シドマール家の晩餐《ばんさん》に出かけて行く。ちょうどよかった……。町の広場を横切るとき、私はまたさきほどのユダヤ人のじいさんに出会った。彼は代言人によりかかり、彼の証人たちははしゃぎながらそのうしろについて行く。きたならしいユダヤ人の子供の一隊がそのまわりをはねまわっている……。どの顔もかがやいている。代言人は一件を引き受けたのだ。二千フランの慰謝料《いしゃりょう》を法廷に要求してくれるのだ。
シドマールの家では豪勢《ごうせい》な晩餐《ばんさん》だ。――食堂は、二つか三つ噴水《ふんすい》が音を立てているモール風の瀟洒《しょうしゃ》な中庭にむかって開いている……。ブリス男爵《だんしゃく》〔有名な美食家〕にもすすめられるようなすばらしいトルコ風の食事。さまざまの料理のなかでもとくに私の注目するのは、アマンドを添《そ》えた若鶏《わかどり》、ヴァニラ入りのクスクス、肉をつめた亀《かめ》――ちとばかり胃に重いが風味は最上――、それから「酋長《しゅうちょう》のお好み」と呼ばれる蜜《みつ》入りビスケットだ……。酒はシャンパンだけ。回教の掟《おきて》にもかかわらずシドマールはすこしばかりシャンパンを飲む――召使がむこうを向いたときに……。
晩餐のあと私たちは主人の部屋《へや》に移る。果物《くだもの》の砂糖煮《さとうに》とパイプとコーヒーがそこへ運ばれてくる……。この部屋の調度といえばしごく簡素なものだ。長椅子|一脚《いっきゃく》、幾枚かの茣蓙《ござ》、奥のほうにひじょうに高い大きなベッド、その上に金の縫い取りをした赤い小さなクッションがばらばらと置かれている。壁にはハマディ提督《ていとく》とやらの武勲《ぶくん》を描いた古いトルコの絵がかかっている。トルコでは画家は一つの絵について一色しか用いないらしい。この絵は緑一色だ。海も空も船も、ハマディ提督その人も、すべて緑だ。しかもなんという緑か!……
アラビア人のしきたりでは客は早く引き揚げねばならない。コーヒーを飲み、パイプを吸ってから、私は主人におやすみなさいと言って、細君たちのもとに残して辞去する。
この夜の最後をどこで過ごそう? 寝るにはまだ早すぎる。アルジェリア騎兵《きへい》のラッパはまだ帰営を告《つ》げていない。しかもシドマールのところのあの金色の小さなクッションが私のまわりで奇妙なファランドールを踊っていて、眠ろうとしてみても眠れまい……。ちょうどここは劇場の前だ、ちょっとはいってみよう。
ミリアナーの劇場はもとは秣《まぐさ》の倉庫だったが、どうにか芝居《しばい》小屋らしく模様変えされている。幕合いに油を補給する大きなケンケ・ランプがシャンデリアのかわりだ。平土間《ひらどま》は立見、前の上等席はベンチだ。桟敷《さじき》はたいそうな格式だ、藁椅子《わらいす》があるから……。客席のまわりはずっと長い廊下だが、暗く、床《ゆか》が張ってない……。まるで往来にいるみたいだ。いや、まるっきりそのとおりだ……。私がはいったとき芝居はすでにはじまっていた。これはおおいに驚かされたが、役者はまずくない。私が言うのは男優のことだが、熱心で生き生きしているのだ……。ほとんどみんな素人《しろうと》で、第三連隊の兵隊なのである。連隊はこれが自慢《じまん》で、毎晩|拍手《はくしゅ》しに来る。
女優ときては、いやはや!……例によって例のごとき田舎《いなか》の草芝居の女優連で、きざで、誇張《こちょう》ばかりで、真実味なしだ……。それでもこの御婦人方のなかに私の興味をひくのがふたりいた。ふたりともミリアナーのユダヤ人で、若くて、デビューしたばかりだ……。親たちは客先にいて、大満悦《だいまんえつ》らしい。娘がこの商売で何千ドゥーロ〔スペインの貨幣〕もかせげるものと確信しているのだ。ユダヤ人で巨万《きょまん》の富を築いた女優であるというラシェル〔十九世紀の名女優〕の伝説がすでに近東のユダヤ人たちのあいだにひろがっているのだ。
舞台上のこのふたりのユダヤ娘ほど滑稽《こっけい》でいじらしいものはない……。彼女らはごてごてと塗《ぬ》りたくられて、胸のあいた服を着てすっかり固くなっておずおずと舞台《ぶたい》の片隅にちぢこまっている。寒いし、恥ずかしいのだ。ときどき自分でもわけのわからないせりふをもぞもぞ言い、そしてそうしゃべっているあいだ彼女らのヘブライ人らしい大きな目はぼんやりと客席を眺めている。
劇場を出る……。闇《やみ》が私を取り巻き、そのただなかで広場の一隅から叫び声が聞こえる……。多分マルタ人かなんかが匕首《あいくち》で決闘《けっとう》をしているのだろう……
私は城壁に沿ってゆっくりとホテルへ帰る。オレンジと≪このてがしわ≫の木のなんともいえないにおいが平野から立ち昇ってくる。大気は静かで、空はほとんど晴れている……。道の果てのほうに、昔の神殿の残骸《ざんがい》でもあろうか、古い壁が幽霊《ゆうれい》のように立っている。この壁は神聖なのだ。毎日アラビア人の女たちが、被布《アイク》や下衣《フタス》の一片とか、銀の布《ぬの》でしばった赤い編毛《あみげ》とか、頭巾付外套の裾《すそ》とかの奉納物《ほうのうぶつ》をそこに掛けに来る……。それらすべてが弱い月光のもとになまあたたかい夜風に吹かれて絶えずなびいている……
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蝗《いなご》
もう一つアルジェリアの思い出を話して、それから風車小屋に帰ろう……
あのサヘルの農園に着いた夜は私は眠れなかった。はじめて見る土地、旅のあわただしさ、シャカル〔砂漠に住む野犬〕の遠|吠《ぼ》え、さらに気をいらいらさせ、息づまらせるような暑さ、蚊帳《かや》の網目《あみめ》からそよとの風もはいってこないとでもいうような徹底的な息苦しさ……。夜明けに部屋《へや》の窓をあけると、縁《ふち》が黒とばら色にいろどられた、ゆっくりと動く重い夏の靄《もや》が、戦場の上の硝煙《しょうえん》のように空にたなびいていた。木の葉一枚そよがず、目の下の美しいあの庭には、ぶどう酒の味を甘くする豊かな日の光を浴《あ》びて、斜面にまばらに植わったぶどうの木、日かげのほうにはヨーロッパ産の果樹、小さなオレンジの木やごく細《こま》かい長い列を作った蜜柑《みかん》の木、それらすべてが一様に陰鬱《いんうつ》な様子を、嵐の前の木の葉のあの静けさを保っていた。淡緑色の大きな葦《よし》といった感じの、ちょっとした風にもいつもゆれてそのごく軽い繊細《せんさい》な梢《こずえ》の葉をもつらせているバナナの木までが、整った羽飾りのようにもくもくとまっすぐに立っていた。
私はしばらくこのすばらしい植込みを眺めていた。世界じゅうのすべての樹木がここにそろえられており、それぞれがその季節にこの異郷《いきょう》で花を咲かせ、実を結んでいるのだ。麦畑《むぎばたけ》とコルク槲《がしわ》の木立のあいだに一筋の小川が光っているが、この息苦しい朝、それは見るからに涼しい感じである。これらすべてのもの、モール風のアーケードを持つこの美しい農家《マス》や、明け方の光で真白に見えるそのテラス、まわりにかたまっている厩《うまや》や納屋《なや》の豊かさと秩序とに感歎しながら、私はこの正直な人々が二十年前にこのサヘル河《がわ》の谷間にやって来て住みついたときのことを思った。彼らがそこに見出したのは、道路工夫の粗末《そまつ》なバラックと、低い椰子《やし》と乳香樹《にゅうこうじゅ》のいちめんに生《は》えている未開墾地《みかいこんち》にすぎなかったのだ。すべてが創造されねばならず、すべてが建設されねばならなかった。間断のないアラビア人の反乱。鋤《すき》を置いて銃《じゅう》を取らねばならない。それから病気、眼炎《がんえん》、熱病、不作、無経験のための模索《もさく》、目先のきかない、いつもあやふやなことしか言わない役所との闘《たたか》い。どれほどの努力だったか! どれほどの疲れ! なんという不断の気づかい!
苦難の時代は終わり辛苦《しんく》して産をなした今でも、夫婦は家でいちばん早く起きだす。この早朝の時刻に、ふたりが一階の大きな台所を歩きまわって労働者のためのコーヒーの具合を見ているのが聞こえた。やがて鐘が鳴った。そしてしばらくすると労働者たちは列をつくって道を行く。ブルゴーニュのぶどう作り、ぼろを着て赤いトルコ帽をかぶったカビリア人〔アルジェリアのカビリア地方に住むベルベル族〕の農夫たち、脛《すね》をむきだしにしたマホン人の土方、マルタ人、ルッカ人〔イタリアのトスカーナの町ルッカの出身者〕、雑多な寄せ集めで、なかなか思うように動かせるものではない。この連中のひとりひとりに、主人は門前でその日の仕事を割り当てる、ぶっきらぼうな、少々荒っぽい声で。それが終わると頭をあげて、不安そうなおももちで空模様を見た。それから窓ぎわの私を見て、
「畑仕事には悪い天気だな……熱風《シロッコ》が来ますよ」と言った。
なるほど、日が昇るにつれて息づまる燃えるような突風が、まるで開いてはまたしまる竈《かまど》の口から出てくるように、南のほうから吹きつけて来た。身の置きどころもない。どうなることかと心配になる。午前中はずっとこの調子だった。私たちは廊下《ろうか》の茣蓙《ござ》の上でコーヒーを飲んだが、しゃべる元気も動く元気もなかった。犬たちは敷石の冷たさを求めて、ぐったりとした恰好《かっこう》で長くなっていた。昼食のおかげで私たちはちょっと元気をとりもどした。たっぷりとした風変わりな昼食で、鯉《こい》、虹鱒《にじます》、猪《いのしし》、きのこ、スタウェリのバター、クレッシアのぶどう酒、ゴヤバの実、バナナ、私たちを取り巻く自然にいかにもふさわしい異国的な料理がそろっていた……。そろそろテーブルから立とうとしていたときだ。とつぜん、大竈《おおがま》のような庭の熱気をさえぎるためにたてきっておいたフランス窓のところから、大きな叫び声がひびきわたった。
「ばった! ばった!」
主人は災害《さいがい》の報を受けたかのように真蒼《まっさお》になり、私たちはあわてて飛び出した。今しがたまであんなに静かだった家のなかは、十分間ほどあわただしい足音や、ざわざわと起きあがりながらなにやら言っている声に満たされた。玄関の日かげで昼寝していた使用人たちは、棒や熊手《くまで》や連枷《からざお》、また銅鍋《どうなべ》、金だらい、シチュー鍋のような手当たりしだいの金物類を鳴らしながら外へ飛び出した。法螺貝《ほらがい》や角笛《つのぶえ》を持っているのもいた。それらはすさまじい調子っぱずれな騒音をたて、近くのテント部落からかけつけて来たアラビア人の女どもの「ユー、ユー、ユー!」という途方もなくピッチの高い叫び声がそのなかにひときわ高く聞こえる。蝗《いなご》を遠ざけ、彼らの舞い降《お》りるのを防ぐには、大きな音を立てたり空気を鳴り響かせたりすれば充分であることもしばしばらしいのだ。
だがいったいどこにいるのだろう、その恐るべき虫は? 熱気にふるえている空には、地平線上にあらわれた一団の雲以外に何も見えなかった。雹《ひょう》を降らせる雲のように銅《どう》色で濃密《のうみつ》な、森林の数千の枝々のあいだを吹き荒れる暴風のような音をともなった雲だ。それが蝗だったのだ。乾いた翅《はね》を伸ばしてたがいにささえ合って一団になって飛んで来、私たちの叫び声、大わらわの活躍にもかかわらず、その雲は平野の上に巨大な影を落としながら絶えず前進する。まもなくそれは私たちの頭上に達する。縁《ふち》のほうがほんの一秒間ほどほつれ、ちぎれる。夕立の最初の滴《しずく》のように、いく匹かがはっきりとした茶色っぽい形を見せて群れを離れる。つづいて雲全体がはじける。そして虫は霰《あられ》のように音を立ててポンポンと落ちて来る。見わたすかぎり畑は蝗におおわれる。巨大な蝗、指ほどもある蝗に。
そこで虐殺《ぎゃくさつ》がはじまる。押しつぶし、藁《わら》を踏みつぶす不快な音、耙《まぐわ》で、つるはしで、鋤《すき》で、人々はこの動く地面をかきまわす。殺せば殺すほど蝗はたくさんやって来る。長い脚《あし》をもつらせて層をなしてうごめいているのだ。上のほうの奴《やつ》らは苦しまぎれにすっとんで、この奇妙な仕事のために鋤につながれた馬の鼻っ先に飛びつく。農家《マス》の犬も部落の犬も畑に放されて、蝗におどりかかり、猛然と噛《か》みくだく。あたかもこのとき、アルジェリア狙撃兵《そげきへい》の二個中隊がラッパを先頭にして不幸な移民の救助に到着し、殺戮《さつりく》の様相は一変した。
