ダアシェンカ――ある子犬の物語
目次
第一章
第二章
第三章
第四章
1 しっぽのお話
2 テリヤが地面を掘っくり返すわけ
3 《ふおっくす》のこと
4 アリクについて
5 ドーベルマンについて
6 ボルゾイとそのほかの犬について
7 犬の習慣について
8 人間について
――挿絵 カレル・チャペック
第一章
はじめて生まれてきたとき、それは手のひらににぎれるほどの、ただほんの小さな、白いかたまりにすぎませんでした。けれど、ちっぽけな、まっくろの耳が二つと、かわいいしっぽがついていたので、やっとこさっとこ、子犬とわかったのでした。
それにどうしても、女の子であってほしいと思っていたので、ダアシェンカ〔チェコ女性の名前〕という名前がつけられました。
この白い小さなかたまりには、二本、なんとかそう思えば、やっと足と思えるようなものがついていました。たしかにそれは足でした。なんの役にたたなくっても、ちいちゃな足だったのです。でも、まだその足で立つことはできませんでした。あんまりよわく、ぐにゃぐにゃでしたから、歩くなんて思いもよらなかったのです。
ダアシェンカが、ほんとうに、歩こうとするばあいには(じっさいには、もちろん、歩けなかったのです。ただ、うでまくり――いや、もっと正確にいうと、足まくりすることさえできなかったのです。手のひらにつばをかけようとしても、それさえできませんでした。第一、まだ、つばをはくこともできませんでしたし、第二に、たとえつばをかけようとしても、その前足はあんまり小さすぎて、うまく当たらなかったでしょう)――つまり、ダアシェンカは、じょうずに歩こうとしてママのあと足のところから、前足のところまで、やっとたどりつくのに半日もかかってしまったのです。
そのとちゅうで、かの女は三度、食事をし、二度、眠りました。ねることと、食べることは、かの女が生まれたときから知っていましたので、教えないですんだのです。そればかりを、かの女はほんとにいっしょうけんめい――朝からばんまで――していたのです。また、ぼくはこうも考えているのです。だれもかの女をみていない夜にだって、お昼とおなじように、ぐっすり眠っていたんだなあと。かの女はまめな子犬だったのです。
そのほかにも、ダアシェンカは、吠えることだって知っていました。だけど、ぼくは、どうやって犬が吠えてるかそんな絵はかけませんし、やってみせることもできません。ぼくの声は、あんなかぼそいものではありませんから。
また、ダアシェンカは生まれおちたときから、お母さんのおっぱいを吸っているあいだ、ずっと口をぴしゃぴしゃなめることだってできました。だけど、そのほかのことといったら、なんにもできなかったのです。
このように、ダアシェンカはそれほどたくさんのことはできませんでしたが、でも、かの女のお母さん(お母さんはイリスという名の、ワイヤーヘアード・フォックステリヤでした)には、それだけでたくさんでした。それこそ、一日じゅう、ママはかわいいダアシェンカをあやして、なにごとか話したり、ささやいたり、かぎまわったり、キスしたり、だきしめたり、みつめたり、じぶんの綿のような、小柄なからだをまくらにしてあげたりしました。そら、そら、そこで、かわいいダアシェンカが、眠っていますよ!
みなさんのごらんになったように、それはもう、お母さんの愛情というべきものでした。人間のお母さんのばあいだって、まるっきり同じことだっていうのは、もちろん、ごぞんじですね。
でも一つだけ、ちがうことがあります。
人間のお母さんは、なにをし、なぜするかをよく、知っています。ところが、犬のお母さんはそんなことは知らないで、ただ感じとるだけです――お母さんに対して自然はみんなヒントをあたえます。
「ほら、イリス――お母さんに自然の声は命じるのです――お気をつけ! おまえの子どもが目がみえず、ちっぽけで、じぶんでじぶんをまもったり、かくれたり、助けをよんだりできないあいだは、ちょっとだってはなれちゃいけないって、わたしはいっておくよ! あかんぼうをまもってやって、じぶんのからだでかばうんだよ。そしてもし、へんなやつらがちかよってきたら、ウ・ウ・ウっていってやって、そいつにとびついてやるんだよ!」
イリスは、こうしたことをすっかり、こまかいところまでまもっていました。かわいいダアシェンカに、あやしげな弁護士がちかよっていったときに、いきなりとびかかっていき、弁護士のズボンをひきさいてしまいました。また、ある作家(それは童話作家のヨゼフ・コプタでした)が、近よっていったときにも、やはりとびかかっていってその足にかみつきました。
また、ある女のひとも服をすっかりひきさかれました。イリスはそのうえ、郵便屋さんだの、煙突そうじ屋さんだの、電気屋さんだの、ガス屋さんだのといった、お役人さんたちにも、もうれつな攻撃をくわえました。そればかりか、おおぜいのえらいお役人たちもおどかしました。またひとりの議員さんにもくいつきました。おまわりさんにだって、けんかをふっかけました。こうやって、生まれつきの用心ぶかさと猛烈さとで、あらゆる世のなかの敵や、わるい毒や、にくしみから子犬をまもったのです。
こういう母親犬というものには、すこしもひまがないものです。なにしろ、人間は、あんまり数が多すぎますし、いちいち、くいついているわけにもゆきませんから。
ダアシェンカが生まれて十日目のお祝いをしたその日、かの女は、はじめての大事件にでくわしました。朝おきてみますと目がみえるので、びっくりしてしまったのです――とはいってもまだ、片方の目でしたが、それでも、大きな進歩でした。それでダアシェンカはあまりびっくりしてしまったので、クンクンなきました。
この記念すべき声は、みんなが吠え声といっている犬の言葉の第一声なのでした。今ではダアシェンカはもうしゃべるだけでなく、わめいたり、おどかしたりだってできます。しかし、そのときにはきまってナイフがお皿にぶつかったときのような、キーキー声をだしたのでした。
もちろん、この新しい目は大切でした。このときまで、ダアシェンカは、ミルクのでてくるあのお母さんのすてきなボタンがどこにあるか、やっと鼻づらで、さがさなくっちゃなりませんでした。そして、はいだそうとしたときは、じぶんのまえになにがあるかさぐりだすため、まずその黒くて、ピカピカ光る鼻をおしださなければなりませんでした。
みなさん、目というものは、たった一つだってあれば、大進歩なんですよ。またたきしてごらんなさい。おや、これは壁です。こちらはどうやらおとし穴らしい。またこの白いのは、ママです。もし、眠りたいとおもうと、まぶたがさがってきて、おやすみをいってふさがります――ごきげんよう。
そのあと、ふたたび目があいたとき、なにがおこったでしょう? もう一つの方までひらくことができたのです! こうして、ダアシェンカは、このときから二つの目で世界をみ、二つの目で眠ったりするようになりました。もうそんなに長いあいだ眠ることもいりません。そして、おすわりしたり、歩いたり、くらしのためのいろんな大切なあれこれを、べんきょうするために、もっと時間をつかえるようになったのです。そうですとも、これは大きな進歩です。
ときにまた、この時間に、自然の声がきこえてきて、お説教しました。「さあ、ダアシェンカ、おまえはもう目をもっているのだから、じぶんのまえをみて、歩いてごらん」
