背徳者
ジッド/石川淳訳
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アンリ・ゲオンに献ず
[#地付き]われなんぢに感謝す、われは畏るべく
[#地付き]奇《くす》しくつくられたり
[#地付き] 詩篇第一三九篇一四節
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序
わたしは、その値《あたい》かくの如きものなればこそ、この書を与える。これは苦い灰にまみれた果実である。例えば沙漠のコロシントの如きか。焦土に生じて渇ける舌をいや烈しく焼き爛《ただ》らすものながら、黄金なす砂《いさご》の上にあっては美しくないとは云えぬ。
仮にわたしの主人公を一の鑑《かがみ》として示したならば、わたしはきっと失敗したに違いない。ミシェルの物語に心を惹かれた少数の人々も、仁慈の情に駆られて彼を責めるのに急であった。わたしがあまたの徳を以てマルスリイヌの身を飾ったのは、無益ではなかった。人は、ミシェルに対して、身に代えて彼女を守らないことを許さなかったのである。
また、もしわたしがこの書を以てミシェルに対する訴状としたならば、同じく成功を贏《か》ち得なかったことであろう。なぜなら何人も、わたしの主人公に対して憤激を感じながら、それについてわたしに謝するところがなかったからである。人はこの憤激をわたしの意志に反して感じたかの如くである。この憤《いきどおり》の情はミシェルよりひいてわたし自身の上に及んだ。ややもすれば、人はわたしと彼とを混同しようとしたのである。
しかし、わたしはこの書を以て訴状とも弁疏ともしようとは思わなかったのである。自ら判断を下すことを控えたのである。今日の読者は、作者がおのれの描き出した筋に就いて自ら嚮背《きようはい》を決しないことを許さない。そればかりでなく、仕組の中でさえも、作者が立場を定めて、アルセスト方かフィラント方か、ハムレット方かオフィリヤ方か、ファウスト方かマルグリット方か、アダム方かエホバ方かを明言することを望むかも知れぬ。わたしは中立(不決定と云おうか)を以て大才の特色であるとはしない。しかし、わたしの信ずるところでは、あまたの大才の士は解決を与えることを頗《すこぶ》る嫌った傾きがある。――且、或る問題を巧みに提出するにはあらかじめこれを既決のものとするに当らないのである。
心ならずも、わたしはここに≪問題≫と云う言葉を使う。ありようは、芸術には問題は無いのである。――芸術作品がそれの十分なる解決でないような問題は。
もし≪問題≫を以て≪仕組≫と解するならば、この書の物語るところのものは、わたしの主人公の心の中に演ぜられるにもせよ、その異常の身上話の中に限られるにはあまりに一般的のものたることを失わない。わたしはこの≪問題≫を自分の創意に出たものとは思わぬ。それはわたしの書より前に存していたのである。ミシェルの成敗如何にかかわらず≪問題≫は依然として存するのである。作者は心得として勝利をも敗北をも提示しない。
もし明識の士が、この仕組を以て単なる奇異の物語となし、その主人公を目して一人の病者に過ぎないとしたならば、即ち、及ぼすところの広い切実な思想がこの中に含まれていることを認めなかったならば――その咎《とが》は、この思想にもこの仕組にもなく、実に作者に存するのである。作者が熱と涙と念《おもい》とをこの書に注ぎつくしたとは云え、なおその未熟なるによるのである。しかし、作品の真の興味とその日その日の読者のこれに寄する興味とは、両者の間に甚しい差異がある。思うに、あまり己惚《うぬぼ》れでもなく、興味あるものを持ちながら最初は人に悦ばれない危さを冒すことのほうを選ぶことができよう。――明日をも知れぬ、いか物好きの公衆の熱を煽《あお》るよりも。
要するに、わたしは何物をも証明しようとしなかった。わたしの意はよく描くことと、おのれの描いたものをはっきりさせることに在る。
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(内閣議長D・R氏宛)
[#地付き]シディ・ベエ・エム 一八九…年七月三十日
ええ、お考え通りでした。ミシェルはわたしたちに話を聞かせてくれました、兄上。彼のした物語は、ここにあります。あなたはそれをお望みでした。わたしもお約束しました。しかし、それをお送りするに当って、わたしはなおためらいます。それを読み返せば読み返すほど、怖ろしい心持がしてきます。ああ、あなたは、わたしたちの友達のことをどうお考えになるだろうか。いや、一体わたし自身どう思っているのか……うわべは扱いにくい性《さが》もよきに導き得ることを思わずに、わたしたちはひとえに彼を責めようとするのか。――ただ惧《おそ》れるのは、今日、この物語の中におのれの姿を認めようとする者の一人にして止らないことです。かばかりの智能と活力との使い途は無いものか。――それとも、これに対して市民権を拒み得るのか。
どうしたらミシェルはものの役に立てるか。わたしには全く解らないということを白状します……彼には仕事が必要なのです。兄上の勲《いさお》が御身にもたらした高い位置、兄上の御手にある権力、それを以てこの仕事を見つけることが叶いましょうか。――急いで下さい。ミシェルは身を捧げています。今なおそうです。しかし、彼の献身はやがて彼自身のためばかりのものとなりましょう。
わたしは朗らかな蒼天の下にあって、兄上に書き送る。ドニとダニエルとわたしとがここに来てから十二日以来、雲一つ、日のかげり一つありません。空は二月《ふたつき》このかた澄んでいると、ミシェルは云いました。
わたしは侘しくも楽しくもありません。この土地の空気は、漠然とした興奮の中に人を包み、楽しさからも苦しさからも懸け離れているような状態を感じさせます。これが幸福と云うものでしょうか。
わたしたちはミシェルの傍に留っています。彼の傍を離れたくありません。そのわけは、この記録を読めばお解りになりましょう。ここ、彼の住居で、わたしたちはあなたの御返事を待っています。遅れないように。
御承知の如く、前から厚い同窓の友誼は、年と共に深くなって、ミシェルとドニとダニエルとわたしとを結びつけていました。わたしたち四人の間には一種の規約が結ばれました。かりそめにも一人が呼べば、他の三人がこれに応《こた》えなければならないことになっていたのです。で、わたしはミシェルからあの不可思議な警報を受け取るや早速ドニとダニエルにその旨を知らせて、三人とも一切を抛擲《ほうてき》して出発しました。
わたしたちは三年越しミシェルに会わなかったのです。彼は結婚して夫人をつれて旅に出ていたのでした。彼が最後にパリを通過した際には、ドニはギリシャに、ダニエルはロシヤに、わたしは御存知の通り病気の父上のもとに引き留められていました。しかし、全く消息の無いわけではなかったのですが、彼に会ったシラスやウィルから聞いた便りはただ我々を驚かすばかりでした。何とも知れない変化が彼に起ったのでした。むかしの篤学な清教徒の面影は消え失せて、あの理詰一方のぎごちない様子もどこへやら、いつもわたしたちの放埒な話を控えさせるほど澄んだ眼ざしも、もう見られなくなったのです。それは……しかし、彼の物語を読めば解ることを前から云うには当りますまい。
で、わたしはこの物語をドニとダニエルとわたしとが耳にしたままに兄上にお伝えする。ミシェルは露台の上でこの話をしました。わたしたちは彼の傍で、暗がりや、星の光の中に、寝そべっていました。物語が終った時、平原に陽《ひ》が昇りました。ミシェルの家は、平原と、程近い村とを見はるかしています。この暑さに、刈りつくされた野の面《おも》は沙漠の姿を見せています。ミシェルの家は貧弱で風変りですが、趣きがあります。冬は寒さに困ることでしょう。それは窓に硝子が無いからです。と云うよりも窓が全然無いのです。ただ壁に大きな穴が空いているばかり。天気がいいので、わたしたちは外に筵《むしろ》を敷いて寝ます。
なお、わたしたちがいい旅行をしたことを申し上げたい。わたしたちはアルジェやコンスタンティヌを過ぎて、暑さに疲れ、珍らしさに酔って、日暮れにここに着きました。コンスタンティヌから、新規の汽車で、シディ・ベエ・エムまで来ました。そこには馬車が一台待っていました。道は村の遥かかなたに終っています。村は、オンブリヤの或る邑《むら》のように、岩の頂上に止《とま》っています。わたしたちは徒歩《かち》で上りました。荷物は二頭の騾馬《らば》が運んで行ってくれました。この道から来れば、ミシェルの家が村のとっつきに当ります。低い塀に閉ざされた庭、と云うよりも囲いがそれを繞《めぐ》っているのですが、そこには、三本の曲った柘榴《ざくろ》の木と、みごとな夾竹桃《きようちくとう》が植っています。そこに居合わせた一人のカビルの子は、わたしたちが近づくと、無作法に塀を乗り越えて逃げ出しました。
ミシェルは、悦びの色も現わさずにわたしたちを迎えました。非常にあっさりした様子で、彼は少しでも愛情を示すことを惧れていると云ったふうでした。しかし、戸口のところで、まず彼は厳粛にわたしたち三人に一人一人|接吻《くちづけ》しました。
夜になるまでわたしたちは十言《とこと》と言葉を交しませんでした。質素と云っていいほどの晩餐の支度が部屋の中にできていました。その部屋の華麗な装飾には、びっくりしました。が、そのことはミシェルの物語を読めばお解りになりましょう。やがて、彼は自ら珈琲を沸かしてわたしたちにすすめました。それから、わたしたちは涯しなく眺めの開けている露台に上りました。そして、三人とも、ヨブの三人の友だちのように燃ゆる野の面《おも》に忽ち落ちる日を賞《め》でながら待ちました。
夜となって、ミシェルはこう語り出しました。
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第一部
一
諸君、わたしは君たちに信《まこと》のあることを知っていた。わたしの招きに君たちは駆けつけてくれた。ちょうど君たちの招きにわたしが駆けつけたであろう如く。とかくして、ここに三年間、君たちはわたしに会わなかったのだ。かほどまで別離に堪える君たちの友情が、同じく、今わたしのしようとする物語にも堪え得るように。全く、わたしが君たちをにわかに呼び寄せてこの遠国の住居にまで旅行させたと云うのも、ひとえに君たちに会おうがため、会って話を聞かせたいためだからだ。君たちに話をすること、それよりほかの救いをわたしは求めない。――わたしは、もはや超えることのできない生涯の一点に立っているからだ。しかし、それは倦怠ではない。が、わたしにはもう解らない。――わたしは……わたしは話をしたいのだ。おのれを自由にする術《すべ》は何でもない。難いのは自由の道を知ることだ。――我身の話をするのを許してくれ。わたしはここにわたしの生涯を君たちに物語る。飾なく、謙遜も自負も無く、自分自身に話すであろうよりもっと飾なく。わたしの語るところを聴いてくれ。
我々が最後に会ったのは、アンジェの附近の、わたしの結婚式が行われた小さな田舎の教会でのことだったと思う。会衆は少なかったが、優れた友だちの集りがこの月並な儀式を身に沁みるものとしてくれた。わたしは人が感動していると思った。それがまた、わたしを感動させた。教会を出ると、わたしの妻となった女《もの》の家で、笑い声も叫び声も起らない短い食事に、我々は君たちと落ち合った。それから、用意の馬車が習慣に従って我々を連れて行った。この習慣は我々の心の中に、結婚のことを思うにつけて、出発のプラットフォオムの幻影を抱かせる。
わたしはわたしの妻を知ることが極めて少なかった。そして、あまり苦にもせずに、向うでもやはり此方を知らないのだと思っていた。わたしは恋も無く彼女を娶った。臨終に、わたし独りを残して行くことを心に懸けていた父の気を休めることが、主だったのである。わたしは真実父を愛していた。その父の瀕死のさまに気を奪われて、わたしは、この悲しい時に際し、ただその最後をいやが上にも安らかにすることばかりを考えた。こうしてわたしは、一生がどんなものであろうかも知らずに、わたしの生涯を始めたのだ。我々の婚約は、死に行く者の枕辺で、笑声もなく行われた。しかし、しんみりした悦びがないわけではなかった。それほど、このことがわたしの父に与えた平安は大きかったのだ。わたしがわたしの許婚者を愛していなかったとは云え、少くともわたしは他の女を愛したことがなかった。それが、わたしの眼には、我々の幸福を保証するに十分だと見えた。そして、自分自身のことさえまだ解らずに、わたしは我身を挙げて彼女に捧げるものと信じた。彼女もまた孤児《みなしご》で、二人の兄弟と一緒に暮していた。彼女の名はマルスリイヌと云った。年はやっと二十歳《はたち》だった。わたしは彼女より四つ年上だった。
わたしは、彼女を愛さなかったと云った。――少くとも、わたしは、彼女に対して、謂うところの恋を少しも感じなかった。しかし、それを以て慈愛、一種の憐憫《れんびん》、またはかなり大きな尊敬と解するならば、わたしは彼女を愛したのだ。彼女はカトリックで、わたしはプロテスタンだ……だが、わたしはほんの名ばかりだと思っていた。坊さんはわたしを受け容れ、わたしは坊さんを受け容れた。それが不釣合なく行われた。
わたしの父は、人の言葉の如く≪無神論者≫だった。――少くとも、わたしはそう想像する。父も持っていたと思われる一種の非常に強い潔癖のために、共に信仰を談ずることは全くできなかったから。わたしの母の厳格な改革《ユグノオ》派の教えは、その美しい面影と共に、次第にわたしの心の中に薄れて行った。君たちも知っている如く、わたしは若くして母を失ったのだ。わたしはまだ、かの初めての童蒙訓が如何に我々を支配するか、またそれがどんな襞を心に残すかと云うことに気がつかなかった。母に教え込まれたあの苦行の精神は、やがてわたしの趣味となって、学問の修業についてもそれがそっくり現われたのだ。母を失った時、わたしは十五歳だった。父は、ひたすらわたしの面倒を見て、わたしの教育に心をつくした。わたしは既にラテン語とギリシャ語とを知っていた。父に就いて、わたしは、ヘブライ語、梵《ぼん》語、ペルシャ語、アラビヤ語などを速かに習得した。二十歳頃には、わたしは父の手伝いをさせられたほど進歩していた。父は、わたしを同輩扱いするのを楽しみにして、わたしにその証拠を見せたがった。父の名において現われた『フリジヤ人の信仰を論ず』と云う文は、わたしの作だった。父はほんの眼を通しただけだった。しかも、これまでにないほど賞讃をこおむった。父は大喜びだった。わたしはこのぺてんが巧く行ったのを見て面喰らった。
しかし、それ以後わたしは世の中に出た。一流の碩学《せきがく》もわたしを同僚として遇してくれた。今にして人から受けたあらゆる誉のことを思えば、ほほ笑まれる……こうして、わたしは廃址《はいし》と本のほかは殆ど何も見ずに、人生のことは少しも知らないで、二十五歳に達した。わたしは特異の熱誠を研究に傾けた。わたしは数人の友だちを愛していた。(君たちもその中にいた。)だが、友だちよりもむしろ友情を愛したのだ。彼等に対するわたしの忠信は大きなものだった。だが、それは品のいい慾だった。わたしは我が胸の中に美しい情を一つ一つ育《はぐく》んでいたのだ。要するに、わたしはわたし自身を知らなかったように、わたしの友だちを知らなかった。――自分が別の生活をなし得ようかとか、人さまざまの暮し方があろうかと云うような考えは、一時《いつとき》たりともわたしには起らなかったのだ。
父とわたしには、些細な物で事足りていた。二人の費したものはごく僅かで、わたしが、二十五歳にもなりながら、うちが金持であることを知らなかったくらいだ。わたしはよく考えたわけではないが、うちにはただ食うだけのものがあるのだと思っていた。わたしは、父の傍にあって倹約の癖がついていたので、うちにはもっとたくさん持物があるのだと云うことが解ると、殆ど当惑してしまった。わたしはかかることには極めて疎《うと》かった。だから、わたしがうちの財産についていくらか明らかな観念を得たのは、わたしが唯一の相続人であったところの父の死後ではなくて、わずかにわたしの夫婦財産契約の際だった。それと同時に、わたしはマルスリイヌが殆ど何も持って来ないと云うことを知った。
おそらくもっと大事な、わたしの知らなかったものが他に一つある。それはわたしの健康《からだ》が極めて弱かったと云うことだ。試錬を受けたことがなくて、どうしてそれが解ろう。わたしは時々風邪を引いたが、いい加減にしてほっておいた。あまりに穏かなわたしの生活が、わたしを弱らせると同時に、わたしを保っていた。マルスリイヌは反対に丈夫らしかった。――わたしよりもそうらしかった。それは、我々がやがては知らなければならなかったことだ。
結婚式の夜、我々はパリのわたしのアパアトメントで寝た。そこには部屋が二つ取ってあったのだ。我々は必要な買物に費した時間しかパリに留まらなかった。それからマルセイユへ行き、そこからすぐにテュニスへ向けて船に乗った。
さし迫った心遣い、あまりに急激な身辺雑事の眼|眩《くるめ》き、一|際《きわ》身に応《こた》える喪の悲しみの後にすぐ来た結婚の免れがたい感動、それらはみなわたしの力を涸らしてしまったのだ。船に乗ってようやっと、わたしは疲労を感ずることができた。それまでは、仕事が後からあとから疲労を増すので、反って気がまぎれていたのだ。しょうことなしの船中の無聊《ぶりよう》に、わたしは反省することができるようになった。そんなことは初めてのように思われた。
同じく初めて、わたしは暫く研究から遠ざかることを肯《がえ》んじた。わたしは従来我身に短い休暇しか与えなかったのだ。母の死後間も無く父と共に行ったスペインの旅は、実際、一ヵ月以上続いた。もう一つ、ドイツ旅行が六週間。その他なお数回の旅。――だが、それは研究旅行だった。その間、父は非常に精密な研究から気をそらさなかった。わたしは、父に従って行かない時には、本を読んでいた。しかし、マルセイユを離れると、グラナダやセヴィラのさまざまの思出、もっと澄んだ空、もっとはっきりした影、祭、歌の思出が心に蘇った。それだ、これから再び見に行こうとするものは、とわたしは思った。わたしは甲板に上って、遠ざかり行くマルセイユを眺めた。
それから、急に、わたしは少しマルスリイヌをうっちゃり放しにしていたと思った。
彼女は前方に腰かけていた。わたしは近づいた。そして、全く初めて、彼女を眺めた。
マルスリイヌは非常に綺麗だった。君たちは知っていよう、会ったことがあるから。わたしは、まずそれに気がつかなかったことを心に責めた。わたしは、事新しく眺めるには、彼女を知り過ぎていたのだ。お互いの家庭にはいつも繋《つなが》りがあった。わたしは彼女の大きくなるのを見た。彼女の美しさには馴れていた……初めて、わたしは驚いた。それほど、この美しさが大きく見えたのだ。
飾の無い黒い麦藁帽の上に、彼女は大幅のヴェールを靡かせていた。彼女は金髪だったが、華奢には見えなかった。対《つい》の袴と胴着は、二人が一緒に選んだスコッチ地でできていた。わたしは彼女がわたしの喪のために陰気になることを欲しなかったのだ。
彼女は、わたしの眺めているのを感じて、此方を振り向いた……これまで彼女の傍にあっては、わたしはうわべの熱意を見せていただけだった。わたしは、どうかこうか、一種の冷い礼譲を以て愛に代えていた。それが彼女を悩ましていたことは、よく解っていた。マルスリイヌは、この時初めてわたしが別の眼で彼女を眺めていることを感じたのか、今度は向うからわたしをじっと視た。それから、それは優しくにっこりと笑った。口をきかずに、わたしは彼女の傍に腰かけた。わたしは、従来、自分のために、少くとも自分の考え通りに生きて来たのだ。わたしは、自分の妻が一人の友だちだと云うことよりほか想わずに、二人の結合に依って自分の生活が一変されるかも知れぬと云うことをはっきり考えもせずに、結婚したのだ。ここに至って、わたしはこれで独白はおしまいだと云うことが解った。
甲板には、我々二人きりだった。彼女はわたしの方へ額をさし出した。わたしは優しく彼女を胸に抱きしめた。彼女は眼を上げた。わたしはその瞼の上に接吻した。すると、急に、自分の接吻のおかげで、一種の新たなる憐憫を感じた。心が彼女でいっぱいになって、あまりの激しさに、わたしは涙を抑えることができなかった。
「どうなさいまして。」とマルスリイヌがわたしに云った。
我々は話を始めた。彼女の話の巧さにわたしはうっとりとした。わたしはわたしだけで、女の愚なことについて多少の考えを持っていたのだ。この夕、彼女の傍にあっては、自分がぎこちなくのろまに思われた。
かく、我が生を懸けた女《もの》はそれ自らの実《まこと》の生を持っていたのである。この考えが胸に迫って、この夜わたしは何度も眼を覚した。何度も、わたしは寝床の上に起き直って、下の寝床に眠っている我が妻マルスリイヌを見たことだった。
明くる日、空は晴れわたり海は殆ど凪いでいた。ゆったりした会話に、お互いの窮屈が一層減じて行った。結婚は実際に始まったのだ。十月の終の日の朝、我々はテュニスに上陸した。
わたしは僅の間しか、そこに留らないつもりだった。君たちにわたしの愚さを白状しよう。この新しい国では、わたしの心を惹くものと云ってはせいぜいカルタゴと二三のローマ廃墟、オクタアヴから話のあったティムガドとか、スウスのモザイックとか、それから特にすぐ跋渉《ばつしよう》する予定だったエル・ジェムの円戯場があるだけだった。まずスウスへ行き、更にスウスから駅馬車に乗らなければならなかった。わたしは、ここからそこへ行くまで、わたしの心を煩わすに足るものが何も無ければいいがと思った。
しかし、テュニスは非常にわたしを驚かした。新しいものの感じに触れて、まだ何の用もなさずにその神秘的な若さをそっくり保っているところの身内の或る部分、眠っていた性能とも云うべきものが、波立って来た。わたしは愉快に思うよりも、驚いて茫としてしまった。わけても、わたしを楽しませたのはマルスリイヌの悦びだった。
そのうちに、わたしの疲労は日毎に大きくなって行った。だが、それに負けるのは恥かしいと云うような気がした。わたしはよく咳が出て、胸の上部に奇《あや》しい悩みを感じた。これから南部へ行けば暑熱で体が直るだろうと、わたしは考えていた。
スファクス行の乗合馬車は晩の八時にスウスを立って、朝の一時にエル・ジェムを通過するのだ。我々は仕切室に席をとっておいた。わたしは不愉快ながた馬車に乗せられるものと思っていた。ところが、反対に乗心地がよかった。だが、寒さをどうしよう!……南方の穏かな気候をたわいもなく信じ切って、二人とも薄着のまま肩掛一つしか持って来なかったとは、何たることだ。スウスを立ってその丘の陰から離れると、風が吹き始めた。風は大きく野面を払って、ごうごうひゅうひゅうと音を立てて、扉の隙間から吹きこんで来た。何としても、それを防ぐことはできなかった。我々は凍《こご》え上って到着した。おまけに、わたしは、馬車の動揺と、さらに体をゆすぶらせた恐ろしい咳とのために、へとへとになってしまった。何と云う夜だ!――エル・ジェムに着いても、宿屋は一軒もなかった。その代りに、あさましい一つの小舎《ボルジユ》があった。どうしよう! 乗合馬車は立ってしまった。村は眠っていた。涯《はてし》無く見えた夜の底に、廃墟の寂しい塊りがほのかに浮いていた。犬がしきりに吠えていた。我々は土色の室に戻った。そこには、みじめな寝床が二つ据えてあった。マルスリイヌは寒さに慄えていた。しかし、少くとも、風はそこまで追っては来なかった。
翌日はどんよりした日だった。外へ出ると、空一面灰色なのにびっくりした。風はなお吹いていたが、前の日ほど烈しくはなかった。馬車は晩にならなければ戻って来ない筈だった……それはそれは、いやな日だった。円戯場も数分間で廻って見たが、がっかりした。この曇り空の下にあっては、醜いとさえ思われた。恐らく疲労が手伝って、わたしの倦怠を増したのであろう。日の中《なか》に、所在なさに、わたしはそこへもう一度行って石の上に記銘を探したがむだだった。マルスリイヌは、風をよけて、都合よく持って来てあったイギリスの本を読んでいた。わたしは彼女の傍へ寄って、腰をおろした。
「なんて嫌な日だろう! おまえ退屈しやしないか。」とわたしは言葉をかけた。
「いいえ、この通り本を読んでおりますわ。」
「一体、何だってこんな処へ来たんだろう。でも、おまえ、寒くはないんだね。」
「いいえ、あんまり。あなたは? まあ、あなた、真蒼《まつさお》よ。」
「いや……」
夜、風はまた烈しくなった……やっと乗合馬車が着いた。我々はそこを立った。
揺れ出すと、わたしはたまらない気持がした。マルスリイヌは、疲れ切って、わたしの肩に凭《もた》れてすぐ眠りに入った。だが、わたしの咳で眼を覚ましはしまいかしら。で、そっとそっと身を引いて、わたしは、馬車の壁の方に、彼女をよりかからせた。そのうちに、もう咳が出なくなった。痰が出て来た。今までにないことだった。それは、苦もなくこみ上げて来た。途切れとぎれに、きちんと間を置いて来るのだ。初めは殆ど面白いと思ったほど、変った感じだった。だが、あとで口に残る何とも云えない味に、じきに胸が悪くなって来た。自分の手巾《ハンカチ》は忽ち使えなくなった。もう、指にもいっぱいついていた。マルスリイヌを起そうかしら……幸に、わたしは彼女が帯に挟んでいた大きな薄絹のことを思い出した。わたしはそっとそれを取った。もう止度《とめど》のなくなった痰はもっとたくさん出て来た。わたしはそれですっかり気が軽くなった。これで風邪もおしまいだと思った。急に体がぐったりとした。すべてのものが、ぐるぐる廻り出した。わたしは工合が悪くなるのではないかと思った。彼女を起そうかしら……ああ、いや……(わたしはピュリタンの子供時代から、弱さのためにすべてを放棄することを憎む癖がついていたのだと思う。わたしはそれをすぐに怯懦《きようだ》と呼ぶ。)わたしは気を取り直し、心を引きしめて、とうとう眩暈《めまい》を抑えつけてしまった……わたしはまた海に浮んでいるような気がした。車輪の響は波の音となった……だが、吐くのはもう止んでしまった。
それから、わたしは一種の眠りに落ちた。
その眠りから覚めると、空にはもう曙の光が満ちていた。マルスリイヌはまだ眠っていた。二人とも傍に寄っていた。手に持っていた薄絹は、初めは何も見えなかった程くすんでいた。だが、自分の手巾を出して見ると、それが血だらけなのに、わたしは茫然としてしまった。
この血をマルスリイヌに隠しておこうと云う考えがまず浮んだ。だが、どうして?――わたしは血まみれだった。こうして見ると、どこもかしこも血だらけだった。特に、自分の指と云ったら……鼻血が出たのだとしておこう……そうだ、もし訊《き》かれたら、鼻血が出たのだと云っておこう。
マルスリイヌはなお眠っていた。やがて到着した。彼女は先へ降りたので、何も眼にはいらなかった。部屋が二つ取ってあった。わたしは自分の部屋へ飛びこんで、血を洗い落すことができた。マルスリイヌは何も見ないでしまった。
しかし、わたしはすっかり弱っていた。そして、我々二人分の茶を持って来させた。彼女が落ち着いて、自らもやや蒼ざめて、ほほ笑みながら茶の支度をしている間に、わたしは、彼女が何も見なかったのだと思うと、一種の焦燥を感じた。全く、自分が正しくないのだと思った。彼女が何も見なかったのは、自分がうまく隠していたからだ。それがどうしたのだ。何にもなりはしない。それは、心のうちに、本能のように大きくなって、いっぱいに拡がった……とうとう余りの苦しさに、もう我慢がしきれなかった。うわの空のように、わたしは彼女にこう云った。
「ゆうべ、おれは血を吐いたよ。」
彼女は叫び声も立てなかった。ただ、ずっと真蒼になって、よろよろとして体を支えようとしたが、ばったり床《ゆか》に倒れた。
わたしは赫《かつ》として彼女に飛びかかった。マルスリイヌ! マルスリイヌ!――もういい。おれがどうしたと云うのだ。≪おれ≫が病気だと云うことだけでたくさんじゃないか。――だが、わたしは前に云った通り非常に弱っていた。あやうく此方がぐらぐらとしかけた。わたしは扉を開けて、人を呼んだ。人が駆けつけて来た。
わたしの荷物の中には、たしかこの町の或る士官に宛てた紹介状がはいっていた。わたしはそれを利用して軍医を迎えにやった。
そのうちに、マルスリイヌは落ち着いた。今、彼女は熱に慄えているわたしの寝床の枕許にいるのだ。軍医がやって来て、二人を診察した。マルスリイヌは何ともないと云われた。倒れたことも障りはなかった。わたしの容態はたいへん悪かった。軍医は、はっきり云うことを避けて、夕刻前にもう一度来ると約束した。
軍医はまたやって来て、わたしに微笑しながら話しかけ、いろいろな薬をくれた。わたしはそれが宣告だと悟った。――それを、君たちに白状しようか。わたしはびくともしなかった。わたしは疲れていた。ただ、ぐったりとなった。
「要するに、人生がおれに何をくれたと云うのだ。おれは終いまで勉強し通したのだ。きっぱりと熱心におれの務めを果したのだ。その他のことは……ああ、それが何になるのだ。」わたしの禁欲主義をかなり美しいものに思いながら、わたしはこう考えた。しかし、わたしの耐え難かったのは、場所の汚いことだった。「このホテルの部屋は堪らない」――わたしはあたりを眺めた。急に、傍の同じような部屋に我が妻マルスリイヌのいることが、頭に浮んだ。彼女の話声が聞えた。医者は行ってしまわなかったのだ。彼は彼女と話をしていた。彼は努めて低い声をしていた。――わずかの時が過ぎた。わたしは眠ったに違いなかった……
眼が覚めると、マルスリイヌが傍にいた。――わたしは彼女が泣いたのだと察した。わたしは我身を憫《あわ》れむほど生を愛していなかった。しかし、この場所の汚さは気になった。快楽を求めるもののように、わたしの眼は彼女の上に注がれた。
今、わたしの傍で、彼女は何か書いていた。彼女は綺麗に見えた。わたしは彼女が何本も手紙を封じるのを見た。それから、彼女は立ち上って、わたしの寝床に近づき、優しくわたしの手を取った。
「御気分はどう?」と彼女が云った。わたしはほほ笑んで寂しくこう云った。
「癒《なお》るだろうか。」しかし、すぐに彼女は答えた。――「癒りますわ。」――その調子には心からの信念が籠っていた。わたし自身も殆どその気になり、一切の生の姿やその生を慕う想《おもい》が雑然と胸に迫って、悲壮な美のまぼろしが朧《おぼろ》げに浮んで来た。――涙が眼から迸《ほとばし》って、わたしはしばらく、否《いな》むこともできず又そうしようとも思わずに泣いた。
どんなに烈しい愛情で、彼女はわたしをスウスから立たせてくれたことか。優しい行き届いた介抱をし、看護をしてくれて……スウスからテュニスへ、テュニスからコンスタンティヌへ、マルスリイヌはほんとによくやってくれた。ビスクラでわたしは癒《なお》る筈だった。彼女は信じ切っていた。一刻も熱心を弛めたことはなかった。彼女は一切の準備をし、出発の世話をやき、部屋の取り決めもしてくれた。それでも、ああ、この旅行はやはり厳しく身に応《こた》えた。わたしは何度も、もう足が進まずにこれでお終いになるのじゃないかと思った。わたしは瀕死の病人のように汗をかき、息が塞《ふさが》って、ときどき意識を失った。――三日目の終に、わたしは死んだようになってビスクラに着いた。
二
どうして初めの日のことが口に云えよう。そこに何が残っていよう。その恐ろしい思出は声を立てない。わたしはもう自分が誰だか、何処にいるのだか解らなくなっていた。ただわたしの瀕死の枕辺に、生命《いのち》とも思う我が妻マルスリイヌの身を屈《かが》めている姿が眼に浮ぶだけだ。たしかに、彼女の情ある介抱、彼女の愛だけがわたしを救ってくれたのだ。こうして或る日、漂流した船乗が陸地を見つけたように、わたしは生の光が再びさしこんで来るのを感じた。わたしはマルスリイヌにほほ笑みかけることができた。――そんなことをみな話したところで何になろう。大切なことは人の云う如く、死の翼がわたしを掠めたと云うことだ。大切なことは、自分の生きていることが非常に驚くべきものになったと云うことだ。生命《いのち》が自分にとって思いがけない光を持つようになったと云うことだ。その前は自分の生きていることが解らなかったのだと思った。わたしは人生についてこの溌剌たる発見をしなければならなかった。
とうとう起きられる日が来た。わたしは我々の住居《うち》に全く惹きつけられてしまった。それは殆ど一つの露台にほかならなかった。何と云う露台! わたしの部屋とマルスリイヌの部屋はそこに臨んでいた。それは屋根の上に拡がっていた。一番高い処に上ると家々を越えて棕櫚の木立が見え、棕櫚の木立を越えて沙漠が見えた。露台の他の側は町の園に接していた。そこには名残のあかしやの枝が日を遮っていた。露台はなお、六本の棕櫚の木がきちんと植った小ぢんまりした中庭まで伸び、その中庭へおりる階段のところで終っていた。わたしの部屋は広くて風通しがよかった。壁は白く塗られて、何も懸っていなかった。小さな扉の向うがマルスリイヌの部屋だった。大きなガラス扉が露台に面して開《あ》いていた。