蝗《いなご》を押しつぶすかわりに、兵士たちは火薬を細長くまいて焼き殺すのだ。
殺すのに疲れ、悪臭に胸がむかむかして私は家に帰った。家のなかにもほとんど外と同じくらいいる。戸や窓の煙突の口からはいって来たのだ。板張りの縁《ふち》や、早くもすっかり食われてしまったカーテンのなかを、蝗は這《は》いまわり、落ち、飛び、白壁によじのぼる。その壁にうつる巨大な影は、ますます蝗の醜《みにく》さを感じさせる。そしてあいもかわらずあの恐るべき悪臭だ。晩餐《ばんさん》のときには水なしですまさねばならなかった。水槽《すいそう》も泉水《せんすい》も井戸も生簀《いけす》もすべてにおいがうつっている。夜、自分の部屋にいると、あんなにたくさん殺したというのに、まだ家具の下にうごめく音、炎天下に豆の莢《さや》のはじけるのに似たあの鞘翅《しょうし》のかさかさいう音が聞こえた。この夜も私は眠れなかった。その上家のまわりでもすべては目覚めていた。炎は平野のはしからはしまで地面すれすれに走っていた。アルジェリア狙撃兵はまだ殺しているのだった。
あくる日、前日と同じく私が部屋の窓をあけると、蝗はもう立ち去っていた。しかし、なんという荒廃《こうはい》を残して去ったことか! 花|一輪《いちりん》、草|一片《いっぺん》もない。すべては黒く、食いつくされ、また焼けただれているのだ。バナナの木、杏《あんず》の木、桃の木、蜜柑《みかん》の木は、風情《ふぜい》もなく、樹木の生命である葉のそよぎもなく、ただ裸《はだか》のその枝ぶりによってなんの木とわかるにすぎなかった。人々は池や水槽を浄《きよ》めていた。そこらじゅうで農夫たちは土を掘って、蝗の残して行った卵を殺していた。土くれの一つ一つをたんねんに掘りかえし砕《くだ》くのだ。そしてこの肥《こ》えた土の崩《くず》れるなかにあらわれる、みずみずしい無数の白い根を見ると、胸がしめつけられるような思いがするのだった。
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ゴーシェ神父の養命酒
「こいつを一杯やってください。味はどうですかな」
そう言って、一滴一滴と真珠《しんじゅ》の粒《つぶ》を数える宝石商のように細心の注意をこめて、グラヴゾンの司祭は金色がかった温かそうなきらめきを放つ上等の緑のリキュールをちょっぴりついでくれた……。それのおかげで私の胃袋《いぶくろ》はすっかりぽかぽかしてきた。
「これはゴーシェ神父の養命酒です。このプロヴァンスの喜びと健康のもとでしてね」と人のいいこの男は得々《とくとく》として言うのだった。「あなたの風車から二里ほど離れたプレモントレ派の修道院で作ってるんですよ……。世界じゅうのシャルトルーズ〔十一世紀、聖ブルノーが設立した教団の修道院。ここでは最初その修道院で作られたリキュールのこと〕が束になってもこれにはかなわんでしょう?……それに、この養命酒のいきさつというのがどんなにおもしろいものか、ごぞんじだったらなあ! まあ、なによりお聞きなさい……」
こうして、「十字架への道」の小さな聖画をならべ、白い僧衣のように糊《のり》をきかせたきれいな明るいカーテンをつるした、いかにも邪気《じゃき》のない静かな司祭館のこの食堂のなかで、エラスムス〔宗教改革時代の人文主義者〕かダスゥシ〔十九世紀の滑稽詩人〕流の少々|懐疑《かいぎ》主義的で不信心めいた小話を、神父はなんの悪意も含ませずに、ごく淡白《たんぱく》に話しはじめたのだ。
二十年ほど前のことですが、プレモントレ教団員、というより、このプロヴァンスの人たちのいわゆる「白衣の神父」たちは、ひじょうな困窮《こんきゅう》に陥《おちい》りました。当時のこの教団の建物をごらんになったらあなたも心を痛められたでしょうよ。
大きな壁もパコーム〔紀元四世紀のエジプト、テバイド地方の聖者〕の塔もすっかり崩《くず》れ落ちてしまいました。回廊《かいろう》のまわりにはすっかり草が生《お》い茂り、列柱にはひびがはいり、聖人の石像は龕《がん》のなかで崩れてしまう有様。ステンド・グラス一枚、戸一つ満足なものはなかったんです。中庭でも礼拝堂のなかでも、カマルグに吹きまくっているようなローヌの河風が吹き入って、ろうそくの火を消す、ガラス戸の鉛《なまり》の枠《わく》をこわす、聖水盤《せいすいばん》の水をはねちらす。しかしなにより惨《みじ》めなのは、からっぽの鳩《はと》小屋のようにひっそりした僧院の鐘楼《しょうろう》で、神父たちは鐘を買うお金がないので、巴旦杏《はたんきょう》の木で作ったカスタネットを鳴らして朝のお勤めをしなければならなかったものです!……
気の毒な白衣の神父たち! 今でも目に見えるようですよ、聖体節の行列のとき、あの人たちが繕《つくろ》いだらけの外套《がいとう》を着て、かぼちゃや西瓜《すいか》だけを食べて血色のない痩《や》せた顔で陰鬱《いんうつ》にならんで行くのが。そしてそのうしろに僧院長さんが、金の剥《は》げた笏杖《しゃくじょう》や虫に食われた白い毛の僧帽を白日のもとにさらすのが恥ずかしくて、うなだれて歩いて来る。信徒団の御婦人方はそれを見て列のなかで泣いたものです。そして口ぎたない旗持ちたちは、哀れな坊さんたちのほうを指さして、
「椋鳥《むくどり》どもはかたまって歩くと痩《や》せるものさ」などと、声をひそめて仲間同志で嘲笑《ちょうしょう》するのでした。
じっさいのところ、白衣の神父たちは自分でも、勝手に世界を飛びまわってめいめい自分の餌《えさ》をさがしてくるほうがいいんじゃないかと考えるまでになっていたのです。
さて、ある日この重大な問題が参事会で論議されていたとき、同じ教団のゴーシェ修道士が会議で話したいことがあると言っていると僧院長に告げられました……。御参考までに申せば、このゴーシェは僧院の牛飼《うしか》いなんです。つまりこの男は、敷石の隙間《すきま》に生《は》える草をあさる二頭の痩せこけた牝牛《めうし》を追って、回廊の拱門《きょうもん》から拱門へと歩きまわって日を送っているのでした。十二歳まで、ベゴンおばさんと呼ばれていたボー地方の頭のおかしいばあさんに育てられ、その後僧院に引き取られたこの不幸な牛飼いは、牛を追うことと「主祷文《しゅとうぶん》」を誦することのほか何一つおぼえられませんでした。その主祷文もプロヴァンス語で言うのです。なにしろ石頭で、知恵といっては鉛《なまり》の剣《けん》みたいになまくらな男でしたからね。それにしても少々空想的でしたが、熱心な信者で、苦業衣を着て平気でいるし、道心|堅固《けんご》に規律に服し、それに働き者で!……
彼が愚直《ぐちょく》なのろまな様子で会議室にはいり、片足をうしろへ引いてお辞儀《じぎ》をするのを見ると、僧院長も参事会員も会計係もだれも彼も笑い出しました。山羊髯《やぎひげ》を生《は》やした少々気が変なような目つきの、このごま塩頭の人のよさそうな顔がどこかにあらわれると、いつもきまってみんなは笑いだしたものです。ですからゴーシェはそんなことに動じたりしませんでした。
「みなさん」と彼はオリーヴの核《かく》をつらねた数珠《じゅず》をひねくりまわしながら、いかにも馬鹿正直らしく言いました。「空樽《あきだる》がいちばんいい音をだすというのはまことに正しいことでしてな。じつは、このからっぽの頭をさんざん絞《しぼ》り抜いたあげく、この苦境から抜けだす方法が見つかったと思いますんで。
方法というのはこうです。みなさんはベゴンおばさんをよくごぞんじですね、私が小さかったころ世話してくれた正直なばあさんです。(神さまがあのふざけたばあさんの霊《れい》をお引き取りくださいますように! 飲んだあとでいつもまことに下品な歌をうたったもんですがな)
で、みなさまがた、このベゴンおばさんは生前、山の草のことについてはコルシカの年を経《へ》た鶫《つぐみ》と同じくらい、いや、それ以上によく知っておりました。それどころか晩年には、私とふたりでアルピーユの山のなかに行って摘《つ》んで来た五、六種の薬草を混《ま》ぜて、類のない養命酒まで自分でこしらえたもんですわい。あれからもう何年にもなりますが、聖アウグスティヌスの加護《かご》と院長さまのお許しがあれば、私も――よく考えてみれば――あの謎《なぞ》の養命酒の製法を思い出せるかと存じます。そうなりゃ後は、それを壜《びん》につめて少々高く売り出しさえすればいいんです。トラピストやグランド派の教団の兄弟たちと同様に、これによってわが教団もすこしずつお金を作ってゆくことができましょう……」
最後まで言う間《ま》もあらばこそ、院長は飛びあがって彼の首ったまにかじりつき、参事会員たちは彼の手を握《にぎ》る、会計係はほかのだれよりも感激《かんげき》して、彼の肩衣《かたぎぬ》のぼろぼろになった縁《へり》にうやうやしく接吻《せっぷん》する始末……。それから一同はそれぞれの席にかえって討議し、参事会はその場で、ゴーシェ修道士が養命酒の製造に専心集中することができるように、牝牛《めうし》の世話はトラジビュール修道士にまかせることに決したのです。
どのようにしてこの善良な修道士がベゴンおばさんの製法を思い出すことができたか? どんな努力を払ってか? どれほど徹夜《てつや》して苦しんだか? そういう話はつたわっていません。ただはっきりしているのは、それから半年ののちには白衣の神父たちの養命酒はすでにひじょうに評判になっていたということです。旧法皇領全域、アルル全域で、食糧倉《デパンス》の奥の煮ぶどう酒の壜《びん》とオリーヴの生漬《なまづけ》の壺《つぼ》のあいだに、プロヴァンスの紋章《もんしょう》で封《ふう》をし、ひとりの修道僧が欣喜雀躍《きんきじゃくやく》しているところを描いた銀のレッテルのついた、茶色の土製の小さな壜をしまっていない農家《マス》や納屋は一つもありませんでした。
この養命酒がはやったおかげで、プレモントレ教団はたちまちのうちに豊かになりました。パコームの塔も再建される。僧院長は新しい僧帽を買い、聖堂には美しく細工《さいく》したガラス窓ができる。そして鐘楼《しょうろう》の繊細《せんさい》な鉄細工のなかでは、ある復活祭の朝、大小の鐘がいっせいに高らかに鳴りだしたものです。
ゴーシェ修道士はといえば、そのヤボくささのため僧会の一同をいつもあれほど笑わせていた哀れな平修道士にすぎませんでしたが、今ではもうそんな修道士は僧院のなかにいないも同然でした。あれからというものは賢くて学のある尊敬すべきゴーシェ神父としか見られず、僧院のこまごまとした雑事とはいっさい無縁になって、三十人もの修道僧が山を歩きまわって彼のために香草をさがしているあいだ、一日じゅう自分の酒造所にとじこもっていました……。だれひとり、院長すらも立ち入ってはならないとされているこの酒造所は、参事会の庭のはずれにある見捨てられた古い礼拝堂でした。世間知らずの神父さんたちはこの場所を、何か神秘的な恐ろしいところのように思いなしてしまって、たまたま好奇心の強い大胆《だいたん》な若僧が蔓《つる》を伸ばしたぶどうにしがみついて玄関のばら窓までよじのぼっても、妖術使《ようじゅつつか》いのような髯《ひげ》を生《は》やしたゴーシェ神父が目盛秤《めもりばかり》を片手に焜炉《こんろ》の上にかがみこんでいるのを見ると、ぎょっとしてさっところがり落ちたものです。のみならずそのまわりには、桃色の砂岩のレトルト、巨大な蒸留器《じゅりゅうき》、クリスタル・ガラスの蛇管《じゃかん》といった、いろいろの奇怪なものが雑然とならんで、ステンド・グラスの赤い光のなかで妖《あや》しい炎《ほのお》を放っているように見えたのですから……
日が暮れ、夜のアンジェリュスの鐘が鳴ると、この神秘の場所の戸がひっそりとあき、神父は夜のお勤めのために聖堂へ出かけます。彼が修道院を横切って行くとき人々がどんな風に迎えるかはまったく見物《みもの》でした! 修道士たちは彼の両側に垣《かき》を作って言ったものです。
「シッ!……あの方は秘法《ひほう》を知っていらっしゃる!……」
