恋愛論
スタンダール/白井浩司訳
目 次
初版序文
第一部
第一章 恋愛について
第二章 恋の誕生について
第三章 希望について
第四章
第五章
第六章 ザルツブルクの小枝
第七章 両性における恋の誕生の相違について
第八章
第九章
第十章
第十一章
第十二章 続・結晶作用
第十三章 第一歩について、上流社会について、不幸について
第十四章
第十五章
第十六章
第十七章 恋に王座を奪われた美
第十八章
第十九章 美の例外について(つづき)
第二十章
第二十一章 初対面について
第二十二章 熱中について
第二十三章 一目ぼれについて
第二十四章 見知らぬ国の旅
第二十五章 紹介
第二十六章 羞恥心について
第二十七章 眼差しについて
第二十八章 女の自尊心について
第二十九章 女の度胸について
第三十章 奇妙な悲しい光景
第三十一章 サルヴィアッチの日記抄
第三十二章 親密さについて
第三十三章
第三十四章 恋の打明け話について
第三十五章 嫉妬について
第三十六章 続・嫉妬について
第三十七章 ロクサーヌ
第三十八章 自尊心の意地について
第三十九章 争いのある恋について
第三十九章の二 恋の療法
第三十九章の三
第二部
第四十章
第四十一章 恋愛から見た諸国民
第四十二章 続・フランスについて
第四十三章 イタリアについて
第四十四章 ローマ
第四十五章 イギリスについて
第四十六章 イギリスについて(つづき)
第四十七章 スペインについて
第四十八章 ドイツの恋について
第四十九章 フィレンツェの一日
第五十章 合衆国の恋
第五十一章 一三二八年、北方蛮族によるトゥールーズ占領までのプロヴァンスの恋について
第五十二章 十二世紀のプロヴァンス
第五十三章 アラビア
第五十四章 女子教育について
第五十五章 女子教育に対する抗議
第五十六章 続
第五十六章の二 結婚について
第五十七章 いわゆる徳について
第五十八章 結婚より見たヨーロッパの現状
第五十九章 ウェルテルとドン・ジュアン
断章
解説
訳者あとがき
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初版序文
著者が公衆の寛容を懇願してもむだである。この本を出版するという事実が、この見せかけの謙遜《けんそん》と矛盾するからである。むしろ読者の正義感、忍耐心、公平無私にすべてをまかせるほうがこの上もなく奥床《おくゆか》しい。しかしこの本の著者が訴えたいのはとくにこの最後の傾向、つまり公平さに対してである。フランスで、「真にフランス的な」著作とか意見とか感情とかについてとやかく言われるのをしばしば耳にするにつけても、著者がこの本で事実をありのままに示し、「どこの国においても真実である」感情や意見しか尊重しなかったために、かの排他的情熱をそそのかすことになったのではないかと心配しているのも当然なのである。この排他的情熱というものは、その性格があいまいであるにもかかわらず、近ごろは美徳として奉られているのだ。じっさい、ライン河や山岳地帯や英仏海峡を越えるとたちまち、歴史、道徳、科学さえも、そして文芸が、ただちに真にドイツ的、真にロシア的あるいはイタリア的、真にスペイン的あるいはイギリス的でなければならないとしたら、そういうものはいったいどうなるのだろうか? こうした場合の正義や地理的真理をどう考えたらよいのだろうか? 「真にスペイン的な献身」とか「真にイギリス的な美徳」とかいったような表現が、外国の愛国者たちの演説の中に、大まじめで用いられているのを見るとき、わが国においてもまったく同じような表現を強いている感情をこのさい警戒すべきであろう。コンスタンティノープルや未開民族ではどこでも、盲目的で排他的な愛国心は血に飢えた狂熱となる。文明国民では、これが虚栄心となり、人を苦しめ不幸にし、不安を与えて、ほんのすこしでも傷つけられると、たちまちやかましくいきり立つのである。
シモン氏「スイス紀行」序文から抜粋《ばっすい》七八ページ
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第一部
第一章 恋愛について
私が理解しようとつとめるかの情熱は、その真摯《しんし》な発展がすべて美の性格を具えているものである。
四つのことなった恋愛がある。
一 情熱恋愛。
ポルトガル尼僧《にそう》の恋。エロイーズのアベラールにたいする恋。ヴェゼルの大尉、チェントの憲兵の恋。
二 趣味恋愛。
一七六〇年ごろパリで流行していた恋。当時の回想録や小説、すなわちクレビヨン、ローザン、デュクロ、マルモンテル、シャンフォール、デピネ夫人等々に見いだされる恋。
これは陰影までもすべてばら色でなければならないひとつの絵画である。どんな口実があっても、そこへは不快なものが少しでもはいってはならない。さもないと、作法や上品さや繊細さに欠けることになる。良家の出の男は、この恋愛のさまざまな様相に対処すべき方法のいっさいをあらかじめ心得ている。この恋愛には情熱や思いがけないことはなにも起こらないので、真の恋愛より多分に繊細さのほうを持つことが多いが、それというのも、この恋愛がつねに才智に富んでいるからである。カラッチ派の絵画にも比べられる、冷やかできれいな細密画である。情熱恋愛はわれわれにあらゆる利害を無視させるのであるが、一方趣味恋愛はいつでも利害に順応することができる。事実、このみっともない恋愛から虚栄心をとり除けば、ほとんどなにも残らない。一度虚栄心を奪われるや、やっと歩くことのできる、力の弱った恢復《かいふく》期の患者のようなものとなる。
三 肉体的恋愛。
狩にいって、森へ逃げこむ美しく瑞々《みずみず》しい田舎娘を見つけること。この種の快楽に根を置く恋愛はだれでも知っている。どんなに潤《うるお》いのない不幸な性格の者でも、十六歳のときにはまずこういったことから始める。
四 虚栄恋愛。
世の大多数の男性は、とくにフランスでは、青年のぜいたくに不可欠なものとして、見事な馬でも持つように、社交界の女性を求め、また持っている。虚栄心が多少ともおだてられたり傷つけられたりすると夢中になる。ときには肉体的恋愛があることもあるが、いつもあるとはかぎらない。肉体的快楽さえもないことがある。「町人《ブルジョワ》には、公爵夫人という者は絶対に三十歳以上には見えないものです」とショーヌ公爵夫人は言っていた。正義漢だったオランダのルイ王の宮廷に出入していた人々は、ヘーグに住むある美人のことをいまでもなお愉快に思いだすのだが、この婦人は公爵《デュック》とか王族《ブランス》とかいった男性には魅力を感ぜずにはいられないのだった。だが、君主制の原則には忠実なので、王族のひとりが宮廷にくると、すぐに公爵を追いはらった。いわば彼女は外交団の飾り物のようなものであった。
このくだらない関係でもっとも幸福な場合は、習慣によって肉体的快楽が増す場合である。そのときは思い出がこの関係をいくぶん恋愛に似たものにする。棄《す》てられると自尊心が傷つき、悲しみが生じる。そして小説風の考えにのどをしめつけられるので、自分が恋をして憂鬱《ゆううつ》になっているような気になる。虚栄心は自分が偉大な情熱をもっていると思いたがるからである。たしかなのは、どんな種類の恋愛から快楽を得ていようとも、魂の高揚があるとすぐに、快楽は生き生きとし、その思い出はあとをひくということである。しかもこのような情熱においては、他の大部分の情熱とは反対に、失ったものの思い出は、つねに未来に期待できるものより上等であるように見えるものなのである。
ときどき虚栄恋愛では、習慣とか、これ以上にすばらしい相手は見つからないという絶望が、一種の友情を生むことがあるが、それは友情のなかでもっとも魅力のないもの(*)である。この友情はただ確実さ等々を自慢にするだけである。
(*)ポン・ド・ヴェールとデファン夫人の有名な炉辺の対話。
肉体的快楽は自然のものであるから、だれでも知っている。しかし、これは愛情がこまやかで情熱的な魂からみれば、従属的な地位しか持たない。それでそのような魂は、社交界で笑いものにされたり、社交界の人々の術策にかかって不幸になることがよくあるが、そのかわり、虚栄心や金のためにしか動かない心が、永久に達することができない快楽を体験する。
貞淑で愛情のこまやかな女性のなかには肉体的快楽のことをほとんど考えない者もある。そういった快楽にいわば身をさらすようなことはめったになく、そうした場合にさえ情熱恋愛の熱狂が肉体の快楽をほとんど忘れさせるのである。
すさまじいばかりの自尊心、アルフィエリ風な自尊心の犠牲になり、それに弄《もてあそ》ばれている男がいる。こうした連中はあらゆる人間をネロのように自分の心にもとづいて判断し、いつも不安を感じているためおそらく残酷な男であるが、自尊心の満足が最大限にともなわない限り、肉体的快楽に達することはできない。いいかえると、快楽の相手に残酷な仕打ちをしない限りだめなのだ。ここから「ジュスティーヌ」の残虐な行為が生まれるのである。こんな連中は、少々のことでは安心感を見いだすことができない。
なお、四つのことなった恋愛に分類するかわりに、八つか十のわずかの差違を認めることも充分できる。人間にはそれぞれ物の見かたがあるのと同じくらい、さまざまな感じ方があるだろう。しかし、分類のやり方がどう変わったところで、以下にのべる推論は少しも変わりはしない。この世で見られるすべての恋愛は、みな同じ法則によって生まれ、生き、死に、あるいは不滅にまでたかまるのである。(*)
(*)この本はリジオ・ヴィスコンチのイタリア語の原稿を自由に訳したものである。彼は非常な名門に生まれた青年であったが、最近故郷ヴォルテラで死んだ。その予期しない死の日、彼はその恋愛についてのエッセーを、適当な形にまとめることができるならば出版してもよいという許可を訳者にあたえてくれたのである。
カステル・フィオレンチーノ 一八一九年六月十日
第二章 恋の誕生について
心のなかでつぎのようなことがおこる。
一 感嘆。
二 「あのひとに接吻し、接吻されたらどんなにうれしいだろう、云々《うんぬん》」と思う。
三 希望。
相手の美点を研究する。女性がもっとも大きな肉体的快楽を味わいたいなら、この時にこそ身をまかすべきであろう。どんなつつましい女性でも希望の瞬間には眼が赤くなる。情熱がはげしく快楽が鋭敏なことは、めだったしるしとなってあらわれる。
四 恋が生まれる。
恋するとは、自分が愛し、自分を愛してくれるひとを見、そのひとに触れ、できるだけそばに寄り、あらゆる感覚を動員して感じることに快楽を覚えることである。
五 第一の結晶作用がはじまる。
ひとは、自分を愛してくれていると確信のいだける相手の女性を好んで千もの美点で飾りたがる。自分の幸福をことごとく、つぶさにしらべることに、この上ないよろこびを見いだす。これは要するに、天から降ってきた何だかよくわからない、だがたしかに自分のものにちがいないすばらしい財産を、誇張して考えることである。
恋する男の頭を二十四時間はたらかせておくがよい、つぎのようなことがおこるだろう。
ザルツブルクの塩坑では、冬になって葉を落とした木の枝を廃坑の奥深くなげこむ。二、三か月たってとりだすと、枝はきらきらした結晶でおおわれている。せいぜい山雀《やまがら》の脚《あし》ぐらいのいちばん細い枝までもが、ゆれてまばゆいばかりにきらめく無数のダイアモンドで飾られている。もうもとの小枝とは見えない。
私が結晶作用と呼ぶのは、われわれの前にあらわれるあらゆることから、愛するものが新しい美点を持つという発見を抽《ひ》きだす精神の働きのことである。
ひとりの旅行者が灼《や》けつく夏の日のジェノヴァ海岸のオレンジ林の涼しさを語るとする。その涼しさを彼女といっしょに味わったらどんなにたのしいだろう! あなたの友人のひとりが狩猟で腕を折るとする。そのとき、愛する女性に介抱されたら、どんなに快いだろう。いつも彼女といっしょにいて、自分を愛してくれる彼女をたえず見られるならば、苦痛さえ祝福したくなろう。こうしてあなたは、友人が腕を折ったことから出発して、恋人の天使のようなやさしさをもはや疑わなくなる。要するに、愛する者のうちに美点を見いだしたいと思うなら、その美点を想像するだけで十分なのである。
私があえて結晶作用と呼ぶこの現象は、われわれに快楽を持つことを命じたり、血液を脳へ送ったりする自然現象と、快楽が愛する者の美点とともに増大するという意識と、「彼女は自分のものだ」という考えとからやってくるのである。野蛮人は第一歩以上にすすむいとまがない。彼らにも快楽はあるが、脳のはたらきは、森へ逃げこむ鹿を追うのに用いられ、その肉を食べてできるだけはやく体力を快復しなければならないのだ。そうしなければ、敵の斧《おの》のもとにたおされるからである。
反対に、文明が極度にすすんだところでは、愛情のこまやかな女性は、愛する男性のそばでないと肉体的快楽を見いだせないところまできていることを私は疑わない(*)。これは野蛮人の反対である。文明国では、女には暇があるが、野蛮人の男は仕事に追われているので、やむなく女を駄馬のように扱うことになる。多くの動物の雌《めす》のほうが野蛮人の女より幸福なのは、雄の生存がずっとよく保証されているからである。
(*)男性にこの特殊性がないのは、一瞬のために犠牲にすべき羞恥心を持たないからである。
だが森を去ってパリにもどろう。恋にとらわれた男は、恋する者のなかにあらゆる美点を見る。しかし注意力は、やはりゆるむことがある。魂は、十年一日の如《ごと》きあらゆるものには、よしんば完全な幸福にさえも飽きるのだから(*)。
(*)つまり、おなじ調子の生活があたえる完全な幸福はただの一瞬にすぎないということである。だが恋する男の状態は日に十度も変わる。
突然つぎのようなことがおこり、注意力が向けられる。
六 疑惑が生まれる。
恋する男は、相手の十か十二の眼差《まなざ》しや、ただの一瞬が数日もつづいたように感じられる一連の行為によって、まず希望があたえられ、ついでその希望が確認されると、最初の驚きからさめ、自分の幸福になれてしまうか、あるいは、ごくありきたりの場合を根拠としているので、いつも浮気な女にしかあてはまらないはずの理論にしたがって、恋する男はもっと確実な保証をもとめ、もっと幸福になろうとする。
男があまり自信満々の様子を見せると、相手は無関心(*)、冷淡、あるいは怒りをもってすらこれに答える。フランスでなら、「ずいぶんしょってるのね」とちょっと皮肉を言われるところだ。女がこういう態度に出るのは、一時の陶酔からさめて羞恥心《しゅうちしん》に負けたのか、道ならぬことをしたのが心配なのか、あるいはたんにつつしみや媚態《びたい》のためかである。
(*)十七世紀の小説は、主人公とその恋人との運命を決定するものを「一目ぼれ」と呼んだ。これは無数の三文文士によってそこなわれはしたものの、やはり人間の本性のなかに存在する魂の動きである。一目ぼれは、無関心というかの防御手段が不可能なところからおきる。恋する女は自分の感情にあまりにもたくさんの幸福を見いだすので、うわべをうまくとりつくろうことができない。慎重さに倦きた彼女は、あらゆる警戒をおろそかにし、愛の幸福に盲目的に身をまかせる。疑惑は一目ぼれを不可能にする。
恋する男は、期待していた幸福を疑いはじめ、この眼で見たと思った希望の根拠にたいしてきびしい態度をとる。
彼は人生の他の快楽へ進路を転じようと思うが、「気がつくとそんなものはどこにもありはしない」。おそろしい不幸におちいるのではないかと心配になると同時に、ふかい注意力が生まれる。
七 第二の結晶作用。
このとき第二の結晶作用がはじまり、「彼女は私を愛している」という考えの確認が結晶される。
疑惑の発生につづく夜、おそろしい不幸の一瞬がすぎさると、恋する男は十五分ごとにつぶやく、「そうだ、彼女は私を愛している」と。そして結晶作用は新しい魅力の発見へと向かう。すると、うろたえた眼をした疑惑にとりつかれ、ふいにつぶやきが中断される。息がつまりそうになる。彼はつぶやく、「だが彼女は私を愛しているのだろうか」と。胸がひき裂かれるようで、しかも甘美なこうした交互作用のさなかで、あわれな恋人は生き生きと感じる、「この世で彼女だけが与えることのできるよろこびを、彼女は私に与えてくれるだろう」と。
この真理の明らかな事実、完全な幸福に片手は触れながらたどることのおそろしい絶壁にすれすれの道、これが第一の結晶作用に比べて第二の結晶作用をはるかにすぐれたものにしているのである。
恋する男はたえずつぎの三つの考えのあいだをさまよう。
一 彼女はあらゆる美点を持っている。
二 彼女は私を愛している。
三 彼女から愛の最大の証拠をえるにはどうしたらよいのか。
生まれて間もない恋のもっともつらく痛ましい瞬間は、自分が考えちがいをしていたことを知り、結晶面をことごとく破壊しなければならないと気がついたときである。
結晶作用そのものをも疑うようになる。
第三章 希望について
恋が生まれるには、ごくわずかの希望があればよい。
二、三日もすれば希望はなくなるかもしれないか、恋が生まれたことに変わりはないのだ。
決断力にとみ、大胆で、気性がはげしく、人生の不幸の体験から想像力が豊かになっていれば、希望はいっそうすくなくてもさしつかえない。
希望はすぐにも消えるかもしれないが、恋をころしはしない。
もし恋する男がさまざまな不幸を体験したことがあり、愛情のこまやかな思慮深い性格で、ほかの女たちには絶望し、問題の女性につよい感嘆の気持ちをいだいていれば、尋常の快楽では、彼を溺《おぼ》れさせることはできず、第二の結晶作用をおこさせるはずである。彼は、俗な女が与えうるすべてを受け容れるよりは、いつの日か問題の女性に好かれるという、およそあてにならない機会を夢みるほうを好むであろう。
愛する女が男の希望を無残にもふみにじり、もはや世間に顔むけができないほどの侮辱を公衆の面前で男にあびせかけたいのなら、それはまさしくこの時期がよく、あとでは手おくれであることに注意されよ。
恋は、たといこうした時期のあいだにずっとながい間隔が置かれても生まれる。
冷静で粘液質で慎重な男にとって、恋が生まれるにはもっと大きな希望、しかも一貫性のある希望が要求される。年配の男にとってもおなじである。
恋の持続を確実にするのは第二の結晶作用だ。そのあいだ、男は愛されるかそれとも死ぬかという問題にたえず直面する。恋がいく月もつづき、一瞬一瞬のこうした確信が習慣になってしまえば、どうして愛するのを止めようなどという考えだけでも持てようか。性格が強ければ強いほど、心がわりはしないものだ。
身をまかせるのが早すぎる女との恋には、この第二の結晶作用はほとんど完全にはおこらない。
これらの結晶作用、とくにはるかに強烈な第二の結晶作用がはじまると、冷淡な者の眼にはもはや木の枝がみとめられない。
なぜなら、
一 枝は、美点あるいはダイアモンドで飾られているが、そういう者の眼にはそれがそのように映らないからであり、
二 枝が飾られている美点は、彼らの眼のためではないからである。
彼が恋している女の旧友だった男が、彼女のいくつかの魅力の完璧さについて彼に話したり、その旧友の目に、ある種の生き生きとした感じが認められたりすると、それらがデル・ロッソの結晶作用(*)のダイアモンドのひとつになる。ある夜、こんなことを思いだした恋する男は、一晩じゅう夢想にふけるのだ。予期せぬ口答えも私に、一晩じゅう夢想にふける機会を与える。というのは、口答えが、愛情のこまやかな寛大で熱烈な魂、世間でいう小説的《ロマネスク》な魂、たとえば恋人と二人きりで真夜中に人里はなれた森を散歩するだけのよろこびを、王者の幸福以上にすばらしいと考える魂をいっそうはっきりと私に理解させるからだ。
ロッソは私の恋人を猫かぶりだと言い、私は彼の恋人を娼婦《しょうふ》だと言うだろう。
(*)私はこのエッセーをイデオロギーの書と呼んだ。この本に恋愛という題がついてはいても小説ではなく、とくに小説のようにおもしろいものではないことをしめしたかったからである。「イデオロギー」という言葉を用いたことについては啓蒙哲学者たちの許しを乞いたい。もちろん他人の権利である標題をよこどりするつもりは毛頭ない。イデオロギーが観念と、観念を構成するあらゆる部分との詳細な記述であれば、この本は「恋愛」と呼ばれる情熱を構成するあらゆる感情の詳細な記述である。つぎに私はこの記述から、たとえば恋の療法といったようないくつかの結論を引きだす。観念についての所説をしめす語をイデオロギーというが、感情についての所説をギリシア語ではなんというか私は知らない。だれか学識のある友人にたのんで、そうした言葉を考えだしてもらうこともできたのであるが、私は「結晶作用」という新語を採用しなければならなかったことで、すでに十分にがにがしさを感じている。このエッセーがいくらかの読者をもつことがあるとしても、読者はこの新語を大目に見てはくれないだろう。文学的才能がありさえすれは、こ、いう言葉はさけることができたことを白状する。やっては見たのだが成功しなかったのである。私見によればこの言葉は、恋と呼ばれるあの狂気の主要な現象を表現している。狂気といっても、それは人類がこの地上で味わうことのできる最大の快楽を、人間に与えるのである。この言葉を用いないと、たえず長ったらしい表現をしなければならなかったので、恋する男の頭と心におこることについて私のおこなう記述は、著者の私にさえ晦渋《かいじゅう》で、重くるしく退屈なものになったにちがいない。読者にとってはなおさらのことであろう。
そこで私は、この「結晶作用」という言葉がひどく耳ざわりな読者には、本をおとじになるようお勧めする。おそらくさいわいなことに、多数の読者をえることなどは私の念頭にはないのである。パリで三、四十人の人たちによろこんてもらえるならばうれしいが、そういう人たちに会うことは絶対にないであろう。だが知らないでも私には大好きな人たちである。たとえばかの若きロラン夫人のごとき人だ。彼女はこっそり本をよんでいて、ちょっとでも物音がすれば、時計箱の彫刻師だった父観の仕事台の引出しのなかへ、すばやくその本をかくしたのである。ロラン夫人のような心をもった人なら、「結晶作用」という言葉だけではなく、なおあまりにも大胆な省略をゆるしてくれるだろう。結晶作用というのは、男が、愛しはじめた女性のうちに、あらゆる美や、あらゆる長所を認めざるをえぬあの狂気じみた行為を表現するために用いられた言葉だ。省略について言えば、ちょっと鉛筆をとって、五つか六つの足りない言葉を、行間に書きいれてくれさえすればよい。
あの人のいっさいの動作には、はじめからあの天上的な様子があるように思えました。それは、ひとりの人間を、たちまち特別なものにし、他のあらゆる人たちとはっきり区別するものです。あの人の眼には、もっと崇高な幸福への渇望、私たちがこの世で見いだすものよりはもっとよい何ものかにあこがれる、あのひそかな憂愁が読みとれるように思えました。それは、運命と波乱とによって一つの小説的《ロマネスク》な魂がどのような境遇におかれようとも、
……なお神々しい幻をよびさまし
ただそのために生き、死さえもものともしない
憂愁なのです。
ビアンカより、母への最後の手紙
フォルリ、一八一七年
第四章
男のことなどまったく考えたこともない娘、草深き田舎《いなか》の人里はなれた大邸宅に住む娘では、ごくささいな驚きさえ、かすかな感嘆の気持ちをよびおこすことがありうる。それにつづいてすこしでも希望が湧《わ》けば、恋と結晶作用とが生まれる。
この場合、恋はまず、たのしいものとしてよろこばれる。
驚きと希望とは、十六歳のころの恋したいという欲求と憂愁とによって、つよく助長される。周知のように、この年頃の不安は恋の渇《かわ》きであるが、渇きというものの特性は、偶然さしだされる特製の飲物の性質について、あまりとやかく言わないのだ。
恋の七つの時期をもういちど要約しよう。つまり、
一 感嘆。
二 どんなにたのしいだろう云々《うんぬん》。
三 希望。
四 恋が生まれる。
五 第一の結晶作用。
六 疑惑が生じる。
七 第二の結晶作用。
第一と第二のあいだに一年たつことがある。
第二と第三のあいだは一か月。もし希望がすぐにあらわれないと、不幸をまねくと考えていつのまにか第二を断念する。
第三と第四のあいだは一瞬間。
第四と第五のあいだには間隔がない。間隔ができるとすれば、親密な間係が成立する場合である。
第五と第六のあいだには、気性のはげしさの度合に応じ、また果断な行為がとれるか否かにしたがって数日たつことがあるが、第六と第七のあいだには間隔がない。
第五章
人間は、他のどんな行為よりもよけいに快楽をもたらす行為をせずにはいられないものだ(*)。
恋は熱病のようなもので、意志とはまったく無間係に生まれては、消える。これこそ趣味恋愛と情熱恋愛との主要な差違のひとつである。われわれは恋する相手の美点をただ単なる偶然としてよろこぶだけである。
要するに、恋は年齢を問わないのである。あまり優雅とはいえないホレース・ウォルポールに対するデュ・デファン夫人の情熱を見るがよい。パリでは、さらに最近の、わけてもいっそう好ましい一例が、おそらく記憶にとどめられているであろう。
私は大きな情熱の証拠としては、滑稽《こっけい》な結果をともなうものしか認めない。たとえば恋の証拠たる臆病がそれだ。私はなにも、学校を出たてのころのつまらぬ羞恥心《しゅうちしん》などを言っているのではない。
(*)犯罪に走らせぬための良き教育とは、後悔を教えることである。後悔が予想されることによって、天秤《はかり》の一方に分銅がおかれる、つまり犯罪に二の足を踏むのだ。
第六章 ザルツブルクの小枝
恋愛において結晶作用はほとんどやむときがない。そのいきさつはこうである。恋人とうまくいっていない場合には、結晶作用は「想像上の和解」という形をとる。愛する女にこれこれの美点があると確信するには、想像力をおいてほかにはないからである。水いらずの間柄となってからの、たえず生まれてくる不安の念は、もっと現実的な解決によって鎮《しず》められる。それゆえ幸福が一様であるというのは、その源泉《みなもと》においてのみである。日々は、それぞれちがった花を咲かせる。
もし愛されている女が、みずから感じる情熱に負けて、熱狂のあまり、相手の不安の念を台なしにしてしまうという途方もない過失をおかす(*)と、男の結晶作用は一時やむ。しかし男の恋がはげしさを、つまり不安の念を失っても、完全な自己放棄と限りない信頼という魅力を獲得する。甘い一つの習慣は、人生のあらゆる苦しみをやわらげ、恋のよろこびに別種の味を添えるのである。
(*)『クレーヴの奥方』におけるディアーヌ・ド・ポワティエ。
相手とわかれると、ふたたび結晶作用がはじまる。彼女にたいする感嘆の一つ一つ、彼女からえられるはずなのに、いまはもう思いもよらない幸福を一つ一つと思いえがいて、ついにはつぎのような悲痛な反省となる。「あんなに魅惑的な幸福には、もう二度とあえはしまい! しかもそれを失ったのは自分のせいなのだ!」 たとい他の方面の感覚に幸福をもとめに行ったところで、心がそれをうけつけない。からだを動かしてはと思い、馬を駆《か》ってデヴォンシャーの森に狩に行くことを空想したりする(*)。しかし、そんなことからは、なんの快楽もえられないことがはっきりと感じられる。こうした錯覚がピストルの一発をひきおこすのだ。
(*)というのは、あなたがそこにひとつの幸福を想像することができるとしても、結晶作用はあなたの恋人に独占的特権をさずけたであろうし、その結果、あなたにこの幸福があたえられるのだ。
賭博《とばく》でも、もうけたらその金をなにに使おうかということで結晶作用がおこる。
貴族たちが、合法性を持つものとしてひどくなつかしがっている宮廷のかけひきにしても、結晶作用をひきおこしたからこそあれほど興味をひいたのである。リュイーヌやローザンのような早い出世を夢みない廷臣はいなかったし、ポリニャック夫人のように公爵領を行く手にのぞまない魅力ある女性もいなかった。合理的なる政府は、いずれもこうした結晶作用をあたえることはできない。アメリカ合衆国の政府ほど想像力に反するものはない。前述の如く、その隣人たる野蛮人は、ほとんど結晶作用を知らない。ローマ人もほとんど結晶作用の観念を持たず、ただ肉体的恋愛についてのみそれを知っていたのだった。
憎悪にも結晶作用がある。うらみをはらす希望が生じるや、すぐまた憎みはじめるのだ。
「ばかげたこと」や「明証できないこと」が存在している信仰はいずれも、一派の首領としてつねにもっともばかげた人物をいただく傾向があるが、これもまた「結晶作用」の結果のひとつである。数学にさえ結晶作用があり(一七四〇年のニュートン学派を見よ)、自分の信じていることを証明するもののあらゆる部分を、たえず思い浮かべられない頭脳においてそれがおこる。
その証拠にはドイツの大哲学者たちの命運を見たまえ。その不滅があれほどたびたび明言されながら、名声は三、四十年を越えることがけっしてできなかった。
この上なく賢明な人でも音楽において狂信的になるのは、自分の感情の拠《よ》っておこる「理由」を理解できないからである。
こういう種類の反駁《はんばく》者にたいしては、自説の正しさを思いのままに固持することはむずかしい。
第七章 両性における恋の誕生の相違について
女は身をまかせることで男を好きになる。許しあう仲となってからは、日頃《ひごろ》の夢想のほとんど全部が恋に関するものだから、この夢想はただひとつの対象の周囲に集中する。彼女たちは、かくも異常で、かくも決定的な、かくも羞恥心のあらゆる習慣に反する行為を正当化しはじめる。こうした作用は男にはない。ついで女の想像力は、暇にまかせてあの甘美な瞬間をこまごまと思いえがく。
恋はわかりきったことをも疑わせるものであるから、許し合う仲となるまでは恋人を俗物以上の男であると確信していた女も、男に対してもうなにもこばむものがないと思うやいなや、男が、征服した女たちのリストに、もうひとり女を書きくわえようとしたにすぎないのではないか、と考えてわななく。
このときはじめて第二の結晶作用があらわれるのであるが、これは疑惑をともなっているだけに、第一の結晶作用よりはるかにはげしいものとなる(*)。
女は女王から奴隷になりさがったと感じる。こうした魂と精神の状態は、まれなことであるだけによけい敏感なものになった快楽がうみだす、神経的な陶酔《とうすい》によって助長される。つまり女はなんのおもしろみもない仕事、手さえ動かしていればよい刺繍《ししゅう》をしながら恋人の上に思いをはせるのだが、一方騎兵隊をひきいて平原を疾駆《しっく》している男のほうは、指揮を誤れば禁錮《きんこ》を食わねばならない。
(*)この第二の結晶作用は浮気な女にはおこらない。彼女たちはそうしたロマネスクな観念のいずれとも、およそ縁遠いのだ。
したがって第二の結晶作用は女のほうがはるかにつよいと思う。なぜなら疑惑がいっそう深いからである。つまり虚栄心や体面が危険にさらされているし、すくなくとも男よりも気晴らしをすることが容易ではないからだ。
女が理性的であろうとする習慣にみちびかれることはないのだが、男である私は、いやでも机にかじりつき、毎日六時間、あじけない理性的な仕事にしばられているのである。女は、恋していないときでさえ、恋の空想にふけりやすく、いつも興奮状態にあるものだ。だから、愛する相手の欠点が見えなくなるのも、いっそう早い。
女は理性よりも情緒《じょうちょ》をこのむ。理由はごくかんたんである。われわれの千編一律《せんぺんいちりつ》の習慣のおかげで、女は家庭でなんら重大な仕事も負わされていないから、「理性は彼女たちにとってまったく使いみちがない」し、ついぞそれがなにかの役に立ったためしがないのである。それどころか理性は、彼女たちにとって「つねに有害」なのである。なぜなら理性は、きのう楽しいことをしたといって小言をいうためか、あすはもうしてはいけないと命じるためにしか、姿をあらわさないからである。
所有地のうちの二つばかりの小作人との交渉を奥さんにまかせて見たまえ。帳簿《ちょうぼ》は、あなたがやるよりうまく管理されることはうけあってよい。だがそうなると、あなたはあわれな専制君主といったところで、せいぜい不平をいう「権利」を持つにすぎなくなるだろう。自分を愛させる腕がないということになるのだから。女は、なにか一般的な理屈を考えはじめると、自分ではきづかずに、それに惚《ほ》れこんでしまうものである。こまかいことにかけては男より厳密で正確だとうぬぼれている。小売商売の半分は細君にまかされているが、亭主がやるより利益をあげている。女と商談するなら、いくら真剣にやってもやりすぎることはない、とは有名な格言である。
これは女が、時と所を問わず、情緒に飢えているからである。スコットランドの葬式の馬鹿騒ぎを見られるがよい。
第八章
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これが彼女のお気に入りのお伽《とぎ》の国であった。
ここに、彼女は空中楼閣をきずいた。
「ラマムーアの花嫁」第一巻、七〇ページ
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十八歳の娘には十分な結晶作用をおこす力がなく、人生経験が浅いため限られた欲望しか持てないから、二十八歳の女ほどの情熱をもって恋することはできない。
今晩、才智あるご婦人にこの説を披露《ひろう》したところ、彼女はこの逆を主張した。「若い娘の想像力は、不愉快な経験によって少しも凍結されてもいませんし、青春の焔《ほのお》はもえさかっているのですもの、どんな男性についてでもうっとりとしたイメージを創《つく》りだすことができるんです。恋人と会うたびに、実際にありのままの彼をではなく、自分で創りだした甘美なイメージをたのしむことでしょう。
やがてこの恋人や、すべての男の正体がわかってしまうと、この悲しい現実の経験が女の人の結晶作用の力を減じますし、不信が想像力から翼を断ち切ります。もうどんな男性についても、たとい彼が非凡な男でも、以前ほど心をひかれるようなイメージを創りだせなくなります。ですからもう青春のころとおなじ焔をもやして恋することは不可能になるのです。その上、恋愛においてたのしむのは、自分でつくりあげる幻影にほかならないのですから、二十八歳になって創りだしうるイメージには、十六歳の初恋がうまれたイメージの輝かしさと高貴さは絶対にないでしょう。それで二度目の恋は、いつもどことなく色あせた感じがするのですわ」
「いいえ奥さん、十六歳のときにはなかった疑惑がうまれれば、それはあきらかに、第二の恋に別の色彩を添えるはずですよ。若いころ、恋は、すべてを流れに引きずりこむ大河のようなもので、それにさからうことができないような気がします。ところが愛情のこまやかな人は二十八にもなれば自分を知り、自分にとって人生になお幸福があるとすれば、恋にこそそれを求めるべきだということを自覚します。動揺するこのあわれな心のなかで、恋と疑惑とのおそろしい戦いがはじまるのです。結晶作用はゆっくりと進行します。しかし、怖気《おじけ》をふるわせる危険をたえず見つづけながら、魂が七転八倒《しちてんばっとう》するこの苦しい試練を勝ちぬいた結晶作用は、若さの特権ですべてが陽気で幸福だった十六歳のときの結晶作用よりも千倍も輝かしく堅固なのです。したがって、恋は以前ほど陽気ではありませんが、より情熱的なはずです(*)」
(*)快楽を自分のものとするには分別が必要である、とエピクロスは言った。
この会話で、私にはとても明白だと思われていた点を反駁《はんばく》され、私は、愛情のこまやかな女の心の底でおこることについて、男はなにひとつ分かったような口がきけるものではないと考えるようになった。浮気女の場合、話は別である。われわれにも、官能だってあるし、うぬぼれだってある。
両性における恋の誕生の相違は、希望の性質が同じでないところから生じるにちがいない。一方は攻撃し、他方は守る。一方は要求し、他方はこばむ。一方は大胆で、他方はひどく内気である。
男はつぶやく、「私はあの女の気に入るだろうか。彼女は私を愛してくれるだろうか?」
女は言う、「あのかたは愛しているとおっしゃるけど、冗談ではないのかしら。誠実な方なのだろうか? 今の気持ちがいつまでもつづくとご自分でも請《う》け合えるのかしら?」多くの女が二十三歳の青年を子供あつかいにするのはこのためである。この青年が六度も戦場に出たことがあると、万事が変わる。彼は若き英雄なのだ。
男の場合、希望はただ愛している女の行為にかかっている。これほど理解しやすいことはなにもない。女にあっては、希望は道徳的な配慮に根ざしているはずだが、この配慮を正しく評価することははなはだ困難である。たいていの男は、あらゆる疑惑を一掃してくれるような愛の証拠を懇願する。女は、不幸にして、男のなかにそのような証拠を見いだしえない。かくして、人生には、恋人の一方に、安心と幸福とをもたらすものが、他方には、危険や屈辱《くつじょく》といえるものをさえもたらす、という不幸があることになる。
恋をすると、男は人知れず苦しみ悩むという危険を冒すが、女は世間の物笑いの種になるという怖《おそ》れがある。女は男より内気であり、世論は女に対して男の場合よりはるかに辛辣《しんらつ》である。なぜなら「尊敬されることが肝心」だからである(*)。
(*)ポルマルシェの金言が想起される。≪自然が女にむかって言うには、できれば美しくおなり、望めるものなら賢くもおなり、だがなによりも尊敬されることが肝心≫。フランスでは尊敬がなければ感嘆もなく、したがって恋もない。
女には、一瞬|生命《いのち》を賭《か》けて、世論を征服するという確実な手段がない。
したがって女は、男よりはるかに不信の念がつよいのにちがいない。恋の誕生の各時期を形成する精神の動きのすべては、女では、日頃の習慣によって、男よりもおだやかで、おずおずし、ゆるやかで、優柔不断である。それだけに長続きする傾向がある。当然、いちど始まった結晶作用をさほどあっさり断念できないはずである。
女は恋人に会うと、すばやく思い直すか、さもなければ愛する幸福に身をまかせるかであるが、このとき男が少しでも攻撃をしかけると、女はいやいやながらこの幸福からはなれる。というのは、武器をとるためには、あらゆる快楽を捨て去らねばならないからだ。
恋する男の役割はもっと簡単である。愛する女の眼をみつめてさえいればよい。ただひとつの微笑でも、彼を幸福の絶頂におしあげることができるし、また彼は、たえずそうした微笑を得ようとつとめる(*)。包囲攻撃がながびくのは男の恥になるが、女には反対に名誉となる。
(*)あこがれの微笑《ほほえみ》が 恋人の
くちづけと受けしと読みしとき、
とこしえに我を離るることなきかの君
うちふるえつつわが唇にくちづけしたまひぬ
……ダンテ、フランチェスカ・ダ・リミエ
女は、愛しながらも、まる一年間、意中の男にわずか十か十二の言葉をかけるだけですむのである。男に会った回数を心の底にたたんでおく。ごいっしょに二度お芝居に行った、ごいっしょに二度お食事をした、あの方は三度散歩道でわたしに挨拶《あいさつ》なさった、と。
ある晩、たわむれからか、彼は彼女の手に接吻《せっぷん》した。よくみると、このとき以来、どんな口実をもうけても、変わった女と思われるおそれを冒しても、彼女はほかの男が手に接吻することをゆるさない。男の方がこんなことをなされば、女々《めめ》しい恋だと言われることでしょうね、とレオノールはわれわれに言った。
第九章
私はできるだけの努力をして、素気《すげ》なく語ろうとしている。言うべきことが多々あると信じている自分の心をだまらせたいと思う。自分が真実を記録したと信じているときでも、私が書いたのは溜息《ためいき》にすぎないのではないか、といつも心配になる。
第十章
結晶作用の証拠として、私はつぎの挿話《そうわ》をあげるにとどめよう。
ある少女が、ちかく軍隊から帰ってくる親戚《しんせき》のエドワールはきわめてりっぱな青年だという噂《うわさ》を耳にする。少女は、青年のほうも彼女の評判をきいて彼女を愛しているという確信を得る。ただし、彼は愛を告白し、彼女の両親に結婚を申しこむまえにいちど彼女に会いたいと思っているらしい。彼女は教会で一人の見知らぬ青年をみかけ、エドワールとよばれているのを耳にすると、もうその青年のことで頭がいっぱいになり、恋してしまう。一週間たって本物のエドワールが到着したが、教会で見かけた青年ではなかった。彼女は蒼《あお》くなり、むりに結婚させられようものなら、一生不幸になるであろう。
これこそ才智のない連中によって恋の狂気と呼ばれるもののひとつである。
ある気前のいい男が、ひとりの不幸な娘にたいへんゆきとどいた好意をしめす。これ以上の親切はありうるものではない。恋はいまにも生まれようとしていた。だが、彼は手入れの行き届かない帽子をかぶっているし、馬に乗るのも下手くそなのを見る。娘は溜息をついて、彼の示してくれる好意にむくいられないと告白する。
ある男が、すこぶる貞淑な社交界の婦人に言いよる。彼女は、この男性が肉体上のおかしな失敗をしでかしたといううわさを聞く。すると彼がたまらなくいやになる。しかしながら彼に身をまかせようなどとはついぞ思わなかったのだし、そういった秘密の失敗が彼の才智や親切心をすこしも傷つけはしない。ただ結晶作用が不可能になっただけである。
一人の人間が愛する人を神聖化するのに夢中になることができるには、相手に会ったのがアルデンヌの森であろうと、クーロンの舞踏会であろうと、まずその相手が、考えられるあらゆる点ではなく、現に彼の眼にうつるあらゆる点で、完全なものにみえることが必要である。どの点からみても完全だと思われるのは第二の結晶作用から数日たってのことであろう。理由は至って簡単である。そのときになって愛する人のうちに美点を見いだすには、ただその美点のことを考えていさえすればよいのだから。
「美」がどういう点で恋の誕生に必要であるかがこれでわかる。醜《みにく》さが恋のじゃまになってはならない。恋する男は、「真の美」などのことは考えずに、ありのままの恋人を美しいと思うようになる。
真の美を構成する顔だちは、恋する男がかりにこれを見たとし、あえてつぎのような表現をとるとすれば、それは一単位としての幸福を彼に約束するものであろう。だが恋人の顔だちは、あるがままの顔で、千単位の幸福を約束するのである。
恋が生まれるまでは、美は「看板」として必要なのだ。美は恋という情熱の素因となるが、それは美しい人だという賞《ほ》めことばを聞くうちに、その人を愛するようになるからである。ごくはげしい賞賛は、ほんのすこしの希望さえも決定的なものとする。
趣味恋愛においては、またおそらく情熱恋愛の最初の五分間においても、女は恋人を選ぶにあたり、自分自身の見方よりほかの女たちの見方に重きをおくものである。
君主や士官が成功するのはこのためである(*)。
老ルイ十四世の宮廷の美女たちはこの君主に恋していた。
(*)この若い貴族の態度のなかに、この上ない高慢さと他人の感情に対する無関心のまじった露骨な厚かましさを認めた人々も、生まれながらの容姿端麗さの上に、礼儀作法にかなった顔だち、心の自然な動きをかくすのを好まぬかと思われるほど淡泊で誠実な顔だち、こういう顔だちが見せる鷹揚な風貌からうける魅力を否定することはできなかった。そうした表情はややもすれば「男らしい率直」と見あやまられがちであるが、じつは「生まれ」とか「富」とかいった人間的価値とは何のかかわりもない何か偶然の長所を意識している。放縦な、ひとをくった無関心なところから生じるものなのである。
『アイヴァンホー』第一巻四五ページ
相手に賞賛の気持ちがあることがたしかでないうちは、希望に応じないようによくよく注意せねばならない。さもないと相手の熱はさめてしまい、恋を永遠に不可能にするか、すくなくとも自尊心でも刺激しない限り相手の気持ちをもとにもどせなくしてしまう。
「馬鹿正直」であることや、だれかれおかまいなしにふりまく微笑には心を動かされない。だから男は社交界で、恋の手練手管には通じているといった顔をする必要がある。これが上品な態度というものだ。あまりつまらない植物は「物笑い」にさえもならない。恋愛においても、われわれは、虚栄心から、あまり容易な勝利を軽蔑《けいべつ》する。だから何事においても、ひとは他人から提供されるものをあまりありがたがらないのである。
第十一章
いちど結晶作用がはじまると、ひとは愛するもののうちに新しい美を見いだすごとに、そのひとつひとつを恍惚《こうこつ》として享受する。
しかし美とはなにか? それはあなたに快楽をあたえる新しい能力である。
各人の快楽はそれぞれちがい、しばしば相反する。このことから、あるものにとって美であるものが、他のものには醜になることがわかる。[デル・ロッソとリジオの決定的な例。一八二〇年一月一日]
美の本性をあきらかにするには、各人の快楽の性質を探求するがよい。たとえば、デル・ロッソにとっては、きわどい行為も許し、ひどくみだらなことでも笑って許すような女が必要である。つまりつねに彼に肉体的快楽を想像させ、デル・ロッソ流のなれなれしさを刺激もすれぱ、思いきりそれを発揮させてもくれるような女である。
デル・ロッソは、恋愛をあきらかに肉体恋愛と考えているし、リジオは情熱恋愛と考えている。この二人が美という言葉について意見の一致するはずがないのはあまりにも明白である(*)。
それで、あなたが見いだす美とはあなたに快楽をあたえる新しい能力であるし、また快楽はそれぞれによってちがうのである。
(*)私の「美」、つまり私の魂に役立つ性格を約束するものは、官能の魅力をこえたものである。官能の魅力とは特殊な美にすぎない。一八一五年。
各人の頭のなかで作られる結晶は、その人の快楽の「標識の色」を持つはずである。
ある男の恋人への結晶作用、あるいは恋人の「美」は、彼が恋人にたいしてつぎつぎにいだいたあらゆる願望の「すべての充足」の集合にほかならない。
第十二章 続・結晶作用
なぜひとは、愛するものに新しい美を見いだし、そのひとつひとつを恍惚《こうこつ》として享受するのか。
新しいひとつひとつの美があなたの願望に完全な満足をあたえるからである。あなたは彼女が情愛がこまやかであればよいと思う。すると彼女は情愛のこまやかな女性となる。つぎに、彼女がコルネーユのエミリーのように誇り高ければよいと思う。すると、この二つの性質はおよそ両立しそうもないのであるが、彼女はたちまちローマ人の魂を持って現われる。恋愛が情熱のなかでもっともはげしいのはこうした精神的理由によるのである。他の情熱では、願望は冷たい現実に順応しなければならないが、恋愛においては、現実のほうがただちに願望にそって形づくられる。だから、はげしい願望が最大のよろこびをうるのは情熱という現実においてである。
幸福には一般的条件があり、それは個々の欲望の満足をすべて支配する。
一 彼女はあなたの所有物のように思われる。あなただけが彼女を幸福にしてやれるからである。
二 彼女はあなたの価値の判定者である。この条件は、フランソワ一世やアンリ二世の粋《いき》で騎士的な宮廷や、ルイ十五世の優雅な宮廷ではきわめて重要であった。立憲的でもっともらしい政府のもとでは、女性はこのような部門の影響力をすっかり失う。
三 小説的《ロマネスク》な心の持主にとっては、彼女が崇高な魂を持っていればいるだけ、あなたが彼女の腕のなかで見いだす快楽は天上的で、いろいろと世間の評判に上がっている罵倒の言葉からも自由になっていることであろう。
十八歳のフランスの青年の大部分はジャン=ジャック・ルソーの弟子だが、彼らにとってこの幸福の第三の条件は重要である。
幸福を願うあまり、これほどに人を迷わす作用が進行中に、理性は失われる。
恋しはじめた瞬間から、どんなに賢明な男でも、もはや相手を何ひとつ「ありのまま」には見ない。自分の利点を過小評価し、愛するもののちょっとした好意のしるしを過大に評価する。心配と希望とがたちまちなにか「小説的(wayward……気まぐれ)な」様相をおびる。彼はもうなにひとつ偶然のせいにはしない。蓋然《がいぜん》性の感覚を失う。想像された事物も、彼の幸福におよぼす結果から見れば実在の事物なのである(*)。
(*)これには生理的原因、狂気のはじまり、脳の充血、神経と脳中枢における混乱がある。牡鹿の一時期の勇気、「ソプラノ歌手」の思考の様相を見られよ。一九二二年になれば、生理学はこの現象の形而下的部分の記述を行うであろう。エドワーズ氏がこの現象に注意されんことをのぞむ。
理性が失われたというひとつのおそるべき徴候は、あなたが、なにか観察しにくい取るに足らぬ事実を考えながら、それを白と思い、自分の恋に都合のいいように解釈するということである。一瞬ののち、あなたはそれが事実黒であったことに気づくが、やはり自分の恋に都合がいいような結論を下すのである。
極度の不安に苛《さいな》まれる魂が友人の必要を痛感するのはこの時である。しかし恋する男にはもう友人はいない。これは、宮廷によくあったことである。そこから生まれた不謹慎、これだけは思いやりのある女なら、ゆるしてやれるものである。
第十三章 第一歩について、上流社会について、不幸について
恋愛の情熱においてもっとも驚くべきことは第一歩であり、一人の男の頭の中に起こる異常な変化である。
上流社会は、はなやかな宴会によって恋愛の役に立つのであるが、それはこの「第一歩」を容易にするからである。
この第一歩とは、まず単なる感嘆(第一)を、愛情のこもった感嘆(第二)にかえることである。「あのひとに接吻すればどんなに楽しいだろう」等々だ。
おびただしい燭台《しょくだい》にてらされたサロンでのテンポの早いワルツは、若い心に陶酔《とうすい》をなげこむ。陶酔は臆病《おくびょう》を払いのけ、力の意識を増大し、ついには「愛する大胆さ」をあたえる。というのは、非常に愛らしい相手を見るだけでは十分ではないからだ。むしろ反対に、あまりに愛らしさがすぎると、愛情のこまやかな男の勇気をくじく。それで、あなたを愛するとまではいかないとしても、せめて相手がとりすました風を捨てるのを見る必要があるのだ。
向こうからいい寄りでもしないかぎり、女王に恋しようと思う男がいるだろうか?
そこで孤独で退屈しているとき、待ちこがれていためずらしい舞踏会の一つがひらかれることほど恋が生まれるのに都合のよいことはない。これはいくたりかの娘を持つりこうな母親が十分わきまえて処することである。
かつてフランスの宮廷に見られたような真に偉大な上流社交界は、一七八〇年以来もう存在しないと思うが、これは恋愛にあまり都合のよいものではなかった。これは結晶作用のはたらきに不可欠の「孤独」と「閑暇《かんか》」とをほとんど不可能にしたからである。
宮廷生活は多くの「微妙な違い」を見たり、実行させたりする習慣をあたえるが、取るに足りない微妙な違いでさえも、賞賛と情熱のはじまりとなりうるのだ(*)
(*)サン=シモンと『ウェルテル』を見よ。孤独なものは、いかに感情がこまやかで繊細でも、他のことを考えるもので、想像力の一部では、社会の行くすえを見とおそうとしている。つよい性格の持主は、真に女らしい心をひきつける魅力のひとつであろう。謹厳な青年士官が成功するのはこのためである。女性は、自分の心に起こりうると感じている情熱のはげしさと、そういうつよい性格とのちがいをよくわきまえている。すぐれた女性さえも、どうかすると、こうした種類のはったりにだまされることがある。女性に結晶作用がはじまったと気づけば、すぐになんのおそれもなくこの方法を用いるがよい。
恋愛特有の不幸が、他の不幸(恋人があなたの正当な自尊心、名誉心、人格の尊厳などを傷つけた場合の「虚栄心」の不幸とか、または健康、金銭、政治的迫害などの不幸とか)とかさなると、こうした不時の出来事によって恋心がいっそうつのるような気がするのは、外見だけのことにすぎない。これらの不時の出来事は、想像力を他のことに専念させるので、希望のある恋愛では結晶作用をさまたげ、幸福な恋では小さな疑惑が起こるのをさまたげる。恋の甘さと狂気とは、これらの不幸が消えたときもどってくる。
注意すべきは、移り気な人々や異性に無関心な人々には、この不幸が恋の誕生をたすけるということである。また恋が生まれたあとでも、それまでいろいろ不幸な目にあった人であれば、つぎのような点で、不幸が恋に幸いする。それは、もはや悲しい心象しかあたえない人生の他の情況からはねつけられた想像力が、わき目もふらず結晶作用をおこなうからである。
第十四章
これから述べようとする恋のもたらすある効果には異論があるかもしれない。しかし私が語りかけるのは、長い歳月の間情熱を持って恋をしながら、その恋がうち勝ちがたい障害に妨げられた不幸な人々に対してなのだ。
自然や芸術作品のなかで、この上なく美しいものを見ると、愛する者の思い出が電光の速さでよびおこされる。これは、ザルツブルクの塩坑で木の枝がダイアモンドで飾られる作用にならって、この世の美しく崇高なものがすべて愛する者の美の一部となるからである。こうした思いがけない幸福を見ると、たちまち眼に涙があふれてくる。こうして、美にたいする愛情と、人の恋とは、たがいに命をあたえあう。
人生の不幸のひとつは、愛する者に会い、そのひとと話すという幸福が、明確な思い出をのこさないことである。魂があきらかに感動のため、千々《ちぢ》に乱れているので、その感動をひきおこしたもの、あるいは感動にともなうものに注意をはらうことができない。魂は感覚そのものになる。おそらくこうした楽しみは、気ままな思い出によっては擦《す》りへらされることがないからこそ、非常に生き生きとくりかえされるのである。たとえば愛する女について夢想している状態から、なにかによって私たちが呼びさまされ、それからなんらかの新しい関連によって前以上に鮮かに彼女のことを思いだす場合にそういうことが起こる。
素気ないある老建築家が、毎晩社交界で彼女と出会った。ある日私は、本来あっけらかんとしたところがあるので、以前、彼女に言ったことをつい忘れ)、彼女のまえでその男のことを心をこめて大げさにほめあげた。すると彼女は、私をあざ笑った。私には彼女にこう言うだけの勇気がなかったのだ、「あの男は、毎晩あなたに会っているんですね」と。
こうした感覚は非常に強いので、たえず彼女の傍《かたわら》にいる私の敵である女性にまで及ぶのである。この女に会うと、レオノールのことを思いださずにはいられなくなり、どんなに努力してみても、そのとき私はこの女を憎むことができなくなる。
愛する女が、彼女自身持っている以上の魅力を伝播《でんぱ》するのは、人の心の奇妙なはたらきによるといえよう。彼女にちょっと会えた遠い町のイメージは(*)、彼女がその場にいることよりいっそう深く、いっそう甘美な夢想にふけらせる。これは女につれなくされた結果なのである。
(*)不幸のさなかに/幸福な日々を思いだすことほど/大きな苦しみはない
……ダンテ、フランチェスカ
恋の夢想は書き記せるものではない。私にはわかっているが、よい小説は三年ごとに読みかえしても、おなじたのしさが感じられる。よい小説は、そのとき私のこころを支配している恋のやさしさにふさわしい感情を私に与えてくれるが、もしも無感動の状態に私がいるとすれば、考えに変化を与えてくれる。私はまた、おなじ音楽を何度でもたのしくきくことができる。しかし思い出が割りこもうと努めたら台無しになる。影響をうけるのは、想像力だけにとどめるべきだ。二十回目のオペラの上演に、前以上のたのしさを感じたとすれば、それは、音楽をよく理解するようになったためか、それとも、初日のときの感銘を思いだしているかである。
人間の心の認識に関して、小説が示唆《しさ》する新しい見方についていえば、私はむかし得た見解を十分に思いだす。それが欄外に記されているのを読むことも好きだ。しかしこの種の快楽は、私の人間についての認識を深めるものとしての小説にあてはまるが、小説の真のたのしみである夢想にはなんの関係もない。この夢想は書き記されえない。書き記すことは、さしあたって夢想を殺す結果を生む。なぜなら快楽の哲学的分析におちいるのが関の山だからだ。あとになればより確実に夢想を殺すことになる。記憶にうったえることほど想像力を麻痺《まひ》させるものはないからである。たとえば、三年前フィレンツェでスコットの『昔の人々』を読んだときの感想を記したノートを欄外に見つけたとする。たちまち私は、私の生活の歴史、昔と今との幸福の比較、つまりは最高の哲学に沈みこんでしまう。そうなれば、甘くせつない夢想にふけることとは永遠に訣別《けつべつ》せざるをえない。
活溌《かっぱつ》な想像力の所有者たる大詩人は、いずれもみな臆病である。それは自分の甘美な夢想が他の人たちによって中断され、かきみだされはしないかとおそれるからである。「注意力」がそらされることを心配するのだ。低級な利害観を持つ人々は、彼をアルミダの園から引き出し、悪臭紛々《あくしゅうふんぷん》たるぬかるみに押しやる。かくて彼らは、詩人をいらだたせることで漸《ようや》く自分たちの方へ注意を向けさせることができるのだ。感動的な夢想で魂をやしなう習慣と、俗物にたいする嫌悪とによって、大芸術家は恋愛のきわめて近くにいる。
大芸術家であればあるほど、防壁として肩書きや勲章をもっとほしがるはずである。
第十五章
もっともはげしく、もっとも苦しい情念にとらわれている最中に、ふと、もう自分は恋していないと思う瞬間がある。それは海のまっただなかにわきでた淡水の泉のようなものである。恋人のことを思っても、もうたいしてたのしいとは思わない。そしてどれほど恋人のつれなさに苦しめられていても、人生になんの興味も持てなくなってしまったことのほうが、はるかに不幸だと思う。いままでは、たしかに落ち着きのない生き方ではあったが、それでも自然のすべてを新しい情熱的な興味ある姿で見せてはいた。それがいまやこの上なく険気で意気|阻喪《そそう》した虚無にとってかわったのである。
これは、恋人を訪《たず》ねたばかりのあなたの置かれている状態が、あなたにどんな感覚をあたえるかを、すでに想像力によって味わいつくしてしまったからである。たとえば、素気《そっけ》ないそぶりを見せていた女が態度をやわらげ、まさに以前とおなじ程度の希望を、しかも以前とおなじ外的な愛情の表示によって、あなたに抱《いだ》かせてくれる場合がある。こうしたことのすべては、そうとは知らずにしていることであろう。だが想像力が、行く手に昔の記憶とその悲しい忠告とを見いだすので、すぐに結晶作用はやんでしまう(*)。
(*)まずこの言葉をやめるようにと私はすすめられている。それとも文学的才能がないのでやめられないならば、私の言う「結晶作用」とは、想像力の熱病の一種で、多くの場合ごくありふれた対象を見わけにくくし、まったく別の存在をつくりだすものだということを、思いださせるべきだといわれる。幸福に達するのに、虚栄心よりほかは知らない女たちにこの熱病を起こさせようと思う男は、ネクタイをきちんとしめ、細部にまで気をくばって、一部のすきのない身だしなみをするようたえず気をつけねばならない。社交界の女性は、原因を否定したり、あるいは無視したりしながらも、結果を承認するものである。
第十六章
ペルピニャンにちかい名も知らぬ小港にて
……一八二二年二月二十五日
今夜私は、完璧《かんぺき》な音楽を聴くことが、愛する者に会ってよろこぶのとおなじ心境になるのを経験した。つまり完璧な音楽は、あきらかにこの地上のもっとも生き生きとした幸福をあたえてくれるのである。
万一、だれでもこのように感じるとすれば、この世に音楽ほど人の心を恋愛に誘《いざな》うものはない。
しかし私は、すでに去年ナポリで、完璧な音楽は、完璧なパントマイム(*)と同じように、そのときの夢想の対象となっているものを想起させ、さまざまなすばらしい事柄を思いつかせることに気づいた。ナポリでの思いつきとは、ギリシア人を武装させる方法だった。
(*)ラ・パレリーニとモリナーリが演じたヴィガーノのバレエ『オセロ』と『ヴェスタール』
さて、私は今夜「L夫人のあまりにも大なる賛美者である」という不幸を認めないわけにはいかない。
さいわい今夜出くわした完璧な音楽……毎晩オペラへかよいながら、ここ二、三か月きくことがなかったのであるが……も、以前から認めていた効果、つまり心を占めているものを、生き生きと想起させるという効果を生んだにすぎなかったらしい。
……三月四日、一週間後。
私は上に述べた観察をとり消そうとも承認しようとも思わない。たしかに書いたときには、それを自分の心のなかに読みとっていた。いまになって私が疑うとすれば、当時見たものの記憶をおそらく失ったためであろう。
音楽を聴き夢想する習慣は、恋の下準備をするものである。やさしくものがなしい歌曲は、それがあまり劇的でなく、恋の夢想を刺激するだけで、想像力を無理に駆り立て行動に向かわせることがないならば、愛情に充《み》ちてはいるが不幸な魂にとっては甘美なものとなる。たとえば『ビアンカとファリエロ』の四重唱のはじめのクラリネットの長い急速な楽句、四重唱のなかごろのラ・カンポレージの独唱。
愛する女とのなかがうまくいっている恋人は、ロッシーニの『アルミダとリナルド』の有名な二重唱を熱狂的にたのしむ。それは、幸福な恋愛のちょっとした疑惑や和解につづいて起こるよろこびの瞬間をじつに的確にえがいている。二重唱のなかほど、リナルドが逃げようとする場面の器楽部は、情熱の争いを驚くばかりみごとに表現しており、恋する者は心臓に肉体的影響をうけ、じっさいに心臓にさわられたような気になる。私がこの音楽を聴いてどんな感じをうけたかはあえて言わない。北方の人々から見れば、気ちがいと受け取られるかもしれないから。
第十七章 恋に王座を奪われた美
アルベリックが劇場の桟敷席《さじきせき》で自分の恋人より美しい女性に出会う。数学的評価をおゆるし願いたいが、その女性の顔だちは、恋人の二単位にたいして三単位の幸福を約束するものである。(完全な美は、四という数字で表現される幸福の量を与えると私は推測している)。
彼には百単位の幸福を約束している恋人の顔のほうが好ましく思われたとしても驚くにはあたらない。恋人の顔のちょっとした欠点、たとえばあばたの跡のようなものでも、恋する男をうっとりとさせ、そのあばたの跡を別の女性に見つけたりすると、深い夢想におちいらせるのである。もしもそれが恋人の顔にあればどうだろうかなどと。それは彼がそのあばたの跡を見てさまざまな感情を味わったからであり、この感情はたいてい甘美で、どれもがこの上ない興味をあたえるからである。またその感情は、どんな種類のものであろうと、この跡を見ると、それを別の女性の顔に認めたときでさえ、信じられないほどのはげしさで、よみがえってくるからである。
かくのごとく美よりも「醜」を好み、醜を愛するようになるとすれば、それはこの場合、醜が美になるからである。ある男が、ひどくやせた、あばたの跡のある女を熱愛していたが、死が彼女を天に召した。三年後、ローマで、彼は二人の女と親しくなった。ひとりは、すばらしい美人だったが、他はやせてあばたの跡があり、かなり醜いといってよかった。一週間たってみると、彼は醜い女のほうを愛していたのだが、この一週間を用いて、その女の醜さを死んだ女の思い出で消し去ったのである。美しくないこの女のほうも、これはゆるされるべき媚態《びたい》であるが、すこしは気をそそるようなことをして、彼を助けたのである。彼女の媚態は男の心のうごきには有効な方法だった。ある男が一人の女に出会い、その醜さにショックをうける。女にうぬぼれさえなければ、やがてその表情が顔だちの欠点をわすれさせる。いい女だと思い、恋してもいいという気になる。一週間後、彼は希望をいだく。もう一週間たてば希望どころではなくなり、さらに一週間たてば彼はもう無我夢中である。
第十八章
劇場でも人気役者に対して似たことが認められる。観客は役者の真の美醜を気にかけないのだ。ル・カンはひどい醜男《ぶおとこ》だったにもかかわらず、ずいぶん女たちにもてたものだ。ガリックも同じだったがこれにはいろいろなわけがある。まず第一に、観客が役者の顔だちや物腰の真の美をみようとはしないからだ。これまで長い間、その役者によってあたえられたあらゆる快楽に対しての感謝と追憶から、観客は想像力を働かして役者に付与してきた美を見てとるからである。たとえば喜劇役者が舞台に上ると、たちまち観客は役者の顔をみただけで笑いだすのである。
フランス座へはじめて連れていってもらった娘は、第一幕目はルカンにたいしてなんとなく反感をさそわれるかもしれない。だがまもなく彼は娘を泣かせたり、怒りに身を震わせたりする。彼の演じるタンクレードやオロスマーヌなどという役にどうして抵抗できようか。彼女にとって醜さがまだ少しは目につくとしても、観客全体の熱狂とそれが若い心におよぼす「神経的効果(*)」とが、たちまち醜さを隠してしまったのだ。醜さと言ってももはや名のみにすぎず、いまやそれさえも存在しない。なぜならルカンびいきの婦人たちが、「ああいい男だわ」とさけんでいたのだから。
(*)この神経的共感にこそ、当世風の音楽のおどろくべき不可解な効果を、帰したいと思う(一八二一年ドレスデンでロッシーニの音楽)。音楽が流行おくれとなるや、そのために質がおちるというわけでもないのに、娘たちの単純な心にはもはや効果を及ぼさない。以前、彼女たちの気に入ったのは、おそらく若い人たちの情熱をかきたてたためである。
セヴィニェ夫人は、娘にこう書き送っている(手紙二〇二、一六七二年五月六日)「リュリは宮廷音楽の最後の努力をしました。あの美しいミゼレーレの祈りがさらに増えていましたし、死者のための祈りもあったので、聴衆の目は涙でいっぱいになっていました」
セヴィニェ夫人の知性と繊細さとが否定されえないと同様に、上にのべた効果の真実性はもはや疑われる余地がない。彼女を魅了したリュリの音楽は、今日聞けば逃げだしたくなるようなものだろう。当時この音楽は「結晶作用」をうながしたのであるが、今日では結晶作用を不可能にするものだ。
「美」は、性格の現われ、別の言い方をすれば精神的習慣の現われであり、したがって美は、あらゆる情熱が免除されていることを思いだそう。ところでわれわれに必要なのは「情熱」なのだ。美は女に関しては、「確率」しかあたえることができない。しかも冷たい女だという確率である。ところがあばたの跡のある恋人の眼差《まなざ》しは、あらゆる可能な確率を無にする魅惑的な現実なのだ。
第十九章 美の例外について《つづき》
才気もあり情愛も深いが、臆病で疑いぶかい感受性の女性たち、社交界に姿を見せた翌日には、ああ言えたのに、とか、ああほのめかせたのに、とか、いつまでもくよくよと悩みながら思いかえす女性たち、こういう女《ひと》たちは男が美しくないことにもすぐに慣れてしまうのだ。醜い男でも彼女たちに恋心を起こさせることができるのである。
あなたが熱愛しているのに、あなたに非常につれなくする女がどれほど美しいかということなどほとんど問題にならないのも、これとおなじ原理による。美の結晶作用はもうほとんど起こらない。恋わずらいをなおしてやろうとする友人があなたに、あの女はきれいじゃないよ、と言うと、ほとんどそれを認めそうになるものだから、友人のほうは大いにききめがあったと思いこんだりする。
今夜、私の友人の好漢トラブ大尉が、むかしミラボーに会ったときの感じを目に見えるように話してくれた。
この偉人を見て、だれもが不愉快な感じを受けなかった。つまり彼を醜いとは思わなかった。人々は、彼の猛烈な言葉にひきずられてしまい、彼の顔のなかの「美しいところ」にしか注意を払わず、それに注意することにしかよろこびを感じなかった。彼の目鼻だちには、(彫刻の美、あるいは絵画の美のような)「美」がほとんどなかったので、人々は別の「美」(*)、表情の美に属する美しさにしか注意をはらわなかった。
(*)ここに流行《はや》っていることの利益がある。すでによく知られていて、想像力になんの刺激もあたえない顔の欠点は度外視して、人々はつぎの三つの美のいずれか一つにひかれるのである。
一、大衆においては、富という観念に。
二、社交界においては、物質的あるいは精神的な優雅さという観念に。
三、宮廷においては、私はご婦人方に気に入られたい、という観念に。
いや、ほとんど至るところでこの三つの観念の混合にひきつけられる。たとえば、富という観念につながる幸福は、快楽における繊細さと結びつくが、この繊細さは優雅という観念と関連する。そしてこの全体が恋愛に専心する。いずれにしろ想像力は新奇さにひかれる。こうして非常な醜男《ぶおとこ》に、その醜さを考えずに夢中になることもある。(『グラモンの回想録』中の小男のジェルマン)。そして日がたつうちにその醜さが美になる。一七八八年ウィーンで評判の舞踏家ヴィガーノ夫人は妊娠中だったが、まもなく貴夫人方は「ヴィガーノ風」にお腹を少しふくらませるようになった。この理由を裏がえしにすると、流行おくれほどいやらしいものはないということになる。悪趣味とは、変化に生きる流行と永続的な美とを混同することである。この永続的な美は、ある統治形態の成果であると同時に、ある風土を支配するものだ。当世風の建物も十年たてば流行おくれとなろう。二百年たってその流行がわすれられたころには、それほど不快なものでなくなっているだろう。恋人たちはばかばかしくも身だしなみをよくしようとする。愛する者と会っているとき、相手の身だしなみを考えるよりほかに、することがいっぱいある。恋人を見つめはするが、検討はしない、とルソーは言った。この検討がおこなわれるなら、それは趣味恋愛であり、もはや情熱恋愛ではない。美人のはでな物腰を、自分の恋人の中に見いだすのは、あまり愉快なことではない。美しく見えてもどうしようもないのだ。それよりも愛情こまやかで、気だるい感じであってくれたら、と思う。恋愛で装飾が効果があるのは、親の家で厳重に監視されている娘、一目ぼれにしばしばおちいる娘に対してだけである。
Lの言葉、一八二〇年年九月十五日
絵画的見地に立っての醜いものすべてにたいして、注意力は眼をとじるのだったが、それと同時に、それほど醜くもないごく些細《ささい》な点、たとえぱ彼のゆたかな髪の「美しさ」に夢中になるのだった。彼に角が生《は》えていたら、それをも美しいと思ったことだろう(*)。
(*)その光沢、あるいはその大きさ、あるいはその形によってそうなる。このようにして、またはその他いろいろな情緒の結合(前述のあばたの跡の例を参照)によって、恋する女は恋人の欠点に慣れてしまう。事実、ロシアのC皇女は結局鼻がないといえる男に慣れていた。この不幸に絶望して自殺しようとした男の勇気や装填《そうてん》されたピストルのイメージ、深刻な不幸に対する憐憫などが、いまになおるだろう、いやもうなおりかけている、という考えに助けられて、この奇跡を実現させたのである。このあわれな負傷者は、自分の不幸を気にしている風をしない必要がある。
ベルリン、一八〇七年
