お気に召すまま
シェイクスピア/松岡和子 訳
目 次
お気に召すまま
註
訳者あとがき
戦後日本の主な『お気に召すまま』上演年表
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【人物】
[#ここから5字下げ]
《ド・ボイス家の人々》
オリヴァー サー・ローランド・ド・ボイスの長男
ジェイキス・ド・ボイス サー・ローランドの次男
オーランドー サー・ローランドの三男
アダム ド・ボイス家の召使い
デニス オリヴァーの従者
《新公爵の宮廷の人々》
フレデリック公爵 前公爵の弟
シーリア その娘
ロザリンド 前公爵の娘
ル・ボー 宮廷人
チャールズ レスラー
タッチストーン 道化
《追放の宮廷の人々》
前公爵 フレデリック公爵の兄
アミアンズ 貴族
ジェイクイズ 鬱ぎ屋の旅人
《森の人々》
コリン 羊飼い
フィービー 羊飼いの娘
シルヴィアス 羊飼い
ウィリアム 土地の男
オードリー 土地の娘
サー・オリヴァー・マーテクスト 教区牧師
ハイメン 結婚の神
貴族、小姓二名、森の住人、従者たち
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【場所】 オリヴァーの邸、フレデリック公爵の宮殿、アーデンの森
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第一幕
第一場(1) オリヴァー邸の庭園
[#2字下げ]オーランドーとアダム登場。
【オーランドー】 覚えてるさ、アダム、こういうことだろ、遺言(2)で俺に|遺《のこ》された金はたった一千クラウン、だがお前の言うとおり父上は兄貴に祝福を与え、俺をきちんと養育するようお命じになった。そこからだよ、俺の不幸が始まるのは。すぐ上の兄のジェイキスは大学へ行かせてもらっている。うわさでは、目覚しい成績を収めているそうだ。ところが俺は、家に置いたまま百姓扱いだ。いや、もっと正確に言えば、家に閉じ込めたままほったらかしだ――だってそうだろ、これが俺の生れにふさわしい紳士教育と言えるか、牛を飼うのとどこが違う? 兄貴の馬のほうがずっとましな養育を受けている。食い物がいいだけじゃない、立ち居振る舞いまで仕込まれてる。高い給料の調教師を何人も雇ってるくらいだ。だが俺は、実の弟なのに、兄貴にはなんにもしてもらえない、図体がでかくなってるだけだ、だったらうちのゴミ溜めを|漁《あさ》る畜生どもだって、俺と同じくらい兄貴に恩があることになる。「してくれない」ことが山ほどあるだけじゃない、兄貴ときたら、俺が自然から授かったものまで取り上げる気らしい。食事も下男たちと一緒にさせ、弟という立場から締め出している。そのうえ全力を挙げて、俺の生れの良さを育ちの悪さで台無しにするつもりだ。そこだよ、アダム、どうにもやりきれない。父上の気性は俺のなかにも宿っているはずだ、それがこの奴隷の境遇に反乱を起こそうとしている。これ以上我慢してられるか、だけどな、そこをどう切り抜けたらいいかまだ名案が浮かばないんだ。
[#2字下げ]オリヴァー登場。
【アダム】 あちらに旦那様が、お兄様がおいでです。
【オーランドー】 離れていろ、アダム、兄貴がどんなにひどいことを言うか聞いててくれ。
【オリヴァー】 なんだ、貴様、こんなところでなに暇つぶしてる?(3)
【オーランドー】 別に何も。もともと暇をつぶせるような身分じゃないので。
【オリヴァー】 じゃあ何つぶしてるんだ?
【オーランドー】 いやだな、あなたのお手伝いをして自分をつぶしてるんですよ、神がお作りになったもの、あなたの穀つぶしの弟を、こうしてのらくらして。
【オリヴァー】 いやな奴だ、ちゃんと仕事をしろ、とっとと失せろ。
【オーランドー】 豚の番をして、一緒に|籾殻《もみがら》でも食ってろっていうんですか? 僕はよほどの放蕩息子(4)で親の財産を食いつぶしたんですかね? こんなどん底まで落ちたところを見ると。
【オリヴァー】 貴様、自分がどこにいるか分かってるのか?
【オーランドー】 ええ、いやってほど。ここに、あなたのお屋敷の庭園(5)です。
【オリヴァー】 誰の前にいるのか分かってるのか?
【オーランドー】 はい、僕の前にいる人が僕のことを分かってる以上に。あなたが僕の一番上の兄だってことは分かってます。あなたにも僕が弟だってことを分かってもらいたい、同じ貴族の血を受け継いでいるんだから。社会の慣例からするとあなたは僕の目上ということになる、ご長男ですからね。でも、同じ慣例が僕の血筋を認めてもいる。あなたと僕のあいだに兄弟が何十人いたとしてもそれを奪えはしない。父上の血は、あなたと同じように僕の中にも流れている。もっとも、先に生まれたあなたのほうが父上に近いんだから、正直言ってそのつもりでご尊敬申し上げてますけどね。
【オリヴァー】 何だと、このガキが!
【オーランドー】 まあまあ、兄さん、歳は上でも力は子供並みでしょう。
【オリヴァー】 俺に向かって手を上げるのか、|下郎《げろう》め?
【オーランドー】 僕は下郎じゃない。サー・ローランド・ド・ボイスの末息子だ。サー・ローランドが父親です。その父の子を下郎と呼ぶ者こそ三倍も下郎だ。あなたが兄でなければ、この手でその喉を締め上げ、もう一方の手でそんなことを言った舌を引っこ抜いてやる。あんた(6)は自分自身に暴言を吐いたんだぞ。
【アダム】 お二人とも、お気を静めて。亡きお父様を思い出し、仲良くなさってください。
【オリヴァー】 手を放せ、こら。
【オーランドー】 放すものか、俺の言い分が通るまで。さあ話を聞くんです。父上は遺言で、僕を立派に教育するようあなたにお命じになった。ところがあなたは僕を農夫のように育て、紳士としてのありとあらゆるたしなみから遠ざけてきた。父上の気性は僕の中でたくましく育っている――もう我慢できない。紳士にふさわしい修行をさせてもらうか、でなければ遺言で僕に|遺《のこ》されたわずかな取り分を渡してもらおう。その金で自分の運を買いに出て行きます。
【オリヴァー】 で、どうするつもりだ? それを使い果たしたら物乞いでもするのか? いいから中に入ってろ。お前なんぞにかまってられるか。貴様の取り分ならくれてやる、勝手にしろ。放せといったら放せ。
【オーランドー】 あなたを攻撃するつもりはない、自分にふさわしいことができればそれでいいんです。
【オリヴァー】 ついて行け、この老いぼれ犬が。
【アダム】 老いぼれ犬、それが私へのお給金ですか? そりゃそうだ、あなたにお仕えしているうちにすっかり歯が抜けてしまいましたから(7)。亡くなった大旦那様に神のお恵みがありますよう。大旦那様ならそんな言葉は口になさるまい。
[#地付き](オーランドーとアダム退場)
【オリヴァー】 そう来るのか、つけ上がりやがって。その野放図な根性を叩きなおしてやる、一千クラウンの金などやってたまるか。おい、デニス。
[#2字下げ]デニス登場。
【デニス】 お呼びですか、旦那様?
【オリヴァー】 チャールズが来なかったか、公爵お抱えのレスラーだ、私に話があるそうだが?
【デニス】 はい、ただいま玄関先(8)に来て、是非お目にかかりたいと申しております。
【オリヴァー】 ここへ通せ。
[#地付き](デニス退場)
こいつはうまい手かもしれん、明日はレスリング大会だ。
[#2字下げ]チャールズ登場。
【チャールズ】 おはようございます、閣下。
【オリヴァー】 やあ、チャールズ、新しい宮廷に新しい話でもあるのか?
【チャールズ】 新しい話はありませんが、もともとあった古い話なら(9)。つまり、元の公爵は弟御の新しい公爵に追放され、ご一緒に忠義な貴族が三、四人、進んで追放の身となりました。そこで、その方々の土地や歳入が新しい公爵の財産を増やすことになり、公爵も|諸手《もろて》を挙げて彼らの|出奔《しゆつぽん》をお許しになったそうです。
【オリヴァー】 元の公爵の娘ロザリンドも父親と一緒に追放されたのか?
【チャールズ】 いえ、いえ、ロザリンドの|従妹《いとこ》に当たる公爵のお嬢様が、揺り籠のころからご一緒に育っただけにロザリンドが大のお気に入りで、あの人が追放されるなら私もついて行く、取り残されるくらいなら死んでしまうとおっしゃった。そこで、ロザリンドは宮廷に|留《とど》まり、叔父上から実の娘に劣らぬ愛情を受けておいでです。あのお二人ほど仲のいい女性は見たことがありません。
【オリヴァー】 元の公爵はどこで暮らすおつもりなのだ?
【チャールズ】 噂では、すでにアーデンの森(10)にお着きになり、大勢のおおらかな男たちとともに、昔イングランドにいたロビン・フッド(11)のような暮らしをなさっているそうです。毎日大勢の若い紳士たちが公爵のもとに集まり、何のわずらいもなく時を過ごしている、その様子はまるでかつての黄金時代(12)のようだとか。
【オリヴァー】 もういい、明日、君は新公爵のご|前《ぜん》でレスリングをするんだろう?
【チャールズ】 はい、さようで、閣下、それについてお耳に入れたいことがございまして、こうしてお邪魔したわけで。実は、密かに聞いたところによりますと、弟御のオーランドー様がご身分を隠して私に勝負を|挑《いど》むおつもりだとか。ですが、閣下、明日は私も|面目《めんもく》を懸けて試合に|臨《のぞ》みます。私の相手をして手足の一、二本も折らずにすめばそれだけでよくやったと言えましょう。弟さんはまだお若い、それに体つきも|華奢《きやしや》でいらっしゃる。日ごろ目をかけてくださる方の弟さんを投げ飛ばすのは気が進みませんが、これには私の名誉がかかっています、挑まれた以上かならずやっつけます。そこで、閣下のおためを思い、こうしてお知らせに参ったのです。弟さんに出場を思いとどまらせていただくか、あるいは弟さんがどんな恥をおかきになっても忍んでいただくか。何しろこれはご本人がお望みになったことで、私の本意ではございませんので。
【オリヴァー】 チャールズ、ありがとう、そこまで俺のためを思ってくれるのか。いずれしかるべき礼をしよう。弟のもくろみには俺も気づいていた。そこで、それとなく思いとどまらせようと手を尽くしたのだが――|頑《がん》として聞き入れない。いいか、チャールズ、あれはフランス一手に負えないやつだ。野心満々、他人の長所と見れば泥を塗る、血を分けた兄である俺にまで|悪辣《あくらつ》な陰謀をたくらむ始末だ。だから慎重にやれ。指どころか首でもへし折ってもらいたいくらいだ。だが用心したほうがいい――お前が少しでもあいつに恥をかかせたり、お前のせいであいつが男を上げそこなったりすれば、何をたくらむか知れたものではない、毒を盛るか、卑劣な策を弄してお前を|陥《おとしい》れ、裏から手を回すかして、お前の命を奪うまで付きまとうに決まっている。間違いない――こう言っていても涙が出てきそうだ――あの若さであれほどの悪党はいまどき一人もいないだろう。これでも弟だと思うから加減して言っているのだ。ありのままのあいつをここで暴いてみせれば、俺は顔を赤らめ涙を流し、お前は顔を真っ青にして肝をつぶすだろう。
【チャールズ】 こちらにおうかがいして本当によかった。明日弟さんがいらしたら、目にもの見せてくれます。杖をつかずに歩いてお帰りになれるようなら、私は二度と試合には出ません――失礼します、ご機嫌よう、閣下。
[#地付き](退場)
【オリヴァー】 元気でな、チャールズ――さてと、こっちの力自慢もたきつけてやるか。これであいつも一巻の終わりだ。我ながら訳がわからないが、あれほど憎いと思うやつはいない。あいつには生まれながらの品のよさがある、学校に通ったこともないのに学がある、考え方も立派だ、どんな人間からも不思議なほど慕われ、人気の的だ、ことにあいつを一番よく知っているうちの使用人たちに愛されている。その分俺が白い目で見られる。だがそれも長くはあるまい、あのレスラーが万事片づけてくれるだろう。あとはただあのガキを|煽《あお》って試合に送り出すだけだ、よし、早速取り掛かろう。
[#地付き](退場)
第二場 公爵の宮殿前の芝地
[#2字下げ]ロザリンドとシーリア登場。
【シーリア】 お願い、ロザリンド、元気を出して。
【ロザリンド】 ねえシーリア、これでも私、必死で明るい顔をしているのよ、それなのにもっと元気になれって言うの? どうすれば追放されたお父様のことを忘れられるか教えて、それがだめならとびきり楽しいことを思い出させようとしても無理。
【シーリア】 そうか、分かった、あなたあんまり私を愛してないんだ、私はこんなにあなたを愛してるのに。仮に伯父様が、つまり追放されたあなたのお父様が、あなたの叔父、つまり私のお父様の公爵を追放なさったとしても、あなたがずっと私のそばに居てくれるなら、私、自分の愛情を手なずけて、あなたのお父様を実の父親だと思うようにするわ。あなたにもそうして欲しい、もしあなたの私への愛が私のあなたへの愛と同じくらい本物なら。
【ロザリンド】 じゃあ、私、いまの境遇は忘れて、あなたの身になって楽しむことにする。
【シーリア】 ほら、私のお父様には私しか子供がないし、これから先もなさそう。だから、嘘じゃない、父が亡くなったらあなたが跡を継ぐのよ。だって、父があなたのお父様から力ずくで奪ったものを、私は愛をこめてあなたに返すんだから。名誉にかけてお返しします、この誓いを破るようなら、私、化け物に変えられたっていい。だから、大切なローズ(13)、あなたは私の素敵なバラ、元気を出して。
【ロザリンド】 たったいまから元気になるわ、シーリア、何か楽しい遊びでも考え出して。そうね、恋なんかどう?
【シーリア】 いいわ、どうぞどうぞ、うんと楽しむの。だけど本気で男に恋しちゃ駄目――それに、いくら遊びでもほどほどにね――その身はきれいに保ち、ほんのり顔を赤らめるだけで無事に生還してこなきゃ。
【ロザリンド】 じゃあ、どんな遊びならいいの?
【シーリア】 坐りましょう、運命の女神(14)というおばさんをからかって、糸車を回せなくしてやるの。これからは人間への贈り物が公平に授けられるように。
【ロザリンド】 そうできたらいいのにね。幸運の恵みは決まって見当はずれなところに届くんだもの。それに、気前はいいけど目の見えないあのおばさんは、女への贈り物となると間違えてばかり。
【シーリア】 そうそう、あの人の作る美しい女は滅多に貞節じゃないし、貞節な女はひどいブス。
【ロザリンド】 いやだ、それは運命の女神の仕事じゃなくて自然の女神の仕事でしょ。運命が支配するのはこの世の|栄枯盛衰《えいこせいすい》であって、自然が与える目鼻立ちや人柄じゃないわ。
[#2字下げ]道化のタッチストーン(15)登場。
【シーリア】 そうかしら? 自然が美しい人を作っても、運命が堕落の火で焼いてしまうこともあるんじゃない? 私たちが自然から授かった知恵を使って運命を馬鹿にしようとしても、運命はあの阿呆を送ってよこして私たちの議論を中断させるじゃない?
【ロザリンド】 確かにその点ではさすがの自然も運命には太刀打ちできない、運命は自然の作った阿呆を使って自然から授かった知恵をずたずたにしようとするんだから。
【シーリア】 ひょっとしたら、これも運命の|仕業《しわざ》じゃなくて自然の仕業かもしれない。自然は見抜いたのよ、自然から授かった私たちの知恵は鈍すぎて女神たちをどうこう言う力はないって。それでこの阿呆を|砥石《といし》がわりによこしたんだわ。だって、阿呆の石頭は知恵を磨く砥石だって言うでしょう。――どうしたの、お利口さん、どこ行くの?
【タッチストーン】 お嬢さん、お父さんのところへ一緒に行くんだよ。
【シーリア】 お前、私を逮捕しにきたの?
【タッチストーン】 とんでもない、我が名誉にかけて。お嬢さんを呼んでこいと言われただけだ。
【ロザリンド】 そんな|誓言《せいごん》、どこで覚えたの、阿呆?
【タッチストーン】 ある騎士から教わったんだ、そいつはいちいち誓言するんだ、我が名誉にかけてこいつはうまいパンケーキだ、我が名誉にかけてこのカラシはなっとらん、てね。ところが俺に言わせりゃそのパンケーキのほうがなってなくて、カラシのほうがうまい――そうは言ってもその騎士の誓言が嘘ってわけじゃない。
【シーリア】 どうやってそれを証明するの、お前はすごい知恵袋なんでしょう?
【ロザリンド】 やってみて、さあ、お前の知恵を全開にして。
【タッチストーン】 お二人とも、ちょっと前へ。|顎《あご》をさすって誓いなさい、その髭にかけてこの俺はワルだと。
【シーリア】 私たちの髭にかけて――髭が生えてればの話だけど――お前はワルよ。
【タッチストーン】 俺のワルぶりにかけて――俺に悪いところがあればの話――俺はワルだ。ところがお二人はありもしないものにかけて誓った、となればその誓いは嘘ってことにはならない。いま言った騎士だってそうだ、ありもしない名誉にかけて誓ったんだからね。昔はそいつにも名誉があったとしよう、だが問題のパンケーキやカラシにお目にかかるずっと前にすっかり誓い果たしちまった。
【シーリア】 ねえ、いったい誰のこと言ってるの?
【タッチストーン】 あんたの親父のファーディナンドさん(16)お気に入りの騎士さ。
【ロザリンド】 お父様のお気に入りならそれだけで十分な名誉だわ。いい加減になさい! それ以上お父様の話はしないで。でないとそのうち鞭で打たれるわよ。
【タッチストーン】 情けないねえ、賢い方々がやってのける阿呆くさいことを、阿呆が賢い言葉でしゃべっちゃいけないってんだから。
【シーリア】 確かにお前の言うとおりね、阿呆が持ってるなけなしの知恵が沈黙を強いられて、それ以来、賢い人の持ってる阿呆くささがいやに目立ってきた。――あら、ムッシュー・ル・ボーのお出ましだわ。
[#2字下げ]ル・ボー登場。
【ロザリンド】 新しい情報を口いっぱい詰め込んで。
【シーリア】 それを私たちに無理矢理食べさせる気ね、親鳩が雛に|餌《えさ》をやるように。
【ロザリンド】 そうすると私たちは新しい情報でおなか一杯になる。
【シーリア】 願ったり叶ったりだわ。おかげで肉付きが良くなって私たちの売れ行きも良くなる。――ボンジュール、ムッシュー・ル・ボー、何か面白いことでもあったの?
【ル・ボー】 美しい姫様方、華々しい勝負をお見逃しになりましたな。
【シーリア】 「ハナショウブ」、へえ、何色?
【ル・ボー】 「色」ですか? 何とお答えしたらいいか。
【ロザリンド】 知恵にまかせ運にまかせて。
【タッチストーン】 あるいは運を天にまかせて。
【シーリア】 うまい、だけどちょっとコテコテね。
【タッチストーン】 いえいえ、わたくしの申したあほ臭いことがこの身分をおとしめるなら――(17)
【ロザリンド】 おならでもする?
【ル・ボー】 かないませんなあ、お嬢様方には! わたくしが申し上げたかったのは、面白いレスリングの試合をお見逃しになったということでして。
【ロザリンド】 でも試合の様子なら話せるでしょう。
【ル・ボー】 では始めのほうをお話しましょう、お二人さえよろしければ、終わりのほうはご覧になれます、一番の見ものはこれからですので。しかもお二人がおいでのこちらで行われます。
【シーリア】 じゃあ、もう済んでしまった始めのほうを。
【ル・ボー】 ある老人に三人の息子がおりまして――
【シーリア】 昔ばなしの始まりみたい。
【ル・ボー】 三人ともなかなかの若者で、体格もよければ押し出しも見たとおり申し分ない――
【ロザリンド】 首にぶら下げたお触れのビラには、「右のとおり申し渡す」
【ル・ボー】 まず長男が公爵のお抱えレスラー、チャールズと取り組みまして、あっという間に投げ飛ばされ、肋骨を三本へし折られました。もう助かる見込みはございません。次男も三男も同じ目に遭いまして、三人ともあちらで伸びております。かわいそうに、父親の老人は身も世もなく嘆き悲しみ、見物人たちももらい泣きしている次第。
【ロザリンド】 かわいそうに!
【タッチストーン】 だがね、ムッシュー、お嬢さん方が見逃した華々しい勝負ってのはなんだい?
【ル・ボー】 だからいま話しているだろうが。
【タッチストーン】 こうやって人間、日一日と賢くなっていくんだな。初耳だね、肋骨へし折るのがご婦人向きの面白い見ものだなんて。
【シーリア】 私も初めて。
【ロザリンド】 それでもまだ志願者がいるの、自分の|胸板《むないた》がボキボキいう音を聞きたいっていう人が? 肋骨を折られたがってる人がほかにもいるの? シーリア、この試合、見る?
【ル・ボー】 いやでもご覧になるでしょう、このままここにおいでになれば。ここが試合場と決まり、すぐにも開始となりますので。
【シーリア】 見て、みんなこっちへ来るわ。ここで見てましょう。
[#2字下げ]ファンファーレ。フレデリック公爵、貴族たち、オーランドー、チャールズ、従者たち登場。
【フレデリック公爵】 ここへ来い。この若者はいくら言ってきかせても耳を貸そうとしない、血気にはやり危険な目に遭っても自業自得だ。
【ロザリンド】 あそこにいるのがその人?
【ル・ボー】 さようでございます。
【シーリア】 ああ、あんなに若いのに。でも勝ちそうな気もする。
【フレデリック公爵】 どうした、娘――姪も一緒か――レスリング見物にこっそりまぎれこんだのか?
【ロザリンド】 はい、公爵、お許しいただければ。
【フレデリック公爵】 お前たちには大して面白いものではないぞ。この男が強すぎるのだ。挑戦者が痛々しいほど若いので、何とか|諦《あきら》めさせたいのだが、頑として聞き入れようとしない。お前たちから話してみてくれ、気持ちを動かせるかもしれない。
【シーリア】 ここへお呼びして、お願い、ムッシュー・ル・ボー。
【フレデリック公爵】 そうしてくれ、私ははずしていよう。
【ル・ボー】 挑戦者の方、お姫様方がお呼びです。
【オーランドー】 |謹《つつし》んでお言葉をうけたまわります。
【ロザリンド】 お若いのに、あなた、レスラーのチャールズに挑戦なさったのね?
【オーランドー】 いいえ、美しいお姫様、相手かまわず挑戦しているのはあの男のほうです。私はただ、ほかの者と同じように、あの男を相手に自分の若い力を試そうとしているだけです。
【シーリア】 お若い方、あなたのご気性はお歳のわりに無鉄砲すぎます。あの男がどんなに強いか、むごたらしい証拠をご覧になったのでしょう。その目でご自分をご覧になるか、分別を働かせてご自分を知れば、この冒険の恐ろしさがお分かりになり、互角の相手をお選びになるはずです。二人してお願いします、ご自身のためです、身の安全を第一に、この試合はおやめください。
【ロザリンド】 是非そうなさって。だからといってあなたの評判が落ちることはありません。公爵には私たちからお願いして、試合は中止にしていただきますから。
【オーランドー】 どうか|不埒《ふらち》なやつだとお|咎《とが》めになりませんよう。確かに私の罪は重い、これほど美しく優れた女性の言葉にそむこうというのですから。しかし、お二人の美しい目と優しいお気持ちを支えに試練に立ち向かわせてください。もし私が敗れたとしても、もともと運に恵まれなかった男が一人恥をかくだけです。殺されたとしても、死にたがっている男が一人死ぬだけのこと。そうなっても友達に迷惑はかかりません、私の死を悲しんでくれる友など一人もいないのですから。世間に害を加えるわけでもない、どうせこの世に何一つ持っていないのですから。私はこの世界で一人分の場所をふさいでいるだけの男です、そこが|空《から》になれば、もっとましな人間が埋めてくれるでしょう。
【ロザリンド】 せめて私のわずかな力を差し上げたい。
【シーリア】 私の力も一緒に。
【ロザリンド】 ご成功を祈ります。私があなたを見くびっていますよう。
【シーリア】 あなたの望みがかないますよう。
【チャールズ】 かかってこい、どこだ、母なる大地に抱かれて寝たがっている粋がった若いのは?
【オーランドー】 ここだ、だがその男の望みはそんな|大仰《おおぎよう》なものじゃない。
【フレデリック公爵】 いいか、一本勝負だぞ。
【チャールズ】 いや、大丈夫でございます、公爵、この男に二本目をやれとお勧めになるにはおよびません。もったいなくも一本目でさえあれほど思いとどまるようにとおっしゃったのですから。
【オーランドー】 あとであざ笑うつもりなら、前もってあざける必要はないだろう。まあ、いい、かかってこい。
【ロザリンド】 ヘラクレス(18)があなたの勝利に手を貸しますよう。
【シーリア】 透明人間になれれば、私、あの怪力男の脚をひっ掴んでやるんだけど。
[#地付き](レスリングが始まる)
【ロザリンド】 まあ、やるじゃない、あの人。
【シーリア】 私の目が|雷《かみなり》(19)だったら、どっちに落としてやるか決まってる。
[#地付き](チャールズが投げ飛ばされる。歓声)
【フレデリック公爵】 それまで、それまで!
【オーランドー】 いえ、もう少し、公爵様、これではまだ肩ならしにもなりません。
【フレデリック公爵】 お前はどうだ、チャールズ?
【ル・ボー】 口もきけません、公爵。
【フレデリック公爵】 運び出せ。(チャールズは運び出される)名前はなんという?
【オーランドー】 オーランドーです、公爵。サー・ローランド・ド・ボイスの末息子です。
【フレデリック公爵】 誰かほかの者の息子であってほしかった、
お前の父は世間から立派な人物と仰がれていたが
俺にとってはいつも敵だった。
お前がほかの家の出だったなら
俺もいまの働きをもっと嬉しく思うのだが。
達者でな。若いのに堂々としたものだ。
お前が別の男を父親だと言っていればなあ。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
(フレデリック公爵、ル・ボー、タッチストーン、従者たち退場)
[#ここで字下げ終わり]
【シーリア】 私がお父様なら、ねえ、こんなひどいことするかしら?
【オーランドー】 俺の何よりの誇りはサー・ローランドの息子、
末の息子だということだ――この名を変えるつもりはない、
フレデリックの世継ぎにすると言われても。
【ロザリンド】 お父様はサー・ローランドをご自分の魂のように愛していらした、
世間の人もみんな同じ思いだった。
あの若い人がそのご子息だと初めから分かっていたら
私、涙を流して訴えて
こんな危険に身をさらすようなことはさせなかった。
【シーリア】 ねえ、ロザリンド、
あの人をねぎらって、励ましてあげましょう。
お父様のあの気質、荒っぽくて底意地が悪くて、
胸が痛くなる。――目覚しい働きをなさいましたね、
本当に、予想以上でした、
恋人への約束も同じようにお守りになるなら
あなたのお相手はさぞ幸せでしょう。
【ロザリンド】 どうぞこれを、(ネックレスをはずして彼にわたす)
私だと思って。私がもし、運命に見放されていなければ
もっと差し上げたいのだけれど、今はこれが精一杯。
行かない、シーリア?
【シーリア】 そうね。――ごきげんよう。
【オーランドー】 (傍白)「ありがとう」も言えないのか? 俺の気力は
投げ飛ばされ、ここに立っているのは
泥人形、命を持たない棒っきれだ。
【ロザリンド】 あの人が呼んでいる。私は運命と一緒に自尊心まで失くしてしまった。
何の用か訊いてみよう。――お呼びになりました?
素晴らしい闘いでした、あなたが倒したのは
あなたの敵だけじゃありません。
【シーリア】 ねえ、行かないの?
【ロザリンド】 行くわ。――ごきげんよう。
[#地付き](シーリアとともに退場)
【オーランドー】 どうした、熱い思いが舌にのしかかっているのか?
口がきけない、あの人がせっかく話しかけてくれたのに。
[#2字下げ]ル・ボー登場。
ああ、哀れなオーランドー! 倒されたのはお前だ。
これじゃあチャールズどころかもっと弱い人に征服されるぞ。
【ル・ボー】 失礼、あなたに良かれと思って忠告します、
すぐここからお立ち退きなさい。あなたのなさったことは
絶賛、喝采、敬愛を受けて当然なのだが、
今のところ公爵のご機嫌はあまりよくない、
あなたの言動を一から十まで誤解しておいでだ。
公爵はむずかしい気質の方なのだ、どんなお人柄かは
わたくしが申し上げるよりお察しいただいたほうがいいだろう。
【オーランドー】 ありがとうございます、ちょっとうかがいたいのですが、
ここで試合を見ていらしたお二人のうち
どちらが公爵のご令嬢ですか?
