カンタベリ物語(上)
チョーサー/西脇順三郎 訳
目 次
ぷろろぐ
騎士の話
粉屋の話
親分の話
料理人の話
法律家の話
バースの女房の話
托鉢僧の話
刑事の話
学僧の話
貿易商人の話
騎士の従者の話
訳者解説
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カンタベリ物語(上)
訳者付記
底本としては、現在もっとも定評のあるF・N・ロビンスンの全集本を用いた。物語の配列の順序もこれに従っている。またスキート編による『オクスフォード・チョーサー』七冊本の注釈にも負うところが大である。訳出にあたっては口語的な散文訳を試みた。ひとつには韻文の翻訳が不可能であるため、またひとつには、もしチョーサーが現代この物語を書くとすれば,散文形式を選んだに違いないと思われるからである。本翻訳の一部は、故森田草平氏などの手により、わかりやすい日本語に訂正された個所があることを、ここにつけ加えておきたい。
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ぷろろぐ
時は四月。
夕立ちがやわらかにやってきて、三月ひでりの根本《ねもと》までしみとおってしまう。そのおしめりの精気で花が生まれて咲いてくる。
そよ風もまた、香ばしい息を吹いて、どこの山林地にも荒野にも、柔かい新芽が枝にふいてきた。
まだ若い太陽も、春分からめぐり出して、白羊宮を半分以上もめぐってきた四月の初旬。
ナイチンゲールという小鳥は、夜中もおちおち眠らないで、美しい節回しで鳴いている。
それほどまでに、自然の力というものは、小鳥の心でさえも、やるせなく突くものか。
こんな季節になると、人々は霊廟《れいびよう》の巡礼にあこがれて、遠い諸国の国々へ旅立つのだ。
パレスチナの聖地巡礼をする人は、海を越えて、外国へとあこがれる。
とくにイギリスでは、どの州のはてからも、カンタベリの巡礼を思いたち、病気をいやしてくだされた、聖トマスの参詣に出かけるのだ。
そんな季節の、ある日のこと私は神妙にも信心ごころをおこして、カンタベリの参詣に出かけることにしたのである。
ロンドンの南の地区の、スースウェルクというところにあった「陣羽織」という宿屋にとまって、そこで巡礼の支度をした。
すると、その夕方、二十九人もの団体が、どやどやとその宿屋にはいってきた。
聞いてみると、いろいろの人たちが途中で偶然おちあって、団体をつくったというのである。みんなカンタベリの巡礼に出かける人たちであった。
この宿屋は部屋も厩《うまや》も広いし、客のもてなしも上々であった。
やがて、日が沈んでから、私はその連中の一人一人と話をしてみる機会をえた。
早速、私もその団体の仲間入りをした。
明日は、早く起きて、出発することに話がまとまった。
だが、この「物語」をする前に、時間も暇もあることだから、この団体にいる人たちを、一人一人について、自分の見たとおりに紹介してみるのも無駄ではあるまい。
では、その人物、身分、身なりを紹介することにする。
まず、ここに一人の騎士がいるが、この人から始めることにしよう。
この騎士は立派な人物だ。初陣《ういじん》の若いころから騎士道を尊び、真理、名誉、大度、礼節を重んじた。
主君と一緒に戦争に出て、大いに手柄をたてた。彼ほど、遠くの国々まで遠征に出かけた者はいない。キリスト教国でも異教国でも、いたるところで、いつも勇邁な誉れを得てきた。
アレキサンドリア占領当時も、彼はそこにいた。プロシャでも、しばしば各国の連合軍の中で、食卓の上席を与えられた。リチュアニヤへも、ロシヤへも遠征に出かけた。キリスト教国人として、彼ほどしばしば遠征に参加した者はすくない。グラナダで、アルヘセーラスの攻略の時も、これに参加したし、ベルマリヤにも遠征したことがある。ラヤスにも、アッタリヤにも、その攻略のおりに参加していた。また東部地中海では、幾度も有名な上陸作戦に参加した。激戦にも十五たび加わった。トレメゼンでは、キリスト教のために三度も一騎打ちをして、いつも相手の敵を殺してのけた。
この騎士はまたかつて、パラチヤの領主に従って、トルコで他の異教徒と闘ったものだが、いつも名声をかちえた。勇敢ではあったが、一方賢明でもあり、その態度は乙女のように優しかった。一生の間、何ぴとに対してもかつて不作法な言葉を使ったことがない。真に完全な君子であった。
だが、そのいでたちについていうと、彼の馬は立派だったが、彼自身はあまり目だった風采をしてはいなかった。コール天の上衣をきていたが、それが鎖《くさり》帷子《かたびら》のためにひどくよごれていた。さいきん遠征から帰ったばかりで、すぐまた巡礼に出かけて来たからだ。
彼と一緒に、彼の御曹子が従者としてついていた。この青年は、今のところ恋をしているひとりもので、元気のよい騎士の見習であった。その垂れ髪は鏝《こて》をかけたように、きれいにまかれ、縮れていた。
年は二十《はたち》前後でもあったろう。身丈は中背、非常に活溌で腕力も強い。フランドルや、アルトワや、ピカルディーなどへ、かつて遠征に出かけたこともある。婦人の愛顧と歓心を買うために、わずかの間によく手柄をたてた。
刺繍を施した上衣を着ていたので、まるで白や赤のなまなましい花がいっぱいに咲いている牧場のように見えた。一日じゅう歌を唄ったり、笛を吹いたりしていた。五月の月のように鮮かにうるわしかった。長い広いたもとのついた短い上衣を着ていた。馬術に巧妙であった。歌も作り詩もよく作った。馬上の槍試合も、舞踏もよくした。絵も書もよくかいた。彼の恋は熱烈なもので、夜を啼き明かすナイチンゲールのように、眠ったことがなかった。彼は礼儀正しく、謙遜で、よく人のためにつとめ、食卓では父の前で肉切りを勤めた(当時の紳士のたしなみ)。
騎士は一人の忠僕をつれていた。このたびの旅では、他に一人も従僕をつれていなかったが、それは主人たる父の望みであった。
忠僕は緑色の頭巾《ずきん》と上衣を着ていた。孔雀の羽根のついた、矢の根のするどく光る矢を一えびら、バンドの下にきりっとさげていた。(武士の家来らしく、彼も武器の手入れは心得ていたから、彼の矢には、一本の羽根もたるんでいなかった。)手には大きな弓をもっていた。いがぐり頭で、とび色の顔をしていた。山や森の狩猟の知識には精通していた。腕に派手な弓|籠手《ごて》をつけて、腰には太刀と円盾《まるだて》をさげ、腰の他の側には、きれいな飾りのついた、槍の穂先のように尖った、派手な短刀をさしていた。胸にはぴかぴか光る銀製のクリストフル(子供のキリストを肩車にのせた聖者の像)という聖者のお守り札をさげていた。角笛をもっていた。また肩から斜めに吊る剣吊りも緑色であった。思うに、彼は実のところ山林の猟場の番人であったろう。
尼さんもいた。それは尼寺の長で、そのほほえむところをみると、実に無邪気で内気らしい女であった。この女《ひと》が用いる最大の誓いの言葉は「聖エリジュウス」一点張りだ。この女はマダム・エグランティーンとよばれていた。
実にうまくお祈りの歌を唄うが、また実に上品に鼻声で調子をとった。またフランス語を実にあざやかに優雅に話す。もっとも、それはストラット・アッテ・ボーウェ(ロンドンにあった有名な尼寺のあった場所)流ではあるが、なにしろパリのフランス語は彼女の知るところでなかったのだからどうも仕方がない。
食事の礼儀作法などもまたよく心得ていた。唇についたものは少しも落さないし、皿の中へ指を入れても、そう指を濡らさないようにするし、胸の上に物を落さないように、うまく食物を口へ運んでもゆく。非常に礼儀作法をたしなんでいた。飲み物を飲んだあとで、コップに油や汁などの跡が残らないように、上唇をきれいに拭った。食べ物を取るんだって、いかにももっともらしく手をのばすというふうだ。
確かに性質には大変快活なところがあって、陽気で、人に対しては愛想がよかった。つとめて宮廷のふうをまねたり、態度に威厳をつけようとしたり、いつも人から尊敬されるように気をつけていた。この人の信念について言えば、慈善心の深い情け深いところがあって、一匹のねずみがわなにかかって死んでいたり、血を出していたりするのを見ただけで、もう泣いたものだ。小犬をたくさん飼っていて、焼き肉や牛乳や上等な堅パンを食べさせた。一匹でも死のうものなら、また誰か棒でなぐりでもしようものなら、ひどく泣き出す始末だ。この女はまったく道義心と同情心そのものであった。
その尼頭巾は几帳面に折目がついていた。鼻はすっきりと尖って、眼はガラスのように灰色を帯びていた。口は非常に小さく、また柔かそうで、かつ赤かった。だがしかし、確かにすばらしいおでこの持主だ。確かに親指と小指を張った広さはある。というのも実は、この女《ひと》はけっして発育不完全のほうではなかったから。
外套は実に上品に見えた。珊瑚珠《さんごだま》にところどころ緑の玉を配置した念珠《じゆず》を腕のところに、かけていた。またその上にぴかぴかする金の飾りを吊っていた。その飾りには花文字のAから始まって Amor vincit omnia(愛はすべてを征服する)と彫ってあった。
この尼さんは、自分の下役をするもう一人の尼さんと、三人の僧とを従者に連れていた。
ひとりの修道院僧がいた。ずぬけて立派なしろものだ。寺領監督役で、狩りの好きな僧であった(狩りは僧には禁じられていた)。男らしい男で、修道院長にもなれそうな立派なやつだ。立派な馬をたくさん飼っていた。こいつが馬に乗って出かけると、ヒューヒュー鳴る風の中から手綱の鈴がジリンジリン聞こえてくる。この坊主が長をしている僧庵の礼拝堂の鐘の音のように、手綱の鈴がはっきりと大きく聞こえてくる。聖マウルスや聖ベネディクトの定めた修道院法は、旧式でやや厳格すぎるので、この修道院僧はそんな古いものはほうってしまって、新世界に適応した行き方を採用した。昔の修道院規則の教義《テクスト》などは頭から軽蔑して、羽をむしった雌鶏よりも価値がないとした。その教義では、狩りするものは聖人でないという。また修道院に住まぬ修道僧は水中に住まぬ魚に等しいともいうが、それはつまり修道院を出た僧侶のことである。
しかしこいつはそうした教義など牡蠣《かき》一つの価さえもないと思っていた。彼の説も確かに一説だと、その時私はそう言ってやった。修道院の中で書物を読んでばかりいたり、またオーガスティンの教えるように、手にて働き、肉体的労働ばかりしておれば、人は結局馬鹿な気違いじみた者になってしまうが、なんのために、そうまでして勉強しなければならないのか? そんなことをして世間に奉仕することができると思うのか? 汗水たらして働くことは聖オーガスティンにまかしておけばよい、などというのである。
こいつはしかも、恐ろしく乱暴な狩りをする男なんだから世話はない。小鳥のごとく早く駆ける猟犬を飼っていた。乱暴に馬を乗りまわして、うさぎを狩ることが大好きであった。それというのも、彼はもともと費用に眼をくれなかった。袖口のところには灰色のりすの毛皮をつけていた。しかも国じゅうでの極上の品をつけていた。またあごの下で頭巾を留めるために、黄金《こがね》細工の珍しいピンを持っていた。その太いほうの先には比翼結びにした蝶形のリボンがついていた。
頭は禿げて、ガラス玉のように輝いていた。顔も油で洗ったようにつやつやしていた。でぶでぶ太った長老様だ。眼は鋭く、ひっこんでぎょろぎょろして、大釜のかまどのように火焔に燃えていた。その長靴はしなやかで、その馬は堂々としていた。さても確かに立派な僧正だ、けっしてやつれた幽霊のようにあおざめてはいなかった。好物はでかい丸焼きの白鳥であった。乗っていた馬は木の実のようにとび色であった。
一人の托鉢僧がいた。粗野な元気のよいやつで、ちゃんと縄張りを定めた托鉢の免許状をもっていた。まことに陽気な男であった。托鉢僧の四つの宗派の中でもこいつほど無駄口とお世辞のうまい者はなかろう。自腹をきって、自分が手をつけた若い娘に結婚を取りもったことなどざらにあった。彼は自分の宗派中じゃ大切な支柱として尊敬されていた。田舎ではいたるところの小地主から親しまれ、可愛がられもした、町では立派な金持の女房たちとも親しかったし、評判もよかった。自分でも言ってるように、彼は教区の牧師よりも人に懺悔をさせる力をもっていた。というのも、彼はその宗派から懺悔を聴く免許状を貰っている僧であった。じっさい優しいようすで人に懺悔をやらせたし、また懺悔を容れて赦罪を与えるやり方も愉快なものであった。いいお布施になると思えば、すぐ懺悔式をやってくれた。というのも、貧しい托鉢僧に物を与える人は、またよく懺悔式をやってもらう人ということになっているからだ。そして、もし人が托鉢僧に金を出したら、その人はきっと後悔している人にきまっているからだと、その托鉢僧は断言した。けだし人間には、どんなに心をいためても泣けないような無情な人がたくさんある。だからそういう人は泣いたりお祈りをしたりする代りに、貧しい托鉢僧に銀貨をくれたらよいのだというのである。
彼の頭巾には、ナイフやべっぴんさんにくれるピンなどをたくさんつめこんでいた。彼は確かに陽気な声音《こわね》をもっていた、また絃琴に合わせてよくうたった。民謡をうたわせると天下一品、誰も及ぶものがない。この男の頸はいちはつ[#「いちはつ」に傍点]の花のようにまっ白であった。そのうえ角力《すもう》は玄人《くろうと》はだしであった。
彼はどこの町でも居酒屋や旅籠屋《はたごや》なら知っている。なりんぼう[#「なりんぼう」に傍点]や乞食よりも、宿屋の亭主や酒場の女給のほうをよく知っていた。というのは、彼のような偉い男が、その位置からしても、そういうかったい[#「かったい」に傍点]とちかづきだということはまことに工合がわるかった。金持や飲食業者とつきあわないで、そういう貧民ばかり相手にしていたのでは名誉なことでもなし、利益にもなりにくい。所きらわず、利益にさえなれば、彼は礼儀をつくし、ペコペコ頭を下げて勤めるのだ。彼ほど高潔な男はなかった。
自分の寺では最大の乞食であった。というのは、一足の靴さえもっていない貧乏なやもめ暮しの女のところでも、托鉢に行けば、そのお経の文句にある「イン・プリンチピヨー」を実になごやかな声で唱えて、一文でも手にしないうちは帰らなかった。その貰いのほうが彼の定収入よりもはるかによかったからである。
また、まるで仔犬のように駆けずり廻った。調停裁判のある日などは、裁判に頼まれて、非常に貢献するところがあった。そこでは、苦学生のようにぼろぼろの上衣をつけた托鉢僧のようでなく、偉い先生か法王のように見えた。彼は着ていた短い上衣は双子《ふたこ》毛糸で、鋳型から出たての鐘のようにまん丸かった。彼はやや舌もつれの癖があって、彼の英語は舌の上で甘たるくなった。
それから歌をうたって絃琴をひく時など、彼の眼は霜夜に光る星のように額の奥できらきら光った。この公認托鉢僧はフーベルドとよばれた。
一人の貿易商がいた。二またに分れたあごひげをはやして、まじり色の服を着ていた。高々と馬に乗って、頭にはフランドルの海狸《ビーバー》の毛皮の帽子をかぶっていた。彼の深靴は立派な締め金がついていた。
自分の説を大げさに吹聴して、いつも自分の金儲けの話をほのめかしていた。オランダのミッデルプルヒと英国のオレウェレ河の間の海上は、どんな犠牲を払っても、安全区域として護りたいものだと思っていた。フランス貨のシェールドを売ってうまく為替で儲けることを心得ていた。この大人《たいじん》はなかなかぬけめのない男であった。利買いや思惑《おもわく》で、がっちり構えているので、損をしたためしがない。じっさいのところ立派な男には相違ないが、世間ではこの男をなんという名前で呼んでいるのか。
またオックスフォルドの学僧がいた。長いあいだ論理学に憂き身をやつしていた男だ。彼の乗っている馬は熊手のように痩せこけていた。見かけたところ、彼自身も太っているどころか、がくがくしていて、どこかしかつめらしく見えた。
上にひっかけていた学生服《ガウン》は実際ぼろぼろになっていた。まだ僧職にもつかず、俗界にはいって役人になろうともしなかった。ぴかぴかの長袖の官服よりも、また提琴や立派な絃楽器よりも、むしろアリストテレスの哲学書を黒や赤の表紙に綴じて、ベッドの枕もとに置くほうが似合っていた。学者であったろうが、彼の銭箱に黄金《こがね》はあまりなさそうだ。友達から借りた金はことごとく書物や学問に使った。だが、学資をみついでくれた人たちの霊魂の極楽往生のためには、お祈りにせっせといそしんでいた。小心翼々、精魂こめて勉強した。よけいなことはひとことたりとも言わないで、言えば礼儀正しくしとやかに、また簡潔に素早く、しかも含蓄の味わいをこめて言った。
彼の話はすぐ道徳論になりがちで、よく学び、よく教えることを楽しんだ。
すばしこそうな法律家が一人いた。聖ポール寺で開かれる弁護人の協議会でおなじみの傑物だ。考え深そうな、上品に見える人だ。言うことが賢明なので、なおさらそう見えた。
彼は特許により、また治安裁判職全権として、巡回裁判所の判事に任命されたことが幾度もある。その学識と名声によって、たくさんの給料と官職とにありついた。彼ほど金儲けのうまい者もあまりいなかった。あらゆるものに絶対所有権を設定し、無効な売買をやったことはない。
彼ほどいそがしい人もあまりないが、しかし実際よりもいそがしそうに見えたのだ。ウィリアム一世時代から起こったあらゆる裁判事件とその判決例にことごとく通じていた。なお彼は公文書類の作製にも通じていて、だれも、彼が書いたものに誤りを発見することができなかった。どの条文も暗記していた。絹の紐を帯にして、小さい飾りのついた、まじり色の外套を着て、質素なふうで、馬に乗っていた。彼の身なりについては、これ以上言わないことにする。
小地主階級の郷士が一人、この法律家の連れとして来ていた。そのあごひげはまっ白で雛菊のように見えた。血色は多血質の紅色であった。朝飯にはぶどう酒の中にパンをひたして食べることが好きであった。彼は快楽の中に生活することを常としていた。快楽主義の哲人エピクールスの真の子で、「完全なる快楽こそ真の完全なる幸福なり」というのが、彼のモットーであった。
彼は、一人の家持ちであり、しかも偉大なる家持ちであった。郷里では、一人の聖ジューリアンとでもいうべきものであった。パンもビールもひとしく上等なものばかりで、ぶどう酒も彼ほど優良なものを貯蔵している人はあまりなかった。その家では魚と肉との焼き物はいつでも食べられるし、しかも豊富にあって、肉と酒、その他ありとあらゆる珍味が家の中にうず高く積んであった。
四季の季節に随って彼の食物と食事がかわってゆく。鳥小屋には太ったしゃこ[#「しゃこ」に傍点]をたくさん飼っていたし、生簀《いけす》にはプレムという鯉の一種やおおがます[#「おおがます」に傍点]をたくさん飼っていた。ソースがぴりっとききめがなかったり、食器などがちゃんと用意されていなかったら、料理人はご難! ホールに備えつけの食卓には一日じゅういつも食事の用意がしてあった。四季の治安裁判が開かれる時には議長や司会になり、幾度か代議士にもなった。帯のところには、短刀と朝の牛乳のようにまっ白な絹の巾着《きんちやく》とがさがっていた。また彼は州長もやったし会計検査役もやったことがある。これほど立派な家来はあまりいない。
われわれの仲間には、また一人の帽子屋に、大工に、機織《はたおり》に、染物屋に、家具商がいた。何か偉い組合の団体で、皆お揃いの服装をしていた。彼らの服装の飾りはみんな新調のぱりぱりだ。彼らが所持しているナイフのこじり[#「こじり」に傍点]は真鍮でなく、全部銀で作られ、その細工も実にきれいにできていた。彼らの帯も巾着もみんなどの部分をみても、きれいに作られていた。
これらの人たちは、どの人をみても、市役所のホールの一段高いところに坐る市会議員になっても恥かしくない立派な町人に見えた。どの人も皆、その見識からいって、市会議員になるにふさわしい人ばかりであった。財産も収入も十分ある。また彼らの細君も亭主が議員になることに賛成するはずだ。もし反対なら確かに細君のほうが悪いのだ。「マダーム」と呼ばれ、組合《ギルド》の祭には正面に立って参列して、女王のようにマントを着て、その長い裾を人にもたせるのも悪くはない。
この組合の連中は、一人の料理人を連れて来た。雛鶏《ひなどり》の骨髄をプードレ・マルチアウントという香料とガリンガーレという香料とで煮物にするためだ。この男はよくロンドンのビールの味を鑑別した。焼くことも、煮ることも、照り焼きも、フライもできるし、ポタージュもつくれるし、パイもよく焼いた。気の毒に思われたのは、この男が向う脛《ずね》に壊疽《えそ》をでかしていたことだ。ブランクマンジェールという去勢した雄鶏の肉を入れたプリンにかけては、天下一品であった。
船長が一人いた。これはずうっと西部に住んでいた男、確かデルテムーゼの人間であった。
膝のところまで荒い粗悪な地の長上衣を着て、巧妙に百姓馬に乗っていた。短刀を紐につけて、頸から腋の下へ吊るしていた。夏の陽《ひ》で色がまっ黒に焼けていた。確かに愉快なやつだ。ボルドーからの帰途、商人が睡っている間に多量にぶどう酒をかすめ取ったことがある。良心の呵責《かしやく》などは持ちあわせがない。海で荒仕事をして、高圧手段に出る時は、「どこへでも勝手に帰るがよい」と、相手を海中へ投げ込んだ。
だが、潮や潮流や海上の天候や港や月や水先案内のことなどを判断する術にかけては、ハルからカルタゴにいたる間にもこの男にかなうものはなかった。
彼は事をかまえるに大胆で、用意周到であった。いくども暴風雨にあって、彼のあごひげはひどく風雨にうちたたかれた。ゴットランドからスペインのフィニステーレ岬の間にあるどの港の実情にも通じていた。またブリタニーやスペインにあるどの入江も浦も知っていた。この船長の船の名はマグダレンとよばれた。
われわれの仲間にはまた医学博士が一人いた。医薬と手術にかけては、世界じゅうに彼ほどの者はいなかった。それも天文学に造詣《ぞうけい》が深いからである。彼は占星術に従って患者の生れ月日や時刻を微細に調べた。その患者の生まれた時刻に地平に昇った星が何星であったか調べて、その星でその病人の運勢を占うことを知っていた。
いかなる病気の原因をも知っていた。それが熱気か寒気か湿気か乾気か、またどこにそれが生ずるか、またどんな体液の性質かを知っている。彼は実に完全な医者であった。原因と病気の根元がわかりさえすれば、ただちに病人に治療を施した。自分の取りつけの薬剤師に用意させて生薬《きぐすり》や舐剤《しざい》をとどけさせた。おたがいの儲けとなるからだ。この両者のつきあいは昔からのことである。昔からの医薬の神や有名な医者のことをよく知っていた。古代のエスキューラーピウスや、デーイスコーリデスや、エクリューフスや、古代のイポクラースや、ハーリーや、ガーリエン、セラーピオン、ラズイースや、アヴィセン、アヴェロイス、ダマセエンや、コンスタンティーン、ベルナルドや、ガーテスデンや、ギルベルティン。
彼は食事には節度を守り、食べすぎず、栄養をたくさんとり、消化のよいものを食べた。聖書の研究はあまりやらなかった。
琥珀《こはく》織や薄絹織で裏地をつけた真紅色や空色のきれの衣服をつけていた。だがしかし彼はともかく倹約なもので、悪疫流行の時代に手に入れたものをまだもっていた。薬剤に入れる金は強壮剤であるから、彼はとくに黄金を愛したのであった。
バースの近辺から来たおかみさんがいたが、惜しいことに少しつんぼだった。機織の上手なことはイプレスやガウントの人たちをもはるかにしのいだ。供物の献納式の順番はこの女房がいの一番で、あえてこの女房の先駆けをする女はその教区には一人もいなかった。もし先駆けするものがあったら、この女房はきっと憤慨して、慈善心をことごとくなくしてしまう。頭にかける布地《きれじ》が非常に上等で、日曜日にかぶる頭巾ときては十ポンドも目方があるに違いない。この女のはいている長靴下は立派な猩々緋《しようじようひ》で、ぴったりと、きつく、身についていた。靴は柔かい新調のもの。
顔はきつくあだっぽく、色白で、赤味色。もとからしっかりもの。若い時分の色男は別としても、正式の結婚でもった亭主は五人いた。だがこのことについてはいま言う必要はない。
またエルサレムへは三度も巡礼にいってみた。他国の河や海をいくつも渡って、ローマにも、ブーロニュにも、ガリシヤの聖ジェムズの寺院にも、コローニュにも参詣にいったことがあった。旅のさすらいの経験をいくどもなめた。実をいうと山羊歯で、すこし出っ歯な女であった。
調子で歩く小馬の上に楽しそうにまたがり、顔を尼頭巾でよく包み、頭の上には円盾《まるだて》か的《まと》のようなつばの広い大きな帽子をつけていた。大きなお尻のところに膝掛けをまいて、足には鋭い拍車をつけていた。仲間と一緒に笑ったり話したり。おそらくこの女は「恋の療法」ということを知っていたのであろう。というのも、この女は古えの恋の秘術をよく心得ていたからである。
宗教家のおじさんがいた。村の貧しい牧師であった。だが信心深い心に富み、神に仕える仕事はなんでも喜んでした。彼はまた教養があり、立派な学者で、キリストの福音《ふくいん》を真実に説ける人であった。教区の人たちを献身的に教えるのであった。
優しい人で、驚くべき勤勉家、それに堅忍不抜な人であった。このことは彼のおこないで実際に証明されていた。教会に納める十分の一税を滞納する人があっても、それがためその人を破門するというようなことは嫌った。いなむしろ、自分の教区に貧乏な人がいると、きっと教会の献納物を分け与え、また自分の財産からも出してやったのであった。自分は僅かなもので十分満足できた。
彼の教区は広く、人家がまばらにとび離れていたが、雨が降っても雷が鳴っても、病気の時も心配のある時も、いちばん遠い家までも、上下の区別もしないで、彼は手に杖をもち、歩いて訪ねることを怠らなかった。「まずみずからおこなって後これを教える」という立派な模範を教区民に示した。この訓言を福音書から引用したり、また、これにつけ加えて「もし金《きん》にし錆《さ》びることあらば、鉄は何をかなさん」という比喩《たとえ》を言った。けだしわれわれの信頼する牧師が腐敗すれば、俗人の錆び腐るは当然のこと。
牧師として慎しむべきことはほかにもある。不潔な羊飼いが潔白な羊をみちびく図なぞは恥ずべきことだ。牧師はみずから潔白なおこないをして、いかに生くべきかを教区民に示して模範になるべきだ。
この牧師は自分の僧職を貸しつけて自分の羊である教区民を泥の中へ追い込み、自分はロンドンへ出かけて、聖ポール寺院で施主の冥福を祈るミサ僧の職を求めたり、あるいは組合《ギルド》の専属の坊主として雇われたりするような、僧職売買はやらなかった。彼は地元に住んで、狼に荒らされないように羊小屋をよく守った。彼は羊飼い主で雇い人ではなかったのだ。また彼は身を神に捧げた高徳な人であったが、罪人に対してもけっして苛酷でなく、言葉使いも傲慢不遜ではなく、慎しみ深く優しくさとした。正直な生活を模範として人を天国へ導くことが彼の仕事であった。もし頑迷な人がいる時は、その人が何ぴとであろうとも、身分の高い人でも低い人でも、その時はきびしく叱りとばした。これほど立派な牧師はどこにもいないに相違ない。
また虚飾を求めず、人からの尊敬をも求めず、さればとて、あまり良心的に偏狭に失することもなかった。キリストの教えやその十二使徒の教えに、まずみずから従ったのだ。
彼と一緒に一人の農夫がいた。牧師の兄弟であった。郷里《くに》ではたくさんの肥《こえ》を車でひっぱったりする真面目な労働者で、安楽に、また完全な愛の精神に生きていた。嬉しい時も悲しい時も、常に全心を捧げて神をいちばん愛した。それから近隣の人たちを自分自身のごとく愛した。貧しい人のために、賃金をとらずに、キリストのために、力の及ぶかぎり、穀物を連枷《からざお》で打ったり、土を掘ったり、溝を掘ったりしてやった。十分の一税は自分の労働と自分の財産から、とどこおりなく納めた。粗末な上衣を着て、牝馬に乗っていた。
また一人の荘園労働者の親分と一人の粉屋がいた。また一人の宗教裁判所の召喚刑事と、法王の赦罪状売りの旅僧もいた。それから他にロンドンの法曹協会の賄人《まかない》と、私とだけであった。
その粉屋は頑丈そうな野郎で、筋肉のたくましい、骨組みの大きいやつであった。角力では、どこへ行っても、いつも一等賞をもらったというが、いかにもそうらしい。肩がずんぐりして、幅が広く、がっちりしている骨組みの男で、どんな戸でもその蝶番《ちようつがい》をはずしたり、いきなり駆けていって、自分の頭でそれをたたきこわすことができた。そのあごひげは牝豚か狐のように赤く、また、まるで鋤《すき》のような形になっていて幅が広かった。鼻のてっぺんにこぶがあって、その上に一ふさの毛が生えていた。それが牝豚の耳の針毛のように赤みを帯びていた。鼻孔はまっ黒で広く開いていた。
腰には、刀と円盾をさげていた。口はかまどのように大きかった。おしゃべりのふざけもので、下卑《げび》た話をするやつだ。話はたいてい、罰当りな卑猥なものであった。よく穀物をごまかしたり、三倍も粉|碾《ひ》き賃を取り上げたりするが、それでも「黄金の親指」(「正直な粉屋は黄金の親指をもつ」ということわざがある)をもっている珍しく正直者の粉碾きだといわれていたが、ふざけた話だ。白い外衣を着て青い頭巾をかぶっていた。革袋の風笛《バグパイプ》を吹くことが上手であった。そこで、こいつをわれわれの先頭に立たせて町からくり出した。
法曹協会の賄人《まかない》でおとなしい男がいた。およそ名のある賄方は、みなこの男から食料をうまく仕入れる模範的な方法を覚えたのだ。現金で支払うか、掛けで品物を取るか、常に買入れに注意し、人の機先を制して成功したからである。そういう無教育の男の才知が、多くの学問ある人々の知恵をしのぐとは、神のきわめて公平な摂理なのであろうか。
彼が勤めている法曹協会には三十人以上の先生がいた。みな法律に精通している専門家で、その人たちの多くは、イギリスじゅうのどの殿様の家臣になっても、その殿様の収入や土地の管理をやり、殿様がとくに馬鹿げたことをさえしでかさなければ、借金せずに立派に殿様が自分の財産で生活するようにも、また殿の思召しによっては、どんな倹約なきりつめた生活もされるように、うまく管理することができる偉い人たちであった。
またどんなことが起ころうと、一国の経済を助けることのできる才能をもっている人たちでもあった。けれどもこの賄人はこれらの先生たちの上手に出た。
その親分はやせた怒りっぽい男だ。そのあごひげは剃れるだけよく剃っていた。頭髪は、耳のぐるりを小ぎれいに刈り込んでいた。額のところを坊さんのように短く刈っていた。脚は非常に長く、やせて棒のようで、こむら[#「こむら」に傍点]というものがなかった。
穀倉と貯蔵場とをよく取り締った。監査役が来ても、この親分には誰もかなわなかった。彼はまたひでりの年にも、雨の多い年にも、自分の播《ま》いた種からどれほど取れるか、また穀物の収穫がどれほどになるかよく知っていた。ぬすんだ分はひでりと雨のせいにした。主君《かみ》の羊も牛も搾乳場も豚も馬も農具も家禽も、みんなこの親分の支配のもとにあった。主君がまだ二十歳のときから、契約どおり荘園の勘定報告書を出していた。彼はけっして遅滞することがなかった。その荘園の執事や羊飼いやその他の雇人どもの策略やごまかしを、みなよく知っていたので、彼はみんなから悪疫のごとく嫌われていた。
彼の住いは草原の上にあって、その屋敷は緑の樹々の木蔭につつまれてきれいであった。
主君《かみ》よりも良い買物をしていた。ひそかに彼は豊富に買い込んでいた。自分自身の財産から出したり貸したりして、主君をうまく喜ばせ、ありがたがられ、褒美に寛服や頭巾などを賜わることができた。
若い時分によい手職を覚えた、非常に立派な腕前の大工であった。この親分はねずみ色の斑《まだら》の馬に乗って、その馬の名をスコットとよんでいた。青色の長い上衣を着て、腰のところに錆びた刀をさげていた。この親分はノーフォク州の産で、バルデスウェレという町の近くから来た。托鉢僧のように帯で着物をたくし上げていた。そしてわれわれ一行のしんがりとなっていた。
一人の刑事がわれわれの一行にいた。火のように赤い顔をして、天使童子のようであった。目が細く、吹き出物だらけであった。すずめのように好色で、淫奔らしかった。きたならしいまっ黒な眉があって、ひょろひょろの薄いあごひげが生えていて、子供はみな、彼の顔をこわがった。どんな水銀も密陀僧《みつだそう》も、あるいは硫黄も硼砂《ほうさ》も白鉛も酒石英も、あるいは腐蝕し消毒となるどんな軟膏も、彼の顔の白い吹き出物や、頬に出ている節瘤を治すことができなかった。
彼は好んでにんにく、玉ねぎ、にらを食べ、血潮のようにまっ赤な強いぶどう酒を飲んでいた。飲むとしゃべりだし、気違いのように叫んだ。ぶどう酒をしたたか飲んだ時は、ラテン語以外の言葉はしゃべらない。ある判決文から二、三の文句を覚えていたのだ。一日じゅうそれを聞いていたのだから無理もない。かけす[#「かけす」に傍点]でさえ、法王の口真似をして、「ワットよ」なんて言うぐらいなんだからね。だが他のことで彼の知識をさぐってみると、もう彼の哲学は使いつくされていた。何かというと、「クウェスチョー・クウィッド・ユーリス」と言う。「問題はいかなる法規がこの判決に適用されるかである」という意味のラテン語である。彼はおとなしい親切なやっこさんだ。彼よりいいやつは見当たらない。飲み仲間が、六合三勺のぶどう酒をおごりさえすれば、妾とちちくりあうのを一年間でも見ないふりをしている。だが、かげではひわ[#「ひわ」に傍点]の毛をむしり取るような、つまり、お人好しをだましてまきあげるような真似をする。妾をもつ仲間がいると、宗教裁判長の破門などは、なんにもこわかないものだ。人の霊魂は財布の中にあるのではないから、と教えてやる。「財布はすなわち裁判長の地獄にあたる」と彼は言うが、これはもちろんでたらめだ。どの犯人も破門のこわいことは知るべきだ。破門は人を殺し、赦罪は人を救うもの。破門状には気をつけるがよい。
この男は、監督管区の若い人たちをみんな自分の思うがままに御していた。若い人たちの秘密も知り、どんなことについてもかれらの相談相手になっていた。
頭には居酒屋の看板にもなりそうな、大きい葉の環冠をのっけて、円盾のような、平たい丸いパンをもっていた。
彼とならんで馬に乗っていたのは、ロンドンのルースイヴァルの僧院から来た赦罪状売りで、この刑事の仲間であった。ローマ庁からまっすぐにやって来た。大きな声をはりあげて、「こちらへおいでよ、いとしい女、わたしのところへ」と流行歌をうたった。刑事も太いバスの低音で、一緒になってうたった。らっぱの音だってその声の半分にも及ばなかった。
この赦罪状売りの頭髪は蜜蝋のように黄色く、亜麻糸のようになめらかに垂れていた。その僅かな垂れ髪が肩の上にばらばらに広がっていた。だがそれが一本一本切れぎれに、薄くかかっている。でも頭巾はかぶらないほうが陽気でいい。頭巾を頭陀袋《ずだぶくろ》の中にしまいこんでいた。
最新流行のスタイルで馬に乗っているつもりであった。帽子は別だが、すべてむき出しで、ざんばら髪のまま、馬に乗っていた。野うさぎのようなぎらぎらする眼。キリストの顔を描いた頭布《カーチフ》を帽子の上に縫いつけていた。頭陀袋は膝の上において前のほうにもっていた。その中にローマから来たばかりの赦罪状がいっぱいつまっていた。
山羊のような、悲しげな小さい声だ。あごひげはなかったが、これからも生えることはないだろう。頬は剃《そ》りたてのようにすべすべしていた。去勢馬か牝馬ならこんなものかと思われた。だが悪知恵にかけては北のベリックから南のワーレのあいだには、この赦罪状売りほどの者は他にみられない。頭陀袋には、枕掛けを入れておいて、それを、聖母の被衣《かつぎ》だとぬけぬけと言っていた。キリストにひき上げられるまで海を渡っていた聖ペテロの帆のきれはしもあると言っていた。宝石を一面にちりばめた真鍮の十字架をもっていた。ガラス箱の中にはまた、豚の骨を入れていた。そうした嘘の聖骨や聖宝で、貧しい田舎牧師の二カ月分の給金よりもたくさんな金を、一日で手に入れるのであった。
そんなふうに、嬉しがらせの嘘や、でたらめのごまかしで、牧師や田舎の人たちをだまして金をまきあげた。だが実を言うと、洗ってみれば、彼も教会の立派な教師なのだ。朝夕の祈祷には、聖書からの日課や聖者の伝記がよく読めた。だがなかでも奉献誦をいちばんうまくうたえた。それも歌が終われば説教しなければならないということも、またできるだけうまく銭を儲けるために舌をよく研《と》がねばならないということも、彼はよく知っていたからだ。だからそれだけいっそう愉快そうに声をはりあげてうたったのだ。
さて簡単ではあったが、私は、この団体の人々の身分や身なりや、人数のこと、またスースウェルクの「鐘屋《かねや》」という旅籠《はたご》のすぐ近くにある「陣羽織」というこの立派な宿屋に、この団体がどういうわけで集まったかということなどこれですっかり話してしまった。
だがこんどは、この宿屋に泊まった晩、われわれはどんなことをしたかということや、その次にはわれわれの巡礼の旅のことを、すっかりもらさずに話しましょう。だが最初に、失礼ながらお願いがある。ほかでもない、あの人たちが言ったことや、あの人たちのようすを少し率直に述べさせてもらいたい。
その人たちが言ったことを、言葉どおりにそのまま伝えたからといって、私自身が礼儀も知らない野人だと取られては心外だ。というのも、みなさんもよくご承知のとおり、いったいある人物をあるがままに描くためには、どんなに不作法無遠慮になったところで、その人物の言った言葉をそのまま気づいたとおりに、どんな言葉でもそのまま正確にうつして述べることがかんじんだからである。そうやらないと話が嘘になり、ものをいつわり、まったく別なことを言うことにならざるを得ないのだ。相手が兄弟であろうと遠慮に及ばない。誰が言った言葉でも言葉には変りがないはずだ。キリスト自身、聖書の中で実に率直にお話しなされたが、誰にもそれが田夫野人《でんぷやじん》の言葉とは思われない。読める人は読んでみるがいい。確かにプラトーはこういっている、「言葉はおこないの親類でなければいけない」と。なおまたこの物語に出る人たちの身分については、席次万端不行届きの点はお許しを願いたい。なにしろふつつか者のこととて、大目にみていただきたいものだ。
宿屋の亭主は、われわれを一人一人非常に愛想よくもてなし、早速夕食につかせてくれた。
最良の料理を出した。強いぶどう酒が出て、みんなよく飲んだ。
亭主もまた王侯の饗宴の接待役にしても恥かしくないほど気のきいた男だ。大柄で、眼は鋭い。ロンドンの東部チェーペへんでは、これほど立派な町人はいないだろう。臆面なく話し、利口で教養があり、男として欠けているところは一つもなかった。またそれに非常に朗かな男で、夕食後、われわれが勘定をすましてから、彼はしゃれを飛ばし、とくにおかしいことを言って笑わせた。それから、こんなことも言った。
「さて、だんな方、ほんとうによくお出でくださいました、感激にたえない次第でございます。というのも、実は嘘は申しません、ただいまこの宿にいられるようなご連中ほど朗かなお方たちは、今年になってはじめてでございます。だが、どうすればみなさんを愉快におさせできるかわかりませんが、ただいまおもてなしをする面白い方法を考えつきました。それもけっして銭のかかることじゃございません。
みなさんはカンタベリにおいでなさる。まあ、ご無事でお出でなさいませ。聖者様もきっとその報いはお返しなさることでしょう。ところで、道中はまたきっと、昔話や冗談話でにぎわうことでございましょう。なにしろ、石ころのように口をつぐんで、だまりこんで旅をなさるのは、面白くもおかしくもないことですからね。それですから、先ほど申しあげましたように、何か面白いことをして、お慰め申したいと思います。まあ、手前の考えたことに、おひとり残らず賛成なさってくださいませ。明日からの道中で、手前がこれから申しあげるとおりにおやりくださったら、なあに死んだおやじの魂に誓っても、きっとみなさんは愉快に旅がおできになりますよ。さもなけりゃ、手前の首を差しあげましょう。もうなにも反対なさらずに、みんな手をあげて賛成なさってくださいませ」
われわれは長く相談するに及ばなかった。これはなにも熟慮すべき価値のある事柄でもないと思われたので、一も二もなく彼に賛成して、遠慮なく彼の考えを言ったらよいと命令した。彼は言った――「だんな方。さあ、悪くとらずに聴いてくださいまし。だが馬鹿にしちゃいけませんよ。早く申せば、これがその要点でさ。道中を短くする料簡で、カンタベリへの旅の道草に、どなたも話を二つずつなさることにきめましょう、ようござんすか。帰りの途でまた二つずつ、昔起こった事件の話を。で、みなさんのうちでいちばんうまくやってのけられた、つまり、いちばんためになり、またいちばん面白い話をなされた方はどなたでも、カンタベリからのお帰りに、またここで、この場所で、この柱のところに坐られて、ほかのみなさんの費用で夕飯のご馳走をおごってもらうということにいたしましょう。
それで、もっと興をそえるために、わしも自腹をきって、ご案内がてらご一緒にお供をしてみたいと思います。
わしの意見に反対なお方には、旅の費用を全部支弁していただきましょう。
これに賛成なさる以上、もうぐずぐず言わずに、すぐにそう言っていただきます。そうすりゃあ、わしもこれから、すぐにも支度にとりかかりましょう」
この話はみんなの賛成をえた。われわれは心から賛成を誓った。亭主に頼んで、われわれの団長になり、物語の鑑定と審判の役をつとめたり、また帰りには適当な値段で夕飯も用意するようにと頼んだ。またどんなことでも亭主の支配には従うことにした。そんなふうに、満場一致で彼の意見に従った。まもなくぶどう酒が出た。われわれはそれを飲んでから、われ先にと床についた。
翌朝、夜が明けかかるやいなや、もう亭主は起き出でて、鶏の役をしてわれわれをみな呼び集め、それから一同は隊をつくって、並み足より少しばかり早い歩調でくり出した。
聖トマスという小川のところで、亭主は馬を止めるとこう言った――
「だんな方。なにとぞおききください。さあ、例のお約束を思い出してください。夕暮の祈りと朝の祈りが同じなように、昨晩おっしゃったことが今朝もほんとうなら、お約束どおり、どなたが先に話をなさるか、さあこれからきめましょう。嘘だとは言わせませんよ。わしの意見に反対なさる方は、どうか旅の費用を全部もっていただきましょう。
さあ、くじを引かないうちは、一歩も先へ行ってはいけません。いちばん短いのを引いた方が最初にお始めいただきたい。
お侍様、さあだんな様、さあ、くじをお引きください。そりゃ約束でございます。
さあ、尼寺のお総持様、もう少し近くおよりくださいませ。
あの先生、あなたも遠慮をなさらずに。瞑想や研究は、しばらくおやめになって。さあみなさん、お引きください」
すぐに、みんなはくじを引いた。すると、結局、どういうはずみか、偶然にも、くじは騎士に当たった。みんなはやんやと喜んだ。それでどうしても、騎士は約束の話をひとつやらなければならなくなった。それも先ほどきめた約束なのでやむをえない。この御仁は賢い人であったから、自由意志で承諾した約束を、いまさら破るわけにゆかないことを知っている。騎士は言った――
「どうせ、始めなきゃならないことなら、最初にやる運命のくじも結構じゃ、ほんとうに。さあ出かけましょうぜ、わしの話をよくきいておくれ」
その言葉を合図に、われわれはまたくり出した。そして騎士はほんとうに嬉しそうな顔つきをして、すぐに話をこんな工合にやり出した。
[#改ページ]
騎士の話
スキタイ人を征服し、凱旋の戦車にのり、故国へ近づいた頃――
[#地付き](スタチュウスの『テーベ物語』第十二章)
一
今は昔、古えの物語によると、セーセウスという一人の君侯があった。アテネの領主でもあり支配者でもあった。その当時征服者としては、彼に並ぶ者は天下に一人もいなかった。
彼は多くの豊かな国々を征服した。その知恵と武勇とによって、かつてはスキタイ国といわれた女人国《フエメニヤ》の全土を征服して、その女王イポリタをめとった上、儀礼の善美をつくして本国へ連れ帰った。その時その妹のエメリーも一緒に連れて戻った。こうしてこの征服者は、凱旋の笛太鼓を鳴らさせ、武装した軍勢を引き連れながら、威風堂々とアテネの都に乗り込んだ。
実際、これがあまり長くなけりゃ、セーセウス公とその軍勢とがいかにして女人国を征服したか、またアテネ軍と女人《アマゾン》軍との間にどんな大戦があったか、どうしてスキタイ国の勇敢な美しい女王イポリタが包囲されたか、それからまたその結婚式の饗宴についても、凱旋の途中で出あった大暴風についても、いちいち聴いてもらいたいところだが、こんどはまあそうしたことは一切割愛することにしよう。
実をいうと、これから耕さなければならぬ畑もたくさんあるのに、わしの鋤《すき》を曳かせる牛は腰ぬけときているからな。それはいいとしても、これから先の話が相当に長いのじゃ。ここにござるこのご連中の話の邪魔をしてはならない。まあみなさんにも順ぐりに話をしてもらいたいのじゃ。どなたが勝って晩飯を手に入れるかな。さあ、わしも余談はぬきにして、話のつづきを始めましょうよ。
前にいったセーセウス公が意気揚々と都の近くまでやって来た時、ふとみると、行列の道筋に、二人ずつ二列に並んで、そろって黒い喪服を着けた一隊の女どもが土下座をしているんだね。それがこの世では誰も聞いたことのないような、悲しそうなうめき声をあげて泣き叫んでいるのだ。いつまでたっても泣きやむどころか、とうとう公の馬の手綱をつかまえた。
「おまえたちはなんじゃ、泣いてわしの凱旋の邪魔をするとは?」とセーセウス公は言った。「そんなに泣きわめくほどわしの凱旋が羨ましいのか。それともおまえらは誰かにひどい目にでもあわされたのか。仇は取ってやるから言ってみるがよい。いったい、おまえらはどうして黒衣なぞ着ているんだね」
なかでもいちばん年をとった女が語り出した。それは死人のような顔色をして倒れた女で、その語るさまは見るも聞くも物哀れであった。
「運命の女神から勝利の栄誉を受けられた君よ、地上の征服者として、君の栄誉の凱旋をわたしたちは少しも悲しんでいるのではありません。わたしたちはただお慈悲とお助けを乞うものでございます。わたしどもの受けた不幸と災害とを憐れんでくださいませ。この不幸な女どもに、君の情けある御心から一滴の憐れみを垂れ給え。
実のところ、君よ、わたしどもは、もとをただせば、女王か公爵夫人でなかったものは一人もござりませぬ。ごらんのとおり、今は乞食の身ではござりますが、それと申すも運命の女神のなす業で、女神のまわす邪悪な車の輪にかかっては、どんな身分の者でも没落することはあるのでございます。
君よ、ここは慈愛の女神の宮居でござります。わたしどもはここでもう二週間も君をお待ち受けしたのでございます。なにとぞわたしどもをお助けくださいませ。君のお力でできることでございますから。
泣いてこのように訴えているのは、もとはカパネウス王の后《きさき》でございました。王はあの呪わしい日にテーベで亡くなりました。ここに並んでこうして泣きわめいている者どもは、あの都が囲まれた時に、みんなその夫を亡くしたものでござります。
ですが、情けなや、今はあの老いたるクレオンがテーべの王となって、怒りと不正に都を満たしております。彼は殺された夫たちに侮辱と暴虐を加えるために、死骸を山のように高く積みかさね、埋葬することも火葬にすることも許さないで、無残にも犬どもに食べさせたのでございます」
そう言って、すぐさま地にぬかずいて、またもや悲しげに泣き立てた。
「不幸なわたしどもに幾分の憐れみをも垂れ給え、君の御心にわたしどもの悲しみを深くおくみくださいませ」
この優しい君侯は、女どもの言うことを聴いて、哀れに思って馬からとび下りた。かつては高い身分であったものが、このように落ちぶれはてたのを見ると、心も破れんばかりに同情して、その女たちを腕に抱きあげながら、温かい言葉で慰めた。そして、彼らのためにできるだけのことをして暴君のクレオンに対して仇を取ってやろうと、真の騎士としての誓いを立てた。それによって、すべてのギリシャ人に、クレオンはセーセウス公に打たれ、当然受くべき報いを受けたのだと言わせようというのである。
そこで、すぐさま、一刻の猶予もなく軍旗をかえして、軍勢を率いながら、テーベを指してくり出した。
アテネにもはいらず、半日の休息もとらないで、夜は路上でねむるようにした。后のイポリタとその美しい妹のエメリーとは、アテネの都に送りとどけておいて、自分はただちに馬を進めたのであった。二人の女についてはしばらく話さない。
一方、槍と盾とをもった軍神マルズの赤い像が、白い大きな旗に描かれて輝いた。野辺は見わたすかぎりきらめいて見えた。大きな旗と並んで、金色をしたはなやかな小旗がかつがれていた。それには、クレート島でセーセウス公が退治したという伝説の怪物ミノタウロスの像が描かれていた。
こうしてこの征服者は馬を進めた。彼は彼の軍隊の精鋭な武士をつれて行進した。やがて、テーベに着いて、戦場によさそうな野原へ堂々とくり込んだ。
簡単に言えば、テーベの王であったクレオンと彼は闘った。彼は一人の騎士として、一騎打ちで相手を倒した。そして、軍勢を追い払ってしまった。
つづいて、テーベの都を攻撃して、それを乗っ取った。壁も、家の梁《はり》も垂木《たるき》も打ち砕いてしまった。女どもには、殺された亡夫の遺骨を取り戻してやった。そして、その時代の習いに従って葬儀を営ませた。だが、死骸を火葬に付した時、その女たちがどんなに泣きわめいたか、またこの女たちが彼と別れて去ろうとした時、この尊い征服者セーセウス公がどんなに礼節をつくして彼らを送りとどけたか、というようなことをいちいち述べていたのでは長くてかなわない。そこで簡単に述べさせていただくことにしましょう。
この偉人セーセウス公がクレオンを殺して、テーベを乗っ取ったとき、彼はなおその戦場で一夜の休息をとった。そして、自分の思うままにこの国の全部を処分した。
さて、その敗戦の後では、かっぱらいどもが、死骸の山をかきわけて、武器や武装のはぎとりにいそがしかった。その時、その死骸の山の中に、見るも恐ろしい手傷を体じゅうに受けて、二人の若侍が並んでころがっていた。二人とも、立派な細工をした、同じ甲冑《かつちゆう》を身につけていた。一人はアルシータといい、他はパラムンという騎士であった。すっかり生きてもいないが、すっかり死にきってもいないというありさまだった。ただその紋章とその甲冑とをみると、紋章学者なら、二人がテーベの王族で、従兄弟《いとこ》同士の間柄であることがよくわかったろう。かっぱらいは、その死骸の山からこの二人を引きずり出して、セーセウス公の陣屋にそっと連れて来た。セーセウス公はすぐに二人をアテネに送って牢におしこめ、終身その身請けを許さないことにした。
それからこの名君は、凱旋将軍として頭に月桂樹の冠をつけ、軍勢を率いて、ただちに本国に戻って来た。いうまでもなく、彼はそこで一生のあいだめでたく楽しく生活した。
ところが、一方牢屋の塔の中では、例のパラムンと、そのいとこのアルシータは、身請けの黄金も甲斐なく、獄窓に呻吟していた。
やがて月日もたって、ある五月の朝のことであるが、緑の茎《くき》に開くゆりの花よりも美しい、またあざやかな花の咲く五月よりも美しいエメリーが――というのも、彼女の顔色はばらの色と競い、いずれがいずれとも私には判断がつかないからだ――いつものように夜の明けないうちから起きて、すっかり容儀を整えた。それというのも、五月の月に朝寝坊はいない、この季節はすべての優しい心を刺激して、眠れる人の眼をさまさせ、「早く起きて、五月祭をお守りなさい」と言うものだからね。
この言葉に、エメリーが五月の女神に仕えることを想い出して、早くから起き上がったのである。
彼女はまず眼の覚めるような、きれいな着物をきて、黄色い髪をおさげに編んだ。一ヤールもありそうに見えるほど、長くうしろに垂れていた。そして日の出とともに、庭の中を、心のおもむくがままに、あちこちと散歩した。赤白のまじりの花を摘んで、頭髪《かみ》を飾る花冠をつくりもした。天使のように清らかにうたいもした。
この城のおもなる牢獄であった、厚い堅固な大きな塔(その中に、先に述べた、またこれからも話そうとしている、例の二人の騎士が捕われていた)は、この庭園の壁にすぐくっついていた。
それは太陽の輝く清らかな朝であった。不幸な捕虜《とりこ》のパラムンは、いつものように、獄吏の許可を得て、起き上がると、高い塔の中の、部屋の中を行ったり来たりしていた。部屋の中からは、立派なアテネの都市が見おろされた。またその美しいエメリーが散歩しながらあちこちさまよっていた。あの緑の枝の茂った庭園もすっかり見おろされた。哀れな捕虜のパラムンもまたおのれの不幸を歎きながら、部屋の中をあちこち歩きまわっていた。「ああ!生まれてさえ来なかったら!」と、時々溜息をついた。
ところが、偶然の機会からして、太い梁のように四角な鉄格子のはまった一つの厚い窓から、彼の視線はちらっとエメリーの上におちた。とたんに彼は眼をしばたたいて、あたかも心臓でも突き刺されたかのように、「あっ!」と叫んだ。その叫び声に、アルシータもびっくりして飛びあがった。
「おい、いとこよ、どうした? まっさおな死人のような顔色をして何を見たというんだね。なぜにわめくのだ? 誰かきさまに危害でも加えたのかい。後生だから、落ちついて話をしろよ。ここは牢獄なんだ、ほかの所じゃないんだよ、運命はおれたちにこの不運を与えたのだ。
サトゥルヌス(土星)のよくない現象か、何かの星座の関係でだね、おれたちはこんな廻り合せになったのだ。いくらおれたちがそれを呪ってみたところで、どうにもならないんだ。おれたちは悪い月日の下に生まれて来たのだ。まあ、どうにかして堪えてゆくほかはない。それだけのことさ」
パラムンはそれに答えて言った。
「いとこよ、おまえ、そりゃまったく見当違いだ。おれがわめいたのは、この牢獄のためじゃないんだよ。まったくのところ、おれはこの眼をとおして、まっすぐに心臓をやられたのだ。これでおれは死ぬだろうよ。
あの向うの庭園の中を歩いている女が――その女の美しさを見たのが、おれのわめいた原因なのだ。またおれの不幸の原因でもあるんだよ。
それが女か女神か、おれにはわからない。きっとヴィーナスの女神に違いないね」
そう言うとともに、彼はひざまずいて祈りつづけた。
「ヴィーナスよ、あなたが姿を変えて、この庭の中にあらわれ、私のような不幸な人間の目にとまったのが、あなたのご意志でございますなら、どうかこの牢獄の中から私どもを救ってくださいまし。
またもし永遠に消すことのできない命令として、この牢獄の中で死ぬことが私どもの運命であるとしても、このように暴虐の手によって没落させられた、私ども王族の上に憐れみをかけてくださいませ」
それを聞いたアルシータは、どこにそんな女が歩いているのかと窓からのぞいてみた。そして、一目見るや、たちまちその美しさに心を射られてしまった。パラムンと同じように、いや、それ以上に深く射られたのである。そして、溜息をつきながら、悲しそうにアルシータは言った。
「あそこを歩いている女の、あの眼の覚めるような美しさは、たちまちおれを殺してしまうよ。あの女のお慈悲と恵みとによって、毎日あの女を見ることができないというなら、おれはもう死んだも同然だ。ほかにもう言うことはないよ」
それを聞いた時、パラムンは軽蔑するように振り向いて答えた。
「おまえは本気でそんなことをいうのか、それとも冗談かい?」
アルシータは言った。
「なに、本気だとも、神も照覧あれ、おれは冗談なぞ言うのは大嫌いだ」
パラムンは額に青筋を立てて言った。
「そんなことを言うのは、あんまりおまえの名誉にはならなかろうぜ。だって、おれはおまえといとこだし、また、兄弟盟約をした深い仲でもあるんだ。たとえ死ぬほどの苦しい目にあおうが、死ぬまでは別れまいと、おたがいに誓いあった間柄だ。そのわしを裏切ることになるんだからね。ほかの場合はもちろん、たとい恋路の場合でもけっして相手の邪魔はしまいと、ちゃんと約束したではないか、ええ兄貴よ。それどころか、どんな場合でも、おまえはおれを助けてくれ、おれはまたおまえを助けるのが至当なんだ。そうおまえはわしに誓ったし、わしもまた、おまえに誓った。おまえはそれを嘘だとは言いきれないだろう、ねえおい! おまえはそう言って、おれを心配から救ってくれようと誓ったものだ。それだのに、おれが心臓が破れるまで愛し、また永久に愛しようとしているあの女を愛して、わしを裏切ろうとするんだね。アルシータ、実際そんな真似をしてはいけないよ。
だいたい、あの女に惚れたのは、おれのほうが先だ。そして、それをおまえに打ち明けた。それというのも、何度も言うように、誓約をした兄弟として、おまえはきっとおれを助けてくれるだろう、おれの後押しをしてくれるだろうと思ったからなのだ。おまえもいったん約束したからには、力の及ぶかぎり、おれを助けてくれるのが、騎士の道なんだ。あえて言っておくがね、それを破っては、おまえの面目が立つまいぞ」
アルシータは傲然としてそれに答えた。
「おまえのほうがおれよりもむしろ裏切り者だ。断然言ってやるが、おまえは裏切り者だよ。『色事《パラムール》』にかけて、あの女に惚れたのは、おまえよりおれのほうが先なんだ。こう言ったら、なんとする、ええ? おまえはさっき、あの女が、女か女神かわからないと言ったじゃないか。おまえは神様に惚れたのだ。おれは人間に惚れた、だからそれをおまえに打ち明けたんだよ。いとこのおまえに、兄弟を契ったおまえにさ。
かりに、おまえのほうが先にあの女に惚れたにしてからがだね、昔から学者や賢者もそう言ってるじゃないか。『恋する者には法則はない、恋は人間の作ったいかなる法則よりも偉大である』と、おまえはそれを知らないのか。だから、定められた法則も定められた戒律も、恋のためにはどんどん破られてゆくのだ。
結局、惚れたものは惚れたで、どうも仕方がないのだ。相手が娘であろうと、後家さんであろうと、人妻であろうと、死んでも恋から逃れることができないのだ。それに、おまえは一生かかっても、あの女に好かれることは、まあなかろうぜ。おれにしても同じことだ。というのも、よく考えてみろ。おまえもおれも身代金《みのしろきん》は許されないから、永久に牢獄におしこめられている身だ。おれがいくら努力してみたところで、ちょうど猟犬が獲物をさがすと同様、一日じゅう働いてもその分け前には何一つあずかれないのと同じことさ。犬がおたがいにいがみあっている間に、とびが来て、その獲物をさらっていってしまうのだ。だからさ、王侯の朝廷でも、役人は自分の利益ばかり考えて、たがいに助けあうということはしないものだよ。おまえは勝手に愛するがよい。おれも愛し、どこまでも愛し抜くからよ。ええ、兄弟、じっさいそれだけの話だよ。どうせおれたちはこの牢の中で苦しんで、おたがいに自分の機会をねらうほかないのだ」
二人のあいだの闘争は大変なもので、長くつづいていた。それについてはゆっくり話したいが、要点だけを言っておこう。
ある日のこと、(できるだけ簡単にいえば)セーセウス公の幼な友達で、ペロセーウスという偉い君侯がアテネへやって来た。いつものように、セーセウスのところに遊びに来たのだ。ペロセーウスはセーセウスがこの世でいちばん好きであったし、またセーセウスもこの友達を同じやさしい気持で愛していたからである。古典によると、一人が死ぬと、実際の話だが、相手の友達は、地獄の底まで探しに出かけたといわれるが、まあ、そんなふうに二人はたがいに愛しあっていたのだ。だが、この話はこれ以上書くにも及ばなかろう。
ところで、このペロセーウス公が例のアルシータを深く愛していた。テーベ以来のなじみであったのである。で、このペロセーウスの懇願によって、ついに身代金なしで、セーセウス公はアルシータを牢から出して、どこへでも好きなところに行かれる身分にしてやった。それはこういうふうにしてだった。
簡単にいえば、セーセウスとアルシータとのあいだにある契約が取り交わされた。それによれば、アルシータは一生のあいだ、セーセウスの領地のいかなる国にも、夜でも、昼でも、一瞬間たりとも足を踏み入れてはならない。見つけられたが最後、捕えられて、鋭い刃《やいば》で首がはねられると明記されていた。ほかにそれを緩和するようななんらの条件もなかった。アルシータはただちにアテネを去って、故郷へ道を急いだ。気をつけろよ、首があぶないのだ。
さて、アルシータはどんなに煩悶したことであろう。死が彼の心臓を貫くような気がした。彼は泣いた、わめいた、あわれげに叫んだ。ひとりで自殺をしようかとまで思いつめた。
彼は言った。
「ああ、おれの生まれた日は呪わしいかな。今度はまえよりもひどい牢屋に入れられたよ。煉獄どころじゃない、地獄の中に永遠につき落されてしまったのだ。ああ、ペロセーウスを知らなければよかった! そうすれば、永久に牢の中につながれてもいられたろうに――ともかくセーセウスのところにいられるからな。そうすれば、おれも幸福の中に生きていられたんだ、こんな苦しみは知らないですんだんだ。たといおれの仕えるあの女の愛寵は得られないにしても、あの女の顔さえ見られたら、おれはそれで十分満足したんだよ。
ああ、親愛なるいとこのパラムンよ、今度の事件じゃ、おまえが勝利者だ。牢獄の中で幸福に暮らしてゆかれるからね。牢獄? いや、それは極楽だよ。運命のさいころはひっくり返ったのだ。おまえはあの女が見られるし、おれには見られない。あの女のいるところにさえいれば、おまえだって立派な騎士である以上、いつ、どんな運命の廻り合せで、おまえの目的のかなうような日がやってこないとも限らないからな。
それに反して、追放の身のおれは、あらゆる恵みをはぎとられて絶望の中に沈んでいるのだ。土も水も火も空気も、またそれらのものから出来ている人間も、何一つとしておれをこの苦しみから救ってくれるものも、慰めてくれるものもないのだ。おれはもうこうして絶望と不幸の中に死んでゆくほかないよ。おお、わが生命よ、喜びよ、快楽よ、さらば!
