真夏の夜の夢
ウィリアム・シェイクスピア/大山敏子訳
目 次
第一幕
第二幕
第三幕
第四幕
第五幕
解説
年譜
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登場人物
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シーシュース……アテネの公爵
イジーアス……ハーミアの父
ライサンダー……ハーミアを恋している若者
ディミートリアス……ハーミアを恋している若者
フィロストレート……シーシュースの饗宴係
クインス……大工
スナッグ……指物師
ボットム……織物師
フルート……ふいご直し
スナウト……鋳かけ屋
スターヴリング……洋服屋
ヒッポリタ……アマゾンの女王、シーシュースと婚約している
ハーミア……イジーアスの娘、ライサンダーを恋している
ヘレナ……ディミートリアスを恋している娘
オベロン……妖精の王
タイテーニア……妖精の女王
パック……ロビン・グッドフェロウともいう
豆の花・クモの巣・・からし種子……妖精
他にオベロン、タイテーニアに従う妖精たち
シーシュース、ヒッポリタに従う家来たち
場所 アテネ、およびその近くの森
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あらすじ
アテネの町から少し離れたところにある森。この森に若い男女がやってくる。互いに愛し合っていながら結婚を許されないライサンダーとハーミア。二人を追ってきたハーミアを愛する青年ディミートリアス。彼はハーミアの父から結婚の許しも得ているが、ハーミアは彼をかえりみない。その彼のあとを追ってヘレナもこの森へ来る。ヘレナはディミートリアスに愛をささげているが、ハーミアを愛するディミートリアスはヘレナにつらく当たる。追いつ、追われつ、夜の森の中を若い四人はさまよい、やがて疲れて眠ってしまう。
いっぽう妖精の王オベロンはその妻タイテーニアがたいせつにしている小さな「取りかえ子」をめぐって妻と争っている。ヘレナに同情したオベロンは、いたずら者の妖精パックに命じて「ほれ薬」を相手の男の目に注がせる。ところがパックはまちがえて、この薬をライサンダーの目に注いでしまう。そこからとんだ騒ぎがもちあがる。
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第一幕
第一場 アテネ シーシュースの城
〔シーシュース、ヒッポリタ、フィロストレートおよび数名の従者登場〕
【シーシュース】 さあ、ヒッポリタ、われわれの婚礼の日も、もう間近に迫って来た。
このしあわせの日が四たびすぎれば、
新しい月があらわれる。だが、おお何とこの旧《ふる》い月の、
かけるのがおそいことか! わたしの欲望をおさえつけて
まるでまま母や遺産を持った寡婦《やもめ》が、長いあいだ
若い息子の収入を使いこんでへらしてしまうようにいらいらさせる。
【ヒッポリタ】 四日という日はすぐにも夜になってしまいます、
四たびの夜は夢の中ですぎてしまうでしょう。
そうすれば月は、天に新しく引きはなたれた
銀の弓のように、私たちの婚礼の儀式の夜を
見守ってくれるでしょう。
【シーシュース】 さあ、フィロストレート、
アテネの若者どもをよび起こして、陽気な楽しみにさそってくれ。
快楽の生き生きした、活発な精神をよびさませ!
憂欝《ゆううつ》などは陰気な葬式のもとへ追いはらってしまえ!
青白い仲間はわれわれの祝宴にはふさわしくない。〔フィロストレート退場〕
ヒッポリタ、わしは剣をもってそなたに求婚した、
そなたを傷つけるような手段で、そなたの愛をかち得たのだ。
しかし、今、そなたと婚礼の式をあげるに当たってはまったく調子を変えて、
儀式と祭典と饗宴をもってそなたと結婚する。
〔イジーアス、ハーミア、ライサンダーおよびディミートリアス登場〕
【イジーアス】 いとも高名なる公爵、シーシュース様、ご機嫌何よりと存じます。
【シーシュース】 ありがとう、イジーアス、どういう用件かね?
【イジーアス】 ほとほと困り果てて参上いたしました。
娘のハーミアにまことに面倒な事が起こりました。
ディミートリアス、前に出なさい。公爵様、
この男は、娘と結婚する許しを私から得ております。ライサンダー、前に出なさい。公爵様、
この男が娘の心をすっかりたぶらかしてしまいました。
ライサンダー、お前という奴は、何という奴だ!
娘に恋の詩《うた》を送ったり、愛を誓うおくりものをとり交わしたりするとは!
お前は月の照る夜に、娘の窓の所へやって来て、
やさしいつくり声でもっともらしい恋の詩《うた》をうたい、
お前の髪の毛でつくった腕輪、指輪、安ぴか物、おもちゃ、
飾りもの、つまらん品、花束、甘い菓子など、
まだ大人になり切らぬうぶな心には十分説得力のあるもので、
わしの娘の感受性の強い恋心をとらえてしまった。
つまり、策をろうしてわしの娘の心をぬすんでしまったのだ。
親のわしが当然うけるはずの、娘の従順な態度を
がんこなかたくなさに変えてしまった。公爵様、
ここで公爵様に申し上げます。もし娘がディミートリアスと
結婚することに同意いたしません時には、
私はアテネの市民の当然の権利として、娘は私のものですから、
自分が思うとおりに処分することができますよう要求いたします。
つまり、私の決めたこの紳士と結婚するか、さもなければ、
死刑にされるか、われわれの掟《おきて》でこのような場合、
はっきり定めてあるように処置することを要求いたします。
【シーシュース】 ハーミア、何か言うことはあるかな? ようく考えてみるがよいぞ。
お前にとって父親は神様のようなものだ。
お前のその美しさを創り出したのも父親だ。そうだ、
お前自身が父親によって印をおされたもの、
封ろうで作られた型のようなものだ。そしてその型を
残しておこうと消してしまおうと、すべて父親の意のままだ。
ディミートリアスはなかなか立派な紳士だぞ。
【ハーミア】 ライサンダーもそうでございます。
【シーシュース】 もちろん、彼も立派な紳士だ。
だが、今この場合にはお前の父親の承諾が得られない。
だから、ディミートリアスのほうが彼より立派だということになる。
【ハーミア】 父が私と同じ目で見てくれたらと思います。
【シーシュース】 いや、むしろ、お前が父親の分別で物事を見る事ができればいいが。
【ハーミア】 どうぞ公爵様、こんな私をお許しくださいませ。
私自身どうしてこんな大胆な申し上げかたをいたしておりますのかわかりませんし、
このような場所で自分の考えをこんなにも強く申し上げますことが、
私自身の慎《つつし》みにかなっているかどうかもわかりません。
でもどうぞお願いでございます、公爵様、もしも私が、
ディートリアスと結婚することをおことわりいたしましたら、
どのような最悪の状態が起こってくるのでございましょうか?
【シーシュース】 そのような場合には、死刑に処せられるか、
さもなければ永久に男と交わることなく僧院に入るかだ。
だからハーミア、ようく自分自身の気持ちを確かめるがよい。
お前がまだ若いのだということをわきまえ、若い情熱を考えてみるのだ。
もしお前が父親のきめたとおりにしない時には、
尼僧の服をまとって一生すごすことができるかどうか、
永久にうすぐらい僧院の庵室に閉じこもって、
かぼそい声で、何もこたえてくれない冷たい月に讃美歌をうたって、
一生、子を生まぬ尼僧の生活を送ることができるかどうか考えてみるのだ。
かくのごとく、欲情をおさえて、処女《おとめ》のままで
人生の旅路をつづける者はかぎりなく祝福される。
しかし、蒸溜したばらの花のほうが――現世の考えでは――
処女《おとめ》の茨《いばら》の上でそのままに枯れてゆく運命のもと、
ただ一人の幸福の中に、成長し、生き、死んでゆくよりはさいわいなのだ。
【ハーミア】 そのように成長し、生き、死にたいと願っております、公爵様、
私の魂が支配権を与えることを許さないような、
望みもしないような束縛で私をしばろうとする人に
私の処女の特権を与えてしまうような事をするくらいならば。
【シーシュース】 しばらく落ちついてよく考えるのだ。次の新月の時までに――
わしとわしの恋人とが、末長い伴侶《はんりょ》としての
誓いをしっかりととり交わすその儀式の日までに――
その時までに、お前は父の命令に背いた罪によって
死刑にされることを決心するか、それとも、
お前の父の望みどおりディミートリアスと結婚するか、
それともまた、処女《おとめ》の女神ダイアナの祭壇に向かって
永久に、厳格に自己を否定し、一生独身を誓うかを決めるのだ。
【ディミートリアス】 言うことを聞いてくれ、ハーミア。
ライサンダー、君の不自然な立場を捨て、ぼくの確かな権利をみとめてくれないか?
【ライサンダー】 君はハーミアのお父さんの愛をかち得た、ディミートリアス、
だからぼくにハーミアの愛をくれ。君はお父さんと結婚すればいい。
【イジーアス】 口の悪い奴だな、ライサンダー! たしかにこの男はわしの愛を得た。
そしてわしの愛情がわしのものをこの男にやるのだ。
娘はわしのものだ、だから、彼女に関するわしの権利すべてを、
わしはディミートリアスに与えるのだ。
【ライサンダー】 私も、公爵様、この男と同じような家柄の者です、
財産も彼に劣りません。私の愛情は彼の愛情にまさっています。
私の運勢はディミートリアスにまさっていないまでも、
あらゆる点からみて、彼に劣らず立派なものだと思います。
それにはっきり私は自信をもって申し上げられますが、
私はこの美しいハーミアに愛されているのです。
それならば、私が自分の権利を主張してはいけないことがありましょうか?
ディミートリアスは、本人の前ではっきり申しますが、
ニーダーの娘ヘレナを愛しており、
彼女の魂までうばってしまったのです。そして美しいヘレナは
ひたすらに彼に愛をささげ、この汚れた浮気者の男に、
偶像でも崇拝するかのように、ひたむきな愛をささげています。
【シーシュース】 たしかにわしも、今君が言ったような事を聞き及んでいる。
ディミートリアスにもそれについて聞きただすつもりでいた。
だが、あまりに自分の事で忙しいのにまぎれて
すっかり忘れていた。ディミートリアス、来てくれ。
そしてイジーアスも来てくれ。二人ともわしと一緒に来てもらいたい、
君たち二人に内々言い聞かせたい事があるのだ。
ハーミア、お前はよく考えて、お前の気持ちを
できるだけお父さんの意志にそうようにするのだぞ。
さもないと、このアテネの法律がお前をがんじがらめにしてしまい――
それを軽減する事は、このわしにも決してできないのだ――
お前を死刑にするか、あるいはお前に孤独の生涯を誓わせるぞ。
さあ、ヒッポリタ、おいで。どうしたのかね?
ディミートリアスとイジーアス、いっしょに来てくれ。
わしは君たちに、わしの婚礼の準備のために
やって貰いたいことがあるし、また君たち自身のことでも
とくと話したいことがいろいろとあるのだ。
【イジーアス】 仰せをかしこみ、喜んでお伴いたします。〔ライサンダーとハーミアを残して全員退場〕
【ライサンダー】 どうした、ハーミア? なぜそんな青ざめた顔をしてるんだ?
どうして君の頬のばらの花のようなあかさがこんなに早くあせたんだ?
【ハーミア】 多分雨が降らないからよ。あたしの目にいっぱいの涙は、
いくらでも雨をふらすことができるはずなのに、そこでとまっているのだわ。
【ライサンダー】 おお、何ということだ。ぼくが今までに本で読んだり、
物語や話などで聞いたりしたところによれば、
真実の恋の道というものは決してなだらかには通っていないもの。
たとえば二人の生まれた家柄がちがっていたり――
【ハーミア】 ああ、何と運の悪いこと、身分の高いものが低いものに恋してしまうとは!
【ライサンダー】 また年令の点でつりあいがとれないとか――
【ハーミア】 ああ、なさけない、年をとりすぎていて若い者と婚約できないなんて!
【ライサンダー】 または、親戚の者たちが相手を選んだりするとか――
【ハーミア】 ああ、いやだこと、他人の目で自分の恋人を選ばなければならないとは!
【ライサンダー】 たとえ相手を選ぶ時には皆の意見が一致しても、
戦争や、死や、病気がおそいかかって来て、
その恋を音《おと》のようにほんの一瞬で消えるものにしてしまう、
影のように早くすぎ去り、夢のように短いものにしてしまう、
暗闇につつまれた夜にひらめく稲妻のように束《つか》の間のものにし、
ぱっと発作的に天と地を区別して現わしたかと思うと、
人々が「あれをごらん!」という間もなく、
暗闇の口がそれをすっかりのみこんでしまうようなもの、
そんなふうに、輝かしいものはたちまちこわされてしまうのだ。
【ハーミア】 じゃ、もしも恋人たちが邪魔されてしまうならば、
それは運命でそうと定められているものなのですわ。
それならそれで、あたしたちはじっとがまんして試練にたえましょう。
ちょうど物思いや夢や嘆息が恋につきもののように、
切ない願いや涙がかわいそうな恋のつきもののように、
それは恋につきものの苦しみなんですもの。
【ライサンダー】 それはいい考えだ。それなら、ハーミア、きいてくれないか?
ぼくには寡婦《やもめ》の叔母がいる。十分な財産を
相続している人だが、その叔母には子供がいないんだ。
彼女の家はアテネから七リーグはなれた所にある。
叔母はぼくを自分の一人息子のようにかわいがってくれている。
そこへ行けば、ハーミア、ぼくは君と結婚することができる。
そこまでは、どんなに厳しいアテネの掟《おきて》も
ぼくたちを追いかけて来はしない。もし君がぼくを愛してくれるなら、
明日の晩、君のお父さんの家からこっそりぬけ出してくれないか?
そして町の外に一リーグはなれた所にある森で、
ほら、いつかヘレナと一緒に君が五月の朝のおつとめをしに来た、
その時に君に会ったことがあっただろう?
あの森でぼくは君を待っているよ。
【ハーミア】 いとしいライサンダー!
あたしはあなたに誓いますわ、キューピッドの一番強い弓にかけて、
金のやじりのついた一番すばらしい矢にかけて誓います、
ヴィーナスの車をひく鳩の無邪気さにかけて、
魂を結び合わせ、恋をはぐくみ育ててくれる者にかけて、
いつわりのトロイ人イニーアスが船出してしまった時、
カルタゴの王妃ダイドーがみずからを焼いたその火にかけて、
かつて女が口にした誓いのその数よりも
ずっとずっと多い男の破ったすべての誓いにかけて、
あなたがお決めになったその定めの場所に、
かならずあたしは明日、あなたにお会いするためまいります。
【ライサンダー】 じゃ、しっかり約束しよう、ハーミア。おや、ヘレナが来た。
〔ヘレナ登場〕
【ハーミア】 美しいヘレナに神様の祝福を! どこへいらっしゃるの?
【ヘレナ】 あたしを美しいなんておっしゃるの? 美しいなんて言葉は取り消して。
ディミートリアスはあなたの美しさを愛しているわ。しあわせな美しい方!
あなたの目は北極星のよう。あなたの言葉のきれいな調子は、
麦があおくなって、さんざしの芽が出る頃に、
羊飼いの耳にひばりの声がひびく時よりももっと調子がいいのよ。
病気は伝染するもの。ああ、顔かたちもそうだといいのに。
あたしがここにいる間に、あなたの顔かたちがあたしにうつればいいのに。
あたしの耳があなたの声を、あたしの目があなたの目をとらえ、
あなたの言葉の美しい調子があたしの言葉にうつってくれたらと思うの。
ディミートリアスだけは別だけれど、この世界中があたしのものだとしても、
あなたとかわれるものなら、他のものは何だってあなたにあげるのに。
ああ、あなたがどうしてそういう顔をしているのか教えて! どういうふうに
あなたがディミートリアスの気持ちを支配できるのか教えてほしいわ。
【ハーミア】 あたしはふきげんな顔をするのに、あの人はあたしを愛しているのよ。
【ヘレナ】 ああ、あなたのふきげんな顔があたしの微笑に技巧を教えてくれたら!
【ハーミア】 あの人にひどいことを言うのに、それでも愛しているのよ。
【ヘレナ】 ああ、あたしの祈りのことばがそんな愛の気持ちを動かしてくれたら!
【ハーミア】 あたしがきらえばきらうほど、あの人はあたしを追いかけてくるのよ。
【ヘレナ】 あたしが愛すれば愛するほど、あの人はあたしをきらうの。
【ハーミア】 でもあの人のばかなやり方は、ヘレナ、あたしのせいじゃないわ。
【ヘレナ】 そうよ。でも、あなたの美しさのせいよ。あたしがあなただったらいいのに。
【ハーミア】 でも安心してちょうだい、もうあの人はあたしの顔を見ることはないわ。ライサンダーとあたしとはここから逃げだすのよ。
あたしがライサンダーに出会う前には、
このアテネはあたしにとっては天国のように思えたわ。
ああ、だけど、ライサンダーにどんな力があったのか、
あの人はこの天国を地獄にかえてしまったのだわ!
【ライサンダー】 ヘレナ、君だけにはわれわれはすべてを打ち明けよう。
明日の晩、月の女神フィービが彼女の銀色の顔を、
したたるような水の鏡の中にあらわすその頃、
草の葉を真珠のような露のしずくで飾るその頃、
恋人たちが人目をさけて逃れるのをいつもすっぽりかくしてくれるその時に、
アテネの門を出てわれわれはこっそり逃げだすことにしたのだ。
【ハーミア】 そして、ほら、あなたとあたしとよく一緒に行ったあの森で、
薄色の桜草の花床の上によく二人でねそべって
お互いに胸の中の秘密を打ち明け合ったあの場所で、
ライサンダーとあたしとは落ち合うことにしたのよ、
そしてそこからもう見おさめのアテネに別れを告げて、
新しい友達、見知らぬ仲間を求めて行くことにしたのよ。
さようなら、昔からの親しいお友達だったヘレナ、あたしたちのために祈ってね。
そしてディミートリアスとの事がうまく行って幸福になれますように!
ライサンダー、きっとお約束を守ってね。あすの真夜中までは
恋しいあなたにも会えずに、じっとがまんしていなければならないのね。
【ライサンダー】 約束するとも、ハーミア。〔ハーミア退場〕
ヘレナ、さようなら。
君が彼を愛しているように、ディミートリアスも君を愛してくれるように!〔ライサンダー退場〕
【ヘレナ】 どうしてある人たちはほかの人たちより幸福なのかしら。
このアテネの町中を見渡したって、あたしはハーミアと同じくらいに美しいのに。
だけど、そんな事が何になるだろう。ディミートリアスはそうは思わないもの。
あの人は自分自身の考え以外はわかろうともしないのだわ。
そしてあの人はハーミアを愛するようなあやまちを犯してしまった。
あたしがあの人の性格を崇拝するのもやっぱりあやまちかもしれないけど。
何の価値ももたない、いやしい、いまわしいものをも、
愛は美しい形と威厳とを与えて変えることができるのだわ。
恋は目で見るものではなく、心で見るものなのだわ。
だから翼をつけたキューピッドは盲目なのだわ。
恋の心は分別などは持ち合わせてはいないわ、
翼だけ持っていて目を持っていないのは向こうみずな性急さのしるし、
だから恋の神は子供だって言われるわけなのだわ。
なぜって相手を射とめる時でも恋の神はまちがえるし、
いたずらな男の子たちが、ふざけて嘘《うそ》をつくように、
キューピッドもいたる所で、誓いをやぶってしまうのだわ。
ディミートリアスがハーミアの目を見なかった時には、
あの人はあたしだけのものだと幾度も幾度も誓ったわ。
それなのにハーミアを愛するようになってしまうと、
たちまち今までの気持ちはどこへやら、誓いは雨になってとけてしまった。
そうだ! あの人にハーミアの馳け落ちのことを話そう。
そうすればきっと、あの人も明日の晩、ハーミアの後を追って
森に出かけて行くわ。この事をあの人に教えてあげて、
あの人に感謝されても、あたしはずい分高い代償を払ったことになる。
でも、そうすることによって、森に行ったり帰ったりするあの人の顔を
見ていられるだけでもいいのだわ。だからそうして見よう。〔退場〕
第二場 アテネ クインスの家
〔クインス、スナッグ、ボットム、フルート、スナウトおよびスターヴリング登場〕
【クインス】 仲間はみんな勢揃いしたかね?
【ボットム】 お前さん、一人ずつ、台本に書いてあるとおり、一とおり名前をよんでみるほうがいいぜ。
【クインス】 ここに、アテネの町中から選《え》りすぐった、公爵様と奥方の婚礼の晩に、お二人の前で、わしらの芝居に出て演《や》る者一人一人の名前を書いた一覧表がある。
【ボットム】 まず、ピーター・クインス、その芝居がどういうものか言ってくれ、それから、役者たちの名前を読んでくれ、それから順序をふんで要点を説明してくれ。
【クインス】 いいとも。おらたちの芝居は、「いとも悲しい喜劇、ピラマスとシスビのいとも残酷な最期《さいご》」ってやつだ。
【ボットム】 そいつはなかなかいい芝居だ。しかも愉快なやつだ。さあ、ビーター・クインス、一覧表に書いてある役者の名前を呼んでくれ。さあ皆の衆、もう少しひろがった、ひろがった。
【クインス】 おらが名前を呼んだら返事をしてくれ。織物師のニック・ボットム!
【ボットム】 ほいきた。おらはどういう役をやるのか教えてくれ。それから次をつづけろよ。
【クインス】 お前さんは、ニック・ボットム、ピラマスの役をやるんだ。
【ボットム】 ピラマスって何だね? 恋人かね? それとも暴君かね?
【クインス】 恋人だ。恋のために立派に自殺をする役だ。
【ボットム】 それを本格的にやったら、涙をしぼらせるってやつだな。おらがその役をやったら、見物の衆は目に注意しろよ。おらは大雨を降らせてやるぜ。たっぷり悲しませてやるからな。ほかの役割りを読み上げろ。だが、おらの気分から言うと、おらは暴君のほうに向いてるぞ。おらにひとつアークリーズでもやらしてみろ、すばらしいもんだ。さもなけりゃ大声でわめき立てたりする役だ。みんなを大さわぎさせるぞ。
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たけり狂う岩、
身の毛もよだつ衝撃が
地獄の門をも
破り開き、
日の神の戦車は
はるかに輝き、
愚かなる運命の神を
完全に支配する。
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こいつぁすばらしい! さあ、ほかの役者の名を読み上げてくれ。こいつぁ、アークリーズの調子、暴君の調子だ。恋人の役だと、もう少ししめっぽくやらなけりゃなるめぇ。
【クインス】 ふいご直しのフランシス・フルート!
【フルート】 あいよ、ピーター・クインス。
【クインス】 お前さんにはシスビの役をやってもらうぜ。
【フルート】 シスビってなんだね? 遍歴《へんれき》の騎士かね?
【クインス】 それはピラマスが恋するようになる女だよ。
【フルート】 そいつぁこまるよ。おらに女をやらせねえでくれよ。そろそろひげがはえて来たんだ。
【クインス】 そんなことかまうもんか。仮面《マスク》をつけてやればいいじゃねえか。そしてできるだけ、か細い声でしゃべるのさ。
【ボットム】 仮面で顔かくしていいんなら、おらにシスビをやらせろよ。おらは、おっそろしく小さい声でしゃべるよ、「シス|ニ《ヽ》、シス|ニ《ヽ》」ってふうにな。「ああ、ピラマス、あたしのいとしいお方! あなたのいとしのシスビ、あなたのいとしい女ですわ!」
【クインス】 いや、いけねえ。お前さんはピラマスをやるんだ。そしてフルート、お前さんがシスビだ。
【ボットム】 まあ、いいや。さ、次へ行ってくれ。
【クインス】 洋服屋のロビン・スターヴリング!
【スターヴリング】 ほいきた。ピーター・クインス。
【クインス】 ロビン・スターヴリング、お前さんはシスビのお袋《ふくろ》さんをやるんだ。いかけ屋のトム・スナウト!
