TITLE : ドイル傑作集  クルンバの悲劇
ドイル傑作集 〓 クルンバの悲劇
コナン・ドイル 著
延原 謙 訳
目 次
一 ウエスト家の歴史
二 塔の怪光
三 ヘザストン少将
四 白髪《しらが》の青年
五 二つの春
六 助けてくれ!
七 スミス伍長《ごちよう》
八 イズレール・ステークズの話
九 イースタリング医師の話
一〇 モーダントの手紙
一一 難破船
一二 怪僧
一三 怪僧ラム・シン
一四 十月五日
一五 ヘザストン少将の日記
一六 底なしの穴
ドイル傑作集 〓
―クルンバの悲劇―
一 ウエスト家の歴史
この話を公表するにあたって私――セントアンドルーズ大学法科の一学生たるジョン・フォザギル・ウエストは、つとめて叙述を簡潔に、ビジネスライクにと心がけたつもりである。
もとより私はこの一篇によって、文芸的な成功をおさめようとする野心があるのでもなく、ましてや文章に綾《あや》をつけたり、事件の配列を巧みにすることによって、このいとも不可思議なる物語りにいっそう濃い暗影を投じようとする山気があるのでもない。ただ望むところは、本件の真相を幾分ずつでも知っている人たちに読ませてみて、私の文章が一言一句事実を曲げたり、あるいは書くべきことを書きもらしたりしていないことを、その人たちが心から是認してくれるようなものができさえしたら、それで満足のきわみなのである。
うまくゆくかどうかは、書いてみなければ分からぬが、そうした唯一の小さな私のねがいの叶《かな》うようなものが出来あがったなら、生まれて初めてで同時にこれが最後になるであろうこの一小篇の世のなかへ出るのを、心しずかに待っているとしよう。
この物語りを書くにあたって、私はすべての事件をありのままの順序に――直接自分の見聞しなかった点は、信ずべき伝聞によって記述するつもりだったのであるが、幸い知人の好意ある助力をうることができたから、この点私自身の労力が大いにはぶけるのみならず、読者にもより多くの満足を与えうるだろうと思われる。というのは他でもない、本件に関するあまたの手記に加うるに、私は陸軍少将ジェ・ビ・ヘザストンを識る人人の直話を聞き得たからである。
この予定にしたがって私は、もとクルンバ館《やかた》の御者であったイズレール・ステークズの供述、ならびにエディンバラ大学の国立内科医学協会員で、現在はウイグタン州のストレンラで開業している医師ジョン・イースタリング氏の言を引用し、あわせて故ヘザストン少将の日記中から、一八四一年の秋から第一回アフガン戦争の終末期にかけてツール谷に起こった事件に関係ある部分を、テラダ峡路の小遭遇戦の模様からグーラブ・シャアと称する男の死にいたるまで、逐語的に抽出してお目にかけることにしよう。
これらの材料と材料とを適当に按配《あんばい》してつなぎあわせ、欠けたるを補うのが私に与えられたる仕事であるから、この意味からすれば、私は著述者というよりは、編纂者《へんさんしや》として甘んじなければならないのである。
私の父ジェームズ・ハンタ・ウエストはもと、東洋学者、梵語《ぼんご》学者として知られていたので、その名はいまなお斯学《しがく》に志ざす人人のあいだに重きをなしている。なかんずく、サ・ウイリアム・ジョーンズに学んで古代ペルシャ文学の大なる価値あることに目をつけたのは、父が最初であったので、ハフィツならびにフェリデディン・アタールの翻訳を出したときは、ヰンナのハマプルグスタル男その他大陸の著名なる批評家の熱烈なる称讃《しようさん》を博したものであった。
「東洋科学新誌《オリエンタリシエス・サイエンスプラツト》」の一八六一年正月号をみると、父のことが「エディンバラの有名にして博学なるハンタ・ウエスト氏」云云《うんぬん》と書かれている。その一節を父は嬉《うれ》しそうに切りぬいて、ウエスト家の大切なる記録と一つにして、ていねいにしまい込んだものだ。
元来父は弁護士となるように教育をうけたものであったが、右に述べた学問的道楽に没頭しきって、職業のほうはどうなっても、ほとんど顧みようとしなかったのであった。
たまさかに事件依頼者がジョージ街の事務所に会いにきてみれば、そこにはいないで父は弁護士会館図書室の一隅に籠城《ろうじよう》しているか、でなければ十九世紀のスコットランドに起こった小うるさい法律事件よりも、紀元前六百年の昔にメヌの書きつづった法典のほうが面白いとばかりに、哲学協会でかびだらけの古写本を読みふけっているという始末だった。であるからこの方面での父の学識が積まれれば積まれるほど、一方において職業のほうが荒廃してゆくのは、何ら怪しむにたらぬ自然の道理であった。そうして最後に、学問的には父の名声が全盛をきわめたのに反し、家庭は物質的な窮迫のどん底におちねばならぬ日がついにやってきた。
父の母校たるエディンバラには、梵語《ぼんご》学の講座のある大学が一つもなかったから、教師になることもできないし、そのほかにも父の唯一の財産たるこの知識を售《う》るべきすべとてもなかったので、すんでのことでわれわれはフィルドゥジの金言戒律やオマール・カイヤムや、その他父が秘蔵の東洋の研究資料をいだいて、にわか乞食《こじき》のような生活におちねばならぬところだったのであるが、幸いにして折よく、父の異母兄たるウイグタン州はブランクサムの大地主ウイリアム・ファリントンから、思いもよらぬ好意ある提言《ていげん》があったので、当座のしのぎだけはつけ得たしだいであった。
このウイリアム・ファリントンという人は、ウイグタン州の大地主であったが、ただ不幸にしてその領する土地は元来が痩《や》せ地の多い州のうちでも一番やせた地方にあったので、広さの割合に経済的価値は他の土地ほど大きくはなかったけれども、幸いその伯父《お じ》は独身だったので生活費も安くてすむところから、地内に散在する家作のあがりと、荒地を利用して飼育しているガロウエ馬を売った金とで地主相応の生活したうえに、余ったのを銀行に積んでいる額がかなりにのぼっていた。
われわれがまださほど窮迫せぬころは、この伯父からもあまり便《たよ》りはなかったが、いよいよ困りきって途方にくれているとき、十分同情し、なんとか力になってやろうという天使のような助け船の手紙がきたのであった。その手紙には、自分は以前から片肺が悪くなっているのだが、ストレンラのイースタリング医師から、まだ数年は大丈夫なのだから、今のうちに気候のよいところへ転地したほうがよいと切に勧告せられるので、南イタリイへ転住することに決心した。ついてはその留守中われわれにブランクサムへ来てはくれまいか、そうして父がその土地管理と差配《さはい》とをやってくれるなら、毎月心配のないだけのものを差しあげようとあったのだ。
母は数年前に死んでしまって、相談すべき家族といっても父と私と妹のエスタの三人きりであったから、われわれがこの申し出に応ずることに一決するのに、少しの手間もとらなかったことは、想像するにかたくあるまい。父だけはその夜ただちにウイグタンへむけて出発し、数日おくれて私はエスタとともに馬鈴薯袋《ばれいしよぶくろ》二はいの書物と、その他運搬の手数と費用に価しそうなものだけ持って、父の後を追ったのであった。
二 塔の怪光
ブランクサムの地主の生活は、イングランド地方の大地主のそれに比すれば、惨《みじ》めなものであるかもしれない。けれども、ながいあいだ陰うつな間借り生活を送ってきたわれわれの目には、すばらしい贅沢《ぜいたく》であった。
建家《たてや》は赤瓦《あかがわら》の、低く横にひろがった構えで、菱《ひし》がたの格子《こうし》をいれた窓がいくつもあり、内部は居室など贅沢にたくさんとってあって、天井は煤《すす》によごれ壁にはオーク材の腰羽目がうってあった。まえは芝生《しばふ》で、その周囲は潮風にいためられてひょろひょろといじけた山ブナの桓根が植えめぐらしてある。うしろにはブランクサム・ビアの小家――みんなで十二軒もあろうか――が撒《ま》きちらしたように、ここかしこにあって、そこには地主さまを神さまのように思っている裸体の漁師どもが住んでいる。
西のほうだけは黄いろな砂浜で、そのむこうはアイルランド海になっているが、そのほかはどっちを向いても落莫《らくばく》たる荒野が、近いところこそくすんだ緑いろだが、遠くなるにしたがってしだいに紫いろに霞《かす》んで、ゆるい起伏をえがきながら目路《めじ》のはてまで続いている。
じつに寂しく荒れはてた海辺である。このあたりは幾マイルというもの歩いてみても、いやしくも生あるものに出会うことはあるまい。たまに会えばバタバタと大きな羽音をたてて飛びかい、鋭いかなしげな声で呼び交《か》う白鴎《しろかもめ》くらいのものである。
なんという寂しさ、なんという荒涼《こうりよう》さであろう! 一歩ブランクサムの村を出はずれれば、人間の存在を語るべき何らの表象《しるし》をも見ることはできないのである。あるのはただクルンバ館《やかた》の白き塔が、巨人の墓場の墓標のごとくに、樅《もみ》と落葉松とのあいだから空たかく聳《そび》ゆるのみである。
この館《やかた》はブランクサムのわが家から一マイルあまりの地にあり、グラスゴー市のある実業家が妙な好みから、とくに寂しい地を選んで建てたものであるが、私たちのこの村へ移ってきたときすでに、幾年も空家のままで、壁はところどころまだらに剥《は》げおち、ガランとした窓が空しく小山を見おろしているのみであった。
そうした空家のままに放任された館《やかた》は荒れる一方で、ただわずかに沖へ出る漁師の目標となるのみであった。彼らの経験によって、地主さまの家の煙突とクルンバの白い塔とを一直線に見とおしてさえいれば、海の荒れた日にも、眠れる怪物の背のごとき暗礁のあいだを縫うて、無事に帰着し得ることを知っていたから。
運命が私たち父子三人を連れてきたのは、こういう荒れはてた土地であったのだ。しかしながら私たちにとっては、寂しさはさらに恐《おそ》るるところでなかった。久しいこと都会の喧噪《けんそう》のなかにいて、ほそぼそしい収入で何とか体裁もとりつくろってゆかねばならなかった気骨の折れる生活からみれば、朝夕地平線や冷たくすがすがしい空気を友とするこの地の生活は申し分のない、気もはればれする日日であった。少なくとも近所というものが――口うるさい近所というものがないだけでも助かる。
伯父は乗用の四輪馬車と二頭の小馬とをおいていってくれたから、父と私とはそれに乗って、この地で管理人《フアクタア》と称しているところのわれわれの責任――というと大げさだが、その実なんでもない仕事――として土地の見まわりに出かける。その留守に家庭の仕事をなにくれとなくやってくれる妹のエスタは、この煤《すす》けた暗い家を明るくしてくれるのであった。
そうした無事単調な生活がずっと続いていったが、その夏になって初めて、ある晩思いもかけぬ事件が突発した。思えばそれがこうして私がペンをとるにいたった不思議な事件の先駆をなしていたのである。
そのころ私は夕がたになるとよく、伯父の家の小舟を漕《こ》ぎだしては、漁《と》れたら夕飯の食卓を賑《にぎ》わそうと、鱈《たら》を追いまわしていたものだった。その日はちょうど妹もいっしょに来て、私が舳先《へさき》で綸《いと》をたれているあいだ、艫《とも》にいて本を読んでいた。
太陽は峨峨《がが》たるアイルランド海岸のかなたに没したが、まだ夕やけ雲が連山の一点をひときわ明るく輝やかせて、海面にも美しい反映をおとしていた。そうして海原一面は幾百片《ぺん》の金箔《きんぱく》でも流したようにまっ紅に輝やいていた。私はふと小舟のなかに立ちあがって、海と空と海岸との偉大なる天然のパノラマにあかず眺めいった。と、そのとき妹が私の肘をひいて、小さな声で鋭く叫んだ。
「アラ、お兄さま! クルンバの塔に灯火《あかり》がみえますわ!」
私はふりかえって、樹海の頂きからぬっと姿をみせている白い塔に見いった。するとなるほど、たしかに塔のある窓に灯火《あかり》がみえた。その灯火は見えたと思うとパッと消えてしまったが、間もなくずっと上の窓からふたたび現われた。そうしてしばらくはそこに見えていたが、やがて下の窓へもどり、その下へ移りして、ついに樹《き》にさえぎられて全く見えなくなってしまった。誰かがランプか蝋燭《ろうそく》のようなものをもって、塔のうえへ登っていったのに違いない。
「いったい誰だろう?」私はエスタに尋ねるというよりは、自分で自分に問うように呟《つぶ》やいた。彼女のもとより何らの答えをなし得ぬことは、その驚きにみちた顔いろでよく分かっている。「ブランクサムから誰かあそこを調べにいったのかしら?」
「そんなことないと思うわ。」妹は頭をふった。「だってあの人たちのなかには、門から一歩はいるだけだって、できる人はないのですもの。それに鍵はウイグタンの差配《さはい》がちゃんと預かっているのですから、はいろうたってはいれやしませんわ。」
クルンバ館《やかた》の頑丈《がんじよう》なドアやおもくるしい鎧戸《よろいど》のことを思いだしたとき、私は妹のこの言葉に承認をあたえないわけにゆかなかった。それにしても、ああして昇《のぼ》っていったものがある以上、彼はよほどの暴力をふるったか、でなければどこかで鍵を手にいれて来たのに違いない。
この不思議なでき事で私は釣りをする気もなくなり、どんな奴《やつ》がなんの目的であの塔へ昇《のぼ》ったのか、自分で見とどけてやろうと思って小舟を漕《こ》ぎもどった。そうして妹を家まで送りとどけておき、セス・ジェミサンという水夫あがりの男で、漁師のうち一番強そうなのをつれて、しだいに夕やみのたちこめてくる荒地を、クルンバ館《やかた》さして出かけた。
「あの屋敷さ、暗くなると――その――面白くねえ評判があるだあ。」私が目的を話すと、セスは明らかに歩調をゆるめながらいった。「この近所へあんな屋敷さ建てるなんて、まったくむだなことさしたもんだあ。」
「なあに、現にはいっているものがあるくらいじゃないか、セス。」私は手をあげて眼前にぼんやりと姿をみせている白い塔を指ざしながらいった。海上から私たちの発見した灯火《あかり》は、いまは階下におりて、そこの鎧戸《よろいど》をはずした窓のなかを、あちこちと動いているのが認められた。よく見ると少し弱い灯火《あかり》が大きいほうの一二間あとについて動いている。二人なのだ! ランプをもったのと、蝋燭《ろうそく》か手燭《てしよく》をもったのとが、家のなかをこまかに調べているのに違いない。
「何があろうと家主野郎のせいだから、自分で始末するがいいだあ。」セスは急にぴたりと立ちどまって、蛇《へび》に睨《にら》まれた蛙《かえる》のように竦《ちぢ》みあがりながらいった。「旦那《だんな》、あんなところさいって、お化けに仇《あだ》でもされたらどうするだあ? あんなものはそっとして、構まわねえでおいたが利口だんべ。」
「だって、セス、」私は叫んだ。「お化けが馬車にのってきたというのかい? 門のそばにある灯火《あかり》はなんだね、あれは?」
「うむ、なるほど、違いねえ。馬車のランプだあ。」セスは少し元気づきながらいった。「とにかくあそこへ行ってみべえ、若旦那。そうしてどこから来ただか、見ることにしべえ。」
夜の幕はとっぷりと降りてしまった。ただわずかに西のほうの空に、ほとぼりに似た余光が少しばかり残っているのみである。二人は足どりももつれがちにウイグタン路を進んで、クルンバ並木路《アヴエニユ》の入口を示す目標の、大きな石の門柱のところまでいった。行ってみると門前に一台の小型馬車が乗りすててあり、馬がしきりに路傍の草を食《は》んでいた。
「分かった、分かった。」セスは空馬車をしさいに見てまわりながらいった。「これならよく知ってるだあ。これゃウイグタンの管理人のマクニールさまのものだあ。あの仁《じん》ならここの鍵も持っているだあ。」
「じゃ、せっかくここまで来たんだから、会ってゆくんだね。あ、そういえばどうやら出てきたようだよ。」
そのとき重いドアがバタンと閉まる音がして、痩《や》せて骨ばった背のたかいのと、背のひくい肥えた男と、暗がりをこっちへやってくる二人の姿がみえた。二人はしきりに話に気をとられて、すぐ近くへ来るまで私たちには気がつかないらしかった。
「こんばんは、マクニールさんじゃありませんか?」私はかねて一面識くらいはあったので、つかつかと進み出ながら、まず挨拶《あいさつ》した。
すると肥えたほうの人がこっちを振りむいたが、その顔はやはり見おぼえのあるマクニール氏であった。と、そのとき連れのほうがひどく驚いた様子で、急に二三歩とびさがった。
「ど、どうしたというのです、マクニールさん?」と彼はよほど驚いたとみえて、息づかいもただならぬことがよく分かった。「こんな約束じゃなかったはずだが、いったいどうしたのです?」
「いや、将軍、おしずかに。ご心配にはおよびません。」でっぷり太《ふと》ったマクニール氏は、ものに恐《おそ》れた子供でも賺《す》かすような調子でいった。「このかたはフォザギル・ウエスト君といって、ブランクサムの若主人です。今晩ここへ見えたのは、なにご用だか私にもまだ分かりませんが、どうせ近近にお隣どうしにおなりなのですから、ちょうど幸い、ここでひとつご紹介いたしましょう。ウエストさん、このかたはこんどクルンバ館《やかた》をお借りになりますヘザストン将軍です。」
私はその背のたかい痩せた将軍に手をのべて握手をもとめた。すると彼は歯ぎれの悪い調子で、半ば気のないような握手のしかたをした。
「じつは先ほど、ここの窓から灯火《あかり》がみえたものですから、なにか間違いでもあったのじゃないかと思ってきてみたのです。しかし来てみてよいことをしました、将軍にお近づきになることができまして。」
私がこう話しているあいだ、将軍はへんにじろじろ私の顔ばかり見ていたが、言葉がきれると、持っていた馬車の側灯をぶるぶる震えているひょろ長い手にぶらさげて、その光りが私の顔にまともにあたるように差しつけながら、ふるえ声で叫んだ。
「や! これは! マクニールさん、このかたはお顔のいろがチョコレートのようにまっ黒じゃ。イギリス人じゃないな?――どうです、あなたはイギリスのかたではありますまい?」
「私は生粋《きつすい》のスコットランド人ですよ。」私は笑いたいのを、この男のあまりに生真面目《き ま じ め》な調子にたいする気の毒さで、やっとかみ殺しながらいった。
「スコットランドのかたですと?」と彼は急に安心したように、「いずれにしても同じことかな。――いや、どうも失礼しましたな、ウエストさん。わしは非常に神経が昂《たか》ぶっとるものですからな、非常にいかんです。さあマクニールさん、帰りましょう。一時間以内にウイグタンまで帰らんといかんです。や、さようなら、皆さん。さようなら――」
二人はそれぞれ馬車にのりこんだ。そうしてマクニール氏の鞭《むち》によって闇《やみ》をわけて走りさり、両がわにつけた側灯のみが黄いろく輝やいていたが、それもしだいに薄くなり、やがて轍《わだち》の音さえも聞こえなくなってしまった。
「セス、こんどここへ来る人のことをどう思うかね?」私はながいあいだじっとそれを見おくったのち、初めて口をひらいた。
「あれあ自分でもいってた通り、ひどく癇《かん》がたかぶってるだね。少し気がへんになってるだんべ。」
「そうでもあるまいが、つまりひどい感情家なんだね。ちょっと生地《きじ》を紹介してみせたのかも知れない。――ときに少し寒くなってきたね。もう帰ろう、帰ろう。」
私はセスに別れ、荒地をつっきってブランクサムの居間《いま》の窓からもれている陽気なバラいろの灯火《あかり》を目ざして急いだ。
三 ヘザストン少将
ながいあいだ荒れるがままに放任してあったクルンバ館《やかた》に、再び人がきて住むようになったという噂《うわさ》は、たちまちのうちにブランクサムのせまい村中につたわり、どういう人がなんの目的で、選りによってこうした辺鄙《へんぴ》な土地にすまいを決めたのだろうと、いろんな揣摩臆測《しまおくそく》が村中をにぎわしたことは、想像するにかたくあるまい。
引きつづいて、どんなつもりで移転してくるのか知らないが、とにかく永住のつもりでくるのだということが明らかになった。ウイグタンの町から鉛管工がくる、いりかわって指物師《さしものし》がくるという調子で、朝から夜おそくまで手いれや修繕が行なわれた。
雨にうたれ風に荒された痕《あと》は、みるみるうちに拭《ふ》きとったように消えさり、大きな館《やかた》はまるで建てたばかりのように美しく生まれかわった。そしてそのやり口が、ヘザストン将軍には金銭というものがまるで湯水同然のものであることを思わせ、将軍がこの地をえらんで永住しようというのも、一部の村人の想像を逞《たく》ましゅうしたような、節約の目的なんかではないのを語っていた。
「なにか研究に没頭するのかも知れないな。」父はある朝食卓でその話の出たとき意見を述べた。「きっとこの寂しい場所を選んで、かねて計画中の大著述でも完成しようというのだろう。そうだとすれば、なにか急に調べたいときは、おれの文庫へ駆けつけてもらおう。」
たった馬鈴薯《ばれいしよ》袋二杯のおれの文庫! その大げさな形容に私はエスタと二人で噴《ふ》きだして笑った。
「それはお父さまの仰《お》っしゃるとおりかも知れませんけれどね、私のちょっと会ったときの様子では、そういう方面に趣味をもつ人がらには見うけられませんでしたよ。それよりもむしろ、私の想像では医者の忠告によって、こうした空気のよい場所で絶対安静にして、あのひどい神経衰弱をなおそうというのではないかと思いますよ。ほんとにあのときの眼つきや、手さきの震えをごらんになったら、お父さまだってきっと成るほどとお思いですよ。」
「奥さんだのお子さんはいらっしゃるのでしょうか?」これは妹の心配である。「ご家族のかたがお可哀《かわい》そうですわ、こんな寂しいところですもの! うちをのけたら、七マイルも八マイルもゆかなければ、話相手もないのですもの。」
「ヘザストン将軍といえば、たいへん有名な軍人だよ。」父はとつぜんこんなことをいいだした。
「アラ、お父さまはどうしてそんなこと知っていらっしゃるの。」
「どうだ、驚いたかい?」と父は口のはたまでもっていったコーヒーを飲むのをひかえて、にこにこしながらいった。「お前たちはいま、おれの文庫のことを笑ったが、これであの文庫のありがたみが分かるだろう?」そういって父は書棚《しよだな》から赤表紙の厚い本を一冊もってきてぺージをめくった。「これは三年前のインド駐留軍《ちゆうりゆうぐん》の一覧表だよ。ほら、ここにあの人のことが出ている。――『ジェ・ビ・ヘザストン、バス勲《くん》三等章』とね。それから『ヴィクトリア十字章』いいかい『ヴィクトリア十字章』だよ。『前インド・ベンガル歩兵第四十一連隊大佐、現在は退役陸軍少将たり。』――それからこっちには戦功が記してある。『グズニを略取し、一八四八年ジェララバド及びソブラオンを死守し、土民兵の反抗を治定し、オウドを攻略したり。感状をうくること五回に及ぶ。』――りっぱなものだ。こういう人が近所へきてくれれば、こっちも肩身がひろいわけだね。」
「ご家族のことは何も出ていませんのね?」妹は不平そうに尋ねた。
「ないね。」父は自分にだけ面白い、いつもの洒落《しやれ》を考えうかべたときの癖で、しらが頭をゆりながらいった。「この本には『家庭における功績』という項目はないのだよ。だが、大丈夫奥さんはあるよ。大丈夫あるとも。」
この点に関する私たちの心配はまもなく解明された。クルンバ館《やかた》の手入れのすんだその日に、ちょうど私はウイグタンの町へ出かけていったところ、その途上で館《やかた》をさして引移ってゆくヘザストン一家の馬車とばったり出会った。少将のわきには病身らしい老婦人が疲れたような顔をして坐っており、向いあってちょうど私くらいの年ごろの青年と、二つばかり下らしい令嬢とが席をしめていた。
私がちょっと帽《ぼう》をとって黙礼したまま行きすぎようとすると、少将は御者に声をかけて馬車を停めさせ、手を伸べて私に握手をもとめた。こうして昼間の光線で顔をよくみると、少将は近づきがたいところはあるけれど、心の底までそうだとは決して思われなかった。
「や、ウエストさん、いかがです? 先夜はどうも失礼しましたな。少しどうかしとったようで。ながらく軍隊生活をしとったので、ついその癖が出ましてな。それにあんたもスコットランドのかたにしては、少しいろが濃すぎるようじゃ、ハハハハ。」
「私どもはいくぶんスペインの血統を引いていますので――」私はなぜ少将がこんなに顔いろのことにばかり拘泥《こうでい》するのか分からなかった。
「なるほど、そうでしたか。ときにこれが家内です。こちらはフォザギル・ウエストさん。これは息子と娘です。どうぞよろしく。われわれは静かなところ、まるっきりかけ離れたところをと探して、ようやくここを見つけたのですよ、ウエストさん。」
「それならば、こんなによい場所はまたとありやしません。お誂《あつら》えむきですよ。」
「そうでしょうな。まったくこのへんは静かだ。むしろ寂しいくらいだ。あなたはこんな寂しい荒れ地のなかを、夜でもお歩きのようですが、めったに人に出会うことはありますまいな?」
「そうですね、日が暮れてから出歩くものはほとんどないようですよ。」
「で、あなたがたは破落戸《ならずもの》やたちの悪い乞食《こじき》に困らされるようなことはありませんか? もしくは悪いジプシや浮浪者のようなものにも? ここらにはそんなものはおりませぬか?」
「……」
「なんですか、少しお寒くなって参りましたわ。」このとき夫人が厚いシールのマントをかきあわせるようにしながらいった。「それにウエストさんにも、あまりお引きとめ申しては、ご迷惑では……?」
「うむ、寒い。わしも少し寒くなってきた。それではもう行くかな。ウエストさん、失礼。」
馬車はそのまま館《やかた》をさして駆りさった。私も考えに沈みながら、町のほうへと頭《こうべ》をめぐらした。
ウイグタンの町へはいって本町通りを歩いてゆき、ふとマクニールの事務所のまえを通りかかると、主人がいきなり中からとびだしてきて、私を呼びとめた。
「どうです、こんどの借り手はもう引っ越してゆきましたぜ。けさ馬車でいったのです。」
「いま途中で会いましたよ。」
みればマクニール先生まっ赤な顔をして、すこし「過ごして」いることがひと目で分かった。
「ウエストさん、家を貸すならほんとの紳士に貸すこったよ。話がよく分かりますぜ。」彼は大きな声でどなって、うれしそうにワハハハと笑った。
「将軍は小切手帳をだしてテーブルのうえにひろげながら――じゃマクニールさん、ここへいくらと書いたらよいのかね?――と、こうなんですぜ。そこで私は『二百ポンド』といってやりましたよ。いくらか自分の骨折代もいれてね。」
「だって、差配料はちゃんと家主から出ているのでしょう?」
「そうですともさ。だけれど、それとこれとは別で、いくらか骨折賃を浮かすのはこっちの働らきでさあね。将軍はこっちのいう通りに小切手を書いて、まるで古郵便切手でも捨てるような調子で、ひょいと投げてよこしましたぜ。何しろ話は正直なもの同志にかぎりまさあ。どっちかが相手につけこもうつけこもうとしているうちはだめ、だめ、ハハハハ。ときにウエストさん、まあおはいんなさい。はいって自慢のウイスキの味をみて下さい。」
「ありがとう。しかし私はまだ仕事があるのですから……」
「な、なるほど。仕事は大切です。いったい朝っぱらから飲むなんて、いいことじゃありませんからな。私だって朝飯まえにはほんの一杯、食のすすむようにと思いましてな。そのあとで消化《こなれ》のいいように一杯――かほんの二杯やるきりで、昼間はけっして杯に手は出さないことにしていますよ。ときにウエストさん、あの将軍をどうお思いですな?」
「どうといって、まだほんのちょっと会ったきりで、何も分かりはしませんよ。」
「そこなんですよ。」マクニールは食指で自分の額を突くようにしながら、急に声をひそめ、私の顔をのぞきこむようにしながら、「あれは少しへんですぜ。私はへんだと思うんだ。ねえウエストさん、狂人《きちがい》じみたところのあるのに思いあたりませんか?」
「さあ――いきなり小切手帳をだして、差配《さはい》人のいうなりに金額を書きいれたところなぞ、そうもいえましょうね。」
「ワハハハ、こいつは驚いた。ウエストさんにあっちゃ、かなわないね。冗談はさておいて、この場かぎりの話ですが、いきなり、ここから船着場まで幾マイルあるかの、そこには東洋からの船もはいるかのと尋ねたり、あるいはこのあたりに浮浪者のまぎれこむことがあるかの、借りた屋敷のまわりに高い塀《へい》をめぐらしても差しつかえないかのと、愚にもつかぬ質問を連発したりしたら、あなたは何だと思いますね?」
「それはたしかに少し変りものだね。」
「それほど高塀《たかべい》が好きなら、なにも莫大《ばくだい》の金《かね》をかけて新しく作る必要はない。あの人には分相応のところがありますよ。しかもそこなら、一文もだすこたあない。」
「それはどこです?」
「ウイグタンの州立精神病院でさあね、ハハハハ。」マクニールはさも愉快そうに笑いころげた。
私はだいぶ長話になったのに気がついて、自分で自分の冗談にいつまでも笑いころげているマクニールをおいといて、さっさとその場を立ちさったのである。
クルンバの館《やかた》に新しく住み手がはいってくれたら、人里はなれた田舎《いなか》の単調さも、少しはまぎれるだろうと待ちかまえていた私たちの期待は、ほとんど何ら報いられるところがなかった。こんな田舎《いなか》のことであるから、小作人や漁師たちの生活状態の改善でも考えてやるのが、せめてもの楽しみでもあり、義務でもあると私たちは考えているのだが、ヘザストン一家の人たちはそんな些事《さじ》には少しも興味をもたないのか、移ってきてからほとんど館《やかた》のなかに閉じこもったきりで、人に姿を見られるのさえ厭《いと》うもののように、門からそとへは一歩だって踏みだそうとしなかった。
そればかりではない。いつぞや私が町へいったおり、差配のマクニールから聞いてきた高塀云云《うんぬん》の一件が、いよいよ事実となって現われ、間もなく仕事師の一隊がやってきて、朝は早くから夜おそくまで、館《やかた》の外郭に高い板塀《いたべい》をたてめぐらし始めた。
その塀はできあがってから頂上に鋭い釘《くぎ》が植えつけられたから、猿のように身がるなものなら知らず、普通のものにはクルンバの庭はもうのぞきこむさえ叶《かな》わぬこととなった。この老少将はトビ伯父《お じ》のように、軍隊意識がすっかり染みこんでいるのであろう。あの伯父ときたら、平時でもまるで牡蠣《か き》のように堅く自分を守っているのだから。
それにしてもさらに可笑《お か》しなことには、少将はまるで要塞《ようさい》に籠城《ろうじよう》でもするかのように兵糧《ひようろう》の貯蔵をやりだした。ウイグタンでいちばん大きい乾物屋のベグビがうれしまぎれに、驚いて私に話したところによると、少将はあらゆる要《い》りそうな肉類と野菜の罐詰《かんづ》め数百ダースを一時に注文したそうである。
そうした珍らしい事件が羨《うらや》ましさ半分のいろんな風説を生みだすことは想像するにかたくあるまい。この噂《うわさ》はたちまちのうちに隅から隅までひびきわたって、遠くイングランドとの境界地方の山のなかにまで聞え、いったい何ものだろうとか、何のためあんな辺鄙《へんぴ》へ住居をきめたのだろうなどと、はしたない噂話でもちきる始末であった。
いろいろと噂しあった結果、これらの田舎《いなか》人《びと》の考えだし得た唯一の臆断《おくだん》は、差配《さはい》のマクニールがすでに考えたのと同じく、少将一家はそろいもそろってみんな狂人《きちがい》なのだろう。さもなければ少将になにかよからぬ所業があって、逃げ隠れしているのだろうということに一決した。
なるほど、ちょっと考えるとこの説は二つながら無理からぬ想像ではある。けれども、私はそのいずれをも真相と信ずることができなかった。最初に会ったときの印象では、少将の言語なり挙動なりにその精神の健康状態を疑わしめるものがあったのは確かであるけれども、二度目に少将の移転当日に会ったときの理性あるていねいな態度をみては、そうした疑雲は一掃されるのである。さらに百歩をゆずって、少将の精神状態に異常があるとしても、そのために夫人をはじめ勉強ざかりの令息令嬢までも加え、一家をあげてこうした辺鄙《へんぴ》の地に引き移ってくる必要がどこにあろう。
つぎに少将の過去に暗い行為があったという説にいたっては、一顧の価値だもなきものである。なるほどウイグタン州は社会とかけはなれた寂しいところである。けれども少将ほどの名声ある人物が、どうして知れずにいられよう? そんな土地ではないのだし、第一世を忍び人をおそれる人物が、何故に堂堂と本名を名のって乗りこんでくるものぞ!
