地下生活者の手記
ドストエフスキー/中村融訳
目 次
第一章 地下室
第二章 みぞれ雪によせて
解説
[#改ページ]
第一章 地下室
[#ここから1字下げ]
この「手記」の筆者も、「手記」そのものも、もちろん、こしらえたものである。しかもわが国の社会をひろく構成しているもろもろの事情を思い合わすと、こうした手記の筆者のような人物はわが社会に存在しうるのみか、むしろ当然存在すべきものなのである。私が読者の面前へ普通よりもよりはっきりと引き出してみたいと思ったのは、過ぎ去った最近の時代の一つの性格である。これは――いまだに生き長らえている世代の代表者の一人である。「地下室」と題されたこの章ではこの人物は自己紹介とともに自己の見解を披瀝《ひれき》し、何ゆえに我々の環境の中に彼のような人物が出現したか、また出現しなければならなかったかの原因を明らかにしようとしているようである。そして次の章において、いよいよ生涯の幾つかの事件に関するこの人物の本当の「手記」に入るのである。
フョードル・ドストエーフスキー
[#ここで字下げ終わり]
一
私は病人だ……私は意地悪な人間だ。魅力のない人間だ。肝臓が悪いのではないかと思う。もっとも私は自分の病気については、てんでなにもわかってはいないし、いったいどこが悪いのかもよくは知らないのだ。医学や医者というものは尊敬してはいるが、治療などは過去現在、ついぞ受けたためしがない。おまけに私は極端に迷信家である、といってもそれは医学をあがめ奉る程度のものだが(私には迷信家たらずにすむくらいの教育は十分にあるのだが、それでも迷信深いのだ)。いやいや、治療なんぞ癪《しゃく》にさわってとても受ける気にはなれやしない。こんなことはとても諸君にはわかっていただけまい。そうだろう、ところが私にはわかるのだ。ではその場合、いったい誰にそんな面《つら》当てをしようというのか、ということになると、もちろん、それは私にもうまく説明はつかないのだ。私は自分が医者の治療を受けなくなったって、それで医者たちを少しも「閉口」させられるものでないことは百も承知だし、いくらそんなことをしてみてもひどい目にあうのは自分だけで、ほかの誰でもないことも十二分に心得ている。しかしそれでも、やはりまだ私が治療を受けないとすれば、これはもう片意地のせいなのだ。肝臓が悪けりゃ、もっとひどく悪くなったってかまうもんか、というわけである。
この暮らしももうずいぶんと久しいものだ――二十年にもなろうか。現在の私は四十歳である。以前は勤め人だったが、今はやめた。私は意地の悪い役人だった。粗暴で、それを痛快がっていた。だいたい、私は賄賂《わいろ》というものは取らなかったから、これくらいの報酬は当然だった。(駄洒落《だじゃれ》だが、消さずにおこう。これを書いたときはばかにこの辛辣《しんらつ》さがきくと思った。が今見ると、ただみっともなくふんぞり返っていたにすぎない――だが、わざと消さないでおこう!)私のすわっている机のそばへ嘆願者どもがいろいろの問い合わせに近寄って来ると、私は歯ぎしりをしてみせ、首尾よく誰かをへこましたりすると、こらえきれぬ悦《よろこ》びを感じるのだった。しかもそれはたいがいいつもうまくいった。大半はきまって意気地のない民衆で、言わずと知れた――請願人という手合いである。だが気取り屋仲間のうちに、とくに我慢のならない将校が一人いた。こ奴《いつ》ばかりはなんとしても降参しやがらないで、癪にさわるほどサーベルをガチャつかせやがった。このサーベルの一件では奴《やつ》と一年半もやり合ったものだが、ついに私が勝をしめ、奴はそのガチャガチャをやめてしまった。もっともこれはまだ私の若かりし日の話である。ところで、諸君は、いったい私の意地悪の中心がどこにあったのかをご存じだろうか? そうだ、およそばかげきって、それこそ醜態のきわみだったのは、私が意地悪どころか、恨みをいだくような人間でもなく、ただやたらに小雀どもをおどかしてわずかに自らを慰めているにすぎないことを、たえず、それこそ疳《かん》の高ぶりきった瞬間でも恥ずかしい思いで自覚していたということなのだ。口角|泡《あわ》を飛ばしている最中でも、誰かがオモチャの人形でもあてがってくれるか、砂糖入りのお茶でも持って来てくれたら、私は、おそらくおとなしくなって、心から感激までしてしまうというほうなのだ。もっともどうせ後になると、きっと自分で歯ぎしりするほど癪にさわって、恥ずかしさのあまり、幾月も不眠症を病むにきまっているのだが。これはもう私の癖なのだ。
私がさっき自分を意地悪な人間だと言ったのはあれは自己|誹謗《ひぼう》だった。わざと意地になってくさしたのだ。私は請願人や将校相手にほんのいたずらをやっていただけで、根はとても意地悪になどなれるほうではなかった。というのも、それとまるで正反対の要素が内部にうようよしているのをしょっちゅう自覚していたからである。たしかに私はそれが、つまり、この正反対の要素が私の中で盛んにうごめいているのを感じていた。これが生涯、私の内部でうごめきながら、外へ出たがっていることはちゃんと承知していたのだが、私はこれを放さず、放さず、わざと外へ出してやらなかったのだ。そいつらにはみっともないほど苦しめられ、はては痙攣《けいれん》にまで襲われたほどで――それこそもうほとほとうんざりさせられてしまった! だが、諸君、ひよっと私は今なにかを諸君の前で後悔し、許しでも乞うているように思われはしないだろうか?……いや、きっとそう思われているに違いない……。もっとも、断言してもいいが、かりにそう思われたところで、私にはどのみち同じことなのだが……。
私は意地悪どころか、ついになにものにもなれずにしまった――悪人にも、善人にも、卑劣漢にも、正直者にも、英雄にも、虫けらにもなれずにしまった。そして今ごろになって、賢い人間が本気でなにかになれるものか、なにかになれるのは馬鹿《ばか》だけだなどと、すねたような、なんの役にも立たぬ慰めで我とわが身をからかいつつ片隅に余命をつないでいるというざまなのだ。そうだ、十九世紀の人間は当然ことに道徳的には無性格な存在となるべき義務があり、性格をもった人物、活動家などというものは――人並はずれて浅薄な存在でなければならぬ。これは四十年来の私の持論なのである。私も現在は四十歳だが、四十年といえば――もうこれは生涯だ。それこそもう大した老年じゃないか。四十年以上も生きのびるなどは無作法・下劣・不道徳の沙汰《さた》だ! いったい、誰が四十年以上も生きているか?――真っ向から正直に答えてみたまえ。私がそれに答えようか。阿呆《あほう》とやくざが生きているのさ。私は老人という老人に面と向かってそう言おう。馥郁《ふくいく》として人品卑しからざる、銀髪の老人たちにさ! 世間残らずにだって面と向かって言ってやるとも! 私にはそれを言う権利がある。というのもかくいう自分は六十まで生き延びるつもりをしているからだ。七十までも生き通すのだ! 八十までも生き抜くのだ!……だが、まあちょっと待ってくれたまえ! まずひと息入れさせてもらわなくちゃ……。
きっと諸君は、私が諸君を笑わす肚《はら》だとお思いだろう? がそれはおあいにくさまだ。私はけっして諸君の思われるような、あるいは思われるかもしれぬようなそんなお調子者ではない。もっとも、もしもこんな駄弁に業《ごう》を煮やした諸君が(私は諸君が癇癪《かんしゃく》を起こしていることはもうちゃんと感じている)だいたい、お前は何者だと私にたずねる気なら、こちらもお答えしよう――私は一介の八等官です、と。私はとにかく食うために(しかもただそれだけのために)勤めていたのだが、去年、一人の遠縁にあたる者が遺言で六千ルーブリを残していってくれたので、即座に職をやめて、自宅の一隅に閉じこもってしまったという男である。この一隅には前からも暮らしていたのだが、今度はここへ住みついてしまったわけだ。私の部屋というのは汚ならしく、醜悪なもので、それも町はずれにあるのだ。女中は田舎出《いなかで》の婆さんで、頭がないばかりに底意地が悪く、おまけにいつもいやらしい臭いをさせている。人からはペテルブルグの気候は私のからだにもさわるし、それにそんな貧的《ひんてき》じゃペテルブルグ暮らしはぜいたくの沙汰だと言われている。そんなことは先刻承知だし、そこらの学識経験豊かな世話焼きや首振り先生たちよりはずっと心得てもいるつもりである。しかも私はペテルブルグに居残っている、このペテルブルグからは離れないぞ! なぜ離れないかといえば……ええい! 私なんかが離れようと離れまいと――そんなことは全くどうでもいいことじゃないか。
しかしそれはそれとしても、いったい、ちゃんとした人間が最大の満足をもって語りうるのははたしてなんの話だろうか?
答え――自分のことさ。
よし、それなら私もひとつ自分のことを話すとしよう。
二
さて諸君、これから私は、なぜ自分が虫けらにさえもなれなかったかという理由を、いやおうなしに諸君に話して聞かせたいと思う。ここではっきりと言明しておくが、私はなんど虫けらになりたかったかしれないのだ。が、私にはその値打ちさえなかったのである。諸君、誓って言うが、あまりに意識しすぎるということは――これは病気である。れっきとした、完全な病気なのである。人間生活の日常の用を弁じるには、普通の俗世間なみの意識だけでも余るほど十分なのだ。すなわち不幸にも十九世紀に生まれ合わせて、その上、地球上で最も抽象的・謀略的な都市たる(都市にも謀略的のとそうでないのとがある)ペテルブルグなどに住むという二重の不幸を持ち合わす文化人に与えられている分量の半分か四分の一ですむのである。たとえば、無反省な人々や活動家などといわれる人々がすべてそれによって生きている程度の意識で優にこと足りるのである。私は賭をしてもいいが、諸君はさだめし私がこんなことを書くのは、活動家を皮肉ろうという自惚《うぬぼ》れか、さては例の将校のようにいやみたっぷりな空威張りからサーベルをガチャつかせているのだと思われるに違いない。しかし、諸君、誰が自分の病気をひけらかす者があろう、いわんやそれを自慢する者が。
だが、私はいったいなにを言い出したのだ?――そんなことは誰だってやっていることじゃないか。みんな病気を得意がっているのだ、私などあるいはその尤《ゆう》なるものかもしれない。議論はすまい、抗議など愚の骨頂だ。しかも私はやはり意識の大部分どころか、あらゆる意識は――病気である、と強く確信せざるをえないのである。私はこれを主張する。がこれもしばらくおこう。ところでひとつ伺《うかが》いたいものだが、かつてわが国でのはやり言葉だった「すべて美しく高遠なるもの」の微妙な点をことごとく最もよく意識しえたちょうど全くちょうどその瞬間に、なぜ私はまるでわざとのようにそれを意識しないであんな醜態を演じるようなはめになってしまったのだろう、あんな……だが、なにそれはひと口に言えば誰でもやっていることなのかもしれないが、ただそれが私の場合は、そんなことをする必要はもうとうないことを最もよく意識していたちょうどそのおりに、まるでとってつけたようにぶつかってしまうのだ。善とか、例の「美しく高遠なるもの」のすべてとかを意識すればするほど、私は自己の泥沼へいよいよ深く落ち込み、ますますもってそこへはまり込む名人になってしまうのだ。しかも問題は、それがいずれも偶然に私の身に起こるのではなくて、まるでそれがさも当然のように思われることである。あたかもそれは私の常態であって、けっして病気でも変態でもないかのようで、したがって、つまりは、私には変態とたたかおうという気力さえ失われてしまったのである。そしてあげくの果てには、これもおそらく自分のノーマルな状態かもしれぬと信じかねぬばかりになってしまったのだ(あるいは本当に信じ込んでしまったのかもしれぬ)。が、最初のうちは、私はこの闘《たたか》いでどれほどの苦しみをなめたかわからない! 自分では、他人もみんなこうだとは信じなかったので、後々までも生涯、自分のこの一件をさも秘密かなんぞのようにひた隠しに隠していたものである。私はそれを恥じたが、(あるいは今でも恥じているかもしれない)しまいにはおよそいやらしいペテルブグの夜に家路をたどりつつ、今日もまた醜態をやった、が覆水《ふくすい》盆にかえらずだ、と内心ひそかに己《おのれ》を責めさいなむことに一種秘密な、異様な、下劣な快楽を感じるまでに至り、あまり自分に吸いついていると、そのうちに悲哀の情がついにはなにか恥ずべき、呪われた甘さとなって、最後には――それこそもうはっきりした、正真正銘の快楽に変わってしまうのだった! そう、快楽、快楽なのだ! 私はそう主張する。私がこんなことを言い出したのもはたしてほかの人にもこんな快楽があるものかどうかを、いつも本当に知りたくてたまらないからなのだ。そこで説明に移るが、この場合の快楽は、まさしく自分の堕落ぶりをあまりにもはっきりと意識することから生まれたのである。つまり、もうどんづまりの壁にまで来てしまっていることを痛感しているからなのだ。これは忌《い》むべきことには違いないが、さりとてほかにどうしようもない、出口はないのだ、いまさら別人になれるものでもなし、かりになにか別のものになり変われる時間と信念が残っていたとしても、おそらく自分ではなり変わることは望まないだろうということをちゃんと自身で感じているからなのである。よしまたそんなことを望んだとしても、なり変わるなどということは、実際は、たとえどんなものにもせよできるわけはないのだから、結局その場合もどうにもなりようはずはない。が、とどのつまり大切なことは、こんなことはいずれも強められた意識のノーマルな原則と、その原則から直接流れ出る惰性によって生じるということなのであって、したがってその場合には、なり変わることはおろか、全くもうどうしようもないということなのである。たとえば強められた意識の結果としては――もし卑劣漢が実際自分は卑劣漢であると感じているならば、卑劣漢たることは彼にとって慰めである、というのも正しいことになるのだ。だが、もう結構だ……。ええい、さんざしゃべりまくったがいったいなにを説明できたというのだ?……結局、快楽の一件はどう説明がついたのだ? だが、説明するぞ。徹底的にやってみせるぞ! わざわざそのためにこそこうしてペンを執ったのじゃないか……。
手近な例だが、私はおそろしく自尊心が強い。ちょうどせむしか小人のように邪推深くて、侮辱を感じやすい。しかしまた、もしぴしゃりと平手打ちを食わせられるような瞬間があったとしたら、たぶん私は、それを喜んだろう、というのもけっして嘘いつわりではない、冗談でなしに私はそこにも一種の快楽を見いだしえただろう。もちろん、それは絶望の快楽なのだが、しかし絶望のうちにも、ことに事態ののっぴきならぬことを非常に強く意識した際などには、そこに実にやけつくような快楽があるものだ。今の平手打ちの場合なぞでも面目玉がまるつぶれという意識がぐっとのしかかってくるのである。要するに、いかに八つ当たりしてみても、結局いつの場合も、なにごとにつけても私が第一の悪者ということになり、それもなにより癪にさわるのは、罪もないのに、つまりは自然の法則で悪者になってしまうことである。私が悪いのは、第一に周囲の誰よりも利口だからなのだ。(私はいつも周囲の誰よりも自分を賢いと思い、時には、こんなことは信じてもらえないかもしれないが、それを恥じさえしたものだ。少なくとも私はこれまでずっと妙に脇のほうばかりを見て、一度も他人の眼をまともに見ることができなかった)。第二に私が悪いのは、もし万一、私のうちに寛大な心があったとしても、それがなんの役にも立たぬことを意識して、内心の苦しみを増すにすぎないという点である。私は自分の寛大な心からはおそらくなに一つなしうることはないだろう。赦《ゆる》すこともできまい。なぜかと言えば無礼者が私をなぐったのはおそらく自然の法則によるものであろうが、自然の法則を赦すなどということは不可能だからである。といって忘れることもできない。いかに自然の法則とはいえ癪なものは癪なのだから。では最後に私は全く寛大でなくあろうとして、逆に無礼者に仕返しをしてやろうと思ったとしても、やはり誰にもなんらの仕返しもできはしないであろう。というのは、たとえできたとしてもおそらくなにかをやってやろうという気にはなれっこないからである。なぜその気になれないのか? これについて私はとくにひとこと言いたいのだ。
三
おのれの復讐《ふくしゅう》をとげたり、一般に自我を押し通したりすることのできるような人々の場合、たとえば、それはいったいどんなふうに行なわれるのだろう? 彼らは復讐の一念にとらえられると、もはやこの時には彼らの全存在の中にはこの一念以外にはなにものも残らなくなってしまうのではなかろうか。こういう人はまるで猛《たけ》り狂った牡牛みたいに、角を下に垂れて、目的物に向かって真っ向から突進し、壁でもない限り、とめようがないのだ。(ついでに言うが、壁を前にすると、こういった連中、つまり、直情径行とか、やり手とかいう人々はあっさり兜《かぶと》をぬいでしまうものである。この連中にとっては壁は、たとえば思案ばかりしていてなに一つ実行しない我々のような人間の場合と違って、注意をそらす理由にもならなければ、中途で引き返す口実にもならないのだ。つまり、我々の仲間なら普通は自分でも信じてもいないくせにいつも大喜びしたがるそんな口実にはならないのである。それどころか、彼らは実にあっさりと兜をぬいでしまうのだ。壁は彼らにとっては、なにか心を鎮《しず》めるような、精神的に解決を与えてくれるような、ぎりぎり結着の、あるいはさらになにか神秘的なものをもっているのである……だが、壁のことは後回しにしよう)。ところで、まさにこのような猪突型《ちょとつがた》の人をこそ私もこれを本当の、正常な、あたかも恵み深き母なる自然が人間をやさしく地上に生み落とした際、かくあれかしと望んだような人間であると思う。私にはこういう人間は、癪にさわってたまらないほどうらやましい。こういう人間は頭が鈍い、それにはあえて異論をさし挟むまい。あるいは正常な人間は愚物なのが当然なのかもしれない。その理由はご存じのとおりだ。またはさらにこれは非常に美しいことなのかもしれぬ。そこで私がこのいわば疑惑をいよいよ深くするに至ったのは、もしたとえば、正常な人間の反定立《アンチ・テーゼ》というものを考え、すなわち、もちろん、自然の懐《ふところ》からではなくて蒸溜器《レトルト》から出たような意識の強烈な人間を例にひいてみると(こうなってはほとんどもう神秘主義だが、しかし諸君、私はこういうことも思うのだ)――この蒸溜器《レトルト》の人間は自分が強烈な意識を有しているにもかかわらず、進んで自分を鼠かなんぞのように考えて、人間扱いしないほどにまで自分の反定立の前に兜をぬいでしまうこともあるからなのである。かりにそれは強烈な意識を有する鼠であるとしよう、しかし、要するに鼠は鼠である。ところが一方は人間だから、したがって云々《うんぬん》ということになる。しかもここに重要なのは、彼自らが自分を鼠と考えているということなのであって、誰もそんなことを頼んでいるわけではないのだ。これは重要な点である。さて今度はこの鼠の行動ぶりをながめてみることにしよう。一例としてこの鼠も侮辱を受け(もっともこいつはほとんどいつも侮辱を受けどおしだが)、やはり復讐の念に燃えていると仮定する。その心中にはl'homme de la nature et de la verite(自然と真理の人)の場合よりもさらに勃々《ぼつぼつ》たる憎悪《ぞうお》の念が鬱積《うっせき》しているかもしれない。そこにはそれを侮辱した者に同じ悪をもって報いようとする醜悪・低級な欲望が「自然と真理の人」におけるより以上に醜く交叉しているかもしれない。というわけは、「自然と真理の人」というものは、生来が愚鈍だから、自己の復讐をただもうあっさり正しいものと考えているが、鼠は強烈な意識の結果、この際もその正しさを否定するからである。そして結局は肝心なところまで、つまり当の復讐の行為そのものにまで及んでしまうのである。不幸な鼠は最初の一つの醜悪な行為のほかにも、さまざまな問題とか、疑惑とかいった形で、それだけ別の醜悪なものを自己の周囲に早くも山積させてしまった。たくさんの未解決の問題を一つの問題に帰着させてしまう結果、鼠の周囲には一種宿命的な濁り酒みたいなものがたまってしまうのだが、これがまた鼠自身の疑惑やら、興奮やら、さては裁判官とか、独裁官とかいった形で周囲に厳然と控えてその健康な咽《のど》いっぱいに鼠をあざけっている猪突型の活動家から吐き散らされる唾《つば》などからできあがっている一種悪臭を放つどぶ泥なのだ、もちろん、鼠はいっさいを諦めて、自分でも信じてもいないうわべだけの軽蔑《けいべつ》の薄笑いを浮かべて己の穴へとこそこそともぐり込むよりしかたがなくなってしまう。そこで、臭い、いやらしい地下室では、侮辱と打擲《ちょうちゃく》と嘲笑《ちょうしょう》をうけたわが鼠先生はさっそくに、冷やかで毒々しく、しかもこれが大切なのだが、永久にわたる憎悪の中に身をひたすのである。おそらく四十年もぶっ続けに自分の侮辱を最後の、いちばん恥ずかしい細かい点まで思い起こし、そのたびごとにいよいよ恥ずべきディテールを自分勝手につけ足しては、我とわが妄想で自分を底意地悪く嘲弄《ちょうろう》・憤慨させることだろう。自分で自分の妄想を恥じはしても、結局はすべてを思い起こし、こねくり回し、これだって起こらぬ限りはないと口実を作って、自分に途方もないでたらめをつぎつぎと考え出して、なにひとつ赦そうとしない。おそらく復讐をはじめるにしてからが、片手間に少しずつこっそりと内緒に行なうので、復讐すべき自分の権利も成功も信じてなどはいないのだし、同時に、復讐のすべての試みのおかげで自分のほうが復讐される相手よりも百倍も余計に苦しみ、相手はたぶん、びくともしないに相違ないことをも前もってちゃんと承知しているのである。死の床に臨んでも、またもやいっさいを思い返すが、それには生涯につもりつもった利息やなにかが加算されている……しかも、この冷やかな、いまわしい絶望と信念の相半ばしたところに、やけくそ半分に四十年間も自分を地下室に意識的に生埋めにしたところに、この無理に造ってはみたもののやはり幾分は疑念のもたれる自分の状態の八方|塞《ふさが》りというところに、内訌した満たされざる希望のこの毒素のうちに、永久の決定をみたかと思うと一分後にはまたしても後悔がはじまるような動揺のこの熱病の中に、そこにこそ前に私の述べたあの奇妙な快楽の醍醐味《だいごみ》があるのである。この快楽は非常にデリケートで、時には意識をもってしては捕捉しがたいこともあるので、ちょっとでも頭が足りないとか、あるいはただ単に神経が太いというだけの人々でさえ、その片鱗《へんりん》をも理解することはできないのである。こう言うと諸君はニヤニヤ作り笑いをしながら「それに、一ぺんも平手打ちをくらったことのない連中にもそれは理解できまいね」などと口を挟み、それによって、お前はおそらく今までに平手打ちをくらった経験があるので、それでそんなきいたふうなことを言うんだろう、という意味を婉曲《えんきょく》にあてこすられるかもしれない。私は賭をしてもいいが、諸君はきっとそういう肚にちがいないのだ。しかし、御安心あれ、諸君、これについては諸君においてどう考えられようとも私には全く痛痒《つうよう》はないのだが、実のところ私は平手打ちをくらったことなどはないのだ。ことによったら、かえって私は生涯にろくすっぽ平手打ちを人にくらわせなかったのを悔んでいるほうかもしれない。だが、もういい、諸君にとってひどく興味のあるこのテーマについてはこれ以上一語ももう言わないことにする。
それよりも、この快楽の一種の醍醐味を解しない神経の太い人々のことを淡々と語り続けることにしよう。この連中は事と次第によっては、たとえば牛のように咽喉も裂けよとほえたて、またたぶんそれが最大の名誉をもたらすのでもあろうが、しかしすでに前述したごとく、不可能の前に立つと彼らはとたんにおとなしくなってしまうのだ。不可能とは――つまり石の壁のことである。石の壁だって? そうさ、もちろん、自然の法則、自然科学の結論、数学といったたぐいのもののことである。早い話が、お前は猿から進化したのだ、と証明されたらいくら顔をしかめたとてはじまらぬわけで、ごもっともとそのままいただくよりしかたがなかろう。あるいはまた自己の脂肪の一滴は、本質的には、同胞のそれの数万滴よりも、当然、高価でなければならず、したがって、いっさいのいわゆる慈善も、義務も、その他たわ言も、偏見も、すべてはこの結論において解決せらるべきものであると証明されたら、これまたなんともいたしかたがなく、そのまま受け入れなければならないではないか。なにしろ二二が四というのは――数学なのだから。これにうっかり口返答でもしようものなら事である。「なにを言うか、――と諸君は一喝されてしまうだろう――反抗したってだめだよ、これは二二が四だもの! 自然は君にいちいち相談なんかしやしないよ。君の希望だとか、自然律が君の気に入るかどうかとか、そんなことは自然にとっては問題じゃないのだ。君は自然をそのままに、したがってその結果をもそっくり受け入れなければならないんだ。壁はつまり壁だということさ……云々」。おやおや。自然律や数学が私になんの関係があるというのだ、元来どういうものかこの法則や二二が四が気に入らないこの私に。もちろん、実際にそんな力もないのだが、私はこんな壁を額で打ち破るようなことはしない、だがまた私はこれと和解もしないだろう。理由は簡単だ――これは石の壁で、しかも自分には力が及ばないのだから。
こうした石の壁はまるで真から平安そのもののようであり、ただそれが二二が四であるというだけの理由でなにか平和への誓いでも秘めているふうである。おお愚劣もまさにきわまれりというべきか! それくらいなら、すべてを理解し、いっさいの不可能や石の壁を意識することのほうがよっぽどましで、もし、妥協がいやならその不可能や石の壁のどれ一つとも妥協しないまでの話である。相手が石の壁の場合にもなぜか罪は自分にあるという(全然罪もなにもないことはまたしても明々白々なのだが)永遠のテーマに対しても、どうしても避けられぬ理論上のコンビネーションの方法さえ尽くせば、どんなに忌《い》むべき結論に達したとて意に介することはない。そしてそれ以上は、黙々としてふがいなくも歯を食いしばり、こんなふうに空想しながら惰性の中に蕩然《とうぜん》と感覚を麻痺させているよりしかたがない――腹を立てようにも相手がないじゃないか、対象が見つからないじゃないか、あるいは永久に見つからないかもしれない。これは、すり変えだ、インチキだ、ペテンだ。これはもう味噌も糞もわからぬ濁り酒だ……と。しかし、味噌も糞もわからぬとか、インチキだとか言いながらも、諸君はやはりある痛みを覚えているのだ、そして何が何だかわけがわからなくなるほど、痛みのほうもいよいよひどくなってくるのだ!
四
「ハッ、ハッ、ハッ! なるほどそれで歯痛にも快楽あり、ということになるんだね」と諸君は笑いながら叫ぶことだろう。
――それがどうだというのだ? 歯痛にだって快楽はありますよ、――と私は答えよう。――私はまる一か月、歯痛に悩んだことがあるから、それをちゃんと知っているのだ。もちろん、その時は黙ってむかっ腹を立てたりはしないで、呻《うめ》き声をあげる。ところで、その呻きは率直なものではなく、そこに敵意が含まれているので、その敵意というやつが、つまりはミソなのである。つまり、この呻きの中にこそ悩める者の快楽が表われているので、したがってもしそこに快感を覚えなければ、呻き声を発するはずはないわけだ。これはいい例でしょう、諸君、ではひとつこれを展開していってみよう。この呻きの中には、まず第一に、諸君の意識にとって侮辱的であるところの苦痛の無目的が表わされている。すなわち、自然の合法性というやつがそれで、こんなものは、むろん、諸君は鼻もひっかけまいが、それでもやはりこれに悩まされているのである。ところが自然はそうではない。すなわち、諸君には敵というものはいないのに痛みは存在する、という意識が表されているわけである。つまりそれは、世間にどんなワーゲンハイム(ドイツ人名歯科医)先生がいようが諸君は完全に歯の奴隷なのであり、誰かがその気になって諸君の痛みをとめてくれればとにかく、その気にならなければ、依然としてなお三か月も痛みとおすにちがいない、という意識である。そしてまたそれは、もし諸君がそれに同意しないで依然抵抗をつづけるならば、もはや気休めに我とわが身をなぐりつけるか、拳固でもっと手痛くその壁を叩きつけるかするより手はなく、ほかには全くどうしようもない、という意識なのである。ところが、この血なまぐさい侮辱、この誰のかわからぬ嘲笑からついに、時として最高潮の情欲にも匹敵する快楽が始まることがある。諸君、十九世紀の人間で歯痛に悩んでいる教養人の呻きというものをおりがあったらひとつよく聞いてみていただきたい。それも発病後二、三日目がいい。その頃《ころ》はもう初日とは違った呻き方をしているからで、つまりただ歯が痛いというだけの理由ではないのだ。言い換えれば、そこらの土百姓とは違って、進化とヨーロッパ文化の洗礼を受けた人間として、当世の流行語をもってすれば「大地と民族気質から遊離した」人間として呻いているのである。その呻き声は妙にいやらしく、けがらわしいほど底意地の悪いものとなって、夜昼ぶっ通しに続くのだ。しかもそんな呻きはなんの利益ももたらさないことを当の本人は承知の上だし、いたずらに自他をへたばらせ、いらだたせるだけだということも誰よりもよく心得ている。また、彼が骨を折ってみせている相手たる周囲の連中や家族全体がもはや嫌悪の情をもってその呻き声を聞いていることも、てんで信用していないことも、さては肚の中で、あんなにいやに立てつづけにやったり、妙な技巧を弄さずに、もっと別なすなおな唸《うな》り方ができそうなものを、あれはただ意地と敵意から駄々をこねているのだ、と思っていることもちゃんと知り抜いているのである。ところが、ほかならぬこうした意識や恥辱の中にこそ情欲が秘められているのである。「俺《おれ》はお前たちを悩まし、気持ちをくたくたにさせ、家内の誰にも眠りを与えないでいるのだから、みんな眠らないでいるがいい、そして俺が歯が痛むということを絶えず感じるがいいんだ。俺はもう今では以前にそう見られたいと思ったような英雄ではなく、一介のいやらしい人間、一個のごろつきにすぎない。なに、それでいいさ! 化けの皮をはいでもらっていっそ幸せというものだ。俺の下劣な呻きを聞くのはいやらしいって? へん、いやらしいならそれで結構、いまもっといやらしい節回しでやってやるから覚えていろ」と言った具合なのだ。諸君、まだこれだけ言ってもおわかりがないだろうか? いや、この情欲の細かな点を残らず理解するには、やはり深く、徹底的に自身が発達をとげ、自覚を深めなくてはだめだ、諸君は笑っていますね? 大いに結構ですとも。諸君、私の冗談は、むろん、駄酒落の部類で、垢抜《あかぬ》けもしていなければ、要領も得ず、自信のないこともおびただしい。しかしそれは私自身が自分を尊敬していないのだからしかたがない、大体、意識した人間が多少とも自己を尊敬するなどということがはたしてできるものだろうか。
五
そうとも、そもそも自分自身の屈辱感のうちにさえ快楽を見つけようとするような人間に多少とも自分を尊敬するなどということができるものか。私が今、こんなことを言うのはけっして甘ったるい妙な後悔の気持ちからではない。大体、私という人間は「お父ちゃん、ご免よ、もうこれからはしないから」などと言うのは我慢のならないほうだったし、それも、私にはそんなことが言えないからではなくて、むしろ反対に、それこそそれはあまりにも朝飯前の事だったからなのだ、私はよく自分では夢にも悪い事をした覚えもないような時に、よりによってひどい目にあうことがあった。こんな胸くその悪いことはない。そしてそんな際に私はまたしても心底から感動し、後悔し、涙を流し、もちろん、自分で自分を欺いたわけなのだが、しかもそれはけっして芝居をやったのではない。心が妙に曇ったとでもいうのだろうか……。自然律には絶えず、なんといっても生涯、私は侮辱されてきたが、この場合にはその自然律のせいにするわけにもいかなかった。思い出しても癪にさわる。もちろん、当時だとて胸くそがわるかった。それが証拠に、ものの一分もたつと、私はもういまいましい気持ちでこう考えるのだった――なにこんな後悔も、こんな感動も、こんな更生の誓いも、こんなものはみんな嘘っぱちだ、いやらしい嘘っぱちだ、インチキな嘘っぱちなのだ、と。ではいったいなんのために私はこんなふうに自分をゆがめたり、いじめたりするのだ? と言われるかもしれない。その答え――それは手を束《つか》ねてぽかんとしているのが退屈でかなわなかったので、ちょいと手踊りの一つもやってみたわけなのである。全くそうなのだ。諸君だとてもっとよく自分自身を見つめてみたまえ、なるほどそうだと納得がゆくから。つまり、なんとかして少しでも生きてゆくために、自分から事をおこしては生活を編み出してきたというわけである。まあたとえば、向かっ腹を立てるようなことも、私の場合、なんべんあったかしれないが、それはなんら理由があってのことではなく、わざとなのだ。そんないわれのないことは百も承知で、ただそんなふうを装っているだけなのだが、しまいにとうとう本当に自分で腹を立てるようなことにしてしまうのである。どういうものか私には、生涯こんな悪戯《いたずら》をやってみたい癖が抜けずに、ついには自分で自分を支配することさえできなくなってしまった。無理やりに恋をしてみたくなったことも、二度もあった。そして諸君、全くのところ悶々《もんもん》の日を送ったのである。心の底では煩悶《はんもん》などは信じられるはずもなく、あざ笑う気持ちさえ動くのだが、とにもかくにも煩悶し、それも本式の、嘘いつわりのない煩悶で、嫉妬《しっと》のあまり我を忘れたりもする……。しかもそれは、すべて退屈からなのだ。諸君、退屈のさせる業なのである。惰性に押し流されたのだ。全くのところ、意識から生まれた、そのままの、合法的・直接的な結集――これが惰性というものであり、つまり、意識的な懐手の状態なのである。このことはすでに前に述べた。繰り返して、とくに強く繰り返しておきたいのは、――およそ猪突型の人々や活動家が積極的なのは、彼らが鈍感で狭隘《きょうあい》なためだ、ということである。これはどう説明すべきだろうか? こう言ったらどうだろう――彼らはその狭隘さの結果、いちばん手近な第二義的の理由を根本理由と思いちがえ、これで自分の仕事に対する確固不動の基盤が見つかった、と誰よりも早急に、手軽に信じ込み、それで安心してしまう。この点が肝心なのだ。いやしくも事を始めようというからには、まずもってすっかり心を平らかにし、かりにも疑念などの残らぬようにしておかなければならない。それはいいが、ではさてたとえば、この私などはいったいいかにして心を平らかにしたらいいのか? 拠《よ》るべき理由、基盤はどこにあるか? どこからそれを手に入れたらいいのか? 私は思索の訓練はつんでいるから、したがって私の場合は、どんな根本的理由もたちまちそれがなおいっそう根本的なやつを引き出してくるしまつで、こうしてこれがつぎつぎと果てしがないのである。元来が意識とか思索とかいうものの実体はこうしたものなのである。とするとこれはもうまた例の自然律になってしまう。では最後の結果はどうか、というと、やはり同じことなのだ。つい今しがた復讐について述べたところを思い返していただきたい。(諸君はおそらく大して気にもとめられなかっただろうが)私はこう言ったのだ――人が復讐をとげるのは、そこに正しさを認めるからである。すなわち、彼は根本的理由、基盤、つまり正義を見いだしたのである。したがって彼はすべての面で安心し、恥ずかしからぬ正しいことをなすのだという確信をもって、落ち着いてりっぱに復讐をとげることができるのである。ところが私にはそこに正義も見られないし、美徳の美の字も発見できぬために、いきおい復讐を行なうとすれば意地からする以外にないことになる。意地なら、もちろん、私の疑惑もなにもいっさいを押えられようから、したがって結構、根本的理由の代用にもなりうるというものである、というのも元来、そんなものはけっして理由ではないのだから。しかし、私の場合、その意地すらないとしたら、どうしたらいいのか(さきほど話を始めたのもこの点からなのである)。私の敵意はまたしても例の呪うべき意識律の結果、化学的の分解を受けてしまう。見る間に――対象は発散し、理由は蒸発し、当の相手は探し出せず、侮辱が侮辱でなく宿命のような、なにか一種の歯痛みたいなものになってしまうのである。誰の罪でもなく、したがって残るはあの例の手、つまり壁をもっといっそうひどく叩く以外にないことになる。そして、根本的な理由が見つからないのだから諦める、というわけだ。試みにこの時だけでも思慮分別や根本的理由を抜きにして、または意識を斥けて、自分の感情だけに盲目的に引きずられたとしたらどうだろう。手を束ねてすわっているのを避けるためだけに憎んだり、愛したりしてみたらどうだろう。と、どんなにおそくても三日目には我とわが身をさげすみはじめるに違いない。それは自分で自分を承知の上でだましたからだ。そしてその結果は――しゃぼん玉と惰性。おお諸君、私がまあ自らを聡明な人間と認めているのも、要するに生涯、なに一つ始めることも終えることもしえなかったからではないか。私は饒舌家《じょうぜつか》と言われたってかまわない、毒のない、ただいまいましい饒舌家だというのなら、お互いみんながそうなのだからかまうことはない。しかし、もしおよそ聡明な人間の直接で唯一の使命が饒舌にあるのだとしたら、つまり、空言を故意にもてあそぶことだというのなら、これもしかたがないことではないか。
六
おお、もしも私の無為がただ単に怠惰のためだけだったのなら、どんなにいいだろう。ああ、それなら私はどんなにか自分を尊敬したことだろう。たとえ怠惰にもせよ、それを自分に持っていられるというだけの理由で尊敬したに違いない。それは、つまり、たとえ一つの性質でも、自らが確信しうる積極的なものとしてそれが私の中にあることになるからである。あれはどんな男だ? ときかれて、怠け者だと答えられる。これは自分のことを言われたのだったら実に愉快この上もないことに違いない。つまり、それは積極的な定義であり、私について評すべき言葉があるということだ。「怠け者」――これだとて一つの身分であり、使命であり、経歴でもある。まぜっ返してはいけない――本当にそうなのだ。そうなれば私は当然飛び切り一流のクラブの会員というわけで、しょっちゅう自分を尊敬さえしていればいいことになる。私の知っているある紳士で、赤葡萄酒《あかぶどうしゅ》のことしか知らないのを生涯、自慢にしていた人がいる。彼はこれを自らの肯定的な価値と考えて、ついぞかつて己を怪しみ疑うことがなかった。そして安らかな、というよりむしろ勝ち誇った良心をもって死んだが、これなどは当然のことであった。が私だったらきっとそんな時に一頭地を抜きんでる道を選んだに相違ない――たとえ怠け者で大飯食らいだとしても、それが普通のとは違って、たとえばあらゆる美しく高遠なるものに共鳴する怠け者であり、大飯食らいだというふうに。どうだろう、こんなのは諸君のお気には召さないかしら? これはすでに私の久しく夢想するところだったのである。この「美しく高遠なるもの」は四十年間にわたって、いやに恐ろしく私の首根っこを押えつけてきた。もっともこれは私の四十年間のことだが、今言ったそんな時だったら、――おおそんな時だったらこれはまた別の話になったに違いない! 私はきっととたんにそれに相応した行動を見つけ出したことだろう――つまりそれは、すべての美しく高遠なるもののために乾杯することである。私はまず自分の杯に涙をそそぎ、次いですべての美しく高遠なるもののために乾杯すべくあらゆる機会にわたりをつけるだろう。そしてその時は世の中のすべてのものを美しく高遠なるものに変えてしまうであろうし、どんな汚ならしい、文句なしの塵芥《じんかい》の中にも美しきもの、高遠なるものを探し出したであろう。私はしめった海綿のように涙もろくなってしまうことであろう。たとえば、画家のゲイが一枚の絵を画いたとする。と即座に私はこの絵を画いた画家ゲイの健康を祝して乾杯するが、それというのもすべての美しきもの、高遠なるものを愛するからである。また「万人は気随気儘」という本を書いた著者がいると、とっさに「その気随気儘の人」のために乾杯する、これもすべての「美しく高遠なもの」を私が愛するからである。私はこれに対して自分への尊敬を要求し、私に尊敬を示さない者をとっちめてやる。静かに生き、厳かに死す――これはすてきではないか、全くすてきではないか! そしてその時私は腹をぐっと突き出し、三重顎を作り、白檀《びゃくだん》のような鼻をしてみせる、と行き会う人はみんな私を見て――「なるほどこれは大したプラスだ! これこそ真に肯定的なものだ!」と言うだろう。ところで諸君はどうか知らないが、現代のような否定的な時代には、このような評判を耳にするのもまた愉快なことではあるまいか。
七