【ル・ボー】 お二人とも違います、お人柄から言えば。
いや、実は小柄な|方《かた》がご令嬢です。
もうお一人は追放された公爵のお嬢様で、
前公爵の地位を奪った叔父上に引き止められ、
ご令嬢の相手をなさっておいでです。あのお二人は
実の姉妹にもまさる強い愛の|絆《きずな》で結ばれていらっしゃる。
ところが、ここだけの話、ちかごろ公爵は
あの優しい姪御に向かって露骨にいやな顔をなさるのだ、
それも深い理由があるわけではなく、みんなが
姪御の美徳を褒めたたえ、
お父上のこともあって同情しているからにすぎない。
公爵のあの方への憎しみが爆発するのは
時間の問題です、ではこれにて失礼、
いずれいい世の中になりましたら、
もっと親しくおつきあいさせていただきたい。
【オーランドー】 いろいろありがとう、さようなら。
[#地付き](ル・ボー退場)
このままだと俺は煙を避けようとして煙に巻かれ、
|酷《むご》い公爵から逃げても酷い兄貴の意のままだ(20)。
だが、天使のようなロザリンド!
[#地付き](退場)
第三場 宮殿の一室
[#2字下げ]シーリアとロザリンド登場。
【シーリア】 ねえ、どうしたの、ねえ、ロザリンド――キューピッド(21)にどうにかしてもらわなきゃ、ひと言も言わない気?
【ロザリンド】 そう、犬にかけるような|無駄口《むだぐち》はね。
【シーリア】 確かにあなたの言葉は犬にはもったいない、でも私には何とか言って。さあ、理屈を並べて私を参らせて。
【ロザリンド】 そんなことしたら、|従姉妹《いとこ》二人が枕を並べて討ち死にだわ。一人は理屈攻めで伸びちゃうし、もう一人は理屈ぬきで気が変になる。
【シーリア】 あなたのお父様のことが気がかりだから?
【ロザリンド】 いいえ、私の子供のお父様になる人がちょっと気になるから。――ああ、こういう平々凡々な普段の日々はイバラだらけ。
【シーリア】 そんなのただのイガよ。お祭りの日の馬鹿騒ぎで、あなたに投げつけられただけ。踏みならされた道を歩かないと、ペチコートにくっついてくるわよ。
【ロザリンド】 それなら振り落とせるけど、このイガは私の心に刺さってるの。
【シーリア】 エヘンと咳して出しちゃいなさい。
【ロザリンド】 やってみてもいいわ、エヘンと咳しただけであの人が振り向いてくれるなら。
【シーリア】 さあ、さあ、組み伏せるのよ、あなたの熱い思いを。
【ロザリンド】 でも、私の思いは私より強いレスラーの味方なの。
【シーリア】 ああ、うまくいくといいわね。そのうちあなた、きっとやるわよ、いくら倒されたって(22)。冗談はやめて真面目に話しましょう。こんなことってあるわけ? あなたがこんなに突然サー・ローランドの末息子に夢中になるなんて。
【ロザリンド】 私のお父様はあの人のお父様を心から愛していらした。
【シーリア】 だからあなたもその息子を心から愛さなきゃならないの? その理屈でいくと、私はあの人を憎まなきゃならない、私のお父様はあの人のお父様を心から憎んでいらしたんだもの。でも、私はオーランドーを憎んではいない。
【ロザリンド】 そうよね、あの人を憎んだりしないで、私のために。
【シーリア】 憎んじゃいけないの、どうして? あの人にはそれだけの価値は十分ある。
[#2字下げ]フレデリック公爵登場。
【ロザリンド】 十分価値があるなら愛したっていいでしょう、あなたもあの人を愛してあげて、私が愛してるんだから。あら、公爵だわ。
【シーリア】 あの目、かんかんに怒ってる。
【フレデリック公爵】 おい、命が大事ならいますぐ出て行け、
宮廷から立ち去るのだ。
【ロザリンド】 私が、叔父様?
【フレデリック公爵】 ああ、お前がだ。
十日たってもまだお前の姿が
この宮廷から二十マイル以内で見つかったなら
死刑だ。
【ロザリンド】 お願いです、公爵様、
私がどんな罪を犯したのかおっしゃってください。
私に自分の言っていることが分かるなら、
自分が何を望んでいるかを知っているなら、
私が夢を見ているのでも気が狂ったのでもないなら、
絶対そうではないと信じますが、叔父様、
私はまだ生まれてもいない思いの中ですら
叔父様に背いたことは一度もありません。
【フレデリック公爵】 それが|謀反人《むほんにん》の言い草だ。
身の潔白が言葉で証明できるなら、
どんな謀反人も美徳そのもののように罪はない。
お前は信用できない、それだけ言えばたくさんだ。
【ロザリンド】 けれどお疑いだけで私を謀反人にすることはできません。
おっしゃってください、なぜそうお思いなのですか?
【フレデリック公爵】 お前はお前の父親の娘だ、それで十分だろう。
【ロザリンド】 叔父様が公爵領をご自分のものになさったときも、
父を追放なさったときも私は父の娘でした。
謀反は相続するものではありません、
いえ、たとえ身内から受け継ぐものだとしても、
私に何のかかわりがあるでしょう? 父は謀反人ではありません。
ですから、叔父様、どうか誤解なさらないで、私の貧しさが
裏切りを生んだなどとお思いにならないでください。
【シーリア】 公爵様(23)、私の言うこともお聞きになって。
【フレデリック公爵】 いいとも、シーリア、この娘はお前のために引き止めたのだ、
でなければ、とうに父親と一緒にどこかをほっつき歩いているところだ。
【シーリア】 あれは私がお願いしたからではありません、
お父様のお気持ちから――思いやりからでした。
あのときは私もまだ子供で、ロザリンドの値打ちが分からなかった、
でもいまはよく分かります。この人が謀反人なら
私もそうです。私たちは寝るのも
起きるのも一緒、勉強も遊びも食事も一緒、
どこへ行くにも、まるでジュノー(24)の車を引く二羽の白鳥のように、
片時も離れることはありませんでした。
【フレデリック公爵】 お前にはこいつのずるさが分からないのか、
この人当たりのよさと黙って耐える我慢強さが
世間の人々に訴え、同情を呼んでいるのだ。
お前は馬鹿だ、こいつがお前の評判を横取りしているのだぞ、
こいつがいなくなればお前は一層かがやき、お前の美徳も
さらに際立ってくる。だから口をはさむな!
こいつに下した俺の宣告は揺るがない、取り消しなど
もってのほかだ、こいつは追放だ。
【シーリア】 その宣告を私にも、公爵様(25)、
この人と離ればなれになったら私は生きて行けません。
【フレデリック公爵】 馬鹿なやつだ――おい、ロザリンド、仕度をしろ、
期限が過ぎてもまだここに居れば、俺の名誉にかけて、
俺の言葉の威信にかけて、お前の命はない。
[#地付き](公爵と貴族たち退場)
【シーリア】 ああ、ロザリンド、かわいそうに、どこへ行くつもり?
お父様を取り替えない? 私のお父様はあなたにあげる!
お願い、私より悲しまないで。
【ロザリンド】 私にはあなたより悲しむ理由がある。
【シーリア】 ない。
ね、元気を出して。分からないの? 公爵は
私を追放したのよ、自分の娘を。
【ロザリンド】 違うわ。
【シーリア】 え? 「違う」? じゃあロザリンドには
あなたと私が一心同体だって教える愛がないのね。
私たち、引き裂かれるの? 離ればなれになるの、ねえ?
いやよ、お父様は別の跡取りをさがせばいい。
だから、一緒に考えて、どうやって逃げるか、
どこへ行くか、何を持っていくか。
この不運をあなた一人で引き受け、嘆きを
かかえ込んで私を締め出さないでちょうだい。
だって、あの天にかけて、ほら、私たちの悲しみで蒼ざめてる、
あなたが何と言おうと私はついて行くからね。
【ロザリンド】 だけど、どこへ行ったらいいの?
【シーリア】 伯父様をさがしにアーデンの森へ。
【ロザリンド】 ああ、きっと危険だわ、私たちみたいな
若い娘がそんな遠くまで旅をするなんて。
美しさは黄金よりも泥棒の気を惹くんだから。
【シーリア】 私、貧乏くさい粗末ななりをする、
この顔も泥か何かできたなくしちゃおう。
あなたも同じようにして。そうすれば、大丈夫、
誰も襲ってこない。
【ロザリンド】 それよりいいことがある、
私は普通の女の子より背が高いから、
上から下まで男みたいな格好をする。
腰には|颯爽《さつそう》と剣をさげ、
手にはイノシシ狩りの槍を持つ、そして
女の不安はみんな心に隠しておくの。
外見は荒っぽい軍人みたいにしてたらいい、
だって、男っぽい臆病者がたくさんいるじゃない、
そういう見せかけでしらっとしてるのが。
【シーリア】 男になったあなたを何て呼んだらいいかな?
【ロザリンド】 せめてジュピターのお小姓くらいの名前がいいな、
だからギャニミード(26)と呼んでちょうだい。
あなたは何て呼んでほしい?
【シーリア】 私の身の上を表す名前がいい、
もうシーリアじゃない、身寄りのない人という意味のエイリーナ。
【ロザリンド】 それから、ねえ、どうかしら、あなたのお父様の宮廷から
あの阿呆の道化を盗み出すの。
旅のあいだ、いろいろ楽しませてくれるんじゃない?
【シーリア】 私と一緒ならこの広い世界のどこだってついてくるわ、
あの人を口説き落とすのは私に任せて。さあ、急ぐのよ、
宝石やお金なんかをまとめて、
逃げ出す潮時と安全な道を考えましょう、
私が逃げたと分かればきっと追っ手が出されるから
それを|撒《ま》かなきゃならない。さあ、喜んで行きましょう、
目指すのは自由、追放じゃないわ。
[#地付き](二人退場)
[#改ページ]
第二幕
第一場 アーデンの森
[#2字下げ]前公爵、アミアンズ、森の住人のいでたちをした二、三人の貴族登場。
【前公爵】 どうだ、追放の日々を共にする兄弟たち、
昔ながらの暮らしぶりのおかげで、ここでの生活は
虚飾に満ちた華やかな明け暮れより
ずっと楽しいではないか? この森にしても
悪意の渦巻く宮廷よりはるかに危険は少ないだろう?
ここで私たちが感じるのはアダムの受けた罰(1)、
つまり四季の移り変わりだ、氷の|牙《きば》となって
|猛々《たけだけ》しく吠え立てる真冬の風――
それがこの体に噛みつかんばかりに吹きすさび、
寒さに身をすくめる時でさえ、私は笑顔でこう言える、
「これは廷臣のご機嫌取りではない――忠義な家来の忠告だ、
ありのままの私が何であるかを思い知らせてくれる」
逆境のもたらす恩恵ほど甘美なものはない、
まるでヒキガエルのように醜く、毒を吐き出すが、
その頭には貴重な宝石(2)を宿している。
俗世間を離れたここでの暮らしは、
木々に言葉を聴き、小川のせせらぎを書物として読み、
小石の中に神の教えを、|森羅万象《しんらばんしよう》に善を見出す。
【アミアンズ】 私はこの生活を変えたくはありません。殿はお幸せです、
運命の|酷《むご》い仕打ちをこんなにも静かで甘美なものに
移し変えられるのですから。
【前公爵】 さあ、鹿狩りに出かけようか?(3)
それにしても気が重いな、あのまだら模様の無邪気な|獣《けもの》たちは
この人里はなれた都に生まれ育った住人だ、それなのに
自分の領土のなかで、丸々と太った尻を
|二股《ふたまた》の矢じりで射抜かれる。
【貴族1】 仰せのとおりで。
あの|鬱《ふさ》ぎ屋のジェイクイズもそれがやりきれないらしく、
鹿狩りをなさるという点では、殿を追放なさった弟君より
殿のほうがひどい|簒奪者《さんだつしや》だと申しております。
今日もこちらのアミアンズ卿と私は
|柏《かしわ》の木陰に身を横たえたあの男のうしろに
忍び寄ってみました。この森を縫ってさざめき流れる小川のほとりに
古びた根をのぞかせているあの木のそばです。
ちょうどそこへ、群れを離れた哀れな雄鹿が一頭、
狩人の狙った矢で傷を負い
息も絶え絶えでやってきました。実に哀れなものでした、
みじめな雄鹿は身をしぼるようなうめき声をあげ、
うめくたびに皮の衣が張り詰め
今にもびりびりと裂けそうになる。大粒の涙が
一滴、また一滴とあとを追うように罪のない鼻面を伝い、
哀れを誘います。そんなふうにしてこの愚かな|獣《けもの》は 鬱ぎ屋のジェイクイズに見つめられたまま
早い流れの|縁《ふち》に立ち、
涙でその水かさを増しておりました。
【前公爵】 ジェイクイズは何と言った?
その光景を見て説教臭いことを言ったのではないか?
【貴族1】 それはもう、何百という比喩を。
まず、すでに豊かな流れにさらに涙をそそぐことについて
こう申します、「哀れな鹿よ、お前の遺産の分け方は
俗物どもと同じだ、有り余るほど持っている者に
さらに余分に与えている」。次に、その鹿が
滑らかな|毛艶《けづや》の仲間に見捨てられ、独りぼっちでいることについて
こう申します、「無理もない、悲惨な境遇は
仲間との交わりを断ち切ってしまう」。そうこうするうち
牧草をたらふく食った鹿の群れが、その雄鹿に挨拶もせずに
のんきに飛び跳ねて行きます。すると、「そうか、そうか、
さっさと行け、でぶでぶと脂ぎった町人ども、
それがいまの|流行《はやり》だ。いちいち目を留める必要がどこにある?
どうせ打ちひしがれた哀れな破産者だ」とくる。
こうしてジェイクイズは|辛辣《しんらつ》な言葉で
田園を、都市を、宮廷を槍玉に挙げ、
果てはここでの私たちの生活にまで矛先を向け、
我々は簒奪者だ、暴君だ、いや、それどころか
動物たちの生まれながらの|住処《すみか》と定められた場所で
彼らを|脅《おびや》かして殺しつくすと罵倒するのです。
【前公爵】 で、そんな|瞑想《めいそう》にふけっているあの男をそのまま置いてきたのか?
【貴族2】 はい、むせび泣く鹿を見て涙を流し、
|御託《ごたく》を並べておりましたが。
【前公爵】 そこへ案内してくれ、
そういう鬱ぎの虫に取りつかれたあの男と議論がしたい、
決まって気の利いたことを言うからな。
【貴族1】 早速ご案内します。
[#地付き](一同退場)
第二場 宮殿の一室
[#2字下げ]フレデリック公爵、貴族たちと共に登場。
【フレデリック公爵】 こんなことがあってたまるか、誰も二人を見なかっただと?
そんなはずはない、宮廷内の|不埒《ふらち》なやからが
この企みに手を貸し、黙って見逃したのだ。
【貴族1】 お姿を見かけたと言う者は一人もおりません、
お部屋付きの侍女たちも
姫がおやすみになるところは見たそうですが、
明け方にはすでにベッドはもぬけの殻だったとか。
【貴族2】 おそれながら、あの品の悪い道化、公爵が日ごろ
笑いの種にしておいででしたが、あれも姿を消しております。
姫の侍女ヒスペリアが
密かに立ち聞きしたと申しておりますが、
姫とお|従姉《いとこ》様は例のレスラーの力量や振る舞いを
褒めちぎっていらしたそうです、つい先だって
あの|筋骨《きんこつ》たくましいチャールズを投げ飛ばした男です。
侍女は、お二人がどこへ立ち去られたにしろ、
あの若者がお供をしているに違いないと言っております。
【フレデリック公爵】 兄のところへ使いをやり、あの色男を
引っ立ててこい。本人がいなければ兄を連れてこい――
兄の手で弟を探させる。すぐに行け、
捜索と聞き込みはぬかりなくやれ、
逃げ出した馬鹿娘どもを連れ戻すのだ。
[#地付き](一同退場)
第三場 オリヴァーの邸の前
[#2字下げ]オーランドー登場。
【オーランドー】 誰だ?
[#2字下げ]アダム登場。
【アダム】 これは、若旦那様! ああ、お優しい旦那様、
ああ、大事な旦那様、ああ、サー・ローランド様の
忘れ形見、こんなところでいったい何を?
どうしてあなたはお人柄がいいんです、人望がおありなんです?
どうしてこんなに優しくて、強くて、勇敢なんです?
どうしてあんな馬鹿な真似をなさったんだ、
気分屋の公爵お抱えの屈強なレスラーをやっつけるなんて?
あなたの評判はひと足先にここに来てますよ。
お分かりにならないんですか、旦那様、人によっては
立派な人柄がかえって|仇《あだ》になるってことが?
旦那様の場合がそうです。あなたの美徳は
清らかで信心深いふりをした裏切り者です。
ああ、情けないご|時世《じせい》だ、真っ直ぐな気立てが
その持ち主に毒を盛るんですから。
【オーランドー】 何だ、何がどうした?
【アダム】 ああ、不幸せな方だ、
このドアの中に入っちゃいけません。この屋根の下には
あなたの美徳を何から何まで憎む敵が住んでます、
お兄様が――いや、ご兄弟なんかじゃない――じゃなくて、ご子息が――
いや、ご子息でもない、うっかり大旦那様をあの方の
お父様と言いかけたが、そんなことは口が裂けても言いたくない――
とにかくその人があなたの大評判を聞いて、今夜
あなたがいつもおやすみになる小屋を焼き払うつもりです、
小屋の中のあなたごと。仮にそれが失敗しても
別の手を使って殺す気だ。
そう言ってるのを、その悪巧みを、この耳で立ち聞きしたんです。
ここは人の住む所じゃない、|屠殺場《とさつば》だ。
ぞっとする恐ろしい家です、入っちゃいけません。
【オーランドー】 じゃあ、アダム、どこへ行けっていうんだ?
【アダム】 どこだってかまやしません、ここでさえなけりゃ。
【オーランドー】 なに、どこへでも行って物乞いしろってか?
それとも、卑劣な剣をがんがん振り回し
天下の街道で追いはぎでもして食いつなげというのか?
そうするしかないな、ほかに手はないんだから。
でも俺はやらないよ、やれるとしても。
それくらいなら、血を分けた兄の血に飢えた憎しみ(4)に
身を任せるほうがまだましだ。
【アダム】 いえ、それはいけません。ここに五百クラウン(5)あります、
大旦那様にお仕えしていたころ倹約して貯めた金です。
看護婦がわりになってもらおうと積み立てといた、
この老いぼれた手足が利かなくなり、
鼻つまみになって隅っこに捨てられるときにそなえてね。
受け取ってください、神様はカラスにも食べ物をお恵みになる(6)、
そうとも、有り難いことにスズメの食い物まで心配なさる(7)、
私の老後だって面倒みてくださいます。さあ、この金貨を、
ぜんぶ差し上げます、私をあなたの召使いにしてください――
年は取ってますが、こう見えても芯は丈夫で元気いっぱいだ。
なにしろ若いころも、反逆の血を煮えたぎらせる酒には
一度も手をつけたことはありませんし、
恥知らずな|面《つら》をさげて
女にうつつを抜かしたこともありません。
ですからこの老体はいわば|溌剌《はつらつ》とした冬、
霜は降りてもぴちぴちしたもんです。ご一緒させてください、
まだまだ若い者には負けません、
どんな時どんなご用でも務めます。
【オーランドー】 ああ、爺や、ありがとう、お前の顔には
昔ながらの|律儀《りちぎ》な奉公人|気質《かたぎ》があふれている、
昔は汗水たらすのも奉公第一、報酬は二の次だった。
お前はいまの流儀には合わない、
いまは汗水たらすのもただ出世のため、
だから、いったん出世すれば、そのとたんに
奉公もそれきりだ。お前はそうじゃない、
だがな、かわいそうな爺や、お前は朽ち果てた木の
手入れをしてるんだよ、この木にはもう花も咲かない、
いくら苦労して丹精込めたって駄目なんだ。
まあいい、好きなようにしろ。一緒に出て行こう、
お前が若いころ貯めた金を使い果たさないうちに
どこか、ささやかでも満足できるところに落ち着こう。
【アダム】 旦那様、参りましょう、どこまでもお供します、
この息の続くかぎり誠心誠意お仕えします。
十七のときから八十になろうというこの日まで
ここで暮らしてきましたが、それも今日かぎり。
十七なら運試しに世に出る者も大勢いる、
だが八十となるともう手遅れだ。
それでも、ご主人のお荷物にならずにいい死に方ができれば、
それに優る運命の女神のご褒美はない。
[#地付き](二人退場)
第四場 アーデンの森
[#2字下げ]ギャニミードに変装したロザリンド、エイリーナに変装したシーリア、タッチストーン登場。
【ロザリンド】 ああ、ジュピター(8)、もう精も|魂《こん》も尽き果てました!
【タッチストーン】 精も魂もどうだっていいや、脚さえ疲れなきゃ。
【ロザリンド】 男の身なりに恥をかかせてもいいから、女に戻って泣き出したい気分だわ。だけど、いまの私はかよわい女を元気づけなきゃならない、この上着とズボンはペチコートの前では勇気を見せることになってるんだもの。だから、さあ、エイリーナ、頑張れ。
【シーリア】 ごめんなさい、私、もう一歩も歩けない。
【タッチストーン】 俺にしたってあんたをかつぐのはごめんだね(9)。ごめんこうむってあんたをかついでも何の得にもなりゃしない。どうせその財布にゃ一文も入ってないんだろ(10)。
【ロザリンド】 さあ、ここがアーデンの森だ。
【タッチストーン】 そうとも、ここでアーと言ってデンとしてりゃ、俺はますます阿呆になる。うちに居たときはもっとましなところに居たんだが、旅の空の下じゃ贅沢は言えないね。
[#2字下げ]コリンとシルヴィアス登場。
【ロザリンド】 ああ、そうだよ、いい子だ、タッチストーン。あれ、誰か来る。
若い男と年寄りが深刻な顔で話してる。
【コリン】 そんなふうだから、お前、いつもあの|娘《こ》に馬鹿にされるんだ。
【シルヴィアス】 ああ、コリン、俺がどんなに惚れてるか、あんたにゃ分かんないんだ。
【コリン】 少しくれえ察しはつくさ、俺だって惚れたことあるからな。
【シルヴィアス】 いいや、コリン、年寄りのあんたにゃ察しもつくまい。
あんたが若いころ|心底《しんそこ》女に惚れて
真夜中に枕かかえて溜め息ついたことがあるとしてもな。
だがな、仮にあんたが俺みてえに惚れたことがあるなら――
いや、どんな男もこんなに惚れぬいたことはありっこねえ――
で、あんた、惚れたはれたのせいで
何回くらい馬鹿やった?
【コリン】 何百回もあるさ、みんな忘れちまったが。
【シルヴィアス】 じゃあ、あんたは心底惚れたことはねえんだ。
恋にうつつを抜かすととんでもない馬鹿やるだろ、
どんなたわいないことでもそいつを忘れるようじゃ
惚れたことにゃならねえ。
いまの俺みてえにへたり込んで
のろけ話で相手をうんざりさせたことがなけりゃ
惚れたことにゃならねえ。
いま俺がするみてえに、のぼせ上がって
いきなり話し相手からかっ飛んで逃げたことがなけりゃ
惚れたことにゃならねえ。
ああ、フィービー、フィービー、フィービー!
[#地付き](退場)
【ロザリンド】 ああ、かわいそうな羊飼い、お前の傷を探っているうちに、
ぱっくり開いた自分の傷を見てしまった。
【タッチストーン】 俺もだ。思い出すなあ、ジェーン・スマイルに惚れてたとき、俺は剣で石をぶっ叩いてへし折り、夜中に忍んでいくやつはこうしてやるとわめいたっけ。思い出すなあ、俺はあの|娘《こ》の使った洗濯棒にキスをした、あの娘のあかぎれだらけのかわいい手が絞った雌牛の乳首にもキスをした。思い出すことはまだあるぞ、エンドウ豆をその娘に見立てて口説いたっけ。つるから|莢《さや》(11)を二つ取り、そいつをつるに返しながら、泣きの涙で言ったもんだ、「これを俺だと思って身に着けてくれ」ってな。本物の恋人ってのはおかしな真似をするもんだ。自然界にあるものすべて死ぬのが定め、それと同じで、恋すりゃすべて死ぬほど馬鹿やるのが定めだ。
【ロザリンド】 うまい、頭がいいんだね、自分じゃ分からないだろうけど。
【タッチストーン】 うん、自分の頭の良さなんて分かりっこない、頭けっとばして向こう|脛《ずね》折りゃ別だけど。
[#ここから改行天付き、折り返して6字下げ]
【ロザリンド】 ああ、ジュピター、羊飼いの熱い恋
[#ここから4字下げ]
それにも似たる我が思い。
[#ここで字下げ終わり]
【タッチストーン】 俺もだ。だが俺のはちょっとかび臭くなってる。
【シーリア】 お願い、あなたたちのどっちでもいいからあの人に|訊《き》いてみて、
食べ物を売ってくれるかどうか。
意識が|朦朧《もうろう》として死にそう。
【タッチストーン】 おい、そこの抜け作!
【ロザリンド】 黙れ、阿呆、お前の身内じゃないだろ。
【コリン】 誰だ、呼んだのは?
【タッチストーン】 お前よりはましな男だ。
【コリン】 でなきゃ、よっぽどみじめなもんだ。
【ロザリンド】 黙れったら。――やあ、こんにちは。
【コリン】 こんにちは、旦那様(12)、みなさん方。
【ロザリンド】 頼みがあるんだ、羊飼いのおじさん、親切からでも金目当てでもいい、
こんな人里離れた所でも寝る場所と食べ物を提供してくれる家があるかな、
あれば案内してほしい、体を休めて腹ごしらえしたいんだ。
ここにいる若い娘が長旅で疲れ果て、
息も絶え絶えで助けを求めている。
【コリン】 旦那さん、そいつはお気の毒なこった、
私のためというよりその娘さんのために
お助けできる身分ならよかったんだがね、
羊飼いとは言っても人に雇われてる身だもんで、
羊の番はしても毛のほうは自分のもんにゃならねえ。
その雇い主ってのが意地の悪いけちんぼでな、
ひと様を親切にもてなして
天国への道を探すなんて気はまるでねえ。
それに主人の家も、羊の群れも、|牧場《まきば》も
いま売りに出てるとこなんだ、私どもが寝起きする羊小屋には、
あいにく主人が留守なもんで、召し上がっていただくものが
なんにもねえ。だが、ま、おいでなさい、何かあるかもしれん、
私としちゃあ大歓迎だ。
【ロザリンド】 その羊と家は誰が買うことになってるんですか?
【コリン】 あの若いのですよ、ついさっきまでここにいた、
もっともいまのところものを買うような気分じゃねえらしいが。
【ロザリンド】 じゃあどうだろう、さしつかえなければ
家も|牧場《まきば》も羊もおじさんが買い取ってくれないかな、
金は僕たちが出すから。
【シーリア】 お給料も上げてあげるわ。私、ここが気に入った、
ここでなら楽しく暮らせそう。
【コリン】 大丈夫、売ってもらえますよ。
一緒においでなさい。いろいろお聞きになって、
土地や、入ってくる金や、こんな田舎暮らしがお気に召したら、
私は皆さんの忠実な召使いになって
すぐにもその金で買い取ることにしましょう。
[#地付き](一同退場)
第五場 森
[#2字下げ]アミアンズ、ジェイクイズ、その他登場。
[#ここから改行天付き、折り返して9字下げ]
【アミアンズ】(歌う) 緑なす森の|木陰《こかげ》
[#ここから8字下げ]
共に身を横たえ
小鳥の歌に声を合わせ
楽しいときを愛する者よ
来たれ、来たれ、ここへ
|集《つど》え、友よ
敵はただ
冬空の木枯らし。
[#ここで字下げ終わり]
【ジェイクイズ】 もっと歌ってくれ、頼む、さあ。
【アミアンズ】 あなたを憂鬱にするだけでしょう、ジェイクイズさん。
【ジェイクイズ】 むしろ、有り難い。もっと歌ってくれ、頼むよ。私は歌の中から憂鬱を吸い取って生きている、ちょうどイタチが卵の中身を吸い取るみたいに。もっと歌ってくれ、頼む。
【アミアンズ】 こんなしわがれ声じゃ、楽しくないでしょう。
【ジェイクイズ】 私は楽しませてくれと頼んでるんじゃない、歌ってくれと言ってるんだ。さあ、もっと、二番をやってくれ、歌は一番、二番と数えるんだったな?
【アミアンズ】 お好きなように、ジェイクイズさん。
【ジェイクイズ】 いや、呼び名なんかどうでもいい、別に金を貸した相手(13)じゃないんだから。歌ってくれるか?