そこで、時刻も解らずに日が流れて行った。幾度も、孤独のうちに、わたしはこの遅々として過ぎ行く日を見たのだ……マルスリイヌはわたしの傍にいる。彼女は本を読んだり、縫物をしたり、何か書いたりしている。わたしは何もしない。彼女を眺めている。おお、マルスリイヌ! マルスリイヌ!……わたしは眺めている。わたしは陽《ひ》を見る。影を見る。影の線が移るのを見る。そうして見守っているほど考えることが何もないのだ。わたしはまだ非常に弱っている。息ぐるしい。何をやっても疲れる。読むことさえも。一体何を読もう。こうしていることだけで十分なのだ。
或る朝、マルスリイヌが笑いながらはいって来た。
「あなたに、お友だちを連れてまいりましたわ。」と彼女が云った。その後から褐色の顔をした一人のアラビヤの子供がはいって来た。彼はバシルと云って、大きな眼でわたしをじっと眺めた。わたしはむしろ少しうるさいと思った。その気持がもうわたしを疲らせた。わたしは口もきかずに、むっとした様子をしていた。子供は、わたしの冷い待遇《あしらい》に気抜がして、マルスリイヌの方へ振り向き、獣のような甘えた愛嬌のあるふうをしながら、彼女の傍に小さくなって、その手を取り、裸の腕を露わに見せてかじりついた。わたしは、彼が薄い白の仕事服《ガンドラ》と継の当った外套《ピユルスウ》の下に、素肌でいることに気がついた。
「さあ、そこへお坐り。」と、わたしの不機嫌を見てとって、マルスリイヌが云った。「おとなしくお遊び。」
子供は下に坐って、外套の頭巾から投槍の破片《かけら》らしい小刀を取り出し、それで細工をし始めた。呼子をこしらえようとしているのだなとわたしは思った。
暫くたつと、わたしはもう彼がいることに煩わされなくなった。わたしは彼を眺めた。彼はそこにいることを忘れてしまったようだった。素足で、踝《くるぶし》がかわいらしく見えた。それに、手頸の関節も。彼は面白いほど器用に悪い小刀を扱った……全く、わたしもそれにつりこまれようとした……彼の髪の毛はアラビヤふうに剃られていた。そして、房の代りに穴が一つしか開いていない頭巾を着けていた。仕事服は、落ちかかって、彼のかわいい肩を露わしていた。わたしはそれに触れて見たくなった。わたしは身を屈めた。すると、彼はふり返ってほほ笑んだ。わたしは、手真似で、呼子を此方へよこせと云って、それを取り上げてたいへん感心したようなふうをした。――やがて、彼は帰りたくなった。マルスリイヌは彼に菓子をやり、わたしは二スウを与えた。
翌日、初めて、わたしは倦怠を覚えた。わたしは待っていた。何を待っていたのだ。わたしは手持無沙汰な、不安な気がして来た。とうとう我慢がしきれなくなった。
「バシルは今朝《けさ》はやって来ないね、マルスリイヌ。」
「なんなら探してまいりますわ。」
彼女はわたしを残して降りて行った。が、じきに独りで戻って来た。病気の加減でどうかしたのか、わたしは、彼女がバシルを伴れないで帰って来たのを見て、涙の出るほど悲しくなった。
「もう遅うございましたわ。」と彼女はわたしに云った。「子供たちは、学校がひけたので、方々へ散らばってしまいましたの。かわいらしい子供がいますわね。もう、みんなあたしを知ってますわ。」
「せめて、明日《あした》はここへ来るようにしてもらいたいね。」
明くる日、バシルはまたやって来た。彼は前々日の如く坐って、小刀を出し、木を刻もうとした。ところが、木があんまり硬かったので、彼は拇指《おやゆび》に刃《は》を突き立ててしまった。わたしは恐ろしさにぞくりとした。彼は笑いながら光った傷を見せて、にこにこして血の流れるのを眺めた。笑うと真白な歯が見えた。彼は面白そうに傷口を舐めた。その舌は猫の舌のように薔薇色だった。ああ、本当にたっしゃなものだ! わたしが彼にまいったのはその点だった。健康と云うことだった、この小さな体の健康は美しかった。
次の日、彼は球を持って来た。彼はわたしを遊ばせたがった。マルスリイヌはその場にいなかった。いたら留めたことだろう。わたしは躊躇して、バシルを眺めた。子供はわたしの腕を捕えて球を握らせ、むりに勧めた。わたしは屈むと非常に息が切れた。だが、それでもやって見た。バシルの悦ぶのが、うれしかったのだ。とうとう我慢ができなくなった。わたしは汗みずくになっていた。わたしは球を投げ出して、ぐったりと安楽椅子に腰を落した。バシルは少し面くらってわたしを見ていた。
「病気なの?」と彼は優しく云った。朗らかな声音だった。マルスリイヌが帰って来た。
「この子をあっちへ連れておいで。」とわたしは彼女に云った。「疲れた、今朝《けさ》は。」
数時間たった後、わたしは血を吐いた。それは、露台の上をようやっと歩いている時だった。マルスリイヌは部屋で用をしていた。いい按配に、彼女はそれに少しも気がつかなかった。わたしは、息が切れるので、ぐっと一つ深い呼吸をしたのだ。すると、急に、それがやって来たのだ。それは口にいっぱいになった……だが、もう、初めての吐血の時のような澄んだ血ではなかった。大きな恐ろしい血の塊だった。わたしは、むかむかとして、それを地に吐きつけた。
わたしは二足三足よろめいた。恐ろしく気が昂《たか》ぶった。体がふるえた。怖《こわ》かった。腹立たしかった。――と云うのは、わたしがこれまで、平癒が一歩一歩近づいて来て、もうそれを待つばかりだと考えていたからだ。この急激な出来事にぶつかって、わたしは全く後へ刎《は》ね返された。不思議なことには、初めての吐血の時には、これほどの感動に打たれなかった。今にして思えば、わたしの心はそのために殆ど乱されなかったのだ。現在の我が恐怖、我が戦慄は一体どこから来たのか。それは、ああ、わたしが生を愛し始めたからだ。
わたしは後へ戻って、身を屈めて痰を見つけた。そして、藁切を拾い血の塊を掬い上げて、手巾《ハンカチ》の上に置いた。わたしはじっとそれを眺めた。それは殆ど真黒な汚い血だった。何だかねばねばした恐ろしいものだった……わたしはバシルの美しい真赤な血のことを思った……すると、急に、或る願い、或る望みが湧いた。これまでに感じたすべてのものより、もっと激烈な、もっと切羽つまった或るものを感じた。生きること! わたしは生きたいのだ。わたしは生きたいのだ。わたしは歯を食いしばり、拳《こぶし》を握りしめて、気も狂おしく悶えながら、この生きんがための努力に身も心も一つにして打ちこんだ。
わたしは、前の日、マルスリイヌの心配した問合せに対する返事としてTから手紙を受け取ったのだ。それには医学上の忠告がいっぱい書いてあった。Tは、手紙に添えて、通俗医学冊子とそれよりも専門的な本とを送って来た。本の方は専門的だけに尤もらしく見えた。わたしは手紙はいい加減に読んでおいたが、刷物はまるで読まなかった。と云うわけは、まずこの冊子が子供の時分に嫌な思いをさせられた小さな修養書に似ているので、どうもいい感じが持てなかったし、また一体忠告と云うものがみな煩さく思われたりしたからだった。それに、わたしはこの『結核患者の心得』や『実地結核療法』をわたしの場合に適用することができようとは考えなかった。わたしは自分が結核患者だとは思っていなかった。わたしは最初の喀血が他の原因に依るものだと考えたかった。と云うよりも、実を云えば、その原因などにくよくよすることを避けて、殆ど何も考えていなかったのだ。自分の体が、癒《なお》らないまでも、癒りかかっているものだと思っていたのだ……改めて、わたしは手紙を読み、本と心得書とを貪るように読んだ。すると、にわかに、驚く程はっきり、自分の手当の十分でなかったことが解った。これまで、わたしは甚だ漠とした望みを当てにして、ぼんやり暮して来たのだ。――突然、自分の生命《いのち》は攻撃されているのだ、はげしく急所を突かれているのだと云う感じが、身にひしと迫った。数知れぬ敏活な敵が身内に生きているのだ。わたしはじっと耳を澄まして様子をうかがった。そして、確かにいるなと感じた。一闘《ひとたたか》いしなくては、そいつにうち克つわけにはいくまい……わたしは自分自身によく云いきかすようにこう呟いた。――これは意志の仕事だぞ。
わたしは戦闘状態に入った。
日は暮れていた。わたしは戦略を立てた。当分、わたしはただ本復のみ心がけなければならないのだ。わたしの務めはわたしの健康の上にあるのだ。体のためになるものは皆よしとし、≪善≫と呼ばなければならないのだ。平癒の役に立たないものは悉《ことごと》く斥けなければならないのだ。――夕餉《ゆうげ》の前に、わたしは深呼吸をし運動をし滋養分を摂ることに決めておいた。
我々は、四方露台に包まれた小さな亭《ちん》の中で食事をすることになっていた。静に二人きりで、ものみなから懸け離れて、我々の食事はしめやかな楽しいものだった。近くのホテルから、年寄の黒人がまず我慢のできる食物《たべもの》を運んでくれた。マルスリイヌは献立に気を配って、料理を註文したり戻したりした……いつもそうお腹《なか》のすくことがないので、わたしは料理のでき損いも、献立の不足も、あまり苦にしていなかった。マルスリイヌもふだんあんまり食べないほうなので、わたしが十分に食べないことも知りもせず、気がつきもしなかった。たくさん食べることはわたしの決心《きめ》の中で第一番だった。わたしはこの晩からそれを実行しようと思った。――それはできなかった。えたいの知れない焼肉シチュウとばかばかしく焦げた炙肉では、とても咽喉へ通らなかった。
腹立たしさのあまり、わたしは怒りをマルスリイヌの上に移して、激しい言葉を彼女に浴びせかけた。わたしは彼女を責めた。わたしの云っていることを聞くと、この食事の粗悪なことに就いて彼女が責任を感じなければならないようだった。わたしの決めた養生法にかく躓《つまず》きを来したのは、非常に重大なことになった。わたしは前の日のことを忘れてしまった。このでき損いの料理が一切をぶち壊した。わたしは剛情を張った。マルスリイヌは何か挽肉の罐詰を買いに町へ出なければならなくなった。
間もなく、彼女は小さな碗蒸肉を持って帰って来た。わたしはそれを殆ど余さず貪り食ってしまった。余計に食べることがどれほどわたしに必要だかを、我々二人に証明するかのように。
この同じ晩、我々はこう云うことを決めた。食事の質をもっとよくすること、数を殖やすこと、三時間毎に一回、第一回は六時半より。いろいろな罐詰をどっさり買いこんでホテルの並の料理の足しにすること。
この夜、わたしは眠ることができなかった。新しい我身の気魄のことを思えば、ただうっとりとなるのだ。わたしは少し熱があったと思う。一瓶の鉱泉が傍に置いてあった。わたしは、一杯又一杯、それを飲んだ。三度目には、瓶ごとあおりながら、わたしはひと息に飲みつくした。――わたしは、学課の復習をするように、わたしの意志のおさらいをした。わたしは自分の反抗心を見究めて、それをあらゆるものに向けた。わたしはすべてのものに対して戦わなければならなかった。わたしの安泰はただ我身にのみ懸っていたのだ。
とうとう、夜が白んで来た。日が出た。
それは我が騎士道の門出《かどで》だった。
明くる日は日曜日だった。全くのところ、わたしはこれまでマルスリイヌの信仰を気にかけたことはなかった。冷淡と云おうか潔癖と云おうか。それはわたしの知ったことでないような気がした。わたしはたいしたことに思っていなかった。――この日、マルスリイヌはミサに出かけた。帰って来ると、わたしは彼女がわたしのために祈ったのだと云うことを知った。わたしは彼女をじっと見つめた。それから、できるだけ優しく、
「おれのために祈るんじゃないよ、マルスリイヌ。」
「どうして?」少しまごついて彼女が云った。
「おれは保護を受けるのは嫌いだ。」
「あなた、神様のお援けをお斥けになるの?」
「あとで神様にお礼しなくちゃならなくなるだろう。それじゃ義務《おつとめ》だ。まっぴらだね。」
我々は冗談を云うようなふうをしていた。しかし、お互いの言葉の重要さを決して履き違えはしなかった。
「あなた、お独りきりでお癒《なお》りになれはしませんわ、おかわいそうに。」と彼女はためいきをついた。
「じゃ、仕方がないさ。」それから、彼女の悲しげな様子を見て、少し調子を和げてこう云い足した。「おまえに援けてもらうさ。」
三
わたしはしばらくわたしの体の話をしよう。心の方面を忘れているのではないかとまず君たちに思われるほど体に就いて語ろうと思う。わたしの懈怠《けたい》は、この物語の中では任意のものであるが、あの場合では実際だったのだ。わたしには二重の生活に堪えるだけの力がなかったのだ。心その他のことはやがてもっと快《よ》くなってから考えるとしよう、と思っていた。
わたしはまだなかなか快《よ》くなると云うまでにはいかなかった。何でもないことに汗が出たり、何でもないことに寒けがしたりした。わたしはルウソオの云ったように≪短い息吹《いぶき》≫を持っていた。時々少しずつ熱が出たり、朝から恐ろしい疲労を感ずることがよくあった。そう云う時には、わたしはぐったりと安楽椅子に凭《もた》れて、何事も関《かま》わずに、自分のことばかりを思って、ただ一心によく呼吸しようと努めるのだ。わたしは規則的に、念を入れて、やっと呼吸した。わたしの吐く息は二段に途切れて出た。これはわたしの張りつめた意志を以てしても抑えることができなかった。その後暫く、よほど気をつけなければ、それを避けるわけにはいかなかった。
しかし、わたしが一番苦しめられたのは、気温の変り目にすぐ応える病的な感覚だった。今考えて見ると、総体の神経錯乱が病気に加わっていたのだ。そうでなければ、結核症のせいばかりではないらしい一群の現象を説明することができない。わたしはいつも並外れにのぼせているか寒けがしているかだった。じきにおかしいほど大げさに厚着をして汗が出るまでは震えが止らないかと思うと、少し薄着になってもう汗が出なくなると急にぞくぞくし出したりした。わたしの体の或る部分は氷のようになって、汗が流れているのに、大理石のような冷い手触りだった。何としても、それを暖めることができなかった。わたしは顔を洗う時僅かの水が足の上に落ちると風邪を引いたほど寒さに感じ易かった。それと同じく暑さにも感じ易かった……この感覚はあとに残って今だにそうだ。だが、今日では、もっぱらそれを享楽している形だ。総じて、激烈な感覚は、体質の強弱に従い、快不快の因《もと》となるように思う。かつてはわたしを悩ましたものも、みな甘美の姿となって現われたのだ。
その時まで、寝る際に、閉じたガラス戸をどうしておいたか知らぬ。が、Tの勧めに従って、わたしは、夜、それを開《あ》けておくことにした。初めは細目に、やがてすっかり開け放った。間もなく、それが習慣となり、必要となって、窓が閉まると息苦しくなるくらいだった。今に夜風や月影が此方《こなた》へ流れこんで来たら、どんなに楽しいことであろう。
健康の兆《きざし》たえだえなこの初期の状態を脱することの待ち遠しさよ。全く変らない手当と清らかな空気と、極上の滋養物のおかげで、間もなくわたしは快方に向った。それまでは、階段で息切れがするのを惧れて、わたしは露台の外へ出ようとしたことがなかった。一月《いちがつ》も終に近い頃、とうとう、わたしは思い切って園の中におり立った。
マルスリイヌは肩掛を持って伴《つ》いて来た。午後の三時だった。三日前からわたしの苦労のたねだった土地名物のあばれ風は、止んでいた。気は凪いで香《かぐ》わしかった。
公園……土地ではカシイと呼ばれる非常に高い合歓木《ねむのき》の並木の間を縫って、広い道が走っていた。木陰にはベンチが置いてあり、道に沿っては、幅よりも深さのある掘割の川が殆ど真直に流れていた。それから、もっと小さな堀が園を横ぎって樹木のほうへ川の水を分ち引いていた。水は土色に淀み、薔薇色、鈍《にび》色の粘土《ねばつち》を流していた。外国人は殆どいないで、数人のアラビヤ人がいるばかり。彼等は往ったり来たりしている。そして、日向を離れると、彼等の白い外套は影の色に染められるのだ。
世の常でないこの影の中に入れば、我身もあやしく戦《おのの》いた。わたしは肩掛にくるまった。だが、反って不快な気持は少しもしなかった……我々はベンチに腰かけた。マルスリイヌは黙っていた。アラビヤ人が通り過ぎてしまうと、急に、一群の子供たちがやって来た。マルスリイヌはその中のおおぜいを知っていた。彼女が合図をすると、子供たちは近づいて来た。彼女はわたしに名前を云った。問、答、微笑、ふくれ顔、小さな遊びが始まった。わたしは少しうるさくなった。また不快《いや》な気持になって来た。がっかりして汗が出るのを感じた。だが、わたしを悩ましたのは、全くのところ、子供たちではなくて彼女だった。そうだ、何でもないこととは云え、わたしは彼女のいることに悩まされたのだ。立てば後《あと》から伴《つ》いて来るだろうし、肩掛を取れば持とうとするだろうし、もう一度それを纏《まと》えば「お寒くはない?」と云うであろう。それに、子供たちに話しかけることも、彼女の前ではなし得なかった。彼女にはお気に入りの子供があるのだ。我にもあらず、しかも頑《かたく》なに、わたしは他の子供に興味を持った。「帰ろう。」とわたしは彼女に云った。そして、自分だけでまた公園へ来ることに心を決めた。
明くる日、彼女は十時頃外へ出かけなければならなかった。わたしはそれを利用した。毎朝欠かさずやって来る小さなバシルは、わたしの肩掛を持った。わたしは心も軽く身も軽い思いがした。並木路には殆ど我々二人きりだった。わたしはそろそろ歩いて行ってしばらく腰を下しそれからまた歩き出した。バシルはしゃべりながら伴《つ》いて来た。犬のように忠実で敏捷だった。わたしは洗濯女が洗濯に来る堀端に達した。流のただ中に平たい石があった。その上に一人の女の子が横になって、顔を水の上にさし伸べ、手を流に浸して、小枝を投げ入れたり引き上げたりしていた。その裸の足は水に漬かっていた。足は色あざやかに濡れて、肌が一層しっとりして見えた。バシルは近よって声をかけた。女の子は振り向いて、わたしににっこりと笑いかけ、バシルにアラビヤ語で返事をした。「ぼくの妹です。」と彼がわたしに告げた。それから、彼は母親が間もなく洗濯に来ること、妹がそれを待っていることを話してくれた。彼女はラドラと云った。アラビヤ語で≪緑≫と云う意味だった。彼はそれをみな、いたいけな、澄んだ、子供らしい声で云った。それだけにわたしは心を打たれた。
「この子は二スウ貰いたいと云ってます。」と彼が云い足した。
わたしは十スウやった。そしてまた出かけようとしているところへ、洗濯女の母親がやって来た。それは広い額に青の黥《いれずみ》をした立派などっしりした女で、洗濯物の籠を頭にのせたその態《さま》は昔の節会《せちえ》の女のよう、身に着けたものと云っては、腰のところで高くなって足までさっと垂れている、くすんだ青い広布だけだった。――バシルを見ると、彼女は酷くどなりつけた。彼も乱暴に口返答をした。そこへ女の子が加わって、三人の間に烈しい云い合いが始まった。とうとう、バシルは、云い負かされたものの如く、今朝は母親の用があるからとわたしに告げて、悲しげに肩掛をさし出した。そこで、わたしは独りで出かけなければならなくなった。
二十歩と行かないうちに、肩掛が堪らなく重たくなった。汗だらけになって、わたしはベンチを見つけるとすぐそこに腰を下した。わたしは誰か子供がやって来てこの荷物を引き受けてくれればいいがと思った。ほどなくやって来たのは、スウダン人のように真黒な十四になる大きな子供だった。彼は少しもはにかまずに自分から引き受けてくれた。その名をアシュウルと云った。もし眇《めつかち》でなかったら美しく見えたことだろう。彼は喋るのが好きだった。川が何処から来るかと云うことや、その川が公園を過ぎるとオアジスに入ってそこをずっと横断していると云うことを話してくれた。わたしは疲れも忘れてそれを聴いていた。バシルがどんなに立派に見えたにしろ、わたしは今ではあまりに彼を知り過ぎていた。眼先の変るのも悪くなかった。いつか独りで公園へ出かけてベンチに腰かけながら都合のいい出会の機《おり》を待って見ようと、心に決《き》めさえした。
なお暫く足を止めた後に、アシュウルとわたしとはうちの戸口の前に来た。わたしは彼をうちへ上げたかった。だが、マルスリイヌが何と云うか解らないので思い止った。
はいって見ると、彼女は、食堂で、憐みよりも嫌な感じが先に立つほどひよわな、みすぼらしい様子をした一人の幼い子供の世話をやいていた。少しおずおずしながら、マルスリイヌはわたしにこう云った。
「この子は、かわいそうに、病気なのよ。」
「だが、伝染病じゃあるまいね。どうしたんだい。」
「まだはっきりしませんの。方々が苦しいと云ってますわ。この子はフランス語が下手ですから、明日《あした》バシルが来たら通弁をしてもらいましょう……お茶を飲ませていますのよ。」
それから、云いわけするように、一つにはわたしが口もきかずにじっとしていたので、
「ずいぶん前から」と彼女は云い足した。「あたしこの子を知ってますわ。けれど、まだうちへは来させませんでしたの。あなたがお疲れになったり、お気に障ったりしてはよくないと思いましたから。」
「どうしてだい」とわたしは叫んだ。「もしよかったら、おまえの好きな子供をみんなここへ連れておいでな。」こう云ってアシュウルを上げてもよかったのにと思うと、そうしなかったことがちょっと腹立たしくなった。
わたしは妻の様子を眺めた。彼女は母のように優しげだった。その親身の愛情に、子供はやがて元気づいて出て行った。――わたしは散歩の話をした。そしてなぜ独りで出かけたかを、もの柔かに、マルスリイヌに云ってきかせた。
夜はいつも、いまだに何度もびくっとしては、氷のようになったり汗みずくになったりして、飛び起きるのだ。この夜は非常に穏かで、殆ど眼が覚めなかった。翌朝、わたしは九時頃から出かける支度をした。いい天気だった。わたしは心がはっきり澄んで、うれしいと云うよりもたわむれの気持がした。和《なご》やかな暖い日寄《ひより》ではあったが、わたしは肩掛を持って行った。それを代りに持ってくれる者と知合になるきっかけとして、公園が露台に接していることは前に云った。わたしはすぐにそこへ行った。その木陰のうちに、胸を躍らせながらはいったのだ。空気は光に満ちていた。葉よりも花の早く来るカシイの木立は、香を放っていた。――それとも、この云い知れぬ爽かな香は、四方から迫って来て、隙もなく我身に浸み入り、血を波立たせるのか。吐《つ》く息も寛《ゆるや》かに、道行く足も軽かった。だが、とあるベンチを見つけると、わたしはすぐに腰を下した。くたびれたと云うよりも、うっとりとし、きょとんとして。わたしはあたりを眺めた。影は移りやすく爽かに、地に落ちないで、軽く土の面を掠めるかと見えた。おお、光!――わたしはじっと聴き入った。何が聞えたか。無、すべて。音の聞えるたびにうれしい思いがした。――わたしは一本の灌木のことを思い出す。その木の皮のふう変りに固っている態《さま》を遠くから見ると、じっとしていられなくなって、そこへ行って触って見たくなった。わたしは愛撫するようにそれに触った。それは限り無い悦びだった。今だに忘れもしない……わたしが生れ出ようとしたのは、この朝のことだったのか。
わたしは独りでいることも忘れ、何も待たずに、時の過ぎるのも気がつかないでいた。わたしはこれまで、かばかりものを考えるにしては、ものを感ずることが少なかったように思われた。詮じつめて見ると、わたしの感覚が思索と同じように強くなったことにびっくりした。
そう思われた、とわたしは云うのだ。――それは、わたしの子供時代の過去の底から、あまたの乱れた感覚が光のようにぴちぴちと蘇って来たからだ。自分の官能について新たに得た意識に依って、わたしは不確かながらそれを認めることができた。そうだ、ここに眼覚めたわたしの官能は、己の歴史を見つけ出し、過去を建て直したのだ。官能は生きていたのだ! 生きていたのだ! 生きることを決してやめなかったのだ。それは、我が学究の数年間を通じてさえ、しめやかな、また小ざかしい生の姿を示していた。
わたしはこの日誰にも会わなかった。それがうれしかった。わたしはポケットからマルセイユ出発以来開いたことのない小さなホメロスの書を出して、オディセの三章を読み返してそれを覚えてしまった。そこで、その韻律のうちに豊かな糧を見つけてゆっくりそれを味いながら、書を閉じた。そして、自分にも信じられないほど生きいきとして、幸福に心がしびれて、戦《おのの》きながらじっとしていた……
四
そのうちに、マルスリイヌは、わたしの健康の恢復して来るのを見て悦んでいたが、数日前からわたしにオアジスの珍らしい果樹園の話をしかけるようになった。彼女は外気と歩くこととが好きだった。わたしの病気のおかげで自由の利《き》くままに、彼女は方々を駆け廻って、うっとりとなって帰って来るのだ。これまで、彼女は殆どそんな話をしなかった。わたしが伴《つ》いて行きたい気になったり、またはもう味うことのできない娯楽の話を聞いて悲しくなったりすることを惧れたからだった。だが、今、わたしが快《よ》くなって来たので、彼女はその力を借りてわたしを癒しきろうと考えた。わたしも、歩いたり眺めたりする興味がまた出て来たので、そっちの方へ心を惹かれた。そこで、翌日から我々は一緒に出かけた。
彼女は先に立ってふう変りな道へはいった。それはどの国へ行っても見たことのないような道だった。二つのかなり高い土塀の間をのうのうと廻っているのだ。この高い塀に区切られる庭園の形に従って、道はゆるやかに斜に向けられる。曲ったり途中で切れたりしている。はいったかと思うと、曲り角で道に迷ってしまう。どこから来たのか、どこへ行くのか、もう解らなくなる。すなおな川の水は径《みち》に従い、塀の一つに沿って流れる。塀は、路上の土《つち》、オアジス全部の土と同じものでできている。それは薔薇色や薄鼠色の粘土《ねばつち》で、水のためにやや色が濃くなり、烈日のために亀裂《ひび》が入り、熱のために固くはなっているが、一雨ざっと来ればすぐに柔かくなり、忽ち素足の跡がつく型置の地面になってしまう土なのだ。――塀の向うに棕櫚の木が見える。我々が近づくと、雉鳩《きじばと》が飛び立った。――マルスリイヌはわたしの様子に眼をつけていた。
わたしは疲れも患《わずら》いも忘れてしまった。歩いて行くうちに、恍惚として無言の歓喜に浸《ひた》り、官能も肉も躍り立って来た。この時微風が吹きわたって棕櫚の枝を鳴らし、眼路《まなじ》の彼方に一きわ高く立つ棕櫚の木は撓《たわわ》になった。――やがて気は全く静まり、塀の後からはっきり、笛の音が聞えて来た。――塀に穴が開いていた。我々は中へはいった。
そこには影と光が満ちみちていた。時の過ぎるのも知らないような静寂な場所だった。沈黙のうちに大気がかすかにおののき、聞えるものは、棕櫚の根元を洗って木より木へと流れ去る水のせせらぎ、たえだえの雉鳩の鳴く音、童《わらべ》の吹く笛の音。童は山羊の群の番をしていた。殆ど裸で、倒れた棕櫚の木の幹に腰かけていた。彼は我々が近づいても驚かなかった。逃げもしなかった。ちょっと吹くのをやめただけだった。
この短い沈黙のうちに、わたしは遠くで他の笛が唱和しているのに気がついた。我々はもう少し先へ行った。すると、「これより先へ行っても仕方がありませんわ。」とマルスリイヌが云った。
「この果樹園はどれも同じことよ。ようやっとオアジスの端へ行って少し広くなるのですわ……」彼女は肩掛を下に敷いた。
「お休みなさらない。」
どのくらいそこにとどまっていたのか、覚えがない。――時間が何だ。マルスリイヌはわたしの傍にいた。わたしは体を伸ばして、彼女の膝の上に頭をのせた。笛の音はまだ流れてときどき杜絶《とだ》えながら続いていた。水音――おりおり山羊の啼く声。わたしは眼を閉じた。額の上にマルスリイヌの爽かな手を感じた。ゆるやかに棕櫚の葉影を洩れる烈日を感じた。何も考えなかった。考えることが何だ。わたしは世の常ならぬ思いがした……
時をおいて聞える別の音に、わたしは眼を開けた。それは棕櫚の葉をわたる微風だった。風は我々の所まではおりて来ずに、高い梢を揺がしているばかりだった……
翌朝、この同じ園に、わたしはまたマルスリイヌと一緒に行った。同じ日の夕、わたしは独りでその場所へ出かけた。笛吹きの山羊番がそこにいた。わたしは傍へ寄って話しかけた。彼はラシフと云う僅か十二の美しい子供だった。彼は山羊の名前を聞かせてくれたり、掘割が≪セギアス≫と呼ばれることを話してくれたりした。彼の云うところに依ると、それは毎日一度に流れるのではなくて、水は控え目につつましく分割され、植物の渇きを充たすとすぐに引き戻されるのだ。棕櫚の木の根元には一つ一つ狭い水盤が掘ってあって、木を潤おす水を受けるようになっている。この巧妙な水門の仕掛で水を堰《せ》き止め、これを渇きの烈しい方へ導いて行く。童は水門を動かしてその説明をしてくれた。
次の日、わたしはラシフの兄に会った。彼は少し年上で、弟ほどは美しくなかった。名前をラクミと云った。切られた棕櫚の古枝の跡が幹に沿って梯子のようになっているところを伝って、彼は、坊主になった棕櫚の木のてっぺんへ上った。やがてだぶだぶの外套の下に金色の裸身を覗かせながらおりて来た。彼は、頭を刈られた木の上から、小さな土の瓢《ひさご》を持って来た。それは、アラビヤ人の大好きな旨い酒のできる棕櫚の樹液を取るために、てっぺんの新しい切口の傍に懸けてあったのだ。ラクミに勧められるままに、わたしはそれを味ってみた。しかし、気の抜けたぴりぴりする糖水のようなこの味は気に入らなかった。
続いて数日、わたしはもっと先へ行った。わたしは他の園、他の牧童、他の山羊をみた。マルスリイヌの云った通り、これらの園はどれも同じようだった。だが、それぞれ違ったところがあった。
ときどきマルスリイヌがまだ伴《つ》いて来た。しかし、大概の場合果樹園にはいると、わたしは疲れたから休むが、そっちはもっと歩きたいならばわたしを待っているには及ばないと云って、彼女と別れることにした。こうして、彼女はわたしなしに散歩を終えた。――わたしは子供たちの傍に残った。間もなくわたしはおおぜいの子供たちと知合になって、一緒に暫く話をしたり、向うの遊びも教われば此方からも別の遊びを教えたり、コルク倒しで一文無しになったりした。中には、遠くまで後を伴《つ》いて来て(毎日わたしは行程を伸ばした)帰りに新しい抜道を教えてくれたり、外套と肩掛と両方用意して行った時にはそれを持ってくれたりする者があった。別れる前に、わたしは彼等に小銭を分けてやった。時には、彼等は、相変らず遊びながら、わたしの家の戸口まで伴《つ》いて来ることがあった。時には、とうとう戸口を越えてはいりこんで来た。
それに、マルスリイヌの方からも子供を引っぱって来た。彼女は学校の子供を連れて来て、勉強するように励ますのだ。学校がひけると、すなおな子供やおとなしい子供がやって来た。わたしの連れて来たのは違った連中だった。しかし、遊びごとで彼等は一緒になった。我々は、気をつけて、いつもシロップや旨いものの支度をしておいた。やがては、招《よ》ばない連中までも向うからやって来た。わたしはその一人一人を憶えている。こうしていると、眼の前に浮んで来る……
一月《いちがつ》の末に近づくと、天気が急に悪くなった。冷い風が吹き始めて、それがすぐにわたしの健康に応《こた》えた。オアジスと町とを分つからりとした闊《ひろ》い土地は再び越えがたいものとなって、わたしはまた公園で我慢をしなければならなくなった。それから雨がふった。北方の空遥かなる山々を雪で蔽ってしまった氷のような雨だった。
わたしは、この悪い天気に一きわ募る病勢と必死になって闘いながら、憂鬱に、火の傍で嫌な数日を過した。寂しい日。わたしは読むことも仕事をすることもできなかった。ちょっとでも骨を折ると不快な発汗を催した。注意を定めようとすると体ががっかりした。念を入れて呼吸することを怠ると、すぐ息が塞《ふさが》った。
この嫌な日の間にあって、子供たちはわたしにとって唯一つの慰みだった。雨がふるので一番親しい連中だけが出はいりした。彼等の着物はぐしょ濡れだった。彼等は火の前に円く坐った。こうして何も云わずに長い時間が過ぎて行った。わたしは彼等を眺めるよりほかのことをするには、あまりに疲れ、あまりに苦しかった。しかし、彼等の健康の傍に在ることがわたしを癒してくれた。マルスリイヌのかわいがっていた子供たちは、弱虫で貧相でおとなし過ぎた。わたしは彼女に対してまた彼等に対して腹を立てて、とうとうその連中をおい払ってしまった。全くのところ、彼等が怖かったのだ。