人間というものは、自分で考えたよりもよい幸運がいろいろに変装して、時々やって来るのに、神の摂理や運命の変転に対して不平を言うのが普通だが、いったい、これはどうしたというのだろう。
逆に、ある人は富を求めてやまないが、それが自分の死の原因となり、大病のみなもととなることは知らないでいる。またある人は喜んで牢から出たものの、わが家では自分の召使の手にかかって殺されるというようなこともある。そういうふうに、無限に災難が待っているのだ。
この世では、何を望んだらよいものかわかるものではない。われわれはただねずみのようにどろんこに酔っぱらって生きているのだ。酔いどれは自分の家があっても、どっちへ行けば家に帰れるかわからないのだ。酔いどれには、道は常にすべって足をとられる。じっさいわれわれはそんなふうにして、この世に暮らしているのだ。
われわれは急いで幸福を求めるが、その実、時々間違った所へ行ってしまう。それは誰しも思いあたることだが、とくにおれにはそう思われるよ。だって、牢獄を出たら、それこそ喜びと幸福とのなかで暮らせるものだと思ったのが大間違いで、今やすっかり幸福から見放されたのだからね。
エメリーよ、そなたを見られなければ、わしはもう死んだも同然だ。もう何ものもわしをいやすことができない」
一方、パラムンはアルシータが出たのを知った時、非常な悲しみに襲われ、そのうめき声は、牢獄の塔をゆるがせた。彼がはめられている大きな足枷《あしかせ》さえ、その苦い、塩っぽい涙に濡らされた。彼は言った。
「ああ、ああ、いとこのアルシータよ。確かにおれたちの争いじゃあおまえが勝ちだ。おまえはいまテーベで自由に歩きまわっている。おれの悩みなどおまえはなんとも思ってないだろう。
おまえは知恵と勇気があるから、同族の人々を召集して、この都へ攻めよせるかもしれない。そして、冒険かないしは談判のしようで、おれが命もいらないほど惚れているあの女を自分のものに、いや、女房にでもするかもしれない。おまえはとにかく牢を出て、自由の身となっているんだから、そして殿様の身分でもあるんだから、この牢屋の中でくたばってゆくおれよりは、なんといっても、おまえのほうに可能性が多いからな。それに反して、おれはこの牢屋の中であらゆる苦しみをなめ、おまけにおれの苦悩を二重にする恋の苦しみまでなめながら、泣きの涙でみじめに生きているほかないのだからな」
それとともに、彼の胸の中では嫉妬の焔が燃え上がって、彼の心を火のようにつかみとった。見るからに、黄柳の木のように青黒くなり、死灰のように冷たくなった。その時、彼はまた言った。
「おお、残酷なる神々よ、あなた方は永遠に変わらぬ法則で、この世界を縛りつけて治めていらっしゃる。あなた方の掟《おきて》や約束が金剛石の石板に刻まれているからには、人間も野原に寝ている羊とあまり価値にかわりがないのではござりませぬか。しかも、その人間が畜生と同じように殺されるし、捕えられて牢に住むことにもなり、また病気にもかかるし、不幸にもなる。時にはぜんぜん罪なくして苦しむことにもなるのですよ。いったい、罪なき者を苦しめるあなた方の摂理というものは、どんな掟で支配しているのでございましょうか。しかも、わたくしの苦しみをますます苦しくさせるものは、畜生はどんな欲望も満足させられているが、人間は、神のために、その欲望を抑制することを義務とされていることでございます。
また、畜生は死んでしまえば、あとはなんの苦しみもなくなるが、人間は、この世の中でさんざん心配と苦しみをなめながら、死んだ後でも泣かれたり歎かれたりしなければならぬということですわい。まったく人間の世界はこうきまっているらしい。
これについての返答は神学者たちに任せておくとして、確かにこの世の中には大きな苦しみがありますわい。
ああ、多くの人に危害を与えておきながら、大手を振って好きなところへ歩きまわっている蛇もいる、盗人もいる。それだのに、おれは、サトゥルヌスのおかげで牢にはいっているのだ。また、あの嫉妬深いジューノウという女神のためには、テーベの城壁は廃墟にされ、テーベの人命はほとんど殺しつくされたのだ。また一方では、ヴィーナスが嫉妬のために、あいつの味方をして、おれを殺そうとしているのだ。あのアルシータの味方をして」
さて、パラムンの話はこのくらいにして、しばらく彼を牢屋に置いたまま、アルシータのことを話しましょう。
夏も過ぎ、秋の夜長の頃になると、この恋人と獄裡の人との苦悩は二倍にも深められた。この二人の苦しみのうちで、どちらが、より苦しいか、それはわしにもわからない。いわば、パラムンは永久に鎖にしばられて、鎖と足枷の中で死ぬことになっているし、アルシータは流浪の身で、戻れば首がとぶ。この国から永久に追放されては、永久にあの女に会えないのである。
世の恋人たちにお尋ねするが、アルシータとパラムンと、どっちがより不幸でしょうか。一人は毎日女が見れるが、いつも牢屋に住んでいなければならない。他の一人はどこへでも勝手に馬を乗りまわせるし、歩いても行かれるが、もうあの女を永久に見ることができない。なんとでもご随意に、判断する人はしてください。私はこれからつづきを話そう。
二
アルシータはテーベに戻って来てからというもの、一日に何度も呻いたり、「ああ、ああ!」と歎いたりした。それというのも、もうあの女を見られなかったからにほかならない。
彼の悩みを簡単にいえば、世界がつづくかぎり、彼ほどの悩みをもった者は、ほかに一人もいないし、またないであろう。眠ることも、食うことも飲むこともできないで、彼はもうだんだん痩せ衰えて、矢のようにひからびてしまった。眼は落ちくぼんで、見るも恐ろしそうになった。顔の色は冷たい灰のように黄色くなった。孤独を好み、いつもひとりでいたがった。夜っぴてうめき、苦しみ、うなりつづけた。歌や音楽をきいても泣き出して、とめどもなく泣きつづけた。気力は衰えて、沈みがちになり、まるで別人のように変わりはてた。ものをしゃべっても、その声を聞いただけでは、それが彼だということは誰にもわからなかった。でも、またその発作にかかると、キューピッドの矢に刺された恋人の気重さというよりは、むしろ幻想的な頭脳《あたま》の中にある憂鬱症の生み出した精神異常患者のように、臆面もなく振舞った。ひとくちにいえば、彼の習慣も気質もまったく顛倒してしまった。あわれな失恋のアルシータではある。
彼のその苦しみをなんと言って表現したらよいか。まえにも言ったように、彼は自分の国テーベで、一、二年のあいだ、この残酷な苦しみと不幸と苦痛をなめた後、ある晩横になって眠っていると、夢の中であの羽根のあるメルキュリの神が彼の前に立って、もっと陽気になれと彼に命じた。メルクリーはその睡気をもよおさせる棒をまっすぐに立てて手にもっていた。そして、その輝く頭髪の上には一つの帽子をかぶっていた。それは彼が百眼のアルグスを眠らせた時とまったく同じ服装をしていたのである。メルクリーは彼にこう言った。
「汝《なんじ》はアテネに行け、そうすれば汝の不幸もなくなるのだ」
この言葉をきくとともに、アルシータは眼を覚まして起ちあがった。彼は言った。
「そうだ、どんな辛い目にあおうとも、今からすぐにおれはアテネへ行くぞ。ほんとうに愛している女を見るためには、死も恐れず、どんなことでもやってのけるぞ。女のいるところで死ぬのは本望だからな」
そう言って、彼は大きな鏡をとって、自分の顔色が変わりはて、また、自分の顔の恰好が別人のようになっているのを見た。
このとき、忽然として心に浮かんだことがある。ほかでもない、このように自分の人相が、これまで苦しんできた病気のためにまったく変わり果てたからには、小さくなってひっこんでいさえすれば人に知られずに、アテネの中に住んで、毎日のようにあの女を見ることもできようというのだ。
で、すぐに服装を変えて、貧しい労働者のように見せかけた。そして一人の従者を連れたまま、一番の近道を通ってアテネに向かった。もちろん、その従者にはよく自分の事情をいいふくめて、自分と同じように貧しい風体をさせたのだ。
ある日、アルシータはセーセウスの朝廷へ出かけて、門のところで自分を雇ってもらいたいと申しこんだ。どんな雑役でも、いいつけられたことは喜んでいたしましょうと。
手っ取りばやくいえば、彼はこうしてエメリーに仕えている家令の下に奉公することになった。彼は気が利いていたので、そこに勤めていた奉公人とも、すぐに仲よくするようになった。
彼は薪も割り、水も汲んだ。若くもあり、力もあったからだ。それに筋骨もたくましく、何をやらせても平気でやってのけた。
こうして彼はエメリーの部屋の小姓《こしよう》として、一、二年も勤めた。人にはフィロストラーテ(愛の敗者)と名乗っていた。彼と同じ身分のもので、彼ほど人から可愛がられるものは、宮殿の中でも、ほかに一人もなかった。気立ても優しかったので、全宮廷の人気者となった。セーセウス公がもう少し彼の地位を上げてやって、彼の力量を十分に働かせられるような立派な役につかせたらよかろうにと、誰も彼も言っていた。
そんな工合で、しばらくの間に、彼のやることについても、彼の弁舌についても、その名声が広まったので、セーセウスもとうとう、自分の部屋の小姓として、近くに召し使うことにした。そして、その位置に相当する金も与えた。それにまた彼は国からの自分の収入をこっそり取り寄せてもいた。しかしその金はごくつつましくたくみに使っていたので、誰も、彼がそれほどの金をどこから持ってきたのかと怪しむ者もなかった。
そんなふうにしてまた三年間暮らした。平和の時も戦争の時も、同じようによく勤めたので、セーセウスも、ほかの誰よりも彼を愛するようになった。
さて、そういうふうに幸福に暮らしているアルシータの話はしばらくやめることにして、すこしパラムンのことを話しましょう。
あの恐ろしい暗闇と堅固な牢獄の中で、パラムンは七年間も不幸と苦悶とにしいたげられながら、じっと坐っていた。パラムンこそは、不幸と悲痛とを二重に感じているのだ。愛は気も狂わんばかりに彼を苦しめる。そこへもってきて、彼はまた一年どころか、永久に捕虜の身でもあるのだ。
誰が英詩の韻律でほんとうに彼の苦悶を表現することができようか。実際、私にはできそうもない。だから、できるだけ軽くそっとごまかしておく。
七年目の五月のことだ。この話をもっと明細に語っている古書によれば、三月の夜のことであった。
偶然か運命か、ものは運命の定めたとおりになるものだが、パラムンは夜半を過ぎてまもなく、ある友達の助けを得て牢を破った。そして大急ぎで都を逃げ出した。
というのは、彼は獄吏にある酒、それはニコチン剤と純粋なテーベ産の阿片《あへん》とを混じた一種のぶどう酒であったが、それを飲ました。獄吏は夜通し眠ったまま、ゆすぶり起こしても、眼をさまさなかった。その間にパラムンは大急ぎで逃げ出したのである。
夜は短かかった。夜明けも間近になったので、彼はぜひともどこかに身をかくさなければならなかった。そこで、近くにある森のなかに足音をしのんですべり込んだ。
簡単にいえば、彼はその森に昼のあいだはかくれていて、夜になったら旅をつづけ、テーベに行こう、そして、それから友人の助けをかりて、セーセウスに戦いをいどもうという肚《はら》であった。つまり彼はそれによって命を捨てるか、エメリーを妻とするか、二つに一つだというのが、彼の明白な目的であった。
さて、またアルシータに話を戻そう。アルシータも運命が彼をわなにかけてしまうまで、どんなに苦しいことが彼に近づいているかは知るよしもなかった。
夜明けの使者であるひばりは、いそがしそうにさえずって、白む黎明《れいめい》に挨拶をする。火のようなフェーブス(太陽)が晴れやかに昇ってくると、東の空も光に笑い、陽光の流れは樹々の枝にさして、その葉にかかっている白玉の露を乾かすのである。
セーセウスの宮殿に仕える小姓頭のアルシータは、早く起きて、この楽しげな日を眺めやった。そして、五月の祭を祝おうと、心には彼の願いの中心たるエメリーのことを想いながら、火の玉のようにはねあがる軍馬にまたがって、一里も二里も宮殿を離れた野辺へと遊びに出かけた。
ところが先ほど述べたその森へ、偶然のことにもアルシータは馬を駆って来たのだ。その森にあるすいかずら[#「すいかずら」に傍点]やさんざし[#「さんざし」に傍点]の葉で冠をつくって、輝く太陽に向かって、声高らかに歌った。
五月の神よ、あなたの花や若葉をつれて、
よくぞお出かけくだされたな、美しい五月の神よ、
わたしも少し若芽をいただきとうございます。
喜び勇んで馬から降りると、森のなかへ急いで飛びこんで行った。あちこちと小径《こみち》を歩き廻った。ところが、それは偶然にもパラムンが死を恐れて、人に見られまいとかくれていた、その藪蔭であった。そこへ来たのがアルシータとは神ならぬ身の知るよしもなかった。
だが、昔から言うではないか、「野原に眼あり、森に耳あり」と。人は正しいおこないをすべきもの、敵には思いもよらぬ時に出会うものだ。
いずれにしても、アルシータは自分の友達が今その藪にかくれていて、こちらの言うことはなんでも聞こえるような、そんな近くにいようとは、もとより知ろうはずもなかった。
で、彼は心ゆくまで歩きまわって、楽しく歌をうたったあとで、急に思いに沈んだ。おかしいが、それは恋するものの常である。いま、朗かに頂きに昇っていたかと思うと、またすぐ泥の中に落ち込む。上ったり下ったり、まるで井戸のつるべのようだ。いわば、また金曜日のようでもある。日が照るかと思うと、すぐにまた雨が降る。うつり気のヴィーナスは、恋人の心を、金曜日(ヴィーナスの日)のように変わらせる。その日が変わりやすいように、ヴィーナス自身も急に様子を変えるのだ。週日の中でも、金曜日ほど天気模様の変わる日はない。
アルシータはうたいおわると、溜息をつきはじめた。そしてすぐに草の上に腰をおろした。
「ああ、おれの生まれた日は呪わしいかな。ジューノウの神よ、どこまでテーベの都をいじめるのか。ああ、カドムスとアムフィウーン(テーベの先祖)の王系は没落した。テーベの国を創設して、はじめて都をたて、はじめてその都の王になったカドムスの王系の一人でおれはあるのだ。彼の直系の王族の一人でもおれはあるのだ。そのおれが、今はすっかり下司《げす》や奴隷の身となって、不倶戴天の敵に、あわれな小姓として仕えるとは!
しかも、ジューノウは、それ以上の恥辱をおれに与えるのだ、今はもう自分の本名さえも名乗れない。まえにはアルシータとよばれていたところで、今は虫けらの価値もないフィロストラーテとよばれているのだ。
ああ、汝残忍なるマルズよ。ああ、ジューノウよ。汝の怒りは、わが同族をことごとく亡ぼしてしまった。残っているのは、ただおれと不幸なパラムンだけだ。これもセーセウスの牢屋に苦しめられているのだ。
その上に、どこまでもおれを殺そうとして、恋はその燃え立つ矢をおれのせつない胸に、まっ赤に焼けただれよと突き刺した。死はおれが生まれぬ先からきまっていたものと見えるわい。
エメリーよ、おまえは眼でおれを殺すのだ。おまえこそおれが死んでゆく原因だよ。他の望みなぞ、おれにはみんな一葉《ひとつば》の毒麦の値打もない。ただもうおまえを喜ばせたいだけがおれの一念だよ」
こう言って、彼は長いあいだ気を失ったまま地に倒れていた。
これを聞いたパラムンは、冷たい刃をずぶと心臓に突き刺されたような気がして、怒りにおののきながら起ち上がった。これを聞いては、もう我慢ができないのだ。
アルシータの話を聞いた時、彼は狂人のようになって、死人のようにまっさおな顔をしながら、藪の中から飛び出した。そして彼は言った。
「アルシータよ、この極悪非道の裏切り者めが! もうきさまは逃さないぞ。それほどきさまはおれの女を愛しているのか。おれがこれほどの苦労をしている女をさ。まえにもたびたび言ってきかせたように、きさまはおれの血を分けたいとこだ、おれとは親身のいとことして誓った間柄だ。それがまたここでセーセウス公をだまして、そんな名をいつわっていやがるのだな。さあ、おれが死ぬか、きさまが死ぬか。エメリーはおれのものだからそう思え。おれだけが愛するので他の者には手も触れさせぬ。さあおれはパラムンだ、おまえの一生の仇だぞ。
今、ここには武器は一つも持っていないが、さいわいに牢屋は脱け出して来た。さあ、きさまが死ぬか、それとももうエメリーを愛さないというか、どちらでも勝手に選ぶがよい。もうきさまを逃しはしないぞ」
アルシータは、もとより大胆至極な男とて、それがパラムンだと知ると、自分の話はすっかり聞かれたと思って、獅子のように怒り狂って、いきなり刃を引き抜いた。そしてこう言った。
「天上の神にかけて、きさまが恋のわずらいに気でも狂っているのでなけりゃ、そうしてまた、ここに武器一つ持っていないというのでなけりゃ、一歩もこの森から出してはやらないぞ、おれの手にかけて殺してやるところだ。おれはきさまのいうように、きさまに契った保証も契約も、踏みにじってやるのだ。
この馬鹿めが! 恋は自由なものだぞ。それをよく覚えておけ。どんなにきさまが力んでみても、おれはあの女を愛するんだ。
だが、きさまも立派な武士だ。それに戦ってあの女を手に入れようとしているんだから言ってやるがな。まあ、おれの言うことを聞け。べつに証人は立てなくとも、明日はきっと間違いなくおれはここへやって来る。一人の騎士としてやって来るんだよ。その時は、きさまにも十分な甲胄を持ってきてやろう。いちばんいいものをきさまが取れ、おれは悪いものでたくさんだ。それから食べ物と飲み物も十分に今夜のうちにとどけてやるよ。また寝具もついでにとどけるさ。それで、もしきさまが勝って、おれが今いるこの森できさまの手にかかって殺されるようなことになれば、その時はきさまがその女を取ればいいのだ。おれはまたおれで、そのようにするよ」
パラムンはそれに答えた。
「それなら、おれも承知だ」
こうして、二人は明日また闘う誓いを立てて、その日は別れた。
おお、慈悲心のないキューピッドよ。
おお、仲間を欲しない君主よ。
恋愛と君主とは仲間をもつことを好まないものだとは、よく言ったものだ。アルシータもパラムンも、しみじみとそれを覚ったことであろう。
アルシータはすぐに都へ帰った。翌朝、夜が明けないうちに、二組の武具をひそかに用意した。二つとも野原の果し合いをするに十分にして適当なものであった。彼はひとり馬にまたがり、その武具を鞍の前につけて運んでいった。
やがて定められた時間と場所に、森の中でアルシータとパラムンとは相会した。
その時さっと二人の顔色が変わった。あのトラキアの国の狩人が槍を手にして森の空地に立っていると、そこへ獅子や熊が、森の中を駆けて来るのが聞こえる、彼は小枝や葉をへし折り、心の中で、「いよいよおれの敵がやって来たぞ。間違いなくあいつを仕止めなければなるまい。おれのほうがこの空地であいつを仕止めるか。運が悪けりゃ、おれのほうがあいつにやられるか、二つに一つだからな」と考える。ちょうど狩人と同じように、二人はさっと顔色を変えた。二人ともおたがいにそれだけしかわからなかった。
なんの挨拶も敬礼もなかった、なんの言葉も話合いもなかった。いきなりたがいに助け合って、相手に武装をさせた。実の兄弟ででもあるように、親しそうに相手を手伝ってやった。
それからすぐに、二人は鋭い槍をしごいて、長いあいだたがいに突き合った。パラムンは狂える獅子のように見えた。アルシータは残忍な虎のようであった。二人とも怒り狂って白い泡をふく野猪《のじし》のように打ち合った。足首まで血潮に染まって闘った。では、しばらくそうして二人を闘わせておいて、わしはセーセウスのことを話すことにしよう。
神があらかじめ定め給うた摂理を、あらゆるものの上におこなう運命は、神の名代であって、その力は動かすべからざるものである。この世の者がそれに反対して、否と言おうが、応と言おうが、くるべきものはかならずくる。時には千載に一度も起こらないような事件でも、ある日忽然として起こることがある。たしかに、この世におけるわれわれの欲望というものも、それが戦争であれ、平和であれ、憎しみであれ、愛であれ、いずれも神の先見によって支配されているのである。
私は偉大なるセーセウスによって、その意味をあかそう。彼は狩りを好んで、その欲望を制することができなかった。とくに五月には、大鹿の狩りを好んでいた。毎夜寝床へはいっても、狩人をつれ、角笛を吹かせ、そばに猟犬を率いて馬を駆るために、狩衣を着て、すっかり身支度をして寝なければ、おちおち眠らなかった。それほど彼は狩猟に興味をもって、みずから大鹿狩りの名手であることを唯一の楽しみとも欲望ともしていた。要するに彼は、マルズに仕えた後で、いまやディアーナ(狩りの女神)に仕えているのであった。
前にも言ったように、その日は天気もよかったので、セーセウスはことのほか満足して、美しい后のイポリタと緑のいでたちをしたエメリーをつれ、はなやかに狩りに出で立った。そして、鹿がいるという知らせを受けた近くの森林へ、セーセウス公はまっしぐらに駆けつけた。そして、その森の空地のところまで、まっすぐに乗りつけた。というのは、鹿はそこへ逃げ込むのがくせになっていたからである。
小川を飛び越え、どんどん彼は進んでいった。
公は思うがままに動く猟犬をつれて、一度も二度も鹿を追いつめようとした。
公がその空地のところまでやって来て、日光に透かして見ると、すぐアルシータとパラムンが二匹の野猪のように烈しく闘っているのに気がついた。きらめく刃はチャランバランとものすごくまじえられて、少しさわっても、樫《かし》の木一本ぐらいは立ちどころに切り倒されそうに見えた。
だが、二人が何ものであるかは、公にもわからなかった。公は駿馬《しゆんめ》に拍車をくれて、いきなり二人のあいだに飛び込んだ。そして刀を抜きながら叫んだ。
「おい、やめろ。やめなければ、首が飛ぶぞ。軍神マルズにかけて、一太刀でも打ち込んだが最後、すぐに殺されるんだぞ。そもそもきさまらは何者だ? 審判もなく、役人も立ち合わず、こんなところで、それが堂々たる試合場ででもあるかのように、真剣勝負をしているとは!」
パラムンは急いでそれに答えた。
「殿、何もおっしゃるには及びませぬ! 私どもはすでに死刑に値しているもの。二人とも哀れな人間で、一生身動きのできないようにされている捕虜でございます。
殿も正しい主君であり、裁判官であられるなら、お慈悲や保護を与えられるには及びません。まず私を殺してください、それがお慈悲でございます。
ですが、同じように、相手のこの野郎も殺してくださいよ。それとも、こいつを先に殺されますかな。まあ、よくこいつの顔をごらんなさるがいい。こいつは殿の一生の敵たるアルシータですぞ。首を質入れして、あなたの国から追放されたものでござりますわい。ですから、殺されるのはもう当然のこと。こいつは殿の御門へやって来て、名もフィロストラーテといつわり、長い年月、殿をあざむいたのでございます。殿はこいつを小姓頭にまで取りたてておやりなさいましたな。
してまた、エメリー様を愛するのも、こいつでございます。
私も死ぬ日が来たからには、何もかも申し上げましょう。私は不幸なパラムンです。殿の牢を破って出たもの。私も殿の一生の敵でございます。そしてまた、あの美しいエメリー様にぞっこん参っているものでございます。姫の御前で死ねるなら、いつ死んでも本望でございます。
こういうわけですから、私は早う死にたい、裁きが受けたいのです。同様に私の友達も殺してください。二人とも殺されるだけの値打はあるのですからね」
気高い君侯はすぐそれに答えて言った。
「これがわしの簡単な判決じゃ、おまえはその口でみずから告白し、おまえたち自身に死の宣告を下した。わしはそれを記録しておくよ。わざわざ縄でおまえたちをしばり首にするにも及ぶまい。赤い顔のマルズに誓って、おまえたちにはきっと死を申し渡すぞ」
后はその時、女心にすぐさま泣き出した。エメリーも泣き出した。お供の侍女たちも皆泣いた。
女たちの身になれば、そんなことになるのはもう気の毒でたまらなかった。だって、この二人は貴族の生れで、こんな争いをするのも、もとはといえば、ただ恋のためだというではないか。
二人の大きな傷口から、痛々しげに血を流しているのを見て、彼らは皆泣いて叫んだ。
「殿、わたしたち女のすべてに憐れみを垂れてくださいませ」
女たちは皆ひざまずいて、殿の足もとにひれ伏しながら、その足に接吻しようとした。で、ついに殿の気持もやわらいできた。情けある心には憐れみはすぐ流れるものだからである。初めは怒りにおののいて立ち上がったものだが、その罪とその原因をざっと考えなおした。彼の怒りはその罪をとがめたが、彼の理性は二人を赦《ゆる》してやった。こうして彼は、誰しも恋愛のことでは、二人の助けを求めず、なんとか自分でやらなければならない、また牢からも逃げ出すようにもなるものだというふうに考えた。
女はみんな一緒になって泣いているので、殿も女どもに同情した。そして、その優しい心の中に考えなおして、ひそかに言った。
「最初の考えを頑迷に押し通そうとする高慢で邪悪な人に対するように、悔いかつ恐れている者どもに対して、その言動が獅子のように無慈悲な君主には禍いあれかしだ。そうした差別も知らないで、高慢も謙譲も一律に取り扱うような君主は、いわば分別が足りないというものだ」
怒りがしずまったとき、彼は優しい眼で二人を眺めるようになった。
「おお、恋の神よ。なんと彼は偉大なる主君であることか! いかなる者も彼の力に抗することはできない。その奇蹟的な力こそ、神と呼ばれてもよいのだ。自分の思うがままに、何ぴとの心をも左右することができるのだからな。
見よ、ここにアルシータとパラムンの二人がいる。彼らもわしの牢を出たからには、立派にテーベで住まえる身だ。それにわしは彼らの一生の敵ではないか。そして、彼らの命はわしの掌中にあるのだ。それだのに、恋のためには、彼らはまた殺されにここに戻って来たのだ。考えてもみよ、こんな愚かなことがあるだろうか。ひとたび愛したとなれば、誰が馬鹿にならないですもうぞ。まあ見るがよい、天上におわします神のために、彼らは血を流しているのではないか。ほかにしようもないのであろう。彼らの仕える恋の神は、こういうようにして、彼らの給金と、彼らの奉仕に対する謝礼とを払ってくれるからだ。そのくせ、愛に仕える者どもは、何事が起ころうとも、自分は大変利口なつもりでいるのだ。
それに、彼らがこんなにまで嫉妬を燃え立たせているかんじんの相手の女は、わしと同様にそれをありがたいとは思っていないのだ。そこがいちばん面白いところだよ。この熱烈な争いについても、郭公鳥《かつこうどり》やうさぎが知らないように、彼女はそれをつゆ知らないでいる。だが、熱烈も冷淡も、酸いも甘いも、経験してみなければわからない。人間というものは、老いも若きも、恋では馬鹿になるものじゃ。わしも昔はその一人じゃった、一時は恋にあこがれたこともあるからな。で、わしも、さんざん恋の苦しみをなめて、たびたびそのわなにもかかったことのある人のように、恋がどんなに人を苦しめるものかを知っている以上、それにまあ、ここにいる后もひざまずいているし、妹のエメリーも、同じようにして願っていることじゃから、おまえ方の罪は許してやるよ。だが、両人とも将来わが国に危害を加えない、永久に戦争はしかけない、何事にもわしの味方になると、そういうふうに約束した上でのことだぞ。そうすれば、おまえ方の罪は許してくれるわ」
そこで彼らはセーセウスの希望どおりに誓った。そして、公の保護と慈悲とを願った。セーセウスもまた彼らの願いを許して、こう言った。
「王系と財産とからいえば、おまえ方二人とも、女が后であろうが姫であろうが、時節が来ればそれをめとることのできる身じゃ。だが、おまえ方がこれほど争い、かつそねみあっている妹のエメリーは、おまえ方も知ってのように、いくらおまえ方が永久に争っていようとも、同時に二人の男と結婚することはできないのだ。
どちらか一人は、いやおうなしに、ひとりぼっちで蔦《つた》の葉の笛でも吹いていなければなるまい。いくらねたもうが憎みあおうが、妹は二人を一緒に夫にするわけにはいかないからな。そこで、わしはこうしようと思うのだ。おまえ方のどちらにも運命が決めてくれた道をすすむようにさせよう。だがまあ、どういうふうにするかを聞くがよい。さあ、わしの条件というのはこうだ。
二度と繰り返さないで、簡単に結論だけ言うから、それでよかったら、はっきりよいと言ってもらいたい。おまえ方はめいめい身代金も保証金も出さないで、勝手に好きなところに行くがよい。そうしてちょうど五十週目に、めいめい百人の騎士を連れて戻って来るんだ。その百人の騎士は、ここのわしの見ている前で試合をするために、それぞれ武装して来るんだぞ。つまり闘いによって彼女の手を得るんだね。わしはこれを、わしの信用にかけて、おまえ方二人に固く命ずる。わしも一人の騎士だからね。そこで、おまえ方のどっちか一方の力がすぐれて、百人の兵をもって相手方を殺すか、ないしは試合場から追いだすかすれば、それは運命がその者に公平な恵みを与えたのであるから、わしはこの美しいエメリーを妻として与えるであろう。
わしはここにその試合場を造っておく。わしが依怙《えこ》の沙汰のない立派な審判者となれるように、わしの霊の上に神が憐れみを垂れ給わんことを!
この方法によれば、おまえ方の一人は死ぬか捕えられるか、いずれか一つの道しかないのだ。これでよいと思ったら、そのむねを言うがいい。そして満足に思うがいい。これがおまえ方のいさかいの最後の結末であり解決なんだからな」
この時さも嬉しそうに見えたのは、パラムンであった。また喜んでこおどりしたのはアルシータであった。セーセウスがこのすばらしい大赦をおこなった時、そこに起こった歓喜の模様を誰が語り、誰が記録しておくことができようか。その場にいた者はみんなひざまずいて、心から感謝の意を表した。とくに二人のテーベ人は幾度も彼の恵みを謝した。そして、希望に満ち、晴れやかな顔で暇を乞うと、広大な城壁をめぐらしたテーベを指して旅立ったのである。
三
セーセウスはそれから堂々たる試合場を建設するために多忙をきわめたものだが、その経費について述べることを忘れたとすれば、わしは怠慢だと言われても仕方がなかろう。
あえて言うが、これほど立派な円形闘技場は世界にも類のないものだった。周囲は一マイル、石の壁をめぐらして、外郭には濠が掘ってあった。形はコムパスのように丸く、座席は階段式で、六十段の高さがあり、その座席につけば、ほかの人の邪魔にならないで見ることができた。
東側にまっ白な大理石の門があって、それと向きあって西側にも、もう一つそれと同じ門がついていた。要するに、それだけの場所ではあるが、世界に類のないものであった。
セーセウスは、国じゅうの幾何算術や美術に精通する者をはじめ、画家や彫刻家をことごとく召し抱えて、この闘技場の設計と仕上げにあたらしめた。
彼はまた犠牲と供物の式をおこなうために、東側の門の上に愛の女神ヴィーナスを祭って、祭壇と礼拝所とを設けた。西側には軍神マルズの神を祀るために、多くの黄金や白銀を費やして、もう一つ同じものを造った。
北側には、城壁の上の小塔に、貞節の女神なるディーアナを祀って、まっ白な雪花石膏と珊瑚で、見るもはなやかな礼拝堂を立派に造らせた。
だが、これら三つの礼拝堂の中に安置してある、あの立派な彫刻や肖像画、その人物の姿や容貌については、まだ述べてはいなかった。
まずヴィーナスの宮では、見るも憐れな、しかも精巧な壁画が描かれていた。とぎれがちの眠りと冷たい溜息。聖なる涙と哀泣、それに愛に仕える者が一生忍ばなければならぬあの火のように燃える欲情。恋の契約を保証する誓い。快楽と希望、欲望、愚かな向う見ず、美と若さ、歓楽とはなやかさ、艶美と魅力、虚偽と甘言、奢侈とたくらみ、そういったものを表わす譬話《たとえ》。
黄色い金仙花の冠をつけ、手に、郭公鳥をもった嫉妬の女神。お祭、楽器、頌歌《カロール》、舞踏、快楽と栄華といったような数え得られるだけの恋のあらゆる事情や場合が、順序よく壁の上に描かれてあった。これらをことごとく挙げることは、わしの力にはとうてい及ばない。
実に、ヴィーナスの本殿のあるシセルーンの山全体が、そのすべての庭園とその壮麗さを含めて、そっくりそのままこの壁の上に描かれていたのだ。
その庭園の門番たる「怠惰」も忘れずに描かれていた。それに昔話にある美男のナルシサスも、ソロモン王の栄華も、大力無双のヘルキュレスの話も、メデアとシルセスの妖術の話も、火のように勇敢なトゥールヌスも、大金持のクレーススが捕虜になった話も――
こうしていかなる知恵も、富も、美も、奸策も、力も、向う見ずも、ヴィーナスに匹敵するものはないということが知られるのだ。恋の神は思うがままに、この世界を支配するからである。
見よ、これらの人たちはみな恋の女神のわなにかかって、しまいには、「ああ、ああ」と溜息をつくようになるのだ。そんな例はいくらでもあるが、まあ一つか二つの例をあげるだけで十分だろう。
見るもはなやかなヴィーナスの像、大海の中から裸のまま浮かびあがって、おへそから下はガラスのように輝かしい緑の波に覆われている。右手には竪琴をもって、またその美しい頭髪の上には、鮮やかな、香りの高いばらの冠をつけて、頭の上には鳩が羽ばたきして舞っている。
その女神の前には、肩に二つの翼がある息子のキューピッドが立っている。よくみられるように、彼は盲目であり、弓ときれいな鋭い矢とを持っている。
次に力あるマルズの宮居の壁画についても語ろうではないか。マルズがその宮居を定めた、あの寒い氷の国トラキアにある、マルズの宮殿と呼ばれるものすごい奥の院に似せて、その壁の上には、縦横にそれが描かれてあった。
まずそこには、人間も動物も住めないような、一つの森林が、節くれだった枯木や、見るも恐ろしい尖った切株とともに描かれていた。暴風がその枝をへし折ろうとしているように、ごうごうとものすごい音とうめきを立てている。
山から平野に下ってゆく斜面には、武力全能のマルズの神の鋼鉄で造られた宮殿が立っている。その入口の通廊はまっすぐに長く、見るも恐ろしかった。そこから荒れ狂う突風が吹いて来て、すべての門をゆるがせていた。そして、その戸口から一道の北極光が射し込んでいた。それというのも、壁には日光を見分けるような窓が一つもなかったからである。
戸はいずれも不朽の金剛石で出来ていた。それが縦横に堅い鉄の鋲を打たれて、いとも堅固に出来ていた。宮殿を支えている柱という柱は、円く太く、いずれも輝く鉄ばかりであった。
そこに、兇悪の陰惨な空想と、そのあらゆるたくらみを表わすものが描かれていた。石炭のようにまっ赤に燃えている残忍な怒り。巾着切りと青ざめた恐怖。外套の下にどすを呑んだほほえみ。黒煙を出し燃え立つ厩《うまや》。床の中で暗殺をする陰謀。流血にうずく公然たる戦争。血みどろのナイフでおどかす争闘。要するに、この無情の場所は悲鳴にとどろいていた。
なおここには、自分の心臓の血に頭髪を浸した自殺者も見られた。夜間こめかみに釘を打ち込まれた男。口を上に向けて開いている死骸。
宮殿の真中に、不幸は不安そうに陰鬱な顔をして坐っていた。また狂気が憤怒に荒れ狂って笑っていた。武器を持った不平と悲鳴。烈しい憤怒。のどを切られた藪の中の死骸。数千の殺された人々、その中には疫病にかかって死んだ者は一人もいない。暴力によって奪った生餌《いきえ》を前にした暴君。破壊されて一物も残らなくなった都市。
そこには焼かれて、燃えながらぐるぐるまわっている船があった。野獣に喰い殺された狩人がいた。
揺籃の中で小児を喰い殺す野豚があった。
柄のついたさじをもちながら、やけどをした料理人がいた。マルズによる不幸な事件は、忘れずに、ことごとくそこに描かれていた。
自分の車でひき殺された車引きは、車の下におしつぶされていた。そのほかマルズの領土には、理髪師があり、肉屋があり、鉄床《かなとこ》で鋭い刃をつくる刀剣工があった。
とくに一つの塔の中には、勝利があらゆる名誉に飾られて坐っていた。しかも、その頭の上には鋭い刀が細い紐で吊り下げられているのだ。
ジューリアス・シーザーの暗殺や、ネロ大王や、アントニイも描かれていた。それらの人々はその生まれない前から、マルズの警告によって、一人一人その死が描かれていた。誰が殺されるか、誰が恋のために死ぬようになるか、天上の星の中で示されているように、この壁画の中でも描かれていた。
昔の物語の中で一例をとれば十分であろう。望まれても、それを全部数えることなどはわしにはできない。
マルズの像は軍装して車の上に立ち、その顔は血潮のように赤く、ものすごく見えた。頭の上に、書物によると、プエラとルーベウスという二つの星の姿が光っていた。戦さの神はこのように示されていたのだ。その足もとには、一匹の狼が、赤い眼をして、人を食っていた。この話はマルズの栄光を飾るために、細かな筆致で描かれていた。
さて、こんどは、貞節の女神なるディーアナの殿堂に駆けつけて、それを詳細に述べてみよう。まず壁の上下には狩猟や慎しみ深い貞節の話が描かれていた。
不幸なカリストペーはディーアナの神の怨みを買って、女から熊に変えられてしまった。それから後に北極星となった話が描かれていた。そのほかのことはわからない。だが、その息子もまた、人の見るところでは一つの星であった。
ダーネが月桂樹にかえられた話も描かれていた。それは女神ディーアナではなくてペネウスの娘ダーネである。
ディーアナが裸になっているところを見たというので、その怨みを買って、アクテオンは大鹿にされてしまった。見よ、彼の猟犬は自分らの主人とも知らないで、その大鹿を捕え、食い殺しているではないか。
その少し先には、アタランタが野猪を追い出しているところが描いてあるし、またメレアージェルをはじめとして、そのほか、ディーアナの怒りを買って憂き目をみた多くの人々の話も描かれていた。なおその他にも多くの驚くべき話を見たが、わしにはただ記憶することさえむずかしい。
この女神は大鹿の上にまたがって、その足もとには小犬が群がり集まっていた。足の下に月がかかって、大きく満ちてはいるが、まもなくかけてゆくであろう。
女神の像は黄みどりの衣を着て、手に弓をもち、筒に矢を入れていた。その眼は下を向いて、プルートーの闇の国を見つめていた。
一人の妊婦がこの女神の前にひざまずき、難産で苦しいというので、悲しそうにリュシイナよとディーアナの別名を呼びかけながら、
「お助けください、あなた様にお願いするのがいちばんご利益《りやく》がありますから」と言っていた。
これを制作した画家は、よくものを生き生きと描く人で、その絵具も大金を投じて買ったのだ。いまや試合場は建設された。これに莫大な費用をかけて、礼拝堂や闘技場を整備したセーセウスはそれが出来上がったのを見て非常に喜んだ。だが、セーセウスのことはしばらくこのくらいにしておいて、パラムンとアルシータの話をすることにしよう。
やがて二人が決戦をするために、おのおの百人の騎士を引き連れて戻って来る試合の日が近づいた。契約したとおりに、二人ともすっかり戦いの用意をした百人の騎士を連れて、アテネまで戻ってきた。
実際、それを見て多くの人が信じたように、世界が始まって以来、騎士に関しては、どこの海にも山にも、人数こそ少なけれこれほど立派な軍隊はなかった。いやしくも騎士道を愛して、進んで名声を求めようとするものは、誰も彼もこの試合に参加しようと願った。で、その百人中に選ばれたものは幸運なるかな。もし今の世にそうした場合が起こったなら、それが英国であろうとも、ほかのどこであろうとも、いやしくも恋人をもち、自分の力を信ずる若い騎士たちは、勇んでそれに参加したに違いない。貴婦人のために闘う――ほんとうにそれはすばらしい見物《みもの》だ。
そういうつもりで、たくさんの騎士がパラムンのところにやって来た。ある者は頑丈な鎖《くさり》帷子《かたびら》で武装し、胸当てをして、軽い下着をつけていた。ある者は一|対《つい》の大きな板金をもち、ある者はプロシャ式の盾か、古式の盾のようなものをもち、ある者は脛当てで足をまもり、斧《おの》をもち、また鉄棒をもっていた。武装には今も昔もかわりはない。
こういったように、各人思い思いの武装をこらしていた。
トラキアの大王リクルグスさえもパラムンの組に加わってやって来た。あごひげは黒々として、顔は男らしく見えた。眼は奥にひっこんで、黄色く赤く光っていた。そして、半身鷲で半身獅子の怪物のように、あたりをぎょろぎょろ見まわした。眉毛は太くぼうぼうとしていた。手足は大きく、筋肉はたくましくはりきって、肩幅は広く、腕は太くまるまるして長かった。
また国の風として、この王は黄金づくりの戦車に高々と乗っていた。四頭の白牛が挽き革につながれていた。陣羽織は身に着けていなかったが、その代りに、黄金かと見えるほど黄色に輝く爪のついた、まっ黒な熊の毛皮をまとっていた。
その頭髪はよくくしけずられて、鳥の羽根のように黒く背中に垂れさがっていた。そして腕の太さくらいはあろうかと思われるほど、厚さも重さもある金《きん》の王冠を頭に戴いていた。それには美しいルビーや、ダイヤモンドの数々の宝石がいっぱいにちりばめられていた。
戦車をとりまいて、まっ白な狼犬が、二十匹以上も走っていた。獅子や鹿狩りに使うもので、軍馬のように大きな犬であった。それがしっかりと鼻面のところをしばられ、やすりで丸くした黄金の頸輪をはめられて、王の後につづいた。
王のお供には、同じように武装した、百人の勇ましげな諸侯がついていた。
伝説によれば、アルシータのがわには、インド王エメトレウス大王が加わっていた。鋼鉄の金具をつけ、錦の綴れ織の覆いがかけられた栗毛の馬にまたがって、軍神マルズのようにやって来た。その陣羽織は韃靼《だつたん》の織物で、まっ白な丸い大きな真珠の玉で飾られていた。鞍は新しく打ち延べた、焦げ色の金でつくられていた。肩にかけたマントには、火のように輝く真紅なルビーがいっぱいつづられていた。
彼のしゃりしゃりした頭髪は、小さな渦巻にまかれ、黄色く太陽のようにきらめいていた。鼻は高く、眼はシトロンの実のように輝き、唇は厚く、血色はよく、顔には黄色とやや黒みを帯びたそばかすがちらばっていた。
彼は獅子のようにその眼でにらんでいた。
年は二十五歳ほどにみえた。あごひげがぼつぼつ出はじめていた。
声はラッパのようにとどろいた。
頭には、見るもあざやかな美しい月桂樹の冠をつけていた。そして、手には、白ゆりのようにまっ白な馴れた鷲を嬉しそうにもっていた。
百人の君侯がついて来ていた。それが頭を除いて、ほかはみなはなやかな甲冑に身をかためていた。
それというのも、この気高い一隊に加わったものは、公も伯も王も、みな愛のために、騎士道の誉れを増すために、集まって来たものばかりであったからだ。
王をとりまいて、多くの馴らした獅子や豹《ひよう》が飛びまわっていた。
こうしてこの君侯たちは、一人残らず、日曜日の明け方頃にアテネに着いて、都内でとまることになった。
立派な騎士にして公爵なるセーセウスは、これらの人々を都に招き、めいめいその階級と身分に応じて宿舎を与え、ご馳走をした。実際、彼はそれらの人々を饗応し歓待するためには、ずいぶんと心を労した。それがために、どうしたらそれに返礼ができようかと、どんな身分の人も途方にくれたと言われている。
舞楽の催し、饗宴のサービス、上の人にも下の人にも与えられた贈り物。セーセウスの宮殿のすばらしい準備。上段の食卓には誰が最初に坐って、誰が最後に坐ったか。女官のなかでは、誰がいちばん美人であったか、誰がいちばんよく踊ったか。どの女がいちばんよくうたったか、そして弾いたか。誰がいちばんしんみりと恋を語ったか。どの鷹を高座のとまり木にとまらせたか。どんな犬を床の上に坐らせたか。こんなことはもういちいちあげないことにして、今いちばん大切だと思われる要点だけをこれから述べることにする。どうかお聞きを願いたい。
日曜の夜、日がまだ昇らないうちに、パラムンはひばりの声を聞いた。夜明けにはまだ二時間もあろうというのに、ひばりは早くも鳴き出したのである。その声を聞いて、パラムンはすがすがしい心持で勇んで起き上がった。そして仁慈なシセレアの愛の女神の殿堂に出かけた。それは尊いヴィーナスのことを言っているのだ。夜明けの二時間まえがヴィーナスの時刻である。彼はその時刻に女神の宮のある試合場に歩いていった。そして、そこにひざまずきながら、うやうやしい顔色と痛める心にて、こんなことを言った。
「美の中でも最大の美なる、わが妃ヴィーナスよ、ジョーヴの神の娘で、ヴルカーヌスの配偶者《つれあい》で、シセルーンの山の祝福者であるあなたよ。アドーニスに捧げしあなたの愛にかけて、私のこのいたましい苦い涙を憐れみ給え。私のせつないこの祈りを御心におくみくだされませ。
ああ、私はこの地獄の苦しみを語る言葉を持ちません。私の心は私の苦痛を言いあらわせないのでございます。私は口の利けぬほど打ちのめされているのです。しかし私の思いをよくご存じで、私の苦しみをよく感じていらっしゃる姫君よ。これらの事情をよくお考えくださいまして、私の負うた深傷《ふかで》に憐れみを垂れさせ給え。私は今から永久にあなたの忠実な召使となって、全力を挙げてあなたにお仕えしましょう。そしていつまでも変わらぬつもりでございます。この誓いを立てますから、どうぞ私を助けてくださいませ。
私は自分の武力についてお願いしようとは思いませぬ。明日の勝利は望みませぬ。そんな名声は欲しくないのでございます。天下にとどろく武勇の名は単なる虚栄でございます。
私はただエメリーを完全にわがものとしたい。そしてあなたに仕えて死ねれば本望でございます。勝っても負けても、そんなことはもうかまいませんが、ただこの腕の中にあの女を抱くためにはどうしたらよいか、そのやり方を教えてくださいませ。
マルズの神は戦争の神でありましょうが、あなたは愛の神ヴィーナスであらせられるから、あなたのご威徳は天上の国ではすばらしく、あなたさえお望みなら、私の愛をとげることもできるのでございます。私はあなたの宮を永久に信仰して、どこに行こうが、あなたの祭壇にはお護摩《ごま》を焚いて、供物をささげます。美しい君よ、それが御意にかなわなければ、明日はアルシータが、その槍で私の心臓を突き刺すようにしてくださいませ。私が死んだ後では、たといアルシータがその女を妻にしようと、そんなことは一向かまいません。
これが私の祈りの目的であり要旨でございます。尊くもなつかしい君よ、どうぞ私の恋をかなえてくださいませ」
パラムンは祈祷をすませ、供物をささげて、それからまた悲しそうにいろいろな儀式をとりおこなったが、それらのことは一つ一つ述べないことにしよう。
最後にヴィーナスの像が震えて、何かの合図をするように見えた。それはその日の祈祷が聞きとどけられた証拠だとパラムンは考えた。ヴィーナスの身振りでは、少し遅れても、賜物はおまえに与えられるぞと言っているように思えたからである。彼は喜び勇んで、すぐさま家路に向かった。
パラムンがヴィーナスの宮に参詣に行ってから、三時間目に、ようやく太陽が昇って、エメリーも起き上がった。そしてディーアナの宮へと急いだ。
エメリーが連れていった腰元たちは火や、香や、布帛や、そのほか祭祀に必要なものをことごとく持って従った。それが習わしになっていたので、蜂蜜酒を入れた角《つの》製の容器までおよそ供物として必要なものはみんな揃えていた。
美しい掛け布のかけてある礼拝堂に香をくゆらしてから、エメリーは、ためらうことなく、井戸の水で全身のみそぎをした。だが、どんな儀式をおこなったか、くわしくは言われない。
もっとも、聞けば面白い話であるし、しゃべるほうにも害にはならない。だが、舌はなるべく慎しんでおいたほうが賢明だ。
彼女の金髪は解いてばらばらにされ、頭には緑の樫の葉の冠を美しくもまた清らかにいただいていた。こうして彼女は祭壇に二つの護摩《ごま》を焚きながら、テーベ物語を書いたスタチュウスの中にも、また古書の中にも見られるような儀式をおこなった。
火が燃え上がった時、彼女は悲しそうな顔をして、ディーアナに呼びかけながら、こんなことを言った。
「緑の森の貞節の女神よ、天も地も海もあなたの支配を受けております。暗闇の地下にあるプルートーの国の女王よ、処女の女神よ、あなたはわたしの心を幾年もまえからご存じであり、わたしの希望も知っていられます。あなたの復讐と怒りに触れたアクテオンのような苦しみからわたしを守らせたまえ。
貞節の女神よ、わたしが一生処女でありたい、愛人にも人妻にもなりたくないと思っていることは、よくご承知でございましょう。
わたしは今もあなたのお供であり、処女でありまして、狩猟を好み、野性の森を歩きまわることが好きでございます。人の妻となり、子をはらむことなぞはいやでなりませぬ。男の友達なぞは少しももちたくありません。君よ、あなたのお力で、あなたの持っていらっしゃる、あの天と地と地下との三体の力でわたしを助けてくださいませ。
あれほどわたしを熱烈に愛する、パラムンとアルシータとのあいだに、愛と平和を送ってくださるように、あなたのお恵みを祈ります。
あの人たちの心をわたしからそらせるようにしてくだされませ。かれらの熱い恋、かれらの欲情、かれらのはげしい苦しみ、かれらの情熱を消して、他のほうへ心を向けさせてくださいませ。
もしあなたがそれをきいてくださらないなら、またわたしがどうしても二人の中の一人を夫にもたねばならぬ運命に定められているのでしたら、どうかわたしをいちばん欲しがっている方と結婚させるようにしてくださいませ。
ごらんください、清浄な貞節の女神よ、わたしの頬に流れるこの苦しい涙を――
あなたが処女であり、わたしたちをお守りくださる方である以上、どうかわたしの処女を守って、いつまでも処女をつづけさせてくださいませ。そうすれば、わたしは一生処女としてあなたに仕えることでございましょう」
こうしてエメリーが祈祷をささげている間に、祭壇の火は明るく燃えあがった。
突然、彼女は不思議な光景を見た。
護摩の火が一つ急に消えて、ふたたび燃え上がった。それからすぐにまた他の火が消えてしまった。それが消える時、濡れたもえさしが燃え出す時に立てるような、一種ささやくような音がきこえてきた。そして、そのもえさしのはしから、血潮のようなものが数滴こぼれ落ちた。
その時エメリーは飛び上がるほど驚かされた。そして、気が狂ったように叫び立てた。なんの意味だか、彼女にもわからなかったからである。
彼女はただ怖ろしさに叫び声を上げて、見るも気の毒なほど泣いた。
その時ディーアナは狩人の服装をして、手に弓をもちながら、そこに現われて来た。そしてこう言った。
「姫よ歎くな。天上の神々のあいだでは、おまえがおまえのためにあれほど苦痛をなめている二人の中の一人と結婚させられることは、もう固く定められ、永遠の言葉で書き記されているのだ。だが、それがどちらの男であるか、私には言うことができない。
さようなら、私はここに長くはいられないのだ。だが、この祭壇に燃えている火は、おまえがここを去るまえに、この場でおまえの恋の成行きを知らせてくれるだろう」
こう言って、女神はその筒に入れてある矢をがたがたと鳴り響かせた。そして、そのまま消え失せてしまった。
エメリーはすっかり驚かされて、こう言った。
「ああ、これはどういうことになるでしょう。ディーアナの神よ。わたしは何事もあなたの保護にお任せします。何事もあなたのお気の向くままに」
そして、すぐに近道を通って家に帰った。このことについては、もうこれ以上言うことがない。
次につづくマルズの時刻に、アルシータは荒神マルズの宮に参詣して、すべて異教の儀式に随って祭礼をおこなった。そして、哀れにも心こめて、こんな祈りをささげたのである。
「おおたくましい神よ。あなたはトラキアの寒い国々で崇められ、そこの領主でいらせられ、どこの国でも、どこの土地でも、軍事はあなたが支配されるのです。あなたの思いどおりに武運は定まるのでございます。
私の貧しい祭礼をお受けください。
もし私の若さと力とが、あなたのお供の一人として、あなたに仕えるに足るならば、どうぞ私の苦しみに憐れみを垂れたまえ。あなたがその昔、美しい、うら若いヴィーナスという偉大な美をみずからのものになされ、その両腕の中にかき抱かれた時、あなたがその欲情のために燃え立たれた、その苦しみとその情熱とを思い出されて、私のこの苦悩にも憐れみを垂れさせ給え。
ヴルカーヌスがあなたをわなにかけて、あなたが彼の妻と寝ていられるところを見つけたために、あなたはたいそうお困りになったこともござりました。その時あなたの心にあった苦しみを思い出して、同じ苦しみに悩んでいる私にも憐れみをかけさせ給え。
ご存じのとおりに、私はまだ若く、ふつつかな者でござります。それが今や人間がかつて知らなかったほどの恋の苦しみに悩まされています。それというのも、私をこんなに苦しい目にあわせている女は、私が死のうが生きようが、平気でいるからでございます。
いえなに、女のお慈悲にあずかるまえに、力ずくでその女を手に入れなければならぬことは、私にもよくわかっております。ですが、あなたのお力添えがなければ、私だけの力ではどうにもならぬものでござります。
では、君よ、その昔あなたを焦《や》きただらせ、今また私を焦《や》きつくそうとしているその火のために、どうぞ明日の戦いに私をお助けくださいませ。そして、明日はきっと私を勝たせてくださいませ。
働くものは私、その栄誉はあなたのものでござります。
あなたの宮をば、どこよりも私はいちばん崇めています。いつもあなたの御意にかなうように、あなたの強い力を伸ばすために、私は全力をつくします。
あなたの宮居の中には、私の旗をはじめとして、私の仲間の武器をことごとくかかげましょう。私の死ぬ日が来るまで、あなたの前にとこしえに聖火をたきましょう。
またこんな約束もいたしましょう。私はまだこのひげにも頭髪にもけがらわしい剃刀《かみそり》や鋏をあてたことはないが、この長くたれさがる私のあごひげも、私の頭髪もことごとくあなたにささげましょう。生きているあいだ、私は心からあなたの召使になりましょう。
さあ、私のこの苦しみを憐れんで、私に勝利を与え給え。そのほかに望むことはござりませぬ」
強者アルシータの祈りは終わった。入口の扉にさがっている環も、扉も急にがたがた音を立てた。アルシータもこれにはいささか驚いた。祭壇の火は煌々《こうこう》と燃えあがって、宮の中をすっかり照らし出した。すぐに床からかんばしい香りが立ちのぼった。アルシータは手をあげて、薫香を火の中にくべながら、なおも祭礼をおこなった。
ついにマルズの像は鎖帷子を鳴らしはじめた。その音とともに、かすかな低いささやきが聞こえてきた。それはこう言った。
「勝利!」
アルシータはマルズに感謝して伏し拝んだ。そして、歓喜と勝利の希望をもって、アルシータはすぐに自分の宿舎に戻った。小鳥が晴れやかな太陽をうれしがるように、彼は喜び勇んで戻っていったのである。
ところで、早速天上界では、二人の騎士の願いを許したことについて、愛の女神ヴィーナスと、いかめしい全能の軍神マルズとのあいだに、非常な争いがはじまった。ジューピテルの神はその間に立って、それをやめさせようと骨を折った。
ついに、冷たい蒼白のサトゥルヌスは昔からいろいろの事件を知っていたので、その経験によって、一つの手だてを発見して、すみやかに両者を満足させることができた。昔から言われるように、老齢には非常に有利なところがある、それには知識と経験とが含まれているからだ。老人は駆けくらべでは負けるが、知識では負けることがない。争いや怒りを解くことは、彼の性質には反していたが、この争いの調停は買って出たのである。
サトゥルヌスはこう言った。
「わしの娘ヴィーナスよ。わしの運行軌道は、非常に広いので、わしには人の知っている以上の力がある。わしの力はあの青ざめた海で人を溺死させる。わしの力は暗い牢屋に人を閉じこめる。わしの力は首を絞めたり、吊らせたりする。あのささやき、あの陰鬱な反逆。あのうなり声、あのひそやかな毒殺。わしが獅子の座にいる間は、思いのままに報復もすれば、また折檻もする。わしの力は高楼をくずし、塔や城壁を坑夫や大工の上に倒れさせる。わしは柱を倒して、サムソンを殺した。わしの力はまた冷酷な病気を起こさせ、暗い反逆や昔ながらの密謀を起こさせる。わしの眼は悪疫の父である。
もう泣くな。わしの召使でもあるパラムンが、おまえの約束したとおり、その女を手に入れることができるように、ひとつ骨を折ってみよう。
たとえマルズが自分の騎士を助けるにしてからが、おまえ方の間には、いつか平和が来るようにしなければならない。おまえ方は顔の色が違っているところから、毎日のように喧嘩をしておるのだが。
わしはおまえの祖父で、いつもおまえのいうことを聞いてやっている。もう泣くな。きっとおまえの望みをかなえさせてあげよう」
さて天上の神々、マルズや愛の女神ヴィーナスの話はこのくらいにして、まえにはじめた話の本筋をできるだけはっきりと語ることにしよう。
四
その日のアテネのお祭はえらいものであった。五月の陽気の季節に、誰も彼も浮かれ出して、その月曜日は一日じゅう、馬上の槍試合や舞踏などをしてヴィーナスのお祭をして過ごした。その大試合を見物するために、明日は早く起きようというので、夜はみな早くから休んでしまった。
翌朝、日がのぼる頃、町じゅうの宿舎には、早くも馬や武器の音がした。宮殿を指して、軍馬や乗馬に跨がった多くの君侯の行列が続いた。そこにはいろいろの趣向をこらした武装が見られた。非常に珍しい、金のかかった金彫細工のものもあれば、刺繍も、鋼鉄で出来ているのがあった。輝く盾《たて》、かぶと、馬飾り、延べ金のかぶと、鎖帷子、陣羽織。はなやかなマントを着て馬に乗った大名、お供の騎士。小姓どもはまた槍に釘を打ったり、かぶとを尾錠金で締めたり、盾に革紐をつけたり、革帯をしめなおしたりして、あれこれと忙しく、手をあけている者は一人もいない。
軍馬は黄金のはみ[#「はみ」に傍点]をかんで泡を出しているし、具足師は鑢《やすり》や金鎚をもって、あちこちと馬で駆けまわる。
徒歩《かち》の従者や短い棒をもった下司どもは、黒山のようにいたるところに群がっている。笛、らっぱ、大太鼓、クラリオン。いずれも戦いとなれば血なまぐさい音を出すものだ。
宮殿では、多くの人たちが、あちらこちらで三人寄り、また十人寄りして、二人のテーベの騎士の噂をしている。ある人は「そうなるだろう」と言い、ある人は「そうに違いない」と言った。ある者は黒髪の騎士に味方し、ある者は禿げ頭の騎士に、ある者はまた髪の濃い騎士に味方した。ある人は「あのすごい顔をした騎士はよく働くだろう。なにしろ二十ポンドもあろうという大斧をもっているからな」と言った。
こんなふうに、陽が昇ってからも長いあいだ、御殿の広間では、いろんな噂や推測がおこなわれていた。
セーセウス大公は、楽の音やあたりの物音に早くも眼をさましたが、テーベの騎士がやって来て、二人とも拝謁するまでは、その室内に人を近づけなかった。
セーセウス公は、それから神の座につく神のように正装して窓のところに席を移した。人々はたちまちそこへ押し寄せて、彼を見、敬礼をし、その命令や言葉を聴こうとした。
伝令官は櫓《やぐら》にあがって、声をしゃがらしながら、人々が鎮まるのを待った。そして人々の騒ぎがおさまった時、はじめて大公の思召しを伝えた。
「公は深き思召しによって、このたびの企てでは、真剣勝負をして、いたずらに貴重な人命を損うことは避くべきだとお考えになりました。そこで最初の思召しに多少の修正を加え、何ぴとも死なぬようにせよ、と仰せ出されたのでございます。
それによって、いかなる飛道具も、戟《ほこ》も、短刀も、それを持って試合場にはいることは許されません。これに違反するものは死刑になりますぞ。
何ぴとも短刀で人にとどめを刺すことは相ならぬ。抜くことも帯びることも相ならぬ。
相手に向かって馬を乗りかけ、鋭い槍をもって突くことは一回だけ許される。それも一度以上にのぼってはならない。落ちたら、徒歩で闘うべし。
怪我をした者は、捕えて殺してはならない。両側に設けてある杭《くい》のところに連れてゆくこと。その者は、しかし、力ずくでそこまで連れていって、そこに留めておく。
一方の主将がそこへ連れて行かれるか、または一方の主将が相手方の主将を殺した場合には、試合はそれでおしまいである、けっしてその後をつづけてはならない。
では、始め! しっかり闘え。長い剣と鎚矛《つちほこ》を使って、思う存分に闘え。さあ、進め。公の思召しであるぞ」
人々の上げる声は天に達した。それほど大きな声で、元気よく叫んだのだ。
「神よ、この情けある主君を助けたまえ。血の破滅は彼の望まぬところだ」
この時らっぱが鳴って、楽の音が響きわたった。隊伍は、セルの旗どころか、綴れ織の旗を垂れながらこの大都市をねって、粛々《しゆくしゆく》として試合場へと向かった。
セーセウス公は、二人のテーベ人を両脇に従えて、いかにも主君らしく乗り出した。つづいて、后とエメリーとが従った。その後には女官どもがつづいた。またその後には、身分に応じて、いろいろな人々の一隊がくり出した。こうして、市街を通りぬけて、定刻には早くも試合場に現われた。
陽がまだ第一時刻を過ぎない頃、セーセウス公は、イポリタ后、エメリー、その他の女官を従えながら、堂々と高いところの席についた。群衆もあせってその座席へと押しかけた。
西側では、マルズの下の門からアルシータが味方の百人と一緒に、赤旗をもって、すぐさま入場した。それと同時に、東側では、パラムンがヴィーナスの宮の下から、白旗を立てて、猛々しい顔をしながら入場した。
あまねく世界じゅうを探しても、この両隊にくらぶべきものはどこにもなかった。いかなる賢者といえども、その武勇と品位と若々しさとにおいて、これよりも優れたものがあるなどとは断じて言えなかった。彼らはそれほどよく選ばれた者どもであった。そして、それが二組に別れて、はなやかに隊伍を組んでいたのである。
人数に間違いのないように、一人一人その名前が読み上げられた。その時、門が閉められて、声高に叫ばれた。
「二人の若武者よ。いざ、各自その義務を果たされよ!」
伝令官はあちらこちらに馬を乗りまわしていたが、はたととまった。すると、らっぱとクラリオンとが一時に吹き鳴らされた。もう何も言うことはない。西と東で、槍がしっかりと構えられた。拍車は鋭く脇腹に入った。そら、突きたてるもの、乗りつけるもの、盾の上には矢が篠のように当たって砕けた。ある者はみぞおちに鋭い突込みを受けた。槍が二十尺も上に跳ね飛んだ。剣が白銀のように走り出た。かぶとはめちゃめちゃに砕かれた。血潮は赤い流れになって、さっと、ほとばしった。重い鎚矛で骨は砕かれた。密集のまんなかを目がけて、突っ込んで来たものがある。軍馬はよろめいて、つまずく。落馬する。足に踏まれて球のようにころがる。ふたたび立ちあがって、短棒で突いてかかる。また馬と一緒に倒れて、ほうり出される者もある。怪我をして、捕えられ、否応なしに、杭のところに連れてゆかれる。それは約束だから、どうしてもそこにとどまっていなければならない。もちろん、反対の側に連れてゆかれる者もある。
ときおりセーセウス公は、休憩を命じた。休息させ、水を飲みたい者には飲ませた。
その日、二人のテーベ人は幾度も出会って、相手に痛傷《いたで》を負わせた。たがいに相手を馬から突き落した。
ガルフェイの谷に住む虎は、自分の小さな仔を盗まれた時、狩人に向かって猛々しく飛びつくと言われているが、アルシータが嫉妬のために、パラムンに飛びかかる勢いにはよもやまさるまい。またベルマリーの野原では、獅子が狩り出され、もしくは飢えるかして、獲物の血に狂うと言われているが、その猛悪な獅子も、パラムンがアルシータを殺そうとするその猛々しさには及ばなかったであろう。嫉妬の打ち込む太刀は鋭く敵のかぶとに喰いこむ。血潮はかれらの脇腹に流れる。
しかし、どんな働きにもいつかは終りがある。まだ日の暮れるまえに、あの強い王様のエメトレウスが、アルシータと闘っているパラムンにせまって、相手の肉深く、刀を切り込んだ。さすが二十人力もあると言われるパラムンも、降参こそしないが、捕えられて、杭のところに曳きずってゆかれた。
パラムンの助けには、あの強い王様のリクルグスが飛び込んで来た。エメトレウス王は、その武勇にもかかわらず、鞍《くら》から剣の長さほども跳ね出されしまった。そこをパラムンは、自分が捕えられるまえに、打ち込んだものだが、すべてはかいなく杭のところに連れてゆかれた。
そうなると、もう彼の猛々しい心も役にはたたない。むりやりに捕えられて、約束どおりに、そこにとどまっていなければならなかった。不幸なパラムンこそ悲しけれだ。もうふたたび戦いには出られないのである。
それを見たセーセウス公は、いまなお闘っている人々に向かって、こう叫んだ。
「やめ! 勝負はあった。誰ももう戦ってはならぬぞ。わしは真の審判官だ。公平にやりたいのだ。テーベのアルシータはエメリーをめとるであろう。彼は幸運によって、立派にこの女をかち得たのだ」
たちまち人々の声は、この喜びに高く鳴りとどろいた。まるで試合場も倒れそうな光景であった。
この時、天上にある美しいヴィーナスはどうしていたであろう? なんと言うか? この恋の女王はなんとするか? ヴィーナスはすっかり失望して泣いた。その涙は試合場にあふれた。
女神は言った。
「ほんとうに口惜しい、わたしは辱しめられた」
サトゥルヌスは言った。
「娘よ、泣くな。マルズは思いどおりになった。彼の騎士はことごとくその賜物《たまもの》を得た。だが、この首にかけて、おまえはすぐに慰められるよ」
らっぱはその美しい音を張り上げた。伝令官は声高にどなって廻った。アルシータ卿に対する喜びはそこにあふれた。だが、お聞き、しばらくお待ちなさい、今に大変な奇蹟が起こるから。
アルシータははげしくかぶとを脱ぎ捨てながら、軍馬にまたがって、顔を見せるために、広い場内を駆けまわった。その間もしじゅうエメリーのほうを見上げながら。
エメリーもまた彼に親しそうな眼差をなげた。女というものは概して幸運のめぐむほうについてくるものだ。彼女は彼の頭にあるすべてであった。彼の心にあるすべての喜びであった。
ところが、この時、不意に地の中から、サトゥルヌスの要請によって、プルートーの送った地獄の火が飛び出した。それを見ると、彼の馬は恐ろしさによろけて、わきへ飛びのいた。そして、その拍子に地に倒れてしまった。アルシータはつかまる暇もなく、頭を下にして、まっ逆さまに馬からはね落された。鞍の前輪に胸をつぶされて、死んだように、その場に打ちのめされた。石炭か烏のように、まっ黒になって横たわった。黒い血が顔じゅうに流れていたのである。その場からすぐにセーセウス公の宮殿へ、痛ましくも傷ついた胸を抱きながら運ばれていった。
宮殿では、すぐにその武装を切り取られ、いち早く床に寝かされたが、まだ意識があったので、彼はしじゅうエメリーのことばかり口走っていた。
セーセウス公はお供揃いを引きつれて、堂々とアテネの都に戻って来た。こんな事件は起こったけれども、公としては皆の心を不安にすることを好まなかったのだ。
で、人々はみんな言った。アルシータを殺してはならない。怪我はどうしてもなおしてみせると。
もう一つかれらが喜んだのは、一人も死人が出なかったということであった。それはひどく怪我をしたものもあるにはあった。とくにその中の一人は、胸骨を鋭い槍で突かれていた。だが、その他の負傷や折れた腕には、膏薬をはったり、まじないをしてやったりした。医者は薬草やサルビヤの葉を煎じて飲ませ、それらの負傷者の命を取りとめようとした。
それにまたこの名君は、できるだけ、みんなを慰めたり、ねぎらったりしてやった。そして、言うまでもないことながら、外国の君侯のためには終夜の宴を張った。
ちょうど馬上試合か模擬戦のように、誰にも敗北の感じをもたせなかった。実際また敗北というものはなかったのである。落馬は単なる偶然にすぎない。二十人の騎士に反抗しながら、無理に杭のところに連れてゆかれたにしても、こちらはただ一人であったし、他に助ける者もなかったとすれば、いくら腕や足や、足指をもって曳きずられたとしても、またその馬は従者や小姓や下司下郎の手によって、棒で追い払われたとしても、それを不名誉だとすることはできなかった。ましてやそれを臆病だなどとは言われなかった。
それに対してセーセウス公は、恨みも嫉妬も感じさせないように、ただちに、勝利はどちらの側にもあった、兄弟のように、たがいに優劣はなかったと発表させた。そして、その身分に応じて、いろいろな下賜品が与えられた。三日間にわたって祝宴を張った。そして、立派な騎士に対しては、満一日間護衛をつけて、アテネの都から見送らせた。こうして、すべての人々がまっすぐに国に帰って行った。「さらば、ご機嫌よう!」と言うほかは、べつに言うこともなかった。
この試合については、もうこれ以上は書くまい。これからはパラムンとアルシータのことを話すことにしよう。
アルシータの胸ははれあがって、心臓の痛みはいよいよ烈しくなった。凝り固まった血は、いかに手当てをしても腐り出してきた。それが体のなかに残るのだ。血を取っても、吸いコップをあてても、薬草を飲ませても、一向にそのききめがない。自然の力からくる人体の排出力も、あるいは動物性の力もともに弱って、その毒を除き排泄する力がなくなった。肺門の管がはれてきた。胸の筋肉がみなその毒素で腐ってきた。生命を取りもどすために、口から吐かせることも、下から排泄させることもできなかった。局部はまったく破壊されて、自然はもはやその支配する力を失った。確かに自然の力の働かなくなったところには、薬石ともに効果がないのだ。その男を教会に連れてゆけ。結局、アルシータは死ぬほかないのだ。
それがために、彼はエメリーと自分の親しいいとこのパラムンを呼びにやった。その時彼はこう言った――これから皆さんが聞かれるように。
「私の姫よ、私の愛してやまぬ姫よ、私の心のなかの不幸な霊は、このいたましい悲しみをあなたに申し上げたいと思っても、それができない。私はもう死んでゆくのだ。それで、あなたにだけ、この世の中にあなた一人にだけに、私の霊魂の奉仕を遺してまいります。
ああ、この不幸。ああ、この烈しい苦痛。私も長いあいだあなたのために苦しんできました。ああ、この死。ああ、私のエメリー。ああ、これが二人の別れとは! ああ、私の心の后よ。ああ、私の妻よ。私の心の女は私の命取りであった。この世はなんだ? 人は何を求めているのか。今一緒になったかと思うと、すぐにまた冷たい墓の下にはいらなければならない――ひとりで、つれもなく。
さらばいとしい者よ、わがエメリーよ。神の愛のために、あなたの両腕の中にやさしく私を抱きしめてください。そして私の言うことを聞いてください。あなたを愛するために、また私の嫉妬のために、私は長の年月、ここにいるこのいとこのパラムンとは、たがいに争い恨みあってきました。
ジューピテルの神よ、わが魂を導き給え、恋人というものについて公正にいえば――そのあらゆる条件について、すなわち、その真実、名誉、騎士道、知恵、謙譲、身分、高貴の生れ、大度、その他この道に属するすべての条件については、ジューピテルもわれを憐れみ給え、パラムンほど愛される値打のある者は、この世にまたとありません。パラムンならば、きっと、あなたに奉仕して、一生変わることはないのですよ。
だから、もしあなたがいつか人の妻になられるものとすれば、どうかパラムンをお忘れなさるな、あの立派な紳士のいることを」
こう言うとともに、彼の言葉はとぎれた。足の先から胸のところまで冷たい死がのぼってきた。それが彼を征服してしまった。それにまた彼の両腕にあった生命のほうも失せて、すべては去った。彼の病める心に住んでいた知性も、死が心臓に触れた時、とうとうきかなくなった。両眼が暗くなった。呼吸が絶えた。
しかも、この愛人の上に、彼は最後の眼差を投げた。彼の最後の言葉は「憐れめ、エメリーよ」であった。
彼の魂は去って、私も行ってみたことのないところに行ってしまった。どこに行ったかは、私にもわからない。だからここでやめる。私は予言者ではない。魂については、このもとの物語には何も書かれていない。私も、魂がどこに住むかという意見をここで述べたくはないのだ。
マルズが彼の霊魂をどこへ連れてゆこうと、ともかくアルシータは冷たくなってしまった。これからエメリーについて話すことにしよう。
エメリーは泣きわめいた。パラムンは吠え立てた。そしてセーセウス公は気絶している妹のエメリーをつかまえて、死者から引きはなし、ほかへ連れていった。
朝に夕に、エメリーがどんなに泣いたかを語って、ぐずぐずひまどってみたところで、それがなんの役に立ちましょう? 女が夫に死に別れたような場合には、いつもこうして泣くものだ。時には悲しみのあまり病気になって、あるいはそれがもとで最後には死ぬかもしれない。老人も泣いた、若い者も泣いた。このテーベ人の死を聞いたものは、みんなとめどもなく涙を流した。
古えの物語にある話だが、エクドルが殺されて、すぐにトロイに連れて来られたときでも、これほどには人は泣かなかったに違いない。子供も泣いた、大人も彼の死を悲しんだ。ああ、その時のテーベの悲しみ! 頬を引っ掻くやら、髪を掻きむしるやら。
「どうしてあなたは死んでしまわれたの?」と女どもは叫ぶのだった。「お金もたくさんあったし、またエメリーもいましたのに」
セーセウス公を慰め得るものはただ彼の老父エゲウスのみであった。この老公は世の移り変りを見てきたので、栄枯盛衰の道理をわきまえていた。不幸のあとに喜びがあり、喜びのあとに悲しみがあるは世の常である。彼はその実例やたとえ話をして聞かせた。
老公は言った。
「どんな身分にしても地上に生きていなかった人は死ぬことがなかったように、いつか死なないような人がこの世に生きていたためしはない。この世は不幸に満ちた街道にすぎないのだ。そしてわれわれはそこを往き来している巡礼なのだ。どんな浮世の苦しみも、とどのつまりは死で終わるのだよ」
このほかにも、いろいろのことを言って人々をいましめたが、結局人はみずから諦めて慰めるほかはないのだ。
さてセーセウス公は、いろいろと心を使って、どこにアルシータの墓を造ればよいか、またどのようにしたら身分にかなったものになるかと思案した。そしてついに、最初アルシータとパラムンとが恋のためにたがいにしのぎをけずった場所に定め、アルシータがあの恋々たる欲情と歎きを吐露して、恋のためにあの情熱を燃やしたあの美しい緑の森のなかに、同じように火を焚いて、それによって葬儀をとりおこなうことにした。そこですぐに命令を下して、樫の老木を切り倒し、切り刻んで、よく燃えるように並べて積み重ねさせるようにした。
役人どもは、命令のままに、早足で駆けまわったり、馬を乗りまわしたりした。
セーセウス公はまたその後で、棺を持ってこさせた。そしてその上に自分のいちばん上等な綴れ織の錦の織物をかけさせた。そして、アルシータには、それと同じきれの衣服をつけさせ、手にはまっ白な手袋をはめさせた。また頭には緑の月桂樹の冠をつけさせ、手には黄金造りの鋭い剣をもたせた。そして、顔だけ見えるようにして棺の中にねかせた。それを見て、セーセウス公は見るも哀れなほど涙を流した。
彼はまた告別に来る人々のために、昼になってから広間に死骸を運ばせた。広間は泣きわめく声で鳴りわたった。
この時、あわれなパラムンは波うつあごひげをはやし、灰色の髪の毛をぼうぼうとさせ、黒衣を着て、涙に泣き濡れながらやって来た。告別者の中で、誰よりもよく泣き、誰よりもいちばん悲しんだのはエメリーであった。
その葬儀は死者の身分に応じてできるだけ立派に営むべきだというので、セーセウス公は三頭の軍馬を曳き出させて、それにぎらぎら輝く鋼鉄の飾りをつけさせ、アルシータの武具を持たせることにした。それらの軍馬はいずれも大きな白馬で、それに乗っている一人の男は彼の盾をもち、他の一人は手に高く彼の槍をもっていた。もう一人の男は、彼のトルコ式の弓と、くすんだ金のえびらとをもっていた。そして、これから話すように、その森のほうへ、悲しげな顔をして、しゅくしゅくと進んでいった。
ギリシャ人の中でも高い身分の者が、肩に棺をかついで、しずかな歩調で、眼を赤くぬらし、都大路を進んだ。その街々はいずれも黒布で飾られていた。家々はそのてっぺんまで黒布に包まれていた。
右には老公エゲウス、左にはセーセウス公が、手に立派な黄金の器をもって、それに従った。そのなかには蜜、牛乳、血、ぶどう酒がいっぱいに入れてあった。その大勢の行列の中にパラムンもはいっていた。そのうしろから不幸なエメリーが歩いていった。そして、その手には、当時の習慣に従って、葬儀の役を果たすために火をささげていた。
その火葬のためには、大変な苦労をして、大々的な準備がおこなわれた。生ま木が高く積み上げられ、その緑の頂きは、天にもとどかんばかりで、樫の薪は二十|尋《ひろ》の幅にのびていた。くわしくいえば、枝がそれほど拡がっていたのだ。幾車分かのわらもそこに敷かれた。だが、どんなふうにしてその火がどんどん焚かれたか、その樹の名はなんといったか、たとえば、樫、もみ、かば、白楊《はこやなぎ》、赤楊《はんのき》、かしわ、ポプラ、柳、楡《にれ》、プラタヌス、とねりこ、黄楊《つげ》、とち、しなのき、月桂樹、かえで、さんざし、ぶな、はしばみ、いちい、みずきといったように、そしてまたそれらの樹々はどんなふうにして伐られたか、そんなことはいちいちここに述べられるものではない。
永いあいだ安楽に住んでいた森の住居から追い出されて、森の精、半人半羊の山神、樹の精といったような神々が、どんなにあちこちと逃げまわったか、小鳥や獣も、森が伐採されると、どんなにこわがって、逃げ出したことか、輝く太陽を見たこともない地面が、ぎらぎらと陽光をうけて、どんなに茫然としていたことか。
最初にわらがいちばん下積みにされた。それから三つにさいたかえでの枝が積まれた。その上に生ま木と香料が置かれ、それから綴れ織の錦のきれ、宝石、花の咲きさかる花輪、没薬《もつやく》、おそろしく香りの高い香料などが置かれた。
最後に、アルシータがそのまんなかに横たえられた。そして、死骸のぐるりには多くの財宝が並べられた。
エメリーは風習に従って、最初に火葬の火を投げ入れた。その火がついた時、彼女がどんなに気絶しようとしたか、なんと言ったか、どんなことを望みかつ祈ったか。
その火がどんどん燃え上がった時、人々はまず宝石をその中へ投げ入れた。ある人はその盾、ある人はその槍、ある人は自分の着ている衣服を脱いで、そのまま火の中へ投げ入れた。またぶどう酒と牛乳と血とを盛ったコップの数々が投げ入れられた。
その火のぐるりを、ギリシャ人の騎士が、大きな隊を組んで、大きな声を張り上げながら、左まわりに三度駆けまわった。そして、三度槍をがちゃがちゃいわせながらまわった。女官どもは三度泣き声を上げた。それから、エメリーは家に連れ帰られた。かくて、アルシータはついに冷たい一握りの灰になってしまった。
その晩、ギリシャ人はお通夜の競技会をやった。
彼らは塗油で身体を清めて、裸角力をとった。誰がいちばん強かったか、誰が最後まで勝ちとおしたか、そんなことは詳しく話すにも及ぶまい。
競技が終わって、一同はどんなふうにしてアテネに帰ったか、それも語るには及ばない。ただその要点をつかんで、長い話の結末をつけることにしよう。
ある年月がたつと、時日の経過によって、すべてのギリシャ人の悲歎も涙も、一致したようにみんな忘れられてしまった。
それから、その頃アテネでは議会を開いて、ある事柄を決定した。その中に某々国と同盟を結ぶこと、とくにテーベと不戦条約を結ぶことが要点となっていた。
それについて、セーセウス公はただちにパラムンをテーベから呼び寄せることにした。パラムンはその理由もまだ聞いていなかったが、ともかくその命令に従って、喪服を着けたまま悲しそうな顔をしながら急いでやって来た。
その時セーセウス公はエメリーも呼びにやった。二人が座に直った時、その場はしんとした。
セーセウス公は口を開くまえに、眼を前方にすえたまま、しばらく黙っていたが、やがて悲しげな顔をして、しずかに溜息をついた。それからおもむろにその意を公表した。
「あらゆるものの原動力である天の神が、最初に愛の縁《えにし》の美しき鎖をお造りになったとき、その思召しは高く、その効力は偉大である。何ゆえにそうされたか、その意味はなんであるか、神はよくご存じである。
それというのも、この美しき愛の縁によって、火、空気、水、土を、ある一定の約束のもとに結合されたからである。この限定されたものからは、何者も逃げ出すことはできないのだ。
またこの原動力である天主は、この不幸な下界に生を得たものには、誰でも一定の年月の生存期間を定められた。この期間を一歩も越えることはできない。その期間を短くすることは許されても、長く延ばすことはできない。
これは権威者の言葉を借りなくとも、経験によって証明されるものであるから、わしはわしの教訓を述べることにしよう。
さて、この秩序によって、この原動力が確乎たるものであり、永遠なるものであることは、誰にもよくわかることである。部分が全体から流れ出るものであることは、愚者にあらざれば、何ぴともよく知っていよう。
それというのも、自然物はある物の一部分や断片から始まったものでなくして、一つの完全にして動かすべからざるものの存在から生まれ出たものであるからである。しかし、そういうものも漸次衰えてゆくものであって、ついには壊廃することをまぬがれない。
であるから、神はその賢明な摂理によって、物の種類とその発展とは、あとからあとからと継続することによって保ってゆかれるものであって、けっしてその物自体が永続するものでないことを定められたのだ。そちたちはこの真理をよく心得て、その眼でよく見るがよい。
見よ、樫の木は、それが最初生え出してから、長いあいだ養分をすすって、永く生きのびてはゆくが、誰も知ってるように、最後にはその樹も枯れ果てるものである。
また、よく考えてもみよ。われわれが踏んで歩くこの足もとの堅い石も、路傍にころがっているからには、やはりいつかはすりへってしまうものである。同じように、大河といえども、やがてはひからびる。大都市もだんだん衰えてなくなるものだ。結局、すべてのものは終りがあることを知るほかはないのだ。
それからまた男も女も、人生の二つの時期、すなわち若年か老年かに属するが、いずれは死ぬものであることに間違いはない。王といえども、小姓と同じように、それをまぬがれることはできない。ある者は床の上で、ある者は深海の底で、ある者はまた大平原で死ぬのだ。それはどうしようもない。すべてが同じ道を行くのだ。だからして、すべては死ぬものだ、とわしは言うのだ。
天界の王ジューピテルをほかにして、これを定めるものがあろうか。これはすべてのものの君主にして淵源《えんげん》である。実を言えば、すべてのものがその生まれて来た源泉へ還るにすぎない。生きとし生けるものは、それに反抗しても無益である。
そこでわしに言わせれば、必然には従うがよろしい。避くべからざるもの、とくにすべて人類に当然起こることは、それを諦めたほうが賢明である。運命に不平を言うものは愚で、すべてを治め給うお方に反逆するものというべきだ。
実際、人がその名声の衰えざる間に、その花の盛りに死ぬほど大きな名誉はない。そうすれば、彼自身ばかりでなく、その友人をも辱しめるようなことはない。その友人たるものも、その死をむしろ喜ぶべきであろう。老いてその名が衰えるよりも、若くして名誉の戦死を遂げるほうが喜ばしい。武勇の名も、ともすれば忘れられがちのものだからな。
だから、立派な名を残すためには、その名が最高に達した時に死ぬことが、もっともよい方法である。これと反対なことを望むのは、わがままというべきである。
なぜ人は愚痴を言うのか。なぜ人は憂鬱なのか。立派なアルシータは騎士の華である。義務を果たし、誉れを残して、この世を去った。この世のけがれたる牢獄を去ったのだ。このアルシータの幸福を、何ゆえここでそのいとことその妻とは歎くのか。あれほど彼を愛していたというのに!
