冬の物語
ウィリアム・シェイクスピア/大山敏子訳
目 次
第一幕
第二幕
第三幕
第四幕
第五幕
解説
訳者あとがき
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登場人物
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レオンティーズ……シチリア王
ハーマイオニ……レオンティーズの妃
パーディタ……レオンティーズとハーマイオニの娘
マミリアス……シチリアの幼王子
カミロ……シチリアの貴族
アンティゴナス……シチリアの貴族
クリオミニーズ……シチリアの貴族
ダイオン……シチリアの貴族
ポーライナ……アンティゴナスの妻
エミーリア……ハーマイオニの侍女
ポリクサニーズ……ボヘミア王
フロリゼル……ボヘミアの王子
アーキダマス……ボヘミアの貴族
老羊飼い……パーディタの父と言われた人
道化……彼の息子
オートリカス……無頼漢
水夫
牢番
モプサ……羊飼いの娘
ドーカス……羊飼いの娘
他の貴族や紳士たち、貴婦人たち、役人や召使いたち、羊飼いの娘たち
コーラスとして「時《タイム》」
場所 シチリアおよびボヘミア
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第一幕
第一場 シチリア レオンティーズの宮殿
〔カミロとアーキダマス登場〕
【アーキダマス】 カミロ、もしあなたが、今わたしが致していると同じ役目で、ボヘミアを訪問されることがあれば、わたしが申したように、わがボヘミアと、あなたのシチリアとでは大きな相異があることを理解されるはず。
【カミロ】 おそらく、この夏には、シチリア王は、当然のことながら、ご返礼として、ボヘミアを訪問されるおつもりです。
【アーキ】 その場合にも、おもてなしではとても及びもつきますまいが、心からお迎えする気持では負けますまい。と申すのも――
【カミロ】 なんとおっしゃる。
【アーキ】 全くわたしの知っておりますままに申すのですが、この壮大さにはかないません――このように世にもまれな――何と申してよいやら――。わたしどもは眠り酒をさし上げましょう。あなたがたの感覚が、わたしどもの不十分なおもてなしに気づかず、おほめを頂くことはあり得ないが、お叱りも頂くことのないように。
【カミロ】 あなたはこちらが気ままにしたことに対して、あまりにも大げさにお考えになっているのではありますまいか。
【アーキ】 いえ、わたしは自分が理解しておりますままを申しているのです。そして誠実に口に出しているのです。
【カミロ】 シチリア王はボヘミア王にどんなに手あついもてなしをしても、それがすぎるということはありますまい。お二人は幼い頃にはご一緒に教育を受けられました。お二人の間は友情という根でしっかりと結ばれ、それが枝に分れているのです。お二人がご成人されてからの格式と、王位につかれてからの必然性が、お二人を別々にわかれさせてしまいました。お二人は直接お会いになれないでも、お使いによって贈物を交換されたり、手紙のやりとりをされたり、使節を交換されたりしておられるので、そばにおられないでも、いつもご一緒におられるようなお親しさ、大海をへだてて握手をされているよう、まるで反対に吹く風の果てからも、抱擁されているようです。どうか、天よ、いつまでもご友情がつづきますように!
【アーキ】 わたしが思いますに、この世の中に、お二方《ふたかた》のご友情を変えてしまうような悪意や、障害はないのです。それに、あなたのお国には若いマミリアス王子がおられます。お見受けしたところ、まれにみる将来有望のお方のように思います。
【カミロ】 わたしもまったく同感です。将来のおありの方と存じます。国民すべてを元気づけ、老いた心を若々しくしてくださいます。王子様がお生まれになる前に松葉杖にすがってよぼよぼ歩いていた人たちも、成人されたお姿を見るまで生きていたいと願っております。
【アーキ】 さもなければ、平気で死んでゆけるというのですか?
【カミロ】 そうです。ほかに彼らが生きることを願う理由がないならば。
【アーキ】 もし王様にお子様がなければ、お出来になるまで彼らは杖にすがっても生きつづけることを願うでしょう。〔両人退場〕
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第二場 シチリア レオンティーズの宮殿
〔レオンティーズ、ハーマイオニ、マミリアス、ポリクサニーズ、カミロおよび家来たち登場〕
【ポリクサニーズ】 私が王位を空けて、国をはなれ、こちらに参ってから、水もしたたる月は九たびも変ったと羊飼いがみとめております。それと同じ長さの時を私の心からの感謝の言葉でみたしましても、兄君よ、なお私は、いつまでも、永久に、あなたにお返しもできずにお別れすることになります。ですから、幾けたも重なった零《ゼロ》の上に、さらにも一つ零を重ねるように、すでにある何千もの感謝に、もう一つ感謝を重ねて、心からお礼を申し上げます。
【レオンティーズ】 お礼の言葉はしばらくおひかえください。お別れする時でよろしい。
【ポリク】 それが明日なのです。私は心配で苦しめられています、私の留守の間に、何か起りはしないかと。はげしい波風が国に吹きまくっておりはしないかと。私のこの心配や予感がやはり当っていたのだなどと思いたくないのです。それに私はもうすでに長逗留しすぎて、あなたに大変ご迷惑をかけています。
【レオン】 わたしはそんな事は何とも思わないし、迷惑だなどとんでもないことです。
【ポリク】 もうこれ以上お邪魔できません。
【レオン】 もう一週間くらいは。
【ポリク】 ほんとうに、明日おいとまします。
【レオン】 それではその半《なか》ばをとる事にしましょう。そして、それ以上は一歩もゆずれません。
【ポリク】 そんなに強くおっしゃらないでほしい。あなたの言葉ほど、私の心を動かしてしまうものは、他に何もないと言ってもよいのです。今だってそうです。あなたがどうしてもそうしろと言われるならそうしたい位です。でも、お断りしなければならないのです。どうしても、国へ帰らねばならない用事があるのです。それをするなと言われるのは、あなたの友情ではあるが、私には|むち《ヽヽ》のようなものです。わたしの逗留は、お邪魔だし、ご迷惑なのです、それを省《はぶ》くためにも、お別れしたいと思います。
【レオン】 王妃はどうして黙っているのだね?
【ハーマイオニ】 絶対に逗留はできないとはっきりおっしゃるまでは、私は黙っているつもりでございました。王様のお言葉は、あまりにも冷淡ではございませんか。さあ、はっきりと仰せ下さい。ボヘミアではすべて安泰だと仰せ下さい。このお知らせは、昨日もございました通り、それをポリクサニーズ王様に仰せられませ。そうすればもう何のお言い抜けもできませぬ。
【レオン】 よくぞ申した、ハーマイオニ。
【ハーマ】 王子さまにお会いになりたいとおっしゃいますならともかく、それなら、そうおっしゃいますなら、お帰し致しましょう。たしかにそうだとおっしゃいますなら、おとめは致しますまい。|つむぎ《ヽヽヽ》竿《ざお》でつつき出してさし上げましょう。それでも、一週間、ポリクサニーズ王様のご逗留を拝借させて下さいませ。その代り、ボヘミアにおつれ下さいました折りに、私は主人に私の許可を与えることにいたしましょう。出発の予定の日よりも、一か月おくれて帰ってもよいと。と申しましても、まったくの所、レオンティーズ、私の愛はどんな奥さまがご主人をおもっておられるのに比べても、それに一秒たりともおくれるものではございません。ご逗留下さいますね?
【ポリク】 いや、王妃さま。
【ハーマ】 いえ、ご逗留下さいますでしょう?
【ポリク】 本当に、だめなのです。
【ハーマ】 本当に? いいかげんな事おっしゃって、言い抜けておしまいになるおつもりでしょう。でも私は、たとえあなた様が誓言で大空の星を皆落してしまおうとされても、それでもなお申し上げます。「王様、どうぞお発ちにならないで」と。本当に、お発ちになってはいけません。女の申します「本当に」は、男の方の「本当に」と同じくらい力がございます。それでもご出発になりますか? それなら私はあなた様を捕虜としておとどめいたします、お客様としてではなく。ですからお発ちになる時は、料金を払って頂きます。お礼などおっしゃる必要はございません。いかが? 私の捕虜におなりですか? それとも客人に? おごそかな「本当に」というお言葉で、どちらかにおなりになるのです。
【ポリク】 それでは客人になりましょう。王妃様。捕虜になるということは、何か罪を犯したことを意味します。そのようなことは私にはとてもできません。あなたが私に罰を下されるより、もっとむずかしいことです。
【ハーマ】 それでは私は牢番ではなく、親切な女主人となりましょう。さあ、私はお聞きいたしましょう。お二方が子供でいらした時の、主人やあなた様のいたずらのお話を。お二方ともかわいい若様でいらしたのでしょう。
【ポリク】 そうでした、王妃様、二人とも裏になにがあるかなどと考えもしない若者でした。今日と同じように明日の日のあることを信じて、永遠の少年であると思っていました。
【ハーマ】 主人のほうがずっといたずらっ子でした?
【ポリク】 私どもは陽の光を浴びてたわむれる二匹の子羊のようでした、お互いに鳴きかわしました。私共がとり交したものは、無邪気さと無邪気でした。私どもは悪い行ないなどは知りませんでしたし、だれかが悪事を行なうなど夢にも思いませんでした。もしもそのような生活をつづけ、私共の若い精神が、血気に左右されて、昂揚したりすることがもしなかったとすれば、私共は勇敢に天に向って、「無罪」と言えましたでしょう。私共に課された原罪などはすっかり拭い去ってしまえたでしょうから。
【ハーマ】 ではそれからお察し致しますとあなた様はおつまずきになられましたのね。
【ポリク】 わがいとも神聖な王妃様、誘惑というものがその後、私どもに起って来ました。その頃のまだ若い時代に、私の妻はほんの小娘でした。そしてあなたの高貴なお姿はまだ私の遊び友達の目にうつっておりませんでした。
【ハーマ】 まあ、何をおっしゃいます! もう何も結論をお出しなさいますな。あなた様の王妃様と私が悪魔だとでもおっしゃるといけませんから。でもおつづけ下さいませ。私たちが原因であなた様に起させた罪は私たちが責任をとります。もしもあなた方の罪のお相手は私たちで、私たちと、その罪をおつづけになり、私たちとだけで、その他には、おつまずきになった事がないのでしたら。
【レオン】 まだ言うこと聞かないのか?
【ハーマ】 あなた、ご逗留下さいます。
【レオン】 わたしが頼んでも聞こうとしなかった。ハーマイオニ、君はいままでこんなにうまく言葉を使って、成功したことはなかった。
【ハーマ】 なかったでしょうか?
