宝島
ロバート・ルイス・スティーヴンスン/田中西二郎訳
目 次
第一部 老海賊
第二部 船の料理番
第三部 ぼくの陸上での冒険
第四部 柵砦《とりで》
第五部 海の冒険
第六部 シルヴァ船長
解説
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第一部 老海賊
第一章 旅宿≪アドミラル・ベンボウ≫に現われた老水夫
宝島についての詳しいいきさつを書き残しておくようにと、郷士《ごうし》のトリローニさんや医師のリヴジー先生、その他の皆さんがぼくに言われる。島の方位だけは、まだ宝をすっかり掘りだしたわけではないから書かずに、ほかのことは初めから終わりまで、ひとつも隠さず書くがよいとのことなので、いまここにペンをとりあげたのはキリスト暦十七……年であるが、話はもっと古く、ぼくの父が≪アドミラル・ベンボウ≫という旅篭屋《はたごや》をいとなんでいたころ、頬《ほお》に刀傷のある渋紙色《しぶがみいろ》の老水夫が、はじめてわが家に宿をとった、あの当時にさかのぼって筆をおこそう。
その老水夫が、手押し車に積んだ船乗り用の荷物箱のさきに立って重い足どりで宿の門口にたどりついたときのことを、ぼくはまだきのうのことのようにおぼえている。背の高い、頑丈《がんじょう》な、どっしりした、こげ茶色の肌の男で、タールまみれの弁髪《べんぱつ》が、泥のついた青い上着の肩にかぶさり、ごつごつした傷あとだらけの両手はつめのさきがまっ黒であちこち欠けており、おまけに片頬にはきたならしい鉛色をした大きな刀傷のあとがあった。
いまでもおぼえているが、そのとき男は入江を見わたしながら口笛を吹いているなと思っていると、いきなり、あの古い船唄《ふなうた》をうたいだした。それは、その後もこの男が口ぐせのようによくうたった唄である……
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≪死人《しびと》の箱≫には十五人……
ヤンレサ、ホイ、それに一本、ラムの壜《びん》!
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そしてそれは、長年、錨巻揚機《いかりまきあげき》にとりついて声をからしたあげくにそんな声になったと思われる、かんだかい、あぶなっかしい、しわがれ声だった。それから、手に持っていた、テコのような棒きれで戸をたたき、ぼくの父が出てくると、ぞんざいな調子でラムを一杯くれと言った。そのコップが来ると、いかにも酒の味のわかる玄人《くろうと》のように舌なめずりしてゆっくりと味わいながら、相変わらず外の崖《がけ》をながめたり、店の看板を見あげたりしていた。
「こりゃあ、なかなかいい入江だ」しばらくして、やっと言いだした。「気持ちのいい場所に店をもったね。客は多いかね、親方?」
ぼくの父が、あいにく客はごく少ない、困ったもんだ、と答えた。
「そうかね、じゃ、おいら、ここへ錨《いかり》をおろすぜ。おい、兄弟」と、手押し車をころがしてきた男に声をかけて、「そいつを引き着けて、箱を甲板へあげてくれ。しばらくここに逗留《とうりゅう》するからな」
それからまた父にむかって、「おいらは、せわのやけねえ男でな、ラムと、ベーコン・エグズと、それに船のゆききを見張るあの岬《みさき》と、それだけあれば文句はねえのさ。おれのことをなんと呼ぶかって? 船長とでも呼んでおきな。おお、そうか、こりゃあ気がつかなかった……それ」
と言いながら、敷居のうえへ三、四枚の金貨を投げだした。「それだけ使っちまったら、また声をかけるがいいぜ」
まるでいくさの隊長みたいな、おっかない顔で言ったものだ。また、じっさいに、身なりは粗末だったし、口のききかたもぞんざいだったが、ただの水夫らしいところはみじんもなくて、いつも人の上に立って命令したりなぐりつけたりしている、船長とか航海士とかいった身分に見えた。手押し車の男の話では、この男はその朝、駅馬車を宿屋の≪ロイヤル・ジョージ≫の前で降りて、海岸ぞいの旅篭屋にはどんなのがあるかとたずね、ぼくの家の評判がよかったのと、おそらく一軒家だというのが気に入ったらしくて、ほかの店へはゆかずにここを宿所にえらんだということだ。そしてまた、この客についてぼくたちにわかったことも、これきりだった。
この客は、ふだんはひどく無口だった。昼のうちは、一日《いちんち》じゅう真鍮《しんちゅう》の望遠鏡を手にして入江のまわりや崖のうえをぶらついている。夜は夜で、広間《パーラー》の暖炉のそばにすわりこみ、強い水わりラムばかり飲んでいる。人から話しかけられても、たいていは口をきかず、ふいにおっかない顔でにらんで、霧笛《むてき》みたいにするどく鼻を鳴らすだけだ。だから店の者も、常連の客たちも、まもなくこの男はほっとけばいいのだと知った。
毎日、例のぶらつきから帰ってくると、だれか船乗りがここを通りかからなかったかとたずねるのがおきまりだった。はじめぼくたちは、同じ船乗り仲間が話し相手にほしいので、そうきくのだろうと思っていたが、やがて反対に仲間を避けたがっていることがわかってきた。たまに船乗りが≪アドミラル・ベンボウ≫に泊まると(海岸ぞいにブリストルへ行く船乗りがときどき泊まることがあるのだ)、あの男はすぐにパーラーへははいらず、入口のカーテンのすきまからそっとのぞいていた。そして、そんな同業の男がいるときには、きっと二十日鼠《はつかねずみ》のようにだまりこくっていたものだ。
だが、ぼくにだけはその事情がちゃんとわかっていた、というのはじつはぼくもあの男といっしょにびくびくして見張っていたからだ。
ある日のこと、男はぼくをわきへ呼んで、約束した……「一本脚《いっぽんあし》の船乗り」をぬかりなく見張って、その姿を見かけしだいに知らしてくれ、そのかわり毎月の一日《ついたち》に四ペンス銀貨を一枚やる、というのだ。月の一日がやってくると、ぼくは約束の駄賃《だちん》を請求する、ところがたいていの場合、やつはものも言わずに鼻を鳴らしてにらみつけているので、こっちは口がきけなくなってしまう。だがその週が終わらぬうちに、やつはきっと考えなおして四ペンス銀貨を持ってきてくれる、そうして、「一本脚の船乗り」を見張るんだぞと、あらためて命令するのだった。
ぼくが夢のなかで、どのくらいその怪人物に悩まされたか、ここで話すまでもないだろう。あらしの夜、風が家の四隅をゆすぶって、磯《いそ》へうちよせる波が入江や崖の上までほえたけるとき、ぼくはその一本脚の男がさまざまに姿をかえ、ありとあらゆる悪魔の形相《ぎょうそう》で出てくるのを見た。その脚は、ときには膝のところで切れていたり、ときには腰のつけ根からなかったりした。ときにはそいつは生まれながらの一本脚で、しかもそれが胴のまんなかについているお化けのようなやつだったこともある。そいつが跳《は》ねたり走ったり、垣根をこえ、溝《みぞ》をとびこして追っかけてくるのが、いちばん恐ろしい悪夢だった。だからけっきょく、こんないやらしい幻想につきまとわれたのでは、月に四ペンスの駄賃《だちん》もずいぶん割りがわるいことになった。
けれども、一本脚の船乗りというまぼろしに、それほどふるえあがっていたぼくだったが、当の船長をこわがるという点では、かれを知っているだれよりもこわがらなかったのがぼくだ。船長とても正気ではいられぬほど水わりラムをのみすぎた晩など、だれがいようとおかまいなしに、例のあらくれた性《しょう》わるな、昔の船唄《ふなうた》をうたいまくることがよくあった。だがときにはまたみんなに気まえよく酒をおごって、びくびくしている一座の人びとにむりやり船の話を聞かせたり、船の唄をいっしょにうたわせたりもした。
まったく、家じゅう鳴りひびくほど、例の「ヤンレサ、ホイ、それに一本、ラムの壜《びん》!」の歌声を、ぼくはよく聞かされた。近所の人たちはみんな、死んじゃかなわない、命が惜しいとばかりに声をあわせ、文句をつけられまいと、めいめいが他人より大きな声をだしてうたった。それというのが、こんなふうに逆上したときの船長ぐらい手におえない人間はなくて、みんなだまれといって平手でテーブルをたたくかと思えば、何かたずねたといってはむしょうにおこりだし、またときには、なんだ、なんにもきかねえところをみると、おれの話を聞いていねえんだなと腹をたてる。そんなときには、自分が酔いつぶれてねむくなり、ベッドに倒れこむときまで、だれひとり店から出てゆくのをゆるさなかった。
船長の話す物語というのが、何よりもみんなをふるえあがらせるしろものだった。まったく、きみのわるい話ばかりだった……しばり首の話、船ばたから海へ突きだした板のうえを歩かせて捕虜《ほりょ》を殺す刑罰の話、海上の暴風雨の話、メキシコのドライ・トーチュガス群島の珊瑚礁《さんごしょう》の話、さてはカリビア海一帯での蛮行やら、野蛮な土地の話など。
またその話のもようから、語り手の当人がおよそ昔から海へ出た人間のうちでも最悪のやつらの仲間だったことはまちがいなく、それらの話を物語るやつのことばそのものが、質朴な村の衆にとっては、話に出てくるひどい悪事に劣らぬひどいものだった。ぼくの父などは、ああしていじめられ、口もだせないほどえばられたうえに、こわい思いをして寝にゆくようでは、いまに村の衆も来なくなってしまう、そうすれば宿屋の商売もあがったりだ、と口ぐせに言っていたものだが、実はぼくは、やつの来たのはうちの店にとっていいことだったと、本気でそう思っている。
あの当時はたしかにみんなおっかながったけれども、あとからふりかえってみると、あんがいにきらってはいなかったのだ。平穏ないなかの生活では、あれも一つの愉快な刺激だったのである。そして若い連中のなかには船長のことを、≪ほんものの船乗り≫だとか、≪りっぱな海の男≫だとかのほめことばで呼び、イギリスが海のうえで恐れられるようになったのも、ああいう人のいたおかげだなどと、えらく感心した顔をする者もあったほどだ。
一方では、あの男はたしかにぼくの家を破産させかねないところまでいった。なぜなら、かれの逗留《とうりゅう》は幾週となく、さらにまた幾月となくつづいたものだから、はじめの金はとうの昔になくなってしまったのに、父にはどうしてもあとの金をくれと言いだす勇気がなかった。そのことを口にだすが早いか、きっと船長は、雷《かみなり》でも鳴ったかと思うほど大きな音をたてて鼻を鳴らし、あわれな父をにらみすえて、部屋の外へ逃げださせてしまう。そんなふうに追いだされて、なさけなさそうに両手をふりしぼっている父を見ていたから、ぼくは、ああして困らせられ、恐ろしい思いをさせられたことが、まだそれほどの年でもない父の不幸な死を、よっぽど早めたにちがいないと思っている。
ぼくのところに泊まっていたあいだじゅう、船長は靴下を行商人から買うほかには何ひとつ衣類をとりかえたことがなかった。帽子の縁《へり》の反《そ》ったところがたれさがっても、風の日などはずいぶん困るはずなのに、それ以来ずっとたれたままにしていた。上着の様子をいまでもおぼえているが、それは二階の部屋で自分でつぎをあてて着ていたのだが、しまいにはつぎのあたらない場所がなくなっていた。手紙というものを書いたこともなければ、受け取ったこともなかった。また近所の人たちのほか、だれとも話をしたことがなく、それもたいていはラムに酔っぱらったときだけだった。大きな船乗り用の荷物箱を開いたところを見た者は、ぼくの家には一人もいなかった。
そういうかれが、たった一度だけ、わがままの鼻をくじかれたことがあった。といっても、そろそろおしまいになりかかったころ、気のどくなぼくの父のいのち取りの病《やまい》が、よほど進んでからのことだった。
ある日の午後おそく、リヴジー先生が往診にみえて、母のすすめる食事をすませ、そのころ≪ベンボウ≫には厩《うまや》がなかったので、村から馬が迎えにくるまでパイプを一服するためパーラーにはいってゆかれた。そのときぼくはあとからついていったので、雪のように白い髪粉といい、きらきら光る黒い目といい、みるからにさわやかで活気のある先生の気持ちのいい身のこなしにひきくらべ、がさつな百姓たちや、なかでも、わが家の海賊の、もうよほどラムがはいったとみえてうすぎたなく、元気なく、両腕を卓のうえへ投げだして腰かけている、古ぼけたカカシのような姿が、格別な対照として目についたことを、おぼえている。
と、いきなり、そのカカシが……つまり船長がだ……例のおさだまりの唄をやりだした……
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≪死人《しびと》の箱≫には十五人……
ヤンレサ、ホイ、それに一本、ラムの壜《びん》!
残りは酒と悪魔にまかせ……
ヤンレサ、ホイ、それに一本、ラムの壜!
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はじめのうち、ぼくはその≪死人の箱≫というのは、二階の表の間にある、例の大きな荷物箱のことだろうと思い、その想像が、あの一本脚の船乗りのまぼろしと、ぼくの悪夢のなかではこんがらかっていた。けれどもその時分には、ぼくたちはとうにこの唄を特別に気にかけなくなっていたら、その晩、みんなのなかでリヴジー先生だけがはじめてだったが、ぼくが見ていたところでは、先生にはこの唄はあまり気に入らなかったようだ。
先生はふいと顔をあげて、むっとした様子でそのほうを見やってから、もう一度、庭師のテイラーじいさんにむかって、リューマチの新しい療法の話をつづけた。そのうちに船長は、だんだん自分の唄に興《きょう》が乗ってきたらしく、とうとうおきまりの平手でテーブルをどんとたたいた……常連の者には、静かにしろという合図だとすぐにわかる。
たちまち、話し声はぴたりとやんだ……が、リヴジー先生だけは別で、いままでどおり、はっきりした、人なつこい調子で話しつづけながら、あいまにはきびきびとパイプをふかしている。船長はしばし目をいからしてそれを見ていたが、もう一度テーブルをどんとたたき、さらにけわしい目で見すえたあげく、とうとうにくにくしげな下等なことばでののしった。
「やい、だまりやがれ、野郎ども!」
「今のは、わしに言ったのかね?」と先生が言った。
ならずものが、またしてもひどい乱暴なことばでそのとおりだと言うと、先生は答えた、「なら、ひとつだけ言って聞かせることがある。おまえがこれからもラムをのみつづけるようだと、世間はけがらわしい悪党を一人、さっぱりと始末するだろうということだ!」
さあ、じいさんの怒ったことといったら! やにわに立ちあがり、水夫のつかう折込みナイフをとりだしたかと思うと、刃《は》を開いててのひらの上にのせ、壁にはりつけにしてやるぞと医師をおどかした。
先生のほうは、いっこう平気らしかった。これまでどおり肩ごしに、同じおちついた声で、だが部屋じゅうの者によく聞こえるようにと少し調子を高くはしたが、まったく静かにしっかりと相手に話しかけた……。
「いますぐ、そのナイフをポケットにしまわないと、わしは名誉にかけて断言するが、この次の巡回裁判で、おまえはしばり首になるぞ」
それから、二人のあいだで、にらみあいがはじまった。が、船長はまもなく降参し、武器をしまって、いかにも負け犬らしくぶつぶつ言いながら、もとの席へもどった。
「そこでじゃ」と先生はつづけて言った、「わしの地区にこういうやつがいるとわかったからには、おまえにはこれから昼も夜も、わしが目を離さんと思っておれよ。わしはただの医者じゃない、治安判事じゃ。これからさき、おまえのことで、たとい今夜のようなつまらぬ無作法にもせよ、苦情が出たと聞いたらば、すぐに手つづきをとっておまえをひっとらえ、ここから追っ払ってしまうぞ。よく心得ておけ」
まもなくリヴジー先生の馬が戸口に来たので、先生は乗ってゆかれた。だが船長はその晩、いやその後しばらくは、毎晩ずっとおとなしくしていた。
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第二章 ≪黒犬《ブラック・ドッグ》≫来たり、また去る
それからいくらもたたぬうちに、いくつかの怪奇なできごとの最初の事件がおこって、とうとうぼくたちは船長をやっかいばらいすることになるのだが、ただし、いずれ読者にもわかるとおり、船長の関係した事件からすっかり縁切りになるわけではなかったのだ。
その年はつらい、寒い冬で、きびしい霜《しも》がながくつづき、風が強かった。だからぼくの父がおそらく生きて来春を見ることはあるまいとはじめからわかっていた。父は日に日に衰弱してゆき、母とぼくは宿屋の仕事を二人きりでやってゆかねばならなかったから、例の不愉快な客のことにあまり気を使っていられぬほど忙しかった。
一月のある朝、それもたいへん早く……肌を刺すような、霜の朝であった……入江は霜ですっかり銀鼠《ぎんねずみ》色になり、さざ波はやわらかく岸辺の小石をなめ、日はまだ低く山のいただきにかぎろって、遠い海原へ光を投げているばかりだった。船長はふだんより早起きして浜辺へ出かけた。古びた青い上着の広いすその下に反身《そりみ》の短剣がぶらぶら揺れ、例の真鍮《しんちゅう》の望遠鏡をわきの下に、帽子をあみだにかぶっていた。大またに歩いてゆくかれのうしろに、吐く息が煙のように流れていたのを、ぼくはおぼえている。そうして、大きな岩のかげをまがるとき、最後にぼくが聞いた音は、リヴジー先生のことをいまだに忘れかねてでもいるかのような、腹だたしげな大きな鼻息であった。
さて、話かわって、母は二階の父のところにいた。ぼくは船長が帰ったときのために朝食のテーブルをととのえていた、そのとき、パーラーの戸があいて、一人の、これまで一度も見かけたことのない男がはいってきた。血色《けっしょく》のわるい、黄いろっぽい顔色の男で、左手の指が二本足りなかった。短剣をさげてはいるものの、けんかの強そうな男にはみえなかった。船乗りとみれば、ぼくは一本脚だろうが二本脚だろうが、気をつけて見るくせがついていたが、この男にはとまどいしたことをいまだにおぼえている。どうも水夫らしくはないが、それでいてどこかに海のにおいがするのである。
なんにしますかと問うと、男はラムをくれと言った。だが、ぼくが注文の酒をとりに出てゆこうとすると、かれはテーブルに腰をかけて、そばへ来いと手まねきした。ぼくはナプキンを手にしたまま、その場に立ちどまった。
「ここへ来な、坊や」と男は言った。「もっと近くへよ」
ぼくは一歩、近寄った。
「そこに出てるのはおれの兄弟《きょうでえ》のビルの朝飯かね?」
横目で食卓のほうを見やりながら、たずねた。
わたしは答えた、ビルというあんたの兄弟のことは知らない、これはうちの泊り客で、船長と呼んでいる人のためのしたくですと。
「なるほど、おれの兄弟のビルなら、船長と呼ばれるかもしれねえな。片頬に刀傷があって、えらく短気な男さ、兄弟のビルはよ、飲んだときは格別になあ。まあ、念のために言ってみれば、おめえのいう船長は片方の頬《ほお》に傷あとがある……いいや、もっとつっこんで言えば頬ってのは右の頬だ。え、どうだい! 図星《ずぼし》だろうが。さ、そこでおいらの兄弟のビルは、この家にいるかね?」
ぼくは、いま散歩に出ていると言った。
「どっちだえ坊や? どっちの方角へ行ったんだ?」
で、岩のほうを指さして、船長はもうじき帰ってくると教え、そのほか二、三の問いに答えたあと、男は言った。「よし、兄弟のビルにとっちゃ、おれと会うのは、一杯のむのと同じくらいうれしいことだろうぜ」
こう言ったときの男の表情は、はなはだもってうれしそうではなく、またぼくはぼくで、この新しい客人の言うことは、かりにことばどおりそう思っているとすれば、まちがってると考えるりっぱな理由があった。けれどもどっちにしろ、こっちの知ったことじゃない、とぼくは思った。のみならず、この場合どうしたらいいのか、ぼくにはわかりにくかった。見知らぬ男は入口のすぐ内側から離れずに、まるでねずみを待ちぶせする猫のように、曲がり角のほうばかりのぞいていた。一度、ぼくが表の道へちょっと踏みだしたら、すぐに、もどってこいと呼びかえし、思ったほど早くもどらなかったというので、黄いろっぽい顔がみるみる形相をかえ、ひどいことばでなかへはいれと叱りつけられ、ぼくは恐ろしさでとびあがってしまった。
そしてぼくがなかへはいると、すぐに男はもとの態度にもどり、なかばおだてるような、なかば、ひやかすような調子で、ぼくの肩をたたいたり、おめえはかわいい小僧《こぞう》だ、ほんとにおめえが好きになったなどと言ったりした。
「おれにも息子が一人あってな、まるでうり二つのようにおめえとよく似ている、おいらの自慢のタネさ。だがこどもにたいせつなものはしつけだぜ、坊や……しつけだ。ところで、もしおめえがビルといっしょに船に乗ったら、一つことを二度言われるまでぼんやりつっ立ってるなんてことはねえぜ……きっとだぜ。ビルはけっしてそんなしつけかたはしねえし、ビルといっしょに船に乗った者もやらねえ。おお、どうだ、そのおいらの兄弟のビルが、ほんとうに、わきの下に望遠鏡を抱えて、ここにいるとは、なるほど、まちがいなしだ。おい坊や、おめえと二人、ちょいとパーラーのなかにかくれて、ビルの野郎をびっくりさせてやろうじゃねえか……ふん、野郎、ほんとうに来やがった」
言いながら、新しい客はぼくをつれてパーラーにはいり、ぼくをうしろに、二人ともドアのかげにかくれる位置に身をひそめた。ぼくがどんなに不安になり、おびえていたか、読者にもおよそおわかりと思うが、その見知らぬ客人自身もたしかにびくびくしていることを見てとったことで、恐ろしさがよけいに加わったのだった。
男は短剣の柄《つか》のひもをほどき、すぐに抜けるように鯉口《こいぐち》をくつろげた。そしてその待っているあいだ、ずっと男はのどのあたりに、よく言う≪大きなかたまり≫を感じるらしく、しきりになまつばをのみこんでいた。
とうとう船長が家のなかへ踏みこんだ。うしろ手にドアをばたりと閉め、右も左も見ず、まっすぐに、自分の朝食のしたくのしてある食卓へむかって歩いた。
「ビル」
見知らぬ客が言った、わざと強気に、かさにかかるように声をつくっていると、ぼくには思えた。
船長はくるりと向きなおって、ぼくたちを正面から見た。みるみる顔の赤鋼色《しゃくどういろ》がうすれ、鼻のさきまで青くなった。幽霊か、悪魔か、それよりもっと悪いもの……そんなものがこの世にあるなら……を見た人の顔はこんなものだろうか。正直のところ、ぼくは、ほんの一瞬の間に、これほど老いぼれて、弱りきった船長を見て、あわれをもよおさずにいられなかった。
「おい、ビル、おれを知らねえはずはねえな。まさか、な、長《なげ》え船乗り仲間のおれをよ」
船長は息をあえがせた。
「≪黒犬《ブラック・ドッグ》≫!」かれは言った。
「ほかのだれだというんだ?」相手は、だいぶおちつきをとりもどしながら言いかえした。「ほかでもねえ、その≪黒犬《ブラック・ドッグ》≫が、この≪アドミラル・ベンボウ≫の旅篭屋へ、古いなじみのビリーをたずねて、会いに来たのよ。なあ、ビル、ビルよ、おれがこの二本の指をなくしてからこっち、おたげえに、ずいぶんいろんな目にあってきたものだなあ」と、不自由になった手をもちあげてみせた。
「まあ、聞け」船長は言った。「とうとうおれはつかまった。逃げもかくれもしねえ。そこでだ、あっさり言え、どうしろというんだ?」
「さすがはてめえだ、ビル、よく言った」
≪黒犬《ブラック・ドッグ》≫は答えた、「まあ、ここにいるかわいい坊やに、ラムを一杯もらうことにしよう、おらあこの子がすっかり好きになったんでな。そこでまあ、よかったら腰をおろして、昔なじみらしく、ザックバランに話をつけようじゃねえか」
ぼくがラムを持ってもどってきたときには、二人はもう船長の朝食卓にむかいあっていた……≪黒犬《ブラック・ドッグ》≫がドアに近いほうの席に横ずわりに腰かけ、一方の目ではいわゆる昔なじみの船の友を、ほかの目では逃げ道に気をつけていた……と、ぼくには察しられた。
≪黒犬《ブラック・ドッグ》≫がぼくに、あっちへ行け、そしてドアをあけはなしておけと命じた。「かぎ穴なんぞから、のぞくんじゃねえぞ、坊や」
言われて、ぼくは二人をその場に残し、立飲台《バア》の内側へひっこんだ。
よほど長いあいだ、もちろんぼくはできるだけ聞き耳をたてていたけれども、せかせかと話す低い声しか聞こえなかった。だが、ようやく声が高くなり、一つ二つ、それも船長のつく悪態《あくたい》がおもだったが、聞きとれるようになった。
「いや、いや、いや、だめだ! もうやめとけ!」と一度はかれは叫んだ。それからまた、「しばり首になるんなら、うらみっこなし、みんなでなろうというんだ」
すると、だしぬけに、割れるような大声の悪態や、ほかの物音が……椅子もテーブルもいちどきにひっくりかえり、つづいて激しい刃物のうちあう音、苦しそうな叫び声、そして次の瞬間には≪黒犬《ブラック・ドッグ》≫が一目散《いちもくさん》に逃げだすのを、烈火《れっか》のように追いかける船長をぼくは見た。二人とも抜き身をひっさげ、逃げるほうは左肩から血を流していた。
ちょうど戸口のところで船長は相手に最後の思い切った一撃をあびせかけたが、もしも≪アドミラル・ベンボウ≫の大看板にじゃまされなかったら、短剣は敵の背骨まで切り裂いていただろう。看板のわくの下側に、いまでもそのあとが残っている。
この一撃で、切りあいは終わった。表の道へ出てしまうと、≪黒犬《ブラック・ドッグ》≫は傷にもめげず、びっくりするほど逃げあしがはやくて、みるみる丘のすそを越して姿を消してしまった。船長のほうはというと、とほうにくれた人のように看板をみつめて、立ちつくしていた。それから、幾度か手で目をこすってから、やがて向きをかえて家のなかへはいった。
「ジムや、ラムをくれ」
言いながら、少しよろけて、片手を壁について、身を支えた。
「けがをしましたか?」ぼくは叫んだ。
「ラムだ」とかれはくりかえした。「おれはここから出なきゃならねえ。ラムだ! ラムだ!」
ぼくはラムをとりに走った。だがこのできごとにひどくあわててしまって、グラスを割ったり、樽《たる》の飲み口をふさいでしまったり、そんなことでまごまごしているうちに、パーラーでは何かの倒れる大きな音がしたので、かけこんでみると、船長が床の上に長くなって、のびているではないか。それと同時に、叫び声や格闘《かくとう》の物音におどろいた母が、二階からぼくを助けようとかけおりてきた。母と二人で船長の頭をもちあげてやった。苦しそうに大きな息をしていたが、目は閉じて、顔がひどい色に変わっていた。
「まあ、まあ、なんという外聞《がいぶん》のわるいことを! おとっさんは病気だというのに!」
母は泣き声で言った。そのあいだにも、船長を助けるためにどうしたらいいのか、ただもう、あやしい男との果たしあいで瀕死《ひんし》の重傷を負ったということのほか、ぼくたちにはなんの分別もつかずにいた。ぼくはラム酒を持ってきたことはきたので、なんとかのどを通らせようとしたが、船長はかたく歯をくいしばって、あごを開かせようにも鉄のように堅かった。
そのさなかにドアがあいて、リヴジー先生が父の見舞いに来てくれたので、ぼくたちはどんなに助かったかしれない。
「ああ先生!」とぼくたちは叫んだ、「どうしたらいいでしょう? けがはどこなんでしょう?」
「けがだと? ばかをいうんじゃない!」先生は言った。「おまえやわたしと同じで、どこにもけがなぞしておらん。わしが注意してやったとおり、この男は卒中《そっちゅう》をおこしたのじゃ。ところで、ホーキンズのおかみさん、ちょっと二階のご亭主のところへ行っていてください、そしてなるべくなら、下のことは何も話さんでな。そこでわしとしては、こいつの三文《さんもん》の値うちもない命を助けるために、せいいっぱいのほねをおらにゃならん。ジムは金《かな》だらいを一つ持ってきくれ」
ぼくが金だらいを持ってきたときには、先生はもう船長のそでを切り裂き、太い、筋肉たくましい腕をむきだしにしていた。腕には数か所、ほりものがしてあった。≪開運≫、≪巡風≫、≪ビリー・ボーンズの気に入り≫といった文句が、二の腕にくっきりと、じょうずに彫ってある。また肩に近いあたりには、首つり台と、それにぶらさがっている男の絵が、たいそううまく描いてある……とぼくには思えた。
「いずれこうなるというわけじゃ」先生はその絵に指を触れながら言った。「ところで、ビリー・ボーンズ君とやら、それがおまえさんの名のようだが、これからおまえの血の色をみせてもらうよ。ジムや、おまえは血をみるのは恐ろしいか?」
「いいえ、先生」
「ではよし、おまえにその金だらいを持ってもらおう」そう言って、先生は≪しらく≫針をとって、血管を切りひらいた。
ずいぶん大量の血がとられてから、ようやく船長は目をあけて、ぼんやりとあたりを見た。はじめに医師だと気がつくと、たしかに顔をしかめたようだったが、そのつぎに視線がぼくに落ちると、ほっとした顔つきになった。だがとたんに顔色が変わり、いきなり身をおこそうとしながら叫んだ……
「≪黒犬《ブラック・ドッグ》≫はどこだ?」
「≪黒犬《ブラック・ドッグ》≫はここにはおらん」と先生が言った、「もっとも、おまえのきげんのわるいのは、背中の≪黒犬《ブラック・ドッグ》≫のせいかもしれんが。おまえさんはラムばかり飲んだので、わしが言うたとおり、卒中をおこしたんじゃよ。それでいま、わしとしてはおおきに不本意なことだが、墓穴から、頭をさきにおぬしをひっぱりあげたところさ。さて、ボーンズ君よ……」
「おらあそんな名じゃねえ」と病人は口をはさんだ。
「心配するな」先生はやり返した。「これはわしの知っている海賊の名じゃが、手間をはぶくためにおまえをそう呼ぶんじゃ、それで、わしが言って聞かせたいのは、こういうことじゃ……いいかね、一杯のラムでは、おまえは死なん、が、一杯のむと、二杯になり、三杯になる。そこで、もしここでピッタリやめんと、わしのこのカツラを賭《か》けてもいいが、おまえは死ぬぞ……わかるかの?……死ぬのじゃ、そうして、聖書にあるあの男のように、≪自分の行くべきところへ≫行くんじゃ。さあ、しっかりせい。こんどだけは、わしが手をかして、ベッドへつれていってやろう」
こうして、たいそうほねをおって、ぼくたちはかれを二階へはこびあげ、ベッドへ寝かせた。船長は、いまにも気を失いそうに、あおむけに頭を枕におとした。
「さ、忘れるなよ」先生は言った、「わしの良心が痛まぬように、これだけは言っておくぞ……ラムという名は、おまえには死と同じことだぞ」
このことばを残して、先生はぼくの腕をとり、父を見舞うためにそこを出た。
「もうなんでもないぞ」ドアを閉めるが早いか、先生は言った。「しばらくは落ちついていられるように、たっぷり血を取ってやった。あのまま一週間は寝かせてやりなさい……おまえがたにも、あの男にも、それが何よりいいことじゃ。しかし今度また発作《ほっさ》が来たら、それでかたがつくわい」
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第三章 黒星《くろぼし》
ひるごろ、ぼくはつめたい飲みものと薬を持って、船長の部屋へはいった。ぼくと先生とで寝かせたときとあまり変わらぬ姿勢で、少しからだがずり上がっているだけだったが、よほど弱っていて、気ばかりあせっていた。
「ジム」とかれは言った、「ここじゃ、相手になる者は、おめえだけしかいねえ。おいらは、いつもおめえには、よくしてやったっけ、なあ。ただのひと月だって、四ペンスの銀貨をやらなかったことはなかったぜ。ところが、おいら、このとおり、ひどく弱って、ひとりぼっちになっちまった。だからジム、おれにラムを一杯、もってきちゃくれめえか、どうだえ?」
「お医者の先生が……」とぼくは言いかけた。
とたんに、弱よわしい声ながら腹の底からうらめしそうに、かれは先生に悪態をつきはじめた。
「医者なんぞ、みんな腑抜《ふぬ》け野郎だ。それに、あの医者ときたら、船乗りのことが、何がわかってるというんだ? おれはタールみたいに暑い土地の、仲間がみんな黄熱病《おうねつびょう》でばたばた倒れるところにもいたし、地震で大地が海のようにふくれかえる、ありがてえ国にも行ったことがあるんだ……あの医者なんぞ、そういう土地のことを何を知ってるかってんだ?……それがどうだ、おれはラムで命をつないでたんだぞ。おれにとっちゃ、ラムが米の飯で、ラムが恋女房だ。いまこうして、風下の岸に吹き寄せられた古船になったおれが、ラムも飲めねえことになったら、ジム、おれはおめえにも、あの腑抜け医者にも、たたってやるからそう思え」
それからしばらく、また悪態がつづいた。
「これ、見ろ、ジム、おれの指はふるえてるだろ?」と今度はあわれっぽく持ちかけてきた。「どうしてもふるえがとまらねえ。きょうはまだ、一滴も飲んでねえんだ。あの医者はばかだぜ、ジム。こうしてちょっぴりでもラムを飲まずにいると、おれは目まいがして、ぶったおれる。もうそれが少しはじまってるんだ。あすこに、おめえのうしろの隅に、フリント親方のすがたが見える。ああ、ありありと、刷《す》りもののように見えらあ。こういう中毒の発作がはじまると、おれは荒っぽい世渡りをしてきた男だから、ひと騒動、おこらずにはすまねえぜ。あの医者だって、一杯だけなら害はねえと言ったじゃねえか。一杯もってきてくれたら、ギニー金貨を一枚やるぜ、ジム」
こんなふうに、ますます気持ちをたかぶらせるので、ぼくは父のために心配になってきた。父はその日、ひどくぐあいがわるく、安静が必要だった。それとはべつに、いま船長の言ったお医者のことばもあるから、いいとは思ったが、金貨で釣ろうとするのがおもしろくなかった。
「お金なんかほしくないよ」とぼくは言った、「おとっさんに払うぶんはべつだけれど。じゃ一杯だけもってきてあげるから、あとはだめだよ」
ぼくが持ってきた酒を、病人は意地きたなくひったくって、たちまち飲みほした。
「さあ、よし、これでいくらか気持ちよくなった。ところで、兄弟、その医者は、おれにどのくらい、こうして寝てるように言ったかね?」
「せめて一週間だとさ」
「なんだと!」と、かれは叫んだ。「一週間! そんなことはできねえ。それじゃおれは、やつらに黒星《くろぼし》をつけられちまわあ。ごろつきどもは、いまこうしてるうちにも、おれの風上へまわろうとしてやがるんだ。ごろつきめら、≪うぬら≫の分けまえは使いはたして、こんどは他人の分を取ろうとしやがる。おい、それがまともな船乗りのすることかよ、聞きてえもんだ。そこへいくと、おれなんざ、つましいもんだ。自分のたいせつな金はむだに使わねえ、なくしもしねえ。今度もまた、あいつらに一杯くわしてやるんだ。あいつらなんか、ちっともこわかあねえや。しりに帆《ほ》をかけて、だしぬいてやるぞ」
こんなおしゃべりをしながら、ぼくの肩がめりこむほど強くつかみ、その痛さにぼくは悲鳴をあげそうになったが、そうして、よっぽど重いものをあつかうように脚《あし》をうごかして、ベッドから起きあがった。そのおしゃべりも、言ってることはなかなか勇ましかったが、言う声のほうは反対にひどく弱よわしくて、あわれだった。どうにかベッドの端に腰かけるかっこうになって、かれはひと休みした。
「あの医者に、ひでえめにあった」かれはつぶやいた。「耳が鳴ってやがる。ねかしてくれ」
ぼくがたいして手をかすまでもなく、また元の場所へたおれこんで、しばらくはだまって横になっていた。
「ジムや」と、とうとうかれは言った、「きょうは、あの船乗りに会ったか?」
「≪黒犬《ブラック・ドッグ》≫のことかい?」
「そうだ!≪黒犬《ブラック・ドッグ》≫だ。あれは悪いやつだが、あれをけしかけた、もっと悪いやつがいる。それでな、もしおれがどうしても逃げられなくて、やつらから黒星をつけられたら、いいか、やつらがねらうのは、おれの荷物箱だぜ。おめえは馬に乗って……乗れるか、乗れるんだな? よし、それじゃ、馬に乗ってな、行くんだ……うむ、そうだ、思いきってやっちまえ!……あの腑抜け医者のところへ行ってな、言うんだぞ、みんなを……治安判事とかなんとか、そういう手合いをみんな呼び集めて、この≪アドミラル・ベンボウ≫へなぐりこみをかけろとな、相手は海賊フリントの手下の若い者、生き残ってるやつ全部だとな。おれは一等航海士だ、な、おれがフリント親分の一等航海士で、あの場所を知っている、たった一人の男なんだ。サヴァンナで、フリントがそれをおれにくれたんだ、そのときおやじは、ちょうどいまのおれみてえに、死にかけていた。だが、やつらがおれに黒星をつけるか、それともあの≪黒犬《ブラック・ドッグ》≫か、一本脚の船乗りか……ジムよ、だれよりもこいつがかんじんだぜ……どっちかをおめえが見かけるまでは、告げにいっちゃならねえぞ」
「だけど、その黒星《くろぼし》って、なんのことなの、船長?」とぼくがきいた。
「呼び出し状だよ、兄弟。つけられたら、おめえに話すよ。だが、大きな目をあけて、見張ってろよ、そうすれば、おれも男だ、きっとおめえにも分けまえをやるぜ」
かれはそれからまだしばらくは何やらしゃべりつづけたが、声がだんだん弱くなった。しかしぼくが薬をのませると……その薬をかれは「船乗りで薬をのむのは、おれぐらいのもんだろうな」と言いながら、こどものようにおとなしくのんだが、まもなくぐっすりと、気絶したように眠りこんだので、ぼくはその間にそこを出た。
そのあと何事もなかったら、ぼくはどうしたか、これはわからない。たぶんぼくはリヴジー先生にすっかり話してしまっただろうと思う。というのは、ぼくは船長が、秘密をうちあけたのを後悔して、ぼくをかたづけてしまうのではないかと、死ぬほど恐ろしかったからである。
だがその晩、父がまったく急に死ぬ、というなりゆきになったので、ほかのことはいっさいそっちのけになってしまった。ぼくたち一家の歎《なげ》きは言うまでもなく、近隣からの弔問《ちょうもん》、葬式の手配、そのあいだも休まずつづける宿屋の仕事のあれこれなど、あまりの忙しさに、ぼくは船長のことをこわがるどころか、考える暇さえなかった。
おどろいたことに、翌朝、船長は階下におりてきて、分量は少なかったがいつものとおり食事をしたうえに、ぼくの見たところでは、いつもよりよけいにラムを飲んだようだった。顔をしかめ、鼻を鳴らしながら、棚からかってに出して飲むのを、だれもとめようとする者がなかったのである。葬式の前の晩も、かれは相変わらず酔っぱらった。そして、悲しみにひたった家で、あの聞きぐるしい船唄《ふなうた》をうたい散らすのを聞くのは、ぞっとするほどいやな気持ちだった。けれども、弱ったとはいってもぼくたちはみな腹の底からかれを恐れていたし、リヴジー先生はずっと遠くの患家から急に呼ばれていったので、父が死んだあと、一度もこの家の近くへは立ち寄らなかったのだ。
ぼくは船長は弱ったと言ったが、実際に、体力をとりもどすどころか、衰えがひどくなったように見えた。はうように階段を上り下りし、パーラーから酒場へ行ってはまたもどり、ときどきドアから鼻を突きだして海のにおいをかいだりした。動きまわるときは、やっと壁につかまって身をささえ、険《けわ》しい山坂をのぼる人のように苦しげに息を切らせていた。あれきりぼくに特別に話しかけることもなくなったのは、たぶん例の内緒話《ないしょばなし》のことなど、すっかり忘れてしまったからだったろう。だが気まぐれは前よりもよけいにひどくなり、体力の弱ったことを勘定《かんじょう》に入れれば、よけいに乱暴になったくらいだ。いまでは、酔っぱらうと、短剣を抜きはなって、抜き身のままテーブルの上に置くような、ぶっそうなまねをするようになった。
だが、そうはいうものの、以前にくらべると他人のことを気にかけなくなり、どうやらとりとめもなく自分一人の物思いにふけってばかりいるようにみえた。たとえば一度などは、いつもとはまるでちがう唄をうたいだして、ぼくたちみんなをびっくりさせたものだが、それはまだ船乗り商売にはいるまえの若いころにおぼえたらしい、ひなびた恋の唄のようなものだった。
まあこんな調子で日がたち、葬式の翌日になった。寒い、霧のおりた午後の三時ごろ、ぼくは死んだ父の悲しい思い出に胸をつまらせて、しばらくのあいだ戸口にたたずんでいたのだが、そのとき街道を、こちらへのろのろと近づいてくる人間があった。杖で自分の歩く前をたたき、目から鼻へかけて大きな緑色のおおいをつけているところをみると、たしかに盲人である。ひどい年寄りか、それとも病人か、腰がまがっていて、頭巾《ずきん》のついた大きな古ぼけた≪ぼろ≫の水夫マントを着ているので、みるからにきみがわるい。あんないやらしい姿の人間を、ぼくは生まれてから見たことがなかった。
男はうちから少し離れたところで立ちどまり、奇妙な、一本調子な声を張りあげて、あてもなしに前方の空へ向かって語りかけた……
「どなたさまか、ご親切なおかたにお願い申します、祖国イギリスをまもるたたかいに……おお、ジョージ陛下ばんざい!……名誉の負傷でたいせつな視力を失った、あわれな盲人でございます、てまえはいま、この国のどこのなんというところにいるのか、教えてやってくださいまし!」
「ブラック・ヒル入江の≪アドミラル・ベンボウ≫亭ですよ、おじさん」とぼくが言った。
「声が聞こえる」と男は言った……「お若い声じゃな。手をかしてくだされ、ご親切なお若いかた、わしを宿へ案内してくだされ」
ぼくが手をさしだすと、そのきみのわるい、ねこなで声の、目の見えぬ男が、いきなり、万力《まんりき》のようにその手を握った。あまりおどろいたので、ぼくは手をひっこめようともがいたが、盲人はその片腕をぐっとひっぱっただけでぼくを身近に引き寄せてしまった。
「おい、小僧《こぞう》、おれを船長のところへ連れてゆけ」
「だんな、だめです、ぼくにはとても」
「ふん、ぬかしたな!」と男はせせら笑って、「さっさと案内しろ、さもねえと腕を折っぺしょるぞ」と言いながら、ぼくの腕をねじったから、ぼくは思わず悲鳴をあげた。
「だんな」ぼくは言った、「ぼくはあなたのためを思って言ったのですよ。船長は以前の船長じゃありません。抜き身の短剣をそばに置いて、すわってるんですもの。もう一人のだんなだって……」
「いいから、さっさと歩け」とかれはさえぎった。ぼくは、あの盲人の声ほど無情な、冷たい、憎にくしい声というものを聞いたことがない。腕の痛さよりも、その声のほうがぼくを怖気《おじけ》づかせた。それで、すぐに相手のことばにしたがう気になり、まっすぐ戸口をはいってパーラーへ、われらの病める老海賊がラムの酔いにぼうぜんと≪とぐろ≫をまいているところへ進んでいった。
盲目の男は、鉄のような握りこぶしでぼくをつかまえ、ぴったりと寄りそって、とても支えきれそうもないほどからだの重みをかけていた。
「まっすぐあいつのところへ連れてゆけ、見えるところまで行ったら、『ビル、あんたのお友だちですよ』と、こう言うんだ。いいか、もし言わねえとこうしてやるぞ」と、ぎゅっと、ぼくの手をひねった。その痛さに、ぼくは気絶するかと思ったほどだ。
あれこれするうちに、ぼくはこの盲人の乞食《こじき》にあまりひどくおどかされたので、船長のこわさのほうは忘れてしまった。で、パーラーの戸をあけたときには、ふるえ声で、命令されたとおりのことばを口走った。
船長は、かわいそうに、顔をあげると、ひと目で、ラムの酔いはあとかたもなく、まるで素面《しらふ》になったようだった。その顔の表情は、恐怖というよりも、死病にとりつかれた者の人相だ。ちょっと立ちあがりそうにしたが、それだけの力がかれに残っていたとは、ぼくには信じられない。
「どうだ、ビル、まあそこに腰をおちつけていろ」と乞食が言った。「おれは目が見えなくったって、おめえの指一本ふるわす音だって聞こえるぜ。さて、仕事は仕事だ。小僧《こぞう》、やつの右手の手首をとって、おれの右手のそばへ持ってこい」
ぼくも船長もかれの言うなりにした。見ていると、乞食は杖を握っていた手のなかから、なにかを船長の手のひらのなかへ渡し、船長は即座にそれを握った。
「さあ、これですんだ」と盲人は言った。
言ったかと思うと、たちまちかれはぼくをつかまえていた手をはなし、思いもよらぬほどの正確さと敏捷《びんしょう》さでパーラーをとびだし、街へ出てしまった。そしてぼくが身うごきもせず、そこに立ちすくんでいるあいだに、コツ、コツ、コツとその杖の音が遠ざかってゆくのが聞こえた。
ぼくも、船長も、いくらか正気をとりもどしたのは、それからよほどたってからだった。ようやく、ぼくがそれまでまだ握ったままだった船長の手首をはなすのと、船長がその手をひっこめて、ぱっと手のうちを見やるのと、ほとんど同時だった。
「十時か!」かれは叫んだ。「あと六時間だ。まだ、やつらをだしぬいてやれるわい」そして、すっくと立ちあがった。
立ちあがったものの、かれはよろめいた。のどに手をあて、しばらくはふらふらしながら立っていたが、奇妙な声をだしたかと思うと、ばったりとうつぶせに床にたおれた。
すぐにぼくは走り寄り、母の助けを呼んだ。だが急いでも、もう間に合わなかった。船長は、強烈な卒中《そっちゅう》の発作にみまわれて、死んでしまったのだ。
どうも少しわかりにくい妙な気持ちだが、ぼくは近ごろこの人を気の毒だと思うようになってはいたものの、けっして好きではなかったのに、かれが死ぬのを見たとたんに、ぼくはわっと泣きだしてしまった。
それはぼくの知った二度目の死であって、第一の死の悲しみは、まだぼくの胸になまなましく残っていたのである。
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第四章 船員用荷物箱
もちろん、ぼくは時を移さず母に、知っている限りのことを話したのだが、おそらくこれはずっと前に話しておくべきことだったので、ぼくたちはたいへんに困った、あぶない立場に立っていることにすぐに気がついたわけである。船長の金の一部は……もし持っているとすれば……当然ぼくたちのものであるはずだ。
だが船長の仲間の船乗りたち、わけてもぼくが会った二人のならずもの、≪黒犬《ブラック・ドッグ》≫と盲目の乞食が、死人の借金を払うために自分たちの獲物の分けまえをあきらめるなどということは、まずありそうもないことだ。すぐに馬に乗ってリヴジー先生を呼びにゆけという船長の命令にしたがえば、母一人を守る者もなしに残してゆくことになるので、そんなことは問題にならない。それどころか、母もぼくも、とても家のなかにぐずぐずしてはいられない気持ちであった。調理場の炉のなかで石炭がくずれる音、時計が秒をきざむ音にさえギョッとするぼくたちだった。家のまわりには、人の足音がひしめき、近づいてくるのが聞こえるような気がする。パーラーの床にころがっている船長の死体といい、あの気持ちのわるい盲目の乞食がまだ近所をうろついていて、いつなんどき帰ってくるかもわからないという不安などで、まったく、よく世間でいう身の毛がよだつというのはあのときのことだろう。
とにかく、どうするか、急いできめなくてはならなかった。それでようやくぼくたちが思いついたのは、二人でいっしょにここを出て、近くの村で助けを求めることだった。そう思いついたら、待てしばしはない。二人とも帽子もかぶらず、すぐに、暮れがたの霜《しも》になりそうな霧《きり》のなかへ走り出た。
村というのは、次の入江の向こう岸にあって、こちらからは見えないが、せいぜい四、五百メートルしか離れていない。それに、何よりも心強いことには、そこはあの盲目の男が姿をあらわした方角、したがってもどっていったと思われる方角とは、反対がわになっていた。そう長くも歩かなかったが、母とぼくとは、たびたび立ちどまっては、たがいに手をとりあって耳をすませた。けれどべつに変わった物音もしなかった……岸を洗う低い波の音と、森でカラスのないている声が聞こえるばかりだった。
村に着いたときはもう灯《ひ》ともしころで、家いえの戸口や窓をもれる黄いろい光を見てどれほど元気づけられたことか、ぼくはけっして忘れることはないだろう。しかし、間もなくわかったことだが、ぼくたちがそこで得られた助力というのは、せいぜいのところそれだけであった。というのは……男だったらはずかしく思うはずだと思うのだが……だれ一人、ぼくたちといっしょに≪アドミラル・ベンボウ≫へ行ってやろうと言う者はなかったのである。
ぼくたちがどんなに困っているかを、詳しく話せば話すほど、ひとびとは……男も、女も、こどもも、みな自分の屋根の下にひっこんで、出てこないのだ。
フリント船長という名は、ぼくにとってこそ初耳だったが、その辺ではよく知っている者が多く、たいへんな恐怖の的《まと》なのだった。そのうえ、≪アドミラル・ベンボウ≫の出はずれの野良《のら》で仕事をしていた人たちのなかには、街道で見なれぬ旅人のすがたを見かけ、てっきり密輸入者だと思って逃げ帰った者もあった。また、ぼくたちが≪キッツ・ホール≫と呼んでいる入江で、小型の帆船《はんせん》を見たという者も、少なくとも一人はいた。
とにかく、フリント船長の仲間と名がつけば、どんな男でも村人たちをふるえあがらせるにじゅうぶんであった。それでけっきょくのところ、リヴジー先生のところへ馬で迎えに行ってやろうという人は幾人かいたけれども、ぼくたちを助けて宿屋を守ってくれる人間は一人もいなかったのである。
臆病《おくびょう》は伝染する、とひとはよく言うが、一方、それならば、議論は、はなはだ人間を大胆にするものだ。
だから、村の連中がめいめい言いたいことを言ってしまうと、こんどはぼくの母がみなに向かって話しだした。母は堂々《どうどう》と言った、あたしは、父親のいないこの子のものになるお金を、みすみす取られたくはありません、と。
「おまえさんたちが行ってくれなくても、ジムとあたしは行きますよ。ええ、帰りますとも、さっき来た道をね。からだばかりぶかぶか大きくって、ひな鳥みたいにおとなしいみなさん、とんだおせわになりました。この子とあたしは、たとい死んだって、あの荷物箱をあけますよ。ついでにすみませんが、クロスリーのおかみさん、その袋を貸してくださいね。あたしたちがもらうはずのお金を、そのなかに入れてくるんですから」
もちろん、ぼくは母といっしょに行くと言った。すると、ひとびとは口をそろえて、それはむちゃだと騒いだ。しかしそのときになっても、そんならいっしょに行こうという者は一人もなかった。せいぜい敵に襲われたときの用心に、弾丸《たま》ごめした拳銃を貸してくれて、帰り道で追いかけられたときの用心に、馬に鞍《くら》をつけておこうと約束してくれただけだった。ほかに一人の若者が、武器を持って助けてくれる人をさがしに、リヴジー先生のところへ馬を走らせることになった。
いよいよ母と二人で、寒い夜空の下を、このおそろしい冒険に乗りだしたときは、ぼくの心臓はとても威勢《いせい》よく鼓動《こどう》していた。満月がのぼりかけているので、霧の幕の上側がぼうっと赤くなっていた。それでぼくたちはよけいに道を急いだ。これからもう一度こっちへ帰ってこなければならないのだが、それまでにはあたりは昼のように明るくなって、家を出るところを見張りの者にすっかり見られてしまうだろうからだ。ぼくたちは音もなくすりぬけるように、生垣《いけがき》にそって早足で進んだ。そしてそれ以上に恐ろしいものを見も聞きもせずに、ようやく≪アドミラル・ベンボウ≫にたどりつき、戸口を内側から閉めたときは、ほんとうに胸をなでおろす思いだった。
ぼくはすぐにかんぬきをおろし、母といっしょに闇のなかに立って、しばらくは息をあえがせていた。家のなかにはいま、死んだ船長のなきがらと、ぼくたち親子のほかだれもいない。
やがて母が酒場でろうそくをみつけ、それから二人手をとりあってパーラーへはいっていった。船長はさっき出かけたときと同じにあお向きに倒れていた。両眼を見ひらき、片腕を横へ投げだしていた。
「よろい戸をおろしておくれ、ジム」と母が声をひそめて言った。「あいつらが来て、外からのぞくかもしれないからね。さあ、そこで」と、ぼくが言われたとおりにしてから、また言った、「その、≪それ≫から鍵を取っておかなきゃ……だけど、ほんとに、だれだってそんなものにさわりたくはないわねえ!」
そう言う母の声にはすすり泣きがまじっていた。
ぼくはためらわずに床にひざをついた。死人の手の近くの床の上に、まるい形に切って、片面を黒く塗った小さな紙片があった。これが、あの≪黒星《くろぼし》≫にちがいないと思った。
手にとってみると、白いほうの側に、たいへん上手な、はっきりした手跡《しゅせき》で、次の短い文句が書いてあった……
「今夜十時限り」
「十時まで時間があったんだ、おっかさん」とぼくは言った。そう言ったとたんに、わが家の古時計が時を打ちはじめた。この突然の音がひどくぼくたちをおどろかせた、が、その知らせはわるくなかった、時刻はまだ六時だったからである。
「では、ジム」と母が言った、「あの鍵を」
ぼくは一つ一つ、死体のポケットをさぐった。小銭が少し、指ぬき、糸と大きな針、端をかみ切った細巻きタバコ、柄《え》の曲がった大型ナイフ、携帯用の羅針儀《らしんぎ》、それに火打ち箱、ポケットのなかにあったのは、これが全部だった。ぼくは絶望しかけた。
「くびに巻いているかもしれないよ」と母が教えてくれた。いやでたまらないのを、ぼくはやっとがまんして、シャツのえりもとをひろげると、なるほど、そこには、タールでよごれたひもにつるして、鍵があった。そのひもをぼくは船長のナイフを使って切った。
これで元気づけられたぼくたちは、時をうつさず、二階の、船長がずっと寝泊りしていた小部屋へといそいだ。そこには、かれがこの家へ来た日からずっと、例の箱がおいてあるのだ。
それは、外見はほかの船乗りの持っている荷物箱と変わったところはなく、≪B≫という頭文字が焼きごてで蓋《ふた》に焼きつけてあり、四隅は、ながいあいだ手荒にあつかわれたため、かなりつぶれて、いたんでいた。
「その鍵をおかし」と母が言った。で、錠《じょう》はかなりかたかったが、またたく間に母は鍵をまわして、蓋を引きあけた。
内《なか》からは強いタバコとタールの臭いが立ちのぼったが、いちばん上には、ていねいにブラシをかけてたたんだひとそろいの上等の背広のほか、何も見えなかった。これは一度も手をとおしていない、と母は言った。
その服の下には、さまざまの品物があった……四分儀、ブリキの小罐、何本かの葉巻き、二|挺《ちょう》の手入れのゆきとどいたピストル、銀の延棒《のべぼう》が一本、古いスペイン製の懐中時計《かいちゅうどけい》、そのほか種々雑多な、あまり値うちのない外国産の装身具類、真鍮《しんちゅう》を張ったコンパス、めずらしい西インド産の貝殻《かいがら》が五つ六つ、などである。悪事をはたらき、仲間から追われる放浪の身の上で、よくもああいう貝殻をなくさずに持ち歩いていたものだと、その後ぼくはよく思いふけったものだ。
とにかく、これまでに見つけたもので、これという値のあるものは銀の延棒と装身具類だけで、そのどちらもぼくたちの求めるものではなかった。その下には古びた作業服の、港みなとの浅瀬で潮《しお》をあびて白ちゃけたのが一枚あった。母がじれったそうにそれを持ちあげると、そこには……つまりこの箱のなかの最後の品物として、油布でつつんだ書類らしい包みが一つと、それからズックの袋が一つ、こいつは、ちょっとさわったら金貨の音がするではないか。
「この悪党どもに、あたしが正直な女だということを見せてやろう」と母は言った。「取るはずのものは取るけれど、あとは一文も取らないよ。さ、クロスリーのおかみさんの袋を持っていておくれ」
そして船乗り袋のなかから、船長の宿賃だけの金額を数えながら、ぼくが持っている袋のなかへ入れていった。これはずいぶん手間のかかる、やっかいな仕事だった。金貨はあらゆる国ぐにの、大小さまざまのものだったからだ……スペインのダブルーン、フランスのルイ、イギリスのギニー、スペインの8R銀貨などのほか、ぼくの知らないさまざまのやつが、ごったまぜになっているのだ。それにギニーはそのなかでもいちばん数が少なく、母が勘定の仕方を知っているのはギニーだけだった。
やっと半分まで勘定したころ、ぼくは急に母の腕をおさえた。ほかでもない、静まりかえった霜夜の空気のなかに、思わずぞっとするような物音を聞いたからである……凍った道の上に、あの盲人の杖のこつこつと鳴る音。それが、だんだんに近づいてくるのを、ぼくたちは息を殺して聞いていた。やがて、杖は入口のドアをするどく打った。つづいて把手《とって》をまわす音、かんぬきをがたがたと鳴らして、悪者はなかへはいろうとほねおっている。それっきり、家の内も外も、長いあいだ、しんと静まりかえっていた。
とうとう、もう一度あの杖の音がしはじめ、それがゆっくりと遠ざかってゆき、最後にまったく聞こえなくなったときのうれしさ、ありがたさは、なんとも言いようがなかった。
「さ、おっかさん、みんな持って逃げよう」とぼくは言った。戸口にかんぬきをかけてあったことが、あやしまれているに違いない、きっと蜂の巣をつついたような騒ぎになるだろう……ぼくにはそうとしか思えなかった。
だが、われながら、かんぬきをおろしておいてよかった、ありがたいことだった、それはあの恐ろしい盲人に会ったことのない人にはわからない気持ちだ。けれども母は、その場のこわさはこわさとして、当然に取るべき金高《きんだか》以上のものは一文も取ろうとはしないかわり、それ以下では梃子《てこ》でも承知しなかった。
まだ七時までには、だいぶ間がある、貸した金はぼくたちのものなんだから、もらわずにはおかない、というのだ。
こうして母とぼくが言いあらそっているうちに、ずっと遠い丘の上あたりから、低い口笛の音がひびいてきた。ぼくたちにとっては、それだけでもうたくさんだった、いや、たくさん以上だった。
「いいわ、これだけ持っていこう」あわてて立ちあがりながら、母は言った。
「じゃぼくは、損のうめあわせに、これを持っていくよ」ぼくは油布の包みを手に取った。
次の瞬間には、ろうそくはからの荷物箱のそばにおきざりにして、二人は手さぐりで階下へおりていたし、またその次の瞬間には、戸口のドアをあけて、いっさんに逃げだしていた。が、それでも逃げ足が早すぎたわけではなかった。霧はもうぐんぐんと薄らいで、月あかりは両側の高台をはっきりと照らしだしている。谷のどん底のところと、ぼくの家の戸口のまわりだけに、薄い霧のとばりがまだ破れずに残っていたおかげで、やっとぼくたちの逃げだすときの足どりをかくすことができたのだった。
村までの道の半分よりずっと手前の、丘のふもとを越していくらも行かないうちに、ぼくたちのすがたは月あかりにさらされているだろう。それだけではない、幾人かの走ってくる足音が、もうぼくたちの耳にはいってきたので、その方角をふりかえってみると、右左《みぎひだり》に揺れながらぐんぐんとこっちへ進んでくる一つのあかりがあった……新手《あらて》の一組の者どものなかに、角灯《ランタン》を持ったやつがいるのだ。
「坊や」と母が急に言った、「このお金を持って、逃げておくれ。あたしは気が遠くなりそうだから」
いよいよこれで、われわれ親子の運の尽きだ、とぼくは思った。近所の人たちの臆病《おくびょう》をぼくはのろった! また母の正直さと欲ふかさ、さっきのがんばりといまの弱気と、それらをひっくるめてぼくはあわれな母を責めずにいられなかった!