アルシータの霊にそむき、またみずからをも痛めるこの二人に対して、どうして彼が感謝できるか。確かにそれはできないことだ。しかも、二人はその歎きを改めようとしないのだ。
こんな長談義をしたのも、結論としては、ただ歎くことをやめて、はればれとした気持になれ、そして、ジューピテルの神にその恵みを感謝せよと言いたいからだ。
わしは、この場で二つの悲しみを、一つの完全な、しかも末永くつづく喜びに変えることを勧告したい。その手始めに、まずいちばん大きな悲しみを蔵しているところから、それを直すことにしよう。
妹よ、ここなる議会の協賛もあって、わしは心からそれに同意を表する。ほかでもない、そなたの騎士パラムンは、その意志と情と力とをもって、そなたに仕えているし、またそなたが最初彼を知って以来、ずっとそうしてきた。そこで、そなたも彼に情けをかけて、この人を夫とし、君として仕えてもらいたいのだ。
さあ、手をおかし、ここで約束をしたいと思う。
今こそ、そなたの女心をわしに見せておくれ。
彼もある王の弟の息子なのだ。長いあいだそなたに仕え、そなたのためにいろいろな苦労をなしてきた。このことをよく考えてやってもらいたい。というのも、慈悲の心はいつも道理を越えておこなわれるものであるから」
それからセーセウス公は、まっすぐにパラムンに向かって言った。
「このことにそなたの同意を求めるには、べつに説教をするにも及ばなかろう。
近く寄って、この婦人の手を取りなさい」
二人のあいだには、すぐさま、そこに居合わせた大名たちの立ち合いの下に婚姻が結ばれた。
こうしてパラムンは、祝福のことばや音楽の中で、エメリーをめとった。かくて、この世界を創造された神は、愛を高くあがなった彼に、その愛人を贈られたのである。
今やパラムンも、祝福と富裕と健康の中に住む幸福者となった。エメリーはまたよくパラムンを愛するし、彼もまたこの女にやさしく仕えて、二人のあいだにはただの一度も嫉妬や不平のことばは聞かれなかった。
これでパラムンとエメリーの話は終わった。神よ、この美しい巡礼の朋輩を助けたまえ。アーメン。
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粉屋の話
粉屋の話 前口上
亭主と粉屋の問答
騎士の話がすむと、一行の人たちは、老いも若きも口を揃えて、これはどうも大変立派なお話だ。よく心にとめて忘れないようにしなくてはならないと言った。とくに教養のある者はそう思った。
亭主は大きな声で笑いながら言った。
「ありがたい。こりゃうまく当たりましたね。東西、東西、さあ、お次はどなたかね。ほんとにさいさきがいいというものだ。さあ、どうですか、そちらのお坊様、この侍《さむらい》に負けねえで、ひとつ、なんとかやってくださいよ」
この時、粉屋はへべれけに酔っぱらって、青い顔をしながら、やっとのことに馬から落ちないでいたが、不作法なやつだから、芝居に出てくるピラータのような大きな声を張り上げて、あたりかまわぬ高言を吐いた。
「おれだっておあつらいむきの立派な話を知ってるよ。それではひとつ、このお侍の話に張り合ってあげやしょう」
亭主は、相手が酔っぱらっているのを見て、
「まちなよ、ロビンどん。誰かもっといい人に先をやってもらおう。まちなってことよ。見っともないわな」と言った。
「なんだと! そいつあいやだよ。おらあここでやりたいんだ。でなきゃ、さっさと行ってしまうよ」
「よくもいいやがったな、畜生。馬鹿だなあ、きさまは酔っぱらってるんだよ」
だが粉屋はつづけて言った。
「さあ、皆の衆、お聴きなせえ。だが、ここでまずおことわりをしておきますがね、わしは酔っていますさ。そりゃちゃんと声の調子でもわかりますわい。だから間違ったことを言うかもしれねえさ。だが、そいつあ、スースウェルクの酒のせいだから勘弁しておくんなさいよ。
ある一人の大工と、その女房との伝記を語りやしょう。その職人が下宿の学生にちょろまかされたいきさつだがね」
その時、大工をしていた荘園の親分がわきから口を入れた。
「だまれ。きさまのような、酔っぱらいの助兵衛話はよしてもらいてえ。
人のこまることや、顔をつぶすことを持ち出して、おまけに女の迷惑になるような噂を立てるなんざ、罪でもあるし、だいたい馬鹿げたことだ。そんな話をしなくたって、ほかにもあるだろう」
酔いどれの粉屋は、すぐそれに返答した。
「オーズウルドどん。女房のない男は間男されることもないはずだ。そうかといって、おまえがそうだというわけじゃねえ。また良い女房もたくさんいるし、悪い女は千人に一人くらいのものだ。こりゃあ、おまえも正気ならよく知ってるだろう。
だのに、今、おまえはおれの話をきいて、なぜおこった? おれだって、おまえと同じように女房もあらあな。だがおれはな、どうかすると間男されていやしねえかと、自分で考え込むような、そんな取越し苦労はこんりんざいしたかねえ。おりゃあ、間男なんざされていねえと、そう思っていたいんだよ。
また亭主というものはだね、女房のことは、神様のなされる奇蹟とおなじように、あまり探ってみねえことさ。女房から神様のお授けものをありあまるほどちょうだいしてりゃ、べつにその残りものなどけちけちするにはあたらねえものよ」
あきれたやつだが、この粉屋は、そういうふうにして、どんな人に対してもことばをつつしまず、下司なことを物語った。では、この男が物語った話を、これから私がくり返してお話ししようと思います。
だが、ここで世の紳士淑女にお願いしたいことは、こんな話をするのは、べつに悪気のあるわけではない。ただ、こんな話というものは、それが良い話にせよ悪い話にせよ、そのままもじらないで、くり返して話すのが本当だと思うからですわい。ですから、この粉屋の話がききたくなければ、この章をとばして、他の話を選んでいただきたい。
そうすれば、教養のある、道徳的で神聖な、いろいろの歴史物語がまだたくさんありますから、それをおききになれましょう。
読者が話の選択を誤っても、それは私の責任ではありません。
ご承知のように、この粉屋は下司な男なんです。
またここにいる荘園の親分もそうでしたし、まだこの一行にはそういう人が他にもたくさんいました。粉屋と親分とは二人とも下等な話をやったものです。
読者はこのへんのことをよく考えて、私を責めないでください。冗談を真面目にとられてはたまりません。
粉屋の話
昔、オックスフォルドに、小金を持っている大工職の下司が住んでいた。家に下宿人を置いていたが、ある時、その下宿人に、貧しい一人の大学生がいた。
この男は占星学にひどくこっていた。天文の法則を知っていたので、天文について何か質問をすると、いつが日照りで、いつ雨が降るかを予測したり、その他どんなことでも予言することができた。
この書生の名はニコラスとよばれ、なかなかあかぬけのした洒落者《しやれもの》で、内密の恋の味をたしなんでいた。その一方、ずるいところもあって、非常に用心深く、見たところはあくまで優しく、まるで小娘のようでした。
その下宿屋では、相客もなく、ひとりで一つの部屋を占領していた。香りの高い草本《そうほん》でこぎれいに飾りつけていたが、彼自身も甘草《かんぞう》の根か、かのこそう[#「かのこそう」に傍点]でもあるように、いい香りをさせていた。
彼のベッドの枕元に置いてあった棚には、彼の所有に属するプトレミの『天文学大全』をはじめとして、いろいろな書物や、研究に用いる天文観測儀や、計算器などが、整然とならべて置いてあった。
着物を入れる戸棚には、まっ赤な毛織物のカーテンをかけて、その上に美しい竪琴《たてごと》をのっけておいた。夜になると、その美しいメロディーの響きで部屋じゅうが鳴りわたった。
彼はいつも、初めに聖母讃歌をうたい、その後で「王の歌」というものをうたった。その声はときどき霊感を得たように恍惚とした。だが、彼はこうして愉快に暮らせたのも、彼の収入と友人からの借金のおかげであった。
さて、宿の亭主の大工には、結婚したばかりの女房があって、その女房を命よりも大切にしていた。女の年は十八であった。
この男は悋気《りんき》深く、女房を家の外へは一歩も出さぬようにしていた。というのも、この女は若い上におてんばで、自分は年をとっていたから、どうも男ができそうで心配だからであった。
彼は知識がなかったので、カトーの格言に、「男は自分と似かよった女をめとるべきだ」とあるのを知らなかった。
人は分相応の相手と結婚すべきものだ。若い者と年寄では、争いは起こりがちだからである。
だが、そうしたわなにかかった以上、この男も、世間の例にもれず、どこまでもその苦しみを受けるほかはない。
若い女房は美人で、体はいたちのようにほっそりして小さかった。
この女は縞目《しまめ》のついた絹の帯をしめ、腰にはまた、三角の縁飾りのついたエプロンをしめていた。それは朝のしぼりたての牛乳のようにまっ白であった。
また、まっ白な上着をきていた。その襟は裏も表もまっ黒な絹で、前も後も縫い取りが施してあった。
そのまっ白な頭巾の紐も襟と同じ色の黒であった。頭の上には、幅の広い絹の髪掛けをつけていた。
確かに淫奔らしい眼つきであった。眉毛は細く抜いてあった。三日月形で、りんぼく[#「りんぼく」に傍点]の実のようにまっ黒であった。いったいに梨の若木よりもみずみずしく、仔羊の毛よりも柔かにみえた。
帯には絹の総《ふさ》と真鍮の玉で飾った革の巾着をさげていた。
こんな可愛い人形のような女を想像することのできるような、賢い人は世界じゅうを探してもいないだろう。その色艶の輝かしさは、ロンドン塔の造幣局で造ったばかりの、ほやほやの金貨でも及ばなかろう。
またその歌ときては、納屋《なや》の上にとまって鳴くつばめのようにかん高く朗かであった。また仔山羊や仔牛が親のあとを追う時のように、ふざけて飛びまわりたくなるほど、快活であった。
彼女の口は蜜のように、蜜酒のように甘く、あるいは枯草やくさむらに貯蔵したりんごのように甘味があった。また元気のよい仔馬のように、はねかえるし、帆柱のように高く、棒のようにまっすぐでもあった。
低い襟の上に、円盾《まるだて》のほし[#「ほし」に傍点]のように幅広い襟留めをつけていた。靴は脛《すね》の上に高く紐で結んであった。
実は、この女は桜草か、豚の眼のように可愛いものであったから、どんな殿様の情婦にも、またどんな郷士の息子の女房にもなれる身であった。
さて、読者諸君、ある日のこと、この女の亭主がオックスフォルド近くのオーズネイというところへ仕事に出かけて家をあけた。この機会に伊達男《だておとこ》のニコラスは、とうとうこの若妻とふざけるようになった。だいたい、書生というものは、隅におけない、ずるいものではあるが、ニコラスもそうであった。
隙をうかがって、こっそり女のかくしどころをおさえながら、彼が言うには、
「ほんとに、この願いがかなわなければ、ぼくは死んでしまいますよ」と。
またそのお尻をしっかりだきしめながら、
「この場で、ぼくのいうことを聞いてくださいよ。そうでないと、ぼくは死にます、ああ、ああ」と。
すると、女は、足をしばられた仔馬がそりかえるように、そりかえりながら、顔をそむけて、
「いやです、いやです、接吻なぞしちゃあ。はなしてちょうだい。はなしてよ、ニコラス。声を出してさわぎますよ。お行儀よくして手をはなしなさいよ」
ニコラスはしきりに女の憐れみを乞うた。もっともらしくものを言い、女の心をひきそうないろいろのことを言ったので、とうとう女もその愛を許して、機会があり次第、自由になって、相手の望みをかなえてやろうと約束した。
「でもねえ、わたしの夫はとても焼餅やきだから、あなたがどこまでも用心して、こっそりやってくれないと、わたしはきっと殺されてしまいますよ。だって、こんなことはことごく内緒にやるもんだわ」
ニコラスもさるもの、
「大丈夫ですよ。学者のくせに、大工ぐらいごまかせないとあっては、勉強した甲斐がありませんからね」と答えた。
そんなふうに、二人の意見が一致して、機会を待つことにした。
ニコラスは万事よろしくやって、女のお尻を撫でた。それから優しく女に接吻した上、竪琴を取って、熱情をこめて弾き出した。
ところでまた、こんなことがあった。このおかみさん、ある祭日に教区の教会へ行って福音事業のお手伝いをした。そして、仕事がすんでから、よく顔を洗って、日光のように額を輝かせながら出てきた。
さて、この教会の役員にアブソロンという男がいた。頭髪はよくちぢれ、黄金色に光っていた。ふっくらと、おかっぱにくしけずられて、ちょうど大きな扇のように見えた。またその頭髪は、まんなかからまっすぐに分けていた。顔色は赤味を帯び、眼は鵞鳥《がちよう》のように灰色であった。当時流行の靴の飾り穴は、聖ポール寺の大窓の形にあけられていた。真紅のズボンをはいて、いつも気取って歩いていた。また体にきちんと合わせてつくらせた、薄青色の上着をきていた。その縫い込みのレースも上等な厚みのあるものであった。そして、上着の上から、まっ白な法衣をかけていたが、それはまっ白な花咲く枝のように派手なものであった。
一見可愛らしい子供のようではあったが、その一方では放血することや、髪を刈り込んだり、顔を剃ることが上手であった。また地所の売買貸借にも精通していた。
オックスフォルド式ではあるが、いろいろのダンスのステップができた。足をあちこちして跳躍することもできれば、小形のヴァイオリンで流行歌をひくこともうまかった。また時には、かん高い調子でうたいもするし、ギターもちょっと弾けた。
朗かな女給のいるところなら、町じゅうのどんな酒場へでもホテルへでも遊びに行ってみるのが彼の道楽であった。だが、どちらかといえば、屁もひらず、言葉もつつしむというおとなしいたちの男ではあった。
陽気な、洒落者のアブソロンは、この祭の日には香炉をふる役を勤めて、教区の女房たちに香を焚きこめてやった。そして、ひとりびとりに色目をつかっていたが、とくに大工の女房には大変であった。この女を眺めているのは人生の楽しみとさえ彼には思われたらしい。それほど、この女は姿がよく、愛らしく、またなまめかしくもあった。この女が鼠で、この男が猫だったら、彼はすぐにこの女をつかまえたに違いない。
この教区書記のアブソロンはこうした下心に燃えていたので、女房たちが持ってくる奉納品は一つも取らなかった。そして、彼自身は、女の好意なぞ受けたくないと言っていた。
月の清らかな晩になると、アブソロンは情人を誘い出そうとして、ギターをもって流しに出かけた。恋しさに、とうとう大工の家までやって来たのは、もう一番鶏が鳴いてからであった。大工の家の壁の上に見える開き窓の下に身をよせながら、ギターに合わせて、優しい可憐な声でうたい出した。
ああ、なつかしき君よ、心あらば、
わが上に憐れみをたれ給え。
その時、大工は眼をさまして、その歌声をきいて、女房に話しかけた。
「おい、アリスーンや。アブソロンがこの部屋の下で歌をうたっているが、きこえないか」
「ほんとにさ、よくきこえるよ」と女房はすぐに答えた。
まあ、こういった次第だ。もうちっと話しましょうかな。アブソロンは毎日毎日、折さえあればこの女をくどいたが、それは彼にも悩ましいことであった。日がな一日思いつめ、夜もおちおち眠らなかった。
頭髪をふっくりととかして、粋に見せかけた。間に人をいれて、この女をくどこうともした。女の小姓になってもよいとさえ言った。
ナイチンゲールという夜啼き鳥のように声をふるわせて彼はうたった。また蜜酒や、香料を入れて甘くしたぶどう酒や、焼きたてのほやほやの餅菓子を女にとどけたり、また相手は現金な町娘であったので金もやった。
女を手にいれるにもいろいろな手がある。ある女は金目の贈り物で、いうことをきかせられるし、またある女は男になぐられて、またある女は男の親切にほだされて、自由になる。
時にはまた、身ごなしと芸の巧みなことを見せようとして、彼は高い舞台の上で宗教劇のヘロッドの役を勤めてみせた。だが、こんなことは、なんにも効果がなかった。
この女はやさしいニコラスを愛していたので、アブソロンなぞ鹿の角でも吹いて(無駄な骨折りをする意)いればよいと、きわめて冷淡にあしらった。相手の労苦にむくいるに、あざけりをもってしたというものだ。
そんなふうに、女はアブソロンをいい加減にからかって、男の切ない思いを笑い草にしてしまった。よくことわざにもいわれることだが、「近くにいるずるい男は遠くにいる愛人を嫌わせる」というのは本当だね。
たとえ、アブソロンが夢中になって、いらいらしても、女の眼から遠くはなれているからには、近くにいるニコラスの蔭になってその光をさえぎられるのだから、どうも仕方がない。
さあ、ニコラス君、しっかり。アブソロンは泣きごとをうたって、泣き落すだろうから。
ある土曜日のこと、大工がオーズネイに出かけて留守にすると、ニコラス君と大工の妻のアリスーンとは、何か計画を立てて、焼餅やきの亭主をだまくらかしてやろうと話し合った。もしこの計画がうまくいったら、夜っぴて女は男にだかれて寝ることになる。これは男の希望でもあり、女の希望でもあった。
ニコラスはもうぐずぐずしてなぞいない、早速一日か二日分の食糧と飲料を、こっそり自分の部屋に持ちこんだ。それで、もし夫が帰って来て、妻にニコラスのことを聞いたら、
「ニコラスはどこにいるのか知らない。今日は一日見なかったから、どこか病気かもしれませんよ。女中が大声に呼んでも返事がなかった」と言わせることにして、自分はどんなことがあっても返事をしないことにしておいた。
その土曜日は、そんなふうで、ニコラスは自分の部屋に、静かに横になったまま勝手に食べたり、睡ったりして、その翌日の日曜日もまた日が暮れるまで、部屋にひきこもっていた。
正直な大工は、ニコラスはどうしたのかと心配して言った。
「なにかニコラスに悪いことが起こったに違いねえ。どうも心配だな。ひょっとすると、ぽっくり死んでいやしないかな。人間てえやつは、明日の命もわからねえものだからなあ。今日も、お寺へ死骸が行ったが、これもつい月曜日まで働いていたやつだよ。
おい、小僧、ちょっくら二階へ行って、ニコラスさんの部屋の入口で、もういっぺん呼んでごらん。石かなにかで戸をたたいてみな。どんなようすか、よく見てくるんだぞ」
小僧は二階へかけあがって、入口のところに立って、大声を出して呼んだり、気違いのように戸をたたいてみた。
「おうい、おうい。ニコラスさん、どうかしたんですか。一日ぶっつづけに、よく寝られたもんだな。いったいどうしたんですか」
でも、一言の答えもなかった。
小僧は壁板の下のほうに、猫がいつももぐり込む穴を一つ発見した。そこで、その穴から中のほうを覗いてみると、やっとニコラスの姿が見えた。ニコラスはまるで新月の観察でもしているように、まっすぐ上のほうを見上げながら、じっと坐っていた。
小僧はいそいで降りて来て、親方にそのようすを報告した。
大工は十字をきって、こう言った。
「聖フリデスウィドよ、お助けください。人間は一寸さきは闇だ。先生、天文学なぞやったもんだから、どうやらその罰があたって、気がふれたのかもしれねえぞ。こんなことになりゃしないかと、まえから心配していたんだ。だいたい天文学者のように、神の神秘なぞさぐるもんじゃねえ。してみると、学問のないやつのほうが仕合せというもんだ。信じるもののほかにゃ、なんにも知らねえからな。
これも、ある天文学者の話だが、星を見ながら野原を歩いていると、大変なことが起きた、肥料《こやし》溜めへおっこったてえのだ。だが、ニコラスさんも気の毒だな。なんとかして、あんな研究はやめさせてやりてえものだ。ロビン、棒を一本もってこい。おれが戸の下へそいつを押し込むから、おまえは戸を持ち上げろ。あんな研究なんか、やめさせてやろうよ」
大工はその部屋のところへ行った。小僧は大の力持ちであった。すぐ戸をもち上げて掛け金をはずした。戸は内側の床の上にたおれた。
ニコラスはまるで石のようにじっと坐って、相変らず空を見上げていた。
大工はいよいよ相手は気が狂ったと思いこんで、しっかりその肩をつかんで、強くゆすぶりながら、やけにどなった。
「おうい、ニコルさんやあい。どうしたんだ、おうい。まあ下をお向きな、眼をさましなさい、キリストのことを考えな、おれが悪魔を追っ払ってくれるわ」
そういって、大工は家の四方に向かって、また戸口から外を向いて、「夜の呪文」を唱えた。
イエス・キリスト様、聖ベネディクト様、
この家から悪魔を払いたまえ。
夜叉《やしや》には、白い「われらが父」よ。
聖ペテロの妹よ、あなたはどこへ行かれた。
やがてのことに、ニコラスは大きく溜息をついて、
「ああ、まもなくこの世の終りが来るのだ」と言った。
大工はいよいよ驚いて、
「なんだって? まあ何を言ってるんだ? それよりか、手足を使って働くおいらのように、神様のことをお考えな」
ニコラスは言った。
「なんでもいいから飲むものを持ってきてくんないか。そのあとで、わしにもおまえさんにも関係のある大切なことを、内緒で聞かせてあげるからね。ほかの人には誰にもいえないことなんだ」
大工はさっそく下へ行って、強いビールを多量にもってふたたび上がってきた。二人がこのビールをよほど飲んでから、ニコラスは戸をぴっしゃりと締めて、自分のそばに大工を坐らせた。
「ご亭主、まず、おまえさんの信義にかけて誓ってもらいたいが、この話は誰にもいっちゃいけないよ。キリスト様のお告げなんだからな。もし他言したら、おまえさんは地獄におちるよ。万一、おまえさんがわしを裏切るようなことがあれば、その罰としておまえさんは狂人になるんだ」
正直者はそれをきいて、こう答えた。
「キリスト様に誓って、おれは、そんなおしゃべりでねえ。自分でいうのもおかしいが、おれは昔からむだ口はつかねえほうだ。おまえさんが、どんなことをいおうと、おりゃあ、キリスト様に誓って、女房にも子供にもいうこっちゃねえ」
「そんなら、ジョン、本当のことをいってあげるがね。わしの占星学からいうのだが、月の夜に月を観察してみると、次の月曜日の午後九時には、恐ろしい豪雨がやって来る。それはノアの洪水よりもはるかに大きいもので、一時間もたたないうちに、この世が全部水の上になるほど、どえらい雨降りだ。人類はみんな溺れて死んでしまうだろうよ」
大工はすっかり驚いてしまった。
「ああ、おれのかかあ! あれも溺れて死ぬのかな。まったく大変なことになったもんだ!」
彼は悲しみのあまり、すぐにも倒れそうになった。
「ねえ、なんとかそこに助かる工夫はねえかね。ほんとにニコラスさん、なんとかしてくれよ、後生だから考えておくんな」と大工は哀願した。
「そりゃないわけでもないが、ただぼくの言うとおりにしてくれないとだめだよ。自分勝手にやったんじゃだめだよ。ソロモンもいわれたように、『教えに従ってなせ、さらば、汝は悔ゆることなからん』だ。おまえさんもぼくの忠告どおりにしてくれさえすれば、マストも帆もなしで、おまえさんの細君も、おまえさんも、ぼく自身も助かるようにするよ。おまえさんはノアがどういうふうにして助かったかということ聞いているだろう。神様がまえもって彼にこの世は水に流されると警告された時、ノアはどうしたかね?」
「ずっと昔に聞いたようだな」
「ノアがその女房を船につれて行くまでというもの、ノアとその一族は大変な悲しみだったが、その話を聞いていないかね。ノアは自分のもっている牡羊を一匹残らずペストで死なせてもいいから、妻のために一艘専用の船を作ってやりたいと言ったそうだよ。
これだけ聞けば、この際どうすればよいか、おまえさんにも大概わかっただろうよ。この事件は急を要するんだよ。急ぎの場合には、ぐずぐず説教なんかしちゃいられない。
さあさあ、すぐにパン粉の捏《こ》ね鉢か酒桶を家の中に持ち込むんだ。なるべく大きなやつがいいね。舟のように、みんながそれに乗って漕げるくらいのさ。それから、その中に一日分の食糧だけでも持ち込んでおくがよい。なに、他の物はどうでもいいさ。水はだんだん減って、あくる朝の九時頃には、ひくに違いないからよ。だが、気の毒でも小僧のロビンには、このことはだまっていてもらいたいもんだね。女中のゲルも助けられない。だが、まあ、そのわけは聞かないことさ。たとえ、聞かれても、そりゃ神の秘密なんだから、ちょっといえないのよ。ノアのように、えらいお恵みをうけて助かることができさえすりゃ、おまえさんだって、それで満足だろう。これがわからないようじゃ、よっぽど間抜けだぜ。
おかみさんは、きっとぼくが助けてあげるよ。さあ、これからいそいで用意だ、用意だ。おかみさんと、それからおまえさんとぼくとに一つあて、みんなで三個の捏ね鉢が手にはいったら、それを屋根裏に高く吊り上げるんだね。そうしておけば、われわれの準備は誰にも見つからないですむ。ぼくの言ったとおりに、その中に食糧も十分入れて置いて、また水がやってきたら縄を切って出て行かれるように、まず斧も中に入れておくことだ。それから屋根に、庭のほうへ向けて、ちょうど厩の上にあたるあたりに穴を一つ開けておくことだ。大雨が去ったら、そこからすぐに外へ自由に出られるようにしておくんだね。そうなれば、白い雌鴨が雄鴨の後を追うように、愉快に漕いでまわられると思うが、どうだね。その時ぼくは『どうだいアリスーン、どうだいジョン。安心しな、水はすぐにひくよ』というだろう。おまえさんはまた『ニコル先生、万歳。お早う、おまえさんがよく見えるよ、夜があけたからね』と、こういうだろうよ。そうなると、ノア夫婦のように、われわれは一生、この世の王様になるのだ。
だが、一つ注意しておくがね。ほかでもないが、その晩、われわれが舟にはいってるあいだは、たがいにひとことも話をしてはいけない。また呼んだり、わめいたりしてもいけないよ。じっとがまんして、おたがいに黙祷していることだ。これはとくに神様ご自身のご命令なんだからね。
おかみさんの桶とおまえさんの桶とは、なるべく遠く離して吊るす必要があるね。というのは、単におこなうことが罪になるばかりでなく、たがいに見あってもそれは罪になるからね。
お告げの話はこれですんだから、さっそく支度にかかりなさい。明日の晩、人が寝しずまったら、捏ね鉢の中へもぐりこんで、そこでじっと神様のお恵みを待つことにしよう。さあ、いそいだ、ぼくはもう、これ以上説教するひまはない。『賢い人におこなってもらえば、何も言うには及ばない』というがね。おまえさんは賢いんだから、この上教えることは無用だ。さあ、ぼくたちの命を救ってください、ほんとにお願いだよ」
正直な大工は、すぐさま用意にとりかかった。何度も「ああ、情けねえことだ」といっていたが、とうとう女房にこの秘密をうちあけてしまった。
女房はすぐにそれと気づいた。このへんな話のうらに、何事が計画されているかは、夫よりもよく知っていた。でも、本当に死にはしないかと心配そうにして言った。
「まあ大変だ、すぐに用意をしてくださいよ。なんとかして救われないと、死んでしまいますからね。あたしはおまえさんのれっきとした女房だよ。さあ、あなた、あたしたちの命を助けてください」
見よ、愛情のいかに偉大なるものかを! 人間は想像しただけでも死ぬことがある。それほど印象というものは、深くきざまれるものである。正直な大工は、ぶるぶる震えはじめた。ノアの洪水は海流のようにうねりながらやって来て、蜜のように可愛い妻のアリスーンが溺れるのを、眼のあたり見ているように想像するのであった。彼は泣きわめいた、悲愴な顔つきをした。悲しそうな声を出して、溜息をついた。彼は捏ね鉢とそれからたらいと酒桶をみつけて、それをこっそりと家の中に運んで来た。それをわからないように屋根の下に吊りさげた。自分の手で三本の梯子を作って、それをつたわって、梁《はり》につり下げた桶の中へはいりこまれるようにした。また一日分の食糧も十分に用意して、めいめいの桶の中へパンとチーズと、上等のビールをつめた数本の瓶とを備えた。なお、彼はこの準備をする前に、小僧と女中とは、それぞれ用事にかこつけてロンドンへやっておいた。
月曜日の晩も近づいた。大工はろうそくもつけず戸を閉めて、何事も言われたとおりにやってのけた。すぐさま三人はそこへよじのぼった。そしてしばらくのあいだはだまって坐っていた。
「だまっているんだぞ、呪文を唱えるのだ」とニコルがいった。
「しいっ!」とジョンがいった。
「しいっ!」とアリスーンもいった。
大工は静かに坐って、つつましく、今か今かと雨の降り出すのに耳を澄ましながら、祈祷をしていた。
入相《いりあい》の鐘も鳴って少し過ぎたと思われる頃になると、昼間の疲れが出たとみえ、大工は深い睡りに落ちこんだ。精神の疲労のために、苦しそうにうなったり、頭の置きどころが悪かったと見えて、時にはひどくいびきをかいたりした。
ニコルがこっそり梯子を降りると、アリスーンもひそかにいそいで降りて来た。一語もものをいわずに、大工のいつもねるベッドの中に二人ともはいった。そこには歓楽とメロディーがあった。
午前二時の鐘が鳴って、お寺では坊さんがお経を読み出す頃まで、ニコラスとアリスーンとは、こうしてよろこびと楽しみの仕事の中に臥していた。
教会役員の多情なアブソロンは、恋のためにはいつも憂き目を見ていた。そこで、月曜日には仲間と一緒にオーズネイへ遊びに出かけて、憂さを晴らそうとしたが、たまたま一人の修道僧をつかまえて、大工のジョンのようすをこっそりきいてみた。すると、その修道僧はお寺の外へ彼をつれ出して、こんなことを知らせてくれた。
「よくは知らないが、あの大工は土曜日からここでは働いていないようだ。あの男はよく院長のいいつけで、材木をとりに出かけて、一日や二日は山荘のほうで泊まってくることがありますよ。さもなければ、きっと家にいるはずだからね。いや、どこにいるか、はっきりとはわしにも言えないのだよ」
アブソロンは、それを聞いて、すっかりうれしくなった。
「今夜こそ、夜どおし起きていてやるぞ。そういえば、朝から家のまわりに姿をみかけなかった。今度はなんとかしたいものだ。あの夫婦の寝屋の壁に低い窓がある。夜明け方に、そこを叩いてみてやろう。そうして、アリスーンにわしの心のたけをくどいてやるんだ。少なくとも接吻ぐらいは、間違いなくさせてくれるだろうからな。それでも、いくらかの念晴らしにはなるさ。わしの口は一日じゅうむずむずしていた。それは少なくとも接吻ぐらいはできるという前兆だよ。それにわしは夜っぴてご馳走になっている夢をみたものだ。
ではこれから、一、二時間ばかり寝て起きることにしよう。徹夜でひとつうたいまくってくれるぞ」
一番鶏が鳴くとすぐに、情人アブソロンははね起きた。そして、いちばんきれいな着物を出して、入念に着飾った。まず髪をとかす前に、口の香りをよくするため、小荳蒄《しようずく》と甘草《かんぞう》をしゃぶった。また、恋の妙薬とかいわれる草の葉を、まじないとして舌の根もとにはさんだ。こうして彼は大工の家にぶらぶらと出かけた。そして、開き窓の下に立ちどまった。窓が低いので、胸のところまでとどいた。彼は声を殺して、軽く咳ばらいをしてからうたった。
「ご機嫌ちゃん、アリスーンさんや。あたしの可愛い小鳥ちゃん、あたしのかおる肉桂よ。お起き、あたしの恋人よ、なにかひとこといってちょうだい。どこへ行こうがあなたのために、悩んでばかりいるあたしでないか。あまり察しがなさすぎる。あたしがこんなに苦しみもがくも無理はない。仔羊が乳房を恋しがるように、泣いてばっかりいるわいな。あたしはあなたが恋しいのだから、山鳩のように、毎日、淋しく泣いている。あたしはまた小娘のように、ものも食べられないように、なったのよ」
すると女は言った。
「うるさいねえ、お馬鹿ちゃん、行っておしまい。歌なんかたくさんだよ。あたしにゃほかにいい人があるんだよ。なけりゃ、どうかしてるんだ。おまえさんなんかよりゃ、ぐっといいのさ、ねえ、アブソロンさん! さあ、あっちへ行っておしまい、行かないと石をぶっつけるよ。いまいましいったら、ちっとも寝られやしない」
アブソロンは言った。
「ああ、情けないことだ。昔からまことの恋がいつもひどい目にあうとは! では、せめて接吻でもしておくれな、それ以上のことが許されなけりゃ――キリストの愛のために、またわしの愛のために」
「それだけで、おまえさんはもう帰るんだよ」と女は言った。
「結構、それだけでありがたいよ」とアブソロンは言った。
「では、待ってらっしゃい。すぐ行くからね」と女は言った。
女は、しかし、ニコラスに、声をひそめてこう言った。
「ね、だまって、きいててごらん。思う存分笑わせてあげるから」
アブソロンはひざまずいてこう言った。
「わしは殿様になったよ、えらい殿様にさ。これじゃ、あとからまだいいことがあるだろうよ。恋人よ、あなたのお恵みを、美しい小鳥よ、あなたのお情けを」
女は窓を開けると、いそいで言った。
「早くやって、早く、早くさ。近所の人たちに見られると困るからよ」
アブソロンはよく口をぬぐって待った。夜はまだまっ暗だ、石炭かコールタールのように。
女は窓からお尻の穴をつきだした。
アブソロンは、いいも悪いもない、あっという間に、裸のお尻をしたたか接吻してしまった。彼はびっくりして飛びのきながら、ああ、しまったと思った。女にひげはない。それは彼もよく知っていた。ざらざらした、何だか長い毛の生えたものが口にさわったので、思わず叫んだ。
「畜生、とんでもないことをしてしまったわい!」
「ぷっ!」と女はふき出して、窓をぴっしゃりと閉めてしまった。
アブソロンは愁傷としてその場を立ち去ろうとした。
「ひげだ、ひげだ!」とニコラスは言った。「実際、こいつはうまくやったね」
正直なアブソロンも、この言葉を耳にすると、憤怒のあまり唇を噛んで、くやしがった。
「覚えていろ」と彼は一人で言った。「きっと仇は打ってやるから」
さあ、それからが大変だ。唇をこするやら、泥や砂やわらや布《きれ》や削り屑などで磨くやらして、「ひどいことをしやがる!」を連発しながら、「このうらみをはらさないうちは、この町を全部貰っても承知しないぞ。ああ、きっとはらしてやるとも!
ああ、ほんとうによせばよかった!」
彼の熱烈な恋も一朝にしてさめてしまった。お尻をなめさせられたその瞬間からして、彼はもう恋なぞ屁とも思わなくなった。さすがに彼の病気も直ったのだ。そこで、何度もくり返して恋をののしりながら、なぐられた子供のようにおいおい泣いた。
こっそりと町じゅうを歩きまわって、ようやくジェルヴェイスどんという、農具鍛冶屋までやって来た。この男ははさみや鋤《すき》の先を造って繁昌していた。
アブソロンはそっとその家の戸をたたいた。
「ジェルヴェイスさん、あけておくれ、早くさ」
「え、おまえさんは誰だい?」
「わしだ、アブソロンだ」
「なに、アブソロンだって? どうしてまた、こんなに朝っぱら早くからやって来たんだね? こいつあ驚いた。どうかしたのけえ。なんだ、きっとまたどっかのきれいな女の子にでも夢中になって、ほっつき歩いてたんだろうねえ? こいつあお手の筋というところでがしょうな」
アブソロンはジェルヴェイスの冗談には耳もかさず、返答もしなかった。それどころか、もうむしゃくしゃして、頭がいっぱいであった。
「おい、すまないが、この炉の中に赤くなっている鋤の先をわしに貸してくれないか。ちょっと用があるんだ。じきに返すからね」
ジェルヴェイスは快く承知した。
「いいとも、黄金であろうが、財布の中の金貨であろうが、なんでもいいからどしどし持ってゆきな。おれは正直な鍛冶屋だからね。だがいったい、それでどうしようというんだね?」
「それにはわけがあるんだ。朝になったら話すよ」と、アブソロンは鉄の火箸でその鋤の先を取り上げて、こっそり戸口から出て行った。そして、また大工の家の壁のところにやって来た。
彼はまず咳払いをして、すぐにさっきと同じように窓をたたいた。
アリスーンは言った。
「誰だえ、たたくのは? 泥棒だね」
「ああ、わしだ、おまえのアブソロンだよ。今度は金の指環をもってきたんだ。おふくろがわしにくれたもんだよ。実に立派なもので、いい彫りがしてあるよ。接吻してくれるなら、これをおまえに上げるがね」
この時、ニコラスは小便に起きたが、うんとからかってやるつもりで、またお尻をなめさせて、おどかしてやろうと思った。そこで、すぐに窓を開けて、お尻をそっと突き出しながら、腰の骨のへんまで乗りだした。
アブソロンはそれを女だと思ってこういった。
「美しい小鳥よ、ものを言っておくれな。どこにいるのか、さっぱりわからないよ」
この時ニコラスは、返事のかわりに、おならを一発はなした。いかずちのように、それは偉大な音であった。これにはアブソロンも驚いてややひるんだ。だが、用意してきたまっ赤な焼き鉄《がね》を、ニコラスのお尻のまんなかへ力いっぱい打ち込んだ。お尻はやけどをして、てのひらほどの皮がぺろりとむけた。
その痛さに、ニコラスはもう死物狂いだ。
「助けて、水、水だ! 後生だ、助けてくれっ!」と、気も狂わんばかりにわめき立てた。
その物音に、大工はびっくりして眼をさました。そして、誰かが狂人のように、「水、水!」と叫んでいるのを聞くと、「ああ、ノアの洪水だな」と思った。
そして黙々と起きあがって、すぐに斧で桶を吊ってあった綱をまっ二つに切って落した。それとともに、彼の体も桶ごといやおうなしに、どしんと床の上に落ちた。そこで気絶して倒れてしまった。
アリスーンもニコラスも飛び起きた。そして、町のまんなかへ飛び出しながら、「助けて、大変だ!」と叫んだ。
近所の人たちは、誰も彼も、一緒くたになって、家の中に飛びこんで来た。見ると、大工は血の気を失って、そこに気絶していた、落ちた時、腕を一本折ったが、これも怪我の仕損であった。それというのも、彼が何か言おうとすると、すぐにアリスーンとニコラスの両人に言いまくられてしまったからだ。彼らは誰に向かっても、「大工は少し気がへんになっていた。ノアの洪水なぞを空想して、ひどくこわがっていた。そして、あきれたことには、桶を三つも買ってきて、屋根の下にそれを吊り上げ、女房やニコラスにも、一緒にその中に坐っていてくれと頼んだ」と、そう説明したのである。
人々は屋根のほうを見上げながら、大工の妄想を笑った。大工の怪我も一笑に付せられた。
大工がどんなに弁解しても、まったく無駄であった。町じゅうの人たちは、みんな大工を狂人あつかいにして、誰も彼の言うことには取りあわなかった。学生たちはまたぐるになって、おたがいの味方をしながら、「なに、あの男は狂人なんだよ」といった。そして、この争いは町の笑い話になった。
こんなふうにして、大工はあれほど焼餅もやき、用心もしていながら、とうとうその女房を寝取られてしまった。アブソロンは女の尻めど[#「めど」に傍点]を接吻するし、ニコラスはお尻にやけどをした。
話はざっとこんな工合だ。道づれのみなさん、どうもありがとう存じました。
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親分の話
親分の話 前口上
このアブソロンとニコラスの面白い話をきいて、みんな大笑いに笑った。
この一行の人たちの大部分は面白がって笑っていたが、ただ一人だけ真面目な顔をして、怒っていた者があった。それは荘園の労働者の親分をしていたオズワルドであった。親分はもともと大工職であったので、心の中では少し面白くなく思っていた。で、この話に対して非難の色をみせた。
この親分の言い分はこうであった。
「下司《げす》なことをしゃべってよけりゃ、粉屋の鼻をへし折って、一つ仕返しをしてやりたいところだがね、しかし、おいらもいい年をして、冗談をいうのは気がすすまねえんだ。
おいらとしちゃ、もう草刈りの時期もすぎたんだ。おれの飼葉(生の青草)も今じゃまぐさ(乾した枯草)になってしまった。この白髪の頭におれの年はかいてあるよ。おれの心臓も、髪の毛と同じようにすがれてきた。おれもさんざし[#「さんざし」に傍点]の実のように、時がたてばだんだん悪くなるばかりで、しまいにはわらくずの中で腐ってしまうのよ。年寄もそれと同じことで、腐らずにゃ熟さないものだ。
世間が笛を吹いてくれる間は、こちとらはいつもはね廻っている。ねぎの頭が白いのに、尻尾のほうは青いと同じことで、人間も煩悩《ぼんのう》のなかに釘みたいにささっていて、なかなか足は抜けないものだ。年をとっても馬鹿な真似をしたがるのは、そこなんだよ。手足がいうことをきかなくなると、こんどはそれを話しでもして楽しみたくなる。古い灰の中にまだ残りの火がいけられているんだね。
威張ったり、嘘をついたり、怒ったり、欲張ったりするのは、四つの罪悪で、この四つの火焔ばかりは年をとっても消えないものさ。生まれながらの罪障だで、どうにも手のつけようがないのだ。
おれの命の栓《せん》が抜かれて、命の泉が流れ出してからも、ずいぶん年月はたったが、いまだに『仔馬の歯』は抜けないでいる。生まれるとすぐに、死が生命の樽の栓を抜いて、もうこんなに長いこと流れつづけているが、やがて樽は空っぽになりそうだよ。今じゃわずかに樽のふちから、ポタリポタリたれているのさ。おめでたい舌の先だけは、過ぎ去った不幸を得意でしゃべってはいるが、年寄に残るものといっては、ただ老いぼれのもうろくだけさ」
この説教じみた、親分の言葉を聞いた宿の亭主は、ここで王様のように堂々としゃべり出した。
「いったい、そんな考えがなんの役に立つんだ? おれたちは一日じゅう経文のことばかりいってなきゃならねえのか。親分に説教をさせるとは、こいつあ悪魔の仕業だね。靴屋を医者にしたり、船乗りにするのも同然だよ。
早くおまえさんの話をしたらよい。時間が損だよ。
まだデペフォルドまで来ただけなのに、もう七時半だ。悪いやつがたくさんいるというグレーネウィッチもほど近い。早く話を始めねえと、おそくなるぜ」
そうすると、親分のオズワルドは言った。
「みなさんにお願いだが、あんまり真面目に取られちゃ困りますよ。この男を一つからかって、仇をとってやりてえんでさ。暴力を押しのけるには、暴力を使っても差支えねえはずだからね。
この酔っぱらいの粉屋は、ここにいられるみなさんに、大工の欺された話をしたが、それが偶然にもわっしが馬鹿にされたことになるんだ。わっしは実は大工でさ。
失礼ながら、これから仇をとってやりますぞ。こいつの使ったような下司な言葉を使って話をしますよ。馬から落ちて、首の骨でも折りやがるといい。あいつは、人のあら[#「あら」に傍点]ならわらきれでも見えるが、自分の欠点ときちゃあ、梁《はり》のような木でも見えやしねえ。そういうやつでさ」
親分の話
カンテブリッジの近在のトルムピングトンというところに、小川が一筋流れている。そこに橋がかかっている。その近くの川岸に水車小屋が一軒立っていた。
これは実話だ。
長いあいだ、そこに、粉屋が住んでいた。この男は孔雀のように見栄坊で、愉快に暮らしていた。
彼は笛も吹けるし、釣りの名人でもあって、網の修繕もできるし、木杯を作るくりもの[#「くりもの」に傍点]師の業《わざ》も心得ていた。角力《すもう》もとれるし、猟もうまかった。
腰には長いナイフに鋭い刀をさしていた。袋の中には立派な短刀を入れていた。非常な乱暴者で、誰ひとり彼にさわるものはなかった。彼はいつもズボンの中にシェフィルド製のナイフをひそませていた。
丸顔で、鼻はひくく、くぼんでいた。頭蓋骨は猿のように禿げていた。
町では大変なほら吹きでとおっていた。
よほどの損を覚悟しないと、誰もこいつに手をふれる者はなかった。
実をいうと、こいつは穀物や粉の泥棒をしていた。ずるいやつで、かっぱらいの常習犯であった。
こいつの名は悪党シムキンと呼ばれていた。
女房は貴族の出だなどとぬかしていたが、その女の親父は村の牧師であった。シムキンと縁組みをするというので、嫁入り道具として、真鍮製の小鍋をたくさんよこした。この女は尼寺の学校で教育を受けたものであった。
それというのも、シムキンは自分の自作地をよく管理するために、教養のある貞淑な娘を女房にしたいと、日頃望んでいたからであった。
この女房は虚栄心がつよく、きつつき[#「きつつき」に傍点]のようにおきゃんであった。この夫婦はまったく見物《みもの》であった。お祭の日に、一緒に出かける時などは、男は頭に頭巾を巻きつけて、女房の先に立って歩いていた。女はまっ赤なスカートをはいて、あとからついてゆく。シムキンのズボンも同じくまっ赤な色であった。
誰もこわがって、この女房のことを「奥様」とよんでいた。また誰一人、この夫婦と一緒に歩く勇気のあるものがなかった。うっかりこの女房に冗談をいったり、からかったりしようものなら、あのナイフか短刀でシムキンに突き殺されるだろう。いったい、嫉妬深い男というものは、女房と一緒に出かけている時でも、危険きわまるものだ。
またこの女房は少しよくない噂をたてられていたせいもあって、溝にたまっている水のようにきたならしい感じがした。この女はへんくつで口ぎたなく、不作法でもあった。
この女は、自分は貴族出であるというので、また尼寺学校の教育を受けたというので、貴婦人というものは、あまり馴れ馴れしくするものでないと思っていた。
この夫婦のあいだに二十《はたち》になる娘と、生まれて六カ月になる男の子と、ただ二人の子供があった。男の子は発育のよい赤ん坊で、揺籃にねかされていた。娘は体格のよい、たくましい女で、お尻が大きく、乳房も大きく、鼻は獅子鼻で、その灰色の眼はガラスのように澄んでいた。髪は美しい金髪であった。
村の牧師はその孫娘がきれいだというので、自分の動産と家屋のあとつぎにしようと考えた。そして、この娘の結婚についても、ひどくやかましくいっていた。その目的は、この娘を立派な系図の家に縁づかせようというのであった。彼の考えでは、神聖教会の財産というものは、神聖教会の血統の上に使用さるべきものだ。だから、神聖教会を喰い物にしても、神聖な血統はけがしたくないというのが彼の考えであった。
この粉屋はあたりの全地域から小麦やもやし[#「もやし」に傍点]の碾《ひ》き賃を一手に集めていた。とくにカンテブリッジ大学には、ソレル・ハルという大きな学寮があって、この学寮の小麦や麦芽《ばくが》は、この粉屋が一手に引き受けて碾いていた。
そこで、ある日のこと、その学寮の賄いが病気で休んでいたが、どうかすると、死ぬのではないかと気づかわれた。
この時もこの粉屋は以前の百倍も穀物や碾き割を盗んだ。これまでは、目立たぬほどにちびちび盗んでいたのだが、こんどこそは人目もはばからず大泥棒をやってのけたのだ。
それで学長は怒って大騒ぎをしたものだが、粉屋は平然として、しゃがれ声を張り上げながら、自分のやったことではないと言いぬけた。
その学寮に二人の貧しい若い学生がいた。向う見ずのいたずら者で、単なる面白半分の動機からして、学長に少しの暇をいただきたい、水車小屋へ行って、はたして自分たちの穀物がそこで碾かれているかどうか見とどけて来たいからと、熱心に頼んだ。粉屋が自分たちの穀物を、たとえ一ガロンでもごまかしたり、もしくは強奪したりしてたら、断じて承知しないと意気込んだものだ。結局、しまいには学長も彼らに暇を与えた。
学生の名はジョンとアレンと言った。
この二人の学生は、どこか北方の国のストロゼルというある里の生れであった。
アレンは支度を整え、馬に麦の袋をつけて、腰には刀と円盾をさげながら、ジョンと一緒に出かけた。ジョンが道を知っていたので、案内人の必要はなかった。
やがて、水車小屋のところに袋をおろして、アレンがまず口をきった。
「おうい、シモンドさん。おまえさんの美しい娘さんとおかみさんはご機嫌かね」
シムキンは言った。
「アレンさん、よくおいででした。それからジョンさんも。で、なんのご用でしたかな」
「シモンドさん、実は必要にせまられてやって来たんだ。学生のあいだでよくいうことだが、従僕がなければ、自分が自分に仕える従僕にならなくちゃならないとね。こんな理屈は、よほどの馬鹿でもなけりゃ知ってるだろう。ところで、学校の賄いも、こんどは、あごをがたがた動かしているところを見ると、もう長いことはないようだ。あんなやつは早く死んだらいいのさ。そこで、ぼくがアレンと一緒にやって来たんだがね、麦を碾いてもらって、すぐにもって帰りたいんだ。これからすぐにやってもらいたいもんだね」とジョンは答えて言った。
「それじゃ、いそいでやってあげましょう。だが、その間おまえさんたちは、どうしていらっしゃるつもりかね」
ジョンは答えていった。
「なあに、ぼくは漏斗《じようご》のわきにいて、麦がはいってゆくところを見ていよう。へんな話だが、生まれてからまだ漏斗というやつが、あっちこっち動くところを見たことがないからね」
アレンはこう言った。
「きみがそうするなら、ぼくは下のほうから見ているよ。碾き割が槽《おけ》の中へおっこっていくところを見ているのも面白かろう。そこはぼくもきみと同じことさ。粉屋についちゃあ、ずぶの素人《しろうと》だからね」
粉屋は二人の学生の単純なのに微笑はしたものの、「これは何か悪だくみがあるに違いない」と考えた。
「こいつらはだれも自分をだましうるものはないと思っているらしいが、今にみろ、こいつらがなんぼ知恵とか哲学とかいうものをひけらかしても、おれの悪知恵で、一番こいつらの眼をくらましてやるからな。やつらがずるい手くだを使いやがるなら、こっちもそれに負けねえで、輪をかけて盗んでみせるぞ。粉なぞはもったいねえ、ふすまだけくれてやろうよ。
『一番の大学者が一番の大知恵者とは限らねえ』と、昔話の中で、牝馬が狼にいったとあるが、やつらの学問なんざ屁でもねえのさ」と粉屋は思った。
粉屋は、すきを見て、こっそり入口から外に出た。そしてあたりをきょろきょろ見まわしていたが、すぐに学生の乗ってきた馬が、水車小屋の裏手にある小屋の下につながれているのを発見した。
そっと馬のところへ行って、早速そのくつわ[#「くつわ」に傍点]をはずしてやった。すると馬は手綱を解かれたので、ヒンヒンといななきながら、何をさしおいても野飼いの牝馬のほうへ駆けていった。
粉屋は、なにくわぬ顔をして、ふたたび戻って来て仕事をつづけながら、麦が碾けてしまうまで、学生と冗談口を利いていた。
碾き割を袋に入れて、しばってから、ジョンが外へ出てみると、馬がいないので、
「おうい、大変だ、馬が盗まれた。アレン、早く出てこいよ。学長の馬が盗まれたんだ、大変だあ」とわめき立てた。
それを聞いたアレンは、麦も碾き割も忘れてしまった。彼のいわゆる経済学もへちまもあったものではない。われを忘れてどなった。
「なんだと、どこへ、どっちのほうへ逃げたんだあ?」
すると、女房が家の中に駆け込んできて、こうがなった。
「ああ、あんたがたの馬は、牝馬のいる原っぱのほうへ、とっとと駆けて行きましたよ。つなぎ方が悪かったんだね。もっとよく、しっかりしばりつけておかなきゃいけないんだよ」
ジョンはまた言った。
「アレン、じゃまな刀なんざ捨てておしまい、おれもそうするからな。おれは小鹿のように速いぞ。
逃がしてたまるものか。ああ、アレン、なぜ納屋《なや》の中へでも、しっかりつないでおかなかったんだ。ちぇっ、いまいましいな。ほんとうに馬鹿な野郎だぜ、おまえは!」
正直な学生アレンとジョンは原っぱのほうに駆けていった。
粉屋は二人がいなくなると、彼らの粉を半分くすねて、それでパンをつくるように女房に言いつけた。
彼は言った。
「学生もちったあ怪しむだろうが、なあに、粉屋ともあろうものが、学生の一匹や二匹はちょろまかせなくてどうする! いくら向うに学問があってもさ。あいつらどこへ行きゃあがった? どこへでも失せるがいいさ、どうせ子供の遊びだ。そうたやすくつかめえられるもんじゃねえや」
正直な学生どもは、「ええ、どうどう、うしろに気をつけな。ここだ、ここだ、口笛をふいてみな、おれがここでまもっているからな」などと言いながら、あちこち駆けずりまわった。
だが馬のほうはいち早く逃げまわったので、彼らが懸命の努力にもかかわらず、なかなかそう思うようには捕まらなかった。そして、日も暮れてきた。だが、とうとう溝の中に追い込んで、ようやく捕まえた。
ジョンとアレンとは、雨の中に立っていた動物のように、汗に濡れて、ぐたぐたに疲れて帰って来た。
ジョンは言った。
「ああひどい目にあった。こうなると、おれの生まれた日が呪わしいやい。われわれは屈辱を受けたんだぞ。麦は盗まれるし、みんなには馬鹿だと言われるしさ。学長にも、仲間の者にも、とくに粉屋にゃろくなことは言われないだろう。情けないことだよ!」
そんなふうに、ジョンは馬をひっぱりながら、水車小屋に戻って来る途中、アレンに向かってこぼしたものだ。
早くも夜になっていたので、粉屋はゆっくり炉にあたっていた。二人はどうにもならなくなって、わずかな持ち金を出して、粉屋に一夜の宿を頼んだ。
「少しのものでもあれば、おまえさんたちにひだるい思いはさせませんよ。だが、なにしろ家が狭いのでね。おまえさんたちも学問があるんなら、科学の原則を利用して、二十フィートの場所を二倍にもするこたあ知ってござろう。さあ、この家で足りるかどうか見てごらんな。狭ければ、いつもやるように論説の力でもって広くしなせえ」
こう粉屋は言った。
それをきいてジョンはこう答えた。
「なるほど、シモンド君、おまえさんはいつも面白いことばかり言うが、今のも、うまいもんだ。ものを手に入れるには、あるものを見つけるか、なければ持ってくるかするほかないとは、ぼくらも聞いているがね。とくにお願いだ、ご亭主、喰い物と飲み物を少し買ってきて出してくれないか。代はちゃんと払いますよ。空手じゃ鷹はおびき寄せられないというからな。これはぼくたちの小使銭だが、取っておくんな」
粉屋は娘を町にやって、ビールとパンを買ってこさせた。そして、家ではあひるを一羽、ローストに焼かせてくれた。
馬は逃げないように、しばっておいた。
粉屋は自分の寝室に、学生のためにベッドを一つ入れて、シーツと毛布とを敷いてくれた。それは粉屋のベッドから十一、二フィートしか離れていなかった。
娘のベッドはやはり同じ部屋に並べて置いてあったが、それはひとりで占領していた。そうしたのも、家が狭いのでやむをえないことではあった。
みんな一緒に食事について、楽しく雑談をした。強いビールも存分に飲んだ。そして、夜半近く一同床についた。
粉屋は頭がカンカンしてきた。赤くならずに、まっさおになるほど酔っ払ってしまった。しゃっくりをして、ろれつがまわらない上に、まるで鼻かぜでもひいたように、声がしゃがれてきた。そして、女房と一緒に床にはいった。
女房も相当飲んだから、かけす[#「かけす」に傍点]のようにほがらかになっていた。ベッドの下に揺籃を置いて、それをゆすぶったり、赤ん坊に乳をやったりした。ビール壜がみんな飲みつくされてから、娘もすぐに床にはいった。アレンもジョンも床にはいった。もちろん、ねむり薬は必要ではなかった。
粉屋は十分にビールを飲んで、雷のようないびきをかいていた。彼の尻尾のことは、さすがに今夜はかまわないで、そのままねむってしまった。
女房は強烈な低音の伴奏をしていた。そのいびきは二マイル先までも聞こえたであろう。娘も一緒になっていびきをかいていた。
アレンはこの音を聞いて、ジョンを突っついた。
「ねむったかい。こんな音楽はおまえもはじめて聞いたろう。どうだい、大変な夜の礼拝式をやってやがるな。みんなくたばったらいいんだ。こんないびきって珍しいよ。くそいまいましい。
この夜長に眠られないのはつらいが、まあ、それもかまやしねえ。万事あきらめがかんじんだ。
ジョン、ぼくは、できることなら、あの娘と寝てやりたいんだ。自然の法則はわれわれにある恩恵を与えているぜ。その法則というのはね、人間はある点で苦しめば、他の点で報いられるということだ。つまりだね、麦は確かに盗まれたし、今日はほんとうに運が悪かった。この償いが得られないとすりゃ、どうかしてその仇を討ってやりたいものだ。われわれの受けた損害に対してだよ。どうもそうしてやるほかないね」
