TITLE : ドイル傑作集 海賊編
ドイル傑作集 海賊編
コナン・ドイル 延原 謙 訳
目 次
シャーキイ船長(Captain Sharkey.)
シャーキイ船長との勝負(The Deadlings of Captain Sharkey.)
シャーキイの災難(The Blighting of Sharkey.)
シャーキイはどのように殺されたか(How Copley Banks Slew Captain Sharkey.)
「いだてんのサル」号(The"Slapping Sal.")
陸の海賊(A Pirate of the Land)
解 説
シャーキイ船長
セント・キット島長官が本国へ帰還するときの奇談
スペインの王位継承戦争がユークレクト条約(一七一四年オランダのこの都市で結ばれた―訳者)でようやく終末をつげると、各国に雇われていた多くの奪略私船の船員たちは職を失なってしまった。多くのものはあまり金にはならないが、そんなに物騒でない普通の職業をみつけたり、あるいは漁船に乗りくんだりしたが、なかには無鉄砲な連中もいて、後《こう》檣《しよう》に例の海賊旗(黒地の方形で頭がい骨と二本の大たい骨を白くあらわしたもの―訳者)をかかげ、中央マストには深紅の旗をかかげて、全人類にむかって手前勝手な戦いをいどむ連中も少しはあった。
いろんな国から募集されたこの雑多な連中は、各地の海上をあさり回り、船が故障でもおこすと、どこかの寂しい入り江にかくれて修理をしたり、ときには辺ぴな港に上陸して、それこそは町の人びとがたまげるほどに豪勢な遊びにふけり、また乱暴の限りをつくすのであった。
コロマンデル沿岸(インドの東南海岸―訳者)やマダガスカル島(アフリカの東南岸沖にある島、フランス領―訳者)、あるいはアフリカ大陸の沿岸、ことに西インド諸島やアメリカ大陸の沿岸は、たえず海賊どもに襲われて危険だった。彼らはじつにふてぶてしくも、季節の変り目に湯治気分で略奪をやったのであって、夏には北米のニューイングランド(アメリカのニューヨーク州の北部の地方―訳者)方面を荒しまわり、冬ともなれば南下して熱帯地方の島々を駆けめぐるという有様であった。
さらに困ったことにこれらのやからには、その先輩ともいうべきバカニアたち(一七、八世紀に西インド諸島を荒した海賊のこと―訳者)の持っていたような、恐ろしくはあるが尊敬もできるあの規律も自制心もまるでないのである。こうした海のイシュマエル(アブラハムが妻の侍女に生ませた子、聖書創世記―訳者)たちは人を人とも思わず、その時の気分しだいでは捕えた者どもをまるで酔いどれの気まぐれさで扱うのであった。いまおそろしく寛大であるかと思うと、つぎには想像もできないほど残虐になるのであり、たとえば彼らに襲われた船の船長は、見ていられないほどのドンチャン騒ぎにつきあわされただけで、船荷もろとも無事解放されることもあるし、そうかと思うと船上で食卓に坐《すわ》らされて、目の前の塩やこしょうを自分の鼻や口で皆にサーヴィスする役をやらされたりもすることがある。だからそのころのカリブ海(南北アメリカの中間東方の海―訳者)を往来する船に乗りくむには、からだがよほどしっかりしていなければならなかった。
モーニング・スター号の船長ジョン・スカロウはそうした人物であったが、それでもセント・キット島(西インド諸島のうちイギリス領である―訳者)の首都バスタの大砲のとどく所にいかりをおろして停泊したときには、ほっと長い安心のため息をもらしたものである。このセント・キット島が最後の寄港地であって、あすの朝はもうへさきをなつかしのイギリスへまっすぐに向けるはずなのである。海賊の暴れる海はもうたくさんだ。南米大陸のマラカイボ港(北部のヴェネズエラ国の港―訳者)を出てからというもの、何しろ砂糖ととうがらしをうんとこさ積んでいるので、熱帯の海の紫いろした水平線にちらりとでも高帆の見えるごとに、思わず肝を冷やしたものだった。そしてアンティル列島をここかしこに寄港しながらここまでやってくる間も、恐ろしい悪事と暴行の話をさんざ聞かされてきたのだ。
シャーキイ船長の率いる三檣《しよう》帆の海賊船「幸福便」号は二十門の大砲を据えていて、沿岸をずっと荒しまわっており、いたるところで船荷を奪い人を殺していた。その狂暴な乱行や容赦のない残忍さが、いくつもの恐ろしい話となって伝わっていた。バハマ(西インド諸島中北米に近い列島でイギリス領―訳者)から南米大陸まで、この妙な名のまっ黒な帆船は死を、そして死よりも恐ろしいいろんなものを積んで航行していた。船は新しく全装したばかりだし高価な積荷を満載してもいるから、スカロウ船長はすっかり心配になって、普通の商業航路からははずれてずっと西のほう、バード島あたりまで遠まわりしていた。それにも拘らず、こんな寂しい海上でもシャーキイ船長の恐ろしい影をまったく振りはらうわけにはゆかなかった。
ある朝一そうのボートの海上に漂っているのを見つけた。乗っているのは半狂乱になった水夫が一人だけで、本船へ助けあげてやると、まっ黒くしわだらけに乾あがったまるでキノコみたいな舌をだして、しゃがれ声で一同にわめきたてた。水をあたえ何かと面倒をみてやると、たちまちにして船内でももっとも強い、きびきびした船員になった。ニューイングランドのマーブルヘッドの男で、海賊シャーキイに襲われた三本マストの帆船の唯一の生きのこりだった。
ハイラム・エヴァスンというのがこの男の名だったが、熱帯の太陽の下を彼は一週間も漂流していたのだ。シャーキイは殺した船長の切りきざんだ肉を、「ながい船旅の食糧」だといってボートへ投げこませたが、エヴァスンはすぐにそれを海中深く投げこんでしまった。それというのもあとでひもじくなったら、そんな肉にも手をだしかねないと恐れたからである。彼は何も食べず、大きなからだ一つを資本に生きのびてきたが、ついに死の一歩手前の半狂乱におちたところで、幸いにもモーニング・スターに救いあげられたのであった。この男はスカロウ船長にとって拾いものであった。それというのが船員の手が足りないでいたところへ、こんな大柄のニューイングランド人が加わったのだから、もっけの幸いというわけだ。スカロウ船長は、海賊シャーキイからもらいものをしたのはこの世で自分だけだろうと得意であった。
いまやバスタの大砲の保護のもとに停泊しているのだから、海賊の心配はまったくないわけだが、それでもこうやって税関桟橋から特使ボートの出てくるのを見ると、船長の胸中にはやはりあの海賊のことが重くのしかかってくるのであった。
「モーガン君、ひとつ賭《か》けをせんかね?」とスカロウ船長は一等航海士にいった。「あの税関役人ははじめの百語ものをいうあいだに、きっとシャーキイの名を口にするね。」
「いいですね、船長。じゃあ一ドル賭《か》けましょう。」とブリストル(イギリス西南部の商港―訳者)生まれの荒っぽい男が答えた。
黒人のこぎ手がボートを船につけると、麻服を着た舵《だ》手《しゆ》が勢いよくラダをあがってきた。
「よく来ましたな、スカロウ船長! シャーキイのことを聞きましたか?」
船長は航海士のほうを見てにやりとして、
「またどんな悪事をしでかしたのかね?」
「悪事ですって! じゃまだお聞きでないのですね! いいですか、いまやつはこのバスタの牢《ろう》にちゃんと納まっていますよ。先週の水曜日に裁判がありましてね、あすの朝は首をくくられることになっていますよ。」
船長と航海士は声をあげて喜んだ。するとそれがたちまち乗組員一同にも伝染していった。規則も何もあったものではなく、みなは後甲板の職場から駆けあがってきた。例のニューイングランド人は清教徒《ピユーリタン》だけあって一同の先頭にたち、喜色あふれる顔を空に向けてまっさきにたってやってきた。
「シャーキイが絞首刑になるって! どうです、お役人さん、首つり役のなり手はあるんですかい?」
「さがっていろ!」このうれしいニュースにもなお規律を忘れぬ航海士がどなりつけた。「船長、あの一ドルは払いますよ。賭《か》けの金をこんなよい気持で払うのは初めてですよ。であの悪党はどうやってつかまえたんです?」
「それがですね、やつは部下の連中にすっかりきらわれちまいましてね。どうにもひとつ船にはいられない、もう我慢がならないということになっちまったんですよ。それでよってたかってやつをミステリオサ洲《す》の南にあるリトル・マングルズに島流しにしちまったんです。それをポートベロの商人に見つけられましてね、連れてこられたわけですよ。はじめはジャメイカ(キューバ南方の島、英領―訳者)へ送って正式裁判にかけるという話もあったんですが、われらの長官チャールズ・エワンが許しませんや。『やつはわしの獲物じゃ。わしがよいように料理する。』ってね。あすの朝十時までここにおいでなら、首くくりの光景が見られるってわけですよ。」
「見たいもんだがねえ。」と船長は残念そうに、「しかしだいぶ遅れとるでなあ。今夜の潮で出帆しなけりゃなるまい。」
「それは困りますよ。」役人は断固として、「長官はこの船でお帰りのはずですからね。」
「長官が!」
「そうですよ。本国政府から至急帰国するようにと緊急命令が来ていましてね。その使者を乗せてきた平底快速船はヴァージニア(アメリカ東部の州名―訳者)へいっちまったのです。それでサ・チャールズは便船を待ちあぐねておいででしたから、私から雨期まえの船としては、このモーニング・スターがありますと申しあげておいたのです。」
「そいつはどうも!」と船長はややとまどった様子で、「わしは礼儀知らずのただの船乗りでね、長官だの貴族だのって、どんな応対をしたらよいのか、さっぱり分からん。そんな人たちにはついぞ口をきいたこともないのでね。しかしまあジョージ王さまのご用のことだし、ロンドンまでモーニング・スターへ乗りつぐということであってみれば、できるだけのことはやってみよう。船室はわしのを使ってもらっていいし、料理のほうは一週間のうち六日は肉ぞうすいか、ごった煮だが、口にあわぬということなら、自分のコックをつれて来なすっても、ちっとも構わんがね。」
「スカロウ船長、そこまで気を使わないでも大丈夫ですよ。サ・チャールズはいま健康がすぐれなくって、四日熱からやっと起きあがったばかりですから、航海中も船室からはあまり出られないでしょう。ラルース先生のお話では、このシャーキイの絞首刑があるからよいようなものの、そうでなかったらあぶなかったんだと言いますよ。それでも気の強い人のことですから、言葉つきなんかいくらか荒っぽいところがあっても、気になすっちゃいけませんよ。」
「いや、何を言おうと、何をなさろうと、こっちが船を操縦しているのを邪魔さえしてもらわなければ、ちっとも構わん。あの人がセント・キット島の長官なら、このわたしはモーニング・スターの長官だからな。それでこの船へ乗るときまったら、あと一番の潮で出港したいな。何しろそれが雇い主にたいする義務だからな、長官がジョージ王に責任があるのと同じにな。」
「しかし長官は、今夜じゅうに用意はおできになれませんよ。何しろ立つまえにしなければならないことが、いろいろとおありですからね。」
「では夜あけの潮では?」
「それならけっこうです。今夜のうちに私がお荷物をはこんでおきましょう。そして長官はあとから乗船なさればよいわけですが、ただあのかたがシャーキイの首つり踊りを見ないで乗船なさるのをご承諾であればですがねえ。大至急というご命令でしたから、案外お早く、すぐにもご乗船なさるかも知れません。それにラルース先生もおつきそいになりそうです。」
二人きりになると船長と航海士の二人は、この有名な乗客を迎えるため、できるだけの準備をはじめた。一番大きな船室がそのためしつらえられ、大洋がよいの商船の単調な食卓をなぐさめるため、いくつかのくだものの樽《たる》や酒びんの箱を運びこむように命令がくだされた。夜になると長官の荷物がはこびこまれてきた――蟻《あり》よけに鉄をはったいくつかの箱、公用のブリキ巻きのトランク、そのほか妙な形をした荷物がいくつかあり、それらは正装用の三角帽やサーベルがはいっているらしかった。べつに大きな赤い封ろうの上に紋章いりの封印をほどこした手紙が一通ついており、それにはスカロウ船長の好意に感謝するとともに、公務の許すかぎり、また病弱の身の可能なかぎり早朝に乗船する旨したためてあった。
その言葉はちゃんと守られ、夜あけの暗い空がしだいに赤らむころには、ボートが船に横づけされ、長官はかろうじてはしごを登ってきた。長官が変った人物であるとは船長もかねてから聞いていたのであるが、いま後《こう》甲《かん》板《ぱん》をびっこ引きひき、太い竹のステッキにすがって、弱よわしく妙なかっこうでやって来るのを見ては、意外な感に打たれたのである。そのころ流行したラミリというかつらをかぶっており、まるでプードル犬のようにちりちりした毛がいっぱいたれさがっていて、鼻のさきに緑いろの眼がねをかけているのだが、それがまるで毛のさきにぶらさがっているように見えた。長くて細く、鳥の口ばしのような鼻は、顔の前の空気を切るかのようだ。おこりのためだろうが、のどからあごにかけて大きな三角布をまきつけて、ダマスク織りのだぶついた化粧ガウンを着こんで、腰のあたりをひもで締めている。前へ出るにはその偉そうな鼻を空たかくあげ、まるで半盲の人のように頭を左右にゆっくり振って、気短かに声たかく船長に呼びかけた。
「わしの荷物はついたかね?」
「はい、サ・チャールズ。」
「ブドウ酒は積みこんだか?」
「五箱積むように命じておきました。」
「タバコは?」
「トリニダッド・タバコを一たる積んでおります。」
「あんたはピケット(二人で行なうカードのゲーム―訳者)をやるかね?」
「まずひと通りは致します。」
「ではいかりを揚げて、すぐに出帆じゃ。」
さわやかな西よりの風があったから、太陽が朝もやをとおして輝きだしたころには、島からは帆柱だけで船体は見えぬところまで進んでいた。よぼよぼの長官は後甲板を、片手で手すりを押さえながら、まだびっこ引きひき歩いている。
「船長、あんたはいま政府のため働いているんじゃよ。政府の連中はわしの帰るのを首を長うして待っとるんじゃよ。船には積むものはすっかり積んであるじゃろうな?」
「何もかも用意はできています。」
「帆をあげて出港するからには、そうあるべきじゃな。じゃがな、スカロウ船長、わしみたいな半盲の病みあがりを旅の道づれにして、気の毒じゃな。」
「どう致しまして。閣下のようなおかたのお近づきになれまして、まことに光栄のいたりで。ですけれどお眼がそれほどお悪いとは、残念なことにございますな。」
「まったくじゃよ。何しろバスタの街は白っぽくて、太陽が照りつけるもんでな。眼だまがすっかりやられてしまったよ。」
「それに四日熱でおこりをわずらわれたとか聞きましたが。」
「そうじゃよ。熱をだしてな。いやはやすっかり弱ったよ。」
「おつきの先生のために船室を一つ用意しておりますが。」
「ああ、悪いやつめが! てんから行こうとしおらんのじゃ。それというのが港の商人どもとよろしくやっとるもんでな。まあ聞かれよ。」
指環だらけの手を高くあげた。そのとき船尾のほうではるかに、大砲のとどろきが一発、低く聞こえわたった。
「島からですな!」船長はびっくりして叫んだ。「この船に戻れというのでしょうか?」
長官は声高らかに笑って、
「シャーキイとかいう海賊が、けさ縛り首になるはずなのは知っとるじゃろうね。やつの最期というときには、ドカンと号砲を一発ぶっ放すように命じておいたのじゃ。そうすれば海へ出てからでも、それと分かるでな。さて、これでシャーキイもくたばったわい。」
「シャーキイがくたばった!」船長が叫ぶと、甲板に小さく集まって、うすい紫いろに低く消えゆく島かげを見送っていた乗組員たちも、いっせいにそれに和した。
このことは大西洋を横ぎってゆこうとする船にとって、まことに縁起のよい前兆であったし、それに半病人の長官も乗組員たちの人気を博した。それというのが長官のように裁判を急がせ、即座に死刑を執行するのでなかったら、悪漢は腐敗した判官に金でもつかませて、ずらかったかも知れないからである。その日の夕食の席でサ・チャールズは、死んだ海賊の行動についていろいろ面白い話を聞かせてくれたし、なかなか人なつこいところもあって、低い階級のものたちと話をする要領も心得ているので、船長航海士間はまるでもとからの仲間のようにパイプをふかし、赤ブドウ酒を飲みかわすのだった。
「でシャーキイのやつ、裁判のときゃ、どんな様子でしたね?」船長がたずねた。
「なかなかりっぱな男じゃったよ。」長官が答えた。
「せせら笑ってばかりいる、いやあなやつだと聞いていましたがねえ。」航海士が口を出した。
「時と場合によっては、いやなやつにも見えたじゃろうよ。」長官がいった。
「ニュウ・ベドフォド生まれの捕鯨屋に聞いたんですが、やつの眼はひと目見たら忘れられないと言いますよ。」船長が言った。「ごくあわい青色でね、そのまわりの眼瞼《まぶた》が赤いのですって。そうじゃありませんでしたか、長官?」
「どうもわしは自分の眼が悪いもんでな、そいつは気がつかんじゃったよ。じゃがそういえば高級副官がそんなことをいうとったな。それに陪審員どもがまたバカで、その眼玉でぎょろりとやられると、目に見えて落ち着きをなくしたともいっていたな。いやまったくやつが死んで、みんなは安心しとるじゃろうよ。何しろあいつはあだをされたら、決して忘れんからな。もしそのなかの誰かをつかまえでもしたら、腹にわらでも詰めて、船首像のかわりに飾りでもするかも知れんでな。」
自分で言っときながら、この考えかたは面白かったとみえ、長官は急に大きな声で、まるで馬がいななくように笑いだしたので、二人の船乗りもつられて笑ったが、ほんとに心から笑ったわけではなかった。というのはこのイギリス西方の海上を荒している海賊は決してシャーキイばかりではなく、似たような気味の悪い目にいつあうことかと思うからである。べつのびんが愉快な船路を祝って開けられたが、長官は平気でぐいぐい飲みほすばかり、ついに乗組員のほうが音《ね》をあげて、一人は当直に一人は寝だなへとよろめきながら出てゆく始末であった。だが航海士は四時間の当直をすませて戻ってみると、ちぢれ毛のラミリかつら、青めがねに化粧ガウンという姿そのままの長官が、相かわらず一人ゆう然とテーブルの前に坐《すわ》り、パイプ片手に六本もあきびんを傍にならべているではないか。
「わしはセント・キット島の長官の病気のとき、いっしょに酒を飲んだことがあるが、あの調子じゃあの人の元気なときなんか、とてもいっしょに飲めたもんじゃないな。」
モーニング・スター号の航海は幸運にめぐまれていて、三週間ばかりでイギリス海峡の入口にさしかかった。航海の第一日からして、病弱なはずの長官は健康をとり戻しはじめ、大西洋を半分も渡らぬうちに、両眼をのぞけばみなと同じくらい元気にみえるようになった。何しろ長官は、航海に出た最初の晩の飲みっぷりを、その後ひと晩だって欠かしたことがなかったのだから、ふだんからブドウ酒はからだによいと主張していた連中は、それみろどうだと得意げな顔をすることだろう。それでいて朝になると早くから、乗組員のなかでも元気な連中に劣らず気分よさそうな顔つきで甲板に現われ、弱った目であちこちしみじみ見てまわったり、帆や索具のことをたずね歩く。なんでも船の動かしかたなど、海上のことを知りたいのだという。そして目の悪いことを口実に船長の許可を得てあのニューイングランドの海員――ボートで漂流していたのを助けあげたエヴァスンという男だが――を案内役に使い、わけてもトランプのばくちをする時などは、となりに坐らせて点数をかぞえさせるのであった。それでなければ長官はキングとジャックの区別もつかなかったからである。
このエヴァスンが長官に忠誠をつくすのも自然であった。一方は悪人シャーキイの犠牲者であり、片方はその復讐者《ふくしゆうしや》なのだからである。この大柄のアメリカ人が病弱な長官に喜んで手を貸すのは誰《だれ》の目にもみてとれたし、夜ともなればきまって船室で長官のいすのうしろに立ち、太くて短い人さし指でどのカードを切るべきかを指定するのであった。リザード岬《みさき》(イギリス南西部にあり―訳者)の見えだすころにはスカロウ船長も一等航海士のモーガンも、ポケットのなかが心細くなっていた。
それにサ・チャールズ・エワンは気短かだとは聞いていたが、じっさいは聞きしにまさる気短かさなのが久しからずして分かってきた。さからう様子でも見せるか、口ごたえのひと言でもすると、あごがえり巻からぐいととび出し、偉そうな鼻はいよいよ尊大にうわ向き、竹のステッキが肩のあたりでうなりを生ずるのであった。いつか船の木工が甲板でうっかりしていて長官にぶつかったとき、このステッキが木工の頭に振りおろされたことがある。それからまたある時、船で出る食事が悪いと不平不満の起こったにつき長官はまっさきに意見を述べて、手をつかねてやつらの立ちあがるのを待っていることはない、進んでやつらの非行を懲らしてやるがよいといったものだ。
「バケツとナイフを一つ出してくれ!」長官はいまいましそうに叫び、水夫の代表者と一人ででも話をつけに出てゆきかねない様子を示した。