【アミアンズ】 じゃあ、あなたのリクエストに応えて、歌いたくて歌うんじゃありませんよ。
【ジェイクイズ】 いいね、ありがとうとは滅多に言わない私だが、君には言っておこう。だが、そういう挨拶を交わす格好は、道で出会った二頭のヒヒが歯をむき出して頭を下げるのにそっくりだ。私は丁寧に礼を言われるたびに思うんだ、たった一ペニーしかやらなかったのに、こいつ、乞食みたいに有り難がってやがるってな。さあ、歌ってくれ、歌いたくないやつは黙っててくれ。
【アミアンズ】 じゃあ、いまの歌をおしまいまで――そのあいだ、みんなで食事の仕度をしておいてくれ。公爵がこの木の下で一杯おやりになる。――公爵は一日中あなたを探しておいででしたよ。
【ジェイクイズ】 こっちは一日中避けてたんだ。あんな議論好きには付き合っちゃいられない。私だって公爵と同じくらいいろんな問題を考えるさ、だがそれを天に感謝はしても、ひけらかしたりはしない。さあ、さえずってくれ。
[#ここから改行天付き、折り返して6字下げ]
【一同】(歌う) 高みを目指す欲を捨て
[#ここから5字下げ]
求めるものは日々の|糧《かて》
得たものに歓びを知る
のどかな暮らしを愛する者よ
来たれ、来たれ、ここへ
|集《つど》え、友よ
敵はただ
冬空の木枯らし。
[#ここで字下げ終わり]
【ジェイクイズ】 その曲に合う歌詞を|披露《ひろう》しよう、きのう大して頭も使わずにでっちあげたんだ。
【アミアンズ】 じゃあ歌ってあげましょう。
[#ここから改行天付き、折り返して6字下げ]
【ジェイクイズ】 こうだ、
[#ここから5字下げ]
ふとしたはずみで
馬鹿になり
富を捨て楽を避け
いい気になって意地張る者よ
ダクダミ(14)、ダクダミ、ダクダミ
集え、友よ
馬鹿はただ
ここへ来て俺を見ろ。
[#ここで字下げ終わり]
【アミアンズ】 何です、その「ダクダミ」って?
【ジェイクイズ】 ギリシア語の呪文だ、これを唱えると馬鹿どもが集まってきて輪になるんだ(15)。さ、眠れるものなら一眠りするか。眠れなきゃ、エジプト以来の|嫡子《ちやくし》長男(16)どもを罵倒してやる。
【アミアンズ】 私は公爵を探してきます。酒の用意もできたので。
[#地付き](一同退場)
第六場 森
[#2字下げ]オーランドーとアダム登場。
【アダム】 旦那様、もう一歩も歩けません。ああ、このまま飢え死にだ。こうして横になって、自分の墓穴の寸法を測ることにします。お元気で、優しい旦那様。
【オーランドー】 おい、どうした、アダム、もうちょっと生きるんだ、もうちょっと頑張れ、もうちょっと元気を出せ。この野生の森に獣が一匹でも出てきたら、俺が食われるかお前に食わせるか、二つに一つだ。死にそうだなんて、そんなの気のせいだ、体力がなくなったわけじゃない。俺のためにも頑張ってくれ、ちょっとのあいだでいい、その腕を突っ張って死神を寄せ付けるな。すぐ戻ってくる、お前の食い物を持ってこられなければ、そのときは死んでもいいと言ってやろう。だが、俺が戻る前に死んだら、お前は俺の骨折りを馬鹿にしたことになるんだぞ。よし、いいぞ、元気が出たようだな。すぐ戻るからな。待て、こんな吹きさらしに寝てちゃいけない。来い、風をよけられるところまでおぶってやろう、この森に生き物がいるかぎり、お前を飢え死にさせはしない。元気を出せ、アダム。
[#地付き](二人退場)
第七場 森
[#2字下げ]前公爵、アミアンズ、貴族たち、山賊(17)のような出で立ちで登場。
【前公爵】 獣にでも変身したのかな、
人間の姿をしたあの男はどこにも見当たらん。
【アミアンズ】 つい今しがた、出て行きました、
ここにいたときは、浮きうきと歌など聴いていましたが。
【前公爵】 雑音の主のようなあの男が音楽好きになったのなら、
遠からず天の|妙《たえ》なる調べ(18)も調子が狂うだろう。
捜して来い、私が話したがっていると言うのだ。
[#2字下げ]ジェイクイズ登場。
【アミアンズ】 その手間は省けたようです、自分から来てくれました。
【前公爵】 やあ、来たな、何という世の中だ、
君に同席願うには哀れな友人が|三拝九拝《さんぱいきゆうはい》しなきゃならんのか?
どうした、愉快そうだな?
【ジェイクイズ】 阿呆です、阿呆が、森の中に阿呆がいたんです、
まだら模様の服を着た本物の阿呆です――情けないご時世だ――
|天地《てんち》|神明《しんめい》に懸けて、私は阿呆に出会った、
そいつは寝そべって日向ぼっこをしながら
仲がいいはずの運命の女神をこっぴどく罵倒してました、
こっぴどくですよ、まだら服の阿呆のくせに。
「おはよう、阿呆」と声をかけると、「よしてくれ、
俺が天から幸運をもらえないうちは阿呆と呼ぶな(19)」ときた。
それからおもむろにポシェットから日時計(20)を取り出し、
どんよりした目でそれを眺めながら
もっともらしく言ったもんだ、「いまは十時である、
こうして我々は、時の移り行きを知ることができる。
ほんの一時間前は九時であった、
あと一時間たてば十一時になる。
かくして我々は刻一刻と熟しに熟し、
かつまた刻一刻と腐りに腐る、
そこにこそいわく|因縁《いんねん》があるのだ」。まだら服の阿呆が
こんなふうに教訓をたれるのを聞いて、
私の肺(21)はおんどり(22)のようにコケコッコーと鳴きはじめた、
阿呆がこんな深い瞑想にふけるのがたまらなかったのです、
笑ったのなんのって、ぶっ続けに一時間、
そいつの日時計のおかげで。ああ、高貴な阿呆、
ああ、立派な阿呆、みんなまだら服を着るしかない。
【前公爵】 何者だ、その阿呆は?
【ジェイクイズ】 立派な阿呆です、宮廷人だったこともあるそうで、
若くて美しい女性なら、ひと目でそれが分かるはずだと
言っています。そいつの脳みそは
ひと航海終えたあとの残り物のビスケットなみに
干からびていますが、その中にはこれまで見聞きした
珍しい話題がぎっしり詰まっていて、そいつを
支離滅裂な口調で吐き出す。ああ、私も阿呆になりたい!
何が何でもまだら服を手に入れたい。
【前公爵】 一着進呈しよう。
【ジェイクイズ】 着たいのはそれだけです(23)、恩に着ます、
ただし、目下ご立派なご判断のなかには、私が賢者だという
お考えがはびこっているようですので、そんな雑念は雑草として
抜き取っていただきたい。私が欲しいのは自由にものを言う特権です、
風のようにのびのびと吹きまくり、
誰かれかまわず批判してやる。つまり阿呆の特権だ。
そうなると私の阿呆ぶりで一番傷ついた者が
一番大笑いしなきゃなりません。さて、なぜでしょう?
理由は教会(24)へつづく道のごとく明々白々。
阿呆の巧みな当てこすりでぐさりとやられた者は、
たとえひりひり痛んでも、馬鹿をやらずにいられない、
鈍感だと思われたくないからです。痛そうな顔をすれば、
いくら賢者でも、阿呆の出まかせのほのめかしだけで
馬鹿な|地金《じがね》をさらけ出してしまう。
まだら服を着せてください。思ったままを口に出す
特権をお許しください、そうすれば、疫病にかかった世界という
汚れきった体から病毒を一掃してみせます、
おとなしく私の薬を飲んでくれれば。
【前公爵】 くだらん! お前のやりたいことは分かっている。
【ジェイクイズ】 え、何です? 私がしたいのはいいことだけですが。
【前公爵】 お前のは人の罪を責めるという最も忌まわしい罪だ。
そういうお前こそ放蕩者だったではないか、
獣じみた性欲に突き動かされていただろう、
そのお前が、|腫《は》れ上がった傷や|膿《うみ》やただれを、
それもこれも勝手気ままに遊びまわった結果だが、
全部広い世間に向かって吐き出そうというのか。
【ジェイクイズ】 へえ、|傲慢《ごうまん》の罪を責めたからといって
特定の個人を非難することになりますかね?
傲慢は広大な海のようにふくれあがり、やがて
その土台の富もろとも潮が引くようにしぼんでしまう。
都会の女が王女のように高価な衣装を身に着けているのは
|分不相応《ぶんふそうおう》だ、そう私が非難したとしても、
都会に住むどの女のことを言ってるのか分からないでしょう?
どの女が、それは自分のことだと名乗り出ますか?
その女と同じような女がいるんですから、すぐ隣りに。
あるいは、最低の身分の男が私のところにやってきて、
俺の晴れ着はお前に買ってもらったんじゃない、と言ったとする、
自分のことを言われたと勘違いしてね、
そういう阿呆ぶりこそ私の思う壺です。
そこですよ! いかがです? どうなります? 考えてみましょう、
どの点で私の言ったことが相手を傷つけたのか。私の言葉が当たっていれば
そいつは自分で自分を傷つけたことになる。当たっていなければ
私の非難は誰ひとり傷つけず、野鴨のように
その辺を飛びまわるだけです。誰だ、あれは?
[#2字下げ]オーランドー登場。
【オーランドー】 待て、もう食うな!
【ジェイクイズ】 いやだな、まだ何も食っちゃいない。
【オーランドー】 じゃあ食わずにいろ、こっちの用がすむまで。
【ジェイクイズ】 こいつはシャモ(25)の珍種か?
【前公爵】 こんな|傍若無人《ぼうじやくぶじん》なことをするのは食い詰めたからか、
それとも礼儀作法などはなから馬鹿にしているのか、
どうやら洗練された振る舞いとは無縁らしいな?
【オーランドー】 最初に言った理由が当たりだ。食い詰めて
どん底まで落ちた、|体裁《ていさい》のいい礼儀など
かまっていられるか。だがこう見えても田舎育ちじゃない、
多少の教養は身につけている。おい、待てと言っただろう、
その果物に手をつけたやつには死んでもらう、
まずこっちの要求に応えるんだ。
【ジェイクイズ】 ブドウじゃなくて武道で応えたら、こっちは死ぬしかない(26)。
【前公爵】 何が欲しいのだ? 力ずくではなく穏やかに頼めば
こちらも穏やかに力になるぞ。
【オーランドー】 飢え死にしそうなのだ、食うものが欲しい。
【前公爵】 まあ坐って食え、喜んで食卓に迎えよう。
【オーランドー】 そんな優しい言葉を? どうかお許しください、
ここでは何もかも野蛮だと思いこんでいたので、
つい|居丈高《いたけだか》な態度をとってしまいました。
みなさんがどういう方かは存じませんが、
人も寄り付かないこんな場所で
|鬱蒼《うつそう》と枝をたらす木々の陰で
ゆるやかな時の歩みをやり過ごしておられる。
みなさんがかつて幸せな日々を送ったことがおありなら、
鐘の|音《ね》が教会へと誘うあたりに住んだことがおありなら、
立派な主人役のいる宴席に招かれたことがおありなら、
まぶたの涙をぬぐったことがおありなら、そして
人を憐れみ、人に憐れまれるのがどういうことかをご存じなら、
私も無理強いはやめ、穏やかな手段が功を奏することを
願って顔を赤らめ、剣を|鞘《さや》におさめます。
【前公爵】 確かに私たちは幸せな日々を過ごしたことがある、
聖なる鐘の音に誘われて教会へ通ったし、
立派な人の宴席に招かれもした、清らかな|憐《あわれ》みの情から
涙を流し、そのしずくをぬぐったこともある。
だから穏やかな気持ちで腰を下ろし、
ここにあるものは何でも存分に取りなさい、
君の必要を満たすために出されたと思っていい。
【オーランドー】 では、お食事はしばらくおあずけにしてください、
いまの私は雌鹿のようなもの、仔鹿を呼んできて
餌を与えたいのです。哀れな年寄りが一人、
私を思う一心で、重い足を引きずり長い道のりを
ここまでついて来てくれました。まずその男に食べさせるまで、
何しろ老いと飢えという二つの災いに打ちひしがれていますので、
私も一口も手をつけたくないのです。
【前公爵】 その男を連れてきなさい、
君が戻るまで私たちも食べずに待っていよう。
【オーランドー】 ありがとうございます、そのご親切に神の祝福を!
【前公爵】 見ろ、不幸なのは私たちだけではない、
この広大な世界という劇場には
私たちが演じている一場よりも
はるかに悲惨な芝居がかかっているのだ。
【ジェイクイズ】 この世界すべてが一つの舞台(27)、
人はみな男も女も役者にすぎない。
それぞれに登場があり、退場がある、
|出場《でば》がくれば一人一人が様々な役を演じる、
年齢に応じて|七《なな》幕(28)に分かれているのだ。第一幕は赤ん坊、
乳母の腕に抱かれてぐずったりもどしたり。
お次は泣き虫の小学生、カバンを掛け
輝く朝日を顔に受け、足取りはカタツムリ、
いやいやながら学校へ(29)。その次は恋する男、
かまどのように熱い溜め息をつきながら、嘆きを込めて
恋人の眉を称える歌を書く。お次は軍人、
あやしげな誓いの文句を並べ立て、|豹《ひよう》そこのけの髭を生やし、
名誉ばかりを気にかけて、|癇癪《かんしやく》持ちで喧嘩っぱやく、
大砲の|筒口《つつくち》の前で求めるものは
あぶくのような名声のみ。それに続くは裁判官、
|賄賂《わいろ》のニワトリを詰め込んだ丸い見事な太鼓腹(30)、
眼光するどく、髭いかめしく、口に出すのは
もっともらしい格言や、通り一遍の判例ばかり、
そうやって自分の役を演じてみせる。場面かわって第六幕は
痩せこけてスリッパをはいた|耄碌《もうろく》じじい、
鼻には眼鏡、腰には|巾着《きんちやく》、
大事にとっておいた若いころのタイツも
しなびた|脛《すね》にはブカブカだ。男っぽかった大声も
かん高い子供の声に逆戻り、ピーピー、ヒューヒュー
震えて響く。いよいよ最後の幕切れだ、
波瀾万丈、奇々怪々のこの一代記を締めくくる
二度目の赤ん坊、完全な忘却、
歯も無く、目も無く、味も無く、何も無し。
[#2字下げ]オーランドー、アダムを背負って登場(31)。
【前公爵】 やあ、来たな、年輪を重ねたその荷物をおろし、
何か食べさせてやれ。
【オーランドー】 この年寄りにかわってお礼を申し上げます。
【アダム】 是非そうなさってください。自分でお礼を言う
元気もないので。
【前公爵】 よく来た、さあ、食べてくれ。邪魔はしない、
身の上話はしばらく|訊《き》かずにおこう。
何か音楽を、アミアンズ、歌ってくれ。
[#ここから改行天付き、折り返して9字下げ]
【アミアンズ】(歌う) 吹けよ、吹け、冬の風
[#ここから8字下げ]
お前の心はあたたかい
恩を知らない人よりも。
目には見えない冬の風
お前の|牙《きば》は痛くない
吐く息は厳しいけれど。
[#ここから9字下げ]
ヘイホー、歌え、ヘイホー
緑のヒイラギを称えよう、
友情は見かけ|倒《だお》し
恋は愚かな気の迷い。
ヘイホー、歌え、ヒイラギに、
森の暮らしの楽しさよ。
[#ここから8字下げ]
凍れよ、凍れ、冬の空
お前は心を噛みはしない
恵みを忘れる人よりも。
川の|面《おもて》はこごえても
お前の|棘《とげ》は痛くない
仲間を忘れる友よりも。
[#ここから9字下げ]
ヘイホー、歌え、ヘイホー
緑のヒイラギを称えよう、
友情は見かけ倒し
恋は愚かな気の迷い。
ヘイホー、歌え、ヒイラギに、
森の暮らしの楽しさよ。
[#ここで字下げ終わり]
【前公爵】 君があのサー・ローランドの息子なのか、
いま君が打ち明けた言葉は誠実そのものだし、
私の目にはっきり映っている顔も、
目鼻立ちから色艶まであの男に生き写しだ、
よく来てくれた、嬉しいぞ。私は公爵だ、
君の父親に目をかけていた。身の上話の続きは
私の洞窟で聞かせてくれ。――ご老人、
お前も主人ともども歓迎しよう。――
腕を取って支えてやれ(32)。さあ、君の手を、
君の身に起こったことを残らず話してもらおう。
[#地付き](一同退場)
[#改ページ]
第三幕
第一場 宮殿の一室
[#2字下げ]フレデリック公爵、貴族たち、オリヴァー登場。
【フレデリック公爵】 それ以来見かけない? 馬鹿を言うな!
俺がこれほど慈悲深くなかったなら、
いない相手を探す前に
目の前の貴様に恨みを晴らしている。いいか、よく聞け、
弟がどこにいようと見つけ出せ。
草の根を分けても探し出し、生死にかかわらず引っ張って来い、
一年以内にだぞ、だめなら今後
我が領地内で生きて行けると思うな。
お前の土地も、お前が自分の財産と称するものもすべて、
没収に値する限りこの手に収める、
お前に対する嫌疑が、弟の口から
晴らされるまではな。
【オリヴァー】 ああ、公爵、私の胸のうちをお分かりいただきたい、
これまで弟を愛したことなどただの一度もございません。
【フレデリック公爵】 ますます|質《たち》が悪い。叩きだせ、
係りの役人をつかわし、
こいつの土地・|家屋《かおく》を差し押さえるのだ。
ただちに手をつけろ、こいつは追放だ。
[#地付き](一同退場)
第二場 森
[#2字下げ]オーランドー登場。
【オーランドー】 ここに懸かってろ、俺の歌、俺の恋の証人だ。
三つの冠を戴く夜の女王(1)よ、見ていてくれ、
その清らかな目で、蒼ざめた天の高みから、
あなたに仕える美しい狩人(2)、俺の運命を支配する人の名を。
ああ、ロザリンド、この木々が俺の手帳だ、
その幹に思いの丈を彫りつけておこう、
そうすれば、この森に住むすべての者の目が
いたるところであの人の美徳の|証《あかし》を見ることになる。
走れ、走れ、オーランドー、木という木に刻みつけるのだ、
たとえようもなく美しく清らかなあの人の名を。
[#地付き](退場)
[#2字下げ]コリンとタッチストーン登場。
【コリン】 どうです、タッチストーンさん、こういう羊飼いの暮らしは気に入ったかね?
【タッチストーン】 まあな、じいさん、それ自体としちゃいい暮らしだが、羊飼いの暮らしだという点ではつまらない。人づきあいがないという点では大いに気に入ってるが、人恋しいという点では実にひどい暮らしだ。田園生活という点では快適だが、宮廷生活じゃないという点では退屈きわまる。こういうつつましい暮らしはな、いいか、俺の|性《しよう》に合ってるんだ、だがな、何でもたっぷりあるってわけじゃないんで、俺の腹はあわくってるよ。ところで羊飼い、あんたには人生哲学みたいなもんがあるのかね?
【コリン】 大したもんじゃありませんが、分かってることといやあこんなとこですかね、病気は重ければ重いほど、人間、気分が悪くなる。金と力と満足のねえやつは、いい友達が三人いねえってことだ。雨の役目はぬらすことで、火の役目は燃やすことだ。|牧場《まきば》がよけりゃ羊は肥える。夜が夜になる一番の理由は、おてんとさまがいねえことだ。生まれつきか、勉強が足りねえか、どっちにしろ知恵が身につかねえやつは、そいつを温室育ちのせいにする(3)、さもなきゃ愚鈍な血統の出だ。
【タッチストーン】 こういう手合いは天然ボケの学者(4)だな。宮廷で暮らしたことはあるのか、羊飼い?
【コリン】 いいや、ねえな。
【タッチストーン】 そんなら地獄堕ちだ。
【コリン】 まさか、そんな。
【タッチストーン】 いいや、地獄堕ちだ。ゆで方のまずい卵(5)みたいに頭の中身が|偏《かたよ》ってるからな。
【コリン】 宮廷で暮らしたことがねえってだけで? そのわけは?
【タッチストーン】 いいか、宮廷で暮らしたことがなけりゃ、いい礼儀作法なんか見たこともないわけだ。いい礼儀作法を見たことがなけりゃ、あんたの行儀は悪いわけだ。悪いってことは罪だ。罪はすなわち地獄堕ちだ。あんた、危ない崖っぷちに立ってるんだぞ、羊飼い。
【コリン】 そんなこたねえ、タッチストーン。宮廷のいい礼儀作法は田舎じゃ変てこなもんだ、田舎のしきたりが宮廷じゃ物笑いの種になるのとおんなじだ。あんた、宮廷じゃ挨拶がわりに手にキスするって言ったよな。そんな作法は不潔だよ、宮廷人が羊飼いだったら。
【タッチストーン】 証明してみろ、手短にな。さあ、証明してみろ。
【コリン】 だってさ、俺たちはしょっちゅう羊をいじくってんだ、で、羊の毛ってのは、ほれ、脂っけがあってべとべとしてるからな。
【タッチストーン】 じゃあ、宮廷人の手は汗をかかないのか? 羊の脂も人間の汗も健康の印だろうが? 弱い、根拠薄弱だ! もっとうまく証明しな――さあ。
【コリン】 それに俺たちの手はざらざらだ。
【タッチストーン】 そのほうが唇にちゃんと感じるだろ。やっぱり弱い。もっとしっかり証明しなきゃ。
【コリン】 それに、俺たちの手は羊の傷に塗ってやるタール(6)で汚れてる。タールにキスしろってのか? 宮廷人はいい匂いの|麝香《じやこう》を塗ってるだろうが。
【タッチストーン】 まったく弱い頭だな! 上等な肉にくらべたら、あんたは|蛆虫《うじむし》用の腐れ肉だよ! 賢い人間に教えてもらってじっくり考えろ。麝香ってのはな、タールより生まれが卑しいんだぞ。不潔きわまる猫の糞で作るんだからな。証明のやりなおしだ、羊飼い。
【コリン】 宮廷仕込みのあんたの知恵にゃかなわねえ、もういい。
【タッチストーン】 いいのか、地獄堕ちで? 神よ、この頭の弱い男をお助けください! 血の巡りをよくしてやってください、あんた、知能に問題ありだ。
【コリン】 俺は正真正銘の働き者だ。食うもんは自分で稼ぐ、着るもんも自分で手に入れる、人の恨みは買わねえ、誰の幸せだってうらやましいとは思わねえ、他人の喜びは俺の喜びだ、自分の不幸は甘んじて受け入れる、俺の一番の自慢は雌羊が草を食い子羊が乳を吸うのを見ることだ。
【タッチストーン】 そいつがまたあんたの愚かな罪なんだ。雌羊と雄羊を一緒にして、つるませて、飯の種にしようってんだからな。首に鈴ぶらさげた親分羊に雌羊とりもったり、生まれてまだ一年の雌羊たぶらかして、角がひん曲がって女房にも逃げられた老いぼれ羊に押し付ける、とんでもないにも程がある。これで地獄に堕ちなきゃ、悪魔のほうで羊飼いだけは願い下げなんだろう。それ以外考えられないね、どうしてあんたが地獄堕ちをまぬがれるのか。
【コリン】 あ、ギャニミード様だ、俺の新しいご主人のお兄様(7)だ。
[#2字下げ]ロザリンド登場。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
【ロザリンド】(紙片を読む) 「東インドに西インド
[#ここから1字下げ]
|競《きそ》う玉なきロザリンド。
風の|彼方《かなた》のワンダーランド
そこでも名高いロザリンド。
どこの絵描きも大感動
世にも麗しロザリンド。
会いたい会いたいまた今度
心に残るロザリンド(8)」
[#ここで字下げ終わり]
【タッチストーン】 そんな韻の踏み方でよけりゃ八年間ぶっとおしで踏んでやるぞ、昼飯と晩飯と寝てるあいだは無理だけどな。まるでバター売りの女たちがバタバタ市場へ繰り出す(9)みたいな調子じゃないか。
【ロザリンド】 失せろ、阿呆!
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
【タッチストーン】 試しにひとつ。
[#ここから1字下げ]
雄鹿と雌鹿がいい感度
そしたら探せロザリンド。
猫と猫とが恋なんど
すれば真似するロザリンド。
冬の綿入れ七面倒
着たら着ぶくれロザリンド。
あきんど売値で押し問答
荷馬車で積み出せロザリンド。
皮は渋いよアーモンド
中も渋いよロザリンド。
バラは香るがちくりんど
|棘《とげ》を持ってるロザリンド。
[#ここで字下げ終わり]
我ながらハチャメチャな詩だが、なんでまたこんなのにかぶれたんだい?
【ロザリンド】 うるさい。鈍い阿呆ね。木にかかってたのよ。
【タッチストーン】 なるほど、ひどい実のなる木があったもんだ。
【ロザリンド】 その木をお前に|接木《つぎき》して、それをまたカリンに接木してあげようか(10)、そうすればこの国でいちばん早熟な実がなる。半分も熟さないうちに腐ってカリンカリンに干からびるから。
【タッチストーン】 言ってくれるね――だが、言ったとおりかどうかはこの森に判定してもらおう。
[#2字下げ]シーリア登場。
【ロザリンド】 しっ、妹が来た、何か読んでる。隠れて聞いていよう。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
【シーリア】(読む) 「何ゆえこの地はかく淋し?
[#ここから1字下げ]
人なきゆえか、さにあらず。
木々にあまねく舌を貸し、
人の言葉を語らしめん。
人の命ははかなくて、
旅路の空に迷えども
伸ばせし指の測りたる(11)
幅にも満たぬ短かさよ。
友と友とが交わせし誓い
変わる心に破らるる。
されど優しき枝々に
歌の言葉のはしばしに
我は記さん、ロザリンド。
読む者みなに知らしめん、
ありとあらゆる精霊の
|粋《すい》を集めし人なるを。
天命受けし自然の神
あまねく美徳えりすぐり
一人の身をば満たすべし。
自然の神は集めたり
ヘレン(12)の花の|顔《かんばせ》を
クレオパトラ(13)の荘厳を
アタランタ(14)の|敏捷《びんしよう》を
ルクレツィア(15)の貞節を。
かくて生まれしロザリンド
天なる神の力もて
その頬、その目、その心
たぐいまれなる美しさ。
かくまでも天の恵みを受けたる人に
この命あるかぎり我を|僕《しもべ》とさせたまえ」
[#ここで字下げ終わり]
【ロザリンド】 ああ、お優しいジュピター、なんて退屈な恋のお説教、聞かされる信者こそいい迷惑だ、しかも「みなさん、しばらくご静聴を!」とも言わないで。
【シーリア】 なによ、立ち聞きするなんて、ひどい!――羊飼いさん、ちょっとあっちへ行ってて。――お前も行くのよ、さあ。
【タッチストーン】 行こう、羊飼い、名誉の撤退だ、所持品一切取りまとめってわけにはいかないが、なけなしの所持金持って(16)。
[#地付き](コリンと共に退場)
【シーリア】 聞いた、いまの詩?
【ロザリンド】 ええ、すっかり、って言うかそれ以上。だって字余りがずいぶんあって、あまりにも詩らしくないんだもの。
【シーリア】 大目に見なさい、一応七五調の詩らしくなってるもの。
【ロザリンド】 まあね、でも字足らずもあるからよろよろだわ(17)、だから四の五の言いたくなるのよ。
【シーリア】 だけど、びっくりしなかった? 自分の名前がそこらじゅうの木にぶらさがってたり彫り付けてあったり。
【ロザリンド】 あなたが来る前にほとんどびっくりし終わってた、ほら、見てよこれ、|棕櫚《しゆろ》の木にかかってたの。ピタゴラス(18)が|輪廻転生《りんねてんしよう》説をとなえた時代なら私もこのくらい盛大に詩に歌われてたわね、だって私、前世はアイルランドのネズミで、詩で呪い殺されたのかもしれない、よく憶えてないけど。
【シーリア】 こんなことしたの誰だと思う?
【ロザリンド】 男の人?
【シーリア】 ええ、あなたのネックレスを首にかけてる人。あ、赤くなった。
【ロザリンド】 ねえ、誰よ?
【シーリア】 ああ、神様、神様、仲良し同士はなかなか巡り合えません、でも山と山なら地震のせいで抱き合うこともあるかもしれません(19)。
【ロザリンド】 もういい、ねえ、誰なのよ?
【シーリア】 ほんとに分からないの?
【ロザリンド】 じらさないで、お願い、頭さげるから教えて、誰なの?
【シーリア】 ああ、驚いた、驚いた、驚きすぎるくらい驚いた、それでもまだ足りないくらい驚いて、開いた口がふさがらない。
【ロザリンド】 いやだ、私、赤くなってる。こんな男の格好してるからって心までズボンはいてると思うの? あとちょっとでも|焦《じ》らしたら、女の本性丸出しにして南太平洋みたいに荒れ狂うからね(20)。お願いだから教えて、誰なのよ、さあ、早く。ああ、あなたが|吃《ども》りだったらいいのに、そうすれば細口瓶に入ったワインみたいに、あなたの口からその謎の男の名前がどっと出てくるか、ちっとも出てこないか、どっちかだもの。お願い、コルクの|栓《せん》を口から抜いてその知らせを飲ませてよ。
【シーリア】 その人を飲み込んでおなかに入れちゃうつもり?