会計係は彼のうしろにしたがい、話をするときには頭をたれる……。こういった阿諛追従《あゆついしょう》のただなかを、神父は鍔《つば》の広い三角帽をまるで後光みたいにあみだにかぶって、額《ひたい》を拭《ふ》き拭き歩いて行くのでした、オレンジを植えた中庭や、新しい風見がぐるぐるまわっている屋根や、輝くように白い回廊《かいろう》――優雅《ゆうが》な花模様の列柱のあいだの――のなかを真新しい服を着た参事会員が安らかな顔をしてふたりずつ並んで歩いて行くのを、満足げに見まわしながら。
「これはみんなわしのおかげなんだ!」と神父は心のなかで言いました。そう思うたびにむらむらと不遜《ふそん》な気持ちが湧《わ》きあがってくるのです。
かわいそうに、彼はその罰《ばつ》を受けました。それは今にわかるでしょう……
ある晩、お勤めのあいだに彼はひどくそわそわして聖堂にやって来ました。赤くなり、息を切らせ、頭巾《ずきん》をはすにかぶり、妙にへどもどしていて、聖水を汲むとき袖を肘《ひじ》まで濡《ぬ》らしてしまったほどなのです。遅刻《ちこく》したのであわてているのだろうと最初みなは思いました。けれども、主祭壇《しゅさいだん》に対してではなくオルガンや二階席にむかって最敬礼し、突風のように聖堂のなかを走り抜けて、五分間も聖歌隊席のなかをうろうろして自分の席をさがし、すわってしまってから今度はいい気になってにこにこしながら右へ左へ頭をさげるのを見て、驚きのつぶやきが会堂全体に走りました。聖務|日祷書《にっとうしょ》のかげでひそひそささやきがかわされる。
「いったいゴーシェ神父さんはどうなすったんでしょう?……ゴーシェ神父さんはどうなすったんでしょう?」
僧院長はこらえかねて、静粛《せいしゅく》を命じるために二度も笏杖《しゃくじょう》を敷石に打ちおろした……。聖歌隊席の奥では聖歌がずっと歌われているが、答唱《とうしょう》には元気がない……
とつぜん「アヴェ・ヴェルム」の最中に、ゴーシェ神父が自分の席にすわったまま身をのけぞらして、大声をはりあげて歌い出したものです。
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パリの都に 白衣の神父さん
パタタン パタタン タラバン タラバン
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一同|愕然《がくぜん》。みんな立ちあがる。だれかが叫ぶ。
「連れて行け……悪魔《あくま》にとりつかれたんだ!」
参事会員は十字を切る。院長は笏杖《しゃくじょう》をふりまわす……。が、ゴーシェ神父には何一つ目にも耳にもはいらない。で、ふたりの屈強《くっきょう》な修道僧が、悪魔ばらいをされる人みたいにじたばたしながらいっそう声をはりあげてパタタン、タラバンを歌いつづける彼を、聖歌隊席の小さな扉《とびら》から引きずり出さねばなりませんでした。
あくる日の夜明けに、不幸な男は院長の祈祷所《きとうしょ》にひざまずいて、滝《たき》のように涙を流しながら罪の告白《こくはく》をしていました。
「養命酒なんです、院長さま、養命酒のやつに瞞《だま》し討ちされたんです」と彼は胸をたたきながら申します。
で、彼がこんなに恐縮《きょうしゅく》し、こんなに後悔《こうかい》しているのを見て、院長自身もすっかり情《じょう》にほだされてしまいました。
「まあまあ、ゴーシェさん、おちつきなさい。あんなことはみんな、日の光を浴《あ》びた朝露《あさつゆ》のように消えてしまいますよ……。結局のところ、あの醜態《しゅうたい》はあなたが考えるほど大きなものではなかったんだから。もちろんあの歌は少々……ふん、ふん!……とにかくまあ、修錬中の若いものに聞かれなかったものと思いたいところですがね……。さてそれでは、いったいどうしてあんなことになったのか、聞かしてくださらんか……。養命酒の味見をしているうちにでしょうな? ちょっと飲みすごしたんだって……うんうん、わかりますよ……。火薬を発明したシュヴァルツ修道士みたいなもんだ。あなたは自分の作ったものの犠牲《ぎせい》になったんですよ……。ではね、いったいあなた自身が味見をすることがどうしても必要だろうか、あの恐ろしい養命酒の?」
「遺憾《いかん》ながらそうなのです、院長さま……試験管でももちろんアルコールの強さや濃度《のうど》はわかります。しかし最後の仕上げや舌《した》ざわりのやわらかさについてはどうしても自分の舌しか頼れないんで……」
「ははあ、よろしい……。しかしもうすこしよく聞かしてください……。必要からそうして養命酒の味見をするとき、おいしいと思いますか? 楽しいですか?……」
「残念ながらそのとおりで」と不幸な神父は赤面しながら言った……。「この二晩、なんともいえないすてきなにおいがしますんで!……こりゃあきっと、悪魔《あくま》の奴《やつ》がいたずらしてるに相違ありません……。ですから私は、今後はもう試験管しか使うまいと固く決心したんです。酒の≪こく≫が少々欠けても、色艶《いろつや》が少々不足してもしかたがありません……」
「そりゃあ、やめてください」と院長はあわてて口をはさみました。「おとくいさんの不満を買うようなことはしてはならない……。一度こうしたことがあった以上、自分で注意することがなにより肝心《かんじん》です……。ときに、味がわかるにはどれほど飲まなければなりませんか?……十五|滴《てき》か二十滴でしょう?……二十滴としましょう……二十滴ばかりであなたを虜《とりこ》にしてしまえたら、悪魔もよほど曲者《くせもの》だ……。それとは別に、万一のことがあるといけないから、今後あなたは聖堂のお勤めに出なくてもいいことにします。酒造所で夕べのお勤めをなさるのだ……。それではもう安心していなさるがいい、そしてなによりも……一滴二滴とよく数えるのですよ」
ところがなんと! 哀れな神父がいくら一滴二滴と数えてやってもだめだった……悪魔は彼をつかまえていて、もはや放しはしなかったのです。
今後は酒造所のなかで風変わりなお勤めが聞かれたのでした。
それでも昼間は万事うまくゆく、神父はかなりおちついています。焜炉《こんろ》や蒸溜器《じょうりゅうき》の準備をし、たんねんに草をよりわける。すべて上質の、灰《はい》色の、ぎざぎざのある香り高く日に乾《ほ》されたプロヴァンスの草でした……。ところが夜になって、薬草が煎《せん》じられ、赤銅《しゃくどう》の大きな鍋《なべ》のなかで養命酒があたたかくなってくると、哀れな男の苦悶《くもん》がはじまるのです。
「……十七……十八……十九……二十!……」
滴《しずく》は吹管《すいかん》からメッキした銀の湯呑《ゆのみ》のなかにしたたり落ちる。この二十|滴《てき》を神父はほとんど喜びもおぼえずにいっきに飲みくだす。と、なんとしても二十一滴めがほしくてたまらなくなる!……そこで誘惑《ゆうわく》を逃《のが》れようとして彼は実験室のいちばん奥へ行ってひざまずき、一心不乱に主祷文《しゅとうぶん》をとなえる。けれどもまだあたたかい酒からは芳香を帯《お》びた一筋《ひとすじ》の湯気が細くたちのぼり、彼のまわりをゆらめき、いやおうなしに彼を鍋《なべ》のそばに引きもどしてしまうのです……。酒はきれいな金緑色です。……その上にかがみこみ、鼻の穴《あな》をひろげて神父は吹管で静かにかきまわす、エメラルド色のなみなみとした液体のおもてにうかぶ小さくきらめく光のなかに、ベゴンおばさんの目が見えるような気がします。その目は笑い、彼を眺めながらきらきら光っている。
「さあ、もう一滴!」
そして一滴また一滴と、不幸な男はしまいに湯呑になみなみとついでしまう。それから力尽きて大きな肘掛椅子《ひじかけいす》に倒れるようにすわると、体《からだ》をだらりとさせ、目をなかばつぶって彼はちびりちびりと自分の罪《つみ》を味わうのでした、甘美《かんび》な悔恨《かいこん》とともに低い声でこうつぶやきながら。
「ああ、おれは地獄《じごく》に落ちる……地獄に落ちる……」
いちばんおそろしいのは、この魔性《ましょう》の養命酒にへべれけになると、なんの祟《たた》りかベゴンおばさんのあの俗悪な歌が一つ残らず思い出されてくることでした。「おしゃべり女が三人そろって 酒盛りしようと言っている……」とか、「アンドレどんのベルジュレット ひとりで森へお出かけか……」とか、そしておきまりのあの「パタタン パタタン」の白衣の神父の歌です。
翌日、隣の僧房の人たちから、
「やあやあ、ゴーシェさん、昨晩おやすみになるときに、あなたの頭のなかに蝉《せみ》がはいっていたんですな」などと意地悪い顔で言われるときの、彼の恐縮《きょうしゅく》ぶりを考えてみてやってください。
さあそこで涙を流す、絶望する、断食《だんじき》だ、苦業だ、戒律《かいりつ》だ、しかし養命酒の悪魔に対してはなんのききめもない。そして毎夜同じ時刻に悪魔は乗りうつってくるのでした。
その間にも注文はありがたいことに僧院につぎからつぎへとやってきました。ニーム、エクス、アヴィニョン、マルセイユからまで来るのです……。日一日と僧院は工場めいてきた。荷造り、札貼《ふだは》り、帳簿づけ、運送と、それぞれ専門の修道士ができたほどです。神さまへのお勤めはそのためおろそかになって、ときどき鐘を鳴らすのもいいかげんになりました。といって、土地の連中は、これは請け合いますが、ぜんぜんそれで損《そん》をするようなことはありませんでしたが……
ところが、ある日曜の朝、僧会の全員を集めて会計係が年末の収支決算を読みあげ、参事会員たちが目を輝かせ口もとに笑《え》みをうかべてそれを傾聴《けいちょう》していたとき、ゴーシェ神父がこう叫びながら会議のまんなかに飛びこんで来たのでした。
「もうおしまいだ……。もう我慢《がまん》できない……。また牛の世話をさせてください」
「いったいどうしたんです、ゴーシェさん?」と、どうしたのかうすうす感づいていながら院長はたずねました。
「どうしたかって、院長さま……。私が地獄《じごく》の劫火《ごうか》で焼かれ、熊手《くまで》で突き刺《さ》されるような身になりつつあるってことですよ……。酒を飲むんですよ、極道者《ごくどうもの》みたいに飲むんです……」
「しかし一滴二滴と数えるように言っといたはずだが」
「ああ、いかにもそのとおり、数えるんだ! しかし今じゃ一杯二杯と数えねばなりますまいて……。そうなんです、みなさん、私はそうまでなりさがってしまったんだ。一晩三|壜《びん》ですよ……。こんな調子じゃやってゆけないことはわかってくださるでしょう……。ですから、だれでもいいからほかの人に養命酒を作らせてください……。これ以上こんな仕事に手を染めたら、神さまの火が私を焼いてしまうがいい!」
一同はもう笑いませんでした。
「そいつはひどい、あなたのおかげで私たちは破産してしまう!」と会計係は原簿を振りまわして叫ぶ。
「それじゃ私が地獄落ちしたほうがいいとおっしゃるか?」
ここにいたって院長は立ちあがりました。
「みなさん」と彼は司教の位《くらい》を示す指輪の光る白いきれいな手を伸ばして言いました。「すべてを解決する方法が一つあります……。神父、悪魔があなたを誘惑《ゆうわく》するのは夜なんでしょう?……」
「そのとおりで、院長さま、毎晩きまってです……。ですから近ごろは、夜がやって来ると、はばかりながら私はびっしょり汗《あせ》をかくのですよ、積荷を持って来られたときのカピトゥーの驢馬《ろば》みたいに」
「よろしい、それでは安心しなさい……。これから毎夜のお勤めのとき、私たちはあなたのために、完全|免罪《めんざい》の意を含む聖アウグスティヌスの祈《いの》りをとなえましょう……。そうすれば、どんなことがあろうとあなたは大丈夫だ……。罪を犯《おか》しているあいだに罪障消滅《ざいしょうしょうめつ》がおこなわれているわけだから」
「おお、それはいい! ありがとうございます、院長さま!」
そして、それ以上もう何も言わずにゴーシェ神父は蒸溜器《じょうりゅうき》のところへ帰りました、ひばりのように身も心も軽く。
事実このときから毎夜の終課の終りに、司祭者はかならずつぎのように言うのでした。
「教団のために自分の魂《たましい》を犠牲《ぎせい》にしている私たちの気の毒なゴーシェ神父のために祈りましょう……オレムス・ドミネ……」
そして暗い本陣《ほんじん》のなかにひれふす白い頭巾《ずきん》の上を、雪の上を渡るかすかな北風のようにふるえながら祈りの言葉が流れてゆくあいだ、僧院のいちばん奥の、酒造所の赤く燃えるようなガラス戸のなかで、ゴーシェ神父が声をかぎりにがなりたてているのが聞こえたものです。