スカロウ船長はそこで長官に、セント・キット島では長官一人の手で始末のつくことも、公海上で行なえば殺人罪にもなり得ることを得心させたのであった。政治上は役人としてその位置が示すようにがん強なハノヴァ王家(ジョージ一世からヴィクトリア女王までのイギリス王室―訳者)の支持者で、酔うとジャコバイト(ジェームズ二世派の党―訳者)なんか、その場を去らせず射殺してやると放言する。こうしたから威張りや粗暴さはあっても、船旅の相手としては気がおけないし、おもしろい話や思い出をかぎりなく話してくれるので、スカロウ船長もモーガン航海士も船旅がこんな愉快なことはないくらいであった。
そこへやがて最後の日がきて、島をすぎるとビーチ・ヘッド(イギリス・サセクス州の岬、白堊質の高いがけ―訳者)の白いがけの下へとたどりついた。夕暮れのせまるころ、船は油のように静かな海面に停泊した。そこはウインチェルシ(サセクス州の港で当時は栄えた―訳者)の沖一リーグ(三マイルすなわち四・八キロ―訳者)のところで、すぐ眼さきにはダンジネス(ドーヴァ海峡に突き出た岬、灯台がある―訳者)の長くて黒い鼻がぬっと突きだしていた。朝になったらフォアランドで水先案内人を雇おう。そうすれば夕刻までにはチャールズ卿もウエストミンスタで総理大臣に会えるというつもりだった。当直には水夫長をあて、三人の仲間は最後の一勝負をするため船室に集まった。忠実なアメリカ人がやはり長官の眼の代りをつとめた。テーブルには大きなかけ金がのっていた。それというのも船長や航海士は今まで負けた分を、この最後のひと晩で取りかえそうという腹だからである。ところがお客さんはだしぬけに手の内のカードを投げだし、テーブルの金をかき集めて、ぺらぺらの長い絹チョッキのポケットへねじこんでしまった。
「勝負はわしのものじゃ。」
「まあ、チャールズ卿、そう急がんで下さい。」とスカロウ船長がおしとめた。「手札がまだ残っています。私どもの負けときまったわけじゃありません。」
「うそつきは引っこんでろ!」長官はどなりかえした。「手札はみんな打った。お前たちは負けたのじゃ。」そう言いながらかつらも眼がねも払いのけたので、広くはげあがった額とブルテリア犬のようなふちの赤い、ずるそうな青い眼が現われた。
「や、や、これは!」航海士が叫んだ。「シャーキイだ!」
二人の船乗りはいすから飛びあがった。しかし大きなアメリカ人の漂流者がドアを背に立ちはだかり、両手にピストルをかまえた。船客もまた同じように、前にちらかるカードのうえにピストルを一つおくと、馬のいななくような声をあげて笑い、
「なるほどわしはシャーキイ船長だ。そしてこっちが大声のネッド・ガロウエイといってな、『幸福便』号の操舵《だ》員なのさ。わしらはちとやりすぎたんでな、それでやつらに無人島に捨てられたのさ――わしは真水のないトートューガさんご礁(エクアドル西北の沖合太平洋にあり―訳者)へ、こっちの男はオールのないボートへな。おまえらくだらないやつども――お粗末で甘ちょろいお人よしども――はこのピストルにあっちゃ手も足も出めえ。」
「撃つなら撃ってみろ! 撃てやしなかろう!」スカロウ船長は厚地の粗ラシャの胸をポンとたたいた。「どうせ死ぬならはっきり言っとくがな、シャーキイ、きさまのような残忍非道のやつはないぞ! きさまには絞首索と地獄の火が待っているんだからな!」
「あっぱれな度胸だ。わしの仲間に入れてやってもいいくらいだな。この調子では死にかたもあっぱれじゃろう。この後甲板には舵輪につかまる男のほか誰もいはしないから、そんなに大声をあげるのは止したがよかろう。いまに声のいるときがくる。ネッド、後甲板にはボートがあるか?」
「へえ、ごぜえやす。」
「それでほかのボートには底に孔をあけたか?」
「どれにも三つずつあけておきました。」
「それではスカロウ船長、これで置いてゆくからな。どうすればよいのか分からないようじゃな、何かきいておきたいことでもあるのかい?」
「きさまは悪魔のようなやつだ。それでセント・キット島の長官はどこにいるんだ?」
「わしが最後に見たときは、のどを切られて寝床にのびていたよ。わしが牢《ろう》を破ったとき友だちから聞いたのだが――というのはシャーキイ船長はどこの港にも仲のよい友だちを持っているからだが――長官は顔なじみのない船長の船で本国へ帰るはずだという。そこでわしはヴェランダから忍びこんで、ちょっとした借りを返してきたまでよ。それからこうしてこの船へ乗りこんできたわけだが、それには長官らしい身なりを整える必要があったし、わけてもあの有名な目だまを隠すため青眼がねをかけて、長官らしく威張りかえる必要もあった。さあネッド、やつらを片づけてしまえ。」
「助けてくれえい! オーイ、当直。当直はいないか?」航海士が悲鳴をあげた。しかし海賊のピストルの台じりがその頭上に打ちおろされ、彼は背骨を折られた牛のように事きれてうち倒れた。スカロウはいきなりドアへ走りよったが、番人に手で口をふさがれ、もう一つの手で腰を抱きとめられた。
「むだなことはよせ、スカロウ親方。」シャーキイは平然として、「さあ、ひざをついて命ごいをしてみせろ!」
「しゃれたまねをすると……」スカロウ船長は口を押えられた手を振りほどきながらいった。
「ネッド、やつの腕をねじあげろ。さあ、命ごいをするかどうだ?」
「いやだ。腕がねじ切られてもするものか。」
「ナイフを一インチばかり打ちこんでやれ。」
「六インチ突きさしたっていやだ。」
「うむ、なかなかの度胸じゃ! ネッドはナイフをポケットにおさめろ! スカロウ、お前は命びろいをしたぞ。ふむ、こんなにしっかりした男が、りっぱにやってゆける唯一の職業につかんとは、いかにも残念じゃ。おいスカロウ、お前はなかなかよい星のもとに生まれたな。いったんはわたしの手中に陥って、煮て食おうとたたき殺そうと自由だったのに、このまま生きのびてこれから一生この話をして暮らせるというものだからな。おいネッド、やつを縛りあげろ。」
「ストーヴへですかい?」
「ばか、ストーヴには火がある。命令もされないのに、海賊のあの手を使うことはならん。それともお前が船長でわしが操舵手だとでもいうのかい? そうじゃない。テーブルにしっかり縛りつけるのじゃ。」
「なあんだ、あっしゃやつを焼き殺すのかと思いましたぜ!」操舵《だ》手がいった。「まさか逃がしてやるつもりじゃないでしょう?」
「もしもお前とわしがバハマさんご礁へ流されたとしても、ネッド・ガロウエイよ、命令するのはやっぱりこのわしで、それに従うのはお前のほうじゃからな。悪人なら悪人らしくしろ。わしの命令に口ごたえする気か?」
「まあま、シャーキイ船長、そう怒らんで下さいよ。」と操舵手はいい、スカロウ船長をまるで子供を扱うように抱きあげると、テーブルへのせた。それから船員らしい機敏さで、ひろげた手足をす早く縛りあげて下にまわし、セント・キット島長官のえりもとを飾るのに使った長いえり巻きでしっかりとさるぐつわをかませた。
それがすむと海賊船長は、「さてスカロウ船長、それではこれでおさらばするぞ。いまここに元気のよい手下の十二三人もいれば、この船も積荷ごとそっくりちょうだいといくところだったがな、大声ネッド一人じゃ気のきいた水夫も集められなんだ。その代りこの船にゃ小さなボートがいくはいかあるようじゃから、それを一ぱいちょうだいしてゆくことにする。シャーキイはな、ボートが一ぱい手に入れば、小型帆船を手に入れる。小型帆船が手にはいれば、つぎには二本マストの中型横帆船を手に入れる。それが手にはいれば、つぎには三本マストのバーク船、そうなったら占めたもので、すぐに完全帆装の自分の船を持ってみせる。だから早いところロンドンへ帰ったほうがよかろうな。でないとわしが戻ってきて、モーニング・スター号ももらっちまうでな。」
スカロウ船長は二人が船室を出ていったあと、かぎをかける音を聞いた。それから何とかなわ目を脱したいものともがいていると、昇降口を甲板のほうへあがってゆき、後甲板をボートのほうへゆく二人の足音が聞こえた。なおももがきくねっていると、ボートをおろすのできしる音がし、つづいてパシャリと海面をたたくのが聞こえた。気の狂ったように怒ってなわを引いたりゆるめたりしているうちに、やっとのことで手くびや足くびをすりむき傷だらけにしてテーブルからころげ落ちることができた。そして死んでいる航海士をまたぎ越え、閉じているドアをけ破ると帽子もかぶらず甲板へおどり出た。
「オーイ! ピータスン! アーミテイジ! ウイルスン!」とわめきたてた。「短剣にピストルだ! 長艇をおろせ! 船長ボートもおろせ! 海賊のシャーキイがあそこのボートにいるぞ! 甲板長、左舷《げん》の見張りに警笛を吹け。そして全員ボートに乗りくめ!」
長いボートも船長用ボートもすぐにパシャリと海面におろされた。だが艇長も乗組員もみんな、たちまち甲板へはいあがってきた。
「ボートはみんな穴があいていますよ! まるでざるに乗ったようです。」口ぐちに叫んだ。
船長はいまいましそうに悪態をついた。何から何まで打ち負かされ、だしぬかれたのだ。空には一片の雲もなく星がまたたいており、風もなく起こりそうな気配も見られなかった。遠くに漁船が一ぱい、みんなで網をたぐり寄せている。
小さなボートが一つ、ちらちらする海面をゆれ傾きながらそれに近づいてゆく。
「みんな殺されちまうぞ!」船長が叫んだ。「みんな声をそろえて、危険のせまっていることを知らせてやれ!」
だがもう手おくれだった。
まさにその瞬間、ボートはするすると漁船のかげにはいった。つづけざまにピストルが二発なりひびき、人の叫び声がきこえ、つづいてもう一発、あとは静寂。むらがっていた漁夫たちの姿は見えなくなった。それから突然、サセクス州の海岸からさっと陸軟風がくると、帆のすそを張る棒がつき出され、帆が風をはらんで、その小船は大西洋へむけて船出していった。
シャーキイ船長との勝負
船体の清掃は旧時代の海賊にとって、どうしても必要な作業だった。商船に追いつくためにも、軍艦から逃げるにしても、船脚がすぐれていなければならない。ところがこの帆走力を保つためには定期的に――少なくとも年に一回は――船底を掃《そう》除《じ》して、熱帯の海ではすぐにとりつく長い海草や固いフジツボの類を除去しなければならないのである。
この目的のためにはまず荷をおろして船脚を軽くしたうえ、どこかの狭い入り江に船を押しこんで、引き潮のとき水面から高くせりあがるようにする。そうしておいてマストにつなを結んで滑車で引き倒し、船底をあお向かせ、船首から船尾まですっかりこそげ落とすのである。
この作業を行なっているいく週間か、船はもとより無防備である。しかし他面このあいだ、船は豆がらよりも重い何ものも届きそうもないところにいるのであり、場所も人目につかぬところが選んであるので、大きな危険はないといえるのである。
船長はすっかり安心しきっているので、そういう時ですら必要な警備要員だけ船に残し、長艇でスポーツとしての探検に出かけたり、あるいは、このほうが多いのだが、辺ぴな町へ出かけてゆき、はでなだてしゃ振りを発揮して女たちの眼を見はらせたり、マーケットの四つ角で酒の大だるをぶちぬいて、いっしょに飲もうとしない者はピストルを突きつけて嚇《おど》かしたりするのである。
あるいはまたチャールストン(アメリカ南部の港。人口七万くらい―訳者)ほどの都市にさえ現われ、腰につけた武器を鳴らして町中をかっ歩したりもする――法の守られている都市の公然たる恥辱というわけである。そうした乗りこみがいつも無難にすぎるというわけではない。たとえば怒ったメイナード中尉はブラックベアード(大西洋を荒した海賊エドワード・ティーチのあだ名。一七一八年殺された―訳者)の首を切り落として、船首斜檣《しよう》に突きさしてさらしものにしたという例もある。しかしこんなのは例外であって、たいていの場合海賊どもはそこいらを暴れまわり、弱いものいじめをし、何ものからも妨害をうけることなしに自由に動きまわった末、時がくると自分の船へ帰ってゆくのである。
しかしながら文明の一端にさえあえて近づこうとせぬ海賊がひとりあった。「幸福便」号のおそるべき船長シャーキイである。これはその気むずかしい孤独な気質から来ているともいえるであろうが、ほんとうをいえば自分の名が沿岸いったいに知れわたっていて、顔を出したが最後みんながかえって必死になり、負けるのも構わず反抗してくるのを知っているからであり、それで今まで人の定住するところには一度も姿を現わさなかったのである。
船を洗うあいだ万事はネッド・ガロウエイ――あのニューイングランド生まれの操舵《だ》員である――にまかせておいて、シャーキイはボートでながく遊びに出ることがよくあった。その目的は奪略した財宝を埋めるためのこともあれば、ヒスパニョーラ(西インド諸島のうち、ハイチともいう―訳者)へ野牛を撃ちに出かけることもあるといわれ、獲物は料理し焼いてつぎの航海の食糧とせられた。野牛狩りの場合は、前もって示しあわせた地点へ船を回してきて、船長や獲物を乗せるのである。
島の人たちはこういう時にこそシャーキイを捕えられるかも知れないと、ねらっていたのであるが、そのうちついに、どうやら機会が来たらしいという知らせが、キングストン(ジャメイカ島の都市―訳者)へもたらされたのである。知らせてきたのは初老の木こりで、海賊につかまっていたのだが、酔いどれの気まぐれな慈悲心から、鼻をそぎ落とされ、棒でなぐられただけで帰されてきたのだった。話は最新のものだし、何よりもはっきりしていた。そのとき「幸福便」号はヒスパニョーラ島の南西トーベック湾で船体を清掃中であった。シャーキイは四人の手下をつれてラ・ヴァシュの離れ島へ海賊を働きに行っている。百人もの殺された船員の血が復しゅうを求めて叫んできたが、今やその叫び声の報いられる時がきたらしい。
鼻たかくて赤ら顔の長官サ・エドワード・コンプトンは防衛司令官と諮問会の議長との三人で秘密会議をもったが、この機会をどう利用すべきかすっかり途方にくれていた。ジェームズタウンからこっちには軍艦はないし、それも間のぬけた古い平底船で、海賊船に追いつくこともできなければ、浅い入り江ではそばへ近づくこともできないのだ。キングストンとポート・ロイヤル(南カロライナ州の同名の島にある港町―訳者)には要さいと砲兵隊があるけれど、遠征隊の兵力なぞ出してくれるわけもない。
今や民間の冒険隊をもって当るしかなかった――それにシャーキイにたいして積もる恨みを抱くものはたくさんあった――といって民間の冒険隊なぞに何が期待できようか? 海賊どもは数が多いし、死物狂いでもある。そのなかでもシャーキイと四人の手下を捕えるくらいは、もとより見つけだしさえできたら至って簡単であるが、ラ・ヴァシュ島のように広大な森や深いジャングルのある島では、どうやったら彼らを見つけられようか? この問題に解決を与えるものには賞金が提供された。するとじつに奇妙な計画を立案した男が現われ、しかも自分でそれを実行するというのである。
スティヴン・クラドックはまことに恐るべき人物で、道をはきちがえた清教徒といった男であった。セーレムの上品な家庭の生まれであるが、彼の悪行はその宗教のきびしさへの反発から来たものらしく、行ないの正しい祖先がくれた強いからだと精力をすっかり悪いほうへそそいでいるといった人物であった。策に富み恐れを知らず、目的の達成には粘り強いから、まだ若いころからアメリカ沿岸いったいにわたってその名をとどろかせたものだった。
このクラドックこそはセミノール族(アメリカ・インデアンの一族―訳者)のしゅう長を殺して死罪に問われた人物であり、幸いのがれはしたが、それは証人に贈賄したり裁判官にわいろを使ったりした結果であるのは広く知られている。
その後どれい商人として、またこれは確かではないが海賊としてもベニン(西アフリカ、ギニア湾の一部―訳者)の入り江に悪名を残したものである。そしてついに少なからぬ資産をもってジャメイカ島へ帰り、地味な浪費生活にはいったのである。この不気味にはげしく物騒な男が、いまやシャーキイを捕える計画をもって長官の前に立っているのだ。
サ・エドワードはさしたる熱もなく彼を迎えた。それというのが転向し改心したといううわさにもかかわらず、やはりこの人物を病める羊とみて、いつ少数の仲間全体を汚染さすか分からないと考えたからである。クラドックは長官の形式ばって控えめな丁寧さのなかに疑惑のひそんでいるのを見てとった。
「私を恐れることは少しもありませんよ。あなたのお聞きのような人間じゃもうありません。長いあいだ見失っていた光を、このごろになってやっと見いだしたのです。これというのも仲間であるジョン・サイモンズ師のおかげでしてね。もしあなたも魂のよみがえりをお求めなら、あのかたのお説教をお聞きになると、生きかえったような気持におなりですよ。」
長官は監督教会派風の鼻をつんとうごめかして、「クラドックさん、たしかあんたはシャーキイの話でおいでだったはずだな。」
「そのシャーキイこそ、神罰をこうむるべきものです。あいつの悪の角笛はずいぶんながいこと吹きならされてきました。ここであいつをやっつけ、打ちほろぼせたら、これは善行であって、私の過去のいくつかの罪も少しはつぐなわれるとまあ思いついたわけです。」
長官はひどく興味をそそられた。それというのも相手のそばかすだらけの顔にはすご味と真剣さがあり、ほん気であるのがはっきりと読みとれたからである。何といってもこの男は船乗りであり闘士でもあるのだが、それが過去の罪をつぐないたいというのがほんとうであるなら、この問題にこれ以上適当な人物はまず見あたるまいからである。
「クラドックさん、これは危険な仕事ですぞ。」
「もしそのために命を落としたとしても、昔のあやまった生活のつぐないになるだけですよ。つぐなう事なら山とある身ですからな。」
長官はこれといって反対するような点もないがままに、「でその計画というのは?」とただした。
「シャーキイの船『幸福便』号が、このキングストン港から奪ったものなのはご存じでしょうな?」
「うん、あれはコドリントン氏の持ち船じゃった。それをシャーキイのやつ、自分のおそい船に孔をあけて沈めておいて、あれに乗りかえおった。あれのほうがずっと速いんでな。」
「そうです。しかしコドリントンさんが『白いばら』号という姉妹船を持っていたことは、ご存じないでしょうな。これはいまも港に停泊しておりますが、あの海賊船にそっくりで、もし白いペンキの線さえなければ、どっちがどっちとも見わけがつきません。」
「なるほど! それでどうするというのかね?」と長官は意図が少し分かりかけたといった風に、鋭くいった。
「おかげであいつを捕えることができると思うのです。」
「どうやって?」
「まず『白いばら』号の白ぺンキの線を消し、そのほかどこからどこまでも『幸福便』号とそっくりに仕立てるのです。それからあの男が野牛を殺しているラ・ヴァシュ島へ回航します。するとやつはこっちの船を見て、待っていた自分の船がきたと思いこむに違いありません。そして身の破滅とも知らずにこっちの船へ乗りこんでくるというわけです。」
単純な計画だったが、長官には効果十分の策のように思われた。ちゅうちょなくクラドックに、その計画を押し進めるよう、そのために必要とあればどんな手段でもとってよいと許可をあたえた。サ・エドワードはあまり楽観的ではなかった。何しろシャーキイを捕えようものと、あれこれ手を打ってきたが、彼はただ残忍なばかりではなく、抜け目がなかったからである。だが悪業の過去をもつこの清教徒は、シャーキイに劣らぬ残忍さと抜け目なさを持っているようだ。
シャーキイとクラドックという二人の男の知恵くらべだと思うと、スポーツ好きの長官はすっかり面白くなった。それで内心勝目はないものと思ったけれど、自分の馬や鶏に力こぶを入れるのと同じ熱をもって、クラドックの後おしをしたのである。
急ぐことが何よりも大切であった。いつ何時船の清掃作業が終って、海賊どもが海へ出てゆくか分からないからである。といってもべつだん大してやる仕事があるわけでもないし、一方何かと手助けをしようというものは多かったから、それから二日目にはもう『白いばら』号は公海上へ出ていたのである。ここの港には海賊船の外形や帆桁《げた》の形をよく知っている船員は少なくなかったが、だれ一人としてこのにせ船をほん物と見わけられるものはなかった。船側の白線はきれいに塗り消され、マストや帆桁《げた》は煙でいぶされて、海上をうろついて風雨にさらされた汚なさをみせ、前帆には大きなダイヤモンド形のつぎまであたっていた。
乗組員は志願者ばかりで、その多くは以前にクラドックと同じ船の生活を経験したものだった。航海士のジョシュア・ハードなんかはもとどれい商人で、いくつもの航海をともにした男だが、いま船長の呼びかけに応えて乗りこんできたのだ。
復しゅう船はカリブ海(南米の北、西インド諸島の南の海―訳者)を横ぎっていったが、そのつぎの当った前帆をみると、途中であった小さな船などは、いけすの中のマスのように、右に左にと逃げまどった。四日目の晩にはアバコウ岬《みさき》(フロリダの東、バハマ島にあり―訳者)の西南五マイルのところへ達した。