しかし、要するにみんなこれはおめでたい空想なのだ。おお、そもそもこんなことを最初に言い出したのはいったい、誰なのだ? 人間が醜悪な行為をするのはただ真の自分の利害を知らないからなので、もしもこれを啓蒙《けいもう》し、その正常な利害に対して目を開いてやれたら、人間というものはすぐにも醜悪な行為をやめ、即座に善良高尚になるに違いない、というのは啓蒙されて真の自分の利益というものがわかったなら、必ずや善の中にこそ自分自身の利益を見いだすに相違ないからで、自身の利害に反して行動する者がない以上、つまりは必要上、善を行なうようになるからである、などとふれ回ったのはいったいどこの誰なのだ? ああなんたる乳臭さか! 全く純真な、他愛ない赤ん坊じゃないか! そもそも人間がただ自己の打算だけで行動したなどということは、この何千何万年の間のうち、いったいいつそんなことがあっただろう? 人間というものは自分自身の本当の利害はちゃんと承知していながら、それは後回しにして別な道へと、冒険へと、一か八かの道へと突き進む。しかもそれも何人《なんびと》にも、何物にもしいられてするわけではなく、あたかもただ指示された道を好まないかのようにがむしゃらに、自ら進んで、別の、苦しい、途方もない道を、ほとんど暗中摸索の形で開拓してきたということを証拠立てる幾百万の事実をどうしろというのか。ということは、つまり彼らにはこういうがむしゃらやわがままのほうが確かにどんな利益よりも快的だということになるわけではないか……利益! いったい、利益とは何だろう? 人間の利益がどこにあるかをはたしてよく諸君は的確無比に定義できると受け合えるであろうか? もしも、人間の利益は、自己に有利ならぬ不利を望むことにあるということが時にありうるのみならず、それが当然だとしたらどうだろう? もしそうとして、そういう場合しかありえぬとしたら、いっさいの法則は一朝にしてけし飛んでしまうではないか。諸君の考えはどうです、こんな場合がしばしば起こりうるでしょうか? 諸君は笑っていますね。笑うも結構、だが答えだけはしてくれたまえ――人間の利益というものはそもそも完全に正しく計上されているものかどうか? どんな分類にもはいらなかったのみか、入れられないような利益というものがないかどうか? だいたい、諸君、私の知る限りでは、人間の利益に関する諸君の帳簿といえばどれも統計上の数字や経済学上の方式から平均数を取ってきたものではないか。諸君の利益といえば――それは、安穏・富・自由・平和等々といったようなもので、したがって、たとえば、すべてこうした台帳に公然と意識して逆らうような人間は、諸君流に言えば、いやもちろん、私の考えでもそうなのだが、文明の妨害者か、あるいは全くの狂人だということになるだろう、ねえ? しかし、ここに驚き入った次第なのは――こうした世の統計学者・腎者・人類愛好者たちが人間の利益を計算する際に、いつも一つの利益を見のがすようなことが生じているのはなぜか、ということである。しかも台帳へはこれを当然取り入れるべき形で取り入れてないのに、総勘定はこれの有無にかかっているのである。この利息を取り上げて、それを表に記入するくらいは大して厄介なことではないかもしれない。ただ困ったことには、この妙な利益はどのような分類にも入れられないし、どの表にも書き込めないのだ。一例をあげれば、私に一人の友人がいて……あ、なんだ諸君、その男は諸君にとっても友人じゃないか、さらに、誰だって、誰だってその男が友人でない相手はないのだ! なにか事に当たろうという場合に、この仁はいかにして理性と真理の法則に従って行動すべきかを、即座に、滔々《とうとう》と明快に諸君の前に述べ立てる。さらに真の、正常な人間の利益についても興奮と情熱をこめてしゃべるだろうし、自分の利益も道徳の真の意義をも解さない近視眼の愚者に対してはこれを嘲笑とともに非難するであろう。ところが、ものの十五分もたつと、別になんら突発的な外部からの原因もないのに、すべての彼の利益よりも強力な、それこそなんとも知れぬ内面的な力に駆られて、どんでん返しをうってしまい、自分で今しがた口にしたのと正反対のことを、理性の法則にも、自身の利害にも、一口で言えばいっさいに正反対のことをぬけぬけとやり出すのである。あらかじめ断わっておくが、この友人というのは、いわば集合的な人称なのだから、この男だけ一人を非難しようとしても、それはちょっとできない相談なのだ。諸君、そんなわけなのだが、実際にもほとんどすべての人にとってそのいちばんの利益よりもまだ大切だというようなものは存在しないだろうか、あるいは(論理をおかさぬように言えば)他のどんな利益よりも重要で有利で、そのためには人はもし必要とあればいっさいの法則に逆行することも辞さない――つまり、理性・名誉・安穏・平和に逆らって、一口で言えば、自分にいちばん大切なこの基本的な、最も有利な利益を得ることさえできればどんな美しく有益なものにも逆行することを辞さないようないちばん有利な利益(これが今言った見のがされているものだが)というようなものは存在しないものだろうか。
――じゃ、それだってやはり要するに利益じゃないか、――と諸君は私の言葉に横槍を入れるだろう。だが失敬だが、まだ話には先があるのだ、それに問題はそんな言葉尻にあるのではなくて、この利益がまさしくいっさいの吾人の分類を破壊し、人類の幸福のために人類愛好者たちによって定められたいっさいの体系《システム》を絶えずぶちこわすのを特色としているという点にあるのだ。一言で言えばすべてをじゃまだてしているのである。しかし、私はこの利益の名を諸君にあかす前に、自分一個の恥を忍びたいと思う。そこで思い切って宣言するのだが、だいたいこうしたりっばな体系、つまり、本当に正常な利益を獲得しようと必ず努力さえすれば、人類はすぐにも善良、高貴なものになるといって人類にこれらの利益を説くもろもろの理論――などは今のところ、私の考えでは、単なる屁理屈《へりくつ》にしかすぎないのだ! そうとも、屁理屈さ。そもそも人間自身の利益の体系をもって全人類を更生させうるなどというこんな理論を認めることは、それは、私の考えでは、ほとんどもう……そうだ、たとえば例のバックル(ヘンリー・トーマス・バックル。一八二二―六二。イギリスの著名な歴史家)をまねて、文明のために人間は柔弱となり、したがって残虐性が減じ、戦争する能力も少なくなるという説を肯定するようなものである。なるほど理論上では、彼の説はそうなるのかもしれない。しかし元来人間は体系とか抽象的な結論とかにあまり固執すると自己の理論を生かすためには、とかく故意にも真実を歪め、見えても見ず、聞こえても聞かずということになりがちなものである。私がこの実例をここに引くのもこれがあまりにも明らかな実例だからである。まあ一つ周囲を見渡してみたまえ。血潮は河をなして流れているではないか、いやそれどころかまるでシャンパンみたいなふうに嬉々として流れているではないか。これが、バックルも生きていた現代の十九世紀というものなのだ。現代の偉人たるナポレオンにしてもそうだ。永遠の連邦たる北アメリカにしてもそうだ。さらに例の漫画めいたシュレスヴィッヒ・ホルスタインの一件もある。……だいたい、文明は吾人のうちの何を柔らげるというのだ? 文明は人間のうちに感覚の多面性を開拓するだけで、けっしてそれ以上の事はしていない。が、この多面性の発達を通じて、人間はおそらく血に快楽を見いだすようになるであろう。現にそのとおりになってきているではないか。諸君はあるいはお気づきでないかもしれないが、最も洗練された殺戮者《さつりくしゃ》というものはほとんどたいがいは、アッチラ汗やスチェンカ・ラージンなどの輩も時に足もとにも及ばないほどの、極度に文明開化した連中なのであって、ただ彼らがアッチラ汗やスチェンカ・ラージンほど人眼に鮮やかに映らないのは、全く彼らがあまりにもざらに出会われるからであり、珍しくなさすぎて見飽きられてしまったからにほかならないのである。少なくとも文明のおかげで、人間は以前よりより残忍にはならなかったとしても、たしかにより浅ましく、いやらしく血に飢えるようになってきた。以前は流血の中に正義を見いだしていたから、当然絶やすべき者を絶やす際には良心のやましさというものはなかった。ところが今では我々は流血をいむべきものと考えているくせに、やはりそのいむべきことを行ない、しかも以前よりも大がかりにやっている。いったいどちらが悪いのか? 諸君ご自身のご判断を願いたいところだ。かのクレオパトラは(ちょっとローマ史から一例を引かせてもらうが)自分の女奴隷たちの胸に金の針を好んで突き刺し、彼女らの叫びや痙攣《けいれん》の中に快楽を見いだしたという。諸君は、あるいは、それは、相対的に言えば野蛮時代のことではないか、と言われるだろう。そして現代でもやはり(相対的に言えば)針は突き刺されているのだから、これも同じく野蛮時代だと言われるだろう。また現代でも人間は、野蛮時代より時に明らかに物事を見ることを学びとったとはいえ、けっして理性や科学が指示するように行動することに慣れたわけではないのだ、と言われるだろう。しかしやはり諸君は、将来、古い悪習慣が一掃《いっそう》されて常識と科学とが人間性をすっかり叩き直し、正しく指導するようになった暁には、人間は必ずそれに慣れるものだということを十二分に確信しているのだ。そうなれば人間は進んで過ちを犯すようなことも自らしなくなるだろうし、つまりは、自分の意志を正常に己の利益とひき離すような気にはどうしてもならなくなることをも確信しているのだろう。さらにその時は、諸君の説では、科学自体が人間を教え導くようになり(これはいささか虫のいい話だと私は思うのだが)、また実はもともと人間には意志だとか、気まぐれとかいうものはなく、今までにもかつてあったためしがないのだから、そうなれば人間自体はピアノの鍵盤《キー》かオルガンの釘みたいなものにすぎなくなってしまう。そればかりか――この世にはなおその上に自然律というものがあって、したがって人間のするどんなこともそれはすべてけっして人間の意欲によって行なわれるのではなくて、自然律によってひとりでに行なわれるのだ、ということになる。そこでつまり、要はただこの自然律たるものを発見さえすればいいので、あとは人間はもう自分の行為に対して責任をもたないのだから、生きることはずっとらくになってしまう。そうなればいっさいの、人間の行為はひとりでにこの法則によって、まるで対数表のように、数学的に十万八千ばかりに分類されて年鑑の中にも加えられる。あるいはもっとうまくゆけば、現在の百科事典に類したような懇切な出版物が現われて、そこにはいっさいのことが正確に計量指示されているから、もはやこの世には行為だとか椿事《ちんじ》だとかいうものはなくなってしまうことになる。
――その時こそは――これはみんな諸君の説なのですよ――ちゃんと準備が整って同じく数学的正確さで算出された新しい経済関係が始まり、およそ問題という問題は、それに対するどんな答えでも得られるから、一瞬にして消滅してしまうことになる。つまり水晶宮が建つわけである。そしてその時には……そうだ、一口に言えば、その時には鳳凰《ほうおう》が舞い下りるのだ。むろん(今度はこれは私が言うのだが)その時でも、たとえばひどく退屈にならぬとはけっして保証はできない(というのもいっさいが表に計算されてあるのだから全くの手持ち無沙汰になってしまうからである)、その代わり万事は恐ろしく合理化される。もちろん、退屈となればどんなことだとて思いつかぬ限りはない! 金の針にも退屈のあまり、自分から突き刺されることにもなろうではないか、がそんなことは別になんでもない。ただ困るのは(これも私の説だが)、ひょっとすると、おそらくそうなると、金の針を喜ぶかもしれない、ということなのだ。全く人間というものは馬鹿も馬鹿も珍しいほど馬鹿なのだ。ということはつまり、けっして馬鹿ではないのだが、その代わり、ちょっと類を見ないほどの恩知らずだということなのだ。だから私だとて、たとえば、もし万物ことごとくが思慮分別一色に塗りつぶされた未来の世界から、下品な、というよりも臍《へそ》曲がりな、人を食ったような顔つきの紳士がいきなり藪《やぶ》から棒に飛び出してきて、両手を腰にあてて、我々一同に向かい「どうだ諸君、こんな思慮分別なんていうものをひとつ片足で蹴飛ばして叩き壊しちまおうじゃないか。目的は別にあるわけじゃない、ただこんな対数表なんかは悪魔にくれちまって、我々はもう一度、愚かでもいいから意志どおりに暮らしてみたいからさ!」と言ったとしても、いささかも驚かないつもりである。このくらいならまだ何でもない、が、我慢がならないのは必ずその真似をする奴らが出てくることなのだ。人間というものはそういうふうにできているのだから。しかもそれはみんな述べ立てるにも当たらないほど些細な原因から生じるので、ほかでもないが、人間というものは常にどこにあっても、また何者であろうと、けっして理性や利害の命令どおりにではなく自分の欲するように振舞いたいからなのだ。欲するということは己の利害に反する場合もありうるし、時としては必ずそうでなければならぬこともある(これはもう私の意見《イデー》である)。自分自身の自由|気儘《きまま》な意欲、いかに奇妙でもいいから自分自身の我儘、時には気狂いになるほど興奮してもいいから自分自身の空想――これこそまさしく人の見落としている最も有利な利益なのであって、もはや、いかなる分類にも属さず、いかなる体系も理論もこれにかかってはてんで歯が立たないものなのだ。そもそも人間にはなにか正常な、道徳的な意欲が必要だなどという理屈を世の賢者たちはいったいどこから引き出してきたのだろう? なんだって彼らはきまりきったように人間には必ず合理的に有利な意欲が必要だなどと考えたのだろう? 人間に必要なのは――ただ独創的な意欲だけで、その独創さはどんなに高価につこうとも、どんな結果になろうともそんなことはかまわないのだ。いや全くこの意欲という奴はえたいの知れぬしろものなのだ……。
八
「ハッ、ハッ、ハッ。だが、せっかくのお望みだが、その意欲というやつも、実は存在しないんだからね!」――と諸君は高笑いとともにこうさえぎるだろう。――「科学は今日でさえみごとに人間を解剖してしまったのだから、今ではもう誰も承知のことだが、意欲とかいわゆる自由意志などというものは要するにただ……」
――待ちたまえ、諸君。私のほうでも実はそういうふうに口火を切ろうとしていたところなのだ。だから、実を言うと、ハッとしたよ。意欲なんかは何に支配されるか知れたものじゃないし、まあそれでもいいさ、ともう少しでそう口をすべらすところだったのだが、ひょいと科学のことが頭に浮かんだので……控えたのさ。と、とたんに諸君がしゃべり出したのだ。そうともさ、全くの話、もし我々の意欲や気まぐれというもののすべてに公式みたいなものが本当に発見されて、つまり、それらが何に左右されるものか、いかなる法則によって生じるものか、いかにして広がるものか、某々の場合にはいずこに向かって進んでゆくものか、ということの本当に数学的な公式が発見されたとしたら――その時は人間はおそらくとたんに意欲することをやめてしまうだろう、いや、おそらくどころかきっとやめてしまうにきまっている。そうとも、表に従って意欲してみたって何がおもしろいもんか。なおそれのみか、そうなれば、人間はたちまち人間からオルガンの釘かそれに類したものに変わってしまうに相違ない。それもそのはず、希望も、意志も、意欲もない人間なんかオルガンの背の釘でなくてなんだというのだ? 諸君の考えはどうだろう? そんなことがはたして起こりうるものかどうか。ひとつその可能性をあたってみようではないか。――
――うむ……と諸君は結論を下して次のように言うだろう。「我々の意欲が大半誤っているのは我々の利益に対する誤れる見解によるものである。我々が時として実に下らぬことを欲するのも、我々自身の生来の愚鈍さから、この下らぬことの中にあらかじめ予想されたある利益を得る最も容易な手段があると見るからである。したがってこれらのことがすべて説明され尽くし、紙上で計算ずみとなってしまえば(これは大いにありうることだ。なぜかといえば、ある種の自然律は、いつになってもけっして人間に知られるものではないなどということを頭から信じるのは愚劣千万で無意味な話だからである)――その時は、もちろん、いわゆる欲望というものはなくなってしまうだろう。もしも意欲がいつか完全に理性と相通じる日が来れば、我々はもう意欲することはやめて、理性に従うことになろう。その理由はほかでもないが、早い話が、理性を保ちながら不合理を欲したり、同様に理性に逆行することをみすみす知りながら自己の有害を望むことはできぬ相談だからである……。いつかはいわゆる我らの自由意志の法則も発見されるだろうからありとあらゆる意欲や判断が実際に算出されるかもしれず、したがって、冗談でなく、表のようなものがこしらえられて、その結果、我々は本当にこの表によって意欲するようになる。たとえば、もし私が指先を使って誰かを侮辱したような場合、侮辱せざるをえなかった理由はこれこれで、そのさい使う指先は必ずどれというふうにすっかり算出証明されたとしたら、いったいその時どんな自由が残るというのだろう、ことに私が学者で、どこかで学業を修めた身だとしたらどうだろう? そうなれば、私はこれから先の生涯をまず三十年は割り出しておけようではないか。早い話が、もしこれが実現すれば、我々には、もはや手の下しようがなく、いやおうなしにそれを理解しなければならないのだ。なお、何かにつけて我々はたえず我とわが身にこう繰り返していなくてはならない――これこれの瞬間に、これこれの事情の下ではけっして自然は我々に相談などはしないから、我々の空想とは違ってありのままに自然を受け入れなければならぬし、また、もし我々が本当に表や年鑑や、それに、ほれ例の蒸溜器《レトルト》までも目ざして進んでゆくものとすれば、しかたがないから蒸溜器《レトルト》をも取り上げなければなるまい! さもないと、それは自分のほうから、あえて諸君を待たずに納まってしまうだろう……」
――なるほどね、しかし私ならそのへんでちょっとコンマを打ちたいところだね! さて諸君、ひとつご免をこうむって、これから屁理屈をひとくさりやらしてもらいますよ。何しろこちらは地下生活四十年という代物《しろもの》だ! 少しは空想をもてあそばせてやっていただきたい。ところで諸君、理性は結構なものであり、これには別に文句はないが、理性は要するにただ理性で、人間の判断力を満足させるにすぎないのだ。ところが意欲は全生活の、つまり、理性はもちろんのこと、痛い痒《かゆ》いも含めての全人間生活の現われである。そしてこの現われにおける我々の生活は時にしばしば陋劣なものとなることもあるが、それでもとにかく生活であって、単に平方根を求めることとは違う。たとえばこの私にしたところが、自分の全生活能力の二十分の一ぐらいにしかあたらぬような私の判断力だけを満足させるためでなく、自分の全生活能力を満足させるために生きたいと希《ねが》うのはきわめて自然ではないか。いったい、理性は何を知っているというのか? といえば、理性の知っているものは、単に知覚しえたもののみにすぎないのだ(もしかすると、ついに知覚しえないこともあるかもしれぬ。これはけっして喜ばしいことではない。が、さりとて別に口に出してはならぬということもあるまい)、ところが、人間性の方はその内部にあるいっさいをあげて、意識的・無意識的を問わず全面的に活動しているものであって、嘘も言うだろうが、とにかく生きているのである。諸君、あなた方はもしかするとあわれむように私を見ているのではないだろうか。諸君は私にこうも繰り返すだろう――発達した文化人、つまり未来人たるべき者は何にせよ自分に不利益なことを承知でこれを望むなどというはずはない、これはもう数学同様に明白なことだと。全くそのとおりで、いかにも数学である。しかし、諄《くど》いのを承知で繰り返しておくが、この世には、自分からわざわざ意識して、自分のためにならぬことや愚劣きわまることを希うような場合も一つくらいはあるものだし、そのような人間も一人くらいはいるものだ。というのも賢いことしか望んではならないという義務にしばられずに、最大の愚劣でもいいから、自分で望む|権利を持ちたい《ヽヽヽヽヽヽヽ》ためにほかならないのである。このばかげきったこと、この気まぐれこそ、我ら同胞にとっては地上に存するいかなるものよりも実際、有益であるかもしれないのだぜ、諸君。ことにある場合にはね。部分的には、たとえそれが吾人に明瞭な害をもたらし、利害についての我々の分別の最も健全な結論にもとるような場合ですら、それはいっさいの利益よりもさらに有利であるかもしれないのだ――なぜかと言えば、それはとにかくいちばん大切な、いちばん貴重なもの、すなわち我々の人格と個性とを我々のために保存してくれるからである。ある人々はこう主張する――いかにもこれは人間にとって最も貴重なものだ、意欲というものは、もしその気になりさえすれば、もちろん、理性と一致しうるし、これを濫用しないで適度に用いればことにしかりである。これは有益であるのみか、時には賞賛すべきものでさえある、と。しかしながら、意欲は非常にしばしば、というよりたいがいの場合は、完全に、頑固なほどに理性と一致しないもので、そして……そして……これがまた有益で、時にはきわめて賞賛すべきことでもあるのを、ご存じだろうか? 諸君、いまかりに、人間は馬鹿ではない、としよう。(実際、人間をこんなふうにはけっして言い切れるものではない。もし人間が馬鹿だとしたら、いったい誰が利口ということになるか、これ一つでもこのことは明らかなはずだ)けれども、たとえ馬鹿ではないにしても、それはやはり、途方もなく恩知らずだ! ちょっと珍しい恩知らずである。私は、人間の最上の定義は――二本足の恩知らず動物とまで考えている。が、これではまだ完全ではない、これはまだ人間の大きな欠点ではないからだ。その最大の欠点は――不断の背徳である。人類の運命が世界的洪水から始まって、シュレスヴィッヒ・ホルスタイン問題の時期にいたるまでついぞ絶えたためしのない背徳である。背徳はひいては無分別となる。というのは、無分別がほかならぬ背徳から生じるものであることは、昔からわかりきったことだからだ。ひとつためしに人類の歴史に一瞥《いちべつ》を投じてみたまえ――はたして諸君の眼に映るものは何か? 荘厳か? あるいは荘厳かもしれぬ。現にロドス島の巨像(アポロの像、エーゲ海中の二つの島に両足をふまえて立っていたとの伝説あり)一つにしても大したものだからな! これを人工による作だという者もあれば、いや自然そのものの創造だと主張する者もあるとアナエーフスキイ氏が証言しているのも空論ではない。
――それとも雑多か? あるいは雑多でもあろう。古来から各国民の文武官の礼服を調べただけでも――それだけですでに大したもので、これに略服まで加えようものなら、それこそ腰が抜けて、どんな歴史家だとて踏みこたえられはしまい。それとも、単調と言われるか? そう、単調でもあるかもしれぬ。闘争、闘争で今も闘争なら、昔も闘争、また闘争だった、――全くこれじゃあんまり単調すぎますよ、ねえ。まあそんなわけだから、世界歴史についてはどんなことでも言えるのだ、どんなでたらめな想像でも頭に浮かぶことなら何でも言えるのだ。だが、たった一つ言えないことがある――それは、思慮分別があるということだ。それを言い出したら、とたんにむせ返ってしまうだろう。それどころか現に我々はとんだ茶番にたえず出会っているではないか――それはほかでもない、有徳・聡明の士や賢者、人類愛好者などが世の中に続々と現われてきていることを言うのである。この連中は生涯、なるべく道徳的なかつ思慮分別ある振舞いをして、いわば隣人を導き照らすことを自己の目的としているのだ。が、それというのもこの世では、道徳的にかつ思慮分別ある生き方が実際できるものだということを彼ら隣人たちに示さんがためにほかならないのである。ところが、どうだろう? 周知のように、これらの物好きな先生たちの多くは、晩《おそ》かれ早かれ生涯の終わり頃には、何か物笑いの種を、それも時には実に醜態この上もないようなのをこしらえて自分を裏切ってしまったではないか。そこで諸君におたずねするが、いったいこんな奇妙な性質をもった生きものとしての人間から何を期待できるというのだろう? ためしにこういう人間にあらゆる地上の幸福を浴びせかけ、頭ごとそっくり幸福の中に沈めて、水面と同じように幸福の表面に泡だけしかぶくぶく浮き上がらないようにしてしまってみたまえ。つまり、ただもう睡ったり、蜜パンを食べたり、世界史が永続するのを心配したりする以外になにももうする仕事がないほどに経済的な満足を与えてみたまえ。すると彼は、つまり、この人間という奴はそれでもやはり、ただ恩知らずの気持ちから、けちをつけなければいられぬ気持ちからいまわしいことをしでかすに違いない、そして蜜パンをさえ食いそこなう覚悟で、およそ身のためにならぬような他愛ないことを、およそ非経済的な無意味なことを自ら進んで望むであろうが、それもただただこのもっともらしい思慮分別全体の中に、自己流の破滅的・空想的な要素を混ぜ込ませたいためにすぎないのである。全くこんな途方もない瞑想《めいそう》や卑俗きわまりない愚劣さをしっかり持ちこたえようとする目的は、ただ人間はついに人間であり、けっしてピアノの鍵盤《ヽヽ》ではないことを我とわが身に確信させたいからにすぎないのであって(あたかもこれがぜひとも必要であるかのごとく)、もっともこの鍵盤で自ら弾《ひ》くのは当の自体律なのだが、あまり弾きすぎると、暦《カレンダー》なしにはもう何一つ意欲することができなくなってしまうおそれがあるからなのである。だがそれだけではない。かりにもし人間が実際にピアノの鍵盤だということがわかったとしても、それを自然科学によって数学的に説明されたとしても、やはり迷いが覚めず、単に恩知らずの気持ちから、つまりは自己を主張するために、わざと逆になにかを仕出かすに違いない。手段がないとなれば、破壊や混乱、さてはさまざまな苦難の道をさえ思いついて、あくまで自己を固執しようとするのだ! 世界中に呪いを放ちもしよう。ところで、呪うということのできるのはただ人間だけであるから(これは他の動物と最大の差異をなしている人間の特権だ)、したがって人間は、この呪い一つでおそらく自己の目的を達することができるわけである。つまり、自分が人間であって、けっしてピアノの鍵盤でないことを実際に確信しうるわけなのだ! あるいは諸君は言うであろう――それだってみんな、混乱も、暗黒も、呪詛《じゅそ》もことごとく表によって算出しうるのだから、このあらかじめ算出できるということだけでもいっさいを中止させる力があり、理性が勝つわけではないか、と。が、その時は人間は理性をもたずに自己を押し通すためにわざと気狂いになるかもしれないぜ! 私はそれを信じ、保証する者だ。というのは、およそ人間の仕事というのは、全くのところ、自分が人間であって、単なる鋲《びょう》などではないことを絶えず自分に証明するというその点にだけあるからである! 事実、自分の脇腹を叩いても証明してみせたし、穴居生活をもってしても証明してきているのである。こうしてみると、そんな表などというものはまだ存在せず、意欲は目下のところではまだ何に支配されているのかわからない、となす説も、はたして非難すべからざるものか、賞賛すべからざるものかちょっとむずかしくなってくる。
あるいは諸君は私に向かって叫ぶだろう(私がもしも諸君から声をかけてもらうに価する場合のことだが)、――誰も君から意志を取り上げやしないじゃないか。ただ君の意志そのものが、自ら進んで君の正常な利益の法則や算術と一致するようになんとか調整したいと骨を折っているだけなのだ、と。
――冗談じゃないぜ、諸君、話が表や算術というところまで行って、二二が四ばかりがはやるようになってしまって、なにが自分の意志もくそもあるものか。二の二倍は私の意志なんぞなくたって四になるにきまっている。そんな自分の意志などがあってたまるものか!
九
諸君、これはもちろん、冗談だし、駄酒落《だじゃれ》だということも自分で承知しているが、さりとて何でもかでも酒落のめしてしまえるというものではない。もしかすると私は歯をくいしばりながら冗談を言っているのかもしれない。諸君、実は私はいろんな問題に悩まされているのだ、ひとつ解決してもらえないだろうか。たとえば、諸君は人間を旧弊から打破せしめて、科学と常識の要求にふさわしく人間の意志を矯正しようとする。しかしいったい、諸君はなぜ人間をそんなふうに改造しうるのみか、|しなければならぬ《ヽヽヽヽヽヽヽヽ》かというわけをご存じなのだろうか? どこからいったい、人間の意志はぜひとも矯正する必要があるなどと結論されるのか? つまり、こうした矯正が実際、人間に利益をもたらすものだということをどうして諸君は承知しているのか? さらに、もはやいっさいを言ってしまえとなら言うが、理性や数学の論拠によって保証された、真の正常な利益にもとらないほうが実際に人間にとって常に有利であり、これこそ全人類にとっての法則だということを、どうして諸君はそれほどしかと確信しているのか? これは目下のところではまだ単なる諸君の仮定ではないか。かりにこれを諭理の法則なりとしよう、しかしあるいはそれは全く人類の法則ではないかもしれないのだ。諸君はあるいは私を気狂いだと思っていられるのではないだろうか? ではひとつ弁解させていただこう。私も諸君と同意見である。すなわち、人間はとくに創造的な動物で、意識的に目的に向かって邁進《まいしん》し、技師のような仕事に従事すべく、つまり、『方向がどちらであろうと』、永久に休みなしに自己の進路を開拓すべく運命づけられているのである。しかしまた人間が時に脇道へそれたがるのも、同じく彼がこの進路を切り開くべく運命づけられているからであり、さらにまた、一般に猪突型のやり手というものがいかに愚かなりとはいえ、この進路なるものがほとんどいつも方向をかまわずに進むのであることに時には気づくであろうし、なお、問題は道がどの方向をさしているかということではなくて、ただ続いているという点にあることや、また有徳の士は技術的な仕事を軽蔑《けいべつ》せずに、あらゆる悪徳の母として知られている命とりの怠惰に身を委せたいものだということをも思い浮かべるからである。人間は創造と進路開拓とを愛する。これには異論はない。しかしまた人間は、なにがゆえに破壊や混乱をも熱愛するのだろうか? これにひとつ答えていただきたいのだ! が、これについては私としてもひとこと言わしてもらいたい。人間がかくも破壊と混乱とを愛するのは(これも異議のないところで、人間は時にそれを実に熱愛するというのも事実そのとおりなのだ)、目的を達成して、建造された建物を完成することを自ら本能的に恐れているからだと思うがどうだろう? しかもすでにご存じかもしれないが、彼はその建物を、けっして近くでではなく、ただ遠方から愛好しているかもしれないのだ。あるいはまた、彼が好むのはそこに住むことではなくして、ただ建てることだけで、後にはそれを、たとえば、蟻《あり》とか、羊とかいったようなAux animaux domestiques(家畜どもに)にあてがってしまうかもしれない。そこへ行くと蟻という奴はまるで好みが違う。奴らは同じ種類のものながら永久に壊れない、驚くべき一つの建物――蟻塚をもっている。
これら感心な蟻どもは、蟻塚から事を始めて必ずや蟻塚をもって事を終えるであろうが、これこそ彼らの堅忍持久の魂とその地道さに大いなる栄誉をもたらしているものである。ところが人間という奴はおっちょこちょいで下等な動物ときているから、事によると、ちょうど将棋さしみたいに、当の目的よりも、目的を達する経過のほうだけを愛するのかもしれない。また、これは、誰にもわからないことだが(保証はできないということ)、もしかすると、人類が目ざしている地上の目的というのは畢竟《ひっきょう》、ただ達成のためのこの絶えざる経過に、言い換えれば、生活そのものにあるのであって、目的そのものにはないのかもしれない。目的というのは、もちろん、二二が四ということ、つまり、公式以外のものであるはずはないが、二二が四はすでにもう生活ではなくて、死の始まりだからである。少なくとも、人間はいつもどういうものか、この二二が四を怖れてきたが、私は今でも怖れている。かりに人間はこの二二が四の探究に専念し、太洋を泳ぎ渡ったり、この探究に生命を賭したりしているとしても、探究すること、つまり、実際に発見することは――たしかにどうやらこわいらしい。それは、発見してしまえば、その時は、もはや探究するものがなくなってしまうことを直感しているからではないか。これが労働者なら、仕事を終えれば、少なくとも金がもらえるから、それで飲み屋へ行き、それから警察へぶちこまれる、――で、まあ一週間ぐらいの暇はつぶせるというものだ。が、人間そのものはいったいどこへ行ったらいいのだろう? 少なくともこのような目的を達した場合には必ずそのたびごとになにか気づまりなものが彼のうちに認められる。人間は到達を好むものだが、その到達は完全な到達ではない、これはもちろん、実に笑うべきことである。早く言えば、人間は滑稽《コミック》にできているので、これだけでもうりっぱに酒落なのである。しかし、二二が四は――やはりどうしても我慢のならぬ代物だ。二二が四だなんて、こんなものは私に言わせれば、ただ人を食ったものとしか思えない。二二が四先生が伊達者《だてしゃ》気取りで、両手を腰にあてて、諸君の行く手に立ちはだかり、ぺっと唾を吐いている、というふうさ。二二が四が結構なものだということは私も異存はない。が、どうせ何もかも賞め上げるというなら、いっそ二二が五も時にご愛矯たっぷりな代物だ、とでも言ってやるか。
それからまた諸君はどういうわけで、正常な肯定的なものばかりが――一口に言えば、安泰ということばかりが人間にためになるものと、それほど揺ぎなく、得意になって確信しているのか? 理性というものははたして利害を誤らないものだろうか? 人間が愛しているのは安泰ばかりではないかもしれないではないか。苦難だとて同じ程度に愛しているかもしれぬではないか。またその苦難だとて安泰と同じくらい、人間のためになるかもしれないではないか。人間は時に無性にはげしく苦難を愛するものだ。これはかくれもない事実で、あえて世界の歴史を調べるまでもなく、もし諸君が人間で、多少とも生活したことがあるなら『自分にきいてみられるがいい』。私一個の意見はといえば、ただ安寧のみを愛するなどというのは、どうも少し適当でないようにさえ思われるのだ。事のよしあしは別として、破壊というやつは時によると、これまた実に痛快なものである。この場合、私はとくに苦難の味方をする者でもなければ、さりとて安泰の肩をもつ者でもない。ただ私が弁護しているのは……自分の気まぐれと、その気まぐれが必要なさいには私に保証されるということなのだ。苦悩などというものは、たとえば、笑劇《ヴォードビル》などには許されないものだ、それは私も承知している。水晶宮ではそんなものは考えられもしない。というのも苦悩というものは疑惑であり、否定であるからで、疑惑の棲む水晶宮など在りえようがないからである。ところが一方、私は信じて疑わないが、人間は真の苦悩を、つまり破壊と混乱をけっして拒むものではない。苦悩――実にこれこそ意識の唯一の原因ではないか。私は冒頭において、意識というものは、私の考えでは、人間にとって最大の不幸だと述べたが、人間がそれを愛し、どんな満足にも見替えないことを私は知っているのだ。意識は、たとえば例の二二が四などよりは無限に高いものだ。二二が四の後では、もちろん、することはもとより知ることもなに一つ残らなくなってしまう。その時になってできることは――ただもう自分の五感を塞いで、観照の世界に沈むだけしかない。ところで意識があれば、結果は同じになろうとも、つまり、することがなくなってしまおうとも、少なくとも、時には自分自身を打つことぐらいはでき、これだけでも多少の活は入れられるというものである。いささか反動的な話ではあるが、それでもないよりはましである。
十
諸君は永久に壊れることのない水晶宮というものを信じていられる。つまり、陰で舌を出したり、ポケットの中で拳固指をつくったり(侮辱を示す)できないものとして信じていられる。ところで、一方、私がこの建物を恐れている理由なるものもたぶんそこにあるので、つまり、これが水晶で造られてあって永久に壊れないからであり、また、陰でさえ舌も出せないからなのである。
さてそこで、もしも宮殿の代わりに鶏小舎《とりごや》ができて、そこへ雨が降ってきたとすれば、私はおそらく濡れないようにとその鶏小舎へはい込みはするだろうが、やはり鶏小舎を宮殿だなどと思いはしまい。それは雨を防いでもらった感謝の気持ちがあるからこそである。諸君は一笑に付して、こう言うかもしれない――そんな時は鶏小舎も大廈高楼《たいかこうろう》も同じことさ、と。そりゃそうだ、もし濡れないだけのために生きなければならないとすれば、ね。
ところが、もしも私が、いや人間が生きているのはそれだけのためじゃない、どうせ生きるなら、大廈高楼に住まなくては嘘だ、とうぬぼれたとしたら、どうだろう。これは私の意欲であり、希望である。諸君にしてもこれを私から取り去ろうとすれば、この私の希望を変えさせるより手はあるまい。では一つ変えてもらおうか、別の希望で私を魅惑してくれたまえ、別の理想を与えてくれたまえ。が、それまでの間は、私は鶏小舎を宮殿と取り違えたりはしないだろう。水晶宮なぞというものがでたらめであろうと、自然律の上からそんなものは考えられないことであろうと、こんなものは私自身の愚かさから現代の古臭い不合理な習慣の結果考え出されたものであろうと、そんなことはかまわない。そんなものは考えられなくたって、私にはいっこうに関係のないことだ。かりにそれが私の希望の中に存在していようと、あるいはもっとよく言えば、私の希望が存在する限り存在しようと、どの道同じことではないだろうか? 諸君はまた笑おうというのですか? どうぞ笑ってくれたまえ。私はどんな潮笑をも受けよう、が、食いたい時に満腹だとは言うつもりはないし、自然律によって実在《ヽヽ》しているからという理由だけで自分が妥協に、つまり無限の循環零に安心できないことも承知しているつもりだ。たとえ千年の契約で、しかもその上、万一にそなえて歯医者ワーゲンハイムの看板まで掲げて、貧しい間借人たちのための部屋のたくさんあるりっぱな大邸宅をもってこられても、私はそれを自分の希望の王冠とは受け取らない。いつも私の希望をそっくり無いものとし、私の理想をぬぐい取り、その上でなにかいいものを示してもらいたい、そうすれば私は諸君に従って行く。あるいは諸君は、そんなことはかかわり合うまでもないと言うかもしれない。が、それなら私だとて同じように答えられようではないか。お互いにまじめに論じ合っているのに、諸君のほうで私に注意を払う価値なしというつもりなら、こちらだとて頼みはしない。私には地下室というものがあるのだから。
が、今のところ私はまだ生きていて、希望もいだいている身だから、この手が腐ってもそんな大邸宅のためには煉瓦の一つも運ぶようなことはしないつもりだ! さっき私は水晶宮を拒んだ時のただ一つの理由として、舌を出してからかうことができないからだと言ったが、このことにはあまりこだわってもらってはこまる。こんなことを私が言ったのは、けっして、舌を出すのがそんなに好きだからというわけではない。私はただ、舌を出さずにすむような建物が、これまで諸君の建てたものの中には一つも見当たらないことに対して腹を立てたにすぎないのかもしれぬ。これが反対に、もしこの私がもうけっして舌など出す気にならぬほど万事がうまくいったなら、私は感謝の念からだけでも自分の舌をすっぱり切り取ってしまいたいくらいなのだ。そううまくはいかないから、さっきの貧乏人たちの部屋ぐらいで満足しなければならないのだと言われたって、それはこっちの知ったことじゃない。いったい、なぜ私という人間はこんな希望をいだくように生まれついているのだろうか? 本当に私は、自分の組織がすべて単なるペテンにしかすぎないという結論に達するためにのみ創《つく》られているのだろうか? よもやそこに目的のすべてがあるわけでもあるまい? 信じられぬことだ。
とは言っても、私は、我々地下室の兄弟に対しては手綱を締めておかねばならぬものと肚をきめているのだ。奴は四十年も口をきかずに地下室にすわり通していることもできはするが、一つ間違って世の中へ飛び出そうものなら、それこそ堰を切ったように、しゃべって、しゃべって、しゃべりまくるのだから……。
十一
つまりは、諸君、結局なんにもしないほうがいいのだ! 意識的な不精に限るのだ! だから地下生活万歳というわけなのだ! 私も癇癪《かんしゃく》が起こっていらいらするほど、正常な人間がうらやましいと言いはしたものの、自分が現に見ているような条件の中におかれた人間にはなりたくはない。(そのくせやはりうらやむことはやめないだろう。いや、いや、地下室のほうがなんといっても得だ!)あすこなら、少なくとも、……チェッ! 私はまた嘘をついているのか! 嘘じゃないか、だって私は自分の渇望しているのは地下室なんかではなくて、まるで違った別のものだということを二二が四ほどにもはっきり知っているからだ、ただそれがどうしても見つからないだけのことで。地下室なんぞ糞食らえだ!
私がいま書いたことの中で、何でもいいから自分でそれが信じられたら、そのほうがまだましだ。諸君、私は誓って言うが、いま書きなぐったことを一語も、それこそ一言半句も私は信じてはいないのである。つまり、信じてはいるのかもしれないが、同時に、どういうものか、自分がやくざ者みたいに駄ぼらを吹いているような感じがして、そんな懸念《けねん》が去らないのである。
――じゃ、これまでのことはみんな、いったいなんのために書いてきたのだ?――と諸君は私に向かって言うだろう。
――そんなら、こっちは諸君を全然仕事をさせずに四十年間もとじこめておいた上、四十年後に地下室を訪れて、諸君がどんなざまになったかをたずねてみたいものです。そもそも人間を四十年間も、仕事もなしに一人でほったらかしておいていいものでしょうか?
