TITLE : コリオレイナス
コリオレイナス
ウィリアム・シェイクスピア 著
福田 恆存 訳
コリオレイナス
場  所
ローマとその附近、コリオライとその附近、及びアンシャム
人  物
ケイアス・マーシャス
(のちにケイアス・マーシャス・コリオレイナス)
タイタス・ラーシャス )ヴォルサイ征討の武将
コミニアス
メニーニアス・アグリッパ コリオレイナスの友人
シシーニアス・ヴァリュータス )護民官
ジューニャス・ブルータス
小マーシャス  コリオレイナスの息子
ローマ軍の先触
ナイケイノア  ローマ人
タラス・オーフィディアス  ヴォルサイの武将
オーフィディアスの副官
オーフィディアスの共謀者達
エイドリアン  ヴォルサイ人
アンシャムの市民
ヴォルサイ軍衛兵二人
ヴォラムニア  コリオレイナスの母
ヴァージリア  コリオレイナスの妻
ヴァリアリア  ヴァージリアの友人
ヴァージリアの侍女
ヴァリアリアの従者
ローマ、ヴォルサイの元老院議官、貴族、警保官、先導使、兵士、市民、使者、及びオーフィディアスの召使、その他侍者など
〔第一幕 第一場〕
ローマ、町なか
暴徒と化した市民の一群が棒切、棍棒、その他の武器を手にして登場。
第一の市民 さあ、ここまで来たら、事を起す前に、俺に一言、言はせてくれ。
一同 聞かう、言つてみろ。
第一の市民 皆、肚は決つてゐるだらうな、餓ゑるよりは死ぬ事を選ぶとな?
一同 言ふまでもない、肚は決つてゐる。
第一の市民 第一に、いいか、ケイアス・マーシャスこそ、俺達民衆にとつて最大の敵だ。
一同 解り切つた事さ、皆、承知の事だ。
第一の市民 奴を殺す、そしてこつちの言ひ値通りに穀物を手に入れる。さういふ手筈だつたな?
一同 今更、何をくどくど言つてゐるのだ、さ、片附けてしまはう。行け、行け!
第二の市民 待て、もう一言、吾が親しむべき市民諸君。
第一の市民 俺達の事なら下に居るべき市民達と言ふべきだ、食物《くひもの》に親しいのは貴族様だけだ。お偉方は食べ過ぎてゐる、その分をこつちに廻してくれさへすれば、大助りといふものだがな。せめてそのお余りだけでも腐らないうちに下し置かれる気持さへおありなら、お慈悲深くお助け下さつたと思へもしようさ、ところが、あの連中にとつて俺達はこの上なく大事な存在なのだ、といふのは、骨と皮ばかりで苦しんでゐる俺達、この惨めな有様こそ、奴等の豊かさを証明する値段表の役割をしてゐるからだ、俺達の忍耐力を奴等は大いに徳としてゐる訳さ。さあ、こつちが熊手の様に骨だらけにならないうちに、先にその熊手でも振り廻して、一寸は骨のある処を見せてやらうではないか、さうだらうが、神も御存じの筈だ、こんな事を言ふのも、パンに飢ゑてゐるからで、何も復讐の血に飢ゑてゐるからではない。
第二の市民 お前の狙つてゐるのはケイアス・マーシャスか?
第一の市民 先づ奴が目ざす敵だ、彼奴は俺達民衆にとつては血も涙も無い犬だからな。
第二の市民 だが、あの男が国家に対して果した功績も無視できまい?
第一の市民 それは解つてゐるさ、その点、俺だつて奴の功績を認めてゐる、だが、それは傲慢にのさばり返つてゐる事で帳消しさ。
第二の市民 それにしても、さう口汚く言ふものではない。
第一の市民 いいか、よく聞け、奴が立派な手柄を立てたといふのも、詰りはのさばり返るのが目的だつたのさ、お人好しなら国の為といふ事で納得するかも知れないが、奴が手柄を立てたのも一つはお袋を喜ばせる為、一つは自分がふんぞり返りたい為なのだ、現にその通りで、奴の中では傲慢が勇気と競ひ合つてゐる。
第二の市民 それは奴自身にもどうにもならぬ生れつきなのに、お前はそれを悪徳だと言ふ。それにしても、奴が貪欲な男だとは幾ら何でも言へまい。
第一の市民 たとへさうは言へなくとも、悪口の材料には事欠かない、欠点を読みあげろと言はれれば、息が切れるほど沢山ある。(叫び声が聞えて来る)あの叫び声は何だ? 向うでは愈始めたな、なぜ下らないお喋りで暇潰しをしてゐるのだ? さあ、議事堂へ行くのだ!
一同 行かう、行かう。
第一の市民 待て! 誰だ、あれは?
メニーニアス・アグリッパ登場。
第二の市民 メニーニアス・アグリッパだ、いつも民衆の為を思つてくれてゐる人だ。
第一の市民 公正な人物だ、他の連中も皆ああであつてくれたら!
メニーニアス 皆、一体、何を始めようと言ふのだ? 何処へ行かうといふのだ、手に手に棒切や棍棒を持つて? 何かあつたのか? 聴かせてくれ、頼む。
第一の市民 私達の事は元老院でも満更知らない訳でもありますまい、この二週間、吾が何を考へてゐるか、それとなく勘附いてゐた筈だ、それを今、実行に移さうとしてゐるところです。貧しさを訴へる者も、その鼻息や強しと言ふ、が、やがて腕節の方も結構強い事が解りませう。
メニーニアス 何といふことだ、私には良き友、信ずべき隣人諸君、お前達は自滅の道を選ばうと言ふのか?
第一の市民 今更、それも出来ない、といふのは私達はとうに自滅してしまつてをりますのでね。
メニーニアス まあ、私の話を聴いてくれ、貴族達は今や出来る限りの救済策を考へてゐる。お前達の窮乏、饑饉の為の苦しみは解る、だが、さうして棒切を振廻しローマ政府を責めたところでどうにもならぬ、それよりは天に刃向ひ、天を打つた方がまだましだ、それに政府は既にお前達の暴挙に備へてゐる、お前達が今の数千倍の太い手綱を撚《よ》り合はせ逆らつて来ようと、ばらばらに打ち砕かれてしまふだらう。饑饉は神の下し給うたものであつて、貴族の与り知らぬ事、腕を振り廻しても救はれはせぬ、先づ敬虔に膝を地に突き祈るがよい。気の毒に、お前達は禍ひに動顛し、更に大いなる禍ひに向つて突き進まうとしてゐる、そして国家といふ大船の舵取りを誹謗してゐるが、貴族達は皆、慈父の如くお前達の事を心配してゐる、さうなのだ、たとへお前達から敵の様に呪ひの言葉を浴びせ掛けられようと。
第一の市民 心配してゐる! 成るほどその通り! が、俺達の事を心配してくれた事など、今日まで一度もありませんや。俺達の方は餓ゑるがままに放り出され、奴等の倉は穀物でぎつしり詰つてゐる、金貸に都合の良い法律を作つて、高利貸共を助ける、金持を押へる為に作つた有りがたい法律は片端から廃止する、さうしておいて、貧乏人を縛りあげ、身動き出来なくさせる苛酷なお触れは毎日出す。戦争で殺されなくても、奴等が殺してくれる、それでゐて、奴等の心はいつもお慈悲で一杯、俺達の為ばかり考へてゐてくれるといふ訳でさ。
メニーニアス お前達はよほどの悪意の持主か、それとも大馬鹿者と言ふほかは無い。さうだ、良い話をして聴かせよう、或は既に聴いた事があるかも知れぬ、が、この際、まことに恰好な話、くどからうがもう一度話させて貰はう。
第一の市民 宜しい、伺ひませう、といつて、昔話一つで私達の不幸を巧く吹き飛ばしてしまへるなどと思つてはいけませんぜ、が、たつてのお望みなら、話して貰ひませう。
メニーニアス 或る時の事だがな、体中の器官が胃袋に対して反乱を起した事がある、その言ひ分といふのはかうだ、胃袋といふ奴は何でも吸ひ込む大穴の様に体の真中に大胡坐を掻き込み、怠け坊主の無精者、片端から御馳走を頬張るだけが能、己れを抑へて他の器官と一緒に働かうといふ気が全く無い、これに反して他の器官は見たり、聞いたり、考へたり、指図をしたり、歩いたり、感じたり、互ひに協力して、体全体の共通の要求に奉仕してゐるといふ訳だ。この文句に対して胃袋が答へて曰く――
第一の市民 成るほど、で、その胃袋の奴、どう答へたんで?
メニーニアス そこだ、聴いてゐなさい。胃袋は微笑を浮かべて、といつても心の底からの笑ではない――解るだらう、思ふに胃袋にしても口をきくからには笑ひもするといつた程度の事さ――詰り、嘲笑する様に答へたものだ、その不平不満の輩、胃袋の取分を猜《そね》む謀反人共にな、いや、そいつ等の言ひ分も尤もさ、元老達が自分達の様に働かないといつて文句を附けるお前達と同じ様なものだ。
第一の市民 その胃袋の答ですが――結局どうなつたので? 王冠を戴く頭、見張り役の目、相談役の心臓、武勇を誇る腕、駿馬の様に走る脚、喇叭の如く指令を発する舌、その他、この体の中にあつて、守つたり助けたり、何かと小まめに役目を果してゐる器官が、それがもし――
メニーニアス それでどうした? ぬけぬけと小賢しい事を! それでどうした? それでどうしたといふのだ?
第一の市民 それがもし塵溜同然の大飯食らひの胃袋に抑へ附けられて、――
メニーニアス うむ、それでどうした?
第一の市民 他の体中の器官が、もしその連中が不平を言ひ出したら、そしたら胃袋は何と答へますね?
メニーニアス よく俺の話を聴け、もしその無け無しの小つぽけな辛抱心が暫くでも他人《ひ と》の話に耳を貸す気になつたら、吾が胃袋殿の答を聴かせて貰へるといふものだ。
第一の市民 あなたの話はどうも廻りくどすぎますね。
メニーニアス いいか、その厳粛なる胃袋は至極慎重で、自分を非難する連中の様に軽薄ではない、で、かう答へた、「成るほど、吾が仲間の諸君、」彼はさう話し始めた、「私は食物といふ食物を真先に受取る、が、それによつて諸君は生きてゐられるのだ、それは当然だらう、なぜなら私は体全体の倉庫であり工場なのだから。しかし、御存じの様に、私は諸君の血の流れを通して食物を送り届ける、宮廷とも言ふべき心臓に、玉座たる脳髄に、そして人体のうねりくねつた小道や離れを通じ、最も強力な筋肉から細い血管の末に至るまで、すべてが私から営養物を吸取り、それぞれ自然に生きてゐるのだ、尤も諸君には、これは直ぐには」――いいか、これからが大事な処だ、胃袋の続けて曰く――
第一の市民 へえ、成るほど、成るほど。
メニーニアス 「尤も私が全器官の一つ一つに仕送りをしてゐる事は諸君には直ぐには解らないかも知れない、が、いづれ、はつきり決算の出る事さ、皆が私から受取つてゐるのは食物の一番良い部分で、私の処にはその滓しか残らないのだからな」とな。これに対して、お前達、何か言ひ分があるか?
第一の市民 それが答といふ訳か。で、これをどう解釈しようと言ふのです?
メニーニアス ローマの元老達はこの頼もしき胃袋であり、お前達は反逆を起した他の器官だといふ事さ、まあ、よく考へて見るのだな、元老達の会議、心労がどんなものか、詰り、公共の福利に関する物事について正しい理解を持つ事が何より大事だ、さうすればやがて解るだらう、お前達の受ける公の利益のうち、一つとしてそのお蔭を蒙らざるものは無いといふ事が、お前達自身には何も出来ないのだ。どう思ふ、お前、大きな面をした足の指殿?
第一の市民 俺が大きな面をした足の指だと! どうしてなのだ?
メニーニアス その訳はかうだ、この物解りの良い謀反人共の中で一番下等で、一番低劣で、一番取るに足りない男、しかも一番先走りと来てゐるからさ。この痩せ鹿め、先頭を切つて走る力も無い癖に、何か旨い汁にありつかうとして、やたらお先棒を担がうとしたがる。まあ、幾らでも棒切や棍棒を掻き集めて来るがいい、これからローマと鼠共の戦ひが始る、いづれ、どちらかが痛い目に遭ふに決つてゐる。
ケイアス・マーシャス登場。
メニーニアス やあ、元気で何よりだ、マーシャス!
マーシャス ありがたう。どうした、この謀反人のごろつきめ、一寸した痒み程度の不満を掻き毟り、終ひには体中疥癬だらけにしてしまはうとでもいふのか?
第一の市民 いつもながら結構な御挨拶で。
マーシャス ふむ! 貴様等に結構な御挨拶などする奴は、腹の中で貴様等を憎みながら、表向き媚びを売つてゐるだけの話だ。一体、何が欲しいのだ、この野良犬め、平和も厭だ、戦争も厭だと喚き散す手合ひの癖に? 戦争となれば縮み上り、平和となるといい気にふんぞり返る。貴様等を信じたら万事休すだ、獅子と見て崇め奉れば、忽ち兎に早変り、狐のすばしこさを期待すれば、何の事は無い、鵞鳥のよたよた歩き、全く頼りにならぬ、全く、寧ろ氷の上の火の方がまだましだ、日の光を浴びた霰の方が頼りになる。貴様等の取柄と言へば、罪を犯した者を持上げ、それを罰する法律を呪ふのが関の山。大いなるものは必ず憎まれる。さうだ、貴様等は病人そつくり、病状を悪化させる物ばかり好んで食ひたがる。貴様達民衆の人気を頼りに右往左往するのは、鉛の鰭で泳ぎ、細い藺草で〓の大木を切り倒さうとする様なものだ。畜生め等! 貴様等を信じるだと? 猫の目の様に気が変り、今の今まで憎んでゐた奴を褒めそやすかと思ふと、〓の冠を戴いた勝利者を忽ち悪党呼ばはりする。一体、どうしたといふのだ、町中あちこちに群をなし、元老に罵声を浴びせ掛けるとは、事もあらうに、神の名により貴様等の心を鎮め、さもなければ直ぐにも破れる治安を守つてくれる元老を責めるとは? 奴等は一体何を要求してゐるのだ?
メニーニアス 穀物を自分達の望み通りの値段で手に入れたいといふのだ、それも政府には十分貯へがある筈だと言つてゐる。
マーシャス 畜生め等! 言つてゐるだと! 奴等は煖炉の前に腰を降し、知つたかぶりに議事堂で何があつたの無かつたのと口から出まかせを言つてゐるだけだ、誰が偉くなりさうだの、誰が幅をきかせ、誰が落ち目だのと、そんな話ばかりさ、さうかと思ふと、あれこれの派閥に身方したり、誰と誰とが結婚するなどと当てずつぽうの噂を流したり、お気に入りの党派を強くするのには力を貸すが、虫の好かぬ党派ときたら、自分達の破れ靴で踏み躙つて顧みない。穀物は十分余つてゐるだと! 貴族達が憫みの情を捨て、この俺の剣を使はせてくれさへすれば、こいつら何千もの奴隷共を八つ斬りにし、槍を以てしても貫き通せぬ程の堆高い死人の山を築いてやるのだが。
メニーニアス いや、この連中は大方納得したのだ、皆、思慮分別ときたら空《から》きし無いも同然だが、一方、無類の臆病者と来てゐる。ところで、どうなのだ、あちらの群集はどう言つてゐる。
マーシャス 奴等はもう解散した、畜生め等! てんでにひもじさを訴へ、諺を次から次へと吐き散らす始末――曰く、餓ゑは石壁も穿ち破る、犬も食はずば生きられず、肉は口の為にあり、神は穀物を金持の為に贈りしものにあらず、まあ、かういつた類《たぐひ》の諺の切れ端を並べ立て、自分達の不平不満の捌け口に利用した、それに対して貴族達は適当に答へ、奴等の請願を受容れてやつたのだ――全く考へられない話さ、そんな事をしたら、貴族は打撃を受け、その権力はやがて地に墜ちる――が、それで、奴等は帽子を天まで抛り上げ、歓声を挙げて大喜びさ。
メニーニアス 請願を受容れてやつたといふが、それはどんな事だ?
マーシャス 俗物共の考へてゐる事を護つてやる為に五人の護民官を、それも自分達の手で選ぶといふ事だ。一人はジューニャス・ブルータス、それにシシーニアス・ヴァリュータス、それから――あとは知らない。ええい、どうともなれ! 俺だつたら、そんな事は許しはしない、それよりはあの平民共にローマの屋根を叩き毀させてやつた方がずつとましだ、結果は知れた事、やがて奴等は機会を利用し、日増しに権力を握り、その揚句、もつと大きな問題を投げ附け、それを暴徒連中が寄つてたかつて論議する世の中がやつて来るといふものだ。
メニーニアス 全く考へられない話だ。
マーシャス 行け、家へ帰れ、このぼろ屑め等!
使者、急ぎ登場。
使者 ケイアス・マーシャスは何処に?
マーシャス ここにゐる、何事だ?
使者 火急のお知らせです、ヴォルサイ人が兵を挙げました。
マーシャス 有りがたい、これでやくざな余計者を一挙に掃き出せる手立てが出来た。それ、あそこに元老達が。
コミニアス、タイタス・ラーシャス、その他の元老達、及びジューニャス・ブルータス、シシーニアス・ヴァリュータスが登場。
第一の元老 マーシャス、君のこの間の話は本当だつた、ヴォルサイ人達は愈兵を挙げたぞ。
マーシャス 向うにはタラス・オーフィディアスといふ名将がをります、相当手強《ごは》い相手だ。嫉妬めいた事は言ひたくないが、あの男には私も一目置いてゐる、もし自分以外の者に成れるものなら、他の誰よりもあの男に成りたいと思つてゐる位だ。
コミニアス 互ひに矛を交へた事があつたな。
マーシャス 世界の半ばと半ばとが相争ふ激戦でした、もしあの男が私の身方だつたら、ただあれと一戦交へる為だけでも謀反を起したい位だ。奴は獅子です、それを仕留めるのは私にとつて何よりの誇だ。
第一の元老 では、マーシャス、この戦にはコミニアスと一緒に出陣して貰ひたい。
コミニアス 前からの約束だつたな。
マーシャス その通り、約束は守ります。タイタス・ラーシャス、もう一度お見せしよう、タラスの面上に一撃浴びせるところを。ほう、もう年で手脚が動かぬといふ訳か? 今度は留守番役かな?
タイタス 何を言ふ、ケイアス・マーシャス、たとへ杖に縋つてでも一緒に戦つて見せる、置いて行かれてたまるものか。
メニーニアス さすがだ!
第一の元老 では、揃つて議事堂へ、仲間の元老達が待つてゐる。
タイタス (コミニアスに)さ、お先に。(マーシャスに)コミニアスの次に、吾は君の後に随ふ、当然の事だらう、君の栄誉の為に。
コミニアス さあ、マーシャス!
第一の元老 (市民達に)皆、家へ帰るのだぞ、さ、行け!
マーシャス いや、一緒に来て貰はう。ヴォルサイ人は食ひ物をたんと溜め込んでゐる、この鼠共を連れて行つて奴等の倉を齧らせたらいい。(市民達、こそこそ逃げ去る)勇敢なる謀反人諸君、胆玉のあるところをとくと拝見できるといふものだ。さあ、一緒に来い。(シシーニアスとブルータス以外、すべて退場)
シシーニアス 嘗てあのマーシャスほど傲慢な男がゐたらうか?
ブルータス あれの上越す奴はゐまい。
シシーニアス さつき俺達が護民官に選ばれた時――
ブルータス 彼奴の脣と目に気が附いたらう?
シシーニアス いや、それよりあの軽蔑し切つた口のきき様と来たら。
ブルータス 一度激情に駆られると、神に向つても悪罵の限りを尽しかねない。
シシーニアス 貞淑な月の女神まで嘲る男だ。
ブルータス 今度の戦で殺されてしまへばいい! 如何に武勇の誉が高いからといつて、余りに傲慢過ぎる。
シシーニアス ああいふ手合は一度成功したとなると、自分の踏む大地まで白昼堂軽蔑して憚らない、真昼間には自分の影が無いからな。だが、ああ思上つてゐては、コミニアスの命令通りに動くかな。
ブルータス 名誉さ、奴の狙つてゐるのは、それにはもう十分恵まれてゐるのだが、この名誉といふやつ、いざこれを手に入れ、更に永く手もとに留めて置きたければ、先づ最高の地位を避け、その下に位取るに越した事は無い、遣り損ひはすべて総指揮者の責めに帰せられるからだ、如何に本人が人力の限りを尽してもな、さうなると尻軽な輿論といふやつ、きつとマーシャスの名を引張り出して、「ああ、あの男だつたら!」と喚き散すに決つてゐる。
シシーニアス 一方、事が巧く運べば、その輿論といふやつ、必ずマーシャス贔屓になり、コミニアスからその功績を剥ぎ取るといふ訳だ。
ブルータス さ、行かう、コミニアスが捷《か》ち得た名誉の半分はマーシャスのものになる、マーシャスの全く与り知らぬものでも、さうなるのだ、そしてコミニアスの失敗はすべてマーシャスにとつて名誉の種になる、その場合、奴が何の手柄を立てなくてもさうなるのだ。
シシーニアス とにかく行つて見よう、派兵がどう決つたか、それに奴がいつもの調子に輪を掛けて、どんなにいきり立つた出陣振りを見せるか見て置きたいものだ。
ブルータス よし、行かう。(両人退場)
〔第一幕 第二場〕
コリオライ 元老院の建物
タラス・オーフィディアスとコリオライの元老達登場。
第一の元老 では、オーフィディアス、君の意見によると、ローマ側はこちらの計画を察知し、吾が軍の進路も承知してゐるといふのだな。
オーフィディアス あなたのお考へも御同様ではありませんか? 今日まで吾が国であれこれ計画を論議して来たものの、それをいざ実行に移す一歩手前でローマに裏を掻かれなかつた例《ためし》が一度でもありますか? 実は私が手に入れたローマ軍についての情報があります、まだ四日も経つてゐない、それにはかうあつた、確かここに持つてゐる筈です、ああ、これだ、(読む)「敵側は軍の編成を完了、されど東西いづれに向ふや目下不明。ローマ中饑饉に苦しみ、民衆は暴動を起せり、噂によれば、コミニアス、及び貴下の宿敵マーシャス、但し、この男、貴下に憎まるるより、ローマの民衆に憎まるるものなり、なほ加ふるに武勇の誉高きタイタス・ラーシャスの三名が指揮官に任ぜられたり、意中は不明なれど、恐らくは貴下を目標とするものならん、熟考を請ふ。」
第一の元老 吾が軍は既に戦場に出てゐる、ローマ側からの反撃が無いなどとは夢にも考へてはゐない。
オーフィディアス 同様、夢にもお考へにはなりますまい、御一同の大計画をいざ表に出す時まで伏せて置くのは愚だなどとは、が、それがまだ雛に孵らぬうちにローマ側に知られてしまつたらしい。秘密が洩れてしまつた以上、当方としては計画を縮小せざるを得ません、最初はローマ側が全然こちらの動きに勘附かぬうち、出来るだけ多くの町を占拠してしまふ積りだつたのだが。
第二の元老 オーフィディアス、この上は己が任務を立派に果して貰ひたい、直ぐにも出陣してくれ、このコリオライの守備は安んじて吾に任せて貰はう。但し、万一、ローマ軍が城門に迫つた時には、直ちに援軍に馳せ附け、敵を撃退してくれ、尤も敵方にそれほどの用意が出来てゐようとは思はぬが。
オーフィディアス おお、何をおつしやる、私の情報は正確だ。いや、それどころか、敵軍は既に幾つかの小隊を進発させ、それがひたすらこちらに向つてゐるとの事。さあ、これで失礼します。もしケイアス・マーシャスと出遭へば、どちらかが二度とは立てなくなるまで互ひに力を尽して戦ふだけの事だ。
一同 神の御加護を!
オーフィディアス それにあなた方の名誉もお守り下さる様!
第一の元老 健闘を折る。
第二の元老 御健闘を。
一同 御元気で。(一同退場)
〔第一幕 第三場〕
ローマ マーシャス邸の一室
マーシャスの母ヴォラムニアと妻ヴァージリア登場。二人共、低い腰掛に腰を降し、縫物をしてゐる。
ヴォラムニア 元気をお出し、ヴァージリア、歌でも歌ふか、何かしてもつと楽しさうにしてゐておくれ、息子のマーシャスがもし私の夫だつたら、手柄を立てる為に戦に行つて留守の時の方がずつと嬉しい、閨で抱かれて愛情を示される時よりも。まだあの子がかよわい幼子で私のたつた一人の子供だつた時でも、魅力のある若者に成長し人の目を引く様になつた時でも、またたとへ方の国から王様が一日だけでも貸してくれと頼みに来て、普通の母親だつたら一時間でも自分の側から離したくないと思ふ様な時でも、私は、名誉こそああいふ子には何よりふさはしい――もし名声が伴はなければ壁に掛つた動かぬ絵にも劣る――さう考へて、栄誉の得られさうな場合には、喜んで危地に赴かせたもの。酷たらしい戦に追ひやつた事もあつたが、あの子はそれを切り抜け額に〓の冠を頂いて凱旋して来ました。ヴァージリア、本当に私は自分の生んだ子が男の子だと聞かされた時もあんなに喜びはしなかつた、始めてあの子が男だといふ証しを見せてくれた時ほど。
ヴァージリア でも、もしそれで戦死でもなさつたら、お母様、その時はどうお感じになります?
ヴォラムニア その時には、あの子の名声が私の息子になる、それをあの子の身代りとしませう。ヴァージリア、本気で聴いておくれ、もしも私が十二人の男の子を持ち、その一人一人が同じ様にかはゆく、私達のあのマーシャスに劣らず大切に思つてゐたとしても、戦を恐れ酒色に耽つて暮す様な子が一人でもゐる位なら、あとの十一人がお国の為に立派に死んで行つてくれた方がずつとましだと思ひます。
侍女登場。
侍女 奥様、ヴァリアリア様がお見えでございます。
ヴァージリア 私は退らせて頂きたう存じます。
ヴォラムニア いいえ、ここにおいで。私にはあなたの夫の軍鼓の響きがここまで聞えて来る、あれがオーフィディアスの髪を鷲掴みにして大地に叩き附けるのが目に見える、子供が熊を恐れて逃げ出す様に、ヴォルサイ人があれの手を逃れようとして走り廻つてゐる。あの子がかう地団駄踏んで叫んでゐるのが聞えて来る様だ、「ええい、附いて来い、臆病者め等! ローマで生れたといふのに、恐怖の産湯でも使つたのか」と。それから血まみれの額をあのがつしりした腕で拭ひながら、斬り込んで行く、草刈りに傭はれた作男が、全部刈り取らねば賃金が貰へぬと思ひ詰めてゐる時の様に。
ヴァージリア 血まみれの額? ああ、ジュピター、血だなどと、そんな酷い事を!
ヴォラムニア 愚かしいにも程がある! それこそ勝利の記念碑に張り附ける金箔よりも、ずつと男に似附かはしい。吾が子ヘクターに乳を飲ませてゐたヘキュバの美しい胸も、大人になつたヘクターがギリシア軍の剣に額を割られ、なほも傲然と構へてゐたその血まみれの額ほどには美しくなかつた。ヴァリアリアに喜んでお迎へしますと伝へておくれ。(侍女退場)
ヴァージリア 残忍なオーフィディアスから夫をお守り下さいます様に!
ヴォラムニア あれはきつとオーフィディアスの頭を脚下に叩き附け、その首を踏み躙るだらう。
侍女、ヴァリアリアとその従者登場。
ヴァリアリア お二人共、お元気で何よりでございます。
ヴォラムニア あなたこそ!
ヴァージリア お目に懸かれて嬉しうございます。
ヴァリアリア お二人共、毎日どうお過しでいらつしやいます? もう片附物をお済ませになつたらしい。何をお縫ひになつていらつしやるの? その模様、とても綺麗。お子さんは如何?
ヴァージリア 有りがたうございます、お蔭で元気でをります。
ヴォラムニア 学校の先生の顔を見るより、剣を見たり、軍鼓の響きを聞いたりする方が楽しいらしい。
ヴァリアリア ああ、それでこそお父様のお子、本当にかはいいお子さんでいらつしやる。さうさう、この前の水曜日、半時間ほど坊ちやんと一緒に過しましたけれど、そのしつかりしたお顔附きといつたら! 丁度、一匹の金色の蝶を追ひ掛けておいででしたつけ、掴へては離し、掴へては離し、そんな事を何度も繰返してゐるうち、最後にそれを掴へた時、うつかり躓いて転んでおしまひになつた、それで恐らくお腹立ちになつたのでせう、いきなり蝶に食ひ附き、歯で引き裂いておしまひになつた、ああ、その凄じさといつたら、粉に食ひちぎつてしまつたのですもの!
ヴォラムニア あの子の父親が癇癪を起した時とそつくり。
ヴァリアリア 本当に驚きました、しつかりしたお子さんでいらつしやる。
ヴァージリア 仕様の無い暴れん坊でして。
ヴァリアリア さあ、もう縫物はお止めなさいまし、今日の午後だけは私と一緒に何処かへ出掛けませう、怠け者の奥様にして差しあげる。
ヴァージリア いいえ、奥様、私、何処へも出掛けたくはありません。
ヴァリアリア 何処へも出掛けたくない!
ヴォラムニア 出掛けますよ、出掛けますとも。
ヴァージリア 本当にそれだけはお許し下さいまし、主人が戦から戻つて来るまでは、敷居を跨ぐ気持になれません。
ヴァリアリア まあ、それまで閉ぢ籠り切りだなどと、訳の解らない事をおつしやる、さあ、例のお産で寝こんでいらつしやる奥様のお見舞ひにでも参りませう。
ヴァージリア 一日も早くお癒りになる様に、せめてお祈りだけでもお見舞ひ役に、でも、伺ふ事は出来ません。
ヴォラムニア なぜそんな事を?
ヴァージリア 労を厭ふのでもなく、ましてあの方の為を思はぬからでもございません。
ヴァリアリア ペネローペにならはうといふお積りね、でも、ペネローペがユリシーズの遠征中、自分の貞節を守る為に紡いだ糸は、イサカの男達を自分に言ひ寄る蛾の様な怠け者ばかりにしてしまつたさうね。ああ、せめてその美しい白麻があなたの指くらゐ感じ易ければ良いのに、さうすれば、幾らあなただつて、麻布の気持を察して、そんな風に針を差したりなさらないでせうよ。さあ、一緒にお出掛けなさい。
ヴァージリア いいえ、奥様、失礼させて下さいまし、どうしても出掛ける気にはなれませんもの。
ヴァリアリア そんな事おつしやらずに、さ、私と一緒に、実は、その御主人の事で素晴しいお知らせが。
ヴァージリア まあ、奥様、まだ何の知らせもある筈はございません。
ヴァリアリア いいえ、私、決してからかつてなどをりません、昨夜、戦況について御主人からのお知らせがございました。
ヴァージリア え、本当に?
ヴァリアリア 嘘など申しますものか、元老の一人から話を伺ひました、といふのは、ヴォルサイ軍が兵を進めて来たさうですが、総司令官のコミニアスがローマ軍の一部を率ゐて、それを迎へ撃ち、一方、御主人とタイタス・ラーシャスとが一挙に敵方の首府コリオライの城門前に進撃したとの事、身方は必勝を期し、直ぐにも戦を終らせると意気ごんでゐる様子。決して嘘ではございません、名誉に賭けて申上げます、ですから、さ、一緒に出掛けませう。
ヴァージリア 今日は私のわがままを許して、その代り今後は必ず仰せに随ひませう。
ヴォラムニア 気の済む様にさせてやつて下さいまし、この調子では、私達まで気が重くなつてしまひますけれど。
ヴァリアリア 本当にその方が宜しいかも知れない。では、御機嫌よう。それにしても、奥様。お願ひ、ヴァージリア、そんな重苦しい気持は外に追ひ出し、さ、一緒に出掛けませう。
ヴァージリア いいえ、これが最後、どうしてもそんな気になれません。あなたお一人で楽しんでいらつしやいまし。
ヴァリアリア では、御機嫌よう。(一同退場)
〔第一幕 第四場〕
コリオライ 城門前
マーシャス、タイタス・ラーシャス、その他の将兵達、軍鼓、トランペット、旗と共に登場。そこへ使者登場。
マーシャス そこへ急使が、賭けてもいい、愈両軍会戦だ。
ラーシャス お互ひの馬を賭けよう、会戦はまだだ。
マーシャス 宜しい、賭けませう。
ラーシャス 俺も賭けよう。
マーシャス どうだ、コミニアスは戦闘を開始したか?