ジョンはそれに答えた。
「だがアレン、気をつけろよ。この粉屋は危険な人間だからね。こいつが眼をさましたら、ぼくたち二人はどんな目にあわされるかしれやしないぞ」
「なあに、あんなやつ、屁でもないよ」
アレンはそう言いながら起き上がって、娘の床にはいり込んだ。
娘はあおむけになってよく眠っていた。そこで、見つけられるいとまもなく、近づいてしまったので、娘は声を出す余裕もなかった。つまり両人は意気投合したのだ。
ゆっくり楽しめ、アレンよ。私はこれからジョンのことを話そう。
ジョンはしばらくのあいだしずかに寝ながら、ひそかにわが身の不運を悲しんでいた。
「ああ、これはたちの悪いふざけ方だ。どっちにしても、おれは大馬鹿に違いないよ。アレンはとにかくその損害に対して幾分の償いを得たはずだ。粉屋の娘を抱いているんだからね。あいつは一か八かの危険をおかしてやらかしたが、きっと成功したろうよ。ところが、おれときては、籾殻《もみがら》を入れた袋のように、床の中にころがっているだけじゃないか。
こんなたわけた話が、いつか人に知れたら、おれは大馬鹿で、ふぬけ野郎だと言われるに違いない。どれ、おれもひとつ起き上がって、思い切ってやっつけるかな。『臆病者は運が悪い』とは、世間でもよく言うことだ」
そう言って、ジョンはこっそり起き上がった。それからそっと揺籃のところに行って、それを持ちあげながら、自分のベッドの下まで、それを運んで来た。
その後まもなく、女房はいびきを止めて起き上がった。小用に立ったのだが、すぐにまた帰って来た。揺籃が見つからないので、あちこち手さぐりで捜したが、どうしても見当たらなかった。
「おやおや、もう少しのところで、床を間違えて学生さんのベッドにはいるところだったよ。とんだ大しくじりをするところだったのに、まあよかった」
こういって、女房はようやく揺籃のあるところまで手さぐりでやって来た。手をのばして床のあるところがわかった。なにしろそばに揺籃があるのだから、なんの疑いもなく、それが自分のベッドだと思いこんだのである。
真の闇なので、自分がどこにいるかもわからずに、平気で学生の床にはいり込んだ。そして、静かに横になって、もうひと眠りしようと思った。
ジョンはすぐにはね起きて、この女房の上によじのぼった。女としても、こんな楽しい試合をしたことはまったく久しぶりであった。男はそれこそ強く、深く、気違いのように拍車をかけた。
三番鶏が鳴く頃まで、二人の学生は、ここに楽しい人生を送った。
夜明けには、アレンはすっかり疲れ果てていた。なにしろ夜どおし働いたのだから。
「さようなら、マーリンよ」と彼は言った。「夜が明けた、もうここにはいられない。だが、どこへ行こうと、ぼくはいつまでもおまえの情夫《いろ》だからね。ありがたい、さようなら!」
娘がやさしくささやいた。
「恋人よ、さようなら。でも行くまえに、ひとこと言って教えてあげるわよ。帰りがけに、水車小屋の裏口のところへ行ってごらんなさい。そこにあんたの碾き割麦でこしらえた半ブッシェルのパンがあってよ。それは、あたしがお父さんの手伝いをして、盗んだあんたの麦からつくったものだわ。では、さようなら、気をつけてね」
そういって、娘は泣き出しそうになった。
アレンはそのまま起き上がって、「夜が明けないうちに、ジョンの床にはいろう」と思いながら、行ってみると、揺籃に手がさわった。
「おや、間違ったかな。ゆうべの仕事で、すっかり頭がぼやけたとみえ、こんな間違いをやらかした。揺籃のあるところは、たしか粉屋と女房のベッドだっけ。こいつは大変な間違いだ」
アレンはそう思った。
それから、不幸にして、彼は粉屋の寝ている寝床にやって来た。だが、ジョンの寝床だとばかり思い込んでいたから、すぐに粉屋のそばにはいりこんだ。そして、相手の頸をつかまえて、こっそりささやいた。
「ジョン、おまえは馬鹿だなあ。起きなよ、おれはすばらしいことをやってのけたぞ。この短い一晩のうちに、粉屋の娘をあおむけにして、三度もたぶらかしてやった。だのに、おまえは臆病だからびくびくしてばかりいたんだ」
「こん畜生、やりゃあがったな。この裏切り者の極道書生め、こいつぶち殺してくれるぞ。おれの娘を傷物にするなんて、ふとい野郎だ。家柄の娘だってえことを知らねえのか」と粉屋はたけり立った。そして、アレンののどもとをつかんだ。
すると、アレンのほうでも、それに反撃しながら、粉屋の鼻の頭を拳固でなぐりつけた。たらたらと血が胸の上に流れ落ちた。鼻や口をまっ赤にしながら、二人は床の上をまるで袋に入れられた二匹の豚のようにころげまわった。立ち上がったと思うとまた倒れた。とうとう粉屋は何かにつまずいて、寝ている女房の上にあおむけざまに倒れた。女房は、夜じゅう眠らないでジョンと一緒にねていたが、その時ちょうどちっとの間ぐっすり寝込んだところで、この大変な喧嘩を少しも知らないでいた。ところが、粉屋が倒れてきたので、女房もその夢を破られた。そしてこう叫んだ。
「ブロムホルムの十字架にかけてお助け! 神様よ、お手を差し伸べてお助けください。シモンド起きてよう。悪魔が押しかけてきた。ああ息が切れる、助けてえ、死にそうだ。あたしのお腹の上にも、頭の上にも、誰かが乗ってるよう。シムキン、助けてえ、悪魔書生の喧嘩だよう」
ジョンはできるだけ素早く跳ね起きた。そして、壁をあちらこちら手さぐりしながら、棒か何かを見つけようとした。女房も一緒に跳ね起きたが、家の内部のことはジョンよりもよく知っていたから、すぐに壁の脇にあった棒を見つけた。そして、なにかちらちらする明りを見た。それは月の光が小さな穴からさし込んでいるのであった。その明りで、二人が喧嘩をしているのを見たが、誰が誰だかよくはわからなかった。ただ白いものが見えたので、学生が寝巻の頭巾をかぶっているのだと思った。女房はその棒をもって、こっそり近づいていった。
そして、アレンをしたたかなぐったと思ったが、実は粉屋の禿げ頭をいやというほどぶんなぐったので、粉屋はよろよろとして、
「わあっ、人殺し!」と悲鳴を上げながら倒れた。
二人の学生はしたたかこの男を打ちのめしたうえ、そこに置きざりにして、手早く用意を整え、すぐに馬をつれて来ると、それに碾き割麦を積んで出発した。それから、水車小屋の裏にある半ブッシェルの粉で焼いたパンを持っていってしまった。
こうして高慢な粉屋はめちゃめちゃに打ちのめされ、小麦の碾き賃も損をした。そして、自分を打ちのめしたアレンとジョンの夕食の代まで全部自分で支払った。おまけに女房もしてやられ、娘も台なしにされた。
これは悪い粉屋の運命だ。だから、昔からのことわざにも、
「悪事をおこなう者は幸福を求むべからず、
人を欺く者は欺かる」とあるのだ。
天上におわします神よ、この一行のひとりびとりに祝福を与えたまえ。私はこの話で粉屋の仇をとったのだ。
料理人の話
料理人の話 前口上
その一行の中にいたロンドンの料理人は、親分の話を聞いているうちにすっかり嬉しくなって、相手の背中をたたきながら言った。
「は、は、は、は、粉屋のやつ、人に宿を貸したおかげで、ひどい目にあいましたね。『どんな者でもわが家には入れるものでない』とは、ソロモンもうまく言ったものだ。うっかり他人を泊めるのはあぶないよ。よっぽどよく考えてから内に入れることだね。
わっちあ、ワルのホッジというけちな野郎ですが、これほどうまい仕事をしていた粉屋なんて、今まで聞いたことがありませんね。かげじゃよっぽど悪いことをしてたに違いねえ。
だが、ここでとどまっているわけにもいかねえから、早速出かけることにしやしょう。で、こんなけちな野郎のする話でもきいてくださるんなら、わっちも精いっぱい、わっちらの都にあった、ふざけた話でもいたしやしょう」
すると、亭主がそれに答えて言った。
「ああいいとも、さあおやりな、ロジェル。いいところを一席。
あんたもだいぶ鹿肉のパイじゃ血を盗んだろうし、ドーヴェル焼きとかいう肉饅頭じゃ、何度も冷やしたり焼きなおしたりして売ったこったろうな。
それどころじゃねえ、あんたの店じゃ蠅をしこたまたからしておいたろうから、こやした鵞鳥につけたパセリを喰わせられたおかげで、ひどい目にあった巡礼者たちの恨みをかったこともたびたびあったろうさ。
ロジェルさん、おまえの顔もあることだ、さあ、ひとつやってくんねえ。だがね、これは冗談だから、おこっちゃいけねえよ。冗談の中で、人は本当のことを言うもんだからね」
ロジェルは言った。
「あんたは本当のことを言っている。だがオランダ人の言うように、本当のことをいう冗談というものは、本当の冗談じゃねえ。だからさ、ヘリ・バイリさん、これから宿屋の亭主の話をするが、これは本当の冗談だから、まだ出かけねえ先から、おこっちゃいけねえよ。だが、この話は、出かけねえうちは、ちょっとやれねえや。あんたはすぐに仕返しとくるに違いねえからね」
そう言って、ロジェルは笑いながら、面白そうに次の話をやり出した。
料理人の話
昔われわれの都《まち》に、一人の丁稚《でつち》小僧がいた。食料品組合に年季奉公をしていたが、このやっこさん、威勢のよいやつで、森のごしきひわ[#「ごしきひわ」に傍点]のようにちょこまかしていた。木の実のようにとび色がかった顔色をした、ずんぐりした男で、黒い髪をきれいにとかしていた。
それにダンスがうまいので、道楽者のペルキンといわれていた。そして、蜂の巣が蜜でいっぱいつまっているように、色事でいっぱいつまっていた。だから、この男に出会った娘は運がよかった。
どんな結婚式にも出かけていって、うたったり、踊ったりした。しじゅう、店にはいないで、居酒屋ばかりに入りびたっていた。チェープあたりに馬上試合の行列でもあろうものなら、いつでも店を飛び出した。そしてそれがすむまで見物して、踊りまわっていて、なかなか帰ろうとしないのだ。それにまた同じような連中がこの男をとりまいていて、踊ったりうたったり、いたるところで底ぬけ騒ぎをした。
こいつらはまたどこかの町でこっそり出会うことに決めておいて、さいころや賭博遊びをした。この道にかけては、ペルキンに及ぶものは町じゅうに一人もいなかった。そして、かくれ遊びの費用も気前よく支払っていた。主人はその帳簿面でそれを発見した。ときどきはその金箱がからっぽになってることもあった。
実際、賭博や、底ぬけ騒ぎや、女遊びをする道楽者の小僧をもつ主人というものは、自分では遊興はしなくとも、その店には迷惑のかかるものだ。もっとも、窃盗と放蕩とは紙一重で、この小僧がどんなにギターやヴァイオリンは上手でも、泥棒であることに間違いはない。また、世間によくあるように、無教育の人たちの間では、遊興と忠実とは両立しないのが普通である。
この道楽者の小僧は、ともかくもう少しで年季があけるまで、主人の家に住みついていた。朝から晩まで小言の言われどおしで、ときにはニューゲートの牢に楽隊づきで引っぱられたこともあったけれども。
主人はある日のこと、小僧の年季契約書を調べている時、「腐ったりんごを他のりんごと一緒に置くと他のりんごまで腐らせるから、早く取りのぞいたほうがよい」ということわざを思い出した。道楽者の小僧もそれと同様だ。そこの小僧をみんな悪くしてしまうよりは、そいつを追い出したほうが無事である。そこで主人は彼に暇をとらせて、勝手にせよと出してやった。こうして道楽者の小僧はお払い箱になった。今こそいつも思う存分夜どおしでも飲みあかしたらよい。
すべて盗人《ぬすびと》には、くすねてきたり、借りてきたりしたものを、一緒になってつかってくれる悪友がついているものだ。で、こいつもそのさいころや女遊びの仲間に、自分のベッドも着物もすぐ取られてしまった。そして世間体をつくろうために小さな店を開いてはいたが、生活は他の方法で立てるといったような女房を持った。
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法律家の話
法律家の話 前口上
亭主の言葉
われわれ一行の世話人なる宿屋の亭主は、太陽が昼間の時間の四分の一と、それに半時間あまりもまわった時刻と見てとった。彼の学識は深くはなかったが、その日は五月の月の先ぶれの使者である四月の月の十八日だということを知っていた。また樹木の影がその樹の直立した長さと同一であることも観察した。その影から見て、太陽が四十五度に高く昇っていることもわかった。
そして、その日は、その緯度から判断して、もう十時であることを知った。
亭主は急に馬を急がせるようにしながら言った。
「ご一行のみなさんに申し上げます。今日も四分の一はもう経過しました。さあ、できるだけ急ぎましょう。
ご承知のように、時は夜となく昼となく流れ去っています。わっしどもが知らずに眠っているときも、油断をすると起きているときでも、時はこっそりと流れ去っています。山から平野へ流れて行く水流と同じように、けっして、帰ることはありません。セネカというローマの哲人をはじめとして、他の多くの哲学者も、千両箱よりは、時の流れを惜しんだものですわい。
『失われた財産は取り返せるが、失われた時はどうにもならぬ』とセネカは言ってますよ。マルキンがいたずらをして、一度処女を失ったのと同じように、いったん失われた時はふたたび戻らない。わっしどももせいぜい自堕落にはならねえようにいたしましょうよ。
ところで、法律家の旦那、お約束どおりひとつお願いしますよ。それについちゃ、あなたはすすんでわっしの裁判を受けようと、ご自分で申し出されたんだから、その約束をはたしてもらいたいもんだね。そうすれば、少なくともあなたの義務はすみますよ」
法律家は言った。
「ご亭主、承知しました。契約を破るようなことは、私の欲せざるところだ。約束は債務だ。自分の約束したことはすべて守りたい。当然のことだからね。
立法者が、自分の制定した法律に、自分も服すべきものであるとは、しばしば引用される格言です。
だが、ただいまのところ、私は有益な話の持ち合せがない。しかしチョーサーは、ぎごちない韻律ではあるが、彼としてはできるだけの良い英語で、いろいろ昔話を書いています。これはみなさんもよくご存じのとおりですがね。
そうした物語は、チョーサーの書いた本のどこかに出ていますよ。彼が取り扱った、昔から有名な恋人の数は、オヴィッドがその『手紙小説《エピストレ》』の中で取り扱った恋人の数よりもはるかに多い。いまさら私がそうした話をくり返したところで仕方がないでしょう。
チョーサーは若い時分すでに、セイスとアルションの話を詩で書いています。その後も、そうした立派な細君や恋人の話をいくらも述べてきました。その『キューピッドの聖者物語』という浩翰《こうかん》な書物の中では、自害したルークレスの話、バビロンのティスベの話、エーネアスに捨てられたディードーの話、デモフォンに捨てられて自決したフィリスの話、ディアニーレとヘルミョンの哀話、イシフィレの話、孤島に残されたアリアドネの話、エローのために入水したレアンデルの話、エレンの哀話、ブリックセイデやラドメアの悲劇、裏切るジャースンのために、その妻メディアが自分の子供を絞殺した話などが出ていますよ。またチョーサーはイペルミストラやペネロペやアルセストのような貞女も讃美していますわい。
だが、彼は、親身の兄弟に対して不倫の恋をしたカナセの罪悪については、一言もふれていない。そうした呪うべき話は、私も嫌いだ。またティーロのアポッロニュウスの話についても、彼は一言も書いていない。あの悪王アンチョークスが自分の姫を犯して、路上に投げ出した話などは、読むに忍びないものですね。だから、チョーサーは賢明にも、その説教話の中では、そういう残酷な、呪わしい話は一つも語っていない。私もできうべくんば、そうした話は述べたくないのだ。
さて、今日の話だが、どんな話をしたものか。詩歌の女神とよばれたピエリデスの娘にたとえられるのも不愉快なことであるし。(オヴィッドの『メタモルフォーセス』の中に、私のこの意味はよく説明されている)だが、私の鈍才をもって、チョーサーに追従するといわれても、私の意に介するところではない。そこで、私はここで散文で話すから、チョーサーの手で、これを韻文にしてもらい給え」
そう言って、彼はまじめな顔をしながら、次のような話をはじめた。
法律家の言葉
おお、いたましくもいやな貧乏生活は、渇《かわ》き、寒さ、飢えによってしいたげられる。貧乏よ、汝は人の助けを乞うことを心では恥じるが、といって乞わなければ、たちまち窮乏にせめられ、欠乏は汝のかくしている傷をあばく。貧困のためには、われにもあらず盗みをやり、乞食となり、借金をして暮らすほかないのだ。
汝はキリストを責めて、現世の富の分配の不公平なことを苦々しく考えている。
汝は不法にも隣人を責めて、隣人は富のすべてを持ち、自分はあまりにも少なく持っているという。
汝は言う、「貧乏人が困っているのに助けないようなやつは、いつかその陰茎を石炭で焼かれる時になって、はじめて思い知るのだ」と。
賢人の教えを聴け、「貧するよりも死ぬほうがましだ」また「貧すれば、隣人は汝をないがしろにする。貧すれば、汝を尊敬する者はなくなる」と。
また賢人の説に、「貧乏人の一生は罪悪だ」とある。だから貧乏にはならないように注意せよ。「貧乏になれば、汝の兄弟は汝を嫌う。友人もみんな汝から離れてゆく」と。
おお、金持の商人たちよ、あなた方は幸福に満たされている。ここにいられる聡明な方々よ。あなた方の財布は大吉の幸運に恵まれていたのだ。クリスマスにはダンスをしてお祝いのできる人たちばかりだ。
あなた方は儲けるためには外国にも目をつける。学者のように、諸国の事情にも明るいのだ。あなた方こそ平時でも戦時でも、もろもろの情報や話の元締めでござるわい。
ただいまのところ、私はこれという題の持ち合せもない。ただずっとまえに、ある商人から聞いた話が一つあるから、それでもひとつお聞き願いましょうか。
法律家の話
一
昔、シリアの国に実直な豪商たちの組合があって、香料、金糸織、色あざやかな繻子《しゆす》などを世界じゅうに輸出していた。その輸出商品は非常に立派で新鮮味のあるものばかりであったから、誰も喜んで彼らと交易のよしみを結んだ。
時に、この組合の主だった商人たちがローマに行く計画をたてた。商売のためか、それとも遊覧のためであったか、とにかく使者を送らないで、自分たちでローマに出かけたのであった。そして、自分たちの目的にかなった、便利な場所に宿をとった。
これらの商人たちはローマのそこここを遊覧しながら、しばらくのあいだ滞在していた。やがて、クスタンス姫という王女の評判が、これから私のお話しするように、事こまかに、毎日のようにこの商人の耳にはいってきた。
世間の人たちは一人残らずこう噂していた。
「幸運にも、このローマ皇帝には、世界がはじまって以来まれにみるような、才色兼備の王女が授けられていた。
願わくば、全ヨーロッパの女王として崇めさせたいものだ。
その崇高な美しさに、高慢なところもなければ、その若さに、みだらなところも愚かさもなかった。王女のあらゆるおこないは美徳によって導かれ、謙譲によって非道にもおちいらないですんでいた。
王女はあらゆる礼節の鏡である。その心は清浄のまことの神殿であり、その手は慈悲をほどこす司《つかさ》である」
この評判は神の真理のごとく、真実であった。
それはさておいて、話の本筋に戻りましょう。
これらの商人はまた船に荷を積んで、この幸福な王女を拝んでから、喜んでシリアに帰って来た。そこで昔ながらに商売をして、幸福に日を送っていた。
ところが、たまたま、これらの商人は、シリアのサルタンの愛顧をうけていた。そこで、彼らが外国から帰ってくると、いつもサルタンは鄭重に彼らをもてなし、彼らが見聞した珍しい話を聞くために、諸外国の情況を詳しくお尋ねになる習わしになっていた。
この時もいろいろお話しした中に、商人たちは、クスタンス姫の気高いことをつぶさに申し上げた。その結果、サルタンはすっかりその姫がお気に召して、その気高い姿を忘れることができないばかりか、一生涯その姫を愛しつづけるのが唯一の願望だとまで言い出されるようになった。
ところが、不幸にして、天界とよばれるあの広大無辺な書物の中に、彼は恋のために死ぬということが、この世に生まれてきた時すでに、星でもってちゃんと書かれていたのだ。星の中に、すべての人の死がガラスの中よりもっと鮮明に書かれていることは、それを読める人なら、誰でも知っていることである。ヘクター、アキレス、ポムペイ、ジューリアスといったような英雄の死も、彼らが生まれる幾年もまえに、すでに星の中に書かれていた。またテーベ戦争も、ヘルキュレス、サムプソン、トゥルヌス、ソクラテスらの死も書かれていたのだが、人の知恵がにぶいために、それを完全に読みとれなかったにすぎないのである。
サルタンは早速枢密顧問官をよんで、このことを評議せしめられた。彼は自分の決意を彼らに打ち明けた。そして、
「近いうちに、運よくクスタンスの手が握られなかったら、わしは死んだも同然じゃ」とまで言い出され、生きるために何か方法を講じてくれよと命ぜられた。
いろんな人がいろんなことを言い出して、議論百出、微に入り細にわたって論じあった。しまいには魔術や詐術にまで説き及んだが、結局、結婚するよりほかに有効な方法はないということになった。だが、ここにまた一つの困難な理由のあることがわかった。それは彼我の信仰のあいだに抵触するものがあるということである。「どんなキリスト教徒の王侯でも、自分の娘を、わが予言者マホメットの教えによるわが信条のもとに、喜んで結婚させるものはありますまい」と彼らは言うのだ。
するとサルタンは、答えた。
「クスタンスを失うよりは、わしはいっそキリスト教に帰依《きえ》するよ。わしはどうしても彼女のものとならずにはいられない。他の女を選ぶことは金輪際できないよ。皆の者、議論はそれくらいにしてやめてくれ。それよりは、わしの命にかかわるこの女を手に入れるように骨を折って、わしの命を助けてくれ。わしはこの苦しみに、これ以上長くは堪えられないよ」
くどくどしい説明は抜きにしましょう。マホメットの宗教を排して、キリストの宗教を強化するために、条約や使節や法王の仲介や、全教会や全騎士団の助力をえて、次に申し上げるような契約が締結されたのである。
サルタンとその大名や家臣はことごとくキリスト教に帰依し、サルタンはクスタンスと結婚し、その保証として、私には正確にはわからないが、ある莫大な額の黄金を提供することになった。そして、この契約は、両者の側によって誓われ、いかめしく承認された。
さて、美しいクスタンスよ、全能の神が汝を導かれんことを。
みなさんは、その気高い皇帝がクスタンス姫のために、どんな支度をなされたか、私がそれを事こまかに述べるものとお考えでしょう。しかし、いかなる能弁達筆をもってしても、この高貴な結婚に準備された限りない品々を、短い言葉で伝えることができないのは、みなさんにもよくおわかりのことと思います。僧正、大名、貴婦人、名高い騎士など、いろいろの人たちがお供をするように命ぜられた。そして、市民はひとり残らず、このご成婚の旅出に神が祝福を与え給わんことをキリストに祈念するようにと全市に布告された。
いよいよその出発の日が来た。悲しい宿命の日が来たと言えるかもしれないが、もはや一刻もぐずぐずしてはいられない。一同その支度をした。
クスタンスは悲しみに打ちのめされながら、あおじろい顔をして起き上がった。そして、すすまぬ旅の支度をした。他にどうしようもなかったからである。
可哀そうに、姫が泣くのも無理はない! それまでよくかしずかれていた人々から離れ、見知らぬ外国に送られて、気立てもよくわからない男の支配のもとにしばられることになるのだから、それはまったく無理もない。だが夫というものは今も昔も、みんなよい人であった。それは妻となったほどの者なら、誰でもよく知っている。だが、それについてはこれだけにしておきましょう。
クスタンスは言った
「この不幸な娘を可愛がって育ててくださいましたお父様、そして、キリストの次にわたしの最大の喜びであるお母様、お別れのご挨拶にまいりました。わたしはこれからシリアの国に行かねばなりません。もう、あなた方に二度とお会いすることはできません。これもあなた方のご意志とあれば、わたしはすぐに異教徒《バルバリ》の国へまいりましょう。わたしたちをあがない戻すために十字架を背負ったキリスト様のお恵みを得て、キリストのお聖誡《おしえ》に服してゆかれるようにお願いするばかりでございます。不幸なこの身は死んでもかまいません。女は生まれながらに奴隷であり苦行を課せられている者でございます。人の支配を受けるために生まれてきたものでございます」
思うに、ピルスがトロイの城壁を破り、イリウムの宮殿を焼いた時でも、またテーベの都が落ちた時でも、ハンニバルが三度もローマ人を打ち破った時でも、この自分の部屋で泣いているクスタンスの別れの歎きほどには、哀れな泣き声は聞かれなかったでしょう。だが、泣いても笑っても、姫は出発しなければならなかった。
ああ、残酷な第九天球《プリムムモビレ》(プトレミの天文説によれば、宇宙には九ないし十の天球があり、最外側の天球は「プリムムモビレ」と呼ばれ、諸惑星を含む八重または九重の天球を率い、地球を中心として、東より西に向かって運行する)よ! 汝は日々の運行で内在のもろもろの天体をも一緒に東から西へと運び去る。それらの天体は、自然のままに任しておけば、別な方向に進んだであろうのに。汝の力強い圧力は、その不吉な船出のはじめにおいて、天界の秩序を変え、残忍な火星(軍神)をしてこの結婚を破壊せしめたのだ。
不運な斜行の運勢の首座星は、その天体の最高部分から、無力にももっとも暗黒な天宮に落ちたのだ。
おお、意地悪の火星よ。
不運な運行をする、か弱い月よ、よく受け入れられない時は二惑星の合相を起こし、よい位置が恵まれそうな時は、それから追放される。
うかつなローマ皇帝というものだ。その都に占星家はいなかったのか。そんな大切な旅出の日として、もう少しよい日がなかったものか。とくに高貴の人々の旅出とあれば、卯酉《うのとり》圏上の星の位置がわかっていても、出発の日を選ぶべきではないか。ああ、われわれはあまりに無知であり、あまりに遅鈍である。
この不幸な美しい乙女は、万事用意を整えて、おごそかに船に連れられていった。
「みなさん、ではさようなら」と姫は言った。
「美しいクスタンスよ、さようなら」というのが、最後の言葉であった。
姫はつとめてほがらかそうな顔を見せようとしていた。
さて、姫のことは船と風にまかせておいて、これから、話の主題であるサルタンの都に戻ろう。
サルタンの母堂は、不徳の源泉ともいわれる邪悪な女で、自分の息子のサルタンに、昔からの宗教を捨てようとする明らかな意図のあることを見てとった。彼女は早速顧問官を召集した。そして、一同が座につくのを見ると、これから私がお話しするようなことを言った。
「みんなも承知のように、わが子サルタンは、神の使者マホメットの定められたコーランの宗教を捨てようとしています。わたしは偉大なる神に誓って言うが、マホメットの教えをわたしの心から奪われるよりは、いっそわたしの体から命が消え去ることを望みます。
キリスト教というこの新しい信仰は、わたしたちの体に束縛と苦難をもちきたし、やがては、わが宗祖マホメットの教えにそむいた罪で、わたしたちは地獄にひきずり込まれるのです。
皆の者よ、これからお話しするように、わたしはわたしたち全部が永久に救われるような計画を立てたのだが、それに賛成することを誓ってくれますね」
顧問官は一人残らずそれに賛成して、死ぬとも母堂の味方をしようと誓いを立てた。彼らは母堂の味方となるべき友人をできるだけ多く集めようと約束した。彼女はこの陰謀の中心となって、次のような計画を打ち明けた。
「最初はまずキリスト教に帰依したふりをすることだ。冷たい水も少しの辛抱だからね。
それからわたしはサルタンも満足するような、お祝いの大酒宴を張ることにいたしましょう。あれの妻はまっ白に洗礼を受けたろうが、たとい洗礼盤にいっぱい水をもってきても、その水でまた血を洗わなくちゃなるまいよ」
おお、サルタンの女王よ、邪悪のもとなる悍婦《かんぷ》よ、バビロンの祖セミラム女王の第二女よ、女に化けた蛇よ、汝は地獄の底にのたうちまわるあの蛇にも似ているぞ。
おお、いつわりの女よ、汝はその悪心によって、世の美徳と潔白とを滅ぼすのだ。
おお、サタンよ、汝は神の選民から追放されて以来、ねたみ深くも、女に近づく昔ながらの道を心得、イヴを使って、人間を屈辱におとしいれてしまった。今やまた汝はこのキリスト教徒の結婚を破滅させようとする。ああ、汝は人をおとしいれようとする時、いつも女を瞞着の道具とするのだ。
このサルタンの太后を、私はこのように責めかつ呪うのであるが、彼女はひそかにはかりごとをめぐらして、それをばどしどし実行に移した。
まあ議論はさておいて、話をすすめましょう。ある日のこと、太后は馬に乗ってサルタンを訪ね、キリスト教に改宗したいから、牧師の手で洗礼を受けたいものと申し出でた。今まで長く異端であったことを悔んでみせた。そしてキリスト教徒を集めて、宴会を催してもらいたいと、サルタンに願った。「あたしが骨を折って、キリスト教徒を喜ばせてあげたいからね」とも言った。
サルタンは、この願いを聞いて、ひざまずいて感謝しながら言った。
「あなたのご命令どおりにいたしましょう」
彼はあまりに喜んで、言うところを知らなかった。太后は息子に接吻して帰途についた。
二
キリスト教徒たちは、いかめしいお供揃いで、シリアの国に到着した。
サルタンは早速それを太后に知らせ、国じゅうにもその妻の安着を布告させた。彼はその国の名誉のために、太后がまずこの妻の出迎えに行かれるように頼んだ。
見物の群集は大変な騒ぎで、シリア人とローマ人とが落ちあった行列は見事なものであった。
サルタンの母堂ははなやかに着かざって出迎えながら、嬉しそうな顔つきをして、あたかも自分の娘を迎えるようにこの新婦を出迎えた。
一行はおごそかに、しずしずと、いちばん近い町に乗りつけた。詩人ルーガンが得意になって描いたあのシーザーの凱旋といえども、この嬉々とした人々の集りよりもはなやかで、色とりどりなものではなかったろう。だが、この仮面の下に、あのさそり[#「さそり」に傍点]、あの邪悪の妖精、サルタン太后は、甘言を用いて、暗殺を企てつつあったのだ。
サルタン自身もすぐそのあとから、語るもはなやかなようすでやって来て、非常な喜びで妻を迎えた。こうして彼らを喜ばせておいたまま、私はすぐにその結果を話すことにしよう。やがてその饗宴もやんで、人々はそれぞれ床についた。
サルタン太后の計画した饗宴の日が来た。キリスト教徒どもはみんな、老いも若きも、男も女もそこに招かれた。そこでは立派な饗宴、想像も及ばぬ山海の珍味を見ることができた。だが、その宴も終わらぬうちに、彼らはその饗宴を高くあがなわなければならなかった。
たちまち災害がやってきた。現世の幸福につきものの災害がやってきた。浮世の幸福は苦痛にまぶされている。苦労して得た喜びも、その最後は常にこのようなものだ。歓喜の結果は不幸に終わるものである。この説教をよく聞いて用心するがよい。幸福な日に、あとから来る知られざる不幸や災難のことを忘れるな。
簡単に言えば、その饗宴で、クスタンス一人を除いて、サルタンを初めとしてキリスト教徒の全部が虐殺されてしまった。この呪うべき老婆サルタン太后は、自分でこの国を治めたいところから、友人とはかって、この憎むべき行為を犯したのだ。キリスト教に帰依したシリア人は、この太后の計画を少しも知らなかった。そして、ことごとく虐殺されてしまった。
クスタンスはただちに連れられていった。そして、舵《かじ》のない小舟に乗せられて、シリアからイタリアのほうへひとりで航海するように命ぜられた。彼女の持って来たいくらかの財宝は、その中に入れてくれた。実を言うと、その中にはたくさんの食糧と、それに自分の着物もあった。そして、塩からい海の中に流れ出た。仁慈に満ちたクスタンスよ。可哀そうな皇帝の姫君よ、幸運の神があなたの舵になってくださらんことを!
彼女は十字をきりながら、悲しげな声で、十字架に向かって言った。
「おお清らかな祝福されたる祭壇よ、この世の邪悪を洗い浄《きよ》め給うた、憐れみ深い神の仔羊の血潮で赤く染められた、神聖な十字架よ、わたしが深海の藻くずとなる日にも、悪魔の手にかからぬようにわたしをお助けくださいませ。
勝利の十字架よ、信仰ある人々の保護者よ、なまなましい傷をもった天の王者よ、槍におさされになった白い仔羊をひとりで背負う力のある十字架よ、御手を伸ばして、人々から悪魔を防いでくださるお方よ、おお十字架よ、わたしに正しい生活をする力をお与えくださいませ、わたしをお守りくださいませ」
この不幸な女はギリシャ海を渡って、モロッコ海峡へと、長い年月を運を天に任せてさまよいまわった。喰うや喰わずの粗食に甘んじた。時には死を覚悟したことも幾度あったかしれない。なにしろ風に追われて、浪のまにまに行く手も知らぬ航海である。
人は聞くかもしれない――どうして彼女は虐殺をまぬがれたか? 誰があの宴席で彼女の命を救ってくれたのか?
これに対する答えとして私は、ダニエルが、どんな者でも、主人でも奴隷でも喰い殺さずにはおかない獅子の牢獄に投ぜられながら、ひとり助かったのは、誰がいったい助けたのかと問い返したいのだ。ほかでもない、彼の心の中に宿りまします神様がお助けになったのだ。
神はその偉大な力をわれわれにお示しになるために、奇蹟をお見せくださるのだ。どんな災害にもわれわれをお救いくださるキリストは、学者は知っていることだが、ある手段を用いられ、人間の知識では解けない神のご意向の示現として、奇蹟をお示しになるのだ。人間は無知であるから、神のありがたい思召しがよくわからないのだ。
さて、クスタンスがあの饗宴で殺されなかったのは、それから海にも溺れないですんだのは、誰のおかげであったか。
ジョーナが魚のお腹の中で生きていて、ニネヴェの都の近くでまた吐き出されたのは、誰のおかげであったか。またヘブライ人をして足を濡らさずに海を渡らせ、彼らが溺れるところを救ってくださったのは、誰であったか。それは人のよく知るところである。
海陸全土を悩ますほどの力のある暴風の四つの精に向かって、「東も西も、北も南も、陸にも樹木にも危害をなすな」とお命じになったのは誰か。この女が眠っている時でも、覚めている時でも、暴風の危害から護ってくださったのは、実にこの命令をくだした人であった。
また、どこでこの女が食べ物と飲み物を手に入れたか。三年以上の年月を、どうして食糧がつづいたか。苦行をしていたエジプトの聖女マリアを洞窟や沙漠の中で生かしておかれたのは、誰であったか。
それはみなキリストに違いない。
五つのパンと二匹の魚で、よく五千人の人たちを養ったのはまさに奇蹟であった。
クスタンスはそれから荒海を渡って、イギリスの近海までさまよってきた。そして、ついにノーサンバランド州の海岸にある名もしれぬ古城の下で、砂原の上に乗りあげた。その船は、ちょっとの潮ぐらいじゃ動かないほど、固く砂に喰い込んでしまった。神のご意志によって、彼女はそこに長くとどまることになった。
この難破を見に、そこの城主が城から下りてきて舟を調べると、一人のやつれた女が乗っていた。彼はまたその女のもっていた十字架の宝も見た。その女は自分の国の言葉で、いっそ自分を殺してこの悩みから救ってくださいと頼んだ。
この女の言葉は郷国のラテン語であったが、どうにかその意が通じた。城主はそれ以上探索もしないで、この哀れな女を城に連れていった。女はひざまずいて、神のみ恵みに感謝した。だが自分の身分については、どんなことがあっても、たとい死んでも、人には知られたくないと思っていた。で、ただ長い間の海の苦難によって、何事も忘れてしまったと言っておいた。城主もその奥方も大変気の毒に思って、皆さめざめと泣いた。クスタンスは、その城の人たちによくつとめて、誰の気にも入るようにしたので、見るほどの人はみんな彼女をいとしがった。
この城主も、奥方のヘルメンギルドも、はっきり言えば、まだキリスト教信者ではなかった。またその国全体もキリスト教国ではなかった。けれども、ヘルメンギルドは、クスタンスを自分の命のように愛していた。
ところで、クスタンスは、そこに滞在しているあいだ、しじゅう涙にくれて、毎日祈祷をつづけていた。それを見て、城主の奥方ヘルメンギルドも、イエスのお恵みによって、キリスト教徒に改宗した。
その国では、実はキリスト教徒の集りをもつことができなかった。陸からも海からも、異教徒が攻めて来て、北方の国々を占領していたので、キリスト教徒はみんなこの国から逃げてしまった。このブリテン国の島に住んでいた古代のブリトン人なるキリスト教徒は、いずれもウェイルズ州に逃げ込んで、しばらくのあいだそこに避難したのであった。
だが、キリスト教徒のブリトン人もみんな追放されたのではなく、いくらかは異教徒の目をくらまして、ひそかにキリストを礼拝していたものがあった。この城の近くにも、そういう者が三人住んでいた。その一人はめくらであったが、眼が見えなくとも、心の眼《まなこ》をもって見ることができた。
夏の太陽がよく輝いている日であった。城主と奥方とは、クスタンスとともに、一、二町離れた海岸へ遊びに出かけて、あちこちと散歩していた。そうして歩いている間に、この盲人に出会った。腰のまがった爺さんで、まったく両眼がつぶれていた。この盲のブリトン人は叫んだ。
「キリストの御名において、ヘルメンギルド様、どうぞわしの眼をもう一度あけてくださいませ」
夫人はそれを聞いて、驚きかつおそれた。これをその夫に聞かれたら、キリスト教を信じているというので殺されやしないかと思ったからである。だが、クスタンスは奥方に勇気をつけて、キリスト教会の女として、キリストの御意志をおこなうように指図をした。
城主は、このありさまを見て、不思議に思った。そして、「これはまたどうしたと言うのだ?」とたずねた。
クスタンスはそれに答えた。
「御前、人間を悪魔の誘惑から救い出すのは、キリストの力でございます」
そこで、クスタンスはキリスト教の信条を説きはじめて、その日の夕刻までには、城主にキリストを信じさせ、彼を信徒にしてしまった。
この城主は、この土地の領主ではなかったが、ノーサンバランド州の王アラの下で、この城を数年のあいだ手固く守ってきたのであった。ちなみに、このアラという王は、人も知っているように、非常に賢い勇敢な王で、スコット人(アイルランド人)の敵であった。だが、ふたたび本題へ戻ることにしよう。
さて、悪魔のサタンは、常に人をおとしいれようとしているものだが、クスタンスが完全無欠な人間であると見て、ただちにこの女を誘惑しようとかかった。悪魔は、その里にすむ一人の若い騎士に、クスタンスに対してよこしまな恋慕をさせ、もしその望みが遂げられなければ死んでしまうとさえ思いつめさせた。
この騎士はクスタンスをくどいてみたが、その甲斐がなかった。彼女としては、どうなろうとも罪を犯したくはなかったのである。それで、騎士は、忿懣《ふんまん》のあまり、ぬれ衣を着せて殺してやろうと計画した。そして、城主が不在になる時期を待って、一夜ヘルメンギルドが眠っている間に、ひそかにその部屋へ忍び込んだ。
祈祷のおつとめに疲れて、クスタンスも奥方のヘルメンギルドもよく眠っていた。
騎士は悪魔に導かれて、こっそりその寝床に近づいて、ヘルメンギルドののどを掻き切った。そして、その血みどろになった短刀をクスタンスのそばに置いて出ていった。神よ、この男に禍いを与え給え。
城主は、まもなく国王のアラとともに家に帰ってきたが、奥方の無残なむくろを見て、手をしぼりながら、長いあいだ涙にくれた。そして、クスタンスの床のそばに、血にまみれた短刀を見つけた。ああ、クスタンスはなんと申しわけをするだろうか。あまりの悲しみに、彼女は気を失って倒れた。
この惨害はただちにアラ王に知らされた。またクスタンスがいつ、どこで、どのようにして舟の中で発見されたかということも、まえに私がお話ししておいたように話された。王はあの優しい夫人が、このようにむごたらしく殺されているのを見て、身をふるわせながら同情した。
罪のない女は、さながら屠所《としよ》の小羊のように、王の前に立たされた。この犯行をあえてした不埒な騎士は、どこまでも彼女がやったのだと言い張った。けれども、人々のあいだには大きな不満があった。どうもあの女がそんな悪事をしようとは思われない。それというのも、クスタンスがいつも貞潔な女であることをみんなが見て知っていたし、またヘルメンギルドのことは、自分の命とも思って愛していたのだから。
これについて、その家の人たちはみんなその証人に立った。ひとり短刀でヘルメンギルドを殺した男だけはそれをこばんだ。
やさしい王はこの証言を重要なものとし、なおこの事件の真相を深くつきとめようとした。だが、不幸にして、クスタンスにはすすんで弁護にあたる者がなかった。そうとすれば、どうしてこの情勢に対抗できようか。情けないことではある。
ただ、その昔人間の罪をあがなうために十字架の上で死んでくださったお方、あの悪魔のサタンを奈落の底に縛りつけて、今なおそこに留めておいてくださるお方――今はもうそのお方の力にすがるほかはない。そのお方が公正な奇蹟を示してくださらなければ、彼女はもう罪もないのに、すぐこの場で殺されてしまうのだ。
クスタンスはひざまずいて、こう言った。
「スーザンを無実の罪からお助けくだされました、不朽の神様よ、聖アンヌの娘よ、慈悲深い処女《おとめ》よ、天使たちが『ハレルヤ』の歌をうたってお迎え申した、あの御子《みこ》をお生みなされたマリヤ様よ、わたしがこの罪を犯したものでないならば、どうぞわたしをお救いくださいませ。さもないと、わたしは殺されるのでございます」
諸君、諸君はいつか群衆の中で、神の恵みも受けられないで、死刑に連れて行かれる人のあおざめた顔を見たことはないか。あの顔色の恐ろしさ、それはひしめきあう群衆のなかでも、その瀕死の顔だけは目立ってわかるものだ。そういった顔色をして、クスタンスはそこに立ったまま身辺を見まわしていた。
幸運に栄えている世の女王たちも、王女たちも、淑女たちも、どうかクスタンスの悲運に同情してください。皇帝の姫がひとりで立っているのだ。誰に訴えるという人もないのだ。皇族の姫君が危機に立っている。しかも、この危急を救う友達は遠く離れているのだ。
アラ王はそのやさしい心を同情に満たされながら、ほろほろと涙を落した。そしてこう言った。「誰か急いで聖書を一冊もってこい。そして、もし騎士がそれによってなお、その夫人を殺したものはこの姫であると誓うとすれば、そのうえでわれわれは、この裁判をするものは誰であるかを決めようではないか」
ブリトン語で書かれた福音書が運ばれてきた。騎士は、その聖書の上で、ただちにこの姫が犯人であると誓った。とたんに、一つの手が、その騎士の首の骨を折った。そのために、騎士は石ころのように倒れた。大勢の目の前で、両眼が顔から飛び出した。
その時、聴衆の耳に一つの声が聞こえた。
「汝は神聖な教会の娘を、王の面前で無実の罪におとしいれた。だがしかし、わしはいまなにも言いたくない」
群衆はみんなこの奇蹟に驚き、おそるべき復讐にあきれはてていた。ひとりクスタンスだけはしずかに立っていた。
この無垢なクスタンスに疑いをかけた人々は、非常に怖れもすれば後悔もした。
そして結局、この奇蹟のために、クスタンスの仲立ちで、その王も、そこに居合わせた大勢の人たちも、キリスト教に帰依して、キリストの恵みに感謝をささげた。
不埒な騎士は、王の判決によって、ただちに死刑に処せられた。しかも、クスタンスは騎士の死を非常に気の毒にさえ思った。
その後、キリストは慈悲深くも、アラ王にこの神聖な処女を妻として迎えさせ、クスタンスはついに女王となった。
ところが、実を言うと、ほかならぬアラ王の母君ドウネギルドだけは、もともと横暴な女であったから、この結婚を喜ばなかった。心臓が二つに裂けるほど憤慨した。息子がそんな見も知らぬ外国の女を妻として引き入れたのはけしからぬと考えたからである。
つまらないことまでこまごまと物語って長話をするのは、穀物の籾《もみ》やわらについて語るも同様、やりたくないものだ。王様の荘厳な結婚式の話や、どんなご馳走が先に出たか、誰がらっぱを吹いたか、誰が角笛を吹いたか、そんなことをくどくど述べる必要はない。話はみんなその成果を述べることが肝要である。その婚儀に人々は食べ、飲み、舞い、うたい、かつ遊んだのだった。
当然なことであるが、二人は床にはいった。妻はいくら神聖な人間であろうと、指環で結ばれた男の意志には、少々我慢しても従わなければならない。しばらくのあいだ、その神聖味をお預りにしておくことだ。どうにもそのほかに仕方がない。
まもなく、二人のあいだに男の子が生まれた。だがこれより先、王はスコットランドに戦争に行くというので、その間、妊娠中の后《きさき》をを僧正と侍従長とにゆだねた。今は、この謙譲で柔和なクスタンスも臨月が近くなったので、室に閉じこもったまま、ひたすらキリストのご意志を待つのみであった。
やがて時が来て、男の子が生まれた。洗礼を受けさせて、マウリシュウスと名づけられた。侍従長は、使者を連れて来て、この喜びの次第を事こまかにしたためたうえ、他の用事もかねてアラ王に知らせることにした。使者はその手紙をもって、すぐさま出発した。
だがその使者は、自分の欲得ずくから、母君のところに立ち寄って、甘い言葉を使いながらお祝いを述べた。
「奥様、お喜びあそばせ、幾重にも神に感謝あそばせ、后は本当に御子様をお産みになりました。これは国じゅうの喜び、幸福でもござりますよ。ごらんあそばせ、それがこのお手紙にしたためてございます。私は一刻も早くおとどけするように言いつかりました。なにか御子様の王様へご伝言することがございましたら、なんなりと仰せつけてくださりませ」
ドウネギルドはそれに答えて言った。
「今のところは何もないが、今夜はここに泊まっておゆき。明日になったらまた頼みたいこともあるだろうからね」
使者がその夜ビールやぶどう酒をひどく飲まされ、豚のように眠っている間に、状箱からその手紙が盗みとられた。その代りに、他の手紙がこっそり入れ替えてあった。もちろんそれはにせの手紙で、侍従長から直接王に宛て、次のような文言《もんごん》がしたためられてあった。
「女王は、恐ろしい鬼子《おにご》をお産みになりました。それがために、誰一人として城中に居残るものがない、一刻も辛抱ができないと申すのでござります。お后はおそらく魔法か妖術によって、化けて来た妖魔でもございましょう。何ぴともお后に侍《はんべ》ることをいやがっております」
王はこの手紙を見て悲しみに打たれた。しかし、その悲しみは誰にももらさなかった。ただ自分の手で次のような手紙を書いた。
「キリストの教えを受けた私は、永久にキリストの手を待つばかりです。主よ、御意《みこころ》のままになさしめたまえ。わたくしの望みはすべてあなたの御手にゆだねてございます。どうか、わたくしの帰るまで、善かれ悪しかれ、その子と后とを守っていてくださいませ。キリストは、いつかその御意によって、この子よりもわたくしの意にかなうような嫡子をお与えくださることでしょう」
王は心に泣きながら、この手紙を書いて、すぐ使者に渡した。使者はすぐさまそれを持って出発した。
使者の酔いどれめが、おまえの息はひどく臭いぞ。おまえの手足はいつもふるえている。そして、おまえはすべての秘密をもらす。おまえには正気がない。おまえはかけす[#「かけす」に傍点]のようにおしゃべりだ。おまえの顔はいつも変わる。酔いどれがのさばる中では、確かに秘密は守られない。
ドウネギルドよ、私はおまえの悪意と暴虐を表わすような英語を知らない。だから、おまえを悪魔に任せ、悪魔におまえの不逞を述べさせておこう。いや、それはうそだ! 畜生、おまえは悪魔の性《しよう》だ、とこれくらいなことは言ってやれる。おまえはいま地上を歩いているが、おまえの魂はすでに地獄にいるんだぞ。
さて、この使者は王のもとから出て、また母君のところにやって来た。皇太后はまた喜んで彼を引見し、力のかぎり歓待した。
彼は腹いっぱい飲んで、それから眠った。いつものように、一晩じゅういびきをかいて、日が出るまで、眠っていた。
その手紙はまた一つ残らずすりかえられていた。にせの手紙は次のようなものであった。
「王は侍従長に命じて、次の件を実行にうつさせる。侍従長は、クスタンスが、どんなことがあっても、三日以上は、十五分もこの国内にとどまっていられないようにせよ。これに違反すれば、最高の判決によって、汝を絞刑に処するものである。
クスタンスの乗って来た船に、母子とその手荷物とを乗せて、陸から突き放すがよい。なおふたたびこの国に帰ることは断然相成らぬと伝えておけ」
クスタンスよ、ドウネギルドがこんな命令を下したと知ったら、そなたの魂はおののき、眠っていても、その夢はさぞ苦しみにうなされたであろう。
使者はあくる朝起きるとすぐに、近道をして城へ急いだ。そしてこの手紙を侍従長に渡した。
侍従長はそれを見た時、幾度となく歎息した。「ああ、ああ、情けないことだ。こんなに罪の深い人がたくさんいたのでは、この世も長くはつづかないだろう。
全能の神よ、正しい裁きをなさる神よ、罪のない者を見殺しにして、悪人を栄えさせる、こんなことがはたして御意《みこころ》でござりましょうか。
ああ、わしはクスタンスを苦しめるか、自分が死刑になるか、どちらかを選ばなければならない。情けないことになったものだ。といって、ほかにせんすべもないのだ」
この呪うべき王の手紙を見た時、城内のものは老いも若きもみんな泣いた。クスタンスはあおざめた顔をして、四日目に舟に向かって出かけた。それでも彼女はこれをキリストの御意として善意に解していた。そして、砂の上にひざまずきながら言った。
「神様、わたしはいつも御意を嬉しく思っております。
みなさんと一緒に陸の上に暮らしていた間に、わたしを無実の罪から救ってくださったお方が、なんとかしてまた塩からい海の上でも、危害や汚辱からわたしを救ってくださることでございましょう。そのお方はいつも健在であらせられます。そのお方にも、その方の母君マリヤ様にも、しじゅうわたしの帆となり舵となっていただけるものと信じております」
赤ん坊はクスタンスの腕に抱かれたまま泣いていた。クスタンスはつつましくひざまずいて、その子に呼びかけた。
「お泣きでないよ、何もこわくはありませんからね」そう言って、自分の頭巾《カーチフ》を急いではずしながら、それをわが子の眼の上にかけてやった。それからまたかき抱いて、ゆすぶりながら泣きやませた。それから天上を仰いで、こう祈った。
「聖母様、輝かしい処女のマリヤ様、人類が女にそそのかされたために堕落して、永久に死に縛られるようになったのは、真実のことでございます。それがために、御子は十字架にかかられました。あなたは目のあたりそのお方の苦しみをごらんになりました。あなたのそのお苦しみは、人間のどんな苦しみよりも大きな苦しみであって、それに比べられるものはございません。
あなたの見ていられる前で、御子はお殺されになりました。でも、わたしの子はまだ生きているのでございます。輝く君よ、不幸なものがみんな泣いて訴える君よ、女性の光よ、美しい処女よ。避難の港とも、輝く太陽とも思われる君よ、情け深くも、どんな罪の深い不幸者をも憐れみまします君よ、どうぞわが子をお憐れみくださいませ。
ああ、まだ罪を犯したことのないこの子に、なんの罪がございましょう? なぜおまえのむごいお父さんは、おまえを殺してしまうのでしょう? 侍従長さん、どうぞこの子をあなたのおそばに置いてやってくださいませ。助けてやってくださることができなければ、せめてこの子の父の代りに、一度この子を接吻してやってくださいませ」
そう言って、彼女は陸のほうをふり返ってみた。そして「さようなら、むごい夫よ」と言いながら起ち上がって、舟のほうへと浜辺を下っていった。人々は彼女の後についていった。彼女はしじゅう、わが子を泣きやむようにとあやしていたが、もう一度、一同に暇を告げて、これもみんな神の御意だと安心しながら、十字架をきって、舟の中にはいった。
せめてものことに、舟には食糧も必要品も、長いあいだ不足のないようにとたくさん積み込まれていた。これもまたありがたいことであった。
全能の神よ、雨も嵐も支配して、無事にクスタンスを故国に送りとどけてくださいませ。今はただそれを願うばかりだ。
やがて、彼女は海に乗り出した。
三
その後まもなくアラ王は城に帰って来て、后《きさき》と息子とはどこにいるかと尋ねた。
侍従長はぞっとして、ありのままに事の成行きをうちあけた。それから例の封印と手紙とをお目にかけて、
「御前、あなたは一死にかけてご命令になりましたので、そのとおり実行したのでございます」と言った。
使者は拷問にかけられて、どこでその晩泊まったかをありのままに白状した。そして、訊問の結果、何者がこんな悪事をたくらんだかもおおよそわかった。手紙の書体もわかり、この呪うべき所業をやってのけた毒手もそれとさとられた。だがどのようにしてそれをつきとめたものか私は知らない。
とにかくその結果、アラ王は、王に対する裏切り者として、躊躇するところなく自分の母を殺した、と古書には明らかに書いてある。これがドウネギルドの陰謀の最後であった。
アラ王は夜となく昼となく妻子のために悲しみ歎いた。その悲しみはどんな言葉でも言い現わせない。だが、私は話題を海に乗り出したクスタンスのほうにかえましょう。
キリストの思召しによって、彼女は苦しみながらも、海の上を五カ年以上も漂ったあげく、やっと陸に近づいた。この原本の話にも名は出ていないが、ある異教の国の城の下で、とうとう母子ともに海辺に打ち上げられた。
人類を救わせ給う全能の神よ、ふたたび異教の国にたどりついた母子のことを死に臨んでもお忘れないように。
その城からたくさんの人が降りて来て、その舟とクスタンスとをじろじろと見ていった。やがてある晩のこと、その城主の家令が、不埒にも、キリスト教の信条を侵して盗賊となり、単身その舟にやって来た。そして、「いやとぬかそうが、おうとぬかそうが、おまえはおれのものにしてやるぞ」と言ったものだ。
哀れな女は命がけで争った。子供は泣き出すし、母親もわめいた。が、聖母マリヤはちょうどよく、救いに来てくだされた。もがく女と組み打ちしている間に、盗賊は足を踏みすべらして、突然海の中に落ちた。そして、そのまま溺死してしまった。神の罰があたったのだ。キリストはこうしてこの女を無事に救ってくださったのだ。
おおけがらわしい淫欲よ、汝の最後を見よ。汝は人間の心を弱くするばかりか、人間の体をも滅ぼすものだ。汝の仕業の最後、汝の盲目的淫欲の最後は常に禍いである。いかに多くの人が殺され、また屈辱をこうむったことか――すでにおこなった仕業のためばかりでなく、これから罪を犯そうとする意志のためにも。
それにしても、この弱い女に、どうしてこの背教者に反抗するだけの力があったろうか?
あの見上げるような、底ぬけの力をもったゴリアスに、若いダヴィッドが、しかも武器さえ持たないで、どうして勝ったのだろう、どうして向かってゆくことができたろう? それはみんな神のお恵みにほかならないのだ。
誰がその勇気と力を与えて、ジューディスをしてよくその陣屋のテントの中でオロフェルヌスを殺さしめ、神の子たちを不幸から救い出させたのであろうか?
