パルムの僧院(上)
スタンダール作/大久保和郎訳
目 次
まえがき
第一部
第一章
第二章
第三章
第四章
第五章
第六章
第七章
第八章
第九章
第十章
第十一章
第十二章
第十三章
解説
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おもな登場人物
ファブリツィオ・デル・ドンゴ……ミラノのデル・ドンゴ侯爵家の次男。サンセヴェリーナ公爵夫人の甥。ナポレオンに心酔し、ワーテルローの戦いに参加。そのため父親にも兄アスカニオにも疎まれる。逃亡のなかで芸人ジレッティを射したことで、パルマの獄に幽閉される。
サンセヴェリーナ公爵夫人……ファブリツィオの叔母。甥に宿命的な情熱をよせる。最初の夫ピオトラネーラ伯爵と死別したのち、老貴族サンセヴェリーナ公爵と形式的に結婚、パルマ公国の宰相モスカ伯爵の愛人として策謀渦まく宮廷に生きる。
モスカ伯爵……パルマ公国の宰相として実権を握り、宮廷政治を巧みに切りまわす政治家。サンセヴェリーナ公爵夫人を愛す。
クレリア・コンティ……パルマの獄の長官、ファビオ・コンティ将軍のひとり娘。幽閉されたファブリツィオを愛す。
ファビオ・コンティ将軍……クレリアの父。パルマの獄の長官。
エルネスト四世……パルマ公国の専制君主。パルマ大公。
ラヴェルシ侯爵夫人……パルマの宮廷で公爵夫人と対立する一派の頭領。
ラッシ……パルマ公国の検事総長。
ブラネス師……グリアンタの司祭。少年時代のファブリツィオの師。
ランドリアーニ大司教……パルマ公国の大司教。ファブリツィオをかばう。
ロドヴィーコ……ファブリツィオの忠実な従僕。
フェランテ・パッラ……詩人。センセヴェリーナ夫人を崇拝する。
ジレッティ……旅芸人一座の役者。
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まえがき
この小説が書かれたのは、一八三〇年の冬、パリから三百里も離れたところでだった。だから一八三九年のことには全然触れるところはない。〔この小説成立の経過については解説を参照〕
一八三〇年よりも何年も前、フランスの軍隊がヨーロッパを馳駆《ちく》していたころ、偶然私はある司教会員の家への宿泊券を与えられた。それはイタリアの魅力的な町パドヴァでのことだった。滞在が長くなったので私はこの司教会員と親しくなった。
一八三〇年の終わりごろふたたびパドヴァを通ったので、私はあの親切な司教会員の家に駈けつけた。彼はもうこの世にいなかった。私はそれを知っていたが、ふたりであれほどしばしば楽しい宵《よい》を過ごしたサロンをもう一度見たかったのだ。その後何度となく私はあの宵々をなつかしく思ったものである。行ってみるとあの司教会員の甥《おい》とその妻がいて、旧友のように私を迎えてくれた。ほかに数人の人々がたまたま訪れ、夜がふけてから皆は別れた。甥はカフェ・ペドローティからすばらしいザンバジヨン〔卵黄と甘口の葡萄酒を混ぜた飲み物で、主として食後に供される〕をとりよせた。われわれがこのように夜ふかししたのはとりわけサンセヴェリーナ公爵夫人の話が出たからだった。だれかが公爵夫人のことに触れ、甥は私のためその一部始終を語ろうとしてくれたのである。
「これから私が行く国では」と私は友人たちに言った。「このような夜会にはまずお目にかかれないでしょうから、夜の長い時間を過ごすためにあなたの話を小説に書いてみましょう」
「そういうことなら、私は伯父の年代記をあなたにさしあげましょう」と甥は言った。「そのなかのパルマの項では、公爵夫人が勢力をふるっていたころのあの宮廷の陰謀のいくつかに触れています。ですが、気をつけてくださいよ、この物語は全然道徳的なものではありません。フランスで福音書的純潔が誇りとされているこの節では、こんな物語を書けばあなたは極悪人と言われるかもしれませんよ」
私は一八三〇年の草稿に全然手を加えずにこの小説を発表するが、これには二つの難点があるかもしれぬ。
第一は読者の側にあるもので、登場人物はイタリア人だから、もしかするとあまり読者の興味をひかないかもしれない。この国の人々の心はフランス人の心とはかなり違うのだ。イタリア人は正直でお人よしだし、びくびくしていないから思ったことをずばずば言う。彼らが虚栄心を持つのは発作的にすぎない。そうなると、この虚栄心は情熱となり、「プンティリオ」〔イタリア語で自尊心・意地のこと。意地と虚栄心の関係についてスタンダールは『恋愛論』第三十八章に書いている〕と呼ばれる。最後に、貧しさはイタリア人のあいだでは笑うべきことではない。
第二の難点は作者に関することだ。
登場人物の性格のとげとげしいところをそのまま残しておいたのは、我ながら大胆なことだったと思う。そのかわり、公然と言明するが、彼らの行為の多くのものについては私はきわめて道徳的な非難を投げかけるものだ。フランス人の性格にある高い道徳性や優雅さを彼らに与えたところで何になるだろう? フランス人は何ものにもまして金銭を愛し、憎しみもしくは愛によって罪を犯すことはまずない。この小説のイタリア人たちはほとんどその正反対である。それにまた、南から北へ二百里進むごとに、新しい風景も生まれれば新しい小説も生まれるはずだ。司教会員の愛すべき姪《めい》はサンセヴェリーナ公爵夫人と面識があったばかりか、夫人をとても愛していて、夫人の行状はいかにも非難すべきものだが、なんの修正も加えずそのまま書いてくれと私に言った。
一八三九年一月二十三日
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第一部
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Gia mi fur dolci inviti a empir le carte I luoghi ameni.
――かつては美しい場所を見ると私は筆を取れという快いうながしをおぼえたものだ。(アリオスト)
〔アリオスト(一四七四〜一五三三)はイタリアの詩人。特にその長篇叙事詩『狂えるオルランド』は有名である〕
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第一章
一七九六年のミラノ
一七九六年五月十五日、ボナパルト将軍はロディ橋〔同年五月十日、ナポレオンはミラノ南方のこのロディ橋でオーストリア軍を撃破した〕を突破して来た若い軍隊の先頭に立ってミラノに入城した。数々の世紀を隔ててカエサルとアレクサンドロスの後継者が生まれたことを彼らは世界に告げたのであった。数か月にわたってイタリアが見せつけられて来た驚異的な武勇と天才は眠れる民衆を呼び覚ました。フランス軍の到着の一週間前までは、ミラノ人はフランス軍をオーストリア皇帝の軍隊の前に出ればいつも敗走するならず者の集まりとしか見ていなかった。すくなくともそれは、きたならしい紙に印刷した掌大《てのひらだい》の小新聞が週に三度彼らにくりかえしていることだった。
中世には共和政下のロンバルディア人〔ミラノ地方人〕はフランス人のそれに劣らぬ勇気を示したものだが、そのため彼らの都市はドイツの諸皇帝によって完全に破壊されるという目に遭《あ》った。彼らが|忠良な臣民《ヽヽヽヽヽ》になってしまってからは、彼らの大きな仕事といえばどこかの貴族もしくは金持の家に属する娘が結婚するとき、桃色のタフタの小さなハンケチに十四行詩《ソネット》をプリントするということになってしまった。生涯のこの重大な転機から二年か三年すると、この若い娘は|おつきの騎士《カヴァリエ・セルヴァン》を選ぶ。ときにはこのシジスベ〔カヴァリエ・セルヴァンと同意。女の世話をやく男。これはイタリアの上流階級に昔からあった弊風で、夫以外にこのような恋人まがいの男を持たぬ女性は上流階級では軽蔑された〕は婚家で選ばれていて、その名は結婚契約に堂々と記載されているのだ。フランス軍の思いがけない到来がもたらした深い感動は、このような柔弱な風習とは縁の遠いものだった。
間もなく新しい情熱的な風習があらわれた。自分たちがこれまで尊敬していたもののすべてが滑稽《こっけい》至極《しごく》であり、場合によってはいとわしくすらあることに、一国民全体が一七九六年五月十五日に気がついたのである。オーストリア軍の最後の連隊の撤退は旧思想の崩壊となった。生命を賭《と》することが流行になった。索漠《さくばく》たる気持ちで何百年も過ごして来たあげく幸福を得るためには、真の愛情をもって祖国を愛し英雄的行為を求めねばならぬことを人々は知った。カルロス五世とフェリーぺ二世〔ともに当時イタリアを支配していたスペイン王父子〕の猜疑心《さいぎしん》の強い専制政治の継続によって人々は深い闇のなかに沈められていたのだ。この皇帝たちの像を打ち倒すと、にわかに人々は光に包まれるのを感じた。この五十年ばかりのあいだ、そして『百料全書』とヴォルテールがフランスで評判になるにつれて、坊主たちはミラノの善良な民衆に、文字を知ったりこの世の何かを学ぶことはまったく無益なことであり、自分の教区の司祭に十分の一税をきちんきちんと払い、自分の犯したちょっとした罪を正直に告白さえしておけば、天国でちゃんとした場所を与えられることはほとんど確実だと声を大にして説いていた。かつてはあれほど猛烈であれほど理性的だったこの民衆を完全に無気力にしてしまうために、オーストリアは自分の中隊に新兵を供給しなくてもいいという特権を彼らに安い値段で売りつけたのである。
一七九六年には、ミラノの軍隊といえば赤い服を着た二十四人のやくざ者にすぎず、この連中は堂々たる四個連隊のハンガリー擲弾兵《てきだんへい》と協力して町を守っていた。風紀の放縦さはとほうもないほどだったが、情熱のほうはごくまれにしか見られなかった。のみならず、司祭に何もかも話さなければ世俗的にも破滅してしまうという不愉快なことのほかに、ミラノの善良な民衆はまたわずらわしいというほかはない君主制のこまごまとした束縛のいくつかをも負わされていた。たとえばミラノにあって従兄《いとこ》たるオーストリア皇帝の代理としてここを支配していた大公は、小麦の取引で金を儲けようと思いついた。そのため農民は、殿下の倉庫が一杯になるまで自分の穀物を売ることを禁じられた。
一七九六年五月、フランス軍の入城の三日後、この軍隊といっしょにやって来たグロという後に有名になった少々いかれた若い細密画家が、大きなカフェ「セルヴィ」(当時はやっていた)で大公の――なお言えば、この大公はものすごく図体が大きかったのだ――やったことを耳にして、粗末な黄色の紙に刷《す》ったアイスクリームのメニューを取り、その裏にふとった大公を描いた。ひとりのフランス兵がその腹へ銃剣をつっこむと、血のかわりに小麦がとほうもなくたくさん出て来るという絵である。冗談とか漫画とか呼ばれるものは、抜け目のない専制政治の支配するこの国では知られていなかった。グロがカフェ・セルヴィのテーブルに置いて行った絵は天から与えられた奇蹟のように見え、その夜のうちに印刷されて、翌日には二万枚も売れた。
同じ日、フランス軍の必要を満たすために六百万の軍事|賦課金《ふかきん》が徴収されることが布告された。六回の戦闘に勝ち二十の地方を征服して来たフランス軍に欠けていたのは、靴、ズボン、上衣、帽子だけだった。
これほど貧しいフランス軍とともにロンバルディアになだれこんで来た幸福と楽しみたるやおびただしいもので、六百万というこの税の重さに気がついたのは僧侶たちと幾人かの貴族だけだったほどだ。しかもやがて他にたくさんの税がこれにつけくわえられたのだが。このフランスの兵士たちは一日じゅう笑って歌っていた。彼らは二十五歳以下で、二十七歳のその司令官はこの軍隊のなかの長老者と見られていた。この陽気さ、この若さ、この暢気《のんき》さは、この半年来教壇の上からフランス兵は残酷非道なやつらで、すべてを燃やしつくしすべての人間の首を切らなければ自分が死刑にされるのだなどと言っていた坊主たちの怒りに満ちた予言と愉快な対照をなしていた。そのために各連隊は断頭台《ギヨチン》を先頭に立てて行進するのだと坊主たちは言っていたのだ。
田舎では、わらぶきの家の門口でフランスの兵士が家の主婦の幼い子供を揺すって寝かせているのが見られたし、ほとんど毎夕どこかの鼓手がヴァイオリンをひいて即席の舞踏会をやらせていた。コントルダンスは、元来そんなものをほとんど知らない兵士たちにはあまりにも技巧的で複雑すぎて、土地の女たちに教えることはできなかったから、この女たちのほうがモンフェッリーナやサルタレッロやその他のイタリアのダンスを若いフランス兵たちに見せてやった。
将校たちはできるかぎり金持の家に宿舎を与えられた。彼らとてむろん休養しなければならなかった。たとえばロベールという名のある中尉はデル・ドンゴ侯爵の邸宅に宿舎を割り当てられた。この将校はなかなかはしっこい若い徴集軍人《レキジシオネール》〔一七九三年の国民公会の議決で徴集された軍人〕だったが、邸にはいったときには全財産としてピアチェンツアでもらった六フラン金貨一つしか持っていなかった。ロディ橋突破の後、彼は砲弾で殺されたりっぱなオーストリア将校から真新しい南京木綿のすばらしいズボンを失敬したが、これ以上あつらえむきに衣頻が手にはいったことはない。彼の将校|肩章《けんしょう》は羊毛でできていたし、上衣はばらばらにならないように袖《そで》のところで裏地と縫いつけてあった。だがもっと憂鬱なことがあった。靴の底が、これまたロディ橋を越えたところの戦場で奪った帽子のきれっぱしで作ってあったのだ。このまにあわせの底はいやに目につく紐《ひも》で靴の上で結びつけてあるので、邸の給仕頭がロベール中尉の部屋にやって来て侯爵夫人と晩餐するようにと言ったときには、中尉はほとほととほうにくれてしまった。部下の小銃兵とふたりでこの運命の晩餐までの二時間を費して上衣を少々つくろい、なさけない靴紐をインキで黒く染めた。とうとう恐るべき時が来た。
「生まれてからあれ以上ぐあいの悪かったことはなかったよ」とロベール中尉は私に言ったものだ。「あのご婦人がたは僕からこわい目にあわされるものと思っていたんだが、僕のほうが彼女たちよりもびくびくしていたんだ。靴ばかり見ていて、どうしたら上品に歩けるかわからなかったのさ」それから彼はつけくわえた。「デル・ドンゴ侯爵夫人は当時美しさの盛りだったんだ。君が会ったときもあのように美しい、天使のようにやさしい目をし、あの魅力的な瓜実《うりざね》顔をきれいに輪郭《りんかく》づけている濃いブロンドのきれいな髪をはやしていたろう。僕の部屋にレオナルド・ダヴィンチのヘロディアスの絵があったが、これはまるで夫人の肖像みたいだったよ。この世のものと思えないその美貌に打たれて、自分の服装のことなどすっかり忘れてしまったほどだ。何しろジェノヴァ地方の山のなかでこの二年というもの醜悪なものみじめなものしか見ていなかったんだからね。自分のこの感激のことまで思いきってすこしばかり打ち明けたものさ。
しかし僕だって常識があるから、そう長々とおせじばかり言っていられない。美辞麗句《びじれいく》をあやつりながらも僕は、大理石ずくめの食堂のなかにいる十二人の侍僕や給仕たちを見たが、この連中は当時の僕には豪奢の限りとしか思えないものを着ているんだ。まあ考えてみてくれ、この悪党どもは上等の靴をはいているどころか、銀のバックルまでつけているのさ。こいつらの阿呆みたいな目が僕の上衣に、おそらくはまた僕の靴に注がれているのを横目で僕は見ていたが、これにはまったく胸をえぐられるような気がしたね。一言でこの連中をちぢみあがらせてやることもできたろうが、ご婦人がたをおびえさせるような心配なしにやつらに思い知らしてやる方法があったろうか。というのは、これはあとで夫人自身が何度となく言ったことだが、少々元気をつけようとして夫人はジーナ・デル・ドンゴが当時寄宿していた修道院に人をやって呼びもどしていたからだ。この人は夫の妹で、後にあの魅力的なピエトラネーラ伯爵夫人になった人だ。逆境にあって彼女ほど勇気と心の平静を示す人はいないが、同様にまた幸福なときに彼女ほど快活さと愛すべき機智を示す人もいないね。
ジーナはあのころ十三歳ぐらいにもなっていたろうが、しかし十八歳には見え、君も知ってのとおり活発で率直で、僕の服装を見て笑いだしてしまいはしないかと心配で食べることもできなかったほどだった。侯爵夫人は反対にかたくるしい辞令を僕にあびせかけた。彼女も僕の目のなかにいらいらした気持ちをちゃんと読み取っていた。要するに僕は間《ま》のぬけた役割を演じ、これはフランス人には堪えられないことだと言われているが、人に軽蔑されるにあまんじていたわけだ。とうとう一つの霊感が僕の心にひらめいた。自分のみじめさと、ばかな老将軍どもにジェノヴァ地方の山のなかに二年間も引き留められているあいだ嘗《な》めさせられた苦しい経験を、このご婦人がたに話しはじめたのさ。この地方では通用しない不換紙幣《アッシニア》と、一日九十グラム程度のパンしかくれなかったんだと僕は言ってやった。僕が二分もしゃべらないうちから善良な侯爵夫人は目に涙を浮かべ、ジーナのほうは真顔になった。
『なんですって、中尉さん、パンが九十グラムばかりですって!』
『そうなんです、おじょうさん。おまけに週に三度も配給が欠けるし。でも私たちを泊めている百姓たちはこちらよりももっと困っていたから、私たちは自分のパンをすこし分けてやりました』
食卓から立つと僕はサロンの戸口まで侯爵夫人に腕をかして行き、それからさっと引き返して給仕した下男にあのたった一枚の六フラン金貨をくれてやった。この金貨の使い方についてそれまで僕はいろいろと想像をたくましくしていたもんだがね」
ロべールは話をつづけた。
「一週間して、フランス軍がだれもギヨチンにかけないということがはっきりしてしまうと、デル・ドンゴ侯爵はコモ湖畔のグリアンタの城から帰って来た。この侯爵は勇敢にも、フランス軍が近づくとあんなに美人の若い細君と妹を戦争の危険にさらしたまま自分はそこへ逃げていたのさ。侯爵がわれわれフランス軍に対していだいている憎悪はその恐怖と同じ程度で、つまり際限がなかった。僕にむかって丁寧《ていねい》な口をきくときのこの男の蒼白《あおじろ》い信心家ぶったふとった顔つきは、見ているとおもしろかった。彼がミラノに帰って来た翌日、僕は六百万の軍事賦課金の分けまえとして布地三オーヌと二百フランを受け取った。これで僕も立ち直った。そしてあのご婦人がたの踊りのお相手をつとめたよ、舞踏会がはじまったからね」
ロベール中尉の話は他のすべてのフランス将兵のそれとほとんど同じだった。これらの勇敢な兵士たちの窮状《きゅうじょう》をからかうどころか、人々は同情し、彼らを愛したのである。
思いがけぬ幸福と陶酔のこの期間はわずか二年しかつづかなかった。この熱狂はあまりにも極端だった。ここの民衆は百年このかた退屈していたのだという深遠な歴史的省察をもってする以外、私にはこれを理解してもらうすべはない。
南の国々に特有の肉体的享楽が、名の高いミラノ公爵家であるヴィスコンティ家やスフォルツァ家の宮廷にかつて風靡《ふうび》していた。しかし一五三五年にスペイン軍がミラノ人を征服した、しかも寡黙《かもく》で疑い深く傲慢《ごうまん》な、絶えず叛乱を恐れている支配者として征服したときから、陽気さは消え去ってしまった。民衆は支配者の風習を自分のものとして、現在を楽しむことよりもどんなつまらない侮辱に対しても匕首《あいくち》をふるって復讐することを考えた。
有頂天《うちょうてん》の喜び、陽気さ、肉体的享楽、あらゆる味気ない、もしくは単に合理的な考え方の無視、こういったことはフランス軍がミラノに入城した一七九六年五月十五日からカッサーノの戦闘の結果彼らが追い出された一七九九年四月までのあいだ法外にたかまって、金持の商人や高利貸や公証人の老人どもでこの期間陰気な顔をしたり金儲けしたりすることを忘れたものが見られたほどだった。
一般の歓喜と快活さに対して不満を示そうとするかのように田舎の館《やかた》にひきこもったのは、せいぜい上層貴族に属する数家族を数えるだけだった。これらの高貴で富裕な家族がフランス軍のために要求された賦課金の割当てのさい特別不利な扱いを受けていたことも事実なのだが。
デル・ドンゴ侯爵は人々のあまりの陽気さを見て気を悪くし、コモ湖の向こうのグリアンタの壮麗な城へまっさきに引き揚げてしまったひとりなのだが、婦人がたはそこヘロベール中尉を連れて行った。この城はおそらく世界にまたとない位置を占め、あのすばらしい湖から百五十フィートも高い台地の上にあって湖面の大部分を見おろしているのだが、もとは砦だった。そこらじゅうにある家の紋章を刻んだ大理石が語っているように、ドンゴ家はこれを十五世紀に建てた。跳《は》ね橋や深い濠《ほり》がまだ見られた。ただし濠に水はなかったが。だが高さ八十フィート厚さ六フィートの壁をめぐらしたこの城には、奇襲などの心配はなかった。だからこそこの城は疑い深い侯爵にとってありがたいものだった。使用人とはいつもがみがみののしるばかりでろくすっぽ話をしないから、彼はこの連中が自分に忠実だと勝手に考えて、この二十五人か三十人ばかりの使用人にとりまかれているとミラノにいるときよりも不安にさいなまれないですんだのだ。
この不安はまったく理由のないものではなかった。彼は戦場で捕虜になった連中を逃亡させるためにグリアンタから三里ばかりのスイス国境にオーストリアが配していたスパイと、非常にしげしげと連絡していたのである。これがフランスの将軍たちに知れたら笑いごとではすまされない。
侯爵は若い妻を、ミラノに残しておいた。彼女はミラノで一家の仕事をきりまわし、この国のことばでいうcasa del Dongo(ドンゴ家)に課された賦課金に対処するように命じられていた。彼女は賦課金を減らしてもらおうとしたが、そのためには公職を引き受けている貴族や、それのみか貴族ではないが非常に勢力のある幾人かのものとも会わねばならなかった。ところがこの一門に大事件が起こった。公爵は非常に裕福《ゆうふく》で門地も非常に高いある人物に妹のジーナを結婚させることに話をきめていた。ところがこの人物は髪粉《かみこ》をつけているのだ。そのためジーナはこの男が来ると大声で笑い出し、やがてピエトラネーラ伯爵と結婚するというとんでもないことをやらかした。この人は実はたいへんりっぱな貴族で、人柄もまことによくできていたのだが、父の代から破産していたばかりか、これこそ最大の不名誉であるが、新思想の熱烈な味方だったのだ。さらになお侯爵を失望させたことに、ピエトラネーラはイタリア国民軍の少尉だった。
この狂気と幸福の二年間の後、パリの執政官政府〔一七九五〜九九年のあいだ、フランスは五人の執政官の構成する政府によって統治された。後にナポレオンはクー・デタでこれを倒した〕は権威ある君主のようにふるまって、すべて凡庸《ぼんよう》ならざるものに対する徹底的な憎悪を示した。この政府がイタリア軍に派遣した将軍たちは、二年前あのアルコーレとロナートの驚くべき勝利がかちとられた同じヴェローナ平野で一連の戦闘にやぶれた。ロベール中尉は大隊長となってカッサーノのたたかいで負傷していたが、親しかったデル・ドンゴ侯爵夫人のところへ最後に泊りに来た。別離は悲しかった。ロベールはピエトラネーラ伯爵とともに出発した。伯爵はノヴィにむかって退却するフランス軍について行ったのだ。若い伯爵夫人ジーナは兄から財産の分けまえをこばまれて、馬車に乗って軍隊に従った。
かくてあの反動と旧思想への復帰の時期がはじまったが、ミラノ人はこれをi tredici mesi(十三か月)と呼ぶ。事実彼らにとって幸運なことに、この愚かさへの復帰はマレンゴ〔一八〇〇年六月十四日、ジェノヴァ北方のマレンゴでナポレオンは大勝利を得た〕のたたかいまで十三か月しかつづかなかったからだ。すべての古いもの、信心くさいもの、陰気くさいものがふたたび世間のおもてにあらわれ、社交界をふたたび支配しはじめた。やがて公序良俗の思想に依然として忠実だった連中は村々で、ナポレオンはいろいろな理由でそうなるのが当然だったようにエジプトで、マメルーク兵〔エジプトの民兵〕に絞首《こうしゅ》されてしまったのだと言いふらした。
不平満々で領地にひきこもり、そして復讐に飢えてもどって来たこれらの人々のうちでも、デル・ドンゴ侯爵の憤激たるやことのほか甚《はなは》だしかった。その大げさな物言いのおかげで当然彼はその派の首領にまつり上げられた。不安をいだいていないときにはまことにりっぱな人間だが、いつもびくびくしているこのお歴々は、オーストリア軍の将軍をまるめこむのに成功した。かなりお人よしのこの将軍は、厳格にやることこそ高等政策だと説き伏せられて百五十人の愛国者を逮捕させた。当時はまさにこの人々こそイタリアにいた最も優れた人間だったのに。
やがて彼らは|カッタロの口《ヽヽヽヽヽヽ》〔カッタロはモンテネグロの港。「カッタロの口」というのはこの港のある湾の名である〕へ流されて、地下の洞窟に投げこまれ、湿気、そして何よりもパンの欠乏のため、皆たちまちしかるべくかたづけられてしまった。
デル・ドンゴ侯爵は重職についた。そして彼はいやしい吝嗇《りんしょく》のほかにいろいろの美点を兼ねそなえていたから、妹のピエトラネーラ伯爵夫人に金貨一枚送ってやらないと大っぴらにじまんしたものだ。あいかわらず恋に狂っていた彼女は夫から去ろうとせず、夫といっしょにフランスで餓死に瀕《ひん》していた。善良な侯爵夫人は絶望していた。遂に彼女は自分の宝石箱のなかから小さなダイアモンドをいくつかくすね取ることに成功した。夫はこの宝石箱を毎夜取り上げて、自分のベッドの下の鉄の箱におさめるのである。侯爵夫人は八十万フランの持参金を夫のところへ持って来たのだが、自分自身の使う金として月に八十フランもらっていた。フランス軍がミラノにいなかった十三か月のあいだ、ひどく臆病なこの女性は何かと口実を見つけてずっと喪服を着通した。
多くの荘重な作家たちの例にならって、われわれの主人公の物語をその出生の一年前からはじめたことを作者は告白しよう。実はこの中心人物というのは、ミラノ人の言い方によればmarchesino del Dongo(ドンゴ侯爵の息子)たるファブリツィオ・ヴァルセッラにほかならない。フランス軍が追われたときは彼は生まれたばかりだったが、なんの因果かあの大貴族の、読者もすでにご承知の血色の悪いふとった顔にそらぞらしい微笑を浮かべ、新思想に対して限りない憎悪をいだいたあのデル・ドンゴ侯爵の次子として生まれたのだ。
家の全財産は父親の生き写しである長子アスカニオ・デル・ドンゴに譲られることになっていた。この子が八歳、ファブリツィオが二歳のときに、すべての家柄のいい人々がもうずっと昔に絞首されたものと信じていたあのボナパルト将軍が突如サン・ベルナール山から降りて来た〔ナポレオンは一八〇〇年五月二十日サン・ベルナール峠を越え、六月二日にミラノに入城した〕。彼はミラノにはいった。これもまた史上他に例のない一瞬だった。
熱狂的な愛情にあふれた民衆を想像していただきたい。数日後ナポレオンはマレンゴのたたかいに勝った。これ以上言う必要はあるまい。ミラノ人の陶酔は絶頂に達していた。しかし今度はこの陶酔には復讐心もまじっていた。この善良な民衆は憎悪というものを教えられていたのだ。カッタロの口へ流刑された愛国者たちの行き残りが帰って来た。彼らの帰還は国民的祭典によって祝われた。彼らの蒼白の顔、驚いているような大きな目、やせた手足は、四方に湧《わ》き上がる歓喜と異様な対照をなしていた。
彼らの到着は最も危険な立場にあった家族のものたちにとっては出発の合図だった。デル・ドンゴ侯爵は他にさきがけてグリアンタの城へのがれた。名門の家長たちは憎悪と不安に満たされていたが、その妻や娘たちはフランス軍の最初の駐留のときの喜びを思い出し、ミラノと、マレンゴの勝利の直後「カサ・タンツィ」でもよおされたあのまことに陽気な舞踏会とをなつかしく思った。勝利の数日後、ロンバルディアの治安維持の任にある将軍は、貴族の小作人たちや田舎の老婆たちはだれもかれも、イタリアの運命を変え、一日のうちに十三もの砦を奪還したこの驚くべきマレンゴの勝利を思うどころか、もっぱらブレッシヤの守護聖人であるサン・ジョヴィタの予言に心を奪われていることに気がついた。この神聖なことばによればフランス軍とナポレオンの隆盛はマレンゴのたたかいの後ちょうど十三週間しかつづかないという。
デル・ドンゴ侯爵と田舎の不安貴族どもの行動について多少なりと言い訳があるとすれば、それは彼らが芝居ではなく本気でこの予言を信じていたことであった。この連中はすべて、生まれてから今まで四冊と本を読んでいなかった。彼らは公然と十三週間後にミラノに帰る準備をした。しかし時がたつにつれてさらになおフランス側の成功がつぎつぎに見られた。パリに帰るとナポレオンは賢明な政令を発して国内で革命を救った、マレンゴで外国軍に対して革命を救ったように。これで自分の城に逃げていたロンバルディアの貴族たちは、ブレッシヤの守護聖人の予言を自分らが最初誤解していたことに気がついた。十三週間ではなく、十三か月だったのだ。その十三か月は過ぎたが、フランスの隆盛は日ごとに増大するように見えた。
一八〇〇年から一八一〇年までの進歩と幸福の十年間のことはごく簡単に述べる。ファブリツィオは最初の数年を、村の百姓の子どもたちのあいだでさかんになぐったりなぐられたりしながら、何も、読むことすらも学ばずにグリアンタの城で過ごした。その後彼はミラノのイェスイタ会の学院へやられた。父親の侯爵はラテン語を教えてやってくれと言ったが、共和政のことばかり言っている昔の著者たちの作品によってではなく、十七世紀の芸術家の傑作である、百点以上もの版画で飾られたすばらしい大冊によって教えろというのだ。それはパルマの大司教ファブリツィオ・デル・ドンゴが一六五〇年に出版した、ドンゴ侯爵ヴァルセッラ家のラテン語の系譜だった。ヴァルセッラ家の栄達は何より武功によるものだったから版画はたくさんの戦闘を描いており、この家名を名乗るだれかが剣をふるって奮戦しているところがかならず出て来た。
この本は若いファブリツィオにいたく気に入った。彼を熱愛している母親はときどきミラノへ彼に会いに来る許可を得た。しかし夫は決してこの旅費を与えなかったから、彼女に金を貸したのは義妹の親切なピエトラネーラ伯爵夫人だった。フランス軍の再来後、伯爵夫人はイタリア副王ウジェーヌ公〔ナポレオンと一七九六年に結婚したジョゼフィーヌの子。義父とともに各地で転戦し、その後、一八〇五年よりイタリア副王として十年間ミラノに宮廷を構えた〕の宮廷で最もきらびやかな女性のひとりとなっていた。
ファブリツィオが初聖体を受けたとき、夫人はあいかわらずみずから進んで謫居《たっきょ》していた侯爵から、彼をときどき学院から出させることの許しを得た。会ってみると彼は一風《いっぷう》変わっていて、才智があって、たいへんまじめだが美少年で、世にときめく社交婦人のサロンに出てもあまり見苦しくはなかった。ただし徹底的に無知で、ほとんど書くこともできないのだ。何ごとにつけても熱狂的な性格を発揮する伯爵夫人は、もし甥《おい》のファブリツィオが驚くべき進歩を遂げて年末にたくさん賞を与えられたら、あなたを引き立ててあげると院長に約束した。賞を受けられるようにしてやるために彼女はいつも土曜日の夜彼を呼びにやり、しかも水曜日か木曜日にならなければ先生のところへ帰さないこともしばしばだった。イェスイタ会士たちは副王たる公からごくごくたいせつにされてはいたが、王国の法律によってイタリアから追放されていた。院長はそつのない男で、宮廷で全権をふるっている婦人との縁故《えんこ》からどれだけの利益を引き出せるかを直覚した。彼はファブリツィオの欠席に全然文句を言おうとせず、ファブリツィオは今までにもまして無知になったのに年末には優等賞を五つももらった。そうするときらびやかなピエトラネーラ伯爵夫人は、近衛師団の一つを指揮していた夫と、副王の宮廷の五人か六人の最有力者を従えて、イェスイタ派の賞品授与式に出席した。院長はその上役たちから賞讃を受けた。
伯爵夫人は愛すべきウジェーヌ公のあまりにも短かった統治期間の特徴となっていたあの華やかな饗宴にいつも甥《おい》を連れて行った。彼女はその勢力をもって彼を驃騎兵《ひょうきへい》の将校にしたて、ファブリツィオは十二歳で驃騎兵の軍服を着ていた。ある日伯爵夫人は彼の好ましい様子に夢中になって、公に彼を小姓《こしょう》に取り立ててほしいと頼んだ。そうなればドンゴ家が公の味方になったことを意味する。翌日副王にこの願いのことはもはや忘れたということにしてもらえたのは、彼女にあれだけの信任があったからだった。未来の小姓の父親の同意さえあればこの願いは聞きとどけられたのだが、そんな同意を求めてもどうせ声高に拒絶されたろう。この気まぐれは不平家の侯爵を戦慄させ、その結果彼は口実を見つけて若いファブリツィオをグリアンタに呼びかえした。伯爵夫人はおよそこのうえなく兄を軽蔑していた。兄をお話にならぬ愚物で、そうするだけの力があったら意地の悪いことをする人間だと見ていた。だが彼女はファブリツィオにうつつを抜かしていたので、十年間の沈黙を破って侯爵に手紙を書き、甥を返してくれと言ってやった。その手紙への返事はなかった。
先祖のなかで最も好戦的なひとりが建てたあの恐ろしい邸宅に帰ったとき、ファブリツィオは教練と乗馬のほかは何一つ知らなかった。妻と同じくらいこの少年にうつつを抜かしているピエトラネーラ伯爵がよく彼を馬に乗らせ、パレードに連れて行ったのだ。
グリアンタの城に着いたとき、叔母の美しいサロンから別れるとき流した涙でまだ目を赤くしたままのファブリツィオは、母と姉妹の熱っぽい愛撫しか得られなかった。侯爵は長子であるマルケジーノ・アスカニオとともに書斎にとじこもっていた。彼らはそこで、光栄にもウィーンに送られる暗号の手紙を作っていた。この親子は食事のときしか姿をあらわさなかった。侯爵は自分の領地の一つ一つから上がる収益を複式簿記で計算することを当然相続者となるべきものに教えているのだともったいぶってくりかえしていた。実は侯爵は自分の権力をあくまで守ろうとして、これらすべての領地をどうしても相続することになる息子にすらそのような種類の話などはしなかったのである。彼は週に二度か三度スイスへ送られ、そこからさらにウィーンへ送達される十五ページから二十ページの至急便を暗号に移すのにこの息子を使っていたのだ。侯爵は自分自身知らないイタリア王国の国内状態を正統の君主たちに知らせるのだと称していたが、それはともかく彼の手紙は大いに成功を収めていた。それはこういうことである。
侯爵は国道で信頼できる手先に、駐屯地を変えるフランスあるいはイタリアのしかじかの連隊の兵数を数えさせ、ウィーンの宮廷にそれを報告するときには現在兵力からたっぷり四分の一は減らしておく。こんな手紙はばかげたものだったが、ほかの人間のもっと真実を語っている手紙の内容を否定しているのが取りえで先方の意にかなった。だから、ファブリツィオが城に帰ってくるすこし前、侯爵は著名な勲章をもらっていた。それは彼の侍従服を飾る五番目の勲章だった。実を言えば彼は自分の書斎以外でこの服をあえてひけらかすことができないのが悲しかった。しかし彼は持っているかぎりの勲章をつけた刺繍つきの服を着ないで至急便の口述をすることは決してなかった。そうしなければ礼を欠くと彼は思っていたのだろう。
侯爵夫人は息子の魅力に感嘆した。ところで、彼女は年に二度か三度伯爵A……将軍に手紙を書く習慣を持ちつづけていた。これはロベール中尉の現在の名なのである。侯爵夫人は自分の愛している人々に嘘《うそ》をつくのは大きらいだった。彼女は息子に質問してみて、彼の無知にぎょっとしてしまった。
(何も知らない私にも教養がないと思えるんだもの)と彼女は思った。(あれほど学問のあるロベールならまったく教育がないと思うだろう。ところが、今は才能が必要な時代なのだ)ほとんどそれと同じくらい彼女を驚かせたもう一つの特徴は、イェスイタ会士のところで教えられた宗教的なことがらのすべてをファブリツィオが本気で信じていることだった。彼女自身すこぶる信心深かったのだけれども、この子どもの狂信《ファナチスム》は彼女をぞっとさせた。(こういうやりかたでこの子に影響を及ぼせばいいと見て取るだけの頭が侯爵にあったら、息子が私を愛さないようにさせることもできるだろう)彼女はさめざめと泣いたが、ファブリツィオに対する彼女の熱情はそれでいっそう強まった。
三十人から四十人の使用人のうようよしているこの城の生活はたいそう陰気なものだった。それでファブリツィオは毎日一日じゅう、狩りをしたり、小舟で湖を漕ぎまわったりして過ごした。やがて彼は御者《ぎょしゃ》や厩番《うまやばん》の連中と非常に親しくなった。彼らは皆フランス軍の熱烈な味方で、侯爵とその長男に仕えている信心家の侍僕どもを公然と嘲笑していた。このまじめくさった連中に対するいつものからかいの種は、彼らがご主人がたにならって髪粉をつけていることだった。
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第二章
夕星《ゆうづつ》昇りて影ませば
行くかたに思いをひそめ
わが仰ぎ見る空に
神あきらけく書き給う
生きとし生けるもののさだめを
はるか高みよりみそなわし
時にあわれみて人に道を示し
星くずの文字にて吉凶を占い給えど
愚かなるうつせみの人の心は
かかる文を蔑《なみ》して読まんともせず
――ロンサール
侯爵は知識に対する猛烈な憎悪を表明していた。「イタリアを滅ぼしたものは思想である」と彼は言っていた。この教育に対する神聖な恐怖と、息子ファブリツィオがイェスイタ会で最初からみごとな成績を示して来た教科をぜひとも完成させてやりたいという願望とをどう折り合わせたらいいのか、彼にはどうもよくわからなかった。
なるべく危険がすくないように、彼はグリアンタの司祭である善良なブラネス師にファブリツィオのラテン語の勉強をつづけさせるようにたのんだ。そのためには司祭自身がラテン語に通じていなくてはならない。ところがこの言語を彼は軽蔑していたのだ。彼のこの方面の知識ときては、ミサ典書の祈祷《きとう》を暗誦し、おおよそその意味を信徒たちに伝えてやることに尽きていた。それでいてこの司祭は、この地方で非常に尊敬されているのみか畏《おそ》れられていた。ブレッシヤの守護聖人聖ジョヴィタのあの有名な予言が実現されるのは、十三週間後でもなければ十三か月後ですらないと彼はいつも言っていたのである。安心できる友だちと話すときには彼は、この十三という数字についてある種の解釈をしなければならぬとつけくわえたが、ぶちまけて言ってしまうことができたらこの解釈は多くの人々を驚かせたことだろう(一八一三年のことだというのである)。
実は、素朴な誠実さと徳の持主であり、そのうえ才智もそなえていたこのブラネス師は、自分の教会の鐘楼《しょうろう》の上で毎夜を過ごしていたのだ。彼は占星学に夢中になっていた。日中は星の合会や位置を計算して過ごし、夜の大部分は空の星の観察にあてていた。貧乏のため器具といってはボール紙を管にした望遠鏡しかなかった。世界の相貌を変える諸帝国の滅亡や革命のはっきりとした時期を見きわめるのに日を送っている人間が、語学の勉強などをいかに軽蔑しているかは察するにかたくあるまい。「ラテン語で馬のことをequusということを教えられたからといって、馬についてどれほど知識がふえるかい?」と彼はファブリツィオに言っていた。
百姓たちはブラネス師を大魔術師として恐れていた。彼の言うところでは、彼が鐘楼にいるせいもあって百姓たちは盗みをすることができないのだった。彼の同僚であるこの近傍《きんぼう》の司祭たちは、彼の得ている信望をひどくやっかんで彼をきらっていた。デル・ドンゴ侯爵は、こんな低い身分にしてはあまり理窟を言いすぎるという理由だけで彼を軽蔑していた。ファブリツィオは彼を崇拝していた。彼の気に入ろうとしてときどき夜を徹して厖大《ぼうだい》な足し算や掛け算をしてやったりした。それから鐘楼に上った。これはブラネス師が他のだれにも決して与えなかったたいへんな特権だったのだ。師はこの少年をその素朴さのゆえに愛していたのである。
「偽善者にならなかったら、おまえはたぶんひとかどの男になるだろう」と師は彼に言っていた。
遊ぶときには向こう見ずで夢中になる|たち《ヽヽ》のファブリツィオは、年に二度か三度湖でおぼれそこなった。彼はグリアンタとカデナビアの百姓の子どもたちのする大遠征にはいつも隊長になった。この子どもたちはいくつかの小さな鍵を手に入れて、すっかり暗くなると舟を岸に近い岩や木などにつないである鎖の南京錠をあけようとするのだ。心得ておかねばならないが、コモ湖では岸からずっと離れたところに糸を流しておいて魚をとるのである。糸の上端はコルクをはった小さな板につながれており、この板にくっつけたごくしなやかな榛《はしばみ》の枝に小さな鈴がついていて、魚がかかって糸をゆすると鈴が鳴る。
ファブリツィオが大将となって指揮するこの夜の遠征の大きな目的は、漁師たちが鈴の音を聞く前にこの糸を調べに行くことだった。嵐のときを選ぶ。そしてこの危険な遊びのため夜の明ける一時間前に舟に乗りこむ。舟に乗るとき子どもたちは非常な危険に飛びこんで行くような気がするのだが、それこそこの行為のおもしろいところなのだった。そして父親たちの手本にしたがって敬虔《けいけん》に「アヴェ・マリア」の祈りをとなえる。ところが、舟を出そうとする瞬間、「アヴェ・マリア」の祈りが終わってすぐファブリツィオがある前兆に打たれることがよくあった。これが、友人であるブラネス師の占星学研究から彼が得たものだったのだ。ただし師の予言などは彼は全然信じていなかったのだが。彼の若々しい想像力によれば、この予感は成功不成功を確実に教えてくれるのだった。そして彼は仲間のだれよりも決断力があったから、仲間たちは皆こうした前兆になじんでしまって、舟を出そうとする瞬間に岸に坊さんを見かけたり、左手のほうで鴉《からす》が飛び立つのを見たりすると、皆は急いで舟の鎖の南京錠をかけなおし、家に帰って寝てしまう。こうして、ブラネス師はかなり難解なその学問をファブリツィオに伝えはしなかったが、未来を予告するかもしれないいろいろな兆《きざし》に対する無限の信頼を彼の心に植えつけたのである。
侯爵は自分のやっている暗号通信に何かが起こったら、妹に完全に首をおさえられてしまうだろうと感じていた。そこで毎年、ピエトラネーラ伯爵夫人の守護聖者サン・タンジェラの祭日のころに、ファブリツィオは一週間ほどミラノに行って来る許可を与えられた。彼は一年じゅう、この一週間を待ち遠しがったりなつかしんだりしながら暮らしていた。この晴れの機会には、政治的なこの旅行をさせるため侯爵は息子に四枚のエキュ金貨を与え、息子を連れて行く妻には習慣にしたがって一文もやらなかった。だが料理人のうちのひとりと、六人の侍僕、二頭の馬を連れた馭者が、出発の前日コモにむかって先発する。それで侯爵夫人はミラノで毎日一台の車を使い十二人分の晩餐をすることができた。
デル・ドンゴ侯爵の送っているような種類の世をすねた生活はもちろんはなはだ楽しみのないものだったが、しかしおとなしくそれにあまんじる家族を未来|永劫《えいごう》にわたって富ませてくれるという利点もあった。侯爵は二十万フラン以上の年収がありながら、その四分の一も使わなかった。彼は希望によって生きていたのだ。一八〇〇年から一八一三年までの十三年間、彼はナポレオンは半年以内に倒されると常に堅く信じていた。一八一三年の初頭ベレジナの敗北〔一八一二年十一月末、退却中のナポレオンの遠征軍は白ロシアのペレジナ河畔でロシア軍に包囲された〕を知ったときの彼の狂喜のほどを察していただきたい! パリの占領とナポレオンの失脚はもうすこしで彼の気を狂わせるところだった。このころ彼は妻と妹にむかって、これ以上とはなく侮辱的な言辞を吐いたものだ。十四年間待ちに侍ったあげくようやく彼は、オーストリアの軍隊がミラノに帰って来るのを見るという筆舌につくせぬ喜びを味わったのである。ウィーンから来た命令によってオーストリア軍の将軍は尊敬といっていいほどのものをもってデル・ドンゴ侯爵を迎えた。政府内の最高の地位の一つがたちまち彼に提供された。そして彼は貸しておいた金を受け取るようにそれを受け取った。彼の長男は帝国最精鋭の連隊の一つの中尉となった。しかし次男のほうは与えられた候補生の地位を決して受けようとしなかった。この勝利を侯爵はまれに見る傲岸《ごうがん》さで楽しんだが、これは数か月しかつづかず、その後に屈辱的な逆境がやって来た。彼には事務の才などはじめからなかったのだが、従僕たちと公証人と侍医にかこまれた十四年間の田舎暮らしと、それに加えて急にあらわれて来た老人性の不機嫌とのおかげで、まったく無能な人間になってしまった。ところが、この古い君主国の緩慢で込み入った、だがまことに合理的な行政の要求するような種類の才能を持たずに、オーストリア領で枢要《すうよう》の地位にとどまることは不可能なのである。デル・ドンゴ侯爵がやらかす|へま《ヽヽ》は下僚を憤慨させ、事務の渋滞さえ招いた。彼の超君主主義的な言辞は惰眠と無関心のうちにとどめておきたいと皆が考えている民衆を刺激した。
ある日彼は、陛下は彼の政府部内の地位から辞したいという辞表をかたじけなくも受理され、同時に彼をロンバルディア=ヴェネツィア王国の副大膳職《ヽヽヽヽ》に任ぜられたということを聞かされた。侯爵は自分に対してなされたこの堪えがたい不正に憤慨した。あれほど言論の自由をきらっていた彼が、ある友人にあてた形の手紙を印刷させた。しまいに彼は皇帝に手紙を書いて、陛下の大臣たちは陛下を裏切っており、実はジャコバン派であると訴えた。そうしたうえで彼は悄然《しょうぜん》とグリアンタの城へ帰ったのである。
彼にも慰めはあった。ナポレオンの失脚後ミラノの何人かの権勢家が、イタリア王の大臣をつとめていた一流の才能の持主プリーナ伯爵〔イタリア王国の蔵相〕を街頭で撲殺《ぼくさつ》させたのである。ピエトラネーラ伯爵は自分の生命を投げ出して大臣の生命を救おうとした。この大臣は傘でなぐられて殺され、しかもその苦悶は五時間もつづいたのだ。デル・ドンコ侯爵の聴罪師だったある司祭が、サン・ジョヴァンニ会堂の門をあけてやれば彼を救うことができたのだった。不幸な大臣はこの門の前へ引きずって来られ、それどころか一時は通りのまんなかの溝に置き去りにされていたのだ。ところが司祭は嘲笑して門をあけることをこばんだ。それから半年後、侯爵はこの司祭のためにずっといい地位を見つけてやることができた。
彼は義弟のピエトラネーラ伯爵が大きらいだった。伯爵は年収五十ルイもないのにいけしゃあしゃあとしてたいして文句も言わず、これまでずっと愛して来たものを固守する態度をあえて示し、厚顔にもあの無差別の正義の精神を説いていたが、これは侯爵が汚らわしいジャコビニスム〔フランス革命時の過激派ジャコバン派の思想であるが、ナポレオン没落後の反動時代にあっては自由や平等を唱えることはすべてジャコビニスムとされた〕と呼んでいたものだった。伯爵はオーストリアに仕官することをこばんだ。この拒絶が問題とされ、プリーナの死の数か月後、暗殺者どもを雇ったのと同じ人物たちが策動してピエトラネーラ将軍を遂に投獄させた。それと見るや妻の伯爵夫人は旅券を取り、駅馬車の馬を仕立てることを命じて、皇帝に真相をうったえるためにウィーンに行こうとした。プリーナの暗殺者どもはこわくなった。そして彼らのひとりでピエトラネーラ夫人の従兄弟《いとこ》にあたるのが、彼女がウィーンへ出発する一時間前の深夜十二時に彼女の夫の釈放命令を持って来た。翌日オーストリアの司令官はピエトラネーラ伯爵を呼びよせ、あらんかぎりの敬意を表して彼を迎え、彼の退職年金は間もなく最も有利な払い方で支払われるだろうと保証した。才智もあり度量も広いこの正直なブブナ将軍は、プリーナの暗殺と伯爵の投獄をひどく恥じているようだった。
伯爵夫人のしっかりした性格によって切り抜けられたこのちょっとした嵐の後、夫妻はブブナ将軍の斡旋《あっせん》のおかげで間もなく支給されるようになった退職年金でどうにかこうにか暮らしていた。
さいわい伯爵夫人はひとりのたいへん豊かな青年とごく親しくしていたが、この青年は伯爵の親友でもあり、当時ミラノでいちばんりっぱな英国産の馬車馬や、スカラ座の桟敷《さじき》や別荘をいつも夫妻に用だててくれた。しかし伯爵は自分の勇気を意識しており、高邁《こうまい》な心を持っていたが、激しやすく、そしてそういうときにはあえて人を驚かせるようなことも口にした。ある日彼は若い連中と一緒に猟に行ったが、かつて彼の敵方にあって従軍したひとりの青年がチザルピナ共和国〔チザルピナはロンバルディアの古名で、この共和国は一七九七年六月ナポレオンによって建てられた〕の兵士たちの勇敢さについて冗談を言いはじめた。伯爵はその男に平手打ちをくわせ、たちまち闘いになった。若い連中にかこまれて孤立無援の伯爵は殺された。この決闘というべきものはいろいろと話題となり、その場に居合わせた連中はスイスへ逃げ出すことにした。
諦《あきら》めと呼ばれるあのばかげた勇気、一言もいわずに首をくくられる愚人の勇気は、伯爵夫人には無縁なものだった。夫の死に激怒した彼女は、リメルカーティというごく昵懇《じっこん》にしているあの金持の青年もまたスイスに行って、ピエトラネーラ伯爵を殺した男にカービン銃を一発お見舞いするか平手打ちを加える気になってほしいと思った。
リメルカーティはこんな計画は愚の骨頂だと見た。そして伯爵夫人は自分の心のなかで軽蔑のため愛情が失せてしまったのを感じた。彼女は今までにもましてリメルカーティにやさしくしてやった。彼の愛情をかきたて、そのうえで彼を捨て去って絶望にくれさせてやろうと思ったのだ。この復讐計画がフランスで理解されないと困るので言っておくが、わが国から遠く離れたこのミラノの地では、人はまだ恋によって絶望するのである。喪服姿でも競争相手の女たちを完膚《かんぷ》ないまでに圧倒していた伯爵夫人は、羽振りをきかしている若者たちに媚態《びたい》を示した。彼らのひとりで、リメルカーティの魅力もあれほどの才女には少々重苦しくてかたくるしすぎるとしょっちゅう言っていたN……伯爵が、伯爵夫人にのぼせあがってしまった。彼女はリメルカーティに書いた。
せめて一度は才智の人らしい行動を取る気がありませんか? それなら私とはつきあいがなかったものとお思いになってください。
少々軽蔑しているかもしれませんが、それでもあなたに忠実な
ジーナ・ピエトラネーラ
この手紙を読むと、リメルカーティは自分の持っている城の一つにむかって出発した。恋情が燃えあがり、狂ったようになり、地獄というもののある国ではめったにないことだが、頭を射ち抜いて自殺するなどと口走った。田舎に着いた翌日、早くも彼は伯爵夫人に手紙を書いて結婚を申し込み、二十万リーヴルの年金を提供すると申し出た。彼女はその手紙を封も切らずに、N……伯爵の侍童を通じて返させた。その後リメルカーティは三年間自分の領地で慕らし、そのあいだ二月《ふたつき》に一度ずつミラノに帰って来たが、そこにとどまる勇気は遂になく、伯爵夫人への情熱的な恋を語ったり夫人がかつて自分にどれほどやさしくしてくれたかを綿々と語ったりして友人たちすべてをうんざりさせた。最初のうちは彼は、N……伯爵が相手では彼女は身をほろぼす、あのような関係は彼女の名誉を傷つけるなどとつけくわえたものだ。
実は伯爵夫人は、N……伯爵にいかなる種頻の愛情もいだいていなかったのだ。そしてリメルカーティが絶望していることをはっきり見きわめてしまうと、彼女はそのことを伯爵にむかって言明した。世故《せこ》にたけた伯爵は、今打ち明けてもらった悲しい真実をほかのだれにも言わないでくれと彼女に頼んだ。
「無理なお願いとはわかっていますが、今までどおり私を第一の愛人として遇して会いつづけてくださったら、おそらく私もしかるべき地位を得られるでしょうから」
この断固たる宣言の後、伯爵夫人はもはやN……伯爵の馬も桟敷も利用しようとしなかった。しかしもう十五年も、彼女は最も優雅な生活に慣れていた。千五百フランの年金でミラノで暮らすというむずかしい、いや、もっと正しく言えば解決不能の問題を彼女は解決しなければならなかった。彼女は邸を出、六階に二部屋借り、使用人すべてに暇を出し、小間使いまでも返してかわりに家事をする貧しい老婆を雇った。この犠牲は実は、われわれの思うほど英雄的なものでもつらいものでもなかった。ミラノでは貧しさは笑うべきことではないし、だからまた、びくびくした連中の目にも最大の禍《わざわい》として映じはしない。リメルカーティから、それのみか、これまた彼女と結婚したいと思っているN……伯爵からのひきもきらぬ手紙に悩まされながら彼女が数か月この清貧の生活を送るうちに、平素はあきれかえった吝《けち》んぼうのデル・ドンゴ侯爵は、自分の妹が貧に苦しんでいれば自分の敵たちが喜ぶかもしれぬと考えるようになった。ドンゴ家の女が、彼としてはさんざん文句を言ってやりたいウィーンの宮廷がその将軍たちの未亡人に与える年金で暮らすところまで落ちぶれるとは何ごとか!
彼は自分の妹として恥ずかしくない部屋と待遇がグリアンタの城に用意されていると彼女に書いてやった。気の変わりやすい伯爵夫人は大喜びでこの新しい生き方をすることを受け容れた。もう二十年も彼女は、スフォルツァ家の時代に植えられた栗の古木にかこまれて壮麗にそびえているこの堂々たる城に住んでいなかった。あそこなら安息が得られるだろう、と彼女は思った。(私の年ではこれは幸福ではないかしら?)三十一歳になっていたので、彼女はもう隠棲すべき時が来たと思っていたのだ。(私の生まれたあの崇高な湖のほとりで、幸福で平和な暮らしがようやく私を待っていてくれるのだ)
これが彼女の思い違いだったかどうかはわからないが、確実なことは、二度も莫大《ばくだい》な財産の提供をあっさりとはねつけたこの情熱的な心の持主が、グリアンタの城に幸福をもたらしたことだ。彼女のふたりの姪《めい》は狂喜していた。侯爵夫人は彼女に接吻して言った。
「あなたは若い楽しい日々を私にとりもどさせてくれたのよ。あなたが着く前日までは、私は百歳にもなっていたの」
伯爵夫人はファブリツィオを連れて、グリアンタの近くの、旅行者たちがしきりに礼讃《らいさん》するあの美しい名所名所をすべて見てまわりはじめた。城と向き合って湖の対岸にあって、城をながめるに絶好の場所にあるメルツィ荘、その上にはスフォンドラータの神々しい森、湖をあのいかにも甘美なコモ湖とレッコのほうにむかっている峻厳さに満ちた支湖とに分かっているぐっと突き出した岬。世界で最ももてはやされている名勝であるナポリ湾すらこれに匹敵はしても凌駕《りょうが》することはない、崇高でしかも優美な景観なのだ。伯爵夫人は恍惚としながら幼いころ思い出にふたたびまみえ、それらの思い出を自分の今の感じ方とくらべてみた。彼女は思った。
(コモ湖はジュネーヴ湖のように、最上の方法で耕されてはっきり仕切られた大きな地所に囲まれていない。ああいうものは金銭や投機を思わせる。ここではどちらを向いても、見えるのは高さの不揃《ふぞろい》いな丘だけで、それもいいかげんに植えた木立におおわれ、まだ人間の手で傷つけられ、|収入を生むように《ヽヽヽヽヽヽヽヽ》強いられていない。すばらしい形をして、あんなに奇妙な斜面をなして湖のほうに落ちこんでいるこれらの丘に囲まれていると、タッソーやアリオスト〔ともにイタリアの有名な詩人〕の描写の与える幻覚をそのまま信じていられる。すべては気高くやさしく、すべては愛を語り、文明の醜さを思い出させるものは一つもない。中腹にある村々は大木にかくれ、その木々の梢の上に村のきれいな鐘楼の魅力的な建築がそびえている。野生の栗や桜の木立はところどころでとぎれて幅五十歩ばかりの小さな畑になっているが、そこにはほかよりもたくましく生き生きとした植物が生い立っているのが見えて目を楽しませる。丘の尾根にはだれでも住みたくなるような隠棲所が建てられそうだが、その丘の向こうにはいつも雪におおわれたアルプスの峰々が見えて目を驚かせる。そのいかめしい峻厳さは人生の不幸に触れて、現在の快楽を高めるためにはどれほどの不幸が必要であるかを考えさせるのだ。どこか木にかくれた小さな村の鐘が遠く鳴って想像力はかきたてられる。水の上を渡って来るうちにやわらげられるこの音は、静かな憂鬱と諦念《ていねん》の色合いを帯び、「人生はたちまち過ぎて行く、だから目の前の幸福に対してあまり気むずかしい顔をせず、楽しむことを急げ」と人間にむかって言っているようだ)
他に比するもののないこの絶美な風景の語る言葉は、伯爵夫人に十六歳のときの心をとりもどさせた。自分がどうしてこれほどの歳月をこの湖を見ずに過ごしてこられたのかわからなかった。(それじゃあ、幸福というものは初老という年ごろにひそんでいるものなのかしら?)と彼女は思った。彼女は小舟を買い、ファブリツィオと侯爵夫人と彼女の三人で人手を借りずにそれに装飾をつけた。家の暮らし向きはこのうえなく派手だったのに、彼女らは何をするにも金がなかったからだ。失脚以来デル・ドンゴ侯爵はその貴族的な豪奢《ごうしゃ》さをますます募らせていた。たとえばカデナビア側の有名なプラタナス並木のそばに十歩ほど湖上へ土地をひろげようとして土手を作らせたが、その予算は八万フランにも達した。土手のはしには有名なカニョーラ侯爵の設計によってすっかり巨大な花崗岩《かこうがん》だけで作った礼拝堂が立ち、しかも礼拝堂のなかにはミラノでもてはやされている彫刻家アルケージが彼のために墓を作り、その墓には祖先の功業をあらわしたたくさんの浅浮彫がほどこされることになっていた。
ファブリツィオの兄であるマルケジーノ・アスカニオはご婦人方の散歩に仲間入りしたいと思ったが、叔母は髪粉をふった彼の髪に水をかけ、毎日彼のもったいぶった様子をやっつけるからかいの手を新しく考え出す。とうとう彼はそのふとった蒼白い顔を、彼の前では思い切って笑うこともできないこの陽気な一隊の前に見せなくなった。彼は父侯爵のスパイだと思われていたのだが、辞職を強いられて以来いつも憤懣やるかたない思いでいるこの厳しい暴君は用心して扱わねばならなかった。
アスカニオはファブリツィオに復讐することを誓った。
いちど嵐が起こってあぶない目に遭《あ》った。ほんのわずかしか金がないのにふたりの船頭にたっぷり金をやって、ただでさえふたりの娘を連れて行かれることでひどく不機嫌だった侯爵に言いつけられないようにした。ところがまた嵐に遭った。この美しい湖の上では嵐は猛烈で、思いがけなくやって来るのである。向かい合った二つの山峡から不意に吹き出す突風が水上でぶつかって相争う。伯爵夫人は暴風と雷鳴のただなかで上陸しようとした。湖のまんなかの小さな部屋ぐらいの大きさの離れ岩に昇ればちょっと類のないながめが見られるだろう、四方八方から怒り狂う波にとりまかれるだろうと彼女は言うのだった。が、舟から飛び出そうとして彼女は水に落ちた。ファブリツィオは救おうとしてあとを追って飛びこみ、ふたりともかなり遠くまで流された。たしかに溺死するのはありがたいことじゃないが、倦怠《けんたい》のほうはあたふたとこの封建的な城から退散させられてしまった。
伯爵夫人はブラネス師の素朴な性格と占星学に熱を上げていた。舟を買った後に残ったわずかの金は出物の望遠鏡を買うのに使われ、ほとんど毎夜、彼女は姪《めい》たちやファブリツィオと一緒に城のゴシック式の塔の一つに昇ってその展望台に陣取った。ファブリツィオはこの一隊のなかの学者だった。そして皆はそこでスパイどもから遠く離れてしごく陽気に数時間を過ごした。
伯爵夫人がだれにも言葉をかけない日もあったことは認めなければならない。暗い物思いにふけりながら彼女が高い栗の木々の下を散歩しているのが見られた。彼女は頭がよかったから、考えを語り合う相手がいないという退屈をときどき感じずにはいられなかったのだ。しかし明くる日はまた前のように笑っていた。義姉である侯爵夫人の愚痴《ぐち》が、生来きわめて活動的な彼女の心にあのような暗い気持ちをひきおこすのだ。
「それじゃ私たちは、残った若さをこの陰気な城で過ごすことになるのでしょうか!」と侯爵夫人は叫ぶのだった。
伯爵夫人が来るまでは彼女にはこのようなことをくやむ勇気すらなかったのである。
一八一四年から一五年にかけての冬の暮らしはこのようなものだった。貧之だったにもかかわらず伯爵夫人は二度ほどミラノへ出て数日を過ごした。スカラ座で上演されるヴィガーノ〔有名な振付け師〕のすばらしいバレーを見に行くのだが、侯爵も妻が義妹と一緒に行くのを禁じはしなかった。もうじき年金の支払いを受けるところだったので、たいへんな金持のデル・ドンゴ侯爵夫人に数ツェキーノの金を貸したのはチザルピナの将軍の貧しい未亡人のほうだった。この遊びは楽しかった。古い友だち連を招き、ほんとの子どものように何ごとにつけ笑って心を慰めた。活気《プリオ》と突飛さに満ちたこのイタリア風の陽気さは、グリアンタで侯爵とその長男の目つきが周囲にまきちらしている暗い悲しみを忘れさせた。十六歳になるやならずのファブリツィオもみごとに主人役をつとめた。
一八一五年三月七日というと、婦人がたはもうその前々日にミラノの楽しい小旅行から帰って来ていた。最近湖すれすれにまで延ばされた美しいプラタナスの並木道を彼女たちは散歩していた。コモのほうから一艘の小舟があらわれ、奇妙な合図をした。侯爵の手先のひとりが土手に飛び上がった。ナポレオンがジュアン湾に上陸したのだ〔ナポレオンは一八一五年二月二十六日にエルバ島を脱走し、三月一日にジュアンに着いた。これよりナポレオンの「百日天下」がはじまる〕。デル・ドンゴ侯爵にはいっこう意外でなかったこの事件に、ヨーロッパはおろかにも驚かされた。侯爵は真情にあふれた手紙を主君に書き、自分の才能と数百万の金を捧げると申し出、そして大臣たちはパリの煽動者たちと気脈を通じているジャコバンだとくりかえした。
三月八日の午前六時、侯爵は勲章や徽章をいっぱいつけて三通目の至急政治文書の下書きを長男に書き取らせた。そして威儀を正して、主君の肖像が透《すか》しではいっている用紙にそれを美しい筆蹟で清書するのに余念なかった。ちょうどそのときファブリツィオはピエトラネーラ伯爵夫人に面会を求めていた。
「僕は出発するよ」と彼は言った。「皇帝のもとへ参じるんだ、あの人はイタリア王でもあるんだから。皇帝はあなたのご主人にあれほど好意を持ってくださったんだし! スイスを通って行く。今夜メナジヨで、友だちのバロメーター商人のヴァジが旅券をくれた。ナポレオン金貨を幾枚かください。僕は今二枚しか持っていないんだ。けれど、やむを得なければ僕は歩いて行く」
伯爵夫人は喜びと不安で泣いた。
「まあ! どうしてほかでもないあんたがそんなことを考えたのだろう!」と、ファブリツィオの両手を握って彼女は叫んだ。
立ち上がって彼女は肌着用の箪笥《たんす》から、そこにだいじにかくしておいた真珠で飾った小さな財布を取りに行った。彼女の全財席はそれだけだったのだ。
「これを持って行って」と彼女はファブリツィオに言った。「でも、後生《ごしょう》だから殺されないでよ。あなたがいなくなったら、あなたの不幸なおかあさんと私に何が残るでしょう? ナポレオンが成功するなんてことは、あなたには気のどくだけど、どうしてもあり得ないわ。あのお歴々はどうせナポレオンをかたづけてしまうでしょう。一週間前あなたもミラノで、二十三回も暗殺のたくらみがあったという話を聞かなかった? どれもこれも実に巧妙な計画で、ナポレオンがそれをのがれられたのは奇蹟にすぎなかったというわ。しかもそれは彼がまだ全能だったときのことよ。そして、彼を滅ぼそうという意志を私たちの敵はいくらでも持っていることはあなたにもよくわかったでしょう。彼が去って以来フランスはまったく無力になってしまったんだから」
伯爵夫人はこのうえなく激しい感動を声にあらわしてファブリツィオにナポレオンの今後の運命を語ったのである。
「あなたが彼のもとに参ずることを許すのは、私にとってこの世でいちばんたいせつなものを彼に捧げることなのよ」と彼女は言った。
ファブリツィオの目は濡《ぬ》れ、伯爵夫人に接吻しながら彼は涙にくれたが、出発しようというその決意は一瞬もゆるがなかった。彼は自分にこの決意をさせたすべての理由を、心から愛するこの友だちに真情をこめて説明したが、それらの理由は正直なところわれわれにはまことに滑稽に思えるのである。
「昨日の夕方六時七分前に、ご承知のとおり僕たちはカサ・ソンマリーヴァの下の湖畔のプラタナスの並木道を散歩していたね。そうして僕たちは南にむかって歩いていた。あそこで最初に僕は、あのきわめて重大な知らせを持って来た舟がコモから来るのを遠くに見たんだ。皇帝のことなど念頭になく、ただあのように舟で行ける人たちがうらやましいと思いながらその舟をながめていたとき、突然深い感動に襲われた。舟は陸に着き、手先のやつが低い声でお父さんに何かしゃべると、お父さんは顔色を変えて、僕たちをわきへ連れて行って|恐ろしい知らせ《ヽヽヽヽヽヽヽ》を伝えた。目にあふれる喜びの涙をかくそうというほか何も思わずに僕は湖のほうを向いた。と、突然、右のほうのはるか高いところに一羽の鷲《わし》が見えた。ナポレオンの鳥だ。鷲はスイスのほうへ、だからパリのほうへむかって堂々と飛んで行った。それでは僕も――と僕はその瞬間思った――鷲と同じ速さでスイスを横切るのだ、そしてあの偉人に、取るに足りぬものではあっても自分の捧げ得るすべてのもの、この僕の微力を捧げに行こう。彼は僕たちに国家を与えようとしてくれたのだし、僕の叔父を愛してくれたじゃないか。鷲がまだ見えているうちにどういうわけか涙はたちまちかわいていた。しかも、この考えが神の与えたものである証拠に、まさにこの瞬間に思いまどうことなくこの決心が固まり、この旅行を決行する方法が見えて来たんだ。ご承知のように僕の生活をいつも、特に日曜はそうだったが、暗くしていた悲しみも、あっという間に神の息吹《いぶき》きに吹き払われたように消えてしまった。イタリアのあの偉大な像が、ドイツ人の手で沈められている泥沼のなかから立ち上がるのが見えた。像はまだ鎖が半ばついたままの傷ついた腕を、その王であり解放者であるものに向けてさしのばした。僕は思った、この不幸な母親〔イタリアのこと〕の無名の子にすぎぬ自分も出発しよう、運命のしるしを帯びたあの人間とともに死ぬか生きて勝つかだ。ヨーロッパの住民ちゅうで最も奴隷的な最も下劣《げれつ》なやつらさえもがわれわれに投げつける侮辱《ぶじょく》をこの人はぬぐい去ろうとしてくれたじゃないか、と」
「ねえ」と彼は、伯爵夫人に近づき、炎を発する目で彼女を見据えながらさらに言った。「お母さんが僕の生まれた冬、ここから二里ばかり離れた僕たちの林の大きな泉のふちに手ずから植えたあのマロニエの若木のことを知っているでしょう。何をするよりも先に僕はあの木を見に行きたかった。春もまだそれほど闌《た》けてはいない、よし、あの木に葉が出ていたら、それは僕にとって一つのしるしだ、そう僕は思った。自分もまたこの陰気で冷たい城のなかでうじうじしている惰眠《だみん》状態からぬけださねばならない、と。今は圧制の象徴であり昔は圧制の手段だったこの古い黒ずんだ壁こそ、陰気の冬の姿そのものだとあなたは思わない? この壁は僕にとっては、僕のあの木にとっての冬と同じものなんだ。
信じてくれるかしら、ジーナ? 昨夜七時半に僕はマロニエのところに行った。葉が出ていた、きれいな若葉がもうかなり大きくなって! 僕は傷つけないようにその葉に接吻したよ。だいじな木のまわりの土をていねいに鋤《す》きかえした。新しい感激に満たされて僕はそれからすぐ山を越えてメナジヨに着いた。スイスにはいるには旅券が必要だからね。あっという間に時間が過ぎて、ヴァジの家の門の前に着いたときには午前一時になっていた。やつを起こすため長いこと戸をたたかねばなるまいと思っていたら、やつは三人の友だちと一緒にまだ起きていた。僕が一言いうが早いか、『ナポレオンのもとに馳せ参ずるんだって!』とやつは叫んで、僕の首ったまにかじりつくんだ。ほかのやつらも夢中になって僕に接吻した。そのうちのひとりなんか『なぜおれは結婚したんだろう!』などと言ったもんだよ」
ピエトラネーラ夫人は考えこんでしまっていた。すこし異議を唱えねばならないと思ったのだ。もしファブリツィオにほんのわずかでも経験というものがあったら、伯爵夫人は急いで彼に賛成しはしたものの自分でその賛成の理由を信じていないことがはっきりと彼にもわかっただろう。だが、経験がないかわりに彼には決断があった。彼はそんな理由を聞く耳さえ持たなかったのだ。伯爵夫人は間もなく、せめてその計画を母親に知らせると約束するように彼にくどくほかはなかった。
「お母さんは妹たちに話すだろう。そしてあの女性たちは無意識のうちに僕を裏切るんだ!」とファブリツィオは一種の英雄的な尊大さをもって叫んだ。
「もっと敬意をもって口をききなさいよ」と伯爵夫人は涙にくれながらもほほえんで言った。「あなたの運を開いてくれるのは女性ですよ。あなたはいつも男には好かれないわよ。散文的な心の男たちにとってはあなたは熱がありすぎるんですもの」
侯爵夫人は息子の奇妙な計画を聞いて涙にくれた。彼女はこの計画の壮烈さなど感じることができず、彼を引きとめようとしてできるかぎりのことをした。牢獄の壁以外は何ものも彼の出発をさまたげることができないと悟らされてから、彼女は自分の持っているわずかばかりの金を彼に渡した。それから、たぶん一万フランはする小粒のダイアモンドが八つか十ほど昨日から手もとにあることを思い出した。ミラノで細工させろと言って侯爵が彼女にあずけたものである。伯爵夫人がこのダイアモンドをわれらの主人公の旅行用の上着に縫いつけていたとき、ファブリツィオの妹たちが母親の部屋にはいって来た。彼はこの哀れな女たちに彼女らのわずかばかりのナポレオン金貨を返した。妹たちは彼の計画にひどく感激した。彼女らがあまり騒々しく喜んで彼に接吻するので、彼はかくし残したいくつかのダイアモンドを手に取ってただちに出発しようとした。
「君たちは無意識のうちに僕を裏切るだろう」と彼は妹たちに言った。「こんなにお金があるんだから、着るものなどは持って行く必要がない。どこでだって見つけられる」彼は愛するこの人々に接吻し、自分の部屋に帰ろうともせず即座に出発した。馬に乗った連中に追われはしないかと恐れて速く歩いたので、その夜のうちにルガーノの町にはいった。ありがたいことにここはスイスの町で、父親の雇った憲兵に人気《ひとけ》ない道で襲われる心配はそうなかった。この土地から彼は父親に気高い手紙を書いたが、こういう子どもらしい弱みは侯爵の怒りを根強いものにした。ファブリツィオは駅馬車に乗り、サン=ゴタール峠を越えた。旅程ははかどり、彼はポンタルリエからフランスにはいった。皇帝はパリにいた。
ここでファブリツィオの災難がはじまった。彼は皇帝と話をしようと堅く思いをきめて出発したのだった。それがむずかしいなどとは一度も考えてみなかった。ミラノでは一日に十回もウジェーヌ公に会い、しかもその気になれば公に言葉をかけることもできたのだ。パリに着いてから毎朝、彼はチュイルリ宮の中庭にナポレオンのおこなう閲兵を見に行った。が、一度も皇帝に近づくことはできなかった。われらの主人公は、すべてのフランス人は彼自身と同じく祖国の面している極度の危険に深く心をゆすぶられているものと思っていた。泊まったホテルの食卓で、彼は自分の計画も献身もいっこうかくそうとしなかった。彼は自分以上に熱狂的な、しかし人当たりのいい青年たちに会ったが、この連中は覿面《てきめん》にほんの数日で彼の持っている金を全部まきあげてしまった。さいわい彼はまったくの謙遜から、母のくれたダイアモンドのことは話さないでいた。飲めや歌えの大騒ぎのあげく金をまきあげられたとはっきりわかった朝、彼はりっぱな馬を二頭買い、兵隊上がりの博労《ばくろう》の馬丁を従者に雇い、口先だけうまいパリの若者どもを軽蔑しながら軍隊に合流しようと出発した。軍はモブージュのあたりに集結しているということのほか彼は何も知らなかった。国境に着くやいなや、兵士たちは野営しているというのに自分は家のなかであたたかい煖炉《だんろ》の前でぬくぬくとしているのはおかしいと思った。常識を持ち合わせている従者がなんと言おうとおかまいなく、彼は急いでベルギー街道上のいちばん国境に近い野営地に不用意にはいりこんだ。街道のそばに陣取っている最初の大隊のところまで来るやいなや、兵士たちはどう見ても軍服らしいところのない身なりをしたこの若い市民をじろじろながめはじめた。夜になり、冷たい風が吹いていた。ファブリツィオは火に近づいて、金を払うからあたらせてくれと言った。兵士たちは何よりもこの金を払うというのに驚いて目を見合わせたが、親切に火のそばにすわらせてやった。従者が風よけを作ってくれた。しかし一時間ほどして連隊の准尉が野営のそばを通ると、兵士たちはフランス語のへたな外国人が来たことを准尉のところに行って話した。准尉はファブリツィオに訊問《じんもん》し、ファブリツィオはすこぶる奇妙なアクセントで皇帝への彼の心酔を語った。するとこの下士官は、近くの農家に泊まっている連隊長のところまで自分と一緒に来てくれと言った。従者が二頭の馬を連れてそこへ近づいた。この馬は准尉を非常に驚かせたらしく、たちまち気が変わって従者をも訊問しはじめた。軍人あがりの従者は最初から相手の戦術を読み取って、自分の主人にはいろいろ後ろ楯《だて》があるなどと言い出し、もちろんあのすばらしい馬を|くすね《ヽヽヽ》たりするわけには行かないとつけくわえた。准尉に呼ばれてひとりの兵士がたちまち従者の首根っこをつかまえ、別の兵士が馬を引き受けた。そして准尉は厳しい顔で文句を言わず自分について来いとファブリツィオに命じた。
四方八方の地平線を照らしている露営の火で一見よけい深くなっているように思える闇のなかを一里たっぷり歩かせたあげく、准尉はファブリツィオを憲兵将校に引き渡し、将校はものものしい顔で身分証明書を求めた。ファブリツィオは旅券を示したが、それには|商品を持参している《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》バロメーター商人としてあった。
「ばかなやつらだ」と将校は叫んだ。「こいつはひどすぎる」
彼はわれらの主人公にいろいろ質問したが、こちらは熱烈きわまる感激の言葉で皇帝と自由について語った。すると憲兵将校は気が狂ったように笑い出してしまった。
「まったくの話! おまえはあまり上手《じょうず》じゃないな!」と彼は叫んだ。「おまえのような青二才を送りこむとはちょっとひどすぎる!」そして事実自分はバロメーター商人ではないと必死になって説明するファブリツィオがなんと言おうとおかまいなく、将校は彼を近くの小さな町B……の監獄に送った。われらの主人公は憤慨し、くたくたに疲れながら午前三時ごろそこに着いた。
最初はびっくりし、ついで憤慨し、どうしてこんなことになったのかぜんぜんわけもわからないまま、ファブリツィオはこのみじめな牢獄のなかで三十三日間を過ごした。彼はこの土地の衛戌《えいじゅ》司令官にたてつづけに手紙を書いた。それをとどけるのを引き受けてくれたのは、牢番の細君の三十六歳になる美しいフラマン女だった。だが彼女はこれほどの美少年を銃殺させたいとはぜんぜん思わなかったし、それに彼がよく金を払ったから、そういう手紙はすべて火に投げこんでしまったのだ。夜がずっとふけてから彼女は囚人の愚痴を聞きに行ってやった。あの青二才は金を持っていると彼女が亭主に言ったので、たちまち慎重な牢番は彼女にすべてをまかしてしまった。彼女はこの許可を利用してナポレオン金貨を幾枚かせしめた。というのは、准尉は馬しか取り上げなかったし、憲兵将校は何一つ没収しなかったからだ。六月のある午後、ファブリツィオはかなり遠くに激しい砲声を聞いた。いよいよ戦闘になったのだ! 彼の心は焦躁《しょうそう》におどった。町のなかでもしきりに音がした。事実大きな移動がおこなわれ、三個師団がB……を通過したのだ。午後十一時ごろ牢番の細君が慰めに来たとき、ファブリツィオはいつもよりも愛想《あいそ》よくした。それから彼女の手を取って、
「ここから出してください。戦闘が終わったら牢屋にもどって来ると名誉にかけて誓います」
「何よ、ばかなことばかし言ってさ! |おあし《ヽヽヽ》を持ってるの?」
彼は不安そうだった。|おあし《ヽヽヽ》という言葉がわからなかったのだ。牢番の細君はこの表情を見て、財布が底をつきだしたと思い、最初その気でいたようにナポレオン金貨のことを持ち出さずにフラン貨でがまんした。
「よく聞いてよ。百フランばかり出すことができれば、夜交代に来る伍長の両方の目に大きいナポレオン金貨を一枚ずつくっつけてやるんだがね。そうすりゃあんたが牢から出て行くのが見えない。それに、その日のうちに所属連隊が出発するんだったら、伍長は引き受けるだろうと思うよ」
話は間もなくきまった。牢番の細君はファブリツィオを自分の部屋にかくすことまで同意した。そこからなら翌朝抜け出すことがいっそう容易だろうというのだ。
翌日まだ夜の明けぬうちに、この女はひどくしんみりしてファブリツィオに言った。
「ねえ、かわいい人、あんたはこんな卑《いや》しい稼業をするにゃまだ若すぎるよ。いいかい、もうこんなところへ来るんじゃないよ」
「なんだって!」とファブリツィオは言った。「祖国を守ることがいったいそんなに悪いことなんですか?」
「もういいよ。あたしがあんたの命を救ったんだっていうこといつも忘れないでよ。あんたの一件ははっきりしていたんだから、普通なら銃殺されるところだったんだよ。しかしそんなことはだれにも言うんじゃないよ。言ったらあたしの亭主もあたしも首になっちまうんだから。特に、バロメーター商人に化けたミラノの貴族だなんてへたくそな嘘《うそ》はもう決してつくんじゃない、あんまりばかばかしすぎるからね。よくお聞き、おととい獄中で死んだ驃騎兵の服をあんたにやるからね。できるだけ口をきかないようにするんだよ。でも、軍曹か将校に訊問されてどうしても返事をしなければすまないようになったら、病気になって百姓の家にとどまっていたと言えばいい。その百姓はあんたが道ばたの溝《みぞ》のなかで熱のためがたがたしていたんで、気のどくに思って拾ってくれたんだと言ってね。相手がその返事で納得しなかったら、自分の連隊に帰ろうとしているんだというんだよ。あんたの訛《なまり》を聞いて逮捕するかもしれないから、そうしたら自分はピエモンテの生まれで、去年徴兵されてフランスにとどまっていたとかなんとか言うんだね」
怒りにもだえた三十三日間の後に今はじめて、ファブリツィオは自分の身に起こったことの原因を悟った。スパイと見られていたのだ。彼は牢番の細君と議論した。この朝は彼女はたいそうやさしかった。そして相手が針を持って驃騎兵の軍服をちぢめているあいだに、ようやく彼はこれまでの顛末《てんまつ》をよくわかるように話して聞かせた。女はびっくりした。女はつかの間、彼の言葉を信じた。彼はまことに無邪気に見えたし、驃騎兵の軍服を着るととても魅力的だった。
「そんなに戦争がしたいんなら、パリに着いたらどこかの連隊にはいらなくちゃ」と、ようやくいくらか納得して女は言った。「だれか軍曹にでも飲ましてやりゃ話はつくよ!」
牢番の女はこれから先のことについてなおいろいろと有益な忠告をしてくれ、それから夜が明けはじめたころ、どんなことが起ころうとも決して彼女の名を口に出さないとくどいほど誓わせたうえでファブリツィオを外へ出してやった。驃騎兵のサーベルをかかえて元気よく歩きながら小さな町を出るが早いか、彼は急に不安にとらわれた。(おれは今、獄中で死んだ驃騎兵の服と外出証を持っているが、この騎兵は牝牛といくつかの銀の食器を盗んだため獄に入れられたんだそうだ! いわばおれはそいつのあとを継いだようなもんだ……しかも、そんなことをぜんぜん望みもせず予想もせずに! 牢獄に注意しろ!……この前兆はあきらかだ、おれは牢獄のことでさんざん苦労するぞ!)