――「それだって恥ずかしくはないさ、惨《みじ》めでもないじゃないか!」とおそらく諸君はさげすむように頭を揺らしながらそう言うに相違ない。
「君は生活に飢えているものだから、生活の問題を論理上の錯綜《さくそう》で自ら解決しようとしているんだよ。君の突飛な言葉もいいかげん、うるさく厚かましいが、同時に君はずいぶん、びくびくしているじゃないか! 君は愚にもつかないことを言って、それで満足しているのだ。君は厚かましいことを口にしては、内心、絶えずそれを怖れて、申し訳ばかりしている。君はこわいものこなしなどと断言しながら、同時に我々の考えに媚《こ》びようとしているのだ。歯を食いしばっているなどと高言しながら、一方では我々を笑わそうと酒落を飛ばしているのだ。君は自分の酒落が駄酒落だということは承知しながらも、どうやらその文学的価値にはひどく満足しているようじゃないか。あるいは君は本当に苦しい目にあったことがあるのかもしれない、が、いっこうに自分の苦しみを尊ぼうとしないね。君の中には真実もある、が、純潔さというものがない。君は実につまらぬ虚栄から己の真実を市場へ持ち出して見せびらかしては恥さらしをやっている……君はたしかに何か言いたのだ、が、不安の念に駆られて最後の言葉をかくしているのだろう。それというのは、君にはそれを発表するだけの勇気がなく、ただ卑怯な厚かましさしかないからなのだ。君は意識を得意がっているが、実はただ思い迷っているにすぎない。なぜかといえば、いくら君のうちに知性が働いていようと、君の心は淫蕩《いんとう》に曇っているからだ。純心なくして――完全、正当な意識はありえまい。なんと執拗《しつよう》な男だ、実に押しつけがましく、もったいぶる奴だ! 嘘、嘘、嘘ばっかりじゃないか!」
もちろん、以上のような諸君の言葉はいずれも私が自分でいま作ったものである。これもまた地下室の創作だ。私は地下室で四十年間ぶっとおしにこの諸君の言葉に隙間から聴《き》き耳を立てていたのである。確かにこれは私自身の考案だ、こんなことしか頭に浮かんでこないのだからしかたがない。したがって自然とそらで覚え込み、文学的な形式をとるに至ったのも不思議ではあるまい……。
だが、はたして諸君は、私がこれを残らず印刷した上に諸君に読ませようとするのだろうなどと想像するほど、それほどだまされやすい性質だろうか? それから、ここにもう一つ私にとっての問題がある。すなわち、本当のところ、私は何だってあなた方を「諸君」などと呼ぶのだろう、何だって実際に読者に対するような態度をあなた方にとっているのだろう? 私がこれから述べようと思っているような告白は印刷されるべきものでもなければ、他人に読ますべき筋合いのものでもない。少なくとも私にそれだけの自信もないし、またそんな自信をもつ必要も認めてはいないのだ。しかしながら、私の頭に一つの空想が浮かんだのである、そして私はぜひともそれを実現してみたいのだ。それは次のようなことなのである――。
どんな人の思い出にも、親しい友達を除いては、誰にでもは打ち明けられないことがある。さらに、親友にさえも打ち明けられず、自分自身にだけ、それも秘密として白状するようなこともある。だが、まだその上に、自分にさえ打ち明けるのをはばかられるようなこともあって、そういうことは、どんなりっぱな人の場合にもかなりたくさん積もり積もってふえてゆくものだ。いや、むしろりっぱな人であればあるほど、いよいよそれがふえてゆく。少なくとも、私自身が自分の以前の出来事を思い出してみようと心に決めたのはつい最近のことで、それまでは一種不安な気持ちさえいだいて、いつもそれを避けていたものである。ところで、思い出すだけでなく、それを一つ書きつけてみようとさえ決心するに至った今となっては、実のところ、はたして自分自身がすっかり裸になりきれるかどうか、またいっさいの真実を恐れずにいられるかどうかを試してみたい気持ちなのだ。ついでに言えば、かのハイネは、正しい自叙伝などはまずありえないもので、人間というものは自分自身の事となると必ず、嘘をつくものだ、と断言している。彼の考えによると、たとえば、ルソーなどもその懺悔録《ざんげろく》の中で自分に嘘をついている、虚栄から故意にさえ嘘をついているという。私はハイネの言葉は正しいと確信する者だ。時によると、ただ虚栄のために犯罪をそっくりわが身に招くことのあることも私には十二分にわかるし、その虚栄がいかなる種類のものであるかもけっして推測にかたくはない。しかし、ハイネが問題としたのは公衆の前で懺悔をした人のことである。が、私は自分一人のために書いているのだ。そして、この場で早速、明言しておくが、かりに私がさも読者に対するようなふうに書いているとしても、それはただ見せかけのことで、つまり、そのほうが私に書きやすいからなのである。それは形式、ほんの空疎な形式にすぎないので、読者などというものはこの私にはありようはないのだ。これはもうすでに宣言しておいたはずだ……。
私はこの手記を作成するについては、なにも制約されたくない。順序や系統もたてまい。思いつくままに書いてゆこう。
ところでそう言うと、あるいは言葉尻をとらえられて、たとえばこんなふうにたずねられるかもしれない――もし君が本当に読者なんか問題にしないというのなら、順序も系統も立てないだとか、思いつくままに書きつけるのだとかいったそんな条件を、今自分一人でそれも紙上でまで決めたりしているのはいったいなんのためなのだ? なんのための申し開きなのだ? と。
――いや、そいつは弱ったな、――と私は答える。
そこには、もっとも、いろいろ微妙な心理があるのだ。もしかするとただ私が臆病なのかもしれない。あるいはまたこれからこの手記を書きはじめようという時に際して、なるべく礼儀に適った態度をとろうとして、わざと自分の眼の前に読者を空想しているのかもしれない。原因は無数にあるわけである。
しかし、なおもう一つ――なんのために、そもそも何がゆえに私は書く気になんぞなるのだろう? ということが問題である。もし公衆のためでないというのなら、なにもことさら紙に移さずとも、頭の中でいっさいを思い出すだけで十分ではないか?
確かにそのとおりなのだ。ところが紙に移すと、これがまたぐっと厳粛になってくるのだ。このほうがどうも示唆するところもあるし、自己批判も増すし、うまい文句も後からくっついて生まれてこようというわけだ。その上に、ひょっとすると、手記を書くことによって、私は本当に気が楽になれるかもしれないのである。現に今日でもある昔の思い出がことに私の心を押しつけている。これはもうこの数日前からはっきりと思い出されて、まるで進んで離れようとはしないいまいましい音楽の主題みたいにずっと私にこびりついているのだ。ところがこいつからは離れてしまわなければならない。こんな思い出は私には何百となくあるのだが、ときどきその何百かの中からどれか一つが飛び出してきて、圧迫を加えるのである。私はなぜか、それを書きつけたら、向こうで離れてゆくものと信じている。だから一つ試してみてもよかろうではないか。
最後に、私は退屈なのだが、いつも何もしていないのである。が、物を書くということは確かにいかにも仕事らしい。仕事をすると人間は善良で正直になるという話だ。それなら、少なくともこれも一つのチャンスである。
いま雪が降っている、ほとんどがじめじめした、黄色く濁ったやつだ。昨日も降ったし、数日前にも降った。どうやら今私から離れようとしない逸話もこのみぞれ雪に関連して思い出したものらしい。ではこれをみぞれ雪にちなんだ物語としておこう。
[#改ページ]
第二章 みぞれ雪によせて
[#ここから1字下げ]
わたしが
迷いの闇のさ中から
確信に燃え立つ言葉で
凋《しぼ》んだ魂《こころ》を救い出したとき
深い悩みに満ちて
そなたは手を揉《も》み絞りつつ
身を取り巻く悪徳を呪った。
忘れやすき良心に
回想の鞭《むち》を加えつつ
そなたはすべてを
この私に語ってくれた。
と、不意に両手で顔をかくし
恥ずかしさと恐れに包まれて、
そなたは涙でけりをつけた、
激昂《げっこう》に身を打ちふるわせて……云々
N・A・ネクラーソフの長詩より
[#ここで字下げ終わり]
一
当時、私はまだやっと二十四歳だった。が、自分の生活はその時からすでにもう陰鬱《いんうつ》な、ふしだらな、そして人臆《ひとお》じするほど孤独なものだった。私は誰ともつき合わず、話をするのさえ避けて、ますます己の世界へと隠れていった。勤め先の役所でも、誰をも見まいとさえした。そして同僚たちから変人扱いにされているばかりか、妙に嫌悪の情をもってながめられていることをも――どうも私にはそう思われた――ちゃんと気づいていた。私はよくこんなふうに思い浮かべた――なぜ私以外に誰も自分が嫌悪の情をもって見られているという気がしないのだろう? と。役所の仲間の一人に、いやらしい、ひどい|あばた《ヽヽヽ》面がいて、それがおまけに強盗みたいな人相だった。私だったら、あんなみっともない顔をしていたら、とても誰にも目を上げられまいと思えるほどだった。またもう一人の奴の制服は、傍へ近寄っただけでもう臭い匂いがするほど着古したものだった。ところがこれらの連中はいずれも、服のことでも、顔のことでも、またなにか精神的な意味合いででも、いっこうに恥じる様子もなかった。両人ともども自分らが嫌悪の情をもって見られているなどとは思ってもみないのだ。たとえ思ってみたにせよ、同じことで、ただ上役ににらまれさえしなければいいのだ。今になってみればもうすっかり明らかなことなのだが、私という男は際限のない虚栄心と、したがってまた自分自身に対する厳格さから、嫌悪の情にまで達したほどの烈《はげ》しい不満をいだいて自分をながめることが実にしばしばで、そのためにこの目つきを誰にでも故意に当てはめようとしていたのである。一例をあげると、私は自分の顔を憎み、醜悪なものと見、そこになんとなく卑しい表情があるのではないかとさえ疑っていた。だから勤めに出る時にはいつも、人から卑劣に思われまいとして無理にもできるだけ自主的に振舞うように、また顔はなるたけ上品な表情をするように努めたものだった。(顔なんか美しくなくたってかまうものか――と私は考えス――その代わり、上品で、表情に富み、ことに、すばらしく知的でありたいものだ)。しかし私は、この完璧さはけっして自分の顔では表わせないことを確実に、悲惨なまでに知り抜いていた。が、何より恐ろしいのは、私が自分の顔を全く間抜け面だと考えていたことだった。さもなければ私も頭の中ですっかり観念してしまったに相違ない。それどころか、下劣な表情だと言われたとて、同時に私の顔をすばらしく知的だと見てもらえさえしたら、それでも承知したに相違ない。
私はむろん役所の連中をすべて誰彼の別なく憎み、かつ軽蔑していたが、同時にまた彼らを恐れてもいるかのようだった。時によると不意に彼らを自分より上に奉《たてまつ》ってしまうことさえあった。私の場合には、どういうわけか、そんな時にこういうことが急に起こるので、軽蔑するかと思うと、奉ったりする気になるのだ。分別のできた、相当な人間は、自分自身に対する無限の厳格さなしには、また時には憎らしいまでに自己を軽蔑することなしには虚栄にはしることはできないものである。しかし、さげすもうと奉ろうと、とにかくほとんどどんな人に出会っても、私はいつも目を伏せた。――自分は今、誰々の視線を堪えうるかどうか、とそんな実験までやってみたこともあるが、いつもきまって先に目を伏せてしまうのは私だった。これには気が狂うほど悩まされた。私はまた物笑いの種になることをも病的に恐れ、そのために、外面的なことに関しては何事につけても盲目的にしきたりを重んじ、愛情さえこめて世間の常道にかなおうとし、およそ自身のうちの異常性に対しては、全心をあげて戦々|兢々《きょうきょう》たる有様だった。しかし、どこにいったいこの私に堪えうる余地があったろう? 私も現代人として当然のごとく、病的に頭の発達したほうだった。ところが、役所の連中はどれも鈍感な者ばかりで、さながら群れをなす羊たちのように互いに似通っていた。もしかすると、自分が臆病者で、奴隷だなどとしょっちゅうそんな気がしていたのは、役所中で私一人だったかもしれず、それだからこそ、自分は頭が発達しているのだと思い込んでいたのかもしれない。しかし、それはけっしてそんな気がしていただけではなくて、実際にも確かにそのとおりだった――私は臆病者であり、奴隷であったのだ。私はいささかも思い惑うことなしにそう言っておく。現代の相当な人間は、誰でも臆病者であり、奴隷であるし、またそれが当然である。これが――現代人の常態なのだ。私は深くそれを確信している。現代人はそのようにつくられ、それに向くように仕組まれているのだ。そして現代におけるのみならず、つまり、現代におけるなんらかの偶然の事情によるのみならず、ひろくあらゆる時代を通じて、相当な人間は必ず臆病者であり、奴隷であるのが当然なのである。これが地上におけるあらゆる相当な人々の自然律というものなのだ。かりにたまたま彼らの中の誰かがなにかで勇み立つようなことがあるとしても、それに慰められたり、心をひかれたりすべきではない、どうせそいつは、ほかの者の前では二枚舌を使っているにきまっている。これが唯一にして不朽の行き方なのだ。どうせ勇み立つのは驢馬《ろば》とその同族ぐらいなものだが、それにも一定の限度というものがある。こんな奴らはなんの意味もない代物だから別に注意を払うにも当たらない。
当時私を悩ましていたものにもう一つの事柄があった。それはほかでもないが、誰も私に似る者がなく、私もまた誰にも似ていないということだった。(俺は一人、奴らは全部)私はそう考えて、――思いに沈んでゆくのだった。この一事でも明らかなように、私はまだほんの小僧っ子だったのだ。
またこれと正反対のことも起こった。時としては役所へ通うのが胸がむかむかするほどいやになり、ついには勤め先から病人のようになって戻って来ることも何度もあるようになった。ところが、だしぬけに、入れ代わり立ち代わりに懐疑と冷淡とが襲ってくる(私の場合はすべてが入れ代わり立ち代わりだった)、と私は自分の短気と癇性《かんしょう》を嘲笑し、我とわが身のロマンチズムを非難する。誰とも口をききたくなくなるかと思えば、しゃべりまくるだけでは気がすまずに、さらに友達づきあいまでしようという気になったりする。癇性などは、何ということなしに忽然《こつぜん》として消え失せてしまう。もしかすると、そんなものは最初から私にはないもので、書物からの借り物だったのかもしれないのだ。この問題は今に至るも私には解決がつかずにいる。一度などはすっかり役所の連中と仲好しになってしまい、自宅を訪問したり、カルタ遊びをやったり、ウォートカを飲んだり、昇進の噂《うわさ》話をしたりまでした……。だが、このへんでちょっと話の筋を脇道へそれさせてもらいたい。
だいたい、我々ロシア人の中には、ばかばかしい天上的なドイツ風の、ことにフランス風のローマン派というものは古来存在したことがなかったものだが、こういう連中はどんなことにもいっこう平気で、足もとの大地が割れようと、フランス中がバリケードの上で滅びようと――泰然自若たるもので、体裁のためにさえ変わろうとはせず、それこそ墓場までの一生の間、相も変わらず己の天空の歌をうたいつづけるであろう。が、それはなぜかというと彼らが愚かだからである。ところが、わがロシアの地には、そんな馬鹿者はいない。これは周知のとおりだ。そしてここが我々とほかのドイツ風な土地との違いなのである。したがってまた天上的な性格というものも、わが国には、純粋なままでは存在しないのである。当時、コスタンジョーグロ(ゴーゴリの長編「死せる魂」の第二部に出てくる。勤勉なロシアの地主)やピョートル・イワーノヴィッチのおっさんたち(ゴーゴリの芝居「検察官」中に出てくる町人、ドプチンスキーとボプチンスキーをさす)を追い回して、愚かにもそれを我々の理想と取りちがえたあげく、わが国のローマン派たちもドイツやフランスの場合と同じようにやはり浮世離れをした連中だと早合点して、とんだでたらめを思いついたのは、いずれもほかならぬわが国の「実証的な」、当時の評論家、批評家たちなのである。ところが実はその反対で、わが国のローマン派の特質は天空的なヨーロッパのそれとはまるではっきりと対照的なもので、この場合にはヨーロッパ的な物差しは一つもあてはまらないのだ。(どうかこの「ローマン派」という言葉を使うのを許していただきたい。これは古くからある、珍重すべき、りっぱな言葉で、誰にも耳馴れているものだから)。さて、わが国のローマン派の特質はというと、それは――なんでも理解し、なんでも見ることであって、時にはわが国で最も実証的な頭脳が見るよりは比べものにならぬほどはっきり見ることである。何人《なんぴと》とも何物とも妥協しないことであるが、しかし同時にけっして選り好みをせず、すべてに対して迂回し、どんなものにも丁寧に譲歩することである。たえず有利な実際的目的(まあたとえば官舎とか、年金とか、勲章とか)を見失うことなく、いかなる感激や抒情詩集の中にもこの目的を見抜き、しかも同時に「美しく高遠なるもの」を一生涯自らのうちに堅固に守り通し、たとえば、同じ「美しく高遠なるもの」への利益のためにする場合でも、まるで宝石かなんぞを綿にでもくるんでおくように、ついでに自分自身をも完全に保存することである。わが国のローマン派は自由|闊達《かったつ》な人間で、およそわが国の悪党という悪党の中の第一人者である、私はこれを……体験の上からも請け合っていい。むろん、こんなことはすべてローマン派が利口である場合のことだ。というと、つまり私は何を言っているのだろう。ローマン派はいつだって利口なのだ、が、ただ私が言いたかったのは、わが国にも馬鹿者のローマン派がいたにはいたが、これは勘定に入れてないということなので、理由はほかでもないが、彼らはまだ花の盛りのうちにすっかりドイツ人に生まれ代わってしまって、自分の宝石を保存するのに好都合なように、たいがいは、ワイマールとかシュワルツワルトといった土地に住みついてしまったからである。たとえば、私にしたところが、自分の役人勤めを心底、軽蔑はしているものの、さてそれを見限ってしまわないのはただ必要やむをえざるに出たもので、つまり、自分がそこに腰を据えていれば、それで金がもらえるからなのだ。その結果として――いいですか――やはり見限らなかった、ということになるのである。わが国のローマン派は、もしほかに出世の道を考えていないのなら、そして絶対に首になることもないとしたら、見限るより先にむしろ発狂してしまう(これもめったにあることではないが)か、さもなければ「スペインの王様」式に(ゴーゴリ「狂人日記」中の主人公)精神病院へ入れられてしまうだろう、もっともこれは発狂の度がはなはだしい場合のことである。だが、ロシアなんかで発狂するのは、ひ弱い、ブロンド髪の連中ばかりではないか。ローマン派のかぞえきれない連中は――後にはみんな相当の官等に昇進してゆく。なんと世にもまれなる多面性ではないか! 全く正反対の感覚に対するこの才能はどうだ! 私は当時もこの点で慰められるところがあったが、その考えは今も変わらない。だからこそわが国には「幅のある性格」があんなにも多いので、彼らは、没落のどん底にあってさえもけっして己の理想を捨てようとせずにたとえその理想のために指一本動かさないでも、また自らがすでに名うての無頼漢、強盗の身であろうとも、ともかく本来の理想だけは涙を流さんばかりにして崇拝しているのであって、その心中の廉直《れんちょく》さはちょっと無類である。そうとも、およそ名うての悪党で心中が全く高尚潔白で同時にいささかも悪党たることをやめないでいられるのはただ我々の間においてのみである。再び繰り返すが、わが国のローマン派の中からは時にはこんなやりての悪党がつぎつぎと出てきて、(「悪党」というのは私が好んで用いる言葉なのだが)あまり現実に対する勘のよさと実証的なものに対する知識とを披瀝するので、あきれ果てた警察や公衆は唖然《あぜん》としてただ舌打ちをするのみである。
この多面性たるや真におどろくべきもので、これが続いてくる環境の中でどう変化して出てくるか、将来我らに何を約束しているのか、それは神さまにしかわからない。それに根も悪くはないのだ。私がこんなことを言うのは、なにも滑稽な、もしくはしらじらしい愛国主義などからではない、もっとも、諸君はまた私がにやにやしていると思われるに相違ない。あるいはその反対に、私が実際そう思っていると確信していられるかもしれない、これは誰にもわからないことだ。いずれにしても、諸君、私は諸君のいずれのご意見をも自らの光栄とし、とくに満足に思う者である。が、話が脇へそれたことはお許し願いたい。
さて、同僚たちとは、もちろん、私は親睦を結びもせずに、早々にして見限ってしまった、そして、まだ若い当時の無経験の結果、まるで絶交でもしたように、彼らに会釈するのさえやめてしまった。もっともこんなことはただの一度しか起こらなかった。だいたい私という人間はいつも一人ぼっちだったのだから。
家にいる時は、私はまずたいがいは読書していた。絶え間なく内から燃え上がってくるものを表面的な感覚でまぎらわしたかったのだ。が表面的な感覚といっても私にできることは読書しかなかった。読書は、もちろん、かなり役に立ってくれた、――おかげで興奮させられたり、陶然とさせられたり、苦しんだりさせられた。が、それでもどうかするとうんざりするほど退屈した。やはり活動がほしかった、そこで私はひそかな、いかにも地下室にふさわしい、いやらしい淫蕩――ではないその真似ごと――におぼれていった。身内の情欲は相変わらずの私の病的ないらだたしさのために、激しく、焼けつくようだった。その衝動はヒステリックなもので、涙や痙攣《けいれん》を伴った。読書以外にはどこへも逃げ場がなかった、――つまり、周囲を見渡しても当時私が尊敬できるようなものや、魅力を感じるようなものは何一つとしてなかったのである。おまけに気は滅入ってくる、矛盾・対照へのヒステリックな渇望が現われる、そこで私は放蕩にふけるようになってしまったのだ。こんなにしゃべり立てるのはけっして弁解のためではない……が、いや、そうではない! それは嘘だ! 私はやはり自己弁護をしたかったのだ。これは、諸君、私が自分のためにちょっと断わっておくのである。嘘はつきたくない。もう誓ったのだから。
私はひとりで毎晩、こっそりと、びくびくしながら、あさましくも淫蕩にふけった。羞恥の念はどんなにいやらしい瞬間でも私から去ることはなく、そんな時には呪わしいほどにまでなった。すでにその頃から私は心の中に地下室をもっていたのだ。私はひょっと人に見られはしまいか、誰かに出会いはしまいか、顔を見覚えられはしまいかとひどく恐れた。でほっつき歩くにも方々のまっ暗い場所を選んだ。
あるとき、夜なかに安料理屋のそばを通りかかったときに、目に映《うつ》ったのは、煌々《こうこう》と輝く窓ごしに男たちが玉突台のそばでキューを持って喧嘩《けんか》している光景で、その一人は窓から放り出されてしまった。ほかの時だったら私は実にいやな気がしたかもしれない、が、その時は瞬間にふと、この放り出された男がうらやましくなり、それもとてもうらやましくなって、自分からその料理屋の玉突き部屋へつかつかとはいって行ったほどだった。(ひょっと俺も喧嘩でもしてみるか、きっとやはり窓から放り出されるだろうな)
私は酔っていたわけではない、がしかたがないじゃないか――憂鬱という奴はこんなヒステリーになるほどまでに人を悩ますものなのだから! しかし幸いにも事なきを得た。つまり、私は窓から飛び出すことさえできない人間だったからで、喧嘩もせずにそこを立ち去ったのであった。
がそこへひと足入れたとたんに私を唖然たらしめた一人の将校があった。
私は玉台のそばに突っ立って、心得のないままに道をふさいでいたのだが、彼は、そこを通り抜けなければならなかったとみえて、いきなり私の両肩をひっつかむや、物も言わずに――断わりも釈明もあらばこそ――私の立っていた場所からほかの場所へぽいと据え直して、当人はけろりとしてそこを通って行ってしまったのである。いっそなぐられたのならまだしも容赦はできるが、こんなふうに私を据え直して、しかもまるでけろりとされたのでは、これはなんとしてもひっこみがつかない。
その時の私は本格的の、もっとまともな、条理を尽くした、いわば文学的《ヽヽヽ》な論争のためならどんなものでも投げ出したことだろう! ところが私に対する扱いは蝿も同然なのだ。この将校は身の丈が六尺豊かな大男なのに、私ときたら、背の低い、細っこい身体だった。もっとも口論はこっちしだいだった。つまり文句をつけるだけのことで、そうすれば、もちろん、窓から放り出されたにきまっている。が私は思いなおして、……鬱憤《うっぷん》を秘めたまま姿を消すほうを選んだ。
私は狼狽、興奮のていで料理屋を出て、まっすぐ家へ帰ったが翌日はもう例の放蕩を続けた、前よりもいっそうおずおずと、いじけた、わびしい気持ちで、目に涙さえ浮かべたような有様だったが――ともかく続けたのである。そうは言っても、怖気《おじけ》がついて将校を恐れたのだろうなどとは思わないでいただきたい。形に表わしてこそ私はいつもびくついてはいたが、心中ではかつて臆病者であったことはないのだ、しかし――笑うのはちょっと待ってくれたまえ、これには説明がいるのだ。私の場合は何にでも説明がつくのである。これは信じてもらいたい。
おお、この将校がもしも決闘を承知するような連中であってくれたら! だが、それはだめだ、――これはむしろキューをもてあそんだり、さもなければゴーゴリの作中にあるピローゴフ中尉のように上役の頤使《いし》に甘んじるような連中(残念ながらそれはもうとうに消えてなくなった連中だ!)の一人だったのだ。彼らは決闘というものには応じなかった、それは我々文官仲間を相手の決闘はなんとしても無作法だと考えたからでもあろうけれど、そもそも決闘たるものをなにか思いもよらぬ、自由思想的・フランス的なものと見なしていたからである。そのくせ当人たちは結構、人を侮辱したもので、ことに大男になるとそれがはなはだしかった。
その時私が怖気づいたのは、なにも臆病から出たものではなく、無性にきりのない虚栄心のさせた業だった。私は別にその大男に仰天したわけでもなければ、したたかなぐられて窓から放り出されるのにびくついたのでもない。正直なところ、肉体的な勇気なら十分あったかもしれないのだが、しかし精神的な勇気が足りなかったのだ。私が恐れたのは、その場に居合わせた連中すベてが、人を食ったようなゲーム取りを筆頭に、脂じみたカラーをつけて、やはりそこにねばっている、それこそもう腐り切ったような、吹出物だらけの下っ端役人に至るまでが、――私が奴らに抗議をして文学的言葉などでしゃべり出そうものなら、きっとわかりもしないくせに冷笑しやがりはしないかということだった。というのは、体面問題については――つまり、体面ではなく体面問題(Point d'honneur)については、わが国ではこれまで、文学的用語以外の言葉では話すことができないからなのである。ありふれた言葉では「体面問題」は述べようがないのだ。私はその時ちゃんと確信していたのだが、(いくらロマンチズムロマンチズムといったって、現実に対する勘というものがある!)連中はみんなただもう腹をかかえて笑いこけるだろうし、その将校はあっさりと私をなぐったくらいではおさまらず、つまり、いいかげん、なぶりものにしたあげく、きっと膝頭で小突きながらどうせそんなふうにして玉突台のまわりをひっぱり回し、しまいにやっとそれもお情けのつもりで窓からぽいと放り出すにきまっている。むろん、このみじめな一件が、私の場合、ただこれだけでけりがつくはずはなかった。私はその後もこの将校には街《まち》でよく出会ったので、とくと心に留めたわけだった。ただ先方で私に気づいたかどうかは知らない。おそらくそうではあるまい、これは二、三の点から結論できる。しかし、こっちとしては、私は――怨《うら》みと憎しみをこめて彼を見やり、そしてそれが、なんと数年間も続いたのである! 私の怨みは年とともに強まり、いやまさるばかりだった。最初は私は、こっそりとこの将校のことをかれこれと探りかけてみた。が、知り合いの全くない私ではこれはむずかしかった。が、あるとき、私がまるで彼に縛りつけられたようにしてはるか背後からその後をつけていたおりに、誰か町で彼の名前を呼びかけた者があったので、おかげで名前を知ることができたわけだった。その次には、住居《アパート》まで奴をつけて行って、十カペイカ玉を門番につかませて、彼がどこに住んでいるのか、何階なのか、一人か、同居人がいるのか、といったような――ひと口に言えば、およそ門番風情から聞き出しうるいっさいのことを知ったのである。ところが、ある朝、かつてついぞ文学めいた手なぐさみなんぞはやったことのない私に、ふとこの将校を暴露風に、茶化して、小説の形で書いてやれという考えが浮かんだ、私は楽しい思いでこの小説を書いたものだ。暴露はおろか、中傷までやってのけた。名前は、はじめは、すぐに気がつくように作り変えてみたが、あとで、とくと考えた上ですっかり変えてしまい、それを「祖国雑誌」へ投稿してやった。しかし、当時はまだ暴露などということははやらなかった時分なので、私のこの小説も掲載されずにしまった。これはまったく残念至極なことだった。くやしくてくやしくてもう息が詰まることさえあった。とうとう私は相手を決闘に誘おうと肚《はら》をきめた。そこで彼にあててみごとな、魅力に富んだ手紙をしたため、こちらにおとなしく詫びを入れてくるよう懇請し、だがもしそれを拒絶するなら、決闘だということをかなり強くほのめかしておいた。この手紙は、もしもこの将校がいささかなりとも「美しく高遠なもの」を理解する仁であったなら、必ずや私のもとへ駆けつけて来て、首にとびついても友誼を求めたに違いないようなふうに書かれてあった。そうなったらどんなにすてきだろう! そうやって二人の生活が始まったら! そうやって生活が始まったら!(あの男はその押し出しのりっぱさで俺をかばってくれるだろうし、俺だって自分の教養とか、それに、まあ……理想とかで彼を上品にしてやる、そのほか、まだ、あれこれといろいろできることがあるじゃないか!)が、考えてもみてくれたまえ、それは彼が私を侮辱してからもう二年もたった頃の話なので、時代錯誤《アナクロニズム》を説明し陰蔽しようとした私の手紙の書きぶりがいくら巧妙をきわめていたからといったところで、この挑戦がおよそみっともない時代錯誤だったことは確かなのだ。しかし、ありがたいことに(私は今だに涙を浮かべて天帝に感謝している)この手紙は出さずにしまった。もしこれを出していたらどんなことになったかと思い出すと、まさしく肌《はだえ》に粟《あわ》を生ずる思いである。しかも、思いがけなく……全く思いがけなく私は最も率直な、最も独創的な方法で復讐《ふくしゅう》をとげることになってしまったのだ! すばらしい考えがいきなり私に浮かんだのである。時たま、休日などに私は三時すぎにネフスキー通りをぶらついて、陽《ひ》のあたった側を散策することがあった。それはけっして散歩ではなく、無数の苦悶《くもん》、侮辱、それに盛り上がる憤怒を経験していたのであるが、しかし私にはそれは確かに必要なことでもあったのである。私は、将軍や、近衛騎兵・驃騎兵《ひょうきへい》の将校や、貴婦人連にたえず道を譲りながら、まるで|どじょう《ヽヽヽヽ》のようにおよそぶざまな恰好《かっこう》で通行人たちの間をのらりくらりとふらついて行った。そしてそんな時に自分の服装《なり》のみじめさや、のらりくらりしている自分の恰好の醜態や下劣さをちょっとでも思い浮かべると心臓には痙攣的な痛みを、背中には灼熱の苦しみを覚えるのだった。これはそれこそ烈しい苦悩で、すべてこうした世界へ出ると俺は一匹の蝿にしか、いやらしい無用の蝿にしかすぎないのだということをたえず、直接に感じるほうへと傾いてゆく考えから生まれる不断の耐えがたい屈辱だった――俺は誰よりも賢い、誰よりも進んでいる、誰よりも高尚だ、これはもう当然の話なのだが――しかもその私はたえずみんなに遠慮し、卑しめられ、軽蔑されている一匹の蝿なのである。いったいなんのために私はこんな苦しみを我とわが身に背負い込んだのか、なんだってネフスキー通りなんぞにかよったのか?――というとそれは自分でもわからないのだ。しかも、おりさえあればいつでも、ただもうそこへ惹かれて行ったのである。
もうすでにその頃から私は、まえに第一章で述べたあの快楽が流れ込んでくるのを経験しはじめていた。将校との一件があって以来というものはいっそう強くそのほうへ惹かれ出し、つまり、ネフスキー通りが彼にいちばんよく出会う場所だったので、そこで私は彼の姿を楽しみながめていたわけだった。彼のほうでも休みの日には、たいがいここへ出向いて来ていた。そして将軍とかとくに貴顕大官の前ではやはり道をよけて、その間を|どじょう《ヽヽヽヽ》のやうにのたくっていたが、相手が我々の仲間とか、もう少しましなくらいの連中だとそれこそのしかからんばかりの勢いを示し、まるで前に空地でもあるようなふうに面と向かってずかずかとやって来て、断じて道を譲るなどということはしなかった。私は彼をながめながら憤怒の情に我を忘れたが、しかも……いつでも必ず怨めしい思いで彼の前に道を避けてしまうのだった。町なかでさえどうしても彼と対等になれないということは癪のたねだった。(なぜ貴様はいつもきまって自分から先によけて通るのだ?)時々夜なかの二時すぎに目がさめると、私は狂おしいヒステリーのうちにこう自分自身に問いかけてみるのだった。(どういうわけで、奴ではなくお前がそれをやるのだ? 別にそんなきまりがあるわけではなし、どの本に書いてあるわけでもないじゃないか。せめて礼儀をわきまえる人間同士が出会った時に普通にやるように平等にすればいいではないか。相手が半分とお前が半分譲り合う、そうすればお前たちは二人とも互いに尊敬の念をいだきながら通り抜けられるわけではないか)ところがそうはいかずに、やはり、身をかわすのは私のほうで、奴は私が譲ってやったことさえ気づかないのだ。そして私にはまたこんなあきれた考えまで不意に頭に浮かぶのだった。(もしも奴と出くわして、脇へどいてやらなかったら、はたしてどうなるだろう? 突き当たってもかまわないから、わざとよけてやらぬのだ、そうしたらいったいどうなるだろう?)このふてくされた考えはだんだん私の心を占め、ついにはいても立ってもいられぬまでになった。私はもうのべつやたらにこのことばかり思いめぐらし、わざと前より頻繁《ひんぱん》にネフスキー通りへ出かけて行って、実際そんなはめになったら自分ははたしてどんな態度に出るかということをよりいっそうはっきり自分に思い描いてみようとしたものだ。私はもうすっかり有頂天だった。この目論見《もくろみ》はますます真実ありうべきことに思えてきた。(むろん、真っ向から突き飛ばすんじゃない)――と嬉しさのあまりもういい気になっていた私はそう考えた――(ただ体をよけないだけで、奴とぶつかるだけなんだ、それもひどくドスンとやるのじゃなくて、肩と肩とをちゃんと礼を失しない程度にぶつけ合うのだ。そうすれば俺のほうだって奴が突いただけ突き返せることになる)私はついにすっかり決心した。しかし用意にはひどく手間どった。第一はこれをやる際には、もっときちんとしたみなりをしている必要があるわけで、したがって、服の心配をしなければならなかった。(とにかく、もしもたとえば公衆の面前で騒ぎが始まるとすると――その公衆というのがあすこのはまた飛び切り上等で、伯爵夫人も歩いていれば、D公爵も歩いているし、文壇も総出動というありさまだ――身なりだけはちゃんとしていなければならない。これはきっと物をいって、上流社会の目から見て、きっと我々二人をある程度は同等の地位に置いてくれるに相違ない)これが目的《めあて》で私は俸給を前借りして、チュールキンの店で黒手袋とぱりっとした帽子を買い求めた。黒手袋は最初に買おうとしたレモン色のよりもしっかりしていて、品も良いように思えた。(どうも色があんまりばかはでで、いかにもこれ見よがしという感じ)がしたのでレモン色のはやめにしたのである。白い骨のボタンのついた上等のルバーシカはもうずっと前から整えておいたが、ひどく困ったのは外套《がいとう》である。といって私のも外套そのものは非常に上等で、暖かくもあった。ただそれは綿入りで、襟《えり》も浣熊《あらいぐま》だったが、こいつはどうも下司っぽい以上に悪趣味だった。何はともあれこの襟だけはとり代えて、将校連がやっているような海狸《ビーバー》のやつにしなければならなかった、そのために私は勧工場をぶらつきはじめ、幾度か試したあげく、安いドイツ物の海狸を見立てた。この種のドイツ海狸はじきにいたみが出て、みっともない恰好になるものだが、はじめ真新しいうちは、かえってとてもりっぱに見えるのである。ところで私には必要なのはただの一遍こっきりだったのだ。値をきいてみると、それでもやはり高い。じっくり考えた末に、私はいまの浣熊の襟を売ることにした。そして、それでもなお私にとって相当な高にのぼる不足額については、課長のアントン・アントーヌイチ・セトーチキンに借款《しゃっかん》を申入れることにきめた。これはおとなしくはあったが、謹直で、がっちり屋で、誰にも他人に金など貸すような質《たち》ではなかったけれども、以前、役所にはいる際に、私は自分をこの勤めに世話してくれたさる名士からこの人に特別に紹介されていたのである。私はひどく煩悶《はんもん》した。アントン・アントーヌイチに金策を頼むなどということはいかにも突飛で、破廉恥に思えた。二、三日は夜も眠れず、概してその当座はろくに睡眠がとれずに、熱病にでもかかったふうで、心臓も妙にはっきりしないうちにとまりかけるかと思うと、いきなりまたドキドキドキとうち出すのだった!……アントン・アントーヌイチは最初はびっくりし、つぎに顔をしかめ、それから思案したが、とどのつまりは、貸しという名目で与えられた金は彼が二週間後に私の俸給から差し引く権利があるという一札を私から取って、ともかく金は貸してくれた。まずこんな具合で、ついに用意万端は整ったわけである。きたならしい浣熊のついていた個所には美しい海狸が堂々ととって代わった。そして当の私も少しずつ実行に着手しはじめた。むやみにいきなり初手から断行するわけにはゆくものではなく、こんな事というものは手ぎわよく、つまり少しずつ仕上げてゆく必要があった。ところで、実を言うと、何度か試してみた上で、私はいっそ投げ出したいという気にさえなってしまった。というのは、とどのつまりが、なんとしてもぶっつからないのである! よもやこの私に用意がなかったわけでも、その気がなかったわけでもあるまいから、それこそ今にもぶっつかり合うように思えるのだが、さてよく見ると――やはり私が道を譲り、彼は私などには気にもとめずに通りすぎてしまうのだった。私は彼に近づくときには、神よ決断力を与えたまえと念仏まで唱えたほどだった。一度などはまさに決行しかかるところまでいったのだが、結局は彼の足もとにたおれただけでおしまいになってしまった、というのもぎりぎり最後の瞬間に、距離にして二、三寸というところで勇気が足りなかったからだった。彼はいとも悠々と私をまたいで通りすぎて行き、私はまりのように脇へ飛びのいてしまった。この夜、またもや私は熱病に襲われて、譫言《うわごと》をいった。ところが思いがけずに万事はこの上なく上乗にけりがつくことになった。すなわち、前日の夜中に私はこの破滅的な計画の実行をとりやめて、いっさいを徒労に帰せしめようと最後の肚《はら》をきめ、この目的で、これが見おさめとネフスキー通りへ出て行ったのである、つまり――万事を徒労のうちに放擲《ほうてき》するところをこの目で見てやろうというわけだった。と、いきなり例の敵《かたき》から三歩のところで、自分でも思いがけずに肚がきまり、目を閉じたと思うと、――二人は肩と肩とをみごとどんとぶっつけ合ったのである! 私はちょっとも譲らず、全く対等にそばを通り抜けたのだった! 彼は振り返りもせず、気づかないようなふりをしていた、がそれはふりをしただけだった、私は固くそう信じている。今に至るもそう信じている。奴のほうが力は強いのだから、私のほうがよけい痛い目を見たのはむろんの話だが、問題はそんなことじゃない。要は、私が目的を達し、威信を保ち、一歩も譲らずに公衆の前で同等の社会的立場において自分を彼とともに立たせえたということなのだ。私は何もかもすっかり腹いせしてやれた気になって家へ戻って来た。まさに有頂天だった。勝利に酔って、イタリアのアリアなどを歌ったりした。もちろん、それから三日後に私に起こったことについては諸君の前に述べ立てることはしないつもりである。この第一章の「地下室」を読まれれば、おのずから推察されるはずだから。――将校はその後、どこかへ転任になってしまい、十四年にもなるが私は今だに彼に会っていないのである。奴《やっこ》さん、今頃どうしているかな? 誰をいじめていることか?