あえて言う、神はそういう人たちに勇気と力とを与え給うたと同じ目的で、クスタンスにもその勇気と力とを与え給うたのである、と。
やがて彼女の舟はジブラルタルとモロッコのセプタのあいだの狭い海峡を渡って進んでいった。時には西へ、時には北や南へ、時には東へ、長いものうい旅をつづけたが、ついにキリストの母のおかげで、その無限の慈愛の力で、クスタンスの悲しみもいよいよその終りを告げることとなった。
さて、しばらくクスタンスの話はやめて、あのローマ皇帝の話をいたしましょう。皇帝はシリアからの手紙によって、そこでキリスト教徒が虐殺され、自分の娘も屈辱を受けた。それもひとえに反逆者サルタン太后の陰謀によるもので、祝宴に托して、貴賤の別なく皆殺しにしたのだということを知った。
それに対し、皇帝はただちに命令を発して、一人の元老のほかに、多くの諸侯をシリアに送り、シリア人に復讐を加えることにした。そこで、彼らは数日にわたって、家を焼き、人を殺し、シリア人を惨禍におとしいれた。そして、それがすむと、まもなくローマに向かって帰途についた。
さて、元老はローマにむかって堂々と帰航する途中において、話によれば、はからずも漂流している一艘の小舟に出会った。その舟に、可哀そうなクスタンスが乗っていたのである。
元老はもとより、その女が何者であるかも、どうしてそういう目にあっているかも知らなかった。女のほうでもまた、たとい殺されても自分の身の上は打ち明けまいとしていた。
元老はともかくその女をローマに連れ帰って、自分の妻に母子の世話をさせることにした。クスタンスは元老の家で長いあいだ暮らすことになった。
こうして、聖母は、他の多くの人たちを救われたと同じように、不幸なクスタンスをもその不幸から救ってくだされた。クスタンスは長いあいだそこに住んで、聖母の御心のままに、教会の仕事に専念していた。元老の妻はクスタンスの叔母であった。だがそのため彼女をよけい知っているわけでもない。
この話はこれでやめて、前にもお話ししたように、妻子を思って悲歎にくれているアラ王のことに戻ってみよう。元老の家に保護されているクスタンスのことは、しばらく保留しておく。
簡単に言えば、母親を殺したアラ王は、一日、悔いるところがあって、ローマに来て罪を受けようと思い立った。つまりそこで何事も法王の命に身をゆだねて、自分のおこなった悪事に対するキリストのお赦しを得ようと思ったのである。
まずお先触れの役人がやって来て、アラ王がローマへ巡礼に来るという噂が街じゅうにひろまった。
それに対して、元老は、当時の習慣に従って、多くの高官連を引き連れながら、馬に乗って出迎えた。それは王者に対する礼儀でもあったが、また自分たちの威風を示すものでもあった。
この元老はアラ王を歓待したが、アラ王もまた元老を歓待した。両方でたがいに礼節をつくしあった。ところで、一、二日たったある日のこと、元老はアラ王の饗宴に招かれて出かけることになった。簡単に言えば、クスタンスの息子も元老のお供になって出かけた。一説によると、元老がその息子を連れていったのは、クスタンスの依頼によるものだとも言われるが、詳しい事情は私も述べることができない。いずれにしても、この少年はその宴につらなっていた。そして、実際また母親のいいつけで、食事の際にもアラ王の前に立って、さぐるように、じっと王の顔を見つめていた。
アラ王は、この少年を見ると感歎して、すぐに元老に尋ねた。
「あちらに立っている金髪の少年は、何者でござるかな」
「実は私もそれを存じないのですよ。母親はありますが、確か父《てて》なし子のようでございます」
そう言って、元老は簡単に、その子が拾われた当時のようすをアラ王に話して聞かせた。
元老はまたつづけて言った。
「だが、世の中に、あの母親ほど貞淑な婦人は見たことも聞いたこともありませんね。娘のあいだにも人妻のあいだにもですよ。罪を犯すよりは、いっそ胸を突いて死んだほうがましだと思っている女ですからね。この女にそんなことをさせることのできる男は一人もないでしょうよ」
ところで、この少年ほどクスタンスに似ているものも他にはなかった。そこで、アラ王はクスタンス夫人の顔を心に思い浮かべながら、どうかするとその母親というのは自分の后ではないかというような気がしてきた。で、ひそかに溜息をつきながら、できるだけ早く食卓を離れた。
「そうだ、わしはまぼろしに取り憑《つ》かれたのだ。理性に従って判断すれば、后はたしかに海の中で死んだに違いないからな」
アラ王は、そう考えた。だが、彼はすぐにまた考えなおした。
「キリストは前に、どこからかあの女を私の国によこしてくださったではないか。それと同じように、また、海を渡って、ここまで連れて来てくださったのかもしれないぞ」
午後になると、アラ王は、そうした奇蹟的な暗合を確かめるために、元老と一緒にその家に出かけてみた。元老は大いにアラ王を歓待して、急いでクスタンスを呼びにやった。だが、実を言うと、クスタンスはその使いの意味を知るや、宴席へなど出る気にはなれなかった。ほとんど立ちあがることさえもできなかった。
アラ王はその后に会った時、丁寧に挨拶をして、見るも哀れなほどむせび泣いた。一目見た瞬間にそれとわかったのだ。彼女はあまりの悲しさに、木のように黙ってそこに突っ立っていた。夫のあまりにも残酷であったことを思うと、彼女の心臓はひたとふさがってしまったのだ。
彼女は二度も彼の目の前で気絶した。アラ王は泣いて、哀れげに申しわけを述べた。
「神よ、聖者よ、私の魂の上に憐れみをたれさせ給え。昔そなたを苦しめたことについては、私に罪はないのだ。そなたに似ているこのマウリシュウスに罪がないように、私にも罪はないのだ。そうでなかったら、私はこの場で悪魔にさらわれてもよい」
そのすすり泣き、その苦しみは、長く長くつづいて、ようやく二人の心の痛みもうすらいだ。彼らの歎きは聞くも哀れであった。泣けば泣くほど、二人の悲しい思いはいや増すばかりであった。
どうかみなさん、私の苦労もお察しください。私も明日まで、彼らの歎きを語っていたくはないのです。私もこの悲しい話をするには疲れました。
だが、最後に、彼女の不幸について、アラ王には罪がないという本当のことがわかった時、彼らは幾度も接吻しあった。と、そうまあ、私は思いますね。彼ら二人のあいだの幸福というものは、永遠の喜びを除いては、人間界にまだ見たことがなく、また将来においても見られないようなものであった。
長いあいだの悲しみもやっとうすらぐと、彼女は夫に向かって、いかにも優しくこう願った。それはローマ皇帝がいつか夫のところに来て、一緒に食事をしてくれるように、特別に願い出てもらいたいということであった。もっとも、その場合、彼女のことには一言もふれてくれるなと、くれぐれも頼んでおいた。
皇帝のところに使者に立ったのは、息子のマウリシュウスであったとも言われているが、私の考えでは、キリスト教国の華ともいわれる、この立派な君主のもとに子供を使いにやるほど、アラもそう馬鹿ではなかったと思う。そこはやはり彼自身出かけていったと見ておくほうが至当のようである。
皇帝は望まれるままに、アラと食事を共にすることを承諾した。そして、私が読んだ書物によれば、皇帝は使者に来たこの少年をしきりにみつめて、自分の姫のことを思い出したというが、あるいはそんなことがあったかもしれない。
アラは宿舎に帰ると、心をつくして歓待の用意万端とどこおりなくすませた。
あくる朝になると、早くもアラと后とは、皇帝を迎える支度をして、二人とも喜び勇んで馬に乗って出かけた。その途中、クスタンスは街で父なる皇帝と出会った時、馬から降りて、そこにひざまずきながら、
「父上様、あなたの娘クスタンスのことは、もうすっかり忘れていらっしゃることでございましょうね。わたしはあなたの娘クスタンスでございます。昔、シリアにやられたとき、父上様、わたしはひとり海に捨てられ、殺されようとしたものでございます。父上様、もう異教徒の国へわたしをやらないでくださいませ。だが、まずここにいるわたしの主人にお礼をおっしゃってくださいませ。いろいろ親切にしていただいたのでございますから」と言った。
この三人がこうして出会った時の、たがいのあいだのその涙ぐましい喜びは、誰にもよくそれを筆に現わしうるものではあるまい。だが、私の話もいいかげんにはしょりましょう。今日の日もどんどんたってゆく。もうあまりゆっくりとはできない。これらの嬉しい人たちは食卓についた。その喜びの和気あいあいたる会合の中に彼らを残しておいて、私は話をすすめよう。実際それは、私などが口で言うよりは数千倍の喜びであり、幸福でもあったであろう。
アラ王の子マウリシュウスは、その後法王の手によって皇帝の位につき、キリスト教徒として一生を送った。彼はよくキリスト教会を尊敬した皇帝であった。だが彼の伝記はまた別の話で、私の話はクスタンスを主としたものであった。マウリシュウス皇帝の伝記は、古いローマ人の歴史にあるそうだが、私はそれをよくおぼえてはいない。
アラ王は、かねて定めておいた日も来たので、そのものやさしい后のクスタンスを連れて、まっすぐイギリスに帰り、そこで楽しく、しずかに日を送った。だがそれもつかのまであった。この世の喜びは永くはつづかない。日となく夜となく、潮のように移り変わるものである。
人間は一日でも純粋な喜びのみには生きられない。かならず良心か、怒りか、欲心か、ある種の恐怖か、羨望か、誇りか、情欲か、悪心かでその心を乱されがちなものだ。
私がこんな説教をするのも、それにはわけのあることで、アラとクスタンスの楽しい生活も、まもなく終りを告げた。
人間は身分の低いものも高いものも、みんな死に対しては同一の税を払うものだ。一年も経たないうちに、死はアラをこの世から奪い去った。クスタンスは深い憂鬱に沈んだ。
では、アラの冥福を祈りましょう。そして、最後にクスタンスはローマに帰った。帰ってみると、そこでは友達はまだ健在であった。こうして彼女の波瀾の多い生活は終わった。彼女は父皇帝に会った時、その前にひざまずいて、嬉しさのあまり泣いた。そして、幾度となく神に感謝した。
皇帝と姫とは一緒に住んで、死にいたるまで二度とは離れなかった。そして、徳をおこない、慈善にいそしんだ。
では、ご機嫌よう、私の話は終わった。
イエス・キリストよ、禍いの後には喜びを与え給う御神よ、そのお恵みに私どもを浴させ、ここにいるみなさんをお守りくださらんことを。
法律家の話 結語
宿の亭主はすぐ鐙《あぶみ》の上に立ち上がりながらこう言った。
「みなさん、どなたもよくお聞きください。実際、これはためになるお話でした。ところで、そちらの牧師さん、キリストのお骨《こつ》にかけて、お約束どおりひとつ話をお願いしますよ。あなた方は学問がおありだから、ためになる話なら、いくらでもご存じに違いない」
牧師は答えた。
「やれやれ、あんたはまたどうしてそんなもったいないことをずけずけと言いなさる? 罰があたりますぜ」
亭主はそれに返答した。
「ほう、ジャンキンがそこにいなすったのかい。どうりで、ロレル臭いと思った」(ロレルとは十四世紀の後半にあったウクィリフ派の僧のことで、この派では、神やキリストの名を使用して誓うことを罪悪と考えた。また「ジャンキン」は僧侶に対する軽蔑を示す名である)
亭主はなおつづけて言った。
「ところで、みなさん、お聞きなせえ。キリストの苦行のために、ちょっと待った! どうも虫が知らせることがある。ここにいられるロレルが、どうやらまた説教ときそうですぜ」
この時、船乗りは言った。
「親爺《おやじ》の魂に誓って言うが、そいつはいけねえ。ここで説教はごめんだね。福音書を講義しても、教えても困るんだ。だいたい、わたしどもはみんな唯一の偉大なる神の存在を信じているんだからね」
彼はなおつづけて言った。
「ロレルはいつもむずかしいことばかり言って、わたしどもの清らかな穀物の中に毒麦の種を播く癖があるよ。だから、亭主、前もって言っておくがね、おれが話をすれば、おれの陽気な人柄からするよ。陽気なベルでも鳴らして、この団体のみなさんに眼を覚まさせてやらあな。哲学のことや、医学のことや、法律のへんな術語なんかが話のなかに出てくるのは禁物だよ。おれの胃袋にゃ、あまりラテン語なんざもっていないからね」
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バースの女房の話
バースの女房の話 前口上
バースから来た女房は、自分の話をするまえに前口上として次のように言った――
「結婚の悩みということについて、世には、その道の権威者もあることですが、わたしは自分の体験でも十分にお話ができます。
みなさん、おききください。わたしは十二の時から結婚をして、五たびも正式な結婚をいたしましたので、五人の夫の経験があります。
考えてみると、よくもまあ、そんなに幾度も結婚したものだと、自分ながらあきれます。
この五人の夫は、それぞれ身分こそ違っていましたが、みな立派な男でした。
実は、このあいだきいたばかりですが、キリストはガレリーのカナというところで、一度だけ結婚式においでになったといわれています。
そのためしからおしてみますと、わたしも結婚は一度っきりでやめたほうがよかったのではないか、ともいわれました。
それからまあ、おききください。神人でいられましたイエス様は、泉のわきで、――聖書に出ているようにサマリヤの女とかを、きびしいお言葉で、お叱りになりました。
『汝はいままでに五人の夫をもった。こんど汝を妻とした夫は、汝の夫ではない』と確かにキリスト様はそう言われました。
その意味はよくわかりませんが、なぜ五人目の夫が正式な結婚にならないのか、疑問ですね。幾人まで、このサマリヤの女は結婚したらよかったのでしょう。
この人数の問題については、はっきりした説明をまだきいたことがないのです。
人は、いろいろと想像をめぐらし、説明しようとしていますが、神は確かにわたしどもに、生めよ、ふやせよと、いわれています。
その尊い経文の意味はよくわかります。
『父母を去り、この女をめとれよ』と、神はわたしの夫に言われたのです。
けれども神は、二重結婚とか、八重結婚とか、数のことは何もおっしゃいませんでした。ですから、世間が、そのことについていろいろ悪口を言いますのが、不思議でなりませんね。
賢王のソロモンはどうです。幾人かの夫人をおもちでありました。その度数の半分でも、再婚をお許しになるとよいのですが。
あれだけの女御をおもちになれたことは、なんというお仕合せな方でしょう。それほど神の恵みを受けた人はほかにはありません。
承われば、あの気高い王様が、その初夜には数々の楽しいお試合をなされたとか。なんという生れ月日のよい方でありましょう。
わたしも、ありがたいことに、前後五人の夫をもちました。六人目の夫を迎えることになりましても、けっしていやだとは申しません。
実は、そうした意味の貞操など少しも守る気にはなれません。夫が亡くなれば、またすぐほかのキリスト教信者の男がきっとわたしを妻にしてくれましょう。
使徒も言っているように、わたしは好きなところで自由に結婚してもよいのです。結婚それ自身は、けっして罪にはなりませんもの。
情火で燃えるよりは、結婚するほうがましだと申します。二重結婚をしたラメスがあれほど呪われて罵倒されたのは、おかしなことと思われます。
アブラハムもヤコブも、みな神々しい方であったときいていますが、この二人のお方も幾人かの女房をおもちになりました。この他にも女房をたくさんおもちになった神々しい方があったのです。
いつ、どこで、神が結婚をお禁じになりましたか。そんな禁令はないはずです。ありましたら教えてください。
また、いつ、どこで、神は処女を守れよ、とご命令なさいましたか。
処女や童貞について、使徒の教えがあるということは、わたしなども知っています。
処女について、神は何も禁令を出しておられません。使徒もそう言っております。
使徒は、女は結婚しないほうがよいという忠告はしておりますが、それは神の命令ではありません。
女の結婚は自由で、それは各人の判断に任せると、使徒はいっております。
もし、神が、処女を守れよという命令をお出しになったとすれば、結婚もするなということになります。
まず、処女自身は、どうして生まれてくるのでしょう。やはり処女を守らずに、種を植えたからではありませんか。
聖書の中で聖パウロが言っています。神の命令しないものを、使徒は命令することができないと言っています。
さあ、誰がいちばん早く結婚するか、処女に賞品をかけて、競争させてみましょう。
神の命令がなくて、使徒の忠告だけなら、そんな忠告は守らないでもよいのです。
使徒は、自分が童貞であったから、自分と同じように誰にも結婚をしないほうがよいと忠告したかったのでしょう。それは単に処女に対する希望であって、それだけのことですわ。
だから、わたしなどは、自由にひとの女房になることを許してもらいましょうよ。
夫が亡くなれば、また再婚しても、二重結婚のとがは受けません。
使徒の言ってられることに、女にふれないほうがよい、とくに床のなかで女にふれてはいけないとあります。それは火と麻屑とを一緒に置くようなもので、危険だからと言うのです。これはどんなことを意味しましょうか、結婚しても姦淫の危険があるからです。そういう危険のある結婚はしないほうがよいというのです。処女でいるほうがはるかに完全無欠なものだというのです。
夫婦が終生貞操を守れるものなら、問題はないのですが、もし守れないとなると、確かに結婚というものにはそういう弱味があります。
処女は重婚よりもましだと言われても、わたしはべつに恨みがましいことは申しません。確かに人間として心身ともに清浄潔白でありたいとは、誰しも望むことですから、わたしのように幾度も結婚したことを、少しも誇りだとは思っていません。
次に、どなたもご存じのように、なんぼ大家の主人でも、黄金づくりの什器ばかりはもっておりません。木でつくった道具も、けっこう役に立っています。
神は人をいろいろの方面にお召《よ》びになって、その役目役目に使っておられます。神は人間にいろいろの才能を、思召しに従って、分け与えてくださいました。――だからわたしのようなやくざな女でも、けっこう役には立っています――。
確かに、処女性というものは、完全無欠なもので、信心深い禁欲でございます。
ですが、完全無欠なものの根元であらせられるキリスト様は、持つものは全部貧民に与えて、キリストの道を踏めよ、と誰にでも命令されたのではありません。ただ完全に生きようとする人たちに、おっしゃった言葉なのです。
みなさん、恐れながら、わたしは完全無欠に生きようとする者ではありません。わたしは、わたしの一生のうち、花の時代を結婚の行為とその成果に捧げます。
また、どんな目的のために、生殖の器は造られたのでしょう。
また、どんな利益があって、人間は造られるのでしょう。
なんの目的もないのだとは言えないでしょう。それは尿を排泄するためだとか、男女の区別をするためにだけ造られたのだとか言えるでしょうか。
学者の怒りをかうかもしれませんが、実際の経験で申しますと、神の思召しに反しない生殖とその快楽のために造られたものです。
聖書にも、夫は妻に払うべきものは払えよ、とありますが、もしそうでなければ、そう書いてあるはずはないでしょう。
夫はその罪なき器を使わずして、いかにして妻に対する支払いができましょうか。
結局、それは排泄のためばかりでなく、生殖のためにも、人間に対して造られたものでしょう。
だからといって、そうしたかくしどころをもつ人間が、みな生殖のために、それを使用する義務があるのだとは言えません。
童貞ということを、それほどやかましく言うことはありません。
なるほど、この世の初めから、人間としてお生まれになったキリスト様も童貞でいらっしゃいましたし、また多くの聖者たちは完全な童貞の中に住みました。これはもちろん立派なことと思われます。
だが、わたし自身、それほど処女ということを羨ましくは思いません。
確かに処女ということは、たとえば小麦の種から作った純粋のパンみたいなものでしょう。それに比べればわたしたちは、大麦のパンなんですわね。
聖書のマルコ伝にも出ていますが、イエス様は大麦のパンで多くの人たちを救済されました。そういうパンとして、神のおよびになったとおりにわたしたちの立場を守りましょう。
どうせ、わたしなどは下司な女ですから、妻として、造物主《つくりぬし》が下さった道具をそのまま使いますわ。
また、わたしは与えることをおしむようなことは、けっしていたしません。夫が負債を払いたいと申し出た時は、朝晩、いつでもそれを受けましょう。
はっきり言えば、わたしは、わたしの債務者であり、わたしの奴隷である夫をもちたいと思うのです。
そして、わたしは彼の妻たる間は、彼が当然受けるべき肉体的な苦痛を彼に与えなければなりません。わたしは一生涯、彼の体に対して権力をもつものであって、彼が権力をもっているのではないのです。
聖書の中でも使徒は言っています。夫に対して、妻をよく愛するようにと説いています。この命令の一言一句がわたしの希望するところなのです」
この時、突然、そこにいた赦罪状売りは、びっくりして言った。
「おかみさん。なんとも立派なお説教でしたわい。わしも、すんでのところで女房を貰うところだった。わしの体を苦しめるものを、そんなに高く買ってたまるもんか。今年も女房なんざ貰わねえことにするんだ」
女房は言った。
「まあ、おまちなさい。わたしの話はまだはじまらないんだよ。長い前口上だが、まあおききください。
ビールのようにうまくはないが、もう一つの樽の口でもあけて、飲みながらゆっくりおききなさいな。結婚の苦痛にかけては、わたしは専門家なんですよ。
わたし自身がその苦痛を与えた鞭でした。この結婚の苦しみの話がすんでから、わたしがあける樽から飲んでみようとみまいと勝手ですが。
さあ用心して、近くに来て、おききなさいよ。
これから結婚の苦痛の例を十以上もあげてみましょう。
他人を見てみずから戒めない人は、他人の戒めになるばかりだとは、プトレミの『天文学大全』という書物に出ていることですが、よく読んで心得ておきなさい」
この時、赦罪状売りは言った。
「おばさん。それじゃお願いするが、遠慮に及ばねえ、その先をつづけておくんなさい。若い者におばさんの腕前を教えてやっておくれな」
女房は言った。
「いいですとも、お望みとならやりますが、みなさんにお願いがあります。わたしが勝手気儘にしゃべっても、みんな冗談でいうのだから、腹をたてないできいてくださいよ。
みなさん。これから、正真正銘、本物の話をするのです。
わたしのもった亭主のうち、三人は立派なよい人間でしたが、二人は悪いやつでした。前の三人は良い人間で金もありましたが、年寄でした。
それでわたしに負うていた規約の義務も、あまり守れなかったんですよ。どういう意味か、おわかりでしょう。夜は、気の毒なほど骨を折らせましたが、いま考えてみるとおかしくなります。でも、べつに不人情なことをしたとは思っていませんが。
この三人は十分黄金も財産もくれましたので、わたしはもうべつにこの人たちから可愛がられようとも、また尊敬してやろうとも思ってませんでした。つとめてそうする必要もありませんでしたからね。
一方、彼らはわたしを愛してくれましたから、愛ということはさほどありがたいとも思っていなかったのですよ。
利口な女なら、十分愛されていても、愛のない場合と同じように、そのうえにもなお愛を受けようと努力するでしょうが、わたしは平気でした。それというのも、彼らからはもう土地も貰っていましたし、とくにこちらの利益になることなら知らぬこと、なにも彼らを嬉しがらせる必要もありませんでしたから。
実のところ、わたしは彼らを無理にも働かしてやりました。夜などは『うんうん』うなって苦しんだものですよ。
エセックス州のダンモウという地方では、一年じゅう喧嘩をしなかった夫婦に燻豚肉《ベーコン》を褒美にやる習慣がありますが、わたしども夫婦には、そういうものはとんと来たためしがなかったといえば、おおよそのことはおわかりでしょう。
わたしはわたしの流儀で、彼らをよく治めてやりましたから、彼らはみんな満足して、嬉しがってお祭の時などには、よく市《いち》からきれいなものを買ってきてくれましたっけ。
また、少し丁寧な優しい言葉でもかけようものなら、大変うれしがりました。それというのも、わたしはいつもがみがみ叱りとばしてばかりいましたからね。
わたしがどうしてうまくやりぬいたかという、その秘訣を、世の賢い奥さんたちにおきかせしますから、そのとおりにやって、ご亭主をだましておあげになったらよろしいでしょう。
だいたい、思いきり毒づいたり、心にもない嘘を平気で言うことにかけては、男は女の半分にも及びません。世の中でいちばん賢明な女といわれる夫人でも、時にはそういう嘘をうっかり言うものです。
あの昔話にあったように、妻の間男をからすが夫に告げ口した場合、賢い女なら女の強味を利用して、『あのからすは気が狂っている』と言って、夫をだまくらかすでしょう。また女中を味方にだきこんで証人に立たせるくらいは朝飯まえでしょうよ。
だが、わたしならそんな場合、どんなことを言ったでしょう。まあ参考のためにおききなさい。
『老いぼれさん。これがおまえのしこなしかい。お隣の女房は、そんなにきれいかい、ええ? あの女《ひと》はどこへ行ってもちやほやされるわね。
わたしは家にばかりいて、しじゅうきたない着物をきているわね。お隣の家で、おまえはいったい何をしているの? そんなにきれいに思うのかい、おまえもいいかげん浮気男だねえ。
女中に何用があって、ひそひそ話をしているのかい。あきれたもんだねえ、老いぼれの好色先生、馬鹿なまねはよしておくれよ。
わたしがお友達や知合いの家へ、ちょっと遊びにでも行こうものなら、おまえは大変な剣幕で、悪口ばかりたたくくせに。
おまえはよくねずみのように、どろんこになって、飲んで帰ってくるわね。正体もなく酔っぱらうわね。それからベンチの上にあがって、説教をやりだすわね、いいかげんにしたがいいよ』
説教といえば、こんなことをぬかすんですよ。
『貧乏の女と結婚するのは費用だおれだ。これほど厄介なものはねえ。
身分の良い金持の女と結婚すりゃ、その時はまたその時で、威張っていやがって、くそ面白くもねえ。ヒステリー女を相手にしちゃ、一生の不作だ』
おまえのような悪党に、きれいな女房をもたせたら、『うちの女房の尻を追わない世の好色家は一人もない。四方八方から攻撃をくった日には、女もたまったものじゃあるまい。片時も貞操など守れるもんじゃねえ』と自慢してまわるだろうよ。
おまえはまた、『人によって女の選び方が違うものだ。ある人は金のため、ある人は美貌のため、ある人はダンスのうまいため、またある人はしとやかな、人形のような女をもらって、おもちゃにするため、またある人は手や腕が小さいためだ』などと言うだろうが、そんな話は地獄の沙汰だよ。
また、『長い間包囲攻撃を受けたのでは、どんな女でも落城するものだ』と、よくもそんなことを言ったもんだよ。
醜い女を見ると、おまえはまた『あの女は買手がつくまで、男さえ見れば、物欲しがって、ちんころのように男のひざへじゃれつく。相手のない老いぼれの鴨でもなけりゃ、そんな湖水のしとねにははいらねえよ』などとぬかすだろう。また、『あまり男のほうで欲しがらない品物を抑えるのは困難なものじゃ』と、おまえはよく床にはいりしなにつぶやくが、この人でなしめが。
『賢い人は結婚なんざしねえ』とか、『天国へ志す者は結婚はしない』とか、よくそんなへらず口をたたいたものだ。
おまえの、そのしわくちゃの、枯れぼっくいのような顔なんざ、荒れ狂う雷鳴《かみなり》と稲光にでも打たせて、こなごなにしてやりたいもんだ。
『雨もりする家と、いぶる家と、がみがみ言う女の家からは、どんな男でも逃げ出すもんだ』と、畜生、よくもこんな老いぼれにそんな悪態がつけたものだ。
『女は結婚するまではかくしているが、結婚してからは、地金が出る』なぞと言うが、そんなことは悪党の作ったことわざというものだ。
『牛や驢馬や馬や犬などは、買うときに、いろいろ試してから買える。たらいでも、洗水盤でも、スプーンでも、腰掛けでも、家財道具は買うまえによく調べることができる。また瓶《かめ》類でも衣類でもそうだが、女房となると、結婚するまではためされない』なんて言ったものだが、この老いぼれ野郎めが。
『おまえを美しいといってほめたり、おまえの顔にうっとりとみとれたり、ところきらわず、遠慮会釈もなく、美しい奥方よなどと、おまえのことをのろけたりしないと、おまえのご機嫌が悪い』とか、『おまえの誕生日には、ご馳走をして、おまえをきれいに着かざらせ、ばあやや、部屋の女中や、実家《さと》の人たちや、お友達をよばないとおまえはすぐにむくれる』とか、よくもぬかしやがったね。この嘘つきの古樽めが。
そのくせ、うちの奉公人のジャンキンが、美しい黄金色の縮れ髪をしているというので、しじゅうやいていやがる。ジャンキンがわたしのお供をして、どこへでもついてゆくというので、いやに気をもんだことがあったわねえ。
おまえが明日が日に死んだところで、わたしはジャンキンなどに気はないわよ。
だがまあ、いまいましい。おまえが箪笥の鍵をわたしに隠しておくのは、いったいどうしたわけかい。おまえのものはわたしのものじゃないか。どうしておまえは女房を馬鹿扱いにするのだね。
おまえのような男には、わたしの体も財産ももたせられやしない。どんなにおまえは怒っても、そうはいかないよ。どんなにおまえがやっきになっても、この二つは手放さないからね。
なんの必要があって、わたしのことをこそこそさぐったり、そっと調べてみたりするのさ。おまえはわたしを箱の中へでも入れて、鍵でもおろしておきたいのだろうが、とんでもないことだよ。
こういうふうに言うもんだよ――
『かみさん、どこへでも、好きなところに行って遊んでおいで。わたしは世間の噂など、気にする男じゃないよ。アリスや、わたしはおまえを真実な女房だと思っているんだ』と、こういうふうにさ。
わたしたちはこっちのすることを見張っているような男は好きになれないわ。自由でありたいのだからね。
偉い星学者プトレミ先生は、誰からも尊敬されていらっしゃる。それもそのはずだわ、その『天文学大全』にこんな格言があるわ。
『人間最高の知恵は、誰が天下の財宝を握ろうが、それを少しも意に介せざることである』
この格言の意味を少しは悟ってほしいものだね。
相当もっているくせに、人が愉快にしているのを気にするなんてことがあるものか。
実のところ、失礼ながら老いぼれさん、それでも夜はおまえも十二分におぼぼをさせてもらえるじゃないかよ。
自分の行灯《あんどん》から人にろうそくの火をつけさせないやつは、よっぽどおかしなけちん坊だよ。そうしたからといって、それだけ明りが減るものでもあるまいし。
相当もっているからには、少しのことをけちけち言うものじゃないわよ。
わたしたちが高い飾りや着物をつけていると、おまえはすぐわたしたちの貞操をうたがうなんてけちな考えだ。
いまいましいことに、おまえは自分の説を正しいものとみせかけるために、使徒の言葉なんか借りて利用する。
『汝ら女子よ、貞操と貞淑とによって作られたる衣をまとえよ。けっして、髪を編み、真珠のごとき美しき宝石も、黄金も、美しき着物も、身につけることなかれ』と。
おまえが引用するような経文や、赤字の礼式規程のとおりには、こっちは爪の垢ほどもやりたくないのだよ。
おまえは、わたしを猫のようだと言ったね。猫は毛を焦がしてやると、家の中にひっこんでいたがるものだが、少し毛に艶が出てきれいになると、半日も家にはいやしない。その毛を見せびらかすために、夜じゅうほっつき歩いて、ギャーギャー鳴くという意味でそう言うのかい。
それじゃなにかえ、この悪党め、わたしがもしきれいで、浮気なら、粗末な着物をみせびらかしに外へ出て、駆けずりまわるとでも思っているのかい。
老いぼれさん、何を苦しんで、わたしのことをそんなに見張っているんだね。
ギリシャ神話に出てくる、あの百眼のアルグスという怪物にでも頼んで、わたしの見張りをさせてみるがいい。そんな見張りくらいじゃ、わたしの手証をおさえることなんかできないよ。あんなアルグスぐらいちょろまかすのはわけもないことさ。
おまえはまた、『およそ人間に堪えられない不幸は、この世に四つとはない』というが、その三つのうちに、悪い女房を数えようというんだね。え、畜生、それでも説教のつもりかね。イエス様にお頼みして早く往生するがいいや。
うすのろ女でも相手にしているなら知らぬこと、そんなたとえをするほどなら、なんとかもう少したとえようがありそうなもんだね。
おまえはまた、女の愛なんざ地獄のようなものだとか、水でさえたたえてゆかれない不毛の地が、女の愛というものだとか、また山火事かなにかにたとえやがって、女の愛は燃えれば燃えるほど、どんなものでもなめつくさなけりゃおかないとか、虫けらが樹木を枯らしてしまうように、女房は夫を破滅にみちびくものだとか、これは女房というものにしばられている、男という男がみんな知っているところだとか、へらず口ばかりたたいているわねえ。
まあ、ちょうど、こういったぐあいに毒づいておったのですよ。
みなさん、あなた方はもうおわかりでしょうが、これはなにも、わたしの老人の夫がそう言ったのではありません。おまえさんが酔って家に帰って、そんなふうに女の悪口を言ったのだと、あることないことまくし立てて、夫の機先を制して、うんと油をしぼってやったのよ。
それから、ジャンキンとわたしの姪をこの嘘の証人に立てて、夫にそう信じ込ませてしまったのです。実は、そんな女の悪口はけっして言わなかったのですがね。
わたしは、そんなぐあいにして、罪のない夫たちをずいぶん苦しめたものです。わたしは馬のように噛みついたり、ヒンヒン啼くことができますからね。
こちらが悪い時でも、相手に小言を言ってやる。そうして先手をうってやらないと、逆にこちらがひどい目にあわされることもないとはいえませんからね。
早いもの勝ちということがありますが、こちらから機先を制して、最初こっちが小言を言ってやると、争いを未然に防げるものですよ。
夫たちは、一生のあいだ、ちっとも犯した覚えのない罪でも、それが許されるとなると、大変嬉しがったものですわ。
夫が病気で立てないような時など、売笑婦のことで、ぐんぐん責め立ててやりましたが、夫はむしろ心の底じゃ嬉しがっていたようですわ。
わたしがやきもちをやくだけ、まだわたしに愛情があるのだと思ったからでしょう。
わたしが夜歩きをするのも、夫が遊んでいるところを見とどけるためだと言って、逆にたんかを切ってみせるのです。そうした口実で、わたしは数々の楽しみをしたものですわ。
まあ、こんな嘘をいう知恵は、女の天分だと見えますわね。
欺くこと、泣くこと、糸をつむぐことは、神がもともと女の一生のあいだ間断なく与えてくださる才能なんですわ。
そういうわけで、わたしのようなものにも誇りにするだけのものがあるんですよ。それは巧妙な策略を用いること、もう一つはおどすことですわ。その方法としては、たとえば、絶えず小言を言うこと、それは結局、最後の勝利を完全にかちえる道ですからね。
わたしは床の中で、がみがみ言って、夫に不愉快な思いをさせてやります。床の中で夫はまったく災難でした。
夫がわたしに何か贖《あがな》いを出さないうちは、床の中で夫の腕がわたしの脛《すね》にすこしばかりふれても、もう床の中にはいってはいませんでした。
その贖いがついたあとで、男の馬鹿げたまねを少しは許してやったのです。
すべてのものは、売りもの買いものですわね。この話にしても、どなたにも売ってあげましょうよ。空手で鷹は呼び戻せないと言いますからね。
得になることなら、夫の煩悩にも辛抱するし、自分でもまんざらでもないようなふうをしました。でも田舎者の好きなベーコン(売笑婦)だけはどうも好きになれませんでしたわ。このことでは、いつも夫に小言を言ってやったものです。
自分の家の食卓なら、夫の隣に法王が坐っていらっしたとしても、容赦なくずけずけ叱りとばしてやりますよ。実際夫には一言一句、口答えをしてやったものですわ。
全知全能の神に誓っても、いま遺言状を書かされても、夫から借りてる言葉はみんな返してやったはずです。口答えのできなかった言葉はひとこともありませんでした。
わたしの才能のおかげで、夫はついに諦めて、手をあげるようになりました。でなければ、わたしたち夫婦の仲には喧嘩の小止みもなかったことでしょうよ。狂った獅子のように怒っても、いつも夫は目的をはたさないで、へこたれてしまったものです。
そんな時に、わたしはこう言ってやりました。
『ねえ、あなた、ごらんなさい。わたしたちの羊ウィルキンちゃんは、いかにもしとやかに見えますよ。
旦那様、もうちょっとこちらへおいで。そして、その頬に接吻させてちょうだいな。
あなたは、ヨブの忍耐強かったことを、しきりに説教なさいますが、ご自分もそのように忍耐強くして、おとなしく、立派な良心をおもちになるがいいのよ。
そんなに、うまく説教がおできになれるものなら、いつも苦しいことに辛抱なさい。
おできにならないなら、わたしが教えて差し上げましょう。妻と喧嘩をしないことは立派なことです。確かに、わたしたちのどちらか一人が、折れて降参しさえすればいいのよ。それでこそ、男のほうが女よりも道理がわかるというものです。あなたが辛抱することよ。
何が苦しくてそんなにぶつぶつ小言を言ってるのよ。わたしのおそそを独占したいと言うのですか。それだけのことなら、なにさ、全部でも差し上げますよ。どこからどこまでも、全部おもちなさいませ。
その代りに、あなたがそれを、よく愛してくれないものなら、わたしは呪いますよ。でなければ、ばらのように美しく街を歩いてもようござんすわ――もしわたしが美品《ベル・シヨーズ》を売ろうと思えばね。だがこれだけは、あなたの賞味のためにとっておきましょう。本当はあなたが悪かったのよ。そらそうですとも』
こんなおどし文句はいつも女の手もとに備えつけているものです。
さて、これから四度目の夫についてお話をしましょう。この夫は道楽者でした。それというのも、色女があったからです。
わたしはまだ若くって、情熱に燃えていました。
わたしは強い片意地な女でした。かささぎのように、朗かな女でしてね。甘い酒でも一杯飲めば、小さい絃琴に合わして踊れもしたし、ナイチンゲールのようにうたえもしました。
あのメテリュウスという、豚のように馬鹿なやつがあって、自分の女房が酒を飲んだというので、長いあいだ連れ添った女房を棒でなぐり殺したという昔話がありますが、そんな男のおどかしぐらいじゃ、わたしの酒はやめられませんでした。
ぶどう酒を飲むと、きっとヴィーナスのことを思います。寒気がかならずあられを生むように、快楽をむさぼる口があれば、またかならず快楽をむさぼる尾があります。ぶどう酒を飲む女はこばむことを知らずと言いますが、これは好色家がみんな経験によって知っていることです。
しかしまあ、わたしの若い時分に楽しく遊び暮らしたことを思うと、心の根もとがくすぐられるような気がいたします。若い時、天下を取ったような気持で、羽根をのばして楽しく遊んだことは、今思っても嬉しゅうございますわ。
だが、すべてを毒するものは、年ですわね。わたしの美しさも、わたしの心《しん》の髄までも、みんなはぎとられてしまいます。
去るものは去らしめよ。わたしの美しさも、さらばですわ。地獄へでもなんでも落してやりたいのよ。
花は散った、万事おしまいです。
今からは、せいぜいかすでも売らなければなりません。でも、なんとかして、少しは朗かな気持になれるようにしたいものだわ。
どら、これから四度目の夫の話をつづけましょう。
どうも、夫が他の女を楽しむと、わたしも心の底に恨みをいだかずにはいられません。でも夫には仇を討ってやりました。同じ木で十字架を造って、夫をはりつけにしてやったのです。だが、けっして肉体で仇をとるというようなことはしませんでした。
わたしは、それで、他の男に秋波を送ってみせました。夫は憤慨して、嫉妬心に燃え、大苦しみに苦しんだものです。彼自身の油の中で夫をてんぷらにあげてやったのよ。
夫に対して、わたしはこの世ながらの煉獄となってやりました。それによって、夫の魂が天国の栄光の中に住めるようにと願ったのです。
それは煉獄の苦行とでも言いましょうか、夫は自分の靴の痛さが身にしみて、時々ひとりじっと坐ったまま、うなっていました。
わたしがどんな方法で夫を苦しめてやったか、何ぴともそれは考え及ばないでしょう。だが、それは神と当の夫だけが知っていることでした。
わたしがエルサレムへの巡礼をして帰って来ますと、まもなくその夫は死にました。今は寺の十字架の梁《はり》の下に埋められ、横になってふせっています。その墓は、まことに粗末なもので、アッペレスが巧妙に造ったダリュウスの墓のように華美なものではありません。金をかけて埋葬するのは本当に無駄ですからね。まあ、うまく極楽往生して、霊が安らかに眠るようにお祈りはします。夫も今は墓の下で箱の中にいるのですよ。
さて今度は五度目の夫の話をいたしましょう。この夫の冥福は祈りますが、実はいちばん悪い夫でした。それがわたしの胸にひしひしとこたえているのです。あばらの骨、一本一本に感じるのです。おそらく、死ぬ日まで感じることでしょう。
だが床の中では、若々しく、生き生きとして、陽気なものでした。わたしのベル・ショーズが欲しい時には、実にうまくわたしをおだてたものですよ。どの骨も砕けよとばかりわたしを打ったものですが、すぐにまたわたしの愛を取り戻すことができました。実はわたしもこの夫をいちばん深く愛していたものです。というのは、彼の愛は相当近づきにくいものだったからですわ。わたしたち女というものは、この色事では、何か不思議な幻想をもっているのですね。いったい、たやすく得られないものには、どんな力があるのでしょうか? そういうものには、わたしたちはきっと、終日泣き叫びながらあこがれるものですよ。
わたしたちに何かを禁じてごらんなさいな。そうすれば女はきっとそれを熱望してやまないものですよ。
これに反して、わたしたちを追うとなると、わたしたちはきっと逃げまわることでしょう。
わたしたちはわたしたちの商品をちびちび外へ出します。市場で買手が多ければ品物は高くなりますが、あまりに安すぎるものは価値がないものと思われます。このことは少し利口な女ならみんな知っていますのよ。
わたしの五度目の夫には極楽往生をさせたいものです。わたしがこの人と結婚したのは、愛のためでもなく、財産のためでもありませんでした。
彼は一時オックスフォルドの学僧でした。大学を去ってから、わたしたちの町へ移って来て住むことになったのです。わたしの友達のところに下宿をしたのですわ。本当に極楽往生をさせてやりたいものですわ。
この友達の女の名はアリスーンと言いました。この女はわたしの心持もよく知っていてくれたし、わたしの個人的な秘密まで、教区の牧師よりもよく知っていたものです。
わたしはこの友達にわたしの秘密をみんなきかせてやりました。またわたしは、夫が壁に小便をしたとしても、何か命がけの仕事をしたとしても、夫の秘密という秘密はのこらずこの女にも、また他の細君連中にも、またわたしの可愛がっていた姪にも話してきかせたことでしょう。
わたしが夫の秘密を皆に知らせたので、夫はときどき顔を赤らめて、恥じ入ったものでした。そんな大切な秘密をわたしに話したのは彼の責任で、あとでは悪かったと思って後悔したものですわ。
かつて四旬斎《レント》の季節に、(わたしはときどき友達のところへ遊びに行って、気晴らしがしたかったし、とくに三月、四月、五月の月は、戸ごとに訪問して歩いて、世間話をきくのが大好きでした)こんなことが起こったのです。
その学僧のジャンキンさんと、友達のアリスーンとわたしとは野原へ遊山《ゆさん》に出かけました。わたしの夫は四旬斎の時はロンドンにいたのです。だから、ゆっくり遊べたのですわ。
人に会ったり、人もわたしに会いに来たり、たがいにつきあっていました。ああ、どんなところにわたしの幸福が待っているかわからない。本当にどんなところに?
だからわたしは、お祭の前夜祭にも、お祭の行列にも、説教にも、巡礼にも、宗教劇にも、結婚式にも喜んで出かけたものでした。
わたしはいつもまっ赤なスカートをつけて出かけました。このスカートには、うじ[#「うじ」に傍点]も、蛾も、虫もけっしてつきはしませんでした。それというのも、おわかりでしょうが――それほどよくそのスカートを使ったからですわ。
さて、話を前にもどして、その遊山のとき、この学僧とわたしとは夢中になって世間話をしていました。わたしは先の先まで見越して、彼に話をしました。もし、わたしが未亡人になった場合には、わたしを妻にしてくれるように、学僧に言ったのです。実は、他のことでもそうですが、とくに結婚のことにかけては、自慢ではないが、わたしはいつも先見の明があったのですね。
逃げこむ穴を一つしか用意していないような鼠の心臓はびた一文の値打もないのです。それが失敗すれば、もうそれまでですもの。
わたしが、すっかり惚れこんで、夢中になっているかのように、相手に思わせてやりました。こんな微妙な手並みは、わたしのおふくろから教わったのですよ。
また、夜っぴてあなたの夢を見ましたとか、わたしがあおむけにねていると、あなたがわたしを殺しに来て、床の中は血潮でいっぱいでしたが、それでもわたしは嬉しかったとか、そんなことを言ってやったのです。きけば、血は黄金を意味するとか言いますからね。
だが、それはみんな嘘でした。そんなことは少しも夢に見たのではないのです。他のこともたくさん教えられていました。そういうことをおふくろから教えられたとおりに言ってみただけなんですよ。
さあ、だいぶ話が横流れをしました。ああ、そうそう、四度目の夫が棺台にのぼされた時、わたしは女房らしく泣いたのです。それも一つの習慣ですから、悲愴な顔もしたのですよ。わたしはハンケチで顔をかくしました。だが、次の夫のあてごともありましたから、あんまり泣きはしませんでした。
翌朝、近所の人たちに連れられて、夫は教会に運ばれました。会葬者の中には、学僧のジャンキンもいたのです。わたしは棺のうしろについて彼を見ました。彼の二本の脚があまりにきれいなのに、わたしはうっとりしてみとれたのです。なんということでしょう。
彼は実は二十で、わたしは四十でした。年はとっても浮気はやまない。それに山羊のような歯並みでしたよ。よく似合ったものですね(「山羊の歯並み」とは好き者を意味する)。わたしには、それに聖ヴィーナスの印で押された好色の相もあるのです。なんということでしょう、わたしは好色家でした。また、実のところ、夫はみながみな、わたしがこの上ないすばらしいかくしどころの持主だと言っていました。
わたしは感触の点では、まったくヴィーナスの星すなわち金星の相があります。またわたしの心臓は、マルズという軍神すなわち火星の運勢があるのです。金星はわたしに好色と淫欲とを与え、火星はわたしにたくましい剛情な性質を与えたのですわ。
わたしの運勢の星は牡牛で、ヴィーナスの宮の中に火星がはいっている。それがために、火星の影響を受けたヴィーナスということになるのです。
ああ、恋が常に罪悪であったとは情けないことですね。
わたしは自分の星座に従って、心のおもむくがままにやって来ました。それがために、好きな人からは自分のヴィーナスの房《へや》を引っ込めるようなことはできなかったのですわ。
火星のしるしはわたしの顔にも、他の秘密な場所にもあるのです。困ったことには、そのためにわたしは分別なく男を愛し、いつも食指の動くがままに、相手の背が低かろうが高かろうが、色が黒かろうが白かろうが、相手が気に入れば、どんなに貧乏でも、どんな身分の男でも平気でした。
ところで、どうでしょう。その月の末、この快活な学僧のジャンキンは、親切にも厳かな式を挙げて、わたしと結婚してくれましたの。
わたしは貰っておいた土地も収入もみんな彼にやってしまいました。これはあとで大変後悔したのですが、彼はわたしの望みどおりには少しもやってくれないで、自分の勝手ばかりしていたのです。それどころか、わたしがある日彼の読んでいた書物のページを一枚だけ破ったというので、わたしの耳をしたたか打つんですもの。そのために、今のようにわたしはまったくつんぼになってしまいました。
わたしは牝獅子のように強気で、舌にかけては、まったくへらず口のおしゃべりやです。
彼がどんなにおどし文句をならべても、わたしはぶらぶら門並みに遊び歩きました。
このことで、彼はときどきわたしに説教をしました。
『ローマ物語』という説話集から例を引いて、わたしを説くのです。シムプリシュウス・ガルススという男が、ある日のことその妻が帽子もかぶらないで、玄関から少し外を眺めていたのを見つけたというので、その妻を離縁したとかいうんですがね。
もう一人、なんとかいうローマ人の話もしてくれました。この男は妻が夫の承諾なくして、夏祭の踊りに出かけたというので、妻を捨てたとかいうのですよ。
また夫は、妻にみだりに遊び歩かせてはいけないと、きびしい訓令をしている伝道者の格言を聖書の中から引用して、わたしを説こうとするのです。彼はいつもこんなことを言ってました。
『柳の枝で家を造る者は誰でも、また休閑地をやたらに馬に乗って駆けまわる人は誰でも、また妻を霊廟の巡礼に出す人は誰でも、絞首台にかけて絞め殺すべきものだ』と。
だが、こんなおどしは無駄なことでした。彼が言うような格言とやらは、わたしにはさんざし[#「さんざし」に傍点]の実ほども価値のない、つまらないものだと思われたのですからね。
こんな男の説法で正しい女にはなりたくないのです。わたしの欠点を指摘する人は、誰でも嫌いですわ。それはわたしばかりでなく、たいていの女が嫌いなのでしょうよ。
それで、彼は気違いのようになって怒ったが、わたしはどんなことがあっても許してはやらないつもりでいたのです。
さて、聖トマス様に誓って、事実を申し上げましょう。なぜわたしは彼の書物から一枚はぎとったか。それを怒って、彼はわたしの耳を打って、わたしをつんぼにさせたか。
彼には愛読書があって、それを朝から晩まで読みふけっていました。その本の名を、彼はヴァレリとかセオフラストとか呼んでいました。その本を読んでは、いつも面白そうに笑っているのです。
もう一冊他にも愛読書がありました。それは、悪僧ジョーヴィニヤンに対して一書を草したローマの学者、聖ジェロームという高僧の書いたものでした。
他にもたくさん書物がありました。テルトゥリアンやクリシプス、トロートゥラやまたパリーの近くにある尼寺の長をしていたというエロイーズなどの本もあったようです。
また、ソロモンの格言集、オヴィディウスの『恋愛の術』とか、その他にもたくさんありました。これをみな一冊の本として、立派に綴じて持っていたのです。
彼は俗事を離れて、暇さえあればゆっくりと、夜となく昼となく、女の悪口ばかり書いた書物に読みふけっていました。
聖書の中に出て来る善女の話よりも、彼は毒婦の伝記伝説をたくさん知っていました。学僧というものは、聖女の話は別として、他の女となると、ことごとく罵倒する以外に、ほめるということを知らないものです。
イソップ物語にあるように、誰がライオンを征服している人間の絵を描いたのか? それは人間が描いたのです。ライオンが人間を描けば、ライオンが人間を征服している絵を描いたでしょうからね。それと同じように、女の悪口を言う説教話は、学僧が書いたものに違いない。もし女が書いたとすれば、どんな男たちでも取り返しのできないような悪事を、男について書いたことでしょうから。
水星の運勢をもった学者と、ヴィーナスの運勢をもった女房とでは、まったく正反対に作用するのが占星術の原則です。だから性が合わないはずでした。
水星生れの人は知識と学問とを愛し、金星生れの人は奔放と奢侈を好むものです。
この二つの星の位置からみても、水星と金星とはその勢力がたがいに反撥しあっているのです。魚座の中では、水星の勢力が最低に現われていますが、金星の勢力は最高を示しているのです。金星が下がるところでは、水星が上がるということになっています。だから、女が学僧にほめられないのは当然ですわ。
まして学僧が年をとると、ヴィーナスの仕事などは、古靴にも劣ったつまらないものと考えるようになって、よぼよぼの筆先で、女の悪口を書き出すのでしょう。女というものは夫婦のちぎりを守れないものだと、生意気なことまで書くのです。
だいぶ横道へそれましたが、要点は、わたしが本のことで夫に打たれた事情をお話ししたいのです。
夫のジャンキンは、ある晩のこと、火にあたりながら、読書にふけっていました。
まず第一番に、イヴのことから始めたのですよ。女の悪心のために、全人類が破滅に導かれた。それがために、イエス・キリストはみずから死を甘んじて受け給うた。その心臓の血でわたしたちをふたたび取り戻してくださいました。まあ、この点では、女は明らかに全人類没落の原因であったということになりますわね。
次に彼はまた聖書の話で、サムソンが眠っている間に、陰謀によって、その情人の手で頭髪を切り取られ、おまけに捕えられて、両眼を失くした話を読んできかせたのですよ。
それから、ヘルキュレスとその妻のディアニーレの物語で、ヘルキュレスが火に飛び込んで、自殺した話を読んできかせたのですわ。
次にはまた、ソクラテスというギリシャの哲人が、その二人の女房のために苦しみを受けた話が出ました。ザンティッパという女房が、ソクラテスの頭の上で小便をしたというんです。
この好々爺は、それでも死人のようにじっと坐ったまま頭をふきふき、
『かみなりがやまないうちに、雨が先に来た』と言っただけだ、と言いますね。
クレートの女王ファシファの話などは、極悪非道、呪うべき話だけに、この夫にとっては、甘露の味があったでしょうね。
この話は、これ以上言えませんが、ものすごい話でした。この女王の淫乱ときては、話にもなんにもなったものではないのです。
淫乱のために、妻がその情夫とはかって、夫を殺すというような話は、ジャンキンがもっとも好んで耽読したものですわ。
次にアムフィオラックスが昔テーベで、その妻に殺されたわけを読んでくれました。妻のエリフィレムは、黄金の飾りをもらってひそかにギリシャ軍に通じ、夫のありかを密告したのですね。それがために、夫はテーベで不幸な最期をとげたのです。わたしの夫は、こんな不貞な妻の伝説も知っていました。
それから、夫殺しのリーマとルスィーアの話もしました。その一人は恋のために、もう一人は憎しみのために夫を毒殺したのです。
リーマは夫の敵であったので、真夜中にその夫を毒殺しました。
淫乱なルスィーアは、あまりに夫を愛したからですよ。夫の愛を十分に受けようとして、惚れ薬を飲ませたのですが、その調合の手違いで、まだ夜が明けないうちに死んでしまったというんです。
そんなふうに、いろいろのことで夫が苦しむ話をするのでした。
それから、ラトゥミュウスという男が、その友達のアルリウスにこぼす話もありました。
ラトゥミュウスの女房が三人とも、あまり嫉妬深いために、庭の樹に首を吊って自殺した。その樹が庭にあるのをみて憂鬱になり、ラトゥミュウスがある日友達にその話をした。すると、アルリウスが言うには、
『おいきみ、そう悲観するなよ。その祝福された樹の枝を一本おくれな。わしの庭にも植えるべえ』
わたしの夫は、その後の世にも起こった、いろいろなことを知っていました。
ある女房は床の中で夫を殺し、死体をそのままあおむけにねかしておいて、同じ床の中へ情夫《おとこ》をひっぱり込んだと申します。
ある女房は眠っている夫の頭に釘を打ち込んだとか、またある女房は酒の中に毒を入れて夫に飲ましたとか、とても人間の心では考えられないような悪事を語ってきかせました。
この世に生えている草木の数よりもたくさんに、夫は女に対する悪たれのことわざを知っていたのですね。
彼が言うには、
『がみがみ言う女と一緒に住むくらいなら、獅子やけがらわしい竜と一緒に住むほうがましだ。
おこりっぽい女と一緒に住むくらいなら、屋根の上に住むほうがよい。
女は根性が悪く、あまのじゃくだ。夫の好むものはなんでも嫌いなのが女の常だ』と。
また言うのには、
『女は下着をぬぎすてるように、簡単に恥をかきすてる。
節操を守れない美人は、牝豚の鼻へかける黄金の環だ』
などと、言われたわたしの苦しみ、その痛さは、ちょっと想像がつきますまい。
この呪わしい本を、夜じゅう読みふけって、いつやめるようすもないので、わたしもむっと腹が立って、いきなりそばに行って、ちょうど読んでいたところから三枚(原文のまま)ばかりちぎり取って、拳骨で夫の頬をしたたかなぐりつけてくれたのです。
彼はよろよろとして、火の中へ尻もちをついて倒れました。
それから彼は、狂った獅子のように憤然と起きあがって、こんどは向うが拳骨でわたしの頭をなぐりつけました。わたしは気絶して床《ゆか》の上に倒れたのです。
夫もわたしが正気を失くして、動けなくなったと見ると、非常に狼狽して、逃げ腰になったのでしょうが、やがてわたしも息を吹き返して、こう言ってやりました。
『うそつきの盗人《ぬすつと》野郎、おまえはわたしを殺そうとしたな。それもわたしの地所が欲しさにやったことだろう。
だがまあ、わたしが息を引き取らないうちに、この世のお別れだから、おまえとひとつ接吻をして死にたいものだ』
というのを聞いて、夫はすっかり喜んで、そばへよって来てひざまずいた。そこをめがけて、わたしはいきなりひっぱたいてやったのです。
そうすると、夫はあやまりました。
『アリスーン教姉さん、ほんとうにもう、わしはおまえをなぐるようなことはしないつもりだ。わしのやったことは、おまえにも少し罪がないでもないが、どうか赦しておくれ。お願いだから』
そう夫が言っていても、かまわないで、わたしはどんどん夫のほっぺたをなぐりつづけてやりました。
『盗人野郎、やっとこれで気がすんだ。うまく仇をとってやった。さあ、これからわたしは死んでやるよ。もう声が出なくなった』と、こうわたしは言ったものです。
結局、大変な苦労で、ようやく二人は仲なおりをしました。まあ仲裁人も入れないでね。
彼は家と土地の支配権をぜんぶわたしに譲ったばかりでなく、彼の舌も手もわたしの支配を受けることになりました。
彼の愛読の書物は全部、その場で焼かしてしまいました。これでわたしは首尾よく、全主権を握ることができたわけです。
彼も納得して、こんなことを言いました。
『おまえはわしの真実な女房だ。一生涯おまえの勝手にしたらよい。ただ、おまえの名誉をきずつけないように、またわしの顔も立てるようにして欲しいがね』
その日からぱったり、喧嘩はもうやりませんでした。
ありがたいことに、夫に対してわたしは、デンマルクからインドへかけて、わたしほど親身な世話女房はないほどのよい女房になりました。彼もまたとない親切な夫となってくれたのです。
この夫の冥福を神に祈りましょう。
これから、わたしの物語を始めたいと思います。みなさん、よくおききくださいませ」
刑事と托鉢僧のわたりあい
その時、托鉢僧は、この女房の話を聴き終わってから、笑って言いました。
「ええ、おかみさん、これはおそろしく長い前置きだねえ」
そうすると、宗教裁判所の刑事が、托鉢僧のさえずるのをきいて、
「そらまた! ええ、托鉢坊主というやつは、よく出しゃばるものだわい。それみたことか、諸君、蠅と乞食坊主は、どんな皿にも、どんなものにもとまるものだというぜ。なぜ前口上のことなぞぶつくさ言うのだい。え? それほど急ぐなら、おまえ一人で先へぶらぶら行ったらいいや。駆足でもかまわんよ。それがいやなら静かにしていな。それとも向うへ行って休んでおいで。おまえはそういうふうにおれたちの楽しみを邪魔するやつなんだ」
托鉢僧は言った。
「なあに、そうしてもらいたいのか、刑事さん。ここにいる人たちをみんな笑わせるために、刑事のことを一つか二つ話をしてあげよう。おれはそれから出かけらあ」
刑事は答えた。
「坊主、そうでもしなければ、きさまの面《つら》が立たないだろうよ。おれもシディングボルンへ着かないうちに、乞食坊主の話なら二つか三つくらいやらかすぞ。そうして、きさまをとっちめてくれるんだ。もうだいぶおこっているようだから、とっちめるのにわけはねえ」
この時、亭主は叫んだ。
「静かに、喧嘩はやめてください。まあ、この女《ひと》に話をさせておやりなさいな。みなさんはどうも酒がまわったようだ。さあどうぞおかみさん、話を始めてくださいな」
バースの女房は言った。
「いいですか。それではお望みのように始めますが、こちらの坊さん、ようござんすか」
坊主――
「よいとも、おかみさん。始めなせえ。聴きやしょう」
バースの女房の話
昔、ブリトン人があがめていたアーサー王の時代には、この英国はどこへ行っても、妖精というものが出ました。その妖精の女王は、浮かれ心の友達を連れ、いつも緑の牧場《まきば》でダンスをしていました。これは、私が古書を読んで知ったのですが、数百年まえの話ですよ。
今日では、もう妖精などは一人も見られません。そのわけはこうですよ。いまは正式な托鉢僧や乞食坊主が、どんな土地にも川にもやって来て、まるで太陽の光にあたった埃のように、いたるところにうようよしています。そうして、人にえらい慈善をほどこすだの、祈祷をするだのと言っています。地主の邸宅にも、広間にも、台所にも、婦人室にも、都会にも、町にも、城にも、その高い塔の上にも、村里にも、納屋《なや》にも、厩《うまや》にも、搾乳場にもあらわれて、人々を祝福します。こうしたことがもう妖精の出なくなった原因ですわ。
昔、妖精が出歩いたところに、今では、朝でも午後でも托鉢僧が歩いています。自分の托鉢を許された土地を廻りながら、朝のお経を読んだり、勤行《ごんぎよう》をしたりしているのですわ。
今日、女子《おなご》は、どんな藪の中にはいっても、樹の下にいても、安心して自由に歩けるはずだが、ただ一つ睡眠中の婦女を姦するという妖魔《インキユブス》がいて、それが托鉢僧ときているから始末におえません。女に恥辱を与えるばかりですわ。
アーサー王の家来に、好色の若い騎士がいました。
ある日のこと、その騎士は河原で鷹狩りをした帰り道に、一人の娘が、生まれた時のようにただひとりで、前を歩いているのをみて、ついにその娘を、いやおうなしに、暴力でもって手ごめにしてしまいました。
これがすぐ噂にのぼって、ついにはアーサー王の耳にもはいりました。朝廷の法律によると、この騎士は死刑にされるはずでしたが、女王をはじめほかの多くの貴婦人たちが、長いあいだ彼のために命乞いをしましたので、王はその騎士を生かすとも殺すとも、女王の心次第にするがよいと、万事を女王に一任しました。
女王は深く王に感謝しました。それから時機をみて騎士に申しました。
「おまえはまだ命を助けられるかどうかきまっていないのだ。ただ、おまえがもし、女は何がいちばん好きであるか、わたしに向かって言えるなら、命を助けてやりましょう。首がとばないように注意したらよろしい。今すぐに返答ができなければ、正味一カ年と一日の猶予をあげるから、これについて正当な答えを学んできなさい。だが行くまえにはかならずここに戻って来て、身柄を任せると固く誓ってから、出かけてもらいましょう」
騎士は悲しみ、かつ溜息をした。だが、どうしましょう? なかなか思うようにはゆくものでない。
とにかく出かけて、一年後にはまたここへ戻って来ることに決心しました。運がよければ、その答えをもって来られよう。ついに暇を乞うて出かけました。
女がいちばん好むものはなにか、それが教えてもらえそうなところを探しに、運にまかせて、どこへでも出かけてみた。
しかしどこの国へ行っても、女がもっとも好むものはなんであるか、それについて意見の一致するところはない。十人十色でありました。
ある人は女がいちばん好きなものは金持だと言いました。ある人は名誉だと言い、またある人は陽気にすることだと申しました。ある人は美しい衣裳だと言い、あるいは閨房の楽しみだと言い、あるいは後家になって再婚することだと申しました。
またある人は申しました。女はお世辞を言われて、おだてられるのをいちばん嬉しがるものだと。
これは相当真理に近づいているように思われますね。確かに女には、おだてがいちばんききめがあります。ご機嫌をとられて、ちやほやされれば、上下の別なく、たいていの女は釣りこまれます。
またある人は、女は自由を好み、自分の望みどおりにすることがいちばん好きだと申しました。女は馬鹿じゃない、利口なものだと言って、女の欠点を大目に見る人は愛されます。それは、女というものは痛いところにさわられて、怒らないものはないからですわ。嘘か本当かひとつやってごらんなさいよ。
女は、内心どんなに悪人であっても、賢い、善い女だと思われたがるものです。
ある人は、女はしっかりもので、やり手で、男の言ったことは、他言しない女だと思われることが、大好きだと言いますが、これは熊手の柄のように、つまらない説にすぎません。女はなんにもかくせない性分です。ミーダの話をごらんなさい。お聞きになったでしょう。
ローマの詩人オヴィッドの短篇のなかにも出てくる話ですが、昔フリジヤという国の王様ミーダは驢馬のような長い耳が頭に生えていたので、髪の毛を長くのばしてそれを隠しておいた。このいやなことを、妻以外の者には、誰にもわからないようにつとめていました。王はこの妻を、ひどく可愛がっていたし、また信頼していました。そして自分の片輪は他人に知らせないように妻にも頼んでいたのです。妻もまた、
「世界じゅうの国をもらっても、夫の不名誉になるような、そんなよくないまねはいたしません。そんなことをすれば自分の恥にもなりますから」と言っていました。
だが、妻はその秘密を長く守ることがつらくなって、死にそうにまで思われてきました。いつ、それを口ばしってしまうかもしれないと心配していました。
誰にも言われないつらさに、ついに近くの沼地まで駆けてまいりました。そこまで行くうちにもたまらなくなって、ごいさぎ[#「ごいさぎ」に傍点]が沼地で鳴くように、しゃがんで、沼地の水に口をつけながら、こう言ったんですね。
「水よ、おまえの流れの音で、わたしの秘密を裏切らないでよ。おまえひとりに言うのだが、わたしの夫には長い二本の驢馬の耳が生えている。ああ、もうこれでわたしの心は生きかえった。もう秘密を守らないでもすんだからね」
ごらんのとおり、女はいずれ秘密は守れない。やがてはどうしても口ばしるものです。この話の後のことは、オヴィッドをお読みなさい。
さて、わたしの話の騎士は、女が何をいちばん好むかという答えがとうてい手に入らないものだということを悟った時、非常に煩悶いたしました。
もう旅にとどまることもできなくなったので故郷へ足を向けました。実は帰らなければならない日が来たのです。
途中、心配しながら馬に乗って、森のそばを通ると、二十四、五人の婦人が手をつないでダンスをしているところが目につきました。騎士はそのダンスをしている人たちのほうへやって来ました。そこで、何か知恵が借りられるものなら借りたいと思ったのですね。
ところが、そこへ行きつかないうちに、ダンスの婦人たちは、いつのまにか、どこかへ消え失せてしまいました。
そのへんに人のいたようすも見えなかったが、ただ一人の女がその草地に坐っていました。それが人間の想像も及ばないような、みにくい鬼婆なんですね。騎士が近づいた時、その鬼婆は立ちあがって、こう言いました。
「騎士さん、ここにはもう道がありませんよ。いったい、あなたの探してるのはなんだか教えてくれませんか。そのほうがたぶんあなたのためになるでしょうよ。わたしらのような婆は、ものをたくさん知っていますからね」
騎士は言いました。
「おばあさん、実は、女が何をいちばん望むものか、それが答えられないと私は殺されてしまうのだ。ひとつそれをきかせてくれたら、お礼はなんでもしますがね」
老婆は言いました。
「そんなら、わたしと約束をしてください。やっていただくことはあとから言いますから、それをぜひやるということを約束してください。そうすれば、夕方までに教えてあげましょうよ」
騎士は答えました。
「約束しましょう。なんでもやりますよ」
老婆――
「そんなら、自慢ではないが、きっとわたしの言うことと女王の言うことは一致するに違いない。それであなたの命は救われるよ。その朝廷で、頭巾をかぶっている女でも、ネットをかぶっている女でも、誰でもかまわんから、いちばん威張っている女にきいてみましょう。わたしがあなたに教える答えに反対するものなんかないでしょうからね。
これ以上は話をするのも無駄なこと。さあ一緒に女王のところへ出かけましょうよ」
それから、老婆は騎士にちょっと耳うちして、言ってきかせました。これで安心だ、もうおそれることはないよと申しました。
彼らは、やがて朝廷に着きました。騎士は申しました。
「ご命令のとおり、日限に帰ってまいりました。答えも用意してまいりました」
貴族の女房たちや、娘たちや、老練で評判の後家さんたちまで加わって、あまたの女が集まっていました。女王はその集りの座長として、裁判官として、そこに坐り、騎士の答えを聴くのでした。
騎士は、それから女王の面前に呼び出されました。謹聴という声がかかって、いよいよ浮世の女は何をいちばん望むかという問題について、騎士の答えを聴くことになりました。
騎士は、もちろんものの言えない畜生ではありません。男らしい声で、この裁判に出席している誰にも聞こえるように、女王の質問に答えました。
「お后様、一般に、世間の女というものは、恋人に対しても夫に対しても、支配権あるいは主権をもつことをいちばん好みます。
とにかく、これがあなた方の最大の希望であります。でないとすれば、私は殺されてもやむをえません。ご随意になさってくださいませ」
この裁判で、女房も娘も後家も、騎士の答えに反対するものは一人もありませんでした。みんな騎士の命は救ってやる値打があると申しました。
その言葉とともに、草地に坐っていた例の老婆が急に立ちあがって申しました。
「お后様、失礼ではございますが、お許しください。この裁判がおひらきにならないうちに、わたしのこともよくおききください。その答えは、わたしが騎士に教えてやったのでございます。そのかわり騎士は、わたしの望みどおり、なんでもする約束をいたしました。
さあ、騎士さん、この裁判官の面前で、あなたにお頼みいたしますが、どうぞわたしをあなたの妻にしてください。わたしはあなたの命を救ってやったではありませんか。そうでないとは、おっしゃられないでしょう」
騎士は答えて言いました。
「ああ、ああ、情けないことだ。確かにそれは私の約束でした。後生だからもう一度考えなおして、ほかのことを頼んではくれまいか。私の財産は全部あげるから、この体ばかりは許してくれよ」
老婆が言いました。
「いや、いや、それでは約束が違いますぞ。たとえわたしがみにくい貧しい老婆でも、どうしても結婚せずにはおきません。わたしは地下にひそむ金《かね》や、地上にある金を全部もらったところで、そんなことは承知できない――わたしがあなたの女房となり、あなたの恋人にならないうちは」
騎士は驚いて申しました。
「私の恋人だって! 恋人どころか、私の呪いだよ。おお、これほどひどい侮辱を受けたものは、私のような生れの者では私が初めてだろうよ」
だが、すべては甲斐なく、けっきょく騎士はむりやりにこの老婆と結婚させられました。
それで、騎士はこの老婆を妻として、床にはいることになりました。
さて、この日の結婚の喜びも儀式のことについても、わたしが何も言わないのは、わたしが怠慢だからとおそらく思われましょうが、実は、その喜びも、お祝儀もなかったのです。ただ、憂鬱と悲しみだけがありました。というのも、ある朝、騎士はこの老婆と結婚するや、その後一日じゅうふくろうのように、身をかくしてしまったからでございます。
彼は不幸で、その妻はあくまでみにくうございました。
その不幸は、彼が妻と一緒に床に連れられていった時に、いよいよ絶頂に達しました。彼は苦悶し、あちらこちらと寝返りばかり打っていました。老婆の細君はいよいよほほえみかけながら、そのそばに横たわっていました。
老婆は言いました。
「旦那様え! 騎士はみんな女房をこんなにあしらうものでしょうか。これがアーサー王の宮廷の風習でしょうか。どの騎士も、妻にこれほどむごくするのですか。わたしはあなたの恋人で女房です。あなたの命を救ってあげた女です。わたしはけっしてあなたに悪いことをした覚えがありません。最初の晩に、どうしてあなたは、わたしをこんな目にあわせるのですか? あなたは気でも違ったのでしょうか。わたしに落度でもあるのですか。言ってください。なおせるものならなおしますから」
騎士――
「なおせる? それはけっしてなおるものではないのだよ。おまえはそんなにいやらしい老いぼれで、しかも賤しい身分だ。だから、おれの歎くのも無理はない。いっそ心臓でも破れて、このまま死にたいくらいだ」
彼女は言いました。
「あなたが悲しく思うのは、そのためですか?」
彼は言いました。
「そうだ。そのためでなくてどうするのだ?」
彼女は言いました。
「そんなことは、お望みなら二、三日じゅうにでもなおせますよ。だから、やさしくしてくださいよ。
あなたは、貴族の階級というものを、昔からの金持の家柄に生まれて来たものばかりと思っていらっしゃるらしいが、そんな考え方は横柄な考えで、一羽の雌鶏ほどの値打もないのですよ。最大の貴族というのは、私の場合でも、公けの場合でも、いつも立派な徳をおこない、いつも立派な貴族らしいおこないを心がける人たちであるはずです。
キリストのご意志では、そういう人を貴族というのです。先祖の財産からしていうのではありません。身分を高めるように思われている世襲の財産は、いくら残されても、それは貴族とはいえないのですよ。
貴族といわれ、尊敬されるようになる仁徳の一生は、世襲財産として子孫に伝えることはできないものです。
ダンテというフロレンスの賢明な詩人は、その詩の物語の中で、こんなことを言っています。
人間の価値はその小枝にまで
昇ることはまれである。
神のご意志としては、
人間が貴族であり得る根本は
善なる行為からのみ来る。
わたしたちが先祖から受けるものは、現世のはかないものばかりで、それはみな傷つけたり悪くすることのできるものばかりですわ。
こんなことは、わたしが知っているばかりでなく、誰でも知っていることなんです。
貴族ということが、代々血統に自然物として伝えられるものなら、貴族としての立派な役目も、いつも立派になされるものでございましょう。そうなら、貴族の人たちは、公私の区別なく、下等な悪徳をおこなうことはないはずでしょう。
ここからコーカサスの山にいたる門のもっとも暗い部屋へ、火をもっていって、戸をしめてその部屋を去っても火は燃える。二千人の人々が見ている時も、誰も見ていない時も、同じように立派に燃える。その自然の性質が消えて失くなるまで、その存在をつづけましょう。
衆人の知るように、貴族の性質というものは、その所有物とは関係がありません。自然物としての火が、その自然の性質からするように、人はその行為をおこなわないものです。確かに、それは、そうでした。誰も知っているように、貴族の子弟がしばしば破廉恥な行為をすることがあります。先祖の立派な貴族の家に生まれて、貴族という名をもってはいるが、自分では貴族らしい行為はせず、先祖の風に従わないで、公侯の位はあるが、貴族でない人がいくらもいます。下司《げす》の悪いおこないをすれば下司ですわ。
貴族ということは、あなたの先祖の名声にすぎないのです。先祖の善きおこないは、あなたという人物には似てもつかないものです。
あなたがもし貴族といえるなら、それは、神からのみ起こるものです。わたしたちが真の貴族になるには、神の恵みから来るものです。地上の位や身分から与えられるものではありません。