ファブリツィオがあの恩人の女から別れて一時間とたたぬうちに雨が猛烈に降りだし、この新米の驃騎兵は自分の足に合わせて仕立ててない粗悪な長靴がじゃまになってほとんど歩けなくなった。やくざな馬に乗った百姓と出逢ったので、手まねで事情を話して馬を買い取った。牢番の女が訛《なまり》のことがあるからなるべく口をきくなと言っていたからだ。
この日、リニーの合戦に勝利を得た軍隊はブリュッセルにむかって進撃ちゅうだった〔六月十六日、リニーでプロイセン軍と戦ったフランス軍は、一万二千の敵兵を屠《ほふ》って勝ったが、味方も八千を失った〕。ワーテルロー会戦の前日だった。正午ごろ、豪雨はあいかわらずつづいていたが、ファブリツィオは砲声を聞いた。この幸福は彼に、あの不当きわまる投獄によって味わわされた恐ろしい絶望の瞬間をすっかり忘れさせた。彼は深夜まで歩きつづけたが、多少分別がつきかけて来たので、街道からずっと離れた農家に行って泊めてもらった。この百姓は泣き、何もかも奪われたと言った。ファブリツィオは一エキュ与えた。すると百姓は燕麦《えんばく》を見つけて来た。(おれの馬はりっぱじゃない)とファブリツィオは思った。(が、かまうもんか、こんな馬でもどこかの准尉のお気に召さんともかぎらない)そうして彼は厩《うまや》に行って馬のそばで寝た。夜明けの一時間前にはファブリツィオはもう出発していた。そしてさんざん撫《な》でてやったあげく、どうにか馬を速歩で駈けさせることができた。五時ごろ砲声が聞こえた。それはワーテルローの序曲だった。
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第三章
ファブリツィオは間もなく酒保《しゅほ》の女たちを見かけたが、B……の牢番の女に非常な感謝をいだいていたから、この女たちに言葉をかける気になった。自分の属する驃騎兵第四連隊はどこにいるかと女たちのひとりに彼は訊《き》いた。
「そんなに急がなくたって大丈夫さ、小さい兵隊さん」ファブリツィオの顔の白さと美しい目に惹《ひ》かれた酒保女が言った。「今日の斬《き》り合いに加われるほどの腕の力はあんたにはまだないね。鉄砲でもありゃまだしもなのにさ、人なみに弾ぐらい射てようからね」
この忠告はファブリツィオには不愉快だった。しかしいくら馬をせきたてても、酒保女の荷馬車よりも速く行くことができない。ときどき砲声が近づくように思われ、話が聞こえなくなった。というのは、ファブリツィオは感激と幸福に有頂天になっていて、また酒保女と話をはじめてしまっていたのだ。酒保女が一言いうたびに彼は自分の幸福がわかって来て、よけい嬉《うれ》しくなる。自分の本名と脱獄の一件を除いて彼はしまいにこの女に何もかも言ってしまった。とても善良な女に思えたのだ。女はひどく驚き、この若い美男の兵隊の話が全然理解できなかった。
「ははあ、読めたよ」と、とうとう彼女は勝ち誇ったように叫んだ。「あんたは第四驃騎兵連隊の中隊長かだれかの奥さんに惚《ほ》れている普通の若者なんですね。そのいい人がこの軍服をあんたによこし、あんたはその女を追っているんだ。あんたが兵隊だったことなど一度もないってことはどうしたってはっきりしている。だがあんたは勇敢だから、連隊が戦っている以上そこへ顔を出そう、卑怯者と見られたくないってわけなんだね」
ファブリツィオは何もかもそのとおりだと言った。いろいろ助言してもらうにはそうするはかなかったのだ。
(こういうフランス人どものやりかたをおれは全然知らない)と彼は考えた。(だれかに教えてもらわないと、しまいにまた牢屋に投げこまれ、馬を盗まれっちまうからな)
「まず第一にね、あんた」酒保女はますます親しみを見せて言った。「まだ二十一になっていないと認めるんだね〔当時の徴兵年齢は二十歳〕。せいぜい十七というところだろう」
それは事実だった。そしてファブリツィオはあっさりとそれを認めた。
「それじゃ、あんたは徴兵適齢にもなっていない。ただただその奥さんのためにあんたは苦労しようってんだね。畜生! 奥さんだって悪い気はしまいて。奥さんにもらった小判《ジョネ》がまだ何枚か残っていたら、まず馬を買い替えなけりゃいけないね。大砲がちょっと近くでうなると、そのやくざ馬が耳をおったてるのが見えないかい。そんな百姓の馬じゃ、戦線に出るが早いか命はないね。向こうの垣の上に白い煙が見えるのは、分隊が鉄砲をうってるんだよ、ほら! 弾がぴゅうぴゅう飛ぶのが聞こえたらそりゃあ恐ろしいから、覚悟をしておきな。まだ|ひま《ヽヽ》のあるうちにパンを一切れ食べておくのも悪かないね」
ファブリツィオはこの勧告に従い、ナポレオン金貨を一枚出して勘定を払わせてくれと言った。
「見ちゃいられないねえ!」と女は叫んだ。「この子ったらお金の使い方すら知らないんだよ! その金貨をひったくってこのココット〔馬の名〕を突っ走らしてやろうかね、あんたのやくざ馬じゃとってもついて来られないよ。あたしがずらかったらどうするのさ、おばかさん? 大砲がうなっているときには、決してお金なんか見せるもんじゃないってことをおぼえておき。ほら、十八フラン五十サンチーム返すよ。あんたの朝飯は三十スーさ。さて、もうじき馬なんか掃いて捨てるほどたくさん見つかるよ。小さい馬だったら十フラン払うんだ。いずれにしても二十フラン以上は決して払っちゃいけない、たといエーモンの四人の息子の馬〔エーモンの四人兄弟はシャルルマーニュ大帝に反抗したといわれる中世の伝説的人物で、バヤールという名の駿馬に四人で乗っていた〕だってね」
朝食が終わると、あいかわらずお説教をつづけていた酒保女は、畑を横切って街道をやって来た別の女に腰を折られた。
「よう!」とその女は叫んだ。「よう、マルゴ! あんたの第六軽騎兵連隊は右のほうにいるよ」
「もうお別れだよ、坊や」と酒保女はわれらの主人公に言った。「でもまったくの話、あんたを見てると気の毒になっちまう。あんたが好きなんだよ、ほんとに! あんたはてんで何も知らない、弾にあたっちまうよ、どうしたって! あたしと一緒に第六軽騎兵連隊においでな!」
「何も知らないってことは自分でよくわかってるよ。でも僕は戦争したいから、向こうの白い煙のほうへどうしたって行くつもりなんだ」
「ごらんよ、あんたの馬は耳をふるわしてるじゃないか! あっちへ行ったら、こいつがどんなに力がなくたってあんたは手を焼くよ。突っ走りはじめて、どこへ連れて行くかわかりゃしないよ。あたしの言うことを信じてくれるかい? 兵隊どものところへ行ったらすぐ鉄砲と弾薬盒《だんやくごう》を拾って、兵隊たちのそばにいて何もかも同じようにするんだよ。でも、まったくの話、どうせあんたは薬包をちぎることさえ知らないんだろうからね」
ファブリツィオはひどく自尊心をきずつけられたが、この新しい女友だちに実はそのとおりだと白状した。
「かわいそうに、たちまち殺されっちまうよ、 ほんとに! 手間暇《てまひま》かからないさ。どうしたってあんたはあたしと一緒に来なくちゃ」酒保女は高飛車に言った。
「でも僕は戦争したいんだ」
「戦争だってするさ。ねえ、第六軽騎兵は有名だし、それに今日はだれだって戦争できるよ」
「でも、あんたの連隊にはすぐ追いつくの?」
「せいぜい十五分だね」
(このおばさんが紹介してくれりゃ、おれが何も知らなくてもスパイとは見られないだろう。戦争ができるだろう)とファブリツィオは思った。その瞬間に砲声が激しくなり、引きも切らずにつづいた。
「つるべうちだね」とファブリツィオは言った。
「小銃の一斉射撃がはっきり聞こえはじめた」と、砲火でひどく気が立ったらしい小馬に一|鞭《むち》くれながら酒保女は言った。
酒保女は右へ曲がって牧場のまんなかを行く道にはいった。深さ三十センチほどのぬかるみだ。小さな馬車は今にもはまりこみそうだった。ファブリツィオは車輪を押した。彼の馬は二度倒れた。間もなく道は水けがすくなくなって芝草のなかの小|径《みち》と化した。ファブリツィオが五百歩も行かないうちに彼のやくざ馬はばったりと止まった。屍体《したい》が小径に横ざまに倒れているのだが、馬も乗り手もこれを見てぎょっとした。
もともとひどく蒼白いファブリツィオの顔は非常にはっきりした緑色に変わってしまった。酒保女は死人をながめてから独り言のように言った。
「これはあたしたちの師団のものじゃないね」
それからわれらの主人公のほうへ目を上げてげらげら笑い出した。
「ははは、坊や!」と彼女は叫んだ。「とんだご馳走だね!」
ファブリツィオは立ちすくんでいた。何よりもこたえたのは、この屍体の足のきたなさだった。すでに靴を奪われて、血だらけのズボンしか残されていないのだ。
「近づいてごらん。馬から降りるんだよ。慣れなくちゃいけないからね。おや(と女は叫んだ)、頭をやられてるよ」
鼻の横からはいった弾が反対側のこめかみから出て、屍体の顔は見るもむざんになっていた。片目はあけたままだ。
「馬から降りなったら、坊や。そして握手してごらん、握りかえすかどうか」
嫌悪のあまり息も絶えなんばかりのくせにファブリツィオは躊躇なく馬から飛び降りて、屍体の手を取って力をこめて振ってみた。それから彼は気が抜けたようになっていた。馬に乗る力もないのを感じた。何より恐ろしかったのはあの開いた片目だった。
(酒保女はおれのことを臆病者と思うだろう)と彼は苦い気持ちで思った。だがどうしても動けないような気がした。動けば倒れそうだった。この一時《いっとき》はたまらなかった。ファブリツィオはほんとに気絶するところだったのだ。酒保女はそれに気がつき、小さな車から身軽に飛び降りて一言もいわずにブランデーを一杯さしだし、彼は一息にのみほした。それで痩《や》せ馬に乗ることができ、何も言わずに歩みつづけた。酒保女はときどき彼を横目で見ていた。
「坊や、戦争は明日にするんだね」としまいに言った。「今日はあたしと一緒にいるんだよ。まずは、兵隊商売をおぼえなくちゃならないじゃないか」
「とんでもない、今すぐ戦争したいんだ」とわれらの主人公は陰鬱《いんうつ》な顔つきをして叫んだが、この顔つきは酒保女にはいい前兆のように見えた。
砲声はいよいよ激しくなり、しかも近づいて来るように思えた。砲撃が一つの通奏低音のようなものになり出した。一発と次の一発のあいだに全然間隔がない。そしてこの遠い谷川の青を思わせる通奏低音の上に、小銃の一斉射撃の音がごくはっきりと聞き分けられた。
ちょうどこのとき道は木立のなかにはいった。酒保女は三、四人の味方の兵隊が全速力でこちらへ走って来るのを見、馬車から飛び降りて、道から十五歩か二十歩離れたところへ身をかくした。大木を引き抜いたあとに残った穴のなかにうずくまったのだ。(よし、おれが臆病者かどうかためしてみよう!)とファブリツィオは思った。酒保女が捨てて行った小さな馬車のそばに立って彼はサーベルを抜いた。兵隊どもは彼には目もくれず、街道の左手の森に沿って走り去った。
「味方だよ」すっかり息を切らして小さな馬車のほうへもどりながら酒保女はおちついて言った……「あんたの馬がギャロップですっ飛ばせるんだったら、森の縁まで行って原っぱにだれかいるか見ておいでと言うところなんだがね」
ファブリツィオは即座に承知して、ポプラの枝を一本折って葉を取り、力いっぱい馬をなぐりはじめた。やくざ馬はつかの間ギャロップで走ったが、たちまちいつもの小刻みなトロットにもどった。酒保女は自分の馬をギャロップさせて来た。
「止まれ、止まれったら!」と彼女はファブリツィオに言った。
間もなくふたりは森の外へ出た。平原の縁まで来ると、ものすごい音が聞こえた。大砲と小銃が前後左右で鳴っているのだ。そしてふたりが出て来た森は平原よりも三メートル足らずの高さの丘になっているので、戦場の一角がかなりよく見えた。だが結局、森の向こうの牧場にはだれもいなかった。千歩ばかり向こうのこの牧場の縁はよく茂った柳の長い並木になっている。柳の上に白い煙が見え、ときどき渦《うず》をまきながら空へ上って行く。
「連隊がどこにいるかさえわかったらなあ!」と、とほうにくれた酒保女は言った。「この大きな牧場をまっすぐ突っ切るわけには行かない。それはそうと、あんた」とファブリツィオにむかって、「敵兵を見たらサーベルの先で突くんだよ、斬ろうなんて酔狂《すいきょう》な気を起こしちゃいけない」
このとき酒保女は先ほどのあの四人の兵隊を認めた。彼らは森から街道の左のほうの牧場に出て来たのだ。そのうちのひとりは馬に乗っていた。
「これはあんたにあつらえむきだよ」と彼女はファブリツィオに言った。「おーい、おーい」馬に乗っているのにむかって彼女は叫んだ。「ブランデーを一杯やりに来ないかい」
兵隊たちは寄って来た。
「第六軽騎兵連隊はどこだい?」
「あっちだ、ここから五分ぐらいの、柳に沿っている運河の向こうだ。マコン大佐がさっきやられたところだぜ」
「五フランでその馬を売らないかい、あんた?」
「五フラン! とんだ冗談だな、おばさん、将校用の馬だから、十五分もしねえうちにナポレオン金貨五枚で売れらあね」
「ナポレオン金貨を一枚よこしな」と酒保女はファブリツィオに言った。
それから馬に乗った兵隊に近づいて、
「さっさと降りるんだよ。さあ、これがあんたのナポレオンだ」
兵隊は降り、ファブリツィオは喜び勇んで鞍《くら》にうちまたがり、酒保女はやくざ馬についている小さな鞍袋をはずした。
「手伝っておくれよ、あんたたち!」と彼女は兵隊たちに言った。「そんな風に貴婦人に働かせておくのかい?」
だが首尾よくせしめたこの馬は、鞍袋をつけられたと感じるやいなや後ろ脚《あし》で立ちはじめ、乗馬には非常にたくみなファブリツィオも馬をおさえるのに全力をつくさねばならなかった。
「いいしるしだ!」と酒保女は言った。「鞍袋にくすぐられることには慣れていらっしゃらないだとよ」
「将軍用の馬だぜ」と売り手の兵隊は叫んだ。「ナポレオン金貨十枚だってちっとも高かあねえ!」
「ほら二十フランだ」とファブリツィオはその兵隊に言った。動きまわる馬の背にまたがった喜びに彼は有頂天だったのだ。
ちょうどこのとき砲弾が柳の並木をななめに突っ切り、ファブリツィオは小枝がみんな鎌で払われたように左右に飛び散るという珍しい光景を見た。
「おや、大砲が進んで来たぞ」と二十フランを受け取りながら兵隊は言った。
もう二時にはなっていたろう。
ファブリツィオがまだ例の珍しい光景に心を奔われていたときに、二十騎ほどの驃騎兵を従えた将官の一団が、彼がその縁《ふち》に立っている広い牧場の一角をギャロップで横切った。彼の馬はいななき、つづけざまに二三度後ろ脚で立ち、それから頭を猛烈に振って自分をおさえている手綱《たづな》をゆすった。(よしよし、かってにしろ!)とファブリツィオは心のなかで言った。
自由にされた馬は一目散に駈け出し、将官たちに従っている護衛隊と一緒になった。ファブリツィオは縁飾りのついた帽子を四つ見た。十五分ほどして、隣にいる驃騎兵が言ったちょっとした言葉からファブリツィオは将官のひとりが有名なネー元帥〔ナポレオン麾下《きか》の名将〕であることを知った。彼の幸福は絶項に達した。けれども彼は四人の将官のうちのどれがネー元帥なのか見当がつかなかった。それを知るためならどんなものでも惜しくないほどだったが、しゃべってはいけないということを思い出した。護衛隊は前日の雨で水のたまった堀を渡るために停止した。堀に沿って大木がならび、堀はファブリツィオがその入口で馬を買った牧場を左手のほうで限っている。驃騎兵はほとんどみな馬から降りていた。堀の岸は切り立ってひどくすベりやすく、水は牧場の下一メートルのところを流れている。嬉しくて夢中だったファブリツィオは自分の馬のことよりもネー元帥や光栄のことを思っていたが、その隙《すき》にひどくいきりたった馬は堀割りのなかに飛びこんだ。水は相当の高さまではねあがった。将軍のひとりはその水でずぶぬれになり、
「畜生め!」とののしった。
ファブリツィオはこの罵声《ばせい》に深く心をきずつけられた。(釈明を求めてもいいんじゃないか?)と彼は思った。とにかく自分がそれほど|へま《ヽヽ》ではないことを証明するために、彼は堀の向こう岸へ馬を登らせようとした。だが岸は切り立って、高さは二メートル近くもある。あきらめねばならなかった。そこで彼は、馬の頭まで水につかったまま流れをさかのぼり、ようやく水飼い場みたいなところを見つけた。このゆるい斜面から難なく堀の向こう側の畑に上った。護衛のなかでこちら側に出たのは彼が一番だった。彼は得々《とくとく》として岸に沿って馬を走らせはじめた。堀割りのなかでは驃騎兵たちが足場に困ってじたばたしていた。深さが一・五メートルもあるところがたくさんあったのだ。二、三頭の馬は怯《おび》えはじめて泳ごうとしたが、そのため恐ろしい騒ぎがはじまった。ひとりの軍曹が、どう見ても軍人らしくないあの青二才が今やったことに気がついた。
「上《かみ》へ行け! 左に水飼い場があるぞ!」と軍曹は叫び、みなは徐々に川を渡った。
ファブリツィオが対岸に来てみると、将官たちだけしかいなかった。砲声はさらに激しくなったように思われた。彼のためにすっかりずぶぬれにされた将官が耳もとでこうどなったのもほとんど聞こえないほどだった。
「その馬、どこで手に入れた?」
ファブリツィオはひどく頭が混乱していたのでイタリア語で答えてしまった。
――L'ho comprato poco fa.(さっき買ったんです)
「なんて言った?」と将官は叫んだ。
だが、このとき騒音が猛烈に激しくなったので、ファブリツィオは返事をすることができなかった。この瞬間われらの主人公《ヒーロー》ははなはだ英雄《ヒーロー》らしくなかったと作者も認めよう。けれども恐怖が湧いて来たのは後になってからで、何よりも耳を痛めつけるこの音響がやりきれなかったのだ。護衛隊はギャロップに移って、一同は堀割りの向こうの広い耕地を横切ったが、この畑には屍体《したい》がごろごろしていた。
「赤服だ! 赤服だ(英軍の軍服である)!」と護衛の驃騎兵たちは喜びの叫びをあげた。
はじめファブリツィオはわけがわからなかった。しまいに彼も、事実ほとんどすべての屍体が赤服を着ていることに気がついた。あることに気がついて彼はぞっとさせられた。この不幸な赤服の連中の多くがまだ生きているのがわかったのだ。彼らはもちろん助けを求めて叫んでいるが、だれも助けるために止まろうとしない。われらの主人公はまことに人間的だったから、さんざん苦労して自分の馬が決して赤服を踏まないようにした。護衛隊は停止した。兵隊としての義務に充分注意を払っていなかったファブリツィオは、ひとりの不幸な負傷者のほうへ目をやりながらそのまま馬を飛ばしつづけた。
「止まらないか、青二才め!」と軍曹がどなりつけた。
ファブリツィオは自分が将官たちの右手の前方へ二十歩も出てしまっていることに気がついた。そこはちょうど彼らが双眼鏡でながめている方角に当たっていた。数歩後ろに控えている驃騎兵たちの後尾につきながら、彼は将官たちのうちのいちばんふとったのが偉そうに、ほとんど叱りつけるように横にいるもうひとりの将官にしゃべっているのを見た。ののしっているのだ。ファブリツィオは好奇心をおさえることができなかった。そして仲好しだったあの牢番の女が与えた決してしゃべるんじゃないという忠告にそむいて、ちゃんとしたフランス語風の文句を用意して彼は隣の兵隊に言った。
「横の人に|剣つくを食わせている《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》あの将軍はだれです?」
「元帥にきまってるじゃないか!」
「どの元帥です?」
「ネー元帥だよ、ばか! おい、今までどこの隊にいたんだ?」
ファブリツィオは非常に激しやすかったにもかかわらず、この悪口に腹を立てる気などさらさらなかった。子どもっぽい感嘆に我を忘れて、彼は勇者中の勇者と言われるこの有名なモスクヴァ大公〔ネーはイェナ会戦における勇武をうたわれて「勇者中の勇者」と呼ばれ、またロシア遠征に際してはモスクヴァ河の戦いの武功によってナポレオンから「モスクヴァ大公」の称号を与えられた〕に見とれていた。
突然一行は全速力で駈け出した。しばらくしてファブリツィオは、二十歩ほど前の耕地が妙なぐあいに動いているのを見た。畝溝《うねみぞ》の底に水がたまって、畝のてっぺんのひどくしめった土が黒い小さな塊《かたまり》になって一メートルもはねあがるのだ。ファブリツィオは歩きながらこの奇妙な現象に目をとめた。それから彼の想念はまた元帥の勲功のことにかえった。そばでけたたましい非鳴が聞こえた。ふたりの驃騎兵が砲弾に当たって倒れたのだ。彼がそちらを振り向いたときには、護衛隊はすでに二十歩も先に行っていた。彼に恐ろしく見えたのは、血みどろの一頭の馬が自分の臓腑《ぞうふ》に足を取られながら耕地の上でもがいていることだった。彼はほかの連中について行こうとした。血が泥濘《でいねい》のなかに流れた。
(ああ、それじゃおれはとうとう砲火を浴びたのだ!)と彼は思った。(おれは砲火を見たのだ!)と彼は満足してくりかえした。(これで、もうほんとうの軍人だ)
このとき護衛隊は全速力でふっとばしていたが、われらの主人公はそこらじゅうで土をはね上げているのは砲弾なのだと悟った。砲弾の飛んで来るほうをいくらながめてもだめで、ずっと遠くのほうに砲列の白い煙が見えるだけだった。そして砲撃の一様な絶え間のないうなりのなかに、もっと近い発射音が聞こえるように思われた。彼には全然わけがわからなかった。
ちょうどこのとき将官たちと護衛は一・五メートルほど低くなった水のたまった小道へ降りた。
元帥はたちどまって、また双眼鏡をのぞいた。ファブリツィオは今度は思う存分、元帥を見ることができた。濃い金髪で赤い大きな顔(ネー元帥は事実兵士たちから「赤ら顔」という綽名《あだな》をつけられていた)をしている。(あんな顔はイタリアには全然ないな)と彼は思った。(おれは蒼白くて髪は栗色だから、あんな風には決してなれないだろう)とさらに心に思って悲しくなる。彼にとってはこの言葉は、自分は決して英雄になれないだろうという意味だったのだ。彼は驃騎兵たちをながめた。ひとりだけを除いてみな黄色い口髭《くちひげ》をはやしていた。ファブリツィオが驃騎兵たちをみつめるので、相手もみな彼をみつめた。この視線を浴びて彼は顔が赤くなり、間《ま》の悪さをたちきるために彼は敵のほうを向いた。赤服の男たちが広く散開している。ところが、彼がひどく驚いたことには、これらの男たちが非常に小さく見えたのだ。彼らの、長い列は連隊もしくは師団だったろうが、その高さは生垣《いけがき》ぐらいしかないように見えた。赤服の騎兵の一列が、元帥とその護衛がぬかるみをはねちらしながら小きざみな歩調で進む低い道に近づこうとして速歩で駈けて来る。進んで行く方角にあるものは煙のために全然見分けられない。ときどき馬を全速で飛ばしている兵隊がその白い煙の上に浮き出すのが見えるだけだった。
突然敵のいる方角から四人の兵隊が全逮力で走って来るのをファブリツィオは見た。(ああ、おれたちを襲って来たんだ)彼は思った。それからはそのうちのふたりが元帥に話しかけるのを見た。元帥に従っている将官のひとりが護衛の驃騎兵二騎と今来た四人の兵隊を従えて敵のほうヘギャロップで駈け出した。一行が小さな運河を越してから、ファブリツィオはまことに人がよさそうな顔をした軍曹が自分の横にいるのを見た。(この男に話しかけなくちゃ。そうすればやつらもおれのことをじろじろ見なくなるかもしれない)と彼は思った。長いこと考えてから、
「戦闘に加わるのははじめてなんです」と彼はとうとうその軍曹に言った。「でもこれは木物の戦闘なんですか?」
「すこしはね。だが君はいったいだれなんだ?」
「ある大尉の妻の弟なんです」
「じゃ、なんて言うんだ、その大尉の名は?」
われらの主人公はひどくあわてた。こんな質問は全然予想していなかったのだ。さいわい元帥と護衛はまたギャロップをはじめた。どんなフランスの名を言ったらよかろう? やっと彼はパリで泊まったホテルの主人の名を思い出した。彼は軍曹の馬に自分の馬を寄せ、力いっぱい叫んだ。
「ムーニエ大尉です!」
大砲のとどろきのためよく聞こえなかったから相手はこう答えた。
「ああ、トゥーリエ大尉か? いや、実はあの人はやられたよ」
(しめた!)とファブリツィオは思った。(トゥーリエ大尉だな。悲しそうな様子をしなくちゃ)
「ああ、神さま!」と彼は叫んでなさけなさそうな顔をした。
一行は低くなっている道を出て小さな牧場を横切り、全速力で走った。砲弾がまた飛んで来はじめ、元帥はある騎兵師団のほうにむかって行った。護衛隊は屍体や負傷兵にとりまかれていた。しかしこの光景ももうわれらの主人公にそれほどの印象を与えなかった。ほかに考えねばならぬことがあったのだ。
護衛隊が停止しているあいだに彼は酒保の女の小さな馬車を認めた。酒保女というこの尊敬すべき女どもへの愛情がすべてに打ち克って、彼はギャロップでその馬車のほうへ走り出した。
「行くな、、ばかやろう!」と軍曹は叫んだ。
(この場になっておれに対して何ができるっていうんだ)とファブリツィオは考え、 酒保女のほうへ走りつづけた。馬に拍車をあてながら、今朝の親切な酒保女じゃないかと多少彼は期待していた。馬も小さい馬車も非常によく似ていたが、その持主はまったくの別人で、われらの主人公はこの女はひどく意地が悪そうだと思った。近づくと、その女が、
「いい男なのにね!」と言っているのが聞こえた。
目も当てられぬ光景がこの新兵を待っていた。一八〇センチ近い美青年の胸甲騎兵の太腿《ふともも》を切断しているところだったのだ。ファブリツィオは目をつぶり、たてつづけにブランデーを四杯も飲んだ。
「たいした飲みっぷりじゃないか、ちびさん!」と酒保女は叫んだ。
このブランデーで彼はあることを思いついた。(仲間である護衛の驃騎兵の好意を買わなくちゃならん)
「壜《びん》の残りをくれ」と彼は酒保女に言った。
「今日みたいな日にゃ、この残りだけで十フランはするよ、いいかい?」
ギャロップで護衛隊のところへ帰ると、
「やあ、酒を持って来てくれたんだな!」と軍曹は叫んだ。「そのために飛んで行ったのかい? よこせ」
壜は手から手へとまわった。最後のひとりは飲んでから空にほうり上げた。
「ありがとう、戦友!」と彼はファブリツィオに叫んだ。
皆の目は好意をもって彼に注がれた。この視線はファブリツィオの心から百|斤《きん》の重しを取り除いてくれた。何しろこの心は、周囲の人々の友情がなくてはいられない繊細にできた心だったのだ。これでやっと仲間たちから悪く思われなくなり、彼らとのつながりができたのだ! ファブリツィオは胸いっぱい息を吸い、それから自然な声で軍曹に言った。
「トゥーリエ大尉がやられたとすれば、どこで姉を見つけられるでしょう?」
ムーニエと言わずにごくすらすらとトゥーリエと言えたことで、彼は自分がちょっとした策士《マキャヴェルリ》になったような気がした。
「今夜になりゃわかるさ」と軍曹は答えた。
護術隊はまた動き出し、歩兵師団のほうへむかった。ファブリツィオは完全に酔っぱらっているような気持ちだった。ブランデーを飲みすぎ、鞍の上で少々ふらふらしていた。母の馭者がよく言っていた言葉を彼はまことに都合よく思い出した。「飲みすぎたときにゃあ馬の耳と耳とのあいだを見て、そばにいるもののやっているとおりにすればいい」元帥はいくつかの騎兵隊のそばに長いこと馬を止め、彼らを突撃させた。しかし一時間か二時間ばかりわれらの主人公は周囲に起こっていることをほとんど意識していなかった。彼はひどい疲れをおぼえ、馬がギャロップしているとき彼の体《からだ》は鉛の袋のようにどっさりと鞍の上に突っ伏していた。
突然軍曹が部下にむかって叫んだ。
「きさまらは皇帝が見えんのか、阿呆ども!」
たちまち護衛兵たちは声をかぎりに「皇帝万歳!」と唱えた。もちろんわれらの主人公は目を皿にして見まわしたが、これまた護衛隊を従えて馬を飛ばして行く将官たちしか見えなかった。扈従《こじゅう》の竜騎兵の兜《かぶと》から垂れた長い飾り毛のためにみんなの顔を見分けることができなかったのだ。(それじゃおれは戦場の皇帝を見ることができなかったわけだ、あのいまいましいブランデーのおかげで!)そう考えた結果彼は完全に目が覚めた。
一行はまた水のたまった道へ下り、馬は水を飲もうとした。
「それじゃ、あそこを通ったのは皇帝なんですか?」と彼は隣にいた男に言った。
「ああ、そうとも、モールの服を着ていなかったのがそうだ。君にはどうしてあれが見えなかったんだろう」と戦友は親切に答えた。
ファブリツィオは皇帝の護衛のあとを追い駈け、その中に加わりたくてたまらなくなった。この英雄に従ってほんとうに戦争をすることができたらなんという幸福だろう! 彼がフランスに来たのはそのためだったのだ。(その気になればいくらでもそうできるんだ)と彼は思った。(結局のところおれが今こうしているのは、おれの馬がこの将官たちのあとを追って駈け出したからで、ほかになんの理由もないんだからな)
ファブリツィオがとどまる決心をしたのは、新しい仲間である驃騎兵たちが彼に親しげな顔を見せるからだった。自分が数時間前から一緒に馬を走らせているこの兵士たちすべての親友になったような気がした。タッソーやアリオストの英雄たちのあの高貴な友情が彼らと自分のあいだにあるように思った。皇帝の護衛にかわったら、またあらためて交際を結ばねばならない。しかもその連中は彼にいい顔をしないかもしれない。その騎兵は竜騎兵であり、彼のほうは元帥に従っている連中と同じく驃騎兵の軍服を着ていたのだから。みんなが自分を見る目つきにわれらの主人公はすっかり嬉しくなってしまった。この仲間たちのためとあれば彼はどんなことでもしただろう。心も精神も天を飛んでいた。友だちと一緒だと思うようになってから、すべてのものが様相を一変していた。彼は無性《むしょう》に質問をしたくてたまらなかった。
(だが、おれはまだ少々酔っぱらっているぞ、あの牢番の女のことを思い出さなくちゃならない)
くぼんだ道から出たとき彼は、護衛と一緒にいるのがネー元帥ではないことに気がついた。彼らがいま従っている将軍は背が高く痩《や》せていて、冷やかな顔つきに恐ろしい目をしていた。
この将官はA……伯爵、一七九六年五月十五日のロベール中尉にほかならなかった。ファブリツィオ・デル・ドンゴに会ったら彼はどれほど喜ぶことだろうか!
もうずっと前からファブリツィオは砲弾のために土が黒い小さな塊《かたまり》になって飛ぶのを見なかった。一行は胸甲騎兵連隊の背後に出たが、霰弾《さんだん》が胸甲にあたるのが彼にははっきりと聞こえ、何人かが倒れるのを見た。
太陽はもうずっと傾いていた。そして護衛隊がくぼんだ道から離れて1メートルあまりの小さな坂を上り、耕地に出たときには、今にも没しようとしていた。ファブリツィオはすぐそばに奇妙な低い声を聞いた。振り向くと四人の兵隊が馬もろとも倒れていた。将軍も薙《な》ぎ倒されたが、血まみれになって立ち上がった。ファブリツィオは地面にたたきつけられた驃騎兵たちを見た。三人はまだ痙攣《けいれん》してもがいており、もうひとりは「引き出してくれ」と叫んでいた。軍曹と二、三人の兵隊が将軍を助けようとして馬から降り、将軍は副官につかまって二、三歩あるこうとした。地べたに倒れてもがき、狂ったように足をばたばたさせている馬から離れようとしたのだ。
軍曹はファブリツィオに近づいた。ちょうどこのときわれらの主人公は、自分の後ろのすぐ耳もとでだれかがこう言うのを聞いた。
「まだ飛ばせるのはこいつだけだ」
彼は両足をつかまれるのを感じた。腋《わき》の下で体《からだ》を支えられると同時に足を持ち上げられた。馬の尻《しり》の上を通り越して彼はするすると地面におろされ、そこに尻もちをついた。
副官はファブリツィオの馬の手綱《たづな》をおさえた。将軍は軍曹に助けられてそれに乗り、全速で走り出した。残っていた六人がさっとそれにつづいた。ファブリツィオは憤然《ふんぜん》として立ち上がって、
「Ladri! Ladri!(泥棒! 泥棒!)」と叫びながら追い駈けはじめた。
戦場で泥棒を追い駈けるとは愉快な話だ。
護衛と伯爵A……将軍は間もなく柳の並木のかげに消えた。憤怒《ふんぬ》に我を忘れたファブリツィオも間もなくその並木のところに着いた。非常に深い運河にぶつかったが、彼はそれを越えた。そして対岸に出ると、木々のなかに没して行く将軍と護衛を、ずっと遠くのほうにだがふたたび認めて、またしてもののしりはじめた。
「泥棒! 泥棒!」と今度はフランス語で叫んでいた。
馬を失ったことよりも裏切られたことに絶望して、疲れてひどい飢えを感じながら彼は堀割りの縁《ふち》にくずおれた。あのりっぱな馬を奪ったのが敵だったとしたら彼も未練がましく考えたりしなかったろう。だが、彼があんなに好きだったあの軍曹や兄弟のように思っていたあの驃騎兵たちから裏切られ盗まれるとは! このことこそ彼に断腸《だんちょう》の思いをさせたのだ。これほど卑《いや》しむべき行為を見せつけられて、心を慰めることができず、一本の柳に背をもたせて彼は熱い涙を流しはじめた。彼は『解放されたイェルサレム〔タッソーの長編叙事詩〕』の英雄たちのそれのような騎士的で崇高な友情の美しい夢のすべてを一つまた一つと捨てて行った。死が迫って来ることもなんでもなかったろう、いまわのきわに手を握ってくれる雄々しく愛情深い魂、高貴な友人たちに囲まれているならば! だが卑しい悪党に囲まれながら感激を失わないでいることなどは!
すべて憤慨した人間がそうであるようにファブリツィオも誇張していたのだ。十五分ほど感傷にふけった後に、彼は砲弾が自分がそのかげで瞑想《めいそう》している並木にまでとどきはじめたのに気がついた。立ち上がって彼は方角を見た。広い運河と繁った柳の列に縁取られたあたりの牧場を見まわした。見当がついたように思った。前方千メートルばかりのところで歩兵の一団が堀割りを渡って牧場にはいって来るのを彼は認めた。(眠ってしまいそうだ、捕虜にならないようにしなくちゃ)彼はひどく足早に歩き出した。進んで行くうちに安心した。軍服がわかった。自分の退路を断つのではないかと彼が心配していた連隊はフランス軍だった。彼はその連隊と一緒になるうとして右のほうへ斜めに行った。
あのように卑劣《ひれつ》に裏切られ盗まれたという精神的な苦痛に次いで、刻々と激しさを増すもう一つの苦痛があった。腹がへって死にそうだったのだ。十分ほど歩いて、というよりも走ってから、これまた猛烈に速く進んでいた歩兵集団が陣地を作ろうとするもののように停止するのを見たときの、彼の喜びは非常なものだった。数分後には彼は最初の兵隊たちのあいだにいた。
「戦友たち、パンを一きれ売ってもらえませんか?」
「おや、この男、おれたちのことをパン屋だと思ってるよ!」
この無情な言葉とそれにつづく一同の嘲笑はファブリツィオを打ちのめした。それでは戦争というものは、彼がナポレオンのいろいろな宣伝から想像していたような、栄光を愛する人々のあの共通の高貴な熱情ではもはやないのだった!
彼は芝草の上に腰をおろすというよりも、へたりこんだ。顔色がひどく悪くなった。先ほど彼にものを言った兵隊は、十歩ほど離れたところに立ち止まってハンケチで小銃の火皿の金具をふいていたのだが、近づいて来てパンを一きれ投げてくれた。彼がそれを拾わないので兵隊はそのパンを彼の口に押しこんだ。ファブリツィオは目を開き、口をきく元気もなしにそれを食べた。金を払おうとして今の兵士を捜そうと見まわしたときには、彼はひとり残され、いちばん近い兵隊でももう百歩も向こうを歩いていた。彼は機械的に立ち上がり、彼らにつづいた。森にはいった。疲労で倒れそうになり、ぐあいのよさそうなところをすでに目で捜していた。が、最初に馬、次に馬車、そして最後に今朝の酒保女を認めたときの彼の喜びはいかばかりだったろう! 女は彼のほうへ駈け寄り、彼の顔つきにぎょっとした。
「もうすこし歩いておくれ、坊や。けがをしたのかい? それにあのすてきな馬は?」
そう言いながら女は彼を自分の馬車のほうへ導き、腋の下を支えてそれに乗せた。馬車に乗るやいなや疲労|困憊《こんぱい》していたわれらの主人公は昏々と眠ってしまった。
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第四章
馬車のすぐそばで射つ銃声にも、酒保女が力いっぱい鞭《むち》打つ馬の歩みにも彼は全然目覚めなかった。一日じゅう勝利を信じていたあとで、雲霞《うんか》のようなプロイセン騎兵にだしぬけに攻撃された連隊は、フランスの方角にむかって後退を、というよりも逃走をはじめた。
マコンのあとを継いだばかりの、りゅうとした身なりの美青年の連隊長は斬り倒された。続いて指揮を取った大隊長は白髪の老人だったが、連隊を停止させた。
「阿呆!」と彼は兵士たちに言った。「共和国時代には、敵が迫ってどうにもしようがないというときにならなければ逃げ出したりはしなかったもんだ……。一寸の土地も守れ、そして戦死するんだ」と彼はののしりわめいた。「あのプロイセン兵どもは今度は祖国の土地を侵そうとしているんだぞ!」
小さい馬車は停止し、ファブリツィオははっと目を覚ました。太陽はもうずっと前に沈んでいた。ほとんど夜になっているのに彼はびっくりした。兵隊どもはあちこちに走りまわり、その混乱のさまにわれらの主人公は驚かされた。何か茫然《ぼうぜん》としているような様子だと彼は思った。
「いったいどうしたんです?」と彼は酒保女に言った。
「なんでもないさ。やられたんだよ、坊や。プロイセンの騎兵がこちらを斬りまくっているだけの話さ。あの将軍の阿呆ときたら、はじめはこちらが勝っているものと思いこんでたんだよ。さあ、てきぱき手伝っておくれ、ココットの輓革《ひきがわ》が切れたのを直すんだから」
十歩ほどのところで銃声が数発した。元気にあふれたわれらの主人公は思った。(いや、実際のところ今日一日おれは戦争をしなかった。将軍を護衛しただけだ)
「僕は戦争をしなくちゃ」と彼は酒保女に言った。
「安心しな、どうせ戦争するよ、いやになるほどね! こっちは負けたんだから」
通りかかったひとりの伍長に彼女は呼びかけた。「ねえオブリ、あんた、この馬車がどうなっているかときどき見に来ておくれよ」
「あなたは戦争に行くんですか?」とファブリツィオはオブリに言った。
「いや、おれは舞踏靴をはいて踊りに行くのさ!」
「僕はあなたについて行きます」
「この小さい驃騎兵のこと、よろしく頼むわよ」と酒保女は叫んだ。「この若旦那、なかなか勇敢でね」
オブリ伍長は一言もいわずに進んだ。十人足らずの兵隊が走って来て彼に追いつき、伍長は茨《いばら》でかこまれた太い槲《かし》の木のかげに彼らを連れて行った。そこまで来ると、彼はあいかわらず一言もいわずに兵隊たちを森の縁《ふち》に広く散開させた。めいめいがすくなくとも隣のものから十歩は離れていた。
「おい、みんな」と伍長は言った。彼がしゃべったのはこれが最初だった。「命令のないうちに射っちゃいかんぞ、弾薬がもう三発しかないことを忘れるな」
(いったいどうなるんだ?)とファブリツィオは思った。伍長とふたりだけになったとき彼は言った。
「僕、銃がないんです」
「黙れったら! 森の前方に五十歩ほど行ってみろ。さつき斬り倒されたこの連隊の兵隊がだれかいるだろう。その弾薬|盒《ごう》と銃とをもらって来るんだ。負傷兵から取っちゃいかんぞ、いいか。ちゃんと死んでいるやつの弾薬盒と銃をもらうんだ。さあ急げ、でないと味方の弾を食らうぞ」
ファブリツィオは駈け出し、銃と弾薬盒を持ってたちまち帰って来た。
「弾をこめてあの木のかげにいろ。そして何よりも、おれが命令しないうちには射ってはいかんぞ……」言葉を切ってから伍長は言った。「ややや、この野郎、弾のこめかたを知らねえぞ!……(彼はしゃべりっづけながらファブリツィオに手伝った)敵の騎兵が斬りかかろうとして突っ走って来たら、この木をぐるぐるまわって、敵が三歩の距離に来たときまで射つんじゃないぞ。こっちの銃剣が相手の軍服にさわるくらいでなくちゃだめだ」
さらに伍長はどなった。
「そのでっかいサーベルなんか捨てっちまえ。 そんなものをつるしていたら倒れっちまうじゃねえか! このごろの兵隊ってのはなんて野郎だろう!」
そう言いながら彼は自分でサーベルを取り、腹だたしげに遠くへ投げ捨てた。
「おまえはハンケチで銃の発火石をふくんだ。 それにしても、おまえ一発でも射ったことがあるのか?」
「猟をやります」
「ありがてえこった!」と伍長は大きく息をついて言った。「何よりも、おれが命令しないうちに射つんじゃないぞ」
そうして彼は行ってしまった。
ファブリツィオは嬉しくてたまらなかった。(いよいよほんとに戦争をするんだ、敵を殺すんだ!)と彼は思った。(やつらは今朝砲弾をうちこんできたが、おれはただ命を的にしてじっとしていただけだ。そんなのは阿呆のすることだ)
彼は非常な好奇心をもって四方を見まわした。しばらくするとすぐそばで七、八発の銃声がした。しかし射てという命令がなかったので彼は木蔭にじっとしていた。もうほとんど夜だった。彼はグリアンタの上のほうのトラメッツィーナの山のなかに熊狩りに行って待ち伏せしているような気がした。猟師らしい考えが浮かんだ。弾薬盒から実包を取り出し、弾丸を抜き出した。(見つけたら射損《いそん》じてはならない)と彼は言った。そして二つ目の弾丸を銃身に押しこんだ。隠れている木のすぐそばで二発銃声がした。と同時に青服の騎兵が一騎、右から左へむかって彼の前を馬を飛ばして行く。(三歩じゃないな)と思った。(しかしこの距離なら自信がある)彼は騎兵に充分ねらいをつけ、引き金を引いた。騎兵は馬もろとも倒れた。われらの主人公は猟をしているような気持ちだった。大喜びで今しとめた獲物に駈け寄った。死にかけていると見えた男に手をかけたとき、途方もないスピードで二騎のプロイセン騎兵が斬りつけようと彼に迫って来た。ファブリツィオは一目散に森のほうへ逃げた。走りやすいように銃を捨てた。プロイセン騎兵がわずか三歩のところまで迫ったとき、彼は森の縁《ふち》に小さな槲《かし》を新しく植えたところへ着いた。槲は腕ぐらいの太さで、まっすぐ立っている。この槲がつかの間騎兵を押し止めたが、すぐ彼らはそこを通り過ぎて森の空《あ》き地ヘファブリツィオを追いはじめた。またしても追いつかれそうになったとき、彼は七、八本の太い木のあいだにもぐりこんだ。その瞬間、前方から五、六発射たれて、銃火に顔がほとんど焼けるところだった。彼は頭を下げた。それからまた頭を上げて見ると、目の前に伍長がいた。
「おまえのほうのやつは殺《や》っつけたか?」とオブリ伍長は訊《き》いた。
「ええ、でも銃をなくしました」
「銃なんかいくらでもある。おまえもなかなかたいしたやつだ。間抜け面《づら》をしてるくせによくやった。それなのにあの兵隊どもと来たら、おまえのあとを追ってまっすぐやつらのほうへやって来るあのふたりを逃がしちまいやがった。おれは見てなかったんでな。さあ、うまく逃げ出さなくちゃ。連隊は五百メートルばかりのところにいるはずだ。それはそうと、向こうに小さな牧場があるから、そこで半円形にかたまって行こう」
そう言いながら伍長は十人の部下の先頭に立って足ばやに進んだ。二百歩ほど行ってさきほどの話の牧場にはいりかけたところで、副官と下男に運ばれて行く将官にぶつかった。
「兵隊を四人貸してくれ」と将官は消え入りそうな顔で言った。「衛生隊に運んでもらいたいんだ。片脚《かたあし》を砕かれてしまってな」
「くそくらえだ」と伍長は答えた。「きさまもほかの将軍どもも。きさまたちは今日《きょう》皇帝を裏切ったんだ」
「なんだと」と将官は憤然として言った。「わしの命令を無視するのか! わしがおまえたちの師団長B……伯爵だということがわからんか……」
彼は大げさな文句をならべ、副官は兵隊たちに飛びかかって来た。伍長は副官の腕を銃剣で一突きし、それから足をはやめて部下と一緒にそこを去った。
「やつらがみんなきさまみたいに手足を砕かれりゃいいんだ!」と伍長は毒づきつづけた。「へなちょこどもめ! みんなブルボン側に身売りして、皇帝を裏切りやがって!」
ファブリツィオはこの恐ろしい弾劾《だんがい》を聞きながらショックを受けた。
夜の十時ごろ、この小さな一隊はひどく狭い何本かの通りでできている大きな村の入口で連隊に追いついたが、ファブリツィオはオブリ伍長がどの将校とも話すことを避けているのに気がついた。
「前進することは不可能だ!」と伍長は叫んだ。
通りはすべて歩兵や騎兵、そして何よりも砲兵の弾薬車や輸送車でいっぱいになっているのだ。伍長はこうした通りのうちの三つほどその入口まで行ってみたが、二十歩も行くと立ち止まらねばならなかった。皆がののしり、腹をたてる。
「まただれか裏切り者が指揮してやがるんだ!」と伍長は叫んだ。「敵に村を迂回《うかい》するだけの才覚があったら、こちらはみんな手もなく捕虜にされっちまう。おまえら、おれについて来い」
ファブリツィオが見ると、もう伍長についている兵隊は六人しかいなかった。開かれている大きな門から彼らは広い家禽《かきん》飼育場にはいり、そこからさらに厩舎《きゅうしゃ》に行った。厩舎の小さな戸から庭へはいれた。庭のなかをちょっとのあいだあちこち迷い歩いた。だがやっと垣根を抜けて広い黒麦の畑に出た。三十分足らずのうちに、叫び声やはっきりしない物音に導かれて彼らは村の向こうの街道に出ていた。この街道の溝《みぞ》は捨てられた小銃でいっぱいだった。ファブリツィオはそのなかの一|挺《ちょう》を選んだが、街道はごく広かったにもかかわらず逃走する兵隊や馬車でふさがっていて、三十分たっても伍長とファブリツィオは五百歩しか進めなかった。この道はシャルルロワに通じているという。村の大時計が十一時を打ったとき、
「また畑をつっきろう」と伍長は叫んだ。
小さな一隊はもう三人の兵隊と伍長とファフリツィオだけになっていた。街道から千メートルほど離れると、
「もうおれはだめだ」と兵隊のひとりが言った。
「おれもだ」と別のひとりも言った。
「そいつは結構だ! 一蓮託生《いちれんたくしょう》だ」と伍長は言った。「しかしおれに服従するんだぞ。そうすりゃ悪いことにはならん」
広大な麦畑のまんなかにある小さな溝に沿って五、六本の木が立っているのが見えた。
「あの木のところへ行け!」と彼は部下に言った。そこまで行くと、「そこに伏せろ、そして何より音を立てるな。だが、眠る前にだれかパンを持っていないか?」
「私が」と兵隊のひとりが言った。
「よこせ」と伍長は偉そうな顔で言い、パンを五つに分けて自分はいちばん小さいのを取った。
「日が出る十五分前に」と彼は食べながら言った。「うしろから敵の騎兵に襲われるぞ。斬り倒されてはならん。ひとりだけじゃ、この広い平原で後ろから騎兵に襲われちゃあお陀仏《だぶつ》だが、五人なら逃げることができる。おれのまわりにちゃんとまとまっていて、至近距離からしか射たねえようにするんだ。そうすりゃ明日《あした》の夕方にはかならずおまえたちをシャルルロワに連れてってやる」
伍長は夜明けの一時間前にみんなを起こした。彼は銃に装填《そうてん》し直させたが、一晩じゅうつづいた街道の喧噪《けんそう》はなおやまなかった。遠くに聞こえる激流の音みたいだった。
「まるで羊が逃げて行くようですね」とファブリツィオは無邪気な顔で伍長に言った。
「黙らねえか、青二才!」と伍長は腹をたてて言った。
そしてファブリツィオと一緒にこの一隊を構成していた三人の兵隊も、まるでファブリツィオが冒涜《ぼうとく》的な言葉を吐いたかのようにむっとして彼をにらんだ。
(こいつはひどい!)とわれらの主人公は思った。(ミラノの副王のところですでに気がついていたことだが、この連中は決して逃げないんだ! このフランス人どもにむかっては、真実がやつらの虚栄心にさからうような場合には真実を言ってはならんのだ。だがやつらの険悪な顔つきなど、おれは問題にしちゃいない。そのことをやつらにわからせてやらなくちゃならん)
一行はあいかわらず街道を埋めつくしている逃走の兵士たちの奔流《ほんりゅう》から百歩ばかり離れて進んでいた。一里ほど行って伍長とその一隊は街道に出る道を横切ったが、そこにはたくさんの兵隊が横たわっていた。ファブリツィオは四十フラン払ってかなりいい馬を買い、そこらに投げだされているサーベルのなかから大きくまっすぐなのを丹念に選んだ。(突くには、こいつがいちばんいい)と彼は思った。こうして武装をととのえると、彼は馬をギャロップさせて、先に行った伍長に間もなく追いついた。彼は鐙《あぶみ》をしっかり踏みしめ、左手で直刀の鞘《さや》を握って、四人のフランス人にむかって言った。
「街道を逃げて行くあの連中は羊の群れみたいだね……。おびえた羊みたいに歩いて行く……」
ファブリツィオがいくら羊《ヽ》という言葉に力をこめても、戦友たちはつい一時間前にこの言葉に腹をたてたことなど、もう思い出そうともしなかった。ここにはしなくもイタリア人とフランス人の性格のコントラストがあらわれている。フランス人のほうがおそらく幸福であって、彼らは人生のもろもろのできごとの上をすべって行き、何かを根に持つことがないのだ。
羊《ヽ》のことを言ってからファブリツィオが大いに自分に満足していたことを作者は隠すまい。一同はぼつぼつ話しながら歩いた。二里ほど行くあいだ、敵の騎兵がいっこう見えないことをひどくいぶかしんでいた伍長はファブリツィオに言った。
「おまえさんはおれたちの騎兵だ。あの小さな丘の上の農家に一っ走りして、昼飯を|売って《ヽヽヽ》くれないかと百姓に訊《き》いてみてくれ。こちらは五人だけだって、はっきり言うんだ。しぶるようだったらおまえさんの金で五フラン前払いしてやってくれ。安心しな、食ったらその銀貨はとりもどすから」
ファブリツィオは伍長をみつめた。伍長には沈着な威厳があり、精神的に優越していることが実際にあらわれていた。彼は服従した。すべてはこの指揮官が予想したとおりに運んだが、ただファブリツィオは百姓に与えた五フランを暴力でとりもどすことにはあくまで反対した。
「金は僕のもんだし」と彼は戦友たちに言った。「それに僕はあなたがたのために払ったんじゃなく、僕の馬に燕麦を食わせてくれたのに対して支払ったんだから」
ファブリツィオのフランス語の発音はひどくへただったので、戦友たちは彼の言葉に人を見下した調子があると思った。彼らははなはだしく感情を害し、このときから彼らは日暮れになったら決闘してやろうという考えを起こした。彼が自分らとは全然違った人間だと思い、それが彼らの感情を害したのだ。ファブリツィオのほうは反対に、彼らに対して大いに友情をおぼえはじめていたのだが。
二時間も一言もいわずに歩いたあげく、伍長が街道のほうを見て喜びに有頂天になって叫んだ。
「連隊だ!」
一行はすぐ街道に出た。が、なんたることか、鷲《わし》の旗のまわりには二百名しかいなかった。ファブリツィオの目はまもなくあの酒保女を認めた。彼女は歩いており、赤い目をして、ときどき泣いていた。ファブリツィオが小さな馬車とココットをさがしても見当たらなかった。
「掠奪《りゃくだつ》されたり、なくしたり、盗まれたりさ」と、われらの主人公の視線にこたえて酒保女は叫んだ。
われらの主人公は一言もいわずに馬から降り、手綱を取って酒保女に言った。
「乗りなさい」
彼女はすぐ乗った。
「鐙《あぶみ》をちぢめておくれよ」
鞍にまたがってしまうと、彼女はこの夜の災難の一部始終をファブリツィオに物語りはじめた。とめどもなく長い話をわれらの主人公はむさぼるように聞いたが、実を言うと全然わけがわからなかった。けれどもこの酒保女に心からの友情をおぼえた。話のあとで女はつけくわえた。
「しかも、掠奪したりなぐったり損害を与えたりしたのはフランス兵なんだからねえ……」
「なんだって! 敵じゃないのかい?」とファブリツィオは無邪気そうに言った。重々しく蒼白い顔がそのため魅力的に見えた。
「あんたはなんてばかなんだろうね、坊や!」と酒保女は涙のなかで笑いながら言った。「だけど、あんたはほんとに親切だよ」
「親切なやつだけれども、プロイセン兵をほんとにやっつけたんだぜ」と、混雑のなかでたまたま酒保女の乗った馬の向こう側にいたオブリ伍長が言った。「しかし気位が高くてな……」と伍長はつづけた。
ファブリツィオはきっとなった。
「おまえ、名はなんというんだ?」と伍長はさらに言った。「とにかく、報告を出すことになりゃおまえの名を出したいからな」
「ヴァジというんです」とファブリツィオは妙な顔をして答えたが、すぐ思い直して「いや、|ブーロ《ヽヽヽ》です」とつけくわえた。
ブーロというのはB……の牢番の細君が彼に与えた通行証の所有者の名だった。前々日歩きながら彼はこの通行証を注意深く調べておいたのである。彼もすこしは思慮が働くようになり出し、もう物事に驚いてばかりいなくなったのだ。驃騎兵ブーロの通行証のほかに、彼はイタリアの旅券をたいせつに持ちつづけていたが、それによれば彼はバロメーター商人ヴァジという高貴な名を名乗ることもできた。伍長が気位が高いと彼を非難したときには、彼はもうすこしでこう答えるところだったのである。(おれが気位が高いって! デル・ドンゴの小侯爵《マルケジーノ》であるこのファブリツィオ・ヴァルセッラが! 今はバロメーター売りヴァジの名を名乗ってやってはいるが!)