毎晩きれいな踊り子を見ていると、オペラ座の正面|桟敷《さじき》をいっぱいに埋めつくしている、ものごとに感動しきれなくなり、想像力の枯渇《こかつ》してしまった人々も、いきおい注意力を掻《か》きたてられるのだ。優美で大胆で異様な動作によって、踊り子は肉体的恋愛をよびさまし、彼らにまだ可能かもしれぬ唯一の結晶作用を起こさせるだろう。事情かくのごとしであるから、街で、特に道楽者などからはふりむきもされなかった醜い女でも、たびたび舞台に出ているとたいへん金持の旦那《だんな》に囲われたりする。ジョフロワは、劇場は女の値うちをあげる台座だといった。踊り子は、名が売れて憔悴《しょうすい》しているほど値うちがある。ここから楽屋用語の「もらい手のなかった女は売れ口がつく」ができた。こうした娘たちは、恋人《おとこ》から情熱の一部を盗みとっているのだし、「自尊心が傷つけられて」恋におちいりやすいのである。
顔だちに少しもいやみがなく、舞台で毎晩二時間ずつこの上もない高貴な感情を表現するのが眺《なが》められる女優、その他のことはぜんぜん知られていない女優、いったい彼女の容貌に、おおどかな、それとも愛らしい感情をむすびつけないでいられるものだろうか? やっとのことでこの女の自宅に迎えられたとき、彼女の顔は非常に快い感情を思いださせるので、彼女をとりまく現実の全部が、たとえ時にはあまり上品でない場合であっても、たちまち小説的で感動的な色合いでおおわれてしまう。
「あの退屈なフランス悲劇(*)に夢中になっていた若いころ、オリヴィエ嬢と夜食をともにする幸運を持ったとき、心はたえず尊敬の思いにみち、女王と話しているような気がしていた。彼女のそばにいると、女王に恋してしまったのか、それともただの可愛い娘にほれこんだのか、じっさい少しもはっきりしなかった」
(*)これは差しさわりのある文句だが、今はなきわが友ボットメル男爵の『回想録』の写しである。フェラモルズがララ・ルークに好かれるのもおなじからくりによる。この魅惑的な詩篇を参照のこと。
第二十章
情熱恋愛を感じえない男たちは、美の効果をもっともはげしく感じる人々であるかもしれぬ。すくなくとも、美は、彼らが女からうけるもっとも強い印象である。
遠くに愛する女の白いサテンの帽子を見て動悸《どうき》がうつのを感じた男は、社交界きっての美人がそばへ寄っても自分が冷淡なのにすっかりおどろく。他人が熱をあげるのを見て、心の痛みを覚えたりする。
絶世の美女でも二日目になると、前ほどの驚きを与えることはできない。これは大いなる不幸であり結晶作用をくじくものである。彼女たちのねうちはだれにでもわかり、いわば飾りものにすぎないのだから、彼女たちの恋人のリストには馬鹿者以上の連中が多いにちがいない。それは、王族とか百万長者とかだ(*)。
(*)言うまでもなく著者は王族でも百万長者でもない。ただこの機知を、読者に先まわりして言いたかったにすぎない。
第二十一章 初対面について
想像力のある女は情愛がこまやかでしかも「疑いぶかい」。もっともすなおな女でさえそうである(*)。自分では知らぬうちに疑いぶかくなるのかもしれぬ。それほど人生に多くの失望をなめてきたのだ! だから男に紹介された場合、すべてが予期され、型にはまったものだと、想像力にそっぽをむかれ、結晶作用を起こりにくくしてしまう。その反対に初対面が小説的《ロマネスク》だと、恋は勝利を得る。
その理由はきわめてかんたんである。驚きは、異常な出来事について長いあいだ思案させるものだが、これはすでに結晶作用に必要な頭脳のはたらきの半分に相当する。
(*)『ラマムーアの花嫁』アシュトン嬢。人生経験の豊かな男だと、「恋」の実例をたくさんおぼえているので、選択に迷うほどである。だが、さて書くとなると、どの例に依拠《いきょ》してよいのやらわからなくなる。自分が生きてきた固有の社会での逸話は、一般には知られていないし、必要なニュアンスを持ってそれを語るには、おびただしい紙数がいるであろう。私が小説をひきあいに出すのは、一般によく知られていると思うからであるが、だからといって私が読者に提供する観念を、大部分は真実のためよりも絵画的効果をねらって工夫された、あんなにそらぞらしい虚構《フィクション》にもとづけようとするのではない。
セラフィーヌの恋のはじまり(『ジル・ブラース』第二巻、一四二ページ)を引用しよう。宗教裁判の警吏に追われて逃走中のことをドン・フェルナンドはつぎのように物語る。「……深い闇と、しのつく雨をついて路地をいくつか通りぬけたあと、私はサロンの前にでた。その戸があけ放しになっていた。なかにはいって、その部屋がすばらしくりっぱなのに気づいたとき……、ひと押しすれば開きそうな戸が部屋の一方に見えた。ちょっとあけると、ずっと部屋が並んでいて、その奥のはずれの部屋にだけ灯《ひ》がついているのに気づいた。それで、どうしたものだろうと内心考えた……。私は好奇心をおさえきれなかった。私は進んでゆき、いくつか部屋を通りぬけ、灯のついている部屋に着いたが、それは、大理石のテーブルの上の、金メッキした燭台《しょくだい》で燃えている一本のろうそくだった……。やがて暑さのためにカーテンがなかばあいている寝台に眼をやったが、そこにすっかり注意をうばわれてしまった。寝台には一人の若い女が、先刻の雷鳴もきこえなかったのか、ぐっすりと眠っていたのだ……。私は近づいて行った……。私はすっかり魅せられてしまった……。うっとりと見つめているうちに彼女は眼をさました。
真夜中、見しらぬ男を自分の部屋に見て、女はどんなに驚いたことか、ご想像に任せる。私に気がついた彼女はおののき、さけび声をあげた……。私は彼女を安心させようとし、床に膝《ひざ》をついていた。『奥さま、少しもこわがることはありません』……。彼女は小間使いを呼んだ……。小間使いがくると彼女はすこしは大胆になり、高慢な態度で私が何者であるかをたずねた、云々」
忘れられない初対面の場である。これに反し、若い娘に「未来の夫」をひきあわせる、型にはまったほとんど感傷的と言ってよい紹介の仕方ほど、わが国の現在の風習のなかで、馬鹿げたものはない! こうした合法的|売淫《ばいいん》は羞恥心をきずつけさえするだろう。
「一七九〇年二月十七日、今日の午後(とシャンフォールは書いている。第四巻、一五五ページ)、私はいわゆる内輪の慶事に参列したところである。つまり、紳士の誉《ほま》れたかい尊敬すべき人々が集まって、若くて美しく、才気|煥発《かんぱつ》の貞潔なド・マリーユ嬢が、病身の老人で、胸のむかつくような、恥知らずで、馬鹿だが金持のR氏の妻となるしあわせを得たことを祝福したのだ。しかし、今日彼女が結婚契約書に署名したとき、相手に会ったのはこれでわずか三度目だったのである。
もしこのけがらわしい世紀を特徴づけるものが何かあるとすれば、それはこうしたことが堂々とおこなわれていることであり、こうしたよろこびの滑稽さである。そして将来の見通しに立って言えば、あわれな若妻がだれかに恋するというわずかな過失を犯した場合、このおなじ社会が彼女にたいして思いきり軽蔑の言葉をあびせかける、その偽善的な残酷さもこの世紀を特徴づけるものであろう」
すべて儀式なるものは、その本質上見せかけのものであり、あらかじめとりきめられたものであるから、そこではそれに「ふさわしく」ふるまわねばならず、そのために想像力は麻痺《まひ》し、儀式の目的に反する滑稽なもの、にたいしてしか想像力は働かない。そのため、つまらぬ冗談からも魔術的効果が生じるのである。未来の夫に公式に紹介されているあいだ、臆病と心を痛める羞恥心に打ちひしがれたあわれな娘は、自分の演ずる役割のことしか考えることができない。これもまた想像力をころす確実な方法である。
教会で三つばかりラテン語を言ったあとで、それまで二度しか会ったことのない男と床をともにするのは、二年間熱愛してきた男に己《おの》れの意志に反して身をゆるすことより、はるかに羞恥心に反することである。だが私はどうやら馬鹿げたことを言っているようだ。
わが国の現在の結婚に随伴する悪徳や不幸のつきぬ源は教皇絶対主義である。これは結婚前の娘からは自由をうばい、彼女たちが選択をあやまったあとでは、というより、はたの者があやまらせたあとでは、離婚を禁じている。夫婦仲のよいあの国ドイツを見たまえ。ある美しい公女(サ〔ガン〕公爵夫人)が最近、公然と四度目の結婚をしたが、披露宴《ひろうえん》には三人の前夫を招待するのを忘れなかった。彼女はこの三人とずっと仲よく交際してきたのである。これはすこし極端であるが、夫の専制を罰する離婚だけが、いく千もの夫婦仲の悪い家庭をすくえるのである。おもしろいのは、ローマが、もっとも離婚の多い国のひとつであることだ。
恋は初対面において、男のなかに、尊敬に価すると同時に同情をそそるようなものが存在することをしめす顔だちを好むものである。
第二十二章 熱中について
非常に繊細な神経の人々は、容易に好奇心にとらわれ先入観におちいる。これは、情熱の源である神聖な火が心から消えてしまった人々にはとくによく見かけられるが、もっとも不吉な徴候の一つである。社交界にはじめて顔をだす若い学生にも熱中がある。人生のこの両端においては、感受性が多すぎるか、それとも少なすぎるために、物事の正しい効果を感じ、物事が与えるはずの真の感覚を味わうことにすなおに応じられない。このあまりにも熱烈な、あるいは発作的に熱烈な魂、言わば信用貸しで恋をする魂は、待ちきれずにこちらから相手に身を投げかけていく。
こうした魂は、相手の人間の本性の結果である感覚が自分に達する前に、遠くから、まだ見ないうちに、相手をあの想像上の魅力でつつむのであるが、この魅力の汲《く》めどもつきぬ源は、彼ら自身のなかに見いだされるのだ。それから、ちかづいて相手を見ることになるのだが、彼らが見るのは、あるがままの姿ではなく、彼らがつくりあげた姿なのである。相手を楽しんでいるつもりになっていても、じつは相手の姿の下で自分自身を楽しんでいるのだ。だがある日、すべてを自分の負担にすることに疲れ、熱愛する相手が「ボールを投げ返さない」のに気づく。熱中は消え、自尊心がきっした失敗から、いままであまりに買いかぶっていた相手を、まともには考えられなくなる。
第二十三章 一目ぼれについて
この滑稽な言葉は変えるべきかもしれないが、事実は存在する。ベルリンの「美男たち」の嘆きの種であった美しくけだかいウィルヘルミーナが恋を軽蔑し、その狂気を嘲笑《ちょうしょう》していたのはよく知られていた。若さと、才智と、美貌と、あらゆる種類の幸福にかがやき、莫大《ばくだい》な財産は、彼女のあらゆる才能をのばす機会を彼女に与えるとともに、自然と力をあわせて、幸福をうけるにまことにふさわしい人に完全な幸福が与えられたという、非常にめずらしい例を世に示しているように見えた。彼女は二十三歳だった。すでにかなり前から宮廷に出ていたのだが、高貴の方の好意をていよく拒絶してきた。彼女のつつましい、だが堅固な婦徳は、模範としてあげられ、その後は、どんな美男子も彼女に好かれることをあきらめて、せめてその友情をねがうのみであった。ある夜彼女は、フェルディナンド大公の舞踏会へいき、ある若い大尉と十分間踊った。
「このときから」と彼女はその後ある女友達に手紙を書いた(*)。「あの人は私の心と私自身の支配者でした。ヘルマンに会えることがとても幸福なので、ひょっとしてなにか他のことを考える暇ができでもすれば、私の心は恐怖でいっぱいになったことでしょう。私の頭にあることといえば、彼がすこしでも私に注意をはらってくれるかどうかを見まもることだけでした。
(*)ボットメルの『回想録』の逐語訳。
「こんにち、私が犯した過ちを慰めてくれるものは、どうすることもできない力が、私自身と理性から私を奪いとってくれるのを空頼みすることです。あの人を一目見ただけで、私の全存在の混乱と動揺とがどこまでおよんだか、どんな言葉をもってしても事実に近く言いあらわすことができません。どんなにはやく、どんなにはげしく彼にひきつけられていったかを思うと顔があからみます。やっとあの人が言葉をかけてくれたとき、もしその最初の言葉が『私を愛してくれますか』であったとしても、きっと私は『はい』と答えない力を持てなかったでしょう。ひとつの感情の結果が、こんなに突然の、こんなに思いがけないものになりうるとは考えてもみませんでした。一瞬、毒でも飲まされたのではないかと思ったほどでした。
「不幸にして、あなたや社交界の人たちは、私がヘルマンをほんとうに愛していたのをごぞんじです。そうです、十五分ののちには、私にとってあの人はあまりにいとしい人になってしまったので、その後はそれ以上にいとしくなりようもなかったほどでした。彼の欠点はみんな知っていましたが、私を愛してくれさえすればその欠点はすべてゆるせたのです。
「あの人と踊ってまもなく、王はお帰りになりました。ヘルマンは供奉隊《ぐぶたい》勤務でしたから、王のお供をしなければなりませんでした。すべてのものがあの人といっしょにどこかに消えてしまいました。あの人がいなくなってからの、胸をおしつぶすようなあのわびしさは、とうていお伝えできません。ただひとりきりになりたいというはげしい欲求だけが、そのわびしさに匹敵しました。
「ようやくその場をひきあげることができました。部屋に二重|鍵《かぎ》をかけると、すぐに自分の情熱にさからおうとしました。それに成功したと思いました。ああ、あの晩とそれにつづく日々、自分の貞淑を信じられるよろこびのために、私はどれほどつらい思いをしたことでしょう!」
いま読まれたのは、当時評判となったある事件の正確な記述である。というのはかわいそうに、一、二か月ののちウィルヘルミーナは不幸になり、その胸のうちをみなに気づかれるほどであったからである。これがあの長く続いた不幸のはじまりで、自分で毒を飲んだのか、それとも恋人に飲まされたのか、いずれにしても、あの若さで、あのような非業《ひごう》の死をとげることになったのである。この若い大尉についてわれわれが知ることのできたのは、非常に踊りがうまいということであり、たいへん陽気で、それ以上に自信満々で、たいへんお人よしの風があり、娼婦《しょうふ》たちと同棲していたことだった。要するに貴族のはしくれにすぎず、非常に貧乏で宮廷に出入してはいなかった。
一目ぼれが成立するためには不信感があってはならないが、そればかりでなく、疑惑にうみ疲れていることが必要なのである。いわば人生の偶然を決然として待ちこがれていることが必要である。魂《おんな》は、しらずしらずのうちに恋なくて生きることに退屈し、われにもなく、他の女の例をもっともだと思うようになる。人生のあらゆる不安にうちかったあと、自尊心のもたらすみじめな幸福にあきたらなくなり、いつのまにか理想的なモデル(おとこの姿)をつくりあげるのである。ある日、このモデルに似た男に出あうと、結晶作用は、その男がひき起こすこころの動揺のうちにその対象を認める、そしてながらく夢みていたものを、自分の運命の支配者に永遠に捧げてしまう。
こうした不幸におちいりやすい女の魂は、あまりに気高いので、情熱によるほかは恋することができない。趣味恋愛にまで己《おの》れを下げることができたならば、不幸にならずにすませただろう。
一目ぼれは、教理問答が美徳と呼ぶものにたいするひそかな倦怠《けんたい》と、完徳の単調さがあたえる退屈とから生まれるのであるから、私はそれが多くの場合、社交界の、いわゆる身もちの悪い男の身におこるのであろうと思う。カトー風の男が一目ぼれをひき起こしたことはまずなかろう。
一目ぼれがまれなのは、心がこんなぐあいに前もって恋していても、すこしでも自分の立場に思いを馳《は》せると、一目ぼれはもう起こらないからである。
不幸によって疑いぶかくなった女は、魂のこのような革命を経験できない。
一目ぼれの対象となるはずの男に、他の女が以前よりよせている賞賛ほど一目ぼれを容易にするものはない。
恋愛事件のもっとも喜劇的なはじまりのひとつ、それはにせの一目ぼれである。退屈はしているが感受性のない女が、生涯かけて恋してしまったと一晩中思いこむ。これまでいく度も空想してきたあの偉大な魂のうごきをついに経験したので彼女は得意である。翌日になると、穴があればはいりたい気持ちになる。とくに昨夜愛していた気の毒な相手をどうして避けたらよいかわからない。
才智ある人びとは、こういうにせの一目ぼれを見ぬくことができる、つまり利用できるのだ。
肉体恋愛にも一目ぼれがある。昨日われわれはベルリン一の浮気な美人といっしょに馬車にのっていたが、彼女が急に顔を赧《あか》らめるのを見た。美男のフィンドルフ中尉が通ったのだ。彼女は深い物思いに沈んでしまい、おどおどしていた。その夜劇場で彼女が打ち明けてくれたところによると、気も狂わんばかりの熱情にかられて、これまで話しかけたこともないフィンドルフのことで頭がいっぱいなのだそうだ。勇気があればあの人を呼びにやりたいところだと、彼女は言っていた。その美しい顔はもっともはげしい情熱に燃えていた。それは翌日もつづいていたが、三日後にフィンドルフが間抜けたことをしでかしたので、彼女はもう彼のことを考えなくなった。一か月後には見るのもいやな存在になっていた。
第二十四章 見知らぬ国の旅
北方に生まれた多くの人々には、この章をとばすようにすすめたい。これはオレンジの樹に関する若干《じゃっかん》の現象についてのわかりにくい論考であるが、この樹はイタリアとスペイン以外のところでは育たず、育ってもその丈《たけ》いっぱいにはのびないのである。ほかの国で理解されるには、私は事実をもっと「すくなく」すべきだったろう。
一般受けのする本を書こうという気に、ただの一瞬でもなったことがあれば、私はきっとそうしたはずである。しかし生まれつき私には文学的才能がなかったので、科学の持つ愛想《あいそ》の無さと、またその正確さとを完全に駆使して、ながらくオレンジの樹の国に滞在していたあいだに、たまたま目撃したいくつかの事実を描くことだけを考えた。一面に生《お》い繁ったオレンジを見る機会のなかったフレデリック大王、その他北方の卓越した人士は、きっと以下に述べる事実を否定されるであろう。それも率直に否定されるであろう。私は率直さというものをかぎりなく尊重しているし、その理由もわかっている。
こうしたきまじめな宣言は、傲慢《ごうまん》ととられるかもしれないから、つぎのような考察をつけくわえておく。
われわれは、めいめい勝手に自分の真実と思っていることを書き、隣人の思うところを否定する。われわれの書く本の数だけ富くじの札があるようなものだ。じっさい、本の値うちなんてそれくらいのものだ。後世は、そのあるものを忘れ、あるものを再版することで当たりくじを発表する。それまではわれわれはそれぞれ最善をつくして真実と思うところを書くだけだから、隣人を嘲《あざ》笑う理由など別にないわけである。ただし、諷刺《ふうし》がおもしろくさえあれば馬鹿にしてもかまわない。とくにグーリエ氏がデル・フリアのことを書いたように書くのなら、どんなときでもよろしい。
以上の事柄を前提として、勇気をふるってパリではめったにお目にかからない(と私は確信している)事実の検討にはいろうと思う。パリは、確かにほかのあらゆる都市より、すぐれた都市ではあるが、ソレントのように一面にオレンジが生えてはいない。リジオ・ヴィスコンチがつぎのような事実を観察し記録したのは、タッソの祖国ソレントである。そこはナポリ湾に面し、ナポリそのものよりはるかに風光明媚《ふうこうめいび》な海ぞいの山腹に位置しており、「ミロワール紙」など読む人はいない。
夕方愛する女に会うことになっていると、非常に大きな幸福への期待に、それまでの一刻一刻が耐えがたいものとなる。
熱にうかされたようにあれこれと仕事に手をつけてはほうりだす。たえず時計を見、見なかったあいだに十分もたっていようものなら大よろこびだ。待ちに待った時間がとうとうやってくる。ところが、いざ女の家の玄関に着き、ノックしようという時になると、留守だとかえってほっとする。留守を残念に思うのは反省した結果のことである。要するに、待つあいだのつらさが、不愉快な効果を産むのである。
善人たちが恋は不条理だというのは、こうしたことがあるからである。
これは想像力が、甘美な夢想から無理やりひきはなされ、きびしい現実に連れもどされるからである。その甘美な夢想では、一歩一歩の歩みが幸福感を産みだしていたのだ。
愛情のこまやかな人にはよくわかることだが、女に会うやいなや始まる闘争において、すこしでもうっかりし、注意力や勇気を欠くと、たちまち敗北をきっしてしまう。この敗北は、それ以後ながく想像力の夢想を毒し、情熱のなかにのがれようとしても情熱とは無縁の者となり、自尊心は屈辱を受ける。「ぼくは気がきかなかった、勇気がなかった」と独語する。しかし、恋する相手にたいして勇気を持つことができるのは、恋心がすこし冷えてからのことである。
結晶作用の夢想から非常に苦労して剥《は》ぎとった注意力をいくら寄せ集めてみても、愛する女にはじめて口がきけるようになると、無意味なことや、感じていることとは反対の意味のことをつぎからつぎへとしゃべってしまう。あるいは、さらに痛ましいことには、自分自身の感情を誇張するので、それが自分の眼にも滑稽に見えてくるのだ。自分の言っていることに十分注意していないことが漠然《ばくぜん》とながらわかるので、意識せず機械的に、美辞麗句《びじれいく》を練りに練り、誇張を加える。それでいて、沈黙は気まずいものだから、だまりこむこともできない。だまっているあいだに、相手の女のことを考えなくなるかもしれないのだ。そこで、感じてもいないことを、さも感じた風をよそおってしゃべるのだが、もういちど言ってみて、と言われたなら、さだめしこまったことだろう。彼女に会うのをよせば、いっそう彼女が身近にいるのが感じられるのに、とまで思いこむ。恋を知りそめたころ、こうした奇妙な気持ちを自分のうちに感じ、自分は恋してはいないと思ったものである。
臆病ということが私にはよくわかる。そしてまた、どうして新兵が恐怖からのがれようと、めくらめっぽうに砲火のまっただなかへ飛びこんでいくかがわかる。この二年来、沈黙しないために、馬鹿なことばかりしゃべったが、そのことを考えると絶望的になる。こうしたことがわかれば、女性の眼には、情熱恋愛と色事との区別、愛情のこまやかな男と散文的な男との区別がはっきりつくはずなのだ。
この決定的な瞬間には、一方が失うだけ他方は得をしている。散文的な男は、日頃《ひごろ》欠けている分量の熱情を獲得するが、愛情こまやかなあわれな魂の持主のほうは、恋するあまり気も狂わんばかりになり、その上その狂気をかくそうとする。のぼせ上がった気持ちをおさえるのにすっかり気をとられて、自分を有利にするのに必要な冷静さからはほど遠く、散文的な魂の持主ならきっとうまくやったにちがいない訪問から心をかきみだされて帰ってくる。自分の情熱にあまり密接に関わりのある問題となると、愛情こまやかで自尊心の高い魂の持主は、愛する者の前で雄弁になることができない。しくじるおそれがつよすぎるからである。これに反し、低俗な魂の持主は、成功の機会を正確に計算し、失敗の苦痛を前もってあれこれと思いなやんだりはしない。彼は自分の俗物根性を誇りとし、愛情こまやかな魂の持主が才智にはこと欠かぬくせに、かんたんなことも気軽には言えず、もっとも確実な成功さえもとりにがしてしまうのを嘲笑《ちょうしょう》する。愛情こまやかな魂は、力ずくでうばうことなどとてもできないのだから、愛する者の「慈悲」による以外、なにひとつ得られないものとあきらめねばならない。愛する女が真に感受性の鋭い人であれば、彼女に恋を語るためあえて自分の感情を抑えたことを、つねに後悔することになるだろう。自分を抑えた男の態度は、恥ずかしげな様子にも、冷やかな様子にも見えるし、情熱を、他の明確なしるしで現わしえない以上、嘘《うそ》つきにも見えるであろう。生のあらゆる瞬間にかくも生き生きと、かくも細々《こまごま》と感じていることを表現するなどというのは、そもそも小説など読んだばかりに、自分で自分に課すことになった苦役なのである。なぜなら、自然のままに振舞いさえすれば、決してこんなつらいことをやろうとはしないからである。十五分前に感じたことを話したがったり、それを一般的で興味のある話に変えようとつとめたりしないで、その時々に感じたことをそのまま表現しさえすればよい。だがそれができない。極端に自分を仰えるから、かえって成功がおぼつかない。言うことに実感がこもっていず、記憶も思うにまかせないので、そのときは適当なことを言ったつもりでも、実は、まことに情けない滑稽なことを言っているのである。
一時間も苦しんだあげく、たいへんつらい努力をして、やっとこの想像力の魔法の園からぬけ出し、愛する女の前にいることを率直に楽しもうとすると、もう帰らねばならない時間がきていることがよくあるのだ。
こうしたことはすべて突飛《とっぴ》な行為に見えるかもしれない。しかし私はもっとひどい例をみた。それは私の友人のひとりなのだが、偶像のようにあがめていたある女から、私にはうちあけてくれないのでよくわからないのだが、なにかぶしつけなことをしたと言われて、月に二度しか来てはいけないととつぜん言いわたされたのである。これほど貴重で待ちこがれた訪問の時には、狂気の発作に襲われ、サルヴィアッチはそれを外にださないために、あらんかぎりの精神力を集中させねばならなかった。
訪問のはじめから帰りのことが気になってすこしも楽しみをあじわえない。自分の言っていることに聞き惚れもせずにしゃべりまくる。考えていることとは反対のことを言うようなこともよくある。なにか理屈っぽいことを言いだしたりするのだが、ふとわれにかえって自分の言っていることに耳をかたむけると、その滑稽さに気づいて話をうちきらずにはいられなくなる。そのために非常な努力をしているので、うわべは冷やかに見える。恋は、そのはげしさのためにかくれてしまう。
女とはなれていると、想像力はとても楽しい会話で心地よく揺すられ、この上なくやさしく感動的な興奮にひたされる。こうして十日か十二日のあいだは女に話しかける勇気があると思い込んでいる。だが、幸福なるべき日の前々日に、熱狂がはじまり、おそろしい瞬間が近づくにつれて激しさの度を増す。
彼女のサロンにはいっていくときには、とんでもない馬鹿なことを言ったり、しないために、沈黙をまもり、せめてあとで彼女の顔だけでも思いだせるように、じっと見つめるだけにしておこうという決心にしがみつくのが落ちだ。だが、彼女の前へでるとすぐに、酒に酔ったときのようなものが眼のなかに、突如現われる。偏執狂《へんしゅうきょう》のように変なことをしでかしそうな気がする。魂が二つあるような感じで、一方は行為しようとし、他方はその行為を非難する。馬鹿なことをしまいとして無理やり注意力を集中すると、一瞬血がしずまり、やがてこの訪問がおわることも、また二週間は彼女に会えないという不幸も、視野から消えていくのを漠然と感じる。
くだらぬ話をする退屈な男が居あわせたりすると、このあわれな恋人は、わけのわからぬ気持ちになって、これほど貴重な時間を空費したがっているみたいに、その男の話に注意力のすべてを集中する。あんなに甘美に思いえがいていた時間は火箭《ひや》のようにすぎさっていくが、しかも、そのあいだに彼は、自分が愛する女といかに無縁な人間になっているかを見せつけるあらゆる細かい状況を、言いようのない苦痛をもって感じるのである。訪問してくるどうでもいい人々のなかで、自分だけが、会わずにすごした日々の彼女の生活の詳細を知らないのだとわかる。ついに彼はひきあげる。そして、冷やかに彼女にいとまごいをしながら、これから二週間会えないのだというおそろしい感情をあじわう。もちろん、愛する女にもう二度と会わないほうが、苦しみがすくないことはわかりきっている。これはポリカストロ公爵の場合と似ているが、それよりもはるかに悲惨である。公爵は、嫉妬《しっと》ぶかい夫に熱愛されている恋人と十五分間会うため、六か月ごとにレッチェまで四百キロの道をかよったのである。
意志が恋愛になんら影響をおよぼさないということがこれではっきりわかる。恋人にたいし、自分自身にたいし腹をたて、無関心のなかにいかに夢中になってとびこんでいこうとすることか。こうした訪問の唯一の利得は、結晶作用の宝をまた新たにすると言うことだけである。
サルヴィアッチにとって、生活は二週間の周期にわけられていて、それぞれの周期は、……夫人に会うことを許された夜会の色をおびていた。たとえば五月二十一日には幸福に酔っていたが、六月二日には頭へ一発ぶちこみたい誘惑に負けるのがこわくて家へもどらないというありさまであった。
その夜私は、小説家たちが、いかに自殺の瞬間をえがくのがまずいかに気がついた。「喉《のど》がかわいた」とサルヴィアッチはなにげないふうで言った、「このコップの水が飲みたい」。私は彼の決心にさからわずに、さようならを言った。彼は泣きだした。
恋する男たちの言葉には混乱がつきものだから、会話のなかのある細部だけからあまり性急な結論をひきだすのは賢明ではなかろう。彼らがまさに感情をあらわすのは、思いもよらぬ言葉によるのである。それは心の叫びなのだ。いずれにせよなにか結論が得られるとすれば、それは、言われた事柄の全体のありようからである。つぎのことは覚えておくべきだ。つまり、非常に感動している者は、多くの場合、自分の感動をひき起こした相手の感動を見ぬくひまを持たないということだ。
第二十五章 紹介
女が、ある種のこまかい事柄を把握する際に示す繊細さと、判断の確かさには感心するほかはない。ところが一瞬後には、馬鹿者を天までもちあげたり、つまらぬことに感動して涙を流したり、下らぬ気取りを性格の特色として重視したりする。こんな愚劣なことにどうしてなるのか合点《がてん》がいかない。そこには私の知らない一般的法則があるはずだ
女は、男の「ひとつ」の美点だけに注意を奪われ、つまり「ひとつ」の細部にだけ惹《ひ》かれてしまい、それを激しく感じるばかりで、他のところはもはや眼にはいらない。神経液はこの美点を楽しむために使い尽くされ、他をかえりみるためにはもう残っていない。
私はきわめて卓越した連中が才智に富んだ女性に紹介されるのを見てきたが、初対面の印象を決定するのは、いつもわずかばかりの先入観であった。
これは内輪の話になるがお許しねがって、愛すべきL・B〔ラ・ベドワイエール〕大佐が、ケーニヒスベルク第一流の婦人シュトルーフェ夫人に紹介されることになった際のことを話したい。われわれは Fard colpo「あの男お気に召すかな?」と話しあったものだ。賭《かけ》をした。私はシュトルーフェ夫人に近づき、大佐は二日つづけて同じネクタイをしめる、二日目は汚れを隠すために裏返しにしめる、ネクタイに縦にしわがついているのに気がつくでしょうと話した。これ以上見えすいた嘘《うそ》はない。
私が話し終わったところへ、この魅力ある人物の来訪が告げられる。パリ第一の馬鹿者でももっとよい印象をあたえたことだろう。ところで注目すべきは、シュトルーフェ夫人が彼を愛するようになったのである。彼女はまじめな女で、二人のあいだに浮気沙汰など起こりえようはずがなかったのだ。
この二人ほどしっくりあった性格の持主はほかになかった。シュトルーフェ夫人は小説的《ロマネスク》だと言って非難されたが、ラ・ベ〔ドワイエール〕の心を動かしえたのは、他ならぬこの小説的にまで高められた美徳だったのだ。彼女が原因で彼は若い盛りに銃殺される羽目になった。
女には、愛情のニュアンス、人間の心のもっとも感知しがたい変化、自尊心のもっともかすかな動きまでをみごとに感じとる能力が与えられているのだった。
この点女は、われわれ男にはない器官を持っている。女が負傷者を看護するところを見られるがよい。
しかしまた女はおそらく、精神の複合体である才智《エスプリ》とはなんであるかを知らないようだ。私はもっともすぐれた女たちが、ある才智ある男(それは私ではなかったが)に感服するのを見たことがあるが、それと同時に、しかもほとんど同じ言葉で、彼女たちは大馬鹿者をほめそやしていた。私は、素人《しろうと》が最上級のダイアモンドを人造とみなしたり、大きくさえあれば人造のほうをえらんだりするのを見ている鑑定人のように、まんまといっぱい喰わされた感じであった。
そこで私は、女に対してはなんでも思い切ってやってみるべきだという結論に達した。ラサール将軍が失敗したところでも、髭面《ひげづら》で誓言ばかりたてている大尉が成功した。男の価値には、たしかに女には目につかぬ一面があるにちがいない。
私としては、この問題を考えるとき、いつもそれを肉体的法則に帰することにしている。神経液は、男では脳で消費されるが、女では心臓で消費される。女のほうが男より敏感なのはこのためである。男は、生涯にわたる職業上のやむを得ぬ大事業によってなぐさめられるが、女には気晴らし以外になぐさめがない。
アッピアーニは、美徳というものを最後の土壇場になってみなくては信用しない男であるが、今夜彼と議論したときこの章の思想を披瀝《ひれき》したところ、こう答えた。
「エポニーナの魂の力は、英雄的な献身で夫を地下の洞窟にかくまって養い、彼が絶望におちいらぬように努めることについやされた。二人がローマで平穏無事に暮らしていたのだったら、彼女はこれだけの精神力を夫の眼から恋人《おとこ》を匿《かくま》うのに使ったことだろう。強い魂には糧《かて》が必要なのさ」
第二十六章 羞恥心について
マダガスカルの女は、われわれがいちばんかくすところを平気で見せている。その代わり、腕を見せるくらいなら恥じらいのために死をえらぶであろう。羞恥心の四分の三は後天的なものであることは明白である。羞恥心とは、おそらく幸福だけをうみだす唯一の法則、文明の娘である。
観察されたところによると、猛禽《もうきん》は水を飲むとき身をかくすが、これは頭を水に突っこまねばならないので、その瞬間無防備になるからである。オタイチでおこなわれること(*)を考えあわせると、羞恥心にはこれ以外になにか自然の根拠があろうとは思えない。
(*)ブーゲンビル、クックなどの旅行記を参照のこと。若干の動物においては、雌は身をまかせる瞬間こばむように見える。比較解剖学にこそ、われわれ自身に関する最も重要な啓示を求めねばならない。
恋愛は文明の奇跡である。野蛮民族や未開民族においては、肉体的恋愛、それももっとも野卑なものしか見いだすことができない。
それから、羞恥心は恋愛に想像力の助けを貸し与える。羞恥心は恋愛に生命を与えるのだ。
羞恥心はごく幼いころから母親によって娘に教えこまれる。それは自分のものを奪われまいとする極端なほどの心づかいからなので、まるで肉体を持った精神の行為と言えよう。それは女が、未来の恋人の幸福をまえもって用意するからである。
内気で愛情のこまやかな女にとって、なにか顔を赧《あか》らめねばならないようなことを男のまえでしてかしてしまうほど、つらいことはないはずだ。すこし気位の高い女ならば、千度もの死をえらぶだろうと私は確信している。ちょっとつつしみを欠いた思い切ったことをして、それを好きな男から愛情のこまやかさと受けとられると、一瞬はげしいよろこびを感じる(*)。
(*)新しいやり方でその恋を示すこと。
しかし、もし男がそれを非難するようなふりをしたり、それを夢中になって喜んでくれなかったりすると、それだけで女の心に、おそろしい疑惑が残るにちがいない。だから、低俗でない女は、ごく控え目な態度をとるほうが得なのである。賭《かけ》は平等ではないのだ。すなわち、わずかばかりのよろこびや、少しでも愛らしく見えるという利益を得るか、それでなければ、刺すような悔恨と、恋人も前ほどいとしく思えなくなるほどの羞恥心がやってくる危険を招く。陽気に、酔ったように、なにも考えずにすごした一晩は、あとで非常に高くつくことになる。あの人のまえで、こういうしくじりをしてしまったのではないかと思うと、数日は恋人と顔を合わせるのもいやになる。最も軽い違反行為でさえもが、最も堪えがたい恥辱《ちじょく》によって罰せられるという習慣の力に、いまさら驚くにも当たるまいが。
羞恥心の効用とは、それが恋愛の母であるということだ。これについては、もはや反論の余地はないであろう。感情のメカニズムとしてこれほど単純なものはない。魂は欲望を打ちすてて、恥ずかしがることにばかり一所懸命になる。欲望は禁止される。ところが欲望こそ人を行動へとみちびくものなのだ。
明らかに、愛情こまやかに気位の高い女はだれでも……この二つの性質は因果関係にあるから、一方が他をともなわないことはめったにないが……、拒まれた男たちが猫かぶりとか淑女ぶるとか呼ぶあの冷たさの習慣を身につけているにちがいない。
こうした非難は、羞恥心においては中庸をまもるということが非常に困難であるだけに、いっそうもっともらしくひびく。才智はあまりもちあわせないが気位だけ高い女は、羞恥心に関してはどんなにこれを誇張しても誇張しすぎることはないと、すぐにも思いこむにちがいない。イギリスの女が自分の前で、ある種の衣服の名を口にされると、侮辱されたと思うのもこのためである。イギリスの女は別荘地の夜会で、夫と連れ立ってサロンから出ていくのを人に見られぬよう、非常に気をつけるそうだ。もっと重大なのは、だれにせよ夫以外の男の前で多少なりともはしゃぐことは羞恥心に背《そむ》くと思っていることである。イギリス人は才智があるのに、家庭の幸福にあんなに退屈したように見えるのも、おそらくあれほどこまかく気をつかうからであろう。罪は彼らイギリス人にある。どうして彼らはあんなにも自尊心が強いのであろうか?
これとは逆に、イギリスのプリマウスから、カディスやセビリアへふいに移ると、スペインでは気候と情熱の燃焼が、必要なつつしみを少しばかり度を越えて忘れさせているのに気がついた。じつに濃厚な愛撫《あいぶ》が公然と人前もはばからずおこなわれているのを見て、感動するどころか、まったく反対の気持ちになった。これほど見苦しいことはない。
羞恥心という口実のもとに、女にふきこまれる習慣の力は、「はかりしれぬ」ものだと覚悟しておかなければならない。低俗な女も、羞恥心をやたらに誇張することによって、すばらしい女と同等になれると思いこむ。
羞恥心の偉力たるやたいへんなもので、愛情こまやかな女が恋人にたいして、言葉よりも行為で自分の意中を洩《も》らすにいたるほどである。
ボローニャきっての、美人で金持で浮気な女からきいたばかりの話であるが、昨夜、当地に滞在しているあるきざなフランス人が……おかげでフランス人とはこんな奴《やつ》かと思われてしまうのであるが……彼女の寝台の下にもぐろうと思いついた。彼は、この一か月というもの無数の滑稽な恋の告白をして彼女につきまとっていたが、どうやらそれをむだにしたくはないと思ったらしい。しかしこの大将、気転がきかなかった。M……夫人が小間使いをさがらせて床につくまでは待ったが、みんなが寝静まるまで辛抱《しんぼう》しきれなかった。彼女はとびおきて呼鈴をならし、五、六人の従僕の嘲罵《ちょうば》と殴打《おうだ》で彼にさんざん赤恥をかかせて追いだしてしまった。「もしその男がもう二時間待っていたらどういうことになったでしょうね?」と私は彼女にきいたものだ。「ずいぶん困ってしまったろうと思いますわ。だって、あの人[あなたのお言いつけで私がここへきたのだと、だれだって思いこみますよ]なんて言いかねませんもの(*)」
(*)この部分は省いたほうがよいと勧告を受けている。「あなたはわたしを、ずいぶんふしだらな女だと感ちがいしていらっしゃるのね、そんな話をわたしの前でなさるなんて……」
この美人の家を出しなに、私はまた他の女の家に行ったが、彼女は私の知るかぎり最も愛されるねうちのある女で、その極度の繊細さは人の心を打つその美貌にもまさるものかもしれなかった。彼女がひとりだったので私はM……夫人の話をし、これについて議論をした。彼女は言った。「でもね、そんなことをなさった男の方が、その女の方の眼に前々から好ましくうつっていらしたのでしたら、女の方は許しておあげになるでしょうし、そのあげく、その方を愛するようになるかもしれませんわね」……人間心理の深みに投げかけられたこの思いがけない光に、茫然《ぼうぜん》となったことを白状する。しばらく沈黙したあとで私は応酬《おうしゅう》した。……「しかし男が相手を愛していたら、ひどく乱暴な行為に出る度胸があるものでしょうか?」
もし女がこの一章を書いたとすれば、これよりははるかにあいまいさの少ないものとなったであろう。女の自尊心からくる気位の高さとか、羞恥心の、しかも過度の羞恥心の習慣とか、ある種の「繊細さ」(大部分は、男の持たない「感覚の連合(*)」にもっぱら依存している)とか、しばしば自然に根拠を持たない「繊細さ」とか、こういったことはすべて、ここでは、伝聞にもとづいて書きうる程度にしか書けていないだろうと思う。
(*)羞恥心は、身だしなみの趣味の源泉のひとつである。このように身なりをととのえることによって、女は多少とも期待をいだくものである。老年において化粧が所を得ないのはこのためである。地方の女がパリで流行を追おうと思えば、間がぬけて、もの笑いの種になるのが落ちだ。地方の女はパリに着いたら、はじめは三十女のつもりでよそおうべきである。
ある女が、哲学的な率直さにかられたとき、およそつぎのような意味のことを言ったものだ。
「いつか私がだれかに私の自由を捧げるときがくるとしても、私が将来えらぶ男の人は、私がこれまでごくささいなことの好悪にもどんなに厳格だったかをお知りになって、私の気持ちをいっそう尊重してくださるだろうと思うの」こんなに愛すべき女が、現在話しあっている相手の男に冷淡になるのは、おそらく永遠にめぐり会うこともないような恋人《おとこ》のためなのである。これが羞恥心の第一の誇張で、これは敬意をはらうべきものである。第二の誇張は、女の自尊心から生じる。第三の誇張の原因は、夫の自尊心である。
このような恋の可能性は、最も貞淑な女性の夢想にさえもしばしば現われるように思われるが、この夢想はちゃんと理屈に合っている。恋するためにつくられた魂を天からさずかっていながら、恋をしないということは自分からも他人からも大きな幸福を奪い去ることである。これは罪を犯すのをおそれるあまり花を開かないオレンジの樹に似ている。その上、恋するためにつくられた魂は、他のいかなる幸福をも無我夢中に味わうことができないことに注意されたい。こういう魂は、いわゆる社交界の悦楽も二度目ともなると、それに耐えがたい空虚感をおぼえるものだ。しばしば美術や自然の崇高な景観を愛していると思いこむのだが、美術も自然の景観も、ともにただ恋を約束し、それが可能ならばの話だが、恋の姿を誇張しているにすぎない。やがてこれらのものは、自分が断《た》つことを決心したあの幸福について語っているのに気がつくのである。
羞恥心においてただ一つ非難すべきだと思われる点は、それが嘘をつく習慣に女《ひと》をみちびくということである。これこそ浮気な女が愛情こまやかな女に勝《まさ》っている唯一の点である。浮気な女はこんなふうに言う。「ねえ、あなたが好きになったらすぐ言うわよ。そうなったら、あなたよりもうれしさを感じると思うの。だって、あなたをとても尊敬しているんですもの」
恋人に屈服したあと、つぎのように叫ぶコンスタンスの強烈な満足はこれだ。「夫と仲たがいしてから八年間、だれにも身を任せなくて、ほんとうによかったわ!」
この理屈は滑稽であるとは思うが、この歓喜はじつに新鮮味にあふれていると思う。
ここで私は、恋人《おとこ》に捨てられたあるセビリアの貴夫人の後悔がどんなものであったかをぜひともお話ししなければならないと思う。恋においてはすべてが感情の表示だということを思いだしていただきたい。また特に私の文体にいささかの寛大さを賜わりたい。
………
男の私の眼から見れば、「羞恥心」にはつぎの九つの特性が見分けられるように思われる。
一 女は少しのために多くを賭けている。したがって、きわめて慎重であり、しばしば気取ることがある。たとえば、どんなにおもしろいことがあっても笑わない。したがって、羞恥心を適度に持つためには非常な才智がいる。このためにこそ、小人数の集まりでは、多くの女はあまり羞恥心を表に出さない。もっとはっきり言えば、彼女たちは、男の話がそれほど露骨《ろこつ》にならないことを要求しない。酔ってきて羽目をはずすに従って、やっとヴェールを脱いでいく。
大多数の女がなにより男の図々《ずうずう》しさを尊重するのは、羞恥心と、羞恥心のために多くの女がしのばねばならぬ、死ぬほどひどい退屈の結果なのであろうか? それとも彼女たちは図々しさを剛毅《ごうき》な態度と取りちがえているのであろうか?
二 第二の法則。私の恋人は、羞恥心のために私をいっそう尊敬してくれるだろう。
三 習慣の力は、最も情熱的な瞬間においてさえ勝ちを占める。
四 羞恥心は、恋する男のうぬぼれをひどくくすぐるような快楽を与える。すなわち自分のために女がいかなる掟《おきて》を破るかを男に感じさせる。
五 また女には、さらに「陶酔的な」快楽を与える。この快楽は、根強い習慣を打破させるものなので、魂の中にいっそうの混乱をおこさせる。ヴァルモン伯爵は真夜中に美人の寝室に忍んでいく。彼にとっては毎週のことだが、女にとってはおそらく二年に一度ぐらいのものだ。したがって、めったにないということと羞恥心とが、女のほうに無限にはげしい快楽を準備させるはずである(*)。
(*)これは多血質と比較した憂欝質の話であろう。ある貞淑な女、しかも信心からきた打算的的な貞淑(天国で百倍にして酬いられるという条件での貞淑)を身につけた女と、一方はすれっからしの四十男の道楽者の場合を想像すればよい。『危険な関係』のヴァルモンはまだそこまでは達していないが、トゥールウェル法院長夫人は全巻を通じて彼よりも幸福である。したがってあの才智豊かな作者がさらにもう少し才人であったなら、このようなことをあの巧みな作品の教訓としたことであろう。
六 羞恥心の不都合な点は、たえず嘘をつかせるということである。
七 度のすぎた羞恥心とその厳しさは、愛情の深い内気な魂(*)に、愛そうという気力をくじいてしまう。そういう魂の持主こそ、相手に恋の甘美さを与え、自分もそれをあじわうようにつくられているのだが。
(*)憂欝質。恋愛質と呼んでもよい。私は最もすぐれた恋をするためにつくられた女たちが、才智が欠けているために、散文的で多血質の男のほうをえらぶのを見た。アルフレッドの物語、カルトジオ会修道院、一八一〇年。
こういう考えほどに、いわゆる素行の悪い連中に会いたいと思わせるものはほかにない。(ここで哀れなヴィスコンチはしどろもどろになっている。
心の動き、情熱の根底において、女はみなおなじである。情熱の「形」がちがうだけである。大資産、しごくりっぱな精神の糧《かて》、高度の思索の習慣、さらにまた、しかも不幸なことに、あのいらだちやすい自尊心、こうしたものが差をつくるのである。
王女をいらだたせるあれこれの言葉も、アルプスの羊飼の女にとっては少しも気にならないのだ。しかし、いったん怒りだしたら、王女も羊飼の女もおなじ情念の動きを示す)
八 何人もの恋人を持ったことのない愛情こまやかな女にあっては、羞恥心はのびのびとしたふるまいのさまたげとなる。彼女たちが、こういうとがむべき欠点を持たない、つまりたくさんの恋人を持ったことのある女友だちの言いなりになるおそれがあるのはこのためである。彼女たちは盲目的に習慣に任せず、個々のケースに注意をはらう。繊細な羞恥心のため、動作がどこかぎこちなくなる。自然さに頼るあまり、かえって自然さが不足しているような外観を呈する。しかし、このぎこちなさは天上的な優雅さに由来する。
ときとして、こうした女のうちとけた態度が、こまやかな愛情の表現に似ていることがあるが、それは、天使のような魂が自分ではそれと知らずに浮気っぽくなっているからである。自分の夢想を中断するのがおっくうだし、男と話したり、男に言うなにか楽しくて上品なことを、それも上品以上には出ない話題をさがしたりするのが厄介《やっかい》なので、愛情をこめて男の腕にもたれたりする。
九 それで、女は作家になっても、崇高の境地にめったに達することがない一方、些細《ささい》な手紙などにも優雅な味わいがあるのは、女という者が絶対に半ばしか率直にならないからである。率直になることは彼女たちにとって、スカーフなしで外出するようなものなのであろう。男には、想像力のおもむくままに、どこへ運ばれて行くかもわからずに、書きまくることはよくあることだ。
要約
ありふれた誤りは、女を男より寛大で、気の変わりやすい、とくにけっして競争相手になりえない人間としてつきあうことである。人間性の日常的傾向のすべてと競いあって、かくも変わりやすい女という存在を暴君のように支配する、二つの新しい特異な法則があることを、われわれはあまりにも忘れがちである。
それは、女の自尊心と羞恥心、および羞恥心から生まれるしばしば解読不可能な諸習慣。
第二十七章 眼差しについて
これは貞淑な媚態《コケットリ》の偉大な武器である。眼に物を言わせられるが、しかしまたいつでもあとで否定できる。なぜなら、眼差しをそっくりそのままに再現することはできないからである。
このことは私に、ローマのミラボーともいうべきG《ジロー》伯爵のことを思いださせる。この国の愛すべき小政府は彼に独特な話し方を教えた。つまり、とぎれとぎれの言葉で、すべてを語りながらしかもなにも言わないのである。彼の言うことはすべてわかる。そしてだれにも彼の言葉をそのままにくり返すことができるので、しっぽをつかまえられないのだ。枢機官《すうきかん》ランテは彼に、その技術は女たちから盗んだのだなと言ったが、私はあえて最も貞淑な女たちから、と付け足したい。このようなずるいやり方は男たちの圧制にたいする、残酷だがしかし正当な復讐なのである。
第二十八章 女の自尊心について
女たちは、一生涯男たちから、彼らのいわゆる大問題、大金を儲《もう》けたとか、戦場の手柄とか、決闘で死んだ人々とか、残酷な、あるいはすばらしい復讐とか、そういった話をきかされる。彼女たちのなかで気位の高い女は、自分がそうした事柄には及びもつかないので、めざましい自尊心を、そのよりどころとなっている重大な事柄では示すことができないと感じる。彼女は、感動の力や気高さにかけては、周囲のだれにもひけをとらない心が、胸のうちで鼓動するのを感じるが、しかも最低の男でさえ、自分たちより尊敬されているのを見るのだ。自分たちが自尊心を示すことができるのは、とるに足りぬ問題、すくなくとも感情によってのみ重要となる問題、したがって第三者には判断の下しえない問題、そういったことだけだということに気がつく。彼女たちはその運命のはかなさと自分の魂の気高さとの痛ましい対照《コントラスト》に苦しみながら、その感情のはげしさや、その禁令をあくまでもまもる執拗《しつよう》な頑固《がんこ》さによって、自分の自尊心を尊重させようとこころみる。まだ許し合った仲とならないうちは、こういう女は恋人に会うと、この人は私を自分の物にしようとしている、などと思う。男は要するに、愛しているのだからただ愛情を示そうとするだけなのに、彼女はいろいろと思いめぐらして、男のやりくちにいらいらする。愛する男の感情を楽しもうとしないで、彼にたいして虚栄心を見せつけようとする。そして結局、どんなに愛情こまやかな女でも、感受性がひとつの対象に固定しないうちは、いったん恋をするとなると、低劣な浮気女《コケット》のように虚栄心しか持たなくなる。
寛容な性格の女性は、恋人のためなら、千度も自分のいのちを犠牲にすることだろう。だが、戸の開けたてのようなくだらぬ自尊心のいさかいから、永久に恋人と仲たがいしてしまうことがある。ここにこそ女性の面目がある。ナポレオンは一村を敵にわたすまいとして、かえって敗戦の憂き目にあった。
私はこの種のいさかいが一年以上つづいたのを見たことがある。ある非常にすぐれた女性だが、自分の自尊心の大きさを恋人にすこしでも疑われるよりはむしろ、自分の幸福をまったく犠牲にすることをえらんだ。和解は偶然の結果だった。私の女友だちの家で恋人に出会った彼女は一瞬弱気になって、もうどうしようもなかった。恋人がそこから百六十キロも離れたところにいるものと思い込んでいたし、男のほうでも、まさかそんなところで、彼女に会えるとは思いもかけなかった、という状況だったから。彼女は、幸福感のもたらす衝動的な喜悦をかくすことができなかった。男のほうはもっと感動していて、二人はたがいにひざまずかんばかりであった。私は、こんなにも涙が流れる光景を見たことがない。思いもかけず絵に画《か》いたような幸福を見たのだ。涙は微笑の極致である。
アルジール公爵がリッチモンドでカロライン女王に拝謁《はいえつ》したとき、女の自尊心のたたかいにまきこまれなかったのは才智をいつも失わずにいたよい手本である。女の性格が高貴であればあるほど、自尊心の嵐におそるべきものがある。
[#ここから1字下げ]
漆黒《しっこく》の空が
はげしい嵐をつげるように。
――『ドン・ジュアン』
[#ここで字下げ終わり]
女は、平生《へいぜい》、恋人のすぐれた性質を有頂天に賛美していればいるほど、いざその共感が崩れ去ったように思われるあの残酷な瞬間には、習慣的に彼がほかの男たちよりすぐれていると思っていた点について、恨みを晴らそうとするのではあるまいか。彼女は自分も、そういう男たちと、いっしょくたにされはしまいかとおそれるのである。
あの退屈な『クラリッサ・ハーロー』を読んだのはもうだいぶ前のことになるが、クラリッサがラヴレイスの求婚をしりぞけて死んでいくのは、女の自尊心からだと思われる。
ラヴレイスの過失は大きかった。しかし、彼女もすこしは彼を愛していたのであるから、自分の心にきけば、恋ゆえに犯した彼の罪を、ゆるすこともできたであろうに。
これに反してモニームは、女性の繊細さの感動的な典型のように思われる。はまり役の女優が朗誦《ろうしょう》するつぎの科白《せりふ》をきいて、よろこびに頬《ほお》を染めない者があろうか?
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私がおさえてきたこの宿命の恋、
………
あなたのたくらみにこの恋はあばかれ、私もはっきりとこの恋を認めましょう。
あなたにうちあけたうえは、この恋を捨てるわけにはまいりません。
あなたもお忘れにはなれますまいし、
私とて、あなたに強いられたあの恥ずかしい告白は、
いつまでも心から、消えさりはしないでしょう。
いつもあなたが、この私の愛の誓いをお信じにならぬと思うでしょう。
これほど私を辱《はずかし》め、残酷にも私の弱点をにぎり、
永遠に消えぬ苦しみを私に味わわせようとして、
道ならぬ恋の焔《ほのお》に私の顔をあからめさせた
夫の臥所《ふしど》におりますよりも、陛下、
墳墓《ふんぼ》のほうがまだしも寂しくはないのです。
ラシーヌ
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私は来たるべき世紀がつぎのように言うであろうと想像する。このような性格をうみだし、大芸術家によってそれが描かれたというところに、君主政体のよさがあった、と。
しかし、中世の共和国においても、私はこうした繊細さのすばらしい例を見いだす。これは政冶形態が情熱に及ぼした影響についての私の持論をくつがえすように見えるが、とにかく率直に引用しよう。
それはダンテのつぎのような非常に感動的な詩句である。
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ああいつの日かあなたが人の世にもどられたとき
…………
どうか私のことを思いだしてください。私の名はラ・ピーア。
シエナに生まれ、マレムマの沼地で死にました。
私の身の上は私をめとり
私に指輪をあたえた人だけが知っています。
煉獄篇、第五巻
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こんなにひかえめに語るこの女は、ひそかに、デスデモーナの運命をかくし持っていた。そしてただひと言で、地上にのこしてきた友人たちに、夫の罪を知らせることもできたのである。
ネロ・デラ・ピエトラはシエナで最も富裕で高貴な家柄であるトロメイ家の後継《あとつぎ》の一人娘ピーア嬢と結婚した。トスカナじゅうにほめそやされた彼女の美貌は、夫に嫉妬心をおこさせた。それはいつわりの告げ口や、たえず生まれる疑惑に毒され、ついに彼は、おそろしい計画を抱くにいたった。今日、彼の妻がまったく潔白であったかどうかを決めることはむつかしいが、ダンテは潔白だとして描いている。
夫は彼女を、当時も今日同様その瘴気《しょうき》(aria cattiva)で有名だったシエナの沼沢地《マレムマ》へ連れていった。彼はこの不幸な妻には、なぜこんな危険な土地へ追いやったかをひと言もあかさなかった。彼女も自尊心から、あえて嘆きもせず非難もしなかった。彼は荒れ果てた塔のなかで彼女と二人きりですごした。私は海辺にあるその廃墟を訪ねたことがある。彼はそこで、けっしてその侮蔑《ぶべつ》的な沈黙をやぶらなかった。若い妻の問いに答えず、またその願いにも耳をかさなかった。彼女のそばにいて、悪臭を放つ大気が効果をあらわすのを冷やかに待っていた。ほどなくこの沼沢地の蒸気は、この世紀に地上にあらわれた者のうち、最も美しいと言われた顔をおとろえさせはじめた。数か月の患《わずら》いで彼女は死んだ。この遠い時代の二、三の年代記作家は、ネロが短刀で彼女の死をはやめたと伝えているが、彼女はマレムマで、なんらかのおそろしい死に方をしたのである。しかし彼女がどんなふうにして死んだかは当時の人々にとっても謎であった。ネロ・デラ・ピエトラは余生を沈黙のうちに送り、けっしてその沈黙をやぶろうとしなかった。
若いピーアがダンテにはなしかけた態度ほど気高く繊細なものはない。あのように年若くして死んだ彼女は、地上にのこしてきた友人たちに、自分のことを思いだしてもらいたいと願った。しかし、自分の名を名のり、夫の名を明かしながら、あの前代未聞《ぜんだいみもん》の、だが、いまとなってはとりかえしのつかない夫の残忍さについて、いささかも不平を洩《も》らそうとはしていない。ただ、夫だけが彼女の死のいきさつを知っていることを示すにとどめている。
自尊心の復讐がこのようにいつまでも続くのは、南欧の諸国にしか見られないことだと私は思う。
ピエモンテで、これとほぼ似かよった出来事の、思いもよらぬ目撃者になったことがある。もっとも当時はくわしいことは知らなかったのであるが。私は、密輸防止のため、二十五名の竜騎兵《りゅうきへい》とともに、セジア河沿いの森に派遣された。この人里はなれた荒れはてた土地に夜着いたのだったが、私は木の間がくれに、一軒の古い城館の廃墟《はいきょ》を認めた。行ってみると、驚いたことに人が住んでいた。陰気な顔をした土地の貴族で、六尺ゆたかの四十男であった。彼はしぶしぶ二部屋を貸してくれた。私はそこで軍曹と音楽をやったりした。数日後われわれは、この男が、一人の女をかくしているのを発見した。その女をカミーユと呼んで笑いあった。しかしそこに、おそるべき事実がひそんでいようとは露ほども疑わなかった。六週間後にその女が死んだ。私は憐れむべき好奇心から、棺のなかの女を見たいと思った。遺骸《いがい》の番をしていた僧を買収し、真夜中ごろ聖水をそそぐという口実で礼拝堂へ案内させた。私は、死の胸に抱かれていても、なお美しさを失わない崇高な顔を見た。高いかぎ鼻であったが、その上品でやさしい輪郭を、絶対に忘れることはできないだろう。私はこの不吉な土地を去った。五年後、私の連隊の一支隊が、イタリア王としての戴冠式に皇帝の供奉《ぐぶ》をしたので、私はことのいきさつをすっかりきかせてもらった。嫉妬ぶかい夫***伯は、ある朝、妻の寝台に、イギリス製の懐中時計がかかっているのを見つけた。それは彼らが住んでいた小さな町のある青年の持ち物だった。その日のうちに、彼は妻をセジア村の森林の真中にある、荒れはてた城館へ連れていった。ネロ・デラ・ピエトラとおなじように彼はひと言も口をきかなかった。彼女がなにか嘆願でもすると、彼はいつも身につけていた懐中時計を、黙って冷やかに目の前につきつけるのだった。こうして三年近く、彼は彼女と二人きりですごした。ついに彼女は絶望のあまり、花も盛りの年頃で死んだ。夫は時計の持主に短刀の一撃を加えようとしたがやりそこない、ジェノヴァへ行き、船に乗ったまま消息を断った。彼の財産は分割された。
女に特有の自尊心を持った女性の前で、他人の悪口を聞かされても平然と澄《す》ましていると、これは軍隊生活の習慣で、楽にできることなのだが、この自尊心の強い女は途方に暮れる。彼女たちはあなたを卑怯者《ひきょうもの》とうけとり、すぐにも辱《はずかし》めを与えようとする。こうした高慢な女は、他の男たちに対して手厳しくふるまう男に、よろこんで屈服する。思うに、そうするよりほかに執《と》るべき手段がないのだ。恋人とのいさかいを避けるためには、しばしば隣人と喧嘩しなければならない。
ロンドンの有名な女優コーネル嬢は、ある日だしぬけに、彼女にとって役に立つ金持ちの大佐の訪問をうけた。彼女はちょうど恋人《おとこ》といっしょにいたが、この男は愉快な奴《やつ》というだけで、ほかに取り柄《え》はなかった。彼女はひどくまごついて大佐に言った。「この方はね、売りたいと思ってる小馬を見にいらしたんですのよ」「いいえ、ぼくはそれとはまったく別の用事できたんです」とこのかわいい恋人は昂然《こうぜん》として答えた。彼女はこの恋人にすこし飽きがきていたところだったが、この答をきいてから、また夢中に愛しはじめた(*)。こうした女は、多くの犠牲を払ってまで気位の高さを示そうとしたりせず、恋人の自尊心に共感するのである。
(*)コーネル嬢の家へ行くたびに、私はいつも感嘆のおもいと、あらわに観察した情熱に関しての深い考えでいっぱいになって帰ってくる。召使いに用事を言いつけるときの彼女の傲然たる態度は、専制主義からでたのではない。どうすべきかを明瞭に機敏に見てとっているからである。
訪問のはじめには私に対して怒っていても、終わりにはもうそのことは忘れてしまう。彼女はモーティマーに対する情熱の上手な使い方をすっかり話してくれた。「あの人には差し向かいでいるより社交界で会うほうがいいの」どんなに天才的な女でもこれほど上手にはやれまい。これも、あえて彼女が、完全に「自然」であろうとするからであり、どんな主義主張にも縛られまいとするからである。「私は貴族院議員夫人になるより女優でいる方が幸福です」私の修養のためにも、友人として残しておかねばならな偉大な魂である。
ローザン公爵の(一六六〇年における)(*)性格は、初対面の日に、ひどくぶしつけなのをゆるすことができさえしたら、こうした女たちにとって、またおそらくすべてのすぐれた女たちにとっても魅惑的なものである。これ以上の偉大さだと彼女たちは見逃《みのが》してしまう。すべてを見ているが些細《ささい》なことには少しも動かされない眼の静けさを、女たちは冷たさと見誤る。サン・クルーの宮廷の婦人たちは、ナポレオンが無味乾燥で散文的な人だと主張していたではないか。偉人は鷲《わし》のようなものだ。高く上がれば上がるほど見えなくなる。その偉大さは魂の孤独という罰をうけるのだ。
(*)小事における高潔さと勇気。しかし小事にたいする情熱的な注意。胆汁質のはげしさ。モナコ夫人に対する彼の態度、王がきているのに、モンテスパン夫人の寝台の下にかくれていたあのスリル。こんな性格は、小事に対する注意がなければ、女の目にははいらないものだ。
女性特有の自尊心から女たちの、いわゆる「繊細さの欠如」が生じる。これは、国王たちのいわゆる不敬罪というものにかなり似ていると思う。知らずに落ちこむ罪だけに、いっそう危険な罪である。どんなに愛情こまやかな男性でも、よほど才智がないかぎり、繊細さの欠如を非難されかねない。さらにかなしむべきことは、恋愛の最大の魅力、つまり愛する者にはまったく自然にふるまい、他人の言葉には耳をかさないという幸福に思い切ってひたりきろうとすると、おなじ非難をうけかねないということである。
すべてこうしたことは、生まれのよい人には、疑ってみることも考え及ばぬことであろう。またこれを信ずるには、体験を通して悟ることが必要である。なぜなら男の友人となら公平に率直に交際する習慣が身につくからである。
つねに忘れてならないことは、われわれの相手は、たとえまちがっているにせよ、性格の強さの点で自分が男より劣っていると思っているかもしれないし、もっと適切に言えば、男にそう思われていると考えているかもしれない人間だということである。
女の真の自尊心は、彼女が男のうちに吹きこむ感情の力にある、とすべきではなかろうか。フランソワ一世の王妃づきの若い侍女を、みんなが彼女の恋人は浮気っぽいと言ってからかった。男が彼女をほとんど愛していないと言ったのである。その後まもなく、この男は病気になり、ふたたび宮廷に姿をあらわしたときは唖《おし》になっていた。二年たったある日、まだ彼女がこの男を愛しつづけているのにみながおどろいていると、彼女はこの男に言った。「お話しなさい」。すると彼は話した。
第二十九章 女の度胸について
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傲慢《ごうまん》な僧院武士よ、私はお前に言う。お前が激戦の場で示した誇りたかい勇気にしても、恋のため、義務のために苦しみに耐えようとする女性の度胸にはおよびもつかないのだ。
――『アイヴァンホー』第三巻
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ある歴史の本のなかで、つぎのような文章にであったのをおぼえている。「男はみな理性を失っていた、まさにこのときこそ女が男に対して確固とした優越を示したのである」
女性の度胸には、彼女の恋人の勇気には欠けている「予備の貯《たくわ》え」がある。女性は恋人に対し、得意になって自尊心を見せびらかす。そして、いったん危険の火中におかれると、それまではとかく保護者ぶったり、その力を鼻にかけて彼女たちをしばしば傷つけたりした男と、剛毅《ごうき》な精神で競争できることに非常なよろこびをおぼえる。それで、このよろこびのエネルギーが、こんなときに男の弱点となる、なんらかの恐怖から彼女たちを超越させてしまう。男もまたこうした時に、こうした援助をうけるならば、なにものにもおくれをとらぬ態度を見せるであろう。なぜなら恐怖は、危険のなかにあるのではけっしてなく、われわれのうちにあるからである。
私はべつに女の度胸にけちをつけるつもりはない。いざというときに、最も勇敢な男よりさらに勇敢な女を見たことがある。ただこの際、女が愛する男を持つことが必要である。彼女たちは、ただ恋人を通じてしか感じないのだから。最もおそろしい、わが身に直接ふりかかる危険も、彼女たちには、恋人の前でつむ一輪のばらのようなものとなる(*)。
(*)身を破滅に導いた、エリザベス女王との会見の後、レスターについて語るメアリ・ステュアート。
私はまた、恋をしていない女の場合でも、この上なく冷静で驚嘆すべき、神経のずぶとい大胆さを見たことがある。
もっとも、彼女たちがそのように勇敢なのは、傷の痛さを知らないからだと思ったことも事実だ。
ほかのものよりずっとすぐれた精神的勇気についていえば、自分の恋とたたかう女性の強さこそ、この世の最も称讃すべきものである。ほかのどのような勇気のあらわれも、こんなにも自然に反し、こんなにも苦しい行為にくらべては取るに足りない。女はおそらく、こうした力を羞恥心から生まれた犠牲の習慣から得ているのであろう。
女の不幸の一つは、こうした勇気の証拠がいつも秘められたままであり、ほとんど口外してはならないものだということである。
さらに大きな不幸は、この勇気がいつも彼女たちの幸福にさからって用いられることだ。クレーヴの奥方は、夫になにもうち明けたりせずに、ヌムール殿に身をまかせるべきだった。
おそらく女は、主として、りっぱに身をまもることができるという自尊心に支えられ、そして、自分の恋人は、虚栄心から自分を手にいれようとしているのだと想像している。けちくさくなさけない考えである。あれほど多くの滑稽な立場に、浮々ととびこんでいく情熱的な男に虚栄心のことなど考える暇があろうか。これは、悪魔をうまくとりおさえたつもりで、じつは苦行帯や難行苦行のかずかずによって自尊心を満足させている修道僧のようなものだ。
クレーヴの奥方も老年に達し、生涯をかえりみるころとなって、自尊心のよろこびが、いかにつまらないものかがわかったとき、後悔したのではないかと思う。さだめし、ラファイエット夫人(*)のように生きたらよかったと思ったであろう。
(*)周知のように、この有名な婦人はラ・ロシュフコー氏とたぶん合作で『クレーヴの奥方』という小説を書き、二人の作家は晩年の二十年間を完全な友情のうちにすごした。これはまさしくイタリア風の恋である。
いま私はこのエッセーを、百ページばかり読みかえしてみたが、真の恋愛については、貧弱な観念しか述べていない。すなわち、魂全体を占め、ときには非常に幸福な、ときには絶望的な、しかしつねに崇高なイメージで魂を充《み》たし、そのほかのあらゆる存在にはまったく無感覚状態になる、このような恋愛については、である。自分にはじつにはっきりとわかっているものを、どう表現したらよいのかわからないのである。自分の才能の不足を、これほどつらく感じたことはない。身ぶりや性格の単純さ、生一本《きいっぽん》のまじめさ、感情のニュアンスをあのように正確に無邪気にえがきだす眼差《まなざ》し、殊《こと》に、同じことのくりかえしだが、愛する女以外のあらゆるものに対する、あの言いあらわしようのない無関心、こうしたことをわかるように表現するにはどうしたらよいだろうか。恋する男の口からでた「はい」「いいえ」という言葉は、ほかの男性には見いだせないし、またその男でも、ほかの時には見いだせない、人を「感動に誘う語調」を持っているのである。今朝(八月三日)九時ごろ、私は馬で、ツァンピエリ侯爵の美しいイギリス風の庭園の前を通った。この庭は、大木にとりかこまれた丘の起伏のはずれにあり、その丘に背をよせてボローニャの町がひろがっている。そこから世界で最も美しい地域、ゆたかな緑のロンバルディアのすばらしい眺めを楽しむことができる。ツァンピエリ家の庭は、私が辿《たど》りつつあったカサ・レッキオのレノ川の滝へ行く道を俯瞰《ふかん》していたが、その庭の月桂樹の茂みに、デルファンテ伯爵の姿を認めた。彼は深い夢想におちいっていて、前の晩午前二時まで夜会でいっしょだったのに、ろくな挨拶もかえさなかった。私は滝へ行き、レノ川を横ぎり、すくなくとも三時間たってからまたツァンピエリ家の庭の茂みの下を通ったが、私は彼がまだそこにいるのを確めた。さっきとまったく同じ姿勢で、月桂樹の茂みの上にそびえた松の大木によりかかっていた。こんな細かい事柄は、単純で無意味だと思われるかもしれない。ところが彼は眼に涙をたたえて私に近づき、ここにじっとしていたことはだれにも話さないでくれと頼んだ。私は心をうたれた。私は、道をひきかえし、これから一日の残りを田舎ですごそうと誘った。二時間後、彼は私にすっかりうちあけた。彼は美しい魂の所有者だった。彼が言ったことにくらべたら、読者がいま読まれたページは、なんと冷たく見えることか!
