イワンの馬鹿
トルストイ作/北垣信行訳
目 次
イワンの馬鹿
ふたりの老人
名づけ子
解説
年譜
[#改ページ]
イワンの馬鹿
[#ここから1字下げ]
イワンの馬鹿とそのふたりの兄弟、軍人のセミョーンと太鼓腹《たいこばら》のタラースと、唖の妹マラーニヤと、老悪魔と三匹の小悪魔の話。〈原題〉
[#ここで字下げ終わり]
昔、昔、ある国に金持ちの百姓が住んでいた。この裕福な百姓には、軍人のセミョーンに、太鼓腹のタラースに、馬鹿のイワンという三人の息子と、それにマラーニヤという唖《おし》の娘がいた。軍人のセミョーンは国王に仕えて戦争に行き、太鼓腹のタラースは商売をしに町の商人《あきんど》のところへ行ったが、馬鹿のイワンは未婚の妹といっしょに家に残って……こぶをこしらえるくらい野良仕事に励んでいた。軍人のセミョーンは高位と領地を手に入れ、貴族の令嬢を妻にした。給料は多かったし、領地も大きかったのに、暮しはいつも火の車だった。夫が金を取ってくるそばから、みんな妻が湯水のように使ってしまうため、いつも金がなかったのである。軍人のセミョーンが金を集めに領地へくると、領地の管理人の言うことには、
「金などはいって来るわけがないじゃありませんか。ここには家畜もいるわけじゃなし、農具もあるわけじゃなし、馬も、牛も、鋤も、馬鍬《まぐわ》もありゃしないんですから。なにもかも調えなくちゃなりません……そうすりゃ収入もあるわけでさあ」
そこで軍人のセミョーンは父親のところへ出かけていって、こう言った。
「おとっつあん、おとっつあんは金持ちなのに、わしには何一つくれなかったじゃありませんか。土地を三分の一ほど分けてくださいよ。わしはそれを自分の領地にくり入れますから」
すると老父が言うには、
「おまえは何ひとつうちへ入れてくれたこともねえでねえか。だのになんで三分の一なんてやれるかい? イワンと娘が気を悪くするでねえか」
そこでセミョーンが、
「しかし、あいつは馬鹿だし、妹にしたって売れ残りの唖娘ときてるんだ、あいつらになにがいりますかね?」
と言うと、老父は、
「イワンの言うとおりにするさ」と言う。
ところが、イワンはこう言ったのである。
「ああ、ええとも、取んなせえ」
軍人のセミョーンは家から分け前をもらうと、それを自分の領地に取りこんで、また国王に仕えるために、発《た》っていった。太鼓腹のタラースも金をしこたま儲けて商家の娘を嫁にしたが、やはり彼も金が足りなかったので、父親のところへ出かけていって、こう言った。
「わたしにも分け前をくださいよ」
老父はタラースにも分けてやりたくなくて、こんなことを言った。
「おまえはうちに何ひとつ入れなかったでねえか。うちにあるものはみんなイワンが稼ぎ出したものだ。やはりイワンと娘の機嫌をそこねるわけにゃいかねえよ」
すると、タラースが言うには、「あいつなんかにやったところで、なんにもなりゃしねえよ……あいつは馬鹿だから、結婚なんかできっこねえし、嫁にき手だってありゃしねえんだもの。それに、あの唖の妹にしたってなんにもいりゃしねえさ。イワン、おれに穀物を半分ほどくれねえか。農具なんかはもらいてえとは思わねえが、家畜のうちで葦毛の種馬だけはもらいてえな……あの馬はおまえの耕作にはむかねえだろう」
イワンは笑いだした。
「ああ、ええとも、行って端綱《はづな》をつけてきてやるべえ」
こうしてタラースも分け前をもらった。タラースが穀物を町へ持っていってしまい、葦毛の種馬も連れていってしまったため、イワンは年とった雌馬一頭といっしょに残って、相変わらず百姓仕事に精をだして……父母を養ってゆくことになった。
老悪魔は、兄弟たちが財産の分けあいで喧嘩もせずに仲よく別れたことが癪《しゃく》でならなかった。で、三匹の小悪魔を呼んで、こう言った。
「ほら、見えるだろう、軍人のセミョーンと太鼓腹のタラースと馬鹿のイワンの三人兄弟が暮しているのが。あいつら三人に喧嘩をさせたいところなのに、やつらは仲よく暮らしてやがる。互いに仲むつまじくやってやがるじゃないか。あの馬鹿めがわしの仕事をすっかりぶちこわしちまいやがって。ひとつおまえら三匹で出かけていって、あの三人にとりついて、やつらのあいだをかき乱して、目のむしりあいでもさせてやれ。どうだ、おまえらにできるか?」
「できますとも」と彼らは言った。
「おまえらはどういうふうにやるつもりだ?」
「こういうふうにやります。まずやつらを落ちぶれさせて、食べるものもないようにしてやってから、三人を集めていっしょにします。そうすれば、互いに喧嘩を始めるでしょう」
「なるほど、よし」と老悪魔は言った。「見たところ、おまえらは仕事をちゃんとわきまえているようだ。行け、そして三人の仲をめちゃめちゃにして来ないうちは、わしのところへ戻ってくるんじゃないぞ。そうして来なかったら、おまえら三匹の生き皮をひんむいてやるからな」
小悪魔たちは連れだって沼へ出かけていって、仕事の手はずについて相談を始めた。議論に議論を重ねたあげく(というのは、めいめいなるべく楽な仕事にまわりたいと思ったからである)、籤《くじ》をひいて、だれがだれを引き受けるかを決めることにした。そして、だれか、ほかの者より早く仕事をきりあげた者は、ほかの者を手伝いに行くことにした。小悪魔どもはさらに籤をひいて、もう一度沼に集まる(だれが仕事をしあげたら、だれのところへ手伝いに行くべきかを知るために)その期日を決めた。
期日がきたので、約束どおり、小悪魔どもは沼に集まって、みんな、それぞれ仕事の進行ぶりを説明しはじめた。軍人のセミョーンのところから戻って来た第一の小悪魔は、こう語りだした。
「おれのほうの仕事はうまくいっているぜ。あした、おれのかかりのセミョーンは親父のところへ来ることになっているんだ」
すると、仲間の者は彼にこうききはじめた。
「おまえはどんなふうにやったんだ?」
「おれはまず手始めにセミョーンにどえらい勇気をつけてやったんで、やっこさん、国王に全世界を征服してみせるなんて約束してしまったんだ。そこで、国王はセミョーンを総司令官にしてインド王の征伐に向かわせた。で、まあ、会戦ということになったわけだ。おれは夜なかにセミョーンの軍隊の火薬を残らずしめらしておいてから、インド王のところへ出かけていって、無数の藁《わら》人形の兵隊をこしらえておいた。セミョーンの兵士たちは、自分たちのほうに向かって四方八方から藁人形の兵隊がおし寄せてくるのを見ると、すっかりおじけづいちまった。セミョーンは一斉射撃を命じた。……が大砲や銃から弾丸《たま》が出ない。で、セミョーンの兵隊はびっくりして、羊みたいに、ばらばら逃げだしちまった。こうして、インド王はやつらを打ち破ってしまったわけさ。セミョーンは大変な名折れさね……領地を取り上げられた上に、あしたは処刑ということになっているんだ。ただし、おれにはまだ一日分仕事が残っている。やつを牢から出してやって、家へ逃げ帰らせるという仕事がな。あしたはからだがあくから、おまえらふたりのうちのだれのところへ手伝いに行ったらいいか、言うがいい」
タラースのところから戻ってきた第二の小悪魔も、自分の仕事の状況についてこう語りだした。
「おれは手助けなんかいらないよ。おれのほうも仕事は順調にいってるんだ。タラースはもう一週間はもちこたえられないだろうな。おれはまず手始めにやつの太鼓腹をせり出させて、やつに妬《ねた》み心を起こさせたんだ。やつは、他人の財産にたいする妬み心が昂《こう》じて、物を見るとなんでも買いたくなってきた。そして持ち金を全部はたいて、品物を大量に買いこんで、いまだに買いあさっているよ。この頃じゃもう借金までして買いだしている始末さ。そして、あんまりたくさん買い集めたんで、こんぐらかってしまって、どうにも埒《らち》があかないような『ていたらく』だ。あと一週間で借金の返済の期限が切れるんだが、おれがこれからやつの品物を片っぱしからがらくたにしてしまえば、借金が返せなくなるから、親父のところへ行くことになるわけさ」
それから、ふたりはイワンのところから戻ってきた第三の小悪魔にこうきいた。
「ところで、おまえのほうの仕事はどうなっているんだ?」
「どうもこうもないよ、おれのほうの仕事はどうもうまくいってないんだ。おれは手始めにやつのクワス(裸麦の粉と麦芽で醸造するロシア独特の薄いビール)のはいっている水差しに唾をはいて、やつが腹痛《はらいた》を起こすようにしておいた。それから、やつの畑へ行って、地面を石みたいに固めて、やつの手におえないようにしてやったんだ。これなら、いくらやつだって畑をおこしはしねえだろうと、こう思っていた。ところが、あの馬鹿め、鋤《すき》を持ってきて細かく砕きはじめやがったじゃないか。腹痛で、うんうん呻きながらもやっぱり耕してやがるんだ。で、やつの鋤をひとつぶちこわしてやると、やつは家へとってかえして、別のを直してきて、台木をくくりつけて、また耕しにかかりやがった。そこでおれは地下へもぐって、鋤の先につかまったが、どうしてもつかまっていられない……で、鋤に乗っかったところが、鋤の刃がよく切れるんで、おれは手を傷だらけにしちゃった。ところが、やっこさんはもうほとんど全部耕しちまって、あとひと畝《うね》しか残っていないんだ。兄弟たち、ひとつ来て手を貸してくれないかね。でないと、あいつひとりだけやっつけられないばっかりに、おれたちの苦労がみんな水の泡になっちまうからさ。もしあの馬鹿ががんばりとおして、百姓仕事をつづけることになったら、あの兄弟たちはなんにも困らないことになるわけだ。だってやつが兄弟ふたりを養ってやることになるからさ」
軍人のセミョーンのところから来た小悪魔はあした手伝いに行くという約束をした。そしてその場で小悪魔どもはわかれた。
イワンは休閑地を全部おこしてしまったので、あとひと畝《うね》しか残っていなかった。で、それをおこしに来た。腹は痛むのだが、耕さなければならない。彼は馬の挽皮《ひきがわ》をぴんと鳴らして、鋤の方向を変えて、耕しはじめた。いったん曲がって、あとへ引っ返したとたんに、(ちょうど木の根にでも引っかかったように)引っぱる者がいる。小さい悪魔が鋤の刃のもとのほうに足をからませて押えていたのである。『いやまったく不思議だな』とイワンは思った。『こんなところには根っこなんかなかったのに、根っこがあるでねえか』イワンが鋤溝《すきみぞ》に手をつっこんで、さわってみると、手にさわったのは軟らかいものである。彼はそれをつかんで、引っぱりだした。木の根のように黒いものだが、その根っこのようなものの上でなにやら動いているものがある。見れば、それは生きた悪魔なのだ。
「いやはや、こいつ、まったくいやらしい野郎だな」
こう言ってイワンがそれを振りあげて、鋤の先にたたきつけようとすると、小悪魔はきいきい悲鳴をあげだした。
「たたきつけないでください、そのかわりお望みどおりなんでもしてあげますから」
「おれにいったい何をしてくれるってんだ?」
「してほしいことだけ言ってくだされば結構です」
イワンは頭をかいて、こう言った。
「おれは腹が痛えんだが、直せるかね?」
「直せますとも」と小悪魔は言った。
「じゃ、直してもらうべ」
小悪魔は鋤溝へかがみこんで、爪で盛んに引っかいているうちに、三叉《みつまた》の小さい根っこをつかみ回してきて、イワンに渡した。そして、
「ほうら、これですがね、この根っこを一本呑んだら、どんな痛みでも、たちどころに消えてしまいますよ」と言うので、イワンはそれを受け取ると、その根っこを一本、引きちぎって、呑んでみた。すると、たちどころに腹の痛みがなおってしまった。
小悪魔はまた命乞いをはじめた。
「これで放免してください。わたしは地面の下へ飛びこんだら……もうそれっきり出てきませんから」
「ああ、ええとも、神の助けがあるように!」
イワンが神という言葉を口にしたとたんに、小悪魔は水に石でも投げたように地下へもぐってしまい、あとには穴が一つぽっかりあいているだけ。イワンは残った二本の根っこを帽子のなかへ押しこむと、最後の畝を耕しはじめた。そして最後のひと畝もすき終わったので、イワンは鋤をひっくりかえして、家路についた。彼が馬をはずして家へはいってみると、軍人の兄のセミョーンが妻と食卓に向かって、夕飯を食べている最中。彼は領地を没収され……やっと脱獄して、父親のところへ逃げ帰ってきたところなのである。
セミョーンはイワンを見ると、こう言った。
「おまえのところへ厄介になりにきたよ。あたらしい勤め先が見つかるまで、わしと家内を食わせくれ」
「ああ、ええですとも、いてくだせえ」とイワンは言った。イワンが腰掛に腰かけようとすると、夫人はイワンが発する匂いがいやだと言いだした。彼女は夫にこう言った。
「わたし、いやな匂いのする百姓なんかと食事はできませんよ」
で、軍人のセミョーンが、
「うちの奥さんが、おまえはいやな匂いがするっていうから、入口のところで食べてもらいたいな」と言うと、
「ああ、ええとも。ちょうど夜の放牧に行かねばなんねえ刻限だ……雌馬に餌をやらねばなんねえからな」
こう言うと、イワンはパンと百姓外套を持って夜の放牧に出かけていった。
その夜、もう一匹の小悪魔は、軍人のセミョーンのほうを片づけたので、約束どおりイワン係の小悪魔の、馬鹿を苦しめる仕事を手伝ってやろうと、その仲間をさがしにやってきた。あちこちさがして歩いたが、どこにもいない。見つかったのは穴だけ。そこで彼は考えた。
『ふーん、こいつはどうやら仲間の身に一大事が起きたらしいぞ。こうなってはやつのかわりをつとめなきゃなるまい。畑をおこす仕事は終わったらしいから……今度はあの馬鹿を草刈り場で苦しめなきゃあならないぞ』
小悪魔は草地へ出かけていって、イワンの草刈り場を水びたしにしてやった。草刈り場はいっぱいに泥をかぶってしまった。イワンは夜明けに夜の放牧からもどると、大鎌の刃を打ちなおして、草刈りに出かけた。そしてそこへ着くとすぐに草を刈りはじめた。ところが、一、二度大鎌をふるっただけなのに、大鎌の刃が切れなくなり、砥《と》がなければならなくなった。イワンはさんざん苦労したあげく、こうつぶやいた。
「だめだ、家へ行って、ひとつ砥石を持ってくるべえ。それに、でっけえパンもな。たとえ一週聞苦しもうと、刈りあげねえうちは、ここをどかねえぞ」
小悪魔はこれを聞くと、考えこんでしまった。
『この馬鹿はまったくしぶといやつだ。てこでも動きゃしない。別な策を講じなきゃなるまい』
やがてイワンはまたやってくると、大鎌を砥ぎなおして、草を刈りはじめた。小悪魔は草のなかへもぐりこみ、鎌の柄の先をつかんで、鎌の先を地面に突っこむことをはじめた。イワンは骨こそ折れたが、草刈り場の草を刈りあげてしまい……あとは沼地のなかの小さな一画だけということになった。小悪魔は沼地へはいりこんで、ひとりでこう考えた。
『よしんば足が傷だらけになったって、刈りあげさせるもんか』
イワンは沼地へはいっていった。見たところ、草はそれほど繁ってもいないのに、鎌が動かないので、イワンは癇癪《かんしゃく》をおこして、あらんかぎりの力を出して鎌を振りまわしはじめた。そのため小悪魔は鎌の先から落ちかけたが、飛びのく暇もない。で、これはいかんと、茂みのなかへ身を隠したとたんに、イワンが大鎌を振りあげて、茂みをさあっとこするように振ったので、小悪魔は尻尾を切り落とされてしまった。こうして、イワンは草刈り場を全部刈り終わったので、妹に草をかき集めるように言いつけて、今度は裸麦の刈り入れに出かけた。
鉤鎌《かぎがま》を持って出かけていってみると、尻尾を切り取られた小悪魔が先まわりをして裸麦をすっかり掻きまわしてしまっていたので、鉤針ではどうもうまくいかない。そこでイワンは家へとってかえして、ふつうの鎌を持ってきて、麦刈りにかかり……裸麦を残らず刈り取ってしまった。そして言うには、
「さて、今度は燕麦《えんばく》にかからねばなんねえ」
尻尾を切り取られた小悪魔はこれを聞いて、こう考えた。
『裸麦でいじめられなかったんなら、今度は燕麦のほうで苦しめてやるぞ。が、それにしても朝まで待つことにしよう』
ところが、朝になって小悪魔が燕麦の畑へ来てみると、燕麦はもうすっかり刈り取ったあと。イワンが、穀粒が落ちるのをなるべく少なくするために、夜なかに刈り取ってしまったのだ。小悪魔は癇癪《かんしゃく》をおこして、こんなことを言った。
「あの馬鹿め、おれの尻尾を切り取っちまった上に、おれをこんなに悩ましやがる。戦場でだって、こんな目にあったことはねえぞ! あん畜生、あんなに夜の目も寝ねえようじゃ、こっちが追いつけっこねえのは当り前だ! 今度は燕麦の山のなかへもぐりこんで、全部腐らしてみせるぞ」
そして、小悪魔は燕麦の山のあるところへ出かけていって、穀束の間へもぐりこんで……燕麦を腐らせにかかった。が、穀束をあっためているうちに、自分もぬくぬくしてきて、とろとろしはじめた。
イワンのほうは雌馬に車をつけて、妹といっしょに穀束の運搬に出かけた。そして、穀束の山のところへ来ると、それを荷馬車のなかへ放りこみはじめた。イワンがひと束放りこんでから、また熊手を突っこむと……熊手がじかに小悪魔の尻にあたった。持ちあげて見ると、熊手の上で、生きた、しかも尻尾を切り取られた悪魔が、もがいたり、身をちぢめたりして、飛びおりようとしているではないか。
「いやはや、こいつ、まったくいやらしい野郎だな! てめえはまたやって来やがったのか?」
「前のとは違いますよ、あれはわたしの兄弟です。わたしはあんたの兄さんのセミョーンのところにいた者です」
「いや、てめえがだれだろうと、てめえも同じ目にあわしてやるだけのこんだ!」
こう言って小悪魔を畝にたたきつけようとすると、小悪魔は命乞いをはじめた。
「放してください、もうこれっきりしませんから……お望みどおりなんでもしてさしあげますから」
「おめえにはいったい何ができるんだ?」
「わたしは、なんでもお望みのものから兵隊をこしらえてさしあげられます」
「兵隊なんて何になる?」
「なんでも好きなことをさせるように、仕向けてごらんなさい。やつらはなんでもしますから」
「歌はやれるかな?」
「やれますとも」
「じゃ、よし、こしれえてくれ」
すると、小悪魔が言うには、
「この燕麦の束を一つ取ったら、それを振ってその先で地面をたたいて、わしのしもべの言いつけだ、穀束じゃなくて藁の数だけの兵隊になれ、とこう言えばいいんです」
そこでイワンは穀束を取りあげると、振りあげざま地面にたたきつけて、小悪魔が教えてくれたとおりの呪文をとなえた。すると、穀束が飛びちって、兵隊ができ、先頭の鼓手とラッパ手が演奏しはじめた。イワンは笑いだした。
「いやまったく、おめえは器用なやつだな! これは娘っ子らを喜ばせるのにええや!」
「さあ」と小悪魔は言った。「今度は放免してください」
「いや、こいつは脱穀した藁でこしれえることにするよ。でねえと穀粒がむだになるでな。もう一度穀束にもどす方法を教えてくれねえか。おれはそれを脱穀しちまうから」
すると、小悪魔はこう言った。
「兵隊の数だけの藁、わしのしもべの言いつけだ、もう一度穀束になれ! とこう言ってごらんなさい」
イワンがそのとおり言うと、兵隊はまた穀束になった。
そこでまた小悪魔は命乞いをはじめた。
「今度は放してください」
「ああ、ええとも!」
イワンは小悪魔を畝に引っかけると、片手で軽くおさえつけて熊手からしごきとってやった。そして、
「神の助けがあるように」と言った。彼が神という言葉を口にしたとたんに、……小悪魔は、水に石でも投げたように地下へもぐってしまい、あとには穴が一つ残ったきりだった。
イワンが家へ帰ってみると、家ではもうひとりの兄のタラースが家内と食卓に向かって、夕飯を食べている最中。太鼓腹のタラースは借金が払いきれなくなって、借財を残したまま父親のところへ逃げ帰ってきたのだ。
イワンを見ると、彼はこう言った。
「な、おい、イワン、おれが商売で儲けるまで、おれと女房を食わせてくれよ」
「ああ、ええですとも。いてくだせえ」と彼は言った。
イワンは百姓外套をぬいで食卓についた。
すると、商人《あきんど》の女房がこう言った。
「わたしはこの馬鹿といっしょに食事なんかできないわ。この人、汗臭いんだもの」
そこで、太鼓腹のタラースはこう言った。
「イワン、おまえはいやな匂いがするっていうから……あっちへ行って、入口で食べるがいい」
「ああ、ええとも」
彼はこう言うと、パンをもって外へ出た。
「ちょうど夜の放牧へ行かねばなんねえ刻限だ……雌馬に餌をくれねばなんねえからな」
その夜、タラースの受け持ちの小悪魔はタラースの始末をつけると、約束どおり、仲間に手を貸して……馬鹿のイワンを悩ますためにやってきた。畑へ来て、さんざんふたりの仲間をさがし歩いたが……だれもいない。発見したのは穴だけ。それから草地へ行ってみると……沼地では仲間の切り取られた尻尾がみつかり、燕麦の刈りあとではもう一つの穴もみつかった。
「こいつはどうやら仲間の身に一大事が起きたらしい。ふたりのかわりをつとめて、あの馬鹿に手をつけなきゃなるまい」
小悪魔はイワンをさがしに出かけた。イワンのほうは早くも畑仕事を片づけてしまって、森で木を切っていた。兄たちが、いっしょに暮すのが窮屈になったため、自分たちの家に使う木を切って、新しく家を建てるように言いつけたのだ。
小悪魔は森へ駆けつけると、木の枝の間にもぐりこんで、イワンが木を倒すじゃまをはじめた。イワンは空地のほうへ倒しやすいように根もとを切って、倒しにかかったが……木はよじれて、倒すべきでない方向へ倒れて、ほかの木の間にはまってしまった。イワンは梃子《てこ》をこしらえて、わきへ転がしはじめ……やっとのことで投げ落とした。やがて、つぎの木を切りにかかったが……これまた同じようなぐあいで、さんざん苦労したあげく、やっとどけることができた。次いでさらに三本目にも取りかかったけれども……またまた同じような調子なのである。イワンは木を五十本くらい切るつもりだったのに、十本も切らないうちに、もうあたりは夜になっていた。イワンはへとへとに疲れ、からだからは湯気があがって、靄《もや》のように森のなかを流れだすほどなのに、それでもやめようとはしない。そしてさらにもう一本、木の根もとを切ったところで、背中がずきずき痛みだして、力が抜けてしまったので、斧を打ちこんだまま、腰をおろして一服することにした。小悪魔には、イワンが静かになったことがわかったので、こう思って喜んだ。
『さあ、やっこさん、力が尽きたようだぞ……これでやめるだろう。ここらでおれも一服といこうか』
こうして木の枝に馬乗りになって休んでいたところへ、イワンが立ちあがって斧をぬき取りざま、大きく振りかぶって反対側からはっしと切りつけると、たちまち木はめりめりと音をたてて、どさりと倒れた。小悪魔は不意をつかれて足をよけるひまもなく、折れた枝に片足がはさまり、しめつけられてしまった。イワンが枝をはらいはじめて……ふと見ると、生きた小悪魔がいるので、彼は不思議に思った。
「いやはや、まったくいやらしい野郎だな! またこんなとこにいやがるでねえか?」
「あいつらとは違いますよ。わたしはあんたの兄さんのタラースのところにいた者なんです」
「いや、てめえがだれだろうと、てめえも同じ目にあわしてやるだけだ」
イワンが斧を振りあげて、峰《みね》打ちをくらわそうとすると、小悪魔は嘆願しはじめた。
「ぶたないでください、なんでもお望みどおりにしますから」
「いってえおめえには何ができるんだ?」
「わたしは、ほしいだけのお金をこしらえてあげられます」
「じゃ、ようし、こしれえてくれ!」
すると、小悪魔は彼にこう教えた。
「このカシワの木から葉っぱをむしり取って、手でもんでごらんなさい。金貨になって地面に落ちますから」
イワンが木の葉をむしり取って、もんでみると……なるほど、金貨がその辺に散らばった。
「これは、ひまなときに子供と遊ぶのにええや」
「わたしを放免してください」と小悪魔は言った。
「ああ、ええとも!」イワンは梃子を取って、小悪魔を出してやって、「神の助けがあるように」と言った。神という言葉を口にしたとたんに、小悪魔は、水に石でも投げたように地下へもぐってしまい、あとには穴が一つ残っただけだった。
こうしてふたりの兄は家を建てて、別々に暮しはじめた。イワンは畑から帰ると、ビールをこしらえて、飲みにくるようにと、兄たちを招んでやったが、兄たちは、
「百姓の遊びなんてお目にかかったこともねえや」