ダアシェンカはそれにしたがって、聞いてわかったというしるしに小さい耳をぴんとたて、ためしに歩いてみます。まずはじめに右の前足をまえへすすめました。
こんどはどうしましょう? 「こんどは左のあと足をそのあとにもっていくのだよ」自然の声がかの女にいいそえました。ばんざーい、これはうまくいきました。「さて、こんどはその右のあと足を」と、自然の声は忠告しました。「あと足だよ、いっているじゃないか、前足でなく、あと足だよ! やあ、おばかさんだね、ダアシェンカ! おまえは後ろにもう一本の足をのこしているじゃないか! ちょっとまって、おまえはあと足をそのままにして、進んではいけないよ。いっているだろう。しっぽのしたにおまえのうしろの右足をもってくるんだって! いやいや、それは足ではない。それはしっぽじゃないか。しっぽじゃ歩けないぞ。よくおぼえておおき、ダアシェンカや、しっぽのことはもう心配しなくてもいいんだ。こいつはひとりでにくっついてくるからね。さあ、足はみんなそろったかい? ふむ。けっこう、じゃこんどははじめからだ。右の前足をまえへやって、あたまをちょっともちあげる。こうすると、そこへ足のはいる場所ができる。そうそう、そうやって、こんどは左のあと足だ。こんどは右のあと足だ。『だけど、ダアシェンカ、からだから出しすぎないようにね、じぶんのからだの下に足がくるように、そう、じぶんの下にもってきて、からだが地面にくっつかないようにするんだよ』そうそう、こんどは右の前足を。すてきだぞ! そら、うまくいくだろう、ね。こんどは、ひとやすみしてから、また、はじめるんだ、イチーニイーサンーシイー、あたまをあげて、イチーニイーサンーシイー」
第二章
どうです、みなさん、ごらんのとおり、これはなかなかの大仕事なんですよ。また、自然は、それはそれはきびしい先生で、こうした子犬をほうっておかないんです。しかも、自然はいろいろとほかにもいそがしくて、ダアシェンカだけを相手にすることもできません。小さなスズメにはとびかたをおしえたり、毛虫にはどんな葉っぱが食べられのかを知らせてやらなければならないからです。それで自然はダアシェンカにちょっと宿題をだすのです。たとえば、犬小屋をちょうど斜めに、すみからすみまでよこぎってみてごらん、というように。そこでこのかわいそうなちびっこはへとへとになってしまい、ハアハアいって舌をたらすのです。つまり、右の前足――こんどは左のあと足(おやおや、どっちがいったい左なんだ、右なんだ――あれかこれか?)――こんどは残ったあと足(どこへやったろう?)さて、こんどは?
「まずいぞ」と、自然の声が、スズメにとびかたをおしえながら、息をきらしてハアハアいって教えます。「おまえはもっと、こまたで歩かなくちゃいけないよ、ダアシェンカ。あたまをもちあげて、からだに前足をひきつけて、さあ、もういちどはじめから!」
自然の声は、もちろん、りっぱに命じていたのですが、糸のように足がなよなよしていたり、ゼリーのようにブルブルふるえていたのでは、どうしようもないのです。
おまけに大きな丸いおなかに大きな頭をのっけていたのでは――思ってもみてください。はたしてこれは簡単なことでしょうか?
ダアシェンカは小屋のまん中でちぢみこんですすりなきをします。そこへ、ママのイリスがやってきて、なだめて、おっぱいをやります。それから親子でひとねいりしますが、ダアシェンカときたら、すぐにおきだして、まだ、さっきの宿題をやっていないのを思いだします。そうしてまっすぐママの背中をとびこえて犬小屋のはんたい側にとんでいきます。
「よろしい、ダアシェンカや」かの女を自然の声が、ほめています。「そのように熱心にべんきょうしていったら、きっと風のようにすばしっこい犬になれるよ」
こうした子犬が、どれほど仕事をかかえているか、みなさんは信じられないでしょう。子犬は歩いていないときは、眠っているのです。眠っていないときには、すわる練習もあります。ところが、そのすわりかたがまずいのです――そこでまた自然の声がけしかけます。
「きちんとおすわり、ダアシェンカや、頭をあげて、背中をそんなにまげずに。ほら、あおむけになってすわっているじゃないか! やあ、また、足のうえにすわっているね。しっぽはどこへいったんだい? しっぽのうえにそんなぐあいにすわっていてはいけないよ。なぜって、しっぽをふることができなくなるじゃないか」と、こういったぐあいに、注意をしつづけています。
おまけに子犬は、眠っていようと、ミルクをのんでいようと、大きくなっていくという役目をもっているのです。まい日、足も少しずつ大きく、じょうぶになっていきますし、首はだんだん長くなり、小さい鼻づらはあちこちかぎまわれるようになってきます――おわかりですか、四つの足をきちんとそろえて大きくしなければならないとすると、子犬の心配もなみたいていじゃありません。
それにしっぽのことも忘れてはいけません――これだって大きくのびていって、まさかあのネズミみたいにだらりとしているわけにはいきません。フォックステリヤのしっぽはもちろん、こん棒のように強いしっぽでなければならず、その上、風をビューッと切るようにふりまわさなければならないのですから。まだまだ、その上、耳をうごかしたり、しっぽをふったり、キーキーないたり、そのほかたくさんあります。そのすべてをダアシェンカはおぼえさせられるのです。
もう、すきなようにその小さい足であるけます。ほんとうに、ときどき、どれかの足がなくなってどこにあるかみえなくなり、そこで坐って、また見付けだしてぜんぶで四本あるか、数えるのです。転ぶこともありますが、もうその用意はできていて――まるで丸太のようにそのときにはからだごと、ころげるのです。しかし、子犬のくらしはおそろしくややっこしいのです。こんどはまた歯が生えだすのですから。
まず、さいしょ、それはひきわり小麦のようでしたが、どうやらさきがとがってきました。とがってくればくるほど、それだけ強く、ダアシェンカは噛みつきたくなってくるのを、どうしようもありません。さいわいにも、この世には噛むのにもってこいのものがたくさんあるのです。たとえば、ママの耳とか人間の指とかいうように。
めったにはありませんが、ダアシェンカは、人間の鼻のあたまや、人間の耳たぶにも――それがぶつかりさえすれば、まるでむさぼるように噛みつくのです。いちばんの災難は、お母さんのイリスです。おなかはダアシェンカの歯のため血が出るほど噛まれ、そのつめでひっかかれます。でもママはがまんして、この小さなあばれん坊のいたずらをがまんしているのです。ダアシェンカ、いけないよ、お母さんのおっぱいは、もうじき、おしまいになるんだよ、だからおまえは、もう一つのやり方、皿から食べる方法をおそわりはじめなければいけないよ。
こっちへおいで、おちびさん。さあ、ここにミルクの入ったお皿があるよ。なんだって、どうしたらいいかわからないって? そら、おまえの鼻づらをそこへつっこむんだ。舌をのばして、その白い水のなかにひたすんだ――その白いしずくが付くようにね。またはじめからやってごらん。ビス(くりかえし)、レペテ(やりなおし)、ダ・カポ(はじめから)。お皿がからっぽになるまで。ダアシェンカったら、そんなにぼんやりしていないで、なにもおかしなものは入っていないんだよ。さあ、いいかい、やってごらん、はじめ!