五日目、船はラ・ヴァシュ島のトルタス湾にいかりをおろした。ここはシャーキイが四人の手下をつれて狩りをしている所である。すっかり森におおわれており、やしや下生えが銀いろのせまい三日月がた砂地まで生えおりている。船は黒い海賊旗と三角の赤い吹きながしを掲げているが、岸からは答えの合図もなかった。クラドックは目をこらして、シャーキイの乗ったボートが岸からやってきはしないかと見つめた。だがその夜はむなしく過ぎさり、翌日の昼、そしてその夜も、わなをかけて待つ相手のかげは見えなかった。もう立ちさったのかも知れぬとも思われるのだった。
二日目の朝、クラドックはシャーキイと四人の手下がまだ島にいる形跡があるかどうか確かめようと上陸していった。ところが見たところ、確信は深くなるばかりだった。岸に近く肉を乾すのに手ごろな緑の森の切れ目があり、野焼きした野牛の肉がずらりとひもに掛けてある。海賊船はまだ食糧を積みこんでいないのだから、狩りをしている連中はまだまだ島に残っているに違いないのだ。
ではなぜ姿を現わさないのか? 来ているのが自分たちの船でないと見ぬいたがためなのか? それともまだ島の奥地で狩りをしていて、船の来ていることに気づかないのであろうか? どっちだろうかとクラドックがまだちゅうちょしているところへ、カリブ族のインデアンが情報をもたらした。海賊たちはまだ島の奥地にいるが、その露営地までは一日行程だというのだ。彼らはその土人の妻を盗んでいったが、そのときむち打たれた跡がその黒い背なかに残っていた。あの男たちの敵なら、自分にとっては味方だから、彼らのいるところへ、喜んで案内すると土人はいった。
クラドックはこんなありがたいことはないというので、翌早朝に、十分武装した少数の部下を引きつれ、カリブ土人の案内で奥地へ向けて出発した。終日彼らは深いやぶをくぐったり、岩山をよじ登ったりして、人も住まない島の奥へと入りこんでいった。そこここに狩人の通った跡を認めた。殺された牛の骨、沼地に残る足跡があり、一度なぞは夕方近くであったが、遠くで銃声を聞いたという者さえあった。
その夜は木の下ですごし、夜あけの光と共に出発した。昼ごろ、樹皮で作った小屋を見かけたが、カリブ土人はこれこそ狩人たちのキャンプだというけれど、中はひっそりとして人影もなかった。みなは狩りに出かけたものに相違なく、晩には帰ってくるに違いないと思われたので、クラドックと部下たちは近くの草やぶに潜んで待ちぶせることにした。だが誰《だれ》も帰っては来ないままに、一晩はすぎさった。これ以上はどうしようもないし、二日も留守にしたことであるから、クラドックはもう船に帰るべきだと思った。
帰り道は、来るときに眼じるしを残して来たことでもあるし、さほどの困難はなかった。夕刻まえに、やしの茂る入り江に帰ってきて、自分たちの船がもとのところにいかりをおろしているのを見た。ボートとオールは草むらに隠してあったので、それを取りだして船のほうへこぎ出した。
「するとダメだったのですね!」航海士のジョシュア・ハードが船尾甲板から青い顔をして見おろしながらいった。
「キャンプはからっぽだった。だがいまにも降りてくるかも知れんな。」クラドックはラダに手をかけながら返した。
甲板のうえで笑いだすものがあった。「みんなはボートに残っていたほうがよいかも知れませんな。」航海士がいった。
「そりゃなぜだ?」
「乗船なさってみれば分かりますがね。」航海士は妙に奥歯にもののはさまった言いかたをした。
クラドックはやつれた顔をかっと上気させて、
「何だというんだ、ハード君?」と船ばたを駆けあがりながら、「ボートの部下に君が命令するとは、こりゃどうしたもんだ?」
だが船ばたのレールに片ひざをつき、片足を甲板につけたところへ、今までこの船で見たこともないひげだらけの男が、だしぬけに彼のピストルをつかんだ。クラドックはその男の手首をつかんだが、するとそのとき航海士が彼の腰から短刀をひったくった。
「何といういたずらだ?」クラドックは恐ろしい顔つきであたりを見まわしながら、どなったが、乗員たちは甲板に小さくかたまって立っているだけで、笑ったりささやきあったりしているくせに、彼を助けに出ようとする気配は少しもなかった。あわただしく見まわしただけでクラドックの目にも、彼らの服装がひどく変っているのがうつった――長い乗馬服、すその長いビロードのガウン、ひざの下にむすんだ色リボン、船員というよりは上流社交界の紳士のようにみえた。
そんな奇妙な連中を目にすると、クラドックは夢ではないかと確かめるように、額をげんこでたたいてみた。甲板はこの船をあとにした時にくらべて、お話にならないほど汚れているように思われた。そして四方からこっちを見ている見おぼえのない陽にやけた顔がならんでいた。ジョシュア・ハードのほか一人として知った顔はない。いないあいだに船は分どられてしまったのか? とりまいている連中はシャーキイの部下であるのか? そう考えるやいなや、身をひるがえしてボートへ戻ろうとしたが、たちまち十以上の手がのびてきて、開けはなしになっている自分の船室へ押しこめられてしまった。
だがよく見ると、そこは自分の船室とはすっかり様子がちがっていた。床がちがう、天井がちがう、家具もちがっている。自分の船室なら簡素で飾りけがないはずだった。これは豪華なくせに汚ならしい。珍しいビロードのカーテンには酒のしみがついているし、腰羽目には高価な材料が使ってあるのに、ピストル弾のあとだらけだ。
テーブルのうえにはカリブ海の大きな地図があり、かたわらにはコンパス片手に、ひげをきれいにそった青い顔の男が、毛皮の帽子に赤紫いろのドンスの上衣を着て坐《すわ》っている。高くとがり天井をむいた鼻とふちの赤い眼がうす笑いを浮かべてじっとこっちを見ているので、クラドックはそばかすだらけの顔で青くなったが、相手は名優のように微動だにしない。
「シャーキイだな?」
相手はうすい口びるをほころばせて、高らかに忍び笑いをした。
「ばか者が!」と身を乗りだすようにして、手にしたコンパスでクラドックの肩をいくども刺し、「うすのろのバカ者、おれと知恵くらべでもする気でいたのかい?」
クラドックを狂ったように凶暴にしたのは、刺された痛みではなく、シャーキイの声にふくまれた侮辱であった。狂暴にわめきながら海賊へ飛びかかり、口から泡《あわ》をふいて身もだえながら打ってかかり、足でけあげた。こわれたテーブルのあいだに彼を押えつけるに六人ばかりの人手を要した。その六人は一人として囚人のいれずみのないものはなかった。それでもシャーキイは、なお、人をバカにしたような眼つきで彼を見すえるのをやめない。室外から木の折れる音や、驚いた人声ががやがやと聞こえた。
「あれはなんだ?」シャーキイがたずねた。
「ボートに穴をあけているんでさ。みんな水中へ投げだされてまさあ。」
「ほっとけ。」とシャーキイはいった。「さてクラドック、これで事情はのみこめたろうな。お前はいまわしの『幸福便』号にいるのじゃ。生かすも殺すもわしの思いのままじゃ。お前の航海士もそうしたが、証文に署名してわしの仲間に加わったらどうかね? それともお前の手下のように海へほうりこまれるか?」
「わしの船はどこにいる?」
「底に穴をあけて、入り江に沈めたさ。」
「それで船員は?」
「やっぱり入り江の底さ。」
「じゃわしも入り江にはいるよ。」
「足の筋を切って、こいつを海へほうりこめ。」
荒っぽい連中がよってたかってクラドックを甲板へ引きずりだして押し倒した。操舵《だ》手のガロウエイはもうクラドックをびっこにするための短剣を引きぬいていたが、そのときシャーキイが大変だという顔つきで船室から急いで出てきた。
「この野郎はもっといい使いみちがある! これが名案でなかったら、二度とお目にはかからんぞ! さあ、手かせ足かせをかけて、やつを帆庫ンなかへ放りこめ。それから操舵《だ》員はこっちへ来い、わしの思いついた名案というのを教えてやる。」
かくしてクラドックは、心身ともに傷だらけのままで、まっ暗な帆庫へと放りこまれたが、かせをはめられているので手も足も動かせなかったけれど、北国生まれの血は脈管を強く駆けめぐり、きびしい魂は過ぎさった自己の罪過をつぐなおうという目的にのみ向けられるのであった。終夜船底に身を伏せて、水の音木材のきしる音に耳をすませていたが、船はどうやら沖に出て疾走しているらしい。早暁に何者か船底に降り、暗いなかを帆の山を越えて忍びよるものがあった。
「ラム酒とビスケットを持ってきました。」といった声はもとの航海士であった。「クラドックさん、これを持ってくるのも命がけでしたよ。」
「おれをだまして、こんなわなにかけたのはキサマだな! キサマのしたことをこれでつぐなったつもりか?」
「そういわれるけれど、あの時はあばら骨のあいだへナイフを突きつけられていたんです。」
「神さま、おく病ものをお許しください。ジョシュア・ハードはどうやってまあ、敵の手に落ちたんだ?」
「それがすね、クラドックさん、あなたの上陸したあの日に、海賊船は清掃をすませて戻ってきたんです。こっちの船へ横づけしやがりましてね、一同甲板へならばされましたが、何しろ人手の少ないところへ、骨っ節のある連中はあなたが連れて上陸したあとですからね、防ぎようがありゃしません。その場で切り殺されたのはまだいいほうで、ほかの連中はあとでひどい殺されかたをしました。私は降参の署名をして、命だけは助かったというわけです。」
「それでわしの船は穴をあけて沈めたのか?」
「沈めちまいました。するとシャーキイの手下の連中が船にきたのですが、まえから岸のやぶの中で監視していたのが、船へ来たのです。やつらの船の大檣《しよう》の下桁《こう》はまえの航海で折れたのを、添え木で補強してあったのです。それがないのでシャーキイのやつ疑念をいだき、何もかも知ってしまったのです。それで自分がやられかけたのと同じに、わなをかけてあなたを待ったというわけです。」
クラドックはうーんとうめいた。
「うーん、添え木のあるマストにどうして気がつかなかったかな? それでこの船はどこへ行くんだ?」
「西北に進んでおります。」
「西北へ? それではジャメイカへ戻っているわけだ。」
「風は八ノットあります。」
「それでやつはわしをどうする気だか聞いたかね?」
「何も聞いておりません。あなたが証文に署名さえなされば……」
「たくさんだ! これまでもこの魂をないがしろにしてきすぎた。」
「お好きなように! 私としてはできるだけのことをしたのです。ではさようなら。」
その夜と翌日いっぱい「幸福便」号は東よりの恒《こう》風にのって走り、スティヴン・クラドックは暗い帆庫に横たわって、忍耐づよく手首の鉄輪をはずそうと苦心していた。指のふしぶしをいためたり血だらけにしながらも、片方だけはどうやらはずせた。それでももう一方は何としてもはずれなかったし、足首の鉄輪はしっかりはまったままである。
何時間もぶっ通しに水の音がしているが、船は恒風にのって走りつづけているのに違いない。そうするともう間もなくジャメイカへはいるに違いない。シャーキイの頭のなかにはどんな計画があって、彼をどのように利用するというのであろうか? クラドックは歯がみをして心にちかった。自分はかつて自から好んで悪人になりこそしたけれど、ひとから強制されて悪いことは決してしまいと。
二日目の朝、船が帆をだいぶおろして、微風を正面から受けながら稲妻形に進んでいるのに、クラドックは気がついた。帆庫があちこちへ傾くのと、甲板の物音から、船乗りのなれた感覚で、船の動きを察知したのである。短く稲妻形に動くのは、船が岸に近づいて、ある地点を目ざしているからだ。そうすると船はジャメイカに着いたのに違いない。だがここで何をしようというのだろうか?
そのときだしぬけに、甲板でどっと歓声のあがるのが聞こえ、頭上で銃声が鳴りひびいたと思うと、それに答えるようにはるか遠くで大砲のにぶい音がした。クラドックははっと身を起こして耳をすました。船は戦闘態勢にはいったのだろうか? こちらの銃声は一発だけだったし、向こうからはいくつもひびくが、弾の命中したような気配はまるでなかった。
戦争でないとすると、ではただのあいさつなのか? それにしても海賊のシャーキイにあいさつをするとは何者であろう? そんなことをするのは別の海賊しかあるまい。クラドックはうんとうめいて仰むけに倒れ、右手首の鉄輪をなんとかはずそうとあがきつづけた。
ところがそのとき庫外にかすかな足音がきこえ、自由な左手へわずかに鉄輪をはめたところへ、ドアのかんぬきをはずして二人の海賊がはいってきた。
「ハンマは持ってきたろうな、木工?」といったのはあの大男の操舵《だ》手である。「足かせをたたきはずせ。腕のほうはそのままがよかろう――そのほうが安心だからな。」
ハンマとタガネで木工は鉄輪をはずした。
「わしをどうしようというのだ?」クラドックがたずねた。
「甲板へ出て見りゃ分かる。」
いきなり彼の腕をつかむと、あらあらしく昇降口の下まで引きずっていった。頭上には四角い青空が見え、てっぺんにいくつもの色の旗をはためかせた後檣の斜桁《こう》がみえた。その旗を見たとき、スティヴン・クラドックの口から思わず驚きの声がもれた。そこには二本の旗があったが、海賊旗のうえにはためいているのは英国旗だったからである――悪党の旗のうえに、公正な旗があるのだ。
ちょっとの間クラドックは驚きのあまり足をとめたが、うしろから海賊に手荒く押されて、昇降口をよろめきのぼった。甲板へ踏みだしたとたんに、目は中央マストに向かったが、そこにもまた赤く長い三角旗のうえに英国旗がはためいており、それに横静索からあらゆる索具まで、吹流しが飾ってある。
するとこの船はつかまってしまったのか? だが左舷《げん》側《そく》には海賊たちがいっぱい群がって、うれしそうに帽子を振っているのだから、そんなはずはありえない。何よりも目だつのは、あの裏切りものの航海士が前甲板のまえに立って、大ぎょうな身振りをしていることだ。クラドックは彼らが何に歓声をあげているのかと、手すりごしに眼をやった。するとたちまち、今がどんな危機であるのか分かった。
左舷船首のほう一マイルほどのところに、ポート・ロイヤルの白い家々や要さいがあり、屋根のうえにあちこち旗がひらめいているのだ。すぐ眼のまえにはキングストンの町までつづく岩壁の入り口が見える。ほんの四分の一マイルほどのところを、一枚帆の小さな船が風にさからって走ってくる。船首には英国旗をかかげており、索具はすっかり飾ってある。甲板には多くの人が集まって歓声をあげたり帽子を振ったりしている。なかに赤い服がちらちらするのは、要さい部隊の士官がまざっているのだろう。
活動家らしいすばやさで、クラドックは一瞬のうちにすべてを見ぬいてしまった。シャーキイはもともとそういうところのある人物なのだが、独特の悪魔的な巧妙さに大胆さを加えて、クラドックが成功して帰った場合やるであろう役を、そっくりそのまま演じているのだ。クラドックの名誉のためにこそあの礼砲は鳴りひびき、旗はひらめいているのだ。彼を歓迎するために、長官や司令官、それに島のおもだった人を乗せた小船が近づいてくるところなのだ。もう十分もたてば彼らは「幸福便」号の大砲の射程にはいり、シャーキイはどんな海賊もやったことのない大ばくちに勝ちをおさめることになるのだ。
「こっちへ連れてこい。」クラドックが木工と操《そう》舵《だ》手にはさまれて甲板上へ姿を現わしたのをみると、海賊船の船長がどなりつけた。「左舷《げん》の窓をみんな閉めて、左舷砲のみは発射用意。各員位置につけ。あと二百ひろでこっちのものだぞ!」
「あの船はそれてゆきます。」掌帆長がいった。「どうやら嗅《か》ぎつけたのだと思います。」
「なに、うまくゆくさ。」シャーキイはとろんとした眼をクラドックに向けて、「そこに立て――そこだ。やつらにはっきり分かるようにな。支索に手をかけて帽子を振れ。早くしろ! でないと脳みそをぶちぬくぞ。ネッド、ナイフを一インチだけやつにぶちこめ。さあ、帽子を振るか? じゃあもっと痛い目にあわせてやれ。おや、やつを撃ってしまえ! いや、止めろ!」
だが間に合わなかった。手錠をかけてあるからと安心していた操舵手は、クラドックの腕を押えている手をほんのちょっと放したのだ。その瞬間すかさずクラドックは木工の手を振りきって、ピストル弾の飛ぶなかを舷側をのりこえて海中へとびこみ、命がけで泳ぎはじめたのである。撃たれた。いくどとなく撃たれたけれど、命がけで何かをやりとげようと決心した断固たる人間は、そうたやすく死ぬものではなかった。もとから泳ぎには強かったし、赤いすじを背後の海中に引きながらも、ぐいぐいと海賊船から遠ざかっていった。
「マスケット銃(十六世紀に用いられはじめた銃腔に旋条のない歩兵銃―訳者)を持ってこい。」とシャーキイはわめいた。
彼は射撃の名手であった。鉄の神経はいざという場合にも決してにぶらないのである。黒っぽい頭は大波のいただきに見えていると思うと、もう向こうがわへ落ちてゆき、一本マストの帆船までの半分ほどのところまで達している。シャーキイはじっとねらいをつけてから発射した。ズドンという銃声とともに、泳ぐ姿は急に反りかえり、警告するように両手を振り、湾内にひびきわたる叫び声をあげた。すると一本マストの船は前帆をくるりと向けかえたが、海賊船はそのときいっせい射撃をあびせた。スティヴン・クラドックは死の苦しみのなかにきびしい微笑を浮かべ、はるかの下方で金色にかがやくふしどへとゆっくり沈んでいったのである。
シャーキイの災難
シャーキイ――あの忌まわしいシャーキイがまた暴れだした。コロマンデル沿岸(インド南東部海岸、砂浜ばかりで港がない―訳者)を二年も荒らし回った後、死の船「幸福便」号は南米北部の東岸をうろついていたのであり、貿易船も漁船も南海の紫の水平線上に、つぎのあたった前帆げたのかげが浮かびあがると、みな恐ろしさに命からがら逃げだすのであった。
たかの影がななめに畑へ落ちかかると小鳥たちが身をすくめるように、またとらのほえるのを夜中に聞くと密林に住む人がうずくまって震えるように、海の黒いのろわれた船のうわさはナンタケット(アメリカ・マサチュセッツ沖の島で捕鯨船基地―訳者)の捕鯨船からチャールストンのタバコ船まで、またカディスのスペイン補給船から南米大陸の砂糖船まで、いたるところでささやかれるのであった。
手近の港へいつでも逃げこめるように、岸近くゆく船もあれば、また普通の貿易航路からはるかにそれたところを走る船もでたが、どれもそれで心が休まるわけではなく、船客にしても積荷にしても、港の要さい砲に守られて、はじめてほっとするのだった。
あちこちの島でたえず、焼け焦げた船が流れているのを見たという話を聞いたり、夜中に遠くの海上でぼっと火の燃えだすのを見たとか、バハマ(西インド諸島中の群島―訳者)の乾いた砂のうえにしなびた死体がころがっていたなどのうわさ話がひろがった。そういう相も変わらぬしるしはいずれも、シャーキイがまたもや残忍な仕事をはじめたことを語るものであった。
こうした美しい海や、まわりを黄いろい砂浜でふちどられたなかにやしの葉の風にそよぐ島々は、海の無法者の伝統の舞台なのである。はじめはよき家柄、名誉ある家系の冒険紳士たちが活躍した。スペインの略奪品で報酬をうけたとはいえ、愛国者としての闘いであったのだ。
それから一世紀も経ぬにこの礼儀正しい人物は、ほんとうの純然たる海賊にとって代わったのだが、それはそれなりに組織的規律をもち、名うての首領の指揮のもとに、協力して大きな仕事をやったのである。
ところがこの連中もまた、その船隊と町からの奪略品ともども、さらに悪質なものども、孤立した無頼の海賊、殺伐な海の憎まれもの、たえず全人類と戦う気でいるやつらである。このよからぬやからは十八世紀のはじめごろのさばったものであるが、なかでもその無法さ、悪らつさ、悪評において、言語に絶することシャーキイの右に出づるものはなかった。
千七百二十年の五月はじめのころのことであった。「幸福便」号は前帆桁《げた》を裏帆にして風上海峡(キューバの東の海峡―訳者)の西五マイルのあたりにただよい、豊かで弱い船を貿易風が送ってこないものかと待ちかまえていた。
船は三日間、そのあたりにただよっていた。大洋のサファイア色した大円の中心にぽつりと浮かぶ気味わるい黒点である。はるかの南東にはイスパニオラ島が低く、水平線上に青くのぞまれる。
待てども待てども獲物は現われなかった。シャーキイのきげんは荒くなった。そのごう慢な気質は、気に入らぬことは何にでも、たとえそれが運命であっても、いらだったからである。その夜操舵手のネッド・ガロウエイに向かって、馬のいななくようないやな笑いとともに、こんなに待たせたのだから、こんどつかまえた船の連中はこっぴどい目にあわせてやるぞと放言したものである。
海賊船の船長室はひろびろとしているが、そこへひどく変色した装飾品などが垂れさがっているので、ぜいたくと乱脈との入りまじったひどい奇観をなしていた。よくみがかれたうえに彫刻のあるびゃくだん材の腰羽目は汚ならしくよごれたうえ、酔いどれ騒ぎのおり放ったのでもあろうか弾《たま》のあとで割れていた。
豪華なビロードやレースの類が、にしき織りの長いすのうえに積み重ねてあるし、高価な金属製品や絵画があっちの角やこっちのくぼみに置いてあるが、これらは百にあまる船を略奪したときに、気まぐれな船長が手あたりしだいに取りこんだものである。床には高価で柔らかなじゅうたんが敷いてあったが、酒のしみやタバコの焼けこげだらけだった。