要するに私は、どうもこの謎《なぞ》の鍵は少将自身の口裏にもあった通り、まったく静寂を愛するという点にあるものと信じたい。孤独と平穏とを願うほとんど病的な強い嗜好《しこう》から、この場所を一種の隠遁《いんとん》所として求めたものであろう。とにかくそれが第一の理由であるかどうかはしばらく別として、あの一家がひどく孤立を望んでいることの事実であることだけは、まもなく私たちにも分かるようになった。
ある朝、父はなぜか非常に真面目《ま じ め》な顔をして私たちのところへやってきていった。
「エスタや、今日は紅い外出着《よそゆき》をきなさい。それからジョンもちゃんと仕度《したく》をしてな。今日は午後から三人でヘザストン少将を訪問するのだ。」
「あら! クルンバ館《やかた》を訪問しますの?」エスタは雀躍《こおどり》して喜んだ。
「おれは単に留守をあずかるだけの管理人ではない。この家の主人とは兄弟なのだよ。」父はもったいぶっていった。「だから主人の代理として、新来の人に敬意を表してくるのは、われわれの権利でもあり、またウイリアムとしても望むところだと信じる。先方でもこの地に知りあいはなし、初めての土地で、さぞ寂しいことだろう。あのフィルドゥジ(十世紀ペルシャの大叙事詩人―訳者)がなんといっている? 『家庭の最上の装飾は朋友にあり』とね。」
父が何かするにあたって、このペルシャの大詩人の言を引用しだしたら、決して後へはひかぬのを経験上私たちはよく心得ていた。その午後いよいよ出かける段になると、父は「第二装」に新しい乗馬手袋を用いて、みずから御者の役をつとめた。
「さあ、二人とも早くお乗りよ。」父はヒュウと鞭《むち》をならしながら声をかけた。「よく気をつけて将軍に見さげられないようにせんといかんよ。今日はこの田舎《いなか》にもりっぱな紳士の一家が住んでいることを、十分に知らせてやるのだからね。」
ああ、驕《おご》るもの久しからず。今日のまるまると肥えた小馬も、ぴかぴか摩きたてた馬具も、われわれのりっぱな紳士の一家であることを、クルンバ館《やかた》の主人に印象づけるような運命にはなかったのだ。
まもなく馬車は館《やかた》の外門についた。私はまずかるがると飛びおりてその門を押し開けようとすると、ふと、誰の目にもつかずにはおかぬように、そばの立木に打ちつけられた大きな板のあるのに気がついた。その真新しい板の表には大きな字で、インキのあとも黒ぐろと、つぎのような文句が書いてあるのである。
余ら一家は交際の範囲を広むることを望まず
陸軍少将 ヘザストン家
私たちはしばらくのあいだ、唖然《あぜん》としてこの掲示板を見つめるばかりであったが、そのうちにエスタも私も、あまりのばかばかしさに吹きだしてしまった。けれども父は一言も発しないで、馬の頭をたてなおし、一散にわが家のほうへと駆けさせた。顔じゅうに憤怒のいろをありありと浮かべて、父のこれほどに機嫌《きげん》を損じたのを、私はかつて見たことがなかった。けれどもこの不興は、父が自分の尊厳を傷つけられたという感情に発しているのではなくて、今日自分が代表してきたブランクサムの地主としての彼が受けた侮辱に根ざしているのであることが、私にはよく分かった。
四 白髪《しらが》の青年
少将のこうしたすげない仕うちに、一時は気を悪くしてみたものの、それはほんのむらむらときただけで、私としてはいつまでもそんなことを根に持つということはなかった。おりもおり、ちょうどこのことのあった翌日私はクルンバ館《やかた》のまえを通りかかったので、門前に立ち停って今さららしくあのいまいましい掲示板をながめた。「なんだって少将はこんな変なまねをするのだろう?」じっと立って見つめているうちに、ふと私は、門のなかに可愛《かわい》らしい無邪気な娘の顔があって、鉄格子《こうし》のあいだから白い手をのぞけて熱心に私を手まねきしているのに気がついた。そばへよってみると、いつぞや馬車のうえでちょっと紹介された少将の令嬢であった。
「ウエストさん、」彼女はびくびくして左右に気をくばりながら、早口にささやいた。「昨日《さくじつ》は皆さまにも大変失礼いたしまして、どうぞごめん下さいましよ。ちょうど兄が並木のところから、ご様子は拝見いたしたのでございますけれど、どうすることも出来なかったと申しておりましたわ。ほんとにどうぞウエストさん、あんなもの、」と掲示板のほうを横目で見やりながら、「お気になさらないで下さいましよ。兄も私もどんなにか厭《いや》なんでございますけれど、致しかたがございませんの。」
「なあにお嬢さん、」と私はそんなことは気にかけぬとばかり淡白に笑ってみせ、「イギリスは自由の国ですもの、自分の地所内へ他人にはいられたくないと思う人は、どしどし断わっていけないわけはありませんよ。」
「ほんとに残酷なことですわ。」彼女はじれったそうに身をもみながら、口をとがらかした。「お妹さんまでがあんなに人をばかにした――侮辱をおうけになったのかと思えば、わたしほんとに……わたしならばそんな事は考えただけでも、穴があったらはいりたいくらいに思いますもの。」
「お嬢さん、もうそんなことなんかお気になさらないがよいですよ。」私は彼女の悲しむのを見かねて熱心になだめた。「父上もさぞ何かお考えがあってなさることでしょうから――私たちにはまだ分かりませんけれどね……」
「考えなんかあるものですか!」彼女は悲しげに答えた。「それに、なにか危険があるのでしたら、逃げてばかりいないで、男らしくぶつかって除《の》けていったらよいと思いますわ。でもね、父のことは父がいちばんよく知っていますものですから、ほかのものがかれこれいうのは間違っていますのね。――あら、誰かしら?」
このとき植えこみのうす暗がりのなかを人かげが近づいてきたので、彼女は心配そうに透かし見ながらつぶやいた。「あら、兄のモーダントですわ。――兄さん、今ね、ウエストさんに昨日のことをおわびしていましたの、兄さんの分と二人分をね。」
「それはよいところへ来た。僕も自分の口からおわびする機会を得たのを何よりも嬉しく思います。」モーダントはていねいにいった。「ウエストさん、お独りですか? それは残念な。お父さまやお妹さんがご一緒ですと、こんなよいことはないのですのに。な、ゲブリエル、お前は早くお家へはいっていたほうがいいね、もうじきお茶の時刻だから。いいえ、あなたはよいのですよ、ウエストさん。私はぜひお話しいたしたいことがあるのです。」
令嬢ゲブリエルはにっこり挨拶をのこして帰っていった。モーダントは門をあけて出てきて、そとから錠をかっておきながらいった。
「お差しつかえがなかったら、そのへんまでご一緒に歩いてみましょう。――どうです、マニラ・タバコですがやりませんか。」と葉巻《はまき》を二本出して、一本を私にくれた。「やってごらんなさい。そう悪いタバコじゃありません。私はインドにいたときタバコに趣味をもつようになりましてね――ときにこんなことをしていて、お仕事の邪魔じゃありませんかしら?」
「とんでもない。そんなことはありませんよ。あなたとお近づきになれて、大いに喜んでいるくらいです。」
「あなただからお話しするのですがね、私はここへ来てから、門からそとへ出るのは今日が初めてなのですよ。」
「お妹さんは?」
「あれだって同じですよ。今日は私はおやじに内証で、そっと抜けだしてきたのです。知ったらさぞ苦い顔をするでしょうよ。父は私たちに絶対にそとへは出るな、他人《ひ と》さまと往き来することもならんといっているのですからね。他人《ひ と》さまから見たら、よくよくの気まぐれとしか思われないでしょう。私なんかからみても、父のやりかたは少し無理が多いようにも思われますけれど、父には父で、そうするちゃんとした理由があるらしいのでしてね。」
「それではまったくお寂しいでしょう。これからときどき抜けだして、タバコでものみに来られませんかしら? 私のうちはすぐそこのブランクサムですがね。」
「ありがとう。ほんとに寂しいのでね、私はいっそ飛びだしたくなってしまうんですよ。話し相手といったら、御者をかねた庭師の年とったイズレール・ステークズのほかには一人もないのですからね。」
「それにお妹さんが――あなたはまだよいとしても、お妹さんはさぞつらいでしょう。」私は腹のなかではこのモーダントが、自分の寂しさばかり強調して、ほかの人のことをあまり考えないらしいのが、少し不平だったのでこういってみた。
「ええ、ゲブリエルだって可哀《かわい》そうですよ。」彼には私の腹中までは見ぬけなかった。「しかしなんといったって、われわれの若さで籠《かご》の鳥になるのは、女よりも男のほうが悲惨ですよ。まあ私の顔をみて下さい。これでも来年の三月でやっと満二十三歳になるのですよ。二十三で大学へもゆけなければ、ロクな学校一つゆかないなんて! 無学なことといったら、このへんの百姓と選ぶところはないのです。あなたがたにはさぞ可笑《お か》しくみえるでしょう。しかし事実なんですからね。ねえウエストさん、同情してください。私だって人並にはやれると思うんですのにね!」
彼は急に立ち停って私のほうを向きなおりながら、両手をさしのべて同情を求めるような様子をした。ちょうど太陽がま正面から照りつけているので、私はその顔をしげしげと見つめた。なるほど、こうした場所に押しこめ同様にされているにしては、大いに不似あいなところがある。いったいがうわ背があって肉づきも筋ばっておりもするが、目鼻のくっきりした黒い顔には、鋭く力づよいところがあって、ムリロかヴェラスケス(ともに十七世紀スペインの画家―訳者)の絵からぬけ出してきたような立派な青年である。きりっとした口のあたりから太い眉《まゆ》、ぴちぴちしたような体《からだ》には、押さえがたき内部の熱と力とが現われていた。
「学問をするには、なにも書物からと限ったこともありません。経験からだって立派に得られますよ。学校へゆけぬからって、なにも悲観するにはあたりませんよ。家にいたって、毎日のん気に遊んでばかりおるわけではないでしょう?」
「のん気にですって?」モーダントは叫んだ。「のん気に遊ぶのですって? これを見てくださいよ。」そういって彼は帽子《ぼうし》を脱いでみせた。まっ黒だったに違いない髪の毛は、ところまだらに色がはげて、無数の白髪《しらが》ができている。
「これでも私がのん気に遊んでいると思いますか?」彼は苦笑しながらいった。
「なにか大きな打撃をうけたのでしょうね? 子供のとき大病でもしたのですか? それともながい間、心配ごとにでも悩まされたのですか? そういう例を私はいくつも知っていますよ。ちょうどあなたくらいの年齢であなたくらいの白髪の人をね。」
「気のどくな人たちですね。衷心から同情しますよ。」
「これからときどき脱《ぬ》けだしてブランクサムへ遊びにいらっしゃい、お妹さんもご一緒にね。そうして下されば、私のほうでも父や妹が喜びますし、ほんの一二時間だけのことでも、お妹さんも苦労がまぎれてよいでしょう。」
「ありがとう。兄妹が二人とも一時に出るのは少しむずかしいかも知れませんが、好機《お り》があったら連れて参りましょう。父は時おり午後は昼寝しますから、そういうときは出られると思います。」
二人は話しながら、いつしかブランクサムへの岐路のところまできていた。ここまでくるとモーダントは急に歩みをとめて、ぶっきらぼうにもう帰るといいだした。
「もう帰らなければなりません。でないといなくなったのが露顕してしまいます。ウエストさん、いろいろとご親切にありがとう。ゲブリエルもこのことを話してやったら、さぞ喜んであなたに感謝しましょう。父の掲示板のあんなことのあった後で、こうしたご親切をうけるとは! これがほんとの仇《あだ》を恩で返すというものですね。」
モーダントは堅く握手を交して坂をおりていった。が、なんと思ったかすぐに駆けもどってきて私を呼びとめた。
「じつはいおうかいうまいかと思って、さっきから考えていたのですがね。あなたがたは私たち一家のことを妙なやつだと思っておいででしょうね? 今日だってあなたはきっと、気ちがい屋敷を見にゆこうかくらいなつもりで来たのかも知れない。――いや、怒ってはいけませんよ。それだからどうというわけではないのです。もしあなたがその点に興味をお持ちだとすると、それをしない私ははなはだ友だちがいのない奴《やつ》とお思いかも知れませんが、このことだけは決して誰にも口外しないと、堅く父に約束しているのですから……それにお話しすると申しても、私自身が深いことは知らないのですしね。ただくれぐれもご了解ねがいたいのは、父の精神がけっして常軌を逸しているのではないことです。父がこうした生活を選んだのも、ちゃんとした根拠があってのことなのです。それも決していかがわしい種類のものではありません。正当防衛のためにほかならないのです。」
「なにか危害を加えようとするものでもあるのですか、お父さまに?」
「そうです。父は年中ねらわれているのです。」
「ではなぜ治安判事に保護願いを出さないのです? そうした恐ろしいやつがあるなら、ちょっと名まえさえ告げてやれば、保安のためすぐに手をうってくれるではありませんか。」
「それがね、ウエストさん、父の恐れている危険というのは、決して人力でどうこうすることの出来るような性質のものではないのです。しかも現在さし迫っているのですよ。」
「まさか妖怪変化《ようかいへんげ》――超自然の力というわけではないのでしょう?」
「さあ、そんなことはまず――ないといえますがね、」と彼は言葉を濁して急に調子をかえ、「いや、そんなことまで話してはいけなかったのかも知れない。しかしあなたは十分徳義をまもってくださるでしょうから……どうぞこの場かぎりに願いますよ。ではさようなら。」
こういって彼は踵《くびす》をめぐらし、まもなく曲り角の向うに姿をかくしてしまった。
現実にさし迫った危険。超自然的ではないが、人力をもってしては防衛の手段のない危険――謎《なぞ》だ! 大きな謎だ!
今日《こんにち》まで私はクルンバ館《やかた》の人人を、単なる変人であると心得ていた。けれどもこうしてモーダントの話をきいてみると、あの一家の妙な行動には、それぞれみんな深い意味があったのだ。いったいどういう危険なのだろう? 考えれば考えるほど不可解な謎であった。だがそれでも私は、一刻も考えないではいられなかった。
寂しい荒野のなかの離れ小島のような館《やかた》と、恐ろしい危険のさし迫っているそこに住む人たちの身のうえは、強く私の空想を刺激しないではおかなかった。その晩おそくまで私は、モーダントの話を一つ一つ思いだしてみては、何か手がかりはないかと、さまざまに想像をくりひろげたのであった。
五 二つの春
必ずしも私は何でも知りたがるおせっかいものではないつもりだが、それでもこのヘザストン少将とその身辺をめぐる不可思議な秘密には、日がたてばたつほど妙に心をひかれるのであった。
つまらない、他人の秘事など心にかけるのはやめて、もっと有益な、ためになることに注意をむけようと、土地管理の仕事を勉強してみたが、だめだった。何をやってみても、どんなときでも私はただ一つ、この疑問に悩まされていない時はなかった。そうしてついには、これはいくら〓《あが》いてみても、得心のゆくような解釈が与えられるまでは、ほかのことを考えようたって結局だめなのだと気がついて、あきらめるしかなかった。
どうかして高塀《たかべい》をめぐらした館《やかた》のまえでも通りかかると、私は大きな錠をつけた頑丈《がんじよう》なその鉄門のまえに立ち停って、いまさらにあれこれと空想を絞りだしてみないではいられなかった。でもそれが何になろう? 私はちょっとでも満足のできるような説明を考え浮かべたことはなかった。
ある晩のことである。妹は百姓の病気でも見舞いにいったのか、それとも彼女が土地の人から好き慕われる原因の一つであった、例の慈善的行為のため外出中であったのか、とにかく日が暮れてから帰ってきたことがあるが、帰ってくるなり私をつかまえていったものである。
「お兄さま、あなたクルンバ館《やかた》を夜見たことがあって?」
「ないよ。」私は読みさしの書物から眼をはなして答えた。「少将がマクニールをつれて検分にきたあの時から、夜見たことはないよ。」
「じゃお兄さん、早く帽子をかぶって私についてきてごらんなさいよ。」
「なんだ、どうしたのだい?」私は妹の恐ろしいものでも見てきたような様子に引きこまれながらいった。「どうかしたのか? まさか館《やかた》が火事だとでもいうのじゃなかろうね? お前のその様子をみていると、ウイグタン中が焼けだしたとでもいうようだよ。」
「そんなに大げさな騒ぎではないのよ。」彼女は笑いながら、「でも来てごらんなさいよ。ぜひ見てちょうだい。」
私はこれまで、妹を恐れさせたり驚かしたりするようなことは、なるべくいわないことにしていた。だから彼女は私とちがって、こんどの少将一家の妙な仕うちについては、ほとんど何も知らないはずなのである。そこで私はいわれるがままに帽子をとって、暗い戸外に出ていった。すると彼女は荒れ地のなかの小路を、小高くなっているほうへと私を連れていった。そこからなら館《やかた》は、周囲に植えられた樅《もみ》の木にさえぎられることなく、一目に見おろすことができた。
「あれをごらんなさいよ。」坂をのぼりつめたところで妹は立ち停っていった。
見ると目の下の館《やかた》はこうこうたる光りに包まれているのだ。階下は鎧戸《よろいど》が閉めてあるから分からないが、上のほうは二階の大きな窓から塔の頂上の小さな窓にいたるまで、窓という窓で灯火《あかり》のついていないのは一つもない。その灯火《あかり》がまた、ひどく強くて部屋のなか一杯に満ちわたっているので、私は一瞬間火事かと思ったほどだった。けれどもよく見ると、ただ静かに輝やいているばかりで、ゆらめきもしなければ黒い煙が出もせず、火事でないことだけはすぐに分かった。火事ではないが、館《やかた》中の部屋という部屋に非常にたくさんのランプを割りあててつけてあるのだ。
しかもなお不思議なことには、かくのごとく煌煌《こうこう》と照らしだされた館《やかた》のなかに、どの部屋にも一つとして人気《ひとけ》というものが見られないのだ。のみならず多くの部屋のなかには、家具一つ窓掛け一張りつけてない、まったくの空部屋らしいのすら少なからずある様子だった。広い館《やかた》のなかは何ものの動く気配《けはい》もなく、まるで死んだように静まりかえって、あるはただ煌煌たる光りのまたたき一つすることなく輝やくあるのみであった。
この鬼気せまるような光景をじっと見まもっていた私は、ふと、短いがせきこんだすすり泣きの声でわれに帰った。
「どうしたの、エスタ?」私は妹の顔をのぞきこんだ。
「わたし恐《こわ》くって……お兄さま、早くお家へ帰りましょうよ。わたしこわい……」彼女は私の腕にすがりつくようにして、がたがた震えている。
「大丈夫だから、安心しておいで。なんでもありやしないよ。なぜそんなに恐がるの?」
「こわい。わたしあの家の人がこわくなったわ。なぜ毎晩毎晩こんなに灯火《あかり》をつけるのでしょう? 館《やかた》は毎晩こうなのですって。そうして少将はなぜ人さえ見れば兎のように逃げだすのでしょう? これにはきっと何か深いわけがあるのよ。だから考えるとわたし恐いわ。」
私はしきりと妹をすかしながら家へつれ帰って、熱いニーガス酒(ブドウ酒に湯砂糖その他を加えたもの―訳者)を一杯のませて寝床へゆかせた。そのあいだも私は彼女を興奮させるヘザストン一家の話は、注意して避けた。こっちからいいだしさえしなければ、自分から招いて恐ろしい回想をするようなことはあるまい。けれども私は、彼女が丘のうえでいった断片的な言葉によって、今までエスタが人知れずヘザストン一家の様子に注意していたらしいことと、それがため彼女は今晩のことがなくても、あの一家のことについてはかなり気味わるく思っていたのであることも見のがしはしなかった。ただ館《やかた》が毎夜あのようなイルミネーションをやるという事実を見ただけでは、あんなにひどく恐れるはずはあるまい。さらでだにかねてからいろいろ不快に、気味わるく思っていたところへ、あんなものが出てきたので、それらの事実が重なりあい、つながりあって、彼女の恐怖心をそそったものに違いない。
そのとき私はこう結論をくだしたのであったが、それの誤っていたことがまもなく明らかになった。いやむしろ、今から考えてみれば、ヘザストン一家の不思議を疑う点にかけては、エスタはこのころすでに私よりは強い理由をもっていたのであった。
いずれにしても、二人の興味ははじめ単なる好奇心というに過ぎなかったのであるが、いろんな事件があい次いで起こるに従って、しだいにあの一家の運命といったものを考えさせられるに至ったのである。
モーダントはその後私の言葉をいれて、ブランクサムへ遊びにくるようになった。そして時には美しい妹のゲブリエルを連れてくることもあった。この二人に私と妹を加えて四人は、あい携えて荒野を散歩したり、天気でもよいと小舟を沖へ乗りだしたりもした。
そういう時には二人はまるで子供のように喜んではしゃいだ。陰気で退屈な家からぬけだしてくるというだけで、彼らにはたまらない喜びであったのだ。そのうえたとえ一時間でも二時間でも、同情ある友だちと一緒にすごせるというのは、どんなに楽しませたことか!
四人の若人《わこうど》がたのしい、禁断の会合をつづけていった結果がどこへどう落ちつくか、たいてい想像するにかたくあるまい。はじめは単なる隣どうしの交際だったのが、親しい友だちになり、一日顔をみなければ物たりなくなり、そうして最後は恋愛であった。
現にいまこうしてペンをとっている傍にはゲブリエルがいるが、これらの出来事は私たちにとってこそは一つとして忘れられぬ楽しい回想であるけれども、私の物語らんとする話の本筋には直接の関係はないことであるから、深くは触れまいという私の意見に同意してくれる。だから私はただここに、私たち四人はその後数週をいでずして、離れられない二組を形づくったということのみを述べるに止《とど》めておこう。私はせっかくペンをとったのだから、この一篇を単なる伝奇物語りに堕せしめたくはない。また中途において興にのって余計なことにペンをすべらせたため、書かんとする事件のつながりを失なうことも恐れる。事件はヘザストン少将に関することである。私たち自身のことを述べるのが直接の目的ではないのだ。とにかくウエスト、ヘザストン両家のあいだには、これ以来きわめて密接な連鎖ができたのである。そうして間もなく私たちは婚約することになったが、それから彼ら兄妹のブランクサムへくることは、いよいよ繁くなった。そうして少将が用事のためウイグタンの町へいったときとか、持病の痛風《つうふう》で部屋にとじこもっている時などは、終日あそんでゆくこともあった。
父には私たちが何事もつつまず打ちあけていたから、ヘザストン兄妹をも自分の児のように思って、来さえすればいつでも東洋の詩の一句などを引きだして歓迎してくれた。
どうかすると少将の警戒心が急につよくなって、ゲブリエルもモーダントも二人ともさっぱり出てこられないことがあった。そういうとき少将は、だまって暗い顔をして自から番兵のように門のところに見張っていたり、並木路をいつまでも行ったり来たりしていることがあった。ある日、夕がただったが、館《やかた》のまえを通りかかって、私は少将が門のなかの木陰の暗がりに立っており、疑わしそうに私のほうをのぞいているのを見うけた。
私は少将のへんにおどおどした物腰や、盗むような視線、ぴくぴくと引きつる頬のあたりを見ると、いつでも気のどくでたまらなかった。おじけていつでも小さくなっているこの老人が、かつては祖国のために千軍万馬のあいだを往来して、万人にすぐれる勇名をとどろかせた勇士であったのだとは、誰が信じ得よう。
ちょうど館《やかた》の裏がわのところに、塀《へい》の横木が二本だけゆるんでいる場所があったので、そこをひろげてちょっとした透き間をつくり、私たちははかない逢《お》うせを何度か楽しんだ。けれども少将の見まわりは、時間も場所もまったく不定であったから、私たちが会うとはいっても、それは当然ほんのちょっと顔を見あうといった程度に限定しなければならなかった。そうしたはかない逢うせのかずかずが、いかに生き生きと追憶のなかによみがえってくることよ! 私たちの生涯に一団の暗雲を投じている、あの恐ろしい運命がまちうけていた陰惨な、不気味な館《やかた》の空気のなかで、あの際だって明るく楽しかった逢《お》う瀬よ!
あるときは、朝の雨ですっかり濡《ぬ》れている草を踏んでいったこともあった。新しく鍬《くわ》をいれたばかりの畑地をとおるときは、土の匂《におい》がつよく鼻をうった。行ってみるとゲブリエルは塀のすきから潜《もぐ》りだして、さんざしの木の下で私を待っていてくれた。二人は手をとりあって、目じはるかに起伏する荒野や、その外周を白い泡をたてながらとりまいている海峡《かいきよう》を見おろした。太陽は西北かすかに見ゆるスロストン山の険《けわ》しい頂きのあたりに輝やいて、海上とおくベルファスト航路をゆききする汽船の煙がみえた。
「なんてよい景色でしょう!」ゲブリエルは両手で私の腕にすがりつくようにして、「ねえジョン、くさくさ心配することはみんなここへ残しておいて、あの船でいっしょにどこかへ行ってしまいたいわねえ。」
「くさくさするってどんな事? 僕に話して一緒に心配させてくれない? 僕には話せないの?」
「わたし、あなたになら少しも秘《かく》すことないわ。心配というのはね、もう分かっているでしょうけれど、お父さまの奇妙な行ないですの。お父さまはあんなに立派なお手がらをお立てになっていらっしゃりながら、まるでただの卑しい泥坊かなにかのように、年中あっちの田舎《いなか》のはてから、こっちの田舎《いなか》へと逃げうつってばかりいらっしゃるのですもの。ほんとにお気のどくなことですわ。それを思うとわたし悲しくて……ですけれどもジョン、あなただってこればかりは、どうもしてあげられないことよ。」
「なぜお父さまはそんなことをなさるの?」
「それは私も知らないわ。」ゲブリエルはどこまでも正直に答えた。「ただね、命も危ないような危険が年中つきまとっているように思っていらっしゃるのね。そしてね、そのことはインドにいらっしゃる時分から始まったのですって。わたしの知っているのはただそれだけよ。」
「じゃ兄さんはどう? もっと何か知っていないかしら? 兄さんの口ぶりでみると、ちゃんと知ってて、お父さまと同じにそれを信じているようですよ。」
「ええ、兄さまは知っているわ。それから母さまも。でもね、二人ともわたしには決してそれを教えてくださらないの。お父さまはいま大変心配していらっしゃるのよ。夜も昼もひどいご心配で、お気のどくで見ていられないわ。でもね、もうすぐ十月の五日ですから、それがすぎればもう安心なのですって。」
「どうして分かるのです?」私は驚いて尋ねた。
「それは分かるわ。十月の五日が危険の絶頂になりますの。毎年その日になると、お父さまは兄さまとわたしとを部屋へ押しこんで錠をかってしまって、何があったのか分からなくしておしまいになりますけれど、その日がすぎればずっと落ちついて、来年まではまあまあ少しは安心していられるのですもの。」
「じゃ、もうあと十日ばかりしかありませんね。」私は腹のなかで日を繰ってみた。「それから、まいばん館《やかた》の部屋中に灯火《あかり》をつけるのは、あれはどうしたわけなのですか?」
「あら、ごらんになったのね? あれもやはり、お父さまの恐怖《きようふ》からきていますの。家のなかにちょっとでも、暗いところがあったらお気にいらないのですもの。夜になると家のなかを歩きまわって、地下室から屋根うらの部屋までいちいち調べてごらんになりますの。ですからどの部屋にもどの部屋にも、廊下にまで大きなランプをつけて、女中に芯《しん》をできるだけ大きく出させておおきになりますわ。」
「おどろいた。よく女中がいつきますね。」私は笑いながらいった。「このへんの女は迷信ぶかくって、何か自分たちの知恵で分からないことでもあるとすぐに、いろんな臆測《おくそく》をしたがるものですがねえ。」
「コックも二人の女中も、みんなロンドンから連れてきていますのよ。ですからわたしたちの家風にはよく慣れています。そのかわり不平のないように、お給金もどっさり出してありますのよ。それでも御者のイズレール・ステークズだけはこの近所のものですけれど、鈍くて正直な男ですから、恐がるようなことはありませんの。」
「ほんとにお気のどくですね。」私は彼女のすらりとしたやさしい姿を同情の眼で見おろしながら、「そんなところへはあなたを置いときたくありませんよ。なぜ私にあなたを助けださせてはくれないのです? お父さまのところへいって、あなたを頂だいいたしたいと、直接申しでてもよいでしょう? うまくゆかなくたって、私が拒絶されるだけのことではありませんか?」
「あらジョン、後生ですから、それはなさらないで! そんなことでもなさろうものなら、わたしたちま夜なかに鞭《むち》でうたれたあげくに、一週間とたたないうちにまたどこか、どこかの田舎《いなか》の隅に引っこしをさせられて、それこそ二度とあなたにお目にかかれなくなってしまうばかりですわ。それにそうなりますと、内証でたびたび館《やかた》をぬけ出たことも分かりますから、どんなにか叱《しか》られることでしょう。」
「でもお父さまだって、そんなに無情なかたとも思われません。お顔はあんなに厳格そうですけれど、あのお眼をみて、心はやさしいかただと私は思っていますよ。」
「ええ、あんなにやさしいお父さまって、どこへいったってありはしませんわ。でもお言葉にさからったりしたときは、それは恐いのよ。そんなこと仰《お》っしゃるのは、あなたが何もご存じないからですわ。お父さまが軍隊にはいってあれだけにおなりになったのだって、強い意志の力と、反抗するものはあくまで懲《こ》らしめないではおかないご気性のためですわ。インドではそれはそれは、みんなから慕われておいででしたのよ。兵隊はたいへん恐れているくせに、決して逃げようとはしないで、どこまでも慕ってついてゆくといった風でしたわ。」
「そのころもやはり、ときどきこんなに神経質におなりだったのですか?」
「ええ、ときどきはね。でもこのごろのようにひどくはありませんでしたわ。お父さまはお年を召してから、あの危険が――どんなものですのかその内容は分りませんけれども――だんだん切迫してくると考えていらっしゃるようよ。ねえジョン、こんなにして頭のうえに剣がぶらさがっているような思いで暮らしているのは、ほんとに恐ろしいわ。しかもその剣はどこから落ちてくるのか――上からくるのか横からくるのか、夜くるのか昼くるのか、いつ何どき落ちてくるか分からないのですものねえ。」
「ねえ、ゲブリエル、」私は彼女の手をとって、小脇へ引きよせながら、「この楽しい片《かた》田舎《いなか》の風物や、大きな青海の景色を見てごらんなさい。ほんとに美しい平和にみちているではありませんか。あの灰いろの荒野のなかに、ぽつぽつと赤い屋根をみせている小さな家のなかには、信仰ふかい単純な人たちが住んでいるのですよ――何人《なにびと》からも憎まれることなしに、はげしい小作の労働に従いながらね。けれどもここから七マイルほどのところには、ウイグタンの町があって、そこでは多くの人たちのあいだに秩序を維持するため、いろんな近代的の方法が講じられています。さらに十マイルもさきへゆくと、守備隊の営所があって、電報一つでいつでも軍隊が応援にかけつけてくれます。ですから常識で考えても、いくら隔絶されているからといってそんな危険が迫ってくるわけがないじゃありませんか? え? それとも危険というのは、単にお父さまの健康状態のことではないのですか?」
「いいえ、そんなことではありませんわ。ストレンラアのイースタリング先生に一二度ご来診をねがったことはたしかにありますけれど、あれはちょっと加減がわるかっただけで、すぐによくなりましたわ。危険と申しても、そんな健康上のことでは決してございませんのよ。」
「じゃ危険だなんて、」と私は笑いながら、「そんなもののあるわけがないじゃありませんか? それともなにか妄想か幻覚でもしていらっしゃるのかな? でなければ、ほかに考えようがないじゃありませんか?」
「そんなことでしたら、兄さまの頭があんなに白くなったり、お母さまがあんなに弱よわしくやつれたりなさるわけがありませんわ。」
「お父さまがなが年あんな風でいらっしゃれば、ばかか無神経な人でないかぎり、はたの人にそれくらいなことはありますよ。」
「だって、だって、」と彼女は悲しげに頭を振って、「わたしだって同じように心配したり気を揉んだりしてきましたのに、こんなに何でもないのですもの。それはお兄さまやお母さまとちがって、わたしだけがお父さまの秘密をなにも知らないからですわ。」
「ねえ、ゲブリエル、いまの世にお化けや憑《つ》きものなんか、ありはしませんよ。そんなものを恐れる必要は少しもないのです。だからそういう方面を除いて考えてみたら、なにが残ります? いくら考えてみたって、ほかに原因らしいものは見あたらないじゃありませんか? 見あたるはずがないのです。私のいうことを信じていらっしゃい。これはみんなインドの気候のせいです。あまり暑いところにいらしったので、お父さまの頭がどうかなったのですよ。」
「……」彼女がこのときなんと答えようとしたのか、それは分からない。それというのがこのとき彼女はなにかの物音でも聞きつけたようにびっくりして、出かかった言葉をはっと呑《の》みこんでしまったからである。そうして彼女はおどおどとあたりを見まわしたが、あるところへ視線を釘《くぎ》づけされるとともに、その顔はさっと死人のように青くなって化石してしまったからである。
彼女の視線をたどって、そこに一本の木をこだてに、こっちを窺《うかが》っている人のあるのを発見したとき、私はぞっと全身に冷水をあびる気がした。そのはげしい怒りと憎悪《ぞうお》にみちた顔! 知られたと見た彼は木陰から姿をあらわし、こっちへ歩みよってくる。見ればそれはほかならぬヘザストン少将その人である。もえたつ激怒でひげは一本一本逆だち、おちくぼんだ眼がたれさがった眼瞼《まぶた》のおくで狂暴な、憎悪にみちた熱をおびて輝やいていた。
六 助けてくれ!
「部屋へ帰っておいで。」少将はつかつかと私たちのあいだへ割りこんできて、家のほうを指しながら、しゃがれた声で鋭くゲブリエルに命じた。
ゲブリエルがちりちりしながら、私のほうを偸《ぬす》み見て、塀《へい》の隙《すき》へとはいってしまうのを待って、少将はあらためて恐ろしい形相で私のほうへ向きなおった。私は思わず一二歩とびすさって、もっていた樫《かし》のステッキをかたく握りしめた。
「きみは――きみは――」と少将は怒りに燃えてつまった言葉を掻《か》きだすように、喉へ手をやりながら、「きみは他人の秘密をあばきにやって来たな! この塀はなんのためにあると思うのだ? ばかなまねをすると命をなくするぞ! 命がおしかったら、こんなところへ寄りつかんがよい。これをなんだと思う?」と上衣のしたから大きなピストルを出してみせ、「こんなところから一歩でも、いや片足でも入れてみろ、容赦はせぬぞ! おれの家にはいっさい他人は入れぬのじゃ。知っておる人も知らぬ人も、白人でも外国人でも、誰であっても絶対に入れぬのじゃ。」
「いえ、決してわる気があって来たわけではございませんし、ましてなんの罪もないのに、こんなご立腹にあうとは意外です。どうぞ落ちついて、そのピストルをわきのほうへお向けください。興奮でお手が震えているようですから、いつ弾がとびだすか分かりません。どうしてもわきへおむけくださらなければ、やむを得ませんから、正当防衛の手段として、このステッキでお手を打ちますぞ。」
「いったいきみは何の用があってここへ来たんだ?」少将はやっとピストルを上衣のなかへ納めながら、いくらか落ちつきをとり戻して、「紳士としてここへ住んでいるのに、なんだってきみに覗《のぞ》き見されなければならんのだ? きみには自分の仕事というものはないのかね? そうして娘じゃが、どうしてきみは娘《あれ》を知るようになったのか? こんなところへ引っぱりだして、何をしていたのだ? まさか偶然ここで会ったわけではあるまいが……」
「いいえ、私はひょっこりここへ来たのではありません。」私は断乎として公言した。「令嬢には今日《こんにち》までたびたびお目にかかる機会がありましたが、そのたびに令嬢の美点を発見しました……その……二人は婚約をむすびました。それで今日もじつは、ぜひあなたにお目にかかりたくて、ここへ参ったのです。」
火のようになって怒られるのを覚悟のうえで、私は打ちあけたのだった。ところが案外にも、少将はこれを聞いてしばらくは口あんぐりの態《てい》であったが、やがて塀にもたれて体をうしろへ反らすようにしながら、静かに笑っていった。
「イギリスのテリヤ犬は虫をさがしだして追いまわすのが好きだね。インドへ連れてゆくと、いきなり藪《やぶ》のなかへとびこんで、そこらじゅう虫のおりそうなところを嗅《か》ぎまわる。だが、せっかく掘りだしたのが毒蛇《どくじや》ときているので、やっこさんびっくりした顔をして、ふざけるのを止めてしまう。わしが思うに、きみがちょうどこれだね。」
「あなたはまさか、令嬢を毒蛇にたとえて中傷せられるのではないでしょうね?」私はむっとして、顔に血ののぼるのを覚えた。
「いや、ゲブリエルはよいのだ。」と少将はそうとは気づかず、うっかりして、「しかしわしの家庭のことじゃが、結婚してみると分かるけれど、わしのところは決して面白い家庭ではないのじゃからね。それにしても二人のあいだにそういうことがあったのに、なぜわしには知らせんじゃったのかね?」
「二人の仲を割《さ》かれると思ったからです。」こうなったら淡泊にいっさいを打ちあけるのが利口だと私は思った。「誤解されやすいですからね。ヘザストンさん、こうなったら私たち二人の幸不幸はあなたの胸三寸にあることを考えてください。二人の体はひき分けられようとも、精神は永久にむすぼれあって、一つになっているのですからね。」
「きみには自分の願いがどんなことであるのか、よく分かっておらんのだ。」少将の言葉は調子だけについていえば、案外すげなくもなかった。「きみとヘザストン家とのあいだには、踰《こ》ゆべからざる溝《みぞ》があるのだ。」
もう少将の態度のどこにも、怒っている様子は残っていなかった。そのかわりこんどは少し人をさげすんでいるらしい様子が現われていた。この言葉をきいて私は家系的の矜恃《きようじ》が傷つけられたと思い、むらむらとこみあげてきた。
「その溝はあなたのお考えになるほど深くはありますまい。」私は落ちついていった。「私たちがこうした片田舎《いなか》で暮しているからといって、漁師か小作人だと思ってくださっては困ります。私の父は由緒《ゆいしよ》ある貴族の流れをくんでおりますし、母はバカンのバカン家(スコットランドにこの名のふるい伯爵家がある―訳者)の出です。ですから両家のあいだには、必ずしもお言葉のような隔たりのあるはずはありません。」
「誤解しては困る。いわくはわしのほうにあるのだからな。ゲブリエルには生涯独身をとおさねばならぬ理由があるのだから、この際あれと婚約することは見あわせたがよろしかろう。」
「しかし、自分のことには自分がもっともよい判断者です。あなたさえそうと承知してくだされば、私は何ごとをすてても、自分の愛する婦人となら進んで結婚する意志ですから、問題はすぐに解決するわけです。あなたの反対なさる唯一の理由がそこにあるのでしたら、私はゲブリエルさんと結婚するためにはいかなる危険もおそれず、いかなる試練にも耐えるつもりですから、どうぞ安んじてお許しをお与えください。」
「威勢はよいが、きみはまだ若いね。」少将は熱してきた私の顔をみて微笑しながら、「どんな危険だか、危険の性質を知らんうちは、なんとでもいえるさ。」
「ではそれを教えてください。」私はここぞと思って切りだした。「どんな危険でも、私をゲブリエルから引きはなすことはできません。はやくそれを教えて、私がしりごみでもするか、ためしてください。」
「いやいや、そうはゆかぬ。」少将はためいきを漏らし、考えぶかく、自分の心にでもいい聞かせるように、大きな声でつぶやいた。「なかなか元気もあるし、体格もあるりっぱな青年じゃ。これにそんなことをさせるのは、感心せぬかな?」
少将は私のいるのも忘れたように、ぼんやりと遠いところを見ながら、なおも何かつぶやいていたが、急に気がついたように、
「ねえウエストさん、さっきは少し乱暴なことをいったようじゃが、許してください。このまえにもこうしたことが一度ありましたな。しかし、もうない。もうこんなことはありませぬ。わしは平素、世のなかと断然関係をたってしまいたいと思うとるのじゃが、これは少し用心が深すぎたようです。でもそうせんければならん理由があるのでね。あるいはわしの考えが間違っとるのかもしれんが、わしのところへはいつかしら組織だって攻めかけてくる奴《やつ》があるとわしは思うとるのでな。もし何かことがあったら、援《たす》けにきてくださるじゃろうな?」
「喜んで参りますよ。」
「それではわしのところからもし『来てくれ』という使いをあげるか、あるいはただ『クルンバ』と聞いただけで、きみのご援助を求めているものと思うてください。そうしてたとえま夜なかでも、ぜひすぐに来てくださるね?」
「大丈夫、承知しました。しかしそれにつけても、そんなにまであなたの恐れていらっしゃる危険の性質はどんなものだか、承《うけたまわ》っておきたいものですね。」
「こればかりはいくらきみに相談してみても、どうにもならぬのです。のみならず、話してみたところで、十分わかりはせんじゃろう。――いや、これは少し長うなりすぎた。それではさようなら。いざというときには駆けつけてくださいよ。頼みましたぞ。」
「ちょっと待ってください。」私はゆきかけた少将を慌ててよびとめた。「私がいろんなことを申しあげたために、令嬢をどうぞお叱《しか》りないように願います。今まで令嬢から何ごとも申しあげなかったのは、みんな私のためなのですからね。」
「分かりました。」少将はにやりと、冷たくって不可解な微笑をうかべて、「わしはそんなに家族のものにつらく当りはしませぬ。結婚問題についてはわしは、きみのためを思っていうのじゃが、今のうちに思いきったほうがよいと助言する。しかしどうしてもそれができねば、いまのところ当分延期ということにするのだな。どんな予想外の事件が突発しまいものでもないのだから……ではさようなら。」
少将はそのまますたすたと歩みさって、やがて植えこみの奥ふかく姿をかくしてしまった。
じつに不思議きわまる会見であった。最初はいきなりピストルまでつきつけられたのに、幕ぎれではどうやらその人の女婿になれないでもなさそうなことになった。だがまだ正しくは海のものとも山のものとも分からないのだから、いまから浮かれたり失望したりするのは早い。
一方少将は、ゲブリエルの監視を厳重にして、われわれにこれまでのような自由な往来をさせぬようにするかも知れない。――しそうである。そうかと思うと、少将のさっきの言葉のうちには、将来適当なとき改ためて申しこみさえすれば、承諾を与えてくれそうな肚《はら》が言外にあらわれていた。私は喜んでよいのか、失望しなければならないのか? 「いずれにしても、今日のことは結局するところ、われわれには有利だったのだ。」私は帰る途《みち》すがら考えた。
それにしてもあの危険、昼夜の別なくクルンバを覆っている秘密の危険というのは、どんなものなのだろう? いくら脳味噌《みそ》を拷問《ごうもん》にかけて絞ってみても、これはと思う解答を考えうかばぬのはあの「危険」である。
いろいろ考えているうちに、ふと意味ありげな事実に思いあたった。それは少将もモーダントも口をあわせたように、危険の性質は私が聞き知っても信じないだろう、といっていたことである。そんなに不思議な危険――他人には信じられないような危険とは、いったいどんなものだろう?