それに、彼は自分が「愛されていない」と思っていた。私はそうは思わないのだが。前夜の夜会が行なわれたギジ伯爵夫人の大理石のような美しい顔からは、なにも読みとることはできなかった。ただ、ときおり、押えることができないまま、ふいに微《かす》かな赧《あか》らみが顔にのぼって、それがひどく昂《たかぶ》った女の自尊心の強い心の動きとたたかう、あの魂の激動をあらわしていた。雪のように白い頚筋《くびすじ》も、カノーヴァの作品にも比べられるほどの美しい両肩も赧くなるのが見られた。彼女は、女らしい繊細さから心中を見すかされるのをおそれるあまり、人々の観察からその黒く深い眼をそらすすべを知っていた。だがその夜、なにかデルファンテが言い、それに夫人が反対したとき、突然彼女が真っ赤になるのを見た。この自尊心の強い女は、彼が自分にふさわしくないと思っていたのである。
しかし結局、デルファンテの幸福についての私の推測が誤っていたにしても、見かけも実際もたいそう幸福な境遇にありながら無関心でいる私より、虚栄心をのぞけば、彼のほうが幸福だと思う。
ボローニャ、一八一八年八月三日
第三十章 奇妙な悲しい光景
女は、女特有の自尊心から、馬鹿者になやまされた仕返《しかえ》しを、才智ある男にしてみたり、金銭や腕力を誇る散文的な男にうんざりした仕返しを高邁《こうまい》な男にしてみたりする。なんともごりっぱなやり方である。
自尊心や世間体をなにかと気にして、不幸になっている女たちが何人かいる。そして親類も思い上がりから彼女を厭《いと》うべき立場においた。運命は、どんな不幸にもまさる慰めとして、情熱的に愛し愛されるという幸福を彼女たちにとっておいた。だが、いざその日になると、自分がまっさきにその犠牲者となったあのばかげた自尊心を、自分の当の敵から借りてくるのである。その結果、彼女たちに残された唯一の幸福を殺し、自分自身をも、自分を愛してくれる男をも不幸にしたのである。評判の情事を十度も(それも必ずしも一つが終わってつぎにうつるというわけのものではない)してきた女友だちが、まじめくさって、もし恋をすれば世間体《せけんてい》が悪いですよと説きつける。ところがこの世間さまというものは、いつも低俗な考え以上には一歩も出ないから、寛大にも毎年彼女に恋人を一人さずけてくれる。これがおきまりなのだから、と世間は言う。こうしてつぎのような奇妙な光景がおこり、なんともなさけない思いに駆られる。すなわち、こまやかな愛情を持ち、この上なく繊細で純潔な天使のような女が、繊細さの一かけらもない娼婦の言いなりになって、自分にのこされているたった一つの、はかりしれない幸福から身をひいてしまう。しかもそれが、大馬鹿者の裁判官の前に、かがやくばかりの白い服を着て出頭するためなのである。その裁判官は、大昔から分別のないことはわかっているのだが、「あの女は黒い服を着ている」とあらん限りの声をはりあげるのだ。
第三十一章 サルヴィアッチの日記抄
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私に詩才を与えしは、かの乙女。
プロペルティウス、第二巻、第一の悲歌より
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ボローニャ、一八一八年四月二十九日
恋ゆえにおちいった不幸に絶望して、私は生きているのがいやになった。なにもする気がしない。陰鬱《いんうつ》な日で、雨が降っている。寒さがぶりかえしてきて、長い冬のあとでようやく春に向かおうとしていた自然を、またもや陰気なものにしてしまった。
半俸の支給を受ける退職大佐スキアセッチがやってきて二時間いた。合理的で冷静な友人である。「あの女のことはあきらめたほうがいいね」……「どうすればあきらめられるだろう。ぼくの戦争への情熱をかえしてくれ」……「君があの女を知ったのが悪かったのさ」私はもうすこしで彼の言葉に賛成するところだった。それほど私はうちのめされ、勇気をなくしていた。それほど今日の私は憂鬱《ゆううつ》だった。彼女の女友だちがなんの得《とく》があって彼女のまえで私のことを中傷したのか、その理由をふたりで考えてみたが、結局わかったのは、「恋と青春に見はなされた女は、なにごとにも腹を立てる」というあの古いナポリの諺《ことわざ》だけだった。とにかく、あの残酷な女が私に対して「いきりたって」いるのはたしかだ。これは彼女の友人のひとりの言葉である。手痛い仕返しをしてやれないこともないが、あの女の憎悪に対しては、身を護《まも》る手段などこれっぽちもない。スキアセッチは帰った。私は雨の降るなかをあてもなく表に出た。私の部屋《アパルトマン》、はじめて知りあい、毎晩彼女に会っていたころから住んでいるこのサロンが耐えがたいものになった。どの版画、どの家具も、かつて私がそれらの前で夢想した幸福を、いま永久に失ってしまったことで私を非難しているのである。
冷たい雨の降る町を私はさまよい歩いた。偶然(もしそれを偶然と呼んでさしつかえなければ)、私は彼女の窓の下を通った。夜の帳《とばり》が落ちかかっていた。私は涙をいっぱいにためた眼を窓に釘《くぎ》づけにして歩きつづけた。突然カーテンが、広場を見おろすためのようにちょっとひらかれたが、すぐに閉じられた。心臓のあたりでなにかピクリとするものがあるのを感じた。立っていられなかったので、隣家の軒下に身をかくした。思いは千々《ちぢ》にみだれた。カーテンが動いたのは偶然だったろうが、それを開けたのがもしも彼女の手だったら!
世のなかには二つの不幸がある。じゃまされた情熱の不幸と「完全な空白(dead blank)」の不幸。
恋をすると、私の手の届くところに、あらゆる願いにまさる無限の幸福があるような気がするが、その幸福は相手の女の一つの言葉、一つの微笑にのみかかっているのだ。
私が、スキアセッチのように情熱のない男だったら、悲しいときには、どこにも幸福を見いだせまい。幸福などというものが自分のために存在するかどうか疑うようなり、憂鬱症《スプリーン》におちいってしまう。つまり、はげしい情熱は持たずに、ただ多少の好奇心、あるいは多少の虚栄心を持つことが必要なのだろう。
朝の二時だ。カーテンがすこし動くのを見たのは六時だった。私はあちこち十軒ばかりの家を訪ねてまわり、劇場へ行った。しかし、どこへいっても物も言わずに夢想にふけり、つぎの問題を検討して夜をすごした。「怒る理由などあまりなかったのに、あんなに怒ったというのは、やっぱり彼女を怒らせようと思ったからなのか。この世のことで、意図によって弁解できないものはなんだろう。彼女は一瞬でもぼくを愛してくれただろうか?」
以上の事柄を、彼の好きなペトラルカの詩集の欄外に書きつけたかわいそうなサルヴィアッチは、その後まもなく死んだ。スキアセッチも私も彼の親友で、われわれは彼の考えをすっかり知っていた。そしてこのエッセーの悲しい部分はすべて彼からきている。彼は向こうみずの権化《ごんげ》のような男だった。それにしても、彼があんなに夢中になった当の女というのは、それまで私の会った女のなかで最も興味のある女であった。スキアセッチは私にこう言った。しかし、この不幸な情熱が、サルヴィアッチになんの役にもたたなかったとでも思うのかい? まず彼は、想像を絶するほどの未曽有《みぞう》の金銭上の不幸を味わった。若いときは、はでにすごしたが、この不幸に見舞われたあと、すっかり貧乏になってしまった。恋でもしていなければ、憤懣《ふんまん》やるかたなかったろうよ。そのせいで、二週間にただの一度も、金銭上の打撃を思いださずにすんだんだ。
つぎに、これはああいう種類の人間にとって、はるかに重要なことなのだが、この恋愛で、はじめて真の論理学の勉強をしたということだ。これは、宮廷生活をした男にしては奇妙なことに見えるが、彼の、人なみはずれた勇気をみれば、説明がつこうというものだ。たとえば彼を虚無になげこんだ……の日を、眉《まゆ》ひとつ動かざずに過ごしたんだからね。ロシアへ行ってたときとおなじで、なにか特別の感じもうけなかったことに、自分でも驚いていたよ。じっさい彼はなにが起こっても、絶対にびくついたりはしなかったから、二日とそのことを考えもしなかった。ところがこの二年間というもの、あのようにものに動ぜぬ男が、たえず勇気を持とうとつとめていた。そのときまでは危険を感じたことがなかったのにだ。
軽率にも善意に解釈してもらえると信じて、愛する女から月に二度しか会いにきてはいけないと言い渡されて以来、われわれは、彼がよろこびに陶然として、夜おそくまで彼女と話しているのを見た。というのも、彼女のうちに彼が賛美して止まなかったあの気高い無邪気さで彼が迎えられたからである。彼は***夫人と自分とは世に比類のない魂を持っていて、眼差《まなざ》しひとつで理解しあえるはずだと思いこんでいた。自分を罪人扱いしかねない俗物どものくだらぬ評判に、彼女がすこしでも耳を藉《か》そうとは、彼には考えられないことであった。敵にとりかこまれた女に対するあのうるわしい信頼の結果は、出入禁止の言いわたしだった。
私は彼に言った。「***夫人のことになると、君は君自身の格言を忘れてしまうんだね。つまり魂の偉大というものは、ぎりぎりのところに追いつめられた場合のほかは信じてはいけないということを」……彼は答えた。「ぼくの心ほどあの人の心にふさわしいものがこの世にまたとあると思うのか? もっとも、ポリニーの岩山の稜線《りょうせん》が怒ったレオノールの顔に見えるくらいに、はげしい情熱に燃えたので、実生活ではなにを企てても失敗するというむくいをうけた。辛抱づよく策をめぐらすことができず、その時その時の影響力に動かされてつい軽率なことをやってしまったのが、失敗の原因でね」彼の熱狂的な恋の度合がうかがわれるというものだ。
サルヴィアッチにとって、生活は二週間を周期としてわけられ、それぞれの周期は、彼に許可された最近の訪問の色調をおびていた。しかし、彼がそれほど冷遇されなかったと思うときに感じる幸福も、つれないもてなしをうけたときの不幸より、強さの点ではるかに劣っていることに私は何回も気がついた(*)。***夫人は彼に対し、ときには率直でないことがあった。この二つの点だけが私の抱いていた反論であったが、それをどうしても彼に言えなかった。彼の苦悩はきわめて内面的で、彼は、それを羨望《せんぼう》などしない、ごく親しい友人にも決してうちあけぬほどのこまかな心づかいをしていたのだが、レオノールのつれない仕打ちにこそ、率直で高邁《こうまい》な魂が、散文的で策略的な魂に敗北した姿を見たのである。彼は当時、美徳とか、ことに名声には絶望していた。彼は友人に、情熱の報《むく》いである、じっさいに陰気な考えしか語ろうとしなかった。だが、この考えは哲学的見地からすれば、多少興味をひきうるものであった。私はこの奇妙な魂を観察することに興味をおぼえた。普通、情熱恋愛は、ドイツ風の多少まのぬけた人間に見られるのであるが、サルヴィアッチはこれに反し、私の知るなかで、もっとも決然とした、もっとも才智にめぐまれた人々に属していたのである。
(*)幸福な事情から幸福をひきだすより、不幸な事情から不幸をひきだすことのほうが多いというこの傾向は、私がしばしば恋愛において認めたことである。
こういうふうに、つれなくあしらわれて帰ってくると、レオノールの仕打ちを、もっともだと思うまでは落ち着かなかった。自分をつれなくあしらった彼女のほうが間違っているのだと思っているかぎり、彼は不幸だった。これほどまで虚栄心をすてた恋があろうとは思ってもみなかった。
彼はわれわれに、たえず恋愛を賛美していた。「もし超自然的な力が、この時計のガラスをこわせ、そうすればレオノールは三年前のように、お前にとって、なんでもない女友だちにかえるだろう、と言ったとして、ぼくはじっさい、いつになっても、それをこわす勇気は持てないと思う」こうした理屈をのべるこの男を、狂気の沙汰《さた》としか思えなかったので、私はさきほどの反論を彼にのべる勇気がなかったのである。
彼はさらにつけくわえた。「ルーテルの宗教改革が、中世紀末に、社会を根底からゆり動かし、世界を合理的な基礎の上に更新し再建したように、高邁な性格は恋愛によって更新され、きたえなおされる。
「このときはじめて、われわれの人生は、あらゆる児戯《じぎ》に類することからぬけだすのだ。この革命がなければ、いつまでも、ぎこちなさと芝居|気《ぎ》からぬけきれないだろう。恋をしてはじめてぼくは、性格の偉大さを持つすべを学んだ。それほどぼくたちの受けた士官学校の教育はばかげたものだ。
「うまくふるまっていたようでも、ナポレオンの宮廷やモスクワでほくは子供だった。自分の義務を果たしていたが、完全な自己犠牲と誠実さの結果である、あの英雄的な単純さを知らなかった。たとえばティトゥス・リヴィウスによってローマ人の単純さを理解したのは、やっと一年前のことなのだ。前には、彼らローマ人を、赫々《かくかく》たるわが軍の連隊長にくらべて冷やかな人間だと思っていた。しかし彼らが祖国ローマのためにしたことを、いまぼくはレオノールに対するぼくの心のうちに見いだす。もしぼくが幸いにも彼女のためになにかしてやることができるとしても、ぼくの最初の願いは、そのなにかをかくすことだろう。レグルスやデキウスのような人々の行為は、はじめから定まっていたことで、なんら驚くにあたらなかった。恋をするまでのぼくは、くだらない人間だった。くだらなかったからこそ、ともすれば自分を偉い奴《やつ》だと思いこみたがっていた。ぼくはそこに一種の努力を感じ、それを得意にさえしていた。
「また、思いやりといった点でも、恋愛のおかげをこうむらないものがあるだろうか。ごく若いころの気まぐれがすぎれば、心は共感を受けつけなくなる。少年時代の仲間は死んだりいなくなり、オーヌ尺の物差を片手にいつも利害とか見栄とかを計算している、打ち解けない商社員とともに日を送らねばならない。魂の、やさしく気高い部分は、すべて耕されずにすてておかれるから、次第に不毛になり、三十にもならぬ前から、甘美でやさしい感情に、もはや石のように動かされない。この荒寥たる砂漠の真中に、恋は、ごく若いときよりもっと豊かな、もっと新鮮な感情の泉をわきださせるのだ。あのころには、漠然とながら、熱狂的な、たえずうつろいやすい希望があった。なにかに決して身をささげきろうとはせず、永続的な深い欲望もなかった。魂はいつも落ち着かず、新しさを求め、昨日賛美したものを今日はもうかえりみないこともあった。しかし、恋の結晶作用以上に、瞑想《めいそう》的で神秘的な、永遠に一なる目的を持つものはほかにない。若いころは、おもしろいことだけが心を楽しませ、それも一瞬だけ楽しませる権利を持っていた。いまや、愛する女にかかわりのあるすべてのものが、いや、まったく関係のないものまでが、ふかく心を動かすのだ。ぼくは、レオノールの住む町から百キロも離れた大きな町に着いたとき、すっかり気おくれし、ふるえていた。町角をまがるたびに***夫人の親友で、まだよく知らないアルヴィツァ夫人に会いはしないかと、びくびくしていた。すべてはぼくにとって、神秘的で神聖なある色合いを帯びて見えた。ぼくの心臓は、ある老学者と話しているときでさえ、動悸《どうき》を打っていた。レオノールの女友だちが住んでいる家の近くの城門の名を耳にしただけで、顔を赧《あか》らめずにはいられなかった。
「愛する女のつれなさにさえ無限の魅力がある。他の女のもとで最も楽しい瞬間にも感じられない魅力だ。それはコレッジョの絵の大きな陰影が、他の画家のように不快な変移部《パッサージュ》になることなく、かえって明るい部分をきわだたせ、人物を浮彫りにするのに必要な影となり、それだけで甘美な夢想にひきいれる魅力的な優美さを持っているようなものだ(*)。
「そうだ、人生の半分は、しかも最も美しい半分は、情熱をかたむけて恋したことのない男にはかくされている」
(*)コレッジョの名をあげたのだから、ついでに言っておこう。フィレンツェの画廊の特別室にある天使の素描の頭部には、幸福な恋の眼差しがあり、パルマの『イエスより冠をうけるマリア』には、恋のために伏せられた眼がある。
サルヴィアッチは、聡明《そうめい》なスキアセッチに対抗するため、自分の推論の力を総動員せねばならなかった。スキアセッチはいつも彼につぎのように言うのだった。「幸福になりたいのなら、苦労のない生活、毎日すこしばかりの幸福で満足するんだね、大きな情熱の富くじなどあきらめることだよ」「それじゃ、ぼくに君の好奇心をくれたまえ」とサルヴィアッチは応ずるのだった。
サルヴィアッチには、できるなら、聡明な大佐の意見にしたがってみようという気になる日もあったようだ。彼は自分とすこしはたたかい、勝てたと思った。だがこうした決心は彼の力にあまることだった。とはいえ、この魂はどんな力を持っていたことか!
***夫人の帽子にちょっとでも似た白いサテンの帽子を、街で遠くに見ただけで、彼の心臓の鼓動はとまり、壁によりかからずにはいられなかった。どんな悲しいときでも彼女に出会うという幸福が、いつもあらゆる不幸、あらゆる理屈をこえて陶酔の幾時間かを彼にあたえるのだった(*)。
(*)いかなる悲しみがこようとも、
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ただひととき姫と会う
そのよろこびにかえられようか。
――ロミオとジュリエット
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ともかく、二年間のこうした高邁なかぎりない情熱のあとで彼が死んだときには、彼の性格には多くの気高い習慣がついていたので、その点では、すくなくとも彼は正確に自分を判断していたわけである。彼が生きていて、そして事情がすこしでも彼にさいわいしていたとすれば、彼も口の端にのぼるようになったかもしれない。だがおそらく彼の真価は、その単純さのために、この世では人に知られずにすぎたかもしれない。
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あわれにも不幸な者よ!
いくつもの甘美な思い、いくつもの変わらぬ願いを抱いて、
彼は死へとみちびかれて行ったことか!
髪はブロンドで、その顔は美しく優しかった
ただ一つの気高い傷痕《きず》が その眉を横ぎってはいたが。
ダンテ
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第三十二章 親密さについて
恋があたえうる最大の幸福とは、愛する女の手をはじめてにぎることである。
これに反して、色事《ギャラントリ》の幸福ははるかに現実的であり、かつはるかに冗談の種とされやすいものである。
情熱恋愛においては、親密な関係は、それに到達するための最後の一歩ほどには完全な幸福ではない。
しかし、幸福が思い出を残さないとしたら、どうしてそれを描きだせるだろうか。
モーティマーは長い旅から不安に戦《おののき》ながら帰ってきた。彼はジェニーを熱愛していたが、手紙をだしても返事をくれなかったのだ。ロンドンに着くなり馬にとび乗って彼女の別荘に会いにでかける。到着する。彼女は庭園のなかを散歩していた。彼は胸をおどらせながら追いかける。ぱったり出会う。彼女は手をさしのべ、取り乱して彼を迎える。彼は自分が愛されていると見てとる。いっしょに庭園の小径《こみち》をあるきまわっているうちに、ジェニーの服が、とげのあるアカシアの茂みにひっかかった。それからのモーティマーは幸福だった。しかし、ジェニーは不実だった。ジェニーは、すこしも君を愛していなかったのだと私は彼に主張する。彼は、自分が大陸からかえってきたとき、彼女がむかえてくれた態度を愛の証拠にあげるのだが、なにひとつくわしい話はできなかった。ただ彼は、アカシアの茂みを見るとたちまち眼にみえて戦慄《せんりつ》する。じつにこれが、彼の生涯で最も幸福な瞬間からとって置いた唯一の明瞭《めいりょう》な思い出なのである。
騎兵あがりの多感で率直な男が、今夜(ガルダ湖上、荒大にもまれる船底で)自分のかずかずの恋物語をきかせてくれた。それをいま私が、かわって公《おおやけ》にすることは遠慮するが、とにかく私は、そこからつぎのように結論することができると思う。親密な関係にはいる瞬間はあの五月の美しい日々のようなもので、この上なく美しい花々にとって微妙な一時期、ともすれば恋の命とりともなりかねない瞬間、最も美しい希望をも一瞬にして、しぼませてしまうかもしれない瞬間なのだ、と。(*)
(*)「最初の喧嘩で、イヴェルネッタ夫人は、あわれなバリアックをお払い箱にした。バリアックはほんとうに恋をしていたので、この別離に絶望した。しかし友人のギョーム・バラーンが……われわれはこのバラーンの伝記を書いているのだが……大いに力を貸し、ついにつれないイヴェルネッタ夫人の心をやわらげた。平和がよみがえり、和解は甘美な場面とともになされたので、バリアックはバラーンに、はじめて恋人から愛をえたときより、今度の肉感的な和解のほうが楽しいと言ったほどである。これを聞いてバラーンの気が変わった。彼はいま友人が話して聞かせたあの楽しみを自分でも味わいたいものだと思った、云々」
――『何人かの吟遊詩人の生涯』ニヴェルノワ著。
………
「自然さ」はいくら賛《ほ》めても賛めすぎることはあるまい。これは、行く先の見当もつかないウェルテルふうの恋と同じくらい真剣な恋の場合にもゆるされる唯一の媚態《コケット》であり、また同時に、思いがけない幸せと言うほかはないが、美徳にとって最上の策略でもある。真に感動した男は、自分でも知らぬうちに、魅力あることを言っており、自分の知りもしない言葉でしゃべっているのである。
すこしでも気取る男こそ不幸なるかな! そういう男は、たとい恋をしようと、たとい才智のすべてをかたむけて恋をしようと、自分の利点の四分の三を失う。一瞬たりとも気取れば、一分後には味気ない瞬間がやってくる。
思うに、およそ恋の技術とは、そのときどきの陶酔の程度に見合うものを正確に表現することに還元される。つまり、別の言いかたをすれば、自分の魂に耳をかたむけることなのだ。これがそれほどやさしいことだと思ってはならない。真に恋している男は、女からぞくぞくするようなことを言われたりすると、もう口をきく力をなくしてしまうものなのだ。
こうして彼は自分の言葉が生みだしたかもしれぬ行動をとり止めてしまう。あまりにも愛情あふれる言葉を、時宜《じぎ》を失して言うよりも、だまっていたほうがまだましである。十秒前には所を得ていた言葉も、いまではもはや適切どころではなく、かえってぶちこわしになる。私がこの規則をやぶって(*)、三分前に頭に浮かんでおもしろいと思ったことを口にするたびに、レオノールに必ずやっつけられたものだ。帰途、私は内心考えていた。「もっともだ。デリケートな女には、ああいうことが一番気にさわるにちがいない。それこそ感情の冒涜《ぼうとく》というものだ」彼女たちはむしろ、悪趣味な雄弁術教師のように、ある程度の弱点や冷淡さなら許したことであろう。彼女たちにとってこの世に恋人の嘘《うそ》ほど恐れているものはないので、とるに足りぬことについてのほんのわずかの不誠実さが、それがどんなに邪気のないものであっても、彼女たちから、たちまち幸福をうばい、不信の中に彼女たちを投げこむのである。
(*)思い起こしてほしいのだが、著者がときどき「私」という表現を用いるのは、このエッセーの形式に若干の変化を与えたいと思うからである。彼は、彼自身の感情を読者に語ろうとするつもりは毛頭ない。他人において観察したことを、できるだけ単調におちいることなく伝えたいと思うのである。
貞淑な女は激越さや唐突《とうとつ》さ……じつはこれこそ情熱の特質なのであるが……をきらう。激越さは警戒心を起こさせるにとどまらず、女に防御《ぼうぎょ》の姿勢をとらせるのである。
なにか嫉妬とか不愉快といった動揺が原因で女に対して心が冷静になっているときは、一般に、恋に有利なあの陶酔を生じさせるのに恰好《かっこう》の話題をかつぎだすことができる。まず二言三言、出だしの文句を並べてから、自分の魂が示唆してくれることを正確に言う機会をのがさなければ、愛する女に、はげしいよろこびを与えることができよう。大部分の男がおちいる誤りは、なんとかしてきれいな、気のきいて、感動的なことを言えるようになりたいと思うことである。だが、そんなことよりも、自分の心を社交界的なかたくるしさから解放し、そのときどきに感じたことを率直に表現するという親しさと自然さとに到達することのほうがたいせつなのである。この勇気さえあれば、たちどころに一種の和解によってむくいられるにちがいない。
この恋の情熱を他の情熱以上に強くさせるのは、男が恋する女に与える快楽という、早急にしてしかも無意識の報酬があるからである。
完全な自然さがあれば、二人の幸福はやがては一つにとけあうに至る。共感やその他われわれの本性のたくさんの法則のおかげで、これこそまさにこの世における最大の幸福である。
恋の幸福の必要条件である「自然さ」という言葉の意味を定義することほどむつかしいものはない。習慣的な行動様式から離れないものを人は「自然さ」と呼んでいる。愛する女をあざむいてならないことはいうまでもないが、それだけではなく、ほんの些細《ささい》なことでも、美化したり、真実の純粋な姿を改変したりしてはならないのである。なぜなら、美化すれば注意力は美化することに奪われて、女の眼にあらわれる感情に対して、ピアノのキーのようにはすなおに応じられないからである。女は、やがて自分がなにか冷たさのようなものを感じていることに気づき、その結果、媚態《コケットリ》に救いをもとめることになる。あまり才智の劣った女を愛することができない隠された理由が、ここにあるのではなかろうか。それというのも、そうした女の前で表面《うわべ》を粧《よそお》っても不都合なことがないし、習慣上表面を粧うことが便利なので、つい自然さを欠くことになる。いったんそうなると、恋はもはや恋ではなくなり、普通の取引きとなんら変わるところがなくなってしまう。ただ、ちがうところは、金を儲《もう》けるかわりに、快楽か虚栄心か、それともこの二つの混合したものを獲得するという点である。芝居しても難なく通るような女に対して、軽蔑感とでもいうものを持たないでいることはむつかしい。したがって、その点で、もっとましな女に出会えば、必ずこんな女は捨ててしまう。習慣や愛の誓いがこのような行動を思いとどまらせるかもしれない。しかし、私が話しているのは、自然にまかせておけば最大の快楽をめざして飛んでいこうとする心の傾向についてである。
この「自然さ」という言葉にもどるが、自然さと習慣とは別のものである。これらの言葉を同じ意味にとると、あきらかに、感受性が豊かであればあるほど「自然」であることはむつかしくなる。なぜなら習慣は生き方や行動様式に対して、自然さほどの強い支配力を持たず、人間はそのときどきの情況にしたがうものだからである。冷たい人間の生活は、どのページをとってもみな同じである。昨日も今日も、あなたが握る手はいつも同一の木製である。
感じやすい男は、いちどその心が動かされると、もはや自分のうちに行為を導く習慣の痕跡《こんせき》を見いだすことができない。もうわからなくなってしまった道をどうして辿《たど》ることができよう。
彼が気づいたことは、愛する女に言う言葉のひとつひとつに巨大な重さがかかっているということである。ひとつの言葉がまさに自分の運命を決定するように思えるのである。どうしてうまく言おうとつとめずにいられようか。すくなくとも、うまく言っているのだという感情を持たずにいられようか。こうなれば、もう無邪気さはないことになるから、無邪気さを誇示してはならない。無邪気さとは反省など絶対にしない魂の特質なのだから。われわれは、われわれが行ないうることで成り立っているが、われわれが感じるのは、その成り立っている点をである。
ここで、もっとも繊細な心が恋愛に期待しうる自然さの最後の段階に到達したと思う。
情熱にあふれた男には、嵐のなかで身をささえる唯一の手段として、つぎの誓いを固く守るほかはない。その誓いとはどんなことがあっても真実を曲げることなく、自分の心を正確に読みとるということだ。会話が熱を帯びてとぎれがちの場合、ときどきは自然さのすばらしい瞬間が訪れることを期待することもできよう。さもなければ、恋の狂おしさがすこしさめたときに、はじめて完全に自然になることができよう。
愛する女のそばでは「動作」に自然さがほとんどなくなってしまう。「動作」の習慣は筋肉に深く根をおろしているものであるが。レオノールに腕を貸していると、私はいつも、いまにも倒れそうな気がするので、うまく歩くことばかりを考えていた。われわれにできることといえば、ただ意識的に気どったりはしないということだけだ。自然さの欠如はこの上ない不利益であり、最大の不幸をもたらしやすいということを、心に銘記しておけば十分である。そうでないと、あなたの愛する女の心はもうあなたの心の声を聞かなくなり、あなたは率直さに答えるに率直さをもってするという、あの神経質で無意識の心の動きを失うだろう。これは女を感動させる方法、女を誘惑する方法をさえすべて失うことである。とはいえ私は、恋する素質のある女性が、「からまねば枯れる」というあの「きづた」の面白い格言に、自分の運命をなぞらえることがあるのを否定しようとは思わない。これは自然の法則である。しかし愛する男を幸福にするということは、女性の幸福にとってもつねに決定的な一歩である。だから、分別のある女なら、もはや自らを防ぎようがなくなったときでなければ恋人にすべてを与えないはずだ。あなたの心の誠実さに対するほんのわずかの疑いでも、たちまち彼女に力を回復させ、すくなくとも彼女の屈服をさらに一日だけおくらせるのに十分であろう(*)。
つけくわえるまでもなく、すべて上に述べたことを、まったく滑稽なものとするには、これを趣味恋愛にあてはめてみればよい。
(*)しかし、彼がこの回想録を、なんともいいようのないつらい苦しみをもって書いているように思えた。それゆえ、これ以上私をよろこばすものはこの世にないと思う。――『ペトラルカ』マルサンドの序文
第三十三章
いつも、しずめなければならない小さな疑惑があるということ、これがあらゆる瞬間の渇《かわ》きとなり、幸福な恋に生命を与える。彼から疑惑がどうしても去らないので、その快楽は決して飽きようがありえない。この幸福の性質は、きわめて真剣だということである。
第三十四章 恋の打明け話について
親友に情熱恋愛を打ち明けることほど、ただちに罰せられる失礼な行為はこの世にない。彼は、もしあなたの打明け話がほんとうなら、あなたが自分の千倍も大きい楽しみを味わっていること、またその結果、自分の楽しみをあなたが軽蔑していること、を知る。
これは女性間だと、いっそう始末が悪い。女の生き甲斐《がい》とでも言えるものは、男に情熱を起こさせることだが、たいていの場合、打明け話を聞いた相手の女のほうも、その同じ男の前で、自分の魅力をふりまいたことがあったりするのだ。
一方、この熱病にとりつかれた人間にとっては、たえまなく心を奪う恐るべき疑惑について、冷静に相談できる友人の存在ほど精神的に必要なものはほかにない。というのは、この恐るべき情熱にあっては、「想像されたものは必ず存在」するのであるから。
「私の性格の大きな欠点は」とサルヴィアッチは一八一七年に書いている。「つぎの点で、ナポレオンの性格とはまったく反対のものである。つまり、情熱のもたらす利害関係について議論をしているとき、なにかが精神的に証明されたとしても、それを恒常的にきまった事実として、そこから出発する決心がつかないということである。そして不本意《ふほんい》ながら、またたいへん不幸なことではあるが、証明されたなにかをたえずむしかえして議論することである」野心において勇気を持つことはやさしい。獲得しようとするものへの欲望によって抑制されない結晶作用は、勇気を強めるのに用いられる。しかし恋愛において結晶作用は、われわれが勇気をふるい起こして向かわねばならない対象に、すっかり服従しているのである。
女性は、裏切りを働く友を持つこともあり、また退屈した友を持つこともある。
三十五歳の公爵夫人が、退屈のあまり、なにかをしたい、なにかたくらみごとはないものかなどとたえず思っている。自分の恋人の煮え切れなさに不満なのだが、かといってほかに恋人をつくるあてもないので、身をこがす火のような欲求のはけぐちに困って、その鬱憤《うっぷん》を爆発させるのを唯一の気ばらしにしている。こういう女は、彼女の恋人が、そばで眠りこけていて、いわば手隙《てす》きなのに、失礼にも別の女性に情熱を感じる人がいたりする、そういう本物の情熱をぶちこわすことにやりがいを、すなわち楽しみと人生の目的とを見出すことがよくある。
これは「憎しみ」が幸福を産む唯一の場合である、憎しみが彼女に他のことを忘れさせ、やりがいと仕事を与えるからである。
はじめは、なにかをするという楽しみがある。つぎに、たくらみがひろく一般的に噂《うわさ》されるようになると、成功したいという「刺激」がこの仕事に魅力を与える。女友だちへの嫉妬が、彼女の恋人に対する憎悪という仮面をかぶる。さもなければ、どうしていちども会ったことのない男を、むきになって憎むことができようか。こういう女は、自分の羨望《せんぼう》を認めないように注意する。認めてしまうと、じつはその前に相手の値打ちを認めていたことになるからだ。そして彼女には、そのよき女友だちを、嘲笑することによってのみ、その地位をたもっている追従を事とする連中がいるものである。
腹黒い聴《き》き役の女は、最高の奸計《かんけい》を行ないながら、自分はただ貴重な友情を失いたくないばかりに、そんなことをするのだと思いかねない。退屈している女は、恋に苛《さいな》まれ、死ぬほどの不安にかられている友人の心のなかでは、友情さえ萎《な》えるのではないかと考える。恋をしているときは、友情は打明け話による以外はたもちようがない。ところで、こうした打明け話ほど、羨望にとっていやらしいものがあろうか。
女性の間でゆるされる唯一の打明け話は、つぎのような率直な推論をともなう場合である。「私たちの暴君である男どもが流布《るふ》させた偏見のせいで、執念ぶかくばかばかしい戦争になってしまいました。今日は私を助けてください。明日は私がお力になれるかもしれません(*)」
このような例外の起こる以前に、少女時代に生まれて、それ以後すこしも嫉妬に損われない真の友情による場合がある。
(*)デピネ夫人ジュリオットの『回想録』。プラーハやクラーゲンフルトやモラヴィア地方全域等々では、女は非常に機知があり男は狩がうまい。女性間の友情もごく普通である。この地方の最良のシーズンは冬である。田舎の大貴族のところでは、十五日から二十日にわたってひきつづき狩の催しがおこなわれる。ある日最も機知のある人が私に言った。「カルル五世は正統に王位をついで、全イタリアを統治したのだから、イタリア人がどんなに反抗してもだめだったのです」この立派な人物の夫人はレスピナス嬢の書簡集を読んでいた。 ツナイム、一八一六年。
………
情熱恋愛の打明け話が歓迎されるのは、恋を恋する中学生同士か、好奇心に燃え、愛情のはけ口に困っている若い娘たちの間だけである。娘たちはすでに、こうしたことが一生の重大事であり、いくら早くから考えても早すぎることはないと囁《ささや》く本能(*)にひきずられているのである。
(*)大問題。生後八か月ないし十か月ではじまる教育のほかに、なお多少の本能があるように思う。
三歳の幼女が女らしい≪しな≫を作るのはだれもが知っていることである。
打明け話によって趣味恋愛は燃え立つが、情熱恋愛は冷める。
打明け話は危険のほかに困難がある。情熱恋愛にあっては、表現できないからといって(なぜなら言葉というものはあまりにも粗雑で、このようなニュアンスをとらえることができないからだ)、それが存在しないというわけではない。ただそれはきわめて微妙なものであるから、観察するに際して、見誤るおそれは多分にある。
非常に興奮した観察者は観察を誤る。偶然を正しく評価しないのである。
おそらく最も賢明なのは、自分自身を打明け話の相手とすることである。あなたが恋人と交《かわ》した会話や、あなたを苦しめている困難などを、他から名前を借りて、しかし特徴をとらえてくわしく今夜のうちに書いておきたまえ。もしあなたが情熱恋愛をしているなら、一週間後にはあなたは別人になっていようから、そのときこの診断書を読めばよい忠告が得られるであろう。
男同士では、二人以上集まり、羨望が生まれそうになれば、肉体的恋愛のことしか話さないのが礼儀である。男たちだけの夕食のおわりを見なさい。朗誦《ろうしょう》して大いに楽しむのはバッフォのソネ(*)である。これは、隣の男の賞賛や感激を本気だと思っているからであるが、じつは礼儀上、愉快を粧《よそお》っているにすぎないことが多い。ペトラルカの魅力ある愛の歌やフランスの恋歌《マドリガル》は場ちがいであろう。
(*)ヴェネツィアの方言には、ホラティウスやプロペルティウスやラ・フォンテーヌその他あらゆる詩人たちをはるかにしのいだ溌刺《はつらつ》とした肉体的恋愛の描写がある。ヴェネツィアのブラッチ氏は、現在、わがあわれむべきヨーロッパの、第一級の諷刺詩人である。彼は特に、その主人公たちのグロテスクな肉体描写にすぐれ、そのためにしばしば投獄されている。
第三十五章 嫉妬について
恋をしていると、議会の窮屈な席で討論に耳を傾けているときも、砲火をおかして前哨《ぜんしょう》中隊の交代に馬を走らせているときも、なにか眼に触れ記憶をよびさます新しい事物にぶつかるたびに、自分が恋人について抱いていた観念に、新しい美点をつけ加えるか、恋人からいっそう愛してもらうための新しい手段(それは最初はすばらしいもののようにみえる)を見つけるものである。
想像力の一歩一歩は、一瞬の恍惚《こうこつ》によって償《つぐな》われる。このような状態に魅力があるのは、おどろくにあたらない。
嫉妬が生まれる瞬間にも、魂の同じ習慣が残っているが、それは反対の結果を生むのだ。あなたが愛しているのに、むこうは他の男を愛しているらしい女の王冠に、あなたがつけ加える美点はどれをとっても、あなたに天上のよろこびを与えてくれるどころか、あなたの心臓に短刀をつきつける。ひとつの声があなたに叫ぶ。こんなにすばらしい快楽、それを楽しむのはお前の恋敵《こいがたき》なんだ。
そして、あなたの心をうつ事柄も、はじめのような結果をひき起こさず、かつてのように愛される新しい手段を示すかわりに、恋敵の新しい利点を見せつけるのである。
公園で馬を走らせている美人に出会ったとしよう。そしてあなたの恋敵は、五十分に十マイル走る駿馬《しゅんめ》を持っていたとしよう。
こんな場合に、すぐ狂おしい怒りが生まれてくる。恋においては、「所有することはなにごとでもなく、享楽することが問題だ」、ということをもう覚えていない。恋敵《こいがたき》の幸福を誇張し、その幸福のため自分が受ける侮辱《ぶじょく》を誇張して苦悩の絶頂に、つまり、一抹《いちまつ》の希望が残っているだけになお極度に苦しい不幸に達するのである。
ただ一つの療法は、おそらく恋敵の幸福を間近から観察することである。似かよった帽子を遠く町で見かけるたびに、あなたの心臓の鼓動がとまりそうになるその女のいるサロンで、恋敵がやすらかに眠っているのをあなたはしばしば眼にすることだろう。
彼の眠りをさましたいのなら、あなたの嫉妬を見せてやればよい。おそらくあなたは、あなたよりも彼のほうをえらんだ女の値打ちを、わざわざ教えてやることになるだろう。そこで彼もはじめて女が好きになり、あなたに感謝することだろう。
恋敵に関しては中庸はない。彼と一緒に、できるだけさりげないふうで冗談を言うか、それとも、彼を脅《おびや》かすかのどちらかである。
嫉妬は、あらゆる苦しみのなかで最大のものだから、生命を危険にさらすことさえ楽しい気ばらしとなる。なぜなら、そうなればわれわれの夢想ももはやそれほど苦痛とはならず、悪いほうにばかり考えたりはしない(さきに述べたメカニズムによって)。ときには恋敵を殺すことを空想することもできよう。
決して敵に力を貸してはならないという原則に従って、恋敵に対しては、あなたの恋を隠しておかねばならない。そして虚栄心とか、恋にはなるべく関係のないことにかこつけてできるだけ礼儀正しく、落ち着いたさりげない様子で、彼にこっそりこう言うがよい。「ねえ、どうしてみなさんがあんな女を、ぼくにおしつけようとするのかわからない。それに、ぼくがあの女に惚れているとでも思っているんだからね。君があの女に気があるのなら、よろこんてゆずりたいところだが、どうもそうすると、ぼくが滑稽な役を演ずることになりそうだ。六か月もすれば、どうか遠慮なく君のものにしてくれたまえ。だがいまのところは、どういうわけだか世間はこういったことに名誉を持ちだしたりするんでね。もし君が、ひょっとして、順番がくるのをちゃんと待ってくれなかったら、残念ながらぼくらのどちらかが、命を落とさねばならぬことになるんだ」
あなたの恋敵はいずれ情熱的ではなく、おそらく極めて用心深い男だろうから、あなたの決心がのみこめたら、なにか面目の立つ口実が見つかり次第、手軽に問題の女をあなたにゆずるだろう。だから、宣言するときは陽気に、奔走《ほんそう》するときはいつでも極秘のうちになすべきだ。
嫉妬の苦しみがこんなにも鋭くなるのは、虚栄心が、その苦しみに耐えるなんの力も持っていないからである。だが、いま私の言った方法をとれば、あなたの虚栄心も満足しよう。もし自分を愛想《あいそ》のよい男として軽蔑するまでになれば、あたたは自分を勇気のある男として尊敬することもできるのである。
もし事柄を悲劇的に考えたくなければ、ただちに出発して百六十キロほど離れたところに行き、通りすがりにあなたの足をとどめさせた魅力あふれる踊子とたわむれるがよい。
あなたの恋敵がすこしでも凡俗な人間であれば、彼はあなたの痛手がいやされたと思うだろう。
多くの場合、最善の方法は、恋敵が自分で失策して恋人から「愛想づかしをされる」のを泰然自若《たいぜんじじゃく》として待つことである。娘時代から少しずつ育った大いなる情熱でないかぎり、才智ある女がそういつまでも、凡俗な男を愛するわけがないからだ。すでに許しあった仲の女に対する嫉妬の場合は、なおさら表面は無関心を粧《よそお》い、じっさいには無節操であることが必要だ。なぜなら多くの女は、自分がまだ愛している恋人に裏切られたとき、彼が嫉妬をした男に愛情を感じるようになり、たわむれのこの恋が、しばしばほんものになるからである(*)。
(*)セルバンテスの小説『無礼な物ずき』におけるような場合である。
私はやや詳細にわたって論じた。なぜならこうした嫉妬の瞬間に、人はとかく理性を失うからである。前もって書いた忠告がぴったりあてはまるし、それに大切なのは平静を粧うことであるから、哲学的著作の調子をとることがこの場合適当である。
相手の男があなたを支配するのは、あなたが情熱を注ぐことによってはじめて価値の生じるものをあなたから取りあげるか、あるいはそれに対して希望を抱かせるかのどちらかにかぎられるのだから、もしあなたが、そんなものには関心がないことを信じさせることができれば、相手はたちどころに武器を失ってしまう。
さしあたりなにもすることがなく、暇つぶしのためなにか慰安を求めようという気になれば、『オセロ』を読むのもおもしろいだろう。最も決定的な外観さえ疑わせるからである。あなたはつぎのことばに、無上の歓《よろこ》びをもって眼をとめるだろう。
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空気のように軽いものでも、
嫉妬する者には聖書の言葉ほどの
有力な証拠となる。
――『オセロ』第三幕
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私は、美しい海の眺《なが》めが、慰安を与えてくれるのを経験した。
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「静かに輝かしく明けた朝は、城館から陸地のほうに眼を移すと眺められる荒涼とした山々に、ここちよい景観を与えていた。そして、幾千の銀波がさざめいているすばらしい大洋は、水平線の果てまで、おそろしい、しかしやさしい威厳をくりひろげていた。最も苦悩のはげしい瞬間さえも、人の心は、このような静けさと偉大さとが刻印された風景から、それと一体となった感動をうけ、その壮大な影響によって、名誉と美徳の行為をよびさまされずにはおかないのである」
(『ラマムーアの花嫁』第一巻、一九三ページ)
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サルヴィアッチはつぎのように書いている。一八一八年七月二十日……私は、しばしば屁理屈《へりくつ》のきらいはあるが、野心家あるいは善良な市民が、戦闘中、兵站《へいたん》倉庫の守備とか、それとも、なんの危険も戦闘もない他の勤務につかされたときに体験する感情を、私の全生涯にあてはめて考えることが多い。四十歳にもなれば、はげしい情熱を燃やすことなく過ごした恋の季節を残念に思うだろう。また、だまされて、人生を真に生きることなく過ごしてきたことに、おくればせながら気がついて、にがく屈辱的な不快さを覚えるだろう。
「私は昨日、愛する女といっしょに三時間を過ごした。恋敵《こいがたき》もいっしょだったが、彼女は彼を手厚く持てなしていると、私に思いこませたがっていた。たしかに、彼女の美しい眼が、彼にそそがれているのを見てにがい思いをする瞬間があった。そして帰るときには、極度の不幸から希望へと激しい感情の転移をあじわった。だが、なんと多くの新しいこと、なんという生き生きとした思想、すばやい推理があったことか、また恋敵の見かけの幸福にもかかわらず、自分の恋のほうが彼の恋よりまさっているのをなんという誇りとよろこびをもって感じたことか。私は思った。愛に燃えた私ならよろこんでやってみせるちょっとした犠牲にも、彼の頬《ほお》はきわめて下らない恐怖で蒼《あお》ざめることだろう。たとえば、「彼女に愛される」「直ちに死ぬ」と書かれた二枚の札から一枚を引くために帽子に手をつっこむことだって私には幸福だ。しかもこんな感情は私にとって、特別なものではないのだから、私は愛想よく会話を平然とつづけていたのである。
「二年前にこんなことを話す男がいたら、きっと私は嘲笑したことだろう」
一八〇六年ミズーリ河の水源をきわめたレヴィス、クラーク両大尉の旅行記二一五ページを読む。
「リカラ族は貧しいが、善良でおおどかだ。われわれはその三つの部落に、かなり長い間滞在した。この種族の女は、これまで出会った他の種族の女より美しく、また、恋人たちの気をもませない性質である。われわれは、すべての価値は一定でないということを知るには世界を回ってみればよいという、あの真理の新しい例を見いだした。リカラ族の間では、夫や兄弟の同意なくして、女が男に身をゆるすのは非常な罪とされる。もっとも、その兄弟や夫はよろこんで友人にこのようなささやかなもてなしをするのであるが。
「われわれは黒人を一人伴っていた。こんな色をした人間を見るのははじめてだったので、土民の間に彼は非常なセンセーションを巻き起こした。彼はまもなく女たちの人気ものになったが、夫たちはそれを嫉妬するどころか、彼が自分らの家にくるのを非常によろこんだ。おかしかったのは、せまい小屋のなかでは、すべてがまる見えだったことである」
第三十六章 続・嫉妬について
心変わりをしたと疑われる女について。
彼女はあなたから離れる。なぜならあなたは、彼女の結晶作用に水をさしたからである。しかしおそらく、彼女の心のなかでは習慣の結果、まだあなたは忘れられていない。
彼女はあなたから離れる。なぜならあなたに安心しきっているからである。あなたが疑惑を殺してしまったので、もう幸福な恋につきものの小さな疑惑は起こりようがない。彼女を不安がらせるがよい。特に、はっきりと気持ちを明かすような、馬鹿なまねはしないように。
彼女のそばで長く暮らしてきた間に、あなたは彼女が、その町や社交界のどんな女をいちばんねたみ怖《おそ》れているかがおそらくわかったであろう。そういう女に言いよりたまえ。しかしそれをひけらかすのではなく、かくすようにしたまえ。ただし本気でやるように。もう一方の女の憎悪《ぞうお》の眼がすべてを見、感じるのにまかせておきたまえ。あなたは数か月間、すべての女に、深い反感を抱くだろうから、かえってこうしたことはやりやすいはずである。忘れてならないのは、こういう状況では、情熱を表面にだすと、すべてがだいなしになるということだ。愛する女とはあまり会わないようにし、上品な仲間とシャンペンでも飲んでいるがいい(*)。あなたの恋人の愛を判断するには、つぎの点をおぼえておきたまえ。
(*)ダイアモンドでかざられた枝と、落葉した枝とを比べると、その対照が思い出をいっそう生き生きさせる。
一 恋の根底に、つまりかつて二人を親密な仲にしたもののなかに、肉体的快楽がはいっていればいるほど、その恋は心変わり、とりわけ裏切りの危険がある。これはとくに十六歳のころ、結晶作用が青春の火にかきたてられて成立した恋にあてはまる。
二 愛しあっている二人の人間の恋は、めったに同じものではない(*)。情熱恋愛には種々相があり、二人のうちのどちらか一方が、かわるがわる、他方より強く愛しているものである。片方がたんなる色事か虚栄恋愛のつもりでも、他方が情熱恋愛のことがよくある。そして、夢中になって恋するのはたいてい女のほうである。恋人のうちの一方が感じている恋がどんな種類のものであれ、嫉妬をおこせば、たちどころに他方が情熱恋愛の条件をみたすことを要求するものだ。嫉妬している恋人が虚栄心から、愛情こまやかな心の持つ欲求を粧《よそお》っているのである。
(*)例証。イギリスの例の偉大な貴夫人(リゴニア夫人)に対するアルフィエリの恋。彼女は同時に従僕とも関係していたが、おかしなことにペネロペと署名していた。
要するに、趣味恋愛にとって、相手が示す情熱恋愛ほど肩の凝るものはない。
才智ある男は女に言いよりながら、ただ彼女に恋を思わせ、やさしいおもいにさせるだけにとどまることがよくある。彼女は、こんなよろこびを与えてくれる才智ある男を、好意的に受けいれる。彼は希望を抱く。
ある日この女は、前の男が話してくれたことを彼女に感じさせる別の男に会う。
男の嫉妬が、愛する女の心に、どういう影響をおよぼすかを私は知らない。しかしその女がその男にうんざりしている場合、もし嫉妬されている男のほうが嫉妬する男より魅力があるとすれば、この嫉妬は女の心に、憎しみをさえおぼえるほどのひどい嫌悪感をひきおこすにちがいない。クランジュ夫人が言ったように、女が嫉妬してもらいたいのは、まさに、嫉妬されるに価する男からなのである。
女が嫉妬する男を愛してはいるが、その男には愛される値打ちがない場合、その嫉妬は、あの扱いにくく、不可解|至極《しごく》の女の自尊心を傷つけることがある。
嫉妬は、気位の高い女たちには、自分の力を人に見せる新しい方法としてよろこばれることもある。
嫉妬は、恋を証明する新しい方法として、よろこばれることもある。嫉妬は、極度に繊細な女の羞恥心を傷つけることもある。
嫉妬は、恋人の雄々しさを示すものとしてよろこばれることもある。ferrum amant(彼女らは剣を愛する)。気をつけねばならないのは、愛されるのは雄々しさであって、冷静な心と密接に結びついているテュレンヌ風の勇気ではない。
結晶作用の原理からひきだされる結論の一つは、女は、彼女が裏切った恋人に対して、いつかこの男をなにかに利用したい気があれば、「|はい《ウイ》」という言葉を絶対に言うべきではない、ということだ。
われわれを魅了する対象についてつくったあの完全なイメージを楽しみつづける快楽は、あの致命的な「|はい《ウイ》」をきくまでは、つぎのようなものだ。
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死ぬよりはむしろ、生きるため苦しむために、
都合のよい口実を、はるか遠くまで人は探し求めに行く
――アンドレ・シェニエ
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フランスには有名なソムリー嬢の逸話がある。恋人に現場を押えられながらも、大胆に事実を否定し、相手がなおも抗議の叫びをあげると、「ああ、わかりました。あなたはもう私を愛していらっしゃらないのね。あなたは私の言うことより、あなたが自分でごらんになったことの方をお信じになるんですもの」と言った。
あなたを裏切った恋人と和解すること、これはたえず生まれてくる結晶作用に短刀の一突きでとどめをさすようなものである。恋は死なねばならず、あなたの心はその苦悩の一歩一歩を、悲痛な思いで感じるであろう。これは、かの情熱と生活との最も不幸な結合の一つである。友人としてのみ和解するだけの勇気を持つべきであろう。
第三十七章 ロクサーヌ
女性の嫉妬について言えば、女は疑いぶかく、恋においてわれわれ男性よりもはるかに危険をおかし、恋のために、はるかに大きな犠牲をはらう。われわれのように気晴らしの手段も多くなく、特に恋人の行動をたしかめる手段をあまり持っていない。女は嫉妬をすれば、自分が堕落したような気がする。男を追いかけているようにとられるし、恋人から物笑いの種にされ、とりわけ彼女の最も愛情こまやかな情熱を嘲《あざけ》られたと思いこむ。彼女が残酷な気持ちになるのも当然であるが、女は恋敵《こいがたき》を合法的に殺す手段を持たない。
だから、嫉妬は女性にあっては、男性におけるよりもさらにいとうべき(もしこうしたものがありうるとして)病気となるはずである。これは人間の心が、自己解体をすることなく、無力な怒りと自己嫌悪(*)とで耐えることのできる、ぎりぎりの線である。
(*)この嫌悪は、自殺の大きな原因の一つである。人が自殺するのは、自己の名誉を回復するためである。
これほどひどい病気の療法には、病気をおこさせる者か、それとも、それに苦しむ者かが死ぬのがいちばんよい。フランス流の嫉妬の例は『運命論者ジャック』のラ・ポムレー夫人の話に見られる。
ラ・ロシュフコーは言った。「人は嫉妬を告白するのを恥じる。しかし、かつて嫉妬したこと、いまもできることを誇りとする者だ(*)」気の毒なことに女性は、このひどい苦しみを味わったことを思い切って告白しようとしない。それほど嫉妬は女性を笑いものにする。これほど苦しい傷は、決して完全に癒着《ゆちゃく》するはずがない。
(*)『パンセ』四九五。いちいち指摘しなかったが、この本に、読者はすでにほかにも有名な作家の思想がいくつかあったのに気づかれたであろう。私が書こうとしているのはお話であるが、このような思想は事実なのである。
冷静な理性が、想像力の火に身をさらしても、いくらかの成功の影が射《さ》しているならば、私は嫉妬になやむ気の毒な女性に言うだろう。「男の不貞とあなた方の不貞には大きなちがいがあります。あなた方の場合、この行為はある点では≪直接的行為≫であり、ある点では≪意志表示≫です。わが国の陸軍士官学校の教育の結果、この行為は男性にとってなんの意志表示でもありません。女性においては反対に、羞恥心の結果、献身の意志表示のなかで最も決定的なものになります。悪い習慣のために、それは男性にとっては、必要事のようになっています。若いころから、学校用語でいう≪上級生≫の例にならって、われわれは自分の虚栄心や価値の証拠を、みなこの種の成功の数に置いています。あなた方の教育は反対の方向をとっているのです」
一つの行為が意志表示として、どんな価値を持つかというと、たとえば私が腹だちまぎれに隣の男の足の上にテーブルをひっくりかえした場合、これは彼にはひどく痛いが、話しあいは簡単につく。あるいは私が彼に平手打をくわせる身振りをする。
両性における不貞のちがいはこんなにはっきりしているので、情熱的な女は不貞をゆるすことができるが、これは男にはできないことである。
情熱恋愛と「意地」による恋愛とを区別する決定的な実験がある。女性にあっては、相手の不貞はまずほとんど情熱恋愛を殺してしまうが、「意地」による恋愛を倍加する。
気位の高い女性は自尊心から嫉妬をかくす。彼女はいく晩も熱愛する男とだまったまま冷たい夜を過ごす。しかも彼を失いはしないかとびくびくして、自分は彼の眼に、あまり魅力のない女にうつっていると思っている。これはおそらく最大の苦しみのひとつであり、また恋の不幸の最も豊かな源泉のひとつにちがいない。こういう女こそまさに尊敬に値する女であるが、彼女たちの苦しみを癒《いや》すには、男がなにか突拍子もない強い行動にでなければならない。特に見て見ぬふりをしていること。たとえば女といっしょに一晩泊まりの大旅行を試みるといったこと。
第三十八章 自尊心の意地(*)について
(*)この語をこういう意味に使うと、あまりフランス語らしくなくなるのは知っているが、これにかわるべき言葉が見つからなかった。イタリア語ではpuntiglio、英語ではpiqueという。
「意地」は虚栄心のひとつの動きである。私は相手に負けたくない。ところがこの「私はほかならぬこの相手を私の価値の判定者としている」のである。私は彼の心を動かしたいと思う。このためにわれわれは、ひどく常軌を逸したことをするようになる。
ときには、自分自身の無法を正当化するために、相手がわれわれをだまそうとしているのだとまで考えるようになる。
「意地は名誉心の病気」であるから、君主政体のもとでははるかに頻繁《ひんぱん》であり、行為を実利の度合にしたがって評価する習慣が支配している国々、たとえばアメリカ合衆国のようなところでは、きわめてまれにしか見られないのは当然である。
だれでもそうだが、とくにフランス人はお人好しとみられるのをきらう。しかし、むかしのフランスの君主政体はそれほど固苦しいものでなかった(*)ので、「意地」も色事あるいは趣味恋愛以外のところでは、あまり被害をおよぼさなかった。意地が卑劣な行為を生んだのは、気候の関係で性格がもっと陰気な君主国(ポルトガル、ピエモンテ)においてである。
(*)一七七八年ごろのフランスの大貴族の四分の三は、法律が、えこひいきなく執行される国においては、前科者にもなりかねなかったことであろう。
フランスの地方人は、社交界で伊達者《だてもの》と言われる者はこうであるにちがいないといった滑稽な手本を作りあげ、たがいに人を窺《うかが》ってばかりいる。だれかが変なことをしでかさないかと、しょっちゅう監視している。だから自然さがなく、いつも自尊心のため神経をとがらせている。この癖《くせ》のために彼らの恋愛までが滑稽なものになっている。これは羨望《せんぼう》のつぎに小都会の滞在をやりきれなくするものであり、またどこかの小都市のすばらしい風景を嘆賞するときにも、これは考えておかねばならないことである。どのように高邁《こうまい》で気高い感動も、文明の産物中最も下劣なものとの接触によって抑えられてしまう。なんともおぞましいのは、こうしたブルジョワどもが大都会の腐敗のみを口にすることである(*)。
(*)恋愛に関することとなると、彼らは羨望からたがいに監視しあっているから、地方には恋がすくなく放蕩が多い。イタリアはもっと幸福である。
意地は情熱恋愛にはありえない。それは「あのひとにつれなくされるのをそのままにしておいたら、あのひとは私を軽蔑し、もう私を愛してくれないかもしれない」と考える女の自尊心か、あるいは、たけり狂う嫉妬である。
嫉妬は、そのおそれる相手の死をのぞむ。意地になった男はまったくちがう。彼は敵が生きていて、特に自分の勝利の目撃者となることを欲するのである。
意地になった男は、恋敵が張り合うことを放棄するのを見れば苦しむことだろう。なぜなら恋敵は内心無礼にも、「おれがあの女からあのまま手をひかなかったら、おれのほうが勝ってたさ」と思っているかもしれないからだ。
意地を張ると、見かけの目的などに意を用いない。勝ちさえすればよいのである。これはオペラ座の踊子たちの恋によく見られるところである。あなたが彼女の恋敵に無関心な態度をとれば、それまでは窓から身を投げかねまじきほどであった彼女の情熱なるものはたちまち消えてしまう。
意地ずくの恋は、情熱恋愛とは反対に、一瞬のうちに過ぎ去る。敵がきっぱりとあらそいから手をひくと言いさえすれば、それでこの恋は終わるのである。しかし私は、この原理をこれ以上おし進めることを躊躇《ちゅうちょ》する。実例は一つしかなく、それもなお多くの疑問をとどめているのである。事実はつぎのとおりであり、判断は読者にまかせる。ダイアナ嬢は二十三歳で、セヴィリアきっての金持で気位の高い町人《ブルジョア》の娘である。美人にはちがいないが、盛りをすぎた感じである。非常に才気があり、それにもまして高慢だと言われていた。彼女は、すくなくとも外見上は情熱的にある若い士官を愛していたが、家の者は彼が気にいらなかった。士官はモリロ将軍についてアメリカへ出征した。二人はたえず文通していた。ある日、ダイアナ嬢の母親の家で大勢の客のいるなかで、ある馬鹿者がこの愛すべき青年の死を告げた。みなの眼が彼女にそそがれた。彼女は「お気の毒ね、あんなにお若いのに」と言っただけだった。この日、われわれはちょうど老マシンジャーのある戯曲を読んだところだった。戯曲は悲劇的に終わるのであるが、女主人公《ヒロイン》はやはり表面はおなじ冷静さで愛人の死をむかえるのである。ダイアナの母親は、その傲慢《ごうまん》と憎悪にもかかわらず、からだをふるわせて、父親は、よろこびをかくすために、部屋を出て行った。まさにこうしたなかで、居合わせた人々が狼狽《ろうばい》して馬鹿な話し手に目くばせをしている間ダイアナ嬢はただひとり落ち着いて、何事もなかったかのように会話をつづけていた。母親は空恐《そらおそ》ろしくなり、小間使いに言いつけて娘の様子に気をつけさせたが、彼女の起《た》ち居《い》振舞いにはなんの変化もみられなかった。
二年の後、非常な美青年が彼女に言い寄った。このときも、いつもと同じ理由で、つまり求婚者が貴族でないというので、ダイアナ嬢の両親はこの結婚に極力反対した。彼女は、結婚すると宣言した。娘と父親との間には自尊心の意地の張りあいがおこった。青年は出入りを禁じられ、ダイアナ嬢はもう田舎の別荘にも行けず、教会にもほとんど行けなくなった。彼女が恋人と会う手段はそれがどんなものであれ、細心の注意をはらってとりのぞかれた。男のほうは変装して、ごくたまにではあったが、こっそり彼女に会っていた。彼女はますすす依怙地《いこじ》になり、どんなすばらしい相手も、フェルディナンド七世の宮廷の爵位《しゃくい》やりっぱな地位も断わってしまった。町中が二人の恋人とその雄々《おお》しい誠実さを噂した。ついにダイアナ嬢の成年が近づいた。彼女は父親に、自立権を行使するつもりであると告げた。家の者も、もはや進退きわまって、結婚の交渉をはじめた。両家の正式の会合で話がなかばまとまったとき、六年間心変わりしなかった青年はダイアナ嬢との結婚を断わった(*)。
十五分後にはもう何事もなかったように見えた。彼女は気をとりなおしていた。彼女は意地で愛していたのだろうか? それとも自分の苦しみを人目にさらすのをいさぎよしとしない偉大な魂なのだろうか?
(*)毎年このような卑怯なやり方で捨てられる女の例がいくつかある。身持ちのよい女が疑い深いのは当然許せる。ミラボーの『ソフィーへの手紙』を参照。専制国では世論は無力である。力があるのはパシャの友情だけだ。
情熱恋愛も、女の自尊心の「意地」を生じさせないと、幸福に到達しえないことが多い、と言いたい。この場合、見たところ、望みうるかぎりのものは得ている。不服を言うのは滑稽で無分別に思えるだろう。自分の不幸を人に打ち明けるわけにはいかないが、それでも、たえずこの不幸を感じとり、それを確認している。この不幸の確認は、魂を奪うほどの幻影を与えるに最も似つかわしく、最も楽しい状況と言わば絡《から》みあっている。この不幸は、最も愛情こまやかに感じられる瞬間、恋人に挑《いど》むようにその醜い頭をもたげてくる。そして、腕に抱きしめる魅力的で無情な恋人に愛されているという幸福のすべてと、この幸福が絶対に実を結ばないということを、同時に感じさせるのである。これはおそらく嫉妬につづいて起きる、最も残酷な不幸である。
ある大きな町で、一人の優しい愛情こまやかな男が、この種の狂熱にかられ、ただ、妹への意地から彼を愛していた愛人を殺害せざるをえなかった事件は、いまも記憶に新しい。ある夜彼はその女を誘い、彼自身があらかじめ用意しておいたきれいなボートに乗って、ふたりきりで海に漕ぎでた。沖へでると、彼はバネを押した。ボートが裂けて永遠に消えさった。
私は六十歳の老人が、ロンドンの劇場きっての気まぐれで、常軌を逸しており、驚くべき女優コーネル嬢の世話をしはじめたのを見た。「それであなたは、彼女があなただけを守っていくとでも思っているんですか」とある人に言われると、「とんでもない。しかしそのうちにわしを愛するようになりますよ。それもたぶん気ちがいのようにな」と答えた。
はたして彼女は、まる一年間彼を愛し、しかもしばしば、気ちがいじみるほどであった。三か月も続けて彼になんの不服の種も与えなかった。彼は、この女と自分の娘との間に、いろいろの点ではげしい自尊心の意地を作りあげておいたのである。
意地は、意地によって行くさきが決まる趣味恋愛において勝利をえる。これが趣味恋愛と情熱恋愛とを区別する、いちばんよい実験である。青年が連隊に入ると聞かされる軍隊の古い格言がある。それは二人姉妹のいる家の宿舎券を割当てられた場合、そのうちのひとりに愛されたかったら、そうでないほうの女に言いよれというものである。スペインの大勢の若い商売女にもてたいと思ったら、大まじめに、そして控え目に、下宿の女主人にはすこしも気がないと吹聴《ふいちょう》すれば十分である。私にこの有益な金言を教えてくれたのは愛すべきラサル将軍である。これは情熱恋愛を傷つける最も危険な方法である。
自尊心の意地は、恋愛結婚についで、幸福な結婚のきずなとなる。多くの夫は、結婚後二か月でかわいい情婦をつくることによって、長年にわたり妻の愛情をつなぎとめる。妻にただ一人の男のことしか考えないという習慣をつけさせ、その上、家庭のきずなが、この習慣を抜きがたいものにする。ルイ十五世の時代の宮廷で、ある高貴な婦人(ショアズル夫人)が夫を熱愛していたが、それは夫が、彼女の妹であるグラモン公爵夫人にひどく気があるように見えたからである。
われわれが捨てた女でも、彼女がほかの男を愛しているのを見せびらかすやいなや、われわれは落ち着きを失い、心に本当の情熱がわくのを感じるものである。
イタリア人の勇気は怒りの発作であり、ドイツ人の勇気は陶酔の一瞬であり、スペイン人の勇気は自尊心の現われである。もし勇気が、各中隊の兵士間や各師団の連隊間の自尊心の意地である場合が多いような国民であれば、いったん敗走の際は、もう拠点がないのも同然だから、この軍隊の敗走をどうしてくいとめることができよう。危険を見越して対策を練ることなど、虚栄心の強いこの敗走者にはまったく馬鹿げたこととなるであろう。
「北アメリカの蛮地《ばんち》の旅行記のどれかをひらけばわかるのであるが」と、ある愛すべきフランスの哲学者が言っている。「戦争中の捕虜の運命は、通常、生きながら焼かれ、肉を食べられるだけではなく、それ以前に、燃えさかる火あぶり台のそばの柱にしばりつけられて、人間の狂暴性が考えうるかぎりの、最も残忍で手のこんだ方法で数時間にわたって責め苛《さいな》まれるのである。見物人一同の人肉を食うよろこび、特に、女、子供の狂乱と残忍さをきそう凶暴な快楽を目撃した旅行者が、これらの恐ろしい場面について語っているところを読まねばならない。また、これらの旅行者が、捕虜の英雄的な剛毅《ごうき》、不変の冷静さについてつけ加えているのを見なくてはならない。捕虜は、なんの苦痛の色を見せぬばかりか、あらんかぎりの傲慢《ごうまん》な自尊心と辛辣《しんらつ》な皮肉と、無礼な嘲罵《ちょうば》とをもって死刑執行人どもに大胆に立ち向かい挑戦する。自分の武勲を歌い、自分が殺した見物人の親族、友人をかぞえあげ、彼らに加えた責苦をことこまかに述べたて、自分をとりまく者は、みな卑怯者、臆病者、拷問《ごうもん》の方法も知らぬ者と非難する。こうして最後には身をずたずたに切り裂かれ、狂熟に酔い痴《し》れた敵に、まざまざと生きたまま食われながら、彼の声の最後の吐息《といき》と最後の悪罵《あくば》とは、生命とともに吐き出される(*)。すべてこれらのことは、文明開化の諸国民には信じられないことであろうし、わが国の、最も大胆不敵な擲弾兵《てきだんへい》の隊長には作り話に見えるであろう。また、いつの日か後世からは疑惑の眼で見られるであろう」
(*)こうした光景に慣れて、自分がその主人公になりかねないと思うような人間は、魂の偉大さにしか注意を向けることができない。そしてこのときこの光景は、非能動的快楽のうちで、最も親しい第一のものとなるのである。
こうした生理的現象は捕虜の特殊な精神状態によるものである。この精神状態が、一方には捕虜、他方にはその死刑執行人すべてとの間に、自尊心の闘争、負けられないという虚栄心の賭《かけ》をつくりあげるのである。
わが国のりっぱな軍医たちがしばしば観察したところであるが、精神や感覚が平静な状態では、ある手術中に大声をあげたかもしれない負傷者でも、あらかじめある種の準備をしておけば、反対に平静さと魂の偉大さとを示す。それは、彼らの名誉心を刺激することである。はじめは慎重に、つぎには反対にいらだたせながら、君は、声をあげずには手術にとてもたえられまい、と言っておくべきなのだ。
第三十九章 争いのある恋について
二つの種類がある。
一 争う者同士が愛している場合。
二 争う者同士が愛していない場合。
もし恋人の双方が認めている美点で、いずれか一方があまりすぐれていると、他方の恋心は死なねばならない。なぜなら軽蔑されはしまいかというおそれが、遅かれ早かれやってきて結晶作用を一気にとめてしまうからである。
凡人にとって、他人の精神の優越ほど厭《いや》らしいものはない。これが今日の社会での憎悪の源泉となっている。もしもはげしい憎悪がこの原則のせいでないならば、それはただこの原則によって仲をさかれた人間が、いっしょに暮らすことを余儀なくさせられていないからにすぎない。すべてが自然で、ことにすぐれた人間が自然に振舞い、そのすぐれた点が社会的考慮によってすこしも隠蔽《いんぺい》されていない恋愛においては、どうなることであろうか?