【ロザリンド】 神様のお造りになったまともな人間? どんな人? 帽子の似合う頭はついてるの、髭の似合う顎はあるの?
【シーリア】 いいえ、髭(21)はほんの少し。
【ロザリンド】 じゃあ、神様がもっと生やしてくださるわ、その人に感謝の心があれば。髭のほうは伸びるまで待ってもいい、その人の顎のことをすぐ教えてくれるなら。
【シーリア】 あの若い人、オーランドー、例のレスラーの|踵《かかと》とあなたの心臓をいちどきに、あっという間にひっくり返した人よ。
【ロザリンド】 いやだ、からかわないで! 真面目に正直に言って。
【シーリア】 嘘じゃない、あの人なのよ。
【ロザリンド】 オーランドー?
【シーリア】 オーランドー。
【ロザリンド】 ああ、どうしよう、こんな上着にズボンなんかはいて。あなたが会ったとき、あの人何してた? 何て言った? どんな顔してた? どんな格好してた? ここで何してるの? 私のこと何か訊いた? どこで寝泊りしてるの? どんなふうに別れてきたの? 今度はいつ会うの? 答えて、ひと言で。
【シーリア】 だったら巨人ガルガンチュア(22)の口を借りてこなきゃ。並の人間の口じゃあ、とてもひと言では言えません。一つ一つに「はい」と「いいえ」で答えるだけだって、教義問答(23)より大変だもの。
【ロザリンド】 でもあの人、私がこの森にいて男の格好してるってこと知ってるの? 元気そうだった? レスリングの試合の日みたいに。
【シーリア】 恋してる人の質問に答えるのは、|塵《ちり》や|埃《ほこり》を数えるより大仕事ね。でも、あの人を見つけたときのことを一口味見させてあげるから、じっくり味わいなさい。あの人は木の下にいたわ、ぽとっと落ちたどんぐりみたいに。
【ロザリンド】 さすがは柏の木、ジュピターの神木と言われるだけのことはある、それほどの実を落としてくれるんだから。
【シーリア】 どうかお耳を、お嬢様。
【ロザリンド】 続けなさい。
【シーリア】 あの人は木の下に身を横たえていました、傷ついた騎士のように。
【ロザリンド】 そんな光景を見るのは辛いけど、背景にはぴったりね。
【シーリア】 その舌に「止まれ!」って号令かけてよ、まるで暴れ馬みたいに|後先《あとさき》かまわず飛び出すんだから。あの人は|狩人《かりゆうど》の出で立ちでした。
【ロザリンド】 まあ、縁起でもない、私の心を射止めに来るんだ。
【シーリア】 いちいち合いの手いれないで、せっかく歌ってるのに調子が狂うじゃない。
【ロザリンド】 私が女だってこと忘れたの? 私はね、思ったことは口に出さずにいられないの。いい子だから続けて。
[#2字下げ]オーランドーとジェイクイズ登場。
【シーリア】 んもう、なに言おうとしたか分かんなくなった。――しっ、あの人じゃない?
【ロザリンド】 ほんとだ。隠れて見てましょう。
【ジェイクイズ】 お付き合いくださってありがとうございます、もっとも、実のところ、一人にしておいていただきたかった。
【オーランドー】 同感です。しかし、失礼になってはいけないので。こちらこそありがとうと申し上げます。
【ジェイクイズ】 ご機嫌よう。またお目にかかりましょう、なるべくたまに。
【オーランドー】 今後ともせいぜい赤の他人でありたいものです。
【ジェイクイズ】 どうかこれ以上、樹皮に恋の歌など刻みつけて木を台無しにしないでいただきたい。
【オーランドー】 どうかこれ以上、へたな読み方をして私の詩を台無しにしないでいただきたい。
【ジェイクイズ】 「ロザリンド」というのが君の恋人の名前ですか?
【オーランドー】 そうです。
【ジェイクイズ】 気に入りませんな、そんな名前は。
【オーランドー】 名前をつけたとき、あなたのお気に召すようにとは考えなかったんでしょう。
【ジェイクイズ】 背の高さは?
【オーランドー】 この高鳴る胸のあたりです。
【ジェイクイズ】 なかなか気の利いた返事をなさる。金細工師(24)の女房連中とお知り合いらしい、指輪に刻む文句のいただきですか?
【オーランドー】 とんでもない、安物の壁掛け(25)によくある決まり文句でお答えしたんです、あなたのご質問の|出所《でどころ》もそのあたりらしいので。
【ジェイクイズ】 |才気煥発《さいきかんぱつ》ですな、君の頭は|俊足《しゆんそく》の美女アタランタ(26)の|踵《かかと》で出来ているようだ。どうです、ここに坐りませんか、二人して世間という我々の女主人やお互いの悲惨な境遇を罵倒してやりましょう。
【オーランドー】 この世の生きとし生けるものは何であれ、責めようとは思いません、私自身は別ですが、何しろ欠点だらけなので。
【ジェイクイズ】 君の最大の欠点は恋をしていることだ。
【オーランドー】 その欠点だけは、あなたの最高の美点とだって取り替えたくはない。もうあなたの相手をするのはうんざりです。
【ジェイクイズ】 実は、さっき私は阿呆を探していたんだ、そうしたら見つかった、君がね。
【オーランドー】 阿呆なら川で溺れてますよ、のぞいてご覧なさい、見えるから。
【ジェイクイズ】 のぞいて見えるのは私自身の姿だろう。
【オーランドー】 つまり阿呆だ、それとも映るのはゼロか。
【ジェイクイズ】 これ以上君と付き合う気はない。さようなら、シニョール・恋わずらい。
【オーランドー】 嬉しいです、お別れできて、ムッシュー・|鬱《ふさ》ぎの虫。
[#地付き](ジェイクイズ退場)
【ロザリンド】 私、話しかけてみる、生意気なお小姓のふりをして、で、思いきりやりこめてやるの。あのう、この森に住んでるんですか?
【オーランドー】 ええ、何かご用でも?
【ロザリンド】 いま何時ですか?
【オーランドー】 太陽の位置でおよそ何時かなら答えられますけど。この森には時計がないので。
【ロザリンド】 じゃあこの森には本気で恋してる人はいないんだ。いれば、一分ごとに溜め息をつき、一時間ごとにうめき声をあげるから、時計と同じくらい正確にだらだらした時の歩みが測れますからね。
【オーランドー】 どうして|速《すみ》やかな時の歩みって言わないんですか? そのほうが適切でしょう?
【ロザリンド】 いいえ、ぜんぜん。時の歩みはそれぞれ人によって違うんですよ。教えてあげましょうか、時が誰にとって|並歩《なみあし》(27)で、誰にとって|速歩《はやあし》で、誰にとって|駆歩《かけあし》で、誰にとって停止か。
【オーランドー】 いいですね、誰にとっては速歩なんです?
【ロザリンド】 それはね、婚約してから式を挙げるまでの娘にとって。そのあいだがたった|七日《なのか》|間《かん》だとしても、時は歩度をつめるので|七《しち》年間にも思えるから。
【オーランドー】 じゃあ誰にとっては並歩?
【ロザリンド】 ラテン語を知らない司祭とか、痛風持ちじゃない金持ちにとって。一方は勉強したくてもできないからよく眠るし、もう一方は痛みがないから愉快に暮らす。一方はやるだけ無駄な学問という重荷をしょわずにすみ、もう一方は辛い貧乏という重荷を知らずにすむ。だからそういう連中にとって時の歩みはゆったりした並歩なんです。
【オーランドー】 誰の場合が駆歩?
【ロザリンド】 絞首台へ引かれていく泥棒にとって。いくらゆっくり足を運んだって、あっという間に着いたと思うでしょう。
【オーランドー】 誰にとっては停止なの?
【ロザリンド】 休暇中の弁護士にとって。裁判と裁判のあいだは眠ってすごすから時の経つのが感じられない。
【オーランドー】 君、かわいいね、どこに住んでるの?
【ロザリンド】 この羊飼いの娘と一緒に、僕の妹なんだけど、森のはずれに住んでます、ペチコートにたとえればふち飾りに当たるあたりに。
【オーランドー】 この土地の生まれ?
【ロザリンド】 ほら、そこのウサギとおんなじで、生まれたところに住んでます。
【オーランドー】 君の言葉遣いは、こんな|辺鄙《へんぴ》なところで習い憶えたにしてはずいぶん洗練されてるけど。
【ロザリンド】 よくそう言われます。実は、世捨て人のような暮らしをしている年取った伯父がいて、僕に言葉遣いを教えてくれたんです。伯父は若いころ都に出て、宮廷のしきたりから女の口説き方まで身につけた、恋をしたおかげでね。よく説教されましたよ、恋なんかするなって。僕は女に生まれなくてよかったと神に感謝してます、伯父は女なら誰もが持ってるくらくらするような罪のかずかずを非難してましたが、そういう罪に汚染されずにすんだんですから。
【オーランドー】 何か覚えてますか、伯父さんが非難した女の罪の主なものを?
【ロザリンド】 主なものなんてありません。どれもこれも半ペンス銀貨みたいに似たり寄ったりで、どの一つをとってもものすごいものに思えますが、次のが現れるとこれが負けず劣らずのものすごさなんです。
【オーランドー】 そのいくつかを言ってみてくれませんか。
【ロザリンド】 だめです。僕の薬は病人以外には投与しません。いまこの森に男が一人うろついていて、木の肌に「ロザリンド」と刻みつけては若木をいためつけ、サンザシの枝には恋の歌を、野イバラには悲しみの歌をぶら下げてまわってる。そのどれもがロザリンドという名前を神のように崇めてるんです。恋を売り物にするその男に出会ったら、僕はよく効く処方箋を出してやるつもりです。毎日恋の熱に浮かされてるらしいから。
【オーランドー】 僕ですよ、その恋の熱病にとりつかれてるのは。お願いだ、君の治療法を教えてください。
【ロザリンド】 あなたには伯父の言う恋の症状がまったく現れていませんね。恋をしている男の見分け方も教わったけど、あなたはイグサでできた恋の鳥かごに閉じ込められてるとはとても思えない。
【オーランドー】 その症状とは?
【ロザリンド】 頬がげっそりこける、でもあなたはそうじゃない。目が落ち窪んで|隈《くま》ができる、でもあなたはそうじゃない。気分が沈んで無口になる、でもあなたはそうじゃない。髭は伸び放題、でもあなたはそうじゃない――ま、この点は大目に見ましょう、あなたの髭は、次男三男の財産同様わずかなものだから(28)。それから靴下留めははずれ、帽子のバンドもはずれ、袖のボタンもはずれ、靴紐もほどけ、身につけた何もかもが投げやりでだらしなく見える。でもあなたはそんなふうじゃない、それどころか服装には一分の隙もない。誰かに恋してるというより、ご自分に恋してるんでしょう。
【オーランドー】 君には信じてもらいたいな、僕は本気で恋してるんだ。
【ロザリンド】 信じてもらいたい、僕に? それよりあなたの恋人に信じてもらうほうが手っ取り早いでしょう。僕が保証します、その人、信じたがってますよ、信じると口に出して言わなくても。女ってのはね、いつもそうやって本心を隠すものなんだ。だけど、本当にあなたなんですね、ロザリンドを褒めちぎる詩をそこらじゅうの木にぶら下げてるのは?
【オーランドー】 誓ってもいい、ロザリンドの白い手にかけて、僕がその男、その不幸な男なんだ。
【ロザリンド】 でもあなたの恋は、ああやって韻を踏んでリズムをつけて書くくらい激しいんですか?
【オーランドー】 リズムだろうが理詰めだろうが、僕の恋がどのくらいかなんて言い表せやしない(29)。
【ロザリンド】 恋は狂気にすぎない、だから恋する者は狂人(30)とおなじように暗い部屋に閉じ込めて鞭をくれてやるのが一番です。そういう|荒療治《あらりようじ》がなぜ行われないかと言うと、恋の狂気があまりにも広まって、鞭をふるう人まで恋に落ちるようになったから。だけど僕が専門にしている治療法はカウンセリングです。
【オーランドー】 それで誰かを治したことがあるの?
【ロザリンド】 ええ、一人、こんなふうにしたんです。その男には僕を相手の女、つまり恋人に見立ててもらい、毎日僕を口説かせた。それに対して僕は、何しろ根が気まぐれだから、悲しんだり、なよなよしたり、お天気屋になったり、うっとりした目で愛想よくしたり、お高くとまったり、移り気になったり、馬鹿なふりをしたり、軽薄になったり、不実になったり、泣き顔になったり、笑顔になったりして見せた。つまりありとあらゆる感情を小出しにする、だけどどの感情も本物じゃないってわけです。子供とか女って大体そういう傾向があるでしょう。誰かをいま好きになったかと思うともう嫌いになる、いまちやほやしたかと思うともう顔も見たくないとくる、相手にすがって泣いたかと思うともう唾を吐きかける。そうやって、僕を口説いた男を一時的な恋の狂気から不治の本物の狂気に追い込んだんです。つまり世間という|滔々《とうとう》たる流れとは縁を切り、いわば入り江にあたる|庵《いおり》で隠遁生活に入ってしまった。こんな具合にその男を治してやったんです。同じ手を使ってあなたの恋の|源《みなもと》である肝臓を健康な羊の心臓みたいにきれいに洗っちゃいましょう、そうすれば恋のしみなんか一点も残りませんよ。
【オーランドー】 治してほしくなくなったな。
【ロザリンド】 治してあげますよ、僕をロザリンドと呼んで、毎日僕の小屋に来て|口説《くど》いてくれれば。
【オーランドー】 じゃあ、僕の恋の真心に懸けて、やってみよう。道順を教えてくれるかな。
【ロザリンド】 一緒にいらっしゃい、案内しましょう。道々あなたもこの森のどこにお住まいか教えてください。行きましょうか?
【オーランドー】 喜んでついて行くよ、坊ちゃん。
【ロザリンド】 だめだなあ、「ロザリンド」って呼ばなきゃ。――さあ、妹、行くよ。
[#地付き](一同退場)
第三場 森
[#2字下げ]タッチストーンとオードリー、その背後にジェイクイズ登場。
【タッチストーン】 早く来いよ、オードリー。お前の山羊ならあとで引っ張ってきてやるからさ。どうだい、オードリー、俺のこともうこの人って決めたのか? 俺の純朴な容貌が気に入ったんだな?
【オードリー】 ヨウボウ? いやだ、あんた、なに要望すんのよ?
【タッチストーン】 俺がこうしてお前やお前の山羊と一緒にいるのは、世にもまれな凝った詩を書く清廉な詩人オウィディウス(31)が野蛮なゴート族(32)と一緒にいるみたいなもんだな。
【ジェイクイズ】 いやはや、せっかくの知識も居場所を間違えたな、ジュピターがわら|葺《ぶ》きの小屋にいるより場違いだ!(33)
【タッチストーン】 書いた詩が人に理解されなかったり、気の利いたことを言っても、ませた子供、つまり理解力に答えてもらえなかったりすると、ちっぽけな部屋に泊まってべらぼうな宿代を請求されるよりこたえるね(34)。ほんと(35)、神様がお前を詩的な人間に造ってくださってたらなあ。
【オードリー】 訳わかんない、何さ「シテキ」って? やることと言うことがきれいってこと? 本物だってこと?
【タッチストーン】 じゃないね、ほんと。だってさ、いちばん本物の詩は一番の作りごとなんだから。で、恋する者は詩にうつつを抜かす。だから恋人同士が詩の文句で誓いを立てるのは、恋する者にとっちゃ作りごとなんだよ。
【オードリー】 で、あんた、神様があたしをシテキに造ってくださればよかったって思うわけ?
【タッチストーン】 思うよ、ほんと。だってさ、お前は身持ちがいいって誓うけど、もしもお前が詩人だったら、それが作りごとかもしれないって希望があるからね。
【オードリー】 あたし、身持ちがよくちゃいけないの?
【タッチストーン】 いけない、ほんと、お前が不細工じゃなければな。だってさ、身持ちがよくておまけに美人だったら、砂糖にハチミツかけるみたいなもんじゃないか。
【ジェイクイズ】 地に足の着いた阿呆だ。
【オードリー】 でも、あたしは器量がよくないから、神様にお願いしてるのよ、身持ちのいい女にしてくださいって。
【タッチストーン】 ほんと、身持ちのよさをブスのあばずれにくれてやるのは、上等の肉を汚い皿に盛るようなもんだ。
【オードリー】 あたし、あばずれじゃない、神様のおかげでブスだけど。
【タッチストーン】 まあな、お前をブスに造りたまいし神を称えん。あばずれにはいつだってなれる。それはそれとして、俺、お前と結婚するぞ、そのためにオリヴァー・マーテクスト(36)先生に会ってきた、隣村の牧師さん(37)だ。森のこの場所で落ち合って俺たちを結婚させてくれるってさ。
【ジェイクイズ】 落ち合うところを見たいものだ。
【オードリー】 ふーん、神様、あたしたちに歓びをお与えください。
【タッチストーン】 アーメン。臆病な男ならこんなことには尻込みするな。だってさ、ここには教会がない、あるのは森の木だけだ、参列者もいない、いるのは角を生やした獣だけだ。だがそれがどうした? 勇気を出せ! 寝取られ亭主の角はいやなもんだが、無くちゃならない。よく言うじゃないか、「多くの者、おのれの富の果てを知らず」ってな。しかり、多くの者は立派な角を持ち、その数の果てを知らん。まあ、角ってやつは女房の持参金だ、亭主が自分で生やすもんじゃない。角が? そうとも。角は哀れな人間だけのものか? いや、違う、一番高貴な鹿だって落ちこぼれの鹿と同じくらい見事な角を持ってる。じゃあ角なしの独り者のほうが幸せか? いや、城壁に囲まれた街のほうがただの村より価値があるように、女房持ちの角を生やした額のほうが独り者のつるんとした額よりずっと威厳がある。身を守るわざがあるほうがないよりましなように、角があるほうがないより有り難い。
[#2字下げ]オリヴァー・マーテクスト先生登場。
あ、オリヴァー先生だ。オリヴァー・マーテクスト先生、よくいらっしゃいました。この木の下で早いとこ片づけていただけますか、それとも礼拝堂までご一緒しましょうか?
【マーテクスト】 嫁さんを譲り渡す方はどなたもおらんのか?
【タッチストーン】 誰かから中古を譲り受ける気はありませんね。
【マーテクスト】 いや、父親がわりに譲り渡す者がおらんのでは、結婚は法的に成り立たん。
【ジェイクイズ】(進み出て) やりなさい、やりなさい、私が親がわりに譲り渡そう。
【タッチストーン】 やあ、こんにちは、どなただったか様(38)、ご機嫌いかがで? いいところに来てくださった。先だってはお付き合いいただいて、どうも。お目にかかれて何よりです。今ちょっとしたごっこ遊びをしようとしてたんですがね、いや、帽子なんか取らなくていい。
【ジェイクイズ】 結婚するのか、阿呆?
【タッチストーン】 牛にはくびき、馬にはくつわ、鷹狩の鷹には鈴が付き物なように、人間には性欲が付き物だ。結婚なんて、鳩がくちばしでつつき合うみたいに、いちゃいちゃするだけのことさ。
【ジェイクイズ】 だがな、君ほどの育ちの者が、乞食みたいに藪のなかで式を挙げるつもりか? 教会へ行け、そして結婚の何たるかを教えてくれるちゃんとした牧師に頼むんだ。この先生は羽目板を継ぎ合わせるように君たちをくっつけるだけだ、そのうちどちらか一方にひずみが出てみろ、|生木《なまき》みたいにそっくり返ってばらばらになっちまうぞ。
【タッチストーン】 気が進まないな、俺としちゃ誰よりこの先生に式を挙げてもらいたいんだ、だってさ、この先生ならちゃんと結婚させてくれそうもないし、ちゃんと結婚してなけりゃ、あとで女房と別れるいい口実になるじゃないか。
【ジェイクイズ】 一緒に来い、相談にのってやる。
【タッチストーン】 おいで、かわいいオードリー、
式を挙げなきゃ。さもないと色気づいた夫婦きーどりー(39)で
終わるからね。――さらばだ、オリヴァー先生、となると
[#ここから2字下げ]
(歌う) おお、いとしきオリヴァー
[#ここから5字下げ]
おお、あっぱれオリヴァー
私を置いていかないで
[#ここで字下げ終わり]
じゃなくて
[#ここから2字下げ]
(歌う) とっとと失せろ
[#ここから5字下げ]
さっさと失せろ
あんたにゃ式は頼まない。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き](ジェイクイズ、タッチストーン、オードリー退場)
【マーテクスト】 なんのなんの、あんな気まぐれどもに馬鹿にされてたまるか、牧師はわしの天職だ。
[#地付き](退場)
第四場 森
[#2字下げ]ロザリンドとシーリア登場。
【ロザリンド】 話しかけないで。私、泣くんだから。
【シーリア】 泣きなさい、どうぞ。でもね、頭冷やして。男に涙は似合わないのよ。
【ロザリンド】 でも私には泣くだけの理由があるんじゃない?
【シーリア】 大ありよ、だから泣きなさい。
【ロザリンド】 あの人、髪の毛まで真っ赤な嘘の色してる(40)。
【シーリア】 ユダの髪よりはいくらか茶色がかってるけど。きっとキスだって裏切り者のユダのキスと同じだわ(41)。
【ロザリンド】 ほんとのこと言うと、あの人の髪はいい色よ。
【シーリア】 素晴らしい色よ、髪の毛はああいう栗色に限るわね。
【ロザリンド】 それにあの人のキスは|聖餐《せいさん》のパンの舌ざわりのように神聖だわ。
【シーリア】 きっと処女神ダイアナの銅像の唇を買ったのよ。真冬のように厳しい修道院の尼さんだって、あれほど|敬虔《けいけん》なキスはしない。あの人の唇には氷のような貞節がこもってる。
【ロザリンド】 でもどうして? 朝のうちに来るって誓ったのに来ないなんて。
【シーリア】 決まってるじゃない、真心がないのよ。
【ロザリンド】 そう思う?
【シーリア】 ええ、そりゃああの人がスリや馬泥棒だとは思わないけど、恋の真心となると空っぽだわ、蓋のしてある杯か虫に食われた|胡桃《くるみ》と同じ。
【ロザリンド】 忠実な恋人にはなれないって言うの?
【シーリア】 なれるわ、恋をすれば。でもいまは恋してるとは思えない。
【ロザリンド】 あの時あなただって聞いたでしょ、あの人、恋してるってはっきり誓ったわ。
【シーリア】 あの時はあの時、今は今よ、それに恋してる男の誓いなんて酒場の給仕の舌先ほども当てにならない。どっちも水増しした勘定を押し付けるんだもの。あの人、この森であなたのお父様の公爵にお仕えしてるんですって。
【ロザリンド】 公爵にはきのう会って、いろいろお話したわ。私の家柄のことを訊かれたから、公爵と同じくらいいい家柄ですって答えたの、そうしたら笑って帰してくれた。だけど何だってお父様の話なんか持ち出すの、オーランドーって人がいるのに?
【シーリア】 ああ、あれは素晴らしい男よ。素晴らしい詩を書くし、素晴らしいことを言うし、誓いの立て方も誓いの破り方も素晴らしい。恋人の胸を斜めにかするだけ、まるで馬上槍試合に出た腰抜け騎士ってとこね、馬の片腹にしか拍車が入らないから、槍は相手の急所をはずれて折れちゃう、馬鹿丸出しだわ。でも|跨《またが》ってるのが若さで、手綱を取るのが愚かさなら、何だって素晴らしくなる。あら、誰か来た。
[#2字下げ]コリン登場。
【コリン】 お嬢様、旦那様、お二人ともよくお訊ねだった
例の恋わずらいの羊飼いのことだがね、ほら
先だってご覧になったでしょう、私と一緒に草の上に坐って、
惚れた相手の高慢ちきな羊飼いの娘を
褒めそやしてたやつだ。
【シーリア】 ええ、その男がどうかしたの?
【コリン】 真に迫った芝居を見物したいかね、
演じるのは本気で惚れてる青い顔と
そいつを|見下《みくだ》して思い上がった赤い顔だ、
ちょっとそこまでおいでなさい、案内しますよ、
ご覧になる気がおありなら。
【ロザリンド】 ああ、いいね、行ってみよう、
恋人たちの姿を眺めるのは恋する者の心の|糧《かて》だ、
そこへ連れてってくれ、見ててごらん、
僕もその芝居に一役買って、忙しく立ち回るから。
[#地付き](一同退場)
第五場 森
[#2字下げ]シルヴィアスとフィービー登場。
【シルヴィアス】 かわいいフィービー、俺をこけにしないでくれ、たのむ、フィービー、
俺なんか愛してないって言うのはいい、だがな、そんな
きつい言い方はないだろ。首切り役人を見ろ、
年中人が死ぬのを見て心が硬くなってても
観念した首に|斧《おの》を振り下ろす前には
必ずすまんと詫びを入れるってよ。お前、血のしずくを
飯の種にしてるそんな男より無慈悲になりたいのか?
[#2字下げ]ロザリンド、シーリア、コリン登場。
【フィービー】 あたし、あんたの首切り役人になんかなりたくない。
あたしが逃げるのはあんたを傷つけたくないからよ。
あたしの目が人殺しだなんて、気の利いたこと
言ってくれるわ、確かにありそうなことね、
(42)目が暴君、豚殺し、人殺しって言うのは。
目は何よりも柔らかで頼りなくて、
|塵《ちり》が飛んできてもおどおどして門を閉めるんだから!
じゃああたし、思いっきりあんたを|睨《にら》んでやる。
この目で傷を負わせられるなら、あんたを殺してやる。
さあ、真似でもいいから気絶しな、なによ、さあ、倒れなって、
へえ、出来ないんだ、ああ、恥知らず、恥知らず、
なら、あたしの目が人殺しだなんて嘘つくんじゃないよ。
さあ、見せなさいよ、あたしの目でどこに傷がついたのさ。
針の先で引っかいただけでも傷は残る、
イグサにもたれかかっただけでも
かすり傷や押し|痕《あと》がしばらくは
手のひらについてるもんよ。だけどあたしの目は、
突き刺すようにあんたを見てるけど、あんたを傷つけやしない。
そもそも人の目に誰かを傷つける力なんて
あるわけない。
【シルヴィアス】 ああ、かわいいフィービー、
お前もいつか――その「いつか」ももうすぐだろうが――
きれいな頬をした若者に出会って恋の魔力にとりつかれたら、
きっと分かるよ、恋の鋭い矢がつけるのは
見えない傷だってことが。
【フィービー】 だけどその時までは
あたしのそばに来ないで。その時が来たら
いくらでも馬鹿にしなさい、同情はしないで、
あたしもその時まであんたに同情なんかしないから。
【ロザリンド】 おい、どうした? 君はどういう女から生まれたんだ、
この哀れな男を鼻息荒く鼻であしらって
言いたい放題だな? 確かに君は美人じゃない、
こうして見ると、正直な話、美しさの輝きが君の顔程度じゃあ|蝋燭《ろうそく》なしで暗いベッドまで行けるか行けないかだな(43)。
君のベッドへ行く気にはなれそうもない。
だからと言って偉そうな顔してむごいことを言う必要があるのか?
え、どういうつもり? どうして僕を見つめるの?
僕から見りゃ君なんか自然の神が安売り用に作った
粗悪品だぜ。――参ったな、
どうやらこの娘、僕の目までとりこにする気らしい。――
よせ、高慢ちきなお嬢さん、そいつは出来ない相談だ。
君のインクのような眉、黒い絹のような髪、
黒いガラス玉のような目、|粘土《ねんど》みたいな頬(44)、
そんなもので僕の心を手なずけて君を崇拝させようったって無理。
君も馬鹿だよ、羊飼い、何だってこんな娘を追いかけるんだ、
まるで霧を含んだ南風だ、溜め息の風、涙の雨。
こんな女より君のほうが一千倍も
ハンサムだ。君みたいな馬鹿がいるから
この世は不細工な子供でいっぱいになるんだぞ。
この女をいい気にさせてるのは鏡じゃない、君なんだ、
君の目で自分を見るものだから、
ありのままの顔立ちよりずっと美人だとうぬぼれてる。――
だが、お嬢さん、自分をよく知りなさい。ひざまずき、
断食し、いい男に愛されたことを神に感謝するんだ。
いいか、|親身《しんみ》になって言って聞かせよう、
売れるときに売っとけ、君はどこの市場でも売れる|代物《しろもの》じゃないんだから。
この男にあやまり、この男を愛し、申し出を受けなさい、
みっともない者が人を馬鹿にするほどみっともないことはないんだよ。
さあ、羊飼い、この|娘《こ》をしっかり掴まえとけ。さようなら。
【フィービー】 なんて素敵な人、お願い、一年中叱ってて、
こんな男に口説かれるよりあなたに叱られてる方がずっといい。
【ロザリンド】 この男は君のみっともなさに惚れこんだ――で、この|娘《こ》は僕の怒りっぷりに惚れこもうとしている。だったらこの娘が君をにらみつけるのに負けないくらい、僕もこの娘をぼろくそに言ってやろう。――どうしてそんなに僕を見つめるの?