私はその夜寝床へはいるまえに、灯火《あかり》を消した部屋のなかで両手をたかく捧《ささ》げながら、何ものの力、何ものの悪をもってするもわが恋は、かの気だかき純真なる乙女《おとめ》への愛情は、さますことができないのだとかたく神のみまえに誓ったのである。
七 スミス伍長《ごちよう》
この物語りを書くについて私は、成心あって話に色づけしたろうという咎《とが》めをうけんことをおそれ、注意してありのままの事実を正面からさらけだしたつもりである。けれどもこれまでは、あのクルンバ館《やかた》の怪を論じて、少し実在論に近づきすぎたと非難されるかもしれないけれど、それはあまりにドラマチックな事件があいついで持ちあがってきたので、他の些事《さじ》を顧みる暇《いとま》がなかったからである。
そうした事件がつぎつぎと起こってきて心を占領し、その解釈に悩まされているおり、どうして私は退屈な日課の土地管理の仕事に励む気になれよう? どこへ出かけていっても私は、クルンバの木のあいだからぬっとそびえているあの白い四角な塔が目についた。あの塔の下に、悪運にとらわれた人人が静かに見はりながら待ち、待ちながら見はっているのだ。――何を? それはあの館《やかた》の周囲をめぐる高塀《たかべい》のごとくに、今なお私には越えがたき謎《なぞ》であるのだ。
単に純理問題として考えてみても、ヘザストン家のこの怪異は非常にものすごい、不気味なものであるが、自分の命にもかえがたいほど熱愛している婦人の利害が、かかって一にその解決にあると知っては、私はどんなことをしてでもそれを解決しないかぎり、他のことは断じて顧みる気にはなれなかった。
そのころ、ここの主人である伯父のウイリアムから「ナポリにて」という手紙が父のところへきて、転地以来たいへん具合がよいようで、当分スコットランドなんかへ帰る気はないからよろしく頼むとあった。これは私たち一家にとって、願ったり叶《かな》ったりであった。父はこの地を研究にはもってこいの土地だ、騒ぞうしいエディンバラなんかへ帰ってゆくのは、考えただけでもぞっとするといっている。妹のエスタにしても私にしても、このウイグタンの寂しい荒野をどこにもまして愛する大きな理由をもつ身なのだ。
ヘザストン少将に会ってからも――いや、会ったからといったほうがよいかも知れないが――私は一日に少なくとも二回はクルンバをのぞきにいって、変りのないのを見ては安心して帰ってくるのであった。少将はあのとき、最初はひどく憤怒してピストルまで突きつけたくせに、わかれぎわには大分やわらいで、半ば打ちとけてさえきたうえに、万一の場合は援けにきてくれろとまでいった。あれ以来の私は、少将との関係において違う立場にいるわけだから、どうも以前ほどに私が館《やかた》の附近へゆくのを嫌《きら》いはしまいと思っている。現にあの数日後に、少将が庭内を見まわっているところへぶつかったことがあったが、彼はこのまえ話したようなことは〓気《おくび》にも素ぶりにも出しはしなかったけれど、それにしても私にたいする態度は以前にくらべれば、よほど緩和されていた。
少将は依然として極度に神経を興奮させていた。ちょっとしたことにも飛びあがるほど驚いて、気味わるい眼つきであたりを見まわす。ゲブリエルのいったように、十月五日を転機として少し落ちつくようだとよいが、さもなくて、あの調子がいつまでも続いた日には命が保《も》たないのは分かりきっている。
調べてみるとあの裏がわの塀《へい》のこわれたところは、ちゃんと手をいれて塞《ふさ》いであった。私はどこかうまいところはないかと、長い塀をさがし歩いてみたが、出入りのできそうなところはどこにもなかった。ところどころに節穴や板の割れめがあるので覗《のぞ》いてみると、館《やかた》の建物が木の間にちらちらと見えた。あるところからは、卑しい顔つきの中年の男が、階下の窓からそとを見ていたが、私は御者のイズレール・ステークズだろうと推定した。けれどもゲブリエルとモーダントはさっぱり姿をみせなかった、それがひどく私は気になった。彼らが監禁でもされていないかぎり、私なり妹なりへ何とか音さたのないはずはないのだ。二人の姿もみえなければ、たよりもない日が重なるにつれて、私の心痛はしだいに深くなっていった。
ある朝――十月の二日だったが――今日こそはゲブリエルの姿だけでも垣間《かいま》見られるか、それとも何か合図でも残してあるかと、そればかりを考えながら私は館《やかた》をさして歩いてゆくうち、途中までくると路傍の石に腰をおろしている男があった。近づくにつれてそれは見しらぬ男で、埃《ほこり》まみれの服を着て満遍なく日にやけた汚ない顔をしているところは、よほど遠国からでも来たものらしい。膝《ひざ》のうえに大きなパンの塊《かたまり》をおいて、手には折りたたみナイフをもっている。私の姿をみて手を払って立ちあがったのは、ちょうど朝食をたべ終ったところだったのだろう。
おそろしく背のたかい男だが、手にしたナイフを放さずにいるので、私はずっと片がわへ避けて通ろうとした。貧窮は人をどんなにも無鉄砲にするものである。こうした人里はなれた寂しいところで、私のチョッキにつけている金鎖は、この男をどんなに誘惑するかも知れないと思ったからである。果して! 彼は私が間ぢかまでくると、路の中央へ出てきて私の行く手をさえぎった。
「やあ、お早よう。何か用かね?」私は心にもない一種の気がるさを示していった。
風雨にさらされてマホガニいろになった顔には、口の隅から耳にかけて大きな傷跡があって、余計に人相をわるくしている。頭髪こそ白くはなっているがからだにはまだ十分元気があり、毛皮の帽子を横ちょにしてあみだにかぶったところは、なかなか伊達《だ て》な兵隊あがりといった風のところがある。けれども現在はどうみても、もっとも危険性をおびた浮浪者であるとしか思われなかった。
彼は私の言葉には答えようともしないで、気むずかしい黄いろな眼で私の姿を、上から下まで見あげ見おろしていたが、やがて持っていたナイフをカチッと大きな音をさせて折りたたんでいった。
「お前さんはポリ公ではないのだね? ポリ公にしちゃ少し若すぎるようだ。ポリ公にゃペーズリでひどい目にあったからな。ウイグタンでもそうだった。だがこんどやって来やがってみろ、おれは陸軍歩兵伍長《ごちよう》ルーファス・スミスの腕ッ節を見せてくれるつもりなんだ。この国はなんて有りがたい国だ。男一匹がどこへ行っても仕事にありつけねえってんだ。食うに困らしといて、牢舎《ろうや》へぶちこんでただ養なってやろうってんだろう。」
「軍隊を出てからそんなに困っておいでだというのは、まことにお気のどくですね。どこの隊にいたのですか?」
「H砲兵中隊さ、騎馬砲兵隊のな。国家の干城《かんじよう》になるのもいい加減のもんだぜ。おれなんかもう六十に手が届くというのに、年金三十八ポンドと十シリングてんだ。ビールとタバコの代にもなりやしねえ。」
「しかし毎年三十八ポンド十シリングはいれば、老後をすごすにはよほど役にたつじゃないですか?」
「ふざけちゃいけねえ。お前さんはいったい、」と彼は鼻で笑って、その完全に日やけした顔をぬっと私の鼻さきへもってきながら、「あのタルワール刀でめった斬《ぎ》りにやっつけた仕事が、いくらに相当すると思っているんだい? おれのこの足は砲の架尾《かび》にひかれて、骨がめちゃめちゃになっちまったんだ――まるで骸子《さいころ》袋をいじるみたいにな。これはいくらが相場なんだい? え? 元気はなくなる。東風《こ ち》がまわってくりゃ、瘧《おこり》がでるし、こりゃいったいいくらが相場かね? みんなつっくるめて年四十ポンドなら、お前さん買って出るかね? どうだね?」
「しかし、この村の人たちはみんな、貧乏人ばかりですよ。どっか向うのほうへでも行ってみたら、金持にゆきあうでしょう。」
「ばかばかり揃《そろ》ってやがって、話せる奴《やつ》はいやしねえ。」彼はポケットからまっ黒なパイプをだしてタバコを詰めながら、「おれはな、足はないがまともな暮しというものはちゃんと心得ているんだ。ポケットに一シリングしかないときは、ちゃんとその一シリングを一シリングだけに使うんだ。いやしくもおれは国家のために闘ったんだ。そのおれに国家はどれだけのことをしてくれた? いいからおれはオロシャへゆく! オロシャのやつらに、ヒマラヤ山を越えることを教えてやるんだ。そうすればアフガン人だってイギリス人だって、どうして防ぎとめようかと、慌てるに違いねえ。その秘伝を教えてやったら、セントピータースバーグではいくらの値うちがあるだろうな?」
「どうも、老下士官からそういうことを聞くのは、じつに遺憾ですね、たとえ冗談にしても。」私はたしなめてやった。
「冗談だって?」彼は大きな声でどなり返した、「オロシャさえ承知なら、とっくの昔におれはそいつをやっつけたんだ。スコベロフは大したもんだったからな。惜しいことに、死んじまったが……。だがそんなことは、ここで話してみたって始まらねえ。それよかお前さんに尋ねようと思ったことは、お前さんこのあたりでヘザストンという……ベンガル四十一連隊の大佐だったあのヘザストンという人のことを聞いたことはないかね? ウイグタンじゃどこかこの辺りにおられるということだったが……」
「その人ならあの大きな家におられますよ。」私はクルンバの塔のほうを指していった。「この坂を少しおりてゆくと門があります。しかし少将はだれにも会いたくないということですよ。」
私のこの言葉の後半は、ルーファス・スミス伍長の耳へは入《はい》らなかった。彼は私が館《やかた》を指さすとともに、いきなり片足跳びで駆けだしてしまったからである。その駆けかたがじつに奇抜であった。悪いほうの右足は五六歩に一回くらいしか使わずに、ぴょこんぴょこんとバッタのように跳んでゆくのである。それでもその丈夫なほうの左足だけを使って彼は、あきれるばかり速く駆けていった。
そのうしろ姿を私は、あっけにとられて見おくっていたのであるが、ふと、こうした何でもずけずけといってのける男と、あの短気で怒りっぽい少将とが顔をあわせたが最後、たいへんなことが持ちあがるに違いないと気づいたので、跛足《びつこ》の駝鳥《だちよう》かなんかのように妙ちきりんな恰好《かつこう》で跳んでゆく男のあとを追って駆けだしていった。そうしてようやく館《やかた》の門のところで、彼が鉄格子《こうし》につかまって、太息《といき》をつきながら中をのぞきこんでいるところへ追いついた。
「おやじなかなか考えているからね。」スミスは私を振りかえって、館《やかた》を顎《あご》でしゃくりながらいった。「なかなか食えないおやじなんだよ。あれが、あの木のなかに見えるのがおやじの営舎なんだね?」
「あれが屋敷ですよ。しかしお前さん少将と話がしたいのなら、もっと言葉に気をつけたほうがいいね。つまらないことをいうと、なかなか容赦はしない人だよ。」
「大きにそうだ。なかなか一筋なわではゆかなかったよ。おや! あそこへやってくるのがおやじじゃないかね?」
いわれて門のうちを覗《のぞ》いてみると、まぎれもない少将が、私たちの姿を見つけてか話し声を耳にしてか、こっちへやって来るところだった。少将は五歩あるいてはたち停り、十歩あるいてはまたたち停りして、来ようか来まいかと惑うように、植えこみの奥からこっちをのぞいて、様子を窺《うかが》っているのだった。
「偵察をやってるんだぜ。」スミスはかすれたような声でいって、声をださずに笑った。「敵は恐れているんだ。なにを恐れているのか、おれにはちゃんと分かっている。陥穽《おとしあな》におちないようにと、用心しているんだ。敵もさるもので、抜目はないんだからね。」
そんなことをいっていたかと思うと、スミスはとつぜん爪《つま》さきだって、鉄格子《こうし》のあいだから手をいれて打ちふりながら、声をはりあげて叫んだ。
「指揮官どの! 指揮官どの! 地域は安全です。附近に敵はみえません。」
使いなれ聞きなれたこの言葉は、少将を安心させるに有効であった。これを聞いた少将は、顔いろこそ興奮の頂上にあることを示してはいたが、ずっとこっちへ出てきた。
「や、ウエストさん、なんの用できました?」少将は私の顔を見つけていった。「何しにきたのです? なんでこの男をつれて来たのです?」
「いえ、私が連れてきたわけではないのですよ。」こんな人柄のいかがわしい男をつれてきたのが、さも私のせいであるかのようにいわれたので、私は少しムッとしていった。「さっきあちらの往来で会いましたところ、ぜひあなたのところへ来たいということでしたから、道を教えてやっただけのことですよ。そのほかのことは何も知ったことではないのです。」
「ふむ。で、お前はどんな用があるのかね?」少将はそっけなくスミスに尋ねた。
「へ、その、私は、」と退役伍長スミスはさっきからの空元気はどこへやら、急にあわれっぽい涙声になって、土龍《もぐら》皮の帽子に手をやってぴょこぴょこしながらいった。「私は二十五連隊の砲手でござりやした。閣下《かつか》のご高名はかねてインドにおいて承《うけたま》わっておりましたので、あるいはこの私めを馬丁か庭師になりとお使いくださるか、そのほか何なりと似つかわしいところへお使いくださりまするならと存じまして。」
「それは気のどくだが、わしにはどうもできないね。」少将は押しつけるようにいった。
「それではせめていくらかお助けを願いたいもので……」伍長はぺこぺこしながらいった。「たった二三ルピイのことで、昔の部下が助かるのではござりませんか。私はあの峡道ではセール隊におったものでござります。ケーバル占領のときは二番隊をつとめました。」
ヘザストン少将は鋭い眼で伍長をみつめた。けれども一言も発しはしなかった。
「グズニの大地震で、敵の城壁がみんな揺りおとされたときは、閣下の隊におりました。あのとき四万のアフガン軍がわが着弾距離内に暴露されました。お疑いがござりましたら、あのときのことを何なりとお尋ねください。これはみんなお互いの若いころのことです。今こうして年とって、閣下はりっぱな営舎にお住《すま》いになり、私は路傍でのたれています。どうも考えてみると、少しまちがっていやしないかと……」
「余計なことを口に出さぬものだ。お前がほんとに立派な兵であったのなら、今ごろ他人《ひ と》の助けを求める必要はなかったはずだ。お前のようなものには、一文もだすことはならぬ。」
「閣下、ちょっとお待ちください。」早くも少将が邸内へはいろうとする身ぶりをみせたので、伍長は慌ててすがりつくようにいった。「私はテラダ峡路にも行ったものでござりますよ。」
「なに? なんだ?」老少将はこの言葉に、耳もとでピストルの音を聞いたくらいに驚いてみえた。
「私はテラダ峡路にいったものでござります。はい、そうして、グーラブ・シャアと申す男のことをも知っております。」スミスは意地わるい笑いをうかべて、ごく低い声でささやくようにいった。
これを聞くと少将の様子はがらりと変った。もとより黄いろい顔のいろが土気いろになって、よろよろと二三歩あとへよろめきかけ、急には言葉も出てこぬという調子であったが、やっと声を絞りだすようにしていった。
「グーラブ・シャア? グーラブ・シャアを知っとるお前はいったい何ものか?」
「もう一度よくごらんください。」スミスは顔をつきだすようにしていった。「四十年まえからみると、閣下のお眼はそんなに弱くおなりですか?」
少将はこの怪しき垢髪《こうはつ》の男を穴のあくほど見つめていたが、急に記憶がよみがえってくると共に叫んだ。
「おお、分かった! ルーファス・スミス伍長《ごちよう》ではないか!」
「とうとうお分かりでございましたな。」伍長はうれしそうに相好をくずしていった。「いつになったらお分かりになるのかと思っていましたよ。何はともあれ、この門をお開けくださるわけには参りませんか? 内と外じゃお話もできません。せっかくお訪ねしたのに、十分間も表に立たせたきり、門をお開けくださらぬのは少しひどいようでございますな。」
明らかにまだ混乱のおさまりきらぬ少将は、震える手さきで閂《かんぬき》をぬいた。別人ならぬルーファス・スミス伍長だと分かったので大きに安心はしたものの、少将はスミスにしろ誰にしろ他人が訪ねてきたということを、決して心から喜んでいるのでないことが、私にはよく分かっていた。
「なあ、伍長、」少将は鉄門を押しひらきながらいった。「お前のことは生きているか、それとももう死んだかと、思いだすごとにそれを考えていたが、二度と会えようとは思いがけなんだよ。久しいことになるが、いったいどうしておったな?」
「私ですか、私ならたいていいつも飲んでばかりいましたよ。」スミスは吐きすてるようにいった。「金さえおりれば酒をのんで――のんでいるあいだだけが、いくらか気も落ちつくときで、金がなくなりますと放浪の旅に出かけました。一杯やる飲みしろがほしいのと、そうでもしているうちには閣下にお目にかかれるおりもあろうかと存じましてね。」
「ウエストさん、勝手な話ばかりしていまして失礼しましたな。」私がだまってこの場をはずそうとしたのに気づいて、少将は私のほうへ向きなおりながら、「どうぞこの場所にいてください。このことについては、いくぶん知っておられるはずじゃから、この四五日は内輪同志のような気がしておられるじゃろう。」
「内輪どうしなんですって?」スミス伍長はあきれたような顔をして私のほうを見ながら叫んだ。「どうしてそうなんですか?」
「頼んだのじゃない。志願兵じゃ、志願兵じゃ。」少将は声をひそめながら早口に説明した。「近所の人でな、まさかの時にはわしを助けにきてくれるというとるのじゃ。」
これを聞いてスミスはより大きなべつの驚きを抱いたらしく、感嘆の眼で私を見ながらいった。
「へえ! それは感心な! ちかごろお勇ましいことで……」
「で伍長、わしに会えたのはまあよかったが、これからどうするつもりかね?」
「どうと申しまして、私は宿なしで、着るものもなければ食べるものもなし、それにいちばん困ったことには、ブランディ一杯のめない始末なんで……」
「じゃまあ中へはいるがよかろう。できるだけのことはしてやる。」少将はゆっくりといった。「世話はしてやるが、ここでちゃんと約束しておかんければならんのは、わしは少将でお前は伍長だ。わしはこの家の主人で、お前は使用人なんじゃから、その点を決して忘れんようにしてもらわねばならん。」
スミス伍長は直立不動の姿勢で、右手をあげて軍隊式に挙手の礼をした。
「ではいまいる庭師に暇をやって、かわりにお前を庭師にとりたててやろう。それから、ブランディは分量をきめて、それ以上は決して呑んではいかん。わしの家では誰も酒のるいはあまりやらんのだからな。」
「閣下もですか? 酒でなくても阿片《あへん》でもおやりにならないんですか?」
「何もやらん。」少将はきっぱり答えた。
「へえ! それにしても閣下は、私なんかよりもよほど気丈におなりでございますね。それではもう、どんなに大きな反抗隊がきても大丈夫で、私は般若湯《はんにやとう》一滴もなしに、毎晩偵察に出るんだったら……その……からっきし何もできやしません。」
ヘザストン少将は、黙ってほっといたら、何を喋《しやべ》りだすか分からんという風に、片手をあげて伍長を制しながらいった。
「ウエストさん、ようこの男をつれてきてくださった。こんな男じゃあるが、昔の部下が落魄《らくはく》するのを知りながら見すてもされんでな。最初すげない様子をみせたのは、どんな気持でここへやってきたのか、この男の肚《はら》のなかが知れなんだからじゃ。おい伍長、それでは一歩さきに屋敷のほうへ行っていてくれ。あとからすぐ行くからな。」
スミス伍長がおとなしく、例の奇妙な足どりで並木路をはいってゆくのを見おくりながら、少将は言葉をつづけた。
「可愛いやつさ。大砲に足を轢《ひ》かれて骨が砕けたのじゃが、頑固《がんこ》なやつで、医者が切るといったのを、どうしても切らせんじゃった。アフガニスタンに行っているころは敏捷《びんしよう》な若ものじゃったが! あの男とわしとは奇妙な事件に絡《から》んで関係があるのでな。いつかはお話しするおりもあろうと思うが、わしはあの男には同情しとる。面倒をみてやるつもりじゃ。ここへ来るまでに何かわしのことについて話していましたかね?」
「いえ、なにも聞きません。」
「ふむ、」と少将は何げなく――しかし私には明らかにほっとしたらしく見えたが――いった。「わしはまた何か昔の話しでも出たことかと思ったじゃ。ウエストさん、わしはこれからあの男の面倒をみてやらんければならんから、あんな様子では家のものが驚いてもいかんで、これで失礼しますぞ。」
少将はちょっと手を振っておいて、ずんずん家のほうへはいっていった。私は例によって高い黒塀《べい》のまわりを、節穴やら板の裂け目やらの要所要所から、中をのぞきながら歩いてみたが、モーダントもゲブリエルも相かわらず姿はみせなかった。
私はこれでいよいよ、ルーファス・スミス伍長の現われたところまで話しの筋をたどってきた。伍長のきたことこそはじつに、悲劇の終幕《おおぎり》の幕あきだったのである。
これまで私は、ウエスト一家がウイグタン州のこの片《かた》田舎《いなか》へくるようになった事情から、ヘザストン少将がクルンバ館《やかた》へ移ってきたこと、ならびに、最初はたんなる好奇の心で眺《なが》めるのみであったが、そのうちにこの一家と密接な関係のできてきた次第を、正直に、順序を追って記述してきた。そして私たち兄妹がこの一家と切っても切れぬ関係の生じた理由にもちょっと触れておいたのであるが、このあいだにクルンバ館《やかた》の内部にどんな風の朝夕があったか、実見者の口を借りてここで述べておくのがもっとも便利だろうと考える。
御者のイズレール・ステークズ、この男はまったくの無筆であったが、ストーニカークのプレズビテリアン派の牧師マシュウ・クラークがていねいに口述を筆記したものがあるから、それによってステークズが宣誓のうえ語ったところをつぎに採録しよう。ただクラーク師は口述にいくらか修飾を加えられたが、こうしたものは何ら手を加えないありのままのほうが面白いのであるから、私は多少遺憾に思っている。しかしながら、修飾したとはいうものの、それはほんの僅かであるから、これを通してステークズの人物がかなり明らかに表われてもいるし、また、なかに書いてある事実は彼がヘザストン少将家にあって見聞したことそのままであって、決して話の内容にまで修飾のペンがのびているのではないことを断っておきたい。
八 イズレール・ステークズの話
フォザギル・ウエストさんと牧師さんとでおらがに、ヘザストン旦那《だんな》のことを知っているだけ話せ、だけんどおらがのことは読者には面白くあんめえから喋《しやべ》っちゃあなんねえと仰せられる。だけんどそいつあいけねえと思うだ。何《あ》んだってえと、おらがの家は誰しらぬ衆もねえ評判ものなんだ。だからエックルフェッカンのアーチー・ステークズの伜《せがれ》が話しといえば、ニスデール村の衆でもアナンデール村の衆でも、喜んで聴きてえという衆がたくさんあるだ。
だけんど考えてみるとこれもウエスト旦那のためだから、なるべくいわれた通りに骨折るべえ。そうすれば旦那もおらがの骨折りをみてくれべえちゅうもんだ。おらがはとっつあんが学校さあげねえで、野良さ出て鳥さ追わせただから、無筆ものじゃあるが、そのかわり神さまの教えだけは厳重に仕こまれてるだから、ありがてえと思ってるだ。
去年の五月のこんだ、管理人のマクニール旦那と町さでバッタリ出あったところ、御者兼帯の庭師の口があるだが行く気はねえかと尋《き》かれただ。ちょうどそういう口はねえものかと探しているところだっただから、こいつはうめえと思っただが、おらがはそんな様子はまだ見せねえ。すると旦那はせっかちにいっただ。
「ゆきたくなきゃ、無理にとはいわねえが、いい口だよ。ほかにも行きたいって者はたくさんあるだが、もしお前にゆく気があるなら、明日《あした》の二時におれのところへやってくれば、先方の旦那がみえるはずだから、じかに話をきいてみたらよかんべえ。」
マクニール旦那はこれだけしかいわなかっただ。旦那ときたら握り屋で、掛けひきがうまいんだからね。この世じゃそれで銭《ぜに》も残るべえが、来世じゃ損な性質《た ち》だね。最後の審判《さばき》日にゃ神さまの左がわさ坐らされる管理人がたくさんあるべえが、マクニール旦那なんざその中さいれられても不思議はあんめえと思うだ。
とにかくつぎの日におらがは旦那のところさ行ってみるてえと、旦那のそばに背のたかい、痩せた、いろの黒い、胡桃《くるみ》のように皺《しわ》だらけで白髪《しらが》の恐《こわ》い旦那がきていただ。まるで火口《ほくち》のようにまっ赤な眼をして、おらがのことをじっと睨《にら》みつけてその旦那がいっただ。
「お前はこの土地で生まれた者だね?」
「ひえ、一度も他国《よそぐに》さいったことねえだ。」
「スコットランドからそとへは出ないのだね?」
「カーライルの市《いち》さ二ンどいっただ。」おらがは嘘《うそ》はきれえだから正直にいっただ。それにマクニール旦那は、旦那がドラムルー農園のため入用だちゅうので、おらがが三歳の牡牛を二頭と二歳のを一頭買ってきたのを思いだすべえからね。
「マクニールさんの話だと、お前は無筆だちゅうが、ほんとかね?」旦那がきくだ。この旦那がヘザストン大将の旦那だっただ。
「ひえ。」
「読むこともできないのだね?」
「ひえ。」
「この男ならわしの注文にはまっているようだ。」旦那はマクニール旦那に話しただ。「どうも近ごろは使用人の品《ひん》がわるくなっとるだからね、むやみと教育なんちゅうものをやるもんだからね。ステークズ、お前ならばわしには十分満足だ。わしはお前に食わして月に三ポンド出すがどうだね? もっとも万一用がなくなったら、二十四時間の予告でもって暇をだす権利だけはあるちゅうことにしてな。」
「今までそんな約束さしたことがねえだ。」おらがはふくれ面さしていったが、あんだってお前さん、嘘じゃねえちこと。スコットの旦那あ月一ポンドきりで、おまけに食いものときたら、オートミールの粥が日に二度ときまってただからね。
「よいよい、お前がそういうなら一日だけ奮発して、二日の予告ということにしておこう。さあ、ここに一シリングだけ手つけを渡しとくよ。マクニールさんが、そうするのが習慣だというからね。で、お前は月曜日の朝クルンバへ来てもろうことにしよう。」
月曜日になると、おらがはクルンバさして出かけていっただ。するてえと窓だけでも百もあろうちゅう途方もねえでけえ家でよ、地所ときたら教会の半分もあろうちゅう広さだ。
庭師ちゅうけんどが、どこにも手さつけるちゅうところもねえだし、馬ときたら何週間にもはア厩《うまや》さつないだんきりで、とんと出すようなこともねえだ。けんどが館《やかた》さ塀《へい》つくりの仕事さあっただし、そのほかナイフさ研いだり、靴《くつ》さ磨いたり、女でもできるような仕事じゃあっただが、相当に忙がしかっただ。
台所にはおらがのほかにコックのエルザと女中のメリと二人いただが、どっちも間のぬけたあまで、これまでロンドンにばかりいただから、世のなかのことも人間の道も、なんにも知んねえだ。なにしろ英語もろくすっぽ分かんねえようなうすのろで、手めえのことにばかりかまけて、野良のことなんかてんで思ってもみねえような女《あま》だっただから、おらがもべつに話すことはねえだ。コックのエルザはジョン・ノックスさまのことは考えてもみねえってたし、女中は女中でドナルド・マクスノーさまのお説教なんかに耳もかさねえけりゃ、六ペンスのお賽銭《さいせん》も出さねえちっただから、それからちゅうものおらがも匙《さじ》さなげちゃって、相手になんねえことにしただ。
ご家族は旦那《だんな》と奥さと若旦那のモーダントにお嬢のゲブリエルの四人だが、みんないい人だちゅうことがすぐに分かっただ。奥さは痩《や》せてお化《ばけ》のようにまっ白い顔さしているだが、たった一人で泣いているところさしょっちゅう見かけただ。それから誰も見ていねえと思って、庭のおくで一人、気ちがいのように手を振ったり揉《も》んだりしてることもあっただ。
それから若旦那にしてもお嬢さにしても、なにか心配《しんぺえ》ごとさあるような面《つら》してただが、大旦那ときたらもっとひでえだ。ほかの人アときたまうれしそうな顔さして、何《あ》んだかこそこそ話してたこともあるだが、大旦那ときた日にゃ、年がら年じゅういつ見ても苦りきって、罪人が死刑台さのぼるときのような泣面《ほえづら》さしているだ。
おらがはなにか屋敷のうちさ間違いごとでもできたんじゃねえかと思って、台所で尋ねてみただが、コックのエルザはこうしてお給金さ頂だいしているうちはお主うさだから、お主うさのことさかれこれせんさくだてさしちゃいかねえって、なにもいわねえだ。勝手によっちゃ二人でぺちゃくちゃ喋《しやべ》ってるくせして、こっちがおとなしく物さ尋ねてるだに、なんとも返答しねえなんて、ふんとに二人とも意気地《いくじ》のねえあまだあ。
そんなこんなで一週間とたち一月とすごす。二月三月するうちに、館《やかた》のなかさ様子がだんだん変になってきただ。旦那はまえよりもえらく心配《しんぺえ》性になって、奥さは一日一日と沈んできただ。そうかといって二人は決していさかい一つするでねえ。お二人が朝めしさ食ってるとき、おらがはよく庭さ回ってって、食堂の窓のそとのバラの枝さすかしたりしたことがあったもんだから、聴かねえだって話し声さよく聞こえただが、そんな様子はまるっきり見えねえだっただ。そんで、若旦那やお嬢さが一緒のときはあんまり話しもしなかっただが、二人きりになると何《あ》んだか心配《しんぺえ》ごとでもおっ始まったような話しのうしてただ。その心配《しんぺえ》というのがどんなものだったか、口ぶりだけじゃおらがには分かんねえかっただ。
死ぬのも死にそうな目にあうのもちっとも恐くはねえだが、どうなることだか分かんねえものを、こうやってじっと待っているほど辛《つら》いことはねえ。精も根もつきはててしまうだ――と旦那がこぼすと奥さが、しきりにそいつを慰めて、そんなに心配《しんぺえ》するほどのことはねえのかも知んねえ。何《あ》んしろ世のなかのことは、正しいほうがとどのつまりは勝つだってなことさいうだが、何《あ》んといったって旦那は奥さのいうことぐれえじゃ心配《しんぺえ》がやまねえだ。
そんな風だから若旦那にしてもお嬢さにしても、館《やかた》のなかさ落ちついていねえで、おりさえありや飛びだして、ブランクサムのフォザギル・ウエストさのところさ行っただ。大旦那ア自分の心配《しんぺえ》に追われて、そんなことさ気がつくどころじゃねえ。おらがだって御者兼帯の庭師なんだから、若旦那やお嬢さが何さしようとそれに口さ出すことはできめえ。若《わけ》え者ア若えものづれ、それをどうこうってのは間違ってるだんべ、そこは神さまがちゃんときめてござらっしゃるだ。いくら辺ぴだからって、ウイグタンだけがべつって法はねえだ。
まだ話さねえことが一つあるだが、これからぼつぼつ話してゆくべえ。
旦那は奥さと一緒の部屋には寝ねえで、いっとう奥のはずれの部屋へひとりで寝ただ。この部屋は旦那のいねえときでも鍵さかけて、決して誰も入れねえだ。それどころか、寝床の始末から掃除《そうじ》まで、すっかり旦那が自分でやって、おらがなんかは廊下までも寄せつけねえだ。そうしちゃ夜になると家中さ歩きまわって、どの部屋にも廊下の隅にもすっかりランプさつけさせて、家のなかさ暗いところさちっともねえくしちまうだ。屋根部屋のおらがのところからも、旦那がよなかから暁《あ》けがたまで、幾度も歩きまわるのがよく聞こえただ。旦那は気ちがいになっただか、それともインドで覚えてきた偶像教のぎょうでもやってるだか知んねえだが、黙ってその足音を聞いてるものこそ、いい加減くさくさしちまうだ。ドナルド・マクスノー上人《しようにん》さまのお話しでも聞いてみたら、旦那の気もちも落ちつきはしめえかと、いくども尋ねてみようかと思っただが、まあまあと思って我慢しただ。旦那は上人《しようにん》さまくれえ何とも思っちゃいねえだからね。
ある日芝生で仕事さしてると、旦那がそばさきていっただ。
「イズレール、お前はピストルを射《う》ったことがあるかの?」
「とんでもねえこんだ。おらがは臍《ほぞ》の緒《お》きってから、そんなものぶったことねえだ。」
「じゃ、この年になっては、もうそんなものを始めぬがよかろう、人はみな各自得意の武器というものがあるはずじゃからの。それよりもお前は、山りんごの木の丈夫な棍棒《こんぼう》でも持たせたら、さぞ強いじゃろうの?」
「そりゃ旦那、この界隈《かいわい》じゃ、だれも相手になれる若ものはねえだ。」
「屋敷は一軒家だから、悪いやつが来ぬともかぎらぬ。だから何があっても、日ごろからちゃんと用意だけはしておいたほうがよい。わしとお前とモーダントと、それに呼びにさえゆけばいつでも来てくれるはずのブランクサムのフォザギル・ウエストさん、これだけあったらたいがいのものがきても大丈夫だと思うが、どうだね?」
「それはそうだんべ、『啀《いが》みあうより集まったら飲め』ということがあるだからね。旦那が月もう一ポンドも出してくださりゃ、喜んでやるだ。」
「給料のことで争うのはやめよう。」そういって旦那は、一年十二ポンドがものを、まるで半文銭でもくれるように上げてくれただ。こんなことをいっちゃいけねえのはよく知ってるだが、この時は、こうしてやすやすとよこすくれえだから、きっと筋のよくねえ金だんべと、おらがは推量しねえじゃいられなかっただ。
おらがは生まれつき物見だけえ、穿《せん》さくずきのたちじゃねえだが、旦那はいってえ何《あ》んだって夜じゅう眠りもしねえで、家のなかさ歩きまわるだか、おらがはそれが気になって何《あ》んともしようがなかっただ。そのうちにある日、廊下を掃除《そうじ》してるちゅうと、旦那の寝室からあまり遠くねえ廊下の隅に、窓掛のはずしたのだの、敷物の古いのだの、ごたごたしたものが山のように積んであっただ。それを見たときおらがはハッとうめえ考えが浮かんだだ。
「へん、こいつあうめえだ。今晩このなかさ隠れていて、旦那がどんな様子をしているだか見てくれべえ。けっこう見つかりっこはあんめえ。」
なるほど、考えてみれば考えてみるほど、こいつはいとやさしいこんだ。善は急げだから、おらがは早速その晩そいつをやっつけることに肚《はら》をきめただ。そこで晩になると女どもに、歯がいたむだから早く部屋さ退《さが》るちゅうて引きとってきただが、部屋さ退っちまえばだれも邪魔しるものはねえだ。しばらくしるとみな寝しずまったようだから、おらがは靴《くつ》さぬいで部屋さそっとぬけだし、べつな階段から降りてあの場所さいっただ。そうして大きな敷物のなかさ潜《もぐ》りこんで片眼だけのぞけながら鼠《ねずみ》のように待ってただ。そのうち旦那がおらがのすぐそばを通って、いつもの通り寝室さいっただ。旦那が寝室さいったあとは家のなかが、まるで死んだように静まりかえっちまった。おらがはダンフリースのユニオン銀行の在り金をみんなくれたって、もう二度とあんなことさするのはごめんだ。考えてみただけでも、背なかさ水をかぶるような気いするだあ。音といったら向うの廊下さかかってる古い柱時計がかちかちとねむそうに鳴ってるだけで、自分の息づかいさえ聞えるほど寂しい場所で、たった一人でじっと待ってるなあ、何んともいえねえ恐ろしさだ。上手のほうを見たり、下手のほうを見たり、しょっちゅう気いくばっているだが、それでもおらがの見ていねえほうから何かが来そうで恐くてなんねえ。額には冷たい汗がびっしょり出るし、心臓は時計の音の二倍もはやく動悸《どうき》をうってるだ。それに何より困ったのは、息するたびに敷物の埃《ほこり》さ吸いこむものだから、咳《せ》きが出そうで出そうで、どうにもやりきれねえだ。あんな思いをしてよく髪の毛がまっ白になんねえだったと、いまでも不思議でなんねえだ。グラスゴーの市長さまにしてくれるちっても、もうあんなことさするのは真平だ。
さて、夜もしだいに更けて、夜なかの二時か、もっとになったんべえか、これあはア残念だけんど、もう誰も出てきやしなかんべえと思ってるちゅうと、急にはっきりと物音が聞こえてきただ。その物音がだ、いままで幾度も尋《き》かれただが、こういう音だったとはっきりしたことさ口でいうことは、どうしてもできねえだ。といって今までにまんざら聞いたことのねえ音じゃねえと思うだが、口でいい表わすことさできねえだ。まあいわばブドー酒の瓶《びん》でも鉢《はち》あわせるような音とでもいうか、それよりもずっと大きく甲《かん》だかい音で、そのなかに雨水が天水桶《おけ》におちこむような、じゃあじゃあいう音もこんがらがってただ。
