神曲 地獄篇
ダンテ・アリギエーリ/三浦逸雄訳
目 次
第一部 地獄
第一歌
第二歌
第三歌
第四歌
第五歌
第六歌
第七歌
第八歌
第九歌
第十歌
第十一歌
第十二歌
第十三歌
第十四歌
第十五歌
第十六歌
第十七歌
第十八歌
第十九歌
第二十歌
第二十一歌
第二十二歌
第二十三歌
第二十四歌
第二十五歌
第二十六歌
第二十七歌
第二十八歌
第二十九歌
第三十歌
第三十一歌
第三十二歌
第三十三歌
第三十四歌
解説
ダンテの地獄
年譜
訳者あとがき
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第一歌
ダンテは、暗い森の中にいることに気づく。彼の生涯《しょうがい》のなかばの、三十五歳のときである。森は罪ふかい人の世の比喩《ひゆ》だが、その森を出て丘にかかると、豹《ひょう》と獅子《しし》と牝狼《めすおおかみ》に出会う。この三頭の猛獣も、やはり人生の罪の象徴である。進退きわまったとき、ウェルギリウスに会うが、彼はダンテに、地獄と煉獄《れんごく》へみちびいていくことを約束する。この第一歌は、『神曲』全体の序歌のようなもので、物語は、一三〇〇年の春、復活祭の木曜日の夜半から、その翌日の聖金曜日の朝にかけての出来事である。
人のいのちの道のなかばで、
正しい道をふみまよい、
はたと気づくと 闇黒《あんこく》の森の中だった。
ああ、荒涼と 棘《とげ》だって たちふさがる
この森のさまは 口にするさえ せつないことだ。
思うだけでも 身の毛がよだつ!
その〔森の〕苦しさは 死にまさるともおとるまい。
ただ、その森で おもわずうけた僥倖《しあわせ》にふれるためにも、
そこで見たくさぐさのことを わたしは語ろう。(九)
森へどうして入ったのか さだかにいうほどの覚えはない。
そのときはたしか 深い眠りにおちていて、
正しい道を わたしはすてていたのだから。
わたしは とある丘の麓《ふもと》にたどりついていた。
そこは、わたしの心が痛ましく怖《おそ》れになやんだ
あの〔暗い森の〕渓谷の尽きるところだ。
目をあげると、その丘の肩のあたりが、
正しい道を人びとにさし示す
あの太陽の光に はやくも包まれているのが見えた。(一八)
その夜は夜っぴて ひどい不安にすごしていたのだが、
こころの底にずっとわだかまっていたあの恐ろしい思いが、
そのときには いくらかおさまっていた。
あたかもそれは、荒れ狂う海からやっと岸へのがれついて
息づかいも荒い〔難破の〕人が、
あやうかった水面をかえりみて じっと目をやるように、
わたしの心も まだそのときは〔怖れから〕のがれ出ようと、
背をふりかえって、生きては人の抜けられない
あの森のあたりに まじまじと見入っていた。(二七)
ややあって 疲れたからだが休まると、
人気《ひとけ》もない丘の斜面を わたしはふたたび歩きだしたが、
しっかと踏みつけるのは いつも低い方の足だった。
とある坂にさしかかると、
まだら紋の毛皮をかぶった
すばしこく身の軽い豹が一頭そこにいて、
面と向きあっても避けるどころか
はったと行く手に立ちふさがろうとしたので、
もと来た道へかえろうかと わたしはしきりに背後をふりかえった。(三六)
時刻は朝もあけがたで、
太陽が星々をともなって昇っていた。
それは世の初めに、神の愛がそれらの美しいものを動かしたときから、
太陽とともに 空にかかっていたあの星々である。
この朝という時と さわやかな季節のことだから、
目もあやな皮をかぶったその獣を見たからとて、
わたしが何かいいことを期待するのも 無理からぬことだ。
だが、この〔豹の〕怖れを忘れさせたのも束の間のこと、
わたしの眼前には また一頭の獅子があらわれでた。(四五)
その獅子は わたしにあたりをつけている様子で、
頭をふり立てて 饑《う》えで狂わんばかりだ、
大気でさえ その獅子には怖れおののいているようだった。
するとまた、牝《めす》の狼が一匹、
痩《や》せこけた身に貪欲のかぎりをつめたと見えて、
すでに人びとにしがない暮らしをさせた奴《やつ》だが、
そのぞっとする面《つら》がまえから
わたしは胆《きも》をつぶさんばかりにおどろいて、
丘をのぼる望みなど とっくに棄《す》ててしまっていたのだった。(五四)
それはたとえば、物に執着して手に入れた者が、
やがて時がきて それを手放すはめになると、
胸かきくれて 悲嘆《かなしみ》にしずむものだが、
身近にせまってくるその酷薄なけものに
わたしががっくりしたのも それに似ていて、
太陽の黙《もだ》す方へと わたしをじりじり後ずさりさせた。
まさに谷底へおちこもうとしたそのときのことだ、
長らく物をいわないためか 声のかすかすした人がぽつりと
わたしの眼の前に 姿をあらわした。(六三)
このすごく荒涼とした境涯でその人を見つけると、
わたしは大声で呼びかけた、「おあわれみください。
あなたは人の影ですか それとも なま身の方ですか」
その人はわたしに、「人間ではない、かつては人間だった者だが。
わしの両親《ふたおや》はロムバルディアの出だ、
生まれ故郷は ふたりともマントヴァ。
わしが生まれたのはユリウスの〔帝《みかど》の〕治下、いやその末期だ、
賢帝アウグストゥスの御代にはローマでも暮らしていた、
たばかりと邪教のはびこった時代だった。(七二)
わしは詩人だったから、おごるイリオン〔の城〕が
焼けおちたあと、トロイアから来たアンキーセの
嫡子〔アエネアス〕のことを歌ったこともある。
ところで、きみのことだが、苦しみの満ちみちた谷へ引きかえすというのか。
神々のさちわいたもうあの山〔罪を浄める山で、煉獄の世界はこの山の上にある〕になぜのぼらないのだ、
なべての歓喜《よろこび》の初めであり、因《もと》であるあの山を」
「さては、あなたはあのウェルギリウスさまでしたか、
言葉をひろげたあの大河の源になられたお方」
わたしは羞《はず》かしい面《おも》もちで その人に応《かえ》した、(八一)
「ああ、詩人という詩人の名誉と光であるお方、
おたすけください、ひたむきな愛情から わたしの長い勉学をとおして
あなたのお作をひもどかせていただいたこのわたしを。
あなたはわたしの師です、わたしのための詩人です。
わたしが名を得たうつくしい歌のすがたを
学びとったただ一人のお方です。
あの獣をご覧ください、あれにわたしは逐《お》われていたのです。
世にひびく賢《さか》しいお方、あれからわたしをお救いください。
あれがわたしの血管も脈も ふるえあがらせているのです」(九〇)
「この荒れはてた谷から抜けだすというなら、
きみは道をかえる方がいいようだな」
涙ぐむわたしを見て、その人は答えた。
「きみに声を立てさせたあの獣はな、
よそ者には自分の道をとおらせないばかりか、
さんざ痛めつけたあげくに、食い殺してしまうのがおちだ。
生まれついての酷薄無道、
すごく邪悪で 罪ぶかい性質《たち》で
がめつい欲を満たしたことさえなく、(九九)
食《くら》ったあとでも 食う前よりもがつがつするという奴だ。
あいつとつるむ獣も多いから、
ヴェルトロ〔猟犬〕が来て こらしめて殺すまでは、
さらにあいつらの仲間はふえるだろう。
ヴェルトロは 領地も金銭《かね》も食おうとはせぬ、
ただ 知恵と愛と徳だけを糧《かて》にするだろう。
その生国は フェルトロとフェルトロの間のはずだ。
そのゆえにこそ、処女《おとめ》カミルラが死に〔トゥルヌスを助けてトロイア人と戦って死ぬ〕、
エウリアロ、トゥルノ、ニーソなどが傷ついたのだ。(一〇八)
みじめなイタリアは こうして救われる。
ヴェルトロが、もとの地獄へ追いもどすまで
奴らを町々から狩りたてることだろう。
それというのも、嫉妬〔地獄の王ルチフェロの嫉《ねた》み〕が奴らをはじめて地獄からおびきだしたからだ。
そこでだ、わしはきみを思うて 手段《てだて》を立てているのだが、
ついて来るがいい。わしが導者になろう。
わしは永劫《えいごう》の場所〔地獄〕へきみを連れていくつもりだ。
そこではきみは、〔昇天を〕望むすべもない叫び声を聞くだろう。
口々に 第二の死を叫んでなげき悲しむ〔魂が肉体を離れるのが第一の死、魂もなくなるのが第二の死。地獄で魂が罰をうけて苦しいので、魂のなくなる死をのぞんでいるということ〕(一一七)
そのかみの代《よ》の霊たちをも見つけるだろう。
さては焔《ほのお》の燃えるただなか〔煉獄〕でさえ 満ち足りている人を見るだろう。
ときあらば、至福の群れに入る望みをもつ人たちだ。
そのあとで、きみがさらに昇りたいところには、
わしよりもさらに気だかい霊〔ベアトリーチェのこと〕がおられるはずだから、
別れるきわに きみをそのお方におまかせするつもりだ。
というのはな、天上をしろしめすおん皇帝《かみ》が
その国の掟《おきて》にそむいたからとて、
その府《まち》〔天国〕へわしの入ることをよろこばないからだ。(一二六)
皇帝《かみ》は天上にいまして統《す》べておられる。
そこには その府《まち》と高い玉座《みくら》がある。
選ばれて そこにある者は幸福《しあわせ》だ!」
そこでわたしはいった、「詩人よ、おねがいです。
あなたが〔この世では〕ご存じなかった神のおん名によって、
どうかこの禍い〔罪の一時的な禍い〕と さらにひどい禍い〔罪の永遠の禍い〕とから のがれるために、
いまおっしゃった所へおみちびきください。
あのサン・ピエトロの門〔罪をきよめる煉獄の門〕や あなたの仰《おお》せの
うらぶれた人たちをお見せください」
そのとたんに、その人は歩きだしたので、わたしはそのあとに随《したが》った。(一三六)
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第二歌
ダンテは、これからの苦難の多い地獄めぐりをするだけの力が、自分にあるかどうかに、危惧《きぐ》をもっている。ウェルギリウスは彼を元気づけて、自分がここへ来たのは、地獄の辺獄《リンボ》から、天上の三人の淑女――聖マリアと聖ルチーアとベアトリーチェの頼みで、ダンテの危急を救うために遣《つか》わされたからだという。そのいきさつをきいて、ダンテは決然として師にしたがって苛烈な道にわけ入ることになる。時は四月八日の聖金曜日の暮れがたである。
日は落ちて 褐《かち》いろの大気が、
地上のいきものを その労役からときはなした。
わたしはただひとり、
これからの旅とその哀れさとにいたむ心のせめぎに
堪えてゆく心がまえをした。
そのさまは記憶があやまりなく語るだろう。
ああ、詩のおん神〔神話にある九人の姉妹の女神〕、たかい叡智《えいち》よ、いまこそお力をおかしください。
ああ、目にすることを誌《しる》しとどめる記憶よ、
そこにこそ おまえの気だかさが語られるだろう。(九)
わたしはいいはじめた、「お導きくださる詩人よ。
嶮《けわ》しい道に身をゆだねる前に、
それに堪える力がわたしにあるかどうか おしらべください。
シルウィウスの親〔アエネアスのこと〕は 生きながら
永劫の世におもむいて なま身であったと、
あなたはお書きになっておられます。
なるほど、諸悪の敵〔神〕が その人にこよなくしたといたしましても、
その人なればこそできた あのすばらしい結果〔帝国〕を考えますと、
たしなみのある人なら、(一八)
あの人とあの仕事〔ローマ帝国と皇帝とその建国の事業のこと〕がふさわしくないとは思いますまい。
その人こそ 不滅のローマとその帝国の父として、
いや高い天〔至高天のこと〕に選ばれた人だったからです。
その都〔ローマ〕とその国〔法王領〕は、実を申しますと、
高徳なピエトロ上人のあとを継《つ》ぐ
法王の住む聖地に定められたところです。
その人〔アエネアス〕の冥府《よみじ》の道行きは、
あなたがその人の手柄としておほめになりましたが、くさぐさのことを身につけて、
それが勝利と法王の外套〔教会〕の因《もと》になったのです。(二七)
そのあとで、救いの道のもとになる信仰に
〔浄天へのぼる〕励《はげ》ましをもたらすために、
選ばれた器《うつわ》〔聖パオロ〕が そこへ行くことになったのです。
しかし、わたしはなぜそこへ行くのでしょう、どなたのお許しです。
わたしはアエネアスでも パオロでもありません。
そんな資格があろうとは わたしも人もおもいますまい。
あなたに説きふせられて よしんば行くといたしましても、
まいることは気狂《きちが》い沙汰《ざた》と思われるでしょう。
賢《さか》しいお方ですもの、わたしの腑《ふ》におちないことくらい おわかりでしょうに」(三六)
いわば、かねてからの望みをあきらめ、
新たな考えから もくろみを立てなおして、
すっぱり初志を思い切る人のように、
たそがれる斜面に佇《た》って、わたしは自分の考えを変えた。
というのは、考えているうちに、
あんなに早々と手をつけたこの計画に きりをつけたからだ。
「きみのいうことは 十分わかってるつもりだがな」
おおように、その影〔の詩人〕が答えた。
「きみの心は臆病風でびくついているようだな、(四五)
それはしばしば人間のさわりにもなる。
夕闇にものかげを獣と見あやまるように、
かがやかしい仕事まで人に手控えさせるものだ。
そういうきみの思いすごしを解いてやるためにも、
わしが来たわけと、きみを案じたそもそものはじめに、
わしの経験したことを話してやろう。
わしが、天国にも地獄にも入るのぞみのない者たちといたときのことだ。
すすんでその方の命令を請うたほどの
恩寵《みめぐみ》のあらたかな うつくしい淑女《あてびと》〔ベアトリーチェのこと。ダンテの恋人で、彼に精神的な開眼を与えた女性〕が わしをお呼びになった。(五四)
そのお方の眼《まなこ》は 星々にもましてかがやいていたが、
天使のように物静かな やさしいお声で
わしに話をしはじめられた。
『おお、マントヴァのきよらかな魂〔ウェルギリウスのこと〕よ、
あなたの名は いまも世につづいていますが、
この世のつづくかぎり のちのちまでも伝わるでしょう。
わたくしの親しい方〔ダンテのこと〕で 幸福《しあわせ》でない方が、
人気《ひとけ》のない斜面で 道をふさがれて困っておいでです。
恐ろしいあまり 道を引きかえそうとしておいでです。(六三)
その方はもう迷いこんだのではないかと 心配ですが、
天上で その方のことをお訊きしたところでは、
助けに立つのが遅すぎたのではないかと 気づかわれます。
さあ、人を惹《ひ》きつけるあなたの言葉と
その方がのがれる手段《てだて》をもって、いそいで行ってください。
お救いくだされば わたくしは慰められます。
あなたにお頼みするわたくしは ベアトリーチェでございます。
わたくしは すぐにも帰りたいところ〔至高天〕からまいったのです、
わたくしをうごかして語らせるのは 愛のこころでございます。(七二)
主《しゅ》のおん前にまかりでることもございましょうから、
あなたのことで わたくしは面目《めんぼく》をほどこすことでございましょう』
こういって その淑女《あてびと》は口をつぐんだので、わしはいいはじめた。
『ああ、徳のたかいお方〔ベアトリーチェのこと〕、あなたがおられればこそ、
人類は、天の円周のなかでももっとも小さい圏をもつ
その天〔月球天〕にいる どのものにも まさっているのです。
あなたのおいいつけに わたしは心からよろこんでおります。
しかし、おうけはしても もう手遅れかもしれません、
これ以上 お心をおあかしになるには及びません。(八一)
ただ、このわけをお聞かせいただきたいのです。
あなたが たってお帰りをのぞまれるあの広大な所〔至高天〕から
この〔圏の〕中心のここ〔地球〕へ なぜお降《くだ》りになられましたか』
『それほどご存じになりたいのなら、
わたくしがここへ来ることを なぜ惧《おそ》れなかったか、
手みじかに申しあげましょう』と、わしに答えられた。
『他人をそこなう力をもつ者にだけ
それを恐れる必要はありますが、
そのほかのものなどに わたくしは怖《おそ》れはいたしません。(九〇)
わたくしは主《しゅ》のお恵みをうけておりますので、
あなた方の不幸にも 心をみだされることなどございません。
この劫火《ごうか》の焔《ほのお》さえ わたくしを焼きはいたしません。
天上に気だかいお方〔処女マリア〕がおられて、
あなたを遣わすところで難儀をしている あの方をあわれまれましたので、
きびしい〔神の〕審判《さばき》が天上でやぶられる というわけでございます。
そのお方は、聖女ルチーア〔シラクサで殉教した聖ルチーアのことだろう〕を召されて申されました、
≪いま、おまえに忠実な者が おまえの力をもとめています。
わたしも その者をおまえに頼みますぞ≫(九九)
残酷なことをことごとに憎むルチーアさまは、座を立つなり、
いにしえのラケーレ〔ラケルのこと。ラバンの娘でヤコブの妻〕と坐っていた
わたくしのところへ来られて、いわれることに、
≪主にお恵みをかけられているベアトリーチェ、
そなたをあんなに愛した方を なぜ救わないのです、
そなたのために俗人の群れをのがれでたあの方を。
あの方の嘆きの声をそなたはきかないのですか。
海さえ誇れない〔ほど広い〕大河のほとりで、〔獣と〕たたかって
死なんばかりのあの方を見ないのですか≫(一〇八)
そのお言葉を聞くとすぐ、この世でなら
自分の利にはしるときでも 災いからのがれるときでも、
わたくしのようには 誰もできないほどすばやく、
あなたのきよらかな弁舌をたよりに、
わたくしは至福の座を下りてまいりました。
それは、あなたにも それを聞く人にも 名誉《ほまれ》になることでございます』
そのお方は そういいおえると、
涙にひかる目を おそらしになった。
わしに いっときも早くかけつけさせたのは そのためで、(一一七)
こうしてここへやって来たのも、そのお方のお望みからだ。
わしがあの獣の鼻さきで きみを立ちのかせたのは、
このうつくしい山へゆく近道で きみの行く手をそれがはばんだからだ。
いったい、何ということだ。なぜ きみはためらいなどしてる。
なぜ そんなに怖《お》じけて おどおどしてるのだ。
どうしてもっと大胆に 元気になれないのか。
祝福された三人の淑女《あてびと》方〔聖母マリア、聖ルチーア、ベアトリーチェ〕が ああして
天上の宮殿《みやい》できみを見守ってくださるし、
わしの言葉も きみを救うことを約束しているのに」(一二六)
それはあたかも 夜の寒さにうなだれて
花びらをとじていた小さい花々が、日がかがやきだすと、
すっくと立ちあがって 茎のさきで花をひらくように、
わたしのくじけていた力も きりっとなって、
鬱勃《うつぼつ》とした精気が胸にみなぎり、
何かからとき放された人のように 口を切った。
「ああ、わたしをお救いくださった情《なさけ》ぶかいお方〔ベアトリーチェのこと〕!
また あなたに賜《たま》わったまことのお言葉を
すぐさまお聴き入れくださったご親切なあなた!(一三五)
あなたのお言葉が わたしの胸に
〔お伴をする〕望みをおこさせてくれました。
おかげで、わたしは初めの考えに立ちかえったのです。
さあ、まいりましょう。われらは二人、望みは一つ。
あなたは導師、あなたは主人《あるじ》、あなたは師匠です」
わたしはそう、その人にいった。そして、その人が歩きだすと、
わたしは 荒涼と あれはてたその道へわけ入った。(一四二)
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第三歌
地獄の門と入口での出来事。ダンテはウェルギリウスと、その門に刻まれたきびしい銘文をよんで粛然《しゅくぜん》とする。門を入ると、旋風に吸いこまれた砂のように、生前なまけていた魂たちが、蜂や虻《あぶ》にさされて泣きながら走りまわっている。アケロンテの川では、地獄へ堕《お》ちる魂が、ひしめきあって舟に乗せられて、暗い波を渡っていく。その岸で、突然|闇黒《あんこく》の野が激動し、赤く稲妻も走るので、ダンテは昏倒する。
我を過ぎて人はゆく 憂いの府《まち》〔地獄のこと。それにつづく「永遠の悩み」は地獄にある尽きせね苦患〕に、
我を過ぎて人はゆく 永遠《とわ》の悩みに、
我を過ぎて人はゆく 泯《ほろ》びの民に。
正義 わが崇《たっと》き造主《ぞうしゅ》をうごかし、
神の権威《ちから》と いや高き智と
原初《げんしょ》の愛、我を創りぬ〔天の正義、すなわち父〔権威〕と子〔叡智〕と聖霊〔愛〕の三位一体の神の力がこの門を創った、ということ〕。
我に先んじて 永遠《とわ》なるもの〔諸天、天使の意〕のほか
創られしことなく、我は無窮につづく者なり。
一切の望みを捨てよ 我を入る者。(九)
門のてっぺんの 色もかぐろい
この銘文《めいぶん》をわたしは見たので、
「この〔銘文の〕意味は、わたしには本当にきびしゅうございます」
すると師は、わたしの気持を察して、
「ここでは、一切の疑いを捨てることだ、
怯惰《きょうだ》もここでは ことごとく泯《ほろ》びてしまう。
わしらは、さきにわしのいった
神を見るしあわせをうしなった
憂悶《うれい》の民の見えるところへ来たのだ」(一八)
やがて師は、はればれした面《かお》つきで、その手をわたしの手にかさねた。
そのためか、わたしはすっかり安堵《あんど》して、
物おどろしいもののさなかへ われとわが身を近づけた。
そこでは、溜息や泣き声や 悲嘆する喚《わめ》き声が、
星も見えぬ空にこだましていたので、
わたしは とたんに涙にくれた。
きき慣れぬ言葉、神をけがす語り口、
うめきの言葉、怒りのさけび、
高い声、かすれ声、それにまじって手でたたく音。(二七)
それらが騒然たるひびきになっていて、
つむじの風が捲きあげる砂のように、
永劫《えいごう》に暗い大気のなかで 涯《はて》しなくまわっていた。
わたしは昏迷と不安に頭をしめつけられて
いった、「あの聞こえてくるのは何者です、
あんなにひどい苦しみに打ちのめされてるのは どんな人ですか」
師はわたしに、「あのあわれなさまは、
謗《そし》られもせず ほめられもせずに 一生をすごしてきた人の
魂のあわれさをとどめているのだ。(三六)
あれらは、神にあらがいもせず 仕えもせず、
ただ自分のことだけで生きてきた
邪悪な堕天使たちと まざりあっているのだ。
天は、これらの天使に〔天国を〕けがされるので逐《お》いだし、
地底の地獄も、罪の天使がそれを鼻にかけるのをおそれて
うけ入れることをこばんでいる」
わたしは師に、「先生、何であんなに悩んでいるのですか。
あんなにひどく悲しませているのはなぜですか」
師はこたえて、「手みじかにいえば、(四五)
あれらには 死ぬのぞみさえないのだ。
その暗い生活はとてもいやしいので、
〔地獄の〕ほかの霊の身の上をやっかんでいるのだ。
世はあれらの名の残ることを許さないし、
慈悲も正義も あれらを忌《い》みきらっているからだ。
そのことを口にはすまい、見てすぎよ ただ!」
眼《まなこ》をめぐらすと、ひとながれの旆《はた》が
すばらしい勢いでかけまわっているのが見えた、
それは瞬時もとどまる気配がない。(五四)
そのあとから、亡者の列が長々とつづいていたが、
死がこんなにも多くの人を泯《ほろ》ぼそうとは、
わたしの考えてもみないことだった。
やがて、その群れのなかに 見知りこしの顔もいくたりかいたが、
怯惰のゆえに聖職を棄てさせられた
その人の影を見てとって それとさとった。
わたしにもすぐにわかったことだが、
これらの人こそ 神にも神の敵にもよろこばれない
いやしい者の群れだったということである。(六三)
かつて〔人間らしく〕生きたことのないこれらの卑怯者は、
まるはだかで、そこにいた大蝿《さばえ》や蜂に
ひどく螫《さ》されていた。
彼らの顔には 血がそのために筋となり、
それが涙にまざって 足もとにながれ、
けがらわしい蛆虫《うじむし》にそれを吸われていた。
それから、川のあなたをながめると、
大河の岸の人びとが目にとまったので、
わたしはいった、「先生、お教えください、(七二)
あの薄明りのなかでも それとわかる
せかせか川を渡されている者は
何者でしょうか、どんな掟からですか、知りたいのですが」
師はわたしに、「わしらが足を
アケロンテの物|寂《さ》びた川岸〔冥界をながれる川の一つ〕にとどめるときに、
そのことはきみにもわかるだろう」
そういわれて、わたしは羞《はず》かしくなって目を伏せ、
自分の〔ぶしつけな〕言葉が 師のお気にさわったのではないかと惧《おそ》れたので、
川に着くまでは 口をきかないことにした。(八一)
ところがそこへ、年とって髪の白いひとりの鬼〔アケロンテ川の渡し守カロンのこと〕が、
「地獄送りの魂め、やい ただではおかぬぞ!」と
喚きながら、舟をあやつって こちらへやって来た。
「貴様ら、夢にも天をあおぐなどとは思うなよ、
おれはな、貴様らをむこう岸の
火と氷のとこしえの闇へ押しこめに来たのだ。
やい、そこの なま身の魂、
この亡者の群から さっさとうせるのだ!」
しかし、わたしがあえて立ち去らないと見てとると、追っかけていった、(九〇)
「貴様はな、別の道、別の港から
岸へわたるのだ。貴様の渡し場はここじゃない。
貴様にはもっと軽い舟〔罪をきよめる道、テヴェレの河口から煉獄の山へいく道で乗る舟は、天使のうごかす舟だから軽い〕がむいとるわい」
師はその漢《おとこ》に、「カロンよ、そういきり立つな。
思うことは〔何事でも〕行なわせられる彼処《かしこ》〔天上ということ〕で、こうと決まったことだ。
よけいな口はきかぬことだぞ」
そこでやっと、鉛いろの沼のなかの、
目のぐるりに焔がもえたっている
髭もじゃらのその船頭の頬は しずまった。(九九)
しかし、裸でおきざりにされている魂たちは、
その〔カロンの〕ずけずけいう言葉をきくなり、
顔色をかえて 歯ぎしりした。
そこの魂たちは、おん神や魂たちの親、
はては人間の種が蒔《ま》かれ生まれた時や場所や
その種のことを、口ぎたなく罵《ののし》っていた。
そうして、それらの魂は、
神をおそれぬ人を待つ禍いの岸辺へと、
大声で泣きわめきながら ひとりびとり集められていた。(一〇八)
鬼のカロンは、憤怒にもえる目で
にらみつけては 魂をみな舟へ乗せたが、
おくれる者をしたたか櫂《かい》で叩いた。
そのさまはあたかも、秋の日の木の葉が
ひと葉ひと葉と散りおちて、ついには枝が
その衣をすっかり大地にかえすように、
それと同じにアダムの呪われた種子は、
合図で〔鳥師に〕ひきよせられる鳥にも似て、
その水際に てんでんにその身を投げかけていた。(一一七)
こうして、その魂は褐《かち》いろの川波を越えていったが、
それらがまだ対岸に下りぬ前に、
こちらには はや新手の魂がおおぜい ひしめきあっていた。
師はやさしげにわたしに、「わしの子よ、
おん神の怒りに死んだ者はみな
それぞれの国からここへ集まってくるのだ。
さきを争ってこの川をわたるのは、
おん神の正義があれらをせかしているからだ。
それは、あれらの怖れが 望みにかわるということだ〔望みのないことをさとって、神の罰にしたがおうとする心にかわる、との意〕。(一二六)
罪のない魂が、ここを渡ることなどついぞない。
カロンがよしんば、おまえに文句をつけたところで、
いまに奴《やつ》の文言《もんごん》の意味も おまえにはよくわかることだ」
話しおわると、その闇黒の野が
はげしく揺れ動いた。その怖ろしい衝動は、
いま思っても冷汗がにじんでくる。
涙にぬれた大地には 風が立って、
稲妻のように真赤な光がきらめいたので、
わたしは気をうしなって、
昏睡《ねむり》におちた人のように どうと倒れた。(一三六)
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第四歌
目をさましたダンテは、ウェルギリウスにしたがって、円錐形をさかさにしたような地獄の、だんだんに狭くなってゆく環の、第一の圏谷《たに》へ入る。そこは辺獄《リンボ》で、善良だがキリスト教の洗礼をうけなかった者、キリスト以前に生まれて洗礼のうけようのなかった者の魂が住んでいる。彼らには責苦はないが、神を見ようとして果たせない、永遠の願いになやんでいる。ホメーロスはじめ四人の詩聖とアリストテレスなどの哲人の群が、光のさす高貴な城のなかにいる。ダンテも、しばらくそのみどりの原を逍遙《しょうよう》する。
ひどい雷鳴が 頭のなかの深い眠りをやぶったので、
夢からたたき起こされた人のように、
わたしはがばと身をおこした。
それから 眠りのたりた目であたりを見まわすと、
すっくと立ちあがって、自分のいる所がどこかを
たしかめようとして、じっと瞳《ひとみ》をこらした。
わたしの佇《た》っているのは、まちがいもなく、
叫喚が絶えることなく轟《とどろ》いている
なげきの谷〔地獄のこと。いまは辺獄《リンボ》にいるのだが、ここでは地獄全体をさしている〕の深淵の縁《ふち》である。(九)
その淵《ふち》は暗く 深く 霧さえ立ちこめていて、
底を見ようと目をこらしても
見わけられるものは何もなかった。
「さあ、この下の無明《むみょう》の世界へ下りてゆこう」
詩人はすっかり蒼《あお》くなって 口を切った、
「わしがさきにゆく、ついて来るがいい」
わたしは師の顔色に気づいたのでいった、
「わたしが二の足をふむと いつも励ましてくださるのに、
何かお案じなさるご様子。どうしてわたしがまいれましょう」(一八)
すると師は、わたしに、「この底にいる者の
悲嘆のゆえに わしの顔にあわれみの出たのを、
わしがひるんでいるとでも思うのだな。
さあ、行こう。道は長い、いそぐことだ!」
こういって師がまず入り、そういってわたしを、
深い淵をとりまく第一の圏谷《たに》へみちびき入れた。
そこで聞こえたところから気づいたのは、
永遠に大気をふるわせているのは溜息ばかりで、
泣き声ひとつ立てていなかったことだ。(二七)
それは、幼児《おさなご》たち 女たち 男たちの
数かぎりない大群がかもす
責苦《せめく》のない悲しみの立てる声だった。
師はねんごろにわたしにいった、
「おまえはここに見える者どもが、どんな魂か たずねないのかね。
さきへ進む前に、あれらには罪のないことを腹に入れてもらいたい。
あの魂たちには 罪はない。徳はあったが
それだけで十分とはいえないのだ。
おまえの信ずる信仰の門である洗礼をうけていないからだ。(三六)
でなければ、キリスト教の以前に生まれていて、
とうぜん崇《あが》めるべき神を崇めなかった者で、
そういうこのわしもそのひとりだ。
別に罪はないのだが、そういう落度から
わしらはここに墜《お》ちたのだし、そのことだけに悩んで、
〔天上へ昇る〕望みもなくて それを願いつつ生きているのだ」
それを聞いて、世に重んじられる立派な人たちが、
この辺獄《リンボ》では どっちつかずに生きていることを知って、
わたしはひどく気がおもくなった。(四五)
「おっしゃってください、先生。お教えください」
あらゆる迷妄にうち克《か》つ信仰が
たしかにあることを信ずるわたしは いいはじめた、
「自分の功績であれ 他人の手柄のおかげであれ、〔ここを〕出ていった人で、
あとで祝福されたことがありましたでしょうか」
すると師は、わたしのいおうとする意味をさとって答えた。
「わしがいまの状態になったばかりのころだ。
捷利《しょうり》のしるし〔棕櫚《しゅろ》の葉〕を頭にいただいた
力のあるお方〔キリストのこと〕が ひとりそこに来られるのを見た。(五四)
そのお方は、第一の父〔アダム〕の影、
またその子のアベル、またノエの影、
法を律《た》てて神に仕えたモーゼの影、
族長アブラハムや王ダヴィデの影、
イスラエルと その父 その子たち、
はてはイスラエルがこよなく仕えたラケーレや、
その他おおぜいの人の影をここから連れだして、祝福をおさずけになった。
人間の魂で、これらの霊にさきんじて
救われた者のないことを知っておくがいい」(六三)
師が話している間も、ふたりは足をとめなかった。
わたしたちは森を通っていたのだが、森といっても
どこにも魂がびっしり群がっていた。
〔雷鳴で〕眠りがさめてから、ここへ来る道は、
そんなに長くはなかったが、そのときわたしは、
半球の闇を追いはらう一条の光明をみとめた。
その光から そこはまだかなりの距離があったが、
その場所にやんごとない人たちが座を占めていることが、
何かのしぐさで感じられないほどでもなかった。(七二)
「ああ、学芸のほまれの先生、
あんなに崇《あが》められて ほかの者とはちがった様子で、
離れておいでになる人たちはどなたですか」
師はわたしに、「おまえの世にもひびきわたった
あの人たちの立派な名声は、天上でも嘉《よみ》されていて、
〔辺獄《リンボ》でも〕破格の扱いをうけているのだ」
そのとたんに、ひとつの声がわたしの耳に入った。
「あのいや高い詩人をうやまい申せ、
〔ここを〕出てゆかれた影のお戻りだぞ」(八一)
その声がやんで、あたりが静まると、
四つの大きな人影が こちらへ来るのが見えたが、
その影の様子には、悲しみも喜びも見えなかった。
虔《つつ》ましく師はかたりはじめた、
「王者のように三人のさきに立って
剣を手にしている人をよく見るがいい。
あれが詩人の王者ホメーロスだよ。
つづいて来るのが諷刺家《ふうしか》のホラティウス、
三人目がオウィディウス、しんがりはルカーヌスだ。(九〇)
ところが、人たちはこれらの御仁《ごじん》にさっきひと声かかった
〔詩人という〕名でもって、このわしを呼んでくれて
大事にしてくれている、もったいないことだ」
こうしてわたしは 鷲《わし》のように 詩人たちの上を翔《かけ》る
この崇高な詩の〔五人の〕王者たちの
かがやかしい詩派が勢ぞろいするのを見た。
〔五人の〕詩聖たちは、あれこれ話しあってから、
会釈するようなふりをして わたしの方をふりむいたので、
わたしの師は こころから微笑《ほほえ》んでいた。(九九)
その話は、わたしを詩聖の仲間に入れてくださるということで、
わたしには名誉どころか、とても光栄なことだった。
そこで、わたしはその賢者たちの六人目になったわけである。
わたしたちは そのことでいろいろ話しながら、光のさす方へ歩いて行ったが、
そのことは さっきいたところで話したことだから、
それにはふれない方が奥ゆかしい。
わたしたちは、気品《きひん》のある城〔辺獄のなかの偉人たちの住むところ〕の下に来ていた、
そこは高い城壁が七重にもとり巻き、
そのまわりはうつくしい川で守られている。(一〇八)
〔水がひいて〕大地のように固くなった川をよぎって、
この賢者たちといっしょに 七つの門〔七という数字は神秘的な数字として、よく使われる〕をくぐり、
緑したたる曠野《ひろの》へ わたしはたどりついた。
そこには、おっとりしているが、目つきの凛々《りり》しい
威厳のある風采の人たちがいて、
まれにしか口をきかなかったが、その声はやさしかった。
こうして、わたしたちはその片隅から、
あかるく闊《ひら》けた高みへと身を引いていったので、
何もかも見とおすことができた。(一一七)
みどりの曠野の真上にあるその場所には、
偉大な人たちの霊が わたしの前に姿をあらわしていた。
それを目にするなり、わたしはうっとりして夢心地になった。
わたしは、おおぜいお伴をつれたエレクトラ〔神話のアトラスの娘でゼウス神との間にトロイアの建設者ダルダノスを産んだエレクトラ〕を見た、
そのなかには、ヘクトルと アエネアスと
甲冑《かっちゅう》をつけた 目のくばりのおごそかなカエサルもいる。
別のところでは、カミルラとペンテシレイア〔アレスの娘でアマゾン〔女軍〕の王〕を見かけたし、
ラティヌス人の王が 姫のラウィニアと
坐っているのも わたしは見た。(一二六)
はては、タルクィノスを狩りたてたあのブルトゥス〔ローマ王制の最後の王のタルクィニウス・スペルブスを追放してローマを共和制にかえた〕や
ルクレツィア、ユーリア、マルキィア、コルネリアなど、それに
ひとり離れてそこにいるサラディン〔エジプトとシリアのサルタン〕も わたしには見えた。
それから、眉をすこしあげてみると、
哲学の家系のなかに座を占めて、
人も知る賢者の師匠〔アリストテレスのこと〕が目についた。
みんなその人に目をそそぎ、みんながこぞって敬まっている。
そこには、ほかの哲人のさきに立って、その師のそばにいる
ソクラテスとプラトンのいるのも見えた。(一三五)
世の中は運にこそよれと説いたデモクリトス、
またディオゲネス、アナクサゴラス、ターレス、
エムペドクレス、ヘラクレイトス、ゼノンなど、
その上に〔薬草の〕特性をあつめた篤学なディオスコリデスまで見たことを
わたしはいおう。それに加えてオルペウス〔ギリシア神話にあらわれる詩人で音楽家〕、
キケロ、リノス、道徳家のセネカも見え、
さらには、幾何の学匠ユークリッド、プトレマイオス、
ヒポクラテス、アヴィケンナ、ガレーヌス、
それに、大部の註解をしたアヴェロエスのすがたも見えた。(一四四)
だからといって、すべてを細かには述べられない。
長い〔詩の〕題目がわたしをかり立てているし、
言葉はときには事実に及ばないことが多いからだ。
六人の仲間は、また〔もとの〕二人〔ウェルギリウスとダンテ〕になって、
さかしい導師は、その静寂から抜けだして、ふるえる大気のなかへと
別の道へわたしをみちびくのである。
そうして、わたしは光の死にたえた場所へ来た。(一五一)
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第五歌
暗黒の第二の圏谷《たに》だ。入口には魂の罪業をただすミノスがいて、罪の軽重によって魂をそれぞれの圏谷へ突きおとしている。この圏谷は、ふしだらで情欲の罪を犯した魂が呵責《かしゃく》されていて、罪の魂は地獄の暴風にあおられて、たゆみなく暗い空で吹きまわされている。その群のなかには、セミラミス、ヘレーナ、クレオパトラなど淫欲《いんよく》にふけった魂がおり、フランチェスカとパオロも一緒になって流されている。ダンテは、その二人から悲恋のいきさつをきいて、そのあまりのあわれさに、深い憐憫《れんびん》の情がおきて、気を失う。
こうして、わたしは第一の圏谷《たに》から 谷底へ向く
第二の圏谷へ降りたった。そこは輪が窄《せま》くなっているだけに、
苦痛もはるかに激しくて 呻きの声が刺すようだ。
そこにはミノス〔ゼウスとエウローペとの間に生まれた子で、死後冥界の法官になった。神の命で亡者の罪を計量している〕が 恐ろしげに歯をむいて突っ立っている。
入口で魂の罪業をしらべると、
身に巻きつけた尾の数で罰をきめて下獄させている。
幸《さち》うすく生まれでた魂は、その前に出て
その身の泥をあらいざらい吐きだすと、
罪業応報のことにくわしいこのミノスが、(九)
罪に見合った地獄の場所を
自分の尾を身に巻きつけるその数で、
魂をおとす圏谷《たに》の数を示すということだ。
ミノスの前には いつも魂たちが群がって立ちはだかっている。
ひとりひとり順ぐりに裁きをうけに行って罪を告白し、
刑罰をきいたとたんに、地獄の谷へ突きおとされているのだ。
「おい、おまえ、よくも禍《わざわ》いの宿へおちてきたな」
ミノスは わたしをふりかえると、
そんな大仕事の手をやすめて いった、(一八)
「気をつけろよ、どうして入る気だね。だれの手で入るつもりだ。
門がひろいからとて とまどってるんじゃあるまいな!」
わたしの導師はそこで、「なんでそう喚《わめ》くのだ。
行くが運命《さだめ》のこの者の邪魔をするな。
思うことは〔何事でも〕行なわせられる天の思召しだ。
これ以上は問うな」
そのときはじめて、わたしの耳に
苦しい呻《うめ》きの声々がつたわってきた。
いまや おおぜいの嘆く声が心を刺すところに来たのである。(二七)
そこでは いっさいの光がひた黙《だま》り、
荒天に逆風がぶつかって立てる海のような音が、
ごうごうと轟《とどろ》きわたっていた。
地獄の烈風は、風のゆるむ間もあらばこそ、
亡霊たちを あらあらしく掠《さら》っていって、
ゆさぶり ぶっつけて、痛めつけている。
崩れた崖の前に出ると、魂たちは
金切り声をあげ、泣きわめき なげいていて、
神の力を呪い ののしりあっていた。(三六)
こんな呵責にあうというのも、
情欲にまけて理性をうしなった
ふしだらな罪を負う者のおちゆく罰と知れた。
季節が寒《かん》にはいると、椋鳥《むくどり》が空をおおって
翼をつらねて 群がってとぶものだが、
罪の魂の群れが あちこちを 上に下に
風にあおられているさまも それに似ている。
この魂たちには、慰めも希望もなくて、
息を入れたり 苦痛をやわらげる望みさえないのだ。(四五)
はては 鶴が哀れっぽい歌をうたって
空に長いつらなりをつくって飛ぶように、
一陣の疾風《はやて》に吹きながされるひとびとの影が
悲しい声をひいて来るのを見たので、
わたしはいった、「先生、あの黒い疾風に
こらしめられているのは 一体だれですか」
すると師は、「おまえが由来を知りたいという
あのさきに立つ女は、言葉のちがう
民々の女帝〔王妃セミラミスのこと〕だったひとだ。(五四)
淫《みだ》らなたわむれに身をもちくずし、
自分でまねいた非難をのぞくために
たわむれの恋を掟《おきて》に合うものにした女だ。
その女はセミラミス。ニーノの後を継いだのだが、
かつてはその后《きさき》だったと、ものの本〔五世紀の史家パウルス・オロシウスの『歴史』のこと〕にある、
いまソルダンが治めている領土まで持っていたという女だ。
そのあとのは、シケオの骨灰《はい》の誓いをやぶり、
恋にくるって身を殺《あや》めたあの女〔ディド〕だ、
それにつづくのは、みだらな女帝のクレオパトラ。(六三)
そら、エレーナ〔スパルタ王メネラオスの妻ヘレナのこと〕も見えるだろう。あの女のせいで
禍いのときが長くつづいた。また恋ゆえに
身をほろぼした大アキレウスも見える。
それに、パリスもトリスタン〔アーサー王物語の主人公のひとり〕の影もまた」
恋におぼれてこの世を離《さか》った幾千の影をさして、
師はそれらの名をわたしにあげてくれた。
わたしの師があげる 古《いにしえ》の婦人たち騎士たちの
名をききおえると、わたしには
あわれみの心がおこって、気をうしなわんばかりだった。(七二)
わたしはいった、「詩人よ、あのいっしょになって流れている二人は、〔フランチェスカ・ダ・リミーニと、パオロ・マラテスタの二人〕
かろやかに風にのっているようですが、
話しかけてみたいものです」
すると詩人は、「もっと近よったときに
話してみるがいい。ふたりをみちびく
愛の名で頼むがいい。きっと来るだろう」
と見る間に、風がふたりを吹きよせたので、
わたしは声を出した、「ああ、いたわしい魂たちよ、
あのおん方〔神〕のおさわりがなければ、ここへ話しにおいでなさい!」(八一)
鳩は帰ろうとする願いに、翼をはって根気よく、
そのあたたかい巣へ 思いのままに
大空をとんでくるものだが、
ふたりは ディドのいる群れを離れて、
不吉な空をよぎって こちらへやってきた。
それほどわたしの情愛のこもった叫びは強かったのだ。
「ああ、おやさしい 情《なさけ》ぶかい生きの身の方、
あなたは暗い空をとおって、世を血でけがした
あたくしたちを訪ねていらっしたのね。(九〇)
あたくしたちの道ならぬ咎《とが》にさえ 哀れみをおかけくださるのですもの、
もし宇宙の王があたくしたちの友でございましたら
あなたのご平安を主《しゅ》にお願いいたしますものを。
さいわい風がしずまっております間に、
あなたがお聞きになりお話しになりたいことを、
あたくしたち お聞かせもしお話しもいたしましょう。
あたくしの生まれた府《まち》〔ラヴェンナ〕は、
ポオ川が支流とともに 平安《やすらぎ》をもとめて
ながれこむ 海ぎわにありました。(九九)
愛は、やさしい心にはすぐ燃えあがるものですが、
あたくしの美しいからだが この人をとらえました。
でも、それを奪われたあの仕打ちを、いまだにくやしく存じております。
恋は、愛された人が愛しかえさないことを許しません。
あたくしもこの人のうつくしさに こんなに強くとらえられました。
ご覧のように、いまでもふたりは一つになっておりますもの。
愛はあたくしたちを一つの死にみちびきました。
あたくしたちの命を絶ったあの人を、カイーナ〔アダムの子で弟アベルを殺したカインのこと〕はきっと待ちうけておりましょう」
これが、ふたりのいった言葉だった。(一〇八)
このいたいたしいふたりの魂のいうことを聞いてから、
わたしは面《おも》を伏せて うなだれていたので、
詩人はたまりかねていった、「何を考えている」
とっさに返す言葉もないので わたしはいった、
「可哀そうに。どんな美しい想いと望みが、
このふたりを悲惨な道へみちびいたのでしょう!」
それから、わたしはふたたび彼らにふりむいていった、
「フランチェスカ、あなたのこころの苦しみは、
いたましく あわれで、わたしの涙をさそいます。(一一七)
だが、聞かせてください。あまい吐息をもらしたころ、
愛に、どんなことから どうして 秘められた想いを
それと察することを許されたのですか」
彼女はわたしに、「うらぶれていて、
しあわせな時のことを思いだすほど
つらいことはございません。それはあなたの先生もご存じでございます。
しかし、あたくしたちの愛のおこりを
それほどお知りになりたいのでしたら、
泣きながら物語る人のように 申し上げましょう。(一二六)
その日 あたくしたちはつれづれに ランチァロット〔騎士ランスロットのことを書いた物語〕を
その恋にとらわれた物語を読んでおりました。
ふたりばかりで ためらいもなく、
読むほどに いくたびか目を見かわして
そのたびに 顔色をかえましたが、
あの一節には あたくしたちも心をうばわれてしまいました。
そのつややかに ほほえむ脣《くち》に あの愛人《ひと》が
くちづけをするくだりまで まいりましたとき、
この人は、あたくしからもう離れないこの人は、(一三五)
ふるえふるえ あたくしに脣《くち》をおつけになりました。
その本は 作った人は ガレオット〔王妃ギネーヴァとランスロットの不義のとりもちをした者〕でございます。
その日はもう そのさきを読みつぎませんでした」
ひとりの魂〔フランチェスカの魂〕が こう語っているあいだ、
もうひとりの魂は さめざめと泣いていた。
そのあわれさに わたしは死ぬほどに気をうしなって、
亡骸《なきがら》の倒れるように ばたと倒れた。(一四二)
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第六歌
ダンテが意識をとりもどしたところは、第三の圏谷だ。そこは貪食の徒のいるところで、彼らは滝のように降るよごれた雨と雹《ひょう》にたたかれて、ケルベロスという怪物にさいなまれている。ダンテはここで、陽気なフィレンツェ人のチャッコに呼びとめられる。そして、地獄の魂たちのもつ将来を予見する力によって、チャッコから、フィレンツェの黒党・白党の運命を知り、ダンテ自身の追放のことも予言される。その男から、最近死んだファリナータなどのフィレンツェの名士たちが、その地獄の下層で罪の重い魂といることを教えられる。ダンテは師と、第四の圏谷へ下りていく。
ふたりの義姉義弟《きょうだい》〔パオロはフランチェスカの義弟〕の哀れな身の上に、すっかり心うたれて、
あまりの哀れさに気をうしなっていたわたしは、
われにかえると 身をうごかしても
ふりむいても わたしの目をやるかぎり、
まわりには ついぞ見たこともない呵責《かしゃく》と
その呵責に悩む人の群れが見えた。
呪われて 篠《しの》つくようにたゆみなく降る冷たい雨の
第三の圏谷《たに》に わたしはいるのだが、
その雨の量《かさ》も降り方も 永遠に変わることなく降りしぶいている。(九)
大粒の雹《ひょう》や よごれた水、
暗黒の大気からながれこむ雪、
それをうける大地には悪臭がたちこめている。
そこの泥水につかった亡者の上で、
ケルベロス〔地獄の番犬で、頭が三つあり、尾は蛇〕という獰猛《どうもう》な異形の怪物が
三つの喉《のど》から犬のような声で吠えたてているのだ。
そいつは、血ばしった目と 黒い脂ぎった体毛と
はちきれる腹と 鋭い爪のある手の奴で、
魂たちに爪を立て 皮をはいで八つ裂きにしている。(一八)
雨は、魂たちを犬のように唸《うな》らせ、
からだの片側で一方の側をかばいながら、
このあさましい神をけがした魂は しきりにのたうちまわっていた。
わたしたちを認めると、その巨大な虫のケルベロスは、
三つの口をがっとあけ、歯をむきだして、
手足をじっとさせてはおかなかった。
すると、わたしの導師は、両手をひろげて
土をすくうと、掌《てのひら》いっぱいのその土を
がつがつする気管めがけて投げ入れた。(二七)
それはあたかも餌《えさ》をせがんで吠えたてる犬のようで、
餌にかみつくと夢中にむさぼり食って
おとなしくなるものだが、
いっそ聾《つんぼ》になりたいと思うほど
魂たちに吠えついていた悪鬼のケルベロスの
泥まみれの三つの面《つら》も、そんな風だった。
わたしたちは、足の裏に
人かとも思えるうつろな亡骸《なきがら》をふんで、
重い雨にたたかれた人々の影の上をわたっていった。(三六)
その人影はみんな地に伏せていたが、
そのうちの一つが、わたしたちが前を通るのを見てとると、
やにわに身を起こして坐ろうとした。
「おい、きみ。この地獄を引きまわされているようだが」
と、わたしにいった、「おれを覚えているかい、どうかな。
きみはおれが死ぬ前に生まれて来てるんだぜ」
そこで、わたしはその影に、「苦しんだ心の傷手《いたで》が
きみの顔かたちを変えたと見えて、
ぼくはきみに会ったことがないような気がする。(四五)
だが、きみはだれだ。こんないたいたしいところに入れられて、こんな罰をうけて、
ほかにもっとひどい罰もあろうに、
こんないやな目にあうなんて」
すると、その男はわたしに、「嫉《ねた》みがつまっていて
それが袋の口をやぶってでたきみの故郷〔フィレンツェのこと。一二一五年以来、その府ではグエルフィ党とギベリーニ党との政争がつづいた。十三世紀の末にグエルフィ党が勢力を得て一時安定したが、ピストイアに起こった同じ党内から分かれた黒党と白党の争いが波及して、チェルキ、ドナーティ両家の確執となり、一三〇〇年の初めにはその争いがはげしくなる。ダンテは白党で、黒党に追放されることになるが、そういう政情が前提にあるから、地獄めぐりの間にしばしば罪の魂とフィレンツェのことが、真剣に話されるのだ〕は、
おれがしずかな生を暮らしたところだ。
きみの府《まち》の奴らは おれをチャッコ〔詩人のヤコポ・デル・アングラーラのことらしい。毒舌家で、大食いだったから、チャッコ〔豚〕という名がついた〕と呼んでいた。
いまいましいが大食《おおぐら》いの罰で
雨にたたかれるご覧のような始末さ。(五四)
だがな、みじめな魂はおればかりじゃない、
ここにいる奴らは みな同じ大食いで
同じ呵責を食《くら》っているのだ」それっきりその男は物をいわなかった。
わたしは彼に、「チャッコよ、きみが悩んでいると、
このぼくまでこんなに涙がでるほど悲しくなる。
だが、知ってるなら教えてくれ、二つに引き裂かれた
あの府《まち》の市民はどうなるだろう。
正しい者はいないのか、いってくれ、
あんなひどい反目が起こったその原因は 何だというのだ」(六三)
その男はわたしに、「長い反目のあとは、
血まよい沙汰になるだろうな。野蛮《やばん》党〔白党〕が
さんざ罵《ののし》って相手〔黒党〕を狩りたてるだろう。
そのあと、太陽が三年まわるうちに この党〔白党〕が倒れ、
いまうまくあやつっているあいつ〔ボニファキウス八世〕の力で
別の党〔黒党〕が上に立つことになるだろう。
その党〔黒党〕は どんなに泣こうと喚《わめ》こうと
相手〔白党〕に重くのしかかり、
大きな面《つら》をすることになるにちがいない。(七二)
正義の士は二人いるが、府《まち》では相手にしないのだ。
傲慢《ごうまん》、嫉妬《しっと》、貪欲 という三つの火花が、
市民のこころを燃やしているからだ」
ここで、その男は、涙をそそる言葉で話をとじた。
わたしは追っかけて、「もうすこし聞きたいのだ、
すまないが、もっと話してくれんかね。
あれほど立派だったファリナータ、テギアイオ、
ヤーコポ・ルスティクッツイ、アリゴ、モスカ
どこにいるのか、知らせてほしいものだ。
彼らを天国がなぐさめているのか、地獄がつらくあたっているのか、
ぼくはそれを知りたいので 胸がしめつけられる思いだ」
するとその男は、「あいつらはもっと罪の重い魂たちといるよ、
いろんな咎《とが》で あいつらはこの地獄の底で悩んでいるよ、
きみがもっと下りていくと、あいつらに会えるだろう。
そこでだ、きみが楽しい世に帰ることでもあったら、
お願いだ。このおれをみなに思いだすようにしてくれんか。
これ以上、おれのいうことはない、返事をすることもないのだ」(九〇)
そのとき、その男は、直視していた目をはすにうつして
ちらとわたしを見たが、頭を垂れると、
ほかの盲《めし》いの魂と同じ平面へと 頭もろとも墜《お》ちていった。
すると、導師がわたしにいった、「天使のラッパ〔最後の審判を告げるラッパ〕が
鳴りわたる日まで、あれが起きあがることはまたとあるまい。
そのとき悪をさばく者〔キリスト〕が現われると、
魂はめいめいその悲しい墓を見つけだし、
自分の肉とかたちをとりもどして
永遠に鳴りひびく判決をきくだろう」(九九)
こうやって、これからの生活のことに いくらかふれながら、
人の影と雨とが きたならしくまざり合うなかを
ゆったりした足どりで わたしたちは歩いていった。
だから、わたしはたずねた、「先生、この人たちの苦しみは、
最後の審判のあと増すのですか 減るのですか、
それとも、いまのように焼かれるのでしょうか」
そこで、師はわたしに、「おまえの学問〔アリストテレスの教え〕にたちかえるがいい。
物事がもっと完全になるにつれて、
善いことにも苦しいことにも 自分で気づくものだ。(一〇八)
ここの呪われた連中は、
夢にも完成に達することのない者たちだが、
審判のあとでは、〔霊と肉が一致するから〕いまよりはそれを期待できそうだ」
わたしたちは、ここでいわないことなどを
どっさり話しながら、〔その圏谷の縁の〕道をまわって
〔次の圏谷への〕下りになっているとば口に来ると、
そこに大敵プルートスがいるのを見つけた(一一五)
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第七歌
第四の圏谷《たに》の入口には、怪物のプルートスがいた。この圏には、金銭や物に吝嗇《りんしょく》な者の群れとそれを浪費する者の群れとが、半周のところでしきられた環状の道を、たがいに重い荷を胸で押して走っている。半周の境目でぶつかると、たがいに罵《ののし》りあい、殴《なぐ》りあって、もと来た道へ引き返し、別の境目に来ると、また殴りあって引き返す。それが絶え間なく続いている。師はダンテに、貪欲と浪費の罪を説明し、さらに人間の運命とは何かということを話してきかす。やがて、二人はスティージェの沼にたどりつき、そこに憤りを胸にもつ魂が泥水につかっているのを見る。
「パペ サタン、パペ サタン アレッペ〔プルートスが怒っていう言葉で意味不明だが「ああ、サタン、ああ、サタンの神よ」というのが、まずまずの意味〕」
しゃがれ声で、プルートスが叫びだした。
しかし、万事のみこんでいるこの賢者は、
わたしをなぐさめて やさしくいった、
「こわくても気にすることはない。あれにどんな力があろうと、
わしらがこの岩場を降りることを はばむはずがないからだ」
そういって師は、その怪物のふくれっ面をふりむいていった、
「ほざくなよ、呪われの狼〔プルートスのあだ名〕、
おまえの憤怒《いかり》で自分の身を焼きつくすというのか!(九)
この地獄の底へ降りるには降りるだけの理由があるのだ。
これは、〔大天使〕ミケーレさまがおもいあがった姦淫《かんいん》〔ルチフェロ一味の魔軍が慢心をおこして神に背くこと〕をお討ちになった
あの天上で のぞまれていることだぞ」
すると、風をはらんだ船の帆《ほ》が、
帆柱が折れると からみあって落ちるように、
この残忍な怪獣は力なく地面に倒れた。
そこで、宇宙の悪をすっかり詰めこんだ
この物さびた堤に道をとると、
わたしたちは第四の圏谷《たに》をさしてずんずん降りていった。(一八)
ああ、おん神の正義よ! ここで目にする
前代未聞の罰と呵責を こんなに多くいったいだれが集めたのか、
なぜ人間の罪が こんなにも人をひどい目にあわすのだろう。
カリッディ〔カリブディスのこと〕あたりで 波と波とがぶつかって
そこで〔メッシナ海峡で〕渦巻いて砕けるように
ここでは人たちは円舞を踊りながら 渦をつくっていなければならないのだ。
見ると、亡者たちはほかと比べると大勢いたが、
左の方〔吝嗇者〕からも 右の方〔浪費者〕からも、喚《わめ》きたてては、
重たい荷〔金貨の袋〕を胸で押してころがしている。(二七)
彼らは〔境目で〕出会うと殴りかかり、
めいめいに「貯《た》めやがって」「費《つか》いやがって」と喚きながら、
荷の向きをかえて ぶつかりあったところから逆行していた。
こうして左右とも、ぶつかったところから反対の地点へと、
相手をこきおろす悪態をつきながら
暗黒の圏谷《たに》を引きかえしている。
やがて、その環の半周のところに行きつくと、
また果し合い〔ここでは輪の中ほどで衝突しあうことをさす〕をするために めいめいとって返していた。
わたしは、ひどく哀れっぽくなって、いった、(三六)
「先生、いったいどういうことなんです。
この魂たちはどういう人ですか、あの左手にいる
頭の上をまるく剃《そ》った人〔貪欲者〕は、みな聖職についてた人ですか」
すると師は、「あれらはみんな、
さきの世で心がゆがんでいたので、
ほどほどに財を費《つか》えなかった手合だ。
あれらが、反対の罪で分けられている
環を二分したところで立てている
吠え声からでも それははっきりわかることだ。(四五)
こちらの 頭のてっぺんに髪の毛のない奴らは坊主の仲間だ、
法王や枢機卿《すうききょう》だった者もいる、
みな度はずれの貪欲が慣《なら》いになっていた者だ」
わたしはいった、「先生、この連中のなかでも、
そんな悪行でけがれていた奴なら、
わたしも何人か見知っているにちがいないのですが」
師はわたしに、「無駄なことを考えたものだな。
あれらを汚《よご》した 見さかいもつかぬ生涯が、
いまでは見分けようもなく 真黒にしているのだ〔罪は黒色だと、キリスト信者に考えられていた〕。(五四)
あれらは永遠に あの〔環の〕二つの点でぶつかりあっているだろう。
一方〔貪欲者〕は拳《こぶし》をにぎって、他方〔浪費者〕は一本の毛まで費《つか》いはたして、
墓場からそれぞれよみがえってくるだろう。
あこぎに費ったり溜めこんだりした奴だから、
うつくしい世〔天国〕をとりあげられて こんないがみ合いにぶちこまれているのだ。
それがどんないがみ合いかということは、いうまでもないくらいだ。
わしの息子よ、いまこそ 運命にゆだねられた
かりそめの栄華をめぐって人間がつかみ合いをする
はかない戯れを おまえは見たというわけだ。(六三)
というのも、かつてはあり いまも月下にある〔世にあるということ〕すべての黄金も、
この疲れはてた魂たちの一つにさえ
安らぎを与えることができないからだ」
「先生」と、わたしはいった、「では、ついでにおっしゃってください。
その手にうつせみの栄華をもっているという、
いまいわれたその運命というのは何ですか」
すると師は、「ああ、愚かしいな、
おまえまでがそんな無知にまどわされているとは!