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パリの都の 白衣の神父さん
パタタン パタタン タラバン タラバン
パリの都の 白衣の神父さん
トラントランとお庭のなかで
小さな尼《あま》さんを 踊らせたとさ
小さな尼さんを……
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……ここで善良な司祭は愕然《がくぜん》として言葉を切った。
「南無三《なむさん》! 教区の人たちにこんな話を聞かれたら!」
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カマルグで
1 出発
別荘《シャトウ》では大騒ぎだ。使いの者が猟番《ルディルー》からの言《こと》づてを持って来る。フランス語とプロヴァンス語のちゃんぽんで、鷺《さぎ》と千鳥のみごとな群れがもう二、三度通ったし、「春の渡り鳥」も渡って来たと伝えてきたのだ。
「あなたも仲間にはいってもらいます」と親切な近所の人から手紙があった。そして今朝《けさ》、明け方の五時に、彼らの大型の四輪馬車は銃《じゅう》や犬や食糧を積んで、丘の下まで私を迎えにやって来た。こうして今私たちをのせた馬車は、オリーヴの木の薄い緑はほとんど目にうつらず、ケルメス槲《かしわ》のどぎつい緑がいかにも常緑樹《じょうりょくじゅ》らしすぎてちょっと不自然な感じのするこの十二月の朝の、少々|乾燥《かんそう》した、少々|蕭条《しょうじょう》としたアルル街道を走って行く。家畜《かちく》小屋の家畜が動いている。夜の明けぬうちに起き出して、ガラス窓にあかりを見せている農家《マス》もある。くっきりと輪郭《りんかく》を浮き出した石造りのモンマジュールの修道院では、まだ眠気の去らない尾白鷲《おじろわし》が廃墟《はいきょ》のなかで羽をばたばたさせている。しかし溝《みぞ》に沿って行くと、小さな騾馬《らば》を駆《か》って市場に急ぐ百姓のばあさんたちと早くもすれちがう。彼女らはヴィル=デ=ボーから来たのだ。六里たっぷり歩いて来て、サン=トロフィーム寺院の前の階段に一時間もすわり、山で摘《つ》んだ薬草を小さな包みにして売るのだ!……
さて、もうアルルの城壁《じょうへき》だ。槍《やり》を持った戦士たちが身の丈《たけ》より低い土手《どて》の上にあらわれるのを描いた昔の版画《はんが》に見られるような、銃眼《じゅうがん》のついた低い城壁。車はこのすばらしい小都市をギャロップで走り抜ける。彫刻《ちょうこく》をほどこした丸味を帯《お》びたバルコンが、狭《せま》い街路の中央までアラビア建築の張り出し窓のように突き出し、団子鼻《だんごばな》のギヨーム公やサラセン人の時代を思わせる尖弓形《せんきゅうがた》の低いモール風の小さな戸のついた黒い古い家々をつらねた、フランスでもっとも絵画的な都市の一つだ。この時刻にはまだだれもおもてに出てはいない。ローヌの河岸だけが活気づいている。カマルグと連絡している汽船が階段の下で出帆《しゅっぱん》準備をととのえて蒸気をあげている。焦茶《こげちゃ》のセルの上着を着た地主たち、農家《マス》の仕事に雇《やと》われて行くラ・ロケットの娘たちが、仲間同志でおしゃべりをし笑いながら私たちといっしょに甲板《かんぱん》にあがる。朝の肌《はだ》寒い空気をきらってかぶった長い茶色の頭巾《ずきん》の下のアルル風の高い髪形《かみがた》は、娘たちの顔を端麗《たんれい》に、小さく見せている。ただしそこには、なにかあつかましいような、すこし羽目をはずして笑ったりふざけたりしたいというような気《け》ぶりが見られもするが……。
鐘が鳴る。出帆だ。ローヌ河《がわ》の流れと推進機《スクリュー》とミストラルの三者が船脚《ふなあし》を速めて、両岸の景色はすばやく展開する。一方は石の多い不毛の原野、クローだ。他方のカマルグは、もっと緑が多く、背の低い草地と蘆《あし》におおわれた沼沢地を海までひろげている。
ときどき船は、右や左に、中世のアルル王国時代の言い方、いや、今日でもローヌ河の老船頭たちの使っている言い方によれば、帝国側や王国側にある浮桟橋《うきさんばし》のそばに止まる。浮桟橋の一つごとに、白い農家と一群の木立があるのだ。労働者たちは道具を持って、女たちは籠《かご》をかかえて、タラップの上にしゃんと身を起こして降《お》りて行く。帝国領へ、また王国領へと、船はすこしずつ人をおろして行き、そして私たちの降りるル=マス=ド=ジローの浮桟橋に着いたときには、船の上にはほとんどもうひとりもいなかった。
ル=マス=ド=ジローはバルバンターヌの代々の領主の古い農園で、私たちはそこへはいって、私たちを迎えに来るはずの猟番《ルディルー》を待つことにした。天井の高い台所には、農夫もぶどう作りもおとなや子供の羊飼《ひつじか》いも、農園のすべての男たちが食卓について、重々しく黙々と、ゆっくりと食べている。女たちが給仕しているが、彼女らはあとで食事をするのだ。やがて猟番ががた馬車でやって来る。まさにフェニモア〔アメリカの十九世紀の冒険小説家〕流の、水上でも陸上でも本職の猟師、密猟《みつりょう》および密漁の番人で、土地の人々からはル・ルディルー(徘徊者《ル・ロドウール》)と呼ばれているが、それは蘆《あし》のなかで待ち伏せしているところや、あるいは小さな船のなかで身動きもせずにクレール(沼)やルゥビーヌ(灌漑《かんがい》用水路)の簗《やな》をひたすら見張っている姿が、明け方やたそがれどきの霧《きり》のなかにいつも見られているからなのだ。
彼がこんなに言葉少なで、こんなに打ち解《と》けぬ人間になったのは、おそらく絶えず何かをうかがっているというこの職業のためなのだろう。しかし、銃《じゅう》と籃《かご》をのせた馬車が私たちの前を進んで行くあいだ、彼は鳥が何度渡って来たとか、渡り鳥がどのあたりに降りたかなどと、猟の状況を私たちに教えてくれる。こうしておしゃべりしながら一行はカマルグのなかへ進み入る。
耕地《こうち》を通り抜けると、もう荒寥《こうりょう》としたカマルグのまんなかだ。見わたすかぎり牧場の合い間にクレールやルゥビーヌが≪おかひじき≫の草のなかで光っている。御柳《タマリスク》や蘆《あし》の茂みが静かな海にうかんだような小島をなしている。高い木はない。平原の単調で広大な景観をみだすものはない。ところどころに家畜の囲い場がほとんど地面すれすれの低い屋根を見せている。あちこちに散らばって、あるいは塩地性の草のなかに寝そべり、あるいは牧夫の焦茶《こげちゃ》色のマントのまわりに密集して歩いている羊の群れも、青い地平線と広い空のこの無限の空間のために小さく見えて、変化のないこの大らかな線をたちきることはない。いくら波があっても平らに見える海と同じく、この平原からも寂寥《せきりょう》の、広漠《こうばく》さの感じが放散している。そしてこの感じは、なんの障害《しょうがい》もなしに休みなく吹きまくり、その強力な息吹《いぶき》で風景を坦《な》らし拡大しているように見えるミストラルのために、なおさら強められる。すべてのものがミストラルの前では頭をさげる。どんな小さな灌木《かんぼく》もミストラルの足痕《あしあと》をとどめて、ねじれ、絶えず逃げて行こうとする姿勢で南のほうへ倒れ伏しているのだ……
2 小屋
蘆《あし》の屋根、乾いた黄色の蘆の壁、これが小屋《カバーヌ》だ。われわれの猟の集合所はカバーヌと呼ばれている。カマルグの家屋の典型であるこの小屋は、天井が高くて広く窓のない一間だけで、ガラス戸から光を取り、夜はこの戸は鎧戸《よろいど》でとざされる。野呂《のろ》で白く塗《ぬ》った大きな壁いちめんにめぐらした棚《たな》が、銃や獲物《えもの》袋や沼沢用の長靴を待ち受けている。奥には五つか六つの揺籃《ゆりかご》型の寝台が、地面に立てた本物のマストのまわりにならんでいる。このマストは屋根までとどき、屋根をささえているのだ。夜、ミストラルが吹き、家のそこらじゅうががたがたし、遠くの海が風のために近くなったように思われ、波の音がよけい大きくなって運ばれてくると、船室で寝ているような気がする。
しかし小屋《カバーヌ》が快適なのはなによりも午後のあいだなのだ。南国の晴れた冬の日、御柳《タマリスク》の根がいくつかくすぶっている背の高い暖炉《だんろ》のそばにひとりぼっちでいるのが私は好きだ。ミストラルやトラモンターヌが吹きつけて来て、戸はばたばたし、蘆はきしり、そしてこれらすべての振動は周囲の自然の大きな動揺のまことに小さな≪こだま≫をなしているのだ。冬の太陽は巨大な風の流れに打たれて砕《くだ》け、その光線をあるいは一つに合わせ、あるいは散乱させる。大きな影がすばらしい青空の下に走る。光は断続的にやって来る。物音も同じだ。そして羊《ひつじ》の群れの鈴の音がとつぜん聞こえたかと思うと、風にまぎれて消え失せ、そしてまたばたばたする戸の下で歌の|折り返し句《ルフラン》のように美しく歌いだす……。とりわけすばらしい時刻は、猟師たちがやって来るちょっと前のたそがれどきだ。このころは風は凪《な》いでいる。私はちょっと外へ出る。赤い大きな太陽が熱を失って燃えながら静かに沈んで行く。夜が来、その湿《しめ》った黒い翼ですれちがいざま人を撫《な》ぜて行く。むこうの地面すれすれに、銃を発射した光が、周囲の闇《やみ》のためにいっそう鮮明に見える赤い星のようにきらめいて走る。暮れなずむ光のなかに生あるものはねぐらへ急ぐ。長い三角形を作った鴨《かも》が着地しようとしているかのようにごく低く飛ぶ。が、小屋でふいにランプがともったので彼らは遠ざかる。列の先頭の鴨が首を上げて舞い上がり、そしてそれにつづく連中も荒々しい啼《な》き声とともに高度をあげるのだ。
やがて雨の音のような無数の足音が近づいて来る。数千の羊たちが牧夫たちに呼びもどされ、犬たちに攻めたてられながら、おずおずと規律なく囲い場のほうへひしめいて行く。犬たちの縦横にかけまわる音、喘《あえ》ぐ音が聞こえる。私はちぢれた毛とめーめーという啼《な》き声のこの渦《うず》まきのなかに揉《も》まれ、押され、まきこまれてしまう。まったく大波だ。牧夫たちとその影は飛びはねる波で押し流されて行くように見える……。羊の群れのあとから、こんどは聞きなれた足音、楽しげな声がする。小屋《カバーヌ》はいっぱいになり、活気と騒音《そうおん》に満ちる。ぶどうの蔓《つる》は燃える。人々は疲れていればいるほどよけいに笑う。銃を片隅に置き、大きな長靴を乱暴に脱ぎ棄て、獲物《えもの》袋の中身をあけ、どれもこれも血まみれの焦茶《こげちゃ》色や金色や緑や銀色の羽をそのそばに置いて、こころよい疲労《ひろう》に放心しているのだ。食事の準備ができる。そしておいしい鰻《うなぎ》スープの湯気のなかに沈黙がくる、たくましい食欲のもたらす大きな沈黙が。それを破るのはただ、戸の前でさかんに碗《わん》をなめている犬たちの獰猛《どうもう》なうなり声だけだ……
夜ふかしはしない。これまた目をしょぼしょぼさせている火のそばにはもう猟番《ルディルー》と私しかいない。私たちはおしゃべりをした。といっても、ときどき百姓流儀《ひゃくしょうりゅうぎ》にみなまで言いきらぬちょっとした言葉、燃え尽きたぶどうの蔓《つる》の最後の火花のようにたちまち消える、ほとんどインディアンの口にするような間投詞《かんとうし》を投げかわすだけにすぎないのだが。しまいに猟番は立ちあがり、ランタンに火をつける。そして私は彼のどっしりした足音が夜の闇《やみ》のなかに消えて行くのに耳をかたむける……
3 待ち伏せ
エスペール〔プロヴァンスの方言で「待ち伏せ」の意。フランス語の「エスペレ」(期待する、希望を持つ)の動詞の単数第三人称と同じ〕! 待ち伏せを、猟師が身をひそめて待つことを、そしてまた昼と夜のあいだで、すべてが待ち、期待《エスペール》し、どちらにつこうともしないあの不決断のときをあらわすのに、これはなんと気の利いた言葉であろう。日の出のすこし前の朝の待ち伏せ、たそがれどきの夕べの待ち伏せ。私が好きなのはこの後者のほうだ、とくに沼《クレール》の水がいつまでも光を失わないでいるこの湿地帯では……