頭上には真ちゅうの大きな釣りランプがあって、黄いろい光がこの変わった部屋と、そこにシャツ姿で酒を飲みながらカルタのピケットを争っている二人の男を照らしだしていた。二人とも長いパイプを口にしていて、うす青い煙が室内に充満しており、その煙は頭上の天窓から外に流れ出ていたが、その窓は半開きになっていて、無数の銀の星の深い紫いろの空に散らばるのが見えていた。
操舵手のネッド・ガロウエイはニューイングランド生まれの大柄のやくざ男で、善良な清教徒の家庭の出なのだが、これはそこに生じた腐れ枝である。その力強い手足や強力な骨格は、長くつづいた信仰あつい祖先から受けついだものだけれど、暗く猛悪な心ばかりは生まれて後に育ったものである。こめかみまで生えあがったひげ、鋭く青い双眼、ライオンのたてがみのもつれたように粗くて黒っぽい頭髪、両耳につけた大きな金の環、そういう彼はトーテュガス(エクアドルから太平洋につき出たみさき―訳者)からマラカイボ(ヴェネズエラ国の都市―訳者)まで、どこの港の地獄の女たちにとっても、あこがれの的なのである。赤い帽子に青い絹のシャツ、下品ではでなリボンをひざのあたりに結んだ半ズボン、それに深い防水ぐつを履いたところは、海賊中のヘラクレス(ギリシャ神話中の大力無双の英雄―訳者)といったところである。
ジョン・シャーキイ船長の姿はそれとひどく異なっている。やせたひげのない顔をしかめ、死人のように青ざめて、西インド諸島を照らす強い太陽の光も、死人を思わす羊皮紙いろに焼くばかりである。頭ははげ加減で、縮れない亜麻のような髪が少しあるだけ、せまい額は急傾斜をなしていた。鼻はほっそりと高く、その両がわに近く白ブルテリア犬のそれのような目が赤い目ぶたのなかにおぼろにかすんでいるのだから、よほど強い男でも恐れをなして逃げだしてしまう。こん虫の触角のようにいつでも細かく長い指の震える両手は骨ばって、しじゅう目のまえに積んだカードや金貨をいじくっている。着ている服はじみなうす茶色のものだが、しかしその恐ろしい顔を見た人は、それがどんな色だったかさえ頭にはないであろう。
カードのゲームはとつぜん中断された。というのは船室のドアがふいに荒っぽく開けられ、二人の荒らくれ男、水夫長のイズレール・マーチンと砲手のレッド・フォリイがとびこんできたからである。とっさにシャーキイは両手にピストルを、眼には殺気をおびて立ちあがった。
「この悪党ども! てめえたちゃときどきわしに撃ち殺されなきゃ、このわしがどんな男だか忘れるんだな。ロンドンの酒場にでもはいるみたいに、何だってずかずかとはいってきやがるんだ?」
「そんなわけじゃありませんよ、シャーキイ船長。」れんがいろの赤ら顔にむっとした色をみせてマーチンがいった。「そんな口のききかたをなさるんで皆は、いきり立つんでさあ。これまでさんざやられましたからなあ。」
「もうたくさんでさあ。」砲手のレッド・フォリイがいった。「海賊船にゃ航海士なんかいやしませんよ。だから水夫長や砲手や操舵《だ》手がみんな高級船員なんでさあ。」
「わしがそうでないとでもいったというのか?」シャーキイはいまいましそうだった。
「あんたは皆のまえでわしらの悪口をいうし、手荒なこともした。それなのにこんな船長室や上甲板を命がけで守らされてきたのは、考えてみりゃわけが分からねえ。」
シャーキイはこの話のなかに何か重大なものの含まれているのを見てとった。それでまずピストルを卓上におくと、いすの背によりかかって、黄いろい歯をちらりと見せていった。
「どうもつまらん話になったものだ。さんざ一緒に飲んだり、人も殺してきたぱりっとした男が二人もきて、こんな何でもないことで仲たがいするとはな。おまいたちはわしがそういえば、悪魔にだって立ち向かう荒らくれ男なんだ。さあ、ボーイにそういって酒を持ってこさせ、何もかも水に流してしまおうではないか。」
「シャーキイ船長、酒なぞ飲んでいるときじゃありませんぜ。」マーチンがいった。「乗組員は中央マストの下へ集まって、評議をおっぱじめていますぜ。いまにここへやってくるか知れませんや。やつらは何をするか分かりません。それで二人はそれを知らせに来たんでさあ。」
シャーキイは壁にかかった真ちゅう柄の長剣にとびついて取りおろしながら、
「悪党どもくたばってしまえ! やつらの一人二人、腹わたを抜いてくれたら、話も分かってくるだろうよ。」
船長が狂気のようになって出てゆこうとするのを、二人は押しとめた。
「そうはいっても頭目のスイートロックスをかしらに四十人もいるのですよ。」マーチンがいった。「いま出ていったら、上甲板は広いですから、寄ってたかって切りきざまれてしまいますよ。それに反してこの船長室でなら、ピストルをつきつけて何とか押えられるかも知れませんや。」
言いもおわらぬに、甲板に多数の重い足音が聞こえた。だがその足音はどうしたものかぴたりとやんで、船ばたを打つ柔らかな水音だけが聞こえた。と思ううちこんどはピストルの台じりででも打つのだろうか、ドアをがたがたやるのが聞こえると思うと、当のスイートロックスが、いろが黒く背がたかくて片ほおに赤あざのある男だが、のっそりとはいってきた。だが相手のうす青い目がおぼろにかすんでいるのを見ると、きおいこんではいってきたのが、いくらかへなへなとなった。
「シャーキイ船長、乗組員の代表として来たですが……」
「そういう話だな、スイートロックス。」と船長はおだやかな調子で、「今夜の仕事で生き残ったら、おまえを縦にまっ二つに切りさいてくれるからな。」
「お好きなように。ですがね、シャーキイ船長、ごらんになれば分かりますが、あっしがひどい目にあわねえように、連中があとについてきていますよ。」
「こんなところにいて、あいにくだったな。」と頭上でずぶとい声がしたので、船室の連中が見あげると、開いた天窓からひげだらけで陽やけしたおそろしげな顔がずらりと並んで、見おろしているのだった。
「それで何だというんだ?」シャーキイがとがめた。「さあ、はっきりいってみろ。それで解決をつけようじゃないか。」
「みんなの思ってることを言いますとね、」とスイートロックスがいった。「あんたは悪魔の生まれ変わりみたいなものだから、こんな人と海上をうろついていたって、ろくなことはねえ。以前は一日に二はいも三ばいも船をやっつけて、みんなは好きなだけ女や金を手に入れたもんだが、今じゃまる一週間も帆かげ一つ見られねえ。バハマの洲《す》をすぎてからというもの、一枚帆のけちな船を三ばいやっつけただけで、商船らしいものには一つも出あわないんですぜ。それにみんなは、あんたが木工のジャック・バーソロミュウの頭をバケツでぶち割って殺したのを知って、こっちがいつ殺されるかとびくびくものでさあ。おまけに酒はなくなるし、飲むものといったら何もありゃしません。いったい本船へ乗り組むときの誓約書では、船長も乗組員といっしょになって飲んで騒ぐとうたってあるのに、あんたはこの部屋へ坐《すわ》りこんだきりでちっとも出てこない。これらの理由によって、きょう皆で評議した結果が――」
シャーキイはそのときテーブルの下で、ひそかにピストルの打ち金を起こしていた。だからここで反抗の頭目が一同の取りきめを終わりまで発言できなかったのは、かえってしあわせだったともいえよう。というのは頭目が決定を述べようとしたとき、にわかに甲板にせわしない足音が聞こえ、船の若ものがしらせをもって飛びこんできたからである。
「船だ! 大きな船が見えます。それもすぐ近くにね。」
けんかはぴたりとおさまり、海賊どもはそれぞれの部署に駆けつけた。なるほど、ゆるやかな貿易風にゆっくりと揺られながら、全帆装の大きな船がすぐそばをゆるやかに航行しているのだった。
明らかにこの船は遠くからきたもので、カリブ海の状況なぞ何も知らないのだ。その証拠にはこの下品な黒っぽい船が船首のほうにいるのも避けようとはせず、大きな船体だけがたよりのように、のっそりと航行をつづけているのである。
まったく大胆すぎて、海賊どもは砲の滑車をゆるめたり、戦闘用の角灯を用意はしたものの、どこかの軍艦が寝こみをおそったのではないかと思い、しばらくは何も手につかなかったほどである。
だが砲門もなく舷《げん》側《そく》がふくらんで軍艦らしさのないことを認めると、一同は期せずして歓声をあげ、船首をたてなおすとその船に横づけになり、雄たけびをあげて一団となりその船へとび移ったのである。
夜直のもの五六人はその場で切り伏せられ、航海士はシャーキイに打ち倒され、ネッド・ガロウエイに海へ投げこまれた。そして眠っていた連中が船室の寝床へ起きあがる間もあらばこそ、船は海賊どもの手中におちたのである。
獲ものは全装の商船ポートベロ号で――親方はハーディ船長――ロンドンからジャメイカのキングストン港まで綿製品と帯鉄を積んでゆくところであった。
ぼう然と驚いている捕虜をひとまとめに閉じこめると、海賊どもは略奪品をさがしに船中へ散っていった。見つけたものは何でも大男の操舵手のところへ運ぶ。すると操舵手はそれを「幸福便」号のほうへ運び、中央マストの根もとの警備員の足もとへ置くという順序であった。
積荷は何の役にも立たなかったが、金庫には千ギニあったし、八人か十人いた船客のうち三人はジャメイカの裕福な商人で、ロンドンみやげのたっぷりふくらんだ箱をもっていた。
略奪品がすっかり集まると、船客も乗組員も全員中甲板へ連れだされた。そしてシャーキイの冷たい微笑のもとに一人ずつ船ばたから突き落とされた。それをスイートロックスがひとりで手すりのそばに待ちかまえており、いちいちひざの腱《けん》に海賊刀で切りつけたのだ。泳ぎの強いものがいて、どうかして生きのこって裁判所へ訴えるのをおそれたからだ。農園主の妻でふとって髪の毛の灰いろの船客も一人まじっていたが、もがき叫びながらこの女も海面へ突き落とされていった。
「ごめんよ、おばちゃん。」とシャーキイはかん高く笑って、「もう二十も若けりゃ助かるところだったんだがね。」
ポートベロ号の船長は血気さかんな、眼が青くて灰いろのひげを生やした人物だったが、これが最後に甲板へ出てきた。ずんぐりしたなかに決然たる姿を角灯の光が照らしだすと、シャーキイは作り笑いを浮かべて一礼した。
「船長がほかの船長にあったら、礼儀をつくすべきでしょうな。もし私に失礼なことがあったら、シャーキイ船長なんか見くだしてください。勇気のある人にふさわしいように、ごらんの通りあなたを最後にのこしました。だからほかの連中の最期はいちいち見とどけられたわけだが、だからここで安心して飛びこんでもらいてえね。」
「そうしよう。力のおよぶかぎり、なすべきことはしてきたからな。だが飛びこむまえにひと言、あんたにだけそっと打ちあけたいことがある。」
「それでこっちの心を和らげる気なら、むだなことだね。まる三日も待たされた身だ。一人だって生かしておくわけにゃあゆかねえ。」
「いや、知っておくべきことを、あんたに知らせるだけのことだ。あんたたちはこの船にあるほんとうの宝を見つけておらん。」
「まだめっけていねえて? ちきしょうめ! もしその言葉がほんとうでなかったら、ハーディ船長であろうと誰であろうと、肝臓をこま切れにしちまうぜ! その宝ってどこにあるんだ?」
「その宝とは黄金のたぐいではない。かわいい娘だが、黄金にもまさる宝物ではないか。」
「その娘はどこにいるんだ? なぜほかの連中といっしょにはいなかったんだ?」
「そのわけを話そう。その娘はラミレツ伯爵の一人娘で、伯爵夫妻はあんたがたに殺されてしまった。その娘の名はイネス・ラミレツといって、スペインの名家の血をうけておる。父伯爵はシャグレの知事に任命されて、この船で赴任するところだった。ところがどこの娘にもよくあることだが、この船に乗ってから身分の低いものに思いをよせるようになった。そこで両親は、何しろ大変な権力家で、どんなことにも反対や口答えはひと言も許さぬという人のことだから、私に強制して船長室のうしろの特別室へ監禁することになった。以来彼女は厳重にこの部屋へ閉じこめられたままで、食事もいちいちそこへ運び、誰《だれ》にも会わせずにおいてある。私からの最後の贈りものとしてこれを話しておくが、どうしてこれを話す気になったか、私にも分からない。お前は世にも憎むべき悪人で、いま殺されるにあたり、お前がこの世で死刑台にのぼり、あの世では地獄へおちるものと考えるのが、唯一のなぐさめだ。」
言いおわるとハーディ船長は手すりへおどりあがり、そのまままっ暗ななかへとびこんだ。そして海の深みへ沈みながら、あの娘を裏ぎったことで自分の魂があまりに重く罰せられることのないようにと祈ったのである。
ハーディ船長のからだが砂の海底まで沈みきらぬうちに、海賊どもはさきを争って船室への通路へとびこんでいった。なるほど、まえに侵入したときは気がつかなかったが、いちばん奥のほうにかんぬきの掛かったドアが見える。かぎはなかったが、手をあわせ銃の台じりでたたき破った。そのあいだも船室の中からはくりかえしかん高い叫び声が聞こえた。角灯をさしつけてみると若い女が、若さあふれる娘ざかりの女だが、片すみにうずくまり、くしを入れぬ頭髪を床にたらし、恐怖にみちた黒っぽい眼をぎらぎらさせながら、血だらけの荒らくれ者どもがどやどやと乱入してくるのを、美しい身をかたくして見ていた。荒らくれものどもはやにわに手をかけて立ちあがらせ、泣き叫ぶのもかまわずジョン・シャーキイの待っているところへ引きずっていった。彼は灯火《あかり》をかざして嬉《うれ》しそうにながいことその顔を見ていたが、大きな声で笑うと血のついた手を娘のほおに押しつけた。
「ねえさん、これは雌《め》羊につける海賊の焼印だよ。さあみんな、この娘を船室へつれてって、よろしくやるがよい。ほかの者はこの船を沈めちまって、つぎなる獲ものをさがしにかかろうぜ。」
それから一時間もせぬうちに、りっぱな船ポートベロ号はあたらカリブ海の底に、殺された船客たちとまくらを並べて横たわったのである。一方海賊船のほうは、甲板に略奪品を散乱させたまま、つぎなる犠牲を求めて北上してゆくのであった。
その晩「幸福便」号の船長室では酒盛りがあり、三人の男がひどく酔っぱらった。三人とは船長、操舵《だ》手、それに「はげ」のステーブルという船医で、これはもとチャールストンで開業していたのだが、患者を悪用して裁判にかけられるところだったのを逃走して、海賊船に投じたものである。慢心した小ぶとりの男で、しわだらけのふとった首をしており、あだ名のとおり大きな頭はつるつる光っていた。シャーキイはここしばらく部下の反乱を起こすことはあるまいと踏んでいた。どんな獣でもたっぷり食べたあとは気のなごむもので、あの大きな船の略奪品のある間は、面倒の起こることはあるまいと承知していたのである。そこで酒と騒ぎにすっかり身をまかせ、気のあった二人を相手にどなったりわめいたりして過ごした。三人ともまっ赤になり、勝手なことをしていたが、そのうちにふとあの娘のことを思いだした。それで黒人のボーイをわめきよせて、あの娘をすぐ連れてこいと命じた。
イネス・ラミレツはいまこそ何もかも――父母が殺されたことも、自分の命がその人殺しの手中に握られていることも知ったのだ。そうと知って気持ちはかえって静まり、船長室へつれてこられても、誇りたかいその黒ずんだ顔には恐れるような気色をみせないばかりか、未来に果てしない希望を抱くもののように、しっかりと口を閉じて目を喜びに輝かせている。海賊の船長が腰に抱きついたとき、相手の顔をみて彼女はにっこりした。
「おお! こりゃ元気のよい娘っ子だ!」とシャーキイは娘の腰にかけた手で抱きつくようにしながら、「海賊の嫁っ子には持ってこいだ。さあねえちゃん、仲よしになるしるしに一杯いこうよ。」
「第六条に何とある!」医者はしゃっくりをしながら、「娘っ子はすべて、みなの共有だぞ!」
「そうだ! これは船長も守ってもらいたい。」ガロウエイが口をだした。「第六条にはっきりそううたってあらあ。」
「おれたちの仲を邪魔するやつは、めった切りだぞ!」シャーキイはどなりつけ、魚の目のような目で二人を見くらべた。「なあに、ねえちゃん、こいつらはジョン・シャーキイさまからおめえを奪いとれるほどの男じゃねえ。さあ、このおひざへ乗って、おれに抱きつきな。このあまっ子がひと目でおれを好きになったのでなかったら、この首をやるよ。なあ、ねえちゃん、あの船じゃ何だって足かせをはめるようなひどい目にあわされたんだい?」
女は頭をふって微笑をふくみ、「エイゴ、ダメなの。ダメ、ダメ。」と片ことでいい、シャーキイのさしだした大杯をぐっと飲みほし、黒眼をいっそう輝かせた。彼女はシャーキイのひざに腰をおろし、片手を首にからませて、その手で相手の髪や耳たぶやほおをなぶった。変わりものの操舵手も果断な船医でさえ、女のそんな様子に恐れをなしたが、シャーキイはうれし笑いをして、「どうだい、この娘っ子はほんものだぜ!」と叫ぶと、ぐいと抱きしめてその無抵抗な口に強くキスした。
しかしさっきからじっと見つめている船医の眼には、何か妙なものを見つけたという色が現われ、おそろしいことに気づいたもののように、顔をこわばらせた。大きな顔はすっかり血の気が引き、熱帯やけと酔いの赤みだけがまだらに残った。
「シャーキイ船長、娘の手を見ろ! 畜生! その手を見ろ、手を!」
シャーキイは自分をなぶっている娘の手を見おろした。ひどくまっ青で、指のまたには黄いろく光る網がかかっている。そして全体に白い粉がふいて、まるで焼きたてのパンのようである。それがべたべたとシャーキイの首やほおについているのだ。気味悪さにシャーキイは声をたてて、ひざから突きおろした。その瞬間、のらねこのように跳ねあがると、娘は勝ちほこった叫び声をあげ船医にとびついていった。船医は悲鳴をあげてテーブルの下へもぐりこんだ。娘の曲がった片手がガロウエイのあごひげをつかんだ。ガロウエイはそれを振りはなすと、三つ又のやりをとって、狂人のように眼を光らせて、わけの分からない声をたてながらいどみかかるのを、近づけないように身がまえた。
その騒ぎのなかへ黒人のボーイが駆けこんできた。そしてみなで力を合わせて、狂える娘をべつの船室へ押しこみ、かぎをかけた。それから三人は息をきらしながらいすに坐りこみ、恐怖のまなざしで顔を見あわせた。同じ言葉が三人の頭にあったのだが、一番に口をきったのはガロウエイであった。
「らい病患者だ! おれたちみんなやられたんだ。畜生め!」
「わしは違うぞ。」船医がいった。「わしには指一本さわらなかったからな。」
「そういや、おれだってひげだけだぞ、さわられたのは。朝までにゃひげも髪もそり落としてしまおう。」ガロウエイがいった。
「みんな何て間抜けだったんだ!」船医は頭をぴしゃりとたたきながら叫んだ。「うつっていようといまいと、年期がすぎてもう大丈夫となるまでは、一刻だって安心はできないぞ! 畜生め、あの商船の船長には一本取られたな。あんな娘がそんな理由で隔離されるものかどうかくらい、すぐに分からなんだわしたちはバカだった。あの娘の病勢は出航後に悪化したことは明らかだから、海へ投げこむわけにもゆかぬ以上、どこかの港へ着いたとき専門病院へいれるまで、あんな風に閉じこめておくしかなかったろう。」
船医の話しているあいだシャーキイはまっ青になっていすにもたれていた。赤いハンカチを出してあちこちをふき、塗りたくられたのろいの粉をぬぐいとった。
「おれはどうなんだ?」と彼はうめき、「何とかいえよ、はげのステーブル。おれにも助かるチャンスはあるのか? このばちあたりめ、何とかいえ! さもないときさまを一寸きざみにしてくれるぞ! おれにも助かるチャンスはあるのかよう!」
しかし船医は首を振って、「シャーキイ船長、いまさらうそを言うのも悪かろう。あんたはうつされたよ。らい病のうろこのついた人は、ぜったいもとの体にゃなりませんよ。」
シャーキイはがっくりと頭を胸にたれた。そしてじっと坐ったまま、このとつぜんの大きな恐怖に打ちひしがれたように、恐るべき自分の将来をもやもやした眼に浮かべるらしかった。操舵手と船医はそっと席を立ち、いまわしい空気にみちた船長室を忍び出た。そとには新鮮な大気があり、やわらかなかぐわしいそよ風が顔をなでたし、のぼる太陽の光をうけた赤い雲がひとすじ、遠いイスパニョラ島のヤシの丘に、明るい日の出を待つように浮かんでいた。
その朝海賊たちの第二回評議が中央マストの下で開かれ、船長の様子を見にゆく代表団が選ばれた。その代表団が船長室へ近づいてゆくと、中からシャーキイが出てきた。あい変わらず恐ろしい目つきをして、負い皮には二つのピストルをつけている。
「悪党どもみんなくたばりやがれ! 船長室まで押しかけようというのか? 待てッ、スイートロックス、そんなことをしてよいと思うのか! おい、ガロウエイ、マーチン、フォリイ、こっちへ来い。そして犬どもを犬小屋へ追いこめ!」
だが高級船員たちは彼を見すてていて、誰も助けには来なかった。海賊どもはかさにかかって襲いかかった。そのうち一人はピストルで撃たれたが、ほかの連中によってたかってとり押えられ、自分の船の中央マストにつりさげられた。するとかすんだ眼でみなの顔をつぎつぎと見まわしたが、見られたほうは一人としていやな気持にならぬのはなかった。