ある朝、わたしは我が身について奇異な発見をした。わたしの妻のお気に入りの中で唯一人(美しかったせいか)わたしを苛立たせなかったところのモクティルがわたしと二人きりで部屋にいた。これまでわたしは彼をいい加減にかわいがっていた。しかし、彼の底光りのする眼つきは気になっていた。何とも知れぬ好奇心に駆られて、わたしは彼の動作を監視しだした。わたしは両肱を煖炉棚に突いて、本を前にして、火の傍に立っていた。わたしは気を取られているように見えた。だが、背後にいる子供のすることは、ちゃんと鏡に映って眼にはいった。モクティルは見張られているとは知らないで、わたしが本に夢中になっているものと思っていた。わたしは彼が音を立てずに卓に近づくのを見た。そこには、縫物の傍にマルスリイヌの置いておいた一梃の小鋏があった。彼はそっとそれを取り上げて、すばやく外套の下に忍ばせてしまった。わたしの心臓は一瞬間烈しく打った。しかし、どんなにおだやかに考えて見ても、わたしのうちに毛ほども反抗心が起らなかった。それどころでない! その時胸いっぱいになった感情が歓喜以外のものであろうとは、どうしても思われなかった。――モクティルにゆっくり盗みをさせてしまってから、わたしはまた彼のほうを向いて、何事も起らなかったかのように話しかけた。――マルスリイヌは非常にこの子供をかわいがっていた。しかし、わたしが彼女を見ると、モクティルのことを云いつけるよりも鋏のなくなった云いわけを出たらめに考えたのは、彼女を悲しませることを惧れたからではなかったと思う。――この日以来、モクティルはわたしの気に入りになった。
五
我々のビスクラ滞在はこれ以上延ばすわけにはいかなかった。二月《にがつ》の雨が過ぎると、急にぐっと暑くなった。幾日も幾日もざあざあぶりに気をくさらせているうちに、或る朝ふと眼を覚ますと、空が真蒼だった。起きるが早いか、わたしは一番高い露台へ駆けつけた。空が涯から涯まで澄みわたっていた。もう照りつける陽《ひ》の下に、水蒸気が立ち上っていた。オアジスが隈もなく烟《けむり》を立てていた。遠くから水流のごうごう溢れる音が聞えた。大気は朗かに香わしく、わたしは急に体が快くなったような気がした。マルスリイヌがやって来た。我々は外へ出かけたいと思った。が、泥濘《ぬかるみ》のために、この日は見合わせることにした。
数日の後、我々はまたラシフの果樹園を訪れた。木々は重たげに、ぐったりとして、水を含んでいた。わたしを待ちもうけていてくれようとは知らなかったこのアフリカの土地は、長らく水に浸《つか》っていたが、今ここに、冬より眼覚め立って、水に酔い、新生の気に輝いているのだ。燃え立つ春の笑《えま》いは地に満ちわたり、それが、ちょうどわたしの心の中に相触れて鳴るものが潜んでいるかのように、身内に伝わって来るのだ。初めは、アシュウルやモクティルが一緒に伴《つ》いて来た。わたしはまだ一日半フランにしか当らない彼等のささやかな友情を味っていた。しかし、間もなく彼等に厭きて、それにもう彼等の健康をお手本としなければならないほど体が弱っているわけではないし、彼等のたわむれの中にもうわたしの悦びに必要な糧が見出せなくなったので、わたしは六根に漲る熱をマルスリイヌの上にふり注いだ。彼女のそれを喜ぶ態《さま》を見ると、わたしはこれまで彼女が寂しくしていたと云うことに気がついた。わたしは、子供のように、よく彼女を打ち棄てておいたことを云いわけし、わたしの移り易い気まぐれを体の弱いせいにして、今までこそ愛するに堪えないほど疲れてはいたが、今後はわたしの健康と共にわたしの愛の成長するのを感ずるようになるに違いないと云った。それは本当だった。しかし、もちろんわたしはまだ非常に弱っていた。わたしがマルスリイヌを切に求めたのは、一ヵ月以上も後になってのことだった。
そのうちに、暑さは日毎に増して行った。我々をビスクラに引き留めるものは何もなかった。――後にわたしをそこに呼び戻すようにしたあの魅力のほかには。出発の決心は忽ち成った。三時間ばかりで荷物の支度ができた。汽車は翌日の未明に立った……
最後の夜のことが眼に浮ぶ。月は殆どまんまるに満ちていた。月の光は開け放した窓から部屋いっぱいにさし込んだ。マルスリイヌは眠っていた、と思う。わたしは横にはなっていたが眠ることができなかった。わたしは一種の快い熱に身を焚《や》かれるのを感じた。その熱こそ、かの生命にほかならないのだ……わたしは起き上って手と顔を水に浸け、それからガラス扉を押し開けて外へ出た。
もう夜は更けていた。物音一つ、吐息一つ、聞えない。空気さえも睡っているようだった。微かに、遠くから、金狼のように夜をこめてけんけんと叫ぶアラビヤ犬の吠えるのが聞えた。前は小さな中庭である。そこに、正面の塀が一帯の斜影を落していた。きちんと並んだ棕櫚の木は、色も生気も消え失せて、いつまでも動かずにいるもののように見えた……が、眠りの中にまでも生の微動はあるものだ。――ここには、その眠りのけぶりさえもなかった。すべてが死んでいるようだった。わたしはこの静寂が怖しくなった。すると、突然、わたしの生命を掩《おお》う悲痛の情が、沈黙のうちにまざまざと浮き上って自ら憐むかのように、またもや襲って来た。それは烈しく悼《いた》ましく真向から圧《の》しかかって来るのだ。もし獣のように叫ぶことができたならば、わたしは叫んだかも知れぬ。わたしは我手を取った、そうだ、左の手を右の手に。わたしはその手を頭に当てようと思った。そして、その通りにした。何のために? 自分の生きていることを自ら確め、それを奇《くす》しと覚るために。わたしは額にさわり、瞼にさわった。戦慄が身内を走った。――いつかは――とわたしは考えた――いつかは、渇きのあまり求める水を唇へ運ぶだけの力さえも失ってしまう時が来るであろう……わたしは、部屋に戻ったが、まだ横にならなかった。わたしは、この夜をとどめて、その思い出を心に印《しる》し、忘れぬようにしておきたいと思った。何をしようとも決まらずに、わたしは卓の上の書――聖書――を取り上げて、手当り次第に開けて見た。月影の中に身を傾《かし》げて、わたしは読むことができた。わたしはペテロに与うるクリストの言葉、ああ、もはや忘るべからざるこの言葉を読んだ。――汝今こそ自ら帯して好む処を歩めども老いたらん後は手を伸べん……手を伸べん……
翌日、未明に我々は立った。
六
旅路の泊り泊りについては、一々ここに語るまい。中には、ぼんやりした追憶しか残さないものもある。ときどき快くなったり悪くなったりするわたしの健康は、まだ冷い風に逢うとぐらぐらとして、行く雲の影にも心を遣ったり、わたしの神経状態はたびたび錯乱を来したりした。それでも、わたしの肺はどうにか癒りかけて行った。ぶり返しがやって来ても、その長さや烈しさはだんだん減った。攻撃は相変らず手きびしいのだが、それに対するわたしの体の武装が次第にしっかりして来たのだ。
我々はテュニスからマルタへ、それからシラクサへ着いた。わたしは言葉も過去もなつかしい古い国土の上に立ち返ったのだ。疾患《やまい》が始まってからと云うもの、わたしは、吟味も掟もなく、獣《けもの》か童《わらべ》がするようにただ生きることのみを事として来たのだ。今、疾患《やまい》もやや薄らいで、わたしの生命はまたはっきりと目覚めて来た。この長い苦患《やまい》の後に、同じものが元通りに蘇って、我が現在を過去に結びつけるのだと、わたしは信じた。見知らぬ土地の奇《めず》らしさの中に在っては、わたしは自らそう思いなすことができた。ここでは、もはや、そうはいかなかった。すべてが、我が身についてさらに驚くべきことをわたしに啓示してくれた。わたしは変ったのだ。
シラクサから先へ進むに従い、再び研究に着手して、昔のような綿密な過去の検討に耽ろうと云う心が兆《きざ》した時、わたしは何ものかが、我がこの趣味を遮止《しやし》しないまでも変更したことを発見した。それこそは現在の観念だった。過去の歴史は、今我が眼にとって、ビスクラの小庭における夜の影のあの怖ろしい不動不変の相《すがた》、死の不動の相《すがた》を現じたのであった。以前、わたしはわたしの頭を明確にしたこの不変の相を興あるものに思っていた、史上の事実はことごとく博物館の室々《へやべや》のよう、いやそれよりも、押花帳の植物のように見えた。枯渇しきったその態《さま》は、わたしをして、かつてはそれが潤いも豊かに陽の下に生を享《う》けていたことを忘れさせたわけであろう。今では、かくてなお歴史に興味を持ち得るのは、それを現在に想い移して見るからなのだ。従って、政治上の大事件は、我が身に蘇る詩人や力行の士の感激にくらべて、わたしを動かすことが遥かに少なかった。シラクサで、わたしはテオクリットを読み返した。そして、かの呼名美しい牧童等は、わたしがビスクラで愛した者どもにほかならないのだと思った。
一足毎に眼覚めるわたしの博識は、反って邪魔になって、悦楽《たのしみ》を薄くした。わたしはギリシャの劇場や殿堂を見ると、すぐさまそれを空《くう》に建て直してみずにはいられなかった。古の祭の度毎に、処も変えず残っている旧跡は、その滅亡の影にわたしの心を悩ました。わたしは死が怖ろしかったのだ。
わたしは廃墟を避けて、一番美しい昔の堂塔よりも、枸櫞《シトロン》に柑子の甘ずっぱい香を留めるあのラトミイと呼ばれるところの低地の園や、さては、紙草の間を縫って、プロゼルピイヌに涙を注いだ日と少しも変らぬ碧《みどり》を流すシアネの岸を賞《め》ずるようになった。
わたしは、初めは我が誇とした知識を、心に蔑むようになった。初めは我が生命《いのち》と思った研究も、もはや自分に対して、ごく偶然な、ありきたりの因縁しか持たないもののように見えて来た。わたしは他の自己を発見した。わたしは、おお、何と云う歓喜ぞ、そんなものを離れて存在しているのだ。専門家として、わたしは自己が愚かしく見えた。人間として、わたしは自己を知っているのか。わたしはやっと生れたばかりだ。しかも、もう、その生れたわたしが何者であるかを知ることができないのだ。これこそは、知らなければならないことだった。
死ぬばかりの思いをさせられる者にとって、恢復のまだるさほど悼《いた》ましいものはない。死の翅《はね》が触れた後は、重要らしく見えたものも、もうそうではなくなるのだ。重要らしく見えなかったところの、もしくは存在さえも知らなかったところの、他のものが重要になるのだ、我々の心の上に積ったさまざまの知識の層が臙脂《べに》のように剥げ落ちて、所々に裸の素地《きじ》、隠れていた正体が露われるのである。
それこそ、わたしがここに発見しようと思い立った≪もの≫であった。正体、≪旧人≫、福音書にはもう要《い》らなくなったもの、わたしを繞るすべて即ち本や師や親やそしてわたし自らが当初除き去ろうと努めたところのものこそ、それなのだ。それは添荷のために一層形が薄れて発見し難いようではあるが、それだけに発見が有益であり且勇壮なことのように見えた。こうしてわたしは、詰めこまれ、教育に上塗をされた附属物を軽蔑した。この添荷を振い落さなければならなかった。
わたしは自らを二重写本《パランプセスト》に比した。わたしは、同じ紙の上において後代の文字の下に、さらに限無く尊い太古の原文を発見した時の学者の悦びを味った。この蔽《かく》された原文は何であったか。それを読もうがためには、まず後の文を消すことを必要とはしなかったか。
こうして、わたしはもう、固くてゆとりの無いわたしの以前の品性に釣合っていたところの、ひよわな勤勉な人間ではなくなった。恢復《コンワレサンス》以上のものが、そこにあった。何か附け加えたもの、生命の盛り返して来たもの、わたしの思索に触れて、その一つ一つを叩き巡り、すべてに突き入り、我が身の奥深く秘められた繊細な筋をも揺がし彩《いろど》るような、一きわ熱く溢るる血潮の高鳴が、そこにあった。思うに、強さにも弱さにも、人は慣れるものだ。生あるものは、おのれの力に応じて、おのれを形作るのだ。しかし、その力は大きくなり、可能が増すようにならなければいけない。そして……そう云う考えはすべて、当時は持たなかったものだ。この所の描写は自らを枉《ま》げるものだ。全くのところ、わたしは少しも考えたり反省したりしなかった。都合のいい運命がわたしを導いてくれたのだ。わたしは、あまりに先走った見方のために、緩かな我が転身の神秘を乱されることを惧れた。消された文字が再び現われるには、時を置かなければならなかった。それを作り上げようとしてはならなかった。――そこで、わたしの脳髄を廃地ではなく休田にしておいて、わたし自身にしろ他のものにしろ、すべて聖《きよ》らかだと思われたもののうえに熱情を傾けた。我々はシラクサを去った。そして、わたしは、タオルミイヌからラ・モオルへ続く険しい路の上を、我が身のうちに呼びかけるためにこう叫びながら走った。新生! 新生!
わたしの唯一の努力、当時にあって変らない努力は、わたしの過去の教育や最初の品性に依って得られたものとしか思われないすべてを、片はしから泥塗にし、一掃し去ることだった。わたしの学識に対するきっぱりした侮《あなど》りや、わたしの学者的趣味に対する蔑みから、わたしはアグリジャントを見ることを辞《よ》した。そして、幾日かの後、ナアプルへ通う途上にも、今なおギリシャの吐息がする美しいペストムの殿堂の傍に足を止めなかった。そこへ、二年の後、わたしは何とも知らぬ神に祈りに行ったのだ。
ひたすらの努力について何を云おう。自らを全き徳に達し得るものとしてでなければ、どうして我身の上に心をかけられよう。おぼろげに想を馳せていたこの見知らぬ全き徳、そこへ向って進む時ほどわたしの意志の躍り立ったことはなかった。わたしは、この意志を挙げて、わが体を鍛え練ることに用いた。サレルヌの近くで海岸を離れて、我々はラヴェルロへ行った。そこで、一きわ爽かな空気、高低乱れ立つ岩の風景、底知れぬ谷間の深邃《しんすい》が、わたしの力、わたしの歓喜に援けを添えて、感激をそそり立てるのだ。
海辺を隔るよりも空に近く、ラヴェルロは険崖の上に立って、坦々として遥かなるペストムの岸に面している。それはノルマン治下に在っては、まず重要な都であった。現在では、もはや我々二人だけが異人《エトランジエ》であったと思われるほどの狭い村に過ぎない。とある昔の僧院が、今ではホテルに変えられて、我々を泊めてくれた。岩|端《はな》に突き出ているので、その露台も園も碧空に懸っているかのように見えた。葡萄の蔓のからんだ塀のつぎには、まず海よりほか眼にはいらなかった。径よりも階段に依ってラヴェルロと海辺とをつないでいる耕地の斜面を見はるかすには、塀|傍《ばた》に寄らなければならなかった。ラヴェルロの上には、山脈が連っていた。橄欖樹《オリーヴ》、大きないなごまめ、その陰にシクラメン、上にはたくさんの栗の木、爽かな空気、北方の植物、下には海|傍《ばた》の枸櫞樹《シトロン》。それは土地の傾斜に由る小さな耕地に沿って並んでいるのだ。これみな同じような梯子形の園である。真中に一条の径が走り、端から端へ横道が通じている。人は、音も立てず、盗人のようにそこへはいるのだ。この緑の陰こそ、夢想の地である。葉ごもりは重たげにどっしりしている。明るい日の光は少しもさし込まない。ぼったりした蝋涙のように、香高い枸櫞《シトロン》が垂れ下っている。陰の中では、白っぽく緑がかって見える。それは、手の届く所に、すぐにも渇きの医せるところに在るのだ。甘くてつんとする。胸がすうと透く。
その下では、影が非常に濃い。わたしは、まだ汗が止らないほど歩いた後ではあったが、そこに佇もうとする気にならなかった。しかし、階段はもうわたしをぐったりさせなくなった。わたしは口を結んでそれを登ることを練習した。わたしはいつも余計に立ち止る間を空けるようにして、自分にこう云い聞かせた。弱らずにあそこまで行こう。そして目当の所に着くと、満たされた誇のうちに自らの報償を見出して、わたしは長々と、力をこめて呼吸《いき》をした。空気が一きわ効目《ききめ》よく胸の中にはいり込むかと思われるように。わたしはこの体の養生に今までの精励を移した。わたしは進歩して行った。
わたしはときどき健康がこんなに速く立て直って来たことに驚いた。最初自分の容態を重く見過ぎたのだと思うようになった。ひどく悪かったと云うことが疑わしくなり、自分の吐いた血がおかしくなり、恢復のもっと困難でなかったことが残り惜しくなったりした。
わたしは初め自分の体の要求が解らなかったので、たいへん愚かな養生の仕方をした。わたしは辛抱強くいろいろやって見た揚句、用心や摂生にかけては、何かの遊戯《あそび》にでも耽るかのように全く手に入ったものとなった。なお、わたしの一番悩んだのは、少しでも時候が変るとすぐ応《こた》えるわたしの病的の感覚だった。わたしは、肺が癒《なお》った今では、この知覚過敏を病気の余債なる神経の憔悴のせいにしていた。わたしはぜひそれにうち克とうと決心した。上衣を拡げ胸をはだけて畑を耕している百姓たちの、太陽が沁みこんでいるかのように焦《や》けた美しい皮膚を見ると、わたしも同じように日に焦けてみたいと云う気になった。ある朝、裸になって、わたしは我が身を眺めた。痩せ細った腕、どんなに力を入れても十分に後へ反らすことのできない肩が眼にはいり、それから特に皮膚が白いと云うよりもむしろ褪色しているのに気がつくと、わたしは恥と涙にまみれてしまった。わたしは手早く着物を着た。そして、いつものようにアルマフィの方へはおりないで、人家の彼方《かなた》、人目につく惧れのない路の彼方なる、短い草と苔に蔽われた岩の方へ向った。そこに着くと、わたしはゆっくり着物を脱いだ。気は爽かだったが、陽は照りつけていた。わたしは、その炎に、すべて我が体を捧げた。わたしは坐り、横になり、そして、転がった、わたしは体《からだ》の下に固い土を感じた。雑草のざわめきが軽く身に擦れた。風は避《よ》けていたものの、そよぎのわたる度毎に、わたしはおののき、ぴくぴくと震えた。そのうちに、得も云わず快い、ひりひりする痛みが体を包んでしまった。このわたしと云うものはすべて、我が皮膚の方へと走り集ってしまったのだ。
我々はラヴェルロに十五日滞在した。毎朝、わたしはこの岩の方へ立ち返ってわたしの療治を行った。やがて、まだ脱がずにいた厚着が窮屈なまた余計なものになった。丈夫になったわたしの皮膚は、ひっきりなしの発汗が止って、自熱で身を防ぐことができた。
終に近づいた或る日の朝(ちょうど四月のなかばだった)わたしはもっと思い切ったことをやった。例の岩の凹みに、清水が流れていた。それはついそこから落ちて滝となり、水量こそ少なかったが、滝の下に、それよりも深い、澄み切った水を湛えた盤を穿《うが》っていた。三度、わたしはそこへ行って、腰を屈め、渇きと望みのつのるままに、崖ぶちに体をぐっと伸ばした。わたしは暫くつやつやした岩底を眺めた。そこには水垢も草一本も見えず、日の光が揺ぎながら五彩の色を散らしてさしこんでいた。この四日目の日、わたしは、前から心を決めて、常より澄んだ水の傍へ進んだ。そして、もう何も考えずに、ひと息にずぶりと浸《つか》った。すぐにぞっとして、わたしは水を出て、日向の草の上に長々と寝た。そこには、薄荷が香高く茂っていた。わたしはそれを摘んで、葉を揉《も》み、濡れてはいるが燃えるような体中をこすった。わたしはもう何の恥らいもなく、歓喜のうちに暫く我が身を見つめた。わたしはまだ強壮ではないが、そうなり得るところの、釣合のとれた、官能的な、美しいとも云えるほどの自分を見出したのだ。
七
こうして、わたしはすべての行動すべての労作の代りに、体《からだ》の鍛錬で辛抱していた。たしかにその中にはわたしの品性の変化もはいっているのではあるが、どうもそれだけでは一の仕込み、一の方便に過ぎないと云う気がして、満足ができなかった。
だが、もう一つしたことがある。君たちには恐らく滑稽に見えるかも知れないが、云ってしまおう。それは、その子供らしさにおいて、わたしの心の中の変化を外へ現わそうとする苦しい要求をはっきりさせるものだから。アマルフィで、わたしは髯《ひげ》を剃り落してしまったのだ。
この日まで、わたしは髪を短く刈って、髯をそっくりつけていた。髪容《かみかたち》もまた変えることができるのだと云う考えが浮ばなかったのだ。ところが、突然、わたしが初めて岩の上で裸になった日に、この髯が邪魔になり出した。それはわたしの脱ぐことができない最後の着物のようだった。わたしはそれが付髯のような気がした。尖らさずに角を取ってきちんと刈られてあったが、それが忽ち、非常に不愉快に、滑稽に思われた。ホテルの部屋に戻って、わたしは鏡を眺めて厭な気持になった。わたしは、これまであったおのれの姿、即ち一古典学士のふうをしていた。昼餐が済むとすぐに、わたしは思案を定めてアマルフィへおりて行った。町は非常に狭い。わたしは広場の俗な小店で我慢しなければならなかった。それは市場の日だった。店は満員だった。わたしは涯なく待たなければならなかった。しかし、何物も、覚束ない剃刀も、黄ろい髯刷毛も、臭気も、理髪師のおしゃべりも、わたしを退転させることはできなかった。鋏の下に自分の髯の落ちるのを感じると、ちょうど仮面でもとり除《の》けているかのようだった。とかくして、さておのれの顔が現われて来た時、わたしができるだけ抑えつけた胸に漲る感動は、歓喜ではなくて、恐怖だった。わたしはこの感情に就いてとやかく云わない。それを確かだと云うのだ。わたしは自分の顔だちをかなり美しいと思った……いや、恐怖の原因《もと》は、わたしの考えが露《あら》わに人に見透かされるような気がして、にわかにそれが怖ろしげに見えたからだ。
反対に、わたしは髪の毛の伸びるに任せた。
これが、まだすることのないわたしの新しい生命の見つけ出した仕事だった。わたしは、そこから、わたし自身にとっても驚異すべき仕業《しわざ》が生れるであろうと考えていた。しかし、やがて、やがては、とわたしは心に云った。――生命がもっと整えられる時に。それまで何としても生きて行かなければならないので、わたしはデカルトのように、仮行動の方法を保つことにした。こうして、マルスリイヌは眼をくらまされてしまった。全くのところ、わたしの眼つきの変化や、それから、特に髯を落してしまった日のわたしの顔だちの新しい表情は、恐らく彼女を不安にさせたことであろう。だが、彼女はわたしを愛するのあまり、わたしをよく見ようとしなかった。それに、わたしはできるだけ彼女を安心させた。彼女にわたしの再生の邪魔をされないことが肝要だった。それを彼女の眼から免れさせるためには、佯《いつわ》らなければならなかった。
従って、マルスリイヌの愛していたもの、彼女の連れ添っていたものはわたしの≪新生≫ではなかった。そして、わたしは何度も自分にそう云いきかせた。それを匿《かく》そうとする心を励ますために。こうしてわたしはおのれの一つの影しか彼女に託さなかった。それは、過去に変らぬ真実を持つ代りには、日に日にますます嘘となって行く影だった。
で、わたしとマルスリイヌとの関係はまず元のままだった。――いつも次第に大きくなる愛のために、日毎に熱は加わるけれども。わたしの佯《いつわ》りさえも(わたしの考えに彼女の判別を受けさせまいとする要求をかく呼び得るならば)、わたしの佯りは愛を増して行った。つまり、この仕事は絶えずわたしをマルスリイヌと結びつけてしまったのだ。恐らく、この嘘の強制は、初めは少し辛いものだったかも知れぬ。が、わたしはじきにこう云うことを発明するに至った。およそ、一番悪いと見做されている事柄(今だけの例を挙げれば、嘘)は、少しもしたことのない間だけが難しいので、繰り返してやる段になると、どれも忽ちわけなく、面白く、懐しいものとなり、やがては当りまえのようになってしまうのだ。こうして、最初の厭悪が消されてしまうどれもの場合と同じく、わたしはしまいにはこの佯りそのものに興味を持ち、知られざる己の能力の仕業《しわざ》であるかのようにそれに拘《かかず》らうのが楽しみになった。そして、わたしは毎日、さらに豊かに満ちみちた生の中へと、さらにかぐわしい幸福の方へと進み入ったのだ。
八
ラヴェルロよりソラントへ行く間は、わたしがこの朝地上においてこれより美しいものをとんと見たいと思わなかったほど、美しい路《みち》である。岩は荒《おお》らかにそそり立ち、気は豊かに、香は満ち、天地澄みわたって、すべてが、生くることの讃むべき美しさでわたしを全く領してしまった。わたしの心は満ち足りて、爽やかな歓喜のほかには、何ものも身内に潜んでいないような気さえするのだ。思出も名残も、望みも願いも、未来も過去も黙《もだ》していた。わたしは今、生の中にあって、ただ瞬間が持ち去るところのものを知っているばかりであった。「おお、肉体の歓喜!」とわたしは心に叫んだ。「わが筋肉の狂いなき韻律、健康!……」
わたしは朝早く、マルスリイヌより先に出発した。彼女の歩みがわたしのそれを緩めるように、あまりに静かな彼女の悦びがわたしのそれを柔らげることを慮《おもんばか》ったのだ。彼女は馬車で、ポジタノでわたしに追いつくことになっていた。そこで、我々は昼餐をとる筈だった。
わたしはポジタノへ近づいて行った。その時、鄙唄《ひなうた》に伴うバスのように轟く車輪の響に、わたしはいきなり振り返った。初めは、そこで崖に沿う路の曲り角のために、何も見えなかった。すると忽ち歩度の乱れた一台の馬車が現われた。それは、マルスリイヌの乗った馬車だった。御者《ぎよしや》は大声を張り上げて歌を唱い、大きな身振りをしながら、座席に突っ立ち上って、荒れ狂う馬を鞭でぴしぴしと打ち叩いていた。何と云う奴だ! 其奴《そいつ》は、ようやく身を避けたわたしの前を駆け通って、声をかけても止まらなかった……わたしは飛びかかった。だが、馬車はあまりに疾かった。わたしは、中から突然マルスリイヌが飛び上って、そこになお居残っているのを見て、戦慄した。馬がもう一跳ねすれば、海に突き落されてしまうところだった……急に、馬がばったり倒れた。マルスリイヌはおりて逃げようとした。が、その時はもうわたしが傍に駆けつけていた。御者は、わたしを見るが早いか、恐ろしい悪口を浴びせかけた。わたしはこの男に対して怒りがこみ上げて来た。わたしはその暴言を云わせもあえず、躍りかかって、座席から下へこっぴどく叩きつけてやった。わたしは相手と一緒に地面《じべた》にころがった。が、利は失わなかった。相手は落っこちたために面くらっているようだった。それに、向うの噛みつこうとする様子を見てとって横面に拳骨《げんこつ》をくらわせてやったので、一層へどもどした。けれども、わたしは少しも手を弛めずに、向うの胸の上に膝でのしかかって、腕を抑えつけようとした。わたしは、わたしの拳骨のためになお醜くなった、二目と見られない相手の相好を眺めた。其奴《そいつ》は、唾を吐き、涎《よだれ》を流し、血まみれになりながら罵っていた。ああ! 恐ろしい奴! 全く! 絞め殺してしまうのが正当のように思われた。――恐らく、わたしはそうしたかも知れなかった……少くとも、わたしは自分にそれをやってのける力があると感じた。警察と云う観念だけがわたしを止めたのだと思う。
わたしはやっとこさでその気違いを厳重に縛り上げてしまった。袋のように、わたしは其奴《そいつ》を車の中に投げこんだ。
ああ! そのあとで、どんな眼ざしを、どんな接吻を、我々は交換したことか。大した危険ではなかったが、わたしは自分の力を示さなければならなかったのだ。それこそ、その力を護るために。それがためには自分の命を与えることが……喜んですっかり投げ出すことが……できるとさえ、すぐさま思われたのだ。馬は起き直った。車の底を酔っぱらいに当てがっておいて、我々二人は座席に乗り、どうかこうか操りながら、ポジタノへ行き、それから、ソラントへ着くことができた。
わたしがマルスリイヌをわがものとしたのは、この夜のことだった。
わたしが愛の道にかけては初心も同様であったと云うことを、君たちはよく解ってくれたか、それとも、繰り返して云わなければならないのか。恐らく、我々の契りの夜に趣きを添えたものは、その珍らしさであるに違いない……今日にして想えば、この初めての夜がただ一夜であったような気がする。それほど、愛の待ちもうけと不意打とが、歓楽の熱情をそそり立てたのだ。――それほど、最も大きな愛がうち明けられるにはただの一夜で事足りるのだ。それほど、わたしの記憶は執念《しゆうね》くもその夜ばかりを想い起させるのだ。ただ一瞬の笑《えま》いのうちに、我々の魂は融け合ってしまった……だが、わたしはこう思う。ここにただ一つの愛の金点がある。魂はやがて、ああ! 無益にもそれを超えようと努める。魂がその幸福を蘇らすためにする努力は、反ってそれを擦りへらしてしまうのだ。幸福の思出ほど幸福を妨げるものはない。ああ! わたしはこの夜のことを想う……
我々のホテルは町の外にあって、庭と果樹園に囲まれていた。非常に広い露縁が我々の部屋を延ばしていた。梢がそこを掠めていた。昧爽《よあけ》は開け放した窓から自由にはいって来た。わたしはそっと起き上って、優しくマルスリイヌの上に身を屈めた。彼女は眠っていた。眠りながらほほ笑んでいるようだった。わたしは、より健《すこや》かなわが身にくらべて、彼女の体を華奢だと感じ、その美しさにはか弱さがあるような気がした。いろいろな雑念がわたしの頭の中で渦を捲き始めた。わたしが全く彼女のものだと云うのは嘘ではないと思った。それから、すぐこう云う考えが浮んだ。
「おれは一体彼女の悦びのために何をしているのだ。殆ど一日中、毎日おれは彼女をうち捨てているのだ。彼女はすべてをおれに俟っている。しかも、おれは彼女をかまいつけない! ああ! かわいそうな、かわいそうな、マルスリイヌ!」涙が眼にいっぱいになった。わたしは過去の憔悴のうちに云いわけを探そうとしたがだめだった。わたしは今、不断の手当や利己主義をどうしようと云うのだ。現在、彼女よりも丈夫なのではないか……
微笑は彼女の頬から消えてしまった。曙の光は、ものみなを金色に染めたが、彼女だけを急に悲しげに蒼白く浮きたたせた。――それに、恐らくは、明け方がわたしを懊悩《おうのう》に引き入れたものでもあったのか、「おれは、いつの日か、今度はおれの番に、おまえを介抱し、おまえのために気を揉まなければならないであろうか、マルスリイヌ」とわたしは胸の中で叫んだ。わたしは戦慄した。そして、愛と憐みと情にぴったり心を打たれて、そっと、閉じられた彼女の眼の間に、最も優しい最も愛の籠った、最も敬虔な接吻《くちづけ》をした。
九
我々がソラントで暮した数日は、晴れやかな、極めてもの静かな日だった。かかる安息、かかる幸福を、わたしはこれまでに味ったことがあろうか。これに似たものを、これからも味えるであろうか……わたしは絶えずマルスリイヌの傍にいた。自分のことはあまりかまわずに、彼女のことに多く心を遣った。そして、以前黙っていることのうちに味った喜悦《よろこび》を、彼女と共に話をすることのうちに見出した。
わたしは、自分を十分満足させるつもりであった我々の放浪生活が、彼女には仮の暮しとしてよりほか悦ばれていないことを感じて、まず驚かされた。しかし、すぐにこの生活の無為がわたしにもはっきりわかった。わたしはそれが一時的に過ぎないものだと云うことをみとめた。そして、体が建て直ってもまだ停滞していた閑散の境涯から、初めて制作慾が蘇って来た。――わたしはまじめに帰国の話をもち出した。その時のマルスリイヌの悦ぶ態《さま》に、彼女はずっと前からそれを考えていたのだと云うことが察せられた。
しかし、ここに再びやり出そうとする歴史の研究には、前と同じ興味を持てなくなった。そのことは先にも云った。病気になってからと云うもの、過去の抽象的な中性の知識は空《むな》しいもののような気がした。まことに、わたしはこれまで、博言学の研究に従い、例えばラテン語の変形におけるゴティックの影響部分を確定するに没頭して、テオドリック、カシオドル、アマラゾント等の面影や彼等の眼ざましい熱情を無視閑却し、記号と彼等の生活の滓《かす》とのほかには感激を求めずに来たのであった。とは云え、今では、この同じ記号、博言学全体が、わたしにとって、生《き》のままの偉さ大きさをはっきり見せてくれたものの中に一層深く突き入ろうとする手段に過ぎなくなった。わたしは、この時代の研究をさらに進め、暫くゴオト帝国の末期に範囲を限って、近くその最後の舞台なるラヴェンヌへ立寄る機会を利用しようと決心した。
だが、実を云えば、わたしを一番惹きつけたのは、若いアタラリック王の|風貌《ふうぼう》だった。わたしはこの十五歳の少年のことを想った。彼は暗にゴオト人の刺激を受けて、母なるアマラゾントに叛《そむ》き、ラテンの教育に抗《さか》らい、種馬が邪魔な馬具を振り落すように教養を抛《なげう》ち、そして賢明過ぎる老カシオドルの社会よりも未開のゴオト人の付合を喜び、同じ年頃の気荒な寵士《おつき》と一緒に数年間溌剌とした歓楽放恣の生活を楽しんだ末、十八歳にして、全く気儘に、燕遊《あそび》にも飽きて、死んで行ったのである。わたしはさらに野生の穢《けがれ》なき方へと向うこの悲劇的躍進のうちに、何とも知れずマルスリイヌがほほ笑みながら≪わたしの危機≫と呼んだところのものを見出したのだ。わたしはもう体《からだ》を以てこれに当ることをしなかったので、せめて心をここに注ぐことに満足を求めた。そして、アタラリックの恐ろしい死のうちに教訓を読まねばならぬと固く思い定めた。