【フィービー】 あなたを悪く思ってないから。
【ロザリンド】 頼むから僕に恋なんかしないでくれ。
だって僕は酔っ払いの立てた誓いより当てにならないんだから。
それに、僕は君なんか好きじゃない。(シルヴィアスに)僕の家が知りたいかい、
すぐそこの、オリーヴが繁ってるところにある――
行こうか、妹?――羊飼い、精いっぱい口説くんだぞ。
おいで、妹。――羊飼いの娘さん、もっとよく彼を見てごらん、
お高くとまるのはやめて。人間誰でも見ることはできるけど、
君を美人と見間違うのはこの男だけだからね。――
さあ、羊のところへ戻ろう。
[#地付き](シーリア、コリンと共に退場)
【フィービー】 羊飼いと呼ばれたあの詩人、いまは亡きマーロウ(45)、
やっと分かった、あなたの言葉が、「ひと目惚れでなければ恋にあらず(46)」。
【シルヴィアス】 かわいいフィービー――
【フィービー】 え、何か言った、シルヴィアス?
【シルヴィアス】 かわいいフィービー、俺をかわいそうだと思ってくれ。
【フィービー】 あら、気の毒だとは思ってるわ、優しいシルヴィアス。
【シルヴィアス】 気の毒って気持ちがあるなら、救いがある。
俺の恋の苦しみを気の毒がってくれるなら、
いっそ愛してくれ、そうすりゃ君の気の毒も
俺の苦しみも、いっぺんに消えちまう。
【フィービー】 愛してあげる、隣人愛だけど。
【シルヴィアス】 君を俺のものにしたいんだ。
【フィービー】 いやだ、そんなの欲張りよ。
ねえシルヴィアス、いままではあたし、あんたが大嫌いだったのよ、
それにまだ大好きになったわけでもない。
だけど、あんたがあんまりうまく恋のことを話すもんだから、
これまではうんざりだったあんたとの付き合いも
我慢する気になった――それに用事を頼んであげてもいい。
でもお返しはなんにも期待しないでちょうだい、
あたしに用事をたのまれるだけで満足しなきゃ。
【シルヴィアス】 俺の愛はまじりっけなしの清らかなもんだ、
けど、どうせ俺は幸運には恵まれてないんだ、
刈り入れする男のあとについて歩いて、
おこぼれの落ち穂を拾うだけで
大収穫だと思うくらいだからな。たまにでいいから
おこぼれの笑顔を見せてくれ、それを頼りに生きてくよ。
【フィービー】 さっきあたしに話しかけた若い人、誰だか知ってる?
【シルヴィアス】 あんまりよくは知らないけど、しょっちゅう会うよ、
例の小屋と|牧場《まきば》を買った人だ、
ほら、こないだまで百姓の爺さんが持ってただろ。
【フィービー】 あの人のこと好きになったなんて思わないでね、訊いただけなんだから。
何よ、あんな駄々っ子――そりゃあ口はうまいけど。
でも言葉がどうだっていうの? そりゃあ言葉も馬鹿にならない、
しゃべる人が聞き手をうれしがらせるなら。
あの人、きれいだな――ううん、それほどきれいじゃない。
けど、お高くとまってる――それがまたよく似合うんだなあ。
きっといい男になるわ。あの人の一番いいとこは
顔ね。それにあの舌はひどいこと言って
人のこと傷つけたけど、あっという間にあの目が治しちゃった。
背はあんまり高くない、でも歳のわりには高い。
脚はまあまあ、けどいい線いってる。
唇にはきれいな赤みがさしていた、
頬の色よりほんのちょっと濃くて華やかな赤、
唇が真紅のバラなら、頬はそれに白を混ぜた
ピンクのダマスクバラ(47)ってとこね。
ねえ、シルヴィアス、もしもどこかの女が
こんなふうにあの人の目鼻を一つ一つじっと眺めたら、
恋したくなるだろうな。でもあたしは違う、
あんな人、好きでも嫌いでもない――そりゃあ
嫌う理由のほうが好きになる理由よりずっと大きい、
だってさ、何だってあんなにがみがみ言わなきゃなんないの?
あたしの目は黒い、髪の毛も黒いだってさ、
そうか、考えてみれば、あれはあたしを馬鹿にしたんだ。
くやしい、どうして言い返してやらなかったんだろう?
でも同じことだわ。手を上げないのは手を引いたってことじゃない(48)。
手紙を書いてこっぴどくやっつけてやろう。
届けてくれるよね、シルヴィアス?
【シルヴィアス】 おお、いいとも、フィービー。
【フィービー】 すぐ書くわ、
書くことは頭にも胸にも山ほどある。
邪険なこと言ってやろう、うんとぶっきらぼうに。
一緒に来て、シルヴィアス。
[#地付き](二人退場)
[#改ページ]
第四幕
第一場 森
[#2字下げ]ロザリンド、シーリア、ジェイクイズ登場。
【ジェイクイズ】 いいねえ君は、若くてきれいで、もっとお近づきになりたいものだ。
【ロザリンド】 あなたは|鬱《ふさ》ぎ屋だそうですね。
【ジェイクイズ】 そうだよ、それが好みなんだ、げらげら笑うよりずっといい。
【ロザリンド】 鬱ぐにしろ笑うにしろ極端なのは嫌われますよ、飲んだくれよりも世間から非難を浴びる。
【ジェイクイズ】 いや、沈み込んで何も言わないのはいいことだ。
【ロザリンド】 じゃあ|棒杭《ぼうくい》になるのはいいことなんだ。
【ジェイクイズ】 鬱ぎ屋といっても私のは学者の憂鬱じゃない、あれは|妬《ねた》みそねみだ、音楽家の憂鬱でもない、あれは空想|癖《へき》だ、宮廷人のとも違う、あれは高慢からくる、軍人のそれでもない、あれは野心がもとだ、法律家のでもない、あれは権謀術数だ、貴婦人のでもない、あれは好みがうるさいだけだ、恋する者の憂鬱とも違っている、あれはいま言った全部をひっくるめたものだ。だが私の憂鬱は私独自のものでね、いろんな成分を混ぜ合わせ、見聞きしたあれこれから抽出されている。要するに旅に出たときのことをいろいろと思い巡らし、その思い出を|反芻《はんすう》するうちにとりとめのない悲しみにすっぽり包まれてしまうんだ。
【ロザリンド】 旅人か! だったら悲しくなるのも無理ないな。あなたは他人の土地を見るために自分の土地を売り払った口ですね(1)。とすると、いろんなものを山ほど見たが持てるものは何もないわけだ、目は豊かだが手は貧しいってことです。
【ジェイクイズ】 そう、だが私は経験を手に入れた。
[#2字下げ]オーランドー登場。
【ロザリンド】 で、その経験があなたを悲しませてる。僕なら阿呆を手に入れて愉快にやりますね、経験を手に入れて悲しむより――しかもそのためにわざわざ旅に出るなんて!
【オーランドー】 こんにちは、ごきげんかい、ロザリンド(2)。
【ジェイクイズ】 ではそろそろ失礼しよう、なんだその挨拶は、歌の文句じゃあるまいし!
【ロザリンド】 さようなら、旅人さん、せいぜい巻き舌(3)でしゃべり、外国ふうの服を着たらいい。自分の国のいいところは全部けなし、自分の国籍をうとましがり、しまいにどうしてこんな顔立ちにしてくれたと神様にくってかかりなさい。さもないとヴェニスの運河でゴンドラに乗ったと言っても信用しませんよ。
[#地付き](ジェイクイズ退場)
なんだ、あなたなの、オーランドー、いままでどこほっつき歩いてたの? それでも恋人? あと一度でもこんな目に合わせるなら、二度とあたしの前にあらわれないで。
【オーランドー】 美しいロザリンド、約束には一時間と遅れちゃいない。
【ロザリンド】 恋人との約束に一時間も遅れる? 恋のことで一分の千分の一のそのまた千分の一でも約束を破るような男は、キューピッドにちょっと肩を叩かれただけなんだ。心臓はかすり傷ひとつ負っちゃいない、保証してもいいわ。
【オーランドー】 ごめん、ねえ、ロザリンド。
【ロザリンド】 だめ、こんなに待たせるなら、もうあたしのところには来ないで――カタツムリに口説かれるほうがまだましだわ。
【オーランドー】 カタツムリに?
【ロザリンド】 そう、カタツムリに。だって、歩くのはのろのろしてるけど、頭には家を載せてるもの。あなたが死んだとき妻に|遺《のこ》す財産より上等じゃないかしら。それにカタツムリは自分の運命も持ってくる。
【オーランドー】 何、運命って?
【ロザリンド】 いやだ、角のことよ。あなたみたいな男が奥さんに生やしてもらって有り難がるもの。だけどカタツムリは自分の運命にそなえて武器を身につけ、奥さんの不倫に先手を打ってる。
【オーランドー】 きちんとした女の人は夫に角なんか生やさせない、僕のロザリンドはきちんとした人だ。
【ロザリンド】 だから、あたしがあなたのロザリンドなの。
【シーリア】 この人は兄さんをそう呼んで楽しんでるのよ、この人のロザリンドは兄さんよりずっと美人なんだわ。
【ロザリンド】 さあ、あたしを口説いて、口説いて、今のあたしはお祭り気分(4)、すぐにいいわと答えるわ。さあ、あたしにどんなことが言いたいの、あたしがあなたのほんとのほんとのロザリンドだとしたら?
【オーランドー】 何か言う前にキスしたい。
【ロザリンド】 だめ、まず何か言わなきゃ、何も言うことがなくなったらそれをチャンスにキスしてよろしい。雄弁の大家は言葉につまると唾を吐く、恋する男も話の種が尽きたら――そんなことになったら困るけど――キスをするのが一番きれいな切り抜け方よ。
【オーランドー】 キスを拒まれたら?
【ロザリンド】 そうやってあなたに嘆願させる気なの、そこにまた新しい話の種が生まれる。
【オーランドー】 大好きな人の前で言葉につまる男なんているのかな?
【ロザリンド】 あたしがあなたの恋人なら、つまってほしい。さもないと自分が|淑《しと》やかなだけで頭が悪いと思えてくる。
【オーランドー】 え、口説き文句につまったほうがいいの?
【ロザリンド】 文句はいや、でも口説かれるだけじゃつまらない。あたし、あなたのロザリンドじゃなかったかしら?
【オーランドー】 そう呼べるだけでちょっとは嬉しいな、あの人のことを話していられるから。
【ロザリンド】 じゃあ、その人の身になって言うわ、あたし、あなたなんか要らないの。
【オーランドー】 じゃあ僕は自分の身になって言おう、だったら僕は死ぬ。
【ロザリンド】 だめ、死ぬのは代理人にまかせなさい。この情けない世界は|開闢《かいびやく》以来ほぼ六千年になるけれど、そのあいだに本人が恋愛沙汰でほんとに死んだ例はひとつもない。トロイラス(5)はギリシアの英雄アキレウスの棍棒で頭を叩きつぶされた、だけどその前に死んでいいだけのことをやったのよ、なのに恋する男の典型になってる。それからレアンダー(6)、あの男にしても、たとえ恋人のヒアローが尼になろうとなるまいと、何年も気分よく生き延びたでしょうよ。あの夏の暑い一夜さえなかったなら。だってあの夜レアンダーは、ヘレスポントの海へ水浴びに行っただけなのよ、でもって脚がこむらがえりを起こして溺れ死んだにすぎない。それなのに当時の馬鹿な歴史家たちが「セストスのヒアロー」に会いたい一心で泳いでるときの出来事にしてしまった。でも、そんな話はみんな嘘。男は次から次へと死んできたけど、そして蛆虫の餌になってきたけど、恋のために死んだ男は一人もいません。
【オーランドー】 僕の本物のロザリンドにはそんなふうに考えてほしくないな、だって僕はあの人にしかめ面されただけで死ぬんだから、絶対。
【ロザリンド】 この手にかけて誓うけど、そんなものじゃハエ一匹殺せません。だけど、まあいいわ、今度はもっと気のあるロザリンドになってあげる。何でもいいから頼んでごらんなさい、かなえてあげる。
【オーランドー】 じゃあ僕を愛して、ロザリンド。
【ロザリンド】 はい、承知しました、日月火水木金土と毎日(7)。
【オーランドー】 僕を夫にしてくれるの?
【ロザリンド】 もちろん、あなたなら二十人でも。
【オーランドー】 え、いま何て?
【ロザリンド】 あなた、いい人でしょ?
【オーランドー】 そのつもりだけど。
【ロザリンド】 ですよね、いいものならいくら欲しがってもいいじゃない?――おいで、妹、牧師になって僕らを結婚させてよ。――あなたの手を、オーランドー。――いいだろう、妹?
【オーランドー】 お願いします、結婚させてください。
【シーリア】 何て言ったらいいの? 分からない。
【ロザリンド】 出だしはこう、「オーランドー、|汝《なんじ》は」
【シーリア】 あ、そうか――「オーランドー、汝はこれなるロザリンドを妻となすか?」
【オーランドー】 はい。
【ロザリンド】 そう、でもいつ?
【オーランドー】 いますぐ、妹さんが結婚させてくれたらすぐ。
【ロザリンド】 だったらこう言わなきゃ、「私は、ロザリンド、あなたを妻とします」。
【オーランドー】 私は、ロザリンド、あなたを妻とします。
【ロザリンド】 許可証がほしいところだけど、まあいいわ、私は、オーランドー、あなたを夫とします。あれ、女の子のほうが牧師さんの台詞を先取りしちゃった、もっとも女の思いは行動の先を走るものだけど。
【オーランドー】 誰の思いだってみんなそうさ、羽が生えてるんだから。
【ロザリンド】 じゃあ次の質問、こうやってロザリンドを自分のものにして、そのあといつまで放さないでいるつもり?
【オーランドー】 とこしえの最後の一日まで(8)。
【ロザリンド】 言うなら「一日まで」、「とこしえの」は省きなさい。だめだめ、オーランドー。口説いてるときの男は四月だけれど、結婚したら十二月。女だって娘のうちは五月だけれど、人妻になれば空模様が変わる。あたし、あなたに焼きもち|妬《や》くわ、バーバリー産の|雄鳩《おすばと》(9)が|雌鳩《めすばと》に焼きもち妬くのなんて目じゃないくらい。雨降り前のオウムよりぎゃあぎゃあわめく、マントヒヒより新しがりやで何でも欲しがる、お猿よりくらくらするほど男好き。わけもないのに泣くわよ、噴水の真ん中に立ってるダイアナの銅像みたいに、しかもあなたが陽気な気分でいたいとき。ハイエナみたいに笑うわよ、しかもあなたの寝入りばなに。
【オーランドー】 でも、僕のロザリンドがそんなことするかな?
【ロザリンド】 命をかけてもいい、あの人はあたしと同じ事をする。
【オーランドー】 そうかなあ、でもあの人には|分別《ふんべつ》がある。
【ロザリンド】 なけりゃ、こういうことをする知恵もないのよ。分別があればあるほど気まぐれなんだから。女の知恵を閉じ込めてドアを閉めてごらんなさい、窓から飛び出す。窓を閉めれば鍵穴から抜け出す、鍵穴をふさげば煙にまぎれて煙突から昇っていく。
【オーランドー】 そんな知恵のある女を妻にした男は言うんだろうな、「妻の知恵、どこでどうしているのやら?」って。
【ロザリンド】 そんな文句はいざというときまでとっておくことね、いずれあなたの奥さんの知恵がお隣さんのベッドにもぐりこむだろうから。
【オーランドー】 その言い訳に、知恵はどんな知恵を働かせるのかな?
【ロザリンド】 決まってるでしょ、あなたがもぐりこんでると思って探しに来たって言う。女と一緒になれば口答えも一緒についてくる、その女に舌がなければ別だけど。ああ、自分の落ち度を夫のせいにできない女に子供を育てさせちゃだめ、だって子供が馬鹿になるだけだもの。
【オーランドー】 ロザリンド、僕もう行かなきゃ、でも二時間したら。
【ロザリンド】 そんな、二時間もあなたがいないなんて耐えられない。
【オーランドー】 公爵の食事に招ばれてるんだ。二時には戻ってくる。
【ロザリンド】 そうですか、行ってらっしゃい、行ってらっしゃい。分かってたわ、どうせそういう人だろうって――みんなもそう言ってたし、あたしもそう思ってた。その口でさんざんちやほやしてあたしにうんと言わせたくせに。でもどうってことない、女がまたひとり捨てられただけ、だから、さあ、来たれ、死よ! お戻りは二時でしたっけ?
【オーランドー】 そうだよ、かわいいロザリンド。
【ロザリンド】 誓って、大真面目で、神かけて、差し障りのないあらゆる誓いにかけて、ほんのちょっとでも約束を破るか一分でも遅刻したら、あなたのことを世にもなさけない約束破り、中身のない空っぽな恋人、あなたがロザリンドと呼ぶ女に最もふさわしくない人だと思うわよ、それも不実な男の大集団から第一位に選抜されてもいいくらいの。だから、あたしにぼろくそに言われないように、約束は守りなさい。
【オーランドー】 ぜったい守る、君を僕のほんとうのロザリンドだと思って嘘いつわりなく。じゃあ。
【ロザリンド】 約束を破った|罪人《ざいにん》を尋問するのは「時」という老練な裁判官よ、「時」に裁いてもらいましょう。じゃあね。
[#地付き](オーランドー退場)
【シーリア】 ひどい人ねえ、あんな恋愛問答で私たち女をめちゃくちゃ|貶《けな》すなんて。その男物の上着とズボンを頭の上までたくし上げて、この小鳥が自分の巣に何をしたか世間の人に見てもらわなきゃ。
【ロザリンド】 ああ、シーリア、シーリア、私のかわいい従妹、わからないの? 私がどんなに深く恋の淵に落ちちゃったか。でもそれを測ることはできない。私の恋心は底が知れないの、まるでポルトガル沖(10)の|海溝《かいこう》よ。
【シーリア】 て言うより底が抜けてるわ、いくら愛情をそそぎ込んでもどんどん流れ出す。
【ロザリンド】 いいえ、ヴィーナスが生んだあの意地悪な|父無《ててな》し|子《ご》、物思いが種をつけ、気まぐれがはらみ、狂気が生み落としたあの子供、目隠ししたあのいたずらっこは、自分の目が見えないものだから人の目まで片っ端から|惑《まど》わすのよ、あのキューピッドに判断してもらうわ、私の恋がどんなに深いか。もうはっきり言っちゃう、エイリーナ、私、四六時中オーランドーを見てなきゃだめなの。どこか木陰でも見つけて、あの人が戻ってくるまで溜め息ついていよう。
【シーリア】 じゃあ私はひと眠りしようっと。
[#地付き](二人退場)
第二場 森
[#2字下げ]ジェイクイズ、貴族たち、森の住人たち登場。
【ジェイクイズ】 誰だ、その鹿を殺したのは?
【貴族1】 私です。
【ジェイクイズ】 この男をローマの凱旋将軍に見立てて公爵のところへ連れて行こう――鹿の角をその頭に載せるといい、勝利の月桂冠のかわりだ。――君、こういうときに歌う歌はないのか?
【森の住人1】 ありますよ。
【ジェイクイズ】 歌ってくれ。節回しなんかどうでもいい、わっとやってくれれば十分だ。
[#2字下げ]音楽。
[#ここから改行天付き、折り返して8字下げ]
【貴族たち】(歌う) 鹿を殺したご褒美は?
[#ここから7字下げ]
皮の|衣《ころも》に|角《つの》二本。
歌って家まで送ってやろう、
みんなで|担《かつ》ごうこの荷物(11)。
生えてる角は恥じゃない
生まれる前から生やしてた
親父の親父も生やしてた
お前の親父も生やしてた
角は元気にぴんと立つ、
角を笑うなさげすむな。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き](一同退場)
第三場 森
[#2字下げ]ロザリンドとシーリア登場。
【ロザリンド】 どう思う? もう二時過ぎじゃない? それなのにオーランドーらしきものはあんまり見当たらない!
【シーリア】 きっと清らかな恋を胸に、悩みを頭につめこんで、弓矢を持って飛び出してったのよ――ひと眠りしに。あ、誰か来る。
[#2字下げ]シルヴィアス登場。
【シルヴィアス】 あなたへの用事を頼まれてきました、お若い旦那様、
おいらのやさしいフィービーがこれをお渡ししろと。
中身は知りませんが、察しはつきます、
おっかない顔してぷんぷんしながら
こいつを書いてましたから、きっと
かんかんに怒った文面だ。でもかんべんしてください、
おいらは罪のないただの使いっぱしりなんで。
【ロザリンド】 忍耐そのものだってこの手紙には仰天して
喧嘩をふっかけるだろう。これに我慢できれば何だって我慢できる。
僕が|醜男《ぶおとこ》で礼儀を知らないだってさ、
僕のことを高慢ちきだとも言っている、男の数が
不死鳥(12)なみに少なくなっても僕を愛することはできないそうだ。
参ったね、誰があんな女に惚れるものか――
どうしてこんな手紙をよこすんだ? ははあ、そうか、羊飼い、
この手紙はお前が書いたんだな?
【シルヴィアス】 いや、とんでもない、おいらは中身も知らない、
フィービーが書いたんです。
【ロザリンド】 おい、おい、馬鹿だな、お前は、
恋にのぼせて頭がおかしくなったのか。
僕はあの女の手を見たぞ、皮みたいな手だ、
砂岩みたいな黄色っぽい手だ。てっきり
古手袋をはめてると思ったら、むきだしだった。
あれはおさんどんの手だ――だが、そんなことはどうでもいい。
とにかく、あの女がこんな手紙を書くわけがない。
男が考え、男の手が書いたものだ。
【シルヴィアス】 ほんとに、あの|娘《こ》の字です。
【ロザリンド】 どうだ、この荒っぽくて血も涙もない書き方、
喧嘩を売る口調だ。そうとも、僕に食って掛かってる、
まるでキリスト教徒に刃向かうトルコ人(13)だね。
女の優しい頭からこんな|罵詈雑言《ばりぞうごん》が出るものか、
こいつはエチオピア人の言葉だ、見かけどころか
腹の中まで真っ黒だ。読んで聞かせようか?
【シルヴィアス】 お差支えなければ、まだ聞いてないもんで、
もっとも血も涙もないフィービーについちゃ嫌ってほど聞いてますが。
【ロザリンド】 フィービー・パンチだ(14)、いいか、暴君フィービーは
こう書いている。
[#ここから1字下げ]
(読む) 羊飼い、あんたほんとは神様ね、
[#ここから4字下げ]
乙女心を焦がすのね?
[#ここで字下げ終わり]
女がこんなひどい悪態をつけるか?
【シルヴィアス】 それが悪態ですかね?
[#ここから改行天付き、折り返して8字下げ]
【ロザリンド】(読む) 神様が人の姿に戻れるの?
[#ここから8字下げ]
女心をいたぶるの?
[#ここで字下げ終わり]
こんな悪態、聞いたことあるか?
[#ここから8字下げ]
人の目がいくら私を口説いても
痛くもかゆくもなかったわ。
[#ここで字下げ終わり]
つまり僕が|獣《けもの》だって言いたいんだ!
[#ここから8字下げ]
きらりと|睨《にら》むあんたの目
私の恋に火をつけた、
優しい顔をされたなら
私の心はどうなるの?
叱られたのに恋しいの、
言い寄られたらどうなることか?
この恋文を届けた人は
私の恋を知らないわ。
あんたの返事も封してね、
あんたの若さと優しさに
あたしの真心ささげるわ、
稼ぎも全部あげちゃうわ。
あんたに|肘鉄《ひじてつ》食ったなら
いい死に方を考えよう。
[#ここで字下げ終わり]
【シルヴィアス】 これを罵詈雑言とおっしゃるんで?
【シーリア】 ああ、かわいそうな羊飼い。
【ロザリンド】 こいつに同情するのか? いや、同情なんかすることない。――お前、こんな女に惚れてるのか? それでいいのか、お前を利用して笛なみに扱い、いい調子で|法螺《ほら》吹いてるんだぞ? 我慢もいい加減にしろ! しょうがないな、女のところへ戻れ――分かったよ、恋に骨抜きにされてぐうの|音《ね》も出ないんだな――戻ってこう言ってやれ、もしも本気で僕を愛してるなら、お前を愛するよう僕が命令する。それが嫌なら、二度と相手にしない、お前が何とかしてくれと頼みにこないかぎり、ってな。あの女に|心底《しんそこ》惚れてるなら、さっさと行け、何も言うな。ほら、また誰か来た。
[#地付き](シルヴィアス退場)
[#2字下げ]オリヴァー登場。
【オリヴァー】 こんにちは、お二人ともきれいな方だ、
ちょっとうかがいますが、オリーヴの木に囲まれた
羊小屋はどこでしょう、この森のはずれにあるそうですが。
【シーリア】 ここから西のほう、すぐ近くの谷間に。
さざめく小川に沿って柳並木がつづいていますが、
それを右に見ていらっしゃれば小屋に出ます。
でも、この時刻ですと、ぽつんと立っているだけで
中には誰もおりません。
【オリヴァー】 耳で聞いたことが目の助けになるなら、
分かりました、話に聞いたのはあなた方だ。
その身なり、年格好。「若者は色白で、
女のような顔かたち、立ち居振る舞いには
年ごろの姉のようなところがある。女性のほうは
背が低く、兄よりも浅黒い。」あなた方ですね、
いまお尋ねした家の持ち主は?
【シーリア】 お答えしても自慢にはなりませんが、おっしゃるとおりです。
【オリヴァー】 オーランドーからお二人によろしくと言い付かってきました、
彼がロザリンドと呼んでいる若者に
この血まみれのハンカチをお渡しするようにと。あなたですね?
【ロザリンド】 そうですが、これはどういうことでしょう?
【オリヴァー】 お恥ずかしい次第ですが、お話ししましょう、
私がどんな男で、またどんなふうに、なぜ、どこで
このハンカチが血まみれになったのか。
【シーリア】 どうかお聞かせください。
【オリヴァー】 オーランドーはお二人と別れるとき
間もなく戻ると約束しましたね、
それから彼は森を縫って歩きながら
恋の甘さ、ほろ苦さを噛みしめていました、
するととんでもないことが。ふと脇に目をやると
どんな光景が飛び込んできたと思います?
一本の柏の木、古びた枝は苔むし、高い|梢《こずえ》は
老いさらばえたむき出しの頭をさらしている、その木の下に
ぼろをまとい、髪は伸び放題というみじめな男が
仰向けに眠っていました。その首には
ぎらぎら光る緑色の蛇(15)が巻きつき、
素早く鎌首をもたげると、その男の
口の中にすべりこもうとしたのです。だがそのとき、
オーランドーに気づいた蛇は、不意にとぐろをほどき、
くねくねと|藪《やぶ》の中へ消えていった。
ところがその藪の蔭に雌ライオンがいたのです、
乳を吸い尽くされて腹をすかし、
頭を地面につけて猫のように目を光らせ、
眠っている男が動くのをじっと待っている――
さすがは百獣の王、死んだと思えるものは
何ひとつ|餌食《えじき》にしないのが習性だからです。
それを見たオーランドーはその男に近寄りました、
なんとそれは彼の兄、一番上の兄だったのです。
【シーリア】 ああ、そのお兄様のことならあの方から聞いています、
あんな人でなしは人間のなかには
一人もいないとおっしゃって。
【オリヴァー】 そう言うのも無理はない、
兄が人でなしだということは私がよく知っている。
【ロザリンド】 それよりオーランドーのことを――そのままお兄さんを置き去りにし、
お乳の枯れた飢えた雌ライオンの餌食にしたのですか?
【オリヴァー】 一度ならず二度までも、背を向けて行きかけました。
しかし、復讐心より気高い兄思いの優しさが、
そして、このチャンスが正義と思うよりも強い情愛が、
彼を動かしてライオンに闘いを挑ませた、
ライオンはあっという間に倒され、その騒ぎで
惨めにまどろんでいた私は目を覚ましたのです。
【シーリア】 あなたがそのお兄さん?
【ロザリンド】 あの人が救ったのはあなた?
【シーリア】 あなたなんですか、何度もあの人を殺そうと企んだのは?
【オリヴァー】 私でした、でもいまは違う。以前の私が
どんな男だったかをお話してももう恥ずかしくはない、
いまの私はすっかり生まれかわり、すがすがしい気持ちなのです。
【ロザリンド】 で、その血まみれのハンカチは?
【オリヴァー】 いまお話します。
私たちは膝を突き合せてそれまでの一部始終を
語り合いました、熱い涙に暮れながら――
たとえば、どうして私がこんな人里離れたところへやって来たのか――
とにかく弟は私を公爵のもとへ案内してくれました、
公爵は新しい服を|賜《たまわ》り、いろいろもてなしてくださったうえ、
弟に私の世話をお命じになりました。そこで
弟はさっそく私を自分の洞窟へ連れて行ってくれました、
彼が服を脱いでみると、ちょうど腕のこのあたりの肉が
ライオンに食いちぎられていて、
それまでずっと血が出ていたのです。さすがの弟もとうとう失神し、
遠のく意識のなかでロザリンドと呼びました。
とにかく私は弟の息を吹き返させ、傷に包帯を巻いてやりました、
弟は間もなく元気を取り戻し、私をここへ寄越したのです、
お二人にとっては見ず知らずの私だが、こういった成り行きを
お伝えし、約束を破ったお詫びを申し上げ、
この血に染まったハンカチを羊飼いの若者に
渡してくれと言って。その若者を弟は
たわむれにロザリンドと呼んでいました。
[#地付き](ロザリンドは気を失う)
【シーリア】 まあ、どうしたの? ギャニミード、ねえ、ギャニミード!