【レオン】 いや一度しかなかった。
【ハーマ】 え? 二度うまく話したとおっしゃいますか? もいちどはいつでございますか? お願いです、お教え下さい。おほめの言葉をつめこんで下さいまし。食用鶏のようにころころにふとらせて下さい。よい行ないもほめられずに終れば、その後につづく千のよい行ないも殺してしまいます。ほめて頂くことが何よりのご褒美《ほうび》でございます。おやさしい|くちづけ《ヽヽヽヽ》一つで、私どもを二百キロの道でも走らせることがおできになりますわ。拍車をあてられてもせいぜい二百メートルしか走れません私たちを。大切なことは、私のさきほどのよい行ないはポリクサニーズ王様をお引きとめしたこと、もう一度は何でございますの? それが姉をもっておりますなんて、本当でございますか? それが|お恵み《グレース》でありますように! でも前にも一度うまくお話したことがございますって? いつですの? どうか、私におきかせ下さいませ。
【レオン】 それはあの時のことだった。苦《にが》い三か月の時がつづいて、死にそうになったとき、やっと君のその白い手をひろげさせることができ、君はわたしの愛情にこたえてくれた。その時君は言ったのだ。「私は永久にあなたのもの」と。
【ハーマ】 それこそは|お恵み《グレース》でございます。よろしゅうございますか、私は二度うまくお話をいたしました。最初の時は、永久に、王様を夫としていただきました。そしてもう一度は、しばらくの間ですがお友達をいただきました。
【レオン】 〔傍白〕ああ、熱《あつ》すぎる、熱すぎる! 友情をあまり深入りさせすぎると、行きすぎた関係になる。何だか胸さわぎがする。心臓がどきどきしているが、喜びのためではない。喜びではない、この歓待はまことに率直に示されているが、心をこめてと言うには、寛大な気持でと言うには、豊かな心からというには、自由にすぎている。それは女主人にふさわしいものだ、たしかにその通りだ。だが、彼らが今やっているように、手のひらを合わせたり、指をつまんでみたり、鏡に向った時のように、つくり笑いをしたかと思うと、今度は、まるで鹿が死んだという合図の角笛のような|ため《ヽヽ》息をついたりしている。こんな歓待のやり方は、どうも気に入らぬ。それにこの額《ひたい》もどうも具合が悪い。マミリアス、お前はわしの子か?
【マミリアス】 はい、お父様。
【レオン】 本当か? お前はいい子だな。なんだ、鼻を汚しているじゃないか? この子はわしに生き写しだという評判だが。さあ、大将、|きれい《ニート》にならなくちゃいかん。|きれい《ニート》じゃなく、こざっぱりとだ、大将。去勢牡牛も、若い牝牛も、子牛も、みんな牛類《ニート》とよばれるんだ――まだ、あいつの手をいじくりつづけている――おい、いたずら子牛! お前はわしの子牛か?
【マミリ】 はい。お父様がお望みなら。
【レオン】 お前がそっくりわしに似るためには、毛むくじゃらな頭と、わしのような角《つの》もなけりゃならん。でもわしとお前は、瓜《うり》二つだということだ。女どもがそう言っていた。(女たちはどんなことでも言うのだから)だが女たちが染めすぎた黒衣のように、風のよう、水のようにいつわりであっても、また、自分のものと他人のものにけじめをつけることのない|ばくち《ヽヽヽ》打ちの|さいころ《ヽヽヽヽ》のようにいつわりであっても、この子がわしにそっくりだと言うのは本当だろう。おい、お小姓《こしょう》! お前の空のように青い目でわしを見てごらん! かわいいやつ! 全くかわいい、わしの肉身だ! まさかお前の母親が? まさか? 情欲よ、お前の|ねらい《ヽヽヽ》は心臓をつき刺してしまう。お前は可能とも思えないことを可能にするのだ、夢と交わりをかわすのだ。――いったいどうしてなのだ! お前は非現実と結んで行動するのだな、実体のないものと契りを結ぶのだ。そうするとお前は実体のあるものと結ぶことも考えられる、現にそうなのだ(しかも許される程度を越えて)、そしてわしにはそれが解るのだ。(そしてわしの頭はすでに病気におかされているし、わしの額《ひたい》はかたくなっているのだ)
【ポリク】 シチリア王は何をおっしゃりたいのか?
【ハーマ】 何だか落ちつかない様子ですね。
【ポリク】 どうなさった、王様。いかがですか! どうなされました? 兄君?
【ハーマ】 お見受けしましたところ何か思いなやんでいらっしゃるように額にしわを寄せていらっしゃいます、何かお気にさわったのですか、あなた?
【レオン】 いや何でもないのだ。人間の性質は時々その愚かさを暴露するものだ、そしてその|もろ《ヽヽ》さを暴露して、しっかりした心を持つ人々のなぐさみものになってしまうものだ。息子の顔の輪郭を見ていると、わたしはいつの間にか二十三年の昔にかえって、わたし自身がまだズボンもはかないでいた頃のこと、緑色のビロードの上衣を着ていた頃を思い出すのだ。わたしの短剣は、持ち主にけがをさせることがないように鯉口《こいくち》がしっかりとめてあった頃だ。事実かざりでも時にけがをすることがあって、とても危かったのだ。その時、わたしはこの|ちび《ヽヽ》にそっくりだったように思うのだ。この青二才の紳士に。おい、わしの立派な友だち! 君は金の代りに卵を出されたら受けとるかね?
【マミリ】 いえ、お父様、決闘いたします。
【レオン】 決闘をする! うまく勝てるように! ところで、あなたも、わたしと同じように、あなたのご子息がかわいくて仕方がないのでしょうかな?
【ポリク】 国におればその通りです。息子は私の日常生活のすべて、私の喜び、私の関心事のすべてです。今、誓い合った友だちだと思えば、今度は私の敵になり、居候《いそうろう》にも、兵隊にも、政治家にも、何にでもなるのです。息子は七月の長い夏の日を十二月のように短くもするのです、そして変化にとんだその子供らしさで、私の心の中の、血をにごらせてしまうような思いをいやしてくれます。
【レオン】 この子も全く同様の役目をわたしに果してくれます。わたしら二人は歩いて来ます、あなたはご自由にしてください。ハーマイオニ、もしわしを愛しているのなら、それをこの方の歓迎で示しておくれ。シチリアでどんな高価なものでも、すべて安いと考えてよろしい。君自身についで、そしてこのいたずら息子についで、彼はわしが心から大切と思う人だから。
【ハーマ】 もし私どもをおさがしになりますなら、庭におりますから。そこでお待ちいたしましょうか?
【レオン】 君の好きにしたほうがよいのだ。この空の下、どこにいても見つけるから。〔傍白〕わしはこうして釣っているのだ、釣糸を垂れているのに気づかないだろうが。おお、何ということだ! あのように、口を、くちばしをさしのべているじゃないか! 妻であることの大胆さで、夫と許された人にふるまうように、平然とふるまっているではないか!
〔ポリクサニーズ、ハーマイオニおよび家来たち退場〕
もう行ってしまった! たしかにまちがいない! ひざまでつかっている! 頭には角がはえている。さ、遊んでおいで、遊んでおいで、お前のお母さんも遊んでいる。わしも演技をしている。ひどく恥ずかしい役をやっている、その退場は墓場までもつづくばかりにヒュウヒュウと罵られる。軽蔑の騒ぎが、わたしの葬《とむら》いの鐘だ。さ、坊や、遊んでおいで。これまでにも、|不貞妻の夫《カッコールド》はいたのだ(さもなければわしがだまされていた)多くの男が彼らの妻と腕を組んでいるのだ。(今この瞬間にも、わしがこうして話している間にも)そして、彼らの留守に彼らの奥さんの水門が開かれて、自分の池で、彼らのごく近い隣人が魚釣りをしているのも知らないのだ。隣人の|お笑い様《サー・スマイル》に釣られているのだ。いやわしばかりではない、他の男たちも門をもっていて、わしの場合と同様、意に反して開かれているのなら仕方あるまい。不貞な妻をもった夫が皆絶望しなくてはならぬとしたら、男たちの十分の一は首くくって死なねばならない。妻の不貞にきく薬はないのだ! それは淫乱な星のためで、それがひどい悪影響を及ぼすのだ、その星が勢いのある位置にある時、そして考えても見ろ、それは東西南北のあらゆる方向から非常な勢いで攻めてくるのだから、結局のところ、下腹を守るバリケードなんか何もない、いいか、敵は自由に出たり入ったりするわけだ、袋や荷物を持ちこんでだ。わしら何千人もの男がこの病気にかかっていて、しかも気づかずにいるのだ。どうした、坊や?
【マミリ】 私がお父様に似ているって皆が言ってる。
【レオン】 たしかにそうだ。おお、カミロか?
【カミロ】 はい、さようでございます。
【レオン】 遊んでおいで、マミリアス、お前は立派なよい子だ。〔マミリアス退場〕
カミロ、この客人はまだしばらく滞在されるようだ。
【カミロ】 王様は大さわぎをされて、お客様の錨をお下《おろ》しになろうとされました、王様がお投げになりましても、錨はいつももどって来てしまいました。
【レオン】 見ていたのか?
【カミロ】 あのお方は王様がどんなにお頼みになってもご逗留なさろうとはしませんでした。お仕事のほうがもっと大切だとおっしゃって。
【レオン】 気がついていたのか?
〔傍白〕皆もうわしの立場に気づいているのだ。「シチリア王はこうこうしかじかだ」とこそこそささやいている。わし気づく時には、もうどうにも仕方がなくなっている。カミロ、客人はどうして逗留することになったのだ?
【カミロ】 貞節な王妃様がおたのみなさいましたので。
【レオン】 王妃のたのみというのはよい、貞節なというのも適切であるべきだが、実際は、この場合そうでないのだ。お前のほかにだれか物わかりのいい頭をもった者がそう考えたというのか? なぜなら、お前の頭は吸収力が強いから、普通の人間より多くの事を吸収してしまうからだ。するどい頭をもっている奴だけで他の者は気がつかないだろう え? ほんの数人の特別な頭をもった奴だけが気づいているのだろう? 下賤なやつらはおそらく、この件については|明きめくら《ヽヽヽヽヽ》も同然だろう? どうだ!
【カミロ】 この一件とおっしゃいますと? たいていの者は存じております、ボヘミア王がもうしばらくご逗留になりますことを。
【レオン】 え、何だと?
【カミロ】 もうしばらくご逗留になると。
【レオン】 でも、なぜだ?
【カミロ】 王様のお心をおいれになり、そして気高い王妃様のご懇望でもありますので。
【レオン】 いれるだと? 王妃の懇望だと?いれるだと? いや、もうよい。カミロ、わしは今までお前を信用して来た。わしが心ひそかに考えている事も打ち明けて来た、他人には言えぬような秘密もだ、そしてお前は教師のように、わしの胸を清めてくれたのだ。わしはお前と別れる時には、告白して改心した罪びとのようだった。だがわしはお前を正直だと思っていたがだまされていた。うわべだけそうらしく見えるものにだまされていたのだ。
【カミロ】 とんでもない事を仰せられます、王様!
【レオン】 くりかえし言うが、お前は正直ではないぞ。それとも、お前が正直だと言うのならば、お前は臆病ものだ! 正直の膝のうしろの筋を切ってびっこにし、正しい道を歩むこともできなくしてしまう。さもなければお前は、わしの絶対の信用を得た召使いでありながら、自分の務めを怠っているのだ。さもなければお前は阿呆《あほう》だ、勝負が徹底的に行なわれて、巨額の賭金が与えられるのを見ていながら、すべてを冗談だと思っている。
【カミロ】 王様! 私は怠慢で、愚かで、臆病であるかもしれません。だれでも、こういう罪の一つでも完全にまぬがれる人はおりません。しかし、その怠慢も、愚かさも、おそれも、この世の中の数限りない行為の中で、いつか現われるものでございます。王様、王様のお仕事で、もしも私が、故意に怠慢でございましたならば、それは私の愚かしさでございます。もしも、故意に私が阿呆の役割を演じたといたしましたら、それは私の怠慢でございまして、結果に対する思慮に欠けたものでございます。もし何かを致しますのに臆病でございましたのなら、私が結果に対して確信が持てないように、行動に移せませんでおりました事を、実際に行なって見ますと、全く反対にうまく行ったというようなことがございましたなら、それは、どんな賢人にもあり得る臆病でございます。王様、これらはどんな正直な人でもさけることのできない病気と申すことができましょう。でございますが、王様、どうぞ、もっとはっきりおっしゃって下さいまし。私の罪をその実態でお示し下さい。それでもまだ私が否定致しますときには、私には全く罪はないのでございます。
【レオン】 カミロ、お前は見なかったのか?(いや、まちがいのないことだ、お前は見ている。さもなければお前の目玉は|不貞妻の夫《カッコールド》の角よりにぶいのだ)それとも聞かなかったか?(なぜなら、それほど明らかな光景については、噂がたたずに黙って終るはずはない)それとも考えなかったか?(なぜなら、判別する力は考えることのできる男にはあるだろうから)わしの妻が浮気をしていると? お前にその気があるなら告白しろ、さもなければ図々しく否定するがいい、目も、耳も、考えも持たぬと言え! さあ、言え、わしの妻はだらしない女だと、まるで、だらしのない、婚約もしない前に一線を越してしまう糸取り女も同様、いやらしい女だと言え! そう言って、その証拠をあげて見ろ!