さいわいなことに、ぼくたちはちょうど小さな橋のたもとへ来ていた。ぼくは足どりのふらつく母を助けながら、川岸へつれていった。あんのじょう、母はため息をもらして、ぼくの肩へ倒れかかった。どうしてそれだけの力がわいたのか、いまだにわからないし、またよっぽど手荒なこともしたかもしれないのだが、とにかくぼくは堤の下の、少しばかり橋の下まで、母をひきずっていった。橋げたが低くて、自分が腹ばいにならなければくぐることはできないので、それ以上母を動かすことは不可能だった。だからそこにそうしているよりほかはなかった……母をほとんど全身が人目につくところに置いて、そしてぼくたち二人とも、宿屋から呼べば聞こえるぐらいの近いところに。
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第五章 盲人の最後
ぼくは、好奇心のほうが恐怖心より強かったとも言える……というのは、いちど隠れた場所にじっとしていられなくて、また堤《つつみ》をはいあがり、エニシダの茂みに頭をかくしながら、宿屋の前の往来を見張る気になったからだ。
ぼくがその場所を占めたか占めないかに、敵どもがやってきた。角灯《ランタン》を持った男を先頭に、それに数歩おくれて、およそ七、八人の男がどたばたと足音をみだして、息せき切って走ってきた。なかでも三人の男が手をとりあって走っていたが、霧をすかし見ても、この三人のまんなかの男が例の盲目の乞食だということがわかった。
次の瞬間、そやつの声が聞こえ、ぼくの目がまちがっていないことがわかった。
「戸をぶっ倒せ!」と、やつは叫んだ。
「おっとがってん!」二、三人の者がそう答えて、たちまち≪アドミラル・ベンボウ≫へのなぐりこみがはじまった。角灯《ランタン》を持った男がそのあとにつづく。と見ると、かれらは立ちどまり、何ごとか低い声で話しあっている、どうもそれはドアが開いているのでおどろいたらしい。だがそれもつかの間だった、盲人がまた号令をかけたからである。あせりと怒りに火のようになった盲人の声は前よりもいっそう荒く、高かった。
「はいれ、はいれ、はいるんだ!」とかれはどなり、みなのぐずぐずしているのをののしった。四、五人の者が声に応じて進み、あとの二人はすさまじい形相《ぎょうそう》の乞食といっしょに道路に残った。ちょっと間を置いて、何かにおどろいた叫び声があがり、つづいて家のなかから大声が聞こえた……
「ビルが死んでるぞ!」
だが盲人はまたも、ぐずぐずするなと手下どもを叱りつけた。「野郎のからだをしらべろ、ぐうたらの腑抜《ふぬ》けめ、ほかのやつらは二階へあがって、荷物箱を取ってこい!」とかれはわめいた。
荒くれ男どもがどたどたとわが家の古階段をかけあがる音を、ぼくは聞いた。あの様子では家じゅうが揺れたにちがいない。
と、すぐつづいて、またもおどろきの声があがって、船長の部屋の窓がどしんと開き、けたたましくガラスのこわれる音といっしょに、一人の男が月光のなかに頭と肩をぐっと乗りだし、下の往来にいる盲目の乞食に話しかけた。
「おう、ピュウよ、おれたちの先まわりしたやつがいるぞ。だれかが、箱をひっかきまわしたぞ」
「あれはあるのか?」
「金はあるぜ」
盲人は金じゃねえや、ばかめ、とののしってから、叫んだ。
「フリントの書《け》えたものはねえかと言ってるんだ」
「ここにはどうも、見あたらねえぜ」二階の男は答えた。
「おい、下のやつら、ビルのからだにはないのか?」と盲人がまたどなった。
これを聞いて、ほかの一人、たぶん階下《した》に残って、船長の死体をしらべていたらしい男が宿屋の戸口へ出てきた。
「ビルのからだは、とっくにいじくりまわされてらあ。なんにも残ってねえよ」
「宿屋のやつらだ……あの餓鬼《がき》だな。ううむ、あいつの目の玉、えぐりだしときゃよかったんだ!」盲目のピュウが叫んだ。「やつら、つい今しがたまで、ここにいやがった……おれが戸を押したときには、なかからかんぬきをかけてやがったんだ。おいみんな、散るんだ、やつらを見つけろ!」
「たしかにそうだぞ、ここにろうそくがつけっぱなしになってるからな」と二階の窓の男が言った。
「みんな散らばってやつらを見つけろ! 家《や》さがしをするんだ!」ピュウは杖で大地をたたきながらくりかえした。
こうして店じゅう、大騒動がはじまった。床を踏み鳴らす足音、家具を押しのけ、ドアを蹴《け》やぶる物音が、あたりの岩にまでこだまするほどだったが、やがて男どもは一人、また一人と路上へあらわれて、ぼくたち一家の者のすがたはどこにもみつからないと報告した。そうして、あの、母とぼくとが死んだ船長の金を数えていたときにおどろかされたのと同じ口笛の音が、もう一度、夜気のなかにはっきりとひびきわたった……が、今度はそれが、二度くりかえされた。
ぼくはそれまで、あの笛の音を、盲人が、手下の者どもに襲撃《しゅうげき》にかかるぞと呼びかける号令のラッパみたいなものと思っていた。だがいまになって、それは丘の中腹から村へ向けての合図であり、それを聞いた海賊どもの様子から察して、危険が迫ったことをかれらに警告する合図だとわかった。
「またダークの合図だぜ」と一人が言った。「しかも二度だ。おいみんな、逃げなきゃなるめえぜ!」
「逃げるだと、弱虫め!」ピュウはどなった。「ダークの野郎《やろう》はもともとばかたれの臆病者だ……あんな野郎を相手にするんじゃねえ。宿屋のやつらは近くにいるにちげえねえんだ、遠くへ行くはずがねえじゃねえか。もう取っつかめえたも同じことなんだ。さあ、てめえら、八方に散らばって、さがすんだ! ええ、ちくしょう、おれの目が見えたらな!」
この呼びかけが幾分の効果をあげたものとみえ、二人ばかり、あちこちの木立のあいだなどをさがしかけたが、ぼくの見るところ、それも半分しか気乗りがせず、あとの半分は、自分たちの危険に気をとられているようだった。そしてほかの者はどっちとも心をきめかねる様子で、道の上にぼんやり立っていた。
「てめえたち、何千両という金に手がかかったも同然なんだぞ、このあほうどもが! それなのにしりごみしやがって。あれをさがしだせば、みんな王様みてえな金持になれるってえのに、しかもそれがここにあるとわかっていながら、ぐずぐず、ぼやぼやしてやがる。てめえたちのうち一人でも、ビルに面と向かってぶつかるやつはいなかった、だからおれがやった……この目の見えねえおれがよ! それなのに、おれはまたてめえたちのおかげで、元も子もなくすっていうのか! お大名みたいな馬車にも乗れるところを、一文なしの乞食になって、へえつくばって、ラム一杯のむにも人のなさけにすがる身分になれっていうのか! もしてめえたちにビスケットにつくゾウムシほどの勇気でもありゃ、いまからでも宝は手にはいるんだぞ」
「いいかげんにしろ、ピュウ、ダブルーン金貨が手にはいったじゃねえか」一人の男が不服そうに言った。
「肝心《かんじん》のものはかくしやがったらしいが、まあジョージ金貨でも取ってよ、ピュウ、があがあがなるのはやめとけよ」と、もう一人が言う。
があがあがなる、とはうまく言ったもので、まったくそのとおりだったから、手下からこのように反対されたピュウの怒りはますます燃えさかり、とうとう激情にまったく目がくらんだかれは、めったやたらに、右に左に打ってかかったので、そのしたたかな杖に打ちすえられた者は一人や二人ではなかった。
相手ももちろん黙ってはいない、ひどい罰あたりなことばでこの盲目の極道者《ごくどうもの》をののしり返し、おどしながら杖をつかまえてもぎ取ろうとしたが、なかなか取れるものではなかった。
こうしたけんかが、ぼくたちには天の助けだった。なぜなら、けんかの花がまだ盛りのうちに、もう一つの物音が、村のほうの丘のいただきからひびいてきたからである……何頭かの馬の駆けてくる蹄《ひずめ》の音が。
それとほとんど同時に、一発、生垣のそばから、ピストルを撃つ閃光《せんこう》と銃声がした。これはもうはっきりと、最後の危険信号だ。
たちまち、海賊どもは背中を見せて八方にわかれて逃げだした。入江づたいに海へ逃げる者、丘を斜めに越えようとする者、その他、三十秒とたたぬうちに、みな散り散りに消え失せて、あとにはピュウ一人が残った。単にあわてふためいたためか、それとも今しがたの悪口雑言《あっこうぞうごん》や杖でなぐられたことへの返報か、ぼくにはわからないが、とにかくみんなはピュウをすてて逃げてしまったのだ。残された盲人は気が狂ったように仲間の者たちをさがして杖で地面をたたきまわったり、名を呼んだりしていたが、しまいに方角をまちがえ、村のほうへ向かって走りだし、ぼくたちのいる前を少し走りすぎながら叫んだ……
「ジョニーよ、≪黒犬《ブラック・ドッグ》≫よ、おおダークよ」まだそのほかの名も呼んで、「おお、兄弟、おめえたち、このピュウおやじをすてて逃げるのか……そうじゃあるめえ、このピュウおやじをよう!」
おりもおり、馬蹄《ばてい》のひびきは丘をのぼりつめ、四、五人の乗り手が月光のなかにすがたをあらわしたかと思うと、全速力で坂を駆けおりてきた。
この音でピュウは方角をあやまったことを知り、悲鳴をあげながら向きをかえ、いっさんにみぞへ向かって走り、たちまちそのなかへころげ落ちた。だがすぐにまた立ちあがって、もう一度駆けだしたが、今度こそすっかり度を失っていたので、駆けてくる先頭の馬の足もとへとびこんでしまった。
乗り手はピュウを救おうとしたが、間に合わなかった。ひと声、夜空にたかく悲鳴をあげながら盲人はたおれ、四つの蹄《ひずめ》はかれを踏みにじり、蹴りつけて、行きすぎた。横たおしになっていたのが、力なくうつぶせになり、それきり動かなかった。
ぼくはとびあがって、馬上の人たちに大声で叫んだ。かれらもこのできごとにびっくりして、馬をとめようとしているところだったので、ぼくにはすぐにこれがどういう人たちか、わかった。ほかの者よりひと足おくれてきたのが、例の、村からリヴジー先生を呼びに行った若者で、あとの連中はかれが途中で出会った税関の役人たちだった。若者はかれらに会うとすぐに気をきかせて、いっしょにひっ返してきたのである。
キッツ・ホールに帆船《はんせん》がはいっているという知らせが、たまたまダンス税関長の耳にはいったので、その晩わたしたちの家のほうへ馬をとばせてくることになった、そういう事情のおかげで、母もぼくも命がたすかったわけだ。
ピュウは死んだ、まったくこときれていた。母のほうは、みなで村までかついでゆき、いささかの冷水と気つけ薬とで手当てすると、間もなく正気にかえって、要するに恐ろしさで一時気絶しただけのことだった。もっとも勘定の取り足りなかったことだけはこぼしつづけていた。
いっぽう、税関長の一行はキッツ・ホールへと全速力で馬を走らせつづけたが、夜道の谷間のことだから、ときどき馬をおりて、ひっぱったり、ときには支えてやったりしながら、また一方で伏兵《ふくへい》に気をつけながら、手さぐりで進まねばならなかった。だからようやく入江へとくだっていったころには、帆船《はんせん》は、まだ入江のうちとはいうものの、すでに錨《いかり》をあげて動きだしていたのは、おどろくにはあたらなかった。税関長は大声で船を呼んだ。一つの声がそれに答えた……。
「月があかるいからひっこんでろ、さもねえとぶっぱなすぜ」
その声も終わらぬうちに、弾丸《たま》がかれの腕のすぐ横をうなって飛びすぎた。
まもなく、船は岬《みさき》をまわって、見えなくなった。ダンス税関長はそこに、かれ自身のことばをかりれば、「水から出た魚みたいに」つっ立っているほかはなく、かれにできたことはB……港へ使いを走らせ、看視船に警報をつたえることだけだった。
「だがそれもなんの役にもたつまいよ」かれは言った、「やつら、まんまと逃げうせて、それっきりさ。だがのう、たった一つ」とダンスさんはつけ加えた、「ピュウ親分をふんづけてやったので、せいせいした」
これは、ぼくから話を聞いたあとだったからである。
ぼくはダンスさんといっしょに≪アドミラル・ベンボウ≫へもどったが、これほどひどく痛めつけられた家というものを読者諸君はとても想像できまい。柱時計までが、母とぼくの行方《ゆくえ》をさがした悪党どもの乱暴でたたき落とされていて、船長の金袋と銭箱のなかのわずかな銀貨のほか、これといって持っていかれたものはなかったけれど、ぼくたちがこれで破産してしまったことは、ぼくにはひと目でわかった。
だがダンスさんには、この場の光景は何がなんだか、かいもく合点《がてん》がいかなかった。
「やつら、金を手に入れたという話だったね? それならホーキンズ、いったいどういう宝ものをさがしておったのかね? もっと金があると思ったのかね?」
「いいえ、金じゃないと思います、ダンスさん」とぼくは答えた。「じつは、その品物を、ぼくはこの胸ポケットに持ってると思うんです。だから、ほんとうのことを言いますと、ぼくはこれを、安全なところにしまっておきたいんです」
「なるほど、坊や、それはもっともな話だ。わしでよければ、あずかってもいいよ」
「ぼく、考えたんです、たぶんリヴジー先生に……」
言いかけたのを、ほがらかにさえぎってダンス氏は、「けっこう、けっこう……りっぱな紳士《しんし》で、治安判事さんだ、申しぶんなしだ。ところで、ちょうどそれで思いついたが、わしも先生か、郷士《ごうし》さんのところへまわって、報告したほうがよさそうだ。なんといっても、ピュウ親分は死んだのだからな。もちろん、惜しいとは思わんが、死んだことは事実じゃからね、世間にはそれを楯《たて》にとって、陛下の税務役人をわるく言うやつもあるだろう。さあ、ホーキンズ、どうだ、よかったら、わしがきみをつれていってあげるよ」
この親切なことばにぼくは心からお礼を言い、そこでぼくたちは馬を置いてある村までひき返した。ぼくが自分の考えを母に話し終わるころには、一行はみんな馬にまたがっていた。
「ドッガー」とダンスさんは言った。「おまえのはいい馬だ。この少年をうしろへ乗せてやれ」
ぼくが馬に乗り、ドッガーのベルトにつかまるが早いか、税務署長が号令をかけ、一行は蹄《ひずめ》の音もかるく、速歩でリヴジー先生の家へゆく道を進んだ。
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第六章 船長の書類
途中、息もつかせず馬を急がせて、ぼくたちはリヴジー先生の玄関前まで乗りつけた。家の表側《おもてがわ》はまっくらだった。
ダンスさんがぼくに、下りて戸をたたけと言ったので、ドッガーが≪あぶみ≫を貸してくれて、ぼくはそれを利用して馬から下りた。ドアはほとんど間もおかずに、女中があけてくれた。
「リヴジー先生はおうちですか?」ぼくはたずねた。
いいえ、と女中は言った。先生は午後には帰宅したが、郷士さんの屋敷へ食事に呼ばれ、今夜はゆっくりするといって出かけたという。
「そんなら、みんな、そっちへ行こう」とダンスさんは言った。
今度は、道も近いことなので、ぼくは馬に乗らず、ドッガーのあぶみ皮につかまったまま走って門番小屋のある門までゆき、月光の下の、長い、葉の落ちつくした並木道を、白くつらなったお屋敷の建物が両側の古びた大きな庭園を見おろしているところまで来た。ここでダンスさんは馬から下り、ぼくをいっしょに歩かせて、ひとことことばをかけるとすぐに家のなかへ通された。
敷物をしいた廊下を、召使いがぼくたちを案内して、そのつきあたりの広い読書室へ連れていった。
そこには、壁にはずらりと書棚が並び、それぞれの上に多くの胸像があって、あかるく燃える暖炉《だんろ》の両側に、郷士さんとリヴジー先生がパイプを手にしながら腰をおろしていた。ぼくは郷士さんを、こんなに近くで見たことがなかった。この人は六フィート以上もある長身で、横幅もそれに似合った大がらな体格、そしていかめしい頑固《がんこ》そうな顔つきが、長年の旅行のためによけいにいかめしく日焼けして、しわがいっぱいだった。眉毛《まゆげ》がとくべつに黒くて、よく動くので、それが癇癪《かんしゃく》もちというのではないが、かなり気短かで、はげしそうな感じをあたえる。
「さあ、おはいり、ダンス君」と威厳《いげん》たっぷりな、目上らしい気やすさを見せて言った。
「今晩は、ダンス」と、リヴジー先生はかるく頭をさげて言った。「おお、それからジム坊や、今晩は。どういう好い風の吹きまわしで、ここまでご入来《じゅらい》になったのかね?」
税関長は直立不動の姿勢で、学校の生徒みたいにかたくなって事件を話した。二人の紳士が、身をのりだし、たがいに顔を見あわせながら、意外さと熱心さとでタバコをすうのさえ忘れているありさまは、まったく読者諸君に見せたいほどであった。
ぼくの母が宿屋へひっ返していったいきさつを聞いたときには、リヴジー先生は小ひざをたたき、郷士《ごうし》さんは「えらい!」と叫んで、その拍子に長いパイプの柄《え》を炉格子《ろごうし》にぶつけ、こわしてしまった。
話し終わるよほど前から、トリローニさん(読者はお忘れかと思うが、これが郷士さんの名だ)は席を立って部屋のなかを歩きまわりだしたし、医師の先生は、もっとよく聞こうとするように、白い粉をふったかつらをぬいでしまったので、短く刈った黒い地あたまを見せたかっこうは、まったくめずらしい見ものだった。
ようやくダンスさんの話は終わった。
「ダンス君」と、郷士さんは言った、「あんたは、じつに見あげた男じゃ。それに、その強悪《ごうあく》な、非道な痴《し》れ者を馬蹄《ばてい》にかけた一件は、ゴキブリを一匹ふみつぶしたようなもので、むしろほむべき行《おこ》ないとわしは見る。このホーキンズという若者も、なかなかたのもしい。ホーキンズ、すまんが、そのベルを鳴らしてくれ。ダンスさんにビールを飲んでもらわにゃならん」
「ところで、ジム」と先生が言った、「やつらのさがしていたものを、おまえが持っているのだね?」
「はい、先生、ここにあります」とぼくは答えて、油布の包みを渡した。
先生は、それをあけてみたくて指がむずむずするような様子で、つくづくとながめていたが、やっぱりあけてはみずに、静かに上着のポケットにおさめた。
「郷士さん」とかれは言った、「ダンス君はビールを飲んでしまったら、もちろん、陛下にお仕えするたいせつな役目で行かねばなりますまい。が、わしとしてはジム・ホーキンズをひきとめて、わしの家に泊めるつもりです。そこで勝手ながら、冷肉パイをとりよせていただいて、この子に夜食をさせたいと思うが」
「どうぞそうしてください、リヴジー」郷士さんは言った。「ホーキンズは冷肉パイ以上のてがらをたてたんじゃからね」
そこで大きなハト肉パイが運ばれ、側《わき》テーブルに置かれたので、なにしろタカみたいに腹をすかしていたぼくは、たっぷりと夜食をたいらげた。その間にダンスさんはまたよぶんのほめことばをもらったうえで、帰っていった。
「さて、郷士さん」と先生が言った。
「さて、リヴジー」と郷士さんも同時に言った。
「話は一人ずつじゃ、話は一人ずつじゃ」とリヴジー先生は笑いながら、「このフリントという男のことは、あんたもお聞きおよびでしょうな?」
「お聞きおよびかじゃと!」郷士さんは叫んだ、「お聞きおよびどころではないわい! きゃつほどの血に飢《う》えた海賊はこの世におらん。≪黒ひげ≫さえも、フリントにくらべればこども同然じゃ。スペイン人のきゃつを恐れることはなはだしいのをみて、何をかくそう、わしはフリントがイギリス人であるのを誇りに思うたこともある。かつてトリニダード沖で、わしはこの目できゃつの船の上檣帆《トプスル》を見たことがあるが、わしの船の船長め、あきれた腰抜けの臆病者でな、なんと、帆をうしろむきにしてひき返しおった……ひき返して、スペイン港へ逃げこんでしもうた」
「なるほど、わしも、このイギリス国内で、きゃつの話は聞いております」とリヴジー先生が言った。「が、しかし、要点はじゃ、やつは金を持っていたか、どうでしょうな?」
「金ですと!」郷士さんは叫んだ。「さっきの話をお聞きでしたろうが? ああした悪党どもが、金よりほかの何をねらいますか? 金よりほかの何を気にかけますか? 金よりほかの、何にやつらのやくざなからだを賭《か》けますか?」
「それが、間もなくわかるはずです」医師は答えた。「しかし、そうあんたのようにむやみといきりたって、大きな声でまくしたてられたんでは、わしが口をはさめないではありませんか。わしの知りたいのはですな……ええと、わしがいまポケットのなかに、フリントの宝を埋めた場所を知る手がかりを持っているとして、その宝は、よほど大きな値うちのものだろうか、どうでしょうな?」
「その値うちかね、先生!」郷士さんは叫んだ。「その値うちは、ざっとこんなものだ……つまり、もしあんたの言うその手がかりをわしらが持っておるのならば、わしはブリストルのドックで一隻の船を仕立て、あんたとここにいるホーキンズをつれてゆき、たといさがすのに一年かかろうとも、その宝を手に入れるつもりだということじゃ」
「よろしい」と先生は言った。「では、ジムが賛成してくれるなら、ひとつこの包みを開くとしましょう」そしてそれを、かれの前にあるテーブルの上に置いた。
包みは縫いあわせてあるので、先生は自分の器具箱をとりだし、医師用のはさみで縫い目を切らねばならなかった。なかには、二つの品物がはいっていた……一冊の帳面と、封をした一枚の紙とである。
「まず第一に、この帳面をしらべましょう」と先生が意見を述べた。郷士さんとぼくとは、先生の肩ごしに、それを開くのを見ていた。
親切なリヴジー先生は、ぼくが食事をしていた側《わき》テーブルから、こっちへ来て、おもしろいさがしものの仲間入りをするようにと招いてくれたのである。第一ページには、ふつうに人がペンを持つと退屈しのぎか、または筆だめしにやりたくなりそうな、ただの書きちらしがしてあるだけだった。
その一つは、あの入れ墨《ずみ》と同じ≪ビリー・ボーンズの気に入り≫の文字だったし、次のは≪航海士W・ボーンズ氏≫≪ラムなくなる≫≪パーム・キイ沖でやられた≫……といったようなもので、ほかにいくつか、たいていは一つのことばだが、にじり書きで読み取れない。ぼくは、≪やられた≫というのはだれのことなのか、何を≪やられた≫のか、不審でならなかった。もしかすると背中を短剣ででもやられたものか。
「あまりたいしたことは出ておらんな」リヴジー先生はページをめくりながら言った。
次の十ページあまりは、奇妙なことばかり書きこんであった。ふつうの会計簿のように、おのおのの行の一方のはしに日付けが、反対のはしには金額が書いてあるのだが、この二つの中間には、説明の文句のかわりに、さまざまに数のちがう十文字の記号だけが書き入れてある。
たとえば一七四五年六月十二日には七十ポンドの金が、あきらかにだれかに支払われるはずとなっているのだが、その理由の説明としては、六つの十文字のほか何もない。もっとも幾つかの場合、≪カラカス沖にて≫というふうに地名を書きくわえたり、六二度一七分二〇秒、一九度〇二分四〇秒のように緯度、経度だけ記入してあるものもあった。
この記録はおよそ二十年以上もつづき、個々の記入される金額は時のすすむにつれて大きくなっており、最後のところには総計が五度か六度、寄せ算をまちがえたあげくに出してあって、それに≪ボーンズの身代《しんだい》≫と書き添えてある。
「なんのことやら、さっぱりわからん」とリヴジー先生が言った。
「あきらかなること、白日《はくじつ》のごとしじゃよ」郷士さんは叫んだ。「これはあの腹黒い猟犬の会計簿さ。十文字は、やつらが沈めた船や掠奪《りゃくだつ》した町の名をあらわしておる。金額はこの悪者の取り分で、記入があいまいで困ると思うところでは、いくらかハッキリするように書き足しをしとる、そうじゃろ? ≪カラカス沖にて≫とあるのは、あの沖あいで襲われた不幸な船があったということじゃ。気の毒な乗組みの者らはどうなったことやら……とうの昔に、骨は珊瑚《さんご》になっておるじゃろ」
「なるほど!」と先生が言った。「さすがは旅行家だけのことがある。なるほど、なるほど! そうして、この金高がふえておるのは、やつの位《くらい》があがったためですな」
帳面には、あとはたいした書き入れはなく、終わりに近い空白なページに、二、三の土地の方位と、フランス、イギリス、スペインの貨幣の換算表とがあるばかりだった。
「金にはこまかい男だな!」と先生は叫んだ。「人にだまされるようなやつではないわい」
「さて、それではもう一つのほうを」と、郷士さんが言った。紙片は、封印のかわりに指貫《ゆびぬき》をつかって封じてあった。それはぼくが船長のポケットでみつけた、あの指貫であろう。
先生はたいへんに用心ぶかくその封じめを開くと、そこには一つの島の地図があらわれた。緯度と経度、水深《すいしん》、丘や湾や小さな入江の名、それから船を島の岸の安全な碇泊地《ていはくち》へ着けるために必要な、あらゆるこまかい注意事項が記してある。島は、あらまし、長さ十五キロ、幅八キロで、形は、ふとった竜が立ちあがった、とでも言おうか、そして、陸にかこまれた絶好な港が二か所あり、島の中央部には≪遠めがね山≫と説明のある丘が一つある。
そのほかに、あとから書きこんだところがいくつかあり、なかでもめだつのは赤インキでの三つの十文字で……二つは島の北部に、一つは南西部にあり、この三つめの十文字のわきに、同じ赤インキで、しかも船長のたどたどしい文字とはまるで違う、小さな、きれいな筆跡で、≪ここに宝の大部分あり≫と書いてある。
裏面に、同じ筆跡で、以下のような、さらに詳しい説明があった……
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高い木、遠めがね山の肩、北北東より一ポイント北。
骸骨島《がいこつじま》、東南東よりわずか東。
三メートル。
銀の延棒は北のかくし穴にあり。
東の高台の斜面、黒岩に面し、その南方十|尋《ひろ》の位置にて発見できる。
武器は北の入江の岬《みさき》の北の先端、正東より四分の一ポイント北の砂丘《さきゅう》のなかに容易に発見できる。
J・F
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これで全部だった。だが、こんなに簡単で、ぼくにはさっぱりわからなかったけれども、郷士さんとリヴジー先生はすっかり喜んでしまった。
「リヴジー」と郷士さんは言った。「あんた、いまのつまらん商売はこの場でやめてしまいなさい。明日、わしはブリストルへ出かける。三週間のうちには……待てよ、三週間は長い! 二週間……いや、十日のうちに……われわれはイギリスで最良の船と、よりぬきの乗組員とを手に入れることになる。ホーキンズは船室づき給仕《きゅうじ》としてつれてゆく。おまえはきっと有名な船室づき給仕になるぞ、ホーキンズ。あんたは船医じゃ、リヴジー。わしが提督《ていとく》じゃ。レドルースとジョイスとハンターをつれてゆこう。順風に乗って、たちまちに海をわたり、なんの苦もなくその場所を見つけて、ふんだんな金を……飯《めし》のかわりに食えるほど……いや、金貨の池で泳ぐほど……人にばらまいてやれるほど、手に入れるんじゃ」
「トリローニ」と先生は言った、「わしもあんたについてゆこう。それからジムも行くこと、うけあいだ。そうして、この企ての立役者《たてやくしゃ》の一人になるでしょう。ただ一人だけ、たよりにならん人がいる」
「それはだれです?」郷士さんが叫んだ。「そいつの名を言いたまえ!」
「あんたですよ」と先生は答えた。「あんたは口にしまりがない。この紙のことを知っているのは、わしらだけではありませんぞ。今晩、宿屋を襲ったやつら……いうまでもなく大胆不敵《だいたんふてき》、命しらずのあぶれ者どもじゃ!……それにまだ帆船《はんせん》に残っていた者ども、まだそのほかにも、あまり遠くないところで、あの金を手に入れようと、火のなか水のなかでもいとわぬ覚悟でおるにちがいない。いよいよ海へ出てしまうまでは、われわれはみな一人で歩いてはなりません。ジムとわしは当分のあいだ離れずにいるようにします。あんたはブリストルへ行くときはジョイスとハンターをつれておいでなさい。そしてわれわれ三人のうち一人も、今夜知ったことをひと言ももらしてはならんです」
「リヴジー」と郷士さんは答えた、「あんたの言うことはいつもほんとうだ。わしは墓石のように、だまっているよ」
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第二部 船の料理番
第七章 ブリストル行き
ぼくたちの海へ出る用意ができるまでには、郷士さんが想像したよりも日数がかかったし、最初にたてた計画のうち、ぼくたちの思いどおりに実行されたことは一つもなかった。リヴジー先生の、ぼくをそばから離さずにおく、という考えもそうだった。先生は自分の医院をあずかってくれる医師をさがしにロンドンへ行かねばならなかったのだ。郷士さんはブリストルで大車輪で活躍していた。ぼくはお屋敷で、猟場番《りょうばばん》のレドルースじいさんの監督を、それも囚人《しゅうじん》なみの監督をうけて暮らしていたが、そのかわり朝から晩まで船旅の空想や、不思議な島じまのこと、大冒険の数かずなど、たのしい空想にふけりつづけた。
あの地図のことを何時間もつづけて考えふけり、こまかいことまですっかり覚えこんでしまった。家政婦の部屋の炉ばたに腰をおろして、空想のなかで、ぼくは行ける限りのありとあらゆる方角からあの島に近づいた。島の地面の一エーカーごとにくまなく探険した。例の≪遠めがね山≫と名づけられた高い丘へは千度ものぼり、その頂上から、移り変わるさまざまの眺望《ちょうぼう》をたのしんだ。ときには島には大ぜいの蛮人《ばんじん》の群れがいて、ぼくたちはかれらと戦った。またときには危険な動物がいっぱいいて、かれらがぼくたちを追いまわした。しかし、ぼくのどんな空想の世界でも、ぼくたちが実際に出会った冒険ほど不思議で悲劇的なものは、ぼくには一つも思いつかなかったのである。
そんなことで何週間かが過ぎたが……とうとうある日、リヴジー先生あてに一通の手紙が来た。そのあて名には、「医師不在の場合は、トム・レドルースまたはホーキンズ少年が開封のこと」とつけ加えてあった。このさしずにしたがった結果、ぼくたち、というよりむしろぼくが……なぜなら猟場番は活字以外のものは読むのが不自由だったから……知ったのは、以下のような重要な知らせであった……
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十七……年三月一日、
ブリストル、旅宿いかり屋にて。
わが友リヴジーよ……君が屋敷におるのか、それともまだロンドンにおられるのか、わからぬので、この手紙を両方へ二通、出します。
船はすでに買って、艤装《ぎそう》も終わった。出帆《しゅっぱん》の準備万端ととのい、もっか碇泊《ていはく》中。これ以上の愛すべきスクーナー〔マストが二本以上の縦帆式帆船〕はだれも想像できないほどで、こどもでも操縦できるだろう……二百トン、名はヒスパニヨラ号。
小生はこの船を旧友ブランドリーの周旋《しゅうせん》で手に入れた。かれは何から何まで、おどろくばかりよくやってくれた。じつに感心な男で、文字どおり奴隷《どれい》のように小生のため働いてくれたし、のみならず、われわれの渡航の目的……すなわち宝のことをかぎつけるやいなや、ブリストルじゅうの人間が、同様に働いてくれたのである。
[#ここで字下げ終わり]
「レドルースさん」とぼくは手紙を途中でやめて言った、「リヴジー先生は気に入らないだろうね。郷士さんはやっぱり、しゃべっちゃったんだ」
「うちのだんながしゃべらなくて、いってえだれがしゃべるだ?」と、猟場番人がふきげんそうに言った、「リヴジー先生がこわくて、郷士さまが口がきけねえなんて、そんな大べらぼうな話、聞いたことがねえ」
これでは説明しても、むだだとあきらめて、さきを読み進んだ……
[#ここから1字下げ]
ブランドリーは自身でヒスパニヨラ号を見つけ、まことに巧妙なかけひきによって、きわめて安価で買ってくれた。ところがブリストルにはブランドリーに対し、はなはだけしからぬ偏見《へんけん》をもつ一団の者がおって、あの正直者をつかまえて、やれ金のためにはなんでもする男だとか、ヒスパニヨラ号はもともと自分の持ち船で、それを小生に法外《ほうがい》な高値で売りつけたとか……じつに見えすいた中傷《ちゅうしょう》です。
しかし、そのくせ、だれ一人として、船のりっぱさを否定する者はいない。
きょうまでのところ、何一つつまずきはなかった。なるほど職人ども……索具《さくぐ》工とか、その他の連中は、まったく腹のたつほど仕事がおそかったが、それも時間の問題で、かたがついた。小生の困ったのは乗組員のことであった。小生はちょうど二十人ほしかった……土人、海賊、その他やくざなフランス人などに襲われた場合にそなえて……ところが六人を見つけるだけでもひじょうな苦労をせねばならなかった。すると、なんたる幸運に恵まれたことか、望んでも得がたい人物にめぐり逢《お》うたのです。
あるとき、波止場《はとば》に立っておって、ほんのふとしたはずみで、この人物と口をきくことになった。聞いてみると、かれはもと船乗りで、いまは居酒屋をやっており、ブリストルの船乗りなら知らぬ者はない。陸で暮らしたためにからだをこわしたので、もう一度海へ出たいから料理番の口をさがしている、というのです。けさも潮《しお》の香《か》をかぎたくて、ここまでやってきたのだ、との話でした。
小生の感動は言うもおろか……貴公もきっと同じだと思うが……やれ気のどくな、と思うと矢も盾《たて》もたまらず、その場で船の料理番にやとい入れた。のっぽのジョン・シルヴァという名で、片脚だ。しかし、不滅の海将ホーク〔七年戦争でフランス海軍をやぶったイギリスの海将〕の下で祖国のために戦って片脚を失ったのであるから、むしろ片脚はこの男のすいせん状のようなものと小生は思った。
だがリヴジーよ、かれは年金ももらっておらんのですよ。なんたるなさけない時代にわれわれは生きておることか!
さて、友よ、小生は料理番を見つけただけだと思いのほか、ひと船の乗組員ぜんぶを発見してしまったのですぞ。シルヴァと小生とは、数日のあいだに、考えうる限りの屈強《くっきょう》なる水夫どもの一団を集めてしまった……見た目はきれいとは申せぬが、その面《つら》がまえから察するに不撓不屈《ふとうふくつ》の精神をもつ男たちばかりだ。われわれは軍艦相手でも戦えそうだ、と小生は断言する。
のっぽのジョンは、小生がすでに雇い入れた六、七名のうち、二名をクビにした。この二人は、重要な冒険では恐れねばならぬ新米の水夫どもであることを、ジョンはたちまち小生に教えてくれたのです。
小生は健康も元気も申しぶんなく、牡牛《おうし》のごとく食い、丸太のごとく眠っておるが、部下の水夫らが錨巻揚機《いかりまきあげき》のまわりで足ふみ鳴らすのを聞くまでは、一瞬も心たのしまぬであろう。いざ、海へ! 宝ものなど、どうなとなれ! 小生を夢中にさせてしまったのは、海の栄光なのである。されば、リヴジーよ、急ぎたまえ。もし小生のことを思ってくれるならば、一刻もむだにしたもうな。
ホーキンズ少年は、レドルースをつきそいに、ただちに母に会いにゆくこと。そのうえで二人とも全速力でブリストルに来たれ。
ジョン・トリローニ
追伸
言いもらしたが、ブランドリーは……ついでながら、もしわれわれが八月末までに帰らなかったら、ブランドリーが追っかけて伴船《ばんせん》をだしてくれることになっている……船長として、りっぱな男をみつけてくれた……融通《ゆうずう》のきかないのは残念だが、ほかの点では申しぶんのない掘りだしものだ。のっぽのジョン・シルヴァは航海士として、たいへん有能な男をさがしてきた、アロウという名の男です。リヴジーよ、小生は呼び子を鳴らして号令する本物の水夫長も手に入れた。それゆえヒスパニヨラ号上では、万事が軍艦式に進行するわけだ。
もう一つ書き忘れたが、シルヴァという男は資産家です。小生はかれが銀行預金を持っていて、一度も借越しをしたことがないのを、自分でたしかめて知っている。居酒屋の商売は、あとに残る女房につづけさせるそうで、この女房が黒人なのだから、君や小生のような昔からの独身者は、かれがまた海へ出たいというのも、健康のためばかりでなく、女房から逃げたいためもあろうと推量しても許されると思うが、いかがであろうか。
J・T
三伸
ホーキンズは母親のところへひと晩泊まってもよろしい。
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この手紙がぼくに呼びさました興奮は、読者にも想像していただけるだろう。ぼくは、うれしさで、半分われを忘れた。そうして、もし軽べつすべき男というものがあるとすれば、不平や泣きごとを並べることしかできないトム・レドルースじいさんこそ、それであろう。猟場のどんな手下の者でも、よろこんでじいさんの代わりをつとめただろうが、そんなことは郷士さんの気に入ることではなかったし、郷士さんの気に入ることは、番人たちみなにとって法律みたいなものである。レドルース老人を除いて、不平すら並べる者はいなかったろう。
翌朝、じいさんとぼくは≪アドミラル・ベンボウ≫へ出かけていったが、母はすこぶる健康で元気だった。長いあいだ、不愉快なことばかりひきおこしていた船長も、とうとう「悪人もあばれることをやめる」ところへ行ってしまった。郷士さんがすっかり修理をしてくれて、食堂や看板はペンキを塗りかえ、家具もいくつかふえた……なかでも立飲台《バー》の内側に、母のための美しいひじ掛け椅子が置いてあった。また郷士さんはぼくが留守のあいだ助けに困らないように、見習のこどもを見つけてくれた。
このこどもを見たとき、ぼくははじめて自分の立場がわかった。その瞬間まで、ぼくは自分の行手《ゆくて》にある冒険のことは考えたが、自分があとに残してゆくわが家のことは少しも考えなかったのだ。それがいま、ぼくの代わりとして、母のそばにいることにきまった、この気のきかなそうな、よそのこどもを見たとき、はじめてぼくの目に涙があふれてきた。
考えてみると、ぼくはあのこどもをずいぶんひどくいじめたようだ。それというのも、かれが仕事にふなれなので、たしなめたりしかったりする機会はいくらでもあって、その機会をぼくはぬかりなく利用したからである。
その夜はすぎ、翌日、昼食のあと、レドルースとぼくはふたたび街道へ出た。ぼくは母と、自分が生まれたときからずっと暮らしてきた入江と、そうしてなつかしい≪アドミラル・ベンボウ≫にも……もっともこれはペンキを塗りかえたので、なつかしさはさほどでなかったけれど……別れを告げた。
最後にぼくの心に浮かんだことの一つは、あの船長のすがたで……へりの反《そ》った帽子をかぶり、頬の刀傷を見せながら、古い真鍮《しんちゅう》の遠めがねをたずさえて、海辺を歩きまわっていた、そのすがただった。だが次の瞬間にはぼくたちは角を曲がって、ぼくの家は見えなくなった。
暮れがた、ヒースの荒地にある宿屋の≪ロイヤル・ジョージ≫の前で、乗合馬車がぼくたちをひろいあげた。ぼくはレドルースとふとった老紳士のあいだにはさまれ、馬車の飛ぶような速さにも、夜の冷気にもおかまいなく、ほとんどすぐに、うとうとといねむりをはじめ、そのうちに今度はぐっすりと丸太のように眠りこけたとみえ、丘をのぼるのも谷をくだるのも、駅から駅と通りすぎたのも、ひとつも知らなかった。
その証拠に、やっと目をさましたのは脇腹を一つこづかれたからで、目をあけてみると、どこか大きな町の通りの大きな建物の前に馬車はとまっていて、夜はもうずっと前に明けはなれていた。
「ここはどこ?」とぼくはたずねた。
「ブリストルじゃ」とトムじいさんが言った。「おりなさい」
トリローニさんはスクーナーの仕事を監督するために、波止場《はとば》をずっと行ったところの宿屋に泊まっていた。そこまでぼくたちは歩いてゆくことになったが、その道筋の船着き場の光景や、たくさんな数の船……あらゆる国ぐにの、それぞれに装いのちがう大小さまざまの船を見ることができたので、ぼくはとてもうれしかった。水夫たちが歌いながら作業をしている船もあれば、見上げるばかり高いところに、クモの糸ほどにしか見えぬ細い綱にぶらさがっている水夫たちもいた。ぼくは生まれてこのかた、ずっと海岸に住んでいたけれど、このときほど海の近くに来たことはなかったような気がした。タールと潮の香《か》も、なにかまったく新鮮な感じであった。いくつもの不思議な形をした船首像、それらはみな遠く万里《ばんり》の波涛《はとう》をこえてきたものばかりだった。
なおそのほかにも、多くの船乗りたち、耳輪をはめたのや、頬ひげを輪にちぢらせたのや、タールまみれの弁髪《べんぱつ》すがたのや、めいめい大いばりで、ぶざまな船乗りらしい歩きかたをしているのも見た。ぼくは、たといかれらと同じ数の王様や大僧正さまを見たとしても、これほどうれしい思いはしなかっただろう。
しかもぼく自身、これから海へ出るのである。呼び子で号令をかける水夫長や、弁髪《べんぱつ》すがたで歌をうたっている水夫たちといっしょにスクーナーで船出するのだ。人の知らぬ島をめざして、埋められた宝をもとめて、乗りだすのだ!
こうした楽しい夢想にふけっているあいだに、ぼくたちはふいに大きな旅館の前へ出て、郷士のトリローニさんに会った。丈夫な青い服の、すっかり海軍将校らしい服装をしたトリローニさんは、にこにこ顔で、船乗りふうの歩きかたをうまくまねて、玄関から出てきた。
「おお来たね」とかれは叫んだ、「先生もゆうべロンドンから着いたぞ。愉快、愉快! これで乗組みの全員がそろったわけじゃ!」
「それで、郷士さん、出帆《しゅっぱん》はいつですか?」とぼくは叫んだ。
「出帆か! あすじゃ、あすじゃ!」と郷士さんは答えた。
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第八章 ≪遠めがね≫屋で
ぼくが朝食をすませると、郷士さんは居酒屋≪遠めがね≫屋のジョン・シルヴァへあてた手紙をくれて、船渠《ドック》の並んだ通りを行って、大きな真鍮《しんちゅう》の望遠鏡を看板にしている小さい居酒屋はないかと気をつけていればすぐわかる、と教えてくれた。
ぼくはまた船や船乗りをたくさん見られるいい機会だと大喜びで出かけたが、波止場《はとば》はいまが忙しい盛りなので、人間や荷車や穀物袋《こくもつぶくろ》の荷物などがごたごたと行きかうなかを縫って歩き、ようやくたずねる居酒屋を見つけだした。
そこはなかなか小ぎれいで、はでな遊び場であった。看板はまだ真新しいペンキ塗りで、窓には小ざっぱりした赤いカーテンがかかり、床には清潔に砂がまいてある〔船乗りたちがかみタバコをかんで床につばをはくので〕。両側が道に面していて、その両方に入口があけはなしてあるので、広い、天井の低い部屋は、タバコの煙がもうもうとしているにもかかわらず、かなりはっきりと内部が見えた。
お客の大半は船乗りである。その連中があまり大声でしゃべっているので、ぼくははいってゆくのが恐ろしいようで、入口でまごまごしていた。
こうしてぐずついているうちに、横の部屋から一人の男が出てきたが、ひと目みて、ぼくはこれがのっぽのジョンにちがいないと思った。左脚がつけ根から切り落としてあって、左の脇の下に松葉杖をつき、びっくりするほど器用にそれを使い、小鳥のようにはねまわるのだ。たいそう長身で、強そうで、顔はハムみたいに大きく……みにくくて血色がわるいが、かしこそうで、にこにこしている。いかにも楽しくてたまらないという顔つきで、口笛を吹きながらテーブルのあいだを縫って動きまわり、お客のなかでの懇意《こんい》な連中におあいそうを言ったり、肩をたたいたりする。
ところで、白状するとぼくは、トリローニ郷士さんの手紙にのっぽのジョンの名が最初に出たときから、これこそ≪ベンボウ≫で幾日もつづけて自分が見張りをした、あの一本脚の船乗りにほかならないのではあるまいか、という不安にとりつかれていたのである。ところが、本人をひと目みただけで、ぼくにはじゅうぶんだった。船長を知り、≪黒犬《ブラック・ドッグ》≫を知り、盲人のピュウを知ったぼくは、海賊とはどういうものか、よくわかっていると思っていた……ぼくの考えでは、この小ざっぱりした、きげんのいい居酒屋のだんなとはまったく別の種類のものなのであった。
そこでぼくはすぐに勇気をだして敷居をまたぎ、いましも松葉杖で身をささえ、お客の一人と話をしている男のところへ歩み寄った。
「シルヴァさんですね?」と、手紙をさしだしながら、ぼくはたずねた。
「うん、そうだよ、若《わけ》えの」と男は言った。「それがおれの名にちげえねえ。だが、おめえはいったいだれだろうな?」
そこで郷士さんの手紙を見たが、とたんにぼくは、かれがとびあがったような気がした。
「おお!」と、ふいに大声で言って、手をさしだしながら、「わかった。おめえが今度の船室づき給仕だな。よく来たな」
そして大きな手で強くぼくの手をつかんだ。
と、そのとき離れたところにいた客の一人が、急に立ちあがって出口へ向かった。席が出口に近かったから、かれのすがたはたちまち往来へ出てしまった。しかしその急ぐ様子がぼくの注意をひいたので、ひと目でそれがだれか、気がついた。それは最初に≪アドミラル・ベンボウ≫へ来た、顔色のわるい、指の二本たりない男だった。
「ちょっと」とぼくは叫んだ、「あの人をつかまえてください! あれが≪黒犬《ブラック・ドッグ》≫です!」
「あいつがだれだろうと、おれはかまわねえが」とシルヴァは叫んだ。「あの野郎、勘定をはらわずに行きやがった。ハリー、行ってとっつかめえてこい!」
出口ちかくに腰をおろしていた一人が、とびあがって、追っかけていった。
「たとい野郎がホーク提督《ていとく》だろうと、勘定は取らずにおかねえ」シルヴァは叫んで、それからぼくの手をはなしながら……「はてな、あいつはだれだと言った、おめえは?」とかれはたずねた。「黒《ブラック》……なんとか言ったな?」
「犬《ドッグ》ですよ、おじさん」と、ぼくは言った。「トリローニさんから、海賊たちの話を聞かなかったんですか? あの男もそれです」
「そうか?」シルヴァは叫んだ。「よくもおれの店へ! ベン、行ってハリーを助けろ。あいつがろくでなしどもの一人だったって? おい、モーガン、おめえだな、野郎と飲んでいたのは? こっちへ来てくれ」
モーガンと呼ばれた男は……年寄りの、ごましお頭で、マホガニー色の顔をした船乗りだった……ばかにおとなしく、かみタバコをもぐもぐやりながら、出てきた。
「なあ、モーガン」のっぽのジョンはむずかしい顔つきで言いだした。「おめえ、いままで、あの≪黒《ブラック》……黒犬《ブラック・ドッグ》≫とかいうやつを見かけたことはねえのか?」
「へえ、ござんせん、親方」とモーガンはおじぎをして、答えた。
「野郎の名は、知らなかったのか?」
「へえ、親方」
「ありがてえと思えよ、トム・モーガン、てめえは運がいいや!」と亭主は叫んだ。「もしああいう野郎どもとかかりあってやがったら、おれの店へひと足だって踏みこませやしねえからな、よくおぼえとけ。それで、あいつはおまえにどんな話をした?」
「どうも、よくわからねえんですが、親方」とモーガンは答える。
「てめえのその肩にのっかってるのは、頭ってものじゃねえのか、それとも三つ目滑車か?」
のっぽのジョンは叫んだ。「『どうも、よくわからねえ』だと! そんなら、話していた相手も、どうもよくわからなかったんだろうな? さあ、聞かせろ、どんなことを≪頬げた≫たたいていた……旅のことか、船長のことか、それとも船のことか? やい、音《ね》をださねえかよ! なんの話だったい?」
「船底《ふなぞこ》くぐりの罰〔人を綱でしばって、船底の一方の側から他の側までくぐらせる刑罰〕の話をしていましたんで」とモーガンが答える。
「船底くぐりの罰だと? そいつはまた、おめえらによくも似合った話があったもんだ、ちげえねえ。もういいから、もとのところへ帰りな、トム、このあほうめ」
そうして、モーガンがもとの席へもどっていったあと、シルヴァはこっそりぼくに耳うちしたが、その文句はずいぶんぼくをおだてているように聞こえた……
「あのトム・モーガンはな、なかなか正直者なんだが、まぬけでね。うむ、ところで」と、ふたたび大声になって、「待てよ……≪黒犬《ブラック・ドッグ》≫か? いいや、おいらの知らねえ名だ。だが考《かんげ》えてみると、おれも……そうだ、あのやくざ野郎! おれも見たことがある。盲の乞食《こじき》といっしょに、よく来ていた、そうだった」
「きっとそうだと思いますよ」とぼくが言った。「その盲人も、ぼくは知っていました。ピュウって名でした」
「そうだ!」とシルヴァは、すっかり鼻息があらくなって、叫んだ。「ピュウ! たしかにそういう名だったぜ。ううむ、まるでフカみてえな野郎だった! すると、あの≪黒犬《ブラック・ドッグ》≫てえ野郎を追っかけてつかまえりゃ、トリローニ船長にはいいおみやげにならあ! ベンは足が速いからな。ベンほど速え船乗りは少ねえ。あいつなら、きっと野郎をとっつかまえるぜ。船底くぐりの話なんか、してやがったって? ふん、おれが船底をくぐらせてやらあ!」
こうして、まくしたてながら、かれは松葉杖で酒場のなかを行ったり来たりして、テーブルをたたくなど、ロンドンの中央刑事裁判所の判事でも、警視庁《ボウ・ストリート》の警部でも信用してしまいそうなほど興奮のさまを示した。
だがぼくは、この≪遠めがね≫屋に≪黒犬《ブラック・ドッグ》≫を発見したことで、すっかり疑念《ぎねん》をめざめさせられたので、この料理番をゆだんなく観察した。しかし、この人物はぼくが正体を見抜くにはあまりに腹の底が深く、機敏で、抜けめがなかったから、やがて追っていった二人の男が息を切らせてもどってきて、とうとう人ごみのなかで行方を見失ったとあやまり、まるでどろぼうかなんかのようにしかりとばされるのを見たときには、のっぽのジョン・シルヴァが潔白《けっぱく》なことは保証つきだと思いこんでしまった。
「まあ聞いてくれ、ホーキンズ」とかれは言った、「どうも、おいらのような男にとって、つれえ話になってきたじゃねえか? トリローニ船長というかたがおいでなさる……いったいどう思うだろうな? あんなふてえやくざ野郎がおれの店へはいりこみゃあがって、おれのラムを飲んでいやがる! そこへおめえがはいってきて、はっきり教えてくれた。その野郎を、おれの船窓蓋《せんそうぶた》のまんまえで、ちょろりと取り逃がしちまったじゃねえか! なあ、ホーキンズ坊や、船長さんに、おいらのことを、ちゃんと話してくれねえか。おめえさんはまだこどもだ、こどもにゃちげえねえが、すばらしく気がきいてら。はじめにここへへえってきたときから、おいらにはわかった。そこで話はこうだ……こんな古材木《ふるざいもく》に乗っかって、何ができるかってことよ! むかしの丈夫な船長だったころのおれなら、綱をたぐるように野郎に追っついて、アッという間にひっとらえるんだが、いまは……」
ここまで言って、急に絶句して、何か思いだしたらしく、大きな口をあいた。
「勘定!」かれは叫んだ。「ラム三杯だ! ちきしょうめ、おれとしたことが、勘定のことを忘れちまうとはなあ!」
そして、どっかと腰かけに腰をおろし、笑いだして、しまいに涙が頬をつたうほど笑いころげた。ぼくも釣りこまれて笑ってしまい、二人でとめどもなく笑いつづけたので、とうとう酒場じゅうが笑い声でいっぱいになった。
「まったく、やくざな老いぼれ水夫だ、おれというやつは!」
とうとうしまいにそう言って、かれは頬の涙をふいた。「おめえとおれとはきっとウマがあうぜ、ホーキンズ、だっておれはどうせ給仕と同格ぐらいに踏まれるのがオチだからな。だが、それはそうと、出かけるしたくをしな。こうしちゃいられねえ。務《つと》めは務めだ、なあ、兄弟《きょうでえ》。おれも古帽子をかぶって、おめえといっしょにトリローニ船長のとこへ行って、いまの始末を報告しなきゃ。いいか、ホーキンズ、これは大事なことだから、おぼえておきなよ。おめえもおれも、あんまりほめられることをやったとは、義理にも言えねえからな。おめえにしたって、同じことだ。あんまり気がきいちゃいなかった、おめえもおれもな。だがしゃくにさわるなあ、勘定をとりそくなうとは、うめえしゃれだった!」
そうしてかれはまたげらげらと笑いだした。あんまりうれしそうに笑うので、ぼくにはそのしゃれというのがよくはわからなかったけれど、やっぱり釣りこまれていっしょに笑ってしまった。
船着場にそって二人で歩くあいだ、次つぎとちがう船のそばを通るにつれてジョンはそれらの船について話してくれるので、こんな愉快な道連れはなかった。
それぞれの帆の装備から、トン数、国籍、現にやっている仕事まで……これは荷おろし、あれは荷の積みこみ、その次は出帆まぎわだ、といったふうに説明しながら、その合間には船や船乗りについてのちょっとした逸話《いつわ》を話してくれたり、ぼくがすっかりおぼえこむまで海上用語をくりかえしてくれたりする。
そうして歩いているうち、ぼくはこの人こそ、このうえない航海友だちだと思うようになった。
宿屋に着いてみると、郷士さんとリヴジー先生とは向かいあって、焼きパンを入れたビールを飲み終わろうとしていた。これから二人でスクーナーへ検分にゆくところだという。
のっぽのジョンはさっきの話のいちぶ始終を、すばらしい熱のこもった調子で、しかも完全に事実ありのままに話した。
「ざっとこういったわけでしてね、そうだったな、ホーキンズ?」ということばをかれは幾度か、あいだにはさんだが、ぼくはそのたびに、そのとおりだと保証した。
二人の紳士は≪黒犬《ブラック・ドッグ》≫の逃げ去ったのを残念がったが、だれの考えもどうもしかたがないという点で一致したので、のっぽのジョンはご苦労さまとねぎらわれてから松葉杖をとり、帰っていった。
「きょうの午後四時、全員乗船じゃ」と郷士さんがかれの背中へ声をかけた。
「へい、へい、承知しやした」と、料理番は廊下で叫んだ。
「さて、郷士さん」とリヴジー先生が言った。「わしはだいたいから言うて、あんたの見つけた人間どもをあまり信用しません。が、これだけは言える、あのジョン・シルヴァという男は気に入りましたよ」
「あの男は、正真正銘の掘りだしものさ」と郷士さんは断言した。
「ところで、ジムもわしらといっしょに船へつれてゆきたいが、どうです?」と先生がつけ加えた。
「よいとも」郷士さんは言う、「帽子をとりなさい、ホーキンズ。いっしょに船を見にゆこう」
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第九章 火薬と武器
ヒスパニヨラ号は少し沖合に碇泊《ていはく》していたので、ぼくたちはほかのたくさんの船の船首飾りの下をくぐったり、船尾をまわったりした。ときにはそれらの船のいかり綱がボートの底をこすったり、頭のうえでゆれたりした。
だがようやくボートはヒスパニヨラの舷側《げんそく》につき、甲板にあがっていったぼくたちは航海士アロウさんに迎えられ、挨拶を受けた。アロウさんは渋紙色《しぶかみいろ》した老船員で、耳輪をつけ、そしてやぶにらみで郷士さんとはよほど仲がよさそうだ。だが、ぼくは間もなくトリローニさんと船長とのあいだはそうでないことに気がついた。
船長はきびしい顔つきの人で、船の上のことにはなんにでも腹をたてているように見えたが、そのわけをかれはすぐに教えてくれた。というのは、ぼくたちが船室を降りてゆくと間もなく、一人の水夫があとを追ってきた。
「スモレット船長がみなさんとお話したいと言っています」と水夫が言った。
「わしはいっでも船長の命令どおりにする。ここへお連れしろ」と郷士さんが言った。
使いの水夫のすぐうしろにいた船長は、ただちになかへはいって、ドアを閉めた。
「やあ、スモレット船長、どんなご用ですかな? 万事うまく行っておりましょうな、船の整備も、海のぐあいも?」
「そうですな」船長が言った、「お気にさわるかもしれませんが、はっきり申しあげたほうがいいでしょう。わたしはこの航海を好みません。乗組みの者も気に入らんし、士官も気に入りません。あっさり言えば、こんなところです」
「すると、船も気に入らんのではありませんか?」郷士さんは、ぼくが見ても、だいぶ怒っているらしかった。
「まだ動かしてみませんから、そこまでは申しあげられん」船長は言った。「なかなかけっこうな船のようです。それ以上のことは言えませんが」
「おそらくあんたは、雇い主も気に入らんのかもしれませんな?」郷士さんが言う。
だがここで、リヴジー先生が割ってはいった。
「まあちょっと、ちょっとお待ちください。そういう、人の感情を害するだけの質問をしても、なんの役にもたちません。船長は少しことばがすぎたのか、あるいはことばが足りないのか、とにかくわしはもう少し説明を補足してもらいたいと言わざるを得ん。あんたはこの航海を好まんと言われる。なぜですかな?」
「わしの契約は、いわゆる≪封緘《ふうかん》命令≫〔きめられた時まで命令書を開封できないという条件つきの命令〕によるものでして、この船を、このかたのために、このかたの命ずる場所へ運航することになっています」と、船長は言った。「それはそれでよろしい。しかし水夫どもはいま一人のこらず、わしの知っておる以上のことを知っております。こういうことは公平でないと思うが、いかがですか?」
「まったくだ」リヴジー先生は言った、「わしもそう思いますな」
「次に、」と船長は言った、「この船は宝をさがしにゆくのだという話を、わしは聞きました……しかもわしの部下の者から聞いたのですぞ。ところで、宝さがしというのは剣呑《けんのん》な仕事で、わしはどの点から申しても宝さがしの航海というものを好みません。また何よりも、その航海が秘密であり、しかも(トリローニさんには失礼ですが)その秘密をオウムまでがうちあけられておるような場合、とくに好みません」
「シルヴァのオウムかね?」と郷士さんがきいた。
「これはことばのアヤですよ」と船長が言った、「だれにでもつつ抜けだということです。あなたがた、おふたかたとも、自分のしておいでのことがよくおわかりになっておらないように、わしには思えます。しかし、わしに言わせれば、これは……生きるか死ぬか、一《いち》か八《ばち》かの冒険です」
「その点は、じつにはっきりしておる、まったく、仰せのとおりじゃ」とリヴジー先生は答えた。「わしら、危い綱渡りをする気でおります、が、さればといって、わしらはあんたの思うほど何も知らんわけでもありませんぞ。次に、乗組みの者が気に入らんと言われる。連中は船乗りとして、感心しませんかね?」
「感心しません」スモレット船長は答えた。「またその点のお話ならば、わしが自分で自分の部下をえらべばよかったと思うとります」
「なるほどそうでしたな」と医師は答えた。「わしの相棒は、あんたといっしょにえらびにゆけばよかったのじゃね。しかし、これがあんたを軽視したことになるにしても、わざとしたことではないのです。それから、あんたはアロウ君も気に入りませんか?」
「そのとおりです。なかなかりっぱな船乗りだとは思いますが、あまりにも高級船員としては乗組みの者と気軽につきあいすぎます。航海士たる者はもっと自分の立場をまもって……水夫どもといっしょに酒を飲んだりすべきではありません!」
「あの男がいっしょに飲んでおるというのか?」郷士さんが叫んだ。
「いや、そうではありません」船長は答えた、「水夫どもになれなれしすぎるというだけです」
「そこでじゃ、船長、要するに、あんたはどうしろというのですか?」と、医師がたずねた。
「では伺いますが、あなたがたはどうでもこの航海に出るご決心ですか?」
「決心なら、鉄のごとしじゃ」と郷士さんが答える。
「わかりました」船長は言った。「では、みなさんはしんぼうづよく、わしの証明できないことまで聞いてくださったことですから、もうしばらくお聞きを願いたい。水夫どもは火薬や武器を前部|船艙《せんそう》に入れつつあります。しかしこの船には船室の下に、いいしまい場所があるのですから、そこへお置きになったらどうですか?……これが第一点です。それから、あなたがたは従者として四人の者をお連れになっていますが、話に聞くとそのうち幾人かを前のほうに寝かすということです。これは船室のそばに寝場所を与えたほうがいいと思うが、いかがでしょう……これが第二点です」
「ほかに何か?」ときいたのは、トリローニさんである。
「もう一つ」船長が言った。「これまでに、すでに話がもれすぎています」
「まったく、もれすぎる以上だ」と先生が相槌《あいづち》をうった。
「わしが自分で耳にしたことを話しましょう」スモレット船長はつづけた。「あなたがたは、ある島の地図をお持ちになっておる。その地図には、宝のあり場所を十文宇でしるしてある。そうしてその島のありかは……」と言って、かれはその緯度と経度を正確に口にだした。
「わしはだれ一人にもそれを教えたことはない!」郷士さんが叫んだ。
「水夫どもは知っております」と船長は答えた。
「リヴジー、きみかホーキンズがしゃべったにちがいない」郷士さんは叫んだ。
「だれかということはたいした問題ではないよ」と先生が答えた。また、先生も船長も、トリローニさんの抗議をたいして問題にしていないことは、ぼくにもわかった。ぼく自身だって、その点は同じだった、それほど郷士さんは口にしまりがないのだ。
とはいうものの、今度のことについては郷士さんの言うことも嘘ではなく、島の位置をしゃべるような者は一人もないはずなのだ。
「さて、おふたかた」と船長はことばをつづけ、「その地図をば、どなたが持っておられるか、わしは存じません。が、ここではっきり申しておきます。地図のことは、わし自身にも、アロウ氏にも秘密にしておいていただきたい。そうでなければ、わしは辞職を申し出るほかはありません」
「わかりました」先生は言った。「すると、この件を秘密にしておくこと、この船の後尾部にわが友の直属の従者から成る衛兵《えいへい》を配置すること、ならびに、船上の武器および火薬はすべてこちらに確保すること、以上をあんたは望まれるわけですな。ことばをかえていえば、暴動を恐れるということですな」
「あなた」と、スモレット船長は言った、「べつにもんくをいうわけではありませんが、わしの言いたくないことまで言わせる権利は、あなたにはないはずです。そこまで言うだけの根拠が船長にあるとすれば、はじめから海に出ることがまちがいでしょう。アロウ氏のことについては、わしは同氏が疑う余地なく誠実だと信じます。乗組みの一部の者についても同様です。あるいはあんがい、全部の者がそうかもしれません。しかしわしは、船の安全と、船上の一人のこらずの者の生命とに責任があります。現在の状態は、どうもわしにはうまくいっていると思えないのです。ですから、二、三の点について予防手段をとっていただくようにお願いするので、いけなければやめさせていただくわけです。話はこれだけです」
「スモレット船長」笑顔で、先生は言いだした。「泰山鳴動《たいざんめいどう》、ネズミ一匹という諺《ことわざ》をご存じですか? こんなこと言っては失礼だが、まあ忌憚《きたん》なく言えば、あんたの話でわしはあの寓話《ぐうわ》を思いだすんです。はじめここへはいってこられたときは、もっと重大な考えがおありだったにちがいない、わしはこのかつらを賭けてもいいですよ」
「先生」と、船長は言った、「あなたはするどいおかたですな。ここへはいってきたとき、わしはクビになる覚悟でした。トリローニさんが、ひとことでも聞いてくださるとは思わなかったものですから」
「もちろん聞く気はなかったよ」と郷士さんは叫んだ。「リヴジーがここにいなかったら、きみをたたきだすところじゃった。それをどうやら、きみの話を聞いてしまった。きみの望みどおりにはするが、いままで以上にきみがきらいになったよ」
「どうぞ、ごかってに」と船長は言った。「わしは義務だけは果たします」
これだけ言って、かれは出ていった。
「トリローニ」と先生は言った、「わしにとってはあんがいなことじゃが、あんたはどうやら、この船に二人の正直者を雇い入れたらしい……あの男と、ジョン・シルヴァとをな」
「シルヴァのほうは御意《ぎょい》にまかせるが」と郷士さんは叫んだ、「あの食わせものにはがまんがならぬて。わしは断言するが、あいつほど男らしくもない、船乗りらしくもない、またイギリス人らしくもない男はないわい」
「ま、どうだか、いずれわかるじゃろう」と医師は言った。
ぼくたちが甲板へ出たとき、みなはもう武器と火薬の積みかえにかかっていた……船長とアロウさんとの監督の下で、ヨー・ホー・ホーの掛け声いさましく、はたらいていた。
あたらしい配置は、ぼくにとっても好ましかった。スクーナーの内部はすっかり点検を終わっていた。六個の寝棚が、中部船艙の後半部から船尾へ移され、このひと組の船室は、左舷の円材の出ている通路だけで調理室や前甲板の水夫室とつながっていた。はじめは、これら六個の寝棚は、船長、アロウ氏、ハンター、ジョイス、リヴジー先生、郷士さんと、この六人が使う予定になっていた。それを今度は、レドルースとぼくとがそのうちの二個を使い、アロウさんと船長とは甲板の船室昇降口の下で寝ることになった。そこは両側をひろげて、後甲板船室と呼んでいいくらい広くなっていた。もちろん、天井はひどく低かったが、それでも二つのハンモックをつるすだけの広さはあり、航海士さえもこういう配置に満足している様子であった。おそらくアロウ氏でも乗組みの者たちについて疑念をもっていただろうと思うからだが、ただしこれは想像にすぎなくて、のちに読者もおわかりになることだが、ぼくたちはかれの意見を役だてる機会があまり持てなかったのである。
こうして火薬や寝棚の配置がえにせっせとはたらいているときに、最後に乗り組む一、二名の船員とのっぽのジョンとが、艀《はしけ》でやってきた。料理番は猿みたいにすばしこく舷側《げんそく》をのぼってきたが、みんなのやっていることを見るが早いか、「おおい、兄弟《きょうでえ》!」と声をかけた、「これはいったいなんだい?」
「火薬の置き場所をかえてるんだよ、ジョン」とだれかが答えた。「なんだと、じょうだんじゃねえ」のっぽのジョンは叫んだ、「そんなことやってると、朝の潮どきを逃がしちまうぜ!」
「わしの命令だ!」と船長がぴしりと言った。「おまえは下へ行け。みんなが晩飯を食うだろう」
「へい、へい、承知」と料理番は答え、前髪に手を触れて敬礼したかと思うと、すぐに調理場のほうへすがたを消した。