使者 敵軍は丸見えです、しかし、まだ戦は始つてをりません。
ラーシャス これで君の駿馬は俺の物と決つた。
マーシャス それなら、今度はそいつを売つて頂きませうか。
ラーシャス いやだ、売りも返しもしない、だが、貸してやる事にする、五十年契約でな。(喇叭手に)城内に開戦の合図を。
マーシャス 敵軍の位置は、ここからどの位離れてゐる?
使者 一哩半位です。
マーシャス それなら、敵が突撃すれば、その合図はここまで聞えて来ようし、こちらの合図も直ぐ向うへ聞えようといふものだ。軍神マルス、お願ひだ、鎧袖一触、こちらを片附けた刃の血煙もまだ消えやらぬうち、それを引下げ、直ちに野戦の身方救援に馳せ向はせて貰ひたい! さ、喇叭を吹き鳴らせ。
開戦合図の喇叭。コリオライ側の元老二人が数名の者と共に城壁の上に姿を現す。
マーシャス タラス・オーフィディアスは、奴は中にゐるのか?
第一の元老 ゐない、それにあの男ほどお前を恐れてゐる者もここにはゐない、といふのは、誰もお前を恐れてはゐないといふ事だ。(遠くで軍鼓の音)聞くがいい、あの軍鼓の音と共に若者達が打つて出る。家畜の様に柵に閉ぢ籠められてゐるよりは、寧ろ自ら城壁を破り毀《こぼ》つ方がずつとましだ、城門はまだ閉つたままだが、その閂はかぼそい藺草も同然、直ぐにも二つに開かれよう。(遠くで戦場の騒音)聞け、あの遠くの物音を! あれがオーフィディアスだ。その目ではつきり確めて置くがいい、真二つに蹴散らされたローマ軍の只中を突撃して行くあの男の雄しい働きを。
マーシャス おお、始つたぞ!
ラーシャス あの物音こそ、こちらにとつては何よりの教訓だ。梯子を!
城門が二つに開き、ヴォルサイ軍が出撃して来る。
マーシャス 奴等は吾を恐れず城門から繰出して来る。さあ、楯を胸に構へろ、そして楯よりも堅固な心を胸に戦ふのだ。進撃だ、タイタス。奴等は思つたよりこちらを嘗めて掛つてゐる、それがどうにも我慢がならない。さあ、皆、俺に附いて来い。後に退る者はヴォルサイ人と見做す、敵よりも俺の刃を恐れるがいい。(戦ひながら進撃)
警鐘。ローマ軍、敗退し、塹壕に入る。マーシャス、罵り喚きながら登場。
マーシャス 南国のありとあらゆる毒気が貴様等の体に降り掛れ、ローマの恥晒しめ! この畜生め等――膿み爛れた腫れ物が体中を覆ひ、目に見えぬほど遠く離れた連中にも忌み嫌はれ、一哩も風上にゐる奴等にまで片端から病気を移しやがれ! 貴様等の胆玉は鵞鳥だ、形は人間らしく装つてゐる癖に、敵の奴隷共に、あんな猿にも劣る奴等に追ひまくられるとは! 皆、地獄落ちだぞ! どいつもこいつも後傷ではないか! 背中は真赤で面《つら》は真白、恐れ戦《をのの》いて逃げ廻るからだ! さあ、陣を立直して敵の中へ斬り込め、さもなければ、敵は一先づ後廻し、天に誓つて貴様等からやつつけてやる。気を附けろ。さあ、皆、俺に附いて来い、貴様等さへしつかりしてゐれば、奴等を女房達の処へ追ひ返してやれるのだ、貴様等が塹壕まで追ひ返された様に。
再び警鐘。ヴォルサイ人達が逃げ、マーシャスは彼等を追つて城門に迫る。
マーシャス 見ろ、門が開いたぞ、先陣は俺だ、抜かるな、後に続け、追手の為に運命の神が開いた扉だ、逃げ込む敵の為ではない。俺から目を離すな、俺のする通りにしろ。(城門の中に入る)
第一の兵士 向う見ずだ、俺は御免蒙る。
第二の兵士 俺もだ。(マーシャスの這入つた後、城門閉ぢる)
第一の兵士 それ見ろ、閉ぢ籠められてしまつた。
一同 八つ裂きだ、助りつこ無い。(城門内にて警鐘、鳴り続く)
タイタス・ラーシャス登場。
ラーシャス マーシャスはどうした?
一同 戦死なさいました、間違ひありません。
第一の兵士 逃げる敵を追つて城門の中へ、それを見て、敵は突然扉を閉めました。こちらはたつた一人、敵は町全体です。
ラーシャス 何といふ立派な男だ! 生身《なまみ》の体でありながら生無き剣よりも死を恐れず、剣が屈しても毅然として立つてゐる! お前はもうゐないのか、マーシャス! お前と同じ大きさの宝石でもお前ほどの値打は無い。正にケイトーの理想とする武人だつた、いや、単に剣を振ふ時だけ勇猛果敢だつたといふのではない、その凄じい面魂、雷の轟く様な激しい声、それだけで敵は縮み上り、あたかも全世界が瘧にかかつて震へ戦くかの様だつた。
再び城門が開き、血みどろになつたマーシャスが敵と戦つてゐる姿が見える。
第一の兵士 あれを。
ラーシャス おお、マーシャスだ! 助け出せ、さもなければ中に踏み留り、共に戦ふのだ。(一同、戦ひながら城門の中に入る)
〔第一幕 第五場〕
前場と同じ
数人のローマ人が掠奪品を手にして城内から走り出て来る。
第一のローマ人 こいつをローマへ持つて帰るのだ。
第二のローマ人 うむ、俺はこいつを。
第三のローマ人 くたばりやがれ! 銀だとばかり思つてゐたのに。(遠くの戦場の音はまだ鳴り止まない)
マーシャスとタイタス・ラーシャスとが喇叭手と共に登場。
マーシャス それ、あれを、小まめな奴等だ、がらくた集めこそ兵士冥利と心得てゐる! 座蒲団、鉛の匙、鐚銭《びたせん》で手に入る剣や短剣、何でもいい、首締め役人さへ鼻も引掛けず死人と一緒に埋めてしまふ様な胴着まで、この奴隷め等、まだ戦も終らぬうちから荷造りしてゐやがる。ええい、くたばつてしまへ! おお、あれを、あの凄じい物音、本隊のコミニアスだ! 放つては置けない! 私の憎むべき仇敵オーフィディアスが吾がローマ軍に斬り込んで来たのだ、さあ、タイタス、必要なだけ兵を集めて、この町を死守して下さい、私は胆玉のある奴を率ゐて、一刻も早くコミニアス救援に馳せ附ける。
ラーシャス 待て、君は血まみれになつてゐる、さつきの激戦で十分、二度の戦は無理といふものだ。
マーシャス 褒め言葉はまだ早い、あの位はほんの朝飯前。では、いづれまた、これはほんの手術、一寸、悪い血を吸ひ出したまでです、危険は全く無い。このままオーフィディアスの前に姿を現し、決戦を挑むのだ。
ラーシャス それなら運命の女神に祈るほかは無い、女神が君にぞつこん惚れ込み、相手の剣に呪ひを掛け、君の急所をはづしてくれる様に! 不敵な男だ、手柄を小姓にして戻つて来てくれ!
マーシャス 御同様、運命の女神があなたにとつても最上の友である様に! では、これで。
ラーシャス 天晴れだ、マーシャス! (マーシャス退場)さあ、広場へ行つて、喇叭を吹き鳴らせ、町の役人共を呼び集めろ、吾の考へを奴等に伝へてやるのだ。行け!(二人、急いで城門内に入る)
〔第一幕 第六場〕
ローマ軍陣営附近
コミニアス、兵士達と共に、退卻の態にて登場。
コミニアス さあ、皆、一息入れるがいい、よく戦つた、抵抗において頑ならず、退卻において卑劣ならず、如何にもローマ人らしい引揚げ振りだ。が、油断するな、敵はまた攻撃して来るだらう。戦闘の最中、時風向きの工合で身方の軍勢の進撃して来るらしい物音が聞えた。ローマの神に祈る、吾等と同じく彼等にも好運を、そして両軍共に笑顔で相会し、感謝の供物を捧げしめ給へ!
使者登場。
コミニアス 何の知らせだ?
使者 コリオライの市民達が城門を出で、ラーシャスとマーシャスに襲ひ掛りました、私は身方が塹壕に追ひ詰められるところまで見届け、直ぐ様こちらへ参りました。
コミニアス その知らせは事実であらうが、どうやら十分ではなささうだ。それはどの位前の話だ?
使者 一時間余り前の事で。
コミニアス ここから一哩と離れてゐない処だ、今しがた軍鼓の音を聞いた。一哩ばかりの処をどうして一時間も掛け、色褪せた情報を持つて来たのだ?
使者 ヴォルサイの斥候に追ひ掛けられ、三四哩も廻り道をさせられました、さもなければ半時間前にお知らせ出来た筈でございます。
マーシャスが近附いて来る。
コミニアス 誰だ、あれは、まるで生皮を剥がれた様な? おお、神! あれこそは紛れも無いマーシャス、嘗てあの男のあんな姿を見た事がある。
マーシャス (叫ぶ)遅かつたか?
コミニアス 羊飼が雷鳴と羊の声を聞き分けるよりも容易に、俺はマーシャスの声とあれに劣る余人の声とを聞き分ける。
マーシャス (側まで来て)遅かつたか?
コミニアス うむ、もし君が敵の血でなく自分の血にまみれてやつて来たとすればな。
マーシャス おお、妻を捷ち得た時と同じ様に、その体をこの腕でがつしり抱かせて下さい、式の昼が終り、蝋燭の火が夜の閨に輝く時と同じ様に、浮き浮きした心を以て。(二人相擁す)
コミニアス 武人の華だ、御身は!――ところでタイタス・ラーシャスは?
マーシャス 裁判官宜しく転手古舞ひを演じてをります、或る者は死刑に、或る者は追放に、一方、身代金を取立て、相手によつては情状酌量したり、時には嚇したりといふ訳です、とにかくローマの名によりコリオライを占領しました、あたかも猟師宜しく尻尾を振る猟犬共を革の鞭で意のままに操つてゐる。
コミニアス あの男は何処にゐる、敵方が身方を攻撃し、塹壕まで追ひ詰めたと言つた奴は? 何処へ行つた? 呼んで来い。
マーシャス 放つてお置きなさい、事実なのだから。あのお旦那衆、平民共さへゐなかつたら――皆、疫病に取り憑かれるがいい! あんな奴等に護民官など要るものか!――猫の前に出た鼠だつて、奴等の様に尻込みしはしない、しかも、敵は自分達よりお粗末なやくざ野郎だといふのに。
コミニアス それにしても、どうして盛り返したのだ?
マーシャス そんな事を話してゐる暇があるのですか? それどころではありますまい。敵は何処にゐます? 戦ひは完全に吾がものとなつたのですか? さうでないなら、さうなるまで、どうして戦はないのです?
コミニアス マーシャス、戦況は吾が方にとつて不利となつた、一旦引揚げて再挙を計らうと思つてゐたのだ。
マーシャス 敵軍の陣地はどうなつてゐます? どの方面に精鋭を配置してゐるか御存じですか?
コミニアス 察するに、マーシャス、第一線はアンシャム人らしい、敵の最も頼みとする精鋭部隊だ、それを指揮してゐるのが、他でもない、オーフィディアス、敵側の信望を一身に担つてゐる男だ。
マーシャス それなら頼む、吾二人で戦つたあらゆる戦に賭けて、共に流した血に賭けて、無二の親友と誓つた言葉に賭けて、直ちにオーフィディアスとその麾下のアンシャム人を攻めさせて下さい、そしてあなたも時を移さず進撃なさる様に、そして頭上に剣を挿《かざ》し、投槍を飛ばして、一挙に勝敗を決しませう。
コミニアス 出来る事なら、君の体を湯で洗ひ、香油を塗つて療治させたいところだが、君の頼みとあらば、敢へて拒みはせぬ、この中から君の役に立つ兵《つはもの》共を選んで連れて行くがいい。
マーシャス 自ら好んで参加する者こそ最も好もしい。誰かゐないか、――ゐないと疑ふのはけしからんと怒るかも知れぬが――かうして俺の体を塗りたくつてゐる色どりが好きだといふ男は、誰かゐないか、不名誉よりは身を捨てる事を選ぶ男は、誰かゐないか、卑劣に生きるよりも勇敢に死にたいと思ふ男は、自分自身よりも国を愛する男は、もしゐるなら一人でもいい、いや志を同じくする者は何人でもいい、その気持を表す為に、かうして剣を振り、マーシャスに附いて来い。(一同、喚声を挙げ、剣を振り、マーシャスを胴上げし、自分達の兜を空に向つて投げる)おお、俺一人を! お前達は俺を剣にしようといふのか? 今のが上辺だけでないとしたら、お前達の一人一人が四人のヴォルサイ人に匹敵すると思はないか? あの豪の者のオーフィディアスに対しても、互角に鍔競り合ひ出来ない者は一人としてゐないのだぞ。だが、数には限りがある、皆に感謝はするが、俺に選ばせて貰ひたい、他の者は、必要に応じ、いづれ別の戦闘で大いに尽して貰ふ積りだ。さあ、進軍だ、その前に同志の一隊を選抜する。
コミニアス 進軍だ、今の勢ひを見事、戦場で証明して見せるのだぞ、戦利品は後で平等に分配する。(一同進軍しながら退場)
〔第一幕 第七場〕
コリオライ 城門前
タイタス・ラーシャスはコリオライの守備を完了した後、コミニアス、ケイアス・マーシャス救援の為、軍鼓、トランペットと共に登場、副官、他の将兵及び斥候が後に続く。
ラーシャス 城門にはすべて厳重な守備を、既に指図して置いた通りに任務を遂行してくれ。使者を寄こしたら、直ちに軍勢をこちらに廻して貰ひたい、この町は残りの者だけで暫く守り切れるだらう。万一、野戦の方で敗北を喫したら、ここも到底持ちこたへられぬからな。
副官 こちらの事は決して御心配無く。
ラーシャス では、行くぞ、吾が出てしまつたら、どの城門も閉めてしまへ。さ、案内人、先に立て、ローマ軍の陣営まで宜しく頼む。(一同進軍しながら退場)
〔第一幕 第八場〕
ローマ軍陣営附近
戦闘中らしき警鐘の音。マーシャスとオーフィディアスとが左右から登場。
マーシャス 俺は貴様以外、誰も相手にしたくない、二枚舌を使ふ奴より貴様の方が憎いのだ。
オーフィディアス お互ひ様だ、アフリカの毒蛇《どくへび》にしても、貴様の忌まはしい名声よりはまだしもかはいい。行くぞ、覚悟はいいな。
マーシャス 先に逃げ出した方が相手の奴隷として死ぬのだぞ、その後は神の思召し次第だ。
オーフィディアス もし俺の方が先に逃げ出したら、マーシャス、その時は狩人宜しく俺を兎扱ひして追ひ廻すがいい。
マーシャス つい三時間前の事だ、俺はコリオライの城壁の中に閉ぢ籠められ、たつた一人で思ふ存分、暴れ廻つてやつた。見ろ、この顔の血は俺のではない。その復讐の為にも力の限り掛つて来い。
オーフィディアス たとへ貴様が、自分達の先祖だと思上つてゐるヘクターほどの勇士であらうと、この俺の切先を逃れる事は出来ないぞ。
二人、戦ふ、そこへ数人のヴォルサイ兵が登場、オーフィディアスに助勢する。
オーフィディアス 余計なお節介を、弱虫の癖に、貴様等の助太刀のお蔭で、俺は大恥を掻かされたぞ。
マーシャス、戦ひつつ敵を追ふ。敵兵達、苦戦して逃げ去る。
〔第一幕 第九場〕
前場と同じ
喇叭の吹奏。警鐘。続いて引揚げの喇叭が響き渡る。
一方からローマ軍を率ゐたコミニアスが、反対側から布で片腕を吊つたマーシャスが登場。
コミニアス 今日の君の武者振りを、たとへ私が君に話して聴かせたとしても、恐らく君は信じまい、しかし、私はありのままを報告する、元老達は感激の余り、泣いたり笑つたり大騒ぎするだらう、貴族達は耳を聳て、或は疑ひもしよう、が、最後には皆、君を礼讃する、女達は怖がりながらも、喜びに興奮し、もつと話してくれとせがむだらう、それから例の護民官め等、悪臭芬たる平民共に身方して君の名誉を憎んではゐるが、奴等もつい己れの心を裏切つて、かう呟くに違ひ無い、「神のお蔭だ、吾がローマがこの様な勇士を生んだのも」と。とはいふものの、今度の勝利など、君にとつては、コリオライで大いに満腹した食後のほんの一口に過ぎまい。
タイタス・ラーシャスが敵を追撃し終り、身方の将兵と共に引揚げて来る。
ラーシャス おお、コミニアス、これこそ駿馬、吾はその馬具に過ぎない! もしあなたがあの状景を一目でも見たら――
マーシャス お願ひだ、もう止《や》めて下さい、吾が子を褒めるのを特権と心得てゐる母にしても、目の前で褒められれば遣り切れぬ思ひがする。私はあなたがたと同じ事をしたまでだ――出来るだけの事を、それもあなた方と同じ気持に誘はれて――詰り、国の為を思つての事、誰にしても憂国の情を発揮した人達は私に優るとも劣りはしません。
コミニアス 君自身と雖も、自分の手柄を墓の下に葬り去る事は許されない、ローマは吾が子の値打を知るべきだ、君の功績を隠すのは、それを盗むより悪い、いや、それは汚名を着せるにも等しい所業だ、絶讃の言葉を以てしても決して褒め過ぎとは言へぬ行為を黙つて見過すなど、どうして出来よう、この上は黙つて聴いてゐてくれ、それも君といふ人物の存在を確認するだけだ、君の行為に対する報酬ではない、吾が軍の将兵を前にしてそれだけは言はせてくれ。
マーシャス 私は手傷を負つてゐます、それを一数へ立てられたら、傷口が痛む。
コミニアス 数へ挙げるのが当然、もしさうしなかつたら、傷口は吾の忘恩に憤り、膿み爛れ、君が死ななければ癒らぬほど悪性のものとならう。さあ、あらゆる軍馬のうちどれでもいい――戦場で分捕つたのも相当ある筈だが、それは勿論――戦場と町とを問はず、吾が獲得したあらゆる戦利品についても、その十分の一を君に提供する、一同への分配に先立ち、君が先づそれを受取つて貰ひたい。
マーシャス お志はありがたい、しかし、お受け致しかねます、私の剣に賄賂を贈る気にはなれない、お断りします、どうぞ平等に扱つて頂きたい、たとへ戦闘を見物してゐただけの連中とも。
喇叭の吹奏が暫く続く。一同、口にマーシャス、マーシャスと叫び、兜や槍を空中に投げ揚げる。コミニアスとラーシャスも兜を脱いで敬意を表する。
マーシャス 喇叭を冒涜するな、もう止《や》めろ! 軍鼓や喇叭を戦場のおべつか使ひにする気なら、宮廷や町中を嘘で固めた追従者で埋め尽すがいい! 刃の鋼を阿諛追従の徒の絹物の様にくたくたにしてしまふ位なら、その絹を武器にして戦ふがいい! もう沢山だ! 俺が鼻血を洗はなかつたとか、一人二人の弱虫共をやつつけたとか、そんな事なら、誰にも知られずにやつてのけた者がここには幾らもゐる、それなのに君達は俺に大仰な歓呼の声を浴びせ掛ける、あたかも嘘で味附けした賞讃に殊更俺が飢ゑてでもゐるかの様に。
コミニアス それは謙遜過ぎるといふものだ、吾は心から讃辞を捧げてゐる、君はそれに対する感謝の念を忘れ、自ら自分の栄誉を傷附けて顧みない。気の毒だが、さうまで自分に楯突くなら、止むを得ない、吾と吾が身を害する者同様、暫くその手に手枷を嵌めて置くとしようか。その上で話を進めよう、いいか、吾にとつても、また同様世間一般にとつても、この度の戦で〓の冠を額に飾らるべき男はケイアス・マーシャスその人である、その証しとして、誰もが知つてゐる吾が自慢の名馬をマーシャスに与へる、勿論、附属の馬具、装飾一式共に、そして今日より後、かのコリオライにおける勲を称へる為、吾等挙つて、声を限りに、この男をケイアス・マーシャス・コリオレイナスと呼ぶ事にする。この称号の永久《と は》に保たれん事を!
トランペット、軍鼓の響。
一同 ケイアス・マーシャス・コリオレイナス!
コリオレイナス 血を洗つて来る、顔が綺麗になつた後、私が赤面してゐるかどうかお分りになるでせう。いづれにせよ、お礼を申上げます、馬は確かに拝領致しました、且つまた新しい称号については、力の及ぶ限り頭上の飾りとして絶えず身に附けて置きませう。
コミニアス では、天幕へ、横になる前に先づローマへ勝利の報告を書き送らう。タイタス・ラーシャス、君はコリオライへ引返してくれぬか、それから相手方から最も有力な者を選び、双方に都合の良い条約を結べる様にローマへ送り届けて貰ひたい。
ラーシャス 承知しました。
コリオレイナス 神が私を弄り始めたらしい。今、何よりの贈物をお断りした私ですが、今度は改めてお願ひ事をせねばならぬ羽目になりました。
コミニアス 遠慮無く受取るがいい、喜んで差上げる。何が欲しいのだ。
コリオレイナス 或る時、コリオライを訪ねた事があり、貧しい男の家に泊めて貰つた事がありますが、それが大層親切に世話をしてくれました。その男に、今日、戦場で呼び留められたのです、捕虜になつてをりました、が、その時、オーフィディアスの姿が目に留まり、憤りの為、その男に憐みを掛けてやる暇もありませんでした。お願ひします、あのかはいさうな男を自由にしてやつて下さい。
コミニアス おお、よくぞ言つた! たとへその男が私の息子を殺したとしても、風の様に自由の身にしてやらう。直ぐ助けてやつてくれ、タイタス。
ラーシャス マーシャス、その男の名前は?
コリオレイナス 何といふ事だ、思ひ出せぬ! 疲れてゐるのだ、記憶力が衰へてしまつたらしい。酒はありませんか?
コミニアス 天幕へ引揚げよう、君の顔の血もすつかり乾いてしまつた、今のうちに手当をして置かねばならない、さ、行かう。(一同退場)
10
〔第一幕 第十場〕
ヴォルサイ軍陣営
コルネットの吹奏。オーフィディアスが血まみれになつて、二三の兵士と共に登場。
オーフィディアス コリオライは敵の手中に落ちた!
第一の兵士 条件次第で取戻せませう。
オーフィディアス 条件だと! 俺はローマ人になりたい、敗北者ヴォルサイ人である以上、今までの俺はもう存在しない。条件だと! 吾を意のままに扱へる相手と、どんな良い条件で取引できるといふのだ? 貴様とは、マーシャス、五度戦つた、その度に俺は負けた、これから後も同じ事だらう、さうだ、何度立向はうとこちらの敗けだ。どうともなれ、もし再び奴と斬り結ぶ時が来たら、奴を殺すか、奴に殺されるかだ。俺の敵意は以前の様な誇りを失つてしまつた、嘗ては堂と一騎打で奴を打ち取る積りだつたが、もはやどんな手を使つてもいい、一気に刺し殺してくれる、腹立ち紛れであらうと、騙し打ちであらうと構ふものか。
第一の兵士 奴は悪魔です。
オーフィディアス いや、そんな生易しいものではない、尤も智慧は乏しいがな。俺の勇気もさすがに毒され、奴のお蔭で月蝕の様に黒ずんでしまつた、もう偉さうな事を言つてはをれぬ。奴が相手ならいつでもいい、寝てゐる時だらうが、聖なる霊廟《みたまや》の中にゐる時だらうが構ふものか、裸でゐようと、病気で寝こんでゐようと、神殿、議事堂、何処にゐようと構はない、神官の祈祷の最中、生贄を供へてゐる時、その他どんな時であらうと、どうにもならぬ、今日まで暴虐を禁じて来た古臭い慣習などマーシャスに対する俺の憎しみを抑へ切れるものではないのだ。奴を見附け次第、たとへそこが吾が家であらうと、俺の兄弟が身を以て奴を守らうと、ええい、それが持てなしの作法に反しようがどうしようが構はぬ、俺は直ちにその場で奴の心臓を抉り取つてやる。さあ、町へ行つて、敵方の守備の様子を探つて来てくれ、それから誰が人質としてローマへ送られるかもな。
第一の兵士 御自分では行つて御覧にならないのですか?
オーフィディアス 糸杉の森で皆が俺を待つてゐる、いいな――水車の南の処だ――そこへ来てくれ、万事、様子を知らせて貰ひたい、後はそれに応じて直ちに事を運ぶ。
第一の兵士 畏りました。(一同退場)
11
〔第二幕 第一場〕
ローマ 広場
メニーニアス、続いて護民官のシシーニアスとブルータス登場。
メニーニアス 占師が言つてゐた、知らせは今夜にも届くさうだ。
ブルータス 吉か凶か、どちらです?
メニーニアス マーシャスを嫌つてゐる民衆の願望から言へば、先づ凶といふところだ。
シシーニアス 大自然は獣達に自分の身方を嗅ぎ分ける法を教へてくれましたのでね。
メニーニアス では、教へて貰はうか、狼が好きな動物は何だ?
シシーニアス それは小羊さ。
メニーニアス 成るほど、食つてしまふ為にな、飢ゑてゐる平民共がマーシャスを餌食にする様なものだ。
ブルータス 確かにマーシャスは小羊だ、が、熊の様にめえと鳴く。
メニーニアス 事実、あの男は熊だからな、それでゐて小羊の様に暮してゐる。ところで、二人とも年寄だ、一つお訊ねしたい事があるのだが。
二人 どうぞ。
メニーニアス マーシャスと君達との違ひだが、あの男にはほんのちよつぴり、君達にはたつぷりといふ粗《あら》は何だらう?
ブルータス 欠点なら、あの男、ほんのちよつぴりなどいふ事はない、何も彼も背負ひ込んでゐる。
シシーニアス 特に傲慢といふ奴をね。
ブルータス 大言壮語といふ事に掛けては、誰もあの男にはかなはない。
メニーニアス これは不思議だ。お二人共御存じかな、このローマの町で君達がどんなに蔭口を叩かれてゐるか――それも右派のお歴の間での事だがね? それを二人共、知つてゐるのか?
二人 へえ、どんな事を言はれてゐるので?
メニーニアス 今、傲慢の何のと言つてゐたからさ――かう言つたら、怒るかな?
二人 聴かせて下さい、さ、その先を、さ、さ。
メニーニアス 何、大した事ではない、だが、ほんの一寸した弾みといふ奴が君達の堪忍袋の緒をずたずたに切つてしまひかねないのでね。ま、手綱を緩めて、存分に怒つたらいい、どうしてもさうしたいなら。君達はさつきマーシャスを傲慢だと言つたな?
ブルータス 私達だけがさう言つてゐる訳ではない。
メニーニアス それは解つてゐる、君達は自分達だけでは何事もしでかさない、必ず大勢の助けが要る、さもなければ、君達の行動は頗る弱いものになる、能力は子供と同じで独りでは何も出来ない。それが他人《ひ と》の傲慢を論《あげつら》ふ。ああ、自分で自分の盆の窪を見る目があつたら、そして自分の中身をよくよく観察できたら! ああ、それさへ出来たら文句は無いのだが!
二人 そしたら、どうだといふのです?
メニーニアス 何の事は無い、そしたらローマ中で誰にも劣らぬ何の取柄も無い、傲慢で、横暴、怒りつぽい役人、即ち阿呆が一組出来上つた事だらうよ。
シシーニアス メニーニアス、その点、あなたも結構札附きですぜ。
メニーニアス 有名だとも、気紛れ貴族としてな、それにティベール河の水など一滴も混つてゐない純粋な酒を愛する男としてもな、そればかりではない、裁判となれば、手取り早く片附ける為に、最初に訴へ出た奴の肩を持ち、下らぬ事で直ぐかつとなる気短な男、朝の頭とよりは夜の尻と附合ひが良い男だとも言はれてゐる。それに思つた事は直ぐ口に出し、体中の毒気を吐き出してしまふ。君達の様な憂国の士に遭ふと――といつて、まさかスパルタの国士ライカーガス扱ひする訳にも行かないが――とにかく君達の持てなしてくれる酒が私の口に合はないとなると、直ぐ顰面をしてしまふ。君達の言葉の中に「すべき」の「き」の字が出て来ると、忽ちキ印を思出して、さすがに「よくぞおつしやいました」とも言ひかねるのだ、勿論、君達の事を立派な貫禄の持主だと言ふ奴がゐても必ずしも我慢できない事も無いが、男振りが良いとまで言ふ奴がゐたら、それこそ真赤な嘘だと言はざるを得ない。かういふ性癖はこの俺の面にそのまま出てゐる、とすれば、今更どうして俺が札附きといふ事になる? その盲同然の霞目で俺といふ人物にどうけちが附けられるといふのだ、たとへ俺が君達の言ふ通り札附きの男だつたにもせよ?
ブルータス いや、それは、あなたの事なら誰もが皆よく知つてゐるといふことで。
メニーニアス 君達がおれの事をよく知つてゐる、そんな事があるものか、自分の事だらうが、世間の事だらうが、何も知らない癖に。ただ、けち臭い野郎共の上にのさばり返り、ぺこぺこされていい気になつてゐる、事もあらうに、蜜柑売の女と酒樽の栓抜売との愚にもつかない揉め事裁きで一番大事な昼前をぶらぶら潰し、高が三ペンスの争ひ事を翌日まで延す。当事者の言ひ分を聴いてゐる最中、腹痛《はらいた》でも起さうものなら、黙りの道化宜しく渋面《しぶつつら》の大芝居、我慢もへちまもあらばこそ、早速お厠《かは》を取寄せ、粗相しては大変と大事な訴訟はそつちのけ、生なか話を聴いてゐただけに、卻つて事態をこんがらからせるばかり。とどの詰り、原告被告をやくざ野郎と怒鳴りつけて、何とか収りを附けるのが落ちさ。御両人共、全く不思議なお方だよ。
ブルータス 解つた、解りましたよ、それがあなたの正体だ、食卓で気の利いたお喋りをするのが関の山、議事堂で元老の役はとても勤らない。
メニーニアス 君達の様な馬鹿げた奴のお相手をしてゐたら、どんな生真面目な神官だらうが、つい悪戯気を出してからかつて見たくもならうさ。その君達の鬚だがね、如何に大事な問題を尤もらしく話してゐる時でも、そいつを上下《うへした》に動すほどの値打は無い、いや、それどころか、せめて靴直しの座蒲団、駄馬の荷鞍の詰物にしたいところだが、それだけの役にも立つまいな。それが言ふに事を欠いてマーシャスは傲慢だと抜かす、が、あの男は幾ら低く見積つても、人類滅亡の際、生き残つたデューカリオン以来の君達の御先祖様を全部ひつくるめたほどの値打があるのだ、尤も御先祖様と言つたところで、その一番上等のが代首締め役人を勤めてゐたかも知れんがね。では、これで失敬する、これ以上君達に附合つてゐたら、頭がをかしくなる、何しろ君達はあの獣の如き平民共の番人だからな。といふ訳で、敢へて失礼仕る。(ブルータスとシシーニアスは傍へ退く)
ヴォラムニア、ヴァージリア、ヴァリアリアの三人登場。
メニーニアス これは、これは、いつもながらお美しい――月の女神が天降つても、かほど気高くは見えますまい――何をそんなにじつと見詰めておいでで?
ヴォラムニア メニーニアス、息子のマーシャスが還つて来るとの事、どうぞ道を空けて下さいまし。
メニーニアス え? マーシャスがローマに!
ヴォラムニア ええ、メニーニアス、それも大勝利の凱旋。
メニーニアス この帽子を、ジュピター、吾が感謝の喜びを受け給へ。ほう! マーシャスがローマに!
ヴァージリア )
ヴァリアリア  はい、本当に。
ヴォラムニア それ、ここにあれからの手紙が、それから政府と妻と、それぞれに、いえ、確かあなたのお宅にも届いてゐる筈。
メニーニアス 今夜は吾が家を酒浸しにしてぐるぐる目を廻させてやる。手紙が私にも?