情熱が生き続けるためには、劣者は相手につれなくする必要がある。さもないと優者が窓ひとつ閉めても、劣者のほうでは侮辱《ぶじょく》されたと思いこむことになろう。
優者のほうでは幻想を心に抱く。そして彼の感じる恋にはなんの危険も伴わないばかりか、愛している者の弱点はたいてい、その恋をいっそう貴重なものにする。
同じ程度の人間同士では、情熱恋愛が報いられると、それが長続きするためには、愛していないでやりあう「争いの恋」がそれにとってかわる必要がある。ベリ公爵夫人に関する逸話にはこのいくつかの例が見出されるであろう(デュクロの『回想録』)。
この恋は、人生の散文的・利己的な一面にもとづく冷やかな習慣、死ぬまで人間につきまとう習慣の本性と結びついているので、情熱恋愛そのものより長つづきするかもしれない。しかし、これはもう恋愛ではない。恋愛によってひき起こされたひとつの習慣であり、この情熱についての思い出と肉体的快楽が残っているにすぎない。この習慣は、当然あまり高尚でない魂を予想させる。毎日小さないざこざが起こる。つまり情熱恋愛の場合は、毎日なにか新しい愛情の証拠が必要だったように、いまは、「あの人に叱られるかしら」という考えが想像力をとらえるのである。ドゥドゥト夫人とサン・ランベールの逸話を参照せられよ。
自尊心がこの種の関心に馴《な》れるのをこばむこともある。その場合数か月の嵐の後、自尊心は恋を殺してしまう。しかし、この高貴な情熱は消えさる前に、長い間抵抗するのである。幸福な恋でのちょっとした争いは、つれなくされながらも依然として相手を愛している心に、長いこと幻影を抱かせる。ときどきしみじみとした仲なおりがあれば、こうした期間はもっと耐えやすいものになる。なにか人しれぬ悲しみとか金銭上の不幸でもあるのだろうと察して、女は深く愛した男を許す。結局、喧嘩していることにも馴れてしまう。事実、情熱恋愛、賭博《とばく》、権力の掌握(*)のほかに、どこに激しさにおいて、争いの恋に比べうる日々の興味の源泉を見いだせようか? 争いの相手が死ぬようなことがあれば、生き残った犠牲者のほうはいつまでも心が和《なご》まないのだ。この原則が、多くの中産階級《ブルジョア》の結婚のきずなとなっている。叱られるほうは、自分のいちばん好きなことを一日中聞かされているのである。
(*)ある種の偽善的な大臣たちが何といおうと、権力は快楽の最たるものである。恋愛だけがそれにまさりうるものだと思うが、恋愛は幸福な病気であり、大臣の椅子のように手に入れることはできない。
争う恋に贋物《にせもの》もある。私は、非常に才智のある女性の手紙を材料として第三十三章を作った。「いつも、しずめなければならない小さな疑いがあること、これが情熱恋愛のあらゆる瞬間の渇《かわ》きとなるのです。この上なくはげしい不安が去ることがないので、その快楽はけっしてあきようがありません」
気むずかし屋の連中、あるいは育ちの悪い男たち、極端に激烈な気質の人では、このしずめねばならない小さな疑い、このかすかな懸念が、すぐ争いとなってあらわれる。
もしも愛されている女が、細心な教育の成果である極度に鋭い感受性を具《そな》えていなければ、彼女はこの種の恋のなかにいっそうの活力を、したがっていっそうの楽しさを見いだすことができる。また、どんなに繊細な女性であっても、「激怒している男」が、なによりもまずおのれの情熱にわれを忘れている犠牲者なのだとわかれば、そのためにいっそう彼を愛さずにはいられない。モーティマー卿が、恋人の思い出でいちばんなつかしく思ったのは、彼女が彼の頭に投げつけた燭台《しょくだい》なのだ。じっさい、もし自尊心がこのような感覚を許し認めるなら、その感覚こそ、あの幸福な人々の最大の敵である倦怠《けんたい》に対して、しゃにむに戦うことを決めておくべきだ。
フランスが生んだただ一人の歴史家サン・シモンは言っている(第五巻、四五ページ)。
「さんざんに浮気をしたあげく、ベリ公爵夫人はビロン夫人の甥《おい》であるエディー家の末子リオンに本気で恋心を燃やした。彼には美貌も才気もなかった。ふとった、背の低い、頬《ほお》のふくれた蒼《あお》白い青年で、吹き出ものだらけで膿瘍《のうよう》かと思われぬでもなかった。歯はきれいだったが、彼自身たちまちのうちに夢中になるような情熱をペリ公爵夫人に起こさせようなどとは想像してもみなかった。この情熱は長つづきしたが浮気をしたり、裏切ったりすることを妨げるものではなかった。財産はまったくなく、これも劣らぬ貧之な兄弟姉妹が大ぜいいる。ポンス氏と、ペリ公爵夫人の化粧係であるポンス夫人と彼は親戚で、同郷だった。彼らは、龍騎兵《りゅうきへい》であったこの青年をどうにかしてやりたいと思い、呼びよせたのである。彼が到着するとすぐに公爵夫人のごひいきになり、リュクサンブール宮殿でわがもの顔にふるまった。
「ローザン氏は、彼の甥孫にあたるリオンの成功を見て腹の中で笑っていた。彼は有頂天になり、マドモワゼル時代の自分が、リュクサンブール宮でこの甥孫のなかに再生されたように思ったのである。彼はリオンにいろいろ教訓を与えた。リオンはおとなしく、生まれつき礼儀ただしく、うやうやしく善良で正直な青年だったので、それに耳をかたむけた。だがやがて彼は、自分の魅力のほどを知った。もっともその魅力は、公爵夫人の不可解な気まぐれをとらえる程度でしかなかったが。彼はほかの女にはみだりに魅力をふりまかなかったのでみんなに好かれた。だが公欝夫人にだけは、むかしローザンがマドモアゼルにしたようにふるまった。まもなく彼はこの上なく豪奢《ごうしゃ》なレースや衣裳を身につけ、銀や耳輪や宝石で飾った。彼はみんなに好かれるようにし、公爵夫人には嫉妬を起こさせ、自分も嫉妬するふりをしておもしろがった。しばしば彼は夫人を泣かせた。すこしずつ、彼の許しがなければ夫人はなに一つとして、どんなつまらぬことさえできない状態にさせられてしまった。オペラ座へ行くため外出しようとしているのに家に居させたり、別の機会には行きたくないのを無理に行かせたりした。彼女がすこしも好まなかったり、あるいは嫉妬している婦人たちを余儀なく好遇させたり、彼女は好きなのだが、彼のほうでは嫉妬するまねをしている男たちを冷遇させたりした。身づくろいのことでさえ彼女にはすこしの自由もなかった。すっかり身支度がすんているのにおもしろ半分に髪を結《ゆ》いなおさせたり、そうでないときは衣裳を変えさせたりした。それがあまりたびかさなり、ときには人前で言われたりするので、彼女は毎夜、翌日の身づくろいと日程について、彼の命令を受けておく習慣をつけさせられた。ところが翌日になると彼はなにもかも変えてしまうので、公爵夫人はさめざめと泣くのであった。ついに彼女は腹心の召使いをやって、彼に伺いをたてるようになった。というのも彼は、ほとんど到着以来、リュクサンブール宮に住んでいたのだから。そして化粧の間、どんなリボンをつけ、どんな衣裳に他のどんな飾りをつけたらよいかと何度も伺いがくり返されるのであったが、ほとんどいつも彼は、彼女が非常にいやがるものをつけさせるのであった。ときたま彼の許可なしにすこしでも思いどおりなことをすると、彼は彼女を女中扱いにしたので、彼女はよく幾日も泣きつづけたものであった。
「あれほど威厳のあったこの公爵夫人、並みはずれた自尊心を示したり、行使したりするのが非常に好きだったこの公爵夫人が、彼や流れ者どもといっしょに、秘密っぽい食事をするまでに身をおとしてしまった。それまでは生《は》えぬきの大公でなければ彼女と食事をともにすることなどできなかったものである。彼女を子供のころから知っていて、その教育にあずかっていたジェズイット派のリグレ師がこの奇妙な食事に加わるのを許されたが、彼はそれを恥とも思わなかったし、公爵夫人も困っているふうはなかった。ムーシー夫人がこうした奇妙な事柄すべての相談相手であった。彼女とリオンとが、会食者に通知をだし、日取りを決めた。この婦人がふたりの恋人の仲をとりなすのであった。こうした生活は、リュクサンブール中にすっかり知れわたっていた。みんなはリオンの機嫌《きげん》をとり、彼のほうでも気をつけてみんなとうまくやってゆき、だれにも礼儀をかかさないようにしていたが、公爵夫人にだけは人前でもそんな様子は見せなかった。みんなの前で彼女に乱暴な返事をするので、居合わせた者は眼を伏せるし、夫人は顔を赧《あか》らめるのであった。それでも彼に対する情熱的な態度を強いて押えようとはしなかった」
リオンは公爵夫人にとって、退屈ざましの妙薬であったわけである。
ある有名な女性がボナパルト将軍に突然言った。彼は当時、栄光に包まれた若き英雄であり、自由に対してまだなんら罪をおかしていなかったころのことである。「将軍、女はあなたの妻になるか妹になるほかありませんのね」
英雄はこのお世辞を理解しかねた。相手は巧みな悪口で仇《かたき》をうったのである。こういう女は恋人が残酷であってはじめて好きになれるのである。
第三十九章の二 恋の療法
ルーカディアの断崖から飛び降りることは、古代における美しいイメージであった。事実、恋の治療はまず不可能と言ってもよい。危険が生じると人間は、注意力を自己保存の考えに強く向けるが、そのような危険だけが必要ではなく、さらにもっとむつかしいことであるが、危機一髪の危険が続くことが必要なのである。もっとも、自己保存に思いを至す習慣が生じるだけの時間を持つために、巧みにその危険を避けることができなければならないが、私に思いあたるものといえば、ドン・ジュアンの場合のような十六日間の嵐とか、コシュレ氏の書いたモール人の国での難破くらいのものである。ほかの例としては、人はすぐに危険に馴れてしまって、敵前二十歩のところで騎哨《きしょう》に立ったときにも、いつもより恍惚として愛する女のことを思いはじめてしまうことを挙げておこう。
多分いくどもくり返し言ったように、真に恋している男の愛は、自分の想像するあらゆることを享楽し、それに「戦慄《せんりつ》」する。自然のなかで、愛する者のことを彼に語らないものはなにひとつない。ところで、享楽し戦慄することは、きわめて重要な関心事であるから、それに比較すると、他のいかなることも色あせてしまう。
恋の病を患《わずら》っている者をいやしてやりたいと思う友人は、まず、愛されている女の肩をつねに持つべきである。ところが、りこうであるよりもむしろ一所懸命になりすぎる友人たちは、きまって反対のことをしないではいられない。
それは滑稽なほどかけはなれた兵力で、われわれが前に結晶作用と呼んだあの魅力的な幻影の集合を、攻撃するようなものである。
恋をいやしてやろうと思う友人は、いつもつぎのことを心得ておかねばならない。すなわち、恋する男にとって信じるかどうかが問題の、ばかげたことが起きて、それをそのまま認めるか、それとも、彼を生に執着させるあらゆるものを放棄するかという段になると、彼はそれを認めるほうをえらぶであろうし、また、どんなにりこうであったところで、恋人の明白な悪徳や、最もひどい不実を否定するであろうということである。こうして、情熱恋愛では、すこし時がたてば、すべてが許される。
理智的で冷やかな性格の男なら、恋する相手の欠点をそのまま鵜呑《うの》みにするには情熱が数か月続いたあと、はじめてそれに気がついた場合に限られる。恋をいやしてやろうと思う友人は、恋する男の気持ちを無遠慮に、あからさまに、まぎらせようとはしないで、反対に彼の恋と恋人について飽きるほど話してやり、同時に身ぢかに小さな出来事を、つぎからつぎへと起こるようにしてやるがよい。彼「ひとりきり」の旅行ではききめがない。対照《コントラスト》ほど愛する者のことをしみじみ思いださせるものはないからである。私が、ロマーニアの奥の深いアパルトマンで、ひとり寂《さび》しく暮らしている、哀れな私の恋人をこの上なくいとおしく思ったのは、ほかならぬパリの華やかなサロンで、いわゆる絶世の美人と賞《ほ》めそやされる女性たちを前にしていたときであった。
私が島流しにされていたその華やかなサロンの豪奢《ごうしゃ》な振子時計で、私は、彼女が雨の中を歩いて女友だちに会いに行く時間をそれとなくはかっていた。彼女のことを忘れようと努めていたとき、私はつぎのことを知ったのだ。つまり、対照というものが、かつて女に会った場所へ求めに行く思い出ほどは生き生きとしていないにしても、それよりはるかに天上的な思い出の源泉であることを。
恋人がその場にいないことを役立てようとすれば、いやし手の友人がそばにつきっきりで、恋している男に、恋のいきさつをよくよく反省させる必要がある。しかも弁舌の長たらしさ、あるいはちぐはぐさでこの反省にうんざりさせるようにする。その結果、恋を患《わずら》う男に、恋患いがありふれたことだと思わせる。たとえば、うまい酒で愉快な食事をしたあと、しみじみと感傷的になるようなものである。
かつてそのそばにいると幸福を感じさせてくれた女を忘れがたいのは、想像力がどれほど再現し美化してもなお飽きることのない、いくつかの瞬間があるからである。
残酷だが最上の療法である自尊心については、なにも言わない。それは愛情こまやかな魂の治癒《ちゆ》には役立たないのである。
シェークスピアの『ロメオとジュリエット』の最初の数場面はすばらしい絵をなしている。「あの女《ひと》は恋をしないという誓いをたてている」と悲しく呟《つぶや》く男と、幸福の絶頂にあって「どんな悲しみがこようとも!」と叫ぶ男とは、たいへんなひらきがある。
第三十九章の三
彼女の情熱は、油のつきたランプのように消えるであろう。
『ラマムーアの花嫁』第二巻、一一六ページ。
恋をいやしてやろうとする友人は、たとえば「忘恩」などというまずい理由を口にしないよう気をつけねばならない。結晶作用に勝利と新しい快楽を与えることは、これをよみがえらせるようなものである。
恋には忘恩などというものはありえない。現在の快楽がつねにすべてをつぐない、さらに一見最大の犠牲をもつぐなうように見える。率直さを欠くことだけが誤りだと思う。その人の心の状態を正確に示すべきである。
恋をいやしてやろうとする友人がすこしでも恋を正面から攻撃すれば、恋する男はこう答える。「愛する者を、怒らせながらも、恋するというのは、君たち商売人の口吻《こうふん》を借りれば、まあ富くじを一枚買うようなものだが、この富くじのもたらす幸福は、君が君たちの無関心と個人的利害の世界で、ぼくに提供してくれるどんなものよりはるかにましなのだ。女にもてるから幸福だというのなら、虚栄心がうんといるさ。それもけちな虚栄心がね。ぼくは他人様《ひとさま》がめいめい自分の世界でそんなふうに行動しているのを非難する気は毛頭ないよ。だがレオノールのそばでは、ぼくはすべてが天上的で愛情ぶかく高潔なひとつの世界を見いだしたのだ。君たちの世界では至高の、信じられないほどの美徳でも、われわれの会話ではありふれた日常|茶飯《さはん》の徳にすぎなかったのだ。せめて、こういう人のそばで一生を過ごすという幸福を夢みることぐらいはぼくの勝手にさせといてくれ。中傷されてやりそんじ、もう望みのないことはわかりきっているが、とにかく、彼女のために復讐はやめにするつもりだ」
恋を止めるにはその出鼻をくじくほか、まず方法があるまい。突然旅行に出るとか、カレンベルク伯爵夫人の場合のようにむりに上流社交界の気晴らしに加わるという手段もあるが、恋をいやしてやろうとする友人が用いるちょっとした策略は、ほかにもいろいろある。たとえばあなたの恋人が、喧嘩の対象となるようなことを別にすれば、ひとりの恋敵《こいがたき》に払っている礼儀と尊敬とをあなたに対しては持っていないということを、さりげなくあなたの前に持ちだしてもよい。どんな些細《ささい》なことでもかまわない。なぜなら恋愛においては、すべてが「表象」だからである。たとえば劇場の桟敷《さじき》にはいるとき、彼女はあなたに腕をかさなかった。こうしたくだらぬことでも、情熱に燃えた心には悲劇的にとられ、結晶作用を形づくる判断のひとつひとつに屈辱を結びつけて、恋の源を毒し、やがては恋を破壊することにもなるのである。
われわれの友人につれなくする女について、確かめることのできないなにか肉体的な、滑稽な欠陥があると言って中傷することも可能である。たとえ恋する男がこの中傷を確かめることができ、しかもそれに根拠のあることがわかったとしても、想像力によって、その中傷は克服されるだろうし、やがて跡形もなく消えるであろう。想像力に対抗できるのは想像力よりほかにない。アンリ三世が有名なモンパンシエ公爵夫人の悪口を言ったとき、このことをよくわきまえていたのである。
だから若い娘を恋から守ろうとすれば、特に想像力に気をつけなければならない。彼女の才智に卑俗なところがなく、魂が気高く高潔であればあるだけ、要するに、われわれの尊敬に価すればするだけ、それだけ彼女は大きな危険をおかすことになる。
若い娘がくりかえし、しかもあまりにも楽しく、ただ一人の男性のことだけをいちずに思いだすのを大目に見ていると、かならずなにか危険が起る。感情や感嘆や好奇心があらわれて思い出のきずなをさらに強めるようなら、彼女はまず確実に断崖の淵《ふち》に立っている。日常生活の退屈が大きければ大きいだけ、感謝や感嘆や好奇心などと呼ばれる毒のききめは大きい。こんなときは、ただちに、急速で強い気晴らしが必要である。
だから、最初に会ったときに多少邪慳に「気のない様子」をするのも、もし薬が自然に調合されていれば、才智ある女に尊敬されるまず確実な方法と言ってよいだろう。
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第二部
第四十章
あらゆる恋愛、あらゆる想像力は個人において、つぎの六つの気質の色合いを帯びている。
多血質、あるいはフランス人、あるいはフランクイユ氏(デピネ夫人の『回想録』)、
胆汁《たんじゅう》質、あるいはスペイン人、あるいはローザン(サン・シモンの『回想録』のペギラン)
憂鬱《ゆううつ》質、あるいはドイツ人、あるいはシラーのドン・カルロス、
粘液《ねんえき》質、あるいはオランダ人、
神経質、あるいはヴォルテール、
運動家質、あるいはクロトンのミロン。
気質の影響が野心、貪欲《どんよく》、友情等々においてあらわれるとすれば、生理的なものが混じらざるをえない恋愛においてはどうであろうか?
あらゆる恋愛がさきに述べた四種類と一致すると仮定しよう。すなわち、
情熱恋愛、あるいはジュリー・デタンジュ、
趣味恋愛、あるいは色事《ギャラントリ》、
肉体的恋愛、
虚栄恋愛(町人にとって公爵夫人という者は、絶対に三十歳以上には見えない)。
この四つの恋愛に、六つの異なったタイプをあてはめてみるべきだ。この六つのタイプは、さきに述べた六つの気質が想像力に与える習慣に依存している。だからティベリウスはヘンリ八世の気違いじみた想像力を持っていなかった。
つぎに、こうして得られたすべての組み合わせを、政体あるいは国民性による習慣の相違にあてはめてみよう。
一 コンスタンチノープルで見られるようなアジア的専制君主制。
二 ルイ十四世式の絶対王制。
三 イギリスのように憲章の仮面をかぶった貴族制、すなわち、富者の利益を尊重する国家の政府。そこではいっさいが聖書的道徳の準則にしたがう。
四 アメリカ合衆国におけるような連邦共和政体、あるいは万人のための政府。
五 立憲君主制、あるいは……。
六 スペイン、ポルトガル、フランスのように革命状態にある国家。一国のこうした状態は、万人にはげしい情熱を鼓吹《こすい》し、風俗に自然さをもたらし、児戯《じぎ》に類すること、因襲的道徳、愚劣な礼儀作法(*)をすべて破壊し、青年を真剣にし、虚栄恋愛を軽蔑させ、色事《ギャラントリ》を無視させる。
(*)大臣ロランの留め金のない靴。「ああ万事休す」と、デュムリエは答えた。御前会議のとき国会議長が脚を組んでいること。
この状態は長く続き、一つの世代の習慣を形成することがある。フランスでは、この状態は一七八八年にはじまって一八〇二年に中断され、一八一五年にまた始まったが、いつまで続くか神のみぞ知るである。
「恋愛」についてのこうした一般的考察方法をすべて終えたあとで、年齢の相違が問題となり、最後に個人的特殊性が考慮される。
たとえばつぎのように言うことができよう。
「私はドレスデンでヴォルトシュタイン伯爵のうちに虚栄恋愛を、憂鬱質を、君主制的習慣を、三十歳の年齢を、そしてその個人的特性を認めた」
このような物の見方は、物事を簡略にし、本質的できわめてむつかしい事柄である恋愛について判断を下す者の頭に、冷静さをもたらす。
さて、われわれは生理学の分野において、比較解剖学によらなければ自分についてほとんどなにも知りえないのとおなじく、情熱においても、虚栄心をはじめ錯覚の原因が数多くあるので、他人のなかに観察した弱点によってしか、自分の内部に起こっていることを明らかにしえないのである。このエッセーがたまたまなにか役に立つ効果をあげるとすれば、それは精神をみちびいて、この種の比較を行なわしめることにあろう。その比較の端緒《たんしょ》をつけるため、以下に諸国民における恋愛の一般的特徴を若干素描してみよう。
話がしばしばイタリアに立ちもどるとしてもお許しいただきたい。ヨーロッパの風俗の現状においては、これが私の描こうと思う、植物がのびのびと育っている唯一の国なのである。フランスでは虚栄心が、ドイツでは噴飯《ふんぱん》ものの気違いじみた自称哲学が、イキリスでは臆病で気むずかしく、怨《うら》みっぽい自尊心が、それぞれこの植物を痛めつけ、窒息させ、あるいはおかしな方向へねじ曲げてしまっているからだ(*)。
(*)この論文は、リジオ・ヴィスコンチが旅行中に見聞した逸話を、その都度書き留めておいた断片からなっているということを、たびたび想起していただきたい。これらの逸話はすべて彼の日記に詳しく語られている。それを全部再録すべきだったかもしれないが、それでは諸君が不適当とされるものが出てくるであろう。いちばん古い断片は、一八〇七年ベルリンの日付があり、最後のは一八一九年六月の彼の死の数日前のものである。二、三の日付は慎重を期してわざと変えておいたが、私の変更したのはただこれだけである。私に文体を変更するほどの権威があるとは思えなかったのである。この書物は百もの違った土地で書かれたものだが、おなじようにいろいろな場所で読者に読まれたいものである。
第四十一章 恋愛から見た諸国民
フランスについて
私は個人的な感情をすて、ただ単に冷やかな哲学者になるつもりである。
フランスの女たちは、虚栄心と肉体的欲望しか持たぬ愛想のいいフランスの男に教育されたため、スペインやイタリアの女より、行動的でも精力的でもなく、おそれられてもいず、またとりわけ愛されることもなく、権力もない。
女は、その恋人に、罰として与えることがある不幸の度合に応じて、はじめて権力を持つ。ところが、男に虚栄心しかない場合、女はすべて有用ではあるが、不可欠のものではなくなる。男の心をそそる成功は、征服することであって保持することではないからである。肉体的欲望だけなら、娼婦《しょうふ》がいる。そこでフランスの娼婦は魅力的だが、スペインの娼婦はたいへんよくない。フランスで娼婦は、多くの男に、良家の婦人と同じ程度の幸福、すなわち愛のない幸福を与えることができる。フランスの男にはつねに自分の恋人よりも尊重するものが一つある、つまり虚栄心である。
パリの青年は、恋人を一種の奴隷、とりわけ自分に虚栄心の満足を与えるべき奴隷としか考えていない。もし女が、この支配的な情熱の命令に反抗しようものなら、彼は女を棄て、いかに颯爽《さっそう》と、いかに手ぎわよく彼女を振ったかを友人に吹聴《ふいちょう》して、ますます自己満足におちいるのである。
自分の国をよく理解していた一フランス人メーヤンは言った。「フランスでは、偉大な情熱は偉大な人物とおなじくらい稀なものだ」と。
フランス人にとって、女に棄てられ、絶望していることが町中全部に知れわたっている男の役を演じることがいかに不可能なことか、これを言い表わす適当な言葉がない。ヴェネチアやボローニャでは、そんなことはざらにあることなのだが。
パリで恋を見つけようと思ったら、教育と虚栄心の欠如や、真の貧困との戦いがあってもなおエネルギーを温存している階級にまで下っていくよりしかたがない。
自分に満たされない大きな欲望があることを他人《ひと》に見られるのは、「自分の劣等」を見られることにひとしいから、フランスでは、最下層の人々でもなければ不可能なのである。これはあらゆる悪質の揶揄《やゆ》に身をさらすことであり、そのために、彼女らの気持ちを警戒して青年たちは、あんなにも娼婦を礼讃するのだ。「自分の劣等」を見られることを極度に、無暗矢鱈《むやみやたら》と懸念するのが地方人の会話の原理となっている。最近も、つぎのようなことがあったではないか。ある男が、ペリ侯爵閣下の暗殺を聞いて、「知ってたさ」と答えたものだ(*)
(*)実話である。多くの連中はなんでも知りたくてたまらないくせに、新しいことを聞くと機嫌をそこねる。彼らはそれを物語る人間より自分が劣って見えるのが我慢ならないのだ。
中世では、危険の存在が心を「鍛えた」。こう言って間違いでなければ、それこそ十六世紀の人間のおどろくべき優秀さの第二の原因である。独創性というものも、現在では稀で滑稽で危険で、その上多くの場合見せかけのものであるが、当時はごくあたりまえの虚飾のないものだった。コルシカやスペインやイタリアのようにいまだに危険がたびたび猛威をふるう国では、いまなお偉大な人物を輩出することができる。一年のうち三か月は、灼熱《しゃくねつ》の暑さが胆汁をわきたたせるこれらの風土において、欠けているのはただ、原動力をどこに「方向づけ」るかの問題にすぎないのである。私はパリでは、原動力そのものが欠けているのではないかとそれが心配である(*)。
(*)パリで巧く暮らしていくには、無数の些事《さじ》に注意しなければならない。だがここに非常に有力な異議申し立てがある。恋のために自殺する女の数が、全イタリアのすべての都市におけるよりもパリにおけるほうがはるかに上回っていることである。この事実は私を大いに当惑させる。さしあたって、どう答えてよいやらわからないが、このために自説を変えはしない。おそらくフランス人にとって今日では死がとるにたりないことと考えられるのであろう。極度に文明化された生活はそれほど退屈なのだ。それともむしろ、虚栄心の不幸に堪えかねて自分の脳天に一発ぶちこむのかもしれないのである。
その上、すなわちモンミラーユやブーローニュの森では、あんなに勇敢にふるまうわが国の青年の多くが、恋することをおそれている。二十歳にもなって、きれいだなあと思った娘を避けるなどというのは、じつのところ肝っ玉が小さいからなのである。かつて小説で読んだ恋人たるに「ふさわしい」ふるまいを思いだすと、彼らはぞっとしてしまう。このような冷ややかな魂を持った男は、情熱の嵐は海を波だたせはするが、それがまた同時に、船の帆をはらませ波を乗り切る力を与えるということに思い至らないのである。
恋は甘美な花だ。しかし、おそろしい断崖の端までそれを摘みにいく勇気を持たねばならない。恋をすれば、人々の笑い草にされるばかりでなく、愛する女から棄てられるという絶望につねにつきまとわれるのであって、残りの人生すべてに「死の空白 dead blank」しか残らないのである。
文明の完成とは、十九世紀のあらゆる繊細な快楽と、いっそう頻繁《ひんぱん》な危険の存在とをむすびつけることであろう(*)。私生活の享楽が、しばしば危険にさらされることによって無限に増大されることが必要である。その時がくるまでわれわれみんなは、世にも優秀な教師たちか、完璧な方法にしたがって最新の諸科学を教えている、かのパリの教育施設から、ネクタイを器用に締めたり、ブーローニュの森で優雅に決闘したりすることしかできぬダンディや馬鹿者のたぐいしか輩出しないのを見て、ただただあきれるばかりであろう。外国の軍隊が侵入し、祖国の山河をけがしたとき、フランスでは国債がはじめてつくられたが、スペインでは「ゲリラ」が組織された。
もし私が息子を、自分の腕で立身出世できる人間、自分の才能で世間に打って出る精力的で巧妙な遣手《やりて》にしたいと望んだら、ローマで教育を受けさせるであろう。もっともローマでは、一見したところ、衒学者《げんがくしゃ》たちが愚にもつかぬことを教えているとしかみえないのだが。
(*)私はルイ十四世時代の習俗を賛美する。人々はたえず、しかも三日がかりで、マルリーのサロンからスネフやラミリーの戦場へと赴くのであった。人妻も、母も、恋する女も、不安のやむときがなかった。セヴィニェ夫人の書簡集を参照のこと。この危険の存在が、(文学の尊厳という掟のおかげで)この時代からわれわれに残された唯一のうつし絵たる言語のなかに、今日ではもはやあえてなしえないような精力《エネルギー》と率直さとを温存しえたのである。だが男子たる私は、このイデオロギー(観念学)の書では、セヴィニェ夫人がたびたび筆にしたようなことは省かざるをえない。またラメト氏は妻の愛人を殺したのだった。もしウォルター・スコットのような作家がルイ十四世時代を小説に書いてくれたとしたら、われわれはさぞ驚嘆することであろう。
第四十二章 続・フランスについて
もう少しフランスの悪口をいうのをお許しねがいたい。私の諷刺《ふうし》が罰を受けずにまかりとおるのではないかとご心配くださるには及ばない。もしこのエッセーが読者をえたとしたら、私の罵詈雑言《ばりぞうごん》は百倍となって私の上にはねかえってくるであろう。国民の名誉心が監視しているのだから。
フランスはこの書のプランで重要な地位を占めている。なぜならパリは、会話と文学がすぐれていることで、現在も将来もつねにヨーロッパのサロンたりうるからである。
ウィーンでもロンドンでも、毎朝の手紙の四分の三はフランス語で書かれているか、あるいはフランス語による比喩《ひゆ》や引用にみちている(*)。だがなんとひどいフランス語であることか!
(*)イギリスでは、最も重厚な作家でもフランス語を引用することによって軽快な調子がでるものと思っている。しかもそのフランス語たるや大部分は、英文法においてのみフランス語たりうる体《てい》のものなのだ。『エディンバラ・リヴュー』の編集者たちを見たまえ。プロシアの先々代の国王の寵姫《ちょうき》だったリヒテナウ伯爵夫人の『回想録』参照。
偉大な情熱という点では、フランスは独創性を欠いているが、それはつぎの二つの理由によると思われる。
一 真の名誉心、すなわち社交界で尊敬を受けたり、また毎日、虚栄心が満たされるのを見たいためにバイヤール将軍のごとき人物になりたいという欲望。
二 おろかな名誉心、または、パリの上流社会の上品な紳士に似たいという欲望。サロンへの出入りのしかた、恋敵《こいがたき》によそよそしい風を示したり、恋人と仲たがいしたりする技巧等々。
おろかな名誉心は第一に、それ自体馬鹿者どもに理解されうるし、第二に、毎日の行動に、さらには刻々の行動にさえ適用できるから、われわれの虚栄心の満足にとっては、真の名誉心よりはるかに役に立つ。おろかな名誉心は持つが、真の名誉心は持たぬ連中が社交界で大いにもてはやされているのをみかけるが、この逆は成り立たない。
上流社会の洗練された調子とは、
一 どんなに盛大な利害の問題をも皮肉にとりあつかうこと。むかしは、真の上流社会の人々なら何事にも深く心を動かされるようなことはありえなかった。その暇がなかったり、こうした態度ほど自然なものはなかった。田舎の別荘に滞在することがこの事情を変化させている。その上、フランス人にとっては、「感嘆している」ところを見られるほど本性に反することはないのである。つまりそれは、自分が感嘆しているものよりも劣ることを示すばかりでなく、それならまだしもなのだが、隣人が自分の感嘆しているものをあざ笑いでもしようものなら、その隣人にさえ劣っていることになるからである。
反対にドイツやイタリアやスペインでは、感嘆は誠意と幸福にみちあふれている。そこでは感嘆する者は、自分の熱狂に誇りを持ち、悪く言う者をあわれむ。私は嘲笑する者とは言わない。唯一の笑うべきことが、幸福への道を踏みはずすことにあり、ある種の生活態度をまねることにはないこれらの国々については、嘲笑する者の役割は存在しえないからである。南欧では、不信と、はげしく感じている快楽にじゃまがはいりはしまいかというおそれとが、奢侈《しゃし》と華麗さとに対する先天的な礼讃を生みだしている。マドリードやナポリの宮廷を見たまえ。カディスの funzione(祭)を見たまえ。これは狂熱状態にまで至る(*)。
(*)サンプル氏の『スペイン紀行』。彼は真実を描いている。遠方できいたトラファルガー海戦の忘れがたい描写もある。
二 フランス人は、一人きりで時を過ごさねばならなくなると、自分がいちばん不幸で、またもっとも滑稽な男だとさえ思いこむ。ところで、孤独のない恋愛とはいったいなんであろうか?
三 情熱的な人間は自分のことしか考えず、重んじられたい人間は他人のことしか考えない。そのうえ、一七八九年以前のフランスでは、個人の安全はある「団体」、たとえば司法官の団体、の一員になって、その団体のメンバーから保護をうけるほかはなかった。だからあなたの隣人の考えは、あなた自身の幸福の必要不可欠の部分となっていたのである。このことはパリの町においてよりも宮廷においていっそう真実であった。じつのところ、こうした習慣、日に日に力を失いつつあるが、なお一世紀はフランス人を支配するであろうこれら諸習慣が、いかに偉大な情熱を益するかを感得するのはたやすいことである。
窓から身をなげながら、しゃれた恰好《かっこう》で舗道に落ちたいと思う人間が目に見えるような気がする。
情熱的人間は彼自身に似ているだけで、他人には似ていない。フランスではこのことがあらゆる物笑いのたねとなる。その上彼は他人の感情をそこねるが、これが嘲笑に拍車をかけることになる。
王弟殿下|譜代《ふだい》の護衛隊長N…伯爵は、劇場のこけら落しの日に二階正面桟敷に席が見つからないのに憤慨し、場所がらもわきまえずに一人のりっぱな検事と席争いをはじめた。この検事、ペルノ先生といったが、頑《がん》として席をゆずろうとしない。「そこは僕の席だ」「いや私の席だ」「いったいだれだ、君は」「六フラン様だ」(これはこのあたりの席料である)。ついでしだいに語気が荒くなり、罵倒しあい、腕力沙汰におよんだ。N…伯爵は不謹慎にもこの気の毒な法官を泥棒呼ばわりし、ついに従卒の軍曹に命じて身柄を取り押えさせ、護衛隊に連行させるに至った。ペルノ先生は昂然として連行されていったが、釈放されるとすぐその足で警察に訴え出た。彼がその光栄あるメンバーだった怖るべき団体は、彼が訴えを取り下げようとするのを頑として承知しなかった。事件は最近高等法院で審理された。N…伯爵は訴訟費用の全額を負担した上、検事に謝罪し、二千エキュの損害賠償を支払うべしという判決を受けた。この二千エキュは検事の承諾をえてコンシエルジュリー監獄のあわれな囚人たちにあてられるはずであった。さらに同伯爵は今後国王の命令を口実に劇場をさわがせてはならぬ云々と特に明確に厳命された。この事件は非常な物議をかもしたが、そこには大きな利害関係が糸を引いていたのである。全法曹団はその制服をきた一人に加えられた暴行によって侮辱されたと考えたのだ、云々。N…伯爵は事件のほとぼりをさますために武勲をもとめてサン=ロックの野営地におもむいた。彼にとってそれ以上の策はないという噂だった。力づくで地位を獲得することにかけては、彼の手並みは疑う余地がなかったからである。(グリム、第三部、第二巻一〇二ページ)。これがペルノ先生ではなくて、無名の哲学者だったらどうか。決闘の必要あるゆえんである。
これより後の四九六ページ、ボーマルシェが『フィガロの結婚』の上演にあたって友人が頼んできたお忍び用の桟敷を断わった、いかにももっともな手紙を参照。この返事がある公爵にあてられたものだという噂があった間、みなは大さわぎして、重い罰に問われるだろうと言っていたが、ボーマルシェが、デュパティ裁判長にあてた手紙だ、と言明するにおよんで一場の笑い話で終わってしまった。一七八五年と一八二二年とではずい分開きがあるのだ。われわれは、もうこうした感情は理解できない。ところがこういった連中を感動させた悲劇が、われわれにとってもよい悲劇たりうるはずだというのである!
第四十三章 イタリアについて
イタリアの幸福はその瞬間瞬間の感興《インスピレーション》に身を任せることである。この幸福はある程度までドイツやイギリスでも共有されているものである。
その上、イタリアは中世の共和都市の美徳であった実利主義(*1)が、国王に都合がよいようにゆがめられた美徳、すなわち名誉心(*2)に、王座を奪われなかった国である。真の名誉心もおろかな名誉心への道をひらく。おろかな名誉心は、つぎのように自問する習慣をつける、「私の幸福を隣人はどう思っているだろうか」と。ところで愛情の幸福は、虚栄心の対象とはなりにくい。なぜならそれは目に見えないからである。以上の事柄の証拠に、フランスは世界中で恋愛結婚の最もすくない国である。
(*1)G・ペッキオはある美しいイギリス娘に与えた熱烈な手紙で、自由なスペイン、復興された中世ではなく永遠の生きた中世であるスペインについてつぎのように書いている。六〇ページ。「スペインの目的は光栄ではなくて独立だったのです。もしスペイン人が名誉のためにのみ戦ったのだから、戦いはトゥデラの合戦をもって終わっていたでしょう。名誉心には奇妙な性質があります。一度汚されると行動する力がまるでなくなってしまうのです。スペインの前線部隊もやはり名誉という偏見にとらわれていた(つまり現代ヨーロッパふうになっていた)ので、一度敗北すると、いっさいが名誉心とともに亡びたと考えて壊滅《かいめつ》したのでした、云々」
(*2)一六二〇年には、人はできるだけへりくだり、たえず「わが主、国王」と唱えることを名誉と心得ていた(ノアーユやトルシーおよびルイ十四世時代のすべての大使の回想録を参照)。理由は簡単である。こうした言い方をすることにより、自分が臣下のなかでどんな「地位」を占めているかを公に示すのである。国王から得たこうした地位が臣民たちから注目され尊敬されたことは、ちょうど古代ローマにおいて、トラジメーヌの戦いぶりを見た市民たちの世論によって得た地位とひとしかったのである。「虚栄心」とその橋頭堡《きょうとうほ》たる「しきたり」とを破壊することは絶対王政を攻撃することである。シェークスピアかラシーヌかという論争は、ルイ十四世か憲章かという論争形態の一つにほかならない。
イタリアのすぐれた点はまだほかにある。すばらしい空の下に、非常な閑暇があること。これはあらゆる形の美に対して人を敏感にさせてくれる。極端ではあるが筋道の通った疑念こそ、孤独感をつよめて、許し合った仲の甘美さを倍加してくれる。小説をはじめ、だいたい本を読まないので、瞬間の感興にいっそう身を任せることになる。音楽に対する情熱こそ恋に似た感動を心の裡《うち》に起こさせる。
フランスでは一七七〇年ころには疑念などというものは存在しなかった。反対に年中|人中《ひとなか》で暮らし、死んでいくというりっぱなしきたりがあった。リュクサンブール公爵夫人は百人もの男友だちとわりない仲になったが、厳密な意味での恋愛も友情も存在しなかった。
イタリアでは、情熱を抱くことなどひどくめずらしいことではないから、すこしも滑稽ではない。サロンでは恋愛に関する一般的な格言《マキシム》が大声で引用されるのを耳にする。この病気の徴候や段階はだれでも知っていて、非常に関心が払われている。恋人に棄てられた男はこう言われる。「半年は絶望状態だろうよ。だがそれがすむと、あとは何某君のようになおってしまうさ」
イタリアでは公衆の判断は、情熱の忠実な召使いだ。この国では、現実の快楽が、ほかの国では社交界がにぎっている実権をふるっている。理由はごく簡単である。虚栄心など持つ暇がなく、王侯などには忘れてもらいたいと思っている民衆に対して、社交界はほとんど快楽を与えないから、権威もあまりないというわけである。退屈した連中は情熱にとらえられた男をとかく悪く言うが、そういう連中は馬鹿にされているのだ。アルプス山脈の南では、社交界は牢獄を持っていない専制君主である。
パリでは名誉心が、剣を手にして、それともできれば気のきいた警句で、ひろく認められた重大な利害関係のすべての筋道を守ることを命じるから、皮肉の蔭《かげ》にかくれるほうがはるかに都合がいい。ところが多くの青年たちはこれとはちがう行き方をえらんだ。つまりJ・J・ルソーとド・スタール夫人の流派に身を投じたのである。皮肉がもはや陳腐《ちんぷ》なやり方になった以上、感情を持たねばならなくなったのである。現代のプゼなら、ダルランクール氏ばりに書くであろう。とにかく一七八九年以来、諸事件は「有用」とか個人の感情のために、かの「名誉」とか世論の支配に抗して闘っている。議会の実状は、なにもかも、冗談までも討議することを教えている。国民はまじめになり、色事《ギャラントリ》は地盤を失いつつある。
私はフランス人として言わねばならない。一国の富をなすのは、少数の富ではなく、多数の中流資産である、と。どこの国でも情熱はまれである。しかるにフランスでは、色事が他国より優雅で繊細であり、したがって他国よりも多くの幸福をもたらす。世界に冠たるこの偉大な国民は、恋においても、精神上の諸才能におけるとおなじ位置にある。一八二二年にわが国には、たしかにムアも、ウォルター・スコットも、クラッブも、バイロンも、モンティも、ペリコもいない。そのくせ識見もあり、快活で、今世紀の知的水準に達した才智に富む人々にいたっては、その数はイギリスやイタリアを凌《しの》いでいる。これが一八二二年におけるわが下院の討論がイギリス議会のそれよりもすぐれているゆえんであり、イギリスの自由主義者がフランスにやってくると、われわれはその旧式《ゴティック》な意見の多いのにまったくおどろくのである。
あるローマの芸術家がパリからつぎのような手紙を書いた。
「ここはまったく不愉快なところだ。おそらく僕が思いのままに恋をする暇がないからだろう。ここでは感受性は生まれるそばから一滴ずつ使いはたされ、すくなくとも私の眼には、その源泉まで涸らしてしまうように思われる。ローマでは毎日の出来事などにわずかしか気を使わないですみ、外的生活は眠っているから、感受性が情熱に都合のいいように蓄積されるのだ」
第四十四章 ローマ
つぎのようなことがあるのはローマだけだ。今朝のことだが、自家用の馬車まである相当な家の奥さんが、ちょっとした知りあいの奥さんのところへいって心からうちとけてこう言った。「ねえ、あなた、ファビオ・ヴィテレスキなんかといい仲になっちゃだめよ。辻強盗にでも惚れたほうがましだわ。あの人ったら、やさしいひかえめな様子をしているけれど、あなたの心臓に短刀をつきさして、その上胸をえぐりながら、やさしく笑って『どう痛いかい?』なんて言える人よ」
しかもこれは、意見をきかされている当の婦入の十五になる美しい早熟な娘の前で起こったことなのだ。
もし北方の人々が、こうした南方の自然な気やすさに、はじめ不幸にして気を悪くしなければ、一年滞在するうちに、他国の女はみんながまんできなくなってしまう。なおこの気やすさは、お上品とか人の興味をそそる新奇さとかが存在しないために、おおらかな自然が素朴に発展したものにほかならない。
フランスの女は最初の三日は愛らしく、蠱惑《こわく》的でちょっと優美なところがあると思う。しかし四日目にはうんざりする。これが致命的な日で、そうした優美さが、すべてあらかじめ研究され習いおぼえているもので、だれかれの別なく、来る日も来る日も同じことをくりかえしているのだということを発見する。
ドイツの女は反対にまことに自然で、夢中になって自分の想像力にふけるのだが、彼女たちはいかに自然とはいえ、しばしば彼女たちの根底にある、不毛と無味乾燥と青表紙の騎士道物語的情愛とを示しているにすぎないことがわかる。アルマヴィヴァ伯爵のつぎの台詞《せりふ》は、どうやらドイツでできたものらしい。「日ごろ幸福を探し求めていたのに、ある夜、幸福に飽満《ほうまん》しておどろいた」
ローマでは外国人はつぎのことを忘れてはならない。つまり万事が自然な国々では、なにごとも退屈ということは一つもないが、そのかわり、悪いことは、他所よりいっそう悪いということである。男にかぎって言えば、ここの社交界には、ほかのところでは人前にでられない一種の怪物たちがいる。みな一様に情熱的で先見の明があるが卑怯者《ひきょうもの》の男どもである。こういう男どもが、なにか悪運のめぐりあわせで、なにがしかの身分ある婦人の前に投げだされたとする。たとえば猛烈に惚れっぽい男だと、彼女がほかの男をえらぶ不幸を底の底まで味わいつくす。彼らはそうすることによって、その幸運な恋人の邪魔をしているのである。彼らから逃《のが》れようはない。そして逃れられるものではないことをだれもが知っている。しかし彼らは体面などはいっさいかまわず、女とその恋人と自分自身を苦しめつづける。だれも彼らを非難しない。「彼らは自分の好きなことをしているのだから」。ある晩恋人がたまりかね、男の尻をけとばす。翌日には、けられたほうがさんざん相手に詫《わ》びて、またあいかわらず平然と、女と恋人と自分自身とを、うんざりさせつづけるのである。こういう下劣な魂が、来る日も来る日も耐えねばならぬ不幸の大きさを考えると慄然《りつぜん》とする。この男が、もうほんのすこし卑怯でなかったら、毒殺者になっていたであろう。
百万長者の道楽息子が、日に三十スーで町中だれ知らぬものもなく公然と大劇場の踊り子を華やかに囲っているのも、イタリア以外では見られぬ光景である(*)。兄弟は、いつも猟に行ったり、馬を乗りまわしたりしている美青年であるが、ある外国人に嫉妬していた。彼らはその男のところへ出けていって苦情を伝えたりせずに、ひそかに公衆の間に、その気の毒な外国人に不利な噂をまきちらした。フランスでなら、世論は、こうした連中に自分の言い分が正しいことを証明させるか、その外国人の決闘の申込みに応じさせるかするだろう。ところがここでは、世論も軽蔑もなんの意味も持たない。富はいついかなるところでも、歓迎されること請《うけ》あいである。パリで名誉を失い、どこへ行っても締め出しをくった百万長者も安心してローマへ行ける。そこでは富に「応じて」正当に尊敬されるであろう。
(*)ルイ十五世時代の風習として、名誉心や貴族趣味がいかに莫大な金をデュテやラゲールその他の女につぎこんだかを見よ。年に八万や十万フランの金はたいしたことではなかった。上流社会の人間として、それ以下では対面にかかわったのであろう。
第四十五章 イギリスについて
私は最近ヴァレンシアの『デル・ソル座』の踊り子たちと頻繁《ひんぱん》につきあった。きくところによると彼女たちの多くは、たいそう品行方正らしい。職業柄、疲れすぎるからだ。ヴィガーノは彼女たちに、毎日、朝の十時から午後四時までと、真夜中から朝の三時まで自作のバレー『トレドのユダヤ娘』を稽古させる。それ以外にも彼女たちは、毎晩二つのバレーにでて踊らなければならない。
このことはルソーが、エミールを大いに歩かせよと勧めていたことを思いださせる。今夜、真夜中ごろ、かわいい踊り子たちと涼みがてら散歩していたとき、私はまずこう考えた。このヴァレンシアの空の下、手も届かんばかりのところで燦然《さんぜん》と輝く星をあおぎながら、さわやかな海の微風に吹かれるこの世ならぬ逸楽《いつらく》は、わが霧深き陰鬱《いんうつ》な国では、味わえないことだ、と。これだけでも千六百キロの旅をする値打ちがある。それに、これは感覚の横溢《おういつ》のために、思索するのをさまたげる、と。またこんなことも考えた。このかわいい踊り子たちの身持ちの良さは、イギリスで男の自尊心が、文明国のまん中に、ハレムの風習を徐々に再現しようとしている次第を十二分に説明するものだ、と。イギリスの娘にはあれほど美しく、あれほどほれぼれする表情をした女もいるのに、観念的にはややものたりないところがあることもよくわかる。自由がこの島から追放されたのはつい最近のことだし、国民性にはすばらしい独創性があるのに、娘たちには独創的な思想が欠けている。彼女たちが人目に立つのは、もっぱらその異様なデリカシーにあることが多い。理由は簡単だ。つまリイギリスでは、女の羞恥心は、夫の自尊心だからである。しかし、女奴隷がいくら従順であっても、奴隷が大勢集まると早晩重荷に感じられる。そこで男は、イタリアのように恋人たちといっしょに夜を過ごすかわりに、毎晩寂しく盃《さかずき》を傾けねばならない(*)。イギリスでは家庭に退屈した金持連は、運動が必要だということにかこつけて、毎日十六キロか二十キロ歩く。まるで人間が歩き回るために創られ、この世に生まれてきたみたいだ。こうして彼らは神経液を、心ではなく、足で消費する。そのあげく、あえて女性の繊細さを語り、スペインとイタリアを軽蔑するのである。
反対に、イタリアの青年ほどの無為徒食の者はいない。感受性をにぶらす運動というものは、彼らにはとてもがまんができない。健康法としてときどきいやいやながら二キロほど散歩する。女となると、ローマの女は、一年かかっても、イギリスのお嬢さんの一週間分も歩かない。
(*)他の国同様フランス化した上流社会では、この習慣は非常に凋落《ちょうらく》しはじめている。だが私は、無数の一般大衆のことを言っているのだ。
イギリスの夫の自尊心は、あわれな妻の虚栄心をすこぶる巧妙にあおっているように思われる。妻に、とりわけ「卑俗」に堕《だ》してはいけないと言いきかせる。娘たちに、夫が見つかるように仕込む母親も、この考えを十分に呑み込んでいる。かくして「流行」は、軽薄なフランスでよりも理性的なイギリスにおいて、はるかに馬鹿げたものとなり、猛威をふるうこととなる。「念入りな無造作」が発明されたのはボンド街だ。イギリスでは流行が義務であり、パリではそれが快楽なのだ。流行は、ロンドンのニュー・ボンド街とフェンチャーチ街の間に、パリのショセ=ダンタンとサン=マルタン街の間とは、まったくちがった堅固な城壁をきずいている。そして夫は、妻に課しているひどい憂鬱さの償いとして、こうした気違いじみた貴族趣味を、こころよく許している。ひところ有名だったバーネイ嬢の小説には、男の無言の自尊心がつくりだしたといえるイギリスの女の社会の様子がはっきりわかる。喉《のど》がかわいたときに一杯の水を求めるのは卑俗だというところから、彼女の描く女主人公たちはきまって渇《かわ》きのために死んでいく。卑俗に陥るまいとして、最も忌《い》むべき気どりに堕《だ》したわけだ。
裕福な二十二歳のイギリス青年の慎重さと、同じ年ごろのイタリア青年の強い猜疑《さいぎ》心とを比較してみよう。イタリア人は確信が持てないから不本意ながら疑うのであって、親密な仲ともなれば、ただちに不信を棄てるか、すくなくとも忘れてしまう。これに反してイギリス青年の慎重さと傲慢さが倍加するのは、まさに一見最も情愛こまやかな交際においてなのである。私は、「ここ七か月というもの、あの人に、ブライトン行きのことは話してないのですよ」と言う男を見たが、じつは八十ルイほどの費用が不足しているだけのことで、しかもこれが恋人たる熱愛する人妻について語る二十二歳の青年なのだ。いくら情熱でのぼせあがっていても、「慎重」さが無くなってはいない。ましてこの男は恋人に、「ふところ具合が悪いのでブライトン行きはやめようと思います」などとざっくばらんには言えないのである。
ジアノーネやペ〔リコ〕その他大勢の革命家の運命が、イタリア人を疑いぶかくしているのに対し、イギリスの「美青年」は、もっぱら過度の病的に鋭い虚栄心から、慎重にならざるをえないのだ、ということに注意していただきたい。フランス人は、そのときどきの考えに調子を合わすから、愛する女になんでも話してしまう。これが習慣なので、さもないとフランス人は、気楽さがなくなってしまう。そして気楽さがないところに魅力が少しもないことを彼は心得ているのである。
目に涙をうかべ、つらい気持ちで、私は以上のことをあえて書いた。しかし国王にさえ媚《こ》びる気がない以上、どうしてある国について心にもないことを言えるだろうか。「もちろん」、ずいぶん常識はずれなことかもしれない。なぜならこの国こそ、私が今までに知った最も愛すべき女性を生んだところなのだから。
こうしたことは、君主政体の下劣さが別の形をとったのであろう。私はつぎのことをつけくわえておくにとどめよう。すなわち、すべてこうした風俗の全体の中に、精神の領域において、男の自尊心の犠牲になっている多数のイギリス婦人がいるが、彼女たちの間にも完全に独創的な女性が存在する以上、ハレムの風俗を再生せんとしている悲しい束縛から遠くはなれた上流家庭があるならば、魅力的な性格が生まれてくるには十分だということだ。しかし「魅力的」という言葉も、その語源にもかかわらず無意味で、私の言いたいことをあらわすにはなんとありふれていることか? あのやさしいイモジェーヌや愛情ぶかいオフェリアの生きたモデルは、いまもイギリスに見つけられるだろうが、しかしこうしたモデルは、「完成された」真のイギリス婦人なるものにだれからも一致して与えられる高度の尊敬をとうていうけるには至らないのである。完成されたイギリス婦人とは、あらゆるしきたりを十分にわきまえ、夫に最も病的な貴族的自尊心をたんのうさせ、死ぬほど退屈な幸福を与えるようにできているのである(*)。
(*)リチャードソンを参照。現代風にされたハーロウ家の家風は、今日もイギリスによくみうけられるものである。召使いのほうが家の者よりましである。
とても薄暗くて、極端に涼しい部屋が十五も二十もつづいている邸《やしき》で、イタリアの女性は非常に低いソファに物憂《ものう》く横たわり、昼間の六時間は恋や音楽の話をきいて過ごす。夜は劇場で、四時間の間、桟敷に身をひそめ、音楽や恋の話をきく。
だから、スペインやイタリアでは気候ばかりか生活様式も、音楽と恋に向くようにできているのだが、イギリスではこの反対である。
私はいずれを非難しているのでもなければ、味方しているのでもない。ただ観察しているだけなのである。
第四十六章 イギリスについて(つづき)
私はイギリスを、愛しすぎるくらい愛しているし、見すぎるくらい見ているので、かえって話しにくい。ある友人の観察を借用することにする。
現下のアイルランド(一八二二年)は、この二世紀以来何度目だかわからないが、異様な社会状態、勇敢な決断力にあふれた、およそ退屈とは反対の状態を現出している。暢気《のんき》に昼食を共にした連中が、二時間後には戦場であいまみえるかもしれないという状態である。恋の情熱に最も都合のいい魂の状態である自然さを、これほど力強く、また直接的に呼びさますものはない。この自然さほどイギリスの二大悪徳たる「勿体《もったい》ぶること」と「羞恥心」から遠いものはないのである(道徳上の偽善とうぬぼれが強いくせに苦しみ悩む臆病さ。ウーステス氏のイタリア紀行を参照。この旅行家はイタリアを描いてはかなりお粗末であるが、そのかわり彼自身の性格については非常に的確な観念を述べている。そして不幸にしてこうした性格たるや、詩人ビーティ氏〔その親友が書いた伝記を参照〕の性格と同じく、イギリスにはかなりありふれたものなのだ。その地位にも似あわず誠実な男であった聖職者の例としては、ランダッフの司教の書簡集を参照のこと)
アイルランドは、この二世紀以来、イギリスのうじうじした残虐な圧制によって、あのように血を流し、たいへん不幸だと思われているかもしれないが、いまやアイルランドの精神界に、一人のおそるべき人物が登場している。すなわち、聖職者が……。
この二世紀以来、アイルランドは、シチリアとほとんど同じくらいひどい統治をうけてきた。この両島の徹底的な比較をして五百ページくらいの本にすれば、多くの人々は憤慨し、尊敬されてきた多くの理論は、一笑に付されてしまうだろう。しかし、少数者の利益のためだけに狂人どもによって同じように統治されてきたこの両国のうちで、いずれが幸福かと言えばあきらかにシチリアだ。為政者たちはすくなくとも「恋」と逸楽を残しておいたからだ。むろんこれも、他のもの同様まきあげたいところだったろうが、さいわいシチリアには、あの法律とか政府とか呼ばれる道徳的害悪がほとんどないからである(*)。
(*)一八二二年において両院を持たない政府を、いずれも私は「道徳的害悪」と呼ぶ。例外は、政府の首班がその誠実さによって偉大な場合だけで、これはザクセンとナポリに起こった奇蹟である。
法律をつくり、それを施行させるのは長老と聖職者である。このことは、イギリス諸島で逸楽を迫害しているあの一種の喜劇的な嫉妬《しっと》にはっきり現われている。民衆はディオゲネスがアレクサンドロスに言った言葉を、統治者に向かって言うことができよう。「名誉職だけで満足していただきたい。おれにはせめてお天道様を残しておいてもらいたい(*)」と。
(*)故イギリス女王の訴訟書類のなかに上院議員のめずらしいリストがあって、彼らと家族が国家からうける金額を列記してある。たとえばローダダル卿およびその家族三万六千ルイというように。最も貧しいイギリス人の最低生活に必要なビール半杯さえ、上院議員のために、一スーの税金を払っているのだ。しかも我々の論旨に大いに問題となるのは、彼らがともにこのことを知っているということである。そこで上院議員も農民も恋にかまけている暇はない。一方は公然と誇りたかく、他方はひそかに激昂しつつ、めいめいの武器を磨いているのである。(郷士と白衣隊)
政府は法律、法規、逆法規、刑罰を用いて、アイルランドで「じゃがいも」をつくりだした。しかもアイルランドの人口は、シチリアよりはるかに多い。というのは、落ちぶれて愚鈍になった数百万の農民を、ここへ送りこんだのだ。彼らは労働と貧困に押しつぶされて古代エリンの沼地で四、五十年間の不幸な生涯をおくりながらも、なお十分の一税をおさめている。まさに奇跡と言うほかはない。異教さえ信仰していれば、このあわれな連中もすくなくとも一種の幸福は享受しえたであろう。が、それもだめだ。聖パトリックを拝まねばならないのだ。
アイルランドで眼にする農民は、ほとんど未開人より不幸な農民ばかりである。自然な状態ならせいぜい十万人ぐらいのところに八百万人も住んでいて、彼らはロンドンやパリの五百人の「不在地主」に贅沢な生活を送らせているのである。
スコットランドでは、社会ははるかに進歩していて、数多くの点でその政府はよい(犯罪がめったなく、書物がよまれ、司祭がいない等々)。恋の情熱ははるかに発達しており、われわれは重苦しい思想を棄てて笑い興じることさえできる。
スコットランドの女性には、どこか憂鬱なところがあるのがどうしても目につく。この憂鬱は舞踏会だとひとしお蠱惑《こわく》的で、彼女たちがはげしい熱狂ぶりを見せ、進んでおどる民族舞踊に独特の妙味を添える。エディンバラにはこれとはまた別の長所がある。それは卑しい黄金万能主義から抜けだしたということだが、この町はこの点で、風景の独特な野生的な美しさとともに、ロンドンと完全な対照をなしている。美しいエディンバラはローマと同じく、むしろ瞑想《めいそう》生活のために滞在するにふさわしいような気がする。やすみないめまぐるしさや、利害に汲々《きゅうきゅう》たる活動的生活は、長所も短所もあるが、すべてロンドンのものである。エディンバラでは、いくらかの衒学的《ペダンティック》傾向のために、抜け目のない奴《やつ》をますます増長させているようなところがある。ご婦人方には異存があるまいが、メアリ・スチュアートが古きホリルッドに住み、リッチョが彼女の腕に抱かれて暗殺された時代のほうが、だれそれの火成岩説より水成岩説に賛成すべきだとご婦人がたのいる前でも長々と論じたりする時代より、恋にとってよかったのだ。私がロンドンにいたとき、あそこでは王が近衛兵《このえへい》に与えた新しい制服とか、B・ブルムブィールド卿が上院議員になりそこねたとかいうことが、もっぱらロンドン子の話題だったが、そういう話題のほうが、ヴェルネルとだれそれと、どちらがよく岩石の本質を探究したかを知ろうとする議論よりも好きである。
スコットランドのおそるべき日曜日については、なにも言わないことにしよう。これにくらべたら、ロンドンの日曜日など、ピクニックのようなものだ。天国を讃えるべくさだめられたこの日は、私がいままで地上で見た最も見事な地獄図絵である。教会の帰りに一人のスコットランド人が友人のフランス人に言った、「そんなに早く歩くまいぜ。散歩しているみたいに見えるからね」
この三つの国で偽善がもっとも少ない国、(偽善とは英語の cant、一八二二年一月のニュー・マンスリー・マガジンを参照のこと。モーツァルトと『フィガロの結婚』をはげしく攻撃しているが、これが『市民』を上演した国で書かれたものである。しかしどこの国でも文芸雑誌を買い文学を批評するのは貴族であり、イギリスの貴族はここ四年来司祭と結託しているのである)これら三つの国でいちばん偽善が少ないと思われるのはアイルランドである。アイルランドで見られるのは反対に、眩惑《げんわく》的な愛嬌のある溌刺《はつらつ》さである。スコットランドでは日曜日はきびしい戒律を守るが、月曜日にはロンドンでは見られない歓喜で夢中に踊りまくる。スコットランドの農民階級は大いに恋をする。全能の想像力が、十六世紀にこの国をフランス化したのである。
イギリス社会のおそるべき欠陥は、負債とその結果の破産より、いや、貧者に対する富者の死闘よりも、いざというときには、はるかに悲しむべき事態を生じるものであるが、この秋クロイドンで、司教のりっぱな彫像の前で私が聞いたつぎの言葉に要約されている。「社交界ではだれも先頭に立って、なにかをしようとする者がありません。期待が裏切られはしないかとそれが心配で」
こんな男どもが「羞恥」の名のもとで妻や恋人に課しているにちがいない掟《おきて》がいかなるものであるかは、おして知るべきなのである。
第四十七章 スペインについて
アンダルシアは、逸楽がこの世でえらんだとても魅力的な棲家《すみか》のひとつである。私は三つか四つの挿話《そうわ》を知っているが、それは、相合して恋が作られるさまざまな狂気のいくつかの実態に関する私の所説が、スペインではいかに真実であるかを語っている。人々は、フランス流の繊細さ《デリカシー》の上から、そんな挿話は犠牲にしろとすすめる。いかにも私はフランス語で書いてはいるが、「フランス文学」として書いているつもりは毛頭ない、と抗弁したがむだであった。ありがたいことに、私は今日好評を博している文学者たちとは、なんらの共通点を持っていない。
モール人はアンダルシアを放棄するにあたって、彼らの建築様式と風習をほとんどみな残していった。この風習についてセヴィニェ夫人のような文体で書くことは私にはとてもできない話であるから、せめてモールの建築様式について、その主要な特徴は、どの家にも典雅で清楚《せいそ》な柱廊にとりかこまれた小庭園をつけることだと言っておこう。夏の耐えがたい炎暑の間、アルコール温度計がまる数週間にもわたって三十度を絶対にくだらず持続する間、ここ、この柱廊の下にはこころよい蔭がひろがっている。小庭園のまんなかには、いつも水の絶えぬ噴水があって、その単調な逸楽的なひびきだけが、この魅力的なかくれ家の静けさをみだしている。大理石の泉水のまわりには十二、三本のオレンジや夾竹桃《きょうちくとう》が植わっている。厚い布がテントの形に小さな庭をすっかり覆《おお》い、日光や照りかえしをさえぎり、おひるごろに山々からふきおろしてくる微風だけを通すようになっている。
そこに美しいアンダルシアの女が、いきいきとした軽やかな物腰で日を送り、客を迎えている。同じ色のふさ飾りのついた簡素な黒絹のドレスを身にまとい、かわいい足首をのぞかせている。顔色は蒼白く、眼は、最も情のこまやかな、最も烈しい情熱のどんな移ろいやすい翳《ニュアンス》さえをも描きだしている。私が登場させることを禁じられた天上的な存在こそ、これである。
私はスペインの民衆を、中世の生きた代表者だと見なしている。
彼らは多くの卑小な真理を知らない(彼らの隣国人たちの幼稚な虚栄心)。しかし彼らは偉大な真理を深く知っており、その帰結を最も遠い結果にいたるまで追求することができるだけの性格と才智とを有している。スペイン人の性格は、フランス的才智《エスプリ》と好個の対照をなしている。頑固で、粗野で、優雅なところが少なく、野性的な自尊心にみち、他人のことなどいっこう気にかけない。これこそはまさに十五世紀と十八世紀との対照である。
スペインは、またもう一つの比較に大いに役立つ。すなわち、ナポレオンに抵抗しえたこの唯一の国民は、愚かな名誉心や、およそ名誉心にともなう愚劣さに絶対に染まっていないと思われることである。
りっぱな軍規をつくったり、半年ごとに制服をとり替えたり、大きな拍車をつけたりする代りに、この国民は、「それがどうしたってんだ no importa」将軍を持っているのである(*)。
(*)ペッキオ氏の魅力的な書簡集参照。イタリアはこうした強さのある人物にみちている。しかし彼らは世間にあらわれず、静かに暮らしている。すなわち「未知の力の国」である。
第四十八章 ドイツの恋について
憎悪と愛との間をつねに動揺しているイタリア人が情熱に生き、フランス人が虚栄に生きているとすれば、古代ゲルマン民族の善良素朴な子孫たるドイツ人が生きているのは想像力である。生活に最も直接的で最も不可欠な社会的利害からすこしでも離れるとなると、たちまち彼らが、哲学と称するものへとびこんでいくさまを驚きの眼でわれわれは眺める。これは甘美にして愛すべき、特に悪意のない一種の狂気である。私は以下に、必ずしも記憶だけにはたよらずに、走り書きのノートに基いて、ある著書を引用するが、これは軍人精神とは反対の立場で書かれたにもかかわらず、著者が称讃している場合にさえ、軍人精神の過剰を示している。すなわちカデ=ガシクール氏の一八〇九年の『オーストリア紀行』である。一七九五年のあの純枠な英雄主義がこの呪うべき利己主義に堕《だ》したのを見たならば、あの気高くて寛大なドゥゼ将軍はなんと言ったであろうか?