ヴァレーリュウスの言うように、貧しい者から貴族にのぼった、トゥリュウ・ホスチリュウスなどこそ、真の貴族というものですわ。
セネカやボエーチュウスを読んでごらんなさい。貴い行為をする者が貴族であると、明らかに言っています。
ですから、あなた、わたしの先祖がたとえ賤しい生れであったとしても、神の恵みで、わたしは立派な生活をしたいものだと、神様にお願いしているのです。悪をすて、立派な生き方を始めさえすればわたしは貴族なんです。
あなたは、わたしが貧しい家に生まれたと言って責めますが、わたしたちの信じる天の神は、ご自分でわざわざ貧しい生活をなされました。
娘でも、後家でも、誰でも知っていただきたいことは、キリストという天の王は、罪悪の生活をお選びになりませんでした。
貧の喜びは、確かに立派なものです。このことはセネカや他の学者も言っているところです。
一枚のシャツもない人でも、富める人だと思います。欲ばる者は貧しい人です。自分の力にあまるものをほしがるからです。欲ばらず、何ももっていない人は富める人です。下司と人は言うけれども。
真の貧乏は陽気にうたえます。ジュヴェナルというローマの詩人は、面白く貧者をうたっています、
貧乏人は旅をしても、
追いはぎの前でうたって遊べる
と。貧乏は困りはするが、善であります。かずかずの心配を追い払ってくれるものです。貧苦を忍べる人には、貧苦は知恵を与えます。
貧乏は情けないようだが、貧乏には競争の苦しみがない。人が貧乏する時には、しばしば神を知り、自分自身を知ることができます。
また思うに、貧乏は眼鏡であって、真の友人を知ることができます。
だから、あなた、それがあなたを悲しがらせるはずはないでしょう。もうわたしの貧乏を責めないでくださいな。
またわたしの年のことも責めないでね、わたしはべつに書物の中から典拠をさがしてきたわけではありませんが、教養のある貴族というものは、老人をいたわるものだというではありませんか。老人を『父』といってあがめるのは、貴族の習わしです。これについても、わたしは典拠をあげることができますよ。
また、あなたは、わたしがみにくい婆さんだと言ってらっしゃるが、それは姦通のおそれがなくていいではありませんか。実際、顔のきたないことと年寄とは、よく貞操を守ってくれるものです。
だが、それはそれとして、わたしはあなたが嬉しがることがなんであるか知っていますから、あなたの現世の欲を十分満足させてあげることもできますわ。
さあ、あなたはどちらを選びますか。――わたしが死ぬまで、今のようにみにくい、年寄ではあるが、一生貞節な女房として、よくあなたに仕えたほうがよいか、また、わたしは若くて美しくはあるが、そのかわりにまた他の男のところへなり、それがあなたの家へなり、自分の好きなところに勝手にはいり込むという危険があるほうがよいか、どちらを選びますか。さあ、あなたのお好きなようにわたしはなりますよ」
この時、騎士はよく考え、溜息をついて、最後に次のように言いました。
「私の妻、私の恋人、私の愛する女よ、私はあなたの賢い支配を受けます。
あなたにも私にも、いちばん楽しくもあり、また立派でもあるように選んでください。私はどちらでも結構だ。あなたがよければ、私も満足する」
「それでは、わたしが選んでよいなら、あなたを支配するほうを選んで、わたしの思うとおりに支配することにいたしますよ」
「そうか、妻よ、私もそれがいちばんよいと思うよ」
「わたしを接吻してちょうだい。もうおたがいに仲なおりいたしましょう。わたしはあなたのために、両方になりましょう。若く美しくね。それからこの世が始まって以来、今までにないような貞淑な女房にもなりたいものね。なれなければ、わたしは気が狂って死んだほうがよいわ。
明日、東西を問わず、世界じゅうの女王にも女帝にも劣らないような立派な貴婦人になれなければ、わたしを生かすなり殺すなり、あなたのご随意にしてください。
カーテンをあけて、どんなようすか見てちょうだいな」
騎士は、彼女が美しく、若くなったのを見て、嬉しがり、両腕の中に抱えこんで、心は幸福にあふれ、数千の接吻をほしいままにしました。
彼女は彼を喜ばすことなら、どんなことでも相手の望みどおりにしました。
こうして、完全な喜びのうちに、彼らは一生をすごしました。
イエス・キリスト様、わたしたちのために、しとやかな、若い、さわやかな夫をお送りくださいませ。長生きして、夫が死んだら、また他の夫をもつことを許してくださいませ。また、妻の支配に服さないような夫は、早く殺してくださいませ、キリスト様。
また、神様、頑迷な、けちん坊の夫には、ペストを送って、一日も早く、くたばるようにしていただきとうございます。
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托鉢僧の話
托鉢僧の話 前口上
この偉い托鉢僧の免許坊主は、なんだか人を喰った調子で、裁判所の刑事を見ていたが、体面上、一語も下等な悪口は言わなかった。だが、ついに、このバースの女房に向かって言った。
「おかみさん、せいぜい長生きなされよ。確かにあんたは、神学上むずかしい問題になる点にふれたのだ。大変なことを言ったものだよ。
だが、おかみさん、わしらが旅の慰めとしては、冗談を言うことが必要なのだ。だから、本当は、典拠などというのは説教や神学者に任しておくほうがよいのだ。
一行のみなさんがお望みなら、わしは刑事の面白い冗談話を語りましょう。その刑事という名を聞いただけでも、ろくな話でないことは、おわかりでしょうが。
どうぞ、みなさん、不愉快に思わないでいただきます。
刑事なんて姦通事件をさがしあるいて、てんてこまいをしているが、そのあげくのはては村のはずれでひっぱたかれるのがせきのやまでさ」
その時、亭主は言った。
「旦那、あなた方の身分の人なら、もう少し鄭重に、紳士らしくものを言ってはどうです。せっかく、一緒に旅をするのじゃありませんか、喧嘩は禁物でさ。さっさと、話をなさったらよい。刑事さんのことはほうっておいたらよいじゃありませんか」
刑事は言った。
「いやさ、勝手なことを言わせておきなさい。自分の番になったら、うんと仇をとってやるからかまわんよ。おべっかをつかって、うまいことをやる免許坊主などというものは、それは大変な名誉なことだと言いそうなことを、話してあげよう。托鉢坊主の役目というのはどんなものか、あいつに言ってきかせようよ」
亭主は答えた。
「もう喧嘩はたくさんだ。さあ、坊さん、旦那、あなたの話をきかしてください」
托鉢僧の話
昔、昔、わたしの国に、位の高い副僧正(昔は宗教裁判所長)が住んでいた。非常に手荒い刑を科する人でしてね。密通、魔法、売淫媒介、名誉毀損、姦通、または、教会の官吏、遺言、契約、洗礼忌避など、その他ここでは枚挙にいとまがないほど、いろいろな事柄に関する罪を取り扱ったものだ。
また、高利貸や僧職売買の罪も取り扱った。だが、この裁判長は好色家をいちばんいじめた。姦淫者がつかまると、ひどく泣かされたもんだよ。
教会の十分の一税の滞納者は、とくに手きびしく辱しめられた。誰でもこの僧官に不満を言おうものなら、罰金を取られた。教会への税金や奉納が遅れたり、少なすぎると、ひどい目にあった。
大僧正がその先のまがった杖で犯人をつかまえないうちに、副僧正の手帳にのる。法律上、説諭や刑罰の必要があると認めた時は、その権力によって、刑事を手先に使って犯人を呼び出すのだ。
この刑事ほど、人の悪いやつは英国じゅうにもいないのです。
彼は、人知れず、スパイ団をもっていて、それを手先に使って、どこで犯人をうまくつかまえられるか密告させる。姦淫者の二、三人を許して、その人たちから二十四人以上の姦淫者を教えてもらうという寸法だった。
彼は野うさぎのように気が狂ってもいるだろうが、こんなやつの悪党ぶりは見のがしてはおかれない。
いくらこんな話をしたところで、刑事たちにはわしらをつかまえる権利はないからね。かれらの法律なんか、一生のあいだ、わしらに適用されないのだ。(中世紀では、ある場合は一般俗界の刑法と、僧侶間の刑法とは、別個に制定され、その裁判権もたがいに独立していた)
この時、刑事は言った。
「やれやれ、女郎屋の女どもも、わしらの手にはかからないよ」
亭主はこの時、こう言った。
「ちえっ! しようがないな。まあ坊さんに話をさせなさい。さあ、坊さん、刑事さんが何をさえずっても容赦には及ばねえ。旦那、早くよ」
托鉢僧はつづけた。
この、泥棒め、この刑事は、英国で鷹を呼ぶおとりを使うように、いつも女郎屋の亭主を手先に使うのだ。彼らの知っている秘密を全部きかせる。刑事が女郎屋の亭主と知り合いなのは、今にはじまったことでない、昔からのゆきがかりだ。彼らは刑事の使っている秘密探偵だ。彼はそれで、どれだけ得をしているかわかりゃしねえ。
呼び出す理由もないのに、無知の人を呼び出して破門するとおどかし、私腹を肥やし、あげくに酒屋でご馳走を出させて許してやる。
ユダのように、貧民から財布をまきあげる泥棒なんだ。親方の僧正に支払うべき罰金の半分はかすめてしまった。
彼をせいぜいほめても、盗人《ぬすつと》、呼び出し人、姦淫媒介者だ。売笑婦を家来にして、それから貴族の何々様や百姓のなにがしが登楼したとか、したらしいとかいうことを耳打ちさせた。刑事と売笑婦がぐるになっているのだ。呼び出し状を偽造して、両人を裁判所に呼び出して、男から金をまきあげ、女は許してやった。
その場合、刑事は男に言うのだ。
「おい、きみ、きみのために、きみの名前をわしらのブラック・リストから取ってやりやしょう。これについちゃ、もう心配しなさるな。できることなら、いつでもお助けしやしょう」
彼はありとあらゆる方法で賄賂《わいろ》を取ることを知っていた。これをみんな話すとなると、二年かかっても話しきれない。この刑事が好色家、姦通者、間男を見わける力は、猟犬が傷つけられた鹿と傷を受けない鹿の居場所を見わける力よりもすぐれているんだからね。
そうすることが、いちばん金になることでさえあったから、それに全力を注いだものだ。
ある日のことであった。いつも獲物をさがしていたこの刑事は、あるやもめの婆あから賄賂を取るつもりで、偽りの罪を考えて、この女のところへ馬に乗って出かけた。
そうすると、森のそばを通る時、先のほうに立派な服装をした郷士が、やはり馬に乗って行くのを見た。弓と、輝く鋭い矢をもっていた。緑色の上着を着て、黒い縁の帽子をかぶっていた。
刑事は言った。
「旦那、こんにちは。ようやく追いつきました」
この郷士は言った。
「よう、どなたか知らないが、こんにちは。こんな森の下を通って、どちらへおいでじゃ。今日は遠くのほうへいらっしゃるのかい」
刑事は答えて言った。
「いやいや、この近くです。主人の地代を取り立てにまいったのでございます」
「それじゃ、あんたは差配の親分さんか」
「そうでございます」
刑事は、さすがに刑事というのも恥かしく、いくらかひけ目を感じているので、「私は刑事です」とは言いきれなかった。
「それはどうも、あんたは親分さんかい。わしもそうなんだ。この国は不案内で困っているのだが、どうかお見知りおき願いたいのじゃ。なんなら兄弟分にもなってもらいたいものだ。胴巻に金銀をもって旅をしているのでね。また、あんたもわしらの国へござったら、なんなりとお望みどおりにお助けもしますでな」
刑事は言った。
「これはしたり、こちらこそ、ぜひお願いしたいので」
たがいに手を握って、兄弟の契約をし、一生をちぎった。
二人はぶらぶら旅をつづけた。
刑事はもず[#「もず」に傍点]が駄弁であるように、へらず口のおしゃべりであった。べらべらといろいろなことを聞き出した。
「いつかあんたの家を訪ねるかもしれないが、今はどちらにお住まいかな」
この郷士は低い声で答えた。
「遠い北国でさ。ぜひいつか来ておくれな。別れるまえに、よくわしの家さ教えておきましょう。すぐわかるだよ」
刑事は言った。
「さあ、こうやって道中している間に、よく教えてください。あんたも、わしも同様親分の身だ。いったい、どうしたら差配をして儲かるか、何か手くだでもあったらね。よかれ悪しかれ、正直に言ってごらんな、あんたはどうするかね」
郷士は答えた。
「正直に言うが、わしの給金はちょっぴりで、けちくさいものだ。わしの殿様は固い人で近づきにくいよ。わしの仕事は骨が折れる。だから、わしはむりやりふんだくって生活するのだ。人がくれるものはみんな取る。だましたり、ぶんなぐったりして、年々歳々、生活費をたたき出しているんだよ、これ以上本当のことは言えないな」
「わしも、実はそのとおりだ。なんでも遠慮なく取るが、しかしあまり重いものとか、あまり熱いものとかはちょっとつかめないだけのことさ。秘密に取れるものは、良心もへったくれもない、みんな取っている。どうせふんだくらなきゃ、食べられないのだからね。こんな悪事をしゃべったからとて、べつに悔みゃしねえ。懺悔《ざんげ》坊主のやつどもは、地獄へでも行ったらいいのさ。ほんとうに、いいところで二人が出会ったもんだ。ところで、兄貴、あんたの名はなんというのか、ひとつ名乗っておくれよ」
郷士はしばらく笑い顔をしていた。
「おまえ、それを知りたいのか。そんなら言って聞かせるが、おれは実は悪魔なんだ、おれの国は地獄というところだ。おれは今この世へすりに出歩いているところなんだよ。どれだけ人間からすって取れるかそれを見に来たのだ。すりのあがりがおれの全収入になるのでね。
ええ、おまえも同じ目的で旅をしているんだって? とすりゃ、どんなやりかたでもかまやしねえだろうな。おれもそうなんだ。獲物をさがして、世界の果てまでも行くつもりなんだよ」
刑事は驚いて言った。
「ええっ、なんということだ、おれはおまえを郷士だとばかり思っていた。それで、おれと同じように人間のかたちをしているのかい。ふだん地獄にいる時でもそんなかたちをしているのかね」
「とくにきまったかたちはないのさ。その時に応じて勝手なかたちになるから、人間のようなかたちになることもあるし、猿のようになることもある。時には天使のようになって出かけることもあるのさ、それでもべつに不思議はないよ。どんなまずい手品師でもおまえをだますことができるんだもの。ましておれは手品師よりは芸がうまいからね」
「それじゃ聞くが、なぜおまえはいろんなかたちになって旅をするのだね?」
「獲物を手に入れるのに、いちばん都合のよいかたちをして歩くのさ」
「またどうして、そんな手数をかけるのかね」
「それには、いろいろわけがあるのだ。いったい、ものごとには時機というものがあってね。日は短い、もう九時過ぎだが、今日はまだなんにも手にはいらないよ。できることなら、何かつかみたいので、べつだんおまえに悪魔の手くだを教えてやるつもりじゃないのさ。たとえそれをおまえにきかしても、きさまの空っぽの頭じゃ、理解ができないだろうからな。またそれだからきさまは、おれたちがなぜ面倒な手数をかけるかなどと、よけいなことを聞くのだ。
おれたちはときどき神様の手先になって、神が創造されたものに対して、いろいろの方法で、またいろいろのかたちになって、神の命令をおこなう道具に使われるのだ。神から反対されては、おれたちにゃ何もできない。神がいなければ、おれたちは無力なのだ。
おれたちは神にお願いして、時にはやっと人間の体を傷つけることのお許しが得られるが、けっして霊魂には手がふれられない。体に害をするのがせきのやまで、その例はヨブの話を見たらよい。
また、時には体と霊魂の二つにも悪魔の力を及ぼすことができるのだ。また、時には人間に、すなわち体でなく、霊魂にも害を与えることが許されるが、何事も神の配剤なのだ。
神はまた悪魔の誘惑に反対されることがある。それはその人間を救済されるためである。そういう時には、たとえ悪魔がその人間を助けないで、捕えてやろうとしても駄目なのだ。
また、おれたちは人間の手先に使われることもある。たとえばカンタベリの大僧正、聖ダンスタンにも使われるようなものだ。おれもかつて使徒たちの手先に使われたことがあった」
刑事は言った。
「いつもおまえたちは、そういうふうに、いろいろ自然の要素から新しい体をつくるのか、正直に言っておくれよ」
「いやそうでない。ある時はそういう振りをするがね、時には、いろんな方法で、死人とともによみがえることもある。そしていかにももっともらしく話をするのだ。ちょうどサミュエルがエンドルの魔女と話したようにだね。これについては、ある人は、話したのはサミュエルでなかったという説をとるよ。だがおれにはおまえたちの神学上の議論などはどうでもよいのだ。おまえにひとつ注意しておくがね、おれは冗談にこんなことを言っているのじゃない。だのに、おまえはおれたちがどんな恰好をしているかを、いやに聞きたがっているじゃないか。今後は、おまえがおれから聞かないでも、ひとりでにわかるところへ連れていってやるよ。そうすればおまえ自身の経験から、この問題についても講義ができるようになるだろうよ。生きていた当時のローマの詩人ヴィルジルよりも、またはダンテよりも上手にだよ。(ヴィルジルはその英雄詩の中で、地獄の情景を物語り、ダンテは『神曲』の地獄篇で物語っている)
さあ、急いで行こう。おまえがおれを捨ててもよい時まで、おまえのお供をするよ」
刑事は言った。
「いやいや、そんなことにはなるまいよ。みんなが知っているように、おれは郷士だ、それでも、おまえとした兄弟の契約は守るさ。たとえおまえが悪魔のサタンであってもだよ。いったん契約した以上は、本当の兄弟だ。一緒になって仕事をするよ。おまえに人がくれたものは、おまえの分として取っておきな。おれはおれの分を取るからな。そういうふうに共同して生活していこうよ。よけいに取ったら、正直に二人で分けあうんだ」
悪魔は言った。
「よろしい」
そう言って、旅をつづけた。刑事が目指していた村の入口のところへ来ると、枯草をいっぱい積んだ馬力を見かけた。馬方がその車を駆っていた。泥でぬかって、立ち往生をしているのだ。馬方は、気違いのようになって、馬を打ちながらどなっていた。
「はーい、畜生、きんたまはどうした。きさまのようなやつは、ほんとうに悪魔が来て、骨も体も地獄へつれてってくれるといい。きさまは毎度おれに苦労をかけやがる。悪魔よ、みんなもっていってくれ。いっそのこと、馬も車も草もよ。ほんとうにしゃくだ」
刑事はこの時言った。
「おい、ひとつからかってみようか」
彼はなにくわぬ顔をして、悪魔に近づきながらひそひそ耳打ちをした。
「ねえ、あいつの言うことを聞かなかったか。こっちですぐにまきあげてやれば、おまえにくれると言ったぜ。草も車も、馬も三頭までさ」
「いや、そんなことはねえ、向うはそんなつもりじゃねえんだ。おれの言うことが信じられねえなら、おまえからきいてみろよ。でなきゃ、ちょっと待っていな、今にわかるから」
馬方は馬の臀《しり》をひっぱたいた。そうすると、馬は腰をかがめて、やっと引っ張り出した。
「うむ、しっかりやれよ。イエス・キリストはな、おまえを祝福してくださるんだ。上も下もねえ、お創りになったものはみんな、そうしてくださるのよ。でかしたぞ畜生、いいことだ。神様も聖ロイ様も、おまえらをお助けくださるようにお願いしてやるぞ。おかげで、やっとこの車も動かあな」
悪魔は言った。
「それみろ、言わないことじゃねえ。おまえも聞いたろうが、あの百姓は、ああは言ったものの、他のことも考えていたんだ。先へ行こうよ。こんなところじゃ、何もかっさらってゆく権利はねえからな」
二人が村を通りぬけて、少し行くと、刑事は兄弟にささやいた。
「ここに、一人の婆あが住んでいるんだ。おそろしくけちん坊で、首を取られても、一文も出さないという婆あだ。今日は、十二文取ってやろう。婆あは気が狂うだろうが、かまやしねえよ。いよいよ出さなけりゃ、役所へ呼び出してくれるわ。べつに悪いこともしねえ婆あだがね。こんな国じゃ、普通にやってちゃ生活ができねえから、おまえも少しおれのやることを見習ったらよかろう」
そう言って、刑事はやもめの家の戸をたたいた。
「出てこい、鬼婆あめ。いずれ乞食坊主か、牧師でもひっぱり込んで、寝てやがるんだろうが」
やもめは言った。
「いったい、どなたです。戸をたたくのは? ナンマンダ、なんのご用じゃね?」
「わしは、おまえのところへ呼び出し状をもってきたんだ。聞きたいことがあるから、おまえはあすの朝、副僧正様の膝もとまで出頭するんだ。不行届きのことがあれば、早速、破門を申し渡すぞ」
「ああ、とんだことになったものじゃ。キリスト様、どうぞお助けください。王様の王様、どうぞお願いでございます。わたしゃ、長いあいだ病気で寝ているところだ。そんな遠いところまで歩けもしねえし、馬にも乗れやしねえだ。腰がつって、死んでしまうだよ。
刑事さんえ、起訴状見せてもらえんかね。そうすれば、代理人を頼んで訴えられた罪について答弁もできるじゃろうが、それもやれねえものかね」
刑事は言った。
「なあに、そりゃわけもねえ。今すぐ、そうだ、ここへ十二文出しな。それをわしに払いさえすれば、おまえも許してもらえるのだ。それだって、わしにゃ大した儲けにもならねえんだぞ。儲けは親分が取るんで、わしが取るんじゃねえ。急いでいるんだ。早く出て来な、さあ、十二文を渡せ。こんなところにぐずぐずしちゃいられねえんだ」
「十二文だって! まあ、おっかねえ。マリヤ様、どうぞお助けください。この苦しみからお救いください。全世界を貰っても、十二文というお金は、あいにくわたしにゃ持ち合せがねえのさ。みなさんもご存じのように、わたしは貧乏で、年寄なんで。こんな気の毒な婆あは許してくんなせえな」
「なにをぶつくさぬかすんだ。おまえが死んだって、許すこっちゃねえ。おれは悪魔に取られても、許しはしねえよ。許すくらいなら、悪魔にさらわれたほうがいいんだ」
「ああ、わたしはなんにも悪いことはしないのになあ」
「すぐ払え、マリヤに誓って言うが、借金が払えなきゃ、その代りにあの新しい鍋をよこせ。それは、このまえ間男をした時に、おまえの払う罰金をおれが立て替えておいた分だよ」
「いいかげんな嘘をつくもんだ。やもめであろうが人の女房であろうが、今までわたしは裁判所なぞへ呼び出しをくった覚えはねえんだよ。わたしの体は一度もけがれたことはない。鍋が欲しけりゃもってゆきな。おまえの体も、その鍋と一緒に地獄の悪魔にくれてやるよ」
やもめがそのように膝をついて、刑事を呪うのを聞いて悪魔は言った。
「マーベリどんのおかみさん、今、言ったことは本当かね」
「本当だとも、刑事が死んじまわねえうちに、刑事も鍋も一緒くたに、悪魔に引き取ってもらいてえ。刑事が悔い改めなけりゃ、そうするのさ」
「ええ、この老いぼれめ、おれが悔い改めなぞしてたまるかい。おまえから、どんなものをまきあげたところでさ。それどころか、おまえの上着も衣類も、すっかり取ってしまいたいのだ」
「まあ、兄弟、そう怒るなよ。おまえの体も、この鍋も、おれのものなのだ。さあ今晩は、地獄へ一緒に行こうよ。そこへ行きさえすりゃ、神学博士よりもよく、われわれ悪魔の秘密を知ることができるからな」
そう言って、悪魔は刑事を捕まえた。体も霊も一緒に、刑事は悪魔とともに、刑事の発生地である地獄へ連れて行かれた。
神の像のごとく人間を造らせ給うた神に、ひとり残さず、われわれ人間を導き、かつお救いくださるようにお願いする。そして、この刑事も善人になるようにお許しください。
終りにのぞんで、托鉢僧は言った。
「みなさん。この刑事がもう少しわたしに余裕を与えてくれたなら、キリストやパウロやヨハネの福音《ふくいん》によって、また他の多くの聖者の教えによって、その地獄の苦しみまで述べたいところだが、それを聞けばみなさんの心はふるえるでしょうよ。いや、千年を費やしても、あの呪わしい地獄のありさまを完全に伝えることはできないよ。地獄の呪いからまぬかれるように、注意してサタンの誘惑にかからないように、キリストの恵みをお願いしてください。この例でもわかるように、注意して、このことばを聞くがよろしいよ。
ライオンはいつも待ちかまえています。できることなら、罪のない人までも殺そうとしているのだ。悪魔につかまれないように、悪魔に反抗する心の構えをしてください。
みなさんがしっかり守っておれば、悪魔は誘惑することができない。キリストはみなさんを守ってくださる闘士であり騎士でもありますぞ。
世の刑事たちも、悪魔に捕えられないうちに、みずからその罪業を悔い改めるように反省するがよい」
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刑事の話
刑事の話 前口上
このとき、刑事は鐙《あぶみ》の中に突っ立って、心も狂わんばかりに、托鉢僧の言ったことに憤慨していた。彼は憤怒のあまり、まるでポプラの葉のようにふるえた。
彼は言った。
「みなさん、ひとつお願いがあります。この托鉢僧からお聞きになった話は、途方もない嘘なんだから、どうぞわしにもひとつ話をさせてください。
この托鉢僧は地獄のことを知っているといって、さも自慢そうに話しています。それも、不思議はないのだ。托鉢僧と悪魔とは、それほど離れているものではないからね。いつか托鉢僧が地獄にさらわれたという話は、みなさんもお聞きのことと思います。托鉢僧の魂がある幻影の中でさらわれたのです。そして天使が彼をあちこち案内して、地獄の苦難を見物させたのですね。ところがそこには一人も托鉢僧がいなかった。かえってほかの人たちがたくさん苦しんでいたのですね。
その時、托鉢僧は天使にきいた。
『托鉢僧が地獄に来ないのは、とくに神様の恵みを受けているからですか』
天使は答えた。
『いいや、たくさん来ている。数万人もいるよ』
それから天使は、彼をサタンのところへ連れていった。
『サタンには大曳き船の帆よりも幅の広い尻尾がある。
サタンよ、尻尾をあげて、臀を出して、この托鉢僧に、托鉢僧の巣のあるところをよく見せてやってくれ』
まもなく、蜜蜂が巣から群がり出るように、悪魔のけつから二十万人の乞食坊主が列をつくって出て来て、地獄じゅうを歩きまわった。それからまた、出る時と同じように素早く戻って来て、悪魔のけつの中に一人残らず這い込んだ。
悪魔は尻尾をおろして、また静かに横たわった。その托鉢僧は、こうして思う存分地獄の苦しみを見た時、彼の魂は神の恵みによって、また彼の体に戻ってきた。
そして眼が覚めた。
夢ではあったが、その托鉢僧は非常に怖れてふるえあがった。その悪魔のけつが長く心に銘じて、それが彼の自然の遺伝となったわけですね。
この呪うべき托鉢僧をのぞいて、みなさんを、神がお救いくださるように祈る次第です。
ざっと、こんなところで、私の前口上を終わることにしましょう」
刑事の話
みなさん、確かヨルク州に、ホルデルネスという、沼地の多い地方があるが、そこを縄張りにしている托鉢僧がいました。そいつは、そこで説教をしたり、おそらく、乞食もしていました。
ある日のこと、この僧はある教会で、自分一流の説教をやった。とくに、死人の霊を休めるためには、三十回の法会《ほうえ》をおこなう施餓鬼《せがき》が必要であることを、人々に説いてすすめたのですね。そのほかに聖堂を建立《こんりゆう》する必要を説いて、寄付金を集めようとした。そうした聖堂では、僧侶どもが祈祷に専念して、お勤めの時間を無駄にしないためには、物貰いや施し物を受けないでも修道僧のようにして、らくに暮らすだけの寄付金を設定しておくことが必要であるというのです。
この托鉢僧はそういう意味の説教をして歩いた。
「三十回の法会を営むことは、老若を問わず、死んだ知人の霊を地獄から救えるのだ。その法会の祈祷が間をおかずにつづけざまにおこなわれても、効果は同じことだ。一日に一回以上祈祷会をやらせても、坊主はへこたれるようなことはない。
だから、そうした制度を布いて、死人の霊を一刻も早く救い出すことだね。
煉獄で、突き錐で刺されたり、肉屋で使うような肉引き上げ鉤《かぎ》で吊られたり、焼かれたり、あぶられたりすることは、非常に辛いことだ。だから、早く救ってやるがよい」
この托鉢僧は、こうして自分の計画を述べたのち、「天主と精霊とともに――」という祈祷をとなえた。そして会衆の人たちがめいめい寄付を出してしまうと、もうひとときもそこにぐずぐずしていないで、法衣を高くたくしあげながら、頭陀袋《ずだぶくろ》と先に飾りがついた杖とをもって、そこを立ち去った。
彼は、どの家も一軒一軒覗き込んだり、はいり込んだりして、粉や、チーズや、麦を貰って歩いた。
こいつはまた、先に角をつけた杖と、二枚の象牙の板と、きれいに磨いたペンとを持って歩いた。人が何かくれると、その人の名前を書き込んだ。まるで、あとからその人々のために祈祷でも上げてやろうというようなふりをしているのだ。そして、次のように言いながら乞食をしてまわった。
「小麦でも、もやしでも、裸麦でもよいから、二斗ばかりおくれな。菓子でもチーズでも、なんでもよいからおくれよ。半ペンスでもよい。祈祷の賽銭《さいせん》にするんだ。あったら野豚の肉でもよい。少し毛布をおくれよ、おかみさん。
おかみさん、ここをごらん、おまえさんの名を書きますよ。ベーコンでも牛肉でも、なんでもそこらにあるものをおくれな」
托鉢僧の親方の小使いをしている屈強な下男が、リュックサックをしょって、乞食坊主のあとからついてまわる。そして托鉢僧が貰ったものを、一つ一つその中へほうり込むのだ。
家を出ると、すぐに、まえに書き込んだ名前をすっかり消して、そんな名前は寓話や悪口の材料として使うのだ。
この時、托鉢僧は、
「おい、刑事、嘘をつけ」と言った。
亭主はそれをなだめた。
「まあまあ、お静かに、刑事さん、あんたは話をおやりなさい。なにも遠慮に及ばんよ」
刑事は答えた。
「そうだ、おれもそうするよ」――
さて、この托鉢僧は、長いあいだかかって、家を一軒ごとに歩いたが、やがていつも百軒分ぐらい歓待される家の前までやってきた。その家の主人は病気で床についていた。
「ここに神ありだ。トマスさん、こんにちは」と托鉢僧は丁寧に言った。
それからつづけて言った。
「トマスさん、ご機嫌かな。このベンチの上で、ときどきご馳走になりましたな。幾度も食事をしたもんだ」
そう言って、彼はベンチにねていた猫を追い払い、そこに自分の杖と帽子と頭陀袋を置いて、静かに腰をかけた。
托鉢僧は仲間の僧を、小僧と一緒に町の宿屋へやっておいた。その晩は自分もその宿屋にとまる予定である。(ふつう托鉢僧は二人連れで歩く)
病人は言った。
「先生、三月の初めから、おまえさんはどうしていたかね。もう二週間以上も会わなかったな」
「いや、どうも貧乏暇なしでな。とくに、あんたのためにはたくさんの祈祷を上げていましたよ。それに他の友人のためにもね。
今日は、あんたの教会へミサにまいりましてな、学問もないが、説教をひとつやらかした。それも聖書の講義などじゃないのですよ。それは、あんた方にはちょっとむずかしかろうと思いましてな。だから、解釈だけをちょっぴりあんた方に教えたいのだ。解釈というものは、すばらしいものですよ。われわれ学僧のよく言うことだが、文字というやつは、えてしてものを殺してしまうものでな。わがはいは人民に慈善をおこなうことを教え、理のあるところには財物を消費すべきだと、大いに説いてやりました。
今日も教会で、こちらの奥さんにお会いしたが、あの、ただいまはどちらへいらっした?」
「家内は向うの庭に出て、畑いじりをしているでしょう。すぐまいりますよ」とこの男は言った。
「おや、先生ですか、よくいらっしゃいました。いかがでいらっしゃいます?」と、そのとき細君が出て来て言った。
托鉢僧は、礼儀正しく立ち上がって、この女をしっかり両腕に抱えながら、やさしく接吻した。すずめがさえずるように、唇の先でよくしゃべった。
「わたしは元気ですよ。いつもあなたの下僕《しもべ》です。あなたに霊と命とを与えてくださった神様に感謝しているものです。ありがたいことに、今日も見ると、教会の中でも、あなたほど美しい女はいませんでしたね」
「本当ですか。それは少し言いすぎでしょう。だがまあ、よくいらっしゃいました」
「どういたしまして、奥さん、わたしはいつもそう思っているのですよ。ところで、失礼ながら、悪く思わないでいただきたいが、わたしは少しトマスさんとお話をしたいのです。
このへんの副牧師連中は、ぞんざいで、怠け者で、人の懺悔をよく聴いて、良心を導くようにはしてくれません。そこへゆくと、わたしは懺悔でも、説教でも熱心にやりますよ。ペートルの言葉もパウロの言葉もよく研究しています。イエス・キリストに対してしかるべき報いを返すために、キリスト信者の霊魂をあさって歩いているのです。
わたしの目的はキリストの言葉をひろめるところにあるのですからね」
彼女は言った。
「そういうことなら、どうぞ、あの人をよく叱ってやってくださいな。うちの人は蟻のようにおこりっぽいのですよ。欲しいというものはなんでもみんなやっているのにねえ。
夜は毛布をかけて、温かくしてやっていますし、その上にわたしの足や腰をかけてやっても、うなってばかりいるのです。まるで豚小屋にねているうちの野豚のようにさ。わたしだって、あの人相手ではほかに楽しみがないから、そうするほかに喜ばせてやりようもないのですよ」
僧は言った。
「おお、そいつはいけねえ、トマスさん。怒るのは悪魔のするこった。ぜひ改めさせなければいけませんよ。怒りは神の禁ずるものだ。いや、そのことについちゃ、いずれあとでわたしからよく言っておきますよ」
女房は言った。
「ところで、先生、何を召し上がりますか。これから支度をしますからね」
「いや奥さん、これはどうも。そうですね、雄鶏《おんどり》の肝肉《きも》に、お宅の柔かいパンを一きれ、そのあとで、豚の頭のローストさえ出していただいたら、まず家庭料理としては満足しますね。もっともわたしのためにわざわざ畜生を殺していただくのは、わたしの本意ではないのですがね。わたしは生活のあまり豊かでない男でして。魂のほうは聖書によって養われていますが、体は通夜でいつもいためつけられ、胃袋がすっかりやられてしまった。
ところで、奥さん、今、わたしは、親しい友達ででもなければ言わないようなことを言いましたが、おこらないでくださいよ。あまり人に言えないことでしてな」
女房は言った。
「さて、お出でになるまえにひとこと申したいのですがね。わたしの子供は、一週間まえ、先生がこの町を去るとまもなく、死んでしまったのですよ」
僧は言った。
「ああ、お子さんが亡くなるのは、故里の寄宿で、啓示によって見たですよ。その死後半時間ほどたった時刻に、わたしはその子が天国へ連れられてゆくのをまぼろしに見ました。また、五十年も正しい托鉢僧をしている、わたしのところの寺男と病舎係の僧も、それを見たそうですよ。あの僧たちは五十年記念の祝いをしたから、もうひとりで外を出歩いてもかまわない身分です。(五十年後には一人で歩くことを許される。それまでは二人連れで歩く規則がある)
その時、わたしは涙をこぼして床から起き上がった。修道院の人たちもみんな起きてきました。寺の鐘も鳴らさないで、みんな静かに起きたのです。
その時うたったのは『神の讃美』の歌でしたが、わたしはとくべつにキリストに祈祷を捧げて、その啓示を与えられたことを感謝しました。(奇蹟的な神の啓示を見た時は、感謝の歌をうたうことが習慣となっていた)
というのも、われわれ僧の祈祷は俗人のそれよりもききめがあり、われわれは神の神秘をより多く知っているからですよ。
そりゃもうこの点では、僧のほうが王様よりも偉いのだ。旦那も奥さんもわたしを信じてくださいよ。こればかりはわたしの言うことが真実だからね。
われわれは貧困と禁欲に生きているが、俗人は富と飲食におごり、悪しき快楽にふける。
われわれはすべて煩悩を軽蔑する。
乞食のラザルスと金持のディーヴェスは、それぞれ違った生活をし、違った報いを受ける。極楽へ行きたくて祈るものは、誰でも断食をして、身の清浄を守らなければならない。
魂を肥やして、体を痩せさせなければならない。
われわれは使徒のいうように生活する。衣食が足りれば十分であって、よいものでなくともかまわない。われわれ托鉢僧の清浄と断食とは、キリストをしてわれわれの祈願をかなえさせるものだ。
見よ、モーゼは四十日と四十晩断食をしてから、シナイ山で、はじめて全能の天主と語ることができた。断食をして、空腹の中へ、神の手で書かれた法規を受け入れたのではないか。また、エリヤも、人の知るように、オレブ山で長く断食をし、瞑想をしたあとで、はじめて人間の生命の医者である神と語ることができたのではないか。
アーロンは、寺院の長となり、僧侶をつくって、イスラエルの国民のために祈りを捧げた。そして人を酔わすような飲み物は、一切飲まないでお勤めをした。国民が亡びないように、禁欲の中に祈り、かつ通夜をした。これはよく聴いておいてくださいよ。国民のために祈る人は酒を飲んではいけないのです。まあ、これくらいでよかろう。
聖書によればわれらが主キリストは、われわれに断食と祈祷の範を垂れさせられた。それがために、われわれ正直な托鉢僧は貧困と禁欲を誓ったのです。慈善、謙譲、節制を誓ったのです。正義のために、迫害を甘んじることを誓ったのです。悲しみ、憐れみ、清浄をも誓ったのです。だから、毎日ご馳走を食べているあんた方よりも、われわれ托鉢僧の祈りは、天主がよくお聴きくださるというのです。
天国から人間が追放されたのも、その貪欲のためでした。確かに天国じゃ人間はお目玉をくったのですね。
さあ、トマスさん、わたしの言うことを、よくお聴きなさい。わたしは原本の文句は知らないが、キリストが『心の貧しきものはさいわいなり』とおっしゃったことを、托鉢僧として解釈しているのだ。
そのほか、聖書をみてもわかることじゃが、そういう教えはわれわれ托鉢僧に似合っているか、それとも僧職にある富める人たちにかなっているか、いわずして明白ではないか。
彼らの奢侈《しやし》、彼らの貪欲はけしからん、じっさい彼らの愚劣さかげんはあきれたものだよ。
そういう修道院僧ときては、聖ジェロームの敵ジョーヴィニヤンのようだ。鯨のように太って、白鳥のように歩いて、食糧倉庫のわらのようにぶどう酒臭い。それで彼らの祈祷が大いに尊敬されている。
彼らが霊魂のためにダヴィデの詩篇をとなえる時、なんと言うか、『ブフ、わが心ははく――』なぞと言うではないか。
キリストの福音とその道に従うものは、謙譲にして清浄、かつ貧困なるわれわれ以外にはない。われわれこそ神の御言葉を実行するもので、単にそれを聴いているだけではない。
かかるがゆえに、天空に舞い上がる鷹のように、われわれ清浄にして勤勉なる托鉢僧の祈りこそ、高く、舞い上がって、神のお耳に達するのである。
トマスさん、トマスさん、どうだね。聖イヴースに誓って言うが、きみもわしらの兄弟にならないと、極楽で栄えることはおぼつかないぞ。(金を多く寄付したものは、宗教団体の一員として取り扱われたのである)
ひとつわしらの団体で、きみがふたたび体の自由を取り戻すように、キリストが健康と祝福とを与えてくださるように、朝晩ご祈祷をしてあげようじゃないか」
病人は答えた。
「そんなことじゃききめはないよ。二、三年この方、わしはいろいろの乞食坊主に金をつかったものじゃが、病気はそれでも同じことで、けっしてなおりゃしない。おそらく、わしは財産をみな費ってしまったろう。ああ、黄金よ、さよなら、黄金はみんな失くなってしまった」
「おやトマスさん、そうかね。なぜおまえさんはいろいろの托鉢僧なぞに聞いたのかい。立派な医者があるのに、なぜ他の町医者なぞいるのかね。おまえさんのように貞操のないものは地獄におちるんだぞ。
では、わたしの祈祷も、自分たちの寺の祈祷も、おまえさんには不十分だというのかね。トマスさん、そんな馬鹿なことがあるものか。おまえさんの病気は、おまえさんがあまりわたしたちに金を出さないことから来ているんだぜ。元来おまえさんはけちけちしているよ。
おまえさんはきっと『ああ、あの寺へからす麦を八斗出せ』『この寺へは四ペンス銀貨を二十四枚寄付しろ』また『あの坊主には一ペンスやって追っ払ってしまえ』と、こうだろう。
トマスさん、そうじゃない。そうはいかないのだよ。同じ一文でも十二に割ったら、役には立たねえのだ。(托鉢僧十三人で庵寺の単位になっていた)
ええ、いったい、ものは一つに結びついている時のほうが、分かれている時よりもはるかに強いのだ。
トマスさん、いい気になっちゃいけませんぜ。ただでわたしらを使おうって了簡だろうが、そうはいかないよ。
この世界をお造りになった天主がおっしゃるように、働くものには報酬を与えよだ。
トマスさん、わたしは自分一個のためにおまえさんの宝を欲しがるのでない。わたしの寺のものはみんなおまえさんのためには、いつも熱心に祈祷を上げているのだ。また、キリスト自身の正しい教会をたてようとして努力しているのだ。
トマスさん、おまえが仕事をする気になりさえすれば、インドの聖トマスの伝記にもあるように、教会をたてるということがどんなによいことかわかるだろうよ。
おまえさんはここで、何もしないで、ころがって、怒ってばかりいるが、それは悪魔のすることだ。そしてあの正直な、罪のない、やさしい、我慢強い奥さんを叱りとばしていりゃあ世話はない。
まあ、わしのいうことを信じて、奥さんとはあまり喧嘩をしないがよい。そりゃあみな、おまえさんのためにもなることだ。
このことについて、賢人の言った言葉があるが、それをよく考えてごらんよ。
『汝の家の中ではライオンであってはならない。下女下男を圧迫するな。知り合いには逃げられぬようにせよ』と、こういうのだ。
トマスさん、だが、ひとつ警告したいことがあるよ。おまえさんの胸にねむる女に気をつけなさい。草の中にひそんでいる毒蛇に気をつけなさい、うっかりすれば噛まれるよ。
よく聴いておいて、気をおつけな。めかけや女房と争ったために、二万人の男が命を失くしているのだから。
おまえさんは、清浄な、おとなしい女房をもっていながら、どうして喧嘩なぞする必要があるのかね。尻尾をふまれて怒ってくる蛇でも、怒った女ほど残忍ではないのだ。その時女はもっぱら復讐を企てる。怒りは七つの大きな罪の一つになっていますぞ。天主のもっともきらい給うものだ。
怒る人はそれ自身の破滅を意味する。どんな無学の副牧師でも住職でも、怒りは殺人のもとだというくらいのことは知っていますよ。
怒りはまた悪魔の手先に使われるものだ。怒りについてはあまりに多くの悲惨事が起こるので、それを一朝一夕に述べつくすことはできませんね。
だから、わたしは朝に夕に、怒る人には神が権力を与えないように祈っているのだ。
怒る人を高位高官につかせることは、非常に害のあることで、まことに悲しむべきことだ。セネカの訓話にもあることだが、昔、いつの世であったか、短気な君主がいたんだね。ある日のこと、二人の騎士が連れ立って戦争に出た。さいわい、そのうちの一人は無事に帰ったが、もう一人の騎士が帰らなかった。帰って来た騎士は、ただちに王の前で裁判を受けた。
王は、
『その方には、自分の戦友を殺したかどをもって、死刑を宣告する』と言って、別の騎士に、その騎士を死刑にするように命じた。
ちょうど、死刑場におもむく途中、死んだと思われた騎士がひょっこり戻って来たのに出会った。その時刑の執行にあたった騎士は、もう一度裁判を受けたらよいと思って、この二人の騎士を王の前に連れて来た。
『王よ、この騎士はその戦友を殺しませんでした、こんなに達者で帰って来たのです』
王は言った。
『では、おまえ方三人とも死刑にするぞ』
そして、最初の騎士には、
『すでに宣告した以上、死刑にしなければならない』と言った。
二番目の騎士には、
『おまえの友人が死刑になるのも、もとは、おまえにあるのだから、死刑にする』と言った。
第三番目の騎士には、
『おまえは、おれの命令に服さなかったから死刑にする』と言った。
そういうふうにして、王は三人とも死刑にしてしまった。
また短気なカムビセス王は酒飲みで、悪事を好んだ。ところが、その朝廷にもうひとり、善徳を愛する大臣がいた。ある日のこと、王とただ二人だけでいた機会に、大臣は王に説教した。
『王は不徳なれば亡びます。酒に酔うことは、いかなる人にもその人の不行跡を示すものであるが、とくに王にあってはもっともそうあるべきです。王に対しては、どこからともなく多くの眼と耳が監視しています。どうぞもう少し控え目に酒を召し上がってくださいませ。酒は人の心を迷わせ、その手足を鈍らせるものでございます』
『そうでないよ。その反証をおまえに見せてあげよう』と王はすぐに答えた。そして、なおつづけて言った。
『おまえ自身の経験で、そうでない証拠を見せてやろう。酒はおれの手足の力も鈍らせず、また、おれの視力も弱らせやしないぞ』
苦いことを言われたあてつけに、王はまえよりも百倍も多く酒を飲んだ。そして、この性悪の王は、その大臣の息子を呼び出して、王の前に立たせた。
王は、すぐさま手に弓を取って、弦《つる》を耳のところまで引き絞りながら、その子をねらって、一本の矢で射殺してしまった。
『これでも、おれの腕は確かでないか、おれの力は失くなったか。酒はおれの視力を奪ったと言うか』
なんとその大臣が答えたか? すでに息子は殺されてしまったので、それ以上もう言うことはない。
王侯には戯れにも説教は禁物だ。『われ喜ばん』という詩篇の歌をうたうにかぎる。ご無理ごもっともが大切だ。わたしも、相手が貧乏人でさえなければ、いつもそう言っているのだ。貧乏人にだけは、人はその欠点を知らせるべきであって、王侯には、たとえ、その人が地獄へおちそうであろうとも、その欠点を知らせるものではない。馬鹿をみるからね。
また、ペルシャの皇帝シルスも短気な王であった。バビロンを攻略する時、皇帝の馬がギゼンという河で溺死したというので、その河をこわしてしまったという話もある。皇帝はその河を小さい川にして、女でも徒《かち》渡られるようにしたのだ。
昔から説教者はよく言ったものだ。
『短気な人とは友達になるな。気違いと一緒に旅をするな。後悔することがあるといけないから』と、まあ、そんなものだね。
さあ、トマスさん、怒るのはおやめよ。わたしの言うことは大工の物差のように正確だ。いつもおまえさんは心に悪魔のナイフを差しているな。おまえさんの怒りは、おまえさんをどこまでも傷つけるのだ。さあ、わたしにひとつ懺悔をしたらどうだね」
病人は言った。
「いやだ、いやだ。聖シモンに誓っていやだね。今日は、もうわしのところの牧師に懺悔をさせてもらった。あいつにすっかりわしの有様《ありよう》を打ち明けたんだ。それはもう言う必要がない。とくに卑下して言う気にはなれないんだ」
托鉢僧は言った。
「では、少しおまえさんの黄金《こがね》を寄付してはくれまいか、わたしらの修道場を建てるのだから。そのために、わたしらは今苦労をしているのだ。他の人はみんなうまいものを食べているのに、わたしらは毎日|貽貝《いがい》や牡蠣《かき》を食べてきた。実はまだ土台もよく出来ていないし、壁の内側にもタイルは一枚も張ってないありさまだ。敷石に四十ポンドの金がいる。地獄を征服されたキリストのために、トマスさん、助けておくれよ。さもないと、わたしらの蔵書を売らなければならない。わたしらが説教しなければ、この世は滅亡するのだ。わたしらをこの世から取った日にゃ、この世から太陽を取ったも同じことだからね。わたしらほどよくこの世を教え、慈善をおこなっているものは他にありますまい。
また、托鉢僧が世を済度《さいど》しはじめたのは、昨日や今日のことではない、エリヤがカルメル山で托鉢僧団を開いてからこの方、托鉢僧はずっと慈善事業をしてきたのだ。さあ、トマスさん、慈善のために助けておくれよ」と言って、僧はそこにひざまずいた。
病人は聞いているうちにだんだん怒って、狂気のようになっていた。こんな空とぼけた説教をする坊主は、罰があたって、みずから地獄の火であぶられるがよいと思った。
彼は言った。
「わしのもっている黄金は僅かなものだが、差し上げましょう。これでまあ、あんた方の兄弟になれるかね」
「もちろんですとも、嘘はつきませんよ。寺の印をおした証書(寄付者に渡すもので、僧と兄弟になることを約束した証書)は奥さんに渡しておきました」
「よろしい、それでは、わしが一生のあいだは、あんた方の僧庵へ幾分なりと寄進することにしましょう。今すぐに、少しばかり内渡しをしますよ。だが一つ条件があるんですがね、それはほかでもない、あんた方のあいだにそれを等分に分けてもらいたいのです。この約束は、あんたの職業柄、もちろん間違いのないことじゃろうが、ぜひひとつ誓ってもらいたいものだね」
僧はそれに答えた。
「いや、誓ってそういたしますよ」
そう言って、彼は病人の手を握った。病人は言った。
「それじゃ、わしの背中から手を入れて、ずっと下のほうをさぐってみてください。お尻の下にかくしておいたものがあるのじゃ」
僧は思った。
「ああ、それが貰えるのか」と。
そして手を尻のさけ目のところへやってみた。そこに目的のものがあろうと思ったのである。
病人は、僧が尻の穴のぐるりをさぐっているなと思ったとき、そのてのひらの中へ、一発の屁をおっぱなした。荷馬車の馬でも、それだけの音のする屁をひるものはなかった。
僧は狂った獅子のように飛び上がった。
「やい、この嘘つきめ。手前はおれを侮辱する気だな。よし、この仕返しはきっとしてくれるぞ」
この騒ぎを聞きつけた家じゅうの者は、いきなりとび込んで来て、托鉢僧を追い出してしまった。
托鉢僧はぷんぷん怒って立ち去った。そして、二人の仲間を、自分の儲けを蓄えておくところへ連れもどった。
この托鉢坊主は、まるで猪のような顔をして怒った。歯ぎしりをして口惜しがった。
彼はそれからある荘園の館《やかた》へこつこつ歩いていった。そこには世間からも尊敬のまとになっている地主が住んでいた。托鉢僧はこの人の懺悔を聴くことになっていたのである。
この立派な人物は、その村の大地主であった。
托鉢僧が憤慨しながらやって来た時、地主はちょうど食卓について食事をしているところであった。
僧は一語もものが言えないほど憤慨していたが、やがて口をきった。
「ごめんなさい」
地主は顔をあげて言った。
「おやおや、ジョンさん、どうしたというのです。何か間違いでも起こったのかな。森に盗賊でも出たというような顔をしておいでだの。まあお掛けなさい。言うことがあるなら、遠慮なく言いたまえ。できれば、うまく裁いてあげますよ」
「実は、わたしも今日ほど侮辱を受けたことはないのですわい。しかも、あなたの村で受けたのです。こんな目にあっては、どんな卑しい子供でも、我慢のできないような侮辱ですよ。憤慨にたえないのは、あんな白髪の老いぼれ野郎に、わしらの僧庵をけがされたということです」
「まあ、先生、どうぞそういきり立たんで」
「先生などとおっしゃられては恐縮ですがね。わたしは下郎です。学校じゃなるほど、そんな称号ももらってはいますがね。聖書でも、神は先生《ラビー》と呼ぶことを禁じていられます。町でも、地主の屋敷のなかでも、そう呼ばれたくはないのですよ」
「まあそんなことはどうでもいい。まずあんたの苦情からきかしてもらおう」
「今日起こったいやないたずらというのは、わたしらの宗派に加えられた侮辱でもあり、わたし自身の屈辱でもありますが、結局、聖キリスト教会全体に加えられた損害だということにもなりますよ。すみやかに是正さるべきものと思いますね」
「どういたすべきかは、あんたもよく知っておいでじゃろうが、まあ、そう怒ってもしようがない。あんたもわしを懺悔させる身ではないか。あんた方は大地の塩であり、大地の味である人たちだ。後生だから、怒らないで話してくれたまえ」
托鉢僧はそれからすぐに、みなさんにもまえにお聞かせしたようなことを残らず話した。
地主の夫人も、僧が話し終わるまで、静かにそこに坐って聴いていた。夫人はたずねた。
「まあマリヤ様にかけて! ところで、お話はそれだけですか。ほかに何かありませんでしたか、正直におっしゃってくださいませんか」
僧は答えた。
「まあ奥さん、あなたはこれをどうお考えになりますか」
夫人はまた言った。
「わたしがどう思いますかって! それはまあ下司《げす》というものは下司らしいことをやるものだと、そう申し上げるほかありませんわ。なんと申しましょうか、まったくしようがないものですわね、あんな人はけっしてよい目にはあわないでしょうよ。病人の頭というものは情けないものです。その人は少し気が狂っているのだと思いますわ」
「奥さん、ほんとうにそうですわい。だが、わたしは何かほかのことで仇をとってやりますよ。あの罰あたりめが、とても分割なぞできないものを僧庵の人たちに等分に割り振れなぞと申しました。畜生! わたしはどこでも口さえ開いたら、うんとあいつをとっちめてくれますよ」
地主は夢うつつの中にでもいるように、じっと坐ったまま、いろいろと思いめぐらしていた。
「あいつはどうしてそんな難題を、この托鉢僧に出したのじゃろう? いったいなんと思ったのかな。自分はあとにも先にも、そんなことは聞いたことがない。悪魔にでも取りつかれたのじゃろうな。
これまで、そんな問題は算数にはなかったはずだ。単なる屁の音ないしは臭味を等分するなぞというような、そんな問題を出した人があろうか。実際ばかばかしい、高慢なやつだ。いずれよい目にはあわないだろうよ。小面憎いやつだ。どうだみなの者、これまでそういうことを聞いたことがあるか、あったら言ってみろ。そんなことは、どうしてもありえないよ」と、地主は苦い顔をして言った。そしてなお言いつづけた。
「ほんとうに馬鹿なやつだ。屁の音にしろ、また、どんな音響にしろ、それは空気の振動にすぎないもので、それは漸次消えてゆくものだ。誰だって、それが等分に分割できようとは思わない。
やい、この百姓め、よくもわしの懺悔僧に、そんなことが言えたもんだ。こいつ確かに悪魔に取りつかれているのだ。
さあ、食事を召し上がってください。あんなやつのことはもう考えないがいい。あんなやつは自分で首をくくって死んじまったらいいのですよ」
地主の御曹子は食卓について、肉を切りながら、この話を一語も洩らさず聴いていたが、最後にこう言った。
「お父さん、ちょっと申し上げますが、どうかお怒りのないように。
また坊さんも、これはご褒美がいただけるくらいに思って言うのですから、これもどうか怒ってくださらないように願います。私に言わせてくだされば、あなたの僧庵の坊さんたちに平等に屁を分配するくらいなんでもありませんね。ひとつご伝授いたしましょうか」
地主は言った。
「そりゃ面白い、言ってごらんな。褒美はすぐに取らせるぞ」
「それでは申し上げますがね、まず天気がよく、風もなく平穏な日を選んで、このお座敷へ車の輪を一つ持ち込ませるんですよ。ただし完全な輻《や》のついているものであること。十二本の輻のついているのが普通の車輪です。それから、十二人の托鉢僧をお連れください。なぜかというにそれはご承知でもありましょう。十三人の僧の団体を一つの僧庵と申しますね。ここにおられる懺悔僧はお偉い方だから、その僧庵の人数を完全な数にまとめられましょう。それから、他の坊さんはめいめい一人ずつ膝をついて、おのおのの輻のはじにしっかり鼻をつけるのです。こちらの偉い懺悔僧には、その車の轂《こしき》の上に鼻を持ち上げていてもらいましょう。
それから、そのお百姓にも、太鼓のようにかたく張ったお腹を出して、ここまで出かけてもらいます。そこでそいつを車輪のちょうどまんなかのところにある轂の上に坐らせて、それから一発屁をやらせるんですよ。
こうして屁の音響とその臭気とが輻の方向に、その先端まで平等に配分されるということが、実験的に、きっと証明されるのです。
ただこの立派な和尚《おしよう》さんは、偉い方だから、当然その最初の成果としての初物はこの人の特権である。それは、しかも托鉢僧の古い習慣でもあるように、偉い坊さんはイの一番にご馳走を受けることになるんですよ。確かに、ここにいられる和尚さんは、それだけの価値のある方でありましょう。今日も壇上から大変有益な説教をなされた。この功績からしても、確かに三発の屁の最初の香りを受くべきものでしょう。また、その僧庵全体も、確かにその価値があるでしょうよ」
その時、地主もその夫人も、また、その托鉢僧を除いた皆の者がこぞって言った。御曹子のジャンキンさんがそういうふうに説明されたのは、まさしく幾何学のユークリッドか、天文学のプトレミに匹敵するものである。偉いことを考えたものだと。
また、その百姓についても、そんなことを言ったのは、なかなか才知と頓知にたけた男だ、とみんなできめてしまった。彼はけっして馬鹿どころか、才人で、またけっして気違いでもないと言われた。そしてジャンキンは新しい上着をご褒美に貰った。
私の話はこれでおしまいだ。もうほどなくシッテングボルンという町へ着くだろう。
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学僧の話
学僧の話 前口上
宿屋の亭主は言った。
「オックスフォルドの学僧さん、あんたは花嫁が食卓についている時のように、だまって恥かしそうに旅をされている。
今日は、あんたの口からまだ一言も聞いていない。なにか詭弁学でも考えているのでしょう。
ソロモンが言うように、『ものには時機がある』後生だから、もう少し朗かになさっては。こんなところで勉強するのは、時を得ないというものですよ。なにか面白い話をひとつやっておきかせなさいな。遊戯《あそび》をする人も、その遊戯の規則は守るものだからね。
そうかといって、キリスト教の四旬斎《レント》坊主がやる説教のように、人に懺悔をさせ、罪を悔い改めさせる話はもうたくさんだ。また人に眠気をもよおさせる話も、まっぴらだね。なにか面白い冒険小説的なものをきかせてくださいよ。だが、あんた方はよくむずかしい術語や、修辞学のなまめかしい言葉のあやや、形容詞の多い文章体を使うくせがあるが、あれは王様へ出すような、高級な文体で書く時まで、大事にしまっておいたほうがいいですよ。今日はわしたちにもわかりやすい、単純な言葉を使って話してくださいな」
学僧はしとやかに、それに答えた。
「ご亭主、わしは今あんたの支配の下にある。あんたはわしらを治めていられるのじゃから、当然あんたの命令に服するほかはないよ。
それでは、ひとつはじめますかな。この話は、イタリーのパドゥアで、立派な文章で作品を残している偉い学者からきいた話じゃ。今はもう死んで地下に埋葬されてござるが、わしはここでその方の冥福を祈ってからはじめるよ。
この学者は、フランセス・ペトラルクという桂冠詩人で、美しい修辞法で書いた詩をもって、全イタリーを光栄あらしめた方だ。ちょうど、ジョヴァンニイ・ディ・リニヤーノという学者が、哲学、法学、その他の学問でイタリーを輝かしいものにしたように。
だが、死というものは情けないものでして、死はわれわれをこの地上に長くとめてはおかない。人の一生は眼ばたき一つする間にすぎないのですからな。死はこの両人の学者を殺してしまいました。われわれもまたみんな死ぬことでござろうよ。
この話をしてくれた偉い学者は、この話の序を高級な文体で書かれたが、その中にピエドモントやサルッツォー地方のことが述べてある。また西ロンバルジヤとの境になる高いアペニン山脈のこともあって、とくにヴィゾー山のことがくわしく書いてある。その山からじゃね、ポー河が小さな泉から発し、流れ流れてだんだん大きくなり、エミリアやフェルラーラやヴェニスのほうへ流れて行くのじゃが、これらのことをみんな話したら、長いものになりますわい。そうした知識を伝える著者の意志はよいにしても、少し余談にわたるように思われるから、わしはその話の本筋だけをこれから話すことにしましょうよ」
学僧の話
一
イタリーの西部、寒いヴェスヴィアス山のふもとに、農産物の豊饒《ほうじよう》な美しい平原があります。
そこには古代に建てられたたくさんの塔や町があり、他にも多くの美しい名勝の地がある。この美しい地方をサルッツォーといいますよ。
この地方の殿様は侯爵で、先祖代々立派な人たちであった。大小の家来が封地をもらって、この殿様に仕えていた。
侯爵はさいわいにして、その藩の小大名からも、その人民からも、深く愛され尊敬されて、いつも安泰に暮らしておられた。
この殿様は、系図からいうと、ロンバルジヤでは最大の貴族であった。容貌もすばらしく、力もあり、年も若かった。武士の礼節も教養もあった。国を治めるだけの十分な識見もあった。ただある事柄については、いくらか欠点もありましたがね。この若い殿様の名はワルテルといった。
その欠点というのは、ほかでもない、この殿様は将来のことは少しも考えられない、ただもう現在の楽しみにばかり心を注いでいられる。いたるところで鷹狩りや狩猟に憂き身をやつして、ほかのことはどうなろうと、とんと心配されないのだ。いちばん困ったのは、かんじんの妻をめとることには、行く末はどうなろうと、一向賛成されないのだ。
これだけは、臣下のものも大変心配していましたのじゃ。そこである日のこと、たくさんの人民が列を作って殿様を訪問した。その中でいちばん学問のある者、忠言していちばん殿様に聞かれそうな者、ないしそうした事柄をよく説明することのできそうな者が一人代表となって、侯爵に対して次のように忠言したのだよ――
「殿様、あなたのご仁徳に甘えて、僭越ながら必要とあれば幾度でも、私どもの苦衷《くちゆう》を申し上げる次第であります。私どもは心からお願いするのですから、なにとぞお慈悲をもって、お聞きとどけを願いとう存じます。私どもの意見をさげすまないで、お耳を貸していただきとうございます。
私自身、ここにおられるみなさまよりも、これについて深い利害関係があるというのではありませんが、私はとくに殿様のお引き立てをこうむっている者でありますから、しばらくのあいだ、ご清聴を煩わしまして、私どものお願いを申し上げるとともに、殿様からも思召しのほどを承わりとうございます。
昔から今にいたるまで、殿を信頼し、殿のご仁徳に浴しておりますので、これ以上の幸福は私どもの望みえないものであることは、よく承知いたしておりますが、ただひとつ、もし殿様の思召しによって、ここでご結婚あそばされるならば、それこそ、われわれ臣下一同の心から安堵するところであろうと思うのでございます。
どうか殿様にも、結婚と言い、夫婦のちぎりとも申します、あの最上権の幸福な支配のもとに屈せられますよう。それはけっして義務の拘束を意味するものではございません。
賢明な殿様におかれましては、ここでよくお考えになりますように。日月はいろいろにして過ぎ去ります。たとえ、眠っておりましても、起きておりましても、歩いていても、馬に乗っていても、時はどんどん飛び去って、いかなる人のためにもとどまることを知らないものでございます。
御前はまだ青年の華でいられますが、やがて老年が石のようにだまって、かならずやってまいります。死はどんな年齢をもおびやかし、どんな階級や地位の人にも打ち込んでまいります。何ぴともこれは避けられないのでございます。いつか死するものとは知りながら、それがいつの日に来るかは知られておりません。
私どもは殿のご命令に反したことはございません。そうした忠実な臣下の意見をお受け願いたいのです。殿様がご同意あそばせば、早速夫人をお探し申します。この国の最高貴族の家に生まれた方をお選び申し上げます。できるかぎり、神に対しましても殿に対しましても、ご名誉をきずつけないような人をお選びいたしましょう。
この切実な憂慮から人民をお救いくださいまして、神のために、奥方をお迎えなされませ。
もし殿に万一のことが起こり、殿のお血筋が断絶し、異族の方が殿のおあとを継がれるような場合、生き残る私どもこそ災難でありましょう。ですから、早く奥方をお迎えくださるようにお願いするのでございます」
彼らのやさしい願いと、その哀れっぽいようすにほだされて、殿様はこう言われた。
「家来たちよ、おまえ方はわしがこれまで考えたこともないようなことを、わしにすすめようとしているな。わしはこれまで、結婚してはふたたび得がたいような自由な生活を享楽してきた。自由であった身も、結婚すれば奴隷の身になるはずだ。
だが、おまえ方の誠意はわかっているし、おまえ方のことは昔も今も信頼しているのじゃから、わしはわしの自由意志によって、できるだけ早く妻をめとることに同意するよ。しかし、おまえ方は今日わしのために妻を選んでくれようと申し出ているが、それには及ばないよ。以後妻を選ぶことだけは思いとどまってくれ。
というのは、実際子孫というものはかならずしも先祖とは似ないことがしばしばあるものだ。善はすべて神から来たるもので、先祖の系統から来るものではない。わしは神の仁徳を信頼するから、自分の結婚も、自分の地位も,死期も、すべて神にお任せしている。御意のままに神はなされるのだ。
妻の選択はわしに一任してくれ、この重大な責任は自分が負うよ。だが、わしのめとる女は、たといどんな者であっても、その女を皇帝の姫ともみなして、どこにいても、言葉においても行動においても、一生うやまってもらいたいものだね。そうすることを、おまえ方の命にかけても守るよう、わしは命令するぞ。
なおまた、わしの選択に不平を言ったり、反対したりしないことを、さらに誓ってくれ。というのは、わしもおまえ方の要請に従って自分の自由を捨てるのだから、わしの心の向くままに妻を定めたい。それで満足ならいいが、もし不満足であっても、それについては何も言わないでくれ」
家来どもは快く誓いかつ同意して、一人としてそれに反対するものはなかった。が、彼らも御前を下がるまえに、殿に向かって、できるだけ早く結婚の日取りをきめていただきたいと願った。それというのも、家来どもは平生から、侯爵がはたして妻をめとるかどうかと怪しんでもいたし、まだその疑いをいだいていたからである。
そこで侯爵は黄道吉日をえらんで、その日を約束するとともに、これはみんな家来どもの願いによってやることだとも言い添えた。彼らは恐縮して、従順にうやうやしくひざまずきながら、侯爵にお礼を申し上げて、その場を引き下がった。
侯爵はまたそれぞれの役人に命じて、婚儀の準備をさせた。侍従の騎士、小姓にいたるまで、それぞれの用を言いつけた。彼らはめいめいその命令を奉じて、来たるべき婚儀に敬意を表すべく、忠実に働いた。
二
侯が婚儀を準備しているその輝かしい宮殿からあまり遠くない、ある景勝の地に、小さい村があった。村の貧しい人たちは、そこで家畜を飼い、住宅をもっていた。土地が肥えていたので、働きさえすれば生活はできた。
この貧しい人たちの中でもいちばん貧しいと思われる一人の男がそこに住んでいた。だが、天主は牛小屋の中にも、時には賜物を恵まれるものだ。村の人たちはこの男をジャニクラと呼んでいた。この男にはまた一人の美しい娘があって、グリゼルダとよばれていた。
徳の美という点から言えば、この娘は天の下随一の美人であった。貧困の中に育てられて、何一つ卑しい欲望もまだこの娘の心にはいり込まなかった。バケツの溜め水を飲むよりも、より多く清らかな泉の水を飲んでいた。徳を喜ばせようとするかのように、働くことのみを知って、怠けることを知らなかった。
まだ年は若かったが、乙女の胸には、大人のしっかりした心がひそんでいた。かつ愛し、かついたわって、年寄の父親を養っていた。片方で糸をつむぎながら、野原で僅かの羊を飼っていた。そんなふうで、娘は寝るまで休むひまがなかった。
帰りには、ときどきいろいろな雑草を取ってきて、それを切り刻んで、煮て、それを糧《かて》にした。寝床も堅く、柔かいものは何一つなかった。父親を大切にして、万事に気をつけ、まめまめしく世話をした。それは孝行の極致ともいわれよう。
この貧しい娘のグリゼルダを、侯爵はおそらく狩りで乗り廻す間にときどき見かけたものらしい。が、それも、いたずらな色眼で垣間《かいま》見たのでなく、真面目な気持で娘の顔に目をつけて、じっと考え込んだのだ。そして、その娘の女らしさと立派な心がけとを、心ひそかに感心しながら、そのようすにおいても、その行為においても、あの若さで、これほどの者は他にあるまいと思った。
いったい、普通の人は、徳に対して、あまり洞察力がないものだが、さすがにこの殿様には、この娘の立派な人格がわかった。そこで、妻をめとるなら、この娘のほかにはないと決心した。
結婚の日は来たが、誰もどんな女が花嫁になるか、まだ知っている者はなかった。それについて多くの人々は不審に思い、かげではこそこそささやいていた。
「殿様はまだ道楽をやめない気かな。まさか結婚しないのじゃあるまいね。ああ、またみずからを欺き、われわれをも欺くというのではないだろうか」
だが、そんなことにはかまわないで、侯爵はグリゼルダのために、金や瑠璃《るり》に宝石をちりばめた、胸飾りや指環をどんどん作らせた。衣裳は、グリゼルダと同じ背丈の娘をモデルにして、寸法をとらせるし、その他この結婚にふさわしいあらゆる装飾を準備した。
いよいよその日もお午《ひる》時が近づいた。御殿は、どの大座敷も、どの居間も、それぞれ準備が整っていた。饗宴の座敷には、イタリーの隅々からもって来た、山海の珍味がうんと山ほど積み込まれていた。
侯爵は、立派に礼装をして、招かれた藩の諸大名や、その夫人連中を随行させ、若侍どもの行列をつくって、さまざまの音楽を奏《かな》でさせながら、前述した村へとまっすぐに繰り出した。
自分のためにこんな行列が計画されたろうなぞとは、夢にも知らないグリゼルダは、いつものように、泉に水を汲みにいって、急いで家に帰って来た。それというのも、その日は殿様の結婚の日だと噂に聞いて、できることなら、その行列を少しでも見たいものだと思ったからだ。
娘は思った。
「お友達と一緒に戸口に立って、一目でも侯爵夫人を見たいものだわね。それにはうちの仕事を早く片づけましょう。奥方がお城へいらっしゃる時、ひょっとこの道をお通りになったなら、ゆっくりとお顔が見られるというものだわ」
娘が入口の敷居を越えようとしたとき、侯爵がそこへやって来て、娘を呼びとめた。彼女はすぐにその入口のわきにある牛小屋の中に、持っていた水瓶を置いて、そこに土下座した。すっかり固くなって、そこにひざまずいたまま、殿様の言葉を終りまで聞いた。
この思慮深い侯爵は、真面目くさった顔をして、娘に向かって次のように言った。
「おまえの父親はどこにいるか、グリゼルダよ」
娘はかしこまって、丁寧にそれに答えた。
「殿様、父はすぐこちらに参ります」
こう言いながら、早速家の中にはいって、父親を侯爵の前へ連れて来た。
侯爵は、この老人の手を握って、少し脇へ連れてゆきながら、こう言った。
「ジャニクラよ、わしはもはや心の喜びをかくすことができないのじゃ。おまえが承知してくれるなら、何がどうなろうとも、わしはおまえの娘を妻にしたいのじゃ。これからすぐに、わしの后《きさき》として連れてゆきたいのじゃ――娘の命の終わるまでも。
おまえはわしを愛しているだろう。それはわかっているよ。おまえはわしの忠実な家来として、ここに生まれたのだからな。わしの好むことは、また同様におまえも好くはずだ。だから、わしが今言ったことをよく考えて、快く承知してくれ。もしそれに同意してくれるなら、わしをおまえの婿として迎えてくれ」
老人は、この突然の申し出にびっくりしてしまって、恥かしそうに顔をあからめたまま、ただもうぶるぶるふるえながら、そこに立っていた。まるで言葉も出なかったので、ただこれだけ言った。
「殿様、わたしの望むところは、やはり殿様の望んでござらっしゃるところですわい。殿様のお望みになんにも反対はござりましねえだ。あなたさまはわたしの大切なご主君でござります。ですから、このことについては、一切殿様のご随意にお任せしておきますだ」
殿は声を低くして言った。
「ひとつ、おまえの部屋で、わしとおまえと娘との三人きりで話をまとめたいものだね。わしから娘に、わしの妻となる意志があるかどうか、わしの言うとおりにやってくれるかどうか、それが聞きたいのだよ。それもおまえのいるところで、わしから話したいのだ。わしの言うことをおまえにも聞いてもらいたいのだ」
三人が部屋にはいって話しあっている間に――その交渉についてはあとで述べる――戸外では、群衆がその家に押し寄せてきて、どんなに娘がやさしく、親を大切にしているかに感心していた。一方、グリゼルダは、こんな立派な行列は見たことがないので、ただもうすっかり驚いていた。
そこへまた、こんな偉いお客様が自分の家にはいって来たのだから、これには怖くさえなった。それも無理はない、そんな偉いお客様は、これまでついぞ見たことも聞いたこともないのだから。
話は簡単にしてすすめることにする。このやさしい孝行娘に、侯爵はこう言った。
「グリゼルダよ、まず聞いておくれ、わしがあんたを妻とすることは、あんたの父親もわしも望んでいるのだ。そういうわけだから、おそらくあんたもそれは承諾してくれるだろうね。急いでいるから、ただこれだけのことが聞きたいのだ。
すぐ同意してくれるか、それとも、なおよく考えてみようというのか。
それからまたわしの意志には、何事によらず喜んで服従してもらいたい、わしはあんたを、自分の好きなように、笑わせたり泣かせたりしたいのだからね。それでも、あんたは日夜不平なくしていられるかね。また、わしがよかろうということには、何事によらず反対してはいけない。言葉に出しても、怒ったような表情をしてもいけない。これを誓っておくれ。そうすれば、二人の結婚も成り立ったというものだ」
この言葉をきいて驚きもし、怖さにもふるえながら、娘は言った。
「殿様、わたしは賤しい身分で、あなたさまのおっしゃるような名誉を受けるには値しないものでございます。しかし、あなたさまがお望みとあれば、わたしもそのように望みましょう。では、ここでお誓いいたします――わたしは言葉でも仕業でも、また心の中でも、たとえ死のうと、あなたさまに反対するようなことはいたしません。死ほどいやなものはございませんけど」
「それでよろしい。わしのグリゼルダよ」
こう言って、侯爵は厳粛な顔をしながら、戸口まで出て来た。彼女もそのあとからつづいた。そして、侯爵は人々に言った。
「ここに立っているのはわしの妻だ。わしを愛するものは、どうかこの妻を愛し、かつ尊敬してもらいたい。それだけ言っておく」
娘はそれまで着ていたものはどんなものでも、御殿に持ちこんではならぬことになっていたので、侯爵は腰元に命じて、その場ですぐにこの娘の着物をぬがせた。お供について来ていた貴婦人たちは、その着物にさわることすらいやがったくらいだ。だが、ともかくこの器量のよい娘に、足の先から頭のてっぺんまで、新しい衣裳をつけさせた。もじゃもじゃになった頭髪《かみ》をよく梳《す》いて、彼女らのしなやかな指で、その小さな頭に冠をのせてやり、体じゅうを、大小の宝石をちりばめた飾りでうずめた。そうした服装のことは、長く言うにも及ぶまい。とにかく、こうした華麗な衣裳に着かえると、その美しいこと、もうもとの娘とはどうしても思えなくなった。
侯爵は、かねて用意してきた指環を与えて、この娘と結婚した。それから雪のように純白な、きれいな調子で歩く馬に娘を乗せて、一刻の猶予もなく御殿に連れ戻った。連れて行く人たちや、迎えに出た人たちは、歓呼の声を上げて喜んだ。そしてその日一日は、太陽の沈むまで、喜びの酒宴にくれた。
てっとり早くいえば、この新しい侯爵夫人には、神の特別の恵みが与えられたものと見え、この女《ひと》が、田舎で百姓の小屋や牛小屋で生まれ育ったものとは、どうしても思われなかった。だれの眼にも皇帝の御殿で育ったものとしか見えなかった。
生れ故郷の人たちも、彼女が生まれた時から知っているにもかかわらず、あれが例のジャニクラの娘であったとは信じられないで、まったく別な人であるとさえ思うようになった。それほど新夫人はもろびとから愛され、かつ深く尊敬されたのであった。