「あれはいい男ですね、船長」と医師が言った。
「そうらしいですな」とスモレット船長は答え、「そっとやれよ、そっと」と、火薬を運んでいる連中のさしずをつづけた。
と、急に、船の中央部へ運んでいる旋回砲《せんかいほう》……九ポンド弾の真鍮《しんちゅう》の砲……をぼくがしらべているのを見つけて、「おい、給仕、そこを退《の》け! 料理番のところへ行って、手つだうんだ」
そして、急いでその場を立ち去りながら、ぼくは船長が大声で先生に言っているのを聞いた……「わしは自分の船では、えこひいきは絶対にしません」
読者諸君に保証しますが、ぼくはこのときまったく郷士さんと同意見になり、腹の底から船長を憎らしく思ったものである。
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第十章 航海
その晩は夜っぴて、いろいろの品物をそれぞれの場所にしまいこむのに大騒ぎだったし、ブランドリー氏をはじめ郷士さんの友人たちが何隻かのボートで航海の安全と無事帰国を祈る見送りにやってきた。≪アドミラル・ベンボウ≫ではこの半分も忙しい思いをした晩はなかった。そうしてぼくがへとへとに疲れてしまった夜明けちかく、水夫長が呼び子を吹いて、水夫たちは錨巻きの梃子《てこ》を動かしはじめた。
だが、たとい二倍も疲れていたとしても、ぼくは甲板を離れなかったであろう。それほどすべてが新奇《しんき》で、おもしろかったのだ……簡潔な命令の掛け声、呼び子のするどいひびき、角灯《ランタン》のほのあかりのなかで、めいめいの持ち場へかけつける水夫たち。
「おい、≪|肉焼き《バーベキュー》≫おやじ、いっちょう歌え」と一人がどなった。
「いつものやつだぜ」他の一人が叫ぶ。
「よし、よし、承知だ」
松葉杖を腕の下にあてがって、そばに立っていたのっぽのジョンが言って、たちまち歌いだしたのは、ぼくのよく知っている文句だった……
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≪死人《しびと》の箱≫には十五人……
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すると乗組みの全員が合唱する……
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ヤンレサ、ホイ、それに一本、ラムの壜《びん》
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そして≪ホイ≫という掛け声で、梃子《てこ》を勢いよくまわした。そうした興奮の一瞬ではあったが、この唄はたちまちぼくを、なつかしい≪アドミラル・ベンボウ≫へと連れ帰った。そしてあの死んだ船長の声が合唱にまじって聞こえてくるような気がした。
だが間もなく錨は水面に引き揚げられ、船首に水をしたたらせながら吊りさがった。帆が風をはらみ、陸地とほかの船とが両側で飛ぶようにうしろへ去っていった。そしてぼくが一時間ほどまどろもうと横になることができたころには、ヒスパニヨラ号はすでに宝島への航海をはじめていたのだった。
ぼくはこの航海の詳細をここで物語るつもりはない。それはまことに順調な船旅だった。船はよい船であることを実証したし、乗組みの者はみな有能な船員だったし、船長は申しぶんなくその任務を心得ていた。しかし、宝島へ着くまでのあいだに、ぜひ知っておいてもらいたいできごとが、二つ、三つあったのである。
まず第一に、アロウ氏は、船長が心配した以上に困りものであることがわかった。かれは水夫たちに少しもにらみがきかなくて、乗組員はかれに対して好きかってにふるまった。
しかしそれはまだしもいいほうであって、出帆《しゅっぱん》して一両日ののち、かれは目をとろんとさせ、赤い顔で、舌さえもつれるばかりか、それ以外の酔っぱらいの証拠まで見せて甲板へあらわれるようになった。いくたびか、しかりつけられて、下へおりていろと命ぜられた。ときにはころんでけがをしたし、ときには船室昇降口の片側の、自分の狭い寝床に、一日じゅう横になっていた。しかしまた、ときには一日か二日は、だいたい素面《しらふ》で、どうにかこうにか仕事をつとめていることもあった。
ところで、この酒を、アロウ氏がどこで手に入れるかということが、ぼくたちにはわからなかった。これはこの船の一つの謎だった。いくらかれを見張っていても、この謎は解けなかった。そして、面とむかって当人にそれをたずねても、かれが酔っているときには笑ってばかりいたし、素面《しらふ》のときには、わしは水のほか飲んだことがない、とまじめくさって否定するのだった。
かれは士官として役にたたず、船員たちに悪影響を及ぼすばかりでなく、この調子では、いずれはわれとわが身をほろぼすのは目に見えていた。だから、ある逆波《さかなみ》のたつ暗い夜、かれのすがたがまったく消え去って、それきり見えなくなっても、だれもあまりおどろきもせず、悲しみもしなかった。
「海へ落ちたのだ」船長は言った。「まあいい、これであの男に足かせをかける手間《てま》がはぶけた」
しかし、これで船には航海士がいなくなったので、もちろん、平船員の一人を昇格させることが必要になった。水夫長のジョブ・アンダースンが船内では最適任だったので、じっさいにはもとの肩書きのままだったが、一部分は航海士の役もつとめることになった。トリローニさんは海上生活の経験があって、平穏な天候のときには自分から見張りに立つこともしばしばあったから、かれの知識はなかなか役にたった。またボート長のイズレール・ハンズは慎重で分別があり、年も上で経験のゆたかな船乗りだったから、まさかのときには何をやらせても信用の置ける男であった。
このボート長はのっぽのジョン・シルヴァの大の親友だった。それでかれの名を言いだすと、しぜんに、あの船の料理番、あだ名して≪|肉焼き《バーベキュー》≫のことを物語りたくなる。
船の上で、かれはくびにまきつけた船の締め綱《づな》に松葉杖をひっかけ、両手をなるべく自由に使えるようにしていた。その松葉杖のさきを仕切り壁に突きたて、それで身をささえながら、船の動揺に少しもさからわず、まるで陸地で不自由なく動きまわる人のように料理をやっているのは、見ていてなかなかおもしろかった。それよりもさらにおもしろいのは、波の荒れた日に甲板を横切るかれのすがただった。甲板のもっとも幅の広いところに一本か二本の綱を用意して、その助けをかりて横切るのだ……その綱を乗組みの者は≪のっぽのジョンの耳輪《みみわ》≫と呼んでいた。そしてかれは、一個所から他の個所へ移るのに、松葉杖を使うかとみれば杖を締め綱にひっかけて動かし、ほかの者が歩くのと同じぐらいの速さでやってのけた。それでも昔かれといっしょに航海したことのある者は、そんなふうになったかれを見るのが気のどくでならないと言っていた。
「あの≪|肉焼き《バーベキュー》≫はとてもふつうの人間じゃねえ」と、ボート長がぼくに言った。「若《わけ》えときに、りっぱな学校にも行ったから、その気になれば、まるで本に書いたように話をすることもできるんだ。それに強《つえ》えことったら……獅子《ライオン》だってのっぽのジョンのそばにも寄れねえや! いつか四人の男をとっつかまえて、頭と頭を鉢合わせさせるのを見たことがあるよ……やつは素手《すで》でだぜ」
乗組みの者はみなかれを尊敬して、かれに服従さえしていた。水夫たちの一人一人に話を合わせるコツを知っていたし、だれにでも何か特別にせわをしてやった。ぼくにはどこまでもいやな顔をせずに親切にしてくれた。そしてぼくが調理場へ行くときっと喜んで迎えてくれたが、そこはいつもまるで新しいピンのように清潔に掃除がゆきとどき、皿はよく磨いて立てかけてあるし、片隅にはかれのオウムの篭《かご》があった。
「こっちへ来な、ホーキンズ」と、いつもかれは言った。「こっちへ来て、ジョンと話していけよ。おめえなら、だれが来たよりも歓迎だぜ。さ、腰をかけな、いい話を聞かせるぜ。フリント船長がここにいる……おいらのオウムの名だよ、有名な海賊にちなんで、フリント船長と呼んでるんだ……このフリント船長が、おれたちの航海は成功だと、予言してくれてるぜ。そうだったな、船長?」
するとオウムが、たいへんな早口で、「8R銀貨! 8R銀貨! 8R銀貨!」と、聞く者が心配になるほど息を切らさんばかりに叫ぶが、やがてジョンがハンカチを篭にかけると鳴きやむのだ。
「ところで、ホーキンズ、あの鳥はな」とジョンが言う、「ことによると二百歳にもなるんだぜ……オウムは、たいていが、いつまででも生きてるものなんだ。そうして、こいつよりもたくさんの悪事を見たことがあるのは、まあ悪魔だけだろうな。こいつはイングランドといっしょに航海をした……あの海賊のイングランド大船長さ。こいつは、マダガスカルにもマラバールにも、スリナムにもプロヴィデンスにも、ポルトベロにも行ったことがある。銀の延べ板を積んだ難破船の引揚げの現場にもいたことがある。≪8R銀貨≫なんてことばもそのときに覚えたんだから、別に不思議はねえわけだ。銀貨が三十五万枚あったんだぜ、ホーキンズ! ゴアの沖合で≪インド太守≫号を襲ったときも、こいつはいた。見たところはまるで赤ん坊みてえに思えるだろう。だがおまえさんは硝煙《しょうえん》の臭いをかいだこともあるんだ……そうだったなあ、船長?」
「上手《うわて》まわし〔船首を風上にまわして、これまでと反対側に風を受けるように舵をとる〕用意!」とオウムが金きり声で叫んだ。
「ああ、こいつはカッコのいいやつさ」
料理番は言いながら、ポケットからさとうをだして鳥にやると、鳥は横木をつついて、こんなひどいことをと信じられないほどの口ぎたないののしりことばを吐きつづける。
「そうら」と、ジョンがことばをそえる、「朱《しゅ》にまじわれば赤くなるというがな、坊や、こんなかわいい、罪のない小鳥が、地獄の鬼火みてえな悪口《あっこう》を並べるけれども、わけは一つも知りゃしねえのさ。まあ、もののたとえだが、こいつは牧師さまの前でだって、同じ調子で悪口を言うぜ」
そうして、牧師さまに敬意を表して前髪にちょいと手をふれた、その持ちまえのもっともらしい態度に、ぼくはこんないい人は世の中にいないとさえ思った。
ところで、その後、郷士さんとスモレット船長とは、相変わらずおたがいに少しもうちとけなかった。郷士さんはこのことについて気持ちをかくそうともせず、船長を軽べつしていた。船長のほうは、話しかけられなければけっして口をきかず、口をきくときにはいつもぶっきらぼうで愛想《あいそ》がなく、一語もむだにしない。議論で追いつめられたときに、乗組員のことで思いちがいをしていたようだと認め、自分の望んでいたとおり、かれらのなかには元気のいい者もいるし、みんな、なかなかよくやっている、と言った。船については、かれはもともとすっかりほれこんでいた。
「この船はよほどのことがあっても風上に間切って進めます、自分の女房でもこれほど扱いやすくはないでしょうな。しかし」と船長はいつもここでつけ加えた、「それでもやっぱりわしたちはとても故国《くに》へは帰れんでしょう、だからこの航海はおもしろくないです」
これを聞いて、郷士さんは顔をそむけ、あごを空のほうへ向けて甲板を行ったり来たりするのが常だ。
「あの男がもうひと言、つまらんことを言うたら、わしの癇癪《かんしゃく》は破裂するわい」と郷士さんは言う。
海が荒れた日もあったが、それはヒスパニヨラ号の優秀さを証明したにすぎなかった。船中の者は一人残らず満足しているようだったし、これで満足しないようならよっぽどぜいたくな気むずかし屋だろう。なぜなら、ノアが箱舟で海へ出たとき以来、この船の乗組員ほどあまやかされた者はなかったろうとぼくは信じるからだ。ちょっとしたことでも理由をつけて強い水わりラムがふるまわれたし、なんでもない日でも、たとえばきょうは誰かの誕生日だという話が郷士さんの耳にはいると、プディングが出る。そして中部甲板にはいつでも蓋《ふた》をあけたリンゴの樽《たる》が置いてあって、だれでも好きなときに取って食べられるのだ。
「しかしこういうことで、いいことのあったためしはありません」船長はリヴジー先生に言った。「前甲板の者どもをあまやかすのは、手におえない悪党をこしらえることだ。そうわしは信じています」
しかし事実は、あとで話すように、リンゴ樽からいいことが生まれたのだ。つまり、もしあれがなかったら、ぼくたちはなんの警告も受けず、裏切り者の手にかかってみなごろしになっていたはずなのである。
事のおこりは、こうである。
それまで、船は、われわれが目ざしている島……これ以上はっきり書くことはゆるされていない……の風上へ出るために、貿易風について赤道のほうへ進んできたが、今では昼も夜もしっかりと見張りをつづけながら赤道をはなれて、その島をめがけて進んでいた。
その日は、計算上どんなに長い日数を見積もっても、往路《ゆき》の航海の最後の日にあたっていた。その夜の何時ごろか、おそくとも翌日の午前中には宝島が見えてくるはずであった。船は南南西に進んでいて、ま横に休みなく快風を受け、海は凪《な》いでいた。ヒスパニヨラ号は絶えず横揺れをつづけ、ときどき船首を水につっこんではしぶきをあげていた。帆は上下ともに風をはらんでいた。乗組みの全員が元気いっぱいだったのも当然のことで、いまこそわれわれの冒険の第一段が終わりに近づいているのだった。
さて、日没の直後だった、ぼくはその日のつとめが全部終わったので、寝床へ行こうとして、ふとリンゴが一つ食べたくなった。ぼくは甲板へ駆けあがった。見張りの者はみな島をさがし求めて、前方を見張っていた。舵《かじ》をとっている男は帆の前縁《まえぶち》を見ながら、静かに一人口笛を吹いていた。聞こえる音といっては、船首と両方の舷側《げんそく》にぶつかる波の音を除いては、その口笛の音だけであった。
ぼくはそのリンゴ樽《だる》のなかへからだごと、とびこんだが、見るとリンゴはもうほとんど残っていなかった。だが、暗やみのなかですわりこんで、波の音を聞き、船の動揺に身をまかせているうち、いつのまにか眠りこんでしまったか、それとも眠りこむ間際《まぎわ》だったか、ふと気がつくと、だれかよほど体重のある男が、樽の近くで、ずしりと腰をおろした。男がもたれかかったので、樽《たる》が揺れ、ぼくは思わずとびだそうとした、そのとたんに男がしゃべりだした。
それがシルヴァの声で、十言《とこと》と聞かぬうちに、ぼくはどんなことがあっても自分のすがたを相手に見せてはならぬと思った……極度の恐怖と好奇心に駆られ、ふるえながら、そこにしゃがんで、話を聞こうとしていた。そのわずか十言によって、この船にいる正直な人間みなの生命が、ぼく一人にかかっていることがわかったからである。
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第十一章 リンゴ樽のなかで聞いた話
「いいや、おれじゃねえ」とシルヴァは言った。「フリントが船長よ。おいらはこの材木脚《ざいもくあし》だから、舵手《だしゅ》をしていた。おれがこの脚をなくしたときのいっせい射撃で、ピュウおやじも目が見えなくなった。おれの脚を切ってくれたやつはたいした外科医者でな……大学とか、いろいろの学問をして、ラテン語なんぞもバケツで測るほど知っていた。だがそいつもほかのみんなと同じに、犬みてえに縛り首になって、天日《てんぴ》にさらされたよ、コルソ要塞でな。つまり、みんなロバーツの手下だったからで、船の名を変えたもんだから、そんなことになったんだ……≪ロイヤル・フォーチュン≫とかなんとか、かってに名をつけたんだ。だからよ、船ってえものは、いちど名がきまったら、ずっとそのままにしておくがいいんだ。イングランド船長がインド大守号をぶんどったあとで、マラバールからおれたちみんなを乗せて無事に帰ったカサンドラ号だって、名は変えなかった。フリントが乗っていたウォルラス号だってそうだ……あの船なんざ、血まみれ騒ぎをやって、船が沈むほどの金貨を積んでるのを、おれはこの目で見てるんだからなあ」
「ああ!」と、別の声が、すっかり感心しきった調子で叫んだ……この船のいちばん若い水夫の声だった。「海賊の手本だなあ、フリントって!」
「デーヴィスってのも、話に聞くと、えらいやつだぜ」シルヴァは言う。「おいらはいっしょになったことはねえが。はじめがイングランド、その次がフリント、これがおれの経歴さ。そうして今度のこの船で、まあ言わば一本立《いっぽんだ》ちになったわけよ。おれはイングランドのときに九百ポンド、フリントのときは二千ポンド、貯《た》めこんだぜ。平水夫にしちゃ悪くねえだろ……そっくり銀行に預けてあらあ。だいじなのは稼《かせ》ぐことじゃねえ、貯めることだ、よくおぼえとけよ。イングランドの手下だったやつら、いまどこにいる? おら知らねえ。フリントの手下はどうだ? たいていはこの船に乗り組んで、プディングをもらって喜んでやがる……乗り組む前は乞食していたやつもいるぜ。ピュウおやじなんざ、目が見えなくなって、国会議員のお殿様みてえに年に千二百ポンドも金をつかって、みっともねえ話よ。あいつ、いまどこにいる? くたばって、地獄へおっこってらあ。だが死ぬ前の二年間、あいつは食うものにも困っていたぜ、みじめな話よ! 乞食はする、どろぼうはする、人殺しまでやらかして、おまけに飢え死にしかけていたんだ、ひでえ話さ!」
「ふうん、それじゃ、けっきょく、そんなことしたって、むだじゃねえか」若い水夫が言った。
「ばかなやつには、むだだってことよ、よくおぼえとけ……海賊仕事だって、ほかのことだって、同じことだ」シルヴァは叫んだ。「だがな、よく聞けよ、おめえは若《わけ》え、若えには若《わけ》えが、すばらしく気がきいてら。おめえをはじめて見たときから、おれにはわかってた。だから男と見かけて、おらあ話すんだ」
この憎むべき老悪党が、ちょうどぼくに話しかけたときと同じへつらいのことばで相手に話しているのを聞いたぼくの気持ちを、読者よ、想像していただきたい。もしできることなら、ぼくはあの悪党を樽《たる》ごしに切り殺したい気持ちだったと思う。ところがやつのほうでは盗み聞きされているとは知らず、しゃべりつづけるのだ。
「そこで、金持ちの大だんなとはどういうものか、よく聞きなよ。荒っぽい世渡りはするし、縛り首も覚悟の前だが、けんかする軍鶏《しゃも》みてえに、たらふく食って飲んで、あげくにひと航海すませれば、ポケットのなかには、銅貨じゃねえぜ、何百ポンドという金が残るんだ。そこで、たいがいのやつらはラムをくらって、だらだら遊びをして、またシャツ一枚《いちめえ》で海へ出る。
おれの流儀はそれとはちがう。あり金のこらず貯めておくんだ、こっちへ少し、あっちへ少し、疑いがかからねえように、どこへもあまりたくさんは置かねえ。おいら五十だぜ、おめえ。この航海から帰ったら、今度こそ堅気《かたぎ》のだんなになって暮らすつもりだ。まだ暇《ひま》はたっぷりある、あわてることはねえと、おめえは言いてえだろう。そりゃそうだが、おれはいままでだって、気楽に暮らしてきたんだぜ。いつだって、心に染まねえ生きかたはして来なかったし、やわらかい寝床に寝て、うまいものを食ってきた……海の上では別だがね。それでおれの振出しは何だったと思う? 平水夫だ、おめえ同様にな!」
「なるほど」と相手は言った、「だが、そうなったら今までの金とはおさらばだろ? この仕事のあとでは、ブリストルには顔をだせめえ」
「じゃ、その金がどこにあると思うね?」シルヴァはあざけるようにたずねた。
「ブリストルの、銀行やいろんなところだろ」と相手は答える。
「そのとおり」と料理番は言った。「この船が錨《いかり》をあげたときには、そのとおりだったよ。だが今ごろは、うちの女房がすっかり持ちだしているよ。それから≪遠めがね屋≫も、借地権から暖簾《のれん》、道具一式、ひっくるめて売りに出てらあ。女房はほかの土地でおれと会うことになっている。その場所は、おらあおめえを信用してるから教えてやってもいいが、ほかの仲間にやきもちやかれると困るんだ」
「それで、おかみさんは信用できるのかい?」
「金持の大だんなというものは」料理番は答える、「仲間どうしでもなかなか信用はしねえし、またそれが本当だ、よくおぼえとけよ。だが、おれにはおれのやりかたがあるんだ。仲間の者にいっぱい食わせるなんてことは……おれを知ってる船乗りの話だぜ、これは……このジョン様の住む世界でのことじゃあねえ。それは、ピュウを恐れたやつもいたし、フリントを恐れたやつもいた。またフリントはフリントで、おれを恐れていやがった。恐れてもいたが、おれを自慢してもいた。何しろフリント一味というのは、船乗りのなかでもいちばんの荒くれ男ばかりだった。悪魔だってやつらといっしょに海に出るのは恐ろしかったにちげえねえ。そこでだ、いいか、おいらはからいばりをする人間じゃねえし、おめえだっておいらがつきあいやすいことはわかってるだろう。だが、そのおれが舵をとっていたころは、フリント一味の海賊どもは、とても仔羊《こひつじ》みてえだなんて言える代物《しろもの》じゃなかったんだぜ。だからよ、このジョンおやじの船に乗ってれば、おめえも安心しているがいいんだ」
「うん、今だから言うが」と若者は答えた、「おいら、おまえさんとこうして話をするまで、この仕事にあまり気乗りがしていなかったんだよ、ジョンさん。だけど今はやるぜ、仲間に入れてくれ」
「やっぱりおめえはりっぱな若者だ、それに、のみこみも早えや」と、樽《たる》が揺れるほど力いっぱいに握手しながら、シルヴァは答えた、「おまけに、金持の大だんなにしては、おれがいままでお目にかかったこともねえほど男まえもいいぜ」
ようやくぼくにも、かれらの使っていることばの意味がわかりかけてきた。≪金持の大だんな≫というのはただの海賊のことで、それ以上でもそれ以下でもないし、ぼくがいままでぬすみ聞きした会話の一幕は、正直な水夫たちの一人が……おそらくこの船の最後の一人が……悪事にひきずりこまれる結末の場面だったのだ。だがこの点では、すぐあとでぼくはいくらか元気づけられることになる……というのは、シルヴァが低い口笛の音をさせると、第三の男が歩み寄って、二人のわきに腰をおろしたのだ。
「ディックはきまったぜ」とシルヴァが言った。
「そうか、ディックがまともなことは、おれにはわかっていたよ」と答えた声は、ボート長のイズレール・ハンズだった。「こいつはばかじゃねえからな、このディックはよ」
そうして口のなかの噛《か》みタバコをモグモグかんで、つばを吐いた。「だがな、ちょっと話がある。おめえに聞きてえと思ってたんだがな、|肉焼き《バーベキュー》。いったいおれたちは、いつまで物売り船みてえに着かず離れず、ぼやぼやしてなきゃならねえんだい? スモレット船長は、おらあ、もうたくさんだ。あいつめ、よくもおれをこき使《つか》やがったぜ、まったく! おらあ早く船室へ乗りこみてえ。やつらのつけ物だのぶどう酒だのがほしいんだ」
「イズレールよ」シルヴァが言った、「もとからそうだったが、おめえのあたまはあんまり働きがよくねえとみえるな。だが、おめえのその耳の大きさなら、せめて聞くことぐれえはできそうだ。いいか、おれの言うことはこうだ……おめえは水夫部屋で寝る、しんぼうして働く、おだやかな口をきく、そうして酒は飲まずに正気でいることだ……おいらが号令をかけるまで、そうしているんだ、な、よくおぼえとけ、若《わけ》えの」
「ううむ、それがいやだとは、おらあ言わねえぜ」ボート長は不服そうに言う。「おいらが聞きてえのは、いつなんだ、それは? それだけだよ、おいらの言い分は」
「いつだと! この野郎!」シルヴァは叫んだ。「よし、それを聞きてえと言うなら、いつだか教えてやろう。おれの手で動かせる、ぎりぎり最後のときだ。これがそのときだ、この船には一流の船乗りが乗ってる、スモレット船長だ。この人がおれたちのために、このりっぱな船を動かしているんだ。それからこの船には例の郷士《ごうし》と医者が、地図だとか、いろんなものを持って乗っている……それがどこにあるか、おいらは知らねえ、そうだろ? おめえたちだって知りゃしねえ。そこでだ、いいか、郷士と医者は、おめあての品物を見つけて、この船に積みこむところまでおれたちを助けてくれるというわけだ。そうなればこっちのものだ。もしてめえたち、ぼんくら野郎どもがあてになるとすれば、帰りの船も半分がたスモレット船長に操縦させて、そのあとでやっつけるぜ」
「だって、おれたちだって、みんな船乗りだと思うがな」ディックという若者が言った。
「みんな平水夫だ、と言いたかったんだろう」シルヴァが高飛車《たかびしゃ》に言った。「おれたちは針路にしたがって船を動かすことはできるぜ、だがその針路を誰がきめるんだ? てめえたちのようなだんな衆が、たいていしくじるのはそこのところだ。もしおれにまかしてくれるなら、おれはせめて貿易風をつかまえるところまではスモレット船長にやらせるぜ。そうすれば針路のまちがいもなく、一日に水ひとさじなんて目にあわなくてもすむんだ。だがおめえたちはそんなことで承知しねえことはわかってる。だから現物を船に積みこんだらすぐ、連中を島でかたづけちまう……ちょっとかわいそうだがな。だがてめえたちときたら、飲んだくれなきゃ、しあわせになれねえやつらだ。ちきしょうめ、うぬらのような手合いといっしょに船に乗るなんて、おらあ、胸くそがわるくってたまらねえや!」
「よしなよ、のっぽのジョン」とイズレールが叫んだ。「だれがおまえさんにさからったい?」
「ふん、考えてもみろ、おれは今までに何艘《なんそう》の大船が襲われるのを見たと思う? 何人の好い若《わけ》え者がロンドンの仕置き場で天日《てんぴ》に干されるのを見たと思う?」シルヴァは叫んだ。「それもみんな、早くやれ、早くやれで急ぎすぎた罰なんだ。おい、わかるか? おれはな、海の上のことは少しは知ってるんだぞ。ちゃんと針路を定めて、だいじをとって風の向きに進んでさえいれば、おめえたちは馬車を乗りまわす身分になれるんだ。だがそれがおめえたちにはできっこねえ! おれにゃわかってる。おめえたちは、あした、一杯のラムにありついて、そのあとは縛《しば》り首になるんだ」
「おまえさんのお説教好きは、みんな知らねえ者はねえよ、ジョン。だが、おまえさんに負けずに帆も巻けば舵も取れる男はほかにもいたぜ」とイズレールが言った。「そういう連中はおまえさんと違って陽気だった。遊ぶのが好きで、分別くせえことは言わなかった。陽気な船乗りらしく、はでに遊んだものだったぜ」
「そうかよ?」シルヴァは言った。「それで、やつらはいまどこにいる? ピュウはそういうやつだったが、乞食になって死んだ。フリントもそうだったが、サヴァンナでラムを飲んでくたばった。そうとも、みんな、たいした船乗りだったぜ! ただ、やつらはいまどこにいるんだい?」
「しかし」とディックがきいた、「おれたちが敵をやっつけたとき、いったいやつらをどんなふうに扱うのかね?」
「えらいぞ、さすがはおれが見込んだだけあらあ!」料理番は感心して叫んだ。「仕事は、そう来なくちゃならねえ。そこで、おめえたち、どう思う? 島流しあつかいにして、岸へ捨ててくるか? それなら、イングランドのやりくちだ。それとも豚肉なみにたたっ切るのか? それならフリントか、ビリー・ボーンズのやりくちだ」
「ビリーなら、そいつはお手のものだ」とイズレールが言った。「『死人はかみつかねえ』と、いつも言ってたっけ。やっこさんもいまじゃ死んじまったから、かみつくかかみつかねえか、わかったろう。まあ、あの世へ行った海の荒くれ男といえば、ビリーがいちばんだろうな」
「そのとおりだ」とシルヴァは言った。「荒っぽくて、気が短かったな。だが、ここで言っとくがな。おれはつきあいやすい男だ……ごくおとなしい紳士だと、おまえたちは言うが、今度という今度はしんけんだぜ。義務は義務だ、なあ兄弟《きょうでえ》。おらあハッキリ投票するぜ……殺せ、とな。おれが国会議員さまになって、四輪馬車を乗りまわしてるときに、いま船室にいる口やかましい連中の一人でも帰ってこられるのはいやだからな……お祈りの最中に悪魔がひょっこり顔をだすようなものだ。いまおれが言うのは、待て、のひと言《こと》だ。だが時が来たらおれは言うぜ、やっつけろ! とな」
「ジョン」とボート長は言った、「やっぱりおめえは男だ!」
「まあそのときになってから、そう言うがいいや、イズレール」とシルヴァが言った。「一つだけ、おれにも望みがある……トリローニだ。おれはこの手で、野郎の間抜け頭を、胴体からねじり取ってやるんだ。ディックよ!」息をつまらせながら、「おめえ、好《い》い子だから、ちょいととびあがって、リンゴを一つおれに取ってくれ、のどがかわいちまった」
ぼくの狼狽《ろうばい》ぶりを、読者よ、ご想像ねがいたい! もしその力があったら、樽《たる》からおどり出て、逃げだしているところだったが、脚も心臓もすくんで、いうことをきかなかった。ディックが起きあがろうとするらしい音が聞こえた。が、そのときだれかがかれを止めたらしく、ハンズの叫ぶ声がした。
「おい、よせよ! そんな樽のなかの物なんかに手をだすなよ、ジョン。それよりラムを一杯、いこうじゃねえか」
「ディックや」とシルヴァが言った、「おめえを信用してたのむぜ。樽の上に、はかりが置いてある。これが鍵だ。小どんぶりに一杯、持ってきてくんねえ」
おびえきってはいたが、ぼくは腹のなかで、なるほど、アロウさんが身をほろぼすもとになった強い飲みものを手に入れたのも、こんなことだったにちがいない、と合点《がてん》した。ディックがその場をはずしていたのは、ほんのわずかの間だったが、そのあいだにイズレールは料理番の耳に口をつけてささやいた。ぼくが聞きとれたのは、ほんの一語か二語だったが、そこからあるたいせつな事実を知った。というのは、同じような意味のほかのことばの切れっぱしといっしょに、次のような文句が聞きわけられたからだ……「ほかには一人もこっちへつくやつはいねえぜ」
してみれば船には、まだ忠実な者が幾人かいるのだ。
やがてディックがもどって、三人は順番に小どんぶりを手に取って飲んだ……一人が「幸運を」と言えば他の一人が「フリントおやじのために」と言い、最後にシルヴァの、歌うような調子で言うのが聞こえた。「みんなのために、しっかりやろうぜ。獲物たっぷり、腹いっぱいだ」
ちょうどそのとき、樽《たる》のなかのぼくの頭上に何か明るさが落ちかかったのを感じて見あげると、月がのぼっていて、後檣のてっぺんを銀色に染め、前檣帆《トプスル》の前縁が白く光っていた。そしてほとんどそれと同時に、見張りの者の叫ぶ声がした。「陸地だよお!」
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第十二章 戦略会議
甲板には足音が入りみだれた。船室からも水夫室からも人びとの駆けあがる音が聞こえた。すばやく樽からすべり出たぼくは、前檣帆《ぜんしょうはん》のうしろへもぐりこみ、くるりと船尾のほうへまわり、甲板の広いところへ出ると、ちょうどハンターとリヴジー先生とが風上の船首へ向かって走るのといっしょになった。
甲板には乗り組みの者が、もうみんな集まっていた。ひと筋《すじ》の帯のような霧は、月の出とほとんど同時にはれあがっていた。
南西の方角に、二つの低い丘が、三キロぐらいの隔たりで立っているのが見え、その一つのうしろに第三の、もっと高い丘があって、その頂《いただき》はまだ霧にかくれていた。三つともけわしく、円錐形《えんすいけい》をしている。
これだけのことを、ぼくはほとんど夢ごこちで見たのである。一、二分前の、あの身の毛のよだつ恐怖から、ぼくはまだ気をとりなおしていなかったのだ。
するとそのとき、ぼくはスモレット船長の命令をくだす声を聞いた。ヒスパニヨラ号は二ポイントばかり風上へ針路を変え、いま島の東側すれすれのところを通過するように進んでいた。
「そこで、みんなに聞くが」と、船長は、帆がじゅうぶんに張られたところで、言った、「だれか、あの陸地を見た者があるか?」
「わしが見ました」とシルヴァが言った。「貿易船の料理番をしていたときに、あすこへ水くみに行きましたぜ」
「碇泊《ていはく》地は南側の、小島の陰だったようだが?」
「そうです、船長。骸骨《がいこつ》島と、みんな呼んでます。むかしは海賊の根城《ねじろ》になっていて、わしらの船にいた船員の一人が、島のあちこちに海賊どものつけた名をみんな知っていましたよ。北のほうの丘が≪前檣《ぜんしょう》山≫てんで、三つの丘が南へ向かって一列に並んでます……だから前檣、大檣、後檣とつけたんでさあ。ですが大檣山は……ほら、いま雲がかかってる大きな山ですがね……あれは普通、≪遠めがね山≫と呼んでいます、碇泊《ていはく》所で船の掃除をするときに、あすこに見張りをおいたところから、そう呼んだんで。よけいなことですが、あすこがつまり、やつらの船を掃除した場所でしてね、船長」
「ここに地図がある」スモレット船長が言う。「あれがその場所か、見てくれ」
地図を受け取りながら、のっぽのジョンの目が燃えるようだった。だが、その紙がま新しいものだったので、かれががっかりするにきまっていることが、ぼくにはわかった。これはビリー・ボーンズの荷物箱のなかに見つけた地図ではなく、それの正確な写しで、何から何まで……地名も、高度も、水深も……完全に書きこんであるが、ただ例の赤い十文字の印と注意書きだけは除いてあるのだ。
シルヴァは、よっぽどむしゃくしゃしたにちがいないが、それをけぶりにも見せないだけの胆《きも》のふとさが、かれにはあった。
「さようで、船長」と、かれは言う、「たしかにここです。よくまあ、きれいに描いてありますねえ。いったい、だれが描いたんでしょう? 海賊どもは学がねえから、とてもだめだ。そうだ、ここです……≪キッド船長の碇泊《ていはく》地≫か……たしかだ、その船員もそう言ってましたぜ。南側にそって強い潮流があって、それが西海岸を北へ流れています。やっぱり、船長、おさしずのとおり、船を風上へ向けて、島の風上にいるようになすったのは、ようがしたな。とにかく、船を入れて船底の手入れをなさるおつもりなら、この近海にこれ以上の場所はありませんや」
「ありがとう、シルヴァ」とスモレット船長は言った。「いずれまた、手助けをたのむときがあるだろう。さがっていい」
ぼくは、ジョンがこの島を知っていることを平気で認めたのにはおどろいた。そして、そのかれがぼくのそばへ寄ってきたのを見て、うすきみわるくなったことを白状する。
もちろん、ぼくがリンゴ樽《だる》のなかで秘密会議のもようを聞いてしまったことを、かれは知らないはずだが、そのときのぼくはもう、かれの残忍さ、腹黒さ、水夫たちを支配する力などの恐ろしさが身にしみていたから、やつがぼくの腕に手をかけたときには思わず身ぶるいが出るのを隠せないほどだった。
「おい」とかれは言う、「ここはいいところだぜ、この島は……若い者が上陸するにはもってこいの場所だ。水あびも、木のぼりも、山羊《やぎ》狩りもやれるぜ。おまけに自分が山羊になったように、あの山の高みへものぼれらあ。なんだか、おれでせえ若返ったようだ。この材木脚《ざいもくあし》のことも忘れちまいそうだぜ。ほんに若くって、足のゆびが十本そろってるってのは、うれしいことだぜ、よくおぼえときな。おめえが遠出をしたくなったら、ジョンおじさんにたのみな、弁当をこしらえて持たしてやるぜ」
そうして、いかにも親しそうにぼくの肩をたたいて、ひょこひょこと船首のほうへ、そして下へおりていった。スモレット船長に郷士さん、リヴジー先生の三人は、後甲板で相談していた。
ぼくは自分の知っていることを三人に話したくてたまらなかったが、おおっぴらに相談にわりこんでゆく勇気は出なかった。
何かうまい口実はないかとしきりに考えていると、リヴジー先生がそばへぼくを呼び寄せた。先生はパイプを下へ置いてきたので、タバコなしではがまんができず、ぼくに取ってこさせようと思ったのだ。
だが、そばへ寄って、だれにも聞かれる心配はないと見てとるとすぐに、ぼくは一気にしゃべった……「先生、お話があります。船長と郷士さんを船室へつれていって、それから何か用があるふりをして、ぼくを呼んでください。恐ろしいことを聞きこんだんです」
先生の顔色が少し変わった、が、次の瞬間には、なんでもない顔つきになった。
「ありがとう、ジム」とわざと大声で、「そのことを聞きたかったのだ」と、何かぼくに質問をしたふりをして言った。
そしてすぐにぼくに背を向けて、ほかの二人との話に加わった。三人は少しの間、話をしていたが、だれも身ぶりでおどろいた様子をしたり、もちろん声を高くしたり口笛を吹いたりもしなかったけれど、リヴジー先生がぼくの頼みをつたえたことは、はっきりわかった。なぜなら、その次にぼくの耳にしたのは船長のジョブ・アンダソンへの命令で、乗り組み全員は甲板に呼び集められたからだ。
「おまえたち、みんなにわしから話がある」とスモレット船長は言った、「いま見つけた島こそ、われわれの航海の目的地じゃ。トリローニさんは、みんなの知っとるとおり、たいそう気まえのいいおかたで、いましがたわしに一つ二つ質問をされ、それに対してわしが、船中の者は上下ともによく義務をつくし、わしとしてこれ以上を望めんくらいであったと、お答えすることができた……それによって、トリローニさんとわしと医師さんとはこれから船室へおりて、おまえたちの健康と幸運とのために乾杯することになったので、おまえたちにも水割りラムを出させて、わしたちの健康と幸運のために飲んでもらいたい。これについて、わしの考えを言おうならば、これはあっぱれなおはからいじゃと思う。そこでみんなもわしと同じ考えなら、こうはからってくださったおかたのため、万歳《ばんざい》をとなえてもらいたい」
つづいて万歳の声がおこった……これはもちろんのことだ。だが、その声がいかにもせいいっぱいの、心のこもった響きをもっていたので、この同じ男たちがわれわれの血を流そうとたくらんでいるとは信じられないような気がしたことを、ぼくは告白する。
「もう一つ、スモレット船長の万歳だ」のっぽのジョンが、最初の万歳の声が消えたとき、叫んだ。そして今度も、心のこもった声でとなえられた。
その声に送られるようにして三人のだんながたは下へおりてゆき、それからほどもなく、ジム・ホーキンズに船室で用があるとの命令が前甲板へつたえられた。
行ってみると、三人はテーブルをかこんで席につき、テーブルにはスペインぶどう酒の壜《びん》と干しぶどうが置かれ、リヴジー先生はかつらをひざに、しきりにタバコをふかしていたが、これは先生が興奮している証拠だった。
あたたかい晩だったので船尾の窓があけてあり、船の航跡に月の光がきらめいているのが見られた。
「ではホーキンズ」と郷士さんが言った、「何か話があるそうだな。話しなさい」
命令にしたがって、できるだけ手短かに、シルヴァの話の内容をすっかり話した。
話し終わるまでだれも口をはさまず、また三人のうち一人も身動きさえせず、はじめからしまいまでぼくの顔に目をすえていた。
「ジム」とリヴジー先生が言った、「腰をかけなさい」
そして三人はぼくを席に加わらせ、ぶどう酒をつぎ、またぼくの手に干しぶどうを握らせ、そして三人でかわるがわる、しかもめいめいおじぎをしてから、ぼくの健康を祝し、またぼくの幸運と勇気のために乾杯してくれた。
「さて、船長」と郷士さんは言った、「あんたの言われたのが正しく、わしがまちがっておった。わしは自分のあほうじゃったことを認め、あんたの命《めい》を待ちますぞ」
「あほうはわしも同じことですよ、トリローニさん」と船長は答えた。「謀叛《むほん》をたくらんでいる乗り組みの者が、事をおこす前になんの形もみせんなどとは、聞いたこともありませんわい。かりにもめだまがあったら、その危害に気がついて、それに応じた措置《そち》をとるはずです。ところがこの船のやつらは、まんまとわしに一杯くわせおった」
「船長」と先生が言った、「ごめんをこうむって言わせてもらえば、それはシルヴァのやつですよ。いや、たいした男だ」
「帆桁《ほげた》からつるしてやったら、たいした好いかっこうでしょうよ、先生」と船長は答えた。「しかし、これは話のうえのことで、なんの役にもたちません。わしは三つか四つ、気づいたことがあります、トリローニさんのお許しを得て、それを話させていただきましょう」
「あんたが船長じゃ。あんたにこそ話してもらわにゃならん」トリローニ氏は船主らしくおうようにかまえて言った。
「第一点は」とスモレット氏は話しだした。「わしらは進むほかありません、ひき返すことはできんのですから。針路を変えろとでも命じようものなら、かれらはただちに暴動をおこすでしょう。第二点、われわれにはまだ時間があります……少なくとも、例の宝なるものが見つかるまでは。第三点、水夫どものなかには忠実な者がおります。さて、おそかれ早かれ、ひと騒ぎなくてはすみませんから、わしが提案いたしたいことは、諺《ことわざ》にも言うとおり、機会の前髪《まえがみ》をとらえて、かれらがまったく予期しておらないある日とつぜんに、打撃を加えることです。トリローニさん、あなたのお連れになった召使いたちはあてにしてよいと思いますが、いかがです?」
「わしの手足も同様じゃ」と郷士さんは断言した。
「三人」と船長は数えた、「われわれ、ここにおるホーキンズを加えて、あわせて七人。そこで、正直な水夫どもですが?」
「トリローニが自分で雇い入れた者はたいていよかろう」先生が言った。「シルヴァに出会う前に見つけた連中だ」
「いいや」と郷士さんは答えた、「ハンズはわしが雇うた一人だ」
「わしもハンズは信頼できると思うとりました」船長もそばから言った。
「しかもそれがみんなイギリス人じゃとは!」郷士さんは叫んだ、「わしはこの船を大砲で粉微塵《こなみじん》にしたいくらいだ!」
「とにかく、ご両所」船長は言った、「さしあたり、わしに申せることは、あまりありません。じっとしんぼうして、鳴りをしずめていることです、そうしてゆだんなく見張っておること。男として、つらいことはわかっています。いきなりたたき伏せるほうが愉快は愉快でしょう。しかしだれだれが味方か、わかるまでは、やってはならないことです。じっとこらえて、風待ちをする、それがわしの考えです」
「このジムはだれよりも役にたちますぞ」と、先生が言った、「乗組みの者はジムにはきがねをせんし、この子はなかなかよく気がつくから」
「ホーキンズ、わしはおまえに絶大な信用をおいとるぞ」と郷士さんがそばから言った。
こう言われて、ぼくはひどくせつない気持ちになりかけた、自分には何もできそうもなかったからである。
ところが、その後の奇妙ななりゆきによって、一同の安全がもたらされたのは、事実、ぼくのてがらだったのだ。
だが、それはさきの話、さしあたっては、いくらみなで話しあっても、ぼくたちが信頼できるとわかったのは、二十六人のうち、わずか七人しかいなかった。そしてこの七人のうち一人はこどもだから、おとなでは敵の十九人に対し、味方は六人というわけだった。
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第三部 ぼくの陸上での冒険
第十三章 陸上での冒険の発端
翌朝、ぼくが甲板へ出たときの島の様子は、すっかり変わっていた。風はまったく凪《な》いでいたけれども、船は夜のうちにひじょうに進んで、いまは島の低い東海岸の南東八百メートルほどのところに、じっと止まっている。
島は、表面の大部分、灰色をした森におおわれている。その単調な色彩に変化をつけているのは、低地にある幾条《いくすじ》かの黄いろい砂地と、ほかの木々よりも高くそびえている多くの松柏《しょうはく》科の樹木……一本だけのもあり、数本が群れをなしているのもある……とであるが、しかし全体の色調はやはり単調で、陰気である。
その森林のなかから、山やまがくっきりと、その裸の岩を尖塔《せんとう》のように見せて、そそり立っていた。どの山も奇怪な形をしており、なかでも他の山より百二、三十メートル高く、島では最高の≪遠めがね山≫は、形状もまた同様に最も奇怪で、ほとんどあらゆる方向から険しくそびえ立ち、そして頂《いただき》へ来て急に、まるで彫像を置く台座のように切り取られている。
ヒスパニヨラ号は、大洋のうねりのなかで、排水孔《はいすいこう》が水の下へくぐるほど横揺れしていた。帆の下桁《したげた》は滑車をはげしくひっぱっているし、舵は右に左に音たててぶつかるし、船ぜんたいもきしみ、うめき声をあげ、おどりあがって、まるで何かの工場みたいだ。
ぼくは後支索にしっかりしがみついているほかはなく、ぼくの眼前で世界がめまいをしそうにぐるぐると回転した。ぼくも船が進行しているときには相当に船に強かったのだが、こうして止まったまま壜《びん》かなんぞのようにころげまわる船というものはいままでに覚えがなく、とてもはきけをもよおさずにいられなかったし、しかも朝の起きぬけ、空《す》き腹では、なおさらのことであった。
たぶん、そのためだったろう……あるいはまた、あの灰色の、ゆううつな森や、荒あらしくとがった岩山や、険しい岸に打ちよせる怒涛《どとう》のあわだつさまやすさまじいとどろきのためでもあったろう……少なくとも、太陽は明るく熱く照りわたり、ぼくたちのまわりでは磯の鳥が魚をあさったり、なきかわしたりしていたけれども、そうして長い航海のあとで上陸するのを喜ばぬ者はないはずと、だれしも思うであろうけれど、ぼくの心は、よくたとえにもいうように、靴《くつ》のなかへ落ちこみそうに沈みこんでいた。そして、あのとき初めて前方にそれをながめたときから、ぼくは≪宝島≫のことを考えるさえいやな気持ちだった。
そのあと、われわれにはうんざりする朝の仕事が待っていた。風が少しでも吹く気配《けはい》はなかったので、ボートをおろして水夫を乗りこませ、船を引き綱で五、六キロも引いて、島の岬《みさき》をまわり、骸骨《がいこつ》島のうしろの碇泊所《ていはくじょ》まで、狭い水道を進まねばならなかったからである。
ぼくはボートの一隻にたのんで乗り組ませてもらったが、もちろんぼくにはべつに仕事はなかった。
たまらない暑さなので、水夫たちはこの仕事にはげしい不平を並べたてた。ぼくのボートの指揮をしたのはアンダソンだったが、乗組みの者をおとなしくさせるどころか、だれよりもひどく不平を言った。
「まあいいや」とかれは悪態《あくたい》といっしょに言った、「どうせいつまでもこれがつづくわけじゃねえ」
これはたいへんよくない兆候《ちょうこう》だ、とぼくは思った。その日までというもの、船員たちはかなりてきぱきと、進んでめいめいの仕事をやってきた。それなのに、島を見ただけで、規律の手綱《たづな》がゆるんでしまったではないか。
碇泊所《ていはくじょ》へはいってゆくあいだ、のっぽのジョンはずっと舵手《だしゅ》のわきに立って、舵《かじ》とりの指揮をしていた。かれはこの水道を自分のてのひらのように知っていた。水深を測っている水夫が、どこでも海図に記してあるよりも深いと報告したが、ジョンはただの一度もためらわなかった。
「引き潮で、底の泥が強く洗われるんだ」とかれは言った、「だからここの水道は、言ってみれば鋤《すき》で掘られたようなもんだよ」
われわれは図面に錨《いかり》の描いてある、ちょうどその場所に碇泊した。一方が本島、他方が骸骨《がいこつ》島で、そのどちらの岸からも五百メートルほど離れていた。海底はきれいな砂だった。錨が投げこまれると、鳥の群れが雲のように飛びたって、森の上をなきながら旋回した。だが一分とたたないうちに、また舞いおりて、あたりはもう一度、静かになった。
そこはまったく陸地にかこまれ、森におおわれた場所で、樹木が岸の高潮線のあたりまではえており、浜辺はほとんど平地で、山の頂《いただき》はこちらに一つ、あちらに一つと、離れたところに円形劇場のように取り巻いている。ふた筋の川、というよりも、二つの沼が、この碇泊《ていはく》地……それを池と呼んでもいい……へ流れこんでいる。そしてそのあたりの岸辺をとりまく木々の葉の茂みには、一種、どくどくしいまでのかがやきがあった。
船からは、家も、柵《さく》らしいものも見えない……それらはすっかり木々のなかに埋もれているからだ。そして、もし船室昇降口にあの地図がなかったとしたら、われわれはこの島が海の上にすがたをあらわして以来、最初にここに錨をおろした者たちだとでも思いかねないであろう。
風はそよとも動かなかったし、一キロ離れた浜辺にそって外海の岩に当たってくだける白波の音を除いてはなんの物音もなかった。何か異様に、よどみくさった臭気が、この碇泊地を包んでいた……水にひたった木の葉や、くさった樹幹の臭いである。リヴジー先生が、くさった卵をたべた人のように、しきりに鼻をくんくん鳴らしているのを、ぼくは見た。
「わしは宝のことは知らんが」と先生は言った、「この島に熱病のあることは、このカツラを賭けてもいいぞ」
ボートのなかでの水夫たちの行動が警戒を要するものだったとすれば、かれらが船へもどったときのそれはほんとうに険悪《けんあく》なものになった。かれらは甲板に寝ころんで、何かぶつぶつつぶやきあっていた。ごく簡単な命令にもきげんのわるい顔つきで、いかにもいやいやらしく、そんざいに仕事をした。忠実な者たちまでがそれに感染したらしくて、一人として他の者の態度を改めさせようとする者がなかった。暴動が、雷雲のようにわれわれの頭上にわだかまっていることは、もはや明らかだった。
そして、危険に気づいた者は、ぼくたち、船室の連中だけではなかった。のっぽのジョンは、あちらの一団からこちらの一団と、水夫たちのあいだをせっせと動きまわり、熱心に忠告をあたえることで骨身を惜しまなかった。水夫たちの手本として、かれ以上のものはなかった。仕事熱心と態度のよいことでは、いままでのかれにも見られなかったほどだ。だれにでもにこにこ顔をみせていた。何か命令が出ると、このうえもなく朗らかに、「へい、へい、承知!」と答えて、即座に松葉杖をかいこんで動きだす。そして何もすることのないときは、まるでほかの者たちの不満をかくそうとするかのように、次から次へ歌をうたっていた。
あのぶきみな午後のぶきみな有様のなかでも、のっぽのジョンがこうして何か心配でたまらぬらしい様子をはっきり見せていることが、何よりもきみがわるかった。われわれは船室で会議をひらいた。
「ここで無理をしてわしが命令をだしたら」と船長が言った、「船じゅうの者がいっぺんにあばれだすでしょう。おわかりですな、これが実情です。何か言えば、荒っぽい返事がかえってくるでしょう。そこでわしが言い返したら、いきなり手槍《てやり》が飛んでくる。また言い返さなかったら、シルヴァのやつが、これは何かわけがあるなと感づくでしょう。そうなれば万事休すです。さて、われわれがたよりにできる男が、たった一人います」
「それはだれじゃね?」と郷士さんがきいた。
「シルヴァですよ」と船長は答えた。「あの男は、あなたやわしと同じに騒動をもみ消そうと本気で心配しています。いまの騒ぎは、ほんのちょっとした不平からのものです。機会さえあれば、シルヴァならすぐにみなを説きふせて、なだめてしまうでしょう。わしの提議するのは、その機会をあの男にあたえることなのです。連中に、午後の上陸をゆるしてやろうではありませんか。かれらがみな行ってしまったら、船にたてこもって戦いましょう。かれらが一人も行かなかったら、よろしい、そのときは、船室を守って、あとは正しい者を守ってくださる神におまかせするのです。もし一部の者が行くとすれば、約束してもよろしい、シルヴァはきっとやつらを子山羊《こやぎ》のようにおとなしくして船へ連れもどりますよ」
そういうことに話はきまった。弾丸《たま》をこめたピストルが、確かな味方の全員に手渡された。ハンター、ジョイス、レドルースの三人には秘密をうちあけたが、予期したほどの驚きもなく、また予期以上に元気で三人はその知らせを受け取った。やがて船長は甲板へ出て、乗り組みの者に言いわたした。
「みなの者」とかれは言った、「きょうは暑い一日だった。みんな疲れて、元気がない。ひとまわり、陸地を歩いてきても、だれの迷惑にもならん……ボートもまだ水のなかにあることじゃし、あれを使って、行きたい者は幾人でも上陸してよろしい。日没の半時間前になったら、一発、銃声で知らせることにする」
ばかなやつらで、自分たちが上陸すれば、すぐに宝に蹴《け》つまずいて、向こう脛《ずね》にけがでもしそうに思ったにちがいないのだ。その証拠に、みんなは、またたく間にぶっちょうづらをにこにこさせて、遠くの山にこだまするほどの万歳のさけびをあげたので、鳥たちはもう一度飛び立って入江のまわりをなきながら輪をかいた。
船長は機敏だったから、その辺にまごまごしてはいなかった。上陸組のせわはシルヴァにまかせ、自分はさっさとすがたを消してしまったが、それでよかったのだとぼくは思う。もし船長が甲板に残っていたら、それまでのように事態に気がつかないふりをしてはいられなかったろう。まったく白日《はくじつ》のように明白な事態だったのである。
シルヴァこそは船長であり、強力な、反抗的な部下をかれは握っていた。正直な乗組員たち……事実そういう連中がいることがまもなくわかった……はひじょうに愚かな者ばかりだったにちがいない。
いや、むしろ実のところは次のようなことだったらしい……つまり、首謀者《しゅぼうしゃ》の態度を見ならって、全部の水夫たちが謀叛気《むほんぎ》を抱くようになっていた……が、問題はただその程度が、強い者と弱い者とがあった。そうして少数の者が、本来善良な男たちだったので、それ以上ひきずられたり駆りたてられたりはしなかった。怠けて仕事をずるけることと、船を掠奪《りゃくだつ》し、罪もない人びとを殺すこととは、まるでべつのことなのだ。
だが、とうとう上陸隊は編成を終わった。六人の者が船に残り、あとの者、シルヴァを含めて十三人が、ボートに乗り移りはじめた。
そのときだった、あとになってぼくたちの生命を救うのにたいへん役にたった向こうみずな思いつきの最初のものが、ぼくのあたまに浮かんだのは。
もし、六人の男たちがシルヴァのさしずで残されたものならば、われわれ味方の者が船を乗っ取って、船を根城にしてたたかうことができないのは、明らかだ。また一方、残っているのがわずか六人であるから、船室組にとってさしあたりぼくの手助けが必要でないことも、同様に明らかだ。
よし、上陸してやろう、という考えが即座に浮かんだ。すぐに舷側《げんそく》をすべりおりて、いちばん近くのボートの舳《へさき》の席にもぐりこむ、ほとんど同時にボートは本船を離れた。
だれもぼくに気づく者はなく、舳でこいでいた水夫が、「なんだ、おめえか、ジム? あたまを下げてろよ」と言っただけだった。だがシルヴァはさすがにほかのボートからめざとく見つけて、そこにいるのはジムかと声をかけた。その瞬間からぼくは自分のしたことを後悔しはじめた。
ボートはたがいに先をあらそって浜辺へ進んだ。だがぼくの乗っていたボートが、こぎだすのも少し早かったし、おまけに軽いのと、こぎ手がよいのとで、相手よりもずっと先に出て、舳《へさき》が岸にはえている木々のあいだに突っこむが早いか、ぼくは枝につかまって身をおどらせ、近くの茂みのなかへとびこんでしまった……シルヴァとその仲間のボートは、まだ百メートルもおくれていた。
「ジム! ジム!」
ぼくはシルヴァの叫ぶのを聞いた。だがぼくがふり向きもしなかったのは、読者もおわかりのことだろう。とんで、もぐって、枝をかきわけて、ひた走りにぼくは走った、これ以上走れなくなるまで走りつづけた。
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第十四章 第一撃
のっぽのジョンをまいたことですっかり気をよくしたぼくは、ついこどもらしい、楽しさを追う気持ちが出て、自分のはいりこんだこの見知らぬ土地に興味をおぼえながらあたりを見まわした。柳だの、蒲《がま》だの、その他の沼地に特有の、奇妙で異国ふうな樹木のいっぱいはえた泥の深いところを渡ってから、波のように起伏の多い広い砂地のはずれへ出た。
その砂地は長さ千六百メートルほどで、松の木がてんてんとあり、ほかに大きさは樫の木とあまり違わないが、葉の色は薄青くて柳に似ている、幹のひどくねじれた木が、いちめんにはえていた。この砂原のずっと向こうに例の山の一つがそびえ、そのおかしなごつごつした形の二つの峰が、日の光を受けてギラギラとかがやいた。
ぼくは今はじめて探険というものの喜びを感じた。
ここは無人島である。船の仲間はずっとうしろに残してきたから、ぼくの前方には、ものいわぬ獣《けだもの》や鳥のほか生きものはいない。あちこちに名の知れぬ花をつけた植物がある。またそこにもここにも蛇がいて、なかには岩の棚から鎌首《かまくび》をもたげ、ちょっと独楽《こま》のまわるのに似た音をたてて、ぼくをおどした。その蛇が生命にかかわる恐ろしい敵であり、あの音が有名なガラガラ蛇の名のあるゆえんだとは、ぼくには思いもよらなかった。
やがてぼくは例の樫《かし》のような木……常生樫《ライヴ・オーク》とか常緑樫とかいう名だと、後に聞いたが……の茂みが長くつづいているところへ来た。それは茨《いばら》がむらがるように低く砂地をはって伸び、枝は奇妙なかっこうにねじれ、葉は屋根を葺《ふ》いたように密生していた。とある砂丘の頂から下へ伸びている茂みは、伸びるにしたがって枝をひろげ、たけも高くなって、広い、葭《よし》の多い沼の縁まで達している。その沼のなかから、いちばん近くの小川が細ぼそと流れて、われわれの船のいる入江に注いでいる。広い沼地は強い日ざしに照りつけられて水蒸気をたて、その靄《もや》をすかして遠めがね山の輪廓がふるえて見える。
にわかに、蒲《がま》の茂みの中がざわざわしだした。野鴨《のがも》が一羽、グワッとないて飛び立ち、つづいてまた一羽、そしてたちまちのうちに沼地の上いちめんに、大きな雲のように鳥の群れが空をおおって、なき叫びながら旋回した。すぐにぼくは、だれか船の者たちが沼地の縁に近づいたのだと判断した。案のじょう、まもなくずっと遠くで、低いが、たしかに人間の声が聞こえ、なおも耳をすませていると、声はしだいに大きく、近くなった。
このため、ぼくはひどく恐ろしくなり、すぐ近くの常生樫《ライヴ・オーク》の茂みの下へはいりこんで、二十日鼠《はつかねずみ》のようにうずくまり、ひっそりと、聞き耳をたてていた。
べつの声が答えた。すると最初の声が……それがシルヴァの声であることは、もうぼくには聞きわけられた……また話のつづきをはじめ、ずいぶん長いあいだ水の流れるようにしゃべりつづけ、相手はときどき短く口をはさむだけだった。その口調《くちょう》から察して、よほど熱心に、というよりもむしろけんかごしで話しあっているらしかったが、はっきりしたことばは一つもぼくには聞きとれなかった。
そのうちに話の主《ぬし》たちは立ち止まったらしく、たぶん腰もおろしたらしかった。なぜなら、かれらの話し声が近づくのをやめただけでなく、空に舞っていた鳥たちも静かになり、やがて沼地のもとの場所におちつきはじめたからである。
そしてようやくぼくは、自分が任務をおろそかにしていたという気がしてきた。自分が、こういうならず者たちといっしょに上陸するような向こうみずをしてしまったからには、せめてかれらの相談をぬすみ聞きでもするほかに、ぼくにできることはないではないか。したがって、いまの自分のわかりやすい明白な義務は、この低く地面をはっている木々を好都合な隠れ場所として、できるだけかれらに近づくことだ……そうぼくは考えた。
かれらの声ばかりでなく、いまでも少数の鳥たちが侵入者たちの頭上で不安そうに飛びまわっていることからも、ぼくはかれらのいる方向をかなり正確に知ることができた。
四つんばいになって、ぼくはかれらのほうへ、たゆみなく、だがのろのろと進んだ。しばらくして頭をもちあげ、葉のすきまへ顔を寄せると、沼地の横に緑の小さな低地があり、樹木がかたまってはえているのを、はっきり見おろすことができた。そこに、のっぽのジョン・シルヴァともう一人の乗組員とが向かいあって立ち話をしているのだ。
日ざしがいっぱいに二人の上に落ちている。シルヴァは帽子をかたわらの地面に投げだし、その大きな、ひげのない白い顔を熱気で光らせながら、何ごとかをうったえるように相手の顔をまともに見すえている。
「兄弟《きょうでえ》」とかれは言っていた、「これというのも、おれはおめえを、砂金《さきん》のように思ってるからだぜ……砂金のようにたいせつによ、おぼえといてくれよ! おめえにほれこんでいなかったら、こうしてここで危ねえことを教えたりすると思うか? みんなきまったんだ……こうなったら変えるわけにはいかねえ。おれが話してるのは、おめえの首をつなげといてやりてえからだぜ、あの命知らずのやつらにこれが知れてみろ、おれはどうなると思う、トム……な、教えてくれ、どうなるんだよ?」
「シルヴァ」と相手の男は言った……そしてぼくの見たところ、かれは顔に血のけがないばかりでなく、まるでカラスのようなしゃがれ声で、おまけに張りつめた綱のようにふるえ声だった……「シルヴァ、おめえは年上でもあるし、正直者だ……とにかくそういう評判だ。それからたいていの船乗りは一文なしなのに、金もある。おまけに胆っ玉も太《ふて》え、とにかくおれはそう思ってる。そういうおめえだから、教えてもらいてえんだが、どうしてあんなろくでなしどもの仲間にひきずりこまれるんだ? おめえらしくもねえ! そうして神さまもご覧のとおり、このおれは片手を取られたほうがよっぽどましだ、そんな、おれが義務にそむくくれえなら……」
そのとたんに、何かの物音にかれはさえぎられた。正直な乗組員が一人いることをぼくが知ったばかりなのに……そうだ、このとき、それと時を同じくして、他の一人について知ることになったのだ。
沼地のずっと向こう端で、突然、何か怒号《どごう》のような大声がひびいたかと思うと、すぐそれにつづいてべつの声が聞こえ、そしてまたひと声、ぞっとするような、ながく尾をひく悲鳴があがった。遠めがね山の岩にそれが反響して、およそ二十度ばかりもこだまが聞こえた。沼の鴨たちはいっせいに、空を暗くして飛び立ち、その羽音があたりにはためいた。そうして、あの断末魔の絶叫がまだぼくの頭のなかでひびきを残していたときから、ずっと後になってようやく静寂《せいじゃく》がふたたびあたりを支配し、ふたたび舞いおりてきた鳥たちの羽音と、遠い潮騒《しおさい》とのほか、午後のけだるさを乱すものは何もなかった。
トムはその物音で、拍車をかけられた馬のようにおどり立ったが、シルヴァのほうはまたたき一つしなかった。かれは軽く松葉杖によりかかって、もといた場所に立って、獲物にとびかかろうとする蛇のように仲間をみまもっていた。
「ジョン!」トムと呼ばれた水夫は、片手をさしのべながら言った。
「さわるな!」とシルヴァは叫んで、一メートルほどとびさがったが、そのすばやさと確実さは練習を積んだ体操選手のようだと、ぼくには思えた。
「いやなら、さわらないよ、ジョン・シルヴァ」と相手は言った。「おまえがおれをこわがるとすれば、それはおまえの良心が病《や》めるからだろう。だが、教えてくれねえか、いまのあれはなんだった?」
「あれか?」にやにや笑いながらシルヴァは答えたが、その目はますます用心ぶかく、大きな顔のまんなかに針の先ほど小さかったが、ガラスのかけらのようにギラギラ光っていた。「あれかね? ふん、あれはたぶん、アランだろう」
これを聞いておとなしいトムが、勇士のように激怒《げきど》した。
「アランだと!」かれは叫んだ。「では、正しい船乗りとして、神よ、かれの魂を安らかに。それから、おめえはな、ジョン・シルヴァ、長いあいだおれとは仲間だったが、これからはもう仲間じゃねえ。たとい犬のようにみじめに死んでも、おれは義務を果たしながら死ぬぜ。おめえがアランを殺したんだな? よし、殺せるなら、おれも殺せ。だがおれはもうおめえを相手にしねえぞ」
これだけ言って、この勇ましい水夫は料理番にくるりと背を向け、浜辺に向かって歩きだした。だが、あまり遠くまでゆける運命ではなかった。ひと声叫んで、ジョンは立木の枝につかまり、わきの下から松葉杖をはずして、その奇怪な|飛び道具《ミサイル》を、激しい音たてて空を切って投げた。杖は先端をさきに、恐ろしい激しさでかわいそうなトムの両肩のあいだ、背中のまんなかにぶつかった。両手を空《くう》へ、あえぐような声といっしょにトムは倒れた。
どのくらいひどくやられたのか、誰にもわからない。その音から察して、その場で背骨を突き折られたらしい。だがかれは、気を取り直す暇さえあたえられなかった。シルヴァが、猿のように敏捷《びんしょう》に、片脚も杖さえもないからだで、次の瞬間にはトムの上にいて、身をまもるすべもないからだに二度まで、柄《つか》も通れと短刀を突き刺した。突きたてながら、シルヴァが息をはずませているのが、ひそんでいるぼくにも聞こえた。
気絶するというのはどういうものか、よくは知らないが、そのあと少しのあいだ、全世界がぼくの前で、ぐるぐるとうず巻く霧のなかでぼやけていったことだけは確かに知っている。シルヴァも、鳥の群れも、遠めがね山の空高い頂も、ぼくの目の前でぐるぐるまわったりさか立ちしたりした。耳のなかではありとあらゆる鐘《かね》が鳴りひびき、遠い人声の叫ぶのが聞こえた。
ぼくが正気に帰ったとき、あの大悪人はすっかりおちつきはらって、松葉杖を腕の下にかい、帽子もかぶっていた。かれのすぐ前にはトムが身動きもせず草地にたおれていた。 だが人殺しはそのほうへは見向きもせずに、血にまみれた短刀を草の束で拭いている。ほかのすべてのものが前と変わりなく、太陽は相変わらず水蒸気のたちのぼっている沼や、高い山の頂を無慈悲に照らしていた。ぼくは人殺しがほんとうに行なわれて、自分の目の前で人間の命がつい今しがた残酷にも絶たれたのだとは、とても納得がいかなかった。
だがいま、ジョンはポケットに手を突っこみ、呼び子をとりだして、数回、いろいろに調子をかえて吹き鳴らし、その音は熱した空気のなかを遠くまで鳴りひびいた。もちろんぼくにはその合図の意味はわからなかったが、それを聞くやいなや、恐怖が呼びさまされた。ここへほかの男たちが来るのだ。ぼくは見つかるかもしれない。やつらはもう二人も正直な人たちをむごたらしく殺した。トムとアランの次は、ぼくの番ではないのか?