タラヴェラの会戦で、二人の友人が同じ砲兵中隊で戦っていた。一人は大尉で隊長、もう一人は中尉であった。一弾が飛来し、大尉はもんどり打って倒れた。中尉は大よろこびで言った。「しめた、フランソワがやられた。こんどは隊長はおれさまだ」「まだそうはいかんぞ!」とフランソワは起きあがりながら叫んだ。弾丸で気絶しただけだったのだ。中尉も大尉も申し分ない青年で、悪気など毛頭《もうとう》持たなかった。ただちょっと馬鹿な連中で、皇帝の狂信者だったにすぎない。皇帝が光栄という美名のもとに呼びさますことができた血気に満ちた追撃と狂暴な利己主義とが、彼らに人道を忘れさせたのであった。
こんな連中がシェンブルンの観兵式で主君の一顧《いっこ》をえて男爵の称号にあずかりたいものとひしめきあっている、すさまじい光景の最中で、この皇帝付典薬は、ドイツの恋をつぎのように描いている。二八八ページ。
「オーストリアの女ほど、親切で淑《しと》やかな女はいない。彼女たちにとって恋は信仰である。フランス人に恋でもすると、まったく文字どおり熱愛する。
軽薄で気まぐれな女はどこにでもいる。しかしだいたいにおいてウィーンの女はとても貞淑で、コケットなところが少しもない。貞淑だというのは、彼女たちが自分でえらんだ恋人に対してという意味だ。夫というものはウィーンであろうとどこであろうと、似たりよったりであるから」
一八〇九年六月七日
ウィーン第一の美人が、私の友人で皇帝の司令部付のM大尉の恋をうけいれた。彼は、温和で才走った青年である。だが、たしかに風采《ふうさい》にも顔だちにもこれといって目に立つほどのところはなかった。
彼の若き恋人は、その数日前から、ウィーンの町を隅から隅まであさり歩いて暮らしているわれらの颯爽《さっそう》たる参謀将校たちの間に一大センセーションをまき起こしていた。だれがいちばん大胆であるか競争になった。あらんかぎりの策略が用いられた。この美人の家は、我と思わん美男や金持ちの将校で包囲された。副官、武勲|赫々《かくかく》たる連隊長、近衛の将軍、いや大公までが、この美女の窓の下でむなしく時間をつぶし、彼女の召使いに無駄に金をまきちらしたが、みな体《てい》よく追払われてしまった。大公たちがパリやミラノでこんなつれない女に出会ったことはめったになかった。私がこの魅力的な女性の前で、彼らの当てはずれを笑うと、彼女は言った。「でも、ほんとうにあの方たち、私がM…さんを好きなのをごぞんじないのでしょうか」
これは妙な、しかも明らかに非常に慎みのない言葉である。
二九〇ページ。「われわれがシェンブルンにいたころ、私は二人の皇帝付の青年が、ウィーンの宿所に、だれも客を迎えないのに気がついた。われわれは、その慎重さを大いにからかったものだ。ある日、その一人が、私に言った。『あなたにはかくしきれません。じつは町の若い女といい仲になったのですが、彼女が私の部屋から一歩も出ない、また私は彼女の許可がなければだれをも招待しない、という条件つきなんです』私はこのように自分からすすんでひきこもった女にどうしても会いたかった」と、旅行者は続けている。「そして東洋でもおなじであるが、私の医者という資格がいい口実となって友の招きに応じて昼食に呼ばれることとなった。私が見いだしたのは、男に惚れこんで甲斐甲斐《かいがい》しく家事万端に心をくばり、時あたかも散歩に絶好の季節なのに少しも外出したがらず、しかも恋人にフランスへ連れていってもらえるものと信じこんでいる一人の女であった。
もう一人の青年もやはり町の自分の宿所ではけっして人に会わなかったが、やがて私に前と似たようなことを打ち明けた。私は彼の恋人も見たが、前の女のように、金髪で、すこぶるきれいで、姿のじつによい女であった。
この二人のうち十八歳になるほうは何一つ不自由ない家具商の娘であった。もう一人は二十四歳くらいで、ジャン大公軍に従軍中のオーストリアの士官の細君であった。この細君はわが虚栄の国では英雄主義と見えかねないほどに惚れこんでいた。恋人は彼女に不実であったばかりか、彼女にずいぶん露骨な告白をしなければならない羽目になった。彼女は完全な献身ぶりで彼の世話をした。彼の病気が重くなるといっそう親身になり、まもなく彼は重態に陥ったのであるが、そのために彼女はおそらくますます彼をいとしく思うばかりだったであろう。
お気づきのとおり、私は外国人でもあり、また勝利者でもあって、しかもわれわれが近づくとウィーンの上流社会はあげてハンガリーの自分の領地にひきあげてしまったから、上流階級の恋は観察することができなかった。しかし私の見たところによっても、その恋がパリの恋とはちがっていることは確信できる。
この感情はドイツ人には一種の美徳、神性の発露、なにか神秘なものと見なされている。それは、イタリアの女の心に宿る恋のように生き生きとしてもいないし、激烈でも嫉妬ぶかくも圧制的でもない。それは深遠で、天啓説に似ている。当地とイギリスの恋とでは天と地との開きがある。
数年前、ライプチッヒの仕立屋が、嫉妬にかられ、発作的に恋敵《こいがたき》を公園で待ち伏せして刺し殺した。彼は斬首刑を宣告された。ドイツ人らしい善良さと感激癖(これが彼らの性格の弱点であるが)とを固守している同市のモラリストたちは、判決を論じて苛酷《かこく》だと考え、くだんの仕立屋とオロスマーヌとを比較して彼の運命に同情したが、判決をくつがえすことはできなかった。しかし死刑執行の日、ライプチッヒ中の娘たちは、白衣をまとって集まり、道に花をまきながら断頭台まで仕立屋について行った。
だれもこの儀式を変だとは思わなかった。だが理屈屋を自認する国のことだから、この儀式がある種の殺人に名誉を与えるようなものだと言うこともできたのだが。しかしこれは儀式だったし、ドイツではおよそ儀式と名がついているものはすべて絶対に、滑稽ではありえないことはたしかなのである。小公国の宮廷の儀式を見るがよい。われわれなら抱腹絶倒してしまうようなことがマイニンゲンやケッテンではきわめて壮厳なものだと思われている。六人の密猟監視兵が勲章をつけて小公主の前を行進するのが、彼らには、ヘルマンの兵士がヴァルスの軍勢をむかえ撃たんとして進軍するさまに見えるのである。
ドイツ人が他のあらゆる国民とちがっているところは、瞑想によって心が静まるどころか、かえって興奮することである。第二の微妙な相違は、彼らが気骨のあることを死ぬほどあこがれているということである。
ふつう恋の発展にあれほど好都合な宮廷での滞在も、ドイツでは恋をにぶらせてしまう。ドイツの宮廷と呼ばれるものが、一流の大公の宮廷でさえいかに不可解な些事《さじ》やつまらぬ事柄の充満する大海であるか、諸君には想像もつかないことと思う(ミュンヘン、一八二〇年)。
われわれが参謀本部といっしょにドイツの町に到着すると、二週間もするうちにその土地の女は、それぞれ相手をえらんでしまった。しかもこの選択はゆるぎのないものであった。このことがあるまで私は、フランス人は、非の打ちどころのなかった貞淑な女たちの暗礁となる、という話をきかされたものだ」
………
ゲッティンゲン、ドレスデン、ケーニヒスベルク等々で私が会ったドイツの青年は、いわゆる哲学的な思想体系の中で教育されている。この体系は、晦渋《かいじゅう》で下手な詩以外のなにものでもないのだが、道徳的見地からは神聖な、この上ない崇高さがあるのである。彼らは中世から、イタリア人のように共和主義や刃傷沙汰《にんじょうざた》を受け継がずに、熱狂と誠実に対する強い気構えを受け継いでいるように思われる。彼らが十年ごとに、他のすべての偉人を抹殺してしまうほどの新しい偉人をうみだすのはこのためである(カント、シェリング、フィヒテ等々)
かつてルターは道義心に力強く訴えた。そしてドイツ人は、自己の良心にしたがわんとして三十年間も続けてたたかった。その信仰がいかに馬鹿げたものであるにしても、大いに尊敬すべきみごとな言葉である。私は、芸術家にとってさえ尊敬すべき言葉だ、と言いたい。ザンドの心中の葛藤《かっとう》、神の第三戒「なんじ殺すなかれ」と、祖国のためと信じた事との間の内心の葛藤を見よ。
タキトゥスのなかにさえ、すでに女と恋に対する神秘的な熱狂が見られる。もっともこの作家が、もっぱらローマの諷刺を意図していたのではない、と考えての話だが(*)。
(*)私はさいわい、才気煥発でしかも同時にドイツの学者十人分にあたる博識を有し、自分の発見したことを明晰的確な言葉で表現する人物と知り合いになった。もしF…氏が本をあらわすとすれば、われわれの眼には中世が光りも輝かしく浮かびあがり、中世を好きになるだろうと思う。
ドイツを二千キロも旅行すれば、この不統一な割拠《かっきょ》している国民のなかに、熱烈ではげしいというより、むしろ温和で情愛こまやかな熱中の調子を見分けることができる。
もしこうした気質を、あまりはっきりと見てとることができなかったら、オーギュスト・ラ・フォンテーヌの小説を三、四冊も再読されればよい。美しいプロシアの女王ルイゼは、彼が『安らかな生活』をかくもみごとに描いた褒美として、彼をマグデブルクの聖堂参事会員にした(*)。
(*)オーギュスト・ラ・フォンテーヌの小説の一つの題『安らかな生活』は、ドイツのもう一つの大きな特徴であって、これはイタリア人の「安逸」にあたり、ロシアの「四輪馬車」やイギリスの「遠乗り」に対する生理学的批判である。
思うにドイツ人に共通のこの気質をさらに証拠だてるものは、ほぼすべての犯罪の処罰に罪人の自白を必要とするオーストリア法典である。この法典は犯罪がまれであり、しかも犯罪がたえず社会と戦闘状態にある勇敢で理智的な利己心の結果であると言うより、むしろ弱者のはげしい狂気の発作であるような、そういった民族のために考案されたものであって、イタリアで必要とされるものとは正反対なのであるが、これをオーストリアはイタリアに移植しようとしている。しかしこれは謹厳居士《きんげんこじ》たちの誤りというものである。
私は、イタリアにいるドイツの裁判官たちが、死刑もしくはそれに匹敵する無情な刑罰を被告の自白なしに、宣告しなければならないので絶望しているのを見たことがある。
第四十九章 フィレンツェの一日
フィレンツェ、一八一九年二月十二日
今夜、劇場の桟敷で、五十歳ばかりの司法官の脇に、なにか懇願にきている男に会った。彼の発した最初の質問は、Chi avvicina adesso ? 「あのひとの恋人はだれですか」だった。当地では、こうした事柄はすべてきわめておおっぴらで、それにはそれなりの法則がある。だれにも認められたやりかたがあって、それは、正々堂々としていて因習的なところがほとんどなく、これにそむくと「豚」と言われる。
「なにか変わったことはないかね」とヴォルテラから帰った友人が、昨日、私にたずねた。まあ私は、ナポレオンとイギリス人について、ひと言、悲憤慷概《ひふんこうがい》を洩《もら》したあと、さも一大事といった調子でつけくわえる。「ラ・ヴィテレスキが恋人《おとこ》をかえてね。かわいそうにゲラルデスカは絶望しているよ」「だれを喰《くわ》えこんだんだ?」「モンテガリ、あの口髭をはやした美男の士官をさ。それまでは、コロナ公爵夫人の想い人《びと》だった。ほら下の平土間《ひらどま》を見ろ、彼女の桟敷の下にへばりついているだろう。芝居がはねるまではあそこにいるんだ。女の亭主が家へ寄せつけないからね。それからあの入口のそばには、かわいそうにゲラルデスカがしょげかえって、うろうろしているのが見えるだろう。やつは、自分を裏切った女が、自分のあとがまに座った男に投げる視線を遠くから数えているのさ。やつもずいぶんかわった。絶望のどん底さ。みんながパリかロンドンへやろうとしているんだが、いっこうに承知しないんだ。フィレンツェを離れると思っただけでも、死にそうな気がするんだとさ」
上流社会ではこういう絶望が、毎年、たくさん生まれているし、なかには三、四年続いたのもある。この気の毒な連中のほうは、すこしもそれを恥とせずに、会う人ごとに心情をうちあける。なお当地には、ほとんど社交界らしいものがないし、それに、恋をすれば、もうそんなところへはめったに足踏みしなくなるものだ。イタリアだからといって、偉大な情熱や美しい魂がそうどこにでもざらにあると思ってはならない。ただ、いっそう熱情に燃えあがる心の持主、虚栄心の数々のくだらぬ気苦労で色あせない心の持主だけが、平凡な恋のうちにさえ、甘美な快楽を見いだすことができるのだ。たとえば、この国ではたわむれの恋が、パリの緯度(*)では、死にものぐるいの情熱すらもたらしたことのない恍惚と刹那《せつな》の陶酔とを、ひき起こすのだ。
(*)ヴォルテール、モリエール、その他才智の卓越した多数の人物を生んだパリの緯度。しかしなにもかも持つというわけにはいかない。そんなことで腹を立てるようでは、才智が足りないということにもなろう。
私は今夜、イタリア語には数限りない特殊な恋の場面を言いあらわすのにうってつけの名詞があるのに気がついた。フランス語だと際限のないまわりくどい言いかたをしなければならいところである。たとえば、ものにしたいと思う女が桟敷にいるときに、平土間から彼女に秋波《ながしめ》を送っていると、そこへ夫や召使いが桟敷の手すりに近づいてきたりする、そのときとっさに脇を向くしぐさ。
この国民の性格のおもな特徴はつぎのとおりである。
一 深刻な情熱のために働くよう習慣づけられた注意力は、敏捷《びんしょう》にうごくことができない。これがフランス人とイタリア人の最も顕著な相違である。イタリア人が乗合馬車に乗るところと、支払いをしているところを見たまえ。ここにこそフランス人の furia francese 性急さが見られるのである。どんなに卑俗なフランス人でも、デマジュール式のきざなうぬぼれ屋でないかぎりは、イタリア女に、つねにすぐれた人物に見えるのはこのためである。(ローマのD……公妃の恋人)。
二 だれもかれも恋をする。それもフランスのように、人にかくれてするのではない。夫は妻の愛人の最上の友人である。
三 だれも本など読まない。
四 社交界というものがない。これこれの家で二時間しゃべったり、はりあったりすることで、毎日、手に入れる幸福をあてにして生活を充《み》たしたり、忙しく過ごしたりしようと思いはしない。雑談というフランス語はイタリア語には訳せない。彼らは、ある情熱のために、なにか言いたいことがあるときは口をひらく。だがうまく言うためにしゃべったり、手あたり次第にどんな話題でもしゃべったりすることはまれである。
五 滑稽はイタリアにはない。
フランスでは二人とも同じモデルをまねようとする。それで私は、君のまねかたを批判する担当の裁判官となる(*)。イタリアでは、私の前で、人が妙なことをやっているのを見ても、それがやっている当人に快楽を与えているかどうかわからないし、私自身がやってみても楽しいかどうか見当がつかない。
(*)フランス人のこの習慣は、日に日にすくなくなっていくから、モリエールの主人公たちも、次第にわれわれに疎遠なものとなっていくだろう。
ローマでは気どってみえる言葉や態度も、二百キロ離れたフィレンツェでは上品だったり、わけがわからなかったりする。われわれはリヨンでもナントでも同じフランス語を話しているが、ヴェネツィア語、ナポリ語、ジェノヴァ語、ピエモンテ語はほとんど完全にちがう言葉であって、ただこうした言葉をつかう人々も、本を書くときは、必ずローマで話されている共通語にすることをきめているにすぎない。舞台がミラノで、登場人物がローマの言葉をしゃべる芝居ほど、ばかげたものはない。イタリア語は話すためより、もっぱら歌うためにできた言葉だから、侵入してくるフランス語の明晰《めいせき》さに対しては音楽をもってしか命脈《めいみゃく》を保つことができないであろう。
イタリアでは、総督とそのスパイとに対する恐怖から「実利」が尊重されるようになった。おろかな名誉心はまったくない。そのかわり pettegolismo「かげぐち」と呼ばれる一種のとるに足りぬ社会的憎悪がこれに代わる。
要するに、人を笑いものにすることは、自分の不倶戴天《ふぐたいてん》の敵をつくることである。これは、政府の権力と機関が、税金を取り立てることと、卓越した人間をすべて処罰するということだけにかぎられているこの国では、まことに危険千万なことである。
六 「控えの間の愛国主義」
われわれが同郷人から尊敬され、彼らと和していこうとするあの自尊心は、一五五〇年ごろイタリアの小君主たちの妬《ねた》みぶかい専制主義によって、あらゆる高貴な企てから締めだされてしまったが、この自尊心が野蛮な産物、一種のカリバン、激怒と暗愚にみちた怪物、すなわち『カレーの包囲』、つまり、当時の『農兵』についてテュルゴー氏が言った、かの「控えの間の愛国主義」を生んだのである。私はこの怪物が最も才知ある人々をも骨抜きにしているのを見た。たとえば、よそ者が町の画家や詩人の欠点を見つけでもしようものなら、美しいご婦人方にさえ悪く思われるであろう。人のところへ来て悪口を言うものではありません、と大まじめで直言されたり、このことについてルイ十四世がヴェルサイユについて言った言葉を引きあいにだされたりするのだ。
ブレッシアでは nostro 「わが」アリッチと言うように、フィレンツェではわがベンヴェヌッティと言う。かれらはこの「わが」という言葉に、ひかえ目であるがいかにも滑稽な一種の抑揚をつける。これは『ミロワール紙』が、国民音楽とか、ヨーロッパの音楽家モンシニ氏について感動的な口調で論じるのと似ている。
こういった善良なる愛国者たちを面と向かって嘲笑しないために、つぎのことを想起しなければならない。すなわち歴代の法王の悪辣《あくらつ》な政策に毒された中世の紛争の結果、どの都市もとなりの都市を極度に憎み、となりの都市の住民の名は、ある種の下品な欠陥の同義語としてつねに通用するのである。法王たちはこの美しい国を、憎悪の祖国にしてしまった。
この控えの間の愛国主義は、イタリアの精神的|深傷《ふかで》であり、これは猛毒のチフス菌で、笑うべき小君主たちの桎梏《しっこく》をゆすぶったのちも、長期にわたって、いまわしい影響をのこすであろう。この愛国主義のひとつの現われは、異国のものすべてに対する峻厳《しゅんげん》そのものの憎悪である。こうしてイタリア人は、ドイツ人を馬鹿だと思っているし、もし彼らに「十八世紀のイタリアは、エカテリーナ二世やフリードリヒ大王に匹敵するなにを生んだか? 気候から言えばほんとうに木蔭が必要なのに、ドイツのいちばん下らぬ庭園と比較できる程度のイギリスふうの庭園はどこにあるんだね?」とでも言おうものなら怒りだしてしまう。
七 イギリス人やフランス人とは反対に、イタリア人には少しも政治的偏見がない。彼らはラ・フォンテーヌのつぎの詩句は「そら」で知っている。
「君らの敵は君らの主人さ」
聖職者と聖書協会に依存する貴族制度などは、イタリア人にとっては笑止千万な古い手品である。そのかわりイタリア人は、フランスに三か月滞在しなくては、羅紗《らしゃ》商人がいかにして「過激王党派」になりうるかを理解できない。
八 彼らの性格の最後の特徴として、私は議論の際の狭量と、論敵の主張をやりかえす論拠が即座に見あたらぬときの憤怒《ふんぬ》をあげよう。そういうとき彼らは目に見えて蒼白《そうはく》になる。これはきわめて鋭い感受性の現われだが、あまり気持ちのよい現われとは言えぬ。だから私はむしろ好んでこの現われを感受性ある証拠《しるし》として認めている。
私は永遠の恋を見たいと思っていた。さんざん苦労したあげく、今夜C勲功爵とその恋人に紹介された。彼女のそばで彼はもう五十四年間暮らしているのである。私は感動してこの愛すべき老人たちの桟敷を辞した。ここにこそ幸福になる術が、多くの青年たちの知らない術がある。
二か月前、私はR***師に会ったが、師は私が『ミネルヴァ紙』を持参したのでたいそう歓待してくれた。彼はD夫人といっしょに別荘にいたが、この夫人と彼とは、三十四年前から、この国の用語を使うと、「恋仲」なのである。彼女はいまなお美しい。しかしこの同棲生活にはどこか憂愁の影がある。人の話によると、むかしこの夫人の夫が、息子を毒殺したのが原因という。
当地では恋をするということは、パリのように、毎週十五分間だけ恋人に会い、あとの時間は眼くばせをしたり手を握ったりすることではない。恋人は、それも幸福な恋人は、愛する女と毎日、四、五時間を過ごす。彼女に訴訟のことや、自分の家のイギリス風の庭園や、狩りの催しや、昇進などの話をする。これは最も完全でこの上なく情愛のこまやかな親密さである。彼は女の夫がその場にいても、どこででも彼女を「おまえ」と呼ぶのだ。
みずから非常な野心家だと思いこんでいたこの国の青年が、ウィーンのある重要な地位(大使にも匹敵する職)につけられたが、恋人と離れていることに耐えきれなかった。六か月後に彼は辞任して帰国し、恋人の桟敷で幸福になった。
四六時中こんなに顔をつきあわせているのは、フランスでならわずらわしいことだろう。フランスの社交界では多少とも気どった言動を示さねばならぬし、恋人から「だれそれさん、あなたは今夜、ふさいでいるのね。なにもおっしゃらないんですもの」などと言われるのにきまっている。イタリアでは、愛する女に、頭に浮かぶことを、なんでも言えばいい。つまり考えていることを、かくさずに、はっきり言う必要がある。こうした親密さや、相手の率直さを誘いだすこちらの率直さからは、神経に及ぼすある種の効果が生まれるが、これはほかのやりかたでは得られないものだ。だが一つ、非常に不便なことがある。こんなやりかたで恋をすると、あらゆる関心が麻痺《まひ》してしまい、人生の他の仕事が、すべて味気なく思われることである。このような恋は、情熱の最上の代行者なのである。
今なお「ペルシア人たりうる」と思っているパリの人々はどう言っていいかわからず、このような風俗をふしだらだと言い立てるであろう。何はさておき、私は語り手にすぎないのであるから、重苦しい議論を展開して、風俗に関しては、また物事の根底においては、パリがすこしもボローニャに劣るものではないことを証明するのは別の機会にゆずろう。あの気の毒なパリの連中は自らそのことに気づかずに、二束三文の教理問答を相変わらずくりかえしているのである。
一八二一年七月十二日……ボローニャの社交界には、厭《いや》らしいものはまったくない。パリでは、妻に不貞を働かれている夫の役割は、まったくひどいものだが、ここ《ボローニャ》では、なんでもないことだし、そもそも、妻に裏切られた夫というものが存在しない。だから風俗は同じでも憎悪がすくないのである。妻に扈従《こじゅう》する紳士は、つねに夫の友人であり、相互に奉仕しあうことによって強固となるこの友情は、ほかの利害関係より長続きすることはめずらしくない。こうした恋は、たいてい五、六年つづくが、死ぬまで続くのも相当にある。互いになんでも打ち明けあうことに甘いよろこびを感じなくなると二人はわかれるのである。解消してはじめの一か月が過ぎると、もう気まずいことなどない。
一八二二年一月……昔からの扈従《こじゅう》する紳士の習慣は、自尊心やスペイン風俗とともにフィリポ二世によってイタリアに輸入されたのだが、大都市においては完全にすたれてしまった。私の知っている例外はカラブリア地方だけで、ここではつねに兄が聖職者となり弟を結婚させ、自分は義妹の扈従となると同時に恋人にもなる。
ナポレオンは、北部イタリアのみならずこの地方《ナポリ》からさえ、放縦《ほうじゅう》をとりあげてしまった。
現世代の美女たちの風俗は、母親たちを赤面させる。この風俗は情熱恋愛にとってずっと有利だ。肉体恋愛は非常に質が落ちてしまった(*)。
(*)一七八〇年ごろこんな格言があった。
「大勢の男を持って/一人を楽しみ、/
そしてたびたび取り替えるのだ」
シャーロックの『旅行記』
第五十章 合衆国の恋
自由な政府とは、市民になんの害も加えないばかりでなく、反対に、安全と平穏とを与える政府である。しかし、それだけでは、まだ幸福から遠い。人間は、自分自身で幸福をつくらねばならない。安全と平穏を享受しているから完全に幸福だと思うような魂は、はなはだ粗雑な魂と言えようから。ヨーロッパでは、このことを混同している。われわれに害を加える政府には慣れているので、それより解放されるのが、最高の幸福のようにわれわれには思われる。この点、はげしい苦痛にさいなまれている病人に似ている。アメリカの例は、まさにその反対を示している。この国では政府がはなはだりっぱに任務を遂行し、だれにも害を加えない。しかし、運命は、あたかもわれわれの全哲学を狂わせ否定することを望んでいるかのようなのだ。いやむしろ、人間のすべての要素を知らないという理由で、われわれの全哲学を非難することを望んでいると言うべきかもしれない。数世紀来のヨーロッパが置かれた不幸な状態のために、いっさいの真実の経験からわれわれは遠ざけられているのだが、政府が原因で起きる不幸をアメリカ人が持たないと、不名誉なことをしているようにわれわれには見えてくるのだ。彼らは、感受性の源泉を涸《か》らしてしまったように思われる。彼らは正しく、理性的であるが、少しも幸福ではない。
聖書、すなわち奇妙な精神の持主たちがあの詩歌集から演繹《えんえき》した笑止千万な結論や行動の規範だけで、すべてこうした不幸をひき起こすのに十分であろうか? 原因にくらべて結果のほうがすこぶる重大であると私には思われる。
ドゥ・ヴォルネ氏の語るところによれば、すでに成人した息子が幾人かいる裕福で律儀《りちぎ》なアメリカ人の別荘で、ある日彼が食卓に向かっていたとき、ひとりの青年が食堂にはいってきた。「やあ、ウィリアム、かけなさい、達者らしいな」と主人が言った。旅人は、この青年はだれかとたずねた。「次男です」「どこからいらっしゃいました?」「広東《カントン》からです」
世界の果てから息子が帰ってきても、ただこれだけの騒ぎしか起こらないのだ。
彼らの注意力はすべて、生活を合理化し、すべての不便を予防することについやされているようである。そして多くの配慮をなし長年準備をととのえながら、いざその果実をつみとるときになると、それを享受するには余命いくばくもないということになる。
あのペンの子孫は、彼らの身の上を歌っているようなつぎの詩を、一度も読んだことがないにちがいない。
生きるために、生きる理由を失っている
ロシアと同じようにこの国の楽しい季節である冬がくると、若い男女は昼となく夜となく橇《そり》に乗って雪の上を駈けまわる。彼らはだれにも監督されず、非常に陽気に、十五キロから二十キロも遠出をする。それでいて、けっして、まちがいなどは起こらない。
そこには青春の肉体的な快活さがあるが、それもやがて血の気とともに哀え、二十五歳ともなれば消えてしまう。その年齢になると、生を享楽させる情熱などは見られない。合衆国には、あまりに「理性的習慣」が多すぎるので結晶作用が不可能となっているのだ。
私はこうした幸福に感心はするが、うらやみはしない。これは私とは異なった劣等な人間の幸福のようだ。私の予測では、フロリダや南アメリカのほうがはるかにましではないかと思う(*)。
北アメリカに関する私の推察を裏づけるのは、芸術家や作家がまったく存在しないということだ。合衆国は、まだわれわれに、一幕の悲劇も、一枚の絵画も、一冊のワシントン伝も、送ってきてはいないのだ。
(*)アソール島の風俗を参照。ここではたえず神に対する愛か恋愛に没頭している。ジェズイットの解釈によるキリスト教は、イギリスの新教にくらべて、この意味において、はるかに人間の敵ではない。それは、すくなくとも日曜日には踊ることを許している。したがって七日に一度、楽しみの日があることは、六日間せっせと働く農民にとってたいしたことである。
第五十一章 一三二八年、北方蛮族によるトゥールーズ占領までのプロヴァンスの恋について
一一〇〇年から一三二八年までのプロヴァンスでは、恋は特異な形式をとっていた。両性の恋愛関係のためにさだめられた掟《おきて》があって、今日の、「名誉に関することの掟」と同様に、厳格であり、かつ忠実にまもられていたのである。この恋の掟は、まず第一に、夫の至上権を完全に無視していた。それらはいかなる偽善をも仮定していなかった。それは、人間性をありのままに受けいれていたのだから、当然多くの幸福をうみだしたにちがいなかった。
女に恋を打ち明けるにも、女から恋人として認められるにも、公式のやりかたがあった。幾月も、あるやりかたで言い寄ったあとで、手に接吻することを許された。社会がまだ若かったから、今日なら死ぬほど退屈な形式や儀式も、当時にあっては、文明開花を示すものとしてよろこばれたのである。これと同じ特徴がプロヴァンス語にも見出される。むつかしい、しちめんどうな脚韻《きゃくいん》や同一物を言い表わすための男性語と女性語のなかにも、詩人の数がむやみに多かったことにも、その特徴があらわれている。今日では無味乾燥なものとなっている社会のあらゆる「形式」が、当時はまったく新鮮であり、新奇な味わいがあったのである。
女の手に接吻したあとで、男は功績に応じて次第に昇進していったが、依怙贔屓《えこひいき》はなかった。注意すべきことは、ここでは夫が終始問題外にされていたとはいえ、他方、恋人《おとこ》の表むきの昇進が、われわれなら男女間の最も情愛こまやかな友情の甘さとでも呼びたいところで打ち止まりであったことである。しかし数か月から数年にわたる試練をへた後で、女が完全に男の性格と分別とを信頼し、男が女との間に最も情愛にみちた友情から生まれる外観と自在さを持つようになると、この友情も女の貞節に、かなり強い脅威を与えるはずであった。
私は依怙贔屓と言ったが、これは女が多くの恋人を持つことがあっても最高の段階に進む男は、ただ一人だという意味である。ほかの恋人たちは、手に接吻したり毎日会ったりする「友情」の段階以上に進むことはできなかったようである。この一風《いっぷう》変わった文明に関して現在われわれに残されているものは、すべて詩句で書かれているが、それも極めて異様《バロック》でむつかしい韻をふんだ詩句なのである。この吟遊詩人たちの譚詩《バラード》からわれわれがひきだす観念が、あいまいで不正確だからといって、特におどろくにはあたらない。結婚契約書まで詩句で書かれていたのである。一三二八年の征服以来、法王は繰り返し、異教の廉《かど》をもって、俗語でかかれたいっさいのものを焼却するように命じた。狡知《こうち》にたけたイタリア人(法王を指す)がラテン語を、このように才智ある人たちにふさわしい唯一の言語であると公認したのである。もしこういうことを一八二二年にもう一度やってくれるなら、非常に有益な施策となるかもしれないのだが。
恋愛を、これほどおおっぴらにし公式化することは、一見したところ真の情熱と両立しないように思われるかもしれない。しかし、貴婦人がその騎士に「わたしを愛していらっしゃるなら、エルサレムのわが主キリストさまのお墓に参詣してください。むこうで三年たったら帰っていらっしゃいまし」と言えば、恋人《おとこ》はただちに出発したのである。一瞬でも躊躇《ちゅうちょ》したら、今日名誉に関することで弱味をみせるのとおなじ不面目の謗《そし》りを受けたであろう。この時代の人々の言葉には、極度に繊細なところがあって最もとらえがたい感情のニュアンスをも表現することができた。この風習が真の文明への途上において高度に進歩したものだったというもう一つの証拠は、力が万能であった中世封建時代の恐怖感からぬけだしたばかりであったにもかかわらず、女性が今日「合法的」に受けているような圧制を、その当時、受けていなかったということである。男よりも恋に身をほろぼしやすく、その容色もはるかにうつろいやすい、このあわれなか弱い生き物が、彼女に近づく男たちの運命の支配者となっていたのがわかる。パレスティナでの三年間の追放生活、よろこびにみちた文明から、十字軍の露営という狂信と倦怠《けんたい》への移行は、熱狂的なキリスト教徒でないかぎり、きわめてつらい苦役であったにちがいない。今日、恋人《おとこ》に無情に棄てられたパリの女は、その男に対して、いったいなにができるだろうか?
私の見るところ、この答えはただひとつしかない。すなわち、体面を重んじるパリの女は、はじめから恋人など持たないということである。慎重が今日の女性に、情熱恋愛に身をまかせるな、と忠告するのは当然のことと言えよう。しかし、いま一つの慎重さ(私はけっしてそれを肯定しようとするものではない)が、肉体恋愛で復讐せよと勧めているのではないのか? われわれは、偽善や禁欲主義では得ることがあったが、美徳に対して払う尊敬が増したわけではない。自然にさからえば必ず罰をうけるのであり、それだけ地上には幸福がすくなくなり、高邁《こうまい》な霊感がすくなくなったのである。
十年も親密な関係をつづけたあとで、女が三十二歳になったのに気づき、その哀れな愛人を捨てた男は、愛すべきプロヴァンスでは名誉を失った。そういう男は、修道院の孤独な生活に埋《うず》もれるほかに生きようがなかった。だから、高邁ではないが、ただ慎重な男は、自分の持っている以上の情熱を粧《よそお》わないほうが当時は得であった。
以上のことはすべて推測による。というのも、正確な観念を与えてくれる不滅の事跡がほんの少し残っているだけだからである……。
風俗の全体は特殊な二、三の事実によって判断しなければならない。愛する貴婦人を怒らせたあの詩人の話は、ご承知だろう。二年間彼を絶望させたあげく、彼女はついに彼の多くの手紙に答え、もし彼が「爪」を一枚はがし、その爪を恋している誠実な五十人の騎士の手でとどけてくれるなら許してやってもよい、と言ってやった。詩人はすぐに苦しい手術をうけた。それぞれの恋人から憎からず思われている五十人の騎士が、盛大な儀式でもってその爪を怒れる美女にとどけに行った。それは王子が父の王国の町の一つに入城するのと同じほど壮厳な儀式であった。恋人《おとこ》は、悔悟の念を示す服装をし、行列の最後尾について、自分の爪のあとに従った。長い儀式がすべて滞《とどこお》りなくすんだのを見て、貴婦人は彼を許したのだった。彼は恋のはじめのころの甘美な幸福にたちもどった。物の本によれば、彼らは、長く幸福な年月をともに過ごしたと言う。確かに、不幸なこの二年間が真の情熱を立証したのであり、また、たとい情熱が以前ほどの力ではありえなかったとしても、なおそれを再生させたのであろう。
このような逸話はいくらでも引用することができるが、いずれもみな公正の原則によって両性間に行なわれた、愛すべき機知ある色事《ギャラントリー》を示している。私は色事と言ったが、それは、いかなる時代でも情熱恋愛はどこにでもあるものではなく珍しい例外なので、法則を押しつけることができないからである。プロヴァンスでは、すべて計算されるもの、理性の支配に従属されるものは、みな両性間の公正さと権利の平等にもとづいていた。これが、できるだけ不幸を遠ざけるものとして私が特に感嘆しているものである。これに反して、ルイ十五世治下の絶対王制は、この同じ両性関係に悪辣《あくらつ》さと陰険さとを流行させることとなった(*)。
(*)一八〇二年、ナポリで愛すべきラクロ将軍が話したことを聞いてほしかった。この幸福を経験しなかった人は、たいそうおもしろく編纂されている三巻の『リシュリユー元帥の私生活』を開けばよい。
繊細さに充《み》ち溢《あふ》れ、また厄介な韻律を持った美しいあのプロヴァンス語は、おそらく民衆のものではなかったかもしれないが、それでも上流階級の風習は下層階級にまで及んでいた。当時のブロヴァンスの下層階級は、きわめて裕福であったから、粗野なところは、まったくないと言ってもよいくらいだった。非常な繁栄と富とをもたらした商業によって、彼らはようやく陽気になり始めていた。地中海沿岸の住民は、この海に船を乗りだし、思い切り商業を営むほうが、群小封建領主にくっついて行き、そこいらの街道で追いはぎをはたらくより苦労もすくなく、楽しみもまったく劣らぬことに気がついたところだった(九世紀)。その後プロヴァンス人は、アラビア人と交わることによって、掠奪や暴行や闘争よりも心地よい快楽があることを知ったのである。地中海はヨーロッパ文明の温床と見なさるべきである。気候に恵まれたこの美しい海のすばらしい沿岸は、その住民の繁栄状況と、いっさいの宗教や陰気な法律がなかったために、そのころもなおヨーロッパ文明の温床であった。当時のプロヴァンス人のこの上なく陽気な精神は、キリスト教を通過しても、そのために変質することはなかったのである。
同じ原因から生まれた同じ結果を示す、生き生きとした姿が、イタリアの諸都市に見られる。それら諸都市の歴史はいっそう明確にわれわれに伝えられ、さいわいなことに、ダンテ、ペトラルカのような詩人および絵画を、われわれに残してくれたのである
プロヴァンス人は、『神曲』のように、当時の風習をすべてつぶさに反映している偉大な詩を一つもわれわれに残さなかった。彼らはイタリア人に比べて情熱に乏しいが、イタリア人よりはるかに陽気だったようである。彼らは、隣国スペインのモール人から生活を享楽する方法を教わったのである。恋は、幸福なプロヴァンスの城館の宴席や遊楽に、楽しく君臨していた。
あなたはオペラ座で、ロッシーニのすばらしいオペラコミックの終曲《フィナーレ》を見たことがあろうか。舞台の上は、いっさいが陽気と美と理想的な壮麗さである。われわれは人間性のいやしい面からはるかにへだたったところにいる。オペラは終わり、幕がおり、観客は立ち去り、釣燭台《つりしょくだい》がひきあげられ、ケンケ燈は消される。くすぶったランプのにおいが劇場内にこもる。幕がまた半ばあがる。汚ない身なりの男どもが舞台を行き来している。彼らは、見苦しい仕草《しぐさ》で動きまわり、一瞬前まで若い女たちがその優美さで充たしていた場所を占めている。
十字軍のトゥールーズ占領は、プロヴァンス王国に、同じような結果をもたらした。恋と優美と陽気さにとってかわって、北方蛮族と聖ドミニックがあらわれた。私は、その初期の熱狂にかられていた宗教裁判の、身の毛もよだつ話で、このページをけがす気は毛頭ない。この蛮人とはわれわれの祖先であった。彼らはすべてを殺し、奪いとった。持ち運びできないものは、破壊するという悦《よろこ》びのためにのみ破壊した。どこか文明のあとをとどめていたものに対して、野蛮な怒りが彼らをかりたてたのである。ことに、この美しい南仏の言葉がひと言も理解できなかったので、彼らの激怒は倍加した。彼らは、おそるべき聖ドミニックに教導されてまったく迷信的となり、プロヴァンス人を殺すことによって天国に到りうると信じていた。プロヴァンス人にとってはすべてが終わりだった。もはや恋も陽気も詩もなかった。征服(一三三五年)から二十年たらずのうちに、彼らはわれわれの祖先のフランス人と同じくらいに野蛮で粗暴になってしまった。
二世紀にわたって、上流階級の幸福をなしたこの魅力ある文明形式は、どこからこの世界の一隅に落ちてきたのであろうか。あきらかに、スペインのモール人からである。
第五十二章 十二世紀のプロヴァンス
プロヴァンス語の写本から一つの物語をここに訳そう。事件が起こったのは一一八〇年ごろであり、物語が書かれたのは一二五〇年ごろである(*)。この物語は、確かによく知れわたったものであり、当時の風俗のニュアンスがそのまま文体にでている。逐語訳《ちくごやく》をなし、現代語の優雅な文体を少しも求めようとしなかったことをお許し願いたい。
(*)この写本はローレンティアナ図書館にある。レヌアール氏は、彼の『吟遊詩人』第五巻一八九ページにこれを載せている。彼のテキストには数か所の誤りがある。彼は吟遊詩人を賞めすぎているが、またあまりにも知らなさすぎるのだ。
レーモン・ド・ルシヨン殿は、名うての豪胆な殿様でしたが、奥方はマルグリートさまと申され、この世にふたりといない美しい女性でありました。そのりっぱな気立てといい、才智といい、折り目正しさといい、たぐいまれなお方でした。ところで、カプスタン城の貧しい騎士の子ギヨーム・ド・カプスタンという男が、レーモン・ド・ルシヨン殿の城館《やかた》に参上し、殿の前にまかりでて、もしお気に召せばお小姓におかかえ下さいと願いでました。レーモン殿は彼が美しく愛嬌があるのをごらんになって、よく来てくれた、城館にとどまるがよいと申されました。こうしてギヨームは殿のもとにとどまり、たいそうかわいげに働きましたので、身分の上下を問わずだれからも愛されました。他に抜きんでるすべを心得ていた彼を、レーモン殿は奥方マルグリートのお小姓にせんものと思《おぼ》し召され、その通りになりました。それからというもの、ギヨームはいっそう言うことなすことに気をつけました。しかし、恋のならいのつねとして、いつしかマルグリートさまは恋のとりことなり、その思いを燃えたたせることになりました。ギヨームのなすこと、言うこと、素振《そぶ》りまで、ことごとくたいそうお気に召しましたので、ある日のこと奥方はこう言わずにはいられませんでした。「ところでギヨーム、もしある女人がおまえに恋の素振りを見せたなら、おまえはその女を愛《いと》しむ気持ちになれるだろうか」
ギヨームは、奥方の気持ちに気づいていましたのでかくさずに答えました。「はい、愛さずにいられましょうか。ただその素振りがまことと思えますならば」
奥方は申されました。「聖ヨハネさまにかけて、りっぱな殿方らしい答えと申しましょう。では、その素振りのどれがほんとうで、どれが偽りか、おまえがおわかりかどうかためしてあげましょう」
ギヨームはこれを聞いて答えました。「奥方さま、どうぞお気に召すままに」
彼は物思いに沈みはじめました。愛の神は、ただちに彼に戦いをしかけてきました。愛の神が送りこむ物思いが、彼の心の奥底にはいりこみ、それから彼は恋の僕《しもべ》となり果て、愛すべき陽気な対句とか、舞踏歌とか、楽しい歌の節などを見つけるようになりました。このためみんなからたいそう賞《ほ》めそやされ、とりわけ彼がめざして歌ったお方には、なおのこと悦ばれたのでした。ところで愛の神は、お気に召せば、僕《しもべ》たちに報いをさずけて下さるのですから、ギヨームにも褒美《ほうび》を与えたいとお思いになりました。そこで奥方は、恋の思いと思案にすっかり心をとらえられて、夜となく昼となく、ギヨームの裡《うち》に宿る才能と武勇を思っては、心の休む暇もありませんでした。
ある日のこと、奥方はギヨームを呼んでこう言われました。「ギヨーム、さあ言っておくれ、お前は、このごろのわたしの素振りをみて、真実《まこと》とお思いかえ、それとも嘘とお思いかえ?」
ギヨームは答えました。「奥方さま、神も照覧あれ、あなたさまにお仕えしてこのかた、人の世に生まれた方であなたさまがいちばん立派な方であり、言葉にも素振りにもいちばん真実を示される方であるというよりほかは、どんな考えも私の心にはいりこんだことはございません。いまも、こののちも一生こう信じて参ります」
すると奥方が答えて言われるには、「ギヨーム、神さまが私におめぐみをくださるならば、お前は決して私にあざむかれるようなことはありますまい。お前の思いも、ゆめあだにはしますまい」
かくて二人きりで座っていた部屋で、奥方は両の腕をのべられ、やさしく彼を抱かれ、かくしてかれらは druerie をはじめました。しかし神の怒りに触れたのでしょうか、ほどなく口さがない人々が二人の恋を噂《うわさ》したり、なにやかやと取り沙汰しはじめました。ギヨームが作った歌について、あれはマルグリートさまへの想いのたけをこめて作ったものだと言いふらしました。見境いもなくでまかせにしゃべり回りましたので、ついに事の次第がレイモン殿のお耳にはいりました。殿はいたく苦しまれ、ひどく悲しまれました。第一に、あれほど寵愛《ちょうあい》しておいでになる家来を失わなければならないからでありましたが、それにもまして妻の不名誉をお考えになったからでした。
ある日のこと、たまたまギヨームは一人の供を連れただけで、鷹狩にでかけました。レイモン殿がギヨームはどこにいるかとおたずねになりました。一人の家来が、鷹狩に参りましたとお答えし、知っている通り、これこれの場所におりますとつけ加えました。即座にレイモンは武器をかくし持ち、馬を曳《ひ》いてこさせ、単身、ギヨームが行ったという場所めがけて出発しました。馬に乗って行きますと、ついにギヨームを見つけました。ギヨームは殿が来られるのを見てひどく驚き、たちまち不吉な思いにおそわれましたが、殿を迎えに進みでて申しました。「殿、よくぞおでかけくださいました。どうしてお一人で?」
レイモン殿は答えました。「ギヨーム、お前といっしょに気晴らしをしようと思って追って参った。獲物《えもの》はまだか?」
「まだでございます。とんと見つかりません。諺《ことわざ》にも、見つからぬものはとれぬ、とか申します」
レイモン殿は言われました。「そんな話はもうよそう。わしのお前に対する信頼に答えて、わしがこれから糾《ただ》したいと思っていることについては、すべて真実を言ってくれ」
「神かけて、殿、私が申し上げられることでしたら、なんなり申しあげます」とギヨームは言いました。「くどくどしたことはすべて聞きたくない。ただ、わしのたずねることだけを包み隠さず言ってほしい」とレイモン殿が言われました。「殿、お気のゆくまでおたずねくだされば、私も真実を申し上げます」とギヨームが答えました。そこでレイモン殿がきかれました。「ギヨーム、神と神聖なる信仰にかけて、その人のために歌い、かつ|恋の神《アムール》にとえられたという恋人が、お前にはあるのか?」
ギヨームは答えました。「殿、恋の神に強《し》いられることなくしては、どうして歌なぞ作れましょうか。まことに私は恋の神の手中に捉《とら》えられております」レイモン殿が相槌《あいづち》を打ちます。「いかにも、さもなくばあれほど巧みには歌えぬはずだ。だが、お前の意中の人はだれか知りたいものだ」
ギヨームが言いました。「ああ、殿、神かけて、なんというおたずねでございましょう。恋人の名は言わないものとは、殿もよくご存じのはずでございます。ベルナール・ド・ヴァンタドゥールもつぎのように言っております。
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「わたしの分別が一つのことに役に立つ、
わたしのうれしさを誰にも聞かれなぞしなかったら、
すすんで嘘《うそ》なぞつかなかったものを。
うれしい恋をしている者が
力にもなれぬ他の男に
心を打ち明けたがるのは
立派な主義とは思われず、
かえって狂気の沙汰、児戯《じぎ》の類《たぐい》」
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レイモン殿は答えました。「それでは誓って、およぶかぎりの力添えをしよう」
レイモン殿が言葉を尽くしましたのでギヨームは答えて言いました。「殿、私の恋しておりますのは奥方マルグリートさまのお妹さまで、お妹さまも私を憎からず思《おぼ》し召されているらしいと、ご承知ねがわねばなりません。さあ、ご存じになりましたからには、どうぞご助力いただきとうございます。さもなくば、せめて邪魔立てはなさいませんよう」
レイモン殿は言いました。「手をとってくれ、誓約だ。お前のためにできるかぎりの力添えをすることを誓い、ここに約束する」
こうして誓いを立てました。レイモン殿は誓約を与えてしまうと言いました。「妹の城館《やかた》へ行くとしよう、この近くだから」「ありがたきしあわせに存じます」とギヨームは答えました。かくて二人はリエットの城館をめざして進んでいきました。城館に着くと、マルグリートさまの妹アニェスさまのご夫君ロベール・ド・タラスコン殿とアニェスさまご自身のたいそうな歓迎を受けました。レイモン殿はアニェスさまの手をとって部屋に連れていき、寝台に腰をおろしました。レイモン殿が言いました。「さて妹よ、誓って答えてほしい。あなたは恋をしておられるや?」「はい」と彼女は答えました。「して、相手は?」殿が聞きました。「いいえ、それは申し上げられません。それになんということをおおせになるのでございましょう」
殿にひどくせがまれて、彼女はとうとうギヨーム・ド・カプスタンを恋していると言いました。こう言ったのは、ギヨームが悲しく物思わしげなのを見てとり、また彼が姉をどんなに愛しているか承知していたからでした。したがって、レイモンがギヨームに対して悪い考えを抱いてはいけないと案じたからでもありました。この返事はレイモンを非常によろこばせました。アニェスが事の始終を夫に打ち明けますと、よくやったという答えで、ギヨームを救うことができそうなことなら、思う通りなにを言ってもなにをしてもよいと許してくれました。アニェスはその通りいたしました。彼女はギヨームただひとりを寝室に呼び、長い間二人きりでこもりましたので、レイモンは、ギヨームが彼女から恋の喜びを得たにちがいないと考えました。これらのことがことごとく彼の気に入りました。ギヨームについて聞かされていたことはほんとうのことではなく、そらごとなのだと思い始めました。アニェスとギヨームは寝室からでてきました。夜食の用意ができていて、たいそう盛大な晩餐となりました。食後アニェスは、二人用の寝台を自分の寝室の入口のそばにしつらえさせ、夫人とギヨームとは、つぎからつぎへと芝居をうちましたので、レイモンは彼が夫人と床《とこ》を共にしているのだと思いこんでしまいました。
翌日、城館《やかた》でたいそう楽しく食事をとりました。食後、二人はしごく丁重《ていちょう》な見送りを受けて出立し、ルシヨンに帰りました。レイモンは帰り着くとすぐギヨームと別れて奥方のところへ行き、ギヨームと奥方の妹のことについて自分の見たところを物語りました。奥方は一晩中このことをたいそう悲しまれました。翌日ギヨームを呼ばせ、すげなく迎えて、彼のことを嘘つきで裏切り者だと非難しました。ギヨームは、彼女が非難しているようなことはなにもせず、やましいことはありませんでしたから、奥方に許しを乞い、起こったことをことごとく事こまかに物語りました。奥方は妹を呼び、その口からギヨームが嘘を言っていないことをしかと確かめました。このことが原因となって、奥方はギヨームに、彼女以外の女をだれも愛していないことを示す歌を作ることを命じまた。かくして彼はつぎの歌を作ったのです。
恋ゆえにしげしげと訪れる、
わが心の、甘き想いよ。
レイモン・ド・ルシヨンはギョームが奥方のために作ったこの歌を聞くと、話があるからとギヨームをお城から遠く呼びだし、首をはね、獲物袋にいれ、また体《からだ》から心臓をとりだし、首と共に袋にいれました。城に帰って、心臓を串焼にさせ、奥方の食卓に運ばせ、なにも知らせずに彼女に勧めました。彼女がそれを食べ終わると、レイモンは立ち上がり、いまそなたが食べたのはギョーム・ド・カプスタン殿の心臓だと言って首を見せ、心臓はうまかったかとたずねました。奥方は夫の言葉をきき、首をみてギヨーム殿の首だとすぐにさとりました。奥方が答えて言いますには、「心臓はたいそうおいしく、よい味わいでございました。どんな食べ物も、またどんな飲み物も、ギヨーム殿の心臓が残してくれたこの味を口から消すことはできませんでしょう」
レイモンは剣を抜いて彼女に迫りました。奥方は逃げだし、露台から飛び降り、頭をうちくだきました。
このことはカタロニア中およびアラゴン王の領土全体に知れわたりました。アルフォンソ王やこの地方の全領主たちは、ギヨーム殿の死と、彼と同じくレイモンがこれまた非業の死に至らしめた奥方の死とを深く悼《いた》み悲しみました。彼らはレイモンに砲火と流血の戦いをしかけました。アラゴンのアルフォンソ王はレイモンの城を攻め落とし、ギヨームとその恋人とをペルピニャックという村の教会の門前の碑の中に安置しました。国中の幸福にみちたりた恋人たちは、男も女も神に二人の冥福《めいふく》を祈りました。アラゴン王はレイモンをとらえて獄死せしめ、彼の全財産をギヨームの親族と、彼のために死んだ奥方の親族に与えました。
第五十三章 アラビア
アラビア・ベドゥイン族の黒っぽいテントの下にこそ、真の恋の典型と祖国とを求めねばならない。ここでも他の土地と同じく、孤独とすばらしい気候とが、人間の心のうちで最も気高い情熱を生じさせたのである。それは幸福を見いだすためには自分が感じるのと同じ程度の幸福を相手に感じさせねばならない情熱である。
恋が、男の心の裡《うち》に、ありとあらゆる姿を現わすには、恋する男女の間に、できるだけ平等が確立されていなければならなかった。この平等が、わが憐れむべき西欧にはまったく見られない。女は棄てられると不幸になるか、名誉を失う。アラビアのテントの下では、いったん誓いがたてられると、破ることが「できない」。この罪にすぐさま軽蔑と死がつづくのである。
この民族においては、気前のよいことが非常に神聖なものとされており、与えるためには「盗む」ことも許されているほどである。その上、毎日、危険があり、生活はすべて、いわば情熱的な孤独の裡《うち》に過ぎていく。アラビア人は集まっていても、めったにしゃべらない。
砂漠の住民にあっては、変化はなにもない。すべてが永遠であり不動である。その独特の風習は、よく知らないから描きうるのは貧弱なスケッチにすぎないのだが、おそらくホメロスの時代からあったものであろう。それがはじめて記録されたのは、シャルルマーニュの二世紀以前、キリスト紀元六百年ごろのことである。
われわれが十字軍によって近東地方をなやましたころ、われわれのほうこそ近東に対して野蛮人であった。それゆえ、われわれの風習の高貴な点は、十字軍とスペインのモール人に負っているのである。
われわれが自分たちをアラビア人に比較すると、散文的な人物の自尊心は憐れみの笑《え》みを浮かべるかもしれない。われわれの芸術は、彼らのものよりはるかにすぐれている。われわれの法律も、見たところ彼らのよりもさらにすぐれている。だが、家庭を幸福にする技術において、われわれが彼らよりすぐれているかどうかは疑問である。われわれには誠意と単純さとがつねに欠けている。家族関係にあっては、ぺてん師はなによりも不幸である。彼にはもう心に平安がない。つねに正しくないので、いつもおそれを抱いている。
最も古い歴史的記念物から起源をさぐると、アラビア人は太古から独立した多数の部族にわかれ、砂漠をさまよっていたと思われる。これらの部族は、人間の必要不可欠な事物を、難易の差はあれ、充《み》たしうるに応じて多少とも優雅な風習を持っていた。気前のよさはどこでも同じであったが、部族の繁栄の程度にしたがって、それが食生活に必要な仔山羊《こやぎ》四分の一の贈り物として表されたり、なんらかの家族関係や歓待のための贈り物として、百頭のラクダで表わされたりした。
アラビアの英雄的な世紀、これらの気前のよい人々が、才智や洗練された感覚の気取りなどにまったく染まらずに輝いていた世紀は、マホメットに先立つ、われわれの紀元でいう五世紀、ヴェネツィア市の創設とクローヴィスの治世に相当する。私は、アラビア人の残した恋歌や、『千一夜物語』に描かれた気高い風習と、クローヴィスの伝記作者グレゴワール・ド・トールや、シャルルマーニュの伝記作者エジナールの各ページを血で染めている、嫌悪《けんお》を催させる恐怖とを比較されんことを、われわれの自尊心にお願いする。
マホメットは清教徒《ピュリタン》であって、彼はだれにも害をおよぼさない快楽を禁じようとした。イスラム教を受けいれた国々で恋愛を殺してしまった(*)。彼の宗教が他のすべての回教国におけるほどには、彼の揺籃《ようらん》の地アラビアでつねに熱心に行われなかったのは、このためである。
(*)コンスタンティノープルの風習。情熱恋愛を殺す唯一の方法は、容易さなことだよといって、どの結晶作用をも妨げる事である。
フランス軍はエジプトから、『歌の本』と題された二つ折四ページ版四巻を持ち帰った。それらの内容はつぎの通りである。
一 歌をつくった詩人の伝記。
二 歌の本文。詩人は興味をおぼえたものはなんでも歌っている。自分の恋人を語ったあとで、自分の駿馬《しゅんめ》や弓を讃《たた》えている。これらの歌は、しばしば作者の恋文そのものであった。彼らは恋している相手に、自分の胸の想いのありったけを、ありのままに描き与えている。ときとして、自分の弓矢を燃さねばならなかった寒い夜のことを語っている。アラビア人は家を持たない民族なのである。
三 これらの歌を作曲した音楽家の伝記。
四 最後に音譜の表示。この音譜は、われわれには象形文字のようにわけのわからないものである。この音楽はわれわれには永遠にわからずじまいであろう。わかったとしても、おもしろくはなかろう。
これとは別に、『恋に死んだアラビア人の物語』と題された一冊の本がある。
このようなまったく珍しい書物はほとんど世に知られていない。少数の学者は解読できようが、彼らは研究とアカデミックな習慣によって心がひからびている。
これらの記念物は、その古さのために、またそこから察しられる風習の奇妙な美しさのために、たいそう興味深いが、われわれがこれをよく理解するためには、まず歴史に若干の事実を求めねばならない。
アラビア人は、いかなる時代においても、特にマホメット以前には、カーバ Caaba、すなわちアブラハムの家に参詣《さんけい》するためにメッカを訪れた。私はロンドンで、この聖都の極めて正確な模型を見たことがある。それは平屋根を持った七、八百軒の家であり、太陽にやきつけられた砂漠のまっただ中に投げだされていた。町はずれの一つに、ほぼ正方形の大きな建物がある。この建物がカーバをとりかこんでいる。それは長い回廊からなり、アラビアの太陽のもとで聖なる遊歩を行なうのに欠かすことのできないものである。この回廊は、アラビアの風俗と詩の歴史の上で極めて重要なものであった。これは明らかに、数世紀にわたって男女が会合した唯一の場所であったからである。彼らはいりまじり、ゆっくりした足どりで聖歌を一斉に誦しながら、カーバをめぐり歩いた。ひとめぐり遊歩するのに四十五分かかった。これが一日に、いく度となく繰り返された。砂漠の四方から男女が馳《は》せ参じたのは、まさにこの聖なる祭式のためであった。アラビアの風習が洗練されたのは、このカーバの回廊のもとにおいてである。まもなく、父親と恋する男との間に争いが生じた。アラビアの青年が、やがて若い娘に自分の情熱を打ち明けたのは、恋歌によってである。娘は、兄弟か父親にきびしく監視されていたのであるが、その傍《かたわ》らで青年は聖なる遊歩をしていたのだ。この民族の気前のよい、感傷的慣習は、すでにキャンプのなかに存在していたが、アラビア風の色事《ギャラントリー》は、カーバをめぐって発生したものと思われる。カーバは文学の生まれ故郷でもあった。まずはじめに彼らの文学は、詩人が感じたのと同じような情熱を、単純に、しかも力強く表現した。そののち詩人は、恋人を感動させようと思うよりも、美しい文句を書こうと考えた。そこで気取りが生まれ、それをモール人がスペインへもたらしたのであり(*)、今もなおこの民族の書物を毒している。
(*)パリには厖大《ぼうだい》な量のアラビア写本がある。後期のものには気どりがあるが、ギリシャ、ローマの模倣は少しもない。そのために学者の軽蔑するところとなっている。
私はアラビア人が、最も弱き性たる女に対する尊敬の感動的な証拠の一つを、その離婚の形式に見る。妻が夫と別れたいと思うとき、夫の留守の間にテントをたたみ、前とは反対側に入口がくるように組み直しておく。この簡単な儀式で二人の夫婦は、永遠に別れることとなるのである。
断片
エブン・アビ・ハジラート編『恋の詩集』と題されたアラビア詩集からの抄訳
(王室図書館写本一四六一〜六二号)
ジャアファル・エラファザディの子マホメットが語るところによれば、ソハイルの子エラバスが死の床にいるジャミルを見舞いに行くと、ジャミルは魂を天に返す用意をしていた。ジャミルは言った。「おお、ソハイルの子よ、ここに一人の男がいる。彼は酒を飲んだこともなく、不正な金もうけをしたこともなく、神によって殺すことを禁じられたどんな生き物も理由なくして殺したことがない。神よりほかに神はなく、マホメットを神の予言者であることのあかしをたてている。この男をどう思うか?」……ベン・ソハイルは答えた。「その男は救われて天国へ行くであろう。だがお前のいう男とはだれだ?」……ジャミルが答える。「このおれだよ」……そこでベン・ソハイルが言う。「お前がイスラム教を信じているとは思わなかった。お前は二十年来ボタイナに思いをよせ、詩で彼女を讃《たた》えているではないか」……ジャミルは答えた。「おれはいよいよあの世の最初の日、この世の最後の日に来たのだ。もしもおれが不埒《ふらち》にもボタイナに手をだすようなことがあれば、おれは最後の審判の日に、わが主マホメットの慈悲がおれの身にまで及ばないことを願っているよ」
このジャミルとその恋人ボタイナは、ともにアラビア全部族のなかでも恋で知られたベヌ・アズラ族に属する人間であった。……それ故、彼らの愛のありようは諺《ことわざ》にもなった。神は、彼らほど、恋に優しい生きものをつくられたことはなかったのだ。
ある日のこと、アグバの子ザヒドが一人のアラビア人にたずねた。「お前はどこの者だ?」「恋をして死ぬ国の者だ」とアラビア人は答えた。「ではアズラ族の者か」ザヒドが言い添えた。……「そうだ、カーバの主《しゅ》にかけて」とアラビア人は答えた。……「しかしお前たちはなぜそんなに恋をするのか」ザヒドがつづけて聞いた。……「おれの国の女たちは美しいし、若者どもは純潔なんだ」とアラビア人は答えた。
ある日、ある人がアルア・ベン・ヘザム(*)にたずねた。「聞くところでは、お前たちは男たちのなかで最も恋に優しい心の持主だそうだが、それはまことか?」……「そうだ、神に誓ってほんとうだ」とアルアは答えた。「おれは、おれの部族で、ただ恋わずらいだけで死んだ若者が三十人もいるのを知っている」
(*)このアルア・ベン・ヘザムは前に述べたアズラ族の者であった。彼は詩人として有名であるが、アラビア人のなかに数えられる多くの恋の殉教者の一人として、なおいっそう有名である。
ある日、ベヌ・ファザラアトの一人のアラビア人が、ベヌ・アズラのいま一人のアラビア人に言った。「お前たちベヌ・アズラの者は、恋で死ぬのは甘美で気高い死のように思っているが、それこそ明白な弱点であり、愚かなことだ。お前たちを見上げた心の持主と思っている人々は、道理をわきまえない弱い人間にすぎない」……アズラ族のアラビア人は、その男に答えた。「もしお前がおれの国の女たちの長い睫毛《まつげ》で上部が蔽《おお》われ、その下には矢を射るように鋭い、黒い大きな眼を見、彼女たちが微笑して、その歯が鳶色《とびいろ》の唇の間に輝くのを見たことがあれば、そうは言わないだろう」
アブダラ・エルザグニの子アブ・エル・ハッサン・アリはつぎのように語る。ある回教徒の男が、あるキリスト教徒の娘を、気も狂わんばかりに恋していた。彼は、恋の打ち明け手にしていた友人と、止むなく外国へ旅行をしなければならなかった。その国で仕事が長びき、彼は瀕死の病にかかった。そこで、友人に言った。「いまや最期が近づいた。もうこの世では愛する女に会えないと思う。もし回教徒として死んだら、あの世へ行っても彼女に会えないのではなかろうか」彼はキリスト教徒に改宗して死んだ。彼の友人はキリスト教徒の娘のところにおもむいたが、彼女も病気になっていた。彼女は彼に言った。「私はもうこの世ではあの方にお会いできないでしょう。でもあの世で、あの方にまたお目にかかりたいと思います。ですから私は、神のほかに神はなくマホメットが神の予言者であると誓いをたてます」そういって娘は死んだ。神よ、彼女を憐れみたまえ。
エルテミミはつぎのように語る。
タグレブのアラビア部族にキリストを信じるたいそう裕福な娘がいたが、ある回教徒の青年に思いを寄せていた。彼女は財産と、持っている貴重なものすべてを彼に捧げたが、男から愛されるにはいたらなかった。すべての希望を失った彼女は、ある彫刻師に百ディナルを与えて愛する青年の彫像を作らせた。彫刻師はその彫像を作った。娘はそれを手にすると、ある場所に据《す》え、そこへ毎日通った。そこで彼女はまず彼に接吻し、それからそのそばに坐り一日を泣いて過ごすのであった。日が暮れると、娘は彫像に挨拶をし、帰っていった。彼女は長い間このようにしていた。そのうちに青年が死んだ。彼女は死んだ男を見、接吻したいと思った。それからまた彫像のそばへもどって、いつものように挨拶をし、接吻をし、そのかたわらに横になった。翌朝、彼女は死んでいた。片手は、死ぬ前に書いた書き置きの方へ差しのばしていた。
ヤメンの国のウエダーはアラビア人の間で美男の聞こえが高かった。……彼と、メルアンの子アブド・エル・アジズの娘オム・エル・ボナインとは、まだ子供のころから深く愛しあっていて、お互いにひと時も別れていられないほどであった。オム・エル・ボナインがウアリド・ベン・アブド・エル・マレクの妻になった時、ウエダーは気が狂わんばかりになった。……長いこと迷いと苦悩のうちに過ごしたのち、シリアへ行き、毎日マレクの子ウアリドの家の周囲をさまよい始めたが、自分の望みが果たされるような手段は、さしずめ見つからなかった。……やっと一人の娘に会い、根気よくなにかと心づかいをしてその娘とどうにか親しくなれた。娘を信頼してもよいと思われたころ、彼女にオム・エル・ボナインを知っているかとたずねた。……「知っていますとも、私の奥さまですもの」と若い娘が答えた。「そうか、お前の奥様というのはぼくの従妹《いとこ》なのだ。ぼくのことを知らせてあげたら、よろこんでくれるだろうよ」とウエダーが言った。……「よろこんでお伝えしますわ」そう言って娘はオム・エル・ボナインのもとへ駈けつけ、ウエダーのことを知らせた。「まさか、嘘じゃないわね、ウエダーが生きていらっしゃるって?」とボナインは叫んだ。……「まちがいありません、奥様」と娘が言った。……「それではこちらから使いをさしあげるまでは、どこへも行かずにいてくださいとお伝えしてちょうだい」とボナインは続けた。それから彼女は彼を家へ入れる手段を講じた。彼を大箱の中へ隠し、だいじょうぶと思う時、彼を出して二人だけになり、人が来て見つかりそうになると、またその大箱の中に入れた。
ある日、ウアリドのもとに真珠が一個とどけられた。彼は召使いの一人に、「その真珠をオム・エル・ボナインのところへ持って行くように」と命じた。召使いは真珠を受け取り、オム・エル・ボナインのところへ持って行ったが、なにも告げずに不意に部屋にはいったので、ちょうどボナインがウエダーといっしょにいるときだった。そこで召使いはちらっとボナインの部屋に目をやる間《ま》があったのだが、彼女のほうはそれに気づかなかった。召使いは言いつけを果たすとボナインに真珠を持ってきたお礼の心づけをねだった。彼女はそれをきびしく拒絶し、彼を叱《しか》りつけた。召使いは彼女に腹をたてて部屋をでて行った。そしてウアリドものとへ行き、自分の見たことをつげ、ウエダーがはいったのをみかけた大箱のことを細かに話した。……「嘘つきめ、母なし子の奴隷め、嘘をつけ」ウアリドはこう言うと、だしぬけにオム・エル・ボナインの部屋へ駆けこんだ。部屋には大箱がいくつかあった。彼はボナインに「大箱をひとつ欲しいんだが」と言って、召使いから聞いたウエダーが身をひそめた大箱に腰を下した。……「みんなあなたのものではありませんか。私のからだとおなじように」とボナインは答えた。……「ではおれが腰かけているやつをもらおう」とウアリドは続けて言った。「それには女のたいせつなものがはいっています」とポナインが言った。……「ほしいのはほかのものではない。この大箱だ」とウアリドは続けた。……「ではどうぞご自由に」とボナインは答えた。ウアリドはただちに大箱を運びださせ、二人の奴隷を呼んで水が湧きでるまで、深く穴を掘れと命じた。「お前のことですこし噂《うわさ》を聞いたんだ。もしその噂がほんとうなら、お前はお前の一族の者ともおさらばだ。お前の噂も土のなかに埋まってしまうがよい。もし噂が偽りなら、大箱ひとつ埋めたところでおれはなにも悪いことをしたわけではない。木を埋めただけのことなんだ」
彼はそう言って穴の中へ箱を突き落とさせ、その上に掘りだした土と石をかぶせた。そのときからオム・エル・ボナインはたえずこの場所へ通っては泣き続け、ある日、とうとう顔を地につっぷして息絶えているのを発見された。
第五十四章 女子教育について
偶然の産物であり、この上なくばかばかしい自尊心の産物でもある現在の女子教育により、われわれは女子自身にとっても、われわれにとっても幸福を得る最もかがやかしく最も豊かな能力を、彼女たちのなかに眠らせたままにしている。だが慎重な男で、すくなくとも一生に一度は、このように叫ばなかった者があろうか。
女という者は、胴衣とズボンの
見分けがつくくらいの
智慧《ちえ》がつけば上々なのさ
(『女学者』第二幕第七場)
パリでは婚期にいる若い娘への最大の賛辞は、「たいへん気立のやさしい娘さんですね」という言葉である。羊のように従う習慣から、愚かな求婚者たちに対してこれほど効果的な言葉はない。それから二年たって、曇り日に、これらの男たちが三人の背の高い制服を着た従僕にかしずかれ、それぞれ奥さんとさし向かいに、帽子も脱がずに昼食をとっている様子を見てもらいたいものだ。
周知のごとく、アメリカ合衆国では一八一八年に、ヴァージニア州の黒人に読み書きを教えた者は三十四回の笞刑《ちけい》に処すという法律を定めた。この法律ほど首尾一貫して合理的なものはない。
アメリカ合衆国自身、母国の奴隷であった時代と、対等になってからと、いずれがその母国にとって、有益であったろうか? 一人の自由な人間の仕事が、その同じ人間が、奴隷状態に置かれていたときの仕事の二倍三倍にも値するというのであれば、その人間の思想についてもどうして同じことが言えないだろうか?
あえてできるものなら、娘たちに、奴隷教育をさずけてみるのもよかろう。その証拠に、彼女たちは、役に立つことと言えば、われわれの教えたくないことしか覚えていないのだ。
「しかし不幸にも、女が少しでも教育を手にいれたら、われわれに歯向かってくる」、と夫たちのあるものは言うかもしれない。恐らくそうだ。ナポレオンが国民軍に武器を与えなかったのは当然であるが、過激《ウルトラ》王党派が学生の相互教育を禁止したのもそれ相応の理由があった。人間に武器を与え、しかも圧迫し続けてみよ。彼は可能ならば、その武器であなたに反抗してくるほど、非道な人間だということを思い知らされるであろう。
よしんば一七七〇年ころの修道院におけるように、「アヴェ・マリア」とみだらな小唄で、若い娘を白痴に仕上げることが許されるとしても、なおささやかながら、いくつかの異論が残るであろう。
一 夫が死んだ場合には、女は未熟な家族を管理していかねばならない。
二 母親として、男の子、つまり未来の暴君に最初の教育をさずける。この教育は子供の性格をつくりあげ、「他の道よりもこの道によって幸福を求める」ように魂をたわめる。これはつねに四、五歳までにきまる仕事である。
三 われわれがいくら自尊心を振り回してみたところで、家庭内の些細《ささい》な事柄については(われわれの幸福はなによりもそのことにかかっている。なぜなら情熱がなくなれば、幸福は、毎日の些細な屈辱感がないという一事にかかってくるから)、われわれの人生に欠くことのできない伴侶の意見は、最も重大な影響を及ぼす。われわれはいささかでも女の影響力を認めたくはないのだが、二十年も続けて同じことをくりかえされたのでは叶《かな》わぬからだ。一生おなじ考えばかりを聞かされても、これに抵抗しうるだけのローマ人的気迫を持った男がどこにいるだろうか? 世間には、妻の言うがままになっている夫がいくらでもいる。それは意気地がないためであって、正義や平等の感情からではない。男は仕方なく従っているのであるから、妻はたえず自分の優位を濫用したがる。そして優位を保つには、濫用することもときには必要なのである。
四 最後に、恋愛においては、南方ではしばしば十二年、あるいは十五年も続く人生の最も美しいこの時期に、われわれ男性の幸福はすっかり、愛する女の掌中にある。女が、身のほど知らぬ自尊心をひけらかせば、われわれは永久に不幸になってしまう。それに、王座にのし上がったら、奴隷はどうして権力を濫用せずにいられようか? そこから偽りの繊細さや女性特有の自尊心がうまれる。このような意見はなんの役にも立たない。男は「専制君主」であり、他の専制君主という者が最も分別に富んだ忠告に対していかなる評価を与えているか、見るがよい。権力者である男が悦ぶのは、ただ一種類の意見、つまり彼の権力を増大させることを教える意見だけである。彼女たちを圧迫し、さらにいっそう圧迫を強めるために、彼女たちの地位を低下させる専制君主に対して、ポルリエのように処刑台で罰せられることなく、キロガやリエゴのように位階や勲章で報いられる有益な意見を与えてくれる人を、若い娘たちはどこに見つければよいのか。
こうした革命が数世紀を要するのは、最初の実験というものがどれも運の悪いことには、必然的に真理に相反するはずだからである。一人の若い娘の才智《エスプリ》を啓発し、躾《しつけ》を教え、要するに言葉の真の意味のよき教育をほどこしてみるがよい。彼女は、早晩、自分が他の女たちよりすぐれていることに気づき、衒学者《げんがくしゃ》、つまりこの世で最も不愉快な、最も下等な人間となる。一生を共に過ごすとなれば、どんな男でも女学者より女中のほうを選ぶにきまっている。
鬱蒼《うっそう》とした森の中に、一本の若木を植えてみたまえ。まわりの樹に空気と陽光を遮《さえぎ》られ、葉は色あせ、若木は、「自然の姿」ではない、ひょろひょろした変な形になってしまうであろう。植えるなら、森全体を一度に植えねばならない。本が読めることを自慢する女は、どんな女であろうか?
衒学者たちが、二千年来繰り返して言っているのは、女が男より溌剌《はつらつ》とした才智《エスプリ》を持ち、思考において繊細であるが、男のほうには確実さがより多くあり、注意力において女よりすぐれている、ということだ。パリのある馬鹿者が、昔ヴェルサィユ宮殿の庭園を散歩し、自分の目で見たところだけから、樹木というものは刈りこまれたまま生えてくるのだ、と結論した。
少女が少年より体力において劣ることは認めよう。これは才智《エスプリ》にとって決定的である。知っての通り、ヴォルテールやダランベールは腕力の点でも、当代の第一人者であった。十歳の少女が同じ年齢の腕白小僧よりは何倍も聡《さと》いということはだれしも認めている。それならなぜ、彼女が二十歳になると、大馬鹿者で、不器用で、臆病で、蜘蛛《くも》一匹でもこわがるのに、かつての腕白小僧が才智《エスプリ》ある人間になるのであろうか?