二
しかし私の放蕩の時期は終わり、今度はひどく胸くそがわるくなってきた。後悔がはじまったが、私はそれをも追い払っていた。むかむかしてたまらなかったからである。が、それにも少しずつ慣れてきた。私はなんにでも慣れてゆくのだった。つまり慣れるというほどではないが、どうやら耐え忍ぶことに進んで同意してしまうのである。しかし私にはすべてを緩和する逃げ道があった、それは――むろん空想の中の話だが、〈すべての美しく高遠なるもの〉の中へ避難することである。私の空想は盛んなもので、部屋に立てこもって三月もぶっ続けに空想を燃やしたものだ。そして、これはぜひ信じてもらいたいのだが、そうした瞬間の私は、牝鶏のように心をおどおどさせながら外套の襟にドイツ産の海狸を縫いつけたりした先生とは似ても似つかぬものだった。私は急に英雄になってしまうのだった。あの六尺豊かな中尉だとて、そんな時なら私はおそらく訪問も許さなかったろう。いったい、私の空想とはどんなものなのか、またどうして私がそれに満足しえたのか――これについては、いまだにちょっと説明はむずかしいが、当時の私はそれで満足していたのである。もっとも、今だとて私は多少はそれを満足に思ってはいるのだ。けちな放蕩のあとでは空想はことに甘く、力強く襲ってきて、しかも悔恨と涙を、呪詛と歓喜を伴ってきた。時とすると、全くのところ心中にいささかの潮笑さえ感じられないほどの、ゆるぎない平安や幸福の瞬間もあった。信仰が、希望が、愛があった。当時私がある奇跡、ある外的な事情によっていっさいが忽然として展開し進展すると盲目的に信じ込んでいたのは、つまりここのところなのである。忽然として、有益な、美しい、しかもこれが重要なのだが、すっかり用意の整った(実際にはどんなものなのか私にはついぞわからなかった、――が、要するにすっかり用意のできた)、手ごろな活動の領域が開けるのだ、そして私はまさに白馬にまたがり、月桂冠を頂かんばかりにして、突如として神の世界に乗り出して行くのである。二流どころの役割などは見当もつかなかった。現実の世界で至って悠々と下っ端の役に甘んじていたのもまさにそのためだった。英雄か、溝泥《どぶどろ》かで、中間というものはないのだった、が、これこそ私を破滅させるものだった、というのは、溝泥につかっている時には、俺だって英雄になれる時も来るのだと考えて自らを慰めるし、英雄になると溝泥などはすっかりおおいかくしてしまうからだった。つまり、これが俗人だと溝泥につかるのは恥ずかしいわけだが、英雄ともなれば全身を溝泥につかるべくあまりに高邁《こうまい》だから、したがって溝泥にもつかれるわけなのである。注目すべきは、〈すべて美しく高遠なるもの〉のこの潮来が放蕩の間にも私に訪れたことで、それはちょうど私が全くどん底にあったときにあたかも自分を思い出させるかのようにパッパッと火花のようになって襲いかかってきたが、しかし、その出現によって放蕩をもみ消そうというのではなく、反対に対照の力によってそれを活気づけるかのようで、まさしく上等なソースの役目の程度に訪れてくるのだった。ソースはこの場合、矛盾と受難から、つまり苦しい内的分析から成り立っていたが、すべてこうした苦悶苦痛は私の放蕩に一種の薬味と意味さえ添えて――ひと口に言えば、そのまま上等のソースの役目を果たしてくれたのだった。これらのことはまた多少の深刻味もないことはなかった。それに私としてもなんの変哲もない、低級露骨な腰弁式な放蕩を是認して、こんな溝泥ばかりに辛抱していられるはずもないではないか。全くあの当座は、この溝泥のどこが良くって私は夜中に町なかなんぞへ引っ張り出されたのだろう? いや、そうじゃない、私には四通八達の上等な抜け道があったのだ……。
しかし、私はこの空想のなかに、この「すべて美しく高遠なるものの救い」のなかにどれほどの愛情を、ああどれほどの愛情を体験していたことだったろう。幻想的《ファンタスチック》な愛情で、実際の人間界には全く不向きなものではあったが、この愛情があまりに横溢していたので、後にはこれを現実に即せしめようなどという要求はもう感じられなくなったほどだった。それはもう贅沢《ぜいたく》の沙汰に思えたのだ。といっても、すべてはいつもこの上なく平穏のうちに、物憂くかつ陶然と芸術へ移ってゆくのが落ちであった。芸術、つまりそれは、詩人やローマン派の連中から強引に失敬した、そっくりできあがったもので、ありとあらゆる奉仕や要求に応じうる美しい生活様式のことである。たとえば私は万人を征服した気持ちである。むろん誰も彼も顔負けで、私の完璧さをすべて進んで認めざるをえないわけだ。すると私は一同をゆるしてやる。私は有名な詩人として、侍従武官として、恋もすれば、数百万の金も得るが、それはその場で人類のために喜捨してしまって、同時に人々の前に自分の恥を告白する。恥といっても、むろんそれは単なる恥辱ではなくて、例の「美しく高遠なもの」、つまり、どうやらマンフレッド的なものをきわめて多分に含んでいるのである。一同は感泣して私に接吻《せっぷん》する(それをしないようなら、奴らは途方もない阿呆だ)、が私は跣足《はだし》のままで空腹を抱えながら新思想の宣伝に出向き、アウステルリッツの戦場で保守派どもを撃破する。するとやがてマーチが奏され、大赦令の発表となり、法皇はローマからブラジルヘの出立に同意する。次いでコモ湖畔のボルゲーゼ離宮で全イタリアのための舞踏会が催される、というのはコモ湖はこのためにとくにローマヘ移されるからである。それから先は野外劇やいろいろ――ご存じのごとくである。諸君は、私が自ら告白したあれほどの歓喜や感涙の後でいまさらこんなことを市場にさらすのは下劣卑怯じゃないか、と言われるかもしれない。が、いったいどこが卑怯なのだ? 本当に諸君は、私がそうしたことを恥じているとか、あるいはこれが諸君の生活の何かよりも愚劣だとお考えなのだろうか! そればかりではない、私にだってまるで下らなくはないところだって少しはあることを信じていただきたいのだ……何もコモ湖の出来事ばかりがすべてではない。もっとも、そう言われるのも当然だ。実際、下劣でもあり卑怯でもあるのだから。いちばん卑怯なのは現に今、諸君の前に弁解をはじめたことさ。がもっと卑怯なのは、こうして文句をつけていることなのだ、だがもうたくさんだ、さもないと金輪際、果てしがなく、ますますもって卑劣になってゆくばかりだ……
三月以上は私はどうしてもぶっ続けに空想にふけることができずに、人なかへ飛び出たいという押えがたい要求を感じはじめるのだった。人なかへ飛び出るというのは、私の場合、うちの課長のアントン・アントーヌイチ・セトーチキンのところへ客に行くという意味だった。これは私の全生涯における唯一の、変わらざる知人で、これには私自身がいまだにあきれている。けれども私が彼のもとへ出向くのは、どうでもすぐに人々や全人類と抱擁し合わずにはいられないような、そういう状態がはじまり、私の空想もそんな幸福感に到達したときのみに限られていた。そして、そのためには現実に、つまり現存の人物を一人でももつことが必要だったからである。とはいえ、アントン・アントーヌイチのもとを訪れるのは火曜日(彼の面会日)でなければならなかったので、したがって、全人類と抱擁したいという要求もいつも火曜日にこれをあてはめる必要があった。このアントン・アントーヌイチなる人物は五角街近くの四階に住んでいた。四部屋あるのだが、いずれも天井の低い、小さな部屋ばかりで、その黄色っぽい外見もいかにもしまつ屋らしかった。家族は娘二人と、お茶の注《つ》ぎ役をしていた娘の伯母《おば》だった。娘たちは――一人は十三、もう一人は十四で、いずれも団子鼻だった。そしてこの二人はいつもこそこそささやき合っては忍び笑いをするので私はひどくあわてさせられた。主人公はたいがいは書斎にいて、うちの省か、場合によってはその省の役人らしい白髪頭《しらがあたま》の客などとテーブルを前にして皮張りの長椅子《ながいす》にすわっていた。いつも同じ顔ぶれの二、三の客以外には私はかつてここで誰にも会ったことはなかった。話の種はといえば、国内消費税、大審院の入札、俸給、昇進、閣下、取り入る秘訣などだった。私は自分からは話の口火などを切ることは、そんな勇気も、才覚もなかった代わりには、この連中のそばに物の四時間も馬鹿みたいにすわり通してその話を聞いているだけの忍耐力は持ち合わせていた。が、ぼーっとして、幾度も汗をかきかけ、頭上のあたりで麻酔状態でもおこりかけているような気がした。けれども、これは悪い気持ちではなく、かつまた有益でもあった。帰宅すると、それからしばらくの間は、私は全人類と抱擁し合いたいという自分の希望を延期するのが常であった。
もっとも私には小学校時代の同窓にシーモノフという知人らしい者が一人いた。同窓といえば私の場合もおそらくペテルブルグにも少なくはなかったであろうが、私は彼らとはつき合いもせず、往来での挨拶さえやめてしまっていた。あるいは私がほかの役所に勤めを変えたのも、その連中がいやさのあまり、にくらしい自分の少年時代とさっぱり縁を切るためだったのかもしれない。こんな小学校や、こんな恐るべき刑期に呪いあれだ! 早い話が、私は自由の身になるや、早速、友達ともたもとを分かってしまった。それでも会えばまだ会釈ぐらいする相手が二、三人はいた。シーモノフもその中の一人で、これは学校時代にはこれといってきわだったところもなく、おだやかで物静かな男だった、が私は彼のうちに性格の独自性と誠実さをさえ認めていた。この男が非常に狭量だったなどとは考えたこともない。私と彼との間には、かつてはかなり明るい時期もあったのだが、それは長続きはしないで、妙にいきなり霧におおわれてしまった。彼のほうでは明らかにこの思い出を重荷にしているらしく、私が昔の調子に戻りはしまいかと絶えず恐れている様子である。そこで、これは彼にひどく敵意をもたれているのではないかとも疑ってみたが、たしかにそうとも信じきれないままに、やはり相変わらず訪問をつづけていた。
ところがある時、木曜日に、私は自分の孤独が耐えきれなくなり、しかも木曜日にはアントン・アントーヌイチのところの扉は閉ざされているのを承知していたので、ふと、このシーモノフのことを思い浮かべたのである。彼をたずねて四階へ上って行く道々、正直なところ、私はこの先生が私をうるさがっていることを思い出して、無駄足をするのではないかとも考えた。が、こうした考えはいつもきまって、わざとのように、なおいっそう曖昧《あいまい》な状態に私を追い込むのが落ちだったので、かまわずはいって行った、それはこの前、最後にシーモノフに会ってから約一年後の話である。
三
私は彼のもとでなお二人の小学校時代の友人と顔を合わせた。どうやら連中はなにか重要なことを相談しているようだった。私の来訪に対しても彼らは誰一人としてろくすっぽ注意を私わなかったが、互いにもう数年間も会っていない間柄としては、これは奇怪でさえあった。明らかに私などはごくつまらぬ蝿くらいにしか考えていないのだ。学校時代でも一同から憎まれていた私ではあるが、まだこんなに鼻であしらわれたことはなかった。むろん私としても、自分の役人勤めが失敗したことや、すっかり落ちぶれてひどい身装《みなり》をしていることから現在、彼らから軽蔑されるのも当然だ、ということはわかっていた。つまり、そのようなことは彼らの目から見ると、私の無能と無意義との看板にほかならなかったからである。が、それにしても私はかほどまでの侮辱は予期していなかった。シーモノフなどは私の到来を驚きさえした。この男は前々から私の来訪に驚いたようなふうをするのが常だった。そんなわけで私はまごつかされた。私は幾分沈んだ気持ちで腰をおろし、彼らの話に耳をかしはじめた。
話というのは送別会についての真剣な、熱心な相談で、それをこの連中は将校として遠方の県へ転任してゆく同窓のズヴェルコフに伝えて、明日にも催したいという意向だった。このムシュ・ズヴェルコフというのは私にとっても終始かわらぬ学校友達だった男である。が、私は上級になってからことに彼を憎みだした。低学年の頃は、彼はただ可愛い、腕白少年だったので、みんなから好かれていた。もっとも私は低学年の頃から彼を憎んでいたが、それというのも彼が可愛い、腕白少年だったからにほかならない。学業のほうはいつもきまってかんばしくなく、それは先へ行くほどひどかった。幸いうまいところ卒業はできたが、それも後ろ楯があったからである。在学中の最後の年になって、彼には農奴二百人という遺産がころげ込んだ。ところで我々の仲間はほとんどそろいもそろって貧乏人ばかりだったので、彼は我々の前でさえ大風呂敷をひろげるようになった。だいたい、この男はたいへんな俗物だったのだが、いいところもある奴で、大風呂敷をひろげている時でも憎めなかった。また我々仲間にしても、清廉だとか名誉だとかの、見かけだけは幻想的・修辞的な形式をとやかく言うくせに、ごく少数の者を除いては誰もがズヴェルコフの前へ出るとぺこぺこさえする始末だったので、当人はいよいよ大見得を切ることにもなったわけだった。しかし、ぺこぺこしたのも、なにかためにするところがあったからではなく、彼が天賦の才に恵まれた男だったからである。かてて加えて、どういうものか、我々の間では、ズヴェルコフは如才なさとか嗜《たしな》みとかいう方面では、いっぱしの玄人《くろうと》だときめられてしまっていた。ことに後者については私などは憤慨したものである。およそ懐疑などというものを知らないあのかん高い声の響きとか、臆面もなくしゃべりたてるくせに口に出せば愚劣きわまるものになる自分自身の酒落《しゃれ》を大したものと思っているところなども憎らしかったし、美しいが間の抜けた顔つきや(もっともこれとなら、私は自分の利口そうな顔と喜んでとり代えてやったろうが)四十年代の横柄な将校の態度も憎らしかった。また彼が女にかけての己の未来における成功や(彼はまだ肩章をもっていなかったので、女に手を出す決心はついていなかった、だから肩章を待ち焦れていた)自分は将来、しょっちゅう決闘ばかりするようになるだろうなどということを語るところも私には憎らしく思えた、忘れもしないが、ふだんは黙りがちな私が突然ズヴェルコフとつかみ合いをやらかしたことがあった。それは彼があるとき、休み時間に、友達相手に未来の色女の話をしていた際に、しまいに日向《ひなた》ぼっこの子犬みたいに浮かれ出して、俺は自分の村の娘っ子どもは一人だって見のがしはしないぞ、これは――droit de seigneur(旦那の権利)なのだから、もしも百姓どもが小癪にも文句などつけて来やがったら、一人残らずひっぱたいて、そんな髯《ひげ》だらけのやくざどもに倍の人頭税を課してやるんだ、などとだし抜けに公言したからである。友達の助平連中はやんやとはやしたてたが、私は組み打ちをはじめた。がそれはなにも娘っ子やその親父に同情したからではさらさらなく、こんなちんぴらにみんなが拍手喝采《はくしゅかっさい》をしやがったからなのだ。この時は私は相手をやっつけてしまったが、ズヴェルコフもさる者で、馬鹿とはいいながら陽気で厚かましい奴だったのでそれを笑い流してしまったのである。それどころか、実を言えば、私のほうもとことんまでやっつけたわけではなかったので、結局、笑いは奴のほうに占められてしまった。彼はその後、幾度か私をへこましたが、それは悪意があってのことではなく、つまり、いわばついでに笑いながらふざけ半分にやったのである。だから私も敵意や軽蔑の念をいだいて報復するようなことはしなかった。卒業後、彼は私に一歩接近しようとしてきた。これは私に対する追従でもあったので、大して拒みもしなかったが、やがて二人は自然に別れてしまった。その後、彼の兵営勤務中尉としての成功や、遊蕩《ゆうとう》ぶりの噂《うわさ》を耳にした。また、彼が勤務の上で着々成功をしているという別の噂も耳にした。街でも彼はもはや私には挨拶しなくなったので、これは私のようなしがない者と会釈などかわしたら沽券《こけん》にかかわると思っているのだろうと推測した。また一度などは劇場の三階席で、すでに参謀肩章をつけた彼に会ったこともある。その時の彼はさる老将軍の令嬢たちにまつわりついて、ぺこぺこしていた。三年ほどたつと、その美貌《びぼう》や敏捷《びんしょう》なところは従前どおり相当なものではあったが、すっかり衰えがきていた。いやにむくんで、脂肪ぶとりになってきた。これで三十歳ごろにでもなれば、すっかり皮膚がたるんでしまうに違いないと思えた。さて、そこでいよいよ都を離れてゆくこのズヴェルコフのために、我ら同窓が一夕の宴を張ろうということになったわけである。同窓たちはこの三年間というものずっと彼と交際しつづけてきていた。もっとも内心では自分らを彼と対等だとは考えていなかった。これは確かである。
シーモノフの二人の客人のうち、一人はフェルフイチキンという、ロシアに帰化したドイツ人で、背はちんちくりん、顔は猿そっくりで、相手かまわずに嘲笑をあびせるという阿呆で、低学年の時から私にとっては不倶戴天の仇敵だった。この男は下劣厚顔で、ほら吹きで、内心はむろん臆病者のくせにおそろしく深遠な野心でもいだいているようなふりをしていた。つまりこれも、もくろむところがあってズヴェルコフと馴れ親しんでは時おり、彼から金を借り出していた取り巻き連中の一人だったのだ。シーモノフのもう一人の客はトゥルドリュボーフというつまらぬ人物だった。軍人で、丈が高く、容貌は冷たく、わりに廉直ではあったが、栄達ばかりに心を動かし、昇進を談ずるしか能のないほうだった。ズヴェルコフとはなにか遠い姻戚関係にあたっていて、そのことが、ばかげた話だが、我々の間にあっては、この男に一種の意味をもたせているのだった。彼は私などはいつもてんから問題にしていなかったが、応待ぶりは大して慇懃《いんぎん》というわけではないにしろ、まず我慢のできる程度だった。
――じゃどうだい、七ルーブリずつとすれば――とこのトゥルドリュボーフ先生が口を切った。――我々三人なら二十一ルーブリになるから、結構、めしも食えるじゃないか。ズヴェルコフはもちろん、会費なしでさ。
――そりゃあたりまえじゃないか、我々で彼を招待する以上は――とシーモノフがきめつけた。
――しかしだいたい、諸君はだね――とフェルフイチキンが無遠慮に、のぼせ上がったような様子で引きとった。それはちょうど主人の将軍の勲章を得意がる鉄面皮な下男に似ていた――だいたい、諸君は、ズヴェルコフが我々にだけ払わせて放っておくと思うのかい? そりゃ礼儀上から、受けはするだろうが、その代わり、自分も半ダースぐらいの寄付はするぜ。
――だって、我々四人で半ダースなんて――と妙に半ダースにばかりこだわってトゥルドリュボーフが言った。
――じゃ三人、ズヴェルコフを入れて四人、二十一ルーブリ、場所はパリ・ホテル、明日の五時としよう――と世話役に選ばれたシーモノフが最後的に結論をつけた。
――どうして二十一ルーブリなんだい?――私は多少、興奮して言った、明らかに腹を立てていたのである。――僕をも頭数に入れてくれたら、二十一ルーブリじゃなくて、二十八ルーブリじゃないか。
私としては突然、こうして予期しない時に参加を申し出たら実にあざやかで、一同がとたんに圧倒されてしまって尊敬の目をもって私を見守りはしないか、と思えたのであった。
――なんだい君も希望なのか?――とシーモノフはなぜか私の方を見まいとしながら不満げに口をはさんだ。彼は私の存在をちゃんと頭の中で承知していたのだ。
私にも彼が私の存在を頭で承知していることはわかっていた。
――どうしてだい? 僕だってやはり同窓だろうじゃないか。だから僕だけ除《の》け者にされたんじゃ、正直な話、腹も立つよ、――と私はまたしてもカッとなりかけた。
――じゃどこで君を探し出せばよかったんだ?――フェルフイチキンがぞんざいな調子で引き取った。
――君はしょっちゅうズヴェルコフとはうまくいっていなかったじゃないか――とトゥルドリュボーフまでがしかめ顔で助け舟を出した。しかし私はもういったん食い下がったら放さなかった。
――そんなことは誰からもとやかく言われる筋合いのもんじゃないと思うがね――私は声に震えまで帯びて反撃に出た、さながらどえらい大事件でも起こったかのようだった。――あるいは、以前にまずい間柄だったからこそ、かえって、今こそ参加を希望しているかもしれないじゃないか。
――ほう、そりゃちょいと解せないね……えらく高尚だな……トゥルドリュボーフはニヤリと笑った。
――よし君も加えよう――シーモノフは私の方を向きながら、きめてしまった。――明日の五時、パリ・ホテルだよ、間違えないように。
――会費もね!――フェルフイチキンがシーモノフに向かって私を顎《あご》でしゃくってみせながら小声で言いかけたが、シーモノフでさえまごついたので、そのまま口をつぐんでしまった。
――結構だろう――とトゥルドリュボーフは立ち上がりながら言った。――それほどご執心なら、来させりゃいいさ。
――だがね。我々にだって自分たちのサークルってものがあるんだぜ、親友だけのね、――とこれも帽子を取り上げながらフェルフイチキンがぷりぷりして言った。――こりゃ何も公式の会合じゃないんだ。――我々としちゃちっとも君なんかに来てもらいたくないかもしれないし……
一同は去った。フェルフイチキンは帰りぎわにはてんで私には挨拶もせず、トゥルドリュボーフも目は向けずに、ほんの頭を振っただけである。後まで私とさし向かいで居残ったシーモノフは、妙にいまいましげな不可解な様子で、不思議そうに私をながめやった、彼は自分でも腰を下ろさず、私にもすわれとは言わなかった。
――ふむ……そう……じゃ明日ね。金のほうはいま払ってゆくかい? ただ確かめておきたいんだが、――彼は狼狽してそうつけ加えた。
私は思わずかっとなった、が、かっとなりながらも、いつからかシーモノフに十五ルーブリの借りがあったことを思い出した。それはけっして忘れていたわけではないが、ついに払わずじまいになっていたものだった。
――そりゃ察してもらわなくちゃ、シーモノフ君、だって僕はここへはいって来る時、こんなこととは知ろうはずもなかったからね……それに実にいまいましい話だが忘れてきちゃって……
――いいよ、いいよ、同じことだよ。明日、食事の時に払ってくれたまえ。僕だってただ確かめておきたかっただけのことなんだから……君、どうか……
彼は言い淀んでしまった、そしていっそういまいましげに部屋の中を歩きはじめた。歩きならも彼は踵立《かかとだ》ちをして、ばかにコツコツと踏みしめだした。
――僕、じゃまじゃないだろうか?――二分ばかり沈黙のあとで私はたずねた。
――おお、いやいや!――彼はいきなり跳《と》び上がった、――つまり、実は、そうなんだよ。その僕にはまだ寄らなくちゃならないところがあってね……近所なんだがね……――彼は妙にすまなそうな声で、幾分恥じるようにつけ足した。
――ああ、なーんだ! どうしてそれを言ってくれないんだ!――私は帽子をつかむとそう叫んだが、それはどこから舞い込んできたのかえたいの知れない驚くほどきさくな態度だった。
――そこは近くなんだもの……ほんのひと足なんだ……――シーモノフはそう繰り返して、およそ彼には似つかわしくないこせついた様子で私を玄関口まで送り出した。――じゃ明日は五時きっちりだぜ!――彼は階段に向かって私の方へ叫んだ、私がもう帰ってゆくのが至極満悦なのだ。こっちはむかむかするほど腹が立っていた。
――ふらふらっと、ついうっかり出しゃばるなんて!――私は通りを歩きながら、歯ぎしりをかんだ、――それもあんなズヴェルコフみたいな下司なとんちきのために。むろん、行く必要なんぞあるもんか、青痰でもひっかけりゃいいんだ。別にこっちは束縛されているわけじゃあるまい? 明日にも市内郵便でシーモノフに通知してやるさ……
しかし、私がむかむかと腹を立てたのは、実をいうと、自分が出かけて行くに違いないということを、わざわざでも出かけて行くに違いないことをちゃんと承知していたからなのだ。しかも、私にとってその出かけて行くということがいかにも気のきかぬ、無作法なものになりかねないだけになおのこと出かけて行くにきまっているのだ。
なおその際には、出かけられないはっきりした障害まであった――金がなかったのである。手もとには洗いざらいで九ルーブリしかなかったのだ。が、そのうち七ルーブリは明日にも下男のアポロンに給金として払ってやらなければならないものだった。これは食費自弁の七ルーブリで私のところに住み込んでいるのである。
アポロンの気性から考えても、払わないわけにはいかなかった。が、この悪党、この私の癌については、いずれあとで語ることにする。そのくせ、私は自分が結局は払いをしないで、きっと送別会のほうへ行くことをちゃんと承知していたのだ。
この夜、私は世にも醜悪なる夢を見た。それも道理で、学校時代の囚人のような日々の思い出にひと晩じゅうのしかかられ、どうにもそれからのがれられなかったからである。私をこの学校へ押し込んだのは、厄介になっていた遠い親戚なのだが、当時からその親戚に関しては全く知るところがないのである――ともかく孤児も同然に、彼らの叱言《こごと》にすっかり打ちひしがれて、物思いに沈んで、寡黙となり、人好きのしない目ですべてをながめるようになっていたこの私をそこへ押しこんでしまったのだった。級友たちは私がまるでとび離れた存在だという理由で、悪意のこもった、情け容赦ない嘲笑をもって迎えた。しかし、私は嘲笑を忍ぶことができず、この連中が互いに馴《な》れ合うようにやすやすと馴れ合うこともできなかった。私はとっさに彼らを憎むようになり、一同を避けて、臆病な、傷つけられた、過度の矜持《きょうじ》の中へととじこもってしまった。彼らの粗暴さも私を憤慨させた。彼らは私の顔や、ずだ袋みたいな恰好に対して冷笑を浴びせたが、しかもその奴ら自身の間抜け面こそ見せたいくらいだった! この学校にいると、どういうものか顔つきがとくに間抜けになり、生まれ変わったみたいになってしまうのだった。美少年もずいぶん大ぜい入学してきた。が、数年たつうちに、見るのもいやらしいほどに変わっていった。まだ十六歳頃に、私は顔をしかめて彼らを驚きながめたものだった。すでにその頃から、彼らの物の考え方のくだらなさ、勉学・遊戯・会話の愚劣さ加減にはあきれさせられた。必要なことを理解せず、感銘・驚嘆すべきことに関心をもたない彼らに対しては、私のほうでも知らず知らずこれを自分以下の人間と考えるようになってしまった。それは恥ずかしめられた功名心のさせた業ではない。だからどうか、胸が悪くなるほど食傷したきまり文句――「お前はただの空想家だが、彼らはすでにその頃から現実の生活を理解していたのだ」――などを持ち込まないでもらいたいものだ。彼らは現実生活もなにもてんで理解なんかしていなかった。誓って言うが、私がいちばん彼らに腹を立てたのもつまりその点なのである。それどころか、およそ一目瞭然たる眼前の現実を彼らはなんともはやばかげきったふうに理解し、すでにその頃からただただ成功のみをあがめ奉るくせがついてしまったのである。正しいものでも、しいたげられ、打ちひしがれたものに対してはすべて無慈悲に冷笑をあびせた。官等はすなわち知識なりと見なされ、十六歳の若僧どもが早くも居心地よい地位を話題にするしまつだった。もちろんそこには生来の愚鈍さや、彼らの幼・少年期をずっと取り巻いていた悪例によるところも少なくはなかった。またその淫蕩ぶりは醜怪というほかはなかった。むろんここでも見かけ倒しの、にせのシニズムのほうが多く、その淫蕩の背後からでさえ青春と多少の新鮮さがひらめいていたことは当然である。しかし彼らの場合は、その新鮮ささえもが魅力を欠き、どことなくみだらがましいものとして現われてくるのだった。私は彼らをはなはだしく憎んだが、あるいはひょっとすると彼らより劣っていたのかもしれない。彼らのほうでも同様に私に報い、その嫌悪感をかくそうともしなかった。しかし私はもう彼らの愛情などは望まず、むしろ逆に、彼らの侮辱に渇《かつ》えぬいていた。連中の冷笑を避けるために、私はわざとできるだけよく勉強するようにして、優等生の中へはいった。これはたしかに手ごたえがあった。そのうえ、自分たちが読めないような本を私がもう読んでいることや、聞いたこともない(専門科目の中にもはいっていない)ような事を理解していることが少しずつわかりかけてきた。みんなは奇怪なことででもあるように嘲笑のまなざしでこれを見やっていた、がしかし精神的には降服したわけである。ことに教師たちでさえこの点で私に注意を払うようになってはなおさらのことだった。かくして嘲笑は一掃されたが、反感が残り、冷たい関係ができあがってしまった。そしてとうとう最後には私自身のほうがやりきれなくなってしまったが、それというのも、人恋しさや親睦を求める心が年とともにひろがっていったからだった。私は自分のほうから彼らに接近しかけてみようともした、けれどもいつまでもこの接近は不自然なものとなり、そのまま立ち消えになってしまった。ひところは親友といったものもあった時代もある。が内心すでに暴君になっていた私は、相手の心を無限に支配しようとし、その環境に対する軽蔑の念を相手に吹き込もうとし、さらにこんな環境とは高飛車に、最後的に縁を切ることを求めたりした。私の激しい友情は相手を面くらわせ、ついには涙を流したり、どぎまぎ震えたりまでさせてしまった。それほどにその相手は純真、無邪気な心の持ち主だったのだ。しかし、彼がすべてを委せきるようになると、私はたちまちこの友人を憎悪し、突き放してしまった――あたかも、彼が私に必要だったのは、彼に対する勝利を占め、彼を降服させるためだけであったかのように。けれども、私は誰も彼もを征服するわけにはいかなかった。その友達というのも、実はやはり仲間とはとび離れた存在で、実に珍しい例外をなしていたのである。卒業後の手始めの仕事は予定していた専門の勤めを捨てるということで、それはすべての絆《きずな》を断ち切り、過去を呪い、それをこっぱみじんにしてしまうためだった……それをまた何だってこんなシーモノフ風情のところへのこのこと出かけて行ったんだろう、くそっ!……
朝早く私は床《とこ》を蹴って、興奮のていで跳び起きた。まるで、いま述べたことがすぐにも行なわれかけているみたいだ。しかも私は、今日こそ私の生涯における根本的な転機というようなものが起こる、必ず起こると信じていた。世馴れぬためかは知らないが、私は今までいつでも、外で何か事件が起こると、たとえそれがどんなに些細な事でも、必ず、今にも生涯の一大転機が始まるような気がするのだった。もっとも私はふだんのとおりに勤めに出かけては行ったが、準備の都合上、二時間だけ早く抜けて帰って来てしまった。大切な点はいちばん先に行ってはならぬということだ、と考えた。さもないとばかにうれしがっているようにとられる。しかしそういった重要なことは無数にあって、おかげでくたくたになるほど気をつかわされてしまった、靴ももう一度手ずから磨きなおした。アポロンの奴じゃ、どんなことがあろうと金輪際、日に二度なんて磨いてくれっこはない、そんな法があるもんか、と心得ているのだから。そこで私もなにかの拍子に奴に見つかって、あとで馬鹿にされてはかなわぬと思って、玄関からこっそりブラシを盗み出して磨いたものである。次に私は丹念に服を調べてみたあげく、だいぶ古くなって、いたんで、ぼろぼろになっているのに気づいた。あんまり、ふしだらにしておいた罰だ。役所用の制服のほうなら、たぶんちゃんとしているだろうが、まさかに制服で食事に行けるもんじゃない。が、弱ったのはズボンで、ちょうど膝のところに大きな黄色いしみがあるのだ。私にはもうこのしみ一つで、自分の威信の九分九厘まではふいになってしまうことが予感でわかった。こんな考えが実に低級だということは自分でも承知はしていた。(だが、いまさら、こんな考えごとをしたってどうなるもんか。これから現実がはじまろうとしているんじゃないか)私はそう思ってがっかりした。同時に私は、自分がこれらの事実を途方もなく誇張して考えているのだということもよくわかっていた。だが、どうしようがあろう、自分を押えることなどはもはやできなくなって、悪寒に身をふるわせるしまつだったのだから。絶望に沈みながら私はこんなふうに想像をめぐらせた――あの「いやらしい」ズヴェルコフめはさぞかし高飛車に、つんとすまして俺を迎えやがるだろうし、あの間抜けのトゥルドリュボーフもさぞかし鈍い、なんとしても拒みようのない侮辱のまなざしで俺を見やがるだろう。それから、あのてんとう虫みたいなフェルフイチキンの野郎もズヴェルコフにおべっかを使おうとして、きっといやらしくあつかましい様子でひとを食いものにしてヒヒヒヒと笑いやがるだろうし、シーモノフはそんなことをみんな百も承知のくせして、きっと俺の虚栄心や小心の低級さをさげすみやがる、しかも問題は――そういったことがすべていかにも、みじめったらしく、非文学的に、俗っぽく行なわれるに違いないということなのだ。むろん、まるっきり出かけて行かないに越したことはない。がこれは何よりもできない相談だった、私という男はなにかに牽かれかけたが最後、もうそのまま頭ごと全身で引っ張り込まれてしまう性質《たち》なのである。(なんだ、怖気《おじけ》づいたんだろう、現実に臆気づいたんだろう、弱虫が!)あとで生涯、そう言って自らをあざけったかもしれない。ところが今は反対に、私は、自分がけっしてこんなに自ら想像するような臆病者じゃない、というところをこの「やっこ」どもに残らず、証明してやりたくてうずうずしていたのだった。なおその上に、臆病風のこの上なくはげしい発作の中にあって、私の空想はさらにのびて、奴らのうわ手に出て、これを征服して、魅惑し去り、たとえ〈思想の高遠さと疑いない叡智〉の点ででもいいから私を愛するように仕向けてやりたいものだ、と考えるに至った。彼らがズヴェルコフを捨ててしまえば、彼はのけ者にされて取り残され、黙りこんで恥じ入るだろう、そこで私はズヴェルコフをやっつけてしまうのだ。そのあとでなら、彼と仲直りして、君僕の乾杯をしてもいい。けれども、私にとって何よりいまいましく癪にさわるのは、実のところはそんなことは一つも必要ではなく、奴らをやっつけたり、征服したり、魅惑したりすることなんか、実は私はてんで望んではいないし、よしそのようなはめになったとしてもそんな結果に対しては、当の私がまずびた一文払いっこないことを、その時すでに、もうすっかり間違いなしに自分で知っていたということなのである。ああ、この日が少しも早くたってしまわぬかと、どんなに私は神に祈ったことだろう! 言いがたい憂愁のうちに、私は窓ぎわへちかより、回転窓を開け、さんさんと降りしきるみぞれ雪に濁った霧景色をのぞき見るのだった……
とうとう安物の壁時計がきしるように五時を打った。そこで、もう朝から私のやる給金の支払いを待ちかねながらもそこが馬鹿のとりえか自分のほうからは切り出したがらないでいるアポロンのほうには目をくれないようにしながら、私は帽子をつかみ――奴のそばを通って戸口から抜け出た。そして取っておきの五十カペイカでわざと傭った上等馬車に納まって、旦那然としてパリ・ホテルヘと乗りつけたのである。
四
もう前の日から、私には自分がいちばん先に乗りつけるのがわかっていた。だが今となっては、もはや一番もくそもなかった。
連中は誰一人来ていなかったばかりでなく、宴会場を探し当てるさえ容易ではなかった。食卓の用意などもまるでまだできていなかった。これはいったいどうしたというのだろう。さんざ問いただしたあげく、やっとボーイの口から確かめえたところでは、食事は、五時ではなくて六時のご注文です、ということだった。食堂でも、確かにそのとおりです、という。聞きただすほうが気恥ずかしくなるほどだった。時間はまだやっと五時二十五分である。彼らが時刻を変更したのなら、何はおいても知らせてくれるのが当然だろうじゃないか、市内郵便というものだってあるのだから……何も私に、自分自身や、おまけに……ボーイたちに対してまで「赤恥」をかかせなくともよかろうではないか。私は腰をおろした。ボーイが卓布をかけはじめた。それをみていると、なぜかよけいに腹立たしくなってきた。六時近くなると、すでにともっているランプのほかに、さらに蝋燭《ろうそく》が部屋へ運び込まれてきた。そのくせ、ボーイはそれを私が来た時すぐには持ち込む気はなかったのだ。隣の部屋では、ふくれ面をして黙りこくった陰気くさいどこかの二人の客が、別々の食卓で食事をしていた。遠くの一つの部屋はばかに陽気で、どなり声さえしていた。一団の人々の高笑いも聞こえれば、何やら下司っぽいフランス語の金切り声も響いていた。婦人連を交えた宴会らしかった。早い話が、私はすっかり胸くその悪くなる思いだった。これほどいやな時を過ごしたなどとはめったにないことだったので、仲間が六時きっかりに打ちそろって現われた時には、私は最初の一瞬間は、まるで救世主かなんぞのように一同に狂喜してしまって、むっつりした顔つきで相手を睨めつけてやらなければならぬことなどは危うく忘れてしまうところだった。
ズヴェルコフは明らかに指揮官気取りで先頭に立ってはいってきた。彼も一同もにこにこ笑ってきたが、私を見かけるや、ズヴェルコフは急にもったいぶり、ちょうどしなをつくるようにわずかに腰を折りながらゆっくりそばへやって来た。そして、愛想よく、しかしそれも度を越さぬようにして、そのほとんど将軍にでも見かけるような一種慎重な慇懃さをもって私に片手を差し出した恰好は、まるで手を与えながらも何か身を守ろうとでもするみたいだった。ところで私はその反対に、彼ははいって来る早々、きっといつもの細い金切り声をまぜた高笑いをまず爆発させておいて、次いで口を開くや早速おきまりの平凡な酒落や皮肉を飛び出さすものと想像していたのである。そして、それらに対してはすでに前の晩から腹づもりまでしていたところだったが、こんな高飛車な、閣下然とした恩寵《おんちょう》ぶりは全くもって思いがけぬところだった。ひょっとして彼はいまあらゆる面で私よりも無限にえらいのだと自ら考えているのだろうか? もしも彼がかりにこうした閣下気取りで私を恥ずかしめたいと思っているだけなら、それならまだ何でもありはしない、と私は考えた。そんなことは糞くらえと思っていればすむことだ。だがもしも、実際、侮辱したいなどという気持ちはさらさらなしに、しかも、自分のほうが私よりも無限にえらいのだから保護者的な目でしか私を見られないなどというふざけた考えが奴のとんちき頭に本気に入り込んだとしたら? そう仮定しただけで私はもう窒息しそうになってしまった。
――僕は君がこの仲間へ入りたい希望だということを知ってびっくりしたぜ、――彼はしゅうしゅう音を出すような調子で、言葉をばかにのばしながらこう口をきった。以前にはなかった癖である。――君とはどうしてかいつも会いそこなってばかりだったね。君のほうで毛嫌いしてたんだろう。つまらんことだ。僕らはそんな、君の思ってるような恐ろしい人間じゃないよ。まあ、それはとにかくとして、愉快だよ、旧交を、あーらーたーめるのはね……
そして彼は窓に帽子をのせようとして、無遠慮にくるりと後ろ向きになった。
――ずいぶん待ったかい?――とトゥルドリュボーフがたずねた。
――こっちは昨日きめられたとおり、五時きっかりに来たんだ――私は、間近な爆発を告げるいらだたしさをもこめて大声で答えてやった。
――なんだい、じゃ、君は時間の変更を知らせてやらなかったのかい?――とトゥルドリュボーフはシーモノフの方へ向き直った。
――知らせなかったんだ。失念しちゃってね、――相手はそう答えたが、いっこうに悔いる景色もない、そして私にあやまりもしないで前菜を言いつけに行ってしまった。
――それじゃここに来てもう一時間になるんだね、へえ、気の毒そうに!――ズヴェルコフはひとを小馬鹿にしたように叫んだ、というのも、彼の考え方でゆけば、それは確かにひどく滑稽なことに違いなかったからだ。と、それに続いて、フェルフイチキンの収めが、げびた、いやに疳高い、まるで犬っころみたいな声でキャッキャッと笑い出しやがった。こいつに私の立場がいかにも滑稽な、みっともないものに思えたのだろう。
――ちっともおかしいことなんかないじゃないか!――と私はいよいよ激昂しながらこのフェルフイチキンの奴にどなりつけてやった。――悪いのはほかの連中で、僕じゃないんだからね。通知をサボったんじゃないか。こんな、こんな、こんな……ばかげた話ってあるもんか。
――馬鹿げたどころの話じゃないやね――と今度はすなおに私の味方になってトゥルドリュボーフも文句をつけた。――だいたい、君があんまりおとなしすぎるんだ。無礼千万な話じゃないか。むろん故意にやったことじゃないがね。それにしても、シーモノフ君としたことが……フム!
――もしも僕がこんな目にあわされたんだったら――とフェルフイチキンが言った――僕だったら……
――そう、君も何か言いつけて取りよせるか、――とズヴェルコフが横から言った――さもなけりゃ、待たずにさっさと食事を頼んでくれてよかったんだ。
――断わっておくがね、僕だとて別に許可なんかなくったって、そのくらいのことができなかったわけじゃないんだ、――と私はズバリと言ってのけた。――それを僕が待っていたというのは、つまり……
――すわろう、諸君、――とはいって来たシーモノフが叫んだ。――用意ができた、シャンパンは保証つきだ、すばらしく冷えている……だって僕は君のうちを知らないし、君を探す先もないだろう?――と、いきなり彼は私の方を振り向いた、が、今度もなぜか私をまともに見ようとはしない。確かに彼には何か含むところがあるらしい。さては昨日あのあとでなにかたくらんだかな。
一同は着席し、私もすわった。食卓はまるかった。私の左手にはトゥルドリュボーフ、右側はシーモノフの席だった。ズヴェルコフは向かい側にすわった。フェルフイチキンはそのそばに、彼とトゥルドリュボーフとの間に席を占めた。
――そのー、君は……役所のほうかい?――とズヴェルコフはなおも私の相手になりつづけた。私の気まずいのを察して、ここは、なんとかとりなして、元気をつけてやらなくちゃ、と本気に思い込んだのだ。(こいつ、俺に壜でも投げつけてもらいたい気でいやがるのか)私は腹の中でむかむかしながら考えた。場馴れのしないせいか、妙に不自然なくらいすぐに腹が立ってきた。
――××X局だよ、――私は皿の方を見たままで、ぶっきらぼうに返事をした。
――ほう!……身入りはいいのかい? いったい、前の勤めをやめなーければならなかったというのはどーうしたんだね?