あんしろおらがは驚いたもんだで、まるで雛《ひな》菊畑《はたけ》のがま蛙《かえる》のようなかっこうで、敷物のなかで起きなおって耳さすましただ。すると、もうあんにも聞こえねえ。ただ遠くで時計の音がカチカチいってるだけだ。変だなと思ってるうち、まえのと同じはげしい音がまた聞こえただ。こんどは旦那も聞いたとみえて、疲れた人がぐっすり寝こんだあとでやるような、変な声さだして唸《うな》っただ。音を聞いてると旦那は起きあがって、寝台からおりて服さ着ている様子だったが、そのうちことこととかるい足音さたてて、部屋のなかさ歩きまわりだしただ。どうしべえ! とおらがはすぐにもとの通り敷物のなかさ埋りこんで、ガタガタと体じゅう震えながら、知ってるだけのお祈りの言葉をみんな唱えただが、それでも片眼だけはのぞけて、旦那のお部屋のほうさ見ていただ。するちゅうと、戸がガタガタいうて、そろりそろりとなかから開いて、旦那が出てきただ。旦那は出てくるとすぐに戸を閉めただが、そのとき、お部屋のなかさカッカと灯火《あかり》がついてて、剣のようなものがずらりと壁にならんでいるのがチラリと見えただ。旦那はガウンさ着て喫煙帽さかぶり、足には踵《かがと》がきれて爪《つま》さきのあがった、妙な恰好《かつこう》のスリッパさはいてただ。
はじめおらがは旦那あ眠りながら歩いてるだかと思っただが、だんだんこっちへ歩いてきたのを見ると、眼はぱっちりと大きく開いてるだし、心になにか悲しみでもあるように恐ろしくベソかいてるだ。あのひょろ高くて顔いろのわるい旦那が、しんとして寂しく長い廊下さふらふらとやってきた時のことさ考えると、今でも身ぶるいがつくだ。
おらがは息をころしてじっと見つめていただが、いよいよそばまでやって来たなと思ってると、三尺と離れねえところで、さっき二度も聞いたあのチンという音がはっきり大きく聞えただから、心臓が一時にとまったかと思っただ。あんの音だか、それがどこから来るだか、おらがにはさっぱり分からねえ。旦那が音をさせたのだか知んねえだが、それにしても分かんねえのは、旦那は普通にぶらりと両手をわきに垂れてて、べつに何《あに》も持っちゃいねえだ。何《あ》んでも旦那のいたほうから来たにゃ違えねえだが、おらがにゃ旦那の頭のうえのほうから聞こえたように思われただ。それにしても不思議なのは、どこからきただかはっきり分かんねえような気味のわるい音だ。
旦那はさらに知らねえ顔さして歩いていっただから、まもなく見えなくなっちまっただ。そこでおらがはそのすきに、隠れ場からはい出して、おらがの部屋さ逃げこんじまっただ。もうこうなったら紅海のお化けがみんな出てきて暴れたって、そんなものさ覗《のぞ》きにちょっとでも顔を出すことじゃねえと思っただ。そうしてこのことは誰にも喋《しや》べりはしなかっただが、クルンバ館《やかた》はながくいる所じゃねえと肚《はら》さきめただ。月四ポンドといやいい給料じゃあるが、そのため大の男一匹が心配《しんぺえ》しつづけてまで働くほどのことでもあんめえ。それにお化けが家のなかさ入《へえ》ってきた以上、いつどんなことでわが身を亡ぼすことになんねえとも限らねえだからね。命あっての物だねだあ。神さまはお化けや悪魔よりか強いといったって、まさかそれを試してみる気にもなんねえだしね。
とにかく旦那をはじめ、この一家の人たちがなにかの呪《のろ》いにかかってることはたしかだ。いかにもありそうなことで、それも身からでた錆《さび》だんべえ。おらがのように後ぐれえことはちっともしたことのねえ、堅いプレズビテリアンの信徒にはけっしてそんなことがねえだ。それにしても可哀《かわい》そうなのは、あの美しくて気だてのやさしいゲブリエル嬢さだ。いかにも可哀そうではあるが、おらがの出る幕でねえだから、カルデアのウルを出て野にさすろうたエブラハムの孫ロト(旧約創世記十三章参照―訳者)のように、思いきって見すてることにしただ。
そういうわけであの恐ろしいものは、いつまでも耳の底さのこってて、それからというものはまたあの音さしやしねえだかと思って、一人で廊下を歩くこともなんなかっただ。だからおらがはどうぞして、うめえ折りさみて館《やかた》から暇さとり、なるべく教会の近えところでイエスさまを信仰する人のところへ奉公してえものだと、そればかり心に念じていただ。だが、待てば海路の日和《ひより》とやらで、そのうちに、こっちからは一言《こと》も口さきがねえで、旦那のほうから暇さくれることになってきただ。
それちゅうのが、ある日、十月の初めだが、おらがは馬に燕麦《からすむぎ》さくれて厩《うまや》から出てくると、大きな男が門のほうからひょこひょこと片足とびにとんできただ。その様子がまるで、人間というよりは不恰好《ぶかつこう》な鳥のようにみえただ。おらがはこれこそ旦那のいってた悪漢《わるもの》という奴《やつ》だんべえと思っただから、いきなり大きな棍棒《こんぼう》さもちだして、野郎の頭さへくらわせてやるべえと思っただ。するてえとやつはおらがの顔いろでそれを知りでもしたんべえか、それともおらがの手に棍棒をひっさげていたためだか、ポケットから大きなナイフさだして、えらい勢いで怒っただ。もしおらがが踏みとまらなかろうもんなら、飛びついていきなり刺し殺してたかも知んねえだ。あんしろその呪《のろ》いの恐ろしいことったら、きいててもまるで髪の毛が一本だちになるような気さしただ。こんなやつに何《あ》んだって罰《ばち》があたらねえだんべ。この場でころりと死んだっていい奴《やつ》だ。
ナイフと棍棒とをもって、じっと睨《にら》みあったまま立ってるところへ旦那がやってきただが、驚いたことには、旦那はこの野郎をまえからよく識ってでもいるように、平気で話しかけただ。
「おい伍長、そのナイフはポケットにおさめたがよかろう。恐ろしさにむやみなことをしちゃいかん。」
「この野郎くたばっちまえ!」悪漢はいうだ。「私がナイフをひっこめたら、この野郎はその大きな棍棒で、私のあたまを打ち割りますべえ。隊長どの、こんな乱暴な老いぼれ野郎をそばへおくって法はありませんぜ。」
旦那は余計なことをいうなといった風に、おそろしい顔でその野郎をにらみつけておいて、おらがのほうさ向いていっただ。
「イズレール、お前は今日かぎり、いなくてもよいことになった。お前はよく勤めてくれたから、わしは決して不足に思っているのではないが、急に少しわけができたから、お前には暇を出すことにしたのだ。」
「承知いたしやした。」
「こんばんから出てゆくのだ。そのかわりお前には一カ月分だけ、余計に給料をだすことにするから……」
そういって旦那は、伍長とかいったその悪漢をつれて家のなかさはいっていっただ。そうしてそれから今日が日まで、その男の顔も旦那の顔もみたことがねえだ。荷物の支度さしているうちに、袋にいれた金が奥からさがっただから、コックの婆さんとあまッ子に別れをつげて、クルンバの土地におさらばさしただ。
その後のできごとについちゃ、かれこれ喋《しやべ》ることなんねえ、ただ自分で見たことだけ話せというだが、これにはもちろんわけの有ることだんべ。そのわけがどうだこうだなんていう気は、毛頭おらがにはねえだが、おらがはその後あのことが持ちあがったときも、いまさら決して驚きはしねえだったことだけは、ここではっきりと言っとくだ。あれはおらがの考えたとおりだっただ。だからそのことはドナルド・マクスノー上人《しようにん》さまにも申しあげただ。
さて、これでおらがは何もかも話しちまっただ。もう一言《こと》もいうことはねえだし、いいすぎたこともねえだ。メシュー・クラークさまにはおらがのような者の話しぶつのを、いちいち書きとって貰《もろ》うし、いかいお世話になりました。もしほかに何かおらがに尋ねてえことでもある人があるなら、エックルフェッカンのイズレールといってくれたらすぐに分かるだし、またウイグタンのマクニール旦那に尋ねてくれたって、い場所はすぐ知れるだ。
九 イースタリング医師の話
以上イズレール・ステークズの語るところを巨細《こさい》にわたり採録したついでに、ここで現にストレンラで開業しているイースタリング医師の覚えがきを引用しよう。氏はヘザストン少将がクルンバを借りているあいだに、たった一度いったきりではあるが、とくにある事情のため、このわずか一回の往診がきわめて参考になる――これだけでは参考にもならないかもしれないが、私が以上に記したことと参照してみるとき、すこぶる有力なる覚えがきとなると信ずるのである。氏は多忙中の時間をさいて、記憶を書きつづってくれられた。私はこの有力なる記録を一字一句の加減もなく、ここに引用するのがもっともよい方法だと信じる。
余はフォザギル・ウエスト氏の依嘱によりて、余のただ一回のクルンバ館《やかた》往診の顛末《てんまつ》を語りうるのを欣幸《きんこう》とするものである。これ余が同氏のそもそもブランクサムへの来住以来、氏を尊敬せるがためのみならず、ヘザストン氏事件のごとき異常の性質をおびたる事件においては、事実の内容が信ずべき人の手によりて公表せらるるは、もっとも重要なりと確信するがためにほかならぬ。
昨年九月初旬、余はクルンバ館《やかた》のヘザストン夫人より手紙をもって、近来少将の健康状態ふるわずして、大いに案ずべきものあるをもって、一応来診を乞《こ》うとの依頼をうけた。
少将一家のこと、ことにその不可思議なる蟄居《ちつきよ》生活に関する風説は、かねてより耳にせるところであったから、余はこの機会の与えられたるを大いによろこび、直ちに夫人の求めに応ずることとなしたのである。
クルンバ館《やかた》はもとの所有者たるマクヴィティ氏のころは、余もこれをよく知れるところであったが、ヘザストン夫人の依頼によってこれに赴いた余は、まずその門前において、勝手の変れるに一驚を喫したのである。マクヴィティ氏時代に八文字にさっと開かれたる門は、鉄格子かたくとざされたるうえ、鍵まで行なわれ、周囲には忍びがえし厳めしき板塀《いたべい》がめぐらしてある。されど門内は木の葉おち散るにまかせて、掃除《そうじ》などさらに行ないたる様子なく、荒るるがままに放任してある。
家内はよくよく無人なるらしく、二回目のベルによってようやく女中風の女が出できたりたる故、来意を告ぐるに、うす暗き玄関よりとある部屋へと案内せられた。はいり見れば看病やつれせし老婦人が独り消沈して坐していたが、これぞヘザストン夫人であった。その青ざめたる顔いろ、褪《あ》せたる頭髪、生気なく悲しげなる眼、色あせたる絹服、一として家内の陰うつなるにそぐわぬはない。
「どうも心配になりますのでねえ。」夫人は上品なる声で静かにいった。「主人はたいへん心配ごとをもっていますのでね、そのために気をつかいますので、ずっとまえから神経衰弱になっております。この土地へ参りましたのも、空気のよいところで静かに養生しましたらば、少しはよくなりますかと存じていましたのですけれど、よくなりますどころか、だんだん悪くなって参るように考えられます。今朝ほどはだいぶ熱が出まして、うわ言なども申すようになりました。伜《せがれ》とも相談してみましたのですけれど、あまり心配になりますので、お迎いをさしあげましたようなわけで、まことにご苦労さまでございました。さあ、それでは病室へご案内申しあげましょう。」
病室といえるは廊下を幾まがりも曲りたる建てものの終端にあった。床には敷物もなく、室内装飾品も貧弱にして、一隅に小形の移動寝台と椅子《いす》テーブル各一脚あり、卓上には新聞紙書籍などが散乱していた。中央には何ものとも形状の知れざる大形のものがおかれ、リネンの布をもって被われてある。
四方の壁より部屋の隅にかけて、多数の刀剣類がかざってある。多くは英国陸軍にて普通使用せると同型の直身刀であるが、まま彎刀《わんとう》、タルワール刀、カチャリ刀その他東洋の品も相当に見られる。これらは多く鞘《さや》に美しき象眼《ぞうがん》をほどこし、あるいは柄《つか》に宝石をちりばめたれば、光りさんぜんとして、簡素なる室内と異様の対照をなしておる。
かくいえば余は室内に入りてまず悠《ゆう》ゆうと、これらの蒐集品《しゆうしゆうひん》を賞翫《しようがん》したるやに考えられようが、実さいはこのとき患者が寝台上に伏して、いかにも苦しげなる様子を示していたから、かかる余裕はなかったのである。少将は余らの入りきたりたるをも知らず、斜め向うむきに伏して息づかいも荒く、うるみて輝やく眼、もゆるがごとき頬のいろは、一見して高熱に悩めること明らかである。直ちに枕頭《ちんとう》に歩みよりて脈をとらんとすれば、患者はガバとばかり起きなおりて、握りかためたる両拳《けん》をもって狂気のごとく余に打ちかかるのであった。而《しこう》して言語に絶する極度の恐怖《きようふ》にとらわれしもののごとくに、余を凝視《ぎようし》して叫ぶのであった。
「犬! 放せ! 放せといったら放さぬか! 貴様はおれをこんなにしても、まだ足らぬというのか! いつになったら止めるのだ? どこまでこのおれを苦しめるのだ?」
「もし、あなた。もし!」夫人は熱せる夫の額に手をおきなだめた。「こちらはストレンラからお出でくだすったイースタリング先生でございますよ。先生は何もなさりはいたしません。あなたのご病気を癒しくださるのではございませんか!」
この言葉にて少将は気ぬけせるがごとくに、枕《まくら》にうち伏した。而《しか》してその顔の表情によりて、夫人のこの言葉を解して正気づきたるべきを余は知りえたのである。
余はただちに検温器を腋下《えきか》に装し、脈搏《みやくはく》を検した。脈搏百二十、体温四十度、明らかに弛張熱《ちちようねつ》である。この病気は多年熱帯地方に在りたるものの冒されやすき熱病である。
「ご心配はさらにありません。」余はいった。「キナ塩と砒石《ひせき》をすこし服めば、すぐに癒《なお》りますよ。危険なんか少しもありやしません。」
「危険はない?」少将が口をはさんだ。「わしには危険なんか決してないぞ。わしの体は殺しても死にはせぬのじゃ。もう気分もはっきりしてきたから、メリイ、お前はあっちへ行ってもよい。」
夫人はしぶしぶではあったようだが、出ていった。余はしずかに枕頭に坐して、少将の言葉をまったのである。
「わしの肝臓《かんぞう》を診《み》てもらいたい。」ドアのしまるのを待って少将はいった。「もとからよく肝臓に膿瘍《のうよう》のできたもので、軍医長のブロディもわしの命をとるのは九分九厘までこれじゃろうというとった。もっともインドから帰ってからはあまり病《わずら》わぬようにはなったが、ここのところに、ちょうど肋骨の下のはずれのところによく出来たものじゃ。」
「なるほど、ここですな。」余はくわしく診察したるのちいった。「しかし大丈夫です。膿瘍はすっかりなくなっています。あるいは結石したのかも知れませんが、なあに、よくあることで決してご心配はありません。」
「ふむ、わしはいつでもそうなんじゃ。」病気が軽いと聞いても少将は少しも嬉しそうな様子は見せず、かえって暗い顔になって、「のう、イースタリングさん、もしほかの男がこんな熱病にうなされるようになれば、たしかに危険があるに違いあるまいが、わしのは平気だといわれる。ちょっとこれを見てください。」と胸をひろげて、心臓部のうえなる傷あとを示しながら、「ここへ土民兵のジェゼール弾があたったのです。ここへ弾をくっては誰でもたすからぬ急所じゃが、不思議と肋骨へあたってわきへそれ、皮下を大きく迂回《うかい》して背なかへ抜けたのです。じゃから医者言葉の胸膜というやつに傷がつかなんだのじゃな。あんたこんな例を聞いたことがありますか?」
「それは非常に運がよかったのですね。」余は微笑しながら答えた。
「それは考えかたによる。」少将は頭をふりながら、「わしはいったい死というものを少しも恐れん。戦場などでなく、病気で死ぬベッドのうえの死でもじゃ。しかし、死そのものは恐れぬが、奇怪な超自然的の死にようというやつが恐ろしくて弱っとるです。」
「しまするとあなたは、暴力による変死はいやだ。自然におだやかに死にたいと仰っしゃるのですか?」余は少将の意中を汲みかねて尋ねた。
「いやそうでもないが――なにしろわしは剣にも弾にもなれきっとるのじゃから……あんたは動物磁力というものをご存じかな?」
「いいえ、存じませんねえ。」余は少将が再たびうわ言《ごと》をいうのではなきかと、鋭く顔いろを見まもったけれど、さる没理性の徴候はさらにみえず、顔色蒼白《そうはく》なるがままである。
「ははあ、やはりヨーロッパの科学者は、ある方面では遅れとるですな。ヨーロッパの医術というものは、物質的には非常に優越しておるかも知れぬが、自然の偉力とか人間精神の不可思議なる潜在力とかいうものにかけては、インドの一労働者のほうが一世紀も進歩しているようじゃ。何しろヨーロッパの人は幾代という久しいあいだ肉食をつづけ、享楽的生活を送ってきたのじゃから、すっかり堕落して、動物的本能が精神的方面を征服してしまっとるのじゃ。霊魂の手足たるべき肉体がかえって霊魂を捕虜《とりこ》にして、いっしょに堕落の淵《ふち》へみちびいているのじゃけれど、東洋の人にはそんなことがない。東洋では西欧人ほど霊肉が結合しておらんから、肉体の死がきて二者が分離せんければならん時でも、さほどの苦悶《くもん》はないのじゃ。」
「なるほど、それは不思議な素質ですが、しかし、そのために東方人がべつに大した利益を得るとも思われませんね。」余は少将のいうところを、そのままには受けいれかねたのである。
「ただ卓越せる知識のためです。あんたもしインドへ行ってみなされば、面白いものといえばまず眼につくのが、土人のやるマンゴー術というものじゃろう。この話しはすでに誰かに聞かれたか、あるいはものの本で読まれたかも知れんが、まず土人がマンゴーの種子を一つ蒔《ま》いて、ある不可解な術をほどこすと、みるみるうちに芽をだす、枝がのびて葉が出る、まもなく実がなるというわけで、そのあいだ三十分しかかからないです。これなんか術でもなんでもない。力です。そういうことをやり得る男は、あんたがたの大先輩ティンダルやハクスリ(ともに十九世紀末イギリスの物理学者―訳者)などの大科学者もとおく及ばぬ不思議な力をもっとるのじゃ。われわれには全く不可解であるが、自然の作用を加速したり、減速したりする妙法を心得ているのじゃ。インドは階級制度のやかましい国で、そういう男たちは妙法師の平民とよばれて、毎日徒食しているきわめて粗野な人物にすぎぬのじゃから、上流の人ときたら知識の点でははるかに優れておって、われわれとのあいだには、ちょうどわれわれとホッテントット人かパタゴニア人(いずれも南阿または南米の民族―訳者)くらいの距離がある。」
「そういう人たちとも定めしお知りあいがおありだったでしょうね?」
「それでかえって困っとるのです。わしはある関係で知るようになった。それもなまやさしい男には及びもつかぬことで、わしじゃから知るようにもなったのじゃが……まあしかし、その話しはべつとして、動物磁力のことはあんたもいくらか心得ておかんといかん。あんたの職業上からみても非常に大きな将来をもっとることじゃからな。そのことについてはライヘンバッハの『磁気と生活力の研究』とグレゴリの『動物電気学』とはぜひ読んだがよろしい。それと催眠術の二十七金言とワインスベルヒのユスチヌス・ケルナ博士の著作とを参考にしたら、大いに得るところがあるじゃろう。」
自己の職業上の問題に関し、かれこれと指図がましき講釈をうくるは、決して快《ここ》ろよきものではない。余はもはやたち帰らんと無言のまま腰をあげたのであるが、いま一度念のため脈搏《みやくはく》を検し、体温をあらためてみた。しかるに驚くべし、この種マラリア風の熱病としては不思議にも、熱はまったく下りて平温に復していたのである。かくのごときはじつに不可解の奇跡的快復である。余はそのむねを説明して、少将に祝福の言葉をのべつつ、隻手《せきしゆ》をのべて卓上におきたる手袋をとらんとしたのであったが、いかなるはずみにや手袋とともに、卓上におきたるものを覆いたる白布をも摘まみあげたのであった。それも、少将が顔いろをかえて短気なる怒声を発することなかりせば、余はおそらく気づかずして打ちすぎたであろうと思われるくらいであった。余はただちに振りかえり、急ぎ白布をなおしたから、その下に何ものが置かれてありしか、明確には観取する余裕もなかったのである。ただわずかに結婚菓子らしきことだけを、ちらりと認め得たにすぎない。
「よろしい、よろしい。」白布に手をかけたるが、まったく余の無意識に出でたるものなることを認め、少将は機嫌《きげん》をなおし、「なに、見て悪いわけはちっともありません。」少将は意外にも、手をのべてかの白布をさっと引きのけたのである。
余の結婚菓子と見たるは、一群の高山のみごとなる模型であった。各山の頂上に白雲を配したるを、砂糖をかためて作りたる尖塔《せんとう》と見あやまったのである。
「これはヒマラヤ山――のなかでもスーリナム支山の状況を、インドからアフガニスタンへ通ずる本道を示すために作ったものです。じつによくできとる。この土地はわしの初陣の場所じゃから、わしにはとくに興味があるのです。カラバーに面して通路があり、ツールの渓谷がある。一八四一年の夏のあいだ、わしはそこで援護やアフリディスの秩序維持の任務についた。まったく重要なる任務です。」
「で、これが、」と余は少将の示せる交通路の一点に、深紅の標点あるを指しつつ、「これがあなたの闘われた戦闘の地点なのですね?」
「さよう。そこで小戦闘がありました。」と少将は上半身をのりだして赤き標点に見いりつつ、「そこで敵兵の襲撃が――」
このとき少将はあたかも実弾の命中をうけたるがごとくに、俄然《がぜん》後方の床上にうち倒れた。而《しか》してその顔は、最初余の入りきたれるとき見たるがごとき、強き恐怖《きようふ》のいろを帯びきたったのである。同時に、その寝台の上方の空中にあたって、鋭く短切なる音響――しいて形容をもとむれば、自転車の警鈴に似たりとでもいうべきか、もとよりそれとは明らかに異なる特性をもっている――が起こった。余はその後も今日《こんにち》にいたるまで、かくのごとき音響は何処《いずく》にても耳にしたことがないのである。音響も音響であるが、なお不思議なるは、その何ものが発したるか、いずくより来たれるか、まったく想像もつかざることであった。一度《ひとたび》は愕然《がくぜん》とし、一度は呆然《ぼうぜん》として余は周囲を見まわしたのである。
「ああ、なんでもない、なんでもありません。」少将は寂しげなる苦笑をみせて、「わしの秘密の鐘がなっとるのじゃ。ではどうぞ、もう下へいって、食堂で処方をかいておいてください。」
少将はいかにも余にこの場をはずして貰《もら》いたき様子を示したから、いま少し踏みとどまりて、かの奇《く》しき音響の原因をきわめたきは山やまであったなれど、紳士の礼として余はやむなく別れを告げて立ちさったのである。館《やかた》を辞したる余は馬車を駆りつつ、この興味ある患家へは再び来診して、少将の前生活ならびに現在の状態につき、いま少しく進んで考察を加えたきものと、ふかく決心したのである。されどこの希望はその夜きたれる少将の書簡によりて空しく立ちぎえの運命となり、ために余は少なからざる失望を味わったのである。書簡にはただ一回の往診料としては過分の謝金を封入し、おかげをもって病気は快癒《かいゆ》したようであるから安心してくれ、もはやご来診にはおよばぬ旨が記してあった。この一通は余がクルンバ館《やかた》の人より受けたる唯一の書簡であった。
今回クルンバ事件の突発するや、余はしばしば友人諸君より、少将に発狂の形跡ありたるや否やの質問をうけた。それに対し余は躊躇《ちゆうちよ》なく否と答え来たったのである。発狂はおろか、当時余は少将の人格中に、ひろく読みふかく思索せるある及びがたきものあるを明らかに観取したのである。されど肉体的健康状態にいたっては、ただ一回の診察によりても、反射作用微弱にして、角膜の混濁は明らかに認められ、動脈は硬化をきたすなど、すべての病状はなはだ遺憾の点多く、不時に急変の来たることあるべきは、容易に観取し得られたのである。
一〇 モーダントの手紙
さて、私は前二章によってこの物語りにワキ的な説明をあたえたから、以下章を追って私自身の経験にもとづいて話をはこぼうと思う。前回私はルーファス・スミスと名のる、外見の粗野な浮浪者のきたところまでで筆をとめたことを、諸君も覚えていてくださるだろう。あれは十月一日ごろのことで、考えてみるとイースタリング氏がクルンバ館《やかた》へ招かれていってから、約三週間あまり後になる。
当時私は、ずっとまえにゲブリエルとの会見中を、父少将に見つかったあの時以来、たえて彼女にもモーダントにも会わず、姿をかいま見る折りさえなかったので、はげしい懊悩《おうのう》の状態にあった。いまは疑いもなく、彼らは二人とも一種の監禁状態にあるのだ。私ゆえにそうしたことにもなったのだと思えば、胸のいたむのはただ私のみではなかった。妹のエスタにしても苦しみは同じであった。
けれども、私が最後に少将と話を交わしたあの日から二日めに、モーダントから手紙がきたので、われわれ兄妹のこの心痛は大いに和《やわ》らげられたのであった。この手紙はきたない頑童《がんどう》によって届けられたが、この少年は村の漁師の息子で、クルンバ館《やかた》の門のところでお婆さんから頼まれたと称していた。たぶんコックだったのだろう。手紙にはつぎのように書いてあった。
最愛の友よ。
その後はたえてごぶさたに打ちすぎ、さぞご懸念くだされしことと存じます。それを思えば小生もゲブリエルもじつに断腸の思いです。じつは近来われわれ二人とも、一歩も戸外に出られぬ状況におかれてあるのです。それも健康上の問題――病気などのためではなく、まったく精神上の理由からきていることです。
それは、父が近来日に日に興奮状態を強調して参り、十月五日までは絶対に外出せざることを約束してくれと切望しますので、気やすめのためそれに従っている次第なのです。そのかわりこの五日がすぎれば、二人は絶対自由のもとに、思うがまま出入してよいとの口約を得ております。五日までと申せばあともう一週間にたりぬ辛抱です。その日のきたるのを指おり数えて待っています。
父の恐怖《きようふ》状態が十月五日をもって最高潮にたっし、翌日よりガラリと変りたる人となるべきことは、ゲブリエルがすでに申しあげた由です。父のこの恐怖が今年はとくに強いらしく考えられます。不幸なる家庭に降りかかってくる厄災にそなえるため、今年はとくべつ念いりにいろんな方法を講じています。つい先年までは、テライの叢《そう》林中に単身猛獣と闘って撃ちとったこともたびたびある父です。他の狩猟家が象轎《ぞうきよう》にのったりして猟地へ入る用心ぶかさを、臆《おく》病だと冷笑していた父です。こんなに腰はまがるし、しょっちゅう体はふるえているし、すっかり気が弱くなって、危険に恐れわなないている父も、もとはそういう人であったなどとは、誰に話しても信じてはもらえないでしょう。
ご存じのとおり父はヴィクトリア十字章をもっております。これはインドに駐留中デリの町で贏《か》ちえたものですが、そうした戦場の勇者であった父も、今日《こんにち》この地上でもっとも平和なスコットランドの片田舎《いなか》で、恐怖《きようふ》におびえ、ちょっとした物音にも恐れわなないているのです。どうかウエスト君、同情してやってください。しかもその危険というのが、いつかもお話し申しあげた通り、決して架空の想像的な杞憂《きゆう》ではなく、われわれとしてもその可能を信ずべき確たる根拠をもっているのです。そうしてどんな危険だか説明すべき適当な言葉を知らぬのです。ただいかに〓《もが》いてみても、避くべからざる運命的のものだと申しあげるほかには、今のところ方法がありません。このうえは十月五日を待つばかりです。もしその日が無事に暮れたなら、六日には二人でお宅へ伺うことをここに約しておきます。
モーダント
この手紙で、モーダント兄妹が姿をみせないのは、体の加減がわるいためではないと分かったので、私たちは大いに安堵《あんど》した。けれども考えてみると、愛する人たちの悩んでいる危険とか恐怖とかいうものを、進んで防止するというまでの力はなくとも、せめてそれがどんなものなのだか、内容だけでも知っておきたいのに、それすらなし得ないとは、なんという腑甲斐《ふがい》なさだろう! 思えば気も狂わしくなってくる。危険はどっちの方面からくるのだろう? 私たちは一日に五十ぺんも自分に尋ねてみたり、互いに問うてみたりすることを繰りかえした。けれども、考えれば考えるほど分からなくなる一方であった。二人で智恵を出しあって、ヘザストン一家の人のいったことで直接間接この問題に関連していそうな言葉を思いうかべて、いろいろと繋《つな》ぎあわせてみたり、いろんなことをしてみたが、すべて徒労におわった。
考えあぐねた結果ついに、もう数日待てば二人の監禁がとけるのだから、そうしたらこんどこそはモーダントなりゲブリエルなりの口から直接聞けることもあろうと、わずかに自分を慰めながら、もうこの問題はいっさい考えないように、頭のなかから追いはらってしまうことに決めた。ただ気がかりなのは、その数日をどうして過ごそうかという点であった。今までですら、あんなに身を削る思いできたのに、まだあと数日またねばならないとは、何という寂しさ退屈さであろう! 今はただそれのみが残る悩みであったのであるが、そのあいだに思いもかけぬ新事件が突発したので、そんな気もちはどこかへけし飛んでしまって、その新しい問題のほうへ心を吸いとられるようになったのである。
一一 難破船
十月の三日は一天雲なく、輝やかしい日の出で明けたのであった。陽がたかくなるにつれてそよ風が出てき、空にはあたかも巨大なる鳥の羽毛でもまきちらしたような白雲が、点点と現われてきた。が、昼近くなるとその風が死んだようにぱたりと落ちて、空気が澱《よど》んだように、なんだかむしむしとむし暑くなった。十月だというのに太陽はかっかと暑く照りつけて、荒野にも海上にも一面にもやがたちこめて、海峡の向うがわアイルランドの山山は見えなくなってしまった。海面には大きな長いうねりが起こって、重そうにゆったりと陸岸めがけてたどりつき、岩にせかれてざらざらと憂うつに砕け、唸《うな》るような底力のある単調な響きをたてた。なれぬものにはすべてが静寂と平和そのものであるかに思われたが、自然の警告を読みならっているものには、海にも空にも恐ろしいあらしの近づいているしるしが満ちていることが分かる。
午後になって私は妹のエスタとともに家を出て、半島の海岸をぶらぶらと散歩して歩いた。この半島は半島というよりは、ウイグタンの陸地からアイルランド海へ突出している大きな砂洲といったほうが適当かもしれないが、左がわには大きなルース湾をいだき、右がわにはカークメイドンの貧弱な入り江がある。その入り江の海岸にわがブランクサムの土地は存するのである。半島の突端はガロウエ岬《みさき》である。
散歩には出たけれど、歩くといかにも熱くるしいので、遠くもゆかずに、海岸にそうていくつも並んで自然の防波堤をなしているところの砂山の枯草のうえに腰をおろして休んだ。ところが、休むとまもなく、この物語りの最初に説明したことのある水兵あがりの漁夫ジェミサンが、小海老とりに使う浅くて丸い網をかついで、ザクザクと小石のうえを歩いて姿をあらわした。彼は私たちの休んでいるのを認めると、こっちへ足を向けながら、例の人のよい武骨《ぶこつ》な調子で、あとで小海老をブランクサムへ届けてくれるといった。
「あらしのくるまえには、いつだっていい漁があるだからね。」
「え? あらしがくるだろうか?」
「くるって! 海を見たことのねえ山猿にだって分かるだ。」とジェミサンは途方もなく大きなパイプをあんぐりとくわえながらいった。「クルンバ館《やかた》のあたりに、畑が白くなるほど鴎《かもめ》がおりてるだ。あれは旦那《だんな》、風さおそれて逃げてきてるだぜ。こんな日にそとにいたら、羽根《はね》もなにもみんなむしりとられちまうだ。チャリイ・ナピヤに乗っているとき、クロンスタットのわきで、こういうことがあったっけなあ。砲台の下でえらく吹きつけられちまって、ひでえ目にあっただ。」
「このへんで難破した船があるかい?」
「あるのないのって! ここは旦那、難船で有名な場所だよ。現にそこの湾のなかでも、スペイン戦争の時分に、イギリスの一等艦が二はいも、乗組員をそっくり乗せたままで沈没しただ。もしこの海峡やルース湾の水に口がきけたら、うんと話すことさ持ってるだんべな。最後の審判の日さきただら、ここの海からは審判場さゆぐため浮きあがってくる人で、さしずめ押すな押すなの騒ぎだんべえよ。」
「まあ恐い。私たちのここにいる間に、そんな恐ろしい難船なんてなければいいわね。」エスタは切望するようにいった。
ジェミサンは白毛《しらが》あたまを傾《かし》げて、かすんだような地平線のほうを眺めながらいった。
「西から風がくれば、冗談ごとじゃない。あの帆船《ほまえ》のなかには、北海峡で二進《につち》も三進《さつち》も動きがとれなくなる奴《やつ》ができるだ。あの向うにバーク船が一ぱい見えるだが、あの船なんか無事にクライド河へはいれたら、船長はほっとするだんべ。」
「あれはまるっきり進んでないようにみえるね。」私は問題の黒ずんだ船体と、いったいにぎらぎら光る帆とが、波のまにまに一上一下するのを見ながらいった。「ジェミサン、天気は大丈夫じゃないかね? あらしなんか来そうもないようだよ。」
ジェミサンは私の言葉を大げさにうち消して、小海老網を肩にゆうゆうとたち去った。私も妹をうながして、むし暑い空気のなかをそろそろと家のほうへ帰りかけた。
帰ってくると私は、何か管理上の用事でもできてはいないかと思って、父の書斎へいってみた。父はこのごろまた新しく東洋学上の著作に着手していたので、自然管理上の用件はすべて私の受けもちになっていたからである。父は四角な書卓にむかって書きものを続けていた。卓上には書物や草稿を山のように積みあげてあるから、こっちから見るともじゃもじゃの白毛《しらが》頭が少しみえているだけで、まるで書物のなかに埋もれているようにみえた。
「ああ、ジョンか。」はいってゆくと父はこう言葉をかけた。「お前がサンスクリット語を知らぬのは、じつに残念だよ。おれがお前くらいの年ごろのときは、サンスクリット語が話せたばかりじゃなく、タマル語でもガンゲス語でもロイト語でもタイ語でもマレイ語でも話せたものだ。これらはみなウラルアルタイ語系に属しているがね。」
「私もじっさい、お父さんの驚くべき語学の才能を遺伝されなかったのは残念ですよ。」
「おれのこんど始めた仕事は、わが家で代代継続してゆければ、完成のあかつきはウエスト家の名を不朽にするものなんだよ。というのはほかでもないが、仏徒ダルマ教を、釈迦牟尼《しやかむに》生誕前の婆羅門《ばらもん》教の状態を概観的に述べた序文をつけて、翻訳しようというのだ。勤勉にやってさえゆけば、おれの生前に序文の一部だけは完成する見こみがありそうに思っている。」
「それで、お父さん、全体が完成したら、どのくらいの長さになるのですか?」
「北京の国立図書館にあるのは抄本だが、」と父は自分の話に熱中して、手をこすり合せながらいった。「ぜんたいで三百二十五冊、一冊の分量は重さで約五ポンドある。それに序文は少なくとも詩篇吠陀《ヴイーダ》、咏歌《えいか》吠陀《ヴイーダ》、祭詞吠陀《ヴイーダ》、呪文《じゆもん》吠陀《ヴイーダ》の四経典に、各婆羅門徒のことを述べなければならぬから、少なく見積ってもまず十冊以下ではむずかしかろう。それでいま一冊を一年ということに割りあててみると、すっかり完成するのはおよそ紀元二千二百五十年で、それまでに十二代を要する。十三代目の男は総索引を引きうけなければいかん。」
「で、お父さん、そのあいだわれわれの子孫はどうして暮らしてゆくのですか?」私は思わず微笑をうかべながら尋ねた。「この大事業の完成するまでの生活費の問題は?」
「そこがお前は悪いよ。」父はムッとして叫んだ。「お前は少しも実務的なところがない。おれの立派な計画を聞いても、それをどうしたら完成できるかという風には考えてみないで、すぐバカにしてかかってそんなロクでもない茶ちゃをいれる。子孫はダルマ教に終始してさえおれば、どんなにして生活しようとも、そんなことは枝葉の問題にすぎんのだ。そんなことをいう暇があったら、ファガス・マクドナルドの合宿小舎へいって、葺草《ふきくさ》を見まわっておいで。それからウイリ・フラートンからは乳牛の加減がわるいといってきていた。通りがかりにちょっと様子を見てやっておくれ。」
私はすぐに、いいつけられた用事のため外出した。出るまえに壁の晴雨計をみると、水銀柱が二十八インチ(七一一ミリ)に下がっていた。さすがに職業がらで老ジェミサンの予言がどうやらあたってきたらしい。
夕がた荒野をとおって帰ってくるころには、強い風が狂いまわって、西方の水平線から頭のうえにかけて、どす黒い雲がいちめんにはいひろがっていた。そうしてその黒いなかに一二の、黄灰色の気味わるい斑点《はんてん》のようなものがあって、磨きあげた水銀の表面をみるようだった海面はすりガラスのようになっている。どうどうっという底ひくいうめきが、あたかも来らんとする変災を予告するもののごとくに聞こえてきた。ずっと遠く海峡のほうにはたった一隻の蒸汽船が、ベルファスト・ルーに向って喘《あえ》いでいる。朝みた大型のバーク船は、北のほうへ通りぬけようと、依然として沖あいにもがいていた。