はじめから心がけのすぐれた娘ではあったが、ますますその生れつきの美しさが磨かれて、高貴の人にふさわしく、起居振舞いも立派なら、言葉も正しく慎重で、心はやさしく、人から信頼され、人々の心をよくくんでやることができた。そこでその顔を見ただけでも、この女《ひと》になつかない者はなかった。
その美徳の名はサルッツォーの町だけでなく、それに隣接した諸国にまであまねく知れわたった。みんなが口をそろえて、この女《ひと》をほめたたえた。その仁徳の名がひろまるにつれ、老若男女を問わず、サルッツォーへと押しかけてきて、争ってこの夫人を見ようとした。
こうしてワルテルは、下賤なものをめとったが、幸福と名誉に恵まれて、まことに王者らしい結婚をし、神の与えた平和の中でなごやかな家庭生活をした。そしてこの世になんの不足もなく暮らすことができた。下賤の階級にはしばしば立派な徳がかくされているものだということを知っていたワルテルは、珍しく聡明な男であったのである。
グリゼルダは生れつきの才知によって、女らしい家庭の仕事をよく心得ていたばかりでなく、場合によっては、人民のためにも貢献した。その国に起こった不和、あつれき、数々の心配事というようなものは、みんなこの女《ひと》によってうまく仲裁され、いつも平和に引きもどされた。
時に主人が不在の場合でも、もし貴族や人民のあいだに不和の起こるようなことがあれば、夫人はすぐその和解に立った。夫人の意見は賢明で円熟していた。その判断はいつも公平であったから、人民を救い、悪を裁くために、天から送られた女であるとさえ思われた。
グリゼルダは結婚後、まもなく女の子を生んだ――男の子であればなおよかったけれど、侯爵も人民もみな喜んだ。女の子が先に生まれたのだが、不妊症でないかぎり、また男の子の生まれることもあろうというので、みんな喜んだのだ。
三
よくあることだが、この子が少しのあいだ母親の乳を飲んだ時分、侯爵は妻がどれほど我慢強いか、ひとつ試してやろうという気になった。いったんそういう奇妙な欲求がおこると、どうしても思いとどまることができなかったほど強く、彼はその欲望にとらわれてしまった。実際、不必要にも、彼は妻をおどかすことを企てたのである。
以前にも、それはよく試したものだが、いつも大丈夫であったのに、なんの必要があって次から次へとそんなことをやってみるのか。ある人は、それを鋭い感受性のためだというが、私はけっしてそうとは思わない。不必要に妻を試し、苦悩と恐怖を感じさせるなぞ、もってのほかですからね。
そのために、侯爵はこんなふうなやり方に出たのである。ある晩、彼は妻がひとりで寝ているところへ、いかめしい顔をして、いかにも屈託そうにはいって来た。そうしてこう言った。
「グリゼルダよ、わしがおまえを貧しい境遇から救いだして、高貴な階級に引きあげてやった日のことは、まだ忘れはしないだろうね。
グリゼルダよ、この現在の高い位置におまえをおいてやったのはわしじゃが、わしがおまえのような低い階級のものを妻としたのだということを忘れてはならないぞ。どんなに富んでも、おまえはおまえの身のほどを知らなければならない。わしの言うことは一言一句注意してきいてくれ、わしたち二人のほかに聞いているものはないのだからね。
どうしておまえがこの家に来たかは、おまえがよく知っているはずだ、それほど昔の話でもないのだからね。わしとしては、おまえを愛しもし、信頼もしているのだが、家中《かちゆう》の者どもとなるとそうはゆかない。あいつらは、寒村に生まれたおまえのようなものに、臣下として仕えることは、恥辱でもあれば災難でもある、とこう言ってるんだよ。
とくに娘が生まれてからというもの、そういう意見が大っぴらに言われるようになった。わしは以前から希望していることだが、臣下の者どもとは平和に暮らしてゆきたい。だから、こんどの場合にも、無関心ではいられないのだよ。いちばんよいことは、おまえの娘を始末することだ。これも、人民の意見でさえなければ、自分としては望むことではないのだがね。
神も照覧あれ、それはわしにもつらいことだ。とにかく、おまえの許しを得てからでなければやらないよ。で、おまえにもそうすることに賛成してもらいたいものだ。結婚の日に、おまえの村で、おまえがわしに誓ってくれたことを、こんどは実行してみせてくれ」
これを聞いて、妻は言葉にも、顔色にも、そのようすにも、何一つ動じるようなところは見せなかった。見たところ、少しも悲しんでいるようなようすもなかったのである。
彼女は言った。
「殿様、何事もあなたのお心におまかせします。わたしの娘も、わたし自身も、心の底からあなたに従います。わたしはあなたのものですもの、殺そうと生かそうと、ご自由にしてくださいませ、御心のままになりましょう。
あなたのおやりになりたいことは、わたしにもいやなことはないはずです。わたし自身には、欲しいものも、失くしたくないものもありません。あなただけは別ですわ。こんな心持をわたしはしじゅうもっています。時がたっても死が来ても、この気持に変りはありますまい。わたしの心に移り変りはございません」
この返事を聞いて、侯爵は心に喜んだが、その喜びをおもてに出さなかった。そしていかめしい顔つきをしたまま、その部屋を出て行った。まもなく、彼はその計画をひそかにある男に言い含めて、その男を妻のところへまわしてよこした。
旨をうけた男は下士官で、それまでも、いくたびか重大な事件に関して侯爵の信用を得た者であった。つまり命令は忠実に実行するような男なんですね。侯爵のほうでも、その男が自分を畏敬していることを知っていた。そこで、この軍人は殿の意志をよくのみこんで、夫人の部屋にこっそりはいってきた。
この男は言った。
「奥様、わたくしも心苦しいことでございますが、なにとぞお許しくださいませ。あなたも賢いお方ですからよくおわかりでしょうが、殿の命令は、ごまかすことができないのでございます。どんなにそれがいやなことであろうと、また歎かわしいことであろうと、殿の思召しにはそむくことができません。だから、わたくしもやむをえないのです。このお子さんを連れてゆくように命令されてまいりました」
そう言ったきりで、無残にもその子を引ったくった。そして、今にも殺さんばかりのようすをしてみせた。グリゼルダは何事も覚悟して、反対はしなかった。そして、仔羊のようにおとなしく、静かに坐って、この残酷な軍人のなすがままにまかせていた。
この男はふだんから何をするかわからない男であった。その顔つきといい、その言葉づかいといい、その時こそ、まことに恐ろしいものであった。ああ! あれほど可愛がっていた娘が今にも殺されるかと、彼女は自分の心臓を二つに裂かれるような気がした。だが、夫人は身動きもしないで、じっと押しこらえたまま、侯爵の意志に従った。
最後に、夫人はその下士官に向かって、相手が立派な紳士でもあるように、しとやかに願った、「殺すまえに、一度その子に接吻させていただきたい」と。そして、悲しそうに、子供を両腕に抱きしめたまま、そっと接吻してあやしながら、祝福を与えた。それからやさしい声で言った。
「さようなら、わが子よ、もうわたしはおまえに会えないのよ。わたしたちのために、十字架の上で最期をとげさせ給うたイエス・キリストから祝福されるように、わたしはおまえに十字をきって上げたのよ、おまえの魂は神様におまかせいたします。今晩にもおまえは殺されるだろうからね。――わたしのために」
こんな場合、乳母でもおそらくこの悲しみには堪えられなかったろうが、母親ならなおさらのこと、涙にくれたのももっともであった。しかも、夫人はけなげにも、あらゆる苦痛を堪え忍んだ。そして、その下士官にやさしく言った。
「さあ、この子をお連れなさい。そして殿の命令を果たしてください。ただこれだけのことは、あなたにお願いしておきますよ。殿の命令で禁じられてさえなかったら、この子をどこか、獣にも小鳥にもほじくり出されないところに埋めてやってくださいね」
だが、それについては、なんにも言わずに、彼はその子を連れていってしまった。
下士官は侯爵のところに戻って来て、グリゼルダの言ったことや、その場のようすを、要点をとって事細かに報告した上、その娘を手渡しした。殿もいくらか哀れには思ったが、殿様というものは、いったんこうと思ったらやりぬかないではおかぬように、やはり自分の意志はまげなかった。
それから、彼はまたその下士官に命じ、あらゆる注意を払って、その子を温かくくるみ、箱か風呂敷のようなものに包んで、どこから来たとも、どこへ行くとも、人には絶対に知られないようにして、当時パニク伯爵夫人であった侯の姉君のいられるボロニヤへ連れてゆかせた。そして、そこで大切にして、この子を立派に育ててもらうことを依頼するとともに、どんなことがあっても、その子が誰の子だということはかくしておくように頼んだ。
下士官は出かけていって、この任務を果たした。
さて、侯爵はというと、それがために、妻のようすや言葉づかいに、どこか変わってきたところがあるかと、よくよく観察してみたが、夫人は相変らず真面目に働いていて、心もやさしく親切であった。以前のとおりに謙譲で、夫にもよく仕え、愛も深く、いたれりつくせりの勤めぶりであった。そして娘のことは何一つ言い出さなかった。少しも苦しんでいるようすを見せないばかりか、真面目にも冗談にも、娘の名は口の端にさえのぼせなかった。
四
こんな状態で四年間が過ぎたとき、夫人はまたもや妊娠して、やさしく美しい男の子を生み落した。もちろんワルテルの子である。このことが父君に告げられると、彼ばかりでなく国じゅうのものが、その子の誕生を喜びかつ祝って、神に感謝をささげた。
その子が二つになって、やっと乳母の乳房を離れた頃のある日のこと、侯爵はまたもや、できることなら、その妻を試してみようと思い立った。夫人の大切な娘を死なせて、それでもまだ足らぬかのようだ。まったく不必要なことである。だが、結婚した男の心というものは、相手が辛抱しておればおるほど、その程度というものを知らないで、際限なく女を試そうとするものらしい。
侯爵は言った。
「奥よ、このまえにもおまえに言うたことじゃが、わたしたちの結婚を人民どもはあまり快く思っていないのだ。とくに息子が生まれてからは、今までになく不満の色を見せてきた。あいつらの不服はわたしの気持をくさらせるわい。あの不満の声をきくと、まったくがっかりさせられるからな。
人民はこう言うのだ。
『ワルテルが死んだら、ジャニクラの血筋がそのあとを継ぐじゃろうが、それがわしらの殿様となるのだ』と。わしとしても、そういう不満は考えてやるべきだと思うよ。わしのいるところでははっきり言わないが、しかしそういう意見は憂慮すべきものに違いない。できることなら、君臣のあいだは平和でありたいからね。で、この子の姉を夜中ひそかに処理したように、この子も断然処理したいと思うが、どうじゃ。あらかじめ注意しておくが、こんなことを聞いたとて、悲しみのためににわかに発狂などしないように、やはりこのまえのように我慢してもらいたいものだ。これだけは頼んでおくよ」
夫人は言った。
「あなたの思召し以外には、わたしは何も望みもいといもいたしません。これはすでに申し上げておいたことでもあり、また、この末どこまでも変わらないつもりでございます。あなたの命令であるかぎり、たといわたしの娘や息子が殺されても、少しもいといはいたしません。二人の子供にしても、はじめは病気をされ、後には悲しみと苦痛をなめさせられたほか、わたしにはなんのかかわりもなかったのですからね。
あなたはわたしたちの主君ですから、ご自分のものはご自分の思いどおりになさってくださいませ、わたしなどにお尋ねになる必要はございません。あなたのところへまいった時、わたしの着物はみんな里の家に置いてきたと同じように、自分の意志も自由も置いてまいりました。そして、あなたの着せてくださるものを着せていただきました。ですから、なにとぞあなたのお好きなようになされませ。わたしはあなたのご命令に従いますよ。
もしわたしに、あなたのお望みをまえもって知る力がありましたら、間違いなくそのとおりにしたことでございましょうに。でも、今あなたのお望みがわかりましたからには、もちろん、どこまでも思召しどおりにいたします。わたしを殺したいとおっしゃるなら喜んで死にもいたしましょう。そして、あなたの思召しをご満足させることでございましょう。死とあなたの愛とでは比較にはなりませんもの」
侯爵はそれを聞いたり見たりした時、すぐにその眼を伏せながら、よくもこの仕業に辛抱ができるものだとつくづく感心した。だが、すぐに恐ろしい顔つきをして、その場を去ったが、心の中では非常な喜びを感じていた。
先に女の子を連れていった、あのみにくい下士官がふたたびやってきた。そして、まえよりはもっと残忍な態度で、その美しい息子をつかまえた。夫人はいつものようにじっと押しこらえて、悲しいようすは色にも見せず、息子に接吻をして祝福を与えた。そのほかには、ただその下士官に、できることならこの見るもいたいたしい、柔かい手足を墓の土に埋めて、小鳥や獣の餌食にしないようにと願った。だがその下士官はべつに返事もしなかった。彼はどうなろうと意に介しないようにずんずん行ってしまった。しかし、その子は大切にボロニヤに送りとどけた。
侯爵も考えれば考えるほど、妻の辛抱強さが不思議に思われた。妻がほんとうにその子供たちを愛していることを知っていたからいいようなものの、もしそうでなかったら、あんなに我慢強く辛抱しているのは、なにか意地の悪い残忍性のためか、でなければ、なにか悪だくみでもしているのでないかと邪推したかもしれない。それほどその辛抱強さは異常に思われた。
ともかく、こうした侯爵にも、グリゼルダが自分の次には子供を愛している、どこから見てもいちばん深く愛している、ということがわかった。
ところで、ご婦人方にお尋ねしますがね、こんな試練《ためし》は少々ひどすぎやしませんかね。どんなに頑迷な夫でも、妻の貞操を試すために、こんなことまでたくらむほど非常識なものがあるでしょうか。
だが、世にはいったんやろうと決心したら、たとえ火あぶりにかけられても、その意志をまげないというたちの人物もあるのですね。この殿様はそういう人間でした。最初思いついた妻の試練《ためし》を完全にやりとげようとした。彼は妻の言語やようすによって、妻の心が変わりやしないかと、それを注意して見ているのだ。ところが、それがどうしても変わってこないのだ。彼女の心にもようすにも変りがない。年をとればとるほど、彼に対する愛はますます真実になっていった。そして、ますますかいがいしく仕えるようになっていった――そういうことがあるものかと思われるように。
この二人の夫婦には、ただ一つの意志しかなく、夫の喜びはまた妻の喜びでもあった。まったくすべてがワルテルの希望どおりで、ありがたいことに何事もうまくいっていた。妻たるものは、たとえ世間でどう言おうと、夫の望まぬことは何一つ望むべきではないという、そういう女で彼女はあった。
ワルテルの不評判は、いたるところに広くゆきわたった。貧しい娘と結婚して、生まれた子供をこっそり殺したという、そうしたワルテルの残忍な心が評判となって、人民の中にも不満の声が高まった。それも無理はないので、人民の耳には、子供が暗殺されたという評判しかはいらなかったからである。
それがために、まえには殿様を愛していた人民も、その不評判で、すっかり殿に愛想をつかすようになった。だが、それにもかかわらず、侯爵はどうしてもいったんやりだしたことをやめないで、妻を試すことに夢中になっていた。
侯の娘が十二歳になった時、侯爵はローマ法王庁に使者を送って、またもや秘密に計画をめぐらした。それは、侯爵の残酷な目的にかなうように、法王の特許を得ようとしたもので、まず人民との折り合いをよくするために、今の妻を離別して、別の妻と結婚することを法王から特別に許してもらおうとしたのである。
ところが、それも実は法王の特許状を偽造したもので、人民と王侯とのあいだの不和を取り除こうとする法王の特別の思召しによって、侯爵が最初の夫人と離別することを許したように見せかけたものである。そして、それを一般に公布した。
無知な人民が、その特許状を真正なものだと思ったのも無理はない。しかし、この知らせがグリゼルダに届いた時、彼女はどんなにみじめな思いをしたことであろう。だがどこまでも謙譲な夫人は、相変らず落ちついたもので、逆境を堪え忍び、この世で真の満足を与えてくれる唯一の人として身も心もささげた夫の思うがままになりながら、どこまでも運命の逆転に堪える覚悟をしていた。
話を簡単にすれば、侯はそれから手紙に自分の希望を書きそえて、ひそかにボロニヤに送った。それは、その昔侯爵の姉の嫁したパニク伯に宛て、自分の子供を二人とも公然と、しかも儀礼をつくして家に連れ帰ってくれることを依頼したものであった。ただ、それが侯爵自身の子だということは誰にも知らさないで来て欲しいとつけ加えてあった。
その娘は、ただちにサルッツォー侯と結婚することにしてあった。パニク伯もいわれたとおりにやってくれた。予定の日に、伯は子供を連れて、サルッツォーへと旅立った。礼服で着飾った大勢の役人が護衛となり、その少年は馬に乗って姉のわきに随行していた。
花嫁となったこの美しい娘は宝石に飾られ、六つになる弟もきれいな服装をさせられて、サルッツォーを目ざして、幾日も旅をつづけた。
五
一方、侯爵はまたその残酷なやり口で、この上にもまだ妻の心を極端まで試してみようとした。妻の辛抱強さを十分に知っておくために、ある日のこと、グリゼルダをよんで、みんなの前でがなり立てるようにこう言った。
「グリゼルダよ、これまで妻としておまえに十分満足してきたのは、おまえの善良さ、まめまめしさ、服従心のあつさなどのためであって、おまえの血統と財産のためではないのだ。だが考えてみると、実はわしのような身分の者には、いろんな意味で、ずいぶん苦労のあるものでね。わしには百姓のように自由にものがやれないのだ。臣下どもは、毎日のように他の妻をもらえとやいやい言ってくる。また法王も、人民の不平をなだめるために、おまえを離婚することに同意してきた。それで実を言うと、新しい妻が来ることになって、今はその道中にあるのだ。気を確かにもって、すぐその女のために地位を譲ってもらいたい。おまえにあげたあの衣裳もみんな、新しい妻にやることにした。おまえは里の父親のところに戻っておくれ。人間というものは幸運をつづけることはできないものだ。どうか心を乱さないようにして、運命の逆転に堪えておくれよ」
「殿、承知しております。殿の立派なご身分とわたしの身分とでは、くらべものにはなりませんし、また、誰もくらべようとはしないでしょう。ええもう、それはけっして! わたしは殿の妻として、いえ、殿の女中としてさえ、そんな値打のないものだということが、はじめからよくわかっていました。
わたしを妻としてお連れになったこの御殿の中では、神様もご照覧あれ、わたしは殿の奥方にもおめかけにもなれない身だと思っていました。ただ殿様の召使にすぎません。命のつづくあいだは、わたしは殿の召使として働きとうございます、あらゆる人の上に立たせられる殿様ですもの。
長いあいだ、わたしのようなものに、殿のご慈愛によって名誉と地位が与えられましたことについては、深く殿様に感謝して、神様が殿に祝福をお授けくださるようにお祈りするばかりでございます。わたしはこれから父のところに戻って、死ぬまで、父と一緒に暮らしましょう。
わたしが生まれて育てられたところにまいって、一生そこで身も心も清らかなやもめとして過ごしましょう。わたしもはじめて殿に処女をささげて殿の妻にしていただきました。それに嘘偽りはござりません。神様もご照覧あれ、そういう殿様の妻になった身で、どうして二度と他の夫をもつことができましょうか。
こんどの新しい奥様につきましても、ご一緒に幸福でお栄えあそばすように、神かけてお祈りいたします。長いあいだ幸福に暮らさせていただいたこの場所も、喜んでその方にお譲りいたしましょう。それがお望みとあれば、わたしはいつでも思召しのままに出てまいります。長いあいだのよろこびであり、わたしの心を休ませていただいた殿からもおひまをいただきましょう。
最初お嫁入り衣裳として、わたしの持ってきたものは持って帰れとおっしゃってくださいますけれど、わたしもよく覚えていますが、それはもう憐れなみにくいもので、今はもうどこにあるか、見つけようにも見つけられません。
でも、あのわたしたちの結婚の日に、殿がおっしゃってくださいましたお言葉も、その時のお顔も、ほんとうにけだかくご親切なものでございましたわね。
ああ、愛ははじめとあとでは同じものでないと言われていますが、今こそわたしも、しみじみそれを感じさせられました。ですが、どんな逆境がまいろうとも、たとえ死ぬようなことになろうとも、わたしはあなたに、根こそぎわたしの心を捧げたことに対して、言葉にもおこないにも、けっして悔むことはありますまい。
殿様は、わたしの父の家で、わたしの見苦しい着物を脱がせ、きれいな衣裳に着替えさせてくださいました。わたしがあなたにもってきたものといえば、真実な心と、裸の体とそれに処女だけでございました。ここでまた、その衣裳と結婚指環とをお返しいたします――永遠に。
あなたの宝石類は、あなたのお部屋に、確かに置いてまいります。父の家からは裸で出てまいったのですから、また裸で戻ります。どんなことでも、あなたの思召しには喜んで従います。でも、まさか裸でこの御殿からわたしをお出しになるおつもりではありますまいね、それだけはお願いいたします。
あなたの子供を宿したことのあるこのお腹を、歩くときに人前にさらけ出させるような、そんな恥かしいことはまさかなされもしないでしょうが、お願いですから、虫けらのように、わたしを裸で追い出さないでくださいませ。たとえ取るに足らないものでも、一度はあなたの妻であったということを思い出してくださいませ。
わたしがあなたにもってきて、ここで失くしてしまったあの取り返しのつかない処女の代償として、一度はあなたの妻であった女の身を包みかくすために、ふだん着を一枚だけ恵んでくださいませ。そうすれば、これからすぐにおひまをいただきます」
殿は答えた。
「今着ているものを、そのまま着て、もってゆくがいいぞ」
この言葉を口にするや否や、侯爵もあまりの気の毒さに、いたたまらなくなったと見え、急いでそこを立ち去った。
みんなのいる前で、グリゼルダは着物を脱ぎ、帽子もかぶらず、はだしで父の家へと急いだ。
人々は泣きながら女の後についていった。道すがら、彼らは運命の神を呪った。だが、彼女はその間涙もこぼさず、ひとことも口はきかなかった。
早くもこの知らせを受け取った父親は、この世に生まれてきた日と時とを呪った。
この貧乏な老人は、娘の結婚についてはいつも疑いをもっていた。殿様がその欲望をみたしたあとでは、身分の低いものと結婚したことを恥じるようになって、いずれ娘を追い払うことになるだろうとはじめから思っていたのだ。
人々の近づく足音を聞いて、早くも娘の帰宅を知った父親は、急いでそれを迎えに出た。それから娘の古い着物を出してきて、おいおい泣きながらそれを娘に着せてやった。だがそれもよく着せることさえできなかった。それというのも、着物はもともとぼろであった上に、結婚以来年を経ているので、その時分とはまたずんと古くなっていたからである。
こうして、妻の忍耐の華ともいわれるこの女は、しばらく父親と一緒に住んでいたが、その間自分が受けた恥辱については、人々の前ではもちろん、誰もいない時でも、言葉や、顔色にけっして出さなかった。そればかりでなく、以前の高い身分についても、すっかり忘れたようなようすをしていた。
それも道理、彼女は高い身分にいた時でも、その魂はいつも平民らしくへりくだっていた。そこには、みやびやかな言葉も、はなやかさも、宮廷らしさを思わせる何ものもなかった。いつも辛抱強いへりくだりと慎ましやかさとで身を持していた。人に傲《おご》らず、しかも名誉を重んじ、夫に対しては、いつも柔順で変わるところがなかった。
世の学者は、好んでヨブの謙譲を説くが、学者というものは、いつも男のことばかり言って、女はあまりよく言わないものである。だが実際のところ、謙譲ということに関しては、男は女より劣るのが常であり、貞操を守るという点になると、男は女の半分にも及ばないものである。
六
ボロニヤからパニク伯がおいでになったという知らせが上下に伝わった。その伯爵が新しい侯爵夫人をお連れになる、しかもその行列は西ロンバルジヤではこれまで見たこともないほど立派なものだというような噂が伝えられた。
これらのことをあらかじめ計画した侯爵は、伯が着かない前に、まずグリゼルダのところに使いを出して呼びにやった。やさしいグリゼルダは、命じられるままに、にこやかな顔をしてやって来た。けっしてその顔色の下に、ふくれた心をかくしているのではない。殿様のところにやって来て、その前にひざまずきながら、うやうやしく挨拶した。
侯は言った。
「グリゼルダよ、明日わしと結婚するようになった娘を、わしの家に、あらん限りの礼をつくして、はなやかに迎えたいのがわしの唯一の願いなのだ。また、どの者にもその身分と地位とに応じて座席をとらせ、その饗応に万全を期したいとも思っているのだよ。
だが、女中どもに任しておいたのでは、わしの思うように部屋の整理からしてできないと思ってな。それでおまえに、ひとつ女中頭のつもりになって采配を振ってもらいたいのだ。おまえはまえからわしの好みをよく知っているはずだ。おまえの着物はみすぼらしいが、そんなことは遠慮に及ばない、まあやれるだけ尽力してくれまいか」
「そういう思召しとあれば、喜んでいたしましょう。わたしの分相応に、あなたのお役に立つことは、もとよりわたしの念願でございます。幸不幸は別といたしまして、あなたを心の底から愛していることに変りはございませんもの」
こう言って、グリゼルダは早速御殿の飾りつけに取りかかりました。食卓を備えるやら、寝室の準備をするやら、女中たちを追いまわすようにして、ものを動かしたり、掃除をさせたり、自分が先に立って、それに全力をそそいだ。誰よりも自分がいちばん働いて、饗宴の大座敷をはじめとして、どの部屋も、かの部屋も、ことごとく準備を整えた。
朝の九時頃、伯爵は二人の上品な子供を連れて到着した。人々はそのはなやかな行列を見物しようとして、四方から馳せ集まった。群衆は、一目それを見るや、「いや、ワルテルが奥さんをかえたがったのも、まんざら無理じゃないね。こいつは飛切り上等のしろものだよ」というような噂をしはじめた。
というのも、彼らの見るところでは、今度のお嫁さんのほうがグリゼルダよりもきれいだし、年も若かったからである。こんどはまえよりはいっそうきれいな子が生まれるだろう。花嫁の弟も立派な器量だ。それで、人々は嬉しくなって、こんどは侯爵のやり方をほめるようになった。
「弥次馬の群衆よ、おまえ方は風見のようにぐるぐる変わる。物見高いし、なんでも珍しい世間話が好きだ。おまえ方は月のように満ちたり欠けたりする。おまえたちにほめられようとけなされようと、一文の値打もない。おまえらの判断はいつも違っているし、いつも節操がない。おまえらの言うことを信じるやつは大馬鹿野郎だよ」
この城下の賢い人たちは、群衆が物珍しさに上を下へとひしめきあいながら、新しい夫人が町へやって来たというので喜んでいるのを見て、そう言ったものだ。だが、これはもうこれだけにしておいて、これよりグリゼルダの貞淑と、その勤勉ぶりを話しましょう。
グリゼルダは、この饗宴を万事ひきうけて、ほんとうに忙しかった。着物はぼろぼろであっても、少しも恥かしいとは思っていなかった。新しい侯爵夫人が着いたと聞くと、他の人たちと一緒に、いそいそと門のところまで出て、一行を迎えた。それからまた、忙しそうにあとの仕事にとりかかった。
彼女はいそいそとしながら、その身分と地位に応じて、それぞれ要領よく客人を接待した。一人として不満を感じさせなければ、ただ一つの落度もなかった。それどころか、あんなみすぼらしいふうをしていながら、あんなによく礼儀礼節を心得ている女は、いったい何者だろうかと、彼らは心に驚きながら、いずれもそのゆきとどいたもてなしぶりをほめたたえた。
一方、グリゼルダは、その娘とその弟とを、やさしく心をこめてほめちぎった。それはもう、何ぴともそれを補足することのできないようなほめ方であった。
やがて賓客たちがぞろぞろと食卓についた。そのとき侯爵は、座敷でいそがしそうに働いていたグリゼルダを呼んで、
「グリゼルダよ、この美しいわしの女房をどう思うかね」と言った。
「ほんとうにお美しい方でございますわ。わたくしもはじめてこんな美しい方にお目にかかりました。神様がこの方に祝福をお与えくださるようにお祈りいたします。また、あなたさまにも一生涯十分な喜びをお送りくださいますようにお祈りいたします。
ただ一つお願いがございますが、どうぞこんどはこのやさしいお姫さまを、もう一人の女におやりになったようにお苦しめにならないように。貧しい中に育てられた者と違って、お育ちのよいお方は、ああいった苦しみには堪えられないものでございますからね」
ワルテルも、グリゼルダがここまで辛抱して、つゆほども悪意をもたず、さも嬉しそうな顔をしているのを見、さらにあれほどひどい目にあわされても、いつも真面目で、その無邪気さを保ちながら、城壁のように固く貞節を守ってきたことを思いあわせると、さすがに頑迷な心も折れて、妻の変わらぬ貞操の前に憐れをもよおしてきた。
「いや、もうたくさんだ、グリゼルダよ」と彼は言った。「もうこれ以上驚くことも、心配することもないよ。わしはもうおまえの誠実と慈愛の心を十分に試してみた。王侯の身にあっても、また貧しい境遇にあっても、いつも変わらぬ女として、おまえの心を試してみた。いとしい妻よ、おまえの貞操の堅固なことは、今こそわしにもよくわかった」
こう言って、彼は両腕に女を抱きしめながら接吻した。
グリゼルダは驚きのあまり、ただもう夢かうつつかと、相手が何を言っているやらよくもわからなかった。ややしばらくして、あたかも夢からさめたもののようにその極度の驚きからさめた。
「グリゼルダよ」と、侯爵はふたたび言った。「みんなの前で言っておくが、おまえはわしの妻だ。おまえのほかに妻は持たないし、また持ったこともないのだ。神様もわしの魂をお救いくだされませ。
これはわしの娘だ、おまえはわしの妻だと思ったろうがね。こちらにいるのは、また最初からそのつもりにしていた、わしの後継ぎなんだよ。二人ともおまえがお腹に宿した子供に相違ない。実はボロニヤで秘密に育てておいたのだ。今こそ二人をおまえに返してあげよう、けっして二人の子供を失くしたなぞとは言わせないようにね。わしについて間違ったことを言いふらしていた人たちにも言ってきかせるが、わしがあんなことをやったのは、けっして悪意からでも、わしの残忍性からでもなく、ただおまえという女を試してみたかったからだ。子供だってけっして殺そうなぞとしたのではない、――そんなことは神も禁じたまえ!――わしはただおまえの本心が知りたかったのだ」
これを聞いたグリゼルダは、可哀そうに、嬉しさのあまり気絶してしまった。そして、その気絶からさめた時、彼女は二人の子供をそばに呼んで、おいおい泣きながら、両腕にしっかりと抱きしめ、やさしく接吻した。そして、母親らしく、その塩っぱい涙で、二人の子の顔や髪の毛まで濡らしてしまった。
彼女が息も絶えだえに、かすれた声でものを言う、その声をきくくらい、世にも憐れなものはなかった。
「殿よ、神様があなたにお礼をしてくださいますように。わたしの可愛い子供を助けておいてくださったのは、ほんとうにありがとうございました。わたしはもう、この場ですぐに死んでもかまいません。でも、あなたに愛され、あなたのご恩の中に立っているんですもの、わたしの魂が去って、このまま死んでしまっても本望でございます。
可愛い子供たちよ、お母様はおまえたちはもう残酷な猟犬か、いやな虫けらにでも食べられてしまったものとしじゅう思ってきました。それが神様と父上のおかげで助かったのですよ」
そう言うと同時に、急に気を失って倒れてしまった。気絶をしても、二人の子供をしっかり抱いていたので、子供たちは骨を折って、ようやく母の腕から脱け出すことができた。
そばに立っていた人たちも、この哀れな光景に涙を誘われて、誰一人泣かぬものはなく、そばにもいたたまらないほどであった。
ワルテルは彼女を慰め、彼女の憂いを消してやった。彼女はやっと気絶からさめて、きまりが悪そうに起き上がった。みんなが彼女を慰め、とりなして、ようやく落ちつかせたのである。
ワルテルも真心から彼女をいたわった。二人がこうしてふたたび結ばれ、たがいに喜んでいるさまを見るのは、まことに楽しいものであった。
侍女どもは、時を見はからって、彼女を一室に連れ込み、着ていたきたない着物をぬがせ、輝かしい金色にかがやく着物に着替えさせ、宝石をちりばめた冠をかぶらせ、ふたたび客間に連れ戻って、そこで侯爵夫人として一同からの挨拶を受けさせた。
こうして、この哀れな思い出の日も、きわめて愉快に終わった。男も女も区別なく、大空が星の光に輝く時刻まで、思う存分飲めや歌えやで、その日を楽しくすごした。それで、この饗宴は、彼女の結婚の騒ぎよりも、いっそうすばらしく、費用もよけいにかかったらしい。
この夫婦はむつまじく、安らかに、長い年月を栄えて暮らした。姫はイタリーでも、もっとも権力のある諸侯の一人と立派に結婚した。夫人の父親も御殿に引き取られて、死ぬまで安楽に暮らした。
若殿はまた侯爵の死後、そのあとを継いで、平和に日を送った。結婚はしたが、その夫人を試すようなことはしなかった。
確かに、今の世は古代のようにきびしいものではない。だからまあ、この著者の言うことも聴いていただきたい。この物語をしたのは、なにも婦人たるものはみんな、その屈辱においてグリゼルダにつづけよというのではない。つづきたいと思っても、それは我慢のできないことだ。ただ人はその立場立場に従って、その逆境に堪えよと言ったまでである。ペトラルクが、この話を立派な文章で書いたのも、まったくこれと同じ意味からだ。
一人の女が一人の男に対して、あれだけの忍耐をしたという以上、われわれも神の与えたものは、どんなことでもいっそう甘んじて受くべきではないか。神がご自分の造られた人間をお試しになるには、大きな理由のあることである。聖ジェイムズの書簡にもあるように、神はその罪をあがなってくだされた人間を、わざわざ邪悪に導かれるようなことは断じてない。
神は、確かに、いつも人間を試される。人間を訓練するためには、逆境という鋭い鞭で、いろいろの方法で鞭打たせ給うのだ。しかし、神は、それで人間の忍耐力を知ろうとされるのではない。神はもうわれわれが生まれるまえに、人間のもろさなどはよく知っておられるのだ。すべて神の摂理は人間のためにあるのである。だから、われわれをしてただ徳操ある苦難の道を歩かしめよだ。
さて、みなさん、いよいよ失礼するまえに、ひとことお聴きください。近頃は一つの町で、三人はおろか二人のグリゼルダさえ見出すことは困難になった。そんなふうに試された日にゃ、彼らは今の金貨のように真鍮とまざっているから、見た眼にはきれいでも、すなおにまがるどころか、まっ二つに割れてしまいますよ。
ここで、ちょっとバースの女房のために――あのおかみさんだの、またはそういった連中を、神様よ、どうか彼女たちの高い支配をおまもりくださいますように。さて、わしはこれから新鮮ないきいきした気持で、みなさんをお喜ばせできそうな歌をひとつうたいましょう。かたくるしい話は、きれいさっぱりよしにしてさ。わしの歌というのは次のようなものだが、まあお聴きください。
チョーサーの結句
グリゼルダの死とともに、ああした忍耐もなくなった。どちらもイタリーの土に埋められてしまったのだ。わしは大きな声で言っておくが、いかなる夫も、グリゼルダのような女を探すつもりで自分の妻の忍耐を試すような、そんな大それたまねをしてはなりませんぞ。――そんなことをしても失敗するにきまっているのだから。
ゆきとどいた、つつましやかな女房諸君、謙譲などできみたちの舌をつつまないものだ。辛抱強く親切なグリゼルダのような奇蹟的な話を、学僧などにむきになってさせないことだ。辛抱強い女を食物にして生きているといわれるシシバシという怪物が、諸君を腹の中に呑み込まないとは限らんからね。
それよりも、黙っていられない、一語一語返辞をせずにおかないこだまの例にならうがよい。無邪気な女だ、などと言われて、馬鹿にされぬがいいですぞ。しっかり男をつかまえて、かかあ天下になることだ。この教訓をよく心得ておいて、一般社会のためにつくしてくれたまえ。
かかあ天下の女房諸君、うんとふんばってね。諸君はらくだのように足が強いんだからさ。男に乱暴なまねをさせてはいけませんぞ。
喧嘩には強いが、ほっそりした女房諸君、インドの山奥の虎のように、すばしこくやりたまえ。いつも水車のようにしゃべり散らすんだぞ。わしが言っておくからね。
亭主などは、鎖《くさり》帷子《かたびら》で武装していようが、なあに、ちっとも恐れるにはあたらない。亭主を尊敬するなどもってのほかだ。諸君の持っている毒矢の雄弁は、相手の胸当てやかぶとのあご当てをも貫きとおすに違いない。
それからおすすめするが、悋気《りんき》で相手をしばりつけるのもいいね。そうすれば、彼はうずらのように小さくなってうずくまるに違いないからさ。
諸君がもし美人であるなら、諸君の顔や薄い衣裳を人前で見せびらかすがいい。
諸君がもしみにくければ、どんどん金をまきちらして、諸君のために用を足してくれる友達をたくさんつくるがいい。風の中の木の葉のように、いつも軽く、陽気な顔をしているがいい。そうして、そいつらに気をもませ、泣かせ、身をもがいたり、わめいたりさせてやりたまえよ。
亭主の愉快な言葉
この立派な学僧の話が終わったとき、亭主が神に誓って言った。
「うちのかかあにただの一度でもいいから、この話をきかせてやりたいものだ。わしは好きな樽酒をやめても、こんなためになる話はきかしてやりたいよ。確かに、これはわしの望みにかなった。良いお話でさ。
だが、できないことはそっとしておいて、まあ、ふれないほうがよいにはよいがね」
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貿易商人の話
貿易商人の話 前口上
貿易商人は言った。
「おれは朝となく夕となく、泣きわめき、心配やら悲しみやらを、いやというほど味わっている。
いや女房もちの人間には、そういう人がごまんといるに違いない。と申すのは、何をかくそう、そもそもこのわしがそうなのだ。
わしの女房ときた日には、底ぬけの悪妻だ。悪魔がかかあを貰っても、悪魔のほうが尻にしかれるに相違ない。
おれの女房の悪妻ぶりは、こまごま話せば日が暮れるが、とにかく、まったくのじゃじゃ馬だ。
グリゼルダのような忍耐強い女と、残酷きわまるおれの女房とは比較になりゃあしねえ。大変な違いだ。
正直に言うと、あんなやつとは縁を切りてえ。二度とふたたび、あんなやつのわなにかかりたくねえものだ。
おれたち女房もちというものは、苦しみの中で暮らしているのだ。
嘘か本当か、インドで死んだ聖トマスにかけて誓って言うが、わしの言うことがあらまし本当なことは誰にでもわかるこんだ。
結婚した男が苦しむなんて、こんなことは神様の思召しではないのだ。
亭主、聴いてくれろ。わしはまだ結婚してから二カ月目にしかならないのだが、それでいてこのとおりだ。情けない。
一生女房をもたねえ男が、心を二つにさかれたところで、その苦しみなんざ、罰あたり女房をもったおれの苦しみにくらべたら、ものの数でもありゃしない」
亭主は言った。
「さあ、商人さん、恐れ入るが、それだけの経験をされているからにゃ、実際の話をひとつぜひとも聴かせていただきてえ」
「そりゃあもう喜んでやりもしましょうが、自分自身の悲しみについちゃ、あまり情けないことなんで、もう話も何もできやしません」
と貿易商人は言った。
貿易商人の話
昔、イタリーのロンバルジヤという国に、一人の立派な騎士がいた。この男はその首都パーヴィヤの生れで、その都で豪勢に暮らしていた。
六十になるまで女房を貰わないでいたが、自分の肉体的快楽は、馬鹿な生臭坊主がやるように、いつも食指のうごくところで、女に求めた。
だが、六十を越えた時分、後生のためか、それとももうろくしたせいか、大変勇気を出して女房を貰うことに決心した。それからというものは、夜も昼も、どこかに女房がいないかと血眼になって探したものだ。
夫婦という幸福な生活を一度でも味わってみたいものだと、また神が最初男と女とを結んでくださったあの神聖なちぎりの生活を一度でも味わってみたいものだと、神に祈っていた。
彼が言うのには、
「そのほかの生活なんざ、豆一粒の価値さえもないものじゃ。夫婦生活というものは、水いらずの、清浄なもので、この世の極楽というものだ」
と、この老騎士は、はなはだ賢いことを言ったのだ。
まことに、神が天主であることが真理であるように、確かに、妻をめとるということは天にも昇るすばらしいことである。とりわけ男がもう年老いて髪の毛も白くなっている時には、嬉しさもひとしおである。その時には、女房というものはその男の宝の中の宝ともなるものだ。とくにそういう老いた男が若いきれいな女房を貰って、それに後継ぎを生ませ、喜びと安穏の生活をおくるときには。また、未婚の若い騎士どもが、恋愛とかいう子供っぽい、虚栄に憂き目をみて、あああ! と歎息している時に、老騎士が若い女房と楽しく暮らすなどとはすばらしいことだ。
実は未婚の若い騎士が、しばしば悩み悲しみを味わうというのも一面当然なことだ。彼らは柔かいもろい土地に家を建て、それで大丈夫だと思いこむ。彼らは自由に責任とてもなく暮らしていて、鳥や獣とえらぶところはない。ところが、結婚した男は、結婚というきずなにしっかりとつながれて、自分の屋敷に住み、幸福な規則正しい生活をするのだ。結婚した男の心が喜びと幸福にあふれるのは、もっとものことである。
妻というものほど、しとやかで従順なものはない。男のつれあいとして、病気の時も健康な時も夫に忠実であり、気をつかい、夫を守ってくれる。幸福な時も不幸な時も、夫を見捨てることがない。病身の夫がいつも床についていても、死ぬまで、夫を愛し仕えてうむことがないのだ。
だが、学者の中では、そうではないと言うものもいる。ギリシャの賢人セオフラストスもその一人だ。彼は嘘を言うつもりであったにせよ、それはかまうことはない。とにかく、彼はこんなことを言っている。
「家の経費をへらそうなどと、経済のために、女房を貰ってはいけない。女房よりも忠実な従僕のほうが、ずっと忠実に勤めて、財産をよく守ってくれるものだ。それというのも、女房は、一生のあいだ、半分半分の平等の権利を主張したがる。夫が病気になっている時などは、数年間、夫の財産をいつもねらってきた女房よりか、夫の真の友人や、忠僕のほうが、夫をずっとよく世話してくれるのだ。
また妻をめとったところで、すぐ間男されるのがせきのやまだ」
この人は、こればかりか、もっとひどい警句を無数に書いているが、けしからない。だが、こんな嘘のたわごとは気にかけないことだ。セオフラストスなどは避けて、わしの言うことをお聴きなさい。
女房というものは、まことにまことに、神の賜物である。地所や、地代や、牧場や、共有地や、動産などは、いずれもみんな、運勢の賜物にすぎない。こんな財産は壁の上を過ぎる影のようなものだ。
ところが、大胆に言えば、女房というものは永久的なもので、おそらく、夫が欲するよりも長く生きながらえて、夫の家にとどまるものである。
結婚とは侵すべからざる神聖なものである。女房をもたない者はけがれていると思われる。そういう男は助けようもない。すさんだ、みる影もない存在であるが、そういう男は多く世俗の僧の中にみるのだ。
冗談で言うのではないが、なぜ、女が男の助けとして造られたのか、よく聴いてください。上帝がアダムを造られ、アダムはただひとりで、お腹をむき出し、まる裸であったのをごらんになって、「この男の助けとして、この男に似たものを、これから造ってやろう」と言われ、それからイヴを造っておやりになったのだ。
諸君は、ここにおいて、次のことを知り、次のことを証明することができる。すなわち妻は夫の助けであり、慰めであり、地上の楽園であり、快楽であり、従順で貞淑であって、夫婦は、それでこそ、和合して暮らせるはずである。
幸福な時も不幸な時も、夫婦は一つの肉体である、そうして一つの肉体は一つの心しかもってはいないのだ、と思う。
ああ、女房! 女房とはありがたいものだ。女房をもって災難だというようなことは考えられない。
夫婦の間の幸福は、これを表現する舌もなく、これをよく考える心さえないものである。
夫がもし貧乏であれば、夫を助けて働くのが妻である。夫の財産を守り、けっして浪費することを知らないのが妻である。夫の好むものは、また妻もよく、それを好むのだ。
夫が「可」とするものは、妻は一度でも「否」とすることがない。夫が「これをなせ」といえば、妻は「承知いたしました」と言うのだ。
結婚という、とうとい幸福な制度こそ、楽しくかつとうといものだということは、よく讃美されその徳が証明されているのだ。だから、どんなに貧しい人でも、裸のままひざまずいて、女房のあることを神に感謝すべきものだ。また未婚者は、自分が死ぬまで生きていてくれる妻が貰えるようにと神にお願いすべきものだ。というのは、結婚してはじめて、男の生活が安定するからである。
夫は妻の忠告に従って働きさえすれば、けっして間違いがないと思う。そうしてはじめて出世もできることだ。女は真実でかつ賢いものだ。だから賢く働こうとするには、いつも女のすすめるようにすることだ。
学者の訓言にもあるように、聖書の話だが、ヤコブは母親レベカの忠告をよくきいて、首に仔羊の皮をまきつけていたので、父親から財産を譲って貰ったのだ。(創世記第二七章)
またこれも有名な話だが、ジューディスは、賢くも、オロフェルヌスが眠っている間に、彼を殺して、神を信じる人民をよく護ったのだ。(旧約聖書ジューディス第一一―一三)
またアビガイルという女が、夫ナバルが殺されるところを救ったのも、この妻が思慮深かったからである。
またエステルというペルシャの女王が賢明にも神を信ずる人民を不幸から救ったり、夫のペルシャ王アシュエルスに頼んだ女王の従兄弟のマルドカイを高い位に就かせた話もある。
またローマの哲人セネカの言うように、「世の中に、つつましい女房ほど優れて立派なものはない」
またカートーというローマの道学者の言っているように、「妻の言うことはきくものである」夫は妻の命令に従うものである。そうしたとて、妻はけっして親しい礼儀を失わず、夫に服従するものである。また妻は夫の家の経済をつかさどるものである。
家を守ってくれる女房のない人が、病気の時などに、ほんとうに泣かなければならないのも無理もない話だ。
賢い振舞いをしようと思えば、キリストが教会を愛されるように、夫は妻を愛さねばならない。
みずからを愛する者は妻を愛する者であろう。誰も自分の肉体を憎むものはなく、一生のあいだ肉体を大切にするが、自分の肉体をいつくしむなら妻をもいつくしみなさい。そうでなければ弥栄《いやさか》はおぼつかない。
世間の人がなんといってなぶろうとも、夫婦というものは、この世の人間では、いちばんしっかりした道を歩いているのだ。夫婦はしっかり接合されているから、外部からなんの危害を受ける心配もないのだ。とくに妻の側からみれば、そうなのだ。
さて、ここにお話し申そうと思うジャニュアリ(一月)という名の騎士もそのような理由から、老年になってはじめて、蜜のような甘い結婚生活のあの楽しい人生と、あの高潔な静寂とを味わいたいという気持を起こした。
それで、ある日、友人たちを招いて、その胸のうちを披露に及んだ。
悲しそうな顔をして、みんなにそのことを告げて言った。
「諸君、わしも、もう白髪の爺になってしまった。まあ、いわば、墓場に半分足をつっこんでいるわけだ。死んでゆく先の魂のことも考えさせられる。考えてみれば、わしもこれまで自分の体を馬鹿なことで浪費したものだ。ああ、なんとかして、そのつぐないをしたいのだ。それでまあ、おそまきながら、これから女房を貰おうと思い立ったのだ。それも善はいそげで、早速やりたい、もう、ながくは待たれない。だから、ぜひ諸君の助けをかりて、きれいな若い娘と結婚したいのです。どうぞ大至急、わしの結婚の面倒をみていただきたい。わしのほうでも相手を早速さがそうとしてはいるが、なにしろ諸君のほうは大勢の手があるし、また諸君のほうがわしよりも、そういうことには目が早いはずでもあるし、適当なものがみつかるのだろうから、ぜひお願いする次第。
それにしても、ただ一つ、諸君におことわりしておきたいことは、わしはどんなことがあっても、年寄の女房はまっぴらだ。せいぜい、二十まえの娘が欲しいのです。
古老の魚に若い肉という取り合せを食べたいものだ。小かますよりか大かますのほうが、なんといっても味があることだし、年寄の牛肉より柔かい犢《こうし》の肉のほうが味があるからさ。
わしは三十代の女はもうほしくない。枯れた豆の枝かまぐさのように、こわくて、いかん。
それから、年取った後家もごめんだ。そいつらは、『ワダの舟』という魔法舟の術を知りすぎて、いつも『アリバイ』を実にごまかすものだ。また、そういう後家連は、何やらかやら、うるさい小理屈を言いやがって、安心して暮らせるものじゃない。
いろいろな学校を渡ってきた学者は詭弁を弄するやつが多いが、女も、いろいろな学校を渡り歩いた学者に近いものだ。
なんといっても、若いのにかぎる。ちょうど、あたためた封蝋が、手で、どんなかたちにもこねられるように、若いのは導きよう次第で、どうにでもなる。
要するに、そういうわけで、年取った女房はどうしても貰いたくないのだ。もしそういう女を貰ったとしたら、もう大変な災難で、その女とは楽しめない。そうなると、わしは姦淫の生活をするようになって、死んだら地獄におちるにきまっている。
そういう女房には子供を生ませたくないのだが、そうかといって、皆さん、後継ぎのないのもこまるのだ。自分の領地が人手に渡るくらいなら、わしは猟犬にでも喰われて死んだほうがましだとさえ思っているのだから。いたし、かゆしだ。ここをよく考えてもらいたい。
なにももうろくして言うのではないのだ。人間は、なぜ結婚すべきものかということも心得ているし、また、世間の人は多く、なぜ人間は妻をめとるべきであるかというようなことは、家の小姓と同じように知らないのが普通だが、わしはけっしてそんな無知なやつではないのだ。一生童貞を守れない人は、ありがたく、妻をめとるほうがよい。それは、色や恋のためばかりでなく天上の神の思召しにもかなって、愛する子供をつくることにもなるし、姦淫の罪を避けることにもなり、また妻に負っている借財を返せることにもなるのだ。あるいはまた兄弟姉妹がたがいに助けあうように、夫婦は不幸のときにたがいに助けあうとか、夫婦の交わりを避けて神聖に暮らすこともできるのだし。
だが、諸君、わしはそういう完全に神聖な生活ができる者でないのです。というのも、自慢じゃないが、おかげで、まだ手足の力も衰えず、男子のやれることは、なんでも十分にできるのだ。なんでもいちばんよくやれる自信がある。
白髪はあるが、樹木のように、花を咲かせ実をならせる力がある。花の咲く樹はけっして、枯れてるのでないことを証明する。
わしは白髪が出ているのは頭だけなんだ。わしの心も肉体も、月桂樹のように、一年じゅう、青々として、緑したたるばかりです。
以上、わしの希望を申し述べたのですが、諸君、なにとぞ、わしの望みにご賛成のうえお力添えをいただきたいのです」
そこに集まっていたいろいろの人たちは意見まちまちに、古くからの結婚論をたくさん持ち出して、意見をたたかわした。
ある者はそれに反対し、ある者はそれに賛成した。
結局、一日じゅう、友人間に論争がつづいたが、その騎士の兄弟プラセボとジュスティヌスの二人のあいだに、激烈な論争が起こった。
プラセボは言った。
「ジャニュアリ兄さん、ここにいられる人たちの意見をきいてみる必要はないでしょう。あんたのように知恵のある人が、『すべて、人の意見をきいて、なせ。そうすればけっして間違いがないだろう』というソロモンか何かの格言を、まことしやかに、守ろうとするのはおかしくはないですか。
ソロモンがたとえ、そう言われたからとて、兄さん、実のところ、あんた自身が良いと思ったことがいちばん良いのではないですか。
みなさん、なにとぞ、兄のために、私の意見をきいてやってください。私はつまらないやつですが、これでも一生、朝廷の役人を勤めてきたものです。王侯に仕えて、偉い位ももらってきた男です。でも、かつて一度も議論めいたことをしたことがなかったし、また反対もしたことがなかったのです。
私よりも殿様のほうがものをよく知っていると信じます。殿様の言うことはなんでもしっかりしていると思うのです。私も殿様と同じ意見ですし、共鳴する点も多いのです。
生意気にも自分の考えのほうが自分の仕える主君の考えよりもすぐれているなどと思っているような、王侯の顧問官があれば、それは大馬鹿野郎だと思うのです。殿様は世間で言うようにそれほどけっして馬鹿じゃないのだ。
それで、あんたの今日言ったことは実に名言だと思うし、また実に神聖な立派な意見なので、その一言一句に賛成する次第だ。
この城下はおろか、イタリーのどこをさがしても、あんたが言ったことほど立派な意見は見あたらないのだ。キリストもそれを嘉《よみ》されることだと信じる。
実際のところ、年を取った男が若い女房をとるなどとは実に豪気なものだ、すばらしい度胸というものだ。あんたは実に元気なものだ。あんたの思うままにするがよい、あとになって、私はけちをつけるようなことはしないつもりだ」
ジュスティヌスは、これを黙って終りまできいていたが、プラセボにこう答えた。
「兄貴、言うだけのことを言ったら、こんどは私の言うことをきいておくれ。
セネカの警句の中にこんなことがある。
『人は自分の土地や財産をくれる場合、そのくれてやる人のことをよく考えねばならない』
それで私も自分の財産をくれてやる人のことは、よく考えて、それから、きめるのが当然だと思うのだ。まして自分の体をくれる場合は、なおのこと、その相手をよく考えてみなければならない。というのは、いつも私が注意してやるように、よく考えないで女房を貰うなんて、子供の遊びではあるまいし、一大事だ。その女は利口か、酒を飲むか、のんだくれか、また高慢か、悍婦か、がみがみ女か、ぜいたくで金づかいの荒いやつか、また金持か、貧乏か、それとも女丈夫か、それを確かめてもらいたいものだ。
人間でも畜生でも、この世の中に三拍子そろって完全なものがあるとは思われないが、欠点より美点のほうをたくさんもっている女なら、女房としてはそれで満足しなければなるまい。
こんなことは、とくによく調べなければならないことだ。実は私も女房をもらってから、ひそかに泣いてきたのだ。
結婚生活をほめる人もあるが、結婚生活などは、大変な犠牲と心配と苦労だけで、幸福というようなものは微塵もないものだと私は思っている。
ところが驚いたことには、私の近所の人たちも、とくに女の連中は、私の女房のことをこの上なくしっかりもので、この上なくやさしい女だと言っているが、私は人知れず悩んでいるのだ。
あんたは、私の言うことをきかないで、自分の思うとおりにするだろうが、あんたはもう年もとっている。結婚生活を始めるとか、若いきれいな女を貰うとか、まあ、よく考えたらよい。
水や空気や地球や火をお作りになった神様にかけて申すのだが、ここにお集まりの人たちの中でいちばん若い私が、どうです、実際のところ、自分の妻を自分のものにしようと大変苦労している始末ですよ。
おそらく、まる三年も、あなたの力では細君に十分の満足を与えることはまずむずかしかろう。女房というものは、夫からいろいろとちやほやされることを望むものだ。まあ、感情を悪くしないようにするんですな」
この時、ジャニュアリが言った。
「うん。きみの説教もそれですんだのか。きみのいうセネカとやら格言とやら、くそくらえだ。きみの学問臭い説教なんざ野菜一籠の価もないのだ。きみも聴いていたろうが、きみよりも賢い人たちがみんなわしの計画に賛成しているんだから。
プラセボ、きみはどう思う」
プラセボは答えた。
「結婚を妨害するなどとは呪うべきやつだと思う」
この言葉をきいた集会の人たちはみんな立ちあがって、いつでもどこでも勝手に結婚するがよいと賛成したのであった。
それからというものは、ジャニュアリの魂は結婚のことでいっぱいになり、毎日毎日、空想にふけり、気をもみだした。また夜ごと夜ごと、いろいろの美しい形や姿や幻影が彼の心を去来した。
きれいに磨いた鏡を街の盛り場に置いて、そこを通るたくさんの人影を写してみるのと同じように、ジャニュアリは心のなかで、近所に住んでいる娘の子たちをあれこれと描いてみた。彼の空想は次から次へと移り、とどまるところを知らずという状態。
ある娘は顔が美しかった。ある娘はしっかりしていて親切だ、というのでみんなから可愛がられ、町の人々の評判娘であった。またある娘は金持の子だが、評判が悪かった。
だが、最後に戯れか真面目か知らないが、一人の娘に目をつけた。そして他の娘はもうみんな忘れてしまった。その娘は彼自身の眼鏡にかなっていたのだ。というのも、恋はいつも盲目で、よく見えないのだ。
そして、彼は床にはいるたびごとに、その娘の鮮やかな美しさ、そのいとしい年若さ、その細い腰、そのすらりとした腕、その賢い動作、そのやさしさ、その女らしい態度、その真面目な性質、などを心に描いた。
この娘に目をつけた時、彼はこれ以上の選択はほかにないと思った。彼はこの娘ときめた時、こんな娘に目をつけないよその男が馬鹿に見えた。彼の選択に反対することは不可能なことで、彼は自分の選択がいちばんよいものだと思った。だがこれは彼の空想であった。
彼は使いに命じて、友人たちを呼びにやり、早速、彼のところへ来てくれるようにと頼んだ。彼はこれ以上友人にあまり迷惑をかけたくないと思ったからである。
もう、駆けずりまわって探してもらう必要もないのだ。自分が選択したところできめてしまった。
プラセボはじめ友人たちは早速やってきた。
そして、彼は自分がきめたことに対して、かれこれ議論めいたことは言わないでくれるようにと、みんなに頼んだ。彼のきめたことは神にも満足であり、また自分の幸福の源泉にもなることだと、彼は言った。
また彼が言うのには、町に評判の美人の娘がいる。身分は低いが、そんなことは問題ではない。その若さと美しさで十分だ。この娘を女房に貰って、安楽に神聖な一生をおくりたい。ありがたいことに、この女を独占することができ、誰にも自分の幸福を分けないですむ。
彼はこの計画に成功するように、みんなに努力し援助してもらいたい、と頼み、そうしてくれれば、安心だ、と言った。
彼はなお、つづけて言った。
「そうなると、わしも安心して大変幸福なのだが、ただ一つ良心の呵責《かしやく》を感じさせるものがある。それはほかでもない。『人間は地上と天国とで、同時に二つの完全な幸福は得られないものだ』ということを、ずっと以前、聴いたことがあるが、たとえ、キリスト教会で説くような七つの罪悪とその系統の悪徳を避けたところで、そうした二つの幸福は得られないということだ。
ところが、結婚というものは完全な幸福であり、偉大な快楽であるので、ぼくはいま、この年になってはじめて、苦難のない、楽しい味のある生活ができそうだ。これすなわち地上で天国をあわせ得られるだろうというものだ。ここが問題だ。いったい、苦行や懺悔をたくさんやらなければ真の天国へは行けないはずだから、わしのように世間の夫婦がふけっているような楽しみに生きる者に、キリストが永遠におられる天国の幸福がどうして得られるだろうか。この点がわしのおそれるところだ。きみたち二人の弟、この点をひとつ解決してくれたまえ」
兄の愚行を嫌っていた弟のジュスティヌスは、早速、ひやかし半分で、とはいえ、早く片づけたかったので古人の言葉を引くことはやめて、こう答えた。
「天国へ行くのに結婚したとてなんの差支えもなかろうが、ただ神様の奇蹟と恵みによって、あんたが教会で結婚式を挙げないうちに、あれほど、あんたがほめちぎった苦労のない結婚生活をあんた自身が悔むことになって、結婚をやめるようになるかもしれない。そうなると、かえって天国へ行けなくなるだけ。確かに神様は、未婚者よりも夫婦者に懺悔する機会を多く恵んでくださる。懺悔をすればするほど天国へ行ける機会があるからありがたいことだ。だから、結婚しても、失望することは無用です。ただ、ひょっとして、細君があんたを苦します煉獄となるかもしれないが、神様は細君を道具に使って、あんたを苦しめ懺悔をさせようとなさるのだ。そうして苦しめば、心配したことはない、あんたの死後の霊は弓の矢よりも速かに天国へ飛び上がれるに違いない。
また、あんたが天国へ行くのに妨害になるほどの偉い幸福などは結婚生活の中にはないものだ、けっしてあり得るはずがないということを知ってほしいものだ。だから、適度に、妻の欲望を満足させ、あまりでれでれして妻を嬉しがらせたりしないことだ。また他の罪もおかさぬことだ。
わしの言い分はそれだけ――わしの頭もあまりよいほうでないから、うまいことも言えないのだ。だが、こんなことでおどかされちゃいけないよ、兄さん。――(このことについて、これ以上言わないことにしましょう、おわかりでしょうが、バースの女房殿が結婚の悩みについては簡単ではあるがよく述べていらっしゃるから)――
さようなら、ごきげんよう、上々吉を祈ります」ジュスティヌスはそう言って、プラセボといっしょにこの家を出、右と左にわかれた。彼らは、この結婚もぜひないことと思ったので、早速、いろいろ手をつくして、マイ(五月)というこの町娘とジャニュアリの結婚を、とりまとめた。
この娘がその騎士の屋敷に知行をもらって嫁入りして来る時に、いろいろの証文や契約書が作られたり、またその金のかかった嫁入り支度をしたが、それをいちいち話すとなると、長くなるから、これでやめにする。
さて、ついに、この二人が教会へ出かけて、聖式を受ける日が来た。首から袈裟《けさ》をかけた僧が出て来て、二人がレベカとサラの結婚のように賢く真実に結ばれよと教えたのち、習慣どおり、祈祷をささげ、二人の上に十字を切り、祝福を与え、とどこおりなく聖式を終わった。
かくて、厳かに結婚式をすませてから、新郎新婦はいちだん高い上段の間にあがり、立派な来賓の人たちと一緒に食卓についた。
騎士の御殿は歓喜にあふれ、いろいろの楽器が演奏され、イタリーでいちばんおいしいご馳走が山と出された。
食事中妙なる音楽がつづいた。ギリシャ神話にある楽人オルフェウスやテーベのアムフィオンといえども、それほどのメロディーは出せなかった。
饗宴の各コースのかわるたびごとに、楽人の音楽がなり響いた。ダヴィデの軍隊の指揮官ジョーブも、テーベの都が陥落した時のセオドマスも、それほど、冴えた音を出してラッパを吹きはしなかった。
またギリシャのぶどうの神バッコスは酒を注いでまわり、ヴィーナスが出て来て、どの人にも愛嬌をふりまいて笑ったのも、ジャニュアリはヴィーナスの騎士であったからである。ヴィーナスは、この騎士が自由の身であった時も結婚した時も、騎士の心を試したかったのだ。
ヴィーナスは手に新婚行列に用いるたいまつをもって、新婦や客の前で踊りまわった。
また結婚の神ハイメンは、今まで、こんな陽気な新婦をみたことがなかった。
それから、フィロロジという女とマーキュリーという男との美しい結婚式のようすや、ミューズの女神たちがうたった歌謡も書いた詩人マルシャンよ、もう、ひっこんで、だまったらよい。汝の筆と汝の舌は、この騎士の結婚を描くには、あまり貧弱なのだ。
とくに、可愛らしい若い女が、腰のまがった老人と結婚した場合は、それこそとうてい筆に書けない面白味があるものだ。わしの言うことが嘘か本当か、みなさん自分で試してみたら、わかることだ。
おとなしそうな顔をして坐っているマイウスは、まるで妖精のように美しくみえた。
そのしとやかな眼つきは、女王エステルが王アシュエルスを見つめる眼も及ばないだろう。
マイウスの美しいことは、とても描いてお目にかけられないのだ。まあ、せいぜい、五月の輝かしい朝のように、美と快感に満ちあふれているとでも言うほかはない。
ジャニュアリはこの娘の顔を見るたびごとに、恍惚としてわれを忘れた。
だが、心のなかで彼はこの女を脅迫しだした。ということは、その晩はパリスがヘレンを抱きしめたよりも、なお強烈に抱いてみたいという気が起こったのである。
どんなに気の毒だと思っても、その晩はこの女を攻めなければならない。
老いた騎士は思った。
「ああああ、可哀そうな子だ。だが、おれの、このはげしい鋭い情欲にすべて堪えてもらいたいのだ。それにおまえは堪えられないのではないのかと気づかわれる。だが、断じて手ひどくやってはならないのだ。
早く夜が更けたらよい。そうして、夜が永劫《えいごう》につづけばよい。みんな、早く帰ってくれたらよいのに」
ついに、彼は体面にかかわらぬように、要領よく上手に、客人を早く宴を去らせるようにつとめた。
ようやくおひらきの時が来たので、客たちは踊り、かつふんだんに飲んだ。香料を家じゅうにまいてくゆらした。
誰もみんな歓喜と幸福につつまれていた。だが、ただ一人、ダミヤンという騎士の従者だけがそうではなかった。
この男は長いあいだ騎士の食卓で肉切りの役を勤めていたのだが、この日、マイ夫人を見たとたんに夢中になり、その恋の苦しさに、ほとんど気も狂わんばかりになっていたのだ。
彼はその場で気を失って倒れそうであった。たいまつをもって踊った恋の神ヴィーナスに、そんなにも痛く、刺戟されたのだ。
彼は早く床へはいってしまった。このことはこれ以上話さないが、彼はひどく泣き悲しみ、ついに美しいマイ(五月)が同情することになる。
(作者いわく――
おお、危険なるかな、褥《しとね》のわらに燃える火よ。
おお危険なるかな、謀反心をいだいた召使、親しいふうをよそおう反逆の従者よ、そは懐中にひそむ邪悪の蛇のようなもの。
そうした敵に知られぬように、神よわれらを守りたまえ。
結婚の楽しみに酔いしれているジャニュアリよ。おまえの従者、おまえの子飼いの下男のダミヤンがおまえに反逆を企てているのだぞ。おまえの家の中にいる敵をしっかり見張っていたがよい。家の中にいつも侍《はべ》っている敵ほど、この世に悪い災厄はないのだ。)
さて、太陽は一日の回転を終わって、その身は黄緯の地平から没し、夜がその暗黒の粗野な衣で半球を包んだ。
それで、陽気な客人たちは四方八方からジャニュアリにお礼を述べて、立ち去った。彼らは馬に乗ってわが家へ帰り、みんな、思い思いのことをして、寝る時が来た時に床に就いた。
客たちが帰るやまもなく、このせっかちなジャニュアリは、もう矢も盾もたまらず、床へはいりたがった。
彼は欲情を高めるために、イポクラスという飲物や、蜂蜜に香料を混じたぶどう酒、香料を混じたイタリー酒を熱くして飲んだ。
『性交について』という本を書いたあの悪僧コンスタンチン氏のように、この騎士は、いろいろな妙薬の舐剤《しざい》をもっていた。なかなかの精力家で、それをみんな服用するのだ。
騎士は親友の一人にささやいた。
「後生だから、みなさん気をきかせて、なるべく早くお帰りください」
彼らは騎士の望みどおりにした。
おひらきの酒を飲んで、すぐに幕《とばり》がひかれて、宴が終わった。
新婦は石のように静かに新床へつれられた。
その床に僧が来てお祈りをあげてから、みんなは寝室から出ていった。
それで、ジャニュアリは彼の極楽である新妻の美しいマイを、しっかり抱きしめ、小児をなだめるように、ゆすぶり、いばらのようにとげとげし、ふぐの皮のごとくざらざらしているこわい、あつぼったいひげのままで、幾度となく接吻した。それでも彼にとっては、よく剃ったつもりであったのだが。
女のきれいな顔を撫でまわしながら、言った。
「ああ、わしが下へおりるまで、おまえにとっては、わしは闖入者《ちんにゆうしや》で、おまえを大変困らせるに違いないが、まあ考えてごらん、どんな職人でも、仕事を急いでは、ろくな仕事ができないだろう。完全にやるにはゆっくりやるのが常だ。
どんなに長くかかろうが、うんとゆっくり楽しむことだ。わたしら二人は真の結婚をしたというものだ。
夫婦のちぎりというものはありがたいものだ。わしらのやることは罪にはならぬのだからな。夫の妻に対してするところは罪にはならない。自分のナイフでは怪我はしないのだ。わしらの楽しみは法律で許されているのだからな」
そういうふうに、彼は夜が明けるまで、骨を折った。それから、蜜酒にパンをいれて食べた。それから、彼は床の中でまっすぐに体をおこして坐り、声をはり上げて朗かに歌をうたってから、妻に接吻し、浮気そうな顔をした。
彼は剽軽者《ひようきんもの》で、ふざけたり、斑点のあるかささぎのように、おしゃべりであった。
歌をうたっている時は、彼の首筋のたるんだ皮が動いていた。彼は単調な調子で吟唱したり、キイキイ声を出してうたっていた。
けれどもマイは、この爺さんがシャツの寝巻を着て、寝間帽をかぶって坐り、やせこけた首をくねらせてうたっているところを見て、心の中でなんと思ったか、神様だけがご承知である。――つまり豆一粒ほどにもえらいと思わなかったのである。
やがて彼は、
「わしはこれから寝るとしよう。夜が明けてしまっては、もう伽《とぎ》の宴楽もできやしないでな」
と言って、頭を枕に置いて、九時頃まで眠った。
それから後、ジャニュアリはよいしおどきを見ては勃然と起きるのだったが、美しいマイは四日目まで自分の室を出ないのだ。これは新妻にとって、有利な習慣であった。およそ、生物なれば、魚でも、小鳥でも、畜生でも、人間でも、同じことだが、稼いだらときどきは休まないと、長つづきがしないものだから。
(作者いわく――さて、お話かわってダミヤンのことだが、彼は鬱々として楽しまず、あわれや恋にやつれはてた。
ああ、なんという気の毒なダミヤンよ。どうだいひとつ、この場合、きみの悩みをマイ夫人に打ち明けたら。でも彼女はきっと「いやよ」と言うに違いない。またきみが話せばまた、きみの悩みをしゃべってしまうに違いない。まことにお気の毒ながらどうにも、いい考えも起きませぬわ。)
さて、恋に悩むダミヤンはヴィーナスの人に身を焦がし、とげられぬ情欲のために身も細る思い。
やがて、このままではとうていこらえられなくなったので、勇を鼓して、彼は、ひそかに、筆函を借りて、胸の苦しみを残るくまなく書きつらねた。その恋文はあえかにも美しきマイ夫人にまいらすという「歎きの歌」、つまり恋歌のかたちで書いたのだ。
それを、絹の財布に入れてシャツの上から吊りさげ、肌身離さず持っていた。
ジャニュアリが美しいマイと結婚した日の正午には、月は(天文学では)金牛宮の二度のところにいたのだが、それが今や巨蟹宮《きよかいきゆう》の中へはいった――つまり、あれからまる四日間たったのである。
その間、マイは自分の室にとじこもっていたのだが、これは貴族のあいだの花嫁の習慣であった。花嫁は四日間、あるいは少なくとも三日間は、食堂へ出ることがなかったのだ。そうして、この日数がたつと、はじめて祝いの宴を受ける。
それで、結婚式の日の正午から四日目の正午に、盛んな祈祷をあげて、ジャニュアリと、輝かしい夏のように美しいマイとが座敷に出て食事についた。
その時、親切なジャニュアリはダミヤンのことを思い出して、言った。
「おや、ダミヤンが出ていないのは、どうしたのだ。まだ病気がなおっていないのか。それともどうかしたのかね」
彼の脇にいた従者たちは、「ダミヤンは病気のために勤めに出られないのでしょうから、許してやってくださいまし。それ以外に理由はございません」と言った。
ジャニュアリは言った。
「病気とは気の毒だ。ダミヤンは騎士の従者として実に立派な男だ。もし死にでもしたら、惜しいものだ。あの身分として、あれほど賢い、もののわかる、信頼のできる男はほかに見たことがない。かつ男らしい男で、仕事のできる男でもある。将来見どころのある男だ。
食事がすんだら、早速、わしがこれといっしょに見舞ってやろう。そうして、できるだけ慰めてやることにしよう」
この言葉を聞いて、一同は、主人がけだかい情け深い心から病気の従者を親しくお見舞いなさるのは、じつに美しいおこないであると感心した。
ジャニュアリはさらに言った。
「どうじゃね、奥、食事がすんだらすぐに室へ帰って用をたしてから、腰元たちをつれて、皆でダミヤンを見舞ってやってはくれぬかのう。少し慰めてやってほしいのじゃ。あの男は貴族の生れなのだよ。そしてわしも少し休んだらあとから見舞いにゆくと言ってくれないか。
それでは、急いでいっておいで。帰ったらすぐ、わしと一緒にねておくれ、待ってるから」
と言って、それから彼は広間の係である従者を呼んで、何か用を言いつけた。
マイは腰元たちをつれて、すぐにダミヤンのところへいった。
ダミヤンの床のわきに腰かけ、心をつくして慰めてやった。彼は、時機をみてそっと、例の胸の思いを書きつらねた手紙を入れた財布を、マイの手へ渡した。そうして、ただ、ほうっと深い溜息をついてから、マイにこうささやくのだった。
「お願いです、私のことを人におしゃべりにならないでください。これが知れようものなら、生きてはいられないのです」
マイはこの財布を懐にかくして、去った。これを知っているものは誰もなかった。マイはそれからジャニュアリのところへ戻って来て、彼の床のわきに、そっと坐った。
彼はマイを抱いて、幾度も接吻し、またすぐに横になって眠ってしまった。
どんな人もかならず行くところがあるが、マイもまたそこへ行くふりをした。そこで、その手紙をよく読んでから、切れ切れにそれを裂いて、そっと便所の中へすてた。
はなはだ用意周到である。
それから彼女はもどってきて、眠っているジャニュアリのわきで横になったが、老人はくしゃみをし、その音で眼をさました。
すぐに、さあ着物をすっかり脱いでまる裸におなりよね、と頼み、すこしおまえと楽しみたいのだが、着物があると邪魔になる、と言った。
女は、いやおうなしに、服従した。
さてそれから、彼がどのようなことをおこないましたかは、これを言うと、お上品なお方たちがお憤りになってもいけませぬゆえ、それはみだりに言わないことにいたします。
またそれが彼女にとってはたして極楽か地獄か、どちらのように思えたかということも申し上げることはなりません。
とにかく、彼らの勝手にやらせておおきなさい。晩鐘が鳴れば、起きるに違いない。
さて、運命か偶然か、なにか不思議なものの力か自然の作用か、それとも生れ月日の運勢のゆえか知らないが、手に入れようと思う女に恋文を手渡しできるとは、なんと運のよいことであったろう。世の学者連も言うように、すべてものには運がある。
人間にはわからないが、すべてを裁かれる全知全能の神からみれば、どんな出来事にもみんなその原因があるものだ。
だが実を言うと、マイはあの日、ダミヤンを見舞ったとき非常に気の毒に思ったので、なんとかして慰めてやりたいという気持でいっぱいになった。そしてマイは「人がなんと言おうが、あたしは、はっきり言えるわ。私がいちばん愛しているのはあの人よ。貧乏でシャツ一枚しかもっていなくってもかまわないわ」と思った。
ほらごらんなされ、やさしい心の人はすぐ哀れをもよおすものでしょう。この女をみてもわかるように、思慮深い女には恐ろしく寛大なところがあるものでしょう。
世の中には石のようにかたい心をもった暴君のような女がたくさんいる。そういう女は自分を恋する男に情けをかけてやらずに焦れ死にさせるほうがよいと思ってい、得意になって残忍な行為を楽しみ、相手が死んでもなんとも思わない。
ところがこの心やさしいマイは、哀れに思って、万事願いをかなえてあげると自分で手紙にしたためた。ただその日と場所だけは、相手にきめさせるとて、書かずにおいた。