【スナウト】 ここだ、ピーター・クインス。
【クインス】 お前さんはピラマスのおやじだ。おらがシスビのおやじをやる。指物師のスナッグ、お前さんはライオンの役だ。これで一通り役割りがそろった。
【スナッグ】 ライオンの台詞《せりふ》は書いてあるかね? たのむからおらに渡しといてくれ。どうもおらは物おぼえが悪いんでね。
【クインス】 お前さんは即興でやってくれればいいんだ。うなりさえすればいいんだから。
【ボットム】 おらにライオンもやらせろよ。うまくうなってやるぜ。おらのうなり声を聞いたら皆が感心するくらいうまくうなってやる。公爵様が「ライオンにも一度うならせろ、も一度うならせろ」と言うくらいうまくやるぞ。
【クインス】 もしライオンの役をあまりおそろしくやるてぇと、奥方やご婦人がたをおどかしちまって、悲鳴あげさせちまうぞ。そんな事にでもなって見ろ、みんな縛り首だぜ。
【一同】 そうなりゃ、みんな縛り首だ、一人残らず。
【ボットム】 もっともだ、皆の衆、もし気が遠くなるほどびっくりさせた日にゃ、ご婦人がたはおらたちを縛り首にするくらいの分別しか持たなくなるわけさ。だから、おらはおらの声を大きくして、ひな鳩のようにやさしくうなってやるよ。まるで夜うぐいすのようにうたってやるさ。
【クインス】 お前さんのやれるのはピラマスの役だけだ。ピラマスってのは、ほれぼれするほど立派な男だよ。夏の一日中みていたってあきないような美男子で、いちばん紳士らしい男だ。だからお前さんがピラマスをやらなくちゃなるめえ。
【ボットム】 よしきた。おらが引き受けた。どういうひげをつけてやったらいいかね!
【クインス】 どんなのでも、好きにやれよ。
【ボットム】 そうだな、わらみてえな色のひげにするかな。それともこい橙《だいだい》色か、それともまっ赤なクラウン色かな、それとも金色のフランス金貨《きんか》みたいなやつにしようか。
【クインス】 フランス人の頭には髪の毛が全然ないのがあるぞ。そうなりゃ、全然ひげなしでやってもいい。さて、皆の衆、それぞれのせりふを渡しておくぜ。そして、おらはこん願し、要求し、希望するんだが、明日の晩までに暗記して来てもらいてぇんだ。月がかがやきだした頃、町から一マイルはなれた宮殿の森で会うことにしようぜ。そこでけいこするんだ。もし町の中でけいこってことにすると、皆がついて来て、おらたちの計画がばれちまうからな。それまでの間に、おらはおらたちの芝居に必要な小道具の表をつくっておくぜ。みんな、まちげえなく頼んだぞ。
【ボットム】 いいとも。あそこで会って、できるだけみだらに、そして勇敢にけいこしようじゃねえか、みんな一生けんめいやろうぜ。完全にせりふをおぼえようぜ。じゃ、あばよ。
【クインス】 公爵|槲《かしわ》の木の所で会うことにしよう。
【ボットム】 合点だ。どんなことがあっても行くぜ。〔退場〕
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第二幕
第一場 アテネの近くの森
〔一方の戸口から妖精、他方の戸口からパック登場〕
【パック】 こんにちわ、妖精さん、どこをほっつき歩くのかい?
【妖精】
丘を越えて、谷越えて、
茂みを通り、茨を通り、
庭を越えて、垣越えて、
水をくぐり、火をくぐり、
わたしはどこでも歩きます、
月のまわるよりなお早く。
妖精の女王さまにかしずいて、
芝生の上の輪をしめらすの。
のっぽのクリン草はおそばづき、
金色の上衣《うわぎ》にまだらが見える。
あれはルビーよ、女王さまにいただいた、
まだらの中にいい匂いがあるの。
さあ、露の雫《しずく》を探さなくちゃ、
真珠の耳輪をクリン草につけるの。
さよなら、こっけいな妖精さん、もう行かなくちゃ、
女王さまとお小姓たちがここに見えるの。
【パック】 王さまは今夜ここにお泊まりだ、
女王さまは見つからないようにしたほうがいい。
オベロンさまはおっそろしく怒っていらっしゃる、
だって女王さまはお側づきのお小姓として、
インドの王様からとって来たかわいい男の子をもってるからさ。
あんなかわいい≪取りかえご≫は今まで見たこともない、
だからオベロンさまはとてもうらやましくて、何としても
あの子を自分のお小姓にして森を連れて歩きたいのさ。
だのに王妃さまはどうしてもあのかわいい子供を渡さない、
花冠《はなかんむり》をつけてやったり、一人じめにして大切にしている。
だから今じゃ、王さまと王妃さまは、森でも野原でも、
美しい泉のそばでも、きらきら輝く星の光の下ででも、
会いさえすればきっとけんかだ。だからおつきの妖精たちは
こわがって、どんぐりのはかまの中にもぐり込んでじっとかくれてるのさ。
【妖精】 あたしがもしもあなたの姿形《すがたかたち》を見まちがえていなければ、
あなたはきっとロビン・グッドフェロウと呼ばれてる
あのいたずら好きの精霊でしょう? 村の女の子たちを、
おどかしてはよろこんでいるのもあなたでしょう?
ミルクの上ずみをすくい取ったり、時には粉ひき臼《うす》をいたずらしたり、
息せき切ってバタをつくるおかみさんたちにむだ働きさせたり、
時には酵母《こうぼ》をぬいて、気のぬけたビールにしてしまったり、
夜歩きする人たちを道に迷わせて、それを笑ってみてるのもあなた?
ホブゴブリンとかパックとか呼んでくれる人たちには、
代わって仕事をしてやったり、幸運をさずけてやったりする、
それがあなたでしょう?
【パック】 そのとおり、当たったよ。
わたしはたのしい夜の放浪者、そして、
オベロンさまにじょうだん言って、笑わせるんだ。
牝の若い馬にばけて、そのいななき方のまねをしては、
豆をたらふく食って肥った馬をだましてやるんだ。
時には、陽気なおばあさんの祝い酒の中に、
野生の小さなりんごの姿してかくれているんだ。
おばあさんがその酒を飲もうとすると、唇のところへはね上がって
たるんだのどぶえのあたりにビールをはねかしてやるのさ。
もっともらしいおばあさんが、大まじめに話をする時、
時には三脚椅子にばけたわたしの上に知らずに腰をおろす、
すると、わたしはお尻の下からぬけだす、おばあさんはすってんころりん、
「何てこった!」とさけんで、むせて咳《せき》がとまらなくなる。
一座の連中ははらをかかえて笑うわ、笑うわ、
前にもまして陽気になって、からかったり、笑ったり、
こんな楽しい事はかつてなかったと言ったりするんだ。
だけど、さあ、どいとくれ、妖精さん。オベロンさまのお出ましだ。
【妖精】 あら、王妃さまもいらしたわ。王さまがあちらへいらしてくださればいいのに。
〔一方からオベロンと彼の従者たち、他方からタイテーニアと彼女の従者たち登場〕
【オベロン】 あいにく月明りに照らされて出会ったな、高慢なタイテーニア。
【タイテーニア】 まあ、やきもちやきのオベロン! 妖精たち、さ、行きましょう。
あたしはこの人の寝床のお相手をすることは断わったのだから。
【オベロン】 待て、なんて向こうみずな奴だ。わしは君の主人じゃないか。
【タイテーニア】 じゃ、あたしはあなたの奥方。だけど知ってますわ、
あなたがこの妖精の国からこっそりとぬけ出して、
コリンの姿をして一日中坐っていらしたのを。
麦笛を吹きならしては恋するフィリダに、
愛の歌を捧げていらしたのを。なぜあなたはここにいらっしゃるの?
インドの果てのその果ての大平原からなぜ帰っていらしたの?
それはただ、あの高慢なアマゾンの女王が、
あの長靴をはいた、たけだけしいあなたの恋人が、
シーシュースと結婚することになったからでしょう?
あなたは彼らの新床《にいどこ》に喜びと祝福を与えるためにいらしたのね?
【オベロン】 なぜ、君は臆面もなく、タイテーニア、
わしのヒッポリタに対する信頼を当てこすったりするのかね?
君がシーシュースを愛していることはわしも知っているのを承知の上で。
あの男が完全に惚れこんでいたペリジーニアから引きはなして、
あの男を星明りの夜に連れだしたのは君だったじゃないか?
あの男に美しいイーグリヘの愛の誓いを破らせたのも、
アリアドニやアンタイオパヘの誓いを破らせたのも君だろう?
【タイテーニア】 これはみんな、さいぎ心のつくり上げたでたらめ、
そして、この真夏のはじめ以来ずっと、あたしたちが、
丘の上でも、谷間でも、森の中でも、牧場でも、
小石をしいた泉のそばでも、芦《あし》の生えてる小川のほとりでも、
また、海の岸辺のそのあたりでも、
口笛吹いてひびいてる風に合わせてあたしたちが輪をつくっておどるとき、
あなたはいつもいじわるにあたしたちの慰みの邪魔をなさった。
だから今では、風でさえも、むなしくあたしたちに吹いて来て、
まるで復讐でもするかのように、海の中から、
病気を伝える霧を吸い上げるの。それが地上におちると、
ちいさな小川もたちまちに高慢にもふくれあがって、
その水をあふれさせてしまうほどだった。
だから牡牛《おうし》が一生けんめい畑を耕したのも無駄になり、
農夫が汗水たらした骨折りも無駄になって、緑のこくもつも、
若いうちに、ひげをつけるようになる前にくさってしまい、
水びたしになった畑では、家畜小屋が空っぽとなり、
家畜の腐れ肉をば鳥がむれ集まってむさぼり食う始末、
九柱戯《くちゅうぎ》の盤は雨ざらしになって泥がいっぱいつまり、
生い茂った緑の原の中の入りくんだ迷路といえば、
だれも歩かないので、すっかり見分けがつかなくなってしまい、
ここでは人々は冬の間のたのしみを持つこともなくなってしまった。
夜になっても、讃美歌やキャロルで祝福されることもない。
だから、海の潮をつかさどるという月は、
怒りのために青ざめてしまい、空気をすっかりしめらせるので、
リューマチの病気がいたるところに蔓延《まんえん》するばかり。
こんなふうに調子の狂った天候を通して、
あたしたちは季節の移り変わりを見る。白髪をいただいた霜が、
真赤なバラの新鮮な花の上におりていたり、
|冬の神《ハイエム》のはげ上がった、氷のように冷たい頭の上に、
美しい夏の花のつぼみのかぐわしい花束が、
まるであざけるかのようにおかれていたりする。春も、夏も、
みのりの秋も、怒りの冬も、彼らの着なれた
仕着《しき》せを取りかえてしまって、まどわされてしまった世間の人は、
それらの季節のうみ出すものでは、どれがどれだかわからなくなってしまう。
そして、これらのさまざまなわざわいは、あたしたちの争いから、
はじまったのです。あたしたちのいざこざから起こったのです。
あたしたちがその生みの親、そのみなもとなのです。
【オベロン】 それならば君がそれを直せばよいではないか、君しだいだ。
なぜタイテーニアは、夫のオベロンの機嫌をそこねる必要があるのか?
わしはただ、あのちびの取りかえごを欲しがっただけではないか、
わしの小姓にするために。
【タイテーニア】 その点ならご心配なく。
この妖精の国全部と引きかえにだって、あたしはあの子を上げるわけにはいきません。
あの子の母親はあたしの教団に誓いをたてました。
そして、香料の匂いもかぐわしいインドの空のもと、夜などには、
ときどきあたしのそばで愉快に過ごしたものでした。
また、あたしと一緒に大海《ネプチューン》の黄色い砂浜の上に坐り、
海の上はるかに出港する商船を見守ったものでした。
あたしたちは船の帆が風をたっぷりはらんで、
気ままな風とたわむれて大きくふくらむの見て笑いました。
その後を、彼女はきれいな泳ぐような足どりで、
ついて行きました――その時、彼女はあたしのかわいい小姓をはらんでいました――
彼女はその船のまねをして、陸の上を泳ぐようなかっこうで、
航海から帰る船が商品をたっぷり積んでくるように、
あたしにいろいろなものを捨って来てくれました。
でも彼女は人間でした、だからこの子を生む時に死にました。
そして彼女のために、あたしはこの子を育てるのです。
そして彼女のためにも、あたしはこの子を手ばなしはしません。
【オベロン】 いつ頃までこの森の中にいるつもりなのかね?
【タイテーニア】 たぶんシーシュースの婚礼がすむその日まで、
もしもあなたががまんして、あたしたちの輪の中に入っておどってくださるなら、
そして、あたしたちの月明りの中の饗宴を見てくださるなら、どうぞご一緒に。
それがおいやなら、あたしのそばから離れてください、つきまとわれては迷惑です。
【オベロン】 わしにあの子をくれないか? そうすればわしも一緒に行こう。
【タイテーニア】 いいえ、だめです、妖精の国全部をくださっても。さあ、みんな、
行きましょう、これ以上ここにいればまた喧嘩になります。〔タイテーニアは従者たちをつれて退場〕
【オベロン】 いいとも、どこへでも勝手に行くがいい。この森から出る前に、
きっと、この無礼のしかえしはしてやるからな。
さあ、パック、ここへ来てくれ。お前もおぼえているだろう、
いつかわしが岬《みさき》の上に坐っていた時、
いるかの背に乗った人魚が、
とても美しい、調和のとれた歌をうたっていたのを。
その歌を聞いて、荒れた海の波も静まり、
海の乙女の音楽を聞いて、天上の星もその星座から
狂ったかのように流れ落ちたのを。
【パック】 おぼえています。
【オベロン】 その時わしは見た――だがお前にはわからなかっただろう――
冷たい月と地球との間を、完全に武装したキューピッドが
かけめぐっていたのを。彼は確実なねらいを定めて、
はるか西の方の玉座についている美しい処女《おとめ》を的《まと》とし、
あたかも幾千万の心をも射ぬくかのように、
彼の弓から恋の矢をするどく放った。
だがわしは見た。キューピッドの火のようなはげしい恋の矢も、
水もしたたるような月の清い光の中に吸いこまれて行くのを。
そしておごそかな誓いをたてた処女は傷つくことなく、
恋にしばられることもなく立ち去って行った。
またわしはキューピッドの矢の落ちた場所も見つけた。
それは小さな西の方の花の上に落ち、
前には乳のように白かったその花を恋の傷で赤くした。
処女たちはその花を、たわむれの恋の花と呼んでいる。
その花をとって来てくれ。いつかお前にみせたことがあるだろう。
その花の汁をしぼって眠っているまぶたの上に注ぐと、
男でも、女でも、目をさましたその時に、
最初に見るものを夢中で恋するようになるのだ。
その草をつんで来てくれ。鯨《くじら》が一リーグと泳がぬうちに、
ここにまたもどって来てくれ。
【パック】 四十分間で地球のまわりをぐるっとまわって、帰って来ます。
【オベロン】 その汁が手に入ったら、
タイテーニアが眠っているのを見すまして、
その汁を彼女の目に注ぐことにする。
すると、目をさまして見る最初のものが、
ライオンであろうと、熊であろうと、狼であろうと、牡牛《おうし》であろうと、
おせっかいな猿や、いたずら好きのものまね猿であろうと、
彼女はたちまち惚れこんで追いかけるであろう。
そして彼女がわしにあの小姓を渡してしまうまでは、
その目からこのまじないを解いてやることは決してすまい、
それを解くには別の草の汁を使うのだが。
だが、まてよ、だれかやって来るぞ。さあ、身をかくして、
彼らの話を聞くことにしょう。
〔ディミートリアス、および彼を追ってヘレナ登場〕
【ディミートリアス】 君なんか愛しちゃいない。だからついて来ないでくれ。
ライサンダーと美しいハーミアはどこにいるのだ?
その一人は殺してやる。だがも一人は、ぼくを殺してしまう。
君は彼らがこの森へこっそりやって来ると言った。
だからぼくもここへやって来たんだ。それなのに、
ハーミアが見つからないんで、ぼくは気が気じゃないんだ。
さあ、出て行ってくれ! もうついて来ないで、行ってくれ!
【ヘレナ】 あなたがあたしを引きつけるのよ。かたくなな磁石のようなあなた、
でも、あたしの心は鋼鉄《はがね》のように真実なのに、それがわからないとは、
あなたの心は鉄をひきつける磁石じゃないんだわ。ひきつける力をお捨てなさい、そうすれば
あたしもついてゆく力をなくしてしまいます。
【ディミートリアス】 ぼくが君を誘惑するって? ぼくが君に親切な言葉をかけるって?
とんでもない。それどころか、はっきりと言ってるじゃないか、
ぼくは君を愛していないし、愛することもできないって。
【ヘレナ】 そんなことおっしゃっても、あたしはなおさらあなたが好きになるの。
あたしはあなたのスパニエル。そうなの、ディミートリアス、
あなたがあたしをたたけば、たたくほど、あたしはあなたにじゃれるの。
あたしをスパニエルのように扱って。足げにするなり、打つなり、
無視するなり、忘れてしまうなりなさってかまわない。
ただ、つまらないあたしだけど、あなたの後をつけることだけは許して。
あなたの犬のように扱ってくださいと願うのですけど、
これよりみじめな位置をあなたの愛にすがってお願いできるでしょうか――
でも、それでもあたしにとっては大切な大切な位置なのですわ。
【ディミートリアス】 ぼくの心からの憎しみを、これ以上そそのかさないでくれ。
ぼくは君を見ているだけでむかつくんだから。
【ヘレナ】 あたしはあなたにお会いしないとむかつくのよ。
【ディミートリアス】 君は女のつつしみというものを忘れちゃいないかね。
町を出て来てしまったり、むこう見ずにも、
君をちっとも愛していない者の手にゆだねたり、
処女《おとめ》の大切な宝ともいうべきものを
こんなやみの夜にさらしてしまったり、
何が起こるかもしれないさびしい場所にさらしてしまうとは!
【ヘレナ】 あなたの立派な徳がそれを守ってくれます。
あなたのお顔がみられれば、それだけで晴れ上がります、
だからあたしはやみ夜の中にいるとは思いません。
またこの森に仲間がいないとも思えません、
なぜならば、あたしにとってあなたは全世界ですもの、
だとすれば、何であたしは一人ぽっちだなどと言えましょう、
全世界がここであたしを見守っていてくださるのですもの。
【ディミートリアス】 ぼくは君から逃げだして、やぶの中にかくれるぞ、
君は野獣にでも食われてしまえ!
【ヘレナ】 どんな野獣だって、あなたのようにむごい心はもっていません。
あなたが逃げて行くのなら、物語は逆に変えられてしまいます。
アポロが逃げて、ダフニが追いかけることになり、
鳩が怪獣《グリフィン》を追いかけ、やさしい牝鹿が
虎を捕えるために走るようなもの。どんなに走ってもだめ、
臆病なものが追いかけ、勇敢なものが逃げるのですもの。
【ディミートリアス】 君とこれ以上ぐずぐず話をするのはいやだ。行かせてくれ。
この上君がぼくの後について来るなら、この森の中で、
どんなひどい目にあわせるかわからないぞ。
【ヘレナ】 ええ、神殿の中でも、町でも、野原でも、
あなたはあたしをひどい目にあわせました。ああ、ディミートリアス、
あなたのひどい仕打ちは女性全部を辱《はずか》しめるものです。
男にはできるでしょうが、女は恋のため戦うことはできません。
あたしたちは求愛されるもの、すすんで愛を求めるものではないのです。〔ディミートリアス退場〕
あたしはあなたの後についてゆきます。こんなにも恋しい人の
手にかかって死ぬことができれば、それで十分ですもの。〔退場〕
【オベロン】 さいわいあれ、娘よ! あの男がこの森を去らないうちに、
お前が彼から逃げ、彼がお前の愛を求めるようにしてやるぞ。
〔パックふたたび登場〕
お前、花はとって来ただろうな? ごくろうだった。
【パック】 このとおりとって来ました。
【オベロン】 さあ、それをわしにくれ。
わしは知っている。たちじゃこう草のさいている丘を
オックスリップやうつむきかげんのすみれの咲いているところを
そこは甘美なすいかづら、じゃこうばら、
エグランタインが天蓋《てんがい》のようにおおっているところ、
タイテーニアは夜になるとよくそこに行くのだ、
花の中で踊りをたのしみ、花の中でまどろむのだ。
そこでは蛇が美しいエナメルのような皮を脱ぐと、
それが妖精にちょうどよい着物になる。
そこでわしはタイテーニアの目にこの汁をぬって、
彼女にいまわしい幻影をたくさん見せてやるのだ。
お前もこの汁を少し持って行って、森の中を探しまわるのだ、
人の美しいアテネの娘が、傲慢《ごうまん》な男に恋をしている、
その男の目にこの汁をぬってやるのだ、
よく注意してその男が目をさまして見る最初のものが、
その娘であるようにするんだ。その男は、
アテネ人の服を着ているから、見ればすぐにわかるはずだ。
よく気をつけて、その娘がその男を好きなよりももっと、もっと、
その男のほうがその娘を好きになるようにするんだぞ。
そして一番どりが鳴く前にわしのところに帰って来てくれ。
【パック】 ご心配にはおよびません、王さま、仰せのとおりとりはからいます。〔退場〕
第二場 森の他の場所
〔タイテーニアが妖精たちをつれて登場〕
【タイテーニア】 さあ、輪になっておどり、妖精の歌をうたいましょう。
それから二十秒だけここから出かけておゆき、
幾人かはじゃこうばらの蕾《つぼみ》の虫を退治に、
幾人かは、小さい妖精の上衣をつくるためこうもりと戦って、
皮の翼を取っておいで。幾人かは出かけていって、
夜な夜なほうほうないて、小さな妖精をおどかすやかましやのふくろうを
追いのけておいで。さあ、歌をうたってあたしをねかせておくれ。
それからめいめい仕事にとりかかり、あたしはやすませておくれ。
〔妖精たちうたう〕
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ふたまた舌の、まだらの蛇よ、
とげとげのはりねずみよ、かくれておくれ。
いもりや、小へび、いたずらしちゃだめよ。
女王さまのそばに近よらないで。
夜うぐいすよ、調子をつけて、
きれいな子守歌をうたっておくれ。
ララ、ララ、ララバイ、ララ、ララ、ララバイ。
いじわるな邪魔も、
呪文も、魔法も、
やさしい女王さまのそばには来るな。
さあさ、おやすみ、子守歌きいて。
はたおりぐもも、近づいちゃだめよ、
ここから出ておゆき、足ながぐもよ。
黒かぶと虫、近づいちゃだめよ、
虫もかたつむりも、いたずらしちゃだめよ。
夜うぐいすよ、調子をつけて、
きれいな子守歌をうたっておくれ。
ララ、ララ、ララバイ、ララ、ララ、ララバイ。
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【妖精一】 さあ、行きましょう、万事上々よ、
だれか一人だけ見張りに立ちましょう。〔妖精たち退場。タイテーニア眠る〕
〔オベロン登場。花の汁をタイテーニアの目に注ぎこむ〕
【オベロン】 お前が目ざめて最初に見るものを、
お前のまことの恋人と思え、
その者のために恋してやつれるのだ。
山猫でも、猫でも、熊でも、
豹《ひょう》でも、ごわごわ髪の猪《いのしし》でも、
お前の目ざめたその時に、
お前が見るのが恋人だ。何かいやなものが
近づいた時に、目をさますのだ。〔退場〕
〔ライサンダーとハーミア登場〕
【ライサンダー】 ねえ、ハーミア、君は森の中を歩き回って、倒れそうにつかれてるね。
実を言うと、ぼくも道がわからなくなってしまった。
もし君が同意してくれるなら、ここですこし休むことにしようよ、
夜が明けて明るくなってからまた出かけることにして。
【ハーミア】 そうしましょう、ライサンダー、あなたも寝床を見つけてね、
あたしはこの堤の上でやすむことにします。
【ライサンダー】 一つの草地がぼくたち二人の枕になるように、
一つの心、一つの寝床、二つの胸でも誓いは一つ。
【ハーミア】 いいえライサンダー、お願いですから、
そんなに近くに来ないで、もっと離れた所にねてちょうだい。
【ライサンダー】 ああ、どうかぼくの他意ない気持ちをわかってくれたまえ、
恋人同志なら、ほんとうの意味でわかり合えるはず、
ぼくの言う意味はね、心と心が結ばれて、
ぼくたちが一つの心になれるということ、
二つの胸が誓いをかわしているのだから、
二つの胸でも誓いは一つと言ったんだ。
だから、君のそばに寝ることを許してほしい、
そんなふうに寝たって、君を裏切るようなことは決してしないから。
【ハーミア】 ライサンダーはうまく謎みたいなことを言うのね、
もしライサンダーが裏切るなんてハーミアが言ったら、
それはあたしのつつしみや誇りを傷つけることになります。
でもねえ、いとしいお友だち、愛と礼儀を守るために、
お願いだから離れていてくださいな。人間のつつしみという点から、
それだけ離れていることが、きっと、立派な青年と
清らかな処女にふさわしい態度と言われますわ。
おやすみなさい、いとしいおかた。
いとしいあなたの生命《いのち》あるかぎり愛の気持ちが変わりませんように!