では、わしの考えをおまえの口にふくませてやるか。(七二)
その知恵が万物にさきんじてお悟《さと》りなさるお方〔神〕は、
もろもろの天を創られ、それにみちびく天使〔天体の運行を司る天使〕を配分なされたので、
〔神の〕光を平等にくばりながら
天のすみずみにも耀《かがや》きあうようになさったのだ。
神はまた同じように 世俗の耀きについても
それをことごとく司《つかさど》る運命の女神に命じて、
民から民へ 血族から血族へと
人間の〔小ざかしい〕知恵の及ばぬところで、
都合のいいときに はかない富貴を移らせているのだ。(八一)
そのゆえにこそ、この女神の判定にしたがって
ある者は栄え ある者は衰えるのだが、
それは叢《くさむら》のなかの蛇のように そとからは見えないものだ。
おまえたちの知恵くらいでは この女神には太刀打ちはできない、
この女神は、他の神々がなさるように、
その領分では〔物事に〕あらかじめ備え、判断して処理しておられる。
運命の転変はとどまるところを知らず、
必要から運命をすばやいものにするのだ。
だから、人間の有為転変《ういてんぺん》はこんなにも激しいのだ。(九〇)
これが、彼女〔運命〕をほめるべき者ですら、
しげしげと彼女を十字架につけ〔責めそしり〕、
運命の女神にあやまって不敬の言葉を吐かせているのだ。
しかし、運命の女神は祝福されているから そんなことは気になさらない、
ほかの太初に創られた者〔天使〕たちと たのしげに
運命の天をまわして 恩寵《みめぐみ》をよろこんでいるのだ。
ところで、悲しみのもっと深い方へ降りてゆくとするか。
わしの出るとき昇っていた星は おおかた
はや沈んでいることだし〔もはや夜半をすぎたということ〕、そう長くは、いるわけにもゆかぬのでな」(九九)
わたしたちは、〔内側の〕井戸の上にある別の崖っぷちへと、
その圏谷《たに》を横切って降りていった。
その井戸の水は煮えたぎって、そこから流れでる堀割へ注ぎこんでいた。
その水の色は濃紫《こむらさき》というより黒にちかかった。
わたしたちは、その暗い流れをつたって、
異常に嶮《けわ》しい一筋の道へと下っていった。
この物悲しいせせらぎは、
灰いろの切り立った崖の下へ出ると、
スティージェ〔ディーテを取りまいている沼〕という名の沼になっている。(一〇八)
そこで、わたしはじっと目をこらしてみると、
その沼地のなかに 泥まみれの魂たちが見えた、
まっ裸で 面《おもて》に怒気《どき》をあらわしている人たちだ。
彼らは、手でなぐり合うだけではたりず、
頭や胸ごとぶつかりあい、足で蹴りあっていた。
それでもたりず、相手の肉をひと切れずつ 歯で食いちぎっていた。
やさしい師は、「息子よ、見ろ、
憤怒《いかり》にうち負かされた者の魂だ。
いや、この水の下にも、溜息をつく者どものいることを(一一七)
はっきり信じてもらいたい。
いればこそ、水面にも泡《あ》ぶくが立つ、
どこへ目をやっても泡ぶくが見えるのだ。
泥水で身うごきもならぬ連中が つぶやいているぜ、
『日がうららかで かぐわしい大気のなかでも、
こころに忿《いきどお》りがわだかまっていたから、侘《わ》びしかったが、
いまはいまとて 黒い泥んこに身をかこつ始末』とな。
この〔いい気な〕ご詠歌〔これは反語である。ほんとうは嘆きの声〕を喉でごろごろやっているのは、
言葉に出して はっきり物がいえないからだ」(一二六)
こうして、泥を呑みこんでいる人たちから目を離さずに、
わたしたちは、汚れた井戸のほとりを 大きな弧のかたちに
しめっぽい沼と乾いた土手の間をまわって、
とある塔の下へ とうとうたどりついた。(一三〇)
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第八歌
対岸の塔の、合図に火のともるのに応えて、スティージェの沼の渡し守のプレギュアスは舟を漕いで現われ、二人を乗せた。泥の沼をわたっていたとき、ダンテは、フィリッポ・アルジェンティというフィレンツェの府《まち》で名うての喧嘩《けんか》好きが呵責せられているのを見つける。地獄の最下層のディーテの府の城壁と建物が現われて来る。二人がそこへ着くと、その門には悪魔がおおぜいいて、二人の入るのを拒む。ウェルギリウスは一人で談判をしに行くが、門扉《もんぴ》は閉じられて、うかぬ顔をしてダンテのところへ帰ってくる。場所は地獄の第五の圏谷《たに》である。
そのあとを続けると、その高い塔〔ディーテの府の監視の塔〕の下へ着く
かなり前から、わたしたちの目は、
そのてっぺんに そそがれていた。
二つの小さい火がそこについているのが見え、
さらに それに応じて、見えるか見えないかの遠くから
別の火が一つ合図するのが見えたからだ。
そこでわたしは、全知の海の師〔ウェルギリウスのこと〕をふりかえっていった、
「あれはどういう意味ですか。向こうの火は
何と答えているのですか。だれのやったことでしょう」(九)
師はわたしに、「沼の濃い霧がそれを隠さなかったら、
その待ちうけているものが、あの泥の波の上をわたるとき
おまえはすでに見つけたはずだ」
そのとき、一艘《いっそう》の小舟が
水をわたってこちらへ来るのが見えたが
その早さは、弓弦《ゆみづる》から射だした矢が
空《くう》をきるのも及ばぬほどだった。
その舟をあやつる船頭はひとりだが、
その漢《おとこ》はさけんだ、「さては来おったな、この不信の魂め!」(一八)
「プレギュアス〔ギリシア神話ではアレスの子〕、プレギュアス、無駄にほざくな」
わたしの師はいった、「今度はな、おまえに
もう手間はかけんぞ。沼をわたるだけだ」
あたかも ひどいたばかりに
引っかかった者が、あとあとまでぶつぶつ小言をいうように、
プレギュアスは腹にすえかねて しぶしぶ〔わたしたちを〕うけ入れた。
そこで、導師がまず舟に下りたち、つづいて
わたしをそのそばに乗りこませたが、
わたしが下りると、〔舟は〕荷を積んだように〔しずんで〕見えた。(二七)
導師とわたしが乗りうつると間髪を入れず、
古ぼけた舳《へさき》は、いつものほかの者の場合とちがって、
水面をふかく切りたてて進んだ。
わたしたちが死の沼をわたっていると、
泥まみれのひとりの漢《おとこ》が眼の前にあらわれて
いった、「〔死ぬ〕ときでもないのに やって来たおまえはどこのどいつだ」
だから、わたしは彼に、「来たといっても、足をとめるわけじゃない。
そんなきたない態《ざま》をしてるきみこそだれだ」
漢《おとこ》はかえした、「見てくれ、この泣いてるおれを」(三六)
そこで、わたしは彼に、「泣こうと悔《くや》もうと
そこにいることだな、罰あたりの魂め。
泥だらけになっていても、おまえがだれだかわかっているぞ」
と、やにわにその漢《おとこ》は 舷に両手をさしだしたが〔その魂はダンテを害そうとして手をかけようとした〕、
それと気づいて師は それをふりはらっていった、
「犬どもと向こうへうせろ!」
それから、師はわたしの頭を両手で抱いて、
わたしの顔に脣をつけながらいった、「傲慢な者をいとう魂よ、
ようこそ あの方〔ダンテの母君〕はきみをお身ごもりなさった!(四五)
あいつはこの世では威張りとおした奴だった。
奴の記憶をかざる善行は何一つなかったから、
ここでも こうして荒れ狂っているのだ。
いま地上で大王という身分を保っている者のなかにも、
おそろしい譏《そしり》をこの世にのこして、
ここで泥んこの豚のようになって暮らす者もいるだろう」
わたしはそこで、「先生、わたしたちがこの沼を出る前に、
この泥沼に奴がもぐらされるところを
何とか見たいものですね」(五四)
すると、師はわたしに、「向こう岸が見えだす前に、
おまえの望みはかなうだろう。
そういう望みをおまえがよろこぶのも、もっともなことだ」
そういった後で、泥んこの漢《おとこ》たちが
よってたかって奴を引き裂くのを見た、
そのことではいまでも わたしは神をたたえ、感謝している。
みんなは叫んでいた、「このフィリッポ・アルジェンティ奴〔フィレンツェのアディマーリ家のフィリッポ。アルジェンティは銀という意味だが、洒落者でつねに銀の鞍を使っていたので、銀のフィリッポというあだ名がついた〕!」
すると、怒りっぽいフィレンツェの亡者は、
自分のからだを 歯でずたずたに噛みさいていた。(六三)
それをしおに、わたしは彼を見棄ててきたから、そのことはもう語るまい。
しかしそのとき、耳にまず重い叫喚《きょうかん》のひびきがはしったので、
わたしは目をみひらいて前方をながめた。
師はやさしくいった、「息子よ、いまこそ
ディーテ〔神話では、プルートス(魔王、『神曲』ではルチフェロ)の異名〕という府《まち》へ近づいてきた。
罪と罰の重い者が おおぜいの鬼にかこまれているところだ」
わたしはいった、「先生、あのむこうの谷あいに
回教寺院《メスキーテ》〔イスラム教の礼拝堂のことだが、ディーテの城楼をさす〕が幾ならびもはっきり見えます。
まるで火の中からでてきたように真赤ですが」(七二)
すると師はわたしにいった、「この地獄の底では、
おまえの見るとおり、あのなかで燃えさかっている永劫《えいごう》の焔《ほのお》が
寺を真赤に照らしだしているのだ」
とうとう、わたしたちはこの慰めもない府《まち》をかこむ
深い谷のただなかへたどりついたが、
その城壁は鉄でできているかと思われた。
わたしたちは 最初は大まわりしないでもなかったが、
ある場所にさしかかると、船頭がぞんざいに喚《わめ》きたてた、
「おい、降りるんだ、ここが〔府の〕入口だぞ」(八一)
その門の上に 何千という影〔悪魔〕が雨のように
天から墜《お》ちてくるのをわたしは見たが、
彼らは口々に怒って叫んだ、
「死にもせずに、亡者の国をのさばり歩くそやつはだれだ」
そこで賢《さか》しいわたしの師は、そいつらと内密に
話をつけたいという素ぶりを見せた。
すると、鬼どもは侮蔑《ぶべつ》の色をいくらかやわらげていった、
「よかろう、来るならおまえだけだ。あいつは自分で帰らすんだぞ。
よくもこう のめのめと、この国へ入りこんだものだ。(九〇)
向こう見ずに入ってきた道だ、ひとりで帰れ。
いいか、やるんだぞ。この常暗《とこやみ》の世の中へ連れこんだ
おまえは ここに残るんだ」
読者よ、考えてもみてもらいたい。
この世に帰れようなどとは思いもよらぬのに、
その呪わしい言葉をきいて どんなにわたしががっかりしたかを。
「ああ、ご親切な先生、先生は七たび〔たくさんという意味〕の余《よ》も
身の安全をうけあってくださいました。また
わたしの立ちむかったひどい危険からも わたしを救いだしてくださいました。(九九)
置きざりにしないでください。わたしは途方に暮れているのです。
もうこれ以上さきへ行けないのでしたら、
すぐお伴をして 足跡をたどって引き返しましょう」と、わたしはいった。
すると、そこまでわたしを導いてくださった師はいわれた、
「怖れることはない。わしらの行く手を
はばむことはだれにもできん。これはあのお方〔神〕の思召《おぼしめ》しだからだ。
ここでわしを待っているがいい。くじけた心をたてなおして、
あかるい希望をそだてることだ。
わしはおまえを こんな下界に置きざりにはしないよ」(一〇八)
こういって、やさしい父は、そこへわたしを残して、
ひとりで立ち去った。わたしはもしやと思って残っていたので、
帰るか、どうか〔という考え〕が、心のなかでせめぎ合っていた。
師が話していることは わたしには聞こえなかったが、
悪魔どもは、さきを争って門内へ駆けこんだので、
師がそこで鬼どもと話したのは そんなに長くはなかった。
そこのわたしの敵どもは、わたしの師の
胸の前で城門をしめたので、外に残った師は、
ゆったりとした足どりで わたしの方へ引き返してきた。(一一七)
その目を地面におとし、眉根にはいつもの明るさがなかった。
やがて師は、溜息をついてつぶやいた、
「わしが憂いの府〔ディーテの府〕へ入るのに だれが拒めるものか!」
それから、わたしに向いて、「わしがむっとしたからとて、
おまえはあわてることはない。だれが門内で
入れまいとしてうろつこうと、この試練には勝ってみせる。
あれらの不遜は いまにはじまったことではない。
前にもあいつらは秘密でもない門〔地獄の外門〕で それをやった。
だが、その門はいまでは閂《かんぬき》もかけずに開いている。(一二六)
その門の上に おまえは死の銘文〔永遠に亡滅を宣言する銘文〕を見たはずだ。
すでにその門をくぐって坂を下り、
導者も使わずに、この地獄の諸圏をすぎておられるひとりのお人〔天から遣わされたもの、天使〕、
そのお人の力で この府《まち》〔の門〕は開くだろう」(一三〇)
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第九歌
二人が門の外にいる間、地獄の三人の復讐《ふくしゅう》の女神が塔の上にあらわれて、メドーゥサを呼ぶといっておどす。師はダンテの目をふさいだ。ほどなく、天上の使いが沼をわたってあらわれ、その命令でディーテの城門は開かれて二人は門を入るが、そこにはいたるところに墓があって焔を噴きあげている。そのなかでは異端異教の者が、その派ごとに埋められて焼かれている。そこは第六の圏谷《たに》である。
わたしの師が 踵《きびす》をかえして帰ってくるのを見て、
気おくれの色が わたしの顔にあらわれたが、
師はすぐに その常ならぬ顔色〔交渉がうまくいかないので、むっとした顔色〕をやわらげた。
師は聞き耳をたてる人のように 注意ぶかく立ちどまっていたが、
大気は暗く 霧もふかくて、
視界は遠くへは利《き》かなかった。
「所詮《しょせん》はこの戦いにわしらは勝つにはちがいないが」
師はいいはじめた、「もしかすると……いや、あのお方〔ベアトリーチェ〕の思召しだもの!
それにしても、〔天の〕お使いの来るのが待ちどおしい!」(九)
わたしには、師がいいはじめた言葉を、
後からつづけた前のとは〔意味の〕ちがった言葉で、
やわらげていることが よくわかった。
それでも、師の言葉がわたしにはそら恐ろしかった。
師のいいかけた言葉を
わたしが悪くとったからかもしれないのだ。
「罰せられて〔昇天の〕望みだけ絶たれている〔辺獄《リンボ》の〕者で、
第一の圏谷《たに》からこの悲惨な坎《あな》の底へ
降りて行ったことがかつてあったでしょうか」(一八)
わたしがこう質問すると、師は答えて、
「そういうことはめったにない。
わしが行なったような歩き方をするのは、わしらから下方にいる者にはない。
もっとも わしは別の機会にその底にいたことがある。
魂を肉体にひきよせるあの残忍な女、
エリトン〔テッサリアの巫女〕の妖術にかかって呼びこまれたのだ。
わしの魂から肉体が離れて間もないころだったが、
ジュダの圏谷《たに》〔ジュデッカという、地獄の第九圏の後の区域。イスカリオテのユダの罰せられているところ〕から魂をひとつ引きだすために、
わしをあの城壁のなかへ入りこませた。(二七)
その圏谷《たに》はいちばん低いところで、もっとも暗く、
万物をめぐらせる天上〔ほかの諸天を回転させる第九の天のこと〕からは いちばん遠いところだ。
その道はよくわきまえているから 安心するがいい。
ひどい悪臭の立ちのぼるこのひろい沼は、
憂いの府《まち》のぐるりを取りまいていて、
怒りもせずに、そこへ入ることなどはすでにできなくなっている」
師はこのほかにも何かいったが 覚えていない。
あかあかと燃えている高い塔の頂へ、
わたしの目がすっかり引きつけられていたからだ。(三六)
そこの塔のてっぺんには、血のいろをした
三人の地獄のフーリエ〔復讐の女神〕が やにわにすっくと起《た》ち上がっていた。
その手足と身のこなしは女性らしいが、
濃い緑の海蛇を胴にまきつけ、
小蛇と角蛇《つのへび》が頭の髪になっていて、
憎たらしくこめかみに巻きついていた。
師は、それらが永遠の嘆き〔地獄の意〕の女王の
侍女だということをよく知っているので、
わたしにいった、「凶暴なエリーニュス〔フーリエのギリシア名〕たちを見よ、(四五)
左の方のがメガイラ、
右手の泣いているのがアレクト、
ティシポネはまんなかにいる」そういったきり黙ってしまった。
どの女も自分の胸を爪でひき裂き、
おのが身を掌《てのひら》でたたいて、大声で叫びだすので、
怖ろしくなって わたしは詩人にぴったり身を寄せた。
どの女もみな下をのぞきこんで喚《わめ》いていた、
「メドゥーサ〔ギリシア神話ゴルゴンの一人、その頭を見るものは化して石になる、とのいい伝えがある〕よ、でて来い。あいつを石にしてやろうぞよ。
テセウス〔テセウスは地獄へ下りてハデスに捕えられるが、ヘラクレスに救われる〕が襲いかけたとき仕返しをしなかったのは 手落ちだったよね」(五四)
「うしろを向いて 目をつむるのだ。
ゴルゴン〔メドゥーサの首〕があらわれて目にふれようものなら、
おまえは絶対に地上へはもどれないだろう」
こういって師は、自分でわたしにうしろを向かせ、
わたしの手だけでなく、そのうえに、
自分の手でわたしの目をおおい隠してくれた。
ああ、きみ方〔読者〕、まっとうな判断力をもつ人たちよ、
この風変わりな詩のほのめかしに
隠された本当の意味を じっくり読みとっていただきたいものだ。(六三)
このときにはすでに、泥にごりした波の上を
世にも恐ろしい物音のとどろきがひびきわたって、
〔沼〕の両岸を震えあがらせていた。
それはさながら、寒と熱の大気がぶつかって起こる烈風が、
森をたたきのめして、さえぎるもののないままに、
枝をへし折り たたきつけ 森のそとへ吹きとばし、
埃《ほこり》をまきあげて昂然と吹きすすめば、
獣や牧人を逃げまどわせる
あの荒れ狂うさまにも異ならなかった。(七二)
師はわたしの目から手を離していった、
「あのひどく烟《けむ》っているあたりの
年|古《ふ》りて泡だつ水面に目をこらして見るがいい」
蛙《かえる》はかたきの水蛇と出会えば、
いっせいに水にもぐって
ついには水底でかさなり合っているものだが、
見る影もなくひき裂かれた何千という魂が
ひとりの人〔天使〕から逃げまどうのをわたしは見たが、
その人は足のうらも濡らさずにスティージェの沼を歩いてわたって来た。(八一)
その人は左手で、ときどき顔前にたちこめる
濃い瘴気《しょうき》をうちはらっていたが、
うるさそうに見えたのは そうしたもどかしさだけだった。
わたしは、その人が天の使いだとすぐにさとったので
師をふり向いた。と、師はわたしに、口をつぐんで
その人におじぎをするように合図をした。
本当に その人の怒りはどんなにかすごかっただろう!
城門の前に行くと、一本の杖で門をひらいたが、
それをとめる者はだれひとりいなかった。(九〇)
「おお、天を逐《お》われた汚辱のやからよ」
そのひとは身の毛もよだつ閾《しきい》の上に立って 口を切った、
「おまえども、この増長ぶりをどこから拾ってきたのだ、
あのお方の思召しになぜさからうのだ。
あの方のお心が成らないことはかつてないのだ。
そのため、責苦がいつも重くなったじゃないか。
〔神の〕宿命とせめぎあって何の得《とく》があるのだ。
おぼえておるか、おまえどものケルベロスは、
いまでもそのために 顎《あご》から喉《のど》には毛がすり切れたままだぞ」(九九)
そういってから、その人は、わたしたちには一言もいわずに、
〔沼の〕きたない道を引き返していった。
その人は、目の前の者のことよりも、
ほかの思いにしばられて噛まれている様子だった。
そのあらたかなお言葉をきくとすぐ 自信がついたので、
わたしたちはディーテの府《まち》へと足をすすめた。
何のいざこざもなく その府へは入りこめたのだった。
そんな城塞にかたく閉じられている〔内部の〕ありさまを
かねがね見たいと思っていたわたしは、(一〇八)
内側へ入ると あたりをきょろきょろ見まわした。
右手にも左手にも、広場があって、
苦悩ときびしい呵責にみちているさまが見えた。
それは、ローヌ川がよどんで
沼沢地《しょうたくち》となるアルル〔シャルルマーニュがサラセン人とここで戦ったとき、キリスト教徒の死体を葬る暇がなかったものが、一夜にして神が無数の墓を現わしたという伝説がある〕の町でも、
またイタリアのさいはての その国境を洗う
クヮルナーロ湾ぞいのポーラ〔昔ローマの墓地のあったところ〕の町でも、
墓がその地方をすっかり異様なものにしているのだが、
ここにも墓がいたるところにあって もっと悲愁が立ちこめていた。(一一七)
墓と墓のあいだからは焔《ほのお》が噴きだしていて、
どんな鍛冶屋《かじや》もこうは鉄を灼《や》けないほどに、
その墓はすっかり灼けきっていた。
墓の蓋《ふた》はことごとく持ちあがって、
いたましい呻《うめ》き声がそとに洩《も》れていた。
いかにも うらぶれて罪にいたむ者の声だ。
そこでわたしは、「先生、この墓域に埋められて
いたいたしい嘆き声をたてているのは、
いったいどんな人たちですか」(一二六)
すると師は、「ここにいるのは異端の者だ。
宗派ごとにその宗徒どもはいっしょにいる。
墓にはそれぞれ おまえの想像以上につめこまれている。
ここでは類は類づれで埋められていて、
墓によって高低の差はあるが みな熱く灼けきっているのだ」
そういって、師は右手の方へ向きをかえた。
わたしたちは、灼けただれた墓と高い城壁のあいだを通っていった。(一三三)
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第十歌
城壁と火を噴く墓域《ぼいき》のあいだの道を行くダンテは、一つの墓から呼びとめられた。そこには、かつてフィレンツェの統領だったファリナータ・デリ・ウベルティが傲然《ごうぜん》と立っていた。彼はダンテの将来が辛《つら》く苦しいことを予言し、地獄に墜《お》ちた者が予言する能力をもつことを説明する。同じ墓から、カヴァルカンティが顔を出して、その子でダンテの親友のグイードのことを訊ねて、悲嘆のあまり焔《ほのお》のなかへもぐってしまう。この第六の圏谷《たに》のこのあたりには、霊魂は肉体とともに滅びるというエピキュロスの教義を信じる異端者の群れが、墓にとじこめられている。
城壁と焔の噴きでる墓とのあいだ、
ひっそりしたその小径《こみち》を、師は歩いてゆき、
わたしは師の肩についていく。
「高徳な先生、神を畏《おそ》れぬ者のいるこのあたりを
お引きまわしくださいますが、およろしければ、
わたしの願いがかないますようにお話しくださいませんか。
ここの墓に横たわっている人たちを見ることができましょうか。
もう墓の蓋《ふた》はみんな持ちあがっていますし、
番をする者はだれも居《お》りません」(九)
すると、師はわたしに、「あれらが地上においてきた
自分の骸《むくろ》をつけて ヨシャパテ〔エルサレムの東、橄欖山の麓にある谷の名。最後の審判の行なわれるところ〕から立ちかえると、
これらの墓の蓋は閉じられるだろう。
こっちの区画の墓地には、
霊魂が肉体とともに滅びると説いた
エピキュロス〔ギリシアの哲学者で霊魂の不滅を否定した〕とその弟子たちが埋められている。
だから、わしにたずねたことは、
ここへ入ればすぐに答えが出るはずだ。
それに、おまえが口にださぬ願いも〔フィレンツェの人を見たい、という願い〕」(一八)
そこでわたしは、「ご親切な先生に、口のたらぬことはありましても、
わたしの心の隠しだてなどはいたしません。
いまにかぎりませんが、〔口をひかえるよう〕そういわれていましたので」
「おお、トスカーナの御仁《ごじん》よ。生きながら
この火の府《まち》〔ディーテの府〕を 大分ていねいな口をきいて行きなさるが、
よかったら ここで足をとめてくださらんか。
きみの訛《なまり》から
あの上品な郷《さと》〔フィレンツェ〕の生まれと見うけるが。
そこでは、おれはえろう難儀をかけたかもしれんて」(二七)
やにわに、墓穴の一つから こういう声が出てきた。
わたしはぎくっとして、
師の方へすこし身を寄せた。
すると師はいった、「あっちへ向くんだ、何をしてる。
そらあそこにファリナータ〔フィレンツェの貴族ウベルティ家の出。ギベリーニ党の首領でグエルフィ党に大勝した〕が突っ立ったぞ、
腰から上が まる見えだ」
それを聞くなり、わたしは目をその人にそそいだ。
彼は、地獄なぞてんで物の数とも思わないようで、
胸を張り面《おもて》をあげて突っ立っていた。(三六)
と、導師の手が臆することなく 墓の間の
彼の方へわたしを押しやって、いう、
「ていねいに口をきくのだぞ」
その人の墓の下まで行くと、
彼はちらっとわたしを見てから、見さげたような調子でたずねた、
「おまえの先祖はだれだれだね」
わたしは彼にはさからいたくなかったので、
包むことなく 腹をわって話した。
するとファリナータは 眉根をちょっとつりあげていった、(四五)
「そいつら〔ダンテの父祖はみなグエルフィ党だったから〕は、おれとおれの一族 おれの党の者とも
したたか張り合っておったわ。それで
二度もおれは蹴ちらしてくれたぞ」
「たしかに追放されましたが、方々からまた戻ってきましたよ」
わたしは彼にいい返した、「一度ならず二度までもね。
しかし、あなたの党〔ギベリーニ党〕は、その手の内〔フィレンツェへ帰ること〕をご存じなかったのです」
その時である。蓋のあいた墓穴から、
別の魂〔カヴァルカンテ・カヴァルカンティのこと。ダンテの親友の詩人グイードの父親、グエルフィ党で、ファリナータと同じく来世の存在を信じていなかった〕がファリナータの脇で あごまで出して 顔をあらわした。
その人は立膝《たてひざ》をしているにちがいないのだ。(五四)
その魂は、わたしのまわりを見まわして、
だれかわたしといっしょではないかと たしかめるような様子だったが、
そのあてがすっかりはずれたと知ると、
泣き声になっていった、「才にめぐまれたからとて、
きみがこの盲目の獄《ひとや》〔神の光のない地獄〕を行けるというなら、
うちの息子《むすこ》はどこにいるのだ。なぜきみといっしょじゃないのだ」
わたしはその人に、「自分の力ではまいれはしません。
あすこにおられるお方が ここまで連れてきてくださったのです。
お宅のグイード〔グイード・カヴァルカンティのこと〕君はしかし、あの方を買っていなかったかもしれませんが」(六三)
その言葉、その罰の様子から、
この人の名はすでに読みとれていたので、
こんなにはっきりした答えができたのだ。
すると、すぐ立ちあがって その人は叫んだ、
「何だと。『いなかった』といったな。もう生きてはおらんのか。
うるわしい日の光は もう息子の目にはささんのか」
わたしの返事がちょっと手間どるとみると、
彼はのけぞるように倒れて、
ふたたび姿をあらわさなかった。(七二)
しかし、わたしを立ちどまらせた
さきの剛腹な人〔ファリナータのこと。彼もグイードの義父なのに、グイードのことをきいても泰然としていたので〕は、顔色ひとつ変えず、
頭もうごかさず、身じろぎもしなかった。
そして、さきほどの自分の話をつづけて、
「おれの党の者の〔帰国の〕方法《てだて》がまずかったとすると、
それはおれには、この灼ける床〔燃える墓のこと〕よりもつらいことだ。
だが、ここ〔地獄〕をおさめる女王〔月〕の顔が
五十回も〔満月に〕もえるまでには、
その方法《てだて》がいかにむつかしいかを おまえもさとるだろう。(八一)
おまえも日のあたるこの世に帰れるとよいが、
教えてくれ、なぜあの府《まち》〔フィレンツェ〕の者どもは、
おれの郎党に法律をやつぎ早にだして なぜああも苛酷なのだ」
だから、わたしは彼にいった、「アルビアの川を血で染めた
あの破壊と暴行が あのような法律をだすことを
わたしたち郷里の神前で祈り〔フィレンツェのサン・ジョヴァンニ教会は、その府の高官たちの集会所になっていたので、そこで作られた法令を祈りといった〕を捧げさせたのです」
そのとき彼は溜息をついたが、頭をふって、
「いやいや、あれをやったのはおれひとりじゃない」そしてつづけた、
「理由もなくておれが他人と組むものか。(九〇)
しかしだ。フィレンツェをたたきつぶすことを
めいめいが認めた場所でもだ、
正面きってそれに反対したのは おれひとりだった」
「どうかあなたの御子孫が安泰でおられますように」
そう祈ってからわたしは、「わたしの判断をこんがらかす
この問題を解いていただけませんでしょうか。
お聞きしたところでは、あなた方は時のもたらすもの〔未来のこと〕なら
前もってお見とおしになるようですが。
足もとのことでは そうでもなさそうですけれど」(九九)
彼はいった、「おれらの罪の魂にはな、老眼の人のように、
遠くにあるものは見えるものだ、
それはまだ いと高いお方〔神のこと〕がここをお照らしになっているからだ。
それが手もとに来るか あるかすると、
おれらの勘はまるで役に立たん。人が〔この世のことを〕しらせてくれないかぎり、
おまえら人間のことは何にもわからないのだ。
おまえにもわかるだろうが、
未来への門が閉ざされる〔死ぬる〕その瞬間から、
おれらの知識はすっかり死に絶えているのだ」(一〇八)
そのとき、わたしは自分があやまっていいそびれたことを悔《くや》んでいった、
「では、あのお倒れになった方にお伝えください、
あの方の御子息は まだ生きてる仲間とつきあっています、とね。
さっき わたしがそれをいいそびれたのは、
あなたが解いてくださった疑問のことを
あのときにもう考えていたからだと おっしゃってください」
すでに師はわたしを呼んでいたので、
わたしはそそくさと、その墓にいっしょにいる人が
だれかいってほしいと、その魂に頼んだ。(一一七)
彼はいった、「ここにはな、おれといっしょに千人の余も寝ておるが、
そのなかには フェデリーゴ二世〔シチリアの王〕がおる、
枢機官〔オッタヴィアーノ・デリ・ウバルディーニのこと。法王のためにフェデリーゴ二世と、マンフレディと戦った〕もおるが、ほかの連中のことはいうまい」
そういって、彼は〔墓のなかへ〕姿を消した。そこでわたしは、
わたしには不吉に思われるファリナータの言葉〔ダンテが追放されるという予言〕を思いうかべながら、
この古代の詩人〔ウェルギリウスのこと〕の方へ歩みを転じた。
師もうごきだしたが、ややあって歩きながらこういった、
「なぜそんなに思いまどっているのだ」
そこで、師のおたずねにかなうような返事をわたしはした。(一二六)
「おまえは気にかかる話をきいたわけだが、
おぼえておくがいい」と、賢《さか》しい師はさとされた。
「さあ、このことだ、いいか」師は指をまっすぐに立てた〔ダンテの注意を惹くために〕。
「あのお方〔ベアトリーチェのこと〕のきよらかな目は一切をお見とおしになるのだが、
そのやさしい光の前に立つときもあろう。
そのお方のおかげで おまえは生涯の旅路のことをさとるだろう」
そういいおわると、師は左手に足を向けた。
わたしたちは城壁のもとを去って、小径づたいに中心部をさして進んだ。
その小径はひとつの渓谷に通じていたが、
谷のぷんぷんする臭気が その上にまで立ちのぼっていた。(一三六)
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第十一歌
ダンテは第六の圏谷《たに》にいて、法王アナスタシウスの墓まで来た。そこでは地獄のひどい悪臭がたちこめるので、それに慣れるあいだ、ウェルギリウスから地獄の下層部での第七、第八、第九の三つの圏谷《たに》の構造と、そのなかにある魂の罪の分類、その罰せられ方の話を聞く。また、彼は、ディーテの府《まち》の内と外との罪のちがい、暴力と詐欺、高利貸の罪などについて、神がいかに見、いかに罰しているかの理由をダンテに説明する。そういう予備知識をうけてから、ダンテとウェルギリウスは、いよいよ第七の圏谷《たに》へ下ってゆくのである。ここは、その第一の環である。
大きな岩塊がくだけて
弓なりに屹立《きつりつ》している断崖の縁まで来ると、
その下にはさらに無残な魂がひしめき合っていた。
深淵の底からそこまで立ちのぼってくる
身ぶるいするような臭気のはげしさに、
わたしたちは大きな墓の蓋石《ふたいし》の陰に身をさけた。
見ると、そこに銘が誌《しる》されてある、
≪フォーテン〔テッサロニアの僧フォーティヌスのこと〕にまどわされ 正教を棄てし
法王アナスタシウスをここに蔵《おさ》む≫と。(九)
「鼻がこの悪臭に慣れるまで、
降りるのをすこし遅らすがいいようだな。
そうすれば 気にもならなくなるだろうから」
こう師がいったので、わたしも、「時間がもったいないです。
そのおぎないに何か」。すると師は、「わしもそのことを考えていたところだ」
それから師は語りだした、「わしの子よ、
いいか、この岩塊の下には、
おまえがさっき見たように、三つの圏谷《たに》が
段々になってすぼまっている。(一八)
どの環にも呪われた魂たちがつまっているが、
あとで見てもわかることだが、
彼らがどんなにして なぜ押しこめられているかを 聞いておくのもいい。
天の憎しみを買う悪というのは、
どれも不正を目的とするからだ。
力ずくでも たばかりでも 結局は他人を泣かすことになる。
しかも、たぶらかしは 人間だけがもつ悪だから、
ことさら神の怒りを買っている。それだけに
人をだました者は、〔地獄の〕底でひどい責苦にあっている。(二七)
暴力を加えた者はみなとっつきの圏谷《たに》〔第七圏〕にいるが、
力をふるう相手が三つあるから
三つの環にはっきり分けて造られている。
暴力は、神に対し 自分に対し 隣人に対して加えられることがある。
わしはそれをその人とその人の物についてもいうのだが、
そのことはおまえにも もっともなことだと納得がいくだろう。
暴力は、隣人には非道な死や苦しい深傷《ふかで》を負わし、
その所有物《もちもの》をこわしたり 焼いたり
奪いとって零落させたりするものだ。(三六)
それゆえに、人を殺《あや》めた者、悪意で人を傷つけた者、
破壊の罪を犯した者、それに偸盗《ものとり》のたぐいが、
罪科こそちがえ 第一の環で責められているのだ。
人は自分の手で おのが身やおのれの物に
暴力を加えがちなものだが、
それだからこそ、第二の環で甲斐《かい》もなく悔《くや》むようになるのは、
さきの世でわれとわが命を絶った者や
賭博《とばく》で自分の資産をすった者などで、
愉《たの》しくあるべきところで嘆いているのだ。(四五)
また人は、こころに神を否定し 譏《そし》り、
自然にさからって〔同性愛、男色など不自然なことをして〕神の善意をあなどれば、
神に暴力をはたらかすことになる。
だからこそ、〔第三の〕いちばん狭い環のなかには、
ソドマ〔男色者〕、カオルサ〔高利貸〕、それに心に神をあなどって
口で涜《けが》す者どもを、神の印《おしで》で封じこめてあるのだ。
人をだませば良心の呵責をうけるものだが、
自分を信頼してくれる人でも 腹から信頼してない人でも、
人間はたぶらかすことができるものだ。(五四)
このあとの場合は、本性になっている
愛のきずなを断つだけだと思う〔自分と特別の関係のない者を欺くのは人間相愛の道にそむく、という意〕。
そこでだ、〔城内の〕第二の圏谷《たに》〔第八圏にあたるマーレボルジェ〕に巣くうている者は、
偽善者、おべっか使い、魔術師、まじない師、
うそつき、大泥棒、聖物売り、女をとりもつ者、涜職者《とくしょくしゃ》、
その他の 同じように汚れた奴らばかりだ。
そこで、さきの〔人をだます〕場合では、
人は、本性となる愛と あとから加わって
特別な信頼をめばえさす愛とを おろそかにするものだ。(六三)
だから、そのうえにディーテの府《まち》をいただく宇宙の中心の
もっとも小さい〔第三の〕圏谷《たに》〔地底の圏〕のなかでは、
神を裏切った者はひとりのこらず 永遠に呵責をうけているのだ」
そこで、わたしはいった、「先生、お話の筋は本当にはっきりしていますし、
この地獄の底とそこに住む人たちの区別も
さらによくおつけになられました。
しかし、おっしゃってください。あの泥沼で、
風にながされたり、雨にうたれたり、
出会いがしらにあんなに棘《とげ》のあることをいったりした泥んこの者たちは、(七二)
おん神がお怒りでしたら、あかあかと燃える府《まち》〔ディーテの府〕で
なぜ責められないのですか。
またお怒りでなければ、なぜあんなに苦しんでいるのですか」
師はわたしにいった、「いつものおまえの分別らしくもなく、
ひどくとまどっているではないか、
何かほかのことにでも気をとられているのかね。
おまえはあの『倫理学』〔アリストテレスの『倫理学』第七巻の初め〕の文句をおぼえていないのか、
天がおいといになる 放縦と 邪悪と 欲情に狂う獣の行ないとの
三つの性向がならべて書いてあることを。(八一)
それに〔その本にある〕放縦というものが、
いかに神をそこなうことがすくないか、
その咎《とが》めを買うことも したがってすくないということを。
もしおまえがその教えをよくわきまえて、
上の〔圏谷《たに》の〕〔ディーテの府《まち》の〕そとで罰をうけている者が
だれとだれかを思いだすなら、
あれらがなぜ これらの凶悪な者どもと
離されているか、なぜ神の復讐〔正義〕が
槌《つち》をゆるくおろしているかが、よくわかるだろう」(九〇)
「ああ、いっさいの謬見《びゅうけん》をいやす太陽〔師〕よ、
疑いをお解きくださって わたしは満足です。
知ることにおとらず 疑いもわたしをよろこばせます。
〔話は〕すこし前にもどりますが」と、わたしはいった、
「高利貸も神慮にもとるといわれたところのことですが、
そのもつれをほぐしていただけませんか」
師はわたしに、「哲学は、それを学ぶ者に、
神の知恵と神の業《わざ》とから、
自然がその法則をとることを、(九九)
一個所ならず 書きしめしてある。
おまえの〔読む〕『物理学《フィジカ》』〔アリストテレスの『物理学』。その第二巻に、「人間の技は自然より出で、自然は神より出づ。故に、人間の技は神の孫のごとし」とある〕によく注意すれば、
そんなにページをくらないうちに、
おまえたちの業《わざ》は、あたかも弟子が師のあとを追うように、
つとめて自然の業にしたがうというところにぶつかるだろう。
これは、おまえたちの業が 神の孫《すえ》だということになる。
『創世記』の初めを思いだしても、
この〔自然と業の〕二つから、人々はその暮らしを立てて、
世間の人々も幸福になることがわかる。(一〇八)
それが、高利貸がそれとは別な道を選び、
自然そのものと 自然にしたがうもの〔業〕をいやしめて、
その望みを別のところにおいている理由だ。
ところで、わしはこれから出かけたくなった。ついて来るがいい。
もう双魚宮《うおざ》の星は地平線で光っているし、
北斗の星々もみな北西《コーロ》の空にかかっているではないか。
下り口は 嶮《けわ》しい崖のはるか向こうだ」(一一五)
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第十二歌
第七の圏谷《たに》にいよいよ入るのだが、そこには生前に暴力をふるった魂たちがいる。嶮《けわ》しい崖を下りると、牛頭人身《ぎゅうとうじんしん》のミノタウロスがいたが、その憤怒のすきにダンテたちは岩のくずれた間を駆け下りる。崖の下には、広い濠《ほり》が平野を輪のようにとり巻いていて、暴君どもが赤い血の川で熱湯攻めにあっている。ウェルギリウスは、そこの半人半馬の群れのなかのネッソスという一頭に案内してもらって、その煮えたぎる川岸へダンテをみちびく。世にときめいた暴君どもが、そこでひどい責苦をうけている。第七の圏谷《たに》の最初の環でのことである。
崖を下りようとして来たところは、
すごく嶮岨《けんそ》で、しかもそこには変な怪物がいて、
見るだけでも 目をそむけたくなるようだった。
そこはいわば、トレントの町寄りの山腹に
アディチェの川がぶつかってできた山崩れのようなところで、
地震でもあったのか 土圧《どあつ》に堪えきれなかったのか、
山の頂から平野にかけてころげ落ちた岩石が
砕けて積みかさなっていて、
そのうえを歩けば どうにか道らしいものもある。(九)
ここの〔谷へ下りる〕ごつごつした径《みち》も それに似て嶮《けわ》しかった。
そこの裂け砕けた圏谷《たに》のとっぱなには、
まやかしの牡牛《おうし》の胎内で身ごもった
≪クレタ島の面《つら》よごし≫〔ミノタウロス〕が寝そべっていたが、
わたしたちを見ると、その〔牛頭人身の〕怪物は、
怒りを身内でころしているのか、われとわが身に噛《か》みついた。
師はそれに向かって叫んだ。「もしやおまえは、
さきの世でおまえに死を与えたアテナイの大公〔テセウスのこと〕が
ここにいるとでも勘ちがいしているのじゃあるまいな。(一八)
そこを退《の》けよ、獣《けだもの》め。この人はおまえの妹〔アリアドネ〕の
入れ知恵でやってきたのじゃない、
おまえの責苦を見に来たのだ」
つなぎ綱を引きちぎったものの
手負いの深傷《ふかで》をおうた牡牛は、
すすみもならず あちこちを跳ねまわるものだが、
それにそっくりのミノタウロスのその態《ざま》を わたしは見た。
それと気づくと、師は叫んだ、「岩場へ走りこむんだ。
奴が荒れてる間に 下りるがいい」(二七)
こうして、わたしたちは岩塊の積みかさなる間をずり下りていったが、
その岩場は かつてない重みのために
足の下で揺れうごいた。
わたしが考えこんでいると 師はいった、
「おまえはたぶん、いましがた わしがしずめたあの獣の怒りで護られている
この山崩れのことを考えているのじゃないかな。
おまえに知っておいてもらいたいのだが、
いつかわしが地獄の底へ下りたときには
この岩はまだ崩れていなかったのだ。(三六)
わしの記憶が正しければ、それはたしか
あのお人〔キリスト〕が 最上圏〔辺獄《リンボ》〕の魂たちを
ディーテ〔ルチフェロ〕から取りあげに来られたすこし前のことだ。
あのきたない深い圏谷《たに》が どこもひどく揺れうごいたので、
わしは宇宙が〔神の〕愛を感じたのかとさえ思ったものだ。
人の信じるところでは、
世界はいくたびもそのようにして渾沌《こんとん》にかえるというからな。
この古い岩はそのときに崩れ、
ほかの場所でもそのような崩壊《くずれ》があったのだ。(四五)
ほら、谷に目をすえて。
血の川〔地獄の川の一つで、フレジェトンタのこと〕に近づいたぞ。
暴力で人をいためつけた奴が あすこで煮られている」
ああ、見さかいもない貪欲よ、狂いたつ憤怒よ、
人を短い生涯であんなにせかしているのは、
あとでこんなに永遠のみじめさに浸《ひた》すためなのか!