などと言って、イワンの家へはお客に来ようともしない。
そこで、イワンは百姓や女どもにご馳走をして、自分も飲み、……ほろ酔い機嫌になって、通りでやっていた輪踊りを見に出かけた。イワンは輪踊りをしているそばへ行って、女どもに自分をほめ歌にうたいこんでくれと注文した。
「おれはおめえらに、一生見たこともねえようなものをくれてやるぞ」と彼が言うと、女どもは笑って、彼をほめる歌をうたいだした。女どもが歌い終わったところで、
「さあ、どうなの、おくれよ」と言うと、イワンは、
「いますぐ持ってきてやるよ」と言って、種まき用の肩かけ籠をひっつかんで森をさして駆けていった。女どもは、「あれだから馬鹿だっちゅうんだよ!」と笑って、それっきり彼のことは忘れてしまっていた。ところが、見ると、イワンが、肩かけ籠に何やらいっぱいに入れて駆けもどってくるではないか。
「分けてやるか?」
「分けておくれ」
イワンはひとつかみつかんで……女どもに投げてやった。さあ、大変! みんなはそれを拾おうと飛びついてゆき、男どもまで飛び出してきて、ひったくりあい、奪い合いの大騒ぎ。ある婆さんなど、すんでのことで圧し殺されんばかり。イワンは笑って、
「あれあれ、この馬鹿めらが。なんでおめえらは婆さんを圧しつぶすだ? もうちっと気楽な気持になれよ、もっとやるから」と言って、さらにもっと投げてやった。そして、駆けつけた人たちに、肩かけ籠のなかのものを残らずまいてやると、みんなはもっとくれとせがみだす始末。ところがイワンは、
「これで全部だ。今度またやるから、さあ、今度は踊るべえ。歌をひとつたのむぞ」
女どもは歌をうたいだした。
「おめえらの歌はなっちゃねえぞ」
「だら、もっとええ歌って、どんな歌があるんだい?」
「いま見せてやるよ」
彼は納屋へ行くと、穀束をひと束引きぬいて、たたいて埃《ほこり》をはらい、それをまっすぐにとんと立てて、
「さあ、しもべ、穀束じゃなくて、藁を一本一本兵隊にしろ」と言った。
すると、穀束が飛び散って兵隊になり、太鼓やラッパを奏しはじめた。でイワンは歌をやれと号令をかけると、いっしょに通りへ出ていった。みんなは唖然《あぜん》としてしまった。兵隊が曲を奏し終えると、イワンは彼らを納屋へ連れて帰り、だれもあとについて来ないように言いつけ、兵隊を穀束にもどして、穀束の山の上にほうりなげた。そして、そのまま家へ帰って、物置小屋で寝てしまった。
あくる朝、軍人の兄のセミョーンがこうした出来事を聞き知って、イワンのところへやってきた。
「おまえ、おれに隠さず教えてくれ。おまえは兵隊をどこから連れてきて、どこへ連れていったんだ?」
「兄さんはそんなことを聞いて何するだね?」
「何するとはなんだ? 兵隊さえあれば、なんだってできるじゃないか。国を手に入れることだってできるんだぞ」
イワンは驚いてしまった。
「へえ! そんなら、兄さんはなんでもっと早くそう言わなかったんだね? いくらでもこしれえてやるべえに。ええあんばいに妹とうんとこさ脱穀しておいたからな」
イワンは兄を連れていってこう言った。
「じゃ、ええかね、兵隊をこしれえてやるから、兄さんはその兵隊を連れて行っちまってくれよ。でねえと、兵隊を養わねばなんねえことにでもなったら、やつらは村じゅうの食糧を一日でたいらげちまうからな」
軍人のセミョーンは兵隊を連れ去る約束をしたので、イワンは兵隊を作りはじめた。脱穀場の藁台を束でとんと一つたたくと、一中隊ができ、もう一束でとんとたたくと、もう一中隊できた。そうして原っぱがいっぱいになるほどの兵隊をこしらえた。
「どうだね、もうたくさんだべか?」
セミョーンは喜んで、言った。
「たくさんだよ、ありがとう、イワン」
「こんなことでいいかね。もっといるようだら、また来なせえ、もっとこしれえてやるから。さしあたり藁ならいくらでもあるから」
軍人のセミョーンはさっそく軍隊を指揮し、しかるべく集合させて、戦争に出ていった。
そこへ、軍人のセミョーンと入れ違いに、太鼓腹のタラースがやってきた……やはりきのうの一件を聞きこんで、やってきたのだ。彼は弟にこう頼みこみはじめた。
「ひとつ、つつまず教えてくれ、あんな金貨をどこから持ってきたのか? おれは、手もとにあんな遊んでいる金があったら、その金をもとでに世界じゅうの金を集めてみせるよ」
イワンは驚いて、こう言った。
「へえ! もっと早くそう言ってくれればよかったに。いくらでも、もんでこしれえてやるよ」
兄は喜んだ。
「せめて肩かけ籠三籠分だけでもくれないか」
「ああ、ええとも、森へ歩いてゆくべえ、それより馬に車をつけてくれや……運べねえから」
ふたりは森へ馬車で出かけていった。イワンはカシワの葉をもみはじめ、金貨を山のように積みあげた。
「これでたくさんだべか?」
タラースは喜んで、こう言った。
「いまのところは、これでたくさんだ。ありがとう、イワン」
「こんなことでいいかね。もっといるようだら、また来なせえ、もっともんでこしれえてやるから、……葉っぱはまだうんと残ってるからな」
太鼓腹のタラースは荷馬車にいっぱい金を積んで、商売をしに出かけた。こうして兄はふたりとも引きあげていった。そしてセミョーンは戦争をはじめ、タラースは商売をはじめた。そうして、軍人のセミョーンは戦争で国を手にいれ、太鼓腹のタラースは商売でしこたま金を儲けた。
その後、兄たちが落ちあって、セミョーンはどこから兵隊を手に入れ、タラースはどこから金を手に入れたか、互いに打明け話をしあったことがあった。
軍人のセミョーンが弟にむかって言うには、
「おれは戦争をして国を一つ取ったし、いい暮しもしているが、ただ金がたりないんだ……兵隊を養うのにな」
また、太鼓腹のタラースが言うには、
「おれのほうは、金はそれこそ山ほど儲けたが、一つだけ困ったことがあるんだ……その金の番をする者がいないんだよ」
すると、軍人のセミョーンが言うには、
「ひとつ弟のところへ行ってみよう……おれはあいつにもっと兵隊を作らせて……それをおまえにやるから、金の番をさせるがいい。そのかわりおまえはあいつに言いつけて葉っぱをもんで金を作らせて、それで兵隊を養えるようにしてくれ」
こうしてふたりはイワンのところへ出かけていった。イワンの家に着くと、セミョーンはこう言った。
「おまえ、まだ兵隊がたりないんだ。もうすこし兵隊をこしらえてくれんかね。せめてふた山ほどの藁を兵隊に変えてくれ」
イワンはかぶりを振ってこう言った。
「ただわけもなくこれ以上兵隊をこしれえてやるわけにゃいかねえよ」
「なんだと、おまえはあれほど約束したじゃないか」
「約束はしたが、もうこれ以上はこしれえちゃやれねえね」
「じゃ、どうしてこしらえてくれないんだ? 馬鹿」
「兄さんの兵隊が人間を殺したからよ。おれはこの間、道端で畑を耕していたところが、見ると、百姓女がその道を、棺桶を運んできながら、おいおい泣いているでねえか。で、おれが『だれがなくなったんだ?』って聞くと、その女は、『セミョーンの兵隊が戦争でうちの人を殺しやがったんだ』とこう言うでねえか。兵隊ってものは歌をやるだけだと思っていたのに、人間なんか殺してるんだもの、もうこれ以上はやれねえよ」
彼は頑として聞かず、それ以上兵隊をこしらえてやろうとはしないのである。
太鼓腹のタラースも馬鹿のイワンに、もっと金貨をこしらえてくれるように頼みこんだ。
が、イワンは、
「ただわけもなくこれ以上葉っぱをもんでこしれえてやるわけにゃいかねえよ」と、かぶりを振るばかり。
「何だと、おまえはあれほど約束したじゃねえか?」
「約束はしたが、これ以上こしれえちゃやれねえよ」
「じゃ、どうしてこしらえてくれないんだ? 馬鹿」
「兄さんはあの金でミハイロヴナから雌牛を取りあげちまったからよ」
「どうやって取りあげた?」
「こんなぐあいにして取りあげちまったでねえか。ミハイロヴナんとこには雌牛が一頭いて、子供がその乳を飲んでいたのに、この間あそこの子供がおれんちへ乳をもらいに来たんで、その子供らに、『おめえらのうちの雌牛はどこへいっただ?』って言ったら、『太鼓腹のタラースんとこの支配人が来て、おっかちゃんに金貨を三枚出したら、おっかちゃんが雌牛を渡しちまっただ。だもんだから、おいらはいま飲むものがねえだよ』なんて言うでねえか。兄さんは金貨で遊びてえのかと思っていたら、それで子供らから雌牛を取りあげちまったでねえか。だから、もうこれ以上はやらねえよ」
こう言って馬鹿は頑として聞かず、それ以上やろうとはしない。で、そのまま兄たちは帰っていった。が、兄たちは帰る道々、どういうふうにこの窮状を打開したものかと、相談をはじめた。セミョーンが言うには、
「こうしようじゃないか。おまえはわしに金をくれるんだ……兵隊を養う金をな。そうしたらわしはおまえに国を半分、兵隊をつけてやるよ……おまえの金の番をさせる兵隊を」
タラースはそれに同意した。こうして兄弟は持ち物を分けあって、ふたりとも王になり、ふたりとも金持ちになった。
一方、イワンは家に残って、親を養いながら、あいかわらず唖の妹と野良仕事をしていた。
ところが、あるときこんなことがあった。イワンの家の年とった飼犬が病気になり、疥癬《かいせん》で死にかけていた。イワンはかわいそうに思って……唖の妹からパンをもらい、帽子に入れて犬のところへ持っていって投げてやった。ところが、帽子が破けていたため、帽子といっしょに木の根っこが一本落ち、老犬がそれをパンといっしょに食べてしまったのである、そしてその根っこを呑みこんだとたんに、その犬が立ちあがって遊びだし、吠えたり、尻尾を振りだしたりして……いっぺんに丈夫になってしまったのだ。
親たちはそれを見て、不審に思ってこう言った。
「おまえは何で犬の病気をなおしたんだ?」
イワンが答えるには、
「おれは木の根っこを二本持っていたんだが……これはどんな病気でもなおすっていうやつで、あいつその一本を食べたわけなんだよ」
ところで、たまたまそのころ、国王の姫君が病気にかかり、王は国じゅうの町や村に布令《ふれ》を出して……姫の病気をなおした者には褒美をつかわす、ひとり者であれば、姫を嫁に取らすということになり、イワンの村にもそういうお達しがあった。
父母はイワンを呼びつけて、彼にこう言った。
「おまえ、王さまがお布令を出されたのを知ってるかい? おまえは木の根っこを持っているちゅう話だが、ひとつ行って王さまのお姫さまの病気をなおしてあげたらどうだ。そうしたらおまえは一生果報者になれるぞ」
「ああ、ええとも!」
イワンはそう言って、出かける用意をした。イワンが着物を着せてもらって、表階段へ出て、ふと見ると……そこに手の関節の曲がった女の乞食が立っている。そして、
「わたしゃ、おまえさんが病気をなおしてくれるって聞いてきたんだが、この手をなおしちゃくれめえかね。でねえと、履《は》きものさえ自分で履けねえようなざまなんで」
「ああ、ええとも」
イワンはそう言うと、木の根っこを出して女乞食にやって、それを呑ませた。女乞食が、それを呑みこむと、とたんに手の萎《な》えが回復して、たちまち腕を振りはじめた。王のところへ出かけるイワンを見送りに出た親たちは、イワンがこれっきりない根っこを人にやってしまって、王の姫の病気をなおすものがなくなったと聞くと、ふたりは彼にがみがみ小言を言いだした。
「おまえは、乞食のほうはかわいそうに思っても、お姫さまのほうはかわいそうだとは思わねえのか!」
イワンは王の姫君もかわいそうになったので、馬に車をつけて、馬車の囲いのなかに藁を投げこんで、それに坐って出かけようとした。
「おまえはいってえどこへ行くつもりなんだ、馬鹿めが?」
「王さまのお姫さまをなおしにさ」
「おまえはなおすものなんか、持ってねえじゃねえか?」
「まあ、ええさ!」と言って、彼は馬を走らせていった。そして、彼が王宮に着いて表階段に足をかけたとたんに、もう姫の病気はなおってしまっていた。王は喜んでイワンをそばへ召し寄せ、きれいな服を着せ、立派に着飾らせて、
「おまえはわしの姫の婿《むこ》になれ」とのおおせをたまわった。
イワンは、「ああ、ええとも!」と言い、姫を嫁にもらった。そしてまもなく王がなくなったので、イワンが王位につくことになった。というようなことで、兄弟三人がそろって国王になったわけである。
三人の兄弟は達者に暮して、国を治めていた。
軍人の兄のセミョーンの暮しは豪勢なものだった。彼は藁の兵隊のほかに、本物の兵隊も募集した。そして、国じゅうに指令を出して、十軒からひとりずつ兵隊を出させ、その兵隊には背が大きくて色白で顔のきれいなのを選んだ。彼はそういう兵隊をどしどしつのって、その全部に訓練をほどこした。そして、何事によらず自分に刃向かうものがいれば、さっそく兵隊を派遣して、なんであろうと自分の意思に従わせたので、だれもが彼を恐れるようになった。
といったわけで彼の暮しはなかなか豪勢だった。ただ思いつくだけ、目をやるだけで、なんでも自分のものになった。兵隊をさし向ければ、その兵隊が、ほしいものならなんでも取り上げてきたり連れてきたりするからである。
太鼓腹のタラースの暮しも大したものだった。彼はイワンからもらった自分の金をなくさないようにして、それをどんどん増やしていった。彼も自分の国にうまい制度を作った。自分の金は金びつにしまいこんでおきながら、人民からはどしどし税金を取りたてた。人頭税から、通行税、旅行税、わらじ税、脚絆《きゃはん》税、わらじ紐《ひも》税まで徴集した。そして思いつくかぎりのものを手に入れていた。金さえ出せば人はなんでも持ってきたし、働きにもきた。だれにも金は入り用だったからである。
馬鹿のイワンの暮しも悪くはなかった。舅《しゅうと》の葬儀をすますと、彼はさっそく王衣をすっかり脱いで……后《きさき》に渡して箪笥のなかにしまわせた……そして粗末な麻のルバーシカを着、股引をはき、わらじをつけて、仕事にとりかかった。そして、
「これじゃ退屈でやりきれねえ。腹は出てくるし、食欲はねえし、眠れもしねえ」
こう言って、父母と唖の妹を引きとって、また仕事をはじめた。
「あなたは王さまじゃありませんか!」
と人に言われれば、
「まあ、ええさ。王さまだって食べていかねばなんねえからな」と言う。
大臣が来て、
「給料を支払う金がございません」と言上すれば、
「まあ、ええさ。なければ、払わずにいればええでねえか」と言い、
「そんなことをしたら、みんな勤めをやめてしまいます」と言えば、
「まあ、ええさ。勤めをやめればやめたでええでねえか、みんなもっと気ままに働けるようになるわけだから。がらくたもだいぶ持ち出したようだが、持ち出させておくがええ」と言う。
また、だれかがイワンに裁きをつけてもらいにきて、
「あいつはわしの金を盗みやがったんです」と言えば、
「まあ、ええさ。つまり、入り用だったわけだからな」と言う、といった調子。
そんなわけで、だれにも、イワンが馬鹿だということがわかってしまった。ところが、后《きさき》に、
「あんたのことをみんな、馬鹿だって言っていますよ」と言われても、本人は、
「まあ、ええさ」と言うだけなのである。
イワンの妻はさんざん知恵をしぼったが、彼女もやはり馬鹿だったので、
「どうして夫に逆らえよう? 妻は夫に従うものだわ!」
と言って、王妃の服を脱いで箪笥にしまいこんで、唖娘のところへ仕事を習いにゆき、仕事を覚えると、夫の手助けをはじめた。
こうしてイワンの国から利口な者はみんな出ていってしまって、馬鹿だけが残った。金はだれにもなかったので、みんな働いて自分を養い、善人どもを食わして暮していた。
三人兄弟をおちぶれさせたという小悪魔どもの知らせは、待てど暮せど、老悪魔の耳にははいって来ない。そこで彼は自分でさぐりに出かけた。さがせど、さがせど、どこにも小悪魔は見つからず、ただ穴が三つ見つかっただけ。『さては』と彼は思った。『どうやら、やっつけられなかったと見えるわい……これじゃわしが自分から手をくださずばなるまい』
で、彼はさがしに出かけたが、兄弟はもうもとの所にはいなかった。そしてそれぞれ別の国にいることがわかった。しかも、三人とも達者で、国王になっていたのである。老悪魔は無念やるかたない気持だった。
「ようし、今度はこのわしが仕事にとりかかるぞ」
彼はまずまっ先にセミョーン王のところへ出かけていった。彼はいつもの姿ではなくて、将軍に化けて……セミョーン王のもとにやってきて、こう言った。
「わたくしの耳にしたところでは、セミョーン王、陛下は大変ご立派な軍人だそうでございますな。わたくしにもこの方面の心得は十分にございますので、あなたにお仕えしたいと存じて参りました」
セミョーン王は、いろいろ質問してみたところ、なかなか頭のいい人間であることがわかったので、さっそく召しかかえることにした。すると、新将軍はセミョーン王に、強い軍隊を作る方法を進言した。
「まず第一にしなければならぬことは、兵隊をもっとたくさんつのることです。さもないと、お国の人民はただいたずらに遊び暮しておるだけです。若い者をひとり残らずだれかれかまわず兵隊に取ってしまうことであります。そうすればお国の軍隊はこれまでの五倍になります。第二にしなければならぬことは、新式の銃砲を装備することであります。わたくしは陛下に、いちどきに弾丸を百発発射して、豆のようにばらまける銃を作ってお目にかけます。また、大砲も、その砲火でなんでも焼きつくしてしまうようなやつを作ってみせましょう。人間であろうと、馬であろうと、城壁であろうと、……なんでも焼き払ってしまうというようなのを」
セミョーン王は新将軍の意見をいれて、若い者をひとり残らずどしどし兵隊に取るように命じ、あたらしい工場を建設し、新式の銃砲をどんどん作って、さっそく隣国の王に向かって攻撃を開始した。そして、敵軍がむかえ撃って出るやいなや、セミョーン王は自分の兵隊に命じて敵に砲火をあびせさせ、たちまちのうちに敵軍の半数をかたわにしたり、焼き殺したりしたため、隣国の王は肝《きも》をつぶして降伏し、自分の国を明け渡してしまった。
セミョーン王は喜んで、
「さあ、今度はインド王を攻め滅ぼしてやるぞ」などと言っていた。
ところが、インド王はセミョーン王の噂を耳にすると、セミョーン王の発明をすっかり盗みとってしまったうえに、自分の発明まで思いついた。インド王は単に若者だけにとどまらず、未婚の女も残らず兵隊に取ったため、その軍隊はセミョーン王の軍隊を凌駕《りょうが》してしまった。また、銃砲もことごとくセミョーン王の工夫をまねたうえに、空中を飛んでいって、上空から爆弾を投下することまで考え出した。
セミョーン王はインド王にむかって戦端をひらいた。そして、前回同様攻略するつもりだったのに、今度は鎌は切れても切れ味がよくなかった。インド王はセミョーン軍に射撃のいとまも与えずに、自国の女子部隊をくりだして飛ばし、セミョーン軍めがけて爆弾を投下させた。女子部隊は上空からセミョーン軍めがけて、油虫に硼砂《ほうしゃ》(金属のロウ付けや防腐剤に用いられる硼素化合物の白い結晶)でもまくように爆弾をばらばら落としはじめたため、セミョーン軍は一兵残らず逃げ散ってしまい、踏みとどまったのはひとりセミョーン王だけだった。インド王はセミョーン王国を占領し、軍人のセミョーンは雲をかすみと逃げ去った。
老悪魔はこの兄のほうをまんまと片づけると、今度はタラース王の国へ出かけていった。そして商人に姿をかえて、タラースの国に住みつき、店を開いて、金を国じゅうに放出しはじめた。この商人はどんなものでも高値で買い取りはじめたため、人々は儲けようと思ってわれもわれもと商人の店へ押しかけてきた。こうして国民のふところが暖かくなったので、彼らは未納の税金を全部支払ったうえに、年貢を残らず期限内に納めはじめた。
タラース王はほくほくだった。
『あの商人はありがたい。これでわしの貯えももっと増えようし、わしの暮しももっとよくなることだろう』
などと考えていた。そこでタラース王はあたらしい計画を立てて、新王宮の造営をはじめた。そして国民に布告を発して、材木や石を運びこませ、仕事をしに来させようと思った。そしてどんなものを持ってきてもそれに高い値段をつけてやった。タラース王は、いままでとおり国民が金がほしさに自分のところへ仕事をしに群れをなして来るだろうと思っていたのである。ところが、見れば、材木と石材はみな商人のところへばかり運んでゆくし、労働者もみんな向こうへばかりぞくぞく押しかけてゆくのだ。タラース王は買値を高くしたが、商人はそれ以上の高値をつけた。タラース王にも金はずいぶんあったが、商人はそれ以上に持っていて、王よりも高い値段をつけて相手のじゃまをするのである。そのため、王宮は建ちかけのままで完成に至らない。そこでタラース王は今度は庭園の造営を計画した。秋になると、タラース王は人民に、庭園造営に出頭すべしという布告を発したが、ひとりとして出頭する者はなく、人民はみな商人の池ばかり掘っていた。
また、冬がきたので、タラース王が毛皮の外套を作らせるのに黒貂《くろてん》の毛皮を買おうと思って使いの者をやれば、帰ってきて言うには、「黒貂はございませんでした。毛皮は残らずあの商人に買い占められてしまっています。あの男は高値で買いとって、黒貂で敷物をこしらえたのだそうです」とのこと。
また、種馬を買いとる必要が生じたので使いの者を買いにやると、その帰ってきての話では、いい種馬は一頭残らず商人に買い占められて、商人の庭の池に入れる水を運搬しているとのこと。そういうようなわけで、王のほうの事業は全部ストップしてしまい、人民は商人の仕事ならなんでもしてやるくせに、彼には何一つしてくれない。そして、彼にはただ商人のところから金をかせいできてそれを年貢のかわりに納めてくれるだけなのである。
こうして王の手もとには、金が置き場もないくらいたまったのに、暮しむきはかえって悪くなってしまった。王はもういろんな計画を立てるどころか、ひたすらなんとか生きてゆければよいと思うだけなのに、それすらできず、何事もうまくいかない。コックも御者《ぎょしゃ》も家来も、彼のもとを去って、商人のもとに走りはじめ、もはや食べるものにも事欠くような始末。市場へ何か買い物に人をやっても、何一つない。商人が何もかも買い占めてしまっていたからである。しかも人民はただ年貢のかわりに金を納めてくれるだけなのだ。
タラース王はかんかんに怒って、商人を国外に追放した。ところが、商人はその国境《くにざかい》になる所に居を構えて、……依然として同じことをやっている。だから、やはり依然としてあらゆるものが商人の金と引替えに王の手もとから商人のほうへと流れて行くわけである。王の暮しはまったくひどくなって、幾日も何も食わずに過ごすようなありさま、しかもその上、商人は王さまからその后《きさき》まで買い取ってやると息まいているという噂さえ立ちはじめた。タラース王はおろおろしてしまい、どうしたらいいのか、見当もつかなくなってしまった。そこヘセミョーン王が、
「助けてくれ、……戦争でインド王に負けてしまったんだ」と言って救いを求めに来た。
が、このときにはもうタラース王自身苦境に陥っていたので、
「おれだってもう二日も食べ物にありついていないんだ」と言うほかなかった。
十一
老悪魔は、兄弟をふたりながらうまく片づけてしまうと、今度はイワンのところへ出かけていった。
老悪魔は将軍に姿を変えて、イワンのところへやってくるなり、相手を説得して軍隊を作らせるつもりでこう言った。
「軍隊も持たずに暮すということは王さまらしくございません。わたくしにご下命さえあれば、陛下の人民から兵をつのって、軍隊を作ってごらんにいれます」
それを聞くと、イワンはこう言った。
「ああ、ええとも、作んなせえ。そして歌をできるだけうまく演奏できるように訓練するんだな。おれは歌を聞くのが好きなんだ」
老悪魔はイワンの国をあちこち歩いて、勝手に徴兵をはじめた。彼は、国民は全部兵隊になること、そうすれば一人あたりウォッカひと壜《びん》と赤い帽子を支給する、という布令を出した。
馬鹿どもは笑って、
「おれたちの国じゃ酒なんざ飲み放題だ。自分で酒をこしれえているんだものな。それに帽子だって、女房どもが、色のまざったのでも、おまけに房のついたのだってお望み次第、どんなのでも縫ってくれらあ」などと言うだけ。
というわけで、だれひとり出頭しないので、老悪魔はイワンのところへ来て、こう言った。
「お国の馬鹿どもは自分から進んで入隊しようとしませんから、強制的に駆りだすほかありません」