ただちに、ぼくはその場から脱けだそうと、できるだけ早く、そして音をたてずに、うしろへ、森のなかのもっと開けた場所のほうへと這《は》っていった。そのあいだにも、あの老海賊とその同類の者たちとが声をかけあっているのが聞こえ、これらの声に含まれる危険が、まるでぼくに翼をあたえたかのようだった。
茂みからはい出るやいなや、ぼくは無我夢中で走った。どの方角へ逃げるかもろくに考えず、ただ人殺しどもから遠ざかればいいと思って走った。走っているあいだに、恐怖はますますつのって、しまいには気が狂ったようになりながら走った。
まったく、あのときのぼくほど一人ぼっちになってしまった人があるだろうか? 帰船の合図の銃が鳴っても、人殺しの罪をおかして、まだ殺気《さっき》だっている悪鬼のようなやつらにまじってボートのある岸へ出てゆく勇気がぼくにあろうか? ぼくを最初に見つけた男が、山シギの首でもねじるようにぼくをひねり殺すのではないだろうか? ぼくがいないとなったら、やつらにとってはそれこそ、ぼくがやつらを警戒している証拠で、したがってまた、やつらの悪事を知っているぼくを生かしてはおけないということになるのではないか?
ああ、もうだめだ、とぼくは思った。さよなら、ヒスパニヨラ号。さよなら、郷士さん、先生、そして船長さん! もうこうなっては、餓え死にか、それとも謀叛人《むほんにん》どもの手にかかって死ぬか、その二つの道のほかにぼくには残されていないのだ。
いま言ったとおり、こうした思いにふけっているあいだも、ぼくは走りつづけていたので、自分では気がつかなかったが、例の二つの嶺《みね》のある小山のすその近くに来ていて、そこは常生樫《ライヴ・オーク》が前よりもまばらにはえ、形や大きさもいかにも森の樹木らしく見える場所にはいりこんでいた。樫の木にまじって、十五メートルから二十メートル近い高さの松の木もちらほら見えていた。空気も、下のほうの沼のほとりよりは、すがすがしいかおりがあった。
そしてここで、またも新しい驚きに出会って、ぼくは胸をどきどきさせながら、その場に立ち止まってしまったのである。
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第十五章 島の男
山はこのあたりではけわしく、石が多かった。その中腹からひとかたまりの小石がくずれて、がらがらと音をたてながら、はずんで、木立のあいだを落ちてきた。思わずそのほうへ目を向けたとき、ぼくは何ものかの影が、おどろくほどの速さで、とある松の幹のかげにとびこむのを見た。それが何か、そもそも熊か人間か、それとも猿か、ぼくにはわからなかった。黒くて、毛むくじゃらだったような気がするが、それ以上はわからない。だが、この新しい怪物の恐ろしさに、ぼくは立ちすくんだ。
ぼくはいまや進退二つながら道を絶たれたらしい。うしろには人殺しども、前にはこのえたいのしれぬ怪物が待ちぶせしている。そして即座にぼくは、二つの危険のうち、知らない危険より知っている危険のほうが、ましだと考えはじめた。あのシルヴァですら、この森の怪物にくらべれば恐ろしさが少ないように思えた。それでぼくは向きを変え、必死にうしろをふりかえりながら、ボートのあるほうへ、ひき返しはじめた。
と、たちまち怪物はまた現われ、大きくまわりこんでぼくの行手《ゆくて》にたちふさがろうとした。それでなくとも、ぼくは疲れていた。けれどもかりにぼくが朝起きたときのように元気だったとしても、このような怪物を相手に駆けっこをするのはむだなことがわかりきっていた。木の幹から幹へ、この生きものは鹿のようにとび移り、しかも人間のように二本のあしで走りながら、ほとんど這《は》うように腰を二つにまげたままで走るところは、ぼくがこれまでに見たどんな人間とも違っている。しかしやっぱりそれは人間だった、その点についてはもうぼくは疑いをもてなかった。
ぼくは食人種について聞いた話を思いだしはじめた。もう少しで声をあげて助けを呼びそうになった。しかし、たといどれほど野蛮《やばん》でも、これは人間なのだという、それだけの事実で、ぼくにはなんとなく安心のできる気がして、そしてその割だけシルヴァへの恐怖がよみがえってきた。
それでぼくは立ち止まり、なんとか逃げる方法はないかと思案した。考えているうちに、ふと自分の持っているピストルのことが頭にひらめいた。自分が無防備ではないことを思いだしたとたんに、勇気がもう一度ぼくの心にわいた。
それでぼくはしっかりとこの島の男に顔を向けて、元気よくそのほうへ向かっていった。
そのときには男はべつの木の幹のうしろに隠れていたが、ずっとぼくを見まもっていたにちがいない。なぜなら、ぼくがかれのほうへ向かって歩きだしたとたんにふたたびすがたを現わし、ぼくを迎えるように一歩、歩み寄ったからだ。それからまたためらい、あとへさがり、また前へ出たが、とうとう……これにはぼくはまったく意外であわててしまったのだが……とうとう身を投げだしてひざまずき、あわれみを求めるように組み合わせた両手を前へさしのべた。
これを見て、ぼくはもう一度、立ち止まった。
「あんたはだれ?」とぼくはきいた。
「ベン・ガンだ」と男は答えたが、それはさびた錠《じょう》まえみたいにしわがれた、臆病そうな声だった。
「あわれなベン・ガンだ、おいらは。しかも、もう三年というもの、一人のクリスチャンとも口をきいたことがねえのだ」
いまはぼくにも、かれが自分と同じ白人であることがわかった……そしてその顔つきが感じのいいほうであることも。肌は、外へ出ているところはどこも、日に焼けていた。唇《くちびる》までが黒かった。そしてその青い目が、顔が黒いので、びっくりするほどきわだって見える。ぼくがそれまでに見たり、空想したりした乞食のなかで、ぼろを着ている点ではこの男にかなうものはない。かれは古船の帆布やその他の古布のぼろぼろになったのを着ていた。そしてこの珍妙なつぎはぎ細工は、真鍮《しんちゅう》のボタンや、木切れや、輪にしたタールまみれの帆索《ほづな》など、さまざまのとっぴょうしもない材料を使ってつづくった代物《しろもの》であった。胴のまわりには古い真鍮のバックルのついた革のベルトを締めていたが、これがかれの身じたくのなかで、ただ一つの丈夫な品物だ。
「三年も!」とぼくは叫んだ。「難船したのかい?」
「いいや、兄弟《きょうでえ》」
かれは言った……「島流しじゃよ」
ぼくはこのことばを聞いていたし、それが海賊どものなかではごくありがちな恐ろしい刑罰の一種を意味していること、この刑を受ける罪人は、少量の火薬と弾丸《たま》とをあたえられて、どこかの人けのない遠い島に置き去りにされるものだということを知っていた。
「三年まえに島流しにあってな」とベンはことばをつづけ、「ずうっと山羊を食って、それから草の実や牡蛎《かき》なんかで命をつないできたんじゃ。人間はな、どこにいても、どうにか自分だけはすごせるもんじゃ。だがな、兄弟《きょうでえ》、本音をいえば、やっぱり人間なみの食いものがほしくてたまらねえよ。おまえ、ひょっとしたらチーズのひとっかけらでも持ってやしねえか? ない? うん、おらあ何べん、夜中にチーズの夢をみたかしれねえよ……それもたいていは焼いたやつだ……だが目が覚めてみりゃ、やっぱりおれはここにいるんだ」
「ぼくが船に帰れさえしたら」ぼくは言った、「チーズを山ほど持ってきてあげるんだけど」
こうして話しているあいだ、かれはぼくの上着の生地の手ざわりを味わったり、ぼくの両手をなでたり、長靴をながめたり、そして何よりも、話のあい間あい間に、同じ人間仲間に会えたことをこどものように喜んでいる気持ちをあらわに見せていた。だがぼくの最後のことばを聞くと、急に顔をあげ、おどろきとはにかみの表情になった。
「もし船に帰れさえしたら……と言うのか?」とぼくのことばをくりかえして、「じゃ、なんで、いや、だれが、おめえのじゃまをするんだ?」
「あんたじゃないよ、わかってるよ」と、ぼくが答える。
「そうだとも、そのとおりだ」かれは叫んだ。「それでおめえは……おめえはなんて名まえだ、兄弟《きょうでえ》?」
「ジム」とぼくは答えた。
「ジム、ジム」よほどうれしそうに、かれは言う。
「それでな、ジム、おいらはな、おまえが聞いただけではずかしくなるような、荒っぽいことばかりしてきた男だけどよ。まあ、もののたとえだがな、おいらにも信心ぶかいお袋がいたなんて思いもよらねえだろうなあ……このおいらの様子を見たんではな?」
「うん、まあ……そうだね、べつにそうも思わないね」とぼくは答えた。
「うむ、そうだろう」とかれは言った、「だが、いたんだ……めっぽう信心ぶかいのがよ。そいでおれも、おとなしい、信心ぶかいこどもでな、教理問答《カテキズム》なんか、ことばとことばの境がわからねえほど、すらすら言えたもんだ。それがどうしてこんなことになったというとな、ジム、ことのおこりは墓石《はかいし》の上で銭《ぜに》投げばくちをやってからなんだ! まあ、はじめはそんなとこだったが、とてもそれだけじゃすみゃしねえ。お袋がそう言って意見してくれた、ずっと先の先まで見とおしてな、まったく信心ぶけえ女だったからな! だがおれがこんなところへ来たのも、神様のおぼしめしだよ。このさびしい離れ島で、おらあとっくりと考えてなあ、それで昔の信心をとりもどしたんだよ。だからおれがラムのがぶ飲みなんぞしたらお目にかかりてえもんだ。ただ、ちょいとな、縁起《えんぎ》なおしに、そりゃ飲めるときが来たら、ちょいとだけは飲むがね。とにかく、おらあ真人間になると決心してるし、どうすればなれるかもわかってるんだ。それにな、ジム」……あたりを見まわし、ささやき声になって……「おいら、金持だぜ」
そこまで聞いて、ぼくはこのかわいそうな男が、一人ぼっちだったので気が狂ってしまったにちがいないと思い、そしてたぶんその気持ちをうっかり顔に出してしまったものとみえ、かれはことさら熱心に同じことをくりかえした。
「金持だよ! 金持! な、いいか、おめえにいい話を聞かせてやる……おめえを一人前《いちにんまえ》の男にしてやるぜ、ジム。な、ジム、おめえはいい星の下に生まれたのさ、いちばん初めにおれを見つけたのがおめえなんだからな」
そうして、こう言ったとたんに、かれの顔に心配そうな影がさし、そして握っていたぼくの手にぐっと力をこめ、おどかすように人さし指をぼくの目の前へもちあげてみせた。
「ところで、ジム、ほんとうのことを教えてくれ。あれはフリントの船じゃあるめえな」とかれはきいた。
これを聞いて、運よくぼくはハッと気がついたことがあった。ぼくはここで一人の味方を見つけたのだ、という気がしてきたので、すぐに答えた。
「フリントの船じゃないよ。フリントは死んだよ。だけど、おじさんがそう言うから、ほんとうのことを教えてあげるよ……あの船には、フリントの子分たちがいくらか乗ってるんでね、ぼくたち、ほかの者にはやっかいなことなんだ」
「それじゃ……まさか……片脚の男じゃあるめえ?」かれはあえいだ。
「シルヴァかい?」ぼくがたずねた。
「そうだ、シルヴァ、それがあいつの名だった」
「船の料理番だよ、そうして悪いやつの親玉だよ」
ベン・ガンはまだしっかりぼくの手首を握っていたが、それを聞いて、ぎゅっとその手首をねじた。
「もしおめえがのっぽのジョンのまわしものなら」かれは言った、「おらあ豚肉なみにぶった切られるところだ。だが、そのときはおめえはどうなる、わかってるのか?」
ぼくはたちまちのうちに決心をかためた。そしてかれへの答えとして、ぼくたちの航海のそもそもの始まりからすっかり話し、いま陥っている苦境についても話した。かれは熱心にその話に耳をかたむけ、ぼくが語り終わると、やさしくぼくの頭をたたいた。
「おめえはいい子だな、ジム」とかれは言った。「だが、おめえたちみんな、えれえ困ったことになってるんだな。よし、ベン・ガンを信用してくんな……ここはいちばん、ベン・ガンにまかしてくれ。そこで、おめえにきくが、その郷士《ごうし》さんは、助けてやったら、気まえのいいところを見せてくれるだろうか……おめえの話だと、いまよっぽど困っていなさるんだろう?」
ぼくは、郷士さんはことのほか気まえのいい人だとかれに言った。
「そうか、だが、いいか」ベン・ガンは答えた、「おいらの望みは、門番に使ってくれとか、かっこうのいいお仕着せがほしいとか、そんなんじゃねえぜ。おれの言うのはな、ジム、そのひとは、まあ、そうさな、千ポンドぐれえは払ってくれそうなひとかというんだ……それも、現にもうおれのものといってもいい金のなかからだぜ」
「それは、きっと払ってくれると思うよ」とぼくは言った。「だって、仲間はみんな、分けまえをもらうはずなんだから」
「それから、国へ帰る船のほうもか?」と、ひどく抜けめのない顔つきでつけ加える。
「そりゃそうさ」とぼくは叫んだ、「郷士さんは紳士だからね。それに、例のほかの連中を追っ払ってしまえば、帰りの船で、あんたにはたらいてもらわなきゃならないもの」
「そうだな」かれは言った、「そういうことになる」
そしてかれはたいへんにほっとした様子だった。
「それじゃ、おめえに話してやろう」と、かれはことばをつづけた。
「これだけのことは話してやるが、それ以上はだめだぜ。おれはフリントが宝を埋めたときに、あいつの船に乗り組んでいた。フリントのほかに六人いた……屈強《くっきょう》な船乗りが六人だよ。やつらは陸に一週間ばかりいた、おれたちはウォルラス号で、岸に着いたり離れたりしていた。ある日のこと、合図があって、フリントが小さなボートで一人で帰ってきた、頭を青い首巻《スカーフ》で巻いていたっけ。ちょうど夜が明けたころで、やつの顔の色は死人みてえに青かった。だが、やつは生きていた、わかるか、六人はみんな死んだ……死んで、埋められていたんだ。どんなふうにやったか、おれたち船に残った者にはわかりっこねえ。
とにかく、祈祷文《きとうぶん》にもあるとおり、『たたかい、殺しあい、不意の死』というものが、あいつと六人とのあいだで、あったわけだ。ビリー・ボーンズは航海士だった。のっぽのジョンは水夫長だった。で、連中はフリントに、宝はどこにあるときいた。
『うむ。行きたきゃ上陸しろ、そうしてゆっくりしてきな』やつはそう答えた。『だが、この船はな、もっと宝を捜して、荒らしまわるんだ、忘れるな!』
それがフリントの言いぐさよ。
さて、おれは三年あとに、ほかの船に乗っていて、この島を見た。そこでおれは言った、『おいみんな、この島にフリントの宝があるんだぜ。みんなで上陸して捜そうじゃねえか』ってな。船長は気に入らなかったが、仲間のやつらはみんな賛成して、おれたちは上陸した。十二日のあいだ、みんなで捜した。だが日がたつにつれて仲間はおれを悪く言いだして、とうとうある朝、みんな船へ帰っちまった。
『おまえはな、ベンジャミン・ガン』やつらが言うんだ、『ここに小銃と鋤《すき》とつるはしがある。この島に残って、フリントの金を一人で捜しな』と、こう言いやがるのさ。
ま、そんなわけでな、ジム、おらあ三年のあいだ、ここにいて、その日からきょうまで、ただの一度もクリスチャンの食事をしねえで来た。ところで、いいか、おれを見てくれ。おれは平水夫みてえに見えるか? 見えねえだろ。そのとおり、おらあ平水夫じゃなかったからな」
言いながら、かれは片目をつぶって見せ、ぼくを強くつねった。
「その郷士《ごうし》さんとやらに、これだけ言っといてくれよ、ジム」かれはさらにつづけて、「あの男は平水夫じゃなかったんです、とな……忘れずにな。三年のあいだ、やつはこの島で暮らしました、夜も昼も、照っても降っても。それで、ことによると、ときにはお祈りのことを思いだしたり、またときにはお袋のことを考えたり……お袋が生きてるものなら、そういう日もあったことでしょう(と、おめえがそう言うんだぜ)だけれども、ガンが何よりもよけいに時間をかけたことは、≪いいか、ここが大事なところだ≫……何よりも時間をかけたのは、もひとつ、ほかのことでした。そう言って、おめえが、こんなふうに、郷士さんをつねるんだ」
そして、いかにもなれなれしげに、またぼくをつねった。
「それからな」またかれはつづけた……「そのひとんとこへ行って、こう言うんだ。ガンはいい男ですよ、とな。そうしてガンは、もともと自分もそうだったから、例の≪金持だんな≫なんぞよりは、生まれながらのだんながたのほうを、ずっとずっと……いいか、ずっとずっと、と言うんだぜ……信用してます、とな」
「そうだね」とぼくは言った、「さっきからの話、ぼくには一つもわからないよ。だけど、そんなことはどうでもいいよ。問題は、どうやったらぼくが船へ帰れるかだよ」
「なるほど、そいつはやっかいだな、確かに。そうだ、おれのボートがある、おれがこの二本の手で造ったやつがな。≪白岩≫の下に置いてあるんだ。よし、まさかのときには、暗くなってからそいつを使う手もある。おやっ!」かれは叫んだ、「あれはなんだ?」
ちょうどそのとき、日はまだ沈むまでに一、二時間あるというのに、大砲のとどろきに島じゅうがこだまして、いんいんと鳴りひびいたのだ。
「いくさが始まった!」ぼくは叫んだ。「ぼくについてこい!」
そしてぼくはさっきからの恐ろしさはすっかり忘れ、碇泊《ていはく》地へ向かって走りだした。山羊の皮を着た、島流しの男もまた、ぼくのすぐ横を、身軽に、らくらくと走っていた。
「左だ、左だ」とかれは言う。「左へまわるんだ、ジム! その木の下へもぐりこめ! あすこはおれがはじめて山羊を殺した場所だ。いまはもう、山羊はこっちへは来ねえ。ベンジャミン・ガンさまをこわがって、みんな山の上へ追っぱらわれちまった。おお! そうだ、そこに墓場がある……土まんじゅうが見えるか? おれはときどきここへ来て、お祈りをするんだ、きょうあたり日曜だろうと思う日にな。礼拝堂《れいはいどう》みてえなわけにゃいかねえが、それでももっとおごそかな気がしたもんだ。だから、おめえ、こう話してくれろ、ベン・ガンは、ずいぶん不自由をいたしました……牧師もいなけりゃあ、聖書も旗もなかったものだから、とな」
こんなふうに、ぼくの走っているあいだ、かれは話しつづけ、ぼくは返事もしなかったが、かれのほうでも返事を予期してはいなかったのである。
大砲の音がしてから、かなり間をおいて、小銃のいっせい射撃がそれに答えた。
それからまた音がとだえ、やがて、前方四百メートルと離れない森の上の空に、ユニオン・ジャックの旗がひるがえるのをぼくは見た。
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第四部 柵砦《とりで》
第十六章 リヴジー医師の物語……船を捨てるまで
二隻のボートがヒスパニヨラ号から陸地へ向かったのは、午後一時半ごろ……船のことばでいう三点鐘のころであった。船長、郷士《ごうし》、ならびに余《よ》は、船室でいろいろ相談していた。もしそよとでも風があったら、余らは船中に残された六人の謀叛《むほん》人どもを襲い、錨索《いかりづな》を切り離して、海へ出ていたことであろう。
だが風はなかった。さらに困ったことには、ハンターがおりてきて、ジム・ホーキンズが、いつの間にやらボートに乗りこみ、他の者たちとともに上陸してしまったと知らせた。
ジム・ホーキンズを疑う気持ちは、余らには少しもなかった。ただかれが無事でいられるかどうかに不安を抱いたのである。あれほど気が荒くなっている者どものことであるから、かの少年と二度と会えるかどうか、その見込みはまず五分五分《ごぶごぶ》というところかと思われた。余らは甲板へ駆けあがった。板のつぎめの瀝青《ピッチ》がぶつぶつあわだっており、この土地の悪臭に余は胸がわるくなった。もし熱病や赤痢《せきり》の臭いをかごうと思うならば、あのいまわしい碇泊地《ていはくち》の臭いこそ、それであろう。
六人のごろつきどもは前甲板の帆の下にすわりこみ、何やらつぶやき交わしていた。岸にはボートが河口のすぐそばにつないであり、一隻に一人ずつがすわっていた。一人が『リリビュリエーロ』の節を口笛で吹いていた。
待つのは、つらかった。そこでハンターと余とが情報をもとめるため小型ボートで上陸することにした。かれらのボートは右寄りに岸に着けてあったが、ハンターと余とはまっすぐに進み、地図にある柵砦《とりで》の方角へ向かった。二隻のボートの番をしていた男どもは、余らのすがたを見てあわてたらしく、『リリビュリエーロ』の口笛もやみ、どうしたものかと二人で相談しているのが見えた。
かれらがシルヴァに告げに行っていたら、すべてのなりゆきは違っていたであろうが、おそらくかれらは命令を受けていたためであろう、おとなしくもとの場所にすわっていることにきめたらしく、ふたたび『リリビュリエーロ』を吹きだした。
海岸には少しく突き出たところがあったので、余はそれがかれらの居場所とのあいだの隔《へだ》てになるように舵をとった。それゆえ余らが岸に着く前にかれらのボートは見えなくなった。余はボートからとびおり、暑さしのぎに大きな絹ハンカチを帽子の下にかぶり、まさかの場合のため用心よく二挺のピストルに弾丸《たま》をこめて、ほとんど駆け足に近い速さで進んだ。
百メートルと行かぬうちに、柵砦《とりで》に着いた。
柵砦《とりで》の有様はざっと次のとおりであった。
まるい小さな丘の頂《いただき》近くに、清水の泉がわき出ている。さて、そのまるい小丘の上、泉をとり入れて、頑丈な丸太小屋が急造してあり、これは危急の場合には四十人まで収容できる大きさで、四方の壁に銃眼《じゅうがん》があけてあるのだ。
この小屋のぐるりには広いあき地を切り開いてあり、その周囲に高さ六フィートばかりの杭で柵をめぐらし、こうして砦ができあがっている。柵には戸口もなければ出入りの隙間《すきま》もなく、暇とほねおりとをかけなければとても倒せないくらい頑丈に造ってあり、また杭《くい》と杭のあいだは広くとってあるから、攻撃する側も身を隠す場所がない。丸太小屋にたてこもった者はあらゆる点で敵に対して有利である。かれらはじっと身をかくして、ウズラを撃つようにねらい撃ちができる。
かれらに必要なものは、よき見張人と食糧だけである。完全な奇襲攻撃でないかぎり、篭城《ろうじょう》軍は一連隊の敵を迎えても陣地をもちこたえられるだろう。
とくに余が気に入ったのは、例の泉であった。というのは、余らはヒスパニヨラ号の船室という申しぶんのない陣地を有し、武器、弾薬、それに糧食《りょうしょく》から上等のぶどう酒まで、豊富に用意していたが、ただひとつ、見のがしていたものがあった……水がなかったのである。
余がこのことについて考えているおりから、聞こえてきたのは、島じゅうにひびきわたるような人間の断末魔の悲鳴であった。暴力による死について、余は無経験の者ではない……かつてはカンバランド公殿下の軍にしたがい、フォンテノイではみずからも負傷したことがあるのだ……が、このときは思わず心臓がどきんとしたことを自認せざるをえない。「ジム・ホーキンズがやられた」と、すぐにそう考えたのである。
かつて軍人だったこともあるが、それよりも医者であったことがものを言った。このさい、一刻もぐずぐずしてはおられぬ。それゆえ、即座に心をきめると、一瞬もためらわずに岸へひき返し、小型ボートに飛び乗った。
幸運にもハンターは優秀なこぎ手であった。ボートは水の上を飛ぶように走って、まもなくスクーナーの船べりに着き、余は乗船した。
当然のことながら、人びとはみな狼狽《ろうばい》していた。郷士どのは椅子にかけていたが、われわれを危地に陥れた自分の責任を思って、顔面蒼白になっている。ほんとうに善《よ》い人だ! そして六人の水夫のなかで、一人だけ、同じくまっさおな顔したのがいた。
「あの男だけは、こんな騒ぎに馴れていないのです」とスモレット船長が、あごでその男を余に教えた。「あの悲鳴を聞いたときは、あの男、あぶなく気絶しそうになりましたよ。もうひと息、ひっぱってやれば、わしらの味方になるでしょう」
余は自分のたてた計略を船長に話し、その実行にあたっての細かい手はずを定めた。
余らは老レドルースに三、四|挺《ちょう》の弾ごめした銃と、敵の弾をふせぐ敷ぶとんとを持たせ、船室と前甲板とのあいだの廊下に立たせた。ハンターに、ボートを船尾の窓の下にまわさせ、ジョイスと余とは、火薬の罐《かん》、小銃、堅パン、豚肉、コニャックの樽《たる》、それに、余にとってはなによりたいせつな薬箱などを積みこみはじめた。
その間に、郷士どのと船長は甲板に残り、船長が、船に残っている者どもの頭《かしら》ぶんたるボート長に呼びかけた。
「ハンズ君よ、ここにわれわれ二人は二挺ずつのピストルを持って立っておる。きみら六人のうち一人でも、何か信号らしいことをする者があったら、その者の生命はないぞ」
六人は、よほどどぎもを抜かれたようだ。ちょっと相談していたが、六人とも船首昇降口をころがるように降りていったのは、明らかに余らをうしろから襲おうという下心だった。だが、甲板下の廊下にレドルースが待ちかまえているのを見ると、すぐにまたあともどりして、一人が甲板に頭を出した。
「おりろ、犬め!」船長がどなった。
すると頭はすぐにまたひっこんだ。そしてそれからは、しばらくのあいだ、すっかり意気地《いくじ》のなくなった六人の水夫たちのたてる物音ひとつ、余らは聞かなかった。
さてこのころまでには、余とジョイスとは手あたりしだいに品物を小型ボートに投げこみ、積めるだけのものは積みこんでしまった。余らは船尾の窓から抜けだし、陸地をめざして力のかぎり、こぎにこいだ。
こうして二度めにわれわれのすがたを見た岸の見張人たちは、よほどあわてたらしかった。『リリビュリエーロ』の歌声はふたたびやんだ。そして例の小さな岬《みさき》のかげに、かれらのすがたが見えなくなる直前に、一人が岸へとびあがって、すがたを消した。余はすんでのことに計画を変え、かれらのボートを壊してやろうかと思ったが、シルヴァその他の者どもがあんがい近くにいるかもしれぬし、あまり欲ばりすぎては元も子もなくするおそれがあると思い直した。
余らは間もなく前と同じ場所に接岸し、武器や糧食《りょうしょく》をかの丸太小屋へはこびこみにかかった。最初は三人がみな重い荷物を背負って出かけ、柵《さく》ごしに荷物を投げこんだ。
それから、ジョイスを荷物の番に残し……一人ではこころもとないようだが、小銃は六挺も持っていた……ハンターと余とがボートへひき返し、もう一度、荷物をはこんだ。
こうして、ただの一度も息つきに休むことなく、積荷をすっかりはこび入れるまでわれわれははたらき、そのうえで二人の召使いは丸太小屋で防戦の位置につき、余一人が必死の力をふるってヒスパニヨラ号へこぎもどった。
われわれがさらに危険をおかして二度もボートに荷物を積みこんだのは、よほど無鉄砲《むてっぽう》のように思われるであろうが、事実はそれほどでもなかった。敵は、もちろん、数の上では優勢であるが、武器の点では味方がまさっていた。上陸した者たちのなかには小銃を持った者は一人もなく、かれらがピストルの射程内まで近づいてくる前には、味方は少なくとも六人の敵をやっつけることができるという自信があったのだ。
郷士どのは船尾の窓で余を待っておられたが、気力のおとろえはもはや少しも見えなかった。さっそくに≪もやい≫綱をとって、しっかりと結びつけ、それから二人して命がけでボートに荷積みをした。
豚肉、火薬、堅パン、これが積荷で、あとは郷士どのと余とレドルースと船長と、めいめい小銃と短剣が一挺ずつ渡っただけである。残りの武器と火薬は、二|尋《ひろ》半の海中へ投げこんでしまった。はるか下の海底のきれいな砂の上に、よく磨いた武器の鋼《はがね》の光っているのが見えた。
そのころには潮がひきはじめていて、船は錨のまわりを揺れ動いていた。二|隻《せき》のボートのほうから、人を呼んでいるらしい声が、かすかに聞こえてきた。
ジョイスとハンターとはもっと東のほうにいるはずだからだいじょうぶとは思ったが、われわれはもう船を離れねばならぬ時だと思った。
レドルースは廊下の持ち場からひきあげて、ボートに乗りうつった。それから、スモレット船長が乗りやすいように、ボートを船尾の張出し部へまわした。
「おい、おまえら」船長は言った、「聞いとるか?」
前甲板からはなんの答えもない。
「おい、エーブラハム・グレイ……おまえに言うとるのだぞ」
まだ答えはない。
「グレイよ」スモレット氏は少し声を高くして、また言った、「わしはいま、この船を立ちのく、これは命令じゃ、おまえは船長についてこい。おまえが、腹の底は善人じゃということを、わしは知っとる。また、わしに言わせれば、おまえらのうち一人として、自分で思うておるほどの悪人ではないんじゃ。わしはいま手にこうして時計を持っておる、三十秒やるから、そのあいだにこっちの仲間へはいれ」
しばし、しんとしていた。
「さあ、元気な若い者」船長はことばをつづけた。「いつまでもぐずぐずするな。わしは一秒一秒、自分の生命と、ここにおられる紳士がたの生命とを危険にさらして待っておる」
急にもみあうような音、なぐりあいの音がしたかと思うと、片ほおにナイフの傷を受けたエーブラハム・グレイがおどり出て、まるで口笛に呼ばれた犬のように船長のところへ走り寄った。
「船長、お味方します」とかれは言った。
次の瞬間、グレイと船長とはわれわれのボートに降り立ち、われわれは舷側《げんそく》を離れてこぎだした。
こうして余らは本船から離れた。だがまだ上陸して柵のなかへははいっていなかった。
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第十七章 医師の物語のつづき……小型ボートの最後の航行
この五度めの航行はそれ以前とは大違いであった。第一に、われわれをのせた小さな薬壷《くすりつぼ》のようなボートは、はなはだしく荷が重すぎた。成人が五人、そのうちの三人……トリローニ、レドルース、船長の三人は六フィートを越す大男で、それだけでもこのボートの力にはあまった。それに加えて、火薬と豚肉と堅パン袋とである。艫《とも》のほうは船べりが水にひたりかけていた。幾度か、ボートはかなりの波をかぶり、余のズボンや上着のすそは、百メートルも行かぬうちに水びたしになった。
船長がわれわれをつりあいよくすわらせたので、ボートは前よりもいくらか平らになった。それでもわれわれは呼吸をするのさえ、気がかりであった。第二には、ちょうど引き潮の時刻になっていたので……強い潮流がさざ波をたてながら西へ向かって入江を流れ、それから、その朝われわれの船がはいってきた海峡を、南へ、外海のほうへと引いてゆくのであった。
われわれの荷を積みすぎた小舟にとっては、さざ波さえも危険であったが、何より困ったことには、ボートがわれわれの正しい針路から押し流され、岬《みさき》のうしろの、目的とする上陸地点から遠ざかりかけていたことだ。もしわれわれが潮流に流されるままになっていたら、ボートは例の二隻のボートのそばの岸に着くことになり、いつなんどき海賊どもがあらわれるかもわからないのだ。
「とても柵のほうへ頭を向けていられんですぞ、船長」と余は言った。船長とレドルースと、新手《あらて》の二人にこぎかたをたのみ、余が舵をとっていたのである。「ボートは潮に流されっぱなしだ。なんとか、もう少し強くこいでもらえまいか?」
「無理をすれば、ボートを沈めてしまいますわい」と船長は言った。「なるべく、舵を風上へ取ってください……潮に勝つまで風上へたのみます」
余は言われたとおりやってみた。そしてやってみてわかったことは、潮がたえず西のほうへ押し流すので、余はついにボートを真東へ、つまりめざす方向とは直角に近く向けてしまったことであった。
「この調子では、とても岸には着けんじゃろう」と余は言った。
「これよりほかにわれわれの進路がないとすれば、こうするよりほかはありません」と船長は答えた。「潮にさからって進まねばならんのです。おわかりでしょう、先生」とかれはことばをつづけ、「もしあの上陸地点よりも風下に流されたら、どこへボートをつけたらよいのか、わかりません。それにやつらのボートに襲われる危険もある。こうしてこいでいれば、やがて潮も弱まるにちがいないし、そうなれば岸にそってこぎもどることもできます」
「潮はもう弱ってきましたぜ」と舳《へさき》の席にいるグレイが言った。「いくらか力をゆるめてもいいでしょう」
「ありがとう」と、余は何ごともなかったように答えた。われわれはみな、かれを味方の一人として扱うことに暗黙のうちにきめていたからだ。
突然、船長がまた声をあげたが、余はその声が少し変わっているように思った。
「大砲じゃ!」とかれは言った。
「わしもそのことは考えておったよ」と余は言ったが、それは船長も丸太小屋の柵砦《とりで》を砲撃されることを考えていると思いこんでいたからであった。「やつらは大砲を岸へあげることができるはずはないし、またよしんばできたにしたところで、森のなかで大砲をひっぱりまわすことは、とてもできはせん」
「うしろをごらんなさい、先生」と船長が答えた。
余らはあの九ポンド砲のことをすっかり忘れておったのだ。ところが、見よ、いま五人の悪党どもは砲のまわりで忙しく立ちまわり、航行中ずっとかぶせてあった丈夫な防水布の被覆《おおい》をとりのけているではないか。
余らがぞっとしたのはそれのみではない、この砲の弾丸《たま》と火薬とは船に残してあること、斧《おの》で一撃すればたちどころにやつらのものとなることが、その瞬間に余の脳裡《のうり》にひらめいた。
「イズレールのやつはフリントの砲手でしたぜ」と、グレイが、かすれ声で言った。
もはや危険を避けてはおられぬので、余らはボートの舳をまっすぐに上陸地点へ向けた。その時分には、ボートは潮流のずっと外に出ていたので、みつからぬように調子をおとして静かにこいでも、今までの惰力《だりょく》で舵をきかす程度には速力が出たから、余はボートの方向をしっかりと定めておくことができた。
だがここで何よりも困ったことには、いま余が進めている針路で、ヒスパニヨラ号に対して、ボートの艫《とも》を向けてではなく、横腹をみせて進むことになり、まるで納屋《なや》の扉のように確かな的《まと》を九ポンド砲に提供する仕儀になったのだ。
ブランディを飲んで赤くなった顔の悪漢、イズレール・ハンズが、砲弾を甲板にころがしているのが、余の目にはっきり見えたばかりでなく、その音までよく耳にとどいた。
「このなかで射撃の名人はだれですか?」と船長がたずねた。
「トリローニさんだ、ずばぬけているよ」と余が言った。
「トリローニさん、あいつらのうち、だれか一人をねらい撃ちしてくださらんか?……なるべくなら、ハンズがいい」船長が言った。
トリローニは鋼《はがね》のように冷静であった。しずかに銃に装填《そうてん》した。
「おっと」と、船長が叫んだ、「しずかに撃ってくださいよ、さもないとボートがひっくりかえります。みんな、ねらいをつけるあいだ、揺れないように、用意!」
郷士どのが銃をもちあげると、こぎかたはやめ、余らは平均をとるために反対側にもたれかかったので、万事まことにうまくいって、ボートは一滴の水もかぶらなかった。
このとき、敵はすでに砲を旋回軸《せんかいじく》の上で回転させており、ハンズは込矢《こみや》〔弾薬を砲口から突き入れるための細長い鉄棒〕を持って砲口のところにいたので、だれよりもからだを郷士の銃の前にさらしているわけであった。だが、われわれには運がなかった。トリローニが引きがねをひいたとたんに、ハンズは身をかがめたので、弾はかれの上をかすめて飛び、倒れたのはほかの四人のうちの一人であった。
その男のあげた悲鳴に、船上の仲間たちばかりでなく、岸からも、多くの声がこだまのようにあがった。岸へ目をやると、木立のあいだから走り出た海賊どもが、二隻のボートへおどりこむのが見えた。
「小舟が来る」と余が言った。
「よし、こげ!」と船長は叫んだ。「もうこうなったら、ボートが沈もうと気にしてはおられん。上陸できなかったら、万事休すじゃ」
「一隻のほうだけ、人が乗りこんだぞ」余はつづけて言った。「ほかのやつらは岸をまわって、われわれを待ちぶせする気らしい」
「まあ、せいぜい走らせてやりましょう」と船長は答えた。「どうせ陸《おか》へあがった河童《かっぱ》だ。心配なのはやつらではなくて、砲弾です。まるでじゅうたんの上で玉ころがしをするようなものだ! 奥さま付きの侍女に撃たせたって、はずれっこはない。郷士さん、火なわの火が見えたら知らせてください、ボートを止めますから」
そのあいだに、積荷の多すぎるボートにしてはかなりの速さで進んでいて、波もさほどにかぶってはいなかった。岸はもう間近で、あと三十本か四十本もこげば、なぎさに乗りあげたであろう。引き潮で、木立の茂みの下に、狭い砂地の帯があらわれていた。敵の小舟はもう恐ろしくなかった。例の小さな岬《みさき》の陰になって、もう見えなくなっていた。われわれをあれほど苦しめ、ボートの進みをおくらせた引き潮が、いまではその償《つぐな》いに、われわれの敵の進むのをさまたげているのだ。現在の危険の原因は、大砲である。
「できることなら船を止めて、もう一人ぐらいねらい撃ちにしとめたいんだが」と船長は言った。
だが、敵のものどもはどんなことがあろうとも発砲をおくらせぬ決心であることは明らかであった。かれらは撃ちたおされた仲間に見向きもしなかった。その男はまだ死んではおらず、這ってその場を去ろうとしているのが見えた。
「用意!」と郷士が叫んだ。
「止まれ!」と響きに応じるように、船長が叫んだ。
つづいて船長とレドルースとは、ボートの艫《とも》がずぶりと水につかるほど力いっぱい逆漕《バック》した。そのとたんに、砲声がとどろいた。ジムが最初に聞いた砲声がこれで、さきほどの郷士どのの鉄砲の音は、彼の耳には達しなかったのである。砲弾がどこを通ったか、余らのうち正確に知りえた者は一人もない。しかし、おそらくそれは余らの頭上を越えて飛び、そのあおり風のため災難に見舞われたものであろう。
いずれにせよ、ボートは三フィートの海中へ、まことにしずしずと艫《とも》のほうから沈んでいった。船長と余とは水のなかに立って顔を見合わせた始末である。ほかの三人にいたっては、まっさかさまに海に落ち、ずぶぬれ、あわをたてながら起き上がってきた。
ここまでのところでは、たいした被害はなかった。生命を失った者もなく、ぶじに岸まで歩きついた。だが用意の荷物はみな海岸に沈み、さらにわるいことには、鉄砲は五|挺《ちょう》のうち二挺しか使えるものがなくなった。余はいわば本能的に、ひざの上にあった銃をつかみ、頭の上にさしあげていた。船長は負革《おいかわ》で肩にかけ、いかにも思慮ある人らしく遊底のほうを上にして持っていた。残りの三挺はボートもろとも沈んでしまったのだ。
これに加えて気がかりになったのは、岸にそった林のなかから、すでに近くに迫ってきた人声を聞いたことであった。
余らは、このような半身不随《はんしんふずい》の有様で柵砦《とりで》への進路を断たれたばかりでなく、ハンターとジョイスとが六、七人の敵から攻撃されて、ひるまずに立ち向かうだけの思慮と気転とがあるかどうか、という当面の不安もあった。ハンターの気丈《きじょう》なことは、余らは知っていた。問題はジョイスのほうで……従僕《じゅうぼく》としては陽気で神妙な男だが、服にブラシをかけるのにはむいていても、いくさ人として適しているとは評しかねた。
およそこうしたことどもを懸念《けねん》しながら、余らはあわれな小型ボートと、火薬、食糧の大半とをあとに残し、力のかぎりいそいで岸へ向かって歩いていった。
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第十八章 医師の物語のつづき……第一日の戦い終わる
余らは力のかぎりいそいで、いまや余らと柵砦《とりで》とをへだてる森を横切って進んだ。一歩、進むごとに、海賊どもの話し声も近づいた。まもなくかれらの走る足音、茂みを押しわけて進むにつれて枝の折れる音さえも聞こえてきた。
これはいよいよ本物のひと合戦せねばならぬかと、余は自分の点火薬をしらべてみた。
「船長」と余は言った、「トリローニは射撃の名手じゃ。あんたの銃を貸しておやりなさい。自分のは役にたたんから」
二人は鉄砲をとりかえ、さてトリローニは、この騒動の始まりから無言で冷静な態度を持していたが、このとき立ち止まって、銃がりっぱに使えるかどうか、たしかめた。
同時に余は、グレイが武器をもたぬことに気づいたので、手持ちの短刀を貸しあたえた。グレイが手につばをし、まゆをけわしく寄せて、その短刀でびゅうと風を切るのを見て、余ら一同は勇気のみなぎるのを覚えた。この新しい味方が頭から足さきまでたのもしい若者であることが、はっきりとわかった。
さらに、四十歩ほど進んで森を出はずれると、柵砦《とりで》は目の前にあった。われわれが柵の南側の、およそまんなかあたりへ駆け寄るのとほとんど同時に、七人の暴徒どもが……その先頭には水夫長のジョブ・アンダスンがいた……どっとばかりに南西の隅に押し寄せた。
かれらはちょっとひるんだとみえ、足をとめた。それで、かれらが元気をとりもどす前に、郷士や余ばかりではなく、丸太小屋のなかのハンターとジョイスも発砲する余裕があった。四挺の銃は、やや散発的に火ぶたを切ったが、それだけの効果はあった。敵の一人は見る間にたおれ、残りの者どもはたちまちうしろを見せて木立のなかへ逃げこんだ。
銃に弾《たま》をこめなおしてから、余らは柵の外側へ歩み出て、倒れた敵の様子を見た。完全にこときれていた……心臓を撃ち抜かれていたのである。
余らがこの上首尾をよろこぶひまもなく、ちょうどそのとき、茂みのなかで短銃が鳴り、弾がうなりを生じて余の耳をかすめたかと思うと、あわれ、トム・レドルースが前のめりに、どっと地上にたおれた。郷士と余とはただちに撃ち返したが、ねらいをさだめることはできなかったので、二人とも弾薬をむだにしたにすぎなかったであろう。つづいて弾をこめなおしてから、余らは気のどくなトムの様子をみた。
船長とグレイとが、すでにトムの傷をしらべていた。それゆえ、ひと目で余はもはや手のほどこしようがないことを知った。
おそらく余らが即座に撃ち返したため、暴徒どもはまたもや散り散りになったのであろう、それきりべつにじゃまされることもなく、あわれな老猟場番をかつぎあげて柵のうちへ入れ、そして、うめき声をあげ、血を流しているそのからだを丸太小屋へ運びこんだ。
ああ、あわれな老爺《ろうや》よ、かれはこの苦難のそもそもの始まりから、現在、丸太小屋のなかで死の床に横たえられるまで、ただの一語も、おどろき、不平、恐怖のことばを……いや、わかっています、これでいいのですとの承認のことばすら発しなかった。いにしえのトロイびと〔古代ギリシア伝説で、ギリシアと戦った国民〕のように勇敢に、あの船の廊下のマットレスのかげで敵を防いだこともあった。どんな命令にも、無言で、ねばりづよく、りっぱにしたがってくれた。われわれより二十歳も年上で、味方のうちでの最年長者であった。このむっつりとした、年老いた勤勉な召使いトム・レドルースが、いま、死んでゆくのだ。
郷士どのは、トムのかたわらにひざをついて、こどものように泣きじゃくりながら、その手にキスした。
「先生、手前《てまえ》は死ぬんでごぜえますか?」とトムがたずねた。
「おお、トムよ」余は言った、「おまえはふるさとへ帰るのだ」
「あいつらに、わしのほうから一発くらわせてやりとうごぜえました」とトムは答えた。
「トムよ、わしをゆるすと、言うてくれるか?」郷士どのが言った。
「殿さま、手前からあなたさまに向かって、そんな失礼なことが申せましょうか?」これがかれの答えであった。「ま、とにかく、そうしておきましょう、アーメン!」
そのあと、しばらくだまっていたが、やがてトムは、どなたかお祈りをあげていただけまいかと言った。「それがしきたりでござりますから」と、かれはすまなそうにつけくわえた。そしてそれからまもなく、もう何も言わずに、息をひきとった。
そのあいだに船長は……余はさっきからかれのふところやあちこちのポケットがひどくふくらんでいるのに気づいていたのだが……実にさまざまの品物をとりだした。英国国旗、聖書、ひと巻きのじょうぶそうな綱、ペン、インク、航海日誌、それから何ポンドかのタバコなどである。
船長はかこいのなかに、かなり長いモミの木が切り倒され、枝をおろしてころがされているのを見つけ、ハンターに手つだわせて、丸太小屋の角の、木材を直角に交叉《こうさ》させてあるところへ、それを立てかけた。それから、自分で屋根にのぼり、国旗を結びつけ、高くかかげた。
これで船長はたいへんにほっとした気持ちになったようだ。かれはふたたび小屋のなかへはいり、持ってきた品物を、まるでほかのことは何も眼中にないかのように、数えはじめた。だがそのあいまにもトムの臨終に注意をおこたっていたわけではない。息をひきとったとみると、すぐにもう一枚の旗を持ちだしてきて、うやうやしく死体のうえにそれをひろげた。
「そんなにお歎《なげ》きなさるな」と船長は、郷士どのの手をにぎりながら言った。「このひとにとっては、これで何も申すことはありません。船長と船主とへの義務をつくしつつ銃弾にたおれた水夫たるものは、あの世になんの恐怖もありません。えらい牧師さまの言うこととは、これはちがうかもしれませんが、事実なのです」
それから船長は余《よ》をわきへ引き寄せて言った。
「リヴジー先生、あなたと郷士さんとは、何週間すれば味方の船が来ると予想しておられますか?」
余は、これは何週間ではなく、何か月という問題だ、と船長に話した。もし八月の末までに余らがもどらなければ、ブランドリーは余らを捜す船を送りだす手はずになっているが、それより早くもおそくもならぬはずである。「だからあんた、計算してみればおわかりでしょう」
「なるほど」と船長は、頭をかきながら答えた、「すると、よほど自分に都合よく考えて、神さまのお恵みがたっぷりあるとしても、こりゃよっぽど難儀なことですな」
「というと、どういうことです?」余はたずねた。
「あの二度めの荷物をなくしたのが、痛いのです。わしの言うのは、そのことですよ」船長は答えた。「火薬と弾丸《たま》については、間に合うでしょう。だが、糧食《りょうしょく》が足りません、ひどく足りないのです……まったくリヴジー先生、あの男のおかげで、一人ぶんの糧食がたすかったといいたいほど、不足なのですよ」
言いながら、かれは旗の下の遺体を指さした。と、ちょうどそのとき、すさまじい轟音《ごうおん》と、風を切るようなうなりをともなって、一発の砲弾が丸太小屋の屋根のうえを高くとびこえ、余らのずっと後方の森のなかへ落下した。
「おほう!」船長が言った。「撃つがいい! うぬらの火薬もなくなるじゃろ」
二発めは、ねらいはややよくて、砲弾は柵内に落ち、砂けむりをあげたが、それ以上これという損害はなかった。
「船長」と郷士が言った、「この小屋は船からは見えんところにある。敵はあの旗にねらいをつけとるのにちがいない。あれはおろしたほうが賢いのではありませんかな?」
「旗をおろすのですと!」船長は叫んだ。「いいや、いけません、わしはいやです」
そうして、かれがこう答えるが早いか、余らはみなかれに同意したと、余は思う。なんとなれば、それは単に頑強な、船乗りらしい、りっぱな気持ちを示すことばであったばかりでなく、戦略としてもすぐれていて、敵に対して、われわれがかれらの砲撃をけいべつしていることを示すことになるからであった。
日が暮れるまで、敵は砲撃をつづけた。一弾、また一弾と、小屋を飛びこえたり、手前で落ちたり、あるいは柵内に砂けむりをあげたりした。だが敵は高く撃ちあげねばならなかったので、砲弾はみな勢いを失って落下し、やわらかな砂にめりこんでしまった。それゆえ弾丸《たま》のはねかえってくる恐れはなく、一度などは丸太小屋の屋根を突きぬけて飛びこみ、さらに床を抜けて出ていったが、われわれはそうした乱ちき遊びにもすぐになれてしまって、クリケット遊びほどにも気にかけなくなった。
「こうなってみると、一ついいことがある」と船長が言いだした。「わしらの前方の林のなかには、敵はいないようだ。潮はよほど引いたはずだ。わしらの荷物も水の外に出ているにちがいない。だれか進んで、豚肉を取りにゆく者はないか」
グレイとハンターとがまっさきに進み出た。しっかりと武装して、二人は柵の外へそっと出ていった。
だがこれは、せっかくだがむだになった。叛徒《はんと》どもは余らが思った以上にだいたんだったのか、それともあんがいにイズレールの砲術を信用していたのか、四、五人の者がさきにわれわれの荷をせっせと運び去って、水をわたって近くにあったボートへ持ちこみ、残っている一、二本のオールを動かして、ボートが潮に流されるのを防いでいるのであった。後尾の座席から指揮をしているのがシルヴァで、乗組みの者は一人残らず、どこか自分たちの秘密の武器庫からとりだした小銃で身をかためていた。
船長は腰をおろして航海日誌をつけはじめた。以下はその最初の部分である……
[#ここから1字下げ]
「船長アレグザンダー・スモレット。船医デーヴィッド・リヴジー。二等船匠手〔船大工のこと〕エーブラハム・グレイ。船主ジョン・トリローニ。船主の雇人、非船員、ジョン・ハンターならびにリチャード・ジョイス……以上、乗組員中、残されたる船に忠実なる者の全員であるが、割当てふじゅうぶんなる十日ぶんの糧食をたずさえ、本日上陸、≪宝島≫の丸太小屋にイギリス国旗をかかげた。船主の雇人にして非船員なるトマス・レドルースは叛徒《はんと》のため射殺された。船室つきボーイ、ジェイムズ・ホーキンズは……」
[#ここで字下げ終わり]
ちょうどそのとき、余もまたあわれなジム・ホーキンズの運命について思い案じているところであった。
陸地のほうで、おおいと呼ばわる声がした。
「だれか、呼んでおりますぞ」と、見張りに立ったハンターが言った。
「先生! 郷士さん! 船長! おうい、ハンター、おまえかい?」と、声は叫んでいた。
余がドアに走り寄ると、ちょうどそこへジム・ホーキンズが、無事で元気なすがたを見せて、砦の柵を乗り越えてくるところであった。
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第十九章 柵内の守備隊……ふたたびジム・ホーキンズの手記
ベン・ガンは国旗を見ると、その場に立ち止まり、ぼくの腕をとって引きとめ、地面に腰をおろした。
「いいか」とベンは言った、「あすこにいるのは、おめえの味方だ、まちがいはねえ」
「そんなことないだろ、やっぱり謀叛《むほん》人どもらしいな」とぼくが答えた。
「まだそんなことを!」ベンは叫んだ。「おい、金持だんなたちよりほかに、けっして上がってこねえこんな土地だ、シルヴァだったら海賊の旗を立てるにきまってるじゃねえか。だからよ、あれはおめえの味方にちげえねえ。それにいましがた、撃ちあいがあったろう、あれでおめえの仲間が勝って、上陸して、ずっと昔にフリントがつくった、あの柵のなかにはいったと、おいらはみるんだ。まったく、フリントてえ男は、ひとの頭《かしら》に立つ人物だった。ラムよりほかに、あの男の敵になれるものはなかった。こわいもの知らずの男だった……シルヴァだけはべつだったが。それほどシルヴァはあかぬけのしたやつだった」
「うん、そりゃそうかもしれないし、それならそれでいいよ」とぼくは言った、「だけど、それならそれで、なおさらぼくはいそいで仲間のところへ行かなきゃならないよ」
「いいや、兄弟《きょうでえ》」ベンは答えた、「そりゃちがうぜ。おめえはいい若《わけ》え衆《しゅ》だ、おれの見る目に狂いはねえ。だがなんと言ったって、おめえはまだこどもだ。ところが、このベン・ガンは苦労人だぜ。たといラムを飲んだって、おめえの行くところへは行かねえ……そうとも、おめえの言う、生まれながらの紳士とやらをはっきり見さだめて、きっぱりと約束をさせるまでは、どれほどラムに酔っぱらったって行くもんじゃねえ。それで、おれの言ったことを忘れちゃいけねえぜ……『極《ごく》の(おめえがそう言うんだぜ)、極《ごく》のないしょごとです』ってな……そうして、こんなふうに、つねるんだ」
かれは言いながら、さっきと同じように、いかにもずるがしこそうに、ぼくをつねった、これで三度めだった。
「そうして、ベン・ガンに会いたいときは、おれの居どころはおめえが知ってる、なあジム。つまりおめえがきょう、おれに会った、あの場所さ。そうして、ベン・ガンに会いに来る人は、手に白いものを持ってくるんだ。それから、その人は一人で来なきゃ、だめだぜ。おお、それからな、こうも言ってくれよ……『ベン・ガンにはベン・ガンの理屈《りくつ》があります』ってな」
「いいよ」ぼくは言った、「だいたい、わかったと思うよ。あんたは相談したいことがあって、郷士さんか先生かに会いたいんだね。それで、ぼくがきょう、あんたに会った場所へ行けば、会えるってわけだ。それだけかね?」
「それから時刻だ」かれはつけくわえた、「そうだな、正午から、およそ六点鐘(午後三時)ごろまでだ」
「わかった」ぼくは言った、「じゃ、もう行っていいかい?」
「忘れるんじゃねえぜ、いいか?」かれは心配そうにきいた。「極《ごく》の、極の、というのと、ベン・ガンにゃベン・ガンの理屈、これがたいせつなんだぜ、男と男のあいだではな。よし、それじゃ」……と、まだぼくをつかまえたまま……「もう行ってもいいぜ。それからな、ジム、もしシルヴァに会うようなことがあっても、おめえ、ベン・ガンを売るようなまねはしねえだろうな? 荒れ馬にしばりつけられても、しゃべらねえだろうな? だいじょうぶだ、な。それからな、もしも海賊どもが陸《おか》で夜を明かすようだったら、ジム、朝にはきっと、死人が出るぜ、わかってるか?」
このとき、すさまじい轟音《ごうおん》でかれのことばは中断され、砲弾が木立をつんざいて、われわれ二人が話していた場所から百メートルと離れぬ砂地に落下した。
次の瞬間、ぼくたち二人とも、めいめい別の方角へ逃げだしていた。
それからおよそ一時間ばかり、砲撃は次から次と島をゆるがし、砲弾は森を突き抜いて炸裂《さくれつ》をつづけた。ぼくはこの恐るべき弾丸《たま》に追いかけられて……あるいは自分にだけそう思われたのかもしれぬが、ここの隠れ場所からあちらの隠れ場所へと、たえず動きまわっていた。
だがやがて砲撃も終わりに近づき、それでもまだぼくは弾丸《たま》がもっとも多く落ちる柵砦《とりで》のほうへ近づく勇気はなかったけれど、ようやくいくらか気をとりなおして、東のほうへずっと遠まわりし、海岸の木立のなかをはっていった。
ちょうど日が沈んだばかりで、海からの風が木立をざわめかせ、碇泊《ていはく》所の薄ねずみ色の海面に波を立てていた。潮も遠くまで引いていて、広い幅の砂浜ができていた。日中の暑さにひきかえて、空気は、ジャケツをとおして、ひえびえと肌にしみた。
ヒスパニヨラ号は、相変わらず錨をおろした場所にじっとしている。が、おお、やっぱりそうだ、船首には、あの海賊旗《ジョリ・ロジャー》が……黒い海賊旗がひるがえっているではないか。そうしてぼくが見ているあいだにも、またもや赤く砲火がひらめき、砲声がいんいんとこだまして、弾丸《たま》は空を切って飛んだ。それは最後の砲撃であった。
ぼくはしばらくのあいだ横になって、この攻撃のあとにつづいた騒ぎをみまもっていた。柵砦《とりで》の近くの浜で、男たちが斧《おの》で何かをうちこわしていた。それがあの小型ボートだったことを、あとでぼくは知った。さらに向こうの河口の近くでは、木立のあいだで大きなたき火があかあかと燃えていて、そこと船とのあいだを一隻のボートがたえず往復し、前にはあれほど陰気だった水夫どもが、こどものように大声で騒ぎながらオールをあやつっていた。だがその声にはラム酒の酔いらしいひびきがあった。
ようやくぼくは、そろそろ柵砦《とりで》のほうへもどってもいいと思った。そのときぼくは、碇泊《ていはく》地の東側をかこんでいる低い砂洲《さす》のほうへ、ずっと下までおりてきていた。そこは引き潮のときには骸骨《がいこつ》島につながっているところである。そしていま、立ち上がったぼくは、砂洲のもっとさきのほうに、低い潅木《かんぼく》のなかから、ぽつんと一つだけ高く、異様に白い色をした岩が盛りあがっているのを見た。
ああ、ベン・ガンの話に出てきた白い岩というのは、これかもしれないと、ふとぼくは思った。そして、いつかボートが必要になるときもあるかもしれないから、そのあり場所を知っておくのはいいことだと思った。
それから、森のすそをまわって、柵砦の裏側、つまり陸地側へたどりつき、まもなく味方のひとびとにあたたかく迎えられた。
すぐに自分のいままでの話を語り終わって、ぼくはあたりを見まわしはじめた。丸太小屋は丸木のままの松の幹でできている……屋根も、壁も、床も、そうである。床は、数か所、砂地から三十センチまたは五十センチの高さに張ってある。戸口にはポーチが設けてあり、そのポーチの下に、小さな泉がわき出ていて、それがちょっと奇妙な入工の水盤のなかに……というのはほかでもなく、船の大鉄釜の底をぶちぬいて、船長のことばをかりると「船荷を満載したときの水準線まで」砂のなかに埋めたものなのだが……ためられているのである。
小屋のなかは骨組みのほか、ほとんど何も残っていなかったが、その一隅《いちぐう》には炉のかわりに板石が一枚置かれ、古い錆びた鉄の篭が、火鉢がわりになっていた。
丘の斜面と柵の内側とは、小屋を建てるために樹木をすっかり切りはらってあり、その切り株から察して、よほどみごとな、高い木立をとりはらったものであることがわかる。樹木を切ったあと、土壌《どじょう》の大部分は洗い流されるか、風の吹きよせた砂の下に埋まるかしていた。れいの大鍋の水盤から小川の流れ出ているあたりだけに、厚い苔《こけ》のむしたところや、シダ類や、地をはっている小さな潅木《かんぼく》などが、砂地のなかにまだ緑の色を見せている。柵のまわりにはごく近くまで……あまり近すぎて防禦《ぼうぎょ》に不便だと、おとなたちは言っていた……見あげるばかりの森がうっそうと茂っていて、陸地側はモミの木ばかりだが、海岸寄りのところには常緑樫がたくさんまじっていた。
前にも書いた冷たい夕風が、この粗末な建物のあらゆるすき間からひゅうひゅう吹きこみ、絶え間なく床にこまかい砂の雨をまき散らした。ぼくたちの目のなかにも砂、歯のあいだにも砂、夜食のたべもののなかにも砂で、噴《ふ》き井戸のなかの鍋底でも、まるで煮えかかった粥《かゆ》のように砂が踊っていた。煙突としては、屋根に四角な穴があけてあるだけだから、そこから出るのは煙のほんの一部分だけで、残りは小屋のなかにうずまき流れ、ぼくたちに絶え間なく咳《せき》をさせたり、目をこすらせたりした。
それに加えて、あたらしく味方に加わったグレイは、暴徒どものなかから抜け出してくるときに受けた傷のために、顔にほうたいをしていたし、かわいそうなトム・レドルースじいさんにいたっては、まだ埋葬《まいそう》もしてもらえず、ユニオン・ジャックの旗の下に、かたい冷たい死体となって壁ぞいに横たわっていた。
もしわれわれが何もしないですわりこんでいてもいいと言われたら、みなはきっとすっかり気落ちしてしまったことだろうが、スモレット船長はけっしてそんなことを許しておく人ではなかった。全員がかれの前に呼びつけられ、かれはわれわれを組にわけて当直を命じた。先生とグレイとぼくがひと組、郷士さんとハンターとジョイスがもうひと組になった。みんなくたびれてはいたけれども、二人が薪《たきぎ》ひろいに出され、さらに二人はレドルースの墓掘りにとりかかった。リヴジー先生は料理番に指名された。ぼくは入口の番兵に立たされた。そして船長自身はまめにあちこち動きまわって、ぼくたちを元気づけたり、必要な仕事に手を貸したりした。
先生は、ときどき戸口へ出てきては外の空気を吸い、目をやすめた。先生の目は煙のために頭からいぶしだされそうになっていたのである。そうして、出てくるたびに先生はぼくにことばをかけた。