【ライサンダー】 アーメン、アーメン、君の祈りのとおりになるように、ハーミア、
ぼくが君に忠実でなくなった時には、ぼくの生命も終わるように!
ぼくはここにやすもう。十分眠って休息が与えられるように!
【ハーミア】 その願いの半分はあなたのものとなりますように!〔二人とも眠る〕
〔パック登場〕
【パック】 森を通ってやっては来たが、
アテネの男は見つからない。
その目にたっぷりこの花の
汁を注いで恋心を起こさせるんだ。
おや、これは何たること、これはだれだ?
アテネ人の服を着てるじゃないか、
これこそ彼だな、オベロン様の話の、
アテネの娘を軽蔑した奴だ。
あ、ここに娘もいるわ、ぐっすり眠って、
じめじめしたきたない土の上に。
かわいそうに! 愛もない、
礼儀知らずの奴のそばに寝ることもできずに。
いいか、お前の目にたっぷり
このほれ薬を注いでやるぞ。
お前が目ざめたその時こそは、
恋のため眠ることさえできなくしてやる。
さあ、おれが立ち去ったら目をさませ!
オベロン様の所へ行かねばならない。〔退場〕
〔ディミートリアスとヘレナ走りながら登場〕
【ヘレナ】 待って。あたし殺されてもいいから、ねえ、ディミートリアス!
【ディミートリアス】 あっちへ行け! ついてくるな!
【ヘレナ】 ああ、あたしをくらやみの中において行くの? そんなことしないで!
【ディミートリアス】 そこにいろ! 来るとひどい目にあわせるぞ! ひとりで行くんだ!〔退場〕
【ヘレナ】 こんなばかばかしい追跡であたしはもう息が切れたわ。
お祈りすればするほど、あたしはひどい目にあうのですもの。
いまどこにいるかしらないけれど、ハーミアはなんてしあわせなんでしょう!
あの人は祝福された魅力的な目をもっているのですもの。
なぜあの人の目はあんなに美しくかがやくの?
塩からい涙のためではない――
そうだとしたら、あたしの目のほうがもっとたびたび洗われてるはず。
いいえ、あたしは熊のように醜《みにく》いんだわ、
あたしに出会うと獣たちもこわがって逃げて行くのですもの。
だからディミートリアスが、まるで怪物か何かのように思って
このあたしから逃げて行っても、何もふしぎはないわ。
ハーミアの星のように美しい目と比べさせるなんて、
何ていやな、ごまかしの鏡なんでしょう。
あら、そこにいるのはだれ? ライサンダーだわ、地面にねてる!
死んでるのかしら? 眠ってるの? 血もついてないし、傷もない!
ライサンダー、生きているのなら、どうか起きてちょうだい!
【ライサンダー】 〔目をさまして〕いとしいあなたのためなら火の中でも行きます。
おお、かがやかしく美しいヘレナ! 自然は魔法をつかって、
あなたの胸の奥の心をわたしに見せてくれるようです。
ディミートリアスはどこに? その名前もいまわしい、
このわたしの剣に倒れるのにふさわしいのだ!
【ヘレナ】 そんなこと言わないで、ライサンダー、そんな事言わないで。
あの人があなたのハーミアを愛したって、それが何でしょう?
ハーミアはいつも変わらずあなたを愛していますわ、だから落ちついて!
【ライサンダー】 ハーミアで落ちつけって! とんでもない。今となっては、
ぼくはハーミアと過ごした退屈な時を後悔しているんだ。
ハーミアではなくて、ヘレナをぼくは愛するのだ、
からすを鳩と取りかえたがらない者があるだろうか?
男の欲望は理性によって支配されるものだ、
その理性が言うのだ、君のほうがずっと価値ある女だと。
成長するものは、決まった時が来るまでは熟さない、
ぼくも若かったので、今まで理性が未熟だった。
そして今、人間の能力の最高点にまで達して、
理性がぼくの欲望を支配するようになって、
ぼくを君の前に導いてくれたのだ。そしてぼくは、
君の目に書かれている愛のゆたかな物語を読みとるのだ。
【ヘレナ】 なぜ、あたしはこんなひどい侮辱を受けなければならないのでしょう?
あなたからこんなひどい目に合わされるような事をいつあたしがしたというの?
あたしがディミートリアスからやさしい目で見られるだけの
価値が今までもなかったし、これからもあり得ないからって、
それで充分じゃありませんか? ねえ、充分ではないと言うの?
こんなふうにあたしの足りない所をひどくあざけるなんて!
ほんとうにあなたは何とひどい人! あたしをこんなに傷つけるなんて!
そんな傲慢《ごうまん》な態度であたしに求婚なさるなんて!
でもこれでお別れしますわ、ほんとの事を言うと、
あなたをもっと真実な立派な方だと思いこんでいました。
おお、何て悲しいこと、一人の男には拒絶され、
そのために他の男から侮辱されるなんて!〔退場〕
【ライサンダー】 ヘレナはハーミアを見つけなかった。ハーミア、そこに眠っておいで、
もう二度とふたたびライサンダーの近くに来ないように!
どんなにおいしいものでも食べあきてしまうと、
いやな気持ちで胸がむかむかするように、
だれでもとてもきらう異教というものは、
それにだまされた人々にもっとも嫌われるもの、
君こそは、ぼくの食べあきたもの、ぼくの異教、
だれからも嫌われるが、ぼくにとっては特に忌《いま》わしいもの。
そしてぼくの全精力よ、お前の愛と力とをもって、
ヘレンをあがめ、彼女の騎士となることができるようにせよ!〔退場〕
【ハーミア】 〔目をさまして〕助けて! ライサンダー、助けて!
あたしの胸にまきついている蛇をどけてちょうだい!
ああ何ということ! 何ていやな夢を見たのかしら!
ライサンダー、あたしまだこわくてぶるぶるふるえてるのよ。
蛇があたしの心臓を食べつくしてしまう夢を見たのよ、
そしてあなたはその残酷なへびのしわざを笑いながら見ていらした。
ライサンダー! まあ、どこへ行ってしまったの? ライサンダー?
ああ、声もとどかない所へ? 行ってしまったの? 声も言葉もないの?
ねえ、どこにいらしたの? もしきこえるならば返事をして!
おねがい、何か言って! あたしおそろしくて気絶しそうよ。
聞こえないの? じゃあなたは近くにはいらっしゃらないのね。
あたしもすぐに行きます、死神かあなたかどちらかに会いに。〔退場〕
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第三幕
第一場 森 タイテーニアが眠っている
〔クインス、スナッグ、ボットム、フルート、スナウト、スターヴリング登場〕
【ボットム】 みんな揃ったかね?
【クインス】 ちゃんと揃ったとも。ここはおらたちのけいこにはもってこいの便利な場所だ。この緑の芝地がおらたちの舞台、このさんざしの茂みが楽屋だ。おらたちは公爵さまの前でやるように、立ちげいこしようぜ。
【ボットム】 ピーター・クインス!
【クインス】 何だね、ボットムの親方?
【ボットム】 ピラマスとシスビの芝居にゃ、どうもおもしろくねえ所が多いぜ。まずピラマスは自殺するために剣を抜かなきゃなるめえ。こいつはご婦人方ががまんできないぜ。お前さんの意見はどうだね?
【スナッグ】 まったくだ、おっそろしくこわいこった。
【スターヴリング】 おらたち結局は切るの殺すのってやつを抜かさにゃなるめえ。
【ボットム】 そんなことはねぇさ。おらにゃちゃんとうまい考えがあるんだ。前口上ってやつを書いてくれ。それを口上役が言うようにすりゃいいんだ、おらたちは剣はぬいてもけがはねぇってことをさ。ピラマスはほんとに殺されるんじゃねえって言えばいいのさ。こ婦人がたに安心してもらうためにこう言うのさ、おらはピラマスだが、ピラマスじゃなくて、織物師のボットムなんだってね。そうすりゃ、ご婦人がたもこわがるこたぁねぇよ。
【クインス】 わかった。そういう前口上こしらえよう。八六調で書くとしよう。
【ボットム】 いやもう二つ足して、八八調で書いてくれよ。
【スナウト】 ご婦人がたはライオンをこわがりゃしねぇかね?
【スターヴリング】 そうとも、まったくそれが心配だ。
【ボットム】 皆の衆、その点は大いに考えなくちゃなるめぇ。ライオンをご婦人がたの中に持ちこもうってのは、とんでもねぇ、えらいこったぜ。なぜかといえば生きているライオン以上におそろしい猛禽《もうきん》はないからな。おらたちよほど注意しなくちゃなるめぇ。
【スナウト】 そうとも、も一つ別に前口上書いて、こいつは本当のライオンじゃねえって知らせるんだ。
【ボットム】 いや、名前をはっきり名乗らせりゃいいんだ。そして、ライオンの首の下から半分ばかり顔をのぞかせとかなくちゃいけねえ。そして、これこれしかじか、自分で口上を言うことにするんだ。こんなふうにだ――「貴婦人がた」――いや、「お美しい貴婦人がた――お願いがございます」――いや、「ご要請申し上げます」かな――いや、それとも、「懇願つかまつります――どうかおそれたりなさりませぬよう、ふるえたりなさりませぬよう、後生でございます。もし皆さまがたが、この私めがライオンとしてここにまかり出でましたと思召《おぼしめ》すならば、あっしといたしましても、残念至極でござります。あっしはそんなものじゃございません。あっしは皆さまがたと同様、人間なんでごさいます」というふうにな。そして名乗りをあげさせりゃいい。ご婦人がたに、はっきりとこいつは指物師のスナッグだと言わせりゃいいんだ。
【クインス】 ようし、そうすることにしよう。だが、まだ二つだけ困ったことがあるぞ。まず、月の光をどうやって部屋の中へ入れるかだ。なぜって、お前さんも知ってるように、ピラマスとシスビは月の光を頼りにあいびきするんだぜ。
【スナウト】 おらたちが芝居やる晩には月は出てるのかね?
【ボットム】 暦《こよみ》だ、暦だ、年鑑を調べてくれ。月のことを見つけるんだ、月のことをな。
【クインス】 あったぞ、その晩は月が出るぞ。
【ボットム】 それじゃ、おらたちが芝居をやる時に、大広間の窓をすっかりあけときゃいいんだ、そうすりゃ。月の光が窓からさしこむじゃねえか。
【クインス】 そうだな。さもなきゃ、だれかがいばらの束とちょうちんをもって出てくればいい。そして言うんだ。私めが月の光をけがします、それとも、お見せします――かな。それから、もう一つある。大広間の真中に壁が必要なんだ。物語の筋書きによればピラマスとシスビは壁の割れ目を通して話をすることになっているんだ。
【スナウト】 壁なんか持ちこむわけにはゆかねえ。ボットム、お前さんならどうするね?
【ボットム】 だれかが壁の役をやればいいんだ。そいつにしっくいか、荒壁土《あらかべつち》か、上塗りの土を持たせて、壁だってことにするのさ。そして、こんなふうに指を丸くして、そのすき間ごしにピラマスとシスビがこそこそ話をすればいいじゃねえか。
【クインス】 なるほど、それで万事片がついた。さあ、皆、坐った、坐った。それぞれの役を稽古してくれ。ピラマス、お前さんからはじめてくれ。自分のせりふを言いおえたら、あそこの茂みの中に入るんだ。それからみんながめいめい、合図の言葉によってはじめるんだ。
〔パック後方に登場〕
【パック】 なんとまあ粗末な田舎者どもが、こんな所で大見得をきっているんだ。
妖精の女王さまのゆりかごのすぐそばだというのに!
おや、芝居をはじめるらしいぞ。一つ聞いてやるかな、
それとも場合によっては一役買ってもいいぞ。
【クインス】 ピラマス、口上だ! シスビ、前へ出ろ!
【ボットム】 シスビよ、いまわしき匂いの花よ――
【クインス】 かぐわしき匂いだ、かぐわしき匂いだ!
【ボットム】 かぐわしき匂いもいと甘く――
汝が息もかくのごとく、わがいとしのシスビよ!
だが、まて、人声が、汝はしばしここにて待て!
われただちに汝のもとに帰り来たらん。〔退場〕
【パック】 今まで見たこともないぞ、こんなおかしなピラマス。〔退場〕
【フルート】 今度はおらが口上言うのかね?
【クインス】 そうとも、そのとおりだ。ピラマスは聞こえた物音をたしかめに行っただけだから、すぐ帰ってくるんだ。
【フルート】 いともかがやかしきピラマスさま、白ゆりのごとき肌の君、
その頬はかちほこる茨の上なる赤きばら、
こよなく元気なる若者、いとやさしき若者!
いまだ疲れを知らぬ、真実の駿馬《しゅんめ》のごとき君、
われ君にあわん、ピラマスさま、ニニイの墓場にて。
【クインス】 「ナイナスの墓場」だ。なんだ、お前さんまだそこまでしゃべっちゃいけねぇ。そいつぁ、ピラマスに答えてしゃべる口上だ。お前さん一度に自分の口上をみんなしゃべっちまった。合図の言葉も何もかも。ピラマスが入ってくるんだ。お前の合図の言葉はひと区切りだ。「疲れを知らぬ」がそれなんだ。
【フルート】 そうか。いまだ疲れを知らぬ、真実の駿馬のごとき君。
〔パックふたたび登場、ロバの頭をかぶったボットムも登場〕
【ボットム】 われもし美しき若者なりとも、シスビよ、われはただ君のもの!
【クインス】 おお、おそろしいこった! おかしなこった! おらたちは物の怪《け》につかれてしまったぞ! さあ、皆の衆! 逃げた、逃げた! 助けてくれ!〔クインス、スナッグ、フルート、スナウト、スターヴリング退場〕
【パック】 お前たちの後について行くぞ、そして輪になって踊らせてやるぞ、
沼地を通り、やぶを通り、茂みを通り、茨を通って。
時には馬にもばけてやる、時には狩り犬にも、
豚にも、首なし熊にも、時には狐火にもなってやるぞ。
馬、犬、豚、熊、狐火と、行くさきざきで、
ヒン、ヒン、ワン、ワン、ブウ、ブウ、ウォー、ウォー、ボウ、ボウ。〔退場〕
【ボットム】 なぜみんな逃げるんだ? おらをおどかそうと悪だくみしてるな?
〔スナウトふたたび登場〕
【スナウト】 ボットム、お前さんすっかり変わっちまったね。そのかっこうは何だ?
【ボットム】 お前の目にうつるのは、お前のロバの頭じゃねえかね。〔スナウト退場〕
〔クインスふたたび登場〕
【クインス】 おや、おや、ボットム、お前さん化かされちまったな!〔退場〕
【ボットム】 みんなあいつらの悪だくみだ。みんなでこのおらをロバ扱いして馬鹿にしおる。できりゃ、おどかそうってこんたんだな。だが、おいら、ここをぜったい動かないぞ。やれるならやってみろ。おいら、このあたりをゆうゆうと歩き回ってやるぞ。歌だってうたってやる、おいらはちっともこわがっていねえってこと見せてやらぁ。〔歌う〕
[#ここから1字下げ]
まっ黒くろいおすつぐみ、
そのくちばしは黄褐色、
ほんとの歌い手うたつぐみ
ほそいのどぶえのみそさざい――
[#ここで字下げ終わり]
【タイテーニア】 〔目をさまして〕花の寝床からあたしをよびさますのは何という天使?
【ボットム】 〔歌う〕
[#ここから1字下げ]
ひわに、雀に、朝ひばり、
一本調子のカッコ鳥、
その声耳に聞きながら、
うそつき鳥とも言いかねる。
[#ここで字下げ終わり]
というのは、まったくの所、だれがそんなあほうな鳥に知恵をしぼって文句をつけるもんかね。その鳥がどんなに「かっこう、女房をねとられた」と歌ったところで、それをうそつき鳥だという者があるだろうか?
【タイテーニア】 おねがい、やさしい人間さん、もう一度うたってください。
あたしの耳はあなたの歌にききほれました。
あたしの目も同様、あなたの姿にひきつけられました。
あなたの男らしい立派な姿が、文句なしにあたしを動かして、
一目見ただけであなたを愛していると言わせ、誓わせるのです。
【ボットム】 どうやら、ご婦人、そんなこと言われる理くつはないようですがね。ですが、まったくのところ、今じゃ理くつと恋はうまく一致しないようです。だれか正直な親しい人が、忠告して仲よくさせないのは残念至極です。あっしも時と場合に応じて皮肉なじょうだんも言います。
【タイテーニア】 あなたは美しいばかりでなく、賢いお方。
【ボットム】 いや、そうでもありませんや。ただ、この森から抜け出すだけの知恵がありゃ、あっし自身の役には十分たつんですがね。
【タイテーニア】 この森から抜け出すなんてお考えにならないで。
あなたをいや応なしにここにお引きとめしますわ。
あたしは普通ありふれた妖精じゃありませんのよ。
夏はいつもあたしにかしずいて、立派によそおってくれます。
あたしはあなたを愛します。だからあたしといっしょに来てくださいな、
あたしはあなたにおそばづきの妖精をあげますわ。
彼らは海の底から宝石を取って来てくれるでしょうし、
あなたが花の寝床の上でねている間、歌をうたってくれるでしょう。
あたしはあなたの人間のきたならしさを浄《きよ》めて、
空をかける霊妙な精のようにしてあげましょう。
豆の花! くもの巣、蛾《が》、からしだね!
〔豆の花、くもの巣、蛾、からしだねの妖精登場〕
【豆の花】 はい、ここに。
【くもの巣】 私も。
【蛾】 私も。
【からしだね】 私も。
【一同】 どちらへ参りましょう。
【タイテーニア】 この紳士に親切に丁重にしておあげ、
この方の歩く所で踊り、目の前ではねて踊っておくれ。
この方にアンズやスグリをとって来てあげるのだよ、
紫のぶどう、緑のいちじく、桑の実をつんで来ておあげ、
それからくまん蜂の巣から蜜の袋をとっておいで。
そして燭台としては蜂の蝋《ろう》のついた腿《もも》を切っておいで、
それにかがやく土ボタルの目から火をともして、
あたしのいとしい方を寝室に送り、お目ざめにかしずくのだよ。
それから色とりどりの蝶々の羽をむしって、
この方がおやすみの時、目から月の光をはらいのけるのだよ。
さあ、妖精たち、おじぎをして敬意を表しなさい。
【豆の花】 ごきげんよう、人間さん!
【くもの巣】 ごきげんよう!
【蛾】 ごきげんよう!
【からしだね】 ごきげんよう!
【ボットム】 失礼のだん、ひらにご容赦願いまして、どうかお名前をお聞せください。
【くもの巣】 くもの巣っていう者です。
【ボットム】 くもの巣さんとやら、今後ともよろしくお願い申し上げます。わしが指を切ったりした時には、血どめに遠慮なくお世話になることと思います。こちらさんのお名前は?
【豆の花】 豆の花と申します。
【ボットム】 どうか、おふくろさまの莢《さや》さんにもおやじさまの堅莢《かたさや》さんにもよろしくおっしゃってください、今後ともよろしくお見知りおきを。こちらさんのお名前は?
【からしだね】 からしだねです。
【ボットム】 からしだねさん、わしはあんたの辛抱をよく承知しています。例の臆病者の、図体ばかり大きい牛肉の奴めが、あんたのご家族を幾人も食べつくしてしまったことも。またあんたの親戚の人が以前にもわしに涙を流さしたことがたしかあったはずです。今後ともよろしくお近づきになってください、からしだねさん。
【タイテーニア】 さあ、この方におつかえして、あたしのあずまやにご案内しなさい。
お月さまがうるんだような目をしていらっしゃる、
お月さまがお泣きになると小さな花たちもみな涙ぐむ、
むりやりに童貞を失わされる処女たちをあわれんで。
あたしの恋人にものを言わせず、静かに連れてくるのだよ。〔退場〕
第二場 森の他の場所
〔オベロン登場〕
【オベロン】 タイテーニアは、もう目をさましたかな?
さましたその時最初に何が彼女の目に入っただろう?
それを夢中になって恋しているはずだが。
〔パック登場〕
ああ、わしの使者が帰って来た。
どうかね、向こう見ずの妖精?
われわれが住むこの森にどんな夜のなぐさみがあるのかね?
【パック】 王妃さまは怪物を夢中になって愛しておられます。
王妃さまの秘密の、清らかなあずまやの近くに、
王妃さまがうとうとと眠っておられましたそのとき、
アテネの町の店で働いて生計をたてている
阿呆どもの仲間、無骨な職人たちの一団が、
シーシュース公爵の結婚の祝いの催しとして
芝居のけいこをするために集まっていたのですが、
そのばか者どもの中でもいちばんまぬけな奴が
ピラマスの役をしていまして、けいこの途中で
舞台をはなれて、茂みの中に入りました。
わたしはちょうどうまくその時をねらって、
そいつの頭にロバの頭をかぶせてやりました。
やがて、彼のシスビに答えなければならないので、
この役者め出てまいりました。みんながそいつの姿を見たとき、
こっそりはいよる猟人《かりうど》を見つけた野鴨のように、
灰色の頭をした人まね烏《からす》が群れをなして、
鉄砲の音に、飛び上がり、鳴きわめきながら、
ばらばらになって、空を狂おしく飛びまわるように、
ちょうどそのように、彼を見て、仲間のものは逃げだしました、
あちこちで、切り株につまずいて、もんどり打って倒れる者もあり、
人殺しとさけんだり、アテネからの助けを求めたものもありました。
ただでさえうすのろな彼らは、強い恐怖のためすっかりうろたえ、
草や木までが彼らに害を加えるものになりました、
茨《いばら》や、とげが彼らの着物を引きさき、
袖や、帽子など、無抵抗な彼らからいろいろなものをうばいました。
あたしは気もそぞろにあわてる奴らをかりたててゆき、
かわいいピラマスは変形させたまま残しておきました、
そして、ちょうどその時、偶然にも、
タイテーニアさまが目をさまし、すぐにそのロバを恋してしまわれました。
【オベロン】 それは、わしが計画したよりもうまく行ったぞ。
だが、お前は、わしが命令しておいたように
あのアテネ人の目に恋の花汁を塗って来たかね?
【パック】 その男が眠っている所を見つけて、その仕事もすませました。そしてアテネの娘もすぐそばに寝ていましたので、
目をさましたら、かならずその娘を見るでしょう。
〔ハーミアとディミートリアス登場〕
【オベロン】 かくれていろ。あれがアテネの男だよ。
【パック】 娘はたしかにそうですが、男は違います。
【ディミートリアス】 なぜあなたはこんなに恋こがれている男を非難するのですか?
そんなひどい言葉はあなたの憎い敵に向かってお言いなさい。
【ハーミア】 今は言葉で非難するけど、もっとひどい扱いをしても当然、
だってあなたは呪っても足りないような事をしたのですもの。
もしあなたが眠っているライサンダーを殺したのなら、
血の中に足をふみこんだのだから、もっと深みまで入りこんで、
あたしも殺してしまいなさい。
太陽が昼間に誠実であるように、あの人も
あたしに誠実ですもの。眠っているハーミアを捨てて
ぬけ出すなんてことがあるでしょうか? それを信じるくらいなら、
この堅い地球に穴があいて、お月様が地球をくぐりぬけて、
地球の反対側にすんでいる人たちに真昼を与えている
お兄さんの太陽とぶつかって、きげんをそこねることを信じたほうがいいくらい。
たしかにあなたがライサンダーを殺したに違いないわ、
人殺しはちょうどそんな青ざめた、おそろしい顔をしているわ。
【ディミートリアス】 殺されたものの顔はそうです、だからわたしの顔もそのとおり、
あなたのきびしい残酷さで、胸をさし通されたのですから。
しかも、人殺しのあなたは、輝かしく、明るく、
向こうのきらきら輝く星座に光っている金星《ヴィーナス》のように美しい。
【ハーミア】 それがあたしのライサンダーに何の関係があって? 彼はどこに?
ああ、ディミートリアス、あの人を返してちょうだい。
【ディミートリアス】 とんでもない、死がいをわたしの犬にでもくれてやりたい!
【ハーミア】 まあ、いやらしい! 野良犬! あなたはこのあたしに
女のつつしみも忘れさせる。ほんとにあの人を殺したのね?
これからは人間の仲間に入ることもできないように!
おお、一度でいい、本当のことを、本当のことを言って、お願い!
あなたにあの人が目をさましている時に向かってゆく勇気があって?