【カミロ】 もしも王妃様がそんなひどい疑いをかけられているのを聞いたら、私はそれをだまって聞いて傍観してはおりません、すぐにも復しゅう致します。とんでもないことでございます、王様はいままでかつて、こんなに王様らしくないお話し方をされた事はございませんでした。それをくりかえしますことさえ、たとえ真実でありましても、根深い罪でございましょう。
【レオン】 こそこそささやき合っても何でもないのか? 頬と頬とよせ合っていてもか? 鼻と鼻をくっつけていてもか? 深く唇を合わせてキスしてもか? 笑いを途中で急にやめて、ため息をついてもか?(これこそ貞節をやぶった明らかなしるしだが)足と足とをからみ合わせてもか? すみの方にこそこそかくれてもか? 時計が早く進めばよいと思ってもか? 一時間が一分間のように、昼が夜中のように早くすぎればよいと思ってもか? 自分たちの目以外のすべての人の目が、|そこひ《ヽヽヽ》にかかればよいと思ってもか? そうすれば悪いことをしても見られずに済むと思ってもか? それでも何でもないのか? もしそうならば、この世の中にあるものはすべて、何でもないのだ。地上をおおっている空も何でもない、ボヘミアも何でもない。わしの妻も何でもない。もしこれが何でもないのならば、何もかも何でもないのだ。
【カミロ】 王様、どうか、そのような病的なお考えをお直し下さいませ。すぐにも直してください。たいそう危険なことでございますから。
【レオン】 それが危険でも、真実なのだ。
【カミロ】 いいえ、王様、そうではございません。
【レオン】 そうだ。お前は嘘をついている。嘘をついている。お前は嘘をついているのだ、カミロ、そんなお前はきらいだ! お前をのろまな田舎者だと言ってやる。気のきかない奴隷だ! さもなければ、お前の目で、よいものも、悪いものも同時にみて、どっちとも決めかねて、両方に|へいこら《ヽヽヽヽ》する、どっちつかずの日和見《ひよりみ》野郎だと言ってやる! もしもわしの妻の肝臓が、あれの生活同様に病気におかされていたら、あれは、砂時計の砂が一通りおちるまで生きちゃいられないだろう。
【カミロ】 だれが王妃様に病気をうつしましたのでしょうか?
【レオン】 わかっているじゃないか、彼女をメダルのように首の処にぶらさげている奴、ボヘミア王にきまっているじゃないか。もしもわしが、本当にわしに忠実な召使いを持っていさえしたら、そして彼らが自分たちの利益と同様、わしの名誉もその目で見きわめることができたら、自分たちの個人的な利益と同様にだ、そうすれば、それ以上は何もできないような事をやってくれるにちがいないのだ。そうだともお前は、あいつの酌《しゃく》取り役だ――わしはお前を低い身分から、持ち上げて、格式ある地位につけてやった。そしてお前は、天が地を見、地が天を見ているように明らかに、わしがどんなに苦しんでいるかを見ているはずだ、――盃に薬をきかして、わしの敵にこの世の最後の見納めをさせてやることができるはずだ、その一杯こそは、わしにとってこの上ない気つけ薬ともなるのだ。
【カミロ】 はい、王様、私はそのように致す事もできます、それも一時に毒を盛るのでなく、微量でじわじわと、つまり毒薬のように、悪意をもって殺したとは見えませんように、でございますが、私にはどうしても、あのご立派な王妃様にそのような|きず《ヽヽ》がおありとは思えません、(あのように気高く、徳高い王妃様でいらっしゃいますから)私はあなた様を敬愛してまいりました――
【レオン】 疑いたければ勝手にしろ! 地獄へでもおちてしまえ! お前はわしがそんなにだらしがなく、不安定な気持で、こんな苦しみを自分からしょいこんでいると思うのか、純白なわしの寝床《ねどこ》の清らかさを汚し、(それを純白にしておいてこそ眠ることができ、それを汚すのは、突き棒で、いばらで、いらくさで、蜂のしっぽだ!)王子である自分の息子の血統にまで汚点を与えようとしているとでも思うのか? それも十分な動機もないのに? わしがそんな事をすると思うのか? 人間がそんなに道理をはずれることができるというのか?
【カミロ】 王様を信じないわけにはまいりません。私は王様を信じます。ですからボヘミア王を除《のぞ》きもいたしましょう。ただし、ボヘミア王が除かれましたら、王様は、最初にお迎えになられました時と同様に、王妃様をご待遇下さいませ、王子様のおためにもそうなさって下さいませ。それによりまして、宮廷においても、同盟をむすんでおられる国々においても、悪い噂を封じることができますでしょう。
【レオン】 お前の言うことは、ちょうどわしがしようと思っていた通りのことだ。わしは王妃の名誉を汚したりすることはしないぞ、決して。
【カミロ】 王様、ではこうなさいませ、友情が饗宴の席上で示すような、明るいお顔で、ボヘミア王のお相手をなさいませ、王妃様のお相手もなさいませ。私がボヘミア王の酌取り役をつとめましょう。もしボヘミア王に私がさし上げる酒が無害でございましたなら、私をご家来とも思《おぼ》し召《め》しますな。
【レオン】 それだけだ。それをやってくれれば、わしの心の半分はお前のもの、もしそれをやらなければ、お前自身の心を引き裂くことになるぞ。
【カミロ】 やってごらんに入れます。王様。
【レオン】 お前が忠告してくれたように、わしは親しげなふりをしていよう。〔退場〕
【カミロ】 おお、みじめな王妃様! しかし、このわしは、何という役割だ! ご立派なポリクサニーズ王を毒殺しなくてはならないのだ。その理由はといえば、ご主君に従うためなのだ。つまりご自身の本性にさからって、ご自分のすべての家来たちにも、同じように、そうさせようとなさるお方に従うためなのだ。これをやりとげるならば、昇進はまちがいなくついて来るのだ。もし、わたしが、神聖な王を殺して、その結果栄進した何千もの例を見ることができたとしても、わたしはやりたくはない。しかし、真鍮、石、そして羊皮紙にも、そんな例は一つも記されていないから、どんな大悪党もそんなことをしないほうがよい。わたしは宮廷を捨てねばならぬ。それをやるにしても、やらぬにしても、たしかなことは、自分の身の破滅だ。おお、ちょうど幸いなことだ! ボヘミア王が来られた。
〔ポリクサニーズ登場〕
【ポリクサニーズ】 これはどうもおかしいぞ。どうやらわたしの歓迎の風向きが変ったようだ。口もきいてくれないのか? やあ、カミロ。
【カミロ】 ごきげんうるわしゅう、王様。
【ポリク】 宮廷で何か変った事はないかね?
【カミロ】 特別に変った事はございません、王様。
【ポリク】 王は何だかとてもむずかしい顔をしておられるじゃないか、まるで、わが身を愛すると同じように大切にしていた領土を、失くしてしまわれたかのようだぞ。たった今わたしは王に会って、いつものように挨拶をしたのだが、その時王は、目を反対側にそらしてしまわれた。そして唇には軽蔑の様子をみせて、大いそぎでわたしから離れてしまわれた、わたしはこのような状態におかれて、考えてみたのだ、一体何が起って、王は態度をすっかり変えてしまわれたのかと。
【カミロ】 私はあえて知らないと申し上げます、王様。
【ポリク】 何だ? あえて知らないと? 知らないのか? 知っていてあえて知らないと言うのか? わたしに教えてくれ。大体こういうことなのかね? だって、君が知っていることは、自分でも承知していることなんだから、あえて知らないなどと言うことはできないはずだ。カミロ、君の顔色が変ったということは、わたしのも変ったということを、示している鏡のようなものなんだ。この状勢の変化にはわたしが関係しているにちがいないのだ。わたし自身が、この変化によってこんな風に変化しているのを考えてみても。
【カミロ】 私どもの精神を錯乱させてしまうような病気があるのでございます。しかしながら、その病気の名前を申し上げるわけにはまいりません。それはあなた様から起った病気でございます、あなた様はまだお元気でいらっしゃいますが。
【ポリク】 何だと? わたしから起ったと? わたしをバジリスクみたいにするのはやめてくれないか。わたしは今まで何千という人を眺めて来たが、わたしに見られて、彼らは以前より幸福にこそなれ、わたしは一人だって殺しはしなかった。カミロ――君はたしかに立派な紳士だ。それに学識経験もまことに豊かだ。これは親から代々ゆずり受けた高貴な家名にもおとらず、われわれの立派な身分を飾るものだと言ってよいだろう。――お願いだ、もしもわたしが知っておいたほうがよいような事を、何か君が知っているのならば、わたしを無知に閉じこめることなく、教えてくれないか。
【カミロ】 お答えすることはできません。
【ポリク】 わたしから起った病気で、まだわたしは元気だと? どうしても答えてもらいたい。聞いているのかね、カミロ? わたしは君に懇願する、名誉を重んじる人ならばかならず認めるすべての人間の義務にかけて。そしてこのわたしの願いは、決して些少なものではない。どうかはっきり言ってくれ、君の考えではどういう危険がわたしに忍びよって来ているのか、どの位それが遠くはなれているのか、どの位近いのか、もし防げるものなら、どういう方法で防いだらよいのか、もし防げないなら、どのように耐えたらよいのか。
【カミロ】 王様、お話し致しましょう。私の名誉にかけての仰せでございますし、私がご立派なお方と存じ上げておりますあなた様の仰せでございますから。ですから私の申し上げる事をよくお聞き下さいませ、そしてすぐにもご実行にお移しにならねばなりません、私が申し上げます通りに。さもなければ、あなた様も私も、もうだめだということになり、永久におさらばでございます。
【ポリク】 つづけてくれ、カミロ!
【カミロ】 私はあなた様を殺すよう申しつけられました。
【ポリク】 だれにだ、カミロ?
【カミロ】 王様にです。
【ポリク】 何のために?
【カミロ】 王様はそう思っておられます、確信をもって断言しておられます、ご自分でごらんになったとか、あなた様がそうなさるように、ご自身でおはからいになったとか、つまりあなた様が、王妃様と不義をお働きになったと思っておいでなのです。
【ポリク】 ああ、もしそうならば、わたしのもっとも高貴な血は、病気に犯された固まりとなり、わたしの名前は、いと高きお方を裏切ったその者の名と同じ|くびき《ヽヽヽ》につながれてしまえ! わたしがいるところ、わたしのもっとも清新な名声は、もっとも鈍感な人の鼻にもがまんがならないような悪臭をはなって、わたしが近づくことをだれもがいやがるようにするがよい! いや、それどころか、憎むがよい、かつて聞かれ、読まれたどの疫病よりももっと悪いものとして!