ヴァージリア ええ、あなたにも、この目で確かに見てをります。
メニーニアス 手紙が私にも! これで寿命が七年延びた、その間は医者を軽蔑してやれる、ギリシアの名医ガレヌスの有りがたい処方にしたところで、結局は行き当りばつたりの好い加減なものだ、長生きの妙薬になどなるものか、精馬に効く位のものさ。ところで、マーシャス、手傷を負ひませんでしたか? いつも傷だらけになつて還つて来たものだが。
ヴァージリア いいえ、何処も何とも。
ヴォラムニア ええ、傷を負つてをります、私はその事で神に感謝します。
メニーニアス 御同様、私も、もしそれが大した傷でなかつたなら。勝利を懐にしての凱旋なら、負傷は寧ろあの男に似つかはしい。
ヴォラムニア それこそ勝利の向う傷です、メニーニアス。あれは三度《みたび》、〓の冠を頭に還つて来るのです。
メニーニアス あの男、オーフィディアスを小つぴどい目に遭はせてやりましたかな?
ヴォラムニア タイタス・ラーシャスの知らせによりますと、二人は一騎打をし、オーフィディアスの方で逃げてしまつたとか。
メニーニアス それは奴にとつては勿怪《もつけ》の幸ひ、もしそのまま戦ひ続けてゐたとしても、揚句の果には打ちのめされて「おお、ひでえやつ」などと喚き立てるのが落ち、たとへコリオライ中の金庫全部とその中の金貨をそつくり頂戴しようと、割に合はない話だ。元老院では事実を知つてゐるのかな?
ヴォラムニア さ、皆さん、参りませう。ええ、知つてをりますとも、元老院にはコミニアスからの手紙が届いてをりますもの、それによると、今度の戦はすべて息子の名誉に帰せられる、その働き振りはこれまでの戦で立てた勲の倍以上だとか。
ヴァリアリア 本当の事を申しませうか、素晴しい話がありますの、あの方の事で。
メニーニアス 素晴しい! それはさうだ、それも皆、自分の実力で捷ち取つたものですからな。
ヴァージリア 神がお許しになる様な話ならいいのだけれど!
ヴォラムニア お許しになる! 何を愚かな事を!
メニーニアス お許しになる! 勿論ですよ、解り切つた事だ。傷は何処でしたかな?――(護民官達の方を見て)お元気で何よりだな、お歴! マーシャスが還つて来る、傲慢になる種がまた一つ殖えたといふものだ。――傷は何処でしたつけ?
ヴォラムニア 肩と、それから左腕、その他、いざその地位に就くとなると、民衆に見せてやらねばならぬ傷は幾らもございませう。タークィンを追ひ返した時にも、七箇所も手傷を受けました。
メニーニアス 一つは首に、一つは腿に――確か全部で九箇所ですよ。
ヴォラムニア 今度の戦に出掛ける前には、二十五も疵痕がありました。
メニーニアス それが今度で二十七になる、その一つ一つが敵の墓穴になつた。(喚声と華やかな喇叭の音)あれを! 喇叭だ。
ヴォラムニア あれはマーシャスの先触れ。前には歓呼の叫び、後には敗北者の涙、死が、あの暗黒の死神が、あの子の逞しい腕に宿つてゐる、一度それを振り上げれば、相手は斃れ、敵は片端から死んで行く。
トランペットの吹奏。コミニアスとタイタス・ラーシャスとが、〓の冠を頂いたコリオレイナスと共に現れる、続いてその他の将兵、先触。
先触 ローマの市民に知らせる、マーシャスはコリオライの城門内に突入し、唯一人にて奮戦し、見事に勝利を博した、その功績により、ケイアス・マーシャスの名に加へ、コリオレイナスの称号を捧げる事にする。ようこそローマへ、万歳、コリオレイナス! (喇叭の吹奏)
一同 ようこそローマへ、万歳、コリオレイナス!
コリオレイナス もう沢山だ、胸が悪くなる、さあ、もう止めにして下さい。
コミニアス それ、母上がそこに!
コリオレイナス おお、(膝を突き)母上、あなたが私の成功を神にお祈り下さつたのでせう!
ヴォラムニア お止し、さあ、立つて、私のマーシャス、吾が子ながら天晴れなケイアス、それから今度の勲により新たに与へられた名称――何とお言ひだつけ?――確かコリオレイナス、さう呼ばなければならないのかい?――いえ、それより、ここにヴァージリアが!
コリオレイナス おお、相変らず黙り屋を決め込んでゐる、かはいい奴だ、元気で何より! 私が棺桶に入れられて戻つて来たら笑顔を見せてくれる気かね、勝利の帰還を泣き顔で迎へてくれるとは? ああ、ヴァージリア、その目はコリオライの寡婦《やもめ》や子を失した母親のものだ。
メニーニアス 何よりおめでたう!
コリオレイナス まだ生きてゐたのか? (ヴァリアリアを見て)おお、ヴァリアリア、失礼、うつかりしてゐた。
ヴォラムニア どうしたらいいのだらう、ああ、ようこそローマへ! コミニアス、ようこそ、どなたもようこそローマへ。
メニーニアス 何度でも歓迎の言葉を述べさせて貰はう。今の私は泣く事も出来る、笑ふ事も出来る、陽気でもあるし陰気でもある。皆、ようこそローマへ! マーシャス、君を見て喜びを感じぬ奴がゐるとすれば、呪《のろ》ひがそいつの心臓に取り附き、腐れ果ててしまふがいい! あなた方三人はローマが惚れて惚れて首つたけの英雄だ、だが、正直の話、この町には酢つぱい林檎の木があつて、どう接木しても、あなた方の口には合はない。ま、それはとにかく、ようこそ、諸君、凱旋、おめでたう、だが、蕁麻《いらくさ》は飽くまで蕁麻、阿呆共の罪は飽くまで阿呆らしいと言はせて貰ひたい。
コミニアス 相変らず手厳しいな。
コリオレイナス メニーニアスは常にメニーニアスです。
先触 道を空けろ、道を。
コリオレイナス (妻と母に)手を、母上も! 家へ帰る前に顔を出さねばならぬ処があります、貴族達を訪問せねばなりません、歓迎されたばかりでなく、思はぬ栄誉を授りましたので。
ヴォラムニア 今日まで生きて来た甲斐がありました、私の望みが適ひ、夢に見てゐた建物が目の前に聳え立つのを見たのだもの。唯一つまだ足りないものがある、が、それもきつとローマが与へてくれるでせう。
コリオレイナス だが、母上、私は寧ろ自分の生き方を守つて大衆の従僕になつてゐたいのです、大衆の流儀に随つてその支配者となるよりは。
コミニアス さ、皆、議事堂の方へ! (コルネットの吹奏。一同、登場の時と同様、堂と退場、ブルータスとシシーニアスのみ残る)
ブルータス 誰も彼もが彼奴の話で持ち切りだ、目の悪い奴は眼鏡を掛けてでもその姿を見ようとする。無駄話しか能の無い乳母は火の附く様に泣いてゐる赤坊を抛り出してあの男の噂話に夢中になつてゐる、かと思ふと、普段、台所を這ひずり廻つてゐる下女まで、汚れた首に御大層な襟巻を引つ掛け、城壁に攀ぢ登つて彼奴の姿を一目でも拝まうといふ始末だ、店も窓も人で一杯、屋根にまで這ひ上り、天辺に馬乗りになつて、ありとあらゆる人種が懸命になつてあの男のお通りを見物してゐる、滅多に人中に姿を見せぬ神官まで群衆と押し合ひへし合ひ、息を切らせて見いい場所を確保しようといふ騒ぎだ、それどころか、いつもは顔を覆ひ隠した貴婦人連が、今日ばかりは頬も露《あらは》に、浮気な太陽の焼け附く様な口附けをまともに浴び、白い面を火照《ほてら》してゐる、大した乱痴気騒ぎではないか、何神様か知らないが、彼奴の守護神がそつとあの体の中に忍び込んで、見取れる様な素晴しい姿に変へてしまつたとしか考へられない。
シシーニアス 忽ち執政官になるぞ、請合ひだ。
ブルータス さうなつたら、俺達はどうにも動きが取れなくなる。
シシーニアス いや、あの男には自分の役割を首尾一貫無事に成し遂げる事は出来つこない、自ら手に入れたものを元も子も失してしまふに決つてゐる。
ブルータス そこに一縷の望みがあるといふ訳だ。
シシーニアス 忘れてはいけない、俺達が代表してゐる平民共の気持を、彼奴に対する昔からの憎しみに、一寸した切掛けさへ与へてやれば、今度新しく得た奴の名誉など、一遍に吹き飛んでしまふだらう、しかも、その切掛けを奴は自ら作る、誓つてもいい、その位傲慢な男なのだから。
ブルータス さう言へば、奴がかう断言してゐるのを聞いた事がある、たとへ自分が執政官の候補に選ばれても、ひよこひよこ広場に出掛けて行つたり、わざとらしく謙遜の意を表す為に襤褸を身に纏つて見せたりするのは真平御免だ、ましてや仕来りに随ひ、民衆の眼前に戦の疵痕を見せ、その臭い息で賛成と言つて貰ふ様に歎願するなど誰が出来る、さう息巻いてゐた。
シシーニアス 確かにさう言つた。
ブルータス 自分で言つたのだからな。ふむ、どんな事があらうと自ら執政官にならうとはしまい、貴族達に無理やり懇望されでもしない限り。
シシーニアス 俺としても、奴がその気持を守り通し、是非とも言葉通り実践して貰ひたいところだ。
ブルータス まあ、さうなるだらうよ。
シシーニアス さうすれば、俺達の思惑通り、奴の破滅は間違ひ無しといふところだ。
ブルータス 詰り、彼奴が滅びるか、俺達の方が滅びるかといふ事になる。かうなつたら、奴の民衆に対する憎しみが依然として変つてはゐない事を皆に吹き込んでやらなければならない、奴は自分の力の及ぶ限り民衆を驢馬同様に虐げ、それに同情する者の口を封じ、民衆から自由を奪ふだらうとな、それといふのも、彼奴は民衆といふものをその実際の行動、能力、いづれの点においても全く人間扱ひしてをらず、戦場における駱駝並みの智慧も無ければ用もなさないものと思つてゐるからだ、さうさ、駱駝さ、荷物を背負ふ為に飼葉を当てがつてはくれるが、背負ひ切れず潰れてしまへば、こつぴどく打ちのめされる、さう言つてやるのだ。
シシーニアス その通りだ、いつか奴の思上つた不遜な言動が民衆の勘に触つた時にさう言つて嗾《けしか》けてやればいい――その機会に事欠きはしない、奴を嗾けてその気にさせるのは、羊に犬を嗾ける様なもので何の手間も要らないからな――その時さへ巧く狙へば、民衆の怒は、枯木に火、忽ち大きく燃え上る、そしてその焔が奴の影を永遠に暗くしてしまふだらう。
使者登場。
ブルータス 何事だ?
使者 直ぐ議事堂へお出で下さいとの事。どうやらマーシャスが執政官に推されさうです。大変な騒ぎでございます、唖《おし》はあの方を一目でも見ようとし、盲は一言でもあの方の言葉を聴かうとしてごつた返してをります、年取つた婦人方は手袋を、奥様方や娘さん達は肩掛やハンカチーフを、マーシャスに投げ掛ける、貴族達はジュピターの像に対する如く頭を下げ、平民達は帽子と喚声の嵐を雷雨の如く浴びせ掛けるといふ有様。今まで見た事もない大騒ぎでございます。
ブルータス 議事堂へ行かう、今のところ、この目と耳とを油断無く働かせて置く事だ、が、やがて時が来れば、勇気を。
シシーニアス よし、解つた。(一同退場)
12
〔第二幕 第二場〕
ローマ 議事堂前、元老院の建物
二人の役人が座蒲団を敷いて歩く。
第一の役人 さあ、さ、皆、もう直ぐ見える。執政官の候補は何人だらう?
第二の役人 三人ださうだ、だが、皆、言つてゐるぜ、コリオレイナスが一人で票を浚つてしまふだらうつて。
第一の役人 あれは実に勇敢な奴だ、だが、ひどく傲慢で、平民を嫌つてゐるさうだな。
第二の役人 さうとも、昔から偉い奴は幾らもゐたが、民衆には皆、諛《へつら》つて見せたものだ、腹の中では愛してもゐない癖にな、さうかと思ふと民衆から何となく愛されるのもゐた、といつて民衆自身、なぜそいつを愛するのか一寸も解つてはゐないのさ、といふ訳で、なぜだか解らずに好かれる、とすれば、同様、何の理由も無しに憎まれても仕方は無いといふ事になる。かうなると、皆に好かれようが憎まれようが構はないといふコリオレイナスの態度は、寧ろ民衆の気持をよく知つてゐる証拠と言へる、その自尊心の強い無頓着な素振で卻つて民衆の心を引き附けてゐる様なものさ。
第一の役人 いや、愛されようが愛されまいが構はないといふだけなら、民衆にとつて毒にも薬にもならない好い加減の世渡りを心得てゐるだけといふ事になる。しかし、あの男の場合、民衆に先んじて、わざと憎まれる様な言動を恣《ほしいまま》にし、自らその敵である事を露《あらは》に示す様な事ばかりする。考へても見ろ、こんな風に民衆の敵意や憤りを挑発して見せるのは、あの男の嫌つてゐる事、詰り、民衆に諛つてその機嫌取りをするのと同様、けしからんではないか。
第二の役人 あの男は国の為に大きな功績を立てたのだぞ、今度、高い位を捷ち得たにしても、そんぢよそこらのお手軽な連中の場合とは訳が違ふ、民衆に揉み手をし、帽子を脱いで頭を下げ、しかも尊敬や名声に値する様な事は何もしない手合と一緒には出来ない。その名誉は誰の目にも、そしてその行為は誰の心にも深く食ひ込んでゐる筈だ、それを黙殺し何も語らずに済ませようといふのは恩知らずの不正としか思へない、まして、事実に反する取沙汰などは以てのほか、それこそ悪意といふものだ、嘘にも程がある、そんな事を言ひ立てたら、誰だつて忽ちいきり立ち、食つて掛つて来るに決つてゐる。
第一の役人 その話はもう止めにしよう、確かにあの男は立派な人物だ。さ、退つてゐよう、皆、やつて来る。
喇叭の吹奏。先導使達を先頭にして貴族、護民官登場、続いてコリオレイナス、メニーニアス、執政官コミニアスが這入つて来る。シシーニアス、ブルータスはそれぞれ自分の席に就く。
メニーニアス ヴォルサイ人に関する件、並びにタイタス・ラーシャス呼び戻しに関する件についてはいづれも既に決定済みとなつた以上、この第二会議としては、当面の主要案件は唯一つ、不撓不屈の精神を以て吾が国を衛り通してくれた人物の労に報いる事にある、そこで吾が元老院議官諸兄のお許しを得、現執政官であり、今回の見事な戦果を挙げた対ヴォルサイ戦においては総指揮官であつたコミニアスの口から、ケイアス・マーシャス・コリオレイナスの称讃すべき働き振りについて、一言御報告をお願ひしたい、コリオレイナスにも同席して貰つたが、それといふのも、吾として改めてこの人物にふさはしい栄誉に感謝の意を表し、且つそれを永久に心の底に留めて置きたいからにほかならない。
第一の元老 さあ、コミニアス、直ぐにも報告を、如何に長くならうと構はぬ、一部始終、詳細にお願ひする、それに、吾一同、幾らでもその勲に報いたい気持でゐるものの、国自体にそれだけの力が無いのだと思はせて貰ひたい。(護民官達に)民衆の代表者たる君達にお願ひする、コミニアスの話を何よりも好意を以て聴いてゐて貰ひたい、そしてそれを民衆に伝へる場合、吾がここに決議した事を彼等が素直に受容れる様、宜しく取成しを頼む。
シシーニアス 私達はこのめでたい会議に傍聴を許されました以上、その集会の主題については心から敬意と賛同の念を表してをります。
ブルータス のみならず、さういふ機会を与へられた事を大いに喜んでをります、もし問題の御仁が今までより少しでも民衆に好意を持つて下さればの話ですが。
メニーニアス 話を逸すな、話を、君達は黙つてゐればいいのだ。コミニアスの話を聴く気は無いのか?
ブルータス 喜んで伺ひますとも、しかし、今、私の申上げた事はあなたのお小言よりも大事な点なのですがね。
メニーニアス あの男は民衆を愛してゐる、といつて、民衆と一つ床に寝かせようなどと考へるな。さ、コミニアス、どうぞ話を。(コリオレイナス、立ち上り、出て行かうとする)待て、君もここにゐて貰ひたい。
第一の元老 席についてくれ、コリオレイナス、自分の立てた手柄だからといつて、それを聴くのを羞ぢる事は無い。
コリオレイナス お言葉だが、これだけはお許し願ひたい、自分の得た傷の話を聴かされる位なら、それをもう一度総身に浴びた方がずつとましだ。
ブルータス まさか私の言葉がお気に障つての御退席とも思へませんが。
コリオレイナス いいや、御心配には及ばない、だが、事実、言葉からは度逃げ出したものだ、剣の前には少しもたじろがぬ私だが。君はお追従は言はない、だから平気だ、君達の民衆といふ奴も私はそれ相応にかはいがつてゐる積りだ――
メニーニアス まあ、いい、さ、腰を降せ。
コリオレイナス 俺は寧ろ戦場で警鐘の鳴り響くさなか、日なたで頭のふけを掻いて貰つてゐた方がまだましだ、ここにぼんやり坐つて、取るに足らぬ手柄を御大層に持上げられるのを黙つて聴いてゐるよりは。(退場)
メニーニアス 護民官諸君、君達の無数の雑魚達だがね――そのうち一寸はましなのは千匹に一匹だらうが――それにしてもあの男を阿諛追従で籠絡する事はとても出来まい、今、目の前で見たらうが、あの男、自分の名誉について話されるのを聴かされる位なら、同じ名誉の為に五体をもう一度危地に曝したいと言つてゐたらう? さ、コミニアス、話を。
コミニアス 私の声は力に欠けてゐる、コリオレイナスの奮戦は弱しい声で語らるべきものではない。言ふまでもなく、勇敢は最高の美徳であり、その徳の持主に栄光を与へる、もしさうなら、今、私が讃辞を述べようとしてゐる人物に匹敵し得る者は、この世に一人も存在せぬであらう。かのタークィンがローマに攻め寄せて来た時、あの男は僅か十六歳にして思ひも及ばぬ目ざましい武者振りを見せた、当時の総指揮官は私の称讃して止まぬ人物だつたが、偶かの若武者の奮戦振りを目撃してゐる、その時、あの男はアマゾンの女丈夫の如く鬚無しの顎を以て、押し寄せる針鬚の脣共を追ひ返し、身方の一人が追ひ詰められ、愈危《あやふ》いと見て取るや、身を以てその男を庇ひ、吾が執政官の目の前で取り囲む敵を三人まで斬り倒した、また敵将タークィンと出遭ふや否や、忽ちのうちに相手を跪かせた、舞台でならまだ女形を演ずる年頃だといふのに、その日の戦では随一の勲、額に〓の冠を与へられたものだ。この様に、並の者ならまだ腕白時代に早くも武人として成長し、その後も潮の満ちるが如く逞しくなり、今日まで十七年間、幾度も戦を重ねて来たが、その度にあらゆる功を一身に蒐め、他の戦士の剣をして顔色無からしめた。この度の戦においても、コリオライ内外におけるその働き振りについては、正直の話、この私にはそれを十分に伝へるだけの能力が無い。あの男は逃げる身方を制して自ら稀有の手本を示し、臆病者をして恐怖の戦闘を単なる遊びと見做さしめるが如き奇蹟を生んだのだ、お蔭で敵兵は帆船の前の水草の如く靡き随ひ、舳先に押しひしがれて次に倒れて行つた。あの男の剣は死の極印、触れれば必ず死の影が宿る、自らも頭の天辺から爪先まで全身血まみれ、その一挙手一投足に、死んで行く敵兵の叫び声が調子を合はせるといふ始末だ。這入つたら最後、二度とは戻れぬ城門へ単身突入し、遂にその門を避け難い宿命の真赤な血糊で色取つた、かと思ふと、助けも待たずに再び城門から取つて返し、忽ち身方を強化し、あたかも星の力を借りたかの如く一気にコリオライを陥れたのだ。かうして、今や、すべてが己れの手中に帰した、その時だつた、再び戦闘の激しい物音がその鋭い耳を突き刺した、瞬間、あの男の勇気は倍加し、疲れた肉体は卻つて力を取り戻した、あれは直ぐ様、吾の戦場に馳せ附け、敵兵の中を駆け廻りながら、行く手、行く手に血の河を作る凄じさ、あたかも果し無き大殺戮さながらだつた、かうして城内と野戦場と、共制覇し終るまで、決して一息入れて休まうともしなかつたのだ。
メニーニアス 大した奴だ!
第一の元老 どう考へて見たところで、あの男の功績にふさはしい栄誉は与へられさうもない。
コミニアス 吾の戦利品をあの男は足蹴にし、どんな高価な品物も糞土の如く見做して顧みない、吝嗇そのものが与へんとするものより少きを望み、己が行為の報酬はただそれを行ふ事にあると考へ、時はただ心のままに過せば、それで満足だと言つてゐる。
メニーニアス 実に立派な男だ、呼んで来て貰はう。
第一の元老 コリオレイナスを呼んで来い。
役人 お見えになりました。
コリオレイナスが戻つて来る。
メニーニアス コリオレイナス、元老院は喜んで君を執政官に推挙する。
コリオレイナス 御一同には心から感謝の意を表する。
メニーニアス それなら、後は民衆に挨拶するだけだ。
コリオレイナス お願ひだ、その仕来りだけは御免蒙りたい、解つてくれ、俺には襤褸を纏つたり、平服のまま立棒の真似をしたり、戦の手傷を楯に奴等に投票を頼んだり、そんな事は出来ないのだ、頼むから、それだけは無しで済ませて貰ひたい。
シシーニアス いや、民衆には発言権があります、それに、儀式は儀式、それを一寸でも省略する事は許しますまい。
メニーニアス 民衆を刺戟しない方がいい。頼む、仕来りだけは守つてくれ、そして君の先輩達が皆さうして来た様に、形式通りに事を運び、栄誉をその身に受けてくれ。
コリオレイナス それこそ俺にとつては赤恥曝し、そんな仕来りは民衆から取上げてしまつた方がいい。
ブルータス (シシーニアスに傍白)よく聴いて置け、あの言葉を。
コリオレイナス 民衆に向つて、「これは私がやつたのだ、これもさうだ!」などと自慢話をして聴かせ、隠して然るべき痛みもしない旧傷を奴等に見せてやる、それではまるで奴等の一声が欲しいばかりに、わざわざ傷を負つたみたいではないか!
メニーニアス (コリオレイナスに傍白)さう強情を張るな。(一同に向つて)君達、護民官諸君、吾の希望を民衆にお伝へ願ひたい、さあ、御一同、吾の執政官に対して心からの喜びと敬意を。
元老達 コリオレイナスにあらゆる喜びと名誉を! (コルネットの華やかな吹奏、シシーニアスとブルータス以外すべて退場)
ブルータス あの男がどういふ風に民衆を遇しようとしてゐるか、これではつきりしたな。
シシーニアス 皆が奴の肚を見破つてくれればいいのだが! 奴は一応皆に推薦を頼む積りだらうが、あの調子では、まるでその頼んだ推薦の権利が民衆の手中にある事を軽蔑してゐるとしか思へない。
ブルータス さ、ここでどんな事が起つたか、一部始終、皆に知らせてやらう。皆、広場で俺達を待つてゐる筈だ。(二人退場)
13
〔第二幕 第三場〕
ローマ 広場
市民七八人登場。
第一の市民 さうさな、推薦してくれと頼まれれば、厭と言ふ訳にも行くまい。
第二の市民 その気になれば、言へない事もなからうが。
第三の市民 それは、さう言ふ権利はあるさ、だが、権利とはいふものの、それはいざとなれば実行する権利の無い権利といふものだ、さうだらうが、傷を見せられ、手柄話を聴かされようものなら、その傷口の一つ一つに俺達の舌を貸してやり、その為に一席弁じ立ててしまふ事にもなりかねない、となると、相手の潔い武者振りを聴かされた以上、俺達としても当然、それを潔く認めなければならなくなる。恩を知らざるは人でなしの化物なりだ、しかして大衆が恩知らずとなつた日には、大衆、変じて悉く化物と化すといふ訳さ、しかも、俺達もそれぞれその大衆の一員である以上、同じくその化物の仲間入りをさせられてしまふのだぞ。
第一の市民 俺達を化物扱ひするには、何の手間暇も要らぬ、忘れもしない、いつか穀物の事で暴動を起した時の事だ、あの男は平然として俺達の事を頭の幾つもある化物めと罵つたからな。
第三の市民 そんな事は色な奴に言はれたさ、だが、それは俺達の髪の毛が、或る者は鳶色、或る者は黒、或る者は栗色、そして或る者は丸禿といふ意味ではない、頭の中味が色だといふ事だ、それは本当さ、たとへ俺達の智慧が一つ脳味噌から飛び出したとしても、それが東西南北に飛び拡り、まるで申し合はせでもした様にそれぞれ一直線に突き進むだけが能で、行く先はまちまち、羅針盤のあらゆる方向目ざして飛んで行くに違ひ無いやね。
第二の市民 さういふものかね? では、俺の智慧はどつちの方に飛んで行くだらう?
第三の市民 いや、お前さんの智慧は他の奴とは違つて、さう直ぐには飛び出さないだらうよ、固い石頭の中に閉ぢ籠められてゐるからな、しかし、いざ飛び出したとなると、まあ、さうさな、きつと南の方だらう。
第二の市民 なぜ南なのだ?
第三の市民 南の靄《もや》の中で方角が解らなくなつてしまふ性《たち》だからさ、その辺《あたり》で四分の三は湿気で腐つてしまひ、辛うじて残りの四分の一だけが、何となく申訳無い様な気になつて、心細がつてゐるおかみさんを探しに戻つて来るだらうな。
第二の市民 相変らず人を玩具にしやがる、まあ、何とでも言へ、何とでも。
第三の市民 ところで、お前さん達、肚は決つたのかい、あの男を推薦する気かね? いや、そんな事はどうでもいいや、結局、数で決るのだから。全く、あの男、民衆にもつと好意を持つてくれさへしたら、あれほど立派な人物は未だ嘗て無かつたと言つてもいい位なのだがな。
コリオレイナスが謙遜の意を表はす粗末な長上着を羽織り、メニーニアスと共に登場。
第三の市民 それ、あの男がやつて来る、謙遜の意を表はす例の上着を着てゐるぞ、奴、どう出るか、とつくり見て置け。皆、一緒に固つてゐない方がいい、一人、二人と、てんでばらばらに、あの男の側へ寄つて行くのだ。さうすれば、奴はその度に一推薦を頼まなければならなくなる、こちらはこちらで一人宛たつぷり相手の話を聴き、賛否いづれにせよ、手前の舌で手前の意見を申立てられるといふものさ、ま、俺に附いて来な、どういふ風にして奴の側へ寄つて行つたらいいか、手順を教へてやるから。
一同 それはいい、それはいい。(市民達退場)
メニーニアス いや、それは間違つてゐる、どんな高潔の士と雖も、皆、さうして来たのを知らない訳ではあるまい?
コリオレイナス では、どうしても言はなければならないのか?――「宜しく頼む」などと――ふざけるな! 俺の舌はそんな並足のそぞろ歩きなどとても出来ぬ。「さあ、この傷を見てくれ! どれも祖国を守る為に受けたものだ、その時、諸君の兄弟の誰それは身方の軍鼓の音に恐怖の叫びを挙げ、一目散に逃げ出した。」
メニーニアス 何を言ふのだ! そんな事は言つてはいけない、相手が皆ただ君の事しか考へられない様に話を持つて行くのだ。
コリオレイナス 俺の事を考へる! 止してくれ! 俺の事など忘れて貰ひたいのだ、あたかも説教師の説いて聴かせるありがたい教へが奴等にとつては馬耳東風、きれいさつぱり忘れられてしまふ様に。
メニーニアス その調子では何も彼も打ち毀しだ。俺はこれで失敬する。頼む、何とか適当に切り抜けてくれ。(退場)
第二、第三の市民登場。
コリオレイナス 奴等に言つて置いてくれ、顔を洗ひ、歯を磨き、身綺麗にして来る様にとな。それ、来た、一組が。俺がここに立つてゐる目的は御存じの筈だ。
第三の市民 存じてをりますとも、ただ、何が因でかういふ事になつたのか、一つその辺の事情をお知らせ願ひたいもので。
コリオレイナス それは俺の功績さ。
第二の市民 あなたの功績?
コリオレイナス さうだ、俺の望みからではない。
第三の市民 ほう、あなたのお望みからではない、とおつしやる?
コリオレイナス 断じてさうではない、俺はそんな望みは一度も懐いた事は無い、貧乏人相手に物請ひするなどといふ事は。
第三の市民 そこですよ、もしこちとらから何かあなたに差上げるとすれば、それだけのものはあなたから頂戴できると思ひましてね。
コリオレイナス 成るほど、では、聞かせてくれ、執政官の値段は幾らだ?
第三の市民 そのお値段は、左様、真心を籠めてお頼みになる事で。
コリオレイナス では、真心を籠めてお願ひしよう、俺を執政官にしてくれ、傷を見せなければならないのだが、それは二人切りの時にしよう。(第二の市民に向つて)お前にも推薦を頼む、どうだ?
第二の市民 承知しました、結構です。
コリオレイナス 取引は済んだ。これで二票貰つたといふ訳か。御寄進、有りがたく頂戴する、では、これで。(二人から離れる)
第三の市民 しかし、これは何処かをかしいな。
第二の市民 もう一度やり直して見たら――だが、どうでもいいや。(二人退場)
別に二人の市民登場。
コリオレイナス 待つてくれ、頼みがある、もし俺が執政官になるのに多少でも賛成してくれる気があるなら、これを見ろ、俺はかうして仕来り通りの上着を着て立つてゐる。
第四の市民 あなたは国の為に大いに力をお尽しになつた、が、その禍の為にも大いに力を尽されましたな。
コリオレイナス 何の謎だ、それは?
第四の市民 あなたは敵を懲す鞭であると同時に、自分の身方を叩く杖でもあつた。あなたは並みの民衆といふものを心から愛した事が無い。
コリオレイナス 俺の愛がそこらにある並みのものでない事こそ、美徳と思つてくれなければ困る。が、今後は誓ひを立てた兄弟分として吾が民衆諸君に対し大いに諛つて見せもしよう、精皆に良く思つて貰ふ為にな、民衆といふものは、それが結構礼儀正しい作法と思ふらしい、皆は俺の心よりは俺の帽子の方が欲しいと見える、さういふ分別の持主とあれば、俺としては先づ愛想の良いお辞儀の仕方を覚え、わざとらしく帽子を脱いで見せもしよう、要するに、これからは人気取りの業を身に附け、それを望む者にはふんだんにくれてやる。どうだ、その代り、俺を執政官にしてくれぬか。
第五の市民 どうやら俺達の身方になつてくれるらしい、それなら喜んで推薦させて貰ひませう。
第四の市民 国の為に沢山傷を受けたとか。
コリオレイナス 知つてゐるなら、敢へて見せるまでもあるまい。御推薦には感謝してゐる、これ以上、お前達に用は無い。
二人 どうぞ神の御加護を! (二人退場)
コリオレイナス どうぞ御推薦を、どうぞ! ええい、いつそ死んでしまつた方がましだ、餓ゑ死にした方がましだ、当然、自分のものとなるべき分け前を揉み手して頂戴するよりは。なぜこんな手織の上着など引掛け、じつと突立つてゐなければならないのだ、次に現れるホッブだのディックだのに頭を下げて、今更、要りもしない奴等の票まで掻き集めなければならないのだ? それが仕来りだからと言ふ。が、仕来りがさうだからといつて、何でも彼でもさうしなければならないといふ事になつたら、大昔からの塵芥はそのまま溜りに溜つて、間違つた事ばかりが積み重つて山となり、真実はその下に埋れて顔を覗かせる隙も無くなる。そんな馬鹿な真似をする位なら、地位も名誉も、さういふ事の好きな奴等にくれてしまつた方がいい。が、俺もここまで頑張つて来たのだ、半分我慢した以上、あと半分、何とかやつてのけよう。
新たに市民三人が登場。
コリオレイナス またやつて来たぞ。頼む、俺を推薦してくれ! お前達の推薦が欲しいばかりに俺は戦つた、夜を徹して見張りもした、お前達の推薦目当てに、さうなのだ、お前達に賛成して貰ひたいばかりに、二十何箇処も傷を負つたのだ、三六、十八回、戦といふものを目の当り見もしたし、風の便りに聞きもした、お前達の票が欲しさに、大小様の事をやつて来たのだ。頼む、俺を推薦してくれ! 本当に俺は執政官に成りたいのだ。
第六の市民 実に見事な働き振りだつた、心の正しい人間なら、誰しも推薦せずにはゐられまい。
第七の市民 それなら執政官になつて貰はう、どうぞ神の御加護を、あの男が民衆の良き身方となります様に!