わたしは、弧をえがいて取り巻いている広い濠《ほり》を見た。
それは平野をすっかり抱くようになっていて
師がすでに話したとおりだった。(五四)
崖の下とこの濠の間には、弓矢の装いのケンタウロス〔人頭馬体〕が、
一隊となって 駆けめぐっていた、
この世で狩りに立つとき見かけるいでたちだ。
わたしたちが降りてくるのを見ると、みな立ちどまり、
あらかじめ選《よ》りぬいた弓と矢をもって、
三人の者が その隊から離れた。
そして、ひとりが遠くから叫んだ、
「崖を下りてきた者どもよ、どんな咎《とが》で来たのだ。
その場で名のれ、さもないと矢を放《ぶ》つぞ」(六三)
師はかえした、「返事は、おまえのそばの
キロン〔ケイロンのこと。人頭馬体の一人〕のところでしよう。
おまえはいつも こうせっかちに事にのぞむので うまくなかったのだな」
師はわたしにかるく手をふれていった、「あれがネッソス〔人頭馬体のネッソスのこと〕だ。
美女のデイアネイラのために死んだが、
身をもって復讐をやりとげた奴だ。
まんなかで自分の胸を見つめているのが
アキレウスの育ての親のキロンだ。
もうひとりはポロス〔フォロスのこと。このあたりの話はオウィディウスの『転身物語』に詳しい〕、かつては怒りの塊《かたまり》だった。(七二)
あいつらは何千も 濠のまわりを駆けめぐっていて、
罪できまった血の川の〔深さの〕上へ
からだをだす魂があれば 矢を射こんでいる」
わたしたちはこの駿足の獣の群れに近づいた。
キロンは矢を一本とると、矢筈《やはず》で
ひげを顎のうしろまでしごきあげた。
やがて、その大きな口があらわれると、
手下にいった、「よいか、気がついたか。
あの後から来る奴がふむと 石がうごくぞ。(八一)
亡者の足なら ああはならぬはずだ」
導師は、すでに〔人と馬の〕二つの本性のまざり合った
その者の胸の前にいて答えた、
「いかにも、あれは生きている。あれひとりにかぎり、
わしはこの暗黒の谷を見せてやらねばならん。
あれを連れていくのがわしの務めだ、物見遊山ではないぞ。
ハレルヤの歌われるところ〔至高天〕から遣わされたお方〔ベアトリーチェ〕が、
わしにこの新しい仕事をお命じになったのだ。
あれは盗人《ぬすびと》ではない、わしも盗人の魂じゃない。(九〇)
さればだ。この荒れはてた道へ
わしが足をふみ入れるのも そのお方の徳のおかげだ。
その徳にかけて おまえの手下をひとりだしてくれ。わしらはそれにしたがって、
〔血の川を〕どこでわたるか教えてもらい、
その背であれをわたしてもらいたいのだ。
あれは魂ではないから、空をとぶわけにはいかんのだ」
キロンは自分の右脇をふりむいて、
ネッソスにいった、「引き返して、これらをそのように案内するんだ。
よその連中と出会ったら 道をよけさせるんだぞ」(九九)
いまや、わたしたちは この頼もしい案内者に連れられて、
赤い泡がふつふつたぎる川岸にそって歩いた。
そこでは、魂たちが熱湯で煮られて するどい金切声を立てていた。
わたしは、眉毛のあたりまで浸けられた人を見た。
と、この巨大な半人半馬《ケンタウロス》がいった、「あいつらは、
ほしいままに人の血を流し、財をかすめた暴君どもだ。
いまここで 自分らの無残な罪業に泣いている。
そこにいるのがアレクサンドロス大王だ。
シチリアの島につらい年々を送らせた暴君のディオニシウスもいる。(一〇八)
髪の毛の黒い額がアッツォリーノ〔北イタリアで暴虐をきわめたアッツォリーノ・ダ・ロマーノ〕だ。
金髪の方はオピッツオ・ダ・エステ〔フェラーラの君主だったオピッツオ二世〕、
やつは実はさきの世では
ろくでなしの庶子《むすこ》の手で殺されたのだ」
わたしは、〔その話をいぶかって〕師の方をふりむくと、師はいった、
「いまは、おまえにとって、この者が主役で、わしは控え〔の番〕だ」
すこし進むと、半人半馬《ケンタウロス》は
一群の人〔殺人者〕の上で立ちどまった。
その魂たちは、煮えたぎる血から喉まで出している様子だ。(一一七)
ネッソスは片隅で ひとり離れている人影〔ガイ・オブ・モンフォートのこと〕を指していった、
「あれは神の膝もとで〔ヘンリー王子の〕心臓を刺した奴だ。
〔その心臓は〕いまでもタミジ河畔〔ロンドンのテムズ川。ヘンリーの心臓は黄金の器におさめてテムズの橋上に供えられたという伝説がある〕で祀《まつ》られている」
ついで、川の水面から 頭といわず胸までも
すっかり出している人たちを見たが、
そのなかには見おぼえの顔も相当にいた。
こうして、血の川はますます浅くなって、
とうとう〔歩けば〕足が煮えつくほどの深さになっていた。
そこが、わたしたちの渉《わた》る濠《ほり》だった。(一二六)
「おまえは、熱湯の川が
いま歩いてきた側で浅くなってるのを見たわけだが」
ケンタウロスはつづけた、「むこうの方は
底がだんだん深くなっていて、ついには
暴君どもが嘆きかなしむ深淵へと
つづいていることを知っておくのだ。
神の正義は、むこうの淵で、
うつせみの世に笞《しもと》をふるった
アッティラ〔有名な匈奴の王〕やピルロス〔ギリシアのエピロスの王ピルロスのことで、ローマ人を悩ました〕やセクストゥス〔大ポンペイウスの子で、イタリアを襲った海賊〕を刺し、(一三五)
また往還であくこともなく虐殺をかさねた
リニエール・ダ・コルネート〔ダンテ時代の名高い盗賊〕やリニエール・パッツォ〔ダンテ時代の追剥〕のやからを、
煮えたぎる血に漬けて灼《や》いて、永劫にその涙をしぼりとっているのだ」
そういって、ケンタウロスはふり向きざま、浅瀬をわたっていった。(一三九)
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第十三歌
ダンテは第七の圏谷《たに》のなかの第二の環に入る。そこには自分の肉体に暴力を加えた自殺者と、自分の財産を湯水のように蕩尽《とうじん》した浪費者がいる。自殺者は節くれだった棘《とげ》のある樹に変わり、凄惨《せいさん》な自殺者の森となって、怪鳥ハルピュイアイが棲《す》んでいる。浪費者は茨《いばら》のなかを駆けまわり、牝犬に追われてからだを引き裂かれている。樹が物をいい、枝を折れば血がでてきて、ダンテの象徴的な手法が、怪奇なまでに陰惨なイメージをただよわす。それぞれにその身の上を物語るが、フィレンツェのひとりの市民は府《まち》の不吉な将来を予言する。
ネッソスがまだ渉《わた》りきらぬうちに、
わたしたちは 小径《こみち》の跡すらついていない
森のなかへはいっていた。
その森の葉のいろは黒ずんで緑ではなく、
すんなりした枝とてなくて くねくねと節《ふし》くれだち、
実もつかぬ枝は 毒っぽくてとげとげしかった。
野生の獣は人の手の入った土地をいやがるものだが、
チェチーナ川とコルネートの町のあいだ〔の荒地〕でも、
ここほどに荒涼として茨の密生したところはない。(九)
この森には〔女面鳥身の〕醜い怪鳥〔ハルピュイアイ〕が巣くっている。
トロイア人に悲惨な将来を予言したので、
ストロパデス島から逐《お》っぱらわれた怪鳥である。
羽根の幅がひろく、首も顔も人間のかたちをして、
鋭い爪が脚に、太い腹には羽毛が生えていて、
異形の樹の上で 物がなしい声を出しているのだ。
師はやさしくわたしに語りはじめた、
「森にわけ入る前に、わしらが第二の環にいることを承知しておくことだ。
おそろしい砂場〔第三の環の砂〕へでるまでは、(一八)
わしらはここ〔第二の環〕にいるのだから。
だから、よく見ておくことだ。
わしがここでいっても信じられないようなものを おまえは見るにちがいない」
森ではいたるところで ひいひいいう声が聞こえてきたが、
その声を立てる者を ひとりも見かけなかった。
わたしはひどくいぶかしくなって 立ちどまった。
その声を、茨《いばら》の繁みにかくれている者がたてているものと、
てっきりわたしが思いこんでいるとでも
師が考えておられるのではないかと、わたしはふと思った。(二七)
まさしく、師はいわれるのだ、「この樹の
小枝を一本でも折ってみたら、
おまえの考えていることなど すっかりかたなしになるだろう」
そこで、わたしはちょっと手をだして、
棘のある大樹の枝を一本|手折《たお》った。
すると、その幹がやにわに喚《わめ》きだした、「おれをなぜへし折るのだ」
それから、どす黒い血がながれだすと、
叫びだした、「なぜおれを引き裂くのだ。
おまえには一片のあわれみの心もないのか。(三六)
いまは樹に変わっているが、おいらももとは人間だ。
かりにおいらが蛇の亡霊であろうと、
おまえの手には いたわりがなさすぎるぞ」
あたかも 生木の燃えさしが燃えると、
もう一方のさきから〔汁が〕にじみだして
じゅうじゅうと熱気を洩《も》らすように、
〔枝を〕引き裂かれた幹からは その言葉と血とが
いっしょに噴きだしてきたので、わたしはその枝をとりおとして、
慄然《りつぜん》とする人のように立ちすくんだ。(四五)
「傷ついた魂よ」と、賢《さか》しい師がこたえた、
「この男〔ダンテのこと〕がわしの詩で見たことだけを
はじめっから信じることができたなら、
おまえに手を出すこともなかっただろうが、
事があまりにも奇怪なので、
わし自身にも心苦しいことをやらせたわけだ。
だが、いってくれ、おまえはさきの世では誰びとだったのかね。
この男はこの世へ帰れる身だ。〔枝を〕直すわけにはいかぬが、その代わり
おまえの名をまた世にひびかせてやろう」(五四)
すると、幹は、「こうやさしい言葉にほだされては
黙っているわけにはいかん。
話がすこしくどくなるので
おまえには迷惑だろうが。
おれはフェデリーゴ帝の心の鍵を二つながら握っていた者〔ピエル・デルラ・ヴィーニャ。詩人であり、また皇帝フェデリーゴ二世の廷臣〕だ。
それをまわして 開けたり閉じたりすることに妙を得ていた。
それで、万人〔の眼〕を帝《みかど》の秘密から遠ざけるという
栄《はえ》ある職務に身も心もうちこんでいたから、
おれは睡眠も脈もなくなるくらいだった。(六三)
淫《みだ》らな目をひとときも王宮から離さず、
世間には地獄をもたらす
宮廷のわざわいである淫婦《いんぷ》〔嫉妬〕めが、
みなの心におれを憎む火をつけた。
たきつけられた奴どもは帝《アウグスト》〔フェデリーゴ二世をさす〕にも火をつけて、
喜びの誉《ほまれ》が、かなしい嘆きに変わったという次第だ。
それをいさぎよしとしないおれの心は、
死ねばこの侮《あなど》りから免れるかと思って、
正しい自分にあえて不正〔自殺〕を行なったのだ。(七二)
この樹のあたらしい根にかけていうが、
おれはかつて帝《アウグスト》に信義をやぶったことはない、
帝《アウグスト》はその名誉にふさわしい方だった!
だから、おまえどものだれかが世に帰ったら、
いまだに嫉《ねた》みの痛手に埋もれたままの
このおれの名誉をとりかえしてくれ」
しばらくおいてから、詩人はわたしに、
「やつは黙ってしまったが、ときをおかずに話すがいい。
いちばん聞きたいことを尋ねるのだ」(八一)
そこでわたしは、「もう一度お聞きになってください、
わたしが聞きたそうだと思われることを。
わたしにはできません、とてもかわいそうで!」
そうして、また話がつづいた、「〔幹に〕囚《とら》われた魂よ、
おまえの願っていることを この男が思いのままにできるといいが。
もういちど話してくれないか、
どうして魂が この節《ふし》だらけの幹のなかへ囚われたのか、
知ってるなら教えてくれ、それにこんなからだ〔節くれだった幹〕から
だれかひとりでも抜けだした魂があったかどうか」(九〇)
すると、幹はふかぶかと息をついたが、
その息はつぎのような声になった。
「手みじかにおまえどもに答えるとするか。
手あらく魂を自分で引きむしって
肉体から離したときに、
ミノスはその魂を第七の圏谷《たに》へ送りこむのだ。
落ちこむさきはこの森だが、どこときまったわけではない。
運命〔の女神〕のばらまくところで、
一粒のライ麦のように芽をだすまでだ。(九九)
やがて若枝がでて 野生の大樹になると、
怪鳥ハルピュイアイがその葉をついばんで痛みを与え、
そこで苦悩を吐きだすことになるのだ。
ほかの魂同様に、おれらも遺骸《なきがら》をさがしに行くが、
だれもそれを身につけるためではないのだ、
自分で捨てたものを身に着けるのは正しくないからだ。
おれらも遺骸をここまで引きずって来るには来るが、
おれらの肉体は、この物がなしい森で、
おのが身をさいなんだこの魂の茨の木へ めいめい吊りさげられるのがおちだ」(一〇八)
わたしたちは、幹がまだ話しかけるものと思って
なおも耳をかたぶけていたが、そのとき
騒然たる物音に不意をつかれた。
それはまるで、野猪と勢子《せこ》たちがせまってくる気配に、狩場に立って、
けものや枝の立てるすさまじい音を聞いているようだった。
と、左手の斜面から 二人の男の影がころがるように逃げてくる。
まっ裸で掻《か》き傷だらけになって、
その森の小枝を片っぱしから折っていくのだ。
さきに立つ男が叫んだ、「おい、いそげ、いそげ、死ぬるぞ!」(一一七)
もうひとりの大分おくれたのも叫んだ、
「ラーノ〔シエナの人で、一二八七年のアレッツォ付近のピエーヴェ・デル・トッポの戦いに、浪費者の彼はやけになって戦って死んだ〕よ、おまえの足はトッポの戦《いくさ》のときも
こんなに早くはなかったぞ!」
そして、息がきれたのだろう、
茂みとからみあって一体になった。
ふたりの背後の森には、
鎖をとかれたばかりの猟犬のように、
黒い牝犬が群がって
血に飢えて駆けていた。(一二六)
かくれていた者に噛みつくと、
きれぎれに引き裂いてから
傷だらけのからだをくわえて行った。
そのとき、導師は手をとって
わたしをその茂みへ連れていったが、
その灌木《かんぼく》は傷口から血をだして ただ泣いてくどくばかりだった。
「何だと、ジァコモ・ダ・サンタンドレーア〔パドヴァの人で、ラーノと同じくその資産を蕩尽したという〕、
おれを楯《たて》にとって何の得《とく》があるというのだ。
おまえが罪ぶかい暮らしをしたことに おれに何の咎《とが》があるのだ」(一三五)
師はその茂みのそばで立ちどまっていった、
「おまえはだれだ、からだじゅうから
血とあわれっぽい文句を吐きだしているが」
すると、その灌木が答えた、
「おお、おれの枝葉をおれからむしり取るという
あこぎな責苦を見に来たのだな。
おまえたち魂よ、
このあわれな茂みの根もとへ 枝と葉を掻き集めてくれんか。
おれは最初の守り本尊〔軍神〕を受洗者ヨハネに変えた
あの府《まち》〔フィレンツェ〕の出だが、
その祟《たた》りで、いつも戦火がその府《まち》に禍《わざわ》いをもたらしている。
だから、もしアルノの川の橋の上に
その神〔軍神〕の絵姿がのこっていないなら、
アッティラが遺した灰の上に
いくら府《まち》を再建してみたところで、
ただ働きになったかもしれぬ。
おれはおれの家を自分の絞首台にしてしまったのだからな」(一五一)
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第十四歌
ダンテは第七の圏谷《たに》の第二の環と第三の環の境に立って、草一本ない荒れさびた砂漠を見る。そこには神に叛《そむ》いていまだに神を罵《ののし》るカパネウスなどが、雪とふる火を浴びて罰せられている。ウェルギリウスはここで、クレタ島の巨人像と、その目から流れでる地獄の川のことなどを語りだす。第三の環は、神と自然とその作業に対して暴力を振った者が責苦にあうところで、その前代未聞の呵責は、神の復讐《ふくしゅう》がいかにひどいものかを知らせている。
生まれ故郷をなつかしむ情がつのってきたので、
わたしは散らばっている木の葉をかきよせて
すでに声のかすれていたその〔フィレンツェの〕人〔姿が茨にかわった同郷の自殺者〕に返した。
それから、第二の環と第三の環とが
分かれるところまで来ると、そこに
おそろしい神の裁きの作業《わざ》が見られた。
まず思いもよらぬことを説明するためにいうが、
わたしたちは、草一本生えていない地面が
どこまでも続く荒野にたどりついていたのだ。(九)
いたましい〔自殺者の〕森が、その荒地のぐるりを
葉飾りのように取り巻き、さらにその森をめぐる血の濠《ほり》が
寂寥《せきりょう》としてあったが、
その縁ぎりぎりに、わたしたちは足をとどめた。
地面は乾いた砂の厚い層で、
むかしカトー〔小カトー。軍をひきいてリビアの砂漠へ進んだ〕の足がふまえた砂原とも
その様子に変わるところはなかった。
ああ、おん神のおそろしい復讐、
わたしの目にうつったことを読む人から(一八)
おん神はどんなにか怖れられることでしょう!
魂はおおぜい群がって裸でいるのが見えたが、
みなひどくみじめに泣きわめいていて、
いろんな違った掟《おきて》で責められているようだった。
ある者は地面に仰向けになって臥《ふ》せ〔神を罵った者〕、
ある者は身をちぢめてうずくまり〔高利貸〕、
ある者はとめどもなく歩きまわっていた〔男色者〕。
歩きまわる者の数がいちばん多く、
伏せて呵責をうける者の数はすくないが、(二七)
痛みが加わるにつれて、舌をおおぎょうに動かしていた。
砂原の上にはいちめんに、ふくらんで、
火のかたまりが降っていたが、ゆったり落ちてくるさまは、
風のない日に降るアルプスの雪のようだった。
むかしアレクサンドロス大帝が、インドの灼熱地方で、
ギリシアの軍勢に火焔がふりかかると、
地に落ちてもなお燃えつづけるのを見て、
焔《ほのお》はあとの焔の落ちる前なら
消しやすいところから、(三六)
その部下に地面を踏ませたという〔アレクサンドロス大帝のインドでの故事〕が、
そのさまさながらに、火熱は絶え間なく降りそそいでいた。
砂原はそのために、火打石の下の火口《ほくち》のように
灼けただれて、火の苦しみを倍にしていた。
あちらでも こちらでも〔魂の〕あわれな手が、
身にふりかかる新しい焔を払いのけようと
小休みもしない|田舎おどり《トレスカ》のせわしい手ぶりだ。
わたしは口を切った、「世に敵のない先生、
あの〔ディーテの城の〕門の入口で出会った(四五)
頑強な鬼どものことはともかく、
あすこで火を物ともせず、人を見さげて寝ている
藪《やぶ》にらみの 図体《ずうたい》のでかいのは〔カパネオ(カパネウス)のこと。ギリシアの七王のひとり〕何者ですか。
この火の雨にも いっこうにひるむ気配がないようですが」
すると、そのことを導師にたずねる
わたしの声を聞きつけた当の巨人が叫んだ、
「おれは死んでも 生き身の時と変わりはないのだぞ。
たとえゼウス〔カパネウスはテーバイを攻めたとき、城頭でゼウスを罵ったので雷にうたれて死んだ〕がいら立って 自分の鍛冶屋《かじや》〔ウルカーノ(ウルカヌス)のこと〕を酷使して、
最後の日におれをしとめた鋭い稲妻を(五四)
そいつから手に入れたとしてもな。
いや、モンジベルロの山〔エトナ火山の古名〕の小暗い鍛冶場で
『うい奴《やつ》じゃ、ウルカーノよ、助けろ、助けろ』と呼ばわって、
ほかの鍛冶屋を順ぐりに酷使したとしてもだ。
フレグライ〔ギリシアのテッサリアの平野で、ゼウスと巨人軍の戦場〕でのせり合いで 奴がやったように
根かぎりおれ〔おれ、というのはカパネウス〕に弓を引いたとしてもな、
それで 気のすむまでの復讐とはいくまいて!」
そのとき、わたしの導師はこれまで耳にしたこともない
すごく強い語調で語りかけた、(六三)
「カパネウス、おまえの驕慢《たかぶり》はいっこうに
衰えていないな。罰が重いはずだ。
おまえのその怒りをのぞいては、
おまえの狂暴に似合う罰はなさそうだ」
それから、とてもやわらいだ顔で わたしをふりかえっていった、
「あれはテーバイを攻めた七王のひとりだ。
生前には神をあなどっていたが、いまもそれは変わらぬようだ。
もっとも、多少は崇《あが》めてる風にもみえる。
わしがあれにいったように、あれのかずかずの侮蔑《ぶべつ》こそ、(七二)
奴の胸にはいちばんふさわしい飾りなのだ。
さあ、わしについて来い。
気をつけて熱砂の中へ足をふみ入れるな、
森のきわへ寄っていくことだぞ」
わたしたちは黙々と歩いていって、
森からせせらぎ〔後出のフレジェトンタ川〕が ほとばしってでるところに来たが、
その水の赤濁《あかにご》りは いま思ってもぞっとする。
それはあたかも、湯女たちがたがいに分けあう
ブリカーメ湖からでるながれのように、(八一)
その小川は砂原のあいだを流れおちていた。
その川底も、両方の斜面と縁のきわも、
それぞれ石でできていたので、
そこが道だということに わたしは気づいた。
「だれでも閾《しきい》をまたぐことを拒まない
あの〔地獄の〕門をくぐってからでも、
おまえに見せたもののなかで
この川ほど珍しいものは
おまえの目にもふれていなかった。(九〇)
何しろ、この川の上では 火という火がみな消えるのだからな」
これが導師の言葉だったが、
それだからわたしは、さっきいただいた食べもの〔知識という食物、の意〕で食欲がついたので、
もっと食べものを分けてくださいと師に頼んだ。
すると師は答えた、「地中海のなかに
クレタという〔いまは〕ほろびた国がある。
その国王〔クレタ島の王クローノス〕のもとで 世界はきよらかだった。
そこには イダと呼ばれる
水あり山ありのたのしい山郷があったが(九九)
いまでは昔がたりとしてさびれている。
レア〔クローノスの妻でゼウスの母。クローノスは自分の地位があぶないと聞いて、生まれた子供を食いつくしたが、ゼウスが生まれたとき、レアはそれをイダの山中にかくした〕が選んで 自分の子供の安全な
揺籃《ようらん》の地としたのもこの山で、何とかうまく隠そうと
子供が泣くと 人に声をあげて叫ばせた。
山中には年とった巨人〔『ダニエル書』にある、ネブカドネザル王の夢にあらわれた巨人らしい〕がひとり突っ立っていて、
〔エジプトの〕ダミアータ〔東方〕に背を向けて、
鏡に見るように ローマを睇《なが》めていた。
巨人の頭は純金でつくられ、
両腕と胸とは純銀で、(一〇八)
下部は股まで銅なのだ。
それから下はみんな鉄を鍛えてつくったが、
右足〔テラコッタでできた右足は教会を意味し、教会の腐敗したことを、その弱くなったことで象徴している〕だけは陶土を焼いてこしらえて、
重味はむしろこの足の方にかかっている。
黄金〔黄金時代だけは罪の涙がながれなかった、という意〕のほかの部分には
ひび割れがして 涙がこぼれ、
これがあつまって洞窟のなかを流れている。
その流れが岩を伝ってこの谷に入り、
アケロンテ、スティージェ、フレジェトンタなどの川になって、(一一七)
やがては、この下《しも》の狭い濠《ほり》の方へと、
それがもうくだれぬところまで流れおちているのだ。
それがコキュトスの沼〔地獄の底の沼〕になるわけだが、その沼がどんなものかは、
やがておまえも目にするはずだから、そのことにはふれないでおこう」
そこでわたしは、「この小川がもし
おっしゃるようにこの世からでるのでしたら、
なぜこの〔森の〕縁《へり》にだけ顔をだすのですか」
すると師は、「おまえも知ってのとおり、地獄は円い。
しかもおまえは底をめざしてずいぶん来たには来たが、(一二六)
下るのは いつも左ばかりで、
まだ圏谷《たに》をみなまわったわけではないのだ。
だから、新しいものがあらわれたからとて、
けげんな顔をするにはあたらない」
で、わたしはまた、「先生、フレジェトンタとレーテ〔忘却の川。魂が煉獄へいく前に、地獄のけがれをこの川で洗いおとす〕の川はどこですか
一つの川は涙の雨からできたといわれましたが、
も一つの川のことは何もおっしゃいませんでしたが」
「そのおまえの問いはまったく気に入った」
と師は答えた、「しかし、川の水が赤く煮えたぎっていることが、(一三五)
おまえの問いの一つをといているはずだ。
レーテのながれは、いずれ深淵のそとで見るだろうが、
罪を悔いて 罪の消えるとき、
そこは魂たちがきよめにいくところだ」
それから、師はつづけていった、「さあ、森をでるときが来た。
気をつけて わしのあとをついて来い。
川っぷちが灼《や》けずに道になっている。
ここへ降りそそぐ焔は みな消えてしまうのだ」(一四二)
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第十五歌
焔《ほのお》のふりかからない川べりの道で、ダンテは一群の魂たちに出会う。彼らは自然に叛《そむ》いて男色をした人たちの影だが、そのひとりにダンテは裾《すそ》をつかまれる。見ると、それはブルネット・ラティーニだ。ダンテの青年時代の師で、彼が生涯に就《つ》いたただひとりの師匠だった。その灼けただれた顔を見て、おどろきとなつかしさで、身の上を語りあうが、ブルネットはダンテの行末を予言して諭《さと》してくれる。彼はまた、その群れにいる者の名をあげて、そそくさとその場を去る。第七の圏谷《たに》の第三環での出来事である。
堅い〔石の〕川べり〔の堤〕を いまわたしたちは進んでいる。
靄《もや》が小川のうえにおおいかぶさっていて、
それが水面と川っぷちに火の降るのをはばんでいた。
それはあたかも、フランドルの人たちが、流れこむ高汐《たかしお》の氾濫《はんらん》をおそれて、
ヴィサントからブリュッゲのあいだに
海をたじろがせる堤防をつくったり、
パドヴァの人たちが、ブレンタの川ぞいに、
キアレンターナ地方の雪どけのはじまる前に、
村や城をまもるために〔堤を〕つくったりしたほどに、(九)
それほど高くも厚くもなかったし、
だれがつくったものともわからないが、
この堤のつくりは、それらと同じ格好にできていた。
わたしたちは森からかなり遠ざかっていた。
森をふりかえってみても、
それがどこにあるかわからないくらい離れていた。
そのとき、岸にそって歩いてくる
一群の魂と出会ったが、
夕づいて 新月のもとで相手をたしかめるように、(一八)
彼らはいぶかしげに わたしたちをながめた。
そのわたしたちに 瞳をこらすさまは、
年とった仕立屋が針のめどをとおすようだった。
こうして わたしたちは、それらの魂に〔けげんに〕見られていたが、
そのひとりはわたしに見おぼえがあるとみえて
〔着物の〕裾《すそ》をとらえて叫んだ、「これは驚いた!」
そこでわたしは、その手がわたしにさしだされるとき、
そのひとの灼けただれた姿にじっと目をやった。
その顔は焼けこげてはいたが、(二七)
よく見れば 思いだせないはずはなかった。
そこで、わたしは手をそのひとの顔の方へさしだして答えた、
「ブルネット先生〔フィレンツェのグエルフィ党のブオーナコルソ・ラティーニの子。博識で政治的にも活躍。ダンテのついた唯一の師で、彼が東方の学芸を学んだのはこの師かららしい〕、ここにおいででしたか」
すると先生は、「おお、わたしの子供よ、よかったら、
仲間をさきに行かせて、このブルネット・ラティーニが
きみとすこし後もどりしたいのだが」
わたしは先生に、「できましたら、ぜひ。
先生と足をとめることをお望みでございましたら、
そうもいたしましょう。あのわたしをお連れくださる方さえよければ」(三六)
「おお、わたしの子」と先生はいった、「この仲間の者は
ちょっとでも立ちどまろうものなら、あとで火にやかれようと、
百年間はさらされて寝ることになっているのだ。
だから、きみはさきに歩け、わたしがついて行こう。
わたしはあとから、あの永劫《えいごう》の罰に
泣きながら歩いている仲間に追いつくことにするから」
わたしは、先生とならんで歩くために、
道をおりることは さすがにできなかった。
だからわたしは、かしこまって行く人のように頭をさげて歩いた。(四五)
先生はいいはじめた、「最後の日を前に、
きみをこの下界におとしたのは、どんな天のはたらきか、どんな神のおもんぱかりか。
あの 道をさし示している者はだれだね」
「この上の世の ひそやかな人生で」
わたしはいった、「まだ定命《じょうみょう》の半ばも過ぎないのに、
わたしは〔暗い森の〕渓谷《たに》に迷いこみました。
ほんのきのうの朝、そこに背を向けて来たばかりですが、
その渓谷《たに》へ帰ろうとしていたとき、あの方がおあらわれになって、
この道からわたしの家へおみちびきくださるのです」(五四)
すると先生は、「うるわしい世でさとったことに狂いがなければ、
きみはきみの星にしたがって行けば〔生まれながらの才にしたがえば、の意〕、
よもや栄光の港へ行けぬことはあるまい。
こんなに〔きみより〕早く身がはてなかったら、
きみがこれほど天の加護をうけているのを見た以上、
きみの仕事をきっと励ましたことだろうに。
しかしな、そのかみにフィエゾレ〔フィレンツェの北三キロの山上の町〕を降りてきて、
いまに山と岩の気質《かたぎ》をもっている
あのひねくれた恩知らずの〔フィレンツェの〕民どもは、(六三)
きみがいいことをすれば きっと仇《あだ》でかえすだろう。
それも道理だ。酸っぱいソルボのなかでは
甘い無花果《いちじく》が実るはずがないからな。
世間では昔からあいつらを盲目《めくら》と呼ぶ諺《ことわざ》があるが、
欲のかたまりが、妬《ねた》みぶかく、高慢ちきだ。
その風習《ならわし》に染まらぬように 身をきよらかにすることだ。
天はきみに栄誉をあまた授けるので、
白党も黒党もきみにがつがつたかってくるだろうが、
草は山羊から遠く離してあるからね。(七二)
フィエゾレの獣たちには 敷藁《しきわら》は勝手につくらせるがいい〔勝手に政争をやらせるがいい〕。
そいつらの糞《くそ》からまた芽がでても、
その草木〔ダンテ〕には、あいつらをさわらせるな。
その巣〔フィレンツェ〕が すごく邪《よこし》まにつくられたときでも、
そこに遺されるものは、あのローマの
神聖な種子がふたたび芽をふいたものだ」
「わたしの〔神への〕願いがすべて聞き入れてくださるものでしたら」
わたしは答えた、「先生はまだ
人間の世から逐《お》われておいでではなかったでしょう。(八一)
それは、先生がこの世で折にふれて、
ひとはいかに不朽であるべきかをお教えくださったときの
慈父のようなやさしい面影が
わたしの心にやきついていて、いまでも感動させられているからです。
わたしがどれほど先生に感謝しているかは、
生のあるかぎり、わたしの言葉のなかで それをおわかりいただけるでしょう。
わたしの未来についてのお話は、よく心しておきますし、
そのことをご存じのはずの淑女《あてびと》〔ベアトリーチェ〕のもとに行くことが許されるなら、
そのお方に申しあげるため 先生のお言葉はほかの言葉〔チャッコやファリナータの不吉な予言〕といっしょにしまっておきます。(九〇)
ただ先生にお知りいただきたいことは、
わたしの良心が責めないかぎり、
お望みのように 運命にしたがう覚悟です。
このような予言は、わたしには耳新しいことではございません。
ですから、運命〔の女神〕はその車輪を、
農夫は鋤《すき》を、思いのままにまわすのです」
導師はそのとき、右の頬を
うしろに向けて わたしを凝視《みつめ》ながら
「聞き上手とはこころで聴くこと」といった。(九九)
それでもなお わたしは話をやめずに
ブルネット先生と歩きつづけ、先生のお仲間で
もっとも名のある偉い人はだれかと尋ねた。
すると先生は、「二、三の者は知るのもいいが、
ほかの連中をほめることはさし控えよう。
くどくど話すには時間もなさそうだ。
要するにだ、みんな僧職と学者だ。
それも倖《さいわ》い有名人だったが、
この世では同じ罪でよごれていたのだ。(一〇八)
プリスキアヌス〔六世紀の文法学者か、十三世紀の文法学者でボローニャ大学教授か、のどちらか〕があのみじめな群れと歩いている。
フランチェスコ・ダッコルソ〔法学者でボローニャ大学の教授〕もそうだ。もしきみが
こんな瘡《かさ》〔男色の悪癖をもつ男をここで瘡といっているが、フィレンツェの司教アンドレア・ディ・モッツィをさす〕を見たいのなら、見ることができる。
あれは下僕《しもべ》のなかの下僕《しもべ》〔ボニファキウス八世〕の手で、アルノ川〔フィレンツェ〕から
バッキリオーネ川〔ヴィチェンツァ〕へとばされて、
そこで悪習に染まった根源〔身体〕をのこした男だ。
もっと話したいが、砂ぼこりが
向こうに立ちあがるのが見えるから、
これ以上は行くことも話すこともできない。(一一七)
わたしは、向こうから来る者〔あとから来る連中は家庭と国に害をした者だから、文学者や聖職者はいっしょにいるわけにゆかぬ〕といっしょにいるわけにはいかないのだ。
きみにはわたしの『宝典《テゾーロ》』をすすめたい。あの書物の栄誉のおかげで、
いまにわたしは生きているからだ。ほかにはわたしの頼むことなどない」
こういいおえると、先生はくるりと向きを変えたが、
それはまるでヴェローナの〔催しに〕
野を駆けて みどりの布を争う人〔この町では毎年四旬節の第一日曜日に各地区対抗の競走が行なわれた。騎馬の優勝者には赤い布、徒歩の優勝者には緑の布が与えられた〕のようで、
またそれを取りそこなった人ではなく、手に入れた人のようであった。(一二四)
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第十六歌
ながれが滝になって第八の圏谷《たに》の大断崖へ落ちこむあたりに、ダンテは来ていた。そこは第七と第八の圏谷《たに》の境目である。すると、ダンテをみとめて、三人のフィレンツェの影の魂が駆けてくる。グイード・グエルラ、テギアイオ・アルドブランディ、ヤーコポ・ルスティクッツィなど、どれもその府《まち》の有力者だった影である。彼らはダンテから、その府《まち》の腐敗した有様をきいて、暗然として立ち去る。導師が、ダンテの腰に巻いた繩《なわ》をとって、谷底へ投げこむと、異様な怪物が暗い大気のなかから、身をあらわした。
わたしたちはすでに、つぎ〔第八〕の圏谷《たに》へおちこむ
水のとどろきの聞こえるところまで来ていた。
その水音は蜂がたてる唸《うな》り声に似ているのだ。
そのときである。三人の影の魂が、
おそろしい呵責の雨の下をすぎてゆく
群れ〔男色の罪を犯した者の群れで、かつて文武の公職にあったもの〕から 小走りに離れて、
わたしたちの方へ来ると 口々に叫んだ、
「おい、とまれよ! 身なりから察する〔当時はイタリアの都市ごとに特色のある服装をしていた〕と、
おまえらも堕落したおれの府《まち》〔フィレンツェ〕の者と見うけるが」(九)
ああ、その三人のからだに見た
火に灼《や》けただれた古傷やなま傷の 何とひどい傷痕《きずあと》!
思いだすだけでも いまだに心がいたむ。
彼らが叫ぶと、師はきき耳を立てていたが、
顔をわたしに向けると、「ちょっと待て」といった、
「この人たちにはいんぎんに応対するのだぞ。
場所がら 焔が矢と降るのでなければ、
この人たちの来る前に
おまえにいそいで出向くようにいうところだ」(一八)
わたしたちが立ちどまると、彼らは
いつもの泣き音《ね》〔火の雨にうたれる悲鳴〕をくりかえしだしたが、こちらまで来ると、
三人はいっしょになって輪をつくった。
そのさまは、力士たちがはだかに膏《あぶら》を塗って、
相手がなぐりかかってパンチを利かせる前に
たがいに相手をつかまえるすきをねらうように、
彼らはまわりながらも
顔はわたしの方へ向けていたので、
首は足とは逆になって まわりつづけていた。(二七)
「この足をとられる惨憺《さんたん》たる砂のことだし、
皮が剥《む》けて焦《こ》げあとだらけの顔では、
おれらやおれらの願いはあなどりを買うかもしれぬが」とひとりがはじめた、
「おれらの名をきけば おまえの心は一目《いちもく》おくにちがいない。
この地獄で生き身の足をこんなに確かに
ひきずっていくおまえはだれだ、いうてみろ。
見てのとおり おれがその足跡をふんでいくこの男は、
まるはだかで 皮もただれて剥《は》げてはいるが、
おまえの思いもよらぬ身分の者だった。(三六)
あの貞淑のほまれ高いグァルドラーダ〔フィレンツェの名門ラヴィニアーニ家の娘。その孫にあたるグイード・グエルラは、グエルフィ党の首領〕の孫で、
名をグイード・グエルラという。
生前は良識と剣とで 存分にふるまった奴だった。
もひとりのおれのそばで砂をふんづけているのは、
テギアイオ・アルドブランディ〔フィレンツェの名門アディマーリ家の出で、当時著名な武人〕、その名は
上の世でも重んじられているはずだ。
こいつらと責苦にあっているこのおれは、
ヤーコポ・ルスティクッツィ〔この人のことはわからない〕だが、
何にもまして悍婦《かんぷ》の妻が身の仇になったのだ」(四五)
焔さえ降りそそいで来なければ、
わたしも下の彼らのあいだに身を投げたかもしれない。
師もそれを許してくださっただろうと思う。
だが、わたしは〔そうすれば〕灼けこげるだろうから、
わたしのやさしい望みは
その怖れにうち負かされてしまっていた。
そこでわたしは、「あなどるどころですか。
みなさんのご様子がわたしの心にきざみこんだ
いたいたしい思いは、そのうちすっかり消えてしまうでしょう。(五四)
こちらのわたしの師匠《ししょう》がおっしゃるより早く、
みなさんのような立派な方が来られるのだと、
そのお言葉から わたしはすぐに察しがついていました。
わたしはみなさんの府《まち》の者です。日ごろから
あなた方の公の仕事や栄《はえ》あるお名前を
敬愛の思いで語ったり語られたりしたものです。
わたしは〔悪の〕胆《きも》をすてて
正しい導師が約束された〔善の〕甘い果実《このみ》をもとめてまいる者ですが、
それにはまず、〔地獄の〕中心にまで降りなければなりません」(六三)
すると、その人が返した、「おまえの魂が
長くおまえの肉体をみちびくように、
また おまえの名がおまえのあとまで輝くといいが。
どうだね、礼儀と徳とがいつものように
おれらの府《まち》にのこっているかね、
それともすっかり地を払ってしまったかね。
グリエルモ・ボルシェーレ〔フィレンツェの商人。ボッカチオの『デカメロン』の一日目第八話にその名がでている〕という、おれらにおくれて呵責《せめ》をうけた者だが、
ほら、あそこへ仲間と行っている男だがな、
その話をきくと、すごくて頭に来ることばかりだ」(七二)
「ああ、成上りの市民と俄《にわ》か景気が、
たかぶりと身のほどもわきまえぬ気風を生んだ
フィオレンツァの府《まち》よ、おまえはすでにそれに悩んでいる!」
わたしが面《おもて》をあげて こういうと、
三人は、それを〔わたしの〕答えと受けとったか、
事実に思いあたった人のように、たがいに暗然と顔を見合わせた。
「いつのときでも 人にきかれて、
こうやすやすと答えられて」と三人がいった、
「思いどおりにこんなに口が利けるなら、おまえは幸《しあわ》せだ。(八一)
だから、おまえがこの暗い地獄を抜けだして、
もしもあの美しい星をながめに帰って、
『おれは〔地獄に〕いた』と、よろこんでいうときがあったら、
おれらのことを皆に話してくれ!」
こういうなり、彼らは輪をといて逃げだしたが、
その足はさながら羽根でも生えたように早かった。
アーメンと唱える暇もあらばこそ、
三人はすばやく消えてしまったのだ。
で、師はここらが立ち去るしおどきだと考えた。(九〇)
師についてすこし行くと、
水の音が急に近くなり、
たがいの話し声が聞きとれないほどになった。
それはまるで、モンテ・ヴェーソからでて
東へながれ、アペニーノの山脈の左の裾《すそ》で
もとからの水路をとる川が、
低地へくだるまでは
上流をアックァ・クエータ〔静水〕と呼ばれている。
それがフォルリに来るとその名がなくなって、(九九)
何千という家を〔築城のため〕うけ入れることになっていた
サン・ベネデット・デラルペの修道院の上流で、
一挙にながれおちてすごい轟音《ごうおん》を立てているように、
その紅《あけ》に染まった水も
そのように絶壁をながれおちて、
たちまち耳を聾《ろう》するばかりの轟《とどろ》きをたてているのを見つけた。
わたしは腰に一本の〔修道僧用の〕太い縄帯《なわおび》をまいていたが、
あるときはそれで 斑模様《まだらもよう》の皮の豹《ひょう》を
いけどろうと思ったことさえあった。(一〇八)
わたしはそれを 師の命ずるままに
腰から解きはなして、
ぐるぐる束《たば》ねて師にわたした。
すると師は、右の方をふり向くなり、
それを崖っぷちからいくらか離して
谷底めがけて深々と抛《ほう》りこんだ。
「おや、ふだんと違った先生の素ぶり」とわたしは心中で独語した、
「あんなに先生が目で追っかけるからには、
何か変わった手ごたえがあるにちがいない」(一一七)
まったく、行ないばかりか心のなかまでも、
その知力で見抜く人のそばにいるのは、
ほんとに気づかれのするものだ!