【カミロ】 どんなに誓言されて否定なさいましても、天の一つ一つの星にかけてお誓いになりましても、その星の力にかけてお誓いになりましても、あなた様のお言葉は、海に向って月に従うなと言うようなものでございます、ご誓言によって、またはご忠告によって、王様が妄想でつくられたお考えをくずそうとなさいましても、振り払おうとなさいましても、そのお考えの基礎は王様の信念の上につみ重ねられているのでございますから、王様のお体のもつ限り続きますでしょう。
【ポリク】 いったいどうしてこのようなことになったのか?
【カミロ】 私にもわかりません。ただはっきり致しておりますことは、どうしてこんな事になったのかと考えるより、起ってしまった事を避けることでございます。ですから、この体に納まっております私の誠実をあなた様がご信頼下さいますならば、私はこの体を|みのしろ《ヽヽヽヽ》としてあなた様におあずけいたしますが、どうか今夜のうちにお発《た》ち下さいませ! ご家来の皆様には、私からこっそりこの事をお伝えいたしておきます、そして、二人、三人ずつ、ばらばらに、別の門から、城の外に出られるよう手配いたしておきます。私自身、すべてをささげて、あなた様にお仕《つか》え申し上げます。この事をあなた様にお明かし致しましたからには、ここにおりましては身の破滅でございますから。決してお疑いなさいますな、真実を申し上げているのでございますから。もしもあなた様が真偽を明らかになさりたいと思し召しても、それを待つ事は私にはとうてい出来ないのでございます。あなた様ご自身も、王様が有罪を宣告されて、処刑は避けられない罪人同様とお考え下さい。
【ポリク】 君の言うことを信じよう。王の心は顔にあらわれている。さあ、どうか手を、わたしの水先案内になってくれ。つねにわたしの側近として、君の地位を保証しよう。わたしの船は用意ができていて、家来たちは、もう二日前から、わたしがここを出発することを待っていたのだ。この王の嫉妬は、大切な王妃のために起ったものだ。王妃がたぐいまれな方だから、王の嫉妬も大きいにちがいない。そして、立派な身分の方だから、それは激しいにちがいない。そして王の考えでは、つね日頃、親友だと思いこんでいた男に、名誉を傷つけられたとすれば、彼の復|しゅう《ヽヽヽ》はそれだけ激しいものになるにちがいない。こう考えて来ると、どうもすっかり恐ろしくなって来た。どうか迅速な行動がわたしの味方になってくれるように! 慈悲深い王妃にはなぐさめが与えられるように、王の問題の一部とはなっているが、根も葉もない邪推には、まったく関係のない王妃だ! さあ、カミロ、わたしは君を父とも思って尊敬しよう、もし君が無事にわたしをここから助け出してくれたならば。さあ、ここをはなれよう! 早く難をさけよう!
【カミロ】 すべての入口の鍵は私にまかされております。私が指示いたすことができます。どうぞ、王様! 一刻ものがしてはなりません。さあ、王様、早く参りましょう。〔退場〕
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第二幕
第一場 シチリア レオンティーズの宮殿
〔ハーマイオニ、マミリアスおよび侍女たち登場〕
【ハーマイオニ】 この子をそちらに連れて行ってください。うるさくて、とてもがまんできません。
【侍女一】 さあ、王子様、いらっしゃいまし、私がお遊び相手になりましょう。
【マミリアス】 いやだ、お前はいやだよ。
【侍女一】 なぜでございますか、王子さま?
【マミリ】 だってお前はきつくキスしようとするし、まるでいつもぼくが赤ん坊みたいに話すんだもの。ぼくはお前のほうが好きだ。
【侍女二】 なぜでございます?
【マミリ】 お前の眉《まゆ》がもっと黒いからってわけじゃないけど、でも黒い眉のほうが、ある女の人たちには一番似合うんだってね。もしもあまり毛が多すぎず、ペンで書いた眉が、半円形をしていたり、半月の形をしていたりしたら。
【侍女二】 まあ、だれがそんなことお教えしましたの!
【マミリ】 ぼくが女の人の顔を見ていて自分でわかったのさ。ねえ、お前の眉は何色かい?
【侍女一】 青でございます、王子さま。
【マミリ】 いや、それはごまかしだ。ぼくは女の人の鼻が青い色しているのは見た事があるけど、青い眉ってのは見た事ないよ。
【侍女一】 よくお聞きくださいまし、王子さまのお母上の王妃さまはどんどんと丸くおなりでございます。もうしばらくいたしますと、私どもはお美しい新しい王子さまにお仕えいたすことになりますでしょう。私どもがお相手をいたしますときには、私どもとお遊びくださいましね。
【侍女二】 王妃さまは近ごろずいぶん大きくおなりです、どうぞご無事にご出産なさいますように!
【ハーマ】 何の議論をしているの? さあ、いらっしゃい、お相手をしてあげますよ。さあ、あたしのそばにお坐りなさい、そしてなにかお話をしてくださいな。
【マミリ】 愉快なお話? それともまじめなお話?
【ハーマ】 できるだけ愉快なお話よ。
【マミリ】 まじめなお話が、冬には一番いいんだ。ぼくは、妖精や鬼の話を知ってるよ。
【ハーマ】 それじゃ、それをしてくださいな。さあ、お坐りなさい、さあ、そして一生懸命に妖精のお話であたしをおどかしてくださいな。おどかすのが上手でしょう。
【マミリ】 むかし、むかし、一人の男が――
【ハーマ】 さあ、まず、坐って、それからお話してくださいな。
【マミリ】 お墓のそばに住んでいました。そっとお話してあげるね、あそこの|こおろぎ《ヽヽヽヽ》に聞かれないように。
【ハーマ】 さあ、それじゃ、耳もとで話してくださいな。
〔レオンティーズ、アンティゴナス、貴族たちと共に登場〕
【レオンティーズ】 それで彼に会ったのか? 彼の従者たちにも? カミロも一緒だったのか?
【貴族一】 松林の後《うしろ》で私は彼らに会いました。あんなに急いでいる人たちを見たことはありませんでした。彼らが船に乗るところまで見とどけました。
【レオン】 わしの判断が正しかったとは、何とわしは運がいいのだ! わしの思った通りだったとは! ああ、わしが知らずにいられたなら! なんと呪われているのか、こんなに判断が正しいとは! 盃の中に蜘蛛《くも》が浸されていても、それをだれかが飲んで、席を立っても、全然毒にあたらないこともある。そのことを知らずにいたからだ。だがもしその憎むべき中味《なかみ》を目で見てしまい、彼がそれを飲んでしまったことを知ってしまうと、喉をかきむしり、脇腹をかきむしって、烈しく吐き気をもよおすのだ。わしは飲んでしまった、蜘蛛をみてしまった。カミロはあいつに力を貸していたのだ、あいつの取り持ち役だった。わしの生命をねらい、わしの王冠をねらう陰謀があるのだ。疑わしいと思っていたことが、みな事実だった。わしのやとっていたあの裏切り者の悪党は、以前から、あいつにやとわれていたのだ。あの男がわしの計画を明かしてしまった以上は、わしはみじめななぶり者同然だ。そうだとも、あいつらが思うままに嘲笑するおもちゃみたいなものだ。だがどうして、あちこちの裏門が簡単に開いたのだ?
【貴族一】 カミロの権限によってでございます。それは今までもしばしば、陛下のご命令同様に権威のあるものでございました。
【レオン】 そんな事は十分承知しておる。その子をこちらによこせ。この子に乳を与えたのがお前でなくてよかった。この子はいくらかわしに似たところもあるが、お前の血が混じりすぎている。
【ハーマ】 何でございますか? ご冗談でも?
【レオン】 この子を連れてゆけ。この女のそばに来させてはならぬぞ。さあ、連れてゆけ、この女の慰み相手は、今この女の腹の中にいる奴にさせろ! お前をこのようにはらませたのはポリクサニーズなのだから。
【ハーマ】 ただ私がそのような事はないと申し上げれば、必ずあなたは私の申し上げたことを信じて下さいますはず、たとえどのようにあなたがお疑いになっておりましょうとも。
【レオン】 みなの者! この女を見てくれ、よく注意して見てくれ。お前たちがちょっとでも「美しい婦人だ」と言おうとすると、お前たちの正義の心がそれにつけ加えるだろう、「残念ながら、彼女は貞節でない。節操がないのだ」と。この女をただ彼女の外形だけでほめようとする、(それはわしもたしかにりっぱな称賛に値すると思う)すると、すぐに肩をすくめたり、フンとかハアとかいうような中傷者の使うつまらん烙印が――おお、そうじゃなかった――慈悲のある者の使う烙印だ、中傷は美徳そのものにも、烙印をおすものだから――肩をすくめたりする事や、フンとかハアとかが、お前たちが「美しい婦人だ」と言い終えて、次に「貞節な婦人だ」と言う前に、その間に割り込んでくるのだ。だが、よく聞け、それを知られるのが最も悲しいはずの男の口から、「この女は姦婦だ」というのを!
【ハーマ】 たとえ、悪人がそう申しましょうとも、(この世の中でもっともひどい大悪人が)その一言で悪はさらに倍加いたしますでしょう、王様、あなたは、ほんとうに思いちがいをなさっておられます。
【レオン】 思いちがいはお前のほうだ、ポリクサニーズをレオンティーズと思いちがえた。お前という奴は――お前のような身分の高い者には口に出しては言えないが、下賤なものたちが、わしを前例として、あらゆる身分のものに同じような言葉を使って、相手が王室のものであろうと、乞食であろうと、礼儀にかなった区別もしないようになると困るからだ。わしは言った、この女は姦婦だと。わしはこの女の相手の名前も言った。そればかりではない、この女は謀叛人だ! そして、カミロは、この女と結託している。そして彼も知っているのだ、この女と彼女の極悪非道の相手との秘密を、この女自身が知るさえ恥ずべきことを知っているのだ。つまりこの女が結婚の床の誓いをやぶったということを、一般大衆が思い切った下品な言葉で呼ぶ女たちと変らないことを。そしてこの女は彼らの今回の逃亡にもあずかっているのだ。
【ハーマ】 いいえ、生命にかけて、この事にあずかってはおりません。あとであなたがもっとはっきりと真実をお知りになれば、どんなにお悲しみになりますでしょうか、あなたが私をこのように、皆の前でひどい目にお会わせになった事を、その時になって、どんなにあなたがまちがっていたとおっしゃいましても、私の立場は完全に正しくされることは決してございますまい。
【レオン】 いや、もしわしがまちがっているなら、わしの言葉の根拠がまちがっているならば、この地球は小学生の|こま《ヽヽ》をささえるだけの大きさもないちっぽけなものだ。この女を牢へ連れて行け! この女を弁護する奴は、ただ口をきいたというだけで、大罪人だとみなすぞ!