一同 どうぞその様に。では、お元気で、吾等が執政官殿! (市民達退場)
コリオレイナス 推薦を感謝する!
メニーニアスが、ブルータス、シシーニアスと共に登場。
メニーニアス もういい、決りの時間は過ぎた、護民官達は民衆の推薦を認めてゐる。後は公式の服装を身に附け、直ぐにも元老達に会ふ事だけだ。
コリオレイナス これでもういいのか?
シシーニアス 承認の手続は仕来り通り無事に済んだ、民衆はあなたを認め、あなたの認証式に直ぐにも立ち会ふ様に召集を受けてゐます。
コリオレイナス 場所は? 元老院か?
シシーニアス さうです、コリオレイナス。
コリオレイナス こいつはもう着換へてもいいのだな?
シシーニアス 勿論です。
コリオレイナス では、直ぐにもさうしよう、さうして再び吾が身に立ち返り、元老院へ出掛ける事にしよう。
メニーニアス 一緒にお伴しよう。君達も一緒に来るか?
ブルータス 私達はここで皆が集つて来るのを待つ事にしませう。
シシーニアス では、御機嫌よう。(コリオレイナスとメニーニアス退場)奴さん、目ざすものをやつと手に入れた、顔色から察するに、すつかり逆《のぼ》せ上つてゐた様だな。
ブルータス 逆せ上つた傲慢な心臓にへりくだつた衣を被せてゐるといふ訳だ。民衆はもう解散させるか?
市民達が再び戻つて来る。
シシーニアス やあ、君達か! あの男を推薦したのだね?
第一の市民 ええ、皆で推薦する事にしました。
ブルータス 神に祈つて置きたいね、あの男が君達の御愛顧に酬いられます様にとな。
第二の市民 どうぞその様に、といふのは、乏しいながらも私の勘から申しますと、あの男は私達の推薦を求めながらも、始終私達を嘲弄してゐる様な気がしたのですがね。
第三の市民 同感だ、俺達を頭から愚弄してゐたよ。
第一の市民 いや、それはあの人の話し癖なのだ――嘲弄などしてはゐなかつた。
第二の市民 誰にでも訊いてみろ、お前だけだぞ、そんな事を言ふのは、皆、軽蔑されたと言つてゐる、国の為に手柄を立てたなら、その印の傷を見せるべきだ。
シシーニアス 何だと、さうした筈だが、確か。
第三の市民 傷は受けたが、それは二人切りの時に見せてやると言ひました、それから帽子を手にして、それをさも軽蔑がましく振り廻し、「俺は執政官に成りたいのだ」と、まあ、かう言ふのです、「昔からの仕来りで、お前達の推薦が無ければどうにもならない、是非、推薦を頼む、」といふ訳で。それから私達の承認を得ると、今度は「御推薦には感謝する。有りがたい、よく推薦してくれた。その言葉さへ貰へば、もうお前達に用は無い。」かういつた調子でして。これでも嘲弄とは言へないものでせうか?
シシーニアス 何といふ事だ、お前達はそれが解らぬほどの鈍物なのか、それとも解つてゐながら、気軽に推薦するほどたわいの無いお人好しなのか?
ブルータス なぜかう言つてやれなかつたのだ――予め教へておいたらうが――奴がまだ何の力も持たず、政府の一小役人だつた頃から、早くも奴はお前達の敵として振舞ひ、お前達の自由を抑へ附け、同じ国家の一員としての権利にいつも反対ばかりして来たではないかと、それに、今や奴は国の大事を左右する枢要な地位に成上り、しかもなほ平民を敵視する悪意を内に懐いてゐるとすれば、お前達の推薦の声はそのままお前達自身を呪ふ言葉となつて弾ね返つて来かねないと? さうだ、お前達はかう言つてやるべきだつた、あの男の立派な働きは、成るほど奴の求める地位にふさはしいものでもあらうが、それだけに、改めてお前達の推薦を得るにふさはしい真心を示し、悪意を愛に換へ、民衆の身方として立つ心構へを持つて貰ひたいと。
シシーニアス 打合せ通りに、さう言つてやりさへしたら、奴も胆を冷やし、本音を吐きもしたらうに、さうすれば、何か悶着が起きた時、奴を身動き出来なくさせる様な巧い約束を取附けられたかも知れない、或はその反対に奴をすつかり怒らせてしまふといふ手もあつた、何しろ自分を束縛する様な契約にはとても妥協できない気難し屋だからな、だが、さうして猛り狂つたら占めたもの、その癇癪を独鈷に取つて、奴を推薦せずに済ませられたものを。
ブルータス 見逃しはしなかつたらうな、奴は現にお前達の好意を必要としながら、相も変らず日頃の軽蔑感を丸出しにして推薦の言葉を請ひ求めたらう、が、やがて奴がお前達を押し潰せるだけの権力を持つた時、あの軽蔑感がお前達にとつて致命的な打撃の因にならぬとでも思つてゐるのか? どうだ、お前達の体の中には分別の一かけらも無いのか? それとも理性の手引に逆つて喋りまくる舌でも持つてゐるといふのか?
シシーニアス 今日までお前達はまともに頼む候補者を拒否した事がある癖に、今度は頼むどころか嘲弄して掛る、そんな男に引く手あまたのその舌を敢へて与へようといふのか?
第三の市民 まだあの男と決つた訳ではない、これからでも拒否できる。
第二の市民 皆で拒否しよう、俺だけでも五百人位ならその気にさせられる。
第一の市民 俺ならその倍は大丈夫、それにそいつ等の仲間も引きずりこんでやる。
ブルータス 直ぐにもさうするがいい、そして皆に言つてやるのだ、お前達の選んだ執政官は忽ちお前達の自由を奪ひ、お前達を犬扱ひするに決つてゐる、番犬同様、お前達も吠える為に飼はれてゐながら、余計な時に声を挙げれば必ず打ちのめされると、さう言つてやるがいい。
シシーニアス 皆に集つて貰へ、そして、しつかりした理性の判断に基き、何も解らずに投じたさつきの票は全部取消しにしてしまふのだ。奴の傲慢と昔からお前達に対して懐いてゐる奴の憎しみとを大いに強調してやれ、何より忘れてならぬのは、奴は謙遜の上着を羽織りながら、内に軽蔑の念を懐いてゐた事だ、表は謙遜を装はうとも、その衣の下で如何にお前達を嘲り笑つてゐたかといふ事だ、ただ、お前達はあの男の功績に心を奪はれ、好意を以て眺めてゐた為に、奴の態度や様子に気附かなかつたものの、奴はその間、冷笑と不作法とを以て終始し、日頃、お前達に懐いてゐる根深い憎悪を示し続けてゐた事実を強調する事だ。
ブルータス お前達の護民官である俺達のせゐにしてもいい、俺達は今まで黙つて口出しせず、寧ろ奴が選ばれる様に働き掛けたのだと言ふのだ。
シシーニアス さうだ、奴を選んだのは、俺達の命令に随つたまでで、自分自身の好みから出た事ではないと言つたらいい、つい命ぜられた事を果さねばならぬといふ気持に捉はれて、心ならずも奴を執政官に選んでしまつたのだと言へ。俺達のせゐにしたらいいのだ。
ブルータス さうだ、俺達の立場を考へる必要は無い。俺達が予め吹き込んだのだと言へばいいのだ、あの男がほんの若造の頃から国の為に尽し、その功績は爾来、今日に至るまで少しも変る事なく、その家柄も名立たるマーシャス家であり、ニューマ王の娘が生んだアンカス・マーシャスもその同じマーシャス家の出であり、大ホスティリアスの後を襲つて王位に就いたといふ事、またローマ最上の水道を引いたパブリアスとクィンタスの二人も同じくマーシャス家の出であるといふ事、のみならず、二度までも監察官の栄職に就き、ただ監察官と言へば、それだけで名の通つた彼《か》のセンソリナスも、やはり奴の誇るべき先祖だといふ事、それこれ、俺達にさんざん吹き込まれたと言ふのだ。
シシーニアス 血統ばかりか、これまでの働きから言つても、それ相当の高い地位に就くべき資格があると、再三俺達に説き伏せられたものの、現在、過去を通じて奴の態度をよくよく考へて見ると、奴は一貫してお前達の敵であり、聊か軽率に過ぎた先の推薦は取消しにすべきだと言ふがいい。
ブルータス 飽くまであれは自分の意志からではなかつたと言ひ張るのだ――くどいほど繰返しそれを強調するのだぞ――俺達の唆《そそのか》しだつたと、そして集るだけ集つたら、時を移さず議事堂へ連れて来て貰ひたい。
市民達 早速さうしませう、私達も皆、あの選挙には後悔してをりますので。(一同退場)
ブルータス やれるだけやらせて見よう、放つて置いても結構大事《おほごと》になるかも知れないが、漫然とそれを待つよりはここらで一騒ぎ起させた方がいい、あの気質だ、拒否されたとなれば、奴は狂つた様に怒り出す、そしたら巧く機会を捉へ、その腹立ちを独鈷に取つて一挙に事を起すに限る。
シシーニアス さ、議事堂へ行かう、民衆が押し寄せる前に行つてゐた方がいい、さうすれば、これは満更嘘とも言へぬが、奴等自身の意志で動いたものと思はれよう、実際は俺達の煽動に乗せられたも同然だが。(二人退場)
14
〔第三幕 第一場〕
ローマ 町なか
コルネットの吹奏。コリオレイナス、メニーニアス、その他の貴族達、コミニアス、タイタス・ラーシャス、その他の元老達登場。
コリオレイナス では、タラス・オーフィディアスはまたも兵を挙げたといふのか?
ラーシャス さうなのだ、吾が方として直ちに講和を結ばざるを得なかつたのも、主としてその為だつた。
コリオレイナス それでは、ヴォルサイ人共は早くも戦前の状態に戻り、機会さへ整へば、いつでも吾が方を侵略しようといふ態勢にあるのだな。
コミニアス だが、敵はすつかり疲弊し切つてゐる、吾の目の黒いうちは、敵の旗が再び戦場に飜る事はよもやあるまい。
コリオレイナス オーフィディアスには会つたのか?
ラーシャス 吾が歩哨に護衛されてやつて来た、そしてヴォルサイ人共を呪つてゐた、卑劣にも町を明渡したと言ふのだ、今、あの男はアンシャムに引籠つてゐる。
コリオレイナス 奴は俺の事を何か言つてゐたか?
ラーシャス うむ、言つてゐた。
コリオレイナス どんな事を? 何と?
ラーシャス 今まで何度か、君と一騎打ちをした、この世で何より一番憎いのは君だ、全財産を質に入れ、たとへそれを取戻す目当てが無くてもいいから、君を見事打取りたい、そんな事を言つてゐた。
コリオレイナス アンシャムにゐるのだな?
ラーシャス アンシャムにゐる。
コリオレイナス 俺の方でもそこへ出掛けて行き、奴を探し出して、奴の憎しみに思ふ存分応へてやりたい位だ。それはともかく、無事凱旋を心から祝ふ。
シシーニアスとブルータス登場。
コリオレイナス それ、護民官達だ、民衆の代弁者を以て任じてゐる。俺は奴等を軽蔑する、如何にも権威あり気な様子振り、見識のある人間ならとても我慢できない。
シシーニアス 一寸、お待ち願ひたい。
コリオレイナス ほう? どうしてだ?
ブルータス 危険な事になりませう――この辺でお引返し願ひたい。
コリオレイナス 急にどうしてそんな事になつたのだ?
メニーニアス 一体どうしたのだ?
コミニアス 既に貴族、平民、両者の賛成を得てゐる筈ではないか。
ブルータス コミニアス、それがまだ。
コリオレイナス 俺を推薦してくれたのは子供達だつたとでも言ふのか?
第一の元老 護民官、道を開けてくれ、コリオレイナスは広場へ行かねばならぬ。
ブルータス 民衆が激怒してをります。
シシーニアス 行くのはお止めになつた方がいい、さもないと大騒動になりませう。
コリオレイナス 奴等はお前達の飼犬か? 一度推薦して置きながら、直ちに言葉を飜して取消しにする、そんな奴に選挙権を与へて置かなければならないのか? お前達の職務は何だ? 奴等の口の役を果してゐるのだらう、それならなぜ奴等の牙を抑へられぬのだ? ほかでもない、お前等が嗾けたのだらう?
メニーニアス さう興奮するな、さう。
コリオレイナス これは貴族を抑へる為に最初から仕組まれた行動だ、企みだ、こんな事を許して置いたら、支配する事もされる事も出来ない連中と一緒に暮さなければならなくなる。
ブルータス 企みとは言葉が過ぎる、民衆はあなたが自分達を嘲弄したと喚いてをります、それに、最近、穀物を民衆に施した時、あなたはこれを不満として、民衆の為に請願した者を頭ごなしに罵倒し、世間に媚びを売る阿諛追従の徒、貴族の敵と呼んだ事など持出し、大騒ぎしてをります。
コリオレイナス 何だ、そんな事は前から解つてゐた事だ。
ブルータス 皆が皆、知つてゐた訳ではない。
コリオレイナス その後、お前達が知らせたのか?
ブルータス 何ですと! 私が知らせたと!
コリオレイナス 如何にもそんな事をしかねぬ男だからな。
ブルータス 何にしても、あなたよりは良い事をしかねぬ男ですな。
コリオレイナス では、なぜ俺は執政官になどならねばならぬのだ? 遥か彼方の雲に賭けて誓ふが、お前達同様下らぬ人間に成下り、是非その護民官とやらをやらせて貰ひたいものだ。
シシーニアス あなたはさういふ事ばかりおつしやる、その為に民衆の激昂を買ふのだ、どうしても目的の場所へお出でにならうお積りなら、終ひには道が解らなくなり、何処から脱け出したらいいか、頭を下げて教へを乞はねばならなくなる、執政官などは以てのほか、護民官の仲間入りすら出来なくなりませうよ。
メニーニアス 皆、静かに。
コミニアス 民衆は騙されたのだ、嗾けられたのだ。こんな悪企みはローマ人にふさはしくない、殊にコリオレイナスは殊勲に輝く洋たる前途を持つた男だ、それがこの様な穢い羂《わな》に掛けられ、不名誉な妨害を蒙る事は許せない。
コリオレイナス もう一度言つて見ろ、穀物がどうしたと言ふのだ! 確かに俺はさう言つた、それを改めて言はせて貰はう――
メニーニアス 今は止せ、今は。
第一の元老 この騒ぎだ、今は何もおつしやるな。
コリオレイナス いや、今こそ言はせて貰ふ。御一同には迷惑だらうが、お許し願ひたい。あの移り気で悪臭芬たる家畜め、奴等に俺が阿諛追従の徒でない事を知らしめ、この俺を鏡としてよくよく自分の姿を解らせてやりたいのだ。もう一度、言つて置く、あんな奴等に取入らうものなら、吾が元老院は痩せ細るばかりだ、折角、自ら丹精した田畑に不遜、暴動、謀反の種を蒔き散し、伸び上る雑草を吾名誉ある貴族と一緒くたにする様なものだ、揚句の果には、貴族らしい徳も失ひ、権力も失つてしまふ、それを乞食共にくれてやりさへしなければ、いつまでも保てたものを。
メニーニアス 解つた、もう何も言ふな。
第一の元老 もう何も口に出さぬ方がいい、お願ひだ。
コリオレイナス 何! もう何も言ふなと! 祖国の為に血を流し、どんな外敵も恐れずに戦つた俺だ、息の続く限り、あのかつたゐ共を罵倒する言葉を次から次へ吐き出してやる、瘡《かさ》ぶたを移されるのは真平だが、今となつてはそれも敢へて恐れはせぬ。
ブルータス あなたはあたかも罰を与へる神ででもあるかの様に、民衆を見下してゐる、同じ弱点を持つ人間とは思へない。
シシーニアス 在りのままを民衆に伝へた方がいい。
メニーニアス え、何だと? 癇癪紛れに口を突いて出た言葉をか?
コリオレイナス 癇癪紛れ! 違ふ、もし俺が深夜の眠りの様に落着いてゐようと、誓つてもいい、俺の考へは今言つた通りだ!
シシーニアス 問題はそのあなたの考へ方だ、毒は今まで通り御自分の中に留めておいて貰ひたいものですな、これ以上、外にはびこらせる事は絶対に許せぬ。
コリオレイナス 絶対に許せぬ! 皆、聞いたか、高が海神の手先に過ぎぬ雑魚共の言ふ事を? 皆、お聞きでせうな、今の「絶対に」といふ言葉を?
コミニアス 護民官の権限に反する。
コリオレイナス 「絶対に!」と来た! 善良だが、分別を欠いた貴族達! ええい、貫禄だけで先見の明無き元老達、あのヒドラに、切つても切つても頭の生えて来る怪物に自分達の護民官を選ぶ権利を与へたのはあなた方だ、お蔭で奴は文句無しの「絶対に」などといふ言葉を振り廻す、高怪物の笛吹きに過ぎない癖に、それでもこんな奴にあなた方の清い流れを穢させ、相手の望む方向に持つて行かれるのを黙つて見過すお積りか? もしこいつに権力があるなら、それを与へた己れの不明を認め、こいつに頭を下げたらいい、が、もしこいつには権力など無いと思ふなら、今の寛大な処置こそ何より危険と思ふがいい。もしあなた方に苟も見識といふものがあるなら、平民共の愚を真似る事は無い、しかし、それが無いとなつたら、奴等にも議事堂に席を与へ自分の隣に坐らせるがいい。奴等が元老になつたら、あなた方は平民だ、いや、そこまで行かなくとも同じ事、両者の発言権が対等だといふ事になつたら、結果の料理の味は平民の口に合ふ様になつてしまふに決つてゐる。奴等が役人を選ぶ、それも例の「絶対に」を、平民式の「絶対に」を振り廻し、ギリシア人なら顔を顰めかねない権力者、吾がローマの大長老に向つて食つて掛るに違ひ無い、ジュピターの名に賭けて言ふ、さうなれば執政官など屁でもなくなる! 俺の胸は痛む、解り切つた事だ、二つの権威が存在し、いづれが上位とも決められぬ限り、その両者の間隙に忽ち混乱が生じ、互ひに相手を滅し合ふに決つてゐる。
コミニアス とにかく広場へ行かう。
コリオレイナス 倉の穀物を無償で施すのに賛成したのが誰であつたにせよ、それがたとへギリシアではよくある事だつたとしても――
メニーニアス 解つた、解つた、もういい、何も言ふな。
コリオレイナス さうなのだ、ギリシアでは民衆にもつと大きな権力を持たせてゐたのだ、が、その結果、民衆は手に負へないものとなり、つひに国家の滅亡を招いたのだ。
ブルータス かういふ事を公言して憚らぬ男を、なぜ民衆は選んだのだ?
コリオレイナス なぜと言はれれば、民衆の思惑などより、こちらにはもつと立派な理由がある。奴等にしても十分知つてゐる筈だ、例の穀物は正当な勤労に対して支払はれたものではない、言ふまでもないが、奴等は今まで一度も公の為に働いた事が無いのだからな。いざ出陣となれば、それがたとへ祖国存亡に関る危機の際でも、互ひに尻込みして城門を出ようともしない、かういふ状態では、穀物を無償で施して貰へる資格はあるまい。偶戦に出ても、謀反を起す時でもなければ、一向勇気を見せぬ、これでは弁護の余地が無い。それに、屡元老を非難して止まぬが、その非難たるや、全く理由無しと来ては、こちらとしても素直に施しをする気にもなれぬ。さあ、この調子ではどうすればいいのだ? 元老の方で好意を示し施しをしたとしても、奴等はそれをどういふ気持で受取るか? いつもの流儀から察するに、奴等の言ひさうなせりふはまあこんな処だらう、「俺達がそれを請求した、俺達は多数だ、相手は怖くなつて俺達の要求に応じたのだ」とな。かうして吾は進んで自らの地位を卑しいものとなし、吾の苦心の思遣りも、愚民共からは恐怖心などと嘲けられるのだ、このまま行けば、やがて元老院の扉は打ち破られ、烏めが舞ひ込んで来て鷲を突き殺す事になるだらう。
メニーニアス さ、もうそれで十分気が済んだらう。
ブルータス 十分にね、それどころか、釣りが来る位だ。
コリオレイナス いや、もつと聴かせてやる。神と人間と、双方に賭けて誓ふ、これから俺の言ふ事に決して嘘偽は無い! この二重の権威といふやつ、一方は名分のもとに相手方を軽蔑し、他方は何等の理由無くして傲り昂ぶる、これでは、身分、栄誉、分別を以てしても何の決定も出来ない、衆愚が否の応のと文句を附けるからだ――それでは緊急の場合、必要な対策は全く取れず、いたづらに時を空費し、些事に心を奪はれて右往左往するばかりだ。どんな政策にも横槍が入り、一向成果は挙らない。かうなつたら、皆にお願ひするほかは無い――智よりも寧ろ勇無きを恐れる人達、法の改正を躊ふよりは国体の大事を重んずる人達、ただ長生きするよりは立派な生き方を欲する人達、このままでは死を免れぬと思へば、どんな荒療治の危険も冒さうといふ人達――構ふ事は無い、直ちにあの大衆の代弁者面をしてゐる男達の舌を引抜いてしまふがいい、こいつらには毒にしかならぬ権力の甘味が味へぬ様にしてやれ。あなた方が堕落すれば、真の判断力は不具にされ、国家にとつては何より必要な統一が失はれる、さうなれば、一切は悪に支配され、それを目の前にしては、たとへ望んでも善をなす力は持てなくなるだらう。
ブルータス これだけ聴けば、もう十分だ。
シシーニアス 裏切者同然だ、それ相応の報いを受けるだらう。
コリオレイナス 畜生め、幾ら軽蔑しても飽き足りない! 民衆共はこんながらくた護民官をどうしようといふのだ、こんな奴等に頼つてゐるから、元老達の言ふ事が聞けなくなる、それが解らないのか? もともとこいつ等は資格の有無より、暴動を抑へる為に止むを得ず選ばせただけの事だ、事態が納つたら、有無を言はせずこちらの考へを言つたらいい、こいつ等の権力など、塵芥の如く掃き捨ててしまふに限る。
ブルータス 紛れも無い反逆!
シシーニアス これでも執政官か? とんでもない。
ブルータス 警保官、早くここへ!
警保官一人登場。
ブルータス こいつを逮捕しろ。
シシーニアス 直ぐ民衆を呼んで来い、(警保官退場)その民衆を代表し、国法を乱す反逆者、国を滅す敵として、直ちに貴様を逮捕する。逆ふな、命令だ、おとなしく罪に服するのだ。
コリオレイナス 退れ、老いぼれ山羊め!
元老達 ここは私達に任せて貰ひたい。
コミニアス さあ、その手を離せ。
コリオレイナス 退れ、腐れ爺め! さもないと、その体中の骨をばらばらにしてしまふぞ。
シシーニアス 助けてくれ、皆!
警保官と共に平民の一群登場。
メニーニアス お互ひにもつと自分の立場を考へたらどうだ。
シシーニアス この男はお前達からあらゆる権力を取上げてしまはうとしてゐるのだぞ。
ブルータス 奴を逮捕しろ、警保官!
市民達 やつつけてしまへ! 奴をやつつけてしまへ!
第二の元老 武器を持つて来い、武器を、武器を! (一同、コリオレイナスを中心に犇き騒ぐ)
叫び声 「護民官!」「貴族諸君!」「おい、皆!」「何といふことだ!」「シシーニアス!」「ブルータス!」「コリオレイナス!」「おい、皆!」「鎮れ、静かにしろ!」「待て! 止《や》めろ! 静かに!」
メニーニアス 一体どうなるといふのだ? すつかり息が切れてしまつた。大変な事になつてしまつた。説得も何も出来たものではない。おい、護民官、皆を鎮めろ! コリオレイナス、我慢しろ! 皆を鎮めてくれ、シシーニアス。
シシーニアス 俺の言ふ事を聴け、皆、さあ、静かに!
市民達 護民官の話を聴かう、皆、静かにしろ!――話してくれ、さあ、何でも言つてくれ。
シシーニアス お前達は今、自由を失はうとしてゐるのだ、マーシャスがお前達から何も彼も取上げてしまはうとしてゐる、マーシャスが、ほかでもない、さつきお前達が執政官に選んだあの男がだ。
メニーニアス おい、何といふ事を! それではまるで焚き附ける様なものだ、熱をさます事にはならない。
第一の元老 このローマの町を破壊し、何処も彼処も廃墟にしてしまはうといふのだ。
シシーニアス 民衆無くして何のローマだ?
市民達 さうだ、民衆こそローマなのだ。
ブルータス 吾は民衆の同意によつて選ばれ、その権利の行使を任されたのだ。
市民達 今だつてさうだぞ。
メニーニアス 成るほど、その積りらしい。
コミニアス これではまるで町を破壊し、家を片端から打ち毀して、整然たる家並みを瓦礫の山に化さうといふ様なものだ。
シシーニアス あの男の考へてゐる事は死刑に値する。
ブルータス 吾に権威を持たせてくれ、さもなければ、それを剥ぎ取るがいい。ここに民衆を代表して宣告する、選ばれた以上、その権利はある筈だ、いいか、マーシャスは直ちに死刑に処す。
シシーニアス 直ちに奴を逮捕しろ、ターペイアの岩へ連れて行き、そこから突き落すのだ。
ブルータス 警保官、奴を逮捕しろ!
市民達 諦めろ、マーシャス、手を出すな!
メニーニアス 一言、言はせて貰ひたい、お願ひだ、護民官諸君、ほんの一言でいい。
警保官 静かに、皆、静かに!
メニーニアス (ブルータスに)その身分にふさはしく、且つまた真に国を憂へる者として振舞つてくれ、その様な過激な手段に訴へず、事を穏かに運んで貰ひたい。
ブルータス いや、病状がここまで悪化してゐる以上、生ぬるい療法は一見用心深さうに見えて、卻つて危険な結果を齎すもの。さあ、奴を捕へろ、直ちにターペイアの岩頭へ引立てて行け。
コリオレイナス (剣を抜き)いや、死ぬなら、ここで死ぬぞ。お前達の中には、俺の戦ひ振りを見た奴もゐる筈だ、それがお前達の身の上にどう振り掛つて来るか試してくれよう。
メニーニアス その剣を叩き落せ! 護民官、待て、退れ。
ブルータス 奴を捕へろ。
メニーニアス マーシャスを助けろ、マーシャスを、自ら正義を重んずる者は、マーシャスを助けろ、老若を問はぬ、立て、皆!
市民達 やつつけろ、奴を打ちのめせ!
騒擾の果、護民官、警保官、民衆は敗れて退場。
メニーニアス さあ、家へ帰れ、一刻も早く引揚げろ! さもないと、元も子も無くなる。
第二の元老 一先づ引揚げて頂きたい。
コリオレイナス いや、断じて動かぬ、敵ばかりではない、身方も沢山ゐる。
メニーニアス 力づくで片を附けようと言ふのか?
第一の元老 とんでもない! お願ひだ、お宅へ引揚げて頂きたい、後始末は吾に任せて貰はう。
メニーニアス 元はといへば、吾に責めがある、君の手には負へない事だ、頼む、帰つてくれ。
コミニアス さあ、一緒に行かう。
コリオレイナス 寧ろ奴等が敵であつたらいい、いや、事実、敵も同じ事、たとへローマで生れた豚であらうと、さうだ、奴等はローマ人ではない、たとへジュピターを祀つてある議事堂の入口で生れた牛であらうと。
メニーニアス 早く帰れ。如何に正義の怒りでも、今はそれを口に出すな、この屈辱もいつかお返し出来る時が来よう。
コリオレイナス 足場さへ良ければ、奴等の四十人や五十人、叩きのめしてくれたものを。
メニーニアス 俺だつてあの親玉の一組くらゐ取り押へて見せたものを、それ、例の護民官の事さ。
コミニアス しかし、今は数へ切れぬほどの多数だ、倒れ掛る建物を一手に支へて動じぬのは勇者といふよりは愚者に近い。襤褸屑共が引返して来る前に、早く引揚げようではないか? 奴等の怒りは堰を切つた水の様なもの、日頃は何気なくその上に漂はせてゐたものも、さうなると一気に打ち砕き、すべてを押し流してしまひかねない。
メニーニアス 頼むから帰つてくれ。一つ俺に試させてくれ、この年寄の分別が、その一かけらも無い連中の要求を果して捌けるかどうか、とにかくこの綻びだけは何とか繕つて置かねばなるまい。
コミニアス (コリオレイナスに)さ、行かう。(コリオレイナスとコミニアス退場)
第一の貴族 あの人は自分の好運を自ら台無しにしてしまつた。
メニーニアス あの男はこの世に処するには余りに高潔過ぎるのだ、たとへ海神ネプチューンが三叉の戟をくれると言つても、ジュピターが雷を起す神通力を授けると言つても、絶対に追従の言へない人物なのだ。心にあるがままを口に出す、胸中に生じた事は、そのまま舌が吐き出す、一度、怒り出したら、死神の名を聞いても収りが附かぬ。(民衆が戻つて来るざわめき)それ、有りがたい仕事が始るか!
第二の貴族 連中、寝床へでももぐずりこんでゐればいいのに!
メニーニアス いや、ティベール河にでも潜つてゐて貰ひたいね! 何といふ事だ、あの男、もう少し言ひ様は無かつたものかな?
ブルータスとシシーニアスが民衆と共に戻つて来る。
シシーニアス あの毒蛇《どくへび》は何処へ行つた、この町の住民を根絶しにし、誰も彼も自分の思ひのままにしようとする奴は?
メニーニアス 護民官の君達に――
シシーニアス ターペイアの岩から突き落してやる、容赦はせぬぞ、奴は法律を踏み躙つた、それなら、法律の方でも裁判の手続無しに奴を片附けてやる、民衆の力が如何に残酷なものか思ひ知るがいい、それを馬鹿にして来た報いだ。
第一の市民 奴に思ひ知らせてやる、護民官は民衆の口で、俺達は護民官の手だといふ事をな。
市民達 さうとも、思ひ知らせてやるのだ。
メニーニアス まあ、待て――
シシーニアス 静かにしろ!
メニーニアス わざわざ犬を嗾《けしか》ける様な真似をするな、たとへ獲物が欲しいにもせよ、何処からも文句の出ない穏当な方法といふものがあらう。
シシーニアス だが、何でまたあなたは法を無視してまで妥協策を講じようとなさるのだ?
メニーニアス まあ、聴け、俺は執政官の長所を知つてゐると同時に、その弱点も知つてゐる積りだ。
シシーニアス 執政官! それはまた誰の事を?
メニーニアス コリオレイナスの事だ。
ブルータス あの男が執政官!
市民達 とんでもない、嘘をつけ、そんな馬鹿な。
メニーニアス 護民官、及び民衆諸君の許しが得られるなら、ほんの一言二言、言はせて貰ひたい事がある、それに耳を貸してくれたからといつて、何の損にもなるまい、それだけの時間が多少無駄になるだけの話だ。
シシーニアス では、手短かに頼みます、とにかく吾の肚は決つてゐるのだ、あの毒蛇の如き裏切者は必ず片附けてしまふ、奴を追放するのは謂はば一つの危険に過ぎないが、このままにして置けば、吾の死あるのみ、それよりは今夜中に奴に死んで貰はうと決つたのです。
メニーニアス では、神にお縋りするよりほかに法は無い、このローマの為に尽した功労者の名はジュピターの手によりはつきり記録されてある筈だ、その名誉あるローマが畜生の親の如く、自らが生んだ子を食ひ殺す様な事のありませぬ様に!
シシーニアス 奴は膿んだ出来物だ、切取つてしまふほかは無い。
メニーニアス いや、あの男は祖国の手脚、出来物はそのほんの一部にあるだけだ、切取つてしまへば、命に関る、治さうと思へば治るのだ。あの男はローマに対して死に値する様などんな事をしたといふのだ? 数多《あまた》の敵を殺し、自らも血を流した――測り知れぬほど多くの血を――それも、祖国の為に流したのだ、しかも、更に残りの血を、その国の者の手によつて奪はうといふ、それこそこの世の終りまで消し去る事の出来ぬ恥だぞ、敢へてさうしようとする者、さうさせようとする者すべてにとつて。
シシーニアス 見当違ひも甚だしい。
ブルータス 話がずれてゐる、奴が国家を愛してゐた時には、それ相応の名誉を与へられた筈だ。
シシーニアス 役に立つた足も、一旦脱疽にかかつたら最後、昔の様に有りがたがられはしない。
ブルータス もう話は沢山だ。早く奴の家に押し掛け、奴を引きずり出して来い、あの病気は伝染し易いのだ、辺りに拡らぬうちに片附けてしまはう。
メニーニアス もう一言、頼む、一言でいいから! この有様では猛り狂つた虎も同然、無思慮に突走らせると、とんだ事にならう、後になつて踵に鉛の錘りを掛けてももう間に合はぬぞ。法の手続を踏んで事を進めるがいい、万一、二派に分れて――いや、あの男には人望もあり、身方もゐる事を忘れるな――さうして二派に分れて相争ひ、ローマ人自らの手でこの大ローマを滅す事になつたら、それこそ大変だぞ。
ブルータス もしさうなつたら――
シシーニアス なぜそんな話の相手などしてゐるのだ? 彼奴の頑固振りは飽き飽きするほど見せつけられた筈ではないか? 警保官を殴り、俺達に反抗したらう? もういい、行かう!