――そのやめなーければならなかったのは、前の勤めをよしたくなったからさ、――もうほとんど自分を制しきれなくなった私は、奴の三倍も言葉をのばしてこう言ってやった。フュルフイチキンがプッと吹き出した。シーモノフは皮肉そうに私を見やった。トゥルドリュボーフは食事をやめて、面白半分に私をじろじろながめはじめた。
さすがにズヴェルコフもハッとしたが、さりげないていを装おうとした。
――そこでーと、中味のほうはどうかね?
――なんの中味だい?
――つまり、その給料のほうさ。
――まるで試験でもされてるみたいだね!
そのくせ、私はその場でいくら俸給をもらっているかを白状に及んでしまった。そしてまっ赤になった。
――大したことはないな、――とズヴェルコフがいやに重々しく言った。
――そうさなあ、まずカフェ・レストランじゃ飯は食えんね!――とフェルフイチキンの奴までが失敬にも口添えしやがった。
――僕に言わせりゃ、そりゃもういっそみじめというものだよ、――まじめにこう言ったのはトゥルドリュボーフだった。
――それに君の瘠《や》せ方はどうだ、変わったなあ……あの時からみると……――ズヴェルコフは私の顔や服装をじろじろながめまわしながら、一種無恥な憐憫《れんびん》の色を浮かべ、多少の毒気さえこめてそうつけ加えるのだった。
――まあそうひとを困らすのはもういいじゃないか――とフェルフイチキンはひひひと笑いながら叫んだ。
――失敬だがね、いいかい、僕は困ってなんかいやしないんだからね――と私はついに癇癪玉を破裂させた。――よく聞いてもらおう! 僕はここで、「カフェ・レストラン」で、自分の金で食事をしているんだぜ、自分の金でね、他人《ひと》のじゃないんだ、忘れちゃこまるぜ、ムシュ・フェルフイチキン。
――なーんだと! ここに誰か自分の金を払わないで食事をしている者がいるとでもいうのかい? 君はまるで……――まさしく蟹《かに》のようにまっ赤になって、憤怒の色を浮かべて私の目を見すえながら、フェルフイチキンがからんできた。
――そうともさ、――これは少し深みへはまり込んだな、と感じながら私は答えた――だから、いっそもうちっと気のきいた座談でもやったほうがいいと思うんだ。
――君はどうやら自分の知恵を見せびらかそうというつもりらしいね?
――心配はご無用さ、ここじゃそんなことをしたって何にもならんからね。
――またなにを君はそうがなりたてるんだ、ええ? まさか|ご役所《ヽヽヽ》勤めで気がふれたわけでもあるまい?
――もういいよ、諸君、いいったら!――ズヴェルコフが取りしきるように叫んだ。
――なんて愚劣な!――とシーモノフがぼやいた。
――全く愚劣だね、我々は友人の壮行会のつもりで親しい仲間で集まったんだぜ、ところが君は言い合いばかりしてるじゃないか――とトゥルドリュボーフは私一人の方へあらあらしく向き直りながら、口を開いた。――君は自分から昨日、わざわざ我々の仲間入りを頼み込んだ口なんだから、一座の雰囲気を乱すようなことは慎んでもらいたいね……
――もういい、いい、――とズヴェルコフが叫んだ。――やめたまえよ、諸君、この席にふさわしくもないじゃないか。それより、僕がすんでのことに一昨日《おととい》、結婚するところだったという話をひとつ披露しよう……
さてそこで、この大将がどんな具合に、一昨日、すんでのことに結婚するところだったかという一席の茶番がはじまった。そのくせ結婚の話などはひとつも出ないで、代わりに話の中には、将軍だとか、大佐だとか、さては侍従武官といった連中がやたらに飛び出し、ズヴェルコフがそれを牛耳《ぎゅうじ》りかねない様子だった。それをけしかけるような笑声も起こった。フェルフイチキンなどは金切り声まであげた。
一同は私などは放ったらかしてしまった。私もすっかり呑《の》まれて、打ちひしがれたようになってすわっていた。
――やれやれ、これが俺の仲間とは!――私は思案に暮れた。――また俺もこいつらの前でとんだ馬鹿をさらしたもんさ! それにしてもフェルフイチキンの奴には少しかってなまねをさせすぎてしまった。このとんまどもは食卓に同席させたことで俺に名誉でも授けたつもりになっているが、あにはからんや、名誉を授けてやったのは俺のほうで、奴らじゃないんだ。これがわからないんだからな! 「痩せたね!」「身なりがどうも!」だと。ええい癪にさわるズボンだ! ズヴェルコフはついさっきもこの膝頭の黄色いしみに目をとめやがったっけ……そうだ、なにを俺はここでまごまごしているんだろう! たった今にも食卓から立って、帽子をつかみ、口をきかずにさっさと帰っちまうことだ……見せしめにさ! 明日になりゃ決闘だって辞さないぞ。こん畜生! 会費の七ルーブリなんか惜しいもんか。奴らはそう考えているかもしれないが……かってにしやがれだ! なんの七ルーブリが惜しいもんか! とっとと出て行ってみせるから! が、私がそのまま居残ったことは言うまでもない。
我ながらふがいなさに私は赤葡萄酒《あかぶどうしゅ》やシェリー酒をコップでがぶ飲みした。馴れないのでたちまちに酔いが発し、酔いにつれていまいましさも募っていった。ひとつ思いきりこっぴどく奴らをみんな侮辱して、さっと引き上げてやろうか、ふと私はそんな気になった。おりをつかんで腕前を見せてくれるのだ。剽軽《ひょうきん》だが頭もいい男だ、と言わせてくれよう……そして……まあとにかく、奴らなんかくそくらえだ!
私はとろんとした目つきで彼ら一同を無遠慮にながめまわしてやった。が、連中はまるで私のことなどはすでに念頭にないふうだった。彼らの方は騒々しく、かまびすしく、陽気だった。ズヴェルコフはのべつしゃべっていた。私も耳を傾けはじめた。ズヴェルコフの話というのは、さる艶《あで》やかな婦人のことで、その婦人に彼はついに愛の告白までさせるに至ったとかで(もちろん、駄ぼらなのだが)、しかもその件でひと肌ぬいでくれたのは無二の親友で驃騎兵のコーリヤとかいう公爵で、農奴の三千人から抱えている男なのだそうな。
――それにしちゃ、君の送別だというのに、その三千人の農奴を抱えたコーリヤとかいう先生は、てんで顔も見せないじゃないか――と私はいきなり話へ割り込んだ。一瞬、みんなはしんと押し黙った。
――もう君は今から酔ってるね、――トゥルドリュボーフは小馬鹿にしたように私の方に流し目を使いながらもとうとうしかたなく私の存在を認める気になった。ズヴェルコフは甲虫みたいに黙って私をながめまわしていた。私は伏目になった。シーモノフは急いでシャンパンをつぎはじめた。
トゥルドリュボーフが盃をあげ、私を除いた全員がそれに続いた。
――君の健康と道中の幸福を祈る!――と彼はズヴェルコフに向かって叫んだ――諸君、過去と我々の未来のためにも、万歳《ウラー》!
一同は乾杯して、ズヴェルコフと接吻しにそばへ寄って行った。が私は身じろぎもしなかった。
満たされた盃は私の前に手も触れずに置かれたままだった。
――君はだいたい、それを乾す気がないのか?――とうとうしびれを切らしたトゥルドリュボーフが威嚇するように私の方へ向き直ってがなりたてた。
――僕は僕として、別個にスピーチをやりたいんだ……そしてそれからなら盃《さかずき》も乾そう、トゥルドリュボーフ君。
――いやな奴だな!――とシーモノフがぼやいた。
私は腰かけたまま反身になって、熱病にでもかかったふうに盃を取り上げた。なにか異常なことに対して覚悟はしたものの、さてこれから自分がなにを口にしようとしているかは自分でもまだわからなかった。
――静粛《サイレンス》!――とフェルフイチキンが叫んだ。――ではいよいよ御高説のはじまりはじまり!――ズヴェルコフも事情を察するといやにまじめくさって固唾《かたず》を飲んだ。
――ズヴェルコフ中尉殿、――と私は口をきった、――お断わりしておきますが、私は美辞麗句や、お世辞屋や、胴をしぼったハイカラ上衣といったものには虫ずが走るほうなのでして……これが第一の点、続いて第二の点であります。
一座はひどく動揺した。
――第二の点は、色事や色事師が大嫌いだということです。ことに色事師という奴はね!
――第三の点、それは真理、真心、清廉を愛するということです、――私はほとんど機械的にしゃべり続けていった、というのは、どうして自分はこんなふうにしゃべっているのかわけがわからずに、恐怖のあまりからだが氷のようになりかけてきていたのだから……――私は思想を愛します、ムシュ・ズヴェルコフ。真の交友を愛します、それは対等のものでして、けっして……フム。私が愛するのは……もっとも、理由なんぞはどうでもよろしい! では私も君の健康を祈って乾杯しよう、ムシュ・ズヴェルコフ。チェルケス女を迷わせたまえ、祖国の仇敵をやっつけたまえ、それから……それから……君の健康を祝すよ、ムシュ・ズヴェルコフ!
ズヴェルコフは椅子から立ち、僕に挨拶して、言った――
――まことに感謝に耐えないしだいだ。
彼はひどく立腹して、顔つきまで蒼白《あおじろ》んできた。
――畜生め、――拳固で食卓を叩いて、トゥルドリュボーフがほえたてた。
――けしからん、実に。こうなったらもう面《つら》でもはり倒してくれるか!――とフェルフイチキンが疳高い声をあげて言った。
――追い出さなくちゃだめだな!――とシーモノフもぼやいた。
――もうひとことも言うな、諸君、指一本動かすな!――一座の激昂を押えながら、ズヴェルコフが勝ち誇ったように叫んだ。――諸君一同には感謝する。が、僕は自分がこの男の言葉をどれほど買っているかを、自ら証拠だててみせるつもりだ。
――フュルフイチキン君、君は今の言葉に対して明日にも僕を満足させてくれなくちゃこまるぜ!――と私はわざと仰々しくフェルフイチキンの方へ向き直って大声で言ってやった。
――というと決闘というわけかい? 結構だともさ、――相手はそう答えたものの、当の挑戦をした私は確かに滑稽で、柄にもなかったものと見えて、一座は、フェルフイチキンもそれにならって、どっと抱腹絶倒したものだ。
――そうさ、むろん、こんな奴は放っとくのさ! まるでもう酔いつぶれてるんだからな!――とトゥルドリュボーフはさも憎さげに言ってのけた。
――奴を加えたのは、なんとしても失策だね――とまたしてもシーモノフがつぶやいた。
――さあ、ここらでいよいよ奴らに壜を投げつけてやるかな――肚の中で私はそう考え、酒壜を取り上げると……自分のコップになみなみと満たした。
……いやいっそどん尻まで腰を据えてくれるか!――私はさらに思案しつづけた、――俺が帰っちまえば、諸君、君たちはさぞ喜ぶことだろう。ところがおあいにくさまだ。俺は君たちなんかてんで問題にしていないというところを見せるために、わざと居残って、とことんまで飲んでやるからな。尻を落ち着けて飲んでやるんだ。そりゃそうだろうここは料理屋で、俺だって木戸銭を払ってるんだから。ひとつ尻をすえて飲んでやれ、こっちは君たちなんか将棋の歩ぐらいにしか考えてないんだからな。それもありもしない歩さ。尻をすえて飲むぞ……気が向けば唄《うた》ってもやるぞ、そうとも、唄ってやるさ、そのくらいの権利はあるんだからな……唄うくらいのな……フム。
だが、私は唄わなかった。そして彼らの誰の方をも見ないように努め、できるだけ唯我独尊のポーズをとりながら、彼らのほうから最初に話の口火を切ってくれるのをじりじりして待ち構えていた。しかし、ああ! 彼らは話しかけてはこなかった。全くどんなに、どんなに私はこの瞬間に彼らとの和解を願ったことだろう! 八時が、そしてついに九時が打った。彼らは食卓からソファへ移った。ズヴェルコフは片足を丸テーブルにのせて、寝椅子に寝そべった。そこへ酒が運ばれた。彼が実際、自腹で三本を連中におごったのだ。私は、もちろん、招かれはしない。一同はソファにすわって彼を取り巻いた。そしてほとんど神妙に近い様子でその話を傾聴した。たしかに彼は仲間に好感をもたれているようだった、(なぜだ? なぜだろう?)と私は肚の中で考えた。時たま彼らは酔いにまかせて狂喜しては、接吻し合った。話題はコーカサスのことや、真の情熱とは何ぞやとか、ガリビックのこととか、勤務上の身入りのいい地位とか、ポドハルジェフスキーとかいう驃騎兵の収入はどれくらいかということなどだった。もっともこの驃騎兵のことは彼らは個人的には誰も知ってはいなかったのだが、ただこの男の収入が多いといって訳もなく喜んでいたのだ。また、これもまた誰一人見たこともないD公爵夫人の並々ならぬ美貌やあでやかさも話題に上り、しまいにはシェイクスピアは不朽だという所にまで及んだ。
私は軽蔑するようににやにやしながら、部屋の反対側もちょうどソファの真向かいのあたりを、壁に沿って食卓からペチカまでの間で行きつ戻りつして歩いていた。私は、彼らなどいなくてもいっこう痛痒《つうよう》を感じない、というところを懸命になって見せようとし、しかも一方では、踵に力を入れてわざと長靴をコツコツ鳴らしてみせた。だが、すべては無駄で、彼らはさっぱり注意を払ってくれないのだった。私は八時から十一時まで、彼らの鼻の先を通って終始同じところを、つまり食卓からペチカヘ、またペチカから食卓へと辛抱づよく歩きつづけた。(こうやって、かってに歩いている分には誰も俺にやめろと言えまい)部屋へはいって来たボーイは、私をながめるために幾度か足をとどめた。あまりしばしば向きをかえたので、私は目まいが起こり、時には夢幻境をさまよっているような気さえした。この三時間の間に私は三度も汗をかき、それが乾いた。どうかすると、実に深い、毒を含んだような痛みとともに私の肺腑をえぐるある思いがあったが、それというのは、十年、二十年、四十年と時が過ぎても、私はやはり、たとえ四十年後にでも、自分の生涯でのこの最も汚ならしく、笑うべく、かつ恐るべき瞬間をきっと嫌悪と屈辱の念をもって思い出すに相違ないという考えだった。これ以上に恥を捨てて我とわが身を卑しめることはもはや不可能で、私だとてそのくらいのことは重々承知していたのだが、それでもやはり相変わらず、食卓からペチカヘと行きつ戻りつして歩きつづけていたのである。(ああ、もしも貴様たちに俺がどんな思想や感情をもちうる男か、どんなに教養のすぐれた男かを知らしてさえやれたらなあ!)仇敵たちが座を占めているソファの方へ気持ちだけは向き直って、時おりそんなふうに考えるのだった。だが、仇敵どもの素振りはあたかもその部屋には私などはいないようなふうだった。一度だけ、ほんの一度だけ彼らは私の方を振り向いたが、それはちょうどズヴェルコフがシェイクスピアの話をはじめた時で、私はだしぬけにさげすむような高笑いをしてやった。私があんまり取ってつけたように、ぶざまに鼻を鳴らしたので、彼らはいっせいに話をとぎらせて、私が壁沿いに食卓からペチカまでを歩き続けて、|彼らに一顧も払わないでいる様子を《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》、笑いもせず、真剣な面持ちでものの二分間ばかり、口もきかずにじっと観察したほどだった。が、ついにそれもそれきりのことに終わってしまった。彼らは話しかけてもこず、二分後には、私はふたたび除け者扱いにされてしまった。十一時が打った。
――諸君、――とズヴェルコフがソファから立ち上がりながら叫んだ。――さあこれから全員で|あすこ《ヽヽヽ》へ繰り込もうや。
――もちろん、もちろんだとも!――ほかの連中たちもそう言った。
私はくるりとズヴェルコフの方を向いた。もうすっかり疲労|困憊《こんばい》してしまっていた私は、自分で、咽喉笛《のどぶえ》をかき切ってでもいいから、けりをつけてもらいたかった。悪寒も起こっていた。汗ばんだ髪の毛は額やこめかみにくっついて乾いてしまった。
――ズヴェルコフ君! すまなかった、――私は鋭く、決然として言い放った、――フェルフイチキン、君にも同様、一座の諸君にも、一座の諸君にもすまないことをした、僕は諸君を侮辱してしまった!
――ほほう! 決闘はやはり苦手というわけかな!――とフェルフイチキンが歯から押し出すようにして毒づいた。
私は心臓をぐさりと一突きされた思いだった。
――いいや、僕は決闘がこわいんじゃないよ、フェルフイチキン! 僕は和解さえつけば、明日にも君と決闘する肚だ。これはあくまでこっちの固執するところだから、君も拒絶はできないはずだ。僕は決闘をこわがっていないということを君に証明したい。君がまず発砲するんだ、と僕が空中へぶっ放す。
――とんだ気休めだね――とシーモノフが口を出した。
――ただの嘘っぱちだよ!――とトゥルドリュボーフもそれに応じた。
――とにかくそこを通らせてくれたまえ、どうして道をふさいじゃったんだい……え、なんの必要があるんだ?――ズヴェルコフは軽蔑するように答えた。彼らはみんな赤い顔をしていた、目もぎょろついていた――もういいかげん飲んだのだ。
――僕は君の親睦を望んでいるんだ、ズヴェルコフ、僕は君を侮辱はしたが、しかし……
――侮辱をしたって? き、きみが! ぼ、ぼくを! いいかい、失敬だがね、君はどんな状態においてでも、けっして僕を侮辱《ヽヽ》なんかできる柄じゃないんだぜ。
――もう君とはたくさんだ、どいてくれよ!――とトゥルドリュボーフがきめつけた。さあ、行こうぜ。
――オリムピア(女の名)は僕のものだぜ、断わっておくがね!――とズヴェルコフが叫んだ。
――文句は言わないよ! 言わないよ!――とみんなは笑いながら答えた。
私だけは唾でもひっかけられたようなざまでつっ立っていた。一味は騒々しく部屋から出て行き、トゥルドリュボーフは愚にもつかぬ唄などをうたいだした。シーモノフはボーイたちにチップをやるために、ほんのわずかの間だけ居残った、私は突然彼のそばへ近よって行った。
――シーモノフ! 六ルーブリ貸してくれないか!――私は、どうともなれという気で思いきってこう切り出した。
彼はすっかり驚いて、とろんとしたような目つきで私をながめやった。この先生も酩酊《めいてい》していたのである。
――君も僕らと|あすこ《ヽヽヽ》へ同行するつもりかい?
――そうだよ!
――僕には金なんかないよ!――彼はあっさりそう言いきって、さげすむようににやりと笑うと、そのまま、部屋から去ってしまった。
私は彼の外套をつかんだ。まさにそれは悪夢だった。
――シーモノフ! 僕は君に金のあるところを見ていたんだよ、どうしてそう断わるんだい? 僕がろくでなしだというのかい? 断わる気なら慎重にやらないとだめだぜ、どうして僕がこんな頼みをするのか、君にわかったらなあ、わかったらなあ! 万事はこれにかかっているんだぜ、僕の未来のすべても、僕の計画のすべても……
シーモノフは金を取り出して、それを私に投げ与えんばかりにした。
――取りたまえ、君がそんな恥知らずなら!――彼はけんもほろろに言いすてると仲間を追って駆けて行ってしまった。
一瞬、私はひとりきり取り残された。乱雑な周囲、残肴《ざんこう》、床の上の割れた盃、こぼれた酒、吸い殻、脳中の酔いと幻覚、心の悩ましい鬱憤《うっぷん》、それに加えて、いっさいを見聞きして、物好きな目で私をながめているボーイの姿。
――|あすこへ《ヽヽヽヽ》!――と私は叫んだ。(彼らがみんなひざまずいて、私の両足を抱きしめながら、親睦を懇願するか、さもなければ……さもなければ俺がズヴェルコフに平手打ちを食らわすか、だ!)
五
――そら、いよいよ、そら、いよいよ来たぞ、ついに現実との衝突だ、――脇目もふらずに階段を駆け降りながら、私はつぶやいた。――こりゃもうローマを見捨ててブラジルへ逃げ出してゆく法王どころじゃない、コモ湖畔の舞踏会どころの騒ぎじゃないぞ!
――卑劣だぞ、貴様は!――と頭の中をそんな考えがかすめ通った、――いまになってこれをあざ笑うとすれば。
――かまうもんか!――と私は自答しながら叫んだ。――どうせいまとなってはもうなにもかもがめちゃめちゃになってしまったんだから!
彼らはもう影も形も見えなかった、がそんなことはどうでもよかった。行先はわかっていた。
玄関口には辻待橇《つじまちぞり》の馭者《ぎょしゃ》がひとりしょんぼりと立っていた。これは夜稼ぎの馭者で、ラシャ外套を着込み、依然としてなおも降りしきるいかにも暖かそうなみぞれ雪をすっぽりとかぶっていた。むしむしして、息苦しい天気だった。ばら毛でまだらの小馬もやはりすっかり雪をかぶって、咳をしていた。私は妙にそれをよくおぼえている。私はその安橇に飛び込んだのだが、すわろうと片足を踏み入れようとした瞬間に、いましがたシーモノフから六ルーブリ借りたばかりだという記憶がふと脳裡をかすめたのだった。私はまるで袋かなんぞのように、橇の中へ転がり込んだ。
――こいつはいかん! この元金《もと》をすっかり取りかえすのには、大いにがんばらなけりゃだめだぞ!――と私は叫んだ。――だが俺は取りかえしてみせる、さもなけりゃ、今夜のうちに現場で討死だ。さあやれ!
我々は走り出した。私の頭の中は、さながら竜巻でも起こっているようだった。――
――ひざまずいて俺の親睦を懇願するなんて――奴らがそんなことをするもんか。そりゃ蜃気楼だ、愚劣な、いやらしい、ロマンチックな、幻想的な蜃気楼さ。まさに例のコモ湖畔の舞踏会さ。それだからこそ、俺は是が非でもズヴェルコフに平手打ちを食らわせなくちゃ|ならない《ヽヽヽヽ》んじゃないか! 食らわせる義務があるのだ。さて、それでもう決まったな。俺が目下疾走しているのは、奴に平手打ちを食らわすためなんだぞ。――さあ飛ばせ!
馭者は手綱を絞った。
――はいるなり、とたんに食らわしてやろう。平手打ちの前に、まあ前置きのつもりで二|言《こと》三こと言う必要はないかな? いや。さっさとはいっていって食らわすんだ。彼らはみんな広間に腰をかけ、奴だけはオリムピアと一緒にソファにおさまっていやがるに違いない。あのオリムピアの畜生め! あいつはいつだったか俺の顔をあざ笑って、俺を袖にしやがった奴だ。オリムピアは髪を、ズヴェルコフのほうは両耳を引っ張ってくれようか! いや、片耳のほうがいい、片耳をつかんで部屋じゅうを引き回してやるんだ。ひょっとすると、彼らは総がかりで俺を袋叩きにして、おん出すかもしれない。それに違いないかもしれぬ。かまうもんか! とにかく俺が先に平手打ちを食らわせたんだから、先取権は俺にあるわけだ、名誉の法則からいったってそうなるにきまっているさ。奴はもうどうせ面目丸つぶれになっているんだから、決闘以外には、どんなに俺をなぐってみたところでいまさら自分の顔から平手打ちを洗い流せっこはない。どうしたってたたかわなくちゃならないわけだ。そうときまれば、今晩は奴らになぐらせるか。好きなようにしろだ、恩知らずどもめが! わけてもトゥルドリュボーフの奴はうんとなぐりやがるだろう。すごい力持ちだからな。フェルフイチキンは脇の方からからみついてきて、きっと髪の毛をつかみやがるよ、間違いなしだ。だが、かまわんかまわん! そんなことは覚悟の上だとも。奴らの鈍い頭でも今度という今度はこの事件の悲劇性をいやおうなしに理解するだろう! 奴らが俺を戸口の方へ引きずって行ったら、俺は奴らなんか、本当をいえば俺の小指一本の値打ちもないんだぞ、とどなってやる。さあ飛ばせ、馭者、飛ばすんだ!――と私は橇の馭者に向かって叫んだ。彼はぶるっと身ぶるいまでして、鞭《むち》をヒューと振り上げた。あんまり私のどなりかたががむしゃらだったので。
――明け方にたたかう。これはもう動かないところだ。役所とも縁切りか。さっきフュルフイチキンは「やくしょ」と言わずに、「やくじょ」なんて言ったっけ。ところでピストルはどこで手に入れるのかな? なんでもないさ! 月給を前借りして買えばいいじゃないか。火薬は、弾丸《たま》は? そりゃ介添人の仕事だ。それから、それらのものを全部、明け方までに間に合わせるにはどうしたらいいのか? 介添人はどこから連れて来たらいいのかな? 俺には知人もなし……なに、くだらんことだ!――私は、ますます逆上しながらそう叫んだ、――くだらんことだ! 通りで最初に出会った人間に頼むさ、そうしたらその男は俺の介添人になる義務があるんだ、ちょうどおぼれかかった者を水から引き上げなけりゃならないのと同じことだものな。めったにない非常の際は当然許されるべきことだ。課長だって、もしも俺から明日、介添人になってくれと頼まれたら、単に騎士的感情だけから言っても当然それを承知し、かつ秘密をも守らなけりゃならないのだ!――アントン・アントーヌイチ……
ところで問題は、ちょうどその瞬間に、私には全世界じゅうの誰よりも明々白々に自分の予想のおよそ醜悪な愚劣さと楯の半面とがそっくり思い浮かんだのである。しかしながら……
――飛ばせ、馭者、もっと飛ばすんだ、悪党、飛ばせというのに!
――チョッ! 旦那!――とその田舎出《いなかで》の武骨者は言った。
いきなり私はぞーっと悪寒にとらえられた。
――いっそのこと……いっそのこと……このまままっすぐに家へ帰ったほうがいいんじゃないかな? ああ弱ったなあ! なんだって、なんだって昨日《きのう》、俺はこの宴会に進んで加わったりしたのだろう! だが、そりゃだめだ! 加わらないでいられるものか! じゃ食卓からペチカヘのあの三時間にわたる散歩のほうはどうなのだ? いや、この散歩に対する俺への代償は、奴らが、ほかの誰でもない、奴らが当然支払うべきものなのだ! この恥辱は奴らにそそがせるのが当然だ! さあ飛ばせ!
――が、もしも奴らが俺を警察へ突き出したらどうしよう! なに、そんな勇気があるもんか! 醜聞を恐れる連中のことだもの。じゃもし、ズヴェルコフがこっちを子供扱いにして決闘を拒絶したらどうなるんだ? きっとそうするぞ。だが、そうなれば俺は奴らに目に物見せてくれる……俺は、奴が明日、発とうという時に駅逓《えきてい》へ飛び込み、馬車へ奴が乗り込もうというおりを狙って、足をつかみ、外套をはぎとってみせる。奴の手にかみついて食い下がってやるんだ。誰も彼も見るがいい、人間、すてばちになったらどんなことができるものか! 奴が俺の頭をなぐろうと、一同が背後からかかってこようと、かまうもんか。俺は一座の面々にこうどなってやるんだ――見たまえ、ほれこいつが、俺の青痰を顔にくっつけたままでチェルケス女をたぶらかしに出かけようという若僧先生なんだ!
もちろん、そうなってしまえば万事はもう終わりだ! 役所は地上から消えてしまう。俺は捕縛され、裁判にかけられ、勤めを追われ、牢獄にぶちこまれ、シベリア流刑に送られるだろう! くそッ、かまうものか! 十五年たって、監獄から出られるようになったら、俺はボロをまとった乞食姿になってもあいつの跡をつけ狙ってやる。そしてどこか県庁のある町あたりで奴を探しあてるかもしれない。あいつは妻帯して幸せにやっているだろう。年頃の娘もいるかもしれぬ……俺はこう言ってやるんだ――(おい、このろくでなし、この俺のこけた頬と破れ姿を見るがいい! 俺は何もかもなくしてしまったんだ――栄達も、幸福も、芸術も、科学も、|愛する女《ヽヽヽヽ》も、何もかもお前のために失ったのだ。さあここにピストルがある。俺は自分のピストルの弾丸《たま》を抜き出しに来たんだ、そして……そして貴様を許してやるんだ)そこで俺は空中へ発射し、そのまま忽然として姿を消してしまう……。
私は泣かんばかりだった。そのくせ、この瞬間に、これがみんなシルヴィオ(プーシキンの短編「その一発」の主人公)や、レールモントフの「仮面舞踏会《マスカラード》」からの借りものだということを、ちゃんと間違いなく承知していたのである。と不意に私はひどく気恥ずかしくなった、あまり恥ずかしいので、馬をとめさせ、橇から下りて通りの雪の中に立った。馭者はあきれ返って、ため息まじりに私をながめていた。
――はてどうしたものだろう? あすこへ行くわけにもいかない――ろくなことになりっこはないのだから。といってこのまま打ち切ることもできない、そんなことをすればきっと……ああ! どうしておめおめ打ち切りになんかできるものか! ことにあんな侮辱を受けたあとで! だめだ!――と私は叫んで、再び橇に飛び込んだ――これは宿命だ、――これは運命なのだ! 飛ばせ、飛ばせ、あすこへ!
そして、ついにこらえきれないで私は拳固で馭者の首筋をなぐってしまった。
――な、なんだってお前、ひでえことをするだ?――と山男はどなったが、それでも、やせ馬に鞭を加えたので、馬はたちまち後ろ足を蹴上げはじめた。
みぞれ雪は綿毛のようにさんさんと降りしきっていた、が私は前をあけひろげていた。雪どころの騒ぎではなかった。私がほかのことをいっさい忘れてしまっていたのはついに平手打ちを決心したからで、しかもそれが必ず今すぐにも生じ、もはやいかなる力をもってしても止められない、ということを恐怖のうちに感得していたからだった。さびしげな街燈は、さながら葬いの炬火《たいまつ》のように、雪空の霧の中に陰気にまたたいていた。雪は私の外套やフロックコートや、ネクタイの下へ吹き込んで来て、そこで融けていった。が、私は服の前をおおおうとはしなかった。どうせもうそれでなくともすべてを失った私だもの! ようやくにして我々は行き着いた。私はほとんど無意識に飛び出し、階段を駆け上って、両手、両足で戸口を叩き始めた。足はことに膝のあたりがひどく弱っていた。ところで、どういうわけか、すぐにあけてくれた。まるで私の到来を承知していたかのようだった。(実際シーモノフはもう一人来るかもしれぬと予告しておいたのだった。ここでは前触れして、万事に気を配っておく必要があったのである。これは、今ではもうとっくに警察の手で取り払われてしまったが、当時としては「流行《はや》る店」の一つだった。昼間はたしかにここは店だったが、夜分は、紹介状を持つ者だけが客に来られるようになっていた)。私は急ぎ足で暗い店先を通り抜けて、たった一本蝋燭の燃えている、見覚えのある広間へと入り、不可解な気持ちで立ち止まった。誰もいないのである。
――みんなはいったいどこだね?――私は誰にともなくたずねた。
しかし、言うまでもなく、彼らはすでにそれぞれの部屋へ別れて行ってしまったのだった……
私の目の前には、一人の人間が間の抜けた笑いをたたえて突っ立っていた。この家のおかみで、少しは私のことも知っている女である。と、じきまた戸が開いて、また一人、人間がはいって来た。
全然、何物にも注意を払わずに、私は部屋を歩き回った。ひとりごとぐらいは言っていたかもしれぬ。私はまるで死を免かれたような気持ちで、それを自己の全存在をもって喜ばしくも予感していたのだった。というのは、もし相手がいたら、私は平手打ちを食らわしたかもしれぬからである。きっと間違いなく平手打ちを食らわしたに違いないのだ! ところが今は彼らの姿はなく……すべてが消え去り、すべてが変わってしまっているではないか!……私はあたりを見回した。どうもまだ腑に落ちなかった。機械的に私ははいって来た女に一瞥《いちべつ》を投げた。と、ちらりと目の前に映ったのは、よくそろった黒い眉と真剣な中にもややおどろいたような目つきをした、水々しい、若い、多少蒼白い顔だった。私にはとたんにこの顔が気に入ってしまった。かえってもしにやにやしていたら、憎らしく思ったかもしれない。私はしいて努めるようにして、なおしげしげと見つめ出した。どうもまだすっかり考えが集中できなかった。この顔にはどこやらあどけない、善良なところもあるが、不思議なほどきまじめなところもあった。きっとこの女はそれがここでは祟《たた》って損をし、あの馬鹿者たちの誰からも目をつけられなかったのに相違ない。もっとも彼女は美人と称するわけにはいかなかったが、それでも背も高く、丈夫そうで体つきも悪くはなかった。服装《なり》はごく粗末だった。あるきたない感情が私の心を刺した。私はつかつかと女に近づいて行った。
偶然、私は鏡をのぞいてみた。そわついた自分の顔は極度にいやらしく見えた。髪をふり乱して、蒼ざめた、底意地の悪そうな、下品な顔である。(これでかまうもんか、このほうが俺はうれしいんだ――と肚のなかでは考えた――この女にいやらしく思われたほうがうれしいんだ、そのほうが愉快なんだ)……
六
どこか仕切壁の向こうあたりで、ひどく圧《お》しつけられでもして、誰かが絞め上げたみたいに――時計がきしみながら鳴り出した。不自然な、長いかすれた音の後に、細い、胸くその悪くなるような、そしてなんだか思いがけずせわしない響きが続いた、――まるで誰かがいきなり前へ飛び出したようだった。二時が鳴った。私はふと我に返った、といってもけっして眠っていたわけではなく、ただ夢うつつで横になっていたにすぎなかったのであるが。
狭くて、窮屈で天井が低くて、大きな衣裳戸棚に場所をふさがれていて、おまけにボール箱やら屑やら、あらゆるぼろ切れの散らかしほうだいになった部屋は――ほとんどまっ暗に近いくらいだった。部屋の隅の卓上にとぼっていた蝋燭の燃えさしは、時おりかすかにパッと赤くはなっても、もうまるで消えかけていた。何分かたてば、漆黒の闇《やみ》が襲って来ることは必定《ひつじょう》だった。
私はやがて我にかえった。と、すべてのことが一ぺんに、なんの苦もなくとっさによみがえった。さながら再び私に飛びかかろうと待ちかまえていたかのようだった。しかも忘却そのものの中にあってさえ、どうしても忘れきれないある一点のようなものがやはりたえず記憶の中に残っていて、その周《まわ》りを私の夢のような幻想が重苦しくへめぐっているのだった。だが不思議なことに、この日、私の身に起こったことはすべて、今、目ざめてみると、もうはるか遠い昔のことのように思われ、まるでそんなものとはすべてとうに縁を切ってしまっているような感じだった。
頭の中には炭気がこもっていた。なにかが頭上を飛び回っては私をいらだたさせたり、興奮させたり、不安にさせたりしているふうだった。憂鬱感《ゆううつかん》と癇癪《かんしゃく》がまたしてもむらむらとわき起こって、はけ口を求めた。と、だし抜けに自分と並んで、私は物珍しげに、じっとこちらをながめている二つのぱっちり開いた目を見た。その目つきは冷たく無関心で、まるで赤の他人のそれのように、にこりともせず、見ていると重苦しくなるような目つきだった。
苦虫をかみつぶしたような想念が私の脳裡に生まれ、ちょうど湿った、黴臭《かびくさ》い地下室にはいった時に似たなにかいやらしい感覚となって全身に伝わった。やっと今頃になってこの二つの目が私を検分しはじめようという気になったことが妙に不自然だった。また私には今まで二時間もの間、この人物と一語も交わさず、まるでそんな必要を認めないでいた自分のことも思い出された。ついさっきまではかえってそのほうがなぜか私の気に入っていたのである。が今となってみると、真の愛情があってはじめて許されるべき行為を、いきなり愛情もなしに、粗暴と無恥のうちに行なおうとする放蕩《あそび》というものが、実に愚劣で、蜘蛛《くも》のようにいやらしいものだということが、急にはっきりと思われてきた。我々二人はこうして長いこと見合っていたのだが、女のほうは私に面と向かっても目を伏せようともせず、まなざしも変えなかったので、とうとうしまいに私のほうが気づまりになってきてしまった。
――きみ、なんていう名だい?――私は少しも早く片をつけてしまおうと、ぶっきらぼうにたずねた。
――リーザよ――女はほとんどささやくように、しかし、なぜかてんで無愛想に答えて、目をそらせた。
私はちょっと黙っていた。
――今日の天気ときたら……この雪で……いやんなっちゃうな!――私は浮かぬ様子で片手を頭のうしろにあてがって、天井をながめながら、ひとりごとに近く言った。
女は返答をしない。恰好がつかないことおびただしい。
――きみ、土地の者かい?――ちょっとたってから、私はわずかに頭を彼女の方へ曲げて、怒ったようにたずねた。
――いいえ。
――どこから来たんだ?
――リガよ、――気乗りがしないふうに女が言った。
――ドイツ人かい?
――ロシア人よ。
――ここにはもう古いのかい?
――どこのこと?
――この家にさ。
――二週間よ。――女の言葉つきはいよいよ素っ気なくなるばかりだった。蝋燭はすっかり消えてしまい、もう女の顔も見分けられなかった。
――お父さん、お母さんはいるの?
――ええ……いいえ……いるわ。
――どこにいるんだい?
――くによ……リガ。
――どういう人たちなの?
――そうね……
――そうねって? どういう人なんだい、身分は?
――平民だわ。
――で君はずっと一緒に暮らしてたのかい?
――そう。
――いくつなんだい、年は?
――はたちよ。
――どういうわけで君は親元から離れたんだい?
――そうね……
この「|そうね《ヽヽヽ》」というのは、つまり、放っといてちょうだい、うるさいわね、という意味なのだ。二人は黙り込んでしまった。
どうもさっぱりわからないのだが、なぜ私はさっさと引き上げてしまわなかったのだろう。自分自身もますます胸くそが悪く、気が滅入ってゆくばかりだった。昨日一日のことの情景が残らずおのずと私の意志とは無関係に、なんの脈絡もなしに記憶の中を通りすぎはじめた。と、いきなり、一つの場面が思い起こされた。それは朝、せわしなく勤めに出かける途中、往来で目にふれたものだった。
――今日ね、あるところでお棺をかつぎ出していたんだが、もう少しでおっことしちゃうところだったよ――私は話などをはじめる気はもうとうなかったのにほとんど藪《やぶ》から棒みたいにだしぬけに大声でそう言った。
――お棺ですって?
――そうなんだ、センナヤ広場でね。地下室からかつぎ出したのさ。
――地下室から?
――地下室じゃない、地階だ……ほら知ってるだろう……下の方に……いかがわしい家があるじゃないか……まわりはえらいぬかるみでね……なにかの殻《から》やら、塵茶《ごみ》やらで……その臭いといったら胸がむかつきそうだったよ。
沈黙。
――こんな日の葬式なんて閉口だね!――私はまた口を開いたが、それはただ黙っていたくなかったからにすぎない。
――どうして閉口なの?
――雪がじゅくじゅくしみるからさ……(私は一つあくびをした)。
――どっちみち同じことじゃないの、――とややしばらく沈黙のあとで、いきなり彼女が言った。
――いや、閉口だよ……(私はまたあくびをした)、墓掘り人足だって、こう雪で濡れちゃ、きっと文句も言ったろうよ。墓の中にもきっと水がたまっていたに違いない。
――どうしてお墓に水がたまるの?――彼女は妙な好奇心でたずねた、が、その口ぶりは前よりもいっそうぞんざいで、ぶっきらぼうだった。私は急になにか、突っかかってみたくなった。
――そりゃそうじゃないか、水が、底に、七ヴェルショークは溜ってるもの。あのヴォルコーヴォ墓地あたりじゃ水の溜らない墓なんか一つだって掘れっこないんだ。
――どうして?
――どうしてだって? 場所からしてあんなじめついたとこじゃないか。この辺はどこでもみんな沼地なんだよ。だから水の中へだって埋めるんだ。僕は自分で見たんだから……何べんだって……
(その実、私は一度だってそんなとこを見たこともないし、ヴォルコーヴォ墓地へだってついぞ行ったことはないのである、ただ人の話に聞いていたまでのことで)
――本当に君にゃどうでもいいことなのかい、死ぬってことが?