【ハーマ】 何か悪い星が支配しているのにちがいない。私はじっと我慢していなければならないのだ、天の状態がもっと私にとって吉兆を示すようになるまでは。皆さん! 女性というものはすぐ泣くものですけれども、私は泣いたりはいたしません。涙を流さないために、皆さまの同情も乾きはててしまうかもしれません。でも私の、この胸の中に、どんな涙でも消すことができないような、名誉ある悲しみがもえているのです。皆さま、お願いです。あなた方の慈悲深い気持がそうだと教えてくれるようなお考えでどうか私をご判断ください。その上で、王様のご意志のままが行なわれますように。
【レオン】 わしの命令がわからないのか!
【ハーマ】 だれが私と一緒に行ってくれます? おねがいでございます、侍女たちをつれてゆくことをお許しください、今の私の身にはそれが必要なのでございます。さあ、泣くのじゃないよ、おばかさんたち、何も泣く理由はないのだから。あなた方の主人が牢に入れられるのが当然のことをしたとわかったとき、その時こそ思う存分にお泣き。今私が牢に入ろうとしているのは私の名誉をよりよくためすためなのです。さようなら、王様、私は今まであなたが後悔なさるのを願ったことはございませんでした。でも今こそは、そうなりましょう。さあ、みんな行きましょう。お許しがでました。
【レオン】 さあ、わしの命令通りにしろ! 出てゆけ!
〔王妃、警護されて、侍女たちと共に退場〕
【貴族】 お願いでございます。王妃様をお呼びもどしくださいませ。
【アンティゴナス】 陛下、ご自分のなさっていらっしゃることをよくお考えください。陛下が正義と思っておられることが冒涜となりませぬように。そのときは、陛下ご自身、王妃様、王子様の身分高いお三方がお苦しみになりましょう。
【貴族】 陛下、王妃様に限って、私はこの一命かけて、心からお誓い申し上げます、どうかお聞き入れくださいませ、王妃様はご潔白でございます、天に対しても、そして陛下にたいしても――つまり申し上げたい事は、陛下がおとがめになりました点についてでございます。
【アンテ】 もしもご潔白でないと判明いたしました時には、私は厩《うまや》をつくりまして、妻をそこに閉じこめましょう。私もつがいの犬のように妻と共におりましょう。妻をさわったり、見たりしておらぬ限り妻を信用致しません。もしも王妃様が不実ならば、この世の中のどんな女も、女の肉体のどんな小さな部分でありましょうとも不実でございましょうから。
【レオン】 だまれ!
【貴族】 陛下!
【アンテ】 陛下のために申し上げております、私どものためではございません。陛下はだれか煽動者に、だまされていらっしゃるのです、その者はきっと地獄におちます。もし私がその悪党を知っていましたら、私が彼を殺して地獄におとしてやります。王妃様が不名誉な事をなされるようでしたら、私は三人の娘を持っております、上は十一歳、二番目と三番目は、九歳と五歳ばかりでございますが、もしも王妃様の不義が真実なら、娘たちにその罪のつぐないをさせます。私の名誉にかけて、私は娘たちを子を産めぬ体にしてしまいます、不義の子をうむために十四歳を迎えさせはいたしませぬ。娘たちは共同相続人でございますが、正統な子が産めぬ位でしたら、私の手で、子を産めぬ体にいたします。
【レオン】 やめろ! もうよいわ! お前たちはこの事件を、死人の鼻のようなつめたい感覚で嗅いでいるのだ。だがわしはそれを見、触れている、ちょうどこうする時に触れるように、そしてそれと同時に、何を使って触れているかまで見ている。
【アンテ】 もしもそれが真実でございますなら、われわれは貞節を埋める墓など必要と致しません、この汚れた地球全体の顔を美しくするような貞節などひと粒だってないのでございますから。
【レオン】 何だと? わしが信じられないと?
【貴族】 陛下、このことにつきましては、私ではなくて、むしろ陛下がまちがっておられることを願いたいと存じます。陛下のお疑いよりも、王妃様のご貞節のほうが真実であれば嬉しいと存じます、その為に陛下がどのように非難をお受けになりましても。
【レオン】 何だと! お前たちとこの事を議論する必要はない! わしはむしろわしの強い心の衝動に従えばよいのだ。わしの王としての大権は、お前たちの意見など求めてはいないのだ。ただ親切な気持から話してやっただけなのだ。それをもしもお前たちが、呆れはてているのか、それともわざと見せかけだけ呆れ顔をしているのか、わしのように、真実を知ることができないとか知りたくないとか言っているのなら、わしはお前たちの忠告など必要としていないのだ。この問題、損失、利益、その処分、すべてのことは、わし一人が決めるべきことだ。
【アンテ】 陛下、でございましたら、陛下お一人のお心の中でお裁きをなさいますように、これ以上公けになさいませんように。
【レオン】 そんなことができるものか! お前は老いぼれでものが分らなくなったのか、それともうまれつきの阿呆《あほう》だ。カミロの逃亡は、あいつらのおおっぴらな親密さに加えて、このような処置をとる結果となったのだ。あいつらの親密は、いまだかつて推定できた事の中でも、最も明白、目撃されていないだけのことだ、それを証明するために目撃以外のすべての状況証拠はそろっているのだ。だが、もっと事をはっきりさせるために、このような重大な事を行なうためには、あまりに軽率なやり方は、とりかえしのつかない悲しみともなろうから、わしは使者を、デルフォイのアポロの神殿に派遣することとした。クリオミニーズとダイオンをやることにした、彼らならお前たちも十分その任務を果す資格があると思うだろう。そしてその神託から、彼らはすべての真実を持ち帰るであろう、その神託を受けた上で、わしの進退もきまるのだ、適切な処置であろう?
【貴族】 まことにさようでございます、陛下。
【レオン】 わしは十分に承知しているから、これ以上必要はないが、神託があれば、他の者たちの心に十分の安心感を与えてくれるだろうと思う。たとえば、愚かにも一つの事を信じこんで、けっして、真実を認めようとしないような奴らにだ。だからわしは、あの女を、自由にわしに近づくことができないように、閉じこめておくほうがよいと考えた。あの逃亡した二人の謀叛があの女によって完成されぬようにだ。さあ、ついて来てくれ、皆に公表しなければならん。この事はすべての者を憤慨させるだろう。
【アンテ】 〔傍白〕笑わせるだろうと、わたしは思う、真実がはっきりしたならば。〔退場〕
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第二場 シチリア 牢獄
〔ポーライナ、侍従、従者たち登場〕
【ポーライナ】 牢番を、声をかけて呼んでください。彼に、わたしがだれであるか知っておいて貰わねばなりません。王妃様、ヨーロッパ中のどの宮廷も、あなた様にはお粗末でございますのに、牢の中で何をなさっておいでなのでしょうか。
〔牢番登場〕
ねえ、私をご存知? 私をご存知じゃありませんか?
【牢番】 ご立派なご婦人でいらっしゃいます、私が尊敬致しておりますお方です。
【ポーラ】 それならば、お願いだから、私を王妃様の処へ案内してください。
【牢番】 奥様、それはできないのでございます。お通ししてはならぬと、きついご命令を受けておりますので。
【ポーラ】 まあ、何と大げさなこと、貞節な名誉あるお方をとじこめてしまって、どんな立派な訪問者が来ても会わせないとは! では、お願い、侍女に会うならよいでしょう? 侍女の誰か? エミーリアは?
【牢番】 もしも奥様が、ご家来の方々を退らせてくださいますのでしたら、エミーリアを連れて参りましょう。
【ポーラ】 お願いだから、彼女を呼んで来てください。あなた方は退っていてください。
〔侍従、従者たち退場〕
【牢番】 あの、奥様、私はお話し合いの間ここにおらねばなりません。
【ポーラ】 いいですとも、そうしてください、お願い!〔牢番退場〕
汚点のないものに汚点をつけようとしてこんな大げさな事を、弁解の余地も何もないじゃないの。
〔牢番、エミーリアと共に登場〕
ねえ、あなた、王妃様はいかがあそばしていらっしゃいますか?
【エミーリア】 あのようにご身分高く、ご不幸なお方といたしましては、これ以上はないほどにお元気でございます。恐怖と悲しみのために、(それもか弱いご婦人がこれほどまでに耐えておられるのはかつてないことですが)ご予定の時よりもいくらか早目にご出産なさいました。
【ポーラ】 王子様を?
【エミー】 王女様でございます。とてもお美しい、お元気で、ご丈夫そうな赤ちゃんでございます。王妃様には、王女様がまたとないお慰めでございます。「私のかわいそうな囚人さん、私もあなたと同じように罪がないのです」とおっしゃっておられます。
【ポーラ】 まったくですね、王様の危険な不安定な狂気は、何ていまわしいのでしょう! 王様にこのことをお知らせしなければ、そうです、お知らせすべきです。そのお役目には女が最適です。私がお引き受けします。もしも私が蜜のように甘い言葉など口にするようなら、この舌は水ぶくれになって、二度とふたたび私のまっかに燃え上ったこの怒りをつたえるラッパの役など果せなくなるがいいわ! お願い、エミーリア、私の心からお仕えする気持を王妃様にお伝えしてくださいね。もしも王妃様が王女様を私におあずけになってくださるなら、私が王女様を王様にお見せします。そして誰よりも声高く、王妃様のご弁護をいたします。王女様をご覧になれば、どんなにか王様のお気持もやわらぐかもしれません。言葉で話しても失敗するような時にも、しばしば、純粋に無邪気な沈黙が相手の心を動かすことがあるのです。
【エミー】 ご立派な奥様、あなた様のご立派さと徳の高さはまことに明らかでございますので、あなた様が寛大なお気持でお引き受け下さいますなら、必ずよい結果を生みますでしょう。この大きなお役目にあなた様ほどふさわしいお方はございません。どうぞ隣りの部屋までお出かけ下さいませ。私はすぐにも王妃様に、あなた様のほんとうにご立派なお申し出でをお伝えしてまいります。ちょうど今日もこのような計画をお考えになりましたのですが、もしも断わられてしまってはと思し召して、あえてどの大臣にもお頼みになれなかったのでございます。
【ポーラ】 王妃様にお話してください、エミーリア、私はできる限りのご弁護をいたします。もしも私の胸から、大胆な心がほとばしり出るように、口から適切な言葉がでてくるならば、かならず成功してみせますよ。
【エミー】 どうかご成功なさいますように! 王妃様のところに行ってまいります。どうぞもっとこちらへ!
【牢番】 奥様、もしも王妃様が王女様をあなたにお渡しあそばすと、私は何のお許しも得ておりませんので、どんなお咎めを受けるかわかりませんのでございます。
【ポーラ】 そんなこと心配しないでよいのです。このお子様は王妃様のご胎内に囚われておいででしたが、大自然の法と手続きによって、その中から解かれて、自由の身となられたのです。王様のお怒りには、何のかかわりもおありになりません。万一、王妃様が罪を犯されたとしても、それについて王女様には何の罪もおありにならないのです。
【牢番】 お言葉どおりだと思います。
【ポーラ】 心配することはありません。私の名誉にかけて、私はあなたを危険から守ってあげます。
〔退場〕
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第三場 シチリア レオンティーズの宮殿
〔レオンティーズ、アンティゴナス、貴族たち、従者たち登場〕
【レオンティーズ】 昼も、夜も、まったく心が安まらない。このように苦しむのは弱さだ。まったくの弱さなのだ。もしも原因が存在しないとしても――原因の一部、あの女、不貞な奴がいる。淫乱な王はもうすでに、わしの手の届かぬ所にいる。わしの頭で考えられる的《まと》をはずれ、その射程をはずれ、策略にもかからない。しかし、女のほうはわしの手の中につないである。もしも火あぶりの刑にでもされて、あの女が死んだら、わしの平安の半分はわしにもどって来るかもしれないのだが。〔召使い登場〕だれだ!