「ああ、ええとも、強制的に駆りだすがええ」
そこで老悪魔は、馬鹿はひとり残らず入隊せよ、出頭しないものは、イワン王がこれを死刑に処す、という布令を出した。
すると、馬鹿どもが将軍のところへやってきて、言うには、
「あなたさまのおっしゃるところでは、入隊しなければ、王さまがわしらを死刑にするちゅうこんですが、兵役中にわしらはどうなるかちゅうことはおっしゃっていなさらねえ。話によると、兵隊になっても殺されるちゅうじゃござんせんか」
「そう、そういうこともないとは言えないな」
馬鹿どもはこれを聞くと、とたんに頑として言うことを聞かなくなってしまった。
「兵隊になんか行くもんか。このまま家で死んだほうがよっぽどましだ。どっちみちこうしていても死ぬわけだからな」
「この馬鹿めらが!」と老悪魔は言った。「兵隊になったところで、殺されるか殺されないかはわからんが、兵隊に行かなければ、イワン王にかならず死刑に処せられるんだぞ」
馬鹿どもは、思案の末イワンの馬鹿のところへ聞きにいった。
「将軍さまがお出ましになって、わしらにひとり残らず兵隊になれとのことです。それに、兵隊になったところで、おまえらは殺されるか殺されないかはわからんが、兵隊に行かなければイワン王にかならず殺されるって言ってますが、これはほんとうでごぜえますか?」
イワンは笑い出してこう言った。
「いったいどうやっておまえら全部をおれひとりで死刑にできるかね? おれは、馬鹿でなかったら、おまえらに話がわかるように説明してやるんだが、その肝心なおれにもわかっちゃいねえだ」
「そんなら、おれたちは兵隊になんか行きませんよ」
「ああ、ええとも、行かなくてええよ」
そこで、馬鹿どもは将軍のところへ行って、入隊を拒絶した。老悪魔は仕事がうまく運ばないと見てとると、今度はタラカン王のところへ出向いて、お世辞でとり入りながら、こう言った。
「イワン王に向かって戦端をひらいて、攻略しましょう。イワン王には金こそありませんが、穀物だろうと家畜だろうとどんな財宝だろうと、いくらでもありますから」
タラカン王は戦いを開始した。大軍を集め、火器を整備して、国境へ出撃し、イワン国へ侵入をはじめたのである。
ところが、イワンのもとに駆けつけて、
「タラカン王がわれわれに向かって進撃してきます」と注進に及ぶ者がいても、イワンは、
「まあ、ええさ、進撃させておけ」と言うばかりなのである。
タラカン王は軍隊を率いて国境を越え、尖兵《せんぺい》を出してイワンの軍隊をさぐらせた。さがせど、さがせど、軍隊などいやしない。どこかに現われるかと、いくら待っていても、軍隊の噂すらなく、戦うべき相手もいない。タラカン王は兵隊をやって村々を占領させた。兵隊がひとつの村へはいると……馬鹿の男や女がとびだしてきて、兵隊を見て不思議そうな顔をしている。兵隊が穀物や家畜の略奪を開始しても、馬鹿どもは物をさし出すだけで、だれひとりいっこうに防衛しようとはしない。別の村へ行っても……やっぱり同じことである。兵隊は一日、二日と行軍をつづけたが、……どこへ行っても同じで、なんでもくれるし、だれひとり防衛しようとはしない。果ては、
「おまえさんら、もし、おまえさんらの国で暮しにくかったら、わしらの国へきて暮すがええ」などと、自分たちの国へ呼び寄せるような始末。
兵隊がいくら進軍をつづけても……軍隊は見当たらず、民衆は相変わらず自分と他人を養いながら暮しているだけで、身を守ろうともしないばかりか、自分らの国へ来て暮さないかと呼びかけるだけなのである。
兵隊はおもしろくないので、タラカン王のところへ引き上げてきて、こんなことを言った。
「われわれはここでは戦争になりません。よそへふり向けてください。戦争があればまだしものこと、これじゃなんということもない……まるで豆腐でも切っているみたいなものです。ここじゃこれ以上戦争をする気にはなれません」
タラカン王は怒って、兵隊に、国内を行軍して村を荒らし、家や穀物を焼き払い、家畜を皆殺しにせよという命令をくだし、
「わしの命令に服さぬときは、おまえたちをひとり残らず処罰する」と言い渡した。
兵隊はびっくりして、国王の命令どおりに事をはじめ、家や穀物を焼き、家畜を殺しはじめた。それでもやっぱり馬鹿どもは防衛する気はなく、ただ泣きわめいているばかり。老人も小さい子供も、ただわあわあ泣き叫ぶだけ。
「なんのために、おまえさんらはわしらをいじめるだ? なんでおまえさんらはわしらの家財をただわけもなくめちゃめちゃにしちまうだ? 入り用なら勝手に持ってゆくがいいだに」
やがて兵隊もそんなことをするのがいやになり、それ以上は前進もせずに、全軍ちりぢりに逃げ失せてしまった。
十二
こうして老悪魔は、イワンを兵隊でいじめることもできずに、そこを引きあげてしまった。そして今度は、彼は立派な紳士になりすまして、イワンの国へ、居住するつもりでやってきた。イワンを、太鼓腹のタラース同様、金でいためつけてやるつもりだったのである。
「わしはおまえさんがたにいいことをしてあげようと思う、知恵分別を授けてあげようと思うのだ。わしはおまえさんがたの国に家を建てて、店を開くつもりだ」と彼が言うと、
「ああ、ええとも、住むがええ」とみんなは言った。
一夜すごした明くる日、この立派な紳士は広場へ、金貨と紙幣のはいっている大きな袋を持って出て、こう口上を述べた。
「おまえさんがたはみんな豚みたいな暮しをしているので……わしはこれから、どういうふうに暮すべきか、教えて進ぜようと思う。わしにひとつこの図面どおりに家を建ててください。みなさん、仕事をなさい。そうしたら、いま見せてあげるが、金貨というものをおまえさんがたにあげよう」
こう言って彼らに金貨を見せた。馬鹿どもは不思議がった。彼らの国では工場で金貨など作らずに互いに物々交換をしたり、仕事で支払いをすましたりしていたからである。彼らは金貨を見て驚き、
「なかなかいいものじゃねえか」などと言いあっていた。そして紳士に物をやったり仕事をしてやったりして、それを金に替えはじめた。こうして老悪魔は、タラースの国でしたと同じように、金貨を放出しはじめ、みんなは彼に金貨と引き替えにあらゆるものを与え、あらゆる仕事をやりだした。老悪魔は喜んで、『いよいよわしの仕事もうまくいきだしたわい! 今度こそあの馬鹿をタラース同様破産させて、やつを腸《はらわた》ぐるみそっくり買い取ってやるぞ』などと考えていた。
ところが、馬鹿どもは金貨を必要なだけ手にいれると、さっそく女どもみんなに分けてやって首飾りに使わせはじめ、娘たちはみんなお下げに編みこみ、子供たちは通りで遊びに使いだした。そして、だれもがあり余るほど持つようになると、それ以上ほしがらなくなってしまった。それなのに、立派な紳士の屋敷はまだ仕上がっていないし、穀物や家畜はまだ向こう一年間の貯えもできていないようなありさま。そこで、紳士は自分のところへ仕事をしに来たり、穀物を運んで来てくれたり、家畜を連れて来てくれたりすれば、どんなもの、どんな仕事にたいしても金貨をたんまり支払ってやると広告した。
それなのに、だれひとり働きにも来なければ、何一つ持ってくる者もいない。ただときたま、男の子や女の子が店へ駆けこんできて、卵などを金貨に替えてゆくだけで、ほかにはだれひとりやって来ないので……彼は食べるものにも窮してしまった。立派な紳士は腹がすいてたまらなくなったので、食べるものを買おうと村のなかを歩きだした。ある百姓家へ立ち寄って、雌鶏《めんどり》を買おうと思って金貨を出すと、おかみは、
「うちにはそんなものはいくらでもあるよ」と言って、受け取ろうともしない。
また、ニシンを買おうと貧乏な後家女のところへいって金貨をだせば、相手は、
「わたしゃいらないよ、おまえさん。うちにゃ子供はいねえから、そんなもので遊ぶ者もいねえし、それに家宝にするために三つばかし手にいれたしね」などと言うばかり。
さらに、百姓の男の家ヘパンを買いにはいれば、その男もこう言って金を受け取らない。
「わしはいらねえよ。が、キリストのために何か恵んでくれと言うんだったら、待ちなさるがええ、女房にひときれ切らせるから」
悪魔はぺっと唾をはいて、百姓の家から逃げだした。キリストのためになどと言って物乞いをするのはおろか、そのキリストという言葉を聞くのさえ、刃物よりいやだったのである。
こんなわけでパンは手にはいらなかった。金貨ならだれもが十分にためこんでいた。だから、老悪魔がどこへ行こうと、だれも金と引き替えでは何一つくれようとはせず、みんなはただこんなことを言うだけなのである。
「何かほかのものを持ってくるんだね。でなければ働きにくるか、キリストのためにと言って物乞いに来るかするんだな」
老悪魔は金貨以外になんにも持っていないし、働くのはいやだし、キリストのためになどと言って物乞いをするわけにもいかない。老悪魔はかんかんに怒ってしまった。
「こっちは金を出すと言っているのに、この上何がいるんだ? おまえたちは金貨さえ出せばなんだって買えるし、どんな使用人だって雇えるんだぞ」
が、馬鹿どもは彼の言うことを聞こうともしない。で、老悪魔は夕飯も食べずに寝についた。
この一件はイワンの耳にもはいった。というのは、彼のところへこう聞きにきた者がいたからである。
「どうしたもんでしょう? わしらのところへりっぱな紳士が現われたんですが、この男はうまいものを飲み食いしたり身ぎれいにすることは好きでも、仕事はしたがらねえし、物乞いもしねえ。そしてただ金貨をみんなにやろうとするだけなんです。みんなは、金貨が貯まるまでは、何はさておいてもその男に物をやるようにしていたんですが、このごろはこれ以上物をやろうとはしません。その男をどうしたらいいでしょう? なんとか餓死だけはさせたくねえんですが」
イワンは聞き終えると、こう言った。
「まあ、ええさ、養ってやるがええ。羊飼いが泊まり歩くみたいに、家を一軒一軒まわらせておくがええ」
しようがないので、老悪魔は家々をまわりはじめた。その順番がイワンの宮殿にまわってきた。老悪魔が来てみると、イワンのところでは唖の妹が食事の仕度をしている。彼女はこれまでに幾度となく怠け者にだまされていた。仕事もしないくせに、食事どきに人より早くきて、麦粥をきれいに平らげてしまう者がいたのだ。そこで、唖娘は手を見て怠け者をうまく見分けるようになった。手に『たこ』のある者をさきに食卓につかして、たこのない者には食べ残しをやることにしたのである。で、このときも老悪魔がそっと食卓についたので、唖娘がその手をつかんで調べてみると……たこなどなく、手はきれいで、すべすべしていて、長い爪をはやしている。唖娘は、う、う、という声をだして、悪魔を食卓のそばから引きずり出してしまった。
イワンの后《きさき》は彼にむかってこう言った。
「悪く思わないでね、あなた。うちの妹は手にたこのない者を食卓につかせないんですよ。もうすこしして、みんなが食べ終わってから、残ったものをおあがんなさい」
老悪魔は、王宮では自分に豚と同じものを食べさせようとしているというので、腹が立って、イワンにむかってこんなことを言いだした。
「お国の法律はばかげているじゃないですか、だれもかれも手を使って仕事をしなければならないなんて。あなたがたは、馬鹿だから、こんなことを考え出したんですよ。いったい人間というものは手だけで仕事をするもんでしょうかね? 賢い人は何で仕事をするもんだと思います?」
すると、イワンが言うには、
「そんなこと、どうして馬鹿のおれたちにわかるかね。おれたちはいつでも、むしろ、手と背中で仕事をするようにしてるんだよ」
「それは、あなたがたが馬鹿だからですよ。ひとつ、あなたがたに、頭を使って働く方法を教えてあげましょう。そうすればあなたがたにも、頭で仕事をするほうが手で仕事をするより得だということがわかるから」
イワンは不審がった。
「なるほど! おれたちが馬鹿だ、馬鹿だって言われているのも無理はねえな!」
そこで、老悪魔はこう言いだした。
「もっとも、頭で仕事をすることだって生やさしいことじゃないんですよ。あなたがたは、わしの手に『たこ』がないというんで、このとおり食事をさせてくださらんが、それは頭で仕事をするほうが百倍もむつかしいってことをご存じないからですよ。ときには頭が割れそうになることだってあるんですからね」
イワンは考えこんでしまった。そしてこう言った。
「だったら、どうしておまえさんはそんなつらい思いをするんだね? 頭が割れそうになるなんて、楽なことじゃあるめえに? それよか、おまえさんはやさしい仕事を……つまり手だの背中を使う仕事を……やったほうがええんでねえか」
すると、悪魔が言うには、
「なぜわしがつらいことをするかと言えば、それはあなたがた馬鹿が不憫《ふびん》だからなんですよ。もしわしがつらいことをしてみせなかったら、あなたがたはいつまでも馬鹿のままでしょう。わしは頭で仕事をしてきたから、今度はあなたがたにも教えてあげようってわけです」
イワンは驚いて、こう言った。
「教えてくれ。このつぎ腕が疲れたら、かわりに頭を使ってみるから」
そこで、悪魔は教える約束をした。で、イワンは国じゅうに布令を出して、りっぱな紳士が現われて、みなの者に頭で仕事をする方法を教えてくれるそうである、頭で仕事をしたほうが手でするより余計に仕事ができるということだから、来て教わるがよい、と知らせた。
イワンの国には高い櫓《やぐら》が建っていて、そこにまっすぐな梯子がかけてあり、上は物見台になっていた。イワンは紳士の姿がだれにも見えるように、そこへ連れていった。
紳士は櫓の上に突っ立って、そこから話をはじめた。馬鹿どもは見物に集まった。彼らはその紳士が手を使わずに頭だけで仕事をするところを実際に見せてくれるものと思ったのである。ところが、老悪魔は、どうすれば働かずに生きてゆけるかということを口先で教えるだけなのである。
馬鹿どもにはさっぱりわからない。で、しばらく見物していたあげく、自分の仕事をしに散っていってしまった。
老悪魔は櫓《やぐら》の上に一日立ちとおし、その明くる日も立ちつくして、のべつ幕なししゃべりつづけていた。彼は何か食べたくなったが、馬鹿どもは櫓の上の彼にパンを持っていってやるほどには気がきかなかった。頭を使ったほうが手を使うよりよく仕事ができるくらいなら、ふざけながらでも頭で自分のパンくらい手に入れるだろうと思っていたのである。そのまた明くる日も老悪魔は物見台に立ちとおして、ぶっつづけにしゃべりまくっていた。そして、みんなはそばへ来て、長いこと見物しては散ってゆくのだった。
イワンはこう尋ねた。
「おい、どうだ、あの紳士は頭で仕事をはじめたかね?」
すると、
「いや、まだです。やっぱりまだわけのわからないことをべらべらしゃべっているだけです」とのこと。さらにもう一日物見台に立ちとおすうちに、老悪魔はからだが弱りだし、よろめいて、頭がごつんと柱にぶつかった。ある馬鹿がそれを見てイワンの后に告げると、イワンの后は畑にいた夫のところへ駆けつけて、こう言った。
「見にゆきましょう。例の紳士が頭で仕事をはじめたそうですよ」
イワンは驚いて、言った。
「ほんとうかね!」
そして馬をつないで、櫓のほうへと歩きだした。櫓のそばへ来てみると、老悪魔はもう飢えのためにすっかり衰弱しきって、よろよろしはじめ、頭を柱にぶつけているところだった。そして、ちょうどイワンがそばまで来たとたんに、悪魔はつまずいて倒れたかと思うと、段々を全部数えるようにして、まっさかさまにすさまじい音をたてて梯子《はしご》の下へ落ちてきた。
「なるほどな」とイワンは言った。「立派な紳士が、時には頭まで割れそうになることだってあるなんて言っていたが、あれは本当だったんだな。これじゃ、たこどころじゃねえ、こんな仕事をしていたら、頭にこぶだってできらあ」
老悪魔が梯子の下に転げ落ちると、頭が地面にめりこんだ。そして、イワンが紳士は仕事をたくさんしたかどうか見ようと、そばへ寄ろうとしたとたんに、地面がぱっと割れて、老悪魔は地中に転がりこみ、あとには穴が一つだけ残ったきりだった。
イワンは頭を掻いて、こう言った。
「いやはや、てめえはまったく、いやらしいやつだな! またあいつだったのか! てっきり、あいつの親父にちげえねえ……なあんてしぶとい野郎だ!」
イワンはいまでも生きている。人が彼の国へわれもわれもと押しかけてくるし、兄たちも彼のところへやって来たので、彼はみんなを養っている。だれか人が来て、「わたしたちを食わしてください」と言えば、かれは「ああ、ええとも、ここで暮すがええ……おれたちの国にはなんでもどっさりあるからな」と言ってやる。
彼の国にはただ一つ、まだ手に『たこ』のある者を食卓につかせてから、たこのない者に残り物を食べさせるという慣わしがあるだけである。
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ふたりの老人
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女は彼にいった。「主よ、私は、あなたが預言者だと見ます。(『ヨハネによる聖福音書』第四章第十九節)
私たちの先祖は、この山の上で礼拝しました、それなのに、イェルザレムで礼拝すべきだと、あなたたちはいっています」(第四章第二十節)
そこでイエズスは女にいった。「婦人よ、私のいうことを信じなさい、この山でもなく、イェルザレムでもなく、あなたたちが御父を礼拝するときが来る。(第四章第二十一節)
あなたたちは知らないものを拝み、私たちは知るものを拝んでいる、救いはユダヤ人から来るのである。(第四章第二十二節)
しかし、まことの礼拝者が、霊と真理とをもって御父を拝むときが来る、いやもう来ている。御父は、そういう礼拝者をのぞんでおられる」(第四章第二十三節)
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ふたりの老人が、旧都エルサレムヘお参りにゆくことを思い立った。ひとりは裕福な百姓で、名をエフィーム・タラースイチ・シェヴェリョーフといい、もうひとりは金持ちとは言えないエリゼイ・ボドロフという男だった。
エフィームはまじめな百姓で、酒も飲まず、タバコを吸いもしなければ嗅ぎタバコも嗅がず、一生涯口ぎたなく罵《ののし》ったこともない、厳格で、しっかりした人間だった。エフィーム・ダラースイチは村長を二期もつとめおおして、国費の不当な支出もせずに円満退職した。彼の家は大家族で、息子がふたりに、嫁をとった孫までいて、みんないっしょに暮していた。彼はからだの頑健な、ひげもじゃの、背中もまっすぐな百姓で、七十でやっと顎ひげに白いものが見えだしたくらい。エリセイのほうは裕福とも言えなければ貧乏とも言えない爺さんで、昔は大工渡世で諸所ほうぼうをわたり歩いたこともあるが、初老にかかろうとするころに家にいついて、いまは蜂《はち》を飼って暮している。息子は、ひとりは出かせぎに出ているが、もうひとりは家にいる。エリセイは気のいい、陽気な人間で、酒も飲めば、嗅ぎタバコもたしなみ、歌をうたうことも好きだが、人間はおとなしくて、家の者とも、近所の連中とも、折りあいよく暮している。このエリセイは、背は高くなく、色は黒くて、顎ひげのちぢれた、そして自分と同名の聖者……預言者エリセイのように、頭のつるりと禿げた男なのである。
老人たちはふたり連れだって行くということでは、もうだいぶ前から約束もし、話し合いもついていたのだが、のべつタラースイチのほうに暇がなかったのだ。つまり仕事のきりがつかなかったのである。やっと一つ片づいたかと思うと、さっそくつぎの仕事が出てくる。やれ、孫に嫁を持たせなければならぬ、やれ、末っ子の除隊を待たねばならぬ、でなければ家の新築を思いたつ、といったふうだったのである。
あるとき、このふたりの年寄りが祭りで落ちあうようなことになって、ふたりが丸太の山に腰かけたことがあった。
「ときに、どんなもんだべ」とエリセイが言った。「例の年貢をおさめに、いつ出かけたもんかね?」
エフィームは眉を寄せて、
「もうちょっくら待ってもらわねばのう」と言った。「今年はどうも苦しい年になっちまったで。家のあの新築を思いたったときは、まあ百ルーブリにいくらかたせばええぐれえに思っていたところが、その百が三百にもなりかねねえ始末でな。それでもまだ仕上がらねえようなわけだものな。夏までかかるんじゃねえのかな。夏になってええおりがあったら、かならず出かけることにすべえ」
「わしの判断じゃ」とエリセイは言った。「延ばすことはねえ、いま行くべきだと思うよ。だって、いまは一番ええ季節だもの……春だもんな」
「季節はたしかにええ季節だが、仕事に手つけちまったのに、とても放り出して行けるもんでねえ」
「じゃ、おまえさんとこにゃ人手がねえっちゅうのかね? 仕事だら息子さんがやるべえに」
「とてもやるもんでねえよ! うちの長男じゃ頼みにもなんにもなったもんじゃねえ……酒ばかりくらってやがって」
「わしらが死んだあとは、とっつあん、わしらなしだってやってゆくさ。それに、息子さんだって、ちったあ覚えねばなんねえしよ」
「それはそうだ。でもやっぱしわしは目を放さねえで仕事を仕上げてえからのう」
「ちえっ、おまえさん! 仕事っちゅうものはな、絶対に全部仕上がるっちゅうことはねえもんだよ。現にこの間も、うちの女どもがお祭り近くに洗いものだの片づけものをしていたが、これもやらねば、あれもやらねばとは思っても、全部にゃ手がまわらねえ。すると、上の嫁が、利口な女だ、こう言うでねえか。『ありがてえことに、お祭りはどんどんやってきて、わたしたちを待っちゃくれねえ。でなかったら、いくら仕事をしたって、全部仕上がるもんじゃねえからね』だとさ」
タラースイチは考えこんでしまった。
「あの建築にゃずいぶん金をつぎこんだし、旅に出るとなればやっぱし空手《からて》じゃ行けねえしな。ちょっとやそっとの金じゃねえからの……百ルーブリって言やあ」
エリセイは笑いだした。
「罪つくりなこと言うでねえよ、とっつぁん。おまえさんの収入はわしの十倍もあるっちゅうのに、ぶつくさ金のことばかり言って。言うことは、いつ発つかっちゅうことだけだよ……わしだって金はねえ、が、まあそのうちできると思ってるだ」
タラースイチもにやりと笑って、
「ほほう、これはまた大した金持ちが現れたもんだ。ところで、その金はどこから持ってくるだ」
「家んなか掻きまわして、まあいくらか掻き集めるさ。それでもたりなければ、……蜂の巣箱を十ばかり巣場から出して隣へわけてやるわな。前々から頼まれているでな」
「けっこうな蜂寄せの季節にでもなったら、それこそ吠えづらかくだべ」
「吠えづらかく! なんの、とっつぁん! 罪ということをのぞいたら、生涯になにひとつ吠えづらかくことなんかありゃしねえよ。魂より大事《でえじ》なものはねえからの」
「そりゃ、ま、そうだが、家のことでごたごたしていたら、やっぱしうまくねえもんな」
「それより、てめえのほうがごたついているようじゃ、なおのこといけねえ。約束したこった……行くべえ! ほんとに行くべえ!」
こうしてエリセイは相棒を説きふせてしまった。エフィームがあれこれ思案したあげくに、エリセイのところへ来て、こう言ったのである。
「かまうことはねえ、行くべえ、おめえさんの言うとおりだ。死ぬも生きるも神さまの思し召し。生きていて元気なうちに、出かけねえことにはのう」
一週間後には老人たちの準備もととのった。
タラースイチのほうは家に金があった。彼は自分の旅費に百ルーブリとって、ばあさんに二百ルーブリほど残しておいてやった。
エリセイのほうも用意ができた。隣へ巣場から集めた巣箱を十売り、その十の巣箱からかえった蜂の子も隣へ売ることにして、その全部の売りあげ七十ルーブリをもらい、あとの三十ルーブリは家じゅうの者から掃き集めるようにして集めた。それに、ばあさんが自分のなけなしの金を出してくれた。それは葬式費用に貯めこんでおいたものだった。嫁も自分のへそくりを出してくれた。
エフィーム・タラースイチは長男に用事を一つのこらず、どこで、どのくらい草を刈るかということから、肥料をどこへ運び出すか、家の新築をどう仕上げ、屋根をどうふくかということまで指示し、何ごとでもいちいちとっくり考えて……指図した。エリセイのほうはただばあさんに、売った巣からできた子は別に移し入れてやって、隣にごまかさずに正直に渡すようにと言いつけただけで、何をどうすべきかは、仕事をしているうちに自然にわかってくると言って、家事にはいっさい口出ししなかった。めいめい自分自身があるじなんだ、自分のためにいちばんええようにするがええ、といったふうだったのである。