ダアシェンカはなにもしないで、ただ目をみはって、しっぽをふっています。
えい、このおばかさん、どうすることもできないなら、おまえののろまの鼻をミルクの中に突っこんでやろう。のぞもうと、のぞむまいと――ほら。ダアシェンカはすっかり力づくで突っこまされます。鼻もヒゲもミルクでずぶぬれになってしまいますから、舌でなめないといけません。やあ、これはなんとおいしいものでしょう。こんどはもうやめさせられません。からだごとこのおいしい白いもののなかに入りこみ、お皿をあたまと足でおしまくって、ミルクを地べたにこぼして、その四本の足をぜんぶ、耳もしっぽもミルクの中へ!
そのうちにママがやってきて、なめてやらなければなりません。が、もう手ほどきはおわりました。もう、二、三日のうちに、ダアシェンカはわけもなくお皿をたいらげるでしょうし、そのため、かの女はすぐさまめだってふとることでしょう。さて、みなさん、あなた方もダアシェンカをお手本にして、どっさり食べるのです。そうすれば、ダアシェンカという名のこの有名な子犬みたいに心もからだも大きく、丈夫になるでしょう。
第三章
やがて、おしっこの水たまりも、あっちこっちにできるようになりました。ダアシェンカは、もう、しっぽをぶるぶるふるわせた、力のない弱虫ではありません。すっかり独立した、毛がふさふさして、ものほしげな、歯の大きくするどい、そして落着きのない、大食いで、なんでもこわしてまわる生き物です。
自然科学的にいうなら、脊椎(せきつい)動物にまで発育したというわけです。その種類は、ペテン師的ワンワン動物、落着かぬ亜目(あもく)、かけまわる科、ピエロ属(ぞく)、黒耳の手品師種(しゅ)とでもいえましょう。
かの女は、じぶんの思ったところへいきます。家じゅう、およそ垣根のなかの全世界がかの女の領地でした。この宇宙では、じぶんが齧(かじ)れるかどうか、食べられるかどうかたしかめてみなければならないものでいっぱいです。またそこには、おしっこの水たまりをこしらえるのにいちばんいい場所はどこかという問題を解く面白い実験をすることのできる場所が、たくさんあります。
(とくに、ダアシェンカはこの目的のために、わたしの書斎とそのまわりをえらびました。しかし、ときには食堂がいいと思うこともあります)。それから次に、どこで眠ったらいいか、それをみつけださなくてはなりません。(とくに、ぞうきんの上や、人間の腕のなか、花壇のまんなかや、ほうきのうえ、アイロンをかけたてのシャツのうえや、かいものカゴのなかや、やぎの皮のうえ、スリッパのなかや温室のなか、小さなシャベルのうえなどにすわり、そうしてのち地べたにもすわりこもうというのです)
また、たとえば階段のように気晴らしになる場所もあります。まず、ご立派にとんぼがえりをしておっこちていき、鼻づらを階段にぶつけて、ダアシェンカは「こいつはおもしろい」と、おもうのです。また、あぶない、まえもって知ることのできないものもあります。それはたとえば――頭をぶっつけたり、足やしっぽを、じぶんで思いもしないときにはさんでしまったりするドアなんかがそうです。こういうときに、ダアシェンカは、まるで足を切られたときみたいにキャンキャンなきたてます。それから安心できる人間の手のなかで、クンクンとなきます。そのあとで、なにかおいしいものをごきげんなおしにもらいますが、またもや、階段にころがりにでていきます。
こういう災難になんどぶつかっても、ダアシェンカは、じぶんにはなんにもおこりっこないし、また、じぶんの頭にはどんな危険もまいおりてこないものと信じていたのでした。かの女は、ほうきもよけようとせず、ほうきのほうがよけると確信しているのです。それでふつう、ほうきはそうするのでした。ダアシェンカはあらゆる毛むくじゃらなもの、ほうきの毛にしろ、馬の毛にしろ(これは、かの女がソファからひきむしったものでしたが)、あるいはまた、したしげに近よってくる人間たちのかみの毛にしろ、そうしたものに親愛な感情をいだいていました。また、どんな人の靴であろうと、よけようとしないのです。たしかにそれは、人間のしごとではないのでしょうか、子犬をよけてやることは――?
この家にくらしているものは、みんな宙をとんでいるように、あるいはうす氷の上をそっと歩いているように、注意深くしなければならないのです。いつ、足のしたでうめき声がするかわかりませんから。ダアシェンカはこの世界の悪意やいろんなわなや誘惑なんか、信じようともしないのです。かの女は、三度も庭の水の入った水槽にまっさかさまにとびこみました。なぜなら、かの女は上でとびはねることのできないようなものが、この世界にはあるなんて、これっぽっちも思っていなかったからでした。そのあとでは、暖かくつつまれて、なだめのしるしに人間の鼻さきをかませてもらうのでした。この世のなかで一番いいものをかんで、すぐに、さきにぶつかった怖さを忘れるために。
第四章
ところで、順をおってお話することにしましょう、
(1)ダアシェンカがしなければならない大切なことは、第一に駆けることです。もう今ではダーシェンカの走りは、あのよちよち歩きはどこへやら、高等スポーツのたぐいでした。たとえば、かけ足、ギャロップ、はや足、はばとび、たかとび、おいかけっこ、突進、疾走、スプリント十ヤード競走、それにつづいていろいろな転び方、前につっかかったり、後ろにひっくりかえったり、まっさかさまになったり、一回転したり、それ以上宙がえりしたり、じゃまものにとびあがったり、ハンディキャップを背負って(たとえば、ぞうきんを口にくわえて)走ったり、あらゆる種類の走り方、でんぐりがえり、ひっくりがえり、横とんぼがえり、攻撃、よこ・うしろとび、はねかえり、一口でいって、犬のやりそうな運動競技は、なんでもやってのけるのです。
こうした科目については、犠牲的なママがいろいろと教えこみます。ママは、花壇やいろんな障害物をこえて庭のほうにかけだします。ママはまるで毛のたくさんある矢のようにとぶのです。それでダアシェンカもそのあとをおっていきます。ママは、うまく跳びこします。が、ちびっこは、それがまだできないので、とんぼがえりをしてしまいます――そのほかのやりかたはまだできないというわけです。
ママはダアシェンカをつれて、輪をえがいて走ります。ところが、まだ子犬は遠心力(子犬だって物理学をそのうち学ぶとおもいますが)がどんなものかしらないので、遠心力はかの女をふりまわし、そこでダアシェンカは空中に美しい弧をえがきます。このそれぞれの物理学の実験がすんだあとで、ダアシェンカはとてもおどろき、すわって休むのです。
ほんとうのところ、こうした子犬は、まだ、じぶんの動作にたいして正しいものさし(ヽヽヽヽ)をもってはいません。ダアシェンカは、こきざみに歩こうとしますが、投石器からとびでたようになってしまうのです。跳ぼうと思っていて、鉄砲玉のように、宙をとんでしまうのです。若いころはおおげさなことがすきなのは、ごぞんじのとおり。ダアシェンカは、駆けるのではなく、駆けさせられてしまうのです。とびはねるのではなく、なげとばされるのです。そのスピードは驚異的です。わずか三秒のあいだに、うえ木ばちを一山ひっくりかえし、まっさかさまに温室のなかのサボテンの苗に鼻づらをつっこみ、六十三回もしっぽをふりまわすのです。みなさんも、まねができたらしてごらんなさい!