【召使い】 陛下!
【レオン】 あの子の具合はどうかね?
【召使い】 昨夜はよくおやすみになられました。ご病気はおなおりになられたかと存じます。
【レオン】 あの子の気高いこと! 母親の不名誉を考えこんでしまって! あの子はすぐに弱ってしまい、うなだれ、心に深く思いこみ、その恥をおのれの身にしかと結びつけて、彼の元気も、食欲も、眠りもなくしてしまい、すっかり弱りこんでしまった。わしを一人にしてくれ。行け、あの子の様子を見て来てくれ。〔召使い退場〕
えい、いまいましい! あいつの事はもう考えまい。あの男への復讐を考えると、それがわしの身にはねかえって来る。あいつはあまりにも強すぎるし、あいつの味方も、あいつの同盟国もある。時が来るまで、あいつのことは放っておこう。今すぐ復讐をするのは、あの女に対してだ。カミロもポリクサニーズも、わしを笑うがいい。わしの悲しみをあいつらの慰みにするがいい。もし、わしの手が届くならば、あいつら笑ってなどおれんぞ、わしの手中にあるあの女にも笑わせはしないぞ。
〔ポーライナ、幼児をだいて登場〕
【貴族】 入ってはなりません。
【ポーライナ】 そんなこと言わないで、皆さん、私に味方して下さい。あなた方は王妃様のお生命よりも、王様の残酷なお怒りをもっと恐れていらっしゃるのですか? 王様の嫉妬のはげしさと比べても、あの尊いけがれない王妃様はずっと潔白でいらっしゃいます。
【アンティゴナス】 もうよい。
【召使い】 奥様、王様は昨夜一睡もなさいませんでした。そして、だれも通してはならぬときついご命令で。
【ポーラ】 まあ、そんなにかっかとしないで! 私は王様にご安眠を持って来ました。あなたがたこそ、王様のそばに影のようにはいずりこんで、王様が、わけもないのに嘆息をつかれるその度に、ため息をついている、そんなあなた方こそ、王様の不眠の原因を大きくしています。私は、真実であると同時に、不眠を治す力のある言葉をもって来ました、そして、王様を安眠から追いやってしまった気まぐれな心を洗い清めてさし上げる、誠実な言葉を持って来たのです。
【レオン】 何のさわぎだ?
【ポーラ】 さわぎではございません、王様、お名づけ親についての大切なご相談があってまいりました。
【レオン】 何だと! この図々しい女を連れてゆけ! アンティゴナス、ここへ来させてはならぬとお前にきつく申しつけたはずだ。きっと来ると思っていた。
【アンテ】 彼女には申しつけておきましたのですが、王様、陛下のごきげんをそこね、私の落度《おちど》になるといけないから陛下のところへ参ってはならぬと。
【レオン】 何だと! 自分の妻も思う通りにできんのか!
【ポーラ】 不正から守るためならばできます。このことにつきましては――夫が陛下がなさいました通りのことをいたしまして、立派な事をしたからと私を罰するのでなければ――絶対に、夫は私を思う通りにはできません。
【アンテ】 ごらん下さい、お聞きの通りです。妻が自分で|たずな《ヽヽヽ》を取る時には、私は妻を勝手に走らせます、でも、つまずくことはございません。
【ポーラ】 王様、私は参りました――どうぞ私の申し上げることをお聞き下さいませ。私自身、王様の忠実な僕《しもべ》、あなた様の医者であり、もっとも従順なご相談相手であると、あえて、はっきり申し上げます。でございますが、王様が悪いことをなさいました場合にも――何であろうとそれに賛成して、もっとも忠実な家来のように見せかけている人たちのようには、見えませんでも――申し上げます、私はご立派な王妃様のお使いで参りました。
【レオン】 立派な王妃だと!
【ポーラ】 ご立派な王妃様です、王様、ご立派な王妃様、ご立派な王妃様と申しているのです。もし私が男でしたら、王様のおそばの最も意気地のない男でも、一騎打ちをいたしましても、王妃様のご立派な事を証明いたします。
【レオン】 この女を引っ立てろ!
【ポーラ】 目を粗末にしてもいいと思う人があれば私に最初に手をかけるがいい。私は自分で判断して出てゆきます。しかし、まず、お使いを果します。ご立派な王妃様は、(まことに、ご立派な王妃様です)お姫様をご出産になりました。ここにいらっしゃいます。〔幼児をおいて〕王様のご祝福がいただきたいとの事です。
【レオン】 さがれ! 男のような魔女めが! この女を引っ立てて、外《そと》につれてゆけ! いやらしい取りもち婆《ばばあ》め!
【ポーラ】 いえ、ちがいます。私はそのような事には、全く関係ございません。私をそのようにお呼びになる王様と同様に。王様が気が狂っていらっしゃる、その程度に私は正直でございます。はっきり申し上げますが、それだけで、この世の中でも、正直者として通用いたします。
【レオン】 悪党めら! その女を突き出さんというのか! その女に私生児を渡せ! 老いぼれめが! 女につつかれて! お前の|めんどり《ヽヽヽヽ》に鳥屋《とや》から追い出されてしまっている! 私生児を抱き上げろ! 抱き上げろといっているんだ! それをお前の婆《ばばあ》に渡してしまえ!
【ポーラ】 永久に、その手は祟《たた》りを受けます! もしも王様が無理やりにおきせになった汚名によって、お姫様をあなたが抱き上げようとするような事がかりにも起ったとしたら!
【レオン】 彼は自分の妻をおそれている。
【ポーラ】 王様も王妃様をお恐れになればよいと思います。そうすればかならず王様はお子様をご自分のものだと仰せられますでしょう。
【レオン】 悪党どもがうじゃうじゃしている。
【アンテ】 この善なる光にかけて、私はけっして悪党などではございません。
【ポーラ】 私だってちがいます。ここには一人を除いて悪党はおりません。それは王様ご自身、王様はご自身の神聖な名誉も、王妃様の名誉も、将来あるご子息のも、生まれたばかりのお姫様の名誉も、その切っ先が剣よりも鋭い中傷に引き渡してしまわれました、そして一度だってご自分のお考えの根を除こうとはなさらないのです、――と言いますのは、現在のような事情ではそれは呪いにも等しく、だれ一人として強硬手段をとる事ができませんので――その根がくさっている程度は、樫の木や石が堅固であったのにも匹敵します。
【レオン】 がみがみ言う女だな、どこまで言えば気がすむのだ、さっきまで亭主に食ってかかっていたのが、今度はわしに食いつくのか! この餓鬼《がき》はわしの子じゃないぞ! ポリクサニーズの子だ! この子を連れて行け、そしてその母親ともども火|あぶり《ヽヽヽ》にしてしまえ!
【ポーラ】 あなた様のお子でございます。古い諺を使って申し上げることができますなら、大変よく王様に似ていらっしゃいます、だからなおさら困った事です。さあ、皆さんごらん下さい。型は小さいですが、全体はお父上様にそっくりです。目も、鼻も、唇も、お顔のしかめ方も、額《ひたい》も、あごの凹みも、頬やあごのかわいらしいえくぼも、お笑いになるところも、お手や、爪や、指の形や骨組みも、そして、お恵み深い「自然」の女神様、このお姫様を、あなたは生みの親でいらっしゃるお方そっくりにお創りになりましたが、もしも人の心までお創りになる力がおありになるなら、すべての色の中で、黄色だけはお与えになりませんように。お父様同様、ご自分のお子をご主人のものでないとお疑いになるといけませんから!
【レオン】 いやらしい婆《ばばあ》め! それに、お前も悪党だ! 絞首刑にしてもいいくらいだぞ、この女を黙らせようともしないとは!
【アンテ】 それができない夫たちを全部絞首刑にしてしまわれたら、ご家来など、一人もいなくなるでしょう。
【レオン】 もう一度言うぞ、この女をつれて行け。
【ポーラ】 どんな非道の残酷な主人だってこれ以上の事ができましょうか!
【レオン】 火|あぶり《ヽヽヽ》の刑にしてやる。
【ポーラ】 かまいませんとも。その火を燃やす者こそ邪教の徒です、その火に燃やされる者は邪教の徒ではありません。私は王様を暴君とは申しますまい。しかしこの王妃様への残酷なお仕打ちは――あなたご自身の|ちょうつがい《ヽヽヽヽヽヽ》のゆるんだような空想以外には告訴の証拠は何もご提出になれないのですから――どうやら暴虐の気味がございます。そしてあなたを不名誉な者にし、世間に対してお顔向けのならぬものに致します。
【レオン】 忠義と存じているなら、この女を外に連れて行け! もしわしが暴君だったら、あの女の生命はとうにないはず。本当にそう思っているなら、あえて暴君だと呼んだりはしないはずだ。この女を引っ立てろ!
【ポーラ】 お願いです、そんなに突き出さないでください、自分で出てゆきます。どうかお姫様の面倒を見て上げてください、王様、あなた様のお子です、神様どうかお姫様にもっとよい導きの精霊をお与え下さい! この手は何ですか? あなた方は、王様が愚かな事をなさっていらっしゃるのにそれを甘やかしているのです。王様のおためにはなりはしません。だれ一人として! はい、はい、おいとまいたします。もうこれでおしまいですわ。
【レオン】 逆賊め、お前だな、女房をけしかけてこんなことをさせたのは! わしの子だと! あっちへ連れてゆけ! そうだ、お前が行け、そいつに対してそんなにやさしい心をもっているお前が連れて行け、そしてそいつを即刻に火にくべて燃やさせてしまえ! そうだお前がするのだ、他の者ではいかん。すぐ抱き上げろ! 一時間以内にそいつの始末がついたとわしに報告しろ、十分に証拠をそろえてだぞ。さもなければ、お前の生命はないと思え、お前の一族もろともにだ! もしお前が拒絶してあえてわしの怒りを受けようと言うなら、そう言え! わしは、自分のこの手で、この私生児の脳味噌を叩きつぶしてやるわ! さあ、そいつを連れて行って火にくべろ! お前がお前の女房をけしかけたのだから。
【アンテ】 さような事はいたしませんでした。ここにおられる皆さん方が、もしその気がおありならば、王様のお疑いを晴らしてくれるでしょう。
【貴族たち】 もちろんでございます、王様、彼は奥さんがここへ来たことに何の責任もありません。
【レオン】 お前たちはみんな嘘つきだ!
【貴族一】 お願いでございます、陛下、もっと私どもを信用して下さい。私どもはいつも忠実に陛下にお仕えしてまいりました、どうかそれをお認め下さい。陛下、私どもの過去及び将来の陛下への忠誠なご奉公に免じて、どうか陛下がこのようなあまりにも恐ろしい、あまりにも残酷なお考えを、きっと何か悪い結果を引きおこしますような恐ろしいお考えを、どうかお変え下さいますよう、この通りひざまずいてお願い申し上げます。
【レオン】 わしは風のまにまに翻弄される一本の羽根だ。この私生児を生かしておいて、こいつがひざまずいて、わしを父と呼ぶのを見ろというのか? その時になって呪うくらいなら、今焼いてしまったほうがいいのだ。いや、そうだ、生かしておこう。いや、そうはできん。おい、ここへ来い! お前は、|めんどり《ヽヽヽヽ》の産婆と一緒になって、この私生児の生命を救おうと、ひどく親切に一生けんめい苦労して来たが――こいつは私生児だっていうことは、お前のこの|ひげ《ヽヽ》が灰色だってことと同じに確かなことだが――こいつの生命を救うために何でもやりたいというのだな?