「シャーキイ船長、」とスイートロックスが口をきった。「あんたはわしらを虐待したし、いまもジョン・マスターズを撃った。それに木工のバーソロミュウも以前にバケツで頭をぶち割られて死んでいる。こんなこともみんな許していいかしんねえ。何しろ幾年月頭《かしら》できたんだし、それに航海のつづくかぎり、あんたの下で働くと誓約したんだからな。だけど聞けばあの美人のこと、あんたは骨のずいまで病気がうつっちゃって、このままじゃおれたちも無事じゃおられねえ。だからジョン・シャーキイよ、おれたち『幸福便』号の海賊は、集まって評議をひらき、こういうことに決めたんだ。その病気のひろがらない今のうちに、お前をボートに移してつっぱなし、あとは運を天にまかせることにしようとな。」
ジョン・シャーキイは何もいわずに、ただ頭をゆっくり動かして、まわりにいる連中を恐ろしい目でにらみつけるばかりだった。船にある小船がおろされ、彼は手をしばられたままでロープでつりおろされた。
「それ、押し出せ!」スイートロックスが声をかけた。
「待った! スイートロックスさん、ちょっと待ったり!」乗組員の一人がわめいた。「あのあまっ子はどうするね? あれを船内においといたんじゃ、みんなにうつっちまうんじゃないかい?」
「そうだ、ついでだ、おともさせてやんねえ!」ほかの男がいうと、みんなは賛成の声をあげた。それでやりの穂さきに追いたてられて、彼女もボートに押しこまれた。くさってゆく体のなかにもなおスペイン魂を失なわぬ娘は、勝ちほこった眼ざしで海賊どもを見あげた。
「犬ども! イギリスの犬ども! らい病が何だ、らい病が!」ボートに投げこまれるとき、彼女は狂喜して叫んだ。
「船長、ご無事でな! ハネムーンだ、神よ加護をたれたまえ!」あざけりのコーラスのなかで、もやい綱がはずされ、「幸福便」号は貿易風をいっぱいにはらんで、小さなボートを船尾に残したまま航走していった。広びろとした寂しい海面に、いまやそれは小さな点でしかなかった。
* * *
アメリカ大陸沿岸を巡航するイギリス海軍の五十砲船ヘカテ号の航海日誌から――
一七二一年一月二六日――この日塩づけ牛肉が食用に不適となり、乗組員五人が壊血病に倒れたるにより、余は二隻のボートをイスパニョラ島の北西部へ上陸せしめ、新鮮なる果実を求めしめ、好機あらば島に群居する野牛を撃ちきたれと命じたり。
午後七時――ボートは新鮮なる果物を満載し、べつに野牛二頭を持ち帰りたり。班長ウッドラフの報告によれば、森のはずれの上陸地付近にて女性のがい骨を見かけたる由。ヨーロッパ風の服装にて、それも上流者と見うけられたりという。頭部をそばなる大石にて打たれて死にたるもののごとしという。なお近くに小さき草小屋ありて、そのなかにて男子が一期間生活なしたるがごとくに、燃えさしや骨片その他の残存するあり。この地方の沿岸地帯には昨年来、かの残忍なる海賊シャーキイが孤島に捨てられたるやの風説ありて、その後同人は奥地に潜入したるか、あるいはどこかの船に拾われたるか、真相は知るべき手段もなし。もし彼が再び海上に姿を現わすことあらば、神よ、願わくばわが大砲のもとに送りたまえ。
シャーキイはどのように殺されたか
海賊はただの略奪者の集まりよりもどこか高等なところがあった。彼らは法律も慣例も規律もある水上社会をつくりあげていた。スペイン人との限りない残忍な戦いのうちに、いつのまにか正義はわれにありと思いこむようになったのだ。本土の町々を血なまぐさく略奪するにも、スペイン人がオランダに侵入したときほどのことはなかった。このあたりアメリカ諸島に住むカリブ土人に対しても同じである。
イギリス人であれフランス人であれ、それがモルガン姓を名乗るにせよグラモン姓を称するにせよ、海賊も首領となるとやはり立派な人物なものだ。母国からは好意をもって遇されもしようし、十七世紀の鈍重な良心をひどくゆすぶるような行為さえなければ、賞賛さえ与えられたであろう。なかには宗教上の信仰を抱いているものもいて、安息日にさいころを船から海へ投げすてたソーキンズのことや、祭壇のまえで不敬な言葉をはいた男をピストルで撃ち殺したダニエルのことなぞ、まだ忘れられていないものもあった。
しかし海賊船隊のトーテュガス(エクアドルから太平洋へつき出たみさき―訳者)へ集結することはなくなり、法の恩典を奪われた孤独な船がそれにとって代わる日がきた。それでも海賊としての自制や風規の伝統はうけつがれ、初期の海賊には人の心情をうやまう気持ちがいくらか残っていた。彼らは船員よりも商人に恐れられたのである。
しかしそういう海賊たちも、より残忍で凶暴な連中にとって代わった。人間相手の戦いでは決して容赦はせず、手に入れたものはできるだけ出しおしもうと、はっきり腹をきめた連中である。彼らの来歴については信ずべきものは何もない。思い出も書き残さなかったし、何の痕《こん》跡《せき》もない。時たまよごれて血だらけの漂流物が太平洋の波まにただよっていただけである。彼らの行動は、出港したまま二度と帰港せぬ幾多の船名表から察知できるのみである。
歴史をくってみると、東半球のあちこちに裁判の記録があり、それによるとうす絹をちらりとあげて、その奥底にひそむ残忍きわまる海賊どもの行為をのぞき見ることもできる。例えばネット・ロウだとかスコットランド人ガウの一味だとか、かの悪名高きシャーキイの名だのが見える。最後のものは、かのまっ黒な三檣《しよう》帆船「幸福便」号とともに、ニューファウンドランド洲《す》からオリノーコ(南米北部のヴェネズエラを東流して大西洋へ入る大河―訳者)の河口まで、悲惨と死の恐ろしい先駆者として知られていたものである。
大陸にもあちこちの島にも、シャーキイを深く恨むものはたくさんいたが、キングストンの住人コプリ・バンクスほどひどい目にあったものはあるまい。これは西インド諸島の砂糖商人として名の知られた一人であった。地位もあり、議会の一員でパーシヴァルという女を妻とし、ヴァージニア州知事のいとこであった。二人の息《むす》子《こ》があり、勉学のためロンドンへ行かせてあった。それを母親が迎えにゆき、三人は「コーンウォール公爵夫人」号で帰航の途中シャーキイの手におち、三人とも悲惨な最期をとげたのである。
この知らせを受けてコプリ・バンクスはあまり口をきかず、放心したように長らく悲しみに沈んでいた。仕事はなおざりに、友人を避け、多くは漁夫や船員たちの集まる居酒屋ですごした。みなのわめき騒ぐなかにあって、ひとり思いつめた顔をし、眼だけは不満をうっ積させて、黙ってしきりにパイプを吹かせていた。皆はこんどの不幸のため頭がおかしくなったのだろうと思った。そして古くからの友人たちはそれを黙って横目に見るばかり。それというのも彼のこれまでつきあってきた仲間が堅気の人ばかりとはいえなかったからである。
一方海上からはシャーキイのうわさが、つぎつぎと伝わってきた。縦帆船《スクーナ》が水平線上に大きな火柱を認めたので、船が火災をおこしたものと思い助けようと近づいてゆくと、ずたずたに切り殺された羊のそばにおおかみのいたように、まっ黒なきちんとした三本マストの帆船がいたのであわてて逃げだしたといった話も伝わってきた。どうかするとうわさは貿易船からも伝わってきた。つぎのあたった前帆が紫の水平線はるかに浮かぶのを見て、総帆を婦人の胴着のようにふくらませて逃げてきたというのだ。またときには沿岸貿易船が、水のないバハマさんご礁に、ひからびた死体の散らばっているのを見たという話も伝わってきた。
またあるときギニア船の船員で、この海賊の手をのがれてきたという男が現われた。この男は口がきけなかった――そのわけはシャーキイがもっともよく知っているに違いない――が、書くことはできて、事実コプリ・バンクスはそれにひどく興味をもった。一枚の地図をなかにして二人はそれにこごみこむようにし、おしの男があちこちのさんご礁や入り江をさし示すのを、相手は黙ってタバコを吹かしながら、相手をかたい表情のまま激しい眼つきで見まもっていた。
ある朝、あの不幸が起こってから二年くらいたってからであるが、コプリ・バンクス氏は昔のいきいきとした精力的な様子で自分の事務所へはいっていった。支配人は驚いて目を見はった。というのは彼が仕事に興味を示すのは何カ月かぶりのことだからである。
「バンクスさん、お早うございます。」
「お早う、フリーマン君。ラフリング・ハリ号は入港しとるようだね。」
「はい。水曜日に風上諸島へ向けて出帆するはずでございます。」
「あの船にはほかに使い途があるのだ。オウイダ(アフリカの仏領モロッコの商港―訳者)へどれいを買いにゆくことにしたよ。」
「でも積み荷をすっかり済ませていますが……」
「では降ろしてもらうんだな。わしの心はきまっているのだ。ラフリング・ハリはオウイダへどれいを買いにゆくのだ。」
議論も説得も役にたたなかった。そこで支配人は悲しげに積み荷をおろすしかなかった。
それからコプリ・バンクスはアフリカへ出航の準備をはじめた。それも船倉を満たすのに交易によることなしに、力ずくでやる気らしく、野蛮人の喜びそうな安ぴかものなぞは積まず、その二本マスト帆船に九ポンド(ポンドは重量単位、九ポンドで四キロあまり―訳者)砲を八門積みこみ、たなを小銃と短剣でいっぱいにした。船長室のとなりの後部帆庫は弾薬庫に改造され、装備の十分な私《し》掠《りやく》船にも劣らないほどの砲丸を積みこんだ。水や食糧もながい航海にたえられるよう、十分に準備した。
そんなことよりも驚いたのは、船員の集めかただった。支配人のフリーマンも、主人が気が変になったといううわさは、ほんとではないかと思ったほどだった。というのは長の年月つとめてきたなれた水夫を、口実を設けてはつぎつぎとやめさせ、代わりに港のやくざ者たち――あまり評判が悪いので低級な誘かい周旋屋さえ手を出すのを恥じるような連中を雇い入れたのである。
たとえば赤あざのスイートロックスもそのなかの一人だが、これは森の木こりたちを殺したとき現場にいて、だからその赤い恐ろしいあざはあの残忍な犯行のかえり血だとやかましかったものだ。これが一等航海士でその下にイズレール・マーチンというのがいて、日に焼けた小柄な男だが、これはケープ・コースル・キャスル(西アフリカの黄金海岸の西南部の港―訳者)を取ったときハウエル・デヴィズと戦った男だ。
船員たちはバンクスがいかがわしい場所をあさって知りあった男のなかから選ばれたし、自分用の食卓給仕には、話しかけても、があがあうなるばかりの顔つきのやせた男が選ばれた。あごひげをそり落としているので、これがシャーキイにつかまって殺されかけ、その経験をコプリ・バンクスに話したあの男だとは、誰も気づかぬだろう。
こうした動きはキングストンの町でも目にとまらずにはおられず、批判もされた。軍の指揮官――砲兵少佐のハーヴェイだが――は知事に重大な進言をした。
「あれは貿易船じゃありません。小さいながら軍艦ですよ。コプリ・バンクスを逮捕して、あの船は押えたほうがよろしいと思います。」
「どこが怪しいのかね?」と反問した知事は熱病とブドウ酒で頭の怪しくなった人物である。
「これはスティード・ボネットの場合とすっかり同じだと思うのです。」
スティード・ボネットというのは評判もよく信心ぶかい農園主であったが、気でも狂ったかだしぬけに何もかもおっぽり出して、カリブ海へ海賊に出かけた男である。この実例は近ごろのことで、各島の人はみなひどく怒ったものである。歴代の知事は海賊どもと手を結んでいると非難され、連中からコンミッションを取っていたかに疑われてきたことでもあるから、ここで用心しないと飛んでもないことになりかねないというのである。
「どうもな、ハーヴェイ少佐、コプリ・バンクスに逆らうのは気が引けるんだよ。何しろ友だちでな、わしもいく度か彼の家で酔いつぶれた仲だからな。しかし君の話を聞いてみると、君にその船へ乗りこんで様子を見たり、行きさきを確かめてもらうしか方法はないようだな。」
そこで夜なかの一時ごろハーヴェイ少佐はボートに兵隊を満載してだしぬけにラフリング・ハリ号を襲ったが、停泊していたはずの海面には麻のもやい綱が浮かんでいるだけだった。危険を感じた船主が解きすてていったもので、本体はすでにパリセイドをすぎ、北東の貿易風に逆らって風上諸島へと向かっていたのだ。
翌朝船がモラントみさき(西インド諸島のジャメイカの東端にあるみさき―訳者)をはるか南の水平線に残しさったころ、乗組員一同は船尾によび集められて、コプリ・バンクスは自分の計画を打ちあけたのである。お前たちを選んだのは陸上にいてうえ死にするよりは、多少の危険はあっても海上生活を好む元気な連中だと見たからだ、と彼はいった。イギリスの軍艦は数も少ないし弱いから、この船でどんな貿易船に出あっても、やっつけることができよう。ほかの海賊船もこれまでいい仕事をやってきた。操縦しやすくはあるし、準備もととのった船なのだから、よごれた服をビロードのりっぱなのに着かえて悪いわけはないではないか。みなに黒い旗(海賊旗―訳者)のもとに航海する気があるなら、自分は喜んで指揮をとろう。もしやりたくないものがあったら、ボートをやるからジャメイカへこぎ帰るがよい。
四十六人のうち四人がやめとくといい、船ばたを越えてボートへ乗りうつり、船員たちのあざ笑いをあびながら遠ざかっていった。残りは船尾に集まり、契約の諸条件を定めた。タールをぬった黒い防水帆布に白いどくろが描かれ、喚声とともに中央マストにかかげられた。
高級船員を選定し、その権限が定められた。コプリ・バンクスが船長に選ばれたが、海賊船には航海士という役がないので、操舵《だ》手には赤あざのスイートロックスがなり、イズレール・マーチンが甲板長になった。仲間うちの習慣を知るには何の造作もなかった。少なくとも半分以上のものが、海賊船の経験があったからである。食事はみなが平等であるべきこと。誰《だれ》も他人が飲むのを妨たげてはならない! 船長は船長室をもってるが、船員は好きなときそこへ出入りしてよい。
全員同じに分配されなければならぬ。ただし船長、操舵手、甲板長、木工ならびに掌砲長は、べつに全体の四分の一から分け前をとる。獲物を最初に見つけたものは、奪った武器のうちもっともよいのをもらえる。一番のりしたものは、その船にあったうちもっともよいのがもらえる。自分の捕虜は男であれ女であれ、自分の好き勝手に扱える。自分の銃器にひるむものは、操舵手がピストルで始末する。ラフリング・ハリ号の一同のきめた規則の大要は右の通りで、一同はそれを書いた紙の下に四十二のバッテンで署名したのである。
かくして新しい海賊船が洋上をうろつくことになった。そして一年を出でずしてその悪名は「幸福便」号に劣らず有名になった。バハマ諸島から風下諸島、さらに風上諸島までコプリ・バンクスはシャーキイのライヴァルとなり、貿易船の恐怖の的となった。ながい間このバーク船とブリグ船はたえて出あわなかったが、ラフリング・ハリ号としてはいつもシャーキイを求めていたのだから、むしろ不思議といえた。しかしある日ついに、キューバ島の東端コクスンズ・ホールに船体清掃のためはいってみると、そこに「幸福便」号が同じ目的ではいり、すでに船体を支《ささ》えて横たわっているではないか。
コプリ・バンクスは海の紳士どもの風習に従って大砲を一発はなってあいさつし、緑いろのラッパ手の旗をかかげた。それからボートをおろしてこぎつけた。
シャーキイ船長は温情のあるような男ではなかったし、同じ商売の男に暖かい同情なぞ持ってはいなかった。コプリ・バンクスが船へあがってみると、シャーキイは船尾砲の一つにうちまたがっており、あたりにはニューイングランド生まれの操舵手ネッド・ガロウエイだの、恐ろしい荒らくれ男どもが立っていた。だがそれらの連中でさえシャーキイに青ざめた顔を向け、おぼろにかすんだ青い眼を向けられると、声さえろくに出なかった。
上衣をぬいでいるので、胸もとの開いた赤じゅすの長いチョッキからは麻のひだ飾りがはみ出している。焼けつくような太陽もこのやせた男には何の力もないらしく、まるで冬のように平たい毛皮の帽子をかぶっている。色どりあざやかな絹のバンドをしめて恐ろしい短剣をつるし、そのうえ太くて真ちゅうのバックルでとめたバンドには、ずらりとピストルをぶらさげている。
「なわ張りあらしめ、くたばっちまえ!」コプリ・バンクスが手すりをまたいだとき彼は叫んだ。「あわをふいて死ぬほどぶんなぐってやるぞ! おれの領分で仕事するとは、何という了見だ?」
コプリ・バンクスは相手を見かえしたが、その眼はついに自分の家を見つけた旅人のそれであった。
「同じ気もちの人間同士だと知って、うれしく思うぞ。海はわしら二人が働くには狭すぎるというのはわしの意見でもある。どうだ、ピストルと剣をもって砂浜へやって来ては? そうすれば結末はどうなるにしろ、海の悪党が一人だけ片づくわけだからな。」
「こりゃ面白えせりふだ。」とシャーキイは大砲からとびおりて、片手をさしのべながら、「ジョン・シャーキイに向かってでけえ面してそういう文句をいえるやつは、たんとはいねえ。おい、おめえを仲間にしなかったら、おらあ悪魔にさらわれてもいいや! だがな、うそでもつきやがったら、おめえの船に乗りこんで、どてっ腹をえぐりだすからな。」
「こっちも同じことを誓う!」とコプリ・バンクスも言い、ここで二人はたがいに血盟の友となったのである。
その夏彼らは遠くニューファウンドランド島まで北上し、ニューヨーク通いの貿易船や、ニューイングランドからきた捕鯨船を略奪した。イギリスのリヴァプールからきた船「ハノーバ家」号を捕えたのはコプリ・バンクスであったが、するとシャーキイのほうはその船長を巻揚げ機にしばりつけて、クラレット酒のあきびんをぶっつけて殺してしまった。
二人は力を合わせて、自分たちをさがして追ってきたイギリスの軍艦ロイヤル・フォーチュン号をおそい、五時間もの夜戦ののち追っぱらった。どの大砲のそばにもラム酒や水のみをおいた甲板で、戦闘用角灯の光に照らしだされた裸体の男たちの、狂ったようなすさまじい戦いだった。彼らはノース・カロライナ州のトップセール入り江へ修理にはいり、それから春になるとグランド・カイコス(西インド諸島バハマ島東南の島―訳者)へおもむき、そこで西インド諸島への長い航海の準備をととのえた。
このころにはシャーキイとコプリ・バンクスとはすっかり仲のよい同志になっていた。というのもシャーキイは心底からの悪党が好きで、また非情な人間を好んでいたが、この二つの性質がラフリング・ハリ号の船長には備わっていたからである。この相手を信じこむまでには、ながいことかかった。それというのも元来が疑りぶかく冷静な男だからである。今まで自分の船や手下たち以外を一度も信じたことがなかったのである。
ところがコプリ・バンクスのほうはしばしば「幸福便」号へやってきては、気むずかしい手下どもに取りまかれたシャーキイに会っていたから、しまいにはちょっとした疑いも持たないようになったのである。シャーキイはこの新しい仲間にたいし、久しいまえに自分がどんな悪いことをしたか、まるで覚えていなかった。いままで数知れぬ人間を血祭りにあげてきたのだから、そのなかの一人の母と二人の男児のことなぞ、どうして覚えていられよう! だからカイコスの洲《す》で泊まっていた最後の晩に、酒盛りをしようと招かれたとき、シャーキイと操舵手はそれが果たし状と知るよしもなく、何の疑いも抱かずして出かけたのである。
一週間まえに装備十分の客船を略奪したばかりだから、ごちそうはすばらしかった。ごちそうが済むと、そのなかの五人のものは大いに飲んだ。二人の船長、赤あざのスイートロックス、ネッド・ガロウエイ、それにあの老巧な海賊のイズレール・マーチンである。給仕の役はおし男、酒をつぐのがおそいといって、シャーキイにそのコップで頭をぶち割られたあの男である。
操舵手はシャーキイのピストルをそっと取りあげていた。というのもテーブルの下で腕を組んだままピストルを撃ち、誰が運がよいかをためすという悪ふざけをする男だからである。この悪ふざけのおかげで、甲板長が片足をなくしたこともあるので、ごちそうが済むと暑いからという理由でシャーキイのピストルを取りあげ、手のとどかぬところへ置いてしまったのである。
ラフリング・ハリ号の船長室は船尾の甲板室にあり、そのうしろに船尾砲が備えてあった。壁にそって丸い砲丸が格子だなに並び、火薬の大だるが二つ、さらや酒びんをおく台になっていた。この気味のわるい部屋で五人の海賊どもは歌ったりどなったり、酔ってわめいたりしたが、そのあいだ口のきけない給仕は酒をついで回ったり、パイプタバコのためにその箱やローソクを回したりした。時のたつにつれて話はますます下品になり、話す声はしわがれ、わめき声はいよいよ取りとめなくなり、ついに五人のうち三人までが血ばしった眼をとじて、テーブルにうち伏してしまった。
コプリ・バンクスとシャーキイと、面と向かって残された。一方は少ししか飲まなかったし、もう一人はいくら飲んでも鉄の神経はゆるまず、にぶい血の暖まることはなかったからである。その背後には、酒をつぐのを忘れたことのない機敏な給仕が立っていた。室外からは波の音が低くざわめき、その向こうからは「幸福便」号でうたう歌声が聞こえてきた。
風のない熱帯の夜で、歌声ははっきりと耳に届いた。
ステプニ(ロンドン東方テムズ河ぞいの町―訳者)からきた貿易船、目をさませ! ゆり起こせ! 主帆をゆさぶってみろ!