老人たちは旅の仕度をととのえた。手製のビスケットを焼き、ずだ袋を縫い、あたらしい脚絆《きゃはん》を裁ち、あたらしい半長を履き、予備の草鞋《わらじ》をさげて出発した。家のものは村はずれまで見送って別れ、老人たちは旅にのぼった。
エリセイはうきうきした気持ちで発ち、村を離れるともう自分の仕事のことなどいっさい打ち忘れてしまっていた。そして念頭にうかぶ考えといえば、ただ道中どうしたら連れの友に満足してもらえるか、どうしたらだれにも荒い言葉をかけずにすむか、いかにして平和と愛のうちに目的地へたどり着き、家へたちもどろうか、といったようなことばかりだった。エリセイは道をたどりながら、たえずひとりで祈りの言葉を口ずさんだり、知っているかぎりの聖者伝を記憶によみがえらしたりしていた。そして道中、人と道づれになったり、宿に泊まったりしたときも、どうしたらあらゆる人にできるだけ愛嬌《あいきょう》よくふるまい、神の教えにそうような言葉づかいができるかということだけに専念していた。だから、歩いていても、心楽しかった。とはいえ、エリセイには一つだけ、どうしてもできないことがあった。嗅ぎタバコをやめようと思って、樺《かば》の皮で作ったタバコ入れを家へおいてきたところが、さびしくてやりきれず、道中で人にもらったのが運のつきで、相棒を罪に引き入れまいと、歩みを遅らしてはちょいちょいタバコを嗅いでいたのである。
エフィーム・タラースイチもしっかりした足取りでよく歩いた。それに、悪いこともしなければ、馬鹿げたことも口にしなかったが、それでいて彼の心は軽くはなかった。家事にかかわる心配ごとが頭から去らず、しょっちゅう、家のほうは今どうなっているだろう、何か息子に指示してくるのを忘れてはいないだろうか、せがれはちゃんとやっているだろうかなどと、家のことを思い出し、途中で人がじゃがいもを植えたり肥料を運んだりしているのを見れば、せがれは命令どおりちゃんとやっているだろうか、などと思うのである。そして、このまま引き返して、何もかも教えてもやり、自分でやっても見せたいような気持になるのだった。
老人たちは五週間も歩くうちに家でこしらえてきた草鞋《わらじ》もはきつぶしてしまったので、はやくもあたらしいのを買いだした。こうして小ロシアヘたどり着いた。家をあとにしてからは、泊まるにも食事をとるにも、いちいち金を払わなければならなかったのに、小ロシア人の国へ来てからというものは、人がふたりをわれ先にと家へ呼び入れてくれるようになった。そして家へも入れてくれるし、物も食べさせてくれるのに、金を取らないばかりか、ずだ袋に弁当用にとパンだのビスケットだのを入れてくれるのである。こうして老人たちはしごく気楽に七百キロほど歩いた。そして県庁所在地も通って、たどり着いたのは凶作地だった。この辺では家へ入れてもくれるし宿賃も取らないかわりに、食べさせてはくれなかった。家によってはパンもくれないし、ときによると、金を出しても物が手にはいらなかった。土地の人の語るところでは、去年はなんにもできなかったとのことだった。裕福だった者は落ちぶれて、何もかも売り払ってしまい、中どころの暮しをしていた者も無一物になり、貧乏人にいたっては……まったく立ちのいてしまったり、乞食をして歩いたり、家でかつかつの暮しをたてたりしていた。冬のあいだは、籾《もみ》がらだの、あかざなどを食べていたということである。
ある日、老人たちは小さな町に宿をとって、六キログラムほどパンを買いこんで、ひと晩とまると、暑くなる前にすこしでも先へ行こうと、空がしらむ前にそこを出た。十キロばかりゆくと小川のほとりに出たので、ふたりは腰をおろして、茶碗に水をくんで、パンをひたして食べ、草履を履きかえた。そして、しばらく坐りこんでひと息いれた。エリセイが角製のタバコ入れを出すと、エフィーム・タラースイチは彼に首を振ってみせて、こう言った。
「どうしてそんな、よくねえ習慣がやめられねえのかな!」
すると、エリセイは手を振って、こう言った。
「罪に負けちゃっただ、どうしようもねえ!」
ふたりは腰をあげると、先へむかって、さらに五キロほど歩いた。大きな村に着き、そこも通りすぎた。もう暑くなってきていた。エリセイは疲れてしまったので、一服したくなったし、水を飲みたくもなったが、タラースイチは足をとめようともしない。タラースイチのほうが足が達者なので、エリセイはあとについてゆくのが少々骨だった。
「水を飲みてえんだがな」
「ええとも、飲むがええ。わしは飲みたくはねえけんどな」
エリセイは足をとめて言った。
「おまえさんは待っててくれねえでもええ。わしはちょっとあの百姓家へ立ち寄って、水を飲んでくるからな。じき追いつくから」
「ああ、ええとも」こう言ってエフィーム・タラースイチはひとりで先へ歩きだし、エリセイは百姓家のほうへ方向をかえて行った。
エリセイは百姓家に近づいた。さほど大きくもない、塗り壁の家だった。上は白いが、下は黒くて、すでに壁土も剥げ落ち、どうやらもうだいぶ前から塗りかえもしてないらしく、屋根も片側が口をあけている。はいるのは外庭からになっていた。エリセイが外庭へはいって、ふと見ると、盛り土(寒気を防ぐために家のまわりに盛る土)のそばに、小ロシア風にシャツとズボン下といったかっこうの、顎ひげのない、骨と皮ばかりの男が寝ころんでいる。見たところ、涼しい所にと思ってそこに寝たらしいが、いまはもう太陽がその男の真上に移ってしまっている。その男は寝てこそいるが、眠っているのではなかった。エリセイはその男に声をかけて、水をくれといったが、……男は返事をしない。『病人だべ、でなけりゃ無愛想な男なんだべ』エリセイはそう思って、戸口のほうへ行ってみた。家のなかから子供の泣く声が聞こえてくる。エリセイは戸の鐶《かん》で戸をたたいた。「お家のかたがた!」と言ってみたが、返事はない。さらに、「信者のかたがた」とも言って、杖で戸をたたいてもみたが、からだを動かす気配もない。「神のしもべのみなさん!」それでも返事はない。で、エリセイはよそへ行きかけた、とそのとき、戸のむこうからだれかが溜息をつく声が聞こえてきた。『ここの家の者に何か災難でも起きたんじゃあるめえか? ちょっと見てやらねば!』こう思ってエリセイは家のなかへはいっていった。
戸の鐶《かん》をまわしてみたが、……鍵はかかっていなかったので、戸をあけて、玄関口を通って、なかへはいっていった。家の内戸はあいていた。隅には聖母の像があり、机がある。机のむこうには長腰掛けがあって、その腰掛けに、肌着だけ着た頭に何もかぶっていない老婆が腰掛けたまま、頭を机の上にのせている。そしてそのそばには全身蝋燭のようにやせて、腹ばかり大きい男の子が、老婆の袖を引っぱって、わあわあ泣きながら、何かねだっている最中である。エリセイがはいってみると、家のなかにはいやな匂いがこもっていた。見ると、暖炉のかげの床の上に女がひとり横になっている。うつぶせに寝たきり、こちらを見ようともせず、ただしわがれ声でうめいては、足をのばしたり、引っこめたりしているだけである。そして足をあっちこっちへ投げ出すたびに、その足からいやな匂いがしてくるのだ、……おそらく、たれながしのままで、始末をしてくれる者もいないのだろう。老婆は首をあげたときに、人がいるのに気づいた。
「おまえさんは何がほしいのかな? 何がほしいんじゃ? おまえさん、なんにもありませんがな」
エリセイは彼女の言っていることがわかったので、そばへ寄ってこう言った。
「わしはな、おまえさん、水を飲ましてもらうべえと思って寄ってみたんだよ」
「ないがな。汲んでくる道具もないしな。自分で行って飲みなさるがいい」
エリセイは問いただしはじめた。「どうなんだべかね、お宅にゃこの人の始末をしてくれるような達者な人はいねえのかね?」
「そんな者はだれひとりおりゃせん。亭主は庭で死にかけてるし、ほかはわしらだけじゃし」
男の子は見知らぬ人をみて、ちょっと黙りかけたが、ばあさんが口をききだすと、またその袖をつかんで、「パンだよ、ばあちゃんよ、パンだちゅうに!」と言って泣きだした。
エリセイがまた何か聞こうと思ったところへ、とたんに百姓が転がりこんで来た。そして壁づたいに横ぎって、腰掛けに腰をかけようとしたが、そこまで行きつけずに、隅の敷居の上にばったり倒れてしまった。そして、立ちあがれぬままに、口だけききはじめた。ひと言ずつ区切りながらしゃべっては、……息をついて、つぎの言葉にかかるのだった。
「このとおり、病気にはみまわれるし、それに……腹はぺこぺこじゃし。これも餓死しかけとるしな!」と百姓は頭で男の子をしゃくってみせて、泣きだした。
エリセイは肩にかけていたずだ袋をひとゆすりゆすりあげて、手を離して床の上に放りだすと、それを腰掛けの上にあげて、結び目を解きはじめた。そして、ほどいて中からパンとナイフを取りだして、パンをうすく切って百姓にやった。百姓はそれを取らずに、男の子と女の子を指さして、
「これたちにやってくだされや」と言うので、エリセイはまず男の子にやった。子供はパンだとわかると、からだをのばして両の小さな手でパン切れをつかみ、パン切れに鼻ごとかぶりついた。そこへ女の子も暖炉のかげから這いだしてきて、パンにじっと目をすえたので、エリセイはその子にもくれてやった。そしてさらにもうひと切れ切って、老婆にもやった。老婆もそれをもらうと、むしゃむしゃ食べはじめた。
「水を汲んできてくれるとありがたいがの。みんな、口がからからじゃで。きのうじゃったかきょうじゃったか、もう覚えはないが、……汲んで来よう思うたんじゃが、途中で倒れてしもうて行きつけませなんだ。桶《おけ》は、だれかが持ってゆかにゃ、まだあそこにあるはずじゃ」
エリセイが井戸のありかをたずねると、老婆が説明してくれた。で、出かけていってみると桶があったので、水を汲んできて、家じゅうの者に飲ましてやった。子供らは水といっしょにまたパンを食べ、老婆も食べたが、百姓は「気持ちが受けつけない」と言って食べようとはしなかった。かみさんは……これはもうまるきり起きもしないし、気も確かではなく、ただ仮寝床の上でもがいているばかり。エリセイは村の雑貨屋へ行って黍《きび》、塩、小麦粉、バターなどを買いもとめてきた。そして手斧を探しだしてきて、薪を小割りにして暖炉をたきはじめると、女の子は手伝いはじめた。エリセイは雑炊《ぞうすい》と麦粥をこしらえてみんなに食べさせた。
あるじの百姓もそれにすこし口をつけ、ばあさんも食べ、女の子と男の子は茶碗まできれいになめたあと、ごろりと転がって、抱きあったまま眠ってしまった。
百姓の男と老婆は、自分たちの身に起こった出来事を、こう語りだした。
「わしどもの暮しはこうなる前でさえ豊かではなかったのじゃが、そこへ何ひとつ作物ができなくなったので、秋から居食いをはじめよっての。それも残らず食べつくしてしまうと、今度は近所の人や情けぶかいみなさんから分けてもらいだした。はじめのうちはよくくれたものの、そのうち断わりだしましての。人によっては、ありさえすれば喜んでくれたんだろうが、ないんじゃからしかたない。こちらも分けてもらうのが恥ずかしゅうなってきた。なにせ、みんなから金も粉もパンも借りっぱなしじゃからなあ。わしは仕事も探したが、……仕事はない。どこへ行っても、みんな食べものほしさに仕事に群がり寄るありさまじゃでのう。そのうち、ばあさんと娘は遠くへ物乞いに行きだした。施しものは申しわけ程度、なにせ、どこの家にもパンはないんじゃからの。それでもなんとか食べてきました、つぎの収穫までこうして凌《しの》いでゆこう思いましてな。ところが、春からこっち、ばったり物をくれる者がなくなったところへもってきて、病気にまで襲われる始末。ほんにひどいことになりました。一日食べたら、あとの二日は口へ入れるものがないようなありさま。で、草を食べだしました。その草のせいか、なんのせいか、今度はかかあが病気にやられましたんじゃ。かかあには寝こまれるし、わしにはどうする力もない。立ちなおるすべはさらにないときている」
こう百姓が言うと、そのあとを老婆がひきとって、
「わしひとり頑張っとりましたが、食いものもないので精根もつきはて、弱りはててしもうての。この女の子も弱りはててしもうたうえに、気も弱うなりましてな。近所へ使いに出しても……行こうともせず、隅っこに引っこんじもうて、出てきませんのじゃ。おとといも隣のおかみさんが寄ってくれよりましたが、飢《かつ》えたのや病人ばかりなのを見ると、そのまま引っ返して行ってしまったじゃ。その当のおかみさんのところでも、亭主が家を出たきりで、小さい子に食わすものもないようなありさまじゃからなあ。そんなわけで、こうして寝たまま……死ぬのを待っとったところじゃ」
エリセイはふたりの話を聞くと、その日のうちに出かけて連れの者に追いつくことを断念して、そこに泊まってしまった。そして、老婆といっしょにパンをこね、ペチカをどんどん焚き、女の子といっしょに入り用なものを借り歩いた。だが、借りに行っても何ひとつなかった。どこでも、何もかも食べてしまっていたのである。そこでエリセイは必要なものを用意しはじめた。物によっては自分でこしらえ、物によっては買ってくるというふうにして。
エリセイはこうして一日をすごし、二日目も居、三日目もいつづけた。男の子はもとどおりになって、長腰掛けづたいに歩きだし、エリセイになついてきた。女の子はすっかり快活になって、仕事ならなんでも手伝い、いつも『じいちゃん! じいちゃん!」と言いながらエリセイのあとを追いかけるようなあんばい。老婆も起きだして、隣のかみさんのところへ出かけるようになり、百姓も壁づたいに歩きだした。ただひとり女房だけは寝たきりだったが、これも三日目には意識をとりもどし、食べるものもほしがりだした。『いやはや』とエリセイは考えた。『まさか、こんなに時間をつぶすとは思わなかったな。もう出かけるべえ』
四日目に精進明けが近づいたので、エリセイはこう考えた。『ひとつ家じゅうの者と精進明け祝いをして、みんなに何かお祭りに使うものを買ってやってから、夕方発つことにすべえ』。で、エリセイはまた村へ出かけていって、牛乳だのメリケン粉だのラードなどを買ってきた。そしてばあさんといっしょに煮物をこしらえたり、パンや菓子を焼いたりして、あくる朝祈祷式に行ってきてから、みんなでいっしょに精進落ちの祝いをした。この日は、かみさんも起き出して、その辺をぶらつきはじめた。あるじの百姓はひげをそり、清潔なルバーシカを着て(ばあさんが洗濯しておいたのである)、村の金持ちの百姓の情けにすがろうと出かけていった。その富農のところに草場も畑も抵当にはいっていたので、……今度の収穫期まで草場と畑を貸してくれるようにと、頼みに行ったのである。あるじは晩方近くに憂鬱な顔をして帰ってくると、泣きだしてしまった。金持ちの百姓は「まず金を持ってくるんだな」などと言って、けんもほろろのあいさつだったのである。
エリセイはまた考えこんでしまった。『この連中はこれから先どうやって暮していったらええんだべ? 人は草刈りに出かけるっちゅうのに、この連中はどうしようもねえ。草場が抵当にはいっているような始末だもんな。やがて裸麦が実れば……人は取り入れにかかることだべが(しかも裸麦のできのええことと言ったら!)、ここの家の者はただ待っていたところで、なんにも手にはいるわけじゃねえ。この家じゃ一ヘクタールの土地だって金持ちの百姓に売っ払っちまってるんだからな。わしが行っちゃったら、この連中は前みてえに途方に暮れちまうにちげえねえ』
こうしてエリセイは思い乱れて、その夕方は発ちそびれ……出発を朝に延ばしてしまった。彼は戸外へ寝にゆき、お祈りして横にはなったが、どうも寝つけない。出発もしなければならない……こんなことをしている間にもう金も時間もずいぶん使ってしまった。が、かと言って彼らのことも哀れでならないのだ。『だれにもかれにも施しをするわけにはいかねえようだて。はじめはあの連中に水を汲んできてやって、パンをひと切れずつやるべえって思っただけなのに、それがとんでもねえことになっちまった。今度は……草場だの畑を買いもどしてやらねばなんねえ。畑を買いもどしてやれば、子供らに雌牛を買ってやらねばならず、亭主には穀束を運ぶのに馬も買ってやらねばなんねえちゅうことになる。とほっ、兄弟、エリセイ・クジミーチ、どうやらおまえはこんぐらかっちまったようだな。錨《いかり》をあげたまんま、見当がつかなくなっちまったかっこうでねえか!』
エリセイは起きあがると、頭の下にしていた百姓外套を取ってそれをひろげ、角製のタバコ入れを出してタバコを嗅いで、考えを整理しようと思ったが、だめである。考えに考えぬいても、何ひとつ思い浮かばないのだ。出発しなければならないが、連中もかわいそうだ。が、だからといって、どうしたらいいのかもわからないのである。で、百姓外套をまるめて枕にして、また横になった。そんなふうにして長いこと横になり、はやくも鶏がときをつげるころになって、やっとぐっすり眠りこんだ。と突然、彼はだれかに呼び起こされたような気がした。見れば、自分はすっかり身じまいをととのえ、ずだ袋を背負って、杖を手にしている。門を通り抜けなければならないのだが、門は、ひとりがやっとくぐりぬけるくらいしかあいていない。門を通ろうとしたとたんに、片方でずだ袋を引っかけてしまい、それをはずそうとしたところが、今度はもう一方で脚絆《きゃはん》を引っかけたため脚絆がほどけてしまった。で、それをはずしにかかったが、それは垣根かなんぞに引っかかったのではなくて、女の子がおさえていたのだった。そして「じいちゃん、じいちゃん、パンおくれよう!」と叫んでいるのである。それに足もとを見れば、男の子が脚絆にしがみついているし、窓からは老婆と百姓がこちらをじっと見つめている。
エリセイは目をさますと、こう声に出してひとりごとを言った。『あした、畑と草場を買いもどしてやるべえ。それに馬も、今度の収穫期までの粉も買ってやるべえ。それから子供らには雌牛も買ってやるべえ。そうしねえと、海をわたってキリストを求めに行ったところで、自分自身の心のなかのキリストをなくしちまう道理だでな。まずあの連中を立ち直らしてやるこった!』
こう言って、エリセイは朝まで眠りこんでしまった。彼は朝はやく目をさますと、金持ちの百姓のところへ出かけていって、……裸麦を買いもとめ、耕地の代金も渡してきた。それから、大鎌を買って(これも売っ払ってしまっていたのである)、家へ持って帰った。そして百姓のあるじを草刈りに出して、自分はあちこち百姓家をまわり歩いたあげく、居酒屋の主人のところで車つきの馬をさがして、値ぎって買ってきた。それから粉も八十キロほど買い、それを馬車に積んで、雌牛を買いに出かけた。エリセイは、歩いてゆくうちに、ふたりづれの小ロシア人の女に追いついた。女どもは歩きながら、互いにべちゃくちゃしゃべりちらしていた。女どもが自分の国のことばでしゃべっているのが耳にはいってきたので、エリセイが注意して聞いてみると、自分を噂の種にしているのだった。
『それがさ、初めのうちは、あの人がどないな人なのか見当もつかず、普通の人と思ってたんだとさ。なんでも、水飲みに立ち寄ったまんま、あそこに住みついてしまったそうな。そして家の者になんでも買ってやるんだって。わしもこの目で見たんやけど、きょうも居酒屋のおやじから車つきの馬を買ってたよ。世のなかにあんな人はそうたんとおりゃせん。行って見ましょうや』
それを聞いているうちに、自分のことをほめているんだなとわかると、エリセイは雌牛を買うのをやめてしまった。そして、居酒屋の主人のところへ立ち寄って馬の代金を払い、馬に車をつけ、粉を荷車にのせて、百姓家へと向かい、門の前に乗りつけると、馬をとめて、馬車からおりた。あるじ夫婦は馬を見たとたんに、びっくりしてしまった。彼らにも、自分らのために馬を買ってきてくれたのだと察しはついたが、口には出さなかった。主人は出ていって、門をあけてやった。
「その馬はどこから曳いて来たんです、じいさん?」
「買ってきただよ。安い出物があったでな。草を刈って、その草を飼い葉桶へこいつの夜食べる分として入れてやってくれ。それから袋もおろしておいてくれよ」
あるじは馬をはずし、袋を倉へ運び、草をひとかかえほど刈って、飼い葉桶に入れた。家の者は寝についた。エリセイは通りへ出て、寝た。夕方のうちにそこへ自分のずだ袋を運びだしておいたのである。村じゅうが眠りこんでしまうと、エリセイは起きあがって、ずだ袋の口をからげ、履物を履き、百姓外套を身につけて、エフィームのあとを追って旅に出た。
エリセイが五キロほど村を離れたころ、あたりは白みはじめた。彼は木の下に腰をおろして、袋の結び目を解いて、あり金の勘定をはじめた。勘定してみると、金は十七ルーブリ二十コペイカ残っていた。『いや、これじゃ海を越えてゆかれやしねえ! キリストの御名をとなえて喜捨を集めて歩くようなまねをして……これ以上罪を重ねたくもねえしな。エフィームおじはひとりで行っても、わしのかわりにお灯明をあげてくれるべ。これでわしの年貢は死ぬまで収められずじめえになるが、ありがてえことに、主はお情けぶけえおかただ……勘弁してくださるべえ』
エリセイは腰をあげると、袋を肩に背負いあげて、あとへとって返した。ただ例の村だけは、みんなの目にとまらないように、遠回りして避けて通った。こうしてエリセイはほどなく家にたどり着いた。行きは、大変なような気がして、やっとエフィームについてゆくようなありさまだったが、帰りは、神さまのおかげか、いくら歩いても疲れというものを知らなかった。遊びながら杖をふりまわしたりして歩いたのに、日に七十キロずつも歩けた。
エリセイが家へ着いたときには、すでに家じゅうの者が畑から引きあげてきていた。うちの者はじいさんが帰ったことを喜んで、どういうふうにして、またどうして、相棒から遅れてしまい、どうして向こうまで行かずにもどって来たのかなどと、根掘り葉掘り聞き出しにかかった。が、エリセイはありのままを語らずに、ただ、「神さまのお導きがなかっただよ」などと言っていただけだった。「旅費はなくしちまう、相棒からは遅れてしまうでな。それで行かずじめえになっちまったわけさ。ま、どうか勘弁してくんな!」
そしてばあさんにあまった金を渡した。エリセイは家事のことをいろいろ問いただしてみたが、万事うまくいっていて、仕事は全部仕上がっており、農事のほうも手落ちはなく、みんな仲よく平和に暮していた。
エフィームの家の者もその日のうちにエリセイの帰りを聞きつけて、自分の家のじいさんのことを問いあわせにきた。エリセイは彼らにも同じようなことしか言わなかった。
「おまえんとこのじいさんは元気に出かけたよ。ふたりが別れわかれになったのはペテロの日の三日前だったな。わしは追いつくべと思っただが、そこへいろんなことが重なってな。金をなくして旅費もなくなったで、急に引っ返して来ただ」
一同あっけにとられてしまった。これほど利口な男なのに、どうしてそんな間抜けたことをしてきたのか、……出かけてゆきながら、向こうまで行きつけずに、金ばかり使ってきたのかと、驚いたのである。が、驚きはしたものの、じきにそれも忘れてしまった。エリセイも忘れて、家の仕事にとりかかった。息子といっしょに冬の用意に薪を作ったり、女どもといっしょに粉をひいたり、物置きの屋根ふきをしたり、蜜蜂の手じまいをして蜂の巣箱を十に、子までつけて隣にひき渡したりした。ばあさんは夫に、売った巣箱からどのくらい蜂の子が出たか、隠しておこうと思っていたが、エリセイは、どういうのが子を持たないのか、どういうのが子になって出たかを、ちゃんとわきまえていたので、隣には十ではなくて十七も渡した。エリセイは取り入れをすましたあと、息子を稼ぎに出して、自分は冬の用意に長いこと草鞋を編んだり、木靴を彫ったりしていた。