夜の九時にはいよいよ風が強くなった。十時にはついに暴風となり、深夜まえには狂ったようなあらしになった。私がこの地方にいるあいだに経験したあらしのうちでは、これがもっとも猛烈なやつであった。私はオーク張りの小さな居間《いま》にじっと坐ったまま、しばらくはあらしの怒号と、バラバラと窓に小砂利《じやり》を打ちつける音に耳をかたむけた。ドドーンと狂奔する浪の音の胸にこたえるような低音から、ヒュウと軒端《のきば》をかすめて去る風のかんだかいうめきにいたるまで、あらゆる音階をふくむ自然のものすごいオーケストラが、恐れさわぐ海鳥の笛のような鳴きごえをまぜて奏せられた。
一度、ほんのちょっとだけ私は格子ぐみの窓をあけてみたが、とても恐ろしいほどの強い吹き降りが、大きな海草の一片をテーブルのうえに叩《たた》きつけたので、あわてて窓を閉めた。それも雨にうたれながら、肩を押しつけるようにしてやっと閉めたのであった。父も妹ももう寝室へはいっていたが、私はこの光景を見てはどうしても寝る気にはなれなかった。そこで燻《いぶ》る火のそばで独りタバコをのみながら、じっと坐りとおした。
クルンバの館《やかた》ではどうしているだろう? ゲブリエルはこのあらしで何を考えているだろう? 少将はこのあらしでも相かわらず、家のなかを彷徨《さまよ》いまわっているのだろうか? この恐るべき自然の力をも、現在彼の心を苦しめつつある恐れほどには感じていないのであろうか? 少将の運命が最大の危機に瀕《ひん》するとかいう十月五日はあさってだが、とつぜん起こったこのあらしをも彼は、自分の恐れている運命と何らかの因果関係があるものと考えているのだろうか? そうしたことから始めて、それからそれへと私は独りさまざまな思いに耽《ふけ》っているうちに、いつしか炉の火は燃えつくして、にわかに背なかがぞくぞくしてきたので、ふと気づいて独り寝室へと退《しり》ぞいた。
二時間も眠ったろうか、私はふとはげしく肩をこづかれたので眼がさめた。床のうえに起きなおってみると、ズボンだけはいた父が、うす暗くした枕《まくら》もとに立っているのであった。私は父に寝まきの襟《えり》をとってゆり起こされたのだ。
「起きた、起きた、ジョン。」父は慌ててこう叫んだ。「大きな船が岸ちかく乗りあげているのだ。可哀《かわい》そうに、乗っているものは助かるまい。しかしとにかく出て、なんとかできないか、行ってみることにしよう。」父は慌ててしまって、気ちがいのようになっているのだ。
私はこれを聞いて、床を蹴《け》ってはね起きた。そうして大急ぎで着ものをまといつけていると、あれ狂う風と浪の音のあいだに、ドーンという重そうな音が一つ聞こえた。
「あッ、またやった!」父が叫んだ。「船から号砲をうっているのだよ。気のどくなものだ。ジェミサンやほかの漁師がそとへ来て待っている。お前も雨外套《あまがいとう》をきて、グレンガリ帽《ぼう》をかぶりなさい。さあ、早く早く、一秒が人命に関する場合だよ。」
支度ができたので私たちは急いで階下へ降り、待っていたジェミサン以下十二三人のブランクサムの漁夫をつれて、海岸のほうへ出ていった。風は少しも凪《な》ぐどころか、かえって増してきたようにさえ思われた。気ちがいのようにたけり狂って、あらゆるものを吹きとばそうとしている。正面から吹きつけるので、私たちは小砂利をまじえた砂を顔にうけながら、前こごみになって体を風のなかへねじこむようにしなければ、前へは進めなかった。空にとび交《こ》うあらしの雲や、岸にくだける浪の花はほのかに見えたが、それからさきの沖は真のやみである。踝《くるぶし》までうずまる砂利と海草のなかに立って、両手で眼垣《めがき》をつくりながら、私たちはじっと暗い沖あいに見いった。じっと耳を傾けていると私には、おそれと求援との肉声が聞こえるように思われた。けれどもその声は、何しろあれ狂う自然の騒ぎが大きいので、あれこれと判然指摘することはできなかった。
そのうちにあらしの中心にぽっと赤いものがみえたと思うと、それがぱっと強く燃えたって、あれ狂う湾のなかをあかあかと照らした。非常灯である。
船はあの恐ろしいハンセル岩の暗礁脈にのりあげて、船梁のはじが海面とすれすれになるほど傾いている。甲板《かんぱん》の板ばりがすっかりこっちから見えていた。私はすぐに、それが今朝見たバーク船であることに気づいた。折れのこった後檣《こうしよう》へ逆《さか》さまに釘《くぎ》づけされているユニオン・ジャックが、その国籍を語っている。前甲板のもっとも高いところを選んで点火せられたまぶしいほど明るい非常灯が、あらゆるマストや帆桁《ほげた》やロープや綱具を明らさまに照らしだした。沖あいの暗黒のなかから捲きかえす大きな長い波のうねりが、休みなしにあとからあとから押しよせて、ときどきその頂上にパッと白い波頭をみせながら、沈みかかっている船をめがけて進んできた。そうして不幸な非常灯の照らす圏内にはいってくると、急に力と大きさをまして、このあわれな犠牲者にむかって猛烈にうなりながら、これでもかこれでもかと突《ぶ》つかってゆくように見えた。
船内には十人あまりの船員が、横檣索《おうしようさく》にしがみついていたが、非常灯の光りで海岸に私たちの立っているのを見つけると、いっせいに青じろい顔をこっちへ向けながら、哀願するように手をうち振った。私たちの姿をみて急に元気づいてきたのだ。けれども船のボートは波に洗い流されたり、うち砕かれたりして、満足なのは一つも残っていなかったから、どうすることもできない。
これら綱具にすがりついている人が、この船の乗組員の全部ではなかった。毀《こわ》れかかった船尾甲板にも三人の男がいたが、これは明らかにほかの人たちとは人種も職業も違っているらしかった。三人はめちゃめちゃに破壊した船尾の手すりにもたれかかって、死の危難が頭上にせまっているのをも知らぬげに、平然として静かに何ごとかを語りあっているように見えた。よくみると彼らは深紅のトルコ帽をかぶっており、東洋人らしい大きな黒い顔をしていた。
こう述べたててくると、私たちはながいことそこに立ってながめていたようだが、決してそうではなかった。船は刻刻として破壊されつつあったから、そんな悠長《ゆうちよう》なひまなんかなかったのである。今のうちになんとか方法を講じなければ、これらの人たちはみすみす水底に葬られてしまうのだ。
救命艇はルース湾のがもっとも近いが、ここからは十マイルの余もあるから、ものの役にはたたぬ。それよりもここに、私たちの幅ひろい小舟が砂のうえに引きあげてある。乗組としては勇ましい漁夫の一団がいる。これで十分ではないか! 私をはじめ六人の若ものは小舟にとび乗ってオールをつかんだ。残ったものは力をあわせて、舟をおしおろしてくれた。すぐに、渦まき怒号する水との烈しい闘争がはじまった。わきかえる巨浪をあいてに、私たちは力をかぎりにオールを引いたが、一寸も一分も難破船へは近づくことができないように思われた。
そのときの私たちの懸命の努力も、徒労におわるのではないかと思われた。私は小舟が波頭にのりあげたとき、青い壁のようにすばらしく巨きな波が、騎馬で鳥獣の群を追う猟人のごとき勢いで、群小の波を追って難破船めがけてのしかかるのを見たからである。巨浪の襲撃をうけた船体は、鋸《のこぎり》の歯のような恐ろしいハンセル岩にキールを噛《か》みきられて、はげしい音をたててまっ二つに折れてしまった。そうして後檣を折られた船尾の後半部は、三人の東洋人をのせたまま、うしろざまに深い海のなかへ沈んで見えなくなってしまった。ただ船首の前半部のみは、暗礁のうえに危うい釣《つ》りあいを保って僅《わず》かに沈没をまぬかれながら、波にゆられつつ残った。
生きのこった船員たちは哀哭《あいこく》の叫びごえをあげた。海辺に立ちつくしている人人もそれに応じた。けれども不思議や、くる波にもくる波にも船の前半だけは助かった。そうしてそのあいだに私たちは、懸命の努力によって、ようやく船首の突梁にたどりつき、乗組の全員を救助することができた。神の大いなるめぐみでなければならない。
そうして私たちが半途までこぎ戻ったときに、第二回の巨浪がきて、わずかに釣りあいを保っていたその前半部をも、礁上から洗いおとしてしまった。同時に非常灯が消えて、すべては闇のなかに葬られてしまった。
この有様を海岸から見ていた人たちは、喊声《かんせい》をあげて私たちを祝福し賞讃《しようさん》した。遭難者をむかえて休ませる準備をしに帰ろうともしない。遭難者はみんなで十三人だった。かろうじて死の手をのがれてきた彼らは、一様におじおびえていたが、ただ独り船長だけは平然としていた。じつに豪胆な元気のよい男で、一同は彼あるがため救われたのだった。
海岸に上陸すると一二のものは、ここかしこの漁夫の家へ連れさられたが、大部分は私たちとともにブランクサムへやってきた。くると私たちはありったけの乾いた衣類をとりだして、台所の火のそばで食物や酒とともに供給してやった。ミドーズという名のその船長は、ふとった体に私の服をむりやりに着て客間へやってきて、自身で火酒に水をわりながら、父と私とに難船した顛末《てんまつ》を話してきかせた。
「あなたがたの勇敢な救助がなかったら、」と彼は私にあらためて感謝の微笑をおくりながら、「私どもいまごろは十尋《ひろ》の海底で水をくらっていたはずですよ。ビリンダ丸はもう老朽船で漏水もはげしかったし、おまけに保険が十分ついていますから、船主にしても私にしても、さほど惜しいとは思わないです。」
「それにしても乗客が三人あったようじゃが、」と父は心配そうにいった。「もうだめでしょうね? もし海岸にうちあげられることもあるかと思って、人を残しておいたが、船が折れたとき三人とも海中へ落ちたようだから、この荒れではどんなものでも助かることはないでな。」
「あれはいったいどこの人ですか?」私もそばから尋ねた。「あの難船の最中に、どこを風が吹くといった風で、平気な顔をしておられたのは、どう考えても不思議でなりません。」
「あの人たちがどういう人だったかは、」と船長は濃い煙をはきながら、考え考えいった。「ちょっと一口ではいえませんね。私どもの最終の寄港地はインドの北部のカラチでしたが、そこからグラスゴーまでの約束であの三人を乗せたのです。ラム・シンというのはなかでもあの若い人で、私はこの人としか話しをしたことはありませんけれども、ほかの人もみな善良で物しずかな紳士のように見うけました。私は三人の職業や用件なんか尋ねたことはありませんが、ハイダラバッドからきたゾロアスタ教徒(紀元前八〇〇年くらいに始まった世界最古の宗教、善悪二元論を教義の根元となす―訳者)の商人が商用でヨーロッパへくるのだろうと想像していました。それにしてもあの三人は、乗組員からひどく恐れられていましたが、私には何の理由で恐れたのか分かりません。航海士までが意気地なくもそうだったのですよ。」
「恐れたのですって?」私は驚いて尋ねた。
「そうです。船員たちは一種の危険物視していたです。いま台所へいってごらんになればあの連中は、こんどの難船の原因はあの三人を乗せたためだって、みんなで話しあっていますよ、きっと。」
船長の言葉の終らないうちに、客間のドアがあいて、背のたかい、赤ひげの航海士がはいってきた。だれか親切な漁夫が貸してやったものとみえ、暖かそうな毛織のシャツを着て、よく磨いた海靴《うみぐつ》をはいたところは、どうみても難船した船員のりっぱな見本であった。私たちにむかって簡単に礼を述べてから、彼は火のそばへ椅子《いす》をひきよせて、大きな黒い手を火にかざして暖をとった。
「船長、いかがですか?」とすぐに航海士は上役の顔を仰ぐようにちらりと見あげながらいった。「ですから私が、あの黒人をのせたらどんなことになるか、結果は見えてると申したんですよ。」
船長は椅子のなかで反りかえって、腹の底から出てくる声で笑った。そして私たちのほうへ眼で合図しながら、「ね? どうです? 私が申した通りでしょう?」
「船長、笑いごとじゃありませんよ。」航海士はムッとしていった。「私はりっぱな衣嚢《いのう》をなくしたおまけに、も少しで命まで失ないかけたのですよ。」
「すると君のそうした損害は、あの非運な三人の乗客のせいだというのかい?」
「非運と申しますと?」航海士は怪訝《けげん》な顔で問いかえした。
「十中九分九厘まで、三人とも溺死《できし》したものと思われるからでしょう。」私が説明した。
航海士は疑わしげにせせら笑って、再び火に手をかざしながら、しばらくしていった。「ああいう種類の男は、決して溺《おぼ》れ死ぬものではありませんよ。父なる悪魔が守っているのです。船長、あなたは後檣《こうしよう》がうち折られて、船尾のボートがすっ飛んだとき、あの三人が後甲板《こうかんぱん》で平気な顔をしてシガレットを捲いていたのをご覧でしたか? 私にはあれだけ見ればたくさんです。あなたがた陸《おか》の人には信じられないのも無理はありませんが、船長、あなたは背のたかさが羅針箱《らしんばこ》ほどもないころから、船には乗っておられるのですから、積荷には猫《ねこ》と坊主が禁物だくらい、いまさらご存じないはずはありますまい。クリスト教の僧でもいけないというのです。まして異教徒の坊主なんですから、おそらく五十倍もいけないでしょうよ。私はいったい旧《ふる》い教えは好きなんですが、それにしても坊主ばかりはねえ……」
この言葉には父も私も思わず噴《ふ》きだしてしまった。けれども航海士はどこまでも真剣に、まじめなもので、まっ赤になった大きな左手をひろげて、右手の指でそこをさしながらつづけた。
「私はカラチであの三人がくるとすぐ、ご注意したんですよ。」と船長を非難するように、「そうして私の当直のときに、三人のインド人の水夫がやってきました。あの水夫が何をしました? 船へやってくるなり腹んばいになって、甲板へ盛んに鼻をこすりつけたのはなぜでしょう?――じっさいそういうまねをしたのですよ。」と私たちのほうへむいて、「海軍の提督《ていとく》さまの前へ出たって、あんなまねはしやしませんよ。奴《やつ》らは相手を知っていますさあ。あの黒人らは、私には気味がわるかったです。なぜあんなことをやるんだか、あとで船長のまえで尋《き》いてみたら、こんど船へ乗ってゆかれる人は聖者《せいじや》だからといいましたっけ。ねえ船長、あなたも聞いたじゃありませんか。」
「うむ、しかしあれは何でもないのだよ、ホーキンズ君。」ミドーズ船長が答えた。
「私が考えるに、クリスト教の聖者は神に近くいるもので、黒人の聖者というのは悪魔に近いもののことではないでしょうか? 船長、あなたは彼らが航海中にどんなことをしていたか、よくご覧だったはずです。紙じゃなく木の片《きれ》に書いた本を読んだり、夜っぴて眠りもしないで、後甲板で喋《しやべ》り明かしたりしましたね? そうして海図をくれろといって、自分たちでべつに毎日本船の航路を記入していたのは、何にするつもりだったのでしょう?」
「何もしやしないさ。」
「いいえ、何かあてがあったんです。このことをお話ししなかったのは、あなたは私があの三人のことについて、何かいうとすぐにお笑いになるからですよ。そうしてあれは自分の測定器をもっているのですよ。もっともいつそれを使っていたのですか、私は一度も見たことはなかったのですが、とにかく毎日正午に緯度と経度とを観測しては、船室《ケビン》のテーブルにピンでとめてあった海図に、本船の位置を記入していたのです。げんに私はそれを見たことがあります。司厨長《しちゆうちよう》もやはり食料部屋から見たそうです。」
「ふむ、それは妙だ。しかしそれだけでは、どうこういうわけにはゆかないね。」船長がいった。
「まだもう一つ妙なことがあるのですよ。」航海士はたたみかけるようにいった。「船長はわれわれの難破したこの湾の名はご存じでしょうね?」
「ここの人たちからウイグタンシャの海岸だとは聞いたが、まだ湾の名までは尋《き》いてみなかったよ。」
「カークメイドン湾ですよ。」航海士は体をのりだすように、まじまじと船長の顔を眺《なが》めながらいった。
もし彼が船長を驚ろかすつもりだったのなら、それはりっぱに成功したというべきだろう。この言葉をきいて船長は愕然《がくぜん》として、しばらくは口もきけなかったからである。
「それはじつに驚くべきことだ。いいえね、」と船長は私たちのほうを向いてやっといった。「この船客はね、船が先方の港を出るとまもなく、そんな名の湾があるかって、幾度もたずねたことがあるのですよ。そのときはこのホーキンズ君も私も、そんなところはないって否定したんですがね。海図にはルース湾だけしか出ていなくて、こんな小さな湾名はなかったからです。それにしてもわれわれがこうしてこの湾で難破したとは、じつに驚くべき暗合ですねえ。」
「いえ、暗合にしてはあまりに不思議すぎます。」航海士はつよく反対した。「きのうの朝ですから、まだ荒れてないときでしたが、私は三人が右舷船尾の山を指しているのを見ました。ですから彼らは自分たちのゆくべき港をよく心得ていたのですよ。」
「ふむ、それはどういうことかね、ホーキンズ君?」と船長は解《げ》せぬ顔つきで、「それをどう解釈するか、君の説を聞かせたまえ。」
「私の考えでは、あの三人の野郎はなんの造作もなく、たとえば私がこの水わりラム酒をのむよりもっと容易に、あらしを起こす力をもっているのだと思うのです。あの野郎どもはとくにこの神に見すてられた――あなたがただけは別ですがね――見すてられた湾に来なければならない、特別の理由があったのです。それで近道をとって、いきなり海岸へ打ちあげられることにしたのです。と、まあ、私の考えはこうですが、そんならなぜこの湾に上陸せねばならなかったかということになると、私にもさっぱり見当がつきません。」
父はばかばかしそうに眉《まゆ》をあげた。しかし遭難者にたいする遠慮から、さすがにそうはいえなかったので婉曲《えんきよく》に、
「いや、お二人ともああした危難にあわれたあとだから、十分に休息をとられたがいいですな。さあ、私が寝室へご案内して進ぜよう。」
父は独特の旧式の作法でもって、二人をこの家でいちばんよい寝室のほうへ導いていった。そうして帰ってくると、客間に残っていた私のところへやってきて、何かその後かわったことはないか、もう一度海岸へいってみようといった。そこで一緒に難破の現場へいってみると、もうそろそろ東のほうが白みかかっていた。風はすっかり落ちていたけれども、波は依然としてたかく、まっ白なはげしい泡をたてて押しよせ、あたかも逃《のが》れさった十三人の犠牲者に恨みをのこして歯がみでもするように、海岸をかんでいた。
波打ちぎわにはたくさんの漁夫や小作人が出て、丸太や樽《たる》のうちあげられるのを待ちかまえていて、われがちにと拾いあつめていた。けれども死体は一つも打ちあげられないという。こんな日には、水に浮くものでなければ打ちよせられはしない。海底にはつよい流れがあって、なんでもかんでも沖のほうへさらってゆくのだと、彼らは説明してくれた。
あの船客はもしや海岸へ泳ぎつきはしなかろうかと尋ねてみたが、彼らはそれを一笑に附してしまった。もし溺《おぼ》れなかったとしても、波に浮いているうち岩に打ちつけられて、粉みじんになったろうとも話した。
「できるだけの手段はつくしたのだから、もうこのうえは神さまにおまかせするしかない。」家へ帰ってくると父は悲しげにいった。「かわいそうにあの航海士は、とつぜんあらしがきたのを何か理由のあることのように思っている。少し気がへんになったのかも知れん。仏僧があのあらしを起こしたのだとかいっていたね?」
「ええ、そんなことをいっていましたね。」
「どうもかわいそうなことだ。両耳の下へ小さな芥子膏《からしこう》をはってやったら怒るかしら? あれを貼《は》れば、たいがいの脳充血はおさまるのだがね。それとも起こしてアンチピリンを二錠ばかり呑ませようか? どうだろうね?」
「そうですね、」と私はあくびをしながら、「ただ寝かしといたほうがよいでしょう。そうしてお父さんももうお寝《やす》みなさいよ。もしいけないようだったら、朝になってから適当に手あてをしてやればよいでしょう。」
そういいながら、私は半ば夢見心持で自分の寝室へしりぞき、寝台のうえに倒れたまま、夢もみずにぐっすりと深い眠りにおちていった。
一二 怪僧
つぎの朝私が眼をさましたのは、十一時か十二時だったろう。部屋のなかには金色《こんじき》の日光が一面にながれこんで、ゆうべのあの恐ろしい騒動は夢の国のできごとのように、ぼんやりと思い浮かべられるだけだった。窓にからまるツタの葉にそよそよと戯《たわむ》れているこの微風が、数時間まえにはあんなに狂暴に、家家をゆさぶったあの暴風と同じものであるとは、どうしても信じられなかった。自然があのような激怒を発して生物をいためつけたことを悔いて、うめあわせにこのあたたかな微風と黄金《こがね》いろの日光とで謝罪しているのかもしれない。庭に集まる小鳥のコーラスが、自然を驚嘆し賛美していた。
下へおりてゆくと、一夜の休息ですっかり元気を快復した遭難船員たちが、口口に朝の挨拶をしながら、よろこばしそうに私を迎えてくれた。そうして夕がたの汽車でグラスゴーへ帰るように、彼らをウイグタンまで送りとどける支度《したく》がすっかり整っていた。父は弁当《べんとう》がわりのサンドウィッチとうで卵とを、各人に分配するように命じた。ミドーズ船長は船主の名によって私たちに、温かい感謝の言葉をのべ、一同は船長の発声で心からの万才を三度合唱した。
食事がすんでから船長らは、遭難の現場を見とどけておくため、私の案内で海岸へ出ていった。湾のなかはあらしの名ごりをとどめて大きなうねりをみせ、岩に砕けて白い波の花をちらしている。けれどもゆうべのようなすさまじい勢いはどこにも見られなかった。長い紺碧《こんぺき》の波頭がときどき、ぱっと白い飛沫《ひまつ》をみせながらゆるやかに堂堂とうねっては、ざざっと岩に散るさまは、疲れた怪物がのたうつかと思われた。
磯《いそ》から百尋《ひろ》ばかりの沖合に、三檣船《バ ー ク》の大檣《しよう》が波まに漂っているのが見えた。大きなうねりが通りすぎるごとに高くあらわれて、あたかも巨大なる投槍《なげやり》を海底から突きあげたようにみえる。海上にはその他無数のこまごましたものが漂っているし、砂のうえに引きあげられた丸太や荷物もたくさんあった。これらは岸ちかく流れよったのを、百姓が拾い集めたものである。
難破船のうえあたりに羽根の大きな鴎《かもめ》が二羽、波の底にいろんな不思議なものが見えでもするように、飛びまわっていた。そうしてときどき、お互いの見たものを知らせあいでもするように、しゃがれた声で鳴きかわした。
「あれはもう漏りのでた古船でしたからね。」船長はそれでも悲しそうに海面を見ながらいった。「しかしそれにしても船乗りというものは、自分の乗っていた船の最期をみるのは、どんな場合でも悲しいものですよ。おそかれ早かれこの船なんかも、たたき壊して薪《まき》にでも売りとばされる運命ではあったんですがね。」
「じつに平和な景色ですね。」私がいった。「この景色をみては、ゆうべここで命を失った人が三人もあるとは、どうしても考えられませんね。」
「気のどくな人たち!」船長は感慨ふかそうにいった。「もし私どもの行ったあとで打ちあげられるようなことがありましたら、ウエストさん、どうかあつく埋葬してください。」
私がそれに答えようとすると、航海士が平手で膝《ひざ》をうちながら、とてつもない大きな声で笑って、うれしそうに叫んだ。
「もし埋葬されるなら、早くしないとだめですぜ。でないと逃げだしちまいます。私は昨晩《さくばん》なんと申しました? ちょっとあの砂山のうえを見てから、私の申したことが正しかったかどうか仰っしゃってください。」
磯《いそ》づたいに少しいったところに、小高い砂丘があって、その頂きに人影がみえたのを航海士は指さしたのである。じっとそれに見いっていた船長は、非常に驚いて叫んだ。
「や、や! あれはラム・シンじゃないか! どうしたんだ? いってみよう。」
彼はやにわに駆けだしていった。私も航海士とともに、ただちにその後を追った。附近にいた二三の漁夫も、何ごとが起こったかとついてきた。丘のうえの人は私たちの近づくのをみて、何かふかく考えでもするように首《うな》だれながら、しずかに丘を降りてきた。私たちの慌てふためいた騒ぞうしさに引きかえ、このもの寂しい東洋人の落ちつきはらった厳粛さは異様な対照をなした。そうして彼らがもの静かで考えぶかい黒い双眼をあげて私たちを見ながら、頭をさげてやさしくお辞儀をしたとき、私は心のすくむのをおぼえた。まるで先生の前へ出た小学生徒のようなものだった。
おだやかな広い額、澄みわたって心の底まで見ぬくような眼光、キッと結ばれてありながらしかも敏感な口もと、その他意志の堅固であるらしい輪郭のあざやかな表情、それらのすべてが溶けあって、きわめて気だかく見えた。かくまでも沈着で、同時にかくまでも毅然《きぜん》たる人格の現われがあろうとは、私は夢にも思っていなかった。服はこげ茶いろの綿びろうどに、黒っぽいだぶだぶのズボンをはいて、シャツの襟《えり》が大きくくってあるから、黒い首すじが現わに見えていた。頭にはゆうべ見たとおり深紅のトルコ帽《ぼう》をかぶっている。なおよく見れば、これらの衣類は少しも着くずれてもいなければ、濡《ぬ》れたあともなかったのはじつに不思議である。
「やあ、ごぶじで結構でしたな。」彼は船長と航海士を見くらべながら、音楽的な気もちのよい声でいった。「船員のかたはいかがでした?」
「ぜんぶ無事でした。」船長が答えた。「しかしあなたがたはとてもだめだと考えていましたよ。いまもこのウエストさんに、お葬式のことをご相談ねがったところでした。」
「まだ当分そのご厄介になることはないつもりですよ。」と彼は私のほうを見て微笑しながら、「三人とも無事に上陸しました。そしてこれから一マイルばかりさきの海岸に小舎《こや》を見つけて、雨をしのぎました。寂しいところではありますが、入り用なものだけはみな間にあいましたよ。」
「午後から出発してグラスゴーへゆきますが、ご一緒にいらっしゃってはいかがです? イギリスはお初めてでしょうから、つれがないとお心ぼそいでしょう。」
「ご親切はたいへんありがたく感謝します。」ラム・シンは落ちついて答えた。「しかしどうぞ決してそんなご心配のないようにねがいます。この地へ上陸するようになったのも何かの因縁でしょうから、私どもはしばらくこの地へ止《とど》まろうと思うのです。」
「それではどうぞご随意に。」と船長は肩をすくめていった。「しかしこんなところに何も面白いものがありそうにも思えませんねえ。」
「大きにそうかも知れません。」ラム・シンはうれしそうに微笑して答えた。「大詩人ミルトンがいっていますね、
天国を地獄にするも心
地獄を天国にするも心
心こそ天国ならめ
はた地獄ならめ
私どもはこの地で楽しい数日を、ちかってすごし得るのです。船長はここをたいへん未開の辺鄙《へんぴ》のように思っておいでですが、それはきっと間違っていますよ。現にこの若い紳士の父うえは、ジェームズ・ハンタ・ウエスト氏といって、インドの学者間にはよく知られた名誉あるかたです。」
「ほんとです。父は梵文学《ぼんぶんがく》では名を知られています。」私は驚いて口をそえた。
「そういうかたのおられたということは、」とラム・シンは静かにいった。「この地が大都会であることです。煉瓦《れんが》やモルタルの大建築が櫛比《しつぴ》していることよりも、一個の偉大なる人格の存在のほうが、文明開化のより大なる現われです。あなたの父上は、ウイリアム・ジョーンズほど深くはないかも知れません。ハマプルグスタル男ほど広くはないかも知れません。けれども両者の特質を兼ねそなえておられるのです。しかしただ一つサモエド語とタマル語との語根に関するご研究は、たしかに誤っているようですね。」
「もしまだ当分この地にご滞在でしたら、ぜひ宅をお訪ねください。でないと父はお恨み申すかも知れませんよ。父はここの地主の代理をつとめておりますが、スコットランドの風習にしたがえば、地主はこの教区に来られる名のあるかたは、必ずご招待申しあげる特権があるのです。」
私は航海士が意味ありげに袖《そで》をひいてとめるのも構わず、こういったけれども、ラム・シンは航海士の心配するまでもなく、頭をふってこの招待の受けられぬ旨を答えた。
「それは一同ありがたく感謝いたします。けれども勝手ながら、私どもはこの場を離れられぬ理由があるのでして、今いる小舎はたいへん荒れはてて半ば壊れてはいますけれども、私ども東洋人はあなたがたと違って、欠乏の生活にはよく慣らされています。人の貧富はその所有物の量によらず、その人の不必要となし得たものの多少によるというのが、私どもの信条なのです。漁夫がパンと野菜をくれました。寝床のかわりには麦わらがあります。それ以上なにを望みましょう。」
「しかし暑い地方からこられたのですから、夜は寒いでしょう。」船長がいった。
「それは寒いときもありましょう。しかし私どもはそんなことは意に介しません。私どもはみんなヒマラヤ山の高地の、年中雪のたえないところで多年修業していますから、そうしたことにはあまり不便を感じません。」
「それではやむを得ませんから、私は肉と魚だけでもお届けしましょう。」私がいった。
「いいえ、私どもはクリスチャンではありません。かたい仏教徒です。自己の肉体を養うために牛を屠《ほう》ったり魚を漁《と》ったりすることは、私どもの教義では許されないのです。牛も魚も私どもから生を享《う》けたものではありません。万やむを得ないときのほか、勝手に彼らの生命をたつことは、天がこれを許さないのです。ですからもしお贈《おく》りくだすっても、せっかくですが肉や魚はいただくわけに参りません。」
「でもこの気候の不順な土地で、そうして滋養物をすべて否定されたら、健康を害して、おそらくは死んでしまいますよ。」
「やむを得なければ死ぬばかりです。」ラム・シンはにこにこしながら答えた。「さて、船長、私どもはここでいよいよお別れをつげなければなりません。航海中のご親切にあつく感謝します。――またあなたのご厚意にも感謝します。今年のうちにあなたも立派な船長になられることでしょう。前途を祝福します。それからウエストさん、あなたは私どもがこの地を去るまえに、まだお目にかかる機会があるかもしれません。では皆さん、さようなら――」
彼は深紅のトルコ帽をぬぎ、気だかい頭をさげて一種特別な挨拶をのこし、もときた方角へと静かに歩みさった。
「ホーキンズ君、おめでとう。」ブランクサムのほうへ帰りながら、ミドーズ船長がいった。「君も今年のうちには船長になれるそうじゃないか。」
「それは運がよすぎるですね。」航海士はマホガニいろの頬《ほお》を笑《え》みくずしながらいった。「もっともさきのことはどうなるか、誰にも分かりはしませんがね。ウエストさんはあの男をどうお考えですか?」
「どうといって、たいへん面白いです。若いに似あわず顔かたちでも、頭でもなんという立派さでしょう? あれはまだ三十は出ていないようですね。」
「四十でしょう。」航海士がいった。
「六十だろう。」船長がいった。「第一次アフガン戦争のことを見てきたように話していたが、あれは四十年もまえのことだから、当時二十だったとしても、六十にはなるはずだ。」
「不思議だ!」私は叫んだ。「顔の肉はあのとおりふっくらしているし、眼といったら私のより生き生きしています。あれは三人のうちで一番えらい僧なのでしょうね。」
「ところが一番末席なのですよ。だから交渉ごとでも何でも、すべてあのラム・シンが三人のうちで口きき役をつとめているのです。あとの二人は高僧だから俗人と俗事を語るわけにはゆかないのでしょう。」
「とにかくあれはこの地方へきた人としては、最大の謎《なぞ》の人物ですね。父に話してきかせたら、さぞ喜ぶでしょう。」
「しかしあんなものは、なるべく相手にしないほうがおためですよ。」航海士がいった。「私はもし船長にでもなれば、あんなものは決して船客にはとりません。や、すっかり出帆の準備ができて、錨もぬいたようですね。ではいよいよもうお別れです。」
私たちがブランクサムへ帰りついてみたときは、馬車の用意がすっかり整い、御者の両がわの一番よい席を二つだけ残して、一同乗りこんで待っていた。航海士はそのことをいったのである。船長と航海士とが急いでそこへ飛びのると、歓呼の声とともに馬車はウイグタンのステーションをさして走りだした。私は父と妹のエスタとともに芝生《しばふ》のうえに立って、彼らがクルンバの森かげに見えなくなるまで、手をうち振りながら見おくった。
これであの三檣船《バーク》もその乗組員も、私たちの小さな世界からは悉《ことごと》く消えさったわけである。ただ残ったものは、海岸の砂のうえに積みあげられたさまざまのガラクタが、ロイド海上保険会社から人のくるのをわびしく待っているのみであった。
一三 怪僧ラム・シン
その晩の食事のとき、私は三人の仏僧のことを父に話してきかせた。すると父は果たしてその話しをひどく面白がった。面白がったのはよいが、ラム・シンの言語なり態度なりのいかに崇高《すうこう》であったか、そうして言語学者としての父をいかに評したかなどを聞くに及んで、すっかり有頂天になり、これからすぐに訪ねていって近づきになるのだといいだして、ほとほと閉口させられた。さもなくてさえゆうべから、あらしや難破船やらの騒ぎで、強くもない身も心もいい加減つかれているのだから、このうえそんなことをさせたら、父は死んでしまうかも知れない。私はエスタと二人で極力父をなだめすかし、奪いとるようにしてようやく靴《くつ》をぬがせ、寝室へ送りとどけたときには、まったくほっとしてしまった。
私は黄昏《たそがれ》のポーチに椅子を持ちだして、走馬灯のようにあいついで突発してきた事件のかずかずを、あらためて思いなおしてみた。あらし――難破船――救助――不思議な生存者――と、そこへ妹のエスタが静かに出てきて寄りそいながら、私の手のなかに自分の手をおいて、低いかわいらしい声でいった。
「ねえ、お兄さま、私たちはクルンバの人たちのことを忘れすぎてはいなくって? この騒ぎであの人たちの危険のことが頭から抜け出たようよ。」
「頭からは抜け出たかもしれないが、心の底では忘れたことがないさ。」私は笑いながら答えた。「しかし、とにかく注意をわきへとられていたのは事実だね。僕一つ、あしたの朝は出かけてってみよう。何か分かるかもしれないからね。それに、あしたはいよいよ十月の五日だね。もう一日待てば、何もかもうまく解決するんだ。」
「ええ、悪く解決するかもしれないわ。」エスタはうち沈んでいった。
「またはじまった。心配屋さん! どうしてお前はそうなんだろう?」
「だって私なんだか胸さわぎがして、気がふさぐんですもの。」エスタはますます私に寄りそいながら、身ぶるいした。「私なんだかあの人たちの身のうえに、たいへんなことが降りかかってきているような気がするのですもの。インドの坊さんとかいう人は、なんだってこんなところに滞在する気なのでしょう?」
「ああ、あの坊主かい? あれはいろんな行《ぎよう》だの宗教上の儀式があるのだから、そんな関係できっと、しばらくここにいなければならないのだろう。」
「だってね、お兄さま、」エスタは非常におそろしそうに小声でいった。「その坊さんがインドから、こんどはるばる来たというのも妙じゃありませんか? ヘザストン少将のこわがっていらっしゃるのは、インド人に関係があるのじゃなくって?」
「ふむ、そういえば、あのことは何でも少将がインドへ行っているときの、何かのできごとに関係があるようなことを、聞いたようにも思うね。しかしね、エスタ、お前はそんなことをいうけれど、ラム・シンに一度あってみれば、そんな心配は少しもなくなるよ。あれは知識と博愛とを人格化したものだ。何しろ羊《ひつじ》を殺すといっても、食料に魚をあげようといってさえ、いやがっているのだからね。手をくだして殺生をするくらいなら、餓え死んだほうがいいといってる始末だもの。」
「私つまらないことにくよくよしてバカね。でもね、お兄さま、私たった一つお願いがあるのよ。」とエスタは気をとりなおして、「あしたは朝のうちにクルンバへいって、もしどなたかに会えましたら、妙な坊さんの来ていることを、すっかり話してあげてちょうだい。そうすればそれがいいことか悪いことか、私たちよりもよく分かるでしょうからね。」
「いいとも。」私は立ちあがって家のなかへはいりながら答えた。「あらしやいろんなことで、お前は少し心配性になっているんだよ。今晩ゆっくり眠ったらなおる。とにかくあしたは、お前のいう通りにするから安心しといで。クルンバでは僕たちよりも事情がよく分かっているはずだから、その判断にまかすことにしようよ。」
とにかく私は気やすめのため妹にこうは約束したものの、朝になって明るい日光の下で考えなおしてみると、あの三人の仏僧が何か邪悪《よこしま》な意図をいだいていようなんてことは、想像するだにバカげたことに思われた。ましてクルンバ館《やかた》の人たちに、善悪いずれにもせよ、関係があろうなんて!
