退屈な話/いいなずけ
チェーホフ/中村白葉訳
目 次
退屈な話
いいなずけ
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退屈な話
――一老人の手記より
ロシアにニコライ・ステパーノヴィッチ某《なにがし》という、三等官で帯勲者の一名誉教授がある。彼は、ロシアと外国の勲章をあまりにもたくさん持っているので、それをずらりと佩用《はいよう》して出るようなときには、学生たちからイコノスタース(聖隔)〔寺院において内陣と外部とを隔てる聖像のついたとばり〕とあだ名されたくらいである。彼の知己はきわめて貴族的である。少なくとも二十五年ないし三十年間のロシアにおいて、有名な学者で彼と親交を結ばなかった者はなかったし、現在もまたないからである。今日では、彼はだれとも親しい友情は結んでいないが、過去のことをいうだんになると、彼の長いりっぱな交友名簿は、ピローゴフとか、カヴェーリンとか、詩人ニェクラーソフとかいうような、彼に最も真摯《しんし》なあたたかい友情を与えた氏名で最後を飾っている。彼はロシアのあらゆる大学と三つの外国の大学との役員をしている。その他何々、何々。以上のすべて、およびなお挙《あ》げればいくらでもある肩書きこそ、いうところのわたしの名声を形作っているものである。
これが一般に知られたわたしの名である。ロシアではそれは、文字あるすべての人々に知られており、外国では、至るところの講壇で、有名な、尊敬すべきという形容詞をつけて話されている。それは少数の幸福な名の一つ――公衆の面前や印刷物の上で罵倒《ばとう》したり、いたずらに口にしたり書いたりすることが不謹慎の徴候であると考えられている名まえの一つである。そして、それはまたそうであってしかるべきなのだ。なにしろ、わたしの名まえには、非常に卓越した、天分豊かな、疑いもなく有益な人間という観念が密接に結びつけられているからである。わたしは|らくだ《ヽヽヽ》のように勤勉で、根気がいい。これは重要なことである。それに才能もある、これはさらにいっそう重要である。のみならず、ついでにいえば、わたしは教養ある、謙譲な、そして正直な人間である。わたしは、かつて一度も、文学や政治に首を突っ込まなかった。無学者流との論戦に人気を求めるようなことはしなかった。宴会や、仲間の葬儀などで演説をしなかった……要するに、わたしの学者的名声には、一点の汚点もなく、また不平を訴えるようなことも何ひとつないのである。それは幸福である。
六十二歳、はげ頭に総入れ歯、不治の顔面tic〔けいれん〕持ちの人間である。わたしの名まえが輝かしく美しいと同程度に、わたし自身は陰気で醜悪だ。頭と手とは衰弱からぶるぶるふるえ、くびは、ツルゲーネフのある女主人公のそれのように、コントラバスの首そっくりだし、胸は落ちくぼみ、背中は狭い。口をきくときとか講義をするときとかには、わたしの口は一方へゆがみ、微笑するときには――顔全体が、年よりらしい、死人のような|しわ《ヽヽ》におおわれる。わたしのみじめな姿には、感銘的なところなどは少しもない。ただ顔面神経痛に悩むときだけは、わたしの顔にも一種特別な、誰しもがひと目見て、「ああこの人ももう長くないな」という、きびしい、示唆的な考えを起こすにちがいない表情が現われるのである。
わたしは今でも従前どおり講義だけはうまくやってのける。従前どおりわたしは、連続二時間聴者の注意をぎゅっとつかんでゆくくらいの芸当はできる。わたしの熱心と、説述の文学性と、ユーモアとが、わたしの声の欠点をほとんど目だたないものにしてくれるが、元来わたしの声たるや、かれて、鋭くて、似而非《えせ》信者のそれのようにねこなで声だ。わたしは書くほうはだめである。わたしの脳のものを書く能力をつかさどる部分が、活動を拒否してしまったのだ。記憶力は減退し、思想に逐次《ちくじ》性が欠如しているので、それを紙に書きつけようとすると、そのつどわたしには、自分がその有機的連絡にたいする感覚を失い、コンストラクションは単調で、措辞《そじ》に貧しく臆病であるような気がするのである。しばしばわたしは、予期しないことを書く。終わりを書くころには初めを記憶しない。よくわたしは、普通の言葉を忘れるくせに、書きものをするだんになると、よけいな文句や不必要な挿句《そうく》をはぶくために、きまって多くの精力を費やさなければならない――それもこれもあきらかに、わたしの知的活動の衰退を証明するものなのである。しかも不思議なことに、書くものが単純であればあるほど、わたしの緊張はよけいに苦しい。書くものが学問上の文章だと、わたしは自分を、お祝いの手紙とか報告書などにくらべて、はるかに自由に賢明に感じる。なお一つ――ドイツ語か英語で書くほうが――わたしには、ロシア語で書くよりも楽である。
ところで、現在のわたしの生活状態については、わたしは何よりもまず、近来悩みつづけている不眠症のことをあげなければならない。もし今わたしに、現在きみの存在の主要な根底的特質を成しているものは何かと問う人があったら、わたしは立ちどころに「不眠症」と答えるであろう。従前どおり、わたしはきっかり十二時に、服をぬいで床につく。わたしはすぐ眠りにおちるが、一時を過ぎると目がさめて、少しも寝なかったような気持ちを覚える。やむをえず床から起き出て、ランプをつけなければならない。一時間か二時間、わたしは室内をすみからすみへと歩いて、久しく見慣れている絵や写真をながめる。歩くのにあきると、自分のテーブルの前に腰をおろす。何事も考えず、なんの欲望も感じないで、わたしはじっと掛けている。もし自分のテーブルの前に本があれば、機械的にそれを引き寄せて、なんの興味もなしに読む。こうして、ついこの間わたしはひと晩で、「つばめは何をうたったか」という妙な題の小説を一冊、機械的に読んでしまった。ときにはわたしは、注意を集中するために千までの数を数えたり、同僚のだれかの顔を想像に描いて、彼が何年に、どういう場合に職についたかを思い出そうとしたりしてみる。わたしは、いろんな物音に聞き入ることが好きである。自分の部屋からふた間《ま》向こうで、娘のリーザが夢の中で何やら早口にぶつぶつ言ったり、妻がろうそくを手に広間を通り過ぎて、きまってマッチ箱を取り落としたり、乾《ひ》われる戸だながきしみ音を立てたり、ランプの燈口《ひぐち》がふいにじゅうじゅう音をたてはじめたりする――こうした物音という物音が、なぜかわたしを興奮させるのである。
夜眠らないでいること――これは一分ごとに自分をアブノーマルだと意識することである。自然わたしは、眠らないでいられる権利を持つ朝と昼とを、たえがたい気持ちで待ちこがれる。戸外で鶏がうたいはじめる前に、やりきれない長時間が過ぎる。鶏は、わたしの最初の吉報者だ。鶏がうたいはじめるやいなや、わたしは早くも、あと一時間すると階下で玄関番が目をさまして腹立たしげにせきをしながら、何かの用で階段をあがってくるであろうことを知るのである。それから、やがて窓の外では、空が少しずつ白《しら》みそめて、街路に人声が響きはじめる……
わたしの一日は、妻が入ってくることによってはじまる。彼女はわたしのもとへ、スカートだけつけて、髪もけずらず、しかし顔だけは洗って、花オーデコロンのにおいをぷんぷんさせながら、ただふっとはいって来たような顔つきで、わたしの部屋へはいってくるのである。そしていつもきまって同じことを言う――
「ごめんなさい、わたしちょっとあの……あなたまたお眠りになりませんでしたの?」
それからランプを吹き消し、テーブルのそばへ腰をおろして、おしゃべりをはじめる。わたしは予言者ではないけれども、彼女の言うことはあらかじめちゃんと承知している。毎朝きまって同じことなのである。普通、わたしの健康について何かと心配そうに尋ねたあとで、彼女はとうとつに、将校としてワルシャワで勤務しているわたしたちの息子のことを言いだす。毎月二十日過ぎにわたしたちは、彼に五十ルーブリずつ送金している――これが主としてわたしたちの会話の題目となるのである。
「言わずとも、これはわたしたちにとってほねのおれることですわ」と妻は嘆息する――「けれど、あの子がしっかり一本立ちになるまでは、みてやるのがわたしたちの義務ですからね。なんにしても他国にいるんだし、棒給は少ないんだから……もっとも、もしなんでしたら、来月は、五十ルーブリでなく四十ルーブリ送るようにいたしましょう……あなたはどうお思いになって?」
日々の経験は妻に、いくら話してみたところで、費用は減るものではないことを十分に教えているはずだのに、わたしの妻は経験を認めないで、毎朝きちょうめんに、わたしたちの将校のこと、パンがおかげで安くなったということ、が、砂糖は二カペイカあがったということなどについて、話すのである――すべてこうしたことを、まるで何かおもしろいニュースでもわたしに伝えるような調子で。
それを聞きながら、機械的にうなずいているうちに、たぶん夜寝なかったせいであろう、わたしは奇怪な、要でもない想念に頭をみたされる。わたしは、妻の顔を見ていて、まるで子供のように驚くのだ。疑い惑う気持ちでわたしは自分に尋ねる――はたしてこの、年をとった、おそろしくふとった、不細工な、一片のパンのためのつまらない心労や恐怖の鈍い表情を浮かべ、借金と貧乏という不断の想念に曇らされた目つきをして、ただ家計のこときり話のできない、ものの安くなったときしか笑顔を見せることを知らない女が――はたしてこの女が、いつかのあの優雅なワーリャその人なのだろうか、そのすぐれて明晰《めいせき》な知性と、清らかな魂と、美とのゆえに、またわたしの学問に対する「同情」のゆえに、デスデモーナを愛したオセロのように、自分が熱烈な愛をささげたあのワーリャなのだろうか? はたしてこれが、いつかわたしのために息子を生んでくれた、あの、わたしの妻のワーリャなのだろうか?
わたしは、でくでくふとった、不かっこうな老婆の顔をまじまじと見つめて、彼女の中に自分のワーリャを求めるが、過去の中から彼女に無きずで残っているのは、ただわたしの健康についての心づかいと、わたしの俸給をわたしたちの俸給と言い、わたしの帽子をわたしたちの帽子と呼ぶ風習だけであった。わたしには彼女を見ているのがつらい。で、すこしでも彼女を慰めようとする心やりから、彼女に好きなだけおしゃべりをさせるのである。彼女が人をまちがって批判する場合とか、わたしが開業しないとか教科書を出版しないとか言って責めるときにさえ、沈黙を守るのである。
わたしたちの会話はいつも同じようなぐあいに終わる。妻はふとわたしがまだお茶を飲んでいないのを思い出して、びっくりする。
「まあわたしったら、なんだってこんなところにすわりこんでいるんだろう?」と彼女は立ちあがりながら言う。「サモワールはとうにテーブルの上に出ているのに、わたしはここでおしゃべりなんかして。なんて物覚えがわるくなったんでしょうねえわたしも、ほんとうに!」
彼女はそそくさと歩いて行くが、戸口まで行くと、こう言うために足を止める――
「わたしたちはエゴールのお給金が、五ヶ月分借りになっていますよ。あなた知っていらして? 召使のお給金をほったらかしとくのはよくありませんよ、わたし、もう何度も申しあげたじゃありませんか! 五ヶ月分――五十ルーブリ一時に払うより、月々十ルーブリずつ払うほうがずっと楽ですからね!」
ドアの外へ出て行きながら、彼女はまた立ちどまって言う――
「わたしには、うちのかわいそうなリーザほど不憫《ふびん》な娘《こ》はありませんわ。音楽学校で勉強している娘は、いつもいいとこの人たちとごいっしょなのに、あの娘《こ》の身なりときたらどうでしょう、街路《まち》へ出るのも気がひけるくらいの外套《がいとう》ですよ。これがだれかほかの人の娘だったら、まだしもかまわないでしょうけれど、なにしろ、あの子の父親が有名な教授で三等官だってことは、だれ知らぬ者はないんですからね!」
そして、わたしの名声と官位とでわたしを非難してから、彼女はやっとのことで出て行く。こうしてわたしの一日ははじまるのである。しかもそのさきは、もっとわるい。
わたしがお茶を飲んでいると、娘のリーザが毛皮外套に帽子をかぶり、楽譜を手にして、もうすっかり学校へ行くばかりのしたくではいってくる。彼女は二十二である。年よりは若く見えるほうで、器量もよく、いくらかわたしの妻の若いころに似ている。彼女はやさしくわたしのこめかみと手に接吻《せっぷん》して、こう言う――
「お早うございます、お父さま。ご気分はいかが?」
子供のころ、彼女は非常にアイスクリームが好きだったので、わたしはたびたび彼女をお菓子屋へ連れて行かなければならなかった。アイスクリームは彼女にとって、あらゆる美しいものの標準であった。何かわたしをほめたいようなことがあると、彼女は言った――「お父さま、あなたはクリームよ」彼女の第一の指はフスダシウの実、第二の指はクリーム、第三の指は木|いちご《ヽヽヽ》、こういったふうに名づけられていた。普通、彼女がわたしのもとへ朝のあいさつにやってくると、わたしは彼女を自分のひざの上へ乗せ、その指を接吻しながら、こう言ったものである――
「クリーム……フスダシウ……レモン……」
今でもわたしは、古い記憶にしたがって、リーザの指を接吻して、こうつぶやく――「フスダシウ……クリーム……レモン」だが、その調子はまるで違う。わたしはアイスクリームのように冷やかだ、そしてわたしにはそれが恥ずかしいのである。娘がわたしのもとへはいってきて、口びるをわたしのこめかみにつけると、わたしは、まるで|はち《ヽヽ》にでもさされたようにふるえあがり、むりに笑顔を作りながら、顔をそむけてしまうのである。わたしが不眠症に悩みだしてからというもの、ひとつの疑問が釘《くぎ》のようにわたしの脳髄にささっている――わたしの娘はしばしば、老人で有名な人物であるこのわたしが、下男の給金が借りになっているためにどんなにつらそうに赤面するかを見て知っている。彼女はまた、とるにも足らぬ借金についての心づかいがどんなにしばしばわたしをして、仕事をよそに、何時間もすみからすみへと歩きながら考えこませるかを、見て知っている。それだのに、なぜ彼女は、ただの一度も、母親にかくれてそっとわたしのそばへ来て、こうささやかないのだろう――「お父さま、ここにわたしの時計がありますわ、腕輪も、耳輪もありますわ、着物もありますわ……これをみんな質にでも入れてちょうだいな、お父さまはお金がいるんでしょう……」またなぜ彼女は、わたしと母が偽りの感情に負けて、自分たちの貧乏を人前にかくすことにきゅうきゅうとしているのを見ていながら、音楽を学ぶというような高価な満足をすてようとしないのだろう? むろんわたしは、時計も、腕輪も、犠牲も受けはしない。神よわれを守りたまえ、――わたしにはそんなものは必要ではないのだ。
ついでにわたしは、自分の息子である、ワルシャワの将校のことを思い出す。これは利口で、正直で、まじめな青年である。しかしわたしには、それだけではもの足りない。わたしは考える、もしわたしに老齢の父があって、その父がときに自分の貧乏を恥じるようなことのあるのを知ったら、わたしは将校の地位をだれかに譲って、労働者にでも雇われるだろうと。子供たちについてのこうした考えは、わたしを心苦しくする。こんな考えがなんになるか? 彼らが偉人でないからといって、凡庸な人々にたいして心ひそかに悪感をいだくがごときは、ただ狭量な人間か、あるいは心のねじけた人間のみのよくしうることである。しかし、こんなことはもうたくさんだ。
十時十五分前には、わたしは、講義をするためにわが親愛なる学生たちのところへ出かけなければならぬ。わたしは服をつけて、もう三十年のなじみであり、わたしにとってそれだけの歴史を持っている道をてくてく歩いて行く。そらもう、あの薬局のある大きな灰色の建物だ。ここは昔、小さい家が立っていて、その中にビヤホールがあった。このビヤホールで、わたしはよく、自分の学位論文を練ったり、ワーリャにたいする最初の恋文を書いたりしたものだ。わたしはそれを、「Historiamorbi」というヘッド(頭書)のある用紙に鉛筆で書いたものである。こんどは雑貨店である。昔それをやっていたのはひとりのユダヤ人で、この男は掛けでわたしに巻きたばこを売ってくれたが、そのあとは、「学生さんにだってみんなお母さんがあるだから」という理由で学生たちを愛していた、ふとっちょの百姓女が店を経営し、今では、銅の急須《きゅうす》からいきなりお茶を飲む、おそろしくがさつな赤毛の商人がすわっている。さて、今度は、もういつにも修繕されたことのない、陰気な大学の門である。羊の皮衣を着た退屈そうな門番、ほうき、雪の吹きだまり……田舎《いなか》から出て来た新しい学生、科学の殿堂は実際にも殿堂であるべきだと考えている学生にとって、こうした門は健全な印象を与えることはできぬ。総じて、大学の建物の朽廃、廊下の陰うつ、すすけた壁、光線の不足、階段や帽子掛け、ベンチなどのみじめなありさまは、ロシアの厭世主義の歴史において、そうした素因を作った幾多の原因の中で、重要な地位の一つを占めるものである……おお、もうここは校庭である。わたしがまだ学生だった時分から、それは少しもよくもわるくもなっていないように思われる。わたしはこの庭を好まない。これがもし、肺病やみのような|ぼだい《ヽヽヽ》樹や、黄色いアカシヤや、刈り込まれた、まばらな紫|はしどい《ヽヽヽヽ》などの代わりに、背の高い松や、見事な|かし《ヽヽ》の木などがはえていたら、はるかに気がきいていただろう。その気分を多く環境によってつくられる学生たちは、勉強している場所では、一歩ごとに自分の前に、ただ崇高な、力強い、優美なものばかりを見るようにしておく必要がある……神よ、願わくば、やせてひょろひょろした樹木や、こわれた窓や、灰色した壁や、裂けたレザー張りのドアなどから彼らを守りたまえ。
わたしが自分の部屋へ通ずる入口の段々へ近づくと、ドアがいっぱいに開いて、わたしの古い同僚で、同年同名の門衛ニコライがわたしを迎える。わたしを中に迎え入れると、彼はせき払いしてこう言う――
「ひどい凍《い》てでございますな、先生さま!」
それから彼は、わたしのさきに立って走って、わたしの行く手のドアを一つ一つあけてくれる。研究室へはいると、彼は注意深くわたしの外套をぬがせながら、その間に、学内の新しいできごとを何かと話して聞かせる。学内の門衛や小使いたちの間が親密にいっているおかげで、彼には四つの学部と、事務室と、総長室と、図書館とに起こることが何もかもよく知れるのである。彼の知らないことが一つでもあるだろうか? 何か学内に当面の問題――たとえば総長とか学長とかの退職というような問題の起こった場合には、わたしは、この男が若い小使たち相手に次代の候補者の名を挙げて、だれだれは大臣が許可しないだろうとか、だれだれは自分のほうから辞退するだろうとかいうような説明をしたり、さらにまた事務所に届いた一種の秘密書類について、空想的なデテールをちょうちょうしたりしているのを耳にする。こうした詳細さえ除外すれば、彼の話は、概して真実の場合が多い。候補者のおのおのについて、彼のやってのける特性描写は、奇抜ではあるが、同様に正鵠《せいこく》である。もし諸君にして、何年にだれが学位論文に成功し、だれが勤務につき、だれが職を去り、まただれが死んだかというようなことを知る必要があったら、この兵隊上がりの広大な記憶に救いを呼びたまえ。すれば、彼は諸君にその年月日を告げしらせるばかりでなく、ここでもやはり、それらの事件に付随した詳細までを話して聞かせるだろう。ただ愛を有する者のみが、こうした記憶を持ちうるのである。
彼は大学の伝説の保持者である。彼は先輩の門衛から、遺産として、大学生活に関する数々の伝説を継承し、その宝庫にさらに自分の勤務中に得た多くの財産をつけ加えているから、こちらが聞こうとさえ思えば、彼は長短とりどりの物語をいくらでも語って聞かせるであろう。彼は、万般のことに通暁《つうぎょう》していた非凡な賢人たちのことでも、幾週間も一睡もしなかったものすごい勉強家のことでも、学問に一身をささげた多くの受難者や犠牲者のことでも、なんでも語ることができる。彼の話では、かならず善が悪を征服し、弱者が強者に勝ち、賢者が愚者に、謙遜《けんそん》が傲慢《ごうまん》に、青年が老年にうち勝つのである……こうした作り話や伝説を、そっくりそのまま純金として受け取る必要はない、しかし、それを濾過《ろか》すればこの濾過器には、必要なもの――だれにも承認される真の英雄の名と、われわれのよき伝説とが残るであろう。
われわれの社会では、学会の消息はみな、老教授たちの並みはずれた放心に関する逸話だとか、グルーベルや、わたしや、バルーヒンに帰せられる二、三のしゃれとかにつくされている。教養ある社会にとっては、これでは足りない。もしそれが、ニコライのように、学問を愛し、学者を愛し、学生を愛するならば、その文学はもうとっくに、残念ながら今は持たないりっぱな叙事詩や、物語や、伝記を持っていたはずなのである。
ひととおり新しいできごとを話してしまって、ニコライがその顔にきびしい表情を見せると、こんどはわたしたちの間に事務的の会話がはじまるのである。もしこのとき、だれか第三者がいて、ニコライが自由に述語を駆使するのを聞いたなら、おそらくその人は、これは兵隊の仮面をかぶった学者にちがいないと考えたかもしれない。ついでに言っておくが、大学の小使が博識だといううわさは、ずいぶん誇張されたものである。じっさいニコライは、ラテン語の名称を百以上も知っているし、骸骨《がいこつ》の組み立てもできるし、ときには標本を準備したり、何かの学術的な長い引用をして学生たちを笑わせたりもするけれども、たとえば血液循環の簡単な理論すら、彼にとっては、いまなお二十年前と同様に神秘なのである。
研究室のテーブルの前には、おとなしい勉強家ではあるが、さして才能のない男で、まだ三十五歳にしかならぬくせに、はげ頭で、大きな腹をした、ピョートル・イグナーチエヴィッチというわたしの解剖助手が、書物か標本を前にかがみこんで掛けている。彼は朝から晩まで働いている、非常にたくさん本を読む。読んだものはなんでもよく記憶している――この点では、彼は人間でなくて黄金である。が、それ以外の点では――これは馬車馬である。言いかえれば、学問のある鈍物である。天才からこの男を区別している馬車馬としての特徴は、次のようなものである――彼は眼界が狭い、絶対に専門に限られている。自分の専門以外では彼は小児のごとく無邪気である。忘れもしない、ある朝わたしは研究室へはいって行くなり、こう言った――
「ああ、なんという不幸だろう! スコベリョーフがなくなったという話ですよ」
ニコライは十字を切ったが、ピョートル・イグナーチエヴィッチはわたしの方をふり向いて、こうきいたものである――
「スコベリョーフってなんですか?」
またある時――これはいくらか前のことである――わたしはペトローフ教授の死んだことを告げた。愛すべきピョートル・イグナーチエヴィッチはきいた――
「その人はなんの講義をしていたのですか?」
おそらく彼は、その耳もとでパッチイ〔有名なイタリアの歌うたい〕がうたいだそうと、シナの軍隊がロシアへ侵入しようと、地震が起ころうと、指一本動かさないで、落ちつきはらって、細くした片目で顕微鏡をのぞいているだろうと思われる。これを要するに、彼には、ヘクーパ〔トロイヤ王プリアモスの妻〕になんの用もないのである。わたしは、見料をいくらはずんでもいいから、この堅パンが細君といっしょに寝ているところを見てみたいものだとさえ思う。
第二の特徴は、科学の絶対性、主としてドイツ人の書いたいっさいのものの絶対性にたいする狂信的信仰である。彼は自分自身を確信し、自分の調剤を確信し、人生の目的を知っていて、天才を白髪にするような疑惑や幻滅とは完全に他人である。権威にたいする奴隷的崇拝と、独自の思想にたいする要求の欠如。何事にもあれ、彼の信念を変えさせることは困難であり、彼との論争は不可能である。最もすぐれた科学は医学である。最もすぐれた人間は医者である。最もすぐれた伝統は医学のそれである――こう信じきっている人間と、ひとつ論争してみるがいい。医学のよからぬ過去から完全に保存されている伝統はただ一つ――今日ドクトルたちがつけている白いネクタイだけである、が、学者にとって、一般に教養ある人間にとって存在しうるものは、ただ、医科とか法科とかのいっさいの区別をはなれた、全体としての大学的伝統にほかならない。しかし、ピョートル・イグナーチエヴィッチには、これを承認するのは困難だ、彼は最後の審判の日まで諸君と争うべく覚悟している。
彼の未来はわたしにはありありと想像される。生涯の間に彼は、きわめて純良なる数百の薬剤を準備し、数々の無味乾燥な、形式どおりの報告を書き、幾十の忠実な翻訳をするだろうが、大したことはしでかさないにちがいない。大したことをするとなると、空想とか、発明力とか、洞察《どうさつ》力とかいうものが必要になってくるが、ピョートル・イグナーチエヴィッチには、そういったものは薬にしたくもない。早い話が、これは学問の主人でなくて、下男なのである。
わたしと、ピョートル・イグナーチエヴィッチと、ニコライとは小声で話をする。わたしたちはいくらか気持ちが平静でない。ドアの向こうの講堂が海のようなどよめきをたてているときには、なんとなく一種特別な感じのするものである。三十年の間にも、わたしはこの感情に慣れきれなくて、毎朝それを経験するのである。わたしは、神経的にフロックのボタンをかけたり、ニコライによけいな質問をしたり、癇癪《かんしゃく》を起こしたりする……ちょっと見ると、わたしは臆《おく》しているようであるが、しかしこれは臆病ではない、何かほかのもの、わたしにはなんとも名づけようもなければ、描写のしようもない何ものかである。
ぜんぜんなんの必要もないのに、わたしは時計を見て、こう言う――
「どうだろう? もう出なきゃなるまい」
そしてわたしたちは、次のような順序で講堂へはいって行く――まっ先には、ニコライが標本か絵図を持って進み、そのあとにわたしがつづき、わたしのあとから、おとなしく頭をたれて、馬車馬君がつづいてくる。あるいは、必要の場合には、まっ先に担架で死体が運ばれ、そのあとからニコライその他がつづくのである。わたしが顔を出すと、学生たちは起立して、それから席につき、海のようなどよめきはぱたりとしずまる。凪《な》ぎが来たのである。
わたしは自分の講義すべきことは十分よく心得ているが、しかし、どんなふうに講義するか、何からはじめてどこで終わるかということは知らない。頭に準備のできている文句は一句もない。しかしわたしには、ひとわたり講堂(わたしの講堂は円形劇場式にできている)を見まわして、判でおしたようなきまり文句「前講ではわれわれは……で終わっていますね」とさえ言えば足りるのである。と、わたしの胸からは次の文句が、長い糸のように、際限なくくり出されてきて――たちまち調子があがってくる! わたしは止めどもなく早口に熱心にしゃべりつづける。こうなったが最後もう、わたしの言葉の流れをせき止める力は、どこにもないように思われる。うまく講義をするためには、すなわち、聴衆にとって退屈でないよう、利益になるようにするためには、才能以上に熟練と経験とを持たなければならない。自分の力と、講義の相手の聴衆と、講義の題目を成すものとについての最も明確な観念を把握《はあく》していなければならない。のみならず、抜けめない人間であらねばならない。すべてに十分目をきかせて、一秒間といえども、視野を失うようであってはならない。
よき指揮者は、作曲者の思想を伝えるにあたって、一時に二十のことをするものである――楽譜を読み、指揮棒をふるい、歌手を見守り、あるいは太鼓の方へ、あるいはフレンチホーンの方へ身を動かす等々、等々。講義をする場合のわたしが、ちょうど同じことをするのだ。わたしの前には、一つ一つ異なった百五十の顔があり、わたしの顔をまともに見ている三百の目がある。わたしの目的は、この百頭の怪蛇《かいだ》を征服することにある。もしわたしが、講義の間ずっと、怪物の注意状態と理解力の状態について、はっきりした推定を持っていれば、怪物はわたしの手中にあるわけなのだ。もう一つわたしの敵は、わたし自身の中に巣くっている。それは――形式、現象、法則の限りなき変化と、それらによって約束された自他の思想の数々である。一分ごとにわたしは、この厖大《ぼうだい》な材料の中から、最も重要で必要なものをつかみ出す手練と、わたしの言葉の流れと同じ速さで自分の思想を、怪物の理解力に適合してその注意を喚起しうるような形式に潤色する手練とを、持たなければならぬ。そのうえ思想が、その蓄積の方法によらず、わたしが描きたいと思う構図の正しい結合のために必要な一定の順序で伝えられるように、しっかり注意していなければならぬ。なおわたしは、わたしの言葉が文学的であるよう、定義が簡潔的確であるよう、文句ができるだけ単純で美しくあるようにと、努めなければならぬ。一分ごとにわたしは、自分の手綱を引きしめて、自分の自由になるのはただ一時間と四十分だけであるということを、忘れないようにしていなければならぬ。要するになかなかたいへんな仕事なのである。同時に、学者であり、教師であり、演説家でなければならぬのである。その際もし、演説家が教師や学者に勝ってもいけないし、その反対であってもいけないのである。
十五分三十分と講義をつづけるうちに、ふと気がつくと、学生たちが天井をながめたり、ピョートル・イグナーチエヴィッチをながめたり、ひとりはハンケチを引っ張り出したり、ひとりはすわり直したり、ひとりは何か考えてひとり笑いをしたりしていることがある……これはつまり、注意力減退の証拠である。なんとか方法を講じなければならない。そこで、最初の好機を利用して、わたしはだじゃれを飛ばすのである。と、百五十の顔が全部ぱっと笑顔になり、目が生きいきと輝いて、ちょっとの間、海のようなざわめきが起こる……わたしもいっしょになって笑う。これで注意が一新されて、さきをつづけることができるのである。