エフィームは、エリセイが例の病人の農家に居ついてしまったあの日、まる一日彼を待った。すこし行ったところで、腰をおろして待ちつづけた。うとうとして目をさましてからもなおしばらくはそこに坐っていたが、……連れの男はやって来ない。長い間むだに待っているうちに、太陽ははやくも木々のかげに隠れてしまった、……が、それでもエリセイはやって来ないのである。で、彼はこう考えた。『もうわしのそばを、歩いて、でなければ車ででも(だれかに車にのせてもらって)、通り過ぎちまったんじゃねえかな。そしてわしが眠っている間にわしに気づかなかったんじゃあるめえか。いや、見えなかったわけはねえ。こんな野っ原だったら、遠目だってきくはずだからな。引っ返してもええんだが、そんなことをしたら、やっこさん、先へ行っちまうかもしれねえしな。そしてお互いに遠ざかっちまって、なおまずいことにならあ。先へ行って、宿で落ちあうことにすべえ』
そして村へ着くと、巡査に、こういう年寄りが来たら同じ百姓家へ案内してくれるようにと頼んでおいた。が、エリセイはその宿へは来なかった。エフィームは先へ行って、会う人ごとに、頭の禿げた小柄な年寄りを見かけなかったかと聞いてまわった。だれひとり見かけた者はいなかった。エフィームは不思議に思いながら、ひとりで出かけた。そして『どこかオデッサか船の上ででも落ちあえるべえ』と思って、それっきり考えるのをやめてしまった。
そのうち、道中で、ある旅僧と道づれになった。丸帽に僧侶のふだん着といったいでたちで、髪を長くしたその旅僧は、アテネにも行ってきたが、これからもう一度エルサレムヘ行くところだとのことだった。ふたりは宿で顔をあわして、話をかわし、行《こう》を共にすることになった。
無事にオデッサヘたどり着いた。そこで三昼夜も船待ちした。巡礼が大勢待っていた。いろんな方面から来た人たちである。エフィームはまたエリセイのことをたずね歩いたが、……だれひとり見た者はいなかった。
エフィームは外国の旅券を手に入れた、……五ルーブリだった。そして往復で四十ルーブリ払い、旅の食糧にパンやニシンを買いこんだ。積み荷も終え、巡礼たちの乗船もすみ、タラースイチも旅僧といっしょに船に乗りこんだ。錨《いかり》があげられ、ともづなが解かれ、船は海へ出た。昼間は順調な航海だったが、夕方近くなって風が出、雨が降りだし、船は揺れだして、波をかぶりはじめた。乗客は大波につきあげられ、女どもは悲鳴をあげ、男のなかにも、すこし気の弱い者で船のなかを駆けまわって落ちつき場所を探しはじめる者もいた。エフィームも恐怖には襲われたけれども、色には出さなかった。彼は乗りこんだときから、床の上の同じ場所に、タンボフの年寄り連中と隣あわせに坐ったきり、その晩ひと晩とあくる日いっぱいそこに坐りとおした。もっとも、自分の袋を握ったまま、口はひと言もきかなかった。嵐は三日目に静まり、五日目にはイスタンブールに着いた。巡礼のなかには、岸へあがって、現在はトルコ人が占領している賢女ソフィヤ寺院を見物しに行った者もいたが、タラースイチは上陸せずに、船のなかにいつづけた。ただ白パンを買っただけだった。
そこに一昼夜碇泊して、また航海がはじまった。船はさらにスミルナ市のそばともう一つの町アレクサンドリヤに寄港して、無事、ヤッファ市に着いた。このヤッファで巡礼はみな下船して、……それからエルサレムまで七十キロほど歩くのである。船をおりるときにも、乗客はやはり恐怖に襲われた。船の甲板が高いし、それに、その船から乗客が飛びおりるべきボートが揺れているしするので、へたをすると、うまくボートのなかへはいれずに、脇へ落ちてしまうのだ。それでも二名ほど濡れ鼠《ねずみ》にこそなったが、全員無事に上陸できた。上陸してから、徒歩でゆく者は歩きだした。そして三日目の昼食時近くにエルサレムヘ者いた。エフィームたちは市外のロシア人の旅籠《はたご》にとまって、旅券の査証をしてもらい、昼飯を食べてから、巡礼たちといっしょに諸所の聖跡をたずね歩いた。
その日はまだ肝心の主の御墓《みはか》への入場は許されていなかったので、主教僧院へ行ってみた。そこでは参拝者は全部集められて、男女別々に着席させられた。一同、履物をとって、円陣をつくって坐らされた。修道僧が手拭いを持って出て、みんなの足を洗いはじめた。洗って拭いて接吻をし、そんなふうにしてみんなを一巡した。エフィームにも足を拭いてくれ、接吻をしてくれた。彼らは晩のミサと朝のミサに参列し、祈りをあげ、灯明をそなえ、両親の追善供養《ついぜんくよう》をした。ここでは食事も出、ぶどう酒の饗応もあった。あくる朝は、エジプトのマリヤが避難したというマリヤの庵室に詣でた。ここでも御灯《みあかし》を供え、短い祈祷式をとり行なった。一同はそこからアブラハム修道院へ歩いていって、サヴェクの園(アブラハムがわが子を犠牲に供えようとした場所)を見た。ついで、キリストがマグダレーナのマリヤの前に現われたもうた場所や、主の兄弟ヤコブの教会へも行った。旅僧は旧跡を全部見物させてくれ、行く先ざきで、どこではいくら金を納めなければならないかというようなことを教えてくれた。一同は昼食をしたために旅籠へもどって、食事をとった。そしていざ寝につこうという段になって、例の旅僧が溜息をつきはじめ、自分の衣服をあらためだし、なにかその辺を探しはじめた。
「金のはいっている財布を盗まれちゃった。二十三ルーブリほど、十ルーブリ紙幣二枚に細かいので三ルーブリあったのに」
旅僧はくどくど泣きごとを並べていたが、どうにもしようがないので……一同寝についた。
エフィームは寝てから、ふと疑いを持ちだした。『あの旅の坊主、きっと金を盗まれたんじゃねえぞ』と彼は思った。『どうも、あいつ、初めっから金なんか持ってなかったみてえだ。どこへ行っても金なんか出さなかったものな。わしには出せなんて言っておきながら、自分は出さなかったし、それにわしから一ルーブリ借りたくれえだもの』
エフィームはこう考えてから、すぐに自分で自分を責めはじめた。『なんだ、おれなんか、人のことをとやかく言えたもんでねえぞ。罪なこった。もう考えねえことにすべえ』だが、ようやく忘れかけたと思うと、またすぐに、あの旅の坊主は金にはまったく目のきく野郎だとか、財布を盗まれたなんて、あいつらしくもねえことを言ってるわい、などと批評して、『初めっから金なんか持ってなかったんだ。言いぬけかなんかにちげえねえ』と思うのだった。
一同は未明に起き出すと、復活大聖堂の主の御墓《みはか》へ朝祷式に出かけた。旅僧はエフィームから離れないようにして、同行した。
聖堂へ来てみると、人が大勢(ロシア人ばかりでなく、ギリシャ人、アルメニヤ人、トルコ人、シリア人と、ありとあらゆる民族の旅僧や巡礼が)つめかけていた。エフィームがみんなといっしょに聖門に着くと、修道僧がみんなを案内してくれた。彼はトルコ人の番兵のそばを通って、その昔、救世主が十字架からおろされて油をぬられた場所で、いまは九本の大燭台がともされている所へ案内され、いろんなものを見せてもらい、説明を聞かせてもらった。エフィームはここでも御灯《みあかし》を供えた。やがて僧たちは、右手の階段を登ってエフィームをゴルゴタ、つまり十字架が立てられた場所へ案内してくれた。エフィームはここでも祈祷をした。それから、奈落まで大地が裂けたというその地割れも見せてもらい、キリストが手足を釘で打ちつけられた場所も見せてもらった。ついで、キリストの血がアダムの骨の上に流れたというアダムの墓も見せてもらった。それから一同は、キリストが茨《いばら》の冠をかぶせられたときに腰掛けたもうたという石のところへ行き、つづいて、キリストが打たれたときに縛りつけられた柱のところへも行った。最後にエフィームはキリストの足型だという穴の二つあいてある石も見た。そのほかに何か見せてもらえるはずだったが、一行は先を急きだした。主の御墓のある洞窟へと急ぎだしたのである。そこでは他の宗派の聖餐式が終わって、ギリシャ正教の聖餐式がはじまったところなのだ。で、エフィームはみんなと連れだって洞窟へと向かった。
彼はなんとかして旅僧をまいてしまいたいと思っていた(彼はあれからずうっと心のなかで旅僧に対して罪を犯しつづけていたのである)が、旅僧は彼につきまとって離れず、主の御墓の聖餐式にも同行した。彼らはなるべく前のほうに立ちたいと思うのだが、それができなかった。群衆がひしめいていて、前へも、うしろへも動きがとれなかったのである。エフィームは立ったまま、前方に目をそそいでお祈りをあげてはいても、祈りどころではなくて、しょっちゅう、財布はあるかと探ってばかりいた。彼の考えは二つにわかれて、一方ではあの旅の坊主はおれをだましているんだと思い、他方では、もしだましたんではなくて、ほんとうに盗まれたんだったら、おれはよくもまあ同じような目にあわなかったもんだな、などと考えていた。
こうしてエフィームは立ったまま祈りをささげ、当の柩《ひつぎ》のある前方の礼拝堂に瞳をこらしていた。礼拝堂の柩の上には三十六本の灯明がともされていた。エフィームが立って、頭ごしに見つめていると、なんと不思議なことではないか! 灯明の真下、至福のともしびのともるあたりの、なみいる人々の前のほうに、色染めのしてない目の荒いラシャの百姓外套をまとった小柄な老人が立っていて、エリセイ・ボドロフのようにまる禿の頭を輝かしているのが目についたのだ。『エリセイにそっくりだ』と彼は思った。『しかし、あの男が来ているわけはねえ! わしより先に来られるわけはねえからの。わしらの乗った船の前の船は一週間も前に出航していて、あの男が先まわりしたはずはねえ。それにわしらの船には乗っていなかったし。わしは乗った巡礼の顔は全部見たんだからの』。
エフィームがこう思ったとたんに、その小柄な老人は祈祷をはじめ、一回は正面の神に、ついで両側の正教の信者たちにと、都合三回頭をさげた。そしてその老人が右側へ首をまわしたときに、エフィームはまさしく彼にちがいないと確認した。まぎれもない彼、ボドロフだったのだ、……黒っぽい、ちぢれた顎ひげといい、白髪まじりのもみあげの毛といい、眉毛といい、目といい、鼻といい、その顔かたち全体といい、ほかならぬ彼、エリセイ・ボドロフだったのである。
エフィームは友にめぐりあったことを喜びながらも、エリセイがどうしてこんなに自分より先に来られたのだろうと、不思議に思った。
『おい、これ、ボドロフ』と彼は心のなかでいった。『どうしてそんなに前へ出られたんだ! おそらく、だれかと仲よくなって、その人に案内してもらったんだべ。出口であの男をつかまえるべえ。あの丸帽の坊主をまいて、あの男と歩くことにすべえ。そうすれば、わしも前へ出してもらえるべえからな』
エフィームはエリセイを見失わないように、ずうっと彼に目をつけていた。そのうち、昼の礼拝式も終わったので群集がゆれ動きはじめ、十字架に接吻しようと歩きだし、ひしめきあっているうちに、エフィームは脇へ押しのけられてしまった。彼はまたもや、財布をすられはすまいかという心配に襲われた。エフィームは片手でしっかりと財布をおさえると、せめて広いところへでも抜け出たいと思って、群衆をかきわけはじめた。そして広いところへ抜け出ると、あちらこちら歩きまわって、聖堂のなかをエリセイはいないかと探し歩いた。彼は聖堂のなかの部屋部屋で大勢いろんな人に出あった。そこには物を食べている者もいれば酒を飲んでいる者もおり、眠っている者もいれば、本を読んでいる者もいた。が、どこにもエリセイはいなかった。エフィームは旅籠《はたご》へ帰ったが、……そこでも相棒を見かけなかった。その晩は旅僧ももどって来なかった。一ルーブリを返さずに、姿をくらましてしまったのである。こうしてエフィームはひとり取り残されてしまった。
そのあくる日、もう一度エフィームは、船で乗りあわしたタンボフの年寄りと連れだって主の柩にお参りにいった。彼は前のほうへ抜けようと思ったが、また押しのけられて、柱のそばに立ったまま祈ることになった。前方に目をやると、……またしてもエリセイが前の主の御柩《みひつぎ》のすぐそばの灯明の下に立っていて、祭壇の前にいる司祭のように、両手をひろげて、まる禿の頭を輝かしているのである。エフィームは『さあ、今度こそ見失わねえぞ』と考えて、人をかきわけて前へ出た。が、そこへ抜け出てみると……エリセイの姿はない。多分、出ていってしまったものらしい。三日目にもまた主の御柩のそばで見ていると、……エリセイが一番神聖な場所の一番目につくところに立って、両手をひろげて、まるで何かが頭上に見えるみたいに、上を見あげているのである。『よおし』とエフィームは考えた。『今度こそは見失わねえぞ、ひとつ出口へ行っていてやるべえ。あそこならもうすれちがいになることはあるめえ』。エフィームは出ていって、立ちっ放しでそこに半日も立ちつくした。が、会衆はひとり残らず通って出たのに、……エリセイは出て来なかった。
エフィームはエルサレムに六週間逗留して、諸所ほうぼうへ足を運んだ。ベツレヘムヘも行ったし、ベタニヤヘも、ヨルダンヘも行き、主の御柩のある所では死出の装束にと、まっさらなルバーシカにスタンプを押してもらい、ヨルダンの水をガラス壜《びん》につめ、土と祝福の灯をつけた蝋燭とをいただき、八カ所で記念の書きこみをし、金は、家へたどり着けるだけ残してすっかり使いはたして、帰路についた。そして、ヤッファまで歩き、そこで乗船してオデッサまで船で行き、それから徒歩で家路についた。
十一
エフィームはひとりで、来たときと同じ道順をたどって帰った。家へ近づくにつれて、またもや例の、留守中の家の者の暮しっぷりはどうだったろうという心配に襲われた。『一年と言やあ、その間には水だってずいぶん流れるもんだものな。家を建てあげるにゃまる一年もかかるが、ぶっこわすとなりゃ、束の間だ。留守の間、せがれはどんなふうに仕事をしていたかな。どんな春を迎えたか、家畜はどんな冬の越しかたをしただべ。家はちゃんと仕あがったかな』。こうしてエフィームは、去年エリセイと別れわかれになってしまった場所へやってきた。村人の様子は見ちがえるばかりだった。昨年あれほど村民が窮乏になやんでいた地方なのに、いまではだれもが豊かな暮しをしているのである。作物のできもよかった。住民はすっかり立ちなおって、以前の苦しみなど忘れてしまっている。日も暮れかかるころに、エフィームは、去年エリセイがあとに居残ることになった例の村へさしかかった。村へはいったとたんに、一軒の百姓家から白いルバーシカを着た女の子がとびだしてきた。
「じいちゃん! おじいちゃんよ! うちへ寄っていきなよ」
エフィームはかまわず通り過ぎようとしたが、女の子は通さずに、裾をつかんで家のほうへ引っぱってゆき、そうしながら当人はにこにこ笑っているのである。
そこへ、表階段へ男の子を連れた女も出てきて、これまた、「お寄んなされ、おじいさん、御飯でも食べて、……泊まってゆきなされ」と招き入れようとする。
で、エフィームは立ち寄ることにした。『ついでにエリセイのことも聞いてみることにすべえ』と考えたのである。『あの男があのとき水飲みに寄ったのは、どうもこの家らしいからな」
エフィームが家へはいると、女は袋をおろして、すすぎの水を出してくれ、食卓につかしてくれた。そして牛乳を出してきて、クリーム入りまんじゅうや麦粥《むぎがゆ》を卓の上に並べた。タラースイチが礼をのべ、一家をあげて旅人を歓待してくれていることをほめてやると、女は首を振ってこう言った。
「わたしらは旅の人をもてなさないじゃおられませんがな。旅の人から人間の生き方を教わったによって。神さまを忘れて暮しておりましたが、神罰でみんな死を待つばかりちゅうことになりましてな。去年の夏はみんな寝たっきりで、……食い物もなく、病気までするような始末。そしてみんな死ぬはずじゃったところへ、神さまが、ちょうどおまえさんと同じようなおじいさんをお遣わしくださった。その人は昼間水を飲みに寄りなすっての、わしらを見ると、かわいそうに思って、ここに残りなされた。そして飲み食いもさせてくれ、立ちあがらせてもくれ、土地も買いもどしてくれましただ。その上、馬車つきで馬も買ってくれて、ここを発ってゆきなされたのじゃ」
とそこへ、老婆が家のなかへはいってきて、女の話を横取りして、こう語りだした。
「わしら自身でさえ、それが人間じゃったのか、神さまの使いじゃったのか、わかっとりませんのじゃ。わしらみんなを慈《いつくし》んでくださり、みんなを哀れに思ってくださって、名も名のらずに行ってしもうたで、神さまに祈るべきその当の相手がわからないような始末じゃ。いまでも目に見えるようですわ。わしは寝たまま死ぬのを待っていた、見ると、……なんの変わったところもない、ただえらく頭の禿げたじいさんが水を飲みにはいってきたじゃないか。わしはまた、罪な女じゃ、なにをほっつきまわっとるのか、などと思いおりました。それがあんた、その人があんなことをしてくださったんですもの、のう! わしらを見ると、すぐに袋を脇へ、それ、そこの所へおいて、ひもを解きましての」
すると、女の子まで話に割りこんできて、こんなことを言った。
「違うよ、ばあちゃん。おじいちゃんははじめ家のまんなかに袋をおいて、そいから腰掛けの上にあげたんや」
こうして彼女らは言い争うようにして、やれ、あの人はどこへ腰掛けたかとか、やれ、どこに寝たかとか、何をしたかとか、だれにどう言ったかというようなことまで、その言ったこと、したことを逐一語りだした。
それに、夜なかにあるじの百姓も馬で帰宅すると、これまた同様、エリセイがその家に同居していたときの模様を語りだすのだった。
「あのかたがうちへ来てくださらなんだら、うちの者は一家そろって罪をしょったまんま、くたばっていたにちがいない。わしらは望みもなくなって死ぬばかりでおりながら、神さまだの人さまのことで恨みごとを並べていましたからの。それを、あのかたがわしらを立ちあがらせてくれ、わしらはあのかたを通じて神を知るようになり、善人を信じるようになりました。キリストさま、あのかたをお守りくだされ! 以前は畜生みたいな暮し方をしていたのを、あのかたがわしらを真人間にしてくださったわけじゃ」
うちの者はエフィームに十分に飲み食いさせ、寝かせてやって、自分らも寝た。エフィームは横にはなったが、眠れなかった。エリセイのことが、エリセイがエルサレムで三度も礼拝堂の一番前に立っていたのを見たときのことが、頭から離れなかったのである。
『してみると、あの男はここでわしを追いこしたわけか!』と彼は思った。『わしの辛苦は神さまに受け入れられたかどうかわかんねえが、あの男の労苦は主がお受け入れになったわけだ』
あくる朝、家の者はエフィームに別れを言い、旅の食糧にピロシキ(肉や野菜、魚などの入ったパン)をたくさん彼の袋に入れてやって仕事に出かけ、エフィームはまた旅をつづけた。
十二
エフィームはちょうどまる一年間旅をして歩いて、春に家へもどった。
家へ着いたのは夕方近くだった。息子は家をあけていた。飲み屋へ行っていたのである。息子が飲んで帰ると、エフィームは彼に何かと根掘り葉掘り聞きだした。どう見ても、彼の留守中にこの若者がのらくらしていたことは明らかだった。金はみな悪いことに使っていたし、仕事はほったらかしだったのである。父親が小言を言うと、息子は荒けた態度に出て、こんなことを言った。
「自分で家を切りまわしていればええものを、旅なんどに出て、しかも金を残らず持って出たくせに、おれに責任を問うたところではじまるめえ」
老父はかっとなって、息子をなぐりつけた。
あくる朝、エフィーム・タラースイチが村長のところへ息子の相談に出かけて、エリセイの家のそばを通りかかると、表階段に立っていたエリセイの老婆がこう挨拶した。
「ごきげんよう、おじさん。元気で行ってきなすったかね?」
エフィーム・タラースイチは足をとめて、こう言った。
「おかげさまで、まあ、行ってはきましたよ。お宅のじいさんを見失っちまったが、うちへ帰っているっていうでねえか」
すると、老婆はこうしゃべりだした、……おしゃべり好きだったのだ。
「帰ってますとも、あんた、ずうっと前に帰ってますよ。なんでも聖母昇天祭(聖母マリヤが墓のなかから復活し、昇天したといわれる八月十五日の祭り)のじきあとでしたかね。わしらはそれこそ大喜びでしたよ、神さまのお導きであの人が帰ってきたんでね! あの人がいねえと、家のなかがさびしくってね。仕事ってば、なんにもあるわけでねえ、……年が年だで。それでもやっぱし家の頭《かしら》だで、いたほうが家のなかが陽気でええ。うちのわけえ者の喜びようったら、ありませんでしたよ! あの人がいねえと、まるで目のなかに光がねえみてえでさ。あの人が留守だと、わしらはさびしくってね、あんた、うちの者はみんなあの人が好きなんでね、どんなに大事に思っているか知んねえくれえだもの」
「それはそうと、どうだべ、じいさんはいま家にいるべか?」
「家にいますとも、あんた、蜂小屋に。蜂を寄せていますだ。けっこうな蜂の季節だって言ってますよ。神さまのおかげで、蜂が元気で、こんなことはじいさんも覚えがねえそうで。罪のあるなしにかかわらず、神さまのおかげはあるもんだなんて言ってますわ。お寄んなさいよ、あんた。あの人もそれこそ喜びますよ」
エフィームは入口を通り、庭をぬけて蜂小屋にいるエリセイのところへ行ってみた。蜂小屋へはいって、見ると、……エリセイが網もかぶらず手袋もはめずに、灰色の百姓外套を着て白樺の下にたたずんで、両手をひろげて上を見あげ、まる禿の頭を光らしているその様子が、ちょうどエルサレムで主の御柩のそばに立っていたときと同じなのだ。しかも、頭上からは、エルサレムのときと同じように、白樺の枝ごしに太陽がじりじり照りつけていて、頭を金色《こんじき》の蜂の群れがぐるりと冠のように取りまき、つきまとっていながら、彼を刺さないのである。エフィームは立ちどまった。
エリセイの老妻が夫にこう声をかけた。
「教父さん(洗礼のときの立ち会い役をつとめ、名付け親になる)が来なすったよ!」
エリセイはひょいと振りかえると、大喜びで教父のほうへ歩いて来ながら、蜜蜂を顎ひげから軽くしごきとって言った。
「ごきげんよう、とっつぁん、ごきげんよう……無事に行ってきなすったかい?」
「足だけは、行ってきたよ。あんたにヨルダン川の水を持ってきてやったぞ。家へ寄って、持っていきなせえ。ただ、主はわしの辛苦をお受けくださったかどうかのう?」
「ありがてえことだ、神さまのお救いがありますよう」
エフィームはちょっと口をつぐんだ。
「足じゃ行ってきたが、魂のほうはどうかのう、それともほかのだれかが……」
「それは神さまの思し召し次第だよ、とっつぁん。神さまの思し召し次第だよ」
「わしもやっぱり帰りにあの家へ寄ってきたよ、あのおまえさんが……」
エリセイはぎくっとして、急にあわてだした。
「神さまの思し召しだよ、とっつぁん、神さまの思し召しだよ。どうだね、家へ寄らねえかね……蜜酒を出してやるべえ」
こうしてエリセイは話をそらして、家事の話をきりだした。エフィームは吐息を一つもらしただけで、エリセイには例の百姓家の連中の話も、エルサレムでエリセイを見た話も、して聞かせずじまいだった。彼は、この世で神は各人に死ぬまで自分の年貢を愛と善行で納めることをお命じになったのだと、悟ったのだった。
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名づけ子
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あなたたちもおそわったとおり、「目には目を、歯には歯を」ときめられていた。しかし、私はいう、悪人にさからってはならぬ……。(『マテオによる聖福音書』第五章第三十八節、第三十九節)
復讐は私がする。(『ローマ人《びと》への書簡』第十二章第十九節)
[#ここで字下げ終わり]
ある貧乏な百姓の家に男の子が生まれた。百姓は喜んで、隣へ『男の名づけ親』(キリスト教で洗礼のときの立ち会い役をつとめる)になってもらいに行ったが、隣のあるじはそれをことわった。水のみ百姓の家などへ名づけ親になりにゆくのはいやだったのである。で、その貧乏な百姓はよそへも行ってみたが、そこでもことわられてしまった。百姓は村じゅうまわり歩いたけれども、だれひとり男の名づけ親になってくれ手がないので、よその村へ出かけていった。すると、たまたま旅人がこちらへやってくるのに足をとめて、こう口をきいた。
「やあ、こんにちは、お百姓さん、どこへゆきなさる?」
「神さまから子供をさずかりましてな」と百姓は言った。「子供ってやつは、こっちがわけえときは目の楽しみだし、年寄りになりゃなったでこれまた慰めになるし、死んだあとは供養もしてくれます。ただ、わしが貧乏なんで、わしらの村じゃだれひとり男の名づけ親になってくれ手がねえんでね。それでこれからその名づけ親を探しにゆくところなんでさ」