ステプニからきた貿易船、黄金と絹のガウンをたる一ぱいつめた貿易船、
オーイ、威張った海賊ジャック、低地(スコットランドの一地方―訳者)沖で帆げたをおろして待っていろ。
仲のよいはずの二人は黙って耳を傾けていた。コプリ・バンクスが目くばせすると、給仕はうしろの弾かけからロープをひと巻とりおろした。
「シャーキイ船長。」とコプリ・バンクスがいった。「『コーンウォール公爵夫人』号を覚えておるかね? ロンドンから来た船で、あんたが三年まえにスタティラの洲《す》でつかまえて沈めたやつさ。」
「そんな名なんか覚えとるもんか! あのころにゃ一週間に十ぱいもやっつけていたものな。」
「船客のなかに母親につれられた二人の息《むす》子《こ》がいたはずだよ。どうだ、こういえば思いだしやせんかね?」
シャーキイ船長はいすにもたれかかり、大きなとがった鼻を空にむけて考えこんだ。と思うと高くいななくような笑い声をあげた。思いだしたよと言い、それを証明するため細かいことまでつけ加えた。
「だがそんなことはすっかり忘れておったぞ! なぜそんなことを思いだしたんだ?」
「忘れられんことだったからな。あの女はわしの妻で、少年たちはわしのたった二人のむすこだったもんな。」
シャーキイは相手を見つめた。相手の目にいつも漂っていた鈍い光が、すさまじいほのおと燃えあがるのが見られた。その恐ろしい意味を読みとると、腰のあたりに手をやったが、ベルトには何もついていなかった。そこで振りむきざま武器に手をのばしたが、ロープの中ほどが投げられ、あっというまに腕もろとも両脇《わき》をしばりあげられた。山ねこのように暴れ狂い、助けを求めてわめき叫んだ。
「ネッド! 起きろ、ネッド! ひでえ裏ぎりだぞ! 助けるんだ! 助けてくれ、ネッド!」
だが三人の男は豚のように眠りこけていて、どんなにどなっても起きはしなかった。ぐるぐるとロープはまわされてゆき、シャーキイはかかとから首まで、まるでミイラのように巻きあげられてしまった。二人は棒のようになってどうすることもできない体を、火薬だるに立てかけ、そのうえハンカチでさるぐつわをかけたが、赤いふちをした両眼は、のろわしいほのおをあげて二人をにらみつけていた。おしの男はうれしさにわけの分からぬ声を発しつづけた。シャーキイは舌のないその口もとを見たとき、はじめて顔をしかめた。忍耐づよいながい復《ふく》讐《しゆう》の努力のすえに、自分がとらえられたのだと初めて悟ったからである。
二人の逮捕者はすっかり計画をととのえてきたのだが、それには相当の苦心があった。
最初に二つの大きな火薬だるのふたをぶちぬいた。そして中身をテーブルや床にあけた。火薬の粉を三人の酔いつぶれのまわりにも積みあげ、まるでその体を埋めるほどにした。それから二人はシャーキイを大砲のほうへ運んでゆき、砲口から一フィートばかりのところで砲門に縛りつけた。シャーキイは死にもの狂いでもがいたが、左右とも一インチとは動けなかった。そのうえおしの男は船員らしい巧みさで両腕をしばりあげたから、もうのがれるすべはまったくなかった。
「さあ、この悪魔め!」コプリ・バンクスはおだやかにいった。「これからいうことをよく聞くんだぞ。これが生きていて聞く最後の言葉になるんだからな。おまえはもうおれのものだ。それも安くない買物だった。何しろわしは捨てられるものは何もかも捨てて手に入れたんだからな。魂さえ捨てちまった。
おまえに近づくためには、おまえの低さまで身を沈めねばならなんだ。ほかに方法はないものかと、二年のあいだわしは苦しんだが、ほかには方法がないと悟ったのだ。それからのわしは盗みもした。人殺しもした。それどころか、おまえとともに笑い、ともに生活してきた。それもたった一つの目的のためだった。いまその時がきたのだ。おまえはいまわしの思いどおりに死ぬのだ。暗いかげにかくれた悪魔がゆっくりはい寄るのを見ながら、地獄へ落ちてゆくのだ。」
シャーキイは自分の手下が向こうの船で船歌をうたうしゃがれ声を耳にした。
ステプニの貿易船はどこに?
目をさませ! ゆり起こせ! 帆げたがどれも曲がってるぞ!
ステプニの貿易船はどこに?
金は草地のうえに、血はガウンに、
みんな威張った海賊ジャックのために、
ローランド海を横ぎって、
風かみへむけて走りゆく。
歌声ははっきり聞かれた。それに甲板を二人の男が行ったり来たりしているのが聞こえた。それでいて自分はどうにもならず、一インチ(ニ・五四センチ―訳者)も動けなければうめき声さえ出せず、目のまえの九ポンド砲の砲口をながめおろすばかりだった。するとまた自分の船の甲板から、合唱の声が聞こえてきた。
風が出た。ストーノウエ湾のほうへ強く、
積みこめ、総帆をあげろ、補助帆もあげろ、
はらみ綱は張らずともストーノウエヘ、
酒はよし、娘も陽気なところだぞ!
威張ったジャックを待ってるぞ!
その船のかえるのを見張ってる!
ローランド海を乗りきって。
死にゆく海賊にとって陽気な言葉や元気なメロディは、その運命のつらさをしみじみ味わわせたが、それでも毒々しい青い目ばかりはひるまなかった。コプリ・バンクスは大砲の起爆薬をぬきおわって、点火孔のうえに新しい火薬をまいた。それからローソクをとって一インチほどの長さに切った。これを大砲のへこみのうえに散らばっている火薬のうえにおいた。それから火薬をその下の床に厚くばらまいたから、ローソクの火が後座についたら、三人の酔いどれのまわりに積もっている火薬が爆発するという順序である。
「シャーキイ、おまえは他人を殺すときもさんざなぶりものにした。だからこんどはおまえの番だ。おまえもそこの豚どももいっしょくただ。」コプリはしゃべりながらローソクの切れっぱしに火をつけて、テーブルのうえの灯火は吹き消してしまった。それからおしの男を連れてそとへ出ると、船室のドアに外からかぎをかけたのだが、そのまえにうれしそうにシャーキイを振りかえった。だが相手の不屈の両眼からは、いまいましそうなのろいが跳ねかえるばかりであった。たった一本のほのかなローソクの光をうけて、高くはげあがった額に玉の汗を光らせたまっ青な顔、それがシャーキイの最後の姿であった。
船側にボートがつないであり、それに乗りこんだコプリ・バンクスとおしの男とは浜に向かってこいでいった。振りかえってヤシの木かげごしに、月光のなかに浮いている帆船を見やった。二人は待った。船尾の窓にみえるほのかな光を見つめて待った。とうとう大砲のにぶいとどろきが伝わった。つづいてものすごい爆発音。長くなめらかな黒い船のかげ、ずっと伸びた白い浜辺、頭をゆさぶるやわらかなヤシの木の輪郭、それらが目もくらむ一瞬の強い光のなかに浮かびあがり、そのまま暗いやみのなかに消えさった。いくつもの叫び声が湾のうえにひびきわたった。
それからコプリ・バンクスは、喜びに胸をおどらせながら、つれの男の肩に手をおいた。そして二人はそのままカイコス島の人のいない密林の奥へと姿を消したのである。
「いだてんのサル」号
フランス海軍がすでに海上に破れ、その三層甲板艦もブレスト港(フランス北西部の軍港―訳者)に姿をみせず、ただメドウェイ河(イギリス南東部の河―訳者)にその残がいをさらすのみとなったころの話である。とはいっても敗残のフランス海軍のフリゲート艦やコルベット艦はまだ大洋をうろつき、それを英艦が追いまわしてはいた。地球のはての海でも、娘や花の美しい名をつけた勇敢な軍艦どもが、斜め帆げたのさきにひらめく四角い旗の名誉のために、互いに相手を打ちほろぼしあっていたのである。
その夜はひどい風だったが、夜明けとともにおさまり、限りなくよせくる緑の大波のうえを西に流れるあらしのくずの海草のたぐいが、のぼる朝日に赤く染まるばかりとなった。北と南と西は一望の水平線がよぎり、ただ二つの大洋がぶつかりあう一点だけは大きな飛まつのあがるのがみえる。東には岩の島がいくつものけわしい岬《みさき》を突きだしている。頭には裸のとがった山をいただき、浜には少しばかりのヤシの木がむらがっている。大波が浜に打ちよせている。そしてそこから少しはなれて艦長A・P・ジョンスンのひきいるイギリスの三十二門砲フリゲート艦レダ号が、その黒光りする艦腹を波がしらに浮かびあがらせ、またエメラルドいろの波底にすべりおりたりして、中帆で北へ進んでいた。まっ白に塗った後甲板には骨ばって小柄な、しぶ紙いろの顔をした男がたち、双眼鏡で水平線一帯をみまわしている。
「ウォートン君。」と、さびたちょうつがいのような声で呼んだ。その声に応じてやせてひざの曲がった男が後甲板を歩みよった。
「はい。」
「密封した命令書を読んだぞ。」
中尉の貧相な顔に好奇心が浮かんだ。レダ号は僚艦ディド号とともに一週間まえアンティガ(西インド諸島のうち風下群島の一つ。英領―訳者)を出たのであって、そのとき司令官からの命令が密封して渡されていたのである。
「命令書はソンブリエロ島(西インド諸島中の小孤島―訳者)へ達したら開封するようにとのことだった。その位置は北緯十八度三十六分、西経六十三度二十八分。このソンブリエロ島はね、ウォートン君、あらしのあがったときわが艦の左げん四マイル(六キロ半ばかり―訳者)にあったよ。」
中尉はしゃちこばって一礼した。艦長とは子供のときからの仲よしであった。二人はいっしょに学校へゆき、いっしょに海軍へはいり、幾度となくともに戦い、互いに相手の血筋のものと結婚したのであるが、ひとたび甲板上に立つと鉄の軍律が二人から人間味を追いだし、そこにはただ上官と部下しかなかった。ジョンスン艦長はポケットから青い紙片をとりだし、ばりばりいわせながらひろげた。
「三十二門砲フリゲート艦レダ号とディド号(艦長A・P・ジョンスン及びジェームズ・マンロウ)は、この指令書を読みし地点よりカリブ海入り口にかけて巡航し、最近その地域にてわが商船を捕えたるフランスのフリゲート艦『栄光《グロアール》』号と遭遇すべくつとむべし。イギリス帝国フリゲート艦はまた、とくにイギリス船を略奪し乗員に残虐行為を加えたる海賊船『いだてんのサル』号またの名ヘアリ・ハドスン号の捜索につとむべし。これは小帆船にして軽砲十門及び二十四ポンド短砲一門を有す。去月二十三日サンブリエロ島北西にて望見されしことあり。
ジェームズ・モンゴメリ(署名)
(海軍少将)
アンティガ――イギリス帝国軍艦コロッサスにて」
「どうもわしらは僚艦を見失なったらしい。」とジョンスン艦長はいい、指令書を折りたたむと双眼鏡をとって再び水平線のあたりを見まわした。「わが艦が縮帆したとき離れさったのだ。ディド号がいなくてあの大きなフランス軍艦に出あったら、ちょっとみじめだな、ウォートン君。」
中尉はいたずらっぽく微笑した。
「あれは主甲板に十八ポンド砲を、後甲板には十二門持っているからな。」と艦長はつづけて、「こっちは合計二百三十一ポンドなのに、向こうは四百ポンド持っているからな。それに艦長のド・ミーロンはフランス海軍きっての機敏な男だしな。あの艦《ふね》に出あったら、本官はまず軍旗を体に巻きつけて体あたりだな!」といったが、ちょっとの間でも気を落としたことを恥じてくるりと向こうを向き、「ウォートン君、」と肩ごしにきびしく振りかえって、「横帆をひらいて、進路を一ポイント西へ転じたまえ。」
「左舷《げん》前方にブリグ船。」艦首楼から声があった。
「左舷前方にブリグ船。」中尉も復唱した。
艦長は舷牆にとびあがり、後檣の静索につかまった。服のすそをはためかせ、目のしょぼしょぼした小男だ。やせた中尉は首をのばして少尉のスミートンにささやきかけたし、士官も兵も下からとびあがってきて物干架につかまり、目に手をかざした。熱帯の太陽がもうヤシの木をはなれてのぼっていたからである。この不思議なブリグ船は曲がりこんだ入り江の口に停泊していて、もはやこの軍艦の大砲をさけて逃げだすわけにはゆかなかった。北にのびた長くけわしい岬《みさき》が入り江に閉じこめているのだ。
「ウォートン君、あれは行くままにしときたまえ。」と艦長がいった。「戦闘準備をする必要はないね、スミートン君、しかし逃げようとするかも知れんから、砲手だけは位置につけておきたまえ。艦首砲だけは発射準備をして、前甲板には小銃隊を待機させたまえ。」
このころのイギリス水兵は、こんな場合にもまるできまり仕事でもするような落ちつきをみせて、各自の部署についたものだ。数分もたつと何の騒ぎもなく水兵たちは所定の砲のまわりに集まり、海兵隊はならんで銃をかまえ、フリゲート艦のへさきはその小さな獲ものにまっすぐに向けられた。
「あれは『いだてんのサル』でありますか?」
「それに違いないよ、ウォートン君。」
「どうもこちらのことが気にいらんようですな。もやい綱を切って、あわてて帆を張っておりますよ。」
たしかにブリグ船はのがれさろうとあがいているようだ。小さな帆がつぎつぎとあがり、水夫たちの索具をもって狂ったように働いているのが見える。敵の前をかすめる意図はないらしく、入り江の奥へ向かっている。艦長は両手をこすり合わせた。
「浅瀬のほうへ向かっているぞ、ウォートン君。何とか行く手をさえぎるしかあるまい。あんなつまらん小船のくせに、縦帆船よりも動きがのろいな。」
「暴動がありましたのです。」
「おお、そうだったな!」
「はい。マニラでその話は聞きました。ひどい騒ぎです。船長と二人の航海士が殺されました。このハドスンが、みなは毛だらけ《ヘアリ》・ハドスンと呼んでいますが、暴動を指揮したのです。ロンドン生まれで、聞いたこともないほど残忍なやつです。」
「こんど耳にするのは死刑台へのぼったときのうわさだろうよ。あの船はひどく乗組員が多いようだな。あの船から優秀なやつを二十人ほど取りたいが、そうなると本艦の水兵が堕落するだろうな、ウォートン君。」
二人の士官は各自の双眼鏡でブリグ船を見つめていた。とつぜん中尉がニヤリと白い歯をみせ、艦長のほうはさっとほおを染めた。
「後甲板にヘアリ・ハドスンがいます。」
「このなま意気なげす野郎め! こっちにやっつけられる前に、まだ何かやる気だな。スミートン君、十八ポンド長砲ならあそこまで届くかね?」
「あと一ケーブル(一八五メートル―訳者)近づけば届きます。」
話しているうちにブリグ船は船首を転じ、まわりながら船尾からパッと煙を吹きだした。だが砲丸は半分の距離にしか届かなかったから、単なるこけおどしに過ぎなかったのだ。そうしておいて気どった動きかたでその小さなブリグ船は反対方向へ船首をたてなおすと、くねった入り江の一つへはいりこんだ。
「急速に浅くなってきます。」少尉が何度も報告した。
「海図には六ヒロとある。」
「実測では四ヒロです。」
「あのみさきを回ったら、どうするか方針をきめよう。はっはっ、それくらいわしも考えとったぞ! ウォートン君、かまわんでおけ。これでやつはつかまえたようなもんだ。」
河のような入り江にはいったので、フリゲート艦はもはや海面からは姿が見えなくなっていた。みさきを一つまわってみると、一マイルばかりさきで二つの浜が合して、また一つのみさきになっているのが見えた。岸にできるだけ近よった一角に、ブリグ船が横腹をこちらへ向けて漂い、黒い帆布を一たば後甲板のマストから吹き流している。やせた中尉は腰に長剣をさげ、二ちょうのピストルをバンドにたばさみ、また甲板へ出てきたが、その旗をいぶかしげに見やって、
「あれが海賊船ですか?」とたずねた。
だが艦長はたけり狂っていて、
「いまにやっつけてやるから、それまでは勝手なことをしておれ! ウォートン君、どのボートがいいね?」
「ランチと小型ボートにしたいと思います。」
「四はい出して、きれいに片づけてしまえ。乗組員には直ちに出動命令をくだす。わしは十八ポンド長砲できみたちを援護する。」
ロープのすれる音やろくろのきしむ音のなかで、大小四はいのボートが海面におろされた。どれにも水兵がいっぱいひしめいている。はだしの水兵たち、がっしりした海兵隊員、うれしそうな士官候補生、そしてどのボートにも座席にはいかめしい教師面をした士官が坐っている。艦長は相変わらず羅《ら》針箱に両ひじをのせたまま、遠くのブリグ船を見守っている。その他の乗組員は網になったロープを張ったり、右舷《げん》の砲を引っぱって回したり、その砲のために砲眼をあけたり、必死の反抗準備に夢中である。その騒ぎのなかで、目までひげが生え、赤いナイトキャップをかぶった大男が、ひとりわめいたり立ち停まったり動きまわっている。艦長は苦笑いを浮かべてそれを見ていたが、急に双眼鏡をとるとくるりと振りかえったと思うと、ちょっとの間ぼうぜんと立ちすくんでから、
「ボートを呼びかえせ!」と細いつんざくような声で叫んだ。「戦闘準備! 主甲板の砲を出せ。帆げたを回せ、スミートン君。抜錨《びよう》十分ならば転進用意。」
入り江の鼻を回って巨大な船がやってくるのだ。その大きな黄ろい第一斜檣《しよう》と、白くそりあがった船首像とは、ヤシの林のうえにつき出ている。そしてさらに高く三本の巨大なマストがそびえ、後甲板の斜げたからはフランスの三色旗がほこらしげに翻っているのだ。へさきの下に青い水をけたててぐるりと回ると、目の前にはっきりと長くて黒くカーヴした船腹と、下のほうは光る銅板におおわれたところから、そのうえに積まれたまっ白のつり床の列、艦橋などに群がってこっちを見ている乗員たちまで、すっかり目にはいった。下のほうの帆げたはつりあげられ、窓はしめられ、砲は砲口を出して発射準備もよいらしい。島のどこかの岬《みさき》のかげにかくれていて、イギリス軍艦が袋小路へはいったのを浜にいる「栄光」号の見張りが見とどけると、ジョンスン艦長が「いだてんのサル」号にしたように、こんどはド・ミーロン艦長がレダ号を追いつめたのである。
だがイギリス海軍のすばらしい軍律は、このような危機にもっともよく発揮される。ボートはみなこぎかえるし、乗組員はたちまちデヴィットでのりあげられて甲板上にあふれ、索具はおさめられた。つり床が持ち出されて積みあげられ、隔壁はおろされ、窓や火薬庫は開けられ、料理場では火が消され、太鼓は艦尾まで鳴りひびいた。一群の水兵が前帆を張って艦首をぐるりと回すあいだに、砲手は上衣とシャツをぬぎすて、ベルトをしめなおすと、受持ちの十八ポンド砲にかけより、開けた砲眼から堂々たるフランス軍艦をのぞき見た。風はごくおだやかであった。澄んだ青い海面にはさざ波一つ見えなかったが、森のある岸からくるそよ風に、帆は柔らかくふくらんでいた。フランス軍艦も同じような動きをしていて、両者は前帆をはってゆっくりと外海のほうへ向かっていた。「栄光」号が百ヤード(九十一メートル余―訳者)ほど先を進んでいる。「レダ」号のへさきを横ぎろうと風かみに向かったが、イギリス艦も同じようにぐるりと回ったので、両艦はごく静かに平行して進むばかり、フランス艦の水兵が弾をこめるので砲口をそうじする音がはっきり耳にひびくほどであった。
「あまり操船余地はないようだな、ウォートン君。」艦長がいった。
「もっと狭い場所で戦ったことがありますよ。」
「距離を保ったままで、あとは砲手の腕を信頼するしかあるまい。だいぶ兵を積んどるようだが、接舷《げん》でもされると面倒なことになるな。」