ないからこそ、眠ってるあの人を殺したんでしょ? お見事ですわよ!
蛇だって、まむしだって、そのくらいの事ならできますわ。
まむしのした事だわ、蛇のようなあなたのしたこと、
まむしだってあなたのような二《ふた》また舌で刺しはしないわ。
【ディミートリアス】 あなたは全然思いちがいをして怒っているんだ。
わたしはライサンダーの血を流すようなことはしていない。
わたしが知っているかぎり、彼は死んじゃいないんだ。
【ハーミア】 それじゃ、お願い、あの人が元気だとはっきり言ってちょうだい。
【ディミートリアス】 しかしあたしがそう言うことができれば、お返しに何がもらえる?
【ハーミア】 二度とふたたびあたしに会わないという特権をあげるわ。
憎らしいあなたのいる所からあたしは立ち去ってゆきます、
あの人が死んでいようと、いまいと、二度とあなたには会いません。〔退場〕
【ディミートリアス】 あんなに怒っているのでは、ついて行っても仕方がない。
だから、しばらくここでやすむとしよう。
悲しみの重くるしさはますますつもるばかり、
悲しみによってろくろく眠ることさえできなかったので。
だからここでほんのしばらくでも眠ることができれば、
いくらかでもその重くるしさからのがれられるだろう。〔横臥――眠る〕
【オベロン】 お前はどうしたというんだ? まったく間違えてしまって、
愛の花汁をほんとに恋している者の目に塗ってしまったな。
お前の間違いのために、ほんとの恋人が心がわりするだけで、
つれない男がほんとの恋人には決してならないのだぞ。
【パック】 そうなればすべて運命の女神の仕業《しわざ》、真実な男一人に対して、
恋を誓っては破る男は百万もいるというわけ。
【オベロン】 風より速く森をかけめぐり、
アテネのヘレナを探し出すのだ。
彼女は恋にやつれはて、恋の嘆息で
血の気もうせて、青白い頬をしている。
何か幻を見せて、彼女をここまで連れてこい、
彼女がここへ来た時、わしはこの男の目にまじないをかけよう。
【パック】 行きます、行きます、仰せのとおり、
ダッタン人の射る矢よりも速く。〔退場〕
【オベロン】 キュービッドの矢にあたった、
紫色のこの花の汁、
その若者の瞳ふかく沈め。
その恋人を見出す時、
その人こそ空の金星《ヴィーナス》のごと、
美しく光り輝け。
お前が目ざめた時、彼女がいたら、
恋の病をいやすすべを彼女に求めよ。
〔パックふたたび登場〕
【パック】 妖精部隊の隊長どの、
ヘレナがここに参りました。
それにわたしの間違えた若者も、
恋のくちづけを求めながら。
彼らのばかげた有様を見物しますか?
まこと、人間とは何とおろかな者!
【オベロン】 わきによって。彼らのさわぎで
ディミートリアスも目をさますだろう。
【パック】 すると二人が一度に一人をくどく、
こいつぁ、きっとおもしろいぞ。
わたしの一番すきなのは、
とんでもない馬鹿げた出来事だ。
〔ライサンダーとヘレナ登場〕
【ライサンダー】 なぜあなたはわたしの求婚が嘲《あざけ》りだと思うのですか?
嘲りやごまかしには涙は出ないものです。
わたしが誓う時にはいつでも、わたしは泣きます。そのような誓いは、
うまれながらに、真心そのものなのです。
わたしのこのような言葉をどうして嘲りととるのですか?
それが真心から出たという、真実のしるしをつけているのに。
【ヘレナ】 あなたはますますずるがしこくなって来ました。
真実が真実を殺すとは、悪魔のような聖戦です。
あなたの誓いはハーミアに対してもなされたのに、あの人を捨てたのですか?
誓いと誓いとを秤《はかり》にかけても、何も計れはしません、
あの人への誓いとあたしへの誓いを両方の秤皿《はかりざら》においたら、
どちらも同じ、作り話のように軽いのですもの。
【ライサンダー】 わたしがハーミアに愛を誓った時にはまだ分別がなかった。
【ヘレナ】 そしてあの人を捨てた時もあなたに分別なんてありはしません。
【ライサンダー】 ディミートリアスは彼女を愛し、あなたを愛してはいない。
【ディミートリアス】 〔目ざめて〕おお、ヘレナ! 女神、妖精、完全な、神々しい姿!
恋人よ、君が目を、われ何にたとえん?
水晶も泥のごとし。おお、ゆたかにも
君が唇、くちづけする桜桃《さくらんぼ》のごと、心そそのかす。
名にしおうタオラス山の、東風に吹きつけられる
純白に凍る雪も、君がその白き手をさしのべるとき、
黒きこと烏《からす》のごとし。おお、この純白無比なるもの、
この至福のしるしに、接吻《くちづけ》することをわれに許せ!
【ヘレナ】 まあ、憎らしい! いやらしい! みんなでよってたかって
あたしをなぐさみものにしようとしているのね?
もしあなた方が紳士で礼儀をわきまえているなら、
こんなにあたしを傷つけるようなひどい仕打ちはなさらないでしょうに。
あたしをきらっていらっしゃることはよく知っています、でも、
それだけで満足しないで、心を合わせてあたしをなぶり者にするなんて!
見た所では、あなた方は紳士、もし紳士ならば、
淑女をこんなひどい目には会わせないはずです。
心の底からあなたをきらっていることはあたしにもよくわかっているのに、
愛を誓い、断言し、あたしの姿や心をほめそやすなんて!
あなた方二人は競争相手、ハーミアを愛していました。
そのあなた方が今では競争して、ヘレナをなぶり者にしようとなさる。
ほんとに立派ななさり方ですわ。男らしいやり方ですこと。
かわいそうな女の子を、ごまかして、たぶらかして、
目に涙をためさせるなんて! もっと立派な方ならば、
すべて自分のなぐさみのために、心の中でじっとがまんしている
かわいそうな女心を傷つけたりはしないはず。
【ライサンダー】 君は残酷だ、ディミートリアス、もうやめたまえ。
君はハーミアを愛している。ぼくがそれを知っている事も承知のはず、
だから、ぼくはここで、心から、喜んで、
ハーミアヘのぼくの愛を君にゆずりわたしてあげよう、
だから君のヘレナヘの愛を、どうかぼくにゆずってくれたまえ。
ぼくはヘレナを愛しているし、死ぬまで愛しつづける。
【ヘレナ】 あんなそらぞらしい言葉で人をだますのをきいた事もない。
【ディミートリアス】 ライサンダー、君のハーミアを大切にしたまえ。ぼくはいらないよ。
ぼくが彼女を愛していたことがあったとしても、もうその愛は消えてしまった。
ぼくの心はほんのひとときの客人のように、彼女の所にとどまっただけだ、
そして今、自分の住みなれた家、ヘレナのところへ帰って来た、
そこでずっと暮らすためにだ。
【ライサンダー】 ヘレナ、それは嘘だ。
【ディミートリアス】 君が知りもしない愛情に文句をつけたりするな、
さもないと、君は生命にかかわるようなひどい目に会うぞ。
ほら、あそこに君の恋人が来た。君の愛するその人が。
〔ハーミアふたたび登場〕
【ハーミア】 暗い夜が、目からその働きをうばってしまった、
でも、耳は聞く力を一そうするどくしている。
やみは目で見る力を弱めてしまったその代わりに、
耳で聞く力を二倍にして埋め合わせています。
ライサンダー、あなたはあたしの目では見つからなかったけど、
ありがたいことに、耳があなたの声を頼りに、ここまであたしを連れて来ました。
だけど、どうしてあなたは残酷にもあたしを置き去りにしたのですか?
【ライサンダー】 愛が行けとせき立てているのに、何でとどまっていられよう?
【ハーミア】 どんな愛が、あたしのそばから、ライサンダーを追いたてたのでしょう?
【ライサンダー】 ライサンダーの愛が、彼をじっととどまらせておかなかった。
うるわしのヘレナ! かなたなる空にかがやく星より
さらに美しく夜をかざるかがやく星よ!
なぜ君はぼくを探した? これだけぼくに言われても、
あんなふうに君をおき去りにしたのは、君がきらいだからとわからないか?
【ハーミア】 あなたは心にもないことをおっしゃる。そんなこと考えられないわ。
【ヘレナ】 まあ、ハーミアまでが一味になっているのね?
今こそよくわかったわ。三人でよってたかって
あたしをいじめるために、こんな卑劣ないたずらをするのね。
なんていじわるなハーミア、恩知らずにもほどがあるわ。
あなたも共謀者なのね? あなたもこの人たちとぐるになって、
こんなひどいごまかしをして、あたしをおとしいれようとしたのね?
あたしたちが二人きりで分かち合った秘密のすべて、
姉妹の誓いもみな、お別れしなければならない時が
大急ぎでやって来るのをうらみながら、二人きりで過ごした時のこと、
もうあなたはみんな忘れてしまったというのね?
学校時代の友情も、子供の頃の無邪気さもみんな?
あたしたちはねハーミア、二人の技芸の女神のように、
一つの型を見ながら、一つのクッションの上にいっしょに坐って、
針をせっせと動かして二人で一つの造花をつくったりしたわ。
同じ調子に声をそろえて、二人で一つ歌をうたったわ、
まるであたしたち二人の手も、胸も、声も、心も、
一体になったかのように。あたしたちはこうして大きくなったのよ。
別れているように見えながら、それでいて一つにむすばれた、
二つのかわいらしい桜桃《さくらんぼ》のように、
一つの茎の上になったきれいな果実のように、
見た目には二つの身体をもっていても、心はただ一つ、
紋章|楯《たて》のように、二つの別々の模様をならべて用いながら、
二重の紋章はむすばれて、上紋章《クレスト》はただ一つ。
それなのに、あなたはむかしの友情をずたずたにきり裂いて、
あなたのかわいそうな友だちを、この男たちといっしょになってからかうのね?
それではあんまり友だち甲斐《がい》がないし、女らしくもないことだわ。
たとえあたし一人だけがこんな侮辱を受けるとしても、
あたしだけでなく、女性全体が、そんなあなたを非難するわ。
【ハーミア】 あなたのはげしい怒った言葉をきいてあたしはただおどろくばかり、
あたしはあなたを侮辱したりはしないわ。あなたこそあたしを侮辱してるわ。
【ヘレナ】 あなたはあたしをばかにするために、ライサンダーをけしかけて、
あたしの後を追いかけさせ、あたしの目や顔をほめさせたわ。
そしてあなたのもう一人の恋人、ディミートリアスに、
たった今まであたしを足げにするほど軽蔑していた彼に――
あたしのことを、女神だとか、妖精だとか、神々しい、たぐいまれな、
貴い、天上のものなんて呼ばせるようにしたのもあなたでしょう?
あなたがけしかけたのでなかったら、あなたが同意したのでないなら、
なぜ、あの人が、毛嫌いしているあたしにこんな言い方をするのかしら?
心の中ではひたすらあなたを愛しているライサンダーが、なぜその愛を否定して、
あたしにひたむきな愛情をささげたりすることができるというの?
あたしはあなたのようにちやほやされたことはないにしても、
あなたのようにしあわせに、恋人に大さわぎされたことはないにしても、
愛してもくれない人を愛して、とてもみじめな女だけど、それが何だの?
あなたはあたしをさげすむよりはむしろ同情すべきじゃないかしら?
【ハーミア】 あたしにはあなたが何を言おうとしてるのかわからないわ。
【ヘレナ】 いいわ、いつまでもしらばっくれて、まじめな顔つきをしてるといいわ。
あたしが向こうをむいたら、あなたは舌を出して、
おたがいに目くばせするといいわ。そしてこのたのしいじょうだんを続けるといい。
この余興はうまくやりとおせたら、後の世までも語り草になるわ。
もしも、あなたに同情心と、善良さと、礼儀をわきまえる心があるなら、
あたしをこんなに、嘲笑《ちょうしょう》のたねにはしないはずだわ。
でも、さようなら、これも半分はあたしのあやまちよ、
それは、あたしが死ぬか、ここにいなくなるかすればつぐなえるのだわ。
【ライサンダー】 まってください、やさしいヘレナ、ぼくの言う事も聞いてください。
おお、わが恋人、わが生命《いのち》、わが魂、うるわしのヘレナ!
【ヘレナ】 まあ、何てすばらしいお言葉だこと!
【ハーミア】 あなた、ヘレナをそんなにからかわないで。
【ディミートリアス】 彼女が頼みこんでもやめないなら、ぼくが腕ずくでもやめさせる。
【ライサンダー】 彼女が頼んでもだめなものは、君が無理押ししてもだめだ。
君の脅迫は彼女の甲斐《かい》ない祈りと同様、役に立たない。
ヘレン、ぼくは君を愛する。この生命にかけて愛している。
君のためなら喜んでなげだすこの生命にかけて誓う、
ぼくが君を愛していないという男の言うことなど、はっきりまちがっている。
【ディミートリアス】 ぼくはこの男以上に君を愛することができると断言する。
【ライサンダー】 もしもそれが本心なら、こっちへ来い。決闘で証明しろ!
【ディミートリアス】 さあ、来い!
【ハーミア】 ライサンダー、これはいったいどういう事?
【ライサンダー】 あっちへ行っちまえ、エチオピア女め!
【ディミートリアス】 いや、いや、この男は、
離れるようなふりをするだけだ。おれの後についてくると大さわぎしているようだが、
実際に来はしないんだ。お前は臆病者だ! そのざまは何だ!
【ライサンダー】 放せ、猫め! ゴボウのいがいがめ! いやらしい奴め、放せ!
放さんと蛇のようにふりはらってやるぞ!
【ハーミア】 なぜあなたはこんなに乱暴におなりになったの? どうしてこんなに変わったの?
ねえ、いとしいあなた!
【ライサンダー】 いとしいだと! やめろ、こげ茶色のダッタン人め、放せ!
いっちまえ、いやな薬みたいなむかつく奴め! 出て行け!
【ハーミア】 じゃ、じょうだんじゃないの?
【ヘレナ】 本気ですとも、あなただってそうだわ。
【ライサンダー】 ディミートリアス、約束はかならず実行するぞ。
【ディミートリアス】 その約束の証文でもとっておきたい所だ。どうやらお前は、
そっちの弱々しい証文でしばられてるようだ。お前の言葉なんか信用できるか!
【ライサンダー】 何だと! こいつを傷つけたり、打ったり、殺したりしろというのか?
おれはこの女が憎いが、そんなにまでして傷つけようとは思わないんだ。
【ハーミア】 何ですって、憎まれるよりもひどい傷があるでしょうか?
あたしを憎むんですって? どうして? ああ、これはいったい何ということ!
あたしがハーミアでないとでも、あなたがライサンダーでないとでもいうつもり?
あたしは、さっきまでと少しも変わらないくらい美しいのよ。
ついゆうべまで、あなたはあたしを愛してくださったのに、夜の間に、
あたしを置き去りにしたわ。じゃあなたは――そんな事ってあるかしら――
本気であたしを置き去りにしたの?
【ライサンダー】 本気だとも。
そしてもう二度と君なんかに会いたくもなかった。
だから、希望も、問題にすることも、疑うこともやめてくれ!
これほど確かなことはないんだ。じょうだんではなく
ぼくは君がきらいで、ヘレナを愛しているんだ。
【ハーミア】 まあ、何という事! あなたはペテン師! 蕾《つぼみ》を食う虫よ!
恋の盗人! だって、夜にまぎれてこっそりしのびこんで、
あたしの恋人の心を盗んだじゃないの?
【ヘレナ】 お芝居はまったくお見事ね!
あなたは慎みも、処女《おとめ》の恥も忘れてしまったの?
はずかしいとは思わないの? このあたしの口から、
腹立ちまぎれの返答をどうしてもさせたいと言うの?
なんてずるい人! ごまかしや! あやつり人形!
【ハーミア】 あやつり人形ですって! そう、それが言いたかったのね?
今こそわかったわ。あなたはあたしたちの背の丈を
くらべようとしているんだわ。あなたは背がすらりと高いのを利用して、
その美しい姿で、すらりとしたきれいな姿で、
まったくの所、背の丈で、ライサンダーを迷わせたのだわ。
そして、あたしがこんなちんちくりんのちびだからっていうんで、
あなたは彼の気持ちまですっかり自分のものにしてしまったのね。
どのくらいあたしが低いこと? 塗りたくった五月柱《メイポール》さん、言ってみなさいよ。
どのくらいあたしが低いこと? そりゃあたしはちびですけどね、
あたしの爪であなたの目を引っかくことができないほどじゃないわ。
【ヘレナ】 お願いです、あなたがた、あたしをからかっていらっしゃるにしても、
この人にあたしを傷つけさせるのはやめさせて。あたしはいじわる女じゃない、
いじわるなどとてもあたしにはできないわ。
あたしはまったく臆病な弱虫な女なのよ。
彼女にあたしを打たせないで。あなたがたは考えていらっしゃるかもしれない、
彼女があたしより少し背が低いのだから、
あたしが相手になって争うのにちょうどいいと。
【ハーミア】 背が低いですって、また、言った!
【ヘレナ】 ねえ、ハーミア、そんなにあたしにつらく当たらないでね。
あたしはいつも変わらずあなたが大好きだったのよ、ハーミア、
いつだってあなたの秘密は守ったし、あなたをひどい目にあわせた事はないわ。
ただ一つだけ――ディミートリアスを愛するあまりしたことだけど――
あたしはあなたがこの森へこっそりやって来ることを彼に知らせてしまったの。
彼はあなたの後を追いかけたわ、そしてあたしも愛する彼の後を追ったわ。
でも彼はあたしに出て行けと叱りつけ、あたしをおどしたのよ、
打つぞ、けとばすぞ、そして殺すぞっておどしたの。
もしあなたが、あたしに、だまってここから出て行くことを許してくれるなら、
あたしは自分の愚かな心を抱いて、アテネに帰るわ、
そしてもうあなたの後をこれ以上追いかけないわ。だからあたしを行かせて。
あたしはほんとに分別もなく、ばかだったんだわ。
【ハーミア】 さあ、行きなさいよ。だれがじゃまなんかするって言うの?
【ヘレナ】 ここに未練がましく残してゆく、おろかな心だけが。
【ハーミア】 何ですって、ライサンダーの所に?
【ヘレナ】 いえ、ディミートリアスの所に。
【ライサンダー】 びくびくすることはない、ヘレナ。この女は君を傷つけたりはしない。
【ディミートリアス】 とんでもない、そんな事させるものか。君が彼女の味方になってもさせないぞ。
【ヘレナ】 ハーミアはおこるととてもきついし、いじわるな事もするわ、
学校に行ってた頃から、牝狐《めぎつね》みたいにいじわるな所があったわ。
体はとても小さいけど、怒るとものすごいのよ。
【ハーミア】 また小さいって言うの! 背が低いとか、小さいとか!
なぜあなた方はこの人にあたしを侮辱させて平気でいるの?
あたしが相手になるわよ。
【ライサンダー】 あっちへ行け、ちんちくりんめ!
一寸法師、にわやなぎを煎じて飲まされたちびめ!
ビーズのような、どんぐりのようなちびめ!
【ディミートリアス】 お前はヘレナのためにおせっかいがすぎるぞ、
彼女はそれをいやがっているじゃないか。
ほっとけよ、ヘレナの事は何も言うなよ。
彼女の味方をするなどとんでもない。もしもお前が
少しでもヘレナに愛情を示すようなことがあったら、
ただじゃおかないぞ。
【ライサンダー】 やっと、手を放してくれたな。
さあ、ついて来い、勇気があったら。決着をつけようじゃないか、
お前とおれとどっちがヘレナを自分のものにするか!
【ディミートリアス】 ついて来いだと! なまいきな、おれはお前と並んで行くぞ!〔ライサンダーとディミートリアス退場〕
【ハーミア】 ちょいと、淫売《いんばい》さん、このさわぎはみんなあなたのせいよ、
逃げだしたりしないで、そこにいるのよ!
【ヘレネ】 あたし、あなたなんか信用できないわ。
あなたみたいないじわるな人と一緒にいようとは思わない。
そりゃ、けんかすればあなたの手の速いのにはとてもかなわないけど、
逃げるとなったら、あたしのほうが足が長いんですもの、ずっと速いわ。〔退場〕
【ハーミア】 まああきれた、話にならないわ。〔退場〕
【オベロン】 お前の怠慢からこんな事になった、いつもお前は間違える、
いやむしろ、いたずらをして喜んでいるのだな。
【パック】 いえ、これはまったくの間違いです、影の王さま、
男の着ているアテネ人の服装でその男を
見分けることができるとおっしゃったのはあなたです。
わたしがアテネの若者の目に汁を塗ったというかぎりでは、
わたしのやったその事におとがめ受けるはずはありません、
こんな結果になった事はとてもおもしろいことですし、
このそうぞうしいけんかはといえば、まったくおもしろい気晴らしです。
【オベロン】 お前にもわかっただろうが、恋人たちは決闘の場所を探している。
だからロビン、いそげ、いそいで夜を暗やみにしろ!
星のきらめく大空を、アケロンの川のようにまっ黒な、
たれ込めた霧でおおって、暗くしてしまえ。
そして、二人のいがみ合う恋敵《こいがたき》の男どもが、
たがいに出会うことのないよう、道を迷わせてしまえ。
ある時にライサンダーの声色《こわいろ》をお前がつかって、
ディミートリアスに悪口雑言のかぎりをつくせ、
また時には、ディミートリアスの声をまねてどなり散らせ、
二人の男がたがいに顔見あわせることのないよう、引きはなしてしまえ。
やがて、鉛《なまり》のような脚とこうもりのような翼をもってしのびよる
死にも似た重くるしい眠りが、彼らのまぶたの上にかぶさるようにせよ。
その時に、この花の汁をしぼってライサンダーの目に注げ、
その汁にはまことに強い効力があって、その力で
彼の目からすべてのあやまちを取り除き、
彼の目にもとどおり正しいものの見方をさせるのだ。
彼らがこんど目ざめた時には、このばかばかしい出来事は、
みんな夢が、あとかたもない幻のように思われ、
死にいたるまで変わらぬ愛のきずなに結ばれて、
恋人たちはめでたくアテネヘ帰るであろう。
お前にはこの仕事を頼んでおくが、その間に、
わしはわしの王妃の所へ行き、インドの少年を貰って来よう。
それから彼女の呪《まじな》いにかかった目を怪物の姿から解放してやろう。
そうすれば万事解決、すべてはめでたしだ。
【パック】 妖精の王さま、これは大いそぎでやらなければなりません。
夜の女神の車を曳く龍は全速力で雲を切り、
かなたには|夜明け《オーロラ》の女神のさきがけがかがやきはじめました、
それが近づいて来ると、そこここにうろついている亡霊どもは、
群れをなして墓場に帰ってゆきます。迷っている亡霊ども、
四つ辻や、水の中に葬られた者たちの霊は、
もうすでに、うじ虫だらけの寝床に帰りました、
昼間が来て、彼らの恥ずかしい姿を現わすのを恐れて、
自分でわざと光をさけて逃れいでて、
永遠に黒い額の夜とともにすむべき者たちですから。
【オベロン】 だが、われわれは彼らとはまったくちがった精霊だ。
わしはしばしば朝の恋人とあそんだこともある。
また、山林管理官のように、林の中を歩き回り、
東の天の門が、まったく火のように紅に染められ、
美しい祝福された陽の光が、海神《ネプチューン》の上にかがやき、
その暗緑色の海水を、黄金色に変えるのを見たこともある。
しかし、とにかく急いでやろう。ぐずぐずするな。
われわれは夜明け前に仕事を終えることにしよう。〔退場〕
【パック】 ここかと思えば、またかしこ、
奴らを連れだせ、ここかしこ、
町でも野原でもこわいおれだ、
ゴブリンさまだ、奴らを迷わせろ、ここかしこ、
一人やって来たぞ。
〔ライサンダーふたたび登場〕
【ライサンダー】 お前はどこだ、ごうまんなディミートリアス、はっきり言え!
【パック】 ここだ! 卑怯者! 剣をぬいて用意しろ! お前はどこにいる?
【ライサンダー】 すぐに行くぞ。
【パック】 じゃ、ついて来い!
平地へ行くんだ。〔ライサンダー、声のあとを追って退場〕
〔ディミートリアスふたたび登場〕
【ディミートリアス】 ライサンダー、もう一度言ってみろ!
逃げ足の速い臆病者! 逃げたのか!
返事しろ! 藪《やぶ》の中か? どこに頭をかくしているんだ?