どんなスポーツでも、どんな娯楽でも遊戯でも、ついぞ一度もわたしに、講義するときほどの喜びを与えはしなかった。ただ講義においてのみわたしは、全心身を情熱にゆだねることができた。そして霊感なるものが詩人の創作でなくて、現実に存在するものであることを理解した。わたしは考える、あのヘルクレスは、彼の偉業のうち最も深刻なるもの〔一夜に三百人の子を作るという伝説〕の後でも、わたしが講義のあとできまって経験したような甘い疲れは感じなかったであろうと。
しかし、これは昔のことである。今ではわたしは、講義のときにもただ苦痛を覚えるにすぎない。三十分とたたぬうち、わたしは早くも足や肩にうち勝ちがたい疲労を感じはじめる。やむをえずいすに掛けるが、腰掛けての講義にはわたしは慣れていない。一分もすると立ちあがって、立ったままつづけるが、やがてまたすわってしまう。口の中はぱさぱさにかわき、声はかれ、頭はぐらぐらする……自分の状態を聴衆の前に隠そうとして、わたしはのべつ水を飲んだり、せきをしたり、まるで鼻かぜがじゃまでもするようにしばしば鼻をかんだり、とっ拍子もなくしゃれのめしたり、しまいには、とうとうやりきれなくなって、正規より早く休憩を宣したりする。しかし、主としてわたしを苦しめるのは、そうしたことを恥ずかしく思う感情である。
わたしの良心と理性とは、わたしに、今わたしのなしうる最善のこと――それは、学生たちの前に告別の講義をして、彼らに最後の言葉を述べ、彼らを祝福して、自分の地位を、わたしより若い、強健な男に譲ることであると告げる。しかし、神よわれを審《さば》きたまえ、わたしには、良心に従って行動するだけの勇気が足りないのである。
不幸にしてわたしは、哲学者でもなければ神学者でもない。わたしには、自分がもう半年以上生きないであろうことが、きわめてよくわかっている。本来なら、いまなによりも多くわたしの心を占めるものは、墓のかなたの無明の問題であり、死後の眠りを訪れる幻影の問題であらねばならぬと思われる。しかし、なぜかわたしの魂は、知性がその重要性を認識しているにもかかわらず、これらの問題を知ろうとしないのである。二十年――三十年前と同様、死に直面している現在なお、わたしに興味のあるのは、ただ一つ科学だけである。最後の呼吸《いき》をつきながらも、わたしはやはり、科学こそは最も重要な、最も美しい、人生にとって最も必要なものであること、それは常に愛の最高表現であったし、将来もそうであるだろうということ、およびただそれ一つによって人間は、自然と自分にうち勝ったのだということを信じつづけるであろう。その信念は、あるいはその根底において素朴《そぼく》であり、公平でないかもしれぬけれども、わたしがそう信じて、それ以外を信じないということは、わたしの罪ではない。自分のうちのこの信念にうち勝つことは、わたしには不可能なのである。
しかし、問題はこれにあるのではない。わたしはただわたしの衰えに対して寛容を乞《こ》い、宇宙創造の究極目的よりも、骨髄の命数により多くの興味をいだく人間を、講座と学生から引き離すのは、彼をひっとらえて、最後の息の切れるのを待たずに棺おけへたたきこむと一般であることを、理解してもらいたいに過ぎない。
不眠症と、しだいに烈しくなってくる衰弱相手の緊張したたたかいのために、わたしにはなんだか奇妙な現象が起こっている。講義の最中に、とつぜん涙がのどまでこみ上げてきて、両の目がむずむずしてくることがある。そんなときわたしは、両手を前へ突き出して、大声に訴えたいような、熱情的な、ヒステリックな要求を感ずるのである。有名な人間であるわたしも、もう運命から死刑の宣告を受けてるのだということ、半年もすればここの講座をも、ほかの人が主宰するだろうということを、大声にわめいてやりたくなるのである。わたしは、自分が毒害されているのだと叫びたく思う。わたしがこれまで知らなかった新しい思想が、生涯《しょうがい》の終わりの日を毒して、わたしの脳髄を蚊のようにさし続けているのだと叫びたく思う。そして、そういうときのわたしの状態は、いかにも恐ろしいものに想像されるので、わたしには、自分の聴衆全部が驚き恐れ、席から飛びあがって、恐慌的恐怖の中にやけな叫び声をあげながら戸口へ飛び出して行けばいいと思われるほどである。
こういう瞬間を経験するのは容易なことではない。
講義が終わると、わたしはわが家にこもって仕事をする。雑誌を読み、学位論文に目を通し、あるいは次回の講義を準備し、ときには何か書き物をする。しかし連続的に仕事をすることはない。ときどき訪問客に接しなければならないから。
ベルが鳴る。これは同僚が事務のことでちょっと話しに来たのである。彼は帽子とステッキを持ったままわたしの部屋へはいって来て、それをわたしの前へ出してみせて、こう言うのである――
「わたしはちょっと、ほんのちょっとあがったのです! どうぞお掛けになって collega〔同僚〕! ただふた言!」
第一に、わたしたちはまず、わたしたちふたりが普通以上に礼儀正しいこと、こうして相見るのをひどく満足に思っていることを、お互いに示し合おうと努める。わたしが彼を肘《ひじ》掛けいすにつかせようとすると、彼はわたしをつかせようとする。このときわたしたちは、注意深く、互いにそっと腰のあたりをなで合ったり、ボタンに触《ふ》れ合ったり、まるで互いに触《さわ》り合いながら、火傷《やけど》をするのを恐れてでもいるようなかっこうである。ふたりは、べつになんにもおかしいことなど話さないのに、笑い合う。席が定まると、ふたりは互いに頭を寄せ合わせて、小声でぼそぼそと話しはじめる。お互いにいくら親友らしい気持ちでいても、わたしたちはふたりとも自分たちの言葉を「いやもっともで」とか、「あなたにはすでにお耳にい入れておきましたとおり」とかいったふうの、いろんなシナ式辞令で鍍金《めっき》しないではいられないし、また、相手がなにかしゃれを言うと、それがはなはだまずいしゃれであっても、笑わずにはいられないのである。用談を済ますと、同僚は倉皇《そうこう》と立ちあがって、わたしの仕事の方へ帽子をひと振りしながら、いとまを告げはじめる。ふたりはまたしても、互いに触り合い、笑い合う。わたしは玄関まで見送る。そこで外套《がいとう》を着せかけてやるが、相手はいろいろにしてこの高い名誉を避けようとする。それから、エゴールがドアをあけると、同僚はわたしが風邪をひくといけないからとやかましく言うが、わたしは彼について街路までも出て行きそうな素ぶりを見せる。こうして、やっと書斎へもどってくるときにも、わたしの顔はなお微笑を浮かべている。おそらく惰性というものであろう。
しばらくすると、第二のベルである。だれか玄関へはいって来て、長いことかかって、外套を脱いだりせきをしたりしている。エゴールが、学生が来たと取りついでくる。わたしは言う――通せ。一分たつと、わたしの部屋へ、感じのいい顔をした青年がはいってくる。わたしとこの青年とが緊張した関係を持つようになってから、やがてもう一年である――彼の試験の答案がなっていないので、わたしはいつも彼に一点(五点満点)をつける。学生の言葉で言うと、わたしが追ん出したり落としたりするこうした学生が、毎年わたしの組に七人くらいずつ集まるのである。彼らのうちで、無能とか病気とかで試験に落ちる者は、普通、しんぼう強く自分の十字架を背負って、わたしに渡りをつけようなどとはしない。わたしの私宅まで押し掛けて来てとやかく言ったりするのは、試験の失敗に食欲をそこなわれ、きちょうめんにオペラへ通うのを妨げられる、多血質な、心臓の強い連中に限られる。前者にはわたしは寛大であるが、後者は一年じゅう追いまわしてやる。
「掛けたまえ」とわたしは客に言う。「なにか用ですか?」
「ごめんください、先生、とんだおじゃまをいたしまして……」と口ごもり口ごもり、わたしの顔は見ないで、切り出す。「ぼくは、その、もしなんでしたら、おじゃまにあがるようなことはしなかったのですが……ぼくは、先生の試験を、もう五度受けて、そして……五度とも落ちましたのです。先生、お願いですから、どうか『及第点』をつけてくださいませんか、と言いますのは……」
おおかたの怠け者が、自分に都合のいいようにこねまわす理屈は、いつも判で捺《お》したようにきまっている――彼らは、ほかの科目はみんなりっぱにパスしたのに、わたしの科目だけに失敗した。しかも、彼らは日ごろ、それを非常に熱心に勉強して、よくわかっていたというのだから、ますます驚くべきである。彼らが失敗したのは、一種不可解な思い違いのせいなのだ。
「失敬だが、きみ」とわたしは客に言う。「きみに『及第点』をつけることはぼくにはできない、帰って、もっとよく講義を読んで、もう一度出直したまえ、そのときのことにしよう」
間。この男が学問よりもビールやオペラを愛しているという点で、ちっとばかりいびってやろうといういたずら気がわたしに起こる。そこでわたしは嘆息して言う――
「わたしに言わせればだね、きみ、きみが今なしうる最善のことは、それは――ぜんぜん医科を見棄てるということだ。きみだけの才能がありながら、どうしても試験がうまくゆかないとすれば、それは明らかに、きみに医者になろうという欲求もなければ、使命もないというわけになるのだ」
多血質の男の顔が長くなる。
「失礼ですが、先生」と彼はにやにや笑うのである――「それはわたくしとしまして、少なくとも変なものです。五年間勉強を続けてきたものを、とつぜん……やめてしまうなんて!」
「ふん、なるほどね! しかし、これからの生涯を好かぬことに携わって暮らすより、五年間を棒に振ってしまうほうが、まだましだろうじゃないかね」
しかし、すぐ彼がかわいそうになってきたので、急いでこう言う――
「だが、まあいいようにしたまえ。だから、もう少しよく読んで、改めて来たまえ」
「いつ伺いましたら?」と怠け者はうつろな声できく。
「いつでもよろしい。明日でも」
そこでわたしは、彼の善良な目の中に読むのである――『くることぐらいはいつだって来られる、それを畜生め、いつでもきさまが落としゃがるんじゃないか!』
「もちろん」とわたしは言う――「君はこのうえもう十五度ぼくの試験を受けたところで、今以上に学力がつくとは思えん。だがこの一事は、きみの性格の鍛錬にはなるだろう。これだけでも感謝すべきだ」
沈黙がくる。わたしは立ちあがって、客が出て行くのを待つ。が、彼は突っ立ったまま窓の方を見て、あごひげを引っ張りながら、考えている。退屈になってくる。
この多血質の男の声は、感じがよく、みずみずしており、目は利口そうで、嘲笑的だし、顔はビールばかりひっかけて年じゅう長いすにごろごろしているせいで、だいぶもみくしゃにはなっているが、柔和である。見受けるところ、彼は、オペラのこととか、自分の情事とか、彼が愛している仲間のこととかなら、いくらでもおもしろい話を聞かせてくれそうだが、残念ながら、そんな話は、普通では始められない。わたしは喜んで聞いただろうか。
「先生! ぼくはかたく誓って申しますが、もし先生が、ぼくに『及第点』をおつけくださいましたら、ぼくは……」
話が「堅く誓う」ところまでくるやいなや、わたしは両手を振って、テーブルの前に掛けてしまう。学生はなお一分ばかり考えてから、悲しそうな口吻で言う――
「では、失礼いたします……ごめんください」
「さよなら、きみ、ごきげんよう」
彼はのろのろと玄関へ出て行き、そこで、長い間かかって外套を着る。そして街路へ出て行きながら、おそらくまたしても長い間考えるであろう。が、わたしのことを「老いぼれ悪魔め!」とののしる以外に何一つ考えつかなくて、彼は安料理屋へはいり込んでビールをあおり、食事をする。それからわが家へ帰って寝る。なんじ安らかに瞑目《めいもく》せよ、正直なる勉強家よ!
第三のベルである。新調の黒のそろいを着て、金縁めがねをかけ、もちろん白ネクタイを結んだ若いドクトルがはいってくる。自己紹介をやる。わたしは彼にいすをすすめて、用向きを尋ねる。いくらか興奮の面持ちで、若い科学の使徒はわたしに、今年博士候補者の試験にパスして、あとはただ論文さえ書けばよいなどと語りはじめる、わたしの指導のもとにそれを書きたいというのである。論文のためのテーマが与えてもらえたら、このうえの恩恵はないというのである。
「お役に立つのは非常にうれしいですがね、きみ」とわたしは言う。「しかし、第一に、まずわれわれは、学位論文とはなんぞやという問題を考えてみようじゃありませんか。この言葉は、普通、独立した創造力の成果たる文章と解すべきですよ。そうじゃありませんか? ですから、他人のテーマを基礎としたり、他人の指導の下に書かれた文章は、別の名で呼ばれるべきです……」
博士候補者は黙っている。わたしはかっとなって、いすから飛びあがる。
「なんだってきみがたは、そろいもそろってみんなぼくのところへやってくるのです? わけがわからん」とわたしは腹立ちまぎれに叫ぶ。「ぼくのところで店でも開いているというのですか? ぼくはテーマを商ってはおりませんよ! ぼくはあえてきみがた一同にお願いする。どうかぼくのじゃまをしないでくれたまえ! ぼくの無作法はどうか許してください、が、ぼくはもうとてもやりきれんのだ!」
博士候補者は黙っている。ただそのほお骨のあたりにかすかに紅味《あかみ》がさしている。彼の顔つきは、わたしの名声と学識に対する深い尊敬を現しているが、わたしはその目色によって、彼がわたしの音声をも、わたしのみじめな姿をも、わたしの神経的な身ぶりをも、軽蔑《けいべつ》していることがわかる。癇癪を起こしたために、わたしは彼の目に変な男に映るのである。
「ぼくは店をやってるんじゃないんですよ」とわたしの癇癪はますます募る。「じつにけしからん話だ。なんだってきみは、独立独歩でやろうとされないんです? なんだってきみには、そんなに自由が気に入らんのです?」
わたしは饒舌《じょうぜつ》にまくしたてるが、彼は依然として黙っている。ついにわたしは少しずつしずまってもちろん最後には兜《かぶと》を脱ぐ。博士候補者は、三文の価値もないようなテーマをわたしから得て、わたしの監督下に、だれにも必要のない論文を書き、退屈きわまる提出論文の説明をもりっぱにやってのけて、彼にも不必要な学位を贏《か》ちうるのである。
ベルの音はあとからあとから際限なく続くが、ここには四つだけでとどめておく。四度目のベルが鳴る。そしてわたしは、聞き慣れた足音と、衣《きぬ》ずれの音と、かわいらしい声とを耳にする……
十八年前に、わたしの同僚の眼科医が死んで、あとに、当時七つになったばかりの娘のカーチャと約六万ルーブリの金とをのこしていった。その遺書の中で、彼は、わたしを後見人に指定していた。十八歳までカーチャは、わたしの家庭で暮らしたが、その後は学校に預けられて、ただ夏休みの一、二ヶ月だけ、わたしどもで暮らすことになった。わたしには、彼女の教育に携わっている時間がなかったので、ただひまひまに彼女を観察するにすぎなかった。それで、彼女の少女時代については、あまり話す材料を持たないのである。
わたしがよく記憶していて、それを思い出すのを好んでいる第一のこと――それは、彼女がわたしの家へ来たときと、医者にかかったときにみせた、世の常ならぬ信頼の色であった。それは不断に彼女の小さい顔に輝いていた。よく彼女はどこか片すみのほうに、布でほおをゆわえたまま腰掛けて、必ず何かを一心に見つめているようなことがあった。そんなとき彼女は、わたしが書きものをしたり本のページを繰ったりしているのを見ているにしろ、妻が立ち働いているところを見ているにしろ、台所で下婢《かひ》が馬鈴薯《ばれいしょ》をむいているところを見ているにしろ、また犬のじゃれているところを見ているにしろ、その目にいつもきまって同じ表情、つまり――『この世でなされていることは何もかも、何もかも美しくていいことばかりだ』こういう表情を浮かべていた。彼女はおもしろい子で、わたしと話をするのがとても好きであった。よくテーブルを中にわたしと向かい合いにすわって、わたしの動作を目で追いながら、いろんなことを尋ねたものである。彼女には、わたしが何を読んでいるか、大学で何をしているか、屍体《したい》がこわくないか、俸給をどこへやるか、そんなことを知るのがおもしろかったのである。
「大学でも、学生はけんかする?」と彼女はきく。
「けんかするよ、おまえ」
「でも、おじさまはみんなをひざまずかせるの?」
こうして彼女は、大学生がけんかすることや、わたしが彼らをひざまずかせることをおかしがって、笑い出すのであった。それはすなおな、しんぼう強い、気立てのやさしい子供であった。わたしはよく、彼女が何かを取りあげられたり、理由もなく罰せられたり、あるいはまた好奇心を満たされなかったりした場合を見ることがあった。そんなときにも彼女の顔には、常に変わらぬ信頼の表情に一|抹《まつ》悲しみの影がさす――それだけであった。わたしは、彼女をかばうすべを知らなかったが、ただ、彼女の顔に悲しげな色を見るときだけは、わたしの心に、彼女を手もとへ呼び寄せて、年とった乳母《めのと》のような調子で、「わたしのかわいい孤児よ!」こういって、いたわってやりたい気が起こるのだった。
わたしはなお、彼女がいいおべべを着ると、香水を振りかけるのが好きだったことを覚えている。この点では、彼女はわたしに似ていた。わたしもまた美しい着物を愛し、上等の香水を愛するのである。
わたしはカーチャが十四、五の時分に早くも彼女の心を完全に支配した情熱の発生と発達とを見守る時間と意向の自分になかったのを、今も残念に思っている。わたしは、彼女の劇に対する熱愛をいうのである。暑中休暇に学校から帰って来て、うちに暮らしている間、彼女が脚本と俳優とについて話すときのような熱と喜びとをもって話したことはほかにはなかった。この飽くなき芝居話で、彼女はわたしたちを悩ました。妻と子供たちとは、彼女の話を聞いてやらなかった。ただわたしだけが、彼女の話を聞くのを拒む勇気がなかった。で、自分の歓喜を人と頒《わか》ちたい希望が起こると、彼女はきまってわたしの書斎へはいって来て、祈るような調子で言うのだった――
「ニコライ・ステパーヌイチ、少しあなたとお芝居の話をさせてちょうだいね!」
わたしは彼女に時計を見せて、こう言ったものである――
「三十分だけおまえにあげる。さ、お話し」
その後、しだいに彼女は、自分の崇拝していた男女俳優の写真を何ダースとなく持ってくるようになった。後にはまた、幾度も素人芝居に出ようとしたり、しまいに、学校を出たときには、わたしに向かって、自分は女優になるために生まれてきた者だなどと言ったりするまでになった。
わたしはついぞ一度も、芝居に対するカーチャの心酔を頒《わか》ったことはなかった。わたしに言わせれば、もし脚本がいいものだったら、そのしかるべき印象をうるには、何も俳優を煩わす必要はない、ただ読むだけで十分である。が、もし脚本が悪ければ、どんな演技もそれをよいものにすることはできないだろう。
若い時分にはわたしもよく芝居へ出かけた。今では、わたしの家族は、年に二度くらいは桟敷をとって、わたしを「風あてに」連れて行く。もちろん、演劇についてうんぬんする資格を持つには、これでは足りない、しかしわたしは、それについて少しく語ってみたいと思うのである。わたしの意見によれば、演劇は、三、四十年前に比して、いっこうよくなっているとは思えない。相変わらず劇場の廊下でも、休憩室でも、わたしはついに一杯の清水を見つけることができない。相変わらず桟敷係が、わたしの外套に対して二十カペイカずつ罰金を徴収する、冬厚い外套を着るのになんの不埒《ふらち》もあるまいのに。また、相変わらず幕間《まくあい》には、ぜんぜんなんの必要もなく、芝居から受けた印象に、さらにまた別な、頼まれもしない感銘をつけたす音楽が奏せられる。相変わらず男の観客たちは、幕間に食堂へ行って、アルコール飲料を飲む。もし些事《さじ》において向上が認められないとすれば、大きな方面にそれを求めることのむだであろうことは論をまたない。役者が頭のさきから足のさきまで、芝居の伝統と偏見にしばりつけられて、「ながらえるか、ながらえぬか」というごくありふれた、なんでもない独白を、普通でなく、なぜか必ずしゅうしゅういう声で、全身を痙攣的にふるわせながら言おうと努力したり、あるいはまた彼が、ばかな男どもを相手におしゃべりをしたり、ばかな女を愛したりするチャーツキイが世にも賢明な人間であるように、また「知恵の悲しみ」が退屈な芝居でないということを、是が非でもわたしに思い込ませようと努力したりするときにも、舞台からわたしの方へ吹いてくるのは、古典的な咆哮《ほうこう》や胸を打つ仕ぐさをやたらにふるまわれて、四十年前すでに退屈であったあの同じ陳腐な型なのだ。そして、いつの場合にもわたしは劇場から、そこへはいって行ったとき以上に保守的な人間になって、出てくるのである。
センチメンタルな信じやすい群衆には、芝居は現状のままで一種の学校であるということを信じさせることができる。しかし真の意味における学校を知っている人は、このつり針にはかからない。五十年百年の後に何が起こるかはしらないが、現在の条件においては、劇はただ娯楽として役立ちうるにすぎない。しかしこの娯楽は、それを連続的に利用するにはあまりに高価である。それは、国家から数千の、若い、健康な、天分ある――もし芝居に身をささげなかったら、すぐれた医師とも、農夫とも、女教師とも、将校ともなり得たであろう男女を奪い去っている。またそれは、公衆から夜の数時間を――知的労作や友人との会談にとっての貴重な時間を、奪い去っている。わたしはもう、金銭の浪費や、舞台ででたらめに取り扱われる殺人・姦淫《かんいん》・誹謗《ひぼう》などを見て受ける、観客の精神的損失については、あえて言わない。
が、カーチャはぜんぜん意見を異にしていた。彼女はわたしに向かって、演劇は、現段階においてさえも、講堂より高く、書物より高く、世界の何物より高いと説いた。演劇――これはその一身にすべての芸術を包括せる力であり、俳優は宣教師である。いかなる芸術も、いかなる科学も単独には、舞台のごとくしかく強力に、しかく的確に、人間の魂に作用する力は持たない。さればこそ中どころの俳優が一国において、第一流学者や美術家よりはるかに多くの人気を集めているのも、ちゃんとそれだけの理由があるのである。そして、どんな公的活動も、舞台のそれのような喜びと満足とを与えうるものはほかにはないのである。
こうして、ある日のこと、カーチャは旅まわりの一座へ加入して、巨額の金と、虹《にじ》のような希望の数々と、事業に対する貴族的見解とをいだいて、たぶんウハーへであろうと思われるが、出奔してしまったのであった。
途中からよこした彼女の最初のうちの消息は、驚くべきものであった。わたしはそれを読むたびに、その小さな紙片がそのうちに、いくばくと知れぬ若さと、魂の純潔と、神聖な無邪気さと、同時に、りっぱな男子の知性にとっても名誉となり得たであろうほどの、鋭敏適切な批判とを盛り得たことに、てもなく驚いたものである。彼女は、自分が訪れたヴォルガを、自然を、町々を、仲間を、自分の成功と失敗を、描くのでなく、賛美していた。どの行もどの行も、わたしが彼女の顔に見慣れたあの信頼を呼吸していた――しかも同時に、文法上の誤りが無数にあって、句読点《くとうてん》はまるで打ってなかった。
半年とたたないうちに、「あたしは恋に落ちました」という言葉ではじまっている、ひどく詩的な歓喜に満ちた手紙を受け取った。この手紙には、顔をきれいにそって、鍔広《つばひろ》の帽子をかぶり、格子じまの外套を肩へ投げかけた若者を現している写真が一葉添えてあった。それに続いた手紙は、やはりすばらしいものではあったが、それにはもはや、文法上の誤りは消え、句読点が現われて、強く男のにおいがしていた。カーチャはわたしに、ヴォルガのどこかに合資で大劇場を建てたらよかろうとか、この計画に富裕な商人や船舶所有者たちを引き入れたらどんなによかろうとか、資金が潤沢で、収入が十分あり、俳優たちが共同経営で働くようになったらどんなによかろうとかいうふうなことを書いてよこすようになった……あるいは、これらのことはみなじっさいにいいことであるかもしれないが、しかしわたしには思われる、こうした思いつきは、ただ男の頭からしか生まれ得ないものではなかろうかと。
とまれ、一年半か二年ばかりの間は、どうやら、万事が無事にいっていたようであった――カーチャは人を愛し、自分の仕事を信じていて、幸福であった。しかし、やがてその手紙の中に、わたしは、退廃の著しい徴候を認めはじめた。それは、カーチャがわたしに向かってその仲間について訴え出したことからはじまった――これは第一の、そして最も不吉な徴候である。仮に若い学者なり文士なりがその活動を、同じ学者や文士に対する激しい愚痴からはじめるとすれば、それはつまり、彼がすでに倦《う》み疲れて、その仕事に適しなくなってきた証拠なのである。カーチャはわたしに、その仲間がけいこに顔を出さないで、自分の持ち役はいつまでも理解しないし、愚劣な脚本の上演や舞台上の態度などにおいて、彼らがみな明らかに観客を侮蔑《ぶべつ》していて、みんなが絶えずそればかり問題にしている収益のために、ドラマ女優たちが小唄をうたうまでにみずからを卑しくしたり、悲劇俳優たちが裏切られた夫や、不貞の妻の妊娠といったふうのことをお笑いぐさにした小曲などをうたったりしているということを書いてよこした。まったく、一般的にも、今日までこうした田舎芝居が滅びないで、こんなに細っこい、腐った血管によってどうにか保たれているのは、驚嘆に値する。
その返事に、わたしはカーチャに長たらしい、そしてじつのところ、非常に退屈な手紙を書き送った。その中でわたしは彼女に書いた――「わたしはこれまでにたびたび、わたしに好意をよせてくれた、きわめて上品な老年の俳優たちと話し合ったことがある。彼らとの話からわたしは、彼らの活動を指導するものは、彼ら自身の理性や自由よりも、時の流行や社会の気分であるということを会得した。彼らの最優秀な者でも、その生涯には、悲劇にも、オペレットにも、パリふうのファルス〔笑劇〕にも、パントマイム〔夢幻劇〕にも、出演しなければならなかった。しかし彼らには、常に一様に、彼らは正しい道を歩いて、利益をもたらしているものと思われていたのだ。だからつまり、悪の原因は、俳優たちの中でなく、もっと深く芸術そのもののうちに、芸術に対する社会全体の態度のうちに、求めなければならないわけになる」このわたしの手紙はただカーチャをいらだたせたに過ぎなかった。彼女は答えた――「あたしとあなたとは、別々のオペラの役をうたっているのですわ。あたしがあなたに書いたのは、あなたに好意を寄せたとやらいう、このうえなく上品な人たちについてではありませんわ。上品さなどとはおよそ縁遠い、横着な人間の一団のことですわ。これは、よそではどこでも相手にしてもらえないばかりに、しかたなく舞台へ出ている野蛮人の一団です。彼らが自分を俳優だなんて言っているのは、ただ彼らがずうずうしいからに過ぎません。天才などはひとりもなく、無能な者や、酔いどれや、陰謀家や、金棒ひきなどが多いのですわ。あたしは、自分がこんなにも熱愛している芸術があたしの憎んでいる人たちの手に落ちてしまったのがどんなに悲しいか、申し上げる言葉もないくらいです。あたしには、りっぱな人たちがただ遠くから悪を見ているだけで、近寄ってみようともせず、その中へ首を突っ込む代わりに、ごつごつした文体でわかりきったことを書いたり、だれにも無用な教訓を書いたりしているのが情けないのですわ……」うんぬんと、まあどこまでもこの調子であった。
それからまたしばらくして、わたしはこんな手紙を受け取った――「あたしはむごたらしくだまされていました。このうえ、生きてはいられません。あたしのお金は、どうでもおよろしいように処分してくださいまし。あたしはあなたを父として、またただひとりの友人として、愛していました。さようなら」
これで見ると、彼女の彼もまた「野蛮人の群れ」のひとりだったのである。その後ある暗示によって、わたしは、自殺の試みのあったのを察知することができた。どうやらカーチャは、毒をのもうとしていたものらしい。ここで考えなければならぬのは、彼女がそのあとで大病をしたという一事である。なぜなら、次の手紙をわたしはもう、おそらく医者に勧められて行ったに違いないヤルタから受け取ったからである。わたしにあてた彼女の最後の手紙は、大至急ヤルタへ千ルーブリ送ってくれという願意を内容としたもので、次のような文句で結ばれていた――「どうぞこの手紙の暗い調子をお許しくださいまし。昨日あたしはわが子を葬りましたのです」その後クリミヤで約一年を送って、彼女は家へ帰って来たのである。
彼女は四年ばかりの歳月を旅で送った。そしてこの四年間ずっとわたしは、じつのところ、彼女に対してあまり望ましからぬ、変てこな役まわりを演じていたのだ。彼女が初めわたしに女優になりたいと言い出したとき、それから自分の恋について書いてよこしたとき、その後彼女が周期的に浪費の幽霊に支配され、その要求に従ってわたしがのべつ、千ルーブリ・二千ルーブリと送金しなければならなかったとき、彼女が自殺の計画について、次に赤ん坊の死について書いてよこしたとき、そうしたときわたしはいつも度を失って、彼女の運命に対するわたしの全関心を、ただ、とつおいつの思案のすえ、ぜんぜん書かなくてもよかったような長たらしい、退屈な手紙を書いた事実のうちに、表明したにすぎなかった。しかもわたしは、彼女のためには生みの父の代わりであって、彼女をわが娘のように愛していたのである!