こうしてラヴェンヌに十五日ばかり滞在する前に、急いでローマとフィレンチェを見物しよう。それから、ヴェネチヤとヴェロオヌとを捨ておいて、旅行の終をちぢめ、もうパリのほかには足を止めないことにしよう。わたしはマルスリイヌと行末の話をすることに、全く新らしい悦びを見出した。夏をどうして過すかと云うことがまだ決まらずにいた。二人とも旅行に飽きたので、また出かけることは好まなかった。わたしは自分の研究のために絶対の安静を望んだ。で、我々は、緑深きノルマンディにして、リジュウとボン・レヴェクの間なる農園のことを思った。――それは、その昔わたしの母の所有にかかり、わたしも共に子供の頃幾年かの夏を過したことのある処だが、母の歿後は一度も立ち返ったことのない地所である。父はこの土地の維持管理を今は年老いた一人の番人に託しておいた。番人は代りに小作料を受け取って、それをきちんと我々に送ってくれた。遣水《やりみず》清らかな園の中なる、非常に居心地のよい大きな家は、わたしに楽しい思出を残していた。その家はラ・モリニエルと呼ばれていた。そこに住まえばよかろうと思われたのだ。
来る冬を、わたしはローマで過そうと話していた。――今度は旅人としてではなく、研究家として……だが、この最後の計画は早くもくつがえされた。ずっと前からナポリで我々を待ち受けていた要便のうち、一通の手紙に依って、わたしは突然コレエジュ・ド・フランスに講座が一つ空いたについてわたしの名が何度も呼び上げられたことを知った。それは補欠に過ぎないけれども、確かに将来《さき》へ行けば、ずっと自由のきく筈のものだった。このことを知らせてくれた友人は、わたしの受諾する場合になすべき二三の簡単な手続を示して寄こした。――そして、受諾を急《せ》き立てて来た。わたしはまず第一に束縛を思って躊躇した。それから、講義の中でカシオドルに関する自分の研究を発表したならば面白いかも知れないと考えた……マルスリイヌに与えようとする悦びが、結局わたしの心を決めさせた。そして、一旦心が定まると、わたしはもうそのためになることにしか眼を着けなかった。
ローマやフィレンチェの学者仲間には、わたしの父は多くの知合を持っていた。わたし自身もまたそれと交渉に入っていた。その人たちは、わたしがラヴェンヌその他の場所で思い通りの研究をするについて、いろいろ便宜を計ってくれた。わたしはもう研究のことしか考えなくなった。マルスリイヌは、優しく気を配り、さまざまに心を砕いて、これに力を添えようと努めてくれたのだ。
我々の幸福は、この旅の終の間、全くなだらかに凪ぎわたっていた。わたしは何も語ることができない。およそ、最も美しい人業《ひとわざ》は執念《しゆうね》きまでに悩ましいものである。幸福の物語とは何であろう? 幸福を準備するもの、それから、これを破壊するものだけが物語られるのである。――さて、わたしは今、これを準備したところのものを君たちに語りつくしてしまったのだ。
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第二部
一
七月の初旬、我々はラ・モリニエルに着いた。仕入物と二三箇所の稀《たま》の訪問とにきっちりかかった時間のほかは、パリにとどまっていなかったのだ。
ラ・モリニエルは、前にも云った通り、わたしの知る限りでは最も影あり潤《うるお》いある土地のうち、リジュウとポン・レヴェクの間に位している。谷の窪みはあまた重り合い、狭いながらに柔かく波を打って、海辺まで来てぐっと坦《たいら》になるひろびろとしたオオジュの谿谷の傍近くに適している。空の涯は全く見えない。眼に入るはただ神秘の籠った輪伐林《りんばつりん》、田園、分けても草原、一年に二度生い茂る草に鎌を入れられる傾斜ゆるやかな牧《まき》である。このあたり、陽《ひ》低うして林檎《りんご》の木立影を交え、羊の群は気ままに草を食《は》んでいる。窪み窪みには、水あり、池あり、沼あり、川がある。流の音が絶え間なく聞える。
ああ! なんとよくわたしはこの家を知ったことか。青い屋根、煉瓦と石の塀、雨溝、溜り水に映る影……それは十二人以上も泊められる古い家だった。マルスリイヌと三人の召使と時にはわたしも手伝って、この家の一部を賑かにするのが大仕事だった。ボカアジュと云ううちの年寄の番人は、前から、いくつかの部屋にできるだけの飾付をしておいてくれた。二十年の眠りから古い家具は眼ざめ立った。すべてがわたしの思出のうちに見たままだった。羽目もあまり損せず、部屋部屋も楽に住まえた。もてなしに念を入れて、ボカアジュは見つけ出した瓶と云う瓶に花をどっさり挿しておいた。彼は中庭やつい傍の園の径の草をすっかりむしりとらせてしまった。家は、我々の着いた時、傾く日ざしを受けていた。前の谷からは、靄が立ち上《のぼ》って動かず、川面を罩《こ》めて、たえだえに透見《すかしみ》させていた。着く前から、わたしは忽ち草いきれがわかった。やがて、再び、家のぐるりを巡る燕の劈《つんざ》くような音を聞くと、昔のことがすべてにわかに浮み来て、あたかもそれは、わたしを待ちうけながら、近づく足音にわたしと知るや、また閉じ合せようとするものの如くだった。
数日の後、家はまず住心地がよくなった。わたしは仕事を始めることができたかも知れない。が、わたしはぐずぐずしていた。自分の過去のこまごまと心に甦るのに耳を澄ましながら、それから、間もなく思いもかけない感動に胸がいっぱいになって、マルスリイヌは、着いてから一週間の後、彼女が既に妊娠の身であることを打ち明けた。
その時から、わたしは彼女に全く別の介抱を受けているような、彼女はもっと愛情を求めるのが当然であるような気がした。少くとも、この打明話を聞いた後暫くは、わたしは一日中殆ど絶え間なく彼女の傍で過した。我々は、わたしがその昔母と一緒に行っては腰かけたところの林の陰のベンチの上へ、休みに行った。そこでは、刹那刹那が歓楽の影いやこまやかな相《すがた》を現じ、時間はさらに無意識のうちに流れて行くのであった。わたしの生涯のこの時期から、はっきりした思出が少しも浮み上らないと云っても、それは、これより受けたわたしの感銘の強度《つよさ》が足りないためではない。――ここにあっては、すべてが縺《もつ》れ合い、融け合って、夜は寛かに朝に結ばれ日はなだらかに日に繋《つな》がれる一律の安穏《あんのん》に帰してしまったからだ。
わたしはまたゆっくり仕事にとりかかった。心は静かに、のんびりと、力を頼み切って、行末を見る眼にも自信があり、熱に浮かされず、意志は鎮められたもののよう、この温和な土地の忠言に聴き入っているもののようであった。
疑なく、とわたしは考えた、すべてが果実のため、実《みの》りよき収穫のために準備されるこの土地の例《ためし》はわたしに一番優れた影響を及ぼすに違いない。わたしは、この豊沃な牧場の中の強い牡牛や肥えた牝牛が何と云う安らかな未来を約束していることかと、讃歎した。向きのよい丘の斜面にきちんと植えられた林檎樹は、この夏のみごとな収穫を告げていた。わたしは、どんな立派な実を背負わされて、やがてこの木々の枝が撓《たわ》むようになるのかと想ってみた。この整った豊饒、この楽しい服従、この晴れやかな耕作からは、もう偶然ではなく他力に依るところの調和が成り立ち、或る韻律、何とも知れず感に打たれていると云ったような人事自然を一に貫いた或る美しさが、そこにあった。気ままな自然の燃えるような繁殖、自然を調節するための人間の巧妙な努力が、かほどまでに、全き和合のうちに融け入っているのであった。支配するだけの強大な野生がないとしたら、とわたしは思った、この努力はどうなることであろう。堰《せ》き止め導いて笑《えま》いのうちに豊饒へ向わしてくれる賢い努力がないとしたら、この溢れるばかりの活力の地熱はどうなることであろう。――そして、わたしは、すべての力が調節され、すべての支出が償《つぐな》われ、すべての交換が厳密に行われてちょっとの消耗でもすぐ眼に立つようになる土地のことを、ぼんやり考えてみた。それから、その空想を生活に当てはめて、わたしは自ら一つの道徳律を作り、これを以て、賢い強制に依る自己完用の法則とした。
わたしの昨日の混乱は、どこに潜みどこへ隠れてしまったのか。そんなことは少しも起らなかったような気がした。それほど、わたしは落ち着いていたのだ。わたしの愛の波は、そんなものをすっかり蔽ってしまったのだ……
一方、年寄のボカアジュは我々の身の廻りにあって熱心に世話をやいていた。彼は指図をしたり、監督をしたり、勧告をしたりした。居なくてはならぬ者と思われようとする彼の慾は、烈しいまでに感じられた。彼に嫌な思いをさせまいために、計算書に眼を通したり、はてしのない説明をすっかり聴き取ったりしなければならなかった。それでもまだ十分でなかった。わたしは彼に従って地所の検分をしなければならなかった。彼の勿体ぶった律気さや、くどくどしいおしゃべりや、明らさまな自己満足や、克明な案内ぶりは、間もなくわたしを逆《のぼせ》あがらせてしまった。わたしは次第に気忙《きぜわ》しくなった。心の落ち着きが取返せるならば、どんな方法でもわたしの眼にはよいと映ったことであろう。――その時、意外な事件がわたしと彼との関係に別の性質を付するようになった。ボカアジュは、或る晩、明日《あす》は息子のシャルルが来ると云うことをわたしに告げた。
「ああ。」とわたしは情《すげ》なく云った。これまで、一体ボカアジュにどんな子供があるのやら碌に気に留めていなかったので。だがすぐに、わたしの情《すげ》ないそぶりが彼を悄気《しよげ》させてしまったこと、彼がわたしに何かしら興味と意外との徴《しるし》を待ちもうけていたことを見てとったので、
「で、その子は今どこへ行っているのだい。」とわたしは訊ねた。
「アランソンの傍の模範農園にまいっております。」とボカアジュが答えた。
「あの子も今はたしか……」とわたしは続けて云った。その時まで存在を知らなかったこの息子の年を数えながら、そして、相手が中途で言葉を入れられるようにゆっくり口をききながら……
「十七を越しました。」とボカアジュが語り次いだ。「大奥様がお歿《なく》なりになった時にゃ四歳《よつつ》そこそこでしたが、ああ、今じゃいい若い者になりましたわい。やがて、親父《おやじ》もかないますまいて……」ボカアジュがしゃべり出した日には、どんなにあらわに厭な顔をして見せても、到底止めることができなかった。
明くる日、わたしはもうそのことを考えていなかった。すると、日の暮れ方、今着いたばかりのシャルルがマルスリイヌとわたしに挨拶をしに来た。それは、健康の溢れるような、軽捷な、よく整った若者だった。我々に敬意を表するために着て来たぞっとするような他所《よそ》行の着物も、さほどおかしく見えなかった。それに、そのはにかんだ様子が、持前の美しい血色にほんのり赤みを添えていた。彼は十五ぐらいにしか見えなかった。それほど、彼の眼の色は子供らしさを失わずにいたのだ。彼は妙に羞かしがらずに、はきはきものを云った。そして、親父とはうって変って、何の役にも立たぬ話はしなかった。この最初の夕、我々がどんな話を交したかはもう覚えていない。彼を眺めてばかりいたので、わたしは何も言葉をかけることがなかった。そして、マルスリイヌにだけ話をさせておいた。しかし、次の日、初めて、わたしは農園へ出かけるのに年寄のボカアジュが迎えに来るのを待っていなかった。そこでもう仕事が始められていることは承知していた。
それは瀦水《ちよすい》を修繕することだった。この瀦水は、池ぐらいの大きさで、底が漏《も》っていた。その漏れ口がわかっていたので、セメントで塞ぐことになった。それにはまずその瀦水を掻い出さなければならなかった。そんなことは十五年この方やった例《ためし》がなかった。鯉、石斑魚《うぐい》の類がそこにたくさん棲んでいた。中には非常に大きいのもあって、もう浅瀬を離れなかった。わたしはこれを雨溝の流に放って、労働者たちにやりたいと思った。そうすれば、常ならぬ農園の賑いにも察せられる通り、今度は釣魚《つり》の遊びが仕事に加わるわけだ。近所の子供たちがやって来て、働く人人の中に雑っていた。マルスリイヌも、もう少したって後から来る筈だった。
わたしの着いた時には、水はもう暫く前から浅くなっていた。ときどき大きなそよぎがにわかに水の面に漣《さざなみ》を立たせて、落ち着かない魚の褐色の背が透いて見えた。辺《ふち》の水溜りでは、ぬかるみに浸《つか》った子供たちがきらきら光った雑魚をつかまえて、真水をいっぱい湛えた桶の中に投げ入れていた。瀦水は魚の騒ぎにすっかり攪《か》き乱されて、土《つち》け色になり、見る見るうちに曇りわたってしまった。魚は思ったよりもなお夥《おびただ》しい数だった。四人の作男が片端から水に手を突っこんでそれを掴み上げた。わたしはマルスリイヌの来ようの遅いのがもどかしくなった。そして、一走り呼びに行こうと思い定めたおり、どっと上る叫び声に初めて鰻《うなぎ》の釣れたことを知った。鰻を取るのはうまくいかなかった。指の間を辷《すべ》り抜けてしまうのだ。この時まで父親に添うて岸に立っていたシャルルは、もう我慢ができなくなった。彼はにわかに靴と半靴下を取り、上衣と胴着を脱ぎ棄てると、袴《ズボン》と肌衣の袖をぐっと捲《たく》し上げ、思い切って泥田の中へはいった。すぐに、わたしはそれに倣《なら》った。
「おい、シャルル!」とわたしは叫んだ。「きのう帰って来ていいことをしやしないか。」
彼は何とも答えなかった。が、もうすっかり漁《すなど》りに夢中になって、笑いながらわたしを眺めた。間もなく、わたしは一匹の大きな鰻を追いつめる手伝いに来るように彼を呼んだ。我々はそれを捕えるために手をつないだ……さて、それが片づくと、また一匹。泥の跳ねが顔にかかった。ときどき急に足がぬかって、水が腿まで来た。やがて、ずぶりと浸《つか》ってしまった。たわむれの興に乗って、我々はわずかの叫び、わずかの文句を交《かわ》し合ったばかりだった。が、その日の終、わたしはいつ始めたとも知らずにシャルルを≪おまえ≫と呼んでいることに気がついた。この共同の働きは、長い会話にもまして、そう云うふうに我々お互を仕込んでしまったのだ。マルスリイヌはまだ来ずにいた。そして来なかった。しかし、もうわたしは彼女のいないことを惜しまなかった。彼女は少し我々のたのしみの邪魔になりはしまいかと云う気がした。
明くる日から、わたしはシャルルを見つけた農園へ出かけた。我々は二人で森の方へ向った。
自分の土地の案内を知らず、また、知らないことを気にもかけなかったわたしは、シャルルが非常によくその案内に通じ、兼ねて、小作料の割当までも心得ているのを見て、びっくりした。わたしにはよく見当のつかなかったことだが、うちは六人の小作人を持っていること、一万六千乃至八千フランの小作料が取れる筈であること、それがやっと半分しか手にはいらないと云うのは殆ど全部が各種の修理や仲介《なかだち》の支払に吸収されてしまうためであること等を、彼は教えてくれた。耕地を検べながら彼の洩らした薄笑いに、わたしはやがて、自分の土地の運転が初め信じていた如くまたボカアジュの仄めかした如く申分のないものであるかどうか、疑わしくなった。わたしはこの点に就いてシャルルの話を進めさせた。ボカアジュにあってはわたしを逆《のぼせ》あがらせたこの実用の才は、この子供にあってはわたしを喜ばせることができた。我々は日に日に我々の散歩を続けた。地所は広かった。隅々まで探りつくしてしまうと、我々はまたもっと組織的にそれをやり直した。手入れの悪い畑や、金雀枝《えにしだ》、薊《あざみ》、蓬《よもぎ》の類が生い茂った空地が眼にはいると、シャルルは憤懣の色をわたしに隠さなかった。彼の休田に対する憎悪の念につりこまれて、わたしも共にもっと整った耕地のことを想像に描いた。
「だが」とわたしはまず彼に云った。「手入れをいい加減にしておけば誰が苦しむことになるのだ。小作人だけじゃないか、小作地の収益《みいり》が変っても、小作料の額を変じはしないからな。」
すると、シャルルは少し苛立った。「檀那《だんな》は何も御存じないんだ。」と彼は押し切って答えた。――わたしはすぐに微笑した。「檀那は上高《あがり》のことばかり考えて、資本《もと》の傷むことにお気がつかないんだ。檀那の土地は、耕し方が足りないと、だんだん値打がなくなって行くんです。」
「土地の耕し方をもっとよくすれば収益《みいり》が殖えるにしても、おれは小作人がそれに力を入れるかどうかと思う。できるだけ多く収穫《とりいれ》をしないほど利にうといわけでもあるまいからね。」
「檀那は」とシャルルが続けて云った。「手間の殖えることを勘定に入れないんです。この土地は往々小作地とはずっと隔りがあります。耕したところで、殆ど何の利益も上りますまい。が、それにしても、地質を傷めることはないでしょう……」
こんな会話が続いた。ときどき一時間も、畑を駆け巡りながら、我々は同じことを繰り返しているような気がした。しかし、わたしはよく聴いては少しずつ頭に畳みこんだ。
「結局、それはおまえの親父《おやじ》の仕事じゃないか。」とわたしは或日堪りかねて云った。シャルルは少し顔を赤らめた。
「うちの父は年をとっています。」と彼が云った。「賃貸の履行や、建物の手入や、小作料をうまく取り立てることに気を遣うだけで、もう大した仕事なのです。ここで、改良を行うのは父の役目ではありません。」
「どんな改良をしようと云うのだい、おまえは?」とわたしは続けて云った。すると、彼はそんなことには通じていないと云って逃げてしまった。何度も強《た》ってと問いつめて、わたしはやっと彼の口を開かせた。
「耕さないで抛《ほ》っておく土地をすっかり小作人から取り上げてしまうことです。」と遂に彼は勧めた。「もし小作人たちが畑の一部を休田にしておくならば、それは全部では檀那に支払をしてもなお余りがあると云う証拠です。また、もし向うがどこまでもすっかり取って置きたいと云うならば、小作料の額を上げてやるがいいんです。――この土地の連中はみんな怠け者ですよ。」と彼は云い足した。
自分の所有にかかる六つの小作地のうち、わたしが一番好んで出かけたのは、ラ・モリニエルを見下す丘の上にあるやつだった。人はそれをラ・ヴァルトリイと呼んでいた。そこに住んでいた小作人も、気持の悪い男ではなかった。わたしは快く言葉を交した。もっとラ・モリニエルに近く、≪お城の畑≫と云われた小作地は、折半農法に依って半分だけ貸してあった。それがために、ボカアジュは、留守の持主の代りとして、家畜の一部を所有していた。不信の念の兆《きざ》した今では、あの律気なボカアジュでさえ、わたしを、自分は欺さないまでも多くの人たちの欺され者にしておくのではあるまいかと疑わしくなって来た。全くのところ、一棟の厩《うまや》と牛小舎とがわたしのために取ってあった。しかし、間もなくそれは小作人の牝牛と馬をわたしの燕麦と乾草で養わせるための結構としか思われなくなった。これまで、わたしはボカアジュが時おりそのことでどんな途方もない知らせを持って来ても鷹揚に聴いておいた。斃死《へいし》、不具、病気、わたしは何でも受け容れておいた。小作人の牝牛が病気になればすぐそれがわたしの牝牛になったにしても、わたしはまだそんなことがあろうと考えたこともなかった。それから、同じく、わたしの牝牛がよく育てばすぐそれが小作人の牝牛になったにしても。しかるに、シャルルの不用意に洩らした注意や、わたし自身の観察は、わたしの眼を開けてくれた。そこで、わたしの頭は一度活を入れられると急に巡りが速くなった。
マルスリイヌは、わたしの注意に依って、すべての勘定を綿密に検べた。しかし、少しも間違いを指摘することができなかった。ボカアジュの正直さがそこに現われていた。――どうしたらよかろう。――ほっておくこと。――が、少くとも、わたしは今、心穏かならず、あらわに色には出さないが、家畜の様子を監督した。
わたしは四頭の馬と十頭の牝牛を持っていた。それだけでも、十分苦労のたねだった。わたしの四頭の馬のうち、三歳を越しながらいまだに≪二歳駒≫と呼ばれているのが一頭あった。人は当時その仕込みにかかっていた。わたしはそれに興味を惹かれ出した。すると、或る日のこと、人がわたしの所へやって来て、それは全く扱いにくい馬だと云うこと、もうどうにもならないこと、早く片づけてしまうのが上分別だと云うことを申立てた。わたしがそれを疑いでもしたかのように、人はその馬を小さな荷馬車の前面にぶつけて、飛節《ひかがみ》を血まみれにしてしまったのだ。
この日、わたしはやっとのことで自分の平静を保った。わたしを堪えさせたのはボカアジュの当惑だった。要するに彼は悪意があると云うよりも弱気なのだ、とわたしは考えた。罪は雇人等にあるのだ。が、彼等は支配を受けていることを感じないのだ。
わたしは二歳駒の様子を見に庭へ出た。わたしの近づく足音が聞えると、今まで馬を打ち叩いていた一人の雇人はそれを撫で出した。わたしは何も眼にはいらなかったようなふりをした。わたしは馬について大したことは知らなかった。だが、この二歳駒は立派に見えた。それは、恰好のきわ立ってすらりとした、赤鹿毛《あかかげ》の混血馬だった。眼は溌剌として輝き鬣《たてがみ》も尾も金毛をそよがせていた。わたしは馬の怪我をしていないことを確め、その擦傷に包帯をするように云いおいて、一語もつけ加えずその場を去った。
その晩、わたしはシャルルを見ると、彼があの二歳駒のことをどう思っているか知ろうとした。
「たいへんおとなしい馬だと思います。」とシャルルが云った。「が、あの連中はどうしていいか知らないんです。あんなことでは、じゃじゃ馬にしてしまうでしょう。」
「おまえならば、どうするね。」
「八日の間おまかせ下さいませんか。きっと請合です。」
「で、何をするのだ。」
「まあ、見ていらっしゃい……」
明くる日、シャルルは、亭々とした一本の胡桃樹《くるみ》の木陰にあって周囲に川が流れている牧場の一隅に、二歳駒を引いて行った。わたしはマルスリイヌを伴れてそこへ出かけた。それは、最もあざやかなわたしの思出の一つである。シャルルは、数メエトルの綱で、しっかり地面に打ち込んである一本の杭に二歳駒をつないでおいた。勢張り切った二歳駒は、暫くは猛り立って暴れたらしかったが、今はもう疲れて、おとなしくなって、ずっと穏かに円を描いてぐるぐる廻っていた。その足並は驚くほどしなやかで、見るも心持よく踊のように人を惹きつけた。シャルルは、円の中心にあって、一廻り毎にひょいひょい飛び上って綱を避けながら、言葉で馬を激させたり、すかしたりした。彼は手に大きな鞭を持っていた。が、わたしはそれを使うところを見なかった。彼の態度なり挙動なりすべてに青春と歓喜が溢れて、それがこの仕事に熱のこもった美しい愉楽の相を与えていた。突然、どうしたものか、彼は馬に跨った。馬はだんだん歩度を緩めて、止っていたのだ。彼はしばしばそれを撫でていたと見る間に、忽ち馬上に乗り移ってしまったのだ。彼は落ち着きはらって軽く鬣を握り、笑いながら身を屈めて愛撫の手を伸ばしていた。二歳駒はちょっと跳ね上ったばかりで、すぐ平らな、美しい、軽々とした足並に復した。わたしはシャルルが羨しくなって、それを彼に云った。
「もう四五日も馴らせば、鞍にくすぐったがらなくなりましょう。二週間たてば、奥さんでもお乗りになれます。小羊のようにおとなしくなりますよ。」
それは本当だった。数日の後、馬は撫でるにも、装具をするにも、御するにも、疑わずに人の自由になった。マルスリイヌでさえ、もしその体工合がこの稽古を許したならば、乗って見るところだった。
「檀那が一つおやりになるといいなあ。」とシャルルがわたしに云った。
わたし独りではとてもやらなかったかも知れぬ。が、シャルルは自分も他の農園の馬に鞍を置いて行こうと云い出した。彼と一緒に行くことのたのしさに、わたしもその気になった。
わたしは、子供の時、母に調馬場へ連れて行ってもらうのがどんなに嬉しかったであろう。この初めての稽古のかすかな思出が役に立った。わたしは馬に乗ってもそう慌てなかった。じきに、わたしは少しもびくびくしないで楽々と乗りこなした。シャルルの乗っていた馬は、もっと鈍で種族《ちすじ》も知れなかったが、見たところは悪くなかった。それに、シャルルの乗方も上手だった。我々は毎日少しずつ外出する習慣を取った。とりわけ、露清らかな草を踏んで、朝早く出かけた。我々は森のはずれまで行った。榛の木立を過ぎれば、きらきらと雫は揺ぎ、我々の体をぐっしょり濡らした。行手の空が急に開けた。それはひろびろとしたオオジュの谿谷だった。遥かに、海が偲ばれた。我々はおりずに暫く佇んだ。上る陽《ひ》は靄を彩って四方に撒き散らした。そこで、我々は駈足で立ち返った。そして、農園のほとりにしばし馬を止めた。耕作はやっと始まったところだった。我々は耕人に先立ってこれを支配する誇らしい悦びを味った。それから、ふいと我々はそこを離れた。わたしはラ・モリニエルに戻った。ちょうどマルスリイヌの起き出でる時刻に。
こうして帰って来た我身は、空気に酔い、速さに眩《くらめ》いて、四肢は快い疲労に萎《な》え疲れ、心は健康と欲望と清涼に満ちていた。マルスリイヌはわたしの気まぐれを喜んで励ましてくれた。戻って来ると、まだ脚絆を着けたままで、わたしは彼女がわたしを待ちながらもじもじしていた寝床のほうへ露草の匂を伝えた。それが彼女の気に入ったと云うことだった。そして、彼女はわたしの話を聴いた。遠乗、田野の検分、耕作の始まり……彼女は、生きることと同じく、わたしが生きているのを感じることに悦びを味ったらしかった。――やがて、この悦びをわたしもまた濫用した。我々の散歩は長くなって、ときどき正午頃にならなければ帰って来ないこともあった。
しかし、わたしは、わたしの講義の準備のために、できるだけ一日の終と晩とを取って置くようにした。わたしの研究は進んで行った。わたしは満足だった。そして、後にわたしの講義を本に纏めることも不可能とは考えられなかった。一種の自然反応に依って、わたしの生活に秩序と規律が立ちそれが身辺の一切に及ぼされて行く間に、一方わたしはゴオト人の古めかしい道徳に次第に心を惹かれ出した。そして、講義の中で、後にしたたか非難を受けはしたが、大胆にも未開状態を称揚しその弁疏《べんそ》に努めるかたわら、わたしは身の廻りにも心の内にもその状態を偲ばせるようなすべてのものを禁止しないまでも統制しようとしきりに骨を折った。この聡明、でなければ、この風狂を、どこまでわたしは押し進めなかったことか。
わたしの小作人のうち二人は、賃貸契約がクリスマスにて満了となるについて、その更新を望んでわたしに会いに来た。それは慣例通り≪賃貸契約書≫と称する書附に署名することだった。シャルルの保証に気が強くなり、その毎日の対談に励まされて、わたしは肚を据えて小作人の来るのを待っていた。彼等は、小作人の掛替が難しいのを頼みに、まず地代の低減を要求した。それだけに、わたしが自分で作っておいた≪契約書≫を読んで聞かせた時、彼等の驚きは大きかった。その内容は、小作料の価格引下を拒絶するばかりでなく、少しも使用されていないと認めるところの土地の一部を彼等から取上げることにあった。彼等は最初それを、冗談だ、わたしがふざけているのだと云うふうに取った。わたしがこの土地を取って何をしようと云うのだ。それは値打のない土地なのだ。彼等がそれをどうもしなかったのは、全くどうにもしようがなかったからなのだ……で、わたしがまじめなのを見て、彼等は頑として聴かなかった。わたしの方でも頑として刎《は》ねつけた。彼等は出て行くと云っておどせば、わたしが驚くかと思った。わたしには次の返事があるばかりだった。
「よし、出て行きたければ出て行くさ。引き留めはしないから。」とわたしは彼等に云った。わたしは賃貸契約書を取り上げて、彼等の眼の前で破いてしまった。
そこで、わたしは百エクタル余りを腕に抱え込むことになった。暫く前から既に、わたしはその最高管理をボカアジュに委ねるつもりでいた。そうすれば、間接にそれをシャルルに与えることになると思った。わたしはまた自分でそのためにうんと働いて見たかった。わたしは前後を考えなかった。経営の危険そのものに心を惹かれた。小作人はクリスマスにならなければ立ち退かなかった。それまでの間に、我々は思い返すことができるわけだった。わたしは前以てシャルルに話をした。彼の喜びを見ると忽ち不愉快になった。彼はそれを隠すことができなかった。それだけなお、彼の若さが非常に大きくはっきり感じられた。時機はもう迫っていた。今、一年のうち、最初の収穫が最初の耕作のために田畑を空けておくこの時期に際していた。定めの慣例《しきたり》に依って、出て行く小作人と新らしくはいって来る者との労役は二つながら並んで行われ、前者は刈入れが済むとすぐに一つ一つその持分を放棄することになっていた。わたしは、一種の復讐のように、暇をやった二人の小作人の怨みを怖れていた。ところが反対に、彼等は全くわたしの歓心を買おうとするような様子をして来た。(そうするのが彼等の得策だったことを、後になってやっと知った。)わたしはそれに附け込んで、やがてわたしの手に戻るべき彼等の土地の上を朝に晩に駆け巡った。それは秋の初めだった。耕作や種おろしを急がすために、もっとたくさんの人の狩出しをしなければならなかった。唐鋤《からすき》やロオラアや犁《すき》も買い込んでおいた。わたしは馬で見廻りに出て、耕作の監督や指図をした。自分で命令したり支配したりするのが楽しみだった。
一方、近所の草原で、小作人たちは林檎の取入れをした。林檎は、どの年にもなかったような豊作で、地に落ちて深い叢にころげ入った。とても人手が足りなかった。隣村からも連れて来た。八日間だけ狩り集めて来たのだ。シャルルやわたしも、ときどき面白がって手伝いをした。或る者は枝をたたいて晩成《おそなり》の実を打ち落した。片方では、熟《う》れ過ぎてひとりでに落ちた実を拾っていた。丈高い草の中で潰されひしがれたものもあった。それを踏みつけずには歩けなかったのだ。草原からは、甘ずっぱいような匂が立ち上り、それが耕地の匂にまじった。
秋は更けて行った。名残の美しい日の朝こそ、この上もなく爽かに澄みわたる。時には、大気の潤いが遠景を青く染め、これをさらに後へ退《すさ》らせて、散歩を旅行にさせてしまった。この土地一帯が闊くなったように思われた。時には反対に、空気が常になく透き徹って、彼方の空をずっと近くに見せた。翅を一はたきすれば手が届きそうだった。この二つのうち、いずれが勝《まさ》って秋のあわれをそそったものであろうか。わたしの研究は殆ど完了されていた。少くとも、わたしはもっと気晴らしをするためにそう云っていた。わたしが農園で過さない時間は、いつもマルスリイヌの傍で過した。一緒に我々は庭へ出た。彼女はぐったりとわたしの胸に凭れて、二人ともゆっくり歩いた。そして、ベンチに腰かけに行った。そこは、夕になれば光の満ちわたる谷を見下していた。彼女はやさしくわたしの肩によりかかった。こうして我々は、昼が身ぶりも言葉もなく我々のうちに溶け入るのを感じながら、夕方までじっとしていた……我々の愛はどれだけ沈黙に包まれたことであろう。つまり、マルスリイヌの愛はもうそれを云い現わす言葉よりも強くなっていて、わたしは時々この愛に殆ど悩まされるほどだった。風のそよぎが時に静な水を波立たせるように、ごく軽い感動も彼女の額にそれと読まれるのだ。彼女のうちに、神秘的に、彼女は新らしい生命のおののくのを聴いた。例えば、どんなに遠くに見ても愛しか見えないような深い清らかな水をのぞきこむが如く、わたしは彼女のうえに身を屈めた。ああ、これもまた幸福であるならば、わたしはそれをここに留めようと思ったのだ。ちょうど手を結んで無益にも逃げ行く水を留めようとする如く。しかし既に、わたしは幸福の傍に、幸福とは違った或るものを感じていた。それは、わたしの愛に彩色《いろどり》、但秋のような彩色《いろどり》を添えたのだ。
秋は更けて行った。朝毎に露は繁くなり、森のほとりの下草はもう乾かなくなった。ほのかな黎明《よあけ》には、それは真白だった。家鴨は、雨溝の水の上に、翅をはたいていた。それがいつも荒々しく立ち騒いだ。時には、翅を擡《もた》げて、大きな鳴声と共にばたばたと飛び上り、ラ・モリニエルをぐるりと一廻りした。或る朝、もうそれが見えなくなった。ボカアジュが閉じ籠めてしまったのだ。シャルルの話に依れば、毎年の秋、移住の季節になると家鴨はこうして閉じ籠められてしまうのだ。それから幾日もたたないで、天気が変った。或る晩、突然、力強い、ばらばらに割れない、海の息吹《いぶき》でもあろうか、一吹きさっとやって来て、それが北風と雨とを招《よ》び寄せ、渡鳥をさらって行ってしまった。前から、マルスリイヌの容態、新居の気遣い、さてはわたしの講義の心配などで、我々は町へ呼び戻されるところだった。そこへ、早くも始まった悪い時候が我々をおい立てた。