彼があれこれ思いめぐらし、(ブーロという名だということを忘れてはいかんぞ、でなけりゃ投獄の憂《う》き目を見るかもしれない)と自分に言い聞かせているあいだに、伍長と酒保女は彼のことでいろいろ話し合っていた。
「あたしが好奇心が強いと文句を言わないでね」と酒保女は言葉づかいをあらためて言った。「いろいろと訊《き》くのはあなたのためを思ってですからね。ほんとのところ、あなたはだれなんです?」
ファブリツィオは最初答えなかった。助言を求めるとすればこれほど忠実な味方は見つかるまいと思うし、しかも今はどうしても人の助言を必要としていた。(これからどこかの要塞にはいるが、司令官はおれがだれか知ろうとするだろう。そのときの返事で、おれがその制服を着ている第四驃騎兵連隊にだれも知っているものがいないってことを悟らせてしまったら、また投獄ものだぞ!)オーストリアの臣民である彼は、旅券というものをどれほどたいせつにしなければならないかを充分知っていた。彼の一門のものたちも、貴族であり信心深かったにもかかわらず、また勝利を得た党派に属していたにもかかわらず、旅券のことでは何度となく不愉快な目にあわされていた。だから彼は酒保女の発した質問に全然腹をたてなかった。しかし最も明快なフランス語で答えたいと考えていたので、酒保女は強い好奇心にかられて彼を励まそうとして言った。
「オブリ伍長とあたしで、あなたがうまく切り抜けられるように忠告してあげようというんですよ」
「それはよくわかっている。僕はヴァジという名で、ジェノヴァのものです。美人で有名な僕の姉はある大尉と結婚した。僕はまだ十七歳なので、姉は僕を自分のところへ呼びつけてフランスを見せ、また少々教育もさせようとしたんです。パリで姉に会えず、この軍隊にいるとわかって、僕もこちらへ来てそこらじゅう捜《さが》したが見つからなかった。兵隊は僕の訛《なまり》に驚いて僕を逮捕させた。そのときは僕は金を持っていたから、憲兵に金をやった。憲兵は通行証と軍服をくれ、『ずらかれ、そしておれの名を決して口外しないと誓え』と言ったんです」
「なんという名だったの?」と酒保女は訊《き》いた。
「約束してしまったんで」
「もっともだ」と伍長が引き取った。「その憲兵は悪党だ。だがおまえさんはその名を言うべきじゃない。では、姉さんの亭主だというその大尉はなんていうんだ? 名まえがわかりゃ捜すこともできよう」
「トゥーリエ、第四驃騎兵連隊の大尉です」
「それじゃ」と、伍長はかなり頭の鋭いところを見せて、「おまえさんの外国風の訛を聞いて兵隊はスパイだと思ったんだな?」
「まさにそのきたならしい言葉ですよ!」とファブリツィオは目を爛々《らんらん》と光らせて叫んだ。「これほど皇帝とフランス人を愛している僕なのに! 僕がいちばん腹がたったのはこの侮辱です」
「侮辱じゃないさ、そこがおまえさんの誤解だよ。兵隊のまちがうのもまったく当然だ」オブリ伍長は重々しく答えた。
そうして彼は、軍隊ではだれもなんらかの部隊に所属し、軍服を着ていなければならぬこと、そうでなければスパイと思われるのもまったく当然であることを、いやに物知り顔にファブリツィオに説明した。敵はたくさんスパイを放っている、だれもがこの戦争では裏切りをしているのだ、と。ファブリツィオは目から鱗《うろこ》が落ちる思いがした。この二か月間自分の身に起こったことは、すべて身から出た錆《さび》であることを彼ははじめて悟った。
「とにかく、坊やが何もかもあたしたちに話してくれなければ」と酒保女はますます好奇心をそそられて言った。
ファブリツィオは話した。話が終わると、女はまじめくさった顔で伍長にむかって言った。
「まったく、この子は軍人じゃないんだ。けど、|なんの理由もない《グラチス・プロ・デオ》のにこの子が殺される必要があるかね?」
「こいつは弾のこめかたも知らねえんだ、十二動作でやるにしても好き勝手にやるにしてもな。プロイセン兵を倒《たお》したときもおれが弾をこめてやったんだ」
「そのうえだれにでもお金を見せるんだからね。あたしたちから離れたらたちまち身ぐるみ剥《は》がれっちまうよ」
「最初にぶつかった騎兵の下士官が勝手に没収して飲みしろにしちまわあね。それにまた、敵のほうの兵隊にされっちまうかもしれねえぜ。最初に出逢ったやつがついて来いと命令すれば、こいつはついて行くよ。おれの連隊にはいったほうがいいかもしれんな」
「いや、そいつはごめんだ、伍長!」とファブリツィオはあわてて叫んだ。「馬で行ったほうが楽だ。そのうえ、僕は弾のこめかたは知らないが、馬をあやつることができるのはごらんのとおりです」
ファブリツィオは自分のこのちょっとした言い草にひどくいい気になった。伍長と酒保女のあいだに交わされた彼の今後の運命についての長々しい議論はここで紹介すまい。議論しながらこのふたりが彼の話した事件の顛末《てんまつ》を三度か四度むしかえすのに彼は気づいた。兵隊たちの疑惑とか、通行証と軍服を売った憲兵のこととか、前日彼がたまたま元帥の護衛に加わったいきさつとか、皇帝が馬を馳《は》せて行くのを見かけたこととか、|かっぱらわれた《ヽヽヽヽヽヽヽ》馬のこととか……。
女らしい好奇心で酒保女は、自分が買わせた馬を彼が奪われたいきさつに絶えず話をもっていった。
「両足をつかまれたかと思うと、尻尾《しっぽ》を通り越して地面におろされたんだね!」(どうしてこう何度もくりかえすんだろう、三人とももうよく知っていることを?)とファブリツィオは思った。フランスの庶民はこのようにして考えをまとめようとするのだということを彼はまだ知らなかったのだ。
「いくらお金を持っているの?」と不意に酒保女は訊いた。
ファブリツィオは答えることをためらわなかった。この女の心根の高貴さを彼は信じていた。これこそフランスのいい一面だ。
「全部でナポレオン金貨三十枚と、五フラン銀貨八、九枚残っているだろう」
「それじゃあどこへだって行けるよ」と酒保女は叫んだ。「この敗走の軍隊からぬけだすんだよ。わきへはずれて、あちらの左手にあるちょっと切り開かれた最初の道にはいるのさ。いつも軍隊から遠ざかるようにしてどんどん馬を進める。機会がありしだい普通の服を買うのよ。八、九里行ってもう兵隊が見えなくなったら、駅馬車に乗り、どこか気持ちのいい町に行って一週間ほど休んでビフテキでも食べるんだね。軍隊にいたなんてことはだれにも言うんじゃないよ。憲兵に脱走兵としてつかまっちまうからね。それに、あんたはいくらやさしくたって、憲兵の訊問に答えられるほどの悪知恵はまだないもの。平服を着てしまったらさっそく、通行証はこまかく破ってしまって本名を名乗るのさ。ヴァジだというんだよ」それから「でも、どこから来たと言えばいいかね?」と彼女は伍長に言った。
「エスコー河沿いのカンブレと言やあいい。あれはごく小さないい町だ、いいか? 大|伽藍《がらん》があるし、フェヌロン〔カンブレの司教をつとめた文人〕がいた」
「そうだよ」と酒保女は言った。「従軍したなんて決して言っちゃいけない、B……だの通行証を売った憲兵のことなどは一言もいうんじゃないよ。パリに帰りたくなったら、まずヴェルサイユへ行って、散歩している人のようにぶらぶら歩いてそちらの方角から市の門を通るんだよ。ナポレオン金貨はズボンに縫いつけておきなさい。そして何よりも、何かで金を払わなくちゃならないときには、必要なだけのお金しか見せるんじゃないよ。あんたがだまされることを考えるとあたしはくやしくてならない。あらいざらい持ってかれてしまうよ。お金がなかったらあんたどうするね、西も東もわからないあんたが?」
人のいい酒保女はなお長々としゃべった。伍長は口をはさむきっかけがないので、うなずいて女の意見に同意していた。突然街道を埋めていたあの群衆が足をはやめ、ついで一瞬のうちに街道の左側に走る溝を越えて一目散に逃げ出した。
「コサックだ! コサックだ!」と四方から声があがった。
「馬を返すよ!」と酒保女は叫んだ。
「とんでもない!」とファブリツィオは言った。「すっ飛ばせ! 逃げろ! その馬はあんたにあげたんだ。小さい馬車を買う金がほしい? 僕の持ってるのの半分をあんたにあげるよ」
「返すったら!」と酒保女は怒って叫んだ。
そして自分のほうは馬から降りようとする。
ファブリツィオはサーベルを抜いた。
「しっかりつかまって!」と女にむかって叫び、馬を二度三度刀の腹でたたいた。馬はすっ飛んで逃走する兵士たちのあとを追った。
われらの主人公は街道をながめた。今しがたまでそこには三千人か四千人が、お祭の行列のあとにつづく百姓たちのようにひしめきあっていた。コサックという言葉のあとではほんとに人っ子ひとりいなかった。逃げ出した兵士たちは軍帽や銃やサーベルなどを捨てて行った。ファブリツィオはびっくりして、道の右手の数メートル高くなった畑に上った。街道の前後と平原を見渡したが、コサックなど影も形もない。(妙なやつらだな、あのフランス人てのは!)と彼は思った。(右のほうへ行かなければならないのなら、すぐ歩き出したほうがいい。あの連中が駈け出したについては、おれの知らない理由があるのかもしれないからな)彼は一|挺《ちょう》の小銃を拾い、装填《そうてん》してあるのをたしかめ、雷管の火薬を揺すってみ、発火石を拭き、それからたくさん弾薬のはいった弾薬|盒《ごう》を選び、もう一度四方を見まわした。
ずっと遠くに逃走兵たちが見えたが、彼らは走りつづけながら木々の向こうに姿を消そうとしていた。(こいつはまったく奇妙だ!)と彼は思った。そして前日の伍長のやりかたを思い出して、麦畑のまんなかに行って坐《すわ》った。あの親切な友だち、酒保女とオブリ伍長に再会することを念願していたから、彼はそこから離れなかった。
麦畑のなかで調べてみると、ナポレオン貨は彼が考えていたように三十枚ではなく、もう十八枚しかなかった。だが、牢番の細君の部屋で驃騎兵の長靴の裏打ちのなかにつっこんでおいた小さなダイアモンドがいくつか残っていた。なぜこう急に金がなくなったんだろうと考えあぐねながら、彼はナポレオン金貨をできるだけ上手にかくした。(これはおれにとって凶兆でなかろうか?)と彼は思った。彼のいちばんの痛恨事は、「ほんとうに僕は戦闘に加わったんでしょうか?」とオブリ伍長にきいておかなかったことだった。そうらしいとは思われたが、はっきりそう確信できたら幸福の絶頂に達しただろう。
(それにしても)と彼は思った。(おれは囚人の名を名乗って戦闘に加わったんだ。おれは囚人の通行証を懐中にし、そればかりか囚人の服を着ていた! こいつは縁起が悪いぞ。ブラネス師だったらなんて言うだろう? しかもこのいまわしいブーロってやつは獄死している! 何もかも凶兆だ。運命はおれを牢獄にみちびくだろう)驃騎兵ブーロがほんとに罪を犯したのかどうかを知るためならファブリツィオは何ものも惜しまなかったろう。記憶をかきあつめてみると、B……の牢番の女は、この驃騎兵は単に銀の食器のことだけではなく、百姓の牝牛を盗み、その百姓をさんざん打ちすえたために逮捕されたのだと話してくれたような気がした。この驃騎兵ブーロのそれに多少とも似たような罪で自分もいつか牢屋に入れられると彼は信じて疑わなかった。
彼は親しくしているブラネス師のことを思った。師の意見を聞くためなら何も惜しくはなかったろう。それから彼は、パリを出てから一度も叔母に手紙を書いてなかったことを思い出した。(かわいそうなジーナ!)と言うと、目に涙があふれてきたが、そのとき突然ごく身近に物音がした。ひとりの兵隊が手綱をはずした三頭の馬に、麦を食べさせているのだった。馬は飢えて倒れそうに見えた。兵隊は小勒《しょうろく》で馬をおさえていた。ファブリツィオが鷓鴣《しゃこ》の雛《ひな》のように立ち上がると、兵隊は恐怖に襲われた。それを見て取るとわれらの主人公は、ちょっと驃騎兵らしくふるまってみたいという誘惑に抗しかねた。
「そのうちの一頭はおれのもんだぞ、こんちきしょう!」と彼は叫んだ。「だが、ここへ連れて来た骨折り賃に五フランはくれてやろう」
「おれのことをなめるのか?」と兵隊は言った。
ファブリツィオは六歩ほどのところから彼にねらいをつけた。
「馬を放せ、でなければ射ち殺すぞ!」
兵隊のほうは銃を負い革で背負っていたので、それを取ろうとして肩をまわした。
「ほんのちょっとでも動いてみろ、命はないぞ!」とファブリツィオは駈け寄りながら叫んだ。
人っ子ひとりいない街道へ未練がましく目をやってから、兵隊はとほうにくれて言った。
「それじゃあ、五フランよこして一頭持って行きな」
ファブリツィオは左手で銃を高く持ち、右手で五フラン銀貨を三枚投げつけた。
「降りなければ殺すぞ……。黒いのに手綱をかけ、ほかの二頭を連れて遠くへ行け……。動いたら射ち殺すぞ」
兵隊はしぶしぶと服従した。ファブリツィオは馬に近づき、ゆっくりと遠ざかって行く兵隊を見守りながら手綱を左腕にまわした。兵隊が五十歩ほどへだたったと見ると彼は身軽に馬に飛び乗った。鞍に乗って足で右の鐙《あぶみ》をさがしているとき、弾丸がすぐそばをひゅっと飛んで行くのが聞こえた。発砲したのはあの兵隊だった。ファブリツィオは怒りに我を忘れて、一目散に逃げ出した兵隊にむかって馬を飛ばした。兵隊は一頭の馬に飛び乗って逃げ去った。(よし、これではもう弾もとどかない)と彼は思った。
彼の買った馬はすばらしかったが、猛烈に腹をすかせているように見えた。ファブリツィオは街道にもどったが、街道にはあいかわらず人っ子ひとりいなかった。街道を横切って、左手にある小さな丘のあたりで酒保女に会いはしないかと思って、そこへむかって馬をトロットで進ませた。小さな坂を登り切ったが、一里以上も向こうにばらばらと何人かの兵隊が見えるだけだった。(もう会えないにきまっている、あの正直で親切な女に!)と彼は溜息をついて言った。遠くから街道の右手に見えた農家にまでたどりついた。馬から降りずに、前払いして彼は哀れな馬に燕麦を食わせた。馬は飼葉桶《かいばおけ》をかじるほど飢えていた。一時間後ファブリツィオは、酒保女か、せめてオブリ伍長にでも会えるのでないかというかすかな期待をいだきながら、街道に馬をトロットで走らせていた。
四方に目をくばりながらなお進むうちに、かなり狭い木の橋のかかった泥沼のような川に出た。橋の手前の街道の右手に「白馬館《シュヴァル・ブラン》」と看板をかけた家が一軒ぽつんと立っていた。(あすこで飯を食おう)とファブリツィオは思った。包帯で片腕を吊《つ》ったひとりの騎兵将校が橋のたもとにいた。馬に乗っていたが、ひどく陰鬱な顔をしていた。彼から十歩ほど離れて三人の徒歩の騎兵がパイプを掃除している。
(この連中、おれが買ったのよりも安くこの馬を買いたそうな顔をしているな)とファブリツィオは思った。負傷した将校と三人の徒歩の兵隊は彼の来るのをながめていたが、まるで待っているようだった。(おれはあの橋を渡らず、川に沿って右へ行かねばならないんだ。酒保女がこの窮地《きゅうち》から抜け出すために教えてくれた道はそれだろう……。そうだ)とわれらの主人公は思った。(ただ、ここで逃げ出したら、明日《あす》はそのことが恥ずかしくてならないだろう。そのうえ、おれの馬は足がしっかりしているが、あの将校の馬はきっと疲れているだろう。やつがおれを馬からおろそうとしたらすっ飛ばして逃げてやる)こんなふうに考えつつファブリツィオは馬をたくみにあやつり、できるだけ小きざみに進んだ。
「こっちへ来い、驃騎兵」と将校は命令するように叫んだ。
ファブリツィオは二、三歩進んで停止した。
「馬を取り上げる気なんでしょう?」と彼は叫んだ。
「とんでもない。こっちへ来い」
ファブリツィオは将校をみつめた。口髭《くちひげ》が白く、これ以上とはなく誠実そうに見える。左腕を吊っているハンカチは血だらけで、右手も血によごれたリンネルで包まれている。(徒歩の兵隊どものほうがこっちの手綱に飛びつくんだろう)とファブリツィオは思った。しかしよく見るとこの徒歩の兵隊たちもけがをしていた。
「頼む、ここにとどまって騎馬哨兵になってくれ」と大佐の肩章をつけたその将校は言った。「そして竜騎兵であれ猟騎兵であれ驃騎兵であれ、おまえの見かけたすべてのものにこう言ってくれ、ル・バロン大佐があそこの宿屋にいて、自分に合流するように命じている、と」
老大佐は痛みに堪《た》えかねているように見えた。最初の一言でわれらの主人公は彼に心服してしまい、分別のある答えをした。
「僕はこんなに若いのですから、みんなは僕の言うことを聞こうとしないでしょう。ご自分で書いた命令書が必要でしょう」
「もっともだ」と大佐はしげしげと彼を見て言った。「ラ・ローズ、命令を書け、右手が大丈夫なんだから」
一言もいわずにラ・ローズはポケットから羊皮紙の手帳を取り出し、数行書き、そのページを引き裂いてファブリツィオに渡した。大佐はファブリツィオに命令をくりかえし、二時間立哨したら当然のことだが一緒にいる三人の負傷した騎兵のひとりと交代させるとつけくわえた。そうして彼は部下と一緒に宿屋にはいった。ファブリツィオは彼らが行くのを見送り、木橋のたもとにじっと立っていた。この四人の陰鬱な黙々とした苦しみにそれほど彼は心を打たれていたのだ。(悪魔に憑《つ》かれているみたいだ)と彼は思った。それからたたんだ紙を開いて、次のような文面の命令を読んだ。
第十四軍団箪一騎兵師団第二旅団の指揮に当たる第六竜騎兵連隊のル・バロン大佐は、竜騎兵、猟騎兵、驃騎兵を問わずすべての騎兵はこの橋を渡ることなく、橋のそばの「白馬館」にある大佐の本部に集合することを命ずる。
サント川の橋のそばの本部で
右腕に負傷したル・バロン大佐の命令により、ラ・ローズ軍曹代筆
ファブリツィオが橋で立哨しはじめてから三十分もたたないうちに、猟騎兵が六人は馬で、三人は徒歩でやって来た。彼は大佐の命令を彼らに伝えた。
騎馬の猟騎兵のうち四人は「もどって来るよ」と言って、馬を速駈けさせて橋を渡った。
そこでファブリツィオは残りのふたりに話しかけたが、激して来る議論のあいだに徒歩の三人も橋を渡ってしまった。残っていたふたりの騎馬の猟騎兵のうちのひとりが最後に命令を見せろと言い、こう言いながらそれを持ち去った。
「仲間たちのところへ持って行って来る。やつらはまちがいなくもどって来るよ。ちゃんと待ってるんだな」
そしてその兵隊は馬を飛ばし、相棒もつづいた。これは一瞬の出来事だった。
ファブリツィオは憤然として、「白馬館」の窓の一つにあらわれた負傷兵を呼んだ。見るとその兵隊は軍曹の袖章をつけていたが、出て来て、近づきながら叫んだ。
「剣を持つんだ! 立哨中だぞ!」
ファブリツィオは言われたとおりにし、それから言った。
「やつらは命令を持って行ってしまいました」
「昨日《きのう》の一件で腹を立ててやがるんだな」と軍曹は暗い顔で言った。「おれのピストルを一|挺《ちょう》貸してやろう。今度また命令を無視するやつがいたら空にむかって射て。おれが来るか、大佐自身が出て来る」
ファブリツィオは命令書を奪われたと聞いたときの軍曹の驚きの身振りをはっきり見て取っていた。自分自身が侮辱されたのだと悟って、もう二度とだまされまいと心に誓った。
軍曹の乗馬用拳銃を持ってファブリツィオは昂然《こうぜん》としてふたたび立哨をはじめたが、そのうち七騎の驃騎兵がやって来るのを見た。彼は橋をふさぐ位置に立ち、大佐の命令を伝えたが、彼らはひどくいらだったように見え、いちばん大胆なひとりは押し通ろうとした。ファブリツィオは昨日の朝、あの酒保女に言われた斬るのではなく突かなければならないという賢明な教訓にしたがって、長い直刀の切先を下げ、命令を無視しようとする男に一撃を加えようとするかまえを見せた。
「やあ、おれたちを殺そうとしやがる、この青二才は!」と驃騎兵たちは叫んだ。「昨日だけでもうじゅうぶん殺されているじゃねえか!」
いっせいに剣を抜いて彼らはファブリツィオに飛びかかった。彼は殺される思った。しかし彼は軍曹の驚きを思い出し、もう二度とさげすまれたくないと思った。橋の上へしりぞきながら彼は突きを入れようと努めた。彼には重すぎる重騎兵の長い直刀をふりまわしながら彼が実に奇妙な顔をしているので、驃騎兵たちはじきに相手がどんな人間か見て取った。そこで彼らはファブリツィオを傷つけようとはせず、着ている服を切ってやろうとした。ファブリツィオはそのため両腕に三つ四つ剣でかすり傷を負った。酒保女の教訓にあくまで忠実な彼のほうはもっぱらけんめいに突きまくるだけだった。不幸にしてその突きがひとりの驃騎兵の手を傷つけた。こんな兵隊にやられたことにひどく腹をたてて相手は反撃して思い切り突いて来、ファブリツィオは腿《もも》の上部をやられた。切先《きっさき》がとどいたのは、われらの主人公の馬がこの立ちまわりから逃げるどころか、興に乗って敵に飛びかかるように見えたからだ。敵はファブリツィオの右腕に沿って血が流れるのを見て、いたずらが過ぎたのではないかと思い、彼を左側の橋の手すりに押しつけてギャロップで逃げ出した。ファブリツィオはちょっと手があくやいなや大佐に知らせるために一発ピストルを空に向けて放った。
先ほどの連中と同じ連隊に属する驃騎兵が四人は騎馬で、ふたりは徒歩でちょうど橋のほうへむかっていたが、二百歩ほど手前でピストルが発射されたのだ。彼らは橋の上で何が起こっているのかと注意深く見守り、ファブリツィオが自分らの仲間に向けて射ったのだと思って、騎馬の四人はサーベルを振り上げて彼にむかって馬を飛ばせて来た。これこそ本物の突撃だった。ル・バロン大佐は銃声を聞いて宿屋の戸をあけ、驃騎兵が馬を飛ばせてやって来た瞬間に橋の上にあらわれて、みずから止まれと彼らに命令した。
「ここにはもう大佐なんてものはいないんだ」と彼らのひとりは叫び、馬を進めた。
激怒した大佐はそれまでしていたお説教をやめて、負傷した右手で相手の馬の右側の手綱をつかんだ。
「止まれ! けしからんやつだ。きさまのことは知っているぞ、アンリエ大尉の中隊のものだな」
「それじゃ大尉自身がおれに命令すりゃいいんだ! アンリエ大尉は昨日《きのう》戦死しちまったよ」と驃騎兵は冷笑した。「勝手にしやがれ」
そう言いながら彼は押し通ろうとして老大佐を押しのけ、大佐は橋の敷石の上に倒れた。ファブリツィオは二歩ばかり離れて橋上にいたが、宿屋のほうを向いていたので、そのまま馬を進めた。そして右側の手綱を放さないでいる大佐が敵の馬の胸に押されて倒れたとき、ファブリツィオは怒って相手の驃騎兵にむかって思い切り突きを入れた。さいわい驃騎兵の馬は大佐の握っている手綱で下のほうへ引っぱられていたので、横のほうへ動き、そのためファブリツィオの重騎兵用サーベルの長い刃は驃騎兵のチョッキに沿ってすべり、その目の前を流れた。憤然として驃騎兵はふりむきざま力一杯突き出し、ファブリツィオの袖をやぶって腕に深く斬りこんだ。われらの主人公は落馬した。
徒歩の驃騎兵のひとりは橋を守るふたりが倒れているのを見ると、好機逸すべからずとファブリツィオの馬に飛び乗り、橋の上を飛ばしてそのまま逃げ出そうとした。
宿屋から駈けつけた軍曹は大佐が倒れるのを見たので、重傷を負ったものと思っていた。彼はファブリツィオの馬を追い、盗んだ男の腰にサーベルを突き立て、男は落馬した。驃騎兵たちは橋に立っているのが軍曹だけなのを見て、ギャロップで通り過ぎてたちまち走り去った。歩いていた男は畑へ逃げた。
軍曹は負傷者たちに近づいた。ファブリツィオはすでに立ち上がっていた。あまり痛みはなかったが出血はひどかった。大佐はもっとゆっくりと立ち上がった。倒れて目をまわしたのだが、傷は全然なかった。
「手の古傷が痛むだけだ」と彼は軍曹に言った。
軍曹に痛手を負わされた驃騎兵は死にかけていた。
「早くくたばるがいい!」と大佐はどなった。 それから軍曹と駈けつけて来たふたりの騎兵に、「だがこの少年を見てやってくれ。無用に危険な目に遭わせてしまった。わし自身ここにとどまってあの狂ったようなやつらを引き留めてみよう。その少年を宿屋に連れて行って腕に包帯してやれ。わしのシャツを一枚使うのだ」
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第五章
この出来事は全体で一分もかからなかった。ファブリツィオの傷はたいしたものではなかったが、大佐のシャツをやぶった包帯を捲《ま》いてもらった。
「でも、僕がここの二階でちやほやされているあいだに、僕の馬は厩《うまや》でひとりで退屈して、ほかの主人と一緒に行っちまうでしょう」とファブリツィオは軍曹に言った。
「新兵にしちゃなかなかの男だ!」と軍曹は言った。
そしてファブリツィオは飼葉桶《かいばおけ》のなかの新しい藁《わら》のなかに寝かされたが、彼の馬はまさにその飼葉桶につながれていたのである。
それから、ファブリツィオがひどく衰弱をおぼえたので、軍曹は熱い酒をどんぶりに入れて持って来て、少々彼と話をした。この話のなかにいくらか賞讃の言葉があったので、われらの主人公は天にも昇るような気持ちになった。
ファブリツィオは翌日の夜明けになってようやく目を覚ました。馬たちは長々といななき、ものすごい騒ぎをしていた。厩は煙でいっぱいだった。ファブリツィオは最初この騒音がなんのためかさっぱりわからず、自分のいるところさえ忘れていた。ようやく煙で窒息しかけながら彼は家が燃えているのだと気がついた。一瞬のうちに厩の外に飛び出して馬に乗っていた。頭を上げると、煙は厩の上の二つの窓から激しく吹き出し、屋根はうずまく黒煙におおわれていた。百人ばかりの逃走する兵隊が夜のうちに「白馬館」に着いていたのだが、皆がののしりわめいていた。ファブリツィオが近くで見ることができた五人か六人は完全に酩酊《めいてい》しているらしく思われた。そのひとりは彼を引き留めようとして言った。
「おれの馬をどこへ連れて行くんだ?」
ファブリツィオは一キロほど行って振り返った。だれもあとについて来ない。宿屋は炎に包まれていた。あの橋も見えた。傷のことを思い出し、包帯を固く捲《ま》かれて熱を持っている自分の腕を感じた。(じゃ、あの老大佐はいったいどうなったろう? あの人はおれの腕に捲くためにシャツをくれたのだ)われらの主人公はこの朝はこのうえなく冷静だった。多量の血を失うとともに彼の性格のロマネスクな部分もすっかりぬぐい去られてしまったのだ。
(右だ、さあ逃げろ!)と彼は自分に言った。橋の下をくぐってから道の右のほうにむかって流れる川に沿って彼は進みはじめた。親切な酒保女の忠告を彼は思い出した。(なんという友情、なんというあけっぱなしな性格だろう!)と彼は思った。
一時間ほど歩くと彼はひどく弱って来た。(ははあ、気絶するのかな?)と彼は思った。(気絶したら馬を盗まれ、おそらく着ているものも盗まれるだろう、着物と一緒に宝物も)もう馬をあやつる力もなく、ただ体がくずれないようにと努めていたが、そのとき街道の横の畑で鋤《すき》を使っていた百姓が彼の顔色の悪さを目にとめて、一杯のビールとパンを持って来てくれた。
「ひどく顔色が悪いんで、会戦の負傷者だと思いましたんでね!」と百姓は言った。
これほど時を得た援助はなかったろう。ファブリツィオは黒パンのかたまりを噛《か》んでいるとき、前を見ようとすると目に痛みを感じはじめた。すこしおさまると彼は礼を言った。
「で、ここはどこなんだい?」と彼は訊いた。
三キロほど先にゾンデルスの町があり、そこへ行けば手当てしてもらえるだろうと百姓は教えた。ファブリツィオはひたすら落馬してはならぬと一歩ごとに考えるほかはほとんど無我夢中でその町に着いた。大きな扉が開いているのを見てそこへはいった。それは「馬櫛館《エトリーユ》」という旅籠《はたご》だった。すぐさま親切なおかみ――ものすごい大女――が駈けつけて来た。同情のあまりうわずった声で彼女は助けを呼んだ。ふたりの娘がファブリツィオが馬を降りるのを手伝った。降りるやいなや彼は完全に意識を失った。外科医が呼ばれ、刺絡《しらく》が行なわれた。それから数日のあいだファブリツィオは自分がどうされているかもあまりよくわからぬまま、ほとんど絶え間なく眠っていた。
腿《もも》の刺し傷はひどい膿瘍《のうよう》になるおそれがあった。正気にかえったとき、彼は自分の馬の面倒を見てくれと頼み、金は充分払うとくりかえしたが、このことは善良なおかみとそのふたりの娘の心を傷つけた。二週間も手厚い看護を受けて彼は少々頭がはっきりして来たが、ある夜宿屋の女たちがひどく困ったような顔をしているのに気がついた。まもなくひとりのドイツ軍将校が彼の部屋にはいって来た。その将校に答えるときには彼にはわからない言葉が使われたが、自分のことが話題になっているのだということは彼にもはっきりわかった。彼は眠っているふりをした。しばらくして将校はもう立ち去ったろうと考えると、彼は女たちを呼んだ。
「あの将校は僕のことをリストに載せて捕虜にするために来たんじゃありませんか?」
おかみは目に涙をためてそれを認めた。
「よし! 軍服《ドルマン》のなかに金があります!」と彼はベッドの上に起き上がって叫んだ。「平服を買って来てください。今夜僕は馬に乗って立ち去ります。すでにあなたは僕が通りで行き倒れになりそうだったとき泊めてくれて命を助けてくれた。もう一度、母親のところへ帰れるようにしてくれて僕の命を救ってください」
その瞬間おかみの娘たちはさめざめと泣き出した。彼女たちはファブリツィオの身を思って不安におののいた。そしてフランス語がほとんどわからないので、彼のベッドに近づいて彼にいろいろ質問した。フラマン語〔フランドル地方の方言〕で母親と相談しながら、そのうるんだ目は絶えずわれらの主人公のほうへ向けられた。自分が逃げることは彼女たちにとって非常な危険となるかもしれないが、彼女らはその危険をおかすこともいとわないのだということが彼にはわかったような気がした。彼は両手を合わせて心から彼女たちに感謝した。彼女らはユダヤ人が着るもの一揃いを買って、夜の十時ごろそれを持って来たのだが、ファブリツィオが着るには、ずっとちぢめなければならなかった。さっそく彼女たちは仕事にかかった。一刻も猶予《ゆうよ》はならなかった。ファブリツィオは服にかくした数枚のナポレオン金貨のことを教え、今度買った服にそれを縫いこむように頼んだ。服と一緒に新しいきれいな長靴もあった。ファブリツィオはためらうことなく、驃騎兵風の長靴の自分の指定する場所を切り裂いてくれと頼んだ。そして小粒のダイアモンドは新しい長靴の裏打ちのなかにかくされた。
血を失ったこととそれにつづく衰弱の奇妙な結果として、ファブリツィオはフランス語をほとんどすっかり忘れてしまっていた。彼はフラマン語の方言を使う宿の女たちにイタリア語で話しかけたので、ほとんど身振り手まねでしか話が通じなくなってしまった。娘たちは最初から欲得などの観念は持っていなかったのだが、それでもダイアモンドを見ると、彼に対するのぼせ方はもうとめどないまでになってしまった。身をやつしているどこかの王子だと思ったのだ。年下で無邪気なアニケンなどは遠慮を忘れて彼に接吻したほどだ。ファブリツィオのほうも彼女たちを魅力的だと思った。そして夜の十二時ごろ、外科医がこれから彼がたどろうとする道のりを考えて少量の葡萄酒を許したとき、彼はほとんど出発したくないとまで思ったものだ。(どこに行ったらここ以上にこころよく暮らせるだろう?)と彼は言った。
しかし午前二時ごろになると彼は服を着替えた。部屋を出るとき親切なおかみは、数時間前に臨検に来た将校が彼の馬を連れて行ったと知らせた。
「ああ、悪党め!」とファブリツィオはののしりわめいた。
アニケンは泣きながら、彼のために馬を借りてあると知らせた。彼女は彼に発《た》ってもらいたくなかったのだ。別れは悲しかった。親切なおかみの親戚の、二人のからだの大きな青年が、ファブリツィオを鞍にのせた。道中彼らは彼が馬から落ちないように支え、別にもうひとりがこの小さな一隊の数百歩先を行って、路上にあやしい巡察隊がいないかどうかを確かめた。二時間ほど歩いて一行は「馬櫛館」のおかみの従姉妹《いとこ》の家に立ち寄った。ファブリツィオがなんと言っても、つきそって来た青年たちは決して彼から離れようとしなかった。自分たちほど森の間道をよく知っているものはないと彼らは主張した。
「しかし明日《あす》の朝になって僕の逃走が知れ、しかも君たちの姿が見えないとなったら、君らにとって不利なことになりますよ」とファブリツィオは言った。
一同は出発した。さいわい夜が明けたときには平野は濃い霧におおわれていた。午前八時ごろ一行は小さな町のそばまで来た。青年のひとりが皆から離れて、駅馬が盗まれていないかどうかを見に行った。駅長は駅馬をかくしてしまい、どうしようもない駑馬《どば》を集めて厩舎《きゅうしゃ》に入れてあった。沼地にかくしておいた馬が二頭連れもどされ、三時間後にはファブリツィオはぼろぼろの、しかし二頭のりっぱな駅馬をつないだ小さな二輪馬車に乗りこんだ。彼は体力を回復していた。宿のおかみの親戚である青年たちとの別れはこれ以上とはなく悲痛なものだった。ファブリツィオがどれほど愛想よくすすめても、彼らは決して金を受け取ろうとはしなかった。
「今の状態では、あなたのほうが僕たちよりもお金が必要です」と、この正直な若者たちは言った。
道中のあわただしさで多少元気をとりもどしたファブリツィオがあの宿屋の女たちに自分の思いのたけを吐露《とろ》しようとした手紙を持って、とうとう彼らは帰って行った。ファブリツィオは涙を流しながら書いたのだが、小さなアニケンへ宛《あ》てた手紙には愛情さえ含まれていたに相違ない。
それから先の旅路には、とくに変わったことはなかった。アミアンに着くと腿《もも》に受けた刺し傷がひどく病んだ。田舎医者は傷口を切開することなど考えなかったので、刺絡《しらく》をしたにもかかわらず膿瘍ができていたのだ。おべっかつかいで貪欲《どんよく》な一家がいとなむアミアンの旅館でファブリツィオが二週間過ごすあいだに、連合軍はフランスに侵入し、ファブリツィオは別人のようになった。それほど彼は自分の身に起こったいろいろのことについて深く省察したのだった。
一つの点についてだけは、彼は依然として子どもだった。自分が見たものはほんとうに戦闘だったか、そして第二に、その戦闘はワーテルローの戦闘だったかという点である。生まれてはじめて彼は物を読むことに楽しみを感じた。彼はいつも新聞や戦記のなかに、自分がネー元帥に、その後また別の将軍に従って歩きまわった土地がそれとわかるように描写されていないものかと期待していた。アミアン滞在中はほとんど毎日「馬櫛館《エトリーユ》」の親切な女友だちに手紙を書いた。
傷が治るやいなや彼はパリへ出た。前のホテルに行ってみると、できるだけ早く帰国してくれと懇願《こんがん》している母や叔母の手紙が二十通も来ていた。ピエトラネーラ伯爵夫人の最後の手紙には何かちょっと謎めいた言いまわしがあって、彼はひどく不安になった。この手紙を見て、色っぽい夢想はすっかり消えてしまった。一言だけで最大の不幸を予感することができるような性格だったのだ。それから彼の想像力は、その不幸の委細《いさい》をこれ以上とはなく恐ろしいものとして描き出してくれるのだった。
「消息を知らせる手紙には決して署名しないように」と伯爵夫人は書いていた。「帰国してもまっすぐ湖へ来てはいけません。スイス領のルガーノにとどまりなさい」カーヴィという名でこの小都市に来いというのである。その町の第一の宿屋で伯爵夫人の侍僕に会うだろうが、その男が彼のなすべきことを教えるだろう。叔母は次のような言葉で結んでいた。「ありとあらゆる方法で、自分のやって来た愚行《ぐこう》をかくしなさい。そして特に、印刷した紙や、何かを書いた紙を持っていてはいけません。スイスではサンタ・マルガリータの連中に囲まれるでしょう。すこしお金があったらだれかをジュネーヴのバランス・ホテルにやって、ここで書けない、しかしあなたが帰着する前に知っておかねぱならないくわしい事情を知らせるようにします。でも、お願いですから、パリは一日も早く発《た》ってください。こちらのスパイに見つかるでしょうから」
ファブリツィオの想像力は世にも奇怪なことどもを思い描きはじめた。そして叔母が自分に教えねばならない奇々怪々なこととは一体なんなのかを当ててみようというのが、彼の唯一の楽しみとなった。フランスを横切るあいだに二度彼は捕えられたが、うまくのがれることができた。こんな憂《う》き目《め》に遭ったのは、イタリアの旅券と、彼の若々しい顔と吊った腕にはあまりそぐわぬバロメーター商人という奇妙な肩書のためだった。
とうとう彼はジュネーヴに着き、伯爵夫人の手の者に会った。男は、ファブリツィオが旧イタリア王国で組織された大規模な陰謀団が決議した提案をナポレオンに伝えに行ったとしてミラノの警察に密告されているのだと語った。彼の旅行の目的がそれでないとすれば、なんのために偽名など使うのかと密告状は言っている。彼の母親はほんとうのことを証明しようとしている。つまり、
一、彼が一度もスイスから出なかったこと。
二、彼が兄と喧嘩した後、不意に城を去ったこと。
この話を聞いてファブリツィオは誇りをおぼえた。(おれはナポレオンのもとへ派遣された大使みたいなものだったことになる! あの偉人に会って話せたわけだ、ありがたいことに!)彼は自分の七代前の先祖で、スフォルツァ公に従ってミラノに来た人の孫が、光栄にも公の敵に首を斬られたことを思い出した。この人はスイスの賞讃すべき諸州に宛てた提案を伝え、兵士を募《つの》りに行く途中、敵に不意を襲われたのである。家系図のなかにあるこの事実に関係した版画を彼は心に思い描いた。ファブリツィオは侍僕にいろいろと質問してこの男があることに憤慨しているのに気がついた。伯爵夫人が何度もくりかえしてそれは伏せておくようにとはっきり命令しておいたにもかかわらず、男は思わずそれをもらしてしまったのだ。ミラノの警察に彼を密告したのは兄アスカニオだったのである。
この残酷な言葉はわれらの主人公に狂気の発作のようなものをひきおこさせてしまった。ジュネーヴからイタリアに行くにはローザンヌを通る。ジュネーヴからローザンヌヘの乗合馬車は二時間後に出発するにもかかわらず、彼は今すぐ徒歩で出発し、こうして十里か十二里行こうと思った。ジュネーヴを去る前に彼は、この土地の陰気くさいカフェの一つで、妙な風に彼をみつめた――と彼は言う――ひとりの若者と喧嘩をおっぱじめた。彼を妙にみつめたというのはまったく事実で、分別くさくて金のことしか念頭にない粘液質のこの若いジュネーヴ人は、彼のことを気ちがいだと思ったのだ。ファブリツィオは店にはいるなり怒気を含んだ目つきであたりを見まわし、出されたコーヒーをズボンの上にひっくりかえしたのである。この喧嘩のとき、ファブリツィオが最初にしたことはまったく十六世紀的だった。若いジュネーヴ人にむかって決闘を申し込む前に、短刀を引き抜いて一刺ししようとおどりかかったのだ。この激情の瞬間にはファブリツィオはこれまで決闘の規則について教えられていたことなどすっかり忘れてしまって、本能に、いや、もっと正確に言えば幼年時代の思い出にかえったのである。
ルガーノで会った腹心の男は新しい事実を教えて彼の憤怒をいよいよ高めた。ファブリツィオはグリアンタでは愛されていたからだれも彼の名など口にしなかったろうし、兄のご親切なおせっかいがなければだれもが彼はミラノにいるものと思っているふりをし、ミラノの警察は彼のいないことに注意を向けることはなかったろう。
「きっと税関吏はあなたの人相書を持っていますよ」と叔母の使いの者は言った。「街道を行ったらロンバルディアとヴェネツィアの境であなたはつかまってしまうでしょう」
ファブリツィオとその従者はルガーノとコモ湖のあいだにある山地のどんな細い道も知りつくしていた。彼らは猟師に、ということはつまり密輸業者に変装した。彼らは三人だったし、かなり大胆な面《つら》がまえをしていたから、出逢った税関吏たちは自分のほうから挨拶するだけだった。ファブリツィオは夜の十二時ごろ城に着くようにした。その時刻には父も髪粉をつけている侍僕も、すべてとっくの昔に寝てしまっているからである。深い濠《ほり》に苦もなく降り、地下倉の窓から城のなかに忍びこんだ。母と叔母が彼を待っていたのはそこだった。やがて姉妹《きょうだい》も駈けつけて来た。愛情に我を忘れたかと思うとまた涙にくれる時間が長くつづいた。それからどうにかまともな話をはじめようというとき、さしかけた暁の光が自分は不幸だと信じているこの人々に時が矢のように過ぎてゆくことを知らせた。
「兄さんはあなたが帰って来たことに気づいていないと思うわ」とピエトラネーラ夫人は言った。「あんなあきれたまねをして以来、私はほとんどあの人と話してやらなかったの。それですっかり自尊心を傷つけられていたわ。昨夜の夜食のときには言葉をかけてやりました。疑われまいとすれば、このわきかえるような喜びをなんとかして隠さなければならなかったのよ。そうしてあの人がこれを和解だと思っていい気になっているのを見すまして、喜んでいるのをいいことにやたらにお酒を飲ましてやったの。だからきっと、隠れて見張っていつものスパイの役をつづけようなどとはしなかったでしょうよ」
「この驃騎兵はあなたの部屋に隠さなければならないわ」と侯爵夫人は言った。「この子は今すぐ出発することはできないし、私たちもまだ充分頭を働かすことはできません。あの恐ろしいミラノの警察の裏をかく、いちばんいい方法を選ばなければならないのに」
みんなはこの意見に従った。しかし侯爵とその長男は次の日、夫人がしょっちゅう義妹の部屋に行くことに気がついた。この日もなおかくまで幸福なこの人々が、どれほど愛情と喜びに酔っていたかはあらためて書くまい。イタリア人の心は熱烈な想像力の描く疑惑や狂わしい思念にわれわれフランス人よりもはるかに突き動かされるが、そのかわり彼らの喜びはずっと強烈で長くつづくのである。この日伯爵夫人と侯爵夫人はまったく理性を失っていた。ファブリツィオはくりかえし一部始終を語らねばならなかった。とうとうみんなは共通の喜びを見てとられぬようにミラノに行くことに決めた。侯爵とその息子アスカニオの監視の目をこれ以上くらますことはそれほどむずかしいように思えたのである。
みんなは家の舟に乗ってコモへ行った。それ以外の方法をとったなら、無数の疑いを呼びおこしたろう。到着するが早いか彼女たちは、客待ちしている馬車を手当たりしだいに一台雇った。即刻出発したので、馭者はだれとも話をする暇はなかった。町から一キロのところでご婦人がたの知り合いの若いハンターに会ったが、彼女たちには男が全然ついていなかったので、そのハンターは自分も猟をしながらそちらへ行くのだからミラノの市門までお供しようと親切に言ってくれた。すべては順調に行き、ご婦人がたはこの若い男とこれ以上とはないまで楽しそうに話をしながら行ったが、道がサン・ジョヴァンニの魅力的な丘と森とを迂回するために曲がったところで三人の変装した憲兵が馬の手綱に飛びついた。
「ああ、夫は私たちを裏切った!」と侯爵夫人は叫んで失神した。
すこしうしろに控えていた軍曹がよろめきながら馬車に近づいて、居酒屋から出てきたような声で言った。
「こんな使命を遂行しなければならないのは残念ですが、ファビオ・コンティ将軍、あなたを逮捕します」
ファブリツィオは軍曹が自分のことを将軍《ヽヽ》と呼んだのは悪ふざけだと思った。(思い知らせてやるぞ)と彼は思った。変装した憲兵をながめて、馬車から飛び降りて畑を突っ切って逃げる機会を彼はうかがった。
伯爵夫人は僥倖《ぎょうこう》をたのみに(と私は思うが)にっこりして見せ、軍曹にむかって言った。
「でも、軍曹さん、いったいあなたはこの十六歳の子どもをコンティ元帥だと思っていらっしゃるの?」
「あなたは将軍の娘さんではありませんか?」
「それじゃ私の父をよく見てください」とファブリツィオを指さして伯爵夫人は言った。
憲兵たちは気ちがいみたいに笑い出した。
「つべこべ言わず旅券を見せなさい」と、皆が浮かれ出したのに腹をたてて軍曹は言った。
「このかたがたはミラノに行くのに旅券を持って来られるなんてことは決してありませんよ」と馭者は冷やかな哲学者みたいな顔で言った。「こちらはピエトラネーラ伯爵の奥方《おくがた》、それからこちらはデル・ドンゴ侯爵の奥方です」
軍曹はすっかりめんくらって、馬の前のほうに行って部下たちと相談した。相談がはじまって五分もすると、ピエトラネーラ伯爵夫人は馬車を数歩すすめて物陰に入れさせてほしいと言った。まだ午前十一時だというのに暑さは堪えがたかったのだ。なんとか逃げ出す手はないものかと四方へ注意深く目をくばっていたファブリツィオは、畑を横切る小道からハンケチに顔をかくして内気らしく泣いている十四、五歳の娘がほこりまみれになって街道へ出て来るのを見た。彼女はふたりの制服の憲兵にはさまれて歩いており、さらに三歩ほどうしろに、同じくふたりの憲兵にはさまれて背の高い痩《や》せこけた男が、行列について行く県知事のような威厳ありそうな様子を見せて歩いていた。
「いったいどこで見つけたんだ?」と軍曹は言ったが、このときはもうすっかり酔いがまわっていた。
「畑を逃げて行くところでした、旅券などてんで持っていないし」
軍曹は完全にとほうにくれてしまったようだった。つかまえなければならないのは二人なのに、目の前に五人も囚人《しゅうじん》がいるのだ。尊大ぶっている男を監視するためにひとり、それから馬が前に行かないようにするためにもうひとりそこに残して、彼は数歩離れた。
「ここにいなさい」と、早くも馬車から飛び降りたファブリツィオに伯爵夫人は言った。「うまく行きますよ」
ひとりの憲兵が叫ぶのが聞こえた。
「かまうものか! 旅券を持っていないとなりゃ、なんてたって充分捕える理由はあるんだ」
軍曹はそれほど強硬ではなさそうだった。ピエトラネーラ伯爵夫人という名が彼に不安を与えていた。彼はピエトラネーラ将軍を知っていたが、将軍の死んだことは知らなかった。(おれが奥さんをへたに捕えでもしたら、復讐せずにはいない人だからな、あの将軍は)と彼は思った。
この長くつづく論議のあいだに、伯爵夫人は馬車のそばの路上に立ってほこりにまみれている少女と話をはじめていた。彼女は少女の美貌に打たれたのだ。
「日に当たると毒ですよ、あなた」そして憲兵のほうを向いて彼女はつけくわえた。「この兵隊さんはあなたが馬車に乗るのを許してくれるでしょう」
馬車のまわりを歩きまわっていたファブリツィオは少女が乗るのを手伝おうとして近づいた。少女はファブリツィオに腕を取られてすでにステップに飛び上がっていたが、そのとき馬車の六歩ほどうしろにいたあのいかめしい人物は貫禄《かんろく》を見せようとして声を荒げて叫んだ。
「道にいなさい、人さまの馬車に乗るのではありません」
ファブリツィオにはこの命令が聞こえなかった。少女は馬車にはいらずに降りようとした。ファブリツィオが彼女の腕を支えていたままだったので、彼女は彼の両腕のなかに倒れた。彼は微笑し、彼女は真赤《まっか》になった。少女は彼の腕からからだを抜き、それからふたりは一瞬目を見交わし合った。
(この人と一緒に牢屋にはいるのならすばらしい)とファブリツィオは思った。(この頭のなかにどんな深い考えがひそんでいることだろう! この娘は人を愛することができるはずだ)
軍曹は偉そうな顔をして近づいた。
「どちらがクレリア・コンティです?」
「私です」と少女は言った。
「そしてわしは」と老人は叫んだ。「パルマ大公殿下の侍従長《じじゅうちょう》ファビオ・コンティ将軍だ。わしほどの人間が泥棒のように追いまわされるのは言語道断なことではないか」
「おとといコモの舟着き場で舟に乗るとき、旅券を求めた刑事をあなたはまいてしまったじゃありませんか。だから今日《きょう》刑事はあなたに散歩させないというんです」
「あのときはわしはもう舟に乗って岸から離れていたんだ。嵐になりそうだったから急いでいたのでな。制服を着ていない男が舟着き場へ帰れと岸壁から叫んだが、わしは自分の名を言ってそのまま舟を進めたんだ」
「そして今朝《けさ》もコモから逃げたでしょう?」
「わしのような人間はミラノから湖を見に行くのに旅券を持って歩いたりはせん。今朝コモで、市門で捕えられるだろうとわしに言ってくれたものがいたが、わしは娘を連れて歩いて出た。途中で馬車でも見つけてミラノへ送ってもらえると思っていたのだが、もちろんミラノに着いたら、まずまっさきにこの地方の司令官たる将軍のところへ行って訴えるつもりだ」
軍曹は大きな重荷から解放されたというように見えた。
「それでは、将軍、あなたを逮捕します。これからミラノまでお送りします。で、君はだれだ?」と彼はファブリツィオに言った。
「私の息子ですよ」と伯爵夫人は答えた。「ピエトラネーラ師団長の息子アスカニオです」
「旅券はないんですか、伯爵夫人?」と、軍曹はひどくおだやかになった。
「この年ですもの、一度も持って歩いたことはありませんわ。ひとりで旅をすることはありません、いつも私と一緒ですから」
この会話のあいだコンティ将軍は憲兵たちにむかってますます自尊心を傷つけられた怒りを示した。
「わいわい言いなさんな」と憲兵のひとりが言った。「あなたは逮捕されたんです。それで充分でしよう!」
「あなたがどこかの百姓から馬を借りることにわれわれが同意したら、あなたとしてはたいへんな果報というものだ」と軍曹は言った。「そうでもなきゃ、いくらパルマの侍従長だろうがこのほこりと暑さのなかでわれわれの馬に取り巻かれて歩かなくちゃならん」
将軍はののしりはじめた。
「黙らないか!」と憲兵は言った。「将軍の軍服はどこにあるんだ? どこの馬の骨かわからんやつが将軍などと言えたものか」
将軍はますます腹をたてた。このあいだに馬車のなかでは事はずっとうまく運んだ。
伯爵夫人は憲兵たちをまるで自分の召使いであるかのように動かしていた。二百歩ばかりのところに見える小別荘に行って葡萄酒と、特に冷たい水をもらって来てくれと言って憲兵のひとりにエキュ金貨を一枚渡したところだった。機を見てファブリツィオをなだめすかしたが、彼は丘をおおっている森へ逃げこもうとあくまで思っていた。「僕はいいピストルを持ってるんだ」と彼は言った。夫人はいらいらしている将軍に頼んで、娘を馬車に乗せることを許してもらった。自分のことや家族のことを話すのが好きだった将軍はこの機会に、娘は一八〇三年十月二十七日に生まれたからまだ十二歳だと言った。しかしだれもが彼女を十四、五歳と見る。それほど彼女は分別があるのだ、と。
(まったく平凡な男ね)伯爵夫人の目は侯爵夫人にむかって言っていた。伯爵夫人のおかげで一時間の話し合いのあげくすべては片がついた。たまたま近くの村に用事のあるひとりの憲兵が、伯爵夫人に「十フラン上げます」と言われて自分の馬をコンティ将軍に貸した。
軍曹は将軍を連れてひとりで出発した。ほかの憲兵たちは、小別荘に行かされた仲間が運んで来た葡萄酒の大|壜《びん》四本を囲んで木陰に残った。クレリア・コンティはご婦人がたの馬車に乗せてもらってミラノに帰ることを尊敬すべき侍従長から許された。そして勇敢な将軍ピエトラネーラ伯爵の息子を逮捕しようと思うものはひとりもなかった。いろいろと挨拶を交わしたり、いま落着を見たこの小事件についてあれこれ語り合ったあげく、クレリアは伯爵夫人ほどの美しい女性がファブリツィオのことを話すときに見せるある陶酔《とうすい》といった感じに気がついた。たしかに夫人はファブリツィオの母親ではなかった。彼が最近やったらしい最高度に英雄的な、大胆な、危険なことが何度もほのめかされることに、特に彼女は興味をおぼえた。しかしいかに頭がよくても、若いクレリアにはそれがなんなのかを察することはできなかった。
行動の炎でまだその目が燃えているように見えるこの若い英雄を彼女は驚きの目で見た。彼のほうはこの十二歳の少女のかくも非凡な美しさに少々茫然としていたのである。そして彼の視線は彼女を赤面させた。
ミラノの手前一里ほどのところでファブリツィオは、伯父に会いに行くと言って婦人がたに別れを告げた。
「この境遇から抜け出せたらパルマの美しい絵を見に行きます」と彼はクレリアに言った。「そのときあなたは、ファブリツィオ・デル・ドンゴというこの名を思い出してくださるでしょうか?」
「あら、あなたは偽名を通すのが上手じゃないの!」と伯爵夫人は言った。「お嬢さん、このいたずら者は私の息子で、ピエトラネーラという名でデル・ドンゴではないということをおぼえていてくださいね」
その夜ずっとおそくなって、ファブリツィオは当時人気のあった散歩場に通じているレンツァ門からミラノに帰った。ふたりの召使いをスイスへ送り出したために、侯爵夫人とその義妹のほんのわずかの貯金も底をついていた。さいわいファブリツィオはまだ数枚のナポレオン金貨とダイアモンドを一つ持っていたので、そのダイアモンドを売ることに決めた。
この婦人がたは愛されており、町のすべての人々を知っていた。オーストリアの味方の党派の最も有力な人物たちが、警察長官ビンダー男爵のところへ言ってファブリツィオのことをとりなした。兄と喧嘩して父の家を飛び出した十六歳の子どものはねあがりをどうして重大視するのか、自分たちにはわからないとこのお歴々は言った。
「私の仕事はすべてを重大視することです」と、賢明で陰気な男であるビンダー男爵はおだやかに答えた。
当時彼はあの有名なミラノ警察を作り上げているところで、オーストリア人をジェノヴァから追い出した一七四六年のそれのような革命を防止しようと誓っていた。このミラノの警察はペッリコ氏とアンドリヤーノ氏〔ともにイタリアの自由主義者〕の事件以来はなはだ有名になっているが、かならずしも残酷ではなく、厳格な法律を合理的に、しかし容赦なく執行したにすぎない。
ビンダー男爵はファブリツィオの保護者たちに言った。
「若いマルケジーノ・デル・ドンゴの一日一日の行動を|証拠を添えて《ヽヽヽヽヽヽ》私に報告してください。三月八日にグリアンタを出発したときから、昨夜この町に着いて、母親のところの一室に隠れたときまでのことにしましよう。そうしたら私は、この町のいちばん愛すべき茶目な青年としてこの青年を遇してもよろしい。あなたがたがグリアンタを出てからのこの青年の毎日の足取りを私に教えてくださることができなければ、家柄がどれほど高かろうと、またこの一門の友人のかたがたに対する私の敬意がいかばかりであろうと、この青年を逮捕させるのが私の職務ではありますまいか? このロンバルディアでオーストリア皇帝陛下の臣下たちのあいだにひそんでいるかもしれない何人かの不満分子からの口上をナポレオンに伝えに行ったのではないと彼が私に証明するまで、彼を獄につないでおくのが私の義務ではありますまいか? もう一つご注意願いたいが、たといデル・ドンゴ青年がその点については身のあかしをたてることができたとしても、正式に発行された旅券を持たず、しかも偽名を用い、一介《いっかい》の職人|風情《ふぜい》に、つまり自分の属する階級よりはるかに下の階級に属する人物に給せられた旅券を承知のうえで使って外国へ行った罪は依然として残るのです」
おそろしく理にかなったこの言明は、デル・ドンゴ侯爵夫人と夫人のために仲介にはいった有力人物たちの高い地位に対して警察長官として払わねばならぬうやうやしさと敬意のしるしもともなっていた。
侯爵夫人はビンダー男爵の答えを聞いたとき絶望に陥った。
「ファブリツィオは逮捕されるでしょう」と彼女は泣きながら叫んだ。「そしていったん牢屋にはいってしまったら、いつ出られるかわかるものですか! 父親はあの子のことを自分の子どもじゃないと言うでしょうし」
ピエトラネーラ夫人とその義姉は二、三人の昵懇《じっこん》な友だちと相談したが、彼らがなんと言おうと、侯爵夫人はなんとしても次の夜さっそく息子を出発させたがった。
「でも、いいこと、ビンダー男爵はあなたの息子がここにいることを知っているのよ」と伯爵夫人は言った。「あの男は悪い人間ではないわ」
「そうね。でもフランツ皇帝の気に入りたいと思っているわ」
「けれど、ファブリツィオを投獄することが昇進のために役だつと考えているとすれば、あの人はもうそうしちゃっているはずよ。それに今あの子を逃がすのはあの人に対して不当な不信を示すことになる」
「しかし、ファブリツィオの居場所を知っていると私たちの前でもらしたことは、逃がしなさいと言ったことだわ! いいえ、『十五分後には私の息子は獄舎のなかにいるかもしれないのだ!』としょっちゅう心配しているかぎり、私は生きて行かれない!」それから侯爵夫人はつけくわえた。「ビンダー男爵の野心がどんなものだったにせよ、私のような身分の人間に手心を加えてやったことを見せびらかすのは、この国での男爵自身の地位にとっても有利だわ。そして私は、息子の居所を知っているなどともらしてあんな風に妙に心を打ち割って話したことはその証拠だと思うのよ。そればかりか男爵は、ファブリツィオが犯したとあれの見下げはてた兄が密告している二つの軽罪のことをご親切にも教えてくれた。この二つの軽罪は投獄という結果をもたらすと説明したわね。ということはつまり、私たちが亡命のほうがいいと思うなら、勝手に選択するがいいということじゃなくって?」
「あなたが亡命を選んだら、私たちはもう一生あの子に会えないわ」と伯爵夫人はあいかわらずくりかえした。
侯爵夫人の古くからの友だちのひとりで、現在オーストリアが作った裁判所の判事になっている人と一緒にファブリツィオはこの話し合いに同席していたが、逃げ出すほうに大賛成だった。そして事実その夜のうちに、母と叔母をスカラ座に運ぶ馬車にひそんで彼は邸を出た。馭者は信用されていなかったが、その馭者はいつものように居酒屋に|とぐろ《ヽヽヽ》をまきに行き、安心できる侍僕が馬の番をしているあいだに、百姓に身をやつしたファブリツィオは馬車から忍び出、町を出た。翌朝もやはり首尾よく国境を越え、数時間後には彼はピエモンテのノヴァーラの近くに母が持っている土地におちついていた。まさにあのバヤール〔フランス中世の猛将〕が殺されたロマニャーノである。
スカラ座の自分たちの桟敷にはいったこの婦人たちがどの程度の注意力を舞台に注げたかはだれにも推測できよう。彼女たちがそこに行ったのは、自由主義派に属する何人かの味方と相談できるからにほかならなかった。この連中がドンゴ邸にあらわれれば、警察から悪く解釈されるおそれがあったのである。ビンダー男爵に対してあらためて働きかけることが桟敷のなかで決定された。申し分ない廉直《れんちょく》の士であるこのお役人に金を提供することは問題になり得なかったし、そのうえこの婦人たちはひどく貧之だった。ダイアモンドを売った金の残りをそっくりファブリツィオに持たせてやらねばならなかったほどだった。
けれども男爵の言質を取っておくことは是非とも必要だった。伯爵夫人の友人たちは司教会員ボルダという男のことを彼女に思い出させた。これははなはだ愛すべき青年だが、かつて夫人に言い寄ろうとし、しかもその際かなり卑劣なやりかたをしたのである。どうしても成功しないので夫人のリメルカーティヘの友情のことをピエトラネーラ将軍に告げ口し、その結果卑劣漢として追っぱらわれたのだ。ところで、現在この司教会員は毎夜ビンダー男爵夫人のタロ〔イタリア式トランプ〕のお相手をつとめており、もちろんその夫の親友であった。伯爵夫人はこの司教会員に会いに行くという堪えがたいほど苦しいことをやってのけようと決心した。そして翌日の朝早く、彼が自宅から出ないうちに面会を求めた。
司教会員のただひとりの召使いがピエトラネーラ夫人の名を言ったとき、この男は声が出なくなるほど動揺した。粗末な部屋着の乱れているのも彼は全然直そうとしなかった。
「お通し申してから引きさがるがいい」と彼は消え入りそうな声で言った。
伯爵夫人がはいって来た。ボルダはひざまずいた。
「こういう姿勢で不幸な狂人はあなたの命令を聞かねばなりません」と彼は伯爵夫人に言ったが、この朝の半ば変装ともいえる夫人の化粧着姿はこたえられないほど刺激的だった。
ファブリツィオの亡命についての深い悲しみ、無理矢理に嫌悪をおさえて自分に対して卑劣な振舞《ふるまい》をしたことのある男の家に来たこと、そうしたすべてが彼女の目に信じられないような輝きを与えていた。
「この姿勢で私はあなたの命令を受けたいのです」と司教会員は叫んだ。「何か私にお求めのことがあるのははっきりしていますから。そうでもなければ不幸な狂人の貧しい家にご来駕《らいが》くださることはなかったでしょう。この狂人は昔、恋と嫉妬に目がくらんで、お気に入りになれぬとわかるや否や卑劣漢のような振舞をしたのですから」
この言葉は誠実であり、しかも司教会員は今は非常な権勢を得ているだけに、いっそういさぎよいものだった。伯爵夫人は涙が出るほど感動した。屈辱と不安に心も凍る思いだったのに、たちまちにしてしんみりした気持ちといくばくかの希望とが湧いて来たのだ。ひどく不幸な状態から彼女は一瞬にしてほとんど幸福をおぼえていた。
「私の手に接吻して」彼女はその手をさしだしながら司教会員に言った。「そして立ち上がってください。(イタリアではこういう親しい言い方はやさしい気持ちと同時に心おきない友情を示していることを心得ておかねばならぬ) 私は甥《おい》のファブリツィオのために特赦《とくしゃ》を求めに来たの。古いお友だちに話すように、包みかくしなくすべての事実を申し上げましょう。十六歳半という年であの子はとてつもない気ちがい沙汰をやらかしてしまったんです。私たちはコモ湖畔のグリアンタの城にいました。ある夜七時ごろ、コモから来た舟で私たちは皇帝がジュアン湾に上陸したことを知りました。翌朝ファブリツィオは、あの子の平民の友だちでヴァジという名のバロメーター商人の旅券をもらってフランスへ出発しました。どうしてもバロメーター商人とだけは見えませんでしたから、フランスにはいって十里も行かぬうちに、そのりっぱな服装をあやしまれて逮捕されてしまいました。へたなフランス語で熱情を吐露《とろ》するのがうさんくさく見えたのです。しばらくしてからあの子は逃げ出してジュネーヴにたどりつきました。私たちはあの子を迎えにルガーノへ人をやって……」
「ジュネーヴヘですね」と司教会員は微笑して言った。
伯爵夫人はすべてを語り終えた。
「あなたのため人力でなしうるかぎりのことはいたします」と司教会員は誠意をこめて言った。「どんなことでもあなたの命令に従います。無謀なことでもいといません。この貧しい客間であなたの神々しいまでのお姿を見られたことは私の生涯を画《かく》すことですが、そのあなたがお帰りになったら、さっそく私は何をいたしましょうか?」
「ビンダー男爵のところに行って、自分はファブリツィオをあの子が生まれているときから愛していると言っていただきたいのです。私たちの家においでになっていたころ、あの子の生まれるのを見たと言うのです。そして最後に、男爵のあなたに対する友情にすがって、すべてのスパイを動員してファブリツィオがスイスに発《た》つ前、監視下にあるあの自由主義者たちのひとりとほんのちょっとでも会ったことがあるかどうかを確かめていただきたい、と。男爵の部下がすこしでもまじめに働いていたら、こんなのはほんとうの若げのあやまちであることがわかるでしょう。私がドゥニャーニ館の自分の部屋にナポレオンが勝利を占めた戦闘の版画をかけていたのをおぼえておいででしょう。この版画についている説明を読んで、甥は文字をおぼえたんですの。五つのときから、死んだ私の夫はあの子にこれらの戦闘のことを説明しました。私たちはあの子に夫のヘルメットをかぶせてやり、子どもは夫の大きなサーベルを引きずって歩きました。ところが、ある日あの子は、私の夫にとって神だった皇帝がフランスに帰ったことを聞き、独《ひと》り合点で皇帝の麾下《きか》に参じようと出発したが、それは失敗だったのです。このかりそめの気まぐれにどんな刑罰を加えようと思うのかと男爵に訊いてみてください」
「あれを忘れていた」と司教会員は叫んだ。「あなたは私をゆるしてくださいましたが、私が全然その資格のない人間でもないことがわかっていただけるでしょう。ここに」と、机の上の書類のあいだを捜しながら「ここにこの事件全体のそもそもの発端となったあのきたならしいcoltorto(偽善者)の密告状があります。ほら、|アスカニオ《ヽヽヽヽヽ》・|ヴァルセッラ《ヽヽヽヽヽヽ》・|デル《ヽヽ》・|ドンゴ《ヽヽヽ》と署名してあるでしょう。私はこれを昨日《きのう》警察の役所から持ち出して、それからスカラ座に行きました。いつもあなたの桟敷〔スカラ座の桟敷は単にオペラを聞くためのものでなく、人に会ったりおしゃべりしたりする場所でもあった〕へ行っている人を見つけて、その人を通じてあなたに渡してもらえはしないかと思いまして。これの写しはもうずっと前にウィーンに行っています。これが私たちが戦わねばならぬ敵なのです」
司教会員は伯爵夫人と一緒に密告状を読み、そしてその日のうちにこれの写しを安心できる人間の手を通して伯爵夫人にとどけることを約束した。伯爵夫人は喜び勇んでドンゴ邸に帰った。
「むかし悪党だったあの男以上の紳士はいないわね」と彼女は侯爵夫人に言った。「今夜スカラ座で、劇場の時計が十時四十五分になったら、桟敷からみんなを追い出し、蝋燭《ろうそく》を消し、ドアをしめるのよ。そうすれば十一時に司教会員自身が、どこまでやれたかを報告に来ます。そうするのがあの人にとっていちばん危険でないと私たちは思ったので」
この司教会員はなかなか頭がよかった。約束をすっぽかす気はなかった。桟敷に来ると申し分のない善意と全面的な率直さを示したが、これは虚栄心が他のすべての感情を支配していない国でしかまず見られぬものである。伯爵夫人のことを夫ピエトラネーラ将軍に告げ口したのは生涯の痛恨《つうこん》事の一つだったが、この痛恨をぬぐいさる方法を彼は見出したのだ。
その朝伯爵夫人が自分の家から出て行ったとき、(この人は自分の甥と恋愛しているな)と彼は心に思って苦《にが》い気持ちになった。まだ心の痛手からいやされていなかったからだ。(あんな驕慢《きょうまん》な女がおれの家にやって来るなんて! ……あの気の毒なピエトラネーラが死んだとき、おれが何かお力添えをと申し出たのを、彼女は虫唾《むしず》がはしるとばかりはねつけた。ごく丁重に、彼女の昔の恋人のスコッティ大佐を通じて如才なく申し出たのに。あの美人のピエトラネーラが千五百フランで暮らすなんて!)と司教会員は自分の部屋のなかをせかせかと歩きまわりながら言った。(それからグリアンタの城に行ってあのデル・ドンゴ侯爵などという恐ろしいseccatore〔人をうんざりさせる人物〕と一緒に住むとは!……これですべての説明がつく! 実際あの若いファブリツィオは魅力にあふれているし、背は高く、恰好《かっこう》がよく、いつもにこやかな顔をしている……しかもそれ以上に、ある甘美《かんび》な肉感をたたえた目をしているんだ……コレッジヨ式〔イタリアルネサンス期の画家〕の容貌だな……)と司教会員は苦い気持ちでつけくわえた。
(年の相違も……それほどひどくはない……ファブリツィオが生まれたのはフランス軍の入城後、一七九八年ごろだったと思う。伯爵夫人は二十七、八歳で、あれ以上きれいなすばらしい女などいるものじゃない。美人を多産するこのイタリアでも、彼女は他のすべてを圧倒している。マリーニ、ゲラルティ、ルーガ、アレージ、ピエトラグルーア〔すべて一八〇〇年前後にミラノで嬌名を謳《うた》われた実在の美女。特に最後のピエトラグルーアはスタンダールの愛人として有名〕、彼女はこういった女たちのすべてに優っている。あの美しいコモ湖のほとりに身をひそめて幸福に暮らすうちに、少年はナポレオンのもとに馳《は》せ参じようと思った……。イタリアにはまだ魂を持った人間がいるんだな、どんなことがあろうとも! 愛する祖国よ! そうだ)と嫉妬に燃え上がったこの心はひとりごとをつづけた。(こう考える以外には、毎日食事のたびにデル・ドンゴ侯爵の恐ろしい顔、いや父親よりもっとひどいマルケジーノ・アスカニオのあの汚らわしい、なまっ白いご面相を見なければならないという不愉快に堪えて、味気ない田舎暮らしにあまんじた理由がわからない! ……よし、おれはあくまで彼女のためにつくしてやろう。そうすればすくなくとも、オペラグラスでのぞくのではなく、じかに彼女に会えるという楽しみがあるんだから)
司教会員ボルダはこの一件について婦人がたにきわめて率直に説明した。実はビンダーはこれ以上とはなく好意的だったのである。ウィーンから命令が来ないうちにファブリツィオが逃亡したことに彼は大満悦だった。というのは、このビンダーといえどもなんら決定権を持たず、ほかのすべての件についてと同様この件についても命令を待っていたのだ。毎日彼はすべての情報の正確なコピーをウィーンへ送る。それから待つのである。
ロマニャーノの亡命地でファブリツィオは、
一、毎日かならずミサに行き、帝政に忠実な才智ある人間を聴罪師に選び、告解《こくかい》の場では非難されるところのないような感情しか告白しないようにしなければならない。
二、才智があるとされている人間とは決してつきあってはならず、また会った場合には、叛逆などというものは許されざるものとして嫌悪をこめて話さねばならない。
三、決してカフェに姿をあらわしてはならず、トリノとミラノの官報以外の新聞は決して読んではならぬ。一般に読書に対する嫌悪を示し、せいぜいのところウォルター・スコットの小説くらいは別として、特に一七二〇年以後に印刷されたいかなる著作をも読まないこと。
四、最後に(と、少々いたずらっぽく司教会員はつけくわえた)その土地の、もちろん貴族階級に属するきれいな女性のひとりに公然と言い寄ることが特に必要である。このことは、彼が陰謀家の卵と見られるような陰鬱で不平満々の性格ではないことを証明するだろう。
寝る前に伯爵夫人と侯爵夫人はファブリツィオにあてて二通の長々しい手紙を書いて、ボルダの与えた忠告をいかにも好ましい気づかいをもって説明していた。
ファブリツィオには陰謀を企てる気持ちなど毛頭なかった。彼はナポレオンを愛しており、そしてまた貴族として生れつきほかのものよりも幸福になるようにできていると信じていたし、町人たちのことを滑稽だと思っていた。学校を出てからは一度も本を開いてみたことがなく、その学校ではイェスイタ会士の準備した本しか読んだことがなかったのだ。
彼はロマニャーノから少々離れた、有名な建築家サン・ミケーリ〔イタリアルネサンス期の建築家〕の傑作の一つである壮麗な邸宅におちついた。ところが三十年以上ここには人が住んでおらず、それゆえどの部屋も雨が漏り、窓は一つとしてしまらなかった。彼は執事の馬を取りあげて、気ままに一日じゅう乗りまわした。彼は全然口をきかず、考えごとばかりしていた。極右《ユルトラ》の家の女を愛人にしろという忠告はおもしろく思えたので、忠実にそれに従った。聴罪師には(シュピールベルク監獄の聴罪師のように)司教になりたがっている若い策謀家の聖職者を選んだ。しかし「ル・コンスチチュシオネル」〔自由主義派の機関紙的な新聞〕を読むためには彼は三里も歩いて行き、しかも絶対に自分がだれだかわからないようにしておいたつもりだった。彼はこの新聞を非常にりっぱなものと思った。(アルフィエーリやダンテと同じくらいすばらしい!)と彼はしばしば叫んだ。
ファブリツィオは健全な思想を持った愛人のことよりも、馬と新聞のことをはるかに大事に考える点でフランスの青年たちと似ていたわけである。しかしこの素朴《そぼく》でしっかりした心には|人まね《ヽヽヽ》の忍びこむ余地はまだなかった。そして彼はロマニャーノというかなり大きな町の社交界のなかで友だちを作らなかった。彼の純真さは高慢と見られた。人々はこの性格についてなんと言ったらいいかわからなかったのだ。
「|長男でなかったことに不満な次男坊なんですよ《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》」と司祭は言った。
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第六章
司教会員ボルダの嫉妬が完全に的はずれではなかったことを作者は正直に認めよう。フランスから帰ったファブリツィオはピエトラネーラ伯爵夫人の目に、彼女がむかしよく知っていたある美貌の外国人のように見えたのだ。彼が恋を語ったとすれば、彼女は彼を愛したことだろう。そうでなくてもすでに彼の振舞や彼の人となりに、情熱的な、いわば際限のない嘆賞の念をいだいていたではないか。けれどもファブリツィオは無邪気な感謝と心からの親愛の情にあふれて彼女を抱擁するだけだったので、ほとんど親子の情にも似たこの親愛の情のうちに別の感情を求めたとすれば彼女は自己嫌悪に陥ったことだろう。(実際、六年前ウジェーヌ公の宮廷で私を知った何人かの人々は、私がきれいで若いとまだ思ってくれるかもしれない)と彼女は思った。(だけどこの子にとっては、私は専敬すべき女性……しかも、自分の自尊心をあまやかさずに何もかも言ってしまえば、年取った女なのだ)伯爵夫人は自分が今生涯のどの時期にさしかかっているかを思い違えていたが、このまちがえ方は俗な女たちのとは違っていた。(それにまた、あの子の年では)と彼女はさらに思った。(年齢による衰えを少々誇張して考えるものだ。もっと世故《せこ》に富んだ男なら……)
サロンのなかを歩きまわっていた伯爵夫人は鏡の前に立ち止まり、そして微笑した。数か月前からピエトラネーラ夫人の心がある奇妙な人物に深刻にゆすぶられていたことを心得ておかねばならない。ファブリツィオがフランスへ出発して間もなく、自分ではっきりとそうだと認めてはいなかったがすでにファブリツィオのことばかり考えるようになりだしていた伯爵夫人は、深い憂愁に陥っていた。何をやってもおもしろくなく、あえてこう言えば、味もそっけもないように思えた。イタリアの民衆を味方につけようとするナポレオンはファブリツィオを幕僚《ばくりょう》に採用するだろうと彼女は思った。
(あの子は私にとってはもういないも同然だ!)と彼女は泣きながら叫んだ。(もう二度とあの子に会えまい。手紙はくれるだろうが、十年たったらあの子にとって私などなんだろう?)