(2)噛むこと。これもダアシェンカのしなければならない大切なことの一つです。かの女は歩いていて、でくわすものはなんでもかんでも、齧りまわすのです。籐(とう)の家具、小さなホウキ、じゅうたん、アンテナ、スリッパ、ヒゲそりばけ、カメラ、マッチ箱、糸、花、セッケン、服、ことにボタンとか。もし、近くになにもないときは、じぶんの足でも、しっぽでも齧りまわし、つい噛みすぎて、悲鳴をあげるしまつです。
この仕事のときには、なみなみならぬがまん強さを発揮します。かの女は、じゅうたんのはじっこでも、モウセンのきれっぱしでも齧ります。だから、たかが子犬とおもっているとかなりの損害をまねくのを知らなければなりません。ほんのちょっと活動しているあいだに、ダアシェンカは、とうとうこれだけのものを齧ってしまいました。
古いじゅうたん 一枚 七〇〇コルナ
籐いすセット 一組 三六〇コルナ
ソファーのカバー 一枚 五三六コルナ
新しいしきもの 一枚 九四〇コルナ
庭のホース 一本 一三六コルナ
ブラシ 一個 一六コルナ
サンダル 一足 一九コルナ
スリッパー 一足 二九コルナ
その他 二六三コルナ
合計 二九九九コルナ
(計算をお確かめください!)
それでは純血のこうしたワイアーヘアード・フォックステリヤの子犬の値段は、少なくとも二九九九コルナ(チェコ・クローネともいい、一コルナは約四十五円くらい)ということになるわけです。わたしは、純血種の子犬がこれだけするときに、北アフリカのライオンがいくらするか知りたいと思っています。
ときどき、家のなかがとても静かなことがあります。ダアシェンカがだまったまま、すみっこのほうにいるときです。「ありがたいことに!」と、ひとはためいきをつきます。あのワン公め、きっと眠っているのだな、どうやら、やっと休めそうだ。
しばらくすると、その静けさもどうやらあやしくなってきて、そこでだれかがでかけていって、いったいなぜダアシェンカがそんなに長いあいだおとなしくしているか、みてこなければというわけです。ダアシェンカは勝ちほこったようすで立ちあがり、そしてしっぽをふります。そのからだのしたには、なにか毛と木切れがちらばっていますが、もうそれはなんだったかわかりません。おそらくブラシだったのでしょう。
(3) つなひき(ヽヽヽヽ)ほど、また大切なスポーツも少ないようです。このスポーツでは、ママのイリスがいつも手をかしてやらなければなりません。なぜって、子犬はつなひきのつなをもっていないので、みつけたものをつかうというわけです。帽子、靴下、靴のひも、そしてほかの必要なものを。
もちろんママは、ダアシェンカをひっぱり、庭じゅうひきずりまわします。けれども、ダアシェンカは負けていません。歯をくいしばり、目をむきだして、とうとうそのつなのきれるまで、ひきずられていきます。ママがそばにいないときでも、お母さんぬきで、つなひきをやりだすのです。たとえば、乾かしてあるシーツや、カメラや、また花とか電話の受話器とか、カーテンやまたはアンテナといったように、およそ人間のすまいにみられるあれこれのものとつなひきをし、これによって歯と筋肉の力をためすことができ、また、がまんづよさとスポーツ精神をやしなえるのです。
(4)もう一つ、犬のグレコローマン式のレスリングがあって、ダアシェンカについていうと、むずかしい競技のうちで、いちばんかの女の好きな運動なのです。いつもダアシェンカは、燃えるようなファイトでママにとびついてゆき、その鼻や耳や、もしかしたらしっぽに噛みついていきます。ママはダアシェンカをふりはなし、そのえりくびをくわえます。それから、いわゆるインファイトがはじまり、それで、二人の選手はリング(ほとんどが芝生のうえですが)の中をころげまわります。
なにかわからない前足とあと足の、こんがらがった毛むくじゃらの丸っこいもののほか、なにもみえません。この丸っこいもののなかで、なにかがときどきキーキー声をだし、ときどき、なかから勝ちほこってふられるしっぽが、顔をだしたりします。ふたりともひどく吠え、おたがいに四つの足でもって踏みつけあいます。そのうち、イリスはとびあがり、ファイトにみちたダアシェンカに、はげしく追いかけられながら、三回も庭をかけめぐります。それがすむと、またはじめからくりかえすのです。
もちろん、ママはただ模範試合をやってみせているだけですから、ほんきで噛んだりはしません。けれども、ダアシェンカときたら試合のまっただなかで、全力をふるってママをひっかき、傷つけ、噛むのです。かわいそうなイリスは、こういう試合のたびにたくさんの毛をなくすのです。ダアシェンカがそだって強くなり、毛むくじゃらになっていけばいくほど、ママはそれだけめちゃくちゃにされ、ぼろぼろにされてしまうのです。ほんとうに子どもというものは、しようのないものですね。これは、あなたも、あなたのママたちも承知なさるでしょう。
ときどき、ママは休みたいと思って、この末たのもしい娘からかくれます。そういうとき、ダアシェンカはブラシとたたかうのです。なにかぼろ切れと激戦をまじえたり、さもなくば、人間の足にもうれつな攻撃を加えたりします。お客さんがくると、ダアシェンカは、素早くそのズボンにとびついて、それをやぶります。お客さんは、むりやりにほほえみ、心のなかでは「こんちくしょう!」と、思いますが――とくに、ズボンにじゃれてきたときなど、ことさらにかわいい子犬だなどというのです――。
ところが、ダアシェンカはお客さんの靴にとびついて、その靴ひもをひっぱります。そしてそのお客さんが五つ(たとえば五つの悪口を)数えないうちに、そのひもをほどき、めちゃくちゃにひきちぎってしまいますが、これはまた、たいへんな楽しみなのです(もちろん、楽しいのはお客さんではなくて、ダアシェンカのほうです)
(5)ダアシェンカは、リズミカルな、自由な運動も、非常に好きです(たとえば、あと足で耳のうしろや、あごのしたを掻いたり、あるいは、毛のなかにいそうなノミを噛んでみたりするといったような運動をです。そしてこの運動はからだをたいへん優美に、しなやかに見せ、またアクロバットの技術を一段と上手(じょうず)にさせてくれるのです)
やがて――いつものように、かの女は花壇の一すみに開拓のトレーニングをやりにでかけていきます。ダアシェンカはテリヤの一族、いや、ネズミ取り族の出身だけあって、穴の中のネズミをとるやり方を勉強するのです。ぼくはときとして、穴をほっているダアシェンカのしっぽをつかまえて、ひっぱりだそうとしたことがあります。かの女は、はっきり、それに夢中になっているのですが、ぼくは、そう楽しくありません。ユリの花が咲いているかわりに、犬のしっぽがとびでているのでは、ちと困りものですからね。ダアシェンカや、ぼくはもうこれ以上、おまえとのおつき合いはかんべんしてもらうよ。いたずらはいいけどね。けれども今に、家からおいだされてしまうよ、きっと。