【パック】 臆病者め! お前は星に向かっていばり散らしているのか?
薮に向かって決闘しようと宣言しているのか?
立ち向かって来る気もないのか? さあ来い、臆病者、さあ来い、青二才め!
お前のような奴はむちで打ってやるわ。お前なんかに剣を抜けば剣がけがれるわ。
【ディミートリアス】 おい、そこにいるんだな?
【パック】 おれの声について来い。ここじゃ決闘することもできんわ。〔ともに退場〕
〔ライサンダーふたたび登場〕
【ライサンダー】 あいつはいつもおれに先回りをして、挑戦してくるが、
おれが声のする所へ行くと、あいつはいないんだ。
おのれ悪党め! おれよりよほど足が速いんだな。
おれは大急ぎでついて行くが、あいつはそれよりなお速く逃げて行く、
そしておれはこんな暗いでこぼこ道へはいりこんでしまった。
ここで休むとしよう。〔横になる〕さあ、やさしい朝よ、来てくれ、
お前がかがやかしい朝の光をおれにさしかけてくれれば、
おれはディミートリアスを見つけて、このうらみをはらしてやるんだ。〔眠る〕
〔パックとディミートリアスふたたび登場〕
【パック】 ほう、ほう、ほう! 臆病者! なぜかかって来ないんだ!
【ディミートリアス】 待ってろ、もし勇気があるなら! おれにはわかってるぞ、
お前はいつも先回りして、あちこち場所を変えてはいるが、
立ちどまって、まともにおれに向かって来ることはしないんだ。
いまどこにいるのか?
【パック】 こっちへ来い、ここにいるぞ。
【ディミートリアス】 おい、おれをからかってるんだな。この仕返しはきっとしてやるぞ。
夜が明けて、お前の顔を見たら、ひどい目にあわせてやるぞ。
さあ、どこへでも勝手に行け! すっかり疲れてしまった、
この冷たい地面に横になるより他はない。
だが夜が明けたら、かならず見つけてやるからそう思え!〔横たわり眠る〕
〔ヘレナふたたび登場〕
【ヘレナ】 おお、何とものうい夜、長く、退屈な夜よ!
お前の時間をちぢめておしまい! よろこばしい慰めよ、東からかがやけ!
このあわれなあたしを嫌って仲間はずれにした人たちからはなれて
あたしが朝になって、アテネに帰ることができるように!
おお、眠りよ、時には悲しみの目を閉じてくれる眠りよ、
しばらくの間、あたしに悲しみを忘れさせておくれ!〔横たわり眠る〕
【パック】 まだ三人か? も一人来い!
二人ずつの二組で四人になる。
あ、やって来たぞ、怒ってこわい顔をして。
キューピッドもいたずら小僧だな、
かわいそうに娘たちを気ちがいのようにして。
〔ハーミアふたたび登場〕
【ハーミア】 こんなに疲れ、こんなに悲しいことはない、
露にぬれて、茨にいためつけられて、
あたしはもうこれ以上|這《は》うことも歩くこともできない。
気持ちだけはあっても足が言うことをきかない。
ここでやすんで夜明けをまつことにしよう。
もし決闘するならば、神さま、どうかライサンダーをお守りください。〔横たわり眠る〕
【パック】 地上に、
よく眠れ、
汝の目に
注ごうよ、
やさしい恋人、このくすりを。
〔汁をライサンダーの目にしぼり注ぐ〕
目ざめたら、
つかむだろう
真実の
よろこびを、
恋人の目の中に。
ひなびた諺《ことわざ》に言う、
人はみな似合いのものを手にすべしと、
目ざめればさとるだろう。
ジャックはジルを得て、
万事うまくおさまる。
男は彼の相手をまた得て、すべてはめでたし、めでたし。〔退場〕
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第四幕
第一場 同じ森の中 ライサンダー、ディミートリアス、ヘレナ、ハーミアが眠っている
〔タイテーニアとボットム、豆の花、くもの巣、蛾、からしだねをしたがえて登場。オベロンは他の登場人物に見られずに登場〕
【タイテーニア】 さあ、この花の床の上にお坐りになって。
あたしはあなたのかわいらしい頬をなでてあげましょう、
あなたの滑《なめ》らかな頭に麝香《じゃこう》ばらをさしてあげましょう、
あなたのきれいな大きい耳にキスしてあげましょう、いとしいお方!
【ボットム】 豆の花さんはどこにいるかね?
【豆の花】 はい、ここに。
【ボットム】 わしの頭をかいてくれよ、豆の花さん。くもの巣さんはどこかね?
【くもの巣】 はい、ここに。
【ボットム】 くもの巣さん、ねえ、君、君の武器を用意して、あざみのてっぺんにとまっている赤い尻のくまん蜂を殺してくれ。そして蜜の袋をとって来てくれよ。だけど、あんまり大さわぎするんじゃないぜ。蜜の袋がやぶれないように気をつけてくれよ。君が頭から蜜をかぶったりしちゃ困るからな。からしだねさんはどこだね?
【からしだね】 はい、ここに。
【ボットム】 からしだねさん、手を貸してくれよ。ねえ君、もうおじぎするのはやめにしてくれ。
【からしだね】 何をいたしましょう。
【ボットム】 くもの巣どのに手伝って、頭をかいて貰いたいんだ。もう床屋へ行かなくちゃいかんな、顔中ひげだらけになったようだ。わしのロバ頭は敏感だから、毛がちょっとでもさわるとかかずにはいられないんだ。
【タイテーニア】 ねえ、あなた、何か音楽をおききになったら?
【ボットム】 わしは音楽にかけちゃかなりいい耳をもってるぞ。
ひとつトングスとボーンズでやってもらいますかな。
【タイテーニア】 それとも、あなた、何か召し上がります?
【ボットム】 そうだな、まぐさをたんまり貰おうかな、乾いたからす麦をぱりぱり食ってみたいもんだ、乾草を一束ぜひ欲しいと思うんだ、上等の乾草、うまい乾草はこの上もないもんだからな。
【タイテーニア】 冒険ずきの妖精がいますから、りすの貯蔵所へ行かせて、
新しいくるみを持って来させましょう。
【ボットム】 それよりも乾いた豆が一握りか二握りほしいな。だが、お願いだ、あんたの家来たちにわしを起こさせないでほしいんだ。わしは眠くなって来た。
【タイテーニア】 おやすみなさい。あたしが腕にだいてあげましょう。
妖精たち、あっちへお行き。それぞれの仕事をしにおゆき。〔妖精たち退場〕
こんなふうに、ひるがおは美しいすいかずらに
やさしくからみつくのよ。やさしい蔦《つた》はこんなふうに
楡《にれ》の木のごつごつした枝にまつわりつくのよ。
ああ、あたしはあなたが大好き! ほんとにほれぼれするわ!〔二人とも眠る〕
〔パック登場〕
【オベロン】 〔前に進み出て〕よく来てくれた、ロビン。
どうだ、このすばらしいざまは?
わしはタイテーニアがふ抜けに惚れてるのをみてかわいそうになって来た。
ついさっき森のうしろのほうで彼女《あれ》に会ったが、
このいやらしい阿呆《あほう》のために花をつもうとしていた。
わしは彼女を叱りつけ、口論もしたんだが、
彼女は新鮮なかぐわしい花で冠をつくって、
あの阿呆の毛むくじゃらな頭にかぶせているんだ。
かつては蕾《つぼみ》の上におかれて、まるく輝かしい真珠のように、
ふっくらとふくらんでみえたその露のしずくも、
今では、きれいな小さな花の目の中に宿って、
自分たちの不名誉を泣き悲しんでる涙のようにみえた。
わしは思う存分、彼女をなじり罵《ののし》ってやったが、
彼女はやさしい言葉でがまんしてくれとたのむばかりだった。
そしてその時、わしは彼女の例のインドの取りかえ子をくれと言ってやった。
すると彼女はすぐにそれをくれたんだ。彼女の妖精どもに命じて
その子を妖精の国のわしの館まで届けさせてくれた。
わしはもうこの子を手に入れたのだから、彼女の目から、
このいやらしい迷いを解いてやろうと思う。
さあ、パック、アテネの無骨な男をすっかり変えてしまったこの奇妙な頭を
この男から取りはずしてやろうじゃないか。
ほかの者たちが目をさました時、この男も目をさまして、
皆そろってアテネヘ帰ることができるように、
そして今夜の出来事は、おそろしくなやまされた
夢の中の事としか考えないようにしてやろうじゃないか。
だが、まずわしは妖精の女王の呪《まじな》いを解いてやろう。
もとのとおりになれ、
もと見ていたとおりに見よ。
ダイアナの蕾はキューピッドの花より
強い効果と祝福された力を持つ。
さあ、わしのタイテーニア、目をさませ、わが美しき王妃よ!
【タイテーニア】 オベロン! あたしは何ておかしな夢を見ていたのかしら、
あたしはロバに夢中になっていたようでしたわ。
【オベロン】 君の恋人がそこに寝ているよ。
【タイテーニア】  まあ、どうしてこんな事が起こったのかしら?
まあ、いやらしい、こんな顔みるのもいやだわ。
【オベロン】 しっ、静かに! ロビン、この頭をとってやれ。
タイテーニア、楽人たちを呼んでくれ。この五人の
感覚をまひさせて、普通の眠り以上にぐっすり眠らせてくれ。
【タイテーニア】 さあ、音楽を! 眠りをさそうような音楽を!〔静かな音楽〕
【パック】 さあ、目がさめたら、お前自身の馬鹿な目でのぞいて見ろ。
【オベロン】 さ、音楽だ! さ、わしの王妃、わしと手を組んでおどろう
この人間たちの眠っている地面を揺り動かそうじゃないか。
今、君とわしとは改めて仲直りをしたのだ、
明日の真夜中には儀式をととのえて
シーシュース公爵の館《やかた》で祝いの踊りをおどり、
子孫末長く繁栄するように祝福してやろう。
そこでは、二組の愛を誓い合った恋人たちも、
シーシュースといっしょに、めでたく結婚することになるのだ。
【パック】 妖精の王さま、お聞きなさい、
遠くにひばりの声がします。
【オベロン】 では、王妃、黙って静かに、
夜の影を追って飛んで行こう。
わしらが地球を回るのは、
さまよう月よりなお早いのだ。
【タイテーニア】 さあ、わが君、飛んで行く間に
こよいの事を話してください、
どうしてここに人間たちと
ともに眠ってしまったのかを。〔退場〕
〔舞台裏で角笛《つのぶえ》の音。シーシュース、ヒッポリタ、イジーアス、従者たちを従えて登場〕
【シーシュース】 さあ、だれか一人行って狩猟係を見つけて来てくれ。
もうわしらは五月祭の朝のつとめも済ませたし、
まだ朝も早いことだから、いとしいヒッポリタに、
わしの猟犬の奏《かな》でる音楽を聞かせてやろう。
西の谷間に犬どもを放してやれ、さあ行かせるのだ。
早くしてくれ、狩猟係を見つけるのだ。〔従者退場〕
さあ、王妃、わしらは山の頂《いただき》にのぼって、
猟犬どもの叫び声のその反響でつくられる
音楽的な不調和音をきくことにしようじゃないか。
【ヒッポリタ】 あたしはハーキュリーズとキャドマスといっしょにいた事があります、
彼らがクレタ島の森の中でスパルタの猟犬をけしかけて
熊を追いつめていた時の事でした。あれほど勇壮な叫び声を
今まで聞いた事もありませんでした。森の中ばかりでなく、
空も、泉も、その近くのすべての場所が、
たがいにこだまして一つの叫び声を発しているように思われました。
こんな音楽的な不調和音、こんな美しい雷鳴のような音は今まで聞いたこともありません。
【シーシュース】 わしの猟犬はスパルタ種なんだ。だから、
あごは垂れさがっているし、色は砂色をしている、
頭の両側には朝の露をはらうほど低く耳が垂れている、
膝が曲がり、テッサリアの牡牛のように胸の垂れ肉がある。
獲物を追うのはのろいが、その声はチャイム・ベルのように
一つ一つの音がととのっている。こんな調子のよい猟犬どもの声が、
狩猟者の叫び声や、角笛にこたえて聞かれた事は
クレタ島でも、スパルタでも、テッサリアにおいてもかつてないだろう。
自分で聞いてよく判断してくれ。だが、まてよ、この女たちはだれだ?
【イジーアス】 公爵さま、ここに眠っておりますのは私の娘でございます。
そしてこれはライサンダー、これがディミートリアス、
これはヘレナ、ネダー老人の娘ヘレナでございます。
でも、いったい、どうして、皆がここにいっしょにいるのでございましょう。
【シーシュース】 きっと彼らは朝早く起きて、五月の祭の
朝のつとめをしに来たのだ。そしてわしらの計画を聞いて
わしらの結婚を祝ってくれるため、ここへやって来たのだ。
だが、イジーアス、ハーミアがどのように決心するか、
返事をすることになっていたのは確か今日だったな?
【イジーアス】 さようでございます、公爵さま。
【シーシュース】 さあ、狩猟者たちに命じて角笛を吹いて彼らを起こさせるのだ。〔角笛、叫び声、ライサンダー、ティミートリアス、ヘレナ、ハーミアは目をさまし、おどろいて立ち上がる〕
お早よう、諸君。聖ヴァレンタインの日はもうすぎたが、
この森の鳥たちは今ごろ相手を探しはじめたのかな?
【ライサンダー】 お許しください、公爵さま。
【シーシュース】 さあ、皆、行ってくれ。
たしか君たち二人は恋敵《こいがたき》だったな。
いったいどうしてこんなおだやかな和解ができたのかな?
にくい敵がすぐそばに眠っていても、危害を加えられると心配することもないとは、
憎んではいても、互いに疑ったりはしないのだな?
【ライサンダー】 公爵さま、何とお答えいたしましたらよろしいのやら、
まだ半ば眠っていて、半ば目ざめているような気持ちでございます。
ともかくどうしてここへ参りましたか、はっきり申し上げることができません。
ただ、考えてみますと――というのは本当に真実を申し上げたいのでございます――
今、私にはまちがいがないように思えるのでございますが――
私はここヘハーミアといっしょに参りました。私たちの計画は
アテネから逃げ出すことでございました。どこでございましょうと、
アテネの法律で罰せられることのないところへ参りたいと思いまして。
【イジーアス】 それだけ聞けばじゅうぶんです、公爵さま、これでじゅうぶんです。
法の裁きを、法の裁きをこの男におくだしくださいますように。
彼らは馳け落ちをしようとした。そうだったのだ、ディミートリアス、
そして君やわしの裏をかこうとしていたのだ。
君からは妻をうばい、わしからは君に妻を与える権利を、
君にやると承諾したその権利を奪おうとしていたのだ。
【ディミートリアス】 公爵さま、ヘレナが私に彼らの馳け落ちのことを知らせてくれました。
彼らがこの森で落ち合うことになっていることを。
そして私は憤慨のあまり、ここまで彼らの後を追ってまいりました。
ヘレナは私を慕うあまりに私の後を追ってまいりました。
ですが、公爵様、私にはどのような力によるものかはわかりませんが――
ある力によって――ハーミアヘの私の愛の気持ちは、
雪のように溶けてしまいました。今の私にとりましては、
私が子供の頃に夢中になってほしがっておりました
つまらないおもちゃのようにしか思えなくなってしまいました。
そして私の心の誠実、私の心のすべての力、
私の目の求めるもの、そのよろこびの対象は
ヘレナだけになりました。公爵さま、ハーミアに会う前に
私はヘレナと言いかわした仲でございました。
ですが、まるで病気にでもなった時のように、この食物がいやになりました。
ですが、また健康にもどったように、もとの好みに帰りました。
そして今では私はこれを望み、愛し、求めるようになっております、
そして永久にこれに対して忠実でありたいと思っております。
【シーシュース】 恋人たち、君たちに出会ったのはまことにしあわせだった。
この話はまたあとでゆっくり聞かせてもらうとしよう。
イジーアス、君の意志を無視することになるかもしれないが
すぐに神殿にゆき、わしたちといっしょに、
この二組の男女に永久の契りを結ばせることにする。
朝も、もう大分時間がたってしまったので
計画していた狩猟は取りやめることにしよう。
さあ、わしたちといっしょにアテネに帰ろう。三組の夫婦が
そろって立派な婚礼の儀式をあげることにしょう。
さあ、ヒッポリタ、行こう。〔シーシュース、ヒッポリタ、イジーアスおよび従者たち退場〕
【ディミートリアス】 これまでのことはどうも小さくぼんやりしてしまった、
遠い山々が雲の中にかすんで行くように。
【ハーミア】 あたしも何だかぼんやりとすべてを見ているような気がするの、
すべてのものが二重に見えてしまうようだわ。
【ヘレナ】 あたしもそうなの。
あたしにはディミートリアスが宝石みたいに思えるの、
あたしのものでもあり、あたしのものでもないような。
【ディミートリアス】 たしかに
ぼくたちは目をさましていると思うかね? ぼくには、
ぼくらが眠っていて、夢を見ているように思えるのだ。たしか、
公爵がここにおられて、あとをついて来るように言われたと思わないか?
【ハーミア】 そうでした、あたしの父もいましたわ。
【ヘレナ】 ビッポリタさまも。
【ライサンダー】 公爵はぼくたちに神殿までついて来いと言われた。
【ディミートリアス】 それじゃ、ぼくたちは目がさめているんだ。さ、ついて行こう。
そして歩きながら、ぼくたちの夢の話をしようじゃないか。〔退場〕
【ボットム】 〔目をさまして〕おらの出番の合図の言葉のところで、おらを呼んでくれ、すぐに返事をするから。その次のせりふは、「いともうるわしきピラマス」だ。あ、あ、あ〔あくびをして〕ピーター・クインス! ふいご直しのフルート! いかけ屋のスナウト! スターヴリング! なんだ、おらが眠ってる間に逃げちまったな? おらはとてつもなくすばらしい夢をみたぞ。人間の知恵ではとうてい説明できないような夢をみたんだ。この夢を説明してやろうなんて考えるのはまったく馬鹿なこった。おらはどうも――いや、だれもそんなこと話せやしない。おらはどうやら――たしかおらは――いや、もしだれかがそれを説明しようってんなら、そいつはまだらの衣裳をきた道化《どうけ》だぜ――。人間の目もいまだかつて≪聞いた≫ことなく、人間の耳もいまだかつて≪見た≫ことなく、人間の手もいまだかつて≪味わった≫ことなく、人間の舌もいまだかつて≪考えた≫ことなく、人間の心もいまだかつて伝えたことがないのが、おらの見た夢の正体さね。ピーター・クインスにたのんでこの夢を歌にしてもらおうかな。「ボットムの夢」ってな題をつけてやるかな。なぜってこれまことに底《ボットム》がないんだ。おらはその歌を芝居の終わりのほうで、公爵の前で歌うことにしよう。それとも彼女が死んだ後で、これをいっそう上品にするために歌ってやるかな。〔退場〕
第二場 アテネ クイシスの家
〔クインス、フルート、スナウト、スターヴリング登場〕
【クインス】 ボットムの家に使いをやったかね? まだ帰ってこねぇのか?
【スターヴリング】 まったく消息はわかんねぇだ。たしかにあいつ化かされちまっただ。
【フルート】 もしもあいつが帰って来なかったら、芝居ももう駄目だ、うまくやれるはずはねぇもの
【クインス】 ああ、できっこねぇ。アテネ中を探したって、ボットムのほかにピラマスをやれる役者はねぇもんな。
【フルート】 まったくだ、アテネの職人で、あいつほど知恵のあるやつはいねえからな。
【クインス】 そうとも、それに人物も立派だしな。また声がいいことにかけちゃ、まったくの恋人《パラマー》だね。
【フルート】 いや名人《パラゴン》っていうんだ。恋人《パラマー》ってのはつまらんけちなやつのことだぜ。
〔スナッグ登場〕
【スナッグ】 皆の衆、公爵さまが神殿からお帰りだぜ。それにほかにも二、三組の偉い人たちが結婚したらしいぜ。おらたちの芝居がうまく行ってれば、おらたち皆、ひとかどの出世ができるとこだった。
【フルート】 おお、ボットムの親方! これで一日六ペンスの金を一生もらいそこなったってわけだ。あいつなら一日六ペンスはまちがいなしだったのに。ボットムがピラマスをやって、公爵が一日六ペンスくれねえってんなら、おら首さくくったっていいぜ。あいつにゃそれだけの値うちってものがあらぁ。ボットムがピラマスやって、一日六ペンスまちがいなしさ。
〔ボットム登場〕
【ボットム】 おいみんなどこにいるんだ? 仲間の衆、どこだね?
【クインス】 ボットムじゃねえか! なんてすばらしいこった! こいつぁありがてぇ!
【ボットム】 皆の衆! おらぁな、どえらく不思議なことを話さなきゃなんねえだが、今んとこは何も聞かねえでくれ。その話をしたって、嘘ついてるとしか思えねぇだろうぜ。いまに、事の子細をありのまま話してやるからな。
【クインス】 今すぐ聞かしてくれよ、ボットム。
【ボットム】 いいや、いけねぇ、ひと言だって話しちゃやらねぇ。話してやることはな、公爵さまが食事を済ましたってことだけだ。さあ、すぐにみんなの衣裳を集めてもって来てくれ。ひげが落っこちねぇように紐でしっかりつけるんだぜ、それから靴には新しいリボンをつけることも忘れちゃなんねぇ。すぐに公爵のお邸に集まってくれ。ひとりひとりがせりふを忘れねぇようにな。つまり、要するにだな、おらたちの芝居がお取り上げになったってことだ。とにもかくにも、シスビはきれいなリネンを着るこったぜ。ライオンの役やるもんは爪を切っちゃいけねぇ。のばしておかねぇとライオンの爪の役にたたねぇもんな。それからだ、役者衆! 玉ねぎやにんにくを食べちゃいけねぇぜ、甘い声でかんばしい息でせりふをしゃべらなきゃなんねぇ。そうすりゃ、きっと、すばらしい芝居だって言われることまちがいなしだ。さ、もう何も言うこたぁねぇ、行こうぜ、急いで行こうぜ!〔退場〕
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第五幕
第一場 アテネ シーシュースの館
〔シーシュース、ヒッポリタ、フィロストレート、貴族たち、従者たち登場〕
【ヒッポリタ】 この恋人たちの話は、シーシュース、まことに不思議ですわ。
【シーシュース】 本当とは思えないほど不思議だ。こんな古くさいおかしな話、
こんな空想的なおとぎ話はとても信じられない。
恋人と気違いは頭がかっかとしているし、
想像でありもしない形をつくり出すから、
冷静な理性では了解することもできないような事を考えるのだ。
気違いと、恋人と、詩人とは、
想像力でいっぱいになっている。
広い地獄にも入りきれないほどの多くの悪魔を見る人がいる。
これが気違いだ、恋人もまったく同じように気ちがいじみていて、
ジプシーの顔を見ても美しいトロイのヘレンだと思ってしまう。
詩人の目はすばらしい霊感によって大きく開かれて、
天から地へ、地から天へと見渡し、
その想像力が今まで知られなかったものに
具体性を与えると、詩人のペンは
それを形あるものに変え、無ともいえるものに
存在の場所と名前とを与えるのだ。
想像力とはかくのごとき技巧をもっているゆえに、
もし、それが何か喜びを感じとる時には、
その喜びをもたらす者を思い浮かべるのだ。
また暗黒の夜に、何か恐怖を想像する時には、
潅木《かんぼく》を熊と簡単に思いこんでしまうのだ。
【ヒッポリタ】 でも昨夜の物語の一部始終をすっかり聞きまして、
みんなの心が同時にあのように変えられたのをみますと、
想像でつくり出された幻影以上のものがあり、
それが一貫した現実性をもつものになることを示しているような気がします。
でも、ともかくも、すべては不思議、ただただ驚くばかりですわ。
【シーシュース】 おお、恋人たちがよろこびにあふれてやって来た。
〔ライサンダー、ディミートリアス、ハーミア、ヘレナ登場〕
おめでとう、諸君、日々によろこびと愛とが、
君たちの心に訪れるように!
【ライサンダー】 われわれのにもまさる幸福が
公爵様がたの行かれる所、お食事、おやすみの場所にございますように!
【シーシュース】 さあ、どんな芝居《マスク》、どんな踊りがあるのかね、
夕食の終わりから、寝るまでの
三時間という長い時をすごすために?
いつもの余興係はどこにいるかな?