こうした気持ちでいながら一度彼女はミラノへ行った。ナポレオンについてのもっと直接的な情報を、そしておそらくは当然またファブリツィオの消息をもミラノでは聞けるかもしれないと思った。自分でそれと認めはしなかったが、この活動的な気性《きしょう》の人は田舎で自分の送っている単調な生活にほんとに倦《あ》きはじめたのである。(これじゃ死なないようにしているだけのこと、生きるなんてものじゃないわ)と彼女は思った。(毎日兄や甥《おい》のアスカニオや彼らの侍僕などの髪粉をつけた顔を見てるなんて! ファブリツィオのいない湖上の舟遊びなどお話にならない!)侯爵夫人とのあいだに結ばれた友情だけがわずかに彼女に慰めを与えていた。ところがしばらく前から、彼女より年上で人生に絶望しているファブリツィオの母親とのこの仲も、それほど楽しいものではなくなりはじめた。
これがピエトラネーラ夫人の奇妙な境遇だった。ファブリツィオが行ってしまった後、彼女はもう未来にあまり期待をかけなかった。彼女の心は慰めと新しいものを必要としていた。ミラノに着くと彼女は流行のオペラに夢中になった。スカラ座へ行って旧友スコッティ大佐の桟敷にたったひとりで何時間も何時間もとじこもった。ナポレオンとその軍隊についての情報を得るために彼女のほうから求めて会った人々は俗っぽく野卑《やひ》に見えた。家に帰って彼女は朝の三時までピアノにむかって即興した。
ある夜スカラ座で、フランスの情報を聞きにある女友だちの桟敷に行くと、パルマの大臣モスカ伯爵に紹介された。愛想のいい男で、彼がフランスとナポレオンのことを話すのを聞いていると、あらたな希望やあらたな不安が湧いて来るのだった。夫人は翌日もその桟敷へ行った。あの才人もやって来て、上演中ずっと夫人は彼と楽しく話をした。ファブリツィオが行ってからというもの、このようにいきいきとした夜を過ごしたことはなかった。彼女を楽しませてくれるこの男、モスカ・デッラ・ロヴェーレ・ソレツァーナ伯爵は当時、あの高名なパルマ大公エルネスト四世の陸軍、警察、財政の大臣をつとめていた。大公はその峻厳さで非常に有名だったが、ミラノの自由主義者たちはこの峻厳さを残虐と呼んでいた。モスカは四十歳か四十五歳ぐらいにもなっていたろうか。堂々たる顔立ちだったが、偉そうなところはすこしもなく、一見して感じのいいさっぱりとした快活な様子をしていた。君主の気まぐれで穏健な政治思想のしるしとして髪粉をつけさせられていなかったとすれば、非常にりっぱにさえ見えたことだろう。相手の虚栄心を傷つけることなどあまり心配しないから、イタリアでは人々はたちまちのうちに遠慮のない口をききはじめ、私事について話をはじめる。こういう習慣のゆきすぎが気に食わなければ、傷つけられた場合二度とその相手に会わなければいいのである。
「いったいどうして髪粉などをつけていらっしゃいますの、伯爵?」とピエトラネーラ夫人は三度目に会ったときに言った。「髪粉なんて! あなたのように愛想よく、まだ若く、しかも私たちと一緒にスペインで戦争なさったかたが!」
「それは、私がそのスペインで何も盗まなかったから、そして生きて行かなくちゃならないからですよ。私はただただ名誉をあこがれていた。われわれの司令官だったフランスの将軍グゥヴィオン=サン=シールのほんの一言のお世辞《せじ》が当時私にとってすべてだった。ナポレオンの没落のとき、私はナポレオンに仕えて自分の財産を食いつぶしているというのに、空想家の私の父は私がもう将軍にでもなったつもりで、私のためにパルマに大邸宅を建てているところだった。一八一三年には、私に残された全財産といえば落成していない邸宅と年金だけだったのですよ」
「私の夫と同じ三千五百フランの年金ですか?」
「ピエトラネーラ将軍は師団長だった。哀れな騎兵少佐の私の年金などは決して八百フラン以上になったことがありません。しかも私がそれをもらうようになったのは、自分が大蔵大臣になってからなのですよ」
桟敷のなかにはその持主の非常に自由主義的な意見を持った女性しかいなかったから、会話はずっと率直につづけられた。モスカ伯爵は問われるままにパルマでの自分の生活を語った。
「スペインではサン=シール将軍の麾下《きか》で私は勲章に、そしてまた多少の名誉にありつくために銃火に立ち向かったのですが、今は大邸宅をいとなみ数千フランかせぐために喜劇中の人物のような身なりをしています。いったんこういう種類の将棋みたいなものをはじめてしまった以上、上官に横柄な顔をされるのは不愉快ですから、最高の地位を得たいと思ったのです。それには成功しました。けれども私の最も幸福な日々は依然として、ときどきこうしてミラノに来て過ごせる日々です。ここではまだ、あなたがたのイタリア軍の心が生きているように私には思えます」
あれほど恐れられている大公に仕えるこの大臣の話のこの卒直さ、このdisinvoltura〔イタリア語で「気やすさ、屈託のなさ」〕は、伯爵夫人の好奇心をそそった。彼の肩書を見て夫人はいやにもったいぶった衒学者《げんがくしゃ》に会うものと想像していたのだが、実際に見たのは自分の地位の重要さを恥ずかしく思っている男だった。モスカは自分の集めたかぎりのフランスの情報を彼女に約束していた。ワーテルローの会戦前の一か月はこのことはミラノでは非常に無謀なことだったのだ。このときはイタリアにとって存亡の危機だった。ミラノではだれもが希望の、あるいは不安の熱に浮かされていた。この物情騒然たるなかで、伯爵夫人はあれほどうらやまれている地位のことを、しかもそれが自分の唯一の生活手段だというのに、こんなに気軽にしゃべる男について人々にいろいろ質問してみた。
いろいろと好奇心をそそる、しかもおもしろい一風《いっぷう》変わったことがピエトラネーラ夫人の耳にはいって来た。
「モスカ・デッラ・ロヴェーレ・ソレツァーナ伯爵は、パルマの絶対君主であり、しかもヨーロッパで最も富んだ王公のひとりであるラヌッチヨ・エルネスト四世の総理大臣となり公然たる寵臣になろうとしています。もっとまじめくさった顔をする気になったら、伯爵はもうすでにその最高の地位についていたでしょう。大公はしばしばこのことについて伯爵にお説教をするそうです。
『私が仕事をきちんとやっている以上、殿下にとって私の態度など問題でないではありませんか』と伯爵は平気で答えます」
この人はさらにまたこう言った。
「この寵臣の幸福にも棘《とげ》がないわけではありません。思慮分別も才智もある人間ではありましょうが、絶対君主の地位に昇ってしまってからは頭がどうかしてしまって、たとえばそこらの小女にもふさわしいような猜疑《さいぎ》を示す君主のご機嫌をとりむすばねばならないのですから。
エルネスト四世が勇敢なのは戦争のときだけです。戦場では公が勇敢な将帥《しょうすい》として一隊を率いて敵を襲撃するのは何度となく見られました。ところが父君エルネスト三世の死後国に帰って、公自身にとって不幸なことに絶対的な権力を握ってからというもの、自由主義者と自由に対して気ちがいじみた罵声《ばせい》を上げはじめました。やがて自分は憎まれていると思いこみ、しまいにはたいした罪もないらしいふたりの自由主義者を絞首《こうしゅ》させましたが、これは司法大臣みたいなものをやっているラッシという悪党の助言によったのだそうです。
この運命の時から公の生活は一変しました。まったく奇妙きわまる猜疑にさいなまれているのです。まだ五十歳にもならないのに、恐怖のおかげで――こう言えるものなら――ひどく弱くなってしまって、ジャコバンだのパリの中央委員会の計画だのといった話が出るやいなや、八十歳の老人のような顔つきになるほどなのですよ。幼年時代の空想的な恐怖に落ちこんでしまうのですね。お気に入りの検察長官(あるいは大法官)ラッシが勢力を持っているのは、もっぱらその主人の恐怖によるのです。信任を失いそうだとなると彼は急いで陰険きわまるしごく空想的な陰謀を一つ見つける。軽率な連中が三十人ほど集まってル・コンスチチュシオネルを読んだとすると、ラッシはそいつらを陰謀家ときめつけ、全ロンバルディアの恐怖の的であるあの有名なパルマの城砦に囚人としてぶちこんでしまうのです。この城砦は非常に高く、五十メートルといいますが、そのためあの広大な平野のなかでごく遠くから見えます。いろいろと恐ろしいうわさのあるこの牢獄はその外形によって、ミラノからボローニャまでひろがるこの平原に恐怖をまきちらして君臨しています」
「こう申してもお信じくださるでしょうか?」と別の旅行者が伯爵夫人に言った。「夜宮殿の四階で、十五分おきに決められた文句をわめきたてる八十人の哨兵《しょうへい》に守られながら、エルネスト四世は自分の部屋のなかでがたがたふるえているのです。扉という扉にかんぬきをかけ、上も下も隣接する部屋も兵隊でいっぱいなのに、公はジャコバンがこわいのです。嵌木《はめき》床の一つの板がきしんだだけでピストルに飛びつき、自分のベッドの下に自由主義者がかくれていると思うのです。たちまち城の鈴という鈴が鳴り出し、副官がモスカ伯爵を起こしに行きます。城に来てこの警察大臣は陰謀などないなどとは決して言いません。大公とふたりだけでくまなく武装して部屋部屋の隅から隅まで調べ、ベッドの下をのぞく。要するに、どこかのばあさんがやるのならおかしくないようなばかげたまねを一々して見せるのです。こうした警戒などは、戦争に行き銃でしか人を殺すことのなかった幸福な時代だったら大公自身にもまことに体裁《ていさい》の悪いものに思えたでしょう。きわめて頭のいい人ですから、こうした警戒を恥じているのです。自分で夢中になってそんなことをやっているときにも、それが滑稽だと思っているのです。そしてモスカ伯爵の絶大な信用の原因は、伯爵が全力をあげて、公が自分の前で赤面しなくてもすむようにしていることにあるのですよ。警察大臣という資格で伯爵が、家具の下、いや、パルマでのうわさによればコントラバスのケースのなかまでぜひとも調べなければならぬと言い張るのです。大公のほうが反対して、大臣の極端なまでの綿密さをからかうのだそうです。『これは賭《か》けでございます』とモスカ伯爵は答えます。『もし殿下のお命を奪わせるようなことになったら、ジャコバンどもはどんな諷刺《ふうし》的な小歌をわれわれにあびせかけますことやら。私どもは殿下のお命だけではなく、自分たちの体面《たいめん》をも守っているのです』と。しかし大公はそんなことは半分しか信じていないようですな。というのは、町のだれかがお城では咋夜だれも眠らなかったなどと言ったりしようものなら、検察長官ラッシがその不埒《ふらち》な冗談を言ったものを城砦に送るのですから。そして、パルマの人々の言うところでは|空気のいい《ヽヽヽヽヽ》あの高いところにいったん送られてしまうと、奇跡でもないかぎりその囚人は人々の記憶によみがえることなどありません。大公がずっと扱いやすくてさもしいラッシよりもモスカ伯爵のほうが好きなのは、彼が軍人で、スペインでは奇襲のただなかを拳銃を手にして切り抜けて来たことが何度もあるからです。城砦のこの不幸な囚人たちのことは厳重な秘密とされており、彼らについてはいろいろのうわさがあります。ラッシの発案で獄吏と聴罪師たちは囚人たちに、ほとんど毎月彼らのひとりが死刑場に送られるのだと説くように命令されていると、自由主義者たちは主張しています。その日には囚人たちは五十メートルの高さの巨大な塔の見晴らし台に上ることを許され、刑場にむかって行く哀れな男の役を演ずるスパイとともに行列が進んで行くのをそこから見るのです」
こうした話や、同じように真実性のあるこの種のいろいろの話は、ピエトラネーラ夫人の興味を強くかきたてた。翌日彼女はモスカ伯爵にもっとくわしい話を聞かせてくれと言い、さんざん伯爵をからかった。夫人は彼を愉快な人だと思い、あなたは自分では気がついていまいが心底は冷血漢だと彼にむかって言い張った。ある日自分の旅館に帰って伯爵は思った。(あのピエトラネーラ伯爵夫人は単に魅力的な女というだけではない。あの人の桟敷で夜を過ごすと、思い出しても胸のうずくパルマのある種のことがらをおれは忘れることができる)
「この大臣は軽薄そうな様子や派手な流儀にもかかわらず、|フランス風の《ヽヽヽヽヽヽ》心を持っていなかった。彼は悲しみを|忘れる《ヽヽヽ》ことができなかったのだ。枕に棘《とげ》がついていたとすれば、彼はそれを折り取って、その棘がすりきれてしまうまでわななく自分の四肢をそれで刺しまくらずにはいられなかった」読者にご了解を求めたいが、これはイタリア語から訳した文章である。
この発見の翌日、ミラノでいろいろと用事があるにもかかわらず、この一日がたまらなく長く伯爵には感じられた。彼はじっとしていることができず、馬車を乗りまわした。六時ごろ馬に乗って遊歩場《コルソ》に行った。そこでピエトラネーラ夫人に出逢《であ》えないものかと多少期待していたのだ。彼女には会えなかったが、八時にスカラ座が開くことを思い出した。はいってみたが、広い場内には十人ばかりしかいない。そこにいるのが彼には少々おもはゆかった。(四十五歳になったおれが少尉でも赤面するような愚行《ぐこう》をしでかすなんてことがあり得るだろうか! さいわいだれもこんな愚行に感づいてはいないが) 彼は逃げ出して、スカラ座の周囲のあのまことにきれいな街々をぶらついて時間をつぶそうとした。これらの街々はカフェで埋まっていて、この時刻にはどれも満員である。一軒一軒のカフェの前の通りのまんなかに出した椅子にやじうまどもが腰をおちつけて、アイスクリームをなめて通行人どもを批評している。伯爵は目に立つ通行人だった。だから彼だと知られて話しかけられる、三、四人のうるさい男、それもあまり無愛想な顔を見せるわけにも行かないのが、これをしおにこの権勢高い大臣に拝顔の栄を得ようとした。そのうちふたりは彼に請願書を渡した。もうひとりは彼の政治行動についていやに長ったらしい忠告を呈するだけで満足した。
(あまり才智がありすぎると眠れない。あまり、勢力がありすぎると散歩もできない)と彼はつぶやいた。劇場にもどり、三列目の桟敷を借りることを思いついた。そこからだとだれからも気づかれずに、伯爵夫人が来ると期待される二列目の桟敷を見おろすことができる。たっぷり二時間の待つ間も恋をしているこの男には長すぎはしなかった。人に見られないと安心できたので彼は楽しく恋の思いに身をまかせた。(老いるということは何よりも)と彼は思った。(もはやこうした甘美《かんび》な児戯《じぎ》にひたれないということではあるまいか?)
とうとう伯爵夫人があらわれた。オペラグラスを使って彼は陶然として夫人の姿をながめまわした。(若く、輝かしく、鳥のように軽快だ)と彼は思った。(まだ二十五にもなっていない。美貌などは彼女の魅力としてはいちばんつまらないものだ。決して慎重にふるまったりせず、その時その時の印象に全心を投入し、いつも何か新しい対象に引きずられることばかりを求めているあのような常に真率な心の人を、ほかにどこで見つけられるだろう? ナーニ伯爵の気ちがい沙汰《ざた》もおれには理解できる)
眼前にあるこの幸福を手に入れることしか考えられないあいだは、伯爵は自分が気ちがい沙汰をしでかしていいりっぱな理由をいろいろとひねりだしていた。ところが自分の年齢と、自分の生活を満たしていて時にはひどく味気ないものとなるさまざまの心労に思いをいたすと、もうそれほどりっぱな理由は思い浮かばなくなった。(老獪《ろうかい》なくせに恐怖のおかげで才智がなくなってしまう男が、おれを大臣にしておくために豪勢な暮らしをさせ巨額の金を与えている。しかし明日もし馘《くび》になったら、おれは老いぼれの貧之人だ。つまり、この世で最も軽蔑される人間にすぎない。伯爵夫人に対して名乗り出るにはこれじゃあまりお粗末すぎる!)こうした考えはあまり暗すぎるので、彼の思いはピエトラネーラ夫人のほうへもどった。いくら彼女をながめても倦《あ》きるということがなく、心ゆくまで夫人のことを考えるために彼は夫人の桟敷に降りなかった。(最近聞いたところでは、彼女がナーニを恋人にしたのは、彼女の夫の下手人に一太刀あびせることも人を雇って匕首《あいくち》で刺させることも引き受けようとしなかったあのリメルカーティの、ばか者の鼻を明かすためでしかなかったそうだ。おれだったら彼女のために何度だって決闘するがな)と伯爵は我を忘れて叫んだ。しょっちゅう伯爵は劇場の時計へ目をやっていた。黒い背景の上にあざやかに光るその数字は、友だちの桟敷を訪れてもいい時間を五分置きに場内の人々に知らせている。(おれはまだ近づきになったばかりだから、せいぜい三十分ばかりしか彼女の桟敷で過ごせない。それ以上長居をすれば自分を見せびらかすようなもので、この年だし、おまけにこんな髪粉をつけているのだから、さぞかしカッサンドロ〔イタリア喜劇に登場するまぬけた老人〕みたいに魅力的に見えるだろうて)が、ふと思い返して彼は急に決心した。(もし彼女がだれかに会うためにあのサロンから出て行ったら、この楽しみをちびちび味わおうとしたけちくささの報いを受けることになる)彼は伯爵夫人の姿の見える桟敷へ降りようとして立ち上がったが、急にそこへ顔を出す気持ちがほとんどなくなってしまった。(ああ、こいつはすばらしい)と、階段で立ち止まってわれと我が身を笑いながら彼は叫んだ。(こいつはほんとの気おくれってものだぞ! もう二十五年もおれはこんな冒険を味わったことはなかった)
彼はほとんど無理に自分を励ますようにして桟敷にはいった。そして頭のいい人らしく、今自分の、心に起こった動揺を好都合として、ことさら寛《くつろ》ぎを見せたり何かおもしろい話をおっぱじめて才智を示したりしようとは全然しなかった。彼は臆病になる勇気を持ち、滑稽にならないようにして自分の心の乱れをほのめかすためにその才智を利用したのだ。(これを彼女に誤解されたらおれはもうおしまいだ)と彼は思った。(なんてざまだ、髪粉をつけた、しかも髪粉でごまかさなければ胡麻塩《ごましお》に見える頭で気おくれするなんて! しかしとにかくこのことは事実なんだから、それを誇張したりひけらかしたりしないかぎり滑稽ではあり得ないわけだ) 伯爵夫人はグリアンタの城で兄や甥《おい》や近所の何人かの思想穏健な退屈な連中の髪粉をつけた顔のお相手をしてさんざん退屈を味わっていたから、新しい崇拝者の髪のことなど気にかけようなどとは思わなかった。
伯爵夫人の心は幕あきの場内の大笑いなどにはてんで動かされず、モスカがいつも桟敷に来るなり特に彼女に話してくれることになっているフランスの情報にしか関心がなかった。そうした情報について彼と論じているうちに、この夜彼女は伯爵の目つきに気がついた。それは美しく、好意に満ちていた。
「パルマで奴隷どもに囲まれているときには、そんなやさしい目つきはなさらないでしょうね。そんな目つきをしたら何もかもぶちこわしになって、奴隷たちは首をくくられないですむのではないかと思いはじめるでしょうから」
イタリア第一の外交官とされている男に、もったいぶったところの全然ないことが伯爵夫人には奇妙に思われた。彼には魅力があるとさえ夫人は思った。結局、彼が熱情をこめてたくみに話すので、今宵かぎりのこととしてくどき男の役を演じても悪くはないと彼が思ったことに、彼女は全然不快を感じなかった。
これは大きな一歩であり、しかもまことに危険な一歩だった。しかし、パルマではつれない女になど出逢ったことのないこの大臣にとってさいわいなことに、伯爵夫人は数日前にグリアンタから出てきたばかりだった。彼女の心は田舎暮らしの倦怠《けんたい》にまだしびれているままだった。冗談などはいわば忘れてしまっていた。そして優雅で軽快な生き方のうちにあるそうした事どもはすべて彼女の目には新鮮な色合いを帯び、そのためにまた絶対にないがしろにできないと思えた。彼女はどんなものでも、四十五歳の臆病な恋人すらも、軽蔑するような気持ちになれなかった。一週間後だったら、伯爵の強引さは全然別のあしらいを受けたことだろうが。
スカラ座では、桟敷へのこういうちょっとした訪問は二十分ばかりで打ち切るしきたりになっていた。ところが、ピエトラネーラ夫人に運好く会えた夜は伯爵はずっとその桟敷で過ごした。(おれの若いころの無分別をすべてよみがえらせてくれるような女だ!)と彼は思った。しかし彼とて充分危険を感じていた。(おれがここから四十里ばかりの土地で全能の長官《パシャ》という肩書を持っているから、彼女はおれのこんな愚行を許してくれるのだろうか? なにしろパルマでは退屈でたまらないからなあ!)それでもやはり十五分ごとに彼はもう引き揚げようと心に誓っていたのだ。
「白状しなくちゃなりませんが」と彼は笑いながら伯爵夫人に言った。「パルマでは私は退屈で死にそうなのです。だから旅に出たときには楽しみにうつつをぬかしてもいいはずです。そこで、一晩だけのこととして、あなたに対して恋人の役を演ずることを許していただけませんか。残念ながら数日後には、すべての心労――それどころか、すべての礼儀作法もとあなたはおっしゃるでしょうが――を忘れさせてくれるこの桟敷からずっと遠いところにいるのですから」
スカラ座の桟敷へのこの突拍子《とっぴょうし》もない訪問から一週間たち、お話しすればおそらくくだくだしく思われるようないくつかのこまかいいきさつがあった後、モスカ伯爵は完全に恋に狂ってしまい、伯爵夫人はもう好ましく見られる男なら年齢などはさまたげにならぬと考えていた。ふたりがこのような考えにまでなっていたとき、モスカ伯爵はパルマからの飛脚によって呼びもどされた。大公はひとりぽっちでこわくなっていたらしい。伯爵夫人はグリアンタに帰った。この美しい土地ももう彼女の想像力で飾られなかったから、彼女には淋《さび》しいものに見えた。(私はあの人が好きになってしまったのかしら?)と彼女は自問した。モスカは手紙をよこしたが、もう全然芝居をする必要などなかった。彼女がそばにいないから、彼はいろいろと考えることもなくなった。彼の手紙はおもしろかった。それに、これはべつに悪くは取られないけれどもたしかにちょっと変わったやりかただったが、配達料を払いたがらないデル・ドンゴ侯爵にとやかく言われないように、彼は飛脚をやってコモやレッコやヴァレーゼや、その他湖をめぐるあの魅力的な小さな町々の一つから手紙を投函させた。これはその飛脚に夫人の返事を持って帰らせようと考えたためでもあったのだが、それは成功した。
やがて飛脚の来る日は伯爵夫人にとって重要な日となった。飛脚は花やくだものやその他特別言うほどのこともないちょっとした贈り物を持って来たが、こうした贈り物は彼女だけではなく義姉をも楽しませた。伯爵のことを思い出すと、彼の持つ大きな権力のことも自然頭に浮かぶ。伯爵夫人は人々が彼について言うことのすべてに好奇心をおぼえはじめたが、自由主義者たちですら彼の才能を称賛していた。
伯爵の悪評の第一の理由は、彼がパルマの宮廷における極右派《ユルトラ》の首領とみなされていることと、どんなことでもやりかねない、いや、成功することだって考えられないではない策謀家《さくぼうか》で大金持のラヴェルシ侯爵夫人を自由派が推戴していることだった。大公は両派のうち政権についていないほうを失望させないように非常に気をつかっていた。たとえラヴェルシ夫人のサロンから閣僚を選んだとしてすら、自分がいつまでも主君でいられることを大公はよく心得ていたのである。グリアンタヘもこうした策謀についての委細が報じられた。モスカのことはだれもが一流の才能を持った大臣として、また行動の人として語るが、彼が目の前にいないおかげで、いっさいの鈍重《どんじゅう》で陰気くさいものの象徴である髪粉をつけた髪のことをもう考えないですんだ。こんなことはつまらぬ細部にすぎず、宮廷での、それも彼があんなにりっぱな役割を演じている宮廷での義務の一つにすぎないのだ。
「宮廷って滑稽なものね」と伯爵夫人は侯爵夫人に言った。「でも愉快だわ。興味|津々《しんしん》たるゲームだけど、そのルールは認めなければならない。ウィストのルールが滑稽だと文句を言いたてた人があって? とにかくいったんルールに慣れてしまいさえすれば、うまい手を使って相手を負かしてやるのは楽しいものよ」
伯爵夫人はあんなにたくさん愛すべき手紙を書いて来てくれた人のことをしばしば思った。そうした手紙を受け取る日は彼女には楽しい日だった。彼女は舟に乗り、プリニアーナやベッラーノや、またスフォンドラータの森などの湖畔の景色のいいところへ行ってそれを読んだ。これらの手紙はファブリツィオのいない淋しさを少々慰めてくれるように思えた。すくなくとも伯爵がひどく恋こがれていることを認めてやらぬわけには行かなかった。
一月もたたぬうちに彼女はやさしい友情をもって彼のことを考えていた。モスカ伯爵のほうもまた、辞表を出して内閣を去り、彼女と一緒にミラノかどこかへ行って慕らそうと申し出たのはほとんど本心だったのだ。
「私には四十万フランあります。ですから私たちにはいつも一万五千フランの年収があることになりましょう」と彼はつけくわえていた。
(また桟敷や、馬や、その他いろいろなものが!)と伯爵夫人は思った。それは楽しい夢だった。コモ湖のすばらしいながめがふたたび彼女の心を魅しはじめた。彼女は湖畔に行って、あらゆる予想に反してまたもどろうと思えばもどれることになったはでやかで一風《いっぷう》変わった生活のことを夢想した。ミラノのコルソを副王時代のように幸福にほがらかに歩いている自分を彼女は思い描いた。
ときどき強烈な想像力のために物が見えなくなることはあったが、怯懦《きょうだ》から故意に幻想を求めるようなことは決して彼女には見られなかった。何より彼女は自分自身に対して誠実な女性だった。(私は無分別なことをするにはちょっと年を取りすぎているけれども、ねたみというものは恋と同じように幻想を描くもので、そのために私のミラノでの生活は台なしにされるかもしれない)と彼女は思った。(夫が死んでから、清貧《せいひん》を守ったことと二度もたいへんな富を拒《こば》んだことで私は人気を博した。私の気の毒なモスカ伯爵には、リメルカーティとナーニというあのふたりのにやけ男が私に捧げようと言った莫大《ばくだい》な富の二十分の一もない。わずかばかりの未亡人年金をようやくのことでもらい、使用人たちに暇を出して世間にあっと言わせ、六階の小さな部屋に住んで二十台もの馬車を門前に集めさせる、こうしたことは以前には一風《いっぷう》変わった見物《みもの》だった。けれども、自分の財産としては依然としてあの未亡人年金のほか何もなく、辞任の後にモスカに残った一万五千フランで得られるささやかなブルジョワ的安楽さでもってミラノでまた生活をはじめたとすれば、私はときどき不愉快な目に遭《あ》うだろう。大きな障害が一つあるが、これはねたみ心にとってはすばらしい武器になるだろう。それは、もうずっと奥さんと別居してはいるが、伯爵が結婚しているということだ。この別居はパルマでは周知のことだが、ミラノでははじめて聞くことだろうし、人々は私のせいだと言うだろう。だから、あの美しいスカラ座も、すばらしいコモ湖も……さようならだ! さようなら!)
こうした予想にもかかわらず、ほんのすこしでも財産を持っていたとすれば伯爵夫人はモスカが辞職しようというのを受け容《い》れただろう。彼女は自分がもう年寄りだと信じており、宮廷がこわかったのだ。けれども、アルプスのこちら側〔フランスのこと〕では絶対にあり得ぬことと見るだろうが、伯爵は喜んで辞職したに相違ないのだ。すくなくとも彼はそういう風に恋人に信じこませることに成功した。手紙を書くたびに彼はもう一度ミラノで会ってくれとますます熱狂的にせがみ、遂にこの願いはかなえられた。
「私があなたを狂わしいほど恋いこがれていると誓えば、それは嘘《うそ》になります」と、ある日ミラノで伯爵夫人は彼に言った。「三十歳を過ぎた今、昔二十二のときにしたような恋ができたら幸福すぎるでしょう! でも私は自分が永遠と信じていたものがいくつも崩れ去るのを見て来ました。私はあなたにほんとに心からの友情をいだいていますし、あなたを限りなく信頼しています。男たちのなかであなたがいちばん好きです」
伯爵夫人はこれがまったく本心から出た言葉だと信じていた。しかしこの宣言の終わりのほうにはちょっとした嘘が含まれていた。ファブリツィオがその気になったら、おそらく彼は夫人の心を独占してしまったろう。しかしファブリツィオなどはモスカ伯爵の目には子どもにすぎなかった。伯爵はこの軽率な若者がノヴァーラに出発してから三日後にミラノにやって来て、急いでビンダー男爵のところへ彼のためにとりなしに行った。追放となれば取り返しがつかないと伯爵は思った。
彼はミラノヘひとりで来たのではなかった。サンセヴェリーナ=タクシス公爵を同じ馬車で連れて来たのだが、これは六十八歳の小ぎれいな背の低い胡麻塩《ごましお》頭の老人で、礼儀正しく小ざっぱりしていて、たいへんな富豪だったが家柄はそれほど高くはなかった。彼の祖父がパルマ国の総括徴税請負人をして巨万の富を築いたにすぎない。彼の父親は次のような理屈を述べて**国宮廷へのパルマ大公の大使に任命してもらった。
「殿下は**宮廷への使節に三万フランを与えておいでですが、使節はあちらではまことにみすぼらしい暮らしをしております。もしこの地位を私に与えてくださいましたら、私は六千フランの俸給をちょうだいつかまつります。**宮廷での私の支出は決して年に十万フランを下らぬでしょうし、私の執事は毎年二万フランをパルマ外務省の金庫にお納めするでしょう。これだけの金があればお好きな書記官を私につけることができましょう。外交上の秘密があったとしても、私はそんなものは全然知ろうとはいたしません。まだ新しい私の家系に箔《はく》をつけ、重大な国務の一つを引き受けて家名を上げることが私のねらいでございますから」
この大使の息子である今の公爵は、自由主義者がかった態度を示すというへまなまねをしたことがあったので、ここ二年ほど絶望に陥っていた。ナポレオン時代に頑固《がんこ》に外国に留まっていたために二、三百万フランを失ったが、それでいてヨーロッパの秩序回復後も、父親の肖像画に見られるある大綬章をもらいそこなった。この勲章がないことで彼は悶々《もんもん》として日を送っていた。
イタリアでは恋愛の結果親しいつきあいが生まれるが、この段階では恋人たちのあいだにもはや虚栄心という障害などはなくなる。で、モスカは熱愛する女性にしごくあっさりと次のように言ったのだった。
「二つ三つあなたに申し上げたい計画があるのですが、 どれもかなりよく考えてあると思います。この三か月このことばかり考えていたのですからね。
第一は、私が辞表を出し、ミラノでもフィレンツェでもナポリでも、あなたのお好きなところで普通の市民としてあなたと暮らすことです。大公のお心づくしがどれほどつづくかには関係なく、一万五千フランの年収が私たちにはあるでしょう。
第二は、私が多少力を持っている国にあなたがいらっしゃって、たとえばサッカあたりの土地と、ポー河の流れを見おろす林のなかのきれいな家をお買いになる。売買契約書は今から一週間のうちにととのいますよ。大公はあなたを宮廷にお召しかかえになる。が、ここで一つ絶大な困難が生ずる。あなたはたしかにこの宮廷に迎えられるでしょう。だれひとり私の前でしぶって見せようなどとはしますまい。それにまた大公妃はご自分が不幸だとお思いになっていらっしゃるので、私はあなたのことを考えて先ごろ大公妃のためにいろいろしてさしあげておいた。しかし最大の障害はこうなのです。大公はほんとに信心深い。そしてあなたもおぼえていらっしゃるだろうが、なんの因果か私は結婚しているのです。ここからこまごまとした不愉快なことが無数に起こってくる。あなたは未亡人でいらっしゃる。これはりっぱな肩書きですが、これを別の肩書きに変えていただかねばならない。そして私の第三の提案はこのことに関係するんです。
その気になれば全然じゃまにならない夫を見つけることもできましょう。しかし第一に、その男が非常に高齢でなければ因ります。いつか私がその男に取って代われるという希望を持ってはいけないとあなたはおっしゃらないでしょう。そこでです、私はサンセヴェリーナ=タクシス公爵とこの奇妙な取引を成立させたのですが、もちろん公爵は公爵夫人となる女性の名を知ってはいません。知っていることはただ、この女性のおかげで自分が大使になれ、父親が持っていた大綬章をもらえるということだけです。この勲章を持っていないので、あの男は自分はこのうえなく不幸だと思っているのです。この点を除けばこの公爵はあんまりばかではない。パリから服と鬘《かつら》を取り寄せていますがね。決してあらかじめ熟慮《ヽヽ》の上で意地の悪いことをするような人間ではなく、名誉とは勲章を持つことだと本気で信じており、自分の財産を恥じているのです。一年前、勲章をもらうために病院を一つ建てましょうと私のところへ言って来た。私は相手にしなかった。ところが、私が結婚のことを持ちこんだときに、あの男は私を無視しはしなかった。私の出した第一の条件はもちろん、彼が決してパルマに帰らないということでした」
「でも、あなたが私に提案なさっていらっしゃることはまことに不道徳だということをごぞんじ?」
「私たちの宮廷やそれ以外の多くの宮廷でおこなわれているいろんなこと以上に不道徳であるわけではありませんよ。絶対権力というものには、民衆の目にすべてのものを神聖化してしまうという利点がある。ところで、人に気づかれない滑稽さなどというものはいったいなんでしょう? 二十年にわたってわれわれの政治はジャコバンを恐れるということだけで成り立っていた。しかもなんという恐怖だったでしょう! 毎年私たちは来年こそ一七九三年〔フランス革命の恐怖時代〕になると思いつづけるでしょう。私が接見のときこれについてどんな名文句を吐くか、いずれあなたもお聞きになると思いますがね! たいした名文句ですよ! この恐怖をいささかなりと減じるものならばすべて、貴族や信心家の目には|最高に道徳的《ヽヽヽヽヽヽ》なのです。ところで、パルマでは貴族もしくは信心家でないものはすべて牢屋に入れられているか、牢屋にはいるために荷物をまとめているところです。私がご不興をこうむらぬかぎり、この結婚はパルマでは奇妙なものと見られないと信じてください。この協定はだれをもだますわけではない。このことが肝心なところだと私には思えますがね。大公の恩寵を私たちは売物にして取引するわけですが、その大公は一つだけ条件を満たせば同意するとおっしゃった。公爵夫人となる人は貴族の生まれでなければならないということです。去年私の地位から得た収入はしめて十万七千フランでした。全収入は十二万二千フランになったはずです。そのうち二万をリヨンに投資しました。さあ、それでは選んでください。十二万フランを使ってパルマで豪華な暮らしをする。パルマでの十二万フランはすくなくともミラノの四十万フランに当たります。しかし例の結婚をして、まあ恥ずかしくない程度の男の姓を名乗らねばならないが、しかしあなたがその男に会うのは結婚式の祭壇の前でだけです。でなければ、フィレンツェかナポリでちんまりした市民生活をする。私もあなたと同意見で、たしかにあなたはミラノでは賛美の的とされすぎていましたからね。ミラノにいたら私たちは羨望のあまりいじめつけられ、いやな思いをさせられる仕儀《しぎ》になるかもしれません。パルマでの豪奢な生活は、ウジェーヌ大公の宮廷をごらんになったあなたの目にすらも、少々目新しいところがあるんじゃないかと私は思います。そういうものと縁を切ってしまう前に、一度そうしたものを味わっておくのも賢明でしょう。私があなたの考えに影響をおよぼそうとしているのだとは考えないでくださいよ。私自身のことを言えば、私の選択はもう決まっています。ひとりで豪奢な牛活をつづけるよりもあなたと一緒に五階住まいするほうがいいのです」
この奇妙な結婚の可能性は毎日恋人たちのあいだで論じられた。伯爵夫人はスカラ座の舞踏会でサンセヴェリーナ=タクシス公爵に会ったが、まずまず感じのいい人に見えた。モスカは最近話し合ったときに自分の提案を次のように要約した。
「私たちが余生を愉快に送って、まだそんな時でもないうちに老いこまないようにしようとすれば、決定的な手を打たねばなりません。大公は同意してくださった。サンセヴェリーナはどちらかといえば善い人物です。パルマでいちばんりっぱな邸宅ととほうもない財産を持っている。年は六十八で、大綬章がほしくて夢中だ。ところが彼には一生ぬぐえぬ汚点がある。昔、カノーヴァ〔イタリアの彫刻家〕の作ったナポレオンの胸像を一万フランで買ったのです。もう一つの罪は、もしあなたが助けておやりにならなかったらあの男はこれのため死んでしまうでしょうが、ナポレオン金貨二十五枚をフェランテ・パッラに貸したことです。パッラというのはこの国の気ちがいじみた男で、ちょっと天才じみたところもありますが、後に私たちは死刑を宣告してやりました。さいわい欠席裁判でしたがね。このフェランテはこれまでの生涯に二百行ばかりの詩を作りましたが、これは他の追随を詐さぬものです。いつか朗読してさしあげますが、ダンテと同じくらい美しいですよ。大公はサンセヴェリーナを**の宮廷へお遣わしになり、その出発の日に彼はあなたと結婚する。彼は自分で大使になったつもりでしょうが、こうして国を出て二年目に、それなしでは暮らせないあの**勲章をもらうという寸法です。あなたにとって彼は全然不愉快なところのない兄みたいなものになるでしょう。私が必要だとするすべての書類にあらかじめ署名しておいてくれます。そのうえ、あなたのお気持ちしだいでたまに会ってやるのも全然会わないのもご自由です。パルマに姿をあらわさないですめばこんな結構なことは彼にはない。祖父は総括徴税請負人だったし、彼のいわゆる自由主義のおかげで居心地が悪いのですから。この国の死刑執行人ラッシは、公爵は詩人フェランテ・パッラを通じてひそかにル・コンスチチュシオネルを予約していたと言っていますが、この中傷《ちゅうしょう》が重大な障害となって長く大公の承諾が得られなかったのですよ」
歴史家が自分の聞いた話を委細《いさい》洩らさず忠実に述べるのがどうして悪いのだろうか? 登場人物が彼には不幸なことに共感し得ない情念にまどわされてはなはだしく不道徳な行為に落ちこむことが歴史家の罪だろうか? 他のすべての情念の死に絶えた後に残っている唯一のものが、虚栄心の手段でしかない金銭への情熱であるというような国〔フランスのことを諷している〕では、この種のことがらはもはや見られないのは事実だが。
これまで語って来たいきさつの三か月後、サンセヴェリーナ=タクシス公爵夫人はその気さくな愛嬌と高雅で明朗な才気でパルマの宮廷を驚かせた。彼女の家はこの町のなかで他に比較するもののないほど楽しい家だった。これこそモスカ伯爵が主君に約束していたものだった。当主ラヌッチヨ・エルネスト四世とその后《きさき》は、この国で最も身分の高いふたりの貴婦人が紹介した彼女をきわめてねんごろに迎えた。公爵夫人は自分の愛する男の運命を支配しているこの大公に会うことに興味を持ち、公の気に入りたいと思っていたが、それには成功しすぎるほど成功した。彼女が見たのは背の高い、だが少々太り肉《じし》の男だった。髪の毛も口髭《くちひげ》も大きな頬髭《ほほひげ》も、廷臣に言わせれば美しい金色をしていた。もっとも別のところでは、色があせているために黄白色《フイラッス》などという品のない言い方をされたかもしれない。大きな顔のまんなかにほとんど女性的な小さな鼻が申しわけばかりついていた。しかし公爵夫人は、こういう醜さの理由をすべて知るためには大公の顔つきを一々こまかく観察しなければならぬことに気がついた。全体としては彼は才智もあり決断もある人間らしい様子をしていた。大公の挙措《きょそ》や姿勢は決して威厳を欠くものではなかった。しかし彼はよく相手を威圧しようとした。そうすると自分のほうがへどもどしてしまって、ほとんど間断なしに体の重みを一方の脚からもう一方の脚へと移し変えている。それでもエルネスト四世は炯々《けいけい》とした支配者らしい目をしていた。腕の動かし方には気品があり、言葉は節度があってしかも簡潔だった。
モスカは伯爵夫人に、大公が謁見をおこなう大書斎にはルイ十四世の全身像とフィレンツェのスカリオーラ〔雲母のようなきらきら光る石のついた建材〕のたいへん美しい机があると言っておいた。彼女は模倣があまりにも目立ちすぎると思った。あきらかに大公はルイ十四世の目つきと高雅な言葉をまねしようと努めており、ヨーゼフ二世の態度と思わせるような身のこなしでスカリオーラの机によりかかるのだ。公爵夫人に最初の言葉をかけてすぐ彼は腰をおろした。彼女がその身分にだけ許された床几《しょうぎ》を使えるようにと思ってである。この宮廷で坐れるのは、公爵夫人と王族の女性とスペインの高官の夫人だけだった。他の女たちは大公か大公妃にうながされるまで待つのである。しかも身分の差をはっきりさせるため、この高貴の夫妻はいつも公爵夫人以外の貴婦人たちに着席をすすめる前にわざわざちょっと間を置くのだ。公爵夫人は大公のルイ十四世のまねがときどきすこし露骨すぎると思った。たとえば、頭をのけぞらしながらやさしそうに微笑して見せるところなど。
エルネスト四世はパリ仕立ての流行の燕尾《えんび》服を着ていた。彼の大きらいなこの都会から毎日燕尾服やフロックコートや帽子が送られて来るのである。ところが奇妙な取合わせだが、公爵夫人が引見された日には彼は赤い短ズボンに絹の靴下にひどく深い短靴という服装をしていた。これはヨーゼフ二世の肖像にそのお手本が見られるものである。
彼はこころよくサンセヴェリーナ夫人を迎えた。気のきいたしゃれたことを言ったが、この歓待に度を越えたところがないことに彼女ははっきり気がついた。
「その理由がわかりますか?」謁見から帰るとモスカ伯爵は彼女に言った。「ミラノがパルマよりも大きくて美しい町だからですよ。私が期待していたように、そして公自身が私に期待させていたようにあなたをあしらえば、首府からやって来た美貌のご婦人のあでやかさを見て有頂天になっている田舎者みたいに見えはしないかと心配したのでしょう。おそらくまた、これはあなたの前でははっきり言いにくいが、ある事実に当惑してもいたんです。つまり、|美しさで《ヽヽヽヽ》あなたと張り合えるような女性が自分の宮廷にひとりも見られないということです。昨夜|御寝《ぎょしん》のとき、公の侍僕頭で私に好意を持っているペルニーチェとの話の種はもっぱらそのことだったそうです。宮廷の礼式にちょっとした革命が起こるだろうと私は見ている。この宮廷で私の最大の敵は、ファビオ・コンティ将軍というばか者です。一生におそらく一日だけ戦争に加わって、その日からフリードリッヒ大王のまねをしているというような変わり者を想像してみてください。のみならずラファイエット将軍〔フランス軍人で自由主義的政治家。アメリカ独立戦争に従軍し、フランス革命時には国民軍司令官〕の高雅な物柔らかさも示そうとしている。しかもそれは、ここで自由党の党首をしているからなのですよ。(どんな自由主義者か知れたものではありませんが!)」
「そのファビオ・コンティを私は知っています」と公爵夫人は言った。「コモの近くでその人を見たことがありますの。憲兵と喧嘩していましたわ」
彼女は読者もたぶんご記憶の、あのちょっとしたいきさつを話した。
「いつかこの宮廷の礼式の裏の裏まで見通すことができるようになったら、令嬢たちは結婚してからでなければ宮廷に顔を出さないことがおわかりになるでしょう。ところで、大公は自分のパルマが他のいかなる町よりもすぐれていると主張するについては燃えるような愛郷心を持っておいでなので、なんとかしてわれわれのラファイエットの娘クレリア・コンティを出仕させるようになさるにちがいないと私は確信しています。この子はほんとに魅力的で、一週間前までは大公の領地で第一の美女とされていたのですからね」
「大公の敵が大公について言いふらしたいろいろの恐ろしいことがグリアンタの城にまで聞こえていたかどうかは私は知りません」と伯爵はつづけた。「大公は人非人みたいに、鬼畜みたいに言われている。実はエルネスト四世は小さな美徳をいろいろと持っていたし、さらに言えば、アキレスのように不死身だったら依然として専制君主の模範でありつづけたことでしょう。ところがあるとき退屈して腹をたてていて、それにまた、図々《ずうずう》しくもヴェルサイユの近くの土地にのんびりと暮らしているのを五十年後に見つかったフロンドの乱〔ルイ十四世の治世中の一六四八年から五年間、絶対王権に反対して貴族たちがおこなった叛乱〕のなんとかいう勇士の首をはねさせたルイ十四世のまねをする気も少々あって、エルネスト四世は自由主義者をふたり絞首させた。この軽率な連中は日をきめて集まって、大公の悪口を言ったり、ペストがパルマを襲って暴君から自分たちを解放してくれるように熱烈に天に祈ったりしていたらしいのです。この暴君《ヽヽ》という言葉はたしかに言ったという証拠があった。ラッシはこれを陰謀と呼びました。彼はふたりが死刑になるようにしたが、中でもL……伯爵の処刑はすさまじかった。これは私の就任する前にあったことです。この宿命的な時から」と伯爵は声を低めてつけくわえた。「大公は男子たるものにふさわしくないような恐怖の発作に襲われるようになりました。けれども私が受けている寵遇はもっぱらこの恐怖のおかげなのです。この君主の恐怖がなかったとすれば、私の才能などはばか者だらけのこの宮廷ではあまりにも乱暴で不快なものと見られたでしょう。あなたには信じられるかどうか、大公は寝る前に自分の部屋のベッドの下をのぞいてまわり、百万フランといいますとこのパルマではミラノの四百万にも当たるでしょうが、それだけ費して有能な警察をかかえている。そして、公爵夫人、あなたの前にいるのがその恐るべき警察の長官なのですよ。警察によって、ということはつまり恐怖によって、私は陸軍大臣と大蔵大臣になりました。そして警察が内務大臣の管轄《かんかつ》に属するかぎり内務大臣は私の名目上の上官ですから、私はこの地位がツルラ=コンタリーニ伯爵に与えられるようにしました。これは仕事にしか目のないばかな男で、毎日八十通もの手紙を書くのを道楽にしています。今朝私も一通もらいましたが、自分の手でそれに第二〇七一五号と書くことができたのはツルラ=コンタリーニ伯爵にとってさぞかし満足だったでしょう」
サンセヴェリーナ公爵夫人は陰気なパルム大公妃クララ=パオリーナにも引き合わされたが、夫が愛人(バルビ侯爵夫人というかなりきれいな女)を持っているというので、妃は自分のことをこの世で最も不幸な女だと思いこんでおり、それがためにまたおそらく最も退屈な女になっていた。公爵夫人が見たのは非常に背が高くて痩《や》せた、三十六歳にもなっていないのに四十歳に見える女だった。その整った高貴な顔は、ほとんど視力のない円い大きな目が少々|艶消《つやけ》しではあったけれども、もし妃が多少とも身なりや化粧に気をつける気があったら美しく見えただろう。彼女はひどくおずおずとした様子で公爵夫人を迎えたので、モスカ伯爵を敵視する何人かの廷臣たちは大公妃のほうが謁見される女で公爵夫人のほうが后《きさき》みたいだったとあえて言ったほどだ。公爵夫人はびっくりし、ほとんど狼狽して、后が自分のほうからへりくだってしまっているのに対してこちらがどんな言葉づかいをすればもっとへりくだったことになれるのか見当がつかなかった。后は本来頭が悪いほうではないのだが、この気の毒な后に多少冷静をとりもどさせるには、植物学について長々と論議をはじめるにしくはないと公爵夫人は思った。大公妃は実際この部門には造詣《ぞうけい》が深かった。熱帯植物をたくさん集めた非常にりっぱな温室を持っていたくらいだ。公爵夫人は単に困った立場から抜け出そうとしたにすぎないのに、大公妃クララ=パオリーナの心を永久にとらえてしまったのだ。謁見のはじめのころはおずおずしてろくろく口も利《き》けなかったのに、終わりのころはすっかりくつろいでしまって、宮廷の作法を破ってこの最初の謁見は一時間をはるかに越してしまったのである。あくる日公爵夫人は人をやって異国の植物を買わせ、植物学の大の愛好家になりすました。
大公妃はパルマ大司教である尊敬すべきランドリアーニ神父を相手に募らしていた。この人は学者で、おまけに才智もあり、しかも申し分なく誠実な人だったが、彼が女官たちやふたりの|おつき《ヽヽヽ》の婦人にかこまれた大公妃の肘掛け椅子と向き合わせの真紅《しんく》の椅子(これはその職から来る特権なのだ)に坐っているところは異様に見える。白髪を長く伸ばした老司教は、そんなことがあり得るとすればだが、大公妃よりももっとおずおずしていた。毎日会うのだが、そのたびに最初はたっぷり十五分も沈黙がつづく。そのためおつきの貴婦人のひとりであるアルヴィーツィ伯爵夫人が、ふたりを励ましてしゃべらせ沈黙を破らせるすべを心得ているという理由でいわばお気に入りといったものになったほどだった。
こうした引き合わせのいちばん最後に公爵夫人は太子殿下に拝謁《はいえつ》を許された。父親よりも背が高く、母親よりもおずおずした人物だった。鉱物学が得意で、年は十六歳である。公爵夫人がはいって来るのを見るとひどく顔を赤くし、すっかりとほうに暮れてしまって、この美しい婦人に言うべき言葉が思い浮かばぬほどだった。彼は非常な美男子だが、ハンマーを手にして森のなかで碁らしていた。この沈黙の謁見を打ち切らせようとして公爵夫人が立ち上がったとたんに、
「ああ、マダム、あなたはなんておきれいなのでしょう!」と太子は叫んだ。謁見された婦人はこれをあまり悪趣味とは取らなかった。
二十五歳の若いバルビ侯爵夫人は、サンセヴェリーナ公爵夫人のパルマ到着の二、三年前までは、まだ|イタリア美人《ヽヽヽヽヽヽ》の最も完全な典型と見られることができた。今でも依然として世にも美しい目と世にもあでやかな小作りな顔だちをしている。だがよく見ると肌には細い小じわが数知れぬほど寄っていて、そのため侯爵夫人は年より老《ふ》けて見えた。たとえば劇場の桟敷などでしかるべき距離を置いて見るとまだ美人だった。そして平土間の連中は大公はとても趣味がいいと思った。彼は毎夕バルビ侯爵夫人のところで過ごしたが、全然口を開かぬこともしばしばで、大公が退屈しているのを見てこの哀れな女は異常なまでに痩せてしまった。彼女は自分はおそろしく抜け目ない人間だと称し、いつも皮肉っぽく微笑していた。彼女は世にも美しい歯をしていたが、ものごとのけじめがつかないので、何ごとにつけても皮肉な笑いを見せて自分の言っていることには裏の意味があるんだという風にほのめかそうとしていた。モスカ伯爵は肚《はら》のなかでは|あくび《ヽヽヽ》をしながら、しょっちゅう笑顔を見せているためにあんなに皺《しわ》ができたのだと言っていた。このバルビはあらゆる国事に介入し、パルマ国が千フランの取引をしても侯爵夫人は何か記念品《ヽヽヽ》(これがパルマでのちゃんとした言い方なのだった)をもらわずにはいなかった。世間の風評では彼女が六百万フランをイギリスに投資したとされていたが、実は最近わかったところでは彼女の全財産は百五十万フランに達していなかった。
モスカ伯爵が大蔵大臣になったのは、彼女の策謀をかわし、彼女を自分の支配下に置くためだったのである。侯爵夫人の唯一の激しい感情は、きたならしい吝嗇《りいしょく》となってあらわれる恐怖だった。「私は赤貧《せきひん》のなかで死ぬでしょう」と彼女はときどき大公に言い、大公はこれに腹をたてた。バルビの邸の金色|燦燗《さんらん》たる控えの間には高価な大理石のテーブルの上に流れ出している一本の蝋燭《ろうそく》しかあかりがなく、彼女のサロンの扉は侍僕の手|垢《あか》で黒くなっているのに公爵夫人は気がついた。
「あのかたが私を迎えた様子は、私から五十フランの心づけでももらえると当てにしているようでしたわ」と公爵夫人は親しい男に言った。
公爵夫人がつぎつぎに得た成功は、宮廷でいちばん老獪《ろうかい》な女、有名なラヴェルシ侯爵夫人と会ったところでちょっと中断された。これはモスカ伯爵派と対立する一派の頭に立つ海千山千の策謀家だった。彼女は伯爵を失脚させようとしていた。彼女はサンセヴェリーナ公爵の姪《めい》でもあったので、新しい公爵夫人の魅力で自分の相続権がおびやかされることを恐れていただけになおさらだった。
「あのラヴェルシは決して侮《あなど》っていい女ではありませんよ」と伯爵は言った。「私はあの女はどんなことでもしかねないと思っています。私が妻と別居したのも、理由はただ一つ、妻がラヴェルシの味方のひとりであるベンティヴォーリオ士爵を愛人にするとがんばったからなのです」
この貴婦人は真黒な髪をした背の高い男のような女で、朝っぱらからダイアモンドを身につけ、頬《ほお》じゅう紅を塗っているので目立ったが、最初から公爵夫人の敵として態度を鮮明にしており、彼女を迎えるなり戦端を開こうとした。サンセヴェリーナ公爵は**から書いて来た手紙では大使の地位に、そして何より大綬章をもらえるという見込みに大満悦だったので、彼の家族は公爵が財産の一部を自分の妻に遺しはしないかと心配していた。彼はこまごまとした贈り物をしょっちゅう妻に送っていたのだ。ラヴェルシはどこから見ても不器量だったくせに、宮廷第一の色男バルビ伯爵を愛人にしていた。何をたくらんでも彼女はだいたい成功していた。
公爵夫人は思いきり豪勢な暮らし方をした。サンセヴェリーナ邸は昔からずっとパルマの町で最も壮麗な邸宅の一つだったが、公爵は大使就任と大綬章の見込みがついた機会に大金を投じて邸宅を飾りたてた。公爵夫人はこの修繕の指図《さしず》をした。
伯爵の推測は正しかった。公爵夫人のお目見え後、日ならずして若いクレリア・コンティは宮廷に出て来た。彼女は司教会員にされたのだ。この寵遇によって伯爵の信望がそこなわれたと人々が思わないように、公爵夫人は自分の邸宅の新しい庭をご披露するという口実で宴会をもよおし、クレリアのことをコモ湖畔で会った若いお友だちと呼んで、優雅さに満ちたやりかたで彼女をこの夜会の女王にしたてあげた。彼女の名の頭文字の組合せ文字が偶然のように主立《おもだ》った透し衝立《ついたて》に書かれてあった。若いクレリアは少々物思わしげだつたが、彼女が湖畔でのあのちょっとした椿事《ちんじ》のことを語ったり心からの感謝を述べたりする様子は愛すべきものだった。彼女は非常に信心深く、また非常に孤独を愛すると言われていた。
「あの子には自分の父親のことを恥ずかしく思うだけの頭があるにちがいありません」と伯爵は言った。
公爵夫人はこの娘を友だちにした。この娘に対して好意をおぼえたのだ。彼女は嫉妬深い女と見られたくなかった。そして人々を集めて楽しむときには、かならずこの娘を仲間に加えた。とにかく彼女の計画は、伯爵に向けられるすべての反感をやわらげるよう努めることだったのだ。
すべてが公爵夫人には順調に行った。いつ嵐が起こるかもしれないこの宮廷生活を彼女は楽しんだ。あらたに生活がはじまったような気がした。文字どおり幸福に我を忘れている伯爵に彼女は心から愛情をおぼえていた。このような快適な状態のため彼女は、自分の野心の達成にしか関係のないことについては完全に冷静になることができた。それゆえ公爵夫人が来てから二か月もたたぬうちに伯爵は首相の印綬と栄誉を得たが、この栄誉は君主その人の持つものにきわめて近いものなのである。伯爵は主君の心をどのように動かすこともできた。その証拠が一つあるが、これはパルマのすべての人を驚かせたものである。
町の南東の十分ほどのところに、イタリアじゅうに名の聞こえたあの有名な城砦が立っている。ここの大きな塔は高さ五十メートルもあってごく遠くから見える。この塔は十六世紀初頭にパウロ三世の孫であるファルネーゼ兄弟がローマのハドリアヌス霊廟《れいびょう》にならって作ったものだが、まことに図体《ずうたい》が大きかったので、最上層の見晴らし台の上に城砦司令官の住む邸とファルネーゼ塔と呼ばれる新しい牢獄とを建てることができた。この牢獄は、継母と相愛の仲になったラヌッチヨ=エルネスト二世の長子のために建てられたものだが、この国では美しく一風変わった建物だとされている。
公爵夫人はこれが見たくてたまらなかった。彼女が参観に行った日はパルマの町はひどい暑さに襲われていたが、この高いところに上ると風が涼しかった。彼女は大喜びして何時間もそこにいた。職員は彼女のためにこころよくファルネーゼ塔の室房の戸をあけてくれたのだ。
公爵夫人は主塔の見晴らし台で気の毒な囚人の自由主義者に会った。囚人は三日に一度許される三十分の散歩を楽しみに来ていたのだ。パルマにもどると、絶対君主の宮廷では必要な慎重さをまだ身につけていなかった彼女は、自分の身の上を逐一彼女に語ったこの男のことを人に話した。ラヴェルシ侯爵夫人の党派は公爵夫人のこの淡話をさっそく利用しようとし、これが大公の感情を害するものと大いに当てこんでそこらじゅうに言いふらした。事実エルネスト四世は、人々の想像力に打撃を与えることが何より肝心だとしばしば言っていたのだ。
「|いつも《ヽヽヽ》〔終身〕というのはたいへんな言葉だ、イタリアではほかの国におけるよりも恐ろしい言葉だ」と大公は言っていた。
だから彼はこれまで一度も恩赦《おんしゃ》を与えたことがなかったのである。城砦参観の一週間後、公爵夫人は大公と大臣の署名はあるが囚人名のところは空白になっている減刑通知書を受け取った。彼女が名を書き入れてやれば、その囚人は没収された財産を返されアメリカへ行って余生を送ることを許されるというのだった。自分に話しかけた囚人の名を公爵夫人は書き入れた。あいにくこの男は腑甲斐《ふがい》のないろくでなしだった。この男の自白のおかげであの有名なフェランチ・パッラは死刑を宣せられたのであった。
この特例の恩赦はサンセヴェリーナ公爵夫人に与えられた地位をこのうえなく心地よいものとした。モスカ伯爵は幸福に有項天になっていた。これは彼の生涯の全盛期であり、ファブリツィオの運命にも決定的な影響を持った。ファブリツィオはあいかわらずノヴァーラの近くのロマニャーノにいて、命じられたように教会に懺悔《ざんげ》に行き、猟をし、何も読まず、ある貴族の女に言い寄っていた。公爵夫人はこの最後のことがどうしても必要だということには依然少々不服があった。伯爵にとってはどうでもいいことだったが、もう一つ気づいたことは、夫人は伯爵を相手にしてはだれのことを話してもきわめて率直であり、彼の前では思ったことをそのまま口に出すのに、ファブリツィオのことだけは言い方をちょっと考えてからでなければ何も言わないということだった。
「あなたがお望みなら」とある日伯爵は彼女に言った。「コモ湖畔にお住まいの兄上に私から手紙を書いてみましょう。そうして、これは私にとっても**にいる私の友人たちにとってもちとばかりつらいことですが、このデル・ドンゴ侯爵があなたのファブリツィオの恩赦を請願せざるを得ないようにしてみましょう。私はこれを疑おうとは思いませんが、ほんとうにファブリツィオがミラノの町で英国種の馬を乗りまわしている若者たちより少々ましな人間だったとすれば、十八にもなって何もせず、また将来何かできる見込みもないという生活はどんなつらいものでしょう! なんだっていい、魚釣一つにでも彼がほんとうの情熱を持っていたら、私はそれを尊重しますよ。しかしたとえ恩赦が得られたにしても、ミラノで何ができるでしょうか? ある時にはイギリスから取り寄せた馬に乗り、別の時には無聊《ぶりょう》をまぎらすために馬よりも愛していない愛人のところへ行く……。しかしあなたがそうしろとお命じになれば、甥御《おいご》さんがそうした生活を送れるように努めましょう」
「私はあれを将校にしたいのです」と公爵夫人は言った。
「いったん事あれば多少とも重大なものとなるかもしれない地位を、こういう若者に与えるように君主にすすめることがあなたにはできますか? 第一に熱狂するたちで、第二にワーテルローまでそのあとを追って行くほどのナポレオンヘの熱狂を示した若者を? ナポレオンがワーテルローで勝ったならばわれわれは皆どうなっていたか考えてごらんなさい! たしかに自由主義者を恐れる必要はなかったでしょう。しかし旧王家の君主たちは元帥たちの娘と結婚しなければ統治することはできないでしょう。だからファブリツィオにとって軍人になることは、ぐるぐるまわる籠のなかでのリスの生活と同じですよ。いくら動いても全然前に進みはしない。平民の粉骨砕身のほうが優遇されてくやしい思いをするだけでしょう。今日、というより、われわれの恐怖がなくならず宗教が再興しないかぎりはおそらく今後五十年にもわたって、若者の第一の美点は熱狂するたちでないことと才気を持たないことですな。
私はあることを考えたんだが、それを聞いたらあなたはまず大声で叫び出すでしょう。そして私は二、三日のあいだ非常な悲しみを味わわねばなるまい。私はあなたのために突っ拍子もないことを一つやろうと思っているのです。ですが、いいですか、あなたの笑顔を見るためなら私はどんな突っ拍子もないこともやってのけます」
「で、それは?」
「それはですね、このパルマの代々の大司教のなかにはあなたの家系のかたが三人いました。一六……年には著書のあるアスカニオ・デル・ドンゴ、一六九九年にはファブリツィオ、そして一七四〇年にはもうひとりのアスカニオと。ファブリツィオが聖職につきすぐれた徳をもって群を抜こうと思うなら、私は彼をどこかの司教に、それからこの地の大司教にしてあげますよ、ただし私の勢力がつづけばのことですがね。現実の困難は、数年を必要とするこのすばらしい計画を実現するに充分なだけ私が大臣でいられるかどうかということです。大公は死ぬかもしれないし、私を馘《くび》にするという悪趣味なまねをするかもしれない。しかし結局のところ、ファブリツィオをあなたにふさわしい人物に仕立てるため私の取れる方法はこれだけなのです」
議論は長くつづいた。この思いつきは公爵夫人にはどうしても気に入らなかった。
「ほかの職業はすべてファブリツィオには不可能だということをもう一度私に証明してください」と彼女は伯爵に言った。
伯爵は言った。
「あなたはきらびやかな軍服に未練があるのでしょう」と彼はつけくわえた。「しかしそいつは私にはどうにもしようがない」
公爵夫人は考えてみたいといって一か月の猶予《ゆうよ》を求めたが、その一か月がたつと彼女は大臣の賢明な考え方に溜息をつきながら従った。
「どこかの大都会でかたくるしい様子をして英国種の馬を乗りまわすか、それとも家柄にふさわしい職業につくかですよ。中間はないと思う」と伯爵はくりかえした。「不幸にして貴族は医者にも弁護士にもなることができないが、今は弁護士の天下ですからね。
とにかくこのことはおぼえておいていただきたいのですが、あなたは甥御《おいご》さんに、最も裕福だとされている彼の同年配の若者たちがしているような生活をミラノでさせてやるのですよ。恩赦が得られたら一万五千フランでも二万フランでも三万フランでもおやりになるんですな。かまいませんよ、あなただって私だって金をためる気はないんですから」
公爵大人は名誉には無関心でなかった。彼女はファブリツィオがただの遊蕩児《ゆうとうじ》となることは望まなかった。彼女は愛人の立てた計画にもどった。
「いいですか」と伯爵は言った。「私はファブリツィオをそこらにいくらでもいるような模範的な坊さんにしようというのではありません。いや、何よりも大貴族になってもらいたい。それがいいと思うのなら全然学問などなくてもいい。それでも、大公が私を役に立つとみなしているかぎり彼は司教になり大司教になれます」
「もしあなたがそうしろとおっしゃって、私のこの提案が動かすべからざる決定と変わったとすれば」と伯爵はつけくわえた。「われわれの引き立てる人間が貧相ななりをしているのをパルマの人々が見てはなりません。ただの坊さんだったところを見られてしまったら、そうした貧しさを後に人々は思い出して不快を感じるでしょう。紫色の靴下をはき〔イタリアでは有力な人の引き立てを受けたり学識があったりする若者はモンシニョーレかプレラート(これは司教のことではない)となる。そうなると紫色の靴下をはく〕充分なお供を連れてでなければパルマにあらわれてはいけない。そうすればだれもがあなたの甥《おい》は司教になるのだと察し、だれも不快を感じたりしないでしょう。
私を信じてくださるなら、ファブリツィオを神学の勉強のためにナポリにやって三年ほど過ごさせるのですな。高等神学校が休暇のときには、行きたければパリやロンドンを見物に行くのもいいでしょう。しかし決してパルマに姿をあらわしてはいけません」
この言葉は公爵夫人をいわば戦慄させた。
彼女は飛脚を甥に送り、ピアチェンツァで会おうと約束した。この飛脚があらゆる形の資金と必要なすべての旅券を持って行ったことは言うまでもあるまい。
先にピアチェンツァに着いたファブリツィオは公爵夫人を迎えに駈けて行き、夢中になって彼女に接吻した。その喜び方を見て夫人は涙にくれた。伯爵がそこにいないのが嬉しかった。伯爵と愛し合うようになって以来、彼女がこうした感情を味わったのはこれがはじめてだった。
ファブリツィオは公爵夫人が自分のためにたててくれた計画に深く感動したが、やがて悲しくなった。彼の希望は依然として、ワーテルローの一件を片づけたうえで最後には軍人になることだった。あることが公爵夫人の心を打ち、彼女が甥についていだいていた小説的な考えをますますあおった。イタリアの大都市の一つでカフェに入りびたって暮らすことを彼は断然拒否したのだ。
「フィレンツェなりナポリなりの遊歩場《コルソ》で純血種のイギリス馬を走らせているところを考えてごらんなさい! 夜は、馬車もあれば、美しい部屋などもあって……」
彼女はファブリツィオが軽蔑的にしりぞけるこのような俗悪な幸福を楽しげに描いて見せることをやめなかった。(この子は英雄なんだわ)と彼女は思った。
「で、十年間そういう愉快な暮らしをしたところで僕は何をしたことになるだろう?」とファブリツィオは言った。「僕はいったいなんだろう? これまたイギリス馬に乗って社交界に打って出る美少年に、出逢いしだい道を譲らねばならない|年を食った《ヽヽヽヽ》若者でしかない」
ファブリツィオは最初宗門にはいるという案を頭からはねつけた。ニューヨークに行ってアメリカ市民になり共和国軍人になるなどと言ったのだ。
「とんでもない心得違いだわ! もう戦争なんてないの。だからあなたはカフェ暮らしに舞いもどりよ。ただ優雅さも音楽も恋もないカフェ暮らしだけど」と公爵夫人は反駁《はんばく》した。「信じてちょうだい、アメリカ暮らしなんてあなたにとっても私にとってもみじめな生活よ」
彼女はドル神《ヽ》礼拝や、自分たちの一票をもってすべてを決定する町の職人どもを尊敬しなければならぬことを説明した。また話は宗門のことにもどった。
「癇癪《かんしゃく》をおこす前に伯爵があなたに要求していることをよく理解してちょうだい」と公爵夫人は言った。「ブラネス師のような多少なりと模範的で高徳な貧しい坊さんになれというのでは決してないのよ。あなたの親戚だったパルマの大司教たちがどうだったか思い出してごらんなさい。系図の付録にあるあの人たちの略伝を読み直してごらんなさい。何よりもあなたほどの名を持つ人間には、高貴で寛闊《かんかつ》で正義を守り、自分の階級の先頭に立つようにあらかじめ定められている大貴族になるのがふさわしいのよ……生涯に卑劣なことは一度だけしかしない、でもその卑劣なことは非常に有益だというような」
「それじゃあ僕のすべての夢も消え去った」とファブリツィオは深い溜息《ためいき》をついて言った。「むざんな犠牲だ! 正直なところ僕は、熱狂と才気がこんなに恐れられるものとは、夢にも思いませんでしたよ。この恐怖は今後も絶対君主たちのあいだに続くのでしょうね」
「何かの宣言一つ、気まぐれ一つで、熱狂的な人間はそれまでの生涯献身していた党の反対党に飛びこんでしまうというじゃないの」
「僕が熱狂的だって!」とファブリツィオは言い返した。「妙な非難だな! 僕は惚《ほ》れることさえできないのに!」
「なんですって!」と公爵夫人は叫んだ。
「おそれ多くも美人に、しかも家柄がよく信仰の厚い美女に言い寄っているときすら、現に会っているときしかその女のことを考えることができないんだ」
この告白は公爵夫人に異様な印象を与えた。
「ノヴァーラのC夫人に別れを告げ、それから、これはもっとむずかしいんだが、僕の生涯の夢想に別れを告げるため、一か月待ってもらいたいんだ。お母さんに手紙を書く。お母さんはやさしいから、マジョーレ湖のピエモンテ側の岸のベルジラーテまで僕に会いに来てくれるだろう。その日から三十一日目に|お忍び《インコグニト》でパルマに行くよ」
「それはやめて!」と公爵夫人は叫んだ。
ファブリツィオと話しているところをモスカ伯爵に見られたくなかったのだ。
ふたりはピアチェンツァでまた会った。このときは公爵夫人はひどく昂奮していた。宮廷に嵐が起こったのだ。ラヴェルシ侯爵夫人派がいよいよ勝ちそうだった。モスカ伯爵の後任にパルマで自由党《ヽヽヽ》と呼ばれているものの総裁であるファビオ・コンティ将軍が任命される可能性があった。大公の寵をだんだんと得て来はじめたこのライヴァルの名を除いて、公爵夫人は何もかもファブリツィオに話した。あらためて彼女は、伯爵の強力なうしろ楯が欠けた場合をも含めて、ファブリツィオの将来のいろいろな可能性を論じた。
「僕はナポリの高等神学校に行って三年過ごすよ」とファブリツィオは叫んだ。「しかし何よりもまず貴族の若様でなければならない、そして操正しい神学生の厳しい生活を僕に強要しないというんだから、そのナポリ滞在のことはいつこう僕は心配しない。ナポリの生活だってロマニャーノの生活と同じだろう。ロマニャーノの上流社会も僕のことをジャコバンだと思いはじめたからね。逃亡生活のあいだに僕は、自分が何も知らないことに気がついたんだ、ラテン語さえ、正書法《オルトグラフ》さえも。僕はノヴァーラで勉強をやりなおす計画をたてていたんだ。喜んでナポリで神学を勉強しよう。こいつは複雑な学問だ」
公爵夫人は大満悦だった。
「私たちが追放されたらナポリにあなたに会いに行くわ。でもさしあたって紫色の靴下の案を承認してくれたんだから、現代のイタリアのことをよく知っている伯爵はこういうことをあなたに伝えるようにと私に言ってくれました。教えられたことを信じる信じないは自由だが、|決して異論を唱えるな《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》、と。ウィストのルールを教わる場合を考えてごらんなさい。あなたはウィストのルールに異論を唱えて? あの子は信仰を持っていると伯爵に言ったら、伯爵は喜んでいた。それはこの世でもあの世でも役にたつことなのよ。けれど信仰を持っていたところで、ヴォルテールやディドロやレナルなど、両院制の先駆者となったあのフランスのおっちょこちょいたちのことを嫌悪をこめて話すような俗悪なまねをしてはいけません。こういった連中の名はめったに口にしないでほしいの。でもどうしても必要だとなったら、このお歴々のことは冷静な皮肉をこめて話すんです。この連中はもうとっくの昔に論破されてしまって、彼らの攻撃などは今はもうなんの効果もないものになっているんだから。学校で言われることはなんでも盲目的に信じるのよ。あなたのどんなつまらない異論も綿密に書き留めておくような人たちがいることを忘れないで。うまくやっておけばちょっとした色事ぐらいは許してくれるけれども、疑惑は許してくれませんよ。年を取れば色事などはしなくなるけれど、疑惑は深まるものだから。告解の場でもこの要領でやるのよ。ナポリ大司教を勤める枢機卿の補佐の司教あての紹介状を上げますからね。このかたにだけはフランスへ逃げたことも七月十八日にワーテルロー付近にいたことも告白しなければなりません。それにしても、なるべくはしょって、たいした冒険ではなかったようにするのよ。白状するのは、それを隠したと非難されないためだけのこと。あなたはまだあんなに若かったんだから。
もう一つ伯爵からあなたへの注意があるの。何かすばらしい理屈や、会話の方向を変えてしまうような相手に二の句をつがせぬ文句などを思いついたときは、決して才気をひけらかしたいという誘惑に流されず、沈黙を守りなさいということ。敏感な人たちはあなたの目のなかに才気を読み取るでしょう。司教になってから才気を持ってもおそくはないわ」
ファブリツィオは質素な馬車と叔母がよこしてくれたきっすいのミラノ人の四人の召使とともにナポリ生活をはじめた。一年間勉強した後だれも彼のことを才人だとは言わなかった。勤勉でまことに鷹揚《おうよう》な、けれど少々身持ちの悪い大貴族と彼は見られた。
この一年はファブリツィオにとってはかなりおもしろい年だったが、公爵夫人には恐ろしいものだった。伯爵が敗北のせとぎわにまで立ち至ったことが三度か四度あった。大公はこの年は病気だったのでこれまでにもまして臆病になっていたので、伯爵を解任することで伯爵の入閣前におこなわれた処刑のいとわしさを払拭《ふっしょく》できると考えていた。ラッシはだれよりも手もとにとどめておきたいお気に入りだった。伯爵の危険を見て公爵夫人は彼に熱情的な愛情をおぼえた。もうファブリツィオのことなど考えなかった。これは隠退する場合の口実となることだが、パルマの空気はロンバルディアのどの土地とも同じく少々温度が高く、彼女の健康には全然適さなかった。ときどき不興をこうむって総理大臣たる伯爵もときには二十日間もにわたって主君に目通りかなわぬことまであったが、結局モスカは勝った。彼は自称自由主義者のファビオ・コンティ将軍を、ラッシの裁きを受けた自由主義者たちを幽閉《ゆうへい》する城砦の長官に任命した。
「コンティが囚人に対して寛大な態度に出たら、政治思想のために将軍としての義務を忘れたジャコバンとして不興をこうむります」と伯爵は愛人に言った。「厳しい過酷な態度を取れば、そして私は彼はそちらのほうに傾くのじゃないかと思いますが、彼は自分の党の首領であることをやめ、家族のだれかを城砦に入れられているすべての家からうとんじられる。あの哀れな男は大公のそばに来ると鞠躬如《きっきゅうじょ》たる態度を取るすべを心得ています。必要とあれば日に四回も服を着替えます。礼式の問題について議論することもできます。しかしあれは決して、そこを歩んでのみ自分の身をまっとうすることのできる困難な道をたどることのできる頭の持主じゃありません。それに、いずれにしても私というものがいますからね」
ファビオ・コンティ将軍の任命によって内閣の危機は終わったが、そのあとで人々はパルマに極右君主主義的な新聞が創刊されるということを知った。
「その新聞のおかげで、どれほど論争が起こることでしょう!」と公爵夫人は言った。
「この新聞の計画は私の傑作かもしれませんがね」と伯爵は笑いながら答えた。「いずれ私は熱狂的極右派が私の意志に反してその運営を徐々に私の手から奪うのにまかせますよ。編集者にはいい給料を出すことにしておいた。ほうぼうからこの地位を求めてくるでしょう。この仕事で一月《ひとつき》か二月《ふたつき》やってゆける。そうすれば私が最近陥った危険も忘れられてしまうでしょう。PやDのような大物がすでに名乗りをあげているのです」
「けれど、そんな新聞はあまりでたらめで人を怒らせるわ」
「もとよりそれは予期しています。大公は毎朝これを読んで、発刊した私の趣旨には感嘆するでしょう。一々の点については賛成することもあろうし腹もたてることもありましょうがね。政務を見る時間のうちこれで二時間つぶれる。新聞はいろいろ物議をかもしましょうが、八か月か十か月たって真剣な苦情が出て来るころには、完全に熱狂的極右派のものとなっているでしょう。苦情に答えねばならぬのは私にはじゃまなこの党派の連中で、私のほうはこの新聞に反対を唱えればいいんだ。結局のところだれかひとりが絞首されることよりも百のとてつもないでたらめのほうが私にはましです。官報に出たでたらめを二年後にもおぼえているものがいますか? これに反して絞首された人間の息子や家族は私が生きているかぎり私を憎み、その憎しみのあまり私の命をちぢめるかもしれない」
いつも何かに熱中し、いつも活動していて決して無為に過ごすことのない公爵夫人は、パルマ宮廷を全部|束《たば》にした以上の才気を持っていた。しかし彼女は策謀に成功するための忍耐と非情さを欠いていた。にもかかわらず彼女はいろいろの派閥の利害を熱心に観察することができるようになっていたし、それどころか大公の個人的信任を得るようになり出した。現公妃クララ=パオリーナは栄誉に包まれてはいたが、およそこのうえなく古くさい礼式の虜《とりこ》になっていて、自分を世にも不幸な女と思っていた。サンセヴェリーナ公爵夫人は彼女のご機嫌を取り、彼女がそれほど不幸ではないことを証明して見せようとした。大公が晩餐のときにしか妻に会わないことは心得ておかねばならない。この食事は三十分ほどだが、ときに大公は何週間にもわたってクララ=パオリーナに言葉をかけないこともあった。サンセヴェリーナ夫人はこうしたことを変えようと試みた。彼女は大公を楽しませた。彼女はあくまで自主的に行動することをやめなかったから、なおさら大公は喜んだのだ。そうしまいと思っても彼女はこの宮廷にうようよしているばか者どもを全然傷つけずにすますことはできなかったろう。どれもこれも伯爵か侯爵でおおむね五千フランばかりの年収を得ている俗っぽい廷臣どもが彼女を目のかたきにしたのは、この徹底した無器用さのためだった。
彼女は最初からこの不利を悟って、君主と大公后に気に入られるようにひたすら努めた。公爵夫人は大公を楽しませることができ、彼が自分の一言一句に極度に注意を払っているのを利用して自分を憎んでいる廷臣どもをさんざん愚弄《ぐろう》した。ラッシが大公に愚行をおこなわせて以来、しかも血を流す愚行というものは取り返しのつかぬものだから、大公はときどき恐怖をおぼえ、またしばしば退屈していた。その結果彼はみじめな妬《ねた》みをいだくようになっていた。自分がほとんど楽しめないのを感じて、ほかのものが楽しんでいるらしいと思うと陰鬱《いんうつ》になった。幸福な様子を見ると腹がたってならなかった。
「私たちの愛を隠しておかなくちゃ」と公爵夫人は友に言った。そして大公には、伯爵はいかにもりっぱな人だけれども彼女はそれほど伯爵にのぼせているわけではないと推察するようにさせた。
この発見でその日一日殿下は幸福だった。ときどき彼女は、自分は全然イタリアを知らないから毎年数か月の休暇をもらってこの国を見てまわりたいというようなことを言葉のはしにもらした。ナポリ、フィレンツェ、ローマを見物したいというのだ。ところが、このような脱走めいたこと以上に大公を悲しませることはないのである。これこそ彼の最もいちじるしい弱みの一つで、自分の首府に対する軽蔑と見られるような行為は彼の心を抉《えぐ》るのだった。サンセヴェリーナ夫人を引き留める手だてが全然ないことを彼は感じた。しかもサンセヴェリーナ夫人はパルマにはその足許《あしもと》にも及ぶものがないほど才気|煥発《かんぱつ》の女性なのである。なまけもののイタリア人としてはまことに珍しいことだが、彼女の木曜会《ヽヽヽ》に出席するために人々は近郊に行っていてもわざわざ帰って来る。この会はほんとうの宴会だった。ほとんどいつも公爵夫人は何か新趣向の機智のあることを考え出していた。大公は一度その木曜会に出てみたくてたまらなかった。しかしそれにはどうしたらいいか? 普通の一個人の家に行く! そんなことは彼の父も彼自身も今まで一度もしなかったことなのだ!