それでも私は内心、ヘザストン一家の様子は気にかかっていたので、朝飯がすむとすぐに館《やかた》をさして出かけていった。ああした隠遁的《いんとんてき》な生活を送っている人たちのことだから、村の最近の事件なんかとうてい何事も知りはしなかろう。従ってこうして知らせてやりたいことをたくさん持っている私がいっても、もし少将が見つけたら、侵入者かなにかのように思うことだろう。
館《やかた》にはあいかわらず暗い空気がただよっていた。まず表門の頑丈《がんじよう》な鉄格子《こうし》のあいだから覗いてみたら、人影らしいのは一つも見えない。ゆうべのあらしで大きなスコットランド樅《もみ》が一本ふき倒されて、雑草の生いしげった路をまともに塞いでいるけれども、とり除こうとした様子すらみえない。館《やかた》のなかはあらゆるものが、ただ荒るるがままに放任されて、たった一つ例の高塀《たかべい》のみがいよいよ厳重に、通ろうとて通しはせぬぞとばかり、冷たく屹立《きつりつ》していた。私はこの塀《へい》にそうて館《やかた》を半周し、いつぞやゲブリエルとの逢《お》う瀬を少将に見つかったあの記念の場所までいってみた。その途中にもちょいちょいあったはずの板のすきや節穴はすっかり繕ろわれて、針をのぞける穴もない。
けれどもあの思い出の場所まできてみると、どういう手おちからか、板と板とのあいだに二インチあまりの隙《す》きのある場所を発見した。大いに喜んでそこへ眼を押しつけるようにして見ると、館《やかた》と前庭の芝生の一部とがみられた。けれども庭にも館《やかた》の窓にも人の姿なんか一つも見られない。まったくの無人境である。しかたがないから、たれか出てくるまで腰をすえてその場所をはなれないことに決心した。館《やかた》のなかは見ればみるほど蕭条《しようじよう》として鬼気せまり、肌《はだえ》に粟《あわ》を生ぜしめるものがあった。一家の人たちの様子を見とどけずに帰るくらいなら、少将に見つかったら激怒を買うのは覚悟のうえで、この塀を乗りこえてやろうと決心した。
けれども幸いにして、そんな非常手段をとる必要はなかった。それから三十分とたたないうちに、カチリと鍵をはずす音がして、少将自身が表戸から出てきたからである。出てきたのはよいが少将、驚いたことには陸軍の制服を着用している。それも普通のイギリス陸軍の制服ではない。上衣は妙な型の緋《ひ》いろだが、風雨にさらされて色があせており、白ズボンは時代がついて黄いろくなっている。胸には緋《ひ》の肋骨《ろつこつ》があり、腰に直刀を帯びたところはいかにも旧式で、四十年前の東インド植民会社の士官が出てきたようである。
少将だけかと思っていると、つづいて例の乞食伍長《こじきごちよう》ルーファス・スミスが見ちがえるような扮装《な り》をしてひょこひょこと出てきた。そして二人はしきりに何ごとかを話しこみながら、芝生のうえを行ったり来たりした。二人は話しながらも、しょっちゅうどっちかがあたりを偸《ぬす》み見て、何かを警戒している様子だった。私はできることなら少将が独りでいるときに話をしたかったのだが、この様子ではそうもならない。スミスをのけものにするわけにもゆかぬと見てとったので、思いきってもっていたステッキで塀をたたいて、二人の注意をひいた。すると二人は話しもなにもやめてしまって、非常に驚いた様子であたりを見まわした。けれども塀のそとにいる私が見えるはずがないので、きょときょとしていたから、私はすぐにステッキを塀のうえにのぞけて振ってみせた。すると少将は非常な決意のほどを眉宇《びう》のあいだに見せながら、こっちへやって来かけたが、スミス伍長が手をとらえて引きとめてしまった。で私はすぐに大きな声で自分の名を告げ、たった独りでいるのだから何ら危険はない旨をしらせた。すると少将は私の声を知って、急に駆けだしてきながら、喜んで迎えてくれた。
「やあ、ウエストさんでしたか。よく来てくれました。ただ折りがおりで、どういう奴《やつ》がこないとも限らぬと思って心配しとるときだったもので、失敬しましたな。おはいりくだされと申すところだが、かえってご迷惑をかけても悪い。しかし君にお目にかかるのは非常にうれしいです。」
「皆さまどうだろうかと思って、案じていました。しばらくどなたにもお目にかかりませんで、ご様子が少しも知れなかったものですからね。その後いかがでした?」
「いや、べつに変ったこともありません。相変らず心配ばかり多くて……しかしあしたはもういいです。あしたになれば、まるで違う人間になるです。そうだね、伍長?」
「はい、そうですとも。」とスミスは軍隊式の敬礼をしながらいった。「明日《みようにち》になれば豪勢《ごうせい》大丈夫です。」
「伍長とわしは今のところ、ちょっと取りこみがありましてな。」少将が説明した。「なに、それもすぐによくなります。人間は何ごとでも神さまの御意のままじゃ。神さまにおすがりしていればよろしい。でウエストさん、あんたはその後どうでしたな?」
「大いへん忙しいことが持ちあがりましてね――あなたはまだあの難船の話はお聞きではないでしょうね?」
「なにも聞きません。」と少将はべつに興味もなさそうに答えた。
「何しろあらしがひどかったですから、号砲も聞こえなかったでしょう。一昨晩インドからきた大きな三檣船《バーク》がうちあげられたのですよ。」
「え、インドから?」
「そうです。しかし幸いと船員は全部たすかって、もうグラスゴーへむけて出発しました。」
「みんな行ったのですね?」
「ええ、仏僧だとかいう三人のインド人だけは残りましたがね。この三人はなんでも二三日このへんに滞在するとかいうことでした。」
私の言葉がきれるかきれないうちに、少将はばったりその場へ膝《ひざ》をついて、ながい痩《や》せ腕を二本空たかく捧《ささ》げながら、壊れたような声で叫んだ。
「万事休す! 神さま! もう終りでございます!」
同時にルーファス伍長も大病人のごとくに顔いろが青くなって、額の汗をふいているのが、板のすきまから見えた。
「ながいあいだ、食うや食わずであちこちうろつき歩いた挙句のはてが、やっとどうやら居ごこちのよい寝床にありついたと思ったら、すぐにこんなことになるのは、これもおれの運かもしれない。」
「心配するな、伍長。」少将は立ちあがって、しいて元気をふるい起こすように肩肘《かたひじ》をはってみせながらいった。「なんでもこい。大英帝国軍人として相手になってやろう。伍長はチリアンワラの戦闘をおぼえているだろう? あのとき伍長は砲を遺棄して、おれの方陣へ来ねばならなかった。するとまもなくシークの騎兵隊が潮《うしお》のごとく、わが陣地めがけて押しよせてきた。それでもわが軍はびくともしなかったのだ。大英帝国軍人に怖《おそ》れはない。わしはただ相手が分からぬから悩んでいたのだ。今日こそおれは近年にない元気を回復したぞ!」
「なにしろ変な音をさせるばかりで、ちっとも姿をみせやがらなかったもんですからね。」伍長がいった。「よし! やりましょう、ご一緒に。一人より二人のほうが強いわけでさあ。」
「ウエストさん、さようなら。」少将がいった。「ゲブリエルをかわいがってやってください。それから家内も、もう永いこともあるまいから、面倒をみてやってください。さようなら――」
「ちょっと待ってください。」私は決然として板をうち割り、すきを大きくしながら叫んだ。「以前からこのお話はたびたび伺いましたが、いったいどうなすったのですか? もう少しはっきり仰っしゃってください。危険てどんなことなのですか? あのインド人がそうなんですか? もしそうならば、父は土地管理をしておりますから、浮浪人としてとり押さえてしまいましょう。」
「いや、いや、それは絶対にいけません。」少将はつよく頭をふって答えた。「しばらくお待ちなさい。すぐに分かる。モーダントが記録の所在《ありか》を知っているはずだから、あすになったら、そのことを相談してみてください。」
「しかしですね、危険がそれほどさし迫っているなら、なんとか防ぐ方法を講じたらどうですか? ですから危険の性質さえいってくだされば、私は私でなんとかしてみたいと思うのです。」
「ありがとう。しかしもうべつに方法はないのです。だからもう心配しないで、なるがままに任せておいてください。じつをいえばこんな板塀《いたべい》くらいのなかに隠れていられると思ったのは、わしの思いすぎだったのです。わしはただ何もせずにいるのが恐ろしかったのだ。わしはただじっとして待つよりは、どんなつまらぬことでもよいから、予防策を講じておりたかったのだ。この伍長とわしは、いま世にもまれな困った立場におるわけで、このうえはただ神さまにおすがりするほかないのです。ただ、地上での苦しみが多ければ多いほど、来世でのめぐみが深いというのが唯一のたのみです。さあ、それではわしは、いろいろの書類を焼きすてたり整理したり、まだたくさん用事があるのですから、これでお別れせんければなりません。」
少将は私のひろげた塀《へい》の穴から手を突きだして重おもしく握手をもとめ、伍長をしたがえてしっかりした足どりで、家のなかへと立ちさった。
私はこの会見で当惑しきって、今後をどうしたものかと思い煩いながら、ブランクサムさして帰っていった。エスタの心配していたことが、どうやら事実となって現われたのだ。あの三人のインド人と、クルンバ館《やかた》の謎《なぞ》の恐怖とのあいだには、なにか密接の関係のあること、もはや一点の疑いをはさむ余地もない。あの気だかい顔をしたラム・シンの紳士的な、洗練された態度と考えぶかい言葉などを、そうした暴行と関連して考えることは、私にはどうしてもできなかった。けれどもこうして落ちついてよく考えてみれば、あの毛ぶかい眉《まゆ》や黒い射《い》るような眼光の裏には、もし怒らせたら非常に恐ろしいことをも敢《あえ》てしかねぬ熱を蔵していることが思われぬでもない。こういう人をこそ、なに人にもまして怒らせぬようにしなければならないと私は感じた。
それにしても、たかがあの漂流インド人くらいを、なにがためにあの二人、昔は砲兵伍長までつとめた勇気のある男と、有名なるインド駐留軍の将軍とは恐れなければならないのだろう? そうしてあの三人が危険ならば危険で、なぜ私のいったように拘禁してしまわないのだろう? 私はそうしたわけの分からぬあいまいな理由でもって、人を拘禁したりすることは大嫌いなのだが、万やむを得なければ、その嫌いなことをも敢《あえ》てしようとまで提言したのだったのに!
理由はぜったいに不可解であるが、ただ、少将と伍長とのあの顔いろを見ただけでも、二人には必ず相当の根拠のあることは争われぬ。局外者にそれが分からぬだけだ。局外者にはぜったいに不可解の謎であるのだ。ただ一つ私に分かっていることは、私の現在の知識と少将のあの断乎たる辞退とから判断して、私にはいかんとも手の下《くだ》しようがないということのみはたしかである。私はただ待ち、どうか何ごともなくすみますようにと、神に祈るほかない。あるいはゲブリエルとモーダントとで、うまく防衛してくれるかも知れぬということを頼みに。
思案にかき暮れながら、いつしかブランクサムの庭に通ずるしおり戸のところまで帰ってきた。とそのとき、私はふと父の興奮した声を耳にして驚かされた。父は近来まったく俗事を忘れ、例の自分の研究に没頭しきって、世間のことといえばどんな問題をもちだしたとて、一顧の注意をも払わないような状態でいるのだ。その父があんなに猛《たけ》りたっているのは、いったい何ごとだろう? 大いに怪しみながら私はしおり戸をそっとあけて、桂《かつら》の植えこみをまわって静かにのぞいてみると、驚いたことには父に向いあって坐しているのは誰あろう、今がいままで私の脳裏を占領していたラム・シンその人ではないか!
二人は庭のベンチに向いあって、ラム・シンがその細ながい、ふるえる褐色《かつしよく》の指で一、一論点を指摘しながら、なにか非常に重大なる提言をなしつつあるのに対して、父は顔をしかめて両手をうち振りながら、大声でそれに対抗し、論難しているらしかった。そうして二人とも口論に気をとられて、私がすぐ背後まできて立っているのも、しばらくは気づかなかった。が、ラム・シンがまず私に気づくと、慌てて立ちあがって、きのうと同じ荘重な態度、上品な言葉づかいで私に挨拶《あいさつ》した。
「きのう父上をお訪ねしたいものとお約束ねがっておきましたが、今日は幸い小閑を得ましたので、こうしてお訪ねいたした次第です。で、梵語《ぼんご》とインド語とに関して、二三父上におたずねしました結果が、一時間以上もこうしてたがいにあい譲らず、論争していました次第です。ジェームズ・ハンタ・ウエスト氏の名をかくまで東洋学者間に有名にしたごとき深遠なる学理を必ずしも有するわけではありませんが、私はいま申したようなある点で、相当重要なご注意を申しあげたのです。と申すのも、じっさいこの点に関しては父上のご意見に弱点のあるのを指摘し得る地位に私はいるわけなのです。ねえ、ウエストさん、これだけは私が申しあげておきますが、梵語《ぼんご》は紀元七百年あるいはそれ以後までは、大部分のインド人間の日常語であったのですよ。」
「私も断言しますよ。」と父は熱をおびてきた。「当時すでに梵語は一般には廃語となって、ただ一部学者間の科学または宗教的著作にのみ使用せられていたのです。ちょうど中世紀のラテン語と同じで、国民間にはまったく忘れられたのちも、学者間にはながく使われていたのです。」
「その説は一般には信じられていますけれども、プラーナ(インド神話を書いた梵語の聖典―訳者)をご覧になれば、それがまったく謬見《びゆうけん》であるのがお分かりになりましょう。」
「しかしラマヤーナ(インドの二大叙事詩の一―訳者)をご覧になれば、あるいはもっとよいのは仏教の標準教典をご覧くだされば、この説に難点のないのがお分かりになりましょう。」
「しかしクラヴァガをご覧ください。」ラム・シンが熱心にいった。
「ではアソカ王(紀元前二三〇年ごろのインド王、仏教史上の功労者―訳者)をご覧ください。」父は勝ちほこって叫んだ。「紀元三百年前に――よろしいか、紀元前ですよ――アソカ王は仏の掟《おきて》を岩に彫りこませましたが、そのとき王はどんな言葉を使いました? 否《いな》! しからば何がゆえに梵語にしなかったのでしょうか? すなわち王の目的とした下層階級がこれを解し得なかったからです。どうです、これだけですでに立派な証明ではありませんか? あなたはこのアソカ王の布告をどう説明しますか?」
「王は各種の言葉で彫りつけさせたのです。」ラム・シンは静かに答えた。「しかしこのような問題に時間と精力とを空費するのは愚《おろ》かなことです。もう太陽は正午をすぎたようですから、私はおいとましなければなりません。連れのものも待っておりましょうから。」
「ほかのおかたもご一緒においでくださればよろしいものを、残念でした。」父は愛想よくくやしがった。そのじつ内心では、あまり議論にばかり走って、相手の気を悪くしやしなかったかと懸念しているのだが。
「いいえ、彼らは世間とのご交際はしないのです。」ラム・シンは腰をあげながらいった。「彼らは私よりもずっと高僧ですから、いっそう汚れを厭《いと》います。二人は第三化身《けしん》の神秘を妙覚《みようかく》するため、六カ月間の行《ぎよう》にはいっていましたのですが、やっとこの頃《ごろ》それが終ったばかりなのです。ではウエストさん、私は再びお目にかかる機会もあるまいかと考えますから、ずいぶんお達者で、末ながく幸福にお暮しください。あなたの東方のご研究は、この国の文化史上に不滅の功績として残りましょう。」
「で、私ももうこれきりでお目にはかかれないのですか?」私が尋ねた。
「いっしょに海岸のほうへお出でくださらない限り、この場かぎりです。しかしあなたはすでに、今朝《こんちよう》外出されてお疲れのことでもありましょうから、どうかこのままお別れしましょう。」
「いいえ、私はよろこんでお供しましょう。」私は心から叫んだ。そうしてラム・シンとともに歩きだした。父も途中まで送ってきた。そうしてラム・シンと再び梵語論のつづきを闘わせたかったらしいけれども、何しろ歩きながら熱して論争することは、息ぎれがして年歯が許さぬので、残念そうに別れをつげた。
「なかなか学問はおありです。」とラム・シンは父が去ってから私に話しかけた。「しかし、誰でもそうですが、自分の意見と異る議論はまったくお耳にはいらぬのです。いつかはお分かりのおりも来ましょうが――」
私はこれにはべつだん何とも答えなかった。そうしてそれきり二人は無言のまま歩き、歩きよいためずっと波うちぎわ近い砂のうえを歩いていった。左がわには行けども尽きぬ砂山が起伏して、人間界との交渉を全く断っているし、右がわは洋洋たる海峡が開らけて帆かげ一つうつしてはおらぬ。ここにまったく二人は自然界に置きさられてしまったようなものだった。もしこのインドの仏僧が、かの航海士の考えていたような危険人物であるなら、あるいはヘザストン少将の言葉によって推定したことが事実であるとすれば、私の運命はいま全く彼の掌中にあるわけだ。
けれどもこの仁慈ふかそうな僧、平静に澄みわたる黒眼の主をおそれ疑う気には私は毛頭なれなかった。そよそよと頬をなぶる微風《そよかぜ》ほども、そうした気はおこらなかった。顔かたちこそ厳格で、おそろしくさえあるかも知れないけれど、心まで公正を欠く人であるとは、私には考えられなかった。歩きながらときどき、その気品たかい横顔や漆黒の頬ひげをぬすみ見て、私はその地質のあらいスコッチの旅行服が、気のどくなほど不調和に感じられた。そこで私は、こういう人に似あう東洋風のダブダブした長い服を想像で着せてみた。こういう人の威容を損ぜぬには、どうしてもあれでなければいけない。
そのうちに歩きついたところというのは、もう数年も人の住んだことのない小さな漁夫小舎《ごや》で、草ぶきの屋根は一部風に吹きとばされ、窓や戸は壊れるがままに放任されて、よくも今まで潰れずにあったと思われるようなところであった。もっとも貧しい乞食《こじき》でも尻《しり》ごみするだろうような、家という名も与えがたい荒れ小舎《こや》であるが、それでもこの不思議な人たちは、地主の家へ招待されたのも断って、この小舎《こや》を選んだのである。周囲には小さな庭――であったのだろう、いまは茨《いばら》の生いしげる草むらがある。それを押しわけてラム・シンは壊れかかった戸口へゆき、ちょっとなかを覗《のぞ》いてみてから、はいって来いと私を手招いた。
「ちょうどよい具合です。」彼は声をひそめ、敬虔《けいけん》な態度でささやいた。「あなたにいまヨーロッパ人のめったに見られないものを見せてあげます。この小舎《こや》のなかに二人のユカ行者《ぎようじや》がおられるのです。ユカ行者というのはご存じかも知れませんが、仏の法力を得た人のことです、二人はいま三昧《さんまい》にはいって、催眠状態になっておいでです。さもなければあなたをお入れ申すわけにはゆかぬのです。二人の精神はいま肉体を離魂して、チベットのルドークのあるラマ寺院の聖火の祭祀に出席しておられるのです。足音をたてぬようにしてください。でないと礼拝《らいはい》のすまぬうちに醒《さま》すといけません。」
足を爪《つま》さきだてて歩きながら、私は生いしげる草をおしわけて戸口へ近づき、なかをのぞきこんだ。なかは荒れはてて家具一つなく、汚れた板をむきだしの床のうえには、かた隅に新しい麦わらが少しばかり撒《ま》いてあった。そうしてそのわらのうえに二人の男がうずくまっていた。一人は皺《しわ》だらけの小さな老人で、あとの一人は大柄のやせた男である。二人とも東洋風の胡坐《あぐら》の姿勢で、顎が胸につくほどうなだれたまま、死んだようになって微動だもしない。よく気をつけて見ると、呼吸につれてただかすかに一伸一張はしているけれども、まるで二個のブロンズ像を安置したように見えた。ただし顔いろはラム・シンの健康そうな褐色《かつしよく》とは大いにちがって、妙に灰いろを呈しており、なお近づいてみると二人とも眼球がひどくうわずって、白眼のみ少しばかり見えていた。
膝《ひざ》のまえには小さなござをのべて、そのうえに水を盛った土器とパンの半塊とが、神秘的な文字を書きつづった紙片とともに置いてあった。ラム・シンはそれらをひとわたり見てのち、私をうながしてそっと庭へ出てきてからいった。
「今晩の十時までは、そっとしておかねばなりません。どうです、これがわが仏教の幽玄《ゆうげん》なる悟道ですよ――霊肉の分離の行《ぎよう》ですよ。この聖者の霊魂は、ただ霊魂としてガンヂス河の堤上に行っているだけではありません。真実の肉体とまったく同じ肉体に包まれて、どんなに親しい人が見てもほんとのラル・フーミとモーダール・カンとが来ているとしか思われないのです。これはどうしてできるかと申しますと、われわれは何ものをでも化学的の分子に分解する法力に悟入しているからです。そうしてこの原子を電光の速さで自在の場所へ持ちはこび、そこで再び原子をよび集めて原形に復します。しかも旧時はいまだ未開であったため、全身をこの方法で移動したものですが、今はそんなことはありません。今はほんの肉体の一部分だけに相当する原子をつれてゆけばよいのです。この法力をわれわれは幽魂術と申しております。」
「しかし、精神がぬけだしてどこへでもゆく以上、肉体までつれてゆく必要はないはずじゃありませんか?」私は尋ねた。
「そうです。それは通力者間のみの問題ならば、肉体はまったく不要なのです。しかしいまだ法力に悟入せぬ俗人を相手としたい場合には、俗人にも見えるような姿を必要とするわけです。」
「今日はたいへん面白いお話しをうかがいました。」私はこのときラム・シンがもう別れるときが来たというように差しのべた手を握りながらいった。「このことは、あなたとのお近づきになれたことは、いつまでも思い起こすでしょうと思います。」
「いろいろおためになることもありましょう。」シンはその手をぎゅっと握ったまま、悲しげに私の眼のなかを覗《のぞ》きこむようにして、ゆっくりいった。「これから先どんなことが起こるか知れませんが、そのことがあなたの考えておられる正義とは必ずしも一致しないようなことがありましょうとも、ただそれのみのために悪く考えないように、くれぐれもお願いしておきます。正邪の判断は急いではいけません。世には個人の利害はまったく捨てても、必ず遂行されなければならぬ大法則というものがあります。その大法則の実現は、あなたがたには苛酷《かこく》にも見えるかも知れませんが、それでも法則の空しく殺されてしもうのにくらべれば、何でもありはしません。私どもは牛や羊《ひつじ》には絶対に手をも触れぬのです。けれども人は、この大宇宙の大法則に従わぬ人は、決して容赦せぬのです。」
ラム・シンはこの言葉とともにはげしく、人を威嚇するような調子で手をひっこめて、くるりと向うをむき、そのまますたすたと茅舎《あばらや》のなかへはいっていった。私はその後姿が戸口にかくれるまでじっと見おくったのち、この不思議な仏僧の言葉、とくにその最後の意味ありげな言葉を味わい味わい帰途にとついた。
帰ろうとするとはるかの右手にあたって、クルンバの白い塔が黒い雲を背景に、くっきりと際だってそびえて見えた。じつに平和にみちたような美しい塔である。もしこのありさまを旅人にでもみせたなら、あの塔の住者の身のうえを羨《うらや》ましと思わぬものはなかろう。あの館《やかた》に住む人の頭上に不思議な運命的危険が降りかかっていようなど、夢にも思うものがあろうか?
「何ごとが起ころうとも、すべては神の摂理《みこころ》だ。罪のあるものと、正しきものとのけじめは、神がしろしめす。」私は自分にいいきかせた。
家へ帰ってみると、父はまだラム・シンとの論争のことで興奮をつづけていた。
「ジョンや、わしはあの男にひどくあたりすぎたとは思わないかね? そうだろう? わしは『地主さま』の代理をつとめているのだ。お客とはなるべく議論を控えめにせんといかんのだ。それはよく心得ているつもりではあるが、それでも、あんな間違ったことをいわれると、つい駁論《ばくろん》を試みて、根本的にたたき潰さないではいられなくなる。じっさいわしはみごとに勝った。もっともお前はあの問題には暗いのだから、勝ち負けは十分には分からなかったろうが、それでも、わしがアソカ王の布告のことをいいだしたら、あの男はすぐに立ちあがって帰っていった。あれをみてもわしの引証が決定的のものだったことだけは分かったろう?」
「お父さんの議論はりっぱなものでしたよ。しかしね、お父さん、あの人に会った印象はいかがでした?」
「そうさ、上人《しようにん》の一人だろう。インドには托鉢僧《カンニヤシ》とか、瑜伽行者《ヨ    ギ》とか、セヴラとか、クワランダとか、学者《ハーキム》とか、カフィとかいって、仏の妙法の研究に一身を捧げているものがあるが、あれもその一人だとみえるね。大悟したものは如来《によらい》と称して非常に尊ばれるのだが、あの男はまだそこまでは到達していないのだと思う。しかしいつかは如来の域に進みうる善知識ではある。」
「だってお父さま。」妹のエスタが口をだした。「そんなに偉い高僧が、なんだってこんな辺ぴな海岸になんか住むのでしょう?」
「そこまではわしもまだ考えてみなんだが、しかしべつに悪意ももたず、この土地の平和を乱すようなこともせぬ以上、何をしようと勝手というものだろうよ。」
「あの僧はわれわれには分からぬ不思議な魔力をもっていますよ。ご存じですか?」
「そうさ、東洋の学問はそれで満ちているのだ。聖書にしても、もとは東邦人の手で書かれたものだが、やはりそういう不思議なできごとが、至るところに見えているではないか? 疑いもなく東洋人は過去において、われわれの知らぬ自然の秘密をたくさん知っていたものだろう。それはしかし、現代には伝わっておらぬのだ。近代の見神論者なんていうものは、じっさい口ほどの力をもっているかどうか、疑わしいね。」
「あの種の僧は執念のふかい、復讐心《ふくしゆうしん》のつよいものですか?」私から尋ねた。「あの社会に死をもって贖罪《とくざい》するのほか、許されない罪というものがあるでしょうか?」
「そういうことはわしも知らぬが、」と父は驚いて眉《まゆ》をあげながら、「お前きょうはいろんなことを尋《き》くね? そんなことを尋ねて、どうする気なのかい? あのインド人になにか変ったことか、疑わしいと思うようなことでもあったのかい?」
私はいま心のなかで考えていることを父に知られたくなかったので、できるだけうまくこの問いを外《そ》らした。あのことを父に話したとて、何にもなりはしないのだ。父の年歯と健康とは、心身の安静を求めている。のみならず、たとえ父がそうでなかったとしても、私自身にさえまだ判然としないような事がらを、どんな言葉でひとに説明できるというのだ? どの点からみても、父には当分何ごとも知らさずにおくのが、一番よい方法であることに間違いはない。
私はこの日くらい時間のたつのをおそく感じた経験をもたない――この十月五日という日ほどに。種種さまざまなことをやって、退屈な時間を消そうと試みた。そうしてしまいには、もう今日かぎりこの世には夜というものが来ないのではないかとさえ思われてきた。本を読んでみた。ペンもとってみた。芝生も歩いてみた。小路のはてまでは何度いってきたか知れない。釣竿《つりざお》に新しい蚊鈎《かばり》をつけることもやった。それから最後に父の「文庫」の目録をつくる仕事をやりだすまでには、ありとあらゆることをやって、堪えがたい無聊《ぶりよう》にうち勝とうと試みた。妹のエスタも同じ思いに、終日そわそわしてばかりいたようだった。
目録を作りだしてから、仕事の邪魔になるものだから父はときどき、またしても、おだやかにではあったけれど、私の気まぐれに対して抗議をもちだした。
だがそれでも、とうとうお茶の時刻まではどうやらこぎつけた。お茶がすむとカーテンをおろしてランプをつけた。それからまただいぶ辛抱してから夜の祈祷《きとう》があって、召使《めしつかい》たちはそれぞれ自分の部屋へさがっていった。父は毎夜のとおり、自分でホットウイスキを調合してのみ、これも寝室へいってしまった。あとには私とエスタだけが神経を興奮させ、漠としてはいるけれども、もっとも恐るべき心配を胸中にみなぎらせながら、ただ二人とりのこされた。
一四 十月五日
父が私とエスタを居間にのこしておいて、自分の寝室へしりぞいたのは、居間の時計で十時十五分であった。澄ますともなくじっと耳をすましていると、ぎしぎし鳴る階段を父はゆっくりゆっくり登っていったが、やがて遠くのほうでばたんと勢いよく寝室のドアを閉めるのが聞こえた。
居間の卓上においた石油ランプが、古びた部屋のすみずみに不気味な隈《くま》をただよわせ、彫刻のある樫《かし》の羽目板にちらちらと反射して、旧式の肘掛《ひじかけ》がたかくて背なかのまっ直な椅子《いす》の影が面白い形にうつってゆらめいた。妹の血の気のうせた心配顔が、こうして貧弱な光りでみると、レンブラントの肖像画でみた横顔に驚くほどよく似ている。私たちはテーブルに向いあったまま、コトリとも音をたてないでいた。聞こえるものとしてはただ規則的な柱時計のセコンドのきざみと暖炉のあたりの床下でコオロギがときどき思いだしては鳴くのとだけであった。あまりに静かであるとなんだか少し恐《こわ》くなって、背なかがぞくぞくするような気がする。そのうちに往来のほうに遅くなった百姓が、口笛をふきながら通りかかるのが聞こえたときは、ほっとした。そうして、同じような歩調で家路をさして帰ってゆくのを、聞こえなくなるまで貪《むさぼ》るように耳をすませた。
最初のうちこそ私たちはお互いに平気をよそおっていた――私は読むふりをし、妹は縫いものに精をだすふりをしていた。けれどもそんな無意味なごまかしはすぐに捨ててしまった。そうして不安な心をいだいてじっと向いあったまま、炉のなかで薪《まき》が燃えくずれる音をたてたり、壁板のうしろで鼠《ねずみ》が暴れたりするたびにひやりとしては、たがいに顔をみあわせた。私は立ちあがって、夜の新しい空気をいれるためにホールの戸を開けはなった。空にはちぎれ雲がとんでいる。そのあいだからときどき月が顔をだして、野や山に銀いろの冷たい光りをみなぎらせた。戸口に立ってみると、クルンバの森の一角がみえている。建物はこのさきの小高いところからでなければ、少しも見えないのだ。妹の発議で私たちはこの高みへいってみた。
館《やかた》のほうを見わたしても、今夜は窓に灯光《あかり》が一つも見えなかった。大きな建物の上から下まで、ちらりとも灯光《あかり》らしいものは見えない。まるでまっ暗で、樹木《じゆもく》のあいだからぬっと出ているところは、家というよりはなにか巨大なる石棺でもおいた感じである。神経が過労しているせいか、なんだか空おそろしいような気がする。私たちは闇《やみ》のなかに立ちつくして、しばらく館《やかた》をながめたのち、居間へ帰ってきた。そうして再びじっとさし向いに坐って待った。待った? 何を? なんとも知れぬけれど、ただ何か恐いものが来そうな気がしてである。
夜の十二時ごろででもあろうか、エスタがとつぜん飛びあがって、緊張しきった小声で尋ねた。
「お兄さま、なにか聞こえない?」
私はじっと耳を傾けてみたけれど、なにも聞こえない。
「ドアのところへ来てごらんなさいよ。」エスタはふるえる声でささやいた。「ね? 聞こえるでしょう?」
夜の静寂のうちに、かすかにパラパラいうような音がしていた。
「なんだろう?」私は声を殺していった。
「たれかこっちへ駆けだしてくる足音よ。」エスタは答えたが、たまらなくなったように急にテーブルのそばへバッタリ膝《ひざ》をついて、半ばヒステリックな涙声になりながら、恐ろしさをうち消すように大きな声で神に祈った。そのうちに私にもはっきりと足音が分かるようになった。やはりエスタの女らしい早い直覚が誤っていなかったのだ。音はたしかに人の駆けてくる足音であった。
足音の主は本道をとおって刻刻と近づいてくる。よほど火急の用事をもっているとみえ、少しも休みはせず、歩調をゆるめようともしない。そのうちに、今まで力づよい戞戞《かつかつ》の音だったのが急に鈍く、含んだような足音にかわった。最近砂を入れたりして、百ヤードばかり道路修繕をやったから、いまそこまできたのだろう。と思うまもなく、果して足音はふたたび堅い道のうえを硬い靴《くつ》で駆ける音になってますます近く、ますます明らかに聞こえてきた。もう曲り角のあたりまで来ているはずだが、まっすぐにゆくだろうか? それともブランクサムのほうへ曲ってくるだろうか?
じっと耳を澄ましていると、足音は角を曲ってくるのが、はっきり聞きわけられた。あの角を曲った以上、私たちの家をめがけて走ってくるものであるのは、疑いの余地がない。私は芝生へとび降りて、門のところへ駆けつけた。と、出あいがしらに、足音の主が門を押しあけてとびこんできた。月あかりにすかして見れば、ほかでもないモーダント・ヘザストンである。
「や、どうしました? モーダント君、なにか間違いでもありましたか?」
「父が――父が――」モーダントは息をはずませて満足には口もきけない。帽子《ぼうし》もかぶらず、死人のようにまっ青な顔をして、恐怖のため目が皿のようにひろがっている。手を握ってみると、興奮の極ぶるぶる震えている。
「さあ、中へはいって休みたまえ。」私は彼を導きいれながらいった。「はいってちょっと休まなければ、話もできないでしょう。大丈夫、僕がついているから、安心してお休みなさい。」
私は彼を居間のふるい馬の尾のソファに掛けさせた。エスタは恐怖もなにも忘れて駆けさったかと思うと、ブランディを水のみコップに注《つ》いでもってきた。それを飲むとモーダントはぐっと落ちついて、青かった頬にもいくぶん血の気が出てき、眼のいろもなごんできた。そうしてエスタの手を両手のうちにとりこんで、悪い夢からさめた人が、「ああ夢だったか」という時のように、じっと彼女を見つめた。
「モーダント君、お父さんがどうしたのです?」私はあらためて尋ねた。
「父が行ってしまったのです。」
「いってしまった?」
「そうです、行ってしまったんです。それにルーファス・スミス伍長もね。二人には二度と会うことができません。」
「で、どこへ行ったのです? それにしてもモーダント君にも似あわない、何だって早くいわないのです? こんなところに坐って、かれこれいっている間には、あとを追っかけたら、引きもどせるかも知れないじゃないですか? さあ、立ちたまえ、応援にゆこう。どっちへ行ったんです? 方角はどっちです?」
「行っても無益です。」モーダントは両手のなかに顔を埋《うず》めながらいった。「どうか僕を責めないでください。君はまだ事情を知らないのだ。僕たちの一家に降りかかっている、恐ろしい運命を避ける力がどうして人間にあります? 僕たち一家はずっと以前から呪《のろ》われているのです。そうして今日その最期がきたのです。」
「いったい全体どうしたというのです? なにがあったのです?」私はせきこんで尋ねた。「人間はけっして絶望だといって投げだしてはいけません。」
「しかし、夜のあけるまでは、どうすることもできないのです。朝になったら踪跡《そうせき》だけなりと捜してみましょう。今のところはどうすることもできません。」
「で、ゲブリエルさんや母うえはいかがです? すぐに二人をここへ連れてきておいてはいけませんか? 妹さんは恐ろしさで茫然《ぼうぜん》としておいででしょう。」
「ゲブリエルはまだ何も知らないのです。あれの寝室は家のなかでも離れて、反対がわにあるのですから、なにも見聞きしなかったはずです。母のほうはずっと前から、こうしたことのあるのは覚悟していましたから、今さらそれほど驚きもしません。もちろん非常に悲しんではいます。けれども今のところ、独りでいたほうがいいというだろうと思いますね。僕もあんなに自若としていられたらと思うのですけれど、何しろ生まれつき感じやすいとこへもってきて、ながいこと心配したあげくに今晩のことがあったので、まるきり夢中になっちゃったのです。」
「朝まではどうすることもできないのでしたら、それまでにすっかり話して聞かせてください、どんなことがあったのだかをね。」
「話しましょう。」モーダントは答えて、まだ震えている手を炉にかざしながら、「父は若いころのある行為のため、恐ろしい復讐者《ふくしゆうしや》に久しい以前からねらわれていたということは、君もすでにご承知でしょう。じつはこれはずいぶん古いことなのですが、そのときルーファス・スミス伍長《ごちよう》という男も一緒だったのです。で、こんどスミス伍長が父を訪ねてきたというのも、いよいよ時節がきた――この十月五日の記念日を期して、贖罪《とくざい》を行わねばならないということを告げに来たのだったのです。父の恐怖ということについては僕も、いつぞや手紙に書いておきましたが、父からも何かお話ししたようですね? きのうの朝父は、かねて保存してあったアフガン戦争従軍時代の古い軍服を出して着ていましたが、それを見て僕はいよいよ最期がきたことを知りました。――午後になってから父は幾年にもない心の落ちつきぶりをみせまして、インド時代の話しや、若いころの事件を何くれとなく話してきかせました。そのうちに日が暮れて、夜の九時ごろになると、僕たちを寝室へ引きとらせて、いつも恐怖の発作《ほつさ》がおこるとやるとおり、寝室のドアにおのおの外から鍵をかけてしまいました。父はいつでも自分の身に降りかかっている呪いを、僕たちのほうへ来させないように、僕たちに何も知らさないでくれようとしたのです。いざ寝室へゆこうとなってから、父は母とゲブリエルにやさしい抱擁《ほうよう》をあたえて、僕のあとから僕の寝室までついてきて、あたたかく手を握りしめながら、君に届けてくれという小さな包みを渡しました。」
「僕に?」私は意外に思って言葉をはさんだ。
「そうです。君にです。ここに持ってきていますけれど、話しがすんでからにしましょう。それから、僕は父と一緒に起きていて、何ごとかあるようだったら、少しでも役にたちたいと願ったのですけれど、父は計画の邪魔になってかえって迷惑なばかりだからって、決してききいれてくれませんでした。父はほんとうにそう思っているので、こちらがいえばいうほど困らせるばかりだと思いましたから、僕はとうとう部屋へはいってドアを閉め、外から父に鍵をかけさせてしまいました。いまから思えば僕の考えがたらなかったこと、意志の弱かったことを後悔しないではいられません。しかしウエスト君、きみはお父さんの手つだいをしようといって断られた時どうします? お父さんのいうことに、まさか反抗もできますまい?」
「それはそうよ。あなたはできるだけのことを、それでお尽しになったのよ。」エスタがいった。
「僕もそのつもりだったんです。しかし、何がよいことか悪いことか、さきの事はなかなか分かりません。父は僕を残して行ってしまいました。足音がながい廊下のさきに消えてしまいました。それから僕は寝もしないで、寝室のなかを歩きまわっておりましたが、十時か十時少しすぎにランプを寝台の枕《まくら》もとへうつして、セント・トーマス・ア・ケンピス(ドイツの高僧、一三八〇―一四七一年―訳者)を読んでから、着物もとかずに寝床へはいって、どうか今夜一夜を安全にすごさせたまえと、心から神に祈りました。そのうちいつしかうとうとしていたものとみえて、ふと耳もとで大きな音がしたので眼がさめました。びっくりして起きなおりましたが、もう何も聞こえません。懐中時計を出して、うす暗いランプの光りで見ると、十二時ちかくです。さぐり足で寝台からおりて、蝋燭《ろうそく》でもつけようとマッチをすりかけると突然、鋭くさすような叫び声がまぢかくはっきりと、まるで部屋のなかで起ったのかと思われるほど近くに聞こえました。
いったい母とゲブリエルの部屋は裏がわにありますが、僕の部屋だけは家の前がわにあるので、門からはいってくる並木路が見えるようになっているのです。僕は急いで窓のところへいって、カーテンをのけて外を見ました。君も知っている通り、砂利をしいたかなり広い路が、門のほうからまっすぐにはいって来ています。見るとこの路の中央に、三人の男が立って、家のほうを見あげているではありませんか!