今カーチャは、わたしから半露里のところに住まっている。五室あるアパートを借り、彼女特有の趣味をもって、かなり快適な暮らし方をしている。もしだれか彼女の生活ぶりを描写しようとする人があったら、その画面における気分の主張をなすものは、怠惰であろうと思われる。怠惰な肉体のためには――柔らかい寝いすと柔らかい床几《しょうぎ》がある。怠惰な足のためには――絨氈《じゅうたん》がある。怠惰なひとみのためには――あせやすい、鈍色なり真珠色なりの色彩がある。怠惰な魂のためには――壁面に安物の扇子だの、技巧の独創性がはるかに内容を凌駕《りょうが》しているささやかな画だのの数々と、ぜんぜん不必要な、そして無価値な品物で埋まっているたなや小テーブルのおびただしさと、カーテン代わりの不かっこうなぼろきれなどがある……すべてこれらのものが、輝かしい色彩・均整・単純といったものを恐れる気持ちといっしょになって、精神的怠惰以外になお、生来の趣味の退廃についても裏書きしている。くる日もくる日も、カーチャは寝いすにねそべって、本を、とくに長編小説や中編物語を読んでいる。そして彼女が外へ出るのは、一日に一度きり、午後にわたしに会いにくるときだけである。
わたしが仕事をしていると、カーチャはわたしのそばの長いすに腰をおろして、黙って、寒くでもあるようにショールにくるまっている。わたしが彼女を好いているせいか、あるいは、彼女がまだ少女だったころから珍しくない訪問に慣れていたせいか、彼女の存在は、わたしの気分の集中を妨げない。ときどきわたしが、思い出したように、機械的に、何か彼女に質問すると、彼女はきわめて簡単な返辞を与える。あるいはまた、ちょっとひと息入れるために、わたしが彼女の方をふり向くと、彼女は思い沈んだようなようすをして、何かの医学雑誌か新聞を見ている。そして、そういうときにわたしの気がつくのは、彼女の顔にもはや、昔日のような信頼の表情のないことである。今の彼女の表情は、冷やかで、つまらなさそうで、まるで長い間汽車を待たされている旅客のように、ぽかんとしている。彼女は、昔どおり美しく単純な服装をしているが、その着こなしがいかにも無造作である。着物にも髪容《かみかたち》にも、彼女が毎日ごろごろしている寝いすや揺れいすの跡が、ひと目で見える。そして彼女はもはや、昔のような好奇心を持たない。わたしにももうなんにも尋ねない。まるで、もう何もかも実生活のうえで経験して、新しいことなど何一つ聞こうと思ってないかのように。
四時近くなると、広間と客間にごそごそ人の動く気配がはじまる。これは、音楽学校からリーザが友達を連れて帰って来たのである。やがて、ピアノをたたく音と、発声の練習と、笑い声とが聞こえてくる。食堂では、エゴールが食卓のしたくをはじめて、ガチャガチャ食器の音をたてる。「さようなら」とカーチャは言う。「今日はあたし、みなさんにはお目にかかりませんわ。よろしくね。時間がないのよ。あたしのほうへもいらしてちょうだいね」
わたしが玄関まで送っていくと、彼女は|いか《ヽヽ》|つい《ヽヽ》目つきでわたしを上から下まで見まわして、いまいましそうにこんなことを言う――
「あなたはだんだんおやせになるのね! どうしてお治しにならないの? あたし、セルゲイ・フョードロヴィッチのところへ行って、頼んで来ますわ。いっぺんちゃんと診ておもらいなさいよ」
「そんなことはいいよ、カーチャ」
「あたしわからないわ、おうちのかたたちは何を見ていらっしゃるんだか! けっこうなかたたちね、言うことないわ」
彼女は乱暴に外套を着る。そのとき無造作に束ねた彼女の髪からは、きまってピンが二、三本床の上へ落ちる。髪を直すのは、大儀でもあり時間もない。彼女はさがった毛ぶさをぶきっちょに帽子の下へ押し込んで、さっさと出て行く。
わたしが食堂へはいって行くと、妻がわたしにきく――
「今あなたのお部屋にカーチャがいたんでしょう? どうしてこちらへ寄って行かないんでしょう? なんだか変じゃありませんか……」
「お母さま!」とリーザがしかるような口調で言う。「来たくないなら来てくれないでもいいじゃないの。まさかひざまずいて頼むにもあたらないわ」
「そりゃどうでもいいけどね、だってばかにしてるじゃないの。お書斎に三時間もすわりこんでいて、あいさつもしないで帰るなんて。だけど、まあどうでも勝手にするがいいわ」
ワーリャとリーザとは、どちらもカーチャを憎んでいる。この憎しみはわたしには不可解だ。これを理解するには、おそらく女になる必要があるのだろう。わたしは首を賭《か》けて保証してもいいが、わたしがほとんど毎日自分の講堂で見る百五十人の青年と、毎週会う百人の年輩の男の中で、過去のカーチャ、すなわち結婚を経ない妊娠と私生児とに対する憎悪を理解しうる者が、はたしてひとりでもあるだろうか。同時にまたわたしは、わたしの知る限りの婦人なり娘なりの中で、自身の心中にこうした感情を、意識的になり本能的になり蓄えていない人をひとりとして思い浮かべることはできない。そしてこれは女が男に比較して、より道徳的だからでも、より純潔だからでもないのである。――だって、もし彼女たちが邪悪な感情から解放されていないとすれば、道徳も、純潔も、悪徳と何ほどの相違があるというのか。わたしはこれを、単に女がおくれているという点で説明する。現代の男性が不幸を見て経験する良心の痛みと、同情のいたましい感じとは、憎悪や嫌悪からみてはるかに多く、わたしに文化と道徳の向上について語るものである。現代の女性は、中世紀のそれと同程度に涙もろく、心が荒々しい。そしてわたしに言わせると、女性に向かって、男子と同じ教養を持つ必要があると忠告する人々の行為は、まったく正しいのである。
妻がカーチャを好かないのは、なお、彼女が女優だったからである。恩を忘れたからである、傲慢《ごうまん》だからである。エクセントリックだからである。ひとりの女が常に他の女にわけなく見いだすところの、あの無数の悪徳を彼女が持っているからである。
わたしとわたしの家族以外に、うちではなお、娘の友だちが二、三人と、リーザの崇拝者で熱心な求婚者であるアレクサンドル・アドリフォーヴィッチ・グネッケルが食事をする。それは、まだ三十前の、おそろしくふとった、中背で、肩幅の広い、若い金髪男で、耳のそばに赤毛のほおひげをはやして、ひげ染め粉で染めた口ひげをたてているが、その口ひげは、丸々とふとった滑らかな顔に一種玩具のような表情を与えているのだった。彼は非常に短い背広に、色模様のチョッキをつけ、上の方がだぶだぶで、すその方のばかに狭い、荒い格子じまのズボンに、かかとなしの黄色い靴《くつ》をはいていた。彼の目は、|えび《ヽヽ》のスープみたいなにおいを発するような気さえするのである。彼は毎日うちへやってくるのだが、わたしの家族はだれひとり、彼がどういう生まれで、どこで勉強し、どういう収入で生活しているのか知らないのだ。彼は演奏もしなければ、うたいもしないのだが、音楽にも唱歌にもなにかの関係を持っていて、だれかのピアノをどこかに売り込んだり、しばしば音楽学校に出入りして、片端から有名人と懇親を結んだり、音楽会のきもいりをやったりしている。彼はたいした権利をもって音楽批評をやるが、わたしの気のついたところでは、みんなは進んで彼に同感しているようであった。
富裕な人々は常に自分の周囲に食客を持っている。科学と芸術も同様である。思うに、この世には、このグネッケル氏のような「異体」の存在から自由でいられる芸術なり科学なりはないのであろう。わたしは音楽家でないうえに、よくも知らないグネッケルのことをかれこれ言うのは、あるいはまちがっているかもしれない。しかしわたしには、だれかうたったりひいたりしているときに、ピアノのそばに立って聞いている彼のもったいぶったようすと権威ある態度とが、どうにも疑わしく思われてならないのである。
諸君がよし百倍も紳士であり三等官であろうと、もし諸君に娘があるとすれば、諸君はどうでも、諸君の家庭や諸君の気分の中へ、求愛、求婚、結婚などという問題がしばしば持ち込んでくるあの煩累《はんるい》から保証されるわけにはゆかない。たとえばわたしだ、わたしはグネッケルがわが家にすわり込んでいるときにいつも妻の顔に現われているあの一種勝ち誇ったような表情と融和することは、どうしてもできないのである。またわたしは、われわれがぜいたくな、豊かな生活をしていることを彼に眼《ま》のあたり認識させようとして、ただ彼のためばかりに並び立てられるボルドー酒や、ぶどう酒や、シェリー酒のびんと融和することができない。なおわたしは、リーザが音楽学校で覚えて来た断音的な笑いや、うちに男客が来合わせているときの目の細め方などを消化することができない。しかし、わたしが絶対的に理解できない主要な点は、わたしの習慣や、わたしの科学や、わたしの生活様式とぜんぜん没交渉な、わたしの愛する人たちとはぜんぜん型の違った人間が、何がゆえに毎日わたしの家へやって来て、毎日わたしと食事をともにするのかという一事である。妻や召使いたちはこれは「お婿さんだ」とこそこそささやいているが、わたしはやはりどうしても、彼のここにいる理由が首肯できない、それはわたしの心に、ズールー人〔南アフリカの黒人〕と並んで食卓につかせられたような困惑をよび起こす。なおわたしには、わたしが子供とばかり思い慣れていたわたしの娘が、こんなネクタイや、こんな目や、こんなだぶだぶしたほっぺたを愛するなどということが、どうにも奇怪に思われてならないのである……
以前にはわたしは正餐《せいさん》が好きであった、あるいはそれに無関心であった。が、今ではそれはわたしの心に、退屈と焦躁《しょうそう》以外の何物をもよびさまさない。わたしが閣下となり、一分科の学長となって以来、わたしの家族はなぜか、わが家のメニューと食事の秩序とを根本的に変革する必要を見いだした。わたしが学生だったころ、医員だったころから慣れてきた簡単な料理の代わりに、今ではわたしを、一種白い氷柱《つらら》のようなものの浮いているプリイスープや、マデーラ酒|漬《づ》けの若芽などで養うのである。勅任官と名声とは、わたしから永久に、キャベツ汁《じる》も、おいしいピローグも、りんごつきの|がちょう《ヽヽヽヽ》も、かゆつきの|うぐい《ヽヽヽ》も取りあげてしまった。彼らはまたわたしから、おしゃべりでひょうきんな婆さんだった小間使いのアガーシャをも取りあげて、その代わりに今では、白い手袋を右手に持った、鈍感で横柄な若者のエゴールが、食卓の給仕をする。料理と料理の間《ま》は短いのだが、それを満たすものがなんにもないので、おそろしく長く感じられる。もはや以前のような楽しさも、強《し》いられない会話も、冗談も、笑いもない。以前、一同が食堂に落ち合ったときによくあった、子供たちや、妻や、わたしを浮きたたせたあの喜びも、お互いの愛撫《あいぶ》もない。常住多忙な人間のわたしにとっては、食事は休息と会見の時間であり、妻や子供たちにとっては、ことに彼らがその三十分間は、わたしが学問にも学生にも属さないで、ただ彼らだけの者であるのを知っていたので、じっさい短くはあるけれども、輝かしい、喜ばしい祝祭だったのである。が、今日ではもう、一杯のぶどう酒では酔いもできなければ、アガーシャもいず、かゆつきの|うぐい《ヽヽヽ》もなければ、食卓の下でねこと犬がけんかをするとか、カーチャのほおから結わえてあった布《きれ》がスープの中へ落ちるとかいうような、ちょっとした食卓のスキャンダルがいつも迎えられたあのにぎやかさもないのである。
現在の食卓を描写することは、それは食べるのと同様に甘美でない。妻の面上には、得意の色と付け焼き刃のものものしさと、いつも変わらぬ心づかいの表情とがある。彼女は心配そうにわたしたちの皿を見まわして、こんなことを言う――「あなたがたには焼き肉がお気に召さないとみえますね……どうぞおっしゃってくださいましよ。お気に召さないんでございましょう?」そこでわたしは答えなければならない――「おまえ、そんな心配には及ばないよ。焼き肉はたいへんけっこうだよ」すると彼女は――「あなたはいつもわたしをかばってくださるのね、ニコライ・ステパーヌイチ、そして決してほんとうのことをおっしゃらない。では、アレクサンドル・アドリフォーヴィッチは、どうしてそんなにぽっちりとしか召し上がらないのです?」まあこんなあんばい式で、食事の間じゅう続くのである。リーザは断音的に笑ったり、目を細めたりしている。わたしはつくづくふたりをながめる。と、この食事の間に初めて、わたしには、彼らふたりの内面生活が、もうとうの昔に、わたしの観察圏内からすべりぬけてしまっていたことが明らかになる。このときのわたしの感じは、ちょうど、昔はほんとうの家族といっしょに自分の家に暮らしていたのだが、今は本物でない妻のもとへ客に来て、食事をしたり、本物ではないリーザを見たりしているような気持ちである。ふたりには烈《はげ》しい変化が起こっていたのだが、わたしはその変化が完成された長い道程を見そこなったのだから、なんにもわからないのも当然である。どうしてそんな変化が起こったのか? わたしは知らない、あるいは、すべての不幸は、神が妻と娘には、わたしに与えられたと同じ力を与えられなかった点にあるのかもしれない。少年時代からわたしは、外部の影響に対立して、思うさま自分を鍛錬してきた。名声とか、勅任官の官位とか、満ち足りた生活から収入を無視した生活への転移とか、名士たちとの交誼《こうぎ》とかいった生活上の大変化も、わたしにはちょっと触れただけで、わたしはなんのわざわいも受けず無きずであった。ところが、もともと弱い、鍛えられていない妻やリーザに対しては、これらのことがすべて、まるで大きな雪のかたまりのように落ちかかって、彼らを圧《お》しつぶしてしまったのであった。
令嬢たちとグネッケルとは、遁走曲や重複旋律のことだの、歌手やピアニストのことだの、バッハやブラームスのことだのを話している。妻は音楽の無知を疑われはしまいかとびくびくしながら、彼らに同感するような笑顔を見せたり「あれはよござんすね……そうでしょう? ほんとに……」などとつぶやいたりしている。グネッケルは、もったいぶったようすでものを食い、気取ったようすで冗談を言い、寛容な態度で令嬢たちの話に耳をかしている。ときたま彼には、なっていないフランス語をしゃべりたい要求が現われる、そんなとき彼は、どういうわけかわたしのことを、votre excellence〔閣下〕と呼ぶ必要を認める。
が、わたしはむずかしい顔をしている。どうやら、わたしは彼ら一同を圧迫し、彼らはわたしを圧迫しているようである。これまではわたしはついぞ一度も、階級的反感などを身近く考えたことはなかったのであるが、今はそれに類した感情が、わたしを悩ましているのである。わたしはグネッケルの中にいちずによからぬ特徴ばかりを見いだそうと努め、まもなくそれを見いだして、自分の仲間の人間でない男が花婿の座にがんばっているのに不快を感ずる。彼の同席はなおほかの点でもわたしに悪い影響を持つ。普通わたしは、ひとりきりでいるときとか、好きな人たちといっしょにいるときとかには、自分の功績などということは、てんで考えたためしがない。よしまた考え出す場合があっても、そんなものは、自分がやっと昨日学者になったばかりのような、いかにも取るに足らぬもののように思われるのである。ところが、グネッケルのような人間の前にいると、わたしには功績が、頂上が雲に隠れている高い高い山のように思われて、グネッケルなどというやからは、そのふもとを、目にもはいらないくらいにちょこちょこうごめいているに過ぎないもののように思われるのだった。
食事が済むと、わたしは書斎へ行って、そこでパイプに火をつける。これはずっと以前に朝から晩までたばこをふかしたころの悪習慣から残された、一日じゅうでたった一度きりの名残《なご》りである。わたしがパイプをふかしていると、妻がはいって来て、少しばかりわたしと話をするために腰をおろす。朝と同じように、わたしには、ふたりの間にどんな話がはじまるのか、あらかじめちゃんとわかっているのである。
「ねえ、ニコライ・ステパーヌイチ、わたしあなたとまじめにご相談しなければならないことがありますの」と彼女は始める。「ほかでもない、リーザのことですけどね……どうしてあなたはそんなよそよそしい顔をしてらっしゃるんです?」
「というと?」
「あなたはなんにも気がつかないようなふりをしていらっしゃいますけど、それはいけませんよ。知らん顔で済むことではありませんもの……グネッケルはリーザのことである考えを持っているんですよ……あなたはそれをどう考えていらっしゃいますの?」
「あれが悪い男だとは、わしは言うことができん。なぜなら、わしはあの男をよくは知らんのだから。しかし、あの男がわしの気に入らんことは、それはもう、千べんもおまえに言ってあるじゃないか」
「だって、そんなことはいけませんわ……いけませんわ……」
彼女は立ちあがって、興奮して歩き出す。
「まじめに考えている人に、そんな態度をとるなんていけませんわ……」と彼女は言う。「娘の一生の幸福のことですもの、個人的なものはみんな、うっちゃってしまわなければいけませんよ。わたしだって、あの人あなたのお気に入っていないのは知っています……それはそれでよろしいんです……ですけれど、今もしわたしたちがあの人を断わって、話を打ちこわしてしまったら、リーザが一生わたしたちを恨まないとあなたはどうして保証なさいます? 今日ではいい婿はそうそうざらにあるわけのものではありませんよ。わるくすれば、もうこれきりいい申し込みはないかもしれません……あの人はたいへんリーザを愛していますし、どうやらリーザにも、気に入っているようなんですもの……そりゃあの人には、きまった地位というものはございません、でも、それはしかたがないじゃありませんか? いまに神さまがなんとかしてくださいますよ。なにしろあの人は、生まれはよし、お金はあるし」
「おまえはどこからそんなことを知ったんだ?」
「あの人が言いましたよ。あの人のお父さまはハリコフに大きな家を持っていて、ハリコフの郊外に地所もあるそうです。とにかくですね、ニコライ・ステパーヌイチ、あなたはどうでも一度ハリコフへいらっしゃる必要がありますよ」
「なんのために」
「そこでお調べになるんです……あちらには、お知り合いの教授がたがおおぜいいらっしゃるから、そのかたがたが助けてくださいますわ。わたし自分で行ってもいいんですけれど、わたしは女ですからね。だめですわ……」
「わしはハリコフへなんか行かないよ」とわたしは苦りきって言う。
妻は唖然《あぜん》とする。その顔には苦悩の色が現われる。
「後生です、ニコライ・ステパーヌイチ!」と、彼女はすすり泣きをしながら、わたしに哀願する。「後生ですから、わたしからこの重荷をおろしてください! わたしは、苦しくてたまらないんですもの!」
わたしには彼女を見ているのがつらくなってくる。
「よしよし、ワーリャ」とわたしはやさしく言う。「そんなに言うなら、いいよ、ハリコフまで行って、おまえの気の済むようにして来てやるよ」
彼女は目にハンケチを押しあてて、自分の部屋へ泣きに行く。わたしはひとりきりになる。
しばらくすると、燈火が運ばれる。と、肘掛《ひじか》けいすやランプの笠《かさ》から、久しくながめ飽きたなじみの影が壁や床の上へ流れる。それを見ると、わたしには、早くも夜が来て、わたしののろわしい不眠症がはじまりかけているような気がする。わたしはベッドに身を横たえる。やがて起きて、部屋の中を歩き出す。やがてまた横になる……だいたい食事が済んでから夕方になる前のところで、わたしの神経的興奮はその頂点に達するのである。わたしは理由もなく泣き出して、頭をまくらに埋める。こういうときには、わたしはだれかはいって来はしまいかと恐れ、ふいに死にはしまいかと恐れて、自分の涙を恥じ、総じて心の中にある堪え難いものを感ずるのである。わたしは、もうこのうえランプや、本や、床の上の影を見てはいられないような、客間に響いている話し声を聞いてはいられないような気になる。一種目に見えない、不可解な力が、荒々しくわたしを、住居から外へ突き出すようにする。わたしははね起きると、急いで服をつけ、うちの者に気づかれないように用心して、そっと戸外へ忍び出る。どこへ行くのだ?