全くのところ、農園の仕事の関係から、わたしは十一月には立ち返らなければならなかった。わたしは冬に向ってのボカアジュの手配を聞いて、非常に怨めしく思ったのだ。彼はシャルルを元の模範農園へ戻したいと申し出た。そこでシャルルはまだかなり仕込まれることがある、と云うわけだった。わたしはいろいろな口実を見つけて長々と話をしたが、彼を説き伏せることはできなかった。やっと彼は、シャルルがもう少し早く帰って来られるように、この修業をやや短くすることを承知した。ボカアジュは、二つの農園の経営にはかなりの骨折がいると云うことを、わたしに隠さなかった。しかし、彼は、自分の支配下に置くつもりでいた非常に確かな二人の百姓に、眼を着けていると云った。それは、小作人のようにも、折半小作人《メテイエ》のようにも、下男のようにもなる筈だった。これはこの土地では新らしいことなので、うまく行くかどうかは彼にも見当がつかなかった。しかし、これもわたしの望み故だと、彼は云うのだ。――この話は十月の末頃起ったことだった。十一月の初めには、我々はパリに落ち着いていた。
二
我々の落ち着いた場所はパシイの傍のS街だった。マルスリイヌの兄弟の一人が我々のために指定してくれた部屋は、我々が最後にパリを通過した時立ち寄ったことのあるところだが、わたしの父が残して行ってくれた部屋にくらべるとずっと大きかった。で、マルスリイヌは、部屋代が高いと云う点ばかりでなく、我々がずるずるに引き込まれて行きそうな数々の出費に、少し心配し出した。彼女の懸念に対してはすべて、わたしは人の作りなす≪仮≫の畏力を楯にした。自分自身にもしいてそれを信じさせようとして、わざと誇張して云った。確かに、住居定めの雑費は今年うちの収入の上を超えるかも知れなかった。だが、前から大きなうちの身上《しんしよう》はもっと大きくなる筈だった。それに就いて、わたしはわたしの講義、著書の出版、それから何とばかげたことか! わたしの農園の新らしい収益をさえ当てにしていた。で、わたしはどんな出費にも躊躇しなかった。出費のある度毎に、それだけ自分に結縁が増すのだと心に云った。それと共に、自分の感じ得る、もしくは我身のうちに感ずる惧れのある一切の浮浪気分を抑えつけようと思いなした。
初めのうち、朝から晩まで、我々の時間は町歩きに過ごされた。そして、マルスリイヌの兄弟がたいへん親切に終いには我々に代っていろいろ使いをしてくれたけれども、マルスリイヌは間もなく非常にぐったりしてしまった。それから、恐らく休養が必要だったにも拘らず、彼女は家を持つとすぐに訪問に次ぐ訪問を受けなければならなかった。これまで世間から遠ざかった暮しをしていただけに、今になって、訪問がどっと押し寄せて来たのだ。交際馴れないマルスリイヌは、それを短かく切り上げるすべも知らず、そうかと云って、戸口を締め切ることもできなかった。わたしは晩方になるとすっかり弱りはてた彼女を見出すのだ。――で、わたしは疲労の原因が知れ切っているので別にそれを苦にしなかったとは云え、少くとも、嫌々ながら彼女に代って度々訪問を受けたり、また時に依るとなお嫌々ながら訪問を返したりして、その疲労を減らそうと努めた。
わたしは決して上手な話し手ではなかった。浮わついたサロン気質が、どうもわたしには我慢のならないものだった。しかし、以前は、そんな場所にも出入したことが無いではなかった。――が、その時代も遠く過ぎ去ったものかな。一体その後どうしたと云うのか。わたしは他の人の傍にいると、ぼんやりと寂しい情ない思いがして、自他共に窮屈なものになってしまうのだ……不思議なくらい折悪しく、掛替のないわたしの本当の友達だと思っていた君たちはパリを留守にして、当分帰らないことになっていた。わたしは君たちにもっとよく話をすることができたであろうか。恐らく、君たちは、わたし自身よりもよくわたしを理解してくれたであろうか。だが、わたしのうちにあって大きくなって行ったもの、そして、今日わたしが君たちに物語るもののすべてに就いて、わたしは何を知っていたのか。将来は全く確かなもののように思われた。そして、この時ほどわたしは自ら将来を掴み得たと信じたことはなかった。
また、わたしがもっと眼先が見えていたにしても、君たちも知っており且わたしと同じ見極めをつけているところのユベエル、ディディエ、モオリスその他某々の徒が、我が身に対して何の頼みになり得たであろう。わたしは早くも、ああ! 自分を彼等に解らせることの不可能なのを察した。お互いの最初の対談の時から、わたしは彼等に依って無理に贋の役を勤めさせられているような、彼等が元のわたしだと信じているところの人格に似せなければならないような、もしそうしなければ気取っていると思われそうな感じがした。で、便宜上、わたしは人がわたしに附与する思想と趣味とを持っているようなふりをした。人は同時に誠を持ち且誠を持っているらしく見えることはできぬ。
わたしは、やや心進んで、我党の人々なる考古学者や博言学者と再会した。が、彼等と話をすることに、よき歴史辞典を繙《ひもと》く以上の興味と感銘とを見出すことはできなかった。最初、わたしは小説家や詩人等のうちに生活に就いてのもう少し直接な理解を見出そうと望んだ。が、彼等はこの理解を持っていたにしろ、全くのところ、それを外へ現わさないのだ。大部分が生きているのではなく、生きているふうをすることを以て足れりとして、ややもすれば書くことを妨げる厄介物のように生活を見做そうとするものの如く、わたしには思われた。と云ってまた彼等を責めることはできなかった。わたしは誤謬《ごびゆう》の元が自分になかったとは断言しない……一体、わたしは生きると云うことをどう解釈していたのか。――これこそまさしく人に教えてもらいたいと思ったことだ。――甲も乙も生活の雑件については巧みに話をするが、その動機を成すものには決してふれることがなかったのだ。
わたしの参考になってくれる筈の哲学者たちはと云えば、わたしはずっと以前から彼等に何を期待すべきかを知っていた。数理派でも新批判派でも、彼等は煩わしい現実からはできるだけ遠ざかろうとして、代数学者がおのれの計算する量の存在に対するように、殆どそれを気に留めなかった。
マルスリイヌの傍に帰ると、わたしはこう云う附合から生ずる倦怠を彼女に隠しはしなかった。
「あの連中はみんな同じようだ。」とわたしは彼女に云った。「めいめいが二重の用をしている。その中の一人に話しかけると、おおぜいに話しかけているような気がするよ。」
「でも、あなた」とマルスリイヌが答えた。「一人一人に向って、ほかのすべての人と違うようにしろと仰しゃっても、それは御無理ですわ。」
「あの連中がお互いに似れば似るほど、おれとは違ったものになってしまうんだ。」
それから、わたしはまたもっと寂しくこう云った。
「誰も病気になると云うことを知らなかったのだ。彼等は生きている。生きているふうをしている。そして、生きているのを知らないようなふうをしている。それに、おれはと云うと、おれは彼等の傍にいるともう生きていなくなるのだ。この日頃、分けても今日、おれは一体何をしたのだ。おれは九時からおまえの傍を離れなければならなかった。外に出る前にようやっと、少しばかり本を読む時間があった。それが一日の中でたった一度のいい時刻なのだ。おまえの兄弟は公証人の家《うち》でおれを待っていた。そして、公証人が済んでも放してくれなかった。おれは一緒に絨毯《じゆうたん》屋へ行かなければならなかった。それから、厄介にも唐木細工屋へ行った。ガストンの家へ行って、初めて別れることができたのだ。おれはフィリップと町で会食した。それから、カフェで待っていたルイに会った。そして一緒にテオドオルのばかげた講義を聴いた。しかも、出る時におれは褒めてやったものだ。それが済むと、彼の日曜日の招待を断るために、連れ立ってアルテュルの家へ行った。今度は、アルテュルと一緒に水彩画の展覧会を見に行った。それから、アルベルティヌとジュリイの所へ名刺を置きに行った……ぐったりしておれは帰って来る。すると、おまえもまたおれと同じように、アドリイヌやマルトやジャンヌやソフィたちに会って、疲れ切っている……こうして、今、晩になって、昼間の仕事を残らず思い返してみると、おれはおれの一日の全く空しかったことを感じる。それはまるで空《から》っぽのような気がする。おれはその飛んで行くところを掴み戻して、一時間一時間やり直したいと思うくらいだ。おれは涙の出るほど悲しくなる。」
しかし、自分が≪生きると云うこと≫をどう解釈していたか、また、もっとひろびろとして風通しよく束縛が無くて他人に気がねの要らない生活へ向おうとする自分の好尚こそ、この我身のぎごちなさのごく簡単な秘密ではなかったかと云うことに就いて、わたしは答うるすべを知らなかったであろう。この秘密は、わたしには、もっと不可思議なものに見えた。蘇生者の秘密だ、とわたしは考えていた。それと云うのも、わたしがちょうど死人の国から戻って来た男とでも云ったように人々の間に立ちまじってはいつも異人《よそびと》であったからだ。で、最初はかなり悼《いた》ましい混乱だけしか感じられなかった。しかし間もなく、非常に清新な感情がそこに開けて来た。わたしは、あれほど称讃を蒙った研究を発表した時、本当に少しの誇も感じなかった。今にして思えば、あれが誇と云うものであろうか。或はそうかも知れぬ。が少くとも、毛ほどの自負心もそこにまじってはいなかったのだ。こうして、初めて、わたしは自己の真価を知覚するに至った。わたしを他の人々から離し別けていたものこそ、肝腎ではあったのだ。わたしよりほかに誰もが云いもせず云うこともできなかったものこそ、わたしの云わなければならないことなのだ。
わたしの講義は次いですぐ始まった。主題に心を惹かれて、わたしは新らしい熱情を挙げてわたしの最初の学課に吹き込んだ。終極のラテン文明にふれて、わたしは分泌作用に倣い、民衆とすれすれに上るところの芸術的文化を説明した。それは初めのうちこそ多血性の兆として健康の過多を示すものながら、やがて忽ち凝り固って、精神と自然との完全な接触に逆らい、強固らしい生のうわべの下に生の減少を隠し、沮《はば》まれた精神が悩み衰えて果ては死ぬるところの外鞘《から》を作るに至るのだ。最後に、わたしの考え方を押し進めて、わたしは文化こそ生より出でて生を殺すものであると論及した。
歴史家は推論の速断に失する傾向があると称して非難した。他の者はわたしの方法を非難した。そして、わたしを讃めた者はわたしを解することの最も少なかった人々だった。
この講義を終えた時、わたしは初めてメナルクに再会した。わたしは従来彼と頻繁な附合をしたことはなかった。わたしの結婚の少し前に、彼はまた例の遠い探険旅行に出かけてしまった。こうして一年以上も会わないことは珍らしくなかった。昔は、彼はあまりわたしの気に入らなかった。つんとすました様子で、わたしの生活とは没交渉だった。で、わたしはわたしの最初の講義に彼の姿を見つけて、意外に思った。初めわたしを遠ざけた傲岸さも、うれしかった。此方を向いてにっこりした彼の微笑も、めったになかったことだけに懐しかった。最近、或るおろかしい破廉恥の訴訟事件が彼の名を汚す好機会を新聞に与えた。彼の軽蔑と優越とを快く思っていなかった連中は、この機を捕えて復讐の手段とした。しかも、彼等を最も苛立たせたのは、彼がそんなことを意に介さないふうをしていることだった。「やつらの理窟に花を持たせておくことさ。それがほかには何も持っていないと云うことの慰めになるからな。」と云って彼は非難に応えた。
しかし≪よい社会≫は激昂した。いわゆる≪自重する≫人々は、彼を避けて、彼の侮蔑に報いるに侮蔑を以てしなければならないと思った。それがわたしにとってまた一つの理由になった。眼に見えない力に依って彼の方へ惹きつけられ、わたしは傍へ寄って皆の前で親しげに彼に接吻した。
わたしの話相手が何者であるかを見ると、しまいまで残っていたうるさい連中も引きさがってしまった。わたしはメナルクと二人きりになった。
貶《けな》し方や褒め方の急所を外れた点はありながら、わたしの講義に就いて云った二三の彼の言葉は我が意を安めるものがあった。
「君は君の我が仏と崇《あが》めたものを焚いている。」と彼が云った。「それはいいことだ。君のここに出でたのは早いとは云えない。が、それだけにまた炎に勢がついている。僕には君がよく解っているかどうか自分ながらまだ知らない。君は僕に頭を使わせるよ。僕は話をすることをあまり好まない。だが君とは話したいと思う。きょうの晩、僕と一緒に食事をしないか。」
「メナルク」とわたしは彼に答えた。「君は僕が結婚したことを忘れているようだね。」
「そうだ本当に」と彼が云った。「心から率直に話しかけてくれたので、僕は君がもっと自由な体なのかと思ったよ。」
わたしは彼の気を損ねはしなかったかと思った。それからなお、弱みを見せてはならないと思った。そこで、晩餐が済んだらばまた会おうと云ってやった。
パリでは、いつも落ち着いた例《ためし》がなく、メナルクはホテルに泊っていた。彼はこの滞在のためにいくつもの部屋を借切にして取っておかせた。彼はそこに召使を置いて、自分は別に食事をし別に暮していた。そして、壁や家具の俗なのが見苦しいと云って、その上に高価な布を張ってしまった。それはネパルから持ち帰っては来たものの、陳列館へ出す前にすっかり汚してしまったのだと云うことだ。わたしがあまり急いで会いに行ったので、はいった時には、彼はまだ食卓に着いているところだった。で、食事の邪魔をした云いわけをすると、
「なあに」と彼はわたしに云った。「中途で止めはしないし、第一、君だってしまいまで待っていてくれるだろう。君が食事に来たのなら、ハフィスの歌ったあのシラズの酒を注ぐところだが、今じゃもう遅い。あれを飲むにはお腹をすかしておかなければいけないのだ。まあリキュウルでも飲まないか。」
わたしは、彼も飲むことと思ったので、うんと云った。が、グラスを一つしか持って来ないのを見て、わたしは不思議に思った。
「失敬だが」と彼が云った。「僕はちっとも飲まないんだ。」
「酔ってはいけないとでも云うのか。」
「おお」と彼は答えた。「どうして! 僕はしらふのほうが一段強い陶酔だと思う。しらふじゃ僕は本性を失わない。」
「それなのに、君は人に飲ませようとするのだね……」
彼は微笑した。
「僕の徳をすべての人に望むことはできない。」と彼が云った。「人々のうちに僕の不徳を見つけなければ、それがもう大したことなんだ……」
「でも、煙草は吸うだろう。」
「同じくさ。それは個性を没した消極的の陶酔だ。あまりにたわいがなさ過ぎる。僕は陶酔のうちに高調を求める。生の減少を求めるのじゃない。――こんな話はもうやめよう。君は僕がどこから来たか知ってるか。――ビスクラから来たのだ。――君の立ち寄ったついあとだと云うことを知ったので、君の足跡を捜そうと思ったのだ。あの盲滅法の学者先生、あの読書家が、一体何だってビスクラへやって来たのだ?――僕の控え目にするのは、人の打明話にかかわることだけだ。自分で知る事柄にかけては、僕の好奇心は全くのところ際限がない。で、僕はできるだけ方々で尋ね、探し、調べてみた。僕の無遠慮もとんだ役に立った。と云うのは、そのおかげで、もう一度君に会いたいと云う念が起ったからだ。元の株守学者の旧態を脱した今の君に会えるに違いないと云うことが、解ったからだ……その今の君が何であるかは、今度は君の説明してくれる番だよ。」
わたしは顔が赧《あか》くなるのを感じた。
「一体、君は僕に就いてどんな事を知ったんだ、メナルク。」
「それが聞きたいと云うのか。だが、心配は無用だよ。僕は誰に向っても君の話ができないのだ。お互いの友だちを知っている君には、その察しがつくだろう。君の講義が理解されたかどうかはわかったろうね。」
「だが」とわたしは少し急《せ》きこんで云った。「ほかの人以上に君に話しかけることのできると云うわけが、僕にはまだはっきりしない。さあ、君は僕に就いてどんなことを知ったと云うんだ。」
「まず、君が病気だと云うことをね。」
「しかし、それは少しも……」
「おお、それが既に肝腎なことじゃないか。それから、君が本も持たずに好んで独り外へ出かけると云うことを聞いた。(これが僕の感心し出した初めだ。)それから、君が独りでない時には、奥さんよりも子供たちの伴《つれ》を好んだそうだね……顔を赤くしてはいけない。そうでなければ、あとを話すのをよすよ。」
「僕の方を見ないで話をしたまえ。」
「子供たちの一人で――たしかモクティルと云う名まえだった――珍らしく美しい、しかも、並びのない嘘つきで手癖の悪い奴が、たくさん話のたねを持っていそうに見えた。僕はそいつを引きこんで信用を買った。これは、君、容易なことじゃないよ。もう嘘をつかないと云いながら嘘をつきかねない奴だったからね……この子供のした君の話なるものが、本当だかどうだか、まあ聞かしてくれたまえ。」
メナルクはこう云いながら立ち上って、抽出《ひきだし》から小さな筥《はこ》を取り出してその蓋を開いた。
「この鋏は君のだったのかい。」と云って、彼は錆びついて折れ曲った異様なものをわたしにさし出した。が、わたしはすぐそこに、モクティルにごまかされたあの小鋏を認めることができた。
「うん、それは家内のものだ、いや、ものだったんだ。」
「あいつは、或る日君と二人きりで部屋にいた時、君がよそを向いていた隙に、これを取ったのだと云う。が、面白いのはそこじゃない。あいつは、これを外套の中に隠した瞬間、君が鏡の裡で見張っていたことを悟り、君の眼の影が自分に向けられていたことに気がついたと云う。君はどろぼうを見たのだ。そして、君は何とも云わなかったのだ。モクティルは、この沈黙に、非常に驚いたふうをしていた……僕だってそうだ。」
「僕も、君の話を聞くと驚かずにはいられない。何だ! じゃ、あいつ、僕が見つけたことを知ってたんだな。」
「それは肝腎なことじゃない。君はなかなか心にくい駈引をやった。が、この勝負にかけては、我々はいつも子供にしてやられるよ。君はあいつを抑えたと思っていた。実はあいつが君を抑えていたのだ……それは肝腎なことじゃない。君の黙っていたわけを聞かしてくれ。」
「此方が説明してもらいたいくらいだ。」
我々は暫く口をきかずにいた。メナルクは部屋中をぐるぐる歩き廻りながら、うっかり巻煙草に火をつけたが、すぐさまそれを投げ捨てた。
「或る≪感≫が、謂うところの或る≪感≫が、君には欠けているように思われるね、ミシェル。」と彼がまた云った。
「≪道徳感≫と云うやつだろう、恐らく。」とわたしはしいてほほ笑もうとしながら云った。
「おお、ただの所有感さ。」
「それなら、君自身だってあんまり持っていそうには見えないな。」
「ちっとも持っていないよ。見たまえ、ここには何一つとして僕のものは無いのだ。とりわけ、自分の寝る床さえも。僕は安息が怖ろしい。物を持っているとなお落ち着きがちになり、安泰の中にいるとうっとりしてくる。僕は眼を覚ましたまま生きたいと思うほど生を愛している。で、自分の富の中にあってさえ、この不安定な感じを持ち続けている。これに依って、僕の生を拡大し、また少くとも高調しているのだ。僕は危険が好きだとは云えない。が、乗るか反《そ》るかの生活が好きだ。そこに絶えず僕の勇気、幸福、健康をすっかり打ちこんでしまいたいと思うんだ……」
「では、君は僕に何を咎めるのだ?」とわたしは言葉をはさんだ。
「おお、飛んだ穿き違いだ、ミシェル。また、僕としたことが、ついした機《はず》みに説法を始めるとは、何と云うばかな話だ!……僕が人の可否の評を気に留めないからと云ったところで、ミシェル、自分で可否の判断を下そうと云うわけじゃないよ。そんな言葉は僕には大した意味がないんだ。僕は、今し方、あんまり自分のことをしゃべり過ぎた。解ってもらえると思ったので、つい実《み》がはいったのだ……僕はただ所有感なるものを持っていない人間にとっては、君がたくさん物を持っているように見えると云うことを、云おうと思っただけだ。これは重大なことだ。」
「何を僕はそんなに持っているのかしら。」
「なんにも、君がそんな調子に取るのならね……だが、君は君の講義をひらいているじゃないか。君はノルマンディの地主じゃないか。君はパシイにぜいたくな新居を構えたばかりじゃないか。君は結婚している。子供を待っているんじゃないか。」
「よろしい」とわたしは急《せ》きこんで云った。「それは、単に、僕が僕の生活を君の生活よりも(君の云う通り)≪危険な≫ものになし得たと云うことを証明しているばかりだ。」
「うん、単に。」とメナルクは皮肉に繰り返した。そこで、急にぐるりと向き直って、わたしに手をさし出しながら、
「じゃ、さようなら。きょうの晩はこれでたくさんだ。これよりいい話はもう出まい。またそのうちに。」
わたしはそれから暫く彼に会わずにいた。
またもわたしは骨折や心遣いに追われる身になった。或るイタリヤの学者が、おのれの公表にかかる新らしい文献のあることをわたしに注意してくれた。で、わたしはわたしの講義のために長い間それを研究した。自分の最初の講義のよく理解されなかったことを感じると、次回には別にもっとしっかり説き明したいと云う願いが一きわそそり立てられたのだ。わたしは、これに依って、最初は試みに巧妙な仮説として提示したに過ぎなかったものを定説として樹てるに至った。世の多くの断定論者が、半語を以ては理解されなかったと云うこの機会に、いかばかりその力を負うことであろう。わたしとしては、全くのところ、固く執って動かない力と自然に断定へ導く力とがどのくらいにまじり合っていたものか、見分けることができぬ。わたしの新らしく云わなければならなかったことは、それを云い且特に解らせるに苦しんだだけ、なおさら退引《のつぴき》ならないものに思われた。
さりながら、行為のかたわらに来ては、言葉の色の、ああ、褪《あ》せ行くことよ。実《まこと》の生活にあっては、メナルクのかりそめの挙動《そぶり》さえわたしの講義よりも遥かに雄弁ではなかったか。ああ、古の大哲の道義の訓《おしえ》が言葉と共にまた言葉以上に実例を以て示されたことを、わたしはこの時よりいみじくも悟り得たのだ!
わたしがまたメナルクに会ったのは、我々の最初の出会からおよそ三週間の後、わたしのうちでのことだった。それは客の多過ぎる集りがもう終ろうとする時だった。毎日の混雑を避けるために、マルスリイヌとわたしとは木曜日の午後すっかり門戸を開放することにした。こうして、他の日には楽々と門を閉めておこうと云うわけだった。そこで、毎木曜日に我々の友人と自称する連中が押しかけて来た。うちの客間はかなり広かったので、彼等をおおぜい招じ入れることができた。こうして、集りは非常に長びいて夜に入るのだ。わたしはマルスリイヌのしとやかな愛嬌と彼等どうし語り合う楽しさとが特に彼等を惹き寄せたのだと思う。と云うのは、わたしとしては、この夕の集りの第二回目から、もう聴くことも云うこともなくなって退屈を隠しおおせなくなったからだ。わたしは喫烟室から客間へ、玄関から書斎へ、時々言葉に呼び留められつつ、碌に眼もくれず、ただ何と云うことなしに眺めながら、あちこち歩いていた。
アントアンヌとエティエンヌとゴトフロアとは、わたしの妻の柔い安楽椅子の上にころがって議会の最近の決議を論じていた。ユベエルとルイとは、わたしの父の蒐集にかかるみごとな銅画版を不注意に手に取って皺をつけていた。喫烟室では、マティアスがレオナアルの話をよく聴こうとして、ロオズウッドの机の上に火のついた葉巻を置いたままにしていた。キュラソオが一杯絨毯の上に零《こぼ》れていた。アルベエルの泥だらけの足が無作法にも長椅子の上に投げ出されて、織布《きれ》を汚していた。そして、ここに呼吸する塵埃は怖ろしい物の損傷《いたみ》から出て来るのだ……わたしは来客をみな肩を掴んで突き出してやりたいような烈しい気持に襲われた。家具も織布も版画も、少しでも汚れがつけば、わたしにとっては全く価値を失ってしまうのだ。汚れのついたものは病気に取りつかれ死の刻印を押されたようなものだ。わたしはすべてを庇《かば》い、我身独りのためだけにみな鍵を掛けておきたいとまで思ったことだ。何も持っていないメナルクはどんなに仕合せだろう、とわたしは考えた。わたしが苦しむのは、物を保《と》っておこうとするからなのだ。そんなものはみな、とどのつまり、わたしに何の要があるのだ?……――錫泥裏《うら》無しの鏡に隔てられた、うす明るい小部屋に、マルスリイヌはただ数人の親しい友だちとばかり応接していた。彼女は椅子蒲団の上に半ば体を伸ばしていた。その面《おもて》は怖ろしいほど蒼ざめ、すっかり疲れきっているように見えた。わたしは一目見るよりぞっとして、こんな招待は今日限りにしようと思い定めたくらいだった。もうだいぶ遅くなっていた。わたしは時計を出して時間を見ようとした。その時、胴着のかくしの中でモクティルの小鋏が手先にふれた。
「一体、あいつは、何だってこんなものを盗んだのだ。じきに悪くして壊してしまうくらいなら。」――そのとたんに、誰かがわたしの肩を叩いた。わたしは急に振り返った。それはメナルクだった。
彼は、殆ど一人だけ、燕尾服を着ていた。そして、今来たばかりだった。彼はわたしの妻に紹介を求めた。もっとも、わたしの方からはとてもそんなことはしなかったであろう。メナルクはすっきりして、まず立派だった。もう半白《はんぱく》の垂れ下った口髭は、海賊のような彼の顔にくっきりと伸びていた。眼ざしの冷い光には、優しみよりも勇気と決断の色が読まれた。彼がマルスリイヌの前に出ないうちに、わたしは早くも彼女の気に入らないことを察した。双方の極り文句の挨拶が取り交されてしまうと、わたしは彼を喫烟室に連れこんだ。
わたしは、しかもこの朝、彼が植民省から新らしい任務を託されたことを知ったのだ。どの新聞もこれについて彼の冒険的な経歴を掲げ、昨日の卑しい誹謗《ひぼう》も忘れたかのように、彼を称《たた》えるのに言葉も足りないと云う有様だった。あたかも彼の企てが人道のためよりほかになされないかの如く、最近彼の探険より得た珍らしい発見が国家や全人類にもたらした功績を各紙競って大げさに書き立てた。そして、犠牲、献身、豪胆の諸徳を挙げて彼を賞めそやすのが、ちょうどこの称讃を以て彼への償いにしようとするかのようだった。
わたしは彼に祝を述べようとした。が、二言三言《ふたことみこと》始めると、彼は遮ってこう云った。
「何だ! 君もか、ミシェル。だが、君は初めに僕の悪口を云いはしなかったね。そんなばかげたことは、新聞屋に任せておくさ。不品行と云われる人間にもまだ何かしら能のあることに、彼等は今になって驚いているようだ。僕は、彼等が立てようとするところの区別や制限を、自分に行うことができない。全体としてのみ存在するのだ。僕は、自然以外に何も求めない。一つ一つの行動について、自分の味う悦びこそ、自分がそれを成さなければならなかったと云う証《しるし》なのだ。」
「それじゃ飛んでもないことになるかも知れないな。」とわたしは彼に云った。
「そこなんだ。」とメナルクが続けて云った。「ああ! 我々のまわりにいる者が残らずその肚を呑み込んでくれたらな。だが、大抵の連中は、強制に依るのでなければ自分からはよきものが得られないのだと思っている。贋者にならなければ承知ができないのだ。めいめいができるだけ自分自身に似まいとしている。めいめいが守神を見立てて、その真似をしている。しかも、自分が御手本にする守神を撰り抜くことさえもしないのだ。既に撰り上りの守神を自分のものにしてしまうのだ。だが、人間のうちには、そのほかに読むべきものがあると思う。人はそれを敢てしないのだ。その頁をたぐろうとはしないのだ。――模倣の掟、僕はそれを畏怖の掟と呼ぶ。人は独りぼっちになるのを怖れる。それで、自分と云うものがまるで見つけられないのだ。この心の恐場症は僕にはとても我慢がならない。それは卑怯の中で一番悪いやつだ。そのくせ、人が自ら発明するのはいつも独りだ。が、今誰が発明を求めているか。人が身内にあって異なると感ずるものこそ、まさに人の有する稀なるもの、めいめいにとってその値打となるものではあるのだ。――しかもそれがまた人の抑えつけようと努めるものなのだ。人は真似をしている。そして、生を愛すると称している。」
わたしはメナルクのしゃべるに任せておいた。彼の云うことは、まさしく前の月わたしがマルスリイヌに云って聞かせたことなのだ。だから、わたしはそれを尤もとしなければならないわけだった。何故に、卑怯にも、わたしは彼を遮って、マルスリイヌの文句そっくり、あの時彼女がわたしを遮って云った言葉そのままに、こう云ったのであろうか。
「だが、君、一人一人に向ってほかのすべての人と違うようにしろと云っても、それは無理だよ……」
メナルクははたと口をつぐみ、変った様子でわたしをじっと見た。そこへちょうどウゼエブがわたしに暇乞《いとまごい》を云いに近寄って来たので、彼はわたしにつんと背を向けて、エクトルと要もない話をしに行った。
口に出してしまうとすぐわたしの言葉は間の抜けたものに見えた。とりわけ、わたしは彼の云ったことが気に障りでもしたようにメナルクに思われはしまいかと、気をもんだ。――時刻は遅くなっていた。客はだんだん出て行った。客間が殆ど空になった時、メナルクはまたわたしのところへやって来た。
「僕はこのまま君に別れることはできない。」と彼がわたしに云った。「きっと僕は君の言葉を取り違えたのだ。せめて、そう思わせておいてくれたまえ……」
「いや」とわたしは答えた。「君は取り違えはしなかった……しかし、あれには何の意味もなかったのだ、僕は、口に出すが早いかばかなことを云ったと思って、苦しかった。――それに、君の眼からはちょうど、君の今し方攻撃した連中、そして全くのところ僕もまた君と同じく大嫌いな連中と同列に見られるような気がして、特に苦しかった。規律屋と云う奴は元来気に食わないんだ。」
「彼等は」と笑いながらメナルクがまた云った。「この世の中で一番厭な奴等だ。彼等に対して、誠実などと云うものは少しも望むことができない。それと云うのも、彼等が自分の規律に依ってしなければならないと命令されたもののほかは決してしないからだ。そうでなければ、彼等は自分のしたことを不規律のように見なすからだ。君が彼等の一人ではないかとつい思ってみただけでも、僕は言葉が唇に凍りつくような気がした。その時すぐ胸を衝いた悲しみに、君に対する僕の友情のいかに強いものであるかが、はっきり解った。僕は自分の誤解であったことを望んだ。――僕の友情ではなく、僕の下した判断がね。」
「全く君の判断は間違っていたよ。」
「ああ、全くね。」と彼は突然わたしの手を取って云った。「聴いてくれたまえ。僕は程なく出発しなければならないのだ。だが、もう一度君に会いたいと思う。僕の旅行は、今度こそ、これまでのどれよりも長くて運任せのものなのだ。何時帰って来るか、それも解らぬ。僕は十五日たつと立たなければならない。ここでは、僕の出発がそんなに間近く迫っていることを知っている者は一人もない。君にだけそっと知らせておくのだ。僕は昧爽《よあけ》に立つ。出発の前夜は、僕にとってはいつも、恐ろしい苦悩の夜なのだ。君が規律屋でないと云う証拠を見せてくれたまえ。君がこの最後の夜を僕の傍で過してくれるものと、思っていてもいいかね。」
「しかし、その前に会おうじゃないか。」とわたしは少し驚いて云った。
「いや、この十五日の間、僕は誰にも会うまい。またパリにいることさえもしまい。明日《あした》、僕はブダペストへ立つ。六日のうちに、ローマへ行かなければならない。此処と彼処《あそこ》には、ヨーロッパを離れる前に接吻して行きたい友だちがいる。もう一人、マドリッドで待っている者がある……」「よろしい、僕はその夜を君と二人して明かそう。」
「そして、僕たちはシラズの酒を飲もう。」とメナルクが云った。
この晩のことがあってから数日たつと、マルスリイヌの体工合がなお悪くなり出した。前にも云った通り、彼女はよく疲れた。が、愚痴をこぼすのを避けていた。わたしのほうでも、この疲労を彼女の容態のせいにしていたので、至極当りまえのことに思い、心配するのを止していた。或る年寄の医者が、間抜けだったのか、それとも診方《みかた》が不十分だったのか、のっけに我々をひどく安心させてしまったのだ。ところがまたしてもの苦しみに熱も加わったことなので、わたしは当時この道一番の巧者とされていたTrドクトルを呼ぼうと決心した。ドクトルは、驚いて、なぜもっと早く迎いに来なかったかと云った。そして、やかましい養生法を命じた。彼女は、もっと前から、この指図通りにしていなければならない筈だった。向う見ずにも元気よく、マルスリイヌはこの日まであまり体をつかい過ぎていたのだ。一月《いちがつ》末と見越されていた分娩まで、彼女は長椅子にじっと落ち着いていなければならなくなった。恐らく少し気懸りになり、それに口にこそ出さなかったが心細くなって、マルスリイヌは大層おとなしく非常に面倒な処方《さしず》に服従した。しかしTrが胎児に影響するかと思われるほどの分量のキニイネを命じた時には、彼女はむっと反抗した。三日の間、彼女は剛情にそれを摂《と》ることを拒んだ。やがて熱が昇って来たので、それにもまた彼女は屈服しなければならなかった。しかし、今度こそ、そこに大きな悲しみが伴い、行末を見棄てるような傷ましい影があった。一種の宗教的の諦めが、これまで彼女を支持して来たところの意志を絶ち切った。こうして彼女の容態は、その後数日と云うもの、がったり悪くなった。