どんな余興を準備してあるのかな? このいらいらするほど
待ちどおしい時間の苦痛をまぎらすために
フィロストレートを呼んでくれ。
【フィロストレート】 シーシュースさま、ご用でございますか?
【シーシュース】 今夜はどんな退屈しのぎを用意しているのかね?
どんな芝居《マスク》、どんな音楽があるのかね? 何か楽しみがなければ、
このぐずぐずしている時をどうやって過ごしたらいいかわからんからな。
【フィロストレート】 お目にかけるために用意されました余興のリストがございます。
どれを最初にご覧になりますかお選びくださいませ。〔紙を手渡す〕
【シーシュース】 〔読む〕「怪獣《センター》との戦闘、たて琴の伴奏にて、アテネの宦官《ユーナック》これを歌う」
こんなのはごめんだ。親戚のハーキュリーズの栄誉をたたえて、
この話はわしがヒッポリタに、もう話してやった。
〔読む〕「怒りのあまり、トラキアの歌手オルフェウスを八つ裂きにした
バッカスに仕える酔いしれた女たちの狂わしい暴動」
これはもう古くさいわい。この前、わしがテーべから
凱旋した時の祝いの余興に見せてもらった。
〔読む〕「最近、貧困のうちに死んだ
学識者を悼む九人の詩神《ミューズ》のこと」
これはするどい、辛棘《しんらつ》な風刺のようだが、
結婚の祝いの余興としてはふさわしくない。
〔読む〕「若きピラマスとその恋人シスビとの、
語れば長き一場、悲劇的な陽気な芝居」
陽気で悲劇的だと! 語れば長い一場だと!
つまり、熱い氷、おどろくほど不思議な雪だ、
この不調和の中にどういうふうに調和を見つけ出せばよいのかな?
【フィロストレート】 これは、公爵さま、およそ十語ばかりのせりふの芝居でございます、
私の知っております芝居ではもっとも短いものでございます。
ですが、公爵さま、十語でも長すぎるくらいの芝居でございます、
と申しますのは、この芝居全体を通して、
一語も適切なものはございませんし、一人もはまり役がございません。
そして、公爵さま、これは悲劇的でございます、
ピラマスはこの芝居では自殺いたしますのですから。
ところが、この芝居の稽古を見まして、ほんとうに私は涙を流しました、
でもこれはまったくの笑い泣きでございまして、
今までかつて、こんなに笑いを押えきれなくて涙を流したことはごさいません。
【シーシュース】 この芝居を演《や》るのはどういう人たちかね?
【フィロストレート】 節《ふし》くれだった手をしたアテネの職人たちでございます。
彼らは今まではこういう事に頭をつかったこともございませんでしたが、
今まで使ったこともなかった記憶力を無理に働かせて
公爵さまのご結婚のお祝いにと、この芝居を仕組んだのでございます。
【シーシュース】 ではそれを聞かせてもらおう。
【フィロストレート】 いえ、どういたしまして、公爵さま、
お耳に入れるようなものではございません。
私は一応聞いてみましたが、まったくつまらぬものでございます、
公爵さまにお見せしようと大変な努力をいたしまして、
無理にせりふを言い回し、ひどく骨を折って暗誦しましたことを
おもしろいとおぼしめすならともかく。
【シーシュース】 それを聞かせてもらうことにする。
無邪気な忠誠の心でそれをやってくれるのだから、
何も不都合なことはないはずだ。
さあ、彼らをここへ連れて来てくれ。さ、ご婦人がた、席につきさない。〔フィロストレート退場〕
【ヒッポリタ】 私は貧しい、身分の低い者たちが分不相応のことをしたり、
忠誠をはげむ気持ちが、度を過ごしてそこなわれてしまうのを見たくありません。
【シーシュース】 いや、ヒッポリタ、そんな心配は必要ないのだよ。
【ヒッポリタ】 この人たちはこういう事については何一つできないと言っていたではございませんか?
【シーシュース】 つまらん事でもやらせてみて、礼を言ってやれば、そのほうがもっと親切だ。
彼らが間違えても、それを好意を以って理解してやるのはたのしいことだ。
貧しい者どもが、一生懸命努力してもできない時にも、寛大な気持ちで
その出来ばえではなく、その努力を買ってやればよいのだ。
かつて、わしが出かけて行った所で立派な学者たちが、歓迎の挨拶を
あらかじめ考えておいた言葉で述べることになっていたが、
その時になると、彼らはふるえ、顔も青ざめて、
文章の途中で言葉が途切れてしまったり、
びくびくするあまりに、いつもの調子がすっかりくずれてしまって、
結局わしに歓迎の言葉を述べることもできずに
黙って口をつぐんでしまったことがあった。だが、ヒッポリタ、
この沈黙の中にも、わしは歓迎の気持ちを汲みとった。
そして、おそれおののいている義務感の謙虚さの中に、
図々しく出しゃばってしゃべりまくる雄弁よりもはるかに
その真心を読みとることができたのだ。
だから、ヒッポリタ、ものもよう言えんような素朴な心が、
わしが思うには、もっとも多くを語りかけてくれるものだ。
〔フィロストレートふたたび登場〕
【フィロストレート】 申し上げます、前口上の用意ができましたそうでございます。
【シーシュース】 口上役をここへ通してやれ。〔ラッパ吹奏〕
〔クインス口上役として登場〕
【前口上】 もしもお気に召さぬ所がありましても、それは善意からです。
ですから、私共がお気に召さぬものをやるために参ったのではなく、
善意をもって参ったとお考えください。私どもの他意ない出しものが
私どもの目的のそもそもの始まりなのでございます。
ですからお考えください。私どもは参りました、ごきげんをそこねるために。
私どもは、参ったのではありません、皆さまがたを満足させるために。
私どもの真の意図でございます。まったく皆さまがたを喜ばせるために、
私どもはここに参ったのではありません。皆さまをがっかりさせるために、
役者たちはここに参っております。そして彼らのお見せするものによって、
あなたがたがお知りになりたいものをすべてお知らせいたしましょう。
【シーシュース】 この男はどうも句読点がめちゃくちゃだな。
【ライサンダー】 彼は暴れ馬のように前口上をめちゃくちゃに走らせております、とめる所もわきまえておりません。公爵さま、これはよい教訓でございます、しゃべるだけでは十分でなく、正しくしゃべる事が大切だということでございます。
【ヒッポリタ】 ほんとに今の前口上はこどもが笛《リコーダー》を吹いているようなもの、音は出していますが、調子がまったくとれておりません。
【シーシュース】 今の口上はまるでもつれたくさりのようだ。言葉はこわれてはいないが、全然こんがらかっている。今度出て来たのはだれだ?
〔ピラマスとシスビ、壁、月の光、ライオン登場〕
【前口上】 殿さまがた、これをご覧になって不思議にお思いかもしれません、
しかし、真実がすべての事を明らかにいたしますまでおまちください。
この男はピラマスと申します。お見知りおきくださいますよう。
これなる美女はまことシスビと申します。
このしっくいと荒壁土《あらかべつち》を持ちましたる男が壁の役をいたします、
これなる二人の恋人の中をさきます憎い壁の役でございます。
この壁の裂け目を通し、哀れにもこれら恋人たちは、
ささやき交わすのでございます。この事につきましてはご不審のありませぬよう。
このちょうちんといばらの束を持ち、犬を連れましたる男が
月の光の役を相つとめます。つまりでございます、
この恋人たちは月の光のもと、十分に考えましたすえに、
ナイナスの墓であいびきをいたしまする次第にございます。
このおそろしいけだものはライオンと呼ばれておりますもの、
夜中にまず、約束を守って参りましたるシスビをば、
ひどいことおどし、おびやかしてしまいました、
そして、シスビは逃げますときに、そのマントを落としてしまい、
そのマントをば、このいまわしきライオンめは血だらけの口にくわえました。
やがて、み目うるわしく勇ましき若者ピラマスがあらわれまして、
忠実なるシスビのマントを見つけ、彼女が殺されたと思いこみます。
そこでピラマス、むざんにも、むなしき刃《やいば》のつかをむんずとつかみ、
むざんやわれとわが胸を、むごくもついて相果てました。
そしてシスビは、桑の木かげにかくれておりましたが、
彼の剣をばひきぬいて、これまた自害し果てました。
その他のことにつきましては、ライオン、月の光、壁と二人の恋人に、
舞台の上ですべてを語らせ、ごらんに入れる所存でございます。〔口上役、ピラマス、シスビ、ライオン、月の光退場〕
【シーシュース】 ライオンもせりふを語るのかな?
【ディミートリアス】 きっと何か言うでしょう、公爵さま、多くのロバが語るのですから、ライオンの一頭くらいものを言うのは当然のことでございましょう。
【壁】 この間狂言《あいきょうげん》におきまして何のめぐり合わせか、
スナウトと申します私が壁の役目を相つとめます。
ところで、この壁には、ひびの入りましたる割れ目、
裂け目があるとおぼし召してくださいますよう、
そのすきまを通しまして、恋人たち、ピラマスとシスビが、
しばしば、人目をしのんでこっそりささやきかわしたのでございます。
このしっくいとこの荒壁土とこの石とが示しておりますように、
私がまさにその壁の役、事実はそのようなわけでございます。
そしてこれがその裂け目で、右と左とに通じておりまして、
このすきまから、おののく二人の恋人たちがひそかに愛を語りまする。
【シーシュース】 石炭と髪の毛でできた壁にしてはまったくよくしゃべるな。
【ディミートリアス】 公爵さま、私はこんな利口な壁の言うことははじめて聞きました。
〔ピラマスふたたび登場〕
【シーシュース】 ピラマスが壁に近よるぞ。しずかに!
【ピラマス】 おお、おそろしき夜よ! おお、墨のごとくくらき夜よ!
おお、夜よ、昼間でない時に、つねに来る夜よ!
おお、夜よ! おお、夜よ! ああ、ああ、ああ、
わがシスビは約束を忘れてしもうたか!
そして汝《なんじ》、おお、壁よ、おお、いとしき、おお、うるわしき壁よ!
シスビの父上の土地とわが土地とをへだてる壁よ!
汝、壁よ、おお、壁よ、おお、いとしき、うるわしき壁よ!
汝の裂け目を見せてくれ、この目でのぞいてみるから。〔壁は指を上げる〕
かたじけない、親切な壁よ! ジョーヴの神のお守りがあるように!
だが何が見えるというのだ? シスビが見えないではないか。
おお、いじわるな壁よ、わたしの幸福を見せてくれないのか?
かくもわたしをあざむく汝の石に呪《のろ》いあれ!
【シーシュース】 あの壁も人間なんだから、呪いかえしたっていいわけだな。
【ピラマス】 いいえ、殿さま、実際はそんなことはいたしません。「わたしをあざむく……」ってのはシスビ登場の合図の言葉なんで。彼女は今、舞台に出なけりゃなりませんし、あっしは壁のすきまからシスビをのぞかにゃなりませんのです。あっしが申し上げましたとおりピタリまいりますからごらんくださいまし。ほうら、あそこにやってまいりました。
〔シスビふたたび登場〕
【シスビ】 おお、壁よ、いくたびか汝はわが嘆きを耳にしたはず、
わがいとしのピラマスとわが身をへだつ壁よ。
わが桜色の唇はいくたび汝の石にくちづけをしたことか!
しっくいと毛髪で固めた汝の石の垣に!
【ピラマス】 おお、声が≪見える!≫ さあ壁の所へ行き、
わがシスビの顔が≪聞こえる≫かどうか見るとしよう。
シスビ!
【シスビ】 おお、たしかにあなたはわが恋人、わがいとしき人!
【ピラマス】 何とでも思われよ、われこそは恋人の君におわしますぞよ。
そしてライ|マ《ヽ》ンダーのごとく、つねに忠実な恋人じゃ。
【シスビ】 そして私はヘレンのようにありたきもの、運命の神々に殺されるまで。
【ピラマス】 シャファラスのプロクラスへの愛もわが愛にはかなうまいぞ。
【シスビ】 シャファラスがプロクラスを想うたようにわたしもあなたを想う。
【ピラマス】 このうらめしき壁の穴ごしにわたしにキスをしてくれ。
【シスビ】 私は壁の穴にキスをするばかり、あなたの唇にはとどきませぬ。
【ピラマス】 すぐにニニイの墓場で会ってはくれまいか?
【シスビ】 生きようと、死のうと、すぐに参ります。〔ピラマスとシスビ退場〕
【壁】 これにて私、壁めも、お役を果たしましたる次第、この上はかくして壁も退場つかまつります。〔退場〕
【シーシュース】 今や二人をへだてていた壁も倒されてしまった。
【ディミートリアス】 公爵さま、壁が警告もせずに、立ち聞きをするようでは如何《いかん》ともできません。
【ヒッポリタ】 こんなばかばかしい芝居は聞いた事がありません。
【シーシュース】 こういうものは一番上手にやったところで影にすぎないのだ。どんなにまずくても想像力でおぎなって聞くならば、まずいとはいえないのだ。
【ヒッポリタ】 それはあなたの想像力で、役者たちのではございませんわ。
【シーシュース】 役者たちが自分たちの技能を考えている程度にわれわれが想像してやれば、彼らも立派な役者として通用するわけだ。そら、出て来たぞ、立派な動物が二匹。月とライオンだ。
〔ライオンと月の光ふたたび登場〕
【ライオン】 ほんの小さなおっそろしいはつかねずみが床の上にはいまわっても
おやさしい心をびくびくさせておられるご婦人がた皆さま、
今、荒々しいライオンがたけり狂って吠えているとき、
どんなにここでふるえ、おののいておられることでございましょう。
そこで、ご承知おきいただきたいことは、私、指物師のスナッグと申す者で、
おそろしいライオンでも、おそろしい牝獅子《めじい》などでもございません。
と申しますのは、もし本当のライオンとなってここにあばれ込んでは、
それこそ、この私の生命もあぶないことになってしまいます。
【シーシュース】 礼儀正しい獣だ、それに良心的でよろしい。
【ディミートリアス】 公爵さま、これは獣としては一番上等で、はじめてこんなのを見ました。
【ライサンダー】 このライオン、勇気にかけては狐のようですな。
【シーシュース】 そのとおり、そして分別にかけては鵞鳥《がちょう》のようだ。
【ディミートリアス】 いえ、公爵さま、それはちがいます。と申しますのはこのライオンの勇気は分別に追いつきかねますが、狐は鵞鳥に追いつき、さらって参りますから。
【シーシュース】 このライオンの分別のほうが勇気に追いつけないと思うんだが。なぜなら、鵞鳥は狐に追いついてさらってゆくことはできんからな。ま、それはそれとして、すべてこいつの分別にまかせることにしよう。そして月の言うことを聞こうじゃないか。
【月】 このちょうちんは角《つの》のある、三《み》か月《づき》をあらわしております。
【ディミートリアス】 この男、自分の頭に角をはやしているはずだが。
【シーシュース】 こりゃ三か月じゃないな。円い頭の中に角はかくれて見えないじゃないか。
【月】 ちょうちんが角のある三か月をあらわしております。
私自身は月の中の男ということになっております。
【シーシュース】 こりゃ今までで一番ひどい間違いだ。この男はちょうちんの中に入っていなければならんはずだぞ。でなければ、なんで月の中の男といえるかな?
【ディミートリアス】 ろうそくが燃えておりますからあの中へははいれますまい、ごらんなさいまし、あの男の心《しん》ももうじりじり燃えております。
【ヒッポリタ】 もうこの月にはあきあきしましたわ。早く変わってくれればいいのに!
【シーシュース】 分別の光が細っているのを見ても、もう消えてゆくだろう。だが、礼儀からも、また理屈で考えても、しばらくは待たねばならんだろうな。
【ライサンダー】 おい、お月さん、先へ進んでくれ。
【月】 私が申し上げますすべては、ちょうちんが月だということでございます。私は月の中の男でして、このいばらの束は私のいばらの束で、この犬は私の犬なんでございます。
【ディミートリアス】 それじゃあらゆるものがちょうちんの中にあるべきだな、みんな月の中のものだから。だが、静かに! シスビがやって来たぞ!
〔シスビふたたび登場〕
【シッスビ】 これこそはかのニニイの墓。わが恋人はいずこに?
【ライオン】 〔吠えて〕ウォウ!〔シスビ逃げ出す〕
【ディミートリアス】 うまくほえたぞ、ライオン!
【シーシュース】 うまく逃げたぞ、シスビ!
【ヒッポリタ】 うまく照ってるわ、お月さま! ほんとうにとても上手に照ってるわ。〔ライオンはシスビのマントをくわえて裂く。そして退場〕
【シーシュース】 くわえ方がうまいぞ、ライオン!
【ライサンダー】 かくしてライオンは退散というわけだ。
【ディミートリアス】 そこでピラマスが登場だ。
〔ピラマスふたたび登場〕
【ピラマス】 うるわしの日よ、昼のような汝の光に感謝する。
かくも明るく照ってくれて、まことにありがたい。
汝の恵み深き金色の、きらめきわたるその光によって、
まこと、われ、まことなるシスビを見ることを得ん。
だが、しばし、おお恋しや!
だが、見よ、悲しき騎士よ!
なんとおそろしき悲しみがここにあるのか!
目よ、汝は見るか?
これはまた何としたこと?
おお、いとしき者よ! おお愛する人!
汝の美しきマントが、
何と、血で汚れているではないか!
来《きた》れ、おそろしき復讐の女神よ!
おお、運命の神々よ、来たれ!
生命のたて系も、切れはしもすべてを切れ!
こわし、つぶし、終わらせ、殺してしまえ!
【シーシュース】 この悲しみ、親しい人の死が、この男に深刻な表情をさせるのももっともだ。
【ヒッポリタ】 私はこの男に心から同情いたします。
【ピラマス】 おお、自然よ、何故に汝はライオンなどを創ったのか?
いまわしいライオンがわが恋人を散らせてしまった。
かつて生き、愛され、親しまれ、晴れやかに笑った人の中でも
その人こそはまこと世にもまれな美人である――いや、あったのだ。
おお、涙よ、あふれ出よ!
おお、剣よ、抜き放たれて、
ピラマスの胸をさせ。
そうだ、左側の胸を、
心臓のときめくその場所を。〔自分の胸をつく〕
かく、われは死す、かくのごとく。
今や、われは死す。
今やわれこの世を去る。
わが魂は空を飛びかう。
舌よ、汝の光を消せ、
月よ、絶えてゆけ!〔月の光退場〕
今こそ、われは死す、死す、死す、死す。〔死ぬ〕
【ディミートリアス】 死、死、といってるがあの男はエースだけだ。一点きりだから。
【ライサンダー】 エース以下さ。死んでしまったんだから。もとも子もなしさ。
【シーシュース】 いや、医者の力を借りれば生きかえるかもしれん、そしてロバになるかもしれんな。
【ヒッポリタ】 どうして月の光は、シスビが帰って来て恋人を探し出す前に引っこんでしまったのでしょう!
【シーシュース】 シスビは星の光で恋人を見つけるのだ。ほら、シスビがやって来たぞ。彼女の嘆きの言葉でこの芝居は終わるのだ。
〔シスビふたたび登場〕
【ヒッポリタ】 あんなピラマスのために、シスビが長々と嘆くはずはないと思うけど、簡単に済ませてくれるといいと思いますわ。
【ディミートリアス】 ピラマスとシスビのどっちがうまいか、ちり一つで天秤《てんびん》が動くという所だ。ピラマスが男として、シスビが女としてどうかという点でも。
【ライサンダー】 シスビはあのかわいらしい目でもう恋人を見つけた。
【ディミートリアス】 かくて彼女の嘆きははじまるってわけだな。すなわち……
【シスビ】 眠っておられまするか、いとしきお方?
や、や、息絶えてか? いとしき人よ!
おお、ピラマス、目ざめてくだされ!
もの言うてくだされ! 一言も言われぬか?
死んでおられまするか? 墓場が
君の美しい目をおおうのか!
このゆりのごとき唇、
このさくら色の鼻、
クリン草のような黄色い頬、
みんな、みんな失くなってしもうた、
恋人たちよ、ともに嘆いてくだされ、
彼の目は韮《にら》のように緑色だった。
おお、三人の運命の女神よ、
さあ、わがもとへ来てくだされ、
乳のように青白き手をさしのべて。
その手を血汐の中にひたせ、
汝らがわが恋人の生命の糸を
その手にした鋏《はさみ》にて断ち切ったのだから。
舌よ、もうひと言も語らずに、
さあ、頼みの剣よ、
さあ、刃《やいば》よ、わが胸を血に染めよ。〔自分の胸を突く〕
さらば、わが友よ、
かくのごとくシスビは死にまする。
さらば、さらば、さらば。〔死ぬ〕
【シーシュース】 月の光とライオンが残って死骸《しがい》を葬るわけだな。
【ディミートリアス】 そうです、それに壁もだと思います。
【ボットム】 〔立ち上がって〕いえ、申し上げます。両家の父親たちをへだてておりました壁は倒されました。これより納めの口上をお目にかけましょうか、それともわれわれ仲間の二人でバーゴマスクの踊りをお耳に入れましょうか!