「軍帽がだいぶ見えますな。」
「マーティニク(西インド諸島のうち、フランス領―訳者)から軽歩兵を二個中隊つれてきたのさ。さあ、いまだ! おもかじいっぱい。へさきを突っきるとき、やっつけろ!」
小柄な指揮官の鋭い目は、早くもさざ波を見てとった。そよ風の来るしるしである。それを利用して大きなフランス艦の鼻さきを横ぎり、そのときすべての砲で一せい射撃をあびせるわけだ。だが横ぎってしまうとレダ号は浅瀬を避けるため、その風のくる方向へ戻ってゆかなければならなかった。この行動によってレダ号はフランス軍艦の右舷《げん》へ出た。するとこの小さなフリゲート艦は待っていましたとばかり敵艦の一せい射撃をうけたかに思われた。するとその瞬間檣《しよう》楼《ろう》兵が群がりのぼって中檣帆や最上檣帆を張ったから、レダ号は敵の鼻さきを横ぎりおわり、再び射撃をあびせた。しかしながらフランス軍の艦長は自艦の艦首をまわしたから、二つのフリゲート艦はピストルの届くほどの間近にならんで進み、互いにすさまじい鉄血を浴びせあったのである。これがすべて記録されれば、海戦史を血で染めることになったであろう。
ほんのわずかしかないきびしい熱帯の大気のなかで、二隻の軍艦をめぐって煙が厚くたなびき、わずかにマストのさきがのぞいているばかりである。まっ暗ななかで相手の砲火のきらめくほかは、何も見えなかった。砲手はその煙のなかで砲をそうじし、照準し、まっ暗な壁にむかって発砲したのである。船尾楼と船首楼では海兵隊が小さな二列になって小銃の一せい射撃を浴びせていたが、それにしても砲手にしても、自分らの射撃がどこまで効果があったかまるきり分からなかった。それに妙なことに、自分たちがどれほどの被害をうけているかも見当がつかなかった。砲のそばに立っていると、あたりはごくぼんやりとしか見えなかったからである。ただ大砲のとどろきのなかに、甲高く鋭い射撃の音や板の裂けるひびき、時おりは円柱や帆げたの甲板にどさりと倒れる音が聞こえた。士官たちは放列の後方を前後に歩きまわり、ジョンスン艦長は海軍帽で煙を追いはらいながら、熱心に敵方をうかがっていた。
「これは珍しい!」中尉が近づくと艦長はこういったが、急に自分を押えて、「損害はどれくらいだね、ウォートン君?」
「メインマストの帆げたと斜桁《こう》だけです。」
「軍艦旗はどうした?」
「海上へ落ちました。」
「向こうはこっちがやられたと思うぞ! ボートの軍旗を出して、後マストの大横帆の右舷《げん》のさきにかかげよう。」
「はい。」
丸い弾が二人のあいだにある羅《ら》針《しん》箱《ばこ》をこなごなに砕いた。二発目が二人の海兵を血だらけのむごたらしい肉塊にした。ほんのちょっと煙が晴れたので、イギリス軍の艦長はより大きい敵の砲丸が、大損害をもたらしているのを見た。レダ号はひどく痛めつけられているのだ。甲板は死体だらけである。窓は壊されて二つが一つになり、十八ポンド砲の一門はしりもちをついて、砲口を空に向けている。歯のぬけたようになった海兵隊員の列が、なおも弾をこめては射撃しているが、大砲は半分が沈黙し、砲手たちはそのまわりに重なって倒れている。
「乗りこんでくる敵に気をつけろ!」艦長が大声にいった。
「短剣だ。みんな短剣をとれ!」ウォートンがわめいた。
「踏みこんでくるまで射撃を控えろ!」海兵の隊長が叫んだ。
フランス軍艦のおぼろな姿が、煙をとおして大きく現われた。船ばたや横《よこ》静《せい》索《さく》にはまっ黒く見えるほど人が群がっている。最後の一せい射撃がその砲門から放たれた。レダ号の中央マストは甲板から数フィートのところで折れ、ぐるっと回りながら左舷の放列のうえに倒れおちると、十人もの兵を殺して一砲隊を全滅させてしまった。と思うまもなく二隻の軍艦は舷《げん》側《そく》をすりあわせ、「栄光」号の右舷《げん》艦首のいかりはレダ号の左舷艦尾のくさりを引っかけた。いっせいに声をあげて、まっ黒に集まった海兵たちは躍りこむべく身構えた。
だがその足は血の染む甲板へは結局踏みこまなかった。どこからか、よくねらいをつけたぶどう弾が一発とんできたのだ。一発、また一発。イギリス艦の海兵隊や水兵は、沈黙した大砲のかげで短剣や小銃をかまえたまま、黒い煙のうすれゆくのを驚きの目で見つめていた。同時にフランス艦の左舷からは、一せいに砲声がとどろいた。
「甲板の残がいを片づけろ!」艦長がどなった。「やつらは何に向かって射撃してるんだ?」
「砲を清掃しろ!」中尉はあえぎながら、「まだやつらを打てるぞ!」
破壊のあとはむしり取られ、片づけられ、ついに一つの砲が、つづいて第二門がとどろきわたった。フランス艦のいかりは断ちきられ、レダ号はその運命のきずなから身を振りほどいたのである。だがそのときとつぜん、栄光号の横静索をあわてて駆けあがる一群のものがあった。そしてイギリス兵たちのあいだからしゃがれた叫び声がおこった。「やつらは逃げてゆく! 逃げてゆくぞ! 逃げてゆくぞ!」
ほんとうだった。フランス艦は砲撃をやめ、ある限りの帆を張ろうとばかり夢中なのだ。だが喚声をあげるイギリス兵も、それを自分たちの手柄にのみは帰し得なかった。煙の晴れるにつれて、その理由が明らかになった。戦っているあいだに両艦は入り江の出口まで来ていたのであって、外海上四マイル(六キロ半ばかり―訳者)ばかりのところを、レダ号の僚艦が砲声をめざして全速で進んでくるところだった。ド・ミーロンの艦長はその日の任務を果したので、リド号の追いかけるのをしり目に、すばやく北方へのがれてゆくところであった。やがて両艦とも、みさきのかげに姿を消してしまった。
だがレダ号は手ひどく傷ついていた。中央マストはなくなり、舷牆は砕けちり、後檣も斜桁《こう》もとびさり、帆はこじきのぼろのよう。百人もの兵たちが死傷し、近くの波間にはいろんな残がいが漂っていた。そのなかに壊れた船尾材で黒地に白ペンキで「いだてんのサル」号と書いたものがあった。
「こりゃ驚いた。あのブリグ船がおれたちを救ったんだ!」ウォートンが叫んだ。「ハドスンのやつフランス軍艦に立ち向かって、一せい射撃をあびてやられたんだぜ!」
小柄な艦長は甲板を歩きまわっていた。早くも乗組の水兵たちは力を合わせて弾の穴を埋めたり、索具を結びなおしたり、継ぎなおしたりしていた。中尉は艦長の目もと口もとのきびしさの和らいでいるのを見てとった。
「みんなやられたのか?」
「一人のこらず船もろとも沈んだようです。」
二人はその不気味な船の名を見おろし、また色の変わった海中に漂う船の残がいを見つけた。なにか黒っぽいものが、砕けた斜桁と揚げ綱にからまって漂っている。残虐きわまりない海賊の黒旗だった。そばに赤い丸帽の浮かんでいるのが見える。
「悪党だが、やっぱりイギリス人だな!」しばらくして艦長がいった。「犬のような生きかただったが、最後は男らしい死だったな。」
陸の海賊
場所はイーストボーン(イングランド南東部の海港―訳者)とタンブリッジ(ケント州の都市―訳者)をつなぐ街道の、それもハンドの十字路にほど近いあたり、両がわにヒースの繁みのひろがる寂しい街道だ。時は晩夏の日曜の夜も十一時半ごろである。一台の自動車がゆっくりと通っていった。
細長い高級車ロールス・ロイスが、軽快なエンジンのひびきとともに、滑らかに走ってくる。二つのヘッドライトの投げる明るい円光に、左右にそよぐ雑草やヒースの繁みは、なにか金色の映画のように浮きだして、かえってあたりのやみを濃くしている。赤い尾灯が一つついているが、その鈍い円い光では車体番号板《ナンバプレイト》は読みとれなかった。車はオープンのツーリスト型で、月のないうす暗い晩だったが、車体の奇妙にばく然とした線はだれの目にも見てとれたであろう。道ばたの家の戸口から流れ出る光のなかを過ぎるとき、そのわけがはっきりした。車体には一枚の麻布がかけてあるのだ。長くて黒いボンネットの部分さえ、何か袋のようなものがかぶせてある。
この奇妙な車をたった一人で運転しているのは、肩幅のひろいがっしりした男だ。ハンドルにかがみこむようにして、チロル帽を眼の上まで、低くおろしている。その帽子の黒いかげの下で、タバコの火が赤く光っている。フライズ風の毛ばだったあらい地の外とうは、耳のかくれるほどえりを立てている。丸めた肩から首をつき出すようにしていて、クラッチをはずしてエンジンをから回りさせたまま音もなく坂を降りてゆくが、何か獲物でも求めるように、やみのなかをのぞきこんだ。
南のほう遠くから自動車の警笛がかすかに聞こえてくる。こんな晩このあたりでは、どの車もみんな南から北へとゆくのだ。ロンドンの週末旅行者の流れが、海浜から首都へ、遊びから勤めへと帰ってゆくところなのだ。その男は背をのばして、耳をそばだてた。ああ、また聞こえてくる。それもたしかに南の方角からだ。顔をハンドルにかがめ、やみに目をこらした。それから、だしぬけにタバコを吐きすてると、ほっと息を吸いこんだ。はるかのかたで、小さな黄いろい光が二つ、道のカーヴを曲がっている。くぼ地でちょっと見えなくなったが、また登り坂にかかったらしく、見えだしたと思ったら、再び消えてしまった。布をおおった車のなかの緩慢な男は、急に活動をはじめた。ポケットから黒っぽい布のマスクをとりだし、視覚を妨げられないように注意しながら、しっかりと顔につけた。アセチレンの角灯をちょっとだけ出して、自分の身じたくはよいかと大急ぎで点検し、腰かけている席の横のモーゼル・ピストルのそばへおいた。帽子を目ぶかにおろし、クラッチをゆるめてギアのレヴァをさげた。長くて黒い車は身ぶるいをしながら走りだし、強力なエンジンのやわらかな響きとともに坂を降りていった。運転者は前こごみになって、ヘッドライトを消した。道路は黒いヒースのなかに灰いろの線となって識別されるだけだ。前方からあえぎながら坂を登ってくる車の音が、がたがたと騒がしく聞こえてきた。エンジンが疲れた心臓のようにあえぎ、強力だが型の古い第一ギアで咳きこむような音をたてている。黄いろくまばゆいライトが、カーヴで見えなくなった。坂がのぼりになったので、二台の車は三十ヤードほどに近づいていた。黒い車は道路を横ぎるように止まると、やってくる車の行く手をさえぎり、警告のアセチレン・ランプをうち振った。ブレーキの音をきしませて、がたがたやってきた車は停止した。
「おい、」怒りっぽく叫んだ。「冗談じゃないぞ。もう少しで事故をおこすところだった。何だってヘッドライトをつけないんだ? ラジエタをぶっつけそうになるまで、気がつかなかったぞ!」
前につきだしたアセチレンの角灯の光のなかに、ひどく怒った若い男の姿が現われた。青い目に黄いろい口ひげをたてた男で、古めかしい十二馬力のウルズリ車の運転席に一人で坐《すわ》っている。とつぜん、その赤らんだ顔の怒った表情が、何ともいえずとまどった。暗い車のなかにいた運転者は席をとびだすなり、黒くて銃身の長い、不気味なピストルを旅行者の頭につきつけた。そのピストルのうしろには恐ろしい目が二つ、黒い布のマスクからのぞいている。
「手をあげろ!」早口に、断固としていった。「さあ、手をあげろ! さもないと――」
若いほうの男も勇気のないほうではなかったが、やはりその声で手をあげてしまった。
「降りろ!」襲撃者は荒っぽくいった。
若い男は道路に片足をおろし、おおいをした角灯とピストルを突きつけられたまま、いわれた通りにした。一度は両手をおろしかけたが、すぐきびしい言葉にあって、また高くあげた。
「おい君、これは少し古めかしいじゃないか、どうだね?」旅行者がいった。「冗談のつもりだろうが……え、何だって?」
「時計をだせ!」モーゼル・ピストルを突きつけた男がいった。
「ほん気じゃあるまい。」
「時計をといったんだ。」
「よし。どうしてもというなら、さあ取れ。どうせメッキものだよ。きみは二世紀もずれてるぞ。場所からいっても数千マイルのずれだ。やぶで待ち伏せるか、それともアメリカでやればいいのに。サセクス州の街道じゃ不似合いだよ。」
「財布だ。」男がいった。その声音や仕ぐさにはひどく強要的なものがあった。財布を渡した。
「指環はあるか?」
「はめないよ。」
「そこに立ってろ! 動くな!」
つじ強盗は相手の横を通りこして、ウルズリ車のボンネットを引きあけた。ペンチを持った手がそのなかに突っこまれ、あちこちと動いた。ぱちんとワイヤのきれる音がした。
「おい、よしてくれ。車をこわしちゃ困る。」旅行者はあわてた。
旅行者は振りむいたが、強盗はまたもやすかさず相手の頭にピストルを突きつけた。電気回路を切った強盗が身をおこすわずかなすきにも、若ものの目にハッと思わず息をのむようなものがうつった。何か叫ぼうとしたのか、彼は口をあけたが、それでも何とか自分を押える様子だった。
「乗れ。」強盗が命じた。
旅行者は座席についた。
「名は何というのだ?」
「ロナルド・バーカ。君の名は?」
覆面の男はこの質問を無視して、
「どこに住んでいる?」
「財布に名刺があるから、一枚とれ。」
強盗は自分の車へとび乗った。二人の問答のあいだも、エンジンは低い音をたてて動いていたのである。彼は音をたててサイド・ブレーキをはずすと、ハンドルをぐいと切って停まっているウルズリ車の横を回りさった。一分もたつとその車はヘッドライトをあかあかと輝かせて、南のほうへ半マイルばかりのところを疾走していた。一方ロナルド・バーカ君は角灯を片手に道具箱のなかをひっ掻きまわしていた。針金を一本見つけて電気回路を接続し、車をまた走らせるためである。
被害者との距離が安全なまで開いたと見ると強盗は車を止め、ポケットから盗んだ品を取りだした。そして時計をまずしまうと財布をだして中身を勘定した。哀れにも七シリングしかなかった。冒険の報酬がこればかりだったことは、面白がりこそすれ、少しも失望はしなかった。角灯の光で半クラウン貨を二つと、フロリンを一枚見てふふっと笑ったのである。それから急に態度が変わった。そのうすっぺらな財布をポケットヘねじこむとブレーキをゆるめて、この冒険をはじめた時のような緊張した態度で車を飛ばした。べつの車のライトが向こうからやってくるのだ。
こんどの強盗のやりかたは、まえより大胆になっていた。明らかにさっきの経験が自信を与えたのだ。あかあかとライトをつけたまま、新しい獲もののほうへ車を飛ばした。そして道のまんなかで停まると、相手に停まれと命じたのだ。やられた旅行者の目には、さぞ強引にうつったことであろう。自分のヘッドライトの光のなかに、強馬力車の長くて黒い鼻とその左右に丸い光がみえ、車上にはマスクをつけた恐ろしそうな男が坐っているのだ。逆に強盗の車の投ずる金いろの光のなかには、優美な二十馬力の、屋根を取りはずしたハンバ車と、仰天した小柄な運転者がとんがり帽の下で目をぱちくりやっているのが見えた。風よけのうしろには、ヴェールをかけた帽子と二人の若くてひどく美しい顔が驚いて両がわに一つずつ出ている。悲鳴がしだいに高まってゆくところを見ると、二人のうち一人はよほど気持ちを転倒させているらしい。もう一人のほうはより冷静で小うるさい。
「やめてちょうだい、ヒルダ。」彼女はささやいた。「静かにして、バカなまねはおよしなさい。きっとバーティの仕わざよ。じゃなけりゃあの仲間のいたずらだわ。」
「あら、違うわ! これほんものだってば、フロシイ。これ強盗よ。まちがいないわ。まあ、ほんとに、どうしましょう?」
「ね、『宣伝』になるわ!」と相手は叫んだ。「すてきな宣伝だわ! 朝刊には間にあわないけれど、夕刊にはきっとどれにも出るわ。」
「ね、ひどい目にあわないかしら? ああ、フロシイ、フロシイ、あたし気が遠くなりそうだわ! ねえ、声をあわせて叫んでみたら、何とかならないかしら? あんな黒い覆面なんかして、あたし恐ろしいわ。ああ、たいへん、たいへんよ。運転手のアルフが殺されてしまうわよ!」
強盗の行為はまさしく恐ろしいものになりそうだった。車から飛びおりると、アルフ運転手のえり首をつかんで引きずりおろした。モーゼル・ピストルをひけらかしているので、抵抗することもできず、運転手は車のボンネットをあげて、プラグを引きぬいた。かくして捕われの車を動かなくすると、覆面の男は角灯を片手に車のわきへ歩みよった。さっきロナルド・バーカ君にみせたような荒っぽいきびしさはなく、断固とはしているが声も態度もやさしくなっている。話しかけるときは、帽子にちょっと手さえやった。
「ご迷惑をおかけして、申しわけありませんな。」という声もさっきの強盗のときより数段高まっている。「あなたがたはどなたでしょう?」
ヒルダ嬢はとてもまともに返事のできるような状態ではなかったが、フロシイ嬢のほうはもうちょっとしっかりしていた。
「余計なお世話ですわ。それよりも公道でひとの車を停めるなんて、どんな権利がおありなんですの?」
「時間がありません。」強盗はいくらか声をきびしくして、「こちらの質問に答えてほしいですな。」
「いいなさいよ、フロシイ! お願いだから、もっとやさしく話してよ。」ヒルダが叫んだ。
「じゃいうわ。あたしたちロンドンのゲイティ座のものなのよ。フロシイ・ソーントン嬢とヒルダ・マナリング嬢って、聞いたことあるでしょう? イーストボーンのロイヤル座へこの一週間出ていましたの。それが日曜で遊びに出かけたところなのよ。これで分かったでしょう?」
「それでは財布と宝石類をいただかなきゃなりませんな。」
若い二人は口々にわめいたり嘆願したりし始めたが、まえのロナルド・バーカ氏と同じように、この強盗にはどこか物しずかなうちに迫るもののあるのを悟ったのである。数分のうちに財布は強盗の手に渡され、ぴかぴかの指環や腕環、ブローチや首飾りは車の前の座席へすっかり積みあげられた。ダイヤモンドは角灯の光のなかで電気火花のようにちかちかと輝いた。男はその光る宝石類を手のうえにのせ、重さをはかった。
「とくに大切なものがありますか?」男はそうたずねたけれど、フロシイ嬢はまともに返事をする気になぞならなかった。
「あたしたちのいるクロード・デュヴァルへ来たりしないでね。取るのならさっさと持ってって。返してなんかもらいたくないわ。」
「ビリのくれたネックレスはべつよ。」ヒルダが叫び、小さな真珠のじゅずを引ったくった。強盗はおじぎをして、取るにまかせた。
「ほかには?」
しっかり者のフロシイがだしぬけに泣きだした。ヒルダもそれにつづいた。それが強盗に与えた効果はめざましいものがあった。彼は宝石の山をごっそりと、手近の女の座に投げかえしたのである。
「さあ、持ってきなさい! どうせ安ぴかものばかりだ! そっちには大切なものでも、こっちは一文にもならん。」
涙はたちまち微笑に変わった。
「財布はかまわないのよ。中身の十倍も『宣伝』になるんですもの。でも何て変なかせぎかたをするんでしょう。つかまるのが恐くなくって? すばらしいわね、まるで喜劇の一場面ですもの。」
「悲劇かも知れませんな。」強盗がいった。
「まあ、そんなことないわ。決してないわ。」二人の若い女優は叫んだ。