女は、われわれが教えたくないと思っていること、生活の経験から読みとれることばかりを知っている。そのため大金持の家庭に生まれることは、女にとって極めて不利である。金持の娘に対して「自然にふるまえる」人々とは接しないで、富によってすでに腐敗堕落した小間使いや話し相手の婦人連にとりまかれているからである。王子ほど馬鹿なものはいない。
自分が奴隷だと感じている娘たちは、稚《おさな》いころから眼が開いている。彼女らはすべてを見るが、あまりにも無智だからよく見てとれない。フランスでは三十歳の女は十五歳の少年の知識も持たず、五十歳の女は二十五歳の男よりも分別がない。ルイ十四世の最も馬鹿げた行為を賛美しているセヴィニェ夫人を見るがよい。デピネ夫人の推論の幼稚さかげんをみたまえ。
「女は子供を育て、世話をしなければならない」……私はこの第一項は否認するが、第二項には賛成だ。……「女はその上、料理女の勘定書を清算しなければならない」。だから女は、……知識において十五歳の少年に比肩するだけの暇がないのだ。男は裁判官、銀行家、弁護士、商人、医師、聖職者等にならねばならないが、それでもフォックスの論文や、カモエンスの『リュジアード』を読むぐらいの暇は見つけてくる。
北京で、前夜晩餐に呼んでくれた国務大臣の不興を蒙《こうむ》ったあわれなジャーナリストを、もっともらしい理屈をつけて投獄し失脚させる手段を見つけだすために、早朝から裁判所へ駆けつける司法官は、料理女の勘定書を清算し、娘に靴下の作り方を教え、ダンスやピアノのレッスンを見てやり、『コティディエンス紙』を持ってくる教区の助祭の訪問を受け、それから帽子を買いにリシュリュー街へ行き、テュイルリーの公園をひと回り散歩してくる彼の妻に比べ、たしかに、いそがしいとはいえないのである。
この司法官は、高尚な仕事の合間にもなお、彼の妻がテュイルリー公園を散歩しているだろうと思う暇がある。そしてもし彼が、国家をおさめる権力と同じくらい宇宙を支配する権力と仲が良かったなら、彼は、世の女たちの幸福のために、なお八時間か十時間の睡眠を彼女たちに与えんことを天に願うであろう。現在の社会状態では、暇は男にとっては、あらゆる幸福、あらゆる富の源泉であるが、女にとっては有益でないのみでなく、この立派な司法官ができればわれわれを助けて、それから解放してくれようという、あの不幸をもたらす自由の一つなのである。
第五十五章 女子教育に対する抗議
「しかし女は家政のこまごました仕事にたずさわっている」。……わが連隊長S大佐に四人の娘があり、それぞれ最上の方針によって教育されている。つまり一日中勉強しているのだ。私が行くと、ナポリ土産《みやげ》に持っていってやったロッシーニの歌曲をうたっている。さらに彼女たちは、ロアイヨモンの通俗聖書も読めば、愚劣な歴史書であるル=ラゴアの、韻文で書かれた年表を覚えもする。地理にも明るいし、刺繍《ししゅう》もみごとなものだ。思うに、このかわいい娘たちは、その仕事でそれぞれ一日に八スーはかせぐことができる。働く日を三百日とすれば、年に四百八十フランになるが、これでは、彼女たちの先生一人に払う額にも充《み》たない。彼女たちは年に四百八十フランのために、人間機械が思想を身につけるべき時間を、永遠に空費しているのである。
「毎年ヨーロッパで出版される十か十二の良書を、女がおもしろがって読んだ日には、子供の世話もかえりみないだろう」。……これは大西洋の岸に樹木を植えれば、波の運動がとまりはしないかと心配するようなものである。教育が全能だと言うのはこんな意味ではない。それに、四百年来同じ抗議が、あらゆる種類の教育に対して提出されている。パリの女は一七二〇年のローの政策や摂政時代よりは、一八二〇年のほうが、美徳を多く持っているばかりでなく、また当時の、最も富裕な総括徴税請負人の娘より、今日の最も貧しい弁護士の娘のほうが、よい教育を受けている。それでは、家政の義務は、それだけ十分に果たされていないのか? 断じてそうではない。なぜか? 貧乏や、病気や、不名誉や、本能が、やむなく家政の仕事を女に果たさせるからである。それは、士官があまり愛想《あいそ》がよくなりすぎると、馬術のほうがお留守になるだろう、と言ったようなものである。そんな勝手なことをしたら最後、いっぺんで腕をへし折ってしまうだろうということを、人々は忘れているのである。
思想を習得することは、両性において、よかれあしかれ同じ結果を生む。虚栄心は、それを抱く理由がまったくない場合でさえ、われわれからなくならないであろう。小都会のブルジョワを見るがよい。せめてこの虚栄心が、真の価値あるものに、すなわち、社会にとって有用な、あるいは快適な価値を有するものに、もとづかせようではないか。
フランスでは、いっさいを変える革命のおかげで、薄野呂《うすのろ》どもたちがここ二十年来、女もなにかができるということを認め始めている。しかし女は、女にふさわしい仕事に従事すべきだと言う。つまり、花を植えたり、押草標本を作ったり、カナリヤを飼ったりすべきで、薄野呂どもは、これを、無邪気な楽しみと呼んでいる。
このような無邪気な楽しみも、無為よりはましである。これは馬鹿な女どもにまかせておこう。家長の誕生日を祝うため、詩を作る光栄を、馬鹿な男どもにまかせておくのと同じである。しかし、ロラン夫人やハッチンソン夫人(*)に、ベンガルの小さなばらの樹を育ててお暮らしなさい、と言うのは本当に正気なのだろうか。
(*)これらのすばらしい婦人たちの『回想録』を参照。ほかにも名前をあげるべきだろうが、一般には知られていないし、それに生きている人の名を、あげることはできない。
すべてこのような推論は、つぎのように要約される。自分の奴隷について人は、「あれは馬鹿だから悪いことはできない」と言いたいのである。
しかし、「共感」という、実際のところ、卑俗な人間の眼には決して見えない自然の法があるために、あなたの生涯の伴侶の欠点も、それが直接あなたに生ぜしめる苦痛が大きいほどには、あなたの幸福を害してはいないのである。私なら妻に、毎晩不機嫌な顔で出迎えられるより、怒った時には年に一度、短刀の一撃をくらいかけられるほうがまだましである。
要するに、いっしょに暮らしている人間の間では、幸福は伝染する。
あなたが練兵場か下院にいる間、あなたの奥さんが、ルドゥテのきれいな手本にならってばらを描くか、シェークスピアの一冊を読むかして午前を過ごすとすれば、その楽しみはどちらも無邪気なものといえよう。しかしばらを描くことから得た観念だけでは、奥さんは帰宅したあなたを、やがて退屈させることになろう。その上、晩になると、社交界へ行って、もうすこし生き生きした感動を求めたがるかもしれない。もしシェークスピアをじっくり読んでいれば、反対に、彼女はあなたと同じように疲れ、同じだけの楽しみを味わったのだから、いま流行の夜会で人目をひくよりは、あなたと腕を組みながら、ヴァンセンヌの森をただ二人きりで散歩するほうを幸福だと思うだろう。上流社交界の楽しみなど、幸福な女にとっては、どうでもよいことなのである。
無知な男は、女子教育の、生まれながらの敵である。今日、彼らは、彼女たちといっしょに暇をつぶし、恋をし、また、ちやほやされている。しかし、もし女がボストン遊びなんか大嫌いになれば、彼らはいったいどういうことになるだろうか? われわれがアメリカか大国インドから、陽にやけた顔をし、半年の間は、なおいくぶん粗野なところが残る調子をおびて帰国したとき、われわれの土産話に対して、どんなふうに答えられたであろうか。万一、つぎのような文句が使えなければ、つまり、「こっちのことかね、女はおれたちのものだよ。君がニューヨークに行っている間に、二人乗り無蓋馬車の色が変わったよ。いまはやっているのは、黒褐色だ」という文句だ。だがわれわれは、注意ぶかく聞く。なぜならそういう知識は役立つからだ。美人のなかには、男の馬車が悪趣味なら、見向きもしないのがいる。
こういう馬鹿者どもは、男性の優位を守るために、女よりも多くを知っていなければならない、と思っているので、もし女がなにか勉強しようと思いたったら、徹底的にやっつけられてしまうだろう。三十歳の馬鹿者が友人の城館《やかた》で、十二歳の少女たちを見てこう呟《つぶや》く。「あと十年もしたら、おれもこんな子たちと暮らそう」彼女たちがなにか有益なことを勉強しているのを見れば、彼がどんなに驚き恐れるかを想像してみたまえ。
女性的男性と交際をしたり、会話をかわしたりする代わりに、教養ある女性が、もし女性本来の優雅さをなくすことなく思想を身につけたならば、その世紀の最も卓越した男性の間で、ほとんど熱狂に近いまでの尊敬をかち得ることは確かである。
「女は男の競走者となり、伴侶とはならないであろう」。……その通りだが、法令によって恋愛を禁止すれば、の話だ。そんなりっぱな法律ができるまでに、恋は魅惑と陶酔を増すだろう、それだけのことである。「結晶作用」の成立する地盤は拡大するだろう。男は、愛する女のそばで、自分のあらゆる思想を楽しむことができるだろう。二人の眼には、自然全体が新しい魅力を帯び、思想はつねに、性格のニュアンスをいくらかは反映するものなので、彼らは一層よく理解しあい、無分別なこともやらなくなるだろう。恋は以前ほど盲目ではなく、不幸をもたらすことも少なくなるだろう。
相手に気に入られたいという欲望がある以上、羞恥心や、繊細さや、その他あらゆる女らしい優雅さは、いかなる教育がなされようと、壊されるものではない。それは、ちょうど鴬《うぐいす》に、春、歌わないように教えることを心配するようなものである。
女の優雅さは、無知とは関係がない。あなたの村の中産階級《ブルジョワ》の、りっぱな奥さん連を見るがよい。イギリスの豪商の妻たちを見るがよい。一種の衒学趣味《ペダントリー》という気どり(というのは私は、その必要のまったくないときに、ルロアの衣裳やロマニェジー作曲のロマンスを持ちだしてくる気どりを、わが善良な宣教師たちについて話をしているときに、フラ・パオロやトレントの会議を持ちだしてくる気どりとまったく同様に衒学趣味と呼んでいるのだから)、衣裳や上品さのペダントリー、ロッシーニについて、なにかうまい文句を、もっともらしく語る必要、このようなことがパリの女の優雅さを殺している。とはいえ、このような伝染病のおそるべき結果にもかかわらず、フランスの最も愛すべき女性はパリにいるのではなかろうか? 彼女たちがたまたま、正しくて興味ある観念を頭に吹きこまれたということが肝要なのではないか? ところで、そのような観念こそ私が書物に求めたいのである。トラシのモンテスキュー注解が出たからには、私は彼女たちに、グロティウスあるいはブーフェンドルフをお読みなさいと、勧める気にはどうしてもなれない。
女性の繊細さは、早くからおかれている危険な立場、すなわち残酷だが魅力のある敵のただ中で、生涯を送らねばならないという必然性に由来する。
フランスには、財産があるために、ぜんぜん働かなくてもよい女が、おそらく五万人はいるだろう。しかし、仕事なくして幸福はありえない。(情熱そのものが仕事を強いるが、それは精神力のすべてを使わせる非常につらい仕事なのだ)
子供を四人かかえ、年金一万リーヴルの女が娘のために、靴下なり衣服なりを作っているとき、彼女は「働いて」いるのである。しかし、自分用の豪華な幌つき四輪馬車を持っている女が、刺繍をしたり、家具用のつづれ織りを作ったりするのを、働いているとは言えない。わずかの虚栄心を除けば、彼女はその仕事に、なんの利益も見いだすことができない。彼女は働いていないのである。
それ故、彼女の幸福は大きな危険にさらされている。
それどころか、暴君としての幸福も危険にさらされている。なぜなら、ここ二か月来、つづれ織りのことしか関心もなく、そのことに心の張りを見いだしてきた女は、趣味恋愛、虚栄恋愛、ついには肉体的恋愛さえもが、自分のふだんの状態に比べると、はるかに大きな幸福だ、と厚顔無恥にも感じかねないからである。
「女は噂に上ってはならない。」……このことについて、改めて答えるが、本が読めるということで噂になる女がいるだろうか?
ところで、女が、その運命に革命の起こる日を待ちながら、習慣的な仕事となっている、そして彼女たちに、毎日、適当な幸福の分け前を与えてくれる学問を、人目につかぬようにしておこうとするのを、だれがさまたげているのか? ついでに彼女たちに、一つの秘密を明かそう。われわれは一つの目的、たとえば、一五四七年にジェノヴァで起こったフィエスコの陰謀についての、ある明確な観念を得ようという目的を樹てると、どんな無味乾燥な本も、おもしろくなってくるものである。ちょうど恋愛をしているときに、愛する者に会ってきたばかりの第三者とふと出あうのに似ている。そしてこうした興味は毎日倍加していって、ついにフィエスコの陰謀などは、棄てて顧みなくなってしまう。
「女性の美徳を発揮する真の舞台は、病室である」……それであなたは、女たちに仕事を与えるために、もっと度々病気にかからせるよう、神の善意を獲得すると請け合うのか? これは例外にもとづいて理屈をこねまわすようなものだ。
さらに私は、女性は毎日三、四時間の暇を、思慮分別ある男がその余暇を活用しているように、活用すべきだと言いたい。
若い母親は、子供が「はしか」にかかっているときには、ヴォルネのシリア紀行を読んで楽しもうと思っても、楽しめるものではない。これは、裕福な銀行家である夫が破産に瀕《ひん》しているとき、いくらマルサスについて楽しく瞑想しようと思っても、それができないのと同じである。
精神の卓越。これこそ裕福な女が、女の卑俗性から抜きんでる唯一の方法である。これが具《そな》わっていれば、「自然に」他の感情は生まれるものだ。
「あなたは女を作家にしたいのか?」……歌の先生を娘につけることで、彼女をオペラ座で歌わせる計画を吹聴《ふいちょう》していることになるなら、まさにその通りである。スタール夫人《ド・ローネ》のように、死後、遺作として作品を出版させるのでなければ、女は決して本を書くべきではないと私は言いたい。五十歳以下の女にとって、出版するということは、自分の幸福を、最もおそろしい富くじに賭けることである。幸いにも彼女が恋人を持っていれば、まずその恋人を失うことになろう。
私は一つだけ例外を認める。それは家族を養い、あるいは育てるために、著作する女性の場合である。この場合でも彼女は、自分の著作の話をするときには、金銭上の問題に話を限らねばならない。たとえば騎兵部隊長にこう言うべきである。「あなたは、ご職業柄、年に四千フランおとりになるのですってね。私は去年英語の翻訳を二ついたしましたので、二人の息子の教育に、三千五百フランよけいに出せました」
これ以外には、女は、ドルバック男爵や、ラファイエット夫人のように出版すべきである。彼らの場合、親友さえその出版を知らなかったのだ。本を出版しても不都合でないのは「娼婦」だけである。俗人どもは、彼女を職業柄、思いのままに軽蔑できるのだから、今度はその才能の故に、彼女を九天の高きに持ち上げ、その才能に惚《ほ》れ込みさえする。
フランスでは、年金六千リーヴルある人々のなかには、本を出版する気など毛頭《もうとう》なしに文学を普段の楽しみとしている人が多い。良書をひもとくことは、彼らにとって、最大の愉楽の一つなのだ。十年たってみると、彼らの才智《エスプリ》は倍加している。そして一般に、才智が豊かになればなるほど、他人の幸福と相容れない情熱を抱かなくなるということはだれも否定できないであろう(*)。またギボンやシラーを読む女性の息子は、お祈りをしたり、ジャンリス夫人を読む女性の息子よりすぐれた素質を有するだろうことも否定できないと思う。
(*)このため私は、特権階級の新しい世代に、多くの期待をかけている。またこの章を読まれる世の夫たちが、三日間は、多少ともその専制君主たることをやめるよう希望する。
若い弁護士、商人、医者、技師は、まったく教養がなくても、世の中へ出ていける。その職業を営むことにより、日々教育されていくからである。しかし、彼らの妻は、尊敬すべき不可欠の特質を身につけるために、いかなる手段を持っているのか。家庭の孤独の中に閉じこめられて、人生と必要という偉大な書物は、彼女たちに閉ざされたままである。彼女は、料理女と勘定書のことで口論しながら、月曜ごとに夫が渡してくれる三ルイの金を、いつも同じやり方で使っているだけである。
暴君のために言おう。どんな下らぬ男でも、二十歳で、美しいばら色の頬《ほお》をしていれば、なにも知らない女にとっては危険である。なぜならそんな女は、本能のままに動くからである。才智ある女の眼には、そんな男は、美男の従僕ぐらいの印象を与えるにすぎないだろう。
現在の教育のおかしなところは、結婚すれば直ぐにも忘れてしまうようなことしか娘に教えない点である。ハープをうまく弾くには、六年間、毎日四時間ずつ練習をしなければならない。細密画や水彩画をうまく描くにはその半分の時間を要する。しかも若い娘の大部分は、どうにかこうにか見られる程度にすら至らない。そこから、まことにうがった諺《ことわざ》が生まれる。「素人《しろうと》ではどうにもならない」
ここにいくらか才能のある若い娘がいるとしよう。結婚して三年もすると、もう月に一度もハープや絵筆を手にとろうとしない。こんな手間のかかる仕業《しわざ》は、厄介なものになったのである。女が、芸術家的魂を持っていれば別だが、それはつねにまれなことであり、また家事に向かないことになる。
このように、躾《たしな》みという内容のない口実のもとに、人生において遭遇するであろう様々な状況にあたって処すべき指針は、なに一つ若い娘に教えられない。それのみではなく、このような状況を隠し、否定する。それは、状況の及ぼす影響力に、
一 驚きという効果、
二 教えられたことは、すべて嘘ばかりだったとして教育全体に投げかけられた不信の効果、
をつけ加えるためである。私は育ちのよい娘に、恋愛の話をしておくべきだという意見に賛成である。現代の風習において、十六歳の娘が恋の存在を知らないなどということを、だれがまじめに主張できようか? 彼女たちは、これほど重大で、しかも教えることのむつかしい観念を、だれから得たのだろうか? ジュリー・デタンジュが、小間使いのシャイヨからえた知識を嘆くさまを見たまえ。われわれは、この虚偽の躾《たしな》みの世紀に、あえてその忠実な画家たらんとしたルソーに感謝すべきである。
女子教育は、おそらく現代ヨーロッパで最も滑稽で愚劣なものであるから、女は、いわゆる教育なるものを受けることが少なければ少ないほど、値うちがあることになる。イタリアやスペインで女が男よりはるかにすぐれており、さらに、他の国の女よりすぐれているとさえ言いたくなるのは、おそらくこのためであろう。
第五十六章 続
フランスでは、女性に関するわれわれの観念はすべて二束三文の公教要理より出ている。その上おかしいことには、五十フランの取引を決めるにも、この本の権威など認めようともしない多くの人々が、ある対象に関しては、文字どおり馬鹿のようにこの権威に従っていることである。この対象とは、十九世紀の虚栄の状態に照らして考えると、彼らの幸福にとっておそらく最も重要なものなのだ。
結婚は「神秘」であるから、離婚はなるまい。それなら、いかなる神秘か? イエス・キリストとその教会との結合の象徴という神秘である。では、もし「教会」が男性名詞であったなら、この神秘はどうなっていたか? だが、滅び行く偏見(*)など捨てて、つぎの奇妙な光景を観察しよう。木の根は、滑稽という斧《おの》で切り取られたのだが、枝は相も変わらず繁り続けているという光景を。事実と、事実の結果の観察にたちもどろう。
(*)宗教は、各個人と神との間の取引である。なんの権利があって、あなたは、私と私の神の間に割りこんでくるのか? 私が、社会契約によって決められた代言人に依頼するのは、自分自身で処理できないことのためだけである。どうしてフランス人は、パン屋に金を払うように、聖職者にも金を払わないのか? パリでうまいパンが食べられるのは、国家が無料でパンの配給をすると宣言したり、パン屋はすべて国家負担にするといった考えをまだ起こさないからである。合衆国では、各人が聖職者に金を払っている。こうした聖職者たちは、人徳を持たざるを得ないのだが、私の隣人は自分の聖職者を私に押しつけて、よろこぼうなどとは思っていない。(バーベックの手紙)
もし私が、わが聖職者たちのように、私の聖職者が自分の敵と親しい同盟者であると信じていたらどうか? ルターのごとき人間が出なかったら、一八五〇年のフランスには、カトリック教は存在しないであろう。この宗教は、一八二〇年にグレゴアール氏によってはじめて救われた。世間がこの人をどのように遇しているか見るがよい。
男女を問わず、老年の運命は、青春をどのように使用したかにかかっている。女性の場合、それはもっと早いころから言えることである。四十五歳の女は、社交界でどんな扱いを受けているか? 手きびしく、むしろ真価以下の扱いである。二十歳のころはちやほやされるが、四十歳になると、顧みられない。
四十五歳の女が重んじられるのは、ただその子供によってか、愛人によってである。
美術に秀でた母親は、息子が生まれながらその才能を有していた、というごくまれな場合にのみ、その才能を息子に伝えることができる。教養を身につけた母親は若い息子に、たんに快適なあらゆる才能のみでなく、社会に出る男に有益なあらゆる才能についての観念を与えるであろうから、息子はそれに従って選択することができる。トルコ人の野蛮さは、多くの場合、美しいジョルジア女の愚かさのためである。パリ生まれの青年が十六歳のとき、地方の同年輩の青年よりあきらかにすぐれているのは、母親のおかげである。十六歳から二十五歳にかけて、その機会は逆転する。
避雷針、印刷術、機織《はたおり》術を発明した人々は日々、われわれの幸福に貢献している。モンテスキュー、ラシーヌ、ラ・フォンテーヌのごとき人々もまた同様である。ところが、ある国民が生む天才の数は、十分な教育を受ける人間の数に比例している。そして、私の靴屋が、コルネーユのようにものを書くのに必要な魂を持っていない、と証明しうるものはなにもない。靴屋に欠けているのは、その感情を発展させ、それを公衆に伝える技術を得るのに必要な教育なのである。
現在の、少女教育の方針に従えば、「女に生まれ」た天才は、一人として、公衆の幸福になんら貢献するところがない。たまたまそうした天才が、ふと自分を示す機会に恵まれると、いかに得がたい才能に達し得るかをよく見られよ。現代においては、エカテリーナ二世のような女性を見られよ。彼女は、危険と男道楽より他の教育を受けなかったのだ。また、ロラン夫人、アレッツオで一個連隊を召集し、フランス軍にたち向かわせたアレッサンドラ・マリ、わが国のカスルレーやパスキエらより、自由主義の蔓延《まんえん》をうまく食いとめることができたナポリの女王カロリーヌのような女性を見られよ。精神の作業において、なにが女性の優越を遮《さまた》げているかについては羞恥心の章の第九条を見られたい。エッジワース嬢が文壇に登場したとき、年若いイギリスの娘《ミス》に必要な考慮から、その小説に説教を持ちこむ必要がなかったら、彼女はどこまでのびていたであろうか?(*)
(*)芸術の点からいえば、ここに合理的な政府の大きな欠陥があり、またルイ十四世風の君主制をたたえる唯一の合理的根拠がある。アメリカの文学的不毛を見よ。ロバート・バーンズや十三世紀のスペイン人の恋歌に比肩できる恋歌は只の一つもない。(現代のギリシャ人、十三世紀のスペイン人およびデンマーク人の恋歌、それに、さらにすばらしい七世紀のアラビアの詩歌を見よ)
恋愛であれ結婚であれ、生活をともにする女性に、自分の考えをそのままの形で伝えうる幸福を持った男が、はたしてどれだけいるか? 苦しみをわかちあえる、素直《すなお》な女性はいるが、彼女にすぐに理解してもらおうと思えば、いつも思想を細かく小銭に変えねばならない。物事を把握するのに、それほど手数のかかる精神から、合理的な助言を期待するのは滑稽であろう。現在の教育の理念に従えば、いかに完全な女性とても、その伴侶を生活の危険のなかにひとり置きざりにし、やがて彼をうんざりさせるという危険をおかしているのである。
もし妻が、物を考える力の持ち主なら、彼女の裡《うち》に夫はどんなにかすばらしい助言者を見いだすことか。二人の生活のはじめのうちしか続かないただ一つのことを除いては、助言者の利害は夫の利害と完全に一致しているのである。
精神の最もりっぱな特権の一つは、老年に対して尊敬を与えるということである。ヴォルテールのパリ帰還は、王者の威厳をも色あせさせたではないか。だが、あわれな女性にとっては、ひとたび青春の輝きが失われるや、唯一のはかない幸福は、自分が社交界で演ずる役割に、錯覚を抱けるということである。
青春時代の才能の破片は、もはや滑稽以外のなにものでもない。現代の女性にとっては五十歳で死ねれば、幸福といえよう。真の道徳について言えば、人は才智を持てば持つだけ、正しさこそ幸福への唯一の道であることをはっきり知るのだ。才能は一つの力であるが、より以上に、幸福になる偉大な技術を発見する松明《たいまつ》である。
多くの男は、一生に一度は、偉大なことをなしうる時機を持っている。それは、なにごとも彼には不可能に思えない一時期である。人類は、女性の無知のために、このすばらしい機会を見失っている。今日、恋愛がしていることと言えば、せいぜい、乗馬に熱達させるか、洋服屋を選ばせるぐらいのところである。
私は、批評に対して、これ以上大道を守る暇がない。もし慣例を私が自由になしうるなら、私は少女たちに、できるかぎり男の子と同じ教育をほどこすであろう。私は理由もなしに本を書くつもりはないから、現在の男子教育がどんな点で馬鹿げているかを私にきかないでほしい(二つの基礎的な学問、論理学と倫理学とが彼らに教えられていない)。この男子教育をそのまま採用するとしてしても、少女たちに音楽や、水彩画や、刺繍だけを教えるよりはましであると言いたい。
それで、教師以外は男子禁制の修道院式中央学校で、相互教育により、少女たちに読み書きや算数を教えるがよい。子供を集めることの大きな利益は、たとい教師の力が限られていても、とにかく子供は級友から、処世術や利害を処理する方法をひとりでに学びとることである。思慮深い教師になら、子供ら同志の喧嘩や友情を説明してやり、『金の仔羊《こひつじ》』の物語などより、むしろこのように倫理教育を始めるべきであろう(*)。
(*)あなたのおとうさんは、あなたに愛情を持っています。あなたに、数学や図画や、要するに将来ひとり立ちしてやっていく道を教えるために、わたしに月四十フラン下さっているんです。もしあなたが、小さなマントがなくて寒かったりすると、おとうさんは心配されます。それはお父さんに同情心があるからです、云々《うんぬん》。しかし、あなたが十八歳になれば、このマントを買うお金を、自分でもうけねばなりません。おとうさんは年収二万五千リーヴルあるそうですが、あなたたちは四人兄弟ですから、いま乗っているおとうさんの馬車とも、いつかは別れねばならなくなるでしょう、云々。
もちろん、このあと数年もすれば、相互教育はあらゆる教科目に適用されることとなろう。しかし少女たちの現状から見て、私は、少女も少年と同様に、ラテン語を習うのが望ましいと思う。ラテン語は、退屈するとはどういうことかを教えるからよい。ラテン語といっしょに、歴史、数学、食用植物と薬用植物の知識、ついで論理学と精神科学等々。ダンス、音楽、図画は五歳から始めるべきだ。
少女は十六歳になれば夫を見つけることを考え、恋愛と、結婚と、男の不実さについて少しばかり、母親から正しい観念を教わるべきである(*)。
(*)昨日の夕方、私は四つになる二人のかわいい女の子を、ぶらんこに乗せた。ところが二人は、たいそう熱烈な恋の歌をうたった。小間使が彼女たちに教えたのである。母親は、「恋」とか「恋人」などというのは、意味のない言葉だと子供たちに言っている。
第五十六章の二 結婚について
愛情がなければ、結婚における女の貞操は、おそらく自然に反するものである(*)。
(*)おそらくどころではなく、たしかに自然に反する。恋をすれば、この愛する泉の水以外は飲んでもうまくない。このとき、貞操はまったく自然だ。
愛情のない結婚では、二年たらずでこの泉の水はにがくなる。しかも水を求めるのは自然である。風習は、自然を制御することはあるが、ただそれは一瞬にして征服しうるときにかぎられる。たとえばインドの妻は、嫌っていた年老いた夫の死後、火刑台に上り(一八二一年十月二十一日)、ヨーロッパの若い娘は自分の生んだ嬰児《みどりご》を惨殺する。尼僧院に高い塀がなければ尼僧たちは逃げだすであろう。
人は、この自然に反することを、地獄の恐怖と宗教的感情によって行なわせようとした。スペインとイタリアの例は、どこまでそれが成功したかを示している。
フランスでは、世論の力でこれを行なわせようとした。世論こそ自然に対して抵抗しうる唯一の堤防であった。しかし、堤防のこさえ方が下手《へた》だった。若い娘に向かって、「自分が選んだ夫には貞操を守らなければなりません」と言ってから、無理矢理に退屈な老人と結婚させるなど馬鹿げている(*)。
「しかし、娘たちはよろこんで結婚していく」……これは、現代の窮屈な教育制度のもとでは、母親の家で忍ばねばならない奴隷状態が、がまんのならないほどいやだからである。それに彼女たちは、理性の光を欠いているのだが、とにかくそれは自然の要求だからである。結婚した女の貞操を、いっそう守らせようとするには、方法はただ一つしかない。それは若い娘には自由を与え、結婚した女には離婚を許すことである。
(*)女子教育に関する限り、わが国では些細なことにまで喜劇的である。たとえば一八二〇年、かつて離婚を禁じたあの同じ貴族の統治下において、内閣はラーンの町にガブリエル・デストレの胸像を送っている。その胸像は広場に据えられることになるが、明らかに娘たちの間にブルボン王家に対する愛をひろめ、またいざという時には愛すべき王たちに苛酷な仕打ちをなすことなく、子孫をこの有名な王家に仕えさせるためである。
しかも逆にこの内閣は、ラーンの町にセリュリエ元帥の胸像を建てることを拒絶している。元帥は粋人ではなく、その上、一兵士から身を起こしたがさつな好漢だった。(一八二〇年七月十七日クーリエ紙所載、フォア将軍の演説。デュロールの興味ある『パリ史』中「アンリ四世の恋」の章)
女は最初の結婚で、つねに青春の最も美しい日々を失い、離婚によって、馬鹿者どもに、とやかくいわれる口実を与える。
愛人をたくさん持っている若い人妻は、離婚するほかはない。かつて多くの愛人を持った女も、ある年配に達すると、世評を挽回《ばんかい》しようと思い、以前に自分がなした過失に対して極めてきびしい態度をとるが、フランスではこうしたやり口で、いつも成功するのである。貞節で、しかもほかの男を夢中で恋しているあわれな若い妻が離婚を要求すれば、むかし五十人も情夫《おとこ》を持った女たちから、さんざん辱《はずか》しめられることであろう。
第五十七章 いわゆる徳について
私は、他人のために苦しいが役に立つ行ないをする習慣に徳の名を与える。
二十二年間、円柱の上にいておのれを鞭《むち》打った聖シメオン・スティリートも、私から見ればたいして有徳の士ではない。私はそう思っている。かくしてこのエッセーが軽快すぎる調子になるのである。
私はまた、魚しか食べず、木曜日のほかは物を言わない修業僧も、さほど尊敬しない。言わしてもらえば、卑劣な行ないをなすよりは、老年になって北国の小さな町に追放の憂目《うきめ》に耐えるカルノ将軍のほうが好きである。
こうした非常に俗っぽい宣言にあきれた読者が、この章の残りを飛ばして読む気になればよいが。
今朝、ペサロの祭で(一八一九年五月七日)、ミサに行かねばならなくなり、祈祷《きとう》書を貸してもらった。すると、つぎのような言葉が眼にはいった。
「リュジタニア王アルフォンソ五世の娘ヨアンナは、神の愛の焔《ほのお》にやかれ、幼時よりはかないものを忌みきらい、ただひたすらに神の国にのみ心を燃やしていた」
『キリスト教精髄』の名文句で説かれている感動的な美徳も、結局は胃痙攣《いけいれん》をおそれて松露《しょうろ》を食べない、ということになる。地獄を信じているのなら、これは至極もっともな打算ではあるが、最も個人的で、最も散文的な打算である。これに反してレグルスのカルタゴへの帰還を非常によく説明する「哲学的」な美徳は、わが国の革命においても、同様な現象をもたらしはしたが(*)、このことは魂の高潔さを証明している。
(*)ロラン夫人の『回想録』。グランジュヌーヴ氏は、わざと八時ごろある街を散歩してカプチン会修士カボに殺された。死も自由のために役だつと思っていたのである。
トゥールヴェル夫人がヴァルモンに抵抗するのは、ただひたすら、あの世で煮えかえった油の大釜《おおがま》で焼かれないためである。自分は煮えかえった油釜の恋敵《こいがたき》なのだという考えが、どうしてヴァルモンに、夫人を軽蔑させ、うとんじさせなかったのか、私にはよくわからない。
自分の誓いと、ヴォルマール氏の幸福を重んじたジュリー・デタンジュのほうが、どんなに感動的であることか?
私がトゥールヴェル夫人について言ったことは、ハッチンソン夫人の高い美徳にもあてはまるように思う。清教主義はいかにすぐれた魂を恋から奪ったことか!
世間で最も滑稽な困った点の一つは、男が当然男として知っておかねばならないことを、必ず知っていると信じていることである。彼らが、あれほど複雑な学問である政治を論ずるところを見るがよい。結婚や風俗を語るのを見るがよい。
第五十八章 結婚より見たヨーロッパの現状
これまでは結婚の問題を理論の面からのみとり扱ったが、ここでは事実の面から見ることにする。
世界で最も幸福な結婚が行なわれているのはどこの国か? それは明らかに新教国ドイツである。
つぎにサルヴィアッチ大尉の日記の断片を一言半句も変えずに抜き書きしよう。
ハルベルシュタット、一八〇七年六月二十三日
しかしながらビュロー氏は、フェルトハイム嬢に心から、しかも公然と恋している。いつもどこへでも彼女について行き、たえず語しかけ、みんなから十歩離れたところへ彼女をひっぱって行くことがよくある。こんなにおおっぴらにある一人だけに愛情を示すことは、みんなの気を悪くし、座を白けさせる。セーヌ河の両岸地区なら失礼千万だとされよう。ドイツ人は、座を白けさせるのを、われわれほど気にしない。無礼なことも、まずたいてい、慣習に背《そむ》くぐらいのことにしか思っていない。ビュロー氏は五年間こうしてミーナに想いをよせていたが、戦争のために結婚することができなかった。社交界のお嬢さん連はみな世間周知の恋人を持っている。しかも私の友人メルマン君の知人のドイツ人の間で、一人として恋愛結婚をしなかった者はいない。すなわち、メルマン、その兄弟のゲオルグ、フォイト氏、ラジンク氏等々で、彼は十二人ほど名前をあげたところである。
これらの恋する男たちのすべてが、恋人に言いよるときのあけっびろげで情熱的なやり方はフランスでなら無礼、滑稽、無作法きわまりないと言われるだろう。
今夜『緑の猟人館』からの帰り道でメルマンが私に言った。自分の親類には女が多いが、夫をあざむいた女は一人もいないと思う、と。誇張だとしても、とにかく変わった国である。
彼の義妹ムニコフ夫人の実家は、男の相続人がいないため、断絶しようとしており、莫大《ばくだい》な財産は君主に返されることになっていた。彼は夫人にあからさまな提案をしたのであるが、夫人はそれを冷やかに聞いて、「私に決してそのようなことはおっしゃらないでください」と言った。
彼はこのことを、ひどく婉曲《えんきょく》な言いまわしで、天使のようなフィリッピーネに話した(彼女は、自分を簡単に主君に売ろうとしていた夫と離婚したばかりのところだった)。彼女は本気で憤慨したが、誇張しないで控え目にこう言った。「あなたは、私たち女性をぜんぜん尊敬されないのですね。あなたの名誉のために、冗談をおっしゃっているのだと思っておきますわ」
彼が、この非常に美しい女性とブロッケンへ旅行したとき、彼女は馬車のなかで眠って、あるいは眠ったふりして、彼の肩にもたれかかった。馬車の揺れのため、彼女はすこしばかりからだをもたせかけてくる。彼は彼女の胴を抱き締める。すると彼女は、馬車の反対側へとびすさった。彼は彼女を誘惑できないとは思っていなかったが、誘惑できたら、彼女は過ちを悔いて翌日自殺するだろうと思う。確かなのは、彼が彼女を情熱的に愛し、彼女からも同じように愛されており、また彼らはしょっちゅう会っていたが、彼女はなんの過《あやま》ちも犯さなかったということである。しかし、ハルベルシュットの太陽は弱々しく、政府はこせこせしており、ふたりはまったく冷静だった。差しむかいになって、どんなに興奮しているときでも、話題にのぼるのはいつもカントやクロプシュトックだった。
メルマンの話したところでは、既婚の男が姦通罪に問われると、ブランシュヴァイクの裁判所から、十年の懲役に処せられるということである。この法律はいまでは失効になっているが、この種の事柄について、だれも冗談を言わないことはともかくも事実である。好色家の価値が、フランスのように、一つの長所になるなどとはとうてい考えられないところである。フランスでなら夫の前で、この価値を否定すれば、彼を侮辱することにもなりかねないのである。
わが大佐やCh……に、あなたは、結婚してからはさっぱり女ができませんね、などと言えば、ひどく機嫌《きげん》を損じることになろう。
数年前、この国のある女が急に回心して、ブランシュヴァイクの宮殿に出仕していた夫に、自分は六年もの間あなたをあざむいていたと告げた。この女と同じくらい間抜けだった夫は、すぐさま事件を大公に訴え出た。そこで色男はあらゆる職を辞めて二十四時間内に国外に退去しなければならなかった。大公から、法を発動するぞとおどかされたからである。
ハルベルシュタット、一八〇七年七月七日
なるほど当地では、夫はあざむかれない。しかしまた、なんという女たちだろうか。まるで彫像だ。人間の形をなすだけの肉の塊《かたまり》だ。結婚前は彼女たちもたいそう感じがよく、羚羊《かもしか》のように軽快で、恋のほのめかしがいつもわかる、生き生きとした愛情こまやかな眼つきをしている。それは、夫を射とめようとしているからである。だが夫が見つかると、もはや子供の濫造屋にすぎず、製造工たる夫を終始熱愛する。子供の半数は七歳になるまでに死ぬから、子供の四、五人もある家庭では、いつもそのうち一人は病気をしている勘定になる。そしてこの国では、坊やが一人でも病気になると、母親はもう出歩かない。私は彼女たちが子供に甘えられて、言いようのない喜びを感じているのを目にする。彼女たちは、すこしずつ、あらゆる思想を失っていく。これはフィラデルフィアと同じである。この上なく気狂いじみたほどの無邪気な快活さを持った少女たちが、一年も経たぬ間に、女のなかでこの上ない退屈な女になってしまうのだ。新教国ドイツの結婚の話はこれで終わるが、最後につけ加えたいのは、妻の持参金は、領地制のため、ほとんど無いにひとしいということである。年収四万リーヴルある男の娘ディースドルフ嬢の持参金は、おそらく二千エキュ(七千五百フラン)ぐらいだろう。
メルマン君の奥さんは四千エキュ(一万五千フラン)持ってきた。
持参金の不足分は、宮廷における虚栄心でつぐなわれる。メルマンは私に言った。「町人の娘となら十万や十五万エキュ(一万五千フランどころか六十万フランになる)の縁組だってある。ところがそうすると、宮廷へはもう出仕できない。大公や大公妃のいる社交界から完全にお払い箱になる。おそろしいことだよ」これは彼が言った言葉どおりであるが、また彼の心の叫びでもあった。
フィ***のような心の持主であるドイツ婦人は、その才智《エスプリ》、気高く感受性に富んだ顔だち、十八歳のころには持っていたであろう情熱(いまは二十七歳)、この国の風習によって貞淑であり、自然さにあふれていること、同じ理由から、宗教心をほんのすこし必要な程度に持っているにすぎないことなどにより、夫を幸福にするかもしれない。けれども、こんな味気ない主婦のもとでは、夫は、どうしていつも変らず忠実だなどと自慢などしておられようか?
でもあの方は結婚していたんですもの――今朝、私がコリンヌの恋人オスワルド卿の四年間の沈黙を非難すると、彼女はこのように答えた。彼女は朝の三時までコリンヌを読んでいたのだ。この小説は、彼女に深い感動を与えた。そしていじらしいほど無邪気な調子で――でもあの方は結婚していたんですもの――と答えたのである。
フィ***はあまりにも自然で、その感受性はあまりにも素朴だったから、自然なこの国でさえ、心も考えも狭いけちな連中からは、猫かぶりだと見られている。そういう連中の冗談を耳にすると、彼女は気分が悪くなる、だが、たいていそれをかくさないでいる。
上品な仲間といっしょにいる時には、彼女はずいぶんきわどい冗談にも、ひどく陽気に笑っている。後に有名になった十六歳の若い公女の話を、私にしてくれたのも彼女である。その公女は、よく門衛の近衛《このえ》士官を、自分の部屋にひきいれようとしたのだった。
スイス
ベルヌに近いスイスのオーベルランドの家庭ほど幸福な家庭を、私はあまり知らない。ここでは娘たちが土曜から日曜へかけての夜を、恋人といっしょに過ごすのは周知の事実である(一八一六年)。
パリからサン・クルーへ旅行しただけで世界を知ったと思う馬鹿者どもは、抗議の声をあげるだろう。さいわい、あるスイスの作家の書いたもののなかに、私自身が四か月の間に見聞したことの、確かな証拠が見られるのである。
「人の好いある農夫が、果樹園が荒らされて困るとこぼしていた。なぜ犬を飼わないのかとたずねたら、彼は『娘が絶対結婚できなくなりまさあ』と言った。私はその答えがよくわからなかった。話によれば、以前、性《たち》の悪い犬を飼っていたので、娘の窓へよじのぼってくる青年たちがいなくなったというのである。
もう一人の農夫、これは村長だったが、女房の自慢をして私に言うことには、娘のころ、彼女ほど kilter すなわち夜這《よば》い男が多かった女はいなかったそうである(彼女ほど泊まりにくるたくさんの青年を持っていた女はいないという意味)
人うけのよい大佐が山地行軍のおり、この地方きってのへんぴで風景の美しい谷間で、一夜を過ごさねばならなくなった。彼は、富裕で信頼されている、その谷の郡長の家に宿をとった。家へはいるとき、十六歳ぐらいの、淑《しと》やかさと、みずみずしさと、素朴さの典型のような娘に気がついた。この家の主人の娘であった。その晩、野外で踊りがあった。客は娘に言いよった。彼女は、事実、目もさめるばかりに美しかった。彼はやっと勇気をふるいおこし、今晩あなたのところに「泊まりにいって」もよいか、とたずねた。娘は答えた。『いけません。従姉《いとこ》と寝ていますもの。でも、わたしのほうから、あなたのところへ伺いますわ』この返事に大佐が、どんなにうろたえたかはご想像にまかせる。夕食が終わり、客は立ち上がる。娘は灯を持って彼の部屋へついてくる。彼はうまくいくと思った。『いけません』と彼女は無邪気に言った。『とにかく、ママの許しがなくては』雷の一撃に遭《あ》ったにしても、こんなには驚きはしなかっただろう。娘は出て行く。彼は勇気をとりなおし、この善良な人々の木造の広間に忍び寄った。娘があまえた声で母親に許しを乞うているのがきこえる。とうとう許可がおりた。母親はもう床についていた夫に言う。『ねえおとうさん、トリネリは大佐さんと寝てもよいでしょうね』父親が答える。『いいともさ、あんな方なら、女房までも貸してもいいくらいだ』『それじゃ行っておいで』と母親は答える、『でも気をつけてね、スカートなんか脱いじゃだめだよ……』夜が明けると、トリネリは処女のまま目覚めた。客が彼女を尊重したのである。彼女は寝台の布団をなおし、男のためにコーヒーとクリームの用意をした。寝台に座って彼といっしょに朝食を終えると、彼女は broustpletz (胸を蔽うビロードの布)の一片を切りとって言った。『ね、楽しい夜の思い出に、これを取っておいて下さいね。昨夜のことは一生忘れないわ。どうしてあなたは大佐なんかになったの?』そして彼に最後の接吻をして走り去った。その後その娘に二度と会えなかった(*)」
これは、われわれフランスの風習とは、あまりにもかけ離れている。もちろん私がこの風習を認めているわけではさらにない。
(*)私は、たまたま見聞する機会に恵まれた異常な事実を、他人の言葉を借りて語ることができるのをしあわせに思う。ヴァイス氏の助けがなかったら、確かに私はこういった風習を報告することができなかったであろう。ヴァレンシャやウィーンと同様に、特徴ある風俗は割愛した。
もし私が立法家であれば、フランスでもドイツのように、夜の舞踏会を開く習慣をつけたいものだ。娘たちは週に三度、母親とともにそこへ行く。舞踏会は、七時に始まり真夜中に終わる。費用といっては、ヴァイオリン弾き一人分と飲物の代を払えばよい。隣室では母親たちが、娘の幸福な教育に、おそらくいささか嫉妬《しっと》をおぼえながら、ボストンをやる。そのまたつぎの部屋では父親たちが、新聞を読み政治を論じている。夜の十二時と一時の間に家族はいずれもいっしょにわが家に帰る。若い娘たちは若い男を見る眼を養うのである。うぬぼれや、その結果である無遠慮さなどはすぐにもいとわしいものになる。要するに「彼女たちは自分のために夫をえらぶ」。いく人かの娘は不幸な恋をするかもしれないが、妻にあざむかれる夫や不幸な夫婦の数は、非常な割合で減少するであろう。そうなれば不貞を恥辱をもって罰するのも、それほど馬鹿げたことではなくなるであろう。法律は若い娘たちに言うであろう、「あなたは自分で夫を選んだのだ。夫に忠実でありなさい」。そのときには私は、裁判所がイギリス人が Criminal conversation(姦通罪)と呼ぶものを起訴し処罰することを承認しよう。裁判所は、刑務所や慈善病院に役立つべく、姦夫に財産の三分の二に相当する罰金と、数年の禁錮《きんこ》を課すこともできよう。
妻の姦通は、陪審員の前で訴えることもできる。だがその前に陪審員は、夫の品行になんら咎《とが》むべき点がないことを、宣言しなければならない。
有罪と決定された妻は、終身刑を宣告されるかも知れないが、夫が一年以上不在の場合は、数年の刑ですむ。一般の風習も、やがてこの法律に則《のっと》り、それを完成させるであろう。
そうなれば貴族や僧侶は、モンテスパン夫人あるいは、デュバリ夫人らの礼節ある時代を愛惜しつつ、離婚を許さずにはいられないであろう(*)。
(*)セヴィニェ夫人は一六七一年十二月二十三日に娘につぎのように書いている。「もうお聞きになられたかもしれませんが、ヴィラルソーは自分の息子のためにお仕事を王様にお願いした時、機会《おり》をみて申しあげたそうです。『陛下が私の姪(ルクセル嬢)に思召しがおありになると姪に告げた者がございます。もしこれがまことでございますれば、お役に立たせていただきたいものです。ほかの者におまかせになるより、私におまかせになるほうがうまく事が運ぶと存じます』王様は笑ってこうおっしゃられました。『ヴィラルソー、お前もわしもあまり年をとりすぎた。十五の娘に手だしはできまい』そして粋人らしく、ヴィラルソーをお笑いになって、この話を女官方になさいました」(第二巻三四〇ページ)
ローザン、ブザンヴァル、デピネ夫人などの回想録を参照。これらの回想録をまったく読まずに、私を責めないよう願う。
パリの近郊の村に、不幸な女のための避難所である楽園が建てられるだろう。医者と聖職者のほかは男性は立ち入ることができず、禁をおかせば苦役に処せられる。離婚したいと思う女はこの楽園に女囚としてはいらねばならない。そして二年間一度も外出せずそこで暮らす。手紙は出すことはできるが返事はもらえない。
上院議員および数名の尊敬される司法官からなる審議会が、その妻にかわって、離婚訴訟を処理し、妻の将来の生活のために夫が支払うべき年金額を決める。敗訴した妻は、余生をこの楽園で送ることが許される。政府はこの楽園の経営費としてここに逃避してきた女一人につき二千フランずつ補助をする。ここにはいるためには、二万フラン以上の保証金を必要とする。道徳律は厳しすぎるほどのものとなろう。
世間から二年間完全に隔離された上で、離婚した女は再婚することができる。
こうしたことともなれば、議会は娘たちの間に手柄を競う心を起こさせるために、父の遺産相続の分配において、男子に女子の二倍を与えることの適否を検討すべきであろう。結婚できない娘は、男子と同額の分配をうけとることになろう。ついでながら、この制度があまりに不都合な打算的結婚を、徐々にうちこわすことに気がつくであろう。離婚ができれば、あまりに陋劣《ろうれつ》なことをする必要もなくなるであろう。
フランスの各地の寒村に、老嬢のための僧院を三十建てる必要がある。政府はこれらの建物を十分尊重してとりあつかうことにより、そこで生涯をおえる、あわれな女性の悲しみをすこしでも慰めてやるべきである。彼女たちには、自尊心のためのあらゆる玩具を与えてやらねばならない。
だが、こんな夢物語はよそう。
第五十九章 ウェルテルとドン・ジュアン
若い人たちの間では、恋に悩む一人の男をさんざんからかったあげく、その男がサロンを逃げだすと、たいてい話は、女を手にいれるにはモーツァルトのドン・ジュアン風がよいか、ウェルテル風がよいかという問題におちていく。ウェルテルよりサン・プルーを挙げたほうが対照がいっそう明確になると思うのだが、これはなんとも平凡な人間だから、彼を代表に選ぶと愛情こまやかな人たちには失礼にあたるかもしれない。
ドン・ジュアンの性格のほうが、世間で有用でありかつ尊重される数多くの美徳を必要とする。すなわち、賞賛すべき大胆さ・機略縦横《きりゃくじゅうおう》の才・溌刺《はつらつ》さ・冷静さ・人を楽しませる才智等々。
ドン・ジュアン型の男は、時々ひどく不毛の気持ちを経験し、その老後はたいそう寂しいものとなる。もっとも大部分の人間は老年にまで達しないのであるが。
恋する男のほうは、夜ごとサロンで、みじめな役割を演じる。というのも、女を手に入れることにまさに玉突きの一勝負と同じくらいの関心しか持てない場合にしか、女の前で才能や力を発揮することができないからである。社交界の人々は、恋する男たちには人生において一大関心事があることを知っているので、彼らにいかに才智があっても、からかいの種とされてしまう。しかし彼らは翌朝目を覚ますと、なにか皮肉な意地の悪い考えをそそられるどころか、むしろ愛する女の上を想い、幸福の住む空中楼閣を築くのである。
ウェルテル風の恋は魂を、あらゆる芸術に、あらゆる甘美なロマンティックな印象に、月光に、森の美しさに、絵画の美しさに、要するに「美」の感情と享受に、ひらく。この美はいかなる形であらわれようと、たとえ粗末な衣裳を身にまとっていてもよい。美は、富がなくてさえも幸福を見いださせる(*)。こういう魂はメーヤンやブザンヴァルその他のように、心を荒《すさ》ませるおそれはないが、ルソーのように、過度の感受性のために気狂いじみてくる。多少なりと魂の気高さを有し、少女期を過ぎて恋がどこにあり、また恋がどのようなものかを知った女は、一般に、ドン・ジュアン型の男の手には、はまらない。彼らは征服の質よりも、むしろ数のほうをとるからである。注意すべきことは、愛情こまやかな魂の持主のことを思えば不都合なことだが、ウェルテル型の男の勝利にとって秘密が必要であるように、人に知られるということが、ドン・ジュアン型の男の勝利にとって必要なのである。女に打ちこむことを仕事にしている男は、たいていしごく裕福な家に生まれている。つまり、彼らが受けた教育の結果と、青春時代に彼らをとりまいていた周囲をまねたことによって、利己的でうるおいのない人間になってしまったのである。
(*)『新エロイーズ』第一巻、なおサン・プルーにすこしでも性格と言えるものがあれば、全巻についてもそう言えよう。しかしこの男は、正真正銘の詩人で、優柔不断の饒舌家《じょうぜつか》で、長々と述べた後でないと勇気が持てない、まあひどく凡庸な男だった。こんな男性は、女性の自尊心を傷つけず、決して恋人に「驚き」を与えないという非常な長所を持っている。驚きという言葉をよく考えていただきたい。凡庸な男がすぐれた女性に成功する秘密のすべてはおそらくここにある。しかしながら、恋愛はそれが自己愛を忘れさせるのでなければ情熱ではない。だからレオノールのように恋愛に自尊心の快楽を求める女は、完全に恋を感じてはいないのである。彼女たちは自分で気づかないで、自分たちの軽蔑の的である散文的な男、恋愛に恋と虚栄心とを求める男と同じ高さのところに立っている。彼女たちのほうでも恋と自尊心を同時に求める。だが恋は顔を赤らめて退いてしまう。恋は専制君主のなかで傲慢なもので、それは、いっさいか、さもなければ無のいずれかである。
真のドン・ジュアン型の男は、ついには女を敵方と見なしさえし、彼女たちのあらゆる不幸を見て楽しむようになる。
これと反対に、愛すべきデレ・ピニャテレ公爵は、ミュンヘンでわれわれに、情熱恋愛がない時でさえ逸楽によって幸福になれる真の方法を教えてくれたものである。ある夜、彼は私に言った。「私がある女の前でどぎまぎして、なにを言っていいかわからなくなると、自分がその女が好きなのだなとわかるのです」
当惑したこの瞬間、彼は自尊心から顔を赤らめたり、仕返しをしたりなぞしないで、この瞬間を幸福の源泉としてたいせつにはぐくんだのである。この愛すべき青年にあっては、その趣味恋愛にもそれを蝕《むしば》む虚栄心がまったくなかった。これは真の恋愛が弱まった感じ《ニュアンス》のものであったが、純粋でまじり気がなかった。彼はすべての女に対し、われわれがひどく不当に扱っている好ましい存在として尊敬の念を払っていた(一八二〇年二月二十日)。
人は自分の気質、すなわち魂を、思い通りに選べるものではないのだから、もって生まれた以上の役割を自分に割りあてることはできない。J・J・ルソーもリシュリユー公も、いかに才智を傾けても女のかたわらでの生き方を変えることはできなかったであろう。私はルソーが、シュブレットの庭園で、ドゥドゥト夫人のそばで経験した瞬間、ヴェネチアで「スクオレ」の音楽を聞いて味わった瞬間、トリノでバジル夫人んの足もとに膝まずいて味わった瞬間、こういった瞬間をリシュリユー公はついぞ味わったことがなかったと考えたい。同じようにルソーはラルナージュ夫人の前で物笑いになり、それから一生の間後悔につきまとわれたが、リシュリユー公はそのようなことで、赤くなる必要などついぞ感じなかったのである。
サン・プルー型の男の役割は、いっそう甘美であり、それは生活のあらゆる瞬間を充たしている。しかし、ドン・ジュアンの役割のほうがはるかに輝かしいことは認めなければならない。サン・プルーが人生の半ばで、その瞑想癖《めいそうへき》を伴った孤独で隠遁《いんとん》的な趣味を変えたとしても、社交界という場にあっては末席を汚す存在となる。一方これに反し、ドン・ジュアンは、男たちの間で嚇々《かくかく》たる名声を博し、さらに、愛情こまやかな女のために自分の放蕩趣味を真心から犠牲にするならば、おそらく彼女からも愛されうるであろう。
いままでに述べた理由だけでは、この問題はどちらがよいとも決めかねるように思われる。ウェルテル型の男のほうがいっそう幸福だと私が思うのは、ドン・ジュアンが恋というものを、単に日常の俗事にすぎないものに還元してしまっているからである。ウェルテルのように、現実を自分の欲望にあわせてつくりあげるかわりに、ドン・ジュアンにおいては、野心や吝嗇《りんしょく》その他の情熱の場合と同様、欲望は冷たい現実によって不完全に満足させられているのである。結晶作用の魅惑的な夢想に我を忘れるかわりに、将軍のように戦術の成功を考え、俗人が考えるごとく、人よりも恋を享楽しているのではなく、要するに恋を殺しているのである。
以上述べたことにはなんの異論もない、と私には思われる。もう一つ、少なくとも私の眼には、異論がないと思われる理由があるのだが、人々がこれに気づかないのは、神さまの悪意のためとして許されねばならない。それは、正義を行なう習慣こそ、事故が起こらぬかぎり、幸福に達する最も確かな道である、ということである。ウェルテル型の男は悪党ではない(*)。
(*)『リシュリュー公の私生活』、八折判三巻本を見よ。なぜ人殺しは人を殺した瞬間、犠牲者の足下にたおれて死なないのか? なぜ病気があるのか? もし、病気があるのならば、トロワタイヨンのような男はなぜ疝痛《せんつう》で死なないのか? なぜアンリ四世は二十一年しか統治せず、ルイ十五世は五十九年統治したのか? なぜ人の寿命は、各人の徳の程度に正確に比例しないのか? イギリスの哲学者なら、「けがらわしい」と言うかもしれない質問が他にもある。そんな質問は確かに提起するほどのなんの価値もないのだが、悪罵と偽善以外のものをもって答えるだけのなんらかの価値はあろう。
罪を犯しながら幸福でいようとするためには、悔恨を感じないでいるほかはないであろう。私は、そんな人間が存在しうるかどうか知らない(*1)。そんな人間にいちども出会ったこともなく、ミシュラン夫人の事件は、夜ごとリシュリユー公の心を掻《か》き乱したにちがいないと断言してよい(*2)。
(*1)スエトニウスが記している母を殺した後のネロを見よ。しかし彼はなんと多くのへつらいにとり囲まれていたことか!