ときにはネゴシャン(|犬溺れ《ネイ・シャン》)と呼ばれる、竜骨《りゅうこつ》のない、狭くてほんのちょっとでも動くとすぐ揺れるごく小さな船のなかで待ち伏せすることもある。蘆《あし》にかくれた船のなかで猟人は鴨《かも》をねらう。船の上に出ているのは鳥打帽のひさしと、銃身《じゅうしん》と、風を嗅《か》ぎ、蚊《か》をくわえようとし、あるいは大きな足を伸ばして船全体を傾斜《けいしゃ》させ、船のなかを水びたしにする犬の頭だけだ。この待ち伏せは無経験の私にとっては面倒すぎる。で、たいてい私は歩いて待場《エスペール》に行く、大きな一枚|革《がわ》の長靴でクレールのまんなかをざぶざぶ渡りながら。泥《どろ》に足を取られるのはこわいから、ゆっくりと慎重《しんちょう》に歩く。潮《しお》くさいにおいに満ち、蛙《かえる》がそこらじゅうにはねまわる蘆のなかに分け入るのだ……
やっと御柳《タマリスク》の小島、ほんの小さな乾《かわ》いた地面だ。そこに陣取る。猟番《ルディルー》は客である私に敬意を表して、自分の犬を私につけておいてくれた。白いふさふさした毛のピレネー種の大きな犬で、水上でも陸上でも一流の猟犬だが、こいつにそばにいられるとどうしても気が気でない。鷭《ばん》が一羽そばを通ると、こいつは芸術家がやるように頭を振って、目にかかる長いだらりとした耳をうしろへはねのけながら、いやに皮肉に私の顔を見るのだ。それから身構《みがま》えて、しっぽを振る。すべてが、
「射ちなよ……射ちなったら!」と言っている焦燥《しょうそう》の身ぶりである。
射つ、あたらない。するとこいつは長々と寝ころがって、うんざりした、がっかりしたような、不遜《ふそん》な顔であくびし伸びをする……
いやまったく、私も認める、私はへたな猟師だ。待ち伏せは私にとっては、暮れ方の時刻、褪《あ》せて水のなかに消えて行く光、暗くなったら空の灰《はい》色の色合いを銀色にまで磨きあげる、光る沼《クレール》なのだ。ときどき物悲しい声が法螺貝《ほらがい》の音のように空を渡る。それは水禽《みずどり》のあの度はずれに大きな嘴《くちばし》を水底につっこみ、ルルウー……と息をつく≪さんかのごい≫だ。鶴《つる》の群れが頭上を飛んで行く……。羽の触《ふ》れ合う音、つめたい空気のなかで綿毛の乱れる音、それのみか、酷使《こくし》された小さな骨骼《こっかく》がぎしぎしいう音まで聞こえる。やがてすべては消え失せる。夜だ、ほんのわずかの光が水の上に残っているだけの深い夜だ……
とつぜん、背後にだれかがいるかのように、ある身ぶるいに、神経のひきつるような感じに襲われる。振り向く、すると晴れた夜の伴侶《はんりょ》である月が、まんまるな大きな月がひっそりとのぼって来るのだ。最初はひじょうにはっきりとした、しかし地平線から離れるにつれて速度をゆるめる昇り方だ。
すでに最初の光の筋が私のそばにくっきりと浮き出し、やがてもうすこし遠くにべつの光の筋がさしてくる……。今は沼地全体に光がともる。どんな小さな草むらも影を落とす。待ち伏せは終わりだ。鳥に見られてしまうから。もう帰らねばならない。青い、軽い、粉のような光の氾濫《はんらん》のなかを歩いて行く。そして私たちの一足《ひとあし》一足が、沼《クレール》のなか、灌漑用水路《ルゥビーヌ》のなかで、そこに落ちた星屑《ほしくず》や、底までさしこんでいる月の光をかきまわすのだ。
4 赤と白
私たちのところからすぐそば、小屋《カバーヌ》から鉄砲《てっぽう》のとどく距離に、似たような、しかしもっと粗末な小屋がある。例の猟番《ルディルー》が細君と上のふたりの子といっしょに住んでいるのはそこである。娘は男たちの食事の世話をし、漁網《ぎょもう》を繕《つくろ》う。男の子は父親を助けて簗《やな》を上げ、クレールのマルチリエール(水門)を監視《かんし》する。下のふたりの子はアルルの祖母《そぼ》のところにいる。読むことをおぼえ、「|嬉しい日《ボン・ジュール》」(最初の聖体拝領)を終えるまで、彼らはそこにとどまるだろう。ここは教会からも学校からも遠すぎるし、カマルグの空気は小さい子供たちにはまったくよくないからだ。じつは、夏になって沼沢地が干《ひ》上がり、ルゥビーヌの白い泥土が炎暑《えんしょ》のもとでひびわれると、島はもう住めたものではなくなるのだ。
私は一度、八月に若鴨《わかがも》を打ちに来てそれを見たが、この炎天下の土地のいたましいむざんな様相は永久に忘れないだろう。あちこちにクレールは巨大な醸造桶《じょうぞうおけ》のように蒸気を発しており、いちばん底のほうに生き残った連中が動きまわっていた。イモリ、クモ、水蠅《みずばえ》が湿《しめ》ったところをもとめてうごめいていた。そこには厄病《えきびょう》の気が、重くただよう瘴気《しょうき》の靄《もや》があり、無数の蚊柱《かばしら》でそれはいっそう濃厚に感じられた。猟番《ルディルー》の家ではみんなが体《からだ》をがたがたふるわせていた。だれもが熱を出していたのだ。そして、熱病|患者《かんじゃ》たちを元気づけるのではなく焼きつけるこの容赦《ようしゃ》ない烈日の下で、三か月ものあいだ足をひきずって歩かねばならないこの不幸な人々の、やつれた黄色い顔、隈《くま》のできた、いやに大きい目は、見るもあわれだった……。カマルグのルディルーのみじめな苦しい生活! まだしもこの男には細君や子供が身近にいる。しかし二里ほど先の沼沢地には、一年じゅうまったくひとりぼっちで、まさに孤島のロビンソンのような生活をしているひとりの馬番が住んでいるのだ。自分の手で作った蘆《あし》小屋のなかには、柳《やなぎ》の枝を編《あ》んだハンモック、黒い石を三つ集めて作った炉《ろ》、御柳《タマリスク》の根を切って作った腰掛けから、この風変わりな住居の戸じまりをする白木《しらき》の錠《じょう》や鍵《かぎ》にいたるまで、彼自身の手づくりでない道具というものはなかった。
主人公も、すくなくともそのすみかと同じ程度に変わっていた。世捨人《よすてびと》のように寡黙《かもく》な、農民らしい警戒心をもじゃもじゃの厚い眉毛《まゆげ》の下にかくしている、哲学者みたいな男である。牧草地にいないときには、自分の小屋《カバーヌ》の戸の前にすわって、子供っぽい、いじらしいほどの熱心さで、馬のために使う薬剤《やくざい》の壜《びん》を包んでいる桃《もも》色や青や黄色のあの小さなパンフレットの一つをぼつぼつと読んでいるところが見られる。哀れな男には読むこと以外に娯楽はなく、このパンフレット以外に本がないのだ。隣の小屋に住んでいるにもかかわらず、私たちのルディルーと彼とは顔を合わせることがない。出会うことさえ避《さ》けているのだ。ある日私はルディルーにこの反感の理由をきいてみたが、彼はしかつめらしい顔をして答えた。
「思想がちがうんでね……。奴《やつ》は赤でわしは白なんだ〔赤は共和主義、白は王党の象徴〕」
してみると孤独《こどく》によって結ばれていいはずのこの無人の土地のなかで、双方《そうほう》とも同じくらい無知な、同じくらい素朴《そぼく》なこのふたりの自然人、町には年に一度行くか行かぬかだけの、そしてアルルの小さいカフェなどを見ると、その金|塗《ぬ》りや鏡でプトレマイオス王家の宮殿を見たようにまぶしく思うような、テオクリトスの歌ったこのふたりの牛飼いは、なんとその政治的信条の名のもとに憎み合っているという次第なのだ。
5 ヴァカレス湖
カマルグでいちばん美しいのはヴァカレス湖だ。しばしば私は猟をやめてこの鹹湖《かんこ》のほとりへ行ってすわる。陸のなかにとじこめられ、そのようにとじこめられていることによって人間に親しいものとなった大海の一部のように見える、小さな海だ。乾燥《かんそう》と不毛のため海岸一帯はたいてい暗い感じに見えるが、ヴァカレス湖はそういうところがなく、やわらかいビロードのような草の青々した小高いその岸の上に、独自な魅力的な植物相をくりひろげている。矢車草、ミズガシワ、リンドウ、そしてあの可憐《かれん》な|いそまつ《サラデル》。これは冬は青く、夏は赤くなり、大気の変化によって色を変え、絶えず花を咲かせながらそのさまざまの色調で季節を示すのだ。
日が傾く午後五時ごろ、その広がりをせばめたり変化をもたらしたりする一艘《いっそう》の小舟、一枚の帆《ほ》も見えぬこの三里の水面は、すばらしい様相を帯《お》びる。それはもはや、いたるところに水がにじみ、ほんのちょっとした地面のくぼみがあればおもてに出てこようとしているのが感じられる、泥灰岩質《でいかいがんしつ》の地面の起伏のあいだに間《ま》を置いてあらわれるクレールやルゥビーヌの、内にこもった魅力ではない。ここでは印象は大きく広々としている。
遠くからこの波の輝きは黒鴨《くろがも》、青鷺《あおさぎ》、サンカノゴイ、桃《もも》色の翼《つばさ》に白い腹の紅鶴《べにづる》の群れをひきつける。彼らは岸にずっと沿って餌《えさ》を漁《あさ》るため列をなし、そのとりどりの色をしかるべく配して、一様な長い帯《おび》を作る。それから、トキ、ほんもののエジプトトキだ。彼らはこの輝かしい日光と、この沈黙の風景にいかにもふさわしい。じっさい私のいるところからは、波の打ちよせる音と、岸に散った馬を呼びかえす番人の声しか聞こえない。馬たちはみな響《ひびき》のいい名をつけられている。「シフェール《リュシフェール》!……レステロ!……レストゥルネロ!……」
名を呼ばれた馬はそれぞれたてがみを風にひるがえしながらかけつけて、番人の手から燕麦《えんばく》を食べに来る……
同じ岸のもっと先のほうに、馬と同じく自由に草をはんでいる牡牛《おうし》の大きな|群れ《マナード》がいる。ときどき御柳《タマリスク》の木立の上に、彼らの曲がった背と突っ立った三日月《みかづき》形の小さな角《つの》が私の目にうつる。カマルグのこの牡牛たちの大半は、フェラードで、村祭りでたたかわせるために育てられている。しかもそのうちの幾頭かは、プロヴァンスやラングドックの競技場ですでにその名をうたわれているのだ。というわけで、ここの隣のマナードには、とくに一頭、「|ローマ人《ル・ロマン》」と名づけられている恐るべき闘牛《とうぎゅう》がおり、こいつはアルル、ニーム、タラスコンの闘牛場でどれほど多くの人間や馬を引き裂《さ》いたかわからない。だからこいつの仲間たちはこいつを(頭目《とうもく》頭目《とうもく》と仰いでいる。というのは、この奇妙な畜群のなかでは、牛どもは自分らが統率者《とうそつしゃ》として選んだ一頭の老牛を中心にあつまって自治をおこなっているのである。何一つその方向をそらすものも引き止めるものもない平野のなかではとくに猛威《もうい》を発揮する嵐がカマルグを襲《おそ》うとき、マナードがその頭目のうしろに身を寄せ合い、すべての牛が頭をさげて、全力を集中したあの広い額《ひたい》を風のほうへ向けている光景は、一見の価値がある。わがプロヴァンス人の牧人たちはこういうやりかたを、ヴィラ・ラ・バーノ・オ・ジークル――角《つの》を風に向ける――と言っている。このやりかたに従わない牛の群れこそ不幸だ! 雨で目は見えず、暴風にひきまわされて、算を乱したマナードは同じところをぐるぐるまわり、狼狽《ろうばい》し、散らばる。そして血迷った牡牛《おうし》たちは嵐をのがれようとしてまっすぐ前へ突っ走り、ローヌ河かヴァカレス湖か海のなかへ飛びこんでしまうのだ。
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兵営への郷愁
今朝、夜がしらじらと明けはじめたころ、すさまじい太鼓《たいこ》の連打《れんだ》に私はぎょっとして目を覚《さ》ました……。ラン プラン プラン! ラン プラン プラン!……
こんな時刻に私の松林のなかで太鼓が!……いやはや、これは奇怪《きかい》なことだ。
大急ぎでベッドから飛びおり、走って行って戸をあける。
だれもいない! 音はやんでいる……。濡《ぬ》れた野生ぶどうのまんなかからタイシャクシギが二羽か三羽、翼《つばさ》を振りながら飛び立つ……。かすかな北風が木々のなかで音を立てている……。東のほう、アルピーユの繊細《せんさい》な峰《みね》には、金色の粉がかたまり、そのなかから太陽がゆっくりとあらわれ出る……。最初の光の筋はすでに私の風車小屋の屋根をかすめている。その瞬間、姿の見えぬ太鼓が畑にかくれてまた鳴り出す……。ラン……プラン……プラン、プラン、プラン!