師はいう、「わしが心待ちにしてるもの、
またおまえも心に想っているものが じきに上がってくるぞ、
すぐ目の前に姿をあらわすはずだ」
あられもない顔をした真《まこと》については、
人はできるだけ口をとじているがいい。
落度がなくても恥をかくものだから。(一二六)
しかし、今度という今度は黙っているわけにはいかない。
読者よ、この『喜曲《コムメディア》』の歌の言葉〔この地獄の悲惨な情景を描いた詩を喜曲《コムメディア》といったのは、ダンテがカン・グランデ・デラ・スカラにあてた手紙の二一八行以下に、この詩は地獄の不幸を経験したあとで、天国の幸福を味わうのだから、喜曲と呼ぶべきだ、といっているからだ〕に誓っていうが、
(これが末ながく世間で読まれるといいが)
その重くるしい暗い大気をつきぬけて、
一つの異形《いぎょう》なものが 泳ぐように上がってくるのをわたしは見た、
それはどんな気丈な人でも腰を抜かすようなものだ。
その異形《いぎょう》なものはまるで、海にかくれた岩礁か何かに
引っかかった錨《いかり》をひきあげに
海底にもぐった人があがってくるような、
上体をのばして足をちぢめるといった格好だった。(一三六)
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第十七歌
第八の圏谷《たに》への境目の断崖へつづく第三の環である。人面蛇体の怪獣ゲリュオンが崖っぷちに頭をだす。そこは神の業に叛《そむ》いた高利貸の住むところで、師がその毒針の尾をもった怪獣とかけ合いをする間を、ダンテは、火の雨にうたれて坐《すわ》っている名うての高利貸たちと話をする。彼らはみな家紋のついた財嚢《さいふ》を首からぶらさげて、この地獄で灼かれながらも、他人の財嚢《さいふ》を食い入るように凝視している。ダンテは師とともに怪獣の背に乗って、空中を飛んで第八の圏谷《たに》へ下りるのだが、その飛行のありさまが写実的に描かれている。
「そら、尻尾のとがった獣がやって来るぞ、
山々を越え 城壁や武器さえこわして
世界じゅうに悪臭をばらまく奴だ!」
わたしの導師はこう話しかけて、
それまでわたしたちが歩いてきた岩場の端に近い
崖っぷちまで来るように、その怪獣に合図をした。
すると、そのよごれた欺瞞《ぎまん》の権化《ごんげ》〔ジェリオーネ(ゲリュオン)のこと。ただし、ダンテはその名を伝説から借りたにすぎない〕があらわれて、
その頭と胸とを崖の上にだしたが、
尻尾はその上へはのせなかった。(九)
その面《つら》つきは実直な人間の顔をしていて
見かけはすごく情《なさけ》ぶかそうだったが、
〔顔のほかは〕からだじゅうが蛇にそっくりだった。
両脚は腋《わき》の下まで毛むくじゃらで、
背中にも 胸にも 両脇にも
輪索《わな》と小楯を描いてあった〔輪索は人をおとしいれるもの。小楯はいつわりを蔽いかくすもの〕。
韃靼人《だったんじん》もトルコ人も 陰織《かげおり》にしろ浮織《うきおり》にしろ
こんな色かずの綾物《あやもの》は織りもしまいし、
アラクネ〔リディアの名高い織女〕でもこんな図柄《ずがら》は描きもしなかった。(一八)
それはちょうど、艀《はしけ》がときとして、岸で砂地に
乗りあげながら 一部を水にひたしているように、
また大食いのドイツ人のいるところにまぎれこんで
海狸《ビーバー》が身がまえて魚をねらっているように、
その見るもいとわしい獣は
砂場をとりかこむ岩の崖っぷちに引っかかっていた。
そして蠍《さそり》が〔尾の〕さきで身を守るやり方で、
さきの割れた毒の尾をまるまるだして、
ねじりながら 虚空にはねあげた。(二七)
師はいった、「さて、こうなったからには、
あそこで寝ているあのいやな獣のところへ
道をちょっとまわっていかねばならん」
そこで、わたしたちは崖の上づたいに右の方へと、
熱砂と火の粉をうまくよけて
十歩ほど崖の縁を歩いて下りていった。
わたしたちが獣のいるところへ来ると、
〔岩がきり立って〕狭まったところにつづく
砂の上に 人々の坐っているのが見えた。(三六)
師はわたしにいった、「この〔第三の〕環での
おまえの経験がゆたかになるように、
向こうへ行って あれらのさまを見てくるがいい。
そこでは 話を短く切りあげることだ。
おまえが戻ってくるまでに
岩乗《がんじょう》な肩を貸してくれるよう これにいっておこう」
こうして、わたしはふたたび第七の圏谷《たに》の
崖っ鼻をへつって、ただひとり
悲嘆にくれる人たちの坐っているところへ歩いていった。(四五)
その人たちの苦しみは、涙となって目からあふれ出ていた。
火の粉がふりかかり 砂が焼けてくると、
そこでもここでも それを両手で払いのけていた。
そのさまは、夏になって、
蚤《のみ》や蝿《はえ》や蚊《か》などにさされた犬が、
鼻さきや脚《あし》で掻《か》くのとことならないのだ。
わたしは、苦患《くげん》の焔に灼けただれた
その人たちの顔に 目をじっとそそいでみても、
見識りこしの人はいなかったが、(五四)
めいめい首から財嚢《さいふ》をぶらさげているのに気がついた。
それにはそれぞれきまった色があり 印《しるし》があって、
みなその財嚢から目を離さないようだった。
わたしが熟視して そのなかへ割ってはいると、
黄いろい一つの財嚢《さいふ》には 獅子の顔としぐさが
青くついてるのに〔フィレンツェのグエルフィ党の名家ジャンフィリアッティ家の紋〕 気がついた。
それから 目をうつすと、
血のような赤い地にバターより白い鵞鳥《がちょう》を
染めぬいた〔フィレンツェのギベリーニ党の貴族ウブリアーニ家の紋〕別の財嚢《さいふ》も見えた。(六三)
すると、白地に太った牝豚を青くおいた〔パドヴァのスクロヴェニ家の紋〕
小さい財嚢《さいふ》を掴《つか》んで ひとりの漢《おとこ》がいった、
「この濠《ほり》でおまえは何しているのだ。
さっさと出てゆけよ。おまえはまだ生き身だから、
おぼえておくことだが、おれと同郷のヴィタリアーノ〔一三〇七年にパドヴァの長官になった人〕はな、
ここではおれの左側に坐ることになってるのだぞ。
おれは、こうしてフィレンツェの奴と居はするが、パドヴァの出だ。
奴らと来たらしょっちゅう≪騎士の鑑《かがみ》よ、
三ツくちばしの家紋〔フィレンツェ第一の高利貸ブイアモンテ家の紋〕の財嚢《さいふ》をもって来い≫と(七二)
叫びどおしで おれの耳はつぶれそうだ」
こういって口をゆがめ 牛が鼻をなめるように
ぺろっと舌をだした。
わたしはそれ以上いると、そこそこに切りあげるよう
注意した師を案じさせはしまいかと気になって、
このあわれな魂たちから引き返してきた。
師は、と見れば、すでにあのたくましい
獣の背中に乗っていて、わたしにいった、
「さあ、しっかり、元気をだすのだ。(八一)
これから こうして例の階段を使って下りるのだ。
尻尾が〔おまえに〕悪さのできないよう
おまえは前に乗れ、わしは〔尻尾とおまえの〕あいだに乗ろう」
四日熱《おこり》にかかった人に悪寒がでかかると、
みるみる爪の色がなくなって、ひんやりした日蔭を見るだけで、
がたがた身体じゅうに顫《ふる》えがでてくるものだが、
その言葉を聞くと わたしもそんな風だった。
しかし、勇将の下に弱卒なしのたとえどおり、
師の言葉に、わたしは〔気怖《きお》じしたことが〕恥ずかしくなった。(九〇)
わたしはそのぶざまに盛《も》れあがった獣の肩へ腰をすえた。
そして「わたしを掴《つか》まえていてください」といいたかったが、
そう思うことは声にはならなかった。
しかし師は、いつかもわたしが難渋すると
助けてくれたが、わたしが乗るやいなや、
腕でがっしり抱いて支えてくれて、
それからいった、「さあ、行け、ゲリュオン。
おまえの乗せた珍しい荷に気をつけて、
ゆるゆる大まわりして下りるのだぞ」(九九)
その獣は、小舟が岸をあとにゆっくりでていくようにして
そこを離れていった。それから手足がすっかり楽になると、
尻尾を胸のあったところへまわし、
鰻《うなぎ》のようにそれを伸ばして動きだした、
獣は脚で大気をからだの方へかき寄せていたのである。
その恐ろしさは、パエトン〔ギリシア神話で、パエトンは火車をはしらせ天に近づき、ゼウスの電光で落とされる〕が手綱を手から離したときでも
(そのため空はいまでも焼けているのだが)、
また、〔空に〕馬をかるイカロスが運わるく、(一〇八)
「道をはずれたぞ!」と父親にどなられて、
蝋《ろう》が熱でとけて 腰の翼のとれるのに気づいたときでも、
そのときのわたしにまさるとは思われない。
そのとき目に見えるものとては、ただその獣だけで、
一切のものかげは消え、まわりの漠々《ばくばく》たる
大気のまっただなかに自分があるばかりだった。
その獣は、ゆうゆうと旋回し下降してすすんでいるが、
下から顔にあたる風でもなければ、
〔降りているという〕意識もなかった。(一一七)
わたしはすでに、右手の下の方に
深い淵がすさまじい響きを立てているのを聞いていたので、
首を出して 下に目をやった。
すると、わたしには焔の立ちのぼるのが見え、嘆き叫ぶ声が聞こえたので、
〔身をのり出すために〕足をゆるめるのがとてもこわくなって、
顫《ふる》えながら 股をぎゅっと締めつけた。
やがて、四方から迫ってくる大勢の
いたいたしい叫び声で、さきには気づかなかったが、
わたしたちは旋回して下りていることがわかった。(一二六)
それはまるで、長いあいだ空をとんでいた鷹《たか》が、
鳥も鷹餌《たかえ》も見つからないまま
「ちぇ! おりて来い!」と鷹匠にいわれると、
元気よく飛びたったところへ へとへとになって
百ぺんもぐるぐるまわって舞いもどり、
むっとして鷹匠から離れて降りたつように、
ゲリュオンもむっつりして、谷底の
垂直に切り立った岩ぎりぎりに わたしたちを下ろした。
そして、二人の重荷をおろすと、とたんに
弦《つる》をはなれた矢のように遠ざかってしまった。(一三六)
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第十八歌
第八の圏谷《たに》では「|悪の嚢《マーレボルジェ》」という環になった濠《ほり》が十個にわかれていて、十種類の罪の魂がそこで罰せられている。ここでの物語は、第一|嚢《のう》と第二嚢のことである。第一嚢では女のとりもちをした者と自分で女をたぶらかした者が鬼どもに鞭《むち》うたれていて、そのなかにボローニャの女衒《ぜげん》カッチャニミコや金羊毛の騎士のイアソンがいる。第二嚢で糞尿《ふんにょう》にまみれているのは、姦通《かんつう》者や阿諛《あゆ》追従の徒などで、ルッカのインテルミネイや遊女のタイスなどがいて、糞にまみれた爪で、自分のからだを引っかいている。
ところは地獄のなか、マーレボルジェ〔悪の嚢《ふくろ》〕と呼ばれるところで、
その周囲をとりまく円形の断崖のように、
ものはみな鉄いろにさびて岩だっている。
そのだだっ広い悪の地域のまんなかに
井戸の形のかなり大きな深い〔陥没した〕裂け目があるが、
その構造はその場でいずれ語ることにする。
その井戸と見あげるばかりの懸崖《けんがい》の下とのあいだに
ひろがる空地は、したがって円くて、
その底の方で十の濠にわかれている。(九)
それはちょうど、城壁をまもるために
濠が幾重にも城をとりまいているといった
そういう場所に示される形だが、
そんな形に ここの圏谷《たに》もつくられていた。
そんな砦《とりで》には、出口から外の濠の岸へかけて
小さい橋がいくつもあるものだが、
そのように、岩礁の塊が、岩壁のつけ根から
堤と濠をよこぎって 井戸のところまで
とぎれとぎれに いくつも続いている。(一八)
ゲリュオンの背から下りたったのも
こんな場所だったと わたしたちはさとった。
そこで詩人は左手に道をとり、わたしはその後にしたがった。
右手には、あたらしい憂悶《うれい》、あたらしい呵責、
また新しい|鞭の責め手《ディアポリ》が見えたが、
それらがこの第一の環嚢《かんのう》にいっぱいつまっていた。
〔その濠の〕底には罪の魂たちがはだかのままで、
真中からこちら寄りの魂は顔を見せて歩いて来、
向こう側のはわたしたちの行く方へ〔背をむけて〕歩いていて、足どりはみな早かった。(二七)
それはあたかも、大赦《ジュビレオ》の年のすごい人出のために、
ローマの人たちが〔城の前の〕橋の上で、
群集をさばいて渡らす方法として考えだした、
片側の人には顔を〔サンタンジェロの〕城にむけて
サン・ピエトロのお寺へ歩かせ、
別の川っぷちからの人には〔ジョルダーノの〕丘〔テヴェレ川の東側の、サンタンジェロの城の向かい側〕をめざして行かせるようだった。
わたしには遠み近みの黒い岩の上に
角をはやした鬼どもが大きな鞭をもっているのが見えたが、
そいつらは魂をうしろから容赦なく引っぱたいた。(三六)
ああ、その一撃で かかとをあげて遁《に》げださせた魂の
あわれなさま! もはや二度三度と鞭を待ちうける者は、
ひとりとしていないのだった。
歩いているうちに、わたしは目を
ひとりの漢《おとこ》に注ぐと、とっさに声をあげた、
「こいつはいつか見たことがあるぞ」
そこで、立ちどまってその漢をじっと睇《なが》めた。
師もやさしく、わたしといっしょに足をとめて、
わたしにすこし後戻りすることを許してくれた。(四五)
その鞭打たれた漢は、顔を伏せて
隠しおおすつもりらしかったが、大して利き目もなかった。
わたしはいった、「きみは地面ばかり見ているが、
その目鼻立ちに見あやまりがなければ、
きみはヴェネディコ・カッチャニミコ〔一二六〇〜九七年までボローニャのグエルフィ党の領袖〕だな。
だが、何でこんなに痛い目にあってるんだ」
すると漢はわたしに、「おれはいいたくはないが、
きみに図星《ずぼし》をさされてみると、どうしても
生きていた世間のことを思いださないわけにいかん、(五四)
おれは妹のギソラベルラ〔フェラーラのエステ侯の歓心を買うために、妹を口説きおとして道ならぬ恋の仲介をしたという〕を 侯爵の思いどおりに
連れこんだ人間だ。
みっともない話で 何と取沙汰されていることか。
だが、ここで泣いてるボローニャ人はおればかりじゃない、
ないばかりか、この嚢にはその手合がぎっしりだ。
サヴェーナ川とレーノ川の間〔の地方〕でも、
『シパ』と訛《なま》っていう奴はここほどにはいまい。
そのことをきみが信じて確かめたいというなら、
おれたちボローニャ人の守銭奴ぶりを思いおこすがいい」(六三)
こうして話している間にも、鬼がその漢《おとこ》を
鞭でたたいて どなりつけた、「やい歩け、取りもち屋、
ここには女の売物はないのだぞ」
わたしは導師のもとへ引き返して、
二、三歩行くか行かないかに
岩礁が崖から〔自然の橋のように〕突きでているところへ着いた。
わたしたちは、それをかるがると登った。
そしてその〔ごつごつした岩の〕背を右手にとって、
この永劫《えいごう》の圏谷《たに》から離れた。(七二)
その岩礁の下の、鞭打たれる群をとおすために
風抜きのようになったところへ来ると、師がいった、
「立ちどまって、あの別の性悪《しょうわる》な奴らに
おまえが目につくようにするのだ。
あいつらはわしらと同じ方へ歩いていたので、
まだその面《つら》をおまえは見ていなかったからな」
その古びた橋で、反対の側からこちらへ
やって来る一群の魂をわたしたちは見たが、
それも同じように したたか叩かれていた。(八一)
師はわたしが訊ねもしないのにいった、
「そら、大物がやって来るぞ、
この苦痛にめげず涙一つこぼしていないようだな。
どうだ、いまだに王者の風を保っているじゃないか!
あれがイアソンだ、度胸と頭で
コルキス人から金羊毛を奪いとった奴。
あれはレムノスの島へもわたったがな、
その島の悍婦《かんぷ》どもが たれかれの容赦なく
島の男をみな殺しにした後だった。(九〇)
ほかの女どもをみなたぶらかした
島のむすめのヒュプシピュレ〔レムノス島の王トアスの娘〕を
しぐさ、言葉もあざやかに たらしこんでな、
その女が身ごもると ひとりのこして逃げだした奴。
その罰でこんなに呵責をうけているが、
ついでのことに メデイア〔コルキス王の娘。イアソンを慕って、彼が金毛の羊皮を手に入れるのを妖術で助けたのち、その妻となり、帰国後イアソンがコリント王の娘をめとったので、彼との間の二児を殺し、竜に曳かせた車に乗って立ち去った〕の怨みも晴らされているというわけだ。
あいつと歩いている奴は みんなその手の女たらしだ。
さて、この第一の嚢の濠のこと そこで呵責に泣く者のことは、
これだけ知ればもうたくさんだ」(九九)
そのとき わたしたちの着いたところは、
せまい径《みち》が第二の堤と交叉するあたりで、
それが別の岩弧〔橋〕の橋桁《はしげた》になっていた。
そこでは、つぎの嚢《ボルジア》にいる者の呻きの声や、
息づかいも荒々しく 平手で自分の身体を
たたく音が 聞こえてきた。
〔第二の濠の〕岩壁には、下から立ちのぼる
ありなしの風にのって 臭気が黴《かび》のようにへばりついていて、
目や鼻をつんと刺激した。(一〇八)
その谷の底は深くて、岩が一段と高くなってる
岩弧〔橋〕の背をよじのぼらなければ、
そこを覗《のぞ》きこむこともできないくらいだった。
そこで、そこへ登ってのぞくと、濠の下の方で
人間の厠《かわや》から流れでたらしい
糞尿《ふんにょう》のなかへ浸《つ》けられている人の群が見えた。
わたしが下の方を目で追っていると、
糞だらけのよごれた頭のひとりの男を見つけたが、
それが俗人か聖職者か その前身は見当のつけようもなかった。(一一七)
ところが、そいつが怒鳴りつけた、「なぜおまえは
このおればかりそうじろじろ見るのだ。きたない奴はほかにもいるのだぞ」
わたしはそこで、「なぜって、記憶にあやまりがなければ、
まだきみの髪の毛が乾いていたころ 見おぼえがあるからだ。
きみはルッカのアレッシオ・インテルミネイ〔ルッカの貴族〕だろう。
だから、ほかの連中より とっくりと拝見していたところだ」
すると、その男はかぼちゃ頭をたたいて、
「おれをこんな地獄の底へおとしこんだのは、へつらいのせいだ。
おれの舌はそれで倦きもしなかったよ」(一二六)
その直後に導師もいった、「もうちょっとさきへ目をやってみろ。
そら、あの髪のくしゃくしゃした いやらしい女の顔を、
おまえの目はしっかり掴《つか》むだろう。
向こうの方で 糞まみれの爪で身体じゅう引っ掻《か》いて、
しゃがむかと思えば すぐ起ちあがる女だ。
あれが遊女のタイス〔古代ギリシアの遊女〕だ。馴染《なじみ》が
『きみに喜んでもらえたかね』というと、
『それどころではございません。とってもとっても!』と受けかえす女だ。
さあ、ここらが、わしらの目の法楽《ほうらく》というものだ」(一三六)
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第十九歌
第八の圏谷《たに》にある第三の嚢でのことだ。神に仕える身でありながら、聖物や聖職を金銭で売りさばいた法王たちが呵責をうけている。彼らは、財嚢《さいふ》の形の穴のなかへさかさに吊《つ》るされて、穴のそとに出た足には火がついてばりばり燃えている。ダンテの想像を絶する懲罰《ちょうばつ》のイメージが、そろそろ具象化してくる。ダンテは法王ニッコロ三世をきびしく難詰《なんきつ》しているうちに、自分も激《げき》してきて、つい言葉が荒くなる。師はそれを見て、満足気にダンテを抱いてつぎの第四の嚢へつづく堤へと連れだしてゆく。
ああ、魔法使いのシモン〔『使徒行伝』に出てくるサマリアの魔法使いで、聖職や聖物売買をはじめた人物とされる〕よ、またその哀れなともがらよ、
おん神のもの〔聖物・聖職〕が
善徳とむすぶ花嫁であるべきなのに、
おまえの身欲《みよく》が金銀と引きかえに それを売りとばしたからには、
この第三の濠へ来あわせたことでもあり、
いまこそ ラッパがたかだかと おまえに鳴りわたるときだ。
わたしたちはすでに、〔第三の〕嚢の中ほどに直立する
岩塊の側につづいて盛れあがっている
墓のあたりに立っていた。(九)
ああ、いとも高い智よ。なんというおん神の業《わざ》が、
天上でも地上でも またこの禍いの世でも示されていることでしょう。
またおん神の力が なんと公平に及ぼされていることでしょう!
わたしには 両側の斜面にもその底にも
鉄さび色の石がつまっているのが見えたが、
その石には同じ大きさの円い穴があいていた。
その穴は、わたしの府《まち》のきれいなサン・ジョヴァンニ〔洗礼堂〕の
受洗者たちのきよめの場所の洗礼盤よりは
広くも大きくもなかったようだ。(一八)
(その洗礼盤で溺《おぼ》れかけた子供がいたので
わたしはその一つをこわしたことがあった、そんなに古いことではない。
この話が人々の思い違いをさとらせる証《あかし》にはなるだろう!)
さて、それらの穴の口からは、どの穴からも
罪人の足と脚がふくらはぎまで逆《さかさ》釣りになって突きでていて、
身体の方は穴の中に埋まったままだった。
罪人の足の裏には火がついていたので、
その関節をばたばたさせる激しさといったら、
束《たば》ね枝や太綱《ふとづな》さえもぎ切るほどの勢いだった。(二七)
油じみたものに火がつくと、
焔はそのうわっつらを走るものだが、
それらの足の踵《かかと》から爪さきへ火が走るのも それに似ていた。
「先生、あれはだれですか」わたしはいった、
「同じ目にあってるだれよりもばたつかせて ひどくぶりぶりして、
火がいちだんと真赤に足の裏をなめていますが」
すると師は、「ずっと低いあの下の堤まで
わしに連れていってもらいたいのなら、
あれ〔法王ニッコロ(ニコラウス)三世のこと〕の口から身の上やその咎《とが》が聞けるだろう」(三六)
で、わたしは、「そういうお気持でしたら、わたしにはありがたいことです。
それに、先生はわたしの主ですもの。ご存じでしょう。
わたしはお心にそむくことはいたしませんし、口もつつしんでおりますことを」
こうして、わたしたちは第四の堤の上へでて、
左手に曲がって はるかな下の方の
せまい穴だらけの谷底をさして下りて行った。
師はやさしく腰からわたしを下ろさずに、
脚をばたつかせて泣いていた男の
穴のそばまでわたしを連れていった。(四五)
「ああ、だれだか知らないが、さかさになって
杭《くい》みたいにはめられてる哀れな魂よ」
わたしはいいはじめた、「物がいえるなら、いってくれ」
わたしはまるで、埋めこまれたあとまで、
死期をのばそうとして神父を呼びもどした非道な人殺しの
その懺悔《ざんげ》をきく神父のような恰好《かっこう》で立っていた。
すると、その男は叫んだ、「おまえ、もうそこに突っ立ってるのか。
ボニファキウス〔法王ボニファキウス八世。ダンテをまちがえて、こう呼んだ〕、もうそこで立っているのか。
おれは『未来帖』に二、三年ごまかされたわい。(五四)
こんなに早くあの財宝に飽きがくるとはな、
そのためには神も畏《おそ》れずに 美女〔教会〕をだましとったのに、
あのあと、おまえ、それを無駄づかいしおったな」
その返事の意味がわからないので、
ぽかんとしている人のように、
わたしは返事のしようもないので とまどったままでいた。
と、ウェルギリウスがいった、「追っかけていうのだ、
『おれは違う、おまえの考えている者じゃない』とね」
そこで、わたしはいわれたとおり答えた。(六三)
そのためか、その魂は足首をすっかりねじらせて、
涙声でため息をつきながらいった、
「じゃ、おまえはおれに何をいわせようというのだ。
おれがだれだかを それほど知りたくて
この堤をかけ下りてきたというなら、
教えてやろう、おれはかつては大きな法王の衣をまとっていた者だ。
事実、おれは牝熊《オルサ》〔家〕〔ニッコロ三世の本名は、ジョヴァンニ・ガエターノ・デリ・オルシーニで、オルサは牝熊の意だから、オルシーニは仔熊ということ〕の子だったが、
|牝熊の郎党《オルシーニ》を栄達させる欲ばっかりに
この世では金銭《かね》を、ここ〔地獄〕ではわが身を財嚢《あな》に入れた者だ。(七二)
おれの頭の下には、ほかにもおれの前に
聖物の売り買いをやった奴〔法王〕らが、
岩の割れ目にうようよ隠れているよ。
さっきあわてて訊いたときの
おまえと勘ちがいした奴が来れば、
おれもご多分にもれず下へ落とされるだろう。
しかし、おれがこうして逆さになって
両足を灼かれるようになってからでも、だいぶ長い時間だ。
だが、そいつはそう長くは足を焼かれて〔穴へ〕さしこまれはすまいよ。(八一)
というのは、そいつの後から、おれや奴を
おおいかくすほどの 汚《よご》れ仕事には目のない
無法な牧者〔法王クレメンス五世のこと〕が 西の方からやって来るはずだからよ。
マカベ書にあるイアソンの再来〔ユダヤの祭司長シモン二世の子のイアソン。彼はシリア王アンティオコスに金をやることを約束して祭司長になった〕でもあろうか、
イアソンに〔シリアの〕王がなすままにさせたように、
フランスの王も そいつには見て見ぬふりをするはずだ」
わたしはそのとき、ひどく取りみだしたかもしれないが、
つぎのような調子でその男に応《かえ》した、
「さあ、ここでいってもらおうか。(九〇)
〔天国の〕鍵をピエトロ上人に渡す前に、
わが主〔キリスト〕は金をいくら請求したかだ。
『我に従え』というほかには何も求めなかったことはたしかだろう。
罪の魂〔ユダ〕を失ったあとがま〔会計の役〕に
選ばれたとき、ピエール〔ピエトロ〕もほかの使徒たちも、
マッティアから金や銀を受けとったことがあるかだ。
そこにいろ。おまえは罰をうけているのだ。
カルロ王〔ナポリとシチリアの王シャルル・ダンジュのこと〕にたてついて一《いち》か八《ばち》かでごっそり
手に入れた悪銭だ。十二分に番をしていろ。(九九)
おまえが愉《たの》しいこの世で保管していた
神聖な鍵に対して
いまでも敬意をもっているのでもなければ、
わたしはもっとひどい言葉を使うはずだ。
なにしろ、おまえらの貪欲のために
善人がふみつけられ、悪人が栄えて悲しい世になったのだ。
諸国の水〔庶民〕の上に座を占めた女〔ローマ教会〕が
帝王どもといんぎんを通ずるのを見たとき、
福音書の作者〔聖ヨハネ〕は おまえら牧者のことを予見していたのだ。(一〇八)
その夫〔法王〕が徳をよろこんでいた間は、
その女〔ローマ教会〕は七つの頭〔聖式〕をもって生まれ、
十の角〔十戒〕によって権威を保っていた。
おまえらは金や銀のおん神をつくりあげたが、
おまえらと偶像崇拝のともがらと どこが違うというのか、
向こうが一つ拝むのに〔イスラエルの民は、金の仔牛の像を鋳て、それを礼拝した〕 おまえらは百拝むだけじゃないか。
ああ、コンスタンティヌス〔皇帝コンスタンティヌス一世が、キリスト教に改宗して、帝都をローマからビザンティウムへ遷したとき、西ローマ帝国の地上権を教会に寄付した、と一般に信じられていた。ダンテは法王シルヴェステル一世が、それを受けるべきではなかったと考えている〕よ、あなたの改宗のことではないのです。
いわば、初期の豊かな教父〔法王シルヴェステル一世のこと〕たちがあなたから受けた贈物が、
どんなに罪の母《もと》になったかということでしょう!」(一一七)
わたしがこうしてはっきりきめつけている間、
怒りか良心かが その男を噛《か》みでもしていたらしく、
両脚を蹴《け》るようにしてばたばたさせていた。
師は心からよろこんでおられたと思う、
しじゅうひどく満足された様子で
まとをついた言葉に耳をかたむけておられた。
両腕をわたしにさしだすと、
すっぽりその胸のうえに抱いて、
さっき下りてきた堤の斜面をまた登ったが、(一二六)
師はわたしをしっかり抱えていても疲れた気配もなく、
第四と第五の堤の通路になっている
橋の上まで 抱いたままわたしをはこんだ。
そこで、師は荷〔わたし〕をそっと下ろした。
そっと下ろしたのは 岩が切り立っていて急だったからで、
山羊も通りづらい隘路《あいろ》だった。
そこからは、つぎの深い谷が遠く わたしの眼の前にあらわれていた。(一三三)
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第二十歌
第八の圏谷《たに》の中の第四の嚢《ふくろ》になっている濠《ほり》には、神を畏《おそ》れずに未来を占った妖術師や占い師たちがいる。彼らは顔をうしろ向きに胴につけられているので、後ずさりに歩かなければならない。この前代未聞の罰し方は、ダンテのグロテスクなイメージの一つだが、その奇怪な扱いをうけているのは、アンピアラオス、ティレシアス、アルンス、マントなどの一流の妖術使いだが、ダンテとさほど時代のへだたりのないミケーレ・スコット、グイード・ボナッティ、アスデンテなどの神秘家もそのなかにいる。地獄入りしてから十二時間たった、聖土曜日の朝の六時の出来事である。
奇妙な神の懲罰を歌にすることになった。
地底に沈んだ人たちを扱う第一篇の
この第二十歌に、それを素材にしなければならなくなった。
わたしはすでに、いたいたしい嘆きのつまった
むき出しになっているその谷の底を、
何もかも見とおしてやろうと身構えていた。
すると、この円い谷を
おし黙って泣きながら、
この世の祈祷の行列のように、のろのろ歩いていく人たちが見えた。(九)
わたしは目をさらに彼らの方へ低くおとすと、
驚いたことに、顎と胴のつけ根のところで、
どれもこれも首があべこべについているのだ。
彼らは、顔が背中の方へあべこべについていて
前の方を見ることができないので、
うしろ向きに歩いていくほかなかった。
人によっては 麻痺《まひ》か何かでこんなにすっかり
〔首が〕あべこべに曲がることがあるかもしれないが、
わたしは見たこともないし、いるとも思えないのだ。(一八)
読者よ、もしおん神に許されて、きみの読んだものから
教訓をくみとるというなら、いまきみ自身で考えてみることだ。
その目からあふれでた涙が、〔背をつたって〕
尻の割れ目のところを濡らすほど身体がねじれゆがんだ
人間のかたちをしたものを身近に見て、
わたしの目が乾いたままでいられたかどうかということを。
かたい岩塊の一角にもたれかかって、
わたしは本当に泣いていた。すると導師がいった、
「おまえまでが あれたちのように分別がないのか。(二七)
ここで情《なさけ》を生かすとは 情を捨てることだ。
おん神の裁きに同情をよせる者ほど
手に負えぬ者がほかにあろうか。
頭をおこして しゃんと立てて あの男を見ろ、
テーバイの人たちの眼前で 大地が口をあけて呑みこんだ男だ。
奴のために、みんなが叫んだものだ、『どこへ落ちるんだ。
アンピアラオス〔占い師。テーバイ攻略の七王のひとりだったが、ゼウスが雷電をなげて彼を地底へおとした〕よ、戦場を捨てる気か』。
だが、奴は、片っぱしから掴《つか》まえるミノスのところへ着くまでは、
地獄の谷めぐりをやめなかった。(三六)
見ろ、奴は背中を胸にしているぞ。
あまりに行く末を見たがったから、
うしろ向きにされて後ずさりに歩いている。
ティレシアス〔テーバイの占い師〕を見ろ。男から女に変わったとき、
その顔立ちも変わって、
身体つきまですっかり女になりおおせたが、
それも初めのこと。あとで〔女性の〕ティレシアスに
男のひげをとりもどそうと、
からみ合った二匹の蛇を杖で打たねばならなかった。(四五)
ティレシアスの腹に背中をくっつけている
あの男がアルンス〔エトルリアの占い師。カエサルとポンペイウスの戦で、カエサルの勝利を予言したという〕だ。
麓《ふもと》にはカルラーラの石切りがいるルーニの山々の
白い大理石のあいだの洞窟を住居にしていたから、
星や海を見ての占いには
ことかかなかったのだ。
編んだ髪がほぐれてかくれているので
乳房がおまえには見えない女、
むこう側の 肌のすっかり毛ぶかい(五四)
あれがマント〔ティレシアスの娘。父親の死後テーバイをのがれ、長い放浪のあとでマントヴァの府を建設した〕だ。諸国をながれ歩いたあげく、
わしの生まれ故郷へ落ち着いたわけだが、
ことのついでに、わしの話をすこしきいてもらおうか。
あれの父親がこの世を去ってから、
バッコスの府《まち》〔テーバイのこと。酒神バッコスはテーバイの守護神だった〕が〔よそに〕支配されることになると、
あれは長年世界じゅうを放浪して歩いた。
うつくしいイタリアの北、ティラルリの上で、
ラマーニアを封《と》じこめているアルプスの裾に
ベナコという名の湖がある。(六三)
ガルダ、カモニカの峡谷地帯、ペンニーノ山脈のあいだの地では、
何千という泉のために水があふれて、
さきにいった湖でよどんでいるのだと思う。
その湖のなかには島があって、そこへ行けば、
トレントの司教も ブレッシアやヴェローナの司教も
おん神の加護をたたえられる場所がある〔聖マルゲリータ教会〕。
ベナコの湖岸がさらに低くなったあたりに、
ブレッシアやベルガモ勢に備えて
典雅なペスキエーラの岩だった砦《とりで》がある。(七二)
その湖のふところで納まりきれない水は、
ことごとくここから流れおちて、
みどりの牧野へと 川になって下っている。
水が川となって流れはじめると、
もうベナコではなくて、ゴヴェルノまでは
メンチョ〔ミンチョ川の古名〕と呼ばれ、そこでポオ川に流れこむのだ。
川はそれほど流れないうちに、そこにひろがる
窪地と沼に出会うが、夏になると
よく瘴癘《しょうれい》の地になるところだ。(八一)
あの野そだちの娘〔マント〕が、そこを通りかかって、
人影もない 鍬《くわ》も入らぬ荒れはてた土地が、
沼のなかにあるのを見て、
人々とのかかわりを遁《のが》れようと
魔法をかけに来る霊どもとそこにこもり、
生きながらえて そこに骸《むくろ》を遺《のこ》したのだ。
やがて、そのあたりに散らばっていた人々が、
そこへ集まってきたのも、四方に沼をめぐらした
その地の守りの固いことからだ。(九〇)
人々はいまはない人〔マント〕の骨の上に府《まち》をつくり、
はじめにその地を選んだその人にちなんで、
別に占いも立てずに マントーア〔マントヴァの古名〕と名づけた。
その府は、カサローディ伯家がへまをやって、
ピナモンテのたばかりにかかる前には、
住む人もずいぶんあったものだ。
そこで、注意しておくが、わしの故郷のことで
いろんな由来を聞いたとしても、
嘘は真実をごまかしきれないということだ」(九九)
そこでわたしは、「先生、お話はごもっともで
よく納得がゆきますので、ほかの説など
わたしには火の消えた炭みたいなものです。
だが、教えてください、いま歩いている者のなかに
これというほどの者がお目にとまりましたでしょうか。
わたしの心はそれだけに気をとられているのですから」
すると師は、「ひげを頬《ほ》っぺたから
茶いろの肩の上までたらしている男、
あれが、ギリシアで男が底をついて〔トロイア戦争に狩りだされて〕(一〇八)
揺籃《ゆりかご》のなかにしか残っていなかったとき、
アウリスの府〔トロイアへ出征するギリシア軍が船出した港〕で カルカスとともに
最初にともづなを切る時を告げた占い師だ。
エウリュピュロスという名だが、わしの悲曲の
高い調べのどこかで歌ってある男だ、
かたっぱしから読んでるおまえには熟知のことだが。
脇腹がひどく痩せてるもうひとりの男、
あれがミケーレ・スコット〔皇帝フェデリーゴ二世に仕えて妖術をおこない、アリストテレス哲学の注釈を書いた。当時の大学者のひとり〕。まったく
魔法のたぶらかしには長《た》けた奴だったな。(一一七)
ほら、グイード・ボナッティ〔占星学者〕だ、アスデンテ〔パルマの靴屋の占い師〕だ、
皮と紐《ひも》の仕事をするつもりだったと
いまになって思っても、後悔するのが遅すぎたよ。
ほれ見ろ、縫い仕事や機織《はたお》りや紡《つむ》ぎ仕事をやめて
占いごとに身をかけた哀れな女どもだ、
あれらも草と形代《かたしろ》で〔人型を蝋でつくり、火にかけたり、頭に針をうったりして妖術をおこなう〕魔法をかけていたのだ。
ところで、もう出かけるときだ。カイノと茨《いばら》〔月〕が、
すでに南北の半球の境目にかかっているし、
シビリア〔セヴィリアの古名〕〔の府〕の下で波につかろうとしている。(一二六)
ゆうべ〔聖木曜と聖金曜のあいだの夜〕は月がまどかだったな。
月のことはよもや忘れはしまい、
あの深い森を おまえは一度は無事に来られたのだからな」
そう師は話したが、そういっている間も わたしたちは歩みをとめなかった。(一三〇)
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第二十一歌
第八の圏谷《たに》の五番目の嚢になっている濠には、収賄したり汚職したりした手のよごれた連中が、ふつふつ瀝青《チャン》の煮えたぎるなかに浸《つ》けられている。崖の上からルッカの長老を鬼が抛《な》げこむ。どろどろの瀝青から長老が頭を出すと、鬼どもが寄ってたかって鉤《かぎ》で引っかいては罵《ののし》って沈める。それがこの嚢での呵責《かしゃく》だ。岩塊の橋が崩れているので、ウェルギリウスは鬼の大将マラコーダと話し合って、九匹の鬼にまもられて別の岩橋へ行くことになる。ダンテは、その凄愴《せいそう》な雰囲気に怖《お》じ気《け》だってくる。
こうして、この『喜曲《コムメディア》』でとりあげるほどでもないことを、
あれこれ話しながら、橋から橋をつたって来て、
わたしたちは次の岩橋のいちばん高いところにいた。
そこで、これから展開するマーレボルジェの裂け目と
いたわりもない呻《うめ》き声に接して立ちどまったが、
その谷は無気味なほど暗かった。
ヴィネツィア人の造船所では、冬になると、
破損した船〔の傷口〕に填《つ》めこむために
瀝青《チャン》をどろどろ煮えたたせている。(九)
〔冬のことで〕航海ができないので、
ひとはあたらしく船を造ったり、
長い航海をした船腹に麻屑をつめたり、
舳《へさき》や艫《とも》をたたき直したり、
櫂《かい》をこしらえたり、横静索《つな》を捲《ま》いたり、
大小の帆布に継《つ》ぎをあてたりしている。
それにも似て、この下の方では火ではなくて神の作業《わざ》で
濃い瀝青がぐらぐら煮えたぎっていて、
岩壁にまでいちめんにそれがへばりついていた。(一八)
わたしは底の瀝青の方にふり向いたが、
ふつふつ湧きあがる泡《あぶく》のほかには 何も目にとまらなかった。
全体が圧しあって それが膨《ふく》れたりつぶれたりしているのだ。
わたしがなおも 下の方にじっと目をこらしていると、
導師は、「気をつけろ、あぶない!」といって、
立っていた橋のふちから わたしを自分の方へ引きよせた。
そのとき、わたしはふり返って、
こわさはこわし 見たいのは山々だが、
その怖ろしさにとたんに身をすくめながらも、(二七)
それを見るために逃げ足を遅らすわけにはゆかぬ人のようだった。
というのは、わたしたちの背後から
岩礁の上を黒い鬼が一匹走ってくるのが見えたからだ。
ああ、何とそいつの面《つら》つきの獰猛《どうもう》なこと!
飛ばんばかりに翼をひろげて
足どりの軽いその身がまえが どんなにか苛酷《かこく》に思われたことか!
もりもりと盛れあがったその肩には
ひとりの罪人を肩車にして、
その足首をぎゅっと引っつかんでいた。(三六)
鬼は、わたしたちのいる岩橋から大声に叫んだ、「おい、マーレブランケ〔あだ名の一種。禍いの爪という意味〕、
そら、サンタ・ツィータ〔ルッカ〕の長老のひとりだ。
こいつを下にたたき込むのだぞ。おれはまた取りに戻るからな。
こんな手合を おれはあの府《まち》〔ルッカ〕にうんと貯《た》めてあるのだ。
ボントゥロ〔十四世紀初めの人民党首で、汚職の官吏として有名。これは反語である〕は別だが、どいつもこいつも手の汚れた奴ばかりだ。
金銭《かね》次第で『否』というのを『可』とする奴らだ」
そして男を投げこむと、鬼はかたい岩塊を引き返していったが、
そのすばやさは 鎖をとかれた番犬が
泥棒を追いかけるのも及ばない早さだった。(四五)
〔瀝青に〕沈んだ男は やがて背中から浮きあがって来た。
と、橋の下にたむろしていた鬼どもが喚《わめ》いた、
「ありがたいお顔〔ルッカの聖マルティーノ教会の礼拝堂にある十字架上のキリストの像〕もここじゃ場ちがいだな、
ここはな、セルキオの川〔ルッカの付近を流れる川〕で泳ぐというわけにはまいらぬぞ。
よいか、おれらの爪で引っ掻かれたくないんなら
瀝青のおおいから面《つら》をだすなよ」
そのあとで百あまりの鉤《かぎ》で引っかけて 鬼どもはいった、
「手前は瀝青のなかで踊ることになってるんだ。
だがな、腕しだいでは こっそりおれたちの目を盗んでみるんだな」(五四)
そのさまは、あたかも料理人が、
肉が浮かばぬように 料理見習いにフォークで
大鍋の底へしずめさせるありさまにそっくりだった。
師はやさしくわたしにいった、「おまえのここにいるのが
目につかぬように、岩の割れ目を楯《たて》にして
そのかげにしゃがんでいるがいい。
わしがどんな危害を加えられようと
心配しないでいろ。わたしは事の次第がわかっているのだ。
いつかもこんないざこざに巻きこまれたことがあった」(六三)
こういって、師は橋のたもとから向こうの方へ進んだが、
第六の堤の上へたどり着くと、
師は泰然自若《たいぜんじじゃく》たる顔つきをする必要があった。
乞食《こじき》がところきらわず立ちどまって
物乞いをすると、走りだした犬どもが
その背後から狂ったように暴れまわるものだが、
鬼どももそのように橋の下からおどりでて、
師をめがけて いっせいに鉤をふりかざした。
そこで、師は叫んだ、「おまえども、ひとりでも手荒らなことはするな!(七二)
おまえのその鉤でわしを引っかける前に、
話があるからだれかでて来い。
その上で わしを引っかけるかどうかを決めればいい」
みんなが叫んだ、「マラコーダ〔禍いの尾、の意。第五嚢の鬼の長〕、行けよ!」
ということで、ほかの連中は立ったままだったが、
ひとりだけ進みでて、「話して何の得がある」といいながら師に近づいた。
師はいった、「マラコーダよ、おまえはわしが、
おん神の御心と幸運のたすけもなくて、
おまえらの次々にする邪魔立てをふり切って(八一)
無事にここまで来られたと思っているのか。
通してくれ。わしがある人を
この荒れはてた道に案内するのも、天の望まれることだ」
すると、マラコーダからは傲慢《ごうまん》な様子がきえて、
鉤を足もとに落とすと、仲間にいった、
「こいつに鉤をかけるわけにはいかん」
そこで導師はわたしに、「おうい、おまえ、
橋のかげでこっそりうずくまってる者。
もう大丈夫だ、わしのとこへ戻ってくるがいい」(九〇)
わたしがとび出して、急いで師のところへ行くと、
鬼どももいっせいにおどりでたので、
そいつらが約束〔鬼どもが打ちかからないという約束〕を守るかどうかと わたしはあやぶんだ。
こんなことは前にも、カプローナ〔アルノ河畔にあったピサの砦。一二八九年にルッカとフィレンツェの連合軍がこれを攻めて陥落させた。そのとき城内のピサの兵隊がおそるおそる出てきたありさま〕の協定で出てきた歩兵隊が、
敵勢の重囲のなかにあるのを見て
おびえ切っていたのを見たことがあるからだ。
わたしは身体ごとぴったり師によりそって、
その鬼どもの敵意をもった表情から
目をそらさないようにしていた。(九九)
鬼どもは鉤こそ下におろしたが、
「あいつの尻《けつ》にさわってみるか」とひとりがいうと、
別のが応《かえ》した、「よかろう、一番いやがらせをやるか」
だが、師と相談をぶっていた例の鬼が
即座にふりかえっていった、
「スカルミリオーネ〔きたないぼさぼさの髪の奴、の意。ダンテのつくった鬼の名の一つ〕、やめろ。ほっとけよ!」
それから、わたしたちにいう、「これからさきは、
この岩礁はわたって行けないぜ。
第六の岩橋がごっそり崩れて 谷底へ落ちこんでいるからな。(一〇八)
だが、まだそのさきへ行く気なら、
こっちの岩壁をつたっていくがいい。
すこしさきに もう一つの岩礁があるが、そこには道がついている。
ここの岩礁の道が崩れたのは〔古いことで〕、
昨日のちょうど今から五時間たったときで、〔数えると〕
千二百六十六年たったことになるわけだ。
おれは手下を何人かこのさきへやって、
身体を出す奴がいるかどうか検分《けんぶん》させるから、
そいつらについて行くがいい。手出しはさせぬ」(一一七)
そういって彼は呼ばわりはじめた、「出て来い。
アリキーノ、カルカブリーナ、それから
おまえもだ、カニャッツオ。バルバリッチァは十人連れていけ。
リビコッコも行け、それにドラギニァッツオ、
牙《きば》もちのチリアット、グラフィアカーネ、
ファルファレルロ、瘋癲《ふうてん》のルビカンテ〔ダンテがここで鬼の名をならべたのは、これから起こる事柄に読者の注意をむけさせるためだという〕もいくんだ。
とろんと煮えたぎるあたりをよく探すんだぞ。
このさきの岩窟の上に崩れずにかかっている一枚の岩橋まで
この方々を無事にお連れするのだ」(一二六)
「ああ、先生、このていたらくは何ということですか」
わたしはいった、「案内なしに わたしたちだけでまいりましょう。
道をご存じなら、先生だけでたくさんです。
いつものようにお気がつかれるなら、
あれらが歯をむいて 恐ろしい目つきで
おどしているのが、おわかりになりませんか」
すると師はわたしに、「案ずることはない。
あれらは煮られて苦しんでいる者どもに見せているのだから
思う存分に歯をむかせるがいい」(一三五)
鬼どもは左手の堤へ向かったが、
いざ出かけようとすると、親方への合図に
めいめい歯の間から舌《べろ》をつき出すと、
親方は尻から ぷっとラッパを鳴らした。(一三九)
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第二十二歌
その第五嚢の濠を、ダンテは師とともに十匹の鬼についてゆく。ナヴァラのチャンポーロが鬼を逃げそこなって、瀝青《チャン》のうえへ頭をだしたと見ると、たちまち釣りあげられた。鬼どもに肉を引きちぎられはじめると、仲間の汚職収賄の話をたくみにして、隙をうかがって瀝青のなかへもぐりこむ。それを掴《つか》まえようと、二匹の鬼がとびかかったが、相手に逃げられた腹いせに喧嘩《けんか》をはじめ、二匹とも瀝青におちて灼けてしまう。ダンテと師は、その鬼どものごたごたの間に、その場をたち去ることにした。
これまでにもわたしは、騎兵が陣を進めたり、
交戦しはじめたり、閲兵《えっぺい》されたり、
ときには危険をのがれて退くのを見た。
また、アレッツォの人よ、きみの郷国《くに》へいく偵察隊も見たし、
騎兵が急襲したり、格闘したり、
果し合いに馳せつけたりするのも見た。
そのときにする ラッパや 鐘や
太鼓や 城からの合図は、
お国ぶりだったり、他国流儀のやり方などと さまざまだが、(九)
こんなに風変わりな風笛〔肛門からでるラッパ、屁のこと〕で
騎兵や歩兵がうごいたり、
陸や星をしるべに動く船などは見たことはない。
わたしたちはこの十匹の鬼と歩いていった。
いやはや物騒な道連れのことで!
だが、教会には聖人、居酒屋には飲み助、というからね。
わたしが気をつけたのは もっぱらねばっこい瀝青のなかだった。
この環嚢《ボルジア》とそのなかで煮られている人たちが
どんな状態かを見るためである。(一八)
あたかも 海豚《いるか》が背を丸めて〔海豚が水上に背をだして船を追うのは、嵐がおこる前兆と信じられていた〕
船乗りに合図して
船を嵐から避けることをさとらせるように、
罪人のなかには、苦しみをやわらげようと
背中をちらと見せたかと思うと、
稲妻もおよばぬ早さで〔瀝青のなかへ〕もぐってしまう者もいた。
その濠の水際には、
手足もからだも水にかくして
鼻さきだけだしている蛙のように、(二七)
そこいら一面に罪人たちがいたが、
バルバリッチァが近づくと、
いっせいに煮えたぎる瀝青の底へ身をかくした。
いま思いだしてもぞっとするが、
仲間が水にもぐっても一匹のこる蛙のように、
ひとりの男がそこで愚図ついているのが見えた。
と、眼の前にいたグラフィアカーネが
瀝青でよごれた髪の毛に鉤《かぎ》をかけて吊《つ》りあげたが、
その男はまるで獺《かわうそ》そっくりだった。(三六)
わたしは鬼どもが選ばれたときに気をつけていたし、
あとで呼び合ってるときも注意していたから、
その十匹の鬼の名前はみな覚えていた。
「おい、ルビカンテ」と、呪われた鬼どもは口々に叫んだ、
「そいつの背中に鉤をぶちこんじまえ、
そいつの皮をひんむくんだぞ!」
そこで、わたしはいった、「先生、できるなら、
鬼どもの手におちたあの哀れな男が
だれなのか、お聞きくださいませんか」(四五)
導師はその男のそばに寄って
どこの国の出かとたずねた。男は答えて、
「おれはナヴァーラ王の国の生まれだ。
母親とある悪党の間に生まれた者だが、
そいつが自分の財産も生命も費《つか》いはたしたので、
母親はおれをある貴族の召使にしたのだ。
あとでは善良なチボー王家の執事となり、
そこで汚職|収賄《まいない》の限りをつくしたのが運の尽きで、
その罰がこの煮え湯責めという始末さ」(五四)
すると、猪《いのしし》みたいに牙《きば》が一本ずつ口からでているチリアットが
牙一本でもどんなに引きちぎれるかを
その男に味わわせてみせた。
運わるく猫の前へとびだした鼠《ねずみ》といった格好だ。
バルバリッチァはその男を両腕でかいこんでいった、
「おれが掴《つか》まえている間はさがっておれ!」
それから、師の方へ顔をむけていう、
「まだきくことがあれば、きいたらどうだ。
ほかの野郎がばらばらに引き裂かぬうちにな」(六三)
そこで導師は、「では、きくが、この瀝青の下の罪人のなかに
だれかイタリアの人間がいるかどうか、
おまえは知っているのか」すると男が答えた、
「さっき別れたばかりの奴がおれの郷里の近在の男だった。
ああ、あいつといっしょにもぐっていたら、
こんなに爪や鉤にびくつかなくてもよかったにな!」
やにわに、リビコッコが、「我慢もほどほどだぞ」
といいざま、鉤を男の腕に引っかけて裂くと、
その肉を一片むしりとった。(七二)
ドラギニァッツオも その男のふくらはぎの裏に
鉤をうちこもうとしたが、親方は二人を
恐ろしい目つきでぐるっと見まわした。
鬼どもがちょっといきり立たなくなると、
導師はすかさず、まだ自分の傷口を
見ている男にたずねた。
「不運にも 岸へ来るため別れたという
その男は一体だれだね」すると彼は、
「それは坊主のゴミータだ。(八一)
ガルーラの男で、詐欺《さぎ》まんちゃくの溜り壺だよ。
主君の仇《かたき》を手中にまるめこんで、
その手で、敵方に自分をほめさせたという奴。
金銭《かね》をつかむと、あいつのいうとおり静かにお引きとりねがった奴だ。
ほかの役についてもその伝《でん》で、
役とく収賄にけちけちしない大物だった。
相棒にはロゴドーロのミケーレ・ザンケの旦那《だんな》がいる。
サルディーニャ〔島〕のことばかりしゃべりまくって、
二人とも舌の疲れる様子も見えぬほどだ。(九〇)
おや、見なさらんか、鬼が一匹歯をむいている。
話したいのは山々だが、あいつがおれの瘡《かさ》を
掻きむしろうと構えているのがこわいのでね」
すると、鬼の親方〔バルバリッチァ〕が、
一撃を加えようと目をぎょろつかせているファルファレルロに
向かっていった、「さがっていろ、尻《けつ》まがりの鳥め!」
今の今まで怖じ気づいていたその男は またしゃべりだした、
「もしトスカーナやロムバルディアの御仁《ごじん》を
見たり話したりしたいとおっしゃるなら おれが呼びつけましょう。(九九)
だが、あいつらは鬼の旦那の復讐を惧《おそ》れているから、
このマーレブランケの旦那衆には 少々さがっていただきましょうか。
おれはここでこのまま坐っていて、
おれひとりの代わりに、七人の亡者を呼んでみせましょう。
おれらの習慣では 口笛をふけば
だれかが〔瀝青から〕面《つら》をだすことになっているんでね」
そういうと、カニャッツオが鼻面をあげ、
首をふっていった、「聞いたか、この悪だくみを。
こりゃ、こやつが下へとびこむ算段だぞ!」(一〇八)
すると、人をたぶらかすことに妙を得たその男は答えた、
「おれは悪知恵のまわりすぎる男だわい。
仲間をひどい目に合わせようというんだからな」
アリキーノは業を煮やして、ほかの鬼どもとは反対に
男にいった、「とびこめるなら飛びこんでみろ。
おれは走って追っかけなどしないぞ、
瀝青の上まで羽根でとんでいくのだ。
おれらは堤の上から下りて 土手を衝立《ついたて》にしよう。
手前ひとりでおれらに勝てるか、こりゃ見ものだぞ」(一一七)
ああ、読者よ、ひょんな勝負になったものだ。きいてくれ。
鬼どもはめいめい片っ方へ移った。
最初に移ったのは、いちばん反対した鬼だった。
このナヴァーラの男は、すきを窺《うかが》っていたが、
両足で大地をふまえるとみるや、
親方の腕から身をふりほどいて、とびあがって逃げた。
鬼どもはみなしまったと思ったが、
なかでもそのもとをつくった鬼はなおさら、
とび立つなり「掴まえたぞ!」と叫んだ。(一二六)
だが、とびはしたが それほどでもなかった。
翼が〔瀝青につくのを〕おそれて進まなかったからだ。
のがれた男は沈み、鬼どもはその上をとんで胸を起こしていた。
そのさまはさながら、鷹《たか》が近づくと、
鴨《かも》はすばやく水にもぐってかくれ、
すごすごといら立ってもどる鷹のようだった。
だまされて かっとなったカルカブリーナは、
そいつが逃げればそれでもいいと思って
仲間と格闘するつもりで、後を追ってとんでいった。(一三五)
そこで、ペテン師の男がもぐったとなると、
その爪を仲間〔アリキーノ〕に向けて
濠の上で引っかき合いをしたのだった。
ところが、相手も鋭いはい鷹で、
カルカブリーナをしっかと爪でつかんだから、
二匹の鬼は煮えたぎる瀝青のなかへ落ちこんでしまった。
熱いのですぐに爪は離したが、
翼には瀝青がべったりくっついたので、
二匹ともとびあがることはできなかった。(一四四)
バルバリッチァは手下とともに はらはらしていたが、
四匹の鬼に鉤をもたせて対岸へとばすと、
鬼どもはあっという間に
あちこちの命令の場所に下りて、
瀝青につかった鬼どもに鉤をさしだしたが、
二匹ともすでに皮のなかまで灼けていた。
こうしてごたついている鬼どもを後に、わたしたちはそこを立ち去ることにした。(一五一)
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第二十三歌
鬼どもが怒って追いかけてくる気配に、ダンテは師に抱かれて、第八の圏谷《たに》の第六の環嚢《ボルジア》へ逃げのびた。そこには、偽善者たちが、表は金だが裏は鉛でできている重い外套《がいとう》を着せられて、のそのそと歩いている。そのなかのふたり、ボローニャのカタラーノとロデリンゴに話しかけられる。地面に、磔刑《はりつけ》にせられて重い外套の亡者どもに踏みつけられている男がいたが、それがキリストの死刑を判決したパリサイ人の会議の司会者だった大祭司のカヤパと教えられる。ダンテたちはそのふたりに、手前の岩橋は崩れているが、岩礁をつたってゆけば濠をわたれることを教えられる。
おし黙って、ふたりきりで道づれもなく、
フランチェスコ教団の修道士がいくように、
ひとりがさきに、ひとりがあとになって、歩いて行った。
いましがた撲《なぐ》り合ったのを見たあとのことで、
蛙《かえる》と鼠《ねずみ》のことを物語るアイソポス〔イソップ〕の寓話《ぐうわ》を
わたしは思いだしていたのだった〔蛙と鼠とが旅して水ぎわについたとき、蛙が鼠を助けて水を渡すといってだまし、自分の足と相手の足とをむすんで、深みに来るともぐって鼠を溺れさせた。やがて鳶が水に溺れかけた鼠を見つけて引きあげ、鼠もろとも生きている蛙まで物にしたという話〕。
それはこの二つの出来事の起こりと結末とを
注意ぶかく比べて考えてみると、
「今《モ》」と「|いんま《イッサ》」〔ともに「今」という意味〕ほどの違いもなかったからだ。(九)
そして、一つの考えから別の考えがでてくるように、
これを思うとあれが思われてきて、
初めにいだいた怖ろしさが重なってくるのだった。
わたしはこんな風に考えてみた、「鬼どもは
わたしたちのせいで、死んだりあなどられたりして
馬鹿なことをしでかしている。きっとすごく腹を立てているにちがいない。
もし鬼のうらみに怒りが加わったとなると、
兎の匂いを追ってきて噛みつく犬にもまして、
気狂いのようになって わたしたちの後をつけるだろう」(一八)
わたしはすでにおびえきって 身の毛のよだつほどだったから、
うしろの方にきき耳を立てて、いった、
「先生、先生もわたしもさっさと身をかくさないと、
奴らはもうすぐ後ろに来ていますよ。
マーレブランケがほんとうに恐ろしい。
はや音がします、そんな気がするのです」
すると師は、「わしが鉛|張《ば》りの鏡だとしても、
わしがおまえのこころをとらえるほどには、
おまえの姿を こうも早くうつしだせまい。(二七)
たった今、おまえの考えがわしの考えのなかへ
わしのとそっくりな態度と表情をして入ってきたところだ。
この上は ふたりの考えから〔逃げるという〕結論をひとつだすだけだ。
右手の堤の傾斜がそんなにひどくなくて、
わしらがつぎの環嚢《ボルジア》へ下りてゆけるなら、
追手がよし来たとしても 逃げおおせられるだろう」
そんな師の意見をまだいいおえぬうちに、
わたしには早くも 鬼どもが翼をはって、
さして遠くないところをつかまえに飛んでくるのが見えた。(三六)
導師はすぐさまわたしを抱きかかえた。
それはあたかも、物音で目をさました母親が、
身近に火の手があがると見ると、
自分のことよりも子供に気をかけて
肌着いちまいで子供を抱え、
逃げだして足もとめない様子に似ていた。
岩ばかりの堤のかたい頂きから下へ向けて
つぎの環嚢の片側をとざしている岩の斜面を、
師は仰向きになって滑りおちていった。(四五)
その速さは、水車をまわすために
水路を引いた水が、車輪の輻《や》のまぢかになっても、
これほど勢いよく流れるとは思えないほどだった。
師はわたしを、道づれとしてでなく
自分の子のように、胸に抱いたままで
その崖っぷちを下っていった。
師の足がその底の谷床をふむかふまないかに、
鬼どもはわたしたちの頭上の崖の鼻に面《つら》をだしていたが、
もう鬼の心配はいらなかった。(五四)
上天の思召しで、鬼どもには第五の圏谷《たに》でこそ
〔神を〕代行するようになっていたが、
ここから外へでる力は ことごとく剥《は》ぎとられていたからだ。
その谷底には 色あでやかないでたちをした人たちがいた。
ひどくのろい足どりで歩きまわっていたが、
泣きながらゆくその顔には、疲労と落胆の色があった。
彼らは、目の上まで垂れさがる頭巾《ずきん》のついた
袖なしの外套《カッパ》をまとっていた。
それはコローニュの修道僧むきの裁ち方でつくった服だ。(六三)
〔その服の〕表面《おもて》こそ目もくらむばかりの金張《きんば》りだったが、
裏はどれも鉛で、その重いことといったら
フェデリーゴ〔二世〕の〔服〕など まるで藁《わら》でも着てるようなものだった。
本当に、疲れを永遠につづける外套だ!