「あのスモレットという男は」と先生は一度言った、「わしよりも偉い男だ。わしがこう言うからには、ジム、こりゃたいへんなことなのだよ」
別のときに出てきたときは、しばらく何も言わなかった。それから首をちょっとかしげて、ぼくを見た。
「そのベン・ガンというのは、まともな男かね?」と先生はきいた。
「わかりません」とぼくは答えた、「正気なのかどうかも、ぼくにははっきりしないんです」
「その点について疑いがあるとすれば、そいつは正気だよ」先生が言った。「無人島で三年も手持ちぶさたで暮らしていた者が、おまえやわしのように正気に見えるということがあるはずがないよ、ジム。人間性として、そんなことはありえないのだ。その男がほしがっているものはチーズだ、と言ったね?」
「そうです、先生、チーズです」ぼくは答えた。
「そこだて、ジム」と先生が言う、「食べものにやかましいことから、どんな得《とく》があるか、見せてやろう。おまえはわしの嗅《か》ぎタバコ入れを見たことがあるじゃろう? ところが、わしが嗅ぎタバコを嗅いでいるのを、おまえは見たことがあるまい。そのわけはじゃ、わしはこの嗅ぎタバコ入れのなかに、パルマ産のチーズを入れて持ち歩いておるのじゃ……イタリアでできる、たいそう滋養《じよう》のあるチーズじゃよ。よし、これをベン・ガンにやろうわい!」
夜食まえに、ぼくたちはトムじいさんを砂地の墓に葬《ほうむ》り、しばらくのあいだ、夕風のなかで帽子をとって、墓のまわりに立っていた。薪《たきぎ》はたくさん運びこまれたが、船長の考えからするとまだふじゅうぶんだとみえ、かれは首を振って、「明日はもっと活発にこの仕事と取り組まにゃならん」とぼくたちに言い渡した。
そのあとで、豚肉の食事をし、めいめい一杯ずつ強いブランディを飲むと、頭株《あたまかぶ》の三人が一隅に集まり、これからさきの見込みについて話しあった。
三人とも、どうすればいいのか、とほうに暮れているようだった。なにしろ糧食がとぼしいので、救助隊が来るずっと前に、飢えのために降服するほかはなくなるにちがいない。だがわれわれとしては、海賊どもを殺しまくって、かれらが旗をまいて降参するか、それともヒスパニヨラ号で逃げだすところまで追いこむことだ、それが望みうる最上のことだ、と評議がきまった。はじめ十九人いたのが、いまでは敵は十五人に減っており、ほかに二人は負傷し、また少なくとも一人は……あの大砲のわきで撃たれた男は……よしんば死んではいないにしても重傷を負っている。敵を撃つときには、できる限りの用心をして、味方の命を救うようにするべきだ。そして、そのほかに味方には二つの有力な同盟軍がある……それはラムと、ここの風土である。
前者については、われわれは敵から八百メートル離れているにもかかわらず、夜おそくまでかれらが騒いだり歌ったりするのを聞くことができた。後者については、リヴジー先生が≪かつら≫に賭けて保証したことだが、かれらのように沼地に夜営《やえい》をし、薬も持っていないとすれば、一週間とたたぬうちに半分は病気で倒れるだろう、ということだった。
「だから」と先生はつけくわえた、「もしわれわれのほうがさきにみな殺しにならぬとすれば、やつらのほうがあのスクーナーで逃げだすだろう。やつらにとってたいせつなものは船だ、船さえあればまた海賊仕事がやれるのだからな」
「わしが船を取られたのは、これが初めてですよ」とスモレット船長が言った。
読者にもおわかりいただけると思うが、ぼくは死ぬほど疲れていた。それでも眠りについたのは、さんざん寝返りをうったあげくのことだったが、あとは丸太ん棒のように眠ってしまった。
あたりの物音と人声で目をさましたときには、ほかの人たちはもうよほど前に起きて、朝食もすませ、薪《たきぎ》の山は、もとの半分以上もふえていた。
「休戦の旗だ!」と、だれかの言うのが聞こえた。そして、そのすぐあと、おどろきの叫び声とともに、「シルヴァが自分で来たぞ!」
それを聞いてとび起きたぼくは、目をこすりながら、壁の銃眼《じゅうがん》のところへ走り寄った。
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第二十章 シルヴァの談判
はたせるかな、柵のすぐ外側には二人の男がおり、その一人が白い布を振っていた。もう一人が、ほかならぬシルヴァそのひとで、涼しい顔をして、そばに立っていた。
そのときはまだ、まったくの早朝で、ぼくはそれまであんな寒い朝に外へ出たことは一度もなかったように思う。骨の髄《ずい》まで刺しとおすような寒さだった。空は晴れて、頭上に一片の雲もなく、木々の梢《こずえ》は朝日にバラ色にかがやいていた。だがシルヴァがその副官とともに立っているあたりはまだ薄暗い日かげであって、夜のあいだに沼地からはいのぼってきた低い白い霧に、二人はひざまで包まれていた。その寒さとこの霧とを考えあわせれば、それはそのままこの島のみじめさを物語っているのである。あきらかに、ここは湿気の多い、熱病にかかりやすい、不健康な土地であったのだ。
「みな外に出るな」と船長が言った。「十に九つまで、これは謀略《ぼうりゃく》ですぞ」
それから、かれは海賊に声をかけた。
「来たのはだれだ? 止まれ、さもないと撃つぞ」
「休戦旗だぞ」とシルヴァが呼ばわった。
船長はポーチにいて、たといどんなだまし討ちをもくろんでいても撃たれないように用心をおこたらなかった。かれはふり向いて、われわれに話しかけた。
「リヴジー先生の組は見張りにつけ。先生には北側をお願いする。ジムが東側、グレイは西側じゃ。非番の組は全員、銃に弾丸《たま》をこめる。いいか、元気に、注意をおこたるな」
そしてふたたび叛徒《はんと》たちのほうへ向き直って叫んだ。
「休戦旗を立ててきて、何を望んどるのだ?」
今度は、答えたのはもう一人のほうだった。
「シルヴァ船長が、話をつけにやってきました」と男はどなった。
「シルヴァ船長だと! 聞いたこともないわい。だれのことじゃ?」と船長は叫んだ。そのあと、船長が一人ごとを言うのがぼくたちに聞こえた……「船長とはな? やれやれ、たいした出世じゃわい!」
のっぽのジョンが、自分で答えた。
「わしですよ、船長。あんたが船をすてたあとで、若《わけ》え者どもが、わしを船長にえらんだんだ」……≪すてた≫ということばをことさらに強く言った。「わしたちは、話さえつけば、降参する気ですぜ、けっして、四《し》の五《ご》の言うつもりはありませんぜ。わっしがたのみてえのはね、スモレット船長、たった一つ、わっしをこの柵の外へ、何ごともなく出してくれて、一分間でいいから弾のとどかねえところへ行くまでは、鉄砲を撃たねえと約束してもらうことでさあ」
「おい、聞け」とスモレット船長は答えた、「わしはきさまとはただのひと言も口をききたくない。わしと話がしたいなら、来るがいい、それだけのことじゃ。何かひきょうなまねをするとすれば、それはきさまのほうだろう、やりたければやってみろ」
「それだけ聞けばたくさんだ、船長」のっぽのジョンは景気よく叫んだ。「あんたの口から出たひと言だけでたくさんでがす。わっしゃ、紳士ってものを知ってるからね、おぼえといてくだせえ」
休戦旗を持っている男が、シルヴァを引きとめようとしているのが見えた。船長の返答がひどく横柄《おうへい》だったことに気づいていれば、それも無理ではなかった。だがシルヴァは大声で笑いながら、そんな心配をするのはばかげたことだと言わぬばかりに、男の背中をたたいてみせた。それから、柵のところまで進み、松葉杖を柵ごしに投げてから、その一木脚をもちあげ、すばらしい体力と熟練《じゅくれん》を見せてみごとに柵を乗りこえ、無事に内側に降り立った。
ここで、白状するが、ぼくはその場のなりゆきにあまりに心を奪われていたので、番兵としてはてんで役にたたなかったようだ。事実、そのときはもう持ち場の東の銃眼《じゅうがん》から離れ、戸口の船長のうしろまでにじり寄っていた。
その船長はいま、しきいぎわに腰をおろし、ひざの上に両ひじを置き、両手でほおづえをし、目は、砂地のなかの古鉄鍋からわき出てくる水を、じっと見つめている。そのうえ、一人で『いざ、乙女《おとめ》らよ若人《わこうど》よ』の節を口笛で吹いているではないか。
シルヴァは、柵砦《とりで》の高みまでのぼるのに、たいへんな苦労をした。傾斜が急なところへ、ふとい木の切り株がたくさんあり、おまけに地面はやわらかな砂地ときているので、シルヴァとかれの松葉杖とは、まるで方向転換中の帆船《はんせん》のようにたよりない有様であった。
だがかれは男らしくもくもくとがんばりつづけ、ようやく船長の前へたどりつき、まことにりっぱな態度で敬礼をした。最上の晴れ着でめかしこんだかれは、真鍮《しんちゅう》ボタンのどっさりついた、ばかに大きな青い上着のすそをひざまでたらし、みごとなレースで飾った帽子をあみだにかぶっていた。
「うむ、やってきたな」と、船長が顔を上げて言った。「ま、腰をおろしたらよかろう」
「船長、わっしを中へ入れてくれねえんですかい?」のっぽのジョンは不服そうに言った。「外の砂の上にすわるにしちゃあ、ずいぶん寒い朝ですがねえ」
「何を言うか、シルヴァ」船長は答えた、「正直な人間としておとなしくしていたら、いまごろは船の炊事室におさまっているはずだ。身から出たさびではないか。わしの船の料理番として、ちゃんとした待遇を受けているか、それともつまらぬ謀叛《むほん》人、海賊のシルヴァ船長として、しばり首になるか、どっちとも好きなようにせい!」
「まあ、ま、そう言わずにさ、船長」
船の料理番は命じられたとおり砂の上に腰をおろしながら言い返した、「これじゃ、今度また立つときに手を貸してもらわなきゃならねえ、それだけのことでさ。けっこうなお住まいだね、ここは。おお、そこにいるのはジムじゃねえか! おはよう、ジム。それから先生、これはごきげんよろしゅうござんす。なるほど、みなさんお揃いで、言ってみりゃ、幸福な一家みたいですねえ」
「何か言うことがあるなら、さっさと言うがいい」と船長が言った。
「ごもっともで、スモレット船長」シルヴァは答えた。「義務は義務ですからね、まったく。ではと、まず聞きなせえ、ゆうべのは、おまえさん、たいしたできだったね。上できだったことは、わしが認めますよ。おまえさんがたのなかに、木梃子《きでこ》の使いかたのめっぽううめえ人がいるね。手下どものなかには、おじけづいたやつがいたことも認めますよ……いいや、一人のこらずおじけづきやがったかもしれねえ。このわっしだって、おじけづかなかったとは言えねえ。だからこそ、こうして話をつけに来たのかもしれねえ。
だが、船長、言っときますがね、二度とこんなわけにゃいきませんぜ! こっちだって番兵も立てるし、ラムだって少しは控えさせますからね。あんたのほうでは、わっしらがみんな酔っぱらっていたと思っていなさるかしれねえが、わしは素面《しらふ》でしたぜ、はっきり言っとくがね。わっしゃただ、くたくたにくたびれてたんだ。たった一秒、早く目をさましていたら、現場でとっつかまえてやったんだ。わっしがそばへ行ったときは、野郎、まだ死んじゃいなかったんだからね」
「ふむ、それで?」とスモレット船長はせいいっぱいのおちつきをみせて言う。
シルヴァのしゃべっていることは、船長にはなにもかもが、なぞであったが、かれの口ぶりではだれもそうとは気がつかない。ぼくとしては、どうやら少しそれがわかってきた。ベン・ガンの最後に言ったことが、頭によみがえってきたからだ。してみるとベン・ガンは、海賊どもがたき火のまわりで酔いつぶれて寝ているあいだに不意討ちをしかけたものらしい。そうして、われわれはあと十四人だけ相手にすればいいわけだと勘定《かんじょう》して、ぼくはうれしくなった。
「さて、話というのはここだ」と、シルヴァが言った。「わっしらは例の宝がほしいから、ぜひとも手に入れる気でおりやす……そこが眼目《がんもく》だ! おまえさんがたは、命を助かりてえだろう、そこがそっちの目当てでがしょう。おまえさん、地図をお持ちだね?」
「ま、そうかもしれん」船長が答えた。
「なあに、持っているさ、ちゃんと知ってるんだ」
のっぽのジョンが言い返した。「何もそんなそっけねえ返事をすることはねえ。しらっぱくれたって、一文の得《とく》にもなるものか、おぼえとくがい。おいらの言うのは、そっちの図面がほしいってことだ。さ、そこで、こちとらは、あんたがたになんの害もしようてんじゃありませんぜ」
「そんなごまかしは、わしにはきかん」船長が相手のことばをさえぎって言った。「われわれはおまえらがやろうとしていることをはっきりと知っているが、それでもわれわれは平気だ。いまとなっては、おまえらにそれができはせんのだからな」
そして船長は静かにシルヴァを見やりながら、パイプにタバコをつめはじめた。
「もしエーブ・グレイのやつが……」とシルヴァが言いだした。
「やめとけ!」スモレット氏はどなりつけた。「グレイはわしに何も話しはせんし、わしも何もたずねはせん。それどころか、きさまもあいつも、この島ごと、そっくり海のなかから吹っとばして、地獄へほうりこんでしまいたいわい。つまりこれが、きさまについてのわしの気持ちじゃ、わかったか」
船長の癇癪《かんしゃく》の、この小さな爆発のおかげで、シルヴァも冷静になった。それまでかれはだいぶいらだってきていたが、いまはすっかり気をおちつけた。
「なるほど」かれは言った。「わっしはね、紳士たるものは、こうするのがふさわしいとか、ああするのがそうでねえとか、やかましいけじめをつけるつもりはありませんよ、時と場合によるからね。そこで、船長、おまえさんがパイプをつけようとしなさってるから、わっしもごめんをこうむって、一服やらせてもらいますぜ」
で、かれはパイプにタバコをつめて、火をつけた。こうして両人はかなり長いあいだ無言でタバコをふかしながら、ときどきたがいにじっと顔を見あったり、タバコをやめてみたり、前こごみになってつばを吐いたりしていた。二人の様子をみているのは芝居《しばい》を見るようにおもしろかった。
「さて」と、やっとまたシルヴァは話しはじめた、「話はこうだ。おまえさんがたは、宝を手に入れるための図面をおれたちに渡す。そうして、あわれな水夫どもを撃ったり、寝てるあいだに頭に穴をあけたりするのはやめてもらう。おまえさんのほうでそうしてくれれば、こっちからは、二つに一つ、おまえさんがたの望みにまかせようじゃありませんか。つまり、宝を積みこんだら、わしらといっしょに船にもどる、そのときはわっしが名誉にかけて、みなさんをどこかへ安全に上陸させる。またもしそれが気に入らなきゃあ、こっちの手下どものなかには荒っぽい野郎もいるし、こき使われたうらみもあることだから、この島へ残りなさるのもご勝手だ。食糧は頭割りにわけるし、これも誓っていいが、船を見かけしだい、話をして、ここへ助けに来させましょう。さ、どうです、これならわけのわかった話でしょうが。もっとうめえ話を望もうたって、無理ですぜ。それから、おい」……といちだんと声を高くして……「この小屋のなかにいるみなの衆《しゅう》も、おれのことばをようく考えてもらいてえ、一人に話したことは、みんなに話したことだからな」
スモレット船長は立ちあがって、パイプの灰を、自分の左のてのひらにたたき落とした。
「話はそれっきりか」とかれはきいた。
「おお、根っきり、葉っきり、これっきりだ、べらぼうめ!」ジョンの答えだった。「いやだというなら、あとはおいらのかわりに、鉄砲玉が挨拶するぜ」
「よかろう」船長が言った。「今度はきさまが聞く番じゃ。もしきさまらが一人ずつ、武器をすててやってきたら、わしはみなに鉄かせをはめて、イギリスへ連れ帰り、公平な裁判にかけてやることを約束する。それがいやなら、わしの名はアレグザンダー・スモレット、陛下の国旗はだてには掲げん、きさまら一人残らず、海坊主の餌食《えじき》に送りこんでやるまでじゃ。きさまらに宝が捜しだせるものか。船だって動かせんではないか……きさまらのうち一人として船を動かす能力を持った者はおらん。きさまらはわれわれにはむかうこともできん……そこにおるグレイは、きさまらの仲間五人をふりきって出てきたのだぞ。きさまの船はもう身動きができんぞ、シルヴァだんな。きさまらはいわば風下の岸にいるようなもので、もう未来《さき》は見えとる。わしはここに立って、はっきり言うてやるが、これがわしから聞く最後の忠告じゃぞ。上天の名において、この次きさまに会うときは、かならずその背中に弾をぶちこんでやる。さあ行け、小僧《こぞう》。とっとと、ここから出て失《う》せろ!」
シルヴァの顔こそは見ものだった。怒りで、目だまがとびだしそうになっていた。かれはパイプの火を振り落とした。
「手をかしておこしてくれ!」かれは叫んだ。
「ことわる」船長は答えた。
「だれか手をかしてくれねえか」と、シルヴァはどなった。
われわれのうち、一人も動く者はなかった。ひどい悪態を吐き散らしながら、かれは砂の上をはって、ようやくポーチに手をとどかせ、どうにか松葉杖にからだをささえた。それから泉のなかへつばを吐いた。
「やい」とかれは叫んだ、「このつばは、≪うぬら≫に吐きかけたんだぞ。一時《いっとき》たたねえうちに、この古小屋を、ラム樽《だる》みてえに穴だらけにしてやるからな。笑え、ちきしょう、笑やがれ! 一時たたねえうちに、≪うぬら≫吠《ほ》え面《づら》かいてるだろう。死ぬやつは運がいいことになると思え」
そして、おそろしいのろいのことばといっしょに、よろけながら砂地を歩いてゆき、休戦旗を持った男に助けられながら、四、五度もやりそこなったあげくにやっと柵を乗りこえ、そのあとはあっという間に木立のあいだに姿を消した。
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第二十一章 攻撃
シルヴァのすがたが見えなくなると、すぐに船長は、それまでじっとかれを見まもっていた視線を、小屋の内側へ向けた。グレイ一人を除いて、だれも自分の持ち場についている者はなかった。船長が怒ったのを見るのは、ぼくたち、このときが初めてだった。
「持ち場につけ!」とかれはどなった。それでぼくたちみなが、こそこそと各自の持ち場へもどると、船長は言った。「グレイ、わしはきみの名を日誌につけるぞ、きみは船乗りらしく自分の任務をまもったんじゃから。トリローニさん、あなたにはおどろきました。それから先生、あなたは軍人として勤務されたことのあるかただと思いましたが! フォントノアの戦いでも、そんな調子だったとすれば、寝床にはいっていたほうがよかったでしょうな」
先生の組の者はみな命じられた銃眼《じゅうがん》のところへもどり、他の者はせっせと予備の小銃に弾ごめをした。だれもが、読者もおわかりと思うが、しかられて顔をあかくし、よく言う≪耳が痛い≫思いをしていた。
船長はしばらく無言で様子を見ていた。が、やがて口を開いた。
「諸君」とかれは言った、「わしはシルヴァに悪口のいっせい射撃を加えた。わざと火のような罵詈雑言《ばりぞうごん》をあたえたのです。したがって、やつの言うたとおり、一時《いっとき》たたぬうちに、なぐりこみをかけてくるじゃろう。言うまでもなく、数ではこちらが少ないが、そのかわり援護物《えんごぶつ》にかくれて戦える。また一分前ならば、味方には規律がある、と言えるところであった。諸君がその気にさえなれば、敵を打ち負かせることは疑いないのであります」
それから船長は陣地をひとまわりして、すべて異状ないことをたしかめ、みなにそう告げた。
この小屋は東側と西側とが狭く、そこには二つずつの銃眼《じゅうがん》しかなかった。ポーチのある南側にも二つ、北側には五つあった。総勢七人のわれわれに対して、銃はちょうど二十挺あった。薪《たきぎ》は四つの山に積み上げられ……それを四つのテーブルと呼んでもよい……それぞれ四つの壁のまんなかほどのところにそれがあり、その各々のテーブルの上には、いくらかの弾薬と四挺の弾ごめした銃とが置かれ、守備をする者がいつでも使えるようになっていた。まんなかには短剣が並べてあった。
「火は消そう」と船長が言った。「もう寒くはない、それに煙が目にはいってはいかん」
火を入れた鉄の篭を、トリローニさんがまるごと抱えて外へ持ちだし、燃えさしは砂のなかへ入れて消された。
「ホーキンズはまだ朝飯をすませておらんだろう。ホーキンズ、自分でよそって持ち場へもどって食べろ」
スモレット船長はことばをつづけた。「さ、早くしろ。さっさとすまさないと、食いはぐるぞ。ハンター、全員にブランディをくばれ」
そしてブランディがくばられているあいだに、船長は頭のなかで防戦の手はずをすっかりまとめあげた。
「先生、あんたは戸口を引き受けてください」また船長は話しはじめた。「よく見て、からだを出さんように。ドアの内側にかくれて、ポーチから射撃してください。ハンターはそこの東側だ。ジョイス、おまえは西側に立ってくれ。トリローニさん、あなたは味方の第一の射手じゃから、グレイと二人で、広い北側の、五つの銃眼《じゅうがん》を守ってください。そこがいちばん、あぶないですから。もし敵のやつらがそばまで来て、銃眼からわれわれに向かって撃ってきたら、事態はやっかいなことになる。ホーキンズ、おまえとわしとは、射撃にかけてはあまり役にたたんから、弾ごめして手つだうことにしよう」
船長が言ったように、寒さはすぎ去った。太陽が、われわれの柵砦《とりで》をとりまく木立のずっと上までのぼると、すぐにあき地の上いっぱいに照りつけ、一気に霧を飲みほしてしまった。
まもなく砂地は焼け、小屋の丸木から≪やに≫が融《と》けだした。上着や外套は投げだされ、みなはシャツのえりをはだけ、そでは肩までまくりあげ、めいめいの持ち場にいて、暑さと不安で熱に浮かされたようになった。
一時間が、過ぎ去った。
「いまいましい!」船長が言った。「まるで赤道の無風海域にいるような退屈さだ。グレイ、口笛でも吹いて風を呼んでくれんか」
と、ちょうどそのとき、敵襲の最初の知らせがあった。
「おたずねしますが」とジョイスが言った、「だれか見えたら、撃ちますですか?」
「そう言ったじゃないか!」と船長が叫んだ。
「はい、かしこまりました」ジョイスは、いつもと変わらぬ、おちついた、いんぎんな調子で答えた。
しばらくは、なにもおこらなかった。が、いまのことばで、みな気持ちが張りつめ、目も耳も少しのゆだんもなかった……射手たちは両手でしっかりと銃を構えていたし、小屋のまんなかに陣取った船長は口を一文字に結び、顔をしかめていた。
こうして数秒が過ぎたが、急にジョイスがサッと銃をあげ、発砲した。その銃声がまだ消えぬうち、外からの散発的な乱射がつづき、柵の四方八方から弾が、次から次と、ひとつながりのガチョウのように飛んできた。何発かが丸太小屋に当たったが、一発も中へははいらなかった。そして、硝煙が流れて消えたあとを見ると、柵砦《とりで》もその周囲の森も、さっきと同じように静かで、人影がなかった。まったく、木の枝ひとつ揺れず、敵のひそんでいることを知らせる銃身のきらめき一つさえもなかった。
「うまく相手をやっつけたか?」と船長がきいた。
「いえ」とジョイスは答えた。「当たらなかったと思います」
「正直にそう言うのは、当たった次にいいことだ」スモレット船長はつぶやいた。「ジョイスの銃に弾をつめてやれ、ホーキンズ。先生、あなたの側には何人ぐらい、敵が来たと思います?」
「わしは正確に知っている」リヴジー先生は言った。「こっちからは三発、撃ってきた。閃光《せんこう》が三つ見えた……二つはぴったり並んで、もう一つはずっと西のほうでした」
「三人!」船長はくりかえした。「ではあんたのほうは、トリローニさん?」
だがこちらはそう容易には答えられなかった。北からはたくさん来たからだ……郷士さんの計算では七発、グレイによれば八発か九発だった。東と西からは、たった一発しか撃ってこなかった。したがって、攻撃は北から展開されること、ほかの三方は単に見せかけ攻撃になやまされるだけだということが、はっきりした。しかしスモレット船長は味方の配置を変えなかった。もし叛徒《はんと》が柵を乗りこえることに成功したら、かれらはどれと限らず防備のない銃眼《じゅうがん》を手に入れるだろう、そうなればわれわれは自分たちの柵砦《とりで》のなかでネズミのように撃ち殺されてしまうだろう……これが船長の意見だった。
もっともわれわれには考えている暇はあまりなかった。突然、大きなときの声とともに、一団の小さな黒雲のような海賊どもが北側の森からおどりだし、柵砦《とりで》へまっしぐらにつっこんだ。同時に、ふたたび森からは射撃がおこり、一発は小屋の入口を抜けて先生の銃を粉微塵《こなみじん》に砕いた。
寄せ手は猿の群れのように柵の上に群《む》らがった。郷士さんとグレイとはつづけざまに撃った。三人が倒れ、一人は前のめりに柵の中へ、二人はあおむけに外へ、落ちた。だがこれらのうち、一人はあきらかに傷を負ったよりも腰をぬかしたらしく、すぐにまた立ち上がって、アッという間に木立に消えた。二人は撃ち倒され、一人は逃げ、そして四人がわれわれの防備の内側へ踏みこんできたことになる。
一方、木立をたてにとって七、八人の者が、めいめい数挺ずつの銃をあたえられて、むだにではあるが猛烈に丸太小屋を撃ちまくっていた。
攻めこんだ四人は、走りながら喚声《かんせい》をあげて、一気に正面の建物に迫った。木立のあいだからも、かれらを励まそうと騒ぎたてた。こちらから数発、撃ったが、射手が心があせっているので、一発も当たらなかったらしい。たちまち四人の海賊は小山を走り上って、われわれに肉迫した。
水夫長のジョブ・アンダソンの頭が、中央の銃眼《じゅうがん》にあらわれた。
「やっつけろ、あいつら……それ!」かれのわめく声が、雷のようにひびきわたった。
同時に、もう一人の海賊がハンターの銃の銃口をつかんでかれの手からもぎとり、銃眼《じゅうがん》から引き抜いたかと思うと、すさまじい一撃でかわいそうなハンターを床に打ち倒し、気絶させてしまった。その間に三人めの男が無傷のまま小屋をひとまわりして、急に入口にあらわれ、短剣をかざして先生にとびかかった。
われわれの立場は、すっかり逆になった。一瞬前には物陰にかくれて、むきだしの敵に射撃していたのに、いまはむきだしにされたのはわれわれのほうで、しかも反撃にも出られないのだ。
丸太小屋のなかはいっぱいの煙で、そのおかげでわれわれはよほど助かったのだ。叫び声、混乱、ピストルの閃光《せんこう》と発射音、そうしてひと声、大きなうめき声が、ぼくの耳に鳴りひびいた。
「外へ! 出るんだ、みな! 広いところでたたかえ! 短剣で!」と船長が叫んでいた。
ぼくは薪《たきぎ》の山から短剣を一挺、つかみ取ったが、同時にだれかが別の一挺をつかみ、指の関節をサッと切ったが、痛さはほとんど感じなかった。ぼくはドアから明るい日の当たる場所へ走り出た。だれか、すぐあとから出てきたが、だれだかわからない。すぐ前に、先生が自分の相手を追って丘を駆け下りていて、ちょうどぼくの目に先生が映ったとたんに、先生は相手の刀をうち落とし、敵は顔に大きな傷をうけて、あおむけに大の字なりに倒れるのが見えた。
「小屋をまわれ、みな、小屋をまわれ!」船長が叫んでいた。そのてんやわんやのなかでも、その声が変わっていることにぼくは気づいた。
ぼくは機械的に命令にしたがって、東へ向かい、短剣をふりかざして小屋の一角を曲がった。次の瞬間、ぼくはアンダソンと正面から向かいあっていた。かれは大声でわめき、短剣が頭上たかくかざされて、日光にきらめくのが見えた。こわい、と思う暇があったわけではないが、その短剣がまだ振りおろされる一瞬前、ぱっと身をかわした。が、やわらかな砂地に足をとられ、まっさかさまに斜面をころげ落ちた。
最初、ぼくがドアからとびだしたとき、ほかの謀叛《むほん》人どももすでに、われわれを一度にかたづけてしまおうと、柵のところに集まってきたところだった。その一人、赤いナイト・キャップをかぶって、短剣を口にくわえた男は、もはや柵の上までのぼり、ちょうど片あしをこちらへ出していた。
それが、あのときの時間がどれほど短かったかがわかるのだが、ぼくがふたたび自分の足で立ったとき、すべてはまだ同じ姿勢で、赤いナイト・キャップの男はまだ柵を越えきっておらず、次の一人はまだ柵の上へ頭を出したばかりであった。それだのに、そのひと呼吸ほどの間に、たたかいは終わり、勝利はわれわれのものになっていたのだ。
ぼくの真うしろにつづいたグレイが、大男の水夫長の、ぼくを打ち損じた一撃から立ち直る暇もあたえず、切り倒した。他の一人は、銃眼《じゅうがん》のところから小屋の中へ向けて発砲しようとしている最中に、撃ち倒された。三人めは、ぼくが見たとおり、先生の一撃で仕止められた。さきに柵を乗りこえた四人のうち、退治されずに残ったのは一人だけで、この男は短剣をその場にすてて、命からがら、いま柵をもう一度こえて逃げようとしていた。
「撃て……小屋のなかから撃て!」と先生が叫んだ。「おまえたちも小屋へかえれ」
だが先生の命令にしたがう者はなく、一発の弾も撃たれず、最後の突撃隊員もうまく柵を越えて、ほかの者といっしょに森の中へすがたを消した。三秒後に、攻撃軍の残したものといっては、柵の内側に四人、外側の一人、あわせて五人の死骸《しがい》だけであった。
先生とグレイとぼくとは全速力で小屋へ走り帰った。生き残ったやつらはまもなく銃を置いた場所へもどり、いつなんどき射撃を再開するかもしれないのだ。
小屋のなかは、その時分にはいくらか煙が薄くなっていたので、ひと目で、われわれが勝利の代償として支払ったものが何かを、われわれは見た。ハンターが、かれの持ち場の銃眼のわきに、気を失って倒れていた。ジョイスも同じく自分の持ち場で、脳天《のうてん》を撃ちぬかれ、二度と動かなくなっていた。そして、小屋のまんなかに郷士さんが、船長を抱えていたが、顔は二人ともまっ青だった。
「船長が負傷だ」とトリローニさんは言った。
「敵は逃げたかね?」とスモレット氏はたずねた。
「逃げられるやつだけは、まちがいなく逃げたよ」と答えたのは先生だ。「だが、二度と逃げる気づかいのないやつが五人いますよ」
「五人!」船長は言った。「うむ、そりゃよかった。五対三なら、残りは四対九だ。これなら、はじめよりは割がよくなった。前には、わしらは十九人に対して七人じゃった……少なくとも、そう思っておった。これではとても、分《ぶ》がわるかったですよ」
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(原注)謀叛《むほん》人どもはまもなくわずか八人に減った。スクーナーの甲板でトリローニさんに撃たれた男が、その晩に傷が重くなって死んだからである。しかしこのことは、われわれの側が知ったのはずっとあとになってからであった。
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第五部 海の冒険
第二十二章 ぼくの海の冒険のはじまり
謀叛人《むほんにん》どもはひっ返してこなかった……それきり、森のなかから射撃さえしてこなかった。かれらは、船長のことばをかりれば、≪その日の食糧の配給を受け取ってしまった≫のだから、そのおかげでわれわれはおちつくことができた。ゆっくりと負傷者の手当てをしたり、食事をしたりした。郷士さんとぼくとは危険も恐れずに外で料理をしたが、外にいても先生の手当てを受けている連中のすごいうめき声で、何をしているのだか、わからないほど恐ろしかった。
戦闘で倒れた八人のうち、息があるのは三人だけで……銃眼《じゅうがん》のところで撃たれた海賊と、ハンターと、スモレット船長とだった。この三人のうち二人は、ほとんど死にかけていた。海賊は、じっさいに先生の手術を受けているあいだに死んだし、ハンターも、どれほど手をつくしても、二度とこの世で意識を回復しなかった。かれは、ぼくの家で脳溢血《のういっけつ》の発作をおこした、あの老海賊のように荒い息づかいをしながら、その日一日はもちこたえたが、銃の一撃で胸の骨をくだかれたうえに、倒れたときに頭蓋骨《ずがいこつ》が割れてしまったので、その夜のうちに、これという変化もなく声もたてずに、造物主のみもとへ立ち去った。
船長はというと、傷はたしかにひどかったけれど、危険なものではなかった。どこにも致命傷は負っていなかった。アンダソンの弾は……つまり最初に船長を撃ったのはあのジョブのやつだった……肩胛骨《けんこうこつ》を砕いて、肺に触れていたが、そうひどくはなかった。第二の弾は、ふくらはぎの筋肉を裂いて、けずり取っただけだった。だいじょうぶ、なおる、と先生は言ったが、それまでの、おそらく数週間は、歩くことも腕を動かすことも、できれば口をきくことさえ、してはならない状態であった。
ぼく自身のちょっとした指の関節の傷は、≪のみ≫に食われた程度のものだった。リヴジー先生はぬり薬をはってくれて、おまけに、ぼくの耳をひっぱってくれた。
食事のあと、郷士さんと先生は、しばらく船長のわきにすわって相談をした。そして三人ともじゅうぶんに納得がいくまで話しあった末、そのときは正午を少し過ぎたころだったが、リヴジー先生は帽子とピストルを手にとり、短剣を腰に着け、図面をポケットに入れ、そして銃を肩にかけて、北側の柵を越え、元気よく木立のなかへ出かけていった。
グレイとぼくとは、小屋の奥の、味方の将校たちの軍議の聞こえないところにいっしょにすわっていたが、グレイはこのできごとを見てよほどびっくりしたらしく、口から離していたパイプをもとの口に入れるのをすっかり忘れていた。
「いったいこりゃあ、あきれたな」かれは言った、「リヴジー先生は、気でも狂ったのかね?」
「そんなことはないよ」とぼくは言った、「みんなのなかで、先生ほど気のたしかな人はないよ、ぼくはそう思うね」
「そうかね」とグレイは言った、「そんなら先生は狂ってねえんだろうな。だが、兄弟、もし先生が狂ってねえなら、おぼえておけ、狂ってるのは、おれだぜ」
「ぼくが思うんでは」とぼくは答えた、「先生には考えがあるんだ。そいで、ぼくの考えがまちがっていなければ、先生はベン・ガンに会いに行ったんだよ」
後にわかったように、ぼくはまちがっていなかった。だが、そのうちに小屋のなかは息がつまるほど暑くなり、柵の内側の少しばかりの砂地は真昼の太陽に焼けつくばかりになったので、ぼくはまた一つ新しいことを考えはじめたが、これはどうも必ずしもあまり正しい考えではなかった。
つまり、ぼくは先生をうらやみはじめたのであって、森の涼しい木かげを歩き、あたりに鳥のさえずりを聞き、松のさわやかなかおりをかいでいる先生にひきくらべ、暑さにとけたヤニのついた衣服をつけ、あたりにはおびただしい血が流れ、いたるところ死体がころがっているなかで、暑さに炒《い》られるようにしてすわっている自分というものを考えると、ぼくはこの場所にたいする嫌悪《けんお》が、ほとんど恐怖と同じもののように強まってくるのだった。
ぼくが丸太小屋を水で洗ったり、食事のあとの洗いものをしたりしているあいだ、この嫌悪と羨望《せんぼう》とはますます強くなりつづけ、とうとう、ちょうどパン袋のそばに自分がいて、だれも見ている者がいなかったので、ぼくは脱線的な冒険への第一歩を踏みだして、上着の両方のポケットに堅パンをいっぱい詰めこんだ。
ぼくはバカだった……そう言われてもしかたはない。たしかにぼくはバカげた、大胆すぎる行動に出ようとしていたのだ。しかしぼくとしてはできる限りの注意をはらって、それをやろうと決心していた。ポケットの堅パンは、どんな危難に陥ろうと、少なくともあすのかなりおそくまで、飢えをしのがせてくれるはずだった。
その次に手に入れたものは一対のピストルで、火薬を入れた牛の角と弾丸《たま》とは前から持っていたから、これでぼくは武器に不足はないと思った。
ところで、ぼくの頭にあった計画はというと、これは計画そのものとしてはそう悪くなかったものの、停《てい》泊地《はくち》の東側と外海とのあいだの仕切りになっている砂洲《さす》を下りていって、きのうの夕がた見ておいた白い岩を見つけ、はたしてそこがベン・ガンのボートの隠し場所なのかどうか、たしかめよう、というのだったが、これはいま考えてみても、たしかにやる値うちのあることだったと思う。
しかし、柵の外へ出るのを許してもらえるはずはない以上、ぼくに思いつける計画は、だれも見ていないときに、だまってこっそり脱けだすという方法しかなく、これは計画そのものまでがまちがっていたことになるほど、わるい方法だったのである。だがぼくはまだほんのこどもだったし、やろうと決心してしまっていた。
さて、そうこうするうち、とうとう、すばらしい機会がみつかった。郷士さんとグレイは船長のほうたいの巻きかえをてつだっていた。今ならだれも見ていない。ぼくはすばやく柵を乗りこえて、木立の茂みのなかへもぐりこみ、みながぼくのいないことに気がつくころには、もう仲間の人たちの呼ぶ声の聞こえないところまで来ていた。
これがぼくの二つめのバカげた行動であった。しかも小屋をまもっているじょうぶな男はもう二人しかいなかったのだから、最初のときよりもはるかに悪いことだったのだが、これがまた味方ぜんぶの命を救う役にたったのである。
ぼくはまっすぐに島の東海岸へ向かっていった。碇泊地からは決して見つけられないように、砂洲の海ぞいの側を行くことにしようと心をきめていたからである。まだ暖かくて、日が照ってはいたけれど、もう午後のおそい時刻になっていた。背の高い木々のあいだを縫って歩みつづけているうち、行手《ゆくて》のはるか向こうに、やすみなく岸に砕ける波の、どうどうという音のほかに、木の葉のざわめきや枝と枝のすれあう音も聞こえて、海からの風がふだんよりも強くなっていることがわかった。まもなく、涼しい風が、ぼくの身にも吹きつけてきた。そして、さらに少し行くと、森のはずれの開けたところへ出た。青い、日に照らされた海が、ひろびろと水平線までひろがり、岸辺には白いあわをたてながら、波がうち寄せ、くだけていた。
この宝島の周囲の海がおだやかなのを、ぼくは一度も見たことがない。太陽がてっぺんから照りつけ、風はそよともせず、海面は青あおと鏡のようであっても、外海に面した岸ではどこでも、こうした大きなうねり波がたえすうち寄せ、昼となく夜となく、どうどうととどろきわたっているのだろう。それゆえ、ぼくには、この島のどの一個所でも、そのとどろきが人の耳に聞こえない場所があろうとは思えないのだ。
ぼくはすばらしく愉快な気持ちで、波打ちぎわを歩いていったが、やがて、もうこれでよほど南へ進んだなと思うところで、茂った潅木《かんぼく》におおわれたあたりを、用心しながら砂洲《さす》の頂上へよじのぼった。
うしろには海、そして前には碇泊地がある。海からの風は、まるで、ふだんとちがうその激しさのために、ふだんより早く吹ききってしまったかのように、もうやんでいた。強風のあとには、南と南東とから、弱い、変わりやすい風が、幾重《いくえ》もの大きな壁のような霧を運んできた。そうして碇泊地は、骸骨《がいこつ》島の風陰《かざかげ》になっているので、はじめてぼくたちがはいってきたときと同じように静かに、無気力に、横たわっている。その張りつめた鏡のような水面に、ヒスパニヨラ号は、檣頭《しょうとう》から吃水線《きっすいせん》までクッキリと姿をうつし、船首から海賊旗がたれさがっていた。
ボートが一隻、そこに横づけになっていて、艇尾《ていび》の座席にシルヴァがいた……この男ならぼくには、いつでもどこでも見わけがついた……そして親船の船尾の舷墻《げんしょう》から二人の男が身を乗り出していて、その一人は赤帽子をかぶっている……それが、数時間前に、柵に馬乗りになっているのをぼくが見た、あの悪者にちがいなかった。かれらはしきりにしゃべったり笑ったりしているようだ、もちろん一キロ半以上も離れているのだから、ぼくにはことばは一つも聞こえなかったけれど。
突然、おそろしく気味わるい、この世のものとも思えぬ叫び声がおこった……それを聞いた瞬間には、ぼくは飛びあがるほどおどろいたのだが、まもなくそれがオウムのフリント船長の声だと気がつき、なるほど、主人の手首の上にとまっているそのはでな羽根の色が見えたような気さえもした。
そのうちに、ボートは船から離れて、岸へ向かってこぎだし、赤帽子の男とその相棒は船室の昇降口から下へ消えた。
ちょうどそのころ、太陽は遠めがね山のうしろへ沈んで、霧はみるみるうちに濃くなり、本式に暗くなりはじめた。その晩のうちにボートを捜しだすつもりならば、これはぐずぐずしてはいられないと、ぼくは気がついた。
白い岩は、潅木《かんぼく》の茂みの上に、はっきりと見えてはいたが、まだ二百メートルほども砂洲《さす》をくだったところにあったので、潅木《かんぼく》のあいだをはうようにして、いや、たびたび実際に四つんばいにもなって、岩のそばまで進んでゆくのは、かなりの時間がかかった。ごつごつした岩の肌《はだ》に手をかけたときには、すっかり夜になっていた。すぐ下には、緑の芝生のはえた、ごく小さなくぼ地があったが、それが土手と、そのあたりにいっぱいはえている、ひざまでのびた下ばえとに隠れて見えにくくなっている。そのくぼ地の中央に、はたして、小さな山羊皮《やぎかわ》のテントがあった……イギリスでジプシーたちが持ちあるいているものに似ている。
ぼくはくぼ地へ下りてゆき、テントのすそをもちあげてみると、そこにベン・ガンのボートがあった……いかにも、もんくなしのお手製らしい代物《しろもの》で、じょうぶな材木を、ぶきように、左右不揃いな形に組んだ枠《わく》へ、山羊皮を、毛のほうを内側にして張ってあった。しかもそれはひどく小さな舟で、ぼくでさえ乗れそうもないこんなものに、大の男が乗って水に浮かんでいられようとは思えない。ごく低くこしらえた横木の座席と、舳《へさき》のほうにこぎ手のための足かけとが造ってあり、両かきの櫂《かい》が一本あった。
昔のブリトン人が造ったという革舟を、そのときのぼくはまだ見たことがなかったけれど、後に見る機会があったので言うのだが、ベン・ガンのボートについて説明するには、人類が造った最初の、いちばんぶさいくな革舟に似ているといえば、はっきりすると思う。しかし革舟の持っている長所はこのボートにもたしかにあって、これはすばらしく軽くて持ち運びに便利なやつであった。
さて、舟を発見したので、読者のみなさんはぼくが、今度こそは勝手ないたずらにもたんのうしたろうと思うかもしれないが、そのときにはまた一つ、新しく思いついたことがあって、どうしてもそれをやりたくてたまらなくなっていた。たといスモレット船長のごきげんをそこねようとも、これだけはやり通さずにいなかったろうと思う。その思いつきとは、闇夜にまぎれて海へ忍び出て、ヒスパニヨラ号の錨索《いかりづな》を切り、どこなりと好きな岸へ乗りあげさせてやろうというのだ。謀叛人どもは、けさあんなふうに撃退されたあとだから、さっさと錨をあげて海へ出てしまうことしか考えていない、と、そんなふうにぼくは思いこんでいたので、やつらが逃げだすのをじゃましてやったら、さぞ愉快だろうと思ったのだ。そして番人たちには一隻のボートも用意してやっていないことも見とどけてあるので、この仕事はたいした危険もなくやっつけられそうな気がした。
そこでぼくは腰をおろして暗くなるのを待つあいだに、堅パンでたっぷり腹ごしらえをした。その晩は、ぼくのねらいのためには願ってもない、おあつらえむきの夜であった。空はすっかり霧でおおわれてしまった。暮れがたの最後の明るみが弱まり、やがて消えて、真《しん》の闇が宝島を包みこんだ。そうして、例の革舟を肩にかつぎ、夕食をたべた≪くぼ≫地から、つまずきながら手さぐりで出てきたとき、碇泊《ていはく》所のなかで見えるものといっては、二個所だけになっていた。
その一つは岸の、湿地のなかの大きなたき火で、そのわきで戦いに敗れた海賊どもが飲んだくれて騒いでいた。他の一つは、闇のなかにぼんやりと浮かんだ弱い光で、錨をおろした船のありかがそれでわかった。船は干潮に引きまわされて向きをかえ……船首がいまぼくのいるほうを向いている……船中でのたった一つの灯火は船室のそれだけである。そしてぼくの見たのは、船尾の窓から流れ出ている強い光が、霧に反射しているのにすぎなかった。
引き潮はかなり前から始まっていたので、ぼくは沼のように水けの多い砂地の長い帯を渡ってゆかねばならなかった。幾度か、くるぶしの上まではまりこみながら、ようやく、引きつづけている水ぎわまでたどりつき、そこからさらに少し海のなかへはいっていってから、ちょっとした力と技術を使って革舟を、竜骨を下にして水面に浮かべた。
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第二十三章 引き潮に乗って
革舟は……使いこなす前からぼくにはわかっていたことだが……ぼくのような身長、体重の者にはごく安全な乗りものであって、荒海にもよく浮くし、動きも軽快である。だがこのボートは実に意地がわるく、右左の平均のとれない、あつかいにくい代物《しろもの》であった。こっちがどうやっても、風下側へ頭を向けなければ承知しないし、ぐるりぐるりと回ってばかりいるのが、こいつのいちばんのお得意だった。造った当人のベン・ガンでさえ、あいつは「くせをのみこむまでは、あつかいにくいよ」と言っていたくらいだ。
ぼくが、くせをのみこんでいなかったのは当たりまえだ。やつは、あらゆる方向へぐるぐる回るけれども、ぼくのめざす方向へだけは向いてくれない。こぎ出てからの大部分の時間は、ヒスパニヨラ号に横腹を向けていたのだから、潮に流されなかったらとても船へ行き着くことはできなかったろうと思う。ありがたいことに、ぼくがどう櫂《かい》をあやつろうとおかまいなしに、潮流はぼくを押し流して、その行手にヒスパニヨラ号がちゃんと控えていてくれたから、つかまえそこなうはずはなかった。
はじめのうち、船はぼくの目に、闇よりもまだ黒い何かの汚点のように浮かんでいたが、やがてマストや船体が形をなしはじめ、次の瞬間……と、そう思ったのは、こぎ進むにしたがって引き潮の流れが速くなったためで……ぼくは錨索《いかりづな》のそばに来ていたので、それをつかんだ。
錨索は、弓の弦《つる》のように張りつめていた……それほど強く、船は錨をひっぱっていたのだ。闇のなかで、船体をとりまく海面には、さざ波たった潮流が、まるで山中の谷川のようにあわだち、さざめいていた。ぼくの大型ナイフでぷっつり切れば、ヒスパニヨラ号は帆をうならせながら潮に乗って走り去るだろう。
そこまではよかった。だが次の瞬間にぼくの頭に浮かんだのは、張りつめた錨索《いかりづな》をだしぬけに断ち切ることは、蹴りあげる荒れ馬のようにぶっそうなことだ、という事実だった。十中、八九《はちく》、ヒスパニヨラ号の錨索を切り放すようなむちゃをすれば、ぼくも革舟も空中へはねとばされるだろう。
そう考えると、ぼくは手が出なかった。だから、ここでもまたぼくの運が格別によくなかったとすれば、計画をあきらめるほかなかったであろう。ところが、南東と南とから吹きはじめていた軽風が、日没後は南西にかわってきていた。ちょうどぼくが考えこんでいるあいだに、一陣の風が吹き、ヒスパニヨラ号をとらえて、潮流のなかへ押しやった。すると、なんとうれしいことだろう、ぼくは、握っていた錨索《いかりづな》がゆるんでいるのに気づいた。索《つな》をつかんでいるぼくの手が、ちょっとの間、水につかったのだ。
これでぼくは決心して、大ナイフを取りだし、歯でかみ開き、索《つな》の縒《よ》りを一本一本、切っていった。とうとう船は二本の縒りでつながれるだけになった。それからぼくはじっとして、もうひと息、風が吹いて、索《つな》がたるんだところでこの残った縒りを切り放そうと、待ちかまえた。
そうこうするあいだ、ぼくの耳には、船室からの高い話し声がずっと聞こえていた。だが実を言うと、いま、ほかのことであたまがいっぱいだったので、話し声にはほとんど耳をかさずにいた。それがほかにすることがなくなったので、そのほうへよけいに注意を向けはじめた。
一人は、もとフリントの砲手で、いまはボート長のイズレール・ハンズと知れた。もう一人は、もちろん、わが親友、例の赤いナイト・キャップだ。二人ともひどく酔っているのが声でわかるが、いまもまだ飲みつづけている。ぼくが耳をすましているあいだにも、一人が酔いどれらしいわめき声をあげて船尾の窓を開き、何かをほうりだしたが、ぼくは酒のあき壜《びん》とにらんだ。だが、かれらはただ酔っているだけではなく、ものすごく怒っていることも明らかだった。ひどい悪態が雨あられと飛び交い、そのあいだにときどき、とてもなぐりあいにならなげれば納まるまいと思うようなののしり声がはじけ飛んだ。けれども、その大声のたびにけんかはおさまって、しばらくは声も低くなるのだが、やがてまた次のけんかがはじまって、それもまたなんとなくおさまってしまう。
陸地では、浜辺の木立を透かして、大きなたき火のあかあかと燃えているのが見られた。だれか一人、単調な、古めかしい船乗り唄をうたっている。一節の終わりごとに声が低く、ふるえ声になるが、聞いていると、歌い手の根気がつづく限りはいつになっても終わることはなさそうだった。ぼくはこの唄を航海中に幾度も聞いたから、その文句をおぼえていた……
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七十五人で船出をしたが
生き残ったはただ一人
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そしてぼくは、朝のうちあれほど手いたい犠牲者をだした一党にしては、これはあまりぴったりしすぎる悲しい唄だ、と思った。だが、じっさいに、ぼくの観察したところから言っても、これらの海賊どもは、かれらが船で走りまわる海そのもののように無情なのだ。
とうとう、快風が来た。スクーナーは闇のなかで横にうごいて、近寄ってきた。もう一度、錨索《いかりづな》がゆるむのを感じたので、ぼくは思い切って力を出し、残った縒《よ》りを断ち切った。
出てきた風は、ほとんど革舟には力を加えなかった。それでぼくはたちまちヒスパニヨラ号の船首にぶつかりかかった。それと同時に、スクーナーは船尾を中心に向きを変えはじめ、ゆっくりと、潮流のなかを、いままでとちょうど反対の位置に変わった。
ぼくは、いまにも革舟がひっくりかえりそうなので、死にものぐるいではたらいた。革舟を、すぐには船から押しはなすことはできないことがわかったので、こんどは真うしろへこいだ。それでようやくこの危険な隣人から離れることができた。
ちょうど最後にひとこぎしたとたんに、船尾の舷墻《げんしょう》ごしにたれている細い索《つな》に、手がさわった。すぐにぼくはそれをつかんだ。
どうしてそんなことをしたのか、よくわからない。最初は、たんに本能的にそうしたのだが、ひとたびそれを手に握り、索が船にしっかり結んであるのを知ると、たちまち好奇心がさきにたって、一つ船室の窓から内《なか》をのぞいてやろうと決心した。
ぼくはその索をたぐってゆき、このくらい近づけばよかろうと思ったときに、このうえもない危険をおかして、半分ほどからだをおこした。すると、船室の天井と、室内の一部とが見わたせた。
その時分には、スクーナー船とその小さなお供の革舟とは、かなりの速さで海面をすべっていた。まったく、陸地のたき火と平行になるところまで来ていた。船は、たえずしぶきをあげながら無数のさざ波を蹴《け》たてて進み、船乗りことばでいう≪大声でおしゃべり≫をしていた。そしてぼくが窓の敷居《しきい》の上まで目をあげてのぞくまでは、見張りの者たちがなぜびっくりしないのか、そのわけがわからずにいたのだが、ひと目、のぞけばじゅうぶんだった。もっとも、あぶなっかしい小舟からでは一度しか見るのはむずかしくもあったのだ。そのひと目で、ぼくにわかったことは、ハンズとその仲間とが必死の組み打ちをしていて、たがいに相手ののどをつかんでいたことである。
ぼくはふたたび小舟の腰かけに腰をおろしたが、もう少しおそかったら海のなかへ落ちるところだった。当座のあいだ、ぼくには、すすけたランプの下で、向きあって揺れ動いている二つのたけりたったまっ赤な顔のほか、何も見えなかった。ぼくはもう一度目を闇にならさせるために目をつぶった。
はてしなくつづいた船唄《ふなうた》もようやく終わりに近づき、たき火のまわりの、数の減った海賊どもの全員が、これまで幾度となく聞いたことのある例の合唱をやりだした……
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≪死人の箱≫には十五人……
ヤンレサ、ホイ、それに一本、ラムの壜《びん》!
残りは酒と悪魔にまかせ……
ヤンレサ、ホイ、それに一本、ラムの壜《びん》!
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いまのいまとて、ヒスパニヨラ号の船室で、≪酒と悪魔≫がどれほどせっせとはねまわっていることか……そう考えている矢先、革舟が急にかたむいたので、ぼくはびっくりした。それと同時に、急角度に首を振って、針路を変えたような気がした。その間に、速度は異常に増していたようだ。
すぐにぼくは目をあけた。あたりは一面、小さな波が、はげしくさか毛だつような音をたてつつあわだち、かすかに燐光《りんこう》を発していた。数メートル離れたヒスパニヨラ号の航跡のなかで、革舟はまだきりきりまいをさせられていたが、そのスクーナー自身も針路がよろめいているらしく、マス卜や帆桁《ほげた》が黒ぐろとした夜空に少し揺れうごくのが見えた。いや、もっとつづけて見ていると、船もやはり南へと向きを変えていることが、はっきりした。
そのとき、肩ごしにふりかえって、ぼくは、ドキンと、心臓が肋骨《ろっこつ》にぶつかるのを感じた。あのたき火の光が、真うしろになっているではないか。潮の流れが直角にまがって、背の高いスクーナーも、木の葉のように波に踊らされる小さい革舟も、その流れにさらわれてついてゆく。流れはぐんと速くなり、強くあわをたて、波音もぐんぐん高くなりながら、一気に瀬戸を抜けて外海へゆくのだ。
急に、前をゆくスクーナーが、激しく針路をそれて、およそ二十度ぐらいだろうか、方向を変えそれとほとんど同時に、船中から一つの叫び声がおこり、つづいてまた一つ、おこった。船室昇降口を踏み鳴らす足音が聞こえた。あの二人の酔っぱらいも、とうとうけんかを途中できりあげ、自分たちの災難に気がつきだしたな、とぼくは思った。
ぼくは、あわれな小ボートの底にひれ伏し、真心こめて神様におのれの魂をおまかせした。潮戸の出口のところで、はげしく波だっている砂洲《さす》にでもぶつかり、またたく間にこの世のさまざまの苦労ともお別れになるんだ、そうにちがいない。死ぬことはがまんできるかもしれないが、いま、こうして近づいてくる自分の運命を見つめているのは、とてもがまんできないと思った。
こうして、絶えまなく大波に前後左右にたたきつけられながら、ときどき舞いあがるしぶきにぬれながら、今度波に突っこむときこそは死ぬときだと幾度となく思いつめながら……ぼくは何時間もそうして横たわっていたにちがいない。だんだんに疲労が大きくなってきた。恐怖のただなかでも、心はしびれ、無感覚にときどき襲われるようになった。とうとう眠りが忍び寄って、波にもてあそばれる革舟のなかで、故郷となつかしい≪アドミラル・ベンボウ≫亭を夢みながら横たわっていた。
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第二十四章 革舟の漂流
目がさめたときは、もうすっかり朝で、ぼくは宝島の南西の端で波にもてあそばれていた。太陽はのぼっていたが、まだ遠めがね山の大きな嶺《みね》のかげに隠れていた。この山は、こちら側ではものすごい絶壁になって、ほとんど海へ落ちこむような形をなしている。
ホールボウリン岬と後檣山《こうしょうざん》とは、手のとどきそうな近くにあった。山ははげ山で、黒ずんだ色、岬《みさき》は十五、六メートルの高さの崖《がけ》でかこまれ、その縁をとるように落ちた岩が群れをなしている。ぼくはせいぜい四百メートルほどしか沖へ出てはいなかったので、最初に思いついたことは岸へこぎもどって上陸しようということだった。
が、この考えはすぐに思いきった。落ちた岩のあいだでは、砕け波が噴きあげ、騒ぎたっていた。とどろく波音、飛び散るしぶきが、一瞬の休む間もなくつづいている。たとい無理して近づいても、たちまち岸に打ちあげられて死ぬか、それとも突き出た岩をよじのぼろうとして力つきるか、そんなところだと思った。
いや、それだけではない。平らな岩の上をはいまわったり、大きな音をたてて海に落ちこんだりしている巨大な、ぬるぬるした怪物たち……いわばとほうもなく大きなカタツムリ……およそ五、六十頭もいるだろうか、そういう怪物のほえる声が、岩という岩にこだましているのを、ぼくは見たのだ。
後になって、ぼくはそれがアシカという、まったく無害な動物であることを知った。しかし、岸の断崖《だんがい》をよじのぼることの困難さや、寄せ波のすさまじい高さに加えて、そういう怪物を見ては、上陸地点としてとてもやりきれないと考えるのにじゅうぶんであった。そんな危険をおかすくらいなら、海の上で餓死《がし》したほうがましだと思った。
そのうちに、どうやらそれよりよさそうな場所が、目の前に現われた。ホールボウリン岬《みさき》の北には、かなり長い平地がつづいて、干潮時には黄いろい砂地がながながとあらわれる。そのまた北に、もうひとつの岬《みさき》……地図には≪森の岬《みさき》≫としるしてある……が、波打ちぎわまでたけの高い緑の松でおおわれている。
ぼくはシルヴァが、この宝島の西海岸にはずっと北へ向かって流れる海流がある、と言っていたことを思いだした。そして現在の位置から見て、ぼくはもうその海流に乗っていることがわかるので、むしろホールボウリン岬《みさき》をうしろに、いくらか手ごわさの少ない森の岬《みさき》で上陸をくわだてるための体力を残しておくことにしようと思った。
海には大きな、なめらかなうねりがあった。風はひきつづき南から、おだやかに吹いていて、風と海流とはたがいにさからうことがなかったので、大波はもりあがっては砕けずに低くなるのだった。そういう有様でなかったら、ぼくはとうの昔に死んでいたにちがいない。この風と海流のおかげで、おどろくほど容易に、また安全に、ぼくの小ボートは進んでいった。相変わらず舟底に寝そべったまま、横目に舟べりから外を見ていると、大きな青い波がしらが、真上から身近くのしかかってくるのがよく見えた。それでも革舟は少しばかりはねあがるだけで、まるでバネじかけのように踊りながら、小鳥のようにかるがると向こう側の波の谷間へ落ちてゆくのだった。
しばらくすると、ぼくはばかに大胆になってきて、ボートをこぐ腕だめしをしようと身を起こした。だが、ほんの少し重みのかけかたが変わるだけで、革舟の身のこなしは激しく変わるものである。だからぼくがほんの少し動いただけで小舟はたちまちいままでの巧みな踊るような動きをやめ、目のくらむようなけわしい水の斜面を一気に落下したかと思うと、しぶきをあげながら次の波の脇腹に深く鼻先を突っこんでしまった。
ずぶぬれになり、胆《きも》をつぶしたぼくは、即座にもとの姿勢にかえって倒れ伏したが、そうなると革舟ももとのおちつきをとりもどして、大波のなかをやすやすと進んでいった。この小舟が、はたから干渉されるのをきらっていることは確かで、そういう料簡《りょうけん》だとすると、ぼくにはやつの針路を変えさせる手段《てだて》はないことになり、では、はたして陸地にたどりつく希望は残されているのであろうか?