ある木曜日、雨が降っていたが、宵のうちずっと大公にはサンセヴェリーナ夫人の家に行く馬車が宮殿前の広場の敷石をゆるがすのが聞こえた。彼はたまらなくなった。ほかのものたちは楽しんでいる、そして絶対君主であり大公でありだれよりも楽しむべきはずの自分が退屈を味わっている! 彼はベルを鳴らして幕僚《ばくりょう》を呼んだが、殿下の宮殿からサンセヴェリーナ邸へ通じる街路に信用のおけるものを十二人ばかり配置するには時間がかかった。一時間が大公には一世紀にも思え、何度となく匕首《あいくち》で刺される危険を冒して警備なしにやみくもに出て行こうという気持ちになったあげくのはて、ようやく彼はサンセヴェリーナ夫人のサロンに姿をあらわした。
雷がこのサロンに落ちても、これほどの驚きはひきおこさなかったろう。大公が進んで来るにつれてまたたく間に、あれほどにぎやかで陽気だったこのサロンの人々は黙として黙りこんだ。廷臣たちは狼狽しているように見えた。驚いたそぶりも見せなかったのは公爵夫人だけだった。ようやく人々が気を取り直してしゃべれるようになったとき、居合わせたすべての人々の頭を占領したのは、公爵夫人はこの来訪を予告されていたのか、それとも皆と同じように不意を討たれたのかという重大問題だった。
大公は楽しんだ。公爵夫人のいつも最初の衝動に従って動く性格と、旅に出たいというようなことをたくみにほのめかして彼女が手に入れた無限の力がこれでわかるだろう。
非常に愛想のいい言葉をかける大公を送り出すとき、ある奇妙な考えが彼女の頭に浮かんだ。彼女はそれをごく当たりまえのことのようにあっさりと大公に言うことにした。
「殿下が今私におっしゃってくださいましたようなありがたいお言葉を三度か四度でもお后さまに仰せくださいますならば、私のことをきれいだとおっしゃってくださるよりも私を喜ばすことは必定《ひつじょう》でございます。と申しますのは、殿下がただいま私に賜わりました優渥《ゆうあく》なご好意のしるしをお后さまが悪くお取りになってはと、そればかり私は懸念しておりますので」
大公は彼女をひたとみつめ、そっけなく答えた。
「私はどこでも好きなところへ行けると思うが」
公爵夫人は顔を赤らめた。
「私はただ」と彼女は即座に言った。「殿下によけいなお外出をさせたくありませんでしたので。木曜会はこれで最後といたします。私はボローニャかフィレンツェへ数日行ってまいります」
彼女がサロンヘもどったとき、皆は彼女が最高の寵を得たものと思っていたが、実は彼女は人々の記憶するかぎりパルマでなんぴともしなかったようなことをあえてして来たところだったのだ。彼女は伯爵に合図し、伯爵はウィストのテーブルを離れて彼女のあとについて小さなサロンにはいった。そこはあかりはついていたが人はいなかった。
「あなたのなさったことはずいぶん大胆なことだ」と彼は言った。「私ならそんなことをしろとは言わなかったでしょうがね。でも(と彼は笑いながらつけくわえた)本気で惚《ほ》れこんだ心のなかでは、幸福は恋心をつのらせるものです。ですからもしあなたが明朝出発なさるなら、私も明晩あなたのあとを追います。おろかにも背負いこんでしまった大蔵省の仕事でおくれるだけですから。四時間ほど有効に使えば金庫の引継ぎなどはできます。もどりましょう。そして遠慮会釈もなく思うぞんぶん大臣らしい阿呆なまねをしてみましょう。もしかするとこれが私たちがこの町でやる最後の芝居になるかもしれませんからね。挑戦されたと思えば男はどんなことだってやりかねません。これこそ範を垂れるというものですよ。この連中が帰っちまったら、今夜だけあなたを守る手だてを考えましょう。いちばんいいのはポー河のそばのサッカのあなたの家に即刻出発することかもしれない。あの家はオーストリア領から三十分しか離れていませんから」
公爵夫人の愛情と自尊心はこの一瞬大いに満足させられた。彼女は伯爵をみつめ、その目は涙にうるんだ。大公その人に対するのと同じほどの敬意を寄せる無数の廷臣にとりまかれたこれほどの権勢を持った大臣が、彼女のために、しかもこれほど平然としてすべてをなげうつというのだ!
サロンヘもどりながら彼女は喜びに気が狂いそうだった。だれもが彼女の前に平身低頭した。
「幸福のあまり公爵夫人はすっかり変わってしまった」と廷臣たちはそこらじゅうで言っていた。「今までの夫人とは思えないほどだ。とうとうあのローマ人的な、すべてを見下している人も、やはり君主から受けたとほうもない寵遇をありがたく思うようになったのだ!」
夜会の終わるころ伯爵が彼女のところへ来た。
「ニューズをお伝えしなければなりません」
公爵夫人のそばにいた人々はたちまちそこを離れた。
「大公は宮殿にお帰りになると」と伯爵はつづけた。「お后さまのところをおたずねになりました。どれほどの驚きだったかはお察しにまかせます。サンセヴェリーナの家で過ごしたほんとに楽しい夜のことをあなたに話そうと思って来た、と大公は后におっしゃった。あの古い煤《すす》だらけの邸宅をどんなふうに改造したかあなたに報告してくれと夫人に言われてね、と。そうして大公は坐りこんで、あなたの家のサロンの一つ一つの模様を話しはじめたんだそうです。
大公はお后さまのところで二十五分以上過ごされ、お后さまは嬉《うれ》し泣きされました。才気のあるかたなのにお后さまは、適当な言葉をはさんで殿下のお望みのような軽い調子で会話をつつけることができなかったそうですよ」
イタリアの自由主義者たちがなんと言おうとこの大公は決して悪い人間ではなかったのだ。彼はいかにもたくさんの自由主義者を獄《ごく》に投じはしたが、それは恐怖からだったのだ。そしてある種の思い出から心をまぎらすために、「悪魔に殺されるよりも悪魔を殺したほうがましだ」とときどき彼はくりかえしていた。今お話しした夜会の翌日彼はほんとに楽しかった。いいことを二つもしたからだった。木曜会に出かけたことと妻と話をしたこと。晩餐のときにも彼は妻に言葉をかけた。要するにサンセヴェリーナ夫人のこの木曜会《ヽヽヽ》は、パルマ全市に反響を呼ぶような一つの国内革命をひきおこしたのだ。ラヴェルシは仰天《ぎょうてん》し、公爵夫人は二重の喜びを得た。愛人のために役だつことができ、そして愛人がますます愛情をつのらせるのを見たのだ。
「ふと頭に浮かんだ不用意な思いつき一つでこんなことになるなんて!」と彼女は伯爵に言った。「ローマかナポリにいたほうが私はもっと自由でしょうけれども、こんなおもしろい賭けはできるかしら? いいえだめですわ、ほんとに。それに、あなたは私を幸福にしてくださるし」
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第七章
これにつづく四年間のことを語ろうとすれば、今まで話して来たようなつまらない宮廷の些事《さじ》で物語を埋めねばならない。毎年春になると、公爵夫人は娘たちを連れてサンセヴェリーナ邸かポー河畔のサッカの領地に二月《ふたつき》ほど過ごしに来た。ほんとに楽しい時間もあり、皆はファブリツィオのことを話し合った。しかし伯爵はファブリツィオがパルマに来ることは一度たりとも許そうとしなかった。公爵夫人と大臣は彼のつまらぬしくじりの尻《しり》ぬぐいをしてやらねばならぬことが何度かあったが、だいたいにおいてファブリツィオは与えられた方針をまずまず賢明に守っていた。神学を学んでいるが、高徳の振舞によって出世しようなどとは決してせぬ大貴族らしくやっていたのだ。
ナポリで彼は古代研究にひどく熱を入れ、発掘をおこなった。この道楽が馬道楽にほとんど取って代わっていた。ミゼーノ〔ナポリの西にあり、古代ローマ時代には軍港があった〕で発掘をつづけることができるように英国種の馬を売りはらってしまった。このミゼーノで彼は、古代の最も美しい遺物に数えられるティベリウス帝の若いころの胸像を発見していたのだ。この胸像の発見は彼がナポリで得た最も強烈な喜びと言えるものだった。彼の心はあまりにも高邁《こうまい》だったのでほかの若者たちのまねをすることができず、たとえばある程度の真剣さをもって恋人の役を演じようとすることなどはできなかった。いかにも彼は愛人に事欠かなかったが、この愛人たちなどは彼にとって全然問題とするに足りぬもので、この年になったのにまだ恋というものを知らないと言ってよかった。
それだけいっそう彼は女に愛された。いつでも彼はこれ以上とはなく冷静に振舞うことができた。彼にとっては若いきれいな女ならだれでも同じで、ただ後になって知った女のほうがより魅力的に思えるだけなのだ。ナポリでいちばんもてはやされていた女のひとりが、彼の滞在の最後の年に彼に熱を上げて突飛なまねをしでかした。最初彼はそれをおもしろがったが、しまいにどうにもやりきれなくなり、この魅力的なA……公爵夫人の深なさけから解放されることがナポリを去る喜びの一つとなったほどだった。
彼がすべての試験にまずまずの成績で合格し、彼の指導教師もしくは教育係というべき人は勲章と贈り物をもらい、彼自身しばしば思いを馳せたパルマの町へ出発したのは一八二一年のことである。彼はモンシニョーレであり、四頭立ての馬車に乗っていた。パルマの手前の駅で彼は馬を二頭にし、町にはいるとサン・ジョヴァンニ教会の前で馬車を止めさせた。そこには彼の三代前の大伯父で『ラテン系譜』を書いた大司教アスカニオ・デル・ドンゴの豪華な墓があった。彼は墓のそばで祈りをあげ、それから歩いて公爵夫人の邸に着いた。夫人は数日後でなければ彼は来ないと思っていた。彼女のサロンにはたくさん客が来ていたが、間もなく彼女はひとりになれた。
「どうです、僕のやったこと、あれでよかったかしら?」と彼は夫人の両腕のなかに飛びこみながら言った。「あなたのおかげで僕は、警察認可の恋人相手にノヴァーラで退屈するかわりにナポリでかなり幸福な四年間を過ごすことができた」
公爵夫人は驚いて茫然としていた。通りですれちがっても彼とはわからなかったろう。たしかにイタリア一の美男子のひとりだと思った。特に顔つきが魅力的だった。ナポリにやったときには向こう見ずの乱暴者らしい様子があった。そのころいつも持っていた乗馬鞭はまるで彼の体の一部のように見えたものだ。今では彼は他人の前ではきわめて高雅な節度ある様子をしているが、ふたりきりになると幼かったころの熱情が全然失われていないのを彼女は見た。磨かれたことによって何も失わないダイアモンドなのだ。
ファブリツィオが到着して一時間とたたないうちにモスカ伯爵が不意にあらわれた。すこし早く来すぎたのだ。青年は自分の教育係に与えられた勲章のことにまことに如才《じょさい》ない言葉で触れ、その他あまりあからさまには言えないいろいろの恩恵についてもまことに申し分のない節度をもって礼を言ったので、一目見ただけで大臣は彼について好意的な考えを持った。
「この甥御《おいご》さんは、あなたがどんな高い位につけてやっても恥ずかしくないだけの人物ですな」と彼は小声で公爵夫人に言った。
そこまでは万事上々だった。ところが、ファブリツィオに非常に満足し、それまでもっぱら彼のしたことにばかり気を取られていた大臣が公爵夫人のほうへ視線を向けたとき、奇妙な目つきを見た。(この青年はここでは異様な印象を与える)と彼は思った。この観察は苦いものだった。伯爵は五十台《ヽヽヽ》になっていた。これはまことに残酷な言葉なのだが、それの持つ響きを残りなく感じることができるのはおそらく夢中で恋をしている男だけだろう。大臣としての厳格さを除けば彼はたいへん親切で愛される資格は大いにあった。しかし彼にとっては、五十台というこの残酷な言葉は彼の全生活に暗影を投げかけ、自分自身に対してすら残酷な気持ちを持たせかねないものだったのだ。五年前に彼が公爵夫人にパルマに来る決心をさせてから、夫人はしばしば、特に最初のころは彼に嫉妬を味わわせていたが、しかし彼がほんとうに怒ってもいいようなことは一度もしたことがなかった。それどころか彼は、公爵夫人が宮廷の何人かの美青年を特別引き立ててやるようなまねをするのは彼の心をしっかりとつなぎとめようという魂胆からだとさえ思ったし、またそれは正しかった。たとえば彼女が大公の慇懃《いんぎん》な言葉をはねつけたことは彼にははっきりわかっていた。このとき大公は何か意味深長なことを言つたという。
「でも、殿下のそういうお言葉をお受けいたしましたら、どんな顔をして伯爵の前に出られましょう?」と公爵夫人は笑いながら言った。
「それは私もあなたとほとんど同じくらいきまりが悪いでしょう。伯爵は私の友人だ! しかしそんな不都合は私も予想しているし、それを避けることは容易です。伯爵を一生城砦にとじこめればいい」
ファブリツィオが到着したとき、公爵夫人は幸福に有頂天になっていて、伯爵が自分の目を見てどう考えるかなどということにはいっこう思い及ばなかったのだ。この印象は深く、癒《いや》しようがなかった。
ファブリツィオは到着して二時間後に大公に引見された。公爵夫人はこの不意の謁見が世間に好印象を与えるに相違ないと考えて、二月《ふたつき》も前からこれを願い出ていたのだ。この寵遇によってファブリツィオは最初から特別な人間とされてしまった。母に会いにピエモンテに行く途中パルマに寄ったからというのが口実だった。公爵夫人がしゃれた短い手紙でファブリツィオがお指図《さしず》を待っていると大公に告げたとき、殿下は退屈していた。(どうせ下司《げす》っぽい、でなければ狡猾な顔をした阿呆な小聖人だろう)と彼は思った。衛戌《えいじゅ》司令官からすでに大伯父の大司教の墓に彼がまず詣《もう》でたという報告が来ていたのだ。大公は背の高い青年がはいって来るのを見た。紫色の靴下をはいていなければ若い将校とでも思うところだった。
このちょっとした驚きが退屈を追っぱらってくれた。(なるほど、こいつか)と彼は思った。(こいつのために何か恩典をというわけか。来たな、昂奮しているにちがいない。ジャコバンの政治論でもしてやるか。まあ、なんと答えるかだ)
大公は最初愛想のいい言葉を言ってから、
「ところで、モンシニョーレ、ナポリの人民は幸福ですか? 王は愛されていますか?」とファブリツィオに訊いた。
「殿下」ファブリツィオは一瞬も躊躇せずに答えた。「街を通りながら私は国王陛下の各連隊の兵士たちがりっぱな様子をしているのに感服いたしました。上流社会は当然ながらその主君を敬っております。けれども、ありていに申しますと、下々《しもじも》のものが仕事以外のことを私に申すことには断じて我慢できませんでしたので」
(ちぇ、なんて食えないやつだ!)と大公は言った。(みごとにしつけられているな、いかにもあのサンセヴェリーナの考えそうなことだ)
調子づいた大公はあらゆる手管《てくだ》を弄《ろう》してこのきわめて微妙な問題についてファブリツィオにしゃべらせようとした。青年は危険に気がついて緊張して、うまい具合に申し分のない答えを思いついた。
「国王に対する愛をひけらかすことなどとはほとんど僭越《せんえつ》と申せましょう。国王には盲目的に服従しなければならないのです」
これほど用心深いのを見せられて大公はほとんど腹がたって来た。(大した才人がナポリからやって来たらしいぞ。私はこうした|手合い《ヽヽヽ》は好きでない。才人なんてものはいかに最上の主義を心底から奉じていてもあてにならない。かならずなんらかの面で、ヴォルテールやルソーと血がつながっているんだから)
大公は学校出たてのこの若者のかくも礼儀正しい態度とまったく非の打ちようのない答えを見てばかにされたように感じた。彼の予想していたことは全然起こらなかった。彼は掌《てのひら》をかえすように好人物らしい口調になって、あっという間に社会や政府の大原則のことに話をもどし、公式の謁見のとき言えるように少年時代から暗記させられたフェヌロンのいくつかの文句をこの場に応じて適当に修正しながらならべたてた。
「こうした原則に、若者よ、君は驚くだろう」と彼はファブリツィオに言った。(彼は最初にファブリツィオをモンシニョーレと呼び、別れるときにもモンシニョーレと呼ぶつもりだった。ところが話しているうちに、親しげな名で呼ぶほうが適切だし感動的な言いまわしにもふさわしいと思ったのだ)「こうした原則に、若者よ、君は驚くだろう。これが毎月私のところの官報にのっている絶対主義のお談義(大公はまさにこう言ったのだ)とはあまり似ていないことは私も認める……。いや、これはしたり! 何を君にむかって言おうとしたんだろう! こんな新聞記者どもは全然君の知らぬ連中だった」
「失礼でございますが、殿下、私はパルマの新聞を読んでよく書けていると思っているだけではなく、一七一五年のルイ十四世のご薨去《こうきょ》の後におこなわれたことはすべて罪でもあれば愚行でもあるというこの新聞と同意見でございます。人間にとって最大の関心事は魂の救済でございます。この問題についてはあれやこれやの見方はあり得ませんし、この幸福は永久につづくべきものであります。自由《ヽヽ》、正義《ヽヽ》、|最大多数の幸福《ヽヽヽヽヽヽヽ》などというのはけがらわしい犯罪的な言葉でしかありません。こうした言葉は人々の頭に議論と猜疑の習慣を植えつけますから。下院はこれらの連中が内閣《ヽヽ》と呼ぶものを|信用しません《ヽヽヽヽヽヽ》。いったんこの致命的な猜疑習慣がついてしまうと、弱い人間は何についてもこれを適用し、人間は聖書や教会の秩序や伝統などを疑うにいたります。こうなればもはや人間は救われません。このようなことは言うだけでも犯罪的な、おそろしくまちがったことでありますが、神の定められた君主の権威へのこの猜疑は、われわれすべてが期待し得る二十年か三十年の生涯に幸福をもたらすとしましても、永遠の責め苦にくらべれば五十年いや百年がなんでしょうか?」
ファブリツィオのしゃべり方を見れば彼が聞き手に最も理解しやすいように考えを整理しようと努めているのがわかり、教えられたことを暗誦しているのでないことはあきらかだった。
間もなく大公は、相手の純真でしかも荘重な態度に気押《けお》されてこの青年と論争する気などなくなってしまった。
「さようなら、モンシニョーレ」と彼は不意に言った。「ナポリの高等神学校ではすばらしい教育をしていることがわかった。そのような正しい教訓がこれほどすぐれた頭脳に注がれたら輝かしい成果が得られるのはまことに当然です。さようなら」
そして彼はファブリツィオに背を向けた。
(おれは全然こいつの気に入らなかったんだな)とファブリツィオは思った。
(あとはただ、あの美青年が何かに情熱を持つことができるかどうかが問題だ)と、ひとりになるとすぐ大公は言った。(もしそうなら申し分ないんだが……。叔母の教えたことをあれ以上手ぎわよくくりかえすことなどできるものじゃない。彼女《あれ》がしゃべっているのを聞いているような気が私にはした。私の国で革命が起こったら「ル・モニトゥール」〔共和派の発刊した新聞〕の編集をするのはあれだろう、かつてナポリでサン・フェリーチェがしたように! しかしサン・フェリーチェは二十五歳の若さで美人だったにかかわらず首をくくられてしまった! 才気のありすぎる女への警告だ)
ファブリツィオを叔母の弟子と思ったのは大公のまちがいだった。玉座で、もしくはそのかたわらで生まれた才人は間もなく微妙な判断力を失ってしまうものだ。彼らは自分の周囲から自由な会話を追放してしまう。無礼だと思うからだ。仮面しか見ようとせず、それでいて顔色の美しさがわかるなどと言っている。おもしろいのは彼ら自身判断力が大いにあると思っていることだ。たとえばこの場合ファブリツィオは、今われわれが彼の口から聞いたようなことをほとんど全部信じていたのである。ただし、このような大原則のことを考えるのは月に二度もなかったことも事実だが。彼は鋭敏な趣味を持ち、才気もあったが、信仰も持っていたのだ。
自由への嗜好《しこう》、|最大多数の幸福《ヽヽヽヽヽヽヽ》の流行と崇拝、十九世紀はこうしたものに熱を上げているが、これらは彼の目には異端としか映らなかった。他のさまざまの異端と同じくこれも消えて行くものではあるが、一つの土地に猖獗《しょうけつ》してたくさんの屍体を残して行く悪疫《あくえき》のように多くの魂を殺してから消えて行くのである。しかも、それでいながらファブリツィオは大喜びでフランスの新聞を読み、のみならずフランスの新聞を手に入れるためには無鉄砲なことさえした。
ファブリツィオが宮殿の謁見からむしゃくしゃした気持ちで帰り、大公のいろいろの攻撃ぶりを叔母に話すと、
「今すぐあのりっぱな大司教ランドリアーニ神父のところへ行かなくちゃだめよ」と叔母は言った。「歩いて行って、そっと階段を昇り、控えの間では物音をたてないように。待たされるようだったらまことに結構、大結構よ! 要するに使徒風《ヽヽヽ》にやるのよ」
「わかった。その人物は偽善者《タルチュフ》なんだね」
「とんでもない、徳そのものよ」
「パランツァ伯爵の処刑のときにあんなことをしたのに?」とファブリツィオは驚いて言った。
「そうよ、あんなことをしても。あの大司教さんは大蔵省の事務官、つまり小市民だったの。それで何もかもわかるでしょう。ランドリアーニ猊下《げいか》は鋭敏で広く深い才智を持った人で、誠実で、徳を愛しています。もしデキウス帝〔キリスト教徒を弾圧してローマ国教の復活をくわだてた皇帝〕が再来したら、先週上演されたオペラ座のポリュークトのようにあのかたは殉教《じゅんきょう》なさったろうと私は信じているわ。これがメダルのいいほうの面よ。裏面はこうなの。君主、いや単に首相の前に出ただけでも、あまりの権勢に目がくらみ、おろおろし、顔が赤くなる。いやと言うことが肉体的に不可能なのよ。だからあんなことをし、イタリアじゅうであんなにひどい評判をたてられてしまったの。しかしこれは人に知られていないけれども、パランツァ伯爵の裁判の真相を世論によって知ったとき、Davide Palanzaというこの姓名の綴り字の数だけ、つまり十三週間にわたってパンと水だけで暮らすという苦行を自分に課したんです。この宮廷にはラッシといって、大法官あるいは検察長官をやっているたいへん頭のいい悪党がいるけれども、この男がパランツァ伯爵が死んだときランドリアーニ神父をたぶらかしてしまったの。この十三週間の苦行をしていたとき、モスカ伯爵は同情もし、また少々からかう気持ちもあって、週に一度どころか二度も神父を招待したものだわ。人のいい大司教は伯爵のご機嫌をそこねまいとしてみんなと一緒に食事をする。君主の裁可した措置のために苦行をするなんてことは叛逆とジャコバン主義だと考えたのでしょう。しかし晩餐に出て忠実な臣下として皆と同じように食事しなければならなかったたびごとに、二日間パンと水だけの苦行をつけくわえたことはみんなが知っているのよ。
すぐれた精神を持った一流の学者であるランドリアーニ猊下の弱みは一つだけ、|人に愛されたい《ヽヽヽヽヽヽヽ》ということなの。だからあの人に目をやるときには感動を見せ、三度目の訪問のときには心からあの人を愛するようになさい。そうすれば、あなたの家柄のこともあるから、たちまちあなたはかわいがられるようになるわ。階段まで送って来ても驚いたような顔をせず、そんなことをされるのには慣れているような様子をしなさい。生まれつき貴族階級の前にひざまずくようにできてる人だから。それから、飾りけなく、使徒のような顔をして、才智や派手なところや当意即妙の受け答えなどは見せないでね。あなたがあの人をおびえさせなければ、あの人はあなたを相手にするのが楽しくなるでしょう。あの人が自発的にあなたを副司教にするようにしなければならないことを忘れないで。伯爵と私はあまりにも早いこの昇進に驚き、それどころか腹をたてるというわけよ。大公の手前これはどうしても必要なの」
ファブリツィオは大司教邸に駈けつけた。奇妙な幸運だが、この善良な高僧の侍僕はちょっと耳が遠くて、デル・ドンゴという名が聞こえなかった。ファブリツィオという名の若い聖職者が来たと彼は取り次いだ。大司教のところにはあまり品行のよくない司祭が来ていた。叱《しか》るために呼びつけたのだ。ちょうど叱責《しっせき》を加えているところだったが、これは彼にとってまことにつらいことで、こんないやなことをいつまでも心にかけていたくなかったのだ。それで彼はあの偉大な大司教アスカニオ・デル・ドンゴの流れを引くものを四十五分も待たせた。
例の司祭を二番目の控えの間まで送り出した帰りに、待っている男に|どんなご用事ですか《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》と訊いて、紫色の靴下を見、ファブリツィオ・デル・ドンゴという名を聞いたとき、彼がどんなに詫《わ》びを言いどんなに絶望したかをどう描いたものか。これがわれらの主人公にはまことに愉快に思えたので、もうこの最初の訪問のときから彼は親愛の情に駆られて徳高い僧正の手に思いきって接吻してしまったほどだ。
「ドンゴ家のおかたを控えの間でお待たせするなどとは!」と大司教が絶望的にくりかえすのを彼は聞かねばならなかった。
大司教は言いわけとして、例の司祭の逸話《いつわ》、その非行や弁解などを彼に話さねばならないと思った。
サンセヴェリーナ邸へ帰りながらファブリツィオは思った。
(気の毒なパランツァ伯爵の刑を急がせたのはあの男だなどということがあり得るだろうか?)
モスカ伯爵は彼が公爵夫人の家に帰って来たのを見て笑いながら言った。
「閣下は何を考えておいでです?」(伯爵自身はファブリツィオから閣下と呼ばれるのを好まなかった)
「びっくりしているんです。僕には人間の性格なんて全然わかりません。あの人の名を知らなかったら、この男は雛鶏《ひなどり》が血を流すのも見ていられないと賭けたでしょう」
「その賭けはあなたの勝ちですよ。しかし大公の前に出ると、いや、私の前ですらも、あの人はいやと言うことはできないのだ。ただし実を言えば、私が完全に威力を発揮するためには正装の上に黄色大綬章をつけていなければなりませんがね。私が燕尾服を着ていたら私にさからうでしょうから、私は彼を迎えるときにはいつも正装をするのです。権力の威光をぶちこわすのはわれわれのやるべきことではない、フランスの新聞がどんどん破壊してくれますからね。尊敬癖《ヽヽヽ》はせいぜい私たちの生きているあいだぐらいしかつづきませんな。甥御《おいご》殿、あなたは尊敬がなくなった時代にも生きているだろう。だからあなたはやさしい人間になれますよ」
ファブリツィオは伯爵とつきあうのが非常に好きだった。自分よりすぐれた人間で、芝居気なしに彼と話してくれるのはこの人がはじめてだった。それに彼らは同じ趣味を持っていた。古代と発掘の趣味だ。伯爵は伯爵で、この青年が自分の話に非常に注意深く耳を顔けてくれるのを嬉しく思った。ファブリツィオはサンセヴェリーナ邸の一画に住み、公爵夫人とともに生活し、この親密さを幸福に思っていることを平気で見せつけていたし、彼は美しい目とだれも太刀《たち》打ちできないほどのいきいきとした顔色を持っていた。
つれない女などにめったにぶつかることのないラヌッチヨ・エルネスト四世は久しい以前から、かねて操正しいことが宮廷でひろく知られている公爵夫人が自分だけを例外にしてくれないことに腹を据《す》えかねていた。すでに見たようにファブリツィオの才智と沈着さは最初の日から大公の感情を害していた。叔母とファブリツィオが不用意に示し合っている極度の親しさを大公は悪く取った。廷臣たちのうわさ話に彼はきわめて熱心に耳を傾けた。が、こうしたうわさ話は限りがなかった。この青年の到着と彼の得たまことに異例な拝謁《はいえつ》は一月《ひとつき》にわたって宮廷でうわさされ驚かれていた。そこで大公はあることを思いついた。
近衛兵のなかにすばらしく酒に強い兵卒がいた。この男は毎日居酒屋で暮らし、軍隊の風潮を直接大公に報告していた。このカルローネは無学だった。でなければもうずっと前に昇進していたろう。ところで、毎日大時計が正午を打つとき、宮殿の前に来るようにという指令を彼は受けていた。大公は正午すこし前に、着替えをする小部屋につづく中二階の鎧戸《よろいど》を自分でしかるべく細工しに行った。正午が鳴ってからすこしたってこの中二階へ行くと兵隊が来ている。大公は一枚の紙と文具箱をポケットに入れており、次のような手紙を兵隊に筆記させた。
閣下はいかにも才気がおありになり、この国がこれほどりっぱに統治されているのは閣下の深甚な洞察力のおかげでございます。けれども、伯爵、これほど大きな成功には多少の羨望《せんぼう》がともなわずにはすみません。ある美青年が、たぶん本意ではありますまいが、まことに奇妙な愛情の対象となるという果報を得ていることをその洞察力をもってお見抜きにならなかったならば、少々世間の笑い草とされるのではないかと私はたいへん心配しております。この果報者はまだ二十三歳だそうでございますが、まことに困ったことは、あなたも私もその二倍以上も年を取っていることでございます。夜ちょっと離れて見ますと伯爵は魅力的で溌刺《はつらつ》としていて才人でこれ以上とはなく愛すべきかたでいらっしゃる。でも朝になって近くで見れば、いろいろの点であの新来のかたのほうがたくさん魅力を持っているかもしれません。それにしても私たち女というものは、青春のこのみずみずしさを喜ぶものでございます。とりわけ三十歳を過ぎてしまいますと。すでにあの愛すべき若者をなんらかの高い地位を与えてこの宮廷につなぎとめようという話もあるではございませんか。そしてその話をいちばんよく閣下にするかたはいったいどなたでしょうか?
大公は手紙を受け取り、エキュ金貨を二枚兵士に与えた。
「これは給料とは別だ」と彼は陰鬱《いんうつ》な顔で言った。「だれにも決して話すでないぞ。話せば城砦のいちばんじめじめした穴倉だぞ」
大公はたいていの廷臣の家名を書いた封筒を一揃い書物机のなかに入れていた。大公は必要な封筒を選びだした。
数時間後モスカ伯爵は郵便で手紙を受け取った。とどけられる時刻が計算してあって、手紙を持って首相邸にはいって行った配達人が出て行ったとたん、モスカ伯爵は殿下のもとへ呼ばれた。この寵臣《ちょうしん》がこれ以上暗い悲しみに閉ざされているように見えたことはかってなかった。心行くまでそれを楽しむために大公は彼を見るなりこう叫んだ。
「私は友だちととりとめのないおしゃべりをしてくつろぎたいので、大臣と仕事をしたいわけではない。今夜は猛烈に頭が痛いし、そのうえ暗い考えにつきまとわれてならない」
やんごとないご主君のもとから退出を許されたとき総理大臣モスカ・デッラ・ロヴェーレ伯爵がどれほど不機嫌だったかは言うに及ぶまい。ラヌッチヨ・エルネスト四世は人の心をさいなむことにかけてはまことにみごとなもので、獲物をもてあそぶことの好きな虎に比してもあまり不当とは言えないだろう。
伯爵は自分の家へ馬車を飛ばさせた。だれも通すなと足も止めずに叫び、当直の事務官に引き取っていいと伝えさせ(つまり声のとどく範囲にだれかがいるということがたまらなかったのだ)、大画廊に行ってとじこもった。そこでようやく彼は憤怒に身をまかせることができた。そこで彼は正気を失った人間のように、あかりもつけずに歩きまわって夜の時間を過ごした。どんな手を打つべきかという問題に全心を集中するために彼は感情を沈黙させようとした。最も残酷な敵にも憐れみをもよおさせるほどの苦悶に陥って彼はつぶやいた。(おれの大きらいなやつが公爵夫人のところに住み、しょっちゅう彼女と一緒にいる。夫人の女中のだれかにしゃべらせるようにしてみるか? いや、そいつはいちばん危険だ。あの人はほんとにやさしい。みんなに愛されている! 女中の給料もいい! ああ、あの人を愛さないものがいるだろうか! 問題は、心をさいなむこの嫉妬を悟らせるか、それとも全然そんなことは口にしないかということだ。こちらが黙っていればだれもおれに対して隠し事をしないだろう。おれはジーナという人をよく知っている。あれはいつも最初の衝動に駆られて動く女だ。自分のすることが自分自身にもわからないのだ。あらかじめ役割をきめておこうとすると|とち《ヽヽ》ってしまう。何かするときになっていつも新しい考えが頭に浮かび、それがいちばんいいものと思って有頂天になってそれを実行して何もかもめちゃくちゃにしてしまうのだ。
こちらの苦しみを一言もいわなければ、向こうもおれに対して隠し事をせず、何が起ころうとおれはわかる……。
そうだ。しかし話してしまえば状況が変わることになる。反省させることになる。ほっておけばいろいろとひどいことが起こるかもしれないが、その多くを予防することになる……。もしかすると彼を遠ざけられるかもしれない、そうなればおれは勝ったも同然だ。それにしても当座は少々ご機嫌ななめだろうが、おれがなだめてやる……それに、そういう不機嫌だってまことに当然しごくだろう……十五年も自分の息子のように愛しているのだから。|息子のように《ヽヽヽヽヽヽ》……ここにおれの希望のすべてがかかっている……が、家出してワーテルローに馳せ参じて以来あの人は彼に会っていなかった。ナポリから帰って来た彼は、特にあの人にとっては、まったくの別人なのだ。別人、しかもその人間は魅力的だと来ている。何よりああいう素朴で愛情深い顔をしているし、あのにこやかな目と来たらどれほど幸運を約束しているかわからない! そしてあんな目を公爵夫人はこの宮廷では見慣れてるはずがない!……ここで見られるのは陰気な、もしくは冷笑的な目ばかりだ。おれ自身にしてからが、仕事に追いまわされ、できればおれを笑いものにしたがっている男に対して影響力を持っていることだけで支配しているにすぎないんだから、ときどきどんな目つきをしているかわかりゃしない。ああ、どれほど注意していたところで、いつも目つきにおれの年があらわれているに相違ない! おれの陽気さはいつも皮肉と隣り合わせではないだろうか? ……いや、さらに言おう、ここでは、正直でなければならないんだから。おれの陽気さは紙一重のところで絶対権力を……陰険さをちらつかせているのではないか? ときどき、特にいらいらしているときには、おれはなんでも好きなことができるんだと自分に言い聞かせはしないか? それのみか、こんなばかなことまでつけくわえるじゃないか。おれはほかのものよりも幸福であるはずだ、ほかの連中の持たないもの、つまり四分の三ぐらいの主権を持っているのだから、と。さあ、厳正に考えよう、こうした考えになずんでいることはおれの笑顔を醜くし……おれに利己的な……うぬぼれた態度を与えているはずだ……。ところがあの男の笑顔はなんと魅力的だろう! あの男は青春ののびやかな幸福を発散しているし、そういう幸福を人の心にいだかせるのだ)
伯爵にとってあいにくなことに、この夜は嵐もよいのむしむしと暑い天候だった。要するに、この国ではとほうもない決断を下させるような天候だったのだ。三時間にもわたって情熱に狂うこの男を責めさいなんださまざまの推論、自分の身に起こったことについてのさまざまの考え方のすべてをどのように述べたらいいか? 結局慎重策が勝ったが、それはもっぱら次のような思慮の結果だった。
(きっとおれは狂っているんだろう。理屈をたどっているつもりで筋道を通していない。なるべく苦しくない立場を見つけようとしてどうどうめぐりして、何か決定的な理由があっても、それに気づかずに素通りしている。極度の苦しみに目がくらんでいる以上、慎重という、すべての賢明な人間が認めている規則に従おう。
それに、嫉妬という致命的な言葉をいったん発してしまったら、おれの役割はもう永久にきまってしまう。その反対に、今日何も言わなければ明日話すこともできるし、自分がすべてを決定することができるんだ)
この危機はあまりにも深刻で、もしこれがもっとつづいたら伯爵は狂ってしまったろう。しばらくのあいだ苦しみがやわらぐと、彼の注意は匿名《とくめい》の手紙に向けられた。いったいだれからこれは来たのだろう? そこで彼はいろいろの人の名まえを挙げてみて、そのひとりひとりについて検討したが、これが気分転換になった。最後に伯爵は、謁見の終わりのころ大公が次のように言い出したとき、大公の目からほとばしった皮肉っぽい光を思い出した。
「そうだよ、これは認めようじゃないか、完全に遂げられた野心、いや、無際限の権力の与える快楽やそれを維持するための心づかいといえども、やさしい愛情の関係が味わわせてくれるしみじみとした幸福にくらべれば無にひとしいのだ。私は大公である前に人間だ。そして私がさいわい恋をすることができた場合には、私の愛人は大公ではなく人間に心を寄せるのだ」
伯爵は人をいじめて喜ぶこの一時《いっとき》の大公の幸福の様子を、例の手紙の次のような文句とつきあわせてみた。『この国がこれほどりっぱに統治されているのは閣下の深甚な洞察力のおかげでございます』
(この文句は大公のものだぞ)と彼は叫んだ。(だれか廷臣が書いたものとすれば不用心そのものだ。手紙は殿下から来たんだ)
この問題が解決され、見破ってやったというささやかな喜びをおぼえたのもつかの間、ふたたびファブリツィオの魅力的な優雅さが無情にも目の前に浮かんで来た。いわば巨大な重石《おもし》がこの不幸な男の心の上にふたたびのしかかって来たようなものだった。
(匿名の手紙がだれのものだろうと問題じゃない!)と彼は憤然として叫んだ。(この手紙が教えている事実は動かせないじゃないか。この出来心はおれの生活を一変させてしまうかもしれないのだ)彼は、自分がこれほど取り乱していることの言い訳でもするかのように言った。(もし彼女が本気であの男を愛しているなら、機会がありしだいベルジラーテかスイスかどこかへあの男と一緒に行ってしまう。彼女は金持だ。それにまた、一年に数ルイだけで生活しなければならないにしても彼女には問題でないだろう。つい一週間前にも彼女は、あれほど整えられた豪華な邸宅も自分には退屈だとおれに打ち明けはしなかったか? あのように若々しい心には新鮮さが必要なのだ! しかもこの新しい至福はなんと簡単にあらわれたことか! 危険を考え、おれのことをあわれむ心も起きないうちに彼女は曳《ひ》きずられて行ってしまうだろう! しかもおれはこんなに不幸なのに!)と伯爵は涙にくれながら叫んだ。
この夜は公爵夫人のところに行くまいと心に誓っていたが、その誓いを守ることができなかった。彼の目が夫人をながめたいというこれほどの渇望《かつぼう》を感じたことはかつてなかった。夜の十二時ごろ彼は夫人の家にあらわれた。彼女は甥とふたりだけでいた。十時に客をみな返し、門を閉じさせたのだ。
このふたりのあいだにある温かい親密さと公爵夫人の無邪気な喜びを見ると、伯爵の眼前に恐ろしい困難が立ちはだかった、しかもまったく思いがけなく! 画廊での長い思案のあいだ彼はこのことは考えておかなかったのだ、自分の嫉妬をどのようにしてかくすかということを!
どんな口実をもうけたらいいかわからなかったので、彼はこの夜は大公が自分に対してひどく反感を持っており、自分の言うことにことごとに反対したなどと述べたてた。公爵夫人がろくろく彼の言葉に耳をかさず、前々日までだったならばそれだけで果てしもない議論をはじめたようなこうした事態にいっこう注意を払わないのを見て彼は悲しかった。伯爵はファブリツィオへ目をやった。ロンバルディア人らしいこの美貌がこれほど純真にこれほど高貴に見えたことはかつてなかった! ファブリツィオは彼の語る心配ごとに公爵夫人よりも注意を払っていた。
(まったく)と伯爵は思った。(この顔には極度の善良さに加えて、こたえられないような素朴で温かいある喜びの表情がある。まるでこう言っているようだ、この世で重要なものは愛と愛によって得る幸福のみだ、と。それでいて何か頭脳が必要なことに話が及ぶと、彼の目はいきいきして来て人を驚かし、相手は唖然《あぜん》としてしまうのだ。
すべてを上から見おろしているから、すべてはこの男の目には単純なのだ。なんということだ、このような敵とどのように闘ったらいいのか? それに、結局のところジーナの愛のない生活などなんだろう? この若々しい、しかも女の目からすればくらべもののないように見えるにちがいない才気の発露に、彼女はなんと陶然と耳を傾けているように見えることか!)
ある兇悪な考えが痙攣《けいれん》のように伯爵をとらえた。
(今彼女の前でこの男を刺し殺し、そのあとで自殺しようか?)
彼はようやくの思いで身を支え、痙攣的に短刀の柄《つか》を握りしめながら部屋のなかを一めぐりした。彼が何をしようとふたりのうちどちらも全然注意を払わなかった。侍僕にちょっと用事をいいつけて来ると彼は言ったが、ふたりの耳にさえはいらない。公爵夫人はファブリツィオが言った何かの言葉に対してやさしく笑った。伯爵は手前のサロンのランプのそばに行って、自分の短刀の切先《きっさき》が研《と》ぎすまされているかどうかと調べた。(あの青年に対しては愛想よくし、申し分のない態度を取らねばならない)と、引き返して彼らのほうへ近づきながら彼は思った。
頭がどうかして来たのだ。自分の目の前でふたりが身を乗り出し合って接吻しているように思えた。(おれの前でそんなことはあり得ない。おれは正気を失ったんだ)と彼は思った。(心をしずめねばならない。おれが乱暴な態度を取ったら、公爵夫人は自惚《うぬぼれ》を傷つけられたというだけのことで彼と一緒にベルジラーテに行ってしまうかもしれない。そしてベルジラーテで、あるいは旅の途中で、ふたりがたがいに感じているものにはっきりとした名を与えるような言葉が偶然発せられるかもしれない。そうなったらたちまち行くべきところへ行ってしまう。
孤独はこの言葉を決定的なものにするだろう。それにまた、公爵夫人がおれから離れてしまったらどうなるだろう? そして大公のほうから出されるいろいろの困難を克服しておれがこの屈託した老いぼれ面をベルジラーテに持って行ったとしたら、幸福に酔いしれているあのふたりのあいだでおれはどんな役割を演ずることになる?
今ここでだっておれはterzo incomodo〔邪魔な第三者〕以外のなんだろうか? この美しいイタリア語はまったく恋愛に打ってつけなのだ、テルツォ・インコーモド! このいやらしい役割を演じているのを知りながら、立ち上がって出て行く決意をなし得ないことは才気のある人間にとってなんという苦痛だろうか!)
伯爵はもうすこしで爆発するか、すくなくとも顔をひきつらせて苦痛をおもてにあらわしてしまうところだった。サロンのなかをぐるぐるまわりながらたまたまドアのそばにいたので、人のよさそうな親しげな口調で、
「さようなら、おふたりさん」と叫んで彼は逃げ出した。
(流血は避けねばならん)と彼は自分に言った。
この恐ろしい夕べの翌日、ファブリツィオの有利な点を数え上げたり堪えられぬ嫉妬心にむごたらしくさいなまれたりしながら一夜を過ごした後、伯爵は自分のところのある若い侍僕を呼びよせることを思いついた。この男は公爵夫人の侍女のひとりでお気に入りであるチェキーナという娘に言い寄っている。さいわいこの若い使用人はたいへん操行が正しく、吝嗇《りんしょく》でさえあって、パルマの何かの公共機関の門番になりたがっていた。伯爵はこの男に、その愛人のチェキーナを即刻連れて来るように命じた。男は言いつけに従った。そして一時間後、その娘がいいなずけと一緒にいる部屋に伯爵はだしぬけに姿をあらわした。たくさんの金をやってふたりの度胆《どぎも》を抜き、それから伯爵はぶるぶる震《ふる》えているチェキーナを正面からみつめながら言葉すくなに訊いた。
「公爵夫人はモンシニョーレと恋をしていらっしゃるか?」
娘はしばらく沈黙した後に決意して言った。「いいえ。|まだ《ヽヽ》でございます。でもよく奥さまの手に接吻なさいます、いかにも笑いながらではございますが、夢中になって」
この証言は、伯爵のいきりたった数々の質問に対する答えによって補足された。伯爵の不安にもだえる情熱は、投げ与えた金額にふさわしいだけのものを気の毒なふたりにしゃべらせてしまった。とうとう彼は言われたことを信じるようになり、前ほど不幸でなくなった。
「公爵夫人がこの話合いのことに気づかれたら」と彼はチェキーナに言った。「おまえさんのいいなずけを二十年間城砦にぶちこむよ。白髪《しらが》にならなければ会えないぞ」
それから数日たったが、そのあいだに今度はファブリツィオのほうがすっかり快活を失った。
「モスカ伯爵は僕に反感を持っている、僕は断言するよ」と彼は公爵夫人に言った。
「そうすれば困るのは閣下のほうよ」と、ちょっと不機嫌そうに彼女は答えた。
ファブリツィオの快活さを失わせたほんとうの不安の種はそれではなかった。(たまたまおれはこんな立場に置かれたが、この立場は守れるものじゃない)と彼は思った。(もちろん彼女は決して口には出すまい。近親相姦を厭うのと同じようにあまりにも意味深長な言葉などには彼女は怖気《おぞけ》をふるうだろう。しかし、いつか思慮分別を失った狂ったような一日を過ごしたあとで夜になって自分の心をかえりみ、彼女が僕に対していだきはじめたらしい愛情を僕が見抜いたかもしれぬと思ったら、彼女の目には僕がどんな役割を演じているように映るだろうか? まさにcasto Giuseppeの役だ。〔これはイタリアのことわざで、宦官プティファルの妻に対するヨセフの滑稽な役割を諷している〕
いさぎよく打ち明けて、僕には真剣な恋などできないと理解させようか? しかし僕はあまり頭脳|明晰《めいせき》でないから、このことを僕が言えばどうしたってまったく傲慢《ごうまん》なことと見られてしまう。そうなると、ナポリに残して来たすばらしい情事とでもいったことを持ち出すほかには手はない。となれば、まる一昼夜ナポリに帰らねばならない。このやりかたは賢明だが、ちょっと面倒だな! パルマの庶民を相手の色事という手もある。ただこれは人々を不快にするかもしれない。しかしどんなことでも、目をおおって知らん顔をしている男のいやらしい役割よりもましだ。いかにも、このあとのほうの手段は僕の前途を傷つけるかもしれない。充分慎重にやり、金をやって秘密を守らせて、危険を減らさねばなるまい)
こうした考えにふけりながら彼にとって堪えられなかったのは、彼が実は公爵夫人をこの世のだれにもまして愛していたということだった。(これほど真実なことを彼女に納得させることができないのではないかとこうまで心配するのは、よっぽど無器用な人間でなくちゃならない)と彼は腹だたしげに思った。この難局を切り抜ける手腕がなかったので、彼は陰鬱な悲しい気持ちになった。(ああ、自分が情熱的な愛着をおぼえているこの世でただひとりの人と喧嘩したら、僕はどうなってしまうだろう?)
また一方でファブリツィオには、不用意な一言でこれほど甘美な幸福を台なしにする決心もつかなかった。彼の立場はまことに魅力に満ちたものだったのだ! これほど愛すべくこれほどきれいな女性との心おきない友情はなんとも快いものだった! もっと卑俗な生活の面でも、彼女の庇護《ひご》によって彼はこの宮廷でまことに快い位置を得、宮廷内のいろいろの大陰謀も、彼女がそれを説明してくれるおかげで喜劇のように彼を楽しませたのだ!(しかし、いつ雷が落ちて来て目を覚まされるかわからないぞ!)と彼は思った。(これほど魅力的な女性とほとんど差向いで過ごす、これほど楽しい愛情にあふれた宵々が、もしいつかそれ以上のものをもたらすとすれば、彼女は僕のうちに恋人を見つけたと思うだろう。夢中になること、正気を失うことを僕に求めるだろう。ところが僕が彼女に提供できるのは依然として、最も熱烈ではあるが恋は含まぬ友情にとどまるだろう。僕には生まれつきそのような至高の狂気などというものは与えられていない。この点で僕はどれほど非難されて来たことか! A……公爵夫人の声がまだ聞こえるような気がするが、あの公爵夫人のことなど僕は問題にしていなかった! 彼女は僕が彼女に対する愛情を欠いていると思うだろうが、実は愛情というものは僕のうちにないのだ。決して彼女は僕を理解しようとはすまい。彼女は宮廷の逸話をいかにも優雅に、しかもまったく彼女独特の、僕を教育するには絶対必要なあのふざけた調子で話してくれ、そのあとで僕はよく彼女の手に、ときには頬《ほお》に接吻する。あの手がもし僕の手を一種特別な仕方で握ったとすればいったいどうなるだろう?)
ファブリツィオは毎日パルマで最も尊敬されている、そして最も愉快でない家々を訪れた。公爵夫人の世慣れた忠告に導かれて彼は大公父子、大公妃クララ=パオリーナ、大司教|猊下《げいか》のご機嫌を取った。彼は成功したが、その成功も公爵夫人と不和になりはしないかという恐ろしい不安から彼の心を慰めてくれはしなかった。
[#改ページ]
第八章
こうして宮廷に来てから一月《ひとつき》もたたぬうちにファブリツィオは宮廷人としてのすべての心労を味わい、しかも彼の生活の喜びとなっていた心おきない友情も毒されていた。ある夜こうした想念にさいなまれながら、公爵夫人のサロンを彼は出た。ここではどうしても彼は夫人の現在の恋人と見られてしまうのだ。町のなかをあてもなくさまよっているうちに、あかりのついている劇場の前へ出て、それにはいった。彼のような僧衣を着ている人間にとってはこれは無用な軽はずみであり、所詮《しょせん》人口四万の小都会にすぎぬパルマでは慎もうと彼が心に誓っていたことだった。ただし着いて間もなくから、彼が公式の服装などやめていたことも事実である。特別高級の社交界に出るのではないときは、服喪中の人のように単に黒い服を着るだけだった。
劇場で彼は人に見られないように第三列の桟敷にはいった。出し物はゴルドーニの『宿屋の若女房』だった。彼は場内の建築様式をながめて、舞台にはほとんど目をやらなかった。しかしおびただしい観客はしょっちゅう笑い声をたてていた。ファブリツィオは宿屋の女房の役をしている若い女優へ目をやり、おかしな女だと思った。もうすこし注意して見ると、まったくかわいらしい、そして何よりも自然さにあふれた女のように思われた。自分のしゃべるゴルドーニのせりふに気の利《き》いたのが出て来るたびに自分で笑っている無邪気な娘で、自分がそれを口にすることに驚いているみたいだ。なんという名だと訊いてみると、
「マリエッタ・ヴァルセッラ」と教えられた。
(おや!)と彼は思った。(おれの名を取ったのか、おかしいな)計画していたこともあったのに、彼はその芝居の終わるまで劇場にいた。翌日もまた行った。三日後には彼はマリエッタ・ヴァルセッラのアドレスを知っていた。
かなり骨を折ってこのアドレスを聞き出したその日の夜、彼は伯爵が自分に愛想のいい顔をするのに気がついた。嫉妬に悩むこの気の毒な恋人は、必死になって慎重の枠《わく》を出まいと努めており、スパイを青年のあとに放っていたのだが、劇場での青年のいたずらは彼の気に入ったのだ。ファブリツィオに対して愛想よくする決心ができた日の翌日、この青年が青いフロックコートで半ば変装してだが、劇場の裏の古い家の五階にあるマリエッタ・ヴァルセッラのみすばらしい部屋にまで上って行ったのを知ったときの伯爵の喜びを、どのように描いたらいいものだろう。ファブリツィオが偽名を使い、しかもジレッティという名のならずものの嫉妬をかきたてるという光栄を得たことを知ったとき、彼の喜びは倍加した。この男は町に出たときには三枚目の下男役をつとめ、どさまわりのときには綱渡りをやっている。マリエッタのこの高貴な恋人はファブリツィオに対して悪態を吐き散らし、殺してやりたいと言った。
オペラ劇団は興行師《インプレサリオ》があちこちから給料の安くてすむ連中やぶらぶらしている連中を雇って作るが、こうして手当たりしだいにかきあつめた劇団は一シーズン、せいぜい二シーズンつづくにすぎない。喜劇一座はこれとはちがう。町から町へとまわり、二、三か月ごとに場所を変えるくせに、いわば一つの家族のようなものを形づくり、そのなかで愛し合ったり憎み合ったりしている。こうした座のなかにははっきりした夫婦もいて、巡業先の町の色男《ヽヽ》がその仲を割《さ》くのにひどく苦労することもときどきある。われらの主人公の場合がそれだった。かわいいマリエッタはかなり彼が好きだったが、彼女のことを自由にできるのは自分ひとりだとして厳重に彼女を監視しているジレッティがこわくてたまらなかった。ジレッティはそこらじゅうでモンシニョーレを殺してやると言いふらした。ファブリツィオのあとをつけて行って、彼の名を知ることができたのだ。このジレッティはまったく醜悪きわまる、色恋にはいっこう向かない男だった。法外に背が高く、ものすごく痩《や》せていて、あばただらけで少々やぶにらみなのだ。けれども芸はまことに水ぎわだったもので、仲間たちが集まっている舞台裏にはたいてい横とんぼ返りをしたりその他の器用な芸当をしたりしながらはいって行く。彼がいちばん得意なのは、顔をメリケン粉でまっしろにして登場し、棒でさんざんなぐられたりなぐったりするような役だった。ファブリツィオのこのりっぱな恋仇《こいがたき》は月給三十二フランもらって非常に金持だった。
間牒からこれらすべてについてはっきりと聞かされたとき、モスカ伯爵は墓の入口で生きかえったような気がした。愛すべき才気もよみがえった。公爵夫人のサロンではいまだかつてなかったほど陽気で愛想よくふるまったが、命をよみがえらせてくれた例の色事のことは彼女に全然言わずにおいた。それどころか、彼女が事の次第をできるだけ後になって知るように手を打ちさえした。やっと彼は理性の声に耳をかす気力を得た。理性は一月も前から、恋人に対する力が弱まったときにはいつも旅行すべきであると声高に彼にすすめていたのだ。
重要な用件のために彼はボローニャに行ったが、一日に二度政府の公用便は、官庁の公文書よりもマリエッタの恋愛や恐るべきジレッティの怒りやファブリツィオの企てについての情報のほうをずっとたくさん運んで来た。
伯爵の手先のひとりが何度も、ジレッティの当たり芸の一つである『骸骨《がいこつ》と道化とパテ』をやれと注文した。これはジレッティに百フランの祝儀をやる口実にするのだった。借金で首のまわらぬジレッティはこのすばらしい授かり物のことはもちろんだれにも言わなかったが、驚くほど高慢になった。
ファブリツィオの気まぐれは傷つけられた自尊心に変わった(こんな年なのに彼はいろいろの気苦労のためすでに|気まぐれ《ヽヽヽヽ》を起こすようになってしまったのだ!)虚栄心に駆られて彼は芝居に行った。娘はひどく快活に演じ、彼を楽しませた。劇場から出ると一時間ほど彼は恋心につかれた。伯爵はファブリツィオがほんとに危険を冒しているという知らせに接してパルマに帰った。ナポレオンのりっぱな竜騎兵連隊で竜騎兵をしていたジレッティが本気でファブリツィオを殺すと言い、そのあとでロマーニャに逃げる手くばりをしていたのだ。若い読者ならばこの伯爵のあっぱれな美挙に作者が感嘆するのを見て腹をたてるだろう。それでもやはり、ボローニャからもどるというのは伯爵にしてみればちょっとやそっとの犠牲的努力ではなかったのだ。なんといっても、朝は彼はよく疲れた顔色をしているのに反して、ファブリツィオはまことに溌刺《はつらつ》としてすがすがしかったのだ! 彼の不在中に、しかもこんなばかげた理由でファブリツィオが殺されたところで、だれがそれを理由に彼を非難しようと思うだろうか? しかし彼は、自分のおこない得る義侠的な行為をしなかったときには永久の悔恨《かいこん》をいだくような稀《まれ》な心の持主だった。それにまた、公爵夫人が悲しむ、それも彼のあやまちで悲しむのを見ることには堪えられなかった。
帰って来てみると公爵夫人は黙りこんで暗い顔をしている。侍女のチェキーナが良心の呵責《かしゃく》にもだえ、それを犯す報酬に与えられた金額の莫大《ばくだい》さによって罪の大きさを悟って、病気になってしまったのだ。ある夜彼女を愛していた公爵夫人はその部屋まで出かけて行った。娘はこのやさしさにもう堪えられなかった。涙にくれ、もらった金のうちまだ残っていた分を女主人に返そうとし、そしてとうとう勇気を出して伯爵の質問と自分の答えを主人に打ち明けてしまった。公爵夫人はランプのほうへ走って行ってそれを消し、それからチェキーナに許してやると言った。ただ、その奇怪な事件をだれにも決して言わないという条件で。
「伯爵はお気の毒に」と夫人は軽い調子でつけくわえた。「物笑いになるのを恐れていらっしゃるのです。男ってみんなそういうものですよ」
公爵夫人は急いで自分の部屋に降りた。自室にとじこもるなり彼女は涙にくれた。生まれたときから知っているあのファブリツィオと恋をするなどという考えには何か怖毛《おぞけ》立つほどのものが感じられた。しかしそれにしても、彼のこの行為はいったい何を意味しているのか?