わたしはさらに介抱の手をつくし、症状をあまり重くは見ていないTrの言葉をそっくり使って、彼女を宥《なだ》めた。しかし、彼女の心配がひどいので、しまいにはわたしの方でも不安になって来た。ああ、我々の幸福の危くも希望につながれていたことよ。さても定めなき行末よ。初め過去にしか好みを持たなかったわたしは、にわかに刹那の味いに触れて暫く陶酔を感じたこともあったと思った。しかし、現在が過去を無味にしたにもまさって、未来は現在を無味にする。我々のソラントの夜以来、既にわたしの愛、わたしの生は挙げて将来に懸っているのだ。
そのうちに、わたしのメナルクと約束した晩が来た。冬の一夜マルスリイヌをうち棄てておく気遣いをも押しきって、わたしは会合のおごそかなことと約束の重いこととを言葉をつくして彼女に納得させた。マルスリイヌはその晩少し加減がよくなってはいたが、わたしは心配だった。看護婦がわたしに代って彼女に附いた。しかし、街に出るや否やわたしの心配には新らしい力が加わった。そのこだわりがどうしても頭から離れきらないのにいらいらしながら、わたしはそれを押しのけ、それと闘った。わたしはこうして次第に奇《あや》しいまでに緊張した激昂状態に達した。それは、その主因《もと》である悩ましい不安と非常に違ったものであると共に非常に近いものでもあるが、それよりもなお幸福に近いものだった。時刻は遅かった。わたしは大股に歩いて行った。雪がたくさんふり始めた。わたしはしまいには更にぴりっとした空気を呼吸するのがうれしくなった。寒さと闘い、風、夜、雪と闘うのがうれしくなった。わたしは我身の精力を快く味った。
メナルクは、わたしの来たのを聞きつけて、階段の上に現われた。彼はわたしを待ちかねていた。顔の色が蒼ざめて少し痙攣したような様子をしていた。彼は、わたしの外套を脱がせて、無理にわたしの湿った長靴を柔いペルシャの上靴に穿き替えさせた。火の傍の円卓の上には、旨いものが並んでいた。二つのランプが部屋を照らしていたが、それにも増して煖炉が明るく燃えていた。メナルクはまずマルスリイヌの容態を訊ねた。話を簡単にするために、わたしはたいへん快くなったと答えた。
「君の子供はもうじきじゃないか。」と彼が云った。
「あと一月《ひとつき》だ。」
メナルクは、顔を隠そうとでもするかのように、火のほうへ身を屈めた。彼は黙っていた。やがて何と話しかけたものやら此方が全く手持無沙汰になってしまったほど暫く彼は口をきかなかった。わたしは立ち上って、二足三足《ふたあしみあし》歩き、彼の傍に寄ってその肩に手を当てた。すると、彼は自分の考えの続きのように、
「撰ばなければいけない。」とつぶやいた。「何を欲するかを知ることが肝要なのだ……」
「え、君は立ちたくないのか。」とわたしは彼に訊ねた。彼の言葉の意味をどうとったらよいかはっきりしないで。
「そう見えるかな。」
「躊躇してるんじゃないか。」
「それが何になろう。――妻もあり子もある君は留っていたまえ……生活のさまざまな形のうち、めいめいが一つしか知ることができないのだ。他人の幸福を羨むのはばかげたことだ。それがどうにもなるまいじゃないか。幸福は出来上りじゃだめなんだ、誂えでなければね――僕は明日《あした》立つ。自分にはよく解っている。僕はこの幸福を自分の寸法に合わせて裁《た》とうと骨を折ったんだ……家庭の静かな幸福をそっとしておきたまえ!……」
「僕だって自分の寸法に合わせて僕の幸福を裁《た》ったんだ。」とわたしは叫んだ。「だが、僕は大きくなった。今では自分の幸福に絞めつけられて、時々|呼吸《いき》がつまりそうだ!……」
「なあに、じきに馴れるさ。」とメナルクが云った。そして、わたしの前に陣どって、自分の視線をわたしの視線の中に投げ入れた。わたしから何も云うことがなかったので、彼はやや寂しげに微笑した。「人は持っていると思いながら持たれているのだ。」と彼がまた云った。「シラズを注《つ》いで飲《や》りたまえ、ミシェル、これはめったに口にはいるまいよ。それから、ペルシャ人が一緒に摂《と》るこの桃色の練物を食べて見たまえ。きょうの晩は、君と共に飲み、明日《あした》立つことをも忘れてこの夜がつきないもののように語り明したいと思う……君は、どうして今日詩や特に哲学が死文とされるか、知っているかい。それは、これらのものが生活と分離しているからだ。ギリシャでは生活を直ちに理想化した。それで、芸術家の生活はそれ自身が既に詩の実現であり、哲学者の生活はその哲学の行使だった。それからまた、生活のうちにまじり合っても、お互いに知らん顔をしないで哲学は詩を育《はぐく》み、詩は哲学を詠《えい》じて、驚嘆すべき納得がそこにはたらいていた。今日では、美はもはや行われない。行いはもう美に眼をくれない。そして、智慧が別に動いている。」
「なぜ」とわたしは云った。「君の智慧を生活している君は、君の覚書を書かないんだ。――でなければ単に」とわたしは彼の微笑するのを見て云い直した。「君の旅行の思出を。」
「僕は思出を求めないからさ。」と彼が答えた。「もしそんなことをすれば、僕は未来の到着する邪魔をして、過去を食い入らせるように思うだろう。僕が刻一刻の打切を行うのは、昨日《きのう》のことを全く忘れてしまうからだ。どうしても、幸福だったと云うことでは、僕にはもの足りないのだ。僕は死んだものに信をおかない。そして、もはや無いと云うことと決して無かったと云うことを一緒にして考える。」
あまりにわたしの考えの先へ行ったこの言葉に、わたしはとうとう苛立って来た。わたしは後へ引き戻して止めさせようとも思ったことだった。しかし、抗《あらが》おうとしたがだめだった。それに、わたしはメナルクに対してよりもなお自分に対して腹立たしくなった。そこで、わたしは口をつぐんだままだった。彼は檻の中の野獣のようにあちこち歩き廻ったり、火のほうへ身を屈めたりして、暫くの間黙っていたかと思うと、また急にこんなことを云い出したりした。
「それに、我々のやくざな頭が思出を燻《た》きこんでおくことでもできればな! だが、思出と云うやつは持ちが悪くできている。あえかなのは剥げ易く、脂こいのは腐ってしまう。一番楽しいやつは後になって一番危険なやつだ。悔みのたねになるのは初めは楽しかったものだ。」
再び、長い沈黙。それから、彼はまた語りつづけた。
「名残、恨み、悔み、それはみな逝《ゆ》いた悦び、背後の景だ。僕は後を振り返って見ることを好まない。飛び立つ鳥が影を離れるように、自分の過去を遠くへ捨ててしまうのだ。ああ、ミシェル、歓喜はみないつも我々を待ってはいるが、いつも空《から》の床を見つけて、独りでいなければ承知しないのだ。そして、人がここに達するには、鰥《やもめ》のようにならなければだめなのだ。――ああ、ミシェル、歓喜はちょうど日々に腐れ行く沙漠の聖餐《マナ》のようだ。それはまた、あのプラトンの物語る、どんな瓶にもたまらないアメレス泉の水のようだ……刹那刹那がその持って来たものをすっかり持ち去ってくれればいい。」
メナルクはもっと長らく話をした。わたしはここに彼の言葉をことごとく記すことはできない。しかし、その多くは、わたしがそれを早く忘れてしまいたいと思っただけに、一層強く脳裏に刻みこまれた。それが何もわたしに新らしいことを教えたと云うのではなく――ただ、それは突然わたしの考えを露骨にさらけ出してしまったのだ。わたしが厚い幕をかぶせて殆ど圧し消してしまったとも思っていた、その考えを。こうして、この一夜は過ごされた。
さて、朝になって、メナルクが汽車で立つのを送った後、独りマルスリイヌの許へ帰ろうと足を向けた時、わたしは身内に堪え難い哀愁、メナルクの犬的《シニツク》な歓喜に対する嫌悪が満ちているのを感じた。わたしはその歓喜が擬《まが》いものであってくれと願った。わたしはそれを否定しようと努めた。わたしは彼に何とも返事のできなかったことが腹立たしくなった。わたしの幸福わたしの愛を彼に疑わせるような言葉を洩らしたことが、腹立たしくなった。そして、わたしはわたしの疑わしい幸福、メナルクの云った通りわたしの≪静かな幸福≫にどこまでも縋《すが》った。わたしは、ああ、そこから不安を取りのけることはできなかった。しかし、この不安が愛の糧《かて》となるものだと思いなした。わたしは未来のほうを覗きこんだ。そこではもうわたしの幼児が此方を見てほほ笑んでいるではないか。彼あるがために、わたしの道徳は革《あらた》めてうち樹てられた……決然と、わたしはしっかりした足どりで歩いて行った。
ああ、この朝わたしが家に帰ると、とっつきの部屋へはいっただけで、取り散らした只ならぬけはいにまず胸を打たれた。看護婦が迎えに出て来て、穏かな言葉で様子を聞かせてくれた。それに依ると、夜中にわたしの妻は怖ろしい苦しみに襲われ、まだ産期が来たとも思えないのに陣痛さえ催して非常に工合が悪くなったので、ドクトルを迎えにやったのだが、そのドクトルが夜中急いで駆けつけて来てくれたまま、いまだに病人の傍を離れずにいると云うことだった。それから、恐らくわたしの顔色の変ったのを見て、看護婦はわたしを落ち着かせようと思ったのか、もうすっかり快《よ》くなって云々と云いかけた……わたしはマルスリイヌの部屋のほうへ飛びこんだ。
部屋はうす暗かった。で、最初、手で静かにと云う様子をしたドクトルの姿しか眼に入らなかった。やがて、暗がりのうちに、見知らぬ顔が認められた。おずおずと、音もなく、わたしは寝床に近づいた。マルスリイヌは眼を閉じていた。彼女は初め死んでいるのかと思ったほど恐ろしく真蒼だった。しかし、眼を開《あ》けないまま、彼女はわたしのほうへ頭を向けた。暗い部屋の片隅に、見知らぬ人はいろいろな物を一まとめにして隠していた。わたしはきらきら光った器械や綿を見た、それから、血に染んだ布片《きれ》を見た、いや、見たと思った……わたしはふらふらとするのを感じた。そして、ドクトルのほうへ倒れかかった。ドクトルはわたしを抱えてくれた。わたしは解っていた。解るのが恐ろしかった……「子供は?」とわたしは怖るおそる訊いた。
ドクトルは悲しげに肩をゆすった。――もう何をするともわからずに、わたしは啜り泣きながら寝床に飛びかかった。ああ、忽《しゆくこつ》の未来よ! 地はにわかにわたしの足もとをすべった。眼の前には、もう、我身がぞっくりなだれ落ちる空虚の穴しかないのだ。
ここで、すべてが真闇な思出のうちに縺《もつ》れ入ってしまう。とかくして、マルスリイヌは初めのうち恢復が早いように見えた。年頭の休暇で少しくつろぎができたので、わたしは日のうちを大抵彼女の傍で過すことができた。彼女の傍で、わたしは読んだり書いたりした。あるいは、優しく彼女に本を読んできかせたりした。外に出れば必ず花をみやげに持ち帰った。わたしは自分が病気だった時分彼女から受けた手厚い介抱のことを想い浮べていた。そして、時には彼女が幸福そうに微笑したほど愛情をこめて世話をしてやった。我々の希望を傷けたあの悲惨な出来事については、一言《ひとこと》も交わされなかった……
やがて、静脈炎だと云うことが明かになった。そして、体が衰弱し出した時、突然、脈管閉塞がマルスリイヌを死生の境に置いた。それは夜だった。彼女の心臓と共に自分の心臓が止ったり甦ったりするのを感じながら、彼女のうえに身を屈めていたわたしの姿が、今だに眼に浮んで来る。こうして、幾夜、わたしは彼女の看護《みとり》に過したことか! 眼をじっと彼女につけたまま、愛情のあまり、少しでもわたしの生命が彼女のうちに沁み入ることを願いながら。そして、わたしはもう大して幸福のことを考えはしなかったものの、わたしのただ一つの悲しい悦びは、ときどきマルスリイヌの微笑するのを見ることだった。
わたしの講義はまた始まっていた。教案の準備をしてこれを講ずる力を、わたしはどこに見出したのか……わたしの思出は消え失せて、週また週がどう続いて行ったかも知らぬ。――ただ、ちょっとした出来事だが、君たちに話しておきたいと思うことがある。
脈管閉塞があってから間もない或る朝のことだ。わたしはマルスリイヌの傍にいた。彼女は少し快《よ》くなって来たようだが、まだ絶対の安静を命ぜられていた。腕を動かすことさえもならなかったのだ。わたしは身を屈めて彼女に飲物を与えた。そして、飲んでしまってもまだ傍に屈んでいると、障害のためにさらに細かくなった声で、彼女は手|筥《ばこ》を眼で示しながら、その蓋を開けてくれと云った。それは卓の上にあった。わたしはそれを開けた。リボン、布片《きれ》屑、値打のない小さい宝石などでいっぱいだった。「何がほしいのだ?」わたしは寝床の傍に筥を持って行って、中の品物を一つ一つ取り出した。これか、あれか……いや、まだ。わたしは彼女が少し気を揉んでいるなと感じた。「ああ、マルスリイヌ、おまえはこの小さいお数珠《じゆず》がほしいんだね。」――彼女は努めて微笑して見せた。
「じゃ、おまえはおれの介抱が足りないと思うんだね。」
「おお、あなた!」と、彼女は低い声で云った。――わたしはビスクラでの我々の会話を思い出した。彼女のいわゆる≪神様のお援け≫をわたしが斥けた時の、彼女の臆病な非難を思い出した。わたしは少し荒くこう云った。
「おれは独りで癒《なお》ったんだ。」
「あたし、あなたのために、あれほどお祈りしましたのよ。」と彼女は答えた。――彼女はやさしく、悲しく、そう云った。わたしは彼女の眼ざしに哀願するような不安の色を感じた……わたしは数珠を取って、身に添えて蒲団の上に置いてある病み細った彼女の手に、そっと持たしてやった。涙と愛のこもった眼つきがわたしに酬いられた。――しかし、わたしはそれに応えることができなかった。一瞬間、わたしはなおためらい、どうしてよいか解らず、あがきがつかずにいた。とうとう我慢ができなくなって、
「| Adieu.《アデユー》」とわたしは彼女に云った。――そして、敵意を抱いて、おい立てられたかのように、わたしは部屋を出た。
そのうちに、脈管閉塞はかなり重い混乱を惹き起した、心臓が吐き出した恐ろしい血塊は、肺を疲労させ、充血させて、呼吸を妨げ、息づかいも困難にせいせい云わせた。わたしはもう彼女は癒《なお》らないものと思った。病はマルスリイヌの身内に入って、そこに棲息し、印《しるし》をつけ、汚点《しみ》をつけていた。それは壊れものなのだ。
三
時候はおだやかになった。さし迫った危険はすっかり去ったから、あとを癒しきるには転地が第一だと云うドクトルの言葉もあったので、わたしは講義を終えるとすぐ、マルスリイヌをラ・モリニエルに移した。わたし自身、大いに休養の必要があった。殆どすっかり自身で引き受けた夜伽《よとぎ》、絶えない心配、それから特に、マルスリイヌの脈管閉塞の時彼女の心臓の怖ろしい鼓動をわたしの身内にも伝えさせたあの肉体的の交感、それらはみな宛《あたか》もわたし自身が病気だったかのようにわたしを疲らせてしまったのだ。
わたしはマルスリイヌを山のほうへ連れて行きたかった。しかし、彼女は非常にノルマンディへ帰りたがって、どこの風土もそこに勝るものはないと云い張り、そして、わたしが少し大胆にも引き受けたあの二つの小作地の様子を見に戻らなければならないといってわたしを促した。彼女は、わたしが進んでその責任を負った以上うまくやり遂げなければいけないと、説きつけるのだ。で、着くとすぐ彼女はわたしを急《せ》き立てて、土地を駆け廻らせた……彼女の優しい押しつけの中には捨身の気持が多くはいっていはしなかったかどうか、もしそうしなければ、まだゆるがせにはできない介抱のために彼女の傍に引き留められて、わたしが十分な自由を感じ得まいと云う気遣いがありはしなかったかどうか、それは知らない……ともかくマルスリイヌはだんだん快くなった。頬がまた血潮に染められて来た。わたしとしては、彼女の微笑に悲しみの色の薄らぐのを感じるほど心の安まることはなかった。わたしは気懸りなく彼女を残しておくことができた。
こうして、わたしは小作地に立ちかえった。そこでは秣《まぐさ》の刈入れが始められていた。花粉と芳香を漂わした空気は、つんと頭へ上《のぼ》る飲物のように、まずわたしを茫とさせた。わたしは、前の年以来、呼吸と云うものをしたことがないような、でなければ、塵埃のほかには呼吸したことがないような気がした。それほど大気が蜜のように我身のうちに沁み入ったのだ。わたしが酔ったようになって腰をおろしていた斜面からは、ラ・モリニエルが眼の下に眺められた。その青い屋根や雨溝の溜水が見え、そのまわりには、薙《な》ぎ刈られた野と草の生い茂った野とが見え、その向うには、小川のうねり、そのまた向うには、過ぎし秋シャルルと遠乗に出かけた森が見えた。今し方聞えて来た歌声が間近くなった。それは熊手や耙《まぐわ》を肩にした草乾人《くさぼし》の戻りだった。殆どみな見知り越しのこの農人等は、悲しくも、ここにあっては我身は旅の遊子でなく主人であると云う思いをわたしに抱かせた。わたしは近寄って、彼等に微笑しかけ、話しかけ、一人一人に長々とものを訊ねた。既に耕作の様子に就いては、朝のうちに、ボカアジュの報告が済んでいた。それに、定めの通信に依って、彼はどんなに小さな事にしろ小作地の出来事の知らせを怠ったことはなかった。開墾の結果は悪くなかった。最初ボカアジュがわたしに予想を許した程度よりも、ずっと上だった。しかし、わたしの決定を待っている二三の要件があった。で、数日の間、わたしは楽しみは持たないまでも、わたしの敗残の生命をこの労役の真似事にかけて、できるだけすべてを支配した。
マルスリイヌの体が訪客に接し得るまでに恢復すると、数人の友だちが我々と一緒に住まいに来た。情の厚い、しかも、騒がしくない彼等の附合はマルスリイヌの気に入ったが、そのおかげでわたしは一層喜んで家を外《そと》にするようになった。わたしは畑の人の附合のほうを好んだ。彼等と共にいると学ぶところがより多いように思われた。――わたしが彼等に煩さく問いただすからではなく――決して。それに、わたしは彼等の傍にあって感じたあの悦びを云い現わすすべを知らぬ。わたしは彼等を通して感ずるような気がした。――また、我々の友人の話は彼等が口を切らないうちにわたしにはすっかり解ってしまうのに反して、あの賤しい人々は、一眼見ただけで、わたしにつきせぬ讃歎の情を起させたのだ。
最初、此方から問いかける時には努めて避けた丁寧さが、彼等の返事からはどうしても抜けなかったとは云え、間もなく、彼等はわたしのいることを余り気にしないようになった。わたしはいつも次第に彼等と接触して行った。彼等の耕作のあとを追うのでは満足しないで、わたしは彼等の眼で彼等を見たいと思った。彼等の鈍い考え方にはさっぱり興味が持てなかったけれども、わたしは彼等の食事に列し、彼等の冗談を聴き、心をこめて彼等の慰みに気を配った。それは、一種の交感と云う点について、マルスリイヌの心臓の鼓動と共にわたしの心臓を轟かせたあの感じに似ていた。それは異った各感覚の直接の饗応だった。――朧《おぼろ》げでなく、はっきりした、鋭い。わたしは自分の腕に草刈《くさかり》人の凝りを感じた。彼の疲れは私の疲れだった。彼が飲む一口の林檎酒はわたしの渇きを医した。わたしはそれが彼の咽喉をすべって行くのを感じた。或る日、一人の男が鎌を研ぎながら拇指に深く切りこんだ。わたしは彼の苦痛を骨まで感じた。
こうして、わたしは単に視覚に依って風景を教えられるのではなく、なお、この常ならぬ交感のために無制限にされた一種の接触に依ってそれを感ずるのだと云う気がした。
ボカアジュのいることはわたしの邪魔をした。彼が来ると、わたしは主人顔をしなければならなかった。それは少しも面白くなかった。なお、わたしは必要に依って勝手に雇人に命令したり指図したりした。しかし、あまりに彼等を見下しはしまいかと云う気遣いから、もう馬には乗らなかった。――けれども、彼等がわたしのいることを苦にしたり、又はわたしの前で固くなったりすることのないようにと用心したにもかかわらず、わたしは彼等の前に出ると先と同じようによくない好奇心に満たされてしまうのだ。彼等一人一人の存在は相変らずわたしにとって不思議なものだった。わたしにはいつも彼等の生活の一部が隠されているような気がした。わたしがいない時には彼等は何をしているのか。彼等のもっと骨休めをすることがないとは、どうも思えなかった。――こうして、わたしは彼等の一人一人にどこまでも知りたくてならなかった秘密の影を附きまとわせた。わたしは当てもなくさまよったり、後をつけたり、様子をうかがったりした。わたしは一番やくざな性《さが》に専ら注意を向けた。あたかもその闇からわたしを照らす光を待ちうけていたかのように。
とりわけ、一人、わたしの心を惹いた者がいた。それは、押出しもよく、どっしりして、決してばかではないが、ただ本能に従ってのみ動くと云う性質《たち》の男だった。いつも、突発的に働くよりほか何一つせず、どんな一時の衝動にもすぐ駆られた。彼は土地の者ではなく偶然狩り出されて来たのだ。二日ばかりすばらしく働いたかと思うと、三日目には死んだようになって酔いつぶれてしまうと云うふうだった。わたしは或る夜ひそかに納屋まで様子を見に行った。彼は枯草の中にころがったまま、酔い痴れて前後不覚に眠っていた。いつまで、わたしはそれを眺めていたことか! 或る日、彼は来た時のように出て行った。わたしはどの道を行ったか知りたいとまで思った……すぐその晩に、わたしはボカアジュが彼をおい出したと云うことを知った。
わたしはボカアジュに対してむかむかとした。で、彼を呼びつけた。
「おまえがピエルをおい出したようだね。」とわたしは口を切った。「そのわけを聞かせてくれないか。」
できるだけ鎮めてはいたものの、わたしの怒に少し面くらって、
「檀那は、いい雇人をそそのかす飲んだくれ野郎を、うちに置くことはお嫌いだと思いましたので……」
「おれがうちに置きたいと思う人間は、おまえよりもおれのほうがよく知ってるよ。」
「あのごろつきめ、どこから来おったのか、素姓もわかりません。土地の風儀にも、よくないことでした……野郎が夜中に納屋に火でもつけたら、檀那はさぞ御満足でござらっしゃろうて。」
「だが、要するにそれはおれにかかわることだ。農園はおれのものだろうからな。――おれはそれを好きなように管理することを心得てるんだ。これからは、人を処分する前に、そのわけを一応おれの耳に入れといてもらいたいな。」
ボカアジュは、前にも云った通り、子供の時からわたしを知っていた。わたしの語調がどんなに烈しくても、わたしが大好きな彼はさして腹を立てなかった。それに、彼はわたしがまじめになり切っているのだとは思いもしなかった。ノルマンディの田舎者は、動機の呑みこめないことには、すなわち利害に導かれないことには、信を置かないことが頗る多い。ボカアジュはこのいさかいを単に気まぐれの出来事と見なしていた。
しかし、わたしも小言を云っただけで話を打ち切りたくなかった。自分が少し云い過ぎたと思ったので、わたしは何とか附け加えることはないかと探した。
「おまえの息子のシャルルはもうじき帰って来るんじゃないか。」とわたしはちょっと沈黙した後きっぱり訊ねた。
「あまりお気に留めない御様子なんで、檀那はもうあれのことはお忘れになったのだと思っていました。」とボカアジュはまだ心が解けないで云った。
「おれが忘れるって! ボカアジュ。去年おれたちが一緒にやったことを考えたって、どうしてそんなことができるもんか。おれは農園のことに就いて非常にあれを当にしてるよ……」
「ありがとうございます。シャルルは八日ばかりたつと戻ってまいります。」
「そう、そりゃ仕合せだ、ボカアジュ。」――で、わたしは彼を退《さ》げた。
ボカアジュの云うこともほぼ当っていた。わたしはシャルルのことを忘れはしなかったが、もうごく僅かしか心にかけていなかった。あれほど熱い交情があったのに、もう彼に就いては悲しい荒涼な思いしか感ぜられないと云うのは、どう云うわけであろうか。それはわたしの仕事なり趣味なりがもはや前年のそれではなくなったからだ。わたしの二箇所の小作地も、実を云えば、わたしがそこに使っていた人々と同じくもう心を惹かなくなってしまったのだ。そこに出入するのに、シャルルのいることが邪魔になりかけた。彼は取りすまし過ぎて勿体ぶっていた。で、彼のことを思い出すにつけ激しい感動が身内に喚び起されたにもかかわらず、わたしは怖ずおずしながら彼の戻りの近づくのに面していた。
彼は戻って来た。――ああ、はずれなかったわたしの惧れよ。思出をすべて否定し去ったメナルクの賢さよ!――わたしは、シャルルの代りに、おかしな山高帽を冠った異様な紳士のはいって来るのを見た。おお、何と云う変りようだ。ぎごちない、窄《し》められるような思いはしたが、わたしは相手がわたしに会って示した悦びに余り冷かな応対をしないようにと努めた。しかし、その悦びさえも不愉快だった。それは取ってつけたようで、真心から出たものとは見えなかった。わたしは客間に彼を通したのだ。時刻が遅かったので、彼の顔がはっきりわからなかった。だが、ランプが運ばれて来た時、わたしは彼が鬚を生《はや》しているのを見て堪らなく嫌な気持になった。
この晩の対談はむしろ湿りがちだった。それから、わたしは彼がいつも小作地に出かけるに違いないと見てとったので、およそ八日ばかりそこへ行くことを避けた。そして、わたしの研究と客の応接のほうへ向きを変えた。やがて、また外へ出て見ると、わたしは忽ち全く新らしい仕事に捕まってしまった。
この時、樵夫《きこり》はもう森にはいりこんでいた。毎年森の一部を売ることになっていた。森は十二の伐採区に等分されて、来る年毎に、もう成長の見込みがない大芽と共に十二年期の伐林を供給し、そこから薪が伐り出されるのだ。
この仕事は冬行われることになっていた。そして、売買契約の条款に従って、春にならないうちに、樵夫は伐採区の整理をすっかり附けてしまわなければならないわけだった。しかるに、この作業を引き受けていた材木商のウルトヴァンじいさんの怠慢に依って、ときどき取り乱された伐採区に春が訪れることさえあった。そこには、死んだ枝越しに、ひよわな新芽が伸びていた。そこで、樵夫の整理仕事が始まるとなると、たくさんの芽が傷められるのは免れられないことだった。
この年、買主なるウルトヴァンじいさんの緩怠は我々の心配以上だった。競売が全くなかったので、わたしは伐採区を非常に低い価格で彼に譲らなければならなかった。それがために、彼はいつでも損はないと見極めをつけて、うんと安く買い入れた森の伐出しを少しも急ぐ気色がなかった。そして、週また週と、彼は口実を見つけては仕事を延ばした。或は職人がいないからと云い、或は天気が悪いからと云い、それから馬が病気だとか、納め仕事があるとか、他の作業があるとか……はてしがなく。こうして、夏のさ中になっても、まだ一物も運び出されなかった。
前年ならば、赫と猛り立ったであろうことにも、今年は、わたしはかなり落ち着いていた。わたしはウルトヴァンから受けた損害に眼をつぶっていたわけではなかった。しかし、かほどに荒らされた森の景色は美しいものだった。わたしは心楽しくそこを逍遥した。或は鳥獣《とりけもの》を探しうかがい、長虫を驚かし、また或る時は、まだ生けるが如く切口から緑の小枝を伸ばしている、地に横たわった幹の一つに、暫く腰を下すこともあった。
すると、急に、八月も七八日頃になって、ウルトヴァンは人夫を送ることに決めた。十日ですっかり仕事をやりおえると称して、一度に六人よこした。手を入れられる森の部分は殆どラ・ヴァルトリイにふれていた。わたしは、樵夫の仕事を楽にさせるために、彼等の食事を農園から運ぶことを承知した。この役目を引き受けた者は、おりしも連隊からだめだとして追いかえされて来た、ビュットと云う道化兵《ルステイツク》だった。――彼の体がぴんぴんしていたところを見ると、だめだと云うのは心掛けのほうだと思う。それは、うちに使っていた者の中で、わたしが進んで話しかけた一人だった。こうして、わたしはわざわざ農園に出かけないでも彼に会えるようになった。と云うのは、ちょうどそれがわたしのまた外へ出始めた時だったのだ。で、数日と云うもの、わたしは殆ど森を離れずに、ただ食事の時間だけ、それもよく遅れてラ・モリニエルへ帰るだけだった。わたしは仕事を監視するようなふうをしていた。が、その実、仕事をする人たちにばかり眼をつけていたのだ。
ときどき、この六人の組にウルトヴァンの息子が二人加った。一人は二十歳で、一人は十五歳だった。共にすらりとして上背《うわぜい》があり、ごつごつした顔をしていた。彼等は外国人型に見えた。全くのところ、間もなくわたしは彼等の母親がスペイン女だと云うことを知った。わたしは最初、その女がどうしてこの土地まで来たのかと意外に思った。が、若いうち手のつけられない放浪者だったウルトヴァンはスペインで彼女と一緒になったらしかった。これがために、彼は土地ではあまりよく思われていなかった。初めてわたしが一番下の息子に会ったのは、たしか雨の中のことだったと思う。彼は、ただ一人、非常に高い荷馬車の上に山と積んだ薪のてっぺんに腰をかけていた。そこで、枝の中にぐっと体を伸《の》して、彼はこの土地では一度も耳にしたことのないような一種異調の謡《うた》を歌うと云うよりも喚《わめ》いていた。荷馬車を索《ひ》いていた馬は、道を知っているので、御されるまでもなく走って行った。この謡がどんな感じをわたしに与えたか口に出して云うことができない。それは、このような謡はアフリカでよりほか聞いたことがなかったからだ……子供は夢中になって、酔っぱらっているようだった。わたしが通った時、此方を見さえもしなかった。翌日になって、わたしはそれがウルトヴァンの息子だと云うことを知った。こうして、わたしが伐採区にぐずぐずしていたのも、彼にまた会うため、少くとも彼を待つためだった。やがて、整理仕事がすっかり終えられた。ウルトヴァンの息子たちはそこには三度しか来なかった。彼等は高ぶっているようだった。で、わたしは彼等から一言をも聞き出すことができなかった。
ビュットは、これに反して、話をするのが好きだった。わたしはやがてわたしの前でしゃべってもよいことを彼に解らせてしまった。その時から、彼は気がねをしないで土地の様子をすっかりさらけ出した。貪るように、わたしはその神秘を覗きこんだ。それはわたしの予想を超えると同時にわたしを満足させなかった。これが見かけの下にざわめいているものなのか。それとも恐らくこれもまた別の嬌飾《みてくれ》に過ぎないのか。どうともあれ! わたしは未完のゴオト年代記を編むかのようにビュットに問い質《ただ》した。彼の話からは混濁した一条の瘴気《しようき》が立ち、それがもうわたしの頭に上《のぼ》って、不安にも鼻や口にはいって来るのだ。彼に依って、わたしはまずウルトヴァンがおのれの娘と通じたと云うことを知った。わたしは少しでも非難の色を示したならば内輪話がそれぎりになりはしまいかと惧れた。で、わたしは微笑して見せた。好奇心がなおこみ上げて来た。
「で、母親《おふくろ》は? 何とも云わないのかい。」
「母親《おふくろ》! もう十二年も昔に死んでしまってるんでさあ……よく親父《おやじ》にぶたれてましたっけ。」
「あのうちには何人いるんだい。」
「子供が五人。檀那がごらんになったのは、一番上と一番下の息子です。それからまだ十六になるのがいますが、これは体が弱いので、坊主になりたいと云ってます。それから、一番上の娘には、もう親父の子が二人もあります……」
こうして次第に、わたしはまだほかに多くのことを知った。それに依ると、ウルトヴァンの家は、つんと匂の高い、焼け爛れた場所のようだった。そのまわりをどんな感じを受けたにしろ、わたしの想像は肉にたかる蠅のようにぐるぐる廻っていたのだ。――或る晩のこと、長男が若い女中を辱めようとした。すると女中が抗《あらが》ったので、父親が横合から息子の加勢に飛び出し、大きな手で女中を押さえつけてしまった。一方、二番目の息子は下の階でおとなしく祈祷をつづけ、末の子は眼の当りこの光景を見て面白がっていた。凌辱については、わたしはあまり骨が折れなかったことと思う。ビュットがなお物語ったところに依ると、女中は間もなくそれが面白くなって小さな牧師を誑《たぶ》らかそうとするに至ったと云うことだった。
「で、それはうまくいかなかったのかね。」とわたしは訊ねた。
「頑ばってますよ、どうしてがっちり。」とビュットが答えた。
「まだほかに、娘が一人いると云やしなかったかい。」
「ぶつかり次第片端からと云うのがいます。それでいて、何もくれろとは云わないのです。段どりがつけば、向うのほうからお手当が出るでしょう。早い話が親父のうちで寝るわけにはいきますまい。それこそ、どやしつけられます。何しろ、親父は、うちで好きな勝手な真似をするのは当りまえだが、よその奴の知ったことじゃないと云ってるんですから。檀那がおい出させた作男のピエルは、あまり自慢にはしてませんでしたが、或る晩、奴《やつこ》さん、逃げそこなって頭に穴を開けられたもんです。この時から、お城の森が遊び場になってます。」
そこで、眼で相手をそそのかしながら、
「おまえもやって見たことがあるかい。」とわたしは訊ねた。