わたしたちは今度も その魂たちといっしょに左手に道をとって、
哀愁のこもった嘆きをきこうとしたが、
その魂たちは重さに疲れて のろのろとしか歩けないので、
腰をうごかすごとに
わたしたちの道連れはいつも変わっていた。(七二)
「だれか名前なり仕事なり、世に知られた人を見つけてください。
歩いてる間にも目をあたりにくばっていてください」
と、わたしが導師にいったので、
そのトスカーナ訛《なま》りを聞きつけたひとりが、
背後からわたしたちに叫んだ、「足をとめてくれないか。
この暗い瘴気《しょうき》のなかをそんなに駆けぬけていくおまえたち!
おまえの知りたいことくらい、このおれからも聞けようぜ」
導師はそこで、振り返っていった、「待ってやれ、
これからあれの足に合わしていくんだ」(八一)
わたしは立ちどまって見ていると、ふたりの男が、
わたしに追いつこうと ひどくあせる気持を顔にあらわしながら、
道がこみ合うのと服が重いのとが、ふたりの足どりを遅らせていた。
さて、ふたりは追いつくと、物もいわずに
横目でしばらくわたしたちを見まもっていたが、
やがて顔を見合わせて互いにいいだした、
「喉《のど》のうごくところをみると、こやつら どうやら生きているようだな。
亡者とすれば、何の特権で
重い外套をぬいで通りくさるのだ」(九〇)
それから わたしに、「おお、トスカーナの御仁《ごじん》よ。
おまえは哀れな偽善者のなかへ入って来たが、
あなどらずにいってくれ、おまえはだれだね」
そこで、わたしはふたりに、「わたしが生まれて育ったのは、
うつくしいアルノの川ぞいの大きな府《まち》〔フィレンツェ〕です。
わたしはつねと変わらぬ生き身のままです。
だが、見うけると、きみの頬《ほお》には苦しみが
〔涙となって〕たくさん滴《した》たりおちているようだが、
そんなに〔うわべが〕きらきらしてるのは何の罰ですか」(九九)
その男はわたしに答えた、「この柑子《こうじ》いろの外套は、
鉛でできていて ひどく重いのだ。
これを量《はか》れば 秤《はかり》がぎすぎす軋《きし》むくらいだ。
おれらはボローニャの極楽僧〔栄光の聖母マリアの騎士と称した一団の修道僧〕だった。
おれの名はカタラーノ、こいつはロデリンゴ〔前者はグエルフィ党でミラノとピアチェンツァの行政長官。後者はギベリーニ党員。ふたりはフィレンツェの行政長官として、両党に公平な政治をするためにボローニャから招かれた〕。
おまえの府《まち》の平和を保つために、
〔市長には〕いつもひとりなのにふたりいっしょに招《よ》ばれたのだ。
そんなふたりだったから、
ガルディンゴ界隈《かいわい》はいまでもご覧のとおりだ」(一〇八)
そこで、わたしは口を切った、「ああ、坊主ども、おまえらの罪業《ざいごう》は……」
だが、わたしの目に、地面に三本の杙《くい》で磔刑《はりつけ》にされている男の姿が
あらわれたので、それ以上はいわなかった。
見ると、その男はひげに溜息を吹きつけて
身体をもがきとおしていた。
それと気づくと、修道僧のカタラーノがいった、
「おまえが見つめているあいつはな、
人民のためにはひとりくらい痛めつけるがいいと、(一一七)
パリサイ人たちにすすめた奴〔キリストを罰するようパリサイ人にすすめたカヤパというユダヤの祭司長〕だ。
見てのとおり、はだかで道へはすかいに寝ているが、
人が通ると その重みを
まずあいつが身にうけとめるというのが奴の仕事だ。
奴の義父〔アンナスという祭司長〕も、また ユダヤ人に禍いの種をまいた
あの会議の連中も、ご同様にこんな態《ざま》で
ここの濠で痛い目にあっているのだ」
ウェルギリウス先生はと見ると、
この永遠の流刑地で あんなにあさましく十字の形にはりつけられている
その男を見くだして驚いてる風だ。(一二六)
間をおいて、師は修道僧につぎのようにいった、
「いやでなければ、また許されているなら、いってくれないか。
わしらふたりが外へでられる口が、
右手の方にはないだろうか。
もしあれば、ここをでるのに 黒い天使〔鬼〕に
強《し》いてこの底まで来てもらうこともないのだが」
すると、カタラーノが答えた、「おまえが考えているより
ずっと近くに岩の塊がある。それが
そとの圏谷《たに》から突きでていて この恐ろしい濠にかかっている。(一三五)
そこは崩れていて橋の役にも立たぬから駄目だが、
斜面や谷底に積みかさなってる
ごろごろ岩の上なら登っていける」
導師は頭をかしげて しばらく立っていたが、
やがていった、「さては出鱈目《でたらめ》をぬかしたな、
向こうで罪人を鉤裂《かぎざ》きにしてるマラコーダの奴」
すると、カタラーノが、「おれは以前、ボローニャで
鬼の悪事をさんざ聞かされたものだ。
そのなかでも、あいつは嘘つきで、たばかりの父ということだった」(一四四)
いいおわるとすぐ、導師はその顔に
怒気をすこしあらわして 大股にそこを離れた。
そこでわたしも、この重い荷を負うた者〔鉛のフードのついた外套を着た者〕たちから離れて、
したしい〔師の〕足跡を追って 立ち去ったのだった。(一四八)
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第二十四歌
鬼にはだまされたが、師はダンテを連れて、岩橋の崩れおちた岩から岩をつたって断崖をのぼっていく。その行く手にある第七の嚢《ふくろ》には、盗賊たちが、その底で毒蛇に巻かれ噛《か》まれて苦しめられている。ピストイアの教会堂から、聖器類を盗みだしたヴァンニ・フッチは、蛇に噛まれると、燃えて灰になって地上に倒れたが、やがてもとの人間のかたちに戻った。そのフッチから、ダンテはフィレンツェを襲う災難の予言をきく。
その年のまだうら若いころは、
太陽が宝瓶宮《ほうへいきゅう》の下でその髪の毛を温《ぬる》びたたせ、
夜がすでに昼間の半ばほどにみじかくなっていた。
そのころには、霜が白い姉〔雪〕のおもかげを
地上に描きうつすことがあっても、
その筆のはこびのつづくのは わずかな間だ。
羊のまぐさのとぼしくなった百姓は、
起きだして眺めると、野づらがいちめん真白なのを見て、
がっかりして 腰をたたくのだ〔霜を雪と見あやまって、やれやれと腰をたたく〕。(九)
失意の人が手のほどこしようもないように、
家にもどっても あちこち愚痴をこぼして歩くのだが、
やがて野へもどってみると、ちょっとの間に
世界が一変しているのを見て、
希望がよみがえり 杖をとりだして、
小羊を追って 草をやりにでてゆくものだ。
その百姓のように、師の顔がさえないのを見ると、
わたしもどぎまぎしはしたが、
それもとたんに晴れて 心配がなくなっていた。(一八)
というのも、わたしたちが崩れた岩橋のたもとに来たとき、
かつてあの山の麓で見せたようなやさしい眼ざしで
師がわたしを振りかえったからだ。
師はまず岩の崩れ方をたしかめてから、
あれこれ思いめぐらした末に、
両手をひろげて わたしをつかまえた。
そして常にさきざきのことまで見とおして
事にあたり 事のなりゆきを考える人のように、
大きな岩塊の上へわたしを押しあげながら(二七)
それにつづく岩の割れ目に注意していった、
「登ったら、あの岩にしがみつくんだ。
だがその前に、乗っても大丈夫かどうかたしかめるんだよ」
どう見ても、これは鉛外套の連中の道ではなかった。
身軽な師にしても 押してもらったわたしにしても、
やっとの思いで突き出た岩の間をよじ登れたくらいだからだ。
そして、こんどの崖の斜面がさっきのそれより
短くなかったら、師はいざ知らず、
わたしは完全にまいってしまっていただろう。(三六)
だが、マーレボルジェは、全体として
どん底の井戸の空地へ向けて傾斜しているのだから、
それぞれのマーレボルジェのあり方は、自然と
外側の濠の崖が高く内側のそれが低くなっている。
それでもわたしたちは、最後の岩が崩れおちて
突きでている〔第七の〕堤の頂きに やっとたどりついた。
わたしがその上に着いたときは、息を肺から
しぼりとられて、もう歩くどころか、
着くやいなや、へたへたと坐りこんでしまった。(四五)
「いまこそ、おまえは骨惜しみをすべきではない」
師はいった、「羽根蒲団《はねぶとん》の上に坐り、
掛蒲団の下で眠って 名声を得られたためしはない。
名も得ずに 生涯を浪費する者が、
地上にのこす己《おの》れの足跡は、
いわば空のけむり、水の泡《あぶく》のようなものだ。
さあ、立ちあがれ。おまえが肉体の重みに耐えるのなら、
どんな戦いにもうち克《か》つ精神の力で、
おまえの呼吸の苦しみに克つことだ。(五四)
おまえはもっと長い坂〔煉獄〕を登らねばならないのだ。
鬼から遁《のが》れただけでおわるわけではない。
わしのいうことがわかったら、いまはわしのいうとおりにすることだ」
そこで、わたしは起《た》ちあがって、そんな気はしなかったが、
いきが楽になったような振りをしていった、
「参りましょう、わたしは元気で気負っていますから」
わたしたちは道を岩礁の上にとったが、
その道は岩がごつごつして 狭くて 歩きづらく、
さきの道よりもはるかに嶮《けわ》しかった。(六三)
わたしは臆病に思われたくないので 話しながら歩いたが、
つぎの〔第七の〕濠のどこかから声が洩《も》れてきた。
それは言葉にもならない声だ。
わたしがそこにかかっている橋の頂きに立っていても、
その声は何をいってるのかわからないが、
どうやら話している者はぷりぷりして走っているらしい。
わたしは振りかえって下方を見たが、
肉眼では暗くて 谷底まで見とおすことはできなかった。
だから、わたしは、「先生、つぎの〔第八の〕環嚢《ボルジア》へ(七二)
連れていってください、岩壁を下りましょう。
声はしても ここでは何のことかわかりませんし、
下を見ても物のかたちが何もつかめません」
「そうするよりほか、おまえには返事のしようがない」
と師はいう、「真剣な問いかけには、
不言実行でかえすべきだからね」
わたしたちは、第八の堤につながっている
岩橋の端から下へくだったので、
それからは環嚢《ボルジア》の様子が明らかになった。(八一)
そのなかでわたしが見たものは
恐ろしい蛇の群で、その異様な雑多な種類は
思いだしてもいまでも血の凍るほどだ。
よもや リビアの砂漠は、よしんばケリドリ、
ヤクリ、ファレー、チェンクリ、アムフィスベーナなどの
毒蛇を産するとしても それを誇れはすまい。
さらにそれに加えて、エチオピア全土と
紅海ぞいの砂漠を入れても、
ここほどに多くの悪疫や有毒なものは見られなかったからだ。(九〇)
そのあらあらしい いいようもない陰気な蛇のなかを
おびえきった人たちが裸のままで、
身をかくす穴も〔毒消しの〕血宝石〔紅い斑点のある緑色の宝石〕も見つからずに逃げまわっていた。
ひとの両手を背中でしばりあげた蛇が、
その腰をしめつけた尾と頭を
からだの前でからみ合わしている。
かと思うとどうだろう。わたしたちのいる岸の前にいた
ひとりの男に 蛇がとびつくなり、
その男の首のつけ根に歯を立てた。(九九)
すると、その男は、OやJと書く間もないすばやさで、
からだに火がついて燃えあがり
身体ごと灰になって倒れおちた。
だが、こうして男は灰となって地面に崩れたが、
やがて灰がひとりでに集まると
やにわに もとの人のかたちに戻ってしまった。
あのすぐれた賢者〔ダンテはこの賢者をオウィディウスとして、その『転身物語』にある変形譚や死者の蘇生する例を述べている〕のいうところでは、
不死鳥〔フェニックスのこと。エジプトの霊鳥で、ヘロドトスの『歴史』、プリニウスの『博物誌』、タキトウスの『編年史』にも出ている鳥〕は五百年目に近づくと
死んでまたよみがえるという。(一〇八)
その鳥は一生のあいだ草も麦もついばまず、
香《こう》と生薑《しょうが》のしずくだけで命をつなぎ、
甘松香《かんしょうこう》と没薬《もつやく》で身をはてるという。
それはあたかも、鬼の力で地面に引きずられたのか、
人〔の自由〕をしばる麻痺《まひ》のためなのか、
そのわけも知らずに倒れた人によくあることで、
起きあがると、あたりを見まわして
そのうけたひどい痛みにとまどって
きょろきょろしながら溜息をつくものだが、(一一七)
例の罪人もやがて起ちあがると、そんな格好をしていた。
懲罰《ちょうばつ》とはいえ こんなに打撃を食わすとは、
ああ、神の力は何という厳しさだろう!
ややあって、導師がその男にだれかと訊ねると、
その男は答えた、「おれ〔ピストイアの名門の出で、フッチオ・ディ・ラズァーリの庶子。黒党に属していた〕はついさきごろ、トスカーナから
このたけだけしい喉《のど》〔地獄〕のなかへ雨と降りこんだばかりだ。
おれには人間のではない 獣《けもの》の暮らしが性《しょう》に合っていた。
騾馬《らば》〔生前に非道なことが多かったから、人間でなくて畜生だったと自嘲している〕のような生まれだからな。獣のヴァンニ・フッチたあ、おれのことだ。
ピストイアの府《まち》は おれにはとっときの岩窟だったよ」(一二六)
そこでわたしは師に、「逃げるなといってください、そいつに。
どんな罪で落とされたかきいてください。
わたしはそいつに見覚えがあるのです。血の気の多い怒りっぽい奴〔盗賊で人殺しをした男〕でした」
それをきいて その男はきこえぬふりもせず、
心も顔もわたしの方をまじまじとのぞきこんだが、
いささか面《おも》はゆい色をうかべていった、
「おれはな この世の生命を奪われたときよりも、
ここでみじめに掴まったおれを見られる方が
よっぽどおれにはつらいよ。(一三五)
おれはおまえのもとめを断わることはできん。
おれがこんなに下まで落とされたのは、
聖器納庫からきれいな聖具を盗みだしてよ、
その罪を他人になすりつけたからよ〔ヴァンニは教会の聖器納庫から宝物を盗んで、その罪を友人のランピーノになすりつけた〕。
しかしだな、万一おまえがこの暗いところ〔地獄〕からでることがあってもな、
おれを見てよろこばないためによ、
耳をほじって おれの予言をきいておくことだ。
ピストイアではまっさきに黒党がさびれる、
ついでフィレンツェでは人も掟《おきて》も入れかわる。(一四四)
マルテ〔戦の神〕が、暗雲につつまれた
ヴァル・ディ・マグラから焔をひきだすと、
それが烈しく猛威をふるう嵐をともなって
ピチェーノの平原で決戦がはじまるだろう。
そこでマルテがやにわに霧をうち払って、
白党の奴ばらがおおかた傷つくという寸法さ。
おれがこういうのも、おまえに苦《にが》い味をなめさせてやりたいからよ」(一五一)
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第二十五歌
フッチの話につづいて、第八の圏谷《たに》の第七嚢で盗賊どもが呵責される物語である。神をけがす悪態をついたフッチは、蛇にしめつけられて物もいえずに逃げだすが、カクスの化身の半人半馬がいきり立って彼を追う。その腰には無数の水蛇がとぐろを巻き、その背には火竜がまたがって火焔をふきつけている。ダンテはフィレンツェの四人の盗賊の亡者に会うが、蛇がその二人にとびかかると、人と蛇のからだが合体して異形なものに転身する。その転身する有様を、ダンテは異常なイメージで克明に描写していて、読む者をぞっとさせる。
そういいおえると、その盗賊は
両手の拳《こぶし》を無花果《いちじく》のかたちに握って〔人をあざけるときの下品な仕ぐさ〕さしあげ、
「取ってみな、神さま。おまえさんに見せているんだぜ!」と叫んだ。
そのときからあとは、蛇もわたしの味方になった。
というのは、「もう口をたたかせないぞ」といわんばかりに、
一匹の蛇がとっさにその首へ巻きついたからだ。
つづいてもう一匹が、その男の腕にからみつき、
前で尾と頭をからみ合わすと、
両腕をがんじがらめに ぎしぎし締めつけた。(九)
ああ、ピストイアの府《まち》よ、ピストイアよ、
これ以上つづかぬように なぜ自分を灰にするようにしなかったのだ、
悪事にかけては、おまえの先祖をしのいでいるのだから。
この闇黒《あんこく》の地獄のどこの圏谷《たに》でも、
こんなに思いあがって神にさからう魂は見たことがない。
テーバイの城壁から墜ちた者〔カパネウス〕でさえ この男ほどではないのだ。
その男はもう一言もいわずに逃げていった。
と、ひとりの半人半馬《ケンタウロス》が怒りにもえて、「どこだ、
とげとげしい舌の針はどこだ」と喚《わめ》きながらやってくるのが見えた。(一八)
その人間のかたちをした尻から上のところに
からみついている水蛇の数は、
マレムマ〔の沼沢地〕にも これほどいるとは思えないくらいだった。
また その肩のうえの項《うなじ》のうしろには
火竜が翼をひろげてわだかまっていて、
行きあう者に火焔を吹きかけていた。
師はいった、「あいつがカクス〔ヘラクレスの牛を盗んだギリシア神話の有名な盗賊カクス〕だ。
アヴェンティーノ山の岩窟の下を
しばしば〔家畜の〕血の湖にした奴だ。(二七)
カクスは兄弟たちと同じ道は歩かない。
自分の近くにいた大量の家畜を
だまくらかして盗んだからだ。
そのいかがわしい所業は、ヘラクレスの
棍棒でやまったが、百たたかれたうち
十も 奴は覚えていなかったようだ〔ヘラクレスが棍棒で十度うつ前にカクスは死んだから〕」
師がこう話しているうちにも、半人半馬《ケンタウロス》は行きすぎてしまって、
三人の魂がわたしたちの足もとに来ていたが、
「おまえらはだれだ」と呼びかけられるまで、(三六)
師もわたしも それには気がつかなかった。
それで、わたしたちは話をやめて、
もっぱらその三人に注意することになった。
わたしはその男たちに見おぼえはなかったが、
何かの場合によくあることだが、
そのひとりが「チャンファはどこで引っかかってるんだ」
といって、もうひとりの名〔チャンファと呼ばれた盗賊はフィレンツェのドナーティ家の一族で、グエルフィ党員〕をあげるようなことになった。
それを聞いてわたしは、師の注意をひくために、
あごから鼻へ指を立てた〔物をいうな、という合図〕。(四五)
読者よ、わたしがこれから話すことを
信じかねないとしても、別に不思議ではない。
それを見たわたしでさえ やっと納得するくらいだからだ。
わたしが目をあげて彼らを凝視していると、
六本の脚のある蛇〔チャンファの変身〕が、
ひとりの男〔フィレンツェの名門ブルネレスキ家のアニエル・ブルネレスキで、つけひげとみすぼらしい変装をして盗賊を働いた〕にとびかかって全身にからみついた。
中脚では男の腹をしめつけ、
前脚で二本の腕をつかんで、
おもむろに左右の頬《ほお》に噛みついていた。(五四)
後脚を男の両|腿《もも》へのばして
股のあいだに尾をさしこむと、
男の尻から背中にそって 上の方へのばした。
いまこの恐ろしい怪物が、
その身を人のからだにぴったり捲きつけたさまは、
とても蔦《つた》が樹にからみつくどころではなかった。
やがて、この二つのものは、まるで蝋《ろう》が熱せられるように、
ぴったりくっついて色もまざり合い、
どちらも もとの姿ではないように思われた。(六三)
それはあたかも、紙の表面が燃える前には、
黒とも白ともつかぬ
こげ茶いろになっていくようなものだった。
のこったふたり〔ブオーゾとプッチョ〕はそれを見て、口々に叫んだ、
「ああ、どうしたことだ、アニエル。何て変わりようだ!
見ろよ、おまえはもうふたりでもひとりでも ないのだぞ」
そのときはすでに 二つの頭は一つになっていて、
眼の前にあらわれてきたときには、二つの顔がなくなって、
ふたりの顔がまざり合って一つの面《つら》になっていたのだ。(七二)
四つの肉片から〔蛇の二本の前足と人間の両腕〕は二本の腕ができ、
足と腰、腹、胸などが、
見たこともないような肢体《からだ》になっていた。
もとの姿はどちらもそのときに消えて、
その異様なかたちは、人とも蛇ともつかぬものに思われたが、
知らぬうちに ゆっくり立ち去っていた。
夏のさかりの強い日ざしの下では、
籬《まがき》から籬へ道をよこぎる蜥蜴《とかげ》は
まるで稲妻のように〔迅《はや》く〕見えるものだが、(八一)
黒味がかったにぶい色の胡椒粒《こしょうつぶ》のような
小さい蛇〔カヴァルカンティの変身〕が、きらりと光って、
そこのふたりの腹をめがけて来るのもそれに似ていた。
蛇はそのひとり〔ブオーゾ〕の わたしたちが最初に
栄養をとるところ〔へそのこと〕に噛みつくと、
その男の前に落ちてながながと横たわった。
噛まれた男はそれを見ても 何もいわない。
足をふんばって、眠ったのか熱にうかされたのか、
ただあくびをするだけだった。(九〇)
男は蛇を 蛇は男をたがいに見つめていたが、
男は傷口から 蛇は口から
煙をひどく噴きだすと、煙は煙とまざり合った〔人は人、蛇は蛇の、自然の性質を互いに吐きだし、煙がまじると変形の作用が起こる〕。
ルカーヌス〔以下はルカーヌスの『ファルサリア』に出る話〕よ、もうあの哀れなザペルルスと
ナシディウスの〔変形した〕ことにふれた条《くだり》のことにはふれないで、
これから起きることに耳を傾けてくれ。
オウィディウスもそうだ、カドモスとアレトゥザのことには口をつぐんでくれ。
男を蛇に 女を泉に 歌にうたって変形させたからとて、
わたしはそれを羨《うらや》みはしないのだ。(九九)
というのも、〔オウィディウスのでは〕二つの形を
それぞれの物質にすばやく取り替えるというやり方なので、
二つの本性〔人性と蛇性〕が面と向かって変形なんかしなかったからだ。
ところが、この二つのものはたがいに相応じて変わったのだ。
蛇が尾を又《また》のように二つに裂けば、
刺された男の足は一本に〔尾に〕しぼられた。
こうして二本の脚と腿がぴったりくっつくと、
またたくうちに その継ぎ目には
それとわかる印《しるし》がなくなった。(一〇八)
〔蛇の〕尾は裂けて そこでなくなった男の〔二本の〕足の形をとり、
〔蛇の〕尾の皮がやわらかくなると
男の方の皮は堅くなった。
見ていると、二本の腕が〔ブオーゾ〕の腋の下に入り、
前には短かった怪物の二本の脚がのびると
それだけ男の足がちぢまっていった。
それから小蛇の二本の後肢《あとあし》〔この二本の後肢の蛇はフランチェスコ・カヴァルカンティの変身したもの〕がよじれると、
ひとの隠すものの形になり、
みじめな男〔ブオーゾ〕のそれは分かれて 二本の〔蛇の〕脚になった。(一一七)
そして煙が ふしぎな色をしたこの二つのものを
おおい隠しているあいだに
〔蛇の〕ある部分には〔人間の〕毛が生え〔人間の〕ある部分から毛がなくなり、
一方〔人間になった蛇〕が立ちあがると 他は下に分かれて倒れ、
そのために めいめいその相貌は変わったが、
その下の 神を畏《おそ》れぬ目つきだけはもとのままだった。
すっくと起ちあがった方は、〔人間の〕相貌を額にひきよせた。
だが、その〔蛇の〕肉が額にあつまりすぎたので、
のっぺりした頬から耳がとびだした。(一二六)
うしろへまわらずにそこへ残った肉は、
顔に鼻をつくり、また
〔人間らしく〕脣《くちびる》にいくらか厚味をつけた。
地上に倒れた方は〔蛇の〕面《つら》を前につきだし、
かたつむりが角を引っこめるように、
耳を頭部におさめてしまった。
そして、以前は物をいうたすけをした一枚の舌が
二つに裂ける。相手はと見れば、
フォークの形の舌が一本になる。と、そのとたんに煙は消えた。(一三五)
蛇身になった魂がひゅうと音を立てて
谷間にむかって逃げだすと、
人身になった魂は蛇身の魂のうしろから話しかけて つばを吐いた。
それから できたばかりの肩を蛇身の魂の方へむけて
もうひとりの男〔プッチョ〕にいった、「ブオーゾはな、
おれがやったように この道を匍《は》っていくがいいよ」
こうしてわたしは、第七の嚢で〔船の〕脚荷《あしに》の砂利〔罪の魂〕が変身したり
転身したりするのを見たが、筆がいささか乱れたようだ。
ことの異常なゆえと お許しをねがいたい。(一四四)
わたしの目はいくらか混濁し、
こころも弱ってぼんやりしていたが、
そのため、残ったふたりが わたしの目をかすめて逃げて行くほどでもなかった。
そのひとりがプッチ・シアンカート〔フィレンツェの盗賊のひとり。ギベリーニ党員で、夜は盗まず、昼間に堂々と盗んだという〕だと見分けられないわけではなく、
彼は、はじめに近づいてきた三人の仲間のなかで、
姿の変わらなかったただひとりの男だった。
もうひとりのこったのは、ガヴィルレの村よ、
おまえが泣いている〔小蛇だった〕あの男だったのだ。(一五一)
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第二十六歌
第八の圏谷《たに》の第八の環嚢《ボルジア》を見おろすところまで来ると、谷あいに焔が螢《ほたる》の火のようにうごくのが見える。ここも欺罔者《きもうしゃ》のいる谷だが、謀略をもって人をだました魂が、ひとりずつ焔にくるまれて焼かれている。そのなかで一つの焔が二つに分かれてもえているのは、オデュッセウスとディオメデスのふたりがいっしょに焼かれているからだ。オデュッセウスは地中海を出て、大洋を南下して海に呑まれた最後の航海のことを、焔のなかからでる声で物語る。姿は見えないが、焔が舌のように揺れてうごいている。
よいぞ フィオレンツァの府《まち》よ。おまえはたしかに大きいし、
おまえの翼は海陸にはばたいているよ、
地獄でも おまえの名はあまねく轟《とどろ》きわたっているのだぞ!
盗賊どものなかに、そんなおまえの市民を
五人も見つけて わたしは恥ずかしい思いをしたが、
これでおまえの名のあがることはまずあるまい。
だが、暁がたの夢は正夢だというが、
おまえは遠からぬうちに、プラートの府《まち》や
その他の府はもとより、おまえにもとめた禍《わざわ》いを 思いしるだろう。(九)
すでにそれが起こっていたとしても 早すぎはしまい。
起きたからには 避けるわけにはゆかないのだ!
年をとってからでは、その辛さがよけい身にしみるというものだ。
わたしたちはそこを出発した。
さきに下りてきた岩が出ばってできた段を
師がまず登って わたしを引きあげてくれた。
それから岩の裂け目と ごろごろした岩塊のあいだの
もの淋《さび》しい道をすすんで行ったが、
手を使わずには足がでなかった。(一八)
そのとき わたしは心悲しかったが、
そこで見たものに心がうつると いまでもわたしは泣けてくる。
徳にみちびかれずに才ばしらぬよう、
日ごろにもまして わたしは才気を抑えよう。
だから、幸運の星か神の恩寵《おんちょう》が わたしに才をお与えなさったのなら、
なおさら その才を濫用しないようにしたいものだ。
この世を照らすもの〔太陽〕が
その顔をかくすことのすくない季節〔夏〕の
蚊《か》が蝿《はえ》にかわって出てくる時刻には、(二七)
小丘でひと息入れている百姓《ひゃくしょう》が、
ブドウを摘《つ》んだり耕したりするあたりとおぼしい
かなたの谷間に 螢《ほたる》の火をたくさん見おろすものだが、
それほど多くの焔が 第八の環嚢《ボルジア》にかがやいていることを、
その谷底の見えるところへ着くとすぐ、
わたしは気づいていたのだった。
〔話にきく〕あの熊に仇《あだ》を打ってもらったエリシア〔『列王紀略』の話〕は、
エリアの馬車〔予言者エリアはエリシアの目の前で昇天した〕がとび立つのを見たが、
そのとき馬は天にむかって急に駆けのぼり(三六)
それを目で追うこともかなわず、
見えたのは ただ焔ばかりで
ひとひらの雲のきれのように昇っていった。
その濠の溝のあたりを動いている焔の一つ一つもそれに似て、
どの焔も隠しているものは何にも見せていなかったが、
焔はそれぞれひとりの罪人を包みかくしているのだった。
わたしは岩橋の上で身をのりだしてその焔をのぞきこんでいた。
大きな岩角につかまっていなかったら、
どこにもぶつからずに墜《お》ちたかもしれなかった。(四五)
わたしが目ばたきもせず見とれているのを見て、
師がいった、「魂は火のなかにいる、
みな自分を灼くものに包まれているのだ」
「先生」わたしは応《かえ》した、「そううかがって、事がはっきりしました。
わたしもそうじゃないかと思っていたところです。
『あの焔のさきが二つになってる中の人はだれですか。
エテオクレス〔テーバイの七王の戦いのとき、エテオクレスとポリュニケースが一騎打ちをして、両者ともに斃れたが、二人の死骸を焼いた薪の焔が二つに分かれたという故事〕が弟といっしょに焼かれた
あの薪《まき》を立ちのぼる焔みたいですが』
と申しあげようと思っていたところです」(五四)
師はわたしに答えた、「あのなかで呵責をうけているのは、
オデュッセウスとディオメデス〔二人ともホメロスの詩にうたわれて名高いギリシアの英雄〕だ。ふたりいっしょに
おん神の怒りを買ったので 神罰をうけるのもいっしょだ。
かつてローマ人の気だかい血統の
出てきた因《もと》となった木馬の計略のことを、
あれは焔のなかで嘆いているのだ。
またディダメイア〔アキレウスの妻。アキレウスとの別離の悲しみに堪えず早世した〕は、死後もアキレウスのことで悩んでいるが、
その手管《てくだ》のゆえに火のなかで泣いている。
それにパラス〔の像〕のことでも神罰を食らっているのだ〔この像がトロイアの城内にあるかぎり安全だと信じられていたが、オデュッセウスとディオメデスは変装して忍び入って、これを盗んでギリシア陣へ送った〕」(六三)
「もし火の中でも あれらが口がきけるなら」
わたしはいった、「先生、心からのお願いです、
千度に一度のことですから かさねてお願いします。
あのさきのとがった焔がここへ来るまで、
わたしが待つのをとめないでください。
〔話を〕ききたいばっかりに あれらに身をのりだしているわたしをご覧ください」
すると師は、「おまえの願いは
ほめていいことだから わしも承知だ。
だが、おまえは口をつつしむことだな。(七二)
おまえのいおうとすることはわかっているから、
話はわしにまかせなさい。あれらはギリシア人だったから、
おまえの言葉をあなどるかもしれん」
やがて 焔がこの近くに来ると、
師はその場所と頃合いをはかって、
つぎのように話しかけるのが聞こえた。
「ああ、君たち、ふたりして一つの焔の中にいる君たち、
わしが生前に 君たちにつくせたなら、
さきの世で高貴な詩をかいて(八一)
君たちに何がしか つくせたと思うなら、
その足をとめてくれぬか。どちらかひとりいってくれぬか、
どこで迷って 身をはてたか〔オデュッセウスは故国イタカに帰ってペネロペの貞節に報いた。しかし当時これと異なる伝説があって、オデュッセウスは大西洋の探険航海を企てて、勇敢な士卒とまずポルトガルへ行ってリスボンの府をおこし、それから、アフリカの西にあたる海上で暴風にあって死んだとある。ダンテはこの後の伝説に取材して新しい物語をつくった〕ということを」
古い焔の大きい角のほうが〔ディオメデスよりオデュッセウスの方が傑出していることを示している〕、
風にあおられた焔のように、
声にもならぬ声でうめきながら 揺らぎはじめた。
そして ものをいう舌みたいに
焔のさきをあちこち動かして
声を〔焔の〕そとへ出していった、(九〇)
「おれがキルケ〔妖女の名〕に別れたときのことだ。
そこはおれを〔その女が〕一年の余もかくまってくれたガエタの近くだが、
それは『アエネイス』に〔その府の〕名のでる前のことだ。
わが子〔テレマコス〕のかわいさも、老父〔ラエルテス〕へのおもいやりも、
〔妻の〕ペネロペをたのしませるはずの
〔夫としての〕愛のつとめでさえも、
世の中というものを知り、
人間の悪徳と価値を知りたくなった
おれの身内にある熱情には克《か》てなかった。(九九)
そこで、一|艘《そう》の小舟と あの小人数の
おれを見棄てなかった仲間といっしょに、
ひろい海〔地中海〕へ乗りだしたのだった。
おれは、スパーニャ〔イスパニア〕やモロッコまでの
〔ヨーロッパ側の〕岸もあちらの〔アフリカ側の〕岸も見たし、
地中海に周囲を洗われているサルディ人の島〔サルディーニャ島〕やそのほかの島々も見た。
ヘラクレスがかつてそこからさきへは
人間の行けぬ印《しるし》に標識を立てた
あの狭い〔ジブラルタルの〕海口まで来たときには、(一〇八)
おれも仲間も年老いて 動きものろのろしていた。
右手にはシビリヤ〔セヴィリア〕をあとにし、
左手にセウタ〔ジブラルタル海峡に面したアフリカの町〕がすでに遠ざかっていた。
『仲間よ』とおれはいった、『十万という危険をおかし
諸君は世界の西の涯《はて》までたどり着いた。
まだ諸君にのこっている生命が
めざめているのもさして長いことではないが、
太陽のあとを追って人もいない世界で
経験をつむことを拒みはしまい。(一一七)
諸君の人生の本義について考えてみろ、
諸君は獣のごとく生きるために創られたのではない、
知識と徳にしたがうために生まれたのだ』
このおれの短い演説が
旅をつづける仲間の熱意をかりたてたので、
それからは引き返さすことも難しかった。
おれたちは、船尾を日の出る方〔東〕へ向け、
櫂《かい》をこの狂おしい船路の翼として
いつまでも左手〔南〕の方へ下っていった。(一二六)
夜になると 満天の星がはや南極に見えはじめ、
北極の星々はすごく低くなって
やがてそれは海面の空へはのぼらなくなった。
おれたちが大海へ乗り出してから、
月は五たび盈《み》ち五たび虧《か》けて〔五カ月がすぎた〕
光が月の下の方にあたっていた。
そのとき、はるか彼方に
褐《かち》いろの山〔煉獄の浄罪山〕があらわれてきたが、
かつて見たこともないほど高い山のように思われた。(一三五)
おれらはとたんに陽気になったが、たちまちそれが悲嘆に変わった。
なぜなら、新しいこの大陸には旋風が捲きおこり、
それが船首に突きあたると、
三たび船体は水とともにぐるぐるまわったが、
四たび目には船尾をたかだかと持ちあげて
船首を〔水に〕突っこんだからだ。おん神のおもんぱかりのようで〔神は生ける者の足が浄罪山の陸をふむことをお許しにならない〕、
ついに、おれらの上には、海がふたたび閉ざしてしまったのだ」(一四二)
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第二十七歌
その焔の声が絶えると、別の声が焔のなかから話しかけてきた。グイード・ダ・モンテフェルトロで、彼はまずロマーニャの情勢をダンテにただした。そのあとでダンテの問いに答えて、自分の身の上をつぶさに語った。その罪におちたのも、策略を用いて法王ボニファキウス八世をそそのかしたためで、彼が死んだあとで聖フランチェスコが引きとりに来てくれたが、黒い天使にさらわれて、見てのとおり、この第八の圏谷《たに》の地獄の底に墜とされる羽目になったというのである。
もう話もないとみえて、焔はまっすぐに立って ひっそりしていた。
して、やさしい詩人の許しがでると、
いつの間にか わたしたちのもとを離れていた。
そのときである、後から来た別の焔が
声とも思えぬ音をそとへだしたので、
わたしは目を 思わずその焔の火《ほ》さきへ向けた。
〔むかし〕シチリアに〔拷問用の〕牡牛〔アテナイの工匠ペリルロスがシチリアの暴君ファラリスのために造った銅製の牡牛。人をそのなかに入れて焼けば、そとへもれる苦痛の声が牛の鳴き声になってでる仕組みになっていた。そして、その最初の犠牲になった者がそれを造ったペリルロス本人だった〕があって、
鑢《やすり》でそれの形づくりをした奴の悲鳴が
初《はつ》の唸《うな》り声になったとは もっともな話だが、(九)
〔拷問で〕責められる者のうめき声で〔牛が〕唸るしくみになっていた。
ことほど左様に、牛は銅製だったとはいえ、
悲鳴の声がそれをつきとおして洩れるかと思われたというが、
それにも似て、焔のなかからでる道も口も
初手《しょて》には開いていないので、
いたましい言葉のかずかずは 火のもえる音に変わっていた。
一旦《いったん》その道が通じたとなると、
息がとおるときの
舌のふるえが 焔のさきに伝わっていたのだった。(一八)
「おい、おまえ」という声が聞こえた、
「おれが声をかけたのはおまえだ。ついさっきロムバルディア訛《なまり》〔ウェルギリウスの本国の言葉〕で
『さあて≪さ≫ 行けよ、もう責めないから』といってたおまえのことだ。
来るのがちと遅すぎたかもしれぬが、
よければ おれと立ちどまって話してもらおうか。
見てのとおり灼《や》かれているが おれはかまわん。
もしおまえが たった今、おれが罪のすべてを背負ってきた
あのうるわしいイタリアの地から
この無明《むみょう》の世〔地獄〕へ墜ちてきたのなら、(二七)
おれに話してもらおうか、ロマーニャ〔当時のロマーニャは、東はアドリア海、西はボローニャ、南はアペニーノ山脈、北はポオ川に囲まれた地域〕の者どもは 平和か戦争か。
おれ〔グイード・ダ・モンテフェルトロをさす。ロマーニャのギベリーニ党の領袖〕はウルビノの府《まち》とテヴェレ川の源になっている
山脈とのあいだの山国からでてきた者だ」
わたしはまた身をかがめて 下の方に気をとられていた。
そのとき導師はわたしの脇を肘《ひじ》でつっついていった、
「おまえが話せ。あれはイタリアの男だ」
そこでわたしは、返事の用意はできていたから、
ためらわずに話しはじめた、
「おお、〔焔の〕下にかくれている魂よ、(三六)
きみの祖国ロマーニャでは、君主たちの胸中に
戦争の絶えることはなかったが、さきほど
わたしがそこを立ったときには そのけはいは見えなかった。
ラヴェンナの府《まち》は長年そのままで変わらず、
ポレンタ家の鷲《わし》が卵をかえそうと
チェルヴィアの町を羽根の下におさめている。
ながい包囲戦で、血まみれの
フランス兵の死骸を山と積んだあの府〔フォルリ〕は、
いまふたたび緑の爪〔の紋章〕の下にある。(四五)
モンターニャに悪政をしいた
ヴェルッキョ〔城〕の親子二代の猛犬は、
例のところで歯を錐《きり》として苦しめている。
ラモーネ川とサンテルノ川の川ぞいの府々《まちまち》は、
夏から冬へと政党の鞍《くら》がえをして
白地に青獅子〔の紋章〕をむかえ入れているし、
それに、サヴィアの川に横を洗われているあの府〔サヴィア河畔のチェゼナの府〕は、
平野と丘の中間にあるように、
暴政と自由のあいだで生きのびているといったところだ。(五四)
それはそうと、きみはだれだ、話してくれ。
ひとがそうだったように かたくなにはなるなよ、
きみの名がさきの世で永く忘れられないようにね」
すると、焔は例によって声ともつかぬ音をだしていたが、
細長い火《ほ》さきをあちこちへ動かしてから
つぎのように吐息をもらした、
「おれの返事が かりそめにもさきの世へ
帰る人の耳へはいるとでも思えば、
この焔は金輪際《こんりんざい》ゆれることはあるまい。(六三)
だが、この〔地獄の〕底からは だれひとり
生きて帰った者はないというから、おれのきいたことが本当なら、
評判の悪くなる心配もないから 答えるとするか。
おれはもとは武人の出だが、あとでフランチェスコ派の修道僧になった、
紐《ひも》を〔僧服に〕しめたら 罪がきえると思ったからだ。
おれをもとの罪に引っぱりこんだ
あの高僧〔法王ボニファキウス八世のこと〕――けがらわしい奴だ! そいつがいなかったら、
おれの信心はすべてかなえられただろう。
その理由《わけ》と事の次第をきいてもらいたいよ。(七二)
おれが母親にもらった骨と肉との
〔人間の〕かたちをしていたころ、おれのやることは
〔強い〕獅子でなくて〔ずるい〕狐のしぐさだった。
おれはありとある狡《ずる》さと抜け道をわきまえていて、
その術をうまく使ったから、
地の涯《はて》までもおれの名がひびいたというわけだ。
だがな、人がめいめい帆をおろし
綱をたぐりよせる〔老年の〕
たそがれの齢《よわい》になったと気づくと、(八一)
若いとき面白かったことが 今では悩みの種になる。
悔《く》い改めて告解して 頭を丸めもして
救われもしただろうに。あわれなおれだな!
あの新しいパリサイ人の長《おさ》〔ボニファキウス八世〕は、
ラテラーノのあたりで戦《いくさ》をしたが、
それはサラセン人とでもユダヤ人とでもない、
相手はみんなキリストの信者なのだ。
アクリ〔シリアの町〕を奪った〔回教の〕者や、ソルダンの地で
儲け仕事をした奴〔イスラム教の地で商売をするキリスト教徒の意〕などは一匹もいなかったからだ。(九〇)
あいつは自分の仕事の尊さも神聖な身分も、
またそれをしめれば〔禁欲や苦行で〕痩《や》せるが常の
おれの繩帯《なわおび》にさえ 振りむきもしなかった。
おまけに、コンスタンティヌス帝が癩《らい》の治療に
シラッティの山に隠れていたシルヴェストロ上人を招《よ》んだように、
あいつの思いあがった熱〔ボニファキウス八世のコロンナ家打倒の熱望〕をさますために、
おれを医者先生と頼みこんで
診断をあおいだが、おれは何もいわなかった。
あいつのいうことが酔狂としか思えなかったからだ。(九九)
すると、あいつはいうのだ、『おまえ、心配はいらぬぞ。
前もって罪は許すから 教えてくれるね、
ペネストリーノの砦《とりで》を地面に引きずりおろす方法だ。
知ってのとおり、わしは天を閉じることも
開けることもできる。その鍵は二つあるのだが〔天国の鍵〕、
さきの法王〔ケレスティヌス五世〕は鍵を大事にしなかったよ』
そこで、おれはこの重大な発言におされたので、
黙っていては悪いと思って、こういった、
『法王さま、いま落ちこまねばならぬわたしの罪を(一〇八)
法王さまが洗いきよめてくださるのですもの。
〔申しますとも〕多く約束してちょっぴり守ることです。
これで法王さまの高い座に凱歌《がいか》があがるでしょう』とね。
おれが死ぬと、おれを救いに
フランチェスコ上人が来られたが、黒い堕天使《ケルビーニ》のひとりがいった、
『連れていくなよ。おれに余計な手出しをするな!
こやつはまやかしの助言をした奴だ、
下界のおれの配下のところへ墜ちていくことになってる奴だ。
あれからずっと おれはこやつの髪を手につかんでいたのだ。(一一七)
悔いのない奴を許すわけにはいかん。
後悔と悪企《わるだく》みをいっしょにできよう筈がない、
一致しようもない矛盾だもんな』
ああ、何て運の悪いことだ! その堕天使が
おれを掴《つか》まえて、『おれがこんな理屈をいうとは
思いもよらなかったろう』とぬかしたときのおれの驚きようったらな!
ミノスのところへおれを引き立てていくと、
ミノスは八度も尻尾をかたい背中に捲きつけて、
憤怒のあまり自分の尾に噛みついて、いうのだ、(一二六)
『こやつは火あぶりの盗賊行きだ』
というわけで、おれは見てのとおり ここへ墜とされて、
こんななりで 嘆いて歩いているのだ」
そういいおえると、
焔は苦しそうに 細長い火さきを
ねじってあがきながら 立ち去っていった。
師とわたしは岩塊の上を
なおも進んで つぎの岩橋の上まで来た。
そこの橋の下は、不和をひき起こした罪を負う人たちが、
そのなかで償いをする濠だった。(一三六)
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第二十八歌
第八の圏谷《たに》でも第九の環嚢《ボルジア》には、生前に人を中傷したり、仲たがいさせて、不和の種をまいた魂が、奇妙な呵責《かしゃく》をうけている。マホメット、アリー、ピエル・ダ・メディチーナ、クリオーネ、モスカなどが腕を切られ、傷口がふさがるとまた切られたりしている。ことにイギリスの国王父子を反目させたベルトラン・ド・ボルンなどは、首のない胴体が自分の首を提灯《ちょうちん》のようにさげて歩いている。
たとえ韻《いん》をふまぬ言葉で くどくど物語るとしても、
たった今 わたしが見たばかりの流血沙汰や創傷《きりきず》のさまを
おちなくいいつくせる人はいないだろう。
言葉というものは本当に舌たらずなものだ。
わたしたちの言葉や記憶だけでは、
あんな多くのことがいくらも掴《つか》めないからだ。
プーリア〔ナポリ王国をさす〕の あのかつては運命にもてあそばれた地で、
トロイア人〔ダンテはローマ人がトロイア人の後裔だと考えていたから、ローマ人と同じ意味〕の手にたおれた者、
あやまりなくリヴィウス〔ローマ時代の歴史家〕が書きしるしたように、(九)
指環の獲物を山と積んだ長いくさのために
ながした血を嘆いたおびただしい亡者、
またそこで、ローベール・ギスカール〔ノルマンディの将軍で、十一世紀の後半に攻めてきたサラセン軍とギリシア軍を撃退した〕に逆らって
手痛い打撃をうけた者たちや、
それに、プーリア人がこぞって裏切ったチェペランの町、
さらに老アラルド〔シャルル・ダンジュの参謀エラール・ドゥ・ヴァレリのこと〕が戦わずして勝った
タリアコッツォのあたりで、
いまもなお白骨をさらしている者たちが、
そろってふたたび勢揃いでもするとすれば、(一八)
ある者は突き刺された身を、ある者は
切りおとされた手足を見せることがあっても、
この第九の環嚢《ボルジア》の汚らわしいさまに比べると物の数でもないだろう。
中板《なかいた》や端板《はいた》のずれた樽《たる》といっても、わたしの見た男ほど、
こうも見事に真っ二つに割れることはあるまい。
その男は 頤《おとがい》から屁《へ》をひるところまで たち割られて、
脚のあいだから臓腑《はらわた》がぶらさがり、
呑みこんだものを糞《ふん》にする
くさい胃袋や臓物がはみだしていた。(二七)
わたしが我を忘れて その男を見つめていると、
男もわたしを見かえして、手で自分の胸をひらいて叫んだ、
「さあ、おれがおれをどうやって引き裂くか見ておけ!