【アンテ】 陛下、どんな事でも、私の力でできます限りのことは何でも、高潔さが命じます事なら何でも、少なくともこれだけの事は――つまり、この罪のないお子様を救うためでしたら、私の老いた体に残る少しばかりの血のすべてをかけてもかまいません、どんな事でもできますならば。
【レオン】 必ずできることだ。この剣にかけて誓言しろ、わしの命令通り実行することを。
【アンテ】 いたしますとも、陛下。
【レオン】 ようく聞いて、実行しろ、いいか? 少しでも失敗するような事があれば、それはお前だけではなく、お前の口汚い女房も死刑に処するぞ。(その女を今回だけは許してやったが)わしはお前に申しつける、お前がわしに忠誠を誓う家来であるなら、お前はこいつを、この私生児の娘をここから連れてゆけ! どこか遠い、荒れた土地へ、わしの領地から全くはなれた処へ連れてゆけ。そしてこいつをそこに捨ててこい、自分で身を守る以外に処置なく、風雪のなすがままに任せろ、それ以上に慈悲をかけては相ならん。こいつが不思議な運命でわしのところへ来たように――わしは正義の名においてお前に命じる――偶然が、こいつを生かすか、それとも死なすかわからぬような土地へ、こいつを連れて行け! 命令に背いたら、お前の魂も肉体も死の苦しみを受けるぞ。さあ、連れて行け!
【アンテ】 誓って実行いたします。今すぐ死ぬことのほうが、もっとお慈悲かも知れませんが。さあ参りましょう、おかわいそうに、何か力のある精霊が、|とび《ヽヽ》や鴉《からす》に、あなたの乳母になるよう、教えてくれますように! 狼や熊でさえ、本来の野性を捨てて、そのような情けぶかい役目を果したためしがあるとも申します。では、陛下、このようなご所行にもかかわりませず、どうかご繁栄のほどを。お姫様、こんなむごい仕打ちにお会いになっても祝福がお味方となってくれますように、おかわいそうに、破滅の運命を負うておられる。〔赤ん坊を抱いて退場〕
【レオン】 とんでもない、他人の子など育てられるか!
〔召使い登場〕
【召使い】 陛下、申し上げます、お託宣を受けにおつかわしになりましたお使いの方々より、早飛脚が一時間前に到着いたしました。クリオミニーズとダイオンのご両人は、ご無事にデルフォイからご帰着、すでにご上陸なさいまして、御殿へおいそぎとの事でございます。
【貴族一】 陛下、かつて思いも及ばなかったほどの早さでございます。
【レオン】 彼らが出かけてから二十三日だ、非常に早かったな。偉大なアポロが一刻も早く、この真実を知らせようと思し召されたのであろう。どうか、皆、準備万端ととのえてくれ。裁判の用意をしてくれ、わしの不貞きわまる妻をわしが審問するための裁判を。公けに告発されたのだから公正な公開の法廷で裁いてやるのだ。あの女が生きている限り、わしのこの心はわしにとって言いようのない重荷だ。さ、行け、わしが命じた通りにすべてをはからえ!
〔退場〕
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第三幕
第一場 シチリア 路上
〔クリオミニーズとダイオン登場〕
【クリオミニーズ】 その土地は心地よく、空気はまことに甘美、島は肥沃で、宮殿は一般に賞讃されているよりは、はるかにすばらしい。
【ダイオン】 わたしは報告します、わたしの心をもっとも惹きつけたのは、祭司の衣裳、(わたしはそう言ってもよいと思うのだが)そしてそれを着ていた人たちの尊厳にみちた態度だ。おお、あの犠牲《いけにえ》! 何と正しい儀式で、立派に、地上のものとも思われないほどに捧げられたことか!
【クリオ】 しかし、何といっても、あのご神託の耳をつんざくような大きな声、ユピテルの雷《いかずち》にも似て、わたしの感覚を完全に支配してしまって、わたしは生きた心地もなくなってしまった。
【ダイオ】 もしもこの旅の結果が、われわれにとってはまことにまれなほど気持のよい、順調なものであったが、王妃様のためにも同様に成功であったなら――おお、どうかそうあらんことを!――時間をかけて旅をした甲斐があるのだが。
【クリオ】 偉大なるアポロよ、どうかすべてを最善になし給え! この度の布告は、ハーマイオニ王妃様に無理やりに罪を着せているようで、どうもわたしは気に入らない。
【ダイオ】 急激に事がはこばれたが、これが事をはっきりさせ、この事の決着をつけてくれるだろう。こうして、アポロの立派な神官によって封をされたこのご神託が開封されその内容が明らかにされるとき、そのときこそは、何か世にもまれな事が知らされるだろう。さあ、新しい馬を! どうかめでたい結果が得られますように!〔退場〕
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第二場 法廷
〔レオンティーズ、貴族および役人たち登場〕
【レオンティーズ】 この裁判は、わしが宣言するのも実に悲しいことだが、まったくわしの心臓を突かれる思いだ。被告は、王の娘で、わが妻、そしてこのわしが、愛しすぎるほど愛した女だ。わしは暴虐であるという非難を受けることのないように、ここにかくも公然と、しかるべき手続きをふんで、公正な裁判を進めようと思う。有罪か無罪かを決めようと思うのだ。罪人を出廷させよ。
【役人】 国王陛下の御意《ぎょい》でございます、王妃様には、当法廷にご自身でご出廷下さい。ご静粛に!
〔ハーマイオニ警護されて登場。ポーライナおよび侍女たち、後に従って登場〕
【レオン】 起訴状を読み上げい。
【役人】 〔読む〕「シチリア王、レオンティーズ陛下の妃ハーマイオニ、汝を大逆罪のためにここに起訴する。汝はボヘミア王ポリクサニーズと不義を犯し、カミロと謀《はか》って、汝の夫君である国王陛下の生命を奪おうと企てた。その企ての一部がたまたま露見するや、汝、ハーマイオニ、真の臣下たる忠誠の誓いにそむいて、彼らの安全をはかるため、夜陰に乗じて彼らを逃走せしめたるものなり」
【ハーマイオニ】 私の申し上げるべきことは、その起訴事実に反対の事でなければなりませんし、証拠と申しましても、私自身の申し上げること以外には何もございませんので「無罪です」と申し上げても、何の役にも立つことはございませんでしょう。私の誠実も、偽りとお考えになっておられるのですから、私が申し開きを致しましても、偽りとお受けとりになられるのだと思います。しかし、もしも天上の神々が私共人間の行動を見ておられるなら――たしかに見ておられます――無実は必ずや、いつの日にかまちがった非難を恥じ入らせると信じます。そして暴虐を忍耐の前におそれおののかせると信じます。陛下、あなたは、私の過去の生活をいちばんよくご存知です(ご存知でないような風をしておいでですが)、私は全く貞節で、貞淑で、誠実でございました、現在私が不幸であるのと同様に確実に。私の現在の不幸は、観客の心を惹くために考えられ、演じられましょうとも、芝居にあらわせるようなものではございません。なぜならば、どうぞ私をご覧下さいませ、国王の伴侶として、玉座の半分を占め、偉大なる王の娘であり、将来ある王子の母である私が、ここにこうして法廷に立ち、何びとでも傍聴できる公衆の面前において、自分の生命と名誉のために申し開きをしているのでございます。生命につきましては、私はこの悲しみ同様に考えておりますので、無くてもかまいません。しかし、名誉は私からわが子へ受け継がれますので、そのためにだけ私は戦います。私はあなたご自身の良心に訴えているのでございます。ポリクサニーズ王があなたの宮廷に来られます前には、私はあなたの恩寵を受けておりました、私は立派にそれに値したと存じます。あの方がお見えになられてから、私がどのように正しい道をふみはずしたという理由で、このような所に呼び出されなければならないのでございましょうか、もしも、いささかでも名誉から逸脱し、行動や理念において、少しでもそのような傾向があると致しましたら、今私の言葉を聞いているすべての人の心は石のようにかたくなるように! 最も近い肉親も私の墓の上に呪いの言葉を浴びせよ!
【レオン】 このような厚かましい悪徳の奴らは、まず悪徳を犯すばかりでなく、厚かましくもおのれのなした事を覚えがないと言い張るのは、例外なしに過去の事実だ。
【ハーマ】 まったくその通りでございます。一般にはそう言われておりますが、私には当てはまらない事でございます。
【レオン】 認めようとはしないのだな。
【ハーマ】 誤ってわが身に着せられております汚名以上には、どのような事にも責任をもつことは絶対にできません。ポリクサニーズ王、その方のために私はおとがめを受けているのでございますが、はっきり申し上げます、私のあの方に対する愛は、あの方の名誉が当然受けられるべきもの、また王妃としての私にふさわしいような愛でございます、そしてその愛は、まさしく、陛下ご自身が、私にお命じになりました通りの愛にほかならないのです、もしも、私がそのように致しませんでしたならば、あなたに対しては不従順であり、あなたのご親友に対しては忘恩の行為となったと思います。あの方の愛は、お口に出される事ができるようになられて以来、ご幼少の頃から、はっきりと、あなたのものと申されておりました。さて、陰謀ということにつきましては、私にはどういうものやらわかりません。味をみてみよと前に出されましてもわかりかねます。私が存じておりますのは、カミロが正直者であったということだけでございます。そして、何故、彼があなたの宮廷を立ち去りましたかは、神々といえども、私の存じておりますことだけでは、おわかりになるはずはございません。
【レオン】 お前は彼の出奔を知っていたのだ。彼のいない後で、お前が引き受けてやろうとした事もお前は承知しているはずだ。
【ハーマ】 陛下! おっしゃるお言葉は私には理解できません。私の生命はあなたの夢で左右されているのです。私はもう生命は捨てております。
【レオン】 お前が実際やっている事をわしの夢だと言っている。お前はポリクサニーズの私生児を生んだのだ、そしてそれがわしの夢にすぎんと言うのか! お前は全く恥を知らん奴だ!――お前のような罪を犯す奴は皆そうだが――同様にお前は全く真実を知らん奴だ! それを否定することはお前にとっては大切なことだろうが、何の役にも立たん。なぜなら、あの餓鬼は、自分の子だと認める父親のない捨て子らしく、捨ててしまったわ。そしてまったく、その罪はあいつよりはお前にあるのだ。こうなった以上は神妙に服罪するがよい。どんなに軽い罰でも、死刑以下ではないと思え!