【オリヴァー】 よくあることです、血を見て気絶するのは。
【シーリア】 それだけじゃないんです。――ねえ、ねえ(16)、ギャニミード!
【オリヴァー】 ほら、気がついた。
【ロザリンド】 うちへ帰りたい。
【シーリア】 連れてってあげる。――すみません、兄の腕をかかえていただけます?
【オリヴァー】 元気を出しなさい。男でしょう? 男の根性をなくしてしまったのかな。
【ロザリンド】 そうなんです、正直言って。やったぜ、誰が見てもうまい芝居だと思うだろうな。どうか弟さんにお伝えください、僕がうまい芝居をしたって。イェイ!
【オリヴァー】 芝居じゃなかった。あなたの顔色がはっきり証言してますよ、いまの激しい動転ぶりは本物だった。
【ロザリンド】 芝居です、嘘じゃない。
【オリヴァー】 じゃあ元気を出して、男だっていう芝居をなさい。
【ロザリンド】 してます。でも、ほんとは女でいたほうがよかったのかな。
【シーリア】 大変、顔がどんどん蒼ざめてる。早く帰りましょう。――あなたもご一緒に。
【オリヴァー】 そうしましょう。あなたが弟を許してくださるかどうか、お返事をいただいて帰らなきゃなりませんからね、ロザリンド。
【ロザリンド】 何かいい文句を考えますよ。だが僕の芝居のことは伝えてくださいね。さあ、行きましょうか?
[#地付き](一同退場)
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第五幕
第一場 森
[#2字下げ]タッチストーンとオードリー登場。
【タッチストーン】 そのうち何とかなるさ、オードリー。辛抱しろ、優しいオードリー。
【オードリー】 んもう、あの牧師さんでよかったのに、あの老けたおじさん(1)がああだこうだ言っても知らん顔してりゃいいのに。
【タッチストーン】 いや、オードリー、オリヴァー先生だかマーテクストだか知らないが、なってないよ、あんな糞牧師。それより、オードリー、この森にお前と一緒になりたいって若いのがいるんだろ。
【オードリー】 うん、誰だか知ってる。あんな男に何か言われる義理はないわ。あ、あれよ、いま言ってた人。
[#2字下げ]ウィリアム登場。
【タッチストーン】 阿呆な田舎っぺに会うのは俺にとっちゃ何よりのごちそうだ。ほんと、俺たち知恵のあるもんには、いずれ付けが回ってくるな。人をみればおちょくらずにいられない、抑えがきかないんだから。
【ウィリアム】 こんばんは、オードリー。
【オードリー】 こんばんは、ウィリアム。
【ウィリアム】 そちらの旦那も、こんばんは。
【タッチストーン】 やあ、君、こんばんは。帽子はかぶったまま、かぶったまま。いいからかぶりたまえ。君、歳はおいくつかな?
【ウィリアム】 二十五です、旦那。
【タッチストーン】 いい年ごろだ。名前はウィリアムだったな?
【ウィリアム】 ウィリアムです、旦那。
【タッチストーン】 結構な名前だ。この森で生まれたのか?
【ウィリアム】 はい、旦那、おかげさまで。
【タッチストーン】 「おかげさま」ね、いいお返事だ。金持ちなのか?
【ウィリアム】 実は、その、そこそこで。
【タッチストーン】 「そこそこ」か、いいね、非常にいい、いいよ、上出来――でもないか。ま、そこそこってとこだな。お前さん、知恵はあるのか?
【ウィリアム】 はい、知恵のほうはかなり。
【タッチストーン】 ほほう、言ってくれるね。それで思い出した、こんな格言があるんだ、「愚者はおのれを賢いと思い、賢者はおのれの愚かなるを知る」。ある異端の哲学者は、ブドウが食いたくなると、まず口を開けてからブドウをその中に放り込んだ(2)。言わんとするところはだな、ブドウは食うべきものにして、口は開けるべきものなり。君、この娘に惚れてるのか?
【ウィリアム】 はい、惚れてます。
【タッチストーン】 握手だ。お前さん、学はあるのか?
【ウィリアム】 ないです、旦那。
【タッチストーン】 では学を授けてやろう。持つことは、持つことだ。なぜなら、これは|修辞学《しゆうじがく》の|比喩《ひゆ》ってやつなんだが、酒をコップからグラスに注ぎなおすのは、一方をいっぱいにしてもう一方を空にすることによってなされる。何となれば、あらゆる学者の一致した意見によれば、「|彼《か》の男(3)」とは「彼」のことである。というわけで「君」は「彼の男」ではない、何となれば私が彼だからだ。
【ウィリアム】 どの彼なんで、旦那?
【タッチストーン】 それはだな、この女と結婚する「彼」のことだ。したがって、かっぺくん、この女性との、俗に言う女との、交際を、平たく言えば付き合いを、放棄せよ、ぶっちゃけて言えば、やめちまえ。以上、つなげて言えば「この女性との交際を放棄せよ」。さもないとだな、かっぺくん、お前さんは破滅する、もっと分かり易く言えば「死ぬ」、さらに言い換えれば「俺はお前を殺す」「片づける」「お前の生を死に、お前の自由を束縛に変える」! 毒を盛る、棍棒で叩きのめす、剣でぐさっとやるぞ! 徒党を組んでお前と一戦交えてもいい、策を|弄《ろう》してぶっ倒してもいい――百五十ものあの手この手で殺してやる! だから、がたがた震えて立ち去れ。
【オードリー】 そうしな、ウィリアム、いい子だから。
【ウィリアム】 ではご機嫌よう。
[#地付き](退場)
[#2字下げ]コリン登場。
【コリン】 旦那さんと妹さんが探しておいでだ。来てくだせえ、さあ、さあ。
【タッチストーン】 急げ、オードリー、急げ、オードリー。――待て、俺も行くんだ。
[#地付き](一同退場)
第二場 森
[#2字下げ]オーランドーとオリヴァー登場。
【オーランドー】 そんなことがありうるのかなあ、ほとんど知り合ってもいないのに好きになるなんて。ひと目見ただけで惚れちゃって、惚れたらすぐ求婚して、求婚したらすぐ彼女がオーケーするなんて? 兄貴は何が何でもあの人と一緒になるつもりなんですね?
【オリヴァー】 そりゃあ唐突だよ、だけど文句はつけないでくれ、あの人が貧しいことも、お互いろくに知り合ってないことも、求婚が急なら承諾も急だってことも分かってるんだから。それより俺と一緒に俺がエイリーナを愛していると言い、あの人と一緒にあの人が俺を愛していると言ってくれ。俺たちと同じ気持ちになって、二人が一緒になることに同意してくれ。お前のためにもなることだ。俺は父上の家屋敷も収入も、つまりサー・ローランドの遺産をそっくりお前に譲り、ここで死ぬまで羊飼いとして生きてくつもりなんだ。
[#2字下げ]ロザリンド登場。
【オーランドー】 同意しますよ。結婚式は明日ということにして、公爵をお招きしましょう、公爵に心から仕える貴族たちにも出席してもらって。さあ、エイリーナのところへ行って、そのつもりでいるようにと言っておやりなさい。ほら、僕のロザリンドだ。
【ロザリンド】 ご機嫌よう、義理の弟(4)になるんですね。
【オリヴァー】 君もご機嫌よう、美しい「姉上」。
[#地付き](退場)
【ロザリンド】 ああ、大事なオーランドー、見るだけで辛い、あなたの胸に包帯が巻かれて。
【オーランドー】 これは腕だよ。
【ロザリンド】 ライオンの爪にやられたのは胸だと思った。
【オーランドー】 確かに胸に傷を受けた、ある女の人の目にやられて。
【ロザリンド】 お兄さんから聞きましたか、あなたのハンカチを見せられたとき僕、気絶する芝居をやったんです、すごくうまかったんだから。
【オーランドー】 聞いたよ、それにもっと驚くことも。
【ロザリンド】 ああ、知ってます、何のことか。でも本当です、こんな急転直下は初耳だ、雄羊二匹の喧嘩とか、シーザー(5)の「来た、見た、勝った」という大見得を別にすれば。だって、あなたのお兄さんと僕の妹は、会った途端に見つめあい、見つめあった途端に恋に落ち、恋に落ちた途端に溜め息をつき、溜め息をついた途端にわけを訊ねあい、わけを知った途端に治療法を求めあい、こういう段階を踏んで結婚への階段を作り上げて一気に駆けのぼって行くんですから――駄目なら一気に駆け落ちしかねない。恋の熱に浮かされて、何が何でも一緒になる気です――棍棒もって割って入ろうとしても無理です。
【オーランドー】 二人は明日式を挙げるよ、公爵にも僕から出席をお願いするつもりだ。だけど辛いよなあ、第三者の目で幸せをのぞき見るだけなんだから。明日、僕の心はますます重く沈むだろう、望むものを手に入れた兄がどんなに幸せだろうと思えば思うほど。
【ロザリンド】 じゃあ|明日《あした》は僕、ロザリンドになってあなたのお相手をすることはできないんですか?
【オーランドー】 もう想像だけじゃ生きていけない。
【ロザリンド】 じゃあ僕ももう無駄なおしゃべりであなたをうんざりさせるのは止めます。でも聞いてください――これは真面目な話ですからね――僕には分かってます、あなたが飲み込みの早い人だって。こんなことを言うのは別に、僕がそう思ってることをあなたに褒めてもらいたいからじゃない、ただ、あなたはそういう人だと言ってるんです。それに、尊敬されたいからでもない、もっとも、あなたから信用を引き出せる程度の評価は受けたい。あなたに良かれと思ってるだけで、僕の手柄にするつもりはないんですから。というわけで、どうか信じてください、僕には不思議なことができるんです。三つのころからある魔術師について学んだからです、その人は秘術の|奥義《おうぎ》を極めましたが、悪魔に魂を売ったわけじゃない(6)。もしあなたが、あなたの|素振《そぶ》りに表れているように心底ロザリンドを愛しているのなら、お兄さんがエイリーナと結婚するとき、あなたもロザリンドと結婚させてあげましょう。彼女がいまどんな辛い境遇に追いやられているか、僕はよく知っています。あなたさえ差し支えなければ、僕としては、明日あなたの目の前に生身のロザリンドを立たせるのは不可能じゃありません、もちろん何の危険もありませんよ。
【オーランドー】 冗談で言ってるんじゃないんだね?
【ロザリンド】 この命にかけて、僕だって命は大事ですよ(7)、いくら魔術師だと言っても。だからぴしっと正装で決めて、親しい人たちを招待なさい。明日、結婚する気があるならさせてあげます、相手はロザリンド、あなたにその気があるのなら。
[#2字下げ]シルヴィアスとフィービー登場。
あ、僕に惚れてる女とその女に惚れてる男だ。
【フィービー】 あなた、ずいぶんひどいことしてくれたわね、
あたしがあなたに書いた手紙を人に見せたりして。
【ロザリンド】 見せて悪いか。僕はわざとやってるんだ、
君にひどいことをして|邪険《じやけん》に見えるように。
君には忠実な羊飼いがついてるじゃないか、
彼に目を向け、愛してやれ。君を崇拝してるんだから。
【フィービー】 シルヴィアス、この若い人に恋とは何か教えてやってよ。
【シルヴィアス】 恋とは溜め息と涙でできてるもんだ、
いまのおいらがそうだ、フィービーが恋しくて。
【フィービー】 あたしはギャニミードが恋しくて。
【オーランドー】 僕はロザリンドが恋しくて。
【ロザリンド】 僕は女じゃない人が恋しくて。
【シルヴィアス】 恋とは忠実な心と献身でできてるもんだ、
いまのおいらがそうだ、フィービーが恋しくて。
【フィービー】 あたしはギャニミードが恋しくて。
【オーランドー】 僕はロザリンドが恋しくて。
【ロザリンド】 僕は女じゃない人が恋しくて。
【シルヴィアス】 恋とは気まぐれな空想でできてるもんだ、
激しい情熱と切ない願望でできてる、
あこがれと敬意と心遣いでできてる、
謙遜と忍耐とあせりでできてる、
純潔と試練と従順でできてる、
いまのおいらがそうだ、フィービーが恋しくて。
【フィービー】 あたしはギャニミードが恋しくて。
【オーランドー】 僕はロザリンドが恋しくて。
【ロザリンド】 僕は女じゃない人が恋しくて。
【フィービー】 恋がそういうものなら、どうしてあなたに恋しちゃいけないの?
【シルヴィアス】 恋がそういうものなら、どうして君に恋しちゃいけないんだ?
【オーランドー】 恋がそういうものなら、どうしてあなたに恋しちゃいけないんだ?
【ロザリンド】 誰に言ってるんですか、「どうしてあなたに恋しちゃいけないんだ」って?
【オーランドー】 ここには居ない人、聞いてもいない人に。
【ロザリンド】 ああ、もうやめてくれ。こんなのアイルランドのオオカミが月に向かって吠えてるのとおんなじだ(8)。(シルヴィアスに)出来るだけ君の力になるよ。(フィービーに)出来るなら、君を愛してあげたい。――明日はみんなで会いに来てくれ。――(フィービーに)君と結婚するよ、もし僕が女と結婚するなら、そして僕は明日結婚する。(オーランドーに)あなたの望みを満たしてあげます、もし僕が男の望みを満たせるなら、そして明日あなたは結婚する。(シルヴィアスに)君も満足させてあげる、君を喜ばせることが満足につながるなら、そして君は明日結婚する。(オーランドーに)ロザリンドを愛しているなら、会いにきなさい。(シルヴィアスに)フィービーを愛しているなら、会いにおいで――僕も女じゃない人を愛しているから会いに行く。ではご機嫌よう、僕の言いつけを忘れないで。
【シルヴィアス】 はい、必ず行きます、命にかけて。
【フィービー】 あたしも。
【オーランドー】 僕も。
[#地付き](一同退場)
第三場 森
[#2字下げ]タッチストーンとオードリー登場。
【タッチストーン】 明日は嬉しい日だ、オードリー。明日俺たちは結婚するんだ。
【オードリー】 あたしもしたくてしたくてたまらない、したいったって変な意味のしたいじゃないよね、亭主持ちの女になりたいってのは?
[#2字下げ]小姓二人登場。
あの二人、追放された公爵のお小姓だわ。
【小姓1】 いいところでお目にかかりましたね。
【タッチストーン】 ほんと、いいところに来てくれた。まあ、坐れ、坐れ、歌ってくれ。
【小姓2】 かしこまりました、あなたも真ん中に坐って。
【小姓1】 すぐ始めましょう、咳払いしたり、唾を吐いたり、声を|嗄《か》らしたなんて言ったりせずに。そういう前置きは悪い声の言い訳に決まってます。
【小姓2】 そう、そう、ほんと、さあ、二人で歌おう、一頭の馬に乗った二人のジプシーみたいに。
[#ここから改行天付き、折り返して9字下げ]
【小姓1・2】(歌う) 惚れた二人が手をつなぎ
[#ここから8字下げ]
それ、ヘイ、ホー、ヘイ、ノニノー
歩いて行くよ、麦畑
春たけなわ、ものみな|番《つが》う時
小鳥も歌う、ヘイ、ディンガディンディン
恋人たちは春が好き
ライ麦畑のあぜ道に
それ、ヘイ、ホー、ヘイ、ノニノー
寝転んだかわいい二人
春たけなわ、ものみな|番《つが》う時
小鳥も歌う、ヘイ、ディンガディンディン
恋人たちは春が好き
そこで二人は歌いだす
それ、ヘイ、ホー、ヘイ、ノニノー
花の命のはかなさを
春たけなわ、ものみな|番《つが》う時
小鳥も歌う、ヘイ、ディンガディンディン
恋人たちは春が好き
いまこの時を大切に
それ、ヘイ、ホー、ヘイ、ノニノー
恋の花咲くこの季節
春たけなわ、ものみな|番《つが》う時
小鳥も歌う、ヘイ、ディンガディンディン
恋人たちは春が好き
[#ここで字下げ終わり]
【タッチストーン】 なるほど、若い諸君、歌詞には大した内容はないようだが、調子のほうはなかなか調子っぱずれだったな。
【小姓1】 あなたの耳がおかしいんでしょう、僕たちはちゃんと拍子をとってたし、調子だってはずれちゃいない。
【タッチストーン】 ほんと、大はずれの期待はずれだ。こんな馬鹿げた歌を聞かされちゃあ時間の無駄だしな。では、ご機嫌よう、君たちの声もよくなりますよう。――行こう、オードリー。
[#地付き](一同退場)
第四場 森
[#2字下げ]前公爵、アミアンズ、ジェイクイズ、オーランドー、オリヴァー、シーリア登場。
【前公爵】 信じているのか、オーランドー、その少年が
何もかも約束どおりやってのけると?
【オーランドー】 信じてみたり、打ち消してみたりなのです、
希望が無になることを恐れ、その不安を自覚している者のように。
[#2字下げ]ロザリンド、シルヴィアス、フィービー登場。
【ロザリンド】 もうしばらくご辛抱を、お互いの申し合わせを確認します。――
公爵は、私がお嬢様のロザリンドをお連れすれば、
ここにいるオーランドーの手にお渡しになるのですね?
【前公爵】 そうだ、持参金として王国をいくつか与えることになっても。
【ロザリンド】 あなたは、その人を連れてくれば妻にするのですね?
【オーランドー】 そうです、私がすべての王国の王だとしても。
【ロザリンド】 君は僕と結婚するんだね、僕さえその気なら?
【フィービー】 そうよ、その一時間後に死ぬとしても。
【ロザリンド】 だが僕との結婚を断るなら
君はこの忠実な羊飼いの妻になるんだね?
【フィービー】 そういう約束よ。
【ロザリンド】 君はフィービーと一緒になるんだね、フィービーがその気なら?
【シルヴィアス】 フィービーと一緒になるのが死ぬのと同じだとしても。
【ロザリンド】 私は以上のことがらをすべて丸く治めると確約しました。――
お守りください、公爵、お嬢様をお渡しになるという約束を。――
あなたも、オーランドー、お嬢様を迎えるという約束を。
君も約束を守るんだよ、フィービー、僕と結婚するか、
僕を拒むならこの羊飼いの妻になる。
君もだよ、シルヴィアス、フィービーと結婚するんだ、
フィービーが僕を拒んだら――ひとまず私はこの場を離れます、
この謎をすべて一挙に解決するために。
[#地付き](ロザリンドとシーリア退場(9))
【前公爵】 どうもあの羊飼いの若者を見ていると
娘の目鼻立ちがありありと浮かんでくるのだが。
【オーランドー】 公爵、私も初めて会ったとき、
お嬢様のご兄弟ではないかと思いました。
しかし、公爵、あの若者はこの森の生まれで、
危険な魔術の数々を初歩から学んだそうです、
その手ほどきをした伯父というのが
偉大な魔術師で、この森のどこかに
ひっそりと暮らしているとか。
[#2字下げ]タッチストーンとオードリー登場。
【ジェイクイズ】 間違いない、また大洪水が来るんだな、その証拠に|番《つがい》の動物がノアの|方舟《はこぶね》目指してぞくぞくとやってくる。ただいまご到着の|一対《いつつい》はまれに見る珍獣だ、どこの国の言葉でも阿呆と呼ばれている。
【タッチストーン】 ご列席の皆々様、謹んでご挨拶申し上げます。
【ジェイクイズ】 公爵、よくきたと言っておやりなさい。こいつですよ、頭の中までまだら模様の紳士、私が森の中でたびたび出くわした男は。宮廷にいたこともあると豪語しています。
【タッチストーン】 誰でもいい、あやしいと思うなら試してみるがいいや。俺はしずしずと宮廷舞踊を踊ったこともある、貴婦人におべんちゃらを言ったこともある、味方は裏から手を回して|陥《おとしい》れ、敵には猫をかぶって取り入った。踏み倒してつぶした仕立て屋は三軒、喧嘩は四回、そのうち一回はあわや決闘だ。
【ジェイクイズ】 どう話をつけて収めたんだ?
【タッチストーン】 それがだね、いざってときにその喧嘩が理由その七に基づいてることが判明したのさ。
【ジェイクイズ】 理由その七、何だそりゃ? 公爵、面白いやつでしょう。
【前公爵】 大いに気に入った。
【タッチストーン】 ありがたいねえ、いつまでも気に入っててほしいもんだ。俺がここに割り込んできたのはだな、夫婦になって合体しようって田舎もんたちの仲間入りして、結婚が二人を結び付けたり浮気の虫が騒いだりするたびに、誓いを立てたり破ったりするためだ。このお粗末な娘はだな、顔は不細工だが俺のもんだ。魔がさしたってやつだな、どこの男も手を出さないもんに手をつけるなんざ。だが身持ちの良さって宝はだな、あばら家に住むがめついやつみたいなもんで、こういうご面相に宿ってんだ、真珠が見てくれの悪い|牡蠣《かき》のなかに収まってるのとおんなじだ。
【前公爵】 気の利いた比喩がよくもそうぽんぽん飛び出すな。
【タッチストーン】 へたな鉄砲も|数《かず》撃ちゃなんとかってね(10)、いい気持ちなんでやめられない病気なんだ。
【ジェイクイズ】 それより「理由その七」だ、どうしてその喧嘩が「理由その七」に基づいてると分かったんだ?
【タッチストーン】 嘘つき呼ばわりの売り言葉に買い言葉を七回くりかえしたからさ(11)。――もっとしゃんとしろ、オードリー――たとえばこうだ。俺はある宮廷人に髭の刈り方が気に食わんと言ってやった。その男は、お前に髭の刈り方がまずいと言われても自分はこれがいいんだと返事をよこした。これが「儀礼的返答」ってやつだ。俺がもう一度「刈り方がよくない」と言ってやると、「自分の好きなように刈ってるんだ」という返事が返ってくる。これが「穏便なる皮肉」ってやつだ。さらに「刈り方がよくない」と言ってやると、今度は俺の判断力をけなしてきやがる。これが「粗暴なる切り返し」ってやつだ。またまた「刈り方がよくない」と言ってやると、お前の言うことはでたらめだとくる。これが「蛮勇的非難」ってやつだ。懲りずに「その刈り方はよくない」と言ってやると、お前は嘘をついているとくる。これが「攻撃的|反駁《はんばく》」ってやつだ。てな具合にお次は「間接的嘘つき呼ばわり」そして「直接的嘘つき呼ばわり」へと進むわけだ。
【ジェイクイズ】 で、お前はその男の髭の刈り方がよくないと何度くりかえしたんだ?
【タッチストーン】 俺は「間接的嘘つき呼ばわり」の先へは行く気にならなかったし、相手も「直接的嘘つき呼ばわり」は返してこなかったんで、剣の長さを比べっこしただけで「はいさよなら」だ。
【ジェイクイズ】 もう一度いまの嘘つき呼ばわり七段階を順序どおり言えるか?