マホメットがどんなに斬りきざまれたか見ておけ!
おれの前を泣いていくのはアリー〔マホメットの従弟で、娘の婿〕だ。
あれも頤《おとがい》から額の髪の生えぎわまで ばっさりやられている。
おまえがここで見てる者は、
みな生前に不和と教会分裂の種をまいた者どもだ、
その罰で こうやってたち割られているのだ。(三六)
この〔濠の〕うしろには鬼が一匹いて、
おれたちがこの嘆きの道をひとまわりすると、
この手合いのたれかれなしに
剣をひと太刀見舞って、むごたらしく飾ってくれるのだ。
それは、この手合いがひとまわりして、鬼の前にさしかかるまでには、
傷口がみなふさがってしまうからだ。
ところで、そこの岩の上でのぞいているのはだれだ。
さては泥を吐いて判決がきまったものの、
罰をうけに行くのをしぶっているのだな」(四五)
「この男はまだ死をむかえたわけではない。
罪のために呵責をうけに来たのでもない」と、師は答えた、
「ただこの男にたっぷり見聞させるために、
もう死んでいるわしが、この地獄の底を
谷から谷へ引きまわして 連れていかねばならんのだ。
これは本当だ。おまえにここで話しているのが事実のようにな」
このやりとりを聞きつけて、
百人にあまる魂が濠のなかで立ちどまり、
驚きのあまり痛みを忘れて、わたしを見つめた。(五四)
「だとすると、おまえはじきに日の目を見るわけだな。
それならドルチーノ師〔異端者で教会分離者として教会史で有名〕にいってくれぬか、
すぐにおれを追っかけてくる気がないのなら、
備《そな》えを固めろとな。いや、食糧もだ。
雪に囲まれてノヴァーラ勢に勝利を奪われないためだ。
ほかのことでは やすやす落ちはしまいからな」
マホメットは、行こうとして片足あげてから
わたしにそういったが、
それから 足を地におろして立って行った。(六三)
もう一人、喉元をえぐりとられ、
鼻を眉毛のつけ根までそがれ、
耳が片方しかついていない男が、
ほかの者といっしょに 驚いて足をとめて振りかえった。
ほかの者よりさきに 喉笛まであけてしゃべったが、
のどの外側は血で真赤だった。
「おい 君、きみは罪をとがめられていないそうだが、
イタリアでおれは見覚えがあるぞ、
それとも あまり似ているので人ちがいかな。(七二)
きみがヴェルチェルリの町からマルカーボの城へなだらかにひろがる
あのうつくしい野原を見に帰ることでもあれば、
ピエール・ダ・メディチーナ〔メディチーナの町の名門の一人。ロマーニャ各地をまわって、その侯伯などの間に擾乱の種をまいた〕のことを思いだしてくれ。
そしてファーノの町のふたりの名士、
グイードさんとアンジョレルロさんに伝えてくれ。
地上でのように予見が間違っていなければ、
不実な暴君の裏切りで、
おふたりは船からそとへ抛《ほう》りだされて
カットリカの近く〔の海〕で重しをつけて沈められるはずだ。(八一)
チプリの島とマヨルカ島の間〔地中海〕でも、
海賊ばら、アルゴス人〔古代に地中海に横行したギリシア系の民族〕さえやらぬ こんな大罪は、
海神ネットゥノ〔ローマ神話の海神ネプトゥーヌス〕も見たことはなかろう。
その裏切り者は目っかちで、
おれのそばにいる奴が それを見るくらいなら
絶食したいというほどの その土地の領主だが、
相談にことよせておふたりを呼ぶだろう。
そうすればそうなるで、おふたりはもうフォカーラの山風に
願《がん》をかけたり祈ったりする仕事はせずにすむだろう」(九〇)
そこでわたしは、「きみの消息を地上に伝えてほしいなら、
その土地〔リミーニ〕を見たことをにがにがしく思っている人が
一体だれなのか わたしに示して教えてくれ」
すると、その男は仲間のひとりのあごへ手をかけて
口をあけると叫びだした、
「こいつがその男だ、だが口が利けんのだ。
こいつは〔ローマを〕逐《お》われた奴〔ローマの民政官クリオをさす〕だが、
軍備をたしかめると、熟慮はつねに損をするといって、
愚図ついているカエサルをけしかけた奴だ」(九九)
ああ、わたしはどんなにきもをつぶしたことだろう!
あんなに臆せずに進言したクリオが、
のども舌も 断ち切られていたのである。
それにつづいて、両手をもぎとられた男が、
そのつけ根を暗い大気にふりあげると、
血で顔をべっとり汚して 喚いた。
「モスカ〔フィレンツェの貴族ブオンデルモンティの暗殺をけしかけた男。両手切断の罰をうけているのは、そのため〕のことも覚えておけよ。
うっかり『やってしまえば それまでさ』と口走ったおれのことよ、
それがトスカーナの人には禍いの種にはなったが」(一〇八)
「お前の一族の滅びる種にもね」と、わたしはつけ加えた。
それを聞くと、痛みに痛みがかさなって、
狂わんばかりに悲しむ人のように その男はしょんぼり立ち去った。
しかし、わたしは立ちどまって、その一群の人を睇《なが》めていた。
そこで、もし無垢《むく》を信ずるよろいを着せて、
人に確信をもたせてくれるよい道連れを
良心がわたしに保証してくれるのででもなければ、
何かもっと証拠でもないかぎり、語るだけでも
ぎょっとするものを わたしは見たのである。(一一七)
たしかにこの目で見、いまでも目のなかにうかぶのだが、
首のない胴体の男〔十二世紀後半のベルトラム・ダル・ボルニオのこと。彼はフランスのペリゴ(当時は英領)の貴族で、英国王ヘンリ二世の長子ヘンリを説いて父親にそむかせた。そのため、父子離反の罰で、からだを二つに切られている〕がひとり
うらぶれた仲間にまじって歩いて来た。
胴体が、切りおとされた首の髪の毛をつかみ、
提灯《ちょうちん》のような格好で 手でぶらさげていく。
その首がわたしたちを見て、「ああ!」といった。
自分で自分の首を灯りにしているのだ。
それは二つにして一つ、一つにして二つだ。
どうしてこんなことがあり得るのか、それは神のみが知ることだ。(一二六)
その〔胴だけの〕男は 岩橋の下まで来ると、
こちらにいい分をとどかせようとして、
首をまるごとさげた腕をたかくあげた。
「さあ 見ろ、この執念の刑罰を。
生きながら亡者を見てまわるおまえ、
これをしのぐ罰がほかにあるか、ようく見ておけ!
おまえはおれの消息を伝えるというからいっておくが、おれは若い国王によからぬ入れ知恵をした
ベルトラン・ド・ボルンだ。(一三五)
おれはその父と子とを仇《かたき》同士にしてしまったのだ。
意地悪くいじめ抜いたアヒトペル〔イスラエル王ダヴィデの議官。王子アブサロムの反逆をたすけて父親を殺させた〕でも、
アブサロムとダヴィデとの仲をこうはひどくはさせなかった。
こうしておれは、結ばれていた人を二つに引き割いたので、
自分の脳を この胴体の脊髄から断ち切って、
手にぶらさげて持ちはこぶという始末さ。あわれなことだ!
因果応報とは、おれの場合は見てのとおりだ」(一四二)
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第二十九歌
第八の圏谷《たに》の最後の環嚢《ボルジア》は十番目の環嚢である。その暗い谷底には、いろんな病気で苦しむ魂がつまっていて、悪臭がたちのぼっている。ダンテはそこに、血縁のジェリ・デル・ベルロを探そうとしていた。そこではまた、錬金術師のグリフォリーノや贋金《にせがね》造りのカポッキオなどが、疥癬《かいせん》にかかって掻《か》ゆがって身もだえしている。時刻は、月が足下にあるというから、地獄入りして一昼夜半の翌日の正午にあたる。地獄にいるのは二昼夜だから、残された時間はあと六時間しかないことになる。
群がる魂とそれぞれの異様な傷痕《しょうこん》を見るにつけ、
わたしの目はぼんやり酔ったようで
そこに立ちつくして泣いていたい気持だった。
だが、ウェルギリウスはいった、「何をしげしげ見ているのだ。
なぜおまえの目を この下の切りきざまれた
悲しい影にばかりそそいでいるのだ。
ほかの環嚢《ボルジア》ではそんなことはなかったぞ。
魂の数をかぞえる気なら 考えてみるがいい、
この谷の周囲は二十二マイルもある。(九)
しかも月はもうわしらの足もとに来ている。
わしらに許された時間はもうそんなにはない。
おまえが見ないもので見るべきものが、まだほかにもあるのだ」
わたしはすぐに応《かえ》した、「わたしがなぜ見つめていたか、
そのわけにお気づきでしたら、
わたしがここにとどまることをお許しになったかもしれません」
師は歩きだしていた。わたしはそのあとにつづいて
そう答えたが、またつけたした、
「いまわたしが目をすえていたあの濠のなかには、(一八)
わたしの血縁の魂がひとり、この谷底で、
これほどの償いをしなければならぬ〔不和の〕罪に
泣いているだろうと思うのです」
すると師はいった、「これからはもう
おまえはあれのことでくよくよしないことだ。
ほかのことに気をくばって、あれはあそこへ置いてやれ。
わしもさっき橋の下であれを見つけたよ。
おまえを指さしてひどく居丈高《いたけだか》だったが、
だれかがあれをジェリ・デル・ベルロ〔ダンテの遠縁の子。喧嘩早いのでそれが禍いとなって、フィレンツェでサッケッティ家の者に殺された〕と呼んでるのを聞いた。(二七)
ちょうどおまえが、アルタ・フォルテ〔オートフォールのイタリアよみ。その城主はベルトラム・ダル・ボルニオだった〕の旧城主に
すっかり気をとられて そっちを見なかったので、
あれはそこからでていった」
「ああ、先生」わたしはいった、
「あの人の非業の死は、
まだだれも仕返しをしていないのです、
あの人の恥は縁につながる者の恥ですから。
きっと腹を立てて、わたしに口も利かずに行ったのでしょう。
それだけにますます不憫《ふびん》でならないのです」(三六)
わたしたちはこんなことを話しながら、
つぎの谷を見おろせる岩礁のはじめの場所まで来ていた。
光がもっとあれば、谷底まで見とおせるところだ。
わたしたちがマーレボルジェの
最後の僧院〔環嚢の比喩〕の真上にきて
その修道僧〔魂の比喩〕が手にとるように見えだすと、
異様な泣き声が わたしめがけて矢のようにとんできた。
それは鏃《やじり》に憐っぽい心〔号泣する声を矢にたとえた〕をつけた矢だったから、
わたしは思わず両手で耳をふさいだ。(四五)
七月から九月にかけて〔夏。沼沢地には病が多くでる時節〕、ヴァル・ディ・キアーナ、
マレムマ、サルディーニャなどの
施療院の病人をひっくるめて 一つの谷にぶちこんだら、
その苦しみはこうもあろうかと思われたほどだ。
そんな惨状がそこにあり、腐った手足から発する
悪臭がそこから立ちのぼっていた。
ふたりは、岩塊が長くつづく最後の崖を
いつものように左手に下った。
そのとき、はるかな谷底で、おん神に仕える過誤のない正義の女神が、(五四)
この世で〔罪科簿に〕載せられた
贋金造りどもに懲罰を加えているのが、
いちだんとはっきり目に入ってきた。
かつてアイギナ島〔アテナイの西南の小島〕でひとがみな病に倒れたとき、
空には瘴気《しょうき》がいっぱいたまっていて
生きものは小さい虫けらまで斃《たお》れたものだが、
詩人〔オウィディウス〕の確証したところでは、
そのあと 古代の人は蟻《あり》の卵から蘇ったのだというが、
それを見たかなしみでさえ、(六三)
この暗い圏谷《たに》の底で 魂たちが
さまざまに重なりあって苦しんでいるさまにまさろうとは、
わたしは思わないのだ。
魂たちのある者はうつ伏せに、
ある者は他人の肩によりかかり、
ある者は四つんばいになって、この悽愴《せいそう》な道に身をひきずって行った。
わたしたちは、身を起こすこともできない
この病《や》みなやむ人たちを見聞きしながら、
物もいわずに一歩一歩すすんでいた。(七二)
と、頭から爪さきまでかさぶたが斑《まだら》についている〔癩病にかかっている、との意〕ふたりの男が、
ちょうど二つの浅鍋がかまどで寄りかかるように、
背中あわせに坐っているのが見えた。
このふたりが救いようもない痒《かゆ》さに腹を立てて、
ひっきりなしに自分のからだに
爪を立てて掻いているさまは、
主人に待たれている馬丁が しぶしぶ徹夜して、
〔早く仕上げようと〕馬櫛をふりまわすときにも
とても見られない烈しさだった。(八一)
その爪が疥癬《かいせん》のかさぶたを掻きおとすと、
鯉などの大きい魚のうろこを
包丁でがりがり落とすのにそっくりだった。
「おお、おまえ」と、導師はそばのひとりに話しかけた、
「指で自分のかさぶたをはぎとって、
ときには指をやっとこみたいに使っているが、
おまえの爪がいつまでもその仕事をつづけられるようなら、
いってくれ、この濠にイタリアの者がいるかどうか」
「ご覧のようにこんなひどい姿になってはいるが、(九〇)
これでもおれらふたりはイタリア人だ」
そう、泣きながらひとりが答えた、
「だが、おれたちのことをたずねるおまえこそだれだ」
師がそこで、「わしはこの生き身の者に
地獄を見せてやろうと思って、
圏谷《たに》から圏谷を下りてきた者だ」
すると、もたれあっていたふたりが離れ、
よそながら聞いていた者たちといっしょに
めいめいふるえて わたしにふり向いた。(九九)
師はわたしにぴったり寄ってきて
「ききたいことをたずねたらいい」といったので、
わたしはいわれたとおり いいはじめた、
「きみたちの思い出が、さきの世で
ひとの心におおわれないで、
長い年月を生きのこっていくことを願っています。
だから、きみたちがだれか どこの人か いってほしいのです。
きみたちが見苦しい、いやな罰をうけているからとて、
身の上をあかすのをおそれることはない」(一〇八)
すると、「おれはアレッツォの出身だ〔アレッツォの錬金術師グリフォリーノのこと〕」と、ひとりが応じた、
「アルベロ・ダ・シエナがおれを火あぶりにしよったが、
ここへ墜ちてきたのは その殺された理由からではない。
実は、おれは奴に冗談に
『空をとぶ術を知ってるぞ』といったら、
物好きだが知恵まわりの悪い奴のことだから、
その術を見せろと おれにせまったのだ。
おれがダイダロス〔イカロスの父で、クレタの工匠〕のように飛べなかったばっかりに、
奴を子としていた者に殺されたというわけだ。(一一七)
おれはさきの世で錬金術をやったからとて
十ある環嚢《ボルジア》のどん底の濠へぶちこまれたが、
ミノスの判決だから間違いはあるまい」
そこで、わたしは詩人にいった、
「世の中にシエナの人ほどすごい見栄坊《みえぼう》はいたでしょうか。
フランスの人でも それほどではないでしょう」
そのやりとりで、話をきいていたもうひとりの癩病やみ〔カポッキオのこと〕が
わたしに口ごたえした、「トラメーネ・ストリッカは別だろうぜ。
金づかいが荒いといっても ほどほどだったよ。(一二六)
ニッコロ〔ストリッカの兄弟らしい。美食家として有名〕もそうだな、丁字《ちょうじ》の贅沢《ぜいたく》な味を
最初に発見した奴だ。おかげで
その種子は〔シエナじゅうの〕菜園に根をおろしてしまったからな。
それから、あの手合いもそうだ。
自分のブドウ畠や森林を飲みつぶしたカッチャ・ダシアーノ〔シエナの名門の出。ニッコロなどとの飲み仲間〕も、
才智のさえを見せたアバリアート〔頭のおかしな奴という意味。これはあだ名で、本名はバルトロメオ〕も別だな。
だが、おまえの尻馬にのって、シエナの奴をこきおろすのが
だれかを知るために、じっくり目をすえておれを見ろ。
おれの面が立派にその返事をするだろうよ。(一三五)
そうすれば、おれが錬金術で贋金《にせがね》をつくった
カポッキオ〔フィレンツェ、またはシエナの人。錬金術師で人をあざむき、一二九三年にシエナで火刑に処せられた〕さまの亡霊だということがわかるだろう。
おれの目に狂いがなければ、おれがどんなに
自然の模倣にたけた猿だったかということを、おまえは覚えているはずだ」(一三九)
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第三十歌
第八の圏谷の同じ環嚢《ボルジア》には、別の騙《かた》り屋たちがいる。他人の遺言状を偽造したジャンニ・スキッキや、道ならぬ恋をして、他人に化けて父親に近づいたミルラなどが、人に噛みついたり、狂ったりして荒れまわっている。ブレッシアの贋金造りのアダモ師と、トロイアで偽りの申立てをしたギリシア人のシノンが、毒舌をきわめて喧嘩をしている。贋金造りは水腫症になって喉が渇いているし、言葉の偽造者はひどい熱病にかかっている。ダンテの刑罰に対する感覚的なイメージが、そういわれれば肯《うなず》けぬこともない。
セーメレのことのもつれで、テーバイの一門に
ユノー〔ギリシア神話ではヘラ。ゼウスがテーバイの王カドモスの娘セーメレを愛するのをねたんで、カドモス一家に禍いをもたらした〕が腹を立て、その怒りを
一度ならずつのらせていた頃のことだ。
アタマンテ〔アタマスのこと。カドモスの娘イノの夫でテーバイの王になった人。イノが姉のセーメレの子バッコス(ゼウスとセーメレのあいだの子)を養ったので、ヘラの怒りを買い、禍いが夫のアタマスにも及んで気がふれた〕はすっかり気がふれ、
両手で自分のふたりの子供の首を抱いていく
妻を見て叫んだ、
「そこの路地へ網を張れ。
牝獅子《めじし》と仔《こ》獅子どもをつかまえるのだぞ」
そして、なさけ容赦《ようしゃ》もなく爪をのばして(九)
そのひとりのレアルコスという名の子を掴《つか》むと、
ふりまわして 岩へたたきつけた。
妻はもうひとりの子を抱いて溺れ死んだという。
また運命の女神が、神をおそれぬ
トロイア人の鼻っぱしを地にたたきおとし、
その王〔プリアモス〕がその国とともに消えうせたとき、
〔王妃〕ヘカベはみじめにも囚われの身となり、
あまつさえ〔その娘〕ポリセーナの死に会い、
〔息子〕ポリドーロ〔ヘカベはポリセーナのなきがらをきよめようと浜辺へ行って、トラキア人に殺されたわが子ポリドーロを発見する〕のいたましい姿を(一八)
とある海辺で見るにおよんで、
つもる苦しみに心がみだれ、気がふれて、
犬のように泣きわめいたということだ。
だが、このテーバイの狂女やトロイアの狂女にしてからが、
なるほどかつて見ないほどむごたらしいが、
わたしの見た蒼ざめたふたりのはだかの亡者にくらべると、
獣や人間の手足を傷つけたことでは 物の数ではない。
ふたりの亡者は噛みつきながら突っ走っていたが、
そのさまは囲《かこ》いをとびだした豚みたいだった。(二七)
そのひとりはカポッキオに追いつくと、
首根っこにかぶりついて引きたおし
かたい石の谷底を腹這《はらば》いのまま引きずっていった。
とり残されたアレッツォの男〔グリフォリーノのこと〕は、ふるえあがって
わたしにいった、「あの気狂いがジャンニ・スキッキ〔フィレンツェの貴族ブオーゾの、にせの遺言書作成を、ブオーゾの近縁者と共謀した男〕だ。
たけり狂って ああして人を痛めつけていくのだ」
「ああ」とわたしはいった、「もうひとりが
おまえの背中に歯を立てねばいいが。
面倒だろうが、あれが消える前に名を教えてくれ」(三六)
すると男が、「あれは、ふしだらな
昔の〔キプロスの王女〕ミュラの魂だ。
父親に道ならぬ恋をしかけた奴だ。
自分でほかの女の姿に化けて
父親と罪をおかすことになった。
さっきあっちへ行ったもうひとりの奴も、
家畜の群の女王〔騾馬〕を手に入れるため
ブオーゾ・ドナーティになりすまして遺言し、
遺言書をあざむいて法的にしたが、あいつもこいつも同罪だ」(四五)
わたしは、その荒れ狂うふたりに
じっと目をそそいでいたが、行ってしまったので、
ほかの生まれそこなった不幸な奴らの方に目をふり向けた。
そのひとりに、もし人間の下半身を
股のつけ根のところから切りとられたら、
琵琶《リュート》のような格好になりそうな男を見た。
重い水腫病にかかっていて、体液のめぐりが悪く、
手足がふくらんだり ほそったりしていて、
顔と太鼓腹との釣合いがとれていないのだ。(五四)
のどが渇くので 肺病やみみたいに、
口をぽかんと開けたままで、
上脣《うわくちびる》はひたいに、下脣はあごの方へめくれあがっていた。
「おお、わけは知らぬが、この苦の世界で
罰もなさそうなおまえども」
その男はいった、「このお師匠さんのアダモ〔ブレッシアの贋造貨幣つくりの名人。火刑になった〕の
むざんなさまを 足をとめてよく見ろ!
おれの生きていたころは 欲しいものは何なりと手に入ったが、
いまはこのざまだ! せめて一滴の水をと あこがれている始末。(六三)
カセンティンの緑の丘から
アルノの川へ流れおちるせせらぎは、
冷たい しめっぽい 幾筋もの水路になっていて、
いつもおれの眼の前にちらつくが、それは夢ではないのだ。
その〔谷ぞいの〕道のことを想うだけでも、おれの顔を
そぎおとすこんな病気よりも はるかにひどくおれをからからに渇かすからだ。
おれを追いつめるきびしい〔神の〕正義は、
おれがそこでおかした罪を楯にとって、
それだけ余計におれに溜息をつかせているのだ。(七二)
罪をつくったのはロメーナの城。そこでおれは、
洗礼者〔ヨハネ〕の像をうちだした贋金をつくった。
とどのつまりは、火あぶりになったおれの肉体を遺《のこ》してきたというわけだ。
だがここで、〔おれをそそのかした〕グイードか
アレッサンドロか この兄弟のさもしい魂に会えるのなら、
プランダの泉なんかには一顧もしないだろう。
たけり狂って歩きまわる魂たちのいうのが本当なら、
奴らの一人〔グイード伯、またはグイード二世と呼ばれ、一二九二年に死んだ。彼はすでに地獄へ墜ちている〕は はや地獄の底に墜ちているという話だ。
といって、手足のきかぬおれに、それが何だというのだ。(八一)
もしおれがいまでも身のこなしがもっと楽〔病気でなくて、との意〕で、
百年のあいだに一オンチア〔約二センチ〕でも歩けるものなら、
その環嚢《ボルジア》の周囲が十一マイルで、幅がすくなくとも
半マイルはあるといっても、
この下等な連中をかき分けて 奴をさがしにこの道を行っていただろう。
おれは奴らのせいで あんな悪事を働く一味になってるのだが、
奴らはおれをそそのかして、三カラットの混ぜ金をした
フィオリーニ金貨を鋳《い》らせたのだ」(九〇)
そこでわたしは、その男にたずねた、「そこの
おまえの右わきで ぴったりくっついて寝ていて、
冬の濡れ手のように 湯気をたててるふたりは一体だれだ」
「おれがこの谷底へ墜ちてくる前から」と、男がいう、
「ここにいた奴だが、身をうごかしたことがない。
奴らは未来永劫うごくとは思えないね。
ひとりはヨセフを中傷した嘘っつきの女〔エジプト王パロの司祭ポテパルの妻。彼女はヤコブの子ヨセフに愛着したが、意にしたがわないので、無実の罪をきせて告訴した〕、
もうひとりはトロイアのギリシア人 大たばかりのシノン〔ギリシア人の残した木馬の扱い方で議論がきまらなかったとき、シノンはまるでギリシア軍を裏切って逃げてきたようなふりをして、トロイア王プリアモスに近づき、木馬を城内へ入れさせた〕だ。
すごい熱持《ねつも》ちで ああして悪臭をまきちらしている」(九九)
するとひとりが、こう悪しざまにやられて
きっとうるさくなったのだろう、
いきなり拳骨で アダモのぱんと張った腹をなぐりつけた。
腹は太鼓のような音をたてた。
アダモ師匠もそれほどやわらかいとは思えない腕で、
相手の面《つら》をしたたかに打ちかえして、いった、
「おれの身体が重くて
手足の自由がきかなくなってもな、
これくらいのことには おれの腕はまだ利くのだぞ」(一〇八)
すると相手も返した、「おまえが火あぶりに曳かれたときは、
その手はこう早くはなかったぞ。
でも、贋金を造ったころは もっと手が利いてたな」
水腫れの男もそれをうけて、「おまえのいうことはたしかだ。
だがおまえ、トロイアで泥を吐かされた〔木馬についての訊問〕ときは
こんなに真実《まっとう》の証言はしなかったな」
「おれが二枚舌を使ったというなら おまえは贋金をこしらえた」
と、シノンはいって、「おれは一つの罪でここへ墜ちたが、
おまえの罪と来たらどんな鬼の数よりも多いからな」(一一七)
「うその誓いをしやがって。馬のこと〔木馬の件〕でも思いだせよ」
と、腹のふくれた男がやりかえした、
「呵責はたんまり受けることだな、世界じゅうがあのことを知ってるぞ!」
ギリシアの男はなおいった、「のどの渇きに苦しむがいいさ、
舌が裂けてるものな。腐った水にも苦しむさ。
眼の前で水っ腹が垣根になってやがる!」
贋金つくりも負けずに、「あいかわらずの悪態で、
おまえの口も裂けるがいい。
なるほどおれは渇いていて 体液がたまってるかもしれんが、(一二六)
おまえだってからから渇いて 頭痛もちだ。
ナルキッソスの鏡〔水のこと。ナルキッソスの物語は、オウィディウスの『転身物語』にある。ある河神の子だったが、あるとき水を飲もうとして泉にうつる自分の姿に夢中になり、水に入って死んだ。黄水仙はその変身だという〕をなめるのには、
いざないの言葉もたんとは要るまい」
わたしは夢中になって そのやりとりを聞いていたが、
師はわたしにいった、「見るのもいいが、
ほどほどにしないと わしも我慢がならんぞ」
怒気をふくんで わたしにいうのを聞いて、
いくらか羞《はず》かしくなって 師の方に向きなおったが、
いまでもそのことが思い出のなかをまわっている。(一三五)
それは、いやな夢を見た人が、
夢のなかで夢であれかしと願って
そのことをなかったように思いたいものだが、
いまのわたしもそのようで、師に詫《わ》びようと思いながら、
いつも自分では詫びていても それをいうことができない。
そして、わたしもそうしたとは思われなかった。
「おまえほどでもない ちょっとした羞《はにか》みでも、
もっと大きな過ちを洗えるものだ」師はいった、
「だから、どんな悲しみもしょいこむことはない。(一四四)
これからも度々、あんないさかいをする連中のとこへ
運命の女神がおまえを連れていくこともあろうが、
おまえのそばには いつもわしがいることを考えに入れておくことだ。
あんなことに耳をかすのは 心がいやしいのだからな」(一四八)
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第三十一歌
第九の圏谷《たに》へ向かおうとすると、するどい角笛のひびきが高らかに鳴った。その昼とも夜ともつかぬ無明のなかで、ダンテは塔のようなものが屹立《きつりつ》しているのを見た。そのくらがりに立っているのは、実はその圏谷の坎《あな》に突っ立っている巨人たちで、腰から下は坎《あな》の中にあって、鎖で手や胸をきびしくゆわかれている。その巨人のひとりで、手をゆわかれていない巨人アンテオが、師とダンテを坎《あな》の底に下ろしてくれる。すでに、地獄もせばまっていて、さいはての地底に近づいている。
ついさっき わたしに噛みついて
わたしの両頬を赤らめさせた〔師の〕同じ舌が、
こんどはわたしにいたわりの言葉をかけてくれた。
アキレウスとその父の槍〔父ペレウスから伝わったアキレウスの槍。伝説では、アキレウスの槍で突かれた者は、ふたたび突かれると傷がなおる〕も同じように、
初めは悲しみの、あとではそれを癒《い》やす贈物にする
慣わしだったと、わたしは聞いている。
その悲惨な〔第九の〕大きな圏谷《たに》を背に、
わたしたちはひとことも口をきかずに、
谷の内壁をとりまく崖の上を横切っていった。(九)
そのあたりは夜とも昼ともつかぬほの暗さで、
目はいくらもさきへ とどかなかった。
と俄《にわ》かに、雷《らい》のとどろきさえ弱まるほどの
疳《かん》だかい角笛のひびきが鳴りわたるのが聞こえたので、
音にさからって音の来た方へ目をやると、
ある一点にわたしの眼《まなこ》は釘《くぎ》づけになった。
シャルル・マーニュ〔スペインへ遠征したとき、後陣の将ローランは衆寡敵せざることを知って急をシャルルに知らせようと、角笛を吹いたが、その笛の音が四マイルも離れたシャルルの耳にきこえた、という故事〕が聖戦に敗れて
血みどろの潰走《かいそう》をしたあとでも、
ローランはこんなにおぞましい〔角笛〕の音を立てはしなかった。(一八)
やがて 向こうの方へ頭をめぐらすと、
なにか塔のようなものがいくつもあるのが目についた。
そこでわたしは、「先生、あれは何という府《まち》ですか」
すると師は、「おまえは暗闇《くらやみ》のなかで
遠くまで見とおそうとするから、
勘《かん》をとまどわせることになるのだ。
あそこへ着けばよくわかることだが、
遠くからでは勘は当てにならない。
ともかく足をすこし早めよう」(二七)
そして、師はわたしの手をやさしく取っていった、
「ここからさきへ進む前に、
そこにあるものを けげんに思わないよう、
それが塔でないことを知っておくがいい。それは巨人だ。
どいつもこいつも 臍《へそ》から下を坎《あな》のなかへ突っこんでいて、
崖の内側をぐるっと取りまいているのだ」
霧がはれるにつれて、
空にたちこめていた濛気《もうき》にかくされていたものは、
徐々に姿をあらわして見分けがつくものだが、(三六)
あたかもそのように、濃いくらい大気を見すかして
坎《あな》の縁へ一歩一歩近づくにつれて、
わたしの迷妄《めいもう》はきえて、怖れが一段とつのってきた。
それはあたかも モンテ・レッジョーネ〔城〕の
円い城壁の上が、塔をつらねて囲んでいるように、
坎をとりまく縁の上には、
おそろしい巨人たちが半身をのりだして
塔さながらに聳《そび》え立っていたのである。
あの雷鳴は、ゼウスの神〔フレグラの戦で、雷電を投げて巨人をほろぼした〕がまだ天上から巨人を脅かしているのだという。(四五)
すでにわたしには、その巨人たちの
顔と肩と胸と腹のおおかたが見えだしていた。
両脇には腕が二本ながながとたれさがっている。
こんなたけだけしい怪物をつくることをやめて、
〔軍神〕マルテから手下を奪ったことは、
自然にしては、まったく上出来のことだった。
よしんば自然が、象と鯨《くじら》をつくったことを悔いていないとしても、
たんねんにものを見る人の目には、
それが正しく思慮ぶかいことだとわかるはずだ。(五四)
なにしろ分別する道具〔頭脳〕に
悪意と実行力がむすびつくところでは、
人間はそれを防ぎようがないからだ。
巨人の顔は、ふとくて長く、
ローマのサン・ピエトロ寺の松毬《まつかさ》〔この青銅の松毬は四メートル以上もあり、ダンテの時代にはサン・ピエトロ寺院の前にあった(現在はその内庭にある)〕のように思われたが、
ほかの骨組も顔に準ずる割合になっていた。
こうして、下半身の前掛けになっていた坎《あな》の縁は、
上半身をまるだしにして見せていた。
〔その高さは〕フリジアの大男〔オランダ北部人〕が、三人がかりで肩に乗っても、(六三)
頭の髪にとどくといって自慢するわけにはいくまい。
というのは、下方から 人がマントをとめるあたり〔鎖骨〕までは
たっぷり三十パルミ〔六十三メートル〕はあると、わたしはふんでいたのだ。
「ラフェール・マイー・アメック・ザビー・アルミー〔不可解な語句〕」
その怪物の口が叫びはじめた、
こいつには これほどやさしい讃歌《ほめうた》は見当たらないのだ。
すると、師は怪物に、「愚かな魂よ、
何かむしゃくしゃして怒るなら、(七二)
その角笛を吹いて憂《う》さを晴らすがいいぞ!
首筋をさがすんだ、笛にゆわえた革紐があるだろう。
おい、心もそぞろな魂よ、
おまえの厚い胸にはまっているじゃないか」
それから師はわたしに、「あいつは自分を責めているのだ、
名はネムブロット〔ニムロデのこと。『創世記』には巨人とかバベルの塔の建設者とかとは書いていない。ダンテはゼウスに反逆した巨人から思いついて、ネムブロットをバベルの塔の建設者にしあげたのだろう〕。奴の〔バベルの塔を建てる〕途方もない考えのために、
世界で使う言葉が一つではなくなったのだ〔エホバが世界の言葉を乱したから〕。
奴にはかまうな、話しても無駄だ。
人の言葉は奴にはわからないし、
奴の言葉はだれにも飲みこめないからな」(八一)
そこで、わたしたちは左手をさして さらに長い旅をつづけた。
そして 弩弓《おおゆみ》の矢のとどくくらいのところで、
別の 岩のようにすごく猛々《たけだけ》しい巨人と出会った。
そいつを縛《しば》ったのは どんな利《き》け者だったか、
わたしにはいえないが、そいつは左腕を前で、
右腕は背中で 鎖でゆわかれてい、
その鎖は首をひと巻きして垂れており、
さらに、むきだしのからだを五回も
ぐるぐる巻きにしていた。(九〇)
「あの思いあがった奴はな あの至高のゼウスさまにさからって、
おのれの力をためそうとした大それた奴だ」
と、導師はいった、「それがこの酬《むく》いだ。
エピアルテス〔ゼウスに反抗した巨人のひとり〕という、巨人が神々をおびやかしていた時分に、
すごく暴れまわった奴だが、
むかし振りまわしたその腕も いまじゃびくとも動かない」
そこで、わたしは師に、「できようことなら、
あの量《はか》りしれぬ でかいブリアレオス〔『アエネイス』に、「我は聞く、エゲオン(ブリアレオスの別名)には百の腕、百の手あり、彼五十の剣を抜きてジョーヴェ(ゼウス)の雷を冒せる時その五十の口と胸とは焔を吐けり」とある〕を
ひと目この眼でたしかめてみたいものです」(九九)
師は答えた、「おまえはこの近くで
アンタイオス〔リビアの巨人ポセイドンとゲー(大地)のあいだの子。人にあえば力を競い、かならず勝って死なせたという〕に会えるだろう。あれは口もきけるし、縛られてもいない。
わしらをそれぞれの悪の底へ運んでくれる奴だ。
おまえが見たいという巨人は、ずっと向こうだ。
面《つら》構えがすごく獰猛《どうもう》に見えるほかは、
こいつのような格好で やはり縛られている」
と、やにわにエピアルテスがすばやく身をゆすぶったが、
どんな地震でも こんなに堅固な塔をゆすって
これほど激しいことはなかった。(一〇八)
そのとき わたしはいつになく死を怖れた。
巨人をつなぎとめている鎖を見なかったら、
その恐怖だけでも わたしは死んでいたかもしれない。
それから、わたしたちはさらにさきへ進んで、
アンタイオスのところへ行きついたが、その巨人は、頭を入れなくても
ゆうに五アルレ〔三十五メートル〕も堤の絶壁から身をのりだしていた。
「おお、おまえ、ハンニバルが部下をつれて敗走し、
スキーピオ〔アフリカのザマの渓谷でハンニバルを敗った〕が栄光の後継ぎになった
あの運命を分けた渓谷で、(一一七)
千頭の余も獅子を獲物として運んだおまえよ。
おまえが兄弟のいくさに加わっていたら、
大地の子たち〔巨人〕が勝ったにちがいないと、
いまでもそう思っている者もいる。
コキュトス〔の川〕が凍《い》てついている地底へ、
おまえの顔をつぶすのでなければ わしらを下ろしてくれんか。
わしらを〔巨人の〕ティテュオスやテュポンのところまで歩かすな。
この者が、ここであこがれているもの〔名声〕をおまえにやれるのだ。
さあ、いやな面《つら》をせずに かがむんだ。(一二六)
この者はまだ生きており まだ長い生命を約束されているから、
おまえの名をふたたびこの世であげることもできる。
恩寵が定命《じょうみょう》にさきだって この者をお召しにならねばの話だが」
こう師はいった。と、その巨人はいそいそと
両手をのばして師をつかんだ。
かつてはヘラクレスもひどく締《し》めつけられたその手だ。
ウェルギリウスはつかまれたと知ると、わたしにいった、
「ここへ来い、わしがおまえを抱こう」
そうして 師とわたしは一体になった。(一三五)
それはあたかも ガリセンダの塔〔ボローニャにある有名な双塔の一つ〕をかたむいた方から見るようなもので、
雲がその上をとおると、
塔はこちらへ落ちてくるように見える。
じっと気をつけて見ていたわたしには、
アンタイオスが腰をかがめるのも そのように見えた。
その瞬間わたしは別の道を行きたいと思ったほどだった。
だが、巨人は わたしたちをやすやすと、
ルチフェロ〔魔王ルキフェルのこと。もとは明星の意味の言葉だったが、後世の詩人は悪魔の名にするようになった〕をジューダ〔キリストを売ったイスカリオテのユダのこと〕もろとも飲みこんだ地底へおろしてくれた。
そうして かがんでいたかと思うと、間髪を入れず、
船の帆柱のように 巨人はすっくと身を起こした。(一四五)
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第三十二歌
第九の圏谷《たに》は、コキュトスという堅い氷の獄で、罪の魂たちが氷づめになっている。四つの環嚢《ボルジア》になっていて、ここではそのうちの、肉親を裏切った者の墜《お》ちる第一の円カイーナと、国や府《まち》に弓をひいた者の墜ちる第二円アンテノーラとの出来事が扱われている。第一円では、ダンテはカミシオン・デ・パッツィから氷づめの魂たちのことをきいた。第二円では、ダンテは氷づめになった頭につまずくが、それがフィレンツェ軍を裏切ったアバーティとわかる。とくに、ある坎《あな》ではひとりの男が相手に食らいついたまま氷漬けになってるのを見るが、そこにまで憎悪を曳きずっているのは、ウゴリーノ伯とルッジェーリ大司教のいきさつがあるからである。
もしも荒っぽく涸《か》れた調子で 詩がかけるものなら、
岩という岩がその上にもたれかかっている
この陰惨な坎《あな》の底には ふさわしいかもしれない。
そうしたら、わたしはわたしの考えの精髄を
あますところなくだすこともできただろうに、
その才がないもので、それをいう段になって不安がないでもない。
宇宙すべての底〔プトレマイオスの天文学では、地球は宇宙の中心だから、地獄の底は全宇宙の底になる〕のことを叙述するのは、
かりそめに手がけられるような仕事ではない。
マムマ、バッボ〔ママ、パパというような甘ったるい調子では、との意〕と呼びかける言葉で できるはずはないからだ。(九)
だから、アピオン〔神話にある有名な楽人アムフィオーネのこと。テーバイの王となって、城壁を築こうとして琴をひいたら、その声に応じて岩石がキタイロンの山からころげ出てきて囲んで、自然に城壁になったという〕を助けてテーバイを〔城壁で〕閉ざした
詩の女神たちよ。述べることが事実から
それないように、わたしの詩に力をかしてほしい。
ああ、極悪の運命に生まれついた下賤の民よ、
おまえのいる所を語ることはむずかしい。
さきの世で羊か山羊になっていてくれた方がよかったのだ!
わたしたちが暗い坎《あな》に下り、
巨人の足もとをさらに降っていたときのことだ。
わたしはふたたび高い岩壁を見あげていたが、(一八)
何か物の声が聞こえた、「気をつけて歩け。
行くのはいいが、おまえの足の裏が
哀れにおちぶれたこの兄弟の頭をふまぬことだ!」
というので、ふりかえると、眼の前に
足もとから湖がひろがっているのが見えたが、
ガラスのように凍《い》てていて 水という様子ではなかった。
オステルリッキ〔オーストリア〕の冬のダノイア川〔ダニューブ川〕にしても、
遠く凍天の下にあるドン川にしても、
その水流にこんな厚い〔氷の〕ヴェールを張ったことはなかった。(二七)
かりにタンベルニック山〔ロシアのスキアヴォニアの山〕やピエトラパーナ山〔トスカーナの西北にあるパニア山〕が
そこにあって、崩れおちたとしても、
氷はぴしっとも 縁では音を立てなかっただろう。
百姓の女が落葉拾いの夢をよくみる夏になって、
水から鼻づらをだしては
があがあ鳴く蛙《かえる》もさながらに、
罪にもだえるひとの影が氷にとじこめられていた。
羞《はじら》いのあらわれるところ〔頬〕まで鉛いろにして、
鵲《かささぎ》が立てるように歯をかつかつ鳴らしていた。(三六)
だれもかれも うなだれて顔をかくし、
口では寒さを、目ではこころの悲しみを、
それぞれの証《あかし》にしようとしていた。
わたしはそこらあたりを見まわして、
足もとに目をうつすと、髪の毛までまざり合うくらい
ぴったりくっついているふたりの男が見えた。
「ああ、胸と胸をそんなにくっつけて」わたしはいった、
「きみはだれですか」すると、男たちは首をねじまげた。
それから、わたしに顔をあげたが、(四五)
彼らの目から、それまで身内にだけ滴《た》らしていた涙が
脣《くちびる》までしたたり落ちると、
両眼に凍てついて、こちこちになった。
木と木を鎹《かすがい》で締めつけても、こうも強くしまることはなかった。
そこでふたりは、二匹の牡山羊のように、
〔突然の目の氷結で〕狂おしくなって ぶつかり合った。
すると、酷寒のため耳を二つともなくした男が、
やはり顔を伏せたままでいった、
「なぜおまえはじろじろおれたちを見るのだ。(五四)
このふたりがだれか知りたいのだな。
ビセンツォ川〔トスカーナ州の川〕が流れだす渓谷が、
このふたりと父親アルベルトの領地だ。
こいつらは同腹の出だが、
このカイーナ〔第九圏の第一円の名。弟を殺したカインの名をとった〕じゅうを探しても、
こいつらほど氷漬けになるにふさわしい魂はあるまい。
アーサー王の手にかかって〔アーサーの子モドレッド。父の国を奪おうとしたので、父に槍で突かれたが、槍を抜くとその傷から日光が入って突き刺したという〕 槍のひと突きで
胸もろともに影まで割られた男でも、
フォッカッチャ〔十三世紀後半の人で、ピストイアの白党。伯父または父を殺したという〕にしてもだ、またこいつ、(六三)
頭が邪魔になっておれが遠見のできない
このサッソール・マスケローニ〔フィレンツェ人で、伯父にひとりの男の子があったが、これをあざむいて市外で殺し、伯父の死後資産を横領したという〕という名の奴でも、とてものことだ。
おまえがトスカーナ人なら、こいつのことはもうわかったろう。
そこでだ。おれはおまえにくどくど話したくないから、
覚えておけよ、カミシオン・デ・パッツィ〔アルノ上流のパッツィ家のアルベルト・カミッチオーネ。血族のウベルティーノを殺した〕たあ おれだってことを。
おれの罪を軽くしてくれるカルリン〔カルリーノ。同じくパッツィ家の一人。一三〇二年にフィレンツェの白党とともにピアントラヴィーニの城を守ったとき、黄金をとって黒党と内通して城内に入れ、そのため白党が多く殺され捕えられた〕を待ってるってこともな」
それから、わたしは寒さのために犬のように歯をむきだした
幾千といういびつな顔を見た。そのために
凍てついた沼を見ていると、わたしは身ぶるいしたが、
これからもぞっとすることだろう。(七二)
そうしている間にも、あらゆる重力が集まる
中心点をめざして わたしたちは歩いて行ったが、
その永劫の闇のなかで、わたしはがたがた寒さにふるえていた。
それがおん神の意志か 天命か 運命かは知らないが、
それらの〔氷づめの〕頭のあいだを通り抜けるとき、
わたしの足は、したたかにひとりの頭をふみつけてしまった。
その頭は泣きながらわたしに訴えた、「なぜおれを足蹴《あしげ》にするのだ。〔ボッカ・デリ・アバーティ。モンタペルティで戦ったとき、フィレンツェ軍の旗手の手を切りおとし、軍旗が倒れてフィレンツェ軍は士気沮喪して敗北した。それで、ダンテに頭を踏まれて、モンタペルティの罰をますためか、といった〕
モンタペルティの復讐の巻きかえしに来たのでなければ、
なぜおれを痛めつけるのだ」(八一)
そこでわたしは、「先生、ここでちょっとお待ちください。
この者のことで不審が起こりましたので。
あとはどんなにおせかせになってもよろしゅうございます」
師は立ちどまった。かっとなって
悪態をつづけるその男に、わたしはいった、
「他人《ひと》をそんなにこきおろしているきみはだれだ」
「おまえこそだれだ。アンテノーラ〔第九圏の第二円の名。トロイアを売ったと信じられているトロイアの老将アンテノルから名をとった〕へ行きながら、
他人《ひと》の頬っぺたをなぐる奴」その男は答える、
「生きているにしても、仕打ちがひどすぎるぞ」(九〇)
「わたしは生きている。おまえにはめったにあることではないが」
わたしは答えた、「名がほしければ、
きみの名をほかの名のなかへわたしの記録にとどめてやろう」
すると、その男は、「その逆にねがいたいね。
ここをでて、おれをこれ以上痛めつけないでくれ。
この沼のなかでは、そんな気やすめをいっても無駄なことを知るがいいさ」
そこで、わたしはそいつの首根《くびね》っこをつかんで、いった、
「ともかく名をいうんだ。
でないと、これから上には髪の毛が残らないぞ!」(九九)
ところがその男はわたしに、「おまえが髪の毛を抜こうが、
何千回おれの頭をこづこうが、おれがだれか
正体は舌が切れてもいわないぞ」
わたしはすでに、その髪の毛を手に巻いて、
いく房かを抜きとっていた。
その男はわめいていたが、その目はずっと下方をみつめたままだった。
そのとき別の男が叫んだ、「どうした、ボッカ。
おまえ、顎でがくがく音を立てるだけでたりずに
ほえてるのか。どんな鬼につかまったのだ」
「こうなっては」とわたしは、「おまえの口を
割らせなぞはしないぞ。この腹ぐろの裏切者め。
身からでた錆《さび》だ。本性をひろめてやるからな」
「さっさと失せろ。ほざきたいだけほざけ」
その男は応《かえ》した、「ここからでていったらな、
いまへらず口をたたいた奴のことも黙っておるなよ。
あいつ〔ブオーゾ・ダ・ドゥエラのこと。一二六五年マンフレディから莫大な金をもらって、シャルル・ダンジュのフランス軍を食いとめる依頼をうけたが、別にシャルル・ダンジュからも金をもらってフランス軍を通過させた〕はフランス人の銀の件で、ここで泣いてるのだ。
『涼みの場所の罪人のなかで、ドゥエーラ出の奴を見た』
とおまえはいうがいいぞ。(一一七)
ほかにどんな奴がいたと訊かれたらな、
ほら、おまえの脇には例のベッケリーア〔テザウロ・ディ・ベッケリアのこと。一二五八年フィレンツェを追放されたギベリーニ党員をフィレンツェへ戻そうと画策したので、拷問にかけられたのち殺された〕の者がいるぞ、
フィレンツェで喉を切られた奴だ。
むこうの方には、ジァンニ・デ・ソルダニエーレ〔フィレンツェの貴族。第二円にいるのはギベリーニ党に反逆したから〕が、
ガヌロン〔正式の名はガーノ・ディ・マガンツァで『ローランの歌』にもうたわれた売国奴〕とテバルテルロ〔ファエンツァの人で、一二八〇年、ファエンツァの城門をあけて、ボローニャのグエルフィ党のジェレメイ家の者を迎え入れ、ギベリーニ党のランベルタッチ家の者を殺させた〕といっしょにいるはずだ。
みなが寝てる夜明けに、ファエンツァの城門を明け渡した奴だ」
わたしたちは、その男から離れてさきへ進んだ。
そのとき一つの坎《あな》に男がふたり氷づめになってるのが見えた。
ひとりの頭がもうひとりの頭に帽子のようにかぶさって、(一二六)
餓えてパンをかじるように、
上の男が下の男の脳と項《うなじ》のあいだあたりに
がつがつ歯を立てているのだ。
その男が頭蓋やそこらあたりに噛みついているさまは、
テュデウス〔テーバイを包囲した七王のひとり。テーバイ人メナリッポスと闘って致命傷をうけたが屈せず、死ぬ前にメナリッポスの頭を噛んだという〕が怒りたって、
メナリッポスのこめかみに食らいついたのと変わりはなかった。
「ああ、おまえが食いついている奴への憎しみを、
そんな畜生の仕打ちで見せている者よ。
その理由を聞かしてくれないかね」わたしはいった、(一三五)
「もしおまえがそいつを責めるわけがあって そうむごたらしくするのなら、
約束だが、おまえがだれか、何の罪かを知れば、
上の世でおまえに報いてやろう。
むろん、わたしの話す舌がひからびない場合のことだが」(一三九)
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第三十三歌
出来事は、第九の圏谷《たに》の第二円アンテノーラでつづいて起こっている。ダンテにうながされて、ウゴリーノ伯はピサの大司教ルッジェーリに謀《はか》られて、四人の子や孫とともに塔に幽閉されて餓死させられたさまを、泣きながらつぶさに語る。怒りにもえたダンテは、ピサの府《まち》に呪《のろ》いの言葉をなげて、さらに第三の円トロメアに進む。そこでは客人を裏切って殺したアルベリゴ師やブランカ・ドーリアなどが、眼球も涙も凍りついて苦しんでいる。それらの肉体は、まだ地上にありながら、魂だけがさきにここに墜《お》ちたという。そういう背徳の反逆をした魂には、手荒な仕打ちがふさわしい、とダンテはいう。
その罪人は、うしろから噛《か》みくだいていた
頭の髪の毛で口をぬぐうと、
その物凄い食物から口をあげて、おもむろに語りはじめた。
「話すどころか、考えただけでも、
心がしめつけられるこの底なしの苦しみを、
またおれにさせようというのか。
だが、おれの話が種になって、
ここでおれがかじっている裏切者の汚名をさらすことになるかどうか。
それを泣かずには語れないことが、おまえにはわかるだろう。(九)
おまえがだれか、どうやってこの下界へ墜ちてきたか、
おれは知らぬが、おまえの話しぶりから見ると、
たしかにフィレンツェの者らしいな。
知っといてもらいたいが、おれはもとのウゴリーノ伯爵〔ピサの貴族で同地のギベリーニ党首。ピサの大司教ルッジェーリの策謀に乗せられて死んだ〕だ。
こやつは大司教のルッジェーリ。
おれがこやつのそばにいるわけを、ここでいおうか。
こやつの悪賢《わるがしこ》さにのせられて、こやつを信じたばっかりに、
おれはつかまり、あげくのはてに殺されたことは、
いまさらいうまでもないだろう。(一八)
だが、おまえも聞き知ることのできなかった
おれのむごたらしい死にざまの始終《しじゅう》は、
それを聞けば、こやつの残虐のほどがわかろうというものだ。
せまい窓のあの塔、
おれのために饑餓《きが》〔の塔〕の名がついて
そのあとも人を幽閉するところになった
〔その獄屋《ひとや》の〕小窓をとおして、幾度も月がさしたが、
そのころおれの行末をおおう幔《まく》がずたずたになる
不吉な夢を おれは見ていた。(二七)
夢のなかの漢《おとこ》は、おれには〔狩りの〕頭《かしら》とも隊長とも見えたが、
ピサの者がルッカの府を見るさまたげになる
あの山〔サン・ジュリアーノという山で、ピサとルッカの間にある〕で、狼の親仔〔ウゴリーノ伯と子供たちのこと〕を狩りたてているのだ。
そいつは、グァランディ、シスモンディ、ランフランキなどという
痩せてすばしこく 抜け目のない牝犬〔ギベリーニ党に属して大司教に与したピサの名族たち〕どもを、
自分の面前に配していたのだ。
追うほどもなく、父の狼も仔の狼も疲れたようで、
脇腹を犬の鋭い牙《きば》にかけられるのを、
おれは見たような気がしたのだ。(三六)
夜のひきあけに 目をさますと、
おれのそばにいた子供たち〔ガッドとウグイチョーネ〕が、
夢のなかでパンをねだって泣いているのだ。
そのときのおれの心が予感したことを想いやって、
それでも心が痛まないなら、おまえは石のような心の奴だ。
これで泣かずに、いったいどんなときに泣くというのだ。
みんなすでに起きあがっていた。やがていつもの
食事を運んでくる時間が近づいていたが、
みんな夢にみたことを気づかっていたのだ。(四五)
そのときだ。この恐ろしい塔の下の出入口を
釘づけにする音が聞こえた。
おれは泣かなかったが、こころは石になっていた。
子供たちは泣いた。そして〔末の子の〕アンセルムッチョ〔いとけないアンセルモの意。ウゴリーノの長子グエルフォの子。すなわち伯爵の孫にあたる〕がいった、
『お父さん、そんなに見て、どうしたの』
だが、おれは涙ひとつださなかった。返事もしなかった。
その日は一日じゅう、その夜もまた、
日が世にのぼる明けの日も、そうだった。(五四)
この悒鬱《ゆううつ》な牢獄のなかにも
かすかに光が入ってきたが、おれは四人の子供たちの顔にも、
おれと同じ表情があるのをちらっと見てとった。
おれは苦しさのあまり、自分の両手にかみついた。
すると子供たちは、おれがそうするのを空腹のためだと思って、
すぐさま起《た》ちあがっていった、
『お父さん、お父さんが僕たちをたべてくださったら、
僕たちの苦しみはずっと減りますよ。このみじめな肉も、
お父さんが着せてくださったのだもの。それを剥《は》いでください』(六三)
おれは子供たちを悲しませまいと心をしずめた。
その日もその翌《あく》る日も、みんな物をいわなかった。
ああ、非情な大地よ、なぜ〔埋めるために〕口を開けてくれないのか。
四日目にはいってから、
ガッド〔ウゴリーノの子で、ウグイチョーネの兄〕はおれの足もとへ身をのばして倒れかかり、
『お父さん、なぜ僕を助けてくださらないの』
といって死んだ。そしてお前がおれを見てるように、
五日目と六日目のあいだに、あとの三人も
ひとりずつ倒れていくのをおれは見たのだ。(七二)
すでにおれも目が見えなくなっていたから、手さぐりで子供たちをさがし、
子供が死んでから二日の間は その名を呼びつづけていたのだ。
それからは、餓《う》えの方が苦しみより強かったというわけだ」
こういいおえると、〔憎悪に〕彼は引きつった目つきで、
みじめな頭蓋骨《ずがいこつ》にふたたび食らいついた。
その骨を噛む歯は、犬のように鋭かった。
はてさてピサよ。その言葉がきよらかに
シとひびく〔「シ」を「はい」の意味に使う美しい国、すなわちイタリアのこと〕美しい国人たちの面《つら》よごしよ。
近隣の府《まち》〔フィレンツェやルッカの町〕がおまえを懲《こ》らしめるのに手ぬるいのなら、(八一)
カプライアの島よ、ゴルゴーナの島〔ともにティレニア海にある島。アルノの河口の西南にあるピサはこの河口に近く、その両岸にまたがる町だから、河水が氾濫して全市が溺れ死ねばいいということ〕よ、うごけ、
そしてアルノの河口に堰《せき》を築けよ。
ピサのやからを残らず溺れさすがいい!