月光が正面から全身を照らして、うわ向いた眼にキラキラと反射しています。よく見ると黒い顔をして髪の毛も黒く、僕のインドにいるころよく見なれていましたが、疑いもなくインド人なのです。二人は痩《や》せて鋭い顔つきでしたが、ほかの一人は堂堂として、長い頬《ほお》ひげをもっていました。」
「ラム・シンだ!」私は思わず叫んだ。
「えッ! 君はあの三人を知っているのですか?」モーダントは非常に驚いて叫んだ。「会ったことがあるのですか?」
「三人のことは少し知っています。あれは仏教の僧侶《そうりよ》ですよ。で、どうしました?」
「三人は一列にならんで、両手を上下しながら、なにか祈祷《きとう》か呪文《じゆもん》でも誦《ず》しているのか、口をしきりにもぐもぐと動かしていました。そのうちにとつぜんそれをやめると、声をそろえて不思議な、鋭くて気味のわるい叫び声を発しました。僕が夢を破られてから、これで三度めです。あの鋭く恐ろしい声は、今でも耳のそこに残っているような気がしますが、生涯忘れられますまい。
それがすむと家のなかで鍵で錠をはずすような音が聞こえ、ついでドアを開ける音がして、コツコツと廊下を歩く音が入り乱れて聞こえました。するとまもなく父とルーファス・スミス伍長とが、帽子もかぶらず頭髪の乱れたままで庭へ出てきました。二人はまるで反抗することのできない力に引きずられでもするように、フラフラと出てきたのです。
二人が出てくると、三人の怪しい男はべつに手出しはしませんでしたが、そのまま五人が一団になってさっさと門のほうへ歩いていって、間もなく立木にさえぎられて見えなくなってしまいました。じっさい三人は父や伍長には手も触れなければ、そのほか何の強制も圧迫も加えなかったことは、僕がこの眼でちゃんと見たのですが、それでも二人はまるで手錠をはめられでもした人のように、少しの反抗をもせずに連れてゆかれてしまったのです。
こう話せばながくなりますけれども、これだけのことはほんの僅《わず》かのまのことでした。最初僕が喝《か》ッという声で夢を破られてから、五人が立木のあいだに見えなくなってしまうまでが、そうですね、五分とはかからなかったでしょう。あまりの速さあまりの不思議さに、僕は最初悪夢か幻《まぼろし》を見たのだと思いました。じっさいあれほどまで印象がテキパキした、むしろ生き生きしたものでなかったら、いつまでもそう信じたかも知れないくらいです。
五人の姿が見えなくなると、僕は思いだしたように、全身の重みをもって寝室のドアにぶつかりました。最初は鍵がびくともしなかったけれど、いくどもいくどもやっているうちに、どこかが壊れて、僕は廊下によろめき出ました。
第一に頭に浮かんだのは母のことです。で、すぐにそこへ駆けつけて、ドアに差しこんであった鍵をまわして、そこを開けました。すると出あいがしらに、ガウン姿の母が廊下へ出てきて、手で合図をしながら申しました。
『静かに! ゲブリエルが眠っていますからね。二人とも連れてゆかれましたのね?』
『ええ、二人とも。』
『神さまの思《おぼ》しめしです。お父さまは来世《あのよ》にいらっしゃれば、もっとご幸福におなりなのです。ゲブリエルがよく眠っているのは何よりでした。晩のココアのなかにクロラールをいれておいたから――』
『僕はどうしたらいいのですか?』僕は尋ねました。『二人はどこへ行ったのでしょう? どうしたらお助けできるでしょう? このまま放っておくわけにはゆかないでしょう? それにあの三人がどんなことをするか分かりません。僕はウイグタンの町まで馬を飛ばして、警察へ届けましょうか?』
『それだけはしないで頂だい。』母は熱心に引きとめました。『そればっかりはしないようにって、お父さまがたびたび仰っしゃったのですからね。ねえモーダント、お父さまにはこれきりで、もう二度とはお目にかかれないのですよ。それだのに私がこうして、涙もこぼさないでいるのを、変にお思いかもしれないけれど、お父さまは生きていらしてもあの通りのお苦しみばかりで、お心の休まるたった一つの方法は、あの世へいらっしゃることだけなのですから、あなたもそこをよく考えて、あまり心配しすぎないようになさい。もうこうなった以上は、どんなに捜してみても、生きてお帰りになることはないのです。でも、どんなご最期だったか見届けるだけは見届けなければなりませんけれども、それにはできるだけこっそりと運ばなければなりません。ご遺言をよく守るのがなによりの孝行ですよ。』
『でも今は一刻もむだにはできません。こうしている間にも、あの黒人の悪魔の手から逃《のが》れようとして、僕たちの名を呼んでいらっしゃるかも知れないのですからね。』
僕はこう母にむかって叫びましたが、考えるとじっとしてはいられなくなって、そのまま表へとびだしました。けれども出てみると、さあ、どっちへいってよいものか、さっぱり見当もつきません。眼前には一面に荒れ地が開けているばかりで、どこを捜したらよいのか、どっちへ走ればよいのか、まるで方角もつかないのです。僕はじっと耳を澄ましてみました。けれども夜の荒れ野はまるで死んだように静まりかえっているのみで、どんな幽かなもの音も聞こえはしません。
そのときです。どっちへ行ったらよいか方角さえたたないでまごまごしていたその時、ふと僕はわれにかえって、大きな恐れと責任とを感じました。僕はなにも知らぬ、何の知識ももたぬ力にむかって挑戦していたのです。まったく何も分からぬ不思議な恐ろしい力にむかってね。そうしてふと君のことを思いうかべました。君に会って相談してみたら、何かよい手段があるのかも知れぬという考えが、一道の光明のように僕の頭に浮かんだのです。ブランクサムへゆけば少なくとも慰めだけでも得られるのみならず、いまは頭が混乱して自分でもそうと分かるほど判断が鈍っているから、ブランクサムへいって何をなすべきか指図してもらうのが、もっともよいということに気がつきました。母にそのことを話してみると、母は独りでも寂しくはないと申しますし、妹はよく眠っています。どこを捜すといったって何をするといったって、夜が明けなければどうするわけにもゆきません。そこで僕はさしあたり一番よい方法だと信じて、ここへ駆けつけてきたしだいなんです。ねえジョン君、きみはいま冷静な頭をもっているのだから、僕はどうしたらよいか話してくれたまえ。ねえエスタさん、僕はどうしたらよいと思います?」
モーダントは私とエスタとをかわるがわる見ながら、両手を大きく開《ひら》いて熱心な眼を輝かせた。
「夜が明けるまでは何もできやしない。」私が引きとって答えた。「夜が明けたらまずこのことを、ウイグタンの警察に届けなければならないけれど、それは急ぐことではありません。われわれが捜索に着手してからでよいのです。そうすれば警察への義理もたつし、また同時に、母上のご注文どおり捜索を秘密裏に行なうこともできます。山向うのフラートンが、ブラッド・ハウンドのようなよい猟犬をもっていますから、あの犬を借りてきてお父さまの足跡を嗅《か》がせれば、ジョン・ノ・グロート(スコットランド最北端にある家―訳者)まででも追跡して、必ず発見せぬということはありません。」
「だって、今だってお父さまはお困りでいらっしゃるでしょうのに、じっとして夜あけを待っているのはとてもたまりませんわ。」
「いいえ、行ってみても今からではもう役にはたちますまい。人力のいかんともすべからざる力で、お父さまは連れさられたのです。それに、行くといっても、僕たちはうっかり出ることもできません。今のところどっちの方角を捜してよいか、それらしい方角さえたちません。また、こんな暗い荒れ野のなかを彷徨《ほうこう》するのは、いたずらに疲労を招くのみです。朝までは英気をたくわえておかなければなりません。五時には夜が明けますから、もう一時間ばかりして、丘を越えてフラートンの犬を借りてきましょう。」
「ああ、もう一時間!」モーダントは嘆声をもらした。「一分間が一年のような気がします。」
「そういわずに、まあ、ソファに横におなりなさい。これからながいこと、テクテク歩かなければならないのだから、いまのうちに十分英気をたくわえておくのが、お父さまへの孝行というものです。あ、それから、お父さまから僕へと仰っしゃった包みは?」
「ここにあります。」モーダントはポケットから平ったい包みをとりだして私に渡した。「このなかには、すべての秘密を解く鍵がはいっているのでしょう。」
包みは両端にくろい封蝋《ふうろう》をおとして、少将の徽章《きしよう》としてかねてから私の知っていたはげたか《グリフオン》の飛翔《ひしよう》する形をあらわした封印で封がしてあった。そうしてそのうえを再び、幅の広いテープでからげてあった。ポケット・ナイフでテープを切ってみると、表には「ジェ・フォザギル・ウエストどの」として、その下に「バス勲《くん》三等、ヴィクトリア十字章、元《もと》インド陸軍少将ジェ・ビ・ヘザストンの失踪《しつそう》または死亡せるとき、上記紳士に手交さるべきものとす」と小さく割註《わりちゆう》が入れてあった。
いよいよ私たちの生活に、暗いかげを投じていたあの秘密の分かるときがきたのだ! いま正に私の手に、その秘密をとく鍵を握っているのだ。ふるえる指さきで私は封をきって、うわ包みをといた。一通の手紙と、色のあせた紙の一束がなかから出てきた。私はランプの芯《しん》を出して手もとへ引きよせながら、まず手紙のほうから開けてみた。日づけはきのうになっていて、内容はつぎのようなものだった。
若きウエスト君へ――
老生は一再ならず話題にのぼりたる例の件に関し、貴下のいだかれたる好奇心の、きわめて自然なるを認める。従って十分の説明をなして、貴下のご満足を得たきが老生の本心ではあったなれど、とくに貴下のためを考慮して思いとどまった。これ、老生の悲しき経験によりて、必ずきたるべきは明らかなれども、これを避くるに手段なく、またわれより進んで飛び入らんことも不可能なる不幸の破滅を、手を空しゅうして日夜待つことのいかに堪えがたく、いかに苦しきかを知れるがゆえである。貴下が老生を遇するにきわめて自然なる同情の念と、ゲブリエルが父としての尊敬の念をもって臨まれたるは、当事者として老生のもっともよく認識し、かつまた大いに感謝せるところなれども、それがため貴下にしてもし、老生が恐るる運命の漠《ばく》たるがなかにただ一事、あまりに絶望的なることのみ判然たるを知りたまわば、貴下の心中必ず不幸多からんを信じたればなり。老生は貴下の胸中をかき乱すを欲せず。これ老生がある種の犠牲をはらいてもなおかつ沈黙をまもれる所以《ゆえん》なりとす。されど諸種の状況、とくに今朝貴下の語られたる僧侶《そうりよ》の来着うんぬんの件は、いよいよ最後の復讐《ふくしゆう》の近かるべきを老生に教えたり。老生は何故に冒罪後《ぼうざいご》四十年のながきにわたる生存を許されたるや、判断に苦しむものなるが、あるいは老生の運命を支配するものが、かくするをもって最大の刑罰《けいばつ》を与うるものなりと信じたるがためならんか? 夜も日も、一時間として老生は苦しみを忘れたることなし。支配者の呪《のろ》われたる警鈴はじつに四十年のながきにわたりて、老生に凶兆《きようちよう》を告ぐるをつづけ、運命の逃《のが》るるに道なく、彼らの魔手のおよばざるところは、この地上に求むべからざるを告げたり。おお平和! 死は何ものにも勝《まさ》りてめぐまれたる心の平和である! 来世がいかがあらんとも、老生はかの呪われたる声を逃《のが》るるのみにて満足せん。
何によって老生は呪いをうくるに至りたるか? ことは一八四一年十月五日に源《みなもと》を発す。
されども、グーラブ・シャアを死にいたらしめたる当時の事情を、ここに改ためて書きつづる必要はなからん。老生はふるき日記帳の数葉をひき裂きてここに封入したれば、それによりて貴下は偽わらざる事件の内容を知られなん。また参考としては砲兵隊長エドワード・エリオット卿《きよう》の「スタ・オヴ・インド」紙によせたる談をご覧に入れん。もっともこれは当時匿名にて掲げられたるものなることを申しそえおかん。
当時インドをよく知れる人人のあいだにも、エドワード卿のこの文章を目して事実にあらず、卿の空想に出でたるものにすぎずとなせるものも少なからざりき。されど事実の然らざるは、別紙によって貴下も了解せらるるところならん。同時に、わが欧州文明に未だ知られざる神秘的魔力を、東邦人の有することを認められん。
愚痴《ぐち》や泣きごとは老生の欲せざるところなれども、現世において老生が貧乏くじを引きたるは事実ならん。冷静に考うるときは、老生は元来理否を弁ぜずして人命、ことに老いたる者の生命を断つがごとき人物にあらず。されど、気質は元来短気にして片意地、熱すれば狂者に等しく自己の行為の善悪をも弁ぜざる性質なりし。グーラブ・シャアも、その背後において土族の再挙をはかりつつあるを見ざりせば、老生はもとより伍長《ごちよう》にしても手は下さざりしならん。――みなかえらざる古き話なり。今日《こんにち》これを論じて何の得るところやある。願わくば人をして再びかくのごとき悪運を招かしむるなかれ!
老生は貴下ならびに、本件に関して幾分の興味をもつならん人人の便宜を思いて、日記には簡単なる説明を附加したり。
さらば! ゲブリエルがためよき配偶たれ! もしエスタ嬢にして、老生がごとき呪われたる家庭の一員たるの勇気あらば、その貴き意志を遂げしめよ! 山妻がためには不自由なきだけのものを残しおけり。山妻が死後なお残れるものあらば、二人の子女に等分せしめよ。
最後に、老生の最期を聞かば必ず悲しむことなく、老生がため祝福されんことを!
不幸の友  ジョン・バーシア・ヘザストン
私は読みおわった手紙をすてて、秘密の鍵なる青いフールスカップをとりあげた。丈夫にとじた帳簿からむしりとったものとみえて、紙の一端はぎざぎざで、まだねばつくゴム糊《のり》がついていた。本文はインキのいろがいくらか褪《あ》せていたが、第一ページの余白に、ずっと後になって書きくわえたらしく、太い明瞭な書体でつぎのごとく書いてあった。
「一八四一年秋、ツール谷におけるジェ・ビ・ヘザストン中尉の日記」
それからその下にやや小さな字で、
「本章は同年十月の第一週における二三の事件ならびにテラダ山峡の戦闘およびグーラブ・シャアと称する人物の死を述べたり」
私はこの日記を原文のまま、ここに引用しようと思う。もし日記のなかに、事件とは直接関係のないことがあるじゃないかという人があったら、切ったり接《は》いだり細工をするよりも、与えられた原文のままを採録したほうがよいと信じたから、そうしたのであるとだけ答えよう。
一五 ヘザストン少将の日記
一八四一年十月一日、ツール谷にて――今朝ベンガル第五連隊および第三十三女王連隊戦線にむかって通過す。ベンガル隊と食事をともにした。フランシスおよびビーンと称する二個の半狂人によりて、女王陛下《へいか》の身辺を窺《うかが》うの不祥事ありたる由の、最近の情報内地より届く。
今年の冬期はよほど寒いらしい。連峰の雪線が千フィートも下へさがってきた。けれども山越えの路はまだまだ当分は通過できる。たとえずっと寒さが加わり、交通がまったく杜絶《とぜつ》したとしても、我軍は各地に多数の食糧庫を設置したから、ポーロック軍はもとよりナット隊にしても、給与に困ってエルフィンストン軍のごとき運命に陥《おちい》ることはあるまい。あのような悲惨事が二度とあってたまるものか。あんなことは一世紀に一度でたくさんだ。
谷の入口からロタール河に架したる木橋まで、二十マイル以上にわたる兵站線《へいたんせん》守備は、砲兵隊のエリオット中尉と余との責任である。河の対岸はライフル銃中隊のグッドイナフ中尉の責任、両隊のうえに工兵中佐シドニ・ハーバートが指揮権をもっている。
所定の任務に服すべく我隊は兵力不足をつげている。余は連隊の兵員中一中隊半と、べつに土民騎兵よりなる一個中隊を有するが、騎兵は岩石地帯ではさらに役にたたぬ。エリオット隊は砲三門を有するが、多数の兵員がコレラでやられているから、有効砲数は二門も怪しかろう。(備忘、コレラ妙薬とうがらし――試験したり。)
輸送隊はいずれも護衛兵を有してはいるが、その兵力たるやほんのまじないほどの少数であることが多い。この附近の山地はアフリディス族やパサン族の土人が住んでいるが、彼らは熱狂的仏教徒であるくせに、盗心がすこぶる強い。したがってわが輸送縦列を何時《なんどき》おそうかも分からない。兵力の手うすを狙《ねら》って略奪して山上へ逃げのぼられたら、余らにはちょっと手が出せないのである。彼らの実行を躊躇《ちゆうちよ》せるは、ただ余らの兵力いかんの問題のみである。
もし余の一存でできることなら、余は各谷の入口に哨兵《しようへい》を出して警戒につとめたい。彼らは顔をみても悪魔のごとく鈎鼻《かぎばな》で唇《くちびる》が厚ぼったく、髪はぼうぼうとのびて、気味のわるい笑《え》みを浮かべている。
本日前線より何ら情報なし。
十月二日――何がなんでもハーバート中佐に一個中隊の増兵を乞《こ》わねばならぬ。この調子では土民の襲撃をうけたら兵站線の連絡はかならず中断されてしまうだろう。
現に今朝十六マイルをへだてたる二地点より、土民襲来の兆ありとの各別個の情報に接した。一方へはエリオット中尉が砲一門と土民兵とを率いて急行し、一方へはとりあえず余がみずから歩兵を率いて急援に赴いたが、いずれも誤報であったと判明した。もっとも余のほうではジェゼール銃の狙撃《そげき》を少しうけたが、敵は山中に忍んで姿をみせず、ついに逸してしまった。憎き奴《やつ》だ。捕えたらけっして容赦はしない。グラスゴーの判事さまの前へ出たスコットランドの家畜盗賊ほども弁解の時間を与えてやりはせん。とにかく誤報にもせよ、こうして頻ぴんと暴動の報告のくるのは、決して無意味に聞きながしてはならぬ。その裏面に、彼らが結束して何ごとかをなさんと計画しつつあるのを物語るものでなければならない。
しばらく前線から情報がこなかったが、本日後送の負傷者が通過したので、聞けば、ナット隊はグズニを占領したる由。いくらか敵兵を痛撃してくれたかしら?
ポーロック隊の情報さらになし。
象砲兵一個中隊パンジャブより来る。きわめて元気。なかに負傷快復して原隊に復するもの多数便従していたが、知った顔は少なかった。驃騎兵《ひようきへい》のモスティンと、チャーターハウスの学校時代に下級にいたことがあり、一別以来絶《た》えて会わなかったブレークスリがいたのみ。十一時まで戸外にてポンチ誌を読み葉巻をふかす。
本日デリ市のウイリス商会より、かねて請求書をよこしていた少しばかりの勘定の件に関し手紙きたる。戦争は俗務を忘れさすものだと思う。手紙で請求申しあげてもお支払いくださらねば、このうえは自身直接参上いたすほかないと書いてある。来られたら来るのもよいが、わずかの金のためにこの戦地へ来らんという彼は、よほど勇敢で商売熱心の服屋といわねばなるまい。早速送金してやろう。
十月三日――本日戦線より一大快報きたる。マドラス騎兵隊のバークレーが伝騎をとばして来たのだ。ポーロック隊が先月十六日、大勝利をもってケーバルに入城したのだという。そのうえセール夫人がシェクスピアによって安全に救出され、その他の人質もそれぞれ取り戻したる由。万才! これで溜飲《りゆういん》がさがった。このうえはポーロックが女どもに遠慮することなく、ズバズバやってくれればよいと思う。あんな町は焼きはらって、塩でも撒《ま》いてしまえばよいのだ。ことに王邸と宮邸(インドに駐在するイギリス代表者の官邸―訳者)とがそうだ。そうしてバーンズ、マクネーテン以下の奸族《かんぞく》に、罪の恐ろしさを思い知らせてやるがよい。神は称《ほ》むべきかな!
しかし考えてみると、ほかのものが功名をたてている間に、一方は晏如《あんじよ》として山間に無為の日を送るは、脾肉《ひにく》の嘆にたえぬ。余はつまらぬ小競合《こぜりあ》いに終始して、この光栄ある戦闘にはまったく局外者だったのだから、情《なさけ》ない。しかし、まあ、ここにも今になにか機会はくるだろう。
本日土民兵中尉が一名の土民をつれてきたから尋《き》いてみると、土民は輜重隊《しちようたい》襲撃の目的をもってこの地より北方十マイルなるテラダの峡谷《きようこく》に集合しつつある由。この種の情報はむやみと信ずるわけにゆかぬが、それでも今度の話しだけは幾分事実であるかも知れぬ。こういう男をそのまま放置するときは、二重の裏ぎりをして、わが軍の行動を敵に内通されるおそれがあるから、射殺してしまおうとしたけれど、それにはエリオット中尉が反対した。
戦争するからには、あらゆる機会を逸してはならない。余は微温的処置を憎む。この点に関しては、アイルランドのクロムウエルを除けば、イスラエルの子たち(ユダヤ人のこと―訳者)のみがそうした徹底的の戦争をやった人間だと思う。で結局、この男を当分監禁しておき、もしこの情報にして嘘《うそ》だったら、銃殺するという折衷《せつちゆう》説により和解した。とにかく余の衷心よりの望みは、わが隊の力量を示すべき機会さえくれば、それで満たされるのだ。
戦線へいっているものには、バス勲《くん》三等がドシドシゆき渡るだろう。それに引きかえ責任と苦労のたえぬ後方勤務にあるものには、余香をも与えられはしまい。それではあんまりだ。
このまえの輜重隊《しちようたい》がソースの大行李をおいていったが、ソースだけで、それをつけて食うべきものを残してゆかなかったから、もてあました挙句土民兵に与えたところ、彼らは水のみに汲んでリキュールか何かのように、ガブガブとうまそうに飲んだ。一両日のうちには再び大輜重隊がのぼってくる由。エリオットは〓疽《ひようそ》ができた。
十月四日――あの土民のいうことはどうやら事実らしい。今朝同じように、テラダへ土民の集合していることを報じてきた間諜《かんちよう》が二名ある。例のジーマウンが頭目だという。余は彼に中立を条件として、望遠鏡を与えるように政庁に進言しておいたのだったが、なアにこうなったらもう、望遠鏡などで手なずける必要はさらにない。一戦のもとに叩《たた》きつぶしてくれよう。
明朝輜重隊が来る由。それまでに敵を撃破するを要する。要するに敵は戦勝なんかはどうでもよく、略奪をやりたいだけなのだ。そこで余は名案を着想した。エリオットに話したところ、大賛成だった。占めた! これがうまくゆきさえしたら、じつに未聞の妙味ある戦略というものだ。
計画は敵の裏を掻《か》こうというのだ。輜重隊は南方から登ってくる。そこでわが隊は南方のある峡谷に敵がいるからそこを警戒するのだと称して、今夜のうちに出発する。そしてそのじつ余らは輜重隊と合流して、二百にのぼる兵員をその車内に潜ましめて共に引き返してくるのである。わが隊が南下したにもかかわらず、輜重隊が無警備のまま登坂してくるのを見れば、敵は安心して必ず山を降りて襲撃せんとするだろう。そこで敵を十分引きよせたうえで、にわかに打って出て一挙にこれを撃破しようというのだ。成功疑いなしである。
エリオットは砲二門を巧みに変装して、どう見ても野菜車としか見えないように準備した。輜重隊のなかに砲車があっては、たとえ砲員の姿はなくとも敵に疑念をおこさしむるは当然である。この砲車を中心にしてその前後に兵員を隠したる車、そのそとに歩兵を隠したる車という順序にすればよい。余はこの計画は秘匿《ひとく》して、前記のにせ計画を土民兵の幹部に話しきかせた。敵に知らせたい計画はできるかぎり内密に、低声に話すにかぎる。
午後八時四十五分、いよいよ出発。余らの前途に幸《さち》あれ。
十月五日――午後七時記す。大勝利! 月桂冠《げつけいかん》をいただかしめよ、余とエリオットの頭上に! 誰か余らの功績に匹敵するものぞある!
余はいま大いに疲労し、全身に鮮血と塵埃《じんあい》をあびて凱旋《がいせん》したばかりである。けれどもこの栄《はえ》ある今日の戦果をここに書きつづるまでは、それを洗う気にも、服を着かえる気にもならぬ。日記は公報ではないが、余が余の眼で見たところを書くのだ。余はエリオットが帰隊したのち改ためて作成すべき公式の報告の台本として、このペンをとるつもりであるから、ここにできるだけを詳細に記述する。世には遁辞《とんじ》と嘘と公文との三つがあるとは、ウィリアム・ドースンがよく口にしたものだが、余のこの記述には決して誇張があってはならない。
さて、余らは予定どおり出発した。そして谷のうえで輜重隊と合流した。輜重隊には五十四連隊の、兵員の少ない弱小なる歩兵が一個中隊配備されてあった。これでは土民兵の不意うちを食《くら》ったら、一たまりもあるまい。しかし余らがいった以上、もう大丈夫である。
輜重隊の指揮者はチェンバレンという若い中尉であった。余らはただちに事情を説明して、夜の明くるとともに既定計画どおり出発することとはなったが、輜重車はいずれも満載してあったから、わが隊の兵員を乗りこましむるためには、多量の秣《まぐさ》を一時おろさねばならなかった。
五時に輜重の用意を完了し、六時にはすでに一同発足していた。縦列の前進するに従って、かの報告の誤りならぬことが分かってきた。カンヴァスをかけたる車上から見ていると、〓布《はくふ》をまきたる土民の頭部がときどき岩かげに隠見して、わが隊の行動を覗《うかが》っていた。まじかまでわが隊の行動を偵察にきては、逃げさる姿もときどき見えたけれど、テラダ峡谷と称する左右とも高い崖《がけ》の続いている狭い地点へくるまでは、敵はその正体を現わさなんだ。そうしていよいよ不穏とみて、ここで隊の行進をとめると、彼らは気づかれたりとみて山上から、不正確ではあるが猛烈なる小銃火をあびせかけた。
余はチェンバレンに話して、これに応戦しつつ輜重車をすてて次第に退却し、敵を誘導するようにしてもらった。この策略はみごとに的中した。チェンバレン隊のじりじりと退《ひ》くにつれて、敵はますます勇みたち、ときどき悪魔のような喚声《かんせい》をあげて降りてきた。恐れと喜びでねじ曲げられた黒い顔、獰猛《どうもう》な振るまい、ひらひらとひらめく着もの、これらはミルトンの着想した悪魔の図を画かんとする人には、好個の参考でなければならない。(ミルトンの大作『失楽園』を指す―訳者)
右からも左からも、はや勝利は確実にわがものとばかり、隠れていた岩かげからとび出してマホメットの青い〓布《はくふ》をまいた首魁《しゆかい》を中央に、百鬼の荒ぶるがごとき勢いで押しよせてきた。
今こそ機会はきた。しかも余らはみごとにそれを掴《つか》んだ。各輜重車からは、雨のごとき銃火が密集したる賊徒のうえに浴びせかけられた。四五十のものは一回の射撃で兎《うさぎ》のごとくばたばたと倒れた。残れるものはさすがに一瞬間たじろいだが、すぐに勢いを盛りかえして首魁を先頭に、再び恐ろしい勢いで襲撃してきた。けれどもそれは無益なことだ。烏合《うごう》の衆をもってわが軍の正確なる射撃に対抗しようとは、もっての外だ。たちまち首魁はばったり倒れた。首魁が倒れると、残余のものはちょっと気ぬけの態《てい》であったが、みるみる踵《くびす》を返して手近い岩かげをさして潰走した。こんどこそは余らの攻勢をとる番だ。二門の砲は火ぶたを切った。ブドウ弾が敵の頭上に注《そそ》ぎかけられた。歩兵は輜重車から躍りだして突進し、手あたり次第に狙撃し、突きさした。
かくのごとく急激に、しかも判然と両軍の形勢逆転した例を余はしらない。はじめは勝ちほこっていた敵軍は、わが軍の一斉《いつせい》射撃にあってまず乱れ、ついでわが軍の逆襲するに及んで、蜘蛛《く も》の子を散らすが如くに潰走したのである。そうしてその大部分はわが軍の正確なる射撃に倒れ、わずかに一部のものが城砦《じようさい》めざして逃げこんだのみである。しかもこれだけの大成功をおさめた以上、余は安易に彼らを見のがす気は毫末《ごうまつ》もおこらなんだ。将来のこともあるから、このうえはわが軍の赤き制服の偉力を徹底的に彼らの脳中に印象しておかなければ止まない。余は命令一下ただちに彼らを急追して、テラダの峡路へと突進した。まずエリオットとチェンバレンとに一個中隊の兵を与えて左右から援護せしめ、余はみずから部下の土民兵と少数の砲手を引率して、敵兵をして集合して勢いを盛りかえさしむるの暇を与えることなく肉迫した。
けれどもわが軍の装備が、岩山を登攀《とはん》するに適していなかったことは、大きなハンディキャップとなった。従ってある幸運のなかりせば、余らは一名の敵兵をも殪《たお》し得なかったであろうが、幸いにしてわが軍には多大なる天祐《てんゆう》があった。
はいってみるとこのテラダの峡路には、中途から分岐せる一つの枝谷があった。最初余は、慌てた敵が六七十名もバラバラとこの枝路に逃げこんだのを見たけれど、余らにはこれを追う暇がなかったので、そのまま見すてて幹線をどしどし進んでゆくつもりであったが、そのとき一名の斥候が走せもどってこの枝路がゆきどまりで袋になっているから、ここに逃げこんだものはわが軍をうち破らないかぎり、再びのがれ出る路のないことを告げた。そこで余は本隊をエリオットとチェンバレンの二名にゆずって、土民兵をひっ提げ単身この枝路へのりこんでいった。この谷は左右が切りたった断崖《だんがい》になっていて、そのあいだを一列横隊で静かに前進するのであるから、蟻《あり》のはい出る隙《すき》もないわけだ。これこそ真の袋の鼠《ねずみ》である。
左右は数千フィートの断崖が屏風《びようぶ》をたてたるが如《ごと》くに迫り、そのうえに生えた棕櫚《しゆろ》や蘆薈《ろかい》が粗毛のごとくに小さく見え、谷の底は昼なおうす暗い不気味な場所である。入り口でも幅は二千ヤードとはなかったが、進むにつれてしだいに狭くなり、いかに密集しても横隊では半個中隊の兵も通れぬまでになった。同時に日光はますます稀薄になって、巨大なる玄武岩がぼんやりして奇妙な恰好《かつこう》にみえた。もとより路のごときものはない。のみならず高低つねならずして、少しも平坦なところはない。前方に峡谷が急角度をなして曲っているところが見えたから、余は部下に命じて何時でも発火し得るよう銃を構えさせつつ静かに前進した。すると曲り角とみたのはこの峡谷の終端で、そこには大きな丸石を数多く積みかさね、そのあいだに敵は抵抗をもなしえず雌伏しているのであった。こんなものを捕虜にしてみても始まらない。といって逃がすわけには、もとよりゆかぬ。ただ掃蕩《そうとう》してしまう一途あるのみだ。
余はみずから先頭にたって、頭上に剣をうち振りながら躍進した。するとそのとき、ロンドンにいたころドルーリ・レーンの舞台で一二度見たことはあったが、いかにも拵《こさ》えものじみて、こんなことが実際にあるだろうかと疑ったような留め男が現われた。というのは、丸石のそばの崖《がけ》の根がたに野獣でも住んでおりそうな小さな洞窟《どうくつ》があったが、その暗い洞窟のなかから、いきなり一人の老人がとびだしてきたのである。老人も老人、余が今日《こんにち》までに見たいかなる老人も、これにくらべたら赤子に等しいと思われるような、大時代つきの老人である。髪もひげも雪のごとく白く、いずれも腰のあたりまで伸びさがっている。顔はといえばまっ黒で、しわだらけで骨ばって、まあ猿と木乃伊《み い ら》との混血である。手足をみれば骨と皮ばかりに痩せほそって、これでも生きているかと疑われるばかり、マホガニの木像に二個のダイヤを象眼したるがごとき、不思議にもらんらんと輝やいている眼を見なんだら、誰でも死骸《しがい》としか思わなんだであろう。
この老人は洞窟からとびだしてくると、いきなり余らの面前に立ちふさがって、奴隷《どれい》のまえに立ったる帝王のごとくに、傲然《ごうぜん》として手をうち振りながら、雷のごとき声で咆哮《ほうこう》した。しかもそれが、洗練されたる英語であった。
「血に汚れたるものよ! ここは祈祷《きとう》と瞑想《めいそう》との浄界である。殺人の場ではない。控えろ! 然らずんば神罰をうけるであろう!」
「どけ、老いぼれ!」余は一喝した。「邪魔だてすると自分の身が危いぞ!」
この老人が現われると、敵はにわかに勇気を回復してきたかに思われた。同時に余の部下の土民兵中にも、畏縮《いしゆく》して尻《しり》ごみを始めたものがあった。余はわが成功の最後のページを飾るには、今は一刻の躊躇《ちゆうちよ》もならぬことを認めた。そこで部下の砲兵(これは白人である)を従えて躍進した。するとかの老人も同じように、あたかも余らをさえぎるように両手をひろげて進んできた。が、もうそんなものに構ってなぞおられぬ。余は長剣一閃《せん》、老人に斬《き》りつけた。それとほとんど同時に、砲手の一人が携えていた騎銃をもって、老人の前額部に一撃を加えた。老人はばったりと倒れてしまった。するとこれを見て敵はアッと世にも恐ろしき声をあげて叫んだ。同時にそれまで浮き足だっていた余の部下の土民兵は、にわかに士気を回復してくれたので、それからあとの始末はなんの造作もなかった。ある限りの敵兵は一人も残らず鏖殺《おうさつ》してしまった。
ハンニバルといえども、シーザーといえども、今日の余のごとき奇勝を博しえたであろうか? それに引きかえわが軍の損害は、わずかに戦死者三名、負傷者約十五名という少数である。
事後余はかの老人の死体をさがしてみたが、なぜか消失して見あたらなんだ。彼の死は彼自身の行動の報いである。バカな留めだてさえしなければ、死なずにすんだものを、気の毒といえば気の毒でもあるが、身から出た錆《さび》でやむを得ない。故国の巡査のいい草ではないが、「公務妨害の罪」だから止むをえないのだ。
間諜《かんちよう》の言によれば、この老人は名をグーラブ・シャアといって、仏門の最高位にある聖者の一人で、予言者として奇跡の行者《ぎようじや》として、地方一般の尊崇渇仰《そんすうかつこう》を一身に集めていたのだそうである。さてこそ彼の最期を見て、敵はあの慟哭《どうこく》をなしたわけか。とにかく紀元一三九九年かの帖木児《タマルレーン》が大軍を率《ひき》いてこの地を通過した際、すでにこの洞窟《どうくつ》に住んでいたという迷説《めいせつ》さえあったという。
余は洞窟の内部へはいってみたが、どうしてこの中に人が住んでおられたか、不思議でならなんだ。余らならば一週間とは命が保つまい。内部は高さ四フィートをあまり出ず、じめじめして不愉快をきわめている。木の腰かけと粗末なテーブル一基に、象形文字でなにやら書きつづった羊皮紙の山積とが内部にある品物の全部である。彼は行ってしまった。今ごろはあの世で余らの唱道する平和と文明こそ、彼らの異教的信条の何ものにもまして、優れているのだということを覚っているだろう。
エリオットもチェンバレンもついに、敵の主力を逸してしまった。――余の予想どおりだ――したがって今日の功名は余の独占するところとなって、余はこれがため進級は疑いあるまい。そして官報に何らかの方法で名が出るのだ。顧みれば何という幸運だったろう! これというのもジーマウンが反旗をひるがえしてくれたがためだから、余は彼が生きてさえいたら、いつでも望遠鏡くらい買ってやるのだが……
ああ、空腹を感じてきた。何か食べなければ眼がくらみそうになった。栄誉は最上のものなり、されど人は栄誉のみにて生くるものにあらず――だ。
十月六日――午前十一時しるす。余は心を静めて、昨夜の事件をできるだけ正確に記述しなければならぬ。余は生来幻覚など見たることはない。夢さえあまり見ぬくらいである。従っていまここに記述せんとするがごときことは、もし他人が話すのを聞いたのなら、とうてい事実とは信ぜられぬであろうが、現実にこの眼をもって見とどけたことであるから、自信をもって事実であると主張する。余といえどもあの警鈴を聞かなんだなら、現実とは信じかねたであろうくらいだ。が、とにかく話は進めなければならぬ。
昨夜はエリオット中尉が余のテントにきて、十時ごろまで静かにタバコを楽しんでいた。中尉が帰ると余は土民兵中尉を従えて巡察に出で、異状なきを認めて十一時ごろにテントへと帰ってきた。そうして直ちに臥床《がしよう》して、終日の戦闘で全身綿のごとく疲労していたので、すぐにうとうとしかけた。すると、かすかな物音がしたように思ったので頭をあげて見まわすと、テントの入口に東洋風の服をまとうた男が立ってるのが見えた。じっと動きもしないで、恐ろしい顔つきで余をにらみおろしている。
最初余は、土人が余を刺さんとして忍びこめるものと思ったので、直ちにベッドからとびおきて防禦《ぼうぎよ》せんと思ったのであるが、どうしたものか体がまるで動かない。あの時はたとえ短剣を胸もとへ突きつけられても、はね起きてそれを防ぐだけの力はなかったと思う。蛇に見こまれた鳥が竦くんでしまうのは、ちょうどこうした気もちなのだろう。余は気だけは確かであるが、どうしたものか体は寝たきりでまるで動かないのである。
変に思って余は、一二度眼をつぶれば幻《まぼろし》などたちまち消えてしまうだろうと思ったが、何どやってみても、眼をあけると同時に怪しき男の姿が戸口のところに見えた。いつまでも沈黙をつづけていると恐ろしくなるものだ。とにかく口だけでも元気にやらねばならぬと思った。余は元来神経やみではない。けれどもどうしたことか口までが強《こわ》ばって、どこから来た何ものであるかということを尋《き》くわずか数語を発するにすら、非常な努力を要した。
「ヘザストン中尉、」と彼はきわめて厳粛なるおもおもしい語調で口をきった。「今日《こんにち》なんじは人類の犯し得るもっとも憎むべき冒涜《ぼうとく》をなした。汝《なんじ》は世にも尊き聖者をその手で殺した。われらの長者、汝が重ねた月の数よりも多い年を精進《しようじん》してこられた尊き聖者をその手で殺した。しかも今や難行の功なって幽幻なる仏《ぶつ》の奥義《おうぎ》をきわめ、衆生を済度《さいど》されようとしていたおりに! しかも力なく救いなきものに代って助命を乞《こ》われているところを、一言の挨拶もなく汝は手にかけた。ジョン・ヘザストンよ、よっく聞け!