あんな驢馬《ろば》の皮の太鼓など悪魔《あくま》にさらわれてしまえ! 私はあんなもののことは忘れていた。それにしてもとにかく、暁《あかつき》を迎えるために太鼓を持って森の奥へやって来る野蛮人なんていったい何者だろう?……いくら目をこらしてもわからない、何も見えないのだ……ラヴァンドの茂《しげ》みと急な斜面を下の街道のほうまで生《は》えている松の木のほかは……。きっと、あちらの藪《やぶ》のなかに何か妖精《ようせい》でも身をひそめて、私をからかっているのだろう……。多分エアリエル〔シェイクスピアの『テンペスト』の中の空気の精〕か、それともパック〔イギリス民話に出てくる、いたずら好きな小妖精〕親方か。私の風車小屋の前を通りかかってそのふざけた奴《やつ》はこう思ったのだろう。
「あのパリの奴は家のなかでいやにおちついてやがる、ちょっと朝の音楽をしてやろうかい」
そう言って大きな太鼓を取り、そして……ラン プラン プラン!……ラン プラン プラン!……静かにしないか、パックのろくでなしめ! ぼくの蝉《せみ》たちが目を覚ましちゃうじゃないか。
それはパックじゃなかった。
ピストルというあだ名で、第三十一歩兵連隊の鼓手《こしゅ》、目下《もっか》のところ半期休暇中のグゥゲ・フランソワだったのだ。ピストルはこの国じゃ退屈なのだ。郷愁《きょうしゅう》に悩《なや》まされているのだ、この鼓手は。で――村の楽器を貸そうと言ってくれたときは――悲しい気持ちで森へ行って、ユジェーヌ大公街の兵営のことを夢みながら太鼓《たいこ》をたたくのだ。
今日《きょう》彼が夢想にふけりに来たのは私の小さな緑の丘だ……。一本の松にもたれて立ち、太鼓を脚《あし》のあいだに置いて、思う存分楽しんでいる……。怯《おび》えた鷓鴣《しゃこ》の群れが足もとから飛び立つが、彼はそんなことに気がつかない。フェリグールの花が彼のまわりに香気を放っているが、彼はそんなものを嗅《か》ぎはしない。
木の枝のあいだで日の光を浴《あ》びてふるえている繊細《せんさい》なクモの糸も、彼の太鼓《たいこ》の上でぴょんぴょんはねている松の葉も彼は見ていない。夢想と音楽に没入《ぼつにゅう》しきって、撥《ばち》がおどるのをいとしげに眺め、そして彼の間《ま》の抜けた大きな顔は連打のたびごとに晴れ晴れと輝くのだ。
ラン プラン プラン! ラン プラン プラン!……
「なんてすてきなんだろう、あの大きな兵営は。大きな敷石を敷いた営庭、きちんとならんだ窓、略帽をかぶった兵士たち、そして飯盒《はんごう》の音に満たされた低いアーケード!……」
ラン プラン プラン! ラン プラン プラン!……
「おお、よく響く階段、野呂《のろ》を塗《ぬ》った廊下《ろうか》、いい匂《にお》いのする内務班、みがきあげた革帯《かわおび》、パンをのせる板、靴墨《くつずみ》入れの壺、灰色の毛布を敷いた鉄の寝台、銃架《じゅうか》に光っている小銃!」
ラン プラン プラン! ラン プラン プラン!
「おお、楽しい衛兵所勤務の日、指にべたべたくっつくカード、羽の飾りをつけた醜悪《しゅうあく》なスペードの女王、仮眠用のベッドの上に投げ出されている古いピゴ=ルブラン〔十九世紀初頭の通俗作家・役者〕の落丁本《らくちょうぼん》!……」
ラン プラン プラン! ラン プラン プラン!
「おお、役所の門前の歩哨《ほしょう》に立つ長い夜、雨の降りこむ哨舎《しょうしゃ》、足の寒さ!……泥《どろ》をはねかえして行く豪奢《ごうしゃ》な馬車!……おお、追加の使役《しえき》、禁足日《きんそくび》、臭《くさ》いバケツ、板の枕《まくら》、雨もよいの朝の冷え冷えとした起床ラッパ、ガス燈のともるころ霧《きり》のなかに鳴る帰営のラッパ、息せききってかけつける日夕点呼《にっせきてんこ》!」
ラン プラン プラン! ラン プラン プラン!
「おお、ヴァンセンヌの森、白|木綿《もめん》のぶこつな手袋、パリの城壁《じょうへき》の上の散歩……。おお、士官学校の柵《さく》、兵隊相手の娼婦《しょうふ》、軍神亭のコルネット、悪所《あくしょ》で飲むアプサント、しゃっくりしながらの内緒話《ないしょばなし》、ひっこぬいた軍刀、心臓《しんぞう》の上に片手を置いて歌う感傷《かんしょう》的な恋歌!……」
夢をみるがいい、夢をみるがいい、哀れな男よ! ぼくはそれをさまたげはしないよ……思い切り太鼓《たいこ》をたたくがいい、力いっぱいたたくがいい。君のことを滑稽《こっけい》だなどと思う権利はぼくにはない。
君は君の兵営への郷愁《きょうしゅう》を抱いているが、ぼくだってぼくの兵営への郷愁をおぼえていないだろうか?
ぼくのパリも、君のパリと同様ここまでぼくを追っかけて来るのだ。君は松の木の下で太鼓をたたく、君はね! そしてぼくのほうは原稿を書く……。ああ、君にしてもぼくにしても、たいしたプロヴァンス人さ! むこうの、パリの兵営のなかでは、ぼくたちはこの青いアルピーユの山々やラヴァンドの野生のにおいを恋しく思っていた。今このプロヴァンスのただなかでは、ぼくたちの兵営はない。そして兵営をしのばせるものはすべて、ぼくたちにはなつかしいのだ!……
村で八時が鳴る。ピストルは撥《ばち》を握《にぎ》ったまま帰路につく……。あいかわらず太鼓《たいこ》をたたきながら森のなかをおりて行くのが聞こえる……。そして私のほうは、郷愁にさいなまれながら草のなかに横たわって、遠ざかって行く太鼓の音とともに、私のパリのすべてが松の木々のあいだに展開するのを見たような気がする……
ああ、パリ!……パリ!……やっぱりパリだ!
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解説
【人と文学】
〔光に満ちた町〕
アルフォンス・ドーデの長編小説としての処女作『プチ・ショーズ』は次のようにはじまっている。
「私は一八……年の五月十三日、所はというと、南部フランスのあらゆる都会の例に洩《も》れず、豊かな日光と少《すくな》からぬ塵埃《ちりほこり》、カルメリトの修道院に二、三のローマ式建物を名物《めいぶつ》に持ったラングドックのある都会に生まれた。
そのころ、絹織物を商売にしていた私の父のムッシウ・エーセットは町の入口に大きな工場を持っていたが、……」(八木さわ子訳)
主人公エーセット少年ではなくドーデ自身の誕生について述べようとすれば、この年を一八四〇年とし、日光の豊かな都会にニームという名を与えればよい。
三番目の息子アルフォンスが生まれたころ、ムッシウ・エーセットならぬヴァンサン・ドーデ氏の事業は下り坂にあった。二月革命の年一八四八年の九月、ドーデ一家は家屋敷と工場を売り払ってリヨンへ引き移らねばならなかった。
〔霧の町の暗い日々〕
「誰かが私のそばで『そらリヨンだぞ』と言った。それと同時に大鐘が鳴り出した。リヨンだったのだ。
見ると霧のなかにぼんやり両岸の灯《ひ》がかがやいている。私たちは橋の下をくぐった。やがてまた一つ。そのたびごとに大きな煙突が二つに折れまがって、むせかえるような真黒な煙の渦《うず》を吐き出した」(『プチ・ショーズ』)
三日間のローヌ河の船旅のはてにたどりついたリヨンの、八歳の少年の目に映じた最初の印象である。
家の貧しさは変わらず、学齢に達していたアルフォンスに、人並な教育を受けさせることすら苦しかった。少年は最初、サン=ニジエ教会の聖歌隊学校に入れられた。親たちはせめてそこでわが子にラテン語の初歩でも身につけさせようとしたのだろう。が、その後間もなくアルフォンスは、父親の知り合いのある大学総長の斡旋《あっせん》で正規の中学校の給費生となることができた。
同級生たちはこの身なりの悪い貧しい仲間を軽蔑し、先生は寸足らずで極度の近視のこの生徒の名を呼ぼうともせず、「おい、そこの、|ちび助《プチ・ショーズ》……」でかたづけた。しかしこの貧相な子供はやがてクラスのなかで頭角をあらわして、古典語(ラテン・ギリシャ語)や作文ではいつも優秀な成績を示すことになる。
それにしても彼は優等生ふうの勉強家ではなかった。母の影響を受けてか(物静かな母親アドリアーヌ・ドーデは一家のおちいった悲境のなかで信仰と読書に慰めを見出していた)、アルフォンスはこのころから非常な読書家になっていたが、それに劣らずローヌ河のボート遊びに彼は熱中した。学校をさぼり、本を売ってまで彼はこの「苦しい道楽、私の罪」に耽《ふけ》ったものだった。やがてこれにもう一つの罪深い道楽が加わる。人間に対する好奇心、観察癖である。町で見かけた未知の人のあとをつけながら、その人間と自分を同一化し、その人間の内心を思い描こうとする――小説家となるべき少年にいかにもふさわしい、早熟な、少々危険な道楽。
そして、最後に、以上のような性向の当然の成り行きとして彼は詩を書き出す。彼の処女出版であり唯一の詩集である『恋する女たち』におさめられた詩のいくつかはすでにこのころ書かれていたのである。
そればかりではない。母や文学好きの次兄エルネスト(後にみずからも小説を書き、歴史家になった)はこの|ちび助《プチ・ショーズ》の韻文の試みを歓迎し、そしてこの好意に励まされて少年は『レオとクレチエンヌ・フルーリ』という小説を書いて、自分でリヨンの有力新聞の編集長のところへ持って行ったものだ――もちろん編集長はこのちっぽけな中学生の作品などには一顧も与えず、原稿は反故《ほご》の山に埋もれて消えてしまったらしいが。
〔一家離散〕
一八五六年、アルフォンスは高等学校を卒業した。無論彼としては大学へ入って学業を完成したいと思っていた。が、父親ヴァンサンの仕事はこのころもう完全に行きづまっていたのである。リヨンに移り住んで以来ヴァンサンは家運を挽回《ばんかい》しようとしていろいろの商売に手をつけてみたが、何一つ成功しなかった。借金で首がまわらなくなった彼は悲劇的な決心をしなければならなかった。残ったわずかの家財はたたき売った。妻はニームにいるその姉妹のもとへ身を寄せに行き、次男エルネストは遠いブロワに新聞記者の地位を得た(神学生であった長男はすでに死んでいた)。ヴァンサン自身は縁故を頼ってしがないセールスマンの口にありつく。
アルフォンスは例の大学総長の紹介によって、生まれ故郷に近いアレーの町の学校の自習監督として自活することになる。十六歳の少年にとってこの生活がどれほど苦しいものであったかは、後年彼がこの時期を回想して「あのアレーの徒刑場《とけいじょう》」と言っていることからも察せられよう。
〔夢を抱いてパリへ〕
すでにパリに出てある老紳士の秘書となっていた兄エルネストは、愛する弟を遠い田舎《いなか》に埋もれさせておくに忍びなかった。一八五七年の秋アルフォンスは「徒刑場」から解放されて、薄い夏服でふるえながら二日のあいだ飲まず食わずの汽車の旅をつづけてパリに着いたのである。
トゥルノン街のホテルの屋根裏|部屋《べや》での兄弟二人の生活は無論楽なものではなかった。しかし弟の文学的才能に期待する兄は弟を働かせようとはしなかった。愛情深い、その上しっかり者の兄の庇護《ひご》のもとでアルフォンスは、彼にとって唯一の生甲斐《いきがい》だった文学に打ちこむことができたのである。「文学は私の憧《あこが》れの唯一の対象だった。青春の限りのない自信に支えられて、貧しいながらはればれとした心をもって、私は屋根裏部屋のなかで詩を作ってこの一年を過ごした。これは平凡で感動的な物語だ。(中略)しかし私は、私以上に完全な窮乏のなかで仕事をはじめたものがそれまで一人でもいたとは思わない」――「私には兄を除いて誰一人知っているものはなかった。近眼の無器用《ぶきよう》で小心な私は、屋根裏部屋から脱《ぬ》け出したときには、きまってオデオン座のまわりを歩いた。文士たちに出会いはしないかと思うと恐怖と喜びに気もそぞろになって、その屋根の下の歩廊を私はぶらついた」――「名士に出会うこと、たまたま彼らと数語をまじえること、これ以上野心を燃え立たせることはないし、『ぼくだってなって見せるぞ!』と、人は自信をもってつぶやくのだ」(『パリの三十年』)
〔最初の詩集〕
それにしてもドーデという作家は出発点から幸福な人間だった。同じトゥルノン街に住み、自分でも多少の文学上の試みをしているタルデューという男が、この白面の青年の作品の出版を引き受けてくれたのである。いくつかの新聞が『恋する女たち』と題するこの詩集を取り上げて好意的に書いてくれた。それによってドーデもいくつかの新聞や雑誌に原稿を持ちこむことができるようになった。しかし奇篤《きとく》な出版社の出現につづくもう一つの大きな幸運は、時の皇后ウージェニーがたまたまこの小さな詩集を読んで感心したことだった。皇后は立法院の議長をつとめるモルニー公爵に紹介し、一八六〇年、詩人はこの第二帝政期の政界の大立物の第三秘書に迎えられることになる。言うまでもなく秘書とはいってもまったくの閑職で、「事務所には一番おそく来、引き揚げるのは一番早く、公爵の前にあらわれるのは休みをもらうためだけ」と当人が後に書いているほどであった。こうして生活を保証されたその年、彼は病気になり、彼の肺を気づかったモルニー公の侍医にすすめられてアルジェリアに転地した。このアルジェリア旅行の印象は後に『風車小屋だより』中のいくつかの描写文とユーモア小説『タルタラン・ド・タラスコン』に結実することになる。