――だって、なんだってあたしが死ななけりゃならないの?――彼女のその返答ぶりはまるでわが身をかばうようなふうだった。
――いつかは、そりゃ死ぬさ、いま話した死人とそっくり同じ死に方をするんだ。これも……やっぱり娘でね……肺病で死んだんだ。
――商売女なら病院で死にそうなものなのに……(こいつはもちろんちゃんと知ってやがる、だから娘と言わずに商売女なんて言ったのだ、と私は考えた)。
――女将《おかみ》に借りのあるからだだったんだよ、――私は言い合いでますます突っかかりながら言葉を返した――だから女将のために、その肺病やみの中で、ほとんど息をひきとるまで客をとっていたんだ。あたりで兵隊どもとしゃべっていた馭者仲間がそんな話をしていたっけ。きっと馴染《なじ》みの客筋だったんだろう。笑っていたよ。おまけに居酒屋に集まってその女の供養までやってね。(私はここでもかなりちゃらんぽこをしゃべった)。
沈黙、深い沈黙。女は身動きもしない。
――じゃあその、病院で死ぬほうがいいとでも言うのかい?
――おんなじじゃないの? それになんだって、あたし死ななけりゃならないの?――彼女はいらいらしながらそうつけ加えた。
――今でなく、あとのことにしてもかい?
――そうよ、いくらあとだって……
――どっこいそうはいかないよ! 君は今だからこそ若くて、美しくて、みずみずしているから、大した値がつくんだ。がこんな暮らしを一年もやってごらん、もうすっかり形無しになって、しなびちまうよ。
――一年で?
――ともかく一年たったら君の値打ちはさがっちまうさ、――私はあくどい喜びとともに続けた。――そうすりゃ君だって、ここからどこかもっと低級の別の家に移らなけりゃならなくなる。さらに一年たつと――また別の家へとだんだん堕ちてゆき、七年もたてば、落ちゆく先はセンナヤ広場の地下室さ。こういきゃこれでもまだましなほうだ。もしその上になんか病気でも出るとか、ねえ、胸でも弱くなるとか、……あるいは、風邪《かぜ》をひくとか、なにやかやあったら、それこそ災難だよ。こんな暮らしをしていちゃ病気はなかなかすっとはよくならないからね。一度とっつかれたら、もうのがれられないかもしれないよ。つまりそうして死んじゃうのさ。
――そんなら死にゃいいわ、――女はもうすっかり依怙地《いこじ》になってそう答えると、素早く身を動かした。
――だが、可哀そうじゃないか。
――誰がよ?
――命が可哀そうじゃないか。
沈黙。
――約束した男でもあったのかい、え?
――それがどうだっていうの?
――なに別に尋問しているわけじゃないさ。どうだっていいんだ。なにをそう怒っているんだ、そりゃ君にだっておもしろくないことはあるだろうさ。だが僕になんの関係があるんだ? ただつまり可哀そうなんだよ。
――誰が?
――君が可哀そうなんだ。
――余計なお世話よ……彼女はかろうじて聞こえるようにささやき声でそう言うと、またからだをちょっと動かした。
これで私は急にまたぐっと癪にさわった。なんだ! こっちがこれだけやさしく扱ってやってるのに、こいつは……
――いったい君は、どういう気でいるんだい? 結構な道を世渡りしているとでも思っているのかい、え?
――なんにもあたし考えないわ。
――それがいけないんだ、考えないっていうのが。足もとの明るいうちに目をさませよ。暇はまだあるんだ。君はまだ若いんだし、器量もいいから恋もできようし、嫁にも行ける、幸せにもなれようというもんだ……
――お嫁に行ったって誰でも幸せってわけでもないわ――彼女は相も変わらぬあらっぽい早口でずばりと言ってのけた。
――誰でもっていうわけにゃ、もちろんそりゃいかないさ、だが、それでもやっぱりここにいるよりは、はるかにましだよ。比較にならないほどましだよ。愛さえありゃ、幸せなんかなくったって生きて行けるもんだ。悲しみの中にあっても人生はいいもんだよ。たとえ暮らしはどんなだろうと、とにかくこの世に生きるっていうことはいいからなあ。ところがここはどうだ、悪臭のほかに何がある……へっ!
私は嫌悪の色を浮かべて顔をそむけた。私はもはや冷静に道理を説いているのではなかった。自分で自分の言葉に感動し、夢中になりかけてきていた。隅っこの方にとじこめられていた自分の秘められた思想をどうでも述べ立てたくてたまらなくなってきていた。なにかが突如として私のうちに燃え上がり、ある目的が「現われ」たのである。
――自分でこんなところに来ているくせに、とそんな目で僕を見ちゃ困るよ、僕は君のお手本じゃないんだからね。あるいは、もっと君より悪い人間かもしれない。もっともここへ寄ったのは酔ったはずみだけれどね、――私がこうあわてて言ったのは、つまりはやはり弁解だったのである。――それにだね、だいたい、男ってものは女には全然お手本にはならないんだ。世界が違うんだ。僕なんかだって自分で自分をけがしたり、よごしたりはしているが、その代わり誰の奴隷でもないから、ここへ来たって、帰ってしまえば、それっきりのことさ。けがれさえ振い落とせば、もう別人になってしまうんだ。ところが、要するに君なんかは、初手から――奴隷じゃないか。そうとも、奴隷だよ! 君はあらゆるものを、自分の自由まで人にくれちゃってるんだ。そしてあとになってこの鎖を断ち切りたいと思ったって、もうそりゃもうだめだ。ますますがんじがらめにされちまうばかりでね。そりゃ、全くもう呪われた鎖だよ。僕はこれを知ってるんだ。これ以上、もうほかのことは言うまい。君にもわかるまいからね。さあ、それより聞かしてくれ――君だってきっと女将《おかみ》に借金があるんだろう? それ、だから言わないこっちゃない!――私はそうつけ加えて言ったのだが、実は彼女は別に返事をしたわけではなく、ただ黙って、全身で聞き耳をたてていただけだったのだ。――それが君には鎖なんだよ! もう絶対に自由なからだになんかなれやしないから。そういうふうにできているんだ。悪魔に魂を売ったも同然で……
……それにこの僕だって……もしかすると、君はわかるまいが、やっぱり同じように不幸な人間で、これもやっばり憂《う》さ晴らしに我とわが身を泥沼にはいこませているのかもしれないんだ。やけ酒ってのがあるだろう、僕がここへ来たのだって――やけくそ半分なんだ。そうとも、なにがこんなところがいいもんか。早い話が君と僕だ……馴染みになったのは……もうさっきのことじゃないか、それに僕たちは終始お互いに物も言わず、あれから君はまるで野獣かなんぞのような目つきで僕を見回しはじめているし、こっちもまたご同様さ。いったいこんな愛し方ってあるのかい? 人間と人間はこんなふうにして親しみ合うベきものなのかい? てんでなっちゃいないじゃないか、あきれ返ったもんだよ、全く!
――そうねえ!――彼女は鋭く、あわただしく私に相槌《あいづち》をうった。この「そうねえ」のあわただしい調子にはかえってこちらがびっくりした。これでみると、ひょっとすると、さっき私をじろじろながめていた時、彼女の頭の中にも同じ思いが浮かんでいたのではなかろうか? とすると、この女にも多少は物を考える力はあるのかな?……ほほう、こいつはおもしろいことになってきたぞ、こいつは――話せるわい。私は揉手《もみて》をせんばかりにしてそう考えた。それにこんな若い女の気持ちぐらいなら手に負えぬこともあるまいて……
私には何よりもこれが遊びだという点に魅力があった。
女は前よりも近く私の方へ頭を向けた、暗闇での私の想像では、片肘《かたひじ》でもついたようだった。私を点検していたのかもしれない。その目をのぞき込めなかったのは残念千万だった。女の深い息づかいが聞こえた。
――どういうわけで君はこんなところへ来たんだ?――と私はもう早速、多少ものものしい調子で口をきった。
――そうねえ……
――お父さんの家に暮らしてたほうがよっぽどいいじゃないか! 暖かくて、気兼ねもなしで。自分の巣だものな。
――じゃもしそれより悪かったら?
(こりや調子を合わせなきゃいかんぞ)という考えがチラリと私の頭にひらめいた。(センチメンタルな行き方じゃ大して効き目がないかもしれぬわい)
といっても、これはただそんなふうにひらめいただけのことだった。誓って言うが、この女はたしかに私の関心をひいたのである。おまけに私はなんだか妙に気が萎《な》えて、気分的になっていた。それにだいたい、ずるい心などというものは実に他愛なく真の感情と馴れ合ってしまうものである。
――そんなばかな!――と私はせき込んで答えた。――そりゃいろんなことはあるさ。きっと君は確かに恥ずかしめられたに違いない、そして、きっと君よりもむしろ、|そいつら《ヽヽヽヽ》のほうが君にすまなく思っているんだ。僕は君の身の上は全然知らないが、君みたいなそんな女が自分からすき好んでこんな境涯へ落ちて来るなんてことはけっしてないものだし……
――そんな女ってどんな女なのよ?――と彼女は聞こえないくらいにささやいたが、でも私はそれを聞き分けた。
チェッ、俺はおべっかを使っているのだ。いやらしい。が、これでいいのかもしれないぞ……女は黙っていた。
――ねえ、リーザ、ひとつ僕が自分の話をしよう! 僕はね、もし自分に小さい時から家庭というものがあったら、今のようなこんな人間にはならなかったんだよ。僕は時々そのことを思うんだ。いくら家族の折り合いが悪いといったって――やっぱり親父やお袋だよ、仇《かたき》や他人じゃないからね。年にたとえ一ぺんでも愛情を見せてくれようじゃないか。やっぱり自宅《うち》にいるという気がするもんだ。それを僕は家庭というものなしで育ったんだからね。そのためだよ、きっと、こんなに……冷酷になってしまったのは。
私は相手の様子をうかがった。
’きっと、こりゃわからないんだな)と私は考えた。(それに滑稽だよ――説教だなんて)
――もしも僕が父親で、自分に娘があったとしたら、僕は息子《むすこ》より娘のほうを愛しただろうと思うな、たしかに――私は、彼女の気を変えようと、そんなことはおくびにも出さずに、さりげなく口をきった。そして実を言うと、赤くなった。
――それは、どうしてですの?――と彼女がたずねた。
おや、さてはやっぱり聞いてはいるんだな!
――そうさなあ、そりゃわからないね、リーザ。あのね、僕はある父親を知っているんだがね、そいつはやかましやでがさつな男なんだが娘の前ではいつまでもひざまずいたままで、手足を接吻して、見飽きるということがないんだよ、実際。娘が夜会でダンスを踊る、と親父は五時間も一つところに立ち通しで娘から目を離そうとしない。娘に夢中なんだね、この気持ちは僕にもわかるよ。娘は夜ふけて、疲れると――ぐっすり寝入ってしまうだろう、ところが奴さんは目をさまして、わざわざ眠っている娘に接吻し、十字を切ってやるために出かけて行くんだ。この先生、自分は脂でテラテラになったフロック姿で歩き回って、他人《ひと》には誰にだってけちけちしているくせに、娘には財布の底をはたいても買物もしてやれば、豪華な土産《みやげ》ももって来てやるんだ、そしてその土産が気に入りでもしたら、大将、もうえらい喜び方なんだ。父親というものは、いつでも母親よりは娘をよけい可愛がるものだね。だから娘によっては家で暮らすのがそりゃ楽しいだろうさ! 僕だって自分の娘は嫁になんかやるまいよ。
――まあどうしてなの?――とかすかににっこりして彼女がたずねた。
――妬《や》けるんだろうね、きっと。全く、どうして娘がよその男になんぞ接吻するようになるんだろ? 他人を父親よりももっと愛するというのだろうか? 思っただけでもやりきれない話じゃないか。むろん、こんなことはみんな愚痴さ。むろん、誰だってしまいには気のつくことさ。だが、僕なんかだったら、嫁にやる前に、もう心配だけでぐったりしてしまうね。どんな婿さんが来てもみんなはねつけちまうよ。それでもしまいには、結局、娘自身の好きな男へやっちまうだろうな。そのくせ、当の娘が好きになる相手なんていうものは、父親にとっては必ず一番の滓《かす》に思えるものなんだがね。これはもうそうにきまってるんだ。家庭内に、よくいろいろなもめ事が起こるのも、つまりはそれがもとなんだよ。
――娘を売るのを喜んでいる連中だってあるのよ、進んで嫁にやるどころじゃないわ。――といきなり彼女が言った。
ああ! そういうわけだったのか!
――そりゃね、リーザ、神も愛もない呪われた家庭での話だよ、――とやっきになって私は女の言葉を受けとめた、――愛のないところにゃ、分別もないからね。なるほどそんな家庭もあるにはあるさ、だが僕はそんな連中のことを言ってるんじゃないよ。君はどうやら家庭じゃあんまりいい思いはしなかったらしいね、だからそんなことを言うんだ。たしかに君は不幸せな女《ひと》だよ。ふむ……。みんなこんなことはたいてい、貧乏がもとで起こるのさ。
――じゃお金持ちのほうがいいっていうの? 貧乏していたってまじめな人はりっぱに暮らしているわよ。
――ふむ……そう。あるいはそうかもしれないね。だがくどいようだがね、リーザ、人間ていうものはえてして自分の不幸ばかりを並べたてて、幸せのほうは数えようとしないもんだ。それをちゃんと数えたててみたら、それぞれ幸せも授かっていることに気がつくはずなんだがな。早い話が、もしも家庭内がすべてうまくいって、神さまのおかげでりっぱな夫が現われ、君を愛して、そばをも離れずに可愛がってくれたとしたらどうだい! そういう家庭ならいいじゃないか! 時には、不幸と半分半分だって結構なくらいなもんだ。それに、どこにいったい、不幸のないところなんかがあるんだ? 君だってお嫁に行けば、|自分でそれがわかるよ《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》。その代わり、好きな人のところへ嫁に行った当座のことを考えるのさ。時によるとそれこそ幸福、どれほどの幸福が訪れてくるかわかりゃしない! それもしょっちゅう次から次へとね。最初の頃は夫との口喧嘩だってめでたしめでたしで終わるもんだ。夫を愛していればいるほどますます猛烈に夫婦喧嘩をやる女もいるよ。本当に僕はそんな女を知ってるんだ。(あたし、ほら、こんなにとっても愛しているのよ、愛しているからこそ、あなたをいじめるんだから、あなたも感じてちょうだいね)とこう言うんだ。愛しているからわざと相手をいじめてもいいという気持ち、わかるかい? これはみんな女に多いんだぜ。で肚の中じゃ、(その代わりあとで、今ちっとばかりいじめたって罰があたらないくらい、うんとこさ愛して、可愛がってあげるわ)と考えているんだ。そうして家の中の者はみんな、そういう君たちを喜んでくれる、結構で、朗らかで、平和で、公明正大なもんじゃないか……。ところがまたこれとは別に焼餅《やきもち》焼きの女もいる。亭主がどこかへ出かけると、――これは僕の知っていた女だがね――もうじっと我慢がしていられなくなって、真夜中でも飛び出して、こっそり見に走ってゆくんだ、あすこじゃないかしら、あの家じゃないかしら、あの女と一緒じゃないかしら、とね。こいつはもういけないね。当人だっていけないことは承知で、心臓もとまりそうなほどに悔い悩んでいるんだ、だが、それも元はといえば愛しているからなので、なにもかもが愛するがゆえなんだ。が、喧嘩のあとの仲直りってやつがまた実にいいもんで、自分から亭主の前にいっさいを白状したり、それをまた赦《ゆる》したりさ! そして双方ともに実にいい気持ちで、それも急にいい気持ちになってさ、――まるで初対面か、結婚式のあげたてか、恋の始まりみたいになるんだ。だから夫婦の間なんていうものは、双方が愛し合っている限り、誰にも、誰にもうかがい知るべからざるものなんだね。よし二人の間にどんな諍《いさか》いが起こったにせよ、仲裁だなどといってたとえ生みの母親をでも呼んではならないし、また互いに相手のことを他人に話したりすべきもんじゃない。夫婦自身が自分の裁判人なんだからね。愛は――神の秘密であり、いかなることが起ころうとも、すべて他人の目からはこれをおおい隠しておくべきなのだ。そうしておけば、ますます神聖な、ますます美しいものになるというわけさ。お互いはさらにいっそう尊敬し合い、その尊敬の上にいろいろなものが築かれてゆく。だから、もし愛があって、愛によって結婚したとすれば、その愛を素通りさしてしまう手はないわけだ。まさかそれを持続してはいけないなんていうこともあるまい? 持続してはいけないなんていう場合はめったにあるもんじゃないよ。そうだろう。運よく夫が善良で正直な人だったら、その場合、愛が素通りしてしまうはずはないだろう? なるほど新婚当初のような愛情はすぎ去るかもしれないが、そこにはもっとすぐれた愛が訪れてくるんだ。そうなれば心は融け合って、どんなことでも相談ずくできめられるし、秘密というものがお互いになくなる。さらに子供ができるようになると、もう一刻一刻が、たとえどんなに苦しい時でも、幸福に思えてくる、ただもう愛して、しかも勇敢であればいいんだからね。そうなれば仕事も楽しく、時には子供のために自分のパンを断わっても、なおかつ楽しいのだ。子供たちだって、そうされれば、あとで愛情を示すようになるだろうじゃないか。貯金をする、子供は育つ、と自分は子供らの手本なのだ、杖柱《つえはしら》なのだということを感じる。また、万一死んだところで、子供らは生涯、自分の思想や感情を引き継いでいってくれるのだ、という気がする。それは、顔形を自分から受けついだように、そういうものも引きついでゆくのだから。つまり、これは偉大なる義務なのだ。どうして父と母とがいよいよ緊密に結びつかないでいよう? 子供をもってつらいという奴がいるって? 誰だ、いったいそんなことを言う奴は? これぞ天国の幸福じゃないか! 君はちっちゃな子供が好きかい、リーザ? 僕はとても好きなんだ。ねえ、――バラのような色をした子供が母親の乳房に吸いついている、赤ん坊を抱いてすわっているその様子を見たらどんな夫の心だって妻に惹《ひ》かれるだろうじゃないか! バラ色の、ぽっちゃりした赤ん坊はからだをのびのびさせて甘えかかっている、丸々と肥った手足、見ていてもおかしいほど小っちゃな小っちゃなきれいな爪、なんでも承知しているようなその目つき。乳を吸いながらも――小さな手で乳房を引っぱっては、おもちゃにしている。父親がそばへ来ると――乳房を離れて、ぐっと反り身になり、父の方を見てにこにこ笑い出す、とてもおかしくておかしくてたまらぬといったふうにね。そしてまたもや吸いつきはじめるのだ。さらに歯が生えてくるようになると、母親の乳房をかんで、流し目で見やりながら、「ほうら、噛んでやった!」というふうな顔をする。全く夫婦に子供と三人暮らしだったら、もう申し分なく幸せじゃないか。こういう幸せな時のためなら、たいがいのことは許せるもんだ。いや、リーザ、まず最初は自分で生き方を呑み込んで、それからでなけりゃ他人《ひと》を責めたりするもんじゃないよ!
(情景で、まずこんなふうな情景でお前をひっかけてやらなくちゃ!)私は自分でも確かに真心をこめてしゃべったくせに、こんなふうに肚の中で考えた、そして急に赤くなった。(だが待てよ、もしこの女がだしぬけに大声で笑い出したら、俺はどこへ隠れたものだろう?)――この考えは私を憤怒に駆り立てた。話の終わり頃になると、私は本当に激昂してしまって、はては自尊心まで傷つけられたような気になった。沈黙が続いた。私は女を突き飛ばしてさえやりたかった。
――なんだかどうも、あなたは……――彼女は急にそう言いかけたが、やめてしまった。
しかし、私にはもうすっかりわかっていた。彼女の声の中には、もう、さっきからのような、いけぞんざいな、負けん気なのとは打って変わって、どことなく物柔らかな、羞恥を含んだ、それも、私のほうが妙にふと彼女に対して気恥ずかしく、すまないような気になるほど羞恥を含んだ別の感情のようなものがふるえていた。
――なんだね?――と私はおだやかな好奇心をいだきながらたずねた。
――あの、あなたは……
――なんだよ?
――なんだか、あなたのは……本でも読んでいるみたいね、――と彼女は言った、と、どこかあざ笑うような調子がまたしてもその声の中にいきなり聞こえた。
この言い方はひどく私の疳にさわった。思いもかけぬ言葉だった。
私は気がつかなかったが、彼女は故意に嘲笑の仮面をかぶったのであって、これはいかにぶしつけに、執拗《しつよう》に自分の心に立ち入られても最後の瞬間まで矜持《きょうじ》を捨てずに、己の感情を吐露することを恐れるといったような、羞恥心の強い、高潔な心をもつ人々のごく普通に用いる最後の切り札なのである。彼女がこの潮笑を口にするのに幾度か躊躇《ちゅうちょ》しながらやっと切り出す決心をした時のあのおどおどした態度からも、私は当然、それを推察しなければならぬはずだった。が、それを察しなかったのは、底意地の悪い感情にとらえられてしまっていたからである。
(よし、見ていろ)――私は肚《はら》の中でそう思った。
七
――ええい、もうたくさんだよ、リーザ、こっちは他人《ひと》ごとでもいやらしいと思っているのに、本がどうだこうだとはなんていう言い草だ。それにこれは他人《ひと》ごとじゃないんだ。これはみんな今しがた僕の心の中に目覚めたことなんだ……本当に、本当に君自身はこんなところにいていやらしくないのかい? いや、習慣というものはえらいものらしいね! 習慣ていうやつは人間をどんなにでもしてしまうからな。いったい、君は自分がいつまでも老《ふ》けもせず、永久に美しく、ここにいつまでも置いておいてもらえるとまじめにそう思っているのかい? ここだって穢《けがら》わしいんだが、それはもういまさら言わないよ……ただ君に言いたいのは、現在の君の生活なんだ――なるほど今の君は、若くて、愛らしく、美しいし、魂も感情ももっているだろうよ。しかしだ、いいかね、現に僕だって、さっき目をさましたとたんに、ここにこうして君といることがけがらわしくなったんだぜ! 酔ったあげくででもなけりゃ、こんな所へ来られるもんか。これがもしもほかの場所で、君が善人なみの暮らしをしているんだったら、僕はおそらく君に言い寄るどころか、ぞっこん首ったけにほれこんじまって、言葉なんかかけてもらえなくとも、その目つきだけで有頂天になったろうよ。門前で、君を待伏せもしようし、君の前にずっとひざまずきとおしてもいよう。君を自分の花嫁に見立てて、それを光栄とも考えたろう。君については不純なことはとても考えもできないだろう。ところが、ここでは、僕の口笛一つで、君はいやおうなしに僕に従わなけりゃならないんだし、僕が君の意志を問題にするのじゃなくて、君が僕の意志を問題にしなけりゃならないことも、ちゃんとこっちにはわかっているんだからね。どんな土百姓が働きに傭われたって、けっして自分をまるまる奴隷にしてしまうわけじゃない、それというのも自分に期限というもののあることをちゃんと承知しているからなんだ。ところで君の期限はいったいどこにあるんだ? まあちょっと考えてみろよ、君はここでなにを提供している? なにを奴隷にしていると思う? 魂だよ、自分で自由にならない魂を肉体と一緒に奴隷にしているんだぜ!――愛だよ! だが、これこそすべてじゃないか、これはダイヤモンドじゃないか、処女の宝じゃないか、この愛というものは! この愛を得んがためには、時には魂まで投げ出し、死をさえいとわない者さえあるくらいじゃないか。ところが君の愛は今いったい、いくらに値がつけられているんだ? 君はすっかり買われたからだだ、まるまるそっくりね、だから別になにも愛を君に求めることはありゃしない、どうせもうそんなものがなくったって、君を好きなようにできるんだから。だが乙女にとってこれ以上の侮辱はないじゃないか、わかるかい、君? 聞くところによると、ここじゃ、君たちのような馬鹿を慰めるのに、色男をもつことを許しているそうじゃないか。そんなことは単なる子供だましだよ、ごまかしだよ、君たちに対する嘲笑なんだよ、それを君たちは真に受けているなんて! 実際、その男は、その色男なるものは、心から君を愛しているのかい? 信じられないね。よその客に呼ばれればすぐにも君を離さなけりゃならないのを承知で、どんな愛し方ができるというのだ。それができるような奴なら、恥知らずだよ! そんな男が君を鼻糞ほども尊敬するかね? どこにいったい君と意気投合するところがあるんだ? そんな奴は君なんかをせせら笑って、身ぐるみはごうとかかってくるんだ――色男の愛なんてそんなものさ! なぐられないだけまだましなくらいだ。が、ひょっとするとなぐっているかもしれないね。もし君にそんな男があるんなら、まあきいてみるがいい、結婚してくれる気があるかどうか、ってね。するとその男は君の目の前でハッハッハッと笑うだろう。ひとつ間違えば唾もひっかけようし、なぐりつけもしよう。――ところがそのご本尊がこれまたおそらく三文の値打ちもない代物なのさ。そもそも君はいったいここで何のために自分の生涯をめちゃめちゃにしてしまったんだい? 考えてみるがいい。コーヒーをふんだんに飲ましてくれ、ご馳走を腹いっぱい食べさせてもらえるからかい? だが、何のために腹いっぱい食べさせてくれるんだ? 恥を知る女なら、そんなご馳走はひと口も喉《のど》を通らないだろうよ、というのは何のためのご馳走かってことをちゃんと承知しているからだ。今、君はここに借金がある、いやいつまでも借りはあるだろう、いよいよ土壇場になって、客から鼻もひっかけられないようになるまで借金は抜けないだろう。そしてこれはすぐに来るんだ、若さなんかをあてにしていちゃだめだよ。その時期は駅馬車ですっ飛ばすようにして来るんだからね。そうすりゃ君は叩き出されちまうんだ。それもただ叩き出されてしまうだけじゃなくて、はじめは、嫌味を言われたり、悪態をつかれたり、叱言を言われたりしてのあげくなんだ、――まるで女将《おかみ》に自分の健康を捧げて、青春も、魂もそいつのために台なしにしたのは君というひとではなくて、あべこべに君が女将を零落させ、路頭に迷わせ、丸裸にしたみたいにね。ひとの助けなんかは当てにしていちゃだめだよ。ほかの朋輩たちだって女将にごまをすろうとして君に敵対することはやはり同じさ、だってこの世界じゃ誰もが奴隷の境遇におかれていて、良心だの情けだのはとうの昔になくしてしまっているんだからな。すっかりもうあさましくなっちまっていて、この連中の悪態以上にいやらしい下劣な、腹の立つものは世の中にはとてもあるまいと思えるほどだよ。それなのに、なにもかも君はここにそそぎ込もうとしてるんだ。なにもかも、無制限に、――健康も、若さも、美しさも、希望も。だから二十二歳頃にはもう三十五、六にも見えるだろうよ、それでも病気をしなけりゃ結構の部で、神さまに感謝してもいいくらいのものだ。君はおそらく今、あたしは仕事もしないで、どんちゃん騒ぎをしていられるんだから、などと考えているかもしれないね! ところがこれよりつらい苦役は世の中にありゃしないんだ、昔だってありゃしなかった。心臓だって涙のためにすっかり止まっちゃったんじゃないのか。――君はここから叩き出されて悪いことをしたみたいに出てゆく時だって、ひと言も、いや半句だって言葉は返せないんだ。別の家へ変わる、さらに第三の家、それからまたどこかへという具合に転々としたあげく、とどのつまりは例のセンナヤ広場へと堕《お》ちてしまうのだ。ここじゃ、もう君はしょっちゅうぶんなぐられるようになる。というのはそうすることが、あすこじゃ親切なんだから。あすこの客はなぐらずには可愛がることのできない連中なんだ。あすこがそんなにひどい所だとは信じられないだろう? まあいつか、行って、自分の目でとっくり見ておくがいいよ。僕も一ぺん、正月に、あすこの戸口でひとりの女を見かけたことがあったよ。ばかにヒイヒイ泣くので、少し凍らせてやれとばかりにそれも朋輩の連中が嘲笑まじりに叩き出して、うしろから戸をぴしゃんとしめちゃったもんだ。朝もまだ九時だというのに、その女はもう正体もなく酔いつぶれ、髪はふり乱し、半裸体のからだはどこもかしこもぶたれた傷痕だらけだ。顔はまっ白に塗りたくっているが、目には黒い隈《くま》ができ、鼻や歯からは血が流れている。今しがた馭者風情の男からひっぱたかれたんだ。女は石段に腰をおろした、手には塩魚みたいなものを持っている。泣きながら自分の「運命」をなにやら訴えては、その塩魚で石段を叩いているんだ。そして階段口には馭者や、酔いどれの兵隊どもが群がっていて、この女をからかっている。君は信じまいが、君の行末だってこんなふうになるんだよ。僕だって信じたくはないし、君だって知りもしまいが、十年か八年ほど前にはこの塩魚をもった女だって、どこからかここへ流れて来た時にはまだ天使のようにみずみずしく、純真|無垢《むく》の乙女で、悪というものを知らず、口をきくごとに顔を赤らめていたかもしれないんだ。あるいはそれこそ君みたいに、つんとしていて、怒りっぽく、ほかの連中とは違って、女王さまみたいな様子をして、しかも、完《まった》き幸福の目ざすものは自分を愛し、自分からも愛するような男性だ、と思い込んでいたかもしれないんだ。だがごらん、結果はどうだ? そして酔っぱらって髪をふり乱したその女がこの塩魚できたない石段を叩いていたおりに、もしもちょうどそのおりに、その昔、父の家ですごした純真な時代をそっくりそのまま思い出したとしたらどうだろう? それはまだ女も学校へ通っていた時分で、隣の息子に途中で待ち伏せられて、生涯、あなたを愛しますとか、すべてをあなたに捧げますとか誓われて、お互いに永久に愛し合って、大人になってすぐ結婚しましょうなどと二人で決め合った頃の思い出だとしたら! いや、リーザ、もしどこか、穴蔵あたりの隅っこで、さっき話してきかせたあの女みたいに、肺病にでもかかって少しも早く死ねたら、それは君にとって幸福だよ、幸福というものだよ。病院へ行く、とか君は言ったね? そりゃ、入れてくれりゃ――結構さ。だがもし、君という人がまだ女将にとって必要な人間だとしたらどうだい? 肺病っていうのは、そういう病気だよ、熱病とは違うからね。患者は最後の瞬間まで望みをつないでいて、自分は丈夫だなどと言っている、自分で自分を慰めてるのさ。ところが女将にとっちゃ、そこが好都合なんだ。なにも不審がることはないよ、そりゃそうだろうじゃないか。君はもうつまり、魂も売り渡しちゃったんだし、おまけに、借金までしているからだだもの、ぐうの音も出せやしないやね。そして君がいよいよもうだめだということになりゃ、みんなが君を放り出して、顔をそむけてしまう、――それというのも、そうなった君じゃ一文にもならないからさ。その上、なかなかくたばらないでいたずらに場所ふさぎをするといって文句を言われるだろう。水一杯飲みたいと言ったって聞いてもらえず、くれる時には必ず罵倒《ばとう》される――「いったいいつになったら、お前はくたばるんだ、この醜女《すべた》め、こっちは寝られやしないじゃないか――うなってばかりいやがって、お客だっていやがってるよ」こりゃ嘘じゃないよ、現にこの僕だって自分でそういう言葉を立ち聞きしたことがあるんだから。そうなりゃ、死にかかった君なんぞは、穴蔵の中でもいちばん臭いところへ押し込まれてしまう――暗くて、じめじめした所だ。ひとり横になったままで、はたして君はその時、どんな思いをするだろう? さて、いよいよ死んだとなると、赤の他人の連中が不平たらたら、じれったそうにさっさと後片付けにかかるわけだが、誰一人として君を祝福してくれる者もなけりゃ、君のためにため息をついてくれるでもなく、ただ少しも早く、厄介払いをしたいという気だけなんだ。安っぽい棺桶を買って来て、今日の例の可哀そうな女の場合みたいに運び出す、運び出しちまったら、酒場へ供養に出かけるという仕組さ。墓場はびしょびしょで、ぬかるみで、みぞれ雪だ――なにも君のために遠慮なんかしなけりゃならない義理はないからね。――(さあ下ろせよ、ワニューハ、ほう、これが「宿命」てやつだな――ここへ来ても、やっぱり逆さに落ちて行きやがった、娑婆《しゃば》の恰好そのままじゃねえか。縄を縮めねえか、とんま)――このままで結構さ。――(なにが結構だ? 見ろ、横倒しになってるじゃねえか。これだってやっぱし人間には変わりはなかったんだ、なあ、そうだろう? さあ、これでよしと、土をかけろ)もとよりいつまでも君のことなんかでかれこれ言おうなんていう気はないんだ。濡れた、青いねば土をさっさとかけてしまうと、居酒屋を目ざして退散だ……そしてこの世の君の思い出もそれでチョンというわけさ。これがほかの者の場合なら、子供や、親や、亭主の墓詣りっていうこともあるが、君の場合じゃ――涙も、ため息も、供養も、なに一つありゃしない、ひろい世界じゅうに誰ひとり、誰ひとりとして、君を訪れる者は金輪際いないんだ。つまり、君の名前は地上から消えてしまうんだ――まるで君という人ははじめっからいもしなかったし、生まれもしなかったみたいにだよ! いくら死人のよみがえって来るという真夜中に、我とわが身で棺の蓋を叩いて、「どうか皆さん、私を世の中で暮らさせて下さいまし! 私は生きはしましたが――生活というものを見たことがないのです、私の生涯はボロ雑巾みたいに使われて、センナヤ広場の居酒屋で飲まれてしまったんです、どうかもう一度、世の中で暮らさせて下さいまし!」と叫んでみたところで、あたりがぬかるみと沼じゃどうしようもあるまい。
こうしてしゃべっているうちに感激にはまり込み、しまいには、私のほうで咽喉の痙攣《けいれん》が起こりそうにまでなってきた、と……不意に私はしゃべるのをやめると、びっくりして腰を浮かし、恐る恐る首をかしげて、心臓の高鳴るうちに耳をすましはじめた。どぎまぎするには理由《わけ》があったのである。
大分前から私はもう自分が彼女の魂をすっかり転倒させて、その心を打ち砕いてしまったことを予感していた。そしてそのことをはっきり知れば知るほど、少しも早く、しかもできるだけ強力に目的を達したいと望んだのである。芝居、そうだ芝居をしてやれという気になってしまったのである。といってもただの芝居ではないが……。
私は自分のしゃべり方がまどろっこしく、取ってつけたようで、本でも読むような調子にさえなっているのは承知していたが、ひと口に言えば、「まるで本でも読むように」でなければ、ほかにしゃべり方を知らなかったのである。しかしこれが私をまごつかせたわけではない。それどころか、私はこれでも他人にはわかりもするし、またほかならぬこの朗読調がなおいっそう事を運ぶ上に助けになることも知っていたし、予感してもいたのである。しかし、いまや、効果|覿面《てきめん》となるに及んで、私はにわかに怖気《おじけ》づいてしまったのである。これはいけない、今までかつて、私はこんな絶望状態を目の前にしたことは一度もなかったではないか! 女は枕に顔をぴったり押しあて、両手でそれを抱くようにしながら、突っ伏して横になっていた、胸もつぶれる思いだったのだろう。若いそのからだ全体は痙攣でも起こしたように震えおののいていた。押し殺されていた慟哭《どうこく》は彼女の胸をしめつけ、ひき裂いていたが、突如として号泣となり、絶叫となって外へほとばしり出た。そして彼女はいっそう烈しく枕にしがみついた。こんな場合、誰にしろたとえ一人の生きた人間でもそこに居合わせて、苦しみや涙を見られるのがいやだったのだ。女は枕をかみしだいていたが、しまいには血の出るほど自分の片手にかみついたり、(私はあとでそれに気がついた)はては、振り乱した髪に指先を突っ込んだかと思うと、息を殺し、歯をくいしばったまま、その恰好でじっと死んだようにしていた。私はなにか彼女に話しかけて気を鎮《しず》めさせようとしたが、それは差し控えるべきだと感じた、そして突然、かえって自分のほうが、まるで全身、悪寒《おかん》にでも襲われたように、ほとんど恐怖の念に駆られて、なんとかして一刻も早くここを引き揚げようとして手探りで飛び出してしまった。ところが、なにしろ暗いので、いかにやきもきしてみても、なかなかすぐには埒《らち》があかない。ふとマッチの箱と、そっくりまだ手つかずにある蝋燭のついた燭台とを探りあてた。そして灯《ひ》が部屋の中を照らすやいなや、リーザはパッととび起きて、腰をかけ、歪んだような顔に気の狂いかけた時みたいな微笑を浮かべて、さもさもさり気なさそうに私を見やった。私は彼女のそばにすわって、その手を執った。我に返った女は私にとびついて、私を抱きしめようとした、がさすがにそこまではしかねて、静かに私の前に首を垂れた。
――リーザ、ねえ、僕はいたずらに……赦しておくれ――私はそういいかけようとした、――しかし彼女が自分の指の中に私の両手をあまり強く握りしめたので、私は、これは俺は見当ちがいのことをしゃべっているな、と推察して、そのままやめてしまった。
――さあ、これが僕の住所《アドレス》だよ、リーザ、寄っておくれ。
――伺うわ……――彼女は、依然として頭を上げようともしないで、はっきりそうささやいた。
――じゃ今日はこれで帰るよ、さよなら……ご機嫌よう。
私は立ち上がった、すると彼女も立ち上がって、いきなり全身、まっかになって、ぶるっと身震いすると、椅子の上に置いてあった頭巾を引っつかんで、顎までかくれるほどにそれを肩へひっかけた。その仕ぐさが終わると、女はふたたび妙に病的にニヤリと笑い、顔を赤くして変なふうに私の方をながめた。私は苦しかった、早く逃げ出して姿をくらましたかった。
――待って下さい、――と急に彼女は、もう玄関の戸口まで来た時に、外套をつかんで私を押しとどめながら言った、そして気忙しげに蝋燭を置くと、走り去った、――どうやら何か思い出すことでもあったか、それとも何かを私に持って来て見せようとするつもりらしかった。走り去ってゆく時にも彼女の顔はまっかで、目は輝き、唇《くちびる》のあたりには微笑さえ浮かんでいた――はて、なんだろう? 私は思わず待ちもうけた。すぐに彼女は戻って来たが、その目つきは、なにか赦しを乞うようなふうだった。総体にこれはもう、さっきの顔ではなく、まなざしにも、あんなにむっつりとした、人を信じかねる、頑《かたく》ななところはなかった。今の彼女の目つきには懇願でもするように物柔らかく、同時に、相手を信じ切った、明るい、臆病な花が見えた。それは子供がよく自分をとても可愛がってくれる大人になにかをねだるときのあの目つきだった。彼女の目は明るい茶褐色の美しい目で、愛情も険しい憎悪をも映しうるほどに溌剌《はつらつ》としていた。
私に対してひとことの説明もなく、――まるで私というものがなにかえらい人間ででもあって、説明などなくても当然なんでも知っていてもらえるかのように――女は一片の紙きれを差し出してよこした。この瞬間、彼女の顔じゅうはまるで子供のように実に無邪気な誇りに輝き渡っていた。私はひろげてみた。それはどこかの医学生か、さもなければそういったふうの男から彼女に宛てた手紙で、いやに大げさできざっぽくはあったが、恐ろしく馬鹿丁寧な恋の告白だった。その言い回しなどは今では記憶にないが、取り澄ました言葉の間から偽物でない真実の気持ちがのぞいていたことはよく覚えている。読み終わると、私は自分に向けられている彼女の燃え立つような、好奇心に満ちた、そして子供のように待ちきれぬ視線に出会った。彼女は私の顔に双の目をぴたりとすえて、こちらが何を言い出すか、といらいらして待ち構えていた。その言葉少なく、早口に、しかしどことなくうれしそうに、得意気に説明するところによると、彼女はどこかある家庭のダンスの夕べに行ったとかで、それは「とても、とてもいい方たちばかりで、皆さんが家庭をもっていらっしゃって、そこでは、まだ私のことなんかなんにもご存じないの、まるでご存じないのよ」――それもそのはずで、自分はここでだってまだ新顔のほやほやで、ただ一時こうしているだけで……けっしてここに腰を落ち着けようと決めたわけではなく、借金さえ払ってしまったら、必ず出てしまうのだから……というのだった。――ところで、その舞踏会にはこの学生も来ていて、ひと晩じゅう彼女と踊ったり、おしゃべりしたりした。あとでわかったことだが、この学生もまだリガにいた頃、子供の頃から彼女とは知り合いで、一緒に遊んだこともある間柄だった。が、それはもう大分古い話だった――彼女の両親のことも知っている。だがその時は彼はそんなことはなんにも、全然なんにも知らないし、もしやという疑いさえ持っていなかった! そしてダンスの翌日(今日から三日前のこと)彼は彼女と一緒にその舞踏会へ行った女の友達を通してこの手紙をことづけてきたのである……そして……〈いいえ、ただそれだけなのよ〉
話し終えると、女は妙に気恥ずかしそうにその輝いた目を伏せてしまった。
いじらしくも彼女はこの学生の手紙をまるで宝物かなんぞのように大事にしまっておいたのである。そして自分のような女でも世間からまともに、心をこめて愛してもらえもするし、丁寧に口をきいてもらえるということを知らずに私に帰って行ってもらいたくなかったばかりに、わざわざこの虎の子の宝物を取りに駆けて行ったのである。おそらくこの手紙はなんの実を結ぶこともなく手文庫の中にこのまましまって置かれる運命だったに違いない。が、いずれにしても彼女が生涯、これを自分の宝、自分の誇り、自分の証明として大事に保存することは疑いないところで、さてこそ今もこのようなおりに自分から思い立ってこの手紙を持ち出して来たというのも、他意なく私の前にそれを自慢してみせ、私に自分を見直してもらいたいがためにほかならなかったのだ。つまり、私に見せて、ほめてもらうためだったのである。私は何も言わずに彼女の手を握ると、そのまま出てしまった。それほど私は逃げたかったのだ……。みぞれ雪が相変わらずさんさんと降りしきるのもいとわず、私はずっと歩いて帰って来た。私はくたくたに疲れ果て、押しつぶされたような気分の中に、何か思い惑うものがあった。しかも真実はすでにその躊躇のかなたに輝いていたのである。なんといやらしき真実よ!