メニーニアス だが、考へて見るがいい、あの男は自分で剣が使へる様になつて以来、ずつと戦場で育つて来た、言葉を巧みに使ひ分ける術《すべ》を知らず、実も殻も差別無く一緒に投げ出すのだ。ここは一つ私に任せてくれぬか、あの男に会ひ、何処へでも引張つて来る、その上で法の手続を踏み、穏当な形式に随ひ、あの男の責任を糾明して貰ひたい、その結果としてどんな危険な事にならうと致し方はあるまい。
第一の元老 護民官、それこそ人の道といふものだ、さもないと必ず血を見る、その結果、予想も出来ぬ事が起らう。
シシーニアス では、メニーニアス、民衆の代表者としての役割を果して頂きませう、皆、武器を捨てろ。
ブルータス まだ家へ帰つてはならぬぞ。
シシーニアス 広場で待つてゐてくれ。俺達も後から行く、メニーニアス、もしそこへマーシャスを連れて来てくれなかつたら、こちらとしては最初の手筈通り実行するものと承知して頂きたい。
メニーニアス 必ず連れて行く。(元老達に)一緒に来て下さらぬか、どうしてもあの男を連れ出さなければならないのだ、さもなければ、最悪の事態が来る。
元老達 宜しい、お伴しませう。(一同退場)
15
〔第三幕 第二場〕
ローマ コリオレイナス邸
コリオレイナス、貴族達と共に登場。
コリオレイナス この頭の上に何も彼も落ち掛るがいい、殺したければ殺せ、車や暴れ馬の足に縛り附けて引きずり廻されようと、ターペイアの岩に十倍の高さの丘を重ね、その頂きからは覗き見る事も出来ぬ深い谷底へ突き落されようと、俺は平気だ、奴等に対する気持は変らぬ。
貴族 ますます頼もしいお言葉、お見上げしたものです。
コリオレイナス しかし、どういふ訳か母は私の気持を認めてはくれぬ、いつもは奴等の事を襤褸屑同様、人でなし扱ひし、高が鐚銭で売り買ひする為に造られたものに過ぎぬ、何か集りがあつても素顔のまま顔を出し、偶吾の仲間が立つて戦争か平和かを論じてゐる時でも、ただ大口開けて呆然としてゐるだけの能無しだと言つてゐた癖に。
ヴォラムニア登場。
コリオレイナス お噂をしてゐた処です、なぜもつと穏かになどとおつしやる? 自分の気質に背いた言動をお望みなのですか? 寧ろ、男らしいとおつしやつて下さい。
ヴォラムニア まあ、お待ち、私はお前が権力の衣を立派に着こなしてくれるのを待つてをりました、それがぼろぼろに着古されてしまふまでは。
コリオレイナス もう結構。
ヴォラムニア お前の男らしさは十分押し通せた筈、さうしようと無理に我を張りさへしなければ、さうなのだよ、お前の気性に対する皆の反抗も、それほど激しいものにならずに済んだ事だらう、少くとも皆がお前に突き掛つて来る力をまだ持つてゐるうちに、自分の気性を先に見せてしまひさへしなかつたなら。
コリオレイナス 縛り首にしても飽き足りぬ奴等だ。
ヴォラムニア さう、その上、焼き殺してやつたらいい。
メニーニアスが元老達と共に登場。
メニーニアス おい、おい、余り乱暴過ぎたな、どう考へても乱暴過ぎたよ、直ぐ引返して、何とか事を納めなければならぬ。
元老 それよりほかに手の打ち様はあるまい、このまま放つて置くと、このローマが真二つに裂け、滅亡してしまひかねない。
ヴォラムニア さあ、私の言葉に耳をお貸し、気の強さなら私もお前に引けは取りません、ただ、自分の憤りを宥《なだ》め賺《すか》して、事を有利に導く智慧だけは持つてゐる。
メニーニアス よくおつしやつた! 御子息の頭をかうまでして奴等の前に下げさせるよりは――それも、激しい病ひの発作にかかつてゐる国を救ふ為なのですが――さもなければ、この私自身が柄にも無い事だが、真先に鎧を身に附け、奴等の矢面に立ちたい位だ。
コリオレイナス この俺にどうしろといふのだ?
メニーニアス もう一度、護民官に会つてくれ。
コリオレイナス で、それからどうするのだ? それから一体どうしろと?
メニーニアス さつき言つた事は後悔してゐると言ふのだ。
コリオレイナス 奴等にか? そんな事は神に対しても出来はしない、それを奴等に向つてして見せろと言ふのか?
ヴォラムニア 頑にも程があるといふもの、勿論、これほど差し迫つた時でなければ、それも立派な態度と言へませう。お前はよく言つておいでだつた、戦の時には名誉と策略とが、断ち難い親友の様に手を携へて行を共にすると、もしさうなら、平和の時も同じ事、それぞれが互ひに手を握り合つて行かねば、いづれにとつても損になりませう。
コリオレイナス ちえ、ちえ!
メニーニアス よくお気附きになつた。
ヴォラムニア もし戦の時、最善の目的の為に策略を用ゐても、それが不名誉でないと言ふのなら、それなら、平和の時も同様、策略は名誉の友として、なぜ役に立ちませぬ、いづれにとつても互ひに手を握り合つて行かねばならぬといふのに?
コリオレイナス なぜさうせよとお強ひになるのか?
ヴォラムニア 民衆に対して一言弁明しなければならない立場に立つておいでだらう、それも自ら思ひ立つた事でもなく、またどうしても言はずにはゐられぬといふ事でもない、ただ舌先だけの言葉を並べ立てれば、それで済む事、謂はば本心の与り知らぬ父無《ててな》し子の様な言葉で万事、片が附く。さうしたからといつて、お前の不名誉にはなりますまい、甘言を以て敵に城門を開かせるのと少しも違ひは無い、もしさうしなければ、自ら血を流し、命を危険に曝さねばならぬとすれば。私にしても時によつては、自分の性《さが》に似ても附かぬ事を言ひもしませう、もし私自身に、友達の身の上に危険が迫り、心にも無い事を言つても不名誉にはならない大事の場合には。私がかうまで言ふのは単に自分の気持だけではない、お前の妻、お前の息子、それからここにおいでの元老、貴族の方のお心を察して代弁したまでの事、それを、お前はあの連中に顰め面して見せるしか能が無い、それよりは、一寸おだててやりさへすれば、皆に好意を持たれ、危殆に瀕してゐる現状に安きを齎す事が出来るといふもの。
メニーニアス 立派な御考へだ! さ、一緒に来てくれ、丁重に話してやるのだ、さうすれば当面の危機を脱し得るばかりでなく、過去の損失も十分償へよう。
ヴォラムニア お願ひします、さ、その帽子を持つてお行き、そして手をかうして伸して、皆の心に訴へ、膝は敷石に附け――(辞儀をし)かういふ事には、身振が何より雄弁、といふのは、無智な連中の目は耳よりも敏感なものだから。この様に頭を何度も下げてゐるうちに、お前の頑な心も一変する、そして、やがては熟し切つた桑の木さながら、どうにでも曲げられる様に嫋《しなや》かにならう、そしたら、かう言ふのです、自分はあなた方の兵士に過ぎぬ、戦乱のうちに人となり、言葉遣ひが荒つぽく、確かにあなた方の口には合はない、が、あなた方の好意を得る為には、飽くまでその好みに合はせねばならぬ、随つて今後は精一杯己れを矯め直し、あなた方の流儀に随ふやう努める積りだ、あなた方にはそれだけの力もあり資格もあるのだからと。
メニーニアス 今、母上のおつしやつた様にしさへすれば、忽ち連中の心を物にする事が出来る、下手《したで》に出れば、直ぐ許すと言ふに決つてゐる、何の意味も無い言葉を吐き出す様に。
ヴォラムニア さ、行つておいで、勿論、私には解つてゐます、お前にとつては、花に囲まれて敵に追従の言葉を並べ立てるより、飽くまで敵を追ひ詰めて火の淵に跳び込む方が、どれほどましかは。
コミニアス登場。
ヴォラムニア そこにコミニアスが。
コミニアス 今、広場から駆け附けたところだ、連中、すつかり猛り狂つてゐる、君としては直ちに身方を集めて戦ふか、身を守る為、穏かな方法を講じるか、それとも何処かへ身を隠すか、そのほかに方法は無い、全く凄じい勢ひだ。
メニーニアス 辞を低くして丁重に話してやるに限る。
コミニアス それに越した事は無い、もしその気になつてさへくれれば。
ヴォラムニア さうしてくれねばなりませぬ、また、さうしてくれもしませう。さあ、さうすると言つておくれ、そして直ぐにもその通りにしておくれ。
コリオレイナス では、帽子を脱いで、この頭を奴等に見せねばならぬとおつしやるのか? 卑しい舌を以て、この誇り高き心臓に嘘つきの汚名を着せねばならぬのか? 解りました、さうしませう、それにしても、失ふのは一塊の土くれ、このマーシャスといふ人型に過ぎぬが、それが奴等の足で粉に踏み躙られ、風に吹き飛ばされようとは。さ、広場へ行かう! あなた方が今、私に押し附けようとしてゐる役は、本気ではとても勤らぬものなのだ。
コミニアス まあ、さう言ふな、吾が後見役に控へてゐる。
ヴォラムニア 頼みましたよ、マーシャス、いつかお前はお言ひだつた、何よりも私の褒め言葉のお蔭でお前は武人になつたと、それなら、今度も褒めてあげませう、今まで一度も演じた事の無い役を立派に仕遂げて貰ふ為に。
コリオレイナス 必ず仕遂げて見せませう。俺の気性、そんなものは消えて無くなるがいい、その代り売女の魂でも乗り移れ! 軍鼓と相響き、戦で鍛へた俺の咽喉も、宦官や子守唄を歌ふ小娘の声の様に細くなれ! 頬には小悪党のほくそ笑みを湛へ、目には小童の涙を浮べるがいい! 脣には乞食の舌を、そして馬に乗る時にしか曲げた事の無いこの脛当てをした膝を、物乞ひをする乞食の膝の様にへし曲げるのだ! 誰がそんな事をするものか、俺は自分自身の誠実を無視したくはない、この体のしぐさ一つ一つが己が心に抜き難い卑しさを教へ込むのを黙つて見てはをられぬのだ。
ヴォラムニア それなら、好きにおし。お前に物乞ひする、それも私の恥、お前が平民共に物乞ひする以上に。何も彼も駄目にしてしまふがいい、お前の母親としても、誇高きお前の姿を見てゐたい、その持前の危険な頑さなど、何で恐れるものか、さうとも、私もお前同様、死ぬ事など何とも思つてゐはしないもの。好きな様にするがいい。その勇敢な気性は私のもの、私の乳を吸つて育つたお前だもの、何よりお前の誇を大事にするがいい。
コリオレイナス いや、御安心下さい、母上、広場へ参りませう、どうぞこれ以上お怒りにならずに。かうなれば、縁日の山師同様、奴等の好意を騙し取り、甘い言葉で連中を骨抜きにし、あらゆるローマ人の人気を引攫《さら》つて帰つて参りませう。さあ、出掛けます、ヴァージリアに宜しく。きつと執政官になつて戻つて参ります。さもなければ、私の舌は決して追従には向かぬものとお諦め下さい。
ヴォラムニア お前の思ふ通りにするがいい。(退場)
コミニアス さあ、行かう! 護民官が待つてゐる。くれぐれも用心してくれ、穏かに答へるのだぞ、皆、手ぐすね引いて待つてゐるらしい、彼等の弾劾は前とは較べものにならぬほど厳しいものと覚悟してくれ。
コリオレイナス 要するに、万事「穏かに」といふ訳か。さあ、出掛けよう。あの手、この手と弾劾の限りを尽すがいい、俺は自分の名誉に賭けて答へてやる。
メニーニアス それはさうだ、が、穏かにやるのだぞ。
コリオレイナス 解つた、穏かに出ればいいのだ――穏かにな。(一同退場)
16
〔第三幕 第三場〕
ローマ 広場
シシーニアス、ブルータス登場。
ブルータス これだけはどこまでも曝いてやれ、奴が狙つてゐるのは独裁だといふ事をな。それを何とか言ひ逃れしたら、民衆に対する奴の憎しみを激しく責め立てるのだ、アンシャムでの戦利品を分配しなかつた事もな。
警保官登場。
ブルータス おお、来たか?
警保官 今、直ぐにも。
ブルータス 誰と一緒だ?
警保官 メニーニアスと日頃からあの男の肩を持つてゐる元老達です。
シシーニアス 皆に投票して貰つて推薦者の名簿を作つて置いたが、今、それを持つてゐるか?
警保官 は、準備はすつかり出来てをります。
シシーニアス それぞれ部族別になつてゐるだらうな?
警保官 は。
シシーニアス 皆を直ぐここへ集めてくれ、そして俺が「平民の権利と力とにより、かうすべし」と言つたら、それが死刑、罰金、もしくは追放であらうと、皆で賛成する様に言つて置いてくれ、俺が「罰金」と言つたら「罰金!」と叫び、「死刑」と言つたら「死刑!」と叫ばせ、公正な裁判の時と同様、日頃の権利と力とを主張させるのだ。
警保官 その通り申し伝へます。
ブルータス 皆がそんな風に喚き始めたら、決してそれを留めてはならぬ、ますます騒ぎを大きくし、その時の宣告通り直ぐ様、処刑してしまふ様に手配してくれ。
警保官 畏りました。
シシーニアス 連中を大いに昂らせ、与へられた切掛け通りに動く様にするのだぞ。
ブルータス さ、直ぐ取掛れ。(警保官退場)何はともあれ癇癪の虜にしてしまふに限る。奴は勝つ事に慣れ、他人に反対し、いい気になつて自説を押し通す事ばかりして来た、一度向腹を立てたら、自分でもどうにも手綱が捌けなくなる、そして腹にある事は何でもそのまま口に出してしまふ、さうなつたら占めたものだ、苦も無く奴の首根つこをへし折る事が出来るといふものさ。
シシーニアス うむ、それ、奴が来る。
コリオレイナス、メニーニアス、コミニアスが他の元老、貴族達と共に登場。
メニーニアス 穏かにやつてくれ、頼むぞ。
コリオレイナス (メニーニアスに)解つた、端下金でも貰へれば、頭ごなしに人非人呼ばはりされても平気でゐる宿屋の廐番の様にな。(大声で)神よローマの安全を護り給へ、裁きの庭には公正なる裁判官を恵み給へ! 国人の間には愛を! あらゆる大神殿に平和の祭儀を行はしめ、吾等の町が戦乱の巷と化す事の無き様に!
第一の元老 どうぞその様に。
メニーニアス 今の祈りは立派なものだ。
警保官が平民達と共に登場。
シシーニアス もつと近くへ、皆。
警保官 護民官の話を聴け。皆! 静かにするのだ!
コリオレイナス 先づ私の言ふ事を聴いて貰ひたい。
両護民官 宜しい、どうぞ。静かにしろ、おい、皆、静かに!
コリオレイナス 私に対する非難はこの場だけで解決するのか? ここですべてを決めてしまはうといふのか?
シシーニアス その前にお訊ねしたい、ここにあなたは民衆の選挙権を認め、彼等の選んだ役員をそのまま受容れ、あなたに帰せらるべき幾つかの罪に対する法的な非難に耳を貸す気がおありかどうか?
コリオレイナス その気はある。
メニーニアス いいな、皆、その気があると言つてゐる。この男が今までに示した戦功についても十分に考慮してくれ、それから、その体に受けた数多《あまた》の傷の事も、それらはあたかも聖なる境内に散らばつてゐる墓穴《はかあな》の如きものと言へよう。
コリオレイナス 茨で引掻いた傷だ、ただ笑ひを誘ふに過ぎぬ疵痕だ。
メニーニアス なほ次の事も考慮に入れて貰ひたい、この男の口の利き様が皆の様ではないとしても、それは武人だからと思つてくれ、言葉遣ひは乱暴であつても、それは悪意あつての事ではない、今も言つた通り、飽くまで武人のせゐであり、決して皆を憎んでゐるからなどと考へないで貰ひたい。
コミニアス まあ、よい、もう何も言ふな。
コリオレイナス 一体どうしたといふのだ、衆議一決、私を執政官に選んで置きながら、その舌の根も乾かぬうちに、忽ち官位を剥奪、かほどの屈辱を与へるといふのは?
シシーニアス その前にこちらの問ひに答へて貰ひたい。
コリオレイナス 何だ、言つてみるがいい、確かに私には答へる義務がある。
シシーニアス それなら、改めてあなたの罪を問ふ、あなたはこのローマの誇とすべきあらゆる役職を取上げ、独裁的権力を自ら手中に収めようと目論んだ、それこそ民衆に対する裏切といふものだ。
コリオレイナス 何! 裏切!
メニーニアス 待て、興奮するな! 約束したではないか。
コリオレイナス 皆、地獄の底の猛火に焼き尽されるがいい! 俺が皆を裏切つたと! おい、護民官、人を侮辱するにも程があるぞ! 貴様の目の前に二万の屍が横たはり、その掌に数百万の、いや、その大嘘つきの舌の根に無数の屍が宿らうと、俺は恐れずに言つてやる、「嘘をつけ」と、ええい、言つてやるとも、神に祈る時と同じ偽りの無い声音で。
シシーニアス あれを聴いたか、皆?
市民達 岩へ、奴をターペイアの岩へ!
シシーニアス 静かに! もうこれ以上、この男の罪を糾明する必要は無い。お前達はこの男のなすところを見、話す事を聴いた、お前達を守る役人を殴り、お前達に悪罵の限りを尽し、国法に反逆を企て、それを裁く大きな権限を委ねられてゐる吾を侮辱した――これだけで罪は明白だ、それこそ死罪の極刑に値する。
ブルータス だが、ローマを守る為に戦つた功績を考へると――
コリオレイナス 何だつて貴様が戦の事を持出すのだ?
ブルータス 自分の知つてゐる事を言つたまでだ。
コリオレイナス ほう、貴様が!
メニーニアス これで母上との約束を守つてゐる積りか?
コミニアス まあ、聴け――
コリオレイナス もう何も聴く必要は無い。さあ、どう宣告を下さうと勝手にさせろ、ターペイアの岩から千仞の谷へ突き落したらいい、追放、皮剥ぎ結構、牢に押し籠め、一日一粒の食糧で餓死を待つのもいい、だが、奴等の燐みを買ふ為に甘い事を一言でも口にするのは真平だ、この上、隠忍自重して奴等のくれる物を乞ひ求めたりなどするものか、たとへ「お早う」と一言、言ひさへすれば手を打つと言はれても。
シシーニアス この通りだ、なすがままにして置けば、絶えず民衆に対して憎しみを懐き続け、民衆の力を剥奪せんが為、あらゆる手立てを講じて止まない、現にあの様に敵意に満ちた暴言を次から次へと吐き散す、それこそ尊厳なる法のみならず、その法の管理者たる役人を蔑ろにするものにほかならない――ここに民衆の名において、且つまた吾護民官の権限において、この場で直ちに、この男を追放の刑に処する、もし再びローマの城門より忍び込みし場合は、容赦無くターペイアの断崖から突き落す。以上、民衆の名において、必ずその様に実行するものとする。
市民 その通りに実行するのだ、その通りに! 奴を引張つて行け! 奴は追放になつたのだ、直ぐ実行に移せ。
コミニアス 待て、護民官、それに皆も待つてくれ――
シシーニアス 宣告は終つた、もう何も聴く必要はありません。
コミニアス 私にも一言、言はせてくれ。私はついこの間まで執政官だつた者だ、ローマの為に蒙つた疵痕なら、いつでもお見せ出来る。私は祖国の事を、自分の命よりも、愛する妻よりも、その胎から生れた吾が子よりも、遥かに深い情を以て愛し、神聖視してゐる、随つて是非とも言つて置きたいのだが――
シシーニアス 大凡の事は解つてゐる。何をおつしやりたいのだ?
ブルータス もう何も言ふ事はありますまい、あの男は民衆と国家に対する敵として追放されたのです。後はその通りに実行するだけだ。
市民達 その通りに実行するのだ、その通りに。
コリオレイナス 貴様等、けち臭い野良犬共め! その息と来たら、腐つた沼から立ちのぼる臭気さながら、貴様等に好かれた日には、この空気を腐らせる野晒しの死人《しびと》に抱き附かれる様なものだ――俺の方で貴様等を追放してやる。不安を胸に懐いて、いつまでもこの土地にしがみついてゐろ! 忍び寄る噂の影に始終怯えてゐるがいい! 敵が兜の羽飾をひらめかす度に、絶望に捉はれ、肝を冷やすのだ! 自分達の守り手を追放に処する権力を後生大事に抱へこんでゐろ、そのうち己れの愚かさを厭といふほど思ひ知らされるだらう――いや、さうなつてもまだ恐しさが解らず、やがて自分達だけ取り残され、自ら自分の首を締める日がやつて来るのだ――愚かな奴等だ、さうして何処かの国に造作無く打ちのめされ、その惨めな捕虜となつて吾と吾が身を売渡すがいい! さういふ貴様等のゐる限り、俺はこのローマを軽蔑し、かうして自ら背を向ける、ここだけが世界ではない。(退場、それに続いてコミニアス、メニーニアス、元老、貴族達退場)
警保官 民衆の敵は行つてしまつた、たうとう出て行つてしまつたぞ!
市民達 俺達の敵は追放になつた! 奴はたうとう出て行つたぞ! わあ――わあ! (皆、叫び声を挙げ、帽子を投げる)
シシーニアス 奴が城門を出て行くところを皆で見に行け、奴がお前達にさうした様に、奴の後に附いて行つて、さんざん嘲弄の言葉を浴びせ掛けてやれ、当然の報いとして奴を苦しめてやるのだ。それから、吾が町を通る間、護衛を附けてくれ。
市民達 さあ、行かう、城門を出て行くところを見物してやるのだ、さあ、早く! 護民官に神の御加護を! さあ、行かう。(一同退場)
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〔第四幕 第一場〕
ローマ 城門前
コリオレイナス、ヴォラムニア、ヴァージリア、メニーニアス、コミニアス、その他のローマの若い貴族達登場。
コリオレイナス もういい、泣かないで下さい、束の間の別れだ! 頭の沢山ある獣《けだもの》が俺をつつき出す。おお、母上、いつもの気強さを何処へおやりになつた? よくおつしやつてゐた様に、逆境こそ強い精神にとつてはこの上無き試錬、平凡な禍なら平凡な人間にも堪へられる、穏かな海なら、どんな小舟も楽に乗り切れませう、運命の女神が一番辛く当つて来る時、その傷に見事堪へる者こそ真に高潔の士。さういつた金言を母上は始終、私に注《そそ》ぎ込み、それを一つ一つ憶え込ませて、私を大胆不敵な者に鍛へ上げようとなさつたものだ。
ヴァージリア ああ、神は在《いま》さぬのか!
コリオレイナス おお、止《や》めてくれ、頼む――
ヴォラムニア この上はローマ中のあらゆる人間に疫病が取り憑き、誰も彼も死んでしまふがいい!
コリオレイナス もう沢山です、もう! これでも、ゐなくなれば、結構懐しがられもしませう。さ、母上、お気を取り直して下さい、よくおつしやつてゐたではありませんか、もし自分がヘラクレスの妻だつたら、夫に課せられた十二の難事業のうち半分は自分の手で片を附け、夫にあれほど汗を流させはしなかつたらうと。コミニアス、さうしよげなさるな、さ、お別れだ。お前も、ヴァージリア、それから母上も、何、まだまだこれからです。それに誠実なメニーニアス、年取つた君の涙は若い連中のよりは塩辛い、目には毒といふものだ。嘗ては私の指揮者だつたコミニアス、なかなか厳しい顔を見せてくれたではありませんか、心を無感覚にさせる様な酷い見せ物を始終見せてくれたものだ、涙に暮れてゐる女連に話してやつて下さい、避け難い苦難をいたづらに歎き悲しむのは、それを笑ひ草にするのと同じ愚かな事だと。母上、私の苦しみはいつもあなたにとつては慰めの種だつた筈、信じて下さい――成るほど、今はひつそり身を隠します、孤独な龍よろしく、その沼地は人に恐れられ、見えないだけに卻つて人の口の端にのぼる――が、このあなたの息子はそれで終りはしない、必ず人並み優れた事をやつてのけます、悪企みの餌に引掛りでもしなければ。
ヴォラムニア 私の一番大事な息子、何処へ行かうとお言ひだ? 当分コミニアス様に附いて行つて貰ひなさい、何とか方策を立てなければいけない、先どんな危険が待ち受けてゐようも知れず、成行き次第、それに身を任せてはなりませぬ。
ヴァージリア ああ、神の御加護を!
コミニアス 一月は君と行を共にし、安住の地を考へよう、お互ひに消息が解る様な処を、さうすれば、君を呼び返せる時機が来た時、唯一人の人間を探し出す為、当ても無く広い世界に使ひを出し、折角の機会を取逃さずに済むといふもの、この機会といふ奴、目ざす当人がゐないと、とかく冷えてしまひ勝ちなものだからな。
コリオレイナス では、これで、いや、あなたは年を取り過ぎてゐる、それに、戦には十分食傷してゐる筈だ、この上、無傷の若い者と共に流離《さすらひ》の旅にお出掛けになるのは無理といふもの、城門の処まで送つて下されば、それで結構。さあ、ヴァージリア、母上、それから長年渝《かは》らぬ友情を持ち続けて来てくれた友人諸君、私が出て行つたら、別れの挨拶を一言、そして笑顔を見せてくれ。さ、行かう、この地上に生きてゐる限り、必ず便りをする、今までの俺らしくない事は決して耳にしない筈だ。
メニーニアス 立派だ、皆、さういふ便りを待つてゐる。さあ、もう泣くのは止めませう。この老いた手脚から七年の歳月を振り捨てられさへしたら、神に賭けてもいい、その踵の跡を追つて何処まででも附いて行くのだがな。
コリオレイナス さあ、その手を。行かう。(一同退場)
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〔第四幕 第二場〕
ローマ 城門の近く
二人の護民官、シシーニアス、ブルータスが警保官と共に登場。
シシーニアス 皆に引揚げる様に伝へてくれ、奴はとうとう出て行つてしまつた、もう用は無い。奴を贔屓してゐた貴族達は大分不安を感じてゐるらしい。
ブルータス これで俺達の権力は十分見せ附けてやつた、かうして事が済んだ以上、前よりはおとなしく見せ掛けるのだな。
シシーニアス 引揚げる様に伝へてくれ、敵は去つた、今や民衆の力は旧に復したと言つてやれ。
ブルータス 皆を早く解散させろ。(警保官退場)奴の母親がやつてくる。
ヴォラムニア、ヴァージリア、メニーニアス登場。
シシーニアス 遭はない方がいい。
ブルータス なぜ?
シシーニアス 気が違つたといふ話だ。
ブルータス 向うでもこちらに気附いたらしい、構はず歩いて行け。
ヴォラムニア ああ、よい処で遭つた、神の手もとに貯へてあるありとあらゆる疫病がお前達の上に振り掛るがいい、その友情のお返しに!
メニーニアス 静かに、静かに、そんな大声をお挙げなさるな。
ヴォラムニア この声を泣き潰してしまひさへしなければ、思ふ存分、聴かせてやらうものを――いいえ、たとへ少しでも聴かせてやらずに置くものか。(ブルータスに)逃げ出す積りかい?
ヴァージリア (シシーニアスに)お前も待つて。ああ、夫に向つてさう言ひたかつたものを。
シシーニアス あなたは人間は人間らしいが、男かね?
ヴォラムニア さうとも、阿呆、それが恥だとでも言ふのか? よく聴いて置くがいい、この阿呆。私の父は男だつた、しかも人間だつた、さうだらう? それに引き換へ、お前は狐だと見える、事もあらうに、あの子を追ひ出すなどと、あれはお前が口にした言葉の数以上に、敵をさんざん痛め附けた、その恩を忘れたか?
シシーニアス 呆れ返つて物も言へぬ!
ヴォラムニア お前の小賢しい言葉よりも、あの子が敵に与へた傷の方がずつと多いのだ、それも皆、ローマの為なのだ。それを話して聴かせよう――いいえ、行つておしまひ! お待ち、動いてはいけない。ああ、今、あの子がアラビアの砂漠にゐてもいい、もしその前にお前達の仲間がゐ、あれの手に良く切れる剣があつたなら。
シシーニアス そしたら、どうなるといふのだ?
ヴァージリア そしたら、どうなると! 解り切つた事、あの人はお前達の血筋を絶やしてしまふだらうに。
ヴォラムニア どうせ何処の馬の骨か解らない連中だもの。あの立派な男を、ローマの為に負つたあの全身の傷を忘れたか!
メニーニアス まあ、静かに。
シシーニアス 忘れるどころか、つくづく思ひますよ、あのままずつとお国の為に尽して下さつたら、そして感謝の尊い結び目を自ら解《ほど》いてしまふ様な真似をなさらなかつたらとね。
ブルータス 私もさう思ひますな。
ヴォラムニア 「私もさう思ふ!」あのがらくた共を唆したのはお前達だ、あの野良猫共と来たら、何も解つてゐはしない、天がこの世に知らせようとしてゐる神秘について、私には何も解らないが、それと同じ様に、奴等にはあの子の値打など全く解りはしないのだ。
ブルータス もう沢山だ、さ、行かう。
ヴォラムニア こちらこそ沢山だ、さつさと行くがいい、本当に立派な事をしてくれたものだ。ただ、行く前に、これだけは言つて置きたい、ジュピターを祀つてある議事堂はローマの最下等の家より尊い筈だ、それと同じ様に、あの子は――さあ、とくと御覧、ここにゐるこの女の夫は、お前達に追放されたけれど――お前達などよりずつと尊いのだ。
ブルータス 成るほど、成るほど、では、これで。
シシーニアス 何だつていつまでも気違ひの相手をしてゐなければならないのだ?
ヴォラムニア 私の呪ひをその背に背負つて行くがいい。(護民官達退場)神は私の呪ひをかなへる事だけに熱中して下さればよいのに! もし一日に一度でも彼奴等に遭へれば、私の胸のうちに重く沈んでゐる悩みは幾らかでも軽くなるだらう。
メニーニアス 言ふだけの事はもう十分言つておやりになつた、それも全く当然の事ばかりだ。如何です、夕食は私の家で?
ヴォラムニア 憤りこそ何よりの御馳走、今の様にああして吾と吾が身を食ひ尽し、やがて餓死にするに違ひ無い。さあ、行きませう、女しく泣くのはお止め、同じ歎くなら、私の様にしたらよい、ジュノーの様に怒《いか》つてお泣き、さあ、行きませう。(ヴォラムニアとヴァージリア退場)
メニーニアス やれ、やれ! (後に続いて退場)
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〔第四幕 第三場〕
ローマ、アンシャム間の街道
ローマ人とヴォルサイ人とが両方から登場、途中で相遭ふ。
ローマ人 あなたを存じ上げてゐるが、あなたも私を御存じでせう、お名前は確かエイドリアンとおつしやつた。
ヴォルサイ人 その通りで、だが、実はあなたには見覚えが無いのだが。
ローマ人 私はローマ人だが、役目はあなたと同じで、私にとつて奴等は敵だ。これでも、まだ私がお解りにならぬのか?
ヴォルサイ人 ナイケイノア? 違つたかな。
ローマ人 正にその通り。
ヴォルサイ人 この前会つた時はもつと鬚を生やしてゐましたな、が、声の調子で解つた。ローマの情勢は如何です? 実はヴォルサイ政府からあなたを探し出す様、命令されてゐるのです、お蔭で一日助つた。
ローマ人 ローマでは妙な暴動がありました、民衆が元老や貴族に謀反を起したのです。
ヴォルサイ人 暴動があつた! では、もう片が附いてしまつたのですか? 吾が政府の方はさうとは思つてをらず、専ら軍備に忙しく、敵方の内乱を狙つて攻め込まうとしてゐるのだが。
ローマ人 いや、火元は一応収つたのだが、一寸した事でまた直ぐ燃え上りますよ、といふのは、貴族達がコリオレイナスの追放に腹を据ゑかね、今にも民衆からあらゆる権力を取上げ、護民官の制度も永久に止めてしまはうと目論んでゐるのでね。まだその火照りが冷めない事は確かで、それが今にも爆発しかねない情勢ですよ。
ヴォルサイ人 コリオレイナスが追放された!