それから、ある日のこと、機会をみて、マイはダミヤンを訪ね、読んでくれるようにと、その手紙を枕の下へそっとはさんできた。マイはダミヤンの手を、人にわからないようにかたく握りしめ、早くなおってちょうだいと言い、その時ちょうどジャニュアリに呼ばれたので、夫のところへ戻っていった。
ダミヤンはその翌日はもう起きた、病気も悲しみも、どこかへ行ってしまった。彼は頭髪をとかし、大いにめかしこんで、奥さんの好むようなことはなんでもやった。そして主人のジャニュアリに対しては馴らされた猟犬のように従順に仕えた。
ダミヤンは誰にも愛想をよくしたので、(ものは要領だけだ。悪知恵も使い方によっては立派なものだ。)誰からもよく言われ、また夫人のご寵愛を大いにこうむった。
そういうふうに、彼は要領よくやっていたが、なお話を先へすすませよう。
ある学者は幸福は快楽にありという説をもっているが、このジャニュアリも、騎士の体面の許すかぎり、快楽のかぎりをつくした生活を送ろうと努力した。
家や調度品からみると、彼はまるで王侯の生活かとも思われるほどぜいたくなものであった。とくに庭園は石の塀をめぐらし、どこにも見られないような美しいものであった。『薔薇物語』に美しい庭園を描いているその著者(ギローム・ドゥ・ロリス)も、この美しいジャニュアリの庭を描く力はなかったことであろう。またローマの神話に出てくる庭園の神プリアプスも、この庭の美しいことや、いつも緑に茂っている月桂樹の下蔭に湧くあの泉のことなどは物語る力もなかったであろう。
ときどき地下の王プルートーとその女王プロセルピナは、妖精の女官たちと一緒に、神話にあるように、この泉のほとりで戯れ、歌をうたったり、踊りを踊った、ということだ。
この老騎士ジャニュアリはこの庭を散歩して、ひとり楽しもうとしたので、その庭の鍵は自分でもっていた。庭の入口は小さい門になっていたが、彼はそれを小さい銀の鍵で、好きな時に自由に開けていた。
夏の日など、妻のマイに負債を支払いたいと思う時は、二人だけで庭へいった。床の中でできないことも、庭の中ではうまくやれたのである。
こんな工合に、ジャニュアリと美しいマイは愉快な日を送ったが、人間には、ジャニュアリならずとも、地上の快楽は永久につづくというわけにはまいらない。ジャニュアリにも不幸が来た。
(作者いわく――
突然の出来事、移りゆく運命は、人を裏切る腹黒いさそり[#「さそり」に傍点]だ。人を刺そうとする時は、頭で人に媚《こ》びるが、その尻尾には毒があって、人を殺す。
うつろいやすい喜びだ。奇妙な甘い毒だ。
うわべは心の変わらぬふりをしていながら、上下の区別なく人間を手くだにかけてうまくあざむく怪物なのだ。
ジャニュアリを一時幸運な者にみせかけて、あとからそれを裏切るとは、何ゆえか。
今、ジャニュアリは両眼を失明した。その悲しみのあまり、彼はむしろ死を望んでいる。――)
あわれや立派な自由なジャニュアリは、今や栄燿栄華の最中に、しかも突然、盲目となってしまった。
彼は涙をながして悲しんだ。そうして妻が間男をしやしないかと嫉妬の火に燃えるあまり、いっそ二人とも誰かに殺されたら、この心配がなくなってよいのにと思った。彼は自分が生きているあいだでも死んだあとからでも、マイが他の男に愛されたり、また他の男と結婚するなどということは、想像するだに耐えられなかった。彼の死後は、雄鳩を失った鳩のように、貞操をまもり、黒衣を着てやもめ生活することを妻に望んだ。
だが一、二カ月後、彼の苦しみも、やや、やわらいできた。眼がみえなくなったことは、やむをえぬこととして、その身の不幸はじっとあきらめることにした。ただ嫉妬の心はどうしても捨てられないのであった。
いつも妻をつかまえていないかぎりは、広間へ出ることも許さず、どんな屋敷へも、どんなところへも、徒歩でも、騎馬でも、妻が行くのを許さなかった。
それがために、ダミヤンを心やさしく愛していたマイは、たびたび泣いて悲しんだ。思うままにダミヤンに会えないものなら、ああ、もういっそのこと今すぐに死んだほうがよいと思った。心が裂けて死んでゆく日を待っていた。
一方、ダミヤンも、この上なく、悲しんで暮らしていた。マイには夜でも昼でも、自分の思っていることは一言も話すことができなかった。ジャニュアリがいつもマイと一緒にいるので、何を言っても聞かれてしまうからであった。
とはいえ、手紙のやりとりや、暗号で、たがいの気持も希望もたがいにわかってはいたのである。
(作者いわく――
ああ、ジャニュアリよ、たとえおまえに沖ゆく船の帆を見る視力があったとしても、それがなんの役に立とう。人間は眼が見えたとて、盲目と同じく欺されるものなのだ。
ギリシャ神話のアルグスという百眼の怪物が、あんなによく見張っていても、欺されるときは欺されるもので、目をくらまされたではないか。いわんや、他の人は、どんなにがんばっていても、欺されるものだ。快楽のあとには苦しみがくる。これ以上は申しますまい。)
マイの話にもどると、マイはジャニュアリがもっている庭の入口の鍵を蝋で型をとった。それでダミヤンはマイが希望するように、贋造の鍵をつくらせた。この鍵で驚くべき椿事《ちんじ》がすぐに出来《しゆつたい》することになる。少し辛抱してくだされば、これから申し上げます。
(作者いわく――
ローマの恋愛詩人オヴィドが、真実を述べているが、人間、恋に狂えば、どんな長い辛抱をしても、なんとか手段を考え出すもの。ピラムスとテスベの話でもわかる。この恋人同士は長いあいだ監視がついていたにもかかわらず、壁をとおして、ささやいて、とうとう言葉をとりかわしたという話であるが、恋人でもなければとうてい考え出すこともできないことをしでかしたわけではないか。)
さて、話の本筋にもどろう。六月の八日のこと、ジャニュアリは妻を説いて、庭でただ二人で遊びたいと思って、その朝マイに言った。
「可愛い妻よ、美しいひとよ、お起き。美しいわしの鳩よ、庭で鳩の鳴き声がする。雨の冬も去った。さあ、起きてあなたの鳩のような眼を向けておくれ。おまえの胸は酒よりも美しいのう。
庭はぐるりに囲いがあって、誰にも見えない。わしの美しい妻よ、出ておいで。妻よ、わしはそなたにこの胸を傷つけられた。まだ、おまえの欠点は一つも知らないのだ。出ておいで、一緒に遊ぼう。わしはそなたを妻として、慰めとして、選んだのだ」
相変らず、こんな愚かしい文句を彼は使って言うのであった。
マイはダミヤンに目くばせして、自分の鍵で、先に庭へはいっているように合図をした。ダミヤンは誰にも見られも聞かれもしないように素早く庭へとびこんだ。そしてすぐ木の茂みの中にかくれて、じっとしていた。
ジャニュアリは石のように盲目であったから、マイの手をとり、ただ二人、その美しい庭へはいり、急いで、入口の戸をしめた。
「さあ、妻よ、ここにはわしの最愛のおまえとわしのほかに誰もいない。天にまします神様に誓って、おまえの気持を損ねるくらいなら、わしはいっそ自殺をしたほうがよい。だって、いいかね、わしがそなたを妻に貰ったのは、軽い浮気心からではなく、ほんとうにしんそこおまえに惚れていたからなのだよ。わしは老人でしかも盲目だが、どうかわしに貞操を守っておくれでないか。なぜかというとね、そうしてくれれば、そなたは三つのものが得られるのだ。まず第一にキリストのご加護が得られる、それからそなたの評判がよくなる、そうして最後に、わしの財産の後継ぎとしてこの城下の町とお城がそなたの手にはいるのだ。それをそなたに譲り渡すのだから、明日じゅうにも、よかったらその契約状を作ってあげよう。わしの魂が天国へ行けるようにしたい。その誓約として、まずわしを接吻しておくれ。
わしは嫉妬深いかもしれないが、どうかわしを責めてくれるな。またそなたは、わしの心にあまりに深くきざまれているので、おまえの美しいことと、自分の不釣合いに年を取っていることを思い合わせると、たとえ死んでも、真の愛のためにおまえと離れたくないのだ。これは本当のことなのだよ。さあ妻よ、接吻しておくれ、それから庭を散歩しよう」
この言葉をきいたマイは、まずさめざめと泣いてみせてから、ジャニュアリに、やさしくこう答えた。
「わたしとても同じように、心変りはいたしません。また妻としての操も守ります。また結婚式で僧があたしの体をあなたに結んだ時、あなたの手にしっかりお誓いした、このあたしの妻としての道も守ります。
ですから、失礼ながら、わが背の君の愛にかけて、こんなふうにお答え申し上げたいと思います。
不実な妻になって、親族の者の顔をよごし、自分の名をけがすようなことがありますなら、あたしは、極悪な女として地獄におちてもかまいません。またもし不実なことがありましたら、あたしを裸にして、袋に入れて、近くの川にほうりこんで、殺してくださいませ。あたしはこれでも立派な女のつもりです、女郎|風情《ふぜい》とは違います。
なぜ、そんなにおっしゃいますの。しかし、殿方こそ、節操がないくせに、いつも女の悪口ばかりを言っているのですわ。女のことを節操がないのなんのと悪口を言わなければ、男の威厳が保たれないと思っているのですわ」
と、言いながら、ダミヤンがかくれている木の茂みのほうを向いて、せきばらいをし、そこにある実がなっている一本の梨の木へのぼるようにと、指で合図をした。ダミヤンはのぼった。
彼はその女のもくろみがよくわかった。マイのやる合図なら一から十まで当のご亭主のジャニュアリよりも、ダミヤンのほうが、よっくわかっていたのである。
実はあらかじめ、これこれかようかようにしなさいと、手紙をもって、間男殿によく知らせておいたからでもあったのだが。
こういう次第でダミヤンは梨の木にのぼって待っている。ジャニュアリとマイは楽しそうに庭を散歩する。
その日は天気がよく、空から太陽神が暖かい黄金の光を送り、どの花も楽しそうに笑っていた。
その日は夏至《げし》も近い、六月八日頃であった。たぶん太陽神はそのとき双子宮にあったのだが、すでにジューピテル神が浮気をなさるところ巨蟹宮のほうに近づいて今にもここにはいろうとしていた。その天気のよい朝、ちょうど妖精の国王プルートーもたくさんの貴婦人をつれて、女王のプロセルピナを先頭に長い列をつくって、庭の向う側を散歩していた。(実際の人間の中にギリシャ神話の人物が出てくるのは、小説作法として、ホーマー時代からの伝統を再現している)――読者も知っているように『プロセルピナの強姦について』という詩を書いたクローディアンによると、プロセルピナは牧場で花を摘んでいた時に、プルートーのためにさらわれて恐ろしい車の中へつれこまれたということである。――
この妖精の王は美しい緑の芝草の堤に坐って、女王に言った。
「のう、后、誰でも言うことだが、毎日の経験でもわかるとおり、女は男を裏切るものだ。女の不貞を語る有名な話が数万もある。
ああ、最大な金持で賢人であったソロモンは、知恵に富み、地上のあらゆる栄誉をほしいままにしていた男だが、そのソロモンの次の言葉は、いやしくも、理知ある人間なら、何ぴともかならず記憶するに足るものだ。彼は男の善性をいまさらのように賞讃して言うのには、『善人は千人の男の中に一人はいたが、女の中には一人もなかった』と。これが女の性悪なことを知っている賢い王の言葉なのだ。
また伝道之書の作者と言われているシラックの子ジェーズスも、女をあまりほめておらぬようだの。女の肉体などは、今晩にでも、山火事かペストで亡びてしまったらよいに。
そなたも見りゃるように、この立派な騎士が盲目で老いているというので、自分の従者のために、妻を寝取られるのだわ。ほれ見やれ、あの好色漢は木の上にあがって待っているわ。
されば、わしは、この女が間男しようとするとたんに、この立派な老人の騎士をふたたび眼がみえるようにしてくれるわ。そういうことは、このわしの偉大な力でできるのだ。さすれば騎士は妻の不貞を知って、その女をせめるばかりでなく、女全体の悪口をも言うようになるであろう」
プロセルピナは言った。
「そうなさりたければ、そうなさいませ。わたしはそれならば、祖父のサタンによって誓いまするが、その女に立派な答弁をさせてやりましょう。それからすべての女のためにも女としての答弁を教えてやりましょう。
女は、どのような罪にまきこまれましょうとも、平気の顔で言い抜けをして、女を責める男をうちのめさせてやります。女に答弁ができないで死ぬようなことはさせません。男が両眼でしかと見たという証拠がありましょうとも、女はそれをうまくごまかせます。女は泣いたり、わめきちらしたり、うまく微妙に男を責めたりしていると、男はしまいには負けてしまいます、男なんて鵞鳥のように馬鹿なものです。ですから、昔からの立派な書物でどんなに女の悪口を言っているからとて平気です。
わたしはこのユダヤ人のソロモンのことをよく知っておりますが、あの方は馬鹿な女にばかりたくさんお会いになったのです。あの方が立派な女を一人も知っていられなかったとしても、真実な、善良な操正しい女のいることを知っている男の方もたくさんございます。キリスト教信者の人々をごらんなさい。死をもって、女の貞操を守りとおした話があるのです。
『ローマ人の歴史』の中でも、操正しい女の話がたくさん書かれておりますわ。
お怒りにならずにお聞きくださいませ。ソロモンが、たとえ一人も立派な女に会ったことがなかったと言われても、その教えの意味をよくわかっていただきたいのです。
ソロモンの意味は、最大な善は三位一体の神の中にあるだけだ、ということなのです。だがまあ、それだのに、あなたは、ソロモンをどうして、そんなに尊敬あそばすのですか。ソロモンが神の殿堂を建てられたところで、また金持で地上の栄華を身にあつめたところで、それがなんだというのです。彼は異教の神々の殿堂も建てられたのではありませんか。これ以上悪いことはないのではございませんか。
あなたが、彼の名を、どんなにきれいにお飾りになりましたところで、彼は、しょせん、道楽者で偶像崇拝者にすぎません。年をとってから、真の神様を捨ててしまった人です。聖書によりますと、神様は彼の父ダヴィデのためにソロモンの王国を亡さずにいられたのだそうですが、神様は思召しよりも早く彼の王国を亡されたらよかったのです。
男がいくら女の悪口を書きたてたとて、なんでもございません。わたしは女として申し上げたいのです。申し上げなければ死んでも死にきれない、実に憤慨にたえませぬ。ソロモンが女はおしゃべりだなどと言ったからには、わたしは、女の威厳のためにも、女の悪口を言う男に対して、失礼ながら、悪口を言わないではいられませぬ」
プルートーは言った。
「后よ、もう怒るのはやめたがよい。わしはもう、その話はやめにする。だが、騎士の眼をあけてやろうと誓った以上、その言葉をほごにはできぬ。いいかな、わしは王様だ。嘘をつくわけにはゆかぬのだ」
プロセルピナは言った。
「わたくしも妖精の女王として彼女のためにはからってやらねばなりません。おたがいにもう議論はよしにいたしましょう。わたくし、もうあなたのおっしゃることには反対はいたしませぬ」
さて、これからまた話は、ジャニュアリのことにもどる。彼は美しいマイと一緒に庭の中で、おうむよりもずっと、ほがらかに歌をうたっていた。「きみひとり恋し、恋せんものを」とうたっていた。
しばらくの間、彼は庭の小径《こみち》を歩きまわっていたが、ついに、梨の木の下へやってきた。美しい緑の葉かげには、ダミヤンが腰かけて嬉しそうに待っている。その時、このすばらしい美人のマイは、溜息をして、言った。
「ああ、あたしのようなおなかになりますとね、あなた、あそこになっている梨を見ると辛抱ができなくなります。ぜがひでも、死んでも食べたくてなりませんの。ねえ、あのまだ青い小さい梨が食べたくて我慢もなにもできません。あたしのような、身重の女は果物が大好きになるもので、死んでも食べたいと思うのです。ぜひ取りたいのですから、手つだってくださいませよ」
「下男がここにいたら、のぼって取らせるのだが、こまったな、こまったな。わしの眼がみえるならなあ」
「だんなさま、木に上ることはかまいませんわ。ただ、ね、すみませんが、この梨の木をあなたの胸に抱いてくださいません? (わたしをお疑いになりましょうが)、そうすれば、あたしはあなたの背中にあがって、それから、らくにのぼれますのよ」
「よしよし、血をはく思いをしても、そなたを助けられるものなら、なんの不足もあろうはずがない」
と言って、彼は腰をかがめたので、彼女は彼の背中の上に立ち、枝をつかんで、上へのぼっていった。
さて、ここで、世の貴婦人たち、なにとぞ、柳眉《りゆうび》を逆だてなどなさらないでいただきたい。私は野人ですから、うまく言えないのです。つまり、ダミヤンはですね、早速、待っていましたとばかり、着物の前をたくしあげ、ぐぐぐぐっとつっこんできたのです。
プルートーはこの大反逆をみるや、ジャニュアリの眼をふたたびみひらかせて、よくその光景を見させたのである。
ジャニュアリはふたたび眼がみえるようになったのでむしょうによろこんだ。彼の思いはマイばかりとて、ただちに、両眼をあげて、樹の上を見あげると、こはそもいかに、ダミヤンが自分の女房を、なんとも言えぬ――もしまた言ったら大変なことになるが――いとも不作法のようすをさせるではないか。
その瞬間、ジャニュアリは、母親が子供の死ぬのを見た時のように叫んだのだ。
「わっ、ひええ、ああ、なむさんぼう。ずうずうしいこのあまめ。まあなんということをしくさる!」
「あら、あなた、どうかなさいましたか。よく心をおちつけてお気を確かにおもちください。あたしのおかげであなたの両眼があくようになったのですよ。誓って嘘は申しません。
実のところ、あなたの眼をなおしておあげするには、樹の上にいる男と組んづほぐれつもみあうところをお見せするのがいちばんよい療法だということを教わったのです。そうしたのもあなたを思うゆえからこそやったことなのです」
「組んづほぐれつもみあうとは、なるほど、よく言いおったわい。とにかく、一本とった。両人とも恥じてくたばるがいい。こいつがおまえをけがすところを、確かにこの眼でみとどけたぞ。確かにみたのだ」
その時、彼女は答えた。
「そんなら、あたしの薬もききめがなかったのです。あなたがほんとうにみえるものなら、そんなことをあたしにおっしゃるはずはありません。あなたの眼はまだ、いくらか、かすんでいるのです、まだなおりきってはいないのです」
「ありがたいことに、もとのように、よく見えるようになったのだ。この両眼で、確かに見たよ、おまえがあいつにけがされるところをな」
「だんなさま、あなたは、まだむだ目がお見えになるのです。あああ、あなたの眼がみえるようにしてあげようとしたのは、かえって悪かったわ。親切になんかしてあげなければよかった」
「まあまあ、奥、過ぎたことはみんな、水に流そう。いいから、おりておいで。まちがったことを言ったとすれば、わしはあやまる。確かにダミヤンがおまえとね、おまえの着物があいつの胸の上にかぶさっていたように思ったよ」
「まあ、どうごらんになっても、それはあなたのご随意でございますが、人が眼をさましたばかりは、ものがはっきり見えないもので、日の光になれないうちは完全にものが見えないのが普通ですもの。それと同じように、一日や二日なら知らぬこと、長いあいだ盲目でいた人が急に見えるようになっても、はじめのうちは、よく見えないのも無理はありません。しばらくのあいだ、眼がなれておちつくまでは、いろいろのむだ目が見えるでしょう。なにとぞ、注意してくださいませ。確かに見たと思っても、違っていることが、しばしばあるものでございます。見まちがいをする人は、誤った判断をするということになるのでございます」
そう言って、マイは樹からとびおりた。
よろこんだのはジャニュアリであった。彼はマイを接吻したり、幾度も幾度もかき抱いてみたり、お腹の上を、やさしくさすったりして、家の中へつれて帰った。
みなさま、どうもありがとうございました。わたしの話はこれですみました。
キリストと聖母マリヤにお祈りいたします。
貿易商人の話 結語
その時、宿の亭主は言った。
「いやあ、くわばらくわばら、そんな女房はまっぴらだ。女には微妙な手くだがあるものですな。わしらのような正直な男をだまそうと蜜蜂のようにいそがしく、一つとして本当のことを言わないというのが女の性分なのは、この貿易商人さんの話でもよくわかる。
もっとも、うちの女房は別ですよ。貧乏だが鉄のようにしっかりした女だとはいえ、口ぎたないがみがみ女で、それどころか、まだ悪いところもたくさんありますがね。しかもその欠点も大したことではないから、わしはなんとも思っていませんや。
だが、ご存じなかろうが、内証の話、わしも残念ながら、女房の尻に敷かれているんです。自分から女房の悪いところを一つ一つ数えるのは気がきかねえことになる。それというのは、この一行のどなたかに、言ってもらえるならいちばんいいに相違ないからだ。どなたということは申しませんでも、そういう問題はご婦人がいちばんよく心得ていられますから、どなたかご婦人から願えると思うのです。
わしの頭も悪いので、そんなことはみんな、言えるものではないのです。これで、わたしの話はすんだことにいたします」
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騎士の従者の話
紹介の言葉
宿屋の亭主は言った。
「騎士の従者のかた、ささ、ずっと前へお進み願います。なにかひとつ色っぽいところをやってくださいませんか。お見受けするところ、誰よりも、その方面はお手のもののようですからね」
従者は答えた。
「いや、それほどでもありませんが、まあせいぜい、相つとめましょう。せっかくのご希望にそむきたくもありませんからな。ではひとつ。不出来でしたら、ごかんべん願うとして、自分の心持だけおくみください。さて、わたしの話はこうなんです」
騎士の従者の話
一
昔、ダッタンの国、サライというところに一人の王様が住んでいた。
王はロシヤと戦争をして、多くの勇士を失った。
この気高い王の名はカムビンスカンといって、当時その英名は広く世界に知られ、あらゆることにすぐれた王であった。王たる美徳はすべて備えていた。自国の宗教を信仰し、信条を守ることを誓っていた。加うるに、勇気があり、賢明で莫大な財産もあれば、慈悲深く、正義を重んじ、いつも約束をたがえたことなく、恵み深く、名誉を重んじ、その精神は地球の中心のように、かわることがなかった。
また年も若く、元気旺盛で、家来の若武士に劣らず武功をたてようとの野心もあった。容貌すぐれ、幸運でもある上、いつも王家も繁栄をつづけている点、彼に及ぶものはなかった。
このダッタン王カムビンスカンは后《きさき》エルフェタとのあいだに二人の王子があった。その兄のほうをアルガルシフといい、弟をカムバロといった。その下にカナセという姫があった。わたしはその王女の美しいことをうまく言いあらわすことができない。そんなことは、わたしの力ではとうていできないことだ。それにわたしの英語が不十分だし。
この姫のことを、どこからどこまでくわしく述べられるのは、修辞学の形容法をよく習得した、すぐれた修辞学者に違いない。わたしは、そういう者ではないが、やれるだけやってみなければならない。
さて、カムビンスカンが王位について二十年目のこと、例年の行事として、三月十五日に王の誕生日の祝典をおこなうようにとサライの全市に、みことのりを下した。
いよいよその当日は、太陽はとくに心地よく輝いていた。それというのは太陽が最高勢力を得るという白羊宮の十九度に近づいてきたからである。すなわち太陽は火星の最初の十度にあたる位置に来ているし,また白羊宮に太陽が来ているということは、激しやすい情熱性を示す白羊宮の影響を受けて、太陽が熱烈な状態になっているということである。
天気は非常になごやかで、暖かい。この萌《も》える緑の季節に酔って小鳥たちは、美しい太陽に向かって声をはりあげて、恋心をうたっていた。するどい冷たい刃のような冬から救われたと思って、よろこんでいるのだ。
カムビンスカンは王衣王冠をつけて、御殿の奥の高い台の上に腰かけ、この世ではみられないようなはなやかにもおごそかな祝典をおこなった。この盛典の次第をこまごまと述べていては夏の日を一日つぶさなければなるまい。また出たご馳走のことなどはいちいち言う必要もあるまい。珍しいポタージュや、白鳥やわかさぎの出たことも申すまい。
また騎士の昔話によると、ダッタンの国では、英国の人たちがあまり珍重しないもので、ことのほか珍重される食物がたくさんあると聞いている。だから、ここに出た全部のご馳走については誰もよく知ってはいない。
あまりぐずぐずしてはいられない。もう九時頃になった。なにもせずに、日はすぎてゆく。だから、わたしは話の本筋にもどって話をすすめましょう。
さて、食卓の王座の前で、奏でる楽人の美しい音楽をききながら、王は堂々と食事をしている。ところがご馳走の第三コースが終わった時、突然、黄銅の軍馬にまたがり、手に大きなガラスの鏡をもって、一人の騎士が御殿の入口からはいって来た。親指には黄金の指環をはめ、腰には抜き身の刀をぶらさげて、王のテーブルのところまで、のりつけた。
だが殿中、誰一人ひとことも発する者がなかった。この騎士があまりに不思議なのでみんな驚いたのである。みんなあぜんとしてこの騎士をみつめているばかり。
さて、突然侵入して来たこの騎士は、頭部をのぞいて、全身立派な武装をほどこしていた。彼は王と女王に最敬礼をし、またそこに整然といならんでいる諸侯に対しても会釈した。その態度といい、その言葉づかいといい、騎士の礼儀として一点非の打ちどころのない立派なものであった。騎士物語に出てくる古えからの騎士の典型といわれたガーワインがふたたび妖精の国からやって来て、この騎士をみたとしても、この騎士にひとことも非難するところが見つからなかったことであろう。
食卓の前で最敬礼がすむと、この騎士は、男らしい声で、一言一句もまちがいなく、正しい言葉づかいで、彼が托されてきた祝辞を述べた。昔から修辞学が教えるように、彼の態度と言葉とがよく調和していたので、ますます、この使者の祝辞が立派にみえた。彼のような高雅な修辞のスタイルは、わたしにはとうてい及びもせぬことで、まねさえできないのだが、この騎士の言ったことをその要点だけでも、思い出すままに、申し上げて大方の理解に供したいと思う。
騎士は言った。
「陛下、本日の佳辰にあたり、アラビヤ及びインドの国王は陛下に対し、衷心より祝意を表する次第であります。
そうしてお祝のしるしまでに、失礼ながら拙者がおあずかりしてまいりました、この黄銅の軍馬を献上いたしたいとのことであります。この馬は『自然の日』すなわち二十四時間の間、日照りでも雨降りでも、陛下の思し召すところは、どこへでも、玉体を損ずることなく、軽々と、お乗せ申す名馬でござります。
またこの馬は、陛下お望みとあれば、鷲のように天空高く駆けることもできます。その馬の背にお眠りあそばされましょうとも、いささかの危険もなく、お望みの地へお運び申し、また一瞬にしてお帰し申すこともできるのでございます。
この黄銅の馬を制作した人はいろいろと不思議な技術を知っていた人で、星座をよく観察してから、この馬の制作にあたったのでございます。彼は多くの魔術の諸相を知り、幻術に通じていたのでございます。
次に、拙者の手にしておりまする鏡も偉い力がござりまして、この鏡をみますと、国難も、陛下ご自身に起こる難事でもわかります。また誰が味方で誰が敵であるかも、明らかにわかるのであります。
また、その上、この鏡をみれば、ある美女が思いを寄せている男が、もし裏切って、他の女を愛したり、いろいろと秘密なことをしでかしても、すべて手にとるようにわかるので、なにひとつかくしだてはできないのであります。
心の浮かれるこの夏の季節には、そうした危険もよくあることでござりますから、とくにこの鏡と、ごらんのようなこの指環とを、ここにいらせられるカナセ姫にお贈り申し上げたいという思召しでござります。
この指環の効能を申し上げますと、こういうわけでございます。もし姫が親指におはめになるか、財布の中にお入れになるなれば、空飛ぶどんな鳥の鳴く声も、その意味が、よくおわかりになれますし、また鳥の言葉でご返事がおできになれるのでございます。
それのみならず、地に生えるどんな草の効能をもおわかりになれますゆえ、それでどんなに深い傷でもなおせるのでござります。
また、この私の腰にかけております抜き身の刀は、特別の効能がござりまして、この刀を打ちこめば、樫の木のようにかたい鎧でも、喰いきられてしまうのでござります。またこの刀で受けた傷はけっしてなおらないのでありますが、もし恵みによってお助けになろうとする場合には、その傷口を刀の平《ひら》でなでておやりになれば、その傷口はすぐにふさがれてしまうのでござります。
このことは真実なことでありまして、陛下のご所有になっております間は、間違いのない事実でござります」
そういって、この騎士は馬に乗ったまま御殿の外へ出て、馬からおりた。
この馬は太陽のように輝いて、石のように動かずに、庭先で、じっと立っていた。
この騎士はただちに居間に通されて、武装をとり、食事をした。
この刀と鏡の贈り物はうやうやしく、係の役人が高い塔の中へ運んだ。その指環は食卓につかれていたカナセ姫のところへ鄭重にもってゆかれたのである。
ところが、黄銅の馬だけは、どうしても運べなかった。地面の上に固着したようにつっ立って、轆轤《ろくろ》や滑車を使っても、どうしても動かすことができなかった。それもそのはず、彼らはその馬を動かす秘術を知っていなかったからだ。
それであの騎士が来て、その馬を動かす方法を教えるまで、そこに置いておくほかなかった。その動かす秘術については、あとから申し上げます。
大勢の人たちは、雲のように群がって、その馬を驚歎のあまり口あんぐりしながら見物していた。その馬は背が高く、たてよこ大きく、馬の名産地といわれるロンバルジヤ産の馬かと思われるような駿馬《しゆんめ》で、釣合いのとれた、たくましい骨骼であった。また立派なアプリヤ産の軍馬のように、理想的な馬で、すばしこそうな眼をしていた。
確かに、万人のみるところ、尾の先から耳の先まで、自然の作としても芸術の作品としても、この馬には少しも難点がなかった。
だが、黄銅で作られているのに、どうして動けるのか、それがみんなのいちばん不思議に思うところであった。
これはきっと霊馬だろうと、人々は思った。十人十色いろいろの考えが出た。見物人は蜜蜂の群れのように、ささやきつづけ、いろいろ空想をとばして議論をし、また昔からの詩文を思い出して、翼ある天馬ペガサスのようだ、などと言うものがあったり、あるいはまた、古代の叙事詩にある、トロイの陥落の時にシノンという男の使ったギリシャ軍の伏兵をいれておいた木馬だ、などと言う者もあった。
ある一人は言った。
「わしのおそれることは、この馬の中に兵隊がはいっているのではないか、そうしてこの都をおとそうというのではないか、ということだ。中を調べたらよかろう」
また、ある者は仲間の男にささやいた。
「あの男の言うことは嘘だ。むしろ王侯の饗宴で手品師が余興としてよくやるような、魔術で作った、出し物だろうと思うよ」
そんなふうに、人々は、学問のない人たちが、いつも自分たちが理解のできないむずかしい技術で作ったものを判断する時のように、いろいろに疑って、でたらめなことを言いあっては、がやがやさわいでいた。彼らは、ますます、悪いほうへ悪いほうへと解釈をしたがるものだ。
それからまた、ある者は、お城の本丸の塔へしまった鏡のことについて、どうして、不思議なものが鏡の中でうつるのだろうと、怪しんだ。
それに対してまた、ある者は答えた。それは、自然の道理だ。それは、角度と反射を、たくみに利用して出来ているので、そういう鏡はローマにもあった。アロツエンやヴィチョロンやアリストテレスなどは、昔から、不思議な鏡や遠近法による鏡のことを書いている。この鏡もこの人たちの書いた書物で知られているのだ、などと言っていた。
また、他の人たちは、どんなものでもつき通すという、その刀のことを不思議に思った。そして、トロイ物語でミシヤの王テロフスはアキレスの槍で傷つけられたが、またその槍のさびで傷がなおったという話を思い出して、テロフスのことやアキレスの不思議な槍の話をしていた。アキレスはその槍で人を傷つけたり、また傷をなおしたりする術を知っていたが、ちょうどこの刀で、先に話したように、そういう不思議な術ができるというわけなのであった。
また彼らは、堅い合金をつくるいろいろの方法や、薬の調合のことなどをも話していたが、とにかく、そういう話はわたしにはわからない。
またカナセの指環のことも話していたが、そんな不思議な力のある指環の製法は、モーゼやソロモンはそうした秘術にたけていたというので有名であるが、そのほかには聞いたこともない。
彼らは、ところどころに寄り集まって、そんな話をしていた。
だが、またある人たちは、羊歯《しだ》を焼いた灰をガラス製造に用いるが、しかもガラスと羊歯とは似ても似つかぬものであるとは不思議だねと言った。けれども、ガラスの製造法などは大昔からあったものだから、彼らはいまさら、それを不思議に思って話しあうなどということは、よしてしまった。
またある人たちは、原因がわかるまで、雷、潮、陽炎《かげろう》、霧など、いろいろのことを不思議に思って話していた。
ついに、王が食卓を去る時まで、議論百出で、べらべらしゃべりつづけた。
このダッタンの王カムビンスカンが高座の食卓から、立っていったときは、太陽はすでに子午線《しごせん》をすぎて二時間もたっていた。その時間を天文学的に説明すれば、三月十五日のその時間は、獅子座は地平線をのぼり、その星座にある「獅子の前足」という星が出ている時であった。
それから王は、楽人の音楽を先導にして、謁見の間にはいった。そこではいろいろ楽器を奏し、まるで天上の音楽をきくようであった。またヴィーナスの信者である若い騎士と貴婦人たちはダンスをした。天国から魚宮に高く坐っているヴィーナスはその人たちを親しそうにながめていた。
王は玉座に高く腰かけた。この異国の騎士も、すぐに連れられて来た。彼はカナセ姫とダンスをはじめた。
ここに歓楽あり、それは血のめぐりの悪い男にはとうてい言い現わせない歓楽であった。恋愛と恋愛の宗教とを知らない者は、そうした歓楽は、とうてい、解せられるものではない。またそうした状況を描き得るものは、五月の月のようにのんきな道楽者でなければならない。
そのダンスのやり方や、ねたましそうに見ている男をじらしながら、神妙なる眼つきで、あのしらばくれたようすで踊っている踊子たちについては、今日では誰も知っていない。そういうことをよく知っている人は、ただ古えの騎士物語に出てくる最大の色男サー・ランスロットだけである。ところが、残念なことには、そのランスロットはもうこの世の人ではないのです。
それゆえ、わたしにはわからないから、人々が晩餐につくまで、この話はやめにしておこう。
この歓楽の最中、内大臣は香料とぶどう酒を急いで出すようにと命じた。式部官や従者は、すぐに出ていった。酒と香料が早速に出た。
彼らは喰い、かつ飲んだ。宴が終わって、几帳面に、礼拝堂へ出ていった。
礼拝が終わって、まだ暗くならないうちに、晩餐となる。その様子については、なにも言う必要がないが、誰も知っているように、王侯の饗宴では、上にも下にも豊富なご馳走が出るにきまっている。またわたしなどの考え及ばない珍品が出るはずだ。
晩餐のあとで、王は家来の諸侯とその夫人をつれて、その黄銅の馬を見に出かけられた。トロイの戦争に使ったギリシャ軍の木馬以来、この黄銅の馬のように不思議な馬はなかったのだ。
王は最後にその軍馬の効能について、その騎士に問われ、その操縦法についても教えを受けられた。
騎士が手綱をにぎると、馬はすぐに、足ぶみをしておどりはじめた。
「陛下、べつにむずかしいことはございません。ただ、どこへか乗っておいでになります時は、その耳の中にあるピンをひねられましたらよいのでございます。このことは陛下にだけ申し上げる秘密のことでございます。どこへでも思召しのところの名をおっしゃりさえすれば、よいのでございます。おとめになりたいところへまいりましたら、降りよ、と言葉をかけられて、もう一つのピンをおひねりあそばされればよいのでございます。それだけがこの仕掛けの要点でございます。また馬は、いったん下へ降りましたら、その場で静かに待っております。人がどんなことをしようが、この馬はけっして、そこから動きません。
だが、もし陛下が、行け、とおっしゃって、ピンをおひねりになれば、人の目に見えないところへ、すぐに飛んでいってしまいます。またこれから申し上げまする秘密な方法で、お呼び戻しになりますれば、夜でも昼でも、すぐまた帰ってまいりまする。そうして、ご随意にお乗りあそばせばよろしいのでございます」
その騎士から、王はそういうふうに、操縦法をよく教えてもらって、うなずき、大変喜んで、また饗宴にもどっていった。手綱は塔へはこばれ、宝物の宝石と一緒に保管された。
馬はどこかへ行ってみえなくなってしまった。わたしはもうそれ以上のことは知っていません。
カムビンスカンは諸侯を饗宴にまねき、夜の明けるまで歓楽はつづいた。
二
腹くちれば眠くなる、いまやその「眠り」が、歓楽の人々の上にそろそろやって来て、人々の眼をしばたたかせ、深酒と労働は人間をつからせるものだと警告した。
「眠り」はまた、あくびをする口へ接吻して、言った。「もう休むときが来ているのだ。夜半以後は血液が支配する時間だと医学ではいっている。生命の友である血液を大切にするがよい」
「眠り」が命じたように、人々は二人、三人と、あくびをしながら、「眠り」に感謝して、みんな床についた。みんな、人々はそれがいちばんよいことだと思ったからだ。
彼らが、どんな夢をみたか、わたしは知らないが、酒の毒気が頭へあがれば、とりとめもない、くだらない夢をみるものだ。
大部分の人たちは九時頃まで、ねむった。ただカナセ姫だけはそうでなかった。姫は女らしく、慎しみ深かった。夕方になると、すぐ、王に挨拶をして、床についたのだ。朝おきて、あおざめた顔をしたり、つかれたようすをみせることが嫌いであった。
姫は、ひとねむりしてから、眼をさました。あの不思議な指環と鏡をもらったので、嬉しさのあまり、幾度も赤くなったり、青くなったりした。
鏡のせいで、姫は夢で幻影をみた。それで、まだ夜の明けないうちに、付添い婦人をそばへ呼んで、もう起きたいといった。老女たちは、かしこそうに思われたがるものだが、この付添いの女もそうであって、姫にかしこそうに、すぐ答えた。
「まあ、お姫様、こんなに早く、どちらへお越しあそばそうとおっしゃるのでございますか。まだ、みな、休んでおりますのに」
「わらわはもう起きたいのじゃ、もうねむうはない、すこしそこらを歩きたいのじゃ」
付添いは、十二、三人の女官をおこした。起き出でたカナセ姫は、白羊宮の四度の位置まで来た(すなわち六時十五分)太陽のように、輝かしくばら色であった。出かける時は太陽はまだ昇ったばかりであった。
姫は、さっそうとして歩きだした。その陽気な美しい季節にふさわしい軽い服装で、おともを五、六人つれて、愉快そうに散歩に出かけた。
小径をつたって、外苑へ出て来た。地面から立ちのぼるかすみは、太陽を大きく赤くみせた。その美しい景色は何ぴとの心をもおどらせた。春の季節、春の朝、鳴く小鳥。
姫は、指環のおかげで、すぐ、小鳥が何を鳴いているか、その心の意味が、すぐわかった。
話をききたいと思っている人に、長たらしくくどくど話をひっぱると、だんだんその味がなくなって、いやになるばかりだ。だからわたしも、この話の要点を早く言うのが、至当だと思う。この散歩の話は早くやめよう。
カナセが楽しそうに散歩をしていると、白墨のように白く枯れた木の上のほうに、一羽のはやぶさがとまっていて、森じゅうにひびきわたるような声で、悲しそうに鳴いているのに気がついた。
はやぶさのばたばた搏《う》つ両方の翼からは哀れにも、血が流れ、木をつたって、したたり落ちた。自分のくちばしで身をついては、少しもやめないで鳴いているのである。森林に住む虎でも、どんな猛獣でも、それをみては、もし泣けるものなら、気の毒になって涙を流したことであろう。それほど、悲しそうに、このはやぶさは鳴いていた。
そのはやぶさの羽の美しいことや、形の立派なこと、といえば、誰も、いままでに、そんなはやぶさがあるとは知らなかったであろう。どこか外国から来たはやぶさであったらしい。
出血のために、幾度も気を失って、とまっている木から落ちそうになった。
不思議な指環のおかげで、美しいカナセ姫は、鳥の言う言葉はなんでもわかり、また、鳥の言葉で返事もできたので、このはやぶさの言うことがわかったが、同情のあまり、自分まで死にたくなった。
すぐ、木の下へ行って、気の毒そうに上を見上げた。出血のあまり、こんど気絶すれば枝から落ちると思って、スカートの膝端をひろげて待っていた。
長いあいだ、待っていたが、しまいに、こんなことを、そのはやぶさに言った。
「この地獄のような苦しみとは、どういうわけか、言えるものなら言ってちょうだい。死の悲しみか、失恋の悲しみか。やさしい心を苦しめる原因には、この二つの事情のほかにはないはずです。
ほかの理由なら言う必要はないのです。そんなにやけを起こして、われとわが身に傷をつけているとは、残酷な話だけれど、それは恋か心配かのために違いないわ。見たところ、誰に追われているのでもないようだから、きっとそれが原因でしょう。
そんなことをするのはよしておくれ。なんとかしておまえを助けて上げられないものかしら。西にも東にも、おまえのように哀れそうにしている鳥や、けものはみたことがないのよ。おまえの苦しんでいるのを見ると、わらわも気の毒で死にそうな思いになります。ほんとうに可哀そうに。ね、木からおりておいで。わらわは王の娘なのですから、そなたの苦しみのわけをきかせてくれるなら、わらわのできることでしたら、日の暮れないうちになんとかしてあげましょう。
大自然の神、どうぞお助けください。おまえの傷をなおしてあげる草を、すぐさがしてあげよう」
その時、はやぶさは、前より悲しそうに鳴いたと思うと、ぱたりと、木から地面へ落ちて気絶し、死んだのか石のようになってしまった。姫は膝の上にだいていたが、やがて、はやぶさは息をふきかえした。
鳥は、気がつくとすぐに、鳥の言葉で言った。
「やさしい心をもつ人は、わが身につまされて、すぐに、慈悲心をおこすものだということは、人の経験からも、古典の文学の中にも、証明されておりまする。やさしい心はけだかい心の現われです。美しいカナセ姫様、あなたが、わたしの苦しみに同情してくださいますのも、あなたの生れつきのご性質のなかに、ほんとうに女らしい慈悲の心がおありになる証拠です。
お姫様から助けられて、それだけわたしが幸福になりたいというのではござりません。ただ、お姫様のおやさしいお心にあまえて、お助けを受けさせていただきますのは、ことわざに、『犬の子を打って、獅子のいましめにする』ということもござりますゆえ、わたしの例をば、人間の世界の人たちのいましめともさせたいと思うからなのでございます。ただそれだけの目的で、息絶えぬうちに、すこしの間、わたしの苦しいわけをお話し申し上げまする」
それで、はやぶさが、悲しい身の上話をするあいだじゅう、カナセ姫は、水になって流れてしまうかと思われるほど、さめざめと涙を流しながらきいていた。あまりのことでしまいには、はやぶさが姫にもうお泣きにならないでくださいまし、と言ったほどであった。
溜息をつきながら、はやぶさはつぎのように話すのであった。
「ああ、悲しいことでございます。わたしは灰色の大理石の山で生まれ、可愛がられて育てられましたが、大空高く飛べるようになるまでは、不幸というものを知りませんでした。ところがその時分、打ち見たところはいかにも気高い心の泉とも思われる親切そうな雄鷹が、わたしの近くに住んでおりました。
彼は、裏切りと偽りの心にかたまった男でしたが、やさしいようすをして、それをかくしていました。そうした真実をよそおうて、愛想よく、まめまめしかったので、誰もその男が偽りであるとは思いもせず、信じきっていましたが、実は羽をまっ赤に染めて(偽って)いたのです。ちょうど、蛇が人をかむまで、花のかげにかくれて時機を待っているように、この愛の神は偽善者となり、愛の儀礼をおこない、気高い愛にかなうように愛の勤めをよそおうておりました。墓石は、見たところ美しいが、下のほうには死骸があるように、この腹黒い偽善者は、外見は情熱的なのに、実の心は冷酷です。このやり方で、彼は目的を達したのです。彼の心の奥底は、悪魔だけが知っていたのです。
長いあいだ、数年にわたって、彼は泣いたり、なげいたり、また親切めかしくわたしのご機嫌をとったりしましたので、わたしの心は、同情しやすく、だまされやすいので、まっかな嘘とはつゆ知らず、また彼が自殺しかねないとも思ったので、よく誓いをたてさせて、ついに彼にわたしの愛を許したのです。その誓わせた条件として、家庭でも外でも、わたしの名誉と名声は、けっしてけがさぬようにということでした。つまり、その条件を守るという彼の功績に対して、わたしは、わたしの心を彼に与え、その交換として彼の心をわたしも取ったのです。これは神も知り、彼も承知の上のことでした。
ところが、しばらくすると、『正直者と泥棒は同じことを考えない』ということわざがありますが、悪人は悪人です、やがて本性をあらわしてきたのです。
まえに申し上げたように、わたしが彼にわたしの愛を許しました。それからわたしに真実な心を与えると誓いますので、わたしもわたしの真実な心を与えました。話がそこまですすんだのを見てとるや否や、この二重人格の虎は、すぐひざまずいて、献心的な従順を誓い、うやうやしく礼拝し、いかにも喜びに夢中になった、立派な愛人のようすをしたのでした。
神話にあるようにジャースンはイーノンをすててヘレンにはしり、トロイのパリスはメディアをすててグラウスにはしりました。二人の愛人をもった最初の男といわれているラメック以来の二重人格者は、このジャースンということになっていますが、そういう人たちでさえも、またアダム以来の人間は誰でもそうでございましょうが、この偽善な虎のやり方を、その二万分の一でも、まねはできないでしょう。
また、ふた心と偽善にかけては、そういう昔から有名な偽善者でも彼にはとうてい及びません。この男にくらべたら、聖書にもあるように、彼の靴をぬがせる奴隷になる価値さえもないのです。またその時、彼がわたしに感謝するあのようすときては、どんな人間でもちょっと、やれないことでした。彼の女に対する態度ときては、どんなに利口な女にでも天国のように見えたのです。それほど、こまかく気をつかって言葉づかいにも態度にも、偽りの装飾をほどこしたのです。
彼がそれほど従順にみえたので、また、それほど真実にみえたので、わたしは彼を愛してやりました。なにか少しでも彼の心をいためるような心配なことが起こった場合などは、わたしも死ぬほど心配になりました。つまり、追いつめれば、わたしの意志は彼の意志の道具になりました。すなわち、わたしの威厳を害さない範囲内で、どんなことでも、わたしの意志は彼の意志に服しておりました。
わたしはすっかり、彼の心にほだされて、あとにも先にも彼ほどに可愛いと思った男はありませんでした。
一、二年も彼が善人だとばかり思いこんでいました。ところが、運命か、彼がわたしの住んでいたところを去ってゆかなければならない事情になりました。もちろん、わたしは、悲しみました。なんと言ってよいかわかりませんが、正直に申しますと、死の苦しみを味わいました。そうしたわたしの苦しさは彼には信じられないことでございましょう。
そこで、ある日、彼も悲しそうに、わたしと別れを惜しみました。彼の言葉をきいても、彼の顔色からみても、彼はわたしと同じように大変悲しく思ったようでありました。
わたしは彼を信じていましたから、彼はまたすぐに、わたしのところへ帰って来るものと思っていました。よくあるように、彼が名をあげるために、出かけなければならないのだと承知していましたから、やむないことと思って、善意に解釈し、わたしもあきらめたのです。ですから、できるだけわたしの悲しみをかくして、彼の手を握って、申しました。
『わたしは、まったくあなたのものですよ、あなたもわたしと同じように、心変りなさらないでいてちょうだい』
彼がなんと返事をしたかは申し上げるまでもありません。彼ほど、言葉のうまい男はいませんし、彼ほど言葉とおこないの違う男もいないのです。彼はなんでも、うまく言うだけのことでした。『悪魔と一緒に喰うときは、長いスプーンが必要だ』ということわざがありますが、彼は油断がならないのです。
彼は出かけました。自分の好むところまで飛んでゆきました。
彼は行先で休もうとした時など、『すべてのものは、その本来の状態に戻ることを好む』という哲学者ボエーチュウスの言った文句を思い出したことでしょう。
人間は生れつき、新しいものを好むものです。人間が籠の中で飼っている鳥も同様です。日夜注意して、絹のようにやわらかいわらをしいてやったり、砂糖、蜜、パン、ミルクなどをやったりしても、籠の戸があけられたら、すぐに、足でコップを蹴落して、森へ飛んでいって、虫を喰べるのです。そういうふうに、鳥が新しい食物を喰べたがることは、鳥でも本来の性質として新しいものを好むからです。
いかに貴族の血統でも、この本来の性質をおさえることができません。この雄鷹もそうだったのです。情けないことです。
この雄鷹は貴族の生れで、快活で、男っぷりもよく、やさしく、おとなしいのですが、ある時一羽のとびが飛んでいるのをみると、急にそれに夢中になり、以来わたしをすっかり忘れてしまい、わたしを裏切ったのです。
かくして、とびがわたしの恋人を手に入れ、わたしは無残に捨てられて、淋しい思いをしているのがくやしいのです」
そう言って、このはやぶさは泣きだしたかと思うと、カナセ姫の胸の中で気絶した。
カナセ姫もそのお供の女官たちも、このはやぶさに大変同情し、どうして、慰めたらよいか途方にくれた。
カナセ姫はスカートにつつんで家へつれて帰って、われとわがくちばしでつけた傷に膏薬をはっていたわった。
カナセ姫は、それのみならず、地から草を掘り出し、はやぶさの傷をなおそうと、色のよい薬草から新しい膏薬を作り、朝夕、その看護に全力をそそいだ。
ベッドのわきに、鳥籠をつくらせて、女らしい心づかいから、青いびろうどのきれを、それにかぶせた。
その鳥籠は、外側を緑色にぬった。その中に、やまがら、雄鷹、ふくろうというような、うそつきの鳥を描き、そのわきに、これらの鳥を軽蔑するために、わざと皮肉に、悪口屋のかささぎを描いた。
そういうふうに、カナセ姫がはやぶさを養っていたというところで、この話はやめておこう。またこの不思議な指環のことも、あとになって、このはやぶさの恋人が、先に言った王子のカムバロの仲介で後悔して戻ってくることになるまで、やめておこう。
さて、これから、世にも珍しい驚くべき戦争と冒険の話にうつります。
最初に、カムビンスカンが一生涯のうちに、多くの都市を攻め落した話をし、それから王子アルガルシフがテオドラという女を妻とする話となり、この王子が黄銅の馬のおかげで、危いところを幾度も難をのがれたというようなことや、その次には、王子のカムバロの話になり、カナセ姫をとりもどすために、あの誘拐者の二人兄弟と一騎打ちをする話になるのですが、それでは、まず、先へもどって、お話をいたしましょう。
三
アポロ(太陽)は天高く、車を駆って、賢い水星のメルキュリは……(未完)
* * *
郷士と騎士の従者、宿屋の亭主と郷士の対話
郷士は言った。
「お侍さん、よくできました、ほんとにあんたの物識りには感心しました。お若いのに、あんたは人をしんみりさせなさる。たいしたものじゃ。雄弁なことにかけては、ここにいなさる人であんたにかなうものは一人もいませんよ。出世して立派なお人におなんなさるよう祈りますぜ。あんたの話には、わしは大変満足いたした。
わしにも、一人のせがれがありますが、あんたのような頭のいい息子であってくれれば、今もっている二十ポンドのあがりのある土地を貰うよりか、なにもなくてもよいと思いますよ。人間は立派じゃなければ、なんぼ財産があってもつまらないものだ。
いつも、せがれをしかっているのだが、どうしても立派な人間になろうとしないのだ。いつもさいころのばくちばかりやりやがって、もってるものは、みんな湯水のようにつかってしまう。立派な行儀をおぼえるように、貴族の子弟とつきあえばよいのに、身分のひくい小姓の連中とばかり遊んでいる」
亭主は言った。
「貴族貴族とおっしゃるが、貴族がなんだ。ええ郷士さん。よく承知してるだろうが、それよりか、約束を破らないように、話を一つか二つやったらどうだ」
「そりゃあ、よく知ってる。だが、この人にちょっと話したからって、そう馬鹿にしなさるな」
「ぐずぐずいわずに、話をはじめなせえよ」
「よろしい、ご亭主、あんたの望みどおりにやりましょう。さあ、よく聴いてくださいよ。頭の狂わねえかぎりは、あんたの言うことはよく聴いてやろう。
さあ、みなさんから、よろこんで聴いてもらいたい。とにかく、わしの話はいい話なんだ」
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解説
[#地付き]西脇順三郎
ジェフレイ・チョーサーは十四世紀末に栄えた詩人であった。彼は近代英詩の父といわれ、英文学史上最大な古典の一つとして今日でも多く読まれている。彼の言葉は当時英国の首都ロンドンの教育ある人たちの言語を代表しているのみならず、当時の王朝の言葉をも代表している。したがって、彼の使った言葉は当時の英語の標準語でもあった。そうしたチョーサーの言葉は、英文学史上からみると、初めて「文学語」の伝統を残すことになった。この意味でチョーサーは近世英文学語の父でもあった。
チョーサーは当時ヨーロッパの文化国、フランスやイタリーの文芸学問の風潮をとくに注意した。彼の詩文の流派はフランスやイタリーのそれであった。常に大陸の文学の傾向に注意し、また新しい文学や思想を汲み入れ、それを自分の文学の中に取り入れて、英国の読者に教えようとした。おそらく、近世において、ゲーテがドイツ文学になしたような役目をイギリス文学に対してなしたといってもよいであろう。
チョーサーの一生はあまり長いほうではなかった。しかし町人として生まれたが、役人として王朝を中心とする当時の最高上流の社会生活から一生離れずに生活してきた。また町人としては、いわゆる下情に通じ、日本ならさしずめ『浮世風呂』の完全なものが書けるだけの経験と才能と、非常な教養のある鋭い観察力をもっていたのであった。また学者として、思想家として、社会および人間批評家として、貴族の社会、インテリの社会、町人や農民の社会を、最初のルネサンス人として観察している。上は王侯がもっていた思想や、中世の学者の思想から、下は無学な百姓のもっていた思想や感情にいたるまで、あらゆる面をよく知って、これをことごとく自己の体験として消化していたのであった。それがために、彼の残した作品を通じて中世の思想感情をよく知ることができる。
中世紀の教養ある紳士は、教養として、まず聖書に通じている。とくにチョーサーは僧侶としても立派に説教ができたのであろう。また中世紀で有名なキリスト教に関する説教でも神学などの名著でよく知っていた。中世紀の学問に二方面あったが、その一つは僧侶教育として神学が中心になり、その補足知識として、いわゆる『自由学問』があった。チョーサーなどは、もちろん自由学問は修業していた。古典文学(主としてローマ人の残した文学、学問の研究)、修辞学、数学、天文学、哲学、博物学などである。それに古典哲学などである。医学もあった。
またチョーサーの時代は立派な役人として、王朝や貴族や大名に勤めて成功するには、法律学を修める必要があった。おそらく伝記作家がいうように法学を学んだ形跡がある。
チョーサー時代では、ルネサンス人と同じく、教養あるということは、すべての知識に通じ、詩文をよくすることであった。教養ある人たちの書く文学は、新しい思想を紹介し、世に説教することであった。たとえば『カンタベリ物語』に集められている話は中世でごく有名なもので、多く焼きなおしにすぎなく、また、その話の筋も中世の通俗物語のごとく、子供らしいつまらないものが多いが、その中でチョーサーはあらゆる思想を教えようとしている。それが非常に面白いところであり、またそれが精神であったといっても過言ではない。
新しい思想として、彼は中世紀に、とくにフランスで流行していた、ボエーチュウスの『哲学の慰安』とか、また十三世紀にフランスの古典学者の筆になった『薔薇物語』などを信奉した。チョーサーはみずから前者を訳し、後者もチョーサーの訳と称するものが残っている。その他有名なフランス文学の作品を多く読んで学ぶところが多かった。たとえば『狐物語』などは、『カンタベリ物語』を書く時に使った。イタリー文学では、ダンテ、ペトラルカ、ボッカチョはもちろん、セルカムビイという文人(この人の書いた「小説」の中にはやはり巡礼のことがある)、またイタリーの有名な法律家ジォヴァンニイ・ダ・レニャーノーのこともよく知っていた。
英国においてダンテの影響を受けたものはチョーサーだけではなかった。英国では、初期の教会改革者であったウィクリフなども確かにダンテを読んだものと思われる。またチョーサーと同時代の説教家としてガワアという詩人が書いた『愛の告白』という説話集などの倫理観はダンテ的であった。チョーサーの作品の中ではいたるところにダンテが引用されたり連想されている。その例としては『名声の家』とか『カンタベリ物語』の中の「バースの女房の話」の中にある「貴族一代説」などはそれである。ボッカチョはチョーサーがより多く学んだイタリー文学であった。たとえば「騎士の話」とか『トロイルスとクリセイデ』など。ペトラルカでは「学僧の話」など。ここで遅ればせながら注意しておきたいことは、チョーサーは詩人だというが、むしろ小説家といったほうがよいのである。中世紀では小説はみな韻文で書いたのである。それで韻文で書く人はみな詩人といわれていたが、チョーサーの文人としての最大の点は、今日の言葉でいえば小説家としてである。
『カンタベリ物語』はチョーサーの作品中もっとも重大なものである。その大部分はチョーサーの若年の作である。まず形式的に説明すれば、この中に集められている物語は中世紀に流布されていた種々のタイプの話の形式が含まれている。英雄詩的ロマンスとして、テーベ物語、ケルト物語などに連想が多いのは「騎士の話」や「バースの女房の話」である。「笑い話」はファブリオといわれて、多く下等な冗談をいう話である。「粉屋の話」や「親分の話」や「バースの女房の話 前口上」や「刑事の話」や「托鉢僧の話」のタイプである。「信心話」の形式は主として中世紀で信仰の中心であった聖母の信仰や、奇蹟やキリスト教の信仰を説くもの。このタイプの話では「法律家の話」がある。この種のものは純粋に説教文学に属するものというべきである。また純粋に教会における説教話としては聖書物語、聖者聖女物語、使徒物語などである。「修身教訓の話」のタイプとしては「学僧の話」がそうである。
『カンタベリ物語』は説話集であるが、その集め方の形式はいわゆる「ワク」の中に入れて説話を集めることである。これは昔からあった形式であった。『千一夜物語』とかボッカチョの『十日物語《デカメロン》』などはそれである。日本の『今昔物語』は「ワク」の話の中に織り込まれていない形式で、たんに「今は昔――」の形で単独に述べられている。しかし『十日物語《デカメロン》』などと異なるところは、その話の多くが韻文であることである。またいろいろの序が挿入されていて、いつも「ワク」としての話が、複雑に入り乱れ、内部で発展している。時にその「ワク」としての話のほうが、小説的に現実的に発展して、本文の話よりも面白い場面が多い。けれども、それが整然とした形をとっていないために、統一がなく、それがために全体の構成上すっきりしないところが目立って見える。
『カンタベリ物語』の場合の「ワク」の話の大体の筋はその「総序《ぶろろぐ》」に出ている。それをついでに紹介しておく。中世紀では聖者の信心が盛んで、チョーサーのようなインテリでも本当にカンタベリへ参詣したという記録もあるらしい。大寺院のあるカンタベリには聖トマスという英国の聖者が祀られていた。英国では諸方に聖者が祀られているが、カンタベリとウォルジンガムがもっとも有名で、巡礼者が信心のためよく行くところであった。そうした三十人ほどの巡礼者が、旅の無聊《ぶりよう》を慰めるためにたがいに面白い話をしあうという筋になっている。それが「ワク」なのである。巡礼に加わる百姓、町人、僧職者、学者、騎士などが語る話を作者が集めたという形になっている。
前述したように、この『物語』において作者はたんに物語自身の興味以外に、全体として、当時の貴族から百姓にいたるまでの階級、身分、職業を含む英国社会の人情、風俗、思想、道徳などを写したのである。また加うるに、作者の人間論、世界観をも表明したのであった。そうした意味から訳者は、本書に入れた物語に簡単な解説をこころみて、読者の参考にしたい。
「総序《ぶろろぐ》」 いろいろの物語を総括するいわゆる「ワク」の役目をするのがこの「総序」である。四月の初め、木には葉が芽を出し、花が咲き出す頃になると巡礼が旅に出かける。その季節は白羊宮を半分以上太陽がまわった時である。当時は一年を春分(三月十二日)から数えて十二宮に分け、ほぼ一カ月ずつかかって太陽が一つの宮を通過するものと考えた。春分に白羊宮からめぐり出して十二宮を通過して一年となる。その十二宮というのは、白羊、牡牛、双子、蟹、獅子、乙女、天秤、蝎《さそり》、射手、小羊、水汲み、魚の諸宮である。この物語の巡礼は、そうした春の季節に出かけたのである。彼らが出発したのは、四月十七日頃とみなされる(「法律家の話」の前口上に、四月十八日と明記されている)。が、太陽が白羊宮を半分以上めぐっている四月の初旬に、この巡礼一行が実際出発したのではなく、チョーサーはたんに四月の初旬になると一般に春季の巡礼参詣が始まるということをいったのであって、この物語に出ている巡礼出発の日付を述べたのではない。もうこの巡礼が出かけた時は、四月の十七、八日の頃で、太陽は牡牛宮にすでにはいっているはずである。「そんな季節の、ある日――」と実際明記している。チョーサーが天体の暦や時間のことを話の中に入れるのは、ダンテの『神曲』などの影響とみることができる。
チョーサーが人間や自然の解説者としてもっていた思想の新しい点は、彼の自然観である。彼の自然(ナチュール)という観念は、宗教的なものでなく近代的であった。生物界には自然の力というものがあって、これは善悪の観念を超越して、自然は自然の法則であって、これはいかんとすることもできないものと認めた。彼の男女の恋愛論も自然論であって、宗教的でも、プラトン的でもない。春になると生殖の関係から、ナイチンゲールという夜の鳥が、夜もねずに鳴いているのはその小鳥の本能を自然が刺戟するからであると考えた。そうした自然論は、主としてフランス十三世紀の名著『薔薇物語』などの説からきている。
『薔薇物語』には前篇と後篇とがあるが、その著者は別であって、しかも二人の著者の思想はまったく異なっていた。この『薔薇物語』は中世最大の恋愛論であって、寓意譚として書かれた学者の作品である。前篇の著者の恋愛観は封建制度的見地からプラトニック・ラヴを説いたものだが、後篇はこれと反対に、自然主義的で、生物の法則として恋愛をみている。恋愛は生物の法則であって、結局は人間生命のために生殖に終わるものとみた。その物語は二万二千六百八行ほどある長詩であるが、その最後の行に、
「恋愛の学問のすべて言いつくされている
この薔薇物語は終わった。
ヒックとヘックが一緒に結ばれるとき
自然はほほえむように思われる」
とある。
ダンテの恋愛論はプラトン的でとくに宗教的なものであり、その『神曲』は愛の倫理を強調しているが、とにかく中世紀最大の愛の宗教である。だが『薔薇物語』は時代としては先に書かれた恋愛論である。チョーサーの恋愛論は両者に通じているが、小説を作る場合、ダンテよりも『薔薇物語』、ボエーチュウスの『哲学の慰安』、ダンテ、およびローマ文学、中世説教文学、聖書などの知識を要する。中でも『薔薇物語』を大切とする。この総序で、作者は当時の英国社会を代表するに便利な二十六人の巡礼を、小説家として見事に描出している。そしてそれらの人物の身分や教養のほどによって、それぞれにふさわしい、しかるべき話を配分し、現実的な空気を出すべくつとめている。
「騎士の話」 この騎士の紹介は総序に出ている。騎士の身分は封建制度の上からみると貴族に属するが、その位や階級は上下種々であるが、大名もその部下の騎士も、騎士という点ではかわりがない。王は大名に封土を与えたが、王の必要に応じて、大名は幾名という騎士を提供する義務があった。大名はまたそうした部下の騎士に対して自分の封土から、さらに封土を与えるという組織になっていた。十三世紀は原則として当時の金で年二十ポンドの地価をもっているものはすべて騎士になることを要求されていた。原則からすれば、一人の騎士は一つの荘園の地主であった。下級の騎士は自分の属している大名の部下として王のなす戦争に参加した。ここに出ている騎士は、十四世紀中にあった大陸の戦争に、自分の主君の大名と共に、あるいは王直属の騎士として戦争に出た。またある騎士は外国の王、または大名に雇われてゆくこともあった。
この騎士がした話の筋は、ポッカチョの『テセイデ』とスタチュウスの『テーベ物語』などからとったもので、中世紀英雄物語中のテーベ物語に属している。こまかい描写や話の筋は本文によってみることにして、その思想上の意図を説明しよう。この話によってまず十四世紀の紳士の道を知ることができる。騎士は中世紀紳士の代表であった。騎士の道はすなわち紳士の道であった。この話はホーマーなどの英雄物語の構造を幾分もっている。すなわち地上では人間の争いがあり、それに関係して天上でも神々の争いがある。地上でパラムンとアルシータとの恋の争いは、天上界ではマルズという軍神とヴィーナスという恋愛の女神との争いになる。また中世占星学の上では、火星と金星の争いになる。また恋愛の女神に対立するものとしてはディアーナの女神であって月である。この話を読んだ人は気づくことであろうが、結局「ヴィーナスの勝利」となっている。
次に恋愛の闘争は、軍神を代表するアルシータと愛の女神を代表するパラムンとが、貞操の女神ディアーナを代表するエメリーを争う三角関係である。この話の筋が象徴するところによると、エメリーが結局パラムンと結婚したことは独身の女神の誓いをすて、ヴィーナスの女神に従ったことになる。このディアーナという女神はまた狩猟の女神であった。それでアルシータの火葬の時、森林が切りひらかれたために、皮肉にもディアーナの部下である森林の妖精が追放されたことなども、ディアーナの女神にとっては不満なことであったであろう。要するに「ヴィーナスの勝利」によって恋愛と結婚が賛美されたのである。
「騎士の話」によってチョーサーは現世に対する希望を表わしている。それは生物の世界の繁栄である。そのためには「ヴィーナスの勝利」によって、ヴィーナスの二人の敵である軍神マルズの支配と、結婚反対の女神ディアーナの支配とから脱することが大切な意味を含むものである。人間の生物的繁栄はヴィーナスの支配を受くべきものである。次に古い物語の形式に興味をもつ読者のために一言するのであるが、この物語の構造は、叙事詩としての英雄物語と、中世紀に新たに発生した恋愛物語(ロマンス)とが一つの話に織り込まれている。前者の形式としては、闘争があり、英雄の死とその葬儀の場面があり、説教があって終りとなる。後者の形式はエメリーをめぐる求愛の筋である。叙事詩的物語とロマンス的物語とを結合した形式を通常、叙事的ロマンスと呼んでいる。
つづく二つの物語によって、穀物の豊饒を祈る古代からの儀式として、二人の「かけあい」喜劇を配置するのである。
「粉屋の話」は次の「親分の話」とともに中世紀の「笑いの話」(ファブリオ)である。中世の「笑い話」の多くは尾籠なことを笑いの種にするのが普通である。元来そうした笑い話は教養のない人たちの間に発達したものであるが、当時は一つの詩文として貴族の間にも流行したのである。粉屋と親分との悪口の「かけあい」であって、民俗研究家にとって興味あるものである。悪口の「かけあい」は、古来、豊饒のための農業祭りに大切な形式であった。農民の文学である。この二つの笑い話の中にもし教訓があるとすれば、二人の嫉妬深い夫がやられている。夫の嫉妬は女の立場からみて妻の最大な敵である。チョーサーは女の擁護者であり、彼の女性観からみると、男の嫉妬は妻の自由に最大な害を与えるものと考えた。
中世紀において年齢のあまり違う結婚と、身分の異なる結婚を悪いものと考えたことは、主として嫉妬というものの原因になるからであろう。その老大工は十八の娘と結婚したばかりであり、その粉屋の女房は貴族の出であった。チョーサーは「騎士の話」において、貴族的文学を初めに述べ、この二つの話において農村の文学を取り扱って、英国社会の二大方面を示したのである。「粉屋の話」はチョーサーの独創になる笑い話であるが、これは当時一般ヨーロッパ文学に出てくるタイプの一つで、チョーサーはそれを取って、小説にしたのであった。大工の女房にオックスフォルド大学生を配し、粉屋の女房と娘にカンテブリッジ大学生を配したことは作者の皮肉である。
「料理人の話」 未完となっているが、悪い町人の伝記を書くつもりであったらしい。この話はロンドンの町人生活を題材にし、後世のいわゆる悪漢小説の初めと考えられる。その意味で大切である。
「法律家の話」 中世紀の説教文学にあった聖母信仰を中心とする「信心話」、および異教とキリスト教とを対立させて、キリストの信仰を説いた「信仰物語」とを一緒にしたものである。この話の筋はニコラス・トリヴェットという僧がフランス語の散文で書いた物語によったものである。この種の物語は「奇蹟物語」ともいうのであって、中世小説に多く出てくる伝統である。とくにアーサー王に関する物語は、英雄物語と恋愛物語と奇蹟物語とを混じている。この女の悲劇は、嫉妬深いサルタンの母堂に原因している。とくに女の悲劇は嫉妬からきている。
「バースの女房の話」 総序にもチョーサーはすでに小説の人物として紹介している。非常に性的な女であって、チョーサーはこの女に精神的な恋愛に対立する性的な人間の自然を代表させている。まずチョーサーは、この女の見地から、結婚問題を大々的に取り扱ったのだ。この点に関しても、当時最大唯一の権威としては聖書である。他に聖ジェロームの書も典拠になった。結婚問題を聖書からまず考え起こし、チョーサーはそれを批判したのであった。
次にチョーサーは性の問題を自然説として論じた。この点で主として彼の説は『薔薇物語』からきている。次に一般論として、女というものはいかなる性質であるかという問題が出ている。中世紀では一面封建制度として貴婦人崇拝が紳士の道であった。しかし、説教文学では女は悪魔であり、悪いものだという悪口が常道であった。これに対してチョーサーは、この女房の蔭にかくれて、男に対する悪口を言わせている。この点ではチョーサーは女の悪口を言う説教者に対して、婦人を擁護している。また嫉妬深い夫に対する攻撃でもある。夫と妻の関係をこの前口上では一つの闘争とみなし、妻は夫に対して心身ともに絶対主権をもつべきであると述べている。また「バースの女房の話」は嬶天下の妻の理論を物語にしたものである。この話の筋はケルト文学にすでにあり、中世紀の説教文学にも知られた話だといわれる。「女は何をいちばん好むか」という問題の答えとして、女は嬶天下になることをいちばん好むということである。「バースの女房の話」のなかで、他の方面で大切な思想は、ダンテなどのいう「貴族一代説」と「貧困幸福説」とである。ここでは夫は妻の選択を富貴によってなしてはならないというために、この有名な二説を説いたのである。
「托鉢僧の話」と「刑事の話」とはかけあいの悪口である。しかし類似した話はないこともない。前者は主として宗教裁判所の刑事の悪事を述べ、後者の話では托鉢僧の乞食生活が描かれている。「托鉢僧の話」は悪魔物語であるが、その現実的に描写されている小説のうまさは、今日のジョン・コリアの悪魔小説『いたしかゆし』に比較されてよい。「托鉢僧の話」では悪い刑事が気の毒な貧乏な寡婦のために地獄へおとされる。「刑事の話」は女房たちをだます托鉢僧が、失敗する話である。チョーサーは女の世界の作家であった。女の自然を描こうとする。
「学僧の話」 「バースの女房の話」の前口上にある嬶天下の妻と正反対に、夫に対して絶対に服従する妻の話で、この二つの話は対立している。この話のもとは、ボッカチョが始め、それをペトラルカがラテン語で書いたものからチョーサーは筋をとった。この話では最大に嫉妬深い残酷な夫を描いている。今日の精神分析からすれば、サディズムの男とされるだろう。要するに愛をためすことは危険である。
「貿易商人の話」 話の種類は笑話(ファブリオ)である。ジャニュアリとマイの話はチョーサーの独創によるもので、「粉屋の話」と同種である。年寄の夫とその若い細君との関係を扱った話である。中世紀では年のあまりかけ離れた夫婦はよくないということが、とくに教えられている。この話の構成は一見でたらめに見える、というのは、人間の世界に神話の神々が出て来るからである。これは「騎士の話」と同様である。しかし、この神々は事件解決に必要な道具にすぎない。思想的には「バースの女房の話」の前口上と同様に、夫婦の間の問題が取り扱われている。この種のものを学者は「結婚に関する話」として分類している。
「騎士の従者の話」 初めは東方の魔術の話といって中世紀のおとぎ話であるが、本筋はやはり夫婦間に起こった問題を扱ったもの。おとぎ話の構成のなかに主題として婦人問題を書いているのである。チョーサーの話は、話の筋に重きをおかないで、その中に説教を中心とした教訓をのべるのである。英文学の特色として話の筋にかくれて、社会、人間、自然を批評するのである。
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ジェフレイ・チョーサー (Geoffrey Chaucer)
一三四〇年頃ロンドンの富裕なワイン商の家に生まれる。中世イギリス最大の詩人。近代英詩の創始者。幼少の頃より宮廷に出仕、長じて軍人、外交使節、代議士などエドワード三世治下でさまざまな公職を歴任。一四〇〇年、病歿。亡骸はウェストミンスター寺院内に安置された。主な作品に『公爵夫人の書』『誉れの宮』『トロイルスとクリセイデ』等がある。最後にして最大の傑作が中世物語文学を集大成した『カンタベリ物語』であり、ヨーロッパ史における偉大な記念碑の一つと称される。
西脇順三郎(にしわき・じゅんざぶろう)
一八九四年、新潟の銀行主の家に生まれる。詩人、英文学者、慶應義塾大学名誉教授。一七年、慶應大学理財科卒業。二二年、英語英文学研究のためオックスフォード大学に留学、英文壇のモダニズム思潮の洗礼を受ける。帰国後、慶応大学文学部教授。英文学研究の傍ら、次々と作品を発表。日本のモダニズム詩運動の中心的存在として活躍、晩年まで詩作を続けた。六二年、芸術院会員。七一年、文化功労者。八二年歿。その膨大な文業は『西脇順三郎全集』纏められている。
本作品は一九七二年一一月、筑摩書房より「筑摩世界文学大系12」の一部として刊行され、一九八七年四月、ちくま文庫に収録された。