よしんばウゴリーノ伯がおまえ〔ピサ〕を裏切って
城を〔敵方に〕明け渡したという噂《うわさ》があったとて、
おまえはあの子たちをあんなに十字架につけるべきではなかったのだ。
テーバイの二の舞か。ウグイチョーネも ブリガータ〔アンセルムッチョの兄〕も
さきにこの歌にうたわれたほかのふたりも、
年端《としは》のゆかぬ者には汚《けが》れはないのだ。(九〇)
わたしたちは、さらにそこからさきへ進んだ。
そこには別の一群が氷にぎすぎす締めつけられていたが、
みんな顔を伏せずに 仰向けになっていた。
それらの苦しみは涙にもならず、
涙は目のなかでせきとめられて、
かえって身内にもどって苦痛を激しくしていた。
涙がでると 凍りついて固まり、
水晶の目庇《まびさし》のようになって、
眉毛の下のくぼみをすっかり埋めていた。(九九)
わたしの顔も、酷寒のために
まるで胼胝《たこ》のできたところのように
感覚がすっかりなくなっていたのに、
すでにあるかなきかの風を感じていた。
そこでわたしは、「先生、この風はだれが立てているのですか。
ここの下界では蒸気はいっさい消えているのではないでしょうか」
すると師は、「もうじきだ。
風をおこすものを目で見て、
おまえの目が答えをするだろう」(一〇八)
とたんに、凍《い》てついた地表にいた憐れな亡者のひとりが、
わたしたちに叫んだ、「おい、おまえども。
地下のさいはてを貰《もら》ったあこぎな亡者よ、
おれの面《つら》からこの堅い〔氷の〕膜をはいでくれ。
胸にあふれるこの憂悶《わずらい》を、涙の凍りつく前に
ちょっくら外へ洩らしてみたいのだ」
だから、わたしはその男に、「わたしの助けがほしいのなら、
おまえの名を名乗れ。おまえの目のそれを剥ぎとらなくても、
わたしは氷の〔地獄の〕底までいくことになっているのだ〔わたしというのはダンテ自身のこと〕」(一一七)
すると男が答えた、「おれは修道士のアルベリゴ〔フィレンツェの有力なグエルフィ党員。ある日、親類のアルベルゲットになぐられ、その場は人のとりなしで納まったが、一二八五年に、仲直りで一杯やろうということになり、アルベルゲットとその父マンフレドを招いて、食後に果物をもって来いというのを合図に、刺客がふたりの客人を殺した。イチジクの代わりにナツメヤシをもらうというのは、罪以上の罰をうける、ということ〕だ。
例の悪の園でできた果実だが
ここではその報いに 無花果《いちじく》の代わりに棗椰子《なつめやし》をもらっている」
「おお」とわたしはいった、「もうおまえは死んだのか」
すると彼が、「おれの肉体がどうしてこの世にとどまっているのか、
無学だから皆目わからん。
ここの第三円《トロメア》〔食客に対する反逆的な行ないを罰するところ〕は、女神アトロポス〔ギリシア神話の運命の女神のひとり〕が定命《じょうみょう》をきめるにさきだって、
魂を〔肉体から抜きとって〕ここへ墜とす
特権〔ほかの圏にいる魂は、どれも肉体が死んでいるものだが、この「トロメア」の魂のようにまだ肉体が生きているものもいる、という意味。特権とは皮肉にいっている〕をもっているのだ。(一二六)
そこでだ。おれの顔のガラスのように
張りついた涙を 気持よくはがしてくれるから教えるが、
おれのように魂が裏切りをはたらくと
肉体はすぐさま鬼にさらわれて、
それからは定命《じょうみょう》がつきるまで、
その鬼が肉体を支配していくということだ。
そこで魂は見てのとおり この坎《あな》のなかへ墜ちこむわけだ。
おれのうしろで地獄の冬を越してる亡者の
肉体の方は、この世でまた見かけるかもしれん。(一三五)
たった今やって来たのなら わかってるはずだが、
あれはブランカ・ドーリア〔ジェノヴァの名門ドーリア家の一族。一二七五年にサルディーニャ島のロゴドーロ州を奪いとるため、舅を食事に招いて城内で殺した〕さまだ。
こうして氷づめになってもう何年も経っていなさる」
「おまえは」とわたしはいった、「嘘をついているな。
ブランカ・ドーリアはまだ死ぬどころか、
食らい、飲み、眠り、服まで着ているぞ」
その男はいった、「いや、瀝青《チャン》がねばっこく煮えたぎる
上の方のマーレブランケの濠の中に、
まだミケーレ・ザンケが着いていないころのことだ。(一四四)
あの方は自分の代わりに鬼を
自分の肉体ともうひとりの男の肉体のなかへ置いて来た。
その男もあの方の近親で手を組んで裏切りをした奴だ。
さあ、ともかくこっちへ手をのばして
おれの目をあけてくれ」わたしはその目をあけてやらなかった。
奴には手荒に扱うことが礼儀にかなう〔トロメアには反逆者ばかりいるので、反逆的な行ないがかえって正しい行ないになる。だから、残酷に扱うことが親切に扱うことになるわけ〕ことだからだ。
ああ、ジェノヴァの府《まち》よ、いっさいの良俗にもとり
ありとある悪徳にみちみちた民よ、
なぜおまえたちはこの世から姿を消さないのか。(一五三)
ロマーニャの極悪の魂〔アルベリゴ師のこと〕とともに、
おまえらのひとり〔ブランカ・ドーリアのこと〕をわたしは見つけたぞ。その所業ゆえ、
魂はすでにコキュトスの氷につかりながら、
なおも肉体がこの世に生きてでてくるのは、どうしたことだ。(一五七)
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第三十四歌
第九の圏谷のどんづまりの第四の円は、地獄の底で、地球の中心点だからひどく狭い。ユダの国ジュデッカと呼ばれて、恩義ある人を裏切った者が、全身さかさまになって氷づめにされている。その中心に怪物ルチフェロが、三つの顔と六枚の翼をもって、口々に罪人をくわえて噛みくだき、風をまき起こしている。キリストを裏切ったユダと、カエサルを裏切ったブルートゥスとカシウスが食われている。ダンテは師の首にしがみついて、怪物の脇腹の毛をつたって、頭と足の位置をさかさまにして下りていく。地球の中心だからそうしたので、北半球から南半球にでたことになる。その暗い孔をのぼって、南半球のそとにでて、ふたたび天上の星を仰ぐ。
「地の獄《ごく》の帝《みかど》の幡《はた》〔ルチフェロの翼をさす〕ぞ、いでましぬ。
そら こっちへ来るぞ、前を見て」
師はいった、「あれが見えるか」
霧が濃くかかるときや
北半球に夜〔の帳《とばり》〕がおりるころには、
風車が風にまわって遠みにあらわれるものだが、
そのとき わたしはそんな傀儡《ロボット》を見たような気がした。
それから風をさけるため わたしは師のうしろへまわった、
ほかに身をかくすところがなかったからだ。(九)
そのことを歌にうたうのもそら恐ろしいが、
わたしはすでに、魂がことごとく〔氷で〕おおわれて
ガラスのなかの藁屑《わらくず》のように透けてみえる所へ来ていた。
ある影は寝そべり、ある影は直立しているが、
頭で立ったり 爪さきで立ったりしている。
またある影は弓なりに顔と足を向け合っている。
わたしたちがかなり進んだときのことだ。
師はわたしに、かつては美貌をもっていたという
生物《いきもの》〔天上から追われる前は、ルチフェロは美貌の天使だった〕を見せる気にでもなったものか、(一八)
わたしの前から身を引いて、足をとめさせた。
「あれが悪魔大王《ディーテ》〔ルチフェロの別名。彼の支配する王国もディーテと呼ばれる〕だ」と師はいった、「ここだぞ。おまえがしっかり
腹をきめてかからねばならぬところだ」
そのとき、わたしのからだは凍ってしまい、声もかすれたくらいだから、
読者よ、それをわたしが書かないからといって、聞かないでほしい、
筆舌ではとても尽しがたいのだ。
わたしは死にはしなかったが、生きた心地もしなかった。
読者よ、多少でも分別があるなら、ここでとっくり考えてもらいたい。
死にもせず生きもせずに、わたしがどうなっていたかを。(二七)
この呪わしい王国の帝《みかど》〔ルチフェロ〕は、
胸の半ばから上を氷のそとにだしているが、
その大きさでは、わたしと巨人を比べることなど、
巨人たちと帝の両腕だけとってみても、比べものにはならないくらいだ。
ここで、その部分〔腕〕に釣合ってる全身が、
どんなに大きいかを考えてみるがいい。
帝はいまではすごく醜いが、かつてはそれだけ美しかったのに、
造物主にさからって眉を釣りあげたのだから、
いっさいの悪と苦悩の根原になったのも当然のことだ。(三六)
ほんとうに、何というおぞましさだろう。
見れば 頭には顔が三つついている〔この三つの顔の寓意は明らかでない〕!
一つの顔は正面をきって真赤だった。
べつの二つの顔はそれぞれ、
左右の肩のなかほどでくっついていて、
頭となって正面の顔とならんでくっついている。
右むきの顔は白とも黄色ともつかぬ色で、
左の顔はナイル川の流れこむあたりから
来る人の色〔黒〕さながらに見えた。(四五)
それぞれの顔の下からは 大きな羽根が二枚とび出していて、
いかにもそんな大鳥にふさわしい翼で、
こんな大きな帆は海でもついぞ見かけたことはない。
翼には羽毛がなく 蝙蝠《こうもり》と同じつくりで、
それが羽ばたくと、
そこから三つの風がまきおこって、
これがコキュトス〔地獄の底の沼〕をすっかり凍らせていたのだ。
六つの目からは涙がながれで、三つの顔から
血のまじった唾《つば》と涙がしたたり落ちていた。(五四)
口々に罪人をひとりずつ歯でかみくだいているさまは、
まるで砕麻機《あさほぐしき》がつぶしているようで、
三人の罪人はこうして呵責をうけている。
正面の男にとって、噛まれるくらいは
裂かれることを思えば物の数でもなく、
背中の皮がほとんどはがされることもある。
「あの高いところで極刑に処せられてるのが」
師がいう、「イスカリオテのユダの魂だ。
頭は口の中だが、足をそとへはみだしている。(六三)
ほかのふたりの頭は口のそとにでているが、
黒い顔からぶらさがっているのがブルートゥス〔カエサルの殺害者のひとり〕だ。
ほら、身をよじって悶《もだ》えているのに声も立てない。
もうひとりのふとり肉《じし》の方がカシウス〔ブルートゥスとともにカエサルを暗殺した〕だ。
だが、もう夜がまわってくる。そろそろ
腰をあげるときだ。わしらは見つくしてしまったからな」
わたしはいわれるままに 師の頸《くび》にしがみついた。
師は〔とびつく〕時と場所を見はからっていたが、
翼がすっかりひろがると見ると、(七二)
その毛ぶかい脇腹にしがみついた。
そして、毛の房から房をつたって、
密生した毛と凍てついた地表のあいだへ下りていった。
そのルチフェロのふとった腰の骨のあたり、正しくは腿《もも》のつけ根へ
わたしたちがたどり着いたとき、
師はやっとの思いで 苦しそうに
引っくりかえって、頭を足の方へさかさまにつけて、
毛にしがみついて登るようなので、
わたしはまた地獄へ逆もどりするのかと思った。(八一)
と、師は疲れはてた人のように あえぎあえぎいった。
「しっかり掴《つか》まって。こんな梯子《はしご》ででもなければ、
いっさいの悪から逃げだせないのだから」
やがて、とある岩の洞穴から外へでると、
わたしをまずその岩の縁に坐らせてから、
師はしっかりした足どりで わたしのそばへ来て腰をおろした。
わたしは目をあげた。そしてさっき別れてきたままの
ルチフェロが見えるものとばかり思ったが、
見えたのは、上へ突きでている二本の足だった〔南半球に出てみると、ルチフェロは両脚を空中にあげて逆立ちの格好をしていた〕。(九〇)
そのときのわたしに それが心配の種になったかどうかは、
わたしの通ってきた地点がどんなところかをわきまえない
血のめぐりの悪い人の判断にまかせよう。
「さあ、行こう」師はいった、
「行く手は遠く、道はけわしい。
それに、日が出てからもう一時間半もたっている」
わたしたちのいたところは、宮殿の〔明るい〕大広間ではなく、
けわしい 石のごろごろした地面のつづく、
光がまるでない自然の洞穴〔南半球の地下道。それはルチフェロから地表に通じる道で、その長さは地獄の入口からルチフェロまでの距離と等しい〕だった。(九九)
「先生、この深淵を出る前に」
わたしは起《た》ちあがっていった、
「すこしお教えになって、わたしのとまどいをといてください。
氷はどこへいったのでしょう。
こいつはなぜ倒立《さかだ》ちしているのですか。
ほんのわずかの間に、なぜ太陽が夕方から朝に移ってしまったのです」
すると、師は、「おまえはまだ、あの中心の向こう側の
わしが邪悪な虫〔ルチフェロの別の呼び名〕の毛にしがみついていたところにいると思っているが、
その虫〔ルチフェロ〕は穴をうがって世界を貫いているのだ。(一〇八)
おまえが〔中心の〕あちら側にいたのは、わしが降りていた間のことだ。
わしが引っくりかえったとき、おまえも中心を通りすぎたのだ。
そこでは重力に八方から引っぱられただろう。
おまえはいま、乾いた土がひろびろとおおい、
その天頂の真下〔エルサレム〕で
罪なくして生まれて生きたお人〔キリスト〕が殺されたもうた、
あそことは反対の〔南〕半球の底へたどりついたのだ。
いまおまえの足が立っている小さい球は、
ジュデッカ〔ユダの国〕の真裏になっている。(一一七)
あちらが晩なら、ここは朝だ。
わしが毛の房を梯子にしたこいつ〔ルチフェロ〕は、
はじめのままで いまだに突きささっている。
こいつは天上からここへ墜ちてきたのだが、
もとからここに顔を出していた陸は、
ルチフェロにおののいて 海の帳《とばり》にかくれて、
わしらの北半球へいってしまったのだ。
こちらの南半球にあらわれている陸も、
ここ〔地下〕に空所《あき》をのこして こいつを避けて駆けあがったにちがいない」(一二六)
この下の、ベルゼブー〔ルチフェロの別名〕からは遙《はる》かな
その墓穴〔地獄〕の長さほどの遠いところに、
目にはさだかに見えないが、
岩間から流れおちるせせらぎのひびきで
それと知れる場所がある。
岩をうがち、ゆるやかな勾配でうねり流れる小川だ。
導師とわたしはあかるい〔南の〕世界へもどろうと、
この地下の小暗い道に入りこみ、
休むことなど考えもしないで、(一三五)
師をさきに わたしはあとにしたがって、登りについた。
そこの円い穴をとおして、
天上にある美しいもの〔星〕がいっぱい見えた。
そして、そこから外に出て、わたしたちはふたたび星を仰ぎ見たのである。(一三九)
(完)
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解説
アリギエーリ家のダンテ
ダンテの家系であるアリギエーリ家については、ダンテがその四代前の先祖にあたるカッチャグイーダがイスラム教徒とたたかって戦死したことを『神曲』の「天国」(十五歌、十六歌)のなかで述べているだけで、くわしいことはわからない。しかし、家紋がのこっていたことからみても、名門というほどではなくても、貴族の家柄だったことはたしかだ。あるいは武将の家だったかもしれない。父の職業は公証人ともいい、あきらかでないが、いくらかの不動産収入のほかに、金融のようなことで生活を立てていたらしい。
ダンテの父親のアリギエーロは、ベルリンチォーネの子で、ベルラという婦人と結婚していて、そのあいだに一二六五年の五月ごろ、アリギエーリが生まれたことになっている。なっているというのは、その出生の年月も、ダンテがべつにはっきり書いていたわけではないからで、「天国」の二十二歌一一二行以下の抽象的な記述から推測したにすぎない。
ダンテはもともと、自分の家族構成のことについては、何ひとつ言及していないので、その妻のジェムマのこと、ジョヴァンニとヤーコポとピエトロという三人の男の子、アントニアという女の子のことも、彼の記述から直接たしかめることはできない。ダンテの死後、『神曲』に注解をつけたことで、ヤーコポとピエトロが確認されるくらいで、ラヴェンナで修道女になっていて、おそらくダンテの墓守をしただろうベアトリーチェという女性も、ダンテの女の子らしいというほどあいまいである。ダンテの父は、ベルラの死後、ラーパ・ディ・キアリッシモ・チャルッフィを後ぞいに迎えて、フランチェスコとターナの二児があったというから、ターナがこのベアトリーチェかもしれない。
ダンテの生涯の輪郭をたどると、彼の半生の運命をきめたベアトリーチェを最初に見たのが一二七四年で、その三年後に、ジェムマ・ドナーティとの許嫁《いいなずけ》のとりきめがなされている。一二八三年にダンテはベアトリーチェとふたたび邂逅して、『新生』に入れてある歌がこのころから書きはじめられている。一二九二年から九三年のあいだのことである。
ところで、このベアトリーチェについては、ダンテ学者のあいだで、いろいろ異論が出ている。ベアトリーチェは、フィレンツェのポルタ・サン・ピエトロ地区のストゥディ通りに館をかまえていた名門ポルティナーリ家の娘と一般に考えられている。そこはダンテの家の近くでもあるから、以前から彼女を知っていただろうというのである。フィレンツェの公文書の記載では、ポルティナーリは一二八八年一月十五日付の遺言書をつくり、その息女を同市のシモネ・ディ・バルディに嫁がせ、その翌年の十二月に死んでいる。この年代が、ダンテが『新生』に書いた記述と時間的に符合することが、彼女の実在説の根拠になっている。これについては、ダンテ学者のあいだに異見があるが、ベアトリーチェが、『新生』と『神曲』とをつなぐ中心的なヒロインになっているから、問題になるのも当然である。
その『新生』を書く前の一二八九年には、ダンテはカムパルディーノの合戦に、フィレンツェ軍の騎兵として参戦している。
一二九五年にダンテはかねて婚約をしていたジェムマ・ドナーティと結婚した。彼女は彼の歌友だちのフォレーゼ・ドナーティの妹である。この年から一三〇一年まで公職についたが、組合に入るという条件つきだったとかで、彼が医師・薬種業のギルドに加入したのも一二九五年である。詩人のダンテがなぜ医師のギルドに入ったかと疑問にしていたが、そのギルドの構成の実態と事情は、あとでフィレンツェの項のときふれることにする。一二九六年には、ダンテは財政問題の審議機関である百人委員会の委員になる。この年から、グエルフィ党内のチェルキ家とドナーティ家のあいだに反目があって、それが白党と黒党の抗争へ展開する。白党はひろい民衆の支持があって市の自治制をまもろうとし、黒党は少数の貴族階級の利益を代表していた。両派の立場の根本的なちがいは、法王ボニファキウス八世に対する態度に現われていて、白党は批判的で黒党は協調的だった。ダンテは白党に入っている。
一三〇〇年、ダンテは他の五名とともに、フィレンツェ市のプリオーレ(統領)の一人に選ばれる。ダンテが、フィレンツェ市の内紛を調停するために、法王がシャルル・ドゥ・ヴァロア軍をフィレンツェヘさし向けようとする意図をさとって、法王に謁見するため使節としてローマヘ赴いたのが一三〇一年だが、この年にヴァロア軍はフィレンツェに入り、黒党のクーデターにあって、彼はローマに滞留しなけれぱならなかった。
一三〇二年には、クーデターの結果、ダンテは汚職の罪名で二年間の国外追放を宣告され、ついで永久追放となり、さらに不法入国すれば火刑に処すと通告されて、ここにダンテの亡命時代がはじまるのである。
追放後のダンテの足跡はよくわからない。おそらく一三〇四年にはヴェローナの領主バルトロメオ・デラ・スカラ家の館にいたと思われるし、一三〇九年にはルッカで、おそらく追放後はじめて家族と会ったと思われる。それからあと、一三一七年までの八年間は、古文書の記録の断片から拾いだせば、おそらくシエーナ、サンタジタ、パドヴァ、ヴァル・ディ・マグラ、ルニジアーナ、カセンティーノなどの諸都市を放浪していたらしい。これらの諸都市には、それぞれダンテをもてなした人へのあたたかい記憶があり、また「あたかも乞食のように、イタリア語のひろまっている地域は、ほとんどくまなくさまよい歩いた」とか、「他人のパンがいかににがく、他人の階段のあがり降りがいかほどつらいか」などという感慨を、ダンテにさせた時期である。
一三一七年にグイード・ノヴェッロ・ダ・ポレンタ公に招かれてラヴェンナヘ赴いてからは、ダンテに久しぶりの落ちついた日々が訪れ、ダンテはそこで学匠として敬愛をうけるのである。それからの二、三年のあいだ、ダンテは『神曲』をそこで完成したし、ボローニャ大学のジョヴァンニ・デル・ヴィルジリオから懇篤な招請をうけたし、グイード・ノヴェッロ公の使節としてヴェネツィア共和国へ赴いたりして、ダンテにとっても最後のかがやきの年月であった。そして、ヴェネツィアからの帰途にかかった一三二一年の九月十三日に、マラリアのために斃《たお》れ、遺骸はその地のサン・フランチェスコ教会に埋葬されて、現在にいたっている。
アリギエーリ家のダンテは、そういう波瀾に富んだ一生をおくった人だが、その風貌をボッカチオは、このように描いている。「詩人の身のたけは、人並だったが、壮年期をすぎるころから、いくらか前こごみに歩く癖があった。歩きぶりはどっしりして重々しかった。服装はその年齢にふさわしい上品な布地のものをいつも身につけていた。彼の顔は面ながで、鷲鼻、目はやや大きく、あごが張っていて、いくらか受け口だった。顔色はあさ黒く、頭髪もひげも濃いほうで、黒くちぢれていた」
たいていのダンテの画像や塑像を見ると、『新生』を書いたころの若やいだやわらかさが消えて、どの像もきびしさが暗く顔にあらわれているものばかりである。外見だけで判断すると、オルカーニャのダンテ像は、下あごを誇張しているように見えるが、マザー教授がダンテの頭蓋骨を計測した結果からすると、これが生前のダンテの顔にわりあい近かったのではなかろうか。
ダンテ時代のフィレンツェ
一三〇〇年代のフィレンツェは、ジョヴァンニ・ヴィラーニの『年代誌』によると、その人口は三万余となっている。それが三八年には、市の人口は九万、教会が一一〇、病院が三〇、羊毛ギルドの仕事場が二〇〇以上、銀行が八○、パン屋が一四六と、急激にふくれあがっている。
その急激にふくれあがったのは、フィレンツェがすでに、毛織物製造工業の中心になっていて、それを軸とするヨーロッパ各地との貿易の中心地となっていて、富と商権がここに集中していたからだ。その都市は、ヨーロッパの商権を南仏のアヴィニョンから奪って、ジェノヴァやヴェネツィアと並んで、繁栄をきわめ、フィレンツェのフィオリーノ金貨は品位が高いので、初期ルネサンス時代には、国際的な基準通貨となっていたほど信用があった。ダンテの住んでいたころは、それに先だつ五十年ほど前だったから、それほどではないにしても、市は活力をひめた花の都だったにちがいない。
それでも、市は現在のドゥオーモの広場からアルノの河岸までの、現在の五分の一ほどの地域にかぎられていた。北は現在のサンタ・マリア・ノヴェラ教会とドゥオーモを結ぶ線でかぎられ、南はアルノ河畔の現在のポルタ・ロッサ通りまでで、東は現在のプロコンソロ通り、西は現在のトルナ・ブオーニ通りまでの、この不正四角形の地域が当時のダンテたちの生活の場だった。
市の中心には旧市場があって、その前で大通りが交差しており、それが延びてほぼ市を四等分する形になっている。教会とべつに関係のないダンテの生家、フォレーゼ・ドナーティの家、ベアトリーチェの生家と目されているポルティナーリ家などが、その市を四等分する地区のなかに一町くらいの間隔をおいてかたまっている。いろいろ史実の証拠を出しているヴィラーニもその地区にいたといわれるが、ダンテとの付き合いはなかったらしい。そのあたりは、十九世紀の終わりころにおとずれたロンスデール・ラグのスケッチでみても、路次のように街路が狭く感じられて、カスターニャの塔をひかえたダンテの家など、いまとちっとも変わっていない。現在でもまだ路次は中世のおもかげを残している。
やはりラグと前後して、フィレンツェをおとずれたオリファンテ夫人のつぎのような文章からもその雰囲気が感じとれよう。
「ダンテの家がよみがえることは望みがたいとしても、アリギエーリ家、ドナーティ家、ポルティナーリ家の思い出のあるサン・マルティーノ教会の狭い路次のまわりの家並は、この市の絵のようなどの町角よりも、ダンテのフィレンツェをまざまざと思いおこさせないではおかない。このサン・マルティーノ教会と外圏の古い城壁のあいだには、フィレンツェの町ではなくて、ダンテが生活した路次や広場の情景があった。人々は隣りあって、今日ではごく小さい鄙《ひな》びた村でしかできないように、ひっそりと暮らしていた」
ダンテのころのフィレンツェでは、広場ではバッカス祭りやハレルヤの宗教劇がその時節に催されたが、貴族のあいだでは、それぞれの家で祭りや催しごとが行なわれた。年があらたまると、過越節《すぎこしのいわい》のころから、若者や乙女たちの集いがはじまって、歌合せも毎月のようにあった。婦人は頭に金糸銀糸の冠をつけ、首には飾りをつけずに胴衣のところまで出していた。紫や真紅の絹の上衣は膝までたれていて、宝石をちりばめた金の帯で腰のあたりをしぼっていた。上衣はひろい袖だから、胴衣の袖をとおして腕が見えた。若い女性の色の好みは、バラ色、ルビー、深紅、深い青、空色、緑で、それに金銀の飾りやボタン、銀や金や白のエナメルの帯が、優雅に女性をきわだたせていた(フラーチの『花の都』)。ダンテのころは、すでに中世風の重いディアフォニアの旋律の歌がすたれて、シチリア風の小唄が流行していた。おそらくダンテたちも唄っただろう「シイレ・ガリン」の歌曲が、彼らの集いをたのしくしたにちがいない(デ・ムリスの『音楽随想』)。
『新生』の時分のダンテたちは、彼らがはじめた俗語のいきいきした調子で、たがいに消息しあい、恋のおもいを歌にしておくったりした。ときには、フィレンツェの六十人のうつくしい女性の品さだめをして順番をつけたりした。ベアトリーチェがいつも九番目に当たったのもそんなときだし、三十番といえば、彼らのあいだでは、誰のことかわかっていた。そういうドラ息子とノラ娘の付き合いもあったにちがいない。その片鱗は、「煉獄」の二十三歌にある仲間のフォレーゼ・ドナーティの霊との対話からも読みとれるし、同じ篇の三十歌で、ダンテはベアトリーチェの霊にこのことで叱られている。
にもかかわらず、その花のフィレンツェにも、まだ中世風の暗いかげが残っていて、一般の庶民のあいだでは、星占いが一家一身の運勢をきめていたばかりでなく、一国の政治や軍事までも左右する力があって、占星術師が政府や政党のコンサルタントとしてさかんに詐術を行なっていたことは、パルマの「アスデンテ」といわれた妖僧サリムベーネの自伝的な年代誌でもあきらかだ。
刑罰もでたらめで、些細なことでよく人が殺された。一二八八年に偽りの告発をしたかどで、マルティーノ・ポレジーナという男が、皮をはがれて生きながら焼かれている。一三二一年には少女を誘拐しようとしたスペイン語の教師が首を切られている。そういう残忍な事実が、グリフォーニの年代誌を見ると、たちどころに一ダースも出てくるほどで、黒党のクーデターのとき、ダンテがフィレンツェにいたら生命の保証のなかったことはたしかだ。ダンテの残虐な地獄での描写は、日常こういうひどい事件を見て不感症になっているからだと、クノーはいうが(クノーの『夕陽の都』)、ダンテの場合は、黙示録にあるグロテスクが地についていたものと思う。
ダンテがなぜ医師・薬種業のギルド(ここではアルテという)に入ったか、久しく疑問にしていたが、ダティーニ文書を見て、それも無理もないということがわかった。当時フィレンツェには、ギルドが十五あって、医師・薬種業のギルドはそのなかでももっとも大きくて、組合員は千人を越えていたという。そしてそのギルドには、医師や薬屋のほかに、呉服業、理髪業、皮革加工業、製鞍《せいあん》業、ガマ口製造業、甲冑業、鍛冶職、それに画家や写本の彩飾家まで加入していたというから、ダンテがここへ入ってもべつにおかしくない。それを一二九五年に出た「正義の規定」のためだなどということが通説になっているのも、ヴィラーニの年代誌を過信した結果かもしれない。なぜなら、成年に達したフィレンツェ人は、五ソルディの加入料を出せば、どこのギルドにも入れるし、その市で就職したり、公職につくのには、必ずどこかのギルドに入っていなければならなかったからだ(イリス・オリゴの『プラートの商人』)。
ダンテの思想は反教会的か
ここで、こういうフィレンツェという社会を背景として、ダンテの思想的な問題を考えてみたい。すでにその府《まち》では、商工業の繁栄で、唯物的な主知的な思想がたかまっていたらしい。それには、一三〇九年に法王クレメンス五世が法王庁をフランスのアヴィニョンへ移したのがもとで、それのローマ復帰問題がおこっていて、法王がフランスとイタリアで並立するという騒ぎになっていて、教会の権威が地におちたことも、底流になっている。
そこでは、ダンテを「彼は教会の子だが、反法王庁の思想家だ」という妙な論理で推す人もいた。これが後の、アルビ派やフリーメーソン、宗教改革運動者、ひろい意味のプロテスタントが、ダンテを同志とし先覚者として見ることになるのである。
しからば、ダンテははたして反教会的であったのか。さいわいにして、スカルタッツィーニが、その問題について、「べつのことだが同じこと」というエッセイで論じている。ダンテは教会から離れたようでも、信仰の点では同じだといっているのだ。
ダンテが『饗宴』を書いた時期は、ほぼ一三〇八年だった。それは彼がなお哲学的な見地で、万事にこころをもやしていたときである。我々が不審に思うことは、そのあとで彼がいかにしてベアトリーチェに自分の過誤を告白することができたか、またそのことを悔悟したのは一三〇〇年だったか、ということである。「煉獄」で、彼が悔悟する罪は、あきらかにこの幻想の考えられる時日より前の、ダンテの生涯のある時期に属すべきだからだ。同じころダンテは『俗語論』を書いているが、そのなかでも彼は同じ立場で物をいっている。この本は、言語論だが、中世特有の科学的に未分化な記述だから、結局は民族論にもなり、風俗嗜好論にもなっていて、ダンテの場合は、民族のモラールの問題にもふれている。その同じ悔悟のことは、彼がそのあとで書いた手紙類にもあらわれている。とりわけ、フィレンツェの人々に宛てた彼の手紙にはキリストの愛とは似ても似つかぬ言葉を使っている。彼の近所にいた『年代誌』を書いたヴィラーニも学者の尊大さでダンテを告発しているが、彼は客観的な資料によらずに自分の感触で書いたにちがいない。おそらく、その非難の根拠は、ダンテのフィレンツェ人への手紙からだったと思われる。
それがどうあったとしても、ダンテの精神的な展開の三つの時期は、彼の著作のなかにはっきり見られるのである。
第一期に入る時期は疑うまでもない。それはダンテの少年期と、青年期のベアトリーチェの死ぬまでを含んでいる。だが、第二期と第三期の限界は、同じ確実さでは決定できないのである。『神曲』の「地獄」の初めに、ダンテは一三〇〇年の免罪符の年が、めざめて暗い森をのがれようとしたときだと記している。そうしてみると、この年に、彼は精神上の激変を経験したにちがいない。しかし、彼が世を捨て、捨てるや否や世間の騒ぎのおこることなどは、彼は仮定もしなかったのである。なぜなら、その当時、彼は政庁の一員であったし、その追放までは公共の仕事をしていたからだ。しかし、彼は「煉獄」のあとのほうの歌で、後年には彼の哲学への没頭は過誤であったことをみとめている。しかし、我々はべつに、ダンテがベアトリーチェに対する過度の衝動的な愛を罪として認め嘆いたあとで、哲学の栄光を歌うという、矛盾した表現を『饗宴』のなかにもっている。なぜなら、この哲学への没頭の過誤という意識は、その『饗宴』を書いたあとで、当然こなければならぬことだったからだ。
我々は、ベアトリーチェの死と、ルクセンブルクのハインリッヒ七世の死が、ダンテの精神生活の二つの転回点をしるしたことを一致して支持している。と同時に、我々はその激変が突然に完了したことを意味しているのではない。ところが、ハインリッヒ皇帝の死が、その第二期の限界をしるすという仮定が、彼の皇帝への手紙が、皇帝のローマヘの進軍のときに属するという事実にもとづく仮説にすぎないことに注意をそらしてはならないのだ。その事実は、ダンテが『饗宴』でしたと同じ立場にあったことを示しているからだ。
ダンテはその詩の中で、悔俊の秘蹟を、トマス・アクィナス派の学者の教示と、当のアクィナスの秘蹟について、それを調和させて彼なりに完成している。我々はそこに、悔俊の秘蹟――悔悟、告白、償いに必要なあらゆる期間を見出すのである。こういうことは、中世の詩のほかには、あり得ないことだ。すなわち、英雄とは、単なる個人でなくて、一般的な人間であって、個人に表現された集合的な人間性だからだ。実際に、ダンテの悔俊は、スコラ的な線で完成されることはむつかしいことなのだ。その過程には、単なる心理的な発達、誠実な自我への復帰、しずかな悔恨から、また他者の道をたどろうとするひたむきな決意、そしてそれの結果する精力的な持ちこみなどを問われなければならないからだ。それらの精神的な過程は、『神曲』のなかにある。それは、「煉獄」の最後の幻想のなかで、詳細に、全体として人類に適用される、教会の教えと一致するものとして表わされているからである。
だが、『神曲』は一貫して、彼の倫理観からも自分は良心をもっていると自負している。ベアトリーチェと和解する前でさえ、ダンテは自分が善良な魂であることを知っていて、地獄へなぞ目ざしはしなかったのだ。だから、『地獄』の六歌、七三で、
正義の士は二人いるが、府《まち》では相手にしないのだ。
とある箇所の解釈が改められたなら、ダンテはそれからもフィレンツェに住んでいる二人の正義の士の一人として自分を示すだろう。
我々は、したがってハインリッヒ皇帝の死のとき経験したダンテの強い幻滅を仮定しなければならない。それはフィレンツェヘの名誉ある帰還か、世間の公共の場での何かの役割をすることかの、いずれかであって、それに幻滅したことは、ダンテに自己反省の動機を与えたといえる。その結果は、一方ではかりそめのことにわずらわされたという後悔だったし、他方では永遠なもののあとにふるい立ちはじめた決断と、神聖な智に対して無条件にみずからを捧げることだった。後年、『神曲』のなかで、この心理的な展開を詩に描いたとき、彼はそれを教会の教義の線で書くことを決意した。そして、教会的に修正した悔峻と解釈とを、描いたのだった。
実際に、キリスト教より古い黙示録神話のような抽象的な理論によれば、人間はそれ自身、真剣な回帰の結果として前の立場を捨てるとき、人間を他者の立場におくものだ。だが、事実は、ダンテは彼があったと同じものを残している。そこには一つの発展はあるが、変遷はすくなく、ほとんど感じられない。
しかし、はるかに多くの変化が彼に行なわれたのではないだろうか。ダンテは教会の謙虚で忠実な子から、教会のおそるべききびしい判定者になったのではないか。彼は『神曲』のなかで、教会のなかへしのびこんだ悪評に対して注目していたし、それに加えて、法王という教会の最高の権威をもたらすものを許さなかったことも事実である。ダンテの初期の作品には、この種の意向は何にも見出されない。『新生』にはその片鱗もなく、『饗宴』では、教会に近寄ろうとしながら、教会の悪評に対してそれを試みる機会もなかった。
このことは、いまではアナクロニズムとして一顧もされないことだ。それは、ダンテが信仰のあついカトリックだったか、また全霊を教会に捧げていたのか、もしくは、それに敵対する立場にいたのかという問題である。それが、秘密結社のメンバーとして、アルビ派、フリーメーソン、社会主義者などとして、彼に烙印を押す人の夢をもってすることは、我々のとりあげる問題ではない。問題として、より重要なことは、ダンテの深い魂のなかでは、ローマ教会の組織、その良心的、非良心的な改革者と相争っていたのではないか、ということである。このことは、とくにプロテスタントの神学者によって、しばしば想像されてきたことである。その人たちはのちの十六世紀の宗教改革運動の基本理念を擁護した人たちである。
その動きはいろいろあった。その口火を切ったのは、悪名たかいルーテル派の狂信者のマティアス・フラキウスで、彼はダンテがローマ教会に反抗したという証拠に、そのリストに載せた一四〇の証言のなかに十六人の法王をあげているが、その法王たちは立派なカトリックの教徒だったと思われたから、説得力はなかった。それから三十年ほど経って、イタリア語の『たのしい報せ』という表題をもった本を書いた、ミュンヘンのヨハネス・シュワルツが、ダンテの詩の力で、イタリア人に宗教改革を承認させようとした。しかしこの著者が、フランス人でフランソワ・ペロー・ド・メツィエールだとわかって消えてしまったが、一時は枢機卿ペラルミーネまでが、この小著は組織的に論評する価値があるといったものだ。またヴォルテールがダンテをからかっていったことは有名だ。「イタリア人は彼を神聖と呼ぶが、それはかくされた神聖だ。何人かは彼の神託を理解している。彼は何人か注釈者をもっている。それは、おそらくなぜ理解されないかという理由からだろう。彼の名はいつまでも残るだろう。それは彼の詩が読まれないからだ」と。そして「このごった混ぜは、うつくしい叙事詩だと想われてきた。だが、それは異常な詩にしかすぎないのだ」と。この批評のあとで、フランスの自由思想家は、ダンテから離れていった。そのことは、我々にとって、むしろ幸運だったといえるのだ。その点で、我々はそのあとで、ダンテが哲学者の先駆だったか、敵対者だったか、そのどちらかという問題がおきたので、かえって運がよかったと思うのだ。
十九世紀になって、ウーゴ・フォスコロがこの問題をふたたびとりあげている。ダンテはたしかに宗教改革を予言したばかりでなく、彼を天の遣わした改革者として自身を示したと推論することに努めた。それらのイタリア、フランス、イギリス、ドイツの正統派の対立者たちに見られる夢は、いまでもプロテスタンティズムが、盟友として冥府の歌い手をもとめるうえで正しいかどうかという論争の下にあるのだ。ルーテル派の神学者カール・グラウは、ダンテにおいてローマ教会の誤謬を打倒する気運をたかめた、真に尊い証明の最初の人としてよろこんでいる。しかし、彼はダンテがルーテルの地盤に立っていないという考えで、自分をなぐさめていたのだ。
このように、ルーテル派の神学者は、ことごとくダンテの反ローマ教会への態度を支持し期待していたが、何しろ『神曲』は、大部分回答のない謎であり、実現しようもない予言であり、ケルンのカテドラルのような未完成の建造物である。そして、ベルリンの考古学者フェルディナント・ピペルが「ダンテの福音派的な性格は、ひろくヨーロッパに浸潤している。その論証は明快で、その声は豪壮であって、宗教改革の先駆者として感謝に満ちた誉れをもって認められなければならない」と言ったが、この意見に、ルーテル派の神学者の多くが同意していた。
ダンテは全体的にいえば、中世の教義の地盤に立っている。彼の「地獄」「煉獄」「天国」を完成するうえでは、詩的には恩典を与えているが、教義的にはきびしい。総じていえば、ローマ法的だが、全体としては反教会的である。彼は異端者を宗教裁判官のように、はげしい苦しみのなかにおいている。ダンテは断罪の順序をアリストテレスとスコラ的な典拠にしたがっているが、救済へ向かう心情はあながちそれに拠っていないからだ。
ここに、異教主義とキリスト教の要素的な奇妙な混合が、一つの型になっているようだ。同じことをヘルツオックもいっている。しかし、キリスト教と異教主義の混合したなかでは、そういう基盤のうえでは、真の宗教改革は決して立つことはできないことを彼は確言している。ここで異教主義というのは、黙示録の思想である。それは、キリスト教を根源から見直そうとする要求をもっているから、もともとキリスト教と背馳《はいち》するものではない。ただし、ローマ教会の教条的な形式からは遠のくのだから、信仰的には異教の宗教的真実をもつものとして体験されるものだった。しかも、ユダヤ教的な黙示録信仰の思想は、カトリックの根をゆるがす惧れがあるから、ダンテはそれをほどほどに抑える必要があった。彼が「天国」で、その信仰の発言が「さりげなくのがれねぱならないもの」として、それをほのめかしているのは、その理由からだ。
ピエール・バイルは、ダンテが、ダンテをよきローマ・カトリックだったという説をもつ者と、それに反対する説を見つけだす者との双方に、十分な資料を与えていたと考えていた。これは、正統カトリックの公平な見方だと思う。しかもそれは、アクィナスのトミズム的な枠さえない、自由な人間的な、カトリックよりも古い本源的な黙示録思想にかかわる問題である。
もし、ダンテがカトリシズムに局限していたら、「天国」はすくなくとも問題を未完成に終わらせることはなかっただろうからだ。
ダンテの教養
ダンテの著作を読むことは、とくに『神曲』においては、中世を通じてギリシア・ローマの古典的な学芸を総合したかたちで読むことを意味している。
『饗宴』は、『新生』や『神曲』の余録のようなもので、その制作上の覚書や補遺や備忘のために書いたものらしい。我々の興味からいえば、彼が何をきわめるために、どんな本をどこまで読んだかを示す研究過程の報告のようなもので、ここから彼の勉学の範囲がくみとれるのである。その著作にあらわれる博識は、百科全書的で、神学のことはあまりないが、その他の哲学、政治、歴史、地誌、天文、地文、神話、伝説、言語、修辞などについても、そのころまでに到達した研究の成果をいろんな形で述べるばかりでなく、天文や地誌では当時の学界では見出せない新説を出している。
ダンテの学識は、ギリシアの人文学の自由七科のほかにも、中世までにたくわえられた学芸のあらゆる部面にふれているが、彼が主として祖述し、発展させたと見られるものは、哲学ではギリシアのプラトン、哲学と理学ではアリストテレス、ローマのボエティウスとキケロ、詩と詩論ではローマのホラティウスとウェルギリウス、古典の人文学ではないが、天文では東方のアルフラガヌスとプトレマイオス、神学では東方のアヴェロエス、地学ではリストロ・ダレッツォ、地誌ではパウルス・オロシウス、宇宙論と理学ではアルベルトゥス・マグヌスなどだったと思われる。
当時の学匠はみな百科全書家であって、その学識は百科にわたって自分の解釈をつけるのがしきたりだったから、ダンテがそういう学風をもったことも自然である。
ダンテが青年時代についた師で、彼にとっても生涯にただ一人の師となったブルネット・ラティーニも、やはり高名な百科全書家で、その『小宝典』という詩の形で書いた書物は、やはり学芸百科にわたる学術書である。それにラティーニは、すでにスペインのアルフォンソ十世の宮廷へも、フィレンツェの使節として行っていて、そこで行なわれていたイスラムの学者たちのアリストテレスの注解事業にも立ち会っていたから、新しい知見をもった学者だったことが、後年のダンテにはしあわせなことだった。
そこでダンテは、中世の学者がそうであったように、古典の人文学をまず身につけたわけだが、ギリシアの学問はギリシア語の原典で読んだのではなくて、イスラムの学者がアラビア語に訳したものから、さらにラテン語に訳した文献で古典に近づいたのである。
ギリシアの学問は、五世紀に西ローマ帝国が滅亡するとともに、ヨーロッパでは中世に入ってしまって学芸の灯は消えた。それからの一千年を、東ローマのビザンチウム帝国で、ギリシアの学問が温存されていたのである。主としてビザンチウムに逃げてきていたネストリウス派のキリスト教の学僧が、それのシリア語、アラビア語への翻訳と注釈をしていた。もちろん、古典のなかには、消えてしまったものもあるし、翻訳だけ残って原典がなくなったものもあるが、アラビア本来の学問によって、それを発展させたギリシアの学問もある。
天文学などがそれで、ギリシア天文学の八天が、ダンテの場合では九天になっている。これはアラビア天文学の修正を経たからだと思われる。ダンテが実際には、それを十天にしているのは、天文学的な理由ではなくて、神学的な意味から一天を付け加えているのだ。「天国」の十三歌七〜一三にある北斗座の星の数でも、アラビアの星は、ギリシアの星よりもはるかに多い。ダンテがたえず天文学の勉強をしていた証拠に、月のくまのことで説明を変えた例がある。はじめに『饗宴』のなかで、
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その一つは、そのうちにある陰影で、これは月の物体の稀薄なことにほかならない。その上に日光がよく停止しないから、ほかの部分のように反射しないのだ。
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といっていたのが、あとでその同じ現象を『神曲』の「天国」九歌、二九では
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ひとの世界の投げる影、そのとがった端になるこの天は。
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といっている。つまり、以前には、月の表面には密度の濃いところと薄いところとがあって、薄いところには太陽の光線がとまらないから、その部分の反射が弱く、したがってそれが月のくまになる、といっていたのが、あとでは、それは地球の影の尖端が月球体の上へうつったのだ、というふうに、近代の天文学説のように意見を変えている。
この事実だけでも、占星術的な天文知識しかなかった当時のヨーロッパで、ダンテがいかに科学的な天文学説をもっていたかがあきらかである。本来のギリシア天文学だけでは、とてもこのような意見は出てこないからだ。
ダンテ時代、ヨーロッパの文化は低く、イスラム文化圏からの東方の知恵にあこがれていたから、ギリシアの古典を正当に理解するためにも、東方の学者の研究に依存しなければならなかった。十世紀前後のアレクサンドリア、トレド、コルドバ、パレルモでのギリシア古典のラテン語への翻訳は、国家的事業の観があったし、もしアヴェロエスのアリストテレスの厳密な注解がなかったら、それへの理解はヨーロッパでは半世紀はおくれていただろうし、ダンテの思想体系は、はたしてできただろうかと疑われるほどである。
正統派のダンテ学者があまり取りあげようとしない東方文化との接触の痕跡は、ダンテの著作のなかにその影響がおびただしく見られるし、ダンテ自身が『饗宴』にその名をあげているアラビアの学者も、アヴェロエス、アヴィケンナ、アルガザリ、アルフラガヌス、アルブマッサルなどと、その読書範囲はひろい。
それでも、先年問題になったことだが、ダンテがイスラムの説話『ミーライ』を読んだかどうかということがある。その本のラテン語訳はすでに十一世紀末ごろ、コルドバで写本ができている事実があきらかだからである。
なぜかというと、それが『神曲』と内容も組織も同じだからで、三界の構成も、刑罰の種別も刑量も、天国の構造も、炎の天も、神秘なバラも、亡者のたどる行程まで、『神曲』とそっくりだからだ。
ダンテがそれを読んだかどうかは、我々には大した問題ではない。一方が、ばらばらの説話を集めた、まとまりの悪い集成説話で、いかなる点からも、比較するほどのものではないからである。ただ、それがダンテの眼にふれたとすれば、そういう東方との接触が、かえって我々に親近感を与えるのだから、イタリアのダンテ学者のように眼に角を立てはしない。
信仰と政治
ダンテがカトリックの敬虔な信者であったことは、疑う余地はない。『神曲』は思想として、聖書以前の黙示録思想をもち、教義としてキリスト教神観を主要なモティーフとして一貫しているし、「煉獄」の十九歌一二七を見てもあきらかなように、さんざん悪徳な法王を吊しあげたダンテだが、真のキリスト者である高徳な聖職者にはふかい敬意を払っている。
そこの第五歌で、ダンテがひざまずいていると、「何のかどで、身をかがめているのか」と、そこに伏せている霊がいう。ダンテは「あなたさまの気高さで立っていると私の心が責められますので」と返すところがある。ダンテは、その霊が高徳な法王アドリアーノ五世だとさとったからだ。
しかし、ダンテがきびしいキリスト者だった証拠として引きあいに出される、異端者に対する処罰。たとえば、処女懐胎説を否定した法王アナスタシウスや、聖物売買をした法王ニコラウス、策謀家の法王ボニファキウス八世などを、ダンテは悪臭のたちのぼる墓に入れたり、岩穴にさかさに吊して出た足を焼いたりして、酷刑を与えている。
これは、ダンテがキリスト教精神に、愛と正義と高い人間的な倫理を認めていた証拠だと思われる。これは、フィレンツェでの黒党白党の抗争のなかで、ボニファキウス八世の政治的陰謀にかかったことや教会の俗化に彼がつくづく愛想をつかした結果かと思われる。彼はボニファキウス八世を、『神曲』のなかで二度も処罰している。