八
そうはいっても、私はこの真実を認めることにすぐさま同意したわけではなかった。何時間かの深い、鉛のような眠りのあとで朝になって目をさますと、すぐに昨日一日じゅうのことを考え直してみて、私はリーザを相手にした自分の昨日《きのう》の|センチメンタル《ヽヽヽヽヽヽヽ》な気持ちや、その「昨日の恐怖や同情」のすべてに対して驚きを覚えたほどである。(こんな女の神経病にひっかかるなんて、チェッ!)――と私はそう断定した。――(またなんだって俺はあいつに所書《アドレス》なんか手渡して来たんだろう? もし来られたらどうする気だ? もっとも、いいさ、来るなら来いだ、何でもないさ)……しかし、肝心な、いちばん重要なことは、|明らか《ヽヽヽ》に今ではそんな問題ではなかった。すなわち、何をおいても早速、ズヴェルコフやシーモノフの間における私の評判を取り戻さなければならない。これが重要なことだった。それに夢中だった私は、リーザのことなどはこの朝もすっかり忘れてしまっていたくらいだった。
とりあえず、昨日の借りをすぐにもシーモノフに渡さなければならなかった。私は一か八かの手段をとることにきめた、というのは、アントン・アントーヌイチに大枚十五ルーブリを借りてやろう、というのである。ところがお誂え向きに、彼はこの朝は大のご機嫌だったので、一度頼んだだけでその場で右から左に渡してくれた。これにすっかり気をよくした私は、受領証に署名しながら、妙に勇み立った様子で、ざっくばらんに彼に報告したものである。「昨日、友人たちとパリ・ホテルでちょいと遊んだんですよ、友達の送別会をやったわけなんですが、そいつは、いわば竹馬の友って奴でしてね。とんだ道楽者の上に、わがままときているんです、――そりゃ、もちろん、家柄はいいし、お大尽だし、前途洋々たりですがね。なかなか如才がなく、愛矯もあって、あの社会の婦人たちとも、お察しのとおり、浮名を流したりもしていましてね。半ダースばかり余計に飲みすごしてしまって、それから」……といった具合に。ところでそれも何の苦もなくしゃべれた、というのもいともたやすく、気軽に得々として口がきけたからだった。
帰宅すると、私はすぐさまシーモノフに手紙を書いた。
そして私はこの手紙の真から紳士的な、邪心のない、素直な調子を思い出しては今だに恍惚《こうこつ》とひとり悦に入っているのである。要領よく、上品に、しかも(これが大切なことなのだが)余計な言葉は全然抜きにして、私はすべては自分が悪いのだ、ということにした。そして、「小生になおこのうえ弁解などということが、もし許されるとすれば」、パリ・ホテルで五時から六時までの間、仲間を待っている間にひっかけた(ことにした)一杯でたちまち酩酊してしまったのは、全く自分が酒というものに不慣れなためであった、と弁解した。私は主としてシーモノフに赦しを乞うて、他の諸君一同にも、ことに「夢うつつのごとく思い返せば」侮辱を加えたような気もするズヴェルコフにも、どうかこの弁明を伝えて欲しいと頼んだ。またそれに付け加えて、自分の方から諸君の許へ出向くべきところなのであるが、頭痛もするし、それに、なによりも――気恥ずかしいのでと書いた。ことに私が終始自ら満足したのはこの場合の「一種の軽妙さ」というより、むしろ無頓着に近い調子(もっともそれはちゃんと礼を尽くしたものである)で、それは突如として私のペンに現われて、いかなる理窟にもまさって、「この昨日の顰蹙《ひんしゅく》すべき一件」について私がかなり独自の見方をしていることを即座に彼らに理解せしめうるものであった。全くのところ、私はたぶん、諸君が考えていられるようなそんなふうには、いささかも打ちのめされているのではなくて、むしろ逆に、冷静に己を持する紳士にふさわしく事に臨んでいるのである。「既往《きおう》はこれを咎《とが》めず」というあれである。
――それに王侯のごときこの闊達《かったつ》さはどうだ?――とその手紙を読み返しながら私はひとり悦に入ったものである。――これはみんな、開けた、教養ある人間にしてはじめてなしうることじゃないか! これがほかの者であってみろ、いかにしてこの場をのがれたらいいのか見当もつくまい、が、俺はほれこのとおりするりと身をかわして、しかもまたしても無駄口まで叩いている。これというのもみんな俺が「現代の教養ある、開けた人士」だからなのだ。だが実はひょっとすると、昨日の一件はあれはみんな酒のせいだったかもしれない。フム……いや、ちがう、酒のせいじゃない。五時から六時までの間に奴らを待っていた時には、俺はウォートカなんぞてんで口にしなかったんだからな。シーモノフには嘘を言ったんだ。しゃあしゃあと嘘をついてやったんだ。もっとも今もって恥ずかしくもないが……
だが、まあ、いいじゃないか! 要するにうまくのがれたのだ。
私は手紙の中へ六ルーブリを挿入し、封印をして、シーモノフの許へ届けてくれるようにとアポロンに頼んだ。手紙に金が同封してあることがわかると、アポロンはいつもより丁寧になって、使い走りの役を引き受けてくれた。夕暮れ近く、私はぶらりと外へ出た。昨日の一件以来、まだ頭も痛かったし、目まいもしていた。しかし宵《よい》が迫って、夕闇の花が濃くなるにつれて私の印象、つづいて想念はいよいよ変化し、錯綜してくるばかりだった。私のうちなる心臓と良心の奥底にあるなにものかがなくならず、なくなろうとせずに、灼《や》けつくようなはげしい愁いとなって現われてくるのだった。私は、メシチャンスカヤ通りだの、サドワーヤ通りだの、ユスポーフ公園のそばだの、なるべくいちばん人通りの多い商店街をほっつき歩いた。ことに私はこれらの通りを黄昏《たそがれ》どきにいつも歩き回るのが好きだったが、その頃はそこらはちょうど商人や職人など一日の仕事から解放されて家路につくあらゆる通行人の群れが雑踏する場所なのである。この貧乏くさい喧騒、このむき出しの味気なさが私の気に入っていたのだ。が、この日はこの路上の混雑もいよいよ私を焦立たせるばかりだった。なんとしても自分自身を持ち扱いかね、気持ちのきりがつかなかった。なにか心の中からたえず苦痛を伴ってもり上がってくるものがあって、それが鎮まろうとしないのである。私はすっかり乱れた気分になって家へ戻って来た。まるで犯罪でも心の上にのしかかっているような気持ちだった。
私をずっと悩ましていたのは、リーザが来る、という考えだった。不思議なことに、すべてのこの昨日の思い出の中から、リーザの思い出だけが一種特別に、なにかまるで別個の形で私を悩ましていたのである。そしてほかのことはどれも晩までにはもうすっかり忘れてしまって、放っておけ、という気になり、ただシーモノフに宛てた手紙だけにずっと満足していた。ところがいまやどうしたわけか、もうそれにも満足しなくなってしまった。まるで自分はただリーザのことだけで心を痛めていたようなふうである。もしもあの女が来たらどうしよう?――とたえず考え続けた。なに、かまうもんか、平気さ、来たら来たでいいじゃないか。フム。ただあの女に、たとえば俺の暮らし向きなんかをのぞかれるのは閉口だな、昨日は俺はあいつの前で英雄気取りだったのに……それがいまさら……フム! そりゃ、しかし、こうまで落ちぶれた俺のほうが悪いんだから。まさしくこれは乞食住いというところだ。しかも昨日、俺はよくもこんな身装《みなり》で会食に出かけたもんだよ! この蝋布《ろうぬの》張りのソファだって腸《はらわた》が飛び出しているじゃないか! ろくに体も包めないこの部屋着《ガウン》のざまはどうだ! ぼろ屑みたいだ……あの女はこれらを残らず見てとることになるわけだし、アポロンにも会うことだろう。あいつはきっとあの女の気を悪くするに違いない。あいつは今こそ俺をぞんざいに扱ってやれとばかりに彼女にもガミガミ言うだろう。ところでそうなる俺はもう、むろん毎度のことながら、怖気《おじけ》づいてしまって、女の前でそわそわしたり、部屋着の裾を合わせたり、ニコッと笑ってみたり、でたらめをしゃべったりすることになるのだ。うう、いやらしい! だがいちばんいやらしいのはそんなことじゃない! そこにはなにかもっと大きな、もっとけがらわしい、もっと卑劣なことがあるのだ! そうとも、卑劣なことが! そして、またしても、またしても例の無恥な、偽りの仮面をかぶらなくてはならないのだ!……
ここまで考え及ぶと、私はもうカッとなってしまった。
――なにが無恥だ? どこが無恥だ? 俺は昨日は誠意をもって話したんじゃないか。忘れもしないが、俺にだってやはり真情が湧いていたんだ。俺はたしかにあの女の中に高尚な感情を呼びさましたかったんだ……。あの女が泣いたとすれば、そりゃ上できだ、それはきっと好い影響を与えるに違いない……。
けれども、結局、私はなんとしても気分を鎮めることができなかった。
帰宅してから、もう九時もすぎて、どう考えてももう今頃リーザが来るはずはないと思いながらも、ひと晩じゅうやはり彼女の姿がちらついて、しかもそれがまた同じ一つの状態で思い出されるのだった。つまり、昨日のいきさつのすべての中からある一つの瞬間だけがとくに鮮やかに浮かび上がってくるのである。それは私がマッチをすって部屋を照らすと、受難者のようなまなざしをした彼女の蒼白い、歪んだ顔が目に映ったあの瞬間なのだ。なんと哀れな、なんと不自然な、なんと歪んだ微笑がこの瞬間、顔に現われていたことか! しかしその時はまだ私には、今後十五年たってもやはり、この瞬間に浮かべたあの哀れな、歪んだ、いたずらな微笑とともに彼女を連想するだろうなどということはわからなかった。
翌日になると私はもうまたしても、これらのすべてを――取るに足らぬことだ、神経の錯乱だ、いやむしろ――誇大妄想《ヽヽヽヽ》だ、として片づけてしまいそうになっていた。私は常日頃から自分のこの弱点を意識していて、時にはずいぶんこれを怖れたものだった。――(なんでも俺は誇張してしまう、そうしてはあたふたしているんだ)――とひとり私は四六時中、そう繰り返していた。けれども、そうは言っても、(そうは言っても、やはりリーザは来るかもしれないぞ)――というのが、その時の私のすべての考えが因《よ》ってくるところの畳み文句だったのだ。私はどうかすると気が狂うほど不安だった、(来る! 必ず来る!)私は部屋の中を走り回りながら叫ぶのだった。(今日でなけりゃ、明日来る、どうせ探し当てる! こういう|純潔な《ヽヽヽ》心の連中のロマンチズムぐらい始末の悪いものはありゃしない! ああ、このうすぎたない、センチメンタルな魂の醜悪さ、愚劣さ、偏狭さはどうだ!)なに、これがわからないはずがあるものか、どうしてわからないはずがあろう?……――けれどもそういう私自身がそこで行き詰まってしまった、しかも大きな当惑のうちに。
ついでに私はこんなふうにも考えた――人一人の全生涯の方向を今すぐ自分の思うように変えようとするぐらい、なんとわずかな言葉、なんとわずかな牧歌調で(その牧歌調なるものが、また本物でない、書物くさいお手製のものなので)用が足りるものだろう。要するに処女性というやつなのだ! 大地のみずみずしさというやつなのだ!
どうかすると私は自分で彼女のもとへ出向いて行って、(いっさいを打ち明け)、うちへ来てもらわないように頼もうかしらという気にもなった。けれどもそういう考えが浮かぶとたんに私のうちには烈しい敵意がこみ上げてきて、もしリーザがいきなり私のそばに居合わせでもしたら、この「女《あま》っちょ」をぎゅうぎゅうの目にあわせて、赤恥をかかせ、唾をはきかけ、叩き出してぶんなぐってやろう、という気になるのだった。
ところが、一日、二日、三日とたったが――女はやって来なかった、で私もほっとしかけた。ことに九時をすぎると元気が出て朗らかになり、時には、それもかなり甘い空想にふけり出すことさえあった――かりにリーザが俺のところへ遊びに来るようになって、俺からいろいろと話をしてやれば、それで俺はあの女を救えるわけなのだ……俺は彼女というものを伸ばし、教育してやる。しまいに気がついてみると、彼女は俺に恋している。熱烈に恋しているんだ。が俺は気がつかぬような振りをしている。(もっともなんのためにそんな振りをするのかはわからない、おそらくそのほうがきれい事だからだろう)。ついにすっかり取り乱した美しい彼女はふるえおののきながら鳴咽《おえつ》のうちに俺の足もとに身を投げかけて、あなたは私の命の恩人です、私は世界じゅうでいちばんあなたを愛しています、と言う。私はハッとする、だが……それに答えて――リーザ、お前は僕がお前の愛に気づかなかったとでも思っているのかい? 僕はなにもかもちゃんと見て察していたんだよ。だが自分のほうから進んでお前の心を犯すことは遠慮していたのだ、それというのが、お前は僕に義理があるから、もしお前がその感謝の気持ちから無理やりに僕の愛に答えなければすまないと自分で自分を縛ったり、ありもしないかもしれぬ感情をわざと自分によび起こしたりされては困るからなのだ。そんなことは僕の望むところではないのだ、だってそれは……横暴というものじゃないか。……そんな思いやりのない話ってあるものか……(ところでひと口に言えば、ここで私はヨーロッパ式の、ジョルジュ・サンドばりの、えも言われぬ高尚微妙なところを一度しゃべりまくったわけなのだ)。だが、今は、今はもう――お前は僕のものだ、僕の生んだものだ、お前は純真で、美しい、お前は――僕の美しい妻なのだよ
[#ここから1字下げ]
ためらうことなく私の家へ
はいっておいでよ、遠慮はいらぬ。
りっぱな主婦のお前じゃないか
[#ここで字下げ終わり]
それから二人は共同生活をはじめ、外国へ行ったり、いろいろする。が、ひと口に言えば、私は我ながらあさましくなって、しまいにとうとうチョッと舌打ちしてしまった。
――それにああいう「売女《ばいた》」は自由に出してはもらえないんだ――と私は考えた。――あの連中は散歩一つ満足にはさせてはもらえないらしいからな、ことに晩なんかだめだ(私はどういうものか彼女は晩に、それも七時頃に必ず来るような気がしていた)。もっともあの女の話では、まだあすこでもすっかり奴隷になりきってしまったわけではなく、独自の権利をもって勤めているとかいうことだった。つまりそれは、フム! 畜生、来やがるな、きっと来やがるぞ!
が、この時、アポロンが持ち前のがさつさで私の気を変えてくれたのはまだしも助かった。おかげで堪忍袋《かんにんぶくろ》の緒を切られてしまったからである。こいつは私の癌であり、神の摂理によって私に送られた笞《むち》であった。私と奴とはこの数年間を通じてたえずののしり合ってきた仲なので、私とすれば奴が憎らしくてならなかった。全くなんと憎らしい奴だろう! この男ほど私が生涯で憎らしく思った奴はおそらく一人もあるまい。これは中年の、いやにもったいぶった奴で、少しは仕立て仕事などもやっている男だった。しかし、なぜ彼が私をてんで頭から馬鹿にしてかかり、我慢ならぬほどの高見から見下していたのかはわからない。もっともこの男は誰でも相手を見下すふうがあった。薄色の、つるりとなでつけた頭や、額のところへ梳《す》き上げて精進油を塗りたくったこの前髪や、いつもV字形に結ばれたいかつい口もとだけを一瞥《いちべつ》しただけでも――こいつはついぞ自分というものに疑念をいだいたことのない人物だということが感じられた。これは突拍子もない学者《ぺダント》で、私がこの世で出会った中では最大の学者だった。おまけにマケドニアのアレクサンドル大王ばりの大した自惚屋《うぬぼれや》ときている。彼は自分のボタン一つ、爪一本にもほれ込んでいた――たしかにほれ込んでいた、容子を見たってわかる!――奴は私に対しては全く横柄で、めったに口なんぞきいたためしがなく、たまたま顔を合わすような場合にも、こちらを思わずカッとさせるような、自信満々のいやに尊大ぶった、いつもあざけるようなまなざしをもってながめるのだった。きまった仕事をするのでさえ、なにか私に最大の恩恵でも施しているようなふうである。もっとも彼は私のためにはほとんどなにもやってくれもしなかったし、何かしなければならぬと考えてもいなかった。この男が私を全世界で最後の馬鹿者と見なしていたことは疑いないところで、私を「自分のそばへ置いておいてやる」のもただ私から毎月給金をもらえるからというだけのことにすぎない。つまり奴は「何もしない」ということで七ルーブリで私に抱えられることを承知したのである。だから私としても、彼のためには、いいかげん罪ほろぼしをしているわけだ。時には奴の足音一つに思わず痙攣が起こるほど憎しみが嵩《こう》じることもあった。が、とくにいやらしかったのは、奴がシューシューいう音を出すことだった。彼は普通より幾分舌が長いか、あるいはなにかそういったふうだったので、いつも舌足らずのシューシューいう音を出して、しかもどうやら、これが少なからず自分に威厳をつけているとでも思ってか、えらくそれを自慢にしているのだった。手を背中に組み、目を地に伏せて、小声で調子を変えずに話すのが癖だった。とりわけ私に癇癪《かんしゃく》を起こさせたのは、壁越しの自分の部屋で聖詩篇を読みはじめる時だった。この朗読のことでは私はずいぶん文句を言ったものだ。しかし、この先生は毎晩、さながら死者を悼《いた》むみたいなふうに、低い、なだらかな、唄うような調子で朗読するのが恐ろしく好きなのである。ここにおもしろいのは、彼がついにこれをものにしてしまったということで、すなわち、今では彼は葬いの聖詩篇朗読に傭われるようになり、同時にまた鼠退治もやれば、靴墨作りもやっているというわけなのである。しかし当時の私はこいつを追い出すわけにはいかず、ちょうど私の存在と化学的に融合しているみたいだった。それに彼自身のほうでも私から離れることは絶対に承服しなかったに違いない。私は造作付きの部屋に住むわけにはいかなかった、というのも私の住居は私の別天地であり、全人類から身を隠していた殻であり、箱であったからだ。そしてアポロンは、どういうわけか、私にはこの住居の付属品みたいに思われていたので、とうとうまる七年もの間、この男を追い出しかねていたのである。
たとえばその給金にしてからが、これをたとえ、二、三日でも借りにしておくなどという芸当はできることではなかった。そんなことでもすれば、奴はそれこそ私の身の置きどころもないような大胆なことをおっ始めるだろう。しかるにこの頃は私は誰彼の別なくむやみに癪にさわっていたおりだったので、どういうわけか、なんのためともなく、ひとつアポロンをこらしめて、もう二週間ばかり給金を払わずにおいてやれ、という気になった。これは実はもうずっと二年越しに実行しようと思っていたことなので、――それというのも、奴は私に対してそんな大きな顔はできるわけのものではないということと、こっちがその気にさえなれば、奴の給金なんぞいつでも差し止めにできるんだぞ、というところを見せてやりたいばかりの肚だったのである。私は彼の傲慢《ごうまん》の鼻をへし折って、奴のほうから先に給金の話を持ち出させるようにするために、このことは相手に告げずに、わざと黙っていようときめた。そしてその時になったら、私は手文庫の中から七ルーブリ耳をそろえて出してやって、金はこのとおりちゃんとあってわざとしまってあるのだが、私は「いやなんだ、いやなんだ、ただもう貴様に給金をやるのがいやなんだ、理由はただ|そうしたいから《ヽヽヽヽヽヽヽ》なのだ」というところを見せてやろう。つまりその理由というのは、これに対しては「主人としての俺の意志」というものがあるからであり、同時に奴が礼儀をわきまえぬからであり、がさつ者だからである。だがもし彼が丁寧に頼み込むなら、私も折れて渡してやらぬものでもない、さもなければ、二週間待とうが、三週間待とうが、まる一月待ったとて……というところも見せてやるつもりだ。
しかしいかに私が片意地になってみても、とどのつまりは彼にしてやられてしまうのだった。私は四日と持ちこたえられなかった。奴はまずこういう場合にいつも用いる手から始めてきた、というのもこういう場合がちょいちょいあって、すでに試験ずみだったからである。(そして断わっておくが、私だとてこんなことはすでに前から百も承知で、奴の卑怯な戦法も暗記しているくらいだった)。その戦法というのは、まず最初におそろしくきびしい視線を私に集中して、それを数分間はじっとそらさないでおくのである。私と顔を合わせたり、私を家から送り出す時にはことにそれをやる。そしてたとえば、もし私がそれを受けとめて、そんな視線など気にもとめぬような素振りをすると、彼は相変わらず黙りこくったままでさらに第二の拷問にとりかかるのだ。それはどういうのかというと私が歩き回ったり、読書などをしている時にべつだんなんの理由もないのに、いきなり藪から棒にそっと、ふんわりと私の部屋へはいって来て、戸口に立ち止まって、片手を背中にあてがい、片足を引いて、例の、といっても、もはやそれはきびしいというよりすっかりさげすみきったまなざしを、じっと私の上にすえるのである。だし抜けにこっちから、何の用だね?――とたずねても、彼はひとことも答えずに、なおも何秒間か執拗《しつよう》に私を見つめつづけて、それから、なんだか一風変わったふうに唇を結ぶと、大いに意味ありげな様子で悠々とその場でくるりと向きをかえて、しずしずと自分の部屋へ立ち去ってゆくのである。そして二時間もするといきなり出て来て、また同じようにして私の前へ立ち現われる。――時には私のほうでも癪にさわって、もう何の用だ、などとはききもしなかった。ただぐっと高飛車に頭をあげて、こっちも負けずにじっと、奴の上に眸《ひとみ》をこらすのである。こうして物の二分間も互いににらみ合いをやる、そうしていれば、結局は彼のほうが例によって悠々と尊大ぶって回れ右をすることになり、そこで二時間はまたしても姿を消すということになるわけだった。
だが、それでもまだ私が感づかないで、なおも反抗を続けていると、彼は私をながめやりながら、突如としてため息をつきはじめる。長く、深く、まるでこのため息だけで私の精神的堕落の深さを測ろうとでもするようにため息をつくのである。そしてもちろん、最後は彼の完全な勝利に終わってしまうのだった――つまり、私は向かっ腹を立ててことの経緯《いきさつ》をどなり散らしたりはするものの、要するにしてやるだけのことはしなければならないことになってしまうのだった。
しかし、今度という今度は、例によって「きびしいまなざし」の演習が開始されるかされぬうちに、もう私はとたんに我を忘れてしまって、カッとなって彼に飛びかかった。それでなくてもすでに少しいらだちすぎていた私だった。
――待てッ!――と私は無我夢中で叫んだ。おりしも彼はただ黙々と向こうむきになって、片手を背にあてたままの姿で自室へ引き上げて行こうとするところだった、――待てッ! 戻れ、戻れって言ってるんだ!――そして、私の喚《わめ》き方がきっとあんまり不自然だったのであろう、彼は向き直ると、ややおどろきの色さえ浮かべて私をじろじろ見回しかけた。もっとも、依然として口をとざしたままだったが、これがまた私の疳にさわったのである。
――なんだって貴様は俺の所へ断わりもなしにはいって来て、そう、ひとの顔を見やがるんだ、返事をしろ!
しかし、落ち着いてものの三十秒ばかり私をながめやってから、彼はまたしてもくるりと向こうむきになりかけた。
――待てというんだ!――私はそばへ駆け寄りながら叫んだ!――動くんじゃないッ! そうだ。さあ今度は返事だ、なんだってお前はひとの顔を見にはいって来るんだ?
――もし今なにかお言いつけになることでもおありでしたら、そりゃ手前の仕事でございますからいたしますよ、――彼はなおもやや黙りこくっていてから、眉を釣り上げ、頭を両肩の間でゆっくりかしげて、静かに諄々と例のシューシューいう音を出しながらこう答えるのだった。――しかもそれが恐ろしいほど落ち着き払っているのだ。
――そんなことを、俺はお前にきいているんじゃないぞ、この野郎!――私は怒りに身を震わせながら叫んだ。――じゃ、貴様がなぜここへ来るのか、そのわけを俺のほうから言って聞かそうか、この業つくばりめ――貴様は俺が給金を払わぬのを見てとりながら、頭《ず》が高いばかりに、自分からはペコペコ頼む気になれず、そこでそんなふざけた目つきで俺をこらしめて、困らせてやろうと出かけて来やがるんだ、しかもそれがどんなに、ばか、ばか、ばか、ばか、ばか、ばかげているかということにゃ、てんで気がつかないんだ!
彼はまたしても沈黙のうちに回れ右をしかけた、が私はそれをひっつかまえた。
――さあいいか――と私はどなった――それ、金だ、見ろ、ちゃんとここにあるんだ!(私は机の中からそれを取り出した)七ルーブリそっくりあるんだ。だが、貴様の手へは渡さない、渡すもんか、貴様が前非を悔いて正面きって俺に詫びを入れない限りはな。いいか!
――そうはいきませんわ!――と奴はいやに不自然なほど自信満々としてこう答えた。
――いかせるよ!――と私がどなった――必ずそうさせてみせるからな!
――それになにも私があなたに詫びを入れなきゃならぬ筋合いでもありますまい――彼は私の怒号などはどこ吹く風かといわぬばかりに言葉を続けた――そりゃそうでしょうが、あなたのほうこそ手前を「業つくばり」などと悪口を言いなすったが、これに対しちゃ、手前はいつだって警察へ名誉毀損の訴えができるんですからな。
――じゃ行け! 訴えろ!――と私はがなり立てた、――すぐにも行け、たったいま、たった今だぞ! だが、貴様はなんとしても業つくばりだぞ! 業つくばりだとも! 業つくばりだともさ!――だが、彼は私をちらっと見たばかりで、くるりと向こうをむいてしまい、もう呼び戻そうとする私のどなり声などには耳もかさずに、ふり返りもせずに悠々と引き上げて行ってしまった。(リーザさえいなかったら、けっしてこんなことにはならなかったんだ!)と私は肚《はら》の中でひとりでそう断定した。そしてその後で、一分ばかりたたずんでいてから、堂々と勝ち誇った様子で、しかもその実、戦々兢々としながら、私は自分のほうから、衝立《ついた》ての向こうの彼のもとへゆっくりと出かけて行った。
――アポロン!――私は小声で、間をおいてそう言ったが、それでも息が切れた――さあたった今、一刻の猶予もなしに警部のところへ行って来てもらおうじゃないか!
彼はもうその間にも自分のテーブルに向かって腰を下ろし、眼鏡《めがね》をかけて、なにか縫いものに取りかかっていた。が、私の命令を耳にすると、とたんにプッとふき出してしまった。
――すぐにだぞ、たった今、行ってもらおう! もし行かなけりゃ、どんなことになるかも知れんぞ!
――どうもあなたは少し頭がオカシイようでござんすぜ、――彼は、首もあげず、なおも針へ糸を通すしぐさを続けながら、例のゆっくりシューシューいう声でそう言うのだった。――それに自分で自分を警察へ訴え出るなんて、そんな人がどこの世界にありましょう? が、これでおどかそうというつもりなら、それこそ無駄な骨折りというもんですわ――なんにもなりゃしませんからな。
――行けッたら!――相手の肩をつかみながら私は金切り声をあげた。自分でも今にも奴をなぐり倒しそうな気がした。
しかし私は耳にしなかったのだが、この瞬間、急に玄関の扉がそっと静かに開かれると、誰か人の姿らしいものがはいって来て、立ちどまり、怪訝《けげん》そうな様子で我々両名をながめかけていたのである。私はチラッと見ると、恥ずかしさのあまり卒倒しそうになって、自分の部屋へ飛びこんだ。そして両手で髪をむしり、壁に頭をもたせかけて、その状態で失神したようになっていた。
物の二分もすぎると、アポロンのゆっくりした足音が聞こえた。
――どなたか女の方がご面会でございますぜ――彼はとりわけいかつく私をにらみながらそう言って、それから脇へどいてリーザを通した。そして出てゆこうともせずに、あざ笑うように私たちをじろじろながめまわすのだった。
――出てゆけ! 出てゆくんだ!――私は狼狽気味で彼に命令した。ちょうどこの瞬間に、私の時計が力をふり絞るようにジーッと鳴って、七時を打った。
九
[#ここから1字下げ]
ためらうことなく私の家へ
はいっておいでよ、遠慮はいらぬ
りっぱな主婦のお前じゃないか!
同じ長詩より
[#ここで字下げ終わり]
彼女の前に立っていた私は、ぶち殺されたような、ペテンにでもかかったような、見苦しく取り乱した姿だった。そして例のぼろぼろの綿入れ部屋着《ガウン》の裾をけんめいにかき合わせながら、どうやらにこにこと笑っていたらしいのだが――これはまさしく、つい先頃、意気消沈していたおりに自ら心に描いていたそのままの姿であった。アポロンの奴は我々の前に二分ばかりたたずんでから引き上げて行ったが、それでも私は楽な気分にはなれなかった。いちばん閉口したのは彼女までが急にそわそわしてしまったことで、それも全く予期しないほどだった。私を見つめていたことは言うまでもない。
――かけたまえ、――機械的に私はそう言ってテーブルのそばの椅子を彼女の方へ引き寄せると、自分でもソファヘ腰を下ろした。女は目をいっぱいに見開いて私の方を見つめながら、どうやらすぐにも私から何事かを期待しているような様子で、即座にすなおに腰をおろした。そのあっさり期待する気ぶりにはぐっと癪にさわらせられたが、私はまあまあと自分を押えた。
こんな場合には、すべてさりげなくふだんどおりに振舞って、何にも気づかぬようなふうに心を用いるべきだのに、この女ときたら……。そんなふうだと今に俺からとんだしっぺ返しを受けるぞ、私は漠然とながらそう直感した。
――えらい所を見せちゃったね、リーザ、――私はどもりながら口をきったが、その実、こんなふうに切り出す必要なんかないことも承知していた。
――いや、いや、気をまわしちゃいけないぜ!――と私は叫んだ。彼女が急にパッと顔を赤らめたのを見てとったからである。――僕は自分の貧乏なんか恥じているんじゃないよ……それどころか、この貧乏は誇りにしているくらいなんだ。僕は貧乏だよ、だが高潔だ……貧乏でも高潔たりうるんだからね、――私はどぎまぎして言った。――それはそうと……お茶はどうだい?
――いいえ……――と彼女は言いかけた。
――待ってくれよ!
私はとび起きると、アポロンの部屋へ走って行った。どこでもいいから転げこまずにはいられなかったのだ。
――アポロン、――私は悪寒に襲われたような早口でそうささやくと、同時にそれまでずっと掌に握りしめていた七ルーブリを彼の前へ投げ出した。――ほれ、お前の給金だ、いいかい、払うよ。その代わり俺を助けてくれなくちゃいけない。いますぐに料理屋からお茶とビスケット十枚をとって来てもらいたいんだ。もし行くのがいやだとなると、お前は一人の人間を不幸にしてしまうことになるんだよ! お前はあれがどんな女だかは知らないが……いやもうこれだけでたくさんだ! お前は妙に気を回しているかもしらんが……しかしあれがどんな女だかはお前にはわかっちゃいないんだからな!……
もう仕事に向かって腰をすえ、例によって眼鏡までかけていたアポロンは、まず、針はおかずに黙って金を横目で見やった。次いで、私には一顧も与えず、まるで返事さえしないで、なおもメドに通しかけの糸をいじくり回した。私はナポレオン式に腕組みしたままで彼の前に突っ立って三分ばかり待った。私のこめかみが汗でじっくり濡れ、顔もまっ蒼《さお》だったことは感じでわかった。が、ありがたいことにどうやら彼は私をながめているうちに可哀そうになったらしいのだ。糸のほうがけりがつくと、彼はやおらその場から立ち上がり、ゆっくり椅子をずらし、おもむろに眼鏡をはずして、悠々と金を数え、さてそこでやっと私に向かって肩越しに――ちゃんと二人前とって来るのですか? とたずねてのろのろと部屋を出て行った。私はリーザのところへ戻る途中でふとこんな考えが浮かんだ――この部屋着《ガウン》を着たままのなりで、どこでもかまわないから逃げ出せないものだろうか、後はまたなり行きにまかして。
私はまた腰を下ろした。彼女は心配そうに私を見ていた。数分間、二人は口をきかなかった。
――奴をぶち殺してやるか!――私はだし抜けにそうどなって、拳固でテーブルをドンと叩いた、インキがインキ壷からはね返った。
――あれ、なにをなさるの!――と彼女はビクッとして叫んだ。
――奴を叩き殺してやるんだ、やるんだ、――私は頓狂な声でわめいて、テーブルをドンドン叩いた。もうすっかり半狂乱のていだったが、そのくせ同時に、この狂人沙汰の愚劣さをもちゃんと承知していたのである。
――君は知るまいがね、リーザ、あいつは僕にとっちゃ、とんだ人非人なんだよ。人非人だともさ……今、ビスケットを取りにやったが、あいつは……
そこで突然、私はハラハラと涙を流してしまった。それは発作だった。しゃくり上げる合間合間がどんなに私には恥ずかしかったろう、だがもうそれも押え切れなかった。
びっくりしたのは彼女である。――どうなさったの! まあいったいどうなさったの!――と彼女は叫びながら私のまわりをうろうろするばかりだった。
――水を、僕に水をくれたまえ、ほれあすこだ!――私は弱々しい声でそうつぶやいた、が、肚《はら》の中では、水なんかなくとも結構大丈夫だし、弱々しい声でつぶやくこともないことは認めていたのである。しかし、私は、体裁を保つために、いわゆる芝居をやらかしたのである、もっとも発作は事実、本物ではあったのだけれど。
彼女はぼう然自失のていで私を見やりながらも水を手渡してくれた。この時、アポロンもお茶を運んで来た。私にはいろいろこんなことのあったあとではこのありきたりの、味も素っ気もないお茶が急にばかにみっともない、貧相なものに見え、思わず赤面してしまった。リーザは愕《おどろ》きの色さえ浮かべてアポロンをながめやった。が、彼のほうは我々には目もくれずに出て行ってしまった。
――リーザ、君は僕を軽蔑しているね?――私はじっと彼女に瞳をすえて、相手が何を考えているかを知りたいあせりに身を震わしながら言った。
彼女はあわててしまって、なに一つ返事もしえなかった。
――茶を飲んだらいいじゃないか、――と私は意地悪そうに言った。私がじりじりしていたのは自分自身に対してであったが、むろんその鉾先《ほこさき》は彼女に向けられないはずはなかった。私の心の中には急に彼女に対する烈しい怒りがこみ上げてきた、すぐにも相手を殺しかねないけんまくだった。その報復として、私はしまいまで彼女にはひとことも物を言ってやるまいと心中秘かに誓った。(この女こそすべての原因なのだから)と考えて。
二人の間の沈黙はすでに五分も続いていた。お茶は卓上に置かれたままで、双方ともそれには手も触れなかった。私のほうではわざと飲みたくないことにして、それによって彼女をなおいっそう困らせてやれ、とまで考えた。何度か彼女は悲しげな不可解な面持ちで私を見やった。が、こちらは頑として沈黙を守っていた。が、いちばんの苦悩者は、言うまでもなく私自身で、それというのも自分の底意地の悪いばかなまねの唾棄すべき低級さをすっかり意識していながら、しかも同時に何としても自らを押えることができなかったからである。
――あたくしあすこから……完全に出て……しまいたいんですの、――彼女はなんとかしてこの沈黙を打開しようとしてそう言いかけたが、しかし、それはいかにも間が悪かった! まったく、そんなことを、こんな、それでなくてさえばかげた瞬間に、しかもこんな、それでなくとも愚昧《ぐまい》な私のような者に相談しかけるということがあるものか。その不手ぎわと取柄のない率直さには私の心臓でさえ同情のあまり痛み出したほどである。しかしなにか醜悪なものがとっさに私の胸の中でいっさいの同情を克服してしまい、さらになおも、世の中なんぞみんなどうでもなっちまえ!――と私をけしかけるのだった。また五分間すぎた。
――あたしおじゃまじゃなかったでしょうかしら?――彼女はやっと聞きとれるくらいにおずおずと口を開き、そして立ち上がりかけた。
しかし、侮辱された一個の存在のこの最初の激発を見てとるやいなや、私はもう憎悪の念に身を震わせ、とたんに堰《せき》を切ったようにまくしたてた。
――だいたい君はなんのために僕のところへやって来たんだね? 聞かせてもらいたいもんだね、どうか――私はあえぎあえぎ口をきったが、もう自分の言葉の論理的秩序なんかは念頭になかった。ただもう何もかも一気にまくしたててしまいたかった、話の糸口なんかにかまってはいられなかった。
――なにしに来たんだい? 返事したまえ! 返事したまえよ!――私はほとんど我を忘れて叫んだ。――じゃこっちから言ってやろうか、姐《ねえ》さん、なんのために君が来たかっていうわけをね。君がやって来たのは、この間、僕が君に|同情の言葉《ヽヽヽヽヽ》をしゃべったからなんだ。そこで君は感動して、また「同情の言葉」が欲しくなったんだ。ところでいいかね、いいかね、僕はあの時、君をからかったんだぜ。今でもからかってるんだよ。なにを君はふるえているんだ? そうとも、からかったのさ! あの前に僕は宴会の席で侮辱されたんだ、それあの時、僕より先に来た連中にね。僕はあの仲間の一人の、将校をなぐりつけてやるつもりで君の家へ行ったんだ。ところがまずいことに奴に出会わなかった、そこで誰かにこの腹いせをして、どうでも自分の腹の虫をおさまらせなくちゃ承知ができなかったところへ、君がちょうど現われたというわけだ、だから僕は君に鬱憤《うっぷん》をぶちまけて、思う存分|嘲弄《ちょうろう》したのさ。こっちがやりこめられたので、俺もやりこめてやれという気になったわけだ。さんざ顔に泥を塗られたからには、俺もひとつ目に物見せてくれようという肚《はら》だったんだ……。そういうわけだったのに、それを君は僕があの時、わざわざ君を救いに出かけて来た、とでも思い込んだんだろう、ええ? そう思ったんだろう? そう思ったんだろう?