そのとおりですわ。ママのイリスの利巧そうな目が話しかけます――もうあの子とのおつき合いはこりごりですわ。ごらんください。みなさん。わたしのこの格好を。みんなぼろぼろの、ひっかき傷だらけですの。もうとっくに新しい毛がはえてきれいになっているころですのに。それにまた、思ってもみてくださいな。わたしはここにもう五年ものあいだ、働いてきたのですわ――がまんできるでしょうか、みんなあのいたずらっ子ばかりかまっていて、わたしにはちっとも目をかけてくださらないのですもの! それにま、ごらんのとおり、わたしは、おなかいっぱい食べていないのよ――あの子はあっというまにじぶんのぶんを食べてしまうと、わたしのお皿にやってくるんですもの、ええ、がまんできませんわ、もう、あの子もどこか外へお勤めにだしてもいいころとおもいますわ。
そうして、とうとう、ダアシェンカが知らないひとのところに嫁ぐ日がやってきました。お客さんたちは、ダアシャを小さいバッグにいれて、つれていってしまいました。わたしたちは、この犬がどんなに優秀な、りっぱな犬であるか(その日も、かの女は温室のガラス窓をこわしてグラジオラスのしげみをひきちぎってしまったんですが)だいたいにおいて、かの女はとくべつおとなしくて、ききわけがいいとか、などなど、二匹とこんな子犬はみつからない! といってきかせたのでした。
さあ、ごきげんよう。ダアシェンカや、おとなしくしていてくれよ。
家のなかは、おかげで静かになりました。やれやれありがたや。今はもう、あのいまいましい子犬が、新しいいたずらをしでかさないかといつも心配する必要もなくなりました。これで、ひと安心というものです――しかし、どうしたのでしょう? 家のなかは、めっきり静かになってしまいました。みんな、おたがいに目をみあわせないように、つとめています。すみっこをみんなのぞいてみますけど、なんにもありません。おしっこのあとさえも……。
そして犬小屋のなかでは、だまったまま目を細めて、傷だらけの、くたびれきったママのイリスが、しのび泣きをしています。
はっきり申しあげましょう。そいつはむずかしいもんですよ! このばあい、子犬にも、カメラにも、最大のがまんをしなければなりません。
それはさておき、太陽はおごそかに感動的な情景を示す――つまり、子犬は食器にとびつく。子犬の飼い主はあわてふためき、カメラをもって追いかける――子犬の人生のこの意義ある瞬間を永遠に残すため。そうはいうものの子犬はカメラ、食器、そのほかの茂みの向こうからからみつく。「もっと牛乳の食器をダアシェンカにやっておとなしくさせて!」と、カメラマンが命ずる。
カメラマンは気取らない職業的な馴れ馴れしさでシャッターを切り、鋭く被写体を追いかける――その間、ダアシェンカは天才的に第二の食器をめちゃくちゃにする。
「そのとおり、もうちょいおすまし」と、カメラマンは息をきらす。その瞬間、カメラを調整することを忘れてしまっている。
カメラマンが装置をいじっているあいだ、ダアシェンカは第二の食器をなめまわす。
「こいつめに、もう一つ食器をやってくれい――!」と、カメラマンはさけび、大急ぎでカメラをいじりまわす。
けれども、ダアシェンカは頭をふりまわし、これ以上どうやっても食べるのはイヤというそぶりをし、こんりんざいダメという。どういうお追従(ついしょう)にもかぶりをふる。牛乳のなかに鼻づらを突っこんでやっても、ブルンと首をふり、おしまい。
ため息をついてカメラマンはカメラを家へかついでかえる。だがダアシェンカは、じぶんの勝利を確信し、第三番目の牛乳の食器にとびつく。
けっこう。もう一度と思って子犬の飼い主はわきにカメラをかまえて、夢よもう一度と待ちかまえる。バンザーイ! ほらダアシェンカが長いじゃれのつぎに、ほんのちょっとおすましをする。ピントをあわせて、さあ! けれどもそのとき、君がシャッターを切ると思ったら、子犬はその場をくるりと抜けて――あとの祭り。シャッターを切ろうとするたんび、いつもきまりきったことのくりかえし――子犬はあばれまわり、秒速百メートルの速さで駆けてゆく。
カメラマンが機械をいじくっているそのあいだ、家のものがダアシェンカにむかって、たとえ一秒でもいいからじっとしてほしいとおとぎ話をする。しかし、ダアシェンカは、お母さんを追いかけたくて、お話をじっときこうとはしない。
でなければ、じゃれまわったり、あわれっぽくなきだす。
さもなければ決定的瞬間に頭をぐるぐるさせ、感光板のうえに白いむく毛のかわりに白いシミがやっと見てとれるだけ。こういうぐあいに感光板をだめにしても、ダアシェンカは、切株のようにちょこなんとすましてすわっている。
私どもは子犬をかるくいなして、たとえ五秒のあいだでもおとなしくさせてみようとためしてみるが――子犬は気違いのようになって反抗のしるしにあばれまわろうとする。
みんなが子犬を肉ひときれであやつろうとためしてみるが――一方、子犬のほうではその肉ひときれを一口で呑みこんでしまい、そのエネルギーで、まだなんにもたべなかったときのように、二番目の切れはしを要求する。子犬の生活の一場面よりも、天にまします神への祈りと願いを写すことのほうがどれだけやさしいことか!
まったく、子犬の写真を撮るのは、石炭入れのバケツにゲンコツ大のダイヤモンドを見つけだすよりもむずかしい。私は、事実、ただの一度もそういうダイヤモンドを見つけだしたことはなかった。
いちばんおもしろいのは、(現像液のなかでの話だが)子犬が現われてくる瞬間である。まず黒い鼻づらが現われ、つぎは黒い目が輝やきわたり、最後に黒い耳がにゅうーっと出てくる。鼻は、必ずいつも第一番目に顔をだすのである。
しかし一言でいえば、もし、あなた方がカメラをおもちになって――子犬の扱い方になれていれば――これは十分、報いられるしごとである。まことにたいへんな大仕事ではあるが、キリン狩りやインドのトラ狩りよりもずっと面白い。
もうこれ以上はなにも申しあげられません――どうぞ、ご自分でおためしあれ!
1 しっぽのお話
さあ、ダーシャや、よくおきき、ちょっとでもじっとしておとなしくしていれば、お話をしてあげる……なんのことだっていうのかい?
じゃあ、まず犬のしっぽのことを話そう。
むかしむかしあるところに、一ぴきの子犬、その名はフォクシーという犬がいました。いいかね、どういう格好をしていたっていうのかい。
そのフォクシーというやつは、全身まっ白で、ただ耳がまっ黒で、目は黒くてめのう(ヽヽヽ)みたいで、鼻は黒くてまるで宝石のような犬なんだ。そいつがまっさらのサラブレッドのテリヤだっていう証拠に、口のなかの、上あごに黒い斑点が、ちょうどお前みたいにあるというわけだ。そのお前だって、この斑点のことなんてなんにも知らないだろう。で、私がどうかして、それを見せてあげよう――鏡のまえであくびをし、口を耳もとまであけたときに。
まあみてごらん、フォクシーのしっぽときたら、おっそろしく長い。ほとんどその血統表のように長くて、またそいつは、チューリップを切りとることができるほど丈夫だったんだ。たしかに、こいつのしっぽはすこぶるつきのりっぱなものだった! でも、こんなことを真似しちゃいけないよ、ダアシャ。
このフォクシーという犬は大天才で、世界のうちでこわいものなしだったんだぜ!