ぼくは恐ろしくてたまらなくなってきたが、それにもかかわらず冷静を失わなかった。第一に、できるだけ用心しながら動いて、帽子で革舟から水を少しずつくみだした。その次に、もういちど舟べりの上に目を向けて、この小舟がどうしてこれほど静かにうねり、波の中をすべりぬけてゆくのか、観察にとりかかった。
よく見ていると、どの波も、陸地から見たり船の甲板からながめたりしたときの、大きな、すべすべした、ゆるやかな山のような感じではなくて、ちょうど陸地の山脈と同じに、峰もあり谷もあり、また平坦《へいたん》な部分もあることがわかった。革舟は、好きなようにさせておくと、右へ左へとたえず向きを変えながら、これらの低い谷の部分を縫ってゆき、けわしい斜面や、高い波のくずれかかるところを避けて進むのだった。
「さて、そこでだ」とぼくは考えた、「できるだけじっとして、平均をみださないようにする必要があることは確かだ。だが同時に確かなことは、櫂《かい》を外へ出しておいて、ときどき、平らな場所へ来たら、陸地のほうへ少しずつ押しやっておくこともできるはずだということだ」
そう考えるとすぐに実行に移った。ぼくはひじをついてうつぶせになるという、ひどくつらい姿勢をとって、ときどきおりをみては、弱よわしくひとこぎ、ひとこぎして、革舟の舳《へさき》を陸地へ向けるようにしたのである。
これは実にくたびれる、手間《てま》のかかる仕事であったが、やってみると目に見えて効果があった。それで、森の岬《みさき》へ近づくにつれて、その岬の鼻へはとても着けないことは明らかだったが、それまでにおよそ数百メートルも東へ進むことができた。実際、陸地のすぐ近くまで来ていたのだ。快風にそよいでいる、涼しげな緑のこずえがよく見え、ぼくは、この次の岬へはかならず上陸できるぞと、自信をつけた。
それに、もうぐずぐずしてはいられなかった。ぼくはのどの渇《かわ》きに苦しみはじめていたのだ。上からの日ざしと、波からのその何千倍もの照り返しと、からだにかかってかわいた海水の、くちびるまで塩がかたまる有様と、それらがみないっしょになって、のどをひりつかせ、頭を痛くした。手のとどきそうな近くの森を見ると、はやく上陸したくて胸が苦しくなった。
だが潮流は、まもなく森の岬《みさき》を過ぎてぼくを運び去った。そうして、次の外海のけしきが開けると、そこにはぼくのいままでの考えを変えるようなものが、見えてきた。
ちょうど前方に、八百メートルとは離れていないところに、帆を張って走っているヒスパニヨラ号を、ぼくは見た。もちろんぼくは、きっとつかまえられるぞ、と思った。だが、あまりにのどの渇きに苦しんでいたために、そう考えることがうれしいのか悲しいのか、わからないくらいであった。そして、ぼくの決心がどちらともきまらぬうちに、意外なことがおこって、それにすっかり心をうばわれ、ただもう目を見張っておどろくばかりの有様だった。
ヒスパニヨラ号は大檣帆《たいしょうはん》と二つの三角帆とを揚げて進んでいた。その美しい白い帆布が陽《ひ》にかがやいて、雪か銀かと見まがわれる。はじめぼくが見つけたとき、船は帆をすっかり張って風をはらみ、だいたい北西に進路をとっていた。それでぼくは、船の者たちが島をまわって碇泊《ていはく》所へ帰ろうとしているのだと思った。そのうちに船は西へ西へと進路をとりはじめたので、かれらはぼくを発見して追っかけてくるのだと思った。ところが、船はとうとう風上へまっすぐ向いてしまい、動きがとれなくなり、しばらくはその場に立ち往生して帆をふるわせてばかりいた。
「ぶきようなやつらだ」とぼくは言った、「きっとまだふくろうのように酔っぱらってるんだろう」
そしてぼくは、スモレット船長だったらどんなふうにかれらをしかりとばして働かせただろうと思った。
そのうちにスクーナーはだんだんと船首を風下に向け、ふたたび帆をふくらませて針路を変え、一分かそこら、かなりの速さで進んだが、またもや風上に向いて動かなくなった。こうして同じことを幾度となくくりかえした。前へうしろへ、右へ左へ、北かと思えば南、東、また西と、ヒスパニヨラ号は急に走りだすかと思えば、また振出しにもどって帆をばたばた鳴らしながら止まってしまう。だれも舵《かじ》を取っていないのだ、とようやくぼくにもわかってきた。すると、そうだとすれば、やつらはどこにいるのか? 酔いつぶれて正体もなくなっているか、船を逃げだしたか、どちらかだろう。それならば……ぼくは考えた……もしぼくがあの船に乗りこめば、あれを船長の手にもどしてあげられるかもしれないのだ。
潮流は、革舟をもスクーナーをも同じ速度で南へ押し流していた。スクーナー船の進みかたは、でたらめで、断続的で、止まっている時間がいつも長いために、革舟から遠ざかることが決してないばかりでなく、かなり追いつかれてさえきたようだ。もしぼくが起きあがってこぎだしたら、追いつくことができるにちがいないと思った。この計画には冒険的な感じがあってぼくを元気づけたうえに、前部昇降口のわきにある水の樽《たる》のことを考えると、ぼくの勇気は倍にわきたった。
起きあがったとたんに、噴きあげるしぶきの歓迎をうけたが、今度はへこたれずにがんばった。全力をふりしぼり、できるだけ慎重に、櫂《かい》をあやつって、舵とりのいないヒスパニヨラ号のあとを追った。一度はひどく水をかぶったので、こぐのをやめて水をかいだしたが、そのときのぼくは小鳥のように心臓が高鳴った。けれどもしだいにこぎかたのコツがわかってきて、ときどき舳《へさき》を波にたたかれたり、顔にしぶきをあびたりするだけで、波と波のあいだをどうにか革舟を進めていった。
ぼくはぐんぐんとスクーナー船に追いついていった。舵柄がばたんばたんと回るたびに真鍮《しんちゅう》の部分がキラキラ光るのが見える。それでもまだ甲板には人っ子一人いない。もうヒスパニヨラにはだれも乗っていないのだと想像するほかはなかった。もしそうでないとすれば、かれらは船室で酔いつぶれているのだろうから、ぼくは昇降口を当木《あてぎ》でふさいでしまえば、船を自分の思うとおりに使うことができる。
しばらくのあいだ、スクーナーは、ぼくの立場からは何より困ることをやっていた……つまり止まったまま動かないのだ。もちろん、そのあいだ船首を真南に近く向けてはいたが、たえずぐらぐらと針路を変えていた。風下へ向くと帆は一部分ふくらむが、そうなって少したつと、また風上へ向いてしまう。
これがぼくの立場から何より困ることだと言ったが、なぜかというと、こんな状態で、帆布は大砲のようにばたばた鳴り、甲板を滑車がごろごろ動いたりして、船はまことにみじめな有様だったが、それでいて、潮流の速さのためばかりでなく、その船体に受ける風圧の量が当然に大きいためもあって、いぜんとしてぼくとの距離を引きはなして逃げつづけていたからである。
だが、とうとうぼくに機会が訪れた。快風が、数秒のあいだ、ひじょうに弱くなり、潮流がしだいに船の向きを変えていった。ヒスパニヨラ号はゆっくりと、船体の中心を軸《じく》にして回転し、とうとうぼくに船尾を見せた。船室の窓はまだパックリ口をあけていて、テーブルの上のランプは昼間だというのにまだともされたままであった。大檣帆《たいしょうはん》は旗のようにだらりとたれている。船は潮流に流されるだけで、静止していた。
それまでの少しの間、ぼくはかえって船から放されそうになっていた。だがここで二倍の奮発をして、もう一度船を追いかけはじめた。
あと百メートルとはないところまで迫ったとき、また急に風が出てきた。船は左舷に風を受け、ツバメのように身をかがめ、波を切って、またもや走り去った。
ぼくの最初に受けた衝動は落胆だったが、すぐつづいて喜びに変わった。船はぐるりとまわって、ぼくに横腹を見せた……が、なおもまわりつづけて、革舟との距離を二分の一に、さらに三分の一に、そしてついには四分の一にまでちぢめてしまった。スクーナーの竜骨前端部の下で、波が白くあわだっているのを見ることができた。革舟のなかの低い位置から見あげるぼくに、ヒスパニヨラ号はすばらしくたけ高く見えた。
すると、そのとき急に、ぼくにはわかってきた。ぼくには考える時間はほとんどなかった……いや、行動をおこし、わが命を救う時間もきわめて少なかった。ぼくのからだが大きなうねりの頂上へ来たとき、スクーナーが次のうねりを乗りこえて落ちかかってきたのだ。第一|斜檣《しゃしょう》がぼくの頭の上に来た。
ぼくは立ちあがって、革舟を水面下に踏みつけるほど強く蹴ってとびあがった。片手に第二斜檣をつかむ間に、片足は支索と支柱とのあいだに預けた。そうして、まだぼくが息をあえがせながらそこにすがりついているあいだに、にぶい音がしたので、スクーナーが革舟に突撃して、打ちこわしたのを知り、そして自分が逃げる手段《てだて》もなくてヒスパニヨラ号に残されたことを知った。
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第二十五章 海賊旗をおろす
やっと第一斜檣の上に腰をすえたと思ったとき、第三|斜檣帆《しゃしょうはん》がまるで大砲を撃ったような音をたてて鳴りながら、反対側の舷からの風を受けはじめた。スクーナー船はこの方向転換のために竜骨までふるえがつたわった。が、次の瞬間、ほかの帆がまだ風をはらんでいたせいで、斜檣帆はまた音をたてて元へかえり、そのままだらりとたれさがった。
この動きのために、ぼくはあやうく海へ落ちこむところだった。それで、もう少しの猶予《ゆうよ》もなく第一斜檣をはってあともどりし、頭のほうから甲板へころがりこんだ。
そこは前甲板の風下側で、大檣帆《たいしょうはん》がまだ風をはらんでいたので、後甲板のかなりの部分がぼくから隠されていた。人間は一人も見えない。暴動がおこってから一度も洗ったことのない甲板の上には、たくさんの足跡がついていた。甲板|排水孔《はいすいこう》のなかで、首から割れたあき壜《びん》が、生きもののようにあちこちころがっていた。
急に、ヒスパニヨラ号は正面から風上に向いた。ぼくのうしろで斜檣三角帆が大きな音をたて、舵がバタリと元へもどった。船ぜんたいが気持ちわるくなるほど持ちあがって、ふるえた。それと同時に大檣帆の滑車がうなり声をあげ、帆の下の円材が船の内側へと大きく回ったので、風下の後甲板が見えた。
二人の見張人が、やっぱりそこにいた。赤帽子の男があおむけに、木梃子《きでこ》のように身をこわばらせ、まるで十字架にかかったように両腕をひらいて倒れていた。口をあけて、歯を見せていた。イズレール・ハンズは舷墻《げんしょう》にもたれかかり、あごを胸にうずめて首をたれ、開いて前に出した両手を甲板に突いている。日焼けした顔が、獣脂蝋燭《じゅうしろうそく》みたいにまっさおになっていた。
しばらくのあいだ、船はじゃじゃ馬のようにはねたり横に進んだりしつづけ、帆は、いまこちら側から風を受けていると思うと次にはあちらから受けるという調子で、すその円材は内側と思えばまた外側と揺れ動くので、しまいには檣《マスト》もたまらなくなって大きなうめき声をあげた。それからまた、ときどき舷墻《げんしょう》をこえてしぶきが雲のようにおどりこみ、船首がうねりに強くぶつかることもある。この大きな、たくさんの帆を張った船のほうが、いまではもう海底に沈んでしまったあの手製の、つりあいのわるい革舟よりも、ずっと揺れかたがひどかった。スクーナーがおどりあがるたびごとに、赤帽子は右に左に、甲板の上をすべった。しかも……なんというきみのわるい見ものだったろう……やつの姿勢も、歯をむきだしたいやな笑い顔も、これだけひどい扱いを受けながらちっとも変わることがなかった。またハンズも、船がとびあがるたびにますます低くうつむき、甲板に腰を落とし、両足はますます前へせりだし、その全身が船尾のほうへ傾いているために、ぼくにはかれの顔が少しずつ見えなくなり、とうとう片方の耳と、ほおひげのほつれたまき毛しか見えなくなった。
同時に、この二人のまわりの甲板に、どす黒い血のはねているのをぼくは見た。それでこの二人が酔った勢いの腹だちから殺しあいをしたにちがいないという気がしてきた。
こうして、いくらか風が凪《な》いで、船の動きがおさまっているあいだ、ぼくは右のような様子をながめたり、想像をめぐらせたりしていると、イズレール・ハンズが半分ほど向きを変え、低いうめき声をたてながら身をもがいて、最初にぼくがかれを見たときの姿勢にもどった。そのからだの痛みと、よほどひどい弱りかたとを物語るうめき声や、あごをだらりとさげて口を開いた様子は、ぼくにまともな同情を感じさせた。だが例のりんご樽《だる》のなかに隠れて聞いた話を思いだすと、同情の念はたちまち消えてしまった。
ぼくは船尾へ向かって、大檣のところまで歩いていった。
「ハンズさん、来ましたよ」と、ぼくは皮肉をまぜて言ってやった。
ハンズはたいぎそうに目をぎょろりと動かしたが、あまりひどく参っているので、おどろきを顔にあらわすことさえできなかった。かれにできることはただひと言《こと》、「ブランディ」と言うことだけだった。
これは一刻もすてておけないぞ、とぼくは思った。で、またも甲板の上をよろめくように動いてきた帆の下桁《したげた》から身をかわしながら、船尾へ走り、昇降口から船室へとびこんだ。
あれほどひどい乱雑さは、読者のみなさんにはとても想像がつくまい。錠《じょう》のかかる場所という場所はみな地図を捜すためにこわして開かれていた。床がどろまみれなのは、悪党どもが野営の沼地を歩いたどろ足のまま、ここにすわりこんで酒を飲んだり相談をしたりしたのだろう。きれいなペンキで白くぬられ、金メッキの玉でふちどられた隔壁には、べたべたよごれた手のあとがついている。何十本というあき壜《びん》が、船の横揺れにつれ隅に集まって、ぶつかりあっている。リヴジー先生の医学書の一冊がテーブルの上に開かれて、そのページの半分がたむしりとられているのは、おそらくパイプに火をつけるのに使われたのだろう。こうした有様のまんなかでランプは相変わらず、ぼやけたこげ茶色のすすけた光を放っていた。
ぼくは貯蔵室へはいった。樽《たる》はみななくなっているし、酒壜《さかびん》はおどろくほど多くが飲みほされ、あき壜をほうりだしてあった。これを見ては、暴動がはじまって以来、やつらのうち一人も素面《しらふ》ではいなかったのは当たりまえだと思われる。
あちこち捜しまわって、ぼくはハンズのためのブランディがいくらか残っている壜を見つけた。ぼく自身のためにも、堅パンと塩づけのくだものを少しと、干しぶどうの大きな房、チーズのひときれを捜しだした。
これらの獲物を甲板に持ちかえり、自分用の食料を舵頭《かじがしら》のうしろの、ボート長には手のとどかないところにかくしてから、今度は前部の水桶のところへ行ってぞんぶんに水をのんで、さてそれから……つまり、これだけ待たせたうえで、ハンズにブランディをやった。
ハンズは壜《びん》を口から離すまでに、一ジルは飲んだにちがいない。
「うーむ、ちきしょうめ、だが、おらあ、こいつが飲みたくってなあ!」とかれは言った。
ぼくはその間に、自分の居場所に陣取って、食べはじめていた。
「けがはひどいの?」とぼくがきいた。
ハンズはうなった……というよりも、ほえた。
「あの医者がいてくれさえしたら、おらあすぐに元気になれたんだが、どうも運が悪いや。だからこんなことになりやがった。そこにいる野郎のほうは、はっきりくたばってやがるがな」と、赤帽子のほうを指さして言った。「どのみち、野郎は船乗りじゃなかったよ。ところでおめえは、どこから来たんだい?」
「まあ、そんなことより」とぼくは言った、「ぼくはこの船を占領するために来たんだよ、ハンズさん。だから、いずれべつの知らせがあるまでは、ぼくを船長と思っておくれ、いいね」
ハンズはかなりにがい顔をしてぼくを見たが、なんとも言わなかった。かれの顔色は、まだずいぶん苦しそうで、船が揺れるたびにすべったり、腰がずり落ちたりしていたが、顔にはいくらか血のけが出ていた。
「それはそうと」とぼくはことばをつづけて、「ぼくはこういう旗は出しておけないよ、ハンズさん。だから、ごめんこうむって、これをおろすからね。こんなもの立てるよりは、なにもないほうがましだ」
そして、もう一度帆の下桁《したげた》をよけながら、ぼくは旗綱のところへ走ってゆき、やつらののろわれた海賊旗をたぐりおろし、海へ投げすてた。
「国王陛下万歳!」ぼくは帽子を振りながら叫んだ、「シルヴァ船長はこれでおしまいだぞ!」
ハンズは、相変わらずあごを胸に落としてうつむいたまま、ぬけめのない、ずるそうな目つきでぼくを見ていた。
「どうだ、おいホーキンズ船長」とかれはしばらくして言った……「これからおめえは、陸へあがりてえ気持ちだろうな。おいらと話をする気があるかな?」
「ああ、あるとも」ぼくは答えた、「よろこんで話すよ、ハンズさん。言っておくれ」
そして、空腹なので、また食事にとりかかった。
「この男は」と、死骸のほうへ力なくあごをしゃくって見せて、かれは話しはじめた……「オブライエンて名で……くだらねえアイルランド男だがな……この男とおれとで、船をもどそうと思って帆を張ったんだ。ところが、この野郎はくたばった……淦《あか》同然にくたばっちまやがった。そうなると、この船をだれが動かすか、わからねえことになった。おれが教えてやらなけりゃ、おめえはその動かし手にはなれねえと、これがおいらのけんとうだ。だからよ、いいか、おめえがおいらに食いものと飲みものをくれて、それからこの傷をしばるためのスカーフなりハンカチなりをくれるとするな。そこでおれがおめえに船の動かしかたを教《おせ》えてやるのよ。そうすりゃ、おたがい、五分と五分ってわけだ」
「一つ言っておくけどね」とぼくが言った。「ぼくは≪キッド船長の碇泊所《ていはくじょ》≫へ帰る気はないよ。≪北の入江≫へ船を入れて、あそこの岸へそっと着けるつもりなんだ」
「なるほど、それがおめえの≪つもり≫か」とハンズは叫んだ。「そりゃあ、おれだって、それほど底なしのまぬけじゃねえ。これでもいっぱし目はしはきくんだ。ちょいとさいころを投げてはみたが、おいらの負けで、おめえのほうがうわてだったな。≪北の入江≫だって? はて、おいらはいやとは言えねえ立場だ!ふん、『仕置き波止場《はとば》』〔当時ロンドンのテムズ河岸ウォッピングにあった海賊の処刑場〕に着けると言われたって、おらあ手つだうぜ!」
とにかく、ぼくにもこれは筋の通った話のように思えた。その場でぼくとかれとは取引をした。
三分後には、ぼくは追風《おいて》に帆をあげて宝島の海岸ぞいにヒスパニヨラ号を走らせていた。このぶんでゆくと正午まえには北の端を曲がって、満潮までに≪北の入江≫へと間切《まぎ》ってくだり、そして満潮に乗じて安全に船を岸に着け、あとは潮がひいて上陸できるまで待てばいい、ということになりそうに思った。
そこでぼくは舵柄をなわでしばっておいて、船室にある自分の荷物箱のところへゆき、母がくれたやわらかな絹のハンカチをとりだした。そのハンカチで、ぼくの助けをかりてハンズは、ももに受けた大きな、血のしたたる刀傷にほうたいをし、そのあといくらかの食べものと一、二杯のブランディとを口にすると、目にみえて元気になり、しゃっきりとすわり直して、前より大きな声ではっきりした口をきくので、どこから見ても別人のようになった。
快風はまことに気持ちよくぼくたちを助けてくれた。船は鳥のように風に追われて軽快に走り、島の海岸が飛ぶようにあとへあとへと去り、けしきは一分ごとに変わった。まもなく高地を過ぎて、低い砂地の、小松がまばらにはえている浜辺にそって帆走っていたが、やがてそこも過ぎて、この島の北端にある岩山の角を曲がった。
はじめて一船の指揮者になったぼくは、大得意だった。天気はよく晴れて、日ざしが明るかったし、次から次へと変わる海岸のながめもたのしかった。いまでは飲み水もたっぷりあるし、うまい食べものもある。自分の持ち場を逃げだしたことで良心の激しい痛みを感じていたのに、この偉大な勝利によってそれも楽になった。
いま思うに、あのときのぼくは、ボート長のやつが、あざけるような目をし、顔にたえず妙なうすら笑いを浮かべて甲板の上をぼくにつきまとわなかったら、ほかに何ひとつ望まなかっただろう。そのうすら笑いは、どこか苦痛と弱さとを含んだ、やつれ果てた老人の笑いであった。が、それといっしょに、仕事をしているぼくをぬけめなく、つけまわすように見張っているこの男の表情には、一抹《いちまつ》のあざけりと、影のような悪意とが含まれているように感じられた。
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第二十六章 イズレール・ハンズ
風は、ぼくたちの望みどおりに吹いてくれて、いまでは西風に変わった。それで思いのほかにやすやすと船は島の北東の角から≪北の入江≫の入口まで走ることができた。ただ、ぼくたちには錨をおろす力はなかったし、潮がもっと満ちてくるまでは船を岸へ着ける自信もなかったので、それまでの時間を、ぼくたちは退屈してすごした。ボート長が船のとめかたを教えてくれたので、ぼくは何度もやりなおしをして、やっと成功した。そのあとは、二人とも無言ですわりこみ、もう一度食事をした。
「船長」とハンズは例の感じの悪いうすら笑いを浮かべて、ようやく言いだした。「ここにいる、おいらの仲間のオブライエンだがね、おまえさんがこいつを海へ投げこんでくれるとしたら、どうだね。おいら、ふだんはそう物ごとを気にする男じゃねえし、この野郎を殺したからって、ちっとも悪いとは思っていねえよ。だが、このまま置くのも、あまりていさいのいいものじゃねえと思うんだが、どうだね?」
「ぼくはそれほど力がないし、そんな仕事、好きじゃないよ。それに、そこにころがっていたって、ぼくは平気だよ」とぼくは答えた。
「こいつも運のわるい船さ……このヒスパニヨラ号は、なあジム」と、またたきをしながら、ハンズはつづけた。「ずいぶん大ぜいの男たちが、この船で殺されたよなあ……おめえやおいらがブリストルで乗ってからも、このヒスパニヨラ号で幾人の船乗りが死んだと思う? まったく、こんなふしあわせは、おらあ見たことがねえよ。いまだって、このとおり、オブライエンが……死んでるじゃねえか。ところで、おらあ学者じゃねえが、おめえは、としこそ若《わけ》えが読み書きも、算数もできるから、それでおらあ、ざっくばらんにきくが、いったい死人てものは、死んじまったらそれっきりのものか、それともまた生きかえってくるのか、どっちだと思う?」
「からだは殺せるが、魂は殺せないよ、ハンズさん。そんなことは、とっくに知ってるはずだよ」ぼくは答えた。「そこにいるオブライエンもあの世へ行って、ぼくたちを見まもっているかもしれない」
「そうかい!」ハンズは言った。「なるほど、そいつは間《ま》のわるい話だ……じゃあ、殺すってことはほねおり損《ぞん》みてえなもんだ。だがそう言っても、魂なんてものは、おれの見てきたところでは、たいしたものじゃねえ。魂の野郎と、一か八《ばち》か、相手になってやるぜ、ジム。ところで、おめえも言いたいほうだい、しゃべったから、ここらでちょいと下へ行って、船室から、その……ええ、ちきしょう! 名まえが思いだせねえや、ほら……あれだ、ぶどう酒を一本、取ってきてくれるとありがてえんだがな、ジム……このブランディは強すぎて、頭へ来るんだ」
ここで、このボート長が言いよどんだりするのは、どうもふしぜんのように思われた。また、ブランディよりぶどう酒がいいというのも、ぼくにはまるっきり信じられなかった。つまり、かれのしゃべったことは、みんな口実だった。かれはぼくを甲板から離れさせたいのだ……そこまでは、はっきりしていたが、どういう目的があってなのかは、けんとうがつかなかった。ハンズの目は、決してぼくの目と会うことがなく、たえずきょろきょろと動きまわって、いま空を見上げたかと思えば、次にはオブライエンの死体をちらとながめる、といったぐあいである。そのあいだ、かれはずっとうすら笑いを浮かべ、ひどく気がとがめたような、バツのわるそうな様子で舌をだしたりしているので、何かひとをだまそうとしているなということが、こどもでもわかるほどだった。
しかしぼくは気軽に返事をした。そうするのが自分にとって有利だと知っていたからである。これほど念の入ったおろか者が相手ならば、こちらの疑念を最後までわけなく隠しおおせられると思ったからでもある。
「ぶどう酒だって?」とぼくは言った。「それゃそのほうがずっといいよ。白にするかい、それとも赤?」
「そうさな、どっちでも似たりよったりだと思うがな、兄弟《きょうでえ》」かれは答えた。「強くって、たんとありさえすれば、どっちだってかまわねえや」
「よしわかった」と、ぼくは答えた。「じゃ、赤《ポート》を持ってきてあげようね、ハンズさん。だけど、あちこち捜さなきゃならないな」
そう言って、ぼくはなるたけ大きな音をたてて船尾昇降口をかけおりて、今度は靴をぬいでこっそりと円材の出ている通路を走り、前甲板の梯子《はしご》をのぼって、船首昇降口から首をだした。そこにぼくがいようとは、ハンズは思いもよらないことを、ぼくは知っていた。それでもぼくはできるだけの用心をした。そうして、ぼくの抱いた疑いのなかでも最悪のものが、ほんとうすぎるほどほんとうだったことがわかったのだ。
ハンズは四つんばいになって、もといた場所から起きあがっていた。そして、動くと傷ついたあしはよほどひどく痛むらしかった……その証拠にかれがうめき声をおさえているのがわかった……が、それでもかれが甲板を横切ってゆく速さはかなりのものだった。三十秒ぐらいで左舷の排水孔へたどりつき、ひと巻きの綱のなかから長いナイフ……というより短いあいくちの、柄《え》まで血でよごれたやつを、とりだした。しばし、下あごをつきだしてそれをながめ、手の上で刃先の切れ味をためしてから、いそいで上衣の胸のなかへ隠して、ふたたび舷墻《げんしょう》のわきのもとの場所へもどった。
これがぼくの知りたかった全部だった。イズレールは動ける。そしていまは武器を持っている。そして、ぼくを追いはらうためにあれだけのほねをおったくらいだから、獲物としてねらわれているのがぼくであることは明らかだ。ぼくを殺したあとで何をするつもりなのか……≪北の入江≫から沼のなかの野営地まで、島をはってゆくつもりなのか、それとも仲間たちが何をおいても自分を助けに来てくれると信じて、大砲をぶっぱなすつもりか、そうしたことは、もちろん、ぼくに答えられることではなかった。
とはいえ、ぼくには、一つの点についてはかれを信用してもいいという自信があった。つまりその点については、かれとぼくの利害がぴったり一致しているからで、ほかでもなくそれはスクーナーの処置の問題である。かれもぼくも、この船をどこか波風から安全な場所に乗りあげさせ、時が来たらなるたけ骨おらず、危険もおかさずに、ふたたび海へ乗りだせるようにしておきたい、この点で望みは同じなのだから、これがすむまではぼくの命も助けておくだろう、とぼくは考えた。
あたまのなかで、こうした思案をめぐらせているあいだ、ぼくのからだはなまけてはいなかった。こっそり船室へもどり、靴をはき、手当たりしだいにぶどう酒の壜を一本とり、それを口実にしてふたたび甲板にすがたをあらわした。
ハンズはさっきと同じ姿勢でぐったりと寝そべり、あまり弱ったのでまぶしさに堪えられぬといった様子で、目をふせていた。けれどもぼくが近づくと顔をあげ、ぶどう酒の壜《びん》の首を、いつも同じことをやりつけている男らしくたたき折って「運がついとるぞ!」という気に入りの乾杯の文句といっしょに、たっぷりひと口、らっぱ飲みをした。それから、ちょっと静かに寝ころんでいたが、やがてかみタバコの棒をとりだして、ぼくにひと片《きれ》切ってくれと言いだした。
「こいつをひと片《きれ》、切ってくれろ」とかれは言う、「おいらはナイフを持ってねえし、持っていたって、切るだけの力もねえ。なあ、ジム、ジム、おらあもう舵がとれなくなったらしいや。タバコもこれがかみおさめらしいから、ひときれ切ってくれよ。いよいよこれで、おれも遠いところへ行くよ」
「いいよ」ぼくは言った「タバコは切ってあげるよ。だけど、もしぼくがおまえさんみたいにぐあいがわるくなったら、キリスト教信者らしく、お祈りをすると思うな」
「なぜだ?」かれは言った。「おい、なぜだか、そのわけを聞かせてくれ」
「なぜだって?」ぼくは叫んだ。「おまえは、ついさっきも、死人のことをぼくにたずねたじゃないか。おまえはひとの信頼を裏切った。罪をおかし、うそをつき、血を流した。いまだっておまえの殺した男が、おまえの足もとにころがってるじゃないか。それでも、なぜだなんて、きくのかい? 神様のお慈悲《じひ》を願って、ハンズさん、これが、そのわけだよ」
ハンズのポケットに隠された血まみれの短剣、それでぼくを殺そうとするかれの悪だくみのことが頭にあったので、ぼくは少しばかり熱のこもった言いかたをした。
ハンズはというと、かれはぶどう酒をたっぷり飲んでから、いつにない生《き》まじめな調子で話しだした。
「三十年というもの、おれはあちこちの海を渡って、いいこともわるいことも見てきた。もっといいこともあれば、もっとわるいこともあった。晴れた日もあれば荒天《しけ》の日もあった。食いものがなくなるのも、短剣の立ちまわりも、そのほかどんなことでも見てきたもんだ。そこで、おめえに言ってきかせるが、おいらはただの一度でも、いいことをしたからっていいめに会うのを見たことはねえ。さきに手をだすやつが勝ちというのが、おれの考《かんげ》えだ。死んだやつはかみつかねえ。ま、これがおいらの意見さ……アーメン、というわけだ。ところで、おい、聞きなよ」と、急に調子を変えて、かれはつけ加えた。「ばか話は、もうたくさんだ。潮がもうだいぶさしてきた。さ、おいらのさしずどおりやってくれ、ホーキンズ船長、そうすれば船はぴたっとはいって、仕事はかたづいちまうんだ」
全部で、あと二マイル足らず走らせればよかった。しかし船のあつかいはなかなかむずかしく、この北側の碇泊《ていはく》地への入口は狭くて浅いばかりでなく、東西にのびているために、スクーナーをなかへ入れるためには、よほどじょうずに操縦しなければならなかった。ぼくの思うところでは、ぼくは優秀で、てきぱきとはたらく助手だったし、またハンズはたしかにすばらしい水先案内人だった。なぜなら船は右にゆき左にゆき、うまく身をかわし、岸をすれすれにかすりながら、見ていても楽しいくらい確実に、手ぎわよく入江にはいっていったからである。
やっと岬《みさき》を通ったと思うと、陸地はぐるりと近くに迫ってきた。≪北の入江≫の岸辺も、南の碇泊地におとらず樹木がうっそうと茂っていた。しかし入江の奥行は長くて間口は狭く、入江というよりも河口に近くて、また実際に河口でもあったのである。
ぼくたちの真正面、入江の南の端に、ぼろぼろに朽《く》ち果てた難破船が見えた。三本マストの大船だが、あまりに長く雨風にさらされたため、海草がくもの巣のようにたれさがり、甲板であったところには海岸にはえる潅木《かんぼく》類が根をはやし、ちょうどいま花ざかりになっている。それはあわれな光景ではあったが、それによってぼくたちはこの碇泊所がおだやかなところであることがわかった。
「さて」とハンズが言った、「あそこを見な、船を乗りあげるのにおあつらえむきの場所だ。きれいな、平らな砂地で、そよ風も吹かねえ。ぐるりは木が茂って、あの古船《ふるふね》の上が庭みてえに花ざかりだ」
「それで、いちど乗りあげたあと、どうやって船を沖へ出したらいいの?」とぼくがきいた。
「なに、それはな」とかれは答えた、「索《つな》を一本持って、引き潮のとき、あすこの向こう岸へ行くんだ。あの大きな松の木の一本に、その索をひとまき巻いて、そのあとを持って帰って、錨巻揚機《いかりまきあげき》へまたひとまき巻きつけとく、そうして潮を待つんだ。満潮になったところで、みんなでその索をひっぱれば、船はまるで、ひとりでのように、するすると出ていくよ。ところで、坊や、用意だ。だいぶ近くなってきたのに、船足《ふなあし》が速すぎるぞ。ちょっと面舵《おもかじ》……そうだ……ようそろ……面舵……ちょいと取舵《とりかじ》……ようそろ……ようそろ!」
こんなふうに、かれが命令をだすのを、ぼくは息もつかずにそのとおりにした。そのうち、だしぬけに、かれが叫んだ、
「さあ、兄弟《きょうでえ》、詰め開きだ!」
それでぼくは舵柄を力いっぱい風上へ回すと、ヒスパニヨラ号はみるみる大きく向きを変えて、低い木立の茂った岸へと、まっすぐに進んでいった。
こうして最後のいくつかの操作に熱中していたぼくは、それまでゆだんなくつづけてきたボート長への警戒を、いくらかゆるめることになった。そのときも、船が岸に触れるのをいまかいまかと待っていたので、自分の頭のうえにふりかかる危険のことはすっかり忘れて、左舷の舷墻《げんしょう》から首をさしのばし、船首の向こうにさざ波がひろがるありさまを見まもっていた。
そのとき、急に胸さわぎがしてふりかえらなかったとしたら、ぼくは恐らく生きようとする抵抗を少しもしないまま、打ち倒されていたことだろう。たぶんぼくは何かのきしむ音でも聞いたか、あるいはかれの影が動くのを目の隅にでも見つけたのだろう。あれはことによると、ねこに似た本能のなせるわざだったかもしれない。だが、いずれにせよ、ぼくがふりむいたとき、ハンズは、あの短剣を右手に、もう半分がたぼくのほうへ進み寄っていた。
かれとぼくとは、たがいの目と目が会った瞬間、どちらも大声で叫んだにちがいない。だが、ぼくの叫びは恐怖のためのかんだかい悲鳴だったのに対して、ハンズのは襲いかかる牡牛《おうし》のそれのような、激情の咆吼《ほうこう》だった。
その瞬間、かれは前方へおどりかかり、ぼくは横っ飛びに船首のほうへとびのいた。とびのくとたんに、ぼくは握っていた舵柄を放したので、舵柄ははげしく風下側へはね返った。そしてほかでもなくこれが、ぼくの生命を救った……というのは、舵柄はハンズの胸にぶつかり、しばしのあいだ、かれはその場で動けなかったからだ。
かれが立ち直る前に、ぼくはかれのわなにかかって追いつめられていた隅から脱けだし、広い甲板のどこでも逃げまわれることになった。大檣のすぐさきで立ち止まったぼくは、ポケットからピストルをだし、もうそのときはこちらへ向き直って、もう一度ぼくをめがけておどりかかろうとするかれに向かって冷静にねらいをつけ、引き金をひいた。撃鉄《げきてつ》は落ちたが、火花も音も出なかった。火薬が海水でしめって、役にたたないのだ。ぼくは自分が手入れをおこたっていたのがくやしかった。自分のたった一つの武器なのに、なぜもっと早く火薬を詰めかえ、弾丸《たま》をこめ直しておかなかったのか? そうしておけば、このように屠殺者《うしころし》に追われる羊みたいにならなくてもよかったのに。
負傷はしていても、おどろくばかりの速さでかれは動きまわった。白髪《しらが》まじりの髪の毛が顔にかぶさり、いきりたって追ってくる顔そのものも、赤いイギリス商船旗のように赤かった。ぼくは、もう一挺のピストルを試してみる暇もなかったし、事実また、どうせむだだと思うから、試す気もなかった。
一つだけ、はっきりわかっていることがあった……それは、ただかれの前から逃げてばかりいてはいけない、ちょうどつい今しがた、かれがぼくを船尾へ追いつめたように、たちまち船首のほうへ追いつめられてしまうだろう、ということだった。いちどそんなふうにつかまえられてしまえば、長さ九インチか十インチもある血まみれの短剣は、この世でのぼくの最後の経験ということになってしまう。ぼくは、都合のいい太さの大檣に両手を置き、全神経を緊張させて、待ちかまえた。
ぼくが身をかわすつもりだと見てとると、敵も立ち止まった。かれのほうから打ちかかるまねをすると、こちらもそれに応じた動作をする、そんなことでしばらくの時が過ぎた。故郷のブラック・ヒル入江の岩のあたりで、よくこんなゲームをして遊んだものだが、このときほど息づまる思いでやったことはない。だがそれでも、いま書いたとおり、これは少年のゲームであって、相手がももに傷を負った年寄りの船乗りであれば、負けるはずはないとぼくは思った。事実、そのときにはぼくはよほど勇気がわいてきたので、いったいこの事件の結末はどうなるのだろう、などとちらちら考える余裕さえあった。たしかに、このまま長くつづけることはできるけれども、最後には逃げおおせるという希望ももてなかった。
ところが、こうしてにらみあっているうちに、急にヒスパニヨラ号が地面にぶつかり、よろめいて、一瞬、砂地にめりこんだかと思うと、つづいて、突風のような速さでぐらりと左舷へかたむき、甲板が四十五度の角度になり、大樽《おおだる》一杯ぐらいもある水が排水孔へどっと流れこみ、甲板と舷墻《げんしょう》とのあいだに池ができた。
ハンズもぼくも、アッという間にぶっ倒れ、二人とも、ほとんどいっしょに排水孔のなかへころげこんだ。死んだ≪赤帽子≫も、相変わらず両腕を大きくひろげたままで、ぼくたちのあとからこわばったからだでころげてきた。まったく、おたがいのからだはひどく接近してしまって、ぼくの頭がボート長の足とゴツンとぶつかって、ぼくは思わず歯の根をガタガタ鳴らした。
ひどく打ち倒されたものの、最初に立ちあがったのはぼくだった。ハンズは死体にからみつかれていたからである。船が急にかたむいたために、甲板の上を走ることができなかった。ぼくはなんとか新しい逃げかたをしなくてはならないが、それも敵の手がとどきそうなほど近くにいるので、とっさのうちにきめなくてはならないのだ。チラッと頭に浮かんだ考えより早く、とびあがって後檣の横静索《よこせいさく》のあいだへもぐりこみ、索《つな》をたぐって一気によじのぼり、檣頭《しょうとう》の横桁《よこげた》に腰をおろしてから、ようやくホッと息をついた。
機敏さのおかげでぼくは助かったのである。ぼくが索をよじのぼっているとき、短剣は足もとから十五センチもないところへ突き当たったのだ。そしてイズレール・ハンズは下からぼくを見あげて、口を大きくあけ、おどろきと失望とを申しぶんなく形にあらわした彫像のように、そこにつっ立っていた。
ほんのわずかながら暇ができたので、ぼくはすぐにピストルの火薬をつけかえ、これで一挺はいつでも使えるようになったから、念には念を入れようと、もう一挺のほうも弾をとりだし、新しくはじめから詰めかえた。
このぼくのやりくちに、ハンズはひどくがっかりしたようだった。運が、自分から離れはじめていることに気がついたらしい。それで、はっきりそれとわかるほどためらいをみせたあげくに、たいぎそうに横静索《よこせいさく》にとりつき、短剣を口にくわえて、のろのろと、いかにも苦しそうにのぼりはじめた。傷ついたあしをひっぱりあげる動作は、おそろしく手間《てま》がかかり、苦しげなうなり声がそれにともなった。かれがまだ三分の一ものぼってこないうちに、ぼくのほうはおちついて戦闘準備を終わっていた。ピストルを両手に一挺ずつ握り、ぼくはかれに呼びかけた。
「おい、ハンズさん、あと一歩、のぼってきたら、おまえさんの脳みそをぶっとばすぜ! 死人はかみつかないってことは、ご承知のはずだったね」クスクス笑いだしながら、ぼくは言った。
ハンズはたちまちのぼるのをやめた。その表情の動きから、かれが思案しようとほねおっているのがよくわかり、しかもそのほねおりの道順があまりにもゆっくりで、たいぎそうなので、ぼくは自分の確保した新しい安全地帯で、大きな声をだして笑った。そしてようやく、一、二度つばをのみこんでから、かれはものを言いかけたが、その顔には相変わらず極度に面くらった表情が浮かんでいた。口をきくために短剣を口から取らなければならなかったが、それ以外にはかれは少しもからだを動かさなかった。
「ジムや」とかれは言う、「どうもおれたちは、二人ともヘマをやったようだな。だからここで一つ、仲なおりの約定《やくじょう》をしなきゃなるめえ。船があんなに急によろめきさえしなければ、おめえを仕止めていたんだが、おいらには運がなかった。だからよ、おいらあ降参するほかあるめえ……おめえのような小僧《こぞう》っ子に、おれみてえな船乗りの親玉が降参するたあ、まったくなさけねえ話だ、なあジム」
ぼくは塀《へい》の上の雄鶏《おんどり》みたいにお高くとまって、こうしたことばに聞きほれ、好い気持ちでにこにこしていた、が、突然、アッという間にハンズの右手が、肩ごしにふりあげられた。矢のように風を切って、何ものかのうなりが飛んだ。発止《はっし》とばかり、何かがぼくを打ち、するどい痛みがぼくを襲うのを感じた、その瞬間、ぼくの肩はマストに釘づけにされていた。すさまじい痛さとおどろきとの瞬間……ぼくにはとてもそれが自分の意志でしたこととは言えず、またそれが意識してねがったものでないことはたしかなのだが……二挺のピストルが二挺とも発射し、二挺とも手から離れ落ちた。だが落ちたのはピストルだけではなかった。息のつまったような叫びとともに、ボート長は索《つな》をつかんだ手をはなして、まっさかさまに海のなかへ落ちていった。
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第二十七章 ≪8R銀貨≫
船がかたむいたために、マストはみなずっと水面へ突き出ていたから、マストのてっぺんの横木に腰をおろしているぼくの下には、入江の水面のほかになにもなかった。ぼくほど高みへのぼっていなかったハンズは、それだけ船に近かったわけで、かれはぼくと舷墻《げんしょう》との中間の海へ落ちたことになる。一度かれは白いあわと血とがせっけんのあわのようにわきたっている海面へ浮かびあがったが、また沈んで、それきりだった。あわだちが静まると、船の横腹が影をおとしている水中の、きれいなキラキラ光る砂の上に、まるくなって横たわっているかれが見えた。魚が一、二匹、死体をこするようにして泳ぎ去った。ときどき、水面が揺れてふるえるのにつれて、かれのからだが少し動いて、まるで起きあがろうともがいているように見えた。しかし、たといどのように見えようとも、かれは撃たれたうえにおぼれたのだから申しぶんなく死んでいたのだし、かれがぼくを殺そうとくわだてた、ちょうどその場所で魚の餌《え》じきになったわけだ。
このことをはっきり知ると同時に、ぼくは胸がむかつき、恐怖に気を失いそうになった。熱い血が、ぼくの背中と胸とを流れ落ちている。ぼくの肩をマストに縫いつけた短剣は、まるで焼けただれた熱鉄のように熱かった。だがぼくを苦しめたのはそれらの現実の肉体的苦痛ではなく、その証拠にぼくはそれらをひと言のうめき声もたてずにがまんすることができた。ぼくの心をおびやかしたものは、現在の止り木から、あの静かな青い海、あのボート長の死体のかたわらへ自分が落ちてゆくことの恐ろしさだった。
ぼくはつめが痛くなるほどしっかりと両手でマストにしがみつき、危険から身をくらまそうとするかのように目をつぶった。だが少しずつ正気をとりもどし、脈拍《みゃくはく》もだんだん静まって普通の速さになり、ようやくもとの自分に帰った。
最初に考えたのは、短剣を引き抜くことだった。だが、あまり深く刺さっていたためか、それともぼくの勇気が足りなかったのか、ぼくはぶるぶると身ぶるいしながら、それを思いとどまった。ところが、ふしぎなことに、その身ぶるいが役にたったのだ。短剣は、実はほんの少しのところでぼくから外《そ》れるところだったので、ほんの一つまみほどの皮膚が釘づけになっていたにすぎなかったから、身ぶるいのために、それがもぎとられてしまったのだ。もちろんそのために血はいっそうひどく流れ出た。けれどもこれでぼくは身の自由をとりもどし、マストにひっかかっているのは上着とシャツだけになった。
このシャツや上着も乱暴にひきちぎってから、右舷の横静索《よこせいさく》をつたって甲板へもどった。気の弱くなっているぼくには、つい今しがたイズレールが落ちたばかりの、海面へたれさがっている左舷の横静索をつたって降りる元気は、とても出なかったのだ。
船室におりて、できるだけの傷の手当てをした。傷はひどく痛んだし、出血もまだやまなかった。が、べつに深くも危険でもなく、また腕を使ってもさほどにひびかなかった。手当てを終わってから、ぼくはあたりを見まわした。いよいよこれで、この船は、ある意味でぼくのものになったわけだから、ぼくは残っている最後のお客……つまりオブライエンの死体……を始末することを考えはじめた。
前に言ったように、かれは舷墻《げんしょう》にたたきつけられて、なんだかひどくきみのわるい、ぶざまな人形のように横たわっていた。いわば等身大の人形……まったく、人間のもつ血色や、人間のもつ美しさとは、なんと違っていることだろう!
死体の位置のおかげで、ぼくはたやすくかれを始末することができた。また悲惨な冒険の場数をふんだために、死人を恐れる気持ちもほとんど消え失せ、ぼくは糠袋《ぬかぶくろ》でもあつかうようにその腰へ手をかけ、ひと息にかつぎあげて、甲板から投げ落とした。
死体は大きな音をたてて水底へ沈んでいった。赤い帽子がとれて、そのまま水面に浮かんだ。そしてしぶきがおさまってみると、オブライエンとイズレールとが並んで、二つの死体が水の動きにつれてゆらゆら揺れているように見えた。オブライエンは、まだ年は若いのに、あたまはひどくはげている。そのはげあたまを、自分を殺した男のひざに寄せかけて、かれはそこに横たわり、二つの死体の上をすばやい動作で魚たちが泳ぎまわっていた。
これでぼくは船中に一人になった。潮はいま引き潮に変わったばかりである。
太陽は、ごく小さい角度で沈みかけているので、西岸の松の木の影は、もうここの入江に落ちかかって、甲板にも模様を描いていた。夕風がすでに立ちはじめ、東側の二つの峰のある山にさえぎられながらも、索具《さくぐ》は一人でにかすかにやさしく鳴りだしているし、たれさがっていた帆もあちこちではためきだした。
ぼくにもこの船に迫っている危険がわかりはじめた。いそいで斜檣帆《しゃしょうはん》をおろして甲板へほうりだしたが、大《たい》檣帆《しょうはん》のほうはそうやさしくなかった。もちろん、スクーナー船がかたむいた場合、帆の下桁《したげた》は舷の外へ突き出るし、その先端と三、四十センチの帆とは水にひたされもする。ぼくはこのことがいっそう危険だと思ったが、帆がぴんと張っているので、手出しするのがこわいような気がした。
やっと決心してナイフを取り出し、揚げ綱を切った。たちまち帆の上端が下に落ち、たるんだ帆布の大きな腹が水面にひろがって浮かんだ。そしてぼくの力では、どんなにひっぱっても下げ綱を動かすことはできなかったから、ぼくにできることは、ここまでであった。ヒスパニヨラ号としても、あとのことはぼくと同様、運を天にまかせるほかはなかった。
その時分には、入江のなかはすっかり暗くなっていた……ぼくはおぼえているが、落日の最後の光が、森のすきまをもれて、難破船の花のマントの上に宝石のようにキラキラ光っていた。肌寒くもなってきた。潮はぐんぐんと沖へ向かって流れ、スクーナー船はますます横たおしになっていった。
ぼくは船首へはっていって、前方をのぞいて見た。水はもうじゅうぶんに浅いようだったので、もしもの用心に切れた錨索《いかりづな》を両手につかんで、そっと船から降りていった。水はぼくの腰まであるかないかである。底の砂はかたく、さざなみの紋様《もんよう》におおわれている。ぼくは、大檣帆《たいしょうはん》を入江の水面に大きくひろげているヒスパニヨラ号をあとに、元気いっぱいで岸をめざして水を渡っていった。
ほぼ同じころ、太陽はまったく沈み、風は薄明の中で、枝を揺るがす松林に低い笛の音をひびかせていた。
とにかく、そしてついに、ぼくは海を離れたわけだし、またなにも手に入れずに海からもどってきたわけでもない。スクーナーがここにある……ようやく海賊どもの手をはなれ、いまこそ味方の人たちがこれに乗り、ふたたび海へ出ることができるのだ。はやくみんなのいる柵砦《とりで》へもどり、自分の大てがらのじまんをしたいと、そればかり考えていた。勝手にあそこを飛びだしたことで、少しはしかられるかもしれないが、ヒスパニヨラ号をとりもどしたことはじゅうぶんすぎる申しわけになるし、スモレット船長さえもぼくが暇つぶしをしていたわけでないことを認めてくれるのではなかろうか。
そう考えて、たいした元気で、ぼくは柵砦《とりで》とそこにいる味方の人たちのほうへ足を向けた。キッド船長の碇泊《ていはく》地へ注ぐ川のうちで、最も東にあるのが、いまぼくの左側にある二子山から出ていることを、ぼくは思いだした。
そこでぼくはその川の流れがまだ細いうちに渡ろうと、その方角へ道をとった。森はかなり開けていて、山すその低いところにそってゆくと、間もなくその山の角を曲がり、ほどなく、すねのなかばまで水にひたって、その流れを渡った。
これでぼくは、あの置き去りにあった男、ベン・ガンに出会ったところの近くへ来たのである。ぼくは八方に目をくばりながら、いっそう用心ぶかく進んでいった。宵闇はもうすっかりあたりを包んで、二つの峰の狭間《はざま》を出ると、ぼくは夜空にゆらめく火の光に気づいた。ほかでもなく、あの島の住人が、よく燃える火を前にして、夕食のしたくをしているのだ。と、そうにらんだものの、そんなに無用心に、あの男が自分のいどころを教えるだろうか、という不審もわいた。
あの光が、ぼくに見えるくらいだから、岸の沼地で夜営をしているシルヴァの目にもとどかないはずはなかろう?
夜はしだいに暗さを増してくる。今では大まかにでも自分のめざす方向へ進むのがせいいっぱいになった。うしろの二子山と、右手の遠めがね山との影は、ますますぼんやりと見わけにくくなってきた。星も少なく、その光は弱かった。ぼくのさまよう低地では、たえず潅木《かんぼく》につまずいたり、砂の穴へころげ落ちたりした。
急に、あたりが明るくなった。見上げると、青白い月光が遠めがね山の頂にさしていた。つづいて、なにか大きな、銀色のものが低く木立のうしろで動くのが見え、それで月がのぼっているのだと知れた。これに助けられて、ぼくは残りの道をぐんぐん進んだ。
ときには歩き、ときには走って、あせりながら柵砦《とりで》へと近づいた。それでも、柵砦の前の林に踏みこむと、ぼくもそれほど考えなしではないので、歩調をゆるめ、いくらか用心して進んだ。自分の味方にまちがって撃ち倒されるのでは、冒険の結末としてあまりみじめすぎるではないか。
月はますます高くなってくる。森のなかの木立のまばらなあたりでは、あちこちに光がかたまって降りそそいでいた。そうして、ぼくの行手の正面に、月光とはちがう色の明るみが、木立のあいだにあらわれてきた。それは赤い熱っぽい光で、ときどき少しだけ暗くなることがある……ちょうどたき火の燃えさしのいぶっているような。
どう考えてみても、ぼくにはそれがなんだか、けんとうがつかなかった。
とうとうぼくはあき地の縁までたどりついた。西の端はすでに月光を浴びている。そのほかの部分と、小屋そのものとは、まだ黒い影のなかに横たわっていて、長い銀色の光のしまが織りなされている。小屋の向こう側には、大きなかがり火の燃え尽きたのが、あかるい余燼《よじん》になって、まっ赤な強い反射光を放ち、なごやかな月光の青さときわだった対照をみせている。だれ一人動くけはいもなく、風の音のほかにはなんの物音もなかった。
ぼくは立ち止まった、こころのうちには大きな不審の念と、少しばかりの恐怖とがあった。大きなたき火をするのは味方のやりくちではなかった。船長の命令で、ぼくたちはどちらかというと薪《たきぎ》に≪けち≫をしていたのだ。それでぼくは自分の留守中に、なにかまちがいでもあったのではないかと、こわくなってきた。
足音をぬすみ、影のなかから出ないように気をつけながら、東側の端をまわって、影のいちばん濃い、都合のよい場所で柵を越えた。
それから、もっとだいじをとって、ぼくは四つんばいになり、音もなく小屋の角へとはい寄った。近づくにつれて、こころは急に、しかもひじょうに、軽くなった。その音は、音としては決して愉快な音でなく、ぼくはほかのときにはたびたびもんくを言ったものだ。
だがいまばかりは、味方の人たちがそのやすらかな眠りのなかで、そろって高いびきをかいているのを、まるで音楽のようにぼくは聞いた。海の上で見張りの者が叫ぶ、あのこころよい≪果常なし≫のかけ声も、とてもこれほど心づよくぼくの耳にひびいたことはなかった。
そのうちにも、一つだけ疑う余地のないことがあった。それは味方の当直が、おはずかしいほどだらしがなかった、ということだ。いまかれらに向かって這い寄っている者が、シルヴァとその一党であったとしたら、あすの日の出を見ることのできる者は一人もないだろう。船長が負傷すると、こんなことになるのだ、とぼくは思った。それで、番をする者が少なくて、こんな危険にみんなをさらして出てしまった自分を、もう一度ぼくははげしく責めた。
そのときにはもう戸口へ着いたので、ぼくは立ち上がった。内部はまっくらで、目では何ひとつ見わけることができなかった。音のほうでは、単調につづいている大いびきの音のほかに、ときどき何か小さな音が、ばたばた、こつこつと聞こえるのが、ぼくにはなんだか、まったくけんとうがつかなかった。
ぼくは両腕を前へつきだして、じりじりとなかへはいっていった。自分の場所に寝ていたら、朝になってみんながぼくを見つけておどろく顔はさぞおもしろいだろう、などと考えて一人で忍び笑いをした。
足が何かやわらかいものにぶつかった……眠っているだれかの脚だった。相手はすぐに寝返りをうってうなっていたが、目は覚まさなかった。
そのとき、急に闇のなかから、けたたましい声が叫びだした……
「8R銀貨! 8R銀貨! 8R銀貨! 8R銀貨!」
どこまでも同じことを、切れめも変化もなく、まるで小さな水車の鳴る音のようにつづけるのだ。
シルヴァの緑のオウム、フリント船長だ! さっき聞いた、木の皮でもつつくような音もあいつだったのだ。あのオウムが、どんな人間よりもしっかりと見張りをして、こんな単調な文句のくりかえしによってぼくの帰ってきたことを告げているのだ。
ぼくはおどろきから立ち直る暇もなかった。オウムのけたたましい早口の叫びに、眠っていた連中は目をさまし、とび起きた。ふきげんな大声で悪態をついて、シルヴァの声が叫んだ……
「だれだ?」
ぼくは身をひるがえして走りだし、もうれつにだれかにぶつかり、はねかえって、べつのだれかの腕のなかへとびこんでしまった。その人間はがっしりとぼくを抱きすくめた。
「たいまつを持ってこい、ディック」とシルヴァが言った。ぼくはこうして完全にかれらの手につかまったわけだ。
男たちの一人が丸太小屋を出てゆき、やがて火のついた燃えさしを持ってもどってきた。
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第六部 シルヴァ船長
第二十八章 敵陣にて
たいまつの赤い火が丸太小屋の内部を照らしだして、心配していた最悪のことが実際になっていることをぼくに教えた。海賊どもはこの小屋と糧食《りょうしょく》とを手に入れてしまった。きのうと同じく、そこにはコニャックの樽《たる》もあれば、豚肉やパンもあった。しかも、ぼくの恐れを十倍もに大きくしたのは、ただ一人の捕虜《ほりょ》さえもここにいるけはいがないことであった。味方は一人残らず死んでしまったとしか判断のしようがなく、自分がここにいなくて、みなといっしょに死ななかったことの後悔だけがぼくの心をいたましくかむのだった。
海賊は、みなで六人いた。ほかには一人も、生き残っていないのだ。五人の者はみな赤い、はれぼったい顔で立っていた。酔っぱらって寝たばかりのところを急に起こされたのだ。六人めの男は、片ひじをついて身を起こしているだけだったが、これは死人のように血色がわるく、頭に血のにじんだほうたいをしているところをみると、最近に負傷して、もっと最近に手当てを受けたものとわかる。例の大攻撃のときに、森のなかで撃たれて逃げ去った男のことをぼくは思いだし、これがその男だったにちがいないと思った。
オウムはのっぽのジョンの肩にとまって、くちばしで羽づくろいしていた。そののっぽのジョンだが、以前のかれにくらべていくらか顔色がわるく、いかめしい顔つきになっているようにぼくは思った。いまもきのうの談判に来たときと同じりっぱな黒羅紗《くろらしゃ》の服を着ているが、どろによごれ、森の茨《いばら》のとげで破れて、よほどみっともないすがたになっている。
「なるほど」かれは言った、「ジム・ホーキンズかい、いやはや! ちょっとお立ち寄り、というところかい? まあいい、悪いようにはしねえぜ」
そう言って、ブランディの樽に腰をおろし、パイプにタバコをつめはじめた。
「たいまつを貸してくれ、ディック」とかれは言い、パイプにたっぷり火をつけてから、「これでいいや。この火を薪《たきぎ》のなかへ突っこめ」と命令した。「それから、だんながたも、すわったらどうだい!……ホーキンズさんがおいでになったからって、立ってることはねえだろう。ホーキンズさんも許してくださらあ、心配するなってことよ。そこでだ、ジムよ」……タバコをやめて……「おめえが来ていたとはな、このジョンおやじ、びっくりするやらうれしいやらだ。はじめておめえを見たときから、すばしっこい小僧だったからなあ。だが今夜のことは、さすがのおいらにもわけがわからねえ」
こんなふうに言われても、読者も想像がつくと思うが、ぼくはなにも答えなかった。海賊のやつらは、ぼくを壁ぎわに立たせたから、ぼくはそこに立って、少なくとも見かけだけは大胆にシルヴァの顔を正面から見ていたが、こころのうちは絶望でまっくらだった。
シルヴァは、おちつきはらって、パイプを一、二度ふかし、さてふたたびしゃべりだした。
「さて、ジム、とにかくおめえはここにいるんだから、少しおれの気持ちを聞かせてやるぜ。おれはもともと、根性のある小僧《こぞう》だと思って、おめえが気に入っていた、まるでおいらが若くて好《い》い男だったころを見るような気がしていたんだ。だからもともと、おれたちの仲間に入れて、分けまえも取らせ、≪紳士≫として死なせてやりてえと思っていた。こうなったらいよいよ、そうするほかはねえんだぜ。スモレット船長は、そりゃりっぱな船乗りだ、おいらいつだって太鼓判《たいこばん》をおしてやるぜ、だが規律がやかましすぎらあ。≪義務は義務じゃ≫とあのひとは言う、そりゃそのとおりさ。
ま、あの船長にゃ近寄るんじゃねえぜ。それから医者もおめえにあいそをつかしちまったぜ……≪恩知らずの餓鬼《がき》め≫だとよ。
ところで、かいつまんで言えば、話はこういうことになるんだ……いいか、おめえはもう仲間のところへ帰るわけにゃいかねえ、みんなおめえを入れる気はねえからな。すると、おめえが自分で仲間を集めて、もう一つ別の組をつくるならいざ知らず、シルヴァ船長と組むよりほかに、しかたはねえだろうな」
ここまではよかった。では味方の人たちはまだ生きているのだ。またシルヴァの話の幾ぶんかは信用するとしても、船室組の人びとが、ぼくの脱けだしたことで腹をたてているというのは、ぼくにすれば悲しいよりはいっそほっとする話だった。
「おいらはな、おめえに、仲間になれなんて、ひと言《こと》も言っちゃいねえぜ」と、シルヴァはつづけた。「もっとも現におめえはそうなってるんだがな、まったくの話。おらあなんでも話しあいできめるのが好きさ。おどしなんかでうまくいったためしは見たこともねえや。おめえが働いてくれる気があるなら、仲間にへえんな。もしいやなら、ジム、いやだというのはおめえの勝手だ……うん、勝手だし、それでけっこうなんだぜ、兄弟《きょうでえ》。さあ、船乗りと名のつく野郎のなかで、これ以上まともな話のできるやつがあるか、べらぼうめ!」
「じゃ、ぼくに返事をしろって言うんだね?」ぼくはひどくふるえる声できいた。シルヴァのひやかすような口ぶりの話を聞いているうちに、ぼくはわが身にふりかかる死の脅威《きょうい》を感じさせられ、ほおは焼けそうにほてり、心臓は破れんばかりに胸のうちで鼓動した。
「若《わけ》えの」シルヴァは言った、「だれもおめえを問いつめてるんじゃねえぜ。しっかりと自分で方角をきめな。だれも急げとはいわねえ。おめえといっしょにいると、けっこう気持ちよく暇がつぶれるぜ」
「そうだな」と、ぼくはいくらか大胆になって、「どっちかにきめなきゃならないとすると、何がどうなってるんだか、どうしてあんたたちがここにいることになったか、ぼくの仲間の連中はどこにいるのか、ぼくには知る権利があると言いたいね」
「何がどうなっているかだと?」海賊どもの一人が、ふとい、うなるような声で、ぼくのことばをくりかえした。「ふん、それを知ってるやつは、よっぽど運のいい野郎だい!」
「ひとから話しかけられるまでは、おとなしく口をつぐなんでいるもんだぜ、兄弟《きょうでえ》」シルヴァが、口をだした男に荒っぽくどなった。それから、もとのやさしい口調《くちょう》にもどって、ぼくに答えた……
「きのうの朝のことだよ、ホーキンズだんな。朝の当直のときに、リヴジー先生が休戦旗を持ってやってきた。先生はこう言った、『シルヴァ船長、きみは裏切られたぞ。船がいなくなったんだ』
なるほど、おれたちはいっぱいひっかけて、景気よく歌でも歌っていたんだろう。そうでねえとは、言わねえ。とにかく、だれ一人見張っていなかったんだ。浜辺を見ると、ちきしょうめ! 船は影も形もねえじゃねえか。あのときのみんなのまぬけづら、あきれてものが言えなかったぜ。うそはつかねえ、なかでもいちばんまぬけなのはおいらだった。『どうじゃ、ひとつ相談に乗らんか』と医者が言ってな。先生とおいらで相談をして、ここにおれたちがいるわけだ……食糧、酒、この小屋、おめえたちが用心ぶかく切っておいた薪《たきぎ》、それに、まあ言ってみれば船もまるごと、檣頭《しょうとう》の横桁《よこげた》から内竜骨まで、そっくりもらった。向こうの連中はというとな、連中はとぼとぼと歩いていった。どこにいるのか、おいら知らねえ」
そこでかれはゆっくりとパイプをふかした。
「それで、おめえのことも、そのときの約定《やくじょう》のなかにあったかなんぞと考えるといけねえから話すがな」シルヴァはつづけて、「しめえに、こんな話が出たんだ、『おまえさんがた、ここを出てゆきなさるのは何人ですかい?』とおれがきくと、『四人じゃ』と先生が答えた……『四人で、そのうちの一人は負傷者じゃ。あの小僧のことじゃが、どこへ行ったかわからん、困ったやつじゃが、わしはべつに気にかけてもおらんよ。あいつには、わしら手を焼いておったからな』まあ、こんな話だったぜ」
「それだけかい?」ぼくはたずねた。
「うむ、おめえに聞かせることは、ざっとこんなもんだ」とシルヴァは答えた。
「それで、今度はぼくがきめるんだね?」
「そうだ、おめえがきめる番だ、まちがいねえ」
「じゃ言うよ」とぼくは言った、「ぼくはそれほどバカじゃないから、これからどんなめにあわされるかぐらい、知ってるよ。どんなひどいめにあったって、かまうもんか。きみたちとつきあってから、たくさんの人が死ぬのを見すぎるほど見たからね。だけど一つ二つ、きみたちに言っとくことがあるんだ」
ここまで来ると、ぼくはすっかり興奮した。「まず第一はだね、きみたちはいま、とてもひどいことになってるんだぜ。船もない、宝もない、仲間もいない。きみたちの計画はすっかりだめになっちゃったんだ。しかもだれがそうしたか、知りたきゃ教えてやる……ぼくがやったんだ! あの陸地が見えた夜、ぼくはりんご樽《だる》のなかにいて、きみたちの話すのを聞いていた。ジョン、きみと、ディック・ジョンソン、きみと、それからいまは波の底に眠っているハンズと、三人の話をね。そうしてその聞いた話を、一時間とたたないうちに一句も抜かさずしゃべったんだ。
それからスクーナーだが、あの錨索《いかりづな》を切ったのもぼくなら、きみたちが船に残した連中を殺したのもぼくだし、それからあの船をきみたちが二度と見つけられない場所へ運んだのもぼくなんだ。笑えるのはぼくのほうだ。はじめっから、今度のことではぼくのほうが先手を取っていたんだからね。きみなんか、≪はえ≫ほどにもこわくはないよ。生かすのも殺すのも、好きなようにするがいい。ただ一つだけ言っとくことがある、それでおしまいだ。もしぼくを助けてくれるなら、すんだことはすんだこととして水に流そうよ、そうしてきみたちが海賊として裁判にかかったときには、できるだけのことをして、きみたちを救ってあげよう。今度はきみのほうできめる番だ。一人よけいに殺して、なんの得にもならないことをするか、ぼくを助けて自分たちが死刑になるのを救う証人を残しておくかだ」
ぼくはまったくの話、息が切れたので、ここでやめたが、おどろいたことに、海賊たちは一人も動かず、羊のようにおとなしく腰かけたまま、ぼくを見つめていた。で、かれらがまだ見つめているあいだに、ぼくはまたしゃべりだした……
「さあ、それで、シルヴァさん、あんたがここにいる中ではいちばんいいひとらしいから、万一ぼくが殺されることになったら、ぼくがどんな死にかたをしたか、先生に話してくれるとありがたいんだが」
「そのことはおぼえておこう」と、シルヴァが言ったが、そのことばの調子があまり変わっていたので、いったいかれはぼくのたのみを笑っていたのか、それともぼくの勇気に感服したのか、どう考えてもその点がわからなかった。
「まだ一つあるぞ」とマホガニー色の年寄りの船乗り……モーガンという名で、ブリストルの波止場《はとば》でのっぽのジョンがやっていた酒場で見たことのある男だ……が叫んだ。「≪黒犬《ブラック・ドッグ》≫のことを知っていたのもこの小僧だ」
「うん、そのことなら」と料理番のジョンはそばから言った。「おれももう一つ知ってるぜ。あのビリー・ボーンズから図面をぬすんだのもこの小僧だからな。はじめからしめえまで、おれたちはジム・ホーキンズにじゃまされてたんだ!」
「じゃ、これでもくらえ!」モーガンが、にくにくしく叫んだ。
そして、まるで二十歳《はたち》の若者のようにナイフを引き抜いて、立ち上がった。
「待て!」とシルヴァが叫んだ。「なんだてめえは、トム・モーガン! おおかた、ここの船長だとでも思ってるんだろう。ふざけるな、おれがよく教えてやろうか! このおれにさからってみろ、てめえはこの三十年のあいだに次から次へと、大ぜいのやつらが出会ったのと同じめに会うことになるんだぞ……帆桁《ほげた》につるされたやつ、甲板から投げだされたやつ、どいつもこいつもみんな魚の餌食《えじき》だ、べらぼうめ。おれに刃向かった野郎で、あとでいいことのあったやつは一人もねえんだ、トム・モーガン、よくおぼえときやがれ」
モーガンはひるんだ。が、ほかの者たちから低いつぶやきがもれた。
「モーガンの言うとおりだぜ」と一人が言った。「おいら、長《なげ》えことひとにこき使われてしんぼうしてきた」と他の一人が言った。「このうえおめえにまでこき使われるのはまっぴらだぜ、ジョン・シルヴァ」
「おお、だんながた、≪うぬら≫のなかに、このおれを相手に勝負して、決着をつけようというのがいるのか?」樽に腰かけた身をぐっと前へ乗りだし、だが右手にはまだ火のついたパイプを持ったまま、シルヴァはどなった。「何をする気だか、言ってみろ、みんな、おしじゃあるめえ。だれだろうと相手になってやるぜ。長の年月《としつき》、潮風に吹かれたおれが、今さらうぬらのような兵六玉《ひょうろくだま》に鼻をあかされてたまるか? けんかのしかたは知ってるだろうな。みんな≪金持の大だんな≫のつもりなんだからな。よし、こっちはいつでもいいぜ。やる気のあるやつは短刀を取れ、このパイプがからになる前に、松葉杖をついたままで、そいつの臓腑《ぞうふ》の色まで見せてもらうからな」
だれも動かなかった。だれ一人、答えもしなかった。
「なんだ、てめえら、やる気はねえのか?」またパイプを口にくわえて、「ふん、みんな、見てくれだけはかっこうがいいや。相手にするだけの値うちもねえやつらだ。それでもジョージ王様の国のことばはわかるだろう。おれは選挙できまった船長だぞ。てめえたちとはかけはなれてすぐれた男だから、船長になったんだ。金持の大だんならしく勝負する気もねえ。そんなら、ちきしょう、おれの言うとおうにしろ、わかったか? ところで、おれはあの小僧《こぞう》が好きだ。こんないい小僧は見たことがねえほどだ。いまこの小屋にいるてめえたちどぶねずみを二匹あわせたよりずっと男らしいや。だから、おれの言いてえことはこうだ……この子に手出しをするやつにはおれが相手になる……こういうことだ、おぼえておけ」
このあと長いあいだ、みな黙っていた。ぼくは壁を背に、まっすぐに立ち、心臓はまだ大槌《おおづち》でたたくように高鳴っていたが、いまは一条の希望の光が胸のなかでかがやいていた。
シルヴァは壁にもたれ、腕を組み、口の隅にパイプをくわえて、教会にでもいるように静かにしていた。だがその目はゆだんなくあちこちに配って、御《ぎょ》しにくい手下の者どもを見張っていた。その手下どもはだんだんと小屋の離れた隅のほうへ集まって、何かささやき声で話しているのが、小川の流れのように休みなくぼくの耳にひびいた。一人、また一人と、顔をあげるたびに一瞬、赤いたいまつの光がその心配そうな顔を照らしだした。だがかれらが目を向けるのはぼくではなく、シルヴァのほうへであった。
「だいぶ言いてえことがあるようだな」シルヴァは遠くのほうへつばを吐いて、「おれに聞こえるように声に出して言え、さもなきゃ、やめろ」
「失礼しますぜ、船長」男たちの一人が答えた。「おまえさん、規則について、ずいぶん勝手なことをしなさるが、ほかの規則は、ちゃんと守ってくれるだろうね。乗り組みの一人として、おもしろくねえ。むやみにどなりつけられるのは感心しねえな。ほかの乗り組みの者と同じ権利がおれにもあるんだ、これだけは遠慮なく言うぜ。おまえさんの作った規則によって、おれたちは話しあいをしてもいいはずだと思うんだ。おまえさんを、いまのところ船長と認めてお許しを願うわけだ。おいらは自分の権利を主張するから、相談をするために外へ出るのだ」
そして、はでな身ぶりで船乗りの敬礼をして、この背の高い、みにくい顔の、三十五歳ぐらいの黄いろい目をした男は、おちついて戸口のほうへ歩き、小屋の外へ消えた。つづいて一人ずつ、ほかの男たちもかれの例にならった。みな立ち去りながら敬礼をし、なにか言いわけを言った。「規則どおりに」と言う者があるかと思えば、モーガンは「前甲板の会議だ」と言った。こうしてなにかしら口上《こうじょう》を言ってはみな外へ出てしまい、たいまつの光のなかに残ったのはシルヴァとぼくだけになった。
料理番は、すぐにパイプを口からはなした。
「おい、どうだ、ジム・ホーキンズ」と、やっと聞こえるぐらいのささやき声で、かれは言った、「おめえはいま死ぬか生きるかのせとぎわだぜ、もっと悪いことに、ひでえ拷問《ごうもん》にあうかもしれねえ。野郎ども、おれをおっぽりだす気でいやあがる。だがな、忘れるなよ、勝っても負けても、おれはおめえの味方だ。はじめはそんな気はなかった。そうとも、おめえが洗いざらいしゃべるまで、そんな気はなかった。おいら、あれだけの大金を取りそこなうし、おまけにしばり首にされかかって、やけになりかかっていた。だがおめえが頼《たよ》りになる男だとわかった。それでこんなふうに自分に言ってみたわけよ……ジョンよ、おめえはホーキンズの仲間になれ、そうすればホーキンズもおめえの仲間になる。おめえこそはホーキンズの最後の切り札《ふだ》で、また、忘れるなよ、ジョン、ホーキンズこそはおめえの最後の切り札だ! 持ちつ持たれつとはこのことだ、おめえが自分の証人を助ければ、相手もおめえの首を助けてくれるんだ、とな!」
ぼくも、どうやらぼんやりと事情がのみこめてきた。「みんなだめになったっていうのかい?」と、ぼくはたずねた。
「そうとも、うそはつかねえ!」かれは答えた。「船もねえ、首もねえ……これがいまの正味《しょうみ》のところよ。あのとき入江をのぞいて見たら、スクーナーがいなくなってるじゃねえか、のうジム・ホーキンズ……さすが強気のおれも、これにゃあへこたれたぜ。そこへいくと、いま集まって相談してる野郎どもなんざ、底ぬけのあほうで、腰ぬけときてらあ。いいか、おれはあいつらの手から、おめえの命を助けてやるぜ……できるだけのことをしてな。だが、おい、ジムや……≪魚《うお》ごころあれば水ごころ≫だ……かわりにのっぽのジョンのしばり首になるのを助けてくれ、たのむぜ」
ぼくは当惑した。シルヴァのたのみは、とてもできそうもない相談だった……この老海賊、しかも最初からずっと張本人《ちょうほんひん》だった男を助けることは。
「どんなことでも、ぼくにできることはするよ」とぼくは言った。
「よし、話はきまった」のっぽのジョンは叫んだ。「おめえは胆っ玉をすえて物を言う男だから、ようし、べらぼうめ! これでおれにも望みが出たぞ」
かれは薪《たきぎ》のなかへ突き立ててあるたいまつのところへ足をひきずっていき、新しくパイプに火をつけた。
「おれの話を、よくのみこんでくれよ、ジム」と、もどってきながらかれは言った。「おいら、この肩の上に、ちゃんと頭をのっけてる男だ。これからおれは郷士さんのほうにつく。おめえがあの船を、どこかへ無事に置いてきたことはわかってら。どんなふうにやったかは知らねえが、無事にはちげえねえ。たぶん、ハンズとオブライエンはへまをやりやがったんだろう。あの二人をもともとおれは、信用しちゃいなかったのだ。さて、よく聞いてくれよ。おれはなにもうるさくきかねえし、ほかのやつらにもきかせねえ。勝負の見切りどきは心得てるし、話のわかる若い者も、見ればわかる。まったくな、おめえ、その若さで……おめえとおいらとが組んだら、心強いことになるぜ!」
かれは樽からブリキの水飲みにコニャックをついだ。
「一杯どうだ、兄弟《きょうでえ》?」とかれはきいた。ぼくがことわると、「そんならおれは飲むぜ、ジム」と言った。「これからひと騒動おっぱじまるから、こいつを飲《や》っておかねえとな。ところで、騒動と言やあ、医者の先生は、なんでおいらにあの図面をくれたんだろうな、ジム?」
ぼくの顔に浮かんだおどろきが、うそもかくしもなかったので、かれはそれ以上きいてもむだだとわかったらしい。
「ああ、そんならいいが、くれたことはくれたんだ」とかれは言った。「それには、何かいわくがあるにちげえねえ……いいことか、わるいことかは別として、たしかにいわくがあるはずだぜ、ジム」
そうして、かれは、最悪のことを覚悟した人間のようにその大きな金髪の頭を振りながら、ブランディをまたひと口飲んだ。
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第二十九章 第二の黒星《くろぼし》
海賊たちの会議がしばらくつづいたあと、一人が小屋へもどって、またさっきと同じ敬礼をして、それがぼくの目にはよほど皮肉に見えたが、それからたいまつを少しの間《ま》貸してくれと言った。シルヴァはあっさり承知した。それでこの使者は、くらがりのなかにシルヴァとぼくとを残して、また出ていった。
「どうやら嵐になりそうだぜ、ジム」と、この時分にはすっかりぼくにうちとけた態度になっていたシルヴァが言った。
ぼくは手近ののぞき穴から外をのぞいた。大かがり火の燠火《おきび》はいままでにすっかり燃えつくし、薄い弱よわしい色になっているので、謀叛《むほん》人どもがたいまつをほしがったわけがのみこめた。柵砦《とりで》への斜面をなかば下りたところに、かれらはかたまっていた。一人が火をかざし、他の一人がまんなかで地面にひざをついていた。その男の手に持った抜き身のナイフに、月の光とたいまつの明りとが、さまざまの色に光っているのをぼくは見た。他の者は、このナイフの男のすることを見まもるように、少し身をかがめている。
男は、その手にナイフだけでなく一冊の本をも持っていることが、ぼくにはようやくわかった。かれらには不似合いなそんなものが、どうして手にはいったのかとあやしんでいるうちに、ひざをついていた男は立ちあがり、同時に一同の者が連れだって小屋へ向かって歩きだした。
「こっちへ来るよ」とぼくは言って、元いた場所へもどった。ぼくがかれらを見ていたことを知られるのは、自分の品位にかかわるような気がしたからである。
「ふん、来たけりゃ来るがいいさ……来るなら来いだよ、ジム」シルヴァは元気に言った。「おれにはまだ一つ、取っときの計略があるんだ」
戸があいて、五人の男が、はいったばかりのところにかたまって立ち、仲間の一人を前へ押し出した。男は、足の運びがひどくためらいがちで、だがなにか握りしめた右手を前へ突きだしながら、ばかにのろのろと進んでくる、その有様は、ほかの場合だったら、よほどこっけいに見えたことだろう。
「さっさと来な、若《わけ》えの」とシルヴァはどなった。「取って食おうとは言やしねえぜ。早くそれを渡せ。おらあ規則は心得てら。総代をやっつけるようなことはしねえ」
こんなふうに励まされて、海賊はいくらか活発に進み出て、何かをシルヴァに、手から手へ渡し、前よりも器用に仲間の者たちのところへ逃げ帰った。
料理番は手渡されたものを見た。
「黒星じゃねえか! そうだと思ったい」かれは言った。「てめえら、この紙をどこから手に入れた? おや、なんだ! やい、てめえたち、こりゃ縁起《えんぎ》がよくねえぞ! これは聖書から切り取ってあるじゃねえか。どこのバカが聖書を切り取るんだ?」
「そうれ、見ろ!」とモーガンが言った……「どうだ、言わねえことじゃねえや! そんなことしちゃ、ろくなことはねえと、おらあ言ったのに」
「ふん、てめえたち、相談ずくで、こうきめたんだな」シルヴァはたたみかけて、「これで一人のこらず、首つり往生《おうじょう》ときまったぜ。いったいどこのまぬけ野郎が聖書なんぞ持ってたんだ?」
「ディックだよ」と一人が言った。
「ディックだと? そんならディックは早くお祈りをすることだな」と、シルヴァは言った。「これでてめえも運の尽きだ、なあディック、おれがうけあってやるぜ」
だがここで、黄いろい目をしたのっぽの男がさえぎった。
「おしゃべりはやめろ、ジョン・シルヴァ」かれは言った。「おれたち乗り組みの者は、規則にしたがって、じゅうぶんな相談をしたうえで、きさまに黒星をつきつけたんだ。だからきさまも規則どおり、それを裏返して、そこに書いてあることを読め。そのうえで口をきいたらいいだろう」
「ありがとうよ、ジョージ」船の料理番は答えた。「おめえは、いつも仕事はてきぱきやる男だったし、規則もよく頭に入れているから、おいら、もとから気に入ってるんだ。ところで、これはいってえ、どういう話だ? なるほど!『免職《めんしょく》』か……そういうことか! たしかに、きれいに書《け》えてあるな、たしかに。まるで活字だ。これはおめえが書いたんだな、ジョージ? ふん、おめえはいつの間にか、乗り組みのなかで頭《かしら》ぶんになっていたんだな。次の船長はおめえだと言われでも、おらあおどろかねえ。ちょっとすまねえが、もう一度そのたいまつを貸してくんな、パイプが消えたようだ」
「おいおい」とジョージが言った、「もうこれ以上おれたちを白痴《こけ》にしようたってだめだぞ。自分一人でおどけてるつもりだろうが、道化はもうおしまいだ。樽の上から降りて選挙の仲間に入《へえ》れ」
「てめえ、規則は心得てるとぬかしたようだったが、ふん」シルヴァはいかにもけいべつしたように答えた。「ま、とにかく、てめえが知らなくとも、こっちが知ってらい。おれはここで待ってるから……おいら、まだ船長なんだぞ、忘れるな……てめえたちは早く苦情を述べろ、答えてやるから。この問答がすまねえうちは、うぬらの黒星《くろぼし》は、堅パン一つほどのねうちもねえのだ。話は問答をしたうえのこった」
「そうか」ジョージは言い返した、「おめえ、なにもびくびすることはねえぞ。おれたちは何ひとつ、ごまかしはやらねえからな。第一に、おめえはこの航海で≪みそ≫をつけた……つけねえというなら、よっぽどずうずうしいお人だ。第二には、おめえは敵のやつらを、なんの得《とく》も取らずにのがしちまった。敵がなぜ外へ出たがったか? おら知らねえ。だが、やつらが出たがったことはハッキリしてらあ。第三に、敵が出てゆくのを、おれたちに追い討ちかけさせなかった。どうだ、おれたちはきさまの正体を見抜いたぞ、ジョン・シルヴァ。きさまは裏切りする気なんだ、だから≪へま≫ばかりやりやがるんだ。それから四番め、ここにいる小僧のことだ」
「それでみんなか?」シルヴァが静かにきいた。
「これだけありゃあ、たくさんだ」と、ジョージは言い返した。「きさまの≪へま≫のおかげで、おれたちはみんなぶらんこ往生して、天日《てんぴ》で乾物《ひもの》になっちまった」
「よし、それじゃ、聞きな、いまの四つの苦情に返答してやる。一つ一つ順に答えてやるからな。おいらが≪みそ≫をつけたというんだな? よし、ところでてめえたちはおれの考えを知っていた。その考えどおりにやっていたら、今晩あたり、おれたちはいままでどおりスパニヨラ号の上にいて、仲間は一人残らず生き残って、元気で、干しぶどう入りのプディングでもたらふく食って、おまけに宝は船艙《せんそう》へ運びこんでいたはずなんだ、べらぼうめ! それをみんなてめえたちは知ってるじゃねえか。
ふん、だれがおれに楯《たて》ついたのだ? 規則どおりの手続きで船長になったおれに無理をさせたやつはだれだ? 上陸したその日に黒星《くろぼし》をつきつけて、こんな道化踊りをはじめたやつはだれだ? そうよ、おもしろい踊りだよ……おれだっておもしろがってるぜ……まったく、ロンドンの仕置き波止場でなわにつるされた水夫踊りにそっくりだぜ。
だが、それをやったやつはだれだ? アンダソンだ、ハンズだ、それからてめえだ、ジョージ・メリー! つまりてめえは、あの小うるせえ不平組のなかで生き残った最後の男だ。そのてめえが海坊主のデーヴィ・ジョーンズそこのけのふてえ料簡《りょうけん》で、おれを踏みつけて船長になろうとしてやがる……おれたちをさんざん苦しめたてめえがよ! ちきしょうめ、こんなべらぼうな話があるもんじゃねえ」
シルヴァはひと息入れたが、ぼくは、ジョージやその最近の同志の連中の顔つきから、ここまでのことばがむだに費やされなかったのを知ることができた。
「いまのが第一の苦情への答えだ」と被告《ひこく》は、額の汗をふきながら叫んだ。かれはこの小屋を揺すぶるほどの激しい勢いでしゃべったのだ。「まったく、正直な話、おらあてめえたちと口をきくのも胸がわるいや。ものわかりが悪いうえに、ものおぼえも悪いときてやがる、てめえたちを海へ送りこんだおふくろたちの顔が見てえや。海だと! 金持のだんな衆だと! てめえたちゃ仕立屋ぐらいが似合いの商売だ」
「さあさあ、ジョン」とモーガンが言った。「ほかの苦情に返答しろい」
「おお、ほかの苦情か!」ジョンは言い返した。
「みんなごりっぱな苦情だよ、なあ。今度の航海はだめになったと、てめえたちは言うんだな。そうともよ! どれほどだめになったか、≪うぬら≫にわかったら、さぞおったまげることだろうぜ! おれたちはもう首つり台の足もとまで来てるんだぞ、それを考えると、おれなんざ首筋が痛くならあ。てめえたちもたぶん見たことがあるだろう、鎖で首をしめられて、鳥が寄り集まってくらあ、それを、潮に乗って出てゆく船乗りたちが指さして、『あれはだれだい?』と一人がきくと、もう一人が、『あれか! なんだ、あれはジョン・シルヴァだあな。おいらのよく知ってる男さ』と言うんだ。
それから船が横に流されて、ほかの浮標《ブイ》まで行くときに、鎖のじりんじゃんと鳴る音が聞こえらあ。まあ、ざっと、そんなところへ来ちまったのがおれたちだ、この野郎や、ハンズやアンダソン、そのほか罰あたりのあほうどものおかげでよ。さて、四つめの苦情について返事が聞きてえなら、その小僧《こぞう》はな、やい、べらぼうめ! こいつは人質じゃねえのか? 人質をむだに捨てようってのか? おらあ、いやだ。この小僧こそはおれたちのたのみの綱になったとしても、おらあ不思議とは思わねえ。小僧を殺すんだと! とんでもねえ話さ、兄弟《きょうでえ》!