ローマ人 さう、追放です。
ヴォルサイ人 有りがたい、素晴しい情報だ、ナイケイノア。
ローマ人 あなた方にとつては正に絶好の機会といふところだ。よく話に聞きますからな、他人の女房に手を出すのは、亭主と喧嘩してゐる時に限ると。これで愈戦になれば、タラス・オーフィディアスが大いに名を挙げる事になるでせう、宿敵のコリオレイナスがローマではもう御用済みといふ事になつてしまつたのだから。
ヴォルサイ人 それだけは間違ひ無い。かうして偶然お目に掛かれたのは、私にとつて何よりの好運、お蔭でもう私の用は済んだ、御一緒に足取り軽く引返せるといふものだ。
ローマ人 夕食までになほローマの奇妙な情報について色お聴かせしませう、その敵方にとつてはいづれも有利に動いてをります。そちらの軍備はもう出来てゐるとか、確かさうおつしやつたな?
ヴォルサイ人 万全の備へです、百人組の隊長も、その部下達も、銘動員を終り、既にそれぞれの部署に附いてをります、後は命令一下、一時間もあれば出陣できる態勢です。
ローマ人 それだけ準備が出来てゐるとは嬉しい限りだ、どうやら私の報告一つで直ちに行動に移れさうですな。とにかく、ここでお遭ひ出来たのは何より有りがたい、喜んでお伴しませう。
ヴォルサイ人 それはこちらから申上げたいせりふだ、私こそ喜んでお伴させて貰ひます。
ローマ人 では、御一緒に。(両人退場)
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〔第四幕 第四場〕
アンシャム オーフィディアス邸の前
コリオレイナスが賤しい身なりに扮装し、頭を包んで登場。
コリオレイナス なかなかいい町だ、このアンシャムといふ処は。が、この俺だぞ、お前から男達を奪ひ、お前を後家共の巣にしたのは、戦の前にはこの家の主《あるじ》だつた者が、俺の目の前で呻き倒れて行つたものだ。さあ、この俺を見逃してくれ、後家共は鉄串《かなぐし》をかざし、子供は石を投げて俺をひどい目に遭はせ殺しかねないからな。
一市民登場。
コリオレイナス お元気さうで何よりですな。
市民 御同様。
コリオレイナス 良かつたら、例のオーフィディアスが何処にお出でか教へて頂きたいのだが。このアンシャムにお出でかな?
市民 その通り、今夜は貴族達をお宅へ招いて大盤振舞ひがあるとか。
コリオレイナス そのお宅といふのは何処か、教へて下さらぬか?
市民 こちらがそれだ、目の前の。
コリオレイナス 有りがたう、では、お元気で。(市民退場)おお、この世といふやつ、何と気紛れな事だ! 固く誓ひ合つた今日の友が、それこそ二つの胸に心は一つ、時間も寝床も、食事も遊びも一つにし、謂はば生涯の友情を誓つた双子が、鐚銭一つの争ひから立ち所に二つに分れ不倶戴天の敵となる、同様、激しく憎み合ふ敵同士が、互ひに相手を打ち負したいと、ただもうそれだけに夜の目も合はさず心を砕いてゐたといふのに、それが卵一つほどの詰らぬ、ほんの何かの切掛けで、無二の親友となり、一つ生綱に運命を共にする。俺がそれだ、自分の生れた祖国を憎み、敵の町に想ひを寄せる。よし、この邸に這入つてやらう、奴が俺を殺したところで当然、が、もし俺の言ふ事を信じてくれれば、奴の国の為に一働きしてやるまでだ。(オーフィディアスの家に入る)
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〔第四幕 第五場〕
アンシャム オーフィディアス邸の客間
三つの扉、そのうち上手のは外に、下手のは台所等に、中央のは大広間に通じてゐる。
音楽が始る。大広間より召使登場。
第一の召使 酒、酒、酒だ! 皆、一体、何をしてゐるのだ! 居眠りでもしてゐるらしい。(下手に退場)
第二の召使、大広間より登場。
第二の召使 コータスは何処だ? 御主人のお呼びだといふのに。コータス! (出て来た入口に退場)
コリオレイナスが上手より登場。
コリオレイナス 立派な邸だ。旨さうな匂ひがする、が、どう見ても俺は客らしく見えぬな。
第一の召使、酒を持つて登場。
第一の召使 何か用か、お前さん? 何処から来たのだ? ここはお前さんの来る処ではない、さあ、出て行つた! (大広間へ引込む)
コリオレイナス これ以上のあしらひを受ける資格はない、コリオレイナスの名を持つ以上はな。
第二の召使、再び登場。
第二の召使 何処から這入り込んだのだ? 門番の奴、何処に目玉をくつつけてゐるのかな、こんな奴を通すといふのは? さ、出て行つて貰はう。
コリオレイナス 失せろ!
第二の召使 「失せろ」だと! お前こそ消え失せろ。
コリオレイナス うるさい奴だ。
第二の召使 そんな横柄な口を利いてもいいのか? よし、直ぐにも話を附けてやらう。
第三、第一の召使が大広間より登場。
第三の召使 何処のどいつだ、これは?
第一の召使 こんな妙な奴は今までに見た事も無い! どうしても出て行かないのだ。御主人を呼んで来てくれ。
第三の召使 何か用でもあるのか? さつさと出て行つたらどうだ。
コリオレイナス このまま放つておいてくれ、何も邪魔はしない。
第三の召使 一体、何者だ、お前さんは?
コリオレイナス 由緒ある身分の者だ。
第三の召使 由緒にもひどく見窄《みすぼら》しいのがあるのだな。
コリオレイナス 正にその通りだ。
第三の召使 頼むよ、見窄しい由緒殿、一つお引越しをお願ひしたいね、ここはお前さんの来る処ではない。出て行つてくれ、さ。
コリオレイナス それよりは分相応の仕事をしてゐろ、早く行つて冷めた食ひ物のお余りでも頂戴するがいい。(第三の召使を押し返す)
第三の召使 おい、どうしても出て行かない気か? では、御主人に言つて来てくれ、妙な客が来てゐるからとな。
第二の召使 よし来た、俺が言つて来る。(大広間へ退場)
第三の召使 家は何処だ?
コリオレイナス 大空の下さ。
第三の召使 大空の下!
コリオレイナス さうさ。
第三の召使 それは何処にあるのだ?
コリオレイナス 鳶や烏の町にある。
第三の召使 鳶や烏の町! 阿呆らしい! では、お前さん、阿呆烏とも一緒に暮してゐるのか?
コリオレイナス いや、俺はお前の主人の御用は務めてはゐない。
第三の召使 何だと! お前は俺の御主人様の事にまで口を出さうといふのか?
コリオレイナス 奥方に手を出すより、召使としてはまだしも忠実だらう。このお喋りめ、黙れ、黙つて皿配りでも手伝つてゐろ。出て行けといふのに! (相手を部屋から叩き出す)
オーフィディアスが第二の召使と共に登場。
オーフィディアス その男は何処にゐる?
第二の召使 そこにをります。犬よろしく叩き出してやりたかつたのですが、奥のお客様をお騒がせしたくないと思ひまして。(退場)
オーフィディアス 何処から来た? 用は何だ? 名は? なぜ黙つてゐる? 答へろ。名は何といふ?
コリオレイナス (被り物を取り)タラス、もし俺が何者か解らなければ、かうして顔を見ても俺の正体が解らないとあれば、仕方が無い、自ら名乗るとしよう。
オーフィディアス 言へ、何者だ?
コリオレイナス ヴォルサイ人の耳には快からぬ響きを持つた名だ、殊に貴様には耳障りな名前だ。
オーフィディアス 答へろ、何者だ? 如何にも恐し気な形相をしてゐる、が、その顔には威がある、帆綱は千切れ裂けてはゐるが、船体は堂たるものだ。言へ、何者だ?
コリオレイナス 予め眉を顰める用意をして置け――まだ俺が解らないのか?
オーフィディアス 解らぬ。名乗れ!
コリオレイナス 俺の名はケイアス・マーシャスだ、誰よりも貴様に、そしてあらゆるヴォルサイ人に手ひどい傷と禍を齎した男だ、その証拠がまたの名コリオレイナス。祖国の為に吾が身を苦しめ、この上無い危険を冒し、さんざん血を流しもした、恩を知らぬローマがその酬いとしてくれたのが唯その称号だけだつた――それこそ貴様にとつては怨みと憎しみの憶出と証しでしかあるまい。その名だけしか残つてはゐない。民衆の残酷な憎悪が、それを見て見ぬ振りの腰抜け貴族共に見捨てられた俺から何も彼も剥ぎ取つてしまひ、その揚句、奴隷共は罵声を浴びせて俺をローマから追払つた。さうまで酷く扱はれ、俺は今かうして貴様の邸の炉端に身を寄せたといふ訳だ、といつて何も――誤解してくれるな――命が助りたい為ではない、もし死を恐れるなら、この世の中の誰よりも貴様に会ふ事を避けたらう、俺はただ憎いのだ、俺を追放した奴等と決着を附けたいのだ、その為に今、俺は貴様の前に立つてゐる。もし貴様のうちにまだ復讐の炎《ほむら》が残つてゐるなら、いや、貴様自身の怨みを晴し、貴様の国が今なほ堪へてゐる恥辱の跡を雪《そそ》がうといふ気があるなら、直ぐにも俺を利用し、この惨めな立場を貴様の役に立てるがいい。さうしてくれれば、俺の復讐も大いに貴様の為にならう、俺にとつては堕落した祖国に挑む戦ひ、地獄の鬼共よろしく憎しみの火花を散してやる覚悟だ。だが、もし貴様が、さうまでする気は無い、これ以上、運命を試す気力は失つたといふのなら、それなら俺も一言で済む、もうこれ以上生きてゐるのは厭だ、この咽喉を貴様の前に曝す、宿敵の憎悪の前にだ、それを掻つさばくのが厭だと言ふなら、貴様は大馬鹿者だ、俺は昔から貴様を憎み、貴様を追ひ詰め、貴様の国の胸を破り、血の河を流した男だ、生きて貴様の為に働けぬとなれば、貴様に恥を掻かせてやるよりほかに法は無い。
オーフィディアス おお、マーシャス、マーシャス! 今の言葉、一言一言が、この胸のうちに蟠《わだかま》る古い怨みを根絶やしにしてしまつた。たとへあの輝く雲の上から聖なるジュピターのお告げがあり、「今、伝へた事は事実だぞ」と言はれても、それを今の君の言葉ほど信じはしまい、高邁なるマーシャス。その体を俺の腕《かひな》に抱かせてくれ、この体、それが俺の投槍を何百度も弾ね返し、その折れ砕けた破片で月の面を傷附けたものだ、それは俺の剣にとつては硬い鉄床《かなしき》同様、その体をしつかり抱かせてくれ、嘗て力の限り君と武勇を争つた時と同じ勇気と名誉心を以て。何よりもこれだけは知つておいてくれ、俺は自分の妻を愛してゐる、俺ほど真実の籠つた溜息を洩した男はゐまい、が、今、俺の目の前にゐる君はそれ以上に大事なものだ、俺の心臓は婚礼の日に妻が吾が家の敷居を跨いだ時よりも、遥かに激しく踊り騒いでゐる。おお、軍神マルス、実はマーシャス、準備は整つてゐる、今直ぐにも出陣できるのだ、俺はもう一度その腕から楯を叩き落すか、この俺の腕を切落されるか、勝敗を決しようとしてゐたところだつた。君とは十二度戦つて敗れ、それからといふもの、君との一騎打を夜毎、夢に見た、その夢の中で二人は共に馬から落ち、互ひに兜を引き剥さうとしたり、咽喉輪を締めようとしたりして揉み合つたものだ、そして目を醒す、体中ぐつたりしてしまふ、高が夢に過ぎぬといふのに。マーシャス、吾はたとへローマと争ふ積りが無くとも、君がそこから追放されたと知つた以上、十二歳から七十歳までの男を徴集し、恩知らずのローマの土手腹へ津波の如き大軍を注《つ》ぎ込んでやるぞ。さあ、奥へ、吾の元老達と手を握り合つてくれ、丁度、皆、帰らうとしてゐたところだ、ローマではないが、その領地に向つて、それぞれ出陣する手筈になつてゐる。
コリオレイナス 礼を言ふ、これも神のお蔭だ!
オーフィディアス ところで、武将としては完全無欠の君だ、もし復讐がしたいなら、俺の手の者を半分譲らう、それを以て陣立てをしてくれ――自分の国の事だ、その長所、短所は十分承知の筈、いざ攻めるとなれば、君の右に出づる者は他にあるまい――駆引きは君の自由だ、直ちにローマの城門に迫らうと、或は首都を破壊する前に、何処か他処《よ そ》を攻め、遠巻きにして敵を震へ上らせようと、それはどちらでもよい。とにかく奥へ来ないか、皆に紹介させてくれ、君の要求には誰しも賛成するに決つてゐる。本当によく来てくれた! 嘗ての敵に優る身方を得たといふ訳だ、それにしても、マーシャス、随分、憎み合つたものだな。さあ、手を、こんなに嬉しい事は無い! (両人、奥へ入る)
二人の召使登場。
第一の召使 訳が解らない、形勢、忽ち逆転と来た!
第二の召使 実のところ、棍棒で打ちのめしてしまはうと思つたのだ、だが、ふと気が附いた、着てゐる物、必ずしも本人の正体を伝へずとね。
第一の召使 あの腕節の強さはどうだ! 人差指と拇指と、たつた二本の指で俺をぐるぐると廻しやがつた、まるで独楽《こ ま》みたいにな。
第二の召使 いや、顔を見ただけで一廉の人物だといふ事は直ぐ解つた、あの顔はだな、詰り、一種の顔といふもので、謂はば――その、どう言つたらいいか俺には解らない。
第一の召使 まあ、そんな顔だ、見たところ――ええい、焦《じ》れつたいな、とにかくあの男の中には、俺の考へではどうにもならないものがあるといふ事は初手から解つてゐたよ。
第二の召使 俺もさう思つてゐた、本当だよ、言つて見れば、唯者ではないといふ事になる。
第一の召使 さうらしい、だが、あの男より強いのが一人ゐる、お前さんも御承知の筈だ。
第二の召使 誰だ、御主人の事か?
第一の召使 決つてゐる、これには何処からも文句は出まい。
第二の召使 ま、あの男の六人分といふところだな。
第一の召使 いや、それほどでもないがね、だが、御主人の方が強いといふ事だけは確かだ。
第二の召使 その通り、そもそもだな、どう言つたらいいのかな、詰り、町を衛る方に廻つたら、家の御主人ほどの名将はほかにはゐないよ。
第一の召使 さうだな、それに攻める方だつてさうだよ。
第三の召使登場。
第三の召使 おい、野郎共、珍聞だ――珍聞だぞ、悪党共!
第一・第二の召使 何だ、何だ? 早く教へてくれ。
第三の召使 俺は何処の国に生れるにしても、ローマ人にだけはなりたくない、それよりは罪人になつた方がいい。
第一・第二の召使 どうしてだ? どうしてなのだ?
第三の召使 それがさ、いつも家の御主人をやつつけた奴が、今ここへ来てゐるのだ――それ、ケイアス・マーシャスといふ男さ。
第一の召使 「家の御主人をやつつけた」とは何といふ言ひ草だ?
第三の召使 「御主人をやつつけた」などと言ひはしない、いつも好い相手だつたといふ意味さ。
第二の召使 まあさ、俺達はお互ひに仲間内だらうが。御主人も奴には随分手こずらされたものだ、御自分でさう言つてゐたのを耳にした事がある。
第一の召使 うむ、まともにぶつかつて大いに手こずつた。その通り、実を言へば、コリオライの城門前での一騎打では、焼肉よろしくさんざんに斬つて斬つて斬りまくられてゐたものな。
第二の召使 もし奴が人食ひ人種だつたら、御主人を焼いて食つてしまつたかも知れない。
第一の召使 だが、珍聞といふのはまだほかにもあるのかい?
第三の召使 それがさ、奥ではあの男はまるで軍神マルスの息子扱ひされてゐるのだ、食卓の上座に据ゑられ、元老があの男に何か物を訊ねる時には、その前へ行つて、一人一人帽子を脱いで直立不動の姿勢と来た。家の御主人にしてからがあの男を情婦《いろをんな》扱ひ、手に触つただけで有りがたがり、上目遣ひに白眼を出して相手の話に耳を傾けてゐるといふ有様だ。が、珍聞の珍聞たる所以は、家の御主人が真二つにされてしまつて、昨日までの半分は何処へやら、残りの半分は御列席の御一同様の懇願やら承認やらにすつかり身を任せ切りといふ始末さ。あの男の方では直ぐにも出陣して、ローマの衛兵の耳を引張つて投げ飛してやると言つてゐる、目の前にある邪魔物は片端から薙《な》ぎ倒し、通つた後は砂漠の様な枯野原にしてやるのださうだ。
第二の召使 あの男なら、結構そんな事もやりかねないね。
第三の召使 やりかねない! 当り前だ、見事、やつてのけるだらうよ、さうだらうが、あの男には敵も多いが、身方も沢山ゐる、但し、その身方といふのが、謂はば、一寸拙いところがあつてな――それ、その――はつきり名乗りを挙げられないのだ、詰り、身方として働けないのさ、あの男が尾羽打ち枯してゐる間はな。
第一の召使 尾羽打ち枯す! それはどういふ意味だ?
第三の召使 だが、皆、様子を窺つてゐるのさ、あの男が再び冠毛《とさか》を立て、勇気凜として立ち上れば、誰も彼も雨の後の兎の如く穴から飛出し、一緒になつて燥《はしや》ぎ廻るだらうよ。
第一の召使 ところで、出陣はいつなのだ?
第三の召使 明日だ、今日だ、今直ぐにだ。昼過ぎになれば、太鼓がどんどん鳴り響くだらう、謂はば、それは今あちらで召上つてゐる料理の、ほんの附け合はせの様なもので、口を拭かないうちに忽ち実行に移されるだらうよ。
第二の召使 ほう、では、世の中はまた騒しくなるな。平和などといふものは何の役にも立ちはしない、剣が錆び、仕立屋が繁昌し、小唄作者が殖えるだけの事さ。
第一の召使 早く戦が始ればいい、その方が平和よりずつとましだ、それは昼の方が夜よりましな様なものさ、陽気で、目も耳も生き生きしてゐて、何も彼も活気に満ちてゐる。それに較べて平和と来たら、正に中風病みさ、冬籠りの動物そつくり、気抜けで、聾《つんぼ》で、何も感じない、半分眠つてゐる様なものだ、戦で人間が死ぬより、平和で生み落された父無《ててな》し子の方がずつと数が多いだらう。
第二の召使 その通りよ、戦争はある面では確かに強姦の一手《いつて》売捌き処さ、同様に平和は間男されの製造業者と言つても、誰も文句は言へまい。
第一の召使 さうだ、そして平和は人間同士を憎み合ふ様にする。
第三の召使 尤もだ、といふのは、平和となれば、お互ひ助け合ふ必要が無くなるものな。金を出しても戦に限るね。きつとローマ人もヴォルサイ人と同じ値段になるだらうよ。おつと、皆さん、お立ちだ、お立ちだ。
第一・第二の召使 さ、さ、奥へ、奥へ! (一同、急いで奥へ退場)
22
〔第四幕 第六場〕
ローマ 広場
二人の護民官、シシーニアスとブルータス登場。
シシーニアス その後、噂は少しも聞かぬ、もう恐れる事は無い。奴を呼び戻さうといふ計画もすつかり駄目になつてしまつた。あれほど狂暴だつた民衆が平静に還つてしまひ、この世は何も彼も巧く行つてゐるので、奴の仲間はどうにも引込みが附かなくなつてしまつた様だ、あの連中、反乱には随分手を焼きはしたものの、やはり暴徒の群が町中を荒れ狂つてゐた方が有りがたいのさ、町人達が鼻唄まじりで仲良く稼業にいそしんでゐるとなると、全く手も足も出なくなる有様だ。
ブルータス 奴をやつつけるには好い機会だつたといふ事になる。
メニーニアス登場。
ブルータス あれはメニーニアスではないか?
シシーニアス さうだ、さうだ。うむ、あの男、近頃、大層腰が低くなつた様だな。やあ、お元気で何より!
メニーニアス 君達こそ元気で何より!
シシーニアス 御親友のコリオレイナスがゐなくなつても、お仲間は左程お困りの様でもありませんな。政治も御安穏、この分ではあの男がもつと猛り狂つたところで、びくともしさうもない。
メニーニアス 万事、よく行つてゐる、しかし、あの男がもつと折れてくれれば、なほよかつたらうがな。
シシーニアス あの男、今、何処にゐるか、御存じですか?
メニーニアス いや、全然音沙汰無しだ、母上や奥方にも何の便りも無いらしい。
市民三四人登場。
市民達 お二人に神の御加護を!
シシーニアス 諸君にも御同様に。
ブルータス 御同様に、諸君にも。
第一の市民 お蔭で私達も女房連も子供達も無事息災、お二人には膝を突いて感謝のお祈りを捧げずにはゐられません。
シシーニアス しつかりやつてくれ!
ブルータス ありがたう、皆、それにしても、コリオレイナスがせめて吾程度に諸君の為を思つてくれたらと思つてゐるのだ。
市民達 では、お大事に!
両護民官 元気でな。(市民達退場)
シシーニアス あの様子を見てゐると、皆が町中を喚きながら駆けずり廻つてゐた頃より、遥かに仕合はせさうで平穏無事だな。
ブルータス ケイアス・マーシャスはいざ戦となれば立派な武将だつた、だが、傲岸不遜、無類の野心家で、自分の事しか考へず――
シシーニアス 独裁者たらんと欲し、自分の仲間まで押し退ける始末だつた。
メニーニアス 必ずしもさうとは思はぬ。
シシーニアス しかし、もしあの男が執政官になつてゐたら、吾は随分辛い目に遭はされてゐた事でせうよ。
ブルータス 神のお蔭でその難は免れたといふものだ、ローマはあの男無しで無事息災に日を送つてゐる。
警保官登場。
警保官 護民官に申上げます、唯今、一人の奴隷を逮捕し投獄致しましたが、その男の話によりますと、ヴォルサイ軍は二手に分れ、ローマの各所領に侵入、目の前にあるものは片端から破壊し、この上無き残虐を恣《ほしいまま》にしてゐるとの事。
メニーニアス 敵はオーフィディアスだな、マーシャスが追放された事を知つて、またまた角を擡げ始めたと見える、マーシャスがローマに頑張つてゐる限り、殻のうちに閉ぢ籠り、這ひ出す気配も見せなかつたのだが。
シシーニアス 何をまた、今更マーシャスの事など持出す必要があるのですか?
ブルータス そんな流言を飛す奴には鞭をくれてやれ。ヴォルサイ軍が攻めて来るなどあり得ない。
メニーニアス あり得ない! 歴史が証明する、大いにあり得る事だ、俺が物心附いてからでも、既に三度も同じ事があつた。その男に鞭をくれる前に、詳しく相手を問ひ匡し、その噂を何処から仕入れたのか調べた方がいい、さもないと、君達は折角手に入れた情報を鞭打ち、恐るべき事態を知らせてくれた使者をひどい目に合はせる事になる。
シシーニアス もう沢山だ、解つてゐます、そんな事はあり得ない。
ブルータス 考へられない事だ。
使者登場。
使者 貴族達は取る物も取り敢へず元老院に向つてをります、新しい情報が這入り、御一同、顔色を変へておいでです。
シシーニアス 例の奴隷だな――早く行つて皆の目の前で鞭をくれてやれ――種は彼奴だ、奴の話から出た事は間違ひ無い。
使者 いえ、あの男の話の続きがあるのです、しかも、もつとずつと恐しい噂が流れてをります。
シシーニアス 何だ、そのもつと恐しい噂といふのは?
使者 大勢の者が口に言ひ触してをります――何処まで信用してよいのか、私には計りかねますが――と申しますのは、マーシャスがオーフィディアスと手を組み、ローマ征討軍を指揮してをり、過去に例の無いほど徹底的な復讐を誓つてゐるとの事。
シシーニアス 結構、大いにありさうな事だ!
ブルータス 種は解つてゐる、弱虫め等がマーシャスを呼び戻さうとして流した噂だ。
シシーニアス 正にその為の策略さ。
メニーニアス 考へられぬ、あの男とオーフィディアスとは無類の敵同士、手を握り合ふ事などあり得ない。
第二の使者登場。
第二の使者 元老院からのお迎へです。ケイアス・マーシャスがオーフィディアスと一体になり、恐るべき大軍を率ゐて、吾が領土を諸所荒し廻つてをります、しかも行く先で大勝を博し、火を放つて、掠奪を恣にしてゐるとの事。
コミニアス登場。
コミニアス おお、お前達のお蔭で大助りだ!
メニーニアス 一体、何の知らせだ? 何事が起つたのだ?
コミニアス お前達は自分の娘が犯される手伝ひをしたのだ、このローマの町の屋根を溶し、自分の頭の上に崩れ掛らせ、自分の女房が鼻先で辱められるのに手を貸したのだ――
メニーニアス 何の知らせだ? 何事が起つたのだ?
コミニアス お前達の神殿は燃え崩れ、あれほど頑張つて手に入れた市民権も、今や小さな錐穴の中に押し籠められてしまつたのだぞ。
メニーニアス どうした、それは一体どういふ事なのだ?――どうやらお前達は立派な事をしてくれたらしい。――さ、どういふ事なのだ?――もしマーシャスがヴォルサイ軍と手を組んだといふ事なら――
コミニアス 今や、あの男は神様扱ひだ、あたかも造化の神よりも聖なる何物かの手によつて造られた人間の様に、全軍を思ひのままに操つてゐる、誰も彼もあの男に信服し、吾を小童扱ひにしてゐる、その自信満たる様は、子供が夏の蝶を追ひ駆け、肉屋が蠅を打ち殺す時と少しも変らぬ。
メニーニアス 成るほど、お前達のお蔭で大助りだ、お前達の、それから前垂姿のお前達の手先のお蔭でな、職人連の推薦権と韮臭い息の為に懸命に尽したお前さん達のお蔭といふものさ!
コミニアス あの男はお前達の耳の囲りで、このローマをぶんぶん振り廻して見せてくれるだらう。
メニーニアス ヘラクレスが熟した木の実を振ひ落した様にな。お蔭様で大助りだ!
ブルータス しかし、その情報は確かなのですか?
コミニアス うむ、それ、さうして嘘である様にと祈つてゐながらも、そろそろ顔が蒼ざめて来る。今や、何処も彼処も大喜びで寝返りだ、抵抗する奴等は無謀の勇者と嘲られ、死んで阿呆扱ひされる有様。しかし、一体、誰があの男を非難できる? お前達の敵の方が卻つてあの男の値打を知つてゐるのだからな。
メニーニアス 吾は皆滅びるのだ、あの男が憐みを垂れてくれぬ限りは。
コミニアス その憐みを乞ふのは誰だ? 護民官には恥しくて出来た話ではあるまい、民衆にしても、精狼が羊飼から受ける以上の憐みは期待できない、では、親友はどうか、もし彼等が「ローマの為に頼む」などと言はうものなら、あの男の憎しみを受けてゐる連中同様、敵扱ひされるのが落ちさ。
メニーニアス その通りだ、もしあの男が私の家に燃え木を投げ込み、丸焼けにしようとしても、「お願ひだ、止めてくれ」などと言ふほど、俺は厚かましくはなれない。結構やるではないか、お前達、いや、あの職人共にしてもさうだ! 細工は流仕上げを御覧じろか!
コミニアス お前達のお蔭で、ローマは瘧りにかかつてしまつたのだ、嘗てないひどい病ひだ、もう癒りつこない。
両護民官 私達のお蔭などと言つて貰ひたくありませんな。
メニーニアス ほう! では、俺達のお蔭か? 俺達はあの男を大事にして来た、それを、獣の様にあの臆病な貴族達と一緒になつて、お前達野次馬の手に売渡してしまつたのだ、そしてあの男が町から追出されるのを手を束ねて見逃してゐた。
コミニアス しかし、愈あの男が戻つて来るとなると、誰も彼も悲鳴を挙げるに違ひ無い。後にはタラス・オーフィディアスが控へてをり、あたかも部下の如く、あの男の命令通り動いてゐる。絶望あるのみ、他に策は無い、戦ふ力も無ければ、防ぎ様も無い、今やローマは二人を敵にしてゐるのだからな。
市民の一群登場。
メニーニアス 野次馬共がやつて来た。で、オーフィディアスが一緒なのか? お前達だぞ、コリオレイナスが追放と決つた時、ぷんと来る様な油じみた帽子を空に抛り上げ、囲りの空気を汚したのは。それ、その男が戻つて来る、そして部下の兵士達の髪の毛一本一本が鞭となつて、お前達の上に振り掛つて来るのだ、あの時、帽子を投げたその数だけの首が忽ち転げ落ち、例の推薦権とやらのお返しをされるといふ訳だ。どうにも仕様は無い、たとへ俺達を一塊の石炭にして燃え上らせよう気でゐたにしても、文句は言へまい。
市民達 実は、恐しい知らせを聞きましたので。
第一の市民 俺はだな、追放に賛成はしたけれど、気の毒だと言つたのだ。
第二の市民 俺もさうだ。
第三の市民 俺だつてさうだよ、実際の話、大抵の者がさうだつたのだ。それなのに、ああしたのは、それが最上の方法だと思つたからさ、自分達の意志で追放に進んで賛成したには違ひ無いが、あれは俺達の意志に反した事だつたのだ。
コミニアス 大したものだ、全くよく廻る舌だな!
メニーニアス お蔭で大助りだ、皆、お前達とその猟犬共のお蔭といふものさ! さあ、議事堂へ行かないか?
コミニアス うむ、さうだな、ほかにどうしようも無からうな? (コミニアス、メニーニアス退場)
シシーニアス 行け、皆、家へ帰れ、怖がらなくともいい、立場の相違で、この噂を恐れてゐながら事実であつてくれればいいと考へてゐる連中もゐるのだ。家へ帰れ、そして何事も無い様に振舞つてゐろ。
第一の市民 どうぞ神の御加護を! さあ、皆、帰らう。だから俺は言つたのだ、あの男が追放と決つた時、そいつは不当だとね。
第二の市民 俺達、皆、さうだつたぞ。それは、まあ、いい、もう家へ帰らう。(市民退場)
ブルータス 面白くない噂だな。
シシーニアス うむ、同感だ。
ブルータス 議事堂へ行つて見よう。財産の半分で買へるものなら、この噂を嘘にしてしまひたい!
シシーニアス さ、行かう。(両人退場)
23
〔第四幕 第七場〕
ローマから極く僅かの距離にある陣地
オーフィディアスが副官と共に登場。
オーフィディアス あのローマ人のところへ飛んで行く者は、まだ跡を断たぬのか?
副官 あの男にどんな魔力があるのか解りません、しかし、あなたの部下の兵士共は食前の祈りにあの男の名を口にし、食事中はその話で持切り、そして食後の祈りにもその名を口にするといふ有様、この度の戦では、部下の目にさへあなたの影は薄くなつてゐる様に思はれます。
オーフィディアス 今のところはどうにも仕様が無い、下手《へ た》に動けば、前からの目論みを台無しにしてしまふ。あの男、俺に対してさへますます傲慢になつて来てゐる、最初に抱き合つた時には、かうまでになるとは思ひも寄らなかつた、だが、それがあの男の身上《しんじやう》、替玉でない何よりの証拠、直す事の出来ぬものは文句を言つても始らぬ。
副官 しかし、思ふに――あなたのお立場を考へての事ですが――あの男と行動を共になさらぬ方が良かつた、寧ろ単独で全軍をお率ゐになるか、さもなければ、あの男一人に万事お任せになるかすべきでした。
オーフィディアス 言ひたい事は解る、まあ、安心してゐるがいい、やがて帳尻を合はせる時が来よう、その時になれば、俺がどんな勘定書を突き附けるか、先様、全く御存じ無しだ。成るほど、今のところは奴もさう思込み、皆の目にもさう見えるらしい、詰り、奴は見事に戦を進め、ヴォルサイ軍の為良かれと万事を取りしきつてゐる、龍の如く荒れ狂ひ、剣を抜けば必ず敵を倒す、が、その奴にも手抜りはあるのだ、それがやがて奴の首根つこを折るか、俺の方がやられるか、その決算の時期が遠からず俺達の間にやつて来るのだ。
副官 それにしても、あの男、ローマを占領できるでせうか?