伯爵が会ったとき彼女の陥っていた暗澹たる悲しみの第一の原因はそれだった。彼が来ると、彼女は彼に対して、そしてほとんどファブリツィオに対してまでも怒りがこみあげていた。どちらにも、もう会いたくないと思った。ファブリツィオが小娘マリエッタに対して演じている彼女の目には滑稽な役割に腹をたてていた。伯爵は秘密を守ることのできない本気で惚《ほ》れた男らしく、すべてを彼女に言ってしまっていたのだ。彼女はこの不幸になじむことができなかった。彼女の偶像は欠点を持っていた。ようやくほんとに親しみをとりもどしたときに伯爵に意見を求めた。これは伯爵にとって歓喜の一瞬であり、彼が健気《けなげ》にも意を決してパルマにもどって来たことへの報酬だった。
「いたって簡単なことですよ!」と伯爵は笑いながら言った。「若い連中はすべての女を物にしたいと思うが、翌日はもう女のことなど忘れています。あの人はベルジラーテへ行ってデル・ドンゴ侯爵夫人に会うことになっていませんでしたか? それならよろしい、行くのですな。留守のあいだに私が一座にどこか別のところへ行ってくれと頼み、旅費を払ってやりましょう。けれどもじきにあの人は、たまたま行き逢った最初の美人に惚れこむことでしょう。それが当然ですし、また私としてはそれ以外であってもらいたくない……。必要ならば、侯爵夫人から手紙を書いてもらいなさい」
ごく無頓着《むとんちゃく》な様子で言われたこの考えは公爵夫人にとっては一筋の光明だった。彼女はジレッティがこわかったのだ。その夜伯爵は偶然のように、ミラノを通ってウィーンに行く飛脚があることを知らせた。三日後ファブリツィオは母の手紙を受け取った。マリエッタがmammacia――母親代わりをつとめる老婆――を通じて好意を伝えて来たにもかかわらず、ジレッティの嫉妬のおかげでその好意につけこめないのにひどく腹をたてながら彼は出発した。
ファブリツィオはマジョーレ湖の右岸のピエモンテ領の大きな村ベルジラーテで母親と姉妹のひとりに会った。湖の左岸はミラノ領、それゆえオーストリアに属するのだ。この湖はコモ湖と平行に北から南へ伸びているが、二十里ほど西へ寄っている。山の空気、彼がそのほとりで幼年時代を過ごした湖を思い出させるこのすばらしい湖の荘厳で静かなながめ、すべてがファブリツィオの怒りと隣り合わせの悲しみを甘い憂愁に変えるように働いた。公爵夫人の思い出は今はかぎりない愛惜《あいせき》の思いとともに彼の心に浮かんで来た。これまでいかなる女にもおぼえたことのないあの愛情を、遠くからだと彼女にいだけるような気がした。彼女と永久に別れるとなればこれほど彼にとってつらいことはなかったろう。そしてこのような心理状態では、公爵夫人がほんのちょっとでも気をひくようなことをして見せればこの心を征服してしまえたろう、たとえばライヴァルでも作るとかして。しかしそんな思いきった手を打つどころか、あの青年が今どこを旅しているかといつも思いつづけているのに気がついて彼女は激しく自分を責めずにはいなかったのだ。彼女は自分が気まぐれと呼んでいるものを、まるでそれが醜悪きわまることであるかのようにみずからに咎《とが》めた。伯爵には今までに倍して気をつかい親切にしたが、伯爵のほうはこれほどのやさしさに魅《み》せられて、もう一度ボローニャに行ったほうがいいと命ずる健全な分別の声に耳をかさなかった。
デル・ドンゴ侯爵夫人はミラノのある公爵にとつがせることにした姉娘の結婚のためにいそがしくて、最愛の息子のためには三日しか割《さ》けなかった。息子のうちにこれほど心のこもった親しみを見出したことはこれまでになかった。ますます心をとらえる憂愁のただなかで、ある奇妙な、それどころか滑稽な考えがファブリツィオの心に浮かび、突然彼はそれを実行した。ブラネス師と相談したいと思ったのだと思いきって言ってしまおうか。このすぐれた老人は、それぞれひとしい力を持ったいろいろの幼い情熱に引き裂かれている心の悲しみを理解することなどはてんでできない人だった。のみならず、ファブリツィオがパルマで考えて行かねばならないすべての利害関係を彼に単に瞥見《べっけん》させてやるだけでも一週間はかかったろう。けれども師に相談しようと思うとファブリツィオは十六歳のころのみずみずしい感覚をとりもどした。人々は信じるだろうか? ファブリツィオが師と話そうと思ったのは、賢明な人として、心から忠実な友としてだけではなかったのだ。このようにして出かけた目的も、五十時間の行き帰りのあいだにわれらの主人公の心をゆすぶっていた感情もあまりにもばかげているから、おそらくこの物語のためにはこんなものははぶいてしまったほうが有利だろう。私はファブリツィオがその軽信のため読者の共感を失うのではないかと心配だ。だが結局彼はこういう人間なのだ。特別彼ばかりを甘やかす必要がどこにある? 私はモスカ伯爵をも大公をも甘やかしはしなかった。
で、何もかも言わねばならないのだから言うが、ファブリツィオはマジョーレ湖の左岸、つまりオーストリア側の岸にあるラヴェーノの舟着き場に母を送って行き、彼女は午後八時ごろ舟を降りた。(湖は中立地帯とみなされ、上陸しないものには全然旅券は求められない)しかし夜になるが早いか彼は、そのオーストリア側の岸の、水のなかに突き出した小さな森のなかに上陸した。セディオーラという田舎風の足の速い一種の二人乗り二輪馬車を雇って、それのおかげで五百歩ほど離れて母の馬車のあとを追うことができた。彼は|ドンゴ家《カサ・デル・ドンゴ》の召使に身をやつしていたので、たくさんいる警察や税関の職員もひとりとして彼に旅券を求めようなどとは思わなかった。侯爵夫人とその娘はコモで一泊することになっていたが、そのコモの一キロばかり手前で彼は左のほうの細道にはいった。この細道はヴィコの集落を迂回して、そのあとで湖すれすれに最近作られた小さな道路と合している。もう深更で、憲兵にぶつかる心配は全然ないと思うことができた。小さい道路は絶えず木立を横切って行き、その木々は黒々とした葉群《はむら》を、星をちりばめた、しかしかすかに靄《もや》のかかった空に浮き出していた。湖も空も深い静けさにつつまれていた。ファブリツィオの魂はこの崇高な美しさにさからい得なかった。彼はたちどまり、やがて湖のなかに突き出して小さな岬のようになっている岩の上に腰をおろした。全体をおおう静寂は、汀《みぎわ》まで寄せて消える小波《さざなみ》の音で規則正しく乱されるだけだった。ファブリツィオはイタリア人の心を持っていた。このことを私は彼に代わってお詫《わ》びする。この欠点のおかげで彼はあまり愛すべき人間ではなくなるのだが、何よりもそれはこういうことだった。彼は発作的にしか虚栄心をいだかず、崇高な美を見ただけで感動に陥り、悲しんでいてもその悲しみからとげとげした疼《うず》きが除かれてしまうのだ。孤立した岩に坐り、もはや警官を警戒する必要もなく、深い夜と広大な静寂に守られていると、甘い涙が彼の目をうるおし、こうして彼はさして労しもせずにこれまで長く味わわなかったほどの幸福な時間を味わうことができた。
彼は公爵夫人には決して嘘をつくまいと決心した。そして彼が|愛している《ヽヽヽヽヽ》とは決して彼女に言うまいと心に誓ったのは、あがめるまでに彼女を愛していたからなのだ。決して彼女のそばでは恋という言葉を口にすまい、恋と呼ばれる情熱は自分の心には無縁なのだから。このとき彼の心を至福で満たしている高邁《こうまい》な道徳的な感激のなかで、機会がありしだい何もかも彼女に言ってしまおうと彼は決意したのだ。自分の心は一度も恋をおぼえたことはなかったのだ、と。この勇気ある決断をしてしまうと、彼はたいへんな重荷から解放されたように感じた。(彼女はたぶんマリエッタのことをなんとか言うだろう。よし、マリエッタにはもう決して会うまい)と、彼は快活に自問自答した。
日中つづいた猛暑は朝の微風でやわらぎはじめた。すでに暁は白く弱々しい光で、コモ湖の北と東にそびえているアルプスの峰々を浮き出させていた。六月というのに雪で白いその山々のかたまりは、あいかわらず澄みきった空の明るい紺碧《こんぺき》の色の上にはるかに高く浮き出しているのだ。南へ幸福なイタリアの地にむかって突き出したアルプスの支脈がコモ湖側とガルダ湖側の斜面を分けている。ファブリツィオはこの崇高な山々の七重八重の連なりを目で追い、明るさを増す曙光は峡谷の底から立ち昇って来るかすかな靄を照らしながらそれらの支脈を分かつ谷々を浮き上がらせた。
しばらく前からファブリツィオはまた歩き出していた。ドゥリーニの岬を形づくる丘を越えると、そこでブラネス師と一緒に彼がよく星を観測したグリアンタの村のあの鐘楼が彼の目に見えて来た。(あのころのおれはどれほど無知だったことか! 先生がめくって見るあの占星学の概説の滑稽なラテン語すらおれにはわからなかった。おれがあんな本を尊敬していたのは主として、ところどころで二言か三言意味がわかるにすぎなかったので、空想でなんらかの意味を、それもおよそこれ以上とはなくロマネスクな意味をつけて考えていたからだと思う)
だんだんと彼の夢想は別の方向にむかって行った。(あの占星学という学問には何かほんとのところがあるんだろうか? なぜほかの学問とちがうのだろう? 何人かの阿呆と抜け目のないやつらがしめしあわせて、自分らはたとえば|メキシコ語《ヽヽヽヽヽ》を知っているということにする。彼らはそういう資格でいばって見せ、社会は彼らを尊敬し、政府は彼らに金を払う。世間が彼らをさんざんちやほやするのはまさに、彼らに全然才気がないから、民衆を蜂起させたり高邁な感情によって人々の熱情をあおったりしはしないかと権力側が心配しないですむからだ! ギリシアの酒神讃歌のうちの十九行を復原したからといって最近エルネスト四世から四千フランの年金と十字章をもらったバリ神父がその例だ!
しかし、いやはや、こうしたことを滑稽だと思う権利がおれにあるだろうか? そんな文句をおれが言えたものだろうか? その同じ勲章を先ごろナポリのおれの師傳《しふ》がもらったじゃないか)ファブリツィオはなんともいたたまれない気がした。今しがた彼の胸を高鳴らせたあっぱれな道徳的感激は、盗品の分け前にたくさんありついたという卑《いや》しい喜びに変わった。(よし!)と、自分に不満な人間らしい生気《せいき》のない目で彼はしまいに言った。(おれの家柄がこのような弊習《へいしゅう》から利益を得る権利をおれに与える以上、自分の分け前を取らないとすればそれは見えすいた偽善にすぎないだろう。ただ、人前であえてこの弊習を呪《のろ》ったりしてはならない)この考え方はまちがっているわけではなかった。けれどもファブリツィオは一時間前のあの至高の幸福の高揚からは転落してしまっていた。特権という観念は、幸福と呼ばれるいつになってもきわめてかよわいこの植物を枯らしてしまったのだ。
(占星学を信じてはならぬとすれば)と、気をまぎらそうとして彼はつづけた。(数学以外の学問の四分の三がそうであるように、この学問も感激家の阿呆とだれかに仕えて金をもらっている抜け目のない偽善者どもの集まりだったとすれば、あの宿命的な状況のことをおれがこれほどしばしば、しかも感動をもって思うのはどうしたわけだろう? かつておれはB……の牢獄から抜け出したが、それは当然の理由で投獄された兵士の服を着、通行証を持ってだった)
ファブリツィオの推論は決してこれ以上深く進み得なかった。難問を乗り越えることができずにそのまわりをただいろいろな風にまわるだけだった。まだ若すぎたのだ。暇なときには彼の心は、想像力がいつでも生み出してくれるいろいろの小説的《ロマネスク》な状況から生ずる感覚を陶然として味わうのだった。時間をかけて根気よく物事の真の特性をみつめ、そのうえでその原因を見抜くなどということは彼には縁遠かった。現実は彼には平板できたならしく見えた。私は人が現実をみつめることを好まないことは理解できるが、しかしそれならばそれについて論議すべきではない。無知なくせに生半可な知識をいろいろ持ち出して異議を唱えたりすることは特にすべきではない。
こういうわけで、頭が悪いわけではないのにファブリツィオは、前兆というものを半ば信じていることは彼にとって一つの宗教であり、人生の門口《かどぐち》で受けた深い印象であるということを理解するにいたらなかったのだ。この信仰を思うことは感じることであり、それゆえ幸福であった。そして彼は、どうしてこれがたとえば幾何学などと同じ部類の、|実証された《ヽヽヽヽヽ》現実の科学であり得るのかをあくまで考え抜こうとした。自分の観察した前兆の後に、それの予告しているように思える吉なり凶なりの現象が生じなかったいろいろの場合を彼は熱心に思い出そうとしてみた。しかし論理の筋道をたどり真理にむかって進んでいるつもりでいながら、前兆の後にそれが予言しているように彼には思える吉なり凶なりの事件が実際に起こったいろいろの事例を運よく思い出して、そこで注意が停止してしまい、尊敬に打たれ感動してしまう。前兆を否定する人間がいたら、そして特にその人間が皮肉な言い方をしたら、彼はどうしようもない嫌悪をその人間に感じたことだろう。
ファブリツィオは距離に気づかずに歩いていた。そして彼の堂々めぐりの推論がここまで来たとき、ふと頭を上げた彼は父の家の庭の壁を見た。美しいテラスを支えているこの壁は、道の右手に十メートル以上も高く立っていた。ずっと上のほう、手すりのそばに切り石がならんでいて記念碑のように見える。(悪くはない)とファブリツィオはひややかに思った。(りっぱな建築だな、ほとんど古代ローマ趣味といっていい)古代についての新しい知識を利用したのだ。それから彼はいやらしそうに顔をそむけた。父親の厳しい仕打ち、とりわけ彼がフランスから帰ったときの兄アスカニオの密告が記憶によみがえったのだ。
(あの無情な密告のおかげでおれは今こういう生活をしているのだ。あの密告を憎むことも軽蔑することもできるが、とにかくあれがおれの運命を変えたのだ。ノヴァーラに追いやられ、父の執事のところでどうにか生かしてもらっているというだけだったのだから、叔母が権勢ある大臣と恋をしなかったとすればおれはどうなっただろう? もしあの叔母が、おれを驚かせるほどの熱情をもっておれを愛してくれるああいったやさしい情熱的な心ではなく、たまたまひからびた卑俗な心しか持っていなかったとすれば? 公爵夫人がその兄であるデル・ドンゴ侯爵のような心を持っていたらおれはどんなことになっていたろう?)
これらのむごたらしい思い出に打ちひしがれたファブリツィオの歩き方は、今は自信のないものになっていた。ちょうど城の壮麗な正面《ファサード》と向かい合った堀の縁まで彼は来た。時代がついてくろずんだこの大きな建物を彼はほとんど一瞥《いちべつ》もしなかった。建築の語る高貴な言葉も彼にはなんの感銘も与えなかった。兄や父の思い出が彼の心をいっさいの美の感覚に対して閉ざし、彼は偽善的で危険な敵に対して警戒することしか考えなかった。一八一五年以前に自分が住んでいた四階の部屋の小窓に一瞬彼は目をやったが、それもはっきりとした嫌悪感をもってだった。父の性格は幼年時代の思い出からいっさいの魅力を奪っていた。(三月七日の午後八時からこのかたあの部屋にははいったことがない)と彼は考えた。(ヴァジの旅券をもらうためにあの部屋を出たのだが、翌日、スパイがこわかったので出発を早めたんだったっけ。フランスに行ったあとで立ち寄ったときには、あの部屋へ版画を見るために上る時間すらなかった。しかも兄の密告のおかげで)
ファブリツィオは嫌悪とともに顔をそむけた。(ブラネス師はもう八十三歳を越している)と彼は悲しい心で思った。(姉妹が話してくれたところではもうほとんど城に来ないそうだ。老衰のためだろう。あれほどしっかりとした高貴な心も年を取って冷えてしまった。あの人が鐘楼に行かなくなってもうどれほどになるか! あの人が目を覚ますまで酒倉の大桶か圧搾器の下にかくれていよう。善良な老人の眠りを乱しには行くまい。もしかするとおれの顔つきまで忘れているかもしれない。六年といえばあの年ではたいへんなものだからな! どうせもう親しかった人の抜け殻《がら》しか見られまい! それに)と彼はつけくわえた。(父の城を見て嫌悪をおぼえることを承知でわざわざここにやって来るなんて、まったく子どもっぽいことだった)
ファブリツィオはそれから教会前の小広場に出た。古い鐘楼の三階の小さな細長い窓にブラネス師の小さなランプがともっているのを見たとき、彼は驚きのあまり気が狂いそうになった。師はあまり明るすぎて平面天体図を読むさまたげとならないように、観測所になっている板囲いのなかへ上がって来るとそこにランプを置く習慣だったのだ。この天体図は、昔城のオレンジの木を植えてあった大きな素焼きの甕《かめ》に貼ってある。甕の底の穴にいちばん小さなランプが燃えており、ブリキの小さな管で煙は甕の外へみちびかれ、そして管の影が図上の北を示している。ごく簡単なこれらの事実の思い出のすべてがファブリツィオの心を感動にあふれさせ、幸福感で満たした。
ほとんど無意識に彼は両手を使って、以前行っていいかという合図だった低い短い口笛を吹いた。たちまち、上の観測所から鐘楼の扉の掛け金を開く綱を何度も引っぱる音がした。彼は我を忘れるほど感動して階段を駈け上った。行ってみると師はいつもの場所に木の肘掛け椅子に腰かけていた。彼の目は壁掛け四分儀の小さな眼鏡に当てられていた。左手で師は観測のじゃまをしないように合図した。それからすぐ何かの数字をトランプの札に書きこみ、そして肘掛け椅子にもどると師はわれらの主人公にむかつて両腕を開いた。彼は涙にくれながらそこへ飛びこんだ。ブラネス師は彼のほんとうの父親だった。
「わしはおまえを待っていた」と、感激と愛情を吐露《とろ》した最初の言葉のあとでブラネスは言った。
師は占星学者としてそう言ったのだろうか? というより、ファブリツィオのことをしばしば考えていたので、なんらかの占星学上のしるしがまったくの偶然で彼の帰って来ることを知らせたのだろうか?
「いよいよわしの死期も来た」とブラネス師は言った。
「なんですって!」とファブリツィオはびっくりして言った。
「そうじゃ」と師はまじめなだが全然悲しそうなところのない口調でつづけた。「おまえに再会してから五か月半もしくは六か月半の後に、わしの生命は全《まった》き幸福を見出した後に消えるのじゃ、
Come face al mancar dell' alimento(油の切れた小さなランプのように)
最期が来る前におそらくわしは一月か二月何も言わないだろう。それから父なる神の御胸《みむね》に迎えられる。ただしそれは、神が哨兵として配置された部署でわしが充分に義務を果たしたと認められる場合だが。
おまえは疲れはてている。ひどく昂奮しているから眠りたいだろう。おまえが来るのを待つようになってから、わしは大きな道具箱にパンと火酒の壜《びん》をかくしておいた。それを食べて、すこしわしの言うことに耳を傾けられるだけの力をつけるのだ。昼が終わってすっかり夜になってしまわぬうちに、わしはいろいろのことをおまえに話してやることができよう。おそらく明日《あす》よりも今のほうが話すべきことがずっとはっきりとわかる。いいかな、われわれ人間はいつも無力であり、そして常にこの無力さを考慮に入れておかねばならぬのだ。明日はおそらく、わしのなかにある老人は、地上の人間は、自分の死のための準備にいそがしいかもしれないし、おまえのほうは明日の夜九時にはわしのもとを去らねばならないからな」
ファブリツィオはいつもの習慣どおり黙って彼の言うようにした。
「それでは」と老人はつづけた。「おまえがワーテルローを見るために行きながら、まず牢屋に入れられたというのはほんとうなのか?」
「そうです」とファブリツィオは驚いて答えた。
「なるほど、それはめったにない幸運じゃった。というのは、わしがここではっきりと予告しておけば、おまえは別のもっと厳しい、はるかに恐ろしい獄に堪える心構えもできるからだ! おそらくその獄からは罪がおこなわれずには抜け出せないだろう。しかしありがたいことに、その罪を犯すのはおまえではない。どれほど激しい誘惑を受けても決して罪に陥ってはならない。どうやらわしの見るところ、それと知らずにおまえの権利を奪う罪のない人間を殺すというようなことであるらしい。名誉のおきてによって正当化されるかに見える激しいその誘惑に抵抗することができれば、おまえの生涯は人々の目に非常に幸福なものと映り……また賢者の目にも相応に幸福なものと映るだろう」と師はちょっと考えてからつけくわえた。
「おまえはわしと同じく木の椅子に腰をかけ、いっさいの奢侈《しゃし》から遠く離れ、しかも奢侈のむなしさを知って死ぬだろう、そしてまたわしと同じく恐ろしいやましさを感じることなしに。
これで未来のことがらについての話は終わった。これ以上もはや重要なことでつけくわえることはあるまい。おまえの入獄がどれほどつづくかを知ろうとしてみたがだめだった。半年か、一年か、十年か? わしには何一つ手がかりをつかめなかった。おそらくわしが何かあやまちを犯したので、天はこうして確かなことを知らせぬままやきもきさせてわしを罰せられたのじゃろう。入獄の後に、ただし出獄と同時かどうかはわからんが、私の言うその罪がおこなわれることだけしかわしには見えていないが、さいわいそれを犯すのがおまえでないことは確かなようじゃ。もしおまえが愚かにもその罪に荷担《かたん》するようなことになったら、わしの計算はすべて長い誤りにすぎなくなる。そうなればおまえは木の椅子に坐り白衣をまとって心安らかに死ぬことはできまい」
このように言いながらブラネス師は立ち上がろうとした。ファブリツィオが歳月の恐ろしい爪痕《つめあと》に気がついたのはこのときだった。師は立ち上がってファブリツィオのほうを向くのに一分近くもかかったのだ。ファブリツィオは身動きもせず黙々として師のするままにさせていた。師は何度も彼のふところに身を投げ、非常な愛情をこめて彼を抱きしめた。それから彼は昔とまったく同じ陽気さでつづけた。
「この器具のなかでなんとかして多少気分よく眠れるようにしてごらん。わしの裏毛つきのマントを持って行ってな。サンセヴェリーナ公爵夫人がとどけさせてくださった高価なマントがいくつかあるはずじゃ。あのかたはおまえのことで予言してくれとおっしゃったが、マントと夫人のくださったりっぱな四分儀をちょうだいしたまま、わしは予言を伝えることはしないでおいたのじゃ。未来を知らせることはすべて掟《おきて》にそむくことであり、しかも知らせたがために事態を変えてしまうという危険もある。そうなればこの学問もまったくの児戯に堕してしまう。それにまた、いつまでたってもおきれいなあの公爵夫人には言いにくいようなこともあってな。ところで、眠っているときに鐘が鳴っても驚くではないぞ。七時のミサを打つときおまえの耳のはたで恐ろしい音を立てるだろうがな。それから階下《した》のほうで大鐘を鳴らし出すと、ここの器具がみんながたがた揺れる。今日は殉教者で兵士だった聖ジョヴィタの日じゃ。おまえも知ってのとおりこの小さなグリアンタの村は大きな町ブレッシヤと同じ守護聖人を持っている。余談だが、それのおかげでわしの師匠だった有名なラヴェンナのジャコモ・マリーニ先生は愉快なまちがいをなすった。わしが宗門でかなりの出世をすると先生は何度も言ってくだすったが、わしがブレッシヤのすばらしい聖ジョヴイタ教会の司祭になるものと先生は信じておられたのじゃ。わしは七百五十戸の小さな村の司祭で終わったのにな! しかしそれがいちばんよかったのじゃ。まだあれから十年とたっておらんが、もしブレッシヤの司祭になっていたら、わしはモラヴィアの丘の上のシュピールベルクの監獄に入れられる運命だったことがわかったからな。明日はここの大ミサに歌いに来てくれる近所の司祭たちにふるまうご馳走のなかからいろいろおいしい料理をかすめて持って来てやろう。下まで持って来てあげる。しかしわしに会おうとしてはいけない。わしが出て来いと言うまではこのご馳走を取りに降りて来るんじゃない。|明るいうちに《ヽヽヽヽヽヽ》わしに会ってはいけないのじゃ。明日は七時二十七分に日が没するから、わしは八時ごろにならなければおまえを接吻しに来ない。そしておまえは九のつく時刻のうちに、つまり時計が十時を打つ前に出発しなければならん。鐘楼の窓から人に見られんように気をつけるがいい。憲兵どもはおまえの人相書を持っているし、やつらは名うての暴君であるおまえの兄のいわば指揮下にあるようなものじゃからな。デル・ドンゴ侯爵は衰えられた(とブラネス師は悲しげにつけくわえた)。もしおまえに会ったら侯爵は何かをそっとおまえにくださるかもしれん。しかしそのような闇取引めいた優遇は、いつか自分の力に自信を持つようになるおまえのような男にはふさわしくない。伯爵は息子のアスカニオをひどくきらっておられるが、五百万か六百万の財産を受け取るのはこの息子なのじゃ。これも当然の報いじゃよ。おまえは侯爵がなくなったら四千フランの年金と、おまえの使用人の喪服として五十オーヌの黒|羅紗《らしゃ》をもらうじゃろう」
[#改ページ]
第九章
ファブリツィオの心は老人の言ってくれたことと、非常な注意力と極度の疲労のために昂奮していた。なかなか眠れなかったし、眠ってからも未来を予告するものらしいいろいろの夢を見た。朝の十時に彼は鐘楼全体が揺れるので目を覚ました。ものすごい音が外から来るような気がした。度胆《どぎも》を抜かれて起き上がり、世界の終わりが来たと思い、それから自分は獄中にいるのだと考えた。偉大な聖ジョヴィタの祭りのために、百姓どもが十人もいればすみそうなものを四十人もかかって打ち鳴らしている大鐘の音だとわかるまでには時間がかかった。
ファブリツィオは自分の姿を見られずに外を見るのに適当な場所を捜した。場所が非常に高いから父の城の庭園や中庭すらをも見おろすことができるのに彼は気がついた。こんなことは忘れていたのだ。生涯の終わりにさしかかっているこの父のことを考えると、彼の気持ちはすっかり変わった。食堂の大きなバルコンでパン屑《くず》をあさっている雀まで見分けられる。(昔おれが馴らしてやった雀の子孫だな)と彼は思った。このバルコンには城のすべてのバルコンと同じく、大小さまざまの甕《かめ》に植わったオレンジの木がたくさん置いてあった。これを見ると彼は胸が迫った。赫々《かくかく》たる太陽の光にくっきりと描き出された明暗でこのように飾られているこの中庭のながめはまったくすばらしかった。
父が衰えていることがまた思い出された。(しかしそいつはほんとに奇妙なことだ)と彼は思った。(おやじはおれよりも三十五しか年を取っていない。二十三に三十五なら五十八にすぎない!)一度も彼を愛してくれたことのないあの厳格な男の部屋の窓に注がれた彼の目は涙にあふれた。父の部屋と同じ平面でつづいているオレンジの木をならべたテラスを父が横切って行くのを認めたように思ったとき、彼は身をふるわせ、不意に血管に冷たいものが走った。しかしそれは侍僕だった。鈍楼の真下《ました》ではたくさんの白装束の娘たちがいくつかの組に分かれて、行列が通ることになっている街路に赤や青や黄の花で模様を描いていた。
しかしもっと強烈にファブリツィオの心に語りかけて来る風景があった。鐘楼から彼の目は数里離れた湖の二本の腕を見おろせた。そしてこの崇高なながめが間もなく彼に他のすべてを忘れさせた。それは彼の心のなかに最も高揚した感情をよびおこした。幼年時代のさまざまの記憶が群がって彼の思念をとりかこんだ。そして鐘楼のなかに幽閉されて過ごしたこの一日はおそらく彼の生涯の最も幸福な日の一つだったろう。
幸福は彼をその性格にはあまりそぐわない思想の高みに運び上げた。彼はこの世のさまざまのできごとを考察した、こんなに若い彼がまるでもう生涯の終わりに到達したかのように。なんとも言えぬほど快い夢想に何時間もふけったあげく最後に彼はつぶやいた。(これは認めねばならないが、パルマに来て以来おれは、ナポリ時代にヴォメーロ街道に馬を飛ばしたりミゼーノの岸を走りまわったりして味わったような静かで完璧な喜びを全然味わっていない。あの陰険な小宮廷の複雑きわまる利害関係がおれを陰険にしてしまったのだ……。おれは人を憎むことには全然楽しみをおぼえない。それどころか、おれに敵がいるとしたら、敵をはずかしめるという楽しみはおれにとっては悲しい幸福でしかないと思う。しかしおれには敵はいない……いや、待てよ! ジレッティがおれの敵だ……。こいつは奇妙だ。あのひどく醜い男が死んじまうのを見られたら嬉しいと思うが、その嬉しさのほうがかわいいマリエッタに対して感じるごく軽い好意などよりも長くつづきそうだ……。マリエッタなどはA……公爵夫人の足もとにも及ばない。そのA……公爵夫人にしたって、ナポリでお慕いしていますと言ったばかりに愛さねばならなかったんだが。いやはや、あの美しい公爵夫人が許してくれた長い媾曵《あいびき》のあいだおれは何度退屈したことだろう。ところが、マリエッタが二度ほど、それも二分間だけ会ってくれた台所を兼ねたぼろぼろの部屋のなかではそんなことは一度もなかったのだ。
いや、まったくの話、ああいった連中はどんなものを食べていることか! 見るもあわれだ! あの子とマンマッチャに毎日ビフテキを三度食べられるだけの年金をやるべきだったな……。かわいいマリエッタは、あの宮廷とつきあっているおかげで起こるせちがらい考えからおれの心を慰めてくれたんだが。
おれはたぶん、公爵夫人の言うようにカフェ暮らしをしたほうがよかったんだろう。彼女はそちらのほうに心が傾いていたらしいが、彼女のほうがおれよりもずっと頭がいいからな。彼女の助けで、いや、四千フランの年金と、母がおれにくれることになっているリヨンに投資したあの四万フランの資金だけででも、いつも馬を持ち、発掘をしたり陳列室を作ったりするくらいの金は持てる。おれは恋愛をしないことになっているらしいから、そうしたものがいつまでもおれの大きな幸福のもとになるだろう。死ぬ前にワーテルローの戦場を見に行き、あんなに調子よく馬から持ち上げられて地面に坐らされた例の牧場がどこだったか見てみたいな。この巡礼をしてしまったらこの崇高な湖にときどきやって来よう。これほど美しいものはこの世にあり得ない、すくなくともおれの心にとっては。遠方へ幸福をさがしに行ったって何になる、幸福はおれの眼下にあるじゃないか!)
(ああ)とファブリツィオは自分の考えを打ち消すように言った。(警察がおれをコモ湖から追い払うのだったっけ。しかしおれはこの警察の手入れの指揮をする連中なんぞより若い。ここではA……公爵夫人のような人は全然見つかるまいが、敷石の上に花をならべているあのかわいい娘たちのようなのは見つかるだろう。そして実際、おれはそういう娘だって同じくらい愛してやる。偽善は恋しているときでもおれの心を凍えさせるが、貴婦人がたはあまりにも高貴な印象を与えようとしすぎるんだからな。ナポレオンが彼女たちに良俗と貞節の観念を与えたんだ)
(ちきしょう!)雨が鐘にかからないように大きな木の簾《すだれ》がかけてあったにもかかわらず、こちらの姿を認められないかと恐れるもののように、窓から頭をひっこめながら突然彼は言った。(憲兵どもが正装して出て来た)事実四人の下士官を含めた十人の憲兵が村の目抜き通りの向こうのほうにあらわれた。班長は行列が通ることになっている道筋に百歩おきに憲兵を配置した。(ここではだれもおれの顔を知っている。だれかに見られたらおれはコモ湖畔からシュピールベルクの獄へ一足飛びだ。そして百十ポンドもある鎖を両脚《りょうあし》に縛りつけられるのだ。そうなれば公爵夫人はどれくらい悲しむことだろう!)
第一に自分が二十メートル以上も高いところにおり、自分のいる場所は比較的暗く、自分を見るかもしれぬ人々はどぎつい日光に目がくらむこと、そして最後に、その人々は聖ジョヴィタの集りのために石灰乳でどれもこれも白く塗られたばかりの家々にはさまれた街路を目をみはって歩きまわっているのだということ、ファブリツィオがそういうことに気がつくまでに二、三分かかった。これほどはっきり筋道立てて考えたにもかかわらず、のぞくために穴を二つあけた破れた古い麻布を窓に釘で打ちつけて憲兵の目をさえぎってしまわなければ、イタリア人らしい彼の心はもはや楽しみを味わうことなどできなかったろう。
鐘はもう十分も前から大気を揺すぶっており、行列は教会を出、mortaletti〔花火の一種〕の音がした。ファブリツィオは振り向いて、湖を見おろす欄干《らんかん》のついたあの小さな見晴らし台を認めた。少年のころここでよくモルタレッティが彼の脚《あし》のあいだではじけるという危険な目にあって、そのため祭りの日の朝は母は彼を自分のそばに引き止めておきたがった。
ご承知おき願わねばならぬが、モルタレッティというのは四インチほどに切りちぢめた小銃の銃身にほかならない。一七九六年以来ヨーロッパの政治がロンバルディアの平原にふんだんにばらまいた小銃の銃身を百姓たちが熱心に拾い集めるのはそのためなのだ。四インチの長さにちぢめた上で、この小さな銃身に口まで火薬をつめ、垂直に地面に立て、導火薬であいだをつなぐ、行列の通る道筋に近い適当な場所にこれを二百か三百ばかり大隊のように三列にならべる。聖体が近づくと導火薬に火をつける。するとおよそ不揃《ふぞろ》いで滑稽きわまる爆発音の連続射撃がはじまるのだ。女たちは狂喜する。遠く湖上で聞く波のうねりでやわらげられたこのモルタレッティの音ほど愉快なものはない。この奇妙な、子どものころよく彼を喜ばせてくれた音が、われらの主人公につきまとっていた少々まじめすぎる考えを追いはらってくれた。彼は師の占星学用の大きな望遠鏡を取りに行った。行列について行くたいていの男女は彼の知っている顔だった。ファブリツィオが最後に見たとき十一か十二だった魅力的な小娘たちの多くは今では青春の花のさかりのすばらしい女になっていた。この女たちがわれらの主人公の勇気をよみがえらせた。そしてこの女たちと話すためなら彼は敢然と憲兵たちにも立ち向かったことだろう。
行列が通り過ぎ、ファブリツィオには見えない脇のほうの入口から教会へ帰ってから、暑さは間もなく鐘楼の上ですら堪えがたいまでになった。住民たちは家に帰り、村はひっそりと静まりかえった。幾|艘《そう》もの舟がベラジヨ、メナジヨ、その他湖畔の村々に帰る百姓たちを満載した。ファブリツィオは櫂《かい》が水を打つ音の一つ一つを開き分けた。こんなあたりまえなことが彼を恍惚とするまでに酔わせた。今の彼の喜びは、宮廷の複雑な生活で味わったいっさいの不幸や気づまりから来たものだった。これほど静かな、空の深さをはっきりと映しているこの美しい湖の上を一里ほど行くことができたら、このときの彼はどれほど幸福だったことであろう! 鐘楼の下の扉があく音がした。ブラネス師の老婢《ろうひ》が大きな藍《かご》を持って来たのだ。この老婢に話しかけまいとして彼は非常な努力をした。(あの女はおれに対してもほとんど主人に対するのと同じくらい親しみを持っている。それにおれは今夜九時に出発するのだ。あの女だって秘密を守ると誓ったら、せめて何時間かはその秘密を守りはしないだろうか? いや、話しかけたら師が怒るだろう! 師が憲兵に疑われるようなことになるかもしれない!)そして彼は何も言わずにギータが立ち去るのにまかせた。すばらしい夕食をしてから、彼は数分眠るようにした。目を覚ましたときにはもう八時半になっていた。ブラネス師が彼の腕をゆすっている。もう夜だった。
ブラネスはひどく疲れ、昨日《きのう》より五十歳もふけたように見えた。もうむずかしい話はしなかった。木の肘掛け椅子に腰をおろして、
「接吻しておくれ」と彼はファブリツィオに言った。
何度もファブリツィオを腕に抱いてから、最後に彼は言った。
「この長い生涯をもうじき終わらせてくれる死は、今の別れほど悲しいものでは全然あるまい。わしはギータに財布を一つあずけて、必要な金はそこから取ってもいいが、万一おまえが要求して来たら残りを渡してやれと言っておく。あの女のことはよくわかつている。一度そういう風に言っておけば、おまえのために倹約するつもりで肉を一年に四度とは買わないというようなこともしかねない女だ、おまえがはっきりこうしろとでも言っておかないかぎり。おまえ自身も窮乏に陥るかもしれぬが、そのときはこの老友のわずかの金も役にたつだろう。兄からはひどい仕打ち以外のものを期待してはならん。そして社会に有用な人間となるような仕事で金をかせぐように努めるのじゃ。奇妙な嵐がおこるものとわしは予想する。おそらく五十年後にはのらくら者などは問題にされまい。お母さんや叔母さんはそのころはもういないかもしれんし、姉妹たちは自分の夫に従わねばなるまい……。さあ行け、行け、逃げるんだ!」とブラネスは性急に叫んだ。
時計が十時を打つ前ぶれの小さな音を今聞いたのだ。彼はファブリツィオが最後の接吻をするのも許そうとはしなかった。
「急げ、急げ!」と彼は叫んだ。「階段を降りるのにすくなくとも一分はかかるじゃろう。落ちないように気をつけろ。そんなことになったら恐ろしい凶兆じゃからな」
ファブリツィオは階段を駈け降り、広場に出ると走り出した。父の城の前まで来るか来ないかのうちに鐘は十時を打った。一つ一つの音が胸に響き、異様な胸騒ぎをひきおこした。彼はたちどまり、考えようとした。というよりも、昨日はあれほど冷やかに見たこの荘麗な建物をながめているうちに湧いて来る熱っぽい感情に身をゆだねようとした。この夢想の最中に人の足音がして彼は我にかえった。目を上げると四人の憲兵にかこまれている。彼はすばらしいピストルを二挺持っていて、夕食のときに雷管を取り替えておいた。撃鉄を起こす小さな音が憲兵のひとりの注意をひき、その憲兵はまさに彼を逮捕しようとした。彼は身に迫った危険に気がつき、こちらから先に発砲することを考えた。それは彼の権利だった。充分武装した四人の男に抵抗するにはそうするほかはなかったからだ。さいわい、居酒屋を立ちのかせるために巡視していた憲兵は、そうした愛想のいい店のあちこちでふるまいを受けては全然かたいことばかりも言っていられなかった。だから彼らはすぐさま職務を遂行する気にならなかった。ファブリツィオは脱兎《だっと》のように逃げ出した。憲兵どもも叫びながら数歩走った。
「止まれ! 止まれ!」
それからまたあたりはひっそりとした。三百歩ほど行ってファブリツィオは息をつぐためにたちどまった。(ピストルの音をたてたためもうすこしでつかまるところだった。こういうことがあるから、公爵夫人にいつかまた会えたらこう言われそうだ、あんたは十年後に起こることを考えて喜んでいて、現在身近で起こっていることを見るのを忘れているんだ、と)
今のがれて来た危険を思ってファブリツィオは戦慄した。足をはやめたが、やがてつい駈け出してしまった。これはあまり用心深いことではなかった。家路につく何人かの百姓に見とがめられたからだ。グリアンタから一里以上離れた山のなかに来てはじめて彼は休む気になった。そして休みながらもシュピールベルクのことを思うと冷汗が出た。
(いや、こわかったなあ!)と彼は独り言をいった。自分のその声を聞くと彼は自分を恥じたいような気になった。(しかし叔母さんは、おれにいちばん必要なのは自分を許すことを学ぶことだと言ってくれはしなかったか。おれはいつも、自分を実在するはずのない完璧な手本と比較している。よし、おれはこのこわがりかたを自分に許そう。なぜなら、一方ではおれは自分の自由を断乎として守る決意をしていたんだし、そうなりゃあの四人が四人とも生き残っておれを獄に引きたてて行くことはなかったはずだ。現在おれがしていることは軍人らしくはない。自分の目的を果たし、おそらく敵の警戒をよびおこしてから迅速《じんそく》に退却するかわりに、あのやさしい師のいろいろな予言よりもおそらくもっと滑稽な気まぐれにふけって喜んでいるんだから)
事実最も短い道を取って退却して舟を置いてあるマジョーレ湖の岸に出ずに、彼はひどいまわりみちをして|自分の木《ヽヽヽヽ》を見に行ったのである。読者はおそらく二十三年前に彼の母親が植えたマロニエの木にファブリツィオがいだいていた愛着を記憶しておられるだろう。(兄貴ならばあの木を伐《き》らせたっておかしくない。しかしああいう人間は微妙なことがらを感じないものだ。兄貴もあれを伐ることは考えもしなかったろう。それにまた、伐られていたところで悪い前兆ではない)と彼はきっぱりとつけくわえた。二時間後、彼は目を疑った。意地の悪いやつらがしたのか、嵐のせいか、若木の大きな枝の一つが折れて枯れたまま垂れ下がっている。ファブリツィオは短刀を使って丁寧にそれを切り取り、水が幹にしみこまないように切り口をきれいに削った。それから、太陽がもうじき昇ろうとしていたから時間は彼にとって貴重だったにもかかわらず、一時間たっぷりかけて愛する木のまわりの土を耕した。こうした無分別なことを全部しおえてから彼は急いでマジョーレ湖にむかつて歩き出した。全体として彼は決して悲しくはなかった。木はよく成長し、これまでにないほど丈夫で、五年間のうちに二倍にも大きくなっていた。枝が折れたのはなんということもない偶発事だった。切り取ってしまえばもう木を害することはないし、それどころか枝分かれがそれだけ上のほうではじまるから木の形はすらりとするだろう。
ファブリツィオが一里も行かないうちに、一筋の白い光が東のほうに、このあたりで有名な山レセゴン・ディ・レックの峰々を浮き出させた。彼の行く道は百姓たちでいっぱいだった。しかし軍人らしい考えを持たずにファブリツィオはコモ湖をめぐるこの森林のあるいは崇高な、あるいは心にしみいるような眺めにただ感動していた。(これはおそらく世界で最も美しい森林だろう。スイス人ならそう言うだろうが、おれは|新しいお金《ヽヽヽヽヽ》をいちばんかせいでくれそうななどとは言いたくない、いちはん魂に語りかけて来る森林と言いたい)ロンバルド=ヴェネツィア王国の憲兵諸氏の目が光っているのにこんな場所でこの森林の言葉に耳を傾けるなどということはまったく幼稚なことでしかない。(ここは国境から半里ほどだ)と、とうとう彼は言った。(朝の巡察をしている税関吏や憲兵にぶつかるだろう。この上等の羅紗《らしゃ》の服はやつらの目にはうさんくさいだろうから、旅券を求めるだろう。ところでその旅券には、牢獄行きときまった名がはっきりと記されているんだ。あまり愉快なことではないが、これじゃあなんとしても人を殺さねばならん羽目《はめ》になる。いつものように憲兵がふたりで組んで歩いているとすれば、そのうちのひとりがおれの首根っ子をつかまえるまでべんべんんと発砲しないでいられるもんじゃない。そいつが倒れながらもおれを一瞬引き止めたりしようものならシュピーゲルベルク行きは必定だ)こちらから先に発砲しなければならぬ、その相手はもしかすると叔父ピエトラネーラ伯爵の旧部下かもしれないと考えるとたまらない気がして、ファブリツィオは一本の栗の巨木のところへ走って行ってその空洞になった幹のなかにかくれた。ピストルの雷管を取り替えていると、当時ロンバルディアで流行していたメルカダンテのすばらしいアリアをたいへんみごとに歌いながらひとりの男が森のなかを進んで来る。
(こいつは吉兆だ!)とファブリツィオは思った。ほれぼれとこのアリアを聞いているうちに、これまで考え事をつづけるうちにときどき感じはじめていたかすかな怒りも消えてしまった。彼は街道の前後を見たがだれもいない。
(歌っているやつはどこか横の道から来るんだな)と彼は思った。ほとんどその瞬間に、イギリス風のいかにもさっぱりとした服装をした侍僕の姿が見えた。供馬に乗って、もしかすると少々|痩《や》せすぎているかもしれないがみごとな純血種の馬を挽《ひ》いてゆっくりと進んで来る。
(ああ、モスカは自分がさらされている危険の程度によって常に他人に対する権利の程度がきまるとよくおれに言うが、そういう考え方をすれば、おれはあの侍僕の頭をピストルで射ち抜いてやるところだ。そしてあの痩せた馬にいったんまたがってしまえば、世界じゅうの憲兵を物ともしないんだがな。パルマに帰ったらさっそくあの男かその寡婦《かふ》に金を送ってやる……が、そんなことは恐ろしいことだ!)
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第十章
こういう道徳的論議を心のなかでしながらファブリツィオはロンバルディアからスイスヘはいる街道に飛び出した。このあたりでは街道は林よりも一メートル以上低くなっている。(あの男は恐怖を感じたら馬を飛ばして逃げ出すだろう)とファブリツィオは思った。(そうすればおれはばかみたいな顔をして取り残されるわけだ)このとき彼は侍僕から十歩ほど離れており、侍僕はもう歌っていなかった。相手の口に恐怖があるのを彼は見た。おそらく馬首をかえそうとしていたのだろう。まだ全然考えがきまっていなかったのにファブリツィオは飛び出して痩《や》せた馬の手綱を握った。
「君」と彼は侍僕に言った。「僕は普通の泥棒じゃない。まず二十フラン君に上げるからな。どうしても君の馬を借りねばならんのだ。急いで逃げ出さねば殺されそうなんだから。君もたぶん知っているだろうが、あの有名な猟師のリヴァの四人兄弟に追いかけられているのだ。妹の部屋にいるところをやつらに今見つけられてね、窓から飛び出して来てこうしているのさ。やつらは犬を連れ銃を持って森にはいった。僕は兄弟のひとりが道を横切るのを見たのでそこのうつろになった太い栗の木のなかに隠れたんだが、どうせじきに犬に嗅《か》ぎつけられるだろう! 君の馬に乗らせてもらってコモの一里ほど向こうまで飛ばす。ミラノに行って副王の膝《ひざ》にすがって慈悲をお願いするつもりなんだ。君がこころよく同意してくれるならば、君のためにナポレオン金貨二枚を添えて馬は駅に残しておく。すこしでも抵抗するならこのピストルで殺すぞ。僕が行ってから憲兵に追わせでもしたら、僕の従兄《いとこ》で皇帝の主馬寮《しゅめりょう》にいた勇敢なアラーリ伯爵が君をひねりつぶしてしまうぞ」
ファブリツィオはいかにも平和的な顔でしゃべりながら即興的にこんな話を作り上げたのだ。
「そのうえ」と彼は笑いながらつけくわえた。「僕は全然名をかくしたりしない。僕はマルケジーノ・アスカニオ・デル・ドンゴだ。僕の城はすぐそばのグリアンタにある。行け、馬を放せったら!」
侍僕は茫然《ぼうぜん》として一言もいわなかった。ファブリツィオはピストルを左手に持ちかえ、相手の放した手綱を取り、馬に飛び乗ると軽いギャロップで走り出した。五百歩ほど離れてから約束の二十フランをやるのを忘れたことに気づいて馬を止あた。ギャロップであとについて来る侍僕のほかには依然として路上にだれもいなかった。ハンケチでその侍僕にこちらへ来いと合図し、五十歩ほどのところまで来ると一つかみの貨弊を地面に投げてまた馬を駆った。侍僕が金を拾っているのを彼は遠くから見た。(まったく分別のある男だ、よけいなことを一言もいわない)とファブリツィオは笑いながら言った。
馬を急がせて正午ごろある一軒家に立ち寄り、数時間後にまた出発した。午前二時に彼はマジョーレ湖のほとり近くに来ていた。間もなく水上をただよっている舟を認めた。決められた合図をすると舟はやって来た。馬をあずけるにも百姓もだれもいなかった。彼はこの高貴な動物を放し、三時間後にはベルジラーテに着いていた。そこは敵のいない国だったから、彼はしばらく休息した。ひどく楽しかった。みごとに成功したからだ。彼の喜びの真の理由を言ってしまおうか? 彼の木がすばらしく成長していたし、彼の心はブラネス師の腕のなかで見出した深い感動で生気《せいき》をとりもどしたのだ。
(あの人はほんとにおれに言った予言を信じているんだろうか?)と彼は思った。(それとも、兄貴がおれのことをジャコバンだ、どんなことでもしかねない信仰もなく法も認めぬ人間だと言いたてたから、おれがだれか自分にいたずらした野郎の頭を叩《たた》き割りたいという誘惑に負けないように警告しようとしただけなのだろうか?)
翌々日ファブリツィオはパルマに着き、旅の顛末《てんまつ》を微《び》に入り細にうがって話して公爵夫人と伯爵とを大いに喜ばせていた。
帰って来たときファブリツィオはサンセヴェリーナ邸の門番も使用人も第一服喪のしるしをつけているのを見た。
「だれがなくなったの?」と彼は公爵夫人に聞いた。
「私の夫とされているあのりっぱな人がバーゲンで死んだのよ。私にはこの邸を遺して行ったの。これはきまっていたことなんだけれども、友情のしるしとして三十万フランの遺産を添えてくれたので、そのため私はとても困っているのよ。それを放棄して、毎日々々私にむかって、言語道断な仕打ちをするあの人の姪《めい》のラヴェルシ公爵夫人の得になるようなことはしたくないし。あなたはその方面に趣味があるんだから、すぐれた彫刻家を私のために見つけて来てよ。私は公爵のために三十万フランのお墓を建てるわ」
伯爵はラヴェルシ夫人にまつわる逸話《いつわ》を話し出した。
「私はいろいろ親切にしてやってあの人に取り入ろうとしたけれども、だめだったわ。公爵の甥《おい》たちのほうは、みんな私が大佐か将官にしてやったのよ。その返礼にあの連中が私に何かいやらしい匿名《とくめい》の手紙をよこさない月はないわ。そういう種類の手紙を読ませるために秘書をひとり雇わなければならなかったほどよ」
「しかも、そんな匿名の手紙なんてものはいちばん罪として軽いほうですよ」とモスカ伯爵が言った。「やつらは卑劣な密告状の製造工場を営んでいるんだから。今まで何度となく私はあの一党を法廷に引きずり出してやることもできたんだが」それからファブリツィオのほうを向いて、「私の裁判官たちが彼らを断罪したかどうかは閣下のご想像にまかせますよ」
「そうです、それだから何もかもいやになっちまうんです」と、宮廷ではまことに愉快に見える素朴さでファブリツィオは答えた。「良心的な裁判をする法官によってそういうやつらが裁かれるところこそ僕は見たかったですね」
「あなたは勉強するために旅行をして来られたんだから、そのような法官がいたらその住所を教えてくださいませんか。寝る前に手紙を書いてみます」
「僕が大臣だったとすれば、廉直な裁判官がいないということは僕の自尊心を傷つけたでしょう」
「しかし、お見受けするところ」と伯爵は答えた。「閣下はあれほどフランス人を愛し、それどころか彼らを助けて実際に無双の力をふるわれたこともあるというのに、『悪魔に殺されるよりも悪魔を殺すほうがいい』という彼らの有名な格言の一つを現在忘れておいでのようですな。あなたならばこの熱烈な心を持ち、しかも日がな一日フランス革命史を読んでいる連中を、私が告発する連中をすべて無罪放免にしてしまうような裁判官をもってどのように統治して行きますか。この裁判官どもと来てはだれが見てもあきらかに有罪な悪党すらをも断罪せずにすまして、しかも自分のことをブルートゥスだと思っている。しかし私はあなたと議論したいというのじゃありません。まことに繊細な心をお持ちのあなたは、マジョーレ湖の岸に置いていらっしゃったその痩《や》せぎすのりっぱな馬のことで少々やましさを感じませんか?」
ファブリツィオは大まじめに言った。
「馬の持主は広告なりなんなりによって馬を見つけた百姓をさがしだして返してもらうでしょうから、広告代その他の費用に当たる分は馬の持主にとどけさせるつもりでいます。失馬の広告がないかどうか、これからミラノの新聞は熱心に読みましょう。あの馬の特徴はとてもよくおぼえていますから」
「ほんとに素朴な人ですねえ!」と伯爵は公爵夫人にむかって言った。そして笑いながら、「その借りた馬が全速力で飛ばしているうちに足を踏みちがえでもしたらいったい閣下はどうなったでしょう? 今ごろはシュピーゲルベルクにいますよ、私の甥御《おいご》殿。いかに私の勢力をもってしても、あなたの両脚に結びつけられた鎖の重さを三十ポンドほど減らさせることさえまあむずかしかったでしょう。あの別荘で十年ばかり過ごすことになったでしょうな。おそらく脚は腫《は》れて壊疸《えそ》になったでしょう。そうなればあっさりと切られてしまいます……」
「まあ、お願い、そんな悲しいお話はもうそれまでにして」と公爵夫人は目に涙をうかべて叫んだ。「こうして帰って来たんだし……」
「それについては私はあなた以上に喜んでいますよ、どうか信じていただきたいが」と大臣は大まじめで言った。「それにしても結局のところ、ロンバルディアにはいろうとしていたのに、どうしてしかるべき偽名で旅券を出してくれと私に言わなかったんでしょうね? 逮捕の知らせがあったらすぐに私はミラノに出かけたろうし、あの国にいる私の友人たちは目をつぶってくれ、自分らの憲兵がパルマ大公の臣下を逮捕したのだと考えてくれたことでしょうに。あなたの冒険の話は風情《ふぜい》があっておもしろい、それは私とて喜んで認めますがね」と、伯爵は前ほど陰気ではない口調になってつづけた。「森から街道へ出るところなどはなかなか悪くない。が、ここだけの話ですが、その侍僕があなたの命を左右していたのですから、あなたにはそいつの命を奪う権利があったんですよ。私たちはこれから閣下にすばらしい運を開いてさしあげようとしています。すくなくとも夫人はそうしろと私にお命じになった。そして私の不倶戴天《ふぐたいてん》の敵といえども、夫人の命令に私がかつてそむいたことがあるなどといって私を非難することはできますまいよ。あなたがその痩《や》せた馬で鐘楼にむかって突っ走ったとき馬が足を踏みちがえでもしたとすれば、夫人にとっても私にとってもどれほどの悲しみだったことか。いっそのこと首の骨を折られてしまったほうがましなぐらいでしょう」
「今夜はいやに悲劇がかっていますのね、あなたは」公爵夫人は心を動かされて言った。
「私たちが悲劇的な事件にとりまかれているからですよ」と伯爵も感動して答えた。「ここはフランスではありません。フランスでならどんなことでも小歌か一、二年の禁錮《きんこ》で終わってしまいますがね。それに私もこうしたことを笑いながらしゃべるのはまちがっていたのだ。いやね、甥御《おいご》殿、私はあなたを司教にして上げられそうだと思うのです。正直なところ、この公爵夫人がそれをお望みになるのはまことに当然ですが、最初からこのパルマの大司教にするというわけにはまいりませんからね。で、私たちの賢明な忠告を聞くことのできない遠い司教区に行かれた場合、あなたはどんな政策を取るか、ちょっと話してくださいませんか」
「僕の友だちのフランス人たちがいみじくも言うように、悪魔に殺されるよりも悪魔を殺すほうがいいですよ」とファブリツィオは熱っぽい目で言った。「あなたが与えてくださった地位を、ピストルをも含めてありとあらゆる手段で守ることです。僕はドンコ家の系譜のなかで、グリアンタの城を建てた先祖の話を読みました。この人は晩年に、親しい友だったミラノ公ガレアッツォに派遣されて湖畔の城砦を視察に行きました。スイスのほうからまた侵入があるのではないかという不安があったのです。『やはり私から司令官に一言挨拶しておかねばなるまい』とミラノ公は別れぎわに言いました。そして二行ほどの手紙を書いて渡したのです。『こうしたほうが鄭重《ていちょう》だろう』と公は言いました。ヴェスパジアーノ・デル・ドンゴは出発しましたが、湖の上を舟で行くあいだにギリシアのある故事を思い出しました。この人は学者だったんです。主君の手紙をあけてみると、司令官あての命令がありました。彼が着きしだい殺せというのです。スフォルツァ公はわれらの先祖にいっぱい食わせることにばかり心を奪われていたので、最後の行と署名とのあいだに空白を残していました。ヴェスパジアーノ・デル・ドンゴは自分を湖畔の諸城の総司令官として認めよという命令をそこに書きこみ、初めのほうの部分は破棄しました。城砦に着き、総司令官と認められると、そこの司令官を井戸に投げこみ、スフォルツァ家に対して宣戦し、そして数年後にはこの城砦を広大な土地と交換したのでした。この土地が僕たち一門すべてに富を与えたのだし、そしていつかこの僕にも四千フランの年金を与えることになるのです」
「まるでアカデミー会員のような話し方だ」と伯爵は笑いながら叫んだ。「その話はまったくすばらしい不敵なしわざだが、そうした痛快なことをやれるおもしろい機会はまず十年に一度ぐらいしかないでしょう。いいかげん頭の悪い人間でも、注意深く平生慎重であれば、空想家に勝つという楽しみをしばしば味わえるものなんです。ナポレオンがアメリカに逃げずに慎重なジョン・ブルに降伏したのは、馬鹿げた空想によるものでした。テミストクレスを引用した彼の手紙〔一八一五年七月十四日、ナポレオンはイギリスの摂政に親書を送ってイギリス亡命の許しを乞うたが、そのなかでテミストクレスに自分を擬している。テミストクレスはアテネの政治家、軍人。ペルシアに対する戦争で武勲があったが、後に政敵に追われてペルシアにのがれ、厚遇された〕を見て、帳場でジョン・ブルはさんざん笑ったものですよ。いつになっても卑《いや》しいサンチョ・パンサが結局は高潔なドン・キホーテに勝つでしょう。あなたが特別変わったことは何もしないという気になってくだされば、非常に尊敬すべきとは行かなくても、実際に非常に尊敬される司教になれることは請合《うけあ》いです。それでもやはり私の先ほどの考えは変わりません。閣下は馬の件で軽々しくふるまった、もうすこしで終身|禁錮《きんこ》というところだったのですよ」
この言葉にファブリツィオはぎょっとした。彼は深い驚きに沈んでいた。(おれに入獄の危険があるというのはこのことだったのか? 犯すなと言われた罪はこのことだったのか?)と彼は思った。予言としては彼が全然問題にもしていなかったブラネス師の言葉が彼の目にはほんとうの前兆としての重要性を帯びて来た。
「まあ、いったいどうしたの?」と公爵夫人は驚いて言った。「伯爵のお話を聞いて暗い思いに沈んでしまったのね」
「僕は新しい真実の光に照らされたんだ。そしてその真実に反抗せずに、僕の精神はそれを受け容れる。たしかに僕は無期|禁錮《きんこ》すれすれのところに行っていた! しかしあの侍僕はイギリス風の服を着て実に感じがよかった! あいつを殺すなんて、なんて残念なことでしょう!」
大臣はこの温順なところが非常に気に入った。
「とにかくこの人はたいへんよろしい」と彼は公爵夫人のほうへ目をやって言った。「ねえ、ファブリツィオさん、あなたはだれかの心を征服してしまったのですよ、おそらく最も好ましい人の心を!」
(ああ)とファブリツィオは思った。(今度はマリエッタのことでからかっているんだな)それはまちがっていた。伯爵はつづけた。
「あなたの福音書的《ヽヽヽヽ》純真さがわれわれの尊敬すべき大司教ランドリアーニ神父の心をとらえてしまったのです。近いうちに私たちはあなたを副司教にしますが、この茶番のおもしろいところは、現職の三人の副司教、いずれも実力もあり勤勉で、そのうちふたりはあなたが生まれる前から副司教になっていると思いますが、この三人があなたを自分たちの仲間に加えてほしいと大司教にちゃんと手紙でお願いすることになっているということです。このお歴々の申立ての根拠はまずあなたの徳の高さ、ついであなたがあの有名なアスカニオ・デル・ドンゴ大司教の血を引いていることにあるのです。あなたの徳が尊敬されていることを知ると、私は即座に最古参の副司教の甥を大尉に任命してやりましたがね。この甥はスュシェ元帥のタラゴーナ包囲以来ずっと中尉だったんです」
「そのふだん着のままですぐ大司教のところへご機嫌伺いに行ってらっしゃい」と公爵夫人は叫んだ。「妹の結婚のことを話して上げなさい。妹が公爵夫人になるのだと知ったら、あなたがそれだけ使徒たるにふさわしくなったとあのかたは思うでしょう。ただし伯爵があなたの将来の任命について今打ち明けたことは全然知らないことにしておくのよ」
ファブリツィオは大司教邸に駈けつけた。そこでは彼は素朴でつつましかった。そういう調子は彼には楽すぎるほど楽に出せるのだ。反対に大貴族らしくふるまうためには努力しなければならないのである。ランドリアーニ猊下《げいか》の少々くだくだしい話に耳を傾けながら彼は心のなかで言った。(主人の馬の手綱をつかんでいた侍僕におれはピストルを発射すべきだったのか?)理性はそうだと言ったが、心情は顔をめちゃめちゃにされて馬から落ちる美青年の血みどろなイメージになじむことはできなかった。
(馬がつまずいたらおれをのみこむことになっていた牢獄、これはあのいろいろな前兆でおれをおびやかしていた牢獄なんだろうか?)
この問題は彼にとって最も重大なものだった。そして大司教は彼が注意を集中しているらしいのに満足した。
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第十一章
大司教邸を出るとファブリツィオはマリエッタの小さな家に駈けつけた。遠くからジレッティの|だみ《ヽヽ》声が聞こえた。酒を注文して、友だちのプロンプターや蝋燭《ろうそく》の芯《しん》切りと酒盛りをしているのだ。彼の合図に答えたのは母親代わりをしているマンマッチャだけだった。
「あんたがいなくなってからちょっと変わったことがあってね」と彼女は叫んだ。「こちらの役者が二、三人、大ナポレオンのお祝いで乱痴気《らんちき》騒ぎをしたってお咎《とが》めを受けてね。一座はジャコバンだといわれてパルマ領内を立ちのけという命令さ。ナポレオン万歳だよ! だけど大臣はしぶしぶながら金を出してくれたそうだよ。とにかくはっきりしてるのは、ジレッティがお金を持ってることさ。いくらだかは知らないが、エキュ貨を一つかみ持ってるのをあたしゃ見たよ。マントヴァとヴェネツィアヘの旅費としてマリエッタは親方から五エキュ、あたしゃ一エキュもらったがね。あの子はあいかわらずおまえさんに惚《ほ》れてるが、ジレッティがこわいんだよ。三日前、千秋楽の日に、やつはなんとしてもあの子を殺すっていってね。ものすごいびんたを二回も食らわして、しかもひどいことに、あの子の青いショールをやぶいちまった。あの子に青いショールをやってくれればおまえさんはほんとにいい人なんだがね。富籤《とみくじ》でもうけたとかなんとかごまかしておくよ。憲兵隊の鼓手長が明日試合をやるんだってさ。試合の時刻はそこらじゅうの辻のビラに出ているよ。会いにおいでよ。やつが試合を見に行って、少々長いこと留守をしそうな様子だったら、あたしは窓ぎわにいて上がって来いとおまえさんに合図するからね。何かいい物を持って来るようにしてもらいたいね。マリエッタはもう夢中でおまえさんに惚れてるんだからね」
このすさまじい晒屋《ろうおく》の廻り階段を降りながらファブリツィオは臍《ほぞ》を噛《か》む思いだった。(おれはちっとも変わっていない)と彼は思った。(湖畔で人生をあのように哲人的な目でながめたときにかためたりっぱな決心もみんな水の泡《あわ》だ。おれの魂はあのときいつもの状態ではなかったんだ。すべては夢だったから、厳しい現実の前で消え失せるのだ。今は行動の時なのに)と、午後十一時ごろサンセヴェリーナ邸へ帰りながらファブリツィオは思った。しかしコモ湖の岸で夜を過ごしたときにはあれほど容易に思えたことなのに、崇高なまでの真率さで何もかも言ってしまう勇気はどうしても彼の心のなかにはありそうもなかった。(おれは自分を最もよく愛してくれる人を怒らせようとしている。しゃべればへたな役者みたいだろう。ある種の昂揚《こうよう》の瞬間以外にはおれにはなんの取柄《とりえ》もないんだ)
「伯爵は僕に対してほんとに親切にしてくださる」と、大司教邸訪問の報告をしてから彼は公爵夫人に言った。「どうも僕はあの人にそれほど気に入られていないように思えるだけに、あの人の態度はほんとにりっぱだと思うな。だから僕のほうもあの人に対する振舞はちゃんとしたものでなくちゃならない。あの人にはサングイーニャ〔パルマの近くのサングイーニャではエトルスクや古代ローマの遺物が出土している〕の発掘という仕事があって、あいかわらずこれに夢中らしい、すくなくとも一昨日出かけたところから見るとね。人足たちと二時間過ごすために十二里の道を馬を飛ばして行ったんだから。今度その土台を発見した古代の神殿のなかに彫像の破片でもあると、それが盗まれやしないかとあの人は心配なんだな。僕はサングイーニャに一日半ほど行って来ましょうとあの人に言って上げたいんだ。明日五時ごろ大司教にまた会わなくちゃならないが、宵のうちに出発して夜の涼しいうちにあちらへ行けるだろう」
公爵夫人は最初は答えなかった。それから、
「まるであなたは私から離れる口実をさがしているみたいね」と非常にやさしい口調で彼女は言った。「ベルジラーテから帰って来るが早いか、もう出かける理由を見つけるなんて」
(話をするにはいい機会だ)とファブリツィオは思った。(しかし湖畔ではおれは少々頭がどうかしていた。正直になろうとばかり夢中で思っていたため、自分の言う辞令が結局は無礼なものになってしまうことにおれは気がつかなかった。『きわめて献身的な友情……等々であなたを愛しているが、僕の心は恋愛を受けつけない』と彼女に言うことになるわけだが、それは『あなたが僕に愛情をいだいていることはわかるが、気をつけなさい、僕はあなたに同じ愛を報いることはできない』ということではあるまいか? もし愛情をいだいていたら公爵夫人は見破られたことに腹をたてるかもしれない。また単なる友情しかおれに対していだいていないのなら、彼女はおれのあつかましさに不快をおぼえるだろう……こういう侮辱は人は決して許さぬものだ)
こうした重大な考えをひねくりまわしながら、ファブリツィオはそれと気づかずに、不幸がまぢかに迫ったのを知った人間らしく深刻な尊大な顔をしてサロンのなかを歩きまわっていた。
公爵夫人は感嘆の目で彼を見ていた。生まれたときから知っている子どもではもはやなかった。いつも快く自分の言うことをきく甥ではもはやなかった。ひとりのまじめな、こんな人に愛されたらどれほど楽しいだろうかと思わせるような男だった。彼女は腰をおろしていたトルコ風長椅子から立ち上がり、我を忘れて彼の両腕のなかに身を投げながら、
「私から逃げたいの?」と言った。
「いや」と彼はローマ皇帝のような顔をして言った。「ただ無分別でありたくはないんだ」
この言葉はいろいろに解釈できた。ファブリツィオはこれ以上何か言って、このすばらしい女性を傷つける危険を冒す気にはなれなかった。彼は若すぎ、感動しすぎるのだった。言いたいことをうまく相手に通じさせるたくみな言いまわしがいっこうに頭に浮かばない。自然に心が動いて、いろいろと理屈をこねていたにもかかわらず彼はこの魅力的な女性を腕に抱き、接吻をあびせた。その瞬間に中庭にはいって来る伯爵の馬車の音が聞こえ、ほとんど時を移さず伯爵自身がサロンにあらわれた。彼はひどく感動しているようだった。
「あなたは人の心に奇妙な情熱をかきたてるのですね」と彼はファブリツィオに言い、ファブリツィオはこの言葉にほとんど狼狽した。
「大司教は今夜、毎木曜日に定められている殿下の謁見を受けました。大公が先ほど私に話してくださったところによると、大司教はいやにおちつかぬ様子で、暗記しておいた非常に学問的な話をまずはじめ、最初大公はさっぱりわけがわからなかったそうです。最後にランドリアーニは、モンシニョーレ・フアブリツィオ・デル・ドンゴを第一副司教に任命し、その後彼が満二十四歳になったら、|将来後継者とする予定《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》で自分の補佐とすることが、パルマの教会にとってなんとしても必要であると言明しました。
この言葉には私はぎょっとしましたよ、正直なところ(と伯爵は言った)。これじゃ少々性急すぎる。そして私は大公が臍《へそ》を曲げないかと心配でした。ところが大公は笑いながら私を見て、『これはあなたの指し金ですな、ムッシゥー』とフランス語でおっしゃった。『私は神さまと殿下の前で誓ってもよろしゅうございますが、|将来後継者とする《ヽヽヽヽヽヽヽヽ》などという言葉があるとは全然知りませんでした』と私はあらんかぎりの熱誠をこめて叫びました。それからすべての真相を、つまりここで数時間前に私たちが話し合ったことを言ってしまいました。言葉のはずみで、そのあとでさしあたってまずちょっとした司教職をお与えくだされば身にあまる喜びです、とまでつけくわえたのです。大公は私の言葉を信じてくださったに相違ない。好意を示すべきだとお考えになられたのですから。きわめて淡白に大公はこうおっしゃった。『これは大司教と私とのあいだの公的な問題であって、君には全然関係がない。あのお人好しはひどく長い、いいかげん退屈な報告のようなものを私にして、そのあげく公式の提案をしたのだ。私は問題の人物はごく若いし、そして何よりもこの宮廷では新参だとまことに冷やかに答えてやった。ロンバルド=ヴェネツィア王国の大官の息子にそんな高位を与えると約束するのは、いわば皇帝が私に振り出した手形を支払うようなものだろう、とな。大司教にそのような推薦などは全然なかったと言明した。|この私にむかって《ヽヽヽヽヽヽヽヽ》そんなことを言うのはまったくばかだよ。あれほどもののわかった男がこんなばかなことを言うのには驚いたね。しかし、あの男は私と話すときにはいつもへどもどしているのだが、今夜はこれまでなかったほど当惑していた。そこで私はこれはよほど熱心にそうしてもらいたがっているのだと思った。私は言ってやった、デル・ドンゴについて上からの推薦がなかったことは私のほうがよく知っているし、この宮廷で彼の能力を否定するものはひとりもいない、彼の素行《そこう》のこともあまり悪く言うものはない、しかし私はあの男が熱狂しやすい男ではないかと心配しているし、君主たるものが信頼をおくことのできないこの種の狂人どもを決して高い地位にはつけまいと自分は心に誓っているのだ、と。そうすると、最初のとほとんど同じくらい長々しい感傷的な文句をまた聞かされねばならなかった。大司教は教会に対する熱狂のことを私にむかって讃美する。(ばかだな)と私は思った。(血迷っているな、ほとんど許されたも同然の任命がおじゃんになってしまうではないか。早く切り上げて心から私にお礼を言うべきところだったのに)てんでだめだ。ばかばかしいほど臆面もなくお説教をつづける。私はデル・ドンゴにとってあまり不利にならないような返事がないかと考えてみた。一つ思いついた、ちょいと気が利《き》いたのをね。どうだ、こういうのだよ。(猊下《げいか》、ピウス七世は偉大な教皇で偉大な聖者でした。すべての君主たちのなかで彼だけが、ヨーロッパを慴伏《しょうふく》させていた暴君にあえてノーと言ったのです! ところが、その彼は熱狂しやすかった。そのため彼はイモラの司教だったとき、チザルビナ共和国のためにあの有名なシトワイヤン・キヤラモンティ枢機卿の教書を書くにいたったのですよ)
かわいそうに大司教は度胆を抜かれてしまっていた。そして私はとどめを刺すために、(さようなら、猊下、あなたの提案については二十四時間考えさせてもらいます)とごくまじめな口調で言ってやった。かわいそうにあの男は、私がさようならと言ってしまっているのだから相当|強引《ごういん》な話だが、あまり出来のよくない嘆願をいくつかつけくわえた。ところで、モスカ・デッラ・ロヴェーレ伯爵、公爵夫人に喜ばれそうなことを二十四時間も引きのばそうとは私は思わないと、夫人に伝えてくれたまえ。そこに坐って、この一件の決着をつける認可状を大司教にあてて書くのだ』で、私は認可状を書き、大公はそれに署名して、『今すぐこれを公爵夫人のところへ持って行け』とおっしゃった。これがその認可状です。これのおかげで私はありがたいことに今夜もう一度あなたに会う口実ができたのですよ」
公爵夫人は有頂天になってその認可状を読んだ。伯爵の長い物語のあいだにファブリツィオは気を取り直す余裕があった。彼は全然この一件に驚いたような様子を見せず、こうした破格の出世、普通の町人なら取り乱してしまうようなこうした意外なめぐり合わせは自分の当然の権利だといつも思っている真の大貴族らしく事を受け取った。彼は感謝を述べたが、それも節度ある言い方で、最後に彼は伯爵にこう言った。
「良き廷臣は支配者の道楽を満足させねばなりません。昨日《きのう》あなたはサングイーニャの人夫たちが彫像の破片を見つけたら盗むかもしれないと心配していらっしゃいました。僕も発掘は大好きです。許してくださるなら僕が人夫を監督に行きましょう。宮中と大司教とにしかるべくお礼を言上《ごんじょう》したうえで明日の夜サングイーニャに出発します」
「でも」と公爵夫人は伯爵に言った。「あの大司教がどうして急にこれほどファブリツィオに肩を入れてくださるのか推測がつきまして?」
「推測するまでもありませんよ。甥を大尉にしてやったあの副司教が咋日私に言いました。『ランドリアーニ神父は正式の役職は補佐役より上であるという当然の原則から出発していらっしゃるのですよ。そしてドンゴ家のものを部下にし、恩をかけておくということが嬉しくてたまらないのです。ファブリツィオの高い家柄を引き立たせることはすべてあのかたの心中の喜びをいやが上にも高めるのです。何しろそういう人を幕僚《ばくりょう》にするというわけですから! 第二に、ファブリツィオ猊下《げいか》はあのかたの御意にかなうのです。ファブリツィオ猊下の前ではびくびくした気持ちにならないのですから。そして最後に、あのかたはもう十年もピアチェンツァ司教に対してあからさまな反感をいだいていらっしゃいます。あの司教はパルマの大司教位を継ぐという野心を公然と表明しているし、そのうえ粉屋の息子なのです。この後継ぎということをねらってピアチェンツァ司教はラヴェルシ公爵夫人とすこぶる緊密な関係を結んだのですが、現在この関係を見て大司教は、ドンゴ家のものを自分の幕僚に加え部下にしたいという大事な計画が成功するかどうかとはらはらしているのです』と」
翌々日の早朝からファブリツィオはコロルノ(これはパルマ大公家のヴェルサイユである)の向かいにあるサングイーニャの発掘作業を監督していた。この発掘の現場はパルマからオーストリア領の最初の町であるカザル・マッジョーレの橋へ通ずる街道のそばの平原にひろがっていた。人夫たちはこの平原に、なるべく幅の狭い深さ二・五メートルばかりの長い溝を掘った。古代ローマの街道に沿って中世にはまだ残存していたとこの国では言われている第二の神殿の遺跡をさがしているのだった。大公の命令があるにもかかわらず、何人かの百姓は自分らの地所を横切るこれらの長い溝《みぞ》を嫉妬の目で見ずにはいられなかった。なんと言われようと彼らは財宝をさがしているのだと思いこんでいたからだ。ファブリツィオが来たことは、何よりもちょっとした暴動が起こるのを防ぐのに都合がよかった。彼は全然退屈しなかった。熱心に作業を見てまわった。ときどきメダルか何かが見つかったが、彼は人夫たちがしめしあわしてそれを|ねこばば《ヽヽヽヽ》するような余裕を与えたくなかった。
晴れた日で、午前六時ごろになっていたろう。彼は旧式の単発銃を借り、何羽かの雲雀《ひばり》を射った。そのうちの一羽は傷ついて街道の上に落ちた。それを追い駈けながらファブリツィオはパルマからカザル・マッジョーレの国境のほうへむかって来る一台の馬車を遠くに見かけた。ちょうど弾をこめたとき、ひどい|がた《ヽヽ》馬車がごくそろそろと近づいて来て、彼はマリエッタを認めた。彼女の横にはあの人相の悪い大男のジレッティと、彼女が自分の母親だと言っている老婆がいた。
ジレッティはファブリツィオが銃を手にしてこのように街道のまんなかに立っているのは、自分をののしり、おそらくマリエッタを自分から奪うためだと想像した。勇敢な男らしく彼は車から飛び降りた。左手にはひどく錆《さ》びた大きなピストル、右手には鞘《さや》におさめたままの剣を持っている。これは芝居の必要で侯爵の役などをふりあてられたときに使っていたものである。
「やあ、悪党め!」と彼は叫んだ。「国境から一里しかないここできさまに出逢ったのは好都合だ。今|かた《ヽヽ》をつけてやるからな。ここでは紫の靴下なんぞ役にたたねえぞ」
ファブリツィオはマリエッタのほうへ秋波を送っていて、ジレッティの嫉妬の叫びなどほとんど問題にしていなかったのだが、そのとき突然胸から一メートルばかりのところに錆《さ》びたピストルの銃口を見た。銃を棒代わりにしてそのピストルにたたきつける時間しかなかった。ピストルは発射したがだれも傷つけなかった。
「止めろったら、ちくしょう」とジレッティはヴェットゥリーノ〔イタリア語で馭者のこと。道案内も勤める〕に叫んだ。
と同時に彼はたくみに相手の銃口に飛びつき、自分のからだからそらした。ファブリツィオと彼は全力を上げて引っぱり合った。ずっと力のあるジレッティは手でたぐるようにして火皿のほうへ手を伸ばし、今にも銃をひったくろうとしたので、ファブリツィオは銃を使えないようにするために発火した。銃の先端がジレッティの肩より三インチほど上にあるのを彼はあらかじめ見ておいたのだ。銃声は相手の耳のはたでした。相手は少々びっくりしたが、たちまちのうちに我に返った。
「やあ、おれの脳天《のうてん》を射ち抜く気か、この野郎! その返報はこれだ!」
ジレッティは侯爵の剣の鞘を投げ捨て、目にもとまらぬ早さでファブリツィオに突撃した。ファブリツィオには武器がなく、もうだめだと思った。
彼はジレッティの十歩ばかりうしろに止まっている馬車のほうに逃げた。馬車の左手にまわり、片手で馬車のスプリングをつかまえてぐるりとまわって、開いてある馬車の右側の扉のすぐそばをすっ飛んで行った。ジレッティは一散に駈け出したが、スプリングにつかまることを忘れたのでその方角のままで数歩行ってから立ち止まった。ファブリツィオが開いた扉のそばを通ったとき、マリエッタが小声で言うのが聞こえた。
「気をつけてよ。殺されるわよ、ほら!」
と同時にファブリツィオは扉から大型の狩猟用のナイフのようなものが落ちるのを見た。彼はそれを拾おうとして身をかがめたが、その瞬間ジレッティが斬りつけた剣が肩にあたった。ファブリツィオが立ち上がるとジレッティはすぐ目の前にいて、剣の柄《つか》で彼の顔に猛烈な一撃を加えた。これはものすごい力だったので、ファブリツィオは完全に正気を失うところだった。この瞬間彼はすんでのところで殺されるところだった。彼にとってさいわいなことにジレッティはあまりそばに寄りすぎたままだったので、切先で突くことができなかった。ファブリツィオは我に返ると全速力で逃げ出した。走りながら狩猟用ナイフの鞘を捨て、それからぱっとふりむいて追って来たジレッティと三歩の距離で向き合った。ジレッティははずみがついており、ファブリツィオは切先で突いた。ジレッティはサーベルで猟刀をすこし払い上げることができたが、左の頬《ほお》のまんなかをぐさりとやられた。彼はファブリツィオの体すれすれにすっ飛んで行ったが、ファブリツィオは腿《もも》を刺されたのを感じた。ジレッティがすばやく短刀を抜いて刺したのだ。ファブリツィオは右へ飛びのいた。彼は向き直り、こうしてふたりの敵はしかるべき距離を置いて向き合った。
ジレッティは悪鬼のようにののしった。
「やい、喉笛《のどぶえ》をかききってやるぞ、くそ坊主め」と彼は何度もくりかえした。
ファブリツィオは息が切れてしゃべることができなかった。剣の柄でなぐられた顔がひどく痛み、鼻血がどくどくと流れた。何度か猟刀で渡り合い、ほとんど無意識に何度か突きを入れた。公開の試合をしているような気がなんとなくした。この観念は、相当の距離を置いてではあるが闘うふたりを取り巻いて輪を作っている二十五人から三十人ばかりの人夫たちのために浮かんで来たものだ。彼らが相当の距離を置いたのは、ふたりがしょっちゅう動きまわってたがいに相手におどりかかるからだった。
闘いは少々だらだらして来たように見えた。打ち合いはもはや今までのような速さでおこなわれなかった。ファブリツィオは(こう顔が痛いところを見ると、よっぽど顔の形が変わってしまったに相違ない)と思った。そう思うと憤怒に駆られて彼は猟刀の切先を前に出して敵に飛びかかった。切先はジレッティの右胸からはいって左の肩へ出た。同じ瞬間にジレッティの剣は思いきり伸びてファブリツィオの上膊に突き刺さった。しかし剣は皮膚の下をくぐっただけで、傷は取るに足りなかった。
ジレッティは倒れた。ファブリツィオが短刀を握っている彼の左手をみつめながら近づいたとき、その手は自然に開いて短刀を落とした。
(悪党め、死んだな)とファブリツィオは思った。
彼は相手の顔をながめた。ジレッティは口からひどく血を吐いていた。ファブリツィオは馬車に駈け寄った。
「鏡があるかい?」と彼はマリエッタに叫んだ。
マリエッタは蒼白になって彼をみつめ、返事をしなかった。老婆はおちつきはらって緑色の裁縫袋を開き、掌《てのひら》ほどの大きさの柄つきの鏡をさしだした。ファブリツィオは鏡に映しながら顔にさわってみた。(目は大丈夫だ)と彼は思った。(それだけでもありがたい)歯を見たが、歯も全然折られていない。
(それじゃいったいどうしてこんなに痛むんだろう?)と彼は小声でつぶやいた。
老婆が彼に言った。
「ほっぺたの上のほうの肉がジレッティの剣の柄とそこにある骨にはさまってつぶれたのさ。あんたのほっぺたはものすごく腫《は》れて青くなっているよ。すぐに蛭《ひる》をつけるんだね。そうすりゃなんでもなくなるよ」
「ああ、すぐに蛭をつけるのか」とファブリツィオは笑いながら言い、すっかり冷静をとりもどした。人夫たちがジレッティを取り巻き、あえてさわろうとせずにながめているのを彼は見た。
「その男を助けてやれ」と彼は叫んだ。「服をぬがせろ……」
言葉をつづけようとしたが、目を上げると三百歩ほど向こうの街道を五、六人の男が活劇の場にむかってしずしずと進んで来るのが見えた。
(憲兵だ)と彼は思った。(死人が出たんだからやつらはおれを逮捕するだろう。そしておれは堂々とパルマの町に入城する光栄に浴するわけか。叔母さんを憎んでいるラヴェルシの味方の廷臣どもにとってはこれはなんという嬉しい話題だろう!)