善人にはかみついたりせず、むろんお客様にだって同じだ。そんなことするのはいやだったにちがいない。でも、もしも、よからぬ人物をかぎつけたりすると――たとえばのはなし、それがドロボウなんかの場合――すぐにもおどりかかって、噛みつくとこういうわけなんだ。
のどぶえにとびついてノックダウンさせ、はい一丁あがり。
あるとき、そいつはきいたんだ、どこかの山のほら穴に――つまり大きな岩のすみかに――おっそろしくおっかない竜が住んでいるって。
そこで、わがフォクシー君はこの竜を退治しにその山へ向かったというわけなんだ、きみ。
そこでお前はどう思ったかい、負かしたろうって思ったかい?
もちろん、もちろん、さあ、勝ったのさ。そいつはひととびすると、竜の耳をかじったんだぜ、おい、きみ。竜はフォクシーにとびかかられて、一目散に逃げていってしまったんだ。
なーんてこのフォクシーという犬はどえらい奴だったろうか!
つぎのとき、そいつはパンクラツ山のほとりあたりに、ずうーっとずうーっと昔から住んでいたおそるべき大男とけんかしに行ったんだよ。その大男はというと、音にひびいた人殺しと犬殺しとを兼ねた大悪党で、アンティシェクという名前の男だったんだよ、きみ。けれども、フォクシーはほんのちょっともおっかながらなかったんだって。なぜなら、フォクシーはいつも首に犬のメダルの首輪をはめていたからなんだ。「それは魔法のお守り。それこそは犬族に偉大な力をさずけさせるもの。どんなイヌコロだって、そういう首輪をもっているっていう話さ」
だけど、おまえさん、そやつをフォクシーが負かしたって思うかい?
もちろん、負かしちゃった!
フォクシーは、大男のズボンを、ずたずたに引き裂いてしまったってはなしだ。しかもだぜ、大男のアンティシェクが驚ろいてしまったんだぜ、よう、君、なんたって、フォクシーなんて犬が首輪に不思議な犬のお守りの札をつけてるなんて、思ってもみなかったからさ。びっくり仰天してしまって一目散におちのびたってわけだ。
お前、ご満悦だろう! ねえ! ふむ、それほど大いなるみ神は勇士を愛しておられる。つぎは、勇猛果敢(ゆうもうかかん)なこのフォクシーが、どうもうな酋長タタールのペリカンを、えーとどこだったかな、あ、そうだ、オソレ山のふもとに住んでいたのをやっつけたはなしさ。
フォクシーはペリカンに向かっていって、シッポを水車のように振りまわしたのさ。ペリカンはビックリ仰天して、自分のメガネも探すことができなかった。それでフォクシーのシッポを、西洋刀かパラシ(騎兵用の剣)と勘違いしてしまったのさ。そこでペリカンは、ご自慢の自分の大だんびらをひっこぬいて、めちゃらくちゃらに大上段、中段のかまえ、地ずりとやって、とうとう、フォクシーの大事な大事なシッポをちょんぎりおとしてしまったんだよ、まったく、君ーイッ。
だけど、フォクシーは自分の大事な大事なシッポを放っておいて、いきなりペリカンのすねに噛みついたんだ。この得意技にやられたペリカンは、ついにそのままもう起き上がれなかったのさ。
ねえ、君イ、この栄光の大勝利を記念しておくために、純血のフォックステリヤ族は、みんなシッポの先っちょを切ってもらうのさ。その時期がきたら、きみももちろん、シッポを切ってもらうんだよ、いいかい。ちょっと痛いのは我慢するのさ。
これで今日のはなしは終わりさ。ご静聴ありがとう。
2 テリヤが地面を掘っくり返すわけ
そうごとごとしないでお坐り、ダアシェンカ。カメラをパチッとするあいだだけ。そのあいだだけお聴き。テリヤが地面を掘るはなしさ。あいつはチューチュー鼠を探してるっていわれてるけど、違うんだ。お前だって鼠なんか知らないだろう? そのくせ花だんを掘っくり返しているじゃないか。このいたずら者が。
ほんとうの理由がきみにわかるかい? わからないだろ? じゃあ話してあげよう。お聴き。
きみのご先祖が凶悪なタタールのペリカンと戦って大事なシッポを失ったはなしは、おぼえているよね。
ちょっ、おまえ、静かにおしったら!
そのとき、フォクシーは自分の偉大なシッポが地面の上におっこちているのに気がついたのさ。だけど、もう一度くっつけるわけにもいかないし、猫たちにいたずらされるのもお断りだ。そこで思いついて、そのシッポを地面深くに埋めてしまったのさ。
それからというもの、フォックステリヤはみんな、このご先祖を尊敬して、シッポを短くするようになったってわけ。だけどシッポの長い猟犬たちはその栄光が気に入らない。そこでどうしたかっていうと、フォクシーっていうテリヤのはなしはどれもこれもみんな作り話で、嘘っぱちだと言いふらしたのさ。
フォックステリヤがこんな言いがかりに、黙っているわけにはいかないだろ。シッポの先っぽがないことが、その証拠だって抗議したのさ。ところが猟犬たちは信じない。それどころか、プラハの町にだってシッポを短くした猫がいる。シッポを切るぐらい誰だってできると言って、そのフォクシーとやらのシッポを見るまでは信じられないとがんばったのさ。
それ、その時からなんだよ、ダアシャや、フォックステリヤたちがシッポ探しに地面を掘るようになったのは。きっといつかはそれを見つけ出して、その祖先の栄光と光輝の記念碑を建てることになると思うよ。そこに書かれる文字は、『カウダ・フォクシー』つまり「フォクシーのシッポ」という金色の文字さ。
どうだい、ダアシャや? 私たち人間もそれを真似して地面を掘っているんだよ。だけど探しているのは、骨壷や古い時代の人の骨なんだ。そしてそれを見つけると博物館にしまいこんでいる。だめさ、ダアシャ、そういう骨はかじっちゃいけないんだ、ただ拝むだけのものなんだから。わかったね。
3 《ふおっくす》のこと
まあ、ちょっとおとなしくお坐り、ダアシェンカや、いま私がおまえさんに《ふおっくす》のお話をきかせてあげるからね。
さて、前に話したフォクシー君は、世界がはじまっていらいのいちばん偉大なフォックステリヤでした。でも、このフォクシーは世界ではじめてのフォックステリヤではないんだよ。いちばん最初は《ふおっくす》という名前だったんだぜ。
そこでこの《ふおっくす》はというと、まるで一つのぶち(ヽヽ)もない、とってもきれいな犬だったんだ。そいつはまるで真っ白な小鳩みたいだった。だって、天使のひざの上でゆっくりできるようにつくられていたからさ。考えてもみたまえ、どんなものをそいつが天国で食べていたか? じつは、ヨーグルトやチーズさ……肉なんか、みたこともなかった――だって、天使たちはみんな菜食主義者なんだからね。
さて、《ふおっくす》は、ほかのフォックステリヤたちみんながそうであるように、おっちょこちょいのひょうきん者だったんだ、それで《ふおっくす》が天国から出たときに……ちょっ! なんておまえはおしゃまなんだい! この天国では水たまりあそび(ヽヽヽヽヽヽヽ)だってしてはいけなかったんだぜ、君イ。もちろん、そんなこと部屋でもしてはいけなかったんだ――それをよくおぼえておおき……ちょいまち! なんだったっけ、ええと、私はなにを話そうとしてたんだっけ? ……そうだ、これだ、《ふおっくす》が一日になんどか天国の外へでたという話さ。
《ふおっくす》は、天国のそとに、らくらくとでては、悪魔と遊んでいたんだよ。これは犬の仲間にちがいない。きっとそうだと、かれは考えた――だってこいつにはやはりしっぽがついているからね。で、いっしょになって林の中の草地を一生懸命走りぬけたり、そのしっぽにかみついたり、地面の上で宙返りをしたりしたのさ――。それが終わって、天国の門のわきで、また中へ入れてもらおうと吠えはじめると、かれの身体にはもう褐色の土色のような斑点と、悪魔にさわったところには黒い斑点があらわれるようになったんだ。この時からどのフォックステリヤにもみんな褐色と黒色のぶち(ヽヽ)があるようになったというわけさ。わかるかい?