オーフィディアス 城壁に迫る前に何処も彼処も降服を申出るに決つてゐる、それにローマの貴族達は奴の身方だ、元老も貴族も奴を支持してゐる。護民官は兵士ではないし、民衆と来たら、奴を軽率に追放した様に、慌てふためいて奴を呼び返すだらう。差詰め、奴は雎鳩《みさご》のやうなものさ、その持前の魔力でローマといふ魚の群に呪《まじな》ひをかけ、鋭い嘴で片端から飲込んでしまふのだ。何より、奴はローマ人にとつては掛け替への無い勲を立てた、ただ奴はその名誉を巧く維持し、平衡を保つ事ができなかつただけの事さ。或は例の傲慢のせゐかも知れぬ、余り好運が続くと、どんな仕合はせな人間も足を踏みはづすものだからな、いや、或は奴、分別に欠けてゐるのかも知れぬ、折角、波に乗れたのに、その機会を掴み損ふといふ事もある、それとも生れながらの性分で、一筋の道を歩くしか能が無く、兜から座蒲団への切換へが利かず、世の中が平和になつても、戦の時と同じ厳しい態度を変へぬせゐかも知れぬ、この三つの弱点のうち一つ位は――いや、奴、いづれもその気《け》は無いでもないが――全部といふ訳でもなからうから、俺も今まで見逃して来たものの――たとへその一つだけでも、民衆に恐れられ、憎まれ、追放されたといふ訳だ、だが、奴にも取柄はある、それあればこそ、誰もその弱点に文句が附けられないのだ。そもそも人の長所などといふものは時世時節《ときよじせつ》の解釈次第、となれば、権力といふやつ、人に崇められて好い気になつてゐるうちはいいが、その功績を褒め称へてくれた演壇ほどにも頼りになる墓標にはなつてくれない。火が火を消し、釘が釘を打ち出す、権利は権利に躓き、力は力によつて倒される。さあ、出掛けよう。ケイアス、ローマが貴様の物になつた時、貴様ほど惨めな奴はゐまい、間も無く貴様は俺の物になる。(両人退場)
24
〔第五幕 第一場〕
ローマ 広場
メニーニアス、コミニアス、護民官シシーニアス、ブルータス、その他が登場。
メニーニアス いや、俺は行かぬ、皆も聴いた筈だ、嘗てはあの男の指揮官であり、特にあの男をかはいがつてゐたコミニアスの報告を。成るほど、あの男は私を父と呼んでゐた、が、そんな事が何になる? あれを追放したお前達が行くがいい、その天幕の一哩も前から膝で這つて行き、憐みを乞ふのだ。コミニアスの言ふ事を蔑みの眼《まなこ》で聞き流したといふ、厭な事だ、俺は引込んでゐる。
コミニアス あの男はあたかも俺を知らぬ様な態度を示したのだ。
メニーニアス おい、聴いたか?
コミニアス 唯一度だけ、あれは俺の名を口にした。俺は古い附合の事を持出し、共に血を流して戦つた事も懸命に説いて聴かせた。「コリオレイナス」と呼び掛けても答へてはくれない、何と呼ばうが耳を貸さぬ、自分に名は無い、称号も無い、自らローマを焼き滅す劫火と呼び得る日が来るまではと言つてゐた。
メニーニアス やはり、さうか! お前達のお蔭で全く大助りだ! これ、一番《ひとつがひ》の護民官殿、お前達は美しいローマを灰にし、石炭を値下りさせる張本人だ――立派な記念碑が立てて貰へよう!
コミニアス 俺は何とかして考へ直して貰はうと努めた、全く当てにされてゐない時に許してこそ、見上げた男と言へるとな、が、それは国家が自ら追放した男に頭を下げての無責任な歎願に過ぎぬと弾ね附けられた。
メニーニアス よく言つた。そのほかに答へ様があるとでも言ふのか?
コミニアス 俺はまた親友に対するあれの心情に訴へて見ようともした、その答へがかうだ、たとへさういふものがあの黴臭い籾殻の山の中に少しばかり混つてゐたからといつて、一選り分けてなどゐられるものかと。その実の入つてゐる一粒や二粒の為に、鼻を突く塵芥の山をそのまま焼き払はずに放つて置くのは馬鹿げた仕業だとな。
メニーニアス 実の入つてゐる一粒や二粒の為に! 俺がその一粒だ、母上、奥方、息子、それにこの勇士もさうだ、詰り、俺達は実の入つてゐる穀物で、お前達は黴臭い籾殻といふ訳さ、その臭ひが月まで届く。お前達の巻き添へで俺達も焼き殺されねばならぬのだ。
シシーニアス まあ、さうお怒りにならずに、少度が過ぎます、あなたのお力を最も必要としてゐるこの緊急事態に、私達の窮状をさうまで罵倒なさるな。それより、この国の代表としての任務をお引受け下さるなら、あなたの弁舌は、今直ぐ寄せ集めの兵力を募るより、遥かにあの人を抑へるのに役立つといふもの。
メニーニアス 厭だ、俺は掛り合ひに成りたくない。
シシーニアス お願ひです、あの人に会つて下さい。
メニーニアス で、どうしろと言ふのだ。
ブルータス ローマの為にあなたの友情を以てなし得る事を試みて頂きたい、あのマーシャスを相手に。
メニーニアス 成るほど、で、もしマーシャスがコミニアスを追返した様に俺を追返したら――そしたらどうする? 腑甲斐無い親友として、相手の無情を歎き悲しみながら戻つてくるだけではないか? それでいいのか?
シシーニアス それでも、あなたの御好意に対し、全ローマはそれ相応の感謝を捧げませう。
メニーニアス では、やつて見よう、多分、話位は聴いてくれるかも知れぬ。だが、コミニアスに向つて脣を噛んだり、ふむと嘯いたりした事を考へると、全く心細い限りだ。尤も、偶時が悪かつたのかも知れぬ、食事前だつたのだらう、脈に血が足りないと、心も冷える、だから誰でも朝は不機嫌なもので、こんな時に何かをねだつても、許してもくれなければ、物も貰へぬ、しかし、酒なり食物なり与へて、この血管を漲らせてやれば、あたかも神官が断食してゐる時の様に、何でも他人《ひ と》の言ふ事に耳を傾ける様になるものだ、随つて俺はあの男がこちらの要求を受容れられるだけ十分に食事を済ませるまで待つ事にして、それから話を持ち掛けるとしよう。
ブルータス さすが、あなたはあの人の情に訴へる本道を心得ておいでだ、迷子になる心配は先づありますまい。
メニーニアス よし、とにかくやつて見よう、結果は直ぐ解るだらう。成否いづれにせよ、さう長くは待たせぬ積りだ。(退場)
コミニアス 恐らく相手にしては貰へまい。
シシーニアス 駄目だとおつしやる?
コミニアス まだ解らないのか、あの男は今、黄金の椅子に坐してゐる、その目はローマを焼き尽さんばかりに赤と燃え上り、不当に扱はれた怨みが己れの憐みを牢に閉ぢ籠めてしまつたのだ。俺は跪いて頼んだ、「立つてくれ」と言つたその声も冷めたいものだつた、それから黙つたまま帰れと手真似で合図しただけだ。どうする肚かは後で書面で言つて寄こしたが、要するに、自分の条件に服従させねば止まぬ覚悟と見た、さういふ訳で、あらゆる望みは断たれたも同然、もし一縷の望みありとすれば、それはあれの母親だ、それから妻と――二人で出掛けて行くと聞いたが、もしさうして祖国の為に歎願すれば、何とかなるかも知れぬ。さうだ、皆で押し掛けて行つて、何としてでもあの男の説得に乗り出して貰はう。(一同退場)
25
〔第五幕 第二場〕
ローマを前にしたヴォルサイ軍の陣営入口
メニーニアス登場、衛兵に出遭ふ。
第一の衛兵 待て。何処から来た?
第二の衛兵 止れ、後へ退れ。
メニーニアス なかなか勇しい衛兵だ、大いに結構、だが、敢へて言はせて貰ふが、私も国家の代表としてやつて来たものだ、コリオレイナスに会はせて貰ひたい。
第一の衛兵 何処から来たのだ?
メニーニアス ローマから。
第一の衛兵 通す訳には行かぬ、戻れ、ローマからの使者にはもはや会はぬとのお言葉だ。
第二の衛兵 コリオレイナスに会ふ前に、ローマは火の海となるだらう。
メニーニアス まあ、待て、コリオレイナスがローマの事やそこにゐる友人の事を話してゐるのを聴いた事があるなら、ほかのはすべて空札、俺だけが当り籤だ、君達の耳にも憶えはあらう、その名はメニーニアスといふ。
第一の衛兵 誰でもいい、還れ。誰であらうと、名前などここでは通用しない。
メニーニアス まあ、聴くがよい、あの男は俺の親友だ。俺はあの男の立てた勲の記録係だつた、誰もがその無比の名声を俺の記録によつて知つたのだ――俺は時には多少それを誇張して語つた、といふのは、あの男を頭《かしら》と仰ぐ俺の仲間に対して、殊にあの男の姿を浮彫にして見せたといふだけの事で、口が滑つて嘘になる様な事を言つた覚えは無い、いや、偶には滑り易い地面で球転しをする様に、つい遠く投げ過ぎて、聊か額面以上に褒め過ぎた事もある、さういふ男だ、頼む、是非とも通してくれ。
第一の衛兵 いや、たとへあなたが自分の利益の為にするのと同じ位に、あの人の為に嘘をついたとしても、ここを通す訳には行かぬ、嘘をつくのが童貞を守るのと同じ位、美徳であらうと、通す事は出来ぬ、解つたら、早く還れ。
メニーニアス 頼む、俺の名がメニーニアスだといふ事を忘れないでくれ、あの男の為にいつも何かと骨を折つて来たメニーニアスだといふ事を。
第二の衛兵 たとへ自ら言ふ通り、あの人の為に嘘をついて来たにしても、こちらの役目はあの人の下で本当の事をいふしか無い、ここを通す訳には行かぬとな。解つたら、早く還れ。
メニーニアス あの男、もう食事は済ませたか? いや、食事の後でなければ会ひたくないのでな。
第一の衛兵 確かにローマ人だな?
メニーニアス さうだ、あの男と同じくな。
第一の衛兵 それなら、同じ様にローマを憎んでゐる筈だ。今更、何が出来る、ローマ人の守護者を城門の外に突出し、無智な暴徒のなすがまま、祖国の楯を敵の手に売渡して置きながら、今になつて復讐心に燃えるあの人にどうして顔が合はせられると思ふのだ、涙脆い婆連のめそめそ泣きや、おぼこ娘の柔い掌や、お前の様な老いぼれ爺の、よいよい病みの腑抜けた仲裁で、一体何が出来る? 今にも燃え上らうとしてゐるローマだ、さうと決つてゐる焼打をそんな弱い息の根で吹き消せると思ふのか? 無駄な話だ、目を醒せ、解つたら、早くローマへ戻り、死ぬ用意をするがいい。とうに宣告は下つたのだ、執行猶予も赦免も絶対にしないと誓つておいでだ。
メニーニアス いや、いや、もし俺がここにゐる事が解れば、隊長は俺を必ず懇ろに扱ふ。
第二の衛兵 何を言ふ、隊長はお前の事など知つてゐるものか。
メニーニアス いや、俺はあの男の事を言つてゐるのだ。
第一の衛兵 あの人はお前の事など問題にしてはゐない。還れと言ふのに、さつさと還れ、さもないと、そのただでさへ少い血を皆、絞り出してしまふぞ。還れ――これ以上、問答無用だ。還れ。
メニーニアス いや、頼む、放せ、おい――
コリオレイナス、オーフィディアス登場。
コリオレイナス 一体、何事だ?
メニーニアス さあ、貴様達、今までの仕打ちをこの男に一切合財、話してやる、どんなに懇ろな扱ひを受けるか、その目で確かめるがいい、何処の馬の骨か解らぬ衛兵が、俺と息子のコリオレイナスとを会はせまいと余計なお節介をしたものだ。宜しく覚悟して置くのだな、俺は丁重に持てなされる、そしたら、貴様等は断頭台の露と消えるか、それとも引廻しの上、さんざん酷く苦しめられ、生殺しの憂目に合ふか、いいか、覚悟して置け、ま、その前に、よく見てゐろ、そしてやがて来るべき極刑を想像し、気を失つて打倒れるがいい。(コリオレイナスに)吾等の崇め奉る神がひたすらお前の繁栄を想うて一時間毎に相集ひ、お前に恵みを垂れ給ふ、が、この老いたる父メニーニアスのお前に対する気持も誓つてそれに退けは取らぬぞ! おお、吾が子よ、吾が子よ! お前は吾を焼き殺さうとしてゐると聞いた、が、この俺を見ろ、その火を消し止める水を。俺はお前に会ふ様に求められても、容易に腰を上げなかつた、しかし、俺以外にお前の心を動し得る者は一人もゐないと知り、奴等の溜息に吹き流され、お前の国の城門を出で、ここまでやつて来たのだ、お願ひだ、ローマと救ひを求めるお前の同胞とを許してやつてくれ。神がお前の怒りを鎮めてくれる様に、そしてその残り滓を、それ、ここにゐる奴等の頭上に浴びせ掛けてやれ、こいつ等がいけないのだ、二人の間に立ち塞り、俺をお前に会はせてくれようとしなかつたのだからな。
コリオレイナス 還れ!
メニーニアス 何! 還れだと!
コリオレイナス 妻も、母も、息子も、俺は知らぬ。今の俺は他国に仕へる身だ、俺にも復讐心はあるが、それを捨てるか捨てぬかは、ヴォルサイ人の胸一つに係つてゐる。確かに親しい仲だつたが、俺の慈悲心がそれを憶出させてくれる以上に、恩知らずの君達に対する憎しみが激しくこの身を蝕んでゐる。もはやどうにもならぬ、さあ、行け。君の国の城門は俺の力で苦も無く破れようが、俺の耳は君の歎願で破れるほど弱くはない。だが、君に対する友情の印だ、これを持つて帰るがいい、君の為に書いて置いた、後で送り届ける積りだつたのだ。(相手に手紙を渡す)もう一言、メニーニアス、後は君が何と言はうと、決して耳を貸す気は無い。(離れて)ローマでは、オーフィディアス、この男は俺の親友だつた、だが、御覧の通りだ。
オーフィディアス 変らぬ決意、確かに見届けた。(コリオレイナス、オーフィディアス退場)
第一の衛兵 さて、名前はメニーニアスと言つたつけな?
第二の衛兵 成るほど、大した魔力だな。さ、これでやつとお還りになれるといふものだ。
第一の衛兵 御覧の通り、あなたの様な大物を通させなかつたので、俺達は大分お咎めを受けた様だな?
第二の衛兵 事、ここに至つては、どうして気絶したらいいのだね?
メニーニアス この世の事などどうともなれ、あの男もどうならうと俺の知つた事ではない、殊に貴様等の様な奴はゐようとゐまいとどうでもいい、謂はば、ほんの小物に過ぎぬ。自ら死なうと覚悟してゐる男にとつて、他人に殺される事など少しも怖くはない。あの男がどうしようと勝手にさせて置け。貴様等は、いつまでもそのままでゐろ、その惨めさは齢と共にいや増さう! さつきのお返しだ、今度は俺が言ふぞ、さ、さつさと消え失せろ! (退場)
第一の衛兵 大した男だ、全く。
第二の衛兵 立派なのはあの人の方さ、まるで巌《いはほ》だ、〓だ、吹き募る風に微動だもしなかつたものな。(両人退場)
26
〔第五幕 第三場〕
コリオレイナスの天幕
その前にコリオレイナスが立派な椅子に腰を降してをり、傍にオーフィディアス、その他が並んでゐる。
コリオレイナス 明日はローマの城壁の前まで兵を進める。終始、同僚として働いて来た君から、ヴォルサイの貴族諸君に伝へて貰ひたい、私が如何に公明正大に事を運んだか、事実をありのままに。
オーフィディアス 君は今日まで元老の目的のみを尊重して来た、ローマ全市の懇願に対して自ら耳を塞ぎ、公の場以外、一語の囁きも許さなかつた――必ず説得し得ると思つてやつて来た親しい友人にさへ全く耳を貸さなかつた。
コリオレイナス さきほどの老人は、さすがに胸も張り裂けんばかりの思ひでローマに追返したのだが、あれは実の父親以上にこの俺をかはいがつてくれたものだ、それどころか崇め奉つてくれさへした。あの男を寄こしたのは、ローマにとつて最後の手だつたのだ、その昔からの友誼に対して――一応、酷く扱つてやりはしたものの――もう一度、最初の条件を持たせて還した、既に拒絶した以上、今更、受容れられぬものだ、ただ、自分なら何とか仕様もあらうかと思つて出て来た男に花を持たせる為、ほんの少し譲歩してやつただけの事。今後は、正式の使者にも、如何なる歎願にも、それが政府からのものであれ、親しい友人のものであれ、もはや貸す耳を持たぬ。(叫び声を聞き)おお! あの叫び声は何だ? 誘惑の魔の手が、今誓つたばかりの誓ひを忽ち破らせようとするのか? ええい、決して破らぬぞ。
ヴァージリア、ヴォラムニア、ヴァリアリア、小マーシャスが喪服姿にて、侍者と共に登場。
コリオレイナス (傍白)妻が一番先に、それからこの五体を形造つてくれた尊い鋳型ともいふべき母が、自ら孫の手を引いて。ええい、消えてしまへ、情愛などといふものは! 人情の生綱など、悉く断ち切つてしまへ! 節操を美徳と思つてはならぬ。跪かれて、それが何になる? 神にも誓ひを破らせるといふあの鳩の目差《まなざ》しが何の役に立つ? それで俺の心が溶《とろ》けるといふのか、それなら、この俺の体もほかの奴等のと少しも変りはせぬ。それ、母が頭を下げて、これではまるで聳え立つオリンパスの山が卑屈にもこの土龍《もぐら》の丘に憐みを乞ふ様なものではないか、それに子供までが物乞ひよろしくの情けない顔附、さも「言ふ事をきいてやれ」と大自然そのものが叫んでゐる様な。ヴォルサイ人共、さつさとローマ中を犂《す》き返してしまへ、イタリーを塗炭の苦しみのうちに投込んでやれ。俺は本能の奴隷となる様な雛子とは訳が違ふ、誰が負けるものか、俺を造つたのは飽くまで俺だ、俺は木の股から生れ落ちた男だ。
ヴァージリア あなた、マーシャス!
コリオレイナス この目はローマにゐた時とは違ふのだ。
ヴァージリア 悲しみの為、誰もこの様に姿が変り果て、あなたのお目にはそれと解つて頂けぬのでございませう。
コリオレイナス (立上つて傍白)これでは間抜けな役者よろしく、せりふを忘れて立往生、大恥ぢを掻きさうだぞ。(ヴァージリアの側へ寄り)俺の命より大事な女、酷い扱ひを許してくれ、が、その代り、「ローマ人を許してくれ」とは決して言ふな。おお、この口附けを、追放以来始めての、そして俺の復讐の様に甘い口附けを! 嫉妬深い女神ジュノーに誓つていふが、信じてくれ、今の口附けは別れて以来始めてのもの、それを他の誰にも許さず操を守つて来た俺だ。ああ、お許しを! 無駄口に吾を忘れ、敬愛する母上に御挨拶しそびれました。さあ、マーシャス、跪け、(跪いて)そして世の息子共の遠く及ばぬ従順の印をこの大地に。
ヴォラムニア ああ、立つたままで私の祝福を受けておくれ! 私にとつては、この硬い石ほど柔い座蒲団は無い、その上に跪き、逆にこちらからお前に向つて従順の心を示したい、これまでの親子の礼儀は間違つてゐた様だもの。(跪く)
コリオレイナス 何をなさる? 母上が私に跪く? いつもお叱りになつてゐた私に? (抱へ起し)それ位なら、荒磯の小石も跳上つて星の面を打て、荒れ狂ふ風にのた打つ傲慢な杉の木も燃ゆる日輪に突掛れ、世に不可能事といふものは無くなり、如何なる至難の業もたやすくなし遂げられる様になるがいい。
ヴォラムニア お前は私の勇士、さういふお前を育てる為には私も力を貸しました。それはさうと、この方を知つておいでだらうね?
コリオレイナス パブリコラの妹御、ローマの月、純潔な雪が霜に被はれて凍り附き、ダイアナの御堂《みどう》に懸つた氷柱《つらら》の如き貞潔な女人――おお、ヴァリアリア!
ヴォラムニア (小マーシャスを示し)これを御覧、お前の絵姿、時が来れば、やがてお前に劣らぬ立派な男となりませう。
コリオレイナス おお、軍神マルス、吾が願ひを聴き届け給へ、いつしかジュピター神のお許しを得、この子に高潔な心をお授け下さる様に、いいか、どんな強敵でもお前には恥ぢて顔を紅らめる様な男になれ、戦場に出でては固く己れの場を守り、舟人達の道標の如く嵐に抗して立ち尽し、お前を仰ぎ見る全兵士の危難を救つてやれ!
ヴォラムニア さあ、お父様の前に膝を突いて。
コリオレイナス 吾が子ながら天晴れだぞ!
ヴォラムニア その子も、嫁も、この方も、そして私自身も今日はお前に頼みがあります。
コリオレイナス いや、何もおつしやらずに! それとも、是が非でも私に頼みがあるとおつしやるなら、その前に御承知置き願ひたい、こればかりはお許し出来ぬと誓つた事だけは、たとへお断りしても仕方は無いとお諦め下さい。譬へば、部下の兵士共を解散させるとか、ローマの職人共と宜しく取引しろとか、そんな事は言つて下さるな。それをお断りしたからといつて、不人情な男とおつしやられては困る、この憤りと復讐心を、あなた方の冷やかな理性を以て和げようなどとお考へにならぬ様に。
ヴォラムニア ああ、もう何も言はないで! それでは何も許さぬと言つたも同じ事、私達の願ひといふのは、ほかでもない、今、お前が断つた事なのだもの。でも、頼まれずにはゐられませぬ、もしもお前が私達の願ひを聴き容れてくれなければ、それこそお前の頑さのせゐ、せめてさう諦める為にも、さあ、私達の言ふ事に耳を貸しておくれ。
コリオレイナス オーフィディアス、それにヴォルサイ人達、皆もよく聴いてゐてくれ、ローマ側の要求に対しては、一切内密の取引はしたくない。(腰を降す)さあ、その頼みといふのは?
ヴォラムニア 改めて何も言はず黙つてゐようと、この惨めな装《なり》や疲れ果てた姿を一目見てくれさへしたら、お前の追放以来、私達がどんな暮しをして来たか、直ぐ察しは附きませう。考へても御覧、この様な使ひでここへやつて来た私達ほど不幸な女はまたとありますまい、さうではないか、本来なら、かうして会へただけで、目は嬉し涙に溢れ、心は喜びに躍る筈のお前の顔が、それどころか、この私達を歎きの淵に引きずりこみ、恐れと悲しさに戦かせる、母親は自分の息子が、妻は夫が、子供は父親が、己れの国を打倒し、その腸《はらわた》を引きちぎるのを目の前にしなければならないのだもの。私達にとつてお前から敵扱ひされるほど悲しい事はありませぬ、せめてもの慰めに神に祈りを捧げる気にさへなれない。一体どうしたらそんな事が出来るだらうか、ああ、どうしたらそんな事が、一方では自分達にとつて掛替への無い国の為に祈り、同時に、やはり自分達には掛替への無いお前の勝利を祈るなどといふ事が? ああ、私達は吾が身の育ての親ともいふべき国を失ふか、さもなければ、その国の誉とも言ふべきお前を失ふかしなければならないのだ。望み通り、どちらが勝つたにせよ、禍は避けられない、さうではないか、お前は祖国を敵に売渡した裏切者として手枷足枷を嵌められ、町中《まちぢゆう》を引きずり廻されるか、それとも、勝ち誇つて祖国の廃墟を土足に掛け、健気にも妻子の流した血の栄光に輝くか、どちらかしかないのだ。とすれば、この身としては、そのいづれか、戦ひによつて決るまで手を拱いて運命の裁きを待つてゐる訳には参りません、もしお前を説き伏せられず、敵身方双方にどうしてもお前の顔を立てさせる事が出来ないとなれば、お前は直ぐにも国を攻めに掛るに決つてゐる、が、そんな事をすれば、お前をこの世に生み落した自分の母親の胎を――まさか、その積りはあるまいが――自らその足で踏み躙るも同じ事。
ヴァージリア そればかりか、私のこのお腹も踏み躙る事になる、あなたのお名を後の世に残したいばかりにこの子を生んだこのお腹を。
小マーシャス 僕は踏まれない、逃げて、大きくなつて、戦がしたいのだ。
コリオレイナス 女のめめしさに取り憑かれたくない、それには女子供の顔を見ないに越した事は無い。長話にどうやら耳を貸し過ぎた。(立上る)
ヴォラムニア 待つて、私達を見捨てないでおくれ。もし私達の頼みがローマ人を救ふ事によつて、お前の仕へるヴォルサイ人を滅す事になるなら、お前の名誉を損ふものとして幾らでも私達を責めるがよい、だが、さうではない、私達の頼みとは、ただお前に双方の仲裁役を果して貰ひたいだけの事、ヴォルサイ方には「これこそ慈悲といふもの」と頷かしめ、ローマ方には「それをお受けしよう」と答へさせ、双方がお前に向つて歓声を挙げ、「平和を齎せし者に祝福あれ!」と呼び合ふところが見たい、それだけが私達の願ひ。成るほど、戦の勝敗は予め解るものではない、でも、これだけは解つてゐる、もしお前がローマを攻め滅したなら、それから得られる収穫は悪名だけ、口に呪ひの言葉を浴びせられ、その伝記にはかう書かれるだらう、「嘗ては高潔の士なりしも、最後の一挙において過去の名誉を自ら放擲し、祖国を滅すに至りし者、その名は後世まで永遠に憎まるべし」と。さあ、何か言つておくれ、さう、お前はいつも名誉心を大事にし、神の徳を身に附けようと努めて来た、そして雷神ジュピターの如く天空を縦横に突裂く様な雷鳴を轟しはしても、その怒りの稲妻を以て打砕く事の出来るのは高が〓の木一本位のもの。どうしました、なぜ物を言はぬ? お前、まさか立派な事とは思つてをりますまい、不当な扱ひを受けたからといつて、大丈夫たる者がそれをいつまでも怨みに思ひ続けるなどといふ事を? ヴァージリア、何とかお言ひ、さうして泣いて見せても、これは何とも思ひはしない。お前も何とかお言ひ、お前の子供らしさの方が私達の理窟よりお父様の心を動すかも知れない。これほど母親のお蔭を蒙つて育つた男はこの世にまたとなからう、その母親をあたかも足枷でも嵌められた罪人の様に歎願させて平気でゐる。お前はこれまで母親に孝養を尽した事は無い、それなのに母〓の方はほかに子供が欲しいとも思はず、戦が起れば咽喉を鳴して送り出し、勝利の獲物を携へて無事に戻つて来るのを待つてゐたものだ。さあ、私の願ひが不当なら、はつきりさう言つておくれ、そしてさつさと追返しておくれ、だが、もし私の願ひが不当でなければ、お前の扱ひこそ間違つてゐる、きつと神の罰が下らう、母親に尽すべき義務をさうまで平気で無視できるなら。それ、ああして面を背ける、さ、女たち、大地にお坐り、跪いて、あれの良心に訴へるよりほかに仕方は無い。私達の祈りに対する憐みよりは、コリオレイナスといふ名に対する誇の方が強いのだもの。さ、お坐り、これが最後なのだから、(四人跪く)これよりほかにもう仕様が無い、駄目なら、ローマに帰り、皆と一緒に死にませう。これ、御覧! 何も解らないこの子まで、かうして一緒になつて跪き、手を挙げて頼んでゐる、私達の願ひにとつては何よりの身方、これを見たら、さすがのお前も厭とは言へぬ筈。さあ、行かう、(四人立上る)この男の母はヴォルサイ人なのだらう、妻もコリオライにゐるに違ひ無い、この子供がこれに似てゐるのはただの偶然なのだらう。さあ、もう帰りませう。ローマの町が火に包まれるまで、もう何も言ひますまい、(コリオレイナス、振り向く)が、その時が来たら、少しは言ひたい事がある。
コリオレイナス (母の手を掴み、暫く無言)おお、母上、母上! 何といふ事をあなたはなさつたのだ? 御覧なさい、天が口を開き、神が覗いておいでだ、この不自然な情景を笑つて見てゐる。おお、母上、母上! おお! あなたはローマの為にこの上無い勝利を齎した、が、息子の為には――おお、あなたには解つておいでなのか、あなたには――さうだ、あなたは息子を最も危険な道に追込んでしまつたのだ、たとへそれが致命傷とまでは言へなくとも。が、この身はどうならうと構はぬ。オーフィディアス、もはや約束通りの戦は出来なくなつたが、有利な条件で和平を講じよう。どうだ、オーフィディアス、もし君が俺の立場に立たされたら、母親の頼みをこれ以上無視する事は出来まい? これ以上、聞き流す事は出来まい、オーフィディアス?
オーフィディアス 聴いてゐて、大いに心を動かされた。
コリオレイナス 信じてゐた、さうに違ひ無いと! 並大抵の事では俺の目は憐みの涙を零《こぼ》しはせぬ。だが、和平の条件はどうする、気の附いた事は何でも言つてくれ、俺の事だが、ローマへ還る気は無い、君と一緒に引揚げる、その時は頼む、かうなつた事については俺の立場を弁護して貰ひたい。おお、母上! ヴァージリア! (オーフィディアスから離れて、女達と話をする)
オーフィディアス (傍白)大いに結構、どうやら貴様の中で、慈悲心と名誉心との折合が附かなくなつたらしい。これを潮に俺の地位を恢復し、以前の高みにまで持上げてやる。
コリオレイナス (ヴォラムニア、ヴァージリアと共に戻つて来て)うむ、直ぐローマへ戻ります、が、何はともあれ、一緒に乾杯しませう、それに、言葉以上の確かな証拠をお持ち帰りになつた方がいい、といふのは、両軍和平の適当な条件を書き込んだ写しに相手方の封印をして貰つたものをお渡しするから。さ、どうぞ中へ。あなた方は、神殿を一つ建てて貰ふだけの功労をお立てになつた。イタリー中の剣をすべて集めても、またその全同盟軍を以てしても、決してこれだけの和平は捷ち獲られはしなかつた。(一同、天幕の中に入る)
27
〔第五幕 第四場〕
ローマ 城門から遠くない通り
メニーニアス、シシーニアス登場。
メニーニアス それ、あれが見えないか、議事堂の礎石が、あそこにある土台の敷石が?
シシーニアス 何の事だ、それがどうしたといふのです?
メニーニアス そいつをお前の小指の先ではづす事が出来るものなら、あのローマの女達の歎願にも多少は希望が持てる、殊に母親ならあの男を説き伏せられるかも知れない。が、先づその望みはあるまい、皆、咽喉を引裂かれるのだ、もう宣告は下つた、後は処刑を待つばかりさ。
シシーニアス まださほど日数も経つてゐないのに、人間といふものはそんなに変つてしまふものですかな?
メニーニアス 毛虫と蝶とは大きな違ひだ、だが、その蝶の前身は毛虫だつた。当のマーシャスは人間から龍に変身してしまつたのさ、今では翼を持つてゐる、地面を這ひずり廻つてゐる時とは違ふ。
シシーニアス でも、非常な母親思ひだつた。
メニーニアス 俺の事だつて思つてゐてくれたさ、だが、その母親の事も今では老いぼれ馬ほどにも憶えてはゐまい。あの酸つぱい面附は折角熟した葡萄を台無しにしてしまふ、その歩く姿たるや、正に城壁を叩き毀す戦車さながら、大地も恐れて身を縮ませるばかりだ。目と来た日には、鎧の胸当を突刺す鋭さ、声は釣鐘よろしく、咳払は大砲の如し。恰もアレグザンダ大王の像さながら、立派な椅子に腰を降してゐる。かうせよと命ずれば、万事、命令と共に忽ち実行に移される。今や、あの男は神の持つてゐる力さへ羨しいとは思つてゐない、神にあつて、なほあの男に欠けてゐる物があるとすれば、それは不死と天上の居場所だけだ。
シシーニアス その通り、それに、もう一つ、慈悲の心が欠けてゐる、今の話が本当だとすればですがね。
メニーニアス 俺はあの男の姿をありのままに話して聴かせたのだ。まあ、見てゐるがいい、その慈悲の心といふ奴だが、どんな土産をあれの母親が持つて帰つて来る事か、あの男に慈悲心がある位なら、雄の虎にも乳があらうといふものだ、それもやがて町中の者が思ひ知るだらう。しかも、それといふのも、すべてはお前達のせゐなのだ。
シシーニアス 神がお救ひ下さいます様!