【シーシュース】 お願いだ、納めの口上はやめてくれ。お前たちの芝居に言いわけはいらない。役者がみんな死んでしまってだれも非難される者はないのだから、言いわけはやめたほうがいい。まったくこの芝居を書いたものがピラマスを演じて、シスビの|靴下止め《ガーター》で首をくくって死んだら立派な悲劇になっただろう、いや、ほんとうに立派なもんだ。立派にやってくれた。さあバーゴマスクの踊りだ、納めの口上などはやめにしてくれ。〔ダンス〕
真夜中の鐘が十二時を告げた。
恋人たち、おやすみ、そろそろ妖精の時が来た。
今夜は夜ふかしをしてしまったので、それだけ、
あすの朝、寝坊をしてしまうようになりはしないかと心配だ。
このまったく馬鹿げた芝居が夜の鈍い歩みを
まぎらわしてくれた。さあ、諸君、おやすみ。
毎夜の宴会と、新しい趣向の余興で
この祝宴は二週間つづけることにする。〔退場〕
〔パック登場〕
【パック】 今や、飢えたライオンがほえ、
狼が月に向かってほえている。
百姓たちはぐっすりといびきをかき、
まったく仕事につかれ果てている。
今や、燃えさしがちらちらと燃え、
ふくろうも声高く鳴き、
病いの床にある人に
きょうかたびらを連想させる。
今や、すべての墓はその口を
大きく開く時、
すべての墓からその亡霊どもがでて、
教会の方へとすべり行く時。
そしてわれら妖精どもは
三界を支配するへカテの馬車の
そばを走り、太陽のそばを避け、
夢のように暗黒を追う。
今こそ楽し、ねずみ一匹も
この祝いの家でさわいではならない。
おれは先駆としてほうきを持って
扉のうしろのちりをはきに来た。
〔オベロンとタイテーニア従者をしたがえて登場〕
【オベロン】 死んだように消えかけた火よ、
家中にほのかな光を投げかけよ。
妖精たちよ、すべて皆、
茨からとびたつ鳥のように軽くおどれ、
そしてこの歌をわしについて歌え、
歌いつつ、足どり軽く踊れ。
【タイテーニア】 まず歌の文句をそらんじて
一語、一語に節《ふし》をつけてください。
手に手を取って、妖精らしく、
歌いながら、この家を祝福しましょう。〔歌を歌いおどる〕
【オベロン】 さあ、夜が明けるその時まで、
この家中を、妖精たちよ、さまよえ。
われら二人はこの家の
あるじの新床《にいどこ》を祝福しよう。
そこでもうけられるすべての後つぎに、
つねに幸福があるように。
そして三組の夫婦ともどもに、
つねに変わらず愛し合うよう、
うまれながらの欠陥が
その後つぎにあらわれぬように、
あざ、みつくちや傷あとや、
誕生の時にきらわれる
不吉なしるしもその子らに
あらわれぬよう祈るのだ。
この清らかな野の露を
ひとりひとりがたずさえて、
この城の中のそれぞれの
部屋を平和で祝福しよう。
祝福された人たちが
安らかに眠りやすめるよう。
さあ、ぐずぐずせずにかけてゆけ、
夜明けには皆わしの所に来てくれ。〔オベロン、タイテーニア、従者たち退場〕
【パック】 もし私ども影のような者がお気に召さなくとも、
皆さまがたがここにしばし眠られて、
私どもが夢の中にあらわれたとおぼし召せば
すべてお心はとけますでしょう。
そしてこのたわいない、はかない物語は
ただひとときの夢のようなもの、
どうか皆さま、おとがめくださいますな。
お許しくださるならば、今後とも改めてまいります。
そして正直者のパックでございますれば、
もし私どもがお叱りをまぬがれるような
思いがけぬ幸運を得ますならば、
一生けんめい工夫をかさねてまいります。
さもなければ、パックを嘘つきと呼んでくださいまし。
では皆さま、おやすみなさいまし、
もしお気持ちがございましたら、お手を拝借、
このロビン、かならずご期待にそうよう相努めます。〔退場〕
[#改ページ]
解説
シェイクスピアについて
〔生いたち〕
イングランドの中部、ウォリックシァにあるストラットフォードはエイヴォン川に沿った古い町、地方商業の中心地であった。この町でかなり手広く商売をしており、町の有力者でもあったジョン・シェイクスピアが、この町の聖三一《ホーリー・トリニティ》教会で息子ウィリアムに洗礼を受けさせたのが、一五六四年四月二十六日であった。これが偉大な劇作家、ウィリアム・シェイクスピアであり、彼の生誕が四月二十三日であると推定される。しかしシェイクスピアの伝記的資料はほとんどなく、今なお教会の墓を掘り起こして何か手がかりを求めようという人たちもあり、彼の生涯のすべては謎に包まれ、推定と想像と創造にゆだねられている。
ジョン・シェイクスピアの家柄は郷士(yoeman)で、その格式は貴族に近かった。ウィリアムの祖父リチャード・シェイクスピアはストラットフォードの近くのウィルムコットの豪農、ロバート・アーデンから五十エイカーの土地を借り受けていた。ジョンはロバート・アーデンの娘メアリーと結婚した。メアリーは八人の娘の末っ子であったが、一五五六年父ロバートの死とともにウィルコットの家屋敷などかなりの財産を相続している。現在もメアリー・アーデンの家は大切に保管され、当時の裕福な農家の生活が容易に想像される。ウィリアム・シェイクスピアの少年時代の記録というものは何一つなく、彼がストラットフォードのグラマー・スクールに学んだという事もただ推定にすぎない。しかし、彼の作品に示されているラテン語の知識、論理学や修辞学の知識や、豊かな常識から推定して、大学教育こそ受けなかったが、彼がグラマー・スクールに学んだと考えることは妥当であろう。この学校も現在、町の中心に昔ながらの形で残っている。
〔結婚――ロンドンでの成功〕
一五八二年十二月に、ウィリアムは、アン・ハザウェイという八歳年上の婦人と結婚したという記録が残っている。そして六カ月後に長女誕生、一五八五年には男女の双生児の誕生、シェイクスピアは二十歳で三児の父親となったわけである。アンとの結婚生活についても、さまざまな憶測がなされている。が、たしかな証拠は何もない。
一五八五年以後まもなくロンドンに出て来たシェイクスピアは劇団に入り、役者として、座付作家としての活動がはじめられる。一五九二年頃にはすでにかなり知名の劇団人としてロンドンで活躍していたことからも推定されるが、正確にいつロンドンにでて来たのか、その理由は何かは、はっきりはわからない。当時の多くの青年たちと同様に文筆で身を立てて、出世の道を求めようとしたと考えることはできる。真偽《しんぎ》のほどはわからないが、伝説のようになっているのが鹿泥棒の話でのる。ストラットフォードの近く、チャールコートのサー・トマス・ルーシーの庭園からシェイクピアが鹿を盗み、その一件が暴露《ばくろ》して、彼は郷里にいたたまれずロンドンに出て来たというのである。学者たちはこれを俗説として問題にもしないが、さりとてこれに代わる明確な出奔《しゅっぽん》の原因もない。すべてが推定によるより他はないからである。現在もチャールコートのルーシーの家は公園として保管されている。
若いシェイクスピアが劇作家としての修業をつみ、演劇の技巧と慣習をとりいれ、だんだんに増加してゆく各階層の観客たちの要望にこたえながら彼自身のユニークな劇の世界をつくり上げることに成功したのは、もちろん彼が偉大な才能の持ち主であったことに起因するが、それと同時に、彼が幸運に恵まれた劇作家としての道を歩み得たということも否定できない。当時のロンドンでは、まだ中世風の、英国固有の奇蹟劇(miracle play)や道徳劇(morality play)やインタルード(interlude)などが盛んであった。古い英国的な伝統ゆたかな芝居が、シェイクスピアの劇作の基礎となっていることは当然のことであるが、シェイクスピアは、ルネッサンスとともに盛んに英国で学ばれ、取り入れられるようになった古典喜劇、とくにプロウタスやテレンスの喜劇の技巧と精神、さらには古典悲劇、とくにセネカの悲劇への強い関心を示し、これがこの若い劇作家の創作意欲をいやが上にもかきたてたということができよう。『まちがいつづき』、『タイタス・アンドロニカス』などにこれがよく表わされており、シェイクスピアは精いっぱいの力を注いで、あらゆるものを吸収し、ロンドンの観客の要望にこたえて次々と意欲的な創作をつづけていった。『リチャード三世』、『ヴェロワナの二紳士』、『恋の骨折り損』などが上演され、座付作家シェイクスピアの地位はしだいに確固たるものとなっていった。
劇団自体もだんだんに組織化され、安定した勢力をもつようになった。町から町へと巡業して、宿屋の庭など、多くの人の集まる所に舞台を設けて上演をつづけて来た劇団の人たちは、ようやく自分たちの劇場が持てるようになった。一五七六年、ロンドン郊外に初めての公共劇場「シアター座」が建設されてから次々と劇場が建てられ、清教徒的な批判や圧迫をロンドン市の当局から加えられながらも、劇団の勢力は増し、観客層はますます大きくなっていった。また「大学才人」(University Wits)と呼ばれる人々の劇作活動も一五八〇年代にははなばなしく、このグループに属するマーロウも八〇年代の終わりから、若い精力のかぎりをつくして次々と傑作を上演し、シェイクスピアのことを、「われわれの羽毛で飾りたてた成り上がり者の烏《からす》が、虎の心を役者の皮でおおって、われこそはだれよりもうまく無韻詩をうたうことができると思いこんでいる。しかも彼はおどろくほどのなんでも屋で、舞台をゆさぶる(shake-scene)ことのできるのは自分だけだとうぬぼれている」と悪口を言ったグリーンもそのグループの一人であった。このような環境が大きな刺激となって、シェイクスピアの創作は次第に豊かさと円熟とを加えていった。
〔試練の時代〕
シェイクスピアの劇作家としての仕事は順調に進み、彼の名声はだんだん確立して来たのであるが、彼にとって一つの大きな試練の時があった。それは一五九二年にはじまり、一九九四年までつづいた伝染病の大流行と、そのためにロンドンの劇場が閉鎖されたことである。よりどころである舞台を失った劇団の人たちは地方へ巡業に出かけたり、手持ちの脚本を売って急場をしのごうとしたりした。経済的に立ちゆかなくなった劇団は解散せざるを得なかった。多くの人々は劇団を去り、舞台を捨てて他に生活の方法を求めていった。名声を博していたマーロウは、政治問題にまき込まれ、口論の末、刺殺されてしまった。シェイクスピアの悪口を言ったグリーンが、貧困のどん底に病死したのもこの頃であった。しかし、シェイクスピアは劇を書きつづけていた。いつ舞台にのせられるかもわからない芝居を書いていたのである。それと同時に彼は詩も書いた。『ヴィーナスとアドニス』や『ルークリース』、そして多くのソネットを書いたのもこの頃であった。
〔新しい喜劇〕
足かけ三年の劇場閉鎖の間に、劇壇の事情は変わり、大きな変革があらわれはじめていた。試練の時をひたすら劇作、詩作にはげんで過ごしたシェイクスピアは、一五九四年、劇場が再開された時には、押しも押されもせぬ第一線に立つ代表的劇作家となっていた。劇団人としてのシェイクスピアがこのいわば空白の時代に得たものは、詩作を通して美しく育てられていった抒情性であった。それまでの劇作には見られなかったほどに、彼はこの抒情性を惜しみなく彼の劇作の中にあふれさせて行った。そして『真夏の夜の夢』が上演されたのはまさにこの時であった。それと相前後して上演された『リチャード二世』と『ロミオとジュリエット』を見ると、これら三つの劇に共通なのは、にじみ出るような詩的な美しさと抒情性である。人間の感情の動きや精神面に抱擁力のひろいシェイクスピアの理解は深められてゆき、ロマンティックな愛が美しく展開されるようになった。彼は試練と空白の期間を経て、新しい時代を迎え、彼自身の新しい劇の世界をうちたてる事に成功したのである。そして彼の劇が長いあいだ疫病と死の恐怖と暗さにいじめつけられていたロンドンの大衆にとって、まことにたのしい娯楽であり、心のはけ口であった事は容易に想像できる。
一五九六年、彼の父、ジョン・シェイクスピアは紋章を着《つ》けることを許された。当時、この権利は金で買うことができたので、おそらく彼は父のために「ジェントルマン」の資格を買い取ったのであろう。翌一五九七年にはストラットフォードにニュー・プレイスというかなり大きな邸を購入している。ニュー・プレイスは現在もシェイクスピアゆかりの場所として、その美しい庭園とともに大切に保存されている。シェイクスピアは劇作家としても成功し、また世俗的な意味からも成功者であったと推定できる。
〔ロマンティック・コメディの時代〕
『真夏の夜の夢』を書いた後のシェイクスピアの創作活動は主としてロマンティック・コメディと呼ばれる一連の喜劇作品によって示される。『ヴェニスの商人』、『お気に召すまま』『むだ騒ぎ』、『十二夜』などが代表作である。あふれるような抒情性はこれら喜劇の中に盛りこまれて、シェイクスピアのゆたかな抱擁力に富む人間理解の精神と結ばれて表現され、人間の弱さ、欠点、醜さなども、同情的な、ロマンティックな見方で描かれて、そこに笑いとヒューマーの喜劇の世界が創り出されて行った。『真夏の夜の夢』はこのような新しい喜劇への発展の最初のものとして重要な位置を占めている。
この時代のシェイクスピアは、また『ヘンリ四世』の第一、第二部と、『ヘンリ五世』とを書き、歴史劇の概念と「理想君主」の考えを明確に示している。英国史に対する彼の興味と、エリザベス女王に対する彼の敬愛の念がつねに見られるが、『ヘンリ四世』にはシェイクスピアの創造したもっともすばらしい喜劇人物、サー・ジョン・フォルスタッフが登場し、その人気はおどろくほどであった。エリザベス女王はフォルスタッフを主人公として喜劇を書くようにとシェイクスピアに命令され、その結果でき上がったのが『ウィンザーの陽気な女房たち』であり、これはだいたい一六〇〇年ごろであった。シェイクスピアのますます円熟してゆく劇作家としての生活は恵まれたものであったと言えよう。彼が属していた劇団「内大臣一座」は一五九九年、テムズ川南岸に「地球座」を建て、彼はその座付作家であるとともに幹部俳優でもあり、株主でもあった。「内大臣一座」と並んで勢力をもっていたのが「海軍卿一座」で、これら二大劇団が互いにライバルとしてエリザベス朝演劇の隆盛をになっていた。
〔悲劇時代〕
『十二夜』をロマンティック・コメディの最後として一六〇〇年ごろからシェイクスピアのいわゆる悲劇時代がはじまる。自己のおかれた環境に対して矛盾を感じ、苦悩のどん底におとしいれられて、悪と対決し、自己の主体性を追求しようとする人間の悲劇を描いてゆくシェイクスピアは、新しい悲劇観をうちたてて行った。『ハムレット』、『オセロウ』、『リア王』、『マクベス』の四大悲劇、『ジュリアス・シーザー』、『アントニーとクレオパトラ』、『コリオレーナス』などのローマ劇には、古い時代から新しい時代への移り変わり、エリザベス朝から、ジェイムズ王朝へかけての、人間観、世界観、宇宙観、宗教観の変化がさまざまな形式で反映されている。はなやかな文芸復興期の栄光にみちた明るさは、いつしか幻滅と暗さでおおわれ、その中に人間が生きるための真実を求めようとする努力がみられるのであった。
この時期にもシェイクスピアは喜劇への試みを中止していたわけではなかった。しかしこの時代の喜劇は前のロマンティック・コメディとはまったく異なり、果たしてこれを喜劇と言えるかどうか疑問であり、いわゆる問題劇といわれるものである。そこに見られるのはもはや抱擁的な許容の態度ではなく、人間の欠点や、醜悪さに対する批判であり、皮肉であり、暴露の態度であった。そしてそこに新たな笑いの世界がつくり出された。『以尺報尺』、『末よければすべてよし』、『トロイラスとクレシダ』などにはこのような創作態度があらわれている。ここにもシェイクスピアの伝記的資料は何も残されていないが、世紀末から新しい世紀へかけての社会的、経済的情勢の反映はみとめられる。一六〇三年にエリザベス女王は死んだ。その後継者をめぐるさまざまの不安、危機があった。変動の中におかれた大衆の心には、エリザベス朝初期には感じられなかったような幻滅と懐疑と無常感があった。
一六〇一年には父のジョンが死んだ。一六〇三年のエリザベス女王の死、かつての女王の寵臣エセックス伯の反乱と刑死、シェイクスピアのパトロンであったサウザンプトン伯の死刑の宣告等、シェイクスピアにとって大きな事件がつぎつぎと起こったのもこの頃であった。エリザベス女王の後継者としてイギリスの王位についたのは、十六年前に処刑されたスコットランド女王メアリーの息子ジェイムズであった。シェイクスピアの属する「内大臣一座」は、ジェイムズ一世をパトロンとして、その名を「王様一座」と変えた。「王様一座」は公共劇場の「地球座」のほかに、一六〇八年にはテムズ川の北岸に「黒僧座」を開いた。これはいわゆる私設劇場で、公共劇場とは異なった屋内劇場で、入場料も高く、観客層もちがっていた。シェイクスピアの劇はこの二種類の劇場で上演されたが、十七世紀に入ってからは、むしろ私設劇場のほうが盛んに用いられる傾向があった。これは当時の観客の好み、劇の内容とも関連させて考えてゆかねばならない。そしてシェイクスピアの劇も新しい世紀とともに新たな発展、変化を加えてゆくのである。
〔ロマンス劇〕
シェイクスピアはつねに時代とともに、観客とともにあったことも注目に値いする。悲劇の作品は次々に上演され、『マクベス』や『アセンスのダイモン』、『アントニーとクレオパトラ』などでは、その主人公たちは悲劇の極限に追いつめられ、矛盾にとんだ人間として、それぞれの立場で、観客の同情と共感を得ていったが、シェイクスピアは他のジェイムズ王朝の悲劇作家のように悲劇をぎりぎりの線まで追い求めてゆく時も、道徳の基盤を破ることはしなかった。彼はまことにきわどい巧妙なバランスをもちつづけながら、あくまでも健全な、常識的な道徳観の限界を守りつづけていった。ジェイムズ王朝の他の作家たちにみられる相対的な価値判断の、いわば灰色の世界の中で求められる真実は、シェイクスピアの場合にはつねに肯定的な人間理解の態度で追求されていた。疫病にいためつけられ、暗い現実の社会の中で、悲劇にはけ口を求めていたロンドンの観客たちは、いつか深刻な悲劇にあきて新しい芝居を求めるようになっていた。そしてシェイクスピアの悲劇時代も終わりを告げるのである。『冬の夜ばなし』、『シムベリン』、『テンペスト』などはいわゆるロマンスであり、彼の最後期の作品である。悲劇を背景とし、悲劇をこえて、新しい和解と再生の主題が展開される。深い人間理解から出発し、象徴と寓意を含んだ、美しい調和の世界があり、シェイクスピアの豊かな才能のみごとな完成がみられる。
これらシェイクスピア最後期の作品についても、単純な解釈は許されないし、彼の伝記と直接結びつけて考えることにも問題がある。一六〇七年に長女が結婚、一六一〇年ごろにシェイクスピアは故郷ストラットフォードに帰って、裕福な晩年を家族とともにそこで送ったことはほぼ確実であろう。しかしこれをそのまま彼の最後期の作品の主題やその展開と結びつけてゆくことは危険である。同じ劇団の新人作家たち、ボーモントとフレッチャーの悲喜劇が好評であった当時、シェイクスピアもかなりその形式に関心をもっていた事は想像されるが、これらに対抗して書かれたものであると単純に断定できない。つまりシェイクスピアの作品には、もっと独自な、ひとりの偉大な劇作家が変化し、発展し、苦悩し、到達した、まことに複雑な新しい境地が見出されるからである。
〔晩年〕
一六一三年六月、地球座が焼失した。シェイクスピアとフレッチャーの合作といわれる『ヘンリ八世』が上演されている時のできごとであった。郷里のストラットフォードでシェイクスピアがこの報をどのような気持ちで聞いたかは知るよしもない。一六一六年一月にシェイクスピアは遺書を書くことを思い立ち、同年三月には署名している。四月二十三日に彼は死んだ。五十二歳の生涯であった。二十五日にエイヴォン川のほとりの聖三一《ホーリー・トリニティ》教会に埋葬された。
シェイクスピアという人間をあとづけてゆくには、彼の残した作品による以外に方法はない。初期から最後期にいたるまでの数々の作品の中に示された、創作態度の展開、発展、変化の中に、われわれはシェイクスピアの芸術的人間像を、われわれ自身で描いて行くことができる。そしてこれこそはもっとも確かな、もっとも正しいシェイクスピアの姿であるということができるのではなかろうか。
『真夏の夜の夢』について
〔出版〕
前にも述べたように、『真夏の夜の夢』はロンドンの劇場閉鎖が解けた後、『ロミオとジュリエット』や、『リチャード二世』と相前後して上演された芝居である。これが最初に印刷され、出版されたのは一六〇〇年である。正確にこの劇がいつ書かれたかはわからないが、一五九八年に出版されたフランシス・ミアーズの『パラディス・タミア』の中にシェイクスピアの作として挙げられているから、それより以前の作であることは確かである。これが当時のイギリスの貴族のだれかの結婚の祝いのために書かれたものであろうということも容易に想像されるが、ここでもまた正確な決め手はない。また題名から夏至《げし》の日の前夜に上演されるためのものと主張する人もあるが、内容的にはミッドサマーとメイデーの慣習や行事などがともに用いられているから、これも正確に断定することはできない。これが貴族や宮廷の結婚の祝いのための劇であることも、イギリスの大衆の年中行事の慣習を基礎にして創られた劇であることも、また劇場が閉ざされている間にシェイクスピアが学び覚えて詩の技巧や抒情性を表現するためにもっとも適切な劇の形であると考えてこの劇を創作したことも否定することはできない。『真夏の夜の夢』の中で扱われているさまざまな社会階層の登場人物、そして妖精たちは、それぞれ異質のものでありながら、まことに巧みに結ばれて、多くの観客を喜ばせ、たのしませることができた。そして現代においても、シェイクスピアのもっともよく上演される芝居の一つである。
〔原話〕
この劇に直接材料となった一つの原典を取り出してみることはむずかしい。シーシュースとヒッポリタの物語については一五七九年にサー・トマス・ノースの英訳した、プルタークの『英雄伝』や、チョーサーの『カンタベリー物語』の中の「騎士の物語」が挙げられるであろうし、劇中劇として用いられているピラマスとシスビの物語はオーヴィドの『メタモーフォシス』(アーサー・ゴールディンクの英訳でひろく親しまれていた)があげられよう。二組の恋人たちの物語や、ほれ薬の話、さらに妖精たちの物語については明確な原典を指摘することはむずかしいが、当時の人々の物の考え方、民間伝承のさまざまな物語、迷信などをシェイクスピアが巧みに用いていると考えられる。アテネの職人たちの生活をこれに合わせて、その中に当時のロンドンの市民たちの姿をも浮き彫りにし、シェイクスピアは彼の喜劇精神を十分に表現している。そして詩と音楽と抒情性とは作者シェイクスピアの想像力と観客の想像力とを結んで、この劇の喜劇性をユニークなものにしている。この劇がメンデルスゾーンの『真夏の夜の夢』のあの美しい音楽をうみだすきっかけとなったのも、またまことに当然の事であろう。
〔解釈と上演の歴史〕
この劇に対する観客の興味や関心は非常に変化にとんだものであるといえよう。そしてそれがこの劇の人気をささえていることも事実である。また同時にこの劇のある一面が非常に強調されて上演されるという結果にもなった。一六六一年には『織物師ボットムの陽気な物語』が出版されたが、ここでは妖精たちとシーシュースとヒッポリタを除いて他はすべて道化のように描かれている。一九三九年にアメリカで発表された『夢にのせて』においてはルイ・アームストロングがボットム役で歌っている。一六六二年に『真夏の夜の夢』を見たというサムエル・ピープスはその日記の中に「こんな退屈なばかばかしい芝居は見たことがない。ただ所々に上手なダンスがあり、美しい婦人たちが現われたのがたのしかった」と書いている。
一八一六年フレデリック・レノルズによるオペラふうの『真夏の夜の夢』が上演されたが、ウイリアム・ハズリットはこれに酷評をくだし、「詩と劇とは両立しない」と述べている。当時の批評の傾向からは当然の言葉であろうが、その演出がこの劇の一面のみを強調しすぎた結果と言えよう。一八四〇年になってはじめて、この劇はシェイクスピアのもとの劇に近い形で上演された。しかしここでも絵のように美しい、オペラのように音楽的な要素に重点がおかれていた事は否定できない。一九三五年のマックス・ラインハートの映画もこの音楽的な影響を物語っている。しかし今世紀になって、次第にこの劇の多面的な劇的要素のそれぞれに重点をおいて上演する傾向が固められてきた。メンデルスゾーンの音楽はイギリスの古い民衆の音楽に変えられた。そしてこの劇はしだいにシェイクスピアの頃の喜劇の姿にもどされて来たのである。
〔構成〕
この劇では、前にも述べたように、さまざまな異質の人間たち、社会的にも異なった階級の人々が登場人物となっている。そして超自然的な妖精たちが加わっている。枠組みのような役割を果たしているシーシュースとヒッポリタの結婚、しかもシーシュースは劇中劇に対する彼の意見でも解るように一種の解説者である。彼の言葉を通してある時には作者の創作意図が暗示され、ある時には観客の意識が表現されている。結婚の祝いのための芝居であると同時に、この枠組みからだけでも単純な解釈が不可能であることが明らかにされる。