そう考えるやいなや電光石火の速さで、彼は唖然《あぜん》としている人夫どもにポケットにあった金を全部投げてやって馬車に飛びこんだ。
「憲兵がおれを追うのを止めてくれ」と彼は人夫たちに叫んだ。「そうすりゃいくらでも金をやるぞ。やつらに言ってくれ、おれには罪はない、その男がおれを襲い、殺そうとしたのだって」
それからヴェットゥリーノに、
「おまえは馬を全速で飛ばしてくれ。あいつらがおれをつかまえる前にポー河を渡ってくれたらナポレオン金貨を四枚やるぞ」
「ようがす!」とヴェットゥリーノは言った。「しかしこわがることはありませんよ。あの連中は歩いているんだから、こっちの馬をちょっと速駈けさせるだけで充分引き離せますぜ」
そう言いながら彼は馬を全速にさせた。
われらの主人公は馭者の言ったこの|こわがる《ヽヽヽヽ》という言葉に気を悪くした。というのは、顔を剣の柄でなぐられたあとで実際彼はひどくこわかったからである。
「向こうから馬で来る人間と行き違うかもしれませんな」慎重なヴェットゥリーノはナポレオン金貨のことを考えながら言った。「そうしてうしろから来るやつらがこちらをつかまえろと叫ぶかもしれない」
つまり銃に弾をこめておけということだった。
「ああ、あなたはなんて勇敢なんでしょう、かわいい坊さん!」とマリエッタはファブリツィオに接吻しながら叫んだ。
老婆は扉から外をながめていた。しばらくすると彼女は頭をひっこめた。
「だれも追って来ませんよ、旦那」と彼女はおちつきはらってファブリツィオに言った。「前のほうにも街道にはだれもいない。オーストリアの警察官がどれっくらいやかましいか旦那もごぞんじでしょう。ポー河の堤防をこんな風に全速力で飛ばして来るのを見たら、やつらはあんたをつかまえますよ、そりゃあもうきまりきってるわ」
ファブリツィオは扉から外をながめた。
「速歩にしろ」と彼は馭者に言い、「どんな旅券を持っている?」と老婆に訊いた。
「一つじゃない、三つも持っていますよ」と彼女は答えた。「しかも一つについて四フランも払ったんですからね。一年じゅう旅をしている貧しい役者にとってはたいへんなことじゃありませんか! これが役者ジレッティさんの旅券です。旦那が使えばいい。それからマリエッタと私の分が二枚。でもジレッティのポケットに私たちのお金が全部はいっていました。私たちはどうなるでしょう?」
「どれほど持っていたんだ?」
「五フラン貨四十枚ですよ」
「あら、六枚よ、それと小銭と」とマリエッタが笑いながら言った。「あたしのかわいい坊さんをだまさないでよ」
「旦那、あたしが三十四エキュあんたからまきあげようとするのはまったく当然じゃありませんかね?」と老婆はおちつきはらって言った。「あんたにとって三十四エキュなど何ほどのものでしょう。一方あたしたちのほうは保護者を失ったんだからね。泊まるところを見つけたり旅行ちゅうヴェットゥリーノたちと馬車代をかけあったり、人々ににらみを利《き》かせたりすることをこれからだれがやってくれるんです? ジレッティは美男じゃなかったが、とても便利な男だったよ。そしてこの娘が最初からあんたに惚《ほ》れっちまうようなばかな女でなかったら、ジレッティはなんにも気づかなかったろうし、あんたはあんたであたしたちにお金をくれたろう。まったくの話、あたしたちはほんとに貧之なんですからね」
ファブリツィオは胸を打たれた。彼は財布を引き出し、ナポレオン金貨を何枚か老婆に与えた。
「ごらんのとおり、もう十五枚しか残っていない」と彼は言った。「今後はもう僕をだまそうとしてもだめだよ」
マリエッタは彼の首にしがみつき、老婆は彼の手に接吻した。馬車はあいかわらず小走りに進んで行った。オーストリア領を示す黒い筋のはいった黄色の柵が遠くに見えると、老婆はファブリツィオに言った。
「あんたはジレッティの旅券をポケットに入れて歩いてはいったほうがいい。あたしたちのほうはちょっと身じまいするという口実でしばらく馬車を止めます。それに税関があたしたちの持ち物を調べるでしょう。あんたのほうは、あたしの言うことが信じられるなら、いかにものんびりとカザル・マッジョーレを通り抜けるんだね。それどころかカフェにでもはいってブランデーを一杯やるのさ。いったん村から外へ出たら突っ走る。オーストリア領では警察はものすごく油断がないからね。人が殺されたことを警察はじきに知るよ。あんたは自分のものでない旅券で旅をしているんだから、それだけでもう二年間の禁錮は確実だね。町を出たら右ヘポー河に出て、舟を雇ってラヴェンナかフェッラーラに逃げなさい。できるだけ早くオーストリア領から出るんだよ。二ルイも出せばどこかの税関吏から別の旅券を買えるよ。その旅券は命取りだからね。人ひとり殺したんだってことを忘れるんじゃないよ」
カザル・マッジョーレの舟橋のほうへ歩いて行きながらファブリツィオはジレッティの旅券を注意深く読み直した。われらの主人公はひどくこわかった。モスカ伯爵が彼にとってオーストリア領に帰ることがどんなに危険かを話してくれたことをまざまざと思い出したのだ。ところで、その国へ通ずる恐ろしい橋が前方二百歩のところに見えた。その国の首府は彼にとってはシュピールベルク監獄だったのだ。しかしほかにどうしたらいいだろう? パルマの国の南に接しているモデナ公国ははっきりとした協定によって逃亡者をパルマ国に返すことになっている。ジェノヴァの方角の山のなかの国境は遠すぎる。彼がその山地に到達しないうちに彼の災難はパルマに知れてしまうだろう。してみると、あとはポー河の左岸のオーストリア領しかなかったのだ。オーストリアの官憲に彼の逮捕を依頼する書状をしたためるまでには、たぶん三十六時間もしくは二日間がかかるだろう。あれこれ考え合わせたうえでファブリツィオは自分の旅券を葉巻きの火で焼いた。オーストリア領ではファブリツィオ・デル・ドンゴであるよりも一介《いつかい》の放浪者であるほうがよかったし、身体検査されることも考えられたからだ。
自分の生命を不幸なジレッティの旅券に託すということはやりきれなかったが、それとは別にこの旅券はいろいろと現実的な難問を提出した。ファブリツィオの身長はせいぜい五フィート五インチで、旅券に書いてあるように五フィート十インチではなかった。彼は二十四歳になろうとしていたがもっと若く見え、ジレッティのほうは三十九歳だった。われらの主人公が舟橋のそばの二重堤防の上を三十分たっぷりうろついていて、それからようやく降りて行く決心をしたことをわれわれは認めよう。(だれかがおれの立場にいたら、おれはその男になんと忠告するだろう?)と最後に彼は思った。(もちろん渡れと言うだろう。パルマ国にとどまることには危険がある。たとえ正当防衛であろうと人ひとり殺した人間がいれば、当局は憲兵に追わせるだろう)ファブリツィオはポケットを調べ、すべての書類を破り捨て、ハンケチと葉巻の箱しか残さなかった。これから受ける検査をなるべく短くさせることが肝要だったのだ。これから受けるかもしれない恐ろしい訊問のことを彼は思った。それにはまともな答えはできそうもなかった。自分の名はジレッティだと彼は言うつもりだったが、下着類にはすべてF・Dというネームがついていたのだ。
ごらんのようにファブリツィオは自分の想像力によって苦しめられる不幸な人間のひとりだった。これはイタリアの才気ある人間のおおかたの持つ欠点なのだ。勇気は同じでも、あるいはもっと劣っていても、フランスの兵隊ならばすぐ橋を渡ろうとして出て行ったろう、しかもあらかじめ困難のことを考えることなどは全然せずに。しかもごく冷静にふるまったろう。ところがファブリツィオは、橋を渡ったところで鼠色の服を着た小男がこう言ったときには冷静どころではなかったのである。
「旅券を調べますから警察の派出所にはいってください」
この派出所はきたない壁に釘を打って、それに役人のパイプやきたない帽子がかけてあった。彼らは大きな樅《もみ》材の机のうしろに陣取っていたが、その机はインキや葡萄酒のしみだらけだった。緑色の革で装幀《そうてい》した二、三冊の大きな帳簿にもいろいろな色のしみがつき、ページの縁は手垢《てあか》で黒くなっている。積み重ねた帳簿の上には、前々日の皇帝の祝いに使われたすばらしい月桂冠が三つのせてあった。
ファブリツィオはこうした細部に驚かされた。胸をしめつけられるような気がした。サンセヴェリーナ邸の彼の小ぎれいな部屋のなかでだれの目にもつくみごとな新鮮な豪奢さに慣れていたことの報いだった。彼はこの派出所にはいり、しかも身分の低い人間のようにふるまわねばならなかった。訊問を受けるのだ。
彼の旅券を取ろうとして黄色い手をさしだした役人は背が低く色が黒く、ネクタイに真鍮《しんちゅう》のピンをつけていた。(ふきげんなおやじさんだな)とファブリツィオは思った。男は旅券を読んでひどく驚いたように見えた。五分もかかつて読んだ。
「事故に遭《あ》ったのですか?」と彼は目を相手の頬へやって言った。
「ヴェットゥリーノのおかげでポー河の土手から投げ落とされまして」
それからまた沈黙がつづき、役人は恐ろしい目で旅人をじろじろながめた。
(ははあ)とファブリツィオは思った。(こいつめ、残念ながら悪い知らせがある、あなたを逮捕するとでも言うんだろうな)ありとあらゆる種類の狂おしい考えがわれらの主人公の頭にひしめいた。この瞬間彼はあまり論理的ではなかった。たとえば彼は、開いたままの派出所の扉から逃げ出すことを考えた。
(服をぬぐ。河に飛びこむ、そしてたぶん泳いで渡ることができるだろう。どんなことでもシュピールベルクにくらべればましだ)警察の職員は、彼がその冒険の成功の可能性を計算しているあいだじっと彼をみつめていた。対照的な二つの顔だ。危険の存在は理性的な人間に霊感を与え、言ってみればよりすぐれた人間にする。空想家には小説を作らせる。いかにも大胆ではあるが、多くの場合不条理な小説だ。
真鍮のピンをつけたこの警察の小役人のさぐるような視線を浴びたわれらの主人公の憤激の目は、それを見たものでなければ想像できない。(こいつを殺せば、殺人罪で二十年の懲役刑か死刑を宣告されるだろう。しかしそれだって、シュピールベルクに入れられて両脚のそれぞれに百二十ポンドの鎖をつけられ、食べ物としては八オンスのパンだけなどというのにくらべればそんなに恐ろしくない。しかもそれは二十年もつづくのだ。そうすりゃおれは四十四にならなければ出られない)ファブリツィオの論理は、彼が自分の旅券を焼いてしまった以上、彼が謀叛人《むほんにん》ファブリツィオ・デル・ドンコであることを役人に知らせるものは何もないということを忘れていたのである。
ごらんのとおりわれらの主人公はもう充分|怯《おび》え上がっていた。だが警察の小役人の頭にひしめいている考えを知ったとすればもっと怯え上がったろう。この男はジレッティの友だちだったのだ。ジレッティの旅券をほかのものが持っているのを見たときの彼の驚きは想像に難くない。彼が最後に考えたことはこの男を逮捕させることだった。ついで彼は、どうもパルマで何か悪いことをして来たらしいこの美青年にジレッティが旅券を売ったということも大いにあり得ることだと思った。(おれがこいつを逮捕したらジレッティも巻き添えを食うだろう。やつが旅券を売ったことは簡単にわかつちまうから。しかしまた、ジレッティの友だちであるおれがジレッティの旅券をほかのものが持っているのに文句を言わなかったことが確認されたら、上官はなんと言うだろうか?)役人は|あくび《ヽヽヽ》をしながら立ち上がってファブリツィオに言った。
「待っててください」
それから警察の習慣でつけくわえた。
「ちょっと面倒なことがおこったので」
ファブリツィオは独り言を言った。(おれの逃走がはじまるのさ)
事実役人は戸を半開きにしたまま派出所を出、旅券は樅材《もみざい》の机の上に残された。(危険は歴然としている)とファブリツィオは思った。(旅券を持って橋をそっと渡り返そう。憲兵が訊いたら、パルマ領の最後の村の警察署長に旅券に査証してもらうのを忘れたと言うんだ)ファブリツィオがすでに旅券を手にしたとき、あの真鍮のピンをつけた役人がこう言っているのが聞こえてなんとも言えないほど驚いた。
「いや、もうたまらないよ。暑さでうだってしまう。カフェで一杯やって来る。パイプを吸い終わったら、きみ、事務室に行ってくれ。一つ査証してやらなくちゃならないんだ。外国人がひとり待っている」
ファブリツィオが足音を忍ばせて出たとたん、鼻歌まじりで「よし、それじゃその旅券に査証してやるか、おれの花押《かおう》を見せてやるか」と独り言をいっている美男子と鉢合せになった。彼はファブリツィオを見ると、
「どこへいらっしゃるんです?」と聞いた。
「マントヴァ、ヴェネツィア、フェッラーラヘ」
「フェッラーラ、よろしい」と役人は口笛を吹きながら答えた。
彼は印を取り、青いインキで旅券に査証を押し、余白にマントヴァ、ヴェネツィア、フェッラーラと手速く書き、それから何度も手を振りまわしてから署名し、またインキを取って、ゆっくりとばかていねいに花押を書いた。ファブリツィオはそのペンの動きをずっと見守っていた。役人は自分の花押《かおう》を満足げにながめ、五つか六つ点を書きくわえ、やっと旅券をファブリツィオに渡して気軽な調子で言った。
「ごきげんよう」
ファブリツィオは急いでいるのを見せまいとしながら立ち去ったが、いきなり左腕を取って引き止められた。本能的に彼は短刀の柄に手をかけた。まわりに家があるのを見なかったらきっと軽率なことをしでかしたろう。彼の腕にさわった男は彼がひどくぎょっとしたらしいのを見て、あやまるように言った。
「三度お呼びしたんですが、返事をしてくださらなかったんで。何か税関に申告するものがありませんか?」
「ハンケチしか持っていません。すぐそばの親戚の家に猟をしに行くんですから」
その親戚の名を言ってくれと言われたら彼は大いに困惑したろう。ひどい暑さだし昂奮もしていたので、ファブリツィオはポー河におっこちでもしたようにびしょぬれだった。(役者どもが相手のときにはおれは勇気を失わないが、真鍮のピンをつけた役人が相手だと取り乱してしまう。こいつを主題にして公爵夫人のために滑稽なソネットを一つ作ってやろう)
カザル・マッジョーレにはいるやいなや、彼は右に折れてポー河のほうに下って行くひどい道を行った。(おれにはバッカスとセレス〔酒の神と穀物の神。つまり渇きと飢えをいやす必要があるということ〕の助けがぜひ必要だ) そうして彼は、鼠色の布巾《ふきん》を棒に結びつけておもてに出している店にはいった。布巾にはTrattoria(飲食店)と書いてある。粗悪な敷布をひどく細い二本の木の枠《わく》に張って地面から一メートルほどのところまでたらして、入口を太陽の直射光から防いでいる。そこで下着だけの非常に別嬪《べつぴん》な女がわれらの主人公をうやうやしく迎えたが、これはこのうえなく強烈な喜びを彼に与えた。急いで彼は腹がへって死にそうだと女に言った。女が昼食の支度をしているときに三十歳くらいの男がはいって来た。挨拶もせずにはいって来たのだ。慣れた様子でどっさりと腰掛けに腰をおろしたが、突然立ち上がってファブリツィオに言った。
Eccelenza, la riverisco(閣下、こんにちは)
ファブリツィオはこのとき非常に楽しい気分だったので、物騒な考えを起こさなかった。彼は笑いながら答えた。
「どうして君は私が閣下だと思うんだね?」
「なんですって! 閣下はロドヴィーコがわからないんですか、サンセヴェリーナ公爵夫人の馭者のひとりだった? 毎年行ったサッカの別荘でいつも熱を出しましたんで、私は奥様に年金をお願いしてお暇《いとま》をちょうだいしました。今じゃ私は金持ですよ。私などせいぜい十二エキュの年金をいただく権利しかないのですが、奥さまは私がソネットを作る暇《ひま》を持てるように(私は俗語《ヽヽ》詩人でございますんで)二十四エキュくださるとおっしゃいましたし、伯爵さまは困ることがあったらいつでも言って来いとおっしゃいました。モンシニョーレが良きキリスト教徒としてヴェッレーヤの修道院に修業にいらっしゃったときには、私が一丁場お供いたしましたんで」
ファブリツィオはその男をみつめたが、少々見覚えがあった。サンセヴェリーナ邸でいちばん気のきいた馭者のひとりだった。今じゃ金持だと言っているくせに、着ているものといっては破れた厚ぼったいシャツと、膝《ひざ》までやっととどくかどうかという昔は黒く染めていたらしい麻の短ズボンだった。それと短靴にひどい帽子といういでたちである。しかも二週間も髯《ひげ》を剃《そ》っていない。オムレツを食べながらファブリツィオはこの男とまったく対等に会話をした。ロドヴィーコはここのおかみの情夫だと彼は思った。手速く昼食を終えると彼は小声でロドヴィーコに言った。
「ちょっと話があるんだ」
「あの女の前ではなんでも心配なく話せますよ。ほんとにいい女ですから」とロドヴィーコはやさしい顔をして言った。
「それでは言うがね」とファブリツィオはためらわずに言った。「僕は困っている。君らにぜひ助けてもらいたいんだ。第一に、この一件には政治は全然関係ない。僕がその色女に話しかけたというんで僕を殺そうとした男を殺したにすぎないんだ」
「まあ、お気の毒に!」とおかみは言った。
「閣下、まかしといてください!」馭者は強烈な献身の情に目を輝かせて叫んだ。「閣下はどちらへいらっしゃるおつもりで?」
「フェッラーラヘ。旅券を持っているのだが、憲兵に会わずにすましたいんだ、事件を知っているかもしれないから」
「そいつをやっつけたのはいつです?」
「けさ六時」
「お召物に血がついていませんかしら?」とおかみが言った。
「おれもそれを考えたんだがね」と馭者は言った。「それにこの服の生地《きじ》はあまり上等すぎます。このあたりの田舎じゃこれほどのものはめったに見ませんから、人目をひきますよ。ユダヤ人のところへ行って服を買って来ましょう。閣下は身長はだいたい私と同じだが、すこし痩《や》せていらっしゃる」
「お願いだから閣下はやめてくれよ。それも人目をひくかもしれない」
「承知しました、閣下」店を出ながら馭者は答えた。
「おいおい、金だ! もどってくれ!」とファブリツィオは叫んだ。
「お金のことなんて!」とおかみは言った。「あの人、六十七エキュも持っていますわ。いくらでもあなたさまの役にたてることができるんです。あたしだって(と彼女は声を落としてつけくわえた)四十エキュばかり持っています。喜んでさしあげますわ。こうした思いがけないことが起こるときにいつもお金を持っているとはかぎりませんもの」
ファブリツィオは店の中にはいると、暑かったので上衣をぬいでいた。
「今着ていらっしゃるチョッキはだれかがはいって来たら困りますわ。そんなりっぱな英国地《ヽヽヽ》は人目をひきます」
彼女はわれらの主人公に自分の亭主の持物である黒い地のチョッキを与えた。背の高い若い男が奥のほうから店に出て来た。なかなかしゃれた身なりをしていた。
「亭主です」とおかみは言った。「ピエトロ・アントニオ、このかたはロドヴィーコのお友だちだよ。けさ川向こうで何か事件があったので、フェッラーラへ逃げたいとおっしゃるのさ」
「へえ! それじゃ川を渡してさしあげよう」と亭主は非常に鄭重《ていちよう》に言った。「カルロ・ジュゼッペの舟があるから」
これはわれらの主人公のもう一つの弱点で、先ほどの橋を渡ったところにあった警察の派出所での彼の恐怖を語ったのと同じく率直に作者はこれを認めるのだが、彼は目に涙を浮かべていた。彼はこの百姓たちから申し分のない献身を見せられて深く感動したのだ。彼はまた自分の叔母の特徴をなしている親切さをも思った。この人々を金持にしてやれたらと彼は思った。ロドヴィーコは包みを持って帰って来た。
「野郎、死んじまったろう」と亭主は親しげに彼に言った。
「それどころではない」ロドヴィーコはひどく気づかわしげな口調で答えた。「あなたのことがうわさになりだしました。この路地《ヴイコロ》にはいって来るときあなたがためらっていたこと、身をかくそうとする人間のように大通りから離れたことに気がついたものがいるのです」
「早く部屋にはいってください」と亭主が言った。
非常に大きくてきれいなその部屋の二つの窓には、ガラスのかわりに鼠色のカンヴァスが張ってあった。ベッドが四つあるのが見えた。
「早く! 早く!」とロドヴィーコは言った。「新任のにやけ男の憲兵がいましてね、下の別嬪《べつぴん》に言い寄ろうとしたんです。私はそいつに、連絡で街道を行くときに弾丸が飛んで来るかもしれんぞと言ってやりました。あの犬が閣下のうわさを聞いたら、私たちに一泡吹かせようとするでしょう。テオドリンダのこの店に悪い評判をたてさせようとして、ここであなたを逮捕しようとしますよ」
ファブリツィオのシャツが血だらけになっており、傷をハンケチで縛っているのを見てロドヴィーコはつづけた。
「いや、こいつは! それじゃその豚野郎《ポルコ》は抵抗したんですな? これじゃどうしたってあなたは逮捕されっちまいます。私はシャツは買って来なかったし」
彼は遠慮なしに亭主の箪笥《たんす》をあけてそのシャツを一枚ファブリツィオにさしだし、ファブリツィオは間もなく田舎のお大尽《だいじん》といった服装になった。ロドヴィーコは壁にかかつている網をはずしファブリツィオの衣類を魚を入れる籃《かご》に入れ、駈け降りて裏口から出た。ファブリツィオはあとを追った。「テオドリンダ」とロドヴィーコは店のわきを通るとき叫んだ。「上にあるものをかくしといてくれ。おれたちは柳の木立のなかで待つ。ピエトロ・アントニオ、大急ぎで舟を一|艘《そう》まわしてくれ。金は充分払う」
ロドヴィーコは二十以上もの溝をファブリツィオに越えさせた。それらの溝のなかで特に広いものは、非常に長くてひどくはずむ板を橋がわりにしていた。ロドヴィーコは渡ってしまうとその板をはずした。最後の堀割まで来ると彼は大急ぎで板を引っぱった。
「ここで一息つきましょう。あの憲兵の犬も、ここまで追いつくには二里以上も歩かなくちゃなりますまい。ひどく顔色が悪いですね(とファブリツィオに)、抜かりなくブランデーの小壜《こびん》を一本持って来ましたよ」
「そいつはまったくありがたい。腿《もも》の傷が痛みだしたんだ。それに、橋を渡ったところの警察の派出所でものすごくこわかったんでね」
「そりゃそうでしょう。あんなに血だらけのシャツを着たままで、よくもまあそんな場所におはいりになったものだと思いますよ。傷のことじゃ私は心得があります。これからうんと涼しいところへ連れて行ってあげますから、そこで一時間ほどお眠りになるといい。舟がそこへ迎えに来てくれるでしょう、舟を手に入れる方法があればのことですがね。でなければ、少々休息なさってからまた二里足らず行って、水車小屋へお連れしますよ。そこで私が舟を借ります。こんなことは閣下のほうがよくご承知でしょうが、奥さまは事件のことを聞いたら絶望なさるでしょう。あなたは瀕死《ひんし》の重傷を負ったと申すものがいるでしょう、それどころか、あなたが相手をだまし討ちで殺したとまで。ラヴェルシ侯爵夫人はかならず、奥さまを悲しませるような悪いうわさをいろいろとまきちらすことでしょう。なんなら手紙をお書きください」
「でもその手紙をどうしてとどける?」
「これから行く水車小屋の小僧どもは日に十二スーかせいでいます。やつらは一日半でパルマへ行きますから、足代に四フラン、靴の損料に二フラン、まあこの用事が私のような貧之人のためだったら六フランというところでしような。しかしこれは大貴族さまのご用ですから、十二フラン出してやりましょう」
榛木《はんのき》と柳のよく茂った涼しい森のなかの休み場所に着くと、ロドヴィーコはそこから一時間以上もするところへ紙とインキを取りに行った。
(ああ、ここはなんていい気持ちだろう!)とファブリツィオは叫んだ。(出世よ、さらばだ、おれは決して大司教になどなりはしない!)
ロドヴィーコが帰って来て見ると彼はぐっすり眠っており、起こす気になれなかった。舟は日没時になってやっと来た。ロドヴィーコは遠くに舟があらわれるのを見るやいなやファブリツィオを呼び、ファブリツィオは二通の手紙を書いた。
「閣下は私などよりもいろんなことをずっとごぞんじです」とロドヴィーコは言いにくそうに言った。「こういうことを申し上げると、口ではどうおっしゃろうとも内心不愉快にお感じになるのじゃないかと思いますが」
「僕は君が考えているほどばかじゃないよ。君がどんなことを言おうと、僕の目には君はいつまでも僕の叔母の忠実な召使だし、僕を窮地から救い出すために全力をつくしてくれたんだ」
このほかにもいろいろと誓ってやらなければロドヴィーコにしゃべる決心をさせることはできなかった。そしてようやく心を決めて彼は前置きからはじめたが、それは優に五分かかった。ファブリツィオはじりじりしたが、こう思い直した。(だれのせいだ? この男は馭者台の上でおれたちの虚栄心をつらつら見せつけられて来た、そのせいじゃないか)ロドヴィーコは献身の情のあまり、とうとうはっきり言うという危険を冒す気になった。
「ラヴェルシ公爵夫人はこの二通の手紙を手に入れるためなら、あなたがパルマにやる飛脚にいくらでも金をやるでしょう。この手紙はあなたの手でお書きになったもの、ですからあなたに対する裁判上の証拠となります。閣下は私を不|謹慎《きんしん》な好奇心の強いやつとお思いになるでしょうし、それにまたきっと馭者|風情《ふぜい》のまずい字を公爵夫人さまの目にさらすことを恥ずかしくお思いになるかもしれません。ですが、要するにあなたの安全を思えばこそ無礼なやつと思われてもこれを申し上げるのです。この二通の手紙を私に口授してくださるわけにはまいりませんでしょうか? そうすりゃあぶないのは私だけですし、それもたいしたことではありません。必要とあれば、あなたが原っぱのまんなかに片手に角《つの》製の筆記用具を持ち片手にピストルを持ってあらわれて、書けと命令したとでも言ってやりますから」
「ロドヴィーコ、君の手を握らせてくれ」とファブリツィオは叫んだ。「僕が君のような友だちに対しては何一つ秘密にしたくないと思っている証拠を見せよう、この手紙をそのまま写してくれないか」
ロドヴィーコはこの信頼のしるしがどれほどのものであるかを悟り、それに非常に感動したが、数行書くと舟がするすると河の上を進んで来るのを見て、
「閣下が口授してくださったほうが早く書きあげられます」とファブリツィオに言った。
手紙が仕上がるとファブリツィオは最後の行にAとBと書き、別に小さな紙きれにフランス語で|AとBを信じてください《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》と書いてその紙を丸めた。この丸めた紙を飛脚の着物にかくして行かせるのだ。
舟は声のとどくところまで来たので、ロドヴィーコは船頭たちを本名でない名で呼んだ。船頭たちは全然答えず、税関吏にでも見られていないかと四方に目をくばりながら千メートルほど下のほうで岸につけた。
「なんでもご命令に従います」とロドヴィーコはファブリツィオに言った。「私が自分で手紙をパルマにとどけましょうか? それともフェッラーラまでお供いたしましょうか?」
「フェッラーラまでついて来てくれなんて君にたのむ勇気がなかったんだが、そうしてくれればありがたい。上陸して、旅券を見せずに町にはいるようにしなければならない。実を言うと、ジレッティの名を借りて旅行をするのは僕にはなんともやりきれないんだ。そして君以外に別の旅券を僕のために買って来てくれる人はいないし」
「どうしてそれをカザル・マッジョーレでおっしゃらなかったんです! 私はすばらしい旅券を売ってくれるスパイをひとり知っているんです。しかも高くないんで、四十フランか五十フランですよ」
ふたりの船頭のうちでポー河の右岸の生まれの、したがってパルマへ行くのに外国人旅券を必要としないのが、手紙をとどけることを引き受けた。櫂《かい》をあやつることができるロドヴィーコがもうひとりの船頭と一緒に舟を漕ぐことを引き受けた。
「ポー河の下流には警察の武装船がたくさんいるでしょうが、うまく逃げてごらんに入れましょう」とロドヴィーコは言った。
十回以上も柳におおわれた水面すれすれの小島のあいだに隠れねばならなかった。陸に上がって警察の船の前を空舟《からぶね》だけ通させねばならなかったことも三度あった。ロドヴィーコはこの長い手持ち無沙汰の時間を利用して自作のソネットをいくつかファブリツィオに朗誦した。感情はかなり適切だが、いわば表現のために|なま《ヽヽ》ってしまって、書きくだすだけの値うちがないほどだった。奇妙なのはこの馭者上がりの男が熱情を持ち、鋭敏で絵画的な物の見方を持っていることだった。筆を執《と》るやいなや冷たくなり平凡になってしまうのだ。(われわれが社交界で見ているのと反対だ)とファブリツィオは思った。(今の人間はどんなことでも優雅に表現することができるが、心のほうは何一つ言うべきことを持っていないのだ)この忠僕をいちばん喜ばしてやれるのは彼のソネットの綴りのまちがいを直してやることだとわかった。
「私がノートを貸すと皆私をからかうんです」とロドヴィーコは言ったのだ。「閣下が単語の綴りを一字ずつ教えてくださったら、うらやましがり屋の連中ももう『綴りは天才を生まず』くらいのことしか言えないでしょう」
翌々日の夜になってからやっとファブリツィオは、ポンチ・ラゴ・オスクーロから一里ほど手前の榛木《はんのき》の森に安全に上陸することができた。一日じゅう彼は麻畑に身をひそめ、ロドヴィーコが先にフェッラーラに行った。彼は貧之なユダヤ人の家で小さな部屋を借りる約束をしたが、このユダヤ人は黙っていれば金がもうかるとすぐ悟ったのである。その夕べ、日の暮れるころにファブリツィオは小さな馬にまたがってフェッラーラにはいった。馬はどうしても必要だった。河を行くうちに暑さでまいってしまっていたからである。腿《もも》に受けた短刀の傷と、闘い出してまもなくジレッティの剣で肩に受けた傷とが炎症を起こし、熱が出たのだ。
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第十二章
家主のユダヤ人は口の堅い外科医を見つけて来てくれた。この外科医も相手のふところにたんまり金があると知って、あなたの弟だというあの若者の傷について警察に報告することは自分の良心《ヽヽ》の命ずるところだとロドヴィーコに言った。
「法文はあきらかです」と外科医はつけくわえた。「弟さんが自分でおっしゃっているように、引き抜いた短刀を手に持ったまま梯子《はしご》から落ちて怪我をしたのではないということはあまりにも明白ですからね」
ロドヴィーコはこの正直な医者に、もしそちらが良心の命令に従う気になったら、自分はフェッラーラを去る前にまさに引き抜いた短刀を手に持ってあなたの上に落っこちてさしあげると冷やかに言ってやった。彼がこのことをファブリツィオに報告すると、ファブリツィオは強く彼を叱った。しかしもう一刻もゆるがせにせずに逃げねばならなかった。ロドヴィーコはユダヤ人に、弟に外の空気を吸わせて来たいと言い、馬車を呼びに行き、ふたりはその家を出たままもう帰らなかった。
旅券を持たないためにやらなければならないこのような手続きの話をくだくだしいとお思いになるかもしれない。この種の苦労はフランスではもう存在しない。しかしイタリアでは、とりわけポー河の周辺では旅券は大問題なのだ。散歩でもするような具合になんの支障もなくフェッラーラから出てしまうと、ロドヴィーコは辻馬車を返し、それから別の門を通って町へ引き返し、十二里の道を行くためにセディオーラ(軽二輪馬車)を雇ってファブリツィオを迎えに行った。ボローニャの近くまで来ると彼らは田畑を横切ってフィレンツェからボローニャへ通ずる街道に車を走らせ、できるだけみすぼらしい旅館をみつけてそこで夜を過ごし、翌日ファブリツィオは少々歩けるだけの体力がついたので、ふたりは散歩者のようにしてボローニャの町にはいった。ジレッティの旅券は焼却してしまっていた。あの役者の死んだことはもう知られているはずだし、殺された人間の旅券の所持者としてつかまるよりも無旅券でつかまるほうが危険はすくなかった。
ロドヴィーコはボローニャの大家の使用人を二、三人知っていたので、この連中と相談しに行くことに話はきまった。彼はこう言った。自分はフィレンツェから弟と一緒に旅して来たが、弟が眠りたいと言ったので残して夜明けの一時間前に自分だけ出発した。自分はある村で休息して酷暑《こくしょ》の数時間を過ごすつもりだったから、そこで弟が追いつくことになっていた。ところがいつまでたっても弟が来ないので引き返してみることにした。すると弟は石で打たれ短刀で何度も刺されており、おまけに喧嘩を売ったやつらは弟の持物まで奪ってしまった。この弟は美少年で、馬の世話をすることも馭《ぎょ》することもできるし、読み書きも知っているから、どこかいい家に勤め口を見つけてやりたいのだ、と。ファブリツィオが倒れると、盗賊たちは下着や旅券のはいっている小さなバッグを奪って逃げたということは、ロドヴィーコはまたの機会につけくわえることにした。
ボローニャに着くとファブリツィオはひどく疲れていたし、旅券なしで旅館に行く気はしなかったので、巨大なサン・ペトロニオの聖堂〔ボローニャの中心にあるこの町第一の聖堂〕にはいった。はいってみるとなんとも言えぬほど涼しい。間もなく彼はすっかり元気をとりもどした。(おれはなんという恩知らずだ)と彼は突然つぶやいた。(おれが教会にはいったのは坐るためだ、まるでカフェみたいに!)彼はひざまずき、ジレッティ殺しという不幸のあとずっと自分に与えられて来たあきらかな加護を心の底から神に感謝した。今思い出してもぞっとするのは、カザル・マッジョーレの警察の派出所で見破られてしまったらということだった。(いったいどうしてあの役人は、あれほど疑い深そうな目をし、三度もあの旅券を読みかえしたくせに、おれの身長が五フィート十インチはないし、年は三十九歳ではなく、顔じゅう|あばた《ヽヽヽ》だらけではないことに気がつかなかったんだろう? 神さま、なんというご恩寵でしょうか! それなのに今の今まで、この数ならぬ身をおみ足のもとに投げ出すことを怠っていたとは! 傲慢《ごうまん》な私は、すでに私をのみこもうとして口を開いていたシュピールベルクからさいわいのがれ得たのは取るに足りぬ人間のはからいのためだと信じようとしたのでした!)
ファブリツィオは神の測り知れぬ慈愛の前でこのような極度の感動にひたりながら一時間以上を過ごした。ロドヴィーコは彼が気がつかぬうちに近づいて彼の前に立った。両手で顔をかくしていたファブリツィオは頭を上げた。忠僕は彼の頬に涙が幾筋も流れているのを見た。
「一時間たったら来てくれ」とファブリツィオはかなりきつい調子で彼に言った。
ロドヴィーコは信仰心のあまりだと思ってこの言い方を許した。ファブリツィオは暗記している七篇の痛悔の聖歌を何度も誦し、自分の現在の境遇とかかわりのある節に来ると長いこと思いをこらした。
ファブリツィオは多くのことについて神に許しを求めた。しかし奇妙なことに、単にモスカ伯爵が総理大臣だというだけの理由で自分が大司教になる計画をたてたことを自分の罪に数える考えなどは全然頭にうかばず、この地位とそれの与える豪奢な生活とを公爵夫人の甥ともなれば当然だと思っていた。彼がこの地位を熱望していたことは事実だが、結局のところこの地位のことを大臣もしくは将官の地位とまったく同じに考えていたにすぎない。自分の良心が公爵夫人のこの計画に関係しているなどとは彼は思ってみたこともなかった。このことは彼がミラノのイェスイタ会士の教育によって得た宗教心の顕著な特徴だった。この宗教心は「例外的なことがらを考える勇気を失わせ」そして特に「個人的検討」を最大の罪として禁ずる。それはプロテスタンティズムヘの第一歩だというのだ。自分がどんな罪を犯したかを知りたいなら司祭に訊《き》くか、『痛恨の秘蹟への手引』と題する書物に印刷されているような罪障表を読むかしなければならない。ファブリツィオはナポリの高等神学校で教わったラテン語で書かれた罪障表を暗記していた。そこで、この表を暗誦しながら殺人の項まで来て、自分の命を守るためとはいえ人を殺したことを彼は神の前で激しく自責したのである。沽聖《こせい》の罪(金銭によって聖職の高位をうること)に関するいろいろの項目は、彼は全然注意を払わずにさっと目を通しただけだった。もし人がパルマ大司教の第一副司教となるために百ルイ出したらどうかと言ったとすれば、彼は嫌悪をもってそんな考えをしりぞけたろう。しかし彼は才智を、とりわけ論理を欠いてはいなかったのに、モスカ伯爵の信望が自分に有利なように用いられれば沽聖《こせい》になるなどとはただの一度も考えてみなかったのだ。白日よりもあきらかなことに注意を払わない習慣をつけること、これはイェスイタ会の教育の大勝利である。パリの個人的利害の渦巻と皮肉のなかで育ったフランス人ならば自分を偽ることなしに、まさにわれらの主人公が絶大な誠意と最も深い感動をもって神に対して自分の心を打ち開いているその瞬間に、彼に対してその偽善をとがめることもできたろうが。
明日《あす》にもさっそく告解《こくかい》をしようと思ってその心の準備をしてから、やっとファブリツィオは聖堂を出た。見るとロドヴィーコはサン・ペトロニオのファサードの前の大広場に立っている大きな石の柱廊の階段に腰かけている。嵐のあとの大気が澄むようにファブリツィオの心は静かで幸福で、新鮮さをとりもどしていた。
「とても気分がいい。もうほとんど傷も感じない」とロドヴィーコに近づきながら彼は言った。「だが何よりもまず君にあやまらなければならない。君が聖堂に会いに来たときに僕は不機嫌な返事をした。ちょうど自省していたところなんだ。ところで、事はどう運んでいる?」
「申し分ありませんよ。部屋は決めて来ましたが、実は閣下にはあんまりふさわしくないんです。私のある友だちの細君のところなのですが、これはたいへんな美人で、おまけにおもだった警察のスパイのひとりと昵懇《じっこん》にしていますんで。明日私はわれわれの旅券が盗まれたしだいを申告に行きます。この申告は悪くは取られないでしょう。しかし私は郵送料はこちら持ちで、警察からカザル・マッジョーレへ手紙を書かせ、この町にロドヴィーコ・サン・ミケーリなる人物が実在するか問い合わさせます。このものにはパルマのサンセヴェリーナ公爵夫人のもとに勤めているファブリツィオという弟がいるというのです。それで万事終了ですよ、siamo a cavallo(「われわれは助かった」の意)」
ファブリツィオは突然いやにまじめな顔になっていた。彼はロドヴィーコにちょっと待ってくれと言い、ほとんど走るようにして聖堂に引き返し、中にはいるやいなやまた倒れるようにひざまずいた。彼はつつましく敷石に接吻した。「これは奇蹟でございます、主よ」と彼は涙ながらに叫んだ。「私の魂が義務に還ろうとしているのをごらんになったとき、あなたは私を救ってくださいました。神よ! いつか私は何かの事件で殺されるかもしれません。私が息を引き取るときに、今のこの私の魂がどのようであったかを思い出してくださいますように」極度に激しい歓喜に酔いしれながらファブリツィオはふたたび痛悔の七篇の聖歌を誦した。外へ出る前に彼は大聖母像の前、鉄の台脚の上に垂直に立ててある三角の鉄の脇にすわっている老婆に近づいた。この鉄の縁にはたくさんの釘がついていて、敬虔《けいけん》な信者たちがチマブーエ〔フィレンツェの有名な画家〕作の有名な聖母像の前にともす燈明《とうみょう》をその釘にのせるようになっている。ファブリツィオが近づいたときには七本しかともっていなかった。彼はこの事実についてあとでゆっくり考えるつもりで、はっきりとそれを記憶に刻みつけた。
「蝋燭《ろうそく》はいくらかね?」と彼は老婆に訊《き》いた。
「一本二バイヨッコです」
実際それはペン軸ほどの太さしかなく、長さ一フィートにもならなかった。
「あの三角の鉄にはあと何本立てられる?」
「七本ともっていますから、あと六十三本です」
(ああ)とファブリツィオは思った。(六十三たす七は七十だ。これもおぼえておかなくちゃ)彼は金を払って蝋燭《ろうそく》を買い、自分で七本立てて火をつけ、それからひざまずいて奉納の祈りをし、立ち上がりながら老婆に言った。
「ご利益《りやく》があったのさ」
ロドヴィーコのところへもどるとファブリツィオは言った。
「腹がへって死にそうだ」
「酒場にははいらずに家に行きましょう。女主人が昼食に必要なものを買って来るでしょう。一フランぐらいかすめるかもしれませんが、それだけ新しいお客さんをだいじにするでしょう」
「ということは、まだたっぷり一時間飢えに苦しまされるということじゃないか」とファブリツィオは子どものように明るく笑い、サン・ペトロニオのそばの酒場にはいった。
自分のすわったテーブルの隣に叔母の侍僕頭のペペのいるのを見て彼は猛烈に驚いた。以前ジュネーヴへ彼を迎えに来たあの男である。ファブリツィオは黙っていろと合図した。それから急いで食事をして、あいかわらず幸福そうな微笑を口辺にただよわせながら彼は立ち上がった。ペペはついて来た。これで三度目にわれらの主人公はサン・ペトロニオにはいった。ロドヴィーコは遠慮して広場を歩きまわっていた。
「いやまあ、猊下《げいか》、お傷はいかがで? 公爵夫人はそれはそれは心配していらっしゃいます。猊下がポー河のどこかの島に死んだまま打ち捨てられているとまる一日考えておいででした。私はこれからすぐ夫人に使者を差し向けるつもりです。もう足掛け六日猊下をさがしていたのでございます。そのうち三日はフェッラーラで旅館という旅館を駈けまわって過ごしました」
「僕のため旅券を一枚持って来なかったかね?」
「三つ持っております。一つは閣下の本名と肩書を書いたもの、もう一つは閣下の本名だけ書いたもの、さらにもう一つはジュゼッペ・ボッシという偽名のもので。閣下がフィレンツェへいらっしゃるかモデーナへいらっしゃるかによってそれぞれ二通用意してございます。町の外へ散歩にお出かけになりさえすればよろしいので、伯爵さまはあなたが巡礼《ペレグリーノ》旅館にお泊まりになればお喜びになるでしょう。主人と親しくしていらっしゃるので」
ファブリツィオはあてどもなく歩いているように見せかけながら、右の側廊を彼が捧げた燈明のともっている場所まで進んで行った。彼の目はチマブーエ筆の聖母像に注がれた。それから彼はひざまずきながらペペに言った。
「僕はちょっとお礼を申し上げねばならない」
ペペも彼にならった。教会から出るときペペは、ファブリツィオが施《ほどこ》しを求めた最初の貧民に二十フランをやるのを見た。この乞食は感謝の叫びを上げ、それを聞いてたいていいつもサン・ペトロニオ前の広場に集まっているありとあらゆる種頻の貧民がこの慈悲深い人間のあとについて来た。皆が自分もナポレオン金貨にありつきたいというのだ。女たちは彼のまわりの群衆のなかへ割りこめないとあきらめると、直接ファブリツィオにむかって、ナポレオン金貨をくださったのは貧民一同で分けさせるつもりだったんじゃありませんかと叫ぶ。ペペは金の握りのついたステッキをふりまわし、閣下のじゃまをするなと女たちに命じた。
「ああ、閣下」女たちはますます金切り声で叫ぶ。「哀れな女たちにもナポレオン金貨を一枚お恵みください!」
ファブリツィオは足を速め、女たちは叫びながらそのあとを追い、そしてありとあらゆる通りから男の貧民どももたくさん駈けつけて来てちょっとした騒動といった観を呈した。ものすごくきたないくせに精力的なこの群れ全体が、
「閣下」とわめく。
ファブリツィオはこの騒々しい群衆からのがれるのにたいへんな苦労をした。この光景は彼の頭を地上のことに向けさせた。(こいつは身から出た錆だ)と彼は思った。(賎民《せんみん》とかかりあったんだから)
ふたりの女は彼がそれを通って市から出るサラゴッツァ門までついて来た。ペペは本気でステッキでおどかしながらいくらか小銭を投げて女たちを引き止めた。ファブリツィオは美しいサン・ミケーレ・イン・ボスコの丘に登り、城壁の外で市の一部をまわって小道にはいり、五百歩ほどでフィレンツェ街道に出、それからボローニャにもどってまじめくさって警察の役人に旅券を渡したが、そこには彼の人相がきわめて精確に書いてあった。この旅券に記された彼の名は神学生ジュゼッペ・ボッシとなっている。ファブリツィオは紙の下のほうの右のはしに偶然ついたように見える赤インキのしみ〔これは警察で実際に使われていた符牒であり、色によってさまざまの意味をあらわしたという〕を認めた。二時間後にはひとりのスパイが彼のあとをつけていた。これは、使用人に閣下《ヽヽ》と呼ばせる権利のあるような肩書など旅券には全然記されていないのに、連れの男がサン・ペトロニオの貧民の前で彼を閣下と呼んだからだった。
ファブリツィオはスパイを見たが、てんで問題にしなかった。彼はもう旅券のことも警察のことも考えず、子どものようにあらゆることを楽しんでいた。ペペは彼のそばを離れるなと命令されていたのだが、彼がロドヴィーコに十分満足しているのを見て、このような吉報は自分で公爵夫人に伝えに行ったほうがいいと思った。ファブリツィオは長々とした手紙を二通なつかしい人たちにあてて書いた。それから尊敬すべきランドリアーニ大司教にも一通書こうと思いついた。この手紙はすばらしい効果を上げた。ジレッティとの闘いの顛末《てんまつ》が甚だ綿密に書かれていたのだ。善良な大司教はすっかり感動して、大公のところへ行ってこの手紙を読み上げることにした。大公はあの若いモンシニョーレがあんな恐ろしい殺人のことをどのように弁解して見せるかという好奇心もかなりあったので聞く気になった。ラヴェルシ侯爵夫人にはたくさんの味方がいたから、大公もパルマの市民のすべても、ファブリツィオが二十人か三十人の百姓の加勢を得て、身のほども知らず彼と小さなマリエッタを張り合おうとしたけしからぬ役者を殺したのだと思いこんでいたのである。専制君主の宮廷では最初にたくみに策謀するものが真実《ヽヽ》を左右する、パリでは流行が真実を左右するように。
「だが、なんてことだ!」と大公は大司教に言った。「そんなことは他人《ひと》にやらせるものだ。自分でそんなことをするなんて習慣に反する。しかもジレッティなどという役者は殺すものではない、金をやればいいのだ」
ファブリツィオはパルマで何が起こっているかなどとは全然思ってもみなかった。実際は、生前月に三十二フランかせいでいたこの役者の死が過激王党内閣とその首班モスカ伯爵の倒壊をもたらすかどうかという騒ぎだったのである。
ジレッティの死を知ると、公爵夫人がいつも不羈奔放《ふきほんぽう》な態度を取るのに腹をたてていた大公は検察長官ラッシに、この裁判はすべて自由主義者に対するのと同じように扱えと命じた。ファブリツィオのほうでは自分のような身分の人間は法律を超越していると思いこんでいた。名門のものは決して罰せられることのない国でも、策謀はすべてをなし得る、名門のものに不利なことすらもなし得るということを彼は考慮していなかった。彼は自分が完全に無罪であることはすぐにも公表されるだろうとよくロドヴィーコに言っていた。自分は悪いことをしていないというのが彼の第一の理由だった。これに対してある日ロドヴィーコはこう答えた。
「これほど頭もよく教育もおありの閣下が、献身的な僕《しもべ》である私にどうしてそんなことをおっしゃるのか私には合点が行きません。閣下はあまり慎重になさりすぎます。そのようなことは人前で、あるいは裁判官の前でおっしゃればよろしいので」
(この男はおれのことを人殺しだと思っているが、それでもおれを愛してくれるのだ)とファブリツィオは思い、急に地上に突き落とされたような気がした。
ペペの出発後三日して彼はルイ十四世時代のような絹|紐《ひも》で縛った厚い手紙をもらってびっくりした。宛名は「パルマ大司教区首席副司教、司教区参事会員……等、ファブリツィオ・デル・ドンゴ猊下《げいか》」となっている。
(おれはまだこういう資格をすべて失っていないのか?)と彼は笑いながら思った。ランドリアーニ大司教の書簡は論理と明晰さの傑作だった。大判十九ページにも及び、ジレッティの死をめぐってパルマで起こったことの委細《いさい》を縷々《るる》と物語っている。
ネー元帥の率いるフランス軍が市にむかって進軍して来たとしてもこれ以上の反響をよびおこさなかったでしょう(と善良な大司教は書いていた)。わが子よ、公爵夫人と私を除いてだれもが、貴下がおもしろ半分に大道芸人ジレッティを殺したものと信じています。たといこのような不幸が実際に貴下の身に起こったとしても、そんなことは二百ルイの金と六か月の不在で帳消しにされてしまうような種類のことでしかありません。しかしあのラヴェルシはこの事件に力を得てモスカ伯爵を失脚させようとしています。世人が貴下に非難しているのは恐ろしい殺人の罪では決してなく、ブーロ《やくざ》の手を借りなかったというふてぎわさ、というよりも傲慢《ごうまん》さなのです。今私の周囲で言われているうわさをここではっきり貴下にお伝えしましよう。というのは、いかに悔んでも追いつかぬあの不幸な事件以来、私は毎日市の最も名望ある三つの家をたずね、折を見ては貴下の潔白を証明したいと思っているからです。しかも神が授け給うたわずかばかりの雄弁を、これ以上神聖なことのために使ったことは今までになかったと思います。
ファブリツィオの目から鱗《うろこ》が落ちた。公爵夫人のよこした数々の手紙は沸《わ》き立つような親身な思いにあふれていたが、決して何かを語ってはくれなかったからだ。彼が近いうちに大手を振って帰らないかぎり自分も永久にパルマを去ると公爵夫人は誓っていた。
「伯爵は人間の力でできるかぎりのことをあなたのためにしてくれるでしょう」と彼女は大司教の書簡と一緒に来た手紙のなかで言っていた。「私のほうはどうかといえば、あなたのたいした軽挙妄動《けいきょもうどう》のおかげで私の性格は変わってしまいました。今は私は銀行家のトロンボーネと同じくらい|けち《ヽヽ》なのです。家の職人たちをみんな解雇しただけではなく、自分の財産目録を伯爵に書き取ってもらったのですが、私の財産は思っていたよりずっとすくないことがわかりました。あのりっぱなピエトラネーラ伯爵の死後――ついでに言うけれど、ジレッティみたいな男を相手に命のやりとりをするくらいなら、あなたはあの伯爵のために復讐すべきだったのよ――私に残されたのは千二百フランの年金と五千フランの負債でした。いろいろと思い出すこともありますが、とくにおぼえているのはパリから取り寄せた白繻子の靴を三十足も持っていながら、町を歩く靴はたった一足しかなかったことです。私は公爵〔これは故サンセヴェリーナ公爵のこと〕が私に遺贈する三十万フランを受け取ろうと、もうだいたい決心しています。これは全部豪荘なお墓を作るのに使おうと思っていたのですけれど。それはそうと、あなたの第一の敵、したがって私の敵はラヴェルシ侯爵夫人です。あなたがボローニャでひとりだけで退屈しているなら、一言いって来てくれさえすれば私もそちらへ行きます。新しい為替《かわせ》を四枚同封します……」
公爵夫人は彼の事件についてのパルマの人々の意見などは一言もファブリツィオに言って来ず、何よりも彼を慰めようとしていた。それに、いずれにしてもジレッティ風情のくだらぬ男の死などということでドンゴ家のものが重大な咎《とが》めを受けるはずはないと彼女には思われた。
「私たちの先祖は何人のジレッティをあの世へ送っているでしょう」と彼女は伯爵に言うのだった。「それだからといって咎めようと思うものはひとりもいませんでしたわ」
ファブリツィオはひどく驚き、真の事態が今はじめて多少なりとわかって来て、大司教の手紙の検討にかかった。困ったことに大司教自身はファブリツィオがもっと事情を知っているものと思っていた。何よりもラヴェルシ夫人の大勝利となっているのは、あの宿命的な決闘の目撃者を見つけることが不可能であることだとファブリツィオは悟った。最初にその知らせをパルマに伝えた侍僕は、決闘のおこなわれているときにはサングイーニャ村の旅館にいたのだという。マリエッタもその母親代わりの老婆も姿を消してしまった。そして馬車を馭《ぎょ》していたあのヴェットゥリーノはラヴェルシ侯爵夫人に買収され、今は言語道断な証言をしているのだ。
審理はきわめて深い秘密に包まれており(と善良な大司教は得意のキケロ風の文体で書いていた)検察長官ラッシの指揮下に進められています。私がこの人物の悪口を言わないのはキリスト教の慈悲によるだけのことであって、彼は猟犬が兎を追うように不幸な容疑者らをいためつけて財産を築いた男です。この男の卑劣さと金銭欲については貴下がいかに想像力をたくましくしても度が過ぎるということはありますまい。さてご不興をおぼえられた大公はこのラッシに審理の指揮を命じられたのですが、私はヴェットゥリーノの三つの証言を読むことができました。なんともありがたいことに、この悪党の言っていることは食い違っています。しかも、相手が私の第一副司教、私の亡きあとはこの大司教区の長《おさ》となるべき人ですからここにつけくわえますが、私はこの迷える罪人《つみびと》の住む教区の司祭に手紙を書いてやりました。わが子よ、ここで言うことは告解と同じく秘密にしてもらわねばなりませんが、この司祭はすでにヴェットゥリーノの細君を通じて、この男がラヴェルシ侯爵夫人から受け取った金貨の額を知っております。私はあえて侯爵夫人が貴下を誣告《ぶこく》するように彼に命じたとまでは申しませんが、それは確からしく思えます。金貨はこの侯爵夫人のもとであまり高等ではない役割を演じているつまらぬ聖職者から渡されましたが、私はこの聖職者にまたしてもミサ執行を禁じねばなりませんでした。貴下が私から期待しているに相違ない、そしてまた当然私の義務でもあるその他いろいろの奔走のことをお話しして貴下をわずらわせることはしますまい。司教座聖堂における貴下の同僚である司教会員で、神の許しを得て一門の財産の唯一の相続人となり、この財産によって得られる勢力をときどき鼻にかけすぎる男がいて、内務大臣ツルラ伯爵の家でこのつまらぬ一件については(ろくでなしのジレッティの殺害のことです)貴下に不利な証拠が出ていると放言しました。私はこの男を呼びつけ、三人の大司教つき副司教と私の御用司祭、たまたま控えの間《ま》にいたふたりの司祭の面前で、司教座大聖堂の同僚のひとりが悪いという完全な心証を得ているというがその理由を一々兄弟なるわれわれに話してくれと頼みました。哀れな男はあまり明確でない理由を述べ得たにすぎませんでした。一同はこの男に抗議し、私はこれにほんのわずかの言葉をつけくわえればよいと思っただけでしたが、男は涙にくれ、自分が完全に誤っていたことを認めるとわれわれに誓いました。そこで私は自分とそこに居合わせたすべてのものの名において秘密を誓ってやりましたが、ただし彼のここ二週間の言辞によって人々に与えたかもしれぬまちがつた印象を是正すべく誠心誠意をもって当たらねばならぬという条件をつけました。
わが子よ、貴下がもうずっと前から知っているはずのことはここでくりかえしますまい。それは、モスカ伯爵の企てた発掘に使われていた三十四人の百姓、この連中のことをラヴェルシは貴下が悪事をするために雇ったのだと主張していますが、この三十四人のうち三十二人は、貴下が猟刀を引き抜いて貴下を突然襲った男に対して身を守るためこれを使用したときには、溝のなかにいてそれぞれ自分の仕事に専念していたということです。溝の外にいたふたりが『猊下が殺される!』とほかのものたちに叫びました。この叫び一つを見ても貴下の無罪はあきらかです。ところが、検察長官ラッシはこのふたりの男は姿を消したと主張しています。それだけではありません。溝のなかにいた男たちのうち八人は見つかり、最初の訊問の際そのうち六人は『猊下が殺される!』の叫びを聞いたと言明しました。ところが私が間接に知ったところでは、咋夜おこなわれた第五回の訊問の際、自分の耳でその叫びを聞いたのか、あるいは仲間たちのだれかからそういう話を聞いたのかはっきり記憶がないと供述したものが五人いるそうです。これらの百姓の住所を私に知らせるように命令を出してあります。そして彼らの教区の司祭たちは、何枚かのエキュを得るために真実をまげるようなことがあれば地獄に堕《お》ちるということを彼らに教えるでしょう。
これまでご紹介して来たところからわかるように、善良な大司教は微《び》に入り細をうがって書いていた。それから彼はラテン語を使って書き加えていた。
この事件はまったく内閣|更迭《こうてつ》の企図にほかなりません。貴下が有罪とされるならば懲役か死刑のほかはあり得ません。その場合には私も大司教座の上から、貴下が無罪であることは自分にはわかっている、貴下は単に悪漢に対して身を守ったにすぎない、そして最後に、貴下の敵が凱歌《がいか》を上げているかぎりパルマに帰って来るなと私が貴下に命じたのだと宣言しましょう。それどころか私は検察長官に彼にふさわしい烙印を捺《お》してやるつもりでいます。この男に対する憎悪の広く見られることは、この男に対する尊敬がまれなのと対照的です。しかし検察長官が不当きわまるそのような決定を下す前日に、サンセヴェリーナ夫人はこの町を、いやおそらくはパルマ領を去るでしょう。その場合伯爵が辞表を提出することはまったく疑いありません。そうなれば十中八九ファビオ・コンティ将軍が政権につき、ラヴェルシ侯爵夫人は凱歌を上げるでしょう。
貴下の一件のまことにやっかいなところは、貴下の無罪を証明し、証人を買収しようとする試みを暴露するために必要な画策の先頭に立つ練達の士がいなかったことです。伯爵はこの役割をはたすつもりでいます。しかしあのかたはある種の細事にまでかかずらうには大貴族すぎます。そのうえ警察大臣としての資格で最初貴下に対する最も厳しい命令を下さねばならなかったのでした。最後に、このようなことは言っていいかどうかわかりませんが、われらの主君は貴下に罪ありと信じておられ、もしくは信じるふりをしておられ、この事件をむずかしいものにしておいでになります。
(「われらの主君」および「信じるふりをしておられ」にあたる言葉はギリシア語になっていて、ファブリツィオはあえてこのように書いて来てくれた大司教に心からの感謝をおぼえた。彼はナイフで手紙のこの行を切り取り、その場で破り捨てた)
ファブリツィオはこの手紙を読みながら何度も休んだ。心の底からの感謝の情に彼はゆすぶられていた。さっそく八ぺージにわたる返事を書いた。涙が便箋の上に落ちないように何度も顔を上げねばならなかった。翌日この手紙に封印をするときになって調子があまり世俗的すぎると思った。(ラテン語で書こう。そうしたほうが尊敬すべき大司教にもっとふさわしく見えるだろう)しかし長々としたキケロを上手に模倣したラテン語の美辞麗句を作ろうと努めているうちに、ある日大司教が彼にナポレオンのことを話していて気取ってブオナパルテと呼んだ〔ナポレオンはコルシカ生まれのイタリア系の出生であり、彼に反感を持つ貴族や王党派は彼を卑しめてイタリア風にこう呼んだ〕のを彼は思い出した。昨夜は涙ぐむまでに彼の心を動かした感動のすべてが瞬時にして消え去った。(おお、イタリア王よ)と彼は叫んだ。(あなたの生前あれほど多くの人々があなたに捧げた忠誠を、自分はあなたの死後も守ろう。いかにもあの人はおれを愛しているかもしれない。しかしそれはおれがドンゴ家のひとりで、あの人は町人のせがれだからなんだ)自分のみごとなイタリア語の手紙が失われないようにファブリツィオはいくつか必要な修正を加え、宛名はモスカ伯爵にした。
ちょうどこの日、ファブリツィオは通りでマリエッタに会った。彼女はうれしさに顔を赤らめ、話しかけずについて来いと合図した。足速に人影のない柱廊まで行くと、この国の流儀にしたがって頭をかくしている黒いレースをさらにおろして顔を見分けられないようにし、それからさっと振りむいてファブリツィオに言った。
「いったいどうしてあんたはそんな風に自由に町なかを歩いているのよ?」
ファブリツィオは自分のほうのいきさつを話した。
「まあそうだったの! フェッラーラにいたの! あたしはフェッラーラであんたをずいぶんさがしたのに! ねえ、あのばあさんとあたし喧嘩したのよ。ばあさんはあたしをヴェネツィアに連れて行こうとしたんだけど、あんたが決してヴェネツィアに行かないことはあたしにはわかっていたからよ。オーストリアのブラックリストにあんたは載っているんですものね。あたし金の首輪を売ってボローニャに来たの。ボローニャであんたに会えるって虫の知らせがあったから。ばあさんは二日おくれてやって来たわ。だからあんたを家《うち》に誘ったりはしなくってよ。ばあさんがまた卑《いや》しくお金をせびるだろうから。あたし、あれはほんとに恥ずかしかったわ。例の運命の日からあたしたちはとてもいい暮らしをしているの。それでもあんたがあのばあさんにくれたお金の四分の一も使っていないわ。ペレグリーノ旅館にあんたに会いに行くことはしたくない、そんなことをすれば宣伝するようなもんじゃないの。淋《さび》しい通りで小さな部屋を借りるようにしてみてよ。そしてアヴェ・マリア(日暮れ)にあたしこの柱廊のところへ来ているわ」
それだけ言うと彼女は逃げ出した。
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第十三章
深刻な考えはすべてこの愛すべき娘の思いがけない出現で忘れられてしまった。ファブリツィオはボローニャでまことに楽しくなんの不安もなく暮らしはじめた。自分の生活を満たすすべてのものに幸福を感じるこの素朴な性向は、公爵夫人に送る手紙にもあらわれていた。それは彼女が腹をたてたほどだった。ファブリツィオはほとんどそれに気がつかなかった。ただ彼は自分の時計の文字盤に略した符号で次のように書きつけた。「D〔公爵夫人の略号〕に書くときには決して『高僧だったとき』『宗門にあったとき』と言わぬこと。|彼女が怒る《ヽヽヽヽヽ》」
彼は二頭の小馬を買っていたが、それに非常に満足していた。マリエッタがボローニャ周辺のあのすばらしい風景のどれかを見に行きたいというときには、いつも彼は賃貸の四輪馬車にこの二頭をつないだ。ほとんど毎夕彼は「レノの滝」ヘマリエッタを連れて行った。帰りには愛想のいいクレッシェンティーニ〔ボローニャの有名な歌手〕のところに寄ったが、彼はマリエッタの父親のような気持ちに少々なっていた。
(まったくの話、多少すぐれた人間にとってはまったくばかげたものだとおれが思っていたカフェびたりの生活がこれだとしたら、そういう生活をこばんだのはまちがいだったな)とファブリツィオは思った。自分がカフェに行くのはもっぱら「ル・コンスチチュシオネル」を読むためだけで、ボローニャの上流社交界には全然知られていない彼にとって、虚栄心の喜びは現在の幸福とは全然関係のないことを彼は忘れていたのだ。マリエッタと一緒にいないときには彼は天文台に行き、そこで天文学の講義を聞いた。教授は彼に非常な好意をいだき、ファブリツィオのほうは日曜日に教授に自分の馬を貸して、彼がモンタニョーラの遊歩場《コルソ》で異彩を放てるようにしてやった。
ファブリツィオはどれほどくだらぬ人間であってもその人間を不幸にすることは大嫌いだった。マリエッタはなんとしても彼を老婆に会わせたくなかった。しかしある日彼女が教会に行ったときに、彼はマンマッチャの部屋に行った。老婆は彼がはいってくるのを見て真赤《まっか》になって怒った。(一つドンゴ家のものらしくやらなければならんな)とファブリツィオは思った。
「マリエッタは雇われていたとき月にいくら稼いでいた?」彼は、パリのうぬぼれた若者がブッフ座の正面桟敷にはいるときのような態度で叫んだ。
「五十エキュですよ」
「あいかわらず嘘をついている。ほんとうのところを言え、でなければ神にかけて一文もやらないぞ」
「じゃあ言いますがね、パルマで運悪くあんたに会ったころには一座で二十二エキュもらっていたし、あたしのほうは十二エキュもらってましたよ。そしてあたしたちの世話をやいてくれるジレッティにはそれぞれ実入《みい》りの三分の一を渡していたのさ。そのなかからジレッティはほとんど毎月マリエッタに贈り物をしていたんです。この贈り物はどうしても二エキュはしたね」
「まだ嘘をついている。おまえさんのほうは四エキュしかもらっていなかったじゃないか。しかしマリエッタにやさしくしてくれるなら、僕は座長なみにおまえさんを雇ってやるよ。毎月おまえさんの分として十二エキュ、あの子の分として二十二エキュ渡してやる。だがあの子が泣いて目を赤くしているのを見たらご破算だぞ」
「いやにいばって見せますね。いやさ、あんたの気まえのよさがあたしたちにはあだになるんだ」と老婆は憤然とした口調で答えた。「アッヴィアメント(贔屓《ひいき》筋)をなくしっちまうからね。閣下がもう面倒を見ないというころには、あたしたちはもうどの一座からも忘られっちまってまさあね。どこだって満員だろうしさ。全然雇ってもらえず、あんたのおかげであたしらは飢え死にしちゃうよ」
「かってにしろ」とファブリツィオは立ち去りぎわに言った。
「かってにするともさ、この罰《ばち》当たり! ちょっと警察に行って来てやるよ。そしてあんたは僧服をどっかへ捨てて来たモンシニョーレで、このあたし同様ジュゼッペ・ボッシなんて名じゃないと言ってやるよ」
ファブリツィオはすでに階段を数段降りていたが、引き返して来た。
「第一に警察はおれの本名がなんというかということぐらい、おまえよりもよく知っているぞ。しかしおまえがおれを訴えようなどと考えたら、そんな卑劣なまねをするなら(と彼は大まじめな顔をして言った)、ロドヴィーコがおまえに話しに来るだろう。そうなりゃおまえがいくら老いぼれていようと、六つや七つ短刀で刺されるくらいじゃすまないぞ。二十四、五回やられるものと思え。そして半年は病院暮らしだ、煙草《たばこ》も吸えないぞ」
老婆は顔色を変え、ファブリツィオの手にすがりついて接吻しようとした。
「マリエッタとあたしのためそうしてくださるんなら、ありがたくお受けしますよ。あなたはあんまり人がよさそうに見えるんで、ついばかだ思ってしまって。でもまあ考えてください、ほかのものだって同じように思い違いしますよ。いつももっとお殿様らしくふるまったらどうでしょう」
それから彼女は感嘆すべきあつかましさでつけくわえた。
「この賢明な忠告を忘れないでください。そしてもう冬も遠くないんですから、サン・ペトロニオ広場の卸屋《おろしや》で売っているあのりっぱな英国製の生地《きじ》でちゃんとした服を二着マリエッタと私に作ってくださいませんかね」
別嬪《べっぴん》のマリエッタの愛情はファブリツィオに、最も甘美な友情の持つありとあらゆる魅力を味わわせてくれた。そして彼は公爵夫人のもとでも同じような種類の幸福を味わえたろうにと思わせられるのだった。
(しかし)と彼はときどき思った。(人々が恋と呼ぶあの排他的で情熱的な煩悩《ぼんのう》をおれが感じ得ないというのはまことにおかしなことじゃないか。ノヴァーラやナポリでたまたま何度か浮気をしたが、はじめて乗るきれいな馬で歩きまわるよりもその女がそばにいてくれたほうがいいと、たとい最初の数日だけでも思えるような女に一度でもおれは会っただろうか? いわゆる恋なるものは、それではやはり偽りなのだろうか? おれだって恋をするかもしれん、六時になると食欲が出て来るように! それじゃあこの少々卑俗な人間の性癖から、あの嘘つきどもはオセロの恋、タンクレードの恋をこしらえ上げたんだろうか? それともおれはほかの男たちとは違うようにできているのか? おれの魂にはある情熱が欠けていることになる。どうしてか? 奇妙な運命だ)
ナポリでは、特にそこにいた終わりのころは、自分の身分や美しさを鼻にかけ、彼のために社交界で高い地位にある崇拝者を捨てたのだとじまんして、彼を引きまわそうとする女たちにファブリツィオは出逢った。そういう魂胆を見るとファブリツィオはおそろしく乱暴にさっさと手を切ってしまったものである。(ところで)と彼は思った。(サンセヴェリーナ公爵夫人と呼ばれるあの美しい女と一緒にいるという、いかにも非常に強烈な喜びにいつか我を忘れてしまうことがあるとすれば、おれは金の卵を生む鶏を殺してしまったというあのうっかりしたフランス人とまったく同じになる。おれがやさしい感情によってこれまでに味わった唯一の幸福は、公爵夫人のおかげで得たものだった。彼女に対する友情はおれの生命なのだ。それにまた、彼女がいなかったらおれはなんだ? ノヴァーラの近くの荒れはてた城で細々と食いつなぐほかはない哀れな追放者にすぎないじゃないか。秋の大雨のあいだに雨もりを心配して夜はベッドの上にかさをひろげねばならなかったことをおれはおぼえている。おれは執事の持ち馬を乗りまわした。執事はおれの|青い血《ヽヽヽ》(高い権勢)に対する敬意からこれに目をつぶろうとしたが、おれの滞在が少々長すぎると思いはじめていた。父は千二百フランの年金をおれによこしたが、ジャコバンに食いぶちをやらねばならぬのはなんの因果かと思っていた。気の毒な母や姉妹は着るものにも事欠くようにしながら、おれが色女たちにときどきちょっと何かを贈れるようにしてくれた。こうまでしてくれるかと思うとおれは身を切られるようだったものだ。そのうえ人々はおれの貧之なことに気づきはじめ、あたりの貴族の若者たちはおれのことを憐れもうとしていた。早晩どこかのいかれたやつが志に破れた貧之なジャコバンに対する軽蔑をおもてにあらわしたことだろう。だって、ああいう連中の目にはおれはそう映っていたんだからな。そうして剣で切るか切られるかしたあげくフェネストレッロの城砦〔ピエモンテ領の刑務所〕に送られるか、年金千二百フランのままでまたしてもスイスへ逃げるかしなければならなかったろう。さいわい公爵夫人のおかげでこうした災難に遭《あ》わないですんだのだ。しかも、本来おれのほうがいだかねばならないはずの沸き立つばかりの友情をあの人はおれにいだいていてくれる。
あんなばかげたみじめな生活をつづけていたらおれは陰気な動物に、愚物になってしまったろうが、そうならずに四年前からおれは大都会に住み、すばらしい馬車を持っている。おかげでおれは羨望《せんぼう》やその他すべての田舎者の卑《いや》しい感情を味わわずにすんだのだ。この親切すぎるほどの叔母はいつもおれが銀行で充分に金を引き出して来ないと言ってしかる。おれはこんな結構なご身分を永久にぶちこわしてしまいたいのか? 世の中にたったひとりのこの味方を失いたいのか? 一言|嘘《ヽ》をつきさえすればいいのだ。魅力的な、おそらくこの世にふたりといないような女、しかもおれが最も情熱的な友情を感じている女に、『愛しています』と言いさえすればいいのだ。男女の愛というものを知らぬこのおれだが。おれの知らぬそうした忘我の激情、それがないということはどれほど悪いことかと彼女は一日じゅうおれを責めるだろう。あのマリエッタは反対におれの心のなかなど見えず、愛撫すれば心底から夢中になっているものと思っているから、おれが恋に狂っていると信じ、自分こそ最も幸福な女と思うのだ。
実際のところ、恋と呼ぶものらしいこのしっぽりとした煩悩《ぼんのう》を多少おれが感じたのは、ベルギー国境近くのゾンデルス旅館のあの若いアニケンに対してだけだ)
遺憾ながらここでファブリツィオの最悪のおこないの一つを語らねばならない。この静かな生活のさなかで、まったくくだらない虚栄心の意地が恋に染まりにくいこの心をとらえ、しかもずいぶん深入りさせてしまったのだ。彼と時期を同じくしてたまたまボローニャに、現代の最もすぐれた歌姫のひとりとだれしも認める有名なファウスタ・F……が来ていたが、これはおそらくまた前代未聞の気まぐれな女だった。ヴェネツィアのすぐれた詩人ブラーティが彼女について、当時王公貴族も巷《ちまた》の餓鬼《がき》どもも歌っていたあの有名な諷刺のソネットを作った。
「かわるこころは猫の目か 朝|惚《ほ》れてみりゃ夜は憎い 気を移さねば気がすまぬ つむじまがりのあまのじゃく 世間さまとはあべこべさ ラ・ファウスタは玉なれど 瑾《きず》も数々ありまする さては見るまじこの蛇を ひとたび見れば気もそぞろ 浮気なことも忘られて―― また聞くまいぞその歌を ひとたび聞けばめくるめき 恋の闇路のただなかで この身はたちまち蛇となる あなおそろしのキルケ〔『オデュッセイア』に出て来る魔女〕かな」
目下のところこの絶世の美女は若いM……伯爵の大きな頬鬚《ほおひげ》と尊大きわまるところにぞっこん惚れこんで、伯爵のものすごいやきもちも不快に感じないほどだった。ファブリツィオはこの伯爵をボローニャの町で見かけ、彼がいかにもえらそうな顔をしてわがもの顔に通りをのし歩き酒落《しゃれ》たところを見せびらかしているのに気を悪くしていた。この若者は大金持で、自分は何をしてもいいんだと思っていた。あまり人も無げな振舞いをするので敵も多く、それゆえ人中にあらわれるときにはたいていブレッシヤ付近の自分の領地から呼びよせて家の仕着《しきせ》を着せた八、九人のブーロ《やくざ》に取り巻かれていた。たまたまファウスタの歌を聞くまでに一度か二度ファブリツィオはこの恐るべき伯爵と目を合わせていた。彼は彼女の声のこの世のものならぬ甘美さに驚かされた。このようなものがあろうとは想像もつかなかった。自分の現在の生活の味気なさとみごとな対照をなす最高の幸福の感じを彼はおかげで味わうことができた。(これがようやく見つけた恋なるものなんだろうか?)と彼は思った。この感情を味わってみたいという好奇心に駆られ、一方またどの連隊の鼓手長よりも恐ろしい顔をしたあのM……伯爵の鼻をあかしてやるのも一興と思って、われらの主人公はM……伯爵がファウスタのために借りていたタナーリ邸の前をあまりにもしばしは通って見せるという子どもじみたいたずらをした。
ある日の暮れ方、ファブリツィオがファウスタに自分の姿を見せようとしていると、タナーリ邸の門口にいた伯爵のブーロどもがいやに騒々しくばか笑いして見せた。彼は急いで自分の部屋に帰り、いい武器を持ち出してまた邸の前を通った。自分の部屋の鎧戸《よろいど》のかげにかくれてファウスタは彼がもどって来るのを待っていたが、もどって来たことで彼に好意を持った。だれに対してもやきもちをやくM……伯爵はジュゼッペ・ボッシ氏に対してはことのほか嫉妬の火を燃やし、激昂《げきこう》してあらぬことを口走った。そこで翌朝われらの主人公は、
「ジュゼッペ・ボッシ氏は害虫どもを退治する。住まいはヴィア・ラルガ七十九番地『ペレグリーノ旅館』」
とだけ書いた手紙を伯爵のところへとどけさせた。
その莫大な財産、|青い血《ヽヽヽ》、そして勇敢な三十人の召使のおかげでどこへ行っても尊敬されつけていたM……伯爵は、この短い手紙の言薬づかいにがまんできなかった。
ファブリツィオはファウスタにも手紙を書いた。M……伯爵はこの競争者の身辺にスパイをもぐりこませた。もしかするとこいつは憎からず思われているのかもしれない。彼はまずこの男の本名を知り、ついでこの男が今のところパルマに姿をあらわすわけに行かないことを知った。日ならずしてM……伯爵はブーロどもとすばらしい馬とファウスタを引き連れてパルマにむかった。
ファブリツィオは意地になって翌日彼らのあとを追った。人のいいロドヴィーコが悲痛な諫言《かんげん》をしたが聞かれなかった。ファブリツィオは彼を追っぱらったが、自身すこぶる勇敢な男であるロドヴィーコは感心した。そのうえパルマに行くとなればカザル・マッジョーレにいる器量よしの情婦のそばに行けることになる。ロドヴィーコの肝煎《きもい》りでナポレオン麾下《きか》の連隊の兵士だった連中が八、九人、使用人という名目でジュゼッペ・ボッシ氏に召しかかえられた。ファウスタのあとを追うというばかげたまねをするときファブリツィオが考えていたことはこうだった。(警察大臣モスカ伯爵にも公爵夫人にも何も知らせなければ、おれは自分以外のだれにも迷惑をかけることはない。あとで叔母に、恋という今まで一度もぶつかってみたことのないすばらしいものを捜しに行ったんだと告白しよう。実際のところおれは、ファウスタの姿の見えないときですらファウスタのことを考えている……。だがおれが愛しているのは記憶のなかにあるあの女の声なのか、あの女そのものなのか?)