【タッチストーン】 そりゃあもう、こちとら喧嘩するとなりゃ、きちっと型どおり教科書どおりだからな――あんた方に礼儀作法の教科書があるのとおんなじさ。その七段階ってやつを順序どおりに言ってみようか。その一「儀礼的返答」、その二「穏便なる皮肉」、その三「粗暴なる切り返し」、その四「蛮勇的非難」、その五「攻撃的反駁」、その六「間接的嘘つき呼ばわり」、その七「直接的嘘つき呼ばわり」。以上どの場合でも、決闘は避けられる、ただし「直接的嘘つき呼ばわり」は別だ、もっともそれだって逃げられる、「仮に」をくっつけりゃいいんだ。いつだったか裁判官が七人かかっても収まらない喧嘩があったんだが、当事者同士がいざ決闘ってなったとき、その一人が「仮に」って言葉を思いついた。「仮に君がこうこう言うとすれば、私もこうこうこう言うだろう」ってね。そこで二人は握手して兄弟の契りを結んだってわけさ。「仮に」ってのは唯一無二の仲裁役だ、「仮に」には大変なご|利益《りやく》がある。
【ジェイクイズ】 どうです、珍無類な男でしょう、公爵? 言うことなすことこの調子でうまいもんだ、それでいて阿呆なんですから。
【前公爵】 阿呆を隠れ|蓑《みの》に、その蔭からウィットの矢を浴びせるのだな。
[#2字下げ]静かな音楽。結婚の神ハイメン(12)、ロザリンド、シーリア登場。
[#ここから改行天付き、折り返して5字下げ]
【ハイメン】 天に歓び満ちあふれ
[#ここから3字下げ]
地にあるものは歩み寄り
全て|相和《あいわ》す今このとき、
公爵よ、娘を迎えよ、
婚礼の神ハイメンが
天よりここへ連れきたりぬ、
しかり、今ここに
その手を若者の手に与えんとて、
心はすでに結ばれてあり。
[#ここで字下げ終わり]
【ロザリンド】(公爵に) この身をささげます、私はお父様の娘ですから。
(オーランドーに) この身をささげます、私はあなたの妻ですから。
【前公爵】 この目が真実を映すものなら、お前は我が娘。
【オーランドー】 この目が真実を映すものなら、あなたは僕のロザリンド。
【フィービー】 目に見える姿かたちが真実なら、ああ、あたしの恋人、さようなら。
【ロザリンド】 私に父はおりません、あなたが父でないのなら。
私に夫はおりません、あなたが夫でないのなら。
私は女とは結婚しません、あなたが相手でないのなら。
[#ここから改行天付き、折り返して5字下げ]
【ハイメン】 静まれ! うろたえなくともよい、
[#ここから3字下げ]
不思議きわまるこの成り行きを
|落着《らくちやく》させるが我がつとめ。
これなる|四組《よくみ》、手に手を取りて、
その真心にまこと|籠《こも》らば
ハイメンの|夫婦《めおと》の契り結ぶべし。
そなたら二人(13)、いかなる苦難も分かつことなし。
そなたら二人(14)、心の通い路とこしえに。
そなた(15)の愛、これなる男に向けるべし
さもなくば女を夫となすなりや。
そなたら二人(16)、契りの固さ|譬《たと》うれば
|寒空《さむぞら》と冬の嵐にさも似たり。――
婚礼を|寿《ことほ》ぐ歌に耳|傾《かたむ》け
互いに訊ねあうがよい、
かかる出会いの不可思議も
解き明かされて収まらん。
[#ここで字下げ終わり]
歌(17)。
[#ここから3字下げ]
婚礼は偉大な女神ジュノー(18)の誉れ、
幸いあれ、食卓と|閨《ねや》の契りに。
町々に民を増やすはハイメンのつとめ、
高らかに称えよ、|夫婦《めおと》の誓い
称えよ、高らかに称えよ、
すべての町の神ハイメンの名を。
[#ここで字下げ終わり]
【前公爵】 おお、姪よ、よく来てくれた、私にとっては
娘もおなじ、娘に劣らず心から歓迎するぞ。
【フィービー】 あたし約束は守る、あんたはもうあたしのもの、
あんたの真心があたしの愛をあんたに結び付けてくれたんだもの。
[#2字下げ]ジェイキス・ド・ボイス登場。
【ジェイキス・ド・ボイス】 ひと言お耳に入れたいことがございます。
私は亡きサー・ローランドの次男です、
この華やかな集いにお知らせをもってまいりました。
フレデリック公爵は、|錚々《そうそう》たる面々が毎日のように
この森に出入りしていることをお聞きになり、
強大な兵力を整え自ら指揮をとって
軍を進められました。その目的は
こちらにおいでの兄君を捕らえ、|刃《やいば》にかけること。
ところがこの野生の森のはずれに着いたとき、
年老いた|隠遁者《いんとんしや》に出会われたのです、
しばらく言葉を交わされたところ、たちまちお心を|翻《ひるがえ》し
この企てもこの世も捨てる決心をなさいました。
公爵の地位は兄君に返上なさり、
兄君とともに追放された方々にもそれぞれの領地を
すべてお返しになるそうです。嘘いつわりはございません、
命にかけて誓います。
【前公爵】 よく来てくれた、君は
兄弟二人の婚礼に素晴らしい贈り物を届けたな。
兄には没収されていた土地を、弟には
全領土、つまりやがて受け継ぐべき公爵領を。
まずはこの森でめでたい行事に決まりをつけよう、
ここで始まり、ここで実を結んだことだからな。
それが済んだら、これまで私と共に厳しい日夜を耐えてくれた
この幸せな仲間一人一人に
再びこの手に戻ってきた幸運の実りを
それぞれの身分に応じて分け与えよう。
それまでは降りかかってきたばかりのいかめしい肩書きは忘れ、
ひなびた祝宴を楽しんでくれ。――
楽師たち、音楽だ――花嫁も花婿もそろって踊れ、
ステップに精一杯の喜びを込めて。
【ジェイクイズ】 公爵、お待ちください。(ド・ボイスに)私の聞き違いでなければ、
フレデリック公は|修行《しゆぎよう》の道に入って隠遁し、
虚飾に満ちた宮廷をお捨てになるのですね。
【ジェイキス】 そうです。
【ジェイクイズ】 その方のところへ行こう。悔い改めた人には
数々の聞くべきこと、学ぶべきことがあるはずだ。
(公爵に)公爵、閣下をかつての栄光に託します、
それに値する忍耐と徳の高さをお持ちでいらっしゃる。
(オーランドーに)君は、君の真心にふさわしい恋人に託そう。
(オリヴァーに)あなたは、あなたの土地と恋人と増えゆくご一家|眷族《けんぞく》に。
(シルヴィアスに)君は、待ちに待っただけのことはある|新床《にいどこ》に。
(タッチストーンに)お前は、夫婦喧嘩に託そう、お前の恋の船旅には
二か月分しか食料のそなえがないのだから。――さあ、楽しんでください、
私はダンスには向いていない。
【前公爵】 待て、ジェイクイズ、待て。
【ジェイクイズ】 浮かれ騒ぎは見たくありません。何かご用があれば
お待ちします、ご用済みの洞窟でうかがいましょう。
[#地付き](退場)
【前公爵】 続けろ、続けろ。――さあ、婚礼を始めよう、
楽しくやれ、この歓びがお開きまで続くよう。
[#地付き](ダンス。ロザリンドを残し、一同退場)
[#改ページ]
エピローグ
【ロザリンド】 女役のエピローグはいまの|流行《はやり》ではありませんが、レディファーストを無視して男性がプロローグをしゃべるのに比べれば、それほど格好わるくはないでしょう。いいワインの置いてあるお店は、看板に|蔦《つた》飾りをかけてわざわざ宣伝する必要はありません(1)、だとすれば、いいお芝居にもエピローグは要らないと言えます。けれど、いいワインにはいい蔦飾りがつきものですから、いいお芝居もいいエピローグに助けられ、さらによくなるはず。どうしましょう、私は困った立場にあるわけです、何しろいいエピローグがしゃべれるわけではありませんし、皆様に|贔屓《ひいき》|目《め》に見ていただき、いいお芝居だったと思わせる力もないのですから。私が着ているのは物乞いの衣装ではないので、皆様におねだりするのは似合いません。ただ一つ私に出来るのは、皆様にお願いの呪文をかけること、では女性のお客様から始めます。ああ、女たちよ、あなた方が男に寄せる愛にかけて、このお芝居がお気に召しますよう、ご満足いただけますよう。――さてお次は、ああ、男たちよ、あなた方が女に寄せる愛にかけて――くすくす笑ったところを見ると、女嫌いは一人もいらっしゃらないようですね――あなた方と女性の方々の両方がこのお芝居に満足なさいますよう。もしも私が女だとしたら、私好みの髭の方、好きなタイプの顔の方、息が臭くない方々皆様に、一人残らずキスするでしょう(2)。ですからどうか、いい髭、いい顔、きれいな息をお持ちの皆様には、この気持ちをお汲み取りいただき、このように頭を下げるわたくしを拍手で送ってくださいますよう。
[#地付き](退場)
[#改ページ]
【註】
第一幕
第一場
(1) 一六二三年に出版されたシェイクスピアの戯曲全集第一・二つ折本(フォリオ、以下F)には幕割り・場割りはあるが、場所の指定はない。以下はすべて後代の校訂による。
(2) 当時のイングランドは長子相続制だった。貴族の次男三男らはジェイキスのように大学へ行き、そのなかの多くは聖職者になったという。この劇に登場する二組の兄弟(前公爵ファーディナンドと現公爵フレデリック、オリヴァーとオーランドー)の関係には共にこの問題がからんでいる。
(3) What make you ? 「何をしている?」と訊いているのだが、make の第一義は「作る」。オーランドーがその意味を取って切り返したので、オリヴァーは make の対である mar(「壊す」の意)を使い、What mar you, then ? と尋ねなおす。
(4) What prodigal portion have I spent … ?. 新約聖書「ルカによる福音書」第一五節第一一〜一六節に出てくる放蕩息子 (the prodigal son) への言及。彼は「放蕩で身を持ち崩し、父に分けてもらった財産を使い果たし」「豚の飼料を食べたいと思うほど」飢えた。
(5) orchard 厳密に言えば「果樹園」。
(6) ここまでのオーランドーはオリヴァーに対して相手を立てる二人称単数の you を使っているが、ここでは目下の者(やごく親しい者)に対する thou を使う。次の台詞では気持ちを鎮めて再び言い方が丁寧になる。
(7) 「この世界すべてが一つの舞台」で始まるジェイクイズの名台詞の結び(第二幕第七場)につながる。
(8) at the door 厳密に言えば、石積みの壁をめぐらした果樹園の入り口。
(9) 以下はオリヴァーに対する説明というより、観客への状況説明 (exposition) とみなせる。野暮なことを言えば、オリヴァーはすでに事情を知っているはず。
(10) the Forest of Arden この劇全体の地理的背景はフランスなので、この森はルクセンブルクとの国境に近いベルギーのアルデンヌ (Ardennes) 高原の森と考えられる。だが、シェイクスピアの生まれ故郷ストラットフォード・アポン・エイヴォンのあるウォリックシャーにもアーデンの森がある。劇中のアーデンの森はかなり英国色が強い。
(11) Robin Hood シャーウッドの森を根城にして活躍した十二世紀イングランドの伝説的義賊。
(12) the Golden Age ギリシア・ローマ神話でクロノス(サトゥルヌス)の支配した時代。労働はなく、産物に恵まれ、不正も悪もない人類至福の時代とされる。続く白銀時代 (the Silver Age) に人類は涜神の罪によりゼウスに滅ぼされ、青銅時代 (the Brazen Age) には人間同士が殺しあう末世となり、最後の黒鉄時代 (the Iron Age) にはあらゆる悪徳がはびこって神々は地上を去った。
第二場
(13) my sweet Rose, my dear Rose スペイン語で rosalinda は「美しいバラ」。
(14) the good house wife Fortune ギリシア・ローマ神話の運命の女神は三姉妹だが、その一人クロト(「紡ぐもの」の意)から発して糸車と結び付けられる。運・不運の公平な配分を示すため目隠しをした姿で描かれる。そこで次ページの「気前はいいけど目の見えないあのおばさん (the bountiful blind woman)」となる。
(15) Touchstone 「試金石」の意。ただしFのここのト書きは Enter Clowne.(道化登場)となっている。
(16) old Ferdinand, your father Fでは old Fredericke(つまり現公爵)となっているが、次の台詞の頭書き(役名)はロザリンド。アーデン第三版は old という形容詞が前公爵を表すにふさわしいことを根拠に Ferdinand と校訂している。その解釈を採った。アーデン第二版のように、これを「フレデリック」のままにし、次の台詞をシーリアに当てる版もある。
(17) Nay, if I keep not my rank ―タッチストーンは rank を「(職業的)立場、身分」の意味で使い、「私が(道化としての)自分の立場を忘れるようなら――」と言っているのだが、ロザリンドは「悪臭」という意味にすり替えて受け取り、下がかった答え (Thou loosest thy old smell.) を返す。それを引き出すために、「臭い」と「…なら」を入れた。タッチストーンはル・ボーのもったいぶった口調を真似している。
(18) ギリシア神話中の最強の英雄で、ゼウスとアルクメネとの息子。幼少時、二匹の蛇を絞め殺したと伝えられ、長じては冥界の番犬ケルベロス退治や黄金のリンゴの獲得など十二の難行をなしとげた。
(19) 落雷はギリシア神話の主神ゼウス(ローマ神話のユピテル、ジュピター)の武器。
(20) ; from the smoke into the smother, from tyrant Duke into a tyrant brother. 「一難去ってまた一難」に当たる out of the frying pan into the fire(フライパンから飛び出たら火に落ちた)を踏まえた諺的な言い方。
第三場
(21) 愛の神、ギリシア神話ではエロス(アプロディテとアレスの息子)、ローマ神話ではクピド(ウェヌス=ヴィーナスとマルスの息子)。弓矢を持ち、目隠しをした幼児の姿で描かれる。彼の黄金の矢で射られた者は激しい恋心をいだくとされた。
(22) You will try in time in despite of a fall. レスリングの用語と性的な意味が重なっている。「フォールされても(倒されても)制限時間内に起き上がって組み合うだろう」
(23) Dear sovereign 父への呼びかけというより君主への呼びかけ。
(24) ローマ神話のユノ(ジュノー)はギリシア神話のヘラに当たる。ユピテル(ジュピター)の妻で、女性の生活と結婚の守護神。ジュノーが従える鳥は孔雀で、白鳥が引くのはヴィーナスの車(チャリオット)だが、ジュノーと白鳥の結びつきはシェイクスピアの時代の他の戯曲にも見られるという。
(25) my liege 第一幕第三場注(23)と同じく他人行儀。
(26) Ganymede トロイの美少年ガニュメデスに心を奪われたユピテル(ジュピター、ギリシア神話のゼウス)は、鷲に変身して彼を誘拐し、その酒盃を満たす従者にした。酒壺をかかえるガニュメデスは空に上って水瓶座となった。
第二幕
第一場
(1) 旧約聖書「創世記」では、エデンの園で「善悪を知る木」の実を食べたためアダムに下される罰は労働、すなわち「一生、苦しんで地から食物を取る」こと。なお、エデンの園は常春だったという。
(2) ヒキガエル (toad) の皮膚には毒があり、その頭の中に生じる石には解毒作用や魔よけの力があると信じられていた。Toadstone(ヒキ石)。
(3) 前公爵がこのように急に話題を転じるのは、直前のアミアンズの言葉の中に「廷臣のご機嫌取り」を感じ取ったから、と演出家・蜷川幸雄は解釈している(本訳による初演、二〇〇四年八月の彩の国さいたま芸術劇場公演の稽古において)。
第三場
(4) ; the malice of a diverted blood and bloody brother 「血を分けた兄弟 (bloodbrother)」という語の皮肉な変換。一種の形容矛盾になる。
(5) crown は金貨。五〇〇クラウンは一二五ポンド。当時の召使いの給金は年二ポンド(アーデン第三版)だが、シェイクスピアが『お気に召すまま』の下敷きにしたトマス・ロッジ作 'Rosalynde' におけるアダム・スペンサーのように、彼が執事 (steward) だったとすれば、衣食住に金はかからず、年四ポンドの給料を三十年間貯めた(オックスフォード版)額として勘定は合う。オックスフォード版は、その重量が一・二五キロから一・五キロだというある研究者の意見を紹介している。
(6) 新約聖書「ルカによる福音書」第一二章二四節「カラスのことを考えてみよ。蒔くことも刈ることもせず、また納屋もなく倉もない。それだのに、神は彼らを養っていてくださる」というイエスの言葉を踏まえているとされる。
(7) 新約聖書「マタイによる福音書」第一〇章二九節「二羽のスズメは一アサリオンで売られているではないか。しかもあなたがたの父の許しがなければ、その一羽も地に落ちることはない」というイエスの言葉を踏まえているとされる。
第四場
(8) ロザリンドがギャニミード(ガニュメデス)として口に出すにはふさわしい呼びかけ(第一幕第三場注(23)参照)。
(9) 前行でシーリアは I pray you bear with me, I cannot go further. と言う。bear with は「(人を)堪忍する、我慢する」という意味だが、bear には「運ぶ、負う、かつぐ」という意味もある。タッチストーンは二つ目の意味を加えて For my part, I had rather bear with you than bear you. と答える。
(10) シーリアは金品を持って「家出」している(第一幕第三場)。タッチストーンがこう言うのは、金の管理をしているのはロザリンドだからという解釈もあるだろうが、アーデン第三版はこれを一種の楽屋落ちと見ている。つまり、女役を演じる少年俳優は劇団の株を持っていないので「財布は空っぽ」とからかっている、と。
(11) I remember the wooing of a peascod. 英語の成句に Winter for shoeing, peascod for wooing.(冬には靴、求婚には莢入りエンドウ)というのがある。莢のままのエンドウ豆は愛をしめす贈り物、幸運のしるしとする俗信があった。また peas と cod を入れ替えると codpiece(男性用のタイツについた股袋)と同じ発音になるため猥褻な連想もある。ここのタッチストーンの台詞には、この語のほかにも stone(石=睾丸)や sword(剣=ペニス)など男性性器を象徴するものがあり、シルヴィアスやロザリンドのロマンチックな恋に水を差す。
(12) gentle Sir ロザリンドの男装が功を奏した証。
第五場
(13) ラテン語の nomina(「名前」の複数形)は、(台帳などに記された)借金をした者の名前を指した。
(14) ducdame 無意味なリフレインだが、これが出てきた謂われや含意については諸説ある。例を挙げれば、イタリア語の Duc da me. = Take him away. で、Come hither.(来たれ、ここへ)の逆になる。あるいはウェールズ語の Dewch da mi. = Come to me. で、Come hither. と同意になる、など。
(15) これもジェイクイズの韜晦だろう。to talk Greek とは「訳の分からないちんぷんかんぷんなことをしゃべる」の意。
(16) first-born of Egypt 旧約聖書「出エジプト記」第一一章五節「エジプトの国のういごはみな死ぬであろう、玉座に坐るファラオのういごから碾き臼のうしろに居るはしためのういごに至るまで。(All the firstborn in the land of Egypt shall die, from the first born of Pharaoh that sitteth upon his throne, even unto the first born of the maidservant that is behind the mill.)」を踏まえている。同時に、この劇に一貫している長子相続制の問題にも通じる。
第七場
(17) outlaws となっているが、この幕の第一場のト書きにある foresters =森の住人の服装と同じだろう。
(18) We shall have discord in the spheres. ピタゴラス派の哲学者たちが唱えた宇宙観(プトレマイオスの天動説)によれば、地球の周りを巡る天体はそれぞれが妙なる音を発し、それらが和して完璧なハーモニーを生み出すが、人間の耳には聞こえない。
(19) ; till heaven hath sent me fortune. 「運命の女神は馬鹿を助ける (Fortune favours fools.)」という諺を踏まえている。
(20) 携帯用の日時計は当時の宮廷人のあいだで流行したという。タッチストーンが宮廷でかなりいい生活をしていたことの証。
(21) 当時の生理学では肝臓が情熱の座とみなされており(第三幕第二場)、肺は笑いの座と考えられていた。
(22) chanticleer(チャンティクリア、またはシャンティクリア)十二世紀後半から十三世紀中葉にかけて主に北フランスで作られた寓話詩『きつね物語 ('Le Roman de Renard')』(英訳名は 'Reynard the Fox')に登場するおんどりの名前。
(23) It is my only suit. ジェイクイズは suit に「訴訟、請願」と「服」という二重の意味を込めている。
(24) 英国国教会(聖公会)の教区教会のイメージ。当時、礼拝への出席が義務付けられていたので、教会への道はよく踏み固められていたという。
(25) cock 当時の公衆劇場では、芝居がかかっていないときには熊いじめ (bear-baiting) や闘鶏 (cock-fighting) が行われていた。従って、芝居をやっている劇場に闘鶏用のおんどりが紛れ込んできたのか、とオーランドーの剣幕を皮肉っているとも言える。
(26) An (= If) you will not be answered with reason, I must die. 「筋を通して答えたら、死ぬしかない」という意味だが、「筋、筋道」に当たる reason がフランス語の raisin(ブドウ)との語呂合わせになる。
(27) シェイクスピアの全戯曲のなかで最も有名な台詞のひとつ。ほとんどどの作品にも、世界を劇場に、人間を役者になぞらえる台詞がある(たとえば『マクベス』第五幕第五場のいわゆる tomorrow-speech)が、これはその極み。
(28) 人生を何段階かに分ける考え方は、ピタゴラスの四段階説に始まるという。アリストテレスの場合は三段階。初めて七段階に分けたのは医学の祖ヒポクラテスだそうだ(アーデン第三版)。
(29) いやいや登校する小学生のイメージは『ロミオとジュリエット』のバルコニーの場(第二幕第二場)の終わり近くにも出てくる(「恋人と別れる時は、登校する生徒のように心が沈む」)。
(30) with good capon lin'd 去勢したニワトリ (capon) のような上等なものを食べ過ぎてでっぷり太った判事 (justice) というイメージだが、capon-justice という言葉もあるように、その種のものを賄賂として受け取っていることが示唆されている。
(31) 第一幕第一場で「すっかり歯が抜けてしまいました」と言ったアダムの登場としては絶好のタイミング。
(32) 臣下の貴族たちへの命令。
第三幕
第二場
(1) three-crowned queen of night 月の女神には三つの側面がある。狩りと純潔の守護神としてのダイアナ(=ディアナ、ギリシア神話のアルテミス)、冥界の女王で出産の守護神としてのプロセルピナ(ギリシア神話のペルセポネ、ヘカテ)、月としてのセレネ(ルナ、ギリシア神話のポイベ=フィービ)。
(2) ロザリンドを、狩りの女神ダイアナに仕えるニンフに見立てている。
(3) ; may complain of good breeding ; 「そいつを良い育ちのせいにする」では筋が通らないとする編者たちは、これを「lack of good breeding(良い育ちに欠ける)」と解釈したり、アーデン第三版のように good を poor と校訂したりしているが、朴訥なコリンが悪気なく言うと考えれば、このまま素直に取ってもいいと思う。だからこそタッチストーンの次のコメントが出てくるのだろう。ただし、このような文句を言う者は次の a natural philosopher だとする解釈もある(アーデン第二版)。
(4) a natural philosopher 「自然科学者」という意味と「天然の馬鹿 (naturalfool)」という意味が重なっている。コリンを指すと解釈。
(5) an ill-roasted egg 焚き火の灰で蒸し焼きにした卵のこと。ゆで卵と同じく適当にくるくる回さないと黄身が一方に片寄ってしまう。
(6) 毛を刈るときに羊を傷つけてしまうことがあり、その治療としてタールを塗る。
(7) 森ではギャニミードとエイリーナが兄妹で通していることがここではっきりする。
(8) この詩と次のタッチストーンによるパロディでは、各行の行末が Rosalind で韻を踏んでいる(Inde / wind / lined / mind / hind / kind / bind / rind など)。
(9) the right butter-women's rank to market 乳製品を売る女たちが、縦一列になって単調な足取りで市場へ向かう様。
(10) medlar カリンは熟れすぎが食べごろだという。発音が同じなので meddler(おせっかい、ちょっかいを出す人)と同義に使われたり、語呂合わせに使われることが多い。また、先端に割れ目があるので女性性器を連想させた。『ロミオとジュリエット』第二幕第一場の終わり近くでマキューシオがカリンを引き合いに出して猥褻なことを言う。
(11) the stretching of a span 手をいっぱいに広げ、親指と小指の先で測った長さ。
(12) Helen ギリシア神話のゼウスとレダの娘ヘレネ、絶世の美女。スパルタ王メネラオスの妻だったが、トロイの王子パリスが連れ去りトロイ戦争が起こった。
(13) Cleopatra 古代エジプトのプトレマイオス朝最後の女王。シェイクスピア作『アントニーとクレオパトラ』の主人公。
(14) Atalanta ギリシア神話の俊足の美女。結婚相手は自分と競走して勝った者のみという条件を出し、不敗だったが、ヒッポメネスという若者がウェヌス(ヴィーナス)の助力を得て勝ち、結婚した。
(15) Lucretia 古代ローマの将軍コラティヌスの妻。夫の遠征中に王の息子タルクイニウスに陵辱され、父や夫に復讐を約束させて自殺する。貞女の鑑とされる。シェイクスピアは長編詩『ルークリース陵辱』を書いた。
(16) with bag and baggage 「(家財・持ち物など)一切合財持って」という意味の成句。それをもじって with scrip and scrippage と言っている。scrip は巡礼や羊飼いの持つ合切袋、scrippage はタッチストーンの造語で、音的に baggage に合わせてある。
(17) ロザリンドの一つ前の台詞中で「字余り」と訳したのは more feet。詩学で foot (feet) と言えば詩脚(詩を構成する韻律単位)のことだが、むろん第一義は「足」。そこで「足が不自由」という意味の lame を使い、「字足らずもあるからよろよろだわ (the feet were lame)」という表現が出てくる。
(18) Pythagoras 紀元前五八〇年ごろに生まれたギリシアの哲学者・数学者。オウィディウスの『変身物語』巻十五には「獣肉を食膳に供することを非とした最初の人」とある。輪廻転生説を唱えた。ピタゴラスの定理などにその名を残す。
(19) Friends may meet, but mountains never greet.(友達同士は会うかもしれないが山と山は決して出会わない)という諺のもじり。
(20) One inch of delay more is a South Sea of discovery. 直訳すれば「あと一インチ引き伸ばすことは、南海への探索旅行に等しい(要するに、ものすごく長く思える)」ということだが、ニュー・ケンブリッジ版がもう一つの解釈として挙げた If you delay your answer any longer, I shall inundate you with further questions - or even reveal (discover) my true identity. を採った。
(21) 髭は成人男子のしるし。この見方はシェイクスピア劇に頻出する。
(22) フランスの作家フランソワ・ラブレー(一四九四年ごろ―一五五三年ごろ)作の風刺と哄笑に満ちた破天荒な物語『ガルガンチュアとパンタグリュエル』の主人公。途方もない大喰らいの巨人。パンタグリュエルはその息子。英訳が出たのは一六九三―四年だが、シェイクスピアの時代にもその存在は知られていた。
(23) カテキズム。「教理問答」「信仰問答」とも訳される。キリスト教の使徒信条・主の祈りなどの教義を分かりやすく問答形式で解説したもの。『十二夜』第一幕第五場の冒頭で、道化のフェステが女主人のオリヴィアを相手に教義問答を真似たやりとりをする。
(24) 当時、指輪に詩の一行や銘を刻み付ける習慣があった。一般市民の趣味への宮廷人の嫌味。
(25) 貴族の館の壁に掛かるつづれ織のタペストリーにならい、宿屋や一般家庭では絵と共に聖句や格言の書かれた布を掛けていた。
(26) 第三幕第二場注(14)参照。
(27) すべて馬術用語。馬の歩様を言う。
(28) a younger brother's revenue ここにも長子相続制の問題が顔をのぞかせる。ロザリンドははからずもオーランドーの身の上に言及している。
(29) neither rhyme nor reason 「わけもへちまもない、筋が通らない」という意味の成句。
(30) マライアやサー・トービーのいたずらで狂人に仕立てられた『十二夜』のマルヴォーリオや、『間違いの喜劇』で狂人扱いされるエフェソスのアンティフォラスなどがこれに類する仕打ちを受ける。
第三場
(31) 『変身物語』で知られるオウィディウス(=オーヴィッド)は、紀元八年、アウグストゥス皇帝によって黒海沿岸のトミス(現在のルーマニアのコンスタンツァ)に追放された。理由は筆禍と思われるが、正確なことは不明。
(32) the Goths 三世紀から五世紀にローマ帝国に侵入したゲルマン民族の一部族。蛮族とみなされた。『タイタス・アンドロニカス』で主人公タイタスと敵対するタモーラはゴート族の女王。
(33) 『変身物語』巻八「ピレモンとバウキス」で語られているエピソードへの言及。ユピテルが息子のメルクリウス(マーキュリー)と共に人間に姿を変えてプリュギアの地を訪れたとき、すべての家が彼らに門を閉ざした。だが「わらと葦で屋根を葺いた」小さな家に住む老夫婦ピレモンとバウキスだけは、二人を迎え入れて温かくもてなした。なお、彼らが供した食べ物の中に「熱すぎない灰のなかで軽く回して」蒸した卵(第三幕第二場のタッチストーンの台詞「ゆで方のまずい卵みたいに〜」とその注(5)参照)があるのは興味深い。
(34) a great reckoning in a little room シェイクスピアのライバルで『マルタ島のユダヤ人』や『ドクター・フォースタス(=ファウスト)』を書いた詩人・劇作家クリストファー・マーロウの死への遠まわしな言及という説がある。通説によればマーロウは、ある宿屋の一室で飲食代の支払いを巡る争いがもとで殺された(もっとも、その原因は彼が特命を帯びていたスパイ活動にあるという説もある)。
(35) Truly この場のタッチストーンはやたらにこの語を使う。彼の発言がいい加減なことの裏返しか?
(36) Mar-text 名は体を現す。text は聖書のこと、mar は「台無しにする、壊す」の意。第一幕第一場注(3)参照。
(37) the vicar of the next village 英国国教会(聖公会)の教区牧師。
(38) good Master What-ye-call't ジェイクイズの名前が思い出せないのか、あるいはその名と同音の jake(s) に「便所」という意味があったので言うのを避けたのか?