この質問に対する答えは、もういつからとなくわたしの頭に熟している――カーチャのもとへ。
例によって彼女は、トルコ式長いすか、寝いすの上にねそべって、何かを読んでいる。わたしを見ると、彼女は大儀そうに頭をもたげて、起きあがると、わたしの方へ手を差し出す。
「おまえはいつでも寝てるんだね」とわたしは、しばらく黙っていて、ひと息ついてから言う。「からだのためによくないよ。何かしなけりゃいけないね!」
「ええ?」
「何かしなくちゃいけないって言うんだよ」
「何をするんですの? 女にできることは、普通の女労働者になるか女優になるかよりほかありませんわ」
「だから、どうなんだ? もし女労働者になれないなら、女優になったらいいじゃないか」
黙っている。
「それよりお嫁に行ったらどうだね」と、わたしは半分冗談口調で言う。
「相手がありませんわ。それに、なんのために結婚なんかするんでしょう」
「しかし、このままでは生活ができんじゃないか」
「夫がなくてはですか? まあたいへん! 男なんか、それこそ、持とうと思えば、いくらだって持てますわ」
「それは、カーチャ、美しくないよ」
「何が美しくないんですの?」
「おまえがたった今言ったことさ」
わたしが憂うつになっているのに気がつくと、よからぬ印象をかき消そうとでもするように、カーチャは言う――
「さ、まいりましょう。こっちへいらっしゃい。ほら」
彼女はわたしを、小さな、非常に居心地《いごこち》のいい部屋へ案内して、書卓の方をさしながら言う――
「ほらね……あたしこれあなたのためにこしらえさせたのよ。これからここでお仕事なさるといいわ。これから毎日お仕事を持ってここへいらっしゃいな。お宅ではみんながあなたのじゃまばかりしますからね。ね、ここでお仕事なさるでしょう? いいでしょう?」
拒絶して彼女を悲しませたくないばかりに、わたしは彼女に、ここへ来て仕事をする。部屋は非常に気に入ったと答える。それからわたしたちは居心地のいい部屋に御輿《みこし》をすえて、話をはじめる。
あたたかさと、居心地のいい周囲と、気のあった人の目の前にいることは、今ではわたしの心に、以前のような満足感でなくて、愚痴や泣きごとに対する強い衝動をよびさます。なぜかわたしには、愚痴をこぼすか泣きごとでも並べたら、ずっと気分が楽になるような気がするのである。
「どうもおもしろくないよ、おまえ!」とわたしは嘆息とともにはじめる。「どうもはなはだおもしろくない……」
「まあ、どうして?」
「こういうわけだ、聞いておくれ。王さまの最上の権利、至聖の権利は――寛恕《かんじょ》の権利だ。そして、わしはいつも自分を、王さまだと感じていた。なぜなら、無限にこの権利を利用していたからだ。わしはかつて他人をさばいたことはなかった。あくまで寛容だった、進んで左右のすべてを許してきた。他の人なら、抗議するか憤慨するかしたところでも、わしはただ忠告するか説得するだけにとどめてきた。わしは自分の一生を通じて、自分の同席することが、家族にとり、学生にとり、同僚にとり、召使いにとって、重荷にならないようにとばかり努めてきた。そしてこうしたわしの人に対する態度が、わしと接触したすべての人を教育したことはわしも知っている。だが今日では、わしももう王さまではない。わしの心には、ただ奴隷だけにふさわしいようなあるものができている――わしの頭の中には、日夜邪悪な思想がさまよい、魂の中には、かつて知らなかった感情が自分の巣を構えてしまった。わしは憎みもすればさげすみもする。激昂《げきこう》もすれば憤慨もし、また恐れもする、わしはむやみに厳格になった、やかまし屋になった、おこりっぽくなった、不あいそになった、疑い深くなった。以前には、わしにただよけいなしゃれを言わせ、人のいい笑いをさせたにすぎなかったことまでが、このごろでは、わしの中に重苦しい感情を起こさせる。わしの論理も変わってしまったよ――昔はわしはただ、金だけを卑しんでいたのだが、今では金ではなく、金持ちに対して、まるで彼らが罪人ででもあるかのような悪感をいだいている。昔は暴力と専横とを憎んでいたが、今では、暴力を用いる人間を憎んでいる。まるで悪いのは彼らだけで、互いに教育し合うことを知らないわれわれ全体ではないように。これはいったい何を意味するのだろう? もし新しい思想と新しい感情とが、信念の変化から起こったものとすれば、その変化はどこから来たのだろう? 世の中がわるくなったのか、わしがよくなったのか、それとも前にはわしが盲目で無関心だったのか? もしこの変化が、肉体力精神力の一般的低下からきざしたものとすれば――だって、わしは病気で、このとおり毎日体重が減ってゆくんだものね――とすれば、わしの状態はあまりにみじめだ――つまり、わしの新しい思想はアブノーマルで、不健全だというわけになるからね、わしはそれを恥じて、つまらないもののように考えなければならんようになるからね……」
「この場合に、病気なんかちっとも関係ありませんわ」とカーチャはわたしをさえぎる。「ただ、あなたの目が開いた――それだけのことですわ。前にはなぜか認めようとなさらなかったことが、目に見えてきたのですわ。あたしに言わせれば、あなたは、何はおいてもまず、徹底的に家族から離れて、家を出ておしまいにならなければいけないわ」
「おまえはとんでもないことばかり言う」
「だって、あなたはもうあの人たちを愛してはいらっしゃらないじゃありませんか、それだのになんで心にもないことをしてるわけがありますの? そう言っちゃなんですけれど、あれがいったい家族でしょうか? なんでもありゃしませんわ? 今日あの人たちが死んでしまっても、明日はもうだれひとりあの人たちがいなくなったのに気のつく者はありませんわ」
カーチャは、妻や娘が彼女を憎んでいるのと同じ程度に、強くあれたちを軽蔑している。いったい今日の世の中で、人が互いに軽蔑し合う権利などということについてうんぬんするのが許されていいものか。しかし、もしカーチャの見地に立って、そうした権利の存在を認容するとすれば、妻やリーザが彼女を憎んでいると同じように、彼女があれたちを軽蔑する権利を持つことをも、いなむわけにはゆかないのである。
「なんでもありゃしませんわ!」と彼女はくり返す。「あなたは今日お食事をなすって? あの人たちはあなたを食堂へ呼ぶのをよく忘れなかったものだわね? でも、よく今日まであなたの存在を覚えてたものだわね?」
「カーチャ」とわたしはきっとなって言う――「もう黙ってもらいたいね」
「じゃ、あなたは、あたしがあの人たちのことを楽しんで話してるとお思いになって? あたしは、もしあの人たちをぜんぜん知らなかったら、どんなにうれしかっただろうと思うわ。ねえ、あたしの大事なおじさま――あたしの言うことをきいて、何もかもすてて、家を出ておしまいなさいな。外国へいらっしゃいな。早ければ早いほどけっこうよ」
「何をばかな! 大学はどうするのだ?」
「大学もおんなじよ。大学があなたにとってなんですの? なんの意味もないと同じじゃありませんか。あなたは、もう三十年も講義してらっしゃるけれど、あなたの生徒たちはどこにいますの? 有名な学者がたくさんできて? 数えてごらんなさいな――無知を食い物にしたり、金もうけを第一にしたりするような医者の数をふやすために、そんなことのために、りっぱな、才能ある人になる必要なんかありませんわ。あなたはよけいな人ですわ」
「ああ、おまえはなんという痛いことを言うのだ!」とわたしはおじけをふるう。「なんという痛いことを! もう黙ってくれ、黙らなければわしは出て行く! わしはおまえのしんらつさに答えるすべを知らんのだ!」
小間使がはいって来て、わたしたちをお茶に呼ぶ。サモワールのそばへ行くと、ありがたいことに、わたしたちの話題も変わる。もう泣きごとを並べてしまった後では、わたしは、自分のもう一つの年寄りらしい弱点――思い出話の方へ心をひかれる。わたしはカーチャに自分の過去を語り出して、自分でも驚くほど、そんなことが記憶に残っていようなどとは思ってもみなかったようなこまごまとしたことを彼女に伝える。彼女は感動と誇らしさを色に見せ、息をひそめて、わたしの話に傾聴する。とりわけわたしが好んで彼女に語るのは、わたしが昔予備校で勉強していたころのこと、大学へはいろうと空想していたころのことである。
「わしはよくその予備校の校庭を散歩したものだ……」とわたしは話すのである。「風が、どこか遠い酒場から、手風琴の音や歌の声を運んできたり、学校の垣根《かきね》添いに、鈴をつけたトロイカがりんりん走り通ったりする。わしの胸ばかりでなく、腹や、足や、手までが急に幸福に満たされるには、それだけでもう十分なのだ……手風琴の音や、しだいに遠ざかって行く鈴の音に聞き入りながら、わしは自分をいっぱしの医者であるように想像して、一つは一つよりますますよくなるいろんな空想をしきりに描いていたものだ。ところが、おまえも見るとおり、空想は実現された。わしは当時空想しえた以上のものをかちえた。三十年間、わしは評判のいい教授だった。優秀な同僚を持ち、名声を享楽した。わしは恋をした、熱烈な愛に結ばれて結婚して、子供を持った。要するに、既往を顧みれば、わしの生涯は、巧みに組み立てられた美しい楽曲のようにわしには思われる。今わしに残されているのは、ただ最後をきずつけまいという一事だけだ。このためにわしは、人間らしい死に方をしなければならぬ。もし死がじっさいに恐ろしいものだったら、わしはそれを、教師として、学者として、キリスト教国の市民としてふさわしい態度で迎えなければならぬ――敢然と、平静な心をもって。ところが、わしは終わりをきずつけている。わしはおぼれかけている、そこで、おまえのところへ駆けつけて、救いを求めているものを、おまえはわしに――おぼれなさい、それがあたりまえだと言うのだ」
ところがこのとき、玄関にベルの音が聞こえる。わたしとカーチャとはそれを聞きつけて、話しあう――
「きっとミハイル・フョードロヴィッチよ」
はたして、二分ばかりすると、わたしの同僚の言語学者で、ミハイル・フョードロヴィッチという背の高い、体格のりっぱな、五十年輩の、ふさふさとした白髪に、黒い眉をした、無髯の男がはいってくる。これは善良な人で、すぐれた同僚である。彼は、わが文学史上文化史上に大きな役割を演じた、かなり幸福な、天分ある古い貴族の家の生まれである。彼自身も聡明で、才能豊かで、非常に教養の高い男であるが、しかし少しばかり変わったところも持っている。ある程度まではわれわれ一同は変人で、変わったところを持っているが、彼の変質性はいささか趣きを異にして、彼の知人たちにとってまんざら危険がなくもないものを含んでいる。彼のこの変質性のゆえに、彼の幾多の美点をぜんぜん認めようとしない人の、その知人間にあるのを、わたしは少なからず知っている。
わたしたちのそばへくると、彼はゆるゆると手袋をぬいで、びろうどのようなバスで言う――
「こんにちは。お茶ですか? こいつはうまいところへ来合わせましたね。ものすごい寒さじゃありませんか」
それから彼はテーブルの前へ腰をおろして、コップを取り上げると、さっそく話をはじめるのである。彼の話しぶりのいちばんの特徴は、いつも変わらぬ冗談口調、シェークスピアの墓掘りに見られるような哲学と諧謔《かいぎゃく》との一種の混交である。彼はいつもまじめな事柄について話すくせに、決してまじめには話さないのである。彼の批評は常にしんらつで口ぎたないが、もの柔らかくなめらかな冗談口調のおかげで、しんらつさも口ぎたなさも耳を刺すことなく、人はじきそれに慣れてしまうのだ。毎晩彼は五つ六つずつ、大学生活のアネクドートを用意して来て、テーブルにつくとすぐ、普通まずそれからはじめるのである。
「おお神よ!」と彼は、その黒い眉をあざけるように動かしながら、ため息をつく。「世の中にはなかなか喜劇役者が多いもんですね!」
「どうしてですの?」とカーチャがきく。
「わたしが今日講義をすまして出てくると、階段の上であの老いたる白痴、N・Nに出くわしたと思いなさい……先生、例によって、あの馬のようなあごを前へ突き出し、だれか、例の偏頭痛や、細君や、彼の講義に出席するのを好まぬ学生のことなどをこぼす相手はないものかと、物色しながらやってくる。あ、見つかったな――さあ、しまった、万事休した、とわたしは考える……」
まあざっと、こういった調子でさきをつづける。さもなければ、こんなふうにはじめる――
「昨日わたしは、わがZ・Zの公開講演に行きましたがね。いやはやどうも、あんまり大きな声では言われないが、わが alma mater〔母校〕が、あのZ・Zのごとき、のらくら者で札つきのばか野郎を、よくも公衆の面前へ出したものだとあきれましたよ。だって、あれはヨーロッパばかじゃありませんか! まあなんですよ、まっぴるまちょうちんをつけてヨーロッパじゅうをさがしまわったって、あんなのはふたりと見つかりませんぜ! なにしろ、いいですか、まるで氷砂糖でもしゃぶってるような講演ぶりなんですからね! シュッ、シュッ、シュッなんて……やっこさんすっかりあがっちまって、自分の原稿すら満足にゃ読めないしまつ、思想ときたら、自転車に乗った管長さまみたいな速力で、よたよたふらふら動いて行くのさ、しかも何より閉口なのは、やっこさんいったい何を言おうとしてるんだか、てんで見当もつかないことです。この退屈さったら、あれじゃ|はえ《ヽヽ》でも死んでしまうでしょう。あんな退屈さは、学校の大講堂で、例年の大会にあのやりきれない定例演説のある、あのときの退屈さと比肩すべきもんですよ」
そこで、またひょいと話が飛ぶ――
「ニコライ・ステパーノヴィッチは覚えていられるでしょうが、三年前にわたしがこの演説を読む番にあたったことがある。暑くて、息苦しく、礼服はわきを締めつけるし――まったく死ぬ思いでしたよ! わたしは、三十分読み、一時間読み、一時間半読み、二時間読んだ……≪やれ、ありがたいぞ、あとはもう十ページだ≫わたしはこう考えた。ところが、しまいのほうに、ぜんぜん読む必要のない個所が四ページあったので、わたしはそれを抜いて数えてみた。つまり、残りはたった六ページだ、こう考えたのです。ところがだ、いいですか、ちらっと前へ目をやると――最前列に綬《じゅ》を掛けたどこかの将軍と僧正とが並んで控えてござる。かわいそうなふたりは退屈のあまりこちこちになって、居眠りしまいと、一所けんめい目をみはっている。しかも、それでいてやはりその顔にしいて注意の表情を浮かべて、わたしの朗読がよくわかっておもしろいというような顔をしている。そこでわたしは考えた。ふん、そんなにお気に召してるなら、さあきさまら! 今にみろ! こう思って、わたしはその四ページまで全部読んでやったんですよ」
一般に皮肉な人の常として、彼が口をきいているとき、彼の顔で笑っているのは目と眉毛だけである。彼の目の中には、その場合、憎悪もなければ、邪念もないが、ただ非常に炯眼《けいがん》な人々にだけ見られるような多くの機知と、|きつね《ヽヽヽ》のような特殊の狡猾《こうかつ》さとがある。ところで、彼の目について話し出したついでに、わたしはもう一つその特徴を取りあげてみよう。彼がカーチャからコップを受け取るときとか、彼女の話を聞いているときとか、彼女が何かの用でちょっと席をはずすのを見送るときとかに、彼の目の中に、いつもわたしは、どことなく従順な、祈るような、純なあるものを認めるのである……
小間使がサモワールを片づけて、テーブルの上へチーズの大切りと、くだものと、クリミヤのシャンパン酒のびんを並べる。これはかなり粗悪な酒だが、クリミヤにいたころにカーチャが好きになったものである。ミハイル・フョードロヴィッチは、重ねだなからカルタを二組とり、それでページェンス〔ひとり占い〕を並べはじめる。彼の信ずるところによると、ある種のひとり占いは、かなり思考力と注意力とを要求するものだが、それにもかかわらず彼は、カルタを並べながらやはり、おしゃべりで気散じするのを少しもやめない。カーチャは、注意深く彼のカルタを見つめていて、言葉でよりも多く手まねで、彼を助けている。彼女は酒は、ひと晩じゅうに二杯以上は飲まない。わたしは四分の一杯飲む。自然、残りはミハイル・フョードロヴィッチの領分になるのであるが、この男はいくら飲んでも、決して酔うということはないのである。
ページェンスの間に、わたしたちはいろんな問題を、とりわけ高級な問題を解決する、その際何よりもまず槍玉《やりだま》にあがるのは、われわれが最も愛しているもの、すなわち科学である。
「科学は、神さまのおかげで、どうやら今日まで命脈を保ってきたが」とミハイル・フョードロヴィッチは、一語一語間をおいてはっきりと言う。「彼女の歌はもううたいきられたのです。そうですよ。人類はすでにそれを、他の何ものかに置き代える要求を感じはじめているのです。科学は偏見の土壌に芽ぐみ、偏見につちかわれて、今ではその死んだ祖母たち――錬金術や、形而上学や、哲学と同様、偏見から生まれ出た第五元素となっている。そして、じっさいそれは人類に何を与えたでしょうか? だってどうです、学問のあるヨーロッパ人と、おのれになんの科学をも持たないシナ人との間の相違は、純粋に外部的の、きわめて些々《ささ》たるものではないですか。シナ人は科学を知らなかった、しかし、そのために何を失ったでしょう?」
「|はえ《ヽヽ》も科学は知りませんよ」とわたしは言う。「しかし、それがどうだというのです?」
「いや、ニコライ・ステパーヌイチ、なにもそんなにむきになる必要はありませんよ。だって、ぼくがこんなことを言うのは、ただここだけじゃありませんか……ぼくだってあなたが考えていられるよりは注意深い人間だから、こんなことをまさか公然と口にするようなまねはしませんよ、神よ、救いたまえ! 多数者の中には、科学や芸術は農業や商業よりも高いもの、手工業よりも高いものという偏見が巣くっています。われわれの一派はこの偏見に養われているんだから、それを破壊するのは、あなたやわたしの仕事じゃないんですよ。神よ、救いたまえ!」
「今日では、われわれの聴衆は堕落しました」とミハイル・フョードロヴィッチはため息をつく。「理想とかなんとかいうことはしばらくおくとして、せめて筋の立った仕事をしたり考えたりする能力があればですがね! そこでつまり、『予は今日の時代を悲しく見る』ってなことにもなるんですよ」
「そうですわ、ずいぶん堕落してしまいましたわ」とカーチャも同意する。「まあおっしゃってみてちょうだい、最近五年十年の間に、あなたの学生の中に一人でもすぐれた人がありまして?」
「ほかの教授のことはどうか知りませんが、自分の学生には、そうした記憶はありませんね」
「あたしはこれまでにずいぶんおおぜいの学生や、あなたがたの若い学者や、役者なども見ましたわ……それがどうでしょう? 一度だって英雄だの天才だのは愚かなこと、ただ興味が持てるというだけの人にだって、会ったためしはありませんわ。どれもこれも灰色の、平凡な、うぬぼれだけの強い人たちばかりですわ……」
こうした堕落うんぬんの話は、いつもわたしに、ふとしてわが娘のよからぬうわさでも小耳にはさんだときのような印象を与えるのだった。わたしには、これらの非難が、堕落だとか、理想の欠如だとか、美しい過去を引き合いに出すとかいったふうの|かかし《ヽヽヽ》めいたきまり文句や、古く言い古されたわかりきった根底の上に立つ十|把《ぱ》ひとからげであることが腹立たしい。いったい非難というものは、よしんばそれが婦女子の間で言われるものであっても、できるだけの確実性をもって、方式化されなければならないものなのだ。でなければ、それは非難ではなく、礼儀ある人々にふさわしからぬ、空虚な誹謗《ひぼう》に終わってしまう。
わたしは老骨で、もう三十年も学校に勤めてきたが、堕落とか、理想の欠如とかいうことはただの一度も心づかなかったし、現在が過去よりわるくなったとは毛頭考えていない。この場合においては、その経験が相当にものをいうわたしの小使のニコライが言っている。今日の学生は昔のそれより、よくもなければわるくもないと。
もしわたしに、今日の学生のどこが気に入らないかときく人があったら、わたしはそれに対して、即座にでもまた多弁にでもないけれども、かなり決定的の解答を与えるだろう。わたしは彼らの欠点を知悉《ちしつ》している。だからわたしには、あいまいなおきまり文句を並べる必要はないのである。わたしには彼らがたばこをのむこと、アルコール飲料を用いること、晩婚であること等が気に入らない。彼らがのんきで、しばしば、自分たちの仲間に飢えた学生のあるのを平気で見過ごしたり、学生扶助会の会費を払わなかったりするほどむとんじゃくであるのが気に入らない。彼らは新しい言葉を知らなくて、ロシア語ですら正しい表現ができない。現に昨日なども、わたしの同僚の衛生学者は、学生が物理学の知識に乏しくて、気象学をぜんぜん知らないために、講義をするのに二倍ほねがおれるとわたしにこぼしていた。彼らは、新時代の作家でさえあれば、それがあまり感心しない作家であっても、進んでその影響を受けるくせに、シェークスピアとか、マルクス・アウレリウスとか、エピクテトスとか、パスカルとかいうような古典に対しては、ぜんぜん無関心であり、そしてこの大と小とを識別しかねる無能力のうちに、最も多く、彼らの日常生活上の非実現性が現われているのだ。多少とも社会性を帯びたすべての困難な問題(たとえば移民問題のごとき)になると、彼らは寄付金名簿によってそれを解決して、科学的研究や実験の方法によろうとしない。しかもその方法は十分彼らの手中にあり、最も多く彼らの使命に添うものであるにもかかわらず、しないのである。彼らは進んで病院の常置医員となり、助手となり、実験手となり、自由聴講生となり、四十近くまでもそれらの地位にかじりつくことを考えている。ところが科学においては、たとえば芸術や商業における以上に、独立性、自由の感情および個性のイニシャチーブが必要であるのだ。わたしにも、学生や聴講者はおおぜいあるが、助手や後継者はひとりもいない。だから、わたしは彼らを愛し、彼らに同情してはいるが、彼らを誇る気にはなれない。まあ、万事がこの調子である……
こうした欠陥は、その数がどれほどあろうとも、ただ小心でおくびょうな人間にだけ、厭世的な、あるいは口やかましい気分をよび起こし得るにすぎない。すべてこうした欠陥は、偶発的な、移り気な性質を持っていて、常に生活条件によって左右されるものである。十年もたつうちには、そうしたものは消え去るか、あるいはそれなくしては済まない別の新しい欠陥に場所を譲るかするだろう。そして、それがまた自分の番として、小心なものをおびやかすことになるだろう。学生たちの非行はしばしばわたしをいらいらさせる。しかしこの遺憾は、わたしが過去三十年の間、彼らと話し、彼らに講義し、彼らの態度に注意し、彼らの範囲以外の人々と比較して味わってきたあの喜びの前には、何ものでもないのである。
ミハイル・フョードロヴィッチは非難を続け、カーチャは聞き、そしてふたりは、こうした、近い者を非難するという、一見なんの罪もない気晴らしが、しだいに彼らを、どんな深みへひき入れてゆきつつあるかに心づかないでいるのである。彼らは、なんでもない座談がしだいに高じて嘲弄《ちょうろう》に変じ、冷笑になってゆくことを、自分たちふたりが誹謗《ひぼう》的態度にさえ陥ってゆきつつあることを、感じないでいるのである。
「世の中にはずいぶんこっけいなやつがあるもんですよ」とミハイル・フョードロヴィッチは言う。「ぼくは昨日、わがエゴール・ペトローヴィッチのところへ行って、そこでひとりの大学生と落ち合ったんですがね。それはあなたの生徒のひとりで、たしか三年生だったと思います。いわばドブロリューボフ〔『知恵の悲しみ』の作者〕型といった顔をした男でね、額には深慮遠謀の刻印が捺《お》されているのです。ぼくらは話しました。『ねえきみ、こんな話があるんだがね』とぼくは言ったのです。『ぼくらはね、あるドイツ人が――名まえは忘れたが――人間の脳髄から新しいアルカロイド、白痴の元素を抽出したということを読んだんだがね』こう言うとですよ、あなたはどう思いますね? その男は頭からそれを信じて、顔に尊敬の色まで浮かべてですね――それご覧なさい、それがわれわれの仲間ですよ! とでも言いたげなようすです。かと思うとです、近ごろぼくが芝居に出かけてですね、いすにつくと、ちょうど一つ前の列にふたりの男が陣どっている。そのいわゆる『われわれの仲間』のひとりは、どうやら法科生で、もうひとりの毛深い男は医科生です。医科生のほうは、靴屋のように酔っ払っていました。舞台のほうはまるきりおるすです。こくりこくりとしきりに舟をこいでいます。それでいて、役者が大きな声で独白でもやり出すか、ちょっと声を張っただけでも、わが医科生君は身ぶるいして、隣の仲間のわき腹を突っついて、こうきくのです――『何を言ってるんだい? 高尚なことかね?』――「高尚なことだ」と『われわれの仲間』のひとりは答える。『ブラーヴォー!』と医科生は叫ぶ。『高尚だぞう。ブラーヴォー!』どうです、この酔っ払いの大ばか野郎は、芝居へ芸術を見に来たんでなく、高尚を求めに来たんですよ。やつには高尚が必要だったんですよ」
カーチャは聞いて、笑っている。彼女の笑い方はちょっと変だ――吸う息が早く、リズミカルに正しく吐く息と交互になって、それがまるで手風琴でも弾くような音をたてる――しかも、顔のほうはそれにつれて、ただ鼻の穴だけが笑うのである。わたしはがっかりして、言うべき言葉を知らない。われを忘れると、かっとなって、立ちあがりざまにこう叫ぶ――
「いいかげんに黙りたまえ! どういう気できみがたは、二匹の|がま《ヽヽ》みたいにすわりこんで、自分たちの呼吸で空気を腐らしてるんです? たくさんですよ!」
そして、彼らが誹謗をやめるのを待たないで、わたしは帰りじたくをする。それにもう時間である――ちょうど十時だ。
「ぼくはもう少しおじゃましますよ」とミハイル・フョードロヴィッチは言う。「かまいませんね、エカテリーナ・ウラジーミロヴナ?」
「かまいませんとも」とカーチャは答える。
「Bene〔よろしい〕 そういうわけだったら、もうひとびんちょうだいしたいもんですね」
ふたりはろうそくを持って、わたしを玄関まで送り出す。わたしが外套を着ている間に、ミハイル・フョードロヴィッチが言う――
「このごろあなたはひどくやせて、年をとられましたね、ニコライ・ステパーヌイチ。どうなすったんです? どこかおわるいんですか?」
「ええ、少々よくないんです」
「そのくせ治そうともしないのよ……」と、カーチャがむずかしい顔をして口を出す。
「どうして治そうとしないんです? よくもそんなことがしてられますねえ? 神さまは用心深い人をお守りになるですよ。では、お宅のかたがたによろしく。ごぶさたのおわびを申しあげといてください。近々、外国へ立つ前にお別れにあがります。きっと! ぼくは来週立つつもりですよ」
わたしは自分の病気のことを言われたのに気をいらだたせられ、驚かされて、自己不満の気持ちをいだいて、カーチャのもとを出る。わたしは自分に尋ねる――じっさい、同僚のだれかに見てもらわなくてもいいだろうか? と、その下からわたしは、その同僚がわたしの言うことを聞いてから、黙って窓の方へ行き、ちょっと考えて、わたしの方へもどって来て、顔色でわたしに真実を読まれないように努めながら、さりげない調子で――
「今のところ、何も格別な変化は見えませんね。しかし、なんですよ同僚、わたしはやはり仕事をやめられるようにお勧めする」こう言うであろうことを想像する……そしてこれは、わたしの最後の希望を奪うものなのである。
希望を持たない人間があるだろうか? 自分で自分を診察して、自分で自分を治療している現在では、わたしはときどき、自分の無知が自分を欺いているのかもしれぬ、自分は自分に発見した蛋白《たんぱく》と糖分について、心臓について、毎朝二度も発見した|むくみ《ヽヽヽ》について、誤診しているのかもしれない、こういう点に希望をつないでいる。ヒコポンデリ患者の熱心をもって治療法の教科書をひもといて毎日薬を変えてみるとき、わたしはいつも、今に何かいいことにぶつかるだろうという気がするのである。なんという笑止なことであろう。