やがて彼は劇にも手をつける。上演はかならずしも成功ではなかったが、文壇やジャーナリズム界には多くの知己を得た。一八六五年に恩人モルニー公爵が死んだときには、すでに彼は筆一本の生活に踏み切れる実力を一応持っていた。
〔結婚〕
一八六五年十二月、コメディー=フランセーズでゴンクール兄弟の小説を脚色した劇『アンリエット・マレシャル』が上演され、ドーデ兄弟は「エヴェヌマン」紙の主筆ヴィルメッサンの桟敷《さじき》に招かれた。近くの桟敷にいた「琥珀《こはく》色の顔の、水色の目をした美しい娘」がアルフォンスの心を捉《とら》えた。一方、その裕福な実業家の娘ジュリア・アラールのほうも、奇妙な風体《ふうてい》のこの青年から強い印象を与えられていた。
実業家アラール氏は妻とともに一冊の詩集を出版しているほど文芸愛好家で、ジュリアは生まれたときから文学的雰囲気を呼吸し、十八歳の年からある小雑誌に詩を書いていた。
たまたま兄エルネストがアラール氏の甥《おい》と知り合いだったことから、アルフォンスはアラール家に出入することになり、一八六六年の夏、彼はジュリアと婚約した。そして翌六七年の一月、二人の結婚式がおこなわれる。新郎側の立会人の一人は有名なプロヴァンス語詩人フレデリック・ミストラルだった。
豊かな文学的才能を持った、しかしいつも控え目で物静かな七歳年下のこの美貌《びぼう》の妻を得たことは、常に幸運に恵まれていたドーデにとっても最大の幸運だったろう。物質的なことだけ言っても、父ヴァンサンの事業の失敗のために負いこんでいたドーデ家の負債は、岳父アラール氏の好意によって清算されることになる。しかし何よりも、ジュリアは小説家の妻としてほとんど理想的といっていい女性だった。若さに似合わぬ堅実さと人をそらさぬ機転を持った彼女は、自然に夫を導いてそれまでのボヘミヤン的な生活から足を洗わせた。規則的な仕事の習慣を彼につけさせたのはこの妻だった。後に彼の最も成功した作品のひとつ、『ル・ナバブ』を出版するに際して、著者は「つつましく献身的な、疲れを知らぬ協力者」たる妻にこの書を献じている。しかもその協力は単なる「内助」にとどまるものではなかった。夫の原稿を読み、助言し、アイディアを提供し、修正させ、ある場合にはほとんど共作者に近い立場にあったのである。
これ以後、彼の旺盛《おうせい》な創作活動がはじまる。結婚の翌年には自伝的小説『プチ・ショーズ』が、さらに一八六九年、それまで「エヴェヌマン」紙と「フィガロ」紙に発表して来た短編を集めた『風車小屋だより』が出版される。同じ年、喜劇『犠牲』がヴォードヴィル座で上演される。
〔新しい本能――愛国的本能〕
翌一八七〇年七月、普仏戦争がはじまる。そして早くも九月にはスダン要塞が陥落し、皇帝ナポレオン三世は捕虜となる。
国難にのぞんでドーデは、今まで知らなかった「新しい本能、愛国的本能」(友人チモレオン・アンブロワへの手紙で彼はみずからそう言っている)を身うちに感じた。強度の近視のために兵役免除になっていたにかかわらず、彼は従軍することを望んだ。長髪の上に遊動兵の軍帽をかぶって彼は市民や兵士らと憂苦をわかちあったが、この体験が彼に『月曜物語』(一八七三年刊)に収められたいくつかの短編を生ませたのである。
〔名声〕
三十歳の彼は狭い文壇のうちでしか名を知られていない作家にすぎなかった。一八七二年に上演された劇『アルルの女』にしても、同じ年に刊行された『タルタラン』にしても、世評は一向にかんばしくなかった。ドーデを一躍人気作家にしたのは、彼がはじめて手がけた本格的な長編小説『若いフロモンと兄リスレール』の驚異的な成功だった。この本はたちまち版を重ね、ヨーロッパの諸国語に翻訳された。
これはいわば新しい出発だった。これ以後彼は小説家として腰を据え(十数篇ある彼の戯曲のなかで、『フロモン』以後に書かれたのは共作を含めて三篇しかない)、またこれ以後彼の作品は広く大衆から求められた。
このころから彼はフロベール、ゴンクール、ゾラ、トゥルゲーニェフという文学史に輝かしい名を残す四人の作家と親交を結んだ。彼らは日曜ごとにフロベールの家に集っていたが、流行の波に乗って数万部も本が売れているのは錚々《そうそう》たるこの作家たちのなかでアルフォンス・ドーデ一人だった。「日曜日ごとに私が行くと、『出版の具合はどうだい、何版になった?』と彼らはきいた。そのたびに私は版が重なったことを白状しなければならなかった」(『パリの三十年』)
文学者としての彼の生涯は、以後目立った事件もなく、彼の愛したシャンロゼの別荘とパリの居宅で家庭的幸福に包まれながら展開する。それはまれに南仏その他への旅行で中断される創作|三昧《ざんまい》の日々だった。われわれとしては、ここでもはや彼の主要作品とその出版年次を記すにとどめよう。特にことわらないものはすべて小説である。
『ジャック』(一八七六年)、『ル・ナバブ』(一八七七年)、『流謫《るたく》の王』(一八七九年)、『ニュマ・ルゥメスタン』(一八八一年)、『伝道者』(一八八三年)、『サフォ』(一八八四年)、『アルプスのタルタラン』(一八八五年)、『翰林《かんりん》院会員』(一八八八年)、『ある文士の思い出』(回想記、一八八八年)、『パリの三十年』(回想記、一八八八年)、『生きるための闘《たたか》い』(劇、一八八九年初演、一八九〇年出版)、『タラスコン港』(一八九〇年)、『障碍《しょうがい》』(劇、一八九〇年初演、一八九一年出版)、『ローズとニネット』(一八九二年)、『小教区』(一八九五年)
〔病気〕
一八八〇年ごろからドーデは激烈なリューマチ性の痛みに襲われるようになる。痛みは年々増し、彼はついに当時神経病学者として最大の名声を得ていたジャン=マルタン・シャルコ博士の診断を受けて自分の病気が不治のものであることを知った。実はこの痛みは脊髄癆《せきずいろう》によるものだったのである。それ以後十数年、不断の病苦に彼は雄々しく堪《た》えて創作をつづけ、彼の家に集まる若い文学者たちにも常に微笑をもって接しつづけた。
一八九七年十二月十六日の夜、一家そろって夕餉《ゆうげ》の食卓についたときに、突然、死がアルフォンス・ドーデを襲った。延髄《えんずい》の機能停止による瞬間的な死だった。
【作品解説】
〔その成立〕
一八六四年、アルフォンス・ドーデは生まれ故郷ニームを訪れた。ニームはつい先ごろまで母アドリアーヌが末娘アナとともに身をよせていたところである。今はその母と妹はパリに出て、結婚したばかりの兄エルネストの家に住んでいた。アルフォンスは今度はゆっくりとプロヴァンスを歩きまわることができた。そしてその旅行の終わりに、それまで会ったことのない父方の親戚アンブロワ夫人をたずねた。彼女はアルルに近いフォンヴィエイユの村はずれの、モントバンと呼ばれる十八世紀に建立された小さな館《やかた》に住んでいた。かなり広い領地が館を取りまき、領地内の丘の上には三つの古い風車小屋が立っていた。
高齢のアンブロワ夫人にはすでに功成り名遂げた四人の息子がいたが、ドーデはそのなかでも特に彼より十歳年長のチモレオンと親交を結んだ。しかしまた、「精力的で善良で聡明で、豊かな話題とはっきりした記憶力」を持ったアンブロワ老夫人との会話も若いドーデの心をひきつけた。夕食の後彼は好んで老夫人の長い思い出話に耳を傾けた。そして老夫人が寝室に引き揚げると、館の台所で使用人たちや百姓や羊飼いらの世間話に聞き入った。
さらにもう一つ、彼の心をこの国に繋《つな》ぎとめたものは、古い風車小屋であった。二十年の歳月をへだてて彼は回想している。「……廃墟だった、この風車小屋は。石と鉄と古板から成る崩れかけた残骸で、もう何年も風にさらされ、手足は折れ、詩人のように物の用に立たずに横たわっていたのだ」――「このような孤独と荒寥《こうりょう》への趣味が、どうして私に――子供のころから私の内部に巣くうようになったのか私は知らない。しかもこんな趣味は、私の性格にある溢《あふ》れるようなものとはまるっきり調和しないように見えるのだ。それはともかく、私はこの精神的隠れ場に多くを負っているし、このプロヴァンスの古い風車小屋以上に私にとって、ためになるものはなかった」
この風車小屋への愛着のあまり、彼は一八六五年にチモレオン・アンブロワあての手紙のなかで次のように書いている。「……どうしてもチソじいさんの風車小屋を買わねばならぬところです。今度行ったときにじいさんにその話をしてみましょう。風車小屋の所有者にならなければ私の面目が立ちません」
しかし結局風車小屋は買われなかった。それでも、二年後結婚したときに彼は何より愛するプロヴァンスの国を新妻に見せようとし、チソじいさんの風車小屋にジュリアを対面させた。
『風車小屋だより』はこの間に書き継がれ、発表されていた。最初の幾篇かは、ヴィルメッサンの主宰する「エヴェヌマン」紙に一八六五年から掲載されたが、ドーデはこのときバルザックのある小説(『二人の若妻の手記』)の登場人物の名を借りてマリ=ガストンという筆名を用いた。「『エヴェヌマン』紙のマリ=ガストンにどんな意味がこめられているかを、あなたのように嗅《か》ぎ取ることができるものは一人もいないことはあきらかです。私の風車小屋はモントバンの松の林のなかに置かれているではありませんか? 要するにフォンヴィエイユは私に幸福をもたらしてくれます。私の『たより』は成功をかちえ、ヴィルメッサンは私に今後本名で書かねばならぬと言います……」(チモレオン・アンブロワへ)
こうして一八六八年から、ヴィルメッサンが新しくその編集を引受けた「フィガロ」紙に『風車小屋だより』の後半が本名で掲載されはじめ、翌年一巻にまとめられてエッツェル書店から出版された。予期に反してこの珠玉の短篇集はようやく二千部売れたにすぎなかった。
〔ドーデとプロヴァンス〕
ネルソン版の『風車小屋だより』の序文を書いているシャルル・サロレアは、「コントの芸術は本質的にフランス的な芸術であり、そしてフランスのいかなる地方もトルゥバドゥールの国ほど優れたコント作者を生まなかったし、またプロヴァンスのコント作者たちのうち誰一人としてアルフォンス・ドーデに比肩するものはいない」と断じている。まさに「コルニーユ親分の秘密」の語り手のフランセ・ママイ老人の言うように、「……この世じゃどんなものにでも終わりがある。そしてローヌ河の川船や高等法院、大きな花模様のついた長上着の時代と同様、風車の時代も過ぎ去ったと思わにゃなるまい」が、プロヴァンスの風車小屋は、そしてプロヴァンスの情趣は、ドーデの『風車小屋だより』を通じて今日も、おそらくまた今後も生きつづけると言わねばならない。
ドーデのほとんどすべての小説にはプロヴァンス人が登場する。それも「タルタラン」物のようなプロヴァンスを直接扱った作品のみでなく、たとえば、『サフォ』のような「パリ風俗」と銘打ったものでも、『流謫《るたく》の王』のような「現代史」と銘打ったものでも、プロヴァンス人は多かれすくなかれ重要な役割を演ずるのである。ただ「タルタラン」物を含めてこれらの小説中のプロヴァンス人はやや通俗的におもしろくこしらえすぎた類型であって、その意味ではこの作家の身うちにひそむ南仏の血の真に自然な流露とは言いがたい。彼がその土地の風土と伝統に浸透《しんとう》された真のプロヴァンス人として、自由に呼吸し、自在な表現に達しているのは、まさにこの『風車小屋だより』においてなのである。
ではそのプロヴァンスの風土と伝統とはどんなものなのか。われわれはセザンヌやゴッホの絵を通じてプロヴァンスの風景にはかなり親しんでいる。そのすみきった空と鮮烈な色彩は北部や大西洋岸とはまったく異なった気候を感じさせる。事実この南国一帯は、フランスの他の諸地方のそれとは別の、イタリアやイベリア半島と共通する地中海的風土を形成している。