(*2)残虐とは苦しみ悩んでいる共感にほかならない。「権力」が恋愛についで最高の幸福であるのは、「共感を命じうる」と人びとが考えるからにほかならない。
そんな人間となるには、不可能なことではあるが、けっして共感というものを抱いてはならず、あるいは人類を死に至らしめることができる必要があるだろう。
小説を通してしか恋愛を知らない人々は、恋愛における道徳のために書かれたこの文章を読んで、自然に嫌悪《けんお》の念を覚えるのであろう。それは小説の法則上、道徳的な恋の描写が、元来、退屈でおもしろくないからである。かくして道徳観は、恋愛感情を大いに弱めるように思われ、「道徳的恋愛」という言葉は弱い恋愛の同義語と見られている。しかしこれはすべて描写技法の「弱さ」であり、自然のままに存在するような情熱に対しては、どうしようもないのである(*)。
(*)観客にたいして道徳的感情を恋愛感情とならべて描けば、二つの感情の間に引き裂かれた心を表現していることになる。小説における道徳が好ましいのは、それが犠牲にされるからである。ジュリー・デタンジュ。
ここに、私の親友のひとりの肖像を描くことをお許し願いたい。
ドン・ジュアンは、自分を自分以外の人間たちと結びつけるあらゆる義務を破棄する。人生という大市場で、つねに金を取ってばかりいて、決して支払うことのない悪徳商人である。平等の観念は彼に、水が恐水病患者に与えるような憤怒《ふんぬ》を起こさせる。名門の出だという自尊心が、ドン・ジュアンにいかにも似つかわしいのは、このためである。権利の平等の観念とともに、正義の観念も消え失せる。というよりむしろ、ドン・ジュアンが名門の出であるならば、このような世間普通の観念など一度だって抱いたことはないのである。その上、由緒《ゆいしょ》ある家名を誇りとする男は、卵一つゆでてもらうために、一つの町を焼き払うぐらいのことは、他のだれにもましてやりかねないものだと私には思われる(*)。大目に見てやらねばなるまい、というのも、彼はあまりにも自己愛にとりつかれているので、自分が禍いをひき起こしているなどとは思いもおよばぬことで、よろこんだり苦しんだりできるのは、宇宙で自分以外にはいないとまで思いこんでいるのだから。われわれが青春の焔《ほのお》に燃えるころ、すべての情熱がわれわれの心に生命を感じさせ、他人の心に対する不信を遠ざけるあのころ、ドン・ジュアンはと言えば感覚とうわべの幸福にあふれ、一方で他の人間どもが義務に身を捧げているのを見ながらも、自分のことしか考えないことを自慢に思うのである。彼は偉大な生活技術を発見したと思いこむ。ところが勝利のただなかにありながら、三十になるかならずで、彼は自分には生命が欠けていることに愕然《がくぜん》として気づき、これまで自分が味わってきたあらゆる快楽に対し、嫌悪の念が募りゆくのを覚えるのである。ドン・ジュアンは、トルンで、急に不機嫌におちいって私にこう言ったものだ。「女にはそうたくさん種類があるわけではないんだ。それぞれの種類で二、三人ずつ知ってしまえば飽きがくるのさ」私は答えたものだ。「永久に飽きることがないようにするためには、想像力をはたらかせるしかないよ。一人一人の女が、ちがった興味を感じさせるのだ。それどころか、同じ女だって、君が人生でその女を知ったのが偶然二、三年早かったかおそかったかというだけで、また、たまたまその女を君が好きになるかどうかで、ちがった愛し方をすることができるのだよ。ところが愛情のこまやかな女は、たとえ君を愛していても平等を主張するものだから、君の自尊心をいらだたせるだけである。女に対する君の態度は人生のほかのよろこびをみな殺してしまうのだ。ウェルテルのやり方ならば、百倍にもするのだが」
(*)サン・シモンを見られよ。ブルゴーニュ公爵夫人の流産。そしてモットヴィル夫人、その他の多くの個所。この大公妃は、ほかの女たちも自分と同じように五本指があるのに驚いた。ルイ十三世の弟オルレアン公ガストンは、彼の寵臣たちが彼をよろこばすために、断頭台に上がるのはあたりまえのことと思っていた。一八二〇年にこれらのものが選挙法を提出し、フランスにロベスピエールのような人物を復活させようとするのを見られよ、云々。一七九九年のナポリを見よ。(この注は一八二〇年に書かれたままにしておく。ナポリのベリオ侯爵邸で見た一七七八年の大貴族の名簿。これには彼らの品行に関しての注をラクロ将軍がつけている。三百ページ以上にわたる、まったくけしからぬ稿本である)
この悲しいドラマも大団円に達する。老いゆくドン・ジュアンは自己の飽満《ほうまん》を決して自分のせいにしないで、だれかれのせいにする。自分をむしばんでいく毒に苦しめられ、四方八方にもがき回り、つぎからつぎへと相手を変える。しかし外見はいかに華々しくても、すべてが彼にとっては苦痛の種類を変えるだけである。平穏な退屈か、それともいらだたしい退屈を自分に課すること、これが彼に残された唯一の選択なのである。
ついに彼はこの運命的な真理を発見し、これを自認する。それ以来、もうどんな享楽においても自分の力を人に感じさせずにはいられないし、公然と悪のために悪を行なわずにはいられなくなる。これはまた習慣化した不幸の最終段階である。あえてそのありのままの姿を描き出そうとした詩人は一人もいなかった。この似姿のスケッチは人を戦慄《せんりつ》させるであろう。
しかし、すぐれた人間ならば、この運命的な道から歩を転じるかもしれないと期待できよう。というのはドン・ジュアンの性格の底には、一つの矛盾があるからである。私は彼には豊かな才智があると考えたが、ゆたかな才智は栄光の聖堂への道を通って徳の発見へと人を導くものである。
実生活では、まさに一個の間抜けな文士にすぎなかったが、それでも自己愛《アムール・ブロブル》のなんたるかを理解していたラ・ロシュフコーは、つぎのように言っている(二六七番)。すなわち、「恋の快楽は愛することである。人は、相手に生じさせる情熱によるよりも、自分で感じる情熱によって、いっそう幸福となるのである」
ドン・ジュアンの幸福は虚栄心にほかならず、たしかにそれは、彼の豊かな才智と活動力によって生じた様々な事情にもとづくものにほかならない。しかし、一つの戦闘に勝った将軍にしろ、一県をおさめる知事にしろ、たとい彼らがどんなつまらぬ男でも、自分よりはげしい喜びを覚えることを、ドン・ジュアンは認めなければならない。一方、クレーヴの奥方から愛を打ち明けられたときのヌムール公の幸福は、思うに、マレンゴの戦いにおけるナポレオンの幸福に勝《まさ》っているのである。
ドン・ジュアン風の恋は、狩猟の趣味と同種の感情である。それは諸君の能力をたえずためそうとするいろいろな対象によって呼びさまされる活動力である。
ウェルテル風の恋は、悲劇を書いては消し、書いては消す、駆け出しの作家の感情に似ている。それは人生の新しい目標であり、すべてがそれに関《かか》わりを持ち、そのためあらゆるものの姿が変わってしまう。情熱恋愛は男の眼に、自然のすべてを、その崇高な姿で投げ与える、昨日作られたばかりの新品のように。彼は、こうした特異な景観が自分の魂に向かってひらかれているのに、これまで一向気がつかないでいたのに驚く。すべては新しく、すべては生き生きとしており、この上ない情熱的な感興に息づいている。恋する男は、彼が出会うあらゆる風景の地平線に、自分の愛する女性を見る。そして、ちらとかいま見るために百里の道を行くと、どの木、どの岩も彼女についていままでと違った風に語り、彼になにか新しいことを教える。こういう魔術的光景のさわがしさは、ドン・ジュアンには無用である。彼に必要なのは外的事物なのであるが、それも彼にとっては、有用の度合によってしか値うちがなく、なにか新しい色事によって、彼に刺激を与えるものでなくてはならないのである。
ウェルテル風の恋愛には、特異な快楽がある。一、二年もして恋する男が、いわば恋人と一つの心を持つようになると、これはおかしなことに恋の成否に無関係で、恋人のつれなさには関わりないことだが、なにをし、なにを見ても彼はこのように自問する。「彼女がここにいればなんと言うだろう? このカサ・レッキオの眺《なが》めについて自分は彼女になんと言うだろう?」彼は彼女に話しかけ、その答えに耳を傾ける。彼女の冗談に笑う。四百キロも離れたところにいて、彼女の怒りにうちひしがれながら、「あの夜レオノールはとても機嫌がよかった」などと思わず考えこんでいるのに気づく。われにかえり溜息《ためいき》をつきながら、「なんたることか、ベドラムの精神病院には、おれより気のたしかな奴がうんといる」と呟《つぶや》く。
「君も歯がゆいね」と、ある友人に私がこの考えを読んできかせると、その友が言った。「君はしょっちゅう情熱にとらえられた男とドン・ジュアンとを対立させているが、そんなことは問題じゃない。思いのままに情熱を起こさせうるものなら、君の説ももっともだろう。しかし、およそ気のないときはどうするんだい?」おそれずに趣味恋愛をやりなさい。おそれというものは、いつも自分の値うちを自分でたしかめねばいられない、けちな根性から生まれるものなのだ。
続けよう。ドン・ジュアン型の人間は、いま話した精神状態の真実を認めるには、さぞかし苦痛を感じることであろう。彼らはこの状態を自分で見ることも、感じることもできないだけでなく、この状態にあまりにも彼らの虚栄心が傷つけられるのである。彼らの生き方の誤りは、内気な恋人が六か月もかかってかろうじて手にいれるものを、二週間で征服できると信じていることにある。彼らのこの信念は、素朴な心の動きを表に出して愛情こまやかな女性に好かれるのに必要な魂も、ドン・ジュアンの役割に必要な才気も持ちあわせないかわいそうな連中を観察した経験にもとづいているのである。彼らが得たものが、たとい同じ女から与えられたものであっても、同じものではないということを見ようとしない。
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慎重な男はいつだって心を許さない。
だからこそ女を惑わす恋人が多い。
恋される女性も、
かつて、嘘《うそ》、偽りを言わなかった僕《しもべ》には、
いつまでも溜息をつかせておく。
しかしやっと与える宝は、
味わう者にしかわからない。
高くつくほど美味なもの。
恋の讃美は恋のつらさに価する。
(ニヴェルネ『吟遊詩人ギヨーム・ド・ラ・トウール』第三巻、三四二ページ)
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ドン・ジュアンから見た情熱恋愛は、奇怪でけわしい不便な道にたとえることができる。はじめのうちは魅力ある茂みの間を縫っているが、やがて切りたった岩の間に迷いこみ、その光景には、人の眼を喜ばすものはなにも見あたらない。道はしだいに山の高みに入り、暗い森のなかでは巨木が天までとどく鬱蒼《うっそう》とした梢《こずえ》で日の光を遮《さえぎ》りながら、危険に鍛えられていない魂に、なんともいえない恐怖の念を抱かせる。
いくたの紆余曲折《うよきょくせつ》が自尊心をいらだたせる、果てしのない迷路を苦労してさまよったあげく、突然一つの曲り角にゆきあたり、新しい世界に踏みいる。ララ・ルークというカシミールの美しい渓谷である。
こんな道に一度もはいったことのないドン・ジュアン型の男、はいっても数歩しか進んだことのない男に、どうして旅の果てに現われるこの景色を想像しえよう。……
「移り気はよいものだということが君たちにもわかったろう。
私には新しいものがいる。この世にそんなものがなくなっていても」
よろしい。君は誓いと正義とを馬鹿にしている。移り気になにを求めるのか? あきらかに快楽である。
しかし、二週間追い求めて三か月後に手を切る美人のそばで味わう快楽は、三年間|憧《あこが》れていて十年間つづいた恋人とともに見いだす快楽とは「異なる」。
私は「いつも」と書かないのは、年をとるとわれわれの器官が変化して恋ができなくなると言われているからである。私はそんなことはいっこう信じない。あなたの恋人は親友となり、ほかのよろこび、老年のよろこびを与えてくれる。それは、花の季節には、朝、ばらであった花が、その季節を過ぎると、夕方甘い実に変わるようなものである。
三年間憧れた愛する女《メトレス》は、語のあらゆる意味において支配者《メトレス》である。そばへいくとおののくばかりである。そして、私はドン・ジュアンに言いたいのだ、おそれおののく男は退屈しない、と。恋の快楽はつねにおそれに比例するのである。
移り気の不幸、それは退屈である。情熱恋愛の不幸、それは絶望と死である。恋の絶望は人の目に立ち、話題になる。パリには退屈のあまり死ぬほどの思いをしている老いた放蕩者《ほうとうもの》は敷石の数ほど多い。それに目を向けるものはいない。
「退屈で自殺する人より、恋で自殺する男のほうが多い」なるほどと思う。退屈はすべてを奪う。自殺する勇気までも。
変化のなかでしか快楽を感じない性格の人はいる。しかしボルドー酒をけなして、シャンパーニュ酒を手ばなしてほめる男は、「私はシャンペンのほうが好きだ」ということを、多少雄弁に語っているだけのことである。
これらの酒にはそれぞれひいきがあって、各人がおのれをよく知り、各自の器官と習慣とにいちばん適した幸福を追い求めているならば、いずれも正しい。移り気派が台無しになるのは、馬鹿な人間がみな勇気がないために、この側につくからである。
要するに、各自が労を惜しまず自分自身を研究してみれば、だれもがみな自分の「理想美」を持っているのである。そして、隣人を改宗させようと望むことには、いつもすこし滑稽なところがあるようである。
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断章
できればもっと地味な題をつけたかったのだが、三、四百枚のトランプのカードに鉛筆書きしてあったものの中からあまり厳選もしないで、この表題のもとに集めてみたのである。もっと簡単な呼び名がないので自筆原稿と呼ぶほかないものがあるが、これも多くは鉛筆書きの大小さまざまな紙片からなっている。リジオは清書の手間を省くため、これらを糊《のり》で貼りつけていた。書いたものがどれもこれも一時間後には骨折って清書するだけの値打ちがないように思われるのだと、彼がかつて私に語ってくれたことである。このように詳細にわたって書くのは、重複していることの言い訳ともなろうかと希望するからである。
人は孤独のなかであらゆるものを獲得することができる、性格を除いては。
一八二一年、ローマでは、憎悪、恋愛、吝嗇《りんしょく》、この三つが最も頻繁《ひんぱん》に見られる情熱である。これに賭博を加えると、ローマでの情熱の総ざらいである。
ローマ人は一見「意地悪そうに」見える。しかし極端に不信の念を抱いているにすぎない。しかも、ほんのかすかに上面《うわべ》に現われたものだけで、燃えあがる想像力を持っているのである。
彼らが「謂《い》われのない」意地悪をするのは、恐怖に蝕《むしば》まれているからであり、銃を試してみて安心しようとするからである。
もし私が思っているとおりに、「善良さ」こそパリ市民の性格の特徴であるなどと言おうものなら、彼らを怒らせはしまいかと大いに心配巣することとなろう。
「私は善良になどなりたくないのだ」と。
恋が生まれたところだという証拠の一つは、人間の、他のあらゆる情熱とあらゆる欲求とが与えることのできるあらゆる快楽、あらゆる苦痛が、たちまちのうちにその男の心を動かさなくなるということである。
貞女ぶることは吝嗇《りんしょく》の一種、あらゆる吝嗇の中で最悪のもの。
しっかりした性格を持つというのは、人生の誤算と不幸について、長年の確かな経験を積むことである。そのあかつきに、人はつねに欲するか、あるいはぜんぜん欲しないかのいずれかである。
上流社会に見られるような恋、それは闘争の恋であり、戯《たわむ》れの恋である。
相手側における情熱恋愛の息吹《いぶ》きほど趣味恋愛を殺すものはない。(L伯爵夫人フォルリ、一八一九年)
女たちの大きな欠点、多少とも男の名にふさわしい男にとって、最も腹だたしい欠点とはつぎのようなものだ。大衆というものは、感情に関してはほとんど低俗な観念にしか達しないのであるが、彼女たちは、大衆をば自分たちの最高の審判官とするのである。最も卓越した女性たちでさえそうであると言おう。多くの場合、彼女たちは自分ではそうとは気づかず、むしろその反対だと信じたり、言ったりさえしているのだ。(ブレッシア、一八一九年)
一〇
「散文的」Prosaiqne というのは新語で、以前は私も滑稽な言葉だと思っていた。なぜならわが国の詩ほど冷たいものはないからである。五十年来フランスになにか熱があるとすれば、それは疑いもなく散文のなかにある。
ところがとうとうL〔レオノール〕伯爵夫人が「散文的」という言葉を使ったので、私もこの語を書くのが好きになっている。
この語の定義は、「ドン・キホーテ」のなかに、「あの主人と従者の完全な対照」のなかにある。主人は背が高く青白いが、従者はふとっていて生き生きとしている。前者は全身英雄主義と騎士道そのもの、後者は利己主義と奴隷根性そのものである。前者はいつも小説的《ロマネスク》で感動的な想像にみちあふれており、後者は処世術の達人であり、きわめて賢明な格言の集大成である。前者がつねに英雄的かつ冒険的な瞑想でその魂を養っているのに対し、後者は、たいそう賢明な計画を思いめぐらしており、しかもその計画には、必ず人間の心の恥ずべき利己的なあらゆる細かな動きの影響を注意深く考慮に入れている。
前者が、不成功によって昨日の空想から覚めることになるときに、後者は、すでに一心に、今日の空中楼閣を築くことに没頭している。
散文的《プロザイク》な夫を持ち、小説的《ロマネスク》な恋人を選ばねばならぬ。
マルボーロ将軍は「散文的な」魂を持っていた。こちらの年を忘れてくれない若い公女を恋した五十五歳のアンリ四世は「小説的な」心を持っていた。
貴族の中には、平民におけるよりも、散文的な魂の持主が少ない。商業が人間を散文的にするのは商業の欠点である。
一一
情熱ほど興味あるものはない。そこではすべてが思いがけないことであり、かつ情熱を起こさせる者自身が犠牲者となるからである。趣味恋愛ほど平板なものはない。そこでは生活上のあらゆる散文的な取引きにおけると同様、いっさいが打算である。
一二
女はつねに、訪問の終わりごろには、思っている以上につい優しく恋人《おとこ》を遇してしまうものである。(L、一八一八年十一月二日)
一三
成り上がり者の場合、その身分の影響はつねに天賦《てんぷ》の才をとおして感じられる。ルソーを見給え。彼は貴婦人と、だれとだっても恋におち、また当時最も凡庸な廷臣の一人たるL〔リュクサンブール〕公爵が、ルソーの友人コワンデ氏と連立って散歩したとき、左側を歩かず、恐れ多くも右側を歩いてくださったといって感涙《かんるい》にむせんでいる。(L、一八二〇年五月三日)
一四
ラヴェンナ、一八二〇年一月二十三日。
ここの女たちは実地教育しか受けない。母親が、十二から十四の娘の前で、平気で、恋のために陥った絶望、あるいは歓喜の絶頂を見せたりする。この恵まれた風土にあっては、多くの女は四十五までたいそう色気があり、たいてい十八歳で結婚するということを思い起こしていただきたい。
昨日ラ・ヴァルキウサがランプニャーニについてつぎのように言ったものだ、「まあ、あの方、私のために作られたみたい、女のかわいがり方を知っていたわ、云々《うんぬん》」十四か十五の非常に敏感な娘の前で、女友だちとこういった話を長々とするのである。彼女は恋人との感傷的な散歩にも娘を連れて行ったものだ。
ときどき若い娘たちはすぐれた処世訓を手に入れる。たとえばグァルナッチ夫人は、自分の二人の娘と、娘のために訪ねてきたにすぎない二人の男を前にして、彼らが知っている例(ハンガリーのセルカラの場合)にもとづき、不行跡な恋人《おとこ》を不貞の廉《かど》で罰するのにふさわしい的確な時期について、半時間にわたって含蓄のある格言の数々を吐いたものだ。
一五
多血質な人間、真のフランス人(M〔マチス〕大佐)は、ルソーのように感情の過剰に苦しむどころか、明日の晩七時に逢瀬の約束でもあることになれば、幸運なその瞬間が来るまで、万事をばら色に描きだす。こういう連中は、ほとんど情熱恋愛を感じることがない。たとえ感じたとしても、それは彼らの立派な平静さをかき乱すであろう。おそらく彼らは、その熱狂を不幸とみなすであろうし、すくなくとも自分の臆病に対し屈辱を覚えるであろうとあえて言おう。
一六
社交界の男は、大部分、虚栄心から、また不信から、それに不幸をおそれる心から、親密な間柄となってからでないと、女を夢中になって愛することがない。
一七
きわめて愛情こまやかな男にとって、結晶作用を促すためには、女の側に親しみやすさがないといけない。
一八
女は、自分こそ世間が言っていることの忠実な代弁者です、などと口幅ったいことを言う馬鹿な男、あるいは二心ある女友だちの言葉の中に、世間の声を聞くと思いこむ。
一九
あなたにひどくつれなくした女、ながらくあなたの残酷な敵であった女、しかも将来もなおその気でいる女を腕に抱きしめることには甘美な快楽がある。一八一二年、スペインにおけるフランス士官たちの幸福。
二〇
自分の心を味わったり、人に恋したりするためには、孤独が必要である。しかし、成功するためには社交界で広く知られていなければならない。
二一
恋愛に関するフランス人の観察は、みな、正確でよく書けていて誇張がない、だが軽薄な愛情しか問題にされていない、と愛すべき枢機卿《すうきけい》ラントは言った。
二二
ゴルドーニの喜劇『インナモラーチ』の「情熱の動き」は、すべて、すぐれており、とても明確に描かれ、非常に行き届いているが、この上なく嫌悪すべき低劣さでもって不快感をもよおさせるのは、その文体と思想なのである。これはフランス喜劇の逆である。
二三
一八二二年の青年。まじめな傾向、活動的気性とは、将来のために現在を犠牲にすることをいうのである。このような犠牲を払う力と習慣ほど魂を高めるものはない。私は一七七二年よりは一八三二年のほうが、偉大な情熱の生まれる可能性がいっそう多いと見ている。
二四
胆汁質の男は、あまりにも嫌悪の念をもよおさせるといった顔かたちをしてないかぎり、女の想像力を刺激し、これをはぐくむのに最もふさわしい気質である。胆汁質の男がサン・シモンのローザン(『回想録』第五巻、三八〇ページ)のようなりっぱな境遇におかれていない場合、こういう気質に慣れ親しむのはむつかしいことである。しかしいったんこの性格が女に理解されるや、女は引きずられて行くにちがいない。さよう、野蛮で狂信的なバルフォア(『昔の人』)でさえそうだ。これは女にとって散文的気質の反対なのである。
二五
恋しているときには、人はいちばん信じていることもしばしば疑う(ラ・ロシュフコー、三五五番)。他のすべての情熱の場合は、いったん自ら確かめたことをもはや疑うことがないのである。
二六
韻文が発明されたのは記憶を助けるためである。のちにこれが保存されたのは、困難さを克服したのを見て悦びを増すためである。今日これを作劇術で遵守《じゅんしゅ》しているのは野蛮の名残りである。実例……ド・ボネ氏によって韻文で書かれた騎兵操典。
二七
あの嫉妬深い男が彼女のそばで、倦怠と吝嗇と憎悪と、毒のある冷たい情念を燃やしている間、私は彼女を夢見ながら幸福な一夜を過ごす。不信の念から私につれなくする彼女を夢に見ているのだ。
二八
偉大な魂の持主にしてはじめて、あえて簡潔な文体で書くことができる。ルソーが『新エロイーズ』にあれほど修辞法をもちこんだのはこのためである。あれは三十歳になれば読めた代物《しろもの》ではない。
二九
「たしかに、われわれが自己に対してなしうる最大の非難は、心の中にときどきめばえる名誉と正義の観念を、睡眠が生ぜしめるあのはかない幻のように、消え去るがままにしているということです」(イエナからの手紙、一八一九年三月)
三〇
ある身持ちの正しい女が別荘にきていて、温室の中で庭番と一時間過ごす。かねがね彼女がその意見にさからってきた人たちは彼女が庭番を恋人にしたと非難する。なんと答えるべきか? 断然、それはありうることだ。彼女はこうも言えよう。「わたしの性格が保証してくれます。わたくしの日頃の行ないを見てください」と。しかし、なにも見ようとはしない意地悪な人たちにも、なにも見ることのできない馬鹿な人たちにもひとしく、こうした事柄は見えはしないのである。(サルヴィアッチ、ローマ、一八一九年七月二十三日)
三一
ある男が、自分より恋敵《こいがたき》のほうが愛されているのを発見したが、その恋敵は、すっかりのぼせていて、愛されていることに気づいていない、といった場面を私は目撃した。
三二
男が狂おしく愛していればいるだけ、愛する女を怒らせる危険をあえておかして、彼女の手を握るためには、それだけ大きな心の抑制が要る。
三三
滑稽な修辞法、しかし、真の情熱から生まれたルソーの場合とはちがった修辞法。ド・モーブルィユ氏の『回想録』、S〔ザンド〕の手紙。
三四 自然さ
今夜、私はある娘に、自然さの勝利を見た、あるいは見たと思った。じっさい、彼女はしっかりした性格を持っているようだ。彼女は従兄《いとこ》の一人を熱愛している。そのことは私の眼には明らかなことに思えるし、彼女も自分の気持ちがわかっていたにちがいない。従兄は彼女を愛しているのだが、彼女が彼に対して非常に生真面目なので、気にいられないのだと思い、メラニーの友人の若い未亡人のクララが彼に示す好意のしるしにひかれている。彼は近くクララと結婚することになろうと私は思っている。メラニーはそれを見、われにもなく激しい情熱にあふれた、誇りたかい心が耐えうるだけの苦しみを感じている。すこし態度を変えさえすればよいのに、彼女は一瞬たりとも「自然」さから離れるのは、生涯に悔いを残すことにもなる卑劣さと考えている。(ミラノ)
三五
サッフォが恋のうちに見たのは、もっぱら官能の陶酔、つまり結晶作用によって崇高化された肉体的快楽であった。アナクレオンはそこに官能と才智《エスプリ》の愉楽を求めた。古代には安全さがすくなく、そのため情熱恋愛をするいとまがなかったのである。
三六
ホメロスがタッソよりすぐれているなどと思っている人々を、すこしばかり笑ってやるためには、上述の事実だけで私にはことたりるのだ。情熱恋愛は、ホメロスの時代に、ギリシアからあまりほど遠くないところには存在したのである。
三七
あなたが熱愛している男性が、情熱恋愛であなたを愛しているかどうかを知りたがっておられる愛情ぶかい女性よ。あなたの恋人の若いころのことを調べてごらんなさい。すぐれた男はみな、人生の第一歩ではまず滑稽な熱狂家か不幸な人間だったのです。陽気でおだやかな態度で、安易な幸福に安んじている男は、あなたの心に必要な情熱で愛することはできないのです。
私が情熱と呼ぶのは、もっぱら長い不幸、小説が描くまいと大いに気をつけ、描こうとしても描くことの「できない」あの不幸によって試練をうけた情熱なのです。
三八
強い決意は、この上ない不幸をも、たちどころに耐えられる状態に変える。負けいくさの夜、一人の男が疲れきった馬にまたがって、一目散に逃げていく。追跡してくる騎兵隊のギャロップの音がはっきり聞こえる。突然彼は止まって馬からおり、騎兵銃とピストルの雷管をとりかえ、防戦する決意を固める。その瞬間、彼は死を見ず、思い描くのはレジヨン・ドヌール勲章である。
三九
イギリスの風習の根底。一七三〇年ごろ、すでにわが国において、ヴォルテールやフォントネルが出ていたとき、イギリスでは、打ったばかりの穀粒を、小さいわら屑《くず》から分離する機械が発明された。輪を使って空気を動かし、わらくずを吹きとばす仕掛であった。しかし「聖書的」なこの国の農民たちは、熱烈な祈りによって、麦を選びわけるのに必要な風を天に願わず、イスラエルの神によって定められた時期を待たないで、神聖な摂理の意志に逆らい、このように人工的な風を作りだすのは冒涜《ぼうとく》であると主張した。これをフランスの農民と比較せよ(*)。
(*)イギリスの風習の現状に関しては、一親友により書かれた『ビーティ氏の生涯』を参照。ヒュームを中傷するためにある老公爵夫人から十ギニ受け取ったビーティ氏の深い屈辱に教えられるところがあろう。おそれおののいた貴族階級は、年収二十万リーブルの司教たちにより、シェニエを誹謗するために似而《えせ》非自由主義の作家たちに金と尊敬とを支払っている。(『エディンバラ評論』一八二一年)。
きわめて嫌悪すべき偽善は、どこにでもしみとおっている。野生的で精力的な感情の描写でないものはみな、この偽善に窒息させられている。英語では愉快なことは一ページも書けない。
四〇
男が情熱恋愛におちいるのは、疑いもなく狂気の沙汰である。しかし、ときには薬がききすぎることもある。アメリカ合衆国の娘たちには合理的な考えがしみこみ、きたえられているので、恋愛という人生のこの花は、ここでは青春を見捨ててしまったのだ。ボストンでは若い娘を美男の外国人と二人だけにしておいても決してまちがいがない。彼女が考えているのは未来の持参金のことだけだと思ってもよろしい。
四一
フランスでは、妻をなくした男は悲しげだが、未亡人はそれに反して陽気でしあわせである。女性たちの間には、この身分の幸福について諺《ことわざ》があるくらいだ。してみれば、結婚契約には平等がないのである。
四二
恋をして幸福な人々はひどく注意ぶかい様子になるが、フランス人にとっては、これがひどく悲しげな様子にとれるのである。(ドレスデン、一八一八年)
四三
多くの人から好かれれば、それだけ好かれようは浅いのである。
四四
幼児期の模倣心によって、われわれは両親の情熱を身につける。こうした情熱がわれわれの生活を毒するときでさえそうなのだ(レオノールの自尊心)。
四五
「女の自尊心」で最も尊敬すべき源泉となるものは、なにか性急なふるまいや、女らしくないと思われる行動によって、恋人に見くだされはしないかという怖《おそ》れである。
四六
真の恋愛は死の観念を、よくある容易な、なにもおそれるにはあたらないものにする。単純な比較の対象とし、多くのものと取りかえてもよいものと思わせる。
四七
勇気を持っているとき、私はいく度このように叫んだことか。「だれかこの頭に一発ピストルをうちこんでくれれば、私は、息が絶える前に、もしその暇があるものなら、その男に感謝するんだが」と。愛する女に対して勇気を持てるのは、もっぱら愛することがすくなくなったときだけだ。(S.一八二〇年二月)
四八
「私にはもう恋ができないでしょう」と、ある若い女性が私に言った。「ミラボーと、彼がソフィーに宛てた手紙のせいで、私は偉大な人に嫌悪を感じるようになりました。あの宿命的な手紙は、私には個人的経験だというような気がしました」……小説のなかには決して見られないことを探しなさい。親しい間柄になるまでの二年間、心がわりしなければ、あなたの恋人の心は信じてもよいのです。
四九
「滑稽さ」は恋をおびえさせる。滑稽さはイタリアにあり得ない。ヴェネツィアでは上品とされることでも、ナポリでは風変わりだ。だから風変わりなことというものはないのである。それに楽しみを与えることで非難されるものはなにもない。これがつまらぬ名誉心と喜劇の半数を殺すのだ。
五〇
子供たちは涙で命令する。そして、聞いてもらえないと、自分をわざといためつける。若い女性は自尊心で自分を「傷つける」のだ。
五一
ありふれた考えであるが、そのためかえってつぎのことを忘れている。つまり、ものを感じる心の持主が日々まれになり、一方教養ある才智の持主が日々ふえていくということを。
五二
女性の自尊心
ボローニャ、四月十八日午前二時。
私はいましがた顕著な一例を検討したのだが、その正確な観念を与えるには、種々計算した結果、十五ページは必要だろう。もし私に勇気があれば、たしかに眼にしたことの結論だけをむしろ記したい。したがって、確信をもって、これを人に伝えることは思いきらねばならない。些細《ささい》な事情が多すぎるのだ。この自尊心は、フランスの虚栄心とは正反対である。私が記憶している限りでは、このことを素描したのはロラン夫人の『回想録』の一節だけで、彼女はそこで娘時代の些細な考えを語っているのである。
五三
フランスでは、たいていの女が、青年をきざな男に仕立てあげるまでは、てんで問題にしない。そのときになってはじめて、彼は虚栄心におもねることができるのである。(デュクロ)
五四
モデナ、一八二〇年。
愛すべきマルケジナR……公爵夫人の家で、チリエッチが真夜中に私に言った。「ぼくは明日、サン・ミケレ(宿屋の名)へ、君と夕食には行かないよ。昨日はすこししゃれを言い、Cl***とふざけちらしたんだ。それが人目をひいたかもしれないんでね」
チリエッチが馬鹿だとか臆病だとか思わないでいただきたい。彼はこの幸福な国の、用意周到な大金持の男なのだ。
五五
アメリカで賞《ほ》むべきものは、政府であって社会ではない。ほかの国では政府のほうが悪を行うのである。ボストンでは役割が反対である。そして、政府は社会を傷つけないため偽善者となる。
五六
イタリアの娘たちは、恋をすれば、まったく自然の感興の赴《おもむ》くままにふるまう。立聞きしておぼえたわずかばかりの、的《まと》を射た格言に、せいぜい助けを求めることができるだけだ。
ここでは、偶然、すべてが「自然さ」を保つために協力しているかのようだ。娘たちは小説を読まないが、ここには小説などないからだ。ジュネーブやフランスでは、これに反して小説を書くために十六で恋をし、そして一つの動作、一滴の涙のたびごとに、「わたし、ジュリー・デタンジュに似てないかしら」と自問する。
五七
恋人から熱愛されているが、彼にすげなくふるまい、手に接吻を許してやるのが関《せき》の山のある若い人妻がいる。彼女の夫は、この恋人がこの世で最も強い幸福の悦びと熱狂を感じるところに、せいぜい最も下等な肉体的快楽を感じるのみである。
五八
想像力の法則は、いまなお、あまりよく知られていないので、私はおよそつぎのような見解をとっているのであるが、これとて誤っているかもしれない。
私は想像力は二種類に区別できるように思う。
一 熱烈で、性急《せっかち》で、衝動的で、すぐさま行動にみちびく想像力。これはファビオの場合のように、ただの二十四時間待たされてもおのれをさいなみ、苦しめる。辛抱できないことがその第一の特徴で、得られないものに対して腹を立てる。外的な事物をすべて理解できるのであるが、それは想像力をますます燃えたたせるのみである。想像力はそれらを自分自身の実質に同化し、たちまち情熱に有利なように仕向けるのである。
二 すこしずつ、ゆっくりと燃えるだけであるが、時とともに外的な事物が見えなくなり、関心事は、もっぱらおのれの情熱のみであり、そのほかは身を養うことがなくなる想像力。この第二の想像力は思想の緩慢さや貧困とさえうまく適合するのである。これはいつまでも変わらない愛情をたすける。恋と結核とで死んで行く、あわれなドイツ娘の大部分が持っている想像力である。この悲しい光景は、ライン河の向こう岸ではよく見うけるのであるが、イタリアでは決して見かけることがない。
五九
想像力の習慣。あるフランス人は、悲劇の一幕ごとに八度も背景が変わると、「ほんとうに」気を悪くする。この男にとって、『マクベス』を見て楽しむことは不可能であり、シェークスピアを「罵倒《ばとう》して」みずからなぐさめている。
六〇
フランスでは、こと女に関するかぎり、地方はパリより四十年おくれている。C〔コルベーユ〕で、一人の既婚婦人が私に、自分はローザンの『回想録』は、ある部分だけしか読まないことにしていると言った。この愚かしさにはぞっとさせられる。こうした女には、なにも言いようがない。事実この本は、たしかに中途で投げ出したくなる本ではある。
自然さのないことが、地方の女の大きな欠点だ。彼女らのいんぎんないろいろの身ぶり、田舎町の名流婦人、これがいちばん仕末におえない。
六一
ゲーテあるいは、他のドイツの天才たちは、だれもが金銭をそれ相応に重んじている。年収が六千フランに充《み》たない限りは、財産のことだけを考えていればよいが、年収がそこに達したら、もう金のことなど考えない方がよい。愚物には、ゲーテのような感じ方や考え方がどんなにすぐれているかわからない。一生の間、ただ金をとおしてのみ感じ、金のことしか考えない。世間で、散文的な人間が気高い精神に勝っているように思えるのは、こうした二重投票の仕組みによるのだ。
六二
ヨーロッパでは、欲望は束縛によってあおられる。アメリカでは自由によって鈍らされる。
六三
ある種の討論癖が青年たちの心をとらえ、彼らは恋愛に没頭できなくなってしまった。ナポレオンがフランスにとって有益だったかどうかを検討しているうちに、恋する年頃をとり逃がしてしまう。気を若く持とうと思っている人々でさえ、ネクタイや、拍車や、軍人風を気どって、自分のことしか関心を持たないので、貧しいために週に一度しか外出が許されない娘が、飾りけのない様子をして通るのを見逃してしまう。
六四
私は「貞淑ぶる女」、その他数章を削除した。
さいわいにもホレース・ウォルポールの『回想録』につぎのような一節が見つかった。
「二人のエリザベス……二人の兇暴な男の娘である彼女たちを比較して、いずれが文明国の君主で、いずれが野蛮国の君主であったかを見よう。どちらもエリサベスといった。(ロシアの)ピョートルの娘は専制的であったが、なお競争者や敵を許した。その上彼女は、女帝という身分は肉体的交渉を持った臣下には、十分の魅力を保っていると考えていた。イギリスのエリザベスはメアリ・ステュアートの王位請求も魅力も許せなかったばかりか、メアリが保護を嘆願してきたときに(ジョージ四世がナポレオンにしたように)、狭量にもメアリを投獄し、また専制権も、決律の是認もなくして多くの人々を、自分の大小さまざまな嫉妬の犠牲とした。しかも、このエリザベスは純潔を誇っていた。それでいて年甲斐《としがい》もなく、男に賞めそやされようとして、滑稽な媚態《びたい》の限りをつくし、恋びとたちの気をそそりながらも、つねに距離をおき、自分の欲望も男たちの野心も満足させなかった。だれにしても、誠実で気持ちの大きい野蛮国の女王のほうを選ばずにいられまい」
六五
あまりに親しすぎると、結晶作用を破壊しかねない。十六歳のかわいい少女が、毎日、日暮れどきにきまって窓の下を通る同年の美少年を恋した。母親はその少年を招いて、一週間田舎で過ごさせる。思いきった療法だった。私もそれは認める。しかし少女は、小説的な魂を持ち、美少年のほうはいくらか平凡だった。少女は三日後に彼を軽蔑した。
六六
ボローニャ、一八一七年四月十七日。
アヴェ・マリア(薄暮=トワイライト)とともに、イタリアでは恋の時がくる、魂の喜びと憂愁の時が。あの美しい鐘の音によって、次第にましてくる感動。
ただ思い出によってのみ感覚に結びついている喜びの時。
六七
社交界へでたばかりの青年のはじめての恋は、ふつうは野心的な恋である。おとなしくてかわいい、うぶな娘に、想いを打ち明けるようなことはめったにない。そんな娘を前にしてどうしてふるえたり、崇拝したり、神々しいもののそばにいるような感じを持ったりできるだろうか。青年は、相手の女の美点によって自分が高められるのがわかるような女を恋することが必要である。崇高なものに絶望し、単純なもの、無邪気なものをさびしく愛するのは、人生も下り坂になってからのことである。この二つの時期の間に、ただひたすら恋そのものしか考えない真の恋愛がある。
六八
偉大な魂をうかがい知ることはできない。それはかくれており、たいていすこしばかり、個性があるにすぎない。偉大な魂は考えられるより多い。
六九
はじめて愛する女の手をにぎるのはなんという瞬間であろう。これにくらべられる唯一の幸福は、大臣や国王が軽蔑をよそおっている権力の魅惑的な幸福である。この幸福もまた「結晶作用」を持っているが、このほうはいっそう冷静で理知的な想像力を必要とする。十五分前にナポレオンから大臣に任命された男を考えてみるがよい。
七〇
自然は北方に力を、南方に才智を与えた、とかの高名なヨハネス・フォン・ミュラーが一八〇八年カッセルで私に言った。
七一
「召使いにとっては、どんな人でも英雄ではない」という格言ほど誤ったものはない。もっとも「君主的」観点からは、この格言ほど真実なものはない。すなわち『フェードル』のイポリットのような気取った英雄の場合がそうだ。たとえばドゥゼは、召使いにとってさえ英雄であったろうし(ただし、彼が召使いをかかえていたかどうか知らないが)、他のだれよりも召使いにとってのほうが英雄であったかもしれない。テュレンヌやフェヌロンも、あの上品さや免れがたいあの滑稽味さえなかったら、ドゥゼのごとき人物になりえたのであるが。
七二
つぎのような冒涜的《ぼうとくてき》言葉がある。「私はオランダ人としてあえて申し上げる……フランス人は、会話の真の快楽も、観劇の真の快楽も味わっていない。会話は、息ぬきでも、完全な気随気侭《きずいきまま》でもなくて仕事である」。スタール夫人の死期を早めたさまざまな疲労のうちに、彼女が最後の冬の間にした会話の仕事も数えられるという話を私は聞いたことがある。
七三
一つ一つの音符を聴くために聴神経が緊張する度合、これは音楽の快感の肉体的部分をかなりよく説明している。
七四
浮気女の品位を落とすもの、それは彼女たちが大きな過失を犯していると自分で思いこみ、また人もそう考えることである。
七五
軍隊で、退却の際、イタリアの兵士に、あえて冒す必要のない危険を注意してみたまえ。彼はあなたに感謝せんばかりにして注意深くその危険を避ける。同じ危険を人情からフランスの兵士に教えてみたまえ。彼はあなたにみくびられたのだと思い、自尊心に「駆られて」、ただちにその危険に身をさらす。万一それをやりとげでもしようものなら、彼はあなたを軽蔑しようとするであろう。(ジアット、一八一二年)
七六
きわめて有益などんな思想であっても、ごく簡単な言葉だけで表現できないならば、フランスでは必ず軽蔑される。「相互教育」なるものもフランス人が考えだしたのであったら、けっして成功しなかったであろう。イタリアではまさにこの反対である。
七七
あなたがある女に、少しでも情熱を抱き、またあなたの想像力が枯渇《こかつ》していないならば、彼女が、ある晩、ぎこちなく、情愛のこもった、どぎまぎした様子で、「よくってよ、そうね、あしたのお昼にいらしてちょうだい、どなたもお招《よ》びしませんから」と言ってくれようものなら、あなたはもう眠れず、もはやなにも考えられない。午前中は責苦だ。ついにその時刻が鳴る。大時計の音の一つ一つが横隔膜に鳴り響くようだ。
七八
恋愛では、金を「分けあう」と愛を増す。これを「与える」と愛を殺す。
人は現在の不幸を遠ざけ、将来のためには、困窮をおそれる、いやな気持ちを遠ざける。あるいは、人は「策略」と、二人は一緒だという気持ちを生ぜしめ、共感を破壊してしまう。
七九
(チュイルリー宮のミサ、一八一一年)
胸も露《あら》わな女たちのいる宮廷の儀式。彼女たちは士官が制服をみせびらかすように、露わな胸をみせびらかすが、多くの魅力が感動を増すわけではない。こういった宮廷の儀式は知らず知らずアレチーノの場面を思い起こさせずにはおかない。
だれもかれもが一人の男の気に入ろうと金銭的利害からやっているのが見られるし、そこにいるみんなが、道義心もなく、ことに情熱もなく行動しているのがわかる。かてて加えて、肩も露わな女たちは意地悪な表情をし、結構な享楽でもって、すぐにも報いられる個人的利益以外は、なんに対しても冷笑することになる。これは温泉場の光景を思わせ、美徳に、あるいは満ち足りた魂の内的満足にもとづくいかなる困難な行為をも、きっぱりと撥《は》ねのけさせる。
すべてこうした中にあって、孤立感が、情愛深い心の人々を恋に走らせるのを私は見た。
八〇
はにかんだり、それを克服したりするのに気をとられると、快楽を味わうことができない。快楽というのは一種のぜいたくである。これを享楽するためには、それに必要な安全感がどんな危険にもさらされるようなことがあってはならない。
八一
欲得ずくの女たちも、恋のしるしをよそおうことはできない。和解にほんとうの喜びがあるのだろうか?それとも、そこから引き出しうる利益を考えているのだろうか?
八二
トラピスト修道院に充満しているあわれな人々は、自殺するだけの勇気がまったくなかった不幸な人たちである。例の通り院長たちは除いての話だ。長は長たるの快楽を味わっているのだから。
八三
イタリア美人を識ったことは不幸である。他国の美人たちには無感覚になってしまうから。イタリア以外のところでは男同士の会話の方が好ましいものとなる。
八四
イタリア人の慎重さはおのれの生命を守ろうとするにあるから、想像力の働く余地がある。(一八二一年十二月二十四日、有名な喜劇俳優ペルチカの死の話を参照)イギリス人の慎重さは、支出をまかなえるだけの金を集めたり、貯えたりすることに関するものだから、イタリア人とは反対に、毎日毎日の細々した正確さを要求し、この習慣が想像力を麻痺《まひ》させる。注意すべきは、これが同時に「義務」の観念に最大の力を与えていることである。
八五
金銭に対する限りない尊敬は、イギリス人とイタリア人の最大の欠点であるが、フランスではそれほど目立たない。ドイツではまったく適当な程度に限られている。
八六
フランスの女たちは、「真の」情熱の幸福をまるきり知らないので、家庭内の幸福とか、「毎日の」生活について、あまり気むずかしいことは言わない。(コンピエーニュ)
八七
「君は野心を退屈しのぎみたいに言うね」とカメンスキーは言ったものだ。「毎晩コリックまで、公爵夫人に会いに行くため、八キロの道を馬をとばしていたころ、ぼくはしょっちゅう、尊敬している専制君主と親しい関係にあったし、ぼくの幸福のすべて、ありとあらゆる欲望の満足が、その人の掌中にあったのだ」(ヴィルナ、一八一二年)
八八
処世術や身だしなみについてのこまごました心遣いの完璧さ、非常なる善良さ、天才の欠除、百ほどもある日々の雑事に対する注意、同じ出来事に三日以上没頭することができないこと。これとみごとに対照的な、清教徒的厳格さ、聖書的残酷さ、厳しい誠実さ、臆病でかつ苦悩せる自尊心、普遍的な cant〔偽善的な気取り〕。だが、これこそ世界で第一等の二つの国民なのだ!
八九
王族の女たちの間には女王エカテリーナ二世のような女がいたのだから、どうしてブルジョア階級の女の間から、女のサミュエル・ベルナールやラグランジュが出ないのであろうか?
九〇
アルヴィツァは、諸君の熱愛する女が諸君を優しくみつめながら、「あたくしがあなたを愛することはけっしてないでしょう」と言っているのに、その女にあえて何通も手紙を書いて、恋を語ったりすることを、許すべからざるデリカシーの欠如と呼んでいる。
九一
どこかアルプスの山中で孤独で隔絶した暮らしをして、自らはけっしてパリに現われず、そこから著書だけをパリへ送るということ、これはフランスが生んだ最大の哲学者にもなし得ないことであった。エルヴェシウスがあれほどに単純、かつ誠実な人物であるのを見て、シュアール、マルモンテル、ディドロのようなきざな気取った連中には、これこそが大哲学者であるとは思いも及ばなかった。彼らが、エルヴェシウスの深遠な理性を軽蔑したのも善意からだった。まず第一に、この理性は単純であったが、フランスでは許しがたい罪である。第二にこの人物……著書ではなく……は、一つの弱点のために低く評価された。すなわち彼はフランスで栄光と呼ばれているものを獲得して、バルザック、ヴォアテュール、フォントゥネルのように時代の流行児となることを極度に重要視していたのである。
ルソーは感受性が強すぎて理性が足らなさすぎ、ビュフォンは自分の植物園に対する偽善が多すぎ、ヴォアテュールは頭脳に稚気《ちき》がありすぎたため、エルヴェシウスの原理を判断することができなかった。
この哲学者がその原理に「快楽」という美しい名を与えないで、「利益」と呼んだのは、すこし不手際であった。しかし、かかるささいな過失のために判断を誤った、全文学界の良識をいったいどう考えるべきであろうか?
ふつうの精神の持主が、たとえばサヴォワ公ウージェーヌがレグルスの立場にあったとしたら、平然とローマにとどまって、そこでカルタゴの元老院の愚劣さを嘲笑しさえしたであろう。レグルスはカルタゴへ帰った。ウージェーヌ公も、まさにレグルスと同じように、自己の「利益」を追求したのであろう。
人生のほとんどすべての事件において、高潔な魂は、平凡な魂が思いもつかぬ行動の可能性を見てとる。この行動の可能性が高潔な魂の眼にはいった瞬間、これを実行することが「彼の利益」なのである。
自分がいましがた見たこの行動を、実行に移さなかったとしたら、高潔な魂は自己を軽蔑することになろうし、不幸におちいるであろう。人は、その精神の大いさに応じて義務を有するのである。エルヴェシウスの原理は、恋の最も狂おしい高揚状態においてさえも、自殺においてさえも、真実である。人間が、そのとき可能であり、かつ自分に最大の快楽となることを、必ずしも実行しない、望む瞬間にさえ実行しないということは、その本性に反することであり、また不可能なことである。
九二
堅固なる性格を持つとは、自己に対する他人の影響を経験したことを意味する。したがって他人が必要である。
九三 古代の恋
ローマの貴婦人が遺《のこ》した恋文は一つとして印刷されなかった。ペトロニウスは魅力的な一書を著わしたが、彼は遊蕩《ゆうとう》しか描かなかった。
ローマの恋愛に関しては、ウェルギリウスのディドーと田園詩集第二歌のあとでは、オウィディウス、ティブルス、プロペルティウスの三大詩人の著作ほど正確なものはない。
一方、パルニーの悲歌、あるいはエロイーズのアベラールへの手紙やコラルドーの手紙は、『新エロイーズ』のなかの幾通かの手紙、ポルトガル尼僧の手紙、レスピナス嬢の手紙、ミラボーの恋人ソフィーの手紙、ウェルテルの手紙等々と比べると、はるかに不完全で漠然とした描写である。
詩は、やむを得ず使う比喩や、詩人が信じてもいない神話、ルイ十四世風の荘重な文体、詩的と称されるいっさいの装飾などのために、心の動きの明晰《めいせき》で正確な概念をさずけるという点となると、散文にはるかにおよばない。ところで、このジャンルにおいては、明晰でなければ人を感動させることはできないのである。
ティブルス、オウィディウス、プロペルティウスは、わが国の詩人たちよりもよい趣味を持っていた。彼らは恋を、誇り高いローマ市民の間に存在しえた通りに描いた。しかも彼らは、かのアウグストゥス、ヤヌスの神殿を閉ざした上に、市民を君主国の忠良なる臣民の地位におとそうとつとめた、かのアウグストゥスの治世下に生きていたのである。
この三大詩人の情婦たちは、コケットで不貞で金次第で動く女たちであった。彼らは女たちのもとで肉体的快楽しか求めなかった。思うに、十三世紀後になって、あの愛情の深いエロイーズの胸をおののかせた崇高な感情などは、彼らの考えも及ばないことであったろう。
以下の文章はラテン詩人について私なぞよりはるかにくわしいある文学者から借用した。
「オウィディウスの輝かしい天才、プロペルティウスの豊かな想像力、ティブルスの感受性の鋭い魂は、たしかに彼らにニュアンスの異なった詩の霊感を得させた。しかし、彼らはほとんど同じ種類の女を同じやり方で愛したのである。彼らは欲し、思いをとげ、幾人かの幸運な恋敵《こいがたき》がいて、嫉妬し、喧嘩し、仲直りした。今度は彼らのほうで浮気をし、女がゆるし、再び幸福をとりもどすが、すぐ同じような機会がめぐってきてこの幸福もかき乱される。
コリンナは人妻である。オウィディウスが彼女にさずける最初の教えは、いかなる策略を使って彼女の夫をあざむくべきか、夫の前や人前で、彼ら二人に通じ、かつ二人だけにしか通じないように、いかなる合図をかわすべきかを教えることであった。快楽がすぐやってくる。やがて喧嘩、それからオウィディウスほどの粋人には考えられぬことであるが、罵詈雑言《ばりぞうごん》、打擲《ちょうちゃく》、ついで謝罪、涙、許し。ときには彼は歌いかける、目下の者たちに、召使いたちに、夜、戸をあけてもらうために、女の家の門番に、彼女を堕落させた因業婆《いんごうばばあ》、彼女を監視している老|宦官《かんがん》に、金づくで身を任せよと、彼女に教える因業婆に、あいびきを求める書簡板を女に手渡してくれるよう若い女奴隷に。あいびぎを拒まれると、不成功だった書簡板を呪《のろ》う。うまく手に入れると、自分の幸福をじゃましにやってこないよう、曙《あけぼの》の女神に歌いかける。
やがて彼は、自分の数々の浮気や、女とみればだれかれの別なく惚れこんでしまうことで自分を責める。一瞬後にはコリンナもまた浮気をしている。彼は、自分が彼女に与えた教訓を、彼女が他の男のために利用しているのだと考えて耐えられなくなる。今度はコリンナが嫉妬する番だ。彼女は愛情の深い女から怒った女に変わる。彼が若い女奴隷を愛していると言って責める。彼は根も歯もないことだと誓いながら、この女奴隷に恋文を書く。コリンナを怒らせたことはみな事実であったのだ。どうやって彼女は知ることができたのか? どんな手がかりから漏《も》れたのか? 彼は女奴隷にあらためて、あいびきを申し込む。彼女が拒めば、万事コリンナに打ち明けるぞといって脅《おど》かす。彼は、この二つの恋について、これらの恋から受ける苦しみや楽しみについて、友人と冗談口をたたく。そのすぐ後で彼の心を占めるのは、コリンナだけとなる。彼女はすっかり彼のものになる。彼は、これがまるで最初の勝利ででもあるかのように、その輝かしい成功を歌う。それから幾つかの事件があるが、これらは、一つならずの理由から、オウィディウスの原本を読んでいただくほかはないし、その他の事件もここに書き留めるには長すぎるといえよう。こういった幾多の事件があった後で、コリンナの夫があまりにのんきにすぎるということになる。彼はもはや嫉妬しないのである。このことが情夫オウィディウスの気に入らず、もう一度嫉妬心を起こさないとお前の女房を捨てるぞと言って夫を脅迫する。夫は彼の言うことに従順すぎて、嫉妬を起こす。夫がコリンナを厳重に監視させたので、オウィディウスはもはや彼女に近づくことができない。彼は自分で招いたこの監視を嘆くが、これも巧みにごまかすことができるようになるだろう。不幸にしてこれに成功するのは彼一人ではない。コリンナの浮気がまたはじまり、ひどくなるばかりである。その色事がきわめて大っぴらになったので、オウィディウスが彼女に求めたただ一つのお情《なさけ》は、自分をだますにしても多少の苦心は払ってもらいたい、見せつけるのも、もう少しあからさまではなくしてほしいというのであった。オウィディウスとその情婦の行状は以上の通りであったし、彼らの恋愛の特徴も以上のごとくである。
キュンティアはプロペルティウスの最初の恋人であり、かつ最後の恋人となるであろう。彼は幸福になるとすぐに嫉妬しはじめる。キュンティアはひどく派手好きだった。彼は贅沢をさけ、質素を愛してくれとたのむ。彼自身はといえば、酒色に溺れている。キュンティアが待っているのに、朝方になって、やっと彼女のもとにもどってくる、宴席を離れたばかりで、酔っぱらっている。彼が帰ってみると彼女は眠っている。いくら物音をたてても、愛撫しても、なかなか目がさめない。とうとう彼女が目をさまして当然ながら彼に非難を浴びせかける。一人の友人が彼をキュンティアから引き離そうとする。彼は、この友人に、彼女の美と才能をほめ称《たた》えてきかせる。彼はいまにも彼女に逃げられそうになる。彼女はある軍人と出奔《しゅっぽん》する。彼女は、戦場にもついて行き、この軍人について行くためには、どんな危険にも身をさらす。プロペルティウスはすこしも怒らない、彼は泣いて、彼女が幸福であれかしと祈る。女の去って行った家から一歩も出ず、彼女に会ったとかいう他国の者に会いに行き、キュンティアのことをたずねることをやめない。彼女は、これほどまでの愛に動かされ、軍人と別れて詩人のもとにとどまる。彼はアポロとミューズたちに感謝し、自分の幸福に酔う。この幸福もやがて新しい嫉妬の発作でかき乱され、また離れたり留守したりで中断される。キュンティアと離れていても、彼は彼女のことだけに心を奪われている。彼女の過去の浮気が、彼に、新しい浮気を心配させる。彼は死もおそれない。ただキュンティアを失いはしないかとそれだけを心配する。彼女が彼に対して貞淑であることを確信できるなら、彼は後髪《うしろがみ》をひかれることなく、死んでゆくことができるであろう。
新たに幾度か裏切られて、彼は恋から醒《さ》め得たと思い込むが、やがてまた恋の鉄鎖につながれる。自分の情婦の美しさ、着飾った姿のあでやかさ、歌や詩や舞踊の才能などについてこの上なくほれぼれするような恋人の肖像を作り上げる。いっさいが彼の恋心をつのらせ、かつ正当化する。しかしキュンティアは、かわいい女ではあるが同時に堕落した女でもあり、あまりにも華々しい情事で町じゅうに恥をさらすので、プロペルティウスはもはや彼女を愛するにも恥じ入らねばならない。彼はそのために赤面するが、女から離れることができない。彼はこれからのちも彼女の恋人であり夫であるだろう。キュンティア以外の女を決して愛さないだろう。彼らは別れ、またいっしょになる。キュンティアは嫉妬するが、彼は彼女を安心させる。けっして他の女を愛さないと彼は言う。実際のところは、彼が愛しているのは決してただ一人の女なぞではなかった。すべての女であった。何人手に入れても、十分というわけではなかった。快楽について飽くことを知らない。彼に反省させるためにキュンティアは、また彼を捨てねばならない。すると彼は大いに嘆き、まるで彼のほうは、一度も浮気などしたことがないみたいである。彼は逃げだしたいと思う。放蕩《ほうとう》で気をまぎらす。例のごとく、酔っぱらう。愛の神の一隊に出会い、キュンティアの足もとにまで連れもどされたというふりをする。仲直りにまた新しい嵐が続く。キュンティアはある日の夕食のときに、彼と同じく酔っぱらい、食卓をひっくり返し、彼の頭に盃を投げつける。彼はこれをかわいいと思う。とうとう新しい不実が彼に鎖をたちきることを強いる。彼は出発したいと思う。ギリシアを旅行しようとする。彼は旅行のプランをすべてたてるが、この計画を断念する。これがまた彼女の新たな侮辱のたねとなってしまう。キュンティアは、彼を裏切るばかりでなく、恋敵《こいがたき》どもの笑い草にする。が、彼女はふとした病気に罹《かか》り、死ぬ。彼女は、彼の浮気や出来心、今わの際《きわ》にのぞんで自分を見捨てたままにしたことを責め、彼女自身は上面《うわべ》はどう見えようと、つねに彼に忠実であったと誓う。これがプロペルティウスとその情婦の行状と情事であり、彼らの恋物語の荒筋である。プロペルティウスのような魂が愛せずにはいられなかったのは、こういう女なのである。
オウィディウスもプロペルティウスも、よく浮気をした。が、けっして心変わりはしなかった。二人とも律儀《りちぎ》な放蕩者で、とかくあちこちの女に忠誠を誓いはするが、いつも元の鞘《さや》に納まる。コリンナとキュンティアはすべての女が恋敵であったわけで、特別にどの女が恋敵であるいうことはまったくなかった。たといこの二人の詩人の恋が忠実ではなかったとしても、|詩の女神《ミューズ》としては忠実であって、コリンナとキュンティア以外の名は、一つとして彼らの詩句には現われていない。ティブルスは、彼ら二人より情愛の深い恋人であり詩人であって、好みにおいて彼らほど生き生きとしてもいず、荒々しくもないが、彼らほど心が不変ではなかった。三人の美女が次々と彼の恋と詩の対象となる。デリアが最初の女で、最も有名で、いちばん愛されてもいた。ティブルスは財産を失ったが、まだ田園とデリアが残っていた。田園の平和のうちに彼女を所有すること、臨終の際に彼女の手を握りしめることが可能であること、彼女が泣きながら自分の葬列につき従ってくれること、これよりほかになんの望みとてなかった。デリアは嫉妬ぶかい夫に幽閉されていた。彼は、|百眼の巨人《アルゴス》たちや三重の閂《かんぬき》をものともせず、彼女の監禁場所に忍び込んで行き、その腕の中ですべてを忘れる。彼は病気になる。思うのはただひとりデリアのことばかりである。彼は彼女に対し、つねに操を守り、金を軽蔑し、彼が彼女から得たものは彼にのみ許してくれるように頼む。しかしデリアはこの忠告に少しも従わない。彼は女の浮気を我慢できると信じていたが、耐えきれずに、デリアとヴェヌスに憐れみを乞う。酒に心の痛手をいやそうとするがだめである。悲嘆の念を和らげることも、恋わずらいをいやすこともできない。彼は自分と同様だまされているデリアの夫に訴える。彼女が恋人を誘惑したり逢引《あいびき》したりするために使う手管《てくだ》をすっかり夫にあばいてしまう。もし夫のほうが彼女を守ることができないなら自分に任せるがいい。自分なら巧みに彼女の恋人たちを退け、自分たち二人の名誉を毀損《きそん》する女を彼らの罠から守ることができるだろう。彼の気はしずまり、彼女のもとに帰って行く。彼は以前二人の恋を助けてくれたデリアの母親のことを思いだす。この善良な女の思い出が彼の心にやさしい気持ちを新たにさせ、デリアの過《あやま》ちは全部水に流してしまう。しかし、彼女はやがて、もっとひどい過ちをおかす。金と贈り物で心が腐ってしまい、男から男へと移って行く。ティブルスはついにこの恥ずべき鎖を断ち切り、彼女に永遠の別れを告げる。
ついで彼はネメシスの言いなりになる男となるが、そのために前より幸福だというわけではない。彼女は金しか愛さない、詩や天才などはほとんど意に介さない。ネメシスはいちばん金を出す男に身を任せる貪欲《どんよく》な女である。彼はその貪欲さをのろう。しかし彼女を愛しており、彼女から愛されないでは生きていけない。彼は心を動かす映像《イメージ》で彼女を感動させようとする。彼女は妹を亡くした。彼はその墓にいって泣き、自分の悲しみを物言わぬ灰に打ち明けるだろう。ネメシスの妹の死霊は、ネメシスが彼に流させる涙を怒るだろう。ネメシスが死霊の怒りをないがしろにすることがないように、妹の悲しい姿《イメージ》が夜ごと彼女の眠りをかき乱しにくるかもしれない……。だがこの悲しい思い出はネメシスに涙をおさえさせる。彼もこんなにまでして幸福をあがなおうとは少しも望まない。ネエラは彼の三番目の恋人である。彼は長い間彼女の愛を楽しんだ。彼が神々に願うのはただ彼女とともに暮らし、共に死ぬことだけであった。だが、彼女は出て行き、そのまま帰ってこない。彼は彼女のことしか考えられない。神々に祈るのは彼女のことばかり。彼は夢にアポロを見た。アポロはネエラが彼を捨てると告げた。彼はこの夢を信じまいとする。そんな不幸にあえば生きていられはしまい。しかしながらその不幸は事実だったのだ。ネエラは浮気であり、彼はまたまた女に捨てられたのである。以上がティブルスの性格と運命であり、彼の恋のかなり悲しい三つの物語である。
甘い憂愁が主調となって、かつそれが快楽にさえも夢想と悲哀の色調を与えて魅惑的なものとしているのは、特に彼ティブルスにおいてである。恋愛に道徳を加味した古代詩人があったとすれば、それはティブルスであった。しかし彼がかくも巧みに表現しているこうした感情のニュアンスも、「彼のうちにある」のであって、彼とても他の二詩人と同様に、それを恋人たちのなかに求めたり、生ぜしめたりすることなどは思いもよらなかった。恋人たちの優雅さ、彼女らの美だけが、彼を燃えたたせるものなのである。恋人たちの情愛こそ、彼が渇望《かつぼう》し、あるいは愛惜《あいせき》したものである。恋人たちの不実や、彼女らが金銭次第で動くこと、彼女たちに見棄てられてしまうこと、これらのことが彼を苦しみ悩ませた。この三大詩人の詩句によって有名になった女たちのなかでは、キュンティアが最も愛すべき女だったように思われる。彼女にあっては才能の魅力が他のあらゆる魅力と結びついていた。彼女は詩も歌も善《よ》くした。しかしこういった才能はすべて、ある種の娼婦にしばしば見られるものであって、そのために彼女の値うちが上がるわけではない。快楽と金貨と酒がやはり彼女を支配していた。それにプロペルティウスも、彼女の持っているこの芸術に対する愛を一、二度だけ賞めたたえているにすぎず、彼女に対する情熱は、まったく別の力によってやはり支配されていたのである。」
これらの大詩人たちは、明らかに、彼らの世紀で最も優しく、最も繊細な魂を持った人々の中に数えられるのであった。しかしながら、彼らがどんな女を愛し、どんなふうに愛したかは以上述べた通りである。ここでは文学的評価はまったく除外せねばならない。私は彼らに、ただ彼らの世紀に関する証言を求めるにすぎない。いまから二千年たてばデュクレ‐デュミニルの長編小説も現代風俗の一証言と化することであろう。
九四
私がはなはだ残念に思っていることのひとつは、一七六〇年のヴェネツィアを見られなかったことである。明らかに、一連の幸運な偶然によって、この狭い空間に、人間の幸福にとって最も好都合な政治制度と世論とが集まっていたのである。甘美な逸楽が万人に気楽な幸福を与えていた。内乱も犯罪もまったくなかった。どんな人の顔にも平安がただよい、だれも実際以上に金持に見られようとも思わず、偽善はなんの効果をあげもしなかった。思うにこれは一八二二年のロンドンの反対であったのにちがいない。
九五
個人的安全の欠如を、金銭の欠如というもっともな不安でおきかえてみるならば、アメリカ合衆国が、われわれが個別的研究を試みている情熱との関係において、古代に大いに似ていることに気づかれるであろう。
古代人がのこした情熱恋愛に関する多少不完全な素描について語ったとき、私は、『アルゴ船航海記』におけるメデイアの恋を忘れていたのに気がついた。ウェルギリウスはディドーにおいてこの恋を模写した。これと、現代小説、たとえば『キレリーヌの長老』の中にあるような恋とを比較していただきたい。
九六
ローマ人は、自然の美や芸術の美を、力強さ、深さ、驚くべき正しさでもって感じとる。だが彼らがあれほどはげしく感じているものについて、いざ理論づけをしようとすると、あわれみを催させる態《てい》のものとなる。
これはおそらく、感情はローマ人の本性に由来するが、その論理は政体に由来するからであろう。
美術が、イタリア以外の国では、駄洒落《だじゃれ》以外のなにものでもない理由が、これでただちに了解される。美術を論じるにかけては、イタリア人より上手なのであるが、民衆は感じとれないのである。
九七
ロンドン、一八二一年十一月二十日。
ある非常に物のわかった男が、昨日マドラスから帰着して、二時間ばかり話してくれたことを、つぎに二十行ほどに要約すると……
原因不明のままイギリス人の性格の上にのしかかっているあの「陰鬱《いんうつ》さ」は、心の中にきわめて深く浸透しているので、世界の果てのマドラスでも、イギリス人は何日間か休暇がとれると、すぐさま裕福で繁華なマドラスを去って、仏領ポンディシェリの小さな町へきて憂《う》さ晴らしをする。この町は富裕ではなく、商業もないも同然だが、デュピュイ氏の慈父のごとき統治のおかげで栄えている。マドラスでは一瓶三十六フランもするブルゴーニュ産ブドウ酒を飲んでいる。一方、ポンディシェリのフランス人は貧乏なので一番上流の社会でも清涼飲料水は、大きなコップの水なのである。ただそこには笑いがある。……
現在イギリスにはプロシアより多くの自由がある。その気候はケーニヒスベルク、ベルリン、ワルシャワと同じであるが、これら都市のほうは陰鬱さの印象とは程遠い。そこでは労働者階級はイギリスほど安全保障を獲得していないし、酒もまったく同じく少ししか飲まない。身なりはイギリスよりもはるかに悪い。
ヴェネツィアやウィーンの貴族階級は陰鬱ではない。
私の見るところ違いはただ一つ。陽気な国々では、聖書がほとんど読まれず、情事があることだ。私が、自分で疑ってもいる証明に度々たちもどることをお許し願いたい。上に挙げたような趣旨の事実はたくさんあるが省略する。
九八
私はいましがた、パリの近くのあるりっぱな城館《シャトー》で、たいへんな美男できわめて才気があり、また大金持でもある二十歳前の青年に会ってきたところだ。彼はたまたまそこで十八歳の、これまた非常に美しい、種々の才能に富み、この上なく優れた才智に恵まれ、やはり大金持の娘と、ほとんど二人きりで長い間暮らすことになったのだ。情熱が生まれるのをだれが期待しないでいられたろうか? ところが、ぜんぜんその気配はなかった。この二人の美男美女は大の気取り屋だったので、銘々《めいめい》が自分のことしか、また自分が相手に及ぼすべき効果のことしか、念頭になかったからである。
九九
偉大な行為をなしとげたつぎの日から、乱暴な自尊心が、この国民をつぎつぎと起こる、あらゆる過誤と愚行に陥れたことを、私も認める。にもかかわらず、私がかつて、この中世の代表者に与えた数々の称讃の言葉を取り消さないのは、つぎの理由があるからだ。
ナルボンヌきっての美人は、二十歳になるかならずの若いスペイン女だが、彼女は、やはりスペイン人の退役将校である夫と共に当地でまったくひっそりと暮らしている。しばらく前のこと、この将校が、あるきざな男に、平手打ちをくわさずにはおられぬ破目となった。翌日、決闘場で、この男はかの若いスペイン女がやってくるのを見た。そこで、またまた気取った言葉がぽんぽんととびだしてくる。「いやいや、ほんとうのところ弱りましたね。なんだって奥さんに、この件をしゃべっちまったんです? 奥さんがわれわれの決闘をとめにこられたじゃありませんか」
「わたくし、あなたのお葬《とむら》いをしに参りましたの」と、この若いスペイン女は答えたものだ。
なにごとであれ妻にすべてを話せる夫は幸福なるかな。結果は、この誇り高い言葉を裏切らなかった。こうした行為は、イギリスであったら、あまり賞められたものとはみなされなかったであろう。だから、偽りの礼儀が、この世にほとんど存在しない幸福を、さらに少なくさせているのである。
一〇〇
愛すべきドネザンが昨日言っていた。「私の若いころには、いや一七八九年に私は五十歳だったから、私が世の中に出る前までは、女たちは髪に粉をつけていたものだ。打ち明けての話、髪粉をつけていない女を見ると、嫌悪の念を催すね。その第一印象ときたらいつも、お化粧する暇もなかった小間使いの感じといったところさ」
以上が、シェークスピアに反対し、三一致《トロワ・ジュニテ》の法則を支持する唯一の根拠なのだ。
若い人たちはラ・アルプしか読まないから、故王妃マリ・アントワネットがつけていたような粉をふった大きな前髪の趣味は、まだ数年つづくかもしれない。私はコレッジョやミケランジェロを軽蔑する人たちをも知っている。だがたしかに、ドネザン氏は非常に才智のある男ではあった。
一〇一
冷静で、大胆で、打算的で、猜疑心に富み、議論好きで、誰かに感激してもその人が陰で自分を嘲笑しているかもしれないとつねにおそれ、熱中することなど絶対になく、ナポレオンに従って大事件を目撃した人々をわずかながら嫉妬している……これが愛すべきといわんより、尊敬すべき、あの時期の青年たちであった。この青年たちは政府を必然的に左翼中央派に堕落させた。この青年たちの性格は徴募兵の間にまで認められ、各人は兵役期間が終わることだけを熱望しているのだ。
教育というものはすべて、計画的なものであれ、無方針なものであれ、人生のある時期を目標として人間をつくるものである。ルイ十五世時代の教育は生徒の一生の最も美しい時期を二十五歳としていた。
当時の青年がいちばんりっぱになるのは四十歳のときであろう。そのころには彼らは猜疑心と気取りを捨てて、自在さと陽気さを獲得していよう。
一〇二
誠実な人とアカデミー会員の議論
「アカデミー会員とのこうした議論では、アカデミー会員は、つねに細々《こまごま》とした日付や、それに類するさして重要でない相手の誤りをあげつらって身をかわした。しかし、物事の結論や自然の判断に至っては、つねに否定するか、理解しないふうをしていた。たとえば、ネロは残虐な皇帝であったか、シャルル二世は偽誓者であったか、といったようなことだ。ところで、このような問題をどうして証明するのか。たとえ証明するにしても、一般的議論を中止せずにどうしてその筋道を見失わないですまされようか。
私はこういった人々の間で、この種の議論がかわされるのを見てきた。一方がもっぱら真理と、真理における前進とを求めれば、他方は首領や党派の恩顧と、巧妙な弁舌の栄誉とを求めている。誠実な人たちがこんなアカデミー会員と立ち止まって話しあうのは、たいへんな欺瞞《ぎまん》だし、時間の浪費だと私は思う」(ギ・アラール・ド・ヴォワロンの戯作)
一〇三
幸福になる術のなかで、精密な科学たりうるもの、世紀ごとに一段ずつ登っていけると確信できる梯子《はしご》のようなものは、そのうちのごくわずかな部分にすぎない。すなわち政府に依存する部分である(その上、これは、一個の理論でしかない。私は一七七〇年のヴェネツィア市民は、今日のフィラデルフィアの住民よりも幸福だったと見るものである)。
しかも、幸福になる術は詩に似ている。万事において完璧なるにもかかわらず、二七〇〇年前のホメロスの方がバイロン卿よりも才能があった。
私はプルタルコスを熟読して、ディオン時代のシチリアは、印刷術も、よく冷えたポンスもなかったが、人々が、今日のわれわれが幸福たりうる以上に、幸福であったことがわかるように思う。
私は、十九世紀のフランス人たるよりも、五世紀のアラビア人であリたい。
一〇四
人々が劇場に行って求めるものは、あの一瞬ごとに生まれては消えるイリュージョンではけっしてない。自分はむろん、ラ・アルプを読んでいる、自分は趣味人だ、ということを隣の男に、惜しむらくは隣にだれもいない場合はせめて自分自身に証《あかし》する機会を求めに行くのである。今では青年がこの楽しみにふけっているが、これはもともと年老いた衒学者《げんがくしゃ》の楽しみなのだ。
一〇五
女は当然、自分を愛し、自分が「いのち以上に」愛している男のものである。
一〇六
結晶作用は、人まねばかりする男によっては起こりえない。ライバルにとって最も危険なのは、もっとも変わったところのある男だ。
一〇七
高度に進歩した社会では、「情熱恋愛」は未開人における肉体的恋愛と同じように自然です。(メチルド)
一〇八
繊細さを持たずに、熱愛する女を手にいれても幸福ではないでしょうし、それに、手にいれるのがまず不可能でしょう。(レ〔オノール〕十月七日)
一〇九
ストア派の狭量はどこからくるのか。狂信者の狭量と同じ源からだ。彼らが不機嫌なのは、自然に対してたたかい、禁欲し、苦しんでいるからだ。彼らがもっと厳格でない道徳を主張する人々に対して抱いている憎しみを自ら誠実に省みようとすれば、その憎しみは、彼らがうらやみ、自分に禁じている幸福に対するひそかな嫉妬から生じる、ということを自ら認めるであろう。しかも彼らは、自分たちの犠牲を償うことになる報いを「信じていない」のである。(ディドロ)
一一〇
いつも不機嫌な女は、自分がはたして幸福への道であると「まじめに信じている」行動の方式に従っているかどうかを自問してみるがよかろう。貞女ぶる女の心の底には、いささか下劣な復讐心をともなった勇気が、少しばかり欠けているのではなかろうか? 晩年のデズリエール夫人の不機嫌をみられたい。(ルモンティ氏の略述)
一一一
誠実という徳ほど寛容なものはなにもない。なぜなら、これほど幸福なものはないからである。ハッチンソン夫人でさえも寛大さが欠けていた。
一一二
この幸福のすぐあとに続くものは、自分をとがめることのない若く美しい浮気な女の幸福である。メッシナではヴィチェンツェルラ伯爵夫人の評判は悪かった。彼女はこう言っていた。「どうすればいいの。私は若くて自由でお金もあり、それにみにくくもないでしょう。メッシナの女のひとがみんなこんなだといいんですけれど」。この魅力ある女は、私には友情のみしか抱いてはくれなかった。だが彼女は、メルリ師がシチリアの方言で書いた優しい詩を私に教えてくれたのだった。これまた神話でそこなわれてはいるが、みごとな詩だった。(デルファンテ)
一一三
パリ民衆は注意力において限度がある。三日間だ。三日後に、ナポレオンの死とか、ベランジェ氏の二か月の禁固を知らせてみなさい。どちらにも同じ感動しか示さないし、四日目にその話をする人は気のきかない人間だということになろう。大都会とはいずれもこうしたものだろうか。それとも、これは、パリ人の善良さと軽薄さのためだろうか? 貴族的尊大さと苦しみ悩める臆病さのおかげで、ロンドンは世捨て人の数多くの見本の集まりでしかない。これは都会ではない。ウィーンは十五万の職人か召使いがつかえている二百家族の寡頭《かとう》政治にすぎない。これも同じく都会ではない。ナポリとパリ、この二つだけが都会といえる。(バークベック『旅行記』より)
一一四
一般の人々から、もっともだとされている俗説によると、牢獄で耐えることができる時期があれば、それはあわれな囚人が、数年の監禁後、一、二か月たったら釈放されるという時期だと言われている。だが、「結晶作用」によれば、ちがったふうになる。最後の月は最後の三年よりつらいのである。ドトゥラン氏は、ムランの監獄で長いこと監禁されていた幾人かの囚人が、あと数か月で自由になれるという時期になって、待ち焦がれて「死んだ」のを見たのである。
一一五
私はあるドイツの女性が下手《へた》な英語で書いた手紙を写すよろこびを抑えきれない。この手紙で証明されるのは、変わらぬ恋というものがあり、天才だれしもミラボーならず、ということだ。大詩人クロプシュトックはハンブルクで愛すべき男だったといわれている。つぎの手紙は、彼の若い妻が、親しい女友だちに書き送ったものである。
「あの人と二時間会った後、みなといっしょにその夜は過ごさねばなりませんでしたが、これほど退屈だったことはありません。おしゃべりすることも、ゲームすることもできませんでした。思うのはクロプシュトックのことだけ、眼にはいるのも彼だけでした。翌日も彼に会いました。つぎの日も会い、私たちはほんとうのお友だちになりました。しかし四日目に彼は出発しました。別れのさいはどんなにかつらかったことでしょう。彼はすぐに手紙をよこしました。そのときから、私たちはしげく手紙を交わすようになりました。私は自分の愛は友情なんだとまじめに信じていました。友だちに話すことといってはクロプシュトックのことばかりでしたし、彼の手紙を見せもしました。友だちは私を笑って私は恋をしているのだと言います。私のほうも笑い返してやり、女性に対してと同じように男性に対しても友情を持てることがわからないなんて、きっとあなた方の心に友情がないからにちがいないわ、と言ってやりました。このような手紙のやりとりが八か月続きました。その間に友だちは、クロプシュトックの手紙にも私と同じように恋を感じとっていました。私も同じように気づいてはいたのですが、そうは思いたくなかったのです。とうとうクロプシュトックは私を愛していると率直に言ってきました。私はなにか悪いことでもあったかのように、びくっとしました。私があなたに感じているのと同じように、それは恋ではなくて友情なのです、とご返事しました。私たちは愛しあうほどそんなにはお付き合いはしていませんとも(まるで恋には友情より時間がかかるかのように)。私はまじめにそう思い、クロプシュトックがふたたびハンブルクへ帰ってくるまでそう思っていました。彼が帰ってきたのは、私たちが初めて会った日からちょうど一年目でした。私たちは会い、友だちになり、愛しあいました。しばらくたって、私は、愛しています、とクロプシュトックに言うこともできるほどになりました。でも、私たちはまた別れ、結婚まで二年も待たねばなりませんでした。母は私を、よその国の人と結婚させたくなかったのです。そのときは、母の承諾がなくても結婚できました。父が亡くなったため、私の財産は母には依存していなかったからです。しかし、そんなことは私には怖ろしい考えでした。ありがたいことには、神様にお祈りすることで事をうまく運んだのでした。いまでは母もクロプシュトックをわかってくれていて、実の息子のように愛し、我《が》を張らなかったことを神様に感謝しています。私たちは結婚しました。私は世界でいちばん幸せな妻です。あと数か月で私がこんなに幸せになってから四年になります」(『リチャードソン書簡集』第三巻)
一一六
永遠に正当さを主張できる結合は、真の情熱によって命じられた結合だけです。(メ〔チルド〕)
一一七
とらわれのない風俗習慣で、女が幸福であるためには、単純な性格を必要とします。これはドイツにもイタリアにもあることですが、フランスには一度もなかったことです。(C……公爵夫人)
一一八
トルコ人は、自尊心のために、結晶作用に養分を与えそうなものはことごとく妻からとりあげている。私は三か月以来、ある国民の間で暮らしているが、ここでも自尊心のために、貴族はやがてはトルコ人のようになることだろう。
貴族階級によって、気違いじみたものとなった自尊心の要求を、人は「羞恥心」と呼んでいる。どうして羞恥心を欠くなどということができようか。だから、アテネと同じように、賢明な人たちは、とかく娼婦たちのもとへ逃れようとする。つまり、明らかな過失によって「羞恥心」の気取りから免れている、あの女たちのそばに。(フォックス伝)
一一九
勝利が早すぎて恋がさまたげられた場合、私の見聞では、情愛のふかい性格の男にあっては、結晶作用が後になってから営まれようとするものである。相手の女は笑いながら言ったものだ。「いいえ、あたくし、あなたを愛しているのではありませんの」
一二〇
現代の女子教育、すなわち敬虔《けいけん》なる日課と、ひどく陽気な歌(ロッシーニの歌劇『ガッツァ・ラドラ』の「わが心喜びにおどる」)との、あの奇態な混淆《こんこう》は、幸福を遠ざけるために、この上なく巧妙に計算された代物《しろもの》である。この教育は途方もなく無分別な頭を作り上げる。R……夫人は死ぬのをおそれていたが、薬を窓から放り投げるのをおもしろがっていたので、つい先ごろ死んでしまった。こうした哀れな女たちは、無分別と陽気さとを取り違えているのだ。陽気さは、うわべは無分別にみえる場合が多いからである。これは、自分を陽気にみせようとして、窓からとびおりるドイツ人に似ている。
一二一
卑俗さは、想像力を消し、すぐさま私にとっては致命的な退屈を生み出す。魅力的なK……伯爵夫人が、今夜彼女の恋人たちの手紙をみせてくれたが、私はこれらの手紙を下品だと思う。(フォルリ、三月十七日、アンリ)
想像力が消えてしまったのではない。ただ迷わされただけであり、嫌悪を覚えて、ただちにあの下らない恋人たちの下品さを、思い描くのをやめてしまったのである。
一二二
形而上学的夢想
ベルジラーテ、一八一六年十月二六日。
真の情熱は、少しでも障害にあうと、幸福よりは不幸を生むものらしい。こうした考えは情愛の深い魂にとっては真実ではないかもしれない。しかし大部分の人間、とくに情熱に関してはほとんど好奇心と自尊心だけで生きている冷静な哲学者たちにとっては、完全に明白なる事実である。
私は昨夜フルヴィア伯爵夫人とイゾラ・ベラの高台の東方、松の大木のほとりを散歩しながら、以上のことを彼女に話した。彼女が答えて言うことには、……不幸は快楽よりも、人間にはるかに強烈な印象を与えますのね。
すべて私たちに快楽を与えようとするものの中で、第一に効果のあるのは、強く感動させるものですわ。
生命自体が諸感覚だけでできているのですから、すべて生あるものに共通の好みは、できるだけ強烈な感覚で、生きていると知らされることだと言えないでしょうか? 北方の人々には生命力がほとんどありません。あの人たちの動作ののろさをごらんなさい。イタリア人の dolce far niente (甘美な安逸)とは、寝椅子《ねいす》に長々と横たわって自分の魂の感動をたのしむ快楽をいうのですけれど、これは一日じゅうイギリス人のように馬を駆ったり、ロシア人のように二輪馬車を乗り回したりしていては味わえない快楽です。あの人たちは寝椅子の上に寝そべっていたら退屈して死んでしまうことでしょう。あの人たちの魂の中には、見つめるべきものが何もないからですの。
恋は最も強い感覚を与えます。その証拠に、生理学者のいわゆる「炎症」のさいには、心は「感覚連合」をつくりだすのですが、これはエルヴェシウスやビュフォン、その他の哲学者にはまったくばかげたものに思えるのです。ごぞんじのように、先日ルイツィーナが思わず湖に落ちました。あれはイゾラ・マドレ(ボロメオ諸島)の月桂樹から一枚の葉が落ちるのを目で追っていたからです。あの気の毒な人がうち明けたところでは、ある日彼女の恋人が月桂樹の枝を折って湖水に投げ、こう言ったのだそうです。「あなたのつれなさと、お友だちの中傷のために、私は生活を楽しむことも、何か名誉をうることもできないのです」
野心、賭け、恋愛、嫉妬、戦争、その他なにか大きな情熱で、苦悩と極度の不幸のときとを知った魂は、よくわからないおかしなことですが、静かで過不足のない生活の幸福を「軽蔑」するものです。景色のいい場所に建てられたきれいな館、裕福な生活、良い妻、三人のかわいい子供、愛すべきたくさんの友人、これらは私たちを招いたC……将軍の身辺の全部を簡単にスケッチしたにすぎないのですが、ご存じのように、あの方はナポリに行ってゲリラの指揮をしたいなと言っていたのです。情熱のためにつくられた魂は、まずこのような幸福な生活が自分を退屈させ、こうした生活からは、おそらくありふれた考えしか浮かんではこないだろうと感じるのです。C……将軍はあなたにこう言いましたね。「偉大な情熱といった熱病は、ついぞ知ることなく、このうわべだけの幸福にあまんじていられたらよいのにと思います。こうした幸福について、毎日ばかげたお世辞を言われるし、いっそうやりきれないことに、それにお礼を言わねばなりませんからね」。
哲学者として私はこうつけ加えた。「われわれはある善なる存在によってつくられたのではない、という多くの証拠がほしいのですか。快楽は苦痛とちがっておそらく半分の感覚をも与えない(*)ということです」……伯爵夫人はさえぎった。「この世の精神的苦痛は多くの場合、それがひき起こす「感動」のために快いものとなります。魂に一粒でも高邁《こうまい》さがあれば、この快楽は百倍になります。一八一五年に死刑の宣告を受け、偶然助命された人(たとえば、ラ〔ヴアレット〕氏)は、もし敢然として刑場に歩んで行ったのなら、月に十度もそのときのことを思いだすことでしょう。泣きわめきながら死んだ臆病者(湖に投げこまれた税関吏モーリス、『ロブ・ロイ』第三巻)が、偶然に助けられたとしても、このときのことを快く思いだすのは、せいぜい自分が「助かった」という事情のためで、そのとき自分のうちに発見し、これ以後あらゆる恐怖をとり除いてくれる宝石のごとき高邁さのためではないのです。
(*)ベンサム『立法論』第一巻「禁欲主義の原理」の分析を参照のこと。人は己れを苦しめることによって「善なる」存在を喜ばせるのだ。
私……愛情こまやかな魂にとって「想像された事物は存在する事物」なのですが、恋は、たとい不幸な恋であろうと、こうした魂に宝石のごとき喜びを与えるのですね。それは、自分のうちに、また愛するもののうちに、幸福と美の崇高な幻影が生まれるからなのです。サルヴィアッチはレオノールが、『偽りの告白』のなかのマルス嬢のように魅惑的な微笑を浮かべて「ええ、あなたを愛しています」と言うのを何度聞いたことでしょう。賢明な人であればこうした幻影は決して抱かないものです。
フルヴィア、空に目をやって、……あなたにとっても、私にとっても、恋はたとい不幸であっても、愛するものに対する私たちの賛嘆が無限であれば最高の幸福なのです。
(フルヴィアは二十三歳、***でいちばん有名な美人だ。真夜中このように語りながら、ボロメオ諸島のあの美しい空をふり仰いだ彼女の眼は神々《こうごう》しかった。星々も彼女に答えるかのようだった。私は眼を伏せた。もう彼女と言い争うなんの哲学的根拠も見つからなかった。彼女は言葉をついだ)いわゆる幸福と呼ばれるものも恋の苦しみには価しません。軽蔑だけがこの情熱を癒《いや》せるのだと思います。でもあまり強すぎないように。でないと苦しみになりましょう。そういうふうにではなく、たとえば男の方なら、熱愛している女性が下品で散文的な男を愛したり、女友だちのまねをしてかわいらしいデリケートな贅沢《ぜいたく》を楽しんでいるあなたをかえりみないのを見る、といった場合に感じられる軽蔑です。
一二三
欲するとは、勇気を振るって不利なことに身をさらすことである。このように身をさらすということは、運を試すことであり、賭けをすることである。この賭がないと生きていけない軍人たちがいる。彼らが家庭生活に耐えることができないのはこのためである。
一二四
トゥリエ将軍が今夜語ってくれたところによると、サロンに気取った女がいたりすれば、無愛想《ぶあいそう》になり、口をきくのもいやになるのは、あんな連中の前で熱烈に感情をぶちまけたことに対し、あとで苦い屈辱を感じるからだ、ということを発見したそうである。(彼は、たとえ道化じみていようと、自分の魂と語るのでなければなにも言うことがなかった。それに、私は彼が、上品なきまり文句を、なにひとつ知らないのを見てきた。そこで彼は、あの気取った女たちから見ると、じっさい、滑稽で変わっていた。天は彼を、優男《やさおとこ》には造らなかったのである)
一二五
宮廷では無宗教は下品である。君主の利益に反するとみなされるからだ。無宗教はまた若い娘の前でも下品である。夫をみつける妨げともなろうから。もし神が存在するものなら、こうした動機で尊崇されるのはうれしいことにちがいないと認めざるをえない。
一二六
大画家とか大詩人の魂にあっては、恋が神聖であるのは、恋が芸術の領域と快楽とを百倍にするからである。この芸術の美は彼らの魂に日々の糧を与えてくれる。偉大な芸術家で、己《おの》が魂と天才を疑わない者がいるだろうか! しばしば彼らは、自分の崇拝するものに対して己が才能なきを信ずる。ハレムの宦官《かんがん》やラ・アルプのごときものなどとは意見を異にするからだ。この大芸術家たちにとっては、不幸な恋さえも幸福なのである。
一二七
初恋の姿は最も普遍的に人を感動させる。なぜか?あらゆる階級、あらゆる国、あらゆる性格を通じて、初恋はほとんど同じだからである。してみれば、初恋が最も情熱的なものであるとは言えない。
一二八
理性、理性! あわれな恋する男に人々はいつもこう叫ぶのだ。一七三〇年、七年戦争たけなわなりしころ、グリムはつぎのように書いた。「……プロシア王は、シレジアをゆずることによって、この戦争の勃発を防止できたであろうことは疑いの余地がない。そうすれば彼ははなはだ賢明な行為をしたことになったのだが。いかに多くの惨禍《さんか》を防ぎえたことだろうか! 一地方の所有と国王の幸福とに、なんの共通点がありえようか? しかもシレジアを領有しなくとも、大選挙侯はすでにきわめて幸福な尊崇される国王ではなかったのか? これこそ国王たる者が最も健全なる理性の掟《おきて》に従って身を処しえた途《みち》であったのだろうが。だがそうしたなら、どうしてか知らぬがこの国王は全世界の軽蔑の的となったであろう。ところが、シレジアを保有せんとの「欲求」にすべてを犠牲にしたフリードリヒは、不滅の栄光に包まれたのである。
クロムウェルの息子は、たしかに一個の人間がなしうる最も聡明な行為をした。陰気で短気で自尊心の強い国民を統治する面倒と危険よりも、隠遁と休息をえらんだ。この聡明な人物はその存命中もまた後世からも軽蔑された。だが父親の方は、諸国民の意見によれば、いまもなお偉人なのである。
『悔い改めし女』は、オットウェイの英訳やコラルドーの仏訳では台なしにされているが、スペイン劇の崇高な一主題なのである(*)。カリストは熱愛する男に犯された。男はその性格が傲岸《ごうがん》・過激であるため人々に嫌われていたが、その才能、機知、容貌の美しさ、要するにすべてが合わさって彼を魅力ある男にしていた。もしその罪深い激情を抑制できたならば、ロタリオはあまりにも優しい男ということになったであろう。しかしながら、代々つづいた激しい憎悪が彼の家と彼の愛人の家とを分かっていた。この両家は中世の恐怖時代にスペインの一都市を二分していた党派の首領なのである。カリストの父シオルトはそのとき、旗色のよい党派の長だった。彼は、ロタリオが無礼にも娘を誘惑せんとしたのを知る。かよわいカリストは恥と情熱の苦悩に屈している。彼女の父はこの敵手に危険な遠征に出かける艦隊の指揮をゆだねることに成功する。おそらくロタリオは死んでしまうだろう。コラルドーの悲劇では父がこのことを娘に知らせるのだ。父の言葉を聞いてカリストは自分の情熱をもらしてしまう。
ああ! あの人が出発する……お父様のご命令で! ……あの方は決心なされたのでしょうか?