すると、旅人は、「わしを男の名づけ親にしなさるがいい」と言ってくれた。百姓が喜んで、旅の人に礼を言い、そして
「ところで、『女の名づけ親』にはだれになってもらったらよかんべ?」と聞くと、
「女の名づけ親には商人《あきんど》の娘になってもらいなさい」と旅人は言った。「町へゆけば、広場に、なかにいくつも店のならんでいる石造りの建物があるから、その入り口で商人に頼んで、娘さんを名づけ親に貸してもらうがいい」
百姓は危ぶんでこう言った。
「名づけ親さん、このわしなんど、金持ちの商人のとこさなんかゆけたもんじゃござんせんよ。むこうが嫌って、娘さんを貸しちゃくれますめえ」
「おまえさんは何も悲観することはない。行って頼んでみなさい。そして、あすの朝までに用意をしておくがいい……洗礼をしに行ってあげるから」
貧しい百姓はいったん家へとってかえしてから、馬で町の商人のところへ出かけていった。庭に馬をつなぐと、商人が自分から出てきて、こう言った。
「なんぞご用ですかな?」
「実はですね、旦那さん、神さまから子供を授かりましたんですがね。子供ってやつは、こっちが若《わけ》えときは目の楽しみだし、年寄りになりゃなったでこれまた慰めになるし、死んだあとは供養もしてくれます。どうかひとつ、お嬢さんを名づけ親に貸しちゃくれますめえかね?」
「お宅じゃその洗礼式はいつやるんだね?」
「あしたの朝でごぜえやす」
「よろしい。ま、安心してお帰んなさい、あした洗礼式に娘をゆかせますから」
そのあくる日、女の名づけ親が馬車でやって来、男の名づけ親も来て、赤ん坊の洗礼をしてくれた。もっとも、赤ん坊の洗礼を終えると、男の名づけ親は出ていったきり、それが何者なのかはだれにもわからなかったし、それ以来彼を見た者もいなかった。
赤ん坊はどんどん成長したし、からだは丈夫で仕事も好きだし、それに利口でおとなしかったので、両親も大変な喜びようだった。子供が十になったとき、親たちはその子を、読み書きを習わせにやった。ほかの子なら五年かかって習うところを、その子は一年で覚えてしまうので、教えることもなくなってしまった。
復活祭週が来て、子供は女の名づけ親の家へ復活祭の挨拶に行って、帰ってくると、こう聞いた。
「とうちゃんとかあちゃん、おれの男の名づけ親はいまどこにいるんだね? その人んとこへ復活祭週のお祝いを言いに行ってきてえんだが」
すると、父親は彼にこう言った。
「それがな、かわいい倅《せがれ》や、おまえの男の名づけ親はどこにいるのか、わしらにもわかっていねえんだよ。このわしらでさえ、それを苦に病んでいるくれえなんだ。その人におまえの洗礼をしてもらってからってもの、出あったこともねえんだよ。噂も聞いたことはねえし、どこにいるかも知んねえし、生きているのかさえわかんねえんだ」
すると息子は父親と母親に頭をさげて、こう言った。
「じゃ、とうちゃんとかあちゃん、男の名づけ親を探しにおれを出してくれ。おらあ、その人を見つけて、復活祭のお祝いを言いてえんだ」
父親と母親は息子を出してくれたので、子供は自分の男の名づけ親を探しに出かけた。
子供は家を出て、道を歩きだし、半日ほど歩くうちに、ある旅人に出あった。
旅人は足をとめて、こう言った。
「こんにちは、ぼうや、どこへゆくんだね?」
すると、子供はこう答えた。
「女の名づけ親んとこへ復活祭のお祝いを言いに行ってね、家へ帰ってから、親たちに、おれの男の名づけ親はどこにいるんだって聞いてみたんだ。その人に復活祭のお祝いが言いたかったもんだからね。そしたら親たちはこう言うんだ、伜、おまえの男の名づけ親がどこにいるかは、このわしらも知らねえんだ。おまえの洗礼をしてくれて、その人がわしらの家から出ていったきり、わしらはその人のことをなんにも知らねえし、生きているかどうかも、わかっていねえんだって。で、おらあ、自分の男の名づけ親に会いたくなって、こうして探し歩いてるんだ」
すると、その旅人がこう言った。
「わしがおまえの男の名づけ親だよ」
子どもは喜んで、その名づけ親と復活祭の祝いの言葉を述べあい、そしてこう言った。
「名づけ親のおじさん、これからどっちのほうへ旅をつづけるんだね? もしかしておれんちの方角へゆくんだったら、家へ寄っておくれ、でなくて自分の家へ帰るとこだったら、おれもいっしょにゆくよ」
すると、名づけ親はこう言った。
「わしは今おまえの家に寄っている暇はないんだ。ほうぼうの村に用事があるんでな。だけど、あしたは自分の家へ帰るから、そのころにわしの家へおいで」
「だけど、おじさん、どうしたらおじさんが見つかるかね?」
「ずうっと、日の出るほうにむかって歩いてゆきなさい、どこまでもまっすぐにな。そうすれば、森へ出る。その森のなかに空地があるから、その空地に腰をおろしてひと休みしながら、そこで何が起こるか、見ているがいい。それから、森を出ると、庭が見える。その庭のなかに金の屋根をふいた屋敷があるんだ。それがわしの家だよ。おまえは門のほうへゆきなさい。わしはそこへ迎えに出るから」
名づけ親はそう言うと、名づけ子の視界から消え去った。
子供は、男の名づけ親の言いつけどおりに、歩いていった。どんどん歩いてゆくうちに森に着いた。空地に出て、見ると、空地のまんなかに松が一本立っていて、その松の枝には縄がゆわえつけてあり、その縄には五十キロばかりのカシワの木の切り株がぶらさげてある。そして、その切り株の下には蜂蜜のはいった桶がおいてある。子供がどうしてこんなところに蜂蜜なんかおいてあったり、木の切り株なんかぶらさがっていたりするんだろうと思ったとたんに、森のなかでめりめりという音が聞こえてきたので、見ると、熊が何頭か歩いてくる。先頭に立って来るのは雌熊《めすぐま》で、そのあとに一歳の子熊がつづき、そのうしろにはさらに、小さな熊の子が三頭ついて来るのだ。雌熊は空気を吸いこんで匂いを嗅いでから、まっすぐ桶のあるところへゆき、子熊たちもそのあとについていった。雌熊が蜂蜜のなかへ鼻づらを突っこんで、子熊たちを呼び寄せると、子熊たちはとんできて、桶にすがりついた。すると、子熊どもはむこうへゆれてこちらへもどってきた切り株につきのけられた。雌熊はそれを見ると、片足で切り株を押しのけた。切り株は前よりすこしむこうへゆれて帰ってきて、子熊たちのまんなかにぶちあたったため、子熊どもは、ある者は背なかをやられ、ある者は頭をやられて、うめき声もろとも脇へとびのいた。雌熊はひと声吠えたてると、頭上の切り株を両足でつかんで、それをさっと脇へ振りはなした。一歳熊は、切り株が高く飛んでいったすきに桶のそばへとんで来て、蜂蜜のなかへ鼻づらをつっこんで、ぴちゃぴちゃなめだし、ほかの熊もそばへ寄ろうとした。が、まだそばへ来ないうちに切り株がもとのところへ飛んで来て、一歳熊の頭にぶちあたり、一歳熊はいっぺんに死んでしまった。そこで雌熊が前より一段と大きな声で吠えたてると、切り株をひっつかみざま力のかぎり投げあげたので……切り株は枝より高く舞いあがり、ために縄まで切れそうになった。雌熊は桶に近づき、子熊たちもそれにつづいた。切り株は上へ上へと飛んでいって、とまったかと思うと、今度は落ちてきた。しかも、落ちるにつれていよいよ勢いを増してきたのである。そして、猛烈な勢いで雌熊の上に飛んできて、頭にどしんとぶちあたったからたまらない、雌熊はもんどり打ってひっくり返り、足をぴくつかせて、息絶えた。そこで、子熊たちは散りぢりに逃げうせた。
子供は驚きながらも、そのまま先へ歩きだした。すると、やがて大きな庭園へ出た。庭には金の屋根を頂いた、棟の高い屋敷がある。そして、その門のそばには男の名づけ親が立って、にこにこしているのである。名づけ親は名づけ子と挨拶をかわすと、子供を門のなかへ入れてやって、庭を案内してまわった。その庭で見たほどの美しい風景や覚えた喜びを、子どもは夢にも経験したことはなかった。
名づけ親は、今度は名づけ子を屋敷のなかへ入れてやった。屋敷のなかはなお一層すばらしかった。名づけ親は部屋を全部案内してくれたが、部屋はつぎつぎと次第にその見事さを増し、楽しさも増してくるのだった。そして、最後に名づけ親は、封印のしてある戸口へ連れてきて、こう言った。
「ここに扉があるだろう? この扉には錠前はない、封印がしてあるだけだ。これはあくことはあくんだが、わしはおまえにあけることを禁じておく。おまえは好きな部屋で好きなように遊び暮していい。また、どんな楽しみも勝手だが、ただひとつ禁じておくことがある。それは、この扉のなかへはいってはならぬということだ。中へはいろうものなら、おまえは森のなかで見たことを思い知らされることになるのだ」
名づけ親はそう言いおいて、立ち去った。名づけ子はひとりでそこに残って暮しはじめた。そして、あまりにも楽しく、かつうれしいことばかりだったので、彼はそこでたった三時間くらいしかすごさなかったような気がするのに、実際はそこに三十年も暮してしまった。三十年の月日がたったころ、名づけ子は封印のしてある扉に近寄ってこう考えた。『どうして名づけ親はおれにこの部屋へはいることを禁じたのかな? ひとつ、はいっていって、なかがどうなっているか、見てみることにすべえ』
名づけ子が扉を押すと、封印がとんで、扉があいた。なかへはいってみると、その部屋はどの部屋よりも大きくて立派で、中央に金の玉座が据えてある。名づけ子は室内を歩きまわって、玉座のところへ歩み寄り、踏み段を登って、そこに腰をおろした。腰を掛けて、ふと見ると、……玉座のそばに王杖がたてかけてある。名づけ子はその笏《しゃく》を手に取った。笏を手にすると、にわかに部屋の四つ壁が全部がらがらと崩れ落ちたので、名づけ子が周囲を見まわすと、世界と、その世界で人間がやっていることが何もかもすっかり見えてきた。まっすぐ前を見ると……海が見え、その海を船が往来している。また、右手を見れば……他国人が見え、邪教徒が暮している。さらに、左手に目をやると……キリスト教徒ではあるが、ロシア人ではない国民が暮している。最後に、第四の方向に目を移せば、……そこに暮しているのはわがロシア人である。「ひとつ、おれの家がどうなっているか、穀物の出来がいいかどうか、見てみることにするか」こう言って、自分のうちの畑を見ると、穀束の山ができているのが見える。で、穀物がどのくらい取れたろうと思って、その山を数えはじめたところが、ふと見ると、その畑をさして荷馬車が一台ゆくところで、その荷馬車には百姓がひとり乗っている。名づけ子は自分の父親でも夜なかに麦束を取りにきたのだろうくらいに思ったが、よくよく見ると、それはワシーリイ・クドリャショーフという泥棒が荷馬車に乗ってゆくところなのだ。泥棒は穀束の山に馬車をつけると、穀束の積みこみにかかった。名づけ子はむかむかっときて、「おとっつぁん、畑の麦束を盗むやつがいるぞ!」とどなってしまった。
夜間放牧に行っていた父親はふと目をさました。そして、「麦束を盗られるところを夢に見たぞ。ひとつ行って見てくることにすべえ」と言って、馬に乗って、出かけた。
畑へ来て、ワシーリイを見つけると、かれは百姓どもを呼び寄せた。みんなは総がかりでワシーリイをさんざん打ちのめし、縛りあげて、牢屋へ引ったてていった。そこで今度は、自分の女の名づけ親の住む町のほうへ目をやった。見れば、彼女は商人の妻になっている。そして、彼女が横になって眠っているさなかに、夫が起きだして、情婦のところへ抜け出そうとしているではないか。名づけ子は商人の妻にむかってこう呼びかけた。
「起きなさい、旦那さんがよくないことをはじめたよ」
名づけ親はぱっとはね起きると、着物を着て、自分の夫の居場所を探し出し、情婦をさんざんいじめたりなぐったりしたあげく、夫を家から追い出してしまった。
さらに今度は自分の母親のほうに目を向けると、母が家で寝ているところへ、賊が忍びこんで、長持ちを壊しはじめている。
母は目をさまして、大声をたてた。賊はそれを見るなり、斧をつかんで母親の上に振りあげて、彼女をうち殺そうとした。
名づけ子がたまりかねて、いきなり盗人目がけて王杖を投げつけると、まともに相手のこめかみにあたって、賊はその場で死んでしまった。
名づけ子が盗賊を打ち殺したと思ったとたんに、そこはふたたび壁にとざされて、また元どおりの部屋になった。
と、そこへ、扉があいて、男の名づけ親がはいってきた。そして、自分の名づけ子のそばへ歩み寄り、その手をとって玉座からおろして、こう言った。
「おまえはわしの言いつけに従わなかったな。おまえはまず最初に悪いことをひとつした……それは禁制の扉をあけたことだ。つぎに、もうひとつ悪いことをした……それは玉座に上って、わしの王杖を手にしたことだ。それから、またまた悪いことをした……それはこの世の悪をたくさん追加したことだ。もしおまえがもう一時間も玉座に坐っていたら、おまえは人間の半数をめちゃめちゃにしてしまったにちがいない」
それから、男の名づけ親はもう一度名づけ子を玉座につかせて、手に王杖を持たせた。すると、またもや壁がくずれ落ちて、何もかも見えるようになった。すると名づけ親はこう言った。「さあ今度は、おまえは自分の父親に何をしてやったか、とっくり見るがいい。ワシーリイは、ここ一年牢にはいっているあいだに、あらゆる悪事を覚え、すっかり狂暴な人間になってしまった。よく見るがいい、あのとおり、あの男はおまえの父親から馬を二頭も盗んだ上に、ほら、今にも屋敷に火をつけようとしているじゃないか。おまえが自分の父親にしてやったことは、まずこんなことだったのだ」
名づけ子の目に、父親の家が燃えだすのが見えたかと思うと、すぐに男の名づけ親はそれを彼に見えないように隠してしまい、別の方向に目を向けさせた。
「ほら、ごらん。おまえの女の名づけ親の夫が妻のもとを去ってから、もう一年にもなるのに、あの男はいまだによそでほかの女と遊びほうけ、妻は悲嘆のあまりやけ酒を飲みだし、夫の前の情婦はすっかり身を持ちくずしてしまっているじゃないか。おまえが自分の女の名づけ親にしてやったことは、こんなことだったのだ」
名づけ親はこの光景も隠してしまって、つぎに名づけ子の家を見せてやった。名づけ子は自分の母親の姿を見た……彼女は自分の罪に泣き、後悔して、こういうことを言っている。「わたしは、いっそのことあのとき泥棒に殺されちまったほうがよかった。そうすれば、こんなに罪を作らずにすんだのに」
「おまえが自分の母親にしてやったことはこんなことだったんだぞ」
名づけ親は、これも隠してしまって、下のほうを見せてやった。名づけ子の目に盗賊の姿が映った。盗人は牢の前でふたりの看守にとりおさえられている。
すると、名づけ親はこう言った。
「あれは人間を九人も殺した男なんだ。あの男は自分でその自分の罪をつぐなわなければならないところだったのに、おまえがあの男を殺してしまったため、今度はおまえがあの男の罪を全部背負いこむとになったのだ。今となっては、おまえはあの男の罪全部にたいして責任を負わなければならない羽目になったわけだ。これが、おまえが自分で自分にしでかしたことだったのだ。例の雌熊が木の切り株を一度目に押したときは……子熊どもをひやひやさせただけだったが、二度目に押したときは、……一歳熊を殺してしまい、三度目に押したときは、……自分自身が死んでしまったろう。おまえもあれと同じようなことをしでかしたわけだ。わしは今おまえに三十年の期限をつけてやるから、世間へ出ていって、あの盗人《ぬすっと》の罪をつぐなって来なさい。つぐなわなかったら、おまえはあの男の身代りをつとめなければならんぞ」
すると名づけ子は言った。
「あの男の罪はどういうふうにしてつぐなったらいいんでしょう?」
名づけ親はこう答えた。
「この世でおまえが犯しただけの悪を全部根絶したら、自分の罪も、盗人の罪も、つぐなえることになる」
「それにしても、どうやってこの世の悪を根絶したらいいんですか?」
と名づけ子がきくと、名づけ親はこう答えた。
「おまえはこれからまっすぐ日の出る方角へ歩いてゆきなさい、そうすると、畑があって、そこに人が大勢いるはずだ。おまえはその人たちのすることをよく見ていて、その人たちに自分の知っていることを教えるのだ。それから、先へ行って、自分で見ることによく気をつけているがいい。四日目には森へ着く。森のなかに庵《いおり》があって、その庵に老人が住んでいるから、その人に、これまでに起こったことを洗いざらい話しなさい。その人はおまえに教えてくれるはずだ。おまえは、その老人に言いつけられたことを残らずしとげれば、自分の罪と盗賊の罪をあがなうことになるのだ」
名づけ親はこう言って、名づけ子を門の外へ出してやった。
名づけ子は歩きだした。そして、歩きながら思うには、『どうしたら、このおれにこの世の悪が根絶できるのかな? 世の中の人は、悪人を流刑に処したり、牢屋へぶちこんだり、死刑にしたりして、悪を根絶しようとしている。が、このおれが悪を根絶するにはどうしたらいいんだ? それに、他人の罪を背負わずにすますには、どうしたらいいんだ?』
名づけ子はあれやこれやと考えてみたが、何ひとつ思いつかなかった。
なおも歩くうちに、畑へ出た。畑には穀物(見事な、よく茂った穀物)が生い育っていて、もう刈り入れの時期である。名づけ子がふと見ると、その穀物畑へ雌の小牛がはいりこみ、それを見て、みんなが馬に乗って、畑のなかをあちこち追いまわしている。小牛が穀物畑のなかからとび出そうとすると、ほかの者がそれにかかってゆくので、小牛はびっくりしてまた穀物畑へはいってしまう。で、またみんなが穀物畑のなかを馬で追いまわすといったぐあいなのだ。ところが一方、路上には百姓女が立っていて、「うちの小牛を追っかけている」といって泣いているのである。
そこで、名づけ子は百姓どもにこう話しかけた。「どうしておまえさんたちはそんなことをしているんだね? おまえさんたちはみんな穀物畑から出て、このおかみさんに自分の小牛を呼びもどさせたほうがいいんじゃねえのかね?」
みんなは言うとおりにしてみた。百姓女が畑のはずれへ歩み寄って、「とまれ、とまれ、黄牛《あめうし》、とまれ、とまれ!」と呼びかけると、小牛は耳をそばだてて、しばらく聞いている様子だったが、いきなり百姓女のそばへ駆けてきて、彼女の着物の裾下へじかに鼻づらを押しつけて……すんでのことで彼女を押し転ばすところだった。百姓たちも喜べば、百姓女も喜び、小牛も喜んだ。
名づけ子はさらに先へと足を運びながら、こう考えた。『悪は悪のためにふえるものだということが今にしてわかったぞ。人間が悪を追いまわせば追いまわすほど、悪はますますふえるものなんだな。つまり、悪を悪で根絶することはできねえってことだ。が、かといって、何で悪を根絶したらいいかってことは……わからねえ。あのときは小牛がおかみさんの言うことをきいたからいいようなものの、言うことをきかなかったら、どうやって小牛を外へ出したらいいんだ?」
名づけ子は考えに考えたけれども、いっこうに思いつかぬままに、先へ進んでいった。
歩きつづけるうちに、ある村へ着いたので、村はずれの百姓家に一夜の宿《やど》を乞うた。かみさんが家へ入れてくれた。家のなかにはだれもおらず、かみさんがひとりで家のなかを洗っている最中なのである。
名づけ子は家へはいると、暖炉の上にあがって、かみさんのしていることを眺めだした。見ていると……かみさんは家のなかを洗い終えると、今度はテーブルを洗いだした。そして、テーブルを洗いあげると、さらにそれを汚いタオルで拭きはじめた。まず片方へ拭いていったが……テーブルのよごれは拭き取れない。タオルが汚いために、テーブルの上によごれが縞《しま》になって残るからだ。で、別のほうへと拭きだしたが、最初の縞は拭き取れるかわりに、別の縞ができる。そこでまた縦に拭いてみるけれども、やはり同じことで、汚いタオルでよごしてしまい、初めのよごれは取れても、別のよごれをつけてしまう。名づけ子はややしばらくそれを眺めてから、こう言った。
「おかみさん、いったいあんたは何をしているんだね?」
「見ていれば、わかりそうなもんじゃねえの。お祭りの用意にあちこち洗ってるんですよ。だけど、このとおりテーブルがどうしてもきれいにならず、いくら拭いてもよごれてるんで、わたしゃもうほんとにへとへとなのさ」
「おまえさんは、そのタオルをゆすいでから、拭けばいいのに」
言われるとおりにやってみると、たちまちテーブルを洗いあげることができた。
「教えてくださってありがとう」と彼女は言った。
あくる朝、名づけ子はかみさんに別れをつげて、そこを発った。しばらく歩くうちに、森へ出た。見れば……百姓たちが車輪の縁にする木を曲げているところである。名づけ子はそばへ寄って、見ていたが……百姓たちがいくらまわっても、車輪の縁の木は曲がらないのだ。
よく見ているうちに、百姓たちの台がまわってしまうのは、その台に留め木がないせいであることがわかった。名づけ子はじっと見ていてから、こう言った。
「みなさん、みなさんはいったい何をしているんです?」
「ほら、こうやって輪のふちにする木を曲げてるんだよ。こいつを二度も蒸して、へとへとになるくらいまわしているのに……曲がらねえのさ」
「みなさん、台をしっかり留めてみなさい。そうしねえから台ごとまわっちまうんですよ」
百姓どもが、言うとおりに、台をしっかり留めてみると、うまくいった。
名づけ子は彼らの家に一晩泊めてもらって、さらに旅をつづけた。たっぷり一日と一晩歩いて、明けがたになろうとするころ、馬喰《ばくろう》たちがいたので、そばへ行って、その近くに寝転んで、ひと休みした。見ていると……馬喰たちは家畜をその辺においといて、火を起こそうとしていた。枯れ枝を取ってきて火をつけるのだが、よく燃えあがらぬうちに生乾きの粗朶《そだ》を乗せるため、粗朶はしゅうしゅう音をたてるだけで、火は消えてしまうのだった。馬喰たちはさらにまた枯れ枝を取ってきて、火をつけたが、またもや生乾きの粗朶を乗せて……また火を消してしまった。こうして長いこと苦労しても、火を燃えつかすことができずにいたのである。
そこで名づけ子はこう言った。
「急いで粗朶をくべねえで、まず火をよく起こしなせえ。そして、熱いくらいに燃えあがったところで、くべてみなせえ」
馬喰たちはそうやってみた。火の勢いを強くしてから粗朶をくべたのである。すると粗朶は燃えだして、盛んな焚火になった。名づけ子はしばらくいっしょに時をすごしてから、また出発した。こうして三つの出来事に遭遇したわけだが、これが何になるのだろうと、名づけ子はずいぶん首をひねったけれども……彼にはわからなかった。
名づけ子は歩いて歩いて一日歩きとおして、森へ着いた。森のなかに一軒の庵《いおり》がある。で、その庵に近づいて、扉をたたいた。すると、庵のなかから、
「どなたじゃな?」と尋ねる声がした。
「重い罪を負っている者です、他人の罪をつぐなうために歩いている者です」
すると、ひとりの老僧が出てきて、こうたずねた。
「おまえさんが負っているという他人の罪とは、どんな罪じゃ?』
名づけ子は相手に事の次第を逐一語って聞かせた。男の名づけ親の話から、雌熊と小熊の話や、封印された部屋の玉座の話、名づけ親から言いつけられたことから、畑で出あった百姓たちが作物をすっかり踏みあらしてしまったが、最後に小牛が自分から飼い主のところへ出てきた話にいたるまで語って聞かせた上で、こう言った。
「わたしにも、これで悪を悪で根絶することはできないということはわかったんですが、それを根絶する方法がわからないんです。それを教えてください」
すると、老僧はこう言った。
「そのあとおまえさんが道中で何を見たか、そのことも話すがよい」
そこで、名づけ子は百姓女が家のなかを洗っていた話や、百姓たちが車輪の縁にする木を曲げていた話、それに馬喰たちが火を起こそうとしていた話も、語って聞かせた。
老僧は話を聞き終えると、席へとってかえして、刃のこぼれた手斧《ておの》を持って出て、
「さあ、出かけることにしよう」と言った。
そして、庵からすこし離れた空地へ行って、一本の立ち木を指さして、
「これを切りなさい」と言った。
名づけ子が切ると、木は倒れた。
「今度はそれを三本に切りなさい」
名づけ子が三本に切ると、老僧はまた庵へはいって、火を持ってきて、こう言った。
「その三本の木切れを燃やしなさい」