空が雨雲におおわれていようと、そこに月や星が輝いていようと、わたしは家路をたどりながらいつも空を見あげて、もうじき死が自分を取りにくるのだということを考える。人は、こういうときのわたしの思想は、空のように深く、明らかで、驚嘆すべきものに違いないと考えるだろう……ところが、否である! わたしは、自分自身のこと、妻のこと、リーザのこと、グネッケルのこと、学生たちのこと、一般に人々のことを考える。わたしは要でもないことを、くよくよと考えて、自分自身に対して奸策《かんさく》をろうするのである。そして、このときのわたしの世界観は、有名なアラクチェーエフがその書簡の一つに書いている言葉で表現することができる――『この世にあるいっさいの善は、悪なしにはあり得ない、そして常に善よりは悪が多いのである』すなわち、いっさいはいとうべきであり、生きなければならぬ理由は一つもない、そしてすでに生きてきた六十二年は、滅びたものとして考うべきである。わたしはこういう思想をいだいている自分に心づくと、こんな思想は偶然である、一時的のものである、わたしのうちに深く根ざしているものではないとみずから説得しようと努めるが、そう思う下からもう考えるのである――
≪もしそうだったら、どうしておまえは、毎晩あの二匹の|がま《ヽヽ》のところへ気をひかれるのだ?≫
そしてわたしは、もう二度とカーチャのところへは行くまいとみずから誓う――明日になればまたのこのこ出かけて行くのを百も承知でいながら。
わが家のベルを鳴らし、それから階段をのぼって行きながら、わたしは、自分にはもはや家族はない、また、それを取りもどしたい欲求もないのだと感ずる。今や明らかに、新しいアラクチェーエフの思想は、偶然でもなく、一時的でもなく、わたしのうちに根をおろして、わたしの全存在を支配しているのである。病める良心をいだき、わびしいもの憂《う》げな気持ちで、さながらわが身に千プードの重みでも加わったような感じで、かろうじて四|肢《し》を動かしながら、わたしは寝床に身を横たえて、たちまち死んだように眠ってしまう。
が、その次が――不眠症である……
夏がくる、そして生活が一変する。
ある朝、リーザがわたしの部屋へはいって来て、おどけ半分の調子で言う――
「さあまいりましょう閣下。おしたくができてございます」
閣下は街路へ導かれ、辻《つじ》馬車に乗せられて、連れて行かれる。走っている馬車の中で、わたしは所在ないままに、看板を右から左へ読んでいく。「TRAKTIR」〔料理屋〕という言葉が、「RITKART」になる。これはある男爵の姓にぴったり当てはまる――男爵夫人リトカルトだ。やがて、馬車は野へ出て墓地のかたわらを通る。わたしは、まもなくそこに眠るべき身であるのに、墓地はさらになんの感銘をも与えない。それから森を過ぎ、また野へ出る。興味をひくものは一つもない。二時間の車行の後に、わが閣下は、別荘の階下へ案内されて、緑色の壁紙をはりまわした、きわめて感じのいいこじんまりとした部屋をあてがわれる。
夜は例によって不眠症に悩まされるが、朝になっても目はさめず、妻の話を聞くこともないので、床の中にじっと長くなったままでいる。わたしは眠っているのでなく、夢幻の境地、眠ってはいないが夢だということはわかっているという、あの半無意識状態にいるのである。正午ごろ起きあがると、習慣で机には向かうが、もう仕事はしない。退屈しのぎに、カーチャが送ってくれる黄色い表紙のフランス本を読む。もちろん、ロシアの著者のものを読むのがより愛国的なのではあるが、正直のところ、わたしは彼らにはあまり特別な嗜好《しこう》を持っていないのである。二、三の古い作家を除いて、すべての現代文学は、わたしには文学でなく、単に奨励のために存在しているだけで、その製品はあまり喜んで利用されぬていの一種の手工業ででもあるかのように思われるのだ。これらの手工品は、その最もすぐれたものでも、驚嘆すべきものだなどとは言えないし、「しかし」なしで心から称賛するわけにはゆかない。わたしがこの十年ないし十五年の間に読んだ文学上の新作品についても、これと同じことを言わなければならぬ――一つの驚嘆すべきものもなければ、「しかし」なしで済むものもない。賢明であり、上品である、しかし才気がない。才気があり、上品である、しかし賢明でない、あるいはまた――才気があり、賢明である、しかし上品でない。
もっとも、わたしにしても、フランスの作品は全部才気もあり、賢明でもあり、上品でもあると言うのではない。それらも、ことごとくわたしを満足させるものではない。しかしそれらは、ロシアの作品ほどに退屈でない。そしてその中には、創作の重要な一要素――ロシアの作家に見いだされない個人的自由の感情を見いだすこともまれではない。わたしは、作者が意識して最初の一ページから自分自身を、さまざまな条件や自分の良心との契約で拘束しようと努めていない新しい作品を、一つも記憶しない、あるいは裸体について語ることを恐れ、あるものは心理解剖で自分の手足を束縛し、さらにあるものには、「人間にたいするあたたかい態度」が必要であり、またさらにあるものは、傾向文学の嫌疑《けんぎ》を受けまいとして、ことさらあらゆるページを自然描写で塗りつぶしている……あるものはその作品の中で必ず町人たらんとし、あるものは必ず貴族たらんとしている、万事この調子である。企画はある、細心はある、小利口なところはある。が、思うがままに書く自由もなければ、勇気もない、つまり創造がないのである。
これらのことはあげてことごとく、いうところの美文学に当てはまるわけである。
では、ロシアのまじめな論文、たとえば社会学とか芸術とかに関するものはどうかと言えば、そういったものは、単なるおくびょうからわたしはいっさい読まない。少年時代や青年時代には、わたしはなぜか、門衛や、劇場の桟敷かたなどに一種の恐怖心をいだいていたものである。そしてこの恐怖心は、今に至ってもなお、わたしの心に残っている。わたしは、今でも彼らを恐れているのだ。普通世間では、えたいの知れぬものだけが恐ろしく思われるのだということを言う。そしてじっさい、何がゆえに門衛とか、桟敷かたとかいうものがあんなにえらそうに斜《しゃ》に構えて、高慢ちきで、おそろしく無あいそなのか、それを理解するのははなはだ困難だ。まじめな論文を読む場合にわたしは、ちょうどこれと同じ漠然とした恐怖を感ずるのである。並みはずれた重々しさ、人を食ったようなもったいぶった調子、外国の著者に対するなれなれしい態度、ものものしいようすをしてあきびんからあきびんへ移しかえる能力――すべてこうしたことは、わたしにとっては不可解で、恐ろしく、そしてこれは皆、わたしがわれわれ医者仲間や自然科学者の著述を読んで感じ慣れた紳士的な穏やかな調子や謙虚な態度とは、およそかけはなれたものである。ひとり論文ばかりではない、わたしには、ロシアのまじめな人々によってなされたり編纂されたりした翻訳すら読むのが重苦しいのである。序文の見識ぶった、懇切な調子、わたしの気分の集中を妨げる翻訳者の注釈のおびただしさ、文章ないし書冊の中に翻訳者によってふんだんにまきちらされたかっこ入りの Sic〔引用記号〕や疑問符、これらのものは、わたしには、著者の人格に対する冒涜《ぼうとく》であり、読者としてのわたしの独立性に対する侮辱であるように思われる。
いつかわたしは、鑑定人として地方裁判所へ招致されたことがある。休憩時間に、わたしの鑑定仲間のひとりが、被告たち(その中には、知識階級の夫人がふたりいた)に対する検事の粗暴な態度に対して、わたしの注意を喚起した。わたしはその人に向かって、この検事の態度のごとき、まじめな論文の著者相互の間に存在するものに比べれば、決して粗暴でないと答えたが、わたしには、これは決して誇張ではないという気がしている。じっさい彼らの態度は、重苦しい感じを持たないではその話もできないほどに、粗暴をきわめているのである。彼らは、彼ら相互および、批評の対象となっている作家に対して、自分の威厳を惜しむところなく、必要以上の敬意を示すか、あるいはまた反対に、わたしがこの手記や思想の中で自分の未来の女婿グネッケルを虐待する以上にはるかに勇敢に、彼らを冷遇しているからである。責任能力の欠如に対する非難、動機の不純に対する非難、各種の犯罪に対する非難までが、まじめな論文の普通の装飾となっている。そしてこれは、若い医者たちが、その論文の中で好んで表現するとおり、ultima ratio〔最高の理性〕なのである。こうした態度は、ものを書く若き時代の精神に、避け難く反映しなければならない。だからわたしは、最近の十年ないし十五年の間にわが美文学が生み出した新作品の中で、主人公たちがむやみにウォーツカを飲んだり、女主人公があまり貞潔でなかったりするのを見ても、いっこうに驚かないのである。
わたしはフランス本を読みながら、開け放ってある窓をながめる。そこには、この家の木柵《もくさく》のぎざぎざと、二、三本のやせた樹木と、それから木柵の向こうの道と、野と、さらにそのさきの、広い針葉樹林帯とが見える。ときどきわたしは、どっちもぼろぼろの服を着て白っぽい髪をした、どこかの男の子と女の子とが、木柵によじのぼって、わたしのはげ頭を嘲笑するのに見とれる。彼らの輝かしい目の中に、わたしはこんなことを読むのである――「来いよ、はげ頭!」思うに彼らこそ、わたしの名声にも官位にもなんらの関心を持たない唯一の存在ではあるまいか。
今わたしのところへの訪客は、毎日はない。で、ここには、ニコライと、ピョートル・イグナーチエヴィッチの訪問だけを書くことにしよう。ニコライはたいがい日曜日ごとに、何かの用にかこつけてではあるが、主としてわたしと会うためにやってくる。彼は、冬には決して見られないような、上々のきげんではいってくる。
「どうだね?」とわたしは玄関へ出て行きながらきく。
「閣下!」と彼は、片手を胸に押しあてて、恋する者の喜びを見せてわたしの顔をながめながら、言う。「閣下! 神よ、われを罰したまえ! 雷よ、この場でわれを打ち殺せ! ガウデアームス・イギトゥル・ユヴェネスタス〔校歌――われらは青年なれば常に喜ぶの意〕」
そして彼はむさぼるように、わたしの肩と、袖と、ボタンとに接吻する。
「学校のほうは万事変わりはないかね?」とわたしは彼にきく。
「閣下! 神さまのおかげで……」
彼はなんの必要もないのにのべつ神を引き合いに出すことをやめないで、たちまちわたしをうんざりさせる。で、わたしが彼を台所へ追いやると、彼はそこで午食にありつくのである。ピョートル・イグナーチエヴィッチも同様、日曜日ごとにわたしのところへ、とくにわたしに尋ねたり、意見を交換したりするためにくるのである。彼はきまってわたしのテーブルのそばへ、こざっぱりとした、ひかえめな、もっともらしいようすで腰をおろして、足を組むことも、テーブルにひじを突くこともしない。そして終始静かな、抑揚のない小声で、滑らかに、本でも読むように、いろんな、彼の意見に従えば、非常に興味深い、刺激的な、雑誌や新聞で読んできた珍しいことを、なにくれとなく話して聞かせる。ところが、この珍しいことは皆、どれもこれも似たりよったりで、だいたい次のようなタイプにまとめられる――ひとりのフランス人が一つの発見をした、と、他の男――ドイツ人――が、その発見はすでに一八七〇年にしかじかのアメリカ人によってなされたものであることを証明して、彼を糾弾した。と、第三の男――これもドイツ人――が、彼らはふたりとも顕微鏡下で、気泡《きほう》を暗い色素と見誤ってもの笑いの種をまいたのだと彼らに立証して、ふたりを煙にまいたうんぬんといったたぐいである。ピョートル・イグナーチエヴィッチはわたしを笑わせようと思うときにさえ、ながながと、ことも細かに、まるで学位論文の弁護でもするときのように、利用した原本の文句通りに、日付から、雑誌の名まえから、号数から、すべてを誤らないように、汲々《きゅうきゅう》として、むきになって話すのである。だから、人の名にしても、単にプチ―とだけでなく、必ずジャン・ジャック・プチーというふうに言う。どうかして食事に残るようなことがあると、彼は食事の間じゅう、食事についている一同の気分をめいらせるような、相も変わらぬ、刺激的な珍談を話すのである。が、グネッケルとリーザが彼の前で、遁走《とんそう》曲や重複旋律法とか、ブラームスやバッハのことなどを話し出すと、彼はおとなしく目を伏せて、気おくれしてしまう。彼には、わたしや彼のような、こうしたまじめな人間の面前で、こんな愚にもつかない話をされるのが、恥ずかしくてならないのである。
今のわたしの気分では、彼がわたしを永久に彼を見てその話を聞いていたほどに、飽き飽きさせるには、五分間もあれば十分だった。わたしは、このかわいそうな男を憎んでいる。彼の静かな、抑揚のない声と、本でも読むような言葉に、わたしは疲れ、その話からぼんやりしてしまうのである……彼はわたしにこのうえない好感を寄せ、ひたすらわたしに満足を与えようとしてわたし相手に話をしてくれるのだが、わたしはそれに対して、まるで催眠術でもかけようとするように彼をにらみすえて、腹の中で「早く帰れ、帰れ、帰れ」と考えているのだ……が、彼は、腹の中だけの暗示にはかからないで、いつまでもすわっている、すわっている、すわっている……
彼がわたしのそばにすわっている間、わたしはどうしても――≪自分が死んだら、この男がきっと自分のあとがまにすわるだろう≫こういう想念から離れられない。と、わたしのかわいそうな講堂が、わたしには、さながら泉のかれたオアシスのように思われてくる。そしてわたしは、こうした想念の浮かぶのは、わたし自身でなく彼の責任ででもあるように、ピョートル・イグナーチエヴィッチに対して、無あいそで、無口で、不きげんになる。で、彼が例によってドイツの学者たちをほめはじめても、わたしはもうこれまでのように、明るい気持ちで冗談を言う気にはなれなくて、苦りきってこうつぶやく――
「君のドイツ人なんか|ろば《ヽヽ》だよ……」
これはちょうど故人のニキータ・クルイローフ教授があるときピローゴフといっしょにレーヴェリで水浴をしながら、水がひどく冷たかったのに腹を立てて、「ドイツ人の卑劣漢め!」こう毒づいたのと同類項である。ピョートル・イグナーチエヴィッチに対するわたしの態度はよろしくない。そしていつも、彼が家を出て、その灰色をした帽子が木柵の向こうにちらりとするのを窓越しに見るときになって初めて、わたしは、彼に声をかけてこう言いたくなるのである――「きみ、どうぞぼくを許してくれたまえ!」
わが家の食事は、冬のそれよりも退屈に過ぎる。今日ではもう、わたしが憎み軽蔑している例のグネッケルが、ほとんど毎日わたしの家で食事をする。以前はわたしも黙って彼の同席を堪えていたものだが、今では妻とリーザの顔をあかくさせるような皮肉を彼に浴びせかける。邪悪な感情にひきずられて、暴言を吐くことも珍しくない。しかも、なんのためにそんなことを言うのか、自分でもわからないのだ。こうしてあるとき、こんなことが起こった。長い間、軽蔑の目でじっとグネッケルを見ているうちに、なんのこれという理由もなく、つい次のようなことを口に出してしまったのである――
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|わし《ヽヽ》はときに鶏より低くおりることがある。
しかし、鶏は決して雲までのぼることはできない……
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わたしにとって何よりしゃくなのは、鶏であるグネッケルが、|わし《ヽヽ》である教授よりもはるかに利口そうな顔をしていることである。妻と娘とが味方であるのを知っているので、彼はこういう戦術に出る――つまりわたしの皮肉に対して、「老いぼれめ、気が狂ったな――こんなやつに何を言うことがあろう?」こういったふうの寛容な沈黙で答えるか、あるいはやわやわとわたしをからかうかするのである。思えば、人間はどこまで卑しくなりうるか驚くべきものがある! このわたしが、食事の間じゅうずっと、グネッケルの食わせものなのがわかり、リーザと妻とが自分たちの非を悟って、わたしが彼らを罵倒してやる、そうした機会のくることを、空想することができるのである――もう片足を墓穴に踏み込んでいながら、こんなたわいない空想をたくましくすることができるのである!
今ではまた、これまでは人のうわさでばかり知っていたような誤解を起こす場合が往々ある。わたしにとって、それはいかにも不めんぼくなことではあるが、最近の食後に起こったそうした場合の一つをここに書きつけておく。
わたしは自分の部屋にすわって、パイプをくゆらしていた。例によって妻がはいって来て、腰をおろすと、陽気が暖かくて暇な時間のある今のうちに、ハリコフへ出向いて、わがグネッケルがどんな人物であるかを調べて来てくだすったらどうかという意味のことを言い出す。
「よろしい、行って来よう……」とわたしは同意する。
妻は、わたしの返辞に満足して立ちあがると、こんなことを言う――
「ついでに、もう一つお願いがあるんですがね。あなたはきっと気をわるくなさるでしょうけれど、ちょっとご注意しておくのがわたしの義務だと思いますから……失礼ですけれどね、ニコライ・ステパーヌイチ、わたしたちの知り合いや近所の人たちが、このごろあなたがのべつカーチャのところへお出かけになるのについて、いろんな取りざたをはじめたのですよ。そりゃ、あの娘《こ》は利口な教育のある女です。あの女《ひと》といっしょに時を過ごすのが愉快なのはわたしにだってよくわかりますが、あなたのお年で、あなたの社会的地位で、あんな女の仲間になっていい気になってるのは、少しどうかと思いますね……それに、あの女にはこんなうわさもあるんですよ……」
血液という血液が、急にわたしの脳髄からほとばしり出て、目からは火花が散り、わたしはおどりあがると、両手で頭をつかんで、足をばたばたやりながら、わが声とは思えないような声で叫んだ――
「おれにかまうな! ほっといてくれ! ほっといてくれ!」
おそらくわたしの形相はものすごく、声も変わっていたに違いない、妻はみるみるまっさおになって、これもやっぱり、自分のでないような絶望的な声を絞って、大声に叫び出した。わたしたちの叫び声を聞きつけて、リーザと、グネッケルと、それからエゴールが飛び込んで来た……
「おれにかまうな!」とわたしは叫ぶ。「出て行け! かまうな!」
わたしの両あしは、まるで足などなくなってしまったように感覚を失い、わたしは自分がだれかの腕の中へ倒れるのを感じ、やがてちょっとの間泣き声を聞いたかと思うと、そこで失神して、そのまま二、三時間を経過した。
今度はカーチャのことを書こう。彼女は毎日、夕方前にわたしのところへやってくる。もちろん、これは、隣人や知人たちの目につかぬわけにはゆかない。彼女はちょっと立ち寄って、すぐわたしを馬車のドライヴに誘い出すのである。彼女は自分の馬と、この夏買ったばかりの新しい馬車を持っている。いったいに彼女の生活ぶりはぜいたくで――広い庭のある高級な一軒建ての別荘を借り込み、そこへ町の調度類をそっくり運び込んで、ふたりの小間使と御者とを連れて来ているのである……わたしはよく彼女にきいたものだ――
「カーチャ、ぜいたくもいいが、お父さんの遺産がなくなっちまったら、なんで暮らしてゆくつもりだね?」
「そのときはそのときよ」と彼女は答える。
「あの金はだね、もっともっとまじめな態度で用いられるべき金なんだよ。あれは善良な人の正しい勤労で得られたものなんだからね」
「その話なら、もうなんべんもおっしゃいましたわ。あたしだってよく知ってますわよ」
初めわたしたちは野原を走り、それからわたしの窓から見える針葉樹林の中を走る。自然はわたしに依然として美しく思われる――わたしの耳には、絶えず悪魔が、これらの松や、|もみ《ヽヽ》や、小鳥や、空行く白い雲などはみな、三、四か月たって、わたしが死んでしまっても、わたしのいなくなったことなどけろりとしているだろうとささやくのだが。カーチャは馬を御すのが好きだから、天気がよくて、わたしがそばにすわっているのがこのうえなく愉快なのである。彼女は上きげんで、決してしんらつなことなど言わない。
「あなたはほんとにいいかたですわね、ニコライ・ステパーヌイチ」と彼女は言う。「あなたは珍しい標本ですわ、あなたを演《や》れるような役者はちょっといませんわよ。たとえばあたしだとか、ミハイル・フョードロヴィッチなら、いいかげんな役者にでもやれるけれど、あなたはだれにもやれませんわ、だから、あたしうらやましいの、とてもあなたがうらやましいの! いったい、あたしはどんな女に見えて? ねえ、どんな?」
彼女はちょっと考えて、わたしにきく――
「ニコライ・ステパーヌイチ、あたしはよくない女ですわね。そうでしょう?」
「そうだね」とわたしは答える。
「ふむ……じゃ、どうすればいいんですの?」
どう答えたらいいのだろう? 「働け」とか、「財産を貧乏人に施せ」とか、「自分自身を知れ」とか言うのはやすい。そして、それを言うのがやすいゆえに、わたしは答えるべき言葉を知らないのである。
わたしの同僚の内科医たちは、治療法を教えるときに、「個々の場合を個別に扱う」ことを勧める。われわれはこの忠言に従って、一般的に最善最適として教科書に紹介されてある療法が、個々の場合には完全に不適当なものになることを認識しなければならぬ。精神的患者の場合にも同様である。
しかし、なんとか答えなければならないので、わたしは言う――
「おまえにはねえ、自由な時間があり過ぎるんだよ。おまえは何か仕事をしなくちゃいけないよ。じっさいおまえに、どうしてもう一度女優になっていけないわけがあるだろう、もしおまえに天分があるのなら?」
「そんなことだめですわ」
「おまえの調子や態度はまるで、おまえが犠牲ででもあるように聞こえる。わたしはそれが気に入らないよ。わるいのはおまえ自身だよ。まあ考えてみるがいい、何かというとおまえは他人や秩序のことを憤慨するが、そういうものをよくするために、いったいどれだけのことをしたね。おまえは悪とたたかいもしないくせに、疲れてしまったんだ。おまえは闘争の犠牲でなくて、自分の無力の犠牲だよ。そりゃもちろん、あの時分は、おまえも若くて無経験だった、が、現在では何事にも別の経路をとりうるはずだ。ほんとに、働くがいい! 働いて、神聖な芸術に事《つか》えるがいい……」
「そんなずるいことを言っちゃだめよ、ニコライ・ステパーヌイチ」とカーチャはわたしをさえぎる。「それよりもここでしっかり約束しましょう――あたしたちは役者とか、女優とか、文士のことは話してもいいけれど、芸術のことはそっとしておくように。ねえ、あなたはりっぱな、珍しいかたですわ、けれど、心からそれを神聖とお考えになるまでには、芸術がわかっていらっしゃらないのだわ。あなたには、芸術に対する感覚も、聴覚もおありにならないわ。あなたは一生忙しくていらしたから、こういう感覚を得る暇がおありにならなかったのよ。それはとにかく……あたしは芸術のことでこんな話をするのはきらいですわ!」と彼女は神経的に続けた。「きらいですわ! ほんとに世間では芸術を俗悪にしてしまって、あたし心からお礼を言いますわよ!」
「だれが俗悪にしたんだい?」
「ある人は酔っ払って俗悪にするし、新聞はなれなれしい態度で俗悪にするし、賢い人たちは哲学で俗悪にしたんですわ」
「哲学はこんなことになんの関係もありゃしないよ」
「あら、ありますわ。もしだれか哲学めいた理屈をいうとすれば、それはその人が芸術を解していない証拠ですわ」
話が例のしんらつさまで行かないように、わたしは急いで話題を変えて、そのあと長い間黙り込んでしまう。ただ、馬車が森から出て、カーチャの別荘へ向かったときに、わたしはさきの問題にもどって、こう尋ねる――
「おまえはやっぱり返辞しなかったね――なぜ女優になるのをきらうのか?」
「ニコライ・ステパーヌイチ、それはけっきょく、残酷というものよ!」と彼女は叫んで、とつぜんまっ赤になる。「あなたはあたしに、大きな声で真実を言わせたいの? じゃあ、もしそうするほうが……そうするほうがお気に召すんでしたら、言いますわ! あたしには、天分がないのよ! 天分がないくせに……自尊心ばかり強いのよ! これでいいでしょ!」
こうした告白をしてしまうと、彼女はくるりとわたしから顔をそむけて、手のふるえを隠すために、乱暴に手綱を引く。
彼女の別荘へ近づきながら、わたしたちはもう遠くから、ミハイル・フョードロヴィッチの姿を認める。彼は門のそばを歩きながら、じれじれしてわたしたちを待っているのである。
「あら、またミハイル・フョードロヴィッチだわ!」と、カーチャはいまいましそうに言う。「どうぞ、あたしからあの人をとりのけてくださいな! あの人、ほんとに飽き飽きしちゃったわ、鼻についちゃったわ……あんな人なんか、ほんとに!」
ミハイル・フョードロヴィッチは、もうとうに外国へ立つはずだったのが、毎週出発を延ばしているのだった。最近彼にはちょっとえたいの知れぬ変化が起こった――どうしたのかひどくやせて、前には決してなかった乱酔をはじめ、その黒い眉が白くなり出したのである。わたしたちの馬車が門前に止まると、彼はその喜びと焦慮とを隠そうともしない。彼はあくせくとカーチャとわたしを助けおろすと、気ぜわしくなく何かと問いかけたり、笑ったり、両手をすり合わせたり、そして前にはわたしがその目つきにだけ心づいていた柔和な、祈るような、純真なものが、いまでは顔全体にみなぎっている。彼はうれしいと同時に、自分の喜びが恥ずかしいのである。毎晩カーチャを訪れるその習慣が恥ずかしいのである。そこで彼は、自分の訪問に――「用があってそばを通ったものだから、ちょっとお寄りしようと思って」とかなんとか、見えすいたくだらない理由をつけるのを、必要と認めるのである。
わたしたち三人は家へはいる。まずお茶を飲む。やがてテーブルの上へ、わたしにはもう長いなじみの二組のカルタと、チーズの大切りと、くだものと、クリミヤのシャンパンのびんとが現われる。わたしたちの会話のテーマも旧態依然たりで、ことごとく冬時分のそれと変わりがない、例によって、大学が、大学生が、文学が、劇が、槍玉《やりだま》にあがる。空気は悪口誹謗のために濃く息苦しくなり、それを自分の吐く息のためにいやがうえにも腐敗させるのは、もはや冬のように二匹の|がま《ヽヽ》ではなくて、りっぱに三匹のそれである。びろうどのようなバリトンの笑い声と手風琴の音のような哄笑以外に、わたしたちに給仕していた小間使は、もう一つ不愉快な、がちゃがちゃ鳴るような、通俗笑劇の中で将軍が笑うような笑い声を聞くのである――へ、へ、へ……
世には、俗に|すずめ《ヽヽヽ》の夜〔夏至のころの大雷雨の暗夜〕と呼ばれている、雷鳴、雷光、雨、風を伴う恐ろしい夜があるものである。そうした恐ろしい|すずめ《ヽヽヽ》の夜が、わたし自身の生涯にも一度あった……
わたしはま夜中過ぎに目をさまして、いきなり寝床の上に起きあがる。どうしたのかわたしには、自分が急に、今すぐにも死にそうな気がするのである。どうしてそんな気がするのだろう? 肉体的には近き終焉《しゅうえん》を暗示するような感覚はぜんぜんないのに、なぜかわたしの魂は、ふいに、巨大な、不吉な天映でも見たような、えたいの知れぬ恐怖に圧迫されるのである。
わたしは手早く灯《あかり》をつけ、びんからじかに水を飲んで、それから開け放った窓の外へ急ぐ。戸外の天候は上々である。ほし草のにおいと、ほかにもまだ何か非常にいいにおいがしている。わたしには木柵の頭のぎざぎざや、窓ぎわの眠そうなひょろひょろした樹木や、道路や、森の暗い帯などが見える。空にはこうこうと冴えた、澄みきった月があるほか、一点の雲も見えない。木の葉一枚そよがない静寂である。わたしには、万象がわたしを見つめて、わたしが死んでゆく気配に耳を澄ましているような気がする……
無気味でならない。窓をしめて、寝床へ駆けもどる。脈をさぐってみたが、腕ではわからなかったので、こめかみをさぐり、さらにあごをさぐり、再び腕をさぐってみたが、どこもかしこも、わたしのからだは冷たくて、汗でじっとりしている。呼吸はますます頻繁になり、からだはふるえ、内臓という内臓がむずむずうごめき、顔と頭のはげた部分には、|くも《ヽヽ》の巣でも張りついているような奇態《きたい》な感覚が感じられる。
どうしたものだろう? うちの者を呼ぼうか? いや、その必要はない。ここへはいって来たが最後、妻やリーザは何をやり出すか知れないとわたしは思うのである。
わたしはまくらに頭を埋め、目を閉じて、今か今かと待ち受ける……背筋がぞくぞくして、さながらからだのなかへめり込んでゆくようである。そしてわたしには、てっきり死がうしろから、そっと忍び寄ってくるような感じなのだ……
「キーヴィー、キーヴィー」とつぜん、夜の静寂の中にこういう叫び声が聞こえる。それがどこからくるのか、わたしにはわからない――わたしの胸からか、往来からか?