(*)十三世紀のスペインとデンマークの恋歌を見よ。フランス人の好みには、平凡で粗野なものとうつるかもしれないが。
このきわどい状況を考えてもみたまえ。もう一言いったなら、シオルトは、ロタリオに対する娘の情熱を知ってしまうだろう。狼狽した父親は叫ぶ。
なにを言う? わしは聞き違えたのか? それともお前の願いがとりとめないのか?
この言葉にカリストはわれに帰り、答える。
私の望むところは、あの人の追放ではなく、死です。あの人、命を落とせばよいのに!
このことばで、カリストは、父の心にきざした疑惑の念を消してしまう。しかしこれは策略からしたことではない。というのは彼女が述べた感情は真実だからだ。彼女は愛しているが、自分を犯しえたような男の生存は、たとい世界の涯《はて》にいるのであっても、彼女の生活を不快なものにせずにはおかない。ただ彼の死だけが彼女に平安をもたらしうるといえよう、不幸な恋人たちにも平安というものがあるとするならばの話だが……。その後まもなくロタリオは戦死し、カリストもさいわいにして死ぬ。
「つまらないことのために、ずいぶんと泣きわめいたものだ」と哲学者だと僭越《せんえつ》にも名乗る冷淡な連中が言った。「大胆で乱暴な男が、自分に対して弱味を持つ女につけこんだのだ。嘆くことなんぞない。少なくともわれわれがカリストのみに心|惹《ひ》かれることはない。彼女は恋人と床を共にしたことで心を慰めるがよいのだ。あのような不幸を甘受したことで、あの女がいちばんえらい女となるというわけでもなかろう」
リチャード・クロムウェルも、プロシア王も、カリストも、天が与えてくれた魂のために、あのように行動するのでなくては、平安や幸福がえられなかったのである。後の二人の行為はいちじるしく不条理なものであるが、しかしながら尊敬すべきは彼らのみである。(サガン、一八一三年)
一二九
恋の幸福をえたあとで、男が心変わりするかしないかを予言できるのは、許しあう仲になる前に、ひどい疑惑や嫉妬や人のもの笑いになったものの、女が心変わりしなかった、ということによってのみである。
一三〇
恋人が戦死して、絶望のあまりその後を追おうとしているのが明らかに見てとれる女に対しては、その決心が妥当であるかないかを検討してみる必要がある。答えが否定的な場合には、人類が大昔から持っている習慣によって「自己保存の欲望」を刺激するがよい。もしこの女に敵があれば、この敵が逮捕状を手にいれて、彼女を投獄しようとしている、と言いきかせるのもよかろう。この脅威のために死への渇望が増さなかったら、彼女は身をかくして牢獄を避けようと考えるだろう。あちこち逃げまわり、三週間かくれ、ついで逮捕されるが、三日後には逃げだすだろう。それから偽名で、遠く離れた町、彼女が絶望を経験した町とはできるだけ違った町にかくれ家を世話してやる。だが、こんなに不幸で友情に価しない女をだれが本気になって慰めてやろうなどと思う者がいるだろうか?(ワルシャワ、一八〇八年)
一三一
アカデミーの学者たちは、一国民の風習をその言語の中に見る。イタリアは世界でいちばん「恋」という語を口にすることの少ない国である。いつも amicizia とか avvicinar とか言う(amicizia〔友情〕は恋を、avvicinar〔近づく〕は口説き落とすことを意味する)
一三二
音楽辞典はまだ作られていない。手をつけられてさえいない。「腹がたつ」とか「あなたが好きです」とかいった楽句や、それらのニュアンスが見いだされるのは、まったく偶然でしかない。作曲家がこうした楽句を見つけるのは、そのとき心に情熱を感じているか思い出によるほかはない。
だから、青春の焔《ほのお》を、研究することに過ごし、感じることをしない人々は、芸術家にはなれない。これほど単純なメカニズムはない。
一三三
フランスでは女たちの勢威はあまりにも巨大すぎ、恋愛において見られる女性の力はあまりにも制限されすぎている。
一三四
われわれの間に台頭してきた世代に訴えるために、生命、世論、権力を握ろうとするために、最も高揚した想像力にしてはじめて考えだすことができる最大のお世辞にも、明々白々な真理が含まれている。新世代には、「続ける」べきものはなにもなく、すべては「創造」されねばならない。ナポレオンの大きな功績は、「これまでのものを一掃した」ことにある。
一三五
「慰め」についてひとこと言っておきたい。われわれは慰めることに十分意を用いようとはしない。
一般的原則は、苦悩におとしいれた動機とは、できるだけかかわりのない「結晶作用」を起こさせるようにすべきだ、ということである。
未知の原則を発見するためには、いささか解剖学に専心するだけの勇気を持たねばならない。
刑務所に関するヴィレルメ氏の著書(パリ、一八二〇年)の第十一章を参照すれば、男囚たちが「彼らのあいだで結婚する」(これは刑務所の言葉である)ことが明らかとなる。女囚もまた「彼女たちのあいだで結婚する」が、一般にこの結合では厳格な貞節が守られる。これは男囚には見られないことであり、羞恥心の原理の結果である。
「サン・ラザール刑務所で」と、ヴィレルメ氏は、サン・ラザール、一八一八年十月の項で言っている。「ある女囚が小刀で幾か所もわれとわが身を刺したのは、自分よりも新入りの女囚に相手の愛情が移ったのを見たからである」
「相手に強い執着を抱くのは、一般に年下の女のほうである」
一三六
活発、軽薄、いつも名誉心から意地になりやすく、他人の眼に自分の生活がどう見えるか、しょっちゅう気にしている。これが一八〇八年にヨーロッパをめざめさせた国民の三大特徴である。
立派なイタリア人とは、なお多少とも野生と血を好む傾向を有している人々のことである。ロマーニア人、カラブリア人、最も文明開化した地方では、ブレッシア人、ピエモンテ人、コルシカ人である。
フィレンツェのブルジョワはパリのブルジョワに比べるといっそう羊のようにおとなしい。
レオポルトの密偵政策が彼らを永久に堕落させてしまった。図書係フリアと侍従プッチーニに関するクリエ氏の手紙を見られよ。
一三七
誠実な人たちの意見がこれまでついぞ一致したためしがなく、当然の結果ではあるが、互いに相手を悪く言いあい、心の中ではいっそう悪く思っているのを見ると、笑いたくなる。生きるとは生命を感じること、強い感覚を持つことである。その強さの度合はそれぞれにまちまちなのだから、ある人には強すぎて苦痛になるものも、他の人には興味をひき起こすのにちょうど手ごろである。たとえば戦場で砲弾をまぬかれる感覚、かのパルチア人を追ってロシアの奥深くはいりこむ感覚、シェークスピアの悲劇か、ラシーヌの悲劇か等々といった場合も同じである。(オルチア、一八一二年八月十三日)
一三八
まず、快楽からは苦痛の半分の感覚も生じない。つぎに、感動の量におけるこの不利にかててくわえて、幸福の描写によってひき起こされる「共感」は、不幸のそれに比べればせいぜい半分にすぎない。したがって、詩人がいくら強い調子で不幸を描いても、描きすぎるということはない。ただひとつのおそるべき障害、それは「嫌悪」の情を起こさせる事物である。ここでもまたこの感覚の「度合い」は君主制か共和制かということにある。ルイ十四世のごとき人物は、嫌悪すべき事物の数を百倍にする(クラッベの詩)。
貴族にとりかこまれたルイ十四世風の君主制が存在するというただそれだけの事実によって、芸術のうちの単純なものはことごとく卑俗なものとなる。貴族的人物は、眼の前にこうした単純なものを示されると、侮辱されたと思う。この感情は率直なものである。従って尊重すべきである。
感情こまやかなラシーヌが、古代ではとても聖別されていたオレストとピラードの英雄的友情からどのような結論をひきだしたかを見るがよい。オレストはピラードに君・僕で話しかけ、ピラードは「オレスト様」と答える。しかも、ラシーヌはわれわれにとって最も感動的な作家であってほしいとわれわれは願っているのだ。この例で承服しないならば、別の話をしなければならない。
一三九
人は、復讐できる希望が持てるとすぐにまた憎み始めるのです。自分は、刑期の最後の数週にいたって初めて脱獄しようと思い、友人にたてた誓いを破ってやろうと思いついたのです(私たちにすっかり身の上話をしてくれた、上流社会出身のある殺人犯が、今夜私を前にして話してくれた二つの告白)(ファエンツァ、一八一七年)
一四〇
たとえヨーロッパ全体が力を出しあっても、わがフランスの良書のほんの一冊すら作ることはできないであろう。たとえば『ペルシア人の手紙』。
一四一
私は心が感じないよりは感じることのほうを好むどんな知覚をも「快楽」と呼ぶ。
私は心が感じるよりは感じないことのほうを好むどんな知覚をも「苦痛」と呼ぶ。
私が感じていることを味わうよりもいっそ眠ってしまいたいと思ったならば、疑いもなく、これは「苦痛」である。してみれば恋の欲望は苦痛ではない。恋する男は、思う存分夢想にふけるためには、この上なく快適な社交からさえも離れていくものだからである。
時がたてば、肉体的快楽は減少し、苦痛は増大するものだ。
心の快楽はと言えば、これは情熱のいかんにしたがって、時とともに増減する。たとえば、六か月天文学を研究して過ごしたあとでは、いっそう天文学が好きになるし、一年間けちにしたあとでは、ますます金が好きになるのである。
心の苦痛は時がたてば減少する。「心から悲しんだ未亡人も時を経るにしたがってどんなに慰められることが多いことか!」ホレイス・ウォルポールの姪《めい》にあたるウォルドグレーヴ夫人。
ある男が無関心な状態にあって快楽を感じるとする。
今一人の男が激烈な苦痛の状態にあって、その苦痛が突然やむとする。彼が感じる快楽は前の男の快楽と同じ性質のものであろうか? ヴェルリ氏は「しかり」と言うが、私には「否《いな》」と思われるのだ。
すべての快楽が苦痛の停止から生じるわけではない。
前々から六千リーブルの年金をもらっていた男が富くじで五十万フランあてる。この男は、大財産あってはじめて得られるものをほしがるという習慣をなくしてしまっていた(ついでに言うなら、パリの不都合のひとつは、この習慣を失いやすいということである)。
羽ペンを削る機械が発明された。私も今朝買ったが、これが非常に楽しいものなので、私は羽ペンを削りたくてうずうずしている。だがこの機械を知らなかったからといって、昨日私が不幸でなかったのは確かなことだ。ペトラルカは、コーヒーを飲まなかったがために不幸であったろうか?
幸福というものは定義するまでもないことだ。これは、だれもが知っていることだ。たとえば十二歳のとき、はじめて射おとしたシャコとか、十七歳の時、無事に帰還できた初陣《ういじん》とかがそれである。
苦痛の停止でしかない快楽はまったく速《すみや》かに過ぎ去る。そして数年も経つと、その思い出は楽しくさえ感じられない。私の友人の一人がモスクワの会戦で脇腹に砲弾の破片を受けた。数日後|壊疽《えそ》の危険におびやかされた。数時間してベクラール氏、ラレー氏、その他数人の有名な外科医を呼び集めることができた。診察の結果、壊疽ではないことがわが友人に告げられた。この瞬間私は友人の幸福感を理解した。それは大きかったが、純粋ではなかった。彼は内心では壊疽の危険から完全に脱しえたとは信じていなかったのだ。彼は外科医たちの仕事をやり直し、彼らを全面的に信用してよいものかどうかを調べた。彼はなおいくぶん壊疽の可能性があるのを漠然とながら予見した。八年後の今日、この診断の話が出ると彼は苦痛の感情を覚える。生涯の不幸の一つを思いがけなく回顧するのである。
苦痛の停止によって生じる快楽はつぎの二つである。
一 相次いで心に生じる、あらゆる反対論にうちかつこと。
二 奪われかけている、あらゆる利益を再び見いだすこと。
五十万フランを当てたことから生じる快楽は、これから与えられるあらゆる新しい異常な快楽を予見することにある。
奇妙な例外もある。つまりこの男が莫大な財産を得たいと思う習慣を持ちすぎているか、それともごくわずかしか持っていないのかを見るべきである。彼にこの習慣がなさすぎる場合、つまり狭い料簡《りょうけん》の持主の場合は、困惑の感情が二、三日は続くであろう。
もしも大きな財産をしばしばほしがる習慣が彼にあるとすれば、空想がすぎて、その前に喜びがすりへってしまうだろう。
情熱恋愛にはこんな不幸は起こらない。
燃えたった心が想像するのは、恋の最後の恩恵ではなくて一番手ぢかな恩恵である。たとえば、あなたにむごい仕打ちをする恋人であれば、手を握ることを思い描く。想像力はその先へはおのずと進まない。無理にそうしようとすれば、愛する者を冒涜《ぼうとく》しはしないかとおそれて、想像力はたちどころに消え去ってしまう。
快楽を味わいつくせば、われわれは明らかにまたもや無関心におちいる。だが、この無関心は以前の無関心と同じではない。これまで味わってきた快楽を、前と同じ喜びではもはや味わえない、という点で、この第二の状態は第一の状態と異なる。快楽をあさる器官は疲れ、想像力は、もはや前ほどには充《み》ち足りた欲望に対して快いイメージを呈示する傾向を持たなくなる。
しかし、快楽のさなかにそれを奪われると苦痛が生じる。
一四二
肉体的恋愛に対する素質も、肉体的快楽に対する素質でさえも、両性にあっては決して同じではない。男とは反対に、たいていの女は、すくなくとも恋愛めいたものに走りやすい。女は十五歳で人にかくれて小説を読んで以来、情熱恋愛のおとずれをひそかに待っている。彼女は偉大な情熱のなかに、自分の価値の証拠を認める。二十歳ごろ、彼女が年少の軽率な生き方からめざめたとき、この期待は倍加する。しかし他方、男は三十になるかならないかで、恋などありえないとか、ばかげたものと考えてしまう。
一四三
われわれは六歳のときから、両親と同じ道を辿《たど》って幸福を求めるという習慣がつく。ネルラ伯爵夫人の母親の自尊心は、この愛すべき婦人の不幸のはじまりであったのだ。それで彼女は、母親と同じ気狂いじみた自尊心によって、その不幸を策のほどこしようもないものにしている。(ヴェネツィア、一八一九年)
一四四
ロマンティク様式について
パリからの手紙によると、パリでは(一八二二年の展覧会)聖書を主題とした絵が非常に多かったが、それらは聖書をたいして信じていない画家たちが描いたもので、こういう絵を聖書を信じてもいない人々が称讃したり批評したりし、結局聖書を信じていない人々が買っていくのだそうである。こうしておいてから、人々は芸術の頽廃《たいはい》の理由を探し求めるのだ。
自分の言っていることを信じていないから、芸術家はつねに大げさに見えはしないか、滑稽に見えはしないかとおそれるのだ。どうしてこういう芸術家が「崇高」に達しえようか? 何ものも彼をそこへ導きはしないのだ。(ローマからの手紙、一八二二年六月)
一四五
私見によれば、最近あらわれた最も偉大な詩人の一人は、貧窮のうちに死んだスコットランドの農民ロバート・バーンズである。彼は、自分と妻と四人の子供を養うために、税関吏として俸給七十ルイを得ていた。暴君ナポレオンでさえその敵、たとえばシェニエに対しもっと寛容であったことを認めねばならない。バーンズにはイギリス風の「謹厳ぶったところ」が少しもなかった。騎士道も名誉心も持たないローマ的天才であった。ここには彼のマリー・キャンベルとの恋とその悲しい破局を語るのに十分な紙面がない。私はただ、エディンバラがモスクワとおなじ緯度にあることを指摘するにとどめる。これは私の気候風土説を多少狂わせるかもしれないが。
「バーンズがはじめてエディンバラへきて気づいたことのひとつは、田舎《いなか》住まいの人間と社交界の人間との間にはほとんど差がないことを認めたことである。また、田舎者は流行によって洗練されてもいず、学問によって啓発されてもいないが、この田舎者の中に、多くの観察力や知性を見いだしたことである。しかし洗練された教養のある女性は、彼にはほとんど新しい存在であった。その上こういった女性については彼は非常に不十分な観念しかいだいていなかった」(ロンドン、一八二一年十一月一日、第五巻、六九ページ)
一四六
恋愛とは、みずから鋳造した貨幣であがなわれる、ただ一つの情熱である。
一四七
三つになる女の子に言うお世辞は、彼女たちに最も有害な虚栄心を教えるためのまさに最上の教育になる。きれいなことが第一の美徳であり、この世で一番すぐれたことなのだ。きれいな衣服を着ること、これがきれいということなのだ。
こうしたばかげたお世辞が通用するのは、ブルジョワの間でだけだ。さいわい、馬車を持っている人種にとっては、お世辞というものはやすやすと言えるのだから、下品とされている。
一四八
ロレット、一八一一年九月十一日。
今しがた私は、この地方の人々で編成された、じつに見事な大隊を見た。これは一八〇九年にウィーンへ行った四千名の兵士たちの残りだ。私は連隊長といっしょに列中を通って、いく人かの兵士たちにその経歴をたずねた。これこそ中世風共和国の美徳だ。スペイン人(*1)と司祭主義(*2)によって、また二世紀にわたって、かわるがわるこの国を腐敗させた、卑劣で残忍な政府によって多少とも堕落してはいるが。
(*1)一五八〇年ごろ、スペイン人は、国外では、専制主義の精力的な代行者となるか、さもなければイタリア美人の窓の下でギターを奏でるかであった。当時スペイン人は、今日人々がパリに来るように、イタリアへ赴いたものである。しかし彼らは、「彼らの主君」たる国王に勝利を得させることだけを誇りとしていた。彼らはイタリアを失ったが、イタリアを堕落させることによって、これを失ったのである。一六二六年、大詩人カルデロンはミラノで士官であった。
(*2)ミラノを一変させ腐敗させた聖カルロ・ボロメオの伝記を参照。彼は人々に、武器庫を見棄てさせ礼拝堂に赴かせた。メルヴェーユ、カスティリオーネを殺す、一五三三年。
崇高で、理性的でない、華々しい騎士道的「名誉心」は、この数年来輸入された外国産の植物だ。
一七四〇年にはまだその痕跡《こんせき》は認められない。イタリア旅行記のド・ブロスを見よ。モンテノッテやリヴォリの将校たちには真の徳を隣人たちに示す機会が多かったから、名誉心を「模倣」しようなどとは思わなかった。こういった名誉心は、一七九六年の兵士が後に残してきた藁《わら》ぶきの家では、ほとんど知られていなかったもので、彼らにはさぞかし、へんなものに思えたろう。
一七九六年にはレジヨン・ドヌール勲章もなければ、一人の人間に対する熱狂もなかったが、ドゥゼ風の単純さと美徳は溢《あふ》れていた。してみれば、「名誉心」なるものはあまりにも理性的で道徳的であるため、華々しくなれない人々によってイタリアへ輸入されたのだ。一年間に二十もの戦に勝ちながらも、靴も制服もないことが多かった九六年の兵士と、イギリス兵に丁重に帽子をとって「どうぞお先にお射《う》ちください」と言ったフォントノアの輝かしい連隊との間には、あまりにも距《へだた》りがあるのが感じられる。
一四九
よくよく考えてみるに、一個の生活方式のよしあしは、その代表者をもって判断すべきであろう。たとえば、獅子王リチャードは王座にあって、英雄主義と騎士道的価値の完成を示したが、彼は滑稽な王であった。
一五〇
一八二二年の世論。三十歳の男が十五歳の娘を誘惑する、そのさい、名誉を失うのは娘のほうである。
一五一
十年たって私は、オッタヴィア伯爵夫人に再会した。私を見て彼女は大いに涙を流した。私はオジンスキーのことを彼女に思いださせた。私にはもう恋などできません、と彼女は言った。私は詩人の言った言葉でこう答えた。「彼女の性格はなんと変わったことか、なんともの悲しくなったことか、しかしなんと気高くなったことか!」
一五二
イギリスの風習が、一六八八年から一七三〇年の間に生まれたように、フランスの風習は、一八一五年から一八八〇年の間に生まれようとしている。一九〇〇年ごろのフランスの道徳ほど美しく正しいものはないであろう。今はそういったものはなにもない。ベル・シャス街では恥ずべきことも、モン・ブラン街では英雄的行為とされる。あらゆる誇張のあいまをぬって、軽蔑すべき手合いが現に街から街を跳梁《ちょうりょう》している。われわれはひとつの手段、つまり新聞の自由を持っていた。新聞はつまるところ、思っていることを各人にぶちまけるものであり、この行為が世論と一致すると、ゆるぎないものとなる。われわれからは、この療法もとりあげられてしまった。これで道徳の誕生もいくぶんおくれることになろう。
一五三
ルソー師は貧しい青年で(一七八四年)、朝から晩まで町じゅうをすみずみまで駆けずり回って、歴史や地理の出稽古《でげいこ》をしなければならなかった。彼はアベラールがエロイーズに恋し、サン・プルーがジュリーに恋したように、自分の生徒の一人に恋していたのだ。多分、彼らほど幸福ではなかっただろうが、おそらくかなりそれに近かったであろう。彼はサン・プルーに匹敵する情熱を持っていたが、心はいっそう誠実でこまやかで、とりわけ勇気があったので、彼の情熱の対象たる女のために、わが身を犠性にしたもののようである。以下は、彼がパレ・ロワイヤルのあるレストランで夕食をとってから、脳天を打ち抜いて自殺する前にしたためたものであるが、動揺や錯乱の気はいささかも表われていない。この遺書は、警視や警部の手によって現場で作製された調書から写しとったものであり、保存の値うちのある注目すべきものである。
「私の感情の気高さと身分の卑しさとの間の不可解な対照、ある熱愛する娘に対する激しく制しがたい恋、彼女の不名誉をひき起こすおそれ、罪か死かをやむなく選ばねばならぬ必然性、これらすべてが私に生命を捨てる決心をさせた。私は徳のために生まれたが、罪人になるところであった。私は死ぬ方を選んだ」(グリム、第三部、第二巻)
これは称讃すべき自殺だ。だが一八八〇年の風習をもってすれば非常識なことでしかないのかもしれぬ。
一五四
どうしたって、フランス人は、美術に関してはとうてい「小ぎれいさ」以上に出ることはないであろう。
観客には「熱情」を、俳優には「活気」を前提とする喜劇、ナポリでカサッチアが演じたパロンバのえもいわれぬ滑稽味《こっけいみ》、これはパリでは不可能である。小ぎれいさ、しかもけっして小ぎれいさ以上には出ないのだ、なるほど時々崇高だと広告されはするが。
おわかりのように、私は通例、国民的名誉心を当てにはしないのだ。
一五五
「われわれは美しい絵が大好きだ」とフランス人は言った。彼らが言っていることは本当だ。しかしわれわれフランス人は美の本質的条件として画家が制作中ずっと片足で立ち通しで描くことを要求する。劇作における韻も同じ。
一五六
アメリカでは、フランスにおけるよりはるかに「羨望」が少ないが、才智もまたはるかに少ない。
一五七
一五三〇年以来、フィリップ二世流の圧制が精神を大いに堕落させたので、それがこの世界の庭園の上にのしかかり、あわれにもイタリアの作家たちは、いまだに自国の小説を創り出す勇気を持てないでいる。しかしながら、≪自然さ≫の法則からすれば、これほど簡単なことはないのだ。この世で眼に映ってくるものを思い切って率直に写すべきなのだ。枢機官コンザルヴィを見たまえ。彼は一八二二年にある喜歌劇の台本を三時間にわたってもったいらしく調べてから、心配そうに作曲家に言ったものだ。「だが君は cozzar, cozzar という言葉(拍子をとるの意)をたびたび繰り返しているね」
一五八
エロイーズは諸君に恋について語り、きざな男も自分の恋について語る。これらの恋はほとんどただ恋という共通の名を持つにすぎないと諸君は感じないだろうか? これは音楽会を好きなのと音楽が好きなのとの違いに似ている。華々しい社交界のただ中でハープを奏でることで約束される虚栄心の満足を愛すること、あるいは情愛ぶかく、孤独で、臆病な夢想を愛すること。
一五九
愛する女に会ったばかりのときは、他のどんな女を見ても目障《めざわ》りであり、眼に生理的苦痛を与える。私はその理由を知っている。
一六〇
ある抗議への回答
完全な自然さと親密さとは情熱恋愛の場合しか起こりえない。すべて他の場合には、自分より気に入られている恋敵《こいがたき》がいる可能性を感じるからである。
一六一
人の世から解放されんがために毒を仰いだ人間にあっては、精神的なものはすでに死んでしまっている。自分がしたことや、これから経験することに驚いた彼は、もはや何にも注意を向けることができないのだ。若干のまれなる例外はあるが。
一六二
著者の叔父の老海軍大佐にこの手記を献呈したのだが、彼は恋愛のようなつまらんことを重大視して六百ページもつかって論じるくらいばかげたことはないと言う。しかしながらこれほどにもつまらぬことが、強い心をも打つことのできる唯一の武器なのである
一八一四年、モブルイユ氏がフォンテーヌブローの森でナポレオンを暗殺しようとしたのを妨げたものはなにか? そのときバン・シノワ(シナ式浴場)にはいってきた佳人のさげすむような眼差《まなざ》しであった。ナポレオンとその息子が一八一四年に殺されてしまっていたら、世界の運命はいかばかり違ったものとなったであろう!
一六三
つぎに書き写すのは、ツナイムからきたフランス語の手紙の一節であるが、こんな手紙を書いてよこす才女を理解できる男は地方にはどこにもいないと思って書き写すのである。
「……恋では偶然の出来事が、たいしたはたらきをするものです。一年間も英語を読まずに過ごしたあとで、はじめて手にした小説は、すばらしいものに思えました。散文的な魂、つまり何ごとにつけ繊細なものには鈍感で臆病で、金銭欲とかりっぱな馬を持っているといった自慢や、肉体的欲望など、こうした人生の下品な利害だけにしか情熱を感じない人のことですが、こうした人を愛する癖がつくと、激しく熱烈な気性を持った人の行為は、ともすれば無礼に見えるのです。こういう人はいらだちやすい想像力を持ち、恋だけしか感ずることがなく、それ以外のことはみな忘れてしまい、もう一方の人間が、ことのなりゆきに身をゆだねて、自ら進んで行動するようなことが決してないところで、たえず、せっかちに動きまわっているのです。そんな人が与える驚きは去年ツィタウで私たちが女の自尊心……、これはフランス語でしたでしょうか……と呼んだものを傷つけかねません。このような人といっしょでしたら「驚き」があります。これは前の人のそばではわからなかった感情です(しかもこの前の人は、思いもかけず戦死しましたので、完全さの同義語になっています)。そして高慢そのもので、いくたの恋の結果であるあの心のゆとりを持たない人は、ややもすればこの感情を無礼と混同しかねないのです。
一六四
ブレのジョフロワ・リュデルはブレの領主で大貴族だったが、トリポリの王女はたいそう財産があり、上品で美しいと、アンティオキアからきた巡礼から聞いて、まだ見ないのに恋してしまった。そして彼女のためにたくさんの美しい歌を作ったが、節はよくできていても歌詞はまずかった。彼女を見たいばかりについに十字軍に加わり、彼女のいる方へと船出した。だが船中で思わぬ大病にかかり、同行の人々は、彼が死んだと思ったほどだったが、なんとかトリポリまで連れて行き、ある宿屋に死人としてかつぎこんだ。彼のことが姫に知らされた。姫は彼のベッドにきて彼を抱いた。彼はそれが姫であると知り、われに返り、姫を見、姫の言葉を聞き、神を称《たた》え、姫を見るまで命をのばしくださったことを神に感謝した。こうして彼は姫の腕にいだかれて死んだのであるが、姫は彼をトリポリの寺院にねんごろに葬らせた。そして彼と彼の死を深く悲しんで、その日から尼となった。
一六五
私が結晶作用と呼ぶ狂気の特異な証拠は、以下ハッチンソン夫人の『回想録』にも見られる。
「彼はハッチンソン氏に、ある紳士の事実談を語った。その紳士はしばらく滞在するつもりですこし前リッチモンドへやって来たのだ。ところで、近づきになった人すべてが、かつてその町に住んでいたさる貴婦人の死をいたんでいた。みんながあまり惜しむので、どういう女性かとたずねた。話を聞いてその女性に恋するようになり、ほかのどんな話にも興味をなくしたばかりか、ついにそれらにがまんしきれなくなった。彼はひどく憂うつになった。そして彼女の足跡が残っている山に登り、一日中そこに横たわって足跡に接吻するのだった。ついに数か月後、死によって彼の悩みに終止符がうたれた。これは実際にあった話である」(第一巻、八三ページ)
一六六
リジオ・ヴィスコンチはたいへんな読書家だった。彼が世界を回って自分で見たこと以外、このエッセーは十五人から二十人あまりの有名人の回想録にもとづいている。こういうつまらないものにでも、ちょっとでも注意をはらおうという読者に偶然でくわすこともあろうかと、リジオがその考察と結論をひきだした書物の名をつぎにあげておこう。
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『ベンヴェヌート・チェリーニ自伝』
セルバンテスとスカロンの『短編小説』
アベ・プレヴォの『マノン・レスコー』と『キレリーヌの長老』
『エロイーズからアベラールへのラテン語の手紙』
『トム・ジョーンズ』
『ポルトガル尼僧の手紙』
オーギュスト・ラ・フォンテーヌの二、三の小説
ピニョッチの『トスカナ史』
『若きウェルテルの悩み』
ブラントーム
カルロ・ゴッチの『回想録』(ヴェネチア、一七六〇年)ただし彼の恋物語に関する八〇ページのみ。
ローザン、サン・シモン、デピネ、ド・スタール、マルモンテル、ブザンヴァル、ロラン、デュクロ、ホレース・ウォルポール、エヴリン、ハッチンソン等々の『回想録』
レスピナス嬢の『書簡集』
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一六七
当時の大立物の一人、教会と国家における最も高名な人物の一人が、今夜(一八二二年一月)M……夫人の家で、大革命の恐怖政治時代に危く命拾いした経験を語った。
「私は不幸にも、立憲議会で特に名を知られた議員のひとりにはいっていました。すこしでも大義が達成できる希望が持てる間は、どうにか身をかくすところを見つけてパリにとどまっていましたが、ついに危険が増し、外国もわれわれのために思いきった行為にでないので、私は出発する決心をしました。しかし、旅券も持たずに立たねばなりませんでした。みなはコブレンツへ行ったので、私はカレーから逃れようと思いました。しかし十八か月前から、私の人相書は方々ヘばらまかれていたので、最後の宿駅で見つかってしまいました。しかし、そこは通してくれました。カレーで、ある宿屋に着きました。お察しのように、ほとんど眠りませんでしたが、これが私に幸いしました。と申しますのは、朝の四時ごろ私の名を呼ぶのをはっきり耳にしたからです。起き上がり急いで服を着る間に、私は銃を持った国民衛兵の姿を夜目にもありありと認めました。彼らは表門を開けさせて宿の中庭にはいってきます。さいわいにも外はしのつく雨で、強い風の吹いた、とても暗い冬の朝でした。暗闇《くらやみ》と風の音のおかげで、私は裏庭とうまやを通って逃れることができたのです。私は、びた一文なしの状態で朝の七時に街にほうり出されてしまいました。
宿屋から今にも追手《おって》がかかると思い、自分で何をしているかもわからず、港へ行き突堤へ出ました。頭が少々おかしくなっていたのは認めます。眼さきに断頭台だけがちらついていたのです。
こんな荒模様に出港していく郵便船がありました。突堤からもう四十メートル近くも離れていました。突然、海の方から声がし、私を呼んでいるように思えました。見ると一隻の艀《はしけ》が近づいてきました。『さあ、お乗りください。お待ちしていますよ』
私は機械的に乗りました。その男が耳もとでささやきました。『突堤の上をおびえた様子で歩いていられるので、てっきり、かわいそうに追われている方なんだと思いました。あなたのことは私の待っている友人だと言っておきました。船に酔ったふうをして下の船室のかげにかくれていらっしゃい』」
「まあ、なんてりっぱな行ないなのでしょう」ほっと溜息《ためいき》をついてこの家の女主人はさけんだ。たくみに物語られたこの僧侶の長い冒険談に感動して、彼女は涙ぐんでさえいた。「その見知らぬ親切な方にはどんなにか感謝なさらなくてはいけませんわ。なんという方でしたの?」
「その人の名を私は知らないのです」すこし困った様子でその神父は答えた。
一瞬、サロンには深い沈黙があった。
一六八
父と子 一七八七年の対話
父(〔陸軍〕大臣)
「おめでとう。〔オルレアン〕公に招待されるとは、お前にとって喜ばしいことだ。お前の年にしては特別のお取り立てだよ。六時きっちりに、〔王〕宮へまちがいなく参上するんだね」
息子
「おとうさんも晩餐に招かれていらっしゃるんでしょう?」
「〔オルレアン〕公は私の一家にはいつもじつによくしてくださる。お前を初めてお招きくださるにあたって、私もお相伴にあずかっているよ」
息子は育ちのよいすぐれた才知に恵まれた青年だったから、六時に〔王宮に〕まちがいなく参上した。客は七人だった。息子の席は父の正面だった。それぞれの会食者のかたわらには裸の美女がひかえていた。盛装した二十人の侍僕が給仕した。
一六九
ロンドン、一八一七年八月
今夜開かれたパスタ夫人の音楽会ほど美の現前に感動し、畏怖《いふ》の念に打たれたことは、かつてなかった。
夫人は三列の若い娘たちにかこまれて歌ったが、彼女たちは非常に美しく、この世ならぬ清らかな美しさだったので、私は尊敬のおもいから頭がさがり、眼を上げて嘆賞し楽しむことができなかった。このようなことはほかのいかなる国でも起こらなかった。愛するわがイタリアにおいてさえも。
一七〇
芸術において、あるひとことだけはフランスでは、絶対に不可能だ。それは熱狂だ。夢中になった男は滑稽すぎる。「あまりにも幸福そうに見えるのだ」。ヴェネツィア人がブラッチの諷刺詩《ふうしし》を朗誦するのを見たまえ。
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解説
人と文学
「今日なおスタンダールが過賞され、その名声には多少のスノビスム(時流を追うこと)がまじっていると、思いこむ人がいるならば、『赤と黒』の傍題である「一八三〇年代記」について思いめぐらしてもらいたい。つまり、この小説が百年前に書かれたことを思いだし、それまでにフランス小説にどんな傑作があったかと自問されるのがよい。『マノン・レスコー』『危険な関係』『アドルフ』などがあるにはある。だがこれらの小説はどれひとつとっても、いかなる点でも『赤と黒』には似ていないのだ。スタンダール以前に世紀の年代記を書いて大小説をつくった者はいなかった。誰ひとり動きつつある一世代を照しだす考えも力も持たなかった。さらに、動きつつある一世紀などは!」
これは二十世紀前半のフランスのすぐれた批評家アルベール・ティボーデが一九三一年に刊行した評伝『スタンダール』の書きだしである。スタンダールの独創的重要性を浮彫りにし、文学的位置を見事に定着した文章であるが、死後の栄光とは逆に、生前のスタンダールはきわめて不遇であった。
スタンダール(これはペンネームであり、ペンネームの数は百二十九に達するといわれる。この『恋愛論』にも見られる韜晦《とうかい》趣味、いいかえると、人を煙りに巻く傾向が彼にあった)が生まれたグルノーブルは、スイスやイタリアの国境に近いフランス東南部のドーフィネ地方の首府で、現在は冬の観光都市として著名であるが、山に囲まれ、風土はきびしい。スタンダール自身が書いている。「このドーフィネ地方はいつも半ば共和的であるにすぎなかった。この土地の人は、パリからくる出来合いの真理はほとんど受けつけない。一年のうち六か月は雪に埋れ、人々は仕事がないので観念を作る楽しみにふけり、独創的であるという不幸を持つ」と。
のちのスタンダールであるマリー=アンリ・ベールが生まれたのは、一七八三年一月二十三日の木曜日、極寒の最中であったが、ベール家は一六〇〇年代のはじめにこの地に住みつき、アンリの父親シェリュバン=ジュゼフ・ベールは高等法院弁護士の要職にあった。後年アンリによって、「優雅なところは最も少なく、小ずるく立ち廻ったり策略を弄《ろう》することが最も多い」と批評されるシェリュバンは、十七歳で父を失い、長男であったために年少にして一家を養わねばならなかった(姉妹のうち四人を尼僧院へ送り、四人ないし五人を結婚させた)。執拗で忍耐強く、意志的で情熱に溺れないというドーフィネ人の性格に加えて彼を襲った不幸は、彼を陰気な人間に仕立てあげてしまった。生まじめで、人に悪感情を起こさせるほどの気むずかしい美徳を、威厳をもって守る、非常な信心家だった。
一方、母親のアンリエットは、イタリアのトスカナ地方から十五世紀にフランスのアヴィニョンに移り、さらに十八世紀の終りにグルノーブルにきたガニョン家の娘だった。三十四歳の、頑健だが醜男《ぶおとこ》で、婦人たちの前では気の利いた口もきけないシェリュバンが、どうして活発で陽気な二十三歳のアンリエットを妻に迎えることがてきたのだろうか。スタンダールの伝記を書いているほとんどすべての学者がこうした疑問を持っていることは、その書きぶりから察しがつくが、世の中は、美男と美女とが必ずしも結びつくようにはできていないし、また、スタンダールが父を嫌悪し、母を讃美する言葉を後世の人々がそのまま信じこんでしまったのではないか、との疑いも持たれる。それはともかく、結婚後七年、アンリにふたりの妹を残して産褥熱《さんじょくねつ》で死んだ。彼は五十年後に、「母とともに私の幼年時代のすべての悦びは終った」と記し、また、「母を接吻で覆《おお》いたかった。着物がなければいいと思った……。私があまり熱烈に接吻を返すので母はよく逃げださねばならなかった。父がきて私たちの接吻が邪魔されると、私は父を憎んだ」と書く。母がたいへん美しく魅力的で、恋心に近い愛情をアンリが抱いたことはもはや疑う余地がない。エディプスコンプレックスの徴候をここに見るのは容易だが、必ずしも異常なものではないだろう。パスカルをはじめ、現代のサルトルにもそのような傾向を認めることができるからである。
アンリは、世界で一番彼が愛し、またそのような彼を理解している人を失った。これは彼の生涯を決定するに足る大事件であった。シェリュバンは、家事を亡き母の妹セラフィに、教育を司祭ライヤンヌ師に委ねた。陰気で口やかましく、信心深いセラフィは、死んだ姉のアンリエットとは正反対の女性であったらしい。またライヤンヌ師は専制的で狭量で執念深く、狂信者に近い信仰の持主だった。「彼は小柄で痩せており、ひどく取り澄まし、血色悪く、いやな眼つきで、憎々しげな眉をしていた」と、のちにアンリは書く。ライヤンヌ師は、自由が人民にも子どもにも著しく大きな悪である、と考え、厳格な道徳感を吹きこむことに全力を尽した。ライヤンヌ師の教育は逆効果で、アンリはことごとに家庭教師の教えに反撥した。「私は師を憎んだ。師の権力の源泉である父を憎んだ。さらに私は、師が私に圧制を行なったとき大義名分として掲げた宗教を憎んだ」
湿ってうす暗い、父の家のこの息づまるような空気とは逆に、亡き母の実家ガニョン家には、自由と高潔な雰囲気があった。アンリは、歩いて五分ほどのところにあるガニョン家へ昼食をとりに行くのだが、二時間ほどの短かい時間が一日のうちで最も楽しいひとときだった。母方の祖父は医者で、若いときに婦人たちに愛された名残りをとどめて、なかなかの洒落者だったし、また、新思想のひそかな支持者でもあった。科学はもちろん文芸にも造詣が深く、グルノーブルの図書館の創始者のひとりで、また中央学校建設委員にもなった。宗教をあまり几帳面に考えなかったこともアンリにはうれしかったが、愛書家だった祖父は孫に本を貸し、自分の見解を述べ、その趣味のほとんどすべてを孫に伝えたといわれている。美文調の排撃、内容の真実性や、明晰な理性の尊重など、作家スタンダールの主たる傾向はこのとき養われたと説く研究家もいる。
祖父の姉になる七十歳の老嬢エリザベートは、イタリア風の美しい顔立ちをし、名誉を重んじ、高尚で誇り高い感情の源泉であった。「彼女は私の心情をつくりあげた」とのちにアンリは書く。また、亡き母の兄弟であるロマン・ガニョンは、「ガニョン家の穏和な気候、怠惰で情熱的な花咲ける斜面」(ティボーデ)を代表する美男子で、祖父の一人息子だったが、その美しい明晰な妻に、アンリは片想いを寄せたりした。いずれにせよ、ベール家とガニョン家とは対照的な存在だった。『赤と黒』という標題の赤は軍服を、黒は僧服を指すとされているが、ティボーデは、赤をガニョン家の象徴で、黒をベール家の象徴と考えてさえいる。
アンリの日々を閉ざされたものにしていたふたりの人間、セラフィ伯母とライヤンヌ師とは相ついで彼の前から姿を消した。前者は一七九七年一月九日、持病が悪化して死に、後者は一七九四年八月、革命政府の逮捕状がでて姿を消した。師は一七九二年の終りごろからベール家にはいっていたので約二年間、アンリはその圧政に苦しんだことになる。一七八九年に起こったフランス大革命は徐々にその余波をフランス全土にひろげ、師が追放された同じ年の六月、ガニョン家の露台下のグルネット広場で、ふたりの僧がギロチンにかけられたことがある。その前年、ルイ十六世が処刑されたのを聞かされて歓びにふるえたように、アンリは宗教に対する反感から、僧侶の処刑にも快哉《かいさい》を叫んだのだった。教育制度も大きな変革の波を受けた。シェリュバンが希望していたカトリックの学校はグルノーブルにもはや存在せず、一七九五年に創設された、中央学校(前述の如く、アンリ・ガニョンは創立者のひとり)に彼は入学することになった。文芸よりもむしろ科学の分野に力をいれる教育方針は、アンリ自身の性向ともうまく適合して、文体を無視しても思想を語ること、そして、人間の心をさぐるにも、科学の論理とイデオロジー的方法をあてはめること、という作家スタンダールのあり方を形成するのに大いに寄与したといわねばならない。アンリは、イデオロジーから出発して特に数学に興味を抱き、一等賞を獲得したほどである。
パリの理工科学校の受験を志したのは、数学が得意だったからでもあるが、同時に陰気なグルノーブルを逃げだしたかったからでもあろう。だが、わざわざパリまででかけたアンリは受験するのを放棄する。芝居を書くためにパリに残っていたかったからだ、と後年彼は書き記しているが理由は明瞭でない。彼の小説『アルマンス』『ラミエル』などの主人公はみな理工科学校の卒業生である。また、『赤と黒』の主人公ジュリアン・ソレルは、出世欲に燃えた意志の強い人間として描かれている。アンリ・ベールは、他の小説家にしても似たケースが多いが、自分がなりえなかった、しかしなりたかった者を作品のなかに描いたといえないだろうか。
パリは空想していた都会とは違って、山のない平らな土地でしかなく、霧と雨とが屋根裏部屋に住む彼の心をいっそう暗澹《あんたん》とさせた。中央学校の同窓生七、八人は理工科学校に見事入学できたが、ベールは無聊《ぶりょう》をかこつだけである。ついに意気沮喪し、病人になった彼は、ノエル・ダリュ夫妻のさしのばした手にすがらなければならなかった。ダリュは、ガニョン家の遠縁にあたり、特にそのふたりの息子はベールの生涯に長くて決定的な影響を与えることになる。兄ピエールはナポレオンによって伯爵に叙せられた有能な官吏であると同時に、文学上の業績(ただしベールはそれを軽蔑の眼で見ている)も多い趣味人であり、弟のマルシャルは、ロマン・ガニョンと並ぶ遊蕩児だったが、ふたりとも陸軍省に勤め、その推挽《すいばん》でベールも同省にはいった。しかしながら彼は書記として使いものにならなかった。能筆でもなく綴字の誤りを何度も犯した。一八〇〇年の五月、ナポレオンの第二次イタリア遠征が起こり、ダリュ兄弟が従軍したが、ベールも馬にまたがり、長靴と拍車といういでたちでイタリアにむけて出発した。だが彼は直接戦闘に参加したことはなく、すべて後方勤務だった。はじめてミラノにはいり、また他の小都市でチマローザの音楽をきき、劇場で歌劇『秘密の結婚』を観た。この音楽と歌劇とが、彼の内なるドーフィネ人根性をすっかり根こそぎにした、と彼はのちに記す。
彼は、ミラノの女性に、教会や美術館に対する以上の強い関心を抱いた。そのひとりがアンジェラ・ピェトラグルーアである。このときから十年以上もの間、アンジェラは彼の理想の女性であり、ミラノは聖都となった。しかしアンジェラは、寸のつまった、ずんぐりしたこの青年、肩幅が広すぎ、顔が丸くて大きく、漆黒で縮れている濃い髪をした、「シナ人」と綽名《あだな》されているこの青年が、華美な竜騎兵の服装で現われたときも特別に注意を払おうとはしなかった。身なりは明らかに軍人だったが、彼は少しも軍務に熱心にならず、文学書を読みふけっている。そしてついに、ダリュの恩義に背いて軍を去り、グルノーブルに戻った。一八〇一年の十二月のことである。
父の了解をえて、あくる年、再び彼はパリに上る。「私の目的はなにか? フランス最大の〔劇〕詩人の名声を獲得すること。ただし、ヴォルテールの如く策略は用いず、真にそれに価することによって」。彼は、モンテーニュ、シェイクスピア、モンテスキュー、ラ・フォンテーヌ、コルネーユ、パスカルなどを愛読したし、ほとんど一晩おきにコメディ・フランセーズ座に通ったが、戯曲を書きあげることはできなかった。朗読法の個人教授を受けもしたが、これには女優と識りあいになろうとする下心があった。たしかに彼は幹部女優と親しくなれはしたが、恋人とすることはできなかった。彼が思案と懊悩《おうのう》の末に恋を告白した相手は、下っ端の女優メラニー・ギルベール嬢であった。嫉妬に悩みながら彼はメラニーに奉仕し、メラニーのほうも彼を愛しだした。メラニーは背が高く痩せて金髪だった。顔は整っており、青い大きな眼が、悩ましい憂愁さをあらわしていた。彼女はパリではデビューできないので、マルセーユの劇場に出演することになった。ベールは、作家になることをほとんど諦めかけていて、大金持になろうという野心を持ち、手はじめにマルセーユで働こうとしていた。こうしてふたりはマルセーユで同じ宿に泊り、隣り同士の部屋に住んだ。食料雑貨店での手代としての活躍は、ロマンチスト的傾向のあった彼に、現実を見る眼を与えた。だが国際情勢の変化から、商売が成り立たなくなり、一八〇六年に彼はまたもや故郷のグルノーブルにもどらざるをえなかった。だがすでにその前、マルセーユの劇場が閉鎖され、メラニーは彼の許を去った。ベールの恋人中、最も彼を愛したと思われるメラニーの出発を彼がそれほど悲しまなかったのは、メラニーとの間に性格の違いが明瞭になってきたからであり、ある意味でベールは、気むずかしい恋人でもあった。
グルノーブルからまたもやパリにでた彼は、かつての恩人ダリュの世話にもう一度ならなければならなかった。立身出世したダリュの手びきで、連戦連勝のナポレオン軍の経理補佐官となり、こうして一八〇六年十月から、六、七年間、パリからモスコーまでヨーロッパを転々と歩くことになる。ドイツ人に閣下と敬《うや》まわれ、フランス人の有力者に経理官殿と呼ばれ、間もなく、勝手に苗字の前にドをつけて貴族を自称するアンリ・ド・ベール氏は、馬車を乗り廻し、豪奢《ごうしゃ》な食事を楽しみ、パリでは踊り子を囲い、快楽と贅沢の限りをつくす。しかも途方もないことだが、恩人であるピエール・ダリュ伯の夫人アレクサンドリーヌに恋心を抱き、二年の間、悶々の情を押さえていた。肉づき豊かな中年の、六人の子のあるこの夫人がベールの告白を聞いたとき、怒りはしなかったが、決然として拒絶したのは当然であろう。ただ彼女は、ベールを、参事院書記官、皇室財産検査官に任命させた。恋愛での敗北はベールにとってはじめてではないとしても、野心は充たされたが心は空虚で、この空虚を充たすため、一八一一年、ミラノへの旅にでかける。ミラノには、アンジェラ・ピエトラグルーアが住んでいる。ベールは狂ったようにアンジェラを求め、ついに同年九月、十年間の恋が結実するが、アンジェラがベールを心の底から愛していたわけではなく、恋の駆引きにおいては、百戦錬磨の彼女に手玉にとられたにすぎない。彼女は、金をひきだすことが目的だったのだ。
狂恋の三か月が経ちパリにもどった彼は、イタリアでの旅行の際の見聞を基に、『イタリア絵画史』の執筆を開始する。それだけ職務への忠実さがなくなり、あるいは幻滅を感じだしたともいえる。一八一二年七月、皇后の、皇帝宛親書を携えてパリを出発、モスコーに向う。しかしそこでナポレオン軍の敗退に立ち会わねばならなかった。そしてついに一八一四年、ナポレオンの没落とともに、ベールも没落し、「根こそぎやられてしまった」と妹への手紙に書く。彼は馬車と家具とを売り払い、ミラノへと出発する。ミラノは彼にとってフランス以上の祖国なのだ。ミラノへの出発前、彼は、数人の無名の音楽評論家の本を下敷にして『ハイドン、モーツアルト、メタスタジオ伝』を口述し、一八一五年に出版させた。イタリア人の本の剽窃《ひょうせつ》ともいえるこの最初の著書は、十年間で一二七部しか売れなかった。だが彼の最大の関心事はアンジェラだった。貧しく、金もないベールをすぐにお払い箱にしなかった理由は判然としないが、多くの恋人を持っていたアンジェラは非常にしばしばベールをミラノから追いやったりした。彼がアンジェラの正体を知ったのは一八一五年の末のことで、これが決定的に破局をもたらした。失恋の痛手を忘れるためもあって彼は『イタリア絵画史』を書きあげ、その仕上げのために、フィレンツェその他の都市を訪問し、『ローマ、ナポリ、フィレンツェ』を書き、ともに一八一七年に上梓した。そして後者の著者名としてはじめて、騎兵士官ド・スタンダールと署名をした。だが『絵画史』はその死の直前にも初版本が一二五冊売れ残っていたし、『ローマ、ナポリ、フィレンツェ』もまったく問題にされなかった。
ミラノでベールは貧しく無名の一フランス人でしかなかったが、その自由主義を少しも隠そうとはしなかったので、この都市の自由を希求する青年たちとの交際がひらけた。一八一五年以後、ロンバルディアとヴェネツィア地方は、オーストリア領となり、王国の名称を与えられていたのである。そのころ彼は、自由主義者のひとりによって、ある女性の家に連れて行かれた。それがメチルド(本名はマチルド)・デンボウスキーで当時二十八歳、夫はポーランド出身の粗野な軍人だった。メチルドは夫と、いわば冷戦状態にあり、またミラノの社交界の習慣から恋人を持つことには周囲は寛容だった。しかし夫人は、赤ら顔で太鼓腹の、精力がありあまっているようなベールを受けいれようとはしなかった。だがベールのほうは、恋をするようになると、恋する相手が神秘的で神聖な色会いを持つようになり、たとえばメチルドが持っているのによく似た白いサテンの帽子が、町なかで遠くに見えただけで心臓の鼓動はとまり、壁に寄りかからねばならなかった。三十五歳にもなった男としては見っともないくらいの有様であるが、彼は自意識過剰だったのである。
ミラノ滞在中に父が死んだが、遺産はなく借財があることを知った。彼は、一八二一年六月、ついにミラノを去る。オーストリア当局が彼を、イタリア統一をめざす炭焼党員《カルボナリ》ではないかと嫌疑をかけたようだが、同時に、メチルドにいれられない味気ない思いがこの町に居たたまれなくさせたらしい。パリにもどった彼は、ミラノ滞在中に書き溜めておいた『恋愛論』を出版する。一八二二年三十九歳のときである。つまりこの本は、メチルドに受けた悲恋を主軸にしており、ひとつの誠実な告白と考えることができる。そしてメチルドが一八二五年に肺結核で死んでも、彼の心のなかにはメチルドへの愛が残っていた。
ところでベールはすでに四冊の本を刊行した。これに関連してティボーデは、ベールにとって四つの生き甲斐がそこにあらわされていると解釈する。四つとは音楽、絵画、社会、恋愛で、『ハイドン、モーツアルト、メタスタジオ伝』『絵画史』『ローマ、ナポリ、フィレンツェ』『恋愛論』がそれにあてはまるという。これは単なる思いつき以上のものでベール、いやいまはスタンダールというべき作家の四本の柱でもあろう。彼はつぎつぎに著書を刊行する。一八二三年から二五年にかけて、シェイクスピア礼讃のパンフレット『ラシーヌとシェイクスピア』、二四年に『ロッシーニ伝』、二七年に長篇小説『アルマンス』、二九年に『ローマ散策』と短篇小説『ヴァニナ・ヴァニニ』、三十年に長篇小説『赤と黒』という具合に、読者はほとんど無かったにしろ、執筆活動はさかんである。彼はパリでいくつかのサロンに出入し、得意の酒落をとばす。誰かの話に触発されて、たちまちイメージや観念や記憶が頭のなかにあふれ、即興的に口をついてでる。それは、才智にあふれているが時には露骨すぎ、時には逆説的であって、ますます彼についての誤解を深めさせるだけだ。彼は、ドン・ファンで極悪非道の人間だと見られていた。しかし彼のほうでもフランス文壇のお歴々、ラマルティーヌやヴィニーやユゴーを尊敬していなかったし、さらにアカデミーの会員たちには無礼な態度を隠そうともしなかった。そしてこの間にあってまたまた彼は恋愛をした。相手はクレマンチーヌ・キュリアル伯夫人で、たいへん気まぐれな女性という評判だった。
彼女は三十四歳でこの恋は二年間つづいて終わった。クレマンチーヌに新しい恋人ができたためである。これが彼にとって最後の恋だった。
一八三〇年の七月革命によって政府が変り、ベールはトリエステの領事に任命されたがオーストリア政府は認可状を拒絶し、法王領のチヴィタ=ヴェッキアに任地を変更させられた。海辺のこの寒村での生活は彼には耐え難かった。五年間の勤務中、彼は往時の経験を書きとどめておこうとする。それが『エゴチスムの回想』であり、『アンリ・ブリュラールの生涯』である。だがこれらは、同時期に書かれた『リュシアン・ルーヴェン』同様未完である。
賜暇《しか》をえてパリに帰った彼は文筆活動に専念し、イタリアで筆写した古写本のなかの一篇の史話を土台にして長篇『パルムの僧院』を五十二日で書きあげる。豊かで強烈な霊感が凝集されたのだ。賜暇が終ってチヴィタ=ヴェッキアに赴任した彼は、バルザックの『パルム』に関する好意的批評を読んで力づけられたが、一方では肉体の衰えを自覚し、虚無と倦怠に悩まされ、しばしば自殺への誘いをふりほどかざるをえなかった。失語症になり、やがて回復はしたものの、死の近いことを覚悟した。休暇を申請して許可されパリにもどったのは一八四一年だったが、二度とイタリアにもどることはなかった。
彼は翌年の三月二十二日午後七時、ヌーヴ・デ・カプシーヌ街の歩道で意識を失って倒れ、翌朝未明に死んだ。翌々日、遺体はモンマルトルの墓地へ運ばれたが、棺につき添ったのは小説家メリメをふくめて三人しかいなかった。
その墓碑には、「ミラノ人アリゴ・ベイレ、生きた、書いた、恋した」という彼自身の考えによる碑がイタリア語で刻まれている。
作品解説
『恋愛論』は一八二二年八月に出版された。発売後十年経ってもわずか十七部しか売れず、版元が、この本は神聖なんですな、誰も手を触れようとしませんから、と書いて寄越す始末だった。三三年に再版がでたが、これは売残りの本の表紙を変えただけである。だがティボーデが、「スタンダールのすべての本の中で、これほど正確に一八八〇年にならなければ理解されないように書かれた本はない」といっているように、当時の人々の無理解を殊更責めるべきではない。というのは、「『恋愛諭』が生命と意義を持つためには半世紀にわたるスタンダール研究の結果再発見された彼の音楽と、『アルマンス』から『パルムの僧院』に至るその小説と、スタンダール流のロマネスク趣味の流行が必要だった」からである。いいかえると、ここには、スタンダールの生活、特に彼のメチルドへの恋が色濃く投影している。
墓碑銘に見られるように、恋愛は彼の生涯を貫いて流れる大きな関心事のひとつであった。一八三五年、砂の上に彼は十二の頭文字を記す。これは彼が愛した十一人の女性の名前である(同一の女性の頭文字が二度くり返される)。そのほとんどが彼に悲恋の嘆きを与えたはずであるが、彼はその生涯において決して女性不信に陥いることなく、新しい恋を求めて行く。その恋のなかでアンジェラと、メチルドとが占める比重はきわめて大きい。なぜなら、このふたりはミラノの女性であり、これも墓碑銘にあるように、スタンダール自身、ミラノ人と自称したのであったから。そして特にメチルドは深い愛情の対象だった。『恋愛論』のなかで彼はメチルドをレオノールと呼び、じつにしばしばメチルドと彼自身との間に起こった事件を書きこんでいる。メチルドが白いサテンの帽子を愛用していたので、町なかで白いサテンの帽子を見かけると感激で胸が高鳴り、立っていられなくなる、といった挿話が三回もでてきたりする。スタンダールにこのような激情を与えたメチルドとはいったいどんな女性であったのか。
メチルド・ヴィスコンチニは、一八〇七年、十七歳で、二十歳年長のポーランド人と結婚した。ジャン=バチスト・デンボウスキーは、勇猛果敢な騎兵将校としてポーランド軍団に、つぎにイタリア軍隊に属して戦い、副司令官の地位にあった。色好みの将軍で、結婚後数年、メチルドを何回も裏切り、それを責める彼女に暴力を振るった。そこでメチルドは末の息子を連れてスイスのベルンに逃れた。しかし、当時の社交界の掟《おきて》として、妻がどんな策略を用いて夫をだまそうとかまわなかったが、夫の家を離れることは許されなかったので、四か月ののちミラノに戻らなければならなかった。夫の家に帰ることを余儀なくされたメチルドの関心事は祖国の解放以外にはなにもなかった。
心に深い痛手を負った、弱々しげな優美さ、肉づきのよいアンジェラとは正反対の、病的なまでに繊細なその姿態、このようなメチルドはベールにとって、天上の人にも見えた。肉体的な美しさと魂の高貴さとをともに具えた稀有な女人としてベールは彼女を崇拝したが、メチルドのほうでは彼を歯牙《しが》にもかけなかった。臆病な男がそうするように、場所柄もわきまえず恋の告白を突発的に行なった彼は、たちまちメチルドの気を損ね、訪問は月二回にしてほしいといわれる。
一八一九年五月、メチルドはヴォルテルラという寒村にでかけた。そこのカトリック系学校の寄宿生となっている二人の息子に会うためである。ベールは彼女の跡を追い、緑色のサングラスをかけて学校のまわりを徘徊した。夜はサングラスを外さねばならなかったので、ついに見とがめられられ、気遣いが足りないと彼女に責められた。それでその後は専ら恋文を書きつづけたが、ミラノで再会したとき、あんな手紙を書くなんて図々しいわね、と一言のもとにきめつけられた。
一八二一年、ミラノを去るにあたって彼はメチルドに別れの挨拶をしに行った。ミラノにはもう二度と来ないでしょう、と万感の悲哀をこめていった彼に、メチルドはよそよそしい態度しか示さなかった。パリにもどった彼は、ミラノの人たちがよく集まるサロンに行って、ときにメチルドの名前が発音されるのを聞くと、メチルドの思い出を噛みしめ、自分の部屋にもどると、眼に涙を浮べながら『恋愛論』の校正刷を訂正しだした。彼はミラノで、心が平静なとき、鉛筆で彼自身の悲痛な恋の秘密を書きとめておいたのである。リジオ・ヴィスコンティとか、サルヴィアティとか、仮空の第三者を創造して。ある研究家が指摘するように、ラマルチーヌの有名な『瞑想詩集』と時を同じくして刊行されたこの書物は、この恋愛詩集以上に誠実な告白であるともいえよう。アンジェラとメチルド、この二人の女性への思慕と憧憬とがベールをつき動かして『恋愛論』一巻が書きあげられたのである。
『恋愛論』の中で最も有名なのは恋愛の結晶作用を論じた部分である。あるいはこの部分が『恋愛論』を有名にした、というべきかもしれない。恋愛を四つに分類し、さらに、ザルツブルクの小枝を例にとって恋の誕生の過程を説明しているが、これが一般に「結晶作用」と呼ばれるものである。その論の進め方は決して奇異ではないし、現代においても立派に通用するものであるが、その立論の背景にはスダンダール自身の体験があきらかに存在する。いいかえれば、この書物の随所に作者らしい人物が登場し、その人物は、作者ならこのように反応したであろう、と思われるような反応の仕方をしているのである。
彼は四種類の恋愛を述べているが、そのなかで彼が真の恋愛と考えているのは情熱恋愛のみである。といってもそれは、短篇『カストロの尼』などに見られるような肉体を灼《や》きつくすがごとき恋ではなく、相互に信頼しあい、愛を純化し深めようとするものであって、哲学者アランがいうように、意志力の介入する精神性の強い働きなのだ。情熱は、徳と対比され、抑えられるべき過度のものという評価を受けてきたが、スタンダールはこれを逆転し、情熱恋愛こそ魂の原動力であり、芸術や美を享受するのに欠かすことのできないものとした。第五十九章の「ウェルテルとドン・ジュアン」がスタンダールの考えを明瞭にしている。彼は、漁色家のドン・ジュアンよりも、夢想家のウェルテルのほうに軍配を挙げている。スタンダール自身がウェルテル型であることは明瞭で、好きな女性の前にでると、まごついてなにもいえなくなることは前に述べた通りである。
作者が冒頭で約束したように、トラシーのような観念学的考察が充分になされているとはいえず、乱雑な感じを免れ難いが、それは彼自身の体験、それも悲恋の体験があまりにも生々しかったからではあるまいか。メチルドへの哀切きわまりない思慕の情が行間から吹きでてくるようであり、メチルドやアンジェラに出会うことのできたイタリアへの愛が手放しで語られているのもそのためだ。「生きた、書いた、愛した」というスタンダールの人生がこの『恋愛論』に凝縮しているといってよいだろう。
代表作品解題
『赤と黒』(一八三〇年)
一八二七年、グルノーブル裁判所は、若い神学生であるアントワーヌ・ベルテに謀殺の罪で死刑の宣告を下した。この事件にヒントをえたスタンダールが書き下ろしたのがこの小説である。小さな製材工場の息子ジュリアン・ソレルは、村の司祭の推挽で町長レナール邸に家庭教師として住みこむ。貧しい家庭に育ったジュリアンは、金持ちへの反感もあってレナール夫人を誘惑する。夫人の純情に次第にほだされていったが、二人の情事はレナール氏の知るところとなり、ジュリアンは村を去らねばならなくなる。彼は神学校に入学し、やがて彼の才能を買った校長の紹介でパリのラ・モール侯爵に秘書として雇われる。そこで彼は、自尊心の強い侯爵の令嬢マチルドと恋に陥るが、それは憎悪の感情のまざりあった奇妙な恋だった。マチルドが身重になったことが知られ、侯爵は止むなく二人の結婚を認めようとするが、そのとき、レナール夫人の名前でジュリアンの前歴を暴露する手紙がとどき、いっさいが瓦壊《がかい》する。ジュリアンは怒り狂い、村に舞い戻って聖堂にいるレナール夫人を狙撃して重傷を負わせ死刑の宣告を受ける。獄中でレナール夫人の手紙が事実は彼女の書いたものでないことがわかり、従容として断頭台に上る。この小説は、副題「一八三〇年代史」が示しているように、王制復古期のフランスの政治状況が織りこまれている政治小説でもある。
『パルムの僧院』(一八三九年)
大貴族の次男として生まれたファブリツィオ・デル・ドンゴは、ナポレオンを崇拝するあまりワーテルローの戦場に駆けつける。帰国後そのことがファブリツィオの評判を傷つける。女のことで旅役者と喧嘩し、誤って殺したため投獄されるが、これにはパルム公国の政治的陰謀が絡《から》んでいた。獄中で牢獄の長官の娘クレリア・コンティと激烈な恋愛に陥いる。このクレリアや、美しい叔母のサンセヴェリーナ公爵夫人、その愛人であるパルム公国の宰相モスカ伯爵などの助けを借りて脱獄するが、クレリアとの恋愛が忘れられず、あえてもう一度牢獄にもどる。一方、サンセヴェリーナ公爵夫人はパルム大公を暗殺させる。そして新パルム大公を懐柔してファブリツィオを赦免させ、ファブリツィオは聖職者となる。クレリアはすでに結婚していたが、ファブリツィオと関係し、子供を生む。その子供が急死し、そのあとを追うようにクレリアも死ぬ。ファブリツィオは僧院にひきこもるが、彼もまた心痛のあまり間もなく死ぬ。これはわずか七週間で書き上げられ、上梓後バルザックによって賞讃された。
『アンリ・ブリュラールの生涯』(一八九〇年)
これはスタンダールの死後に刊行された自伝的作品で、幼年時代から十七歳のとき、ナポレオンのイタリア遠征軍に加わってミラノに到着するまでで終っている。一八三五年、五十二歳のときに執筆を開始したが、翌年これを放棄してしまった。「植物採集と同じように私の一生を分類すると、こんなふうになろう。少年時代、最初の教育、一七八六年から一八〇〇年まで……十五年」という記述が同書にある。この十五年を書いたのがこの自伝で、そこには、私とはなにか、あるいは私とは何であったか、という執拗な問いがある。この書物の前に彼は『エゴチスムの回想』を書いた。これはほぼ四十歳代の自己の生活を語ったものであるが、これも未完に終っている。幸福な少数者のために書かれたこの二つの未完の自伝は、スタンダールが極めて意識的な作家であることを示している。
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訳者あとがき
『赤と黒』や『パルムの僧院』をむさぼるように読んだことはあっても、自伝的作品である『アンリ・ブリュラールの生涯』や『エゴチスムの回想』や『恋愛論』を通読した人はそんなに多くはないように思われる。私もそんなひとりであった。だがそれだからこそ、すでに何種類ものすぐれた既訳があったにもかかわらず、『恋愛論』の翻訳をひきうけることにしたのである。スタンダールがこの書物で語っている中心主題は、たしかにメチルドへの悲恋であった。彼が自分を三人称で登場させているのは政治的配慮もあってのことだが、メチルドへの恋を忘れることができず、詠嘆に陥りがちな自己を冷酷に眺めようとしたからでもあろう。つまりは作家の眼で、取り乱した自分を凝視することができたと言えよう。もちろんこの書物の全体は、読書に伴う感想や社交界での見聞などが混じりあい、体系的に恋愛について語っているのではなく、覚え書以上のものではないとも言えるが、かえってそこにスタンダールの実生活が生ま生ましく露呈されているようにも思えるのだ。そしていまの私には、彼の謎多き素顔により深い興味を覚えていることを告白しよう。
〔訳者紹介〕
白井浩司(しらいこうじ) 慶大文学部教授。一九一七年、東京生まれ、慶大仏文科卒。一九五二〜五三年フランス留学、一九六六年辰野賞受賞。日本・フランス語・フランス文学会、三田文学会、文芸家協会、日本ペンクラブ各会員。著書、「小説の変貌」「サルトル入門」「入門フランス文学史」「サルトルと知識人」「純粋観客」。訳書、サルトル「嘔吐」、フローベール「ボヴァリー夫人」など多数。二〇〇四年没。