文化的な相違も自然条件の相違に劣らない。まず言語だが、古くは北方のラング・ドイルに対して南方ではラング・ドックが用いられた。これが現在のプロヴァンス語の先祖であり、このラング・ドックを使用するトルゥバドゥールたちは哀婉《あいえん》な恋愛抒情詩をもって中世フランス文学に一つの新しい時代を画した。十九世紀にいたってルゥマニーユやミストラルがフェリブリージュ社を結び、プロヴァンス文学のルネサンスを謳《うた》ったのは、この往時のラング・ドック文学の栄光を記念してであったのだ。さらに、北部においてはゲルマン的な慣習法の法観念が支配的だったのに対して、南部ではローマ的な成文法の法観念が支配的であったし、経済史的には北部の大土地所有・定期小作制に対して南部では小土地所有・分益小作制が優勢だったというように、あらゆる点で南北間には顕著な対照が見られるのである。だから、西紀八五五年のプロヴァンス王国の建国から一四八六年フランス王国に正式に併合《へいごう》されるまで、支配者は幾度か変わりながらも、プロヴァンスはその独自の風俗と文化を失わなかった。
このプロヴァンスの言語と文化の復興を標榜《ひょうぼう》してルゥマニーユ、ミストラル、オーバネルほか四人の詩人がフェリブリージュの運動をおこしたのは一八五四年である。ちょうど十年後の一八六四年、ドーデはプロヴァンスでミストラルと親交を結んだ。八歳のとき故郷を去ったドーデだが、プロヴァンス語は完全に理解することができた。しかしミストラルの期待を裏切って彼はフェリブリージュに加わろうとはしなかった。ふたたびサロレアの言葉を借りれば、「ドーデはパリと世界においてプロヴァンス文学の大使たらんとした」のだ。そのことは彼の晩年の次のような挿話によってもあきらかである。
一八九三年、ニームに近いベルガルドの出身の一人の農夫を彼は知った。バチスト・ボネというこの四十年配の男は、パリの近郊で野菜づくりをしながらプロヴァンス語の小雑誌に優れた小品を寄稿していたのである。ドーデはこの朴訥《ぼくとつ》な農夫を励まし、助言を与え、それのみか彼の文章をフランス語訳することまで約束した。そして実際に、ボネの『子供の生活』はドーデの手で訳され、ドーデの序文をかかげて翌年出版されたのだった。当時ドーデはすでに文壇の大御所的人物であったこと、十年来の痼疾《こしつ》にいためつけられながらいつも仕事に追われていたこと、一方ボネはまったく無名の野菜づくりだったことを考えていただきたい。この挿話はドーデの心にいつも溢《あふ》れていた善意とともに、彼が最後まで郷土プロヴァンスに対していだいていた深い愛情を物語っている。
【作品鑑賞】
〔自然主義の世代〕
一八七四年ごろからフロベールの家に集まった「けなされグループ」(les siffles と彼らは自称した)の四人のうち、最年長のフロベールが一八二一年の生まれ、エドモン・ド・ゴンクールがこれに一年遅れ、ゾラはドーデと同じ一八四〇年の生まれである。さらにまた、『ボヴァリ夫人』の作者の弟子《でし》でゾラとともに短篇集『メダン夜話』に作品をのせたモーパッサンは一八五〇年の生まれ。フランス自然主義の世代はこれで見るように一八二〇年から五〇年までのあいだに生まれたことになる。ドーデはこの自然主義の世代のなかで、この思潮に大きく影響されながら生きた。が、彼自身はこの自然主義とはまったく無縁だと言明しているのである。
自然主義が当時の自然科学の思潮から甚大な影響を受けていることは常識である。ゾラがクロード・ベルナール(一八一三〜一八七八)の『実験医学研究序説』(一八六五)によってその自然主義小説理論をうちたてたことがよくその例として持ち出されるが、実はそれより重要な事実として、当時の時代思潮がもっと隠微《いんび》な形で実験科学に影響されていることを指摘しなければならない。実際、自然主義の世代はまた化学者マルセラン・ベルトロ(一八二七〜一九〇七)の、ルイ・パストゥール(一八二二〜一八九五)の世代であった。そして彼らの従事した実験科学は、ドイツの社会科学者マックス・ヴェーバーの言葉を借りれば「魔術からの解放」の精神――つまり実証を超える何かを認めることを拒否し、一切のものが合理的に実証され得るとする信条に動かされていた。しかもその際、科学は自分自身以外の何かに頼ろうとはしなかった。飛躍しつつあった科学は過大なほどの自信をもって自立し自律していたのである。
ところで、ロマン主義との対比において自然主義の没主観性といい非情という場合、何よりもまずわれわれはそれを唱えた作家たちがそのこと自体によって厳しい制約を自分に課したことを知らねばならぬ。たとえばロマン主義ユゴーはその小説のなかに素顔《すがお》でのさばりでて、形而上学であれ政治であれ何事についても論じたて、回想や詠歎にふけり、心情を吐露することができた。しかし小説を「研究」とするゴンクール、小説を「実験」とするゾラにはもはやそのような恣意《しい》は許されていない。彼らは何よりも事実を提示し、その事実の進展によって自己の思想を表現するほかはないのである。ユゴーの場合は、詩・劇・小説をひっくるめてまずユゴーという作者、自由で絶対的な創造者がおり、詩なり劇なり小説なりはその手中にある道具にすぎなかった。自然主義者らの場合はこれに反して、作品を完成したときにはじめて作者は自己を証《あか》し得たのである。すくなくとも彼らの主観においては、彼らの構想力が現実を的確に把捉《はそく》し得ず、彼らの作品が現実を適切に再現し得ていないときには、あるいは彼らの現実に対する見方が作品によって「実証」されていないときには、作家としての自分の存在は無価値なのであり、その意味で作品はすべてなのであった。つまりそれは、文学の自立化・自律化へのきまじめな努力だったといえる。そしてこの努力が、フロベールからモーパッサンにいたるまでの資質も境遇も年齢も異なる作家たちに通ずる共通項だったのみならず、一見彼らとはまったく無縁であるかに見える、だが世代を同じくするルコント・ド・リール(一八一八〜一八九四)、ボードレール(一八二一〜一八六七)の高踏派・象徴派と彼らをつなぐ糸でもあったのだ。
〔ドーデの小説観〕
この関連からいえばドーデはやはりれっきとした自然主義者であって、そのことは彼が一八七六年に述べた小説論を読めばあきらかである。
「バルザックが作って見せてくれたような近代小説は、もっぱら人に娯楽のみを与えようとするものではない。彼においては観察が想像に優先する。興味を多くの人物の上に分散させ、無数の事件に拡散することをせず、反対に興味を絞《しぼ》り、しばしば一つの事実、一人の人物に集約する。しかもさらに興味よりも真実を高しとする……
公衆は長いあいだ、いわゆる想像の作品のこの進化を理解することを拒んで来た。バルザックの最も優れた本も、新聞小説とされたときは予約購読者を辟易《へきえき》させてしまったし、書物として纏《まと》められたときには出版社を破産させてしまった。そこで『三銃士』や『モンテ・クリスト』や『さまよえるユダヤ人』や『パリの秘密』の大流行が来た……
バルザックの解剖学講義、彼の苛酷な分析は、これらの子供だましの読み物のただなかに出現したとき、成功をおさめ得なかった――そして読者が彼に慣れるには時間がかかった……。公衆は今日、想像力の作品はかならずしも言葉の月並な安易な意味でのおもしろい作物ではないこと、バルザックなりフロベールなりのいかなる風俗研究も、科学、哲学、もしくは史学のどんな書物にも劣らず真摯《しんし》なものであることを理解しはじめている。
要するに小説は、人々の精神が昔ほど抽象観念や一般観念を歓迎しない時代の支配的な文学形式なのであり、十七世紀と十八世紀の文学を構成するあの思想や書翰やエセーや対話のすべての書物に代わるものが小説なのである。
もしラ・ブリュイエールが今日生きていたら、すべての人間のタイプを一貫した筋のなかにまきこんで、彼の不滅の書物に小説的物語の形式を与えたことであろう……」(『演劇評論集』)
引用が少々長すぎたようだが、この文章はドーデの小説観を端的に表明している。何よりもここに見られるのは小説というジャンルへの徹底した自信であるが、さきに見たように自然主義にいたって小説が自立化を完成したとすれば、この自信は自然主義小説家たちに共通するものであるし、自分らは「真実」を提示するのだという矜持《きょうじ》がこの自信を支えていた。くりかえして言うが、すくなくともこの文章によって判断するかぎりドーデはあきらかに自然主義者なのであって、ゾラが彼を我が党の士としたのは当然と思える(「彼は自然主義のグループに属している。彼は現実の広い地平を熱愛している。彼は正確な環境と自然に則《のっと》って研究された人物との必要性を信じている。彼のすべての作品は現代生活のまっただなかからとられている」とゾラは『自然主義小説家』のなかで言う)。
ではそのドーデがなぜ自分は自然主義者ではないと言明したのか。予定の紙数が尽きたので途中の議論をはぶいて言ってしまうが、それは彼が『風車小屋だより』の作者だったからだということになる。
〔共感の文学〕
『風車小屋だより』の持つ特質を一口に言えば、全篇に満ちている生き生きとした感情の流れであろう。自然と人事のすべてから彼の感情は触発され、自然と人事のすべてに彼の感情は滲透《しんとう》している。それはあくどく一つの対象にからまりつくことなく、活発に軽く流れている。彼の描くオレンジ一つを取っても、それは視覚的な映像であるよりも前に、それを見それを手に取る人間の感情の揺曳《ようえい》と陰翳《いんえい》に包まれたものなのだ。こういう感受性の質はかならずしも自然主義小説の理念と両立し得ぬものでもあるまいが、自然主義小説の体質(冷酷さ)とは合わない。ドーデに対してきわめて好意的だった批評家ルネ・ドゥミック(一八六〇〜一九三七)は、彼の鋭敏な感受性が小説のなかでどのように有効に生かされたかを例示した後で次のように評している。
「感受性が感傷癖というものとごく密接な関係にあるのは何と言う不幸なことだろう! ドーデ氏はいつも後者から身を守ることができたというわけには行かない。それどころか私は、氏がそのために充分努力しなかったのではないかと思う」(『作家たちの肖像』)
つまりそれがドーデのほうの体質だったのである。
なじみ得ない体質をもって自然主義を意図したドーデの不幸は二つの点にあった。一方では、その意図のために彼は強引《ごういん》な構成をこころみねばならず、往々にして不自然におちいっているし、他方その強引さがつづかないときには月並なところで妥協しなければならなかった。彼の長篇は通俗的な意味で多くの読者を集めたが、多くの場合それ以上に出なかった。もう一度ドゥミックの言葉を借りよう。「この軽さ、この微笑をたたえた優しさ、それが露骨な文学の時代におけるドーデ氏の才能の特徴なのだった」そしてこの二つの特徴を生かし切った『風車小屋だより』は彼の最高の傑作なのである。
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訳者あとがき
アルフォンス・ドーデの名は私にはずいぶん幼い頃から親しいものだった。小学校の三年生だった頃と思うが、母が自分の訳したドーデの文章を読んで聞かせてくれたことをおぼえている。それはこの『風車小屋だより』におさめられている「オレンジ」だったが、特別子供の興味をひくところはなかったらしく、私のその時の反応ははなはだ頼りないものだったようである。
実はこの本の解説のなかで何度か引用した『プチ・ショーズ』の文章はその亡母の訳書から借用したものだが、母がこれをはじめて訳したのは大正の初期だったと思う。それ以外にドーデの『ジャック』や、バルザックの『谷間の百合《ゆり》』、アナトール・フランスの短篇のいくつかを母は訳していたし、『風車小屋だより』、『月曜物語』の訳稿も長いあいだ押入れの一隅に蔵されていた(その一部はある対訳叢書の一つとして本になった)。しかしそういう母は、私がフランス語を学ぶことも、そもそも文学を志すことも喜ばなかった。押入れのなかで埃《ほこり》をかぶっていた訳稿も、いつの間にか始末してしまったようだ。
その訳稿が残されていたとしたら、私が今度この旺文社文庫の申し出に応じて新訳を試みていたかどうかはわからない。フランス語を独学し、こういう仕事をするようになってからも、私はドーデの作品にはあまり興味を感じたことはなかった。私がこれまでドーデのものを手がけたのは、母の旧訳による『プチ・ショーズ』にたまった時代の埃《ほこり》を少々はたいて、新しく陽《ひ》の目を見させたことぐらいでしかない。そしてその仕事はかならずしも愉快な仕事ではなかった。
ところで、今度この『風車小屋だより』を訳しながら、私はこの仕事を楽しむことができた。ドーデのこの文章には快いリズムがあって、それに乗って流れて行くときには仕事は楽しいのである。こういう型の魅力のある作家はやはりそう多くいるものではない。私はこの翻訳をすることで、この作品が多くの読者に喜ばれる名作であることをあらためて知った。
一九六七年四月十日