それから三つめの苦情は? なるほど、三番めについては、言うことが山ほどあるぜ。おそらく、てめえたちのことだから、れっきとした大学出の医者が毎日|診《み》にきてくれたって、どれほどのこととも思わねえだろうが……おい、ジョン、頭をぶち割られたおめえも……それからジョージ・メリー、つい六時間まえには瘧《おこり》でふるえていたおめえも、いまだってレモンの皮みてえな黄いろい目をしてやがるくせに、医者のありがたさはわかっちゃいねえんだ。それからてめえたち、もうじき仲間の船が来ることも知らなかったんじゃねえか? これが来るんだ、それもそう長《なげ》えことじゃねえ。またそうなったときに、人質があったことを喜ぶやつはだれだか、いまにわかるだろう。
それから二番めの苦情だが、なぜおれが取引をしたか……へえつくばって、へこたれて、取引をしてくれとたのみに来たのは≪うぬら≫じゃねえか……またおれがああしなきゃあ、≪うぬら≫餓死《うえじに》するところだったぜ……だが、そんなことは小さなこった、それを見ろ!……わけはそれだ!」
言いながら、かれが床に投げだした一枚の紙片、ぼくにはすぐに何だかわかった……ほかでもなく、船長の荷物箱の底に油紙に包まれているのをぼくが見つけた、三つの赤い十字の印のある、黄いろい紙の図面である。先生がなぜそれをこの男にやったのかは、とてもぼくには想像がつかなかった。
だが、それがぼくにとって不可解だったのと同様に、図面の出現は、生き残った謀叛《むほん》人どもにとっても信じられぬ不思議であった。まるでねこがねずみにおどりかかるように、かれらは地図にとびついた。
それは一同の手から手へ、一人が他の一人からひっさらうようにして渡り歩いた。ののしり声、わめき声、こどもっぽい笑い声などが、それを見るめいめいの口からほとばしり、いまかれらは当の黄金に指さきで触れているばかりでなく、それを無事に船に積んで、海を渡っているかと思われるほどだった。
「そうだ」と一人が言った、「フリントだ、まちがいねえ。J・F・の頭文字の下に、筋をひいて、結びっ玉が書いてある。いつもこう書いたんだ」
「たいしたもんだ」とジョージが言った。「だがこいつをどうやって運びだす、船がねえのに?」
シルヴァが急におどり立って、片手を壁に突いて身を支えながら……「さあ、ジョージ、おめえに言っとくぞ」とかれは叫んだ。「もうひと言、なまいきなことを言ってみやがれ、てめえをひき据《す》えて、勝負するぞ。どうやって運びだすだと? おれがどうして知ってるんだ? てめえこそ、それをおれに教えてくれるはずじゃねえか……てめえと、ほかのやつら、よけいなじゃまをしやがって、おれのスクーナーをなくしたやつら、くたばりやがれ! だがだめだ、てめえたちに教えられるはずはねえ、ゴキブリほどの思いつきもねえやつらだからな。だが、おとなしく口をきけばそれでいい、これからそうするんだぞ、ジョージ・メリー、よくおぼえとけ」
「それなら、穏当《おんとう》だな」年かさのモーガンが言った。
「穏当? ふん、そうだろう」と、料理番は言った。「おめえたちは船をなくした。おれは宝を見つけた。そこでましな人間はだれだ? ところで、おれは辞職するぜ、べらぼうめ! さあ、おめえたちの船長をだれにするか、好きな人間をえらんでくれ。おれの役目はすんだからな」
「シルヴァだ!」みんなが叫んだ。「やっぱり、『|肉焼き《バーベキュー》』だ!『|肉焼き《バーベキュー》』が船長だ!」
「やっぱりそういう調子になったかい」料理番は叫んだ。「ジョージ、まあおめえはこんど番がまわってくるまで待つんだな。おれが執念ぶかくうらむたちでねえのは、おめえにとってしあわせだ。おいらそんなケチな人間じゃねえんだ。さてそこで、兄弟たち、この黒星はどうなる? いまとなっては、たいして役にもたたねえようだな。ディックが運勢にさからって、聖書をけがしたと、まあそんなところだ」
「それでも接吻して宣誓をするのはかまわねえだろう?」ディックはわれからのろいを招いたことが、よほど心配らしかった。
「傷をつけた聖書か!」シルヴァはあざけりをこめて答えた。「いけねえな。小唄の本ほどのききめもねえや」
「やっぱりだめか?」とディックはなんだかうれしそうに叫んだ。「それでも持っているだけのことはあらあ」
「おい、ジム……おめえにいいおもちゃをやろう」とシルヴァは言って、例の紙きれを投げてよこした。
それはクラウン銀貨くらいの大きさの、まるい紙だった。最後の一葉だったから、片面は白いままで、その裏には『黙示録《もくしろく》』の一、二節が記されており……なかでぼくの心に鋭く突き刺さる、次のようなことばがあった。
「犬と人殺しとは、外に出され」
その文字の印刷されたページに薪《たきぎ》の消し炭で黒く塗ってあったが、それがもう消えかかって、ぼくの指をよごした。白いページのほうには同じく消し炭で≪免職≫の一語が書いてあった。
ぼくはこの骨董品《こっとうひん》を現在も手もとに持っているが、書かれた文字の痕跡はおや指のつめでかるくひっかいたぐらいの跡かたしか残っていない。
これがあの夜のできごとの結末であった。それから間もなく、みなで酒壷のまわし飲みをして横になり、眠りについたが、シルヴァはジョージ・メリーへの仕返しとして、かれを歩哨《ほしょう》に立たせ、まじめにやらなかったら殺すぞとおどかすのが関の山だった。
ぼくはなかなか目を閉じることができずにいたが、何をかくそう、ぼくには考えることがたくさんあった……その午後、殺した男のこと、ぼく自身の危険な立場、そして何よりもシルヴァがいまやりかけているめざましい大勝負のこと……一方では謀叛《むほん》人どもをひきつけて散らばらぬようにし、他方では、できることだろうができない相談だろうが、ありとあらゆるてだてをめぐらして船室組と和解をし、自分のみじめな生命を助かろうとする大ばくちだ。
シルヴァ自身はやすらかに眠り、大いびきをかいていた。だがぼくは、かれをとりまく暗い危険の数かずを思い、かれを待っているはずかしい首つり台を思うと、いかに極悪《ごくあく》人でも胸の痛むのをおぼえずにはいられなかった。
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第三十章 野放しの捕虜《ほりょ》
ぼくは目をさました……いや、ぼくばかりでなく、みんな目をさましていた。歩哨《ほしょう》の男までが戸口の柱にもたれていねむりしていたのを、身をおこして、ねむけをはらい落とそうとしていた……森のはずれのところから、元気な、はっきりした声が、われわれに呼びかけているのだった。
「おおい、丸太小屋!」その声は叫んでいた。「医者が来たぞう」
たしかに、それは先生の声だった。その声を聞くのはうれしかったけれど、それはまじりもののないうれしさとはちがっていた。自分のこそこそした、従順でない行ないを思いだして、ぼくはあわてた。そしてそういう行ないのために自分がどうなったか……どんな連中の仲間入りをし、どんな危険にとりまかれているか……それを思うと、とても先生に顔が合わせられないほどはずかしくなった。
まだ日はのぼりきっていないところをみると、先生は暗いうちに起きたにちがいなかった。銃眼《じゅうがん》のところへ行ってのぞくと、ちょうどシルヴァが前に来たときのように、ひざのあたりまでは地をはう靄《もや》に包まれて、そこに立っている先生の姿が見えた。
「おお、先生! たいそうお早いことでござんす!」とシルヴァが、もうはっきり目をさまして、たちまちきげんのいいにこにこ顔になって、叫んだ。「やあまったく、朝早くからお元気で、≪早起き鳥は餌《えさ》にありつく≫と、ことわざにも申しやす。ジョージ、さ、きりきりしゃんとして、リヴジー先生が柵をお越えになるのをお助けしろ。先生の患者どもはみんな達者《たっしゃ》でござんすよ……達者で元気にやっていまさあ」
こんな調子でまくしたてているのっぽのジョンは、松葉杖を脇にかって、片手は丸太小屋の羽目に置き、丘のいただきに立ちはだかっていた……声も、態度も、表情も、すっかり以前どおりのかれだった。
「それに、先生がびっくりなさることも一つありますぜ」かれはことばをつづけた。「若い珍客が一人、ここにおりやす……へッ、へッ! 新しいまかないつきの下宿人で、これがまたヴァイオリンの絃《いと》みてえにピンと張りきっています。ゆうべは積荷の上乗りみてえに、このジョンと並んで寝やしたぜ……ひと晩じゅう、舳《へさき》と舳を並べてね」
リヴジー先生はこのときはもう柵を越えて、料理番のすぐそばまで来ていた。だから先生の声の調子の変わったのを、はっきりぼくは聞きわけることができた……
「ジムじゃないか?」
「へい、そのジムなんで、正真正銘《しょうしんしょうめい》の……」とシルヴァが言う。
口では何も言わなかったが、ばったりと先生の足が止まった。ふたたび歩きだすまでに、何秒間か、かかった。
「そうか、そうか」ようやく先生は言った、「勤めは第一、楽しみは第二だ、シルヴァ、おまえもそう言いたいところだろう。まずおまえの患者たちの船体検査じゃ」
すぐに先生は丸太小屋にはいり、ぼくへは気むずかしく一つうなずいただけで、病人たちの診療にとりかかった。こういうゆだんのならない悪党どものなかにはいっては、生命さえもただ一本の髪の毛に支えられているにすぎないことを知らぬはずはないのに、先生は少しも心配そうな様子は見せなかった。まるで穏和なイギリス人の家庭へ、日常普通の往診に来たかのように、次つぎと患者たちに話しかけている。その態度が荒くれ男どもにも反応をあたえるのだろう、かれらもまたなんのわだかまりもないかのように……いまでもまだ船医と前甲板の忠実な水夫たちとのあいだがらのように、ふるまっていた。
「おまえはだいぶぐあいがいいぞ」と先生は頭にほうたいを巻いた男に言った。「九死に一生を得た男というのは、おまえのことだ。おまえの頭は鉄みたいにじょうぶだとみえるな。さて、ジョージ、どんなぐあいだね? なるほど、ひどい顔色をしているな。おまえの肝臓はでんぐりかえっているんだぞ。あの薬は飲んだか? おい、おまえたち、この男はあの薬を飲んだかね?」
「へい、たしかに、先生、飲みましたぜ」とモーガンが答えた。「なにしろ、わしは謀叛《むほん》人どもの医者じゃから……というより、わしとしては監獄の医者と呼びたいところでな」とリヴジー医師は持ちまえのほがらかな調子で、「わしの名誉にかけて、ジョージ王様と(王様万歳!)首つり台とのために、一人の囚人《しゅうじん》も失いたくないのじゃよ」
悪者どもは顔を見あわせたが、かれらの急所をつくこのことばを、だまってのみこんだ。
「ディックが気分がわるいんですが、先生」と一人が言った。
「そうかい?」医師は答えた。「よし、こっちへ来なさい、ディック。舌を見せるんだ。なるほど、これで気分がよかったら不思議じゃ! この男の舌を見たら、フランス人でもギョッとするじゃろ。おまえも熱病じゃ」
「やっぱりな」とモーガンが言った、「聖書を破ったたたりだな」
「おまえら、金箔《きんぱく》つきのあほうどものたたりじゃわい……これはおまえの口まねじゃが」先生が答えた。「まともな空気と毒気の区別、かわいた土地ときたない、疫病《えきびょう》の多い泥沼との区別をわきまえるだけの知恵がないことのたたりじゃ。おまえら、みんな体内にマラリアの毒を持っとるから、それをおいだすまでにはよほどひどいめにあわずにはすむまいよ……もっとも、これはもちろん、わし個人の意見にすぎんが。おまえら沼地で野営したろうが? シルヴァ、わしはおまえにはおどろかされたよ。全体から見れば、おまえはほかの大ぜいよりはましなバカじゃが、それでも衛生の法については初歩さえも知らんらしいな」
「さて」……先生はめいめいに投薬をし、めいめいもまた血みどろな罪をおかした謀叛人、海賊どもとも思われぬ、まるで貧民学校の学童のような、あきれるほど卑下《ひげ》した様子で、処方の薬を飲んだ、そのあとで……「さて、きょうのところはこれですんだ。そこでわしは、あのこどもと話をしたいのだが」
そして、気軽に、ぼくのほうへあごをしゃくって見せた。
ジョーン・メリーは戸口にいて、なにかまずい薬を飲んでつばを吐き散らしていた。それが、先生の申し出の最初のことばを聞くが早いかふり向いて、まっ赤な顔になって「いけねえ!」とわめき、ののしった。
シルヴァが両手で樽《たる》をたたいた。
「だまれ!」とほえるようにわめき、獅子《しし》のように自信にみちてあたりを見まわした。
「先生」と、いつもの調子にもどってことばをつづけ、「あんたがあの子をかわいがっていなさるのを知ってますから、さっきからそのことは考えておりやした。わしらはみんな、あんたのご親切はすなおにありがてえと思ってますし、ごらんのとおり、先生を信じて、まるで酒でも飲むようにいただいた薬を飲んでおりやす。そこでわしに思いつきがあるんですがね、こうすればみんなが納得するというやりかたを思いつきました。ホーキンズ、ひとつ若《わけ》え紳士らしく……つまりおめえは、生まれは貧乏人だが、たしかにりっぱな若紳士にちげえねえのだから……名誉にかけて、逃げださねえという約束をしてはくれめえか」
ぼくは即座に、求められたとおりの誓いをたてた。
「では、先生」シルヴァは言った、「あんたはどうぞ、柵の外側まで出ておくんなさい、あんたが出てから、わっしがこの子を連れて、柵の内側まで降りてゆきます。そうすれば円材ごしに話ができましょう。それじゃ先生、ごめんなすって、郷士さんやスモレット船長にもよろしく」
それまでシルヴァのすごい顔つきだけで押えつけられていた不満が、先生が小屋を出るとすぐに爆発した。シルヴァは二《ふた》またをかけている……自分だけ単独講和をしようとたくらんでいる……そして共犯者や犠牲者の利益をふみにじろうとしている、そうした非難が一同からあびせられた。
つまり、ひと言で言えば、そっくりかれがもくろんでいるとおりのことで非難されたのだ。ぼくには、今度の場合は、事実があまりにも明白なので、どうしたらシルヴァはみんなの怒りをはぐらかせるのか、想像がつかなかった。だがかれはほかの連中の二倍も役者が上だったし、昨夜の議論に勝ったことが、みなの心に大きな重みでのしかかっていた。かれはみんなをあほうだ、まぬけだとあらん限りの悪口でののしり、ぼくが先生と話すことは絶対に必要なのだと言って、かれらの顔の前で図面をひらひらさせ、いよいよこれから宝捜しにゆく、その当日に、どうして約定《やくじょう》を破ってもかまわないというのかとかれらを問い詰めた。
「いいや、そんなことはできねえ!」シルヴァはわめいた、「ときが来れば、おれたちは約定を破らにゃならねえが、それまでは、たといあの医者の靴にブランディをつけて磨かされようと、おれは野郎をだまし通すつもりだ」
それからかれはみなに火をおこせと命令し、松葉杖をついて、ぼくの肩に手をかけながら、大いばりで出ていった。あとに残された連中は、納得させられたというよりは、かれの大声にまくしたてられ、とまどって、口がきけなくなってしまった。
「ゆっくりだ、ジム、ゆっくり歩いてくれ」とかれは言った。「おれたちが急ぐ様子を見たら、やつらアッという間にとりまいてくるかもしれねえ」
そこで、わざとゆっくりと、砂地を横切って、柵の向こう側に先生が待っているところへ進んでいった。らくに話のできる距離まで来ると、すぐにシルヴァは立ち止まった。
「先生、きょうのこのことも書いておいてくださいよ」とかれは言う、「この子はわっしに命を助けられたいきさつや、わっしがそのために免職になったことも話すはずだ、おぼえといておくんなさい。ねえ先生、人間もわっしのように、命がけであぶねえ瀬戸に踏みこんで、息のつづく限り無鉄砲な舵《かじ》を取った場合には……おまえさんも、まさかひと言ぐれえ情のあることばをかけてやっても、親切がすぎるということはありますまい。あの約束には、今ではわっしの命だけじゃねえ……この子の命もかかってることを、どうぞお忘れなく願いますぜ。だから先生、お願えだ、これからさきの大仕事に、ほんの少しの望みが持てるように、まっとうなことばでわっしに話してくだせえまし」
こうして外へ出て、仲間や丸太小屋に背を向けてしまうと、シルヴァはまるで人が変わったようだった。ほおもげっそりとこけたようで、声はふるえていた。これほど必死に、本気になった人間がまたといるだろうか。
「どうした、ジョン、おまえ、恐ろしいんじゃあるまい?」リヴジー先生はきいた。
「先生、わっしゃ臆病者じゃねえ! いいや、なんぼなんでも……≪それほど≫臆病者じゃねえ!」かれは指を鳴らして、「もしそうだったら、こんなことは言やしません。だが、正直に白状しましょう、わっしは首つり台のことを思うと、身ぶるいがするんです。あんたはいい人で、うそのねえおかただ。こんないい人を見たことがねえほどでさあ! だからおまえさんは、わっしのした悪いことも忘れねえかわり、善いこともお忘れにはならねえかただ、わっしにゃわかるんだ。じゃこの辺で、わっしはわきへ寄ります……あっちにいますぜ……あとはだんなとジムと二人きりだ。そいで、このことも書きものに書き残してくださいよ、わっしのために……なみたいていのはからいじゃねえんですから!」
言いながら、かれは話し声のとどかないあたりまであともどりして、木の切り株に腰をおろし、口笛を吹きはじめた。腰をおろしたまま、あたりが見わたせるようにときどき向きを変えて、ぼくと先生のほうばかりでなく、手下の手におえない悪漢どもの……かれらはいま燃やしかけているたき火と小屋とのあいだの砂地を動きまわっている……ほうへも、目をくばっていた。かれらは小屋から豚肉やパンを持ちだして、朝食のしたくをしているのだ。
「やっぱりおまえはここにいたな、ジム」と先生は悲しそうに言った、「自分のかもした酒なら、自分で飲むよりほかあるまいよ。どういうものか、わしも腹の底からおまえをしかる気にはなれん。しかし、親切になるか、不親切になるかはわからんが、これだけは言うておこう。スモレット船長が達者だったときには、おまえは出てゆこうとはせなんだ。船長がぐあいが悪くなって、どうにもしかたのないときには、ああいうことはまったくのひきょうだぞ!」
ぼくはここで泣きだしたことを白状しよう。
「先生」ぼくは言った、「ゆるしてください。ぼくはもうさんざん自分を責めたんです。どっちみち、ぼくの生命《いのち》はないはずですし、もしシルヴァがかばってくれなかったら、いまごろは死んでいるはずだったんです。ですから、先生、信じてください、ぼくは死んだっていいんです……死ぬのは当たりまえだと思っています……ただ、ぼくは拷問《ごうもん》がこわい。もしあいつらがぼくを拷問したら……」
「ジム」と先生はぼくをさえぎった、その声がすっかり変わっていた、「ジム、そんなことは、わしはがまんできん。とび越せ、二人で逃げよう」
「先生」ぼくは言った、「ぼくは誓いました」
「わかっとる、わかっとる」かれは叫んだ。「こうなっては、しかたがないわい、ジム。わしがみんな引き受けよう、非難も恥辱も、なにもかもひっくるめてじゃ、せがれよ。ここへおまえを置くことだけはわしには許せん。とべ! ひととびすれば出られるじゃないか、カモシカのように二人で逃げよう」
「いいえ」ぼくは言った、「自分のことだったら、そうはしないことを先生はご存じじゃありませんか。先生も、郷士さんも、船長も、そうはしません。ぼくだってする気はないです。シルヴァはぼくを信じてくれました。ぼくは誓いをたてたんですからもどります。だけど、先生、先生はぼくにしまいまで話させてくれなかった。もしやつらに拷問されたら、ぼくは口をすべらして船のありかを言ってしまうかもわかりません、だって先生、ぼくは船を手に入れたんです、半分は運よく、半分は冒険をやって。船はいま北の入江の、南側の浜に、高潮線のすぐ下のところに置いてあります。半潮のときには、きっと水より上に出ているでしょう」
「船じゃと!」先生は叫んだ。
大いそぎでぼくは自分の冒険について話し、先生は無言で終わりまで聞いてくれた。
「どうも今度のことには、なにか運命のようなものがあるようじゃ」と、先生は、ぼくが話し終わると、感にたえて言った。「次から次と、いつもわしらの命を救うのはおまえだ。それなのにおまえがいま命を失おうとしているのを、ひょっとしてわしらがほうって置くとでも思うのか? それではあんまり恩知らずというものじゃ。謀叛《むほん》の企てを知ったのはおまえじゃ。ベン・ガンを見つけたのもおまえじゃ……あれがいままでにおまえのしたいちばんよい行ないじゃった、たとい九十まで生きてもやっぱりそうじゃろ。おお、忘れておった、ベン・ガンといえば! なんと、あれは始末におえんじゃま者だわい。おい、シルヴァ!」かれは叫んだ、「シルヴァ!……おまえに忠告することがある」
先生は近寄ってきた料理番に言った。「あの宝じゃが、ゆめゆめ急いで捜すではないぞ」
「はて、先生、そりゃなるべくそうしますが、むずかしいことだな」とシルヴァは言った。「実を申しますと、あの宝を捜すことで、ようやくてめえの命とこの子の命とを救えるようなわけで、こりゃまちがいのねえところですぜ」
「うむ、シルヴァ」先生は答えた、「そういうことなら、もう一歩すすめて言うが、宝を見つけたときは、ぶっそうだからゆだんするなよ」
「だんな」シルヴァが言った、「男と男のあいだで、そいつはちょっと、はっきりしねえ話ですねえ。おまえさんが何をねらってるのか、なぜこの小屋から出たか、あの図面をなぜわっしに渡したのか、わっしは知りませんぜ、知ってるわけがありますかい? それでもわっしは目をつぶって、ただのひと言も望みのあることばも聞かずに、おまえさんの命令どおりにやりましたぜ! だが、もういやだ、いまの話はあんまりひでえや。なんのことだか、はっきり言うわけにいかねえなら、いかねえと言っておくんなさい、わっしゃもう舵取りはやめるから」
「いいや」先生は考えこみながら言った、「これ以上のことは、わしには話す権利がない。これはわしの秘密ではないんじゃ、シルヴァ、わかってくれ、そうでなければ、はっきり言うが、わしは話したいんじゃ。しかしまあ、わしとして踏みこめるところまでは踏みこんで、もう一歩だけ、踏みだそうよ。わしがしくじったら、船長にこっぴどく油をしぼられるじゃろうからな。それで、まず最初に、おまえに少しばかり望みのもてることを言おう……シルヴァよ、もしもわしら二人が、この狼罠《おおかみわな》から生きて出られたら、わしはおまえを救うために全力をつくそう、まさか偽誓まではできんけれども」
シルヴァの顔がかがやいた。「ああ、だんながわっしのお袋だったとしても、それ以上のことはおっしゃれますめえよ」かれは叫んだ。
「うむ、いまのがわしの第一の譲歩じゃ」先生はつづけた。「第二に、一つの忠告をしよう。この少年をおまえのそばから離すな、そうして助けを呼びたくなったら、おおいと呼べ。わしはすぐに加勢にかけつけるし、そのことによって、わしがその場かぎりの出まかせを言っているかどうか、おまえにもわかるだろう。では、さよなら、ジム」
そしてリヴジー先生は柵ごしにぼくと握手をし、シルヴァにはうなずいて、すたすたと森のなかへはいっていった。
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第三十一章 宝捜し……フリントの矢印
「ジム」とシルヴァが、ぼくと二人きりになったときに言った、「おいらがおめえの命を救ったなんて言うが、おめえこそおいらの命を救ってくれたぜ。おらあ忘れねえよ。先生が手まねでおめえに逃げろと言ってるのを、おらあ見たぜ……ちゃんとこの目の隅《すみ》でな。それからおめえが逃げねえと言ってるのも、耳に聞いたのと同じくれえ、ハッキリと見た。ジムや、これでおめえに借りが一つできたぜ。あのなぐりこみでしくじってから、おらあこれではじめてチラッと望みが見えてきた、それがおめえのおかげだ。そこでな、ジム、これからいよいよ宝捜しに出かけるわけだが、それが封緘《ふうかん》命令というやつで、行ってみるまではわからねえから、おらあ気が進まねえんだ。とにかくおめえとおれとは離れずにいて、たがいに持ちつ持たれつで、善悪ともに命だけは助かるようにしようぜ」
ちょうどそのとき一人の男が、朝食の用意ができたと呼んだので、われわれは思い思いに砂地に腰をおろし、堅パンと揚げた塩漬け肉を食べはじめた。なにしろ牡牛《おうし》一頭を焼き肉にするくらいのたき火をしたので、たいへんな熱さで、風上側からでなくては近づくことができず、それでもよほどの用心が必要だった。それと同じ物を粗末にするやりかたで料理のほうもやったから、みなの食べられる量の三倍も肉を焼いたようだ。一人のやつはわけもなく笑いながら、残った肉を火に投げこんだので、火はこうした思いがけない燃料をあたえられて、またもすごい音をたてて燃えさかった。
ぼくはこれほどあすのことを考えない野放図《のほうず》な人間たちを見たことがない。その日暮らしということばのほか、かれらのやりかたを形容することばはない。かれらは小ぜりあいにはすこぶる大胆で、たちまち決着をつけてしまうけれども、食糧をむだにし、歩哨《ほしょう》に立てば眠ってしまうということでは、長びく戦《いく》さにはまったく不向きだということがぼくにもわかった。
シルヴァですらも、フリント船長を肩にのせて、さかんに食べながら、かれらの野放図さにはひと言の小言も言わなかった。そうしてこのことがいっそうぼくにとって意外だったのは、このときのかれほど狡猾《こうかつ》さを見せたことはこれまでに一度もなかったと、ぼくには思われたからである。
「おい、兄弟《きょうでえ》たち」とかれは言った、「こうしておめえたちのために知恵をしぼる|肉焼き《バーベキュー》がいるってことは、おめえたちの運がいいというものだぜ。おいらはほしいものはみんな手に入れた。それゃもちろん、敵のやつらは船を持っている。船がどこにあるのか、まだおれにもわからねえ。だが、ひとたび宝をみつけたとなれば、今度はほうぼうはねまわって船を見つけなきゃならねえ。そうなれば、おい、みんな、ボートを持ってるおれたちのほうが、一枚うわてだと思うが、どうだ?」
こうしてシルヴァは焼き肉を口いっぱいほおばりながらしゃべりつづけた。こうしてかれは手下たちの希望と信頼とを取りもどし、同時にかれ自身の希望と自信とを回復したことは疑いないようにぼくは察した。
「ところでこの人質だが」とかれはことばをつづけ、「この子がたいせつに思っている連中と話をするのも、いまのが最後だろうと思うぜ。おれはちょいと耳よりな話を聞いたが、そのことではこの小僧に感謝するがね、まあそれはすんだことだ。宝捜しにゆくときは、この子に綱をつけてひっぱってゆくつもりだが、それはな、おめえたちもおぼえておけよ、何かのときの用心として、当分のあいだ、こいつを黄金のようにたいせつに握っておくんだからな。いちど船と宝と両方を手に入れたら、そうしてみんなで陽気な仲間として海へ出たら、そのときはこのホーキンズだんなとも談合《だんごう》をして、それまでのいろんな親切への礼として宝の分けまえもわけてやりてえ、そういうつもりなんだ」
そのとき海賊たちが上きげんだったのも不思議はなかった。それにひきかえ、ぼくはなさけないほど落胆していた。シルヴァが、いまそのあらましを語ったような計画が可能になるとすれば、いままですでに二重の裏切りをやってのけたかれのことだから、おそらくその実行をためらわないだろう。かれは相変わらず両方の陣営に足がかりを持っていて、ぼくたちの側につくとして望める最上のものは、しばり首をどうにかまぬかれることぐらいしかなく、それよりも海賊どもといっしょに富と自由を手に入れるほうがいいと思っていることは疑いないのだ。
いや、それだけではなく、たといかれがリヴジー先生との約束を守らねばならぬ事態に追いこまれたとしても、そうなったときですら、ぼくたちの前途にはなんという危険が待ちかまえていることだろう! かれの手下の者どもの疑惑が確信と変わり、かれとぼくとが五人の荒くれた水夫たちを相手に……足の悪いシルヴァと少年のぼくと……命を助かるために戦わねばならなくなったとき、それはいったいどんな瞬間であるだろう!
この二重の心配に、さらに加わるものとして、味方の人たちのふるまいにも、濃くたれこめた謎がある。かれらが柵砦《とりで》をあけわたした理由もわからないし、地図をシルヴァにくれてやったことも不可解だし、それよりももっとわかりにくいのは、先生がシルヴァにあたえた≪宝をみつけたときは、ぶっそうだからゆだんするな≫という最後の警告だった。
それゆえ読者の皆さんも、ぼくがどれほど朝食を味のないものに思ったことか、ぼくを捕えたやつらのあとに従って、どんなに安からぬ気持ちで宝捜しに出発したか、容易に信じていただけることと思う。
そのときのぼくらを見た人があったとすれば、ずいぶん奇妙な一団だと思ったことだろう。みなよごれた水夫服で、しかもぼくを除くみなは五分の隙《すき》もなく武装していた。シルヴァは二挺の銃を肩にかけ……一挺は前に、一挺は背につるして……さらに腰には大きな短刀をさげ、すその四角な上着の両のポケットに一挺ずつのピストルをさしこんでいた。この奇妙な風態《ふうてい》の奇妙さをさらに完成するものとして、フリント船長がかれの肩にとまって、何やら彼《か》やら意味のない船乗りことばをしゃべり散らしていた。ぼくは腰に綱をつけられ、おとなしく料理番のうしろに付きしたがった。その綱の端を料理番はあいているほうの手に持ったり、ときには力の強い歯にくわえたりして歩いた。要するに、ぼくは見せものの踊りをおどる熊みたいに、ひかれていったのだ。
ほかの男たちは、それぞれにさまざまの荷をになっていた。ある者はつるはしとシャベルを……これはかれらが第一の必要品としてヒスパニヨラ号から陸揚げした物だ……他の者は昼食用として豚肉、パン、ブランディなどをになっていた。これら食糧はみな味方の貯蔵品だったことをぼくは認めた。それで昨夜のシルヴァのことばが真実であったことがわかる。もしシルヴァが先生と取引をしなかったら、かれとその部下の謀叛《むほん》人どもは船から見すてられ、水と狩りの獲物とだけで生命をつなぐほかないことになったであろう。水は飲みものとしてかれらの好むものでなく、船乗りはいったいに狩猟はへたである。そしてそれだけでなく、かれらの食糧がそんなに不足しているときに、火薬はたっぷりあるというわけにはいかぬはずである。
さて、これだけの用意をして、一行は出発して……頭にけがをした男も、もちろん日陰にいなければならないはずだったが、これも仲間に加わっていた……そして一人、また一人とばらばらに、二隻の小ボートが待っている浜辺へ向かって進んだ。
これらのボートにもかれらの酔ってばかさわぎをした痕跡《こんせき》は残っていて、一隻は腰掛が一つこわれていたし、他の一隻はどろ水がはいって、それをかい出してさえない有様だった。安全ということを考えて、二隻とも使うことにした。そこで一行は二隻にわかれて乗り組み、碇泊《ていはく》所の海面へ乗りだした。
こいでゆくうちに、地図について議論がおこった。赤い十文字は、むろん道しるべとするには大きすぎた。また裏面にある覚え書の文面は、これからお目にかけるが、いくらかあいまいなところがある。読者も思いだされることと思うが、それには次のように書いてあった……
[#ここから1字下げ]
高い木、遠めがね山の肩、北北東より一ポイント北。
骸骨《がいこつ》島、東南東よりわずか東。
三メートル。
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≪高い木≫が、こうしてみると主要な目じるしである。ところで、われわれの正面、この碇泊所は六十メートルから九十メートルの高さの台地にとりまかれており、その北は遠めがね山の傾斜した南の肩に接し、南のほうへ向かってふたたび高くなり、後檣山《ミズン・マスト》と呼ばれるごつごつしたがけの多い高地になっている。台地の頂《いただき》は、さまざまの高さの松の木が密集してはえている。ここかしこに種類のちがう松の木が、一本だけ近くの木々より十四、五メートルも高くそびえていて、それらのどれがフリント船長のいう≪高い木≫なのかは、その場所へ行って羅針盤《らしんばん》できめるほかはなかった。
それでも、そういう有様であったにもかかわらず、ボートに乗った連中はだれもみな、まだ半分も海を渡らないうちから、自分の気に入った木をそれときめてしまった。ただ一人、のっぽのジョンだけが肩をすくめて、あそこへ着くまで待て、とみなに言っていた。
ぼくらはシルヴァのさしずに従って、あまり早くから手が痛くならないように、らくにこいでいった。そして、ずいぶん長いあいだかかって海を渡ってから、第二の川の河口に上陸した。これは遠めがね山の森の多い狭間《はざま》を流れくだっている川である。そこから、左へ曲がって、台地へ向けて登り坂になっている斜面をのぼりはじめた。
最初のうちしばらくは、どろの深い歩きにくい地面と、おい茂った水草類とのため、ひどく歩みがおくれた。だが、少しずつ山道がけわしくなり、足もとに石ころが多くなって、樹木もその種類が変わり、はえかたもまばらになった。たしかに、いまぼくらが近づきつつあるあたりは、この島の最も気持ちのいい部分であった。かおりの強いエニシダや花の咲いた潅木《かんぼく》が、ほとんど草地にとって代わった。緑のナツメグの木の茂みが、松の木の赤い幹、広い影のあいだに点てんと散らばっている。そしてナツメグの強いかおりが、松の葉の芳香《ほうこう》とまじりあっている。それに加えて空気は新鮮ですがすがしく、しかもそれが強い日ざしの下ではすばらしくぼくらの感覚にとって爽快だった。
一行は扇形に広く散開して、大声をあげたり、あちらこちらとんだりしながら進んだ。中央に、ほかの連中よりかなりおくれて、シルヴァとぼくとがついていった……ぼくは綱につながれていたし、シルヴァはすべりやすい石ころ道を、息をひどく切らせながら苦しそうに歩いていた。ときどきはぼくが手をかしてやらねばならなかったほどで、でなければかれは足を踏みはずして、山をころげ落ちたにちがいなかった。
こうして、およそ八百メートルほども進み、台地の頂に近づいたときだった、いちばん左を歩いていた男が、まるでなにかにおびえたような叫び声をあげはじめた。つづけざまに、何度も叫んだので、ほかの者はかれのほうへ走り寄った。
「まさか宝を見つけたんじゃあるめえ」年寄りのモーガンが、右手から、ぼくとシルヴァのわきを通りながら言った、「宝はずっとてっぺんにあるんだからな」
まったく、ぼくたちもその場へかけつけて見たものは、宝とは大ちがいの代物《しろもの》だった。かなり大きな松の根かた、緑のつる草のまつわるなかに、一人の人間の骸骨《がいこつ》が、わずかばかりの衣類をつけて、地面に横たわっていたのだ。つる草は、いくつかの小さい骨を持ちあげてもいた。しばし、一人残らずが、ぞっと寒けをおぼえずにはいられなかったと、ぼくは思う。
「船乗りだな」とジョージ・メリーが言った。ほかの者よりは大胆なかれは、近くまで行って、ぼろになった衣類を調べていた、「とにかく、これは上等な船乗り用の生地たぜ」
「そうよ」とシルヴァが言った、「それが当たりめえだろう。こんなところに司教さまがいるわけはねえやな。だが、この骸骨の寝ているかっこうはどうだ?こりゃ自然なすがたじゃねえぞ」
まったく、見直してみると、死体が自然の姿勢だったとは考えられないように思える。 だが、ある程度の乱れ(おそらく死体をついばんだ鳥の仕業《しわざ》か、つる草が延びて、だんだんに死体をまき包むようにしたためか)を別にすると、この人物は完全にまっすぐに横たわっている……両足のさしている方向と、まるで水へとびこむときのように頭の上にまっすぐに伸ばした両手の方向とが、反対になっているのだ。
「おいらのぼけた頭にも、一つ考えついたことがあるぞ」とシルヴァが言った。「ここに羅針儀《らしんぎ》がある。あすこに骸骨島のてっぺんが、一本歯みてえに突き出ているな。ちょっとその骸骨《がいこつ》の向きのとおりに方位をとってみてくれ」
かれの言うとおりにした。死体はまっすぐ島の方角をさし、羅針儀はまさしく≪東南東よりわずか東≫を指していた。
「そうだと思ったい」料理番は叫んだ。「これは道しるべだぜ。この方角をまっすぐたどれば、北極星と大枚《たいまい》の金があるという寸法よ。だが、ちきしょう! フリントのことを考えると、おらあ身内がぞくぞくするなあ。これもあいつのいたずらの一つなんだ、まちげえねえぞ。フリントと、例の六人だけが、ここまで来た。やつはその六人を殺した、一人も残さずにな。で、こいつ一人をここへ運んで、羅針儀の針にあわせてここへ寝かせやがった。ぶるぶるっ! ずいぶん長え骨だし、髪は黄色だな。なるほど、これはアラダイスだろう。おい、トム・モーガン、アラダイスをおぼえているか?」
「おお、おぼえているとも」とモーガンは答えた、「あいつには金の貸しがあってな、それからおいらの短刀を取りあげて、上陸しやがった」
「短刀って言やあ、この男の身のまわりに、短刀がころがってねえのはなぜだろう?」と他の一人が言った、「フリントは水夫のポケットのなかのものを取るやつじゃなかった。また鳥にしたって、短刀は残しておくだろうがな」
「うむ、たしかに、そのとおりだ!」とシルヴァが叫んた。
「ここには何ひとつ残っていねえ」ジョージ・メリーが、まだ骨のあいだへ手さぐりでさぐりを入れながら言った、「銅貨一枚、タバコの箱一つねえな。おれにはこれも自然らしく思えねえ」
「そうだ、たしかに自然じゃねえ」シルヴァも賛成した。「自然でねえばかりか、感じもわるいや。こりゃ大事《おおごと》だぞ、みんな! だがもしフリントが生きていたとすれば、ここはおまえたちにもおいらにも、とんだ修羅場《しゅらば》になったかも知れねえぜ。連中は六人だった、おれたちも六人だ。それであの六人はいまは舎利《しゃり》になってるんだぜ」
「おら、この二つの明り取りから、フリントの死んだのをたしかに見たぞ」モーガンが言った。「ビリーがおれを内《なか》へ入れてくれた。目の上に銅貨をのっけて、そこに寝ていたぜ」
「死んだとも……まちげえなく死んで、土のなかへへえっちまったよ」ほうたいの男が言った。
「だけどもよ、もし幽霊ってものが出るとすれば、フリントの幽霊が出そうなもんだなあ。かわいそうに、死にかたがよくなかったからなあ、あのフリントは!」
「そうよ、いやな死にかただぜ」とほかの一人が言った。「腹をたててどなったり、ラムを持ってこいと叫んだり、唄を歌ったり、大騒ぎだった。唄は『十五人の水夫』ばかりだったな、兄弟《きょうでえ》。だから、ほんとうのことを言うと、あれ以来、おいらはあの唄を聞くのがいやになったぜ。ひどく暑い時節で、窓があけっぱなしだったから、あの古い唄が、いやにはっきりと聞こえてきやがった……そのときにはもう、死神が綱をつけて、あの人をひっぱっていたんだ」
「おいおい」シルヴァが言った、「もうその話はやめろ。あいつは死んだし、幽霊に出ても来ねえことは、おれがよく知ってるんだ。またよしんば出るにしても、昼間は出ねえから、安心していろ。取越し苦労で死んだ猫がいたとよ。さあ、ダブルーン金貨を捜しに行こうぜ」
ぼくたちは、とにかく出発した。が、照りつける日ざしの下、ぎらぎらする日ざかりにも、海賊たちはもはやばらばらに走ったり、森のなかでどなったりはせず、みんな並んで、ひそひそと息をつめて話しながら歩いていた。あの死んだ海賊の恐ろしさが、かれらの心におおいかぶさっていたのだ。
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第三十二章 宝捜し……木《こ》の間《ま》の声
一つには骸骨《がいこつ》におびやかされて気がめいったのと、また一つにはシルヴァや病人たちを休ませるためとで、一行は台地の登り坂をのぼりつめると、さっそく腰をおろした。
この台地は、いくらか西へ向かって傾斜していたので、われわれが休んだ地点からは、両側ともずっと広く見わたせた。前方には、木々の梢《こずえ》ごしに、寄せ波に縁《ふち》どられた≪森の岬《みさき》≫が見えた。うしろには、碇泊所と骸骨島とが見おろせたばかりでなく、東のかた……例の砂洲《さす》や東側の低地をはるかに越えて……外洋のひろびろと開けた大海原が見える。すぐ真上には遠めがね山がそびえ立ち、こちらには点々と一本松が散らばっているかと思えば、あちらには断崖が黒い壁をなして並んでいる。この島をとりまく遠い渚《なぎさ》に寄せては返す波の音と、草むらにすだく無数の虫の声とのほかにはなんの物音も聞こえない。人一人見えず、海上にも白帆の影すらなかった。眺めの大きさそのものが寂しさをいっそう深く感じさせる。
シルヴァが、腰をおろしたまま、羅針儀で方角をしらべた。
「骸骨島から一直線のところに≪高い木≫は三本ある」とかれは言った、「≪遠めがね山の肩≫とあるのは、おいらに言わせると、あそこの低くなったところのことだ。もうこうなれば、一件をみつけるのはこどもの遊びも同然だ。おれはさきに飯《めし》にしてえな」
「おらあ、ちっとも腹がすかねえ」とモーガンがつぶやいた。「フリントのことを思いだしたら……どうもそのせいだと思うんだが……そうなっちまった」
「なに、いいじゃねえか、おめえ、野郎が死んで運がよかったと思いねえ」とシルヴァが言った。
「あいつは恐ろしい悪魔だった、見るのもいやだ」三人めの海賊が、身ぶるいしながら叫んだ。「あの顔の青さったら!」
「あれはラムのせいだなあ」とメリーも相づちをうった。「青さ! そうだ、あいつはたしかに青かったな。ほんとうだ」
かれらは、骸骨《がいこつ》を見つけて、こうした考えに次つぎにとりつかれて以来というもの、話す声が低く低くなってゆき、いまではささやきあいと言ってもよく、そのために森のなかの静けさは少しもそこなわれなかったほどだった。と、突如として、前方の木立のあいだから、細い、かん高い、ふるえ声で、あの聞きなれた節《ふし》と文句で歌いだした者がある……
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≪死人《しびと》の箱≫には十五人……
ヤンレサ、ホイ、それに一本、ラムの壜《びん》
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ぼくは、そのときの海賊どもほど恐怖にうちのめされた人間を見たことがない。六人の顔からは魔法のように血の色が消え失せた。ある者はとびあがったし、ある者は他の者にしがみついた。モーガンは大地にひれ伏した。
「フリントだ、くそ……!」とメリーが叫んだ。
唄は、はじまったときと同様に、突如としてやんだ……節《ふし》の中途からぷっつり切れた、と言ってもよかろう、まるで歌っている男の口を、だれかの手がふさいだかのようだった。緑の梢《こずえ》をくぐって、澄んだ、明るい大気のなかを、はるか遠くから渡ってきたので、まことにかそけく、うるわしい調べのようにぼくには思われた。それが連中に及ぼした影響は、だからぼくとは無縁だった。
「おい」とシルヴァが、血のけのひいたくちびるから、強いてことばを出そうとほねおりながら言った、「こいつはいけねえ。出かける用意をしろ。妙なことがはじまりやがった、だれの声ともおれには言えねえが、だれかがふざけてやがるんだ……だれか、生ま身の人間がよ、それだけはまちがいねえ」
しゃべっているあいだに勇気をとりもどしたとみえ、それといっしょに顔にもいくらか血のけが出てきた。ほかの者ももうこの励ましに耳をかしはじめていたし、少しは正気に返りかけていたが、そこへまた同じ声がひびきわたった……今度は唄ではなく、かすかな、ずっと遠方からの呼び声で、それがいっそうかすかなこだまを、遠めがね山の狭間《はざま》のあいだでひびかせた。
「ダービ・マグロー」
その声はむせび泣いた……こうとしかこの声を形容することばがない……「ダービ・マグロー! ダービ・マグロー!」と幾度も幾度もつづいてから、声が少し高くなり、ここでは罰あたりな文句は略すが、それといっしょに叫んだ、「ラムを持ってこい、ダービ!」
海賊たちは地面に根がはえてしまったように、動かなくなっていて、めだまがいまにも顔からとびだしそうだった。声がまったくやんでしまってからも、長いあいだ、無言のまま、恐ろしそうに前方を見つめているばかりだった。
「これできまったぜ!」一人が息をはずませて言った。「逃げよう」
「あれは、あの人の死にぎわのことばだ」モーガンはうめいた、「この世での最後のことばだった」
ディックはさっきから聖書を取り出して、しきりにお祈りをしていた。このディックは船乗りになって、悪い仲間のなかへ落ちこむ以前に、しつけよく育てられた若者なのだ。
だがシルヴァだけはまだ負けていなかった。ぼくにはかれの歯ががたがた鳴っているのが聞こえたが、それでもまだかれは降参しなかった。
「この島に、ダービの名を聞いたことのある者はいねえはずだ」かれはつぶやいた、「ここにいるおれたちのほかには一人もいねえ」
そして、必死の気力をふりしぼって、「兄弟《きょうでえ》たち」と呼びかけた、「おれはここへ宝を取りに来た以上は、人間だろうが悪魔だろうが、あとへは退《ひ》かねえぞ。おらあ生きてるときのフリントを一度も怖《こえ》えと思ったことはなかった、だからこんりんざい、死んだあの野郎にだってびくともしねえ。ここから四百メートルと離れねえところに、七十万ポンドの金がある。たかが大酒くらいの青ぶくれ面《づら》の船乗り一人のために……それもとっくにくたばった野郎のために、それだけの大金を前にしておめおめひっ返《けえ》すような金持だんなが、どこの世界にいるというんだ?」
だが、手下の者たちがもう一度勇気をふりおこしたけはいは見えなかった。むしろ、シルヴァのことばの無鉄砲さに、かえって恐怖をつのらせたようだった。
「やめとけ、ジョン!」とメリーが言った。「幽霊にさからうもんじゃねえ」
そして他の者はみな恐ろしさで返事さえしなかった。かれらはできることならめいめい勝手に逃げてしまいたかったのだろう。だが恐怖がかれらを離ればなれにさせなかった。かえってジョンの不敵さが助けになるかのように、かれのそばから離れずにいた。
ジョン自身は自分の弱さとよく戦って、それをおさえつけていた。
「幽霊だと? うむ、そうかもしれねえ」かれは言った。「だが一つだけ、おれの腑《ふ》に落ちねえことがある。さっき、こだまが聞こえたろう。ところが、影のある幽霊ってものを、だれも見た者はねえ。そうだとすれば、幽霊がこだまといっしょに歩くってのは、どういうことなんだ? 教えもらいてえもんだ。おかしいじゃねえか、おい?」
この議論はぼくにはどうにも薄弱に思われた。しかし迷信的な人間には何が影響するものか、わかったものではない。だからおどろいたことにはジョージ・メリーはたいそう安心した。
「なるほど、それもそうだ」かれは言った。「やっぱりおまえは頭があるなあ、ジョン、これはまちがいねえ。船をもどすんだ、兄弟《きょうでえ》たち! おれたちは舵をとりそくなってたらしいぜ。それに、よく考えてみると、あれはたしかにフリントの声に似ちゃいたが、やっぱりそっくりそのままというほどには似ていなかった。どうもだれか、ほかのやつの声によけい似ていた……はて、あの声は……」
「そうだ、ちきしょう! ベン・ガンだ!」とシルヴァがわめいた。
「うん、そのとおり」と叫んで、モーガンがひざを立てて身をおこした。「あれあ、ベン・ガンだ!」
「だって、それでもあまり変わりはねえんじゃねえか?」とディックがたずねた。「ベン・ガンだって、ここにいねえことは、フリントと同じじゃねえか」
だが、年かさの連中はこの発言に冷笑をあびせた。
「何を言ってやがる、ベン・ガンなら、だれも気になんぞかけねえや」とメリーが叫んだ。「死んでいようと生きていようと、だれが気にするもんか」
こうして、かれらが元気を回復したこと、ふだんどおりの血色がかれらの顔にもどったことは、まったく異様なほどだった。まもなくかれらは口ぐちにしゃべりだし、ただときたま、ふっと話をやめて聞き耳をたてた。そうしてやがてそれっきり声も聞こえなくなったので、ふたたび道具類を肩にかけて出発した。メリーが先頭に、シルヴァの羅針儀を持って、骸骨《がいこつ》島からの直線にはずれないようにして進んだ。かれの言ったことは当たっていて、たしかに死んでいようと生きていようと、だれもベン・ガンのことを気にかける者はいなかった。
ディック一人がまだ聖書を手に持ち、歩きながらも恐ろしそうにあちこちに視線を走らせていた。だがかれに共鳴する者はなく、シルヴァなどはかれの慎重さをじょうだんの種にさえした。
「きのうも言ったな」かれは言った……「おめえは聖書をきず物にしたとおれが言ったがな。もしその本にかけて誓ってもききめがねえとしたら、幽霊だってそんなものこわがるわけがねえ。だめだぜ」そして、ちょっと松葉杖を休めて立ち止まり、大きな指を鳴らした。
だがディックは心なぐさまなかった。事実、しばらくするうち、この若者が倒れかかっていることは、ぼくにははっきりわかった。暑さと、疲労と、おびえから来たショックとのために、リヴジー先生の予言した熱病がぐんぐん激しくなってきたことは明らかだった。
このあたり、台地の頂上を歩くのは、地形が開けているので気持ちがよかった。前にも言ったとおり、この台地は西へ傾斜しているので、われわれの行手は、やや下り坂になっていた。大小の松が散らばってはえている。ナツメグやツツジの茂みもそれぞれに広い間隔を置いて、そのあき地は熱い日ざしで焼けこげていた。われわれが進んだように北西の方向にひじょうに近く島を横切ってゆくと、一方では遠めがね山の肩の下へますます近づいて行き、また他方ではぼくが前に革舟のなかで波に翻弄《ほんろう》され、ふるえていた、あの西側の湾が、ますます広く見わたせるのだった。
最初の≪高い木≫にたどりついたが、方角を調べると、この木ではないことがわかった。二本めもそうだった。三本めは、下ばえの草むらからほぼ六十メートルの高さに空にそびえていた。まるで小さな家ほどもある赤い幹、一中隊の歩兵が演習できそうな広さの影を作っている、植物中の巨人である。それは東からも西からも遠い海の上で目標にすることができ、海図の上に航海者の目じるしとして書きこまれてもよさそうに思われる。
だが、いまぼくの同伴者たちに強く印象づけられたのは、その大きさではなかった。その大きくひろがった影の下のどこかに、七十万ポンドの黄金が隠されているという知識であった。近づくにしたがって、金のことだけが頭を占めて、さきほどからの恐怖をのみこんでしまった。かれらの目は燃え、かれらの足どりは速く、軽くなった。かれらの心は、かれらの一人一人を待っているその財宝、これからさき死ぬまでつづくはずの豪奢《ごうしゃ》と歓楽に、無我夢中になっていた。
シルヴァはうなりながら、松葉杖をついてはねていった。鼻のあながふくらみ、ふるえていた。暑さに汗で光っている顔にハエがとまると、狂人のように悪態をついた。ぼくとかれとをつないでいる綱を乱暴にひっぱり、ときどきすごい顔つきでぼくのほうを見た。もちろんかれは心に思っていることを隠そうともしなかったから、もちろんぼくにはそれが印刷物のようにはっきり読めた。黄金のすぐそばまで来ると、ほかのことはすべて忘れてしまった。約束したことも、リヴジー先生の警告も、二つとも過去のものになった。かれの望みは、宝を手につかみ、夜陰にまぎれてヒスパニヨラ号を見つけて乗船し、この島にいる正直な人たちののど首を一人残らずかき切って、最初にもくろんでいたとおり、犯罪と財宝とを二つながら船に積みこんで跡白浪《あとしらなみ》〔「あと」のことは知らない。「しらない」を「しらなみ」にかけていう〕と行方をくらます……そう望んでいることをぼくは疑うことができなかった。
こうした心配におびやかされたぼくは、宝の猟人《かりうど》たちの速い歩調におくれずついてゆくのがむずかしくなった。たびたび、ぼくはつまずいた。シルヴァが綱を荒っぽくひっぱり、残忍な目つきでにらんだりしたのは、このときだった。ディックはぼくとシルヴァよりもおくれて、いまでは一行のしんがりになったが、熱はあがりつづけるし、お祈りと悪態と両方を口走りつづけていた。これもぼくの心のみじめさを増したけれども、なによりもぼくの心を悩ましたのは、かつてこの同じ台地で演じられたという悲劇についての思いだった……あの青い顔した悪魔のような海賊、唄を歌いながら、酒を求めてわめきながらサヴァンナで死んだという男が、わが手で六人の共犯者を斬殺《ざんさつ》した、その惨劇《さんげき》の思いだった。いまでこそこんなに平和に見える、この松林に、そのときはわめき声が鳴りわたったことだろうと、ぼくは思った。そしてただそう思うだけで、それがいまも鳴りひびいているのを聞く思いがした。
ぼくたちはいま、茂みのはずれにいた。
「それ行け、兄弟《きょうでえ》たち、みんな来い!」メリーが叫んだ。そしてまっさきに駆けだした。
と、急に、十メートルと離れぬ前方で、ぼくたちはかれらが立ち止まるのを見た。低い叫び声があがった。シルヴァはものに取りつかれたように松葉杖の片脚で地を掘り散らしながら、倍の速さで進んだ。そして次の瞬間、かれとぼくもまたギョッとして立ちすくんでいた。
われわれの前にあったのは、大きく土を掘り返した穴だった、それもあまり近ごろのものではなく、側面のどろはくずれ落ち、底には草が芽をだしていた。底には二本に折れたつるはしと、数個の荷づくり箱の板が散らばっている。それらの板の一つに、焼きごてでおされた≪ウォルラス≫の文字をぼくは見た……ウォルラスとはフリントの船の名であった。
すべては明白であった。宝の隠し場所は発見され、宝はぬすみ去られていたのだ。七十万ポンドは消えてなくなった!