「キーヴィー、キーヴィー」
ああ、なんという恐ろしさ! もっと水を飲みたいと思っても、もう目をあくのも恐ろしいし、頭を上げるのも恐ろしい。それはえたいの知れぬ、動物的な恐怖で、なぜそんなに恐ろしいのか、その理由がさらに判然しない――わたしにもっと生きたい欲求があるから、あるいはわたしを待っているのが新しい未知の苦悩だからか?
頭の上の階上で、うめくとも、笑うともつかぬだれかの声が聞こえる……耳を澄ます。しばらくすると、階段に足音が聞こえ出した。だれかが急いでおりて来て、また上へあがって行く。一分ばかりすると、足音はまた階下で聞こえる。だれかがわたしの戸口に立ちどまって、中をうかがっている気配である。
「だれだ?」と、わたしは叫ぶ。
ドアがあく。思いきって目を開いてみると、妻である。彼女の顔はまっさおで、目は涙でいっぱいになっている。
「あなた、お目がさめてらっしゃるのね、ニコライ・ステパーヌイチ?」と彼女はきく。
「どうしたんだい、おまえは?」
「後生ですから、ちょっとリーザのところへ行って、あの子を見てやってください。あの子どうかしてるらしいんですよ……」
「よろしい……いいとも……」わたしは、自分ひとりでなくなったことにおおいに満足して、こうつぶやく。「よろしい……今すぐ」
わたしは妻のあとについて行きながら、彼女が何か言うのを聞いているのだが、興奮のために少しも理解できない。梯子《はしご》段の段々には、彼女の手にしたろうそくの灯影がおどり、わたしたちの長い影がふるえる。わたしは、足がガウンのすそに絡まるので、息がきれる。そしてだれかがあとから追って来て、今にも背後からつかみかかりそうな気がする。≪おれは今すぐこの階段で死ぬんだ≫こうわたしは考える。≪今すぐ……≫しかし、もうその階段は過ぎ、イタリアふうの窓のついた暗い廊下も通って、リーザの部屋へはいる。彼女は寝床の上に肌着《はだぎ》一枚で、素足をぶらりとさげて腰掛けたまま、うめいている。
「ああ、神さま……ああ、神さま!」と彼女は、ろうそくの灯に目を細めながらつぶやくのだ。「できない、できない……」
「リーザ、かわいい子」とわたしは言う。「おまえどうしたい?」
わたしを見ると、彼女は声をあげて、わたしのくびにかじりつく。
「お父さま、やさしいお父さま……」と、彼女は声をあげて泣く。「あたしの大事なお父さま……あたしの大好きなお父さま……あたし、自分でもどうしたのかわからないの……苦しいの!」
彼女はわたしを抱いて、接吻し、彼女がまだ幼かった時分にわたしがよく聞いたようなかわいらしい言葉を舌足らずの調子でまきちらす。
「さあ、さあ落ちつきなさい、神さまがついていてくださるよ」とわたしは言う。「何も泣くことはない。わたしだって苦しいのだ」
わたしは彼女をくるんでやろうとし、妻は彼女に水を飲ませようとして、わたしたちふたりは、まごまごと寝台のそばで押し合いをやる。わたしの肩が彼女の肩を突く。そのときわたしには、昔ふたりでこうした子供たちにお湯を使わせてやったときのことが思い出される。
「どうぞこの子を助けてやってください、助けてやって!」と妻は哀願する。「なんとかしてやってください!」
わたしにどうすることができるだろう? 何一つできはしない。娘の心には何か重苦しいものがあるらしいけれど、わたしはなんにもわからないし、なんにも知らない。ただ、こうつぶやくばかりである――
「なんでもない、なんでもないよ……こんなことはじき直る……おやすみ、おやすみ……」
おりから、わざとねらったように、このときふいにうちの庭で、犬のほえ声が聞こえ出した。初めは静かで、あいまいな声音《こわね》だったが、やがて高い二重奏になった。わたしはかつて一度も、犬のほえ声とか、|ふくろう《ヽヽヽヽ》の鳴き声とかいう前兆めいたものに意味を認めたことはなかったが、このときばかりはそれを聞くと、胸を締めつけられるような苦しさを覚えたので、急いでその声の説明を自分に与えた。
≪くだらないことだ……≫とわたしは考える。≪一つの有機体の他の有機体に対する影響だ。自分の烈《はげ》しい神経的興奮が妻や、リーザや、犬にまで伝わった、それだけのことだ……予感とか前兆とかいうものは皆、この伝染で説明がつく……≫
しばらくして、リーザの処方を書くためにわたしが部屋へもどったときには、もうじき死ぬなどという想念は頭になかったが、心は依然として、いかにも重苦しくわびしかったので、先刻自分がぽっくり死んでしまわなかったのが、むしろ残念なくらいだった。ややしばらくわたしは、部屋のまん中にたたずんで、リーザのために何を処方すべきかを考えたが、階上のうめき声がやんだので、処方は見合わせることにした。が、なおじっと立ちつくしていた……
死のような静寂、ある作家が書いていたように、耳の中で何かが鳴っているとかと思われるほどの静寂、時はのろのろと進み、窓じきりにさしている月光の条目《しまめ》は、さながらそこに凍りついたように、少しもその位置を変えない……明けるにはまだ間があるらしい。
しかし、やがて木柵の耳門《くぐり》がぎいときしんで、だれかがそっと忍び込んでくる。そしてやせた庭木の枝を一本折りとって、それで用心深くコトコトと窓をたたく。
「ニコライ・ステパーヌイチ!」わたしはこういうひそひそ声を聞く。「ニコライ・ステパーヌイチ!」
わたしは窓をあけるにはあけたが、まるで夢でも見ているような気持ちであった――窓の下に、壁に張りつくようにして、黒服姿のひとりの女が立って、明るく月光を浴びながら、大きな目でわたしを見ている。その顔は、大理石のようにあお白くきっとして、月光のために幻《まぼろし》めいて見え、そのあごはがくがくふるえている。
「あたしよ……」と彼女は言う。「あたし……カーチャよ!」
月光の下では、女の目はいちように黒く大きく見え、人は背が高く、青ざめて見えるものである。おそらくそのせいであろう、わたしは最初彼女がそれとわからなかった。
「お前どうしたの?」
「ごめんなさい」と彼女は言う。「あたしどうしたのか、急にとても苦しくてたまらなくなってきたの……どうしてもじっとしていられなくなったので、ここへ飛んで来たんですわ……すると、お窓に灯《ひ》が見えたので、それで……それであたし、たたく気になったのよ……ごめんなさいね……ああ、あたしがどんなに苦しい思いをしたか、あなたに知っていただけたらねえ! あなたは今時分何をしていらしたの?」
「なんにもしちゃいない……不眠症さ」
「あたしにはなんだか変な予感があったのよ。でも、つまらないことだわね」
彼女の眉はあがり、双眸《そうぼう》は涙に輝き、顔全体が、もういつにも見なかった、あのなじみの深い信頼の光りに映《は》えている。
「ニコライ・ステパーヌイチ!」と彼女は、わたしの方へ両手を差し延べながら、祈るような口調で言う。「あたしの大事なおじさま、お願いですわ……祈りますわ……もしあなたが、あなたに対するあたしの友情と尊敬とを軽蔑していらっしゃらないのでしたら、どうぞあたしのお願いを聞いてください!」
「何事だね?」
「どうぞ、あたしのお金を受けてちょうだい!」
「おやおや、それはまた、なんということを考え出したもんだ! なんのためにわしにおまえの金を?」
「あなたはどこかへ静養にいらっしゃるでしょう……ぜひ静養なさらなければいけませんわ。受けてくださるでしょう? ねえ? いいでしょう、ねえ?」
彼女はむさぼるようにわたしの顔を見つめて、くり返す――
「ねえ? 受けてくださるわね?」
「いや、わしは受けないよ……おまえ」とわたしは言う。「ありがとう」
彼女はくるりとわたしに背を向けて、うなだれてしまう。おそらく、わたしの拒絶の言葉が、金の話をそれ以上続けるのを許さないような調子だったに違いない。
「早く帰って、おやすみ」とわたしは言う。「明日また会おう」
「つまり、あなたはわたしをお友だちとは思っていてくださらないわけね?」と、彼女は悲しそうにきく。
「わしはそんなことは言わないよ。だが、おまえの金は、今わしには必要でないんだよ」
「ごめんなさい……」と彼女は、声を完全に一オクターヴさげて言う。「あたし、あなたのお心持ちはわかりますわ……あたしのような人間から恩恵を受けるのは……女優なんかしたことのある人間から……だけど、さよなら」
そして彼女は、わたしがさようならをいういとますらないほどに、素早く立ち去ってしまった。
わたしはハリコフにいる。
現在のわたしの気分とたたかうのは無益なばかりでなく、自分の力の及ばないことなので、わたしは自分の生涯の残りの日を、せめて外面だけでも、あやまちのないものにしてゆこうと決心した。もしわたしが、自分でよく認めているように、家族の者にたいして正しくないのだったら、今後は努めて何事にも家族の希望を尊重してやってゆくようにしよう。ハリコフへ行けならハリコフへ行く。それに第一、最近のわたしは、すべてのものに対してぜんぜん無関心になっているので、ハリコフだろうとパリだろうと、さらにベルジーチェフだろうと、どこへ行くのも断じて同じことなのであった。
わたしは昼の十二時にここへ着いて、大会堂からほど遠からぬホテルに宿をとった。汽車に揺られたのと、通し風に吹かれたのとで、今わたしは寝台の上にすわったまま、頭をかかえてtic〔顔面けいれん〕のくるのを待っているのだ。今日のうちに懇意な教授たちを訪問するといいのだが、そういう気も力もいまはないのである。
廊下番の年寄りのボーイが来て、寝床の敷き布を持っているかと尋ねた。わたしはその男を五分間ばかり引きとめて、自分がここへ来た目的のグネッケルについて二、三の質問を試みた。ボーイは土地の者だったので、この町のことは、自分の五本の指のように知悉《ちしつ》していたが、グネッケルという名の家は、一軒も記憶にないと言った。所有地のこともきいてみたが――同様の答えであった。
廊下で時計が一時を打ち、やがて二時、三時を打つ……ひたすらに死の訪れのみを待っているわたしの最近数か月の生活は、わたしには、これまでの全生涯よりもはるかに長いような気がしている。そしてこれまでは、今のような時間ののろさと、どう努めても妥協できなかった。以前は、停車場で汽車を待つとか、試験場に出ているときとかには、四分の一時間が永遠のように思われたものであるが、今では、終夜身動きもしないで寝台の上にすわっていられもすれば、明日はまた同じように、長い長い退屈な夜がくるだろう、明後日も……と考えることもいっこうに平気である……
廊下では、五時、六時、七時を打つ……暗くなってくる。
ほおに鈍痛が感じられる――これがつまりticである。わたしは考えごとで自分をまぎらそうとして、まだ物事に対して無関心でなかった時分の以前の観察点に立って、自問してみる――名士であり三等官であるわたしが、なぜこんなけちな部屋に泊まって、こんな借りものの|ねずみ《ヽヽヽ》色の毛布をかけた寝台にうずくまっているのか? なぜこんな安物の、ブリキの洗面器をながめながら、廊下で古ぼけた時計がひびわれたような音をたてるのを聞いているのか? いったいこんなことが、わたしの名声や高い社会的地位にふさわしいだろうか? こういう質問に対して、わたしは微笑をもって自分に答える。わたしには自分のたわいなさが――そのたわいなさをもって昔若いころに自分が、名声とか、名士が享受しているであろう特殊な状態とかの意義を誇張して考えていたことがおかしいのである。わたしは現在名士である。わたしの姓名は敬意をもって発音され、わたしの肖像は『ニーワ』にも『絵入り雑誌』にも掲載され、わたしは、自分の伝記をあるドイツの雑誌ですら読んだことがある――が、そのためにどんないいことがあるだろう? 今わたしは、まったくのひとりぼっちで見知らぬ町に、他人の寝台の上にすわって、てのひらで痛むほおをさすっているのだ……家庭の煩累《はんるい》、債権者たちの冷酷、鉄道従業員どもの無作法、旅券制度の不便、駅の食堂の高いばかりで不健康な食物、一般の無学と物腰の粗暴――こうしたことを初め、その他枚挙にいとまない多くのことがわたしにふれる程度は、自分の住んでいる横丁だけにしか知られていないそのへんの町人に比べて、いっこうに選ぶところはないのである。はたしてどこに、わたしの地位の特殊性が表現されているのか? 仮にわたしは、千倍も有名であるとしよう、郷土の誇りともいうべき偉人であるとしよう。なるほどわたしの病状は、あらゆる新聞に報道され、同僚はじめ、学生、公衆からの見舞い状はすでに、郵便で続々わたしの手もとに送られつつある。しかし、こうしたいっさいのことも、わたしが見も知らぬベッドで、完全にひとりぼっちでうらさびしく死んで行くことの妨げには少しもならないのである……もちろん、これはだれの罪でもない、が、罪深い人間であるわたしは、自分の名声がうれしくないのだ。まるでそれにだまされでもしたような気がするのである。
十時ごろにわたしは眠りにおちて、tic が起こっていたにもかかわらず、ぐっすり眠った。もし途中で起こされなかったら、もっともっと長く眠ったに違いない。ところが、一時をまわったところで、とつぜんドアをたたく音が聞こえた。
「だれかね?」
「電報でございます!」
「明日くれたっていいじゃないか」とわたしは、廊下番の手から電報を受け取りながら、中腹で言う。「もうこれで寝られやしない」
「どうも相済みません。灯がついておりましたんで、まだおやすみではないと存じましたものですから」
わたしは、電報の封を切って、まず発信人の名を見た――妻からである。いったい、なんの用だろう?
「昨日グネッケル、リーザと秘密に結婚した。帰れ」
わたしは、この電文を読んでも長くは驚いていなかった。わたしを驚かしたのは、リーザとグネッケルのふるまいではなくて、ふたりの結婚についての知らせを迎えたわたしの無関心である。それはうそだ、無関心――これは精神の麻痺《まひ》であり、早発的死である。
わたしはもう一度床について、何か自分をまぎらすような想念はないものかと考えはじめた。何を考えたらいいのだろう? もう何もかも考え尽くしてしまって、わたしの思考力をかきたてるに足るようなことは、何一つないように思われる。
夜が白みかけると、わたしは寝台の上にすわって、両手でひざを抱き、所在ないままに自分自身を知ることを考えてみた。「おのれ自身を知れ」――これは、すぐれた有益な忠言である。ただ残念なことに、古人は、この忠言をいかに利用すべきか、その方法を示すことに思い至らなかったのだ。
以前わたしは、だれか人を理解しようとか、自分を知ろうとかする場合には、すべてが相関的である行為を注意にとらないで、欲求を考察の対象とすることにしていた。まずなんじの欲するところを語れ、われなんじの何者たるかを言わん、である。
で、今もわたしは、自分自身を吟味する――われ何を欲するや?
わたしは、われわれの妻や、子や、友や、学生が、名でなく、商号でなく、レッテルでなく、尋常いちようの人間として、われらを愛してくれることを欲する。なお何を欲するや? わたしはいい助手と後継者が得たい。なお何か? 百年後にこの世に生き返って、ひと目でいいから、科学のその後のなりゆきを見たい。いま十年くらい生きのびたい……では、そのさきは?
そのさきはもうなんにもない。わたしは考える。長い間考える。しかし、それ以上には何一つ思いつけないのである。もはやこのうえ、いくら考えてみたところで、またどの方面へ思いを走らせてみたところで、わたしの欲望の中にはもはや何も、特殊なもの非常に重大なもののないことは、わたしにとって明らかである。科学に対するわたしの情熱にも、生きようとするわたしの意欲にも、他人の寝台にこうしてすわっていることにも、自分自身を知ろうとする志向にも、いっさいの思想感情ないし、わたしがすべてのものについて組み立てた観念にも、これらのすべてを一つのまったきものとして結合する共通なものが、何一つないのである。あらゆる感情、あらゆる思想は、わたしの中で個々別々に生活しており、科学、演劇、文学、学生についてのわたしの批判の中や、わたしの想像が描くあらゆる画面の中では、いかに巧妙な分析家でも、共通の観念とか、生ける人間の神とか名づけられるものを、見いだせはしないであろう。
そして、もしそれがないとすれば、つまりなんにもないわけになるのである。
こうした貧弱さでは、わたしがこれまで自分の世界観と考えたり、その中に自分の生活の意味と喜びとを見いだしていたすべてのものがさかさまにひっくりかえって木っ端みじんになってしまうには、重い病気と、死の恐怖と、周囲の事情と、人々の影響だけでたくさんである。されば、わたしが生涯の最後の数ヶ月を、奴隷や野蛮人にふさわしいような思想感情で暗くしてしまったことや、今や何事にも無関心になって、暁の光にも気がつかないでいることにも、なんのふしぎもないだろう。もし人間のうちに、いっさいの外部的影響以上に高く力強いものがない場合には、じっさい、彼が心の平衡を失って、鳥を見れば|ふくろう《ヽヽヽヽ》と思い、物音を聞けば犬のほえ声と思うようになるためには、ちょっとした鼻かぜ一つひくだけで十分である。そして彼のすべての厭世主義なり楽天主義なりが、その大小の思想とともに、こうしたときには、単なる病気の徴候以上の意味は何一つ持たないわけになるのである。
わたしは征服されたのである。もしそうとすれば、このうえ考えたところではじまらない。なんといってみたところではじまらない。こうしてすわって、手をつかねて来たるべきものを待っているよりしかたがない。
朝になると、廊下番が、お茶と土地の新聞とを持ってくる。わたしは機械的に第一面の広告や、社説や、新聞雑誌の抜粋や、雑報などに目を通す……その雑報の中に、わたしは次のような報道を発見する――「わが国の著名なる学者にして名誉教授たるニコライ・ステパーヌイチ・××氏は、昨日の急行列車にてハリコフに到着し、××ホテルに投宿せり」
思うに、大名《たいめい》というものは、それを帯している人間とはべつに、独立して存在するために作られたようなものである。今やわたしの名は、何物にもわずらわされることなく、ハリコフ市中を歩きまわっている。三月もすると、それは金文字で墓石の面に刻まれて、太陽そのもののごとくに輝くであろう――そしてその時分には、わたしはもう苔《こけ》におおわれてしまっているだろう……
ドアに軽いノックの音、だれかがたずねて来たらしい。
「どなた? おはいりなさい!」
ドアが開くと、わたしは茫然《ぼうぜん》として、一歩あとずさり、あわててガウンのすそをかき合わせた。わたしの前にはカーチャが立っている。
「ごきげんよう」と彼女は、階段をあがって来たので苦しそうに息をつきながら言う。「思いがけなかったでしょう? あたしも……あたしもここへ来ましたのよ」
彼女は腰をおろして、口ごもり口ごもり、わたしの方は見ないで、続ける――
「どうしてあいさつもしてくださらないの? あたしも来ましたのよ……今日……あなたがこの宿にいらっしゃるのを知って、さっそく伺ったのですわ」
「おまえに会えて、非常にうれしい」と、わたしは肩をすくめながら言う――「だが、驚いたよ……まるで空からでも降って来たようなんだもの。どうしておまえ、こんなとこへ来たの?」
「あたし? そうね……ふいと思いたって来たんですわ」
沈黙。ふいに、彼女はひらりと立ちあがって、わたしのそばへ進んでくる。
「ニコライ・ステパーヌイチ!」と彼女はまっさおになって、両手でしっかり胸を押えながら言う。「ニコライ・ステパーヌイチ! あたしはこれ以上、こんなふうにして生きてはゆけませんの! ゆけませんの! 後生ですから、早く、今すぐ、言ってちょうだい――あたしはどうしたらいいのか? どうぞおっしゃってちょうだい。あたしはどうしたらいいのか?」
「わしに何が言えるだろう?」わたしは困惑する。「わしには何も言えやしないよ」
「どうぞ言ってちょうだい、お願いですわ!」と彼女はあえぎあえぎ、全身をわななかせながら続ける。「あたし誓って申しますわ、あたしはどうしても、とてもこのままでは生きてゆかれませんの! もう力がないのですわ!」
彼女はぐったりといすに倒れ込んで、すすり泣きをはじめる。彼女はうしろざまに頭を投げ、手をもみしだいて、足をばたばたやる。帽子は頭からすべり落ち、ゴムひもにぶらさがってぶらぶら揺れ、髪は乱れる。
「どうぞ助けてください! 助けてください!」と、彼女は哀願する。「わたしはもうとても生きてゆけないの!」
彼女は、自分の旅行用の手さげ袋からハンケチを取り出す。それといっしょに何本かの手紙がすべり出て、彼女のひざから床のうえへ落ちる。わたしはそれを拾ってやる拍子に、その一通に、ミハイル・フョードロヴィッチの手跡を認め、そしてわれにもなく、次のような言葉の切れはしを読みとる。『情熱』なんとかいう文字をちらりと読みとる。
「わしはおまえに何も言えやしないよ、カーチャ」わたしは言う。
「助けてください!」と彼女はわたしの手をつかんで、それに接吻しながら泣く。「だって、あなたはあたしのお父さまじゃありませんか、たったひとりのお友だちじゃありませんか! あなたは聡明な、教育のあるかたじゃありませんか、長い生活をしていらしたかたじゃありませんか? あなたは先生だったんじゃありませんか! どうぞ言ってちょうだい――あたしはどうしたらいいのか?」
「ほんとうにカーチャ、わしはわからないんだよ……」
わたしはとほうにくれてろうばいし、嗚咽《おえつ》に動かされて、立っているのさえやっとである。
「それはそうとカーチャ、まあ朝飯でもやろうじゃないか」とわたしは、むりに笑顔をつくりながら言う。「泣くのはたくさんだよ!」
そしてすぐ、わたしは沈んだ声でこういい足す――
「わしはもうじき死ぬんだよ、カーチャ……」
「せめてひと言、せめてひと言!」と、彼女はわたしの方へ両手を差し延べながら、泣く。「あたしはどうしたらいいんです?」
「妙な子だね、おまえは、ほんとうに……」とわたくしはつぶやく。「わしにはわからない! おまえのような利口な娘が、急に――なんのことだ! 泣き出したりして……」
沈黙がくる。カーチャは髪を直し、帽子をかぶり、それから手紙をくしゃくしゃにまるめて、袋の中へ押し込む――これらの動作はすべて無言のうちにゆっくりとおこなわれたのである。彼女の顔も、胸も、手袋も、涙でぐっしょりとぬれているが、顔の表情はもうかわいてきびしくさえなっている……わたしは彼女をしみじみと見る。わたしには、自分が彼女より幸福なのが恥ずかしい。同僚の哲学者たちが共通の理念と呼んでいるものの自分に欠けていることを、わたしは生涯の日没、死の間ぎわになってやっと初めて認めたのであるが、このあわれな娘の魂は、これまで自分の隠れ家を知らなかったし、将来もおそらく知らずに終わるであろう、生涯の終わりまで!