彼は、様子ぶって眼を伏せはしたが、ふざけた調子でこう云った。
「ときどき。」そこで、急に眼を上げて、「ボカアジュじいさんとこのちびだって、そうです。」
「ボカアジュじいさんとこのちびって、誰のことだい。」
「畑で寝てるアルシッドのことです。檀那知らないんですか。」
ボカアジュにまだ息子が一人あることを知って、わたしは全くびっくりしてしまった。
「もっとも」とビュットは続けて云った。「去年はまだ伯父さんのところにいたんです。だけど、檀那が森の中で会ったことがないと云うのは変ですね。大抵毎晩、密猟をやってますよ。」
ビュットはこの最後の言葉を声をひそめて云った。彼はじっとわたしの顔色をうかがった。わたしはにっこりとして見せなければいけないと悟った。そこで、ビュットは我意を得たと云うふうに語りつづけた。
「檀那は密猟の一件をよく知ってるんですね。なあに、森はあんなに広いんだから、そのくらいのことをやったって何ともありませんよ……」
わたしはそれに少しも不満の色を見せなかった。で、すぐにビュットは元気づいて、且今考えればボカアジュを少しやっつけるのが面白くて、とある凹みにアルシッドの張っておいた罠《わな》をわたしに示した。そして、垣のどの辺に待っていれば殆ど間違いなく彼を捕えることができるかと云うことも教えてくれた。それはある坂道の上にあって、林縁をなしている垣の中の狭い間《はざま》だった。そこをいつも六時頃アルシッドが通ることになっていた。その場所に、ビュットとわたしとはすっかり乗気になって、銅《あかがね》の線をちゃんとうまく隠して張った。それから、自分の名を出さないと云うことをわたしに誓わせた後、ビュットは連累《まきぞえ》を食うのを嫌がって立ち去った。わたしは、坂道の裏側に身を伏せた。わたしは待ちうけた。
こうして、三晩、わたしはむだに待った。わたしはビュットに担がれたのだと思い始めた……四日目の晩、とうとう、非常に微かな足音の近づくのが聞えて来た。胸がときめいた。そして、わたしは急に密猟者の怖ろしい悦びを知った……罠が巧みに張ってあったので、アルシッドはすぐにひっかかった。彼の、足頸を取られて、ばったり倒れるのが見えた。彼は逃げようとして、また倒れ、獲物のようにばたばたともがいた。だが、もうわたしが抑えつけてしまった。それは眼は碧く、髪は麻のように乱れ、幽霊のような顔つきをした腕白小僧だった。彼はわたしを蹴った。それから、動けないままに噛みつこうとした。それもだめなので、今度はわたしに面と向ってこれまでに初めて聞くような途方もない悪態をつき出した。終にもう我慢ができなくなって、わたしは大声で笑い出した。すると、彼もぱったり止《や》めて、わたしの顔を見つめ、語調を落して、
「畜生、不具《かたわ》にされちゃった。」
「お見せ。」
彼は、板底靴の上に靴下をずらし、足頸を現わした。そこにはやっと、微かに薄赤い痕が見えた。――何でもない。――彼はちょっとにこりとして、それから、ずるそうに、
「檀那が罠を張ってるんだって、親父にそう云ってやろう。」
「いいとも、これはおまえのやつだよ。」
「これをここに張ったのは、檀那じゃないに決まってらあ。」
「どうして、そうじゃないんだ?」
「檀那がこんなに巧くできるわけはないや。どうしてこさえるか、やって見せて下さい。」
「教えてくれ……」
この晩、たいへん遅くなってやっとわたしは晩餐に帰った。どこへ行っていたか知れなかったので、マルスリイヌは心配していた。しかし、わたしは罠を六つも張ったことや、またアルシッドを叱るどころではなく彼に十スウやったことを彼女に話しはしなかった。
明くる日、彼と一緒にその罠をはずしに行くと、面白いことに兎が二頭ひっかかっていた。もちろん、わたしはそれを彼にやってしまった。猟期はまだ開始されていなかった。人に見せれば自分の身を危くするこの獲物を、一体どう始末したのか。このことに就いては、アルシッドはどうしてもはっきり云わなかった。とうとう、わたしは、これもまたビュットの口から、ウルトヴァンが密売者の親方で、アルシッドと彼との間に一番下の息子が仲次していると云うことを知った。こうして、わたしは次第にこの野蛮な一族の中へはいりこんで行ったものだったのか。わたしは密猟にいかばかり熱情を傾けたことであろう。
わたしは毎晩アルシッドと一緒になった。我々はたくさん兎を捕った。そして、或る時なぞは一頭の牡鹿がかかった。それはまだひくひく生きていた……アルシッドが喜んでそれを殺した時の態《さま》を思い出すと、ぞっとする。我々はその牡鹿を安全な場所に置いた。そこへ、夜になると、ウルトヴァンの息子が引き取りに来るのだ。
その時から、わたしはもう昼間外へ出るのはあまり気が進まなくなった。刈り払われた森が魅力を失って見えたのだ。わたしは仕事をしようと努めさえした。目的のない寂しい仕事――と云うのは、講義の終以来わたしは補欠の任を続けることを断ってしまったからだ――実《みの》りのない仕事。田園の中のほのかな歌声、かすかな物音さえも、すぐにその仕事からわたしを引っ張り出してしまうのだ。すべての叫びはわたしを呼ぶ声となった。こうして、行って見れば何事もないのに、幾度わたしは本を捨てて窓ぎわに駆け寄ったことであろう。幾度か急に外へ出て……わたしのなし得たただ一つの注意はすべて官能の注意だった。
しかし、さて夜が来ると――この時分もう日は早くから暮れた――これこそ、今までわたしがその美しさに気がつかなかった、我々の時なのだ。わたしは盗人が忍びこむように外へ出た。わたしは夜鳥の眼になってしまった。わたしはさらに丈高くそよぐ草の葉や、茂みの色の濃くなった樹々をあかず眺めた。夜はあらゆるものに凹みをつけ、遠ざからせ、土地を遥かに隔て、表の面《めん》を奥深にしてしまった。坦々とした径も危険らしく見えた。到るところに、闇を棲家とするものの眼覚めが感ぜられた。
「親父はおまえが今どこにいると思ってるかね。」
「家畜小屋で畜《けもの》の番をしてると思ってまさあ。」
アルシッドは全くそこで鳩や牝鶏と一緒に寝るのだ。晩になるとそこに押しこめられてしまうので、彼は屋根の穴から抜け出した。彼の着物には生暖い家禽の匂がついていた……
やがて突然、獲物が手にはいったかと思うと、彼は別れのそぶりもせず、わたしにまた明日《あした》とも云わないで穽《おとしあな》の中へはいるように夜の中へ突き入った。彼には犬が吠えつかない農園へ戻る前に、彼がウルトヴァンの息子に会って餌食《えさ》を渡すことはわかっていた。だが、どこで? これはいくら知りたいと思っても見つけることができなかった。脅《おど》しも欺しも利かなかった。ウルトヴァンの一家はめったに人を近寄せなかった。そして、わたしの無分別がどの点で一番勝っていたかわたしは知らない。いつもわたしの前を退《すさ》って行く下らない秘密を追いかけていたのか。それとも恐らく、好奇心のあまり秘密を捏《こ》ね上げてしまったのか。――しかし、わたしの傍を離れて、アルシッドは何をしていたことか。彼は本当に農園に寝たのか。――それともただ小作人にそう思わせておいたのか。ああ、わたしが自分の身を危くしても何にもならなかったのだ。信用も増さないで、彼の尊敬をなお減らすよりほか全く得るところがなかったのだ。そう思うと、赫となると同時に悲しくなった……。
彼が見えなくなると、急に、わたしは怖ろしくも一人ぎりになった。そして、わたしは畑を横ぎって、露にしなだれる草の中を、夜と野生と無秩序とにうっとりとして、濡れしおたれ、泥にまみれ、木の葉を浴びて、帰るのだ。遥か眠りの中なるラ・モリニエルの方に、マルスリイヌには閉じこもっているように思わせてあるわたしの書斎から、またはマルスリイヌの部屋から洩れる灯火が、安らかな灯台の如く、わたしを導くように見えた。もっとも、彼女には、わたしは前以てこうして夜外へ出なければどうしても寝つかれないと云い含めておいたのだ。それは本当だった。わたしは寝床につくのが怖ろしかった。納屋のほうがよいとさえ思った。
この年、獲物がたくさんあった。野兎、山兎、雉の類が続々と獲《と》れた。万事工合よく運ぶのを見て、ビュットは三晩ばかりたつと進んで我々の仲間にはいった。
密猟の六日目の晩になると、十二張っておいた罠のうち二つしか見つからなかった。昼間のうちに掻払いが行われたのだ。ビュットは、鉄の線が役に立たないので、銅の線を買い直すために百スウを要求した。
翌日になって、わたしはボカアジュの手許にわたしの十の罠があるのを見た。わたしは彼の熱心さを褒めないわけにいかなかった。一番手きびしいのは、前年、わたしがうっかり罠を一つ押さえれば十スウやると約束したことだった。で、わたしはボカアジュに百スウやらなければならなかった。一方、例の百スウで、ビュットが銅の線を買い直した。四日ばかりたつと同じ事が起った。新らしい十の罠が押さえられた。それで、またしてもビュットに百スウ、ボカアジュに百スウ取られてしまった。わたしがボカアジュを褒めてやると、
「褒めていただくのはわしではありません。アルシッドです。」と彼が云った。
「えっ!」あまりの驚きは我を忘れさせる。わたしはじっと堪《こら》えた。
「へえ」とボカアジュが続けて云った。「どうも仕方がなくて、檀那、わしは年をとるし、それに畑の方が手放せません。伜がわしの代りに森を見廻ってくれますよ。案内は知っとるし、またすばしっこい餓鬼で、罠を探して見つけることはわしよりもずっと上手《うわて》でさあ。」
「そりゃ、わけはあるまいよ、ボカアジュ。」
「そこで、檀那の下さる十スウのうち、わしはあれに罠一つについて五スウずつやっています。」
「たしかに、そのくらいの値打はあるよ。なるほど、五日で罠を二十か! よく稼いだものだね。密猟者も手を控えるよりほかあるまい。これで奴等は引きさがるだろうよ、きっと。」
「おお、檀那、取れば取るだけ後から出て来ます。今年は獲物がいい値に売れるので、百や二百出したところで……」
わたしは、もう少しでボカアジュを同類と思うほど、うまく一杯食ってしまった。そして、この事件に就いて怨《うら》めしかったのは、アルシッドの三重の商法ではなく、彼がこうしてわたしを欺してくれたことだった。それにビュットや彼は金を何にするのか。少しもわからない。この者どものすることは決してわかることではあるまい。彼等はいつも嘘をつくだろう。わたしを欺すために、わたしを欺すだろう。この晩は百スウではなくわたしは十フランをビュットにやった。そして、これでお終いだと云うこと、もしまた罠を取られればもうだめだと云うことを断った。
明くる日になると、ボカアジュがやって来た。非常に困った様子をしていた。それを見るとすぐわたしはもっと困ってしまった。一体何が始まったのか。ボカアジュの訴えに依ると、ビュットは明方になってやっと農園に帰って来た。ビュットはポーランド人のように酔っていた。ボカアジュが一言《ひとこと》云ったかと思うと、ビュットは口汚なく罵り返し、あまつさえ飛びかかってなぐりつけた……
「つまり」とボカアジュが云った。「わしは、檀那のお許し(この言葉にちょっと滞って)、お許しを受けて奴を追ん出してもいいかどうか、お伺いにまいりました。」
「考えてみよう、ボカアジュ。あれがおまえを敬うのを忘れたことは、気の毒に思う。それは解っている……おれ独りに考えさせてくれ。二時間ばかりたったらまたここにおいで。」――ボカアジュは出て行った。
ビュットを留めておくこと、それはボカアジュにつらく当ることだった。ビュットをおい出すこと、それは彼の復讐心を煽《あお》ることだった……仕方がない、どうともなれ、それに罪は自分独りにあるのだから……で、ボカアジュがまたやって来ると、
「ビュットに、もうここでは用はないと云い渡してよろしい。」
それからわたしは待った。ボカアジュはどうしたか。ビュットは何と云ったか。――晩になってようやく悪い噂の反響があった。ビュットがしゃべったのだ。わたしは、まずボカアジュのうちから聞えて来る叫び声に、それと悟った。アルシッドが打《ぶ》たれているのだ。――今にボカアジュが来るだろう。もうやって来る。年寄の足音の近づくのが聞える。わたしの心臓は、獲物を待った時よりもさらに強くどきどきする。堪えがたい瞬間よ。堂々と真向から正論を押して来るだろう。わたしはまじめにその相手をしなければなるまい。どんな云いわけを構えたものか。どんなにへまをやることか。ああ、こんな役は返してしまいたい……ボカアジュがはいって来た。彼の云うことがとんと解らない。ばかばかしいが、もう一度云い直させなければならなかった。とうとう、わたしはこう云うことが解った。彼はビュット一人に罪があると思っているのだ。信じられない事実は眼にはいらないのだ。わたしがビュットに十フランやったところで、それがどうなるのだ? この呼吸をのみこむには、彼は余りにノルマンだった。あの十フランはビュットが盗んだのだ。解りきっている。わたしから貰ったと称して、盗みの上に嘘を重ねているのだ。盗みを隠す作りごとなのだ。こんなことでボカアジュがちょろまかせるものか……密猟の件などは問題にならなかった。ボカアジュがアルシッドを打《ぶ》ったのは、この子供がうちを空《あ》けたからなのだ。
さて、わたしは救われた。ボカアジュの前では少くとも万事うまく行った。ビュットは何と云うばかなのだ。たしかに、この晩、わたしは大して密猟をしたいとは思わなかった。
わたしはもうこれですっかり済んだと思っていた。ところが、一時間ばかりたつと、シャルルがやって来た。彼はふざけた様子をしていなかった。遠くからもう、親父よりもずっと扱いにくく見えた。それにしても前の年は……
「おい、シャルル、暫く会わなかったね。」
「檀那がわたしにお会いになりたければ、畑へおいでになればよかったんです。森や夜には、わたしは用がありませんから。」
「ああ、親父に話を聞いたな……」
「父は何も云やしません。父は何も知らないんですから。あの年になって、主人にばかにされていることを知るがものはないでしょう。」
「気をつけないか、シャルル、言葉が過ぎる……」
「おお、どういたしまして、檀那は御主人です。お好きなようになさればいいんです。」
「シャルル、おれが誰をもばかにしたのでないと云うことは、よく解っているだろうね。おれが勝手なことをするのは、それがおれ以外に害を及ぼさないからだ。」
彼はちょっと肩を聳かした。
「檀那が御自分で御自分の利益をぶちこわしながら、どうして、それを人に守らせることができますか。番人と密猟者とを一緒に庇《かば》うわけにはいきますまい。」
「なぜ?」
「なぜって、それじゃ……ああ、檀那、あんまり悪どいやり方なんで、口がきけないくらいです。ただ、わたしは、わたしの御主人がお上の御厄介者の仲間入をして、人が御主人のためにしておいた仕事を奴等と一緒になって台なしにするのを、見てるのが嫌なんです。」
シャルルは次第にしっかりした声でそう云った。彼の態度はどっしりしていた。わたしは彼が鬚を刈ったことに気がついた。それに、彼の云うことはかなり正しかった。で、わたしが黙っていたので(何と云えようぞ)、彼は続けて云った。
「人は自分の持っているものを重んじなければならないと、去年檀那は教えて下さいましたが、それをすっかりお忘れになってしまったようです。この務めをまじめに行って、悪さをやめなければだめです……そうでなければ、それこそ、ものを持っている値うちがないと云うものです。」
沈黙。
「おまえの云うことは、それでお終いかね。」
「今晩は、そうです、檀那。しかし、またいつか、檀那のなさり方次第で、父とわたしとがラ・モリニエルを立ち退くと云うことを申し上げにまいるかも知れません。」
こう云って、彼は非常に低いお辞儀をして出て行った。やっと、わたしは反省の余裕を得て、
「シャルル!――全くその通りだ……おお、おお、これがいわゆる所有と云うものだとすれば!……シャルル。」そこで、わたしは彼の後を追い、夜の闇の中に追いついて、非常に早く、わたしの突然の決心を確かめるためのように、
「おれがラ・モリニエルを売りに出すということを、親父に知らせてもいいよ。」
シャルルは重々しくお辞儀をして、一言も云わずに立ち去った。
すべてみな、愚かなこと。
マルスリイヌはこの晩食事におりて来られないで、工合が悪いと云ってよこした。わたしは大急ぎで、心配しながら、彼女の部屋へ上って行った。彼女はすぐにわたしを宥《なだ》めた。「ただの風邪ですわ」と彼女は心頼みにした。彼女は寒けがしたのだ。
「何か引っかけてることができなかったのかい。」
「でも、ぞっとしたので、すぐ肩掛をかけましたの。」
「ぞっとしてからじゃだめだよ。その前でなけりゃ。」
彼女はわたしの顔を見て、にっこりしようとした……ああ、幸先の悪かったこの日は、わたしを苦悩に陥れたのであろうか――彼女は大きな声でこう云おうとしたのであろう。「あなた、そんなにあたしが生きてればいいと思って下さるの。」それを聞けば、わたしも恨むところはなかったであろう。ばったりと、わたしのまわりでものみなが崩れ、掌に握るすべてのもののうち、わたしの手は何物も留めるすべを知らないのだ……わたしはマルスリイヌに飛びついて、その蒼白い|顳※[#「需+頁」、unicode986c]《こめかみ》に接吻を浴びせた。すると彼女も堪えきれなくなって、わたしの肩に凭《もた》れて啜り泣いた……
「おお、マルスリイヌ! マルスリイヌ! ここを立とう。ほかに行って、あのソラントの時のようにおれはおまえを愛そう……おまえはおれが変ったと思いはしないか。だが、ほかに行けば、二人の愛が少しも変らなかったと云うことを、はっきり感じるだろう……」
わたしはまだ彼女の悲しみを癒しきったのではないのだ。しかも既に、彼女は希望に縋《すが》っているではないか……
季節は更けていなかったが、じめじめして寒かった。そしてもう、薔薇の木の名残の蕾は開く力もなく腐って行った。うちの招客はずっと前に帰ってしまった。マルスリイヌは家をたたむ始末ができないほど工合の悪いわけではなかった。こうして五日の後我々は立った。
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第三部
ここに、わたしはもう一度わたしの愛の上に手を閉じ合わせようと努めた。しかし、静かな幸福がわたしに何の要があろうぞ。マルスリイヌがわたしに与え、わたしに示現したところの幸福は、疲れを知らない安息のようだった。――が、わたしは彼女が萎《な》え衰えてわたしの愛を求めていることを感じたので、愛をもって彼女をつつみ且それがわたし自身のうちより出た要求であるかのように見せかけた。わたしは彼女の苦痛を堪えがたく感じた。わたしが彼女を愛したのはその苦痛を癒そうがためであった。
ああ、手厚い介抱、優しい夜伽《よとぎ》! 人々が実践を拡げておのれの信を激させるように、こうしてわたしはわたしの愛を伸ばして行った。――と、忽ちにして、彼女は希望に縋り出した。――彼女のうちにはまだ多くの若さがあり、わたしのうちには多くの望みがある。と彼女は信じていた。――我々は新婚の日のようにパリを脱け出した。ところが、旅へ出た初めの日から、彼女の容態が非常に悪くなり出した。ヌウシャテルに着いた時から我々は止らなければならなかった。
わたしは岸に紺碧を湛えたこの湖水がどんなに好きだったろう。アルプスふうを脱して、その水も沼の水のように、長らく土とまじって、蘆の間に滲み出しているのだ。わたしはマルスリイヌのために、非常に気持のよいホテルの、湖水に臨んだ一室を見つけることができた。わたしは一日中彼女の傍を離れなかった。
彼女の容態がよくならないので、翌日になると、わたしはロオザンヌから医者を呼んだ。医者は、わたしの妻の家に前から結核の血統《ちすじ》があるかどうかと、無益にも聞きたがった。わたしは、あると答えた。が、その実わたしは知らなかったのだ。ただ、わたし自身が殆どそれになりかかったことがあって、しかもわたしの看病をするまではマルスリイヌは一度も病気になったことがないと云うありようを、云いたくなかったのだ。そして、わたしはすべてを脈管閉塞のせいにした。しかし、医者はそれをほんの副因と見なして病患の元はずっと以前にあると診断した。そして、しきりに我々に向ってアルプス高地へ転地することを勧め、そうすればマルスリイヌの体が癒ると請合った。且、わたしもちょうど冬中をアンガディヌで越したいと思っていたので、マルスリイヌの体が旅行に堪え得るほどに快くなると同時に、我々はそこを出発した。
わたしは道中所感の一つ一つを変った出来事のように憶えている。気は澄んで寒かった。我々は一番暖い毛皮を持って来ておいた……コアルでは、ホテルの騒ぎがやまないので、我々は殆ど一睡もできなかった。わたしだけならば、気軽に徹夜と覚悟をきめたところでそう疲れも感じなかったであろう。だが、マルスリイヌは……この騒ぎもさることながら、この中で彼女の寝つかれなかったと云うことがさらにわたしを苛立たせた。さぞ彼女は眠りを求めたのであろうのに! 翌日、夜明前に我々は立った。コアルから出る乗合馬車には、前から席が借り切ってあった。駅継がよく整っているので、一日にしてサン・モリッツに到着した。
ティエフェンカステン、ル・ジュリエ、サマデン――刻一刻、すっかりわたしは憶えている。空気の変りよう、その烈しさ、馬の鈴音、飢《ひ》もじさ、宿屋の前での正午《ひる》の止り、スウプに割りこんだ生卵、黒パン、ひりりとする酒の冷さ。――この粗末な食事は、マルスリイヌの口には合わなかった。――折よくわたしが道中に用意しておいた堅パン数片のほかには、彼女は殆ど何も食べられなかった。陽《ひ》の落ちる態《さま》が眼に浮ぶ。森の勾配へ上る影の足の速さよ。それからまた一止り。空気はいつもぴりっとして、からからになるばかり。馬車が止ると、人は心臓まで、夜と、あの透き徹った沈黙とのなかに浸ってしまう。透き徹った……これよりほかに言葉はない。どんな微かな物音も、この奇《あや》しい清澄のうえにその性質をそっくり移して、鏘々《そうそう》の響を伝えるのだ。夜になってまた出発。マルスリイヌが咳をし出した……おお、それが止んでくれないかしら。あのスウス行の乗合馬車のことが思い出される。わたしはもっとうまく咳をしたように思う。彼女は力を入れ過ぎるのだ……衰え変ったその面影よ。暗がりで、こうしていると、わずかにそれと察せられるほどだ。顔だちの痩せ緊ったこと! 二つの黒い鼻の孔が、こんなに見えたろうか。――おお、怖ろしく咳をする。これが彼女の介抱の一番明白な結果なのだ。わたしは同情が怖ろしい。感染はみなそこに潜んでいるのだ。強者によるほか同情してはなるまい。――おお、全く彼女は堪えきれないのだ。もうじきに着かないかしら……どうするのだ?……彼女は手巾を取り、それを唇に当てがい、面をそむける……ぞっとする! 彼女もまた血を吐こうとするのか。――荒々しく、わたしは彼女の手から手巾をひったくった。提灯のうす明りにすかして、じっと見た……何もない。だが、わたしはあまりに苦悩を色に出した。マルスリイヌは、悲しくもほほ笑もうと努めながら、小声でこうつぶやいた。
「いいえ、まだよ。」
とうとう着いた。危いところだ。彼女はやっと身を支えているのだ。我々のためにとってあった部屋は気に入らなかった。その夜はそこで明かして、翌日になったらば取り更えることにした。何物もあまり美しいとも見えず、親しげにも感じられなかった。それに、まだ冬の季節に入ってなかったので、大きなホテルが殆どがら空きだった。わたしは撰り取りをすることができた。わたしは、闊い、明るい、飾附の簡素な二つの部屋を取った。これに隣して大きな客間があり、その端が広い張出窓になっていて、そこから不態《ぶざま》な青い湖水や、山腹に木立が多過ぎたりまたはからりと裸過ぎた名も知れぬ荒山の景色を望むことができた。そこで我々は食事をすることにした。部屋代は法外に高かったが、それが何だ! わたしはもう講義こそ持っていなかったけれども、ラ・モリニエルを売らせることにしてある。それに、後でどうにかなろう……一体、何でわたしに金がいろうぞ。そんなものがみな何でいろうぞ……今、わたしは強くなったのだ……財産状態ががらりと変れば、健康状態ががらりと変ったと同じく、教えられるところがあるに違いないと思う……マルスリイヌ、彼女には奢《おご》りがいる、彼女は弱いのだ。……ああ、彼女のために、何もかもすっかり遣ってしまいたい……しかも、この奢りに就いて、わたしは惧れと興味とを一緒に感じた。わたしはわたしの官能慾をそこに濯《そそ》ぎ、そこに浸《ひた》して、かくて、それが風来坊になれと願っているのだ。
そのうちに、マルスリイヌはだんだん快《よ》くなってわたしの不断の介抱も功を奏して来た。彼女の食が進まないので、わたしはその食慾をそそるために凝った旨そうな料理を註文した。そして、極上の酒を飲んだ。わたしはそれが非常に彼女の気に入ったように思いこんだ。それほど、毎日試みるこの異国産の酒がわたしを悦ばせたのだ。或はつんとするランの酒、或は利目が頭へ上ってうっとりとする糖水のようなトケエ酒など。それに、わたしはあの変ったバルバ・グリスカを思い出す。それはもう一瓶しか残っていなかったので、その奇妙な味がほかのにもまた味えるかどうか知る由がなかった。
毎日、我々は車で外出した。それから、雪がふった時は、襟まで毛皮にくるまって橇《そり》に乗って出た。わたしは顔を火のようにほてらせて帰った。食慾とそれに眠りがこみ上げて。――一方、わたしは全然仕事を放棄したのではなかった。毎日一時間以上、わたしが云わなければならないと感じたことについて、考察を重ねたのだ。歴史はもう問題ではなかった。ずっと前から既に、わたしの歴史の研究は心理検討の一方法としてよりほか興味を惹かなくなった。わたしが曾て過去の中にもつれた相似を見出したと思った時、どれほどそこに新らしく感激を覚えたことだったろう。わたしは、死者に迫ることに依って、生に対する秘密の指針を握り得るとさえも思っていたのだ……今日にあっては、あの若いアタラリックその人が墓より起って語らいに来るもよし、わたしはもう過去には耳を藉さなかった。――それに、どうして古風な応答がわたしの新らしい質疑を満たし得よう。――そもそも人はまだ何ができるのか。これがわたしの知らなければならないことだった。今までに人の云ったことが、その云い得たすべてなのか。人はおのれに就いて悉く知りつくしてしまったのか。もうそれを繰り返すよりほか仕方がないのか……日毎に、わたしの身内には、教化、礼節、道徳に蓋い、隠し、抑えつけられている秘宝の心力が朧げながら拡って行くのだ。
かくて、わたしは或る知られざるものの発見のために生れたような気がした。わたしはこの闇中摸索に奇《あや》しく心が躍った。これがために探求者が教化、礼節、道徳を一身より絶ち斥けなければならないことは、覚悟のまえだった。
わたしはもはや他人のうちに極端な野生の発現よりほか味わなくなり、これが何かの束縛のために抑制されれば、心に悲しむようになった。ややもすると、わたしは正直の中に拘束と規約とまたは危惧《きぐ》よりほか見まいとした。これを無類の難事として愛すると云うならば、気に入ったかも知れない。我々の風習はこれを以て相互的で月並な契約の形式にしてしまった。スイスでは、それが慰安の一つだった。わたしはマルスリイヌがそれを求めることを察しはしたが、わたしの思想の新らしい流を彼女に隠しはしなかった。ヌウシャテルで既に、彼女が彼方の壁や人の面に溢れるこの正直の徳をほめ讃えたので、
「おれはおれのだけでもうたくさんだ。」とわたしは云い返した。正直な人と聞くと、ぞっとする。何も彼等を怖れることもなければ、また学ぶこともないのだ。第一、彼等は何も云うことがないのだ……正直なスイス人! よく身を持することは何の役にも立たない……罪もなく、歴史もなく、文学もなく、芸術もなければ……棘《とげ》も花もない、かっちりした薔薇の木……
この正直な国がわたしを退屈させることは、前から解っていたのだ。しかし、二月《ふたつき》ばかりたつと、この退屈は一種の逆上《のぼせ》になって、わたしはもう出発することよりほか考えられなかった。
時はちょうど一月《いちがつ》のなかばだった。マルスリイヌは次第に眼に立って快くなった。少しずつ彼女を衰えさせる連続的の微熱も、消えてしまった。頬を染める血色も、ずっとよくなった。彼女は、ごく僅かだがまた悦んで歩くようになり、もう前のようにいつもがっかりしていると云うことはなくなった。この体を丈夫にする空気の利目をすっかり収めてしまった上は、イタリヤへ下って、暖い春の恵みに全快を待つのが第一だと云うことを彼女に云い聞かせるには、大して骨が折れなかった。――そして特に、それをわたし自身に云い聞かせるのに骨が折れなかった。それほど、わたしはこの高地に飽きあきしていたのだ。
しかし、今となって、わたしの閑居のうちに一旦斥けた過去がその力を盛り返して来るに当って、わけてもこの思出がわたしを悩ませる。橇の疾走、乾いた空気の快い鞭打、雪の飛沫、食慾――霧の中の宛《あて》もない歩み、奇異な声の響、突然現われる物の形――ぴったり塞がれた室内の読書、窓外の風景、凍った風景――雪を待つ間の寂しさ――外界の消滅、思惟のしびれ……おお、彼女とただ二人、彼方なるあの清らかな、落葉松《からまつ》に囲まれた、人目のかれた小さな湖をすべるたわむれ。それから、彼女とつれ立って戻る夕暮れ……
このイタリヤ下りは、わたしにとって、高みから墜ちる眩《くらめ》きだった。空は晴れていた。我々がだんだん暖く濃くなる空気の中へとはいって行くに従って、山の頂の硬ばった樹々、きちんと並んだ落葉松《からまつ》や樅《もみ》の木立は後へ退《すさ》り、しっとりとした美しさを見せてのうのうと伸びている草木に代られた。わたしは人生に対する抽象から離れるような気がした。そして、冬であったにもかかわらず、わたしは方々に薫香を想像した。ああ、あまり長い間、我々は影でしか笑わなかったのだ。わたしは自分の抑制に陶然としてしまった。他の人たちが酒に酔うように、わたしは渇きに酔ってしまったのだ。わたしの生活の節制は眼ざましいものがあった。この寛大な、行手華かな土地に足を踏み入れると、忽ちにしてわたしの慾望は一時に破裂した。大きな愛の泉がわたしの身内に溢れて来た。時として、それはわたしの肉の奥から頭へ流れこみ、わたしの考えを掻き乱した。
この春の幻影は長く続かなかった。急激な高度の変化が一時わたしを欺きはしたが、数日ばかり滞在したベラジオやコオム湖の翳《かげ》った岸を離れると、我々は冬と雨とを見出した。アンガディヌで凌いだ寒さは、もう高地のようにからっとして軽くはなく、今は、じめじめして陰気になり、我々を悩まし始めた。マルスリイヌはまた咳をし出した。そこで寒さを避けるために、我々はもっと南へ下った。ミラノからフィレンチェへ、フィレンチェからローマへ、ローマからナポリへ。さてこのナポリの町と云うのが、冬の雨に濡れしおたれては、わたしの知る限り一番悲しい町なのだ。わたしは云い知れぬ倦怠に附きまとわれた。我々は暑さを求める由もないので、慰みの真似事でもしようと、ローマに立ちかえった。モント・ピンツィオに、我々は広過ぎるけれども位置の非常によい部屋を借りた。既にフィレンチェでホテルが気に入らず、ヴィアレ・デイ・コリに立派な別荘を三月間借りたのだ。他の者ならば、いつまでもそこに住んでいたいと思ったかも知れない……我々は二十日と留らなかった。とは云え、新らしい泊り泊りに、わたしはもうそこを立ち去ることがないかのように、すっかり支度を整えるのだ。より強い邪神がわたしを押し進めたのだ……それに、なお云っておくが、我々の持って行った荷物は八|梱《こおり》を下らなかった。その中に一つ、本ばかりぎっしり詰めたのがあった。しかし、わたしは旅行中一度もそれを開けたことがなかった。
わたしはマルスリイヌが我々の支出のことを気を遣ったり、それを控え目にしようとしたりすることを許さなかった。支出の度外れなことは十分わかっていた。そして、それがいつまでも続くものでないと云うことも。わたしはラ・モリニエルの金を当てにすることを止めていた。そこからはもう何の収入《みいり》もなく、ボカアジュも買手が見つからないと書いて寄こした。しかし、行末のことを思えばいつもわたしは一層金使いが荒くなるばかりだった。ああ、ひょっとして独りになれば何がそんなに要《い》るものか!……とわたしは考えた。そして、苦悩と心待ちとを抱いて、財産よりもっと速くマルスリイヌの細い生命が減って行くのを見守った。
彼女は一切の面倒をわたしに任せて引き下っていたとは云え、この慌ただしい移動にすっかり疲れてしまった。しかし、もっと彼女を疲らせたものは、今こそ思いきって打ち明けるが、わたしの考えの怖ろしさだった。
「よくわかりますわ。」と或る日彼女はわたしに云った。「あなたの御主義がよくわかりますわ――今ではもう御主義ですからね。それはおりっぱかも知れません。」そこで、悲しげに、声を落して云うよう、「でも、それでは弱い者の立つ瀬がありませんわ。」
「そりゃ、あたりまえさ。」と我にもあらずわたしはすぐに答えた。