メニーニアス 駄目だ、今更、神がお救ひ下さるものか。あの男を追放に処した時、誰も神の御心など気には懸けなかつた、その男が皆の首根つこをへし折りに戻つて来たからといつて、神がこちら様の御心など気に懸けて下さる訳が無い。
使者登場。
使者 申上げます、お命が大事なら、直ちにお邸にお引籠り下さいます様、平民共がお仲間の護民官を掴へ、あちこち引きずり廻し、御使者の御婦人方が吉報を持つてお戻りにならねば、一寸だめしに殺してやると、皆、口に喚き散してをります。
第二の使者登場。
シシーニアス 何か起つたか?
第二の使者 吉報です、吉報です! 御婦人方の説得が効を奏し、ヴォルサイ軍は退卻しました、マーシャスも一緒です。ローマにとつて、これほど喜ばしい日はありませんでした、はい、タークィンを追払つた時にしても、これほどではありますまい。
シシーニアス おい、それは確かな事実なのか? 確かにさうなのか?
第二の使者 はい、日輪が燃ゆる火である限りは。一体、何処に引籠つておいでだつたのです、これがお信じになれぬといふのは? 誰も彼も喜びに生き返り、城門めざして駆けて行きます、風に吹かれた潮の流れも、かほど激しい勢で水門を潜り抜けはしなかつたでせう。それ、あの物音を! (トランペット、オーボエ、軍鼓の音が入交つて聞えて来る)トランペット、サックバット、ソールタリ、横笛、小太鼓、シンバル、それにあの叫び声、日輪まで踊り狂はさんばかりの激しさです。(歓声、一際高く聞える)あの声を!
メニーニアス 吉報だ。あの女達を出迎へに行かう。ヴォラムニアは大手柄だ、執政官、元老、貴族、それにローマ中の住民総掛りでもなかなかなし遂げられぬ事をやつてのけた、勿論、陸《をか》にも海にも幾らでもゐるお前達の様な護民官などの比ではない。それにしては、感心だ、お前達、今日はよほど懇ろにお祈りをしたと見える、つい今朝までは、お前達の様な者が何千何万、その咽喉を引裂かれようと、俺はそれを助ける為に鐚銭一枚くれてやる気にはなれなかつたのだが。(歓声、トランペットなどが更に騒しく聞えてくる)おい、あの喜び様と来たら!
シシーニアス 先づ神がこの吉報を齎したお前に祝福を与へ給はん事を、更に私の感謝の念をお受け下さる様に。
第二の使者 神に対する感謝の念となれば、一人の例外も無く皆が心に懐いてゐるべきもの。
シシーニアス もう町の近くまで来てゐるらしい!
第二の使者 もう直ぐ城門をお通りにならうとしてゐるところです。
シシーニアス 皆で出迎へに行かう、そして少しでも喜びの手助けをするのだ。(一同、城門に向つて去る)
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〔第五幕 第五場〕
ローマ 城門内
使者に立つた女達が、元老、貴族、民衆達に揉まれながら登場。
第一の元老 これこそ吾等の恩人、ローマの命だ! 全部族を呼び集め、神を称へ、勝利の花火を揚げてくれ、この女人達の通る道筋には花を撒け。マーシャスを追放した時の叫び声を、今、その母御を歓迎する声を以て打消し、罪を償ふがいい、さあ、大声で叫ぶのだ、「ようこそ戻られた、ようこそ!」と。
一同 ようこそ戻られた、ようこそ! (一同退場、軍鼓とトランペット)
29
〔第五幕 第六場〕
コリオライ 広場
タラス・オーフィディアス、侍者達と共に登場。
オーフィディアス 貴族達の処へ行き、俺が戻つて来た事を伝へろ、皆にこの書類を手渡せ、読み終つたら、直ちに広場へ御参集願ひたい、さうして頂けたら、諸兄には勿論、コリオライの一般民衆に対して、その書面の内容に何の偽りも無い事を証しして見せるからと言ふのだ。俺が非難してゐる当の御本人は、今頃は城門に入り、やがて民衆の前に姿を現す筈だ、恐らく吾が身の証しを立てたいに違ひ無い。早く行け。(侍者達去る)
オーフィディアス派の共謀者三四人登場。
オーフィディアス よく来た!
第一の共謀者 御機嫌、如何でいらつしやいます?
オーフィディアス それが何と、施しをして逆に毒を盛られ、己が慈悲心によつて殺されかけてゐる人間よろしくといふところだ。
第二の共謀者 もし今でも、手を貸せとおつしやつたあの時と全く同じお考へでしたら、その御危難から必ずお救ひ申上げませう。
オーフィディアス それがまだ何とも言へぬのだ、民衆がどう出るか、その気持次第で事を進めねばならぬからな。
第三の共謀者 民衆の気持といふ事になれば、お二人が対等に争つてゐる間は、どちらとも決るものではございません、どちらかが倒れれば、生き残つた方が全部頂戴する事になるに決つてをります。
オーフィディアス それは承知してゐる、それにあの男を片附ける口実となれば、俺には十分用意がある。俺は奴を引立ててやつた、奴の忠誠を保証する為に、俺は自分の名誉まで犠牲にした、お蔭で奴は高い地位に就く、すると今度は阿諛追従の露を撒き、自分の新芽を伸し始め、俺の仲間にまで誘ひの手を出して来た、その為には生れ附きの高い頭《づ》を下げ、今までには無かつた事だが、例の粗暴で手に負へぬ図しい態度を全然表に出さなくなつた。
第三の共謀者 あの男の頑固振りは相当のもの、執政官に推されようとした時も、一寸腰を屈《かが》めればよいものを、それをしなかつた為、成りそこなつた位です――
オーフィディアス そこだ、俺の言ひたかつたのは。奴はその為に追放されて、俺の懐《ふところ》に飛込んで来た、そして咽喉を俺の匕首の前に突出したのだ、が、俺は奴を受容れ、同僚にしてやつた、そればかりか何も彼も奴の望み通りにしてやつたのだ、いや、その上、奴が自分の目的達成に都合のいい様にと、俺は自分の部下から奴の望み通りに精鋭を選りすぐらせた、自ら協力して、手を貸してやつたのだ、さうして、とどの詰りが奴の実入《みい》りになる様に名誉の刈入れの手伝ひまでしてやつた、俺はさうまでして自分を不当に扱ふ事に、多少の誇りさへ感じてゐたのだ、揚句の果てが、いつの間にか、俺は奴の部下の如き有様に成り下り、誰の目にも同僚とは見えなくなつてしまつた、奴は大様に俺を見下し、まるで傭兵ででもあるかの様なあしらひ振りを見せ始めたのだ。
第一の共謀者 全くおつしやる通りでした、それこそ全軍にとつての謎でございました、しかも、最後に愈ローマを包囲し、戦利品はもとより勝利を目前にした時――
オーフィディアス そこだ、その弱味に附け込んで、俺は奴を引掛けてやらうと思つてゐる。奴め、嘘同様の廉つぽい女共の涙を一滴《たら》し二滴し見せられて、それと引換へにこの大戦の血と汗を売り飛したのだ、かうなれば、もう生かしては置けぬ、奴が転落すれば、俺が盛返す。待て、あれを!
軍鼓、トランペットの音、それに伴つて民衆の大きな叫び声。
第一の共謀者 あなたが生れ故郷のこのコリオライにお戻りになつた時は使者同様、誰も出迎へてはくれませんでした、それに反して、あの男が還つて来ると、それ、あの通り歓呼の声で空も張り裂けんばかりだ。
第二の共謀者 それに、何処まで踏み附けにされても一向応へないあの阿呆共め、自分達の子供を殺した奴に向つて、萎《しな》びた咽喉を涸《から》してまで歓迎の声を振り絞つてゐる。
第三の共謀者 もうかうなつたら、奴が自分に都合の好い事を喋りまくり、民衆を煽動する前に、隙を狙つてその剣の恐しさを思ひ知らせておやりなさいまし、私共も手をお貸し致します。倒してしまひさへすれば、奴の行動はあなたのお立場からどうにでも説明できるといふもの、向うにどんな理窟があらうと、そんなものは死骸と共に永遠に葬られてしまひませう。
オーフィディアス もう何も言ふな、貴族達が来る。
コリオライの貴族達登場。
貴族達 無事で何よりだ。
オーフィディアス さうおつしやつて頂ける働きは何もしてをりません。それはそれとして、こちらから差上げた書面、お目通し下さつたか?
貴族達 勿論。
第一の貴族 甚だ心外に思つてゐる、最後に犯した罪に較べれば、その前の数の過ちは寧ろ取るに足らぬものと言へよう、しかし、敵前に迫り、仕上げを前にして、愈これからといふ時に、挙兵の目的を放擲し、それまでに費した吾が方の兵力と軍費を単なる金銭上の賠償によつて解決し、敵の降伏をはつきり目の前にしながら、吾の信任を裏切り、和議を取結んで引揚げてゐる――これだけはどうあつても許せぬ。
オーフィディアス それ、やつて来る、あの男の口から直かにお聴き頂きたい。
コリオレイナス、軍鼓、旗と共に隊伍をなして登場、続いて群衆。
コリオレイナス おお、お揃ひですな、お元気で何よりだ! 私はここに御一同の一兵士として帰還した、自分の生れ故郷に対する未練など聊かもありませぬ、その点はここを出て行つた時と少しも変らない、御一同には今なほ忠誠を懐き続けてゐる。戦は連戦連勝、片端から敵兵を薙《な》ぎ倒し、お国の軍勢をつひにローマの城門前まで進めた事は既に御存じの筈だ。持返つた戦利品はこの度の軍費の三分の一以上に匹敵する。最後の和平条件も、アンシャムの名誉にこそなれ、ローマにとつてこれ以上の屈辱はありますまい、これをお受取り頂きたい、ローマの執政官、貴族の署名と共に元老院の印が捺してある、内容は吾と協議の上、作製したものです。
オーフィディアス そんなもの、お読みになる必要は無い、あなた方の権力を濫用したこの上無き裏切者と決め附けておやりになるがいい。
コリオレイナス 裏切者だと! 何を言ふのだ!
オーフィディアス さうだ、裏切者だ、貴様は、マーシャス!
コリオレイナス マーシャス!
オーフィディアス さうとも、マーシャスで沢山だ、貴様はケイアス・マーシャスに過ぎぬ! 貴様は俺がそんなお人好しだと思つてゐるのか、このコリオライで強盗よろしく盗んで行つたコリオレイナスといふ名で呼び掛けるなどと? この国の元老、貴族の方に敢へて申上げる、この男は不誠実にもあなた方の信任を裏切り、塩辛い涙を二三滴見せられただけで、あなた方のローマを抛棄したのだ、左様、「あなた方のローマ」を自分の妻や母親に売渡したのだ、嘗ての誓ひも決意も、使ひ古した襤褸衣同然に破り捨てた、身方と相談もせず、全くの独断を以て事を処理した、乳母の涙で貰ひ泣きをし、既にあなた方のものだつた勝利を吹き飛ばしてしまつたのだ、これには小姓まで屈辱に顔を紅らめ、さすがの勇士達も唖然として互ひに顔を見合はせるばかりだつた。
コリオレイナス 今の言葉を聴いたか、軍神マルス!
オーフィディアス 神の名を引合ひに出すな、泣虫小僧め!
コリオレイナス はつ!
オーフィディアス さうさ、泣虫小僧さ。
コリオレイナス 嘘をつくにも程があらう、お蔭で俺の心臓は張り裂けさうだ。「小僧」だと! ええい、この人非人! 御一同のお許しを頂きたい、心ならずも始めてこんな口汚い事を言つてしまつた。だが、御一同にはお解り頂けませう、この野良犬の言ふ事が悉く嘘だといふ事位は、さうだ、奴自身、気附いてゐる筈です――奴の体に私の与へた傷があり、それを墓場まで持つて行かなければならぬ以上は――奴自身、無理やり嘘の横車を押し通さうとしてゐる事位、十分承知の筈だ。
第一の貴族 双方共、静かに、そして私の言ふ事も聴いて貰ひたい。
コリオレイナス 俺を八裂きにするがいい、ヴォルサイ人共、大人も子供もその剣を俺の血で真赤に染めるがいい。「小僧」だと! 大嘘つきの猟犬め! もし正しい記録が残つてゐるなら、そこにははつきり書き留められてゐる筈だ、この俺がコリオライでヴォルサイ人共を羽ばたかせた事が、ふむ、鳩小屋に舞ひ降りた鷲の様にな。しかも、それを俺は唯一人でやつてのけたのだ。「小僧」だと!
オーフィディアス 何といふ事だ、御一同はこの男のまぐれ当りの好運を憶出して黙つて聴き惚れてゐるお積りか、あれは御自分の恥とも言ふべき事、それをこの大法螺吹きに目の前で勝手に言はせ放題、それでも何ともお思ひにならぬのか?
共謀者達 殺してしまへ。
民衆 「八裂きにしてやれ。」「この場で片附けてしまへ。」「俺の息子を殺しやがつた。」「私の娘も彼奴に。」「従弟のマーカスを殺したのも彼奴だ。」「俺の親父も彼奴に殺された。」
第二の貴族 静かにしろ! 乱暴するな、静かに! この男は高潔の士だ、名声は全世界に轟いてゐる。吾に対する罪は改めて糾明する。待て、オーフィディアス、平和を乱す様な事はするな。
コリオレイナス おお、彼奴を、いや、あのオーフィディアスなら、六人でも七人でもいい――一族諸共、この正義の剣の血祭りにしてやりたい!
オーフィディアス 無礼だぞ、悪党め!
共謀者達 殺してしまへ、殺せ、殺せ、奴を殺してしまへ!
共謀者達、剣を抜き、コリオレイナスを殺す、オーフィディアス、その死骸に足を掛ける。
貴族達 待て、待て、待てといふに!
オーフィディアス 御一同、一言、言はせて頂きたい。
第一の貴族 おお、タラス!
第二の貴族 何といふ事をしたのだ、これを見れば、どんな勇士も泣かずにはゐまい。
第三の貴族 屍を土足に掛けるな。皆、落着いてくれ、剣を鞘に収めろ。
オーフィディアス 御一同にもいづれお解り頂けよう――今はこの男によつて惹き起された憤りのさなかにあり、ただそれがお解りにならぬだけの事――が、この男がどの様に大きな危険を蔵してゐたかお解りになれば、奴をかうして今のうちに片附けてしまつた事を喜んで下さるに違ひ無い。いつでも宜しい、私を元老院へお呼出し願ひたい、その場でこの身が御一同の忠実な僕であつた事を証し致しませう、さもなければ、如何様な厳罰でも喜んでお受けする。
第一の貴族 先づ何より亡骸を片附け、哀悼の意を表してくれ。最も尊敬すべき死者として、丁重に葬つて貰ひたい。
第二の貴族 この男の激し易い気性を考へて見れば、あながちオーフィディアスのみを責める訳にも行くまい。それについては改めて善処したい。
オーフィディアス 俺の憤りは何処かへ行つてしまつた、その後に悲しみが俺を虜にする。亡骸を担げ、重だつた士官のうち、誰か三人の手を借りたい、俺も担がせて貰ふ。おい、お前は軍鼓を打て、その響きに悲しみを籠めて、ほかの者も低く槍を地に引き、葬儀の列に加はるのだ。この町から多くの夫や子供を奪ひ、その疵痕は今なほ消え去らぬものの、高邁な心の持主としてこの男の事は長く心の底に留めて置かねばならぬ。さ、手を貸せ。(コリオレイナスの亡骸を担いで、一同退場、葬送行進曲が続く)
解   題
『コリオレイナス』は作者生前の四折本としては一度も刊行されてゐない。随つて、死後最初に出た一六二三年のシェイクスピア戯曲全集、第一・二折本のみが最も信用出来る原本である。だが、これには五六十語の誤植と思はれるものがあり、必ずしも善本とは言ひ難いが、それ等の誤植が卻つて信用度を高めてゐると言へるのである。といふのは、譬へば大文字のIがAと読み違へられ易いシェイクスピア自身の筆癖などから容易に原語が復元出来るからだ。とすれば、第一・二折本の『コリオレイナス』はシェイクスピア自身の書いた原稿に基いて印刷されたものと見做してよいといふ事になる。
この様に第一・二折本がシェイクスピアの生原稿から直かに印刷されたとすれば、考証上には何の支障も無い訳だが、生前に四折本が無く、その版権登録の記録も残つてゐないばかりか、一六八二年、テイトによる飜案上演の際に至るまで、この作品についての感想、批評は愚か、この芝居を観たといふ日記の類も全く無いので、その執筆、初演の時期を直接的な外証から推定する事は出来ない。
しかし、間接的には幾つかの材料があり、『コリオレイナス』執筆時期は大体一六〇八年の初め頃と考へられてゐる。その根拠の一つは第一幕第一場に出て来るメニーニアス・アグリッパの胃袋の役割についての寓話である。勿論、これはノース訳『プルターク英雄伝』中のコリオレイナス篇第六節に出てゐるものであり、そのノース訳は一五七九年刊であるから、シェイクスピアの『コリオレイナス』執筆時期推定には何の手掛りにもならぬが、同じ寓話がウィリアム・カムデンといふ当時の歴史家の著書『ブリテン史拾遺』の中に英国出身の法王エイドリアン四世の話として出てをり、そのうち二三の語句はシェイクスピアが明かにこれを読んで借用したものと見做され、このカムデンの本が市場に出たのは一六〇五年の春であるから、『コリオレイナス』がそれ以前の作でない事は先づ間違ひ無い。そればかりではない、第二幕第二場でコミニアスがコリオレイナスを推賞する長い演説があるが、その中に「あらゆる功を一身に蒐め、他の戦士の剣をして顔色無からしめた」といふ一句があるが、ベン・ジョンソンは自作の喜劇『沈黙の女』でこの英雄的行為をもぢつて笑ひの種にしてゐる。その『沈黙の女』が書かれたのは一六一〇年の初めであり、観客にもぢりが受容れられ、その笑ひを誘ふ為には、『コリオレイナス』が初演以後続演中であるか、或はその記憶がまだ生しいうちでなければならない。とすれば、『コリオレイナス』の執筆上演は一六〇五年から一六〇九年までの間といふ事になる。しかも、その文体や韻律は一六〇七年に書かれた『アントニーとクレオパトラ』のそれを踏襲したものであるといふのが定説になつてゐる。それに、一六〇六年か一六〇七年には『アセンズのタイモン』が書かれてをり、一六〇五年前後にはシェイクスピアは『リア王』に力を注いでゐたのであるから、『コリオレイナス』の執筆はやはり一六〇八年になつてからと見るのが妥当であらう。
以上はドーヴァ・ウィルソンの説であるが、彼はなほ次の二つの事実を傍証として提供してゐる。といふのは、『コリオレイナス』を一貫して流れてゐる政治的主題に金持と貧乏人との闘争といふ事がある。これが一六〇七年には最高潮に達し、ノサンプトン、ウォリック、レスターなどの各州で数週間に亙る暴動が起り、公有地の石垣や堀などが破壊された事がある。もう一つの傍証といふのは、やはり一六〇七年から一六〇八年に掛けての冬、異常な寒気がロンドンを襲ひ、一六〇八年の一月にはテイムズ河が凍り、その氷上で石炭が燃えてゐたといふ記録が残つてゐる。これは第一幕第一場でコリオレイナスが登場して来るや否や民衆に向つて罵倒を浴びせ掛けるが、そのせりふの中に「氷の上の火の方がまだましだ」といふ言葉が出て来るのと照応する。
『ジュリアス・シーザー』及び『アントニーとクレオパトラ』の場合と同様、この作品においてもシェイクスピアは殆ど忠実にプルタークに随つて筋を展開してゐる。尤もその他にもパドヴァのティトゥス・リヴィウスが書いた『ローマ史』の英訳が一六〇〇年に出てゐるので、シェイクスピアはそれも読んでゐたに違ひ無いが、その内容はプルタークに遠く及ばないし、両者を較べて見れば、シェイクスピアがプルタークにのみ随つた事は明かである。前章に述べた胃袋の寓話も、たとへカムデンが無くてもプルタークで十分間に合つたであらう。プルタークの邦訳は河野与一氏の訳で岩波文庫から出てゐるが、その第三巻の末尾に「ガーユス(=ケイアス)マルキウス(=マーシャス)コリオラーヌス(=コリオレイナス)」の項がある。それを読んで見れば、シェイクスピアがせりふの細部に至るまで、如何に多くをプルタークに負うてゐるかが、と言ふより如何に多くをそのまま取入れてゐるかが解り、興味深く感じるであらう。
譬へば、第一節の冒頭にコリオレイナスの家系を述べ、「その一人アンクス・マルキウスはヌマの娘の子でトゥ〓ルス・ホスティーリウスに次いで王となつた。ローマの町に非常にいい清水を最も多く導き入れたプーブリアスとクィントゥスも、ローマの民衆が二度までケンソル(国勢調査官)に任命したが卻つてその提議によつて法律を制定しこの職は何人も二度勤めてはならないと決議することにしたケーンソーリーヌスも、マルキウス家の人であつた」とあるが、これは『コリオレイナス』第二幕第三場の護民官ブルータスのせりふに巧に利用されてゐる。巧にといふのは、唯コリオレイナスの家柄を見物に納得させる為だけではなく、軽率にコリオレイナスに票を投じた市民達が前言を飜す口実として、自分達護民官に説得されたからだと言へといふ具合に、シェイクスピアは逆手に、或は劇的にこれを利用してゐるのである。
第二節には、コリオレイナスが「子供の時から武器を玩び、生まれながら身に具はる武器を役に立つやうに磨いて置かないものには後天的な武器は何にもならないと考へてゐたので、あらゆる戦闘を目当に身体を鍛錬して、走るには身軽に、敵に組み附いて打ち倒すには力強く、屈服し難いものとして置いた」とあり、第三節ではタークィンがローマを襲つた時、「直ぐ傍でローマの兵士が倒れたのを見てそのままにせず、その人の前に立ちはだかり、打掛つて来る敵を防いでそれを殺した」とあるが、シェイクスピアはいづれもこれを取入れてゐる。
その他、コリオライ攻防戦の模様もそつくりそのままプルタークから借用してゐる。ただコリオライの城門内に這入つたのはシェイクスピアではコリオレイナス唯一人となつてゐるが、プルタークでは少数の者が敵と入り乱れて這入つた事になつてをり、その後で城門が閉ぢられたといふ記述は無い。しかし、コリオライ陥落後、「大多数の兵士は掠奪と財産の収得」に夢中になつてゐるのを見て、コリオレイナスが怒つた事や、その直ぐ後、野戦の身方の処に馳せ附け、コミニアスに「敵軍の配備がどうなつてゐるか」と訊ねるくだりから、最後の勝利まで大方の経緯はプルタークそのままである。コミニアスが戦利品である「多くの財物と馬と人のうち、他の兵士に分配する前に十分の一だけ選び取るやうに」コリオレイナスに命じたところ、彼はそれを拒絶し、「銘のものと同様の分配だけで満足だ」と答へ、コミニアスの馬だけを貰つた事、またこの戦で始めてコミニアスからコリオレイナスの称号を贈られた事、いづれもプルタークに随つてゐる。
以上はプルタークのコリオレイナス篇第十一節までの概略であるが、ここまでの記述にはコリオレイナスとオーフィディアスとの出遭は無い。プルタークの中で二人が始めて会ふのは、コリオレイナスが追放されて、オーフィディアス邸の台所に忍び込んだ時である。その時の状景もシェイクスピアとプルタークとは全く同じである。勿論、プルタークでは召使達は登場しないが、コリオレイナスは頭を覆ひ、初めオーフィディアスには誰だか解らず、「誰であるか、何を欲して来たか」と訊ねられ、漸くコリオレイナスは覆ひを脱ぎ、暫く黙つてゐた後、「トゥ〓ルス(=タラス)よ、まだ私がわからず、見ても信じられないとすれば、私は自分の告発者にならなければならない……」云の長ぜりふがあるが、これもシェイクスピアは殆どそのまま流用してゐる。
その点では、第五幕第三場で女達がローマ救済の為、コリオレイナスの天幕に哀願に来た時、ヴォラムニアの長ぜりふも要点はプルタークから借りてゐるし、それを聴き終つて変心したコリオレイナスの最初のせりふ「おお、母上、母上! あなたは何といふ事をなさつたのだ?」はプルタークの「母よ、何といふ事をなさる」と全く同じである。
かういふ事を一書き連ねていつたら切りが無い。寧ろ両者で異つてゐる点を述べた方が早い位だ。その一二の例を挙げて置かう。シェイクスピアでは、コリオレイナスは執政官に推薦されたい為に戦で受けた傷を民衆に向つて誇示する事を拒んだとなつてゐるが、プルタークでは仕来り通りそれを見せたとなつてゐる。また、シェイクスピアでは、コリオレイナスがローマに攻めて来た時、最初にコミニアスが講和を結びに出掛けたとあるが、プルタークにはそれは無い。次にシェイクスピアではメニーニアスがコリオレイナス説得に赴く事になつてゐるが、プルタークでは「元老院から遣された人はマルキウスの近親」とあるだけである。前述のリヴィウスの『ローマ史』によれば、メニーニアスはコリオライ陥落の年に死んでゐるのである。さう言へば第二幕第一場でコリオレイナス凱旋の通知がメニーニアスの留守宅にも届いてゐる筈だとヴァージリアに言はれて、メニーニアスは「これで私の寿命も七年延びた」とあり、その直ぐ後にコリオレイナスが登場し、メニーニアスに向つて「まだ生きてゐたのか?」と挨拶するくだりがあるが、これはシェイクスピアがリヴィウスを読んでゐた証拠と見る学者もゐる。
シェイクスピアの悲劇時代は一五九九年作の『ジュリアス・シーザー』から始り、所謂四大悲劇と称される『ハムレット』『マクベス』『オセロー』『リア王』と進み、その後に『アントニーとクレオパトラ』『アセンズのタイモン』が続き、『コリオレイナス』を以て終る。即ち『コリオレイナス』はシェイクスピア最後の悲劇である。しかも、分量、内容、いづれの点から見ても大作と言へる。
一見、誰の目にも明かなこの作品の主題は貴族主義と民主主義との抗争、その長短に対する反省であらう。大抵の批評家がそれについて色述べてゐる。しかし、貴族主義といつても、当時のローマはこの作品、或はプルタークにも見られる様に、護民官制を取入れ、執政官も一応選挙によつて選ばれるなど、民主主義的な色彩が強く、今日の全体主義国ほど独裁的ではない。もともと貴族主義と民主主義との抗争などといふ事が許されるのは、その前提に多少とも民主主義の地盤が無ければならない。同時に、如何に民主主義的政体を採つたにしても、現代の大部分の民主国においてさうである様に、支配的権力が無ければ全くの無政府状態になつてしまふ。随つて、貴族主義と民主主義との抗争とは封建制の下では現れず、寧ろ民主主義において生じるものであり、ハズリット(一七七八―一八三〇)はこの作品を評して「政治的常識の宝庫」と呼び、これを丹念に研究すれば、バークの『回顧録』やペインの『人権論』やフランス大革命、英国革命以来の上院下院の議事録など読まなくても済ませると述べてゐるが、その評価は本質的にはそのまま今日にも通じる。
ハズリットは続けて、シェイクスピアは両者の抗争について、いづれの側にも立つてゐない、詩人の精神と哲学者の洞察力を以て政治上の諸問題を扱つてゐると言つてゐるが、これに反してコールリッジは『ジュリアス・シーザー』における場合と同様、この『コリオレイナス』においても、作者は大衆を揶揄してゐると述べてゐる。この点ではコールリッジの方に分がある様に思へる。「千万の心を持てる」シェイクスピアは大衆や護民官の側にも立てれば、元老、貴族の側にも立てる。その意味ではいづれの身方をしてゐる訳でもない。が、戯曲『コリオレイナス』の主人公は大衆でない事は勿論、貴族でもない、それは題名の示す如く、ケイアス・マーシャス・コリオレイナスなのである。作者としては読者や観客の共感を専らこの人物に集めなければならないのであつて、貴族主義に共感を求める必要は無い。もし作者が民主主義に対する貴族主義の優位を主張したかつたのだとすれば、彼は主人公として頗る不利な人間を選んだといふ事になる。なぜなら、コリオレイナスは温和な貴族主義者でない事は勿論、貴族主義などといふ政治上の言葉では捕捉出来ない頑な性格の持主であるからだ。一方、大衆の方は匿名の無性格者である。その点、シェイクスピアが大衆を描く場合、『ジュリアス・シーザー』においてのみならず、どの作品においても一貫してゐる。無性格、無人格、無節操といふ事になれば、どの作品においても同じ様に描かれるのは当然である。しかし、『コリオレイナス』においては、大衆はその様にただ描かれてゐるだけではなく、その様に行動し、分析され、批判されてゐる。その点は『ジュリアス・シーザー』にも他の作品にも見られなかつた事で、コールリッジの見方はまだ生易しいとさへ言へよう。
一般の読者や観客はコリオレイナスの頑さを通じて貴族主義そのものを見はしない、が、大衆である市民達や護民官のうちに民主主義の弱点を見るであらう。たとへ彼等のうちに自分達の姿を感じ取つてゐたにしても、恐らくさうなるであらう。なぜなら、コリオレイナスは如何に頑であらうと、半面、その長所を持つてゐる、が、大衆にはそれが無いからである。護民官も権力に対する単なる否定者であつて、しかも、その陋劣な策謀は描かれてゐるが、長所と言ふべきものは少しも描かれてゐない。だからといつて、シェイクスピアを貴族主義や権力の擁護者と見做すのは早計である。その意味では、今まで述べて来た様に、この作品の主題を貴族主義と民主主義との政治的対立と見るのは過つてゐるとまでは言へなくとも、シェイクスピアに接する場合、主題を重視する事は危険である。『コリオレイナス』においても、他の作品と同様、その魅力は主人公の行動力と、筋の展開の力強さにある。
コリオレイナスの頑さといふ事も、それを近代文学における性格や心理の側面から静的に捉へたなら、単なる愚者に見えて来るに違ひない。事実、余りにも子供つぽい。彼は母親子であり、母親にすすめられて、民衆の前に立ち、その結果、追放され、また母親の哀願を容れてオーフィディアスに殺される。が、かういふ性格もシェイクスピアの創作ではなく、プルタークからの借用である。そのコリオレイナス篇第四節にかう書かれてある、「他の人にとつては名声は勇気の終極であつたが、マルキウスにとつては名声の終極は母親の喜びであつた。母親が自分の褒められるのを聞き冠を授けられるのを見て喜びのあまり涙を流しながら抱き締めることが、自分を最も光栄のある最も幸福なものにするのだと考へてゐた。」
シェイクスピアにおいては性格は飽くまで二義的なものであり、それが借用であらうが盗用であらうが、一向平気であつた。もしシェイクスピア悲劇における性格といふ事を言ふなら、それは自己を破滅させる動的な力と解釈すべきであらう。そして、それは筋の展開の力強いリズムとなつて現れる。その点、『コリオレイナス』では他の悲劇に較べて、副筋も多様な色彩も無く、最も単純な形で一直線に破局へ突進む様に描かれてゐる。が、この作品にも瑾が無い訳ではない。作者は劇的対立と筋の展開に専心し、その為に強い凝集力を得られたものの、半面、遊びの余裕を失つてゐるかに見える。「政治的常識の宝庫」と言はれるだけあつて、現代にも十分通用する政治的洞察に富んだせりふは随処に散見するが、美しい比喩、巧みなレトリックなどを含んだ詩的なせりふが頗る少い。作品の性質や主人公の性格にもよらうが、やはりこれが悲劇時代最後の作品であり、後は『ペリクリーズ』『シムベリン』『冬物語』『あらし』と浪漫喜劇に作者の関心が向つてゐた時代の作品だからではなからうか。
福 田 恆 存
昭和四十六年七月
この作品は昭和四十六年八月「シェイクスピア全集」
補巻として新潮社より刊行された。
Shincho Online Books for T-Time
コリオレイナス
発行  2001年6月1日
著者  ウィリアム・シェイクスピア(福田 恆存 訳)
発行者 佐藤隆信
発行所 株式会社新潮社
〒162-8711 東京都新宿区矢来町71
e-mail: old-info@shinchosha.co.jp
URL: http://www.webshincho.com
ISBN4-10-861079-2 C0897
(C)Atsue Fukuda 1971, Corded in Japan