名づけ子が火を起こして、三本の木切れを焼くと、燃えさしが三本残った。
「これを半分だけ地面に埋めなさい、こんなぐあいにな」
名づけ子はそれを埋めた。
「ほら、あの山のふもとに川があるじゃろう。あそこから水を口にふくんできて、その水をかけてやるのじゃ。この燃えさしには、おまえさんが百姓女に教えてやったとおりに水をかけなさい。それからこの燃えさしには、車輪の縁をこしらえていた男たちに教えてやったとおりに、かけるんじゃ。それからまた、この燃えさしには、おまえさんが馬喰たちに教えてやったとおりにかけるがいい。これが三本とも芽を出して、この燃えさしからリンゴの木が三本生い育ったら、人間の悪を根絶する方法がわかるはずじゃ。そして、そのときこそおまえさんの罪もつぐなえるのじゃ」
老僧はこう言うと、自分の庵へ立ち去った。いくら考えてみても、名づけ子には老僧の言葉の意味がわからなかった。それでも、彼は言いつけられたとおりのことをやりはじめた。
名づけ子は川へ出かけていって、水を口いっぱいにふくんできて、燃えさしにかけてやり、また出かけていっては、あとの二本にもかけてやった。そのうち、彼はくたくたに疲れてしまったし、何か食べたくもなったので、老僧の庵へ食べものを貰いに行った。ところが、扉をあけてみると、老僧は死人となって長腰掛けの上に横たわっているではないか。名づけ子はあたりを見まわすと、……乾パンがあったのでそれを食べ、シャベルが見つかったので、老僧の墓を掘りにかかった。こうして、夜は水をふくんできて、燃えさしにかけ、昼間は墓を掘りつづけた。そして、墓穴を掘りあげたので老僧を葬ろうと思ったところへ、村人たちが老僧に食べものを持ってきてくれた。村人たちは、老僧が名づけ子に代をゆずって死んでいったことを知ると、老僧を葬って、名づけ子にパンをおいてゆき、また持ってきてやると約束して、帰っていった。
こうして名づけ子は老僧のかわりにそこに残って暮すことになった。そして、人が持ってきてくれるもので身を養い、命じられたとおりに(川から水を口にふくんできては燃えさしに水をかけながら)暮していた。
そんなふうにして一年も過ごすうちに、彼のもとに人が大勢訪れるようになった。彼のことで、森に聖者が住み、自分の霊の救いを祈りながら、山の麓から水を口にふくんで来ては焼けぼっくいに水をやっているという噂が立ち、人が続々と彼のもとに通いだしたのである。金持ちの商人も馬車で彼のもとに供物を捧げに来るようになったが、名づけ子は必要なもの以外は何ひとつ受け取ろうとはせず、貰ったものはほかの貧しい者に分け与えるようにしていた。
名づけ子がはじめた生活はこういう生活だった。半日は水を口にふくんできて焼けぼっくいにかけ、あとの半日は休息をとるかたわら面会人に会うのである。
そして、彼は、そういうふうに暮せと言われたのだから、こうして暮していれば悪を根絶して罪をつぐなうことができるものと思いはじめた。
名づけ子は、そのあくる年もそういうふうにして過ごして、一日も欠かさず水をかけつづけたが、依然として一本の焼けぼっくいも芽をふかなかった。
ある日、彼が庵にこもっていると、近くを人が馬に乗って通る音と、歌をうたってゆく声が聞こえてきた。名づけ子はだれが通るのかと、出てみた。見れば……それは見るからに逞しそうな若者である。まとっている衣服も立派なら、またがっている馬も、鞍も、値打ちありげである。
名づけ子は男を呼びとめて、その男が何者で、どこへゆくところなのか、聞いてみた。男は馬をとめて、こう言った。
「おいらは追い剥ぎで、街道を乗りまわしては人殺しをして歩いている人間だ。人をうんと殺せば殺すほど、陽気に歌がうたえるんだ」
名づけ子はぞうっとして、こう考えた。『こういう連中の悪をとり除くには、どうしたらいいんだ? ここへやってきて自分で懺悔《ざんげ》をしてゆく者に説教するのならわけないが、この男ときたら、自分の悪事を鼻にかけるような手合いだものな』
名づけ子は何も言わずに、そこを立ち去ろうとして、首をひねった。『さて、これはどうしたもんだろう? この追い剥ぎがこのあたりをうろつくことにでもなったら、人はこわがって、わしのところへ寄りつかなくなるにちがいない。みなの衆のためにもならんし、わしにしたって、そういうことにでもなったら、どうにも生きてゆけなくなるじゃないか?』
そこで、名づけ子は行きかけた足をとめて、追い剥ぎにこう声をかけた。
「皆の衆は大勢ここへ、このわしのところへ訪ねて来るが、それはおまえさんのように悪事の自慢などをしに来ているのではない、悔い改めて、祈りで罪を払うために来ているのだ。おまえさんも、神さまがこわかったら、懺悔をしなさい。懺悔がしたくなかったら、ここを立ち去って、二度と来ないでもらいたい。わしの気分を乱したり、皆の衆をおびえさせて、わしのところから追い払わないでもらいたいのだ。わしの言うことを聞かなければ、神罰を受けることになるぞ」
すると、追い剥ぎは笑いだして、こう言った。
「おいらは神さまなんざこわかねえ。だから、おまえさんのいうことだって聞かねえよ。おまえさんはおいらの主人でもなんでもねえもんな。おまえさんは祈祷で飯を食っているって言うが、おいらだって追い剥ぎで飯を食ってるんだ。だれだって食っていかなきゃならねえからな。おまえさんは自分のところへやってくる女どもにでも説教してりゃいいんで、おいらなんかに説教することはねえ。おまえさんは今おいらにむかって神さまのことなんか口にしやがったから、あしたはふたり余分に人殺しをしてやらあ。おまえさんもきょう殺してやってもいいんだが、手をよごしたくねえからな。とにかく、今後出くわさねえように気をつけるこったな」
追い剥ぎはこう威《おど》し文句を並べて、立ち去った。追い剥ぎはそれっきりそこを通らなかったので、名づけ子は八年の月日を、以前のように平穏に暮すことができた。
十一
ある日、夜中に名づけ子は焼けぼっくいに水をかけにゆき、庵へ休息をとりに帰ってそこに籠《こも》って、もうそろそろ人が来るころだなと思って、小道に目を留めていた。ところが、この日は人がひとりも来ないのである。彼はひとりで夕方まで庵にこもりっきりだったので、退屈になって自分の生活についていろいろ思いめぐらすうちに、追い剥ぎが祈祷などで食っているといって詰《なじ》ったことを思い出した。そして自分の生活をかえりみてこう思案した。『これじゃ、あの年とった坊さんに言いつけられたとおりの生活はしていないぞ。あの老人はこのわしに懲戒を課されたはずなのに、わしはその懲戒でパンだの人間的名声を得ているじゃないか。しかも、あまりにも名声に惑わされてしまったために、人が来ないと、さびしく感ずるようにさえなっている。そして、人が来たときにわしの喜ぶことと言えば、人に自分の聖徳を称えられることだけだ。こんな暮しはすべきではない。わしは人間的名声のために道を踏み迷ってしまったのだ。昔の罪をつぐなうどころか、あたらしい罪を作ってしまったのだ。人目にふれない所に住むために、森のなかの別の場所に移ろう。そして、古い罪をつぐなってあたらしい罪を作らぬようにするために、ひとりっきりで暮そう』
名づけ子はこう考えて、乾パンの袋とシャベルを手に、庵から谷間へとおりてゆき、人気のない場所に土小屋を掘って……そこに世間の目から身を隠そうと思い立った。名づけ子が袋とシャベルを持って歩いてゆくと、途中で追い剥ぎに襲われた。彼はびっくりして逃げようとしたが、追い剥ぎに追いつかれてしまった。
「どこへゆくところだ?」と追い剥ぎが言った。
名づけ子が相手に、自分は世間の人から逃れて、だれも自分のところへ来ないような場所へゆくつもりなのだと告げた。
「しかし、これからさき、自分のところへ人が来なくなったら、おまえさんは何で食ってゆくつもりなんだ?」
名づけ子はそれまでにそんなことは考えたこともなかった。追い剥ぎに聞かれてはじめて食べるもののことを思いだしたのである。
「神さまがくださるものを食べてゆくよ」と彼は言った。
追い剥ぎはなんとも言わずに、先へ行ってしまった。
『わしはまた、どうしてあの男にあの男の暮しかたのことでなんにも言わなかったんだろう?』と名づけ子は思った。『ひょっとすると、あの男も今度は悔い改めるかも知れんぞ。きょうはあの男、なんとなく前より柔和そうに見えたし、殺すぞなどと威しもしなかったからな』
そこで、名づけ子は追い剥ぎに背後から大声でこう呼びかけた。
「やっぱりおまえさんは悔い改めなければいけないよ。神さまからは逃れられないからな」
追い剥ぎは馬首を返すと、帯から匕首《あいくち》を抜いて、名づけ子目がけて振りあげた。名づけ子はびっくりして、森のなかへ逃げこんだ。
追い剥ぎはそのあとを追いかけようとはせずに、こう言っただけだった。「こら、じじい。おいらは貴様を二度許してやったが、三度目に出くわさねえようにしろよ……今度こそ殺《ばら》してやるからな!」彼はこう言い捨てて立ち去った。その夕方、名づけ子が焼けぼっくいに水をかけにいって、ふと見ると、焼けぼっくいが一本、芽をふいているではないか。焼けぼっくいがリンゴの木になっていたのである。
十二
名づけ子は世間の人から身を隠して、ひとりで暮しはじめた。乾パンがきれたので、『さて、それでは木の根っこでも探してくるか』と思い、探しに出かけると、じきに、木の枝に乾パンのはいった袋がさげてあるのが目にとまった。で、名づけ子はそれを取ってきて、それで食いつなぎだした。
乾パンがきれると、また別の袋が同じ枝に見出された。名づけ子はそういった暮しをつづけていた。が、彼にはただひとつ困ったことがあった……追い剥ぎがこわいことである。追い剥ぎの足音を聞きつけると、早々に身を隠してしまうのだった。『あの男に殺されでもしたら、それこそ罪をつぐなえないことになってしまう』と思ったからである。
こんなふうにして彼はさらに十年の月日を過ごした。リンゴの木は一本だけ生い育ったが、あとの二本は依然として焼けぼっくいのままだった。
ある日のこと、名づけ子は朝はやばやと起き出して、自分の仕事をしに出かけ、焼けぼっくいの根もとをしめらして、疲れたので、そこに坐って、ひと休みした。坐って休みながら、彼はこう考えた。『わしはまちがっていた……死をこわがるなんて。もしも神さまがお望みなら、死ぬことによって罪をつぐないもしよう』こう思った瞬間に、追い剥ぎが何やらどなり散らしながら馬でやって来る音が聞こえてきた。名づけ子はそれを聞きとると、『神以外のだれからもいいことも悪いこともされるはずはない』と思って、追い剥ぎのほうにむかって歩きだした。見れば、馬上にあるのは追い剥ぎひとりだけではなくて、鞍のうしろにもうひとり乗せている。その人間は手も口も縛られていた。その男は口をきかず、ただ追い剥ぎのほうがその男を罵っているだけなのだ。名づけ子は追い剥ぎのそばへ寄ると、馬の前に立ちはだかった。
「おまえさんはこの人をどこへ連れてゆくんだ?」
「森のなかへ連れてゆくのさ。こいつは商人の伜なんだ。おやじの金のありかを教えねえから、口を割るまでこいつを痛めつけてやろうと思ってるんだ」
そう言って追い剥ぎはそこを通ろうとしたが、名づけ子はいっかな通そうとはせず、馬のくつわをつかんで、
「この人を解き放してやりなさい」と言った。
追い剥ぎは腹を立てて、彼にむかって手を振りあげた。
「貴様も同じような目にあいてえのか? おいらは貴様に、今度こそかならず殺してやるぞって言ったはずじゃねえか。そこ放せ!」
が、名づけ子はびくともせずに、こう言い放った。
「放すもんか。わしはおまえなんか恐れてやしない、恐れているのは神さまだけだ。その神さまが放すなと命じておられるのだ。その人を解き放してやれ」
追い剥ぎは顔をしかめて、匕首《あいくち》を抜くと、縄をぶすりと切って、商人《あきんど》の息子を自由にしてやった。そしてこう言った。
「ふたりともさっさと消えうせやがれ、もう二度と出くわさねえようにしろよ」
商人のむすこは馬からとびおりると、ぱっと逃げだした。名づけ子は追い剥ぎがそこを通り過ぎようとするところを引きとめて、さらに、自分のよくない暮しを捨てるようにと説教をはじめた。追い剥ぎはしばらくじっとしていて、全部聞き終えると、なんにも言わずに立ち去った。
あくる朝、名づけ子が焼けぼっくいに水をやりに行ってみると、二本目の焼けぼっくいが芽を出して……やはりリンゴの木になっていた。
十三
それからさらに十年の月日が流れた。あるとき名づけ子は腰をおろしていたが、彼にはもはや何ひとつ欲望もなければ、何ひとつこわいものもなく、心は法悦に満たされていた。彼はひとりでこんなことを考えていた。『人間は神さまから実にすばらしいお恵みを受けている! それだのに、ただいたずらに自分を苦しめているのだ。喜びを覚えながら生きようと思えばそうできるのに』
すると、人間のさまざまな不幸が、彼らがいかに悩んでいるかが思い浮かべられて、世の中の人が哀れに感じられてきた。そして、『こんな暮しかたをしていてもむだだ。出かけていって、世の人々に自分の知っていることを語ってやらなければいけない』と思った。
こう思ったとたんに、彼の耳に追い剥ぎが馬に乗ってくるのが聞こえた。彼は追い剥ぎをやりすごして、こう考えた。『あの男を相手になんの話をしても、あの男はわかっちゃくれないだろう』彼ははじめそう思ったが、つぎに思いなおして、道へ出ていった。追い剥ぎは沈んだ顔つきをして、地面を見つめながら馬を進めている。名づけ子はそれを見たとたんに、哀れをもよおして、そばへ走り寄り、相手のひざをつかんでこう言った。「な、おまえさん、自分の魂を大切にしなさいよ! おまえさんの体内には神の心が宿っているのだから。おまえさんは自分も苦しみながら、他人をも苦しめているのだ。このあとさらにもっとひどい苦しみをなめるぞ。ところが、神さまはおまえさんを大変愛してくださっているし、おまえさんに大変なお恵みを用意してくださっているのだ! 自分をだめにするんじゃないよ、おまえさん。自分の生活を改めなさい!」
追い剥ぎは顔をしかめて、そっぽを向いてしまった。そして、「放っといてくれ」と言った。
名づけ子はなおいっそうしっかと追い剥ぎのひざを抱いて、はらはらと涙を流して泣きだした。追い剥ぎは名づけ子に目をあげた。そして、じいっと見つめていたかと思うと、馬からおりて、名づけ子の前にひざまずいて、こう言った。
「おいらはおまえさんに負けたよ、じいさん。二十年の間おいらはおまえさんと闘ってきたが、ついにおまえさんに征服されたよ。おいらはもう自分で自分が自由にならなくなったんだ。おいらを、どうともいいようにしてくれ。おまえさんに初めて説教されたときは、おいらはむしろただ癇癪《かんしゃく》を起こしただけだった。そして、おまえさんが世間の連中から身を隠そうとし、自分自身、世間の連中からなんにもほしがらなくなったと知ったとき、初めておいらはおまえさんの言葉に思いをひそめるようになったのだ。そして、それ以来、おまえさんのために乾パンを枝にさげてやることをはじめたんだ」
ここで、名づけ子は、百姓女が手拭いをすすいだときに初めてテーブルをきれいにすることかできたことを思い出した。彼も自分の身を案ずることをやめて心をきれいにしたときに、他人の心も浄《きよ》めることができたわけなのである。
そこで、追い剥ぎはこう言った。
「おいらの心が変わったのは、おまえさんが死を恐れなくなったときだ」
今度は名づけ子は、車輪の縁を作っていた連中が、台をしっかり留めたときに初めて車輪の縁を曲げることができたことを思い出した。彼が死を恐れなくなって、神のなかに生きる生活を確立したときに、頑《かたく》なな心が屈服したわけである。
それから追い剥ぎはこう語をついだ。
「そして、おまえさんがおいらを哀れに思って、おいらの前で泣きだしたとき、初めておいらの心が溶けたわけだ」
名づけ子は大いに喜んで、追い剥ぎを焼けぼっくいのある場所へ連れていった。ふたりがそばへ寄ってみると、最後の焼けぼっくいもやはりリンゴの木になっていた。とたんに、名づけ子は、火の勢いを盛んにしたときに、馬喰《ばくろう》たちの生木《なまき》が燃えだしたことを思いだした。つまり、自分の心の火が炎々と燃え立ったときに、他人の心も燃え立たせることができたわけである。
こうして名づけ子は、今にしてやっと罪のつぐないができたことを喜んだ。
名づけ子は事の仔細を残らず語って死んでいった。追い剥ぎは彼を葬ってやって、その教えに従って暮しはじめ、そのとおり人びとに教えはじめた。(完)
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解説
トルストイの民話の誕生
一八七〇年代の後半、『アンナ・カレーニナ』の完成も間近という頃、五十歳になろうとしていたトルストイの人生観に一大転換が生じた。しかしそれは、彼に言わせれば、「ずっと前からわたしのうちに用意され、その萌芽は常にわたしのうちにあった」のである。彼はこの頃人生にたいする深刻な懐疑と厭世と絶望に陥っていた。『懺悔』にはこう書かれている。
「五年前からわたしはなんだかすこぶる妙なことを経験するようになった。初めは疑惑、ついで生の停止ともいうべき瞬間……つまりどう生きるべきか、何をなすべきかがまったくわからなくなる瞬間……に突然襲われ、そのつどうろたえ、ふさぎこんだ。が、わたしはすぐに立ちなおり、以前どおりに暮していた。ところがその後こうした疑惑の瞬間が次第に頻繁になり、しかも常におなじ形で反復されるようになった。『生の停止』はいつも『何のために? それでその先は?』というおなじ疑問の形で現われた」
「わたしは深淵に達していた。そして自分の前には死以外に何もないのをはっきり見た。健康で幸福なわたしは、自分はもう生きてゆけないと感じた。敵しがたい力がわたしに命を捨てさせようと誘惑した」
「そしてわたしは毎晩着物をぬぐためにひとりになる自室の戸棚の間の梁で首をくくって死なないために自分で紐を隠すようになった。誘惑にかからないために、もう銃を持って狩にゆかなくなった」
このように彼が死にたいする恐怖と生の苦痛に悩みだしたのは、彼がこの世の幸福の絶頂に登りつめたときだった。体はこの上なく頑健で、物質的にも家庭的にも十分に恵まれ、作家的名声もいまや世界的な高さに達していた。これはあたかもこの上なく頑健な登山家が途中の難路を克服して頂上に登りつめて噴火口の底を覗き見たときの恐怖感にも似た感情だった。巨人は目くるめきながらも目をそらすことなく奈落の底に何があるのか見極めようとした。つまり人生の探求が開始されたのである。人生の意義を知るために、彼はあらゆる学問を渉猟した。一万数千冊にものぼる古今東西の自然科学の本や回教、仏教、キリスト教の文献も読み、あらゆる分野の専門家や学者の説も研究した。だが、そうしたものからは救いは見出されなかった。こうして長い苦しい彷徨をつづけたあげく、彼はふと純朴で教養のない民衆に目を移したとき、彼らが一生激しい労働に従事しながらも不平も言わず、病気や災厄や死を恐怖もおぼえずに平然と受け入れているのに気づき、初めて彼の迷いの目は開かれた。彼は神への信仰に支えられて働き生きている農民の姿に救いを見出したのである。農民は死を恐れず、死を生の自然な、そして避けえない結果と見ている。こういう見方のできる彼らの生活こそ自然であり善であるにちがいないと思ったのだ。
しかし彼が本当の救いを見出したのはそのあとだった。彼はそのときのことを『懺悔』のなかでこう語っている。
「早春のある日、わたしは森のなかにひとりでいて、その音に耳をすましていた。わたしはここ三年間の自分の苦悩や神の探求や喜びから絶望への絶え間ない急激な移行について考えていた……そしてふと自分が神を信じているとき以外は生きていないことに気づいた。神のことを思うだけで、生きる喜びの波が身内に湧き起こった。あたりの一切が生気をおび、一切が意味を与えられた。ところが神を信じなくなると、とたんに生命は停止した。それなのに、自分はまだ何をさがしているのかと、わたしのなかの一つの声が叫んだ。では、『彼』なのだ、それなしには人が生きてゆかれないものとは! 神を知ることと生きることとはおなじことなのだ……それ以来その光はわたしから去らなかった」
こうして彼は救われたのである。その後トルストイはロシア正教の教会へまじめに通いもしたが、その形式主義的な儀式本位の行き方に反発をおぼえ、真実の信仰を求めて、福音書を基にしてキリスト教の研究をはじめた。こうしてできあがったのがトルストイズムで、それは儀式を排し、キリスト教の教義から非合理的な要素を排除した、倫理的体系に近いもので、その根底には山上の垂訓に基づく五つの戒律、一、悪に抗するなかれ、二、怒るなかれ、三、姦淫《かんいん》するなかれ、四、誓うなかれ、五、汝の隣人を愛し、何事にあれ汝の同胞を裁くなかれ、が据えられていた。
こうしてトルストイは自分自身の救済から出発して、ついに万人を幸福にするために自分の教義を広めようと思い立った。神学の研究の結果を、『教義神学批判』『四福音書の統一と翻訳』『わが信仰』等の著作として発表した。実践を重んずる彼は実生活でも民衆にならって素朴な労働に従事し、農民とともに畑を耕し、草を刈り、種をまき、木を切り、靴まで作った。
このようにトルストイの世界観が一大転回をとげるにつれて、その芸術観もまた必然的に転換をとげざるを得なかった。トルストイは一八七七年に『アンナ・カレーニナ』を完成して以来、八六年に『イワン・イリイーチの死』に着手するまで、九年の長きにわたって従来の意味での創作活動を停止している。これは、勿論、ひとつには自分の教義を直接宣伝するための、人生観の問題、宗教の問題の著作に忙殺されていたせいもあるが、そればかりでなく芸術の意義までも根底から考えなおさなければならなかったからでもある。つまり、従来の芸術観を揺るがして、彼にそれまでの自分の作品ばかりでなく自分以外の作家の作品まで否定させた世界観の転回が、まずあたらしい思想内容を盛るべき器の創出を迫っていたのである。その意味で、彼の民話の創作がこの九年間の後半に集中されているという事実は意味深い。これはちょうどプーシキンが南方配流から帰ってミハイロスコエに謫居《たっきょ》してロシア国民文学の創造の道を歩みだすにあたって、まず民話に帰り、そこから出発したのに酷似している。つまり二人ながら、新文学の創造に際して民衆文化の遺産という原点に立ち帰ったわけである。
トルストイのこの新文学創造の精神と方向は、彼の後期の芸術観の集大成である、一八九七〜九八年に発表された『芸術論』から窺《うかが》うことができる。その中で著者は、従来の芸術作品の多くは上流社会のために作られていて、性欲や倦怠をテーマとする有害無益なものであると断じ、真の価値ある芸術は、大衆にもわかる、宗教的感情やだれにも共通な感情を伝えるまじめで純粋なものでなければならぬと説いている。そして、まことの芸術は人生になんらかの益をもたらし、人間を浄め、暴力を除去して、人間同士を結びあわせ、あらゆる階級、あらゆる国の人々を結合させるものでなければならず、人間の同胞愛、宗教的意識で人間を共通の幸福へ導くものでなければならない、そして「芸術の使命は神の国つまり愛の国を来らしめることにある」と言う。さらに、過去の芸術でこの原理に適ったものとして「創世記の叙事詩、福音書の譬《たと》え話、伝説、おとぎ話、民謡など」を挙げ、これからの芸術作品は、今日のそれのように複雑な技巧を使ったものではなくて、古典的な健全な芸術、ホーマー的な芸術の特色である、単純、明確、簡潔さを持たなければならぬと主張している。
彼の制作にかかる民話がすべてこうした原理を踏まえたものであることは言をまたない。言いかえれば、彼の民話はすべてこの原理の具現であったのだ。が、しかしトルストイの場合、……プーシキンもそうだったが……この原理は彼の言う「農民にたいするほとんど生理的ともいう小さき愛」と、民話や民謡や伝説にたいする異常とも言える愛に裏打ちされでいたのである。トルストイは子供の頃、物乞いが語る民話に夢中になって聞き入っていた。彼は農民やこうした漂浪者たちの言葉や表現に文学を感じていたのである。そして民衆の言葉の妙味、比喩や詩趣を愛し、伝説や諺に現れる民衆の知恵に感心していた。後に彼はポール・ボワイエに、