そんなあるとき、《ふおっくす》にその友だちの小さな悪魔のひとりがいったのさ。
「ねえ、《ふおっくす》ったら。ぼくは、ほんのちょっとでいいから天国をみてみたいんだ。あそこがどんなで、なにがあるか知りたいんだよ。ぼくをいっしょにつれていっておくれよ!」
「ぜったいにつれていけないね」と、《ふおっくす》はこたえました。
「きみをあそこへはつれてはいけないんだよ」
「そんなにごねないでよ」と、悪魔はいいました。「ぼくを口の中に入れてとんでいけばいい! そしたらだれにも見つからなくってすむじゃないか」
《ふおっくす》はお人好しだったので、ついにはとうとうちび悪魔を口のなかにほうりこみ、天国にいっしょに連れてしのびこみました。……そこで、だれにもぜったいに気づかれないように、楽しそうにしっぽをふっていました。しかし、神さまには、もちろんのこと、かくしおおせるものではありませんでした。
「これ、これ」と、神さまはおっしゃいました。「私にはおまえたちの中に悪魔がまじっているようにおもわれるのだが」
「わたしではありません、わたしではありません!」と、天使たちは口々にさけびあいました。
ただ《ふおっくす》だけが、ちび悪魔がじぶんの口の中からとびだすのを防いでいたために、なんにもものをいいませんでした。かれはただおもいがけず「ワン!」とひと声吠えて、すぐにまた口をとじてしまいました。
「すべては明白だ、《ふおっくす》よ」と、神さまはもうされました。
「お前は悪魔といっしょにいる、お前はもう天使たちと暮らすことはできないのだ。地上にもどって人間につかえるがいい!」
この事件のために、ダアシェンカや、ありとあらゆるフォックステリヤには悪魔が、口の中に、上あごにいて、みんな黒い斑点があるんだよ。
ほんとうだよ!
さあ、もういいから自分の仕事をしに走っておゆき。
4 アリクについて
ちょっとお待ち、ダアシェンカや、今日は私がどうやったらおまえがしきい(ヽヽヽ)におぎょうぎよく上品にすわっていられるか教えたいとおもうんだが――。
こういうんだ、つまり、アリクという名前のフォックステリヤが、美しくて白い犬が一ぴきいたんだ。その耳はクリ色で、背中には鞍(くら)のようにみえるすばらしい黒い斑点がついていたんだ。このアリクときたら、花々が咲き誇り、チョウチョやネズミがいっぱいいるすばらしい庭園にくらしていたんだ。
それにこの庭には白と赤のスイレンの咲いている池があってねえ。しかし、アリクだけはそこへはけっして落っこちたりしはしなかったんだぜ。なぜなら、アリクは、どこかそのへんでまごまごしているだれかさんのように、そんなにへま(ヽヽ)やとんま(ヽヽヽ)じゃなかったからさ……。
ある暑い日のこと、どしゃぶりの雷雨になりそうになりました。犬たちはみんな雨のまえには草を食べるよね。そこで、このアリクも草をもぐもぐやりはじめました。
そこでなにがおこっただろう?
ラテン語でミラクロサ・マギカ(魔法の奇蹟)という名の魔法の草の茎がアリクに倒れかかってきたのでした。アリクは、なんにもそんなことを知らずに、それをかみ砕(くだ)き、食べてしまったんだよ。そのとたんアリクは、クリ色の巻毛と背中にふしぎな黒いホクロのある美しい王子に変身してしまったんだ。
最初アリクは、自分がもう子犬でなくて王子であることがさっぱりのみこめなかったんだ。そしていつものように、自分のあと足で耳のうしろを掻こうと思ったんだ。すると自分の足には金色のスリッパが突っかけてあるのに気がついた……。
ほうら、じっとおすわりよ、おまえ、ダアシャったら!
(この一番面白い場面で、ダアシェンカは聴くのをやめて、スズメをおっかけていってしまいました。このためアリクのお話は、これでおしまいなのでありまーす)
5 ドーベルマンについて
ほかの種類の犬、たとえばドーベルマンなんかも、シッポを切られているけど、きみは、ドーベルマンってどんな犬か知っているかい? 全体が黒か、褐色で、ひょろ長い足のワン君さ。
でも、このドーベルマンのシッポが短く切られちゃってるのは、フォクシーの場合とまったく違う理由からなのさ。
むかしむかしのこと、一ぴきのドーベルマンがいました。そしてその犬はどういうわけかアストルとかフェリックスとかいうような、ばかみたいな名前でよばれていたんだ。このアストルとかフェリックスという犬は、じぶんにぶらさがっているしっぽをぐるぐる回したり、つかまえたりするほか、そのほかのあそびができなかったほど大馬鹿だったんだ。
「ちょっとまて」と、その犬はうなっていいました。
「ぼくにちょっと、おまえを噛ましてくれないか!」
「ちょっとだっておことわりだよ!」と、しっぽがわらいました。
「ふん、まてないというのだな?」
ドーベルマンは、すごみました。
「そんなら、ぼくはおまえを食べてやるぞ!」
「いくらいっても、おまえには食べられないよ!」と、しっぽはさけびました。
そこでドーベルマンは、かんかんにおこってしまい、じぶんのしっぽにとびかかり、がっきとかみついて……とうとう食い切ってしまいました。おそらく、もし人々が駆け集まってきて、ほうきでたたいて正気にもどさなかったなら、じぶんのからだを、すっかり食べてしまったことでしょう。
このときから、人々はドーベルマンのしっぽを、ドーベルマンが自分のしっぽを食べないように、切るようになったのさ。
わかったかい。でも、ほんとうに今日のお話はみじかかったね?