しかし強盗はこれ以上おしゃべりをする気分でなかった。道のずっと向こうに一点、ライトが現われたからである。新しい獲ものがやってくる。商売は一つずつ片づけねばならない。二つの仕ごとをこんがらかしてはならないのだ。ブレーキをはずすと帽子をあげ、新来者を片づけるべく車を走らせはじめた。一方フロシイとヒルダは放棄された車から上半身をのりだし、この冒険でまだ胸をどきどきさせながら、赤い尾灯がやみに消えてゆくのを見まもったのである。
こんどのはあらゆる点で豊かな獲物らしかった。四つの大きなヘッドライトのうしろに、がっちりした車体が、真ちゅうの金具を光らせてやってくる。六十馬力のりっぱなダイムラは、最新の高性能を示すように、低くて深いうなりを変えずに坂をのぼってくる。荷物を満載して、スペインの三層船が船尾を高く見せるように、堂々と進んできたのが、へさきを小船に邪魔でもされたように、今や道のまんなかで停止をくったのである。そのリムジーン車の窓からは、赤まだらの怒った悪相の男の顔が現われた。強盗はその高くはげあがった額、ぶよっと垂れさがったほお、それに盛りあがった肉のしわの間からのぞくずるそうな両眼などを見てとった。
「どいて下され! すぐにおどきなされ!」耳ざわりな声でどなった。「ハーンよ、その男をひき倒してしまいなさい! 降りてこの男を引きずりだしてやれ。よっぱらっとる。よっぱらっとるんだよ!」
これまでのこのつじ強盗のやり口は、まあやさしいほうだったといえよう。ところがそれが今や一転して野蛮なものになった。たくましく強そうな運転手は、うしろからのしゃがれ声にはげまされて、車からとび降りると進んでくる強盗ののどもとを押えた。しかしいきなりピストルの台じりで頭に一発くらい、うめきながらその場に倒れた。長くなっているのをまたいで進んだ強盗は、ドアを開くなり中にいる強そうな男の耳をぐいとばかりつかんで、悲鳴をあげるのを引きずりおろした。それから念入りに相手の横面を平手で二度思いきってたたいた。その音は夜の静けさのなかでピストルの音のようにひびきわたった。ふとった旅行者はまっ青になって、気も失わんばかりに高級車のそばへ倒れた。強盗はその上衣をめくりあげ、そこについていた太い金鎖を付属物もろともむしり取り、黒じゅすのネクタイに光っている大粒のダイヤモンドのピンをぬきとり、指環を四つ――どの一つをとってみても三桁《けた》以下の品はない――をはずし取り、最後に内ポケットから厚ぼったい財布をうばいとった。これらの品を自分の黒い外とうのポケットにおさめると、真珠のカウスボタンとカラをとめた金の留め金まで奪ってしまった。もう何も取るものがないのを確かめると、強盗は倒れている運転手を角灯の光で照らし、失心しているだけで死んだのではないのを確かめた。それから主人のほうへ戻ると、恐ろしい力でその衣服を念入りにぬがせはじめた。ぬがされる相手はいまにも殺されるのではないかとの恐怖から、うめいたりもがいたりした。
こんな拷問をかける人物の目的がどこにあったかは別として、とにかくその行為はきわめてうまく中断されたのである。というのはふとある物音に頭をあげたのである。するとあまり遠くないところを、北のほうから快速で近づく車のヘッドライトが見えるではないか。その車は前に残した被害の車を通りこしているに違いない。してみると強盗と知って追跡してきたものだろうし、この地区のいなか警官をいっぱい乗せているのかも知れない。
冒険者は一刻もぐずぐずすべきでなかった。どろだらけの犠牲者から飛びさがると、大急ぎで自分の車にとびこみ、アクセルを踏んです早く道路を走りだした。少しゆくと細いわき道があったので逃走者はそこへ曲がりこみ、高速でゆられながら走りつづけ、追跡者をたっぷり五マイルは引きはなしたと思われる静かな場所へ来てはじめて車をとめた。それから片すみへよって、今夜の獲ものを数えだした。ロナルド・バーカ氏の貧弱な財布、女優たちのいくらかよい財布。これは四ポンドあった。最後は高級車の大金持ちがもっていた宝石類と札でふくらんだ紙入れである。なかは五十ポンド紙幣が五枚、十ポンドが四枚、ソヴリン金貨が十四枚、それに値うちのある証券などが内容だった。一晩の仕事としては十分だといえよう。冒険者は不当な手段で得た品をポケットに入れなおし、タバコに火をつけると、これ以上は何の欲もないという顔で南へ走らせた。
この騒がしい夜のあけた月曜日の朝のことである。ウオルコット・オールド・プレースに住むヘンリ・ヘイルワージ卿《きよう》は、ゆったり朝食をすますと、州の会議の仕事に出かける前に手紙を二、三したためるため、書斎のほうへゆっくり歩いていった。ヘンリ卿は州の副長官で、古い家柄の男爵である。十年の経験をもつ州の行政副長官であり、ウィールド州一の良馬育成者でもあり、荒っぽい乗り手としても知られている。背のたかいすらっとした男で、強力なひげのない顔、黒くて太いまゆ、四角で断固たるあご――一見して敵に回すよりも味方にしたくなる人物である。五十近いが、若さを失ったという点はどこにも見あたらない。しいていえば、いたずら好きの「自然」の仕わざであろうか、右耳の少しうえに数本の白毛があって、それがかえって持ちまえの黒くてカールした髪の毛をきわだたせている。けさは何か考えごとでもあるか、パイプに火をつけると、つくえの前に坐《すわ》って白い便せんをひろげて、じっと何か物思いに沈んでいる。
だしぬけに我にかえった。曲がりこんだ馬車回しの向こうから月けい樹の植えこみを通して何かの低い音が聞こえたが、やがて旧式自動車のがたがたいう騒音に変わってきたのである。車よせを回って一台の旧型ウルズリ車が現われたが、運転席には血色のよい顔に黄いろい口ひげを生やした青年が坐っている。ヘンリ卿《きよう》はそれを見ると思わずとびあがったが、すぐに腰をおろした。まもなく召使がロナルド・バーカさまがおいででと告げにくると、改めて立ちあがったのである。早朝の訪問であったけれど、もともと二人はごく親しい友だちなのである。ともに猟上手、乗馬や玉突きはうまいし、ひどく気があっていた。若い(貧しくもある)青年のほうが一週に二度はこのウオルコット・オールド・プレースで一夜をすごすならいとなっていた。それでヘンリ卿は親しげに手をさし出しながら、相手を迎え入れたのである。
「これは早起きしたものだねえ。」と卿はいった。「何事かね? もしルーイス(サセクス州の海港―訳者)へでも行くんなら、いっしょに自動車で行こう。」
しかし青年の態度は奇妙でそっけがなかった。さし出された手を握ろうともせず、長い口ひげをひねりながら、思いなやむらしくさぐるような目つきで州副長官のほうを見つめている。
「おい、どうしたというのだ?」副長官がたずねた。
それでも青年は口をあかなかった。明らかに何かひどくいいにくいことを切り出しかねているのらしい。主人のほうがいらいらしてきた。
「けさは何だか落ちつかんようだな。いったい何事なんだ? 何か腹のたつようなことでもあるのかね?」
「うん。」とロナルド・バーカは語気をつよめていった。
「どうしたというんだね?」
「原因はあなたにある。」
へンリ卿は微笑して、「まあ坐りたまえ。わたしに何か文句があるんなら、聞こうじゃないか。」
バーカは腰をおろした。抗議をするだけの元気を何とかふるい起こそうとするらしい。元気が出ると、その口から言葉が弾丸のようにほとばしり出た。
「ゆうべどうして僕から強盗なんかしたんです?」
副長官は鉄の神経の人であった。驚きも恐れも色には出さない。落ちついてしっかりしたその顔は、筋一つ動かさなかった。
「ゆうべ私が君を強盗したなんて、どこからいうのかね?」
「メイフィールド街道で背のたかい大男が自動車で僕を停めた。ピストルを顔に突きつけて、財布と時計を奪った。ヘンリ卿、その男はあなただったんですよ。」
副長官はにっこりして、
「この地方で背のたかい大男といえば、わたしだけかね? 車を持っているのだってわたしだけかね?」
「ロールス・ロイスくらい一目みれば分かりまさあね。まして僕は一年じゅう自動車に乗っているか、でなければその下にもぐっている男ですからね。このあたりでロールス・ロイスを持っている人といったら、あなたのほかに誰がいるというんです?」
「ねえ、バーカ君、君のいうような近代的つじ強盗だったら、むしろ自分の住む地区からそとへ出て仕事をするのが普通じゃないかね? そうなればこの南イングランドでロールス・ロイスを持っているのは、何もわたしばかりじゃない。ほかにいくらもあるよ。」
「いや、そりゃダメです、ヘンリ卿。ダメですとも! あなたはうんと声を落としていましたけどね、それくらい僕にも覚えがありますよ。だけどそんなことはどうでもよい! いったいどうしてあんなまねをしたんです? それが僕はしゃくなんです。もっとも親しい二人のあいだですよ。それが僕に手をあげさせるなんて、議会が割れそうになったとき、最後まであなたについた僕というものを、ピストルでおどして、しかも盗ったのが安ぴかの時計と数シリング。こりゃとても信じられませんよ。」
「そう、とても信じられない。」と副長官も微笑しながらくり返した。
「そのつぎには女優だ。しがないかせぎをしている哀れな連中。僕は後を追ってみんな見ていたんですよ。ありゃ聞いたこともないひどいやりかただ。といっても下町の高利貸し、ありゃべつですよ。どうでも強盗をやらなきゃならないなら、あんなのこそ襲うがよろしい。しかし親しい友だちや、若い女たちを――もう一度申しますが、僕にはどうしても信じられませんでしたよ。」
「それをどうして今は信じているんだね?」
「事実その通りなのですからね。」
「どうやら独りでそうと信じこんでいるらしいね。人の前へ出せるようなはっきりした証拠はないらしい。」
「法廷でだって、あなたのやったことと断言できますよ。あなたがあの車のワイヤを切っているとき、ハッと分かった――まったく好き勝手なことをやったもんだ!――だってマスクのかげに横びんのその白毛が見えたんですよ。」
鋭い観察者ならはじめて、副知事の顔にかすかな感情の動いたのを認めたであろう。
「どうも君は、少し勝手な想像を働かせすぎるようだね。」
訪問者のほうは怒りに顔を紅潮させて、
「いいですか、ヘイルワージさん、」と手の平をひらいて、三角に小さくさけた黒い布切れを見せながら、「これが分かりますか? あの若い女たちの車のそばに落ちていたのです。あなたが車から飛び降りたとき、ひっかけて裂けて落ちたものに違いありません。さあ、あなたのあの黒い厚地の運転用オーバを持ってこさせなさい。ベルを押さないというなら、私がやります。そしてこの小ぎれを合わせてみましょう。僕はとことんまで見とどけなければ承知ができません。その点とくとご承知ねがいます。」
副知事の答えは意外だった。立ちあがるとバーカの坐っているところを通りすぎ、ドアに歩みより錠をおろして、そのかぎをポケットにしまいこんだ。
「最後まで見届けさせよう。それまで君をここへ閉じこめておく。さてバーカ君、われわれは男と男として、腹を割って話しあおう。これが悲劇に終わるかどうか、君の出かたしだいなのだ。」
こういいながらつくえの引出しを半ば開きかけた。青年は怒りに顔をしかめ、
「おどろかしたって、どうにもならんさ。僕は義務としてこれをやりぬくんだ。おどかされて引っこむと思わないでもらいたい。」
「君をおどかす気なんかない。悲劇といったのは、君をどうするかという意味じゃなかった。ただ、どうしてもこの事件をこうはさせたくないという方向があった。私にはさしたる親類縁者というものはないけれど、家の名というものはある。だからあることだけはどうしても防ぎたい。」
「そんないいわけはもう遅い。」
「まあそうだろう。しかし遅すぎるということはあるまい。だからいま、君にはっきり打ちあけようと思うのだ。第一に、君のいう通り、ゆうべメイフィールド街道で君をおそった強盗はたしかに私だった。」
「しかしいったいどうして……」
「分かった。まあ、私のいうことを聞いてくれたまえ。まずこれを見てほしいのだ。」と引出しをあけて二つの小包をとりだし、「今夜ロンドンから郵便で出すつもりだった。このほうは君あてなのだから、いま渡しておこう。君の財布と時計がはいっている。だからワイヤを切られたことをのけたら、君としては何の損害もなかったわけだ。こっちの小包はゲイティ座の若い女優あてだ。取ったものはすっかりはいっている。これで君が私を責めて来るまえに、私が両方へすべてを返すつもりであったのは分かってくれるだろうね?」
「それで?」とバーカがたずねた。
「それであとはジョージ・ワイルド卿の問題だけだが、君は知らんかも知れないけれど、この男は悪名たかいラドゲート銀行の創立者で、ワイルド・エンド・ガゲンドルフ商会の首席重役なのだ。運転手のほうは関係がない。私は名誉にかけていうが、運転手まであんなにする気はなかった。話をつけたかったのは主人のほうだ。私自身が金持ちでないのは君の知っている通りだが、州の人間なら誰でも知っているだろうな。黒チューリップ号がダービで負けたとき、私は手いたい損をした。そのほかのことでも損は重ねていたけれどね。それから私は千ポンドの遺産をもらっていた。ところがこの悪らつな銀行家は、預金をすれば七分の利を払うというのだ。私はワイルドを知っていたものだから、会いにいった。安全かどうか尋ねたのだ。安全だという。それで払いこむと、それから四十八時間以内に破産になっちまった。公任管理人の話だと、ワイルドは三ヵ月も前から、どうにも切りぬけられないのを知っていたという。それでいてやつは、沈んでゆく船にこっちの荷物を積みこませやがったのだ。それでいてやつは無事だった。畜生め! それはそのはずで、やつはほかにたっぷり持っていやがったのだ。しかもこっちは全財産を失って、法律ではどうすることもできない。これは公道上で人のものを強奪するのとまるで変わりはないじゃないか。だから文句をつけに行ったら、やつは面と向かってあざけり笑いやがった。こんどからコンソル公債にでもしたがよかろう。こっちはいい教訓を安く渡しましたよといいやがる。そこで私は、どんなことをしてでもやつに仕返ししてやろうと決心した。それからいろいろ調べて、やつの慣行をおぼえた。日曜の夜にはいつもイーストボーンから帰ってくるということや、いつも財布には大金を入れて持ち歩いているということなどね。その財布を私が強奪したのだ。私のやったことを道徳的によくないと思うかね? これはやつが未亡人や孤児にやったことを、私がやったにすぎないのだ!」
「それはちっとも構いませんね。だけど僕にしたことは? あの若い女たちにしたことは?」
「バーカ君、少しは常識をもちたまえ。私の個人的な敵だけをねらうようなまねをしたら、当局の追及を免れられるだろうか? それは不可能だ。だから普通の強盗のように見せるには、あの男と偶然にぶつかったとするしかない。それで街道へ出ていって、機会のくるのを待ったのだ。ところが困ったことに、最初にぶつかったのが君だった。坂をのぼりつめたところの家並みのなかに君の金物屋のあるのを気づかなかったとは、こっちの失敗だった。君だと分かったときには、おかしくて口もきけないほどだった。しかし始めたからにはやりぬくしかなかった。女優の場合も同じことがいえる。どうも少し気がさしてね、あんな安ぴかものまでは取れなかったけれどね。とにかくそれでも芝居はやりおおせた。それから目ざす男がやってきた。これは芝居なんかじゃない。やつを丸裸にする気だったし、事実そうしたのだ。ねえ、バーカ君、これを君はどう思うね? ゆうべは私が君の頭にピストルを突きつけた。ところがけさは同じことを私にたいして君がしているのだよ。」
青年はゆっくり立ちあがり、あけすけに微笑しながら副長官の手を強く握りしめて、
「二度とやらないでほしい。危険にすぎますよ。あなたがつかまれば、あの豚はますます得意になるでしょうからね。」
「バーカ君、そういってくれる君はいい男だ。もちろん、二度とやるもんか。『勇ましき一ときこそは、名もなき一時代に匹敵する』(モーダントの詩句、スコットにより引用された―訳者)といったのは誰だったかね? まったくだよ! じつに面白かった。あんなことは生まれて初めてだった。さあ、きつね狩りの話でもしよう。二度ともうあんなことはしないよ。こんどこそやられるからね。」
つくえのうえで電話がはげしく鳴ったので、副知事は受話器を耳にもっていった。聞きながら相手のほうへ笑いかけて、
「出かけるのがちっと遅くなったかな。州の裁判所でけちな窃盗の裁判があるので、早く来てくれってさ。」
解 説
コナン・ドイルは死の前年の一九二九年に、それまであった数冊の短編集をばらばらにほぐして「冒険」「恐怖」などの数編十種類にし、これを全部まとめて千二百ページの大冊にし、コナン・ドイル・ストーリズとして出したことはほかでも度々述べた。ここに訳出したのはそのなかの「海賊編」である。
海賊は東洋西洋とも古くからあったらしい。日本では聖武天皇の時代というから、西紀五十年のころから瀬戸内海に現われた記録があるそうだ。その後一時は国家の海軍の役もつとめたと伝えられる。規模はごく小さいものだと思うが、瀬戸内海には現在でもときどき現われるらしい。シナでもこれに負けぬくらい古くからあったらしく、主として南方の広東省、福建省、浙《せつ》江《こう》省の海岸を荒らしたらしい。西洋ではスカンディナヴィア半島の住民が人口過剰が原因で海賊をはたらくにいたり、四世紀から十世紀ころまで横行したとものの本に出ている。
本編に出てくる海賊は主としてカリブ海を舞台にしており、アメリカの独立戦争(一七七五―一七八一)前後のことのようだから、まだ蒸気機関は発明されておらず、貨客船はもとより、海賊船も軍艦もすべて帆船だった。帯鉄や綿布はできていたけれども、どちらかといえば珍品だったらしいことが文中にうかがわれる。
最後の一編は面白いけれど海賊とは関係がない。これは海賊談が不足したので特に加えたものであろう。表題も元来は「こみあう時刻」となって「危険」という短編集におさめられていたものである。訳者が勝手にさし加えたものではないことをことわっておく。表題も訳者が勝手につけたものではない。
一九六一年一月
訳 者
この作品は昭和三十六年三月新潮文庫版として刊行された。
本作品のなかには、今日の観点からみると差別的表現ないしは差別的表現ととられかねない箇所があります。しかし訳者の意図は、決して差別を助長するものではないこと、作品自体のもつ文学性ならびに芸術性、また著者および訳者がすでに故人であるという事情に鑑み、底本どおりの表記としました。読者各位のご賢察をお願いします。
<編集部>
Shincho Online Books for T-Time
ドイル傑作集 海賊編
発行 2000年11月3日
著者 コナン・ドイル(延原 謙 訳)
発行者 佐藤隆信
発行所 株式会社新潮社
〒162-8711 東京都新宿区矢来町71
e-mail: olb-info@shinchosha.co.jp
URL: http://www.webshincho.com
ISBN4-10-861036-9 C0897
(C)Katsuko Nobuhara 1961, Coded in Japan