「あの連中は名人ですよ。わたしは、農民や頭陀袋《ずだぶくろ》を肩にかけてわたしたちの村を通りすぎるあの漂浪者たちと話を交えたとき、初めて聞く彼らの表現を丹念に控えとったものです。それはわれわれの現代の文学語から往々忘れ去られてしまってはいますが、しっかりしたロシア語の刻印のはいったものです……そうです、言葉の精神はあの連中のなかに生きているのです……」
このように彼らの語る民話や伝説を愛していたトルストイに、ついに民話を創作する動機が訪れた。一八七九年七月にロシア古代英雄叙事民謡(ブイリーナ)の語り手V・P・シチェゴリョーノクがヤースナヤ・ポリャーナを訪れて、トルストイ家に何日か逗留した。彼は、本業は靴屋兼指物師で、文盲ではあったが、ブイリーナの語り手としては当時彼の右に出る者がなく、ロシアの叙事民謡の蒐集家たちは彼からの聞き書きで多くの口承文学作品を後世に伝えている。
民衆の伝承文学の愛好家だったトルストイは、シチェゴリョーノクの逗留中に、彼の口から多くの伝説とその出身地オローネツ地方の実話を書き取った。トルストイはまずこの物語を原拠として民話の創作を思い立ったのである。彼はそのほかに、一般に広く流布していた民話や、古代ロシアの異教文学の偽経的説話や伝説、アファナーシエフの『ロシア民話集』や『ロシア伝説集』中の原話も巧みに利用している。
最後に、作品のひとつひとつについて解説を加えておこう。
『イワンの馬鹿』
最初の原稿は一八八五年九月二十日頃に「ひと晩で一挙に」書きあげられた。が、完成したのは十月末、発表されたのは翌八六年に出た『L・N・トルストイ伯作品集』においてである。これには作者が拠り所とした一定の原典はない。ただ、一般に流布していた、イワンの馬鹿とその狡《ずる》い兄たちに関する民話を利用したにすぎない。
これほどロシア的で同時に世界的で、それでいてトルストイ的な民話はない。昔からロシアの民衆は賢《さか》しらな世間知を軽蔑し、愚かなくらい純真で従順であることを尊ぶ。この作品にはそうしたロシア的な考え方が遺憾なく表現されている。
アファナーシエフの『ロシア民話集』に収められている『イワンの馬鹿』では兄弟は三人とも百姓で、イワンは馬鹿な上に遊んでばかりいるのに、勤勉な兄たちよりもいつも幸運に恵まれるという筋立てになっている。トルストイのある草稿でも長兄のセミョーンは軍人だが、タラースは富農である。作者は民間伝承の原話を巧みに作り変えて諷刺的な作品にしあげ、しかもその中に自分の政治思想と道徳観を巧妙に挿入している。軍人のセミョーンは軍国主義の象徴であり、太鼓腹のタラースは資本主義の象徴であって、この二人は悪魔に愚弄されて敗北する、つまりこれら二つの体制は滅びる(トルストイは非戦論者で、反資本主義者だった)が、馬鹿ではあるが善良で働き好きのイワンの、政府と通貨のない無政府主義国(作者自身一種の無政府主義者だった)は、他国から攻撃されても抵抗しない(作者の無抵抗主義の現われ)ので、悪魔に滅ぼされずに、永久に栄えることになっている。また、「手にたこのある者を先に食卓につかして、たこのない者には食べ残しをやる」というしきたりは当時の特権階級の無為徒食的生活にたいする批判なのである。トルストイの作品中これほど諷刺がきいて、滑稽で面百い作品は他に類を見ない。随所にロシア的ユーモアと機知の閃きが見られる。
『ふたりの老人』
一八八五年六月後半に書かれた草稿が七月三日に『仲介者』へ送られ、十月に単行本として世に出た。作者が原拠としたのはシチェゴリョーノクが語った伝説である。創作ノートでは題名は『ふたりの巡礼』となっている。信仰は形式ではなくて精神と実践であるというのが、教会に背いて教会の行き方を攻撃し、聖書に記されたキリストの教えをそのまま生きることを唱道した作者の主張である。ロシアの現実生活を踏まえたリアルな描写に超自然的な現象を巧みに織りまぜて、見事な統一をとげた逸品と言えよう。
『名づけ子』
一八八六年二月〜三月に書かれ、検閲を受けずに、同年の『週』の第四号に、『民話』と銘打って発表された。その後これを『仲介者』から出そうとしたときは、宗教検閲の結果「これほど反宗教的な本はない」という理由で発禁処分に遇った。『仲介者』から初めて単行本として出たのはようやく一九〇六年になってからである。
この物語の原拠は、アファナーシエフの『伝説集』に収められた『名づけ父《おや》』と『罪と懺悔』、それに偽経文学中の『主が貧しい男の赤児に洗礼をほどこし給うた名づけ子の物語』である。広く流布していた多くのフォークロア的罪人説話では結末が異なっていて、罪人が罪を悔い、一大懲罰を科されるが、もうひとりのもっと重い罪を犯した男を殺すことで罪から解放されることになっている。
また、この伝説のあるヴァリアントでは、罪人は冷酷無情な地主や高利貸しの富農や人非人の国王や不正な裁判官や非道な領地管理人などを殺害する。ネクラーソフの叙事詩『だれにロシアは住みよいか』にもこの伝説がとり入れられている。その中の「二人の大罪人」の話では、十二人の盗賊団の頭、クデヤールが人殺しや強盗に嫌気がさし、罪を悔い、隠者となる。その彼の前にある夜、聖者が現われ、「カシワの大木を切り倒せば、お前の罪は消える」とのお告げがあった。そこで罪人は何年もかけてカシワの大木を切り倒そうとしていたところへ、馬に乗って通りかかった、これまた罪の深い地主に声をかけられ、これに説教したところ、相手は改悛の色を見せなかったので、隠侶は憤怒にかられて、短刀で相手を突きさしたとたんにその罪が消えてしまったということになっている。しかし、トルストイの『名づけ子』では、謎を積み重ねた複雑な構成のなかで、名づけ子の罪が、悪に暴力で報いて正そうとしたことにあることがわかる仕組みになっており、さらにリンゴの木の焼けぼっくいが生き返ることに象徴される罪の償いの成就は、不断の祈りと生きた捨身の伝道によることになっている。ここにもトルストイ流の考え方が窺える。
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年譜
一八二八 八月二十八日、トゥーラ県クラビヴェンスク郡ヤースナヤ・ポリャーナにロシアの名家トルストイ伯爵家の四男として生まれる。父ニコライ・イリイーチは祖国戦争に参加した退役陸軍中佐、母マリーヤ・ニコラーエヴナは同様ロシア屈指の名門ヴォルコンスキイ公爵家の出。
一八三〇(二歳) 母、娘マリーヤを生んだ際、難産のため死亡。遠縁の婦人タチヤーナ・エリゴーリスカヤ、子供たちの養育を引き受ける。
一八三六(八歳) プーシキンの詩『海に寄す』と『ナポレオン』を朗誦、その巧みさで父を驚かす。
一八三七(九歳) 一月十日、一家をあげてモスクワに引っ越す。六月二十一日、父、所用でトゥーラ市へ出張、路上で脳溢血のため急死。五人の遺児は父方の叔母アレクサーンドラ・フォン・デル・オステン=サーケンに引きとられる。ドミートリイ、レフ、マリーヤ、エリゴーリスカヤに伴われてヤースナヤ・ポリャーナに帰る。
一八三八(十歳) 五月二十五日、父の急死以来病臥中だった祖母ペラゲーヤ死去。
一八四〇(十二歳) 一月十二日、現存の最初の詩『優しい叔母へ』(エルゴーリスカヤに捧げた)を書く。
一八四一(十三歳) 叔母オステン=サーケン、オープチナ修道院で死去したため、十一月、カザンに住む父方の叔母ペラゲーヤ・ユシコーワの家に引きとられる。
一八四四(十六歳) 九月二十四日、三回目の入学試験に合格、カザン大学東洋語学科(アラビア・トルコ語専攻)に入学。
一八四五(十七歳) 五月、進級試験に落第。法科へ転科。「法科のほうがやさしいし、より多く自由な時間が見出せる」というのがその理由。
一八四七(十九歳) ルソー、ゲーテ、ゴーゴリの作品に親しむ。三月十七日、初めて日記をつける。四月十二日、大学の学問を無意味と感じて退学。農業経営の改革、農民の生活改善を志してヤースナヤ・ポリャーナに帰る。この志は失敗に終る。『地主の朝』参照。六月十六日、日記中絶。
一八四八(二十歳) 十月、モスクワヘ出て、「勤めも勉強もせず、目的もなく、まったく放縦に」暮らす。
一八四九(二十一歳) 二月、ペテルブルクに行き、ペテルブルク大学で得業上の試験を受け、途中で放棄。五月、モスクワヘ、さらにヤースナヤ・ポリャーナヘ帰る。秋、農民子弟のための学校を開く。十一月二十三日、トゥーラ貴族代議員会に就職。
一八五〇(二十二歳) 六月十七日、モスクワ生活に関するメモを書くが、未完。
一八五一(二十三歳) 一月十八日、『幼年時代』の構想浮かぶ。四月二十九日、兄ニコライに伴われてコーカサスに出発。五月三十日、ニコライの勤務地テーレク河の左岸スタログラドフスクのコサック村に到着。
一八五二(二十四歳) 一月三日、コーカサス砲兵旅団に候補生として入隊。十三日、士族討伐戦に参加。六月二十二日、『幼年時代』脱稿。七月四日、原稿を首都の『現代人』社に送る。八月二十九日、同誌主幹ネクラーソフから『幼年時代』賞賛の手紙を貰う。九月六日、『現代人』誌九号に「L・T・」の匿名で『幼年時代』発表。十月、『祖国報知』に『幼年時代』最初の批評載る。十二月二十四日、短篇『襲撃』を脱稿、ネクラーソフに送る。
一八五三(二十五歳) 一月、チェンチェン族討伐に参加。四月二十五日、短篇『クリスマスの夜』脱稿。九月十六日、『ゲーム取りの手記』脱稿。
一八五四(二十六歳) 任官し、軍務を退き、一月十九日、ロシアヘむけて発つ。三月、再志願してダニューヴ派遣軍に入隊。七月、クリミア軍砲兵第十四旅団第三軽砲隊に転属。『少年時代』完成。
一八五五(二十七歳) セワストーポリの戦に参加。十一月十九日、首都に帰還。ネクラーソフ、ツルゲーネフら『現代人』の同人から歓迎され、交際を始める。この年『ゲーム取りの手記』『一八五五年八月のセワストーポリ』『山林伐採』『五月のセワストーポリ』発表。
一八五六(二十八歳) 三月三日、三兄ドミートリイの死去の報に接する。十一月末、中尉で退役。十二月、チェルヌイシェフスキイの論文「『幼年時代』『少年時代』L・N・トルストイ伯の軍隊短篇小説集」が『現代人』誌に掲載される。この年、『一八五五年八月のセワストーポリ』『吹雪』『二人の軽騎兵』『地主の朝』『陣中の邂逅』発表。
一八五七(二十九歳) 一月末、一回目の西欧旅行に出、フランス、スイス、イタリア、ドイツを回る。四月六日、パリで断頭台の処刑を見、衝撃を受ける。スイスで旅回りの音楽師にたいする金持ちの紳士たちの冷たい仕打ちを見て憤慨し、西欧文明に疑惑を抱く。ドレスデンでラファエルの『マドンナ』を観て感動する。八月八日、村に帰る。この年『ルツェルン』『アルベルト』『青年時代』発表。
一八五八(三十歳) 一月十九日、ボリショイ劇場でグリンカの歌劇『イワン・スサーン』を聞く。夏、農事に励み、それに「詩的な楽しみ」を見出す。十二月二十二日、兄ニコライと熊狩をした際、熊に襲われ、額に一生消えない傷を負う。
一八五九(三十一歳) 二月、モスクワのロシア文学愛好者協会の会員となる。秋、農民子弟の教育再開。『三つの死』『家庭の幸福』発表。
一八六〇(三十二歳) 教育活動に熱中。七月、ドイツで結核療養中の兄ニコライの見舞いと西欧の教育状況視察のため、妹マリーヤとともに出発、ライプツィヒ、ドレスデン、ジュネーヴ等を回り、兄を見舞う。九月二十日、兄死去、深刻なショックを受ける。
一八六一(三十三歳) イタリア、フランス、イギリス、ベルギーを回る。二月、パリでツルゲーネフに会う。三月、ロンドンでディッケンズの教育に関する講演を聞く。亡命中のゲルツェンやプルードンと会う。四月、ドレスデンでP・アウエルバッハと会う。五月六日、故郷に帰る。五月、農事調停員に任命される。同月末、スパースコエにツルゲーネフを訪ね、『父と子』の朗読を聞くが、居眠りする。翌日、同道して詩人フェート宅を訪れ、慈善事業の偽善性のことでツルゲーネフと衝突、以後長期にわたり絶交状態に入る。村に小学校開設、機関誌『ヤースナヤ・ポリャーナ』と読本刊行。
一八六二(三十四歳) 一月三日、「自由主義的傾向」ありとして彼にたいする秘密調査始まる。サマーラに療養中の七月六日、留守宅と学校を捜索され、大いに憤慨する。八月五日、宮廷医ベルス、ソーフィヤを含む娘三人と同道でトルストイ家を訪問。トルストイ、モスクワヘ出てヘルス家に滞在。九月十六日、ソーフィヤに手紙で結婚を申しこみ、承諾を得る。二十三日、クレムリンの宮廷付属教会で挙式(ソーフィヤ十八歳)。『国民教育論』発表。
一八六三(三十五歳) 幸福な結婚生活が続く。六月二十八日、長男セルゲイ誕生。この年、『ホルストメール』『進歩と教育の定義』『コサック』『ポリクーシカ』発表。
一八六四(三十六歳) 九月十四日、ステローフスキイ社より二巻選集刊行。十月四日長女タチヤーナ誕生。『戦争と平和』(当時の題名は『一八〇五年』)起稿。
一八六五(三十七歳)『戦争と平和』を二十八章まで『一八〇五年』という題名で『ロシア報知』誌に発表。
一八六六(三十八歳) 五月二十二日、次男イリヤー誕生。『戦争と平和』第二部発表。
一八六七(三十九歳) 九月二十五日、『戦争と平和』の取材のため古戦場ボロジノを訪ねる。初版『戦争と平和』全三巻発行。
一八六八(四十歳) 三月、「『戦争と平和』について数言」を『ロシアの記録』第三号に発表。
一八六九(四十一歳) 五月二十日、三男レフ誕生。十二月、『戦争と平和』全六巻完結。
一八七〇(四十二歳) 再び学校教育に熱中。二月二十三日、『アンナ・カレーニナ』の構想浮かぶ。十二月九日、ギリシャ語を学びはじめる。ピョートル一世時代を扱った歴史小説の想を練る。
一八七一(四十三歳) 二月、次女マリーヤ誕生。サマーラに療養に行き、土地を買う。
一八七二(四十四歳) 一月、私邸内に学校を開き、夫人子供を動員して教育に当たる。六月、四男ピョートル誕生。『初等読本』『コーカサスの捕虜』『ピョートル一世』断片発表。
一八七三(四十五歳) 三月十八日、『アンナ・カレーニナ』起稿。五月、『サマーラ地方の飢饉について』を『モスクワ新聞』に載せ、飢民救済運動に献身。九月画家クラムスコイ、トルストイの肖像画二点制作。十一月九日、幼児ピョートル死亡。十二月七日、アカデミー会員となる。『読み書きの教え方について』『トルストイ著作集』全八巻発行。
一八七四(四十六歳) 四月二十二日、五男ニコライ誕生。六月二十日、叔母タチヤーナ・エリゴーリスカヤ死去。
一八七五(四十七歳) 一月から『アンナ・カレーニナ』『ロシア報知』誌に発表。二月二十日、五男ニコライ死亡。女児ワルワーラ誕生後間もなく死亡。十二月十二日、カザン時代の後見人の叔母ペラゲーヤ・ユシコーワ死去。作品『読本』第一〜第四巻、『アンナ・カレーニナ』前半。
一八七六(四十八歳) しばしば宗教問題、人生問題について考える。
一八七七(四十九歳) ドストエフスキイ、『作家の日記』の中で『アンナ・カレーニナ』を論評。六月二十五日、ストラーホフとオープチナ修道院を訪ね、老師アンブローシイと問答を試みる。十二月、六男アンドレイ誕生。『アンナ・カレーニナ』初版。
一八七八(五十歳) 一月、ニコライ一世と十二月党員に関する資料蒐集と研究は着手。四月、ツルゲーネフと和解。宗教思想新境地に入り、『懺悔』を起稿。
一八七九(五十一歳) 六月、キーエフのペチョールスカヤ大修道院を訪ね、院長と宗教の話を交す。七月、古謡の語り手シチェゴリョーノク、トルストイ家を訪れ、トルストイの民話の元となった数々の民話を語る。十月一日、トロイツェ・セルギイ修道院を訪ね、レオニート院長と宗教について語りあう。
一八八〇(五十二歳) 教会の形式主義的傾向に疑問を持ち、福音書の研究を始める。作品『教条的神学批判』。
一八八一(五十三歳) 三月一日、アレクサンドル二世暗殺される。十一日、新帝アレクサンドル三世に手紙で暗殺参加者の死刑の赦免を願い出るが、容れられない。十月、八男アレクセイ誕生。作品『人間はなにで生きているか』『要約福音書』。
一八八二(五十四歳) 一月二十三日より三日間、モスクワ市の民勢調査に参加、貧民の悲惨な実状を知り、社会変革の必要性を痛感する。三月末、『懺悔』を書きあげ、『ロシア思想』第五号に発表、直ちに発禁処分にあう。作品『懺悔』『モスクワ市の民勢調査について』『悪に報ゆるに悪をもってするなかれ』『教会と国家』。
一八八三(五十五歳) 三月、全財産の管理をソーフィヤ夫人に委任する。六月十日、ツルゲーネフの死の床からの、文学活動を呼びかける手紙を受け取る。十月末、チェルトコーフと知り合う。
一八八四(五十六歳) 三月、孔子と老子を読み、聖書をヘブライ語で読む。八二年の民勢調査で民衆の苦しみを知り、私有財産制、暴力、強制の悪であることを痛感した結果、『さらば我ら何をなすべきか』を書く。六月十七日、夫人と口論の末家出を決行、途中妻が身重であることを思い出して引き返す。十八日、三女アレクサーンドラ誕生。十一月二十一日、後のトルストイ伝の著者ビリュコーフと知り合う。十二月、チェルトコーフの協力を得て民衆啓蒙の出版機関『仲介者』を設立。作品『わが信仰はいずこにありや』
一八八五(五十七歳) 五月十五日、『さらば我ら何をなすべきか』を完成。私有権を否定する主張から著作権も放棄しようとして妻と衝突、結局妥協して妻に出版権を譲る。家出をしたい気持ち募る。夫人の編集で『トルストイ著作集』十二巻刊行。作品『人間はなにで生きているか』『さらば我ら何をなすべきか』『二人兄弟と黄金』『火は放っておけば消せない』『愛あるところに神もいる』『蝋燭』『ふたりの老人』。
一八八六(五十八歳) 一月十八日、末子アレクセイ死ぬ。夏、農耕の最中荷車から落ちて怪我をし、二カ月余り寝る。作品『イワンの馬鹿』『イワン・イリイーチの死』『人間にはたくさんの土地が必要か』『三人の隠者』『悔い改める罪人』『小悪魔がパンの償いをした話』『卵大の穀粒』
一八八七(五十九歳) 二月、印刷も上演も禁止されていた戯曲『闇の力』が出版され、三日で二十五万部売れる。三月十四日、モスクワ心理学会で講演。演題は『人生の意義』(これが後の『人生論』の母胎)。四月四日、まだ学生だったロマン・ロランから手紙で人生の意義と芸術の使命について質問される。八月九日〜十六日、レーピン訪れ、肖像画制作。二十三日、銀婚式。禁酒同盟を結成、肉食を絶つ。作品『闇の力』『人生諭』『光あるうちに光の中を歩め』『最初の酒造り』『作男エメリアンと空太鼓』『三人の息子』
一八八八(六十歳) 二月、最終的に禁煙。二十八日、息子イリヤー結婚。三月三十一日、末子イワン誕生。小学校教員免許願い提出、当局より拒絶される。
一八八九(六十一歳) 八月三十一日、『クロイツェル・ソナタ』完成、家人に朗読して聞かせる。十二月三十日、『文明の果実』を自宅で上演。作品『クロイツェル・ソナタ』『悪魔』(未完)。
一八九〇(六十二歳) オープチナ修道院を訪ね、神父と信仰について語り合う。『神父セルギイ』を書きつづける。
一八九一(六十三歳) 二月、作品集第十三巻押収される。三月二十九日、夫人首都に出、アレクサンドル三世から、発禁処分を受けていた『クロイツェル・ソナタ』の発表の許可を得る。六月、トゥーラの屠殺場と監獄視察。九月、中、南、東露の凶作地を視察、救済活動開始。一八八〇年以降の作品の全著作権を放棄。飢民救済のためリャザンを訪れる。作品『ニコライ・パールキン』(未完)『飢饉に関する手紙』『恐ろしい問題』
一八九二(六十四歳) 飢民救済運動を継続。『モスクワ新報』、彼の運動に革命的要素ありと攻撃。八月十三日、手帳に「家出の必要をはっきりと理解する」と書く。『文明の果実』モスクワ小劇場で上演。
一八九三(六十五歳)『ロシア報知』に『無為』発表。『神の国は汝らのうちにあり』を発表するや、官憲の圧迫厳しく、アナーキスト呼ばわりされる。小西増太郎、日本人で初めてトルストイを訪問、老子の翻訳を手伝う。作品『無為』『宗教と国家』『キリスト教と愛国心』『恥ずべし』『労働者諸君へ』『ヘーグ万国平和会議について』
一八九四(六十六歳) 一月二十四日、モスクワ心理学会で名誉会員に選ばれる。ドゥホボール教徒と初めて知り合う。作品『カルマ』『神の考察』
一八九五(六十七歳) 二月二十三日、末子イワン死亡。六月末、コーカサスで兵役を拒否したドゥホボール教徒の指導者と見られ、官憲の圧迫を受ける。九月、チェホフ来訪。作品『主人と下男』『三つの譬え話』
一八九六(六十八歳) 五月、三男レフ結婚。八月、『ハジ・ムラート』に着手。九月二十六日、徳富蘇峰と深井英吾来訪。秋、兵役拒否を英雄的行為と称える『終り近し』を外国で発表。冬、『闇の力』帝室付属劇場で上演。十一月、『芸術とは何か』起稿。作品『終り近し』『キリストの教え』『福音書はいかに読むべきか』『現在の社会機構について』
一八九七(六十九歳) 三月二十八日、入院中のチェホフを見舞う。六月、次女マリーヤ結婚。七月八日、家出の遺書を書くが、決行しない。作品『ヘンリー・ジョージの思想』
一八九八(七十歳) 六月、ビリュコーフ、チェルトコーフらと英国に出版社『自由の言葉』創設。七月、ドゥホボール教徒カナダ移住資金調達のため『復活』の完成を急ぐ。作品『芸術とは何か』『トルストイズムについて』『飢饉とは何か』『神父セルギイ』『カルタゴ破壊せざるべからず』。
一八九九(七十一歳) 一月、六男アンドレイ結婚。四月、『復活』、国内と国外で発表、多大の反響をよぶ。十一月、長女タチヤーナ結婚。作品『愛の要求』
一九〇〇(七十二歳) 一月、アカデミー名誉会員に選ばれる。一月十六日、ゴーリキイ、トルストイを訪問。作品『生ける屍』『愛国心と政府』『殺すなかれ』『現代の奴隷制度』『自己完成の意義』
一九〇一(七十三歳) 一月、七男ミハール結婚。『復活』で教会を批判したため、ギリシャ正教会から破門。これに憤慨した学生、労働者、農民デモを起こす。六月末、マラリアにかかり、重態。九月、クリミア旅行。その報道禁止される。クリミアでチェホフ、ゴーリキイとの交わりを深める。作品『破門命令にたいする司教会への回答』『唯一の手段』。
一九〇二(七十四歳) 六月、クリミアから帰る。八月六日、文学活動『五十年記念祭』催される。作品『地獄の復興』『労働大衆に』『宗教論』。
一九〇三(七十五歳) 八月二十八日、生誕七十五年祝賀会。作品『舞踏会のあと』『シェクスピア論』『三つの疑問』『労働と病気と死』。
一九〇四(七十六歳) 日露開戦。六月、非戦論『思い直せ』を英国の『自由の言葉』社から発表。作品『幼年時代の追憶』『ハリスンと無抵抗』『ハジ・ムラート』
一九〇五(七十七歳) 第一次ロシア革命起こる。民衆の決起と官憲の弾圧に心を痛め、その非を説く。作品『壺のアリョーシヤ』『コルネイ・ワシーリエフ』『フョードル・クジミーチの遺書』『祈り』『苺』『仏陀』『ロシアの社会運動』『世の終り』
一九〇六(七十八歳) 夫人健康を害う。夫婦間の不和募る。六月、徳富蘆花来訪。作品『一日一善』『神の業と人の業』『パスカル』『ロシア革命の意義』。
一九〇七(七十九歳) 学校を再開、農民子弟を教育。作品『真の自由を認めよ』『我らの人生観』『互いに愛せよ』。
一九〇八(八十歳) 一月、昨年に引き続き土地私有廃止を説く二度目の手紙出す。五月、革命家の死刑執行を見て、『黙す能わず』を発表。八月二十八日、世界各地で生誕八十年祝典が挙げられる。作品『暴力の掟』『児童のために書いたキリストの教え』
一九〇九(八十一歳) 春、ペテルブルクで生誕八十年記念トルストイ博開催。三月、チェルトコーフ、トゥーラから追放される。家出を決意し、遺言状を作成する。八月、弟子グーセフ発禁書流布のかどで逮捕され、流刑。作品『唯一の掟』『ゴーゴリ論』『浮浪人との対話』『夢』など。
一九一〇(八十二歳) 七月、合法的な最後の遺言書作成。十月二十八日、夫人に置手紙をし、医師マコヴィーツキイと娘アレクサーンドラを連れて家出。車中で発病、リャザン=ウラル鉄道の小駅アスターポヴォの駅長室に移され、十一月三日、家族、弟子、友人に見とられて永眠。九日、遺体ヤースナヤ・ポリャーナに移され、埋葬される。(日付は旧ロシア暦。新暦に改めるには、十九世紀では十二日を、二十世紀では十三日を加える)(北垣信行編)
〔訳者紹介〕
北垣信行(きたがきのぶゆき) ロシア文学者。東大教授。一九一八年、茨城県生まれ。一九四四年、東京外語大卒。著書に『ロシアの文学』(共著)『ロシア・ソビエト文学』(共著)など、訳書に『罪と罰』『カラマーゾフ兄弟』『貧しき人々』『戦争と平和』『父と子』などがある。