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第三十三章 頭目《とうもく》の没落
世の中にこれほどのどんでん返しがあったろうか。六人の男は一人のこらず打ちのめされたようになっていた。だがシルヴァだけは、ほとんどたちまちのうちにこの打撃から立ち直った。かれが心に思うことは、すべてが競馬馬《けいばうま》のようにあの金のことだけにまっしぐらに向けられていた。それが、ただ一瞬の間にぴたりとその足をとめられてしまったのだ。しかもかれは冷静を失わず、気を取り直し、ほかの連中がまだおのれの失望の深さを知りつくす暇もないうちに、自分の計画を変えてしまった。
「ジム」かれはささやいた、「これを持ってろ、騒ぎがはじまるから用心していろよ」
そう言って、ぼくに二連発のピストルを一挺、手渡した。
同時に、かれは静かに北のほうへ歩きだし、わずか数歩で、例の穴をあいだにして、ぼくたち二人とほかの五人とが相対する位置に移動してしまった。それから、ぼくを見て、「いいか、どたんばだぞ」と教えるかのようにうなずいて見せたが、まったくぼくもその通りに思った。かれの態度がすっかりぼくの味方らしくなっていた。それでぼくは、このようにたえず態度を変えることに反感をもよおして、思わずがまんできなくなって小声で言った、「じゃ、また寝返りを打ったんだね」
それに答える暇も、もうかれにはなかった。海賊どもは、ひどい悪態をわめき散らしながら、一人また一人と穴のなかへとびこみ、箱の板を投げだして、手で土を掘りはじめた。モーガンが金貨を一枚みつけた。それを高くかざして見せなから、聞き苦しい悪態をはき散らした。それは二ギニー金貨で、一分の四分の一ぐらいの間にそれがみなの手から手へ渡り歩いた。
「二ギニーだぜ!」メリーはシルヴァにそれを振って見せながら、どなった。「これがてめえの七十万ポンドなのかよ? てめえは商売のかけひきがうめえはずだったな? いままで損したことのねえ男ってのはてめえじゃなかったのか、このうすのろの唐変木《とうへんぼく》め!」
「もっと掘れ掘れ」シルヴァはこのうえもなくふてぶてしく冷やかに言った。「豚の餌《えさ》にする≪くるみ≫ぐらいは見つかったって、おいらおどろかねえぜ」
「豚の餌だと!」メリーが悲鳴みたいな声でくりかえした。「おい、みんな、あれを聞いたか? いまだから言うが、あの野郎、こうなることをはじめから知ってたんだぞ。野郎の顔をみろ、そう書《け》えてあるじゃねえか」
「なるほど、メリー」シルヴァが言った、「もういっぺん船長を買って出るか? おめえは押しの強《つえ》え若造だなあ」
だが今度は、全員が完全にメリーの味方だった。かれらはみなすごい目つきでうしろをにらみながら、穴からはいだしはじめた。ただ一つだけ、ぼくらにとって好都合と思えることに、ぼくは気づいた。かれらはみなシルヴァの反対の側へはい上がったのである。
さて、このようにして二人が一方の側に、五人が反対の側に、穴をあいだにして立ち向かったが、だれもまだ最初の一撃を加えるほどの勇気を見せるものはなかった。シルヴァはじっとしている。松葉杖をついた身をまっすぐに立て、かれらを見まもっている。これまでぼくの知る限りのいつのときにもおとらず、冷静だ。たしかに勇敢な男にはちがいない。
とうとう、メリーは何かしゃべったほうが形勢を有利にすると判断したらしく、言いだした。
「兄弟《きょうでえ》たち、相手は二人だけだ。一人は老いぼれのびっこで、おれたちをここまでひっぱってきて、こんなペテンにかけたやつだ。もう一人は、あの餓鬼《がき》だ、おらあ心臓をえぐり取ってやりてえとさえ思ってるぜ。だから、みんな……」
そして腕を高く挙げ、声を張り上げ、あきらかに攻勢の先頭に立とうとする気組みを見せた。だが、そのとき……バン、バン、バン!……三発の小銃弾が茂みから撃ちこまれた。メリーはまっさかさまに穴へ倒れこんだ。ほうたいをまいた男は、こまのようにくるくるとまわって横へばったり倒れ、その場で死んだが、まだからだはぴくぴくしていた。あとの三人はくるりと向きを変え、死物狂いで逃げ去った。
またたきする間もなく、のっぽのジョンは、もがいているメリーにピストルの二発の弾を撃ちこんでいた。そしてメリーが断末魔《だんまつま》の苦しみのなかで目を動かしシルヴァを見上げたとき、「ジョージ」とかれは言った、「これでてめえとは決着をつけたぜ」
それと同時に、リヴジー先生、グレイ、ベン・ガンの三人が、ナツメグの茂みから、まだ煙を吐いているマスケット銃を持って、われわれのそばへ走り寄った。
「進め!」と先生が叫んだ。「大急ぎだぞ。やつらよりさきまわりして、ボートを使わせないようにせにゃならん」
それでぼくたちは出発し、ときには胸まである潅木《かんぼく》林のなかへ突き進んだりしながら、全速力で行軍した。
ここで特筆したいのは、シルヴァはどこまでもぼくたちにおくれず、けんめいについてきたことだ。あの男があの松葉杖で、胸の筋肉が裂けるかと思うばかりはねとんで、がんばりとおした働きは、どんな健全な男もかなわないほどのもので、これは先生もそう思うと言われた。そうは言っても、われわれが斜面の上端まで来たときには、かれはもう三十メートルもわれわれよりおくれ、いまにも息が詰まりそうになっていた。
「先生!」と、かれは呼ばわった、「あすこを見なせえ! 急ぐことはねえ!」
たしかに、急ぐには及ばなかった。台地の立木の少ない開けたところを、生き残った三人が、さっきかれらが逃げたのと同じ方向、まっすぐ≪後檣山≫の方向へ、いまだに走っているのが見えた。ぼくたちはもうかれらとボートとのあいだに来ていた。それでわれわれ四人はひと息入れようと腰をおろしたが、そこへのっぽのジョンが汗をふきふき、ゆっくり追いついた。
「先生、ご親切ありがとうごぜえやした」かれは言った。「わっしとホーキンズにとっては、ほんとにおあつらえむきのところへ出てきてくだすった。うん、それから、おめえ、ベン・ガンじゃねえか! おめえ、まったく、よくやってくれたよ」
「そうだよ、おいら、ベン・ガンだよ」きまりがわるそうに、ウナギのように身をくねらせながら、島に残された男は答えた。「それでよ」しばらく黙っていてから、つけくわえた、「おまえさん、どうだね、シルヴァさん? ああ元気だよ、ありがとうと、おまえさん言うだろうね」
「おいベン、ベン」シルヴァはつぶやいた、「きさまに出し抜かれようとは思わなかったぜ」
先生は、謀叛《むほん》人たちが逃げるときに置き去りにしたつるはしを一本、持ってこさせるために、グレイをひき返させた。それから、ゆっくり腰をもちあげて、ボートを置いた場所へ降りてゆくあいだに、手みじかにそれまでのできごとを話してくれた。それはシルヴァがとくに深い興味をおぼえた物語で、しかも半バカの島の住人ベン・ガンこそは、最初から最後までこの話の主人公だった。
ベンは長いあいだ、一人ぼっちで島のなかを歩きまわっているうちに、例の骸骨《がいこつ》を見つけた……骸骨の持ち物をかすめ取ったのはかれだった。またかれは宝を発見した。かれはそれを掘りだした(穴のなかに折れて捨てられていたのは、かれのつるはしの柄《え》であった)。かれはそれを背負って、あの高い松の木の下から、島の北東の隅の二子山の、かれが住居としている洞窟《どうくつ》まで、幾度にもつらい往復を重ねて運んだ。それでヒスパニヨラ号の来る二か月前から、宝は無事にそこにしまってあったわけだ。
先生は、あの襲撃のあった午後、この秘密をベン・ガンからうまくさぐりだした。そして、翌朝、碇泊地に船のいないことを知ると、シルヴァのところへ行き、いまでは用のなくなった地図をかれにあたえた……またベン・ガンの洞窟にはかれが塩漬けにして貯《たくわ》えていた山羊の肉があったので、食糧もシルヴァにあたえた……そのほかの品物もなんでもあたえて、それで柵砦《とりで》から二子山へ、安全に移動する機会を手に入れ、こうしてマラリアの害もまぬかれ、財宝の番もすることができた。
「おまえのことについてはな、ジム」先生は言った、「わしの気持ちとは逆になったが、わしはやっぱり自分の義務をまもる人びとのために最善と思うことをやってきた。おまえがその人たちの一人でなかったとすれば、それはだれが悪かったのかな?」
あの朝、先生の計略で謀叛人どもを恐ろしい失望に陥《おとしい》れたのに、ぼくが意外にもそのなかにまきこまれていることを知り、先生はいっさんに洞窟へ走り帰って、郷士さんを残して船長を守らせ、グレイと島流しのベン・ガンを連れて出発し、島を対角線に横切って、あの松の近くで待ちかまえた。
だが、まもなく、ぼくたちのほうがひと足はやく進んでいるのを知ったので、先生は足の速いベン・ガンをさきに行かせ、一人でできるだけの働きをさせることにした。するとベン・ガンは昔の船乗り仲間たちの迷信ぶかさにはたらきかけることを思いつき、かなりのところまでその思いつきが成功したので、その間にグレイと先生が追いつき、それで宝捜し隊の一行が到着する前に待ち伏せの態勢をとることができた、というわけだった。
「なるほど」とシルヴァが言った、「わしがホーキンズをここへ連れてきたのは、運がよかった。さもなければ、このジョンじじいが八つ裂きにされたって、≪へ≫とも思いなさらなかったでしょうからな、先生」
「そうとも」とリヴジー先生は、ほがらかに答えた。
さて、そのころはもうわれわれはボートのところまできていた。先生はつるはしでその一隻を打ち壊し、そのうえでわれわれは他の一隻に乗り、海をまわって≪北の入江≫へと出発した。
これは八、九マイルの航程であった。シルヴァは、もはや疲労のためほとんど死なんばかりだったが、それでもほかの者たちと同じに櫂《かい》をあやつり、こうしてわれわれはまもなく波しずかな海上を飛ぶように疾走した。やがて海峡をすぎて、舟の南東の角を曲がった……それは四日前に、ぼくとハンズとがヒスパニヨラ号をひいてまわった角であった。
ボートが二子山のわきを通り過ぎるとき、ベン・ガンの洞窟《どうくつ》の黒い入口が見え、そこに一人の人物が銃にもたれて立っていた。郷士さんであった。ぼくたちはハンカチを振って万歳を三唱したが、シルヴァの声もほかのだれにも負けず、せいいっぱい合唱に加わった。
さらに三マイル進み、≪北の入江≫の入口をはいったところで、われわれが出会ったものは何だったか? ほかでもない、ヒスパニヨラ号が自力で動いているすがただった! けさの満潮で、船は水に浮かんだのである。もし風が多かったり、南の碇泊所のように潮流が強かったりしていたら、われわれはこのスクーナーをもはや見失っていたか、あるいは坐礁《ざしょう》してどうすることもできなくなっていたか、どちらかであったろう。だが実際には、大檣帆《たいしょうはん》が破れたこと以外には、ほとんど痛んだところはなかった。
べつの錨の用意ができたので、一|尋《ひろ》半の海底へそれを落とした。われわれはそこでもう一度、ベン・ガンの宝の庫《くら》にいちばん近い≪ラム入江≫へとボートをまわした。それから今度はグレイが一人でボートをこいでヒスパニヨラ号へもどり、そこで船の番をして一夜を過ごすことになった。
浜から洞窟《どうくつ》の入口までは、なだらかな上り坂だった。坂の頂上で郷士さんがぼくたちを迎えた。郷士さんはぼくには温かで思いやりがあった。ぼくの脱出については、しかりもほめもせず、何も言わなかった。シルヴァのていねいな挨拶を受けて、かれはちょっと顔をあからめた。
「ジョン・シルヴァ」かれは言った、「おまえはとんでもない大悪党の大|詐欺師《さぎし》だ……人間ばなれのした大詐欺師だわい。わしはおまえの罪を問うてはならんと言われておる。ま、そういうわけなら、罪は問わんことにする。だが亡くなった人びとは、おまえのくびに石臼《いしうす》のようにまつわりついておるぞ」
「ご親切、ありがとうごぜえやす、だんな」のっぽのジョンは、もう一度敬礼をして、こう答えた。
「おのれ、わしに向かって礼を言うのか!」郷士さんはどなった。「これはわしの義務の憎むべき怠慢《たいまん》なのじゃ。さがっておれ」
さてそこでぼくたち一同は洞窟《どうくつ》へはいった。そこはかなり大きな、風通しのいい場所で、小さな泉と清水のたまった池とがあり、上からは羊歯《しだ》が葉をたらしていた。床は砂地だった。大きなたき火の前にスモレット船長が横になっていた。ずっと奥の隅、たき火のほのおにぼんやり照らされているあたりに、ぼくは大きな山に積まれている金貨と、金の延べ棒で築かれた四辺形とを見た。それこそぼくたちがこの遠い異境まで追い求めてきたフリントの財宝であり、ヒスパニヨラ号からすでに十七人の男たちの生命を失わせたものであった。
こうして集められるまでに、幾人の命が失われたか、どのような血と涙、何艘《なんぞう》の船が海底に沈んだか、どれほどの勇敢な男たちが目隠しされて板の上を渡らせられたか、どんな大砲が発射され、またどれほどの恥辱《ちじょく》と虚偽と残虐とが行なわれたか、おそらく生きているだれにも答えられまい。しかも島にはまだ三人……シルヴァとモーガン老爺《ろうや》と、そしてベン・ガンと……それぞれにこの犯罪に一役受け持ち、それぞれにその報酬にありつこうと希望して徒労に終わった者たちがいるのだ。
「おはいり、ジム」と船長は言った。「おまえはおまえなりにいい少年だな、ジム。だがわしは、おまえといっしょに二度と海へ出る気にはならん。おまえはわしには手におえぬほど、生まれつき皆にかわいがられるこどもなのだ。おお、おまえか、ジョン・シルヴァ? なんでおまえはここへ来たのじゃ?」
「また自分の務めを果たしに、帰ってめえりやした」シルヴァは答えた。
「そうか!」船長は言ったが、それがかれの言ったすべてだった。
その夜、自分の仲よしの人たちばかりにとりまかれて、ぼくはなんと楽しい夜食をとったことだろう。ベン・ガンの山羊の肉、ヒスパニヨラ号から持ってきた菓子やぶどう酒の食事はなんという美味だったことだろう。あれほど陽気で幸福な人びとはこの世になかったとぼくは信じる。またそこにはシルヴァもいて、ほとんどたき火の光のとどかぬうしろのほうに座を占めながら、たらふく食い、用があればいつも気さくに前へとびだし、おとなしくわれわれといっしょに笑いさえしていた……出帆《しゅっぱん》した当時の、ものやわらかで礼儀正しく、おせじのうまい船員とそっくり同じになりすましていたのだ。
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第三十四章 そして最後に
翌朝、われわれは早くから仕事にかかった。この大量の黄金を、一キロ半近い陸路で浜まで、そこから四キロ半はボートで、ヒスパニヨラ号まで運ぶのは、小人数だけになかなかの大仕事だった。まだ島にいる三人の水夫たちは、われわれにたいしてじゃまにはならなかった。どんな不意討ちに対しても、丘の肩に一人の番兵を置けばじゅうぶんだったし、それにかれらはもうじゅうぶん以上に戦《いく》さにはこりているとわれわれは思っていた。
それゆえ、仕事はどしどしはかどった。グレイとベン・ガンとがボートで往復し、ほかの者は二人が行ったあと、浜辺に宝を積み上げた。綱の端につりさげた二本の延べ棒は、おとな一人になかなかの荷物で……それをになってゆっくりと歩くのがやっとという重さだった。ぼくの役割は、運ぶほうにはあまり役にたたないので、一日じゅう洞窟《どうくつ》のなかで、金貨をせっせとパン袋に詰める仕事をした。
それは実に不思議な蒐集品《コレクション》であった。貨幣の種類の多いのはビリー・ボーンズのたくわえと似ているが、数も種類もあれよりはるかに多かったので、それを種類わけするのはぼくにはこのうえない楽しさだった。イギリス、フランス、スペイン、ポルトガル各国の金貨、ジョージ金貨にルイ金貨、ダブルーン金貨、二ギニー金貨、モイドー金貨、セクイン金貨と、過去百年間のヨーロッパの王様たちの肖像を彫ったもの、糸の束やくもの巣に似た模様を刻印した珍しい東洋の貨幣、丸いのや四角いのや、くび飾りにでもするようにまん中にあなをあけたのや……ほとんど世界じゅうの貨幣のあらゆる種類が、このコレクションのうちに含まれているにちがいないとぼくは思った。さらにその数はといえば、それはちょうど秋の木の葉のようであったので、ぼくは腰をかがめていたために背中が痛くなり、よりわけのために指も痛くなったほどである。
幾日もこの仕事はつづいた。夕方が来るたびにひと財産が船にたくわえられたが、それでも翌朝のためにもうひと財産が待っていた。そしてこの幾日ものあいだ、生き残った三人の謀叛人の消息は何も聞こえてこなかった。
とうとう……たしか三日目の夜だったと思うが……先生とぼくとが、島の低地を見晴らす丘の肩口を散歩していると、下の濃い暗闇のなかから、悲鳴とも歌声ともつかない、その中間のような人声が、風に乗って聞こえてきた。ぼくたちの耳に達したのはほんのひと声だけで、そのあとはまた沈黙にもどった。
「神よかれらをゆるしたまえ」先生は言った。「あれは謀叛《むほん》人どもだ」
「みんなのんだくれていますぜ、先生」うしろから、シルヴァの声がひびいた。
シルヴァは、完全な自由を許されていたと言ってよかった。毎日みんなからすげなく扱われていたにもかかわらず、自分では特別の自由を認められ、好意を持たれている従者だとでも思っているらしかった。まったく、あれほどバカにされているのをよくも耐え忍び、またよくあきもせずに礼儀を守って、みんなのごきげんをとり結んでいたのは、感心するほどであった。
けれども、ぼくの見るところ、シルヴァを犬同然に扱わなかったのは、いまだにかれをもとの操舵手《そうだしゅ》としてひどく恐れているベン・ガンと、かれに対してたしかに感謝すべきことがあると思っているぼくと、この二人きりであった……もっとも、感謝するということについてだが、ぼくは実はだれよりもかれを悪く考えてもいい理由を持っていたと思う。なぜなら、あの台地の上で、新たな裏切りをくふうしていたかれを、ぼくは見ていたからである。こうした事情だったので、そのときも先生のかれへの返事はずいぶんぶっきらぼうだった。
「のんだくれとるか、それともうわごとを言うとるかだ」
「おっしゃるとおりで、先生」シルヴァは答えた。「またどっちにしたってかまうことはありませんや、先生にも、わっしにも」
「おまえはどう見ても人間らしい情のある男とは言えんようだな」先生は冷笑しながら言い返した。「だからわしの気持ちを聞けばおどろくかもしれんな、シルヴァ。だが、あれがたしかにうわごととわかったら……やつらのうちの少なくとも一人は熱病にかかっておると、道理の上からわしは確信しておるが……わしはここの陣地を出て、たといわしの肉体にどんな危難がふりかかろうと、わしの医術でかれらを助けてやらねばなるまいよ」
「おことばを返すようですが、そいつは悪いご料簡《りょうけん》ですぜ」とシルヴァは言った。「それではだんなの尊いお命がなくなります、うそは申しません。いまではわっしはだんなのお味方だ、手と手袋みてえなあいだがらでさあ。だから味方が少しでも弱くなるのを望まねえのはもちろんですが、ことにだんなときては、わっしはご恩をこうむっていますからね。だが下にいる野郎どもは、約束の守れねえやつらだ……いいや、よしんば守りたくっても守れねえんです。そればかりでなく、あいつらはだんなのように、信じるということのできねえやつらだ」
「そのとおりじゃ」先生は言った。「おまえは約束をまもる男じゃ、わしらはそれを知っとるよ」
さて、三人の海賊については、これがぼくたちの得た最後の消息であった。ただ一度、たいへん遠くで銃を撃つ音を聞いて、かれらが猟をしているなと察した。会議が開かれ、かれらはこの島に置き去りにせねばならぬということにきまった……これをベン・ガンはひじょうに喜んだし、グレイもこれに強い賛意を表したことを、ここで言っておかねばならない。われわれは大量の火薬と弾丸《たま》、山羊の塩漬け肉の大部分、かなりの薬品、その他の必需品、道具、衣類、予備の帆布、一、二|尋《ひろ》の綱、それに先生の格別の希望で気まえのいいタバコの贈物、等をあとに残すことにした。
それがわれわれの島での最後の行いになった。その前にわれわれは宝を船にしまい、またじゅうぶんの水と、不時の災難に備えて山羊肉の残りとを積みこんだ。
ついに、ある晴れた朝、みなの力をあわせて錨を揚げ、かつて船長が柵砦《とりで》で押し立て、みながその下で戦った、あの同じ国旗をひるがえして、北の入江を出帆《しゅっぱん》した。
三人の男たちは、われわれが思ったよりも近くで見送っていたにちがいない、そのことはあとで間もなくわかった。なぜなら、瀬戸を通りすぎるとき、船は南の岬《みさき》のすぐそばを進まなければならなかったのだが、そのとき三人の者は揃って砂洲《さす》にひざまずき、両手をあげて歎願《たんがん》しているのをわれわれは見たからである。そのようなみじめな有様でかれらを残してゆくことは、みなの胸をかきむしった……とぼくは思う。だがわれわれはもう一度の暴動の危険をおかすわけにはゆかなかったし、またかれらを絞首台へかけるために故国へ連れ帰ることはざんこくな親切とでも言うほかはないだろう。先生はかれらに呼びかけて、われわれが残した食糧品のこと、どこにそれがあるかを告げた。だがかれらはどこまでもわれわれの名を呼び、神の御名においてお慈悲をおかけください、このような場所で死ねよとわたしたちを置きざりにしないでくださいと、訴えつづけた。
とうとう、船がなおも進路を変えず、いまは呼んでも聞こえない遠くへ船脚《ふなあし》はやく去ってゆくのを見て、かれらの一人は……それがだれかわからぬ……しゃがれた声で何か叫びながらはね起きたかと見ると、マスケット銃を肩にあてて一発、ぶっ放した。弾丸《たま》はヒューンとシルヴァの頭を越して大檣帆《たいしょうはん》を撃ち抜いた。
その後はわれわれは舷墻《げんしょう》に身をかばっていたが、次にぼくがのぞいて見たときには、かれらの姿は砂洲《さす》の上にはなく、砂洲そのものも距離が大きくなって見わけにくくなっていた。これで、少なくともあの一件だけは終わった。そして正午まえ、ついに宝島のもっとも高い岩も青い弓なりの水平線に沈んでいった。そのときぼくはことばにつくせぬ喜びを感じた。
人手が足りないので、乗組みの全員が水夫として働かねばならなかった……船長だけが船尾でわらぶとんの上にねて、命令を下していた。よほど回復はしたものの、まだ安静が必要だったからである。新しく水夫を雇い入れずに本国への航海をするのは冒険すぎたので、まずスペイン領アメリカのいちばん近い港へ船首を向けた。が、そんな有様だったから、風向きが変わりやすかったり、二度ばかり強風に襲われたりしたため、港へ着かぬうちに、みんなすっかりへたばってしまった。
ちょうど日没のころ、われわれは陸地にとりかこまれた、まことにうるわしい湾に錨をおろした。すぐさま黒人や、メキシコ・インディアンや、混血児などを満載したボートが船をとりまき、くだものや野菜を売りつけたり、海へ投げた小銭をひろうから水|潜《くぐ》りをさせろと言ったりした。これらの大ぜいのひとの好さそうな顔(とくに黒人たち)、熱帯のくだものの味わい、それに何よりもやがて町にかがやきはじめた灯の明るさは、あの島での暗い血なまぐさい日々と対照して、まことにうっとりするほどの楽しさであった。
リヴジー先生と郷士さんとはぼくを連れて上陸し、宵《よい》のうちを過ごした。そのとき二人はあるイギリス軍艦の艦長と会い、話がはずんで、けっきょくその軍艦へ行くことになり、そして、手短かに言うとまことに愉快な時を過ごしたので、われわれ三人がヒスパニヨラ号のそばまでもどったときは、もう夜がしらじらと明けかかっていた。
ベン・ガンが一人で甲板にいて、ぼくらが上ってゆぐとすぐに、恐ろしげに顔をゆがめて、白状をはじめた。シルヴァが逃亡したのだ。島流しの男は数時間前、シルヴァが艀《はしけ》で逃げるのを見て見ぬふりをしたが、それというのも皆さんのお命に別条がないようにと思えばこそで、≪あの一本脚の野郎が船に残って≫いる限りは、われわれは皆殺しになるにきまっていたからだ、と断言した。だが話はそれだけではなかった。料理番はからてで去ったのではない。かれはだれも知らぬうちに船室の隔壁を切り開いて、金貨の袋を一つ、たぶん三百ギニーか四百ギニーの値うちのあるやつをば、これからの放浪の路用の足しにと、さらっていったのだ。こんな安い追い銭でかれをお払い箱にしたことを、みなは喜んだことだ、とぼくは思う。
さて、長ばなしを手短にかたづけると、われわれは数人の水夫を雇い入れ、やすらかな帰航の旅をつづけ、ヒスパニヨラ号がブリストルに着いたのは、ちょうどブランドリーさんが迎えの船をしたくしようかと考えだした時分であった。тャ出帆《しゅっぱん》したときの乗組みのうち、わずか五人が船といっしょに帰ってきた。「残りは酒と悪魔にまかせ」たというのはほんとうの話だった。もっともわれわれは、あの海賊たちの歌っていた……
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≪七十五人で船出をしたが
生き残ったはただ一人≫
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というほかの船の場合ほどひどくはなかったことはたしかだ。
われわれ一同はたっぷりと宝の分けまえを受け取り、めいめいの天性に応じて、かしこく使ったりおろかな使い方をしたりした。
スモレット船長はいまでは船乗りをやめている。グレイは金を使わずにためておいただけでなく、急に出世したいという望みに駆られて、自分の本職を学び、いまではりっぱな艤装《ぎそう》完備した船の一等航海士で、その船の持主の一人となっている。また結婚もして、一人のこどもの父親になった。
次にベン・ガンは、一千ポンドを手に入れたが、その金をかれは三週間で……というより正確にいえば十九日間で使いはたすか取られるかして、二十日目にはもう金をくれといってもどってきた。それからかれは、ちょうど自分で島にいたとき心配したとおり、門番の職をもらった。そしていまもかれは達者で、村のこどもたちに少しはバカにされているがたいへんな人気者で、日曜日や聖人の祭日には教会で歌い手としてもてはやされている。
シルヴァについてはあれきりなんのうわさもない。あの一本脚の恐るべき船乗りは、とうとうきれいさっぱりぼくの生活から消え去ったのである。だが、強《し》いて言えば、かれはもとの黒人女の女房と再会し、おそらく彼女やフリント船長といっしょに安楽に暮らしているのではあるまいか。ぼくとしてはせめてそうあってほしいと思う、なぜならばかれはあの世ではそんな安楽はほとんど見こみがないからである。
銀の棒と武器とは、ぼくの知る限り、いまだにフリントが埋めた場所に埋まっているのだろう。そしてぼくとしては、もちろん、そうして埋まっているがいいと思う。牛や荷馬車綱でひっぱられても、ぼくはあののろわれた島へもう一度行きたいとは思わない。だからぼくが見るいちばんいやな夢は、あの島の磯に砕ける波の音を聞くときか、またはフリント船長の「8R銀貨! 8R銀貨!」というけたたましい声が耳もとで鳴り、ベッドのなかではね起きるときである。(完)
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解説
人と文学
〔R・L・S〕
英米の新聞や雑誌では、一般の読者がよく知っていて、たびたび話題になる人物の名を、頭文字だけで書きあらわす習慣がある。≪F・D・R≫とか≪J・F・K≫とか書かれても、われわれにはすぐにだれのことかわかるとは限らないが、アメリカ人ならばフランクリン・ローズヴェルトとジョン・F・ケネディ、今世紀の最も偉大な二人の大統領のことだと、すぐにわかる。それと同じように、十九世紀末から今世紀はじめにかけて、イギリスの文人で、その頭文字だけで世界的に知られた人物が二人いた。
一人はG・B・S、劇作家、社会主義者で、九十歳までその皮肉が絶えず外国電報で世界じゅうの話題になったジョージ・バーナード・ショーであり、他の一人がこの本の著者ロバート・ルイス・スティーヴンソン Robert Louis Stevenson……すなわちR・L・Sである。この二人よりも偉大な作家、イギリス人の尊敬をかちえた文人は、かならずしも少なくない。が、国民から親しまれ、愛され、いわば親友のような待遇を受けた文学者ということになると、過去一世紀間を通じて、まずこの二人にとどめをさすわけで、新聞雑誌や座談の席でかれらの名が引き合いにだされる回数が圧倒的に多かったから、しぜん頭文字《イニシャル》だけでその人だということが、誰にもわかるようになったのである。
だから、それゆえにショーとスティーヴンソンとを近代英文学の二人の代表者だと考えるのは間違いであるが、逆にかれらによって、かれらを最も親愛したイギリス国民が代表されていると見るのは、あまり不当ではあるまいと思う。つまり英文学を通じてイギリス人の国民性といったものを知るためには、ショーの戯曲、スティーヴンソンの小説は最も有益な部類に属する、と言えそうである。
かれらはこのようにイギリス国民から最も親愛された文学者であるが、その親しまれ方は、かなり違っていた。ショーはイギリス人の生活に絶えず突き刺さるような皮肉を投げつけ、笑わせながらかれらを啓蒙《けいもう》し、批判しながらかれらの良識と知性とを代弁した。スティーヴンソンはイギリス人の知性よりはむしろ感受性にうったえた。かれらに炉辺の楽しい慰安になる物語を与えながら、かれらの悩みを悩み、かれらの同情と共感とを得た。
G・B・Sは九十歳代まで生きて、イギリス社会の精神的|酋長《しゅうちょう》のように大衆から身近に仰ぎ見られていた。R・L・Sはわずか四十四歳で死んだばかりでなく、その晩年は遠く故国を離れた南海で過ごされたから、生前からその作品ばかりかその生涯までも伝説化され、宝玉のような異様なかがやきを帯びた星のように、慕われ、なつかしまれたのである。
〔文学に志すまで〕
ロバート・ルイス・スティーヴンソンは一八五〇年十一月十三日、スコットランドのエディンバラで生まれた。父の名はトマスといい、祖父の代から二代つづいて、スコットランド海岸に著名な幾つかの灯台を建設した土木技師として世に知られていた。母マーガレットは牧師ルイス・バルフォアの娘で、バルフォア家にはフランス人の血統がはいっていたので、R・L・Sの優雅な容貌にも、軽快|闊達《かったつ》な性格の一面にも、フランス的なものが歴然と認められた。この性格が父系のスコットランド的な憂愁、頑固一徹な廉直《れんちょく》さ、誠実さと絡《から》みあって、かれの生活と作品とをいろどることになる。
幼年時代のスティーヴンソンが病弱だったことは伝説的にまで有名である。きびしいエディンバラの冬は、一歩でも外出すれば気管支炎や肺炎に冒されたし、胃もわるかった。≪カミー≫という愛称で呼ばれた乳母のアリスン・カニンガムが始終やさしく看護し、聖書や十七世紀スコットランドの宗教的独立運動の物語などを読み聞かせて、この病弱な子供をなぐさめ、またその読書欲をめざめさせた。ひとりっ子で遊び友達もなく、病床に親しむことの多い幼少年時代の環境こそ、かれのゆたかな想像力を育てる絶好の培養基であった。
文筆への興味も早くからめざめて、多くの作家、文人の文体を模倣することで文章の技法を身につけていった。はじめて活字になったのは、スコットランドの内乱について書いたパンフレット『ペントランドの反乱』を一八六六年にエディンバラの一書店から匿名《とくめい》で出版したときで、その費用は父親が出してくれた。
しかし父親はかれに家業を継がせるつもりだったので、エディンバラ大学でもはじめは工学を学び、『断続灯の新型式について』という論文で銀メダルを受けたほどだったが、文学を専攻したいという希望が強くなって父親と衝突し、けっきょく両方が折れ合って法科に変わった。しかしこの頃から生活が放縦《ほうじゅう》になり、髪をのばして居酒屋に出入りしたり、売春婦と恋に落ちたりしたが、わけても両親をひどく悩ませたのは宗教上の無神論者になって信仰を否定したことであった。
そうした家のなかでの不和からのがれるため、またひとつには生涯の持病になった結核がその頃きざしたため、一八七三年、サフォークの親戚の家へ保養におもむいた。この地でかれはその生涯を文筆に捧げようという決意をかためる上で強い影響を受けた二人の友に出会った。その一人はファニー・シットウェル夫人という年上の女性で、最初かれは彼女を熱烈に恋したが、恋愛の感情はやがて永続的な友情に変わった。もう一人は後にシットウェル夫人の夫となったシドニー・コルヴィンで、この二人のすすめでかれはロンドンの結核専門医の診察も受けたし、またコルヴィンの世話で雑誌「ポートフォウリオ」に『街道』と題するエッセイを発表した……これが本名を署して世に出た最初の作品であった。(シットウェル夫人への恋愛については、後に彼女の夫となったコルヴィンがR・L・Sの死後もその気持ちをつたえた手紙を公表しなかったため、つい近年まで世に知られなかった。)
医師のすすめで南仏リヴィエラに半年を過ごし、かれは健康をとりもどした。一八七五年には弁護士の資格を取ったが、法律の仕事はほとんどせず、さかんにエッセイや旅行記を書いた。一八七六年に北フランスの河や運河を丸木舟で周遊した『内地の船旅』や、その二年後の『驢馬《ろば》に乗って』、また数年後『若い人々のために』、『わが親しめる人と書物』の二著に収められたエッセイがその頃に書かれ、また短編小説にも手をつけた。だが、その前にかれの生涯に大きな転機が訪れるのである。
〔恋愛、結婚、そして『宝島』〕
それは一八七六年、パリで、二人の子供をつれて滞在していたファニー・オズボーンというアメリカ人の人妻とのめぐりあいであった。二人は恋に落ちた。次の二夏はパリで楽しく過ごされたが、やがてオズボーン夫人はカリフォルニアの良人の許へ帰らねばならなかった。
一年たった。夫人が病気になり、一方ではついに離婚を決意して、その手続きをとりはじめたという便りに接して、スティーヴンソンは両親や友人の反対を振り切ってアメリカへ渡った。大西洋の船旅、粗末な汽車での大陸横断旅行が、病弱なかれの健康に影響しないはずはない。二度まで瀕死《ひんし》の病床に呻吟《しんぎん》しなければならなかった。その上、故郷やイギリスの友人の救援も求め得ない事情のもとで、わずかな文筆収入で貧窮とたたかうほかはなかった。最後に、ほとんど倒れんばかりに弱り果てた姿で、ようやく離婚の成立したファニーと結婚することができた。一八八〇年五月一八日であった。
ちょうどその頃、両親は息子が死に瀕《ひん》していることを知り、電報で送金して来た。妻と連子《つれこ》のロイド・オズボーンをともなって帰国したかれは、ファニーが両親に気に入られたので、はじめて長いあいだの親子の不和を解消することができ、著書も次々に出版されて、おちついて著作に没頭できるようになった。だが故郷の風土はどこまでもかれの呼吸器を苦しめたので、その冬はスイスのダヴォスで、次の夏はピトロクリやブレーマーの避暑地で、病を養った。
ブレーマーでのある日……一八八一年の九月のことである……義理の息子のロイドを楽しませてやろうと、一枚の地図を描き、それを≪宝島≫と名づけた。この一枚の地図がかれの想像力をかきたて、さまざまな場面や人物が次々にあたまに浮かんだ。紙をとりだして、それに物語の章の目 次を書いた。
こうして、一人の子供を聴き手に、一日に一章ずつ書いては、毎日夕食後に家族にそれを読んで聞かせた。こうして初めの十五章がたちまち出来あがった。すると当時いっしょに暮らしていた父親のトマス老人も釣りこまれて、毎晩その話を聴く仲間にはいり、しまいにはいろいろ自分の意見を出すまでになった。作中のビリー・ボーンズの荷物箱のなかの品物の名を列挙したのも、海賊フリントの船を『ウォルラス《せいうち》号』と名づけたのも、老人であった。これが名作『宝島』の生まれる最初の機縁であった。
一八八二年に南仏のイエーレに住居を持ったが、やがて父の病が重くなったので帰国し、ブァンマスに家を買って住んだ。R・L・Sの文名が確立したのはこのブァンマス時代である。『プリンス・オットー』、『誘拐されて』に次いで、わずか数日で書きあげた『ジーキル博士とハイド氏』が出て、空前の成功を収めた。『宝島』が単行本にまとまって出たのが一八八三年十二月で、少年はもちろん、あらゆる年齢、階級、国籍を問わず、愛読されるようになった。
〔南の島での晩年〕
一八八七年、父が死んだ。同じ年、母と妻子をともなってアメリカに渡ってから、かれはついに一度も故郷へ帰らなかった。ニューヨークでは雑誌の編集者や出版者があらそって面会を求め、原稿を欲しがったり、出版契約を申しこんだりした。『ジーキル博士』と『宝島』が、かれを当代の流行作家に仕立てたのだ。アメリカの出版者スクリブナー社からの依頼で、一巻の南洋紀行の著述を求められ、ファニーがサンフランシスコへ出かけてヨットをさがし、キャスコ号を手に入れたので、マーケサス、タヒチ、サンドウィッチ諸島などを巡遊したのが縁で、はじめて南太平洋の風土が自分の健康に最も適していることを知った。老母を故郷へ帰らせ、ホノルルに約半年をすごし、ここで『バラントレイの世嗣《よつぎ》』を完成してから、ふたたび南へ向かって旅立った。最後にサモア諸島のうちのオポルー島に土地を買い、妻ファニーとその子ロイド・オズボーンとともに、ここを永住の地と定めた。
みずから≪ヴァイリマ≫と命名したこの未開の島で、かれは島人からツシタラ(酋長)と呼ばれて、敬われ、慕われつつ、執筆生活をつづけた。気候、風土はかれの病気の療養に適していた。土民の政治上の争いを仲裁したり、教化につとめたりしながら、世界の各国から訪れる遠来の客をよくもてなした。制作の上でもこの最後の六年間は多産で、『カトリオーナ』、『難船掠奪船』、『ひき潮』、『島の夜ばなし』等の成熟した作品が生まれた。
一八九四年、『セント・アイヴズ』と『ハーミストン家のウィア』との二長篇を並行的に執筆しているうち、十二月三日、突然卒中の発作を起こし、わずか二時間で息を引取った。「肺臓|麻痺《まひ》をともなう脳溢血」というのが医師の診断であった。ヴァイリマの土人たちは≪ツシタラの死≫を悲しんで、翌朝までにヴァイア山頂にいたるほとんど垂直な道を切り開いて、恩人の遺骸《いがい》を山巓《さんてん》にはこび、かれの望みどおりそこに葬った。サモア時代のスティーヴンソンの生活は、その日記やコルヴィン宛ての手紙にもとづいて、中島敦の小説『光と風と夢』が、精細に、美しく描いている。
〔物語作家〕
トルストイの『戦争と平和』やフローベールの『ボヴァリー夫人』を読むと、そこにわれわれが住んでいるのと同じ世界に生きている人々の生活が描かれているのを感じる。われわれが日常、憎んだり愛したり、同情したり軽蔑したりするのと同じ気持ちで、小説のなかの人物たちに同感したり軽蔑したりすることができる。普通にリアリズムの文学と呼ばれるのはこういうものである。
R・L・スティーブンンがその短い生涯でおどろくほど多数、書き残した作品は、そういうものと違う。『宝島』のジム少年が出会ったような出来ごとに自分も出会ってみたいと思う少年は少なくないかもしれないが、そういう望みのことを普通に≪夢≫と呼ぶことを、中学一年生なら知っているだろう。つまり実際の人生では起こりそうもない出来ごとを、いかにも眼の前に見るように描いて、わたしたちを楽しませてくれる作家たちがいる。物語とか、ロマンスとかいう分類にはいる小説、それの代表的な作家の一人が、R・L・Sである。
現実にありそうなこと、ごくあたりまえのことを、いかにもありそうに、ごくあたりまえらしく描くのと、ありそうもないこと、異常なことを、いかにもありそうに、本当らしく描くのと、どちらがむずかしいか? 答えは、どちらもむずかしい。そして世の中にこの二種類の小説が存在するのは、作家の素質、あるいは才能の質が二種類あるからであろう。日本の現代の作家では志賀直哉と谷崎潤一郎とが、この二種類の才能の代表的な例である。
スティーヴンソンは少年時代の環境から空想を好んだ。ひとつの風景を見ると、すぐにそこに何かの事件を空想する、眼の前の森や川や水車を背景に、スコットの物語のなかの人物たちを活躍させる。そして一方ではすぐれた文人たちのスタイルを学んで、それらの空想を幾色にも書いてみる。こういう作業をかれは≪空想と言葉の織物≫と呼んだ。そうしてかれは『宝島』をはじめとする数多い作品で、生涯この≪空想と言葉の織物≫を織りつづけたのである。
ところで、物話やロマンスは人生の本当のすがた、現実《リアリティ》を味わせてくれないからつまらぬ、という文学観が、スティーヴンソンの生きていた十九世紀後半以来、優勢を占めて来た。と同時に、実に多くの読者がスティーヴンソンの物語に親しみと共感を感じて読み耽ったし、作品を通してR・L・Sという≪人間≫に心からの親愛を注いで来たことも事実であった。
『宝島』について
『宝島』が義子のロイドの遊びのための一枚の地図から発展したことは前に記した。一八八一年の九月のことである。一日一章の速力で書き進んで来たのが、十五章まででふと中絶した。その頃アレグザンダ・ジャップという人が訪ねて来て、たまたまこの原稿の話を聞いてたいへんおもしろがり、少年雑誌「ヤング・フォークス」の編集者ヘンダーソンに原稿を送ったところ、すぐに続きものとしてのせられることになった。原稿には『船の料理番』という題がついていたが、それを『宝島』と改めたのはヘンダーソンだった。
その冬、スイスのダヴォスへゆく旅の途中で、ふたたび興味をとりもどし筆をつづけ、また一日一章のはやさで終わりまで書きあげた。第四編のはじめ、第十六章から語り手がジム少年から医師リヴジーに変わっているのが、その中絶のあとを物語っている。
〔海賊〕
子供むきの冒険小説として少年雑誌に連載されたときはたいして評判にならず、本にまとめられてから圧倒的な読者を得たという事実は、この物語が子供にとってだけでなく成人にとってもすばらしい興味を呼び起こす内容を持っていることを示すものだ。言うまでもなく、それは海賊とか宝さがしとかいう物語の材料のためではなく、その材料を料理した作者の腕前の見事さによるのである。少年ジムの宿屋へ突然はいって来た船乗りの人相風体から、怪しい荷物や酔ってうたう船乗唄など、発端からして海と船と船乗りの荒くれた生活がひとつの雰囲気を醸《かも》しだし、おどろくべき事件の展開がジムといっしょに読者をまきこんでしまう。海賊や海賊の盗みためた莫大な財宝などというものに、現代ではジム少年のように出会うことは不可能なことはわかっていながら、夢中で読まされてしまうのだ。
だが作者のスティーヴンソンも当時の読者も、物語の年代である西暦十七……年、すなわち十八世紀には、海賊とその財宝とが歴史上の事実として記録されていたことを知っていたし、現に作者はジョンソン船長という人の『海賊史』History of Pirates という一七二四年に出た書物を参考にしてこの物語を書いたのである。
島国で、古くから航海に巧みだったイギリス人は昔から海賊の国でもあった。十七世紀のはじめ頃までは近海を荒らして、盗んだものはアイルランドあたりへ持ちこんでいたが、警備と取締りがきびしくなってからは西インド諸島や北アメリカの東海岸、紅海、マダガスカル島などへ出稼ぎする者が多くなった。マダガスカル島にはフリント船長のような海賊の親玉が安全に財物を陸揚げして、王様のような豪奢《ごうしゃ》な生活をしていた。これはイギリス本国とインドとのあいだを往復する商船を襲ったのである。
スペイン領植民地であった西インド諸島ではブッカニーヤ(buccaneer)と呼ばれる、少し特殊な海賊が活躍した。それは十七世紀の前半ごろ、いまのサント・ドミンゴ、当時ヒスパニヨラ島と呼ばれた島を本拠にして密貿易を行なった。これはスペイン政府が他の国との貿易を禁じていたからで、イギリス、フランス、オランダの政府はこれらの密貿易者を取り締まるどころか、保護さえした。その結果これら三国は西インドの幾つかの島を領有するようになった。これらのブッカニーヤたちは普通の海賊よりも海軍に近い愛国的な気持ちで海賊的行為をはたらいたが、その連中がまたただの海賊にもなったのだから、区別はつけにくい。
普通の海賊 pirates の全盛時代は、この本の時代である十八世紀で、この物語に出る≪金持の大だんな≫たち、つまり海賊の大親分と同じような連中が実在した。前に言ったマダガスカル島を根城にした≪のっぽのベン≫一名ブリッジマン、本名はジョン・アヴェリー船長という男は後にボストンの知事に贈賄《ぞうわい》して財産を持ちこんだが、ブリストルの商人にだまされて財産をまきあげられ、貧しく死んだという。
史上最大の海賊といわれるバーソロミュー・ロバーツは一生で四百艘の船を襲ったが、一七二二年に喧嘩《けんか》で殺された。部下に酒を飲むのを禁じるほど規律をきびしくしたという。
エドワード・ティーチ、あだ名≪黒ひげ≫は一七一八年にイギリス商船の航海士と一騎打ちをして殺された。そのほか女海賊とか、フランスの貴族出身の海賊とか、いろいろの人物が記録に残っており、イギリス国民はロビン・フッドのような陸の賊と同様にかれら海賊にも一種のあこがれ……ロマンテイックな関心を抱いているように見える。これが『宝島』の歴史的背景である。
〔船の料理番〕
『宝島』のもとの題が『船の料理番』だったというのは、作者がこの物語の主人公を最初からはっきりと≪のっぽのジョン≫シルヴァだと認めていることを示すものであろう。ビリー・ボーンズ、盲目のピュウ、話にだけ出て来るフリント船長と、幾人かの凄《すご》みのある海賊を読者に紹介しながら、作者は物語の本筋で、この料理番を善人側と対決する悪党たちの頭目として舞台の中央へ引き出してくる。まことに心にくい筋のはこびかたである。
スティーヴンソンはこの人物を、親友の劇作家E評論家W・E・ヘンレイをモデルにしたと、『私の処女作……宝島』という文章のなかで語っている。「その気質の高雅な、洗練された諸性質をすべて抜き去り、ただ彼の力と勇気と敏捷《びんしょう》さと、すばらしい情味とだけを残し、それを荒っぽい船乗|気質《かたぎ》に引き直して描きだそうとした」のだという。大胆でしかも狡猾《こうかつ》、知力がすぐれている上に≪すばらしい情味≫の持主でもあるこの悪人は、悪人でありながら最後にかれが絞首台にものぼらず、西インドらしいどこかの港の夜のなかへ金袋を抱いて消えて行ったことで、思わず読者をほっとさせるほど、いつの間にかかれの魅力のとりこにしてしまう。サこにわたしたちはスティーヴンソンの人間を見る眼の温かさを読みとらずにはいられない。
〔海の文学〕
生年から言うとスティーヴンソンより七年若いだけだが、文学上の閲歴《キャリア》ではずっと後輩になるジョゼフ・コンラッドは、有名な短編小説『青春』の冒頭で、「イギリスのように、いわば人間と海とが、たがいにすみずみまで浸みこんでいる国……海が大多数の人間の生活のなかにはいりこんでいて、人間のほうも、娯楽でか、旅行でか、それとも生計の途としてか、海について多少とも、あるいは何から何まで知っている……そういう国……」と書いている。『青春』、『台風』、『ナーシッサス号の黒ん坊』などによってイギリス海洋文学の第一人者といっていいコンラッドは海のない国ポーランドの貴族出身だが、作家生活にはいる前、二十年間を、船員、船長として海の上で送った人である。それにくらべれば病弱なスティーヴンソンは……後年ヨットで南海の島々を周遊したりしたとはいえ……≪海の作家≫とは称しにくいが、この『宝島』に関する限り、押しも押されもせぬ≪海の文学≫であること、まぎれもなく文学史上の一つの道標《みちしるべ》である。
世界の文学のはじまりに、ホメロスの『オディッセウス』が海上をさすらう冒険の叙事詩として登場している。フェニキアの海賊もすでにそのなかにすがたを現わしている。つまり海賊は人類の交易の歴史とともに古い。が、話を西欧に限れば、ポルトガルのヘンリー王子やコロンブスやヴァスコ・ダ・ガマの出た、いわゆる近世の大航海時代から、海へのあこがれ、海の冒険が人びとの心を占めた……つまり地球が水の上に陸を浮かべた球体であることを、人類がはっきり自覚した事実と、それは結びついている。同時に、海を征服した民族は、国土とその資源を盗む海賊でもあった。
スウィフト、ディフォーという十八世紀の二巨匠が……『ガリヴァ旅行記』と『ロビンソン・クルーソー』とが……すでにイギリスのみならず、全欧大陸やアメリカの少年たちに、海とその冒険への興味を呼びさました。十九世紀初頭のロマンティック時代にはコルリッジの『老水夫行《エンシェント・マリナー》』、バイロンの『チャイルド・ハロルドの遍歴』、『海賊』、『ドン・ジュアン』がある。
一方ではポーの『アーサー・ゴードン・ピム』、ボードレールの『旅へのいざない』、ランボーの『酔いどれ船』など、船乗りの文学ではなく、海にあこがれ、海にかれらの空想を託した文学も生まれた。
『白鯨』の作者メルヴィルは、コンラッドと同じく、青春時代を海に生きた人である。大人国から帰ったガリヴァの目に、ロンドンの市民がみんな小人にみえて困ったように、二十五歳でニューヨークへ帰り、それ以来せせこましい陸地の生活に馴染《なじ》めない不幸を味わった。だがかれが『白鯨』以前に書いた『タイピー』や『オムー』は、むしろスティーヴンソンの『島の夜ばなし』その他、南海の自然と島びとの原始のすがたを描く≪南海《サウス・シーズ》≫文学の先頭を切った作品として記憶される。タヒチの画家、『ノア・ノア』の著者ゴーギャン、ピエール・ロチ、少しおくれてクロード・ファレルやサマセット・モームがこれにつづいた。
『宝島』のベン・ガンの島ながし生活の場面はロビンソン・クルーソーを連想させ、宝さがしの暗号となると、だれしもポーの『黄金虫』がこれより先に書かれていることを思いだすだろう。作者自身は書いている……
「作中のオウムはかつてロビンソン・クルーソーが飼っていたことは確かだ。例の骸骨《がいこつ》はポーから持って来たことも確かだ。私はこうしたことを気にかけない。みな些細《ささい》な、部分的なことだ。まただれにしても骸骨《がいこつ》の専売をもくろんだり、話をする鳥の買い占めをしようと思っても無理というものだ」(訳者)
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年譜
一八五〇 十一月三日、スコットランド、エディンバラ市に生まる。父トマス・スティーヴンスン、母マーガレット・イザベラ・バルフォア。
一八六一(十一歳) エディンバラ中学に入学。
一八六六(十六歳) パンフレット『ペントランドの反乱』を匿名で出版。
一八六八(十八歳) エディンバラ大学に入る。
一八七一(二十一歳) 工学をやめ法科に転ずる。
一八七三(二十三歳) 父と不和になり、また病気のためサフォークに転地。シットウェル夫人と会う。次いでシドニイ・コルヴィンと親交。はじめて本名でエッセイ『街道』を雑誌「ポートフォリオ」に発表。
一八七四(二十四歳) リヴィエラに転地して病を養う。アンドルウ・ラングと相知る。この頃からエッセイに筆を染める。エッセイ『南国に転地を命じられて』を「マクミランズ・マガジーン」に発表。
一八七五(二十五歳) エディンバラ大学を卒業、弁護士を開業。
一八七六(二十六歳) フランス、オランダの内河水路を丸木舟旅行。
一八七七(二十七歳) パリでファニー・オズボーンと相知り、恋に落ちる。
一八七八(二十八歳) 紀行『内地の船旅』(An Inland Voyage)処女出版。この年ファニー、アメリカへ帰り、一人で南仏スヴァンヌ山地へ≪驢馬の旅≫に出る。
一八七九(二十九歳) 紀行『驢馬に乗って』(Travels with a Donkey)出版。
一八八〇(三十歳) ファニーの病の報にアメリカへ向かい、サン・フランシスコに着くや重病に罹《かか》り貧窮に苦しむ。五月、離婚したファニーと結婚、その二人の子をともないスコットランドに帰る。両親と和解し、それから数年は夏はピトロクリ、ブレエマー等の避暑地に住み、冬はスイスのダヴォスに避寒し執筆に専念。
一八八一(三十一歳) エッセイ集『若い人々のために』(Virginibus Puerisque)出版。
一八八二(三十二歳) 南仏イエーレに移居。エッセイ集『わが親しめる人と書物』(Familiar Studies of Men and Books)短編集『新アラビア夜話』(New Arabian Nights)出版。
一八八三(三十三歳)『宝島』(Treasure Island)出版。この年大喀血をする。
一八八四(三十四歳) 父トマスの老衰を聞いて故国へ帰り、以後三年間ヴァンマスに住む。ほとんど病床にあったが、この間に文名ははなはだ高まる。
一八八五(三十五歳) 小説『プリンス・オットー』(Prince Otto)、短編集『続新アラビア夜話』(More New Arabian Nights)、詩集『子供の詩の苑』(A Child's Garden of Verses)出版。
一八八六(三十六歳) 小説『ジーキル博士とハイド氏』(THe Strange Case of Dr.Jekyll and Mr.Hyde)、同『誘拐されて』(Kidnapped)出版。
一八八七(三十七歳) 父トマス死す。老母、妻、ロイドをともなってアメリカへ渡る。短編集『従者』(Merry Men)、エッセイ集『故人今人』(Memories and Portraits)、詩集『下生え』(Underwoods)出版。
一八八八(三十八歳) 小説『黒い矢』(Black Arrow)出版。六月、豪華ヨット Casco 号で南海巡遊に出る。
一八八九(三十九歳) ホノルルに六カ月滞在後、モロカイ島を経てサモア島に達し、オポルー島のヴァイア山の中腹に邸宅地を購入、永住の地と定める。小説『バラントレー家の世嗣』(Master of Ballantrae)同『間違った箱』(Wrong Box)(ロイドと合作)出版。
一八九〇(四十歳) エッセイ『ダミアン神父』(Father Damiern)、詩集『バラード集』(Ballads)出版。
一八九二(四十二歳) 小説『難船掠奪船』(The Wrecker)(ロイド・オズボーンと合作)出版。
一八九三(四十三歳) 小説集『島の夜話』(Island Nights Entertaiments)、小説『カトリーナ』(Catriona)(ロイド・オズボーンと合作)出版。
一八九四(四十四歳) 小説『ひき潮』(The Ebb-Tide)(ロイド・オズボーンと合作)出版。十二月三日、脳溢血で死亡、ヴァイア山頂に葬られた。
一八九五 書簡集『ヴァイリマ書簡』(Vailima Letters)(シドニイ・コルヴィンへ宛てたもの)出版。
一八九六 W・E・ヘンレイとの合作戯曲集『戯曲四編』未完の絶作小説『ハーミストン家のウイア』(Weir of Hermiston)出版。
一八九七 未完小説『セント・アイブズ』(St.Ives)(三章以下はA・T・クイラー=カウチが完成)出版。
一八九八 S・コルヴィン編、エディンバラ版全集二十八巻完成。
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訳者あとがき
『宝島』は、わが国では児童の読みものとして、数えきれないほどさまざまの形で出版されているので、みなさんのなかにもきっと小学生のころにお読みになった方が多いと思います。その大部分はページ数の必要などのため、原作より短くて、いっそうわかりやすく書きなおしたものですが、完全な翻訳もいくつか出ています。しかし、現代の日本の小中学生にわかる範囲のことばに書きあらわすというのは単にむずかしいというよりは、根本的な無理があると思うのです。
この訳を読んで、そういう児童むきの本とちがう印象を受ける読者があるとすれば、たくさんの訳書の出ている原作をまた新しく翻訳したわたしの努力もむだではなかったことになります。日本でも明治時代に出た少年むき読みものは、現在ほどやさしいことばで書かれていません。『宝島』の書かれた時代のイギリスでも同じです。そのいちばん大きな理由は、いまよりは学校教育の普及の程度がはなはだしく小さかったことです。つまり少年の読みものでも、それを読みうるだけの教育をうけた少年の数が、現在とは比較にならぬほど少なかったわけで、その小数の読者は、おとなの文学も読めば読める知識の持主だったのです。
ではなぜ『宝島』はやさしい年少のことばで書きなおせば子どもの読みものとしてよろこばれるかといえば、海賊が無人島にかくした財宝をさがしにゆく冒険、というのは、どんな子どもにもおもしろい題目だからでしょう。けれどもそれは、もちろんおとなにとっても興味のある主題であって、作者のスティーヴンソン自身、子どもといっしょに、おもしろさに熱中して、この物語の構想にふけったにちがいないのです。
そして、その興味ある主題に、作者自身が熱中して筆をとったとして、できあがった作品が、作者自身のおとなの心が満足できる種類のものになるのは自然ですし、それは子どもにもおもしろいかもしれないが、おとなにはもっとおもしろい文学として生きつづげたのは不思議でないのです。
もうひとつ、解説に書いておきましたが、海の冒険にあこがれる海洋国イギリスの国民性、海軍の力でアジア、アフリカ、南北アメリカの≪野蛮国≫を征服し、そこから莫大な富を吸いあげた近世イギリスの歴史が、この物語の背景になっていることも、この本が書かれた時代と現代の日本とのへだたりを大きくしています。むしろ現在の本を読むわたしたちの興味は、≪七つの海≫を支配し、≪わが領土には太陽の沈むことがない≫と誇った時代のイギリス人を理解する手がかりになるところにあります。のっぽのジョン・シルヴァのずるさ、どんな危い場合にも自分のあたまのはたらきで切りぬけるふてぶてしさ、これも子どもにはわかりにくいおもしろさではないでしょうか。(訳者)
〔訳者紹介〕
田中西二郎(たなか・せいじろう)英文学者。一九〇七(明治四十)年東京生まれ。東京商科大学(現一橋大学)卒。主な訳書、グレアム・グリーン「おとなしいアメリカ人」、メルヴィル「白鯨」、コンラッド「青春・台風」他。