そもそも数千年の昔、わが教義《おしえ》の初めて世に知られたりしころ、学者たちは高遠なる内部生命の神秘を解くべく、あまりにも人の命の短かきを知って長嘆息をもらした。ここにおいてか学者たちはまず、当面の問題として自己の生命延長ということに全精力を傾注した。
かくして自然の神秘の蘊奥《うんおう》を極めることによりて、学者たちは病気と自然老衰とにはうち勝つの力を得たのであったが、世におのれよりも勝れて智あり気高きものを亡ぼさんとする愚人の暴力のみは、いかんともする能《あた》わなかった。愚人の暴行を防ぐべき直接の方法はなかったのであるが、ただ間接に、幽玄術により、暴力には覿面《てきめん》に恐るべき復讐《ふくしゆう》の与えらるることを広く知らしめて、ともかくも目的は達成されたのであった。
この掟《おきて》のみは絶対に曲げられることがない。難行によって一定の高徳に達したる聖者を衂《ちぬ》りたるものは、必ず死を免《まぬ》がれぬこと今日《こんにち》とても変りはない。ジョン・ヘザストンよ、汝はいまこの掟にふれたのだ。帝王といえどもこの罪のみは許されない。ただここに汝がため一縷《る》の望みともいうべきものがある。それは何か?
往時にありてはこの掟は、一瞬の猶予もなくとり行なわれたのである。冒涜者はその現場において落命したのであるが、その後かくては罪あるものに、その罪の恐ろしさを思い知らしめること能わざるの不便あるにつき、即座には殺さぬ定めとなったのである。すなわちその場合には、犯されたる高僧の第一の高弟の手に万事は委《ゆだ》ねられ、高弟は幾年なりともその欲するがままに刑の執行を延期し、幾年かの後その月その日にこれを行なうこととなったのである。
何故にその月その日を期して罰を加えるか、それは汝の知るを要せぬところだ。ただ汝の殺したのがグーラブ・シャアと申さるる聖者であること、三人の門弟中わがみが最年長であるの故をもって、汝を裁くことになっておることのみを心得おれば足る。くれぐれもいうが、これはすべて私事ではないのだ。修業の途上にあるわれらに、さる閑暇はない。炳《へい》たる掟である。汝を許す力はわれらにもないのである。おそかれ、あるいはまた早かれ、われらは必ず汝のもとに現われて、汝の断ちたる生命の代償として汝の生命を求めるであろう。
かの憎むべき兵士スミスのうえにも、同じ運命が降りかかるであろうこと、いうを待たぬ。罪は汝よりも軽くはあるが、彼も仏に選ばれたる人にむかって銃を向けた男であるからだ。もし汝が生命ながらえば、そは単に汝が罪障の深さを思い、罰の恐ろしさを十分に思い知らしめんがための生命と思え。汝もしそを忘るることもあらんかを思い、われらはときどき警鈴をもって汝の記憶をよびさまさしめるであろう。汝この警鈴を聞かば、何ごとをなしいずれの地へゆくとも、汝はグーラブ・シャアの門弟の手より逃《のが》れいずる望みなきを心に銘ずるがよい。
さらば、汝はその日まで再びわれらを見ることはあるまい。それまではただ恐れよ。死より恐ろしき恐れをおそれよ。」
いい終って怪しい男は、おどかすように手を振ったかと思うと、テントのそとへ滑り出てしまった。怪しい男が出てゆくと同時に、それまでつづいていた余の一時的不随意はさらりと直ってしまった。余は跳ねおきて、戸口からそとを覗《のぞ》いてみた。五六歩さきに一名の土民兵が、歩兵銃にもたれかかるようにして立っている。
「バカ!」余はまずインド語でしかりつけた。「なんだってあんな男をおれのテントへ入れるんだ?」
「誰かはいってゆきましたか?」歩哨《ほしよう》は驚いて余の顔をみた。
「いま来たじゃないか、たった今だ。お前が誰何《すいか》せぬはずはない。」
「中尉どの、それは間違いではございませんか。」歩哨はていねいに、だが断固としていった。「私は一時間まえからここに立っておりますが、中尉どののテントには誰もはいりも出もいたしません。」
歩哨の様子でその話の嘘でないのは明らかだった。余は当惑しきってベッドのはじに腰をおろし、戦闘で神経を疲れさせたため幻をみたのだろうかと考えこんでいると、驚くべきことがもちあがった。余の頭上にあたって突然、チリチリという、まるで空のコップを釘《くぎ》でたたくような音が――もちろんもっとずっと大きな音だが――聞こえたのである。余はすぐに上をみた。けれども何もあるわけがない。
余はつづいてテントのなかを隈《くま》なく調べてみたけれど、そんな音を出しそうなものは何一つ見あたらなかった。そのうちに疲れて、不思議は不思議で調べるのは思いきり、ベッドのうえに長くなって再びふかい眠りについた。
けさ眼のさめたとき、余は前夜の不思議なる事件を想起したが、あり得べからざることなので、すぐに否定し去ろうとした。けれどもその考えはすぐに捨てなければならなかった。というのは、余が起きあがらんとする時、ゆうべの怪音そのままの音が耳もとで聞こえたからである。なんの音だろう? どこから来るのだろう? 余にはどうしても分からなかった。あの男のいったことは、夢でも幻でもなかったのか? この音が警鈴とかいうやつなのだろうか? バカな! そんなことがあるものか――と余は自分を叱《しか》ってみたが、それにしてもあの男のいったことは、いかにもはっきりと脳裏に残っている。
以上余はかの男の言葉を、できるだけ正確に書きとめたつもりであるが、なにか重大なことをたくさん漏らしているような気がしてならない。それにしてもこれが事実だとすれば、この事件はどう結末がつくのだろう? 余は宗教と聖水の研究をやらねばならぬと思う。
チェンバレンとエリオットにはなにも話さないである。何も知らぬ二人は余をみて、今朝は幽霊のごとき顔をしているといった。
夜記す――グーラブ・シャアを銃床で一撃した砲兵隊のルーファス・スミス砲手の様子いかにと注意した。彼も余と同じ経験をしたらし。怪音も耳にしたらし。これはいったい何を意味するのか? 余は頭が混乱してきた。
十月七日――
十月八日――
十月九日――
十月十日――ああ、万事休す!
これで少将の日記はひとまず終っている。七日から九日までの三日間はまったく白紙で、十日になって突然、ああ万事休す! と書いてあるのが、千万言の説明よりも雄弁に少将の恐れ、神経の悩みを物語っていた。この日記にはべつに、最近少将が書きつづったらしい追加がピンでとめてあった。その分つぎのごとし――
「あの日より今日《こんにち》にいたるまで、日となく夜となく、余はかの恐るべき警鈴を逃《のが》れたることなし。慣《な》るるも恐ろしさは毫《ごう》も減ずることなきのみか、年とともに体力も気力も弱まりたるをもって、恐ろしさはかえって年年増すのみなり。
余はいまや心身ともに破れたり。余は日夜興奮状態をつづけ、つねにかの怪音を耳にし、この世においては何の楽しみも、楽しみを得べき希望すらなき日月を送れるなり。誓っていう、余は死を毫末も恐るるものにあらず。しかもなお毎年十月五日のめぐりくるごとに、いかなる恐ろしきことや起こると、恐怖に捕えらるるなり。
余のグーラブ・シャアを殺してより、四十年の歳月は流れたり。四十回にわたりて余は死の恐怖を――その彼岸に天国の楽園は存するとはいえ――経験したり。いかなる最期を余はとぐる運命なるや、知るべき手段もなし。余はみずからこの僻辺《へきへん》の地に拘禁の生活を営めり。しかも怯《おび》ゆる心の命ずるがままに、周囲にながき牆壁《しようへき》を築きたりといえども、冷静に考うるときは、かくのごとき児戯的手段をもって何かせん。余はすでに老いたり。来たれ怪魔よ、今にして来たらずんば、「自然」の先鞭《せんべん》をつくるところとなりおわらん。
余は青酸あるいはアヘンの類に一指をも触れざりしを誇る。この方法によりて怪魔の呪《のろ》いをうち破るはいと容易なり。されど余は信ず、いやしくも現世に生をうけたるものは、自然に反抗してその命を断つがごときことあるべからず。かくいえども余は危険に身命を暴露するを毫も恐るるものにはあらず。誤解するなかれ。余はインドにありしころ、シーク及びシポーイ等の戦闘において、死を恐れざること何人《なんぴと》にも劣らざりき。されど「死」は余を捕えざりき。多くの前途春秋に富む有為の戦友は拉《らつ》し去りたりしも、余のみはひとり最後まで生還して、名誉と勲章とをもたらしたるなり。されど名誉勲章ひっきょう何するものぞ!
思うに、かく幾度となく生死の巷《ちまた》を往来して、ついに死を得ること能《あた》わざりしは、これ単なる偶然にあらず。必ずや何らかの深き意義の伏在するあらん。
ただ神は余に与うるに貞節なる妻をもってし、余を慰めたまえり。妻には結婚前余が秘密のいっさいをうち明けたるに、気だかくも彼女は進んで余が運命の一半を担《にの》うべしといえり。而《しこう》してじっさい余は彼女がために、重荷の一半を降せる思いをなしたり。されどもそれがため彼女の生涯が、少なからざる打撃をうけたるはじつに同情に値す。ああ!
二児はまた少なからざる慰安を余に与えたり。モーダントは大体の事情を知れるがごとし。されどもゲブリエルには、余らは何ごとも秘めおきたり。ただ何事かあるらしきことのみは大体知れるがごときも、余はこれをいかんともする能わざりき。
この手記の、ストレンラの医師ジョン・イースタリング氏に呈示さるるは余の希望するところなり。氏は一度例の警鈴を耳にしたり。氏にして余が悲しき経験の内容を知られなば、世にはわれら英人の知らざる神秘的事象のあまた存在するなりといえる余の言の偽りならざるを知られなん。
ジェ・ビ・ヘザストン
私がこの驚くべき説話を、熱心なる傾聴者エスタとモーダントを前にして読みおわったときは、夜もほのぼのと白みかけていた。窓をあけてみると、星がしだいに光りを失なって、東の空がうす白くなっている。犬をもっているという百姓は、二マイルばかり離れたところにいるのだから、もうそろそろ出発してよい時刻だ。私たちはエスタに、好きなようにこの話を父に話しきかせるように頼んでおいて、ポケットに少しばかりの食物を突っこみ、思い出多い首途《かどで》を出発したのであった。
一六 底なしの穴
東は白んだといっても、野の路はまだ暗くてよく見えなかった。それでも進むに従ってしだいに明るみがさしてきて、フラートンの小舎についたころには、すっかり夜が明けはなれていた。
訪ねてみるとフラートンはもう起きて、ごそごそやっていた。ウイグタン地方の農民は朝がじつに早い。私たちはできるだけ手短かに用件を話した。すると彼は礼金のことについて相当の掛けひきをやってから――スコットランドの人間はいつでもこれを忘れたことがない――犬を貸すばかりじゃなく、自分もお供をいたしますといった。
モーダントは事を秘密にしたいところから、人間のお供をつれるのは嫌《いや》がった。けれども私たちは、前途にどんなものが横たわっているか分からないのだから、この際つよい男が一人くらいいるということは、どんなに役だつかも知れないことを説いて納得《なつとく》させた。それに犬だって飼い主がいなければ、私たちだけでは十分に使いこなせないかも知れぬ。結局私の説がとおって、二足と四足の供を一つずつ連れることになったのである。
二足と四足といったが、じっさいこの二人――いや一人と一匹とは似たところがあった。フラートンは黄いろい髪の毛とひげのもじゃもじゃした男だし、彼の犬は不揃《ふぞろ》いにもつれた毛の長い犬で、まるで粗麻《そま》をまるめて生命を吹きこんだような感じだったから。
クルンバ館《やかた》へ行くみちすがらフラートンはずっと、自分の犬の利口さ、嗅覚《きゆうかく》の鋭敏さを例をあげて話しつづけた。彼によればそれはまったく奇跡的なのだそうである。けれども気のどくなことに、その話しをあまり気にとめて聞くものはなかったようだ。というのは私はさっき読んだ不思議な事件で頭のなかがいっぱいだったし、モーダントにしても険しい眼つきをして、これから解かなければならぬ当面の問題のことばかり考えていたからである。路が丘のうえの高みに達するごとにモーダントは、もしや何か手掛りでもありはしないかと、四方をきょろきょろ見まわした。けれども荒野のうえには、見わたすかぎり生あるものは動いていなかった。見えるかぎりのすべては、死と沈黙との占むるところであった。
館《やかた》での用事はすぐにすんだ。今は一刻の時もむだにはならないのだから、当然そうあるべきである。モーダントはいきなり駆けぬけて家のなかへ飛びこみ、父少将の古い服を一着かかえてきてフラートンに渡した。フラートンはそれを犬の鼻さきへ突きつけた。
犬は盛んにそれを嗅《か》ぎまわっていたが、クンクン鼻をならしながら一散に門のほうへ駆けていった。と思うとまた帰ってきて服を嗅ぎまわり、切られた短い尾を勝ちほこるように高くあげて、足跡が分かった、さあこれでよいとばかり吠《ほ》えたてた。フラートンは犬が勝手に早く走りさらないように、その首輪にながい紐《ひも》をむすびつけ、その一端をしっかりと手に持った。いよいよ一同は出発である。犬は興奮してグイグイ紐を引いた。
門を出て二百ヤードばかりゆくと、犬は道路から荒地のなかへと切れこんで、一直線に北方さして進んだ。太陽はこのときすでに地平線上へのぼって、草も木もすがすがしい香にみちていた。見わたせば左手には青い海がキラキラと光り、山は紫にかすんで、私たちは不気味なものすごい仕事をもっているのだとは考えられなかった。足跡にはつよい匂《にお》いが残っているものとみえ、犬は一回も止まったり躊躇《ちゆうちよ》したりすることなく、ぐいぐい引っぱって、話しもなにもできないほど早く走った。
そのうちに小さな小川を渡ると、犬はちょっと立ちどまって、足跡を失いでもしたように迷っていたが、それもほんのわずかの間で、すぐに元気よく叫びながら、路もない荒れ野のなかを駆けだした。私たちは三人とも足がはやく、長く走っても息ぎれのしない性《たち》だったからよかったが、さもなければほとんど腰まであるようなヒースの木のところどころに生いしげっている、路もないこの荒野のなかを気ちがいのようになった犬とは、とても一緒に走れたものではなかった。
それにしてもいったいどこへ連れてゆくのだろう? 私はあれかこれかと、いろいろに想像をめぐらしたのであった。あの三人の坊主どもは、海岸にボートでも用意していたのだろうか? そしてここからすぐにインドへと少将をつれ去ったとでもいうのだろうか? 足あとの方向は最初は湾の北端に向っていたから、この想像もまんざら捨てたものではないように思われた。けれども、ゆくうちそれは急に海岸をはなれて、山のほうへ方向が変ってきた。してみればやはり最期の地は海ではなかったのか。
十時にはもうおよそ十二マイルは歩いたろうと思われるほど歩いていた。それにここ一二マイルはウイグタンの山の長い長い坂路をのぼらされたので、ここらで一息いれなければたまらなくなってきた。それで峠《とうげ》のうえで休むことになったが、ここはもう九千フィート以上たかくなっているから、見わたすと北のほうにはじつに荒涼《こうりよう》たる土地が開らけていた。ずっと遠く地平線のかなたにいたるまで、地球成生時代もかくやと思われるような、渾沌《こんとん》たる泥《どろ》と水との混合であった。この恐ろしく大きな沼の表面には、ところどころに痩《や》せた葦《あし》の枯れたのや、青みがかった鉛《なまり》いろの水垢《みずあか》が浮いて、蕭条《しようじよう》たる光景にいっそうの気味わるさを与えていた。ずっと手まえのところに、泥炭《でいたん》を切りだしたらしい跡がある。いまは捨てられて顧みるものもないが、これがわずかに人の香りのするものといえばいえるだけで、そのほかには何一つ人類の存在を物語るようなものは見あたらない。それも道理、ここはクリイの沼と称して、烏《からす》さえ、鴎《かもめ》さえこの沼のうえは通ることをしないといわれているところである。海水がうちこんでできた鹹沼《かんしよう》の一つで、恐ろしい沼、危険な泥海のあるところとして人に知られているのだ。はいったら出られぬ底なしの沼であるから、二三の道案内を心得た農夫の案内がなければ、誰ひとりこの中にはいってゆこうとする者はない。
しばらく休んだのち、私たちは坂を降りていった。そうして沼の縁《ふち》に生えている藺草《いぐさ》のところへいってみると、よどんだ沼の表面から、流しもとの腐れ水のような、じめじめした不快な臭気がプンと鼻をおそってきた。そのいかに不気味でものすごいところであったかは、さすがのフラートンまで尻《しり》ごみしかけたのでも分かろう。私たちは代るがわる彼を説伏し、元気づけなければならなかった。けれども犬だけは、人ほどにデリケートでないせいもあるか一切無頓着《むとんじやく》で、依然として鼻を地にこすりつけるようにしながら、勇みたって前進することを止《や》めなかった。
もはや五人がここへ来たことは疑いの余地がない。やわらかな黒い土のうえに、彼らの足跡がはっきりと残っていた。足跡によれば五人は一列横隊になって、しかもおよそ同じくらいの間隔を保って進んでいる。これでみれば少将も伍長《ごちよう》も、暴力で引きずられて行ったものでないことが分かる。暴力でなく、精神的に引きずられて行ったのだ。
両がわにはドロドロの泥のうえに汚い水がよどんで、ところどころ泥のほうが水面に出ているところがあるが、そこには痩《や》せ草がじめじめと生えていた。紫や黄いろの大きな菌《きのこ》がムクムクと生え重なって、あたかも自然が不快な病気に悩んでいるため、その局部を菌《きのこ》で示しているのではないかと思われた。ゆく途《みち》のうえには、蟹《かに》に似た黒い小動物がチョロチョロと逃げまわり、かれ葦《あし》のあいだには肉いろの虫が私たちの足音に驚いて、急いで葉かげに隠れた。頭のうえには小さな羽虫が無数に飛びまわり、毒針で顔や手を刺した。私はこんな厄介なところへ来たことがない。
けれどもモーダントは、あさ黒い額に非常な決心のいろを浮かべ、黙もくとして足早に進んだ。もうこうなったら、彼とともに行くところまでゆくしかないと諦《あき》らめて、私たちはひたすら彼に従った。
進むにつれて路はしだいに狭くなってきた。そうしてついに、五人の足跡をみても一列になって歩いているほど狭くなってきた。私たちも犬をつれたフラートンを先頭に、モーダントがつづき、私がしんがりをつとめて進んだ。フラートンは沼のなかへはいりこんでから、しきりに仏頂面《ぶつちようづら》をして、話しかけても返事もしないでいたが、ここまで来るとついに立ちどまったきり、もう嫌《いや》だといって動かなくなってしまった。
「これはもういけねえだ。この路さどこへ行くだか、おらよく知ってるだ。」
「じゃ、どこへゆくんだね?」
「クリイの穴さゆくだ。もうあんまり遠くはねえと思うだ。」
「クリイの穴? それは何だね?」
「途方《とほう》もねえ大きな恐ろしい穴だ。誰も底を見たものがねえというだ。なんでもハア底なしの穴だというこんだぜ。」
「お前は行ってみたことがあるのかい?」
「行ってみるって、旦那《だんな》、どうしてクリイの穴さ行けるもんじゃねえ。おらあ行ったことねえだ。誰だってあんなところさ行こうちゅうものはねえだ。」
「じゃなぜお前はそれがここだと知っているのかい?」
「おらの曾祖父《ひいじい》さまが行っただ。それで知ってるだ。なんでもハアある土曜日の晩に、バカな賭《か》けさして、行けるかどうだちゅうもんで、とうとう行ってきたらしいだ。だがあとになっても、その話はちっともしなかっただ。クリイの穴ちゅうと恐ろしがって、どんなことがあってもその話しはしなかったちゅうこんだ。それがいいだ。あんなところさ二度と行くもんじゃねえ。おらも孫子の代まで行がねえつもりだ。悪いことはいわねえだから、旦那《だんな》がたもこんな物好きはやめにして、早く帰《けえ》ったがいいだ。まったくこんなところは来るところじゃねえだ。」
「お前が行ってもゆかなくても、われわれは行く。」モーダントがいった。「犬を貸せ。お前はここで待っていれば、帰りに一緒につれてゆこう。」
「いけねえ。そりゃいけねえだ。」フラートンは頑として叫んだ。「犬だっておどかしちゃ可哀《かわい》そうだ。ニックはおらが連れて帰るだ。」
「犬はおれが連れてゆく!」モーダントは眼をむいて叫んだ。「お前なんかにもう用はない。ここに五ポンドある。犬をよこせ。よこさないといえば腕ずくでも取って、お前は泥のなかへ叩《たた》きこむからそう思え。」
モーダントの癇癪《かんしやく》を破裂させた様子をみて、私は四十年まえのヘザストン中尉をまのあたり見るような気がした。
金と嚇《おどか》しとの威力は大であった。フラートンは片手でその金をつかんで、他の手でもっていた犬の紐《ひも》をさしだした。そこで私たちは帰ってゆく彼にかまわず、再び細い一条の路をたどって沼地の奥へとはいっていった。路はますます狭《せば》まってきて、ところどころ水をかぶっているところさえあるようになった。けれども犬はますます勇みたってくるし、五人の足跡はますます深くなってくるので、私たちはいよいよ勢いづかないではいられなかった。そのうちに高い香蒲《が ま》のなかを踏みこえるとついに、地獄篇の作者ダンテに見せたらその恐怖を新たにするだろうと思われるような恐ろしい場所へと出た。
ここは泥沼がポコリとへこんで、大きな漏斗《じようご》がたの傾斜を形づくり、中央に直径四十フィートばかりの丸い穴を抱いていた。穴は大きな渦《うず》まきであった。四方から泥の流れこむ恐ろしい泥の渦であった。これこそクリイの名によって、この地方の田舎《いなか》びとに恐れられている場所であるに違いない。何という世にも恐ろしい光景であろう。
底なし沼をとりまく傾斜地にもまだ路があった。私はこここそ少将最期の地であろうと思い、胆を冷やしながらそこを降りていった。少し降りてゆくと、上へ向って歩いて帰った足跡があった。私たちは同時にそこへ眼をおとした。そうして同時にあっと恐怖の叫び声をあげて、足が釘《くぎ》づけになったようにその場へ立ちどまった。見よ、この足跡がすべてのことを物語っているではないか!
降りていった足跡は五人で、帰った足跡は三人きりだ!
悲劇のこまかい科《しぐさ》は少しも、誰にも分からない。争った形跡もなければ、逃げようとした様子もないことだけは分かっているが、私たちは穴の縁にひざをついて、神秘の底をのぞきこもうとした。底のほうからかすかな、息のつまるような臭気が立ちのぼっている。そうしてゴロゴロというような音が、あたかも地球が腹でもこわしたかのように聞こえた。
泥《どろ》のなかに大きな丸石が半ば埋もれていたので、私はそれを堀りおこして、底まで届けば何か音でもするだろうと思い、穴のなかへ落してみたが、なんの反響もなかった。しばらく佇《たたず》んでいるうちに、ふと暗い穴の底から妙な音が聞こえてきた。甲《かん》だかい咽《むせ》ぶような音である。だが、それもほんの一瞬間で、あとは再びふかい沈黙にかえった。
私は超自然的にみえることを好まぬ。また、自然に説明のできることに、ことさら妙な理屈をつけることは嫌《きら》いである。今の音などは、穴の底のほうで水がどうかした音なのかもしれない。それとも、それともあれは度《たび》たび話にきいたあの警鈴とかいう奴《やつ》なのであろうか? それは何《いず》れでもよいが、四十年のながいあいだの借金を、ようやく返済した二人の安らかに眠るこの穴からは、この怪音を最初のかつ最後として、何一つ聞こえはしなかった。
むろんだめとは分かっておりながら、人間の勝手づくな虫のよさから、私たちは声をあわせて叫んでみなければいられなかった。けれども空しい谺《こだま》が穴の底から返ってきたばかりであった。傷ついた心を抱き、痛む足を引きずって、私たちはゆるい傾斜をのぼって引きかえした。
「モーダント君、これからどうしよう?」私は小さな声で力なくたずねた。「ただ二人の霊が安らかに眠るようにと祈るしかないね?」
「とにかくこれは仏の教えに従ったのかも知れないが、」とモーダントは熱した眼で私を見かえして答えた。「英国には英国の法律というものがある。人を殺せば死刑台にゆくのが当然じゃないか。今からでも遅くはあるまい、追跡だ! おい、こいこいこい。」
モーダントは紐を引いて、犬に三人の足跡を嗅《か》がしめた。犬は一二度それを嗅いでいたが、足を曲げ腹を地につけて、恐ろしそうに震えた。舌をだらりと垂れ、尻尾《しつぽ》を股《また》のあいだへ巻きこんでしまっている。
「それを見たまえ。」私がいった。「われわれにはてんで分からない、不思議な力をもった奴らと争うのは愚かなことだ。何ごとも諦《あき》らめるよりほかない。つぎの世には必ず、人一倍幸福な生をうけられることだろうからね。」
「そうしてこんな悪魔のような宗教なんか、つぎの世にはないだろうからね、年中人の命をねらっているような。」モーダントは憎にくしげに叫んだ。
しかし考えてみれば、最初に手をくだしたのは、ヨーロッパ人の誇っているキリスト教徒であるヘザストン中尉のほうであったのだ。あの場合は仏教徒のほうがかえって平和の主唱者であったのだ。それを中尉がむりやりに……が、私はそれを口には出さなかった。いおうものなら、ますますモーダントを激させるばかりだ。それのみか彼は、父の終焉《しゆうえん》の地をなかなか離れたがらないので、私は大いに閉口させられた。さまざまに宥《なだ》めたりすかしたり道理を説いて、ようやくの思いでクルンバへと連れかえった。
ああ、その路のいかに遠かったことよ! 多少の希望――とまではゆかなくとも、万一の僥倖を期待するくらいの気はあった来がけでさえ、いい加減遠かったのだから、その一縷《る》の望みの綱もきれはてたのみならず、かすかに心の底に抱いていた暗い影が大きくなって、恐ろしいどんづまりを見せつけられたいま、その路がいかに遠く感じられたか、想像するに余りあろう。
沼のふちで待っていたフラートンには犬だけ返して、捜索の結果については何事も語らずに別れを告げた。そうして私たちは二人きりになって、鉛のような重い心を抱き、重い足をひきずって荒野のなかを、トボトボと歩いた。トボトボ、トボトボと歩いて、わびしい荒野の中腹はるかに、クルンバ館《やかた》の冷たい運命の塔を見つけた時には、夕陽が金色の合奏に送られて山の端にはいろうとしていた。
これでこの物語りは終ったはずである。これ以上なにも記すことはない。ゲブリエルとその母にすべての結果を物語ったとき、どんな悲しみの場面が展開されたかなどについても同じである。何かあるとはかねて期するところであったろうが、そんなことくらいでこの恐ろしい結果に堪えられるものではない。ゲブリエルはそれから幾週間というもの、生死の巷《ちまた》をさまようた。エスタの熱心なる看護と、イースタリング氏の手腕とによって生命はとりとめたが、今日《こんにち》なお以前のごとき健康体にはもどっていない。モーダントもしばらくはぶらぶらしていた。そうしてこの精神的な打撃から解放されたのは、その後われわれがエディンバラへ移ってからのことであった。夫人にいたってはもっとも悲惨で、医師の力や場所の変化で快復するのではない。心身ともに徐徐に、的確に弱ってゆくようだから、夫のあとを追うのもここ数週間を出でまいと思われる。
そのあいだに私の家にも変化があった。イタリイへ転地中のブランクサムの地主が、健康を快復して帰省したので、私たちは再びエディンバラへと帰ってゆかなければならなくなったのである。これは最近のいろんな事件が私たちの心をくもらせ、見るものごとに不快な思い出とならぬはなかった折から、私たちにはかえって好都合であった。それに、ちょうどおりよく大学図書館のある重要な(しかも報酬も多い)位置にあきができて、故アレグザンダ・グラント卿《きよう》がその後任に、父を推薦してくれられたので、父は大喜びでそれを承諾することになった。
こういうわけで、私たちは出るときに引き換え、堂どうとエディンバラへ引きあげていった。こんどは家計のことも何ら心配はないが、エディンバラへ行ったのち、一家はべつの意味で離散しなければならなくなった。それは、当時私はすでにゲブリエルと結婚していたし、エスタはその月の二十三日には、モーダント・ヘザストン夫人となることになっていたからである。彼女はモーダントの良妻となる、私はゲブリエルという愛妻を得た。われわれはじつに幸福なる二組である。
こんなことは一家庭内の些末《さまつ》なできごとであるかも知れぬ。けれども私としてそれを書かないではいられなかったのだ。もとより私がこの物語りを書きつづって公にしようとした目的は、私事を公衆のまえにさらけだそうという気では毛頭なかった。ただ世にも不思議な事件の正確なる記録を残しておきたいと思っただけである。この点私は一点の誇張もなく、一点の省略もなく、冷静なる頭で科学的にやることを念じた。
で、すべてはここに読者諸君のまえに展開されつくした。このうえは読者諸君は私の助言を借りることなしに、ルーファス・スミス伍長《ごちよう》とヘザストン少将との失踪ならびに死の原因を考えてみられたい。みなそれぞれのご意見はお持ちであろう。
ただここに、どうしても私には分からぬ一つのことがある。グーラブ・シャアの高弟と称する男は、何故に少将と伍長とをクルンバ館《やかた》内で殺害することなく、わざわざ遠方のクリイの穴までも連れていったのであろうか? 行かねばならなかったのであろうか? 白状するが私には謎《なぞ》である。
それからあの不思議な術、幽玄術とかいうあの術も、われわれにはまるきり見当のつかないものである。あれをよく調べてみたら、クリイの魔の穴と神聖冒涜《ぼうとく》とのあいだには、何らかの関係が発見されるのかも知れない。彼らの儀式と習慣とが、罪の報復としてかくのごとき死を選ばしめたのかも知れないことなどとともに。
数ヵ月後に私は「スタ・オヴ・インド」紙上に、短い記事の出ているのを見つけた。――ラル・フーミ、モーダール・カン、ラム・シンの三聖僧は、デッカン丸で最近に短期のヨーロッパ旅行から帰った。――そうして故意か偶然か、そのすぐ下のところに「最近故国ウイグタンの邸宅より失踪し、たぶん溺死《できし》したるならんと称せらるる」ヘザストン少将の事績を述ぶる記事が出ていたのである。
この二つの記事のあいだに、密接な関係のあることを見ぬいた人が幾人あるだろうか? 私はそれをゲブリエルにもモーダントにも決してみせなかった。こんなものは永久に見せはしない。
もうこれ以上は書き記すこともない。読者諸君は少将が未知の顔、未知の来訪者を恐れた原因も推察されたであろう。少将は警鈴にさまされて眠られぬがままに、夜中家のなかを歩きまわったのだ。そうして恐ろしい暗黒をなくすため、各室に灯火《あかり》をつけさせたのだ。
科学は諸君に、あの東洋人のいったような神秘の存在しないことを物語るであろう。だが私ジョン・フォザギル・ウエストは断言する――現代の科学は誤っていると。
科学とは何か? 科学者のよってたかって築きあげたものが科学である。科学の真理を認めるに鈍なるは、歴史の証明するところである。科学は二十年間の久しきにわたって、ニュートンを嘲笑《ちようしよう》したではないか! その昔科学は鉄船の浮かび得ないことを、数学的には証明したではないか! 科学はかつて蒸汽船をもって、大西洋を横断し得ずと宣言したではないか!
ゲーテのメフィストーフェレスのように、わが賢明なる教授たちの十八番は「反対する」ことである。トーマス・ディディムス(キリストの弟子十二使徒の一人―訳者)が、彼の難解の語彙《ごい》に従えば、好個の「準儀」である。彼をしてひとたび自己の無欠を妄信《もうしん》するをやめしめば、そして眼を東方にむけしめば、東洋にも独特の学派があり、しかも彼とはまったく別方面よりふかく真理に探究して、あらゆる点において彼を凌駕《りようが》し、とおく数千年の先駆をなしていることに気づくであろう。
解説
コナン・ドイルにシャーロック・ホームズ以外の作品が多数かつ大量にあることは別の場所でくどくどと述べたが、この傑作集はそのなかの主要短篇十種類を千二百ページの大冊にまとめたもののうちから、一種類を一冊にまとめて訳したものであるが、ここに訳出したのは右以外の長篇を割りこませたものである。八百枚千枚の長篇のある近代的感覚からいえば、この作品はあるいは中篇と呼ぶべきかも知れないが、何枚以上を長篇とするという規約があるわけもないから、やはり長篇と呼んでおこう。原題名はThe Mystery of Cloomberである。
この作はイギリス島西南部の特殊地帯を舞台にしたもので、これはシャーロック・ホームズものの「バスカヴィル家の犬」の舞台とつらなる地方である。単に舞台が同じだというだけではなく、それ以上のつながりがこの二つの作品にはあるのではなかろうか。すなわち、「バスカヴィル家の犬」はドイルが同地方に伝わるふるい話を聞いて構成したもので、そのことはドイルが同書の巻頭に書いているとおりである。
インドには大道のお客の見ている前で豆の木だかの種をまき、見る見る生長させて花まで咲かせる不思議な術者がいるという話を、何かで読んだ記憶があるが、今でもやっているかどうか、それは知らない。とにかくインドは不思議な国である。
本作品中、今日の観点からみると差別的ととられかねない表現が散見しますが、作品自体のもつ文学性ならびに歴史性、また訳者がすでに故人であるという事情に鑑み、原文どおりとしました。(編集部)
この作品は昭和三十三年八月新潮文庫版が刊行された。
Shincho Online Books for T-Time
ドイル傑作集
発行  2001年5月4日
著者  コナン・ドイル(延原 謙 訳)
発行者 佐藤隆信
発行所 株式会社新潮社
〒162-8711 東京都新宿区矢来町71
e-mail: olb-info@shinchosha.co.jp
URL: http://www.webshincho.com
ISBN4-10-861087-2 C0893
(C)Katsuko Nobuhara 1958, Coded in Japan