6 ボルゾイとそのほかの犬について
いいや、いいや、決して神さまがボルゾイをお創(つく)りになったのではありません。それは間違いです。ウサギがボルゾイを創ったのです。
神さまは、まず第一に、すべての動物を、犬もふくめて創られました。犬を創られたのはいちばん最後でした。神さまは材料を三つの塊(かたまり)にお分けになりました。つまり、骨の山、肉の山、毛の山というふうに――そしてこの三つの塊で犬を創りはじめられました。
はじめに、神さまはフォックステリヤとポインターをお創りになりました。それだものでかれらはあんなに利巧なのです。でも、ついで神さまが残りものでさらに犬を創ろうとしているとき、食事のベルがなりました。
「さて、どうやら!」と、神さまはいわれました。
「もう食事だ、この仕事をのこしておこう。しばらくして、あとで始めよう」
こういって休みにゆかれました。
この瞬間、一匹のウサギが骨の山の間にかけこんだのでした。骨はゆれ動き、とびあがり、吠えはじめ、ウサギのあとをおっておいかけて走っていってしまいました。
こうしてボルゾイという犬がこの世に現われたのでした。そしてこういう理由で、ボルゾイは骨ばかりで、肉が一グラムもないというわけなのです。
しかし、肉の山はそのうちに空腹を感じだしました。肉の山はもじもじし、フーフーいいだして、ついにはブルドッグ、あるいはすぐに食物を探しに走ってくるボクサーに変身してしまいました。こういうわけでブルドッグのからだは肉ばかりなのさ。
毛の山もそれを見ていて、やがてムズムズと動きだし、やはり胃袋を満たしにいってしまいました。こういう風にして、からだ全体が毛だらけのセントバーナードができあがったんだ。次に、この毛の残りから、やはり全身毛だらけのプードルが生まれてきたのです。そこにはまだ小さな毛のかたまりが残っていましたが、やはりおなじようにしていわゆる「チン」、あるいはペキニーズが生まれでてきたのであーります。
一時間ほどたって、神さまがお戻りになってみると、三つの材料の山はほとんどなくなっていました。残っていたのは、長いしっぽ一本、一対の耳、四本の短い足、長い胴体だけでした。
そこでなにがおこったと思う?
神さまは、これらすべてからダックスフント種の犬を創ったのさ。
それを覚えておおき、ダアシェンカや、そしてボルゾイとも、ブルドッグとも、プードルとも、セントバーナードとも付き合ってはいけないんだよ――この仲間はおまえにとってふさわしい仲間じゃないっていうことなんだ――これでおしまい!
7 犬の習慣について
ダアシェンカや、私がおまえに今日話してきかすことは、これはお話ではなくて、本当ちゅうの本当なんだぜ。だから、私はおまえが、思慮(しりょ)深く耳をかたむけることを望むものだ。
何百万年も昔のこと、犬はまだ人間に仕えていなかった。そのころの人間といったらまだ未開でいっしょに暮らすことなどむずかしい相談で、そういうわけで犬の仲間は小さな群れをなして住んでいたんだ。しかし、鹿のように林にではなくて、大きな草原――つまり、プレーリーとかステップといったところに住んでいた。こういうわけだもんで、犬は今に至るまで草原が大好きなんだよ。
ちょいと、ダアシェンカや、きみは知っているかい? なぜどの犬も、ベッドに寝に行く前に、三べん自分のまわりをぐるぐるまわるのかってことさ。
それはこういうわけなんだ、つまり、どの犬も草原に住んでいたころ、ベッドをこしらえるため、まず丈の高い草を踏みつぶすことをしなければならなかったわけなんだ。そういう習慣は今になっても消えずに、たとえばおまえみたいに、椅子でやすむ前にさえそうなんだ。
もう一つ、どうして犬は夜になると吠えて、呼びかわしあうのか知ってるかい? これはこういうわけなんだ、草原では夜になって小さな仲間とはぐれないために声をはりあげて吠えなければならなかったんだ。
じゃあ、もう一つ、どうして犬は石とか、切株とか、棒杭の前で足をもち・げて、こいつをぬらしてしまうんだろうか? こいつもみんな大草原でやっていたことなのさ。どの犬もそれで、自分の仲間をにおいでかぎ分けているんだ。「あはあ、ここにぼくらの仲間がいた、こいつは石に自分のサインをしていった」という風にね。
さらにもう一つ。どうしてきみたち犬は、パンの皮や骨を地面に埋めたりするんだい? それはきっと、飢えたときのために、一きれでも貯えておこうというためなんだろうね。さあてごらん、なんて君はものすごく利巧になったことだろう!
もう一つ、なぜ犬は人間といっしょに暮らすようになったか?
それはエヘン、こういうわけなのだ。犬が小さな群れをなして住んでいるのを、人間がみたとき、やはり人間だってかたまって住みはじめたんだとさ。人間の群れはたくさんの動物を殺したから、その小屋のまわりには、いつも多くの骨がのこされていたんだ。
それを犬どもはみていった。
「なぜぼくらはけだものをおっかけてゆくんだろう、人間のところに行けば、骨がいくらだってあるのに!」
こうやって、そのときから犬たちは人間の群れに加わって、いっしょに暮らすようになったのさ。
今ではもう犬は、犬の仲間ではなく、人間の仲間に属しているんだ。犬がいっしょにくらしているその人間は――これは犬の仲間なんだよ。
さて、これできょうの話はおしまい、今は林をとんでかけておゆき――それはおまえたちの野原なんだから!
8 人間について
ダアシェンカや。もうじきおまえは、ほかの家にいって暮らすことになるんだ。それで私はおまえさんになにかひとこと、人間について話しておきたいって気になっているんだよ。
いろんな動物はいっているよ、人間って悪いって。多くの人間もそういっている。しかしおまえはそれを信じちゃあいけないんだ。もしもだ、かりに人間が悪者で感情のない生き物だとしたら、おまえたち犬はだ、人間の友達にならずに、野生のままで今でも野原に住んでいるだろうよ。まったく。
しかし、おまえたちは、ニンゲンと仲良しになっている。これは人間がなん千年も昔からおまえたちをなでたり、おまえたちの耳を掻いてやったり、食事を与えてきたからなんだ。
いろんなタイプの人間がいる。
第一のグループ――大きくて、猟犬のように低い声で吠える、そしてたいていはあごひげがある。パパという名前をもっているんだ。かれらは人間のあいだの指導者なんだ。だから、ときどきおまえをどなりつけたりできるんだけど、仲良くしなくちゃいけない。そうすれば、叩かれないし、それどころか反対におまえの耳のうしろを掻いてくれるだろう。おまえはほんとうにそれが好きだろう、え?
第二のグループのひとたちは細い声で吠えるんだ。この人たちの鼻面はのっぺりとしていて、ひげなんかないんだ。これがママで、このひとにはおまえ、ダアシェンカや、ていねいに近寄ってゆくんだよ、なぜってそのひとたちはおまえを養ってくれるんだから。そして毛だってすいて(ヽヽヽ)くれるんだから。またいつもなにくれとなくおまえの世話をやいてくれるし、おまえが無躾(ぶしつけ)なことをするのを放っておかないひとなのだ。その両手こそ――善良さのしるしなんだ。
第三のグループ――これは、小さいおまえよりもほんの少し大きくて、泣いたりわめいたりする。おおかみなんかの子のようだ。この子どもたちと、おまえもいっしょにやはり住むんだ。子どもたちは、そのために今から待ちかまえているんだ。おまえといっしょに遊び、おまえのシッポをつかまえて、それをふりまわしたり、それにいつもいろんな楽しいいたずらをしようと待っているんだよ。こういうふうに、人間の仲間はみんな、とても具合よく組み立てられているんだ。
ときどき、おまえは町で犬たちと遊ぶこともあるだろうし、それはそれで、楽しいものになるだろうよ。しかし、家のなかに人間といっしょにいるときこそ、おまえは自分を誇りに思うだろうよ。なぜって、人間とおまえはなにかの血のきずなよりもずっとすばらしいもので結ばれているんだからね。つまり、信頼と愛といわれるものさ。
さあ、これで話はおしまい、さあゆけっ!
◆ダアシェンカ◆
――ある子犬の物語
カレル・チャペック/小川浩一訳
二〇〇四年六月二十日