シーシュースを中心とする貴族の社会に二組の男女が登場する。たがいに思いをよせながら、父親の反対のために結婚できない男女、ライサンダーとハーミアがいる。このハーミアは小柄な、色の浅黒い、ブルネットの髪をした女性、中世からの恋愛観、ロマンスの伝統の美人とはおよそ反対の女性である。しかもこの女性に愛をよせるもう一人の男性ディミートリアスは彼女の父から結婚の許しまで得ている。ディミートリアスにはかつて思い合った仲の、そして今でも彼に恋しているヘレナという女性がある。彼女は丈高く、ブロンドで色の白い美しい女性、愛の伝統の理想の女性である。しかも彼女はディミートリアスにも捨てられ、なおひとすじに彼を恋し、彼を追い求める。傲慢《ごうまん》で残酷なロマンスの女性とは反対の立場に描かれてゆく。そしてここにまずわれわれは、恋愛観の伝統や慣習を逆に用いてこれを喜劇的に展開して行こうとする作者シェイクスピアの意図を見出すのである。
この二組の男女の恋の葛藤を喜劇的に展開してゆくシェイクスピアはその場面をアテネの町はずれ、妖精の住む森におくのである。ハーミアを追う二人の男性、捨てられてなお恋人を追うヘレナはともにこの森の中に入り、オベロンの支配下にある妖精の世界に入りこむ。夏至の前夜には恋人の誠実をたしかめるために、妖精のすむと彼らが信じていた森に夜を明かすことはイギリスの大衆の慣習的な考えであったし、五月の祭りの朝早く祈りをささげるために森に来ることも同様であった。シェイクスピアは当時のイギリスの大衆の常識と慣習と迷信の中にまことに巧みにこの喜劇の場所を求め、これを笑いと風刺と、抒情とパロディの中に展開させてゆくことに成功している。つまりロマンスの伝統、美しいヘレナを二人の男性があこがれ、追い求めるという状態は妖精オベロンの命令により、つくり出され、パックがその目に注いだ花の汁のためにつくり出される。恋愛観とロマンスの伝統と大衆の迷信、慣習とを結び、空想と現実とを結びながら、シェイクスピアの目的は彼独自の喜劇の世界をつくり出すことであった。妖精の世界は単なる空想や超現実の世界ではなく、つねに観客の意識と結ばれてこの喜劇の世界の基礎となっている。
この妖精の森はまた、アテネの職人たちがシーシュース公爵の結婚の祝いの余興に計画している芝居の稽古場でもあった。貴族とはちがった階級に属している職人たちの素朴な姿、しかもシェイクスピア当時のイギリスの職人たちがそうであったように、彼らはそれぞれに自分の職業に自信と誇りをもっている。彼らが計画しているのは、「ピラマスとシスビ」の悲恋の劇である。これを愉快な、素朴な、ユーモアたっぷりの連中が扱うのである。シェイクスピアの喜劇の意識と感覚のするどさは、この劇中劇を通して最高に表現される。彼らはまた、舞台効果や、演出の面に彼らなりの配慮、解釈を与えている。シェイクスピア自身のもっていた劇団人としての細かい気のくばり方、そして当時の観客のもっていた劇場と舞台の意識が表現されてゆくとき、またそこに新しい喜劇的要素がうまれてくる。そしてこの劇中劇をみるシーシュースの同情と温かさにみちた善意の解釈がこれを『真夏の夜の夢』全体の欠くことのできない重要な部分にしている。
アテネの陽気な職人たちとその劇中劇は、単に妖精の森の中でその稽古がなされたというだけでなく、この劇の主役のボットムと妖精の王妃タイテーニアの恋によって、妖精たちとも直接結ばれ、ここでもまた夢と現実の融合がこの劇独自の笑いの世界を創り出してゆく。パックのいたずらによってロバの頭をかぶせられたボットムは、妖精の王オベロンによってほれ薬の花汁を目に注がれたタイテーニアに愛されるのである。二組の男女の恋の葛藤の場と同じ森においてである。伝統的な恋愛観に対するシェイクスピアのするどい批判と風刺がここでも喜劇の世界をつくり出してゆく。すべての点で人間を超越した次元にあるべき妖精の王妃が、世にもこっけいなグロテスクなロバの頭をつけた織物師のボットムと恋を語るのである。そしてそれを見るオペロンがあり、パックがある。
〔喜劇の展開〕
シェイクスピアの喜劇の展開は、登場人物、観客、作家を含めたすべての人々の認識のずれの上にくりひろげられる。『真夏の夜の夢』においても、ほとんどすべてを知り、一段高い所から支配し、命令しているオベロンから、無知の故に、かえって自分自身に徹し切っているようなポットムにいたるまで、その知覚と認識のレベルのちがいがあり、それが組み合わされて喜劇的効果はますます強められる。このくいちがいが「夢」に結ばれてゆく。そしてそれぞれに異なった、種々雑多に見えるこの劇の構成要素が一種独特の調和を示すのである。貴族と職人たちと妖精の世界は、たがいに交わることのない平行線のように思われるが、そこに現われる人物同士の争いや葛藤《かっとう》の中にこの劇独自の調和がつくり出される。それは真夏の夜にみた夢のようにたわいないもののようでありながら、登場人物と観客の意識の中にあって、人生の真実の姿を示してくれるものである。
『真夏の夜の夢』でシェイクスピアははじめて本格的に、意識的に愛の主題ととり組んで彼の喜劇を創り出そうとしている。伝統的な恋愛観に対するシェイクスピアの批判と風刺はこの劇では喜劇的に展開されてゆくのである。そして抒情とかぎりない想像力、しかもこれが単に抽象的に美しく運ばれてゆくのではなくて、現実と結ばれ、登場人物の人間性を表現しながら、この劇の筋を展開させてゆくのである。そしてこの劇はシェイクスピアの頃のイギリスの人々の習慣や、迷信や、祭りや、余興などと密接な関係をもつ、結婚の祝いのための芝居である。そしてすべての人々に楽しまれ、愛される喜劇である。すべての登場人物が去った後の舞台に一人残ってパックは口上を述べる。もしもこの芝居がお気に召さなかったら、ちょっとまどろんだ間にみた夢だと考えてほしいと言う。しかもその後で口上役のパックは観客の拍手を求め、日毎に努力して観客の期待にそうことを約束する。まことに劇場意識の強い口上役、そしてそれが妖精の王オベロンにつかえるパックであり、善意のいたずらをしては笑うロビン・グッドフェロウなのである。ここでも夢と現実、人間の社会と妖精の世界とがまことに巧みに結ばれている。新しい喜劇、ロマンティック・コメディのスタートはこのようにしてきられたのである。
シェイクスピアの妖精
『真夏の夜の夢』の喜劇をささえて重要な役割を果たしているのが妖精たちとその世界である。オベロンとタイテーニアにひきいられた妖精たちは、この劇に美しい抒情と夢の雰囲気を与えているだけではなく、英国の人々の民間伝承と、慣習とにその基礎をおいて、シェイクスピア劇の観客の思想の中に深く浸透し、彼らの意識とその表現につながっている。シェイクスピアは古くからの伝説をよく知っており、しかもこの妖精の世界を彼の劇の中にしばしば導入し、それを彼の独創的な想像力の表現の場としている。そしてこれは『真夏の夜の夢』においてもっとも顕著である。そしてこの劇における妖精たちの描き方は、同時代および後の時代の作家たちおよび一般の人々のものの考え方にも大きな影響を与えている。われわれがシェイクスピアの妖精を考えるとき、まず認めなければならないのは、妖精や、悪魔や、魔女たちは、当時の人々にとっては、単なる空想や超現実のものではなく、常識であり、身近な現実的な存在であったということである。
シェイクスピアの妖精たちが、英国の民間伝承の中に如何なる位置を占め、どのような影響力と特徴をもっていたかを考えてゆくのは興味深いことである。この方面の研究にはM・W・レイサム『エリザベス朝の妖精』やK・M・ブリッグスの『パックの解釈』がある。なおブリッグスの『伝統と文学における妖精』は妖精とその歴史、伝統から、現代文学にいたるまでの作家にあらわれた妖精を扱ったものである。これらの研究を紹介しながら、『真夏の夜の夢』における妖精がどのような特徴をもち、どのように重要な役割を果たしているかを見てゆくことにしよう。
〔十六世紀文学の妖精〕
十六世紀の文学には非常に多く妖精たちが登場する。そして妖精の国の文学的解釈が美しく表現されているのもこの時代である。しかし、妖精はもともと文学からうみ出されたものではなくて、英国の多くの地方の民間伝承から、英国人の迷信や慣習の中から生み出されたものである。一八〇二年から一八〇三年にかけて発表されたサー・ウォルター・スコットの「妖精と民間の迷信」と題する論文の中に、英国個有の伝統的な妖精にシェイクスピアが大きな影響を与えたことが指摘されている。もともと英国の人々が考えていた妖精は――特にスコットランドにおける妖精は――決してシェイクスピアの妖精のように愛すべきもの、美しいものではなくて、小さな小鬼のような、悪魔のような、ゴート人やフィンランド人たちから伝えられたおそろしいものであった。これを美化し、変化させていったのが十六世紀で、シェイクスピアの創造と想像に多くを負うていると言うのである。
スコット以来この点に注目した人達はかなりあった。N・ドレイクは「妖精の神話とシェイクスピアによる影響」という論文の中で、シェイクスピアが『真夏の夜の夢』、『ロミオとジュリエット』、『ウィンザーの陽気な女房たち』、『テンペスト』の中でいかに独自なものを妖精の描き方の中に示しているかを述べている。そしてロビン・グッドフェロウ《パック》の歴史をたどり、シェイクスピアによる変化について語り、これらが、後の詩人たちに与えた影響を指摘している。一八二八年にはT・ケイトレーが同じような問題を研究して発表した。このような研究は重ねられ、E・K・チェンバーズの『真夏の夜の夢』の注釈につけられた附録(一八九三年)、A・ナットの「英文学における妖精の神話、その起原と特質」(一八九七年)などがこの代表的なものであろう。
一九一七年に発表されたものに、P・H・ディッチフィールドとH・リトルデールによるエリザベス朝英国の妖精についての研究がある。これらに続くのが前述のレイサムやブリッグスの研究である。つまり十六世紀には古くからの民間伝承による妖精の考え方と、シェイクスピアの『真夏の夜の夢』やその他の作品に登場するようなせん細な微妙な存在、くるみのはかまの中や、花びらのかげに身をかくすような妖精と二種類の考え方があったのである。シェイクスピアの妖精の考え方は彼の時代の多くの作家たちに取り入れられて、英文学の一つの伝統をつくり上げた。そしてシェイクスピアのおかげで、現代の英国における妖精の考え方は、他の国とはちがって、より愉しい、絵画的なものになっている。もちろんシェイクスピア自身は伝統や慣習の上にたっているのであるが、彼の豊かな才能と、詩的想像力と、さらに彼の劇作家としての意識や配慮が、彼の妖精を非常に独自なものにしたのである。そしてそれがエリザベス朝の人々の意識や感覚で受けとめられて、一つの新しい意味をもつようになったのである。
十六世紀の英国の妖精の考え方をよく示しているのがロバート・バートンで、彼は妖精を精霊(spirit)の範疇《はんちゅう》に入れ、地上にすむ悪魔(Sublunary devils)の中に入れている。
「地上の悪魔には家庭の守護師(Lares)、悪魔(Genii)、林野の神(Fauns)、森の神(Satyrs)、森の精(Wood-nymphs)、ホブゴブリン(Foliots)、妖精(Fairies)、ロビン・グッドフェロウ、ゴブリン(Trolli)などがあり、人間と交わることが多いので、もっとも人間に害を与えるものである。異教徒たちをおそれさせるのも彼らである。……ある人々は妖精たちをこの階級の精霊に加えている。妖精たちは以前には迷信的に崇拝されていた。人々の家を掃除したり、きれいな水を桶に入れて用意したり、上等の食物を用意してくれたりするものと考えられていた。荒野や緑地で踊りをおどるのも妖精たち、ラバターなどが言うように、妖精たちは野原に緑の輪を残すものであると考えられている。……妖精たちは時々、老婦人や子供たちによって見つけられる」(『憂欝の解釈』より)
バートンのあげている妖精の特質、彼らのひき起こす畏敬の念、崇拝の気持ち、罰や報酬の方法、地上の活動を証拠だてる形式等は、それが前の時代の妖精たちとも、スカンディナヴィアからとり入れた妖精の概念ともちがった英国的なものであることを示している。そして十六世紀の人たちは妖精たちが現実に存在すると考えていた。シェイクスピアやスペンサーを除いて、当時の人々は、妖精をおそれ、魔女《ウィッチ》と同じレベルで妖精を考えていた。また妖精を死者の魂と考え、妖精と亡霊を同系列に考えている人も多かった。たとえばトマス・ホッブスはその著『リヴァイアサン』の中で、「妖精は精霊であり亡霊である。妖精と亡霊は暗黒と孤独と墓の中に住んでいる」と述べている。また妖精が天国と地獄の中間の自然の中に住むものであるという考えもあった。これは特にスコットランドで信じられていた考えである。彼の『悪魔学』で知られているジェイムズ一世(つまりスコットランドのジェイムズ四世)は妖精と悪魔を同一のものと考えた。以上のようにさまざまな特質が考えられるが、エリザベス朝の学者も一般の人々も、多かれ少なかれ、妖精というものはおそろしいもの、悪いものと考えていた。時には異教のものとしてキリスト教徒たちに忌避されたり、時には素朴な大衆の単純な畏敬の念をひき起こしたりしていたが、ともかくも妖精が人間と同じ地上に住む、現実的な存在であるという考えが当時の人々の心の中にはっきりと刻みつけられていたのである。
〔シェイクスピアの妖精たち〕
このようにして妖精たちは現実の存在として十七世紀の終わりにいたるまで人々の心の中に生きていた。しかしおそろしい、現実的な妖精の姿が人々の心から消えはじめたのは十六世紀においてであった。そしてこれは宗教的な考え方とも関係はもっているが、それより以上に、十六世紀において妖精が文学の中にとり入れられ、シェイクスピアの劇の中にしばしば登場するようになったからである。そしてシェイクスピアのように一般大衆の慣習に敏感で、伝統的な妖精の考え方をはっきり認めていた作家が、まことに皮肉にも、妖精の姿を現実でありながら同時に現実から遠い、美しい、夢のような存在に変えてしまったのである。シェイクスピアも伝統的な「無慈悲でおそろしい悪魔」(『まちがいつづき』)としての妖精を描き、『ウィンザーの陽気な女房たち』や『ロミオとジュリエット』でもこのような特質が実体をもった姿として、妖精が描かれている。『ハムレット』の中ではマーセラスが妖精の魔法の力を強調し、『ヘンリ四世』の王ヘンリや、『冬の夜ばなし』の羊飼いたちと同様に、妖精の「とりかえご」のことをよく知っている。『シムベリン』や『マクベス』においては妖精たちは「夜の誘惑者」としての伝統的な性格を示しており、魔女たちの「使い魔」として描かれている。『リア王』、『アントニーとクレオパトラ』、『冬の夜ばなし』では妖精たちは美しく描かれ、彼らの気に入った人間たちには寛大なものとして描かれている。『テンペスト』では人々を迷わすものとして、『ヴィーナスとアドニス』では踊りを好む妖精が描かれている。『ペリクリーズ』と『シムベリン』においては、現実の人間、女性が妖精とまちがえられるのである。
以上のようにそれぞれの作品において、シェイクスピアは、その時代の伝統的な妖精を認め、伝統的な妖精の国を描いて行くのであるが、『真夏の夜の夢』の詩的、空想的な妖精の国の描写の中ではシェイクスピアは伝統的なものをあたかも忘れたかのように思われるのである。一見、この劇の妖精たちは伝統的なものに思われ、彼の他の作品の妖精とほとんど変わらないように思われる。妖精たちはタイテーニアにひきいられて森にあらわれる。彼らは夜中に現われ、夜明けとともに去る。彼らは歌い、輪をつくって踊る。彼らは海の中から宝石を取って来る。人間の「とりかえご」を連れているし、ボットムが彼らの世界に連れ去られる。これはいずれも伝統的な妖精の解釈である。しかしよく見てゆくと、『真夏の夜の夢』の妖精たちは、オベロンも言っているように、「ちがった種類の妖精」である。素朴な、危険な性質は見られなくなった。支配者オベロンはおそろしい力を持ち、思いのままにふるまいはするが、小さな、愉快な、絵のような妖精たち、小さな「豆の花」や「くもの巣」や「蛾」や「からしだね」の名前をもつ妖精たちは、月の光や蝶などと結ばれた、新しい妖精たちであり、英国の民間伝承の妖精や、中世ロマンスの妖精たちとは異なったものである。『真夏の夜の夢』において、シェイクスピアは妖精たちに新しい意味と役割りを与えていると言ってもよいであろう。
〔『真夏の夜の夢』の妖精〕
妖精の王国の概念も『真夏の夜の夢』では変えられている。伝統的には支配者の妖精と家来たちの妖精という考えがあったのであるが、ここではオベロンとタイテーニアの従者である妖精たちはもっと自由な立場におかれている。オベロンはすでに英国の舞台でも親しみを持たれていた妖精の王である。シェイクスピアのオベロンは気の短い、烈しい気性の妖精の王で、彼が好きな人間に対しては深い愛情をもち、美しい、小さな、見事な衣装をつけた、魔法の力をもつ妖精である。彼はロマンティック・コメディの空想と詩にみちた妖精の王国の支配者にふさわしい。彼の王妃タイテーニアの名をシェイクスピアはオーヴィドの『メタモーフォシス』から取り入れたようである。オーヴィドではタイテーニアはダイアナのことである。ダイアナが妖精たちにもっていた支配力についてはレジナルド・スコットの『魔法の発見』にも、スペンサーの『仙女王』にも、ジョン・リリーの『エンディミオン』にも述べられているが、絵のように美しく、ロマンティックな妖精の女王タイテーニアの性格と、彼女とボットムの喜劇的な恋の筋書きはシェイクスピアの創り出したものである。
『真夏の夜の夢』の妖精たちは終始善良な精霊たちとして描かれている。以前の妖精たちは本質的にはいたずらで、危険なもので、善良な行為はむしろ彼らが気まぐれにするものであった。悪の性質や悪魔とのつながりは『真夏の夜の夢』の妖精たちにはまったく見られない。彼らはもはや地獄から来たもの、恐れられるものではなくなってしまった。彼らはインドの果てから旅をして来て、シーシュース公爵とヒッポリタの結婚を祝い、未来の幸福と繁栄を与えに来たのである。
ここではタイテーニアは「とりかえご」、小さなインドの少年を連れている。しかしこの子を妖精たちは人間から盗んで来たのではなく、この子をうんだために死んだ母親への同情から育てている。パックの無邪気ないたずらによってロバの頭をかぶせられて妖精の国でタイテーニアと恋をするボットムは、多くの妖精たちにかしずかれて、美しい夢の国にしばらくの間過ごすが、ここでも危険や恐怖は何もない。美しい花床の上でタイテーニアに愛されたボットムもやがてめでたく人間の世界にもどる。そして彼の心にすべては空想的な美しい夢として残るのである。タイテーニアもまったく暗さのない美しい王妃である。彼女は人間の不幸を悲しみ、暗さをきらうのである。妖精たちは丘や谷を歩き回り、緑の牧場に踊り、美しい花を愛する。彼らの描写に用いられている比喩は花に関連するものが多い。彼らの仕事は「妖精の輪」をしめらせ、くりんざくらに露の耳かざりをつけ、ばらの蕾の中の虫を殺し、害虫やかたつむりやくもに呪文をかけて悪事をさせないようにすることである。
シェイクスピアは伝統的にも小さかった妖精たちをさらに極限にまで小さくした。どんぐりのはかまが彼らのかくれ場所、蝶の羽根が彼らの扇、蜂の足が彼らの松明《たいまつ》で、彼らは蜜蜂の蜜の袋がやぶれると溺れそうになった。シェイクスピアは伝統的な小さな妖精たちを、彼の想像と詩の中でかぎりなく微細なものにしたのである。しかもこの小さな妖精がアテネのはずれの森で、織物師ボットムとまことに愉快な喜劇的な言葉のやりとりをしている。このような新しい解釈による妖精たちがシェイクスピアの作品に登場した時期は、ちょうど伝統的な妖精が非常に身近な現実として多くの作家たちや一般大衆の意識の中にあった時であった。シェイクスピアは伝統的な妖精の迷信をこわそうとしたのではなかった。ただ彼の想像力は妖精たちに明るさを与え、その美しい面を大きくし、善良な面を強調し、それを極限にまで拡げて行った。妖精たちにはもはや、人間を恐怖に追いこむような性質は見られず、極度に小さな妖精たちの微妙な動きと、その描写は彼らを現実から遠くひきはなしてしまった。
〔シェイクスピアの妖精とその影響〕
『真夏の夜の夢』の妖精たちはこのようにまことにユニークなものであるが、シェイクスピアは依然として伝統的な妖精を描くことをやめはしなかった。シェイクスピアは民間伝承の中の妖精と彼のゆたかな想像力で創り出した新しい妖精とをまことに巧みに使い分けて、劇的、詩的効果を十分にあげている。シェイクスピアのつくりだした新しい妖精たちとその世界は、やがて彼と同時代の、そして彼以後の作家たちにとり入れられるようになった。十七世紀のはじめに出版されたM・ドレイトンの作品の中では、妖精たちは伝統的な古い妖精から、美しい、新しい妖精に変えられていた。そして一六五一年頃にはシェイクスビアのつくりだした新しい妖精たちが、ほとんどすべての英文学の作品にとり入れられるようになった。十八世紀から十九世紀にかけても、『真夏の夜の夢』の妖精たちが英国の妖精であった。小さな、愛すべき、精妙な、空想的な妖精たちが、英文学の作品に、英国の人々の心の中につねに現われてくるようになった。英国に古くから伝わる妖精の伝統、ヨーロッパ大陸から英文学に取り入れられた妖精たちの姿が、現代の英文学作品や、英国の童話の中に用いられてはいるけれども、われわれはつねに『真夏の夜の夢』の、小さな美しい妖精たちの与えた大きな影響に注目せずにはいられないのである。(訳者)
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年譜
一五六四 四月二十三日頃、ストラットフォード・アポン・エイヴォンにおいてウィリアム・シェイクスピア生まる。四月二十六日、ウィリアム受洗。
一五八二(十八歳) 十一月二十八日、ウィリアムはアン・ハザウェイと結婚。
一五八三(十九歳) 五月二十六日、長女スザンナ受洗。
一五八五(二十一歳) 二月二日、ウィリアムの双生児、ハムネット(男)とジュディス(女)受洗。
一五八七(二十三歳) この頃ウィリアムはロンドンに出る。
一五八九(二十五歳) 『ソネット集』の大部分を書く。
一五九〇(二十六歳) 『ヘンリ六世』第二・第三部を書く。
一五九一(二十七歳) 『ヘンリ六世』第一部完成。
一五九二(二十八歳) 三月三日、『ヘンリ六世』第一部上演。『リチャード三世』『まちがいつづき』完成。
一五九三(二十九歳) 『ヴィーナスとアドニス』登録出版。『タイタス・アンドロニカス』『レイプ・オヴ・ルークリース』登録。『ヴェローナの二紳士』完成。『じゃじゃ馬ならし』上演。ウィリアム、彼の劇団の再編成にあたって株主として参加する。十二月二十八日、『まちがいつづき』上演。
一五九五(三十一歳) 十二月九日、『リチャード二世』上演。『真夏の夜の夢』完成。
一五九六(三十二歳) 父ジョン、紋章(Coat of Arms)を許される。
一五九七(三十三歳) ウィリアムはストラットフォードのニュー・ブレイスを六十ポンドで買い入れる。クリスマスに『恋の骨折損』上演。『ロミオとジュリエット』の第1四折判出る。
一五九八(三十四歳) 『ヘンリ四世』第一部登録。『むださわぎ』『ヘンリ五世』完成。
一五九九(三十五歳) 九月二十一日、『ジュリアス・シーザー』上演。『お気に召すまま』完成。
一六〇〇(三十六歳) 『ヘンリ四世』第二部登録。『ヴェニスの商人』第1四折判出る。『ハムレット』『ウィンザーの陽気な女房たち』完成。
一六〇一(三十七歳) 一月六日、『十三夜』宮廷にて上演。父ジョン死す。九月八日埋葬。『トロイラスとクレシダ』完成。
一六〇二(三十八歳) 七月二十六日『ハムレット』登録、『ハムレット』オクスフォード、ケムブリッジにて上演。『末よければすべてよし』完成。
一六〇三(三十九歳) 『お気に召すまま』宮廷において上演。『ハムレット』第1四折判出る。
一六〇四(四十歳) 十一月一日、「国王一座」により『オセロウ』上演さる。十一月四日、『ウィンザーの陽気な女房たち』上演。十二月二十六日『以尺報尺』上演。『ハムレット』第2四折判出る。
一六〇五(四十一歳) 一月七日、『ヘシリ五世』上演。二月十日、『ヴェニスの商人』上演。『リア王』完成。
一六〇六(四十二歳) 十二月二十六日、『リア王』宮廷において上演。『マクベス』『アントニーとクレオパトラ』完成。
一六〇七(四十三歳) 六月五日、娘スザンナはドクター・ジョン・ホールと結婚。『コリオレーナス』『アセンスのダイモン』完成。
一六〇八(四十四歳) 母メアリー死す。九月九日埋葬。『ペリクレース』執筆。
一六〇九(四十五歳) 『ソネット集』出版。『シムベリン』完成。
一六一〇(四十六歳) ウィリアム、ストラットフォードに引退。『冬の夜ばなし』を書く。
一六一一(四十七歳) 十一月一日、『テムペスト』宮廷において上演。
一六一二(四十八歳) 王女エリザベス結婚の祝いのために「国王一座」によってシェイクスピアの作品が多数上演された。
一六一三(四十九歳) 六月二十九日、『ヘンリ八世』上演。
一六一四(五十歳) ウィリアム、ロンドンヘ。
一六一六(五十二歳) 一月、遺言書を書く。二月十日、次女ジュディス結婚。三月二十五日、遺言書に署名。四月二十三日、ウィリアム死す。四月二十五日埋葬される。
〔訳者略歴〕
大山敏子(おおやま・としこ) 一九一四年生まれ。東京文理科大英文科卒。近世英文学専攻。主著「シェイクスピアの心象研究」「シェイクスピアの喜劇」「女性と英文学」他。訳書「ヴェニスの商人」「ジュリアス・シーザー」「真夏の夜の夢」「お気に召すまま」「十二夜」「じゃじゃ馬ならし」など多数。