「とにかく、カーチャ、朝飯をやろうじゃないか」とわたしは言う。
「いいえ、ありがとう」と彼女は冷やかに答える。
また一分間が沈黙のうちに過ぎる。
「わしはハリコフはきらいだね」とわたしは言う。「どうもあまり灰色過ぎるよ。なんだか妙に灰色の町だ」
「そうよ、ずいぶん……きたならしい町だわ……あたしここには長くいませんの……ほんの通りがかりですから、今日立ちますわ」
「どこへ?」
「クリミヤへ……つまりコウカサスへ」
「そうか。長く行くのかね?」
「さあ、どうなりますか」
カーチャは立ちあがって、冷たい笑《え》みを浮かべ、わたしの方は見ないで、手を差し出す。
わたしはこう尋ねたいと思う――「するとなんだね、わしの葬《とむら》いにはいないわけだね?」しかし、彼女はわたしを見ないし、その手はまるで他人のように冷たい。わたしは黙って戸口まで送り出す……彼女はもうわたしから離れて、長い廊下をふり返りもしないで、歩いて行く。彼女はわたしがあとを見送っているのを知っている。たぶん、曲がり角でふり返るであろう。
いや、彼女はふり返らなかった。黒い服が最後にちらりとして、足音もしだいに消えた……さようなら、わが宝よ!(一八八九年)
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いいなずけ
もう晩の十時で、庭の上には満月がこうこうと輝いていた。シューミン家では、祖母のマールファ・ミハイロヴナの希望で行なわれた晩祷式が終わったばかりのところで、いまナーヂャの目には――彼女はちょっと庭へ出ていたのである――広間でザクースカの食卓が用意されている様子や、はでな絹服を着た祖母《そぼ》が忙しそうに動きまわっている様子などが見えていた。会堂の祭司長の神父アンドレイは、ナーヂャの母のニーナ・イワーノヴナと何か話していたが、いま窓ごしに夜の光で見る母は、なぜか非常に若々しい人に見えた。ふたりのそばには、神父アンドレイの息子アンドレイ・アンドレーイチが立ったまま、注意深くその話に聞き入っていた。
庭は静かで、冷えびえとし、そして暗い、おだやかな影が地上に横たわっていた。どこか遠く、とても遠いところ、きっと市外だろうと思われる方で、かしましく|かわず《ヽヽヽ》の鳴いている声が聞こえた。五月、愛すべき五月が感ぜられた! 呼吸が深く、しみじみとつかれて、ここではなく、どこか遠く、町をはずれた野か森の中に、空の下、木々の上に、いまや、弱い罪深い人間の理解には入りがたい、神秘な、美しい、豊かな、神聖な、独特の春の生活がのべひろげられているように考えたかった。そしてなぜともなく泣きたくなるのだった。
彼女、ナーヂャはもう二十三であった。十六の年から彼女は、熱情的に結婚について空想していて、今ではとうとうあの、窓の向こうに立っているアンドレイ・アンドレーイチのいいなずけになっていた。彼女には彼が気に入っていたし、結婚式はもう七月七日と決定していたのに、それだのに、なぜかなんの喜びも感ぜられず、夜もおちおち眠れなくて、楽しい気分などはどこかへ失われてしまっていた……炊事場になっていた地階からは、あけはなした窓を通して、人々の気ぜわしなげに動いている気はいや、ナイフの鳴る音や、滑車のついた扉の開閉する音などが聞こえ、しちめん鳥の焼けるにおいや、酢漬《すづ》けのさくらんぼのにおいがしていた。そしてなぜか、いまや一生はこうして、変化もなく、終わりもなく、つづいて行くだろうという気がしていた!
ふと見ると、だれかが家から出て、段々の上に立ちどまった。それは、十日ばかり前にモスクワから客に来ていたアレクサーンドル・チモフェーイチ、簡単にいえば、サーシャであった。いつか、もうだいぶ前のことであるが、祖母のところへよく、その遠縁にあたるマーリヤ・ペトローヴナという、零落《れいらく》した貴族の未亡人で、小柄な、やせた、病身の女が、扶助を受けに来たことがあった。その女にサーシャという息子があった。どういうわけか、人々は彼のことをすぐれた画家だといっていた。そしてその母親がなくなったときに、祖母は後生を願う心から、彼をモスクワのコミサローフスコエ学校へ送った。二年ばかりして彼は絵画学校へ移り、そこに十五年近くもいて、どうやらこうやら建築科を卒業したが、しかしやっぱり、建築にはたずさわらないで、モスクワの石版印刷所の一つに勤めていた。夏になるとほとんど毎年、たいていはすっかり病人になって、その静養と回復のために祖母のもとへやってくるのだった。
彼は今、きちんとボタンをかけたフロックに、着古した帆布《ほぬの》製の、すその方を踏みつけたズボンをはいていた。そしてシャツにもアイロンがあててないし、全体に、どことなく新鮮味を欠いたところがあった。ひどいやせっぽちで、目は大きく、指は細長く、|ひげだるま《ヽヽヽヽヽ》で、色も黒かったが、でもやっぱり美しい男であった。彼は、親戚として、シューミン家の人たちにはすっかり慣れていたので、この家では自分を、まるでわが家にいるように感じていた。現に彼がここに住んでいた部屋は、もうずっと前からサーシャの部屋と呼ばれているものであった。
段々の上に立って、ナーヂャを見ると、彼は彼女の方へやって来た。
「ここはほんとにいいところですね」と彼は言った。
「もちろん、いいわ。だからあなたは、秋までここにいらっしゃらなければ」
「ええ、どうやらそんなことになりそうですね。たぶん九月までは、こちらで暮らすことになるでしょう」
彼はわけもなく笑いだして、彼女と並んで腰をおろした。
「あたしここに腰掛けてね、ここからお母さまを見ていたのよ」とナーヂャは言った。「ここから見ると、お母さまとても若く見えるわ! お母さまにだってもちろん欠点はありますわ」と彼女は、ちょっと黙ってから言いたした――「でもやっぱり、お母さまはえらいかただわ」
「ええ、いいかたですよ……」とサーシャは同意した。「あなたのお母さまは、人間としてはもちろん、非常に善良な、愛すべき婦人です、ですが……さあなんといったらいいでしょう? ぼくは今朝早くお宅の台所へ行ってみたんですがね、と、そこには四人の召使たちが、寝台なしでじかに床の上に寝ていましたよ。寝台の代わりに|ぼろ《ヽヽ》、悪臭、ナンキン虫、あぶら虫という有様でね……すべて二十年前と同じで、ちっとも変わっていないのです。このさい、おばあさまは問題になりません、それだからこそおばあさまなんですからね。が、お母さまは、たしかフランス語もお話しなさるし、しろうと芝居にも関係してなさるじゃありませんか。これくらいのことは、おわかりのはずだと思いますがね」
何か言うときには、サーシャは癖で、そのやせ細った長い指を二本、にゅっと聞き手の前へ突き出すのだった。
「慣れないせいで、ここのことはぼくには万事、なにやらへんてこに思えてならないんですよ」と彼はつづけた。「まったくわけがわからない、だれひとりなんにもしないでいるんですからね。お母さまはいちんち、ドイツの公爵夫人のように、ぶらぶらしているだけだし、おばあさまもなんにもしないし、あなたも――ご同様だ。それから、お婿さんのアンドレイ・アンドレーイチ、これも同様なんにもしない」
ナーヂャはこれと同じことを、去年も聞かされたし、どうやら一昨年も、聞かされたような気がした。そしてサーシャには、それ以外の批評はできないのだということを知っていた。以前はこれも彼女を笑わせたが、今はなぜかそれがいまいましくなってきた。
「そんなことは古くて、もうとうからあきあきしてるわ」彼女はこう言って、立ちあがった。「あなたもちっとはなにか新しいことを考え出さなきゃだめよ」
彼も笑いだして、同じように立ちあがった、そしてふたりは家の方へ歩きだした。背の高い、美しい、すらりとした彼女は、いま彼と並んで立つと、いかにも健康で、着飾った女のように見えた。彼女はそれを感じていたので、何となく彼が気の毒に思われて、なぜかきまりのわるいような気持ちになるのだった。
「それに、あなたは少しよけいなおしゃべりがすぎてよ」と彼女は言った。「あなたはいまもあたしのアンドレイのことをおっしゃったけれど、だいいちあなたは、あの人のことなんかなんにもごぞんじないじゃありませんか」
「あたしのアンドレイ……あんな男、あなたのアンドレイなんかどうにでもなれですよ! ぼくにはただあなたの若さが惜しまれてならないんだ」
ふたりが広間へはいって行ったときには、一同はもう夜食のテーブルについていた。祖母――家でみんなが呼んでいるようにいえば、おばあさま――眉のこい、口ひげのはえた、おそろしくふとった、醜いおばあさまが、大きな声でわんわんしゃべっていたが、その声と口をきく調子だけで、この家では彼女が一ばんの勢力家であることがわかった。彼女には市場に何軒も店があったし、円柱と庭園のある古風な家もあったのであるが、それでも毎朝、どうか零落から救いくださいますようと神に祈って、そのつど涙を流すのであった。それから、彼女の嫁でナーヂャの母である、きりっとからだをしめつけた服装をして、鼻めがねをかけ、指という指にダイヤを光らせたニーナ・イワーノヴナと、いまにも何かひどくおかしい話でもしようとするような顔つきをした、やせた歯なしの老人の神父アンドレイと、その息子でナーヂャのいいなずけである、役者か美術家とでもいわまほしい、巻き髪の、ふとった、美しいアンドレイ・アンドレーイチと――この三人は催眠術の話をしていた。
「おまえは、わたしのところに一週間もいれば、よくなりますよ」とおばあさまはサーシャの方を向いて言った――「ただ、もうすこし食べなくちゃいけないわね。まあおまえのその顔つきったら!」と彼女は嘆息した。「おまえは恐ろしい人になってしまったのね! ほんとに、りっぱな不良息子ですよ」
「父祖のたまものの富をつかいはたすと」と神父アンドレイは、笑ったような目をして、ゆっくりゆっくりと言うのだった――「罰あたりめは、畜生のように無意味にまいってしまったですよ……」
「わたしは自分の父を愛しています」とアンドレイ・アンドレーイチは言って、軽く父の肩をさわった。「いいおじいさんです。善良なおじいさんです」
一同はしばらく沈黙した。サーシャは急に笑いだして、ナフキンで口をおさえた。
「するとなんですね、あなたがたは催眠術を信じていらっしゃるんですね?」と神父アンドレイはニーナ・イワーノヴナにきいた。
「もちろんわたくしだって、信じているとは断言いたしかねますの」とニーナ・イワーノヴナは、その顔にひどくまじめな、きびしいほどの表情を浮かべながら答えた――「けれど、自然界には多くの神秘や不可解のあることを、認めないではいられませんわ」
「わたしもそれにはぜんぜん同感です。けれども、一言自分としてつけ加えなければならぬのは、信仰がわれわれのためにいちじるしく神秘の領域をせばめているということです」
大きな、すばらしく脂《あぶら》ののった|しちめん《ヽヽヽヽ》鳥が出された。神父アンドレイとニーナ・イワーノヴナとは、自分たちの話をつづけた。ニーナ・イワーノヴナの指にはダイヤモンドが輝いていたが、やがてその双眸に涙が光りだして、彼女はしだいに興奮してきた。
「わたくしあなたと議論するつもりはございませんわ」と彼女は言った――「けれど、これだけは同意していただかなければなりませんわ、人生には、解きがたい謎《なぞ》がかなりたくさんあるということは!」
「ところが、そんなものは一つもありませんよ、わたしは敢えて断言しますが」
夜食のあとでは、アンドレイ・アンドレーイチがヴァイオリンを弾いて、ニーナ・イワーノヴナがピアノを伴奏した。彼は、十年前に大学の言語学科を出たのだが、どこにも勤めず、きまった仕事も持たないで、ただ時たま、慈善音楽会などに関係するにすぎなかった。そして町では彼のことを芸術家と呼んでいた。
アンドレイ・アンドレーイチは弾き、一同は黙々とそれに聞き入っていた。テーブルの上では、サモワールが静かにたぎって、ただひとりサーシャだけがお茶を飲んでいた。やがて、時計が十二時を打った時に、ふいにヴァイオリンの弦《いと》が切れた。一同は笑いだし、あたふたしだして、がやがやと別れを告げはじめた。
婚約の男を送り出してから、ナーヂャは、母親といっしょに住まっていた階上の自分の部屋へ行った。(階下は祖母に占められていたのである)階下の広間ではあかりを消しはじめたが、サーシャはそれでもなおみ輿《こし》を据えて、お茶を飲んでいた。彼はいつもモスクワ風に長くかかってお茶を飲んだ、一度に七杯も飲むのだった。ナーヂャには、着がえをして床についてからもなお長いこと、階下で女中が片づけものをしたり、おばあさまが口小言をいったりしている声が聞こえた。ついにすべてが静まった。ただまれに、階下の自分の部屋で、サーシャがバスの声で|せき《ヽヽ》をする音が聞こえるだけであった。
ナーヂャがふと目をさましたときには、きっと二時ごろででもあっただろう、夜が白みかかっていた。どこか遠くの方で、夜番が鉄板を打っていた。もう眠くはなかったし、横になっていることも、寝床が柔らかすぎて、気持ちがよくなかった。そこでナーヂャは、これまでの五月の夜にいつもしたように、床の上に起き直って、考えはじめた。が、考えは、前晩のそれとまったく同じ、単調な、不要な、しつこいもの、アンドレイ・アンドレーイチが彼女のきげんをとりはじめて、彼女に申し込みをしたときのことや、彼女がそれに承諾を与えて、その後しだいに、この善良で賢い男を重んじるようになったことなどであった。しかし、なぜか今、結婚まであとひと月とはなくなった今となって、彼女は恐怖と不安とをおぼえはじめた。まるで何か漠然とした、重苦しいものが彼女を待ち受けてでもいるように。
「カチ、カチ、カチ、カチ……」夜番はものうげに打っていた。「カチ、カチ……」
大きな古風な窓からは庭が見え、その向こうに、冷気のためにぐったりとして、眠そうにうなだれた花をびっしりつけた紫|はしどい《ヽヽヽヽ》の草むらが見えた。そして、こい白い霧がその草むらの方へ静かにはいよって、それをおおい隠そうとしている。遠い木々の上では、眠そうな白はしがらすが鳴いている。
「ああ、どうしてあたしはこう気が重いんだろう!」
ひょっとすると、どんな娘でも、結婚前にはこんなふうの気持ちを味わうものかもしれない。それをだれが知ろう! それとも、これはサーシャの影響かしら? けれど、サーシャはもう何年もつづけて、まるで書いたものでも読むように、同じことばかり言っているのではないか。そして彼がそれを口にするときには、無邪気で、変わった人間に思われるのではないか。でも、それにしてはなぜ、サーシャのことがいつまでも頭からはなれないのだろう? なぜだろう?
夜番は、もうだいぶ前から打っていない。窓の下と庭の方で小鳥がはしゃぎだし、霧は庭面から消えて、周囲の万象は春光を浴び、さながら微笑でもしているように輝き出した。まもなく、満庭が太陽に暖められ、愛撫《あいぶ》されて、生きかえり、露の玉が、木の葉の上で、宝石のようにきらめきだした。古い、もうとくから手の抜けている庭も、この朝ばかりは、とても若々しく、盛装をこらしているように思われた。
おばあさまももう目をさました。粗野なバスの声でサーシャがせきだした。階下では、サモワールを持ち出したり、椅子《いす》をがたがたやったりする音が聞こえていた。
時計はのろのろと歩む。ナーヂャはもうとくに起きあがって、とうから庭を歩きまわっていたが、依然としてまだ朝なのである。
やがて、泣いたような顔をしたニーナ・イワーノヴナが、鉱泉のコップを手にして出て来た。彼女は降神術や、同種療法に興味を持って、いろんな本を読み、自分の逢着した疑念について語ることが好きだったが、ナーヂャにはこれがみな、何か深い、神秘な意味を蔵しているように思われるのだった。今、ナーヂャは母に接吻して、彼女と並んで歩きだした。
「お母さまは何をお泣きになったの?」と、彼女はきいた。
「ゆうべ夜中にね、わたしはひとりのおじいさんとその娘のことを書いた小説を読みだしたのよ。そのおじいさんはどこかに勤めているんだけれど、するとその娘に、役所の長官が思いをかけるのさ。わたしはしまいまでは読まなかったけれど、その中に、ひとところ、とても泣かずにいられないような場面があってね」とニーナ・イワーノヴナは言って、コップの水を一口すすった。「今朝もそれを思い出して、また泣いてしまったのさ」
「あたくしね、このごろずっとなんだか気が沈んでならないのよ」とナーヂャは、ちょっと黙ってから言った。「それに、どうしてでしょうね、あたくし毎晩よく眠れないの?」
「さあね、どうしたのだろうね。あたしは夜眠れないようなときには、きゅっと、こんなふうに一生けんめいかたく目をつぶって、自分の前にアンナ・カレーニナのおもかげを、あの女が歩いておしゃべりをしているところを描き出したり、何か歴史上の、古代のことなどを描き出したりしてみるのよ……」
ナーヂャは、母は自分を理解してもいないし、また理解することもできないのだと感じた。彼女はそれを、生まれてはじめて感じたので、なんだか恐ろしくすらなってきて、どこかへ隠れてしまいたくなった。で、早々に自分の部屋へはいってしまった。
二時に、一同は正餐のテーブルについた。水曜日で、精進日だったので、祖母の前には精進の野菜汁と、|そばがゆ《ヽヽヽヽ》を添えた|うぐい《ヽヽヽ》などが供された。
祖母をからかうために、サーシャは自分の肉入りスープと、精進の野菜汁とを食べた。彼は食事のあいだずっと、ふざけてばかりいたが、彼の冗談は必ず、道義的味わいを利かせようとした大がかりなもので、彼が何か気のきいたことをいおうとして、その前に例の恐ろしく長い、やせ細った、まるで死人のそれのような指を高くさし上げるときには、ぜんぜん、おかしくもなんともなくなってしまうのだった。そして、彼の病気がもうかなり進んでいて、おそらくもう長くはこの世にいないであろうことが思い浮かべられるときには、涙ぐまれるまでに彼がかわいそうになるのだった。
食事がすむと、祖母は休むために自分の部屋へ退いた。ニーナ・イワーノヴナはしばらくピアノを弾いていたが、やがてこれも行ってしまった。
「ああ、かれんなるナーヂャよ」とサーシャは、いつも例になっている食後の会話をはじめるのだった――「もしあなたがぼくのいうことをきいてくれたら! きいてくれたら!」
彼女は古風な肘掛け椅子にふかく身を埋めて、目を閉じていたが、彼は静かにすみからすみへと部屋のなかを歩いていた。
「あああんたは学校へ行くといいんだがなあ!」と彼は言うのだった。「この世で興味のあるのはただ、教養ある、高尚な人間だけです。ただ、彼らだけが必要なのです。だって、そういう人間が多くなればなるほど、神の王国の地上出現もより早くなるのですからね。そうなりゃ、この町なんかも、だんだんによくなって、――一切がひっくりかえり、一切が、まるで魔法にでもかかったように変わってしまうでしょう。そしてその時にはここにも、宏壮《こうそう》をきわめた、堂々たる邸宅や、すばらしい庭園や、世にもまれな噴水などが作られて、りっぱな人たちが住むことになるでしょう……しかし大切なことはそれではありません。大切なことは、われわれがいう意味での衆愚、現在あるような衆愚、この厄病神がその時にはなくなるだろうということです。なぜなら、その時には各人が信仰を持ち、各人がなんのために生きているかを知るようになって、だれひとり衆愚のうちに支柱を求めるようなことはしなくなるだろうからです。ねえ、ナーヂャ、出かけなさいよ! そしてみんなに、このよどんだような、灰色な、罪深い生活にはもうあきあきしたということを、見せておやりなさいよ。いや、せめて自分自身にだけでも、見せておやりなさいよ!」
「そんなことだめよ。サーシャ。あたしは結婚するんですもの」
「ええい、たくさんですよ! そんなことがだれに必要なんです!」
ふたりは庭へ出て、しばらくそのへんを歩いた。
「それはともかく、あなたがたのこの遊惰な生活がいかに不正であり、いかに不道徳であるかを考えなければなりません、悟らなければなりません」とサーシャはつづけるのだった。「まず第一に、いいですか、たとえばです、あなたや、あなたのお母さまやおばあさまが、なんにもしていないとすればですよ、すれば、それはつまり、あなたがたの代わりにだれかほかの者が働いているということになるのです。あなたがたは、だれか他人の生活を食っているということになるのです。これが正しいことでしょうか、けがらわしくないことでしょうか?」
ナーヂャはこう言いたかった――「ええ、それはほんとうですわ」なお彼女は、自分にもそれはわかっていると言いたかった。しかし、涙が目にいっぱいになってしまったので、彼女は急にひっそりとなり、身をちぢめるようにして、自分の部屋へ帰ってしまった。
夕方前に、アンドレイ・アンドレーイチがやって来て、例により、長いことヴァイオリンを弾いていた。概して彼は口数をきかぬほうで、ヴァイオリンを弾くのが好きだったが、それはあるいは、弾奏しているあいだは黙っていられたからかもしれなかったのである。十時を過ぎ、もう帰り支度に外套《がいとう》をつけてから、彼はナーヂャを抱いて、その顔や、肩や、手をむさぼるように接吻しはじめた。
「ぼくの大事な、かわいい、美しい人!……」と彼はつぶやくのである。「ああ、ぼくはなんて幸福なんだろう! ぼくはうれしさに気が狂うくらいですよ!」
と、彼女にはそれが、もう前に、ずっと前に聞いた文句か、あるいはどこか……もうとっくに忘れられてしまった、古い、三文小説のなかで読んだ言葉であるかのように思われるのだった。
ホールでは、サーシャがテーブルの前に陣どり、受け皿をその長い五本の指の上にのせて、お茶を飲んでいた。おばあさまはトランプのひとり占いをやっていた。ニーナ・イワーノヴナは本を読んでいた。燈明の灯がぱちぱち音を立てているきり、すべてはひっそりとして、無事平穏であるように思われた。ナーヂャは別れのあいさつをして、階上の自分の部屋へ上がって行き、横になると、すぐ寝入った。しかし、昨夜と同じように、夜が白みかけるやいなや、もう目がさめてしまった。そしてねむ気はきれいに去り、心は落ちつかず、重苦しかった。彼女はすわって、ひざの上に頭をのせ、婚約の男のことや、結婚のことを考えた……彼女はなぜともなく、母がそのなくなった夫を愛していなかったことや、今ではほとんど無一物で、何から何まで姑《しゅうとめ》であるおばあさまのおかげで生活していることなどを思い出した。そしてナーヂャは、今日までいったいどうして自分は母を、どこか普通とは違ったところのある、特殊な人のように思いこんで、単純な、平凡な、不幸な女であることに気がつかないでいたのか、どう考えてみてもわからなかった。
階下のサーシャも眠ってはいなかったらしい、――彼のせきの声がときどき聞こえた。あれは一風変わった、無邪気な人だとナーヂャは考えた。彼の空想のなかには、すばらしい庭園だとか、世にもまれな噴水だとかいうもののなかには、何となく、愚にもつかぬようなものが感ぜられる。けれども、彼の無邪気さのなかには、この愚にもつかぬようなもののなかにすら、身内がぞっと寒くなり、喜悦と歓喜の情が溢れるようになったほどの、美しいものが感ぜられた。
「でも、考えないほうがいいわ、考えないほうがいいわ……」と彼女はささやくのだった。「こんなことを考えちゃいけないんだわ」
「カチ、カチ……」どこか遠くで夜番が鉄板をたたいていた。「カチ、カチ……カチ、カチ……」
六月の半ばになると、サーシャは急に退屈を感じはじめて、モスクワへ帰ろうと考えだした。
「こんな町には住んでいられませんよ」と彼は陰うつに言うのだった。「水道があるじゃなし、下水があるじゃなし! ぼくはものを食べるのも不愉快ですよ――台所の不潔さときたら、とてもお話にならないんだから……」
「だけど、まあお待ちよ、不良さん!」と祖母は、なぜかささやき声で説きつけるように言う――「七月には結婚式があるのだから!」
「いやですよ」
「だって、おまえは九月までここにいたいって言ってたじゃないの!」
「それが今はいやになったんです。ぼくは働かなければなりません」
冷えびえとした湿気の多い夏で、木々は濡れそぼち、庭のものはすべて無愛想に、悲しげに見えて、じっさい何か仕事でもしたくなるのだった。階上にも階下にも、家じゅうの部屋に聞きなれぬ女の声が聞こえ、祖母の部屋ではミシンのがちゃがちゃ鳴る音がしていた――これは婚礼の支度を急いでいるのであった。ナーヂャのためには、毛皮外套だけでも六枚用意され、そのうちの一ばん安いのでも、祖母の話によると三百リーブルもしたのである! こうした騒ぎが、サーシャの気持ちをいらだたせた。彼は自分の部屋に閉じこもって、ぷりぷりしていたが、でもやはり、人々に残るよう説き伏せられて、七月一日に立つ、それ以前には立たないという約束をした。
時はぐんぐんたっていった。ピョートル日の昼食後に、アンドレイ・アンドレーイチはナーヂャを連れて、もうだいぶ前に借りこんで新夫婦の住居として支度のできていた家をもう一度見るために、モスコーフスカヤ街へ出かけて行った。その家は二階家だったが、さしあたり、二階だけに飾りつけができていた。ホールには、はめ木床式に塗られた、ぴかぴか光る床と、ウイーン風の椅子と、ピアノと、ヴァイオリンの楽譜台とがあった。ペンキのにおいがぷんぷんしていた。壁には金色の額縁にはいった大きな油絵――裸体婦人と柄《え》のもげた薄紫色の花びんの絵がかかっていた。
「すばらしい絵ですね」とアンドレイ・アンドレーイチは言って、感嘆のあまりのため息をついた。「これは画家のシシュマチューフスキイの作ですよ」
そのさきには、丸テーブルや、長椅子や、明るい空色のきれで張った肘掛け椅子などをそなえた客間があった。長椅子の上の壁には、法衣姿に頭蓋帽《ずがいぼう》をいただいた神父アンドレイの大きな肖像写真がかかっていた。それからふたりは、食器棚のある食堂へはいり、ついで寝室へはいった。そこには薄暗いなかに、二脚の寝台が並んで立っていたが、どうやらこの寝室を設けるときには、そこではいつも居心地がよく、それ以外ではありえないということだけを目安においてしたものらしい。アンドレイ・アンドレーイチはナーヂャを方々連れまわったが、そのあいだずっと彼女の腰を抱いていた。が、彼女は、自分を弱い、罪あるものに感じて、こうした部屋部屋や、寝台や、肘掛け椅子を憎み、裸体婦人の画には、胸のわるいような思いをしていた。彼女には、自分がもうアンドレイ・アンドレーイチにいや気がさしていること、あるいはひょっとすると、初めから彼を愛していなかったのかもしれないということが、明らかだった。しかし、それをなんといって話したらいいか、なんのためにだれに話したらいいか、彼女はわからなかった、毎日毎晩そのことばかり考えていてわからなかった……彼は彼女の腰を抱いて自分の新居を見てまわりながら、いかにも優しい、おだやかな口のきき方をし、いかにも幸福そうであった。が、彼女はこうしたことのなかに、ただひとつの卑俗、愚劣な、無邪気な、やりきれない卑俗だけを見ているのだった。そして、自分の腰にまわされている彼の手が、彼女には|たが《ヽヽ》のように硬《かた》い、冷たいものに思われた。こうして彼女は、一分ごとに、逃げだしたいような、泣きだしたいような、窓から飛びおりたいような気がしていた。アンドレイ・アンドレーイチは彼女を浴室へ連れて行くと、壁に取りつけられてあったカランにさわった。と、いきなりそこから水がほとばしり出た。