(39) sweet Audrey(かわいいオードリー)と脚韻を踏んで We must live in bawdry.(みだらな生き方をする)と言っている。
第四場
(40) イエスの十二使徒の一人でイエスを裏切ったイスカリオテのユダは、赤毛で赤ひげだったとされる。
(41) 「最後の晩餐」のあと、ユダはゲッセマネの園でイエスにキスをする。彼が予め祭司長らに言っておいたように、それを合図にイエスは捕らえられる。
第五場
(42) 以下三行はむろん反語的な言い方。
(43) 『ロミオとジュリエット』五幕三場、キャピュレット家の霊廟に入ったロミオが「ここにはジュリエットが眠り、その美しさがこの墓場を光に満ちた宴の広間にしている」と言うように、しばしば女性の美しさが闇を明るくすると表現された。ただし、オックスフォード版のような次の解釈もあり得る。「蝋燭なしの暗がりでなきゃ、君のベッドへ行く気にはなれそうもない」。
(44) 原文では your cheek of cream 肌の色が黄色っぽいということ。日本語で「クリームのような頬」というと褒め言葉になってしまうので、こう変えた。
(45) クリストファー・マーロウが非業の死を遂げたのは一五九三年。第三幕第三場注(34)参照。
(46) Who ever loved that loved not at first sight ? マーロウ作の物語詩『ヒアローとレアンダー』からの引用。
(47) 香りのよい淡紅色のバラ。シェイクスピアでは多くの場合、色白で頬がピンクの女性の美しさを表す。原産地はダマスカスとされこの名がついた。
(48) Omittance is no quittance. 現在は「催促せぬのは帳消しとは別」といった意味で諺的に使われる。quittance とは借金などの免責。(ギャニミードに)反論しなかったからと言って、無礼を許したわけではないということ。
第四幕
第一場
(1) 当時イングランドでは貴族の子弟の大陸(特にイタリアとフランス)遊学が盛んに行われ、多大な費用がかかった。
(2) Good day and happiness, dear Rosalind. 弱強五歩格のブランク・ヴァース(アクセントの弱強のペアが五つで一行の無韻詩)になっている。そこでジェイクイズは Nay then, God b' wi' you an you talk in blank verse. と言ってオーランドーをからかう。
(3) lisp 舌足らずな発音のことを言うが、ここではわざとらしい外国語訛り。
(4) Now I am in a holiday humour. 一幕三場で O, how full of briers is this working-day world ! と嘆いていたロザリンドとは対照的。
(5) Troilus トロイの王プリアモスの王子。シェイクスピアは彼を主人公として『トロイラスとクレシダ』を書いた。クレシダと愛し合うが、ギリシア側に引き渡された彼女とギリシアの将軍ダイアミディーズとの逢引を見てしまう。トロイ戦争中アキレウスの棍棒ではなく槍で殺される。
(6) Leander ギリシア神話のレアンドロス。恋人のヒアロー(Hero ギリシア神話ではヘロ)はセストス島のアプロディテ神殿に仕える巫女。二人は祭礼の時に知り合ったが、巫女であるヒアローは処女を守らねばならず結婚は許されない。そこでレアンダーは密会のために夜毎ヘレスポント海(現在のダルダネルス海峡)を泳いで渡り、朝を待たずに再び泳いで戻った。冬のある夜(ロザリンドは「夏の一夜」と言っているが)、ヒアローが恋人のために灯す明かりが強風で消え、目標を失ったレアンダーは闇の海で溺死した。(第三幕第五場注(45)・(46)参照)
(7) Fridays and Saturdays and all 金曜日も土曜日も肉食が禁じられた断食日、いついかなる日でもということになる。
(8) For ever and a day. 「永久に、いつまでも (for ever)」を強調する言い方、for ever and ever に同じ。ロザリンドはそれを字義どおりに受けて揚げ足を取っている。
(9) a Barbary cock-pigeon バーバリー(エジプトを除く北アフリカの総称)原産の黒または灰褐色の鳩。
(10) the Bay of Portugal 「ポルトガル湾」というものはないが、ポルトガルのオポルトとシントラ岬をつなぐ海岸の沖合いは深い海溝になっているという。
第二場
(11) Fではここに訳したようにすべてが歌詞として印刷されているが、アーデン第三版はこの二行 (Then sing him home; the rest shall bear this burden.) をジェイクイズの台詞と校訂、ピーター・アレグザンダー版は The rest shall bear this burden. をト書きにしている(ト書きに shall が入ることはあり得ないと思うのだが)。ジェイクイズの台詞だとすれば「歌いながらこの男を送ってやれ。ほかの者はその荷物(殺した鹿)をかつげ」となる。
第三場
(12) 不死鳥(フェニックス)はエジプト神話に出てくる霊鳥。五、六百年毎に一度、自ら周囲に香木を積み重ねて燃やし、焼死する。だがその灰の中から再び幼鳥の姿で現れる。従って、不死鳥は常にたった一羽。
(13) 十字軍遠征でイスラム教国と戦ったキリスト教国では、トルコ人は非情で野蛮な異教徒の謂いだった。
(14) She Phebes me. 「僕をフィービーしている」と Phebe を動詞として使っている。
(15) a green and gilded snake アーデンの森はアルデンヌ高原の森とイングランド中部ウォリックシャーのアーデンの森との融合だが(第一幕第一場注(10)参照)、植生(柏=オーク、棕櫚、柳、オリーヴ)や生息する動物(色鮮やかな蛇、ライオン、鹿)を考えると、さらにシュールリアルに感じられる。まるでルオーの描く森のようだ。
(16) Cousin シーリアは、自分たちが変装して兄妹になっていることをうっかり忘れ「いとこ」と呼びかけてしまう。「いとこ」は日本語の呼びかけとしては無理があり、「ロザ…」と言いかけさせようとも思ったが、直前でオリヴァーが「ロザリンド」の名を言っているので、彼女たちの「芝居」がばれる危険はより大きくなる。親しい女性同士の「ねえ、ねえ」にしてみた。次のシーリアの「兄」は原文では him。
第五幕
第一場
(1) the old gentleman ジェイクイズのこと。
(2) ウィリアムはここでぽかんと口を開けると思われる。
(3) ipse ラテン語の ipse は英語の self にあたる男性単数主格。ラテン語では三人称の人称代名詞がない。指示代名詞 is. が he. にあたる。
第二場
(4) ただ brother と言っている。それへのオリヴァーの答えは fair sister。「妹」エイリーナが結婚する相手なので、「ギャニミード」にとってオリヴァーは「弟」、「ロザリンド役」であるギャニミードはオリヴァーにとって「姉」。けれど英語の brother や sister には年齢の上下はないので、オリヴァーの言う sister には、やがてオーランドーと結婚すれば「妹」、ロザリンドの言う brother には「兄」という意味も観客には聞き取れるはず。一種のドラマティック・アイロニー。
(5) 紀元前四七年六月、ジュリアス・シーザー(ユリウス・カエサル)率いるローマ軍は、ローマに反旗を翻した小アジアのポントス王ファルナケスの軍をカッパドキアのゼラで撃破した。カエサルは、ローマの元老院に送った戦果報告の冒頭に VENI, VIDI, VICI と書いた。プルターク『英雄伝』、サー・トーマス・ノースの英訳では I came, I saw, I overcame. シェイクスピアもこれを踏襲している。
(6) not damnable 「地獄堕ちにはならない」、つまり悪魔と組んで行う黒魔術ではなく、天使などの助けを借りる善意の白魔術だということ。
(7) 黒魔術の行使は重罪だった。
(8) the howling of Irish wolves against the moon 「月に吠える (to bark against the moon)」とは「いたずらに騒ぎ立てる、無駄な騒ぎをする」の意。なお、ロッジの 'Rosalynde' のこの場に当たるくだりでは、ロザリンドは「シリアのオオカミ」と言っている。シェイクスピアがなぜシリアをアイルランドに変えたかについては、アイルランド人の男たちが年に一度オオカミの姿に変わるという俗信があったから、とか、暗にアイルランドにおける反乱を指しているなどの説がある。
第四場
(9) このあとの、筋には関係のないタッチストーンの長い見せ場は、実際的にはロザリンド役とシーリア役の俳優が舞台裏で衣装替えをする時間。
(10) the fool's bolt 「馬鹿は弓を射るのが早い (A fool's bolt is soon shot.)」という諺がある。賢い者は狙いを定めて矢を放つが、愚か者は闇雲に射て力も手段も無駄遣いするということ。bolt は十字弓の太矢のこと。ここでは暗にペニスを表しているようだ。そこで dulcet diseases(直訳すれば「甘い病気」、梅毒のこと)に続く。
(11) 当時正しい決闘の仕方を含む作法の本が宮廷人のあいだで広く読まれたという。タッチストーンはそれを揶揄しているのだが、面と向かって「嘘つき」と呼ぶこと (giving the lie) は決定的で取り消し不可能な挑発であり、その不名誉は流血をもってしか払拭できず、そう呼ばれた者には挑戦する権利があるとされた。
(12) Hymen ギリシア神話ではヒュメンまたはヒュメナイオス。本来は古代ギリシアの祝婚歌だったが、のちに神格化された。松明とヴェールをたずさえる若者の姿で表される。
(13) オーランドーとロザリンドに向かって言う。
(14) オリヴァーとシーリアに。
(15) フィービーに。
(16) タッチストーンとオードリーに。
(17) ハイメンと従者たちが歌うのか。
(18) 第一幕第三場注(24)参照。
エピローグ
(1) Good wine needs no bush. 「良酒に看板はいらない」という諺。良質なものは宣伝する必要がないという意味。古代、キヅタの枝 (ivy-bush) は酒と陶酔と解放の神バッカス(=バッコス、ギリシア神話のディオニュソス)に捧げられたが、後に居酒屋やワイン商が入り口に飾った。なお、同じ意味の諺がラテン語にもフランス語にもあり、古代ローマ人がこの習慣をヨーロッパに伝えたことが分かるという。
(2) ロザリンド役の少年俳優はここで「素」に戻ったことになる。
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訳者あとがき
そこに「世界」はたくさんあるけれど、「海」が一つもないのは何でしょう?
答えは『お気に召すまま』。
イギリスの気鋭の演出家ジョン・ケアード(日本では『レ・ミゼラブル』の演出で知られる)は、『演出家のシェイクスピア「十二夜」への様々なアプローチ』という本(演劇評論家マイケル・ビリントンの司会で、ビル・アレグザンダー、ジョン・バートン、テリー・ハンズら『十二夜』の演出経験のある演出家たちと共に多角的にこの喜劇を論じたもの。面白くてためになる)の中で次のように言っている。
「『お気に召すまま』を読んでみると、海という語は一度も出てこない。ただの一度も。驚くべきことだ。これはとても長い劇だし、これでもかというほど自然のイメージが盛り沢山だからだ。それに引き換え、ジョン(バートン)が指摘したように、『十二夜』には海への言及が五十から六十もある。海は不断のイメージなのだ。シェイクスピアの戯曲すべてについて言えることだが、彼はイメージと語彙のパレットを使って書いている。彼はそこから書きたいと思う特定の事物を選び出し、それを通して物語をつむぎだす。(中略。シェイクスピアは『十二夜』では「季節」に関心を向けていないという趣旨のことを言い)『お気に召すまま』では季節が絶対的な重要性を持ち、ここしかないという時に二人の少年が登場して春の歌を歌う(五幕三場)。シェイクスピアはしっかりお膳立てをして我々に春を手渡すわけだ。だからと言って、『お気に召すまま』全体がその瞬間まで冬のことを語っているというのではない。それは硬直した図式的な見方だ。しかし、明らかなのは、この劇の開幕早々からシェイクスピアが絶えず季節を問題にしていることだ、自然というものが冬にはどれほど険悪になり得るか、夏にはどれほど素晴らしい相貌を見せ、春にはどれほど万物が再生するか」
ギャニミードに身をやつしたロザリンドが、本物のロザリンドのふりをして、結婚の前とあとでは男も女もどんなに変貌するかを畳み掛けるように言うくだりでも、季節の変化を引き合いに出しているように、確かにこの劇では何かというと四季の移り変わりが問題になる。劇中の歌にしても、「冬」が歌われることのほうが多い。海については、第一幕を除けば劇のほとんどの場面がアーデンの「森」なのだから「海」の出る幕はないと言えばそれまでだが、『十二夜』の場合は、大半の場面がオーシーノー公爵とオリヴィアの館であるにもかかわらず「海」が「不断のイメージ」として出てくる点に独自性がある。(実は『お気に召すまま』にも sea は二度出てくる。二幕七場、公爵の樹下での食事にオーランドーが乗り込んでくる直前、ジェイクイズが「傲慢は広大な海のようにふくれあがり」と言い、三幕二場でロザリンドが「南太平洋 (South Sea)」を持ち出す。だからといってケアード氏の論拠が崩れるわけではない。)
では、「世界」はどのくらい「たくさん」なのか。
訳しながら「おや?」と思ったので、訳了後に改めて確認し、『シェイクスピア・コンコーダンス』(シェイクスピアの全語彙索引)で他の戯曲の場合も見てみた。結果、『お気に召すまま』に「世界 (world)」という言葉が出てくる頻度は極めて高いことが分かった。シェイクスピアの全戯曲中『アントニーとクレオパトラ』に次いで第二位である。『アントニーとクレオパトラ』には三十二回、『お気に召すまま』には二十八回。前者は、古代エジプトとローマ帝国とを股にかけた文字通り世界規模の恋愛がテーマだから、「世界」が頻出するのもうなずける。だが『お気に召すまま』の主な舞台は一つの森。その背後につねに world が控えていることを意識させるところにもこの劇の非凡さが見てとれる。
シェイクスピアはこの劇のために、語彙とイメージのパレットから「季節」、「世界」、ほんの少しの「海」などを選び出したわけだが、彼は文体のパレットも持っていたはずで、そこから『お気に召すまま』のために「たくさん」選び出したと思われるものがある。少なくとも私がこれまで訳してきたシェイクスピア作品(『間違いの喜劇』から『恋の骨折り損』まで二十本)にはあまり見当たらず、『お気に召すまま』には多出する文章上の特徴である。それは、同じ文体を一箇所で二度三度四度と繰り返すこと。
たとえば二幕七場、オーランドーが初めて前公爵に対面するときの「みなさんがかつて幸せな日々を送ったことがおありなら」以下の四行。原文はすべて If ever で始まる。アーデン第三版の編注者ジュリエット・デュシンベリーはこれを「修辞学上の首句反復 (the rhetorical figure 'anaphora')」と言い、「句や文の冒頭で反復され、一種の典礼式文 (liturgy) の効果を上げる」と説明している。
これに先立ち、一幕三場のロザリンドは、フレデリック公爵に謀反人呼ばわりされ、その理由は「お前の父親の娘」だからと言われる。それに対する彼女の答えも So was I when your highness で始まる二回の首句反復である。同じ文体の反復はこれにとどまらない。文体の種類も様々で、複数の人物による掛け合いのかたちを取ることもある。この場合は、典礼式文 (liturgy) ではなく、連祷(litany =司祭の唱える祈りに会衆が唱和する形式)の様相を呈してくる。両者を合わせた総数は二十四箇所の多きにおよぶ。しかも、まるで音楽のクレッシェンドのようにその数は最終場面の五幕四場に向かって増してゆくのだ。五幕四場だけでなんと七箇所!
順を追ってそれらを列挙するので、読者ご自身で確認していただきたい。
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(1)一幕三場 ロザリンド 右記参照。
(2)二幕四場 シルヴィアス 「…でなけりゃ、惚れたことにゃならねえ」If thou;not;, thou hast not loved. 三回
(3)二幕七場 ジェイクイズ タッチストーンの言葉を引用。「かくして我々は…」And so from hour to hour; 二回
(4)同 オーランドー 右記参照。
(5)三幕二場 タッチストーン コリンに向かって宮廷生活と田園生活の比較。「…という点では…」in respect; 六回
(6)同 ジェイクイズとオーランドーの掛け合い。「どうかこれ以上…」二回
(7)同 ロザリンド 恋患いの諸症状をオーランドーに向かって。「…でもあなたはそうじゃない」四回
(8)四幕一場 ジェイクイズ 憂鬱の種類の列挙。「…の憂鬱じゃない、あれは…」七回
(9)同 ロザリンド 結婚前後の男女の変貌。「口説いてるときの男は…女だって…」同文体二回。自分が結婚後どうなるかを形容詞の比較級を使って列挙、四回
(10)同 ロザリンド 結婚後の女の知恵の諸行動。命令文+and の文体、三回
(11)四幕三場 オリヴァー 自分を救った弟の動機を「しかし、復讐心より気高い…」と、名詞+形容詞の比較級を使って。二回
(12)五幕一場 タッチストーン やや高踏的な言葉を分かりやすく言い換えてウィリアムを脅す。四回
(13)五幕二場 ロザリンド オリヴァーとシーリアとの恋の成就の速さを「…した途端に…」と no sooner; but の文体で五回
(14)同 シルヴィアス、フィービー、オーランドー、ロザリンド 「恋とは何か」を語るシルヴィアスに他の三人が「…が恋しくて」と同文体で四回×三
(15)同 シルヴィアス 恋が何でできているかを All による首句反復で四回
(16)同 フィービー シルヴィアス オーランドー「恋がそういうものなら、どうして…?」三回
(17)同 ロザリンド シルヴィアス、フィービー、オーランドーそれぞれに「明日」の「約束」をする。同一またはほぼ同じ文体、三回×二
(18)五幕四場 ロザリンドと前公爵、オーランドー、フィービー、シルヴィアスとの「約束の確認」の掛け合い。四回
(19)同 ロザリンド 右記の五人に約束を守るよう Keep you your word で始まる首句反復。四回
(20)同 ロザリンド 本来のロザリンド(おそらく花嫁衣裳を着用)に戻り、前公爵とオーランドーに「この身をささげます…」To you I give myself, for; と首句反復。二回
(21)同 前公爵、オーランドー、フィービー そのロザリンドを見て「この目が真実を映すものなら…」If there be truth in sight; とその変奏。三回
(22)同 ロザリンド 前公爵、オーランドー、フィービーに「私に父(夫)はおりません、あなたが父(夫)でないのなら」I'll have no father (husband), if you be not; とその変奏。三回
(23)同 ハイメン 「そなたら二人…」You and you; と四組のカップルを結ぶ首句反復とその変奏。四回
(24)同 ジェイクイズ 前公爵、オーランドー、オリヴァー、シルヴィアス、タッチストーンそれぞれを何に託すかを You to で始まる首句反復で。五回
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訳しているときも「多いなあ」と驚いたものだが、こうして書き出してみると仰天ものである。一瞥して気づくのは、こうした同語・同文体反復群の数が「最終場面の五幕四場に向かって増してゆく」ことだけではなく、その発語者がロザリンドである場合が圧倒的に多いということだ。
『お気に召すまま』という劇は、文体の点から見ればきわめてナチュラリスティックに、あるいはリアリズム的に始まるのだが、大団円に向かうにつれて様式的な台詞が増えてゆくと言ってもいい。先に、この反復が典礼式文的(デュシンベリーの指摘)かつ連祷風と言ったが、それを敷衍すれば、こうした形式と効果は宗教的・儀式的であり、さらに言えば呪術的ですらある。『夏の夜の夢』でオーベロンが恋の三色スミレの解毒をする時の「呪文」を思い出していただきたい――「もとのお前に戻るがいい/もとの通りに見るがいい (Be as thou wast wont to be; See as thou wast wont to see.)」ロザリンドが自分には白魔術が使えるという趣旨のことを言うのは五幕二場だが、そのずっと前から、文体が魔術・魔法の準備をしているわけだ。ずっと前、しかり、舞台が森に移ってから文体のこうした傾向は強まる。いっそこれを「森の文体」と呼びたくなるほどだ。しまいには最も「(恋を含む)魔法・魔術」から遠いはずのジェイクイズまでがこの文体に感染していることは注目にあたいする。また、エピローグにおいて、ロザリンド役の俳優が「ただ一つ私に出来るのは、皆様にお願いの呪文をかけること (My way is to conjure you)」と言うのは、この流れの帰結としてぴたりと決まっている。
そのジェイクイズが語る、「この世界すべてが一つの舞台 (All the world's a stage.)」で始まる名台詞についての心理療法家・河合隼雄氏の指摘を最後に紹介しておこう。
後述のとおり、本訳による初演は二〇〇四年八月のさいたま芸術劇場における公演だが、そのパンフレットのために河合さんと私は対談した。「このジェイクイズの台詞は、女の側からするとどう読んでいいのか困ってしまいますが……」という私の問いかけに、河合さんは次のように答えてくださった。
「実はね、洋の東西を問わずほとんどのライフステージは女性のことを考えていないんじゃないですか。(中略)一番有名なのは人生を八段階に分けたエリクソンの発達段階論ですが、やはり男のことしか考えていないんです。女性には、ちゃんと、生理的なライフステージがあるでしょう。思春期でも、女のほうは自分に確かに来たということがわかりますし、結婚や、出産、更年期も体で全部わかる。だから、女性はライフステージをやかましく言う必要はないんです。ところが、男はライフステージを意識して、それに合わせて『頑張って大人になる』のです。だから、男はみんな大変なんですよ」
翻訳に当たり底本にしたのはマイケル・ハタウェイ編注によるニュー・ケンブリッジ・シェイクスピア版だが、本文の解釈や脚注のために参照したテクスト及び参考資料は以下のとおり。
アグネス・レイサム編注のアーデン・シェイクスピア第二版、アラン・ブリセンデン編注のオックスフォード・ワールド・クラシック版、G・ブラックモア・エヴァンズ編注のリヴァーサイド版、H・J・オリヴァー編注のニュー・ペンギン版、柴田稔彦編注の大修館シェイクスピア双書版。『お気に召すまま』のケンブリッジ・スチューデント・ガイド。また、一六二三年出版の全集、第一フォリオの復刻版も参照した。
オウィディウス作『変身物語』上・下(中村善也訳、岩波文庫)、塩野七生著『ローマ人の物語V ユリウス・カエサル ルビコン以後』(新潮社)、ジェフリー・ブロー編 'Narrative and Dramatic Sources of Shakespeare' (vol. II)、『ブルワー英語故事成語大辞典』(大修館書店)、'Shakespeare's England' I・II.、『ギリシア・ローマ神話事典』(大修館書店)。
参照した先行訳は、坪内逍遥訳、福田恆存訳、木下順二訳、大山敏子訳、小田島雄志訳(いずれも新潮社刊CD‐ROM『シェイクスピア大全』所収)。
なお、二〇〇六年にジュリエット・デュシンベリー編注のアーデン第三版が出た。本訳による初演は後記のとおりだが、二〇〇七年七月、一部のキャストを入れ替えての再演(東京・渋谷、シアターコクーン)と本書出版を機に、待ちに待ったこの版を参照して全編を見直した。
本訳による初演は二〇〇四年八月六日〜二一日、彩の国さいたま芸術劇場大ホールにおける公演、彩の国シェイクスピア・シリーズ第14弾、オールメール・シリーズ第1弾として上演された。スタッフ・キャストは以下のとおり。演出・蜷川幸雄、美術・中越司、照明・原田保、衣装・宮本宣子、音響・井上正弘、ヘアメイク・林裕子、音楽・笠松泰洋、演出助手・井上尊晶、舞台監督・白石英輔。
ロザリンド・成宮寛貴、オーランドー・小栗旬、前公爵・吉田鋼太郎、タッチストーン・菅野菜保之、ジェイクイズ・高橋洋、シーリア・月川悠貴、シルヴィアス・大石継太、ル・ボー・清家栄一、アミアンズ・妹尾正文、コリン・飯田邦博、アダム・岡田正、サー・オリヴァー・マーテクスト・塚本幸男、チャールズ・大富士、フィービー・山下禎啓、フレデリック公爵・外山誠二、オリヴァー・鈴木豊、ウィリアム・篠原正志、ジェイキス・ド・ヴォイス・鍛冶直人、デニス・高山春夫、貴族1・田村真、オードリー・杉浦大介、従者など・金子岳憲、加瀬竜美、小姓1・秋山拓也、小姓2・笠原織人。
本訳の読み直しと脚注作りが終盤にさしかかったころ、東京・新国立劇場公演の『夏の夜の夢』の稽古が始まった。演出はジョン・ケアード。私も翻訳者として稽古場に頻繁に足を運んだが、稽古の合間にケアードさんを捉まえては『お気に召すまま』についてあれこれ質問した。彼は快く懇切丁寧に答えてくださった。おかげで解釈にふんぎりがついたくだりが何箇所もある。初演時の稽古で様々な示唆をいただいた演出家ならびにキャストの皆様へと共に、ケアード氏にもこの場を借りて感謝と敬愛をささげます。
二〇〇七年四月
[#地付き]松岡和子
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戦後日本の主な『お気に召すまま』上演年表
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*上演は東京中心。
*配役の略号は、R=ロザリンド、O=オーランドー、C=シーリア、J=ジェイクイズ、T=タッチストーン、D=前公爵
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【一九七一年九〜一〇月】
[#4字下げ]劇団雲=大橋也寸演出/福田恆存訳/演出スタッフ=高橋昌也・本村暢朗・浅沼貢・矢野誠・福田喜之・宇仁貫三・安西徹雄・村田元史・浜名樹義/R=伊藤幸子/O=西沢利明/C=高林由紀子・安江弘美(ダブルキャスト)/J=山崎努/T=橋爪功/D=神山繁/東京・日経ホール
【一九七四年一月】
[#4字下げ]歴史座『お好きなように』=内垣啓一脚色・演出/三神勲訳/東京・草月会館
【一九七四年九〜一〇月】
[#4字下げ]劇団四季=宮島春彦脚本・演出/福田恆存訳/金森馨装置/沢田祐二照明/菊池武夫衣裳/深町純音楽/山田卓振付/R=加賀まり子/O=滝田栄/C=斎藤昭子/J=岡本隆生/T=瀬下和久/D=松宮五郎/東京・日生劇場
【一九七六年五月】
[#4字下げ]劇団シェイクスピア・シアター=出口典雄演出/小田島雄志訳/日高勝彦照明/重藤洋一音楽/R=佐藤和子/O=河上恭徳/C=吉沢千寿子/J=高橋正彦/T=田代隆秀/D=瀧本忠生/東京・ジァンジァン/七六年七月、七七年二月にもジァンジァンで再演
【一九七八年一月】
[#4字下げ]劇団俳優座=増見利清演出/小田島雄志訳/高田一郎装置/牛丸光生照明/池辺晋一郎音楽/河盛成夫衣裳/R=堀越大史/O=磯部勉/C=山本圭/J=可知靖之/T=松野健一/D=小笠原良知/東京・東横劇場。一月末から三月まで名古屋、大阪、京都、神戸、仙台、前橋、津、岐阜、大垣、伊勢、岡山、米子、松江、北九州、佐賀、福岡、下関を巡演/七九年一〇月に東京・サンシャイン劇場で再演。東京公演の前後、八月から一一月にかけて東北、関信越、東海、関東、中国、九州、四国を巡演
【一九八二年五〜六月】
[#4字下げ]ネオ・アクターズギルド=水田晴康演出/東京・文芸座ル・ピリエ
【一九八八年一月】
[#4字下げ]劇団俳優座=増見利清演出/小田島雄志訳/高田一郎装置/清水俊彦照明/池辺晋一郎音楽/河盛成夫衣裳/R=堀越大史/O=磯部勉・寺杣昌紀(ダブルキャスト)/C=若尾哲平/J=可知靖之/T=松野健一/D=小笠原良知/俳優座劇場。東京の後、東海、北陸、近畿、東北などを巡演。八九年に首都圏、九州を巡演
【一九八八年九月】
[#4字下げ]木山事務所プロデュース(山崎正和スタジオ第一回公演)『お気にめすままお芝居を』=山崎正和作・演出/假野剛彦装置/清水俊彦照明/永山美和子衣裳/杜哲也音楽/R=假野百合子/O=五十嵐弘/C=水野ゆふ/J=本田次布/T=林次樹/D=大川透/東京・紀伊國屋ホール。一〇月に兵庫県の尼崎ピッコロシアターで上演
【一九九〇年一月】
[#4字下げ]銀座セゾン劇場=石坂浩二台本・演出/原口依女訳/山本衛士美術/高城隆一郎照明/金森隆音楽/キシクミヤコ衣裳/R=原田美枝子/O=金田賢一/C=藤吉久美子/J=阿藤海/T=若松武/D=田中明夫/東京・銀座セゾン劇場。
【一九九〇年四月】
[#4字下げ]東京グローブ座カンパニー=小田島雄志訳・演出/高田一郎美術/橋本和幸照明/樋口藍衣裳/R=順みつき/O=中村浩太郎/C=弥生みつき/J=原康義/T=石塚運昇/D=戸井田稔/東京グローブ座
【一九九二年一〇月】
[#4字下げ]劇工房ライミング=グレン・ウォルフォード演出/小田島雄志訳/松井るみ美術/井口真照明/池谷泉衣装/永田平八音楽/R=中島晴美/O=藤敏也/C=白木美貴子/J=田代隆秀/T=清水明彦/D=中嶋しゅう/東京・ベニサン・ピット
【一九九三年六月】
[#4字下げ]劇団昴=リチャード・E・T・ホワイト、クリスティン・サンプション演出/福田恆存訳/石井みつる美術・衣裳/渡辺省吾照明/上田亨音楽/R=要田禎子/O=宮本充/C=土井美加/J=水野龍司/T=田中正彦/D=西本裕行/東京・三百人劇場
【一九九四年六月】
[#4字下げ]グローブ座カンパニー=ジェラード・マーフィー演出/本橋哲也・本橋たまき訳/小竹信節美術/山本幸三郎音楽/日高勝彦照明/R=毬谷友子/O=中村浩太郎/C=円城寺あや/J=吉田鋼太郎/T=上杉祥三/D=廣田行生/東京・パナソニック・グローブ座(現・東京グローブ座)
【一九九九年六月】
[#4字下げ]博品館劇場=宮崎真子訳・演出/中越司美術/後藤浩明音楽/森脇清治・石島奈津子照明/アン・クムズ衣裳/R=高嶺ふぶき/O=剣幸/C・J=松金よね子/T・D=安原義人/東京・博品館劇場。東京に続き、大阪、名古屋でも上演
【二〇〇四年八月】
[#4字下げ]彩の国さいたま芸術劇場=蜷川幸雄演出/松岡和子訳/中越司装置/原田保照明/宮本宣子衣裳/笠松泰洋音楽/R=成宮寛貴/O=小栗旬/C=月川勇気(現・悠貴)/J=高橋洋/T=菅野菜保之/D=吉田鋼太郎
【二〇〇七年七月】
[#4字下げ]シアターコクーン=蜷川幸雄演出/松岡和子訳/中越司装置/原田保照明/宮本宣子衣裳/笠松泰洋音楽/R=成宮寛貴/O=小栗旬/C=月川悠貴/J=高橋洋/T=田山涼成/D=吉田鋼太郎/東京・シアターコクーンの後、大阪、静岡、仙台で上演
《来日公演》
【一九八八年八月】
[#4字下げ]オックスフォード大学演劇協会(OUDS、英国)=アンドリュー・マリガン演出/R=エミリー・ウーフ/O=デイブ・シュネイダー/東京グローブ座
【一九九二年一月】
[#4字下げ]チーク・バイ・ジャウル・カンパニー(英国)=デクラン・ドネラン演出/ニック・オームロド美術/ジュディス・グリーンウッド照明/R=エイドリアン・レスター/O=パトリック・トゥーミー/C=トム・ホランダー/J=ジョー・ディクソン/T=ピーター・ニーダム/D=デイヴィッド・ホッブス/パナソニック・グローブ座
【一九九八年一〇月】
[#4字下げ]ロンドン・グローブ座シアター・カンパニー(英国)=ルーシー・ベイリー演出/バニー・クリスティー・デザイナー/ロデリック・スキーピング作曲/ジェニー・ティラマーニ舞台美術/ジョー・ジョールソン照明/R=アナスタシア・ヒル/O=ポール・ヒルトン/C=トニア・ショーヴェット/J=クラレンス・スミス/T=デイヴィッド・フィールダー/D=デイヴィッド・リントール/東京グローブ座(東京グローブ座十周年記念公演)
【参考資料】佐々木隆編『日本シェイクスピア総覧』(エルピス)、藤田洋『演劇年表・上下』(桜楓社)、『現代演劇協会1963―1992 創立三十周年記念アルバム』(財団法人現代演劇協会)、『俳優座史』(俳優座)、『東京グローブ座十周年記念』冊子(東京グローブ座)、『劇団四季上演記録 2004』(劇団四季)など。
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シェイクスピア(William Shakespeare)
一五六四―一六一六年。イギリスの劇作家・詩人。悲劇史劇喜劇をふくむ三六編の脚本と一五四編からなる一四行詩(ソネット)を書いた。その作品の言語的豊かさ、演劇的世界観・人間像は現代においてもなお、魅力を持ち続けている。
松岡和子(まつおか・かずこ)
一九四二年、旧満州新京に生まれる。東京女子大学英文学科卒業。東京大学大学院修士課程修了。翻訳家・演劇評論家。著書に『ドラマ仕掛けの空間』『すべての季節のシェイクスピア』、訳書に『シェイクスピア全集』のほか、ラドニック『くたばれハムレット』、ストッパード『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』などがある。
本作品は二〇〇七年六月、ちくま文庫の一冊として刊行された。