その時、わたしは、この荒い言葉の怖ろしさの下に、あのか弱い体がくず折れておののくのを感じるように思った……ああ、恐らく、君たちはわたしが彼女を愛していなかったと考えはしまいか。誓って云う、わたしは熱烈に彼女を愛しているのだ。彼女がこれほど美しかったことはなかった。また、わたしの眼にそう見えたこともなかった。病気が彼女の顔だちをほっそりさせ、恍惚とさせてしまったのだ。わたしはもう殆ど彼女の傍を離れずに、介抱の手をつくし、いたわり夜も昼も絶間なく看護《みとり》に努めた。彼女の眼がどんなに覚めやすかったにしろ、わたしはそれにも増して自分の眠りを眼ざとくするように馴らした。彼女の寝つくまで見張りをし、起きる時はさきに起きた。時として、一時彼女の傍を離れ、独りで田舎や街が歩きたくなると、わたしは何とも知れぬ愛の気懸りに、彼女の退屈が案じられて、すぐ彼女の傍へ引き戻されてしまうのだ。また時として、わたしは我と我が意志を呼び戻して、この行動に出るのにさからい、自らそう云った。おまえの値うちはそれきりか、えせ非凡人!――そして、無理にも長く家《うち》をあけるようにした。――しかし、そう云う時には、わたしは腕いっぱい花を抱えて帰った。早咲の園の花、室《むろ》の花……そうだ、全く、わたしは彼女を優しく慈《いつくし》んでいたのだ。だが、これをどう云い現わしたものだろう……わたしは自分を尊ぶことが減るに従ってますます彼女を敬うようになったのだ。――相反する熱情と思想が、どれほど人のうちに共棲しているものであろうか……
もうずっと前から、悪い天気はやんでしまった。季節は進んで行った。そして、にわかに、パリ杏《あんず》が花を開いた。――それは三月一日だった。その朝、わたしはエスパアニュの広場におり立った。田舎|人《びと》は野山からその白い枝を|※[#「手へん+宛」、unicode6365]《も》いで来て、パリ杏の花は花売の籠に盛り上げられていた。わたしは恍惚として、その一繁みをみな買い取ったほどだった。三人の男がそれを運んで来た。わたしはこの春をそっくり持って家へ帰った。枝は扉に懸かり、花弁は絨毯《じゆうたん》の上に雪と散った。わたしはそれを到る処に、どの瓶の中にも挿した。わたしは、マルスリイヌがつい出かけた留守の部屋を、それで真白にしてしまった。早くも、彼女の悦びを思うと胸がおどる……彼女の足音が聞える。来た。扉を開ける。どうしたと云うのだ……よろよろとして……彼女はいきなりむせび泣くではないか。
「どうしたの、マルスリイヌ……」
わたしは急いで傍にかけ寄って、やさしく撫でさすった。すると、涙の云いわけをするように、
「この花の匂に、くらくらとしましたの……」と彼女が云った。
しかも、それは、ほのかな、ほのかな、蜜のようなしめやかな匂だった……一言も云わずに、わたしは赫として眼は血走り、この罪のないあえかの枝を掴み折って、持ち去って、捨ててしまった。――ああ、このささやかな春にさえ、もはや彼女は堪えがたいと云うのか!……
わたしはよくこの涙のことを思う。今にして思えば、彼女が泣いたのは、この時既に身の終を感じて、いくつもの他の春の名残が惜しまれたからではあるまいか。――それからまた、強者には強い歓びがあり、強い歓びに傷けられやすい弱者には弱い歓びがあるとも考えられる。彼女はごく僅かの快楽にもうっとりとして、それが少し烈しくなれば、もはや堪えきれなくなってしまったのだ。彼女が幸福と呼んだものは、わたしが安息と呼んだものなのだ。そして、わたしは安息を求めもせず、得られもしなかったのだ。
四日の後、我々はまたソラントへ向って立った。わたしはもうそこには暑さがなかったのでがっかりした。すべてが、かじかんでいるように見えた。吹きやまない風はすっかりマルスリイヌを疲らせてしまった。我々は前の旅行の時と同じホテルに泊りたいと思っていた。そして、その同じ部屋にまたはいった……どんよりした空の下にあって、すべての道具立の興ざめよう、我々の愛がさ迷った時には、あれほど美しく見えたホテルの庭の寂れようを、我々は茫然として眺めるばかりだった。
我々は、海を越えて、かねて気候がよいと聞くパレルムへ渡ろうと決心した。我々はナポリへかえり、そこで船に乗ることにして、また暫く滞在した。しかし、ナポリでは、少くともわたしは退屈しなかった。ナポリは、過去の影の薄い、生きた場所だ。
一日のうち殆ど絶間なく、わたしはマルスリイヌの傍にいた。夜、彼女は疲れて早く寝た。わたしはその寝つくのを見守った。そして、時にはわたしも横になった。やがて、彼女の息がだんだん平《たいら》になって眠りに入ったと云うことがわかると、わたしは音もなく起き上り、明りもつけずに着物を着直した。こうして、盗人のように外へぬけ出した。
外! おお、歓喜のあまり叫びたいほどだった。何をしようとしたのか、わたしは知らない。昼のうち暗かった空は雲を抜け出して、満つるに近い月影が輝いていた。わたしは足の向くままに、目当てもなく望みもなく気がねもなく歩いた。わたしは新らしい眼ですべてを眺め、音のする毎にさらに耳をそば立てて窺った。わたしは夜の湿り気を吸いこみ、手を以て物にふれてみた。わたしはさ迷い歩いた。
ナポリ滞在の最後の晩、わたしはこの放浪の楽しみを延長した。かえって見ると、マルスリイヌが泣いていた。彼女は、急に眼が覚めて傍にわたしがいないことを感じると、怖ろしくなって来たのだと云った。わたしは彼女を宥め、言葉をつくして外出《そとで》の云いわけをし、そして、もう傍を離れまいと思った。――しかし、パレルムに着いた最初の夜から、もう我慢ができなくなった。わたしは外へ出た……橙の初花が咲いていて、そよ風がその香を伝えて来た……
我々は五日しかパレルムにとどまらなかった。それから、大廻りをして、二人ともまた行ってみたいと思っていたタオルミイヌを訪れた。村が山の中に高くとまっていることは、前にも云ったと思う。駅は海辺にある。ホテルまで乗りつけた馬車で、わたしはすぐにまた駅へ引き返すことになった。わたしはそこへ荷物を取りに行ったのだ。わたしは、御者と話をするために、馬車の中に立っていた。それは、テオクリットの詩句のように美しく、果実《くだもの》のように光沢も匂も味もよい、カタンヌの小さなシシリア人だった。
「なんて綺麗だろう、奥さんは! Com'e bella la Signora!」と彼はマルスリイヌの遠ざかって行く姿を眺めながら、かわいらしい声で云った。
「おまえだって綺麗じゃないか。Anche tu sei bello, ragazzo.」とわたしは答えた。わたしは彼の方へ体を屈めていたので、もう、我慢がしきれなくなった。で、やがて、わたしは彼を此方へ引き寄せて接吻してやった。彼は、笑いながら、するがままにさせていた。
「フランス人は誰でもかわいがられる。I Francest sono tutti amanti.」と彼が云った。
「だが、イタリヤ人はみんなそうはいかないよ。Ma non tutti gli Italiani amati.」とわたしもまた笑いながら云い返した……わたしは、次の日もまたその次の日も、彼を探したが、とうとう見つからずじまいだった。
我々はタオルミイヌを立って、シラクサへ向った。我々は、一歩一歩、最初の旅程を解《ほご》しなおして、我々の愛の初めに溯《さかのぼ》った。そして、その最初の旅行の時、週また週とわたしが快癒に向って行ったように、週また週と我々が南方へと進むに従ってマルスリイヌの容態はだんだん悪くなった。
わたしがビスクラでの自分の予後の思出を楯にとって、彼女にはもっと光と熱が必要だと自分も思いこみ、それから特に彼女にそう思いこませようとしたのは、何と云う間違い、何と云う剛情な盲根性、また何と云う自ら招いた愚かさだったろう……が、空気はいつか暖くなって来た。パレルム湾は穏かで、マルスリイヌの気に入ってしまった。そこで、恐らく、できるならば彼女は……が、わたしの意志をえらみ、わたしの望みを決することは、はたしてわたしの自由だったのか。
シラクサで、海の模様と船の通いの不定のために、我々は八日ばかり待たなければならなかった。マルスリイヌの傍で暮らさない時間はいつも、わたしはこの古い港で過ごした。おお、シラクサの小さな港よ。酸い酒の匂い、泥濘《どろ》深い小路、酔い痴れた荷揚人足や放浪者や船乗がごろごろしている臭い店。最下層の人々の社会はわたしにとって心持よい附合だった。彼等の言葉をよく聞きわける要がどこにあろう、わたしの肉体を挙げてこれを味っているのに。熱情の荒々しさは、そこにもまた、わたしの眼には健康の、活力の、偽られた相《すがた》と映った。そして、彼等は彼等のみじめな生活についてわたしが見出すような興味を感ずることができないのだと云うことを、心に云って見てもだめだった……ああ、彼等と一緒にテイブルの下にころがり、寂しい朝の気にぞっとして眼を覚ませるならばと、わたしは思ったことだ。そして、わたしは彼等の傍にあって、奢侈、慰安、わたしがかつて囲まれていたところのもの、わたしの新らしい健康が不必要にしてのけたその保護、生の危険な接触から身を全うするための一切の警戒、すべてそう云うものに対して募り行くわたしの嫌悪を、さらに大きく膨《ふく》らかしてしまったのだ。わたしは、もっと立ち入って、彼等の生活を想像した。もっとさきまで彼等の後を追い、彼等の陶酔の奥底に突き入りたいとも思った……そこで、急に、マルスリイヌのことが心に浮かんで来た。今彼女は何をしているか。彼女は苦しんで泣いているのだ、きっと……わたしはいそいで立ち上って、駆け出して、ホテルへ戻った。さて、そのホテルの入口には、こう書いてあるような気がした。≪貧乏人入るべからず。≫
マルスリイヌは、わたしに対して、いつも同じようだった。疑いや咎めの言葉は一言も出さずに、何は措いてもほほ笑もうと努めていた。――我々は別々に食事を摂《と》った。わたしは、この並のホテルでできるだけの一番よいものを、彼女に供させるようにした。そして、食事の間、わたしはこんなことを考えていた。一片のパン、チーズ、一茎の茴香《ういきよう》で、彼等には足りるのだ。そして、彼等と同じく、わたしにも足りるわけなのだ。また恐らく、彼処《かしこ》には、すぐ傍の彼処には、腹がへっても、このみすぼらしい糧にさえありつけない者がいるのだ……さて、ここに、わたしのテイブルの上には、彼等を三日間飽かしめるほどのものが並んでいる! 壁をぶち抜いて、客をなだれ込ませてやろうか……飢に苦しむのを感じることは、わたしにとって、恐ろしい悩みになったのだ。こうして、わたしはまたその古い港へ出かけて行っては、ポケットにいっぱい詰めこんだ小銭を手当りに撒き散らした。
人間の貧乏は奴隷だ。食うために、楽しみのない仕事をする。愉快ではない仕事はみな傷ましいことだ、とわたしは思った。で、わたしはおおぜいの者の安息を贖《あがな》ってやった。わたしはこう云った――働くな、それはおまえを退屈させる。わたしは、一人一人について、これなくしてはいかなる珍奇も、悪徳も、芸術もひらき出ることのできない、その閑暇《ひま》のことを夢みたのだ。
マルスリイヌはわたしの考えをはき違えてはいなかった。わたしはあの古い港からかえって来ると、どんなやくざな連中にとり巻かれていたかを、隠さず話した。――すべてこれ人事のうちだ。マルスリイヌは、わたしが一心になって見出そうとしたものを、よく察していた。で、彼女がいつも一人一人にそれぞれ美点を拵え上げてそれを信じているのを、此方から咎めてやると、
「あなたは、あなたはおよろこびになりませんわ。」と彼女はわたしに云った、「よその人の悪いところを外に引き出して見るのでなければ。あたしたちの眼は、一人一人について、その眼を着けた点を引き伸ばして大きくすることが、おわかりになりませんの。それから、あたしたちは、相手を、自分がこうだと思った通りのものにしてしまうと云うことも。」
わたしは彼女の言葉が当らないと思いたかった。が、一人一人のうちにあって、一番悪い本能がわたしには一番誠らしく見えたと云うことを、自ら認めないわけにはいかなかった。――それに、何をわたしは誠と呼んだのか。
我々はとうとうシラクサを立った。南方の思出と望みとが、わたしに附きまとってやまなかった。海上、マルスリイヌの工合は快《よ》かった……わたしはまた海の情趣にひたる。波静かに、船足の跡を止めるかのようだ。水を切る音、流れる音が聞えて来る。それから、甲板の洗濯、洗濯人の裸足が板の上をぴしゃぴしゃ歩く音。真白なマルタが眼に見える。もうじきテュニス……さてもわたしの変ったことよ。
暑い。晴れだ。ものみながぴかぴか光っている。ああ、わたしはここで一句一句に歓楽の一束ねがそっくりこぼれ出てくれればと思う……今、わたしの生活にあったより以上の秩序をわたしの物語りに附けようとしても、むだであろう。かなり長い間、わたしはどうして今あるところの自己に達したかを君たちに云おうと努めた。ああ、この堪えがたい理論からわたしの心を解《ほご》すすべよ……わたしは我身のうちに気高いものしか感じられない。
テュニス。強いよりもおびただしい光。もの影までも光でいっぱいだ。空気そのものが、ものみなの浸《ひた》り、人の飛び入って泳ぐ光の流れのようだ。――この歓楽の土地は、慾望を満たしはするが、やわらげはしない。そして、満足はいつもそれをそそり立てるのだ。
芸術作品の欠けている土地。わたしは既に転写され吟味されつくしたものよりほかに美しさを認めることを知らない人々を軽蔑する。アラビヤ人はこう云う美点を持っている。すなわち彼等の芸術を彼等は日々に生き、歌い、そしておい出してしまうのだ。彼等は決してそれを止《とど》めず、また、どんな作品にも焚きこめようとしないのだ。それが大芸術家の出ない原因でもあり、結果でもある……大芸術家とは、全く自然なもの、後に見る人をして≪どうして自分は今までこれもまた美しいと云うことが解らなかったのか……≫と云わせるようなものに美の刻印を押す人たちのことだと、わたしはいつも思っていた。
ケルウァンにはまだ行って見たことがなかったので、わたしはそこにマルスリイヌを連れずに出かけた。その夜は非常に美しかった。ホテルに寝に戻ろうとした時、わたしは一群のアラビヤ人が、外で、小さなカフェの筵《むしろ》の上にころがっていたのを思い出した。わたしは彼等のすぐ傍に行って寝てみた。わたしは虱だらけになって帰った。
海岸のしめぼったい暑さがすっかりマルスリイヌを弱らしてしまったので、わたしはできるだけ早くビスクラに行くことが何より第一だと彼女に説きつけた。それはちょうど四月の初めだった。
この旅行は非常に長い。第一日は一走りでコンスタンティヌまで行った。二日目は、マルスリイヌがたいへん疲れてしまったので、エル・カンタラまでしか行けなかった。――そこで、我々は、夕方になって、夜、月の光にも増して心持よく爽かな影を探し当てた。それは、汲んでもつきぬ聖水のように、我々の傍まで流れて来た。我々の腰かけていた斜面からは、燃え立つ野面が見えた。この夜、マルスリイヌは眠ることができなかった。沈黙の奇《あや》しさ。かすかな物音も彼女をびくりとさせた。わたしは彼女に少し熱が出はしないかと思った。彼女の床の上で動く音が聞えた。明くる日、彼女は常よりも蒼ざめて見えた。我々はまたそこを立った。
ビスクラ。わたしはここへ来たかったのだ……そうだ、ここに公園があり、ベンチがある……ベンチには見覚えがある。わたしの予後の初めに腰かけた所だ。そこでわたしは何を読んだか?……ホメロス、その後またとわたしはそれを開かなかった。――ここにわたしの樹皮を触りに行った木がある。何とわたしは弱かったことか、あの時は!……おや、子供たちが来た……いや、どれにも見覚えがない。マルスリイヌのまじめな顔! 彼女もまたわたしと同じく変ったのだ。このよい天気に、なぜ咳をするのか。――ここにホテルがある。ここに、我々の部屋があり、露台がある。――マルスリイヌは何を考えているのか。わたしに一言《ひとこと》も口をきかなかった。――自分の部屋にはいるとすぐ、彼女は床の上に体を伸ばして、疲れたから少し眠りたいと云った。わたしは外に出た。
わたしには子供たちがわからなかったけれども、子供たちにはわたしがわかった。わたしが来たと知るや、みな駆け寄って来た。これが彼等だと云うのか。何と云う当て違いだ! 一体、どうしたことか。彼等は怖ろしく大きくなってしまった。やっと二年そこそこだと云うのに。――そんなことはあり得ない……どんな疲労、どんな悪徳、どんな懶惰《らんだ》が、あれほど青春に輝いていたあの面に早くもかかる醜さを置いてしまったと云うのだ。どんな腹黒いしわざが、こんなに早くあの美しい体を歪めてしまったのか。破産のようなものがそこにあった。わたしはいろいろ訊ねてみた。バシルはカフェの皿洗いになっている。アシュウルは道路の砂利を割ってやっと数スウをかせいでいる。アマタルは一眼を失った。思いもよらない! サデックは列の中にいた。彼は一人の兄を助けて、市場でパンを売っている。ばかになったようだ。アジブは親父《おやじ》の傍で肉屋を開いた。ぶくぶくに太って、汚ないが、金がある。もう落ちぶれた友だちに口をきこうとしない……身分が上ると人間がばかになる! わたしは、我々の中で悪《にく》んでいたものを、彼等のうちにもまた見出そうとするのか。――ブウバケルは? 彼は結婚した。そのくせ十五にもなっていない。おかしな話だ。――いや、しかし、その晩わたしは彼に会った。彼は云いわけして、結婚はうわべだけだと云う。これは手のつけられない道楽者だと思う。酒は飲む、形は変る……さて、残っているものはこれぎりなのか。これが人の世の作り上げたものか。――わたしが再び見に来たのは多く彼等であったことを感ずると、悲しみはいよいよ堪えがたい。――メナルクの言は当っていた。思出は不幸の案出なのだ。
さて、モクティルは?――ああ、彼奴は牢を出て、身を潜めている。誰も彼とは附合わない。わたしは彼に会いたかった。みなの中で一番美しかった奴だ。彼もまたわたしをがっかりさせるかしら……人が彼を見つけて連れて来た。――いや、此奴こそ当てが外れなかった。わたしの思出の中にさえも、彼はこれほど立派には現われて来なかった。力も美も申分がない……わたしと知って、彼はにっこりした、
「牢にはいるまえに、一体何をやったのだい。」
「なんにも。」
「泥棒をしたのか。」
彼はそうではないと云った。
「今、何をしてるんだい。」
彼はくすりと笑った。
「え、モクティル。おまえ何もすることがないなら、一緒にトウグウルへ行かないか。」――こうして、わたしは急にトウグウルへ行って見たくなった。
マルスリイヌの工合はよくなかった。彼女のうちに何が起ったかはしらない。この晩、わたしがホテルにかえると、彼女は何も云わずに、眼を閉じて、わたしの方へすり寄って来た。広い袖が上へあがって、痩せた腕が見えた。わたしは、子供を寝つかせるように、暫く撫でゆすってやった。こんなに彼女を慄えさせるのは、愛か、悩みか、それとも熱なのか……ああ、恐らく、まだ間に合うだろう。わたしは止れないものであろうか。――わたしは探した。そして、わたしの値うちとなるものを見つけ出した。極悪への一種の凝《こ》りかたまり。――しかし、どうしてマルスリイヌに明日トウグウルへ立つと云ったものか……
今、彼女は隣の部屋で眠っている。月はずっと前から上って、今では露台を隈なく照らしている。――ぞっとするほどの光だ。体を隠すことができない。わたしの部屋には白い踏板が敷いてある。わけても、そこへ光がさしこむ。この波は開け放した窓からはいって来る。部屋の中にいても、光と、扉のそこに落す影がはっきりわかる。二年前、月の光はもっと前のほうまではいって来た……そうだ、そこだ、ちょうど今さしこんで来たその場所だ――あの時、わたしは眠るのをやめて起き上った。わたしはあの扉の框《かまち》に肩をよりかからせていた。棕櫚の木のそよともしないのが、よく見える……あの晩、わたしはどんな言葉を読んだかしら……ああ、そうだ、クリストがペテロに与うる言葉「汝今こそ自ら帯して好む処を歩《あゆ》……」どこへわたしは行くのか。どこへ行きたいと思っているのか……君たちには云わなかったが、ナポリから、今度の行に、わたしは或日独りでペストムへ行ったのだ……ああ、あの石の前で泣きたかった! 古の美は見るからに飾りけなく、整って、ほほ笑んで――捨てられて。わたしは芸術が我身から遠ざかって行くのを感ずる。何が来てこれに代ろうとするのか。それはもう、前のように、にこやかな調和ではない……わたしはもうわが仕える闇の神がわからない。おお、新らしい神よ、わたしをしてさらに、知られざる範疇《はんちゆう》、いまだ慮《おもい》の至り得ぬ美の型に悟入させたまえ。
翌日、明方から、乗合馬車で我々は出かけた。モクティルも一緒だ。モクティルは王様のように悦に入っている。
シェガ、ケフェルドオル、ムレイエル……寂しい宿々《しゆくじゆく》さらに寂しい、涯《はてし》のない路程。しかし、実を云えば、わたしはこのオアジスをもっと華やかなものに思いたかった。ただ此処《ここ》にあるものと云っては、石と砂、それから、おかしな花をつけた矮《ちい》さな叢、ところどころに隠れた流に培われる棕櫚の植えこみ……オアジスよりも、今となっては沙漠のほうがよい……この死の栄光に満ちた、忍びがたい輝きの国が。人間の努力はここにあっては醜くみじめに見える。今、他の土地はみなわたしを退屈させる。
「あなたは非人間なことがお好きね。」とマルスリイヌが云った。しかし、彼女の眺め方と云ったら! その貪るような眼つきと云ったら!
二日目は天気が少し悪くなった。風が吹き起って空が曇って来たのだ、マルスリイヌは喘《あえ》いでいる。呼吸《いき》と共に吸いこむ砂に。咽喉が焼けて荒れるのだ。あまりにおびただしい光が彼女の眼を疲らし、この敵意ある風景が彼女をさいなむのだ。だが、今ではもう帰るには遅すぎる。数時間でトウグウルに着くのだ。
この旅行の最後の条《くだり》が、手近なものでありながら、わたしの記憶には一番影がうすい。今となっては、この二日目の風景や、トウグウルで自分が最初何をしたかを想い起すことはできない。しかし、まだ覚えているのは、わたしの焦燥や性急がどれほどだったかと云うことだ。
その朝、非常に寒かった。夕方になって、火のような熱風が起った。――マルスリイヌは旅の疲れにがっかりして、着くとすぐ寝てしまった。わたしはもう少し居心地のよいホテルを見つけたいと思った。我々の部屋は見られたものではなかった。砂と太陽と蠅とが、すっかりぼやけさせ、くすませ、艶をなくさせてしまったのだ。明方から殆ど何も食べなかったので、わたしはすぐ食事を持って来させた。しかし、マルスリイヌにはどれも厭に見えた。わたしが彼女に何を食べさせようとしてもだめだった。ちょうど茶道具を持って来ておいたので、わたしは自分でばからしい支度をした。我々は晩餐には、乾いた菓子と、塩気のある地水のために味がすっかり悪くなったこの茶とで我慢をした。
信実《まこと》を見せかけるのもこれぎりと云うところで、わたしは晩まで彼女の傍にじっとしていた。すると急に、わたし自身力がつきたように感じた。おお、灰の味! おお、倦怠! 超人的な努力の悲哀! わたしはようやっと彼女を眺める。わたしの眼が彼女の視線を探そうとはしないで、怖ろしくもじっと真黒な彼女の鼻の孔に留るであろうことは、わかり過ぎている。彼女の面に現われる苦悶の色はもの凄いようだ。彼女もまたわたしを視ない。わたしは、それに手を触れているかのように、彼女の苦悶を感ずる。彼女はたいへん咳をする、それから、うつらうつらと眠りに入る。ときどき急にぴくぴくと体を慄わせる。
夜になっては悪かろうと思ったので、あまり遅くならないうちに、どこに駆けつけたらばよいか知っておきたかった。わたしは外へ出た。ホテルの入口の前に立つと、トウグウルの広場も、通りも、大気そのものも、これを見ているのはわたしではないと思わせられるほど奇異な感じを与える。しばしの後、わたしは戻った。マルスリイヌはすやすやと眠っている。わたしは間違っておびえたのだ。この奇怪な土地にあっては、到る処に危険が想像される。ばからしい。そしてすっかり安心して、わたしはまた外へ出た。
広場の夜の奇《あや》しい賑い、無言の往来《ゆきき》、こっそりと白外套の通り抜け。風は、おりおり奇異な楽《がく》の音の断片《きれはし》を引き裂いて、どこからとも知れず伝えて来る。誰かが傍に来た……モクティルだ。わたしがまた出て来るものと思って、待っていたのだと云って、笑った。彼はトウグウルの案内をよく知っていて、たびたび来るので、わたしを連れて行く先を心得ている。わたしは彼の導くままに引かれて行った。
我々は夜の中を進んで行って、とあるモオルのカフェにはいった。楽の音はここから洩れて来たのだ。アラビヤ人の女がそこで踊をおどっていた――この単調な滑走を踊と呼び得るならば。――その中の一人がわたしの手を取った。わたしはそれに従った。これがモクティルの情婦《いろ》だ。彼も伴《つ》いて来る……我々は三人とも狭い部屋にはいった。そこにあるたった一つの道具と云うのが、寝床……上に坐れる非常に低い寝床だ。部屋に閉じこめられている一匹の白兎が、初めはおどおどしたが、やがてなついて、傍に来てモクティルの手から物を食べた。そこへ珈琲が運ばれた。それから、モクティルが兎を相手にふざけている間に例の女はわたしを傍にひき寄せた。わたしはちょうど眠りにさそい入れられるように彼女に誘われるままになった……
ああ、ここで、いつわりを装うか口をつぐむかすることができるかも知れない。――が、この物語は、もし真実さを失ったならば、わたしにとって何の役に立とう……
わたしは独りでホテルに戻った。モクティルはその夜そこに残った。時刻は遅かった。からっとした東南風《シロツコ》が吹いている。ぎっしり砂を含んだ、夜だと云うのに焦《や》きつけるような風だ。数歩踏み出したかと思うと、わたしは汗びっしょりになってしまった。しかし、わたしはにわかに慌てて帰りを急いだ。殆ど駈け通しで、戻った。――彼女はきっと眼をさましている……恐らく、わたしを求めていはしまいか……いや、部屋の窓は暗くなっている。わたしは、風がちょっとやむのを待って、扉を開けた。真闇な中へ、そっと、そっとはいった。この物音はなに?……が、彼女の咳のようでもない……まったく彼女かしら?……わたしは明りをつけた。
マルスリイヌは寝床の上になかば腰かけていた。痩せた腕の片方で寝床の格子にしっかりつかまって、体を支えていた。敷物も、手も、肌衣も一面の血潮、顔にもべっとり附いている。大きく見ひらいた眼のもの凄さ。どんな苦悶の叫びもこの彼女の沈黙ほどわたしをぞっとはさせまい。――わたしは、汗みずくの彼女の額に小さな場所を探して、そこに怖ろしい接吻をした。彼女の汗の味が唇に残った。わたしは彼女の顔や頬を洗い清めた……寝床の傍に、何か固いものが足許に落ちている。屈んで拾い上げて見ると、小さな数珠だった。彼女がかつてパリで欲しがったあれだ。彼女はそれを落したのだ。わたしはそれを彼女のひらいた手に持たしてやった。が、その手はすぐにぐたりとなってまた落してしまった。――どうしてよいか解らない。救いを呼ぼうか……彼女の手は懸命にわたしにとり縋《すが》って引き留めている。ああ、わたしが行ってしまうと思っているのか。彼女はこう云った。
「おお、まだ待って。」わたしが口をきこうとするのを察して、
「なんにも仰しゃらないで。」と云い足した。「もういいんですの。」――またわたしが数珠を拾って彼女の手にわたしてやると、またも、それを放してしまう――何を云おう、落してしまうのだ。わたしは彼女の傍に跪《ひざまず》いて、その手を此方の体にぴったり寄せた。
彼女は、なかばは長枕に、なかばはわたしの肩に凭《もた》れかかって、やや眠っているように見える。が、眼は大きく見ひらいたままだ。
一時間ばかりたつと、彼女は起き上った。手をわたしの手から抜き出し、ひきつって肌衣をつかみ、薄紗をびりびりと裂いた。息がつまったのだ。――明方近く、またも吐血……
わたしは君たちにわたしの身上話を語り終った。この上に何を附け加えよう。――トウグウルのフランス墓地は、おおむね砂に荒らされて、眼も当てられない……わたしに残っていたごく僅かな意志を、わたしはこの廃残の土地から彼女を引き抜くことに使いはたしてしまった。彼女はエル・カンタラで安らかに眠っている。彼女が好きだった、とある私有の園の片影に。すべてそのことから、やっと三月《みつき》になったばかりだ。この三月《みつき》はそれを十年も遠くへ押しやってしまった。
ミシェルは暫く口をつぐんだままでした。わたしたちもまた、めいめい奇《あや》しい不安に襲われて、黙っていました。わたしたちには、ああ、ミシェルがここに語り出でたことに依って彼の行動を一層正しいものにしてしまったような気がしました。彼が落ち着いてその説明を与えたにもかかわらず、どこに非を打つべきかも知らなかったのは、此方も殆ど荷担者になっていたのでした。わたしたちはその懸り合いになったようなものです――彼は、声にも慄えなく、抑揚にもそぶりにも感動に取り乱した色を見せずに、この話を語り終えました。――たとい彼がわたしたちに感動した様子を示すまいとする犬的な誇を持していたにせよ、或は一種の潔癖からおのれの涙に依ってわたしたちの感動をそそることを惧れたにせよ、また或は彼が感動しなかったにせよ。わたしはいまだに、誇や力や無情や潔癖がどの程度に彼の心を占めているか、見分けがつきません。――しばらくして、彼はまた次の如く語りつづけました。
わたしをおびやかすものは、実のところ、わたしがまだ非常に若いと云うことだ。わたしはときどきわたしの本当の生活がまだ始まらなかったような気がする。今、ここからわたしを引き抜いてくれ、そして、わたしに存在理由を与えてくれ。わたしはもうそれを見出すことが叶わないのだ。わたしは解放された。それはそうかも知れない。が、それが何になろう。わたしはこの使い途のない自由に苦しんでいるのだ。それは決して、わたしが、もしそう呼びたければ、わたしの罪に疲れているのではないのだ。――ただ、わたしはわたし自身に向って自分が自分の権利を踏み越えはしなかったと云う証《あかし》を立てなければならないのだ。
わたしは、初めて君たちと知った当時、大きな思想の固定を持っていた。それこそは真の人間を作るところのものだ。――わたしはもうそれを持っていない。だが、その原因《もと》はこの土地の気候にあると思う。このいつも変らぬ碧空ほど、想を挫くものはあるまい。ここでは、探求はすべて不可能だ。それほどまでに歓楽が慾望の影身に添っているのだ。光彩と死に囲まれて、わたしは、幸福があまりに手近なこと、そしてまた、放逸があまりにこれと形を同じくしていることを感ずる。わたしは、昼間の陰鬱な長さとその堪えがたい無聊《ぶりよう》とをまぎらすために、日のさ中に寝てしまう。
見たまえ、そこに白い小石がある。わたしはそれを日影に浸《ひた》しておく。それから、かくして得られたすうとするその涼しさがなくなってしまうまで暫くこれを掌《てのひら》に握る。そこで、石をかえて、冷かさの抜けたものを元の通り浸して、わたしはまたやり直す。そのうちに、時がたって、晩が来る……わたしをここから引き抜いてくれ。自分ではそれができないのだ。わたしの意志のうちの何物かが毀れたのだ。わたしはエル・カンタラを離れる力をどこに見出したのかさえも知らない。ときどき自分の抑えつけたものに復讐されはしまいかと怖ろしくなる。――新らしくやり直したい。わたしの財産の残物をさっぱりと片づけてしまいたい。見たまえ、この壁にもまだそんなものが懸っている……ここでは、わたしは殆ど何もなしで暮している。半分フランス種の或る宿屋の主《あるじ》がわたしのために僅かの食物を調えてくれる。君たちがはいって来たので逃げ出した、あの子供が、朝晩にそれを運んでくれる。その代りには、幾らかやって撫でてやるのだ。あの子供はよその人の前に出ると乱暴になるが、わたしに対しては犬のように優しくて忠実だ。――あれのきょうだいはウレッド・ナイルで、毎年冬になると、コンスタンティヌへ出かけて行人に体を売る。非常に美しい女だ。わたしは初めの二三週間はときどき、夜、彼女がわたしの傍を通るのをこらえていた。ところが、或る朝弟のアリが我々の一緒に寝ているところを見つけてしまった。彼は、ひどく腹を立てた様子をして、五日ばかり顔を見せなかった。そのくせ、彼はどうしてまた何で自分のきょうだいが暮しているかを知らなくはないのだ。彼は、前に、少しも臆する色のない調子で、その話をした……あいつ、嫉妬したのかしら。――だがまた、このおどけ小僧は目的を達した。と云うのはなかばは倦きて、なかばはアリを失うことを惧れて、この事件以来わたしがもうその娘を引き留めなくなったからだ。彼女は怒りはしなかった。が、いつも会うたびごとに、わたしが彼女よりも子供をかわいがっていることを笑いながらからかう。彼女はあの子供が特にわたしをここに引き留めているのだと思っている。それも一理あるかも知れない……
この作品は大正十三年十月〈現代佛蘭西文藝叢書〉として新潮社より刊行され、昭和九年十二月および昭和二十六年十二月新潮文庫版が刊行された。