「どうです?」彼はこう言って、大声で笑いだした。「ぼくは屋根裏に百ウェドロー入りのタンクを作らせたんですよ。だから、ぼくらはこのとおりいつでも水が得られるわけです」
中庭をひとまわりしてから、二人は往来へ出て、辻馬車を拾った。砂ほこりが濃い雲のようになって走っていて、いまにも雨が来そうに思われた。
「きみ、寒くないの?」とアンドレイ・アンドレーイチは、ほこりから目を細めながら、きいた。
彼女は黙りこくっていた。
「きみも覚えてるでしょう。昨日サーシャは、ぼくがなんにもしないといって攻撃しましたよ」と彼はしばらく黙っていてから言いだした。「どうも仕方がない、あの男のいうことはほんとうです! まったくもってほんとうです! ぼくはなんにもしないし、また何一つすることができないのです。ねえきみ、いったいこれはなぜでしょう? なんだってぼくには、自分がいつか額に帽章をつけて、勤めに出るということを考えただけでも、いやな気がするんでしょう? どうしてぼくは、弁護士とか、ラテン語の教師とか、役所の吏員とかを見ると不快な気分になるんでしょう? おお、母なるロシアよ! おお、母なるロシアよ、なんじはなおいかに多くの遊惰な、役にもたたぬ人間をその肩に担っているのだろう! いかに多くのぼくのような人間をその肩に担っているのだろう、悩み多きロシアよ!」
そして彼は、自分がなんにもしていないということを普遍化して、その中に時代の標識を見ているのだった。
「ぼくらも結婚したらね」と彼はつづけるのだった――「いっしょに田舎へ行って、そこで働きましょうよ! ぼくらはそこで少しばかり、川や庭のある地面を買って、働いたり、人生を観察したりしましょう……ああ、そうなったらどんなにいいだろう!」
彼が帽子をぬぐと、髪が風に吹き乱された。彼女は彼の言葉を聞きながら考えていた――(やれやれ早く家へ帰りたい! やれやれ!)ほとんど家のすぐ近くで、彼らは神父アンドレイに追いついた。
「おお、お父さんが歩いている!」とアンドレイ・アンドレーイチは喜んで、帽子を振った。「ぼくは自分のおやじがとても好きなんですよ、ほんとに」と彼は、辻馬車屋に金を払いながら言った。「父は愛すべき老人です。善良な老人です」
ナーヂャは不きげんな、不健康な気持ちで家へはいって行ったが、腹の中では、毎晩客のくることや、彼らの接待をして、ほほえんだり、ヴァイオリンをきいたり、あらゆるむだ話に耳をかたむけたり、結婚式のことばかり話したりしなければならぬことなどを考えていた。祖母は、例の絹服を着飾り、客の前ではいつも見せる、もったいぶった、横柄《おうへい》な様子をして、サモワールのそばに控えていた。神父アンドレイは、例のずるそうな笑みを浮かべながらはいって来た。
「あなたのご壮健なお姿を拝見するのは、わたしにとって何よりの喜びです」と彼は祖母に言ったが、それは冗談に言っているのか、まじめに言っているのか、ちょっと判断に迷うような口ぶりだった。
風は窓をたたき、屋根を打ち、ひゅうひゅう鳴る笛のような音が聞こえて、暖炉のなかでは家鬼があわれっぽく、陰うつにその歌をうたっていた。夜中の十二時すぎであった。家の者はみな床についていたが、だれひとり眠っているものはなかった。そしてナーヂャにはのべつ、階下でピアノを弾いているような感じがしていた。激しいばたんという音が聞こえた。きっとよろい戸がはずれたのであろう。一分ばかりすると、ニーナ・イワーノヴナが肌着一枚で、ろうそくを手にしてはいって来た。
「あのひどい音がしたのはなんだろうね、ナーヂャ?」と彼女はきいた。
髪をひとたばに編んで、おずおずした笑顔をしている母は、こんなあらしの晩には、ひどく老《ふ》けて、器量もおち、背まで小さくなったように思われるのだった。ナーヂャにはつい近ごろまで、自分が母を非凡な女のように考えて、誇らしい気持ちで彼女の言葉に聴従《ちょうじゅう》していたことが思い出された。が、今は、どう考えてみても、それらの言葉を思い出すことができなかった。記憶にのぼってくることはみな、いかにも弱々しく、らちもないことばかりであった。
暖炉のなかではいろんなバスの歌が聞こえた。「おお神よ!」という声さえ、聞こえたような気がした。ナーヂャは寝床の上に起き直ると、やにわに自分の髪をしっかりつかんで、泣きだした。
「お母さま、お母さま」と彼女は口走った――「わたしが今どんな気持ちでいるか、わかってくだすったらねえ! わたしお願いですわ、祈りますわ、どうぞ、わたしを行かせてちょうだい! 後生だから!」
「どこへさ?」とニーナ・イワーノヴナはその意味を解しかねて、問い返した。そして寝台に腰をおろした。「どこへ行こうっていうのさ?」
ナーヂャは長いこと泣いていて、ひと言もいうことができなかった。
「どうぞわたしをこの町から出て行かせてちょうだい!」と彼女は、ついに言った。「結婚式はあげてはいけないの、あげられませんの、――ね、わかってちょうだい! わたしはあの人を愛していないのよ……あの人のことは口にするのもいやなの」
「まあ、なにを言うのさ、この子は」とニーナ・イワーノヴナはとても驚いた様子で、早口に言いだした。「おまえ気を落ちつけなければいけませんよ、――それはおまえ、気分がどうかしているのだよ、――じきになおります。よくあることだからね。きっとおまえ、アンドレイとけんかでもしたんだろう。好いた同士はけんかも楽しみってね」
「まあ、あっちへ行ってちょうだい、お母さま、行ってちょうだい!」とナーヂャは泣きだした。
「ほんとにね」と、ちょっと黙ってからニーナ・イワーノヴナは言った。「おまえが赤ちゃんだったのは、子供だったのは、そんなに古いことだろうか、それがもう今じゃお嫁さんなんだものね。この世ではのべつ新陳代謝が行なわれてるんだから。おまえだって、自分では気がつかないうちに、だんだんお母さんになりおばあさんになり、そしてわたしと同じように、わがままな娘を持つようになるんだよ」
「ねえ、お母さま、あなたは賢いかたじゃないの、不幸なかたじゃないの」とナーヂャは言った――「あなたはとてもふしあわせなかただわ、――それをなんだってそんな平凡なことをおっしゃるの? ほんとになんだって?」
ニーナ・イワーノヴナは何か言おうとしたが、ひと言もいうことができないで、すすり泣きをしながら、自分の部屋へ行ってしまった。暖炉のなかでは、またいろんなバスがうなりだして、急に恐ろしくなってきた。ナーヂャは寝床からとび起きて、急いで母の部屋へ行った。ニーナ・イワーノヴナは泣き濡れたまま、空色の夜具にくるまって、床のなかに身を横たえ、両手で本をささえていた。
「お母さま、どうぞわたしのいうことも聞いてちょうだいな!」とナーヂャは言いだした。「後生ですから、よく考えて、わかってちょうだいな! ただ、わたしたちの生活がどれくらいつまらなくて、いやしいか、それをわかってくださればいいのよ。わたしは目があいたのよ、それで今はなにもかもが見えるの。それに、あなたのアンドレイ・アンドレーイチなんかいったいなんでしょう? あの人なんかちっとも賢い人じゃありませんわよ、お母さま! ああ、ああ! どうぞわかってちょうだいな、あの人はばかな人ですわ!」
ニーナ・イワーノヴナは、はじかれたようにすわってしまった。
「おまえとおまえのおばあさまは、よってたかってわたしを苦しめるのね!」と彼女はすすり上げながら言った。「わたしは生きたいの! 生きたいの!」こう彼女はくりかえして、二度ばかりこぶしで胸を打った。「どうぞわたしに自由をちょうだい! わたしはまだ若くて、生きたいと思っているのに、おまえたちはわたしをおばあさんにしてしまって!……」
彼女ははげしく泣きだして、ごろりと寝ると、|えび《ヽヽ》のようにまるくなって夜具にくるまってしまったので、いかにも小さな、あわれっぽい、愚かな女のように見えだした。ナーヂャは自分の部屋へ帰ると、着がえをし、窓ぎわに腰掛けて、朝を待ちはじめた。彼女は夜通し腰掛けたまま考えていたが、そのあいだのべつだれかが戸外から、よろい戸をたたいたり、口笛を吹いたりしていた。
翌朝、祖母は、昨夜夜中に庭では|りんご《ヽヽヽ》が全部風で落ちてしまい、古い梅の木が一本折れてしまったとこぼしていた。薄暗くくもった灰色の、あかりでもほしいような、陰うつな天気だった。だれもかれも寒さを訴えるし、雨は窓をたたいていた。お茶のあとでナーヂャはサーシャの部屋へ行き、ひと言もいわないで、片すみの肘掛け椅子のそばにひざまずくと、両手で顔をおおった。
「どうしたの?」とサーシャはきいた。
「わたしもう……」と彼女は言いだした。「どうしてこれまでこんなところに暮らしていられたのかわからないの! 理解できないの! わたしは、婚約した男も軽蔑するし、自分自身をも軽蔑するし、この遊惰な、無意味な生活をも軽蔑するわ……」
「まあ、まあ……」とサーシャは、まだなんのことやらわけわからずに、こう言った。「そんなことなんでもありませんよ……それでいいんですよ」
「わたしはもうこんな生活はすっかりいやになってしまいましたの」とナーヂャはつづけた――「もう一日もこんなとこにはいられませんわ。明日わたしはここを出ていきます。どうぞいっしょに連れて行ってちょうだい!」
サーシャは一分間ばかり、びっくりしたような顔をして彼女を見ていた。そしてやっと事情がのみこめると、子供のように喜んだ。両手を振りまわして、まるで夢中になって躍りだしでもしたように、スリッパの足をばたばたやりはじめた。
「すてき!」彼は両手をこすり合わせながら、こう言った。「ああ、なんてすばらしいことだろう!」
が、彼女は、またたきもせず、その大きな、恋する者のような目で、まるで魅《み》せられたように、いまにも彼がなにか意味ふかい、無限に重大なことを言いだすだろうと期待しながら、彼を見つめていた。彼はまだなにも言いだしはしなかったが、彼女にはすでに、自分の前に何か新しい、ひろびろとした、以前には見も知らなかった世界がひらかれたような気がして、早くも期待に満たされ、何事にたいしても、死にたいしてすらも恐れない気持ちで、彼を見つめていたのである。
「では、ぼくは明日立ちます」と彼は、ちょっと考えてから言った。「あなたはぼくを停車場へ送っていらっしゃい……あなたの荷物はぼくが自分のトランクのなかへ入れて行きます。そして切符も買っておきますから、あなたは第三鈴が鳴ってから、汽車へお乗りなさい、――そしていっしょに行きましょう。モスクワまでいっしょに行って、それからはひとりでペテルブルグへいらっしゃい。旅券はありますか?」
「ありますわ」
「ぼくは誓って言いますが、あなたは後悔したり残念がったりすることはありませんよ」とサーシャは夢中になって言った。「向こうへついたら、勉強して、それからは運命にまかせればいいのです。あなたの生活をひとつ転回させれば、万事は自然に変わって行きます。かんじんなのは生活を転回させることです。それ以外のことは問題じゃありません。じゃ、つまり、明日出かけるんですね?」
「ええ、そうですとも! どうぞ!」
ナーヂャには、自分が非常に興奮しているような、かつてなかったほど気分が重苦しいような、これから家を出てしまうまでは、苦しい思いをしたり、なやましい時を送ったりしなければならないような気がしていた。が、階上の自分の部屋へ帰って、ベッドの上へ身を投げると、すぐ寝入って、泣き顔に微笑をたたえたまま、夕方までぐっすり眠った。
辻馬車が呼びにやられた。ナーヂャはもう帽子をかぶり、外套《がいとう》を着てから、いま一度母や、自分の持ち物を見るために、階上へあがって行った。彼女は自分の部屋の、まだあたたかみのうせない寝床のそばに立って、あたりを見まわしてから、静かに母の部屋へはいって行った。ニーナ・イワーノヴナは眠っていて、部屋の中はひっそりとしていた。ナーヂャは母に接吻して、その髪を直してやり、なお二分ばかりじっとたたずんでいた……それからゆっくりゆっくりと階下へおりた。
戸外には猛烈な雨が降っていた。ほろをかけた辻馬車は、ぐしょ濡れになって、車寄せのところに立っていた。
「あの子といっしょに乗る席はありませんよ」と、女中がトランクを積み込みはじめたときに、祖母が言った。「こんなお天気に見送りに行くなんて、いい物好きだよ! 家に残ってればいいのに。まあ、この雨をごらんよ!」
ナーヂャは何か言おうとしたが、できなかった。やがて、サーシャがナーヂャを助け乗せて、膝掛《ひざか》けで足をくるんでやった。そして自分もそのそばへ腰をおろした。
「気をつけていらっしゃい! ごきげんよう!」と、段段の上から祖母が叫んだ。「サーシャ、おまえモスクワへついたら、手紙をおくれよ」
「はーい。さようなら、おばあさま!」
「聖母さまがおまえをまもってくださるように!」
「ちょっ、なんという天気だ!」とサーシャは言った。
ナーヂャは、今になって初めて泣きだした。今になって初めて彼女には、さっき祖母と別れを告げたり母の顔を見たりしていたときには、なんとなくまだほんとうと思えなかった自分の出発が、動かすことのできない事実であることが、明らかになったのである。さようなら、町よ! すると、その時ふいにあらゆることが思い出された――アンドレイのことも、その父親のことも、新しい住居のことも、花びんのある裸体婦人の油絵も。そしてこれらがみな、もはや彼女を驚かしも苦しめもせず、ただ無邪気な小さなものとして、しだいに遠くあとへあとへと遠のいて行くのだった。そして彼らが車室に乗り込んで、汽車が動きだすと同時に、あんなにも大きく、厳然としていたこれらの過去は、一つの小さなかたまりにちぢこまってしまい、それまでは目にもつかなかった未来が、巨大な、はてしないものとして展開してきた。雨はひっきりなしに車窓を打ち、そこに見えるのはただ緑の野と、電柱と、電線にとまっている鳥の姿だけであった。と、突如として、喜びの情が彼女の呼吸作用を麻痺《まひ》させた――彼女は、自分がいま自由の世界へ乗り出して行きつつあるのだ、勉強に行きつつあるのだということをはっきりと思い出したのである。これはちょうど、ずっと昔から、コザックの国へ逃げて行く、とうたわれていたことと同じである。彼女は、笑ったり、泣いたり、祈ったりした。
「なあに、なんでもありゃしない!」とサーシャはにやにや笑いながら言うのだった。「なあに、なんでもありゃしない!」
秋が過ぎ、つづいてやがて冬も去った。ナーヂャはいつかはげしい郷愁になやみはじめて、あけくれ母のこと、祖母のことを思い、サーシャのことを考えていた。家からはもの柔らかな、善意にみちた手紙が幾本も来ていて、もうすべては許され、忘れられたような気がしていた。五月にはいって、試験がすむと、彼女は健康な、快活な女になって、帰省の途につき、途中、サーシャに会うために、モスクワに足をとめた。彼は去年の夏とちっとも変わっていなかった――ひげだるまで、髪をもじゃもじゃにして、例の同じフロックに、帆布《ほぬの》できのズボンをはき、いつも変わらぬ大きな美しい目をしていた。しかし、その顔つきは不健康らしく、いかにも疲れきったようで、それにいくらか老《ふ》けて、やせもめだち、のべつせきばかりしていた。そしてなぜか灰色な、田舎くさい人のようにナーヂャには思われた。
「おやおや、ナーヂャが来たんだね!」彼はこう言って、朗らかに笑った。「なつかしい人、かわいい人!」
ふたりはしばらく、たばこの煙のもうもうとした、そしてインキと絵具のにおいがむっとするほど強くたてこめた印刷工場にすわっていてから、彼の部屋へ行ったが、そこも煙でもうもうとして、吐き散らしたつばのあとだらけだった。テーブルの上には、冷えたサモワールのそばに、黒い紙をかぶせた、かけ皿がのっていて、テーブルの上にも、床の上にも、|はえ《ヽヽ》の死骸が無数にころがっていた。そしてそこにあるものは何を見ても、サーシャが、個人としての自分の生活では、きわめてだらしなく、ゆきあたりばったりのやり方をして、生活の便宜などは極端に軽蔑していることが明らかだった。もしだれかが彼をつかまえて、彼の個人的幸福とか、個人的生活とか、または彼にたいする愛などについて云々《うんぬん》するようなことがあっても、彼は何ひとつ理解しないで、ただ笑いだしてしまうにすぎなかったであろう。
「いいえ、万事都合よくまいりましたわ」と、ナーヂャは早口に語るのだった。「お母さまは秋にペテルブルグへ会いに来てくれて、おばあさまもちっとも怒ってはいらっしゃらないと話してくれましたの。おばあさまはのべつわたしの部屋へ行って、壁に十字を切ってばかりいらっしゃるんですって」
サーシャは愉快そうな顔をしていたが、ときどきせきをして、割れたような声で話すので、ナーヂャはたえず彼の顔を見つめては、じっさい彼は病気がわるいのか、それともただ彼女にそう思われるだけなのか、判断がつかなかった。
「サーシャ、ねえ、あんた」と彼女は言った――「あんた、病気がわるいんじゃないの!」
「いや、大丈夫。病気じゃあるが、たいしたことはないのですよ……」
「ああ」と、ナーヂャは興奮して言った。「どうしてあんたは手当てをなさらないの、どうして、ご自分の健康をまもろうとなさらないの? ねえ、わたしの大事なサーシャ」と彼女は言った。と、涙がその目にあふれ、そしてなぜかその想像のうちに、アンドレイ・アンドレーイチや、花びんを控えた裸体婦人や、今ではもう少女時代のように遠いものに思われる一切の過去が、まざまざと浮びあがった。こうして彼女は、今ではサーシャが去年のようにそれほど新しい人とも、知的な人とも、面白い人とも、思えなくなったことから泣きだしてしまった。「ねえ、サーシャ、あんたはだいぶおわるいようだわ。わたしは、あんたをそんなに青白い、やせた人でなくするためには、どんなことをしてもいいと思うの。あんたにはわたしそれほど恩を感じているんですもの! あなたはご自分がどれほどたくさんのことをわたしにしてくだすったか、想像もおつきにならないくらいだわ! ほんとに、わたしにとってはあんたは、一ばん近い、一ばん親しい人なんですもの」
ふたりは腰をおろして、しばらく話した。ナーヂャがペテルブルグでひと冬を送った今日では、サーシャからは、その言葉からも、微笑からも、その姿態全体から、なにやら時勢おくれな、役目をはたしてしまって、とうとう用のなくなった、おそらくはもう墓へはいってしまったもののような息吹きが吹いてくるのだった。
「ぼくは明後日ヴォルガへ出かけるつもりです」とサーシャは言いだした――「それからクムイス(馬乳)を飲みに行きます。ぼくはクムイスを飲んでみたいんですよ。ある友人夫婦がぼくといっしょに出かけます。その細君は驚くべき婦人です。で、ぼくは始終その女《ひと》を激励しているのです。学校へはいるようにすすめているのです。ぼくはあの女《ひと》の生活を転回させてやりたくてならないのです」
しばらく話してから、ふたりは停車場へと馬車をかった。サーシャはそこでお茶と|りんご《ヽヽヽ》をご馳走したが、やがて汽車が動きだして、彼が笑顔でハンケチを振ったときには、その足もとを見ただけでも、彼の病気が非常にわるくて、もう長くは生きないであろうことが見てとられた。
ナーヂャは正午に故郷の町へついた。停車場から家へと馬車を走らせたとき、彼女には街路がたいへん広く、家は小さく、おし伏せられたように見えた。人通りは少しもなく、ただひとり、にんじん色の外套を着たドイツ人の調律師だけに出会った。どの家もどの家も、まるでほこりをかぶっているようであった。もうすっかり老いこんで、前々どおりふとって醜い顔をしていた祖母は、両手でナーヂャを抱くと、顔を孫の肩に押しあてて、いつまでも泣いていて、はなれることができなかった。ニーナ・イワーノヴナもめっきり老けて、器量も落ち、からだ全体がなんとなくしなびたようだったが、依然としてぴったり身についた服を着て、指という指にダイヤモンドを光らせていた。
「ああ、かわいい娘や!」と彼女は、全身をわなわなふるわせながら、言うのだった。「かわいい娘や!」
それから彼らは腰をおろして、言葉もなく泣いていた。祖母も、母も、過去はもう永久に、取り返しがたく失われてしまったことを感じているにちがいなかった――もはや社会上の地位もなければ、以前の名誉もなく、人を客にまねく権利もないのである。ちょうど、安楽な、なんの心配もない生活のまっただ中へ、突如として夜中に警官が闖入《ちんにゅう》し、家宅捜索を行なった結果、家の主人が公金を費消したり、贋造の罪でも犯していたことが発覚して、永久に安楽な、心配のない生活にさよならをしたような場合によくあるように!
ナーヂャは二階へあがって、同じ寝台を、同じまっ白な、無趣味なカーテンをかけた窓を見た。窓からは同じ、日のいっぱいにあたった、陽気で、にぎやかな庭が見えた。彼女は自分の机にさわってみたり、ちょっと腰をおろして、もの思いに沈んだりした。食事はけっこうだったし、おいしい、あぶらっこいクリームでお茶を飲んだりしたが、なにやらものたりないものがあり、部屋のなかに空虚が感ぜられて、天井が低かった。日が暮れると、彼女は床につき、寝具にくるまったが、なぜか、その暖かい、ふわふわした柔らかい寝床に寝ることが、おしかった。
ちょっとの間、ニーナ・イワーノヴナがはいって来たかと思うと、まるで罪ある人のようにおずおずとあたりを見まわしながら、腰をおろした。
「で、どうなの、ナーヂャ?」と彼女は、しばらく黙っていてからきいた。「おまえは満足しているの? 心から満足しているの?」
「ええ、満足だわ、お母さま」
ニーナ・イワーノヴナは立ちあがって、ナーヂャと窓とに十字を切った。
「わたしはこのとおり信心深くなってしまったのよ」と彼女は言った。「今わたしは哲学を勉強して、毎日考えてばかりいるのさ……それで、今ではわたし、いろんなことが、まるで日の光のようにはっきりわかるようになりましたよ。何よりもまず、人生というものは、プリズムでものぞいてみるように過ぎて行くものだと考えることだよ」
「ねえ、お母さま、おばあさまの健康はどうなの?」
「格別のこともないようだよ。おまえがあの時サーシャといっしょに行ってしまって、電報を打ってよこしたときには、おばあさまは読むとその場で卒倒して、三日ばかりは動くこともできないで、寝たきりだったがね。それからは毎日、お祈りをしたり、泣いてばかりいらしたっけ。でも、今ではなんともないようよ」
彼女は立ちあがって、ひとわたり部屋の中を歩いた。
「カチ、カチ……」と、夜番が鉄板を鳴らしていた。「カチ、カチ……カチ、カチ……」
「何よりもまず、人生というものは、プリズムでものぞいてみるように過ぎて行くものだと考えることだよ」と彼女は言った――「つまり、別の言葉でいうと、人生を七つの原色に帰納するように、意識の中でもっとも単純な要素に分類して、各要素を別々に研究しなければならないということなのさ」
ニーナ・イワーノヴナはそのうえ何をしゃべったか、いつ部屋を出て行ったか、ナーヂャはなんにも耳にしなかった。なぜなら、じき寝入ってしまったから。
五月は過ぎて、六月が来た。ナーヂャはいつか家になれてしまった。祖母は、サモワールの面倒をみたり、深いため息をついたりしているし、ニーナ・イワーノヴナは、毎晩自分の哲学の話ばかりしていた。彼女は依然としてこの家で、まるで居候《いそうろう》のようなくらしをして、二十カペイカ銀貨一つのことにも、いちいち祖母に伺いを立てなければならないのだった。家のなかには|はえ《ヽヽ》が多く、天井はだんだん低くなってくるように思われた。おばあさまとニーナ・イワーノヴナとは、神父アンドレイやアンドレイ・アンドレーイチに会うのがこわさに、通りへは出なかった。ナーヂャはときどき庭や通りを歩いたり、家や灰色の塀《へい》を眺めたりするのだったが、と、彼女には、この町のものもすべて、もうとっくに、時勢おくれの役に立たぬものになり、ただ何か若い、新しいものの終わりとも初めともつかぬものだけを待っているように思われるのだった。おお、もしこの新しい、輝かしい生活が――自分の運命の目をまっすぐ勇敢に直視して、自分を正しいものと意識し、朗らかな、自由な人間になることのできる生活が、少しでも早く来てくれたら! そうしたら生活は、早晩かならずくるであろう! いずれは、現在四人の召使たちが、地階の一室きりの不潔な中だけで暮らしているように万事が整理されている祖母の家から、――この家からなんの痕跡も残らないような、そんな家のあったことなど忘れてしまって、だれひとり思い出すものもなくなるであろうような時代がくるであろう。が、今、ナーヂャの気をまぎらわしてくれるのは、ただ、隣り屋敷の子供たちだけであった。彼女が庭を歩いたりしていると、彼らは塀をたたいて、笑いながら彼女をからかうのだった――
「お嫁さん! お嫁さん!」
サラートフからサーシャの手紙がとどいた。例の陽気な、踊ってでもいるような筆跡で、彼は、ヴォルガの船旅は大成功だったが、サラートではいくらか病気がこうじて、声がかれ、もう二週間も病院に寝ている旨《むね》を報じていた。彼女は、これが何を意味するかをさとったが、と、確信に似た予感がすっかり彼女をとらえてしまった。そしてこの予感も、サーシャについての考えも、前ほどには自分の心を乱さなかったのが、彼女にはこころよくなかった。彼女は生きることを熱望し、ペテルブルグの生活を熱望していたので、サーシャとの友情は、もはやなつかしい、しかし遠い遠い過去のことのように思われるのだった! 彼女は夜っぴて眠らなかったので、朝になると窓ぎわに腰掛けて、耳をすました。と、じっさい階下の方では、いろんな人声が聞こえて、びっくりしたような祖母の声が、なにやら早口にたずねはじめた。それからだれかが泣きだした……ナーヂャが下へおりて行くと、祖母が片すみに立って、祈ってい、その顔は涙にぬれていた。テーブルの上には一通の電報がのっていた。
ナーヂャは祖母の泣き声を聞きながら、長いこと部屋の中を歩いていて、それから電報を取り上げて読んだ。それには、昨日の朝、サラートフで、アレクサンドール・チモフェーイチ、簡単にいえばサーシャが、肺病のために死んだことが報ぜられてあった。
祖母とニーナ・イワーノヴナとは、追悼式を頼むために、教会へ出かけて行ったが、ナーヂャはなお長いこと家の中を歩いて、考えていた。彼女は、自分の生活が、サーシャの望んでいたとおりに転回したこと、自分は、この土地ではひとりぽっちで、異邦人で、不必要な人間であること、また、ここのすべてのものが、彼女にとっては不要で、一切の過去が彼女からもぎはなされ、まるで焼けたように消えてしまい、灰まで風に吹き散らされてしまったことを、はっきりと意識した。彼女はサーシャの部屋へはいって行って、しばらくそこに立ちつくした。
(さようなら、なつかしいサーシャ!)と彼女は考えた。と、彼女の前途には、新しい、ひろびろとした、はてしない生活が描き出された。この、まだ茫然とした、神秘にみちた生活は、彼女をひきつけ、彼女をさしまねくのだった。
彼女は荷ごしらえをするために、階上の自分の部屋へあがって行った。そして翌朝は、家族の者一同に別れを告げて、いきいきとした、朗らかな気分で、この町を見すてた――彼女のつもりでは永久に。(一九〇三年)