カトリックに対する異端には、このようにきびしい処置をとったダンテだが、異教徒に対しては、もしそれが人間的に善良で、宗教的戒律のもとで信仰する者には、むしろ同情的で、その罪については寛大に許しているようにも見える。
「天国」の十九、歌七六〜七七の、
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汝いえらくは、人のインドの岸に生きるや……
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と、アジアの異教徒をさしていうときも、暗に仏教徒たることをほのめかして、
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洗礼もうけず信仰なくして死ぬことあらむも、その人を罰する正義いずこにありや。その人信ぜずとて、その咎いずこにありや。
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というような人間的な見方をしていて、ウィーンの仏教学者カール・ニューマンはこれを、ダンテが「ゴータマ」の表象としてその句を選んだのだといっている。ここらが、ダンテが黙示録思想をもっているおおらかさであり、また一面でアヴェロエス風な合理主義者と見られるところかもしれない。
ダンテのラテン・アヴェロエスト的な合理主義は、その政治思想にも見られる。彼が『帝政論』で主張する政治的な理想は、法王が世俗的野心を捨てて人類の魂の救済につとめ、皇帝は貪欲を捨てて善政をしいて平和な国家を建設することである。
そのために、皇帝が皇帝たる権威を得るためには、神聖ローマ帝国の皇帝として、ローマで戴冠式をあげることが条件になっている。ダンテの観念のなかには、カトリック教会をローマに築いたのは、神の意志によることで、中世から宗教的統一はローマ教会、すなわちヴァティカンを中心として続けられてきたということである。だから、政治的統一もそこを中心として行なわるべきだ、というのである。つまり、彼は、ローマ皇帝の権威とキリストの権威を、ともに認めていたのである。
彼はその理想を、ルクセンブルクの王ハインリッヒ七世に託して実現しようとして、そのフィレンツェ入城を待望していたのだが、その急死によって理想は実現しなかった。「天国」の十八歌、九一〜九三の、木星天の空間に現われるキリスト神観の「正義を愛せよ」と「地を審判《さば》く者たちよ」という言葉は、一字ずつ現われては消えていく。そして最後に現われたMという文字だけが消えずにとどまって、銀色にかがやきだすのである。
この文字に神の意志があるのか、ダンテの寓意があるのか。注釈者はそれをMonarchia(帝国)のMと解したり、Mondo(世界)のMと解したりするのだが、やがてそのMの字は百合のかたちとなり、最後にはまた変形して鷲のかたちになってしまうのである。鷲はローマ帝国の象徴であり、またダンテの理想の表徴でもあるのか。
実のところ、ダンテにとっては、フィレンツェでのグエルフィ党(法王派)とギベリーニ党(皇帝派)との対立抗争は、いつの間にか変質していた。そして同じグエルフィ党から出た黒党と白党との対立となって殺しあっている当時では、黒党を打破しなければ身のおきどころもないダンテには、方便にもせよ、かつての敵党であるギベリーニ党の亡命者と一体となって、神聖ローマ皇帝によって、イタリアの救済を期待しようとするその思想は、中世的側面を示す有力な要素だと、批判せられても仕方がない。ここにも、ダンテの現実的な合理主義があらわれていて、彼は行動的には時代からとり残される存在になっていたといえそうである。
ダンテ評価の変遷と現代
ダンテの著作、とくに『神曲』への評価は、彼の同時代にすでにその注解が行なわれていることは、中世学芸の総合者としての彼の学匠に対する信頼からおこったことと思われる。それは、十四世紀にすでにダンティスタ(ダンテ学者)が名誉ある呼び名になっていたことと、文法家はその業績にダンテ解釈学の何かを入れていたことからも、その尊崇の程度がわかる。
しかしイタリアでも、十六、十七、十八世紀には、ペトラルカの人文主義の古典的な文芸の好みと、ラテン語作品の高尚性という先入観にとらわれて、『神曲』はひどくがさつで、あらあらしく、中世の性急な気風をもつものとして、むしろ軽視されることが多かった。ベムボの文学が流行したり、マリーノ一派の高踏派の文学が流行したりしたからだ。そのうえに、俗語が言葉として醇化されていないという理由で、文学的な大作には向かないものと考えられ、ラテン語よりも下等だという理由で、ダンテの作品が、ひどく不細工で、がさつで、異様なものに感じられていた。
アリストテレスの詩論と文学理論がそれに輪をかけて、『神曲』否定の風潮をかき立てていた。とくに、十七世紀はその頂点で、マリーノなどのバロック文学が完全にダンテを過小評価していた。
その三世紀のあいだに、ダンテ研究の火が消えていたわけではない。十五世紀のクリストフォロ・ランディーノ、フランチェスコ・ダ・ブーティ、ヴェンヴェヌート・ダ・イモーラなどの手で、古典研究の成果を歴史的に広汎に活用し、トスカーナ古語の文法的な読み方を哲学的にすすめた最良の古注がつくられていたからだ。
十八世紀には、ジャムバティスタ・ヴィコ、ヴィットリオ・アルフィエリなどが、『神曲』のもつ思想にはじめて哲学的、宗教的な省察を加えはじめている。そして、人文主義者側が「人文的な趣味と嗜好」を欠いているといって『神曲』を非難したのに対して、ダンテの著作が内省的ないい趣味などにわずらわされないで、大きな精神史的なユマニスムの思想をもつという、べつの観点から人文主義者と対峠していた。
十九世紀のヨーロッパにおける国民主義の運動は、『神曲』をロマン主義的に読むことを教えた。ドイツを主とする国民的民族的な伝統文化の再吟味につれて、ドイツの学者は、ダンテの仕事にイタリア的な範疇を越えた、ひろい人間的な価値を認めて、古語の分析と資料の発掘を手がかりに、実証的に『神曲』を研究しはじめた。
イタリアでは、あたかも国民主義の運動が、イタリア国の独立と民族的自由をかちとるかたちで、その国民主義には愛国主義的な意味が加わり、ダンテを国民精神の創始者として、予言者として再吟味することになるのである。その根底には、当時北イタリアがおかれたオーストリアの保護国的地位に対する反発から、あたかも当時のイタリア人とかつてのダンテとの、それぞれがおかれた立場への共通の意識が、時代錯誤的にダンテの価値を再発見することになったというのが妥当のようだ。それに、いま一つの理由として、イタリアのロマン主義が影響をうけたと思われるドイツ・ロマン主義が、本質的にはギリシア・ローマの古典主義ではなくて、より煩瑣的な中世の異教的世界に源流をもつロマン主義と考えられるところから、『神曲』をロマン主義文化の最大の表現と考えたことも自然だったからである。
その意味で、デ・サンクティスは、史的実証主義の立場で、歴史的典型と審美的典型を『神曲』のなかに設定しながら、結局は芸術として具象化する中世へ帰納させるように、『神曲』を分析しはじめた。その方法は、『神曲』の歴史性に審美的な解釈を組織的に与えた点で新しかった。
ドイツでは十九世紀から、ダンテ研究ばかりではないが、ニーベルンゲンリートの吟味に見られるように、写本の本文批評、古資料の校訂、言語の遡源《そげん》的研究などによる実証的研究が行なわれていたが、ダンテの著作にもその方法が適用せられて、とくに、ヴィッテやスカルタッツィーニは、その方法によってダンテの新研究を出した。もっともスカルタッツィーニはスイス人だが、その研究には、精神史的・倫理的要素が多く、これが多かれすくなかれドイツ学風として、その後の学者の踏襲するところとなった。ブラン、クラウス、フォスラーなどがそれで、とくにフォスラーは、『神曲』の思想、説話、用語、形式の源泉研究に業績を残している。
イギリスでは、ドイツ学派の刺激によって、エドワード・ムーア、トインビーなどが、写本の校訂、本文批評、標準テキストの作成などで業績があるが、ダンテの著作にあらわれる天文、地誌、系譜などの科学的領域の分科的研究に大量の研究がある。オーア夫人、ガードナ、ウィックステードなどの手でもダンテ研究の根本資料を大量に出した。とくに記すべきことは、十九世紀後半に、イギリスにはダンテ・マニヤと思われる素人の研究家が続出して、研究を発表していることで、その代表者としては、ヴァーノン卿父子がいて、彼らはフィレンツェに住んで古注の発見とそれの出版に生涯をかけて、立派にダンテ学者に伍する実力を示している。総じて、ダンテ研究では、ドイツ学風が哲学的、言語学的、文献学的研究が主眼であるのに対して、イギリスでは、本文批評、『神曲』の分科的な科学研究を主眼としていて、これは二十世紀初頭でほぼ基礎的な段階を終えた。
フランスでは、ダンテの神学的、宗教的倫理的研究に、ジルソン、マンドネ、オザナムなどがカトリシズムの立場からダンテを見ている。その反対の立場から、アラブ哲学、イスラム神学のアヴィケンナ、アヴェロエスなどの東方思想とのつながりをも追求した。ただ、アメリカには、ダンテ学的にはこれという業績はなくて、わずかにファイ教授のコンコーダンスが、ダンテ研究者を助けているばかりである。
デ・サンクティス以後の現代のイタリアでは、ドイツの実証研究に触発されて、ダンテの原文の構造的・哲学的な研究にかたむいているようである。クローチェは『神曲』のリリシズムを重視して、詩と他の寓意や比喩などの構造的要素との分離を主張して、結局はダンテの立場でのダンテ把握を力説し、アポロニオはダンテの神学的立場の概念的な客観追求を否定して、原文を作者の信仰的立場から実存的に認識する方法で、ダンテの豊かな宗教体験を引きだそうとしている。ジェットもまた『神曲』の部とテーマによる新しい読み方をはじめるなど、イタリアにはデル・ルンゴ、ドヴィディオ、ラーニャなど、新しい方法的なダンテの再吟味の結果が出ているが、ダンテに帰ってダンテの感情で作品を読むというのが、母国語の強みに立つイタリア学派共通の態度である。
一九三〇年以後は、ダンテ研究は解釈学の全盛で、それも文学の実証性を追求する手がかりとして、証明として、ダンテをとりあげている。エリオット、ファガーソン、アウエルバッハ、セイアなどが、それを代表している。
ダンテ評価の流れを歴史的に見ると、近代までは写本の収集とその校訂などの文献的書誌的研究が主で、十九世紀末から本文批評の実証的研究と、分科的証明を与えるための科学研究に入った。現代では、ダンテの創作体験に立つ認識といい、部とテーマによる構造的なつかみ方といい、より実在的に深まる一方、現代の人間性の証人としてダンテをとりあげるなど、その評価の意味と方向はこれまでとは変わっている。
しかし、七世紀にわたる評価の対象として、ダンテの著作は、全人類の世界性をもった永遠の文化財として、いまなお無限の傾域を残していることはいうまでもない。
[#改ページ]
ダンテの地獄
彼岸へのいざない
古くからイタリアには『神曲』の読者のための、冥府案内という書物があって、それがゲリウスのローマ見物の手引きのようによく読まれていた。
それほど『神曲』が一般に読まれていたかどうか疑問だが、ただ人間の死後の運命に対してもつ不安、またその不安の実態を知りたいという、怖いもの見たさの好奇心が、あの世のことをかいたこの本に近づかせたかと思われる。だから、読むとすれば、その地獄の構造をつまびらかにするに越したことはない。
どんなダンテ研究の書目にも必ず入っているポレーナの『神曲絵解き』などは、その代表的なもので、そのドライ・ポイントで印刷された絵図は、どこか古雅でダンテの幻想に読者がイメージ・アップする助けになってきたことはたしかだ。
地獄の構造
ダンテの地獄は、地下にある円錐形をさかさにした格好の大きな空洞である。その空洞は地表から地軸の中心へとせばまっているが、それを中心点から量ると、四十五度のひろがりをもった大きな穴である。
穴は中心に向けて四十五度に傾斜しているが、上から下へと不規則に九つの圏谷《たに》が輪になって空洞をとりまいている。その圏谷は大小さまざまで、みな一様なクリヌキ細工みたいにはなっていない。山あり谷あり草原ありで、荒地や砂漠もある。それが、のぼったり下ったり、ぽつんと断崖で切れたり、川や沼でとぎれたりする。暗黒の世界、焦熱の世界、凍結した氷の世界などと、その圏谷はおのおの条件がちがう。いずれにせよ、荒れはてた崩れかかったような情景で、亡者たちが奇妙な呵責をうけている。血の川があったり、煮えたぎる熱湯の沼があったり、焔が降ってくる砂漠があったりして、想像を絶した呵責の行なわれる場所だ。
その構造を見ると、暗黒の森を出ると、まず地殻の壁につきあたる。その内側は底に向かって断崖になっているが、そこに地獄の門があって、有名な銘文を掲げてある。それを入ったところが地獄の前庭で、アケロンテという三途《さんず》の川が流れている。川を渡ると、その対岸が第一の圏谷で、辺獄《リンボ》ともいう。青い草原があって微光のなかでひろがっている。それを手はじめに、暗い烈風の吹きすさぶ第二の圏谷、陰雨と泥まみれの魂たちのいる第三の圏谷、絶えまなく怒声と叫喚のこだまする第四の圏谷、スティージェという黒い沼地の第五の圏谷へとつづく。
その沼の対岸は、ディーテの府で、真赤な火焔を背景に城壁や塔が見え、城内に入ると、広い墓域がどこまでもつづき、その墓からは火炎が噴きだしている第六の圏谷になる。第七の圏谷との間には高い崖ができていて、地獄全体をほぼ二分する割合で、その崖が区切っている。
地獄は、罪をきよめるために魂が呵責をうけるところだから、どの圏谷にも罪のある亡者がうようよしているが、観念的にいうと、この第六の圏谷までは、罪の意識はないが、自制し切れない、不節制の罪の亡霊がいるわけで、第七の圏谷から地軸の中心までは、意識的な、悪の意志をもった魂の呵責の場になっている。そして、そこは罪によって三つの円に分かれている。この第七圏谷から下は、地獄の奈落である。総じて、地獄の圏谷は、下へゆくほど罪が重く罰も大きくなっている。
地形からいうと、第七の圏谷と第八の圏谷のあいだには、さらに深い断崖ができている。第八の圏谷には環嚢《ボルジア》といわれる溝状の輪が十個あり、その十番目の嚢の下は、また大きな断崖になっていて、いよいよ地軸の中心をめぐる氷界になるのである。その凍結地獄は、また四つの円に分かれている。
この地獄の圏谷と、その圏谷の環嚢と円環には、どんな罪の魂を収容しているかを、まとめてみると、つぎのようになる。
[#ここから1字下げ]
第一圏谷〔辺獄〕 罪はないが神を敬わない者、洗礼をうけない者。
第二圏谷 好色者の獄
第三圏谷 貪食《どんしょく》する者の獄
第四圏谷 吝薔《りんしょく》者と浪費者の獄
第五圏谷 激怒者と怠惰者の獄
第六圏谷 異教徒の獄
第七圏谷 暴力を加えた者の獄
第一円 近親者に対する暴力者
第二円 自己に加えた暴力者
第三円 紳に対する暴力者
第八圏谷 欺瞞者の獄
第一嚢 人を誘惑した者
第二嚢 阿諛《あゆ》へつらいをした者
第三嚢 聖職聖物を売買した者
第四嚢 占い師
第五嚢 詐欺をした者
第六嚢 偽善者
第七嚢 偸盗《ちゅうとう》
第八嚢 欺瞞をそそのかした者
第九嚢 不和の種をまいた者
第十嚢 貨幣偽造者
第九圏谷 裏切者の獄
第一円(カイナ) 近親を裏切った者
第二円(アンテノーラ) 祖国を裏切った者
第三円(トロメア) 客人を裏切った者
第四円(ジュデッカ) 主を裏切った者
地の中心 堕天使の魔王ルチフェロ
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魔王ルチフェロは、地の中心で埋もれていて上半身だけ出しているが、下半身は中心点を通り越して、南半球へ向けて埋まっている。
だいたい、この地獄の空洞は北半球の地下にあるので、地軸から地表まで垂直に線を引くと、その地表での接点がエルサレムということになっている。
したがって、ダンテが入った地獄の入口は、フィレンツェの府か、その付近ということになっている。
ダンテが地獄をあまり正確に描きすぎたので、古くから注疏者の間で、その距離や大きさなどが計算されている。それによると、地獄の穴の深さは、三二五〇マイルと計算されている。それはダンテが『饗宴』のなかで、地球の直径を六五〇〇マイルと算定しているから、その半分は三二五〇マイルとなる。しかし、この地獄の空洞は地殻で蓋をせられているが、エルサレムとフィレンツェの間を地底の中心から四五度の角度とすると、地表にもっとも近い地獄前庭の周囲は一万マイルとなり、かりに前庭を入れて圏谷を十の等分のものとして計算すると、フィレンツェから地軸までの地球の半径までの圏谷の周囲は、平均して三二五マイルということになっている。もちろん広狭の差はひどいが、だいたい地獄の幅の見当はつく。〔シュナイダーの『神曲釈義上巻』〕したがって、下の方のマーレボルジェ(悪の環嚢)になると、ずっと狭くなって、ウェルギリウスは周囲を二二マイルだといっている。
ダンテはそこを、川や沼や大きな断崖は、昏睡状態で神の手によるか、怪物の背にのって渡るかするが、そのほかはことごとく足で歩いていくのだ。ダンテ学者は、本文にしたがって、冥府を歩くダンテの時間の経過をも計算している。
天文学者のオーア夫人は、ダンテの記述から明細にその行程の時間経過を追っている〔オーア夫人の『ダンテと古代天文学者』〕。地獄を歩いた時間経過はつぎのようになっている。
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一三〇〇年四月八日 地獄入りの日、暗黒の森の中。
第一日目の日の出前 丘にかかる。
同日の午前六時(日の出) 丘をのぼっている。
同日の薄暮時 地獄の門の前。
同日の深夜 第四の圏谷をすぎる。
第二日目の日の出前の二時間、午前四時 第七の圏谷に下りようとして崖鼻にいる。
同日の日の出後、午前六時から七時の間 第八圏谷の第四嚢を離れる。
同日午前七時 第八圏谷の第五嚢の岩橋の上。
同日午後一時頃 第九嚢を離れる。
同日の夜 地底へおりる。
第三日の午前七時半 ルチフェロの身体を伝って、南半球へ出る。
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こういうわけで、ダンテが地獄にいたのは正味二日で、オーア夫人はその正確な時間を、ダンテの詩にある星の位置から計算して割りだしている。もっとも、彼女によるとダンテが地獄に入ったのは、天文学的には四月八日でなくて、三月二十五日だと論証して、ムーアの説を否定しており、天体のあり方から、その年も一三〇〇年ではなくて、一三〇一年だともいう。そう主張するだけの科学的な十分な根拠がある。
黙示録神話のながれ
この地獄の幻想はどこから来たのか、これはダンテの創意であるか、ということも、古くからダンテ学者のあいだで論じられてきた問題だ。
一般的には、ダンテの地獄の幻想は、ウェルギリウスの『アエネイス』第六巻の、アエネアスの冥府入りから直接影響されたものと考えられている。しかし、考えてみると、それよりももっと古いものに源流がありそうである。
ヨーロッパで冥府の観念が最初にあらわれたのは、黙示録へも入っているアウエルヌスの地獄下降の話だろうと思うし、その黙示録の来世観の伝承が、いろいろ修正を経ながらも、ギリシア、ローマから、キリスト教的な神観にある彼岸観をとおって、ダンテにまで流れこんでいると思われるからだ。
黙示録にそれがまとまったのは古い。それが文献としてのこっているものは、ヨハネの黙示録のほかに、聖書学者があげる『エノクの書』『イザイアの昇天』『イスラエルの十二支族の契約』などの、いまは幻示文学と呼んでいる範疇に入れられているものである。これらには奇蹟や奇怪な物語がたくさんあって、原始キリスト教の信徒開拓の時期には、キリスト教宣教のための有力な武器となったものだが、どういうわけか、ニカイアの教父会議では、しりぞけられて経外聖典となっているものである。ただ、ヨハネの黙示録だけが、唯一の正経となって新約聖書の中にその痕跡をのこしている。
その黙示録のここで問題とする主題は、生と死、霊魂の不滅、罪と罰などだが、それがギリシア、ローマの古い時代にすこしずつ曲折を経て、ダンテにまで来たものと考えられる。
古代ギリシアでは、プラトンを除けば、来世の問題を掘りさげたものはない。死というものは宿命であって、その死の意義などを考えたものはないからだ。人間の運命は神の手に握られていて、生死の問題さえ神託という神の意志が決定していたし、それが必ずしも公正に行なわれたとはいえない。神の気まぐれで人間はひどい目にあっているのだ。人間にとっては、死への恐怖よりも神の気まぐれを恐れていた様子である。
ホメロスの『オデュッセイア』第十一巻には、『神曲』に似た設定がいろいろある。その主人公はダンテのように精神的な疎隔から出発して、暗黒の森の代りに遠い島へ行っている。そしてやはり肉体から離れた魂のいるあの世へ行くのである。二人とも生き身の知性をとおして、懐疑と拒否と否定の道へ行ったという共通点があるからだ。具体的な例をいえば、テーバイの予言者のティレシアヌスは、ダンテが魂に予言されたように、何が彼に起こるか、彼の国に起こるかをオデュッセウスに予言するし、シシュポスはたしかにその罪にふさわしい罰をうける暗示があるが、それは浄罪の意識からではない。要するに、『オデュッセイア』は、ギリシア人のつくった霊魂不滅の意識の最初の資料という点で注目すべきものだし、その当時までに流れこんでいた黙示録の神話のあらわれた唯一の痕跡だと考えられる。
ギリシア人はそこで死をおそれ、冥府に身ぶるいしていたのである。
ローマ時代にも、もちろん来世観はあっただろうが、ラテン文学で見るかぎり、それはひどくあいまいなものだった。現世的で実利主義の性格のつよかったローマ人の人生観では、来世思想などはそれほど重視する問題ではなかったようである。ローマ帝国建設の意識の前には、ストイックな不撓不屈の道徳が前提になっていて、これという来世観の深まりは見られないからだ。
冥府の記述があるとすれば、わずかにキケロの『国家論』のなかにある「スキピオの夢」くらいのものだ。もっとも、オウィディウスの『転身物語《メタモルフォセス》』は例外だ。これは古い伝承を集めるのが目的で、そのなかに冥府のことが入っているにすぎないのだ。ダンテがオウィディウスから、取材したことの多いのは、注釈を見ても明らかだ。
そこで、ダンテが直接影響をうけたといわれるウェルギリウスの『アエネイス』の第六巻のことになるが、なるほどアエネアスは地獄へ下りていったが、しさいに見ると、冥府に関するかぎり、内容的にはそれほど『神曲』との直接の関係はなさそうである。
第一、アエネアスは地獄へ下りていっても、地獄の奈落へまでは行っていない。しかも、その地獄も彼が自分の眼で見たのではなくて、彼をみちびいたシブルの話を間接的に伝えているばかりだ。例えば、そこで呵責されている人たちでも、国を売った者とか、値をつけかえた者とか、自分の娘の部屋へ押し入った者とかと、それを抽象的に述べるばかりで、ダンテのように明確に人の名をあげないから、実在感がとぼしい。何よりも悪いことは、ウェルギリウスの冥府には、区分さえないことだ。たしかに、アエネアスは地獄も楽園も通過するが、天国と煉獄の関係は漠然として暗示にとどまっている。
それに、作者は肉体のけがれを呵責によって浄める煉獄の魂の内面的な心理状態には何一つ言及していないのである。冥府での出来事の悲しみや悔悟には一切ふれないのだ。それはしかし、ダンテにとってもプラトンにとっても、話の軸になる重要な問題のはずだからだ。人間が、その罪と罰を見ることによって、精神的な疎隔から立ち直るというダンテの『神曲』のモティーフは、そこには見られないからだ。してみると、ダンテとの地獄の旅で、ウェルギリウスが、「生き身の旅」の目的を、その追放と苦しみをもって、ダンテにはっきり語っていないのも、そういう彼の不徹底さに原因があるのではないかと思う。
しかし、不思議なことに、ウェルギリウスにさきがけて、ギリシアのプラトンに、冥府観と霊魂不滅の思想が見られることは意外である。
プラトンは陰府の国の構造に、すでに三つの区分をつけている。しかもそれが浄罪の意味をともなって、『神曲』の三界と照応しているからだ。それが、「プラトンの『パイドン』『ゴルギアス』『レプブリケ(共和国)』には、黙示録の来世思想が、不死の信仰が泉のように語られている」(シュナイダー)といわれたり、「プラトンには煉獄の発見と来世に三界を区別した功績をみとめるべきだ」(ハリス)といわれたりする理由になっているが、プラトンの次の数語は、その評語を裏書きしているかと思う。
「死者は審判のために一緒に集まっている。悔悟せぬ罪人は地獄の奈落に投げこまれる。しかし悔悟した罪人は、罪をきよめるためにアケロンの沼へ送られる。それから、神聖ないのちにみちびかれた者は、地上の牢獄から自由になると、天上のけがれない家へ行く」。ここには、後年ダンテがつくる冥府の輪郭がすでに語られている。また、
「正しく罰せられる者はより善くなり、徳を得るか、もしくは苦しんでより善くなることを仲間に見せる鑑《かがみ》となるべきである。この世に生きているとき、彼らを善にみちびく道は、あの世でもそうだが、苦しみと痛みによるのである」。そういう話を『レプブリケ』で報告するのは、あの世で冥府の構造を見てきたパンフィリア人のエルである。
にもかかわらず、一般に古代ギリシア人は死をおそれ、冥府を嫌っておののいていた。だから、自分の女を強奪されたアキレウスが腹立ちまぎれに「おれは天国の乞食になるより地獄の王になりたい」という言葉が生きてくるのだ。
キリスト者の冥府ヘ
ヨーロッパにキリスト教が定着してから、黙示録の思想や死の問題はキリスト教的に深まったと思う。
死は魂の復活につながり、浄罪の手段として、苦しみと痛みと悲しみが設定されたからだ。ヨーロッパをとりまく異教徒の世界の主知的な霊魂の死滅説に対して、霊魂の不滅説を信仰によって打ちたてたのである。
そこでは、輪廻《りんね》思想は棄てられ、道徳的な要素が、典礼を超えて最高のものとなったからである。悪から善へ向かう人間のこころの内面的な変化が、人間に天上と地獄をつくることになるのである。
キリスト者にとっては、死の問題は自分で解決する問題になった。人間は、儀式や信仰箇条や教義がなくても、生きながら外面的には救いをもとめ、その代り内面的には死を支配しなければならなくなった。それは、聖パウロが「死よ、なんじの刺《とげ》はいずくに在りや、陰府《よみ》よ、なんじの勝はいずくに在りや」(コリント人に贈る書第十六)と誌した確信となる。キリスト者の幻想には、冥府に煉獄はつくられていないが、それは生きる者の日常の生活が煉獄に代って存在する。そして、苦しみと痛みが、罪をきよめる魂の復活の手段としてとらえられる。それは教義でもなく、神学でもなかったが、ひとのこころに来世の幻想をやしない育てる意味で、黙示録神話の新しい展開と見られないでもない。
ダンテの地獄の意味
ダンテの地獄は、黙示録の神話がキリスト教的に解釈せられたあとだけに、すでに一つの方式ができていたかと思われる。
彼にとっては、来世はこの世のあらゆる存在が投げ入れられる鋳型になっていたと思う。生と死の問題でも、死はダンテにとっては大きな意義をもっていた。死は、生が永遠へ向かう道程の一つの転回点になっていて、そこに悠久へ向かう個人の限定された道があった。いいかえれば、死は永生の実現だということだ。死は、キリスト者にとっては、単なる生の否定ではない。いや、むしろ否定の否定である。生は死ぬべきすがたであり、死をとおして不死になることだ。
キリスト者が煉獄と見るこの世では、神の試練と不幸と苦悩とがわれわれをためしている。しかし、それは存在の限られた面であって、われわれを解放する死までに通らねばならぬ道である。地上の生活は、解放者である死が、天国へひらく牢獄だ、とキリスト者が解釈しているようなものである。
永生は肉体を超えてあらわれるものだから、人間はこの世での永生への苦しみの道程にあるといえる。でなければ、肉体を除くことが、精神そのものをも除くことになるからだ。精神は肉体の中で苦しみ、それ自体を超えたものとして、肉体の中に存在する。そこに、生と死と復活のキリストの論理が成立すると思われるのだ。
もし人が、生のなかで、肉体の死滅と精神の復活として、苦しみや悩みを手段として使わないなら、ダンテは大きな見せしめの罰を承認しない異端者だ。また、もし死にうち克つために死を用いないなら、ダンテは永久に死んでしまうだろう。
その証拠に、彼は霊魂の不滅を否定したエピキュロスのともがらを火の噴き出る墓の中へさかさに突っこむが、火焔でそれを灼きつくすためではない。それは、死を与えるのではなく、永遠に死へ至る過程をつづけさせるためだ。
ダンテは、あらゆる倫理的な苦しみを、人格の完璧をのぞむ精神の秩序として見ている。苦悩と死へ向かう魂の三つの態度で、彼は『神曲』に三つの部分を与えている。彼のめざす理想は、人間の自由意志と神の意志とが、ともに最高のものとなり、その二つが最高の状態にあるとき、たがいに不可欠なものとして調和していく、ということらしい。
黙示録の神話は、ダンテにとっては、人間の魂の不死についての最後の方式だったと思う。しかも、その表われ方からみても、それは決してスコラ的ではなかった。もちろん、彼にもスコラ哲学の教義弁証的な要素は多いが、それは論理形式であって、来世の考え方からいえば、スコラ的でなくて、むしろ神話的だったといえる。しかも、その神話のもとの黙示録は、ある時代のある民族のものではなくて、長い時間をかけて伝承してきた汎人間的な内容をもっているものだ。そこに、読者は、あらゆる時代・民族のものである黙示録の神話とダンテの『神曲』との、一般的な関係をよみとらねばならないと思う。これはいいかえれば、汎世界的な神話の内容が、神聖な権威によってダンテのものになったということである。
私はダンテを単純にこちこちのキリスト者とは考えたくないが、すくなくとも冥府での主題――霊魂の不滅の問題、死の問題については、本質的にはキリスト者の考えと一致するものの深まりが見られることは事実だ。
しかし一方では、トマス・アクィナスの論敵だったブラバンのシジェリを『天国』で
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藁の小路で人に教え、嫉《ねた》みをうくべき
真理を論証したシジェ
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と讃えて、聖博士の一人に入れているダンテが、なぜこの問題にかぎってシジェリの師のアヴェロエスの霊魂死滅説を何のためらいもなく捨てているのか。私はいまだにその事情をつかめないでいる。
しかし、冥府の観念は人間のこころのなかで生きつづけていた。ダンテ以後、アルベリコの伝承のなかでも、ヴァルクランの幻想や聖ブランダーノの幻想のなかでも、アヴェロエスから伝わった主智的な合理主義の流れのなかで、なお黙示録の神話は、依然として生きつづけていたのである。私がダンテを単純にキリスト者と考えないのは、トマスとシジェリとが霊魂不滅問題でのアリストテレス解釈で反対の立場でありながら、ダンテは両者をともに支持しているからで、このあたりでもダンテのいずれにも片寄らぬ人間的な立場がみとめられるからで、それはダンテがスコラ的でなく、もっとおおらかに神話の精神をうけついでいる証拠だと考えるからである。
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年譜
一二六五年
五月下旬(五月十八日から六月十七日までの間ということで、はっきりしない)、フィレンツェのポルタ・サン・ピエトロに生まれた。父はアリギエーロ・ディ・ベルリンチョーネ、母はドンナ・ベルラ(ガブリエラ)と呼ばれた。母の実家の職業は不明。
ダンテの出生時、フィレンツェは、封建貴族からなるギベリーニ党(皇帝派)と、小貴族・商工階級からなるグエルフィ党(教皇派)が対立して、激しい市民闘争を繰返していた。ダンテの家は没落貴族だったから、グエルフィ党に属していた。アリギエーリ家の起源は、第二回十字軍(一二四九年)にしたがって出陣した四代前の先祖のカッチャグイーダの夫人アルディギエーラ・デリ・アルディギエーリの名からつけられたといわれる。
一二七〇年(五歳)
母ドンナ・ベルラ逝く。彼女は同じ町の旧家アバーティ家の出で、ダンテのほかに一女を生んだともいう。
一二七七年(一二歳)
父アリギエーロ逝く(数年前ともいわれる)。その性格、社会的地位は明らかでないが、公証人を業としたらしい。(不動産収入、小商い、金融などで生計を立てていたともいう)彼はベルラの死後、ラーパ・ディ・キアリッシモ・チァルッフィを後妻に迎え、フランチェスコ、ターナ(ガエターナ)の二児があった。
一二八三年(一八歳)
近所に住むギベリーニ派の名門フォルコ・ディ・ポルティナーリ家の娘ベアトリーチェを恋す。そのめぐりあいを歌にして、グイード・カヴァルカンティなどに贈って批評をもとめる。彼女の実在性については異論があるが、彼女によせる愛がダンテの内的生命となり、創作活動の源になった。
一二八七年(二二歳)
少年時代の習学状況は不明。文法、修辞学の初歩は個人的に学んだ形跡がある。その教師の一人にロマーノがいた。以前から、当時のインテリの教養となっていた作詩をはじめ、グイード・カヴァルカンティ、ラーポ・ジァンニ、チノ・ダ・ピストイアなどの詩友を得た。のちの清新体詩派の仲間。
ボローニャに旅行、十三世紀の博識な百科全書家ブルネット・ラティーニの知遇をうけ、諸学の教養をつけたのも、この前後であろう。
一二八九年(二四歳)
六月十一日、アレッツォを盟主とするギベリーニ派の連合軍とのカンパルディノの戦闘に、フィレンツェ軍の騎兵隊の戦士として出陣、奮闘して味方の勝利となる。この戦勝で、市の政権は完全にグエルフィ党のものになる。
一二九〇年(二五歳)
淑女ベアトリーチェ逝く。ダンテ悲嘆にあけくれ深刻な精神的危機にあり。ボエティウスの『哲学のなぐさめ』、キケロの『友情論』を読む。古典への知識欲がもえはじめ、ウェルギリウスの『アエネイス』、ホラティウスの『詩論』、オウィディウスの『転身物語』を耽読。キケロ、プリニウス、セネカなどの道徳哲学に関心をもつ。サンタ・クローチェ修道院、サンタ・マリア修道院、サント・スピリト教会などで催される研究会に出席して、当時の哲学者、神学者から中世哲学の講義をきいたらしい。
一二九二年(二七歳)
ベアトリーチェから恵まれた至福、恩寵を思い、この年から翌年にかけて、『新生』の執筆にとりかかる。
一二九五年(三〇歳)
すでに婚約がととのっていたモネット・ドナーティの息女ジェムマ・ドナーティと結婚。
七月六日、政治改革あり。先年貧民の支持で制定された「正義の規定」(一二九三年)が、富裕階級の圧力で緩和され、貴族出身者の公職活動が条件つきで認められる。その条件は、組合へ正式に加入することだったので、ダンテは医薬業組合へ登録した。これより政治生活がはじまる。
十一月一日、カピターノ・デル・ポポロ選出委員会の一員となる(翌年四月末日まで)。
十二月十四日、プリオーレ(統領)選出審議会である元老役を兼務。
一二九六年(三一歳)
五月末日、財政問題の審議機関である百人委員会の委員となる(九月末日まで)。十二月、自由市の政権を掌握したグエルフィ党内には、その後名門のチェルキ家とドナーティ家とが反目し、市民もその争いの渦にまきこまれ、白党と黒党の新しい抗争が起こった。親友カヴァルカンティ(白党派)は、反対派の首領コルソを殺害しようとしたが、計画は挫折。
一二九七年(三二歳)
この年以後三年間、確実な史料がない。市の要職をつづけていたと推測する。
一三〇〇年(三五歳)
『神曲』地獄篇の冒頭にある「暗黒の森のなかにいた」という幻想は、この年の復活節聖金曜日の前夜に見たといわれる。
四月十八日、三人のフィレンツェ銀行家が教皇に内通しようとして陰謀が発覚する。政庁は、三人の処罰を協議。
五月一日、市の花祭りの夜、黒党の一隊が、サンタ・トリニタ広場で舞踏に興じていた白党の青年を襲い、一人の鼻をそぎ乱暴を働く。
五月七日、対教皇庁連合の結成打ち合わせのため、ダンテはサン・ジミニァーノ市へ使節として派遣される。
六月十五日、ダンテ、他の五名とともに、フィレンツェ市の統領の一人に選ばれる(任期二か月)。その直後、白黒両党の乱闘があり、統領は公正を期して、両派の首領たち七人を追放する決議をする。親友カヴァルカンティもそのなかにあった。
一三〇一年(三六歳)
四月一日、百人委員会の一員となる(九月三十日まで)。
四月二十八日、ヴィア・ディ・サン・プロコロの道路整備の任につく。
六月十九日、百人委員会の席上、教皇軍へのフィレンツェ兵参加延長案に反対を表明。しかし、ダンテの主張容れられず。そのころ、教皇と密接な関係にあるシャルル・ドゥ・ヴァロワ軍がイタリアに南下しようとする。フィレンツェは防衛力に不安をもつ。
十月末日、市の内紛の調停役としてヴァロワを派遣しようとするボニファキウス教皇の意図を未然に防ぐため、ローマに使節として赴く。教皇に謁見。一行三人のうちダンテだけとどめおかれる。
十一月一日、ヴァロワ軍突然フィレンツェへ入城。黒党派はこれに力を得て、市内を荒し、政庁を占領。ただちに白党派の首領の追放を決議。
一三〇二年(三七歳)
ダンテ、なおローマにあり。一月二十七日、フィレンツェ行政長官より法廷に出頭命令をうけたが、出頭せず。このため政治的反逆者として、公金費消の罪に問われる。
三月十日、その後も罰金支払いなどの謝罪要求を拒否しつづけたため、祖国より永久追放の宣告をうける。前述の統領および他の十四名の不出頭者とともに、つかまった場合には焚刑を言い渡される。
六月八日、チジェッロの聖ガウデンツィオ会堂で開かれた亡命者の黒党派襲撃計画に参加。十二名の相談役の有力者と見られる。
一三〇三年(三八歳)
三月、プリッチアーノ城で亡命者は黒党派に対して第一次抵抗を行なったが、失敗する。ダンテは参加しない。
七月、ラストラで第二次抵抗を試みたが再度失敗に終わる。ダンテ、このころ仲間と離れ、一人一党の決意を固める。
一三〇四年(三九歳)
追放者の孤独な放浪生活がつづく。おそらく前年あたりから、『俗語論』の筆をとりはじめた。その一節に、「あたかも乞食のように、イタリア語のひろまっている地域は、ほとんどくまなくさまよい歩いた」とある。たぶん彼の最初の行き先は、ヴェローナのヴァルトロメオ・デラ・スカラ家の館だったと思われる。
一三〇七年(四二歳)
『神曲』の構想ができあがって執筆開始。以後約十三年間にわたって書きつづける。三部作のうち、「地獄篇」は一三〇七(あるいは、八・九)年から一〇年ごろ完了。「煉獄篇」は、一三一〇年から一三年夏ごろに完了。以後、死の直前まで「天国篇」の完結をいそいだ。
一三〇九年(四四歳)
ルッカにあり。おそらく当地で、追放以来離れていた家族と合流したものと思われる。彼の妻ジェムマについては、よくわかっていないが、二人のあいだには、ジョヴァンニ、ヤコポ、ピエートロの三人の男の子、アントニア、ベアトリーチェ(あるいは同一人)の二人の女の子ができていたといわれる。
一三一〇年(四五歳)
春、ルッカ市はフィレンツェ追放者の滞在を禁止したため、ダンテ町を去る。この時分の放浪中、ダンテはリグーリア海岸、ガルダ湖畔、ヴェネト地方の名所を訪ね歩いたという。
十月、ドイツ皇帝ハインリッヒ七世、ローマ帝国の権威を回復せんがために、イタリアに来降することをきき、ダンテはイタリアの諸侯にあて、彼を平和裡に迎えるよう要請の手紙を書く。なおこの年より一一、一二年にかけて『帝政論』の執筆にとりかかる。
一三一一年(四六歳)
三月十一日、フィレンツェが、グエルフィ系の諸都市を糾合して、反皇帝同盟を結成したのを知り、ダンテ祖国の民衆を痛烈に非難する。
四月十七日、ブレッシァ攻城中の皇帝軍に、すみやかにフィレンツェ攻撃を開始するように要請する。
九月二日、フィレンツェの追放者名簿中、彼の名はギベリーニ党員中に記載しあり。
一三一二年(四七歳)
三月、皇帝軍、フィレンツェには進撃せず、ピサよりローマに赴き、戴冠式をうく。
九月十九日、皇帝軍、フィレンツェを包囲するも、四十日後に包囲をとき、ピサに退く。ダンテは参加しない。
一三一三年(四八歳)
夏、皇帝軍は全面的に進撃を再開したため、グエルフィ系諸都市の人心はげしく動揺する。
八月二十四日、ダンテがイタリア救済の希望を託したハインリッヒ七世、ブオンコンヴェントで急死す。毒殺されたともいわれる。この結果、政治的な勝利によって祖国に復帰できる望みは、まったく絶たれた。
一三一五年(五〇歳)
五月、フィレンツェは追放者に対して緩和政策をとる。ダンテも友人を通じて、恩赦の通知に接したが、その条件に、公的罪人たることを認めた上、一定期間の禁固と罰金刑に服するように記されていたため、決然として申し出を拒んだ。彼はその頃、ヴェローナのスカラ家の館に滞在しており、息子ヤコポもこの町に居住して教会の聖職禄をうけていた。
十一月六日、フィレンツェはダンテとその家族の生命を奪い、財産を没収することをふたたび決定。
一三一七年(五二歳)
グイード・ノヴェッロ・ダ・ポレンタ公に招かれて、ラヴェンナに赴く。波乱に富んだダンテの生涯にとって、この町は最後のおだやかな安住の地であった。また娘ベアトリーチェも、近郊の聖テスファノ・デリ・ウリーヴィ尼院の修道女となり、宗教生活に入った。
一三一九年(五四歳)
年末、ボローニャ大学のラテン語教師ジョヴァンニ・デル・ヴィルジリオからラテン語による文学作品を書くように勧められ、翌年あたりから、『牧歌』に着手する。
一三二〇年(五五歳)
一月十九日、ヴェローナにあり。同市の聖エレーナ教会で、修道士、学者たちを前にして『水陸論』の講義をする。その直後に同名の論文をまとめる。
一三二一年(五六歳)
九月十三日、グイード・ノヴェッロ公の使節として、ヴェネツィア共和国との交渉をすませての帰途、マラリヤにかかり、この日の夜ラヴェンナで死去。聖フランチェスコ教会に埋葬され、その教会の横に、墓が現存している。
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訳者あとがき
この『神曲』地獄の翻訳のテキストは、G. A. Scartazzini の La Divina Commedia(1925)に拠った。『神曲』の場合には、テキストの選択ということも大事な問題だが、私がスカルタッツィニ氏のをとったのは、永年同氏の注釈に親しんできて勝手がわかっているというほかに他意はない。
『神曲』の場合には、原稿がのこっていなくて、写本ばかりだし、その写本がまた数世紀にわたって各地で作られたので、誤写脱落が多く、十九世紀の後半にダンテ学者の手でその校訂整理が行なわれた現在でも、細部には本文の異同がかなりある。そのために、翻訳するとなると、どうしても本文批評で原文をたしかめる必要があって、はじめは Edward Moore の The Textual Criticism of the Divina Commedia(1889)を座右において絶えず参照したが、あとでは、最近イタリアのダンテ学会から出た Giorgio Petrocchi の Dante Alighieri La Divina Commedia secondo l'antica vulgata(1966) で、それを修正しながら読んでいった。
注解はもちろんスカルタッツィニの解釈にしたがったが、あながちそればかりをとったとはいえない。私は古注を尊重したい考えがあったので、はじめは比較的古注を重視している A. J. Butler の The Hell of Dante Alighieri(1892)の注釈で古注をかいま見、あとでは上記のペトロッキので、古注を底本にした本文批評にある意見をとり入れている。とくに、ペトロッキの本文批評は、ダンテの生きていた時に近い十六世紀のラテン語の注釈を主としているので、私には読みにくく、手に入れがたい解釈を提示してくれていて、ありがたかった。そのために、これまでの邦訳とは違った解釈をしたところも間々ある。
もちろん、そのほかにも解釈のための、いわゆる根本資料も相当に読み直したが、それは『神曲』の読者ならだれでも当然準備すべきことだから、とり立てて参考文献にあげることもあるまい。
翻訳については、私は読みくだしのできる『神曲』を、という考えがあったので、思い切って口語訳にし、しかも内容の理解を主にして、形の上からの誘惑はふり捨てることにした。『神曲』が魅力のあるのは、一半はその簡勁《かんけい》な韻律形式のうつくしさにあることは、ダンテ自身が詩の神に、「われに、いみじい調べをお与えください」と一度ならずいっているくらいだから、大げさにいえば、それは『神曲』の「いのち」とさえ考えられる。
しかし、その韻律のうつくしさを移すとなると、韻をもたぬ日本語でその美しさをうつす方法は、よしんば強弱または長短の符号をつけたとしても、いまのところ手がないのである。『神曲』の詩形は、十一音節だから、これをそれに近い日本語の十二音律(七・五調)にうつし得るとしても、『神曲』特有のテルツァ・リーマという、三行一組の脚韻のイアムボス風な韻の循環するうつくしさは、移し植えようもないからである。実は、私は四十年も前の昭和三年に、青年らしい気負いから、地獄の第二十七歌あたりまでを、文語訳で五・七・五、または七・五・七の有明調の音数律で試みたことがあって、ほとほと手を焼いたおぼえがある。(もっとも、中国の詩でも、韻律抜きで訳しているではないかといわれると、話は別だが)
この訳述には、読者の便宜のために、各歌の前に小引をつけたが、これは原詩にはないものである。それに、本文を補足する必要のある場合には、括弧をつけてその意味を入れておいた。白い姉〔雪〕のような隠喩の場合はもちろんだが、「それ」「かれ」が何を意味するかを的確にするために、それ〔岩鼻〕、かれ〔ソルデルロ〕などと、本来ならば注解に入れるべきはずのものも、読みくだしの必要から、本文の中にくり入れておいた。その「かれ」をだれに比定するかということでも、ダンテ学者の間に論争があって、その論旨をくみとるだけでも、かなり無駄な時間をとった。これは原語でよまれる人にも便利だろうと思う。
『神曲』の原文はのんべんだらりと続いているので、話の区切り、意見のおわりが、どこで切れるか、はっきりしない。それでそれを、テーマごとに切ってよむジェーリの切り方と、事柄ごとにまとめて段落をつけたカストロジョヴァンニの切り方とを参考にして、詩の行に区切りをつけた。これも原文にはない試みである。(平川祐弘氏の口語訳にもこの区切りをつけられてあるが、これは読者に対して親切な処置だと思う)
ただ、『神曲』には、訳してみるとひどく理解しにくくなる言い方が、ときどき出てくる。それは物の考え方がスコラ的な範疇論理で、そのまま訳すと、思考の秩序の違いから意味のとおらぬ場合である。ダンテが理屈をいうときに、そういう場合が多いのだ。まだ「地獄」はキリスト教神観がそれほどでないからいいが、「煉獄」「天国」となると、それをいかに解釈するかということが、問題になると思う。
そんなとき、カストロジョヴァンニ氏から、巧妙な論理による現代的な釈義を示唆された。それは、G. Castrogiovanni の Fraseologia poetica Dizionorio generale della Divina Commedia(1958)という書物で、後半に、『神曲』の原文と対照して散文の口語訳をつけてある。著者がダンテ学者としてどれほどの業績をもつ人か知らないが、こういう説明の仕方をするすぐれた解説者がイタリアにあることがわかった。
最後に、この仕事をする上に、いろいろご厄介になった方々にお礼を申さねばならない。まず、ゆくりなくも、『神曲』を邦訳する機会を与えてくださった角川書店の毛利定晴氏、それに原稿をこまかく読んで、面倒なレヴァイス・アップしてくださった市田冨喜子さん、また四十年も前から神曲翻訳をすすめられて絶えず激励されてきた長谷川巳之吉氏、それから、カストロジョヴァンニを貸与された吉浦盛純氏、神曲注疏の古版本をさがして恵与された伊藤基道氏に、こころから謝意を表したい。これら諸氏の援助がなかったら、懶惰な私には『神曲』の翻訳など、できるはずがなかったからである。
昭和四十五年六月