私は、あるいは彼女は混乱のあまり細かいことは理解できないのではないかとも察したが、また、話の本質はちゃんと理解するだろうということもわかっていた。はたしてそのとおりだった。彼女はハンカチのように顔面|蒼白《そうはく》となり、なにか言いたげにしたが、唇が病的にゆがんでしまい、それどころか、斧《おの》ででも足を払われたみたいに椅子の上にたおれてしまった。そしてその後は、口をあけ、目を見開いたまま烈しい恐怖に身をわななかせながら、終始、私の言葉を聞いているばかりだった。破廉恥、私の言葉の破廉恥ぶりが彼女を圧倒してしまったのだ……
――救うって!――椅子から跳び上がって、彼女を前に部屋を前後に走りまわりながら、私はそう言葉をついだ、――いったいなにから救うんだ! それに僕自身のほうが君よりもっとひどいかもしれないじゃないか。僕が君に向かって長談義をやらかしたあの時、なぜ君は面と向かって僕にこうきめつけなかったんだ――「あんたいったいなにしにうちへ来たの? お説教でもするつもりなの?」とね。――権力、権力があの時の僕には必要だったのだ、芝居が欲しかったのだ、君の涙をせしめたかったんだ、君の屈辱、ヒステリー!――それをあの時の僕は欲しかったのだ! 僕はだらしがないもんだから、自分でもあの時は我慢し切れずに、ひどくおどろいてしまって、なんのためだかもわからずに、ついうかうかと君に所書《アドレス》を渡してしまったんだ。それから僕は、まだ家に帰りつかないうちにもう君を思うさま罵倒したんだが、それもこの所書のためなんだよ。僕が早くも君を憎んだのは、君に対してあの時、うそを言ってしまったからなのだ。というのは、僕はただ言葉をもてあそんで、頭の中で空想してみたかっただけのことで、実は僕に必要なのは、君たちなんか失せやがれ、ということだったんだ! 僕には平穏というものがいるんだ。だからはたからわずらわされないですむなら、全世界を今すぐ一カペイカでだって売り飛ばすよ。世界の消滅か僕がお茶を飲めなくなるか? だ。それに対する僕の意見は、世界なんか消滅したってかまわないが、僕のほうはいつでもお茶が飲めなくちゃ困るんだ。君にこのことがわかっていたか、どうか? さてそこで、僕は自分がけがらわしい人間で、卑怯者で、我利我利亡者で、怠け者だということをちゃんと承知している。だからこの三日間というもの、君が来やしないかと恐れおののいていたんだ。だが、君にはこの三日間に僕をとくに悩ましたことが何だったか、わかるかね? というとそれはほかでもない、あの時の僕は君の前で大した英雄気取りを発揮したのに、今度はこのぼろガウンにくるまった、乞食同然の、みっともない恰好をいきなり君に見られはしないか、ということなのだ。さっきは君に、僕は貧乏なんかを恥じてはいないと言ったね、ところが、いいかね、実は恥じているんだ、なによりいちばん恥じているんだ、いちばん怖れているんだ、盗みをしたよりもね。というのは僕はひどい見栄坊だもんだから、そうなるとまるでからだの皮でもはぎとられたみたいに、ちょっとの空気でも痛みを感じるくらいなんだ。それにしても君はいまだにまだ察しがつかないかしらんが、あのアポロンに僕が、猛犬みたいに食ってかかった時、このぼろガウンの姿を君に見られたということについては僕は生涯、勘弁できないんだ。救い主であり、かつての英雄ともあろう者が疥《かさ》っかきの尨犬《むくいぬ》みたいに下男に食ってかかり、相手はそれをせせら笑ってる図なんだからな! それからまた、君を前にして、恥ずかしめられた女みたいにこらえきれずに、こぼしてしまった涙のことでも、生涯、君を勘弁できないんだぜ! さらに今こうして君に告白していることでだって、やはり生涯、君を勘弁はできないんだ! そうだ、――君は、君一人でこの全責任を負わなくちゃならないんだよ、なぜかといえば、君があんなふうに不意に現われたからだし、僕がけがらわしい奴だからだし、僕がこの地上の虫けらの中でいちばんいやらしい、いちばん滑稽な、いちばん取るに足らぬ、いちばん愚かな、いちばん焼餅焼きの虫けらだからなんだ。ほかの虫けらどもだってちっとも僕よりましじゃないんだが、ただ奴らは、どういうわけか、けっして恥ずかしがるということをしないんだ。ところが僕ときた日にゃ、こんなふうにこれからも生涯、いろんなつまらぬ事に爪はじきばかり食らうんだ。これが僕の特徴なんだ! なにこんなことは君が一つもわからなくったって僕の知ったことじゃないさ! それに君のことや、君があすこで滅びようが滅びまいがそんなことがいったい僕にどんな関係があるというんだ? また、君にこんなことを白状してしまった今となって、これから君を憎むようになるのは、君がここで、すっかり聞いてしまったためだということがわかるかい? 人間がこんなふうに腹の中をぶちまけてしゃべるのは生涯に一度っきりないことなんだよ、それもヒステリーの状態でさ! なにかまだこの上、君には用があるのかい? これだけ言ってやったのに、まだ目の前につっ立って僕を苦しめ、帰ろうともしないのは、いったい、なんの用があるというんだ?
しかしその時、突然、奇妙な事態が生じた。
だいたい私はすべて物事を書物風に考えたり、空想したりして、世上万般のことを想像するにも、自分が以前に空想の中で創作したふうにやる癖がついていたので、その時もこの奇妙な事態はとっさには理解がゆかなかった。ところでどういうことが起こったかというと、それはほかでもないが、私に恥ずかしめられ、糞味噌《くそみそ》にやられたリーザが、私の想像以上にはるかに多くを理解したということなのである。彼女はこれまでのいっさいのことによって、心から相手を愛する女性がいつも第一番に悟ることを、すなわち、相手の私という人間が不幸なのだということを悟ったのである。
唖然たる侮辱の感情はまず愁いに満ちた驚きに代わって彼女の顔に表われた。私が自分で自分を卑劣漢だとか下司野郎だとかとののしって、涙をはらはらと流した時(私はこの長談義をしまいまで泣きしゃべりにしゃべったのである)、彼女の顔じゅうは痙攣でゆがんでしまった。起ち上がって私の口をとめたかったらしく、私がしゃべり終わった時に彼女の注意をひいたのも――(なぜ君はここにぐずぐずしているんだ、なぜさっさと帰らないんだ!)という私の怒号ではなくして、このようなことを口に出すのは私自身がさぞやつらいに違いないということだった。それにこんなにいためつけられた、みじめな身の上ではあり、私よりも無限に下等な人間だと自分を思い込んでいた彼女にどこに腹を立てたり、侮辱を感じたりする余地があろう? 彼女は押えきれぬ衝動にでもかられたかのように、いきなり椅子から跳び上がった、そして、真っ向から私に飛びつきそうな気配を示しながらも、さすがにまだ気おくれがしてその場を離れることもしかねてか、ただ片手を差し延べてよこした……とたんに私の心も転倒してしまった。と、彼女は突然、私に飛びつき、両手で私の頸《くび》を抱きこむと、わっとばかりに泣き出したのである。私のほうもこらえきれなくなって、ついぞないほど烈しく慟哭《どうこく》した……
――ひとがしてくれないんだ……自分でもなれないんだ……善良にね!――やっとそれだけ言ってしまうと、私はそれからソファまでたどりつき、そこに俯伏せに倒れて、本物のヒステリーの状態で十五分ばかり号泣していた。彼女は私にすがりつき、私を抱きしめたまま、その抱擁のうちに失神してしまったかのようだった。
しかし、結局、弱ったことに、ヒステリーは当然、おさまらずにはいなかった。さてそこで(私はあえていまわしい真実を書くが)ソファに身を縮めて俯伏せに横たわったまま、貧弱な皮のクッションに顔を突っ込んで、私はさすがに今度は頭をあげてまともにリーザの目もとを見るのがてれくさいことを、少しずつ遠まわしに、心ならずも、しかもやむにやまれずに感じはじめたのである。何か恥ずかしかったのか?――それはわからない、が、とにかく恥ずかしかった。私の乱れた頭にはまたこんな考えもふと浮かんだ――今では役割はもうすっかり変わってしまって、今度は彼女のほうが英雄で、この俺はちょうど四日前のあの晩、俺の目の前にいたリーザのように貶《おと》しめられ、踏みつけられた人間になってしまったのだ……。しかもこういった考えはいずれもまだ私がソファに突っ伏して横になっていた間に浮かんだのである!
ああなんということだ! 本当に私はあのとき彼女をうらやましく思ったのだろうか?
わからない、今もってこれはなんとも判断がつかないのだ。いわんやあの時は今よりもっとわかるはずがなかった。他人に対する権力と暴虐なしには生きてゆけぬ私なのだろうか……。しかし……しかし、理窟ではなに一つ説明できやしない、だから理窟を言ってみたところで始まらぬわけだ。
けれども私はやせ我慢をして首を上げた、どうせいずれは上げずにはすまなかった……。ところが、これは今でも間違いないところだと思っているが、つまり彼女を見るのが恥ずかしかったために、私の胸の中でもう一つの感情……支配と占有の感情……が突然火がついてパッと燃え上がったのである。私の目は情欲にぎらりと輝いた、私は彼女の両手をぐっと握りしめた。この瞬間、私はどんなに彼女を憎み、また彼女にひきつけられたことか! 一方の感情が他をあおりたてた。それはまさしく復讐にも比すべきものだった!……彼女の顔には最初、不可解というよりはむしろ恐怖の色が現われたが、それもただの一瞬だった。彼女は歓喜に燃えて、烈しく私を抱きしめたのである。
十
十五分のちに私は物狂おしい焦慮に駆られて部屋の中を前後に走り回って、たえず衝立てに近寄っては隙間からリーザをのぞき込んでいた。彼女は寝台に頭をもたせかけて、床《ゆか》にすわっていた、きっと泣いていたに違いない。しかし立ち去ろうとはしなかった、私をいらだたせたのはこのことである。今度という今度は彼女はもう何もかも知ってしまったのだ。私はいやというほど彼女を侮辱した、だが……そんなことを話してみたって始まらない。彼女は私の肉欲の発作こそまさしく復讐であり、自分にとって新たな屈従であり、さっきまでのほとんど対象のなかった私の憎しみの上に、いまや個人的な、彼女への嫉妬に燃える憎しみが加わったことを察したのである……。もっとも、彼女がそれをすべてはっきりと理解したと断言はできないが、その代わり、私が卑しい人間で、ことに彼女を愛する柄でないことはすっかり理解したのである。
そんなことがあるものか――お前みたいなそんな底意地の悪い、ばかな人間などというものがありうるものか、と人に言われることは私も承知している。あるいはさらにつけ加えて、彼女を愛さないなんて、または少なくともその愛情を尊重しないなんていうことがあるものか、と言われるかもしれない。が、なぜありえないのだろう? 第一に、私という人間はもはや愛することさえできなくなってしまったのだ、そのわけは、繰り返すようだが、愛するというのは私の場合――暴虐をたくましくすることであり、精神的に卓越することだったからである。他に愛というものは私には生涯、想像することさえできなかったし、さらに現今では、愛とは愛する相手から自発的に捧げられたところの、暴君のごとく振舞う権利なり、とすら時に考えるほどにまで至ってしまった。私は自分の地下生活の空想の中でも愛というものを闘《たたか》い以外に想像したことはなく、それもいつも憎しみに始まって精神的征服に終わるのが常で、その後では、もはやその征服された対象をどう扱ったらいいのかてんで見当もつかないしまつだった。その上、先ほど彼女が私のもとへ来たのは「同情の言葉」を聞くためだと言って非難して恥ずかしめようと思い立ち、そのくせ女性にとっては愛のうちにこそいかなる破滅からの復活も救いも、更生もすべてがあり、この愛のほかには現われようがないのだから、彼女が来たのはけっして同情の言葉を聞くためではなくて私を愛するためだったのだということに自分では察しがつかなかったほどにまですでに自分を精神的に堕落させ、「生きた生活」の習慣を失ってしまった私のような者の場合に、どうして在りえないなどということがあろうか? もっともそうは言っても、私だとて部屋を走り回って隙間ごしに衝立ての向こうをのぞいていた時にはもう大して彼女を憎んでいたわけではない。ただ彼女がここにいるということがたまらなく苦痛だっただけだ。消えてなくなってくれないかと願ったほどである。私は「平穏」を希い、ひとり地下室に残ることを希《ねが》ったのだった。「生きた生活」は不慣れのために息をするさえ容易でないほどに私を圧迫していたのである。
だが、さらに数分間たったけれども、彼女は気絶でもしてしまったようにいっこうに起き上がってはこなかった。私はずうずうしくも、彼女に気をつかすために、そっと衝立てを叩いてみた……と彼女は突然ぎくッとして、その場から跳び上がり、自分の頭巾や、帽子や、外套を探しに走って行った、あたかも私から身をのがれてどこかへ逃げ出そうとでもするかのように……。二分ばかりすぎると彼女はおもむろに衝立てのかげから出て来て、つらそうに私を見た。私は取ってつけたようで体裁《ていさい》のためではあったが、意地悪くニヤリと笑うと、彼女の視線をさけてそっぽを向いてしまった。
――さようなら、――と女は戸口の方へ向かいながらそう言った。
私はいきなり駆け寄って、女の片手をとらえ、それを開かせて、……を押しこみ、またふたたび握らせた。それからすぐさまぷいと横を向いて、一刻も早くと別の隅っこへ飛びのいた、少なくとも自分ではそれを見まいとして。
私は、自分がこんなことをしたのは、つい我を忘れて当惑のあまりやってしまった無鉄砲のあげくだ、と書いて――危うくいま嘘をついてしまおうという気になるところだった。が、嘘をつくのはいやだから率直に言ってしまうが、彼女の掌を開かせて、そこへ……を握らせたのは悪意があっての仕業なのである。これをやってやれとふと頭に浮かんだのは、ちょうど私が部屋の中を前後に走り回り、彼女が衝立ての陰にすわっていた時のことだった。だが、これだけは確かに言える――つまり、私はこんな惨酷なことを、たとえ故意にせよやりはしたが、しかしそれは心から出たものではなくて、愚かな私の頭脳のしからしめた業だということである。この惨酷さはあまりにも偽物《にせもの》すぎて、頭の中でわざと虚構した、書物的《ヽヽヽ》すぎたので私自身がものの一分と我慢しきれなくなって――最初は見まいとして隅の方へ飛びのいたが、次には羞恥と絶望の念にとらえられて、リーザを追って後から走り出したほどだった。私は玄関の戸をあけて、耳を澄ましはじめた。
――リーザ! リーザ!――私は階段に向かって叫んだ、といっても気がねしながらの小声でではあったが……。
返答はなかった、なんだか下の階段で彼女の足音が聞こえるような気がした。
――リーザ!――私は声を大きくしてどなった。
答えはなかった、しかしちょうどその瞬間に、私は下の方で、通りに面した、堅い、ガラスの外扉がギーと重々しくきしみながら開いて、にぶくガタンと鳴ったのを聞きつけた。その鈍い音は階段に沿って上がってきた。
彼女は去ったのだ。私は考えに沈んで部屋へ戻った。ひどく重苦しい気持ちだった。
私は彼女のすわっていた椅子のそばのテーブルに近くたたずんで、意味もなく自分の前方を見つめた。一分たった、ととたんに私は全身でビクッとおののいた、――まっすぐ自分の前方の、テーブルの上に見つけたのだ……ひと口で言えば、まさしく今しがた彼女の手に握らせた、あのしわだらけの青い五ルーブリ札を見つけたのである。あの札だった。ほかの札であるはずはなかった、うちにはほかにはなかったのだから。彼女はおそらく、私が別の隅の方へ飛びのいたその瞬間に、すかさずこの札を手からテーブルの上へ放り出したものだろう。
何たることだ? あの女がこうするぐらいのことは予想できたはずだ。予想できたかな? いやできない。私は彼女がこんなことをすることさえ想像できないまでにエゴイストになり、実は人間というものを尊敬していなかったのだ。さすがの私もこの一事にはじっとしていられなかった。一瞬の後、私は狂人のようになって身仕度に飛んでゆき、あわてて手当たりしだいのものをからだにひっかけると、一目散に彼女のあとを追って走り出た。私が通りへ駆け出た時には彼女はまだ二百歩も行ってはいなかった。
静かだった、雪はさんさんと降りしきって歩道や人気のない街路にクッションを敷きつめながら、ほとんど垂直に落ちかかってきていた。通行人は一人もなく、物音一つ聞こえなかった。街燈がわびしくいたずらにきらめいていた。私は二百歩ばかり走って、四つ角まで来て立ち止まった。――彼女はどこへ行ってしまったのだろう? そして俺はまた何のために追いかけてゆくのだろう?
何のためだって? 彼女のまえに身を投げて慚愧《ざんき》にむせび泣き、その足に接吻して、赦しを乞うためじゃないか! 私だってそうしたかったのだ、私の胸は張り裂けんばかりだったし、将来ともいつになってもこの瞬間を平然と想起することはないだろう。だが――それがどうなるのだ?――という疑問が生じた。今日、あの女の足に接吻したばかりにはたして明日彼女を憎むようにならぬといえるか、はたして私は彼女に幸福を授けうるのか? はたして私は、すでにもう百遍も経験したように、今日もまたしても己の真価を思い知らなかっただろうか? はたして私は彼女を苦しめないと言えるだろうか!
私は雪の上に立ち尽くして朦朧《もうろう》たる夜霧の中を見すかしながら、それを考えていた。
――いっそのこと、いっそのことかえっていいんじゃないかな、――とその後、家でなまなましい心の痛みを押し殺しながら私は夢想しつづけるのだった、――もし彼女が今から永遠に侮辱を負って去って行くとしたら、いっそそのほうがいいんじゃないかな? 侮辱というのは――これは浄化作用なんだからな。これはいちばん辛辣な、痛烈な意識なのだ! 俺は明日にも彼女の魂を汚し、心を倦《う》ませるかもしれやしない。だが侮辱されたという気持ちはもうこれから生涯、彼女の中で消えることはなく、将来彼女を待ち受けている泥沼がどんなに醜悪なものであろうとも――その侮辱が彼女を高め、浄化してゆくだろう……憎しみの力でさ……フム……あるいは寛容の力でかな……。だが、そうは言うものの、それだけで彼女がはたしてらくになれるだろうか?
まったくの話、今度は私がいよいよ一つの愚問を呈するわけになるのだが、――はたして安価な幸福と高められた受難といずれがいいのだろうか? さあ、はたしてどちらがいいのだろう?
私はその夜、うちに閉じこもって、心の痛みに生きた心地もなくそんなことを思い浮かべていた。これほどの苦悩と後悔に耐えるなどとはいまだかつてないことだった。しかし、私が家から走り出た時には、途中から引っ返さないということについてはたしていささかの懸念もありえなかったろうか? 爾来私はリーザには一度も会いもしないし、噂《うわさ》も全く耳にしていない。これもまた付け加えて言っておくが、私自身は当時、ふさぎの虫にとりつかれてほとんど発病しかねないばかりの状態だったにかかわらず、侮辱と憎悪の利点についての自説《ヽヽ》には長いあいだ得意だったものである。
あれから数年もたった今頃になってさえ、このいきさつを思い出すとなぜか|いや《ヽヽ》でたまらない気持ちである。今思い出していやなことがたくさんあるのだ、だが……もうこの辺でこの手記は終えるべきではないだろうか? だいたいこんなものを書きはじめたというのが失敗だったような気もするのだ。少なくともこの物語《ヽヽ》を書いている間じゅう私は恥ずかしかった。だからつまり、これはもう文学ではなくて懲罰というわけである。早い話が、私のような者が環境の不備と、生きた世界からの絶縁と、地下室で貯えられた念の入った悪意とのために、片隅で精神的堕落によって自分の生活を台なしにしてしまったというような、そんな長ったらしい物語を話してみたところで――誰にそんなものがおもしろいものか。小説には主人公というものが必要なのに、ここにはかえって反主人公にふさわしいあらゆる性質がわざわざ集められている、がことに肝心な点は、これがいずれもおよそ不愉快な印象を与えるということなので、その理由は、我々すべてが生活というものから縁遠くなってしまって、誰もが大小の差こそあれ、跛《びっこ》になってしまっているからなのである。あまり縁遠くなってしまったので時とすると本当の「生きた生活」に対して妙に嫌悪を感じて、そのために生きた生活を思い出させられるのがやりきれないまでになっているのだ。全くのところ、我々は本当の「生きた生活」というものを、まるで労働や勤めと取りちがえかねない有様で、誰しもが肚《はら》の中では、いっそ書物式の生活のほうがましだなどと思うまでになっているのである。しかもなぜ我々は時々うごめいたり、気まぐれをおこしたり、なにかを乞い求めたりするのだろう? なぜだかは自分でもわからないのだ。我々の気まぐれの希いは、それが容れられたら、かえって当の我々が困ることになるだろう。まあ試しにひとつ、たとえば、我々にもう少し独立性を与えて、我々の手の縄をほどき、活動範囲をひろげ、監督をゆるめてみたまえ、すると我々は……これは断言してはばからないが、きっとたちまち逆にまた監督してもらいたいと頼むようになるのだ。こんなことを言うと、あるいは諸君は私に憤慨されるかもしれない、それは承知の上だ。あるいは足を踏み鳴らしてこんなふうにどなられるかもしれない――「しゃべるなら自分一個のことにとどめて、お前の地下生活のみじめったらしい話だけにしておけ、『|我々は誰でも《ヽヽヽヽヽヽ》』などと大きなことを言うな」。けれども、失敬だが、諸君、私はなにもこの「|誰でも《ヽヽヽ》」よばわりによって弁解をしているわけではないつもりだ。私個人について言えば、私はただあることを自己の生活において極限にまで徹底させてきただけのことで、諸君はそれを半分もあえて徹底させえなかったのみか、自己の臆病を分別と取りちがえて、我とわが身を瞞着《まんちゃく》しながら、それで自らを慰めていたのである。したがって、私のほうがおそらく諸君らよりももっと活気があることになるわけだ。全くもっと目をしっかりすえて見てみたまえ! いったい、いま活気のあるものがどこに生きているのか、それはどんなもので、なんと呼ぶものなのか、我々は知らないじゃないか。書物を捨てて裸一貫で放り出されてみるがいい、我々はたちまちまごつき、途方に暮れてしまって、……どこへ与《くみ》したらいいのか、なにを拠《よ》りどころにしたらいいのか、なにを愛し、なにを憎み、なにを尊び、なにを卑しむべきか、見当もつかないだろう。そればかりではない、我々は人間であることさえ――本当の、|自分自身の《ヽヽヽヽヽ》体や血をもつ人間であることさえ始末におえなくなってしまうだろう。現にそれを恥じ、それを不面目と考えて、なにかいまだかつてない人類になろうとして汲々《よくよく》たる有様である。我々は死産児で、もうずっと以前に生まれ、しかもそれは生きた父親からではないのだ。そしてこのことが我々にはいよいよもって気に入っているのである。趣向に投じているわけである。やがてはなんとかして、思想から生まれ出ることを工夫するにちがいない。だがもうたくさんだ――私ももうこれ以上「地下室から」書き送る気はない……。
***
とは言っても、この逆説家の「手記」はまだここで終わっているのではない。彼はこらえきれなくなって、さらにまたこの先を書き続けたからである。だが、我々としては、もうこのへんで打ち切りにしてもいいように思う。(完)
[#改ページ]
解説
ドストエフスキー――人と作品
〔おいたち〕 彼は一八二一年十月三十日にモスクワの慈善病院の官舎で生まれた。父は外科医長で独立心が強い人物だった反面、偏屈、神経質で、おまけに吝嗇《りんしょく》だったが、子弟の教育には費用を惜しまなかったといわれる。ドストエフスキーは子供のころからよく好んで百姓や貧乏人の患者たちと話し合ったが、後年彼の文学の一つの特徴になった貧しい人々への同情はすでにこのころから身うちにきざしていたのである。
彼が十歳のころ、父はトゥラ県に小さな領地を買い、一家は夏になるとここで田舎の生活を楽しむのが例となった。このころのことは、のちに「作家の日記」や「百姓マレイ」の中に語られているが、そこに見られる生き生きした自然描写はドストエフスキーの文学には珍しいことである。が、領地内の彼の家はやがて火事で焼失した。そしてそのとき乳母が給金の全部を提供しようと申し出たことは彼をいたく感動させた。少年ながら民衆の道徳的観念の強さを鋭く感じとったことは注目すべきであろう。
十二歳になると彼は兄とともにモスクワのチェルマーク寄宿学校に送られたが、神経質で沈みがちなその性格は学校生活を送るようになってからようやく目立ちはじめ、彼は孤独を好み、友情を信じない生徒となった。
十五歳のとき母が病死し、また同じ年にかねて崇拝してやまなかった詩人プーシキンが決闘でたおれた。またこの年に彼は兄とともに陸軍工科学校に進んだ。これは父の意思によるもので、彼の孤独性はこれより次第に色濃くなり、同時に少年期から親しんでいた文学への情熱はますます高まり、ホメロス、シェイクスピア、バルザック、ジョルジュ・サンドら西欧作家が強い魅力の対象となった。当時、流行だったロマンチズムの影響を受けたことはもちろんである。友だちからは神秘主義者か理想主義者のように思われていたが、自分自身のうちに多くの矛盾を含んだ複雑な彼の性格はこのころから形づくられていった。
〔父の死と転機〕 十八歳の時には父が急死した。母の死後、父はますます飲酒に耽《ふけ》り、神経質で怒りやすく、また生来の吝薔さや厳格さもはなはだしくなり、それが領地内の百姓たちの恨みを買い、ついに彼らに虐殺されてしまったのである。この父の性格は文豪の絶筆となった「カラマゾフの兄弟」の父親の中に描かれている。愛する父を急に失ったことは大きな打撃だった。生涯を悩ましたてんかんの最初の発作はこの時に生じたという説もあるくらいである。
この一八三九年を契機として彼の生活は精神的にも、経済的にも苦難の道をたどることになった。工兵士官として俸給を受けるようになってからも持ち前の濫費癖や玉突きがたたって、彼はいつも貧乏だった。がその濫費はけっしてみずからのぜいたくのためではなく、いつも周囲の不幸な人々に対する過分な同情から生じている。
しかし文学に対してだけは常に変わらぬ情熱を抱《いだ》きつづけ、読書以外にみずからも筆を執って「マリア・スチューアルト」「ボリス・ゴドゥノフ」のような戯曲や、バルザックの「ウジェニー・グランデ」の翻訳を試みている。
そして、一八四四年、軍隊の義務年限が終わると同時に、彼はついに意を決して退役し、貧困のうちに苦難の予想される文学創作の道を進むことにしたのである。
彼はけっして天分に自信があったわけではないが、翌年、処女作として発表した「貧しき人々」は自身が夢想だにしなかった絶賛を受けた。当時の進歩的批評家ベリンスキーは彼に向かってこう言った。「君は自分がなにを書いたか知っていますか、君は自分が恐ろしい真理を示したことを知っていますか、君の天分を尊重したまえ、それを忠実に守りたまえ、そうすれば君は大作家になれる……」。彼は後日その時を回想して「生涯で最も恍惚《こうこつ》とした瞬間だった」と述べている。
〔受難の生活〕 スタートは上々だったが、つづいて発表された「二重人格」「白夜」などは好評を得られず、彼の名声は失われ、友人もなくなり、幻滅のうちに彼はまた孤独の中に沈んだ。
そこにペトラシェフスキー事件が起こった。ぺトラシェフスキー会というのは空想的社会主義を研究する団体でドストエフスキーもこの会に出入りしていた。この会にはなんら実際的な計画はなかったのだが、当局はこれを過激な秘密結社とみなし、一八四九年四月二十三日に会員三十四名を検挙した。ドストエフスキーも弟とともに捕えられて、ぺトロパヴロフスク要塞監獄に八ヵ月つながれ、ついで死刑の宣告を受けて断頭台に上った時、突如、恩赦による刑の免除が告げられ、四年間にわたるシベリア徒刑とさらに四年間の兵卒勤務を申し渡された。この時のことは「作家の日記」と「白痴」の中に語られているが、ここで彼は新たな人間として誕生し、受難の生活へと踏み出したわけである。
オムスク監獄で送った四年間の囚人生活については「死の家の記録」の中に詳しい。
牢獄の生活を終えた彼はさらに次の四年間の兵卒勤務を果たすべく、一八五四年の春、セミパラチンスクの町に移り、ここで最初の結婚をした。そしてようやく出版の自由を許されたのを機会に久しく投じていた創作の筆をふたたび執り、「伯父さまの夢」「スチェパンチコヴォ村とその住人」なる二つの中編を書き、それを携えて一八五八年に晴れて欧露の土を踏むことを許されたのである。ペテルブルグヘ戻った彼は早速、兄ミハイルと共同して雑誌『ヴレーミャ』を創刊し、それに「しいたげられし人々」「死の家の記録」「いやらしい話」の三つの作品を載せた。
〔二度の外遊〕 幸い雑誌の評判はよく、購読者もふえたので彼の経済は一時小康を得ることができた。そこで一八六二年の夏にはじめて西欧に旅行を試みた。そしてその印象を「冬に記す夏の印象」と題して翌年から『ヴレーミャ』誌に載せた。ベルリン、ドレスデンとまわり、ウイースバーデンではじめて賭博場をのぞいたが、このころは後年自分がこれに病的なまでに熱狂するようになろうとは思わなかった。パリ、ロンドン、ローマを経て帰国した。
この旅行によって彼は、ドイツ、フランス、イギリスに多くの幻滅を感じ、かえって本国を離れてみてはじめてロシア人のすぐれた独創性を再認識することができ、これがこの時の外遊の唯一の収穫であった。祖国の西欧主義者たちの崇拝するフランス人も彼の眼には格別卓越したものとは見えなかった。彼のスラヴ主義的傾向は次第に明確さをましていった。
帰国後の彼は発行を禁止された『ヴレーミャ』誌を『エポーハ』と改題して再刊し、「地下生活者の手記」をそれに載せた。そのころ恋愛事件が起こった。それはちょうどヒステリックな病妻との家庭生活が気まずくなっていたおりに生じたもので、相手の女性はアポリナーリヤ・スースロワという尻軽女だった。これはドストエフスキーの言葉をかりれば、「|地獄のような《インフェルノ》」、放漫・冷酷な女で、彼の文名に憧《あこが》れて誘惑し、フランスヘの旅をすすめた。彼はこの女を連れて病妻を残したまま一八六三年の夏、二度目の外遊を行なったが、旅先でこの女との愛情は消えてしまい二人は別れた。「賭博者」の女主人公はこのスースロフである。この時もドストエフスキーはルーレットに熱中した。
〔孤独と再婚〕 妻の病状は好転せず、彼自身も心身ともに弱り、持病のてんかんの発作も頻繁になった。「地下生活者の手記」はそのような状態の下に書き続けられたものである。金策・看病・過労・執筆……そして一八六四年四月、妻は他界し、つづいて六月には生涯で唯一の協力者であり、慰安者だった兄ミハイルを失った。彼ははじめて自己の孤独をしみじみと感じた。「ここでわたしの生涯は二つに割れました、わたしの周囲はすべて冷たい砂漠となりました」と彼は言っている。兄の残した借金とその遺族もたちまち彼の双肩にかかってきた。またその年の末には年来の学友でもあり文学上のよき友だったグリコーリエフにも死なれてしまった。
この苦境を打開する方便として彼は過去の全著作の版権を三千ルーブリで出版者に譲渡し、さらにそれに期限つきで新作一編を添えることにした。が、逆境の中での新作はなかなかでき上がらず、結局、速記者を雇って大急ぎで書かせようということになり、連れて来られたのがアンナ・スニートキナで、後に彼の妻となった婦人である。口述された作品は「賭博者」。二人はこうして知り合い、理解し合い、やがて愛し合うようになった。そして結婚した。一八六七年、彼が四十六歳、彼女が二十二歳の時である。
しかしこの結婚は彼に寄食していた兄嫁一家と先妻の連れ子にとっては大恐慌だったので、彼らはあらゆる策謀をめぐらしてこの結婚生活を妨害した。そこで新夫人はやむなく新居用に買った家具を抵当に入れて旅費を苦面し、二人は結婚後二か月後に狡猾《こうかつ》な親類と債権者からのがれるようにして外国への旅にのぼった。この間に前年に発表された「罪と罰」は彼の文壇的地位をはじめて揺るぎなきものとして、その文名は一躍天下に知られるに至った。
夫妻は引き続き四年間を国外で過ごし、パリ、ドレスデン、ジュネーヴと移り住んだ。この間も彼の健康はすぐれず、頭脳は錯乱し、神経は荒廃し、ロシアへの郷愁ははげしくなり、持病の発作も頻繁になった。貧困状態も相変わらずで、この中でルーレットに狂う彼をやさしくいたわりつつ、さらに「白痴」を執筆させた夫人の努力は涙ぐましいばかりだった。生まれたばかりの女児も間もなく死に、夫妻は悲嘆にくれた。「白痴」はイタリアのミラノからフィレンツェに移ったころにようやく脱稿することができた。
〔貧困とのたたかい〕 「白痴」はしかし、前の「罪と罰」ほど一般には好評でなかったので、予期したほどの収入は得られず、まだロシアヘの帰国はかなわなかった。ここに滞在中、『ザリャー』誌にトルストイの「戦争と平和」を激賞した論文が載ったので、彼は早速この作品を取り寄せて読んだ。そして創作上に強い刺激を受けた。彼は無神論を扱った大長編小説をもくろんでいたが、この腹案をもって「戦争と平和」に匹敵せしめようとした。「カラマゾフの兄弟」がすなわちそれであるが、これが実現をみたのはまだ後のことである。
文字どおり洗うがごとき赤貧の中にあっても創作に対する彼の情熱は少しも冷《さ》めなかった。「永遠の良人」や「悪霊」はいずれもこうした逆境の中で執筆されたものである。「私は一生、金のために働いた、たえず貧乏の中に暮らしてきた。しかし白状するが、私は金のために小説のテーマを構想したことは一度もなかった」とは彼自身の言葉である。
一八七一年の夏、彼はようやく金策がついたので憧れの祖国へ家族とともに帰ることができた。しかしそれは、もちろんただ帰ったというだけのことで、貧困状態は少しも変わらなかった。帰国早々、妻は男子を生んだ、債鬼の督促はふたたび激しくなり、金を返さなければ投獄するとまで脅迫された。アンナ夫人はなんとかこの苦境を切り抜けるべく思案した結果、「悪霊」を自費出版することにした。幸いにもこの計画は成功し、かなりまとまった利益が得られたので、これで少しずつ負債を返しながら、一家の生活は、ここに安定のきざしを見いだすことができるようになった。
同時にこのころからドストエフスキーは家計のやりくりには全然関与しないことにして、自分はもっぱら創作に没頭することにした。家政に巧みな夫人にこの方面を一任したことは同時に彼からむだな心労を取り除くことにもなって一挙両得となり、はなはだ有効であった。自費出版は「悪霊」からさらに旧作の「白痴」「死の家の記録」「罪と罰」「しいたげられし人々」にも及び、これらは年とともに彼の一家に収入をもたらし、晩年の十年間は、これによって物質上の心配から全く脱れることができた。長編「未成年」は、こうした恵まれた環境の所産である。
〔晩年〕 一八七六年から彼は自分の個人雑誌『作家の日記』を出しはじめ、ここには自分の書いた印象、感想、批評ばかりを載せた。この雑誌は彼の思想の集大成とも見るべきもので、死ぬまで彼はここにあらゆる問題(政治・哲学・歴史・社会等の大問題から、人種問題・婦人問題・西欧とロシアの文明の比較論・民族論・人類愛など)について自己の意見を披瀝《ひれき》してやまなかったし、また「奇人の夢」「百姓マレイ」などのような独自の好短編をも載せている。
一八七八年の夏から、ドストエフスキーは周囲の落ち着いた環境の中で、いよいよ年来の宿願たる大作にかかることにした。これは最初は「偉大な罪人の生涯」という表題にするつもりが変更されて「カラマゾフの兄弟」となったものである。この作品は一八七九年から翌年にかけて発表され、奇《く》しくも文豪の絶筆となった。
一八八○年六月には詩人プーシキンの生誕五十周年祭が催され、彼はそこでこの祖国の大詩人をたたえる有名な講演を行なった。
彼は前から気管支炎と肺気腫をわずらっていたがこの演説の翌年の一月には健康上に凶徴が現われ、二十八日の夜、死期の迫ったのを知ると夫人を呼んで福音書をとらせ、マタイ伝の一節を朗読させてそれに聴き入ってから、眠るように他界した。その死に顔は永年にわたる苦悩のヴェールがはじめて取り除かれたような美しく平穏なものであったという。
「地下生活者の手記」について
〔その意義と評価〕 これは大作の多いドストエフスキーの全著作から見れば量的にはさして注目すべきものではなく、ともすれば単なる中編として見失われがちであり、またその形式もえたいの知れない架空の人物の独白という一見、随想ふうなものに受け取られがちであるが、しかもこの小説のもつ意外に小さくない意義は、アンドレ・ジイドがこの「地下生活者の手記」を「全ドストエフスキーの作品に対する鍵である」と言っていることからも推測できようというものである。
端的に言えば、これはドストエフスキーの作家としての新しい転機を記念する輝かしい道標なのである。つまり、「死の家の記録」あたりからその片鱗《へんりん》を見せかけていた彼の、なにものにも縛られない独自な人間精神探究の意欲がこの「地下生活者の手記」(文字どおりには「地下室の手記」)に至って作者自身によってはっきりと意識され、強化され、それが以後、この作が序曲をなすといわれている次の「罪と罰」をはじめ多くの作品の中でますますその色を濃くしていっている、という意味である。言葉をかえて言えば、この作品を契機としてドストエフスキーというヒューマニスチックな作家は、さらに人間の内的世界を執拗《しつよう》なまでに克明に掘り下げる思想作家というレッテルを冠せられることになるのであって、かのニーチェがこの作を特に高く評価したといわれる理由もそこにあるものと思われる。
〔饒舌の意味〕 いったい、ドストエフスキーはみずから語る時にははなはだしく訥弁《とつべん》であるが、ひとたび作中人物を媒介としておのれの思想を語る段になると恐ろしく雄弁になる。すなわち、彼は作中人物に生命を与えながらそこにおのれを見いだす天才であるといわれているが、すこぶる独創性の強いこの小説の主人公もこの定説を裏書きするように異常なまでに饒舌《じょうぜつ》である。もちろんみずから地下生活者と名のるこの人物もその手記も共に架空のものであると作者が断わっていることは冒頭に見られるとおりであるが、独白《モノローグ》の中に示されている主人公は、透徹した理性とか論理とかの支配する世界に安住することに反発を感じて、もっと下の方におのれ自身の思想を探求しようとする男である。科学と近代哲学とが完成した合理的宇宙――それを彼は水晶宮と呼び、その画一性にあきたらずに、水晶宮より地下室へもぐって、ここに独自の自由な生き方を求めようとする。が、この地下生活者もけっして自然律にそむくことはできない。それは当人がなによりいちばんよく承知している。けれども彼は絶望のうちにもなおこの壁をこわそうとし、そこに快楽さえ認める。そしてこの快楽を理解しない者を俗物と称して潮笑する。合理主義的な観点からすればこれは矛盾というよりはむしろ無謀である。だが読者はこれが実は矛盾でも無謀でもなく、かえって人間の本性に根ざした必然であることを理解しなければならないのであって、主人公の饒舌も実はその解明にこそささげられているのである。
〔性善説への懐疑〕 ドストエフスキーがはたしていつのころからルソーの性善説に懐疑を抱きはじめていたかは、今これを明らかにすることはできないけれども、少なくとも前にのべた外遊中にすでにそのきざしが現われていたことはそのおりの旅行記たる「冬に記す夏の印象」の中にも明らかである。
ルソーの思想はいまさら縷説《るせつ》の要もないほど有名であるが、便宜的にかいつまんで言えば、自然はもともと人間を善なるものとして造ったのであるから、人間は当然、自由に、幸福に生きられるはずである。が、それができないのは社会の罪で、人間が社会を構成し、理知をもって生活指導の根本としたために所有欲や利害心が起こり、貧富・不平等が生まれ、ここに人間の失楽状態を見るに至ったのである。したがって人間が本然の姿にもどること、すなわち彼の言葉によれば「自然に還る」ことこそは人間が自由・幸福を取りもどす上に最も必要なことである、というのである。
以前、ドストエフスキーはこのルソーの性善説に共鳴し、彼のヒューマニズムもだいたいこの線に沿っていたものと見られるのであるが、いまや「地下生活者の手記」では彼はもはやこのフランス思想家の言う自然のままの人間というものに今までほどの価値を認めてはいないのである。その端的な例は、第一章の中に見られる L'homme de la nature et de la verite(自然と真実の人)という言葉である。前にあげた「冬に記す夏の印象」によればこれは彼がパリのパンテオンで教会納骨堂を見物した際、案内人がルソーの墓をさして説明した言葉であるが、読者はおそらくそれがここではおめでたい俗物の響きをもって用いられているのに気づかれるであろう。
〔非合理主義の宣言〕 では、作者がここでこの自然のままの人間に対立させているものは何かというと、それは意識をもつ、それも強烈な意識をもつ人間なのである。そしてみずから鼠《ねずみ》と自嘲するこの意識人は純粋思惟の産物たる狭い世界よりもはるかに自由に開けた宇宙を求める気持ちから、人間を「二二が四」の断片としか見ぬ生活実証に対して断固として抗議している。ベルジャーエフの言葉をかりれば「精神の客体化」に対して抗議している。非合理主義あるいは不条理の宣言と言ってもいいかもしれない。
しかし、この抗議はけっして二二が四の真理を否定することを目的としているのではなくて、世の合理主義者たちが二二が四の通用しない領域にまでこれを通用させようとがんばっていることに対する憤懣《ふんまん》なのである。換言すれば、人間が人間らしく生きるためには、対数表に示されていない世界――人間の意欲がその中核となっている世界――をも認めなければならぬ、というのである。
もとよりドストエフスキーはけっして科学や哲学を否定したり攻撃したりしているのではなく、したがって彼が水晶宮と呼ぶところの、科学と近代哲学とが完成した合理的宇宙なるものの価値や意義も十分に認めているのであるが、ここにあえてこのような抗議を持ち出した裏には、その合理的宇宙に心酔の結果、あまりにもみじめにその奴隷化した人間の姿に対してこれを嘲《あざけ》り悲しむ心が宿っていたことを見落としてはならないであろう(この小説の第一部が前年に発表されたチュルヌイシェフスキーの社会主義小説「何をなすべきか」への反駁《はんぱく》として書かれたことは周知のとおりである)。と同時に第二部でこの主人公が「たとえ世界が減びたとて、おれが一杯のお茶に不足しなければいい」と極端なエゴイズムを吐露しながらも、最後にはやはり熾烈《しれつ》な意識によって「安価な幸福か、崇高な苦悩か」のきびしい対決にみずからを苦しめている姿にも眼をとめねばなるまい。作者は前にも述べたように、強烈な意識を前提として、合理主義に対して非合理主義を宣言はしているものの、しかも半面、これによって壁をこわしうるという自信はまだもっていないのである。否、むしろ不条理の敗北をさえ認めているかのようである。しかしそれにもかかわらず、彼はこの問題をここであきらめきってしまわずに、さらに次の大作「罪と罰」のラスコーリニコフの心理のうちにふたたびこれを具現化し、発展せしめているのである。(訳者)