もはや聖職で身をたてることなど考えずに、ファブリツィオはM……伯爵のそれとほとんど同じくらい恐ろしい口|髭《ひげ》と頬鬚《ほおひげ》をたてたが、これは少々偽装になった。彼はパルマではなく(そんなことは無鉄砲だったろう)、その付近の村の、叔母の城のあるサッカへ行く街道のほとりの森のなかに本拠をかまえた。ロドヴィーコの助言に従って彼はこの村では、自分はひどく変わり者のイギリスの大貴族の侍僕だと言っておいた。その大貴族は狩猟を楽しむために年に十万フランも使う人で、今はコモ湖で虹鱒《にじます》釣をしているが、もうじきこちらへやって来る、と。さいわいM……伯爵が美女ファウスタのために借りたしゃれた小さな邸宅はパルマの町の南端にあって、ちょうどサッカ街道に面しており、ファウスタの部屋の窓は城砦の高い塔の下に伸びている高い木のならんだ美しい並木道にのぞんでいた。ファブリツィオはこの淋しい界隈では全然顔を知られていなかった。彼はおこたりなくM……伯爵のあとをつけさせた。そしてある日伯爵があの感嘆すべき歌姫の家から出るやいなや、彼は大胆不敵にも白昼公然と往来に姿をあらわしたものだ。実は彼はすばらしい馬に乗り、充分武装していた。イタリアの町を流している楽士には往々にしてすばらしく上手なのがいるが、そういう楽士たちがファウスタの部屋の窓の下にコントラバスを持ちこんだ。前奏曲のあとで彼らは彼女に捧げる歌曲をかなり上手に歌った。ファウスタは窓に寄ったが、たいへん礼儀正しいひとりの青年がすぐ目についた。その青年は往来のまんなかに馬を停めて、まず彼女に会釈し、それからどう見たって誤解するはずのないような視線を彼女に送りはじめた。ファブリツィオはいやにイギリス風なところを強調した服装をしていたけれども、間もなく彼女はこれが自分のボローニャを去る原因となったあの情熱的な手紙の書き手だとわかった。(変な人ね)と彼女は思った。(どうもあの人が好きになりそうだわ。今ここに百ルイある、あの恐ろしいM……伯爵を振っちまうことだってできる。まったくあの人は才気も奇想天外なところもないし、少々おもしろいのはあの人の部下の連中の獰猛《どうもう》な顔つきぐらいのものなんだから)
あくる日ファブリツィオは、ファウスタが毎日十一時ごろ町の中心の、ちょうど彼の大伯父の大司教アスカニオ・デル・ドンゴの墓のあるサン・ジョヴァンニ聖堂にミサを聴聞に行くということを聞いていたので、思いきって彼女のあとをつけていった。実はロドヴィーコがすばらしい赤い毛のりっぱな英国製の鬘《かつら》を手に入れておいてくれたのである。彼の心を焼く炎の色と同じこの毛の色を材料に彼は一篇のソネットを作り、ファウスタはこれをなかなかいいと思った。だれかがこっそりとそれを彼女のピアノの上に置いてくれたのである。この小競合《こぜりあい》は優に一週間つづいたが、ありとあらゆる手だてをつくしたにかかわらず実質的な進展はなかったとファブリツィオは思った。ファウスタは彼を迎え入れることをこばんでいたのだ。彼は風変わりなところを誇張しすぎたのだ。あとで彼女は彼がこわかったのだと言った。ファブリツィオはもう恋と呼ばれるものを感じられるようになれるかもしれないというわずかな希望にすがっているにすぎなかったが、実は退屈することもしばしばだった。
「旦那さま、引き揚げましょうや」とロドヴィーコはよく彼に言った。「あなたはちっとも惚れていらっしゃいません。うんざりするほど冷静で分別くさくていらっしゃる。それに全然|はか《ヽヽ》が行かないじゃありませんか。体面だけ考えてもそろそろ逃げ出しましょう」
ファブリツィオはここで一つ向《むか》っ腹をたてたら引き払うところだったが、そのときファウスタがサンセヴェリーナ公爵夫人の家で歌うはずだということを聞いた。(あの絶妙な声を聞いたらおれの心もほんとうに燃え上がるかもしれない)と彼は思った。そして彼はだれの目も彼を見覚えているあの邸宅へ大胆にも変装してはいりこんだのである。演奏会もいよいよ終わりというころ大サロンの扉のそばに立っているボーイ姿の男を認めたときの公爵夫人の驚きをお察し願いたい。その物腰がだれかに似ているような気がしたのだ。彼女はモスカ伯爵をさがした。このときになってはじめて伯爵はファブリツィオのこのうえない、まったく信じられない愚行を彼女に教えたのである。伯爵はこの愚行をちっとも悪くは思わなかった。公爵夫人とは別の女へのこの愛はたいへん彼の気に入った。政治以外のことではまったく紳士である伯爵は、公爵夫人が幸福でなければ自分の幸福も見出せぬというあの主義に従って行動した。
「あの人自身がどう言っても私はあの人を救いますよ」と彼は女友だちに言った。「この邸であの人がつかまったらわれわれの敵がどんなに喜ぶか考えてごらんなさい! だから私は部下を百人以上もここに入りこませてあるし、大貯水地の鍵をお渡しくださるように人をやって頼んだのもそのためです。あの人はファウスタに恋いこがれているようにふるまっていますが、今までのところはまだあの気ちがい女に女王のような暮らしをさせているM……伯爵から奪い取れないでいます」
公爵夫人の表情はきわめて激しい苦痛をあらわしていた。(ファブリツィオはそれでは、こまやかで真剣な感情などはどうしてもいだけない放蕩児《ほうとうじ》にすぎないんだわ)
「私たちに会いに来ないなんて! いつになってもこのことは許せないわ!」と彼女はやっと言った。「私は毎日ボローニャのあの子に手紙を書いてやっているのに!」
「あの人の自制を私は高く買いますよ。自分の冒険に私たちまでまきこみたくないのです。いつかこの冒険のことをあの人の口から聞けたらおもしろいでしょうね」
ファウスタは気まぐれな女で、自分の心にかかっていることを言わないでおくことができない。演奏会のあいだ彼女はあのボーイ服を着た大柄の青年にこの歌はあなたのためにと目で合図してずっと歌っていたのだが、その翌日彼女は自分につきまとう見知らぬ男のことをM……伯爵に話してしまった。
「どこで会うんだ?」と伯爵はいきりたって言った。
「通りでも、教会でも」ファウスタはどぎまぎして答えた。
すぐに彼女は軽率に言ってしまったことをなんとかうまく言いつくろうか、すくなくともファブリツィオを思わせるようなことはすべてこの場から遠ざけようと思った。たちまち彼女は赤毛の背の高い青年のことを長々としゃべりだした。目は青くて、たぶん大金持でひどく無器用なイギリス人か、でなければどこかの大貴族かもしれない。この言葉を聞くと、眼力の的確さという点ではあまりぱっとしないM……伯爵は、これは彼の虚栄心にとってはなんともうれしいことなのだが、この競争者はパルマ公国の世子にほかならないと思ってしまった。五、六人の養育係やその助手などに守られ、この連中が鳩首《きゅうしゅ》協議のうえでなければ外出もできないこの気の毒な鬱々《うつうつ》とした青年は、まあどうにかという程度の女に近づくことができればいつもその女に異様な視線を送るのだった。公爵夫人の家の演奏会では、身分がら彼は聴衆のいちばん前の、ファウスタから三歩ばかりのところにある一つ離れた肘掛け椅子に坐っており、彼の視線にM……伯爵はものすごく気を悪くしていたのである。公子を競争者に持つというこのたいへん高尚な虚栄心の生んだ妄想はファウスタを大いに楽しませ、彼女は無邪気そうにいろいろなことを並べたててますますその妄想を固めさせて悦に入ったものだ。
「あなたの家系は、あの若者の属しているファルネーゼ家と同じくらい古いんですか?」と彼女は伯爵に説いた。
「何を言ってるんだ、同じくらい古いかなんて! うちの一門には庶子なんてものはひとりもいはしないぞ〔ファルネーゼ家の初代の君主ピエトロ・ルイジは徳行をもって有名だが、教皇パウルス三世の私生児だった〕」
どういうわけかM……伯爵にはこのいわゆる競争者をとっくり見る機会が一度もなかった。そのおかげで彼は、公子を相手に張り合っているという嬉しい考えをますます固めたのである。実際ファブリツィオのほうも、その企てのためにパルマに出て来る必要のあるとき以外には、サッカとポー河の岸に近い森のなかにひきこもっていたのだ。M……伯爵は、ファウスタの愛を公子と争っているのだと思いこんで以来、たしかに誇りも高くなったが慎重にもなった。彼はファウスタに、出処進退をできるだけ控えめにしてくれと大まじめで頼んだ。嫉妬心に悩まされる情熱的な恋人らしく彼女の前にばったりとひざまずいたうえで、自分の幸福のためにもおまえが若い公子にだまされたりしては困るのだと彼は非常にはっきりと言い切った。
「失礼だけど、たといあの人を愛したとしてもあたしはあの人にだまされたことにはならないわよ。公子に足もとにひざまずかれたなんて経験は今まで一度もあたしにはないんですもの」
「あなたがなびいても」と彼は尊大な顔をして答えた。「たぶん僕は公子に対して復讐することはできないだろう。しかしとにかく復讐はするからな」
そうして彼は扉を思いきりたたきつけて行ってしまった。ファブリツィオがこのときあらわれたならば、彼は勝ったろう。
その夜劇場がはねて彼女と別れるとき伯爵は言った。
「もし命が惜しければ、公子が君の家に忍びこんだなどということは決して僕に知らせないようにしてくれ。いまいましいが、おれは公子に対しては何もできない! しかし君に対してはどんなことでもできるんだということを僕に思い出させないでくれ!」
「ああ、ファブリツィオさん! どこであなたに会えるかわかっていたら!」と彼女は叫んだ。
金持で、生まれたときからいつも追従者にとりまかれていた若者は、虚栄心を傷つけられると何をやりだすかわからない。M……伯爵がかつてファウスタにいだいていた本物の情熱は猛烈な力で目覚めてきた。自分の今いる国の君主の一粒種と争わねばならぬかもしれぬという危険な予想にも彼はいっこうたじろがなかった。同時にまた、この公子の顔をなんとかして見てみようとか、公子のあとをつけさせようとかという才覚も全然なかった。それ以外には喧嘩のふっかけようがないので、M……は公子を笑いものにしてやろうかとまで思ってみた。(おれは永久にパルマ領から所払いになるだろう。なに、かまうものか!)と彼は思った。敵情の偵察に努めたならばM……伯爵は、気の毒に公子は作法のことばかりうるさく言う三、四人の老人の付き添いなしには決して外出せず、彼に許された唯一の楽しみは鉱物学であることを知ったはずなのに。パルマの社交界が群れ集まるファウスタの住む小邸は、昼夜を問わず見張りのものに囲まれていた。彼女のしていること、そして特に彼女の周囲の人々のしていることは時々刻々M……に知らされていた。これはこの嫉妬屋のめぐらした警戒策のなかで感心な点だが、あれほど気まぐれなこの女が最初この監視の強化に全然気がつかなかった。すべてのまわし者の報告は、赤毛の鬘《かつら》をかぶったごく若い男が頻繁《ひんぱん》にファウスタの窓の下にあらわれるが、そのたびに別の変装をして来るとM……伯爵に告げていた。(もちろんこれは公子だ)とM……は思った。(でなければなんのために変装する? いやまったくの話、おれのような人間は公子になど負けたりするものか。ヴェネツィア共和国に主権を奪われなかったら、おれだって統治君主なんだ)
サン・ステファーノの祭日にはスパイたちの報告はこれまでよりもいっそう暗い色合いを帯びた。どうもファウスタが見知らぬ男の熱心な求愛に応えだしているらしい。(今すぐあの女を連れて出発することもできる)とM……は思った。(だが、なんてことだ! ボローニャではデル・ドンゴから逃げた。今度は公子から逃げようというのか! あの若者はいったいなんと言うだろう? みごとおれをこわがらせることができたと思うかもしれない。ふざけるな! おれの家柄だって劣りゃしないんだ)
M……は激怒していたが、いちばん頭の痛いことに、からかい好きとわかつているファウスタの前でやきもちをやくという醜態《しゅうたい》を演じることはぜひとも避けたかった。だからサン・ステファーノの祭日には、彼女のところへ行って愛想よく迎えられ、それがおよそこのうえもなくそらぞらしいものに思われながらもそこで一時間過ごしたあげく、サン・ジョヴァンニ教会ヘミサを聞きに行くため着替えをしている彼女を残して十一時ごろそこを出た。M……伯爵は自分の部屋に帰り、若い神学生のすりきれた黒い服を着こみ、サン・ジョヴァンニ教会に駈けつけた。彼は右側の三番目の礼拝所を飾る墓石の一つのうしろの席を選んだ。その墓の上に膝をついている枢機卿の像の腕の下から、教会のなかで起こることがすべて見えた。この像のため礼拝所の奥は光がさえぎられ、彼の姿は充分隠れていた。やがて彼はこれまでにないほどあでやかなファウスタがはいって来るのを見た。彼女は盛装をしており、最上流に属する二十人ばかりの崇拝者が列をなしてついて来る。微笑と喜びが彼女の目にもくちびるにも輝き出ている。(ここで愛する男と会うつもりでいることはあきらかだ)と嫉妬に悩む男は思った。(おそらくおれがじゃまで長いこと会えないでいたんだろう)突然、ファウスタの目にあらわれた強烈な幸福感がさらに強められたように見えた。(おれの競争者が来ているんだ)とM……は思い、虚栄心を傷つけられた憤激はもはやとめどないものになってしまった。(ここで変装した公子と張り合っているおれはなんというおかしなものに見えるだろう)しかしどれほど目をこらしてみても、彼のむさぼるような視線が四方八方に求めるその競争者の姿を見出すことはできなかった。
しょっちゅうファウスタは、教会のあちこちを見まわしたあげくその愛情と幸福にあふれる視線をM……の隠れている暗い片隅へ据えるのだった。情熱的な心のなかでは、愛情はとかく最も微細なニュアンスを誇張しがちなもので、そうしたニュアンスから滑稽きわまる結論を引き出してしまう。かわいそうにM……は、ファウスタは自分を見たのだ、一生懸命かくしているのに自分のこの激しい嫉妬を見て取って、それを非難すると同時にあのようなやさしい目つきで慰めているのだと信じてしまった。
M……がそのかげに陣取って見張っていた枢機卿の墓石は、サン・ジョヴァンニ教会の大理石の石畳の上に一メートル以上の高さに立っていた。人気のあるミサは一時ごろ終わって大部分の信者は立ち去ったが、ファウスタはもっとお祈りをするのだという口実で町の色男《ヽヽ》どもを追いかえした。椅子にもたれてひざまずいた彼女の目は情味と輝きをいよいよ増しながらM……にじっと注がれていた。教会に残っている人がほんのわずかになってしまってからは、その視線は枢機卿の像に幸福そうに据えられる前に教会のなかをぐるりと見まわすような面倒なことをもうしなかった。(なんという心づかいだ!)と、自分が視線の的だと思ってM……伯爵はつぶやいた。とうとうファウスタは立ち上がり、手をちょっと妙な風に動かしてからさっと出て行った。
愛情に酔い、ばかげた嫉妬からほとんど完全にさめたM……は、情婦の邸に飛んで行って百回でも千回でも彼女に感謝しようとして席を立ったが、枢機卿の墓の前を通るとき黒ずくめの服の青年を認めた。このいまいましい男はそれまで墓の碑銘のところにぴったり身を寄せてひざまずいており、そのため彼をさがす嫉妬深い愛人の視線はその頭上を走って全然彼を見ることはできなかったのである。
その青年は立ち上がって足速に歩いて行き、彼の手の者らしい奇妙な風体の七、八人の武骨《ぶこつ》な男たちにあっという間に囲まれてしまった。M……は青年のあとを追って駈け出したが、入口の木の廊で通路のせばまっているところであの恋仇を護衛している連中に格別いざこざもなく引き止められてしまった。ようやくこの連中のあとから通りへ出たときには、みすぼらしい外観とは奇妙な対照をなして二頭のすばらしい馬をつないでいる馬車の扉がしまるのしか見えず、一瞬のうちにその馬車も彼の視界から消えた。
彼は憤怒にあえぎながら自宅に帰った。間もなく彼のほうの見張りの連中がやって来て、今日はあの謎の愛人は聖職者に変装して、サン・ジョヴァンニ教会の暗い礼拝所の入口にある墓石にぴったり寄ってまことに敬虔《けいけん》そうにひざまずいていたと無情に報告した。ファウスタは教会にほとんど人影がなくなるまで残っていて、それからあの未知の男とすばやく合図を交わした。手で十字を切るみたいにしたという。M……は不実な女のところへ駈けつけた。はじめて彼女は動揺をかくすことができなかった。彼女は情熱におぼれた女らしく見えすいた嘘をついて、いつものようにサン・ジョヴァンニ教会に行ったが、自分を追いまわしている男は教会では見なかったと言った。この言葉を聞くとM……は我を忘れて激昂《げきこう》して女を犬畜生呼ばわりし、自分の目で見たことを全部ぶちまけてやった。糺弾《きゅうだん》が激しくなるとともに女の嘘もますます図太くなるので、彼は短刀をつかんで彼女に飛びかかった。おちつきはらってファウスタは彼に言った。
「いいわ、あなたが鳴らし立てていることは全部ほんとうよ。でもあたしがこれをかくそうとしたのは、あなたが向こう見ずだから無鉄砲な復讐に走って、あたしたちふたりの破滅になっては困ると思ったからだわ。だって、これははっきりここでおぼえておいてもらいたいけれど、あたしの推測では、ああやってあたしをうるさくつけまわしている男は、すくなくともこの国ではしたいことはなんでもできる人なんですからね」
結局のところM……は自分に対してどんな権利をも持っていないのだということをごくさりげなく指摘しておいて、最後にファウスタはたぶんもうサン・ジョヴァンニ教会には行くまいと言った。M……は狂おしいまでに惚れこんでいたので、いったんこの若い女が分別だけでなく少々色気を見せてくれると彼はたちまち怒りが解けるのを感じた。彼はパルマを去ろうと思い立った。公子がいかに権勢があろうとも彼について来ることはできない。ついて来たとすればもはや身分の差はなくなる。しかし自尊心が頭をもたげるとこうして出発することがまたしても逃走のように思え、M……伯爵はもうこんなことは考えまいと決心した。
(この人はあたしのファブリツィオのことは気づいていない)有頂天になって歌姫は思った。(こうなればあたしたちは何食わぬ顔でこの男をからかってやることができる!)
ファブリツィオは自分の幸福が全然わからず、翌日歌姫の部屋の窓がぴたりと閉ざされているのを見、どこにも彼女の姿が見えないので、冗談も長びきすぎたと思いはじめた。彼は後悔していた。(警察大臣であるあの気の毒なモスカ伯爵がおれのためにどんな立場に置かれているか! 人々は伯爵がおれの共犯者だと思うだろう。こうなればおれはあの人を失脚させるためにこの国に来たようなものだ! けれどもこれほど長いあいだあたためて来た計画を投げ出してしまったら、公爵夫人におれの恋の試みを話したときになんと言われるだろう?)
ある夜、彼がもう勝負を投げ出す気になって自分自身に対してこうしたお説教をしながらファウスタの邸と城砦とのあいだにならんだ大木の下をぶらついていると、いやに背の低いスパイが自分をつけているのに気がついた。こいつをまこうとしていくつも町筋を通り抜けても、依然としてこのちっぽけな人間はぴったりと彼のあとについて来るらしい。がまんできなくなって彼は自分の手の者たちがひそんでいるパルマ河沿いの人気のない通りへ駈けこんだ。彼が合図すると男たちはかわいそうな小さなスパイに飛びかかり、スパイは彼らの足もとに身を投げた。それはファウスタの小間使のベッティーナだった。三日も閉じこめられて退屈したあげく、女主人と同様M……伯爵の短刀がこわくてならず、それを避けるために男装してファブリツィオにこう言いに来たのだ。こちらも彼に恋いこがれており、会いたくてたまらない、けれどもサン・ジョヴァンニにはもう行けない、と。(ぎりぎりのところだったな、がんばったのがよかった!)とファブリツィオは思った。
小柄な小間使はとても別嬪だった。おかげでファブリツィオは道徳的な物思いから引き離されてしまった。彼女は今夜彼が通った散歩場も街路もみなM……のスパイにそれとなく注意深く見張られていることを教えた。このスパイどもは家々の一階もしくは二階の部屋を借りて、鎧戸のかげにかくれて全然音を立てずに、一見人影の絶えたように見える通りで何が起こるか見張り、通りで話される言葉を聞いているというのだ。
「あのスパイたちが私の声を聞きわけたら」と小さなベッティーナは言った。「私は家に帰るなり容赦なく刺し殺されるでしょう、たぶん私と一緒に奥さまも」
この恐怖のために彼女はファブリツィオの目に美しく見えた。
「M……伯爵は激昂していらっしゃいますし、奥さまにはあのかたがどんなことでもやりかねないとわかつていらっしゃいます……。あなたとご一緒にずっと遠くへ行ってしまいたいと思っているとお伝えするように私は申しつかって来ました」
それから彼女はサン・ステファーノの祭日の喧嘩のこと、あの日ファブリツィオに首ったけになっていたファウスタが彼に送った秋波や愛のしぐさを一つ残らず見ていたM……の激昂ぶりを語った。伯爵は短刀を引き抜き、ファウスタの髪をつかんだ、ファウスタが機転をはたらかせなかったら死んでいたろう、と。
ファブリツィオは近所に借りていた小さな住まいにきれいなべッティーナを連れて行った。自分はトリーノのもとで、目下パルマに滞在しているある偉い人の息子なのだ、だからあまりめったなことはできないのだと彼は話して聞かせた。ベッティーナは笑いながら、あなたはご自分でおっしゃるよりもはるかに身分の高い殿さまではありませんかと答えた。われらの主人公にはこのかわいい娘が自分のことをほかならぬ公子その人と考えているのだと理解するまでにちょっと時間がかかった。ファウスタはこわくなり出し、ファブリツィオを愛しはじめた。そこで彼女はファブリツィオという名を小間使には言わず、公子ということにしておいたのだ。ファブリツィオは結局このきれいな娘におまえの言うとおりだと言った。
「しかしもし私の名が世間に知れると」と彼はつけくわえた。「おまえのご主人に対する熱愛はこれまで何度も証拠を見せて来たが、そうなるともう会うことをやめなければならなくなる。そして私の父の大臣ども、あの意地の悪いやつらは私がいずれ免職してやるが、あの連中はかならずおまえのご主人にこの国を立ち去れという命令を送るにきまっている。これまであの人のおかげでこの国も美しくなっていたのにな」
明け方近くなってファブリツィオはこの小柄な小間使とファウスタに会うためのいくつかの媾曵《あいびき》の案を練った。彼はロドヴィーコと、手の者のなかで特別気の利いたものをひとり呼びよせ、彼がファウスタに実に猛烈な手紙を書いているあいだふたりはベッティーナと打合せをした。今のこの状況には悲劇的な悲壮きわまりないところが多々あって、ファブリツィオはそれらすべてを手紙のなかに書きたてたのである。夜明けになってやっと彼は公子の態度にすっかり満足している小さな小間使と別れた。
ファウスタと恋人とのあいだに意志の疏通《そつう》ができてしまったのだから、これからはもうファブリツィオは相手が迎え入れるときでなければ邸の窓の下を通らないことにする、そして迎え入れるときにはしかるべき合図がある――このようにファブリツィオは何度も念を押された。ところがファブリツィオはベッティーナに惚れてしまい、しかもファウスタとのあいだはもう大詰めに近づいていると思っていたので、パルマから二里離れた村におとなしくしていることはできなかった。あくる日の真夜中近く、彼は充分の護衛を連れて馬でファウスタのところにやって来て、当時はやっていたある歌の替え歌をうたった。(恋人たちというものはこういう風にするものじゃなかったか?)と彼は思った。
ファウスタがぜひとも媾曵《あいびき》をしたいという気持ちを表明して以来、こうした駈引きはファブリツィオにはまだるっこしいものに思えていた。(いや、おれはいっこう恋をしていない)と、小さな邸の窓の下であまり上手《じょうず》でもない歌をうたいながら彼は思った。(ベッティーナのほうがファウスタよりもはるかにましなように思える。今おれが会ってもらいたいのはベッティーナのほうだ)ファブリツィオはいいかげんうんざりして村のほうへ引き返したが、ファウスタの邸から五百歩ばかりのところで十五人から二十人くらいの男が彼に襲いかかり、そのうちの四人が彼の馬の手綱をおさえ、ふたりが彼の腕をつかんだ。ロドヴィーコもファブリツィオの雇った壮士《ブラーヴィ》たちも襲われたが、うまく逃げることができた。彼らはピストルを何発か放った。すべては一瞬の出来事だった。五十本の火のついた松明《たいまつ》があっという間に魔法のように通りにあらわれた。この連中はすべて充分に武装していた。おさえられていたにもかかわらずファブリツィオは馬から飛び降りた。それどころか万力のような手で彼の腕をつかんでいたひとりに傷を負わせさえした。ところが驚いたことにその男はきわめてうやうやしい口調でこう言うのだ。
「殿下はこの傷に対して充分お手当てをくださいますでしょうな。そのほうが私にとっては、主君にむかって剣を抜いて不敬罪におちいるよりもましでございます」
(これこそまさにおれの愚行に対する罰だな)とファブリツィオは思った。(ちっともおもしろいと思えない罪のおかげでひどい目に遭わされるわけだ)
小競合《こぜりあ》いが終わるやいなや、りっぱな仕着せを着た何人かの侍僕が奇妙な塗り方をした金色の輿《こし》を持ってあらわれた。謝肉祭のときに仮面をつけた連中が使うあの奇怪な輿だ。短刀を持った六人の男が、夜気が冷たいから喉《のど》を病めるかもしれないと言って殿下にそれにお乗りくださいとお願いした。体裁だけはあくまできわめてうやうやしく、公子という言葉は何度も、ほとんど叫ぶようにしてくりかえされた。行列は動きだした。ファブリツィオは通りに松明《たいまつ》を持った男を五十人以上数えた。時刻は午前一時になっていたろうか、住民はみんな窓から見ており、事はある厳粛さをもって運ばれた。(おれはM……伯爵から短刀でぐさりとやられるんじゃないかと思っていた)とファブリツィオは言った。(ところがおれをからかうだけですまそうというんだ。あいつにこれほど趣味があるとは思わなかったな。しかしやつはほんとに相手が公子だと思っているんだろうか? おれがファブリツィオにすぎぬと知ったら、くわばらくわばら、短剣をお見舞いされるぞ!)
五十人ばかりの松明を持った男と武装した二十人の男は、ファウスタの部屋の窓の下で長いこと停止したあとで町の豪荘な邸宅のならぶ前を練り歩きはじめた。輿《こし》の両側に控えた侍僕頭はときどき、殿下には何かご下命になることはございませんかと訊く。ファブリツィオは全然冷静さを失わなかった。松明の光で彼はロドヴィーコと自分の手の者がどうにかこうにか行列のあとをつけて来るのを見て取った。(ロドヴィーコは八、九人しか味方がいないから、思い切って攻撃するわけに行かないんだな)輿のなかからファブリツィオは、このいたずらを引き受けた連中が完全な武装をととのえているのを見た。彼は自分の世話をする役目の侍僕頭たちと冗談を言っているようなふりをした。この勝利の行進が二時間以上もつづいたあげく、一行がサンセヴェリーナ邸のある通りのはしにさしかかったのがわかった。
邸のほうへ行く道を曲がったところで、彼は輿の前部にもうけてある扉をぱっとあけ、輿の腕木の一つを飛び越え、彼の顔へ松明《たいまつ》をつきつけた壮漢のひとりを短刀をふるって倒した。彼も肩に短刀の一撃を受けた。もうひとりの壮漢が松明でファブリツィオの鬚《ひげ》を焼いたが、遂にファブリツィオはロドヴィーコのところまで駈け寄った。
「殺せ! 松明を持っているやつはみんな殺せ!」
ロドヴィーコは剣をふるい、彼にあくまで追いすがろうとしているふたりの男を斬り倒した。ファブリツィオは駈けてサンセヴェリーナ邸の門まで来た。好奇心から門番は大門についている高さ一メートルほどの潜《くぐ》り戸をあけ、このおびただしい数の松明をあっけにとられてながめていた。ファブリツィオは一気に飛びこんで、この小さい戸をしめてしまった。庭を駈け抜けると彼は淋しい通りにのぞむ門から出た。一時間後には彼は市の外にいた。夜の明けるころにはモデーナ領の国境を越えてもう身の安全を得ていた。夜になってボローニャにはいった。
(たいした遠征だった)と彼は思った。(惚れた女と話をすることもできなかったんだから)彼は急いで伯爵と公爵夫人とに詫《わび》状を書いた。用心深い手紙で、自分の心のなかのことをいろいろ述べていたが、敵が見ても何もわからぬようにできていた。「僕は恋というものに恋していたのです」と彼は公爵夫人に言った。「恋を知るためにありとあらゆることをやってみましたが、生まれつき僕は恋をしたり憂鬱になったりするための心というものを与えられていないらしい。俗悪な快楽以上のものには手がとどきません……」
この冒険がパルマでどれほどの騒ぎをひきおこしたかはとても言いあらわせるものでない。謎が好奇心をかきたてた。無数の人々が松明や輿《こし》を見ていた。しかし引きさらわれて行った、しかもありとあらゆる敬意のしるしをもって遇されていたあの男はいったいだれなのか? 翌日になっても有名な人物で町からいなくなった人はひとりもいなかった。
捕われていた男が逃げ出した通りに住む下層民たちは屍体《したい》を一つ見たと言ったが、日が高く昇って住民が家から出てみたときには、敷石の上に多量の血が流れているほかに闘いの跡は見当たらなかった。二万以上の弥次馬がその日のうちにこの通りを見に来た。イタリアの都市は一風変わった見物《みもの》には慣れているが、いつもその原因や経過はわかつている。今度の場合パルマの住民の感情を害したのは、一月《ひとつき》たってあの松明行列だけがうわさの種ではなくなったころになっても、モスカ伯爵が慎重に手を打ったおかげでファウスタをM……伯爵から奪おうとした恋仇の名がだれにもわからなかったことだった。このやきもちやきで執念深い恋人は、行列がはじまったころすでに逃げ出していた。モスカ伯爵の命令でファウスタは城砦の獄に入れられた。大公の好奇心をおさえてしまうために伯爵があえておこなわねばならなかったこのちょっと公正を欠く処置のことを聞いて、公爵夫人はさんざん笑った。こうでもしなければ大公はファブリツィオの名を思い出さないともかぎらなかったのである。
このころパルマには、中世史を書くために北のほうから来た学者がいた。彼は図書館をまわって写本をさがしていたが、伯爵はありとあらゆる許可を彼に与えていた。ところがこの学者はまだごく若いくせに怒りっぽかった。たとえばパルマではだれも自分をばかにしていると思いこんでいた。いかにも町の悪童連中が彼がじまんそうに伸ばしている薄赤いふさふさした髪の毛を見てときどき彼のあとについて行くことは事実だった。旅館でどんなものについても法外な値段を自分に要求するとこの学者は思いこみ、スターク夫人の旅行案内〔当時のイタリアで有名だった案内書〕で値段を調べたうえでなければどんなつまらぬものの代金も払おうとしなかった。この本は七面鳥一羽、林檎《りんご》一個、牛乳一杯等々の値段を用心深いイギリス人に教えているので第二十版にも達していたのである。
赤い長髪の学者はファブリツィオが例の散歩をやらされたその夜、旅館で猛烈に怒り出して、悪い桃一つに二スー要求した部屋づき女中をこらすためにポケットから二挺の小型ピストルを引っぱり出した。彼は逮捕された。小型ピストルの携行《けいこう》は大犯罪だからだ!
この怒りっぽい学名はひょろ長く痩《や》せていたので、伯爵は翌朝、ファウスタをM……伯爵から奪うつもりでまんまと自分がだまされた無鉄砲な男として大公にお目にかけようと思いついた。懐中ピストル携行はパルマでは懲役三年の罪である。しかしこの刑は一度も適用されたことはなかった。学者は二週間獄中にあってひとりの弁護士に会うことしかできなかったが、この弁護士は小心翼々たる権力者が秘密武器携行者に対して施行する苛酷な法律がどれほど恐ろしいものかを納得させた。そのあとで別の弁護士が獄を訪れ、M……がまだ正体不明のままのその恋仇にやらせたあの散歩の件を話した。
「警察はこの恋仇がだれであるかつきとめられなかったと大公に告白したくないのですよ。自分はファウスタの歓心を得ようとした、自分が窓の下で歌っているとき五十人のならず者が自分を引きさらい、一時間ほど輿《こし》にのせてひきまわしたが不埒《ふらち》なことは決して言わなかったと自供なさったらどうですか。この自供には全然屈辱的なところはありません。一言いってやりさえすればいいのです。その一言をいって警察を窮地から救ってくだされば、すぐさま警察はあなたを駅馬車にのせて国境へ送り、そこでおさらばということになるんですがね」
学者は一月《ひとつき》がんばった。二、三度大公は学者を内務省に連れて来させ、その訊問に立ち会ってみようと言いかけた。しかしそのうち大公がもうそんなことを考えなくなったころ、歴史学者はうんざりして何もかも自供する決心をし、国境に送られた。大公はM……伯爵の恋仇は赤毛の蓬髪《ほうはつ》をいただいた男だと信じこんでしまった。
例の散歩の三日後、ボローニャに身をひそめてM……伯爵を見つけ出す方策を忠実なロドヴィーコを相手にめぐらしていたファブリツィオは、この伯爵もまたフィレンツェ街道沿いの山村に身をひそめていることを知った。伯爵は三人のブーロしか手もとに置いていなかった。翌日散歩から帰ろうとするとき、伯爵はパルマの警察と名乗る八人の覆面《ふくめん》の男に引きさらわれた。彼は目かくしをされたあげく二里も山奥の一軒の宿屋へ連れて行かれ、ありとあらゆる鄭重《ていちょう》なあしらいときわめて豊かな夜食にあずかった。イタリアとスペインの最上の葡萄酒が出された。
「それじゃあ私は国家に捕われているのですか?」
「とんでもございません」と覆面したロドヴィーコははなはだ慇懃《いんぎん》に答えた。「あなたはひとりの個人を輿《こし》にのせて引きまわして侮辱なさいました。明朝その人物はあなたと決闘するといっています。あなたがその人物を殺したら、二頭のりっぱな馬とお金をご用立てしますし、ジェノヴァ街道に替え馬も用意してございます」
「その腕じまんの男の名はなんという?」伯爵は腹をたてて言った。
「ボンバーチェと申します。あなたは武器も立会人も選ぶことができます、誠実な立会人を。けれどもどちらかが死なねばなりません」
「それじゃあ暗殺じゃないか?」とM……伯爵は愕然《がくぜん》として言った。
「とんでもない! これはあなたが真夜中パルマの町なかをひきまわさせた青年を相手の生きるか死ぬかの決闘というだけのことです。この青年はあなたが生きていらっしゃれば面目が立たないのです。ふたりのうち一方がこの世にいるわけには行かないわけで、ですからどうか相手を殺すように一生懸命やってください。剣でもピストルでもサーベルでも、数時間で手にはいる武器ならなんでもよろしゅうございます。急いでかたづけてしまわねばなりませんのでね。ご承知かと存じますが、ボローニャの警察はたいへん熱心ですし、あなたから愚弄《ぐろう》されたこの青年の名誉のためにぜひともおこなわねばならぬこの決闘が警察にさまたげられてはなりませんから」
「しかしその青年というのが公子なら……」
「あなたと同じ、いやそれどころかあなたよりもずっと貧しい一個人ですよ。ただ生死を賭けて闘うと言っているのです。おことわりしておきますが、あなたがいやだとおっしゃっても闘うつもりですよ」
「おれはこの世にこわいものなどないぞ!」とM……は叫んだ。
「それこそあなたの相手が熱望していることでございます。明日の早朝はせいぜいご自分の命を守るようにお心構えのほどを。あなたの命をねらう相手は激怒する理由もあり、手心などはいたしませんぞ。あらためて申し上げますが、武器はあなたが選択できます。遺言をしたためておかれたらいかがで」
翌朝六時ごろにM……伯爵のところに朝食が運ばれ、それから監禁されていた部屋の扉が開かれて、旅籠屋《はたごや》の中庭に出るように伯爵はうながされた。この中庭はかなり高い生垣と壁で囲まれ、門はぴったりと閉ざされていた。
片隅に机があってM……伯爵はそちらに行くように言われたが、その机の上には葡萄酒と火酒の壜《びん》、ピストル、剣、サーベルが二挺ずつ、紙とインキがのせてあった。二十人ほどの百姓が宿屋の中庭に面する窓からのぞいている。伯爵は彼らに同情を求めて、
「おれを暗殺しようとしているのだ! 助けてくれ!」と叫んだ。
「あなたはまちがっている、でなければ人をだまそうとしている」と、中庭の反対の隅の武器をのせた机のそばにいたファブリツィオは叫んだ。
彼は上着をぬぎ、顔は剣術の道場で見られるあの鉄の網の面でかくされていた。
「あなたもお手もとにある鉄網の面をつけられたらどうです。そして剣なりピストルなりを持って私のほうへ進んでいらっしゃい。昨夜申し上げてあるように武器の選択権はあなたにあるのです」
M……伯爵は数えきれないほど苦情を申し立て、どうしても決闘する気がなさそうだった。ファブリツィオはファブリツィオで、ボローニャからたっぷり五里も離れた山のなかだったにもかかわらず、警察が来ることを恐れていた。しまいに彼はきわめて口ぎたない罵言を相手にあびせた。やっと首尾よくM……伯爵を怒らせることができ、伯爵は剣を取ってファブリツィオのほうへ歩み寄った。闘いはあまり熱のない様子ではじまった。
数分後たいへんな騒ぎで決闘は中断された。われらの主人公は、今後一生にわたって彼に対する非難の、すくなくとも中傷的な攻撃の種となるような行動をおっぱじめてしまったとはっきり自覚していた。実は彼はロドヴィーコに近郷近在をまわらせて、立会人たちを集めさせたのだった。ロドヴィーコは近くの森で働いている他領の連中に金をやった。この連中は金をくれた男の敵を殺せばいいのだと思って、わめきながら駈けつけて来たのである。旅館に着いた彼らにロドヴィーコは、闘っているふたりの青年のどちらかが卑怯《ひきょう》なまねをしないかどうか、不正なやりかたで優位を得ようとしないか、みんなでよく見ていてくれと頼んだ。
百姓たちのすさまじいわめき声でちょっと中断された決闘はなかなか再開されなかった。ファブリツィオはふたたび伯爵のうぬぼれぶりをののしった。
「伯爵、傲慢《ごうまん》な人間は勇敢でなければならない。この場の条件があなたにとってつらいことは僕にもわかる。あなたは勇敢な人間を雇うほうがお好きらしいからな」
伯爵はふたたび向《むか》っ腹をたてて、自分はナポリの有名なパッティスティーニの道場に長いこと通ったから、きさまのような無礼なやつには目に物を見せてやるぞとどなりはじめた。ようやくまた怒りをかきたてられたので伯爵はかなり決然と闘った。にもかかわらずファブリツィオは相手の胸にみごとに一突き入れ、おかげで伯爵は何か月も床に付くことになった。ロドヴィーコは負傷者に応急処置をしながらその耳にささやいた。
「この決闘のことを警察に訴えたりなさったら、寝ていらっしゃるところを短刀で一突きさせますぞ」
ファブリツィオはフィレンツェへ逃げた。彼はボローニャではずっと身をひそめていたので、フィレンツェではじめて公爵夫人の叱責の手紙を受け取った。彼が自分のところの演奏会に来ながら自分と話そうとしなかったことを彼女は許すことができなかった。ファブリツィオはモスカ伯爵の何通かの手紙には感激させられた。これらの手紙は率直な友情と最も高貴な感情をあらわしていた。伯爵がボローニャあてで手紙をよこしたのは、あの決闘に関して自分にかかるかもしれない嫌疑をそらせるためだと悟った。聾察はまことに公正だった。ふたりの外国人が三十人以上の百姓の前で剣で闘ったが、そのうち負傷したほうだけは身許が知れている(M……伯爵)。終わりに近いころに百姓たちのあいだに村の司祭があらわれて、ふたりを引き分けようと努めたが成らなかった。ジュゼッペ・ボッシという名は全然人の口に上っていなかったから、二か月もしないうちにファブリツィオは、恋というもののなかの高貴で知的な部分を自分はどうしても知り得ない運命なのだといよいよますます確信しながらあえてボローニャにもどった。このことを公爵夫人に長々と説明するのが彼には楽しみだった。彼は孤独な生活にすっかり飽きてしまい、そういうときには伯爵と叔母とにはさまれて過ごしたあの楽しい宵々がなつかしくてたまらなくなるのであった。あれ以来彼は上流社交界の楽しみを味わっていなかった。
彼は公爵夫人に書いた。
「してみたいと思った恋にもファウスタにもうんざりしてしまって、たといあの女の浮気心がまだ僕に傾いているとしても、あの女に約束の履行《りこう》を迫るためにわざわざ二十里の道のりを行く気は僕にはありません。だからあなたのおっしゃるように、あの女がパリで初舞台を踏んでものすごい人気を待ているからといって僕がパリへ出かけて行きはしないかなどと心配しないでください。あなたと、そして友人に対してはあのように親切な伯爵と一緒に一夕を過ごすためとあれば僕は千里の道も遠しとしないでしょうが」(下巻へつづく)
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解説
人と文学
フランスの高名な文人たちのなかでも、スタンダールほどその生涯の行迹《ぎょうせき》がくわしく追跡され究明されている作家はすくないだろう。スタンダールが自己について語ることを好む人間だったのもたしかだが、一方また研究者たちのほうは彼の片言隻句《へんげんせきく》を洗いたて、あらゆる資料を渉猟《しょうりょう》し、たとえば彼の情事の細部の一々にいたるまで白日のもとにさらそうとする。こうした努力が彼の文学作品の理解にどれほど寄与し得るかはここでは問わないが、ごく常識的に言って、彼の生涯自体がまさに一つの小説のような興味をかきたてるものだったことは事実である。その強烈な個性からしても、この個性がその中で生きたまことに劇的な時代環境からしても、これはまことに興味津々たる伝記作品の素材となるべき生涯なのだが、ここで私が書くのはまったく走り書き的なその輪郭にすぎない。
〔二つの家〕
グルノーブルはスイスおよびイタリアの国境に近いフランス東南部のドフィネ地方の首府である。一七八三年一月二十三日、スタンダール(マリ=アンリ・ベール)は山にかこまれた風光明媚なこの小都市で生まれた。父親シェリュバン・ベールはグルノーブル高等法院の弁護士だった。
スタンダールほど幼年時代の経験に一生深く影響されていた――悪く批評する人は一生を通じて未成熟だったと言うだろうが――文学者はいないだろう。私はここで彼の幼少年期のために相当の紙数を割かねばならないが、彼の個性を理解するにはこの時期の彼の生活を知ることが欠かせない条件だからである。
物心ついて以来スタンダールの目にうつる父親は、陰気でけちで貴族になることしか考えない醜悪な俗物だった。これに反して富裕な医家の生まれである母アンリエットには、ほとんど近親相姦的と言えるほどの愛情を彼は抱いていた。快活で才気に溢れたこの母は彼が七歳のときに産褥熱《さんじょくねつ》で死んだが、これ以後彼をめぐる世界は截然《せつぜん》と二つに分れた。父の家と、母方の祖父アンリ・ガニョンの家と――。父の家では、亡きアンリエットの妹セラフィーが家事を見るようになったが、この口やかましい信心家の老嬢は「私の全幼年時代を通じて私の悪霊だった」。父の家にはもう一人恐るべき敵がいた。「論理とあらゆる正しい推論の不倶戴天《ふぐたいてん》の敵」であるイェスイタ会士で、幼いアンリの家庭教師のライヤンヌ師。そしてもう一方のガニョン家には、評判のいい老医師で、優れた教養と開明的な思想の持主であるアンリ・ガニョンが、独身の姉エリザベットと同居していた。「たぐいまれな性格の気高さ」を持ったこの老婦人と、物判りがよく慈愛深い祖父を幼いアンリは熱愛した。気さくな遊蕩見だった叔父ロマン・ガニョンは、湿っぽく冷やかなベール家では想像することもできぬような生活があることをこの未米の遊蕩児に教えた。
ここで一つスタンダール自身が語っている挿話を紹介しておこう。啓蒙主義者ガニョン医師はある日|愛孫《あいそん》の家庭教師ライヤンヌに質問した。
「先生、あなたはなぜこの子にプトレマイオスの天体説を教えるのですか、それが間違いだと知っておられるのに?」
「しかしそれですべてが説明できるのです。しかも教会によって公認されているのですから」
ガニョン氏は笑いながらこのライヤンヌの答をそこらで言いふらした。幼いアンリは徹底的に不信仰になり、そして宗教を保護する王政をも嫌った。一七九三年、国王処刑の報がグルノーブルにもたらされたとき、わずか十歳のこのアンリは「一生のうちで感じた最も激しい歓喜の情の一つ」を味わったのである。
大革命の嵐が吹き荒れていたあいだシェリュバン・ベールは王党派として何度か拘禁されたが、進歩的思想の持主だったガニョン医師は、一七九五年に革命政府によって決定された中央学校《エコール・サントラル》制の実施に当って、グルノーブル中央学校の教授人選委員をつとめ、翌年この学校の開設とともにアンリは入校した。学校では彼はなかなか優秀な生徒だったらしく、数学、デッサン、文学などで何度か賞を与えられている。なかんずく数学は彼の心を魅したが、それはこの学科が、幼いときから彼の憎んでやまなかった偽善というものを決して受けつけなかったからである。「教学は私をグルノーブルから脱出させることができる」そして事実、この得意な学科で身を立てるべく、一七九九年、十六歳の彼は理工科大学《エコール・ポリテクニック》受験のためにパリに上る。
〔イタリアとの出逢い〕
スタンダールがパリに着いたのは一七九九年十一月十日、つまりナポレオンのあの有名なブリュメール十八日のクー・デタの翌日だった。晩秋のパリは冷たく暗い。山の見えぬことが彼には悲しく、時は彼にはおそろしく醜悪に見えた。
彼は理工科大学の試験を受けなかった。試験当日寝坊をしたからだとか、もともとパリヘは文学をやるために出たので、大学受験というのは口実にすぎなかったのだと彼自身弁明しているが、これはどの程度信用していいかわからない。とにかくこの田舎ブルジョワの息子は意気|銷沈《しょうちん》し、ひどい病気になってしまって、ひと月ベッドにこもりきりだった。このどん底から彼を救ってくれたのは、アンリ・ガニョンの遠縁の親戚にあたるダリュ家の人々である。
ダリュ家には二人の息子がいた。兄ピエールは後にナポレオンによって伯爵に叙せられた有能な官僚で、一方またいくつかの文学上の業績をも残した教養人であり、弟マルシャルはアンリ・ベールのグルノーブルの叔父ロマン・ガニョンにひけをとらぬ放蕩児だったが、当時二人とも陸軍省につとめていた。スタンダールはピエールの世話で陸軍省にはいる。
一八〇〇年五月、列強のフランス包囲を打ち破る決意を固めたナポレオンは第二次イタリア遠征軍を編制する。ダリュ兄弟はこれに従軍し、数日おくれてスタンダールもその後を追う。この旅のあいだのいくつかの興味ある逸話を御紹介する余裕がないのは残念だが、五月二十八日サン=ベルナール峠を越えていよいよ彼はイタリアの地へ足を踏み入れる。ここで言い落とすわけに行かないのは、彼がイタリア領で足を留めた最初の小都市イヴレアの歌劇場で聞いたチマローザの『秘密結婚』のことである。これは彼のイタリア音楽との最初の出逢いだった。この音楽は「私の内にあるドフィネを永久に根こそぎにした……。イタリアで暮らしこの音楽を聞くということが、私のすべての考えの土台になった」と彼は後に述懐している。
イタリアで彼の心をとらえたものはもちろん音楽だけではない。人も(特に女性)風景も美術も建築もすべてが彼を魅了し、後に彼をしてみずから「ミラノ人」と称せしめることになる。三十数年後自伝『アンリ・ブリュラールの生涯』を書きながら、この最初のイタリア行の際のミラノ入りの個所まで来て、五十歳をとうに越したスタンダールは追悼の感動に堪えられず、遂に続稿を断念するのである。
〔イデオロジー〕
いくらミラノが好きであっても、軍人である以上命令に従って行動しなければならない。そもそも軍人などという職業はこの気まぐれで我《が》の強い若者には似合わないのである。だいぶ勝手な振舞《ふるまい》をして恩人ピエール・ダリュの立腹を買ったあげく、この恩人のおかげで得た竜騎兵少尉という階級を惜し気なく捨てて、一八〇一年の末スタンダールは故郷グルノーブルに帰った。
翌年ふたたび彼はパリへ出る。今度は彼は「フランス最大の詩人たるの声望をかちとろう」と決意を固めている。しかも「ヴォルテールのように術策を弄することなく、真の実力によって」名声を得ようというのだ。そのためにまず必要なことは何か? 自分の文学理論を持つことだ、とこの中央学校の秀才は考える。そしてその理論を築くために、エルヴェシユス、カバニス、デステュット・ド・トラシなどのいわゆるイデオローグたちの著書を耽読《たんどく》する。このイデオロジーの哲学というのは、啓蒙主義からコント哲学へのあいだをつなぐ唯物論的・感覚論的・合理主義的な一連の理論的探究である。たとえばスタンダールが後に親しくしたデステュット・ド・トラシ(一七五四〜一八三六)は、判断、思考、意欲などの心理作用を分析して感覚に還元し、この単純明快な理論をもとに統一的な人間学の体系を打ち立てようとした。数学好きの文学青年はこの学説こそ人間を幸福へみちびき、作家に優れた作品を書かせるものだと性急に信じこんだ。われわれは彼のこの素朴さを嗤《わら》うわけには行かない。彼を同時代のロマン主義者たち――シャトーブリアン、ラマルチーヌ、ユゴーなど――と分つ根本のものはこのイデオロジー哲学によって育てられているのである。(なおイデオロジーの哲学は、この時期のフランス文学の傑作の一つ、コンスタンの『アドルフ』(一八一六年)の培養基にもなっていることをつけくわえておこう)
無論スタンダールがこの頃読んだのは、そのような理論的著作だけではなかった。内外の文学作品を手当り次第読み、劇場に通い、それどころか俳優について朗読の指導まで受けた。そして――後の研究者にとってありがたいことに――実に筆まめにその読書経験や生活経験を書きとめていた。今なおわれわれは無数の手紙や日記や『フィロソフィア・ノヴァ』(新哲学)と題するノートによってこの時代の彼の精神形成の歩みをたどることができるのである。
〔ナポレオンとともに……〕
異常なほどの精進《しょうじん》の二年間だったが、血の気の多い彼がこのような生活に甘んじられるわけがない。劇作をこころざして芝居小屋まわりをはじめた彼だったが、脚本は書けなかったかわりに恋人ができた。すでに子供のあるあまりぱっとしない女優メラニー・ルアゾンの後を追って、彼は一八〇五年のはじめマルセーユに行って同棲《どうせい》する。無論文学を思い諦めたわけではなかったが、さしあたり実業で身を立てようとして食料品屋の手代となる。が、この恋も商売も長くはつづかなかった。一年後彼はマルセーユを去り、ふたたびピエール・ダリュの口利きで軍の経理部に入れてもらってベルリンにむかう。
この年から一八一四年まで、スタンダールはナポレオン体制の官吏として大いに活躍し派手に遊びまわった。一八〇九年までは主としてドイツ、オーストリアで軍行政官として働いたが、一八一〇年にパリに帰ってからは参事院事務官および帝室用度検査官として高給を食《は》み、自家用の馬車を乗りまわし、ブッフ座の歌劇女優アンジェリーヌ・ベレーテールを愛人とし、そのくせ恩人ピエール・ダリュの妻アレクサンドリーヌに言い寄って振られると休暇を取ってイタリアに遊び、年来恋いこがれていたミラノの「崇高な娼婦」アンジェラ・ピエトラグルーアをものにする。まことに華々しい奮戦である。しかし破局の時は迫っていた。一八一二年七月、彼は皇后マリ・ルイーズの皇帝あての親書をたずさえてロシア遠征軍の後を追い、九月モスクヴァにはいるが、あの悲劇的な大敗走の運命を彼も免れることはできなかった。そして「一八一四年四月、私はナポレオンとともに没落した」。
没落した帝政官吏の目指すところはアルプスのかなただった。はじめてこの国を見たあの青春の熱狂の日から、「イタリアで暮らしこの〔チマローザの〕音楽を聞くことが、私のすべての考えの土台」になっていたのだから。これ以後一八二一年、オーストリア官憲からイタリアの炭焼党《カルボナーリ》に加盟しているのではないかと疑われて帰国を余儀なくされるまで、グルノーブルやパリやロンドンに何度か旅行はしながらも、大体彼はイタリアで生活していた。イタリアでの彼の本拠はもちろん恋人アンジェラが住むミラノだった。しかし彼よりも年上で、夫も子供もありながら何人もの男を手玉に取っているこの多情な女に彼はどれほど苦しめられたことであろうか。何度か裏切られた後に、一八一五年の末、彼は決定的にこの「娼婦」と手を切る。
没落したスタンダールをイタリアにおもむかしめたものが豊満な年増女アンジェラヘの渇望だったとすれば、この愛する国を絶ちがたい心を抱いて去らしめたものは、もしかするとオーストリア権力の圧力以上にメチルドとの叶《かな》わぬ恋の絶望感だったかもしれない。メチルドは本名マティルダ・デンボフスキといい、ポーランド生まれでナポレオン麾下《きか》のイタリア軍に加わって少将にまで進んだ退役軍人の妻だったが、夫の虐待に堪えかねて別居していた。一八一八年のはじめにスタンダールは、親交のあったミラノの弁護士で自由主義者であるヴィズマラの紹介でメチルドに会ったらしいが、このダ・ヴィンチの描くヘロディアスに似た美女――とはスタンダール自身の言葉であるが――はたちまち彼の心を捉えた。彼女はミラノの市民階級の最高の名家に生まれた知的な女性であり、熱烈な自由主義者だった。
しかしこのメチルドは最後まで彼の心を迎え入れず、ひややかに彼を拒みつづけた。不幸な恋人は何度か自殺を考えたが、一方またイデオローグ・スタンダールはこの恋の痛みに触発されて恋愛というものについて深い省察をめぐらしていた。この時期の懊悩のさなかに書かれた彼の『恋愛論』は、かつて一時代を風靡《ふうび》したイデオロジー哲学から現代へ残された、現代人の関心をひきつける唯一の書物であるといっていい。
〔文士―領事〕
一八二〇年に書かれたこの『恋愛論』は、イタリアからフランスへ郵送したその草稿が行方不明になるという事情があって一八二二年夏にいたってようやく出版されたが、それまでに彼は『ハイドン、モーツァルト、メタスタジオ伝』(一八一五年)、『イタリア絵画史』(一八一七年)、『ローマ、ナポリ、フィレンツェ』(一八一七年)という三冊の著書をすでに持っていた(ちなみに彼がスタンダールという筆名をはじめて用いたのはこの最後の本の出版のときである)
パリに出て来たこの失意の「|ミラノ人《ミラネーゼ》」はもう四十台に近づいている。フランス最大の劇詩人になるという往年の夢はもはやなかったけれども、物を書くことと社交界で才智を競うことだけがこの頃の彼の慰めとなる。復古王政が顛覆《てんぷく》する一八三〇年までのあいだ、彼がイギリスとフランスの雑誌新聞に載せた評論は厖大《ぼうだい》な数に上り、その対象は文学、美術、音楽から政治、経済、社会、宗教の諸問題までに及んだ。実は数としては後者に関するもののほうが多いくらいなのだが、文学芸術におけると同じくこの領域でも、彼の時評は独創的な見解と的確な洞察とを随所に示している。
一八二四年からクレマンチーヌ・キュリアル伯爵夫人との恋愛がはじまって、メチルドとの失恋の痛みはどうにかやわらげられた。スタンダールはクレマンチーヌを少女時代から知っていたが、凡庸な夫にあきたりなかった彼女はスタンダールの才気にひかれたのである。この恋愛は二年間つづいたが、彼女は情熱的で気まぐれで嫉妬深く、二人の仲には波瀾が多かったらしい。結局彼はまたしても愛する女に裏切られることになるが、この痛手のなかで彼の長篇小説としての処女作『アルマンス』が書かれた。この作品は一八二八年に出版され、これ以後彼の小説時代が来る。翌年の秋には、後に『赤と黒』に発展する小説が着想され、ほかにもいくつかの短篇を彼は執筆した。
この『赤と黒』の校正を見ながら彼は一八三〇年の七月革命を迎えるのである。復古王政時代不遇だったこの自由主義者に、七月王政はトリエステ駐在領事の地位を与えたが、オーストリア政府はこのような危険思想の持主を受けつけようとはしなかった。やむなくフランス政府は彼を教皇領に属するローマに近い港町チヴィタ・ヴェッキアの領事に転任させ、一八三一年四月彼は任地に着いた。
もともと県知事くらいの地位を新政府から期待していたスタンダールにとって、この小さな港町の領事などというみすばらしい地位は鬱憤《うっぷん》のたねだったし、しかもこの町は「疫病のようにやりきれない」ところだった。健康の悪化ということもあって、当然この新任領事は職務に精励する気など毛頭なかった。狩猟、古代遺跡の発掘、ローマの社交界と、慰めになるものはないではなかったが、しかし何よりも彼が心を傾けたのは書くことだった。数々の短篇、未完の長篇『リュシアン・ルーヴェン』『ラミエル』、自伝、紀行……と、まさにこの最も憂鬱な時期に彼の創作への衝動は噴出している。そしてその頂点に『パルムの僧院』がそばだつのだが、この期間のことは下巻の作品解説のなかでもう一度触れることになるだろう。
一八四一年の秋、病気にいためつけられた彼は静養のために休暇を取ってパリに帰る。制作欲はあいかわらず旺盛だった。翌四二年五月二十二日の午前、後に『イタリア年代記』におさめられる短篇『スオラ・スコラスティカ』を彼は口授していた。その日の午後七時、外務省の前の歩道の上で脳出血の発作に襲われて卒倒し、二十三日午前二時にアンリ・ベール――スタンダールは息を引き取った。
彼の遺体はモンマルトル墓地に埋葬され、この墓碑には「アッリゴ・ベイレ、ミラネーゼ、ヴィッセ、スクリッセ、アモー」(生きた、書いた、恋した)という彼自身の選んだ銘が刻まれた。