【ハーマ】 陛下、嚇《おど》しはご無用でございます。あなたがそれで私をおどかそうとしておられる怪物を私は探しています。私にとって生命などは何の役にも立たないものでございます。私の生命の冠であり、慰めであったあなたの恩寵はもう失くなってしまったのです。私はそれが失くなってしまったのを感じます。でもどうして失くなってしまったのかわかりません。私の第二の喜び、私の身体の最初の果実である王子からも、私は隔離された伝染病患者のように隔てられてしまいました。私の第三の慰め――もっとも不幸な星の下に生まれたものは、私の胸から、無邪気な口の中に罪を知らぬ乳を含んだまま、無理やりに連れて行かれ殺されてしまいました。私はすべての場所の高札に淫婦と公告されて、極端な憎しみを受けて、産褥《さんじょく》の特権も拒否されてしまいました。どのような身分の女にも許されている特権を。あげくの果てに、このような場所に大急ぎで召し出されて、外気にさらされているのです、一定期間の休養の必要な産後の体力の回復もまだできないうちに。さあ、陛下、こんな世の中に私が生きながらえてどんな祝福があり、その為に死ぬことを恐れるというのでしょうか? ですからどうぞご処分を。しかし、これだけはお聞きくださいませ。私を誤解なさいませんように。生命などは、私は藁《わら》くずほどにも大切に思っておりません。しかし私の名誉だけは、私は何としても潔白の証《あかし》を立てたいと思います。もしも、私が憶測だけを根拠に、あなたの嫉妬によって目覚まされた以外のすべての証拠が眠ったままで、有罪の判決を受けることになりましたら、それは残虐というもの、法律ではございません。皆さまがた! 私はご神託に訴えます! アポロのお裁きを!
【貴族一】 このご要求はまったく正当と存じます。それゆえに、アポロの|み《ヽ》名において、そのご神託をこれへ!〔役人たち退場〕
【ハーマ】 ロシアの皇帝が私の父であった。おお、もし父上がご存命で、ここでその娘が裁かれているのをご覧になってくだされたら! 私のまったくの不幸をご覧になってくだされたら! 復讐のお目でなく、哀れみのお目をもって!
〔役人たちクリオミニーズとダイオンと共に登場〕
【役人】 ここに、この正義の剣にかけてご誓言ください。クリオミニーズどのとダイオンどの、あなたがたは共に、デルフォイにおもむかれ、その地から、偉大なるアポロの神官の手によって与えられたこの封印された神託を持って来られた。その後において、あなたがたが、あえてその神聖なる封印を破ったことも、中に書かれている秘密を読んだ事もないことを。
【クリオミニーズ】 まったくその通りであることを誓います。
【ダイオン】 まったくその通りであることを誓います。
【レオン】 開封して読み上げよ。
【役人】 〔読む〕「ハーマイオニは貞節なり。ポリクサニーズは潔白なり。カミロは忠義の臣なり。レオンティーズは邪推する暴君なり、彼の罪なき子はまさしく彼の子なり、そして、もしも失なわれたる子の発見されぬ時には、王は世継ぎを持つことなし」
【貴族たち】 偉大なるアポロに祝福あれ!
【ハーマ】 み名の讃えられんことを!
【レオン】 今読んだのは真実か?
【役人】 はい、陛下、まさしくここに書かれている通りにございます。
【レオン】 この神託には何の真実もないのだ! 裁判を継続せよ! これは完全な偽りだ。〔召使い登場〕
【召使い】 陛下、申し上げます、陛下!
【レオン】 どうしたというのだ。
【召使い】 おお、陛下、それを申し上げましたらお憎しみをこうむりましょう。王子様が、王妃さまのお身の上をご心配なされる余り、お亡くなりあそばしました。
【レオン】 何? 亡くなった?
【召使い】 お亡くなりあそばしました。
【レオン】 アポロがお怒りになったのだ。天の神々がみずからこのわしの不正をこらしめておられるのだ。〔ハーマイオニ気を失う〕おい、どうした?
【ポーライナ】 このお報せは王妃さまのお生命にかかわります、よくご覧なされませ、死神のなしたことをば。
【レオン】 王妃を連れてゆけ! 感情が高ぶっただけだ。息を吹きかえすだろう。わしは自分自身の疑いを信じすぎていた。頼む、どうか王妃にやさしく手当てをほどこして、生命をとり戻すようにしてやってくれ。〔ポーライナ、侍女たち、ハーマイオニを抱いて退場〕
アポロ! 許したまえ! あなたの神託に対してなした私のはなはだしい冒涜を! ポリクサニーズとは仲直りすることにしよう。あらためて王妃に愛を求め、善良なカミロを呼びもどそう。彼は誠実な、慈悲深い男だとわたしははっきり言う。自分の邪推にまったく我を忘れてしまって、血なまぐさい思いと復讐心にかられて、自分の親友のポリクサニーズを毒殺する役目をカミロに命じてしまったのだ。もしもカミロの善良な心がわしの性急な命令を実行に移すことをおくらせていなかったならば、それは行なわれていたであろう。わしは、もしやらねば、死刑だと彼をおどし、もしそれをやったならば、褒美をとらせると彼を励ましたのだが。彼は――もっとも慈悲深い全く信義にあふれた男だったが――わしの親友の王に、わしの企てを明かし、この国における彼の財産を捨てて――それが大きいものであったのは承知の通りだが――先のことは全くわからない、明らかな危険に、自分自身の身をまかせてしまった、ただただ自分の名誉を大切に守るために。さびついてしまったようなわしと比べて彼は何と明るく輝いていることか! そして彼の敬虔な心と比べてわしの行為はいっそう真黒にみえる!
〔ポーライナ登場〕
【ポーライナ】 おお、何と悲しいことか! あたしのレースを切っておくれ! 心臓が、それをこわしてはりさけてしまわないように!
【貴族一】 どうなされた、このように取りみだして?
【ポーラ】 さ、暴君よ、あなたはどんな工夫をした拷問を用意しておられるのか? 車裂き? 拷問台? 火あぶり? 皮|はぎ《ヽヽ》? 釜《かま》うで? 鉛や油で煮る? どんな旧い、どんな新しい拷問を私は受けるのでしょうか? これから申し上げる私の言葉は、ひと言ひと言があなたの最もおそろしい拷問にも値するのですから。あなたの暴虐は、あなたの邪推と一緒に働いて、――男の子が考えるにしても程度が低すぎますし、九つの女の子にしても、あまり子供じみていて、ばかばかしい、よく考えてもごらんなさい! どんな事をなさったのか、そして気が狂ってしまわれ、全く気ちがいになられたことを。あなたの過去の愚かな行為は、ほんの毒味程度、ポリクサニーズ王を裏切った、そんな事は何でもない事でした。それもただ、あなたが馬鹿で、不実であって、呪われるほどに忘恩の人だという事を示したにすぎません。あの善良なカミロの名誉を、彼に王様殺しをさせることによって、毒殺してしまおうとなされた事、それも大したことではありません。もっと恐ろしい大罪と比べたらほんの些細な罪です。あなたがお生まれになったばかりのお嬢さまを鴉の餌食にされたことも、何でもないこと、たいした事でないと言えましょう、そんな事をする前には、悪魔でさえも、地獄の業火の中から涙を流した事でしょうが。またお若い王子様の亡くなられましたことも直接あなたのされた事とは申しますまい、王子様のご立派なお考えは、まだ幼い王子様でしたのに立派なお考えを持っていらっしゃいましたので、おそろしくも愚かなお父様が、ご立派なお母様に汚名を着せておられることに心を裂かれてしまわれました。これとても、あなたのせいではございません。しかしこれだけは――おお、皆さま、あたしがそれを申しましたら、「災いあれ!」と叫ばれるがよい――王妃さまが、王妃さまが、この上なくおやさしい、いとしい王妃さまが亡くなられました! その天罰はまだ下っていないのです!
【貴族一】 いと高き神々よ、まさか!
【ポーラ】 お亡くなりになったと申しているのです、誓います、もし言葉や誓いが役にたたないのなら、行って見ていらっしゃい。もしあなた方の力で、お唇に色をとりもどし、お目に光を取りもどせるなら、お身体に体温を、ご体内に息をとりもどせるならば、私はあなた方に神様にするようにお仕えしましょう。しかし、暴君よ! これらの事を後悔なさってもだめです。あなたがいくら悲しまれても、あなたの罪はびくともしないほど重いのですから。ですから、ただ、絶望なさるがよろしい。千人もの人が一万年もひざまずきつづけて、衣服もまとわず、断食して、不毛の山の上に、たえず暴風雨のふきすさぶいつも冬のような烈しい気候の中に祈りつづけたとしても、神々を動かして、あなたの方へお心を向けることはできません。
【レオン】 さ、もっと言ってくれ、もっと。いくら言ってくれても言い足りないくらいだ。わしはすべての人が口を揃えて罵っても当然なことをしてしまったのだ。
【貴族一】 もう、やめて下さい。その事がどのようなものであろうとも、あなたの言葉は、あまりにも不遜にすぎますぞ。
【ポーラ】 私が悪うございました。私が犯しましたすべての過《あやま》ちは、わたしがそれを過《あやま》ちと知りましたならいつでも後悔いたします。ああ、私はあまりにも女の無思慮さをむき出しにしすぎました。王様は、高潔なお心をいためていらっしゃいます。もうすぎ去ってしまった事、もうどうにもならない事は、悲しんでも仕方がございません。私が天に復讐を願った言葉などでお苦しみにならないでくださいませ。いえ、むしろこの私をお罰しになってください。王様がお忘れになりますべきことを思い出させてしまいましたこの私を。どうか、王様、どうぞ、陛下、王様、この愚かな女をお許し下さいませ。王妃さまをお慕い申し上げるあまり――おお、また愚かな事を! もう王妃さまの事は申し上げますまい。あなた様のお子様がたの事も、私の主人のことも申し上げる事はいたしますまい、あの人ももういないのでございます。どうぞご忍耐あそばして下さいませ、私はもう何も申し上げませんから。
【レオン】 本当のことを言ってくれた方がどれほどよいことか。わしはお前に哀れまれるよりは、その方がよほどいいのだ。どうか、お願いだ、わしを王妃と王子の|亡きがら《ヽヽヽヽ》の所へ連れて行ってくれ。二人を一つの墓に埋葬してやろう。彼らの墓石には二人の死の経緯《いきさつ》を書き記すことにしよう、それを永遠のわが恥としよう。一日に一度はわしは彼らが横たわる礼拝堂を訪れ、そこで涙を流すのをわしの慰めとしよう。このわしの身体がこの仕事にたえることができる限り、わしは誓って、これを日課としよう。さあ、わしを、悲しい彼らの亡きがらの所へ連れて行ってくれ。〔退場〕
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第三場 ボヘミア 海の近くの荒地
〔赤子を抱いたアンティゴナスと一人の水夫登場〕
【アンティゴナス】 それでは、われわれの船がボヘミアの荒地についたというのは確かなんだな。
【水夫】 はい、確かに、それもどうやら悪い時に着いたようです。空模様も険悪で、すぐにも暴風雨がやって来そうな有様です。私が考えますところ、天の神々はわたしたちがやろうとしていることに腹を立てられ、われわれに怒っておられるのです。
【アンテ】 神々のみ心のままになりますよう! さ、船にもどりなさい、船によく気をつけてくれ、わしもまもなくお前の所へもどるから。
【水夫】 できるだけお急ぎ下さい。そしてあまり遠くまで行かれませんように、どうやら暴風雨になりそうですから。それに、この辺は猛獣が住んでいるので有名なところです。
【アンテ】 さあ、お前は行きなさい。わたしもすぐに後からゆくから。
【水夫】 こんな仕事をやらずに済んで実はほっとしているんだ。〔退場〕
【アンテ】 さあ、かわいそうに! 死人の霊が、またこの地上をさ迷い歩くことを聞いたことがある、でも信じたことはなかった。もしそのような事があるとすれば、あなたのお母上が昨夜わたしのところへ現われた。あのようにはっきり目覚めたような夢はない。わたしの所へ一人の女の人が頭を時には左に垂れたかと思えば、時には右に垂れてやって来た。あんな悲しげな様子をした人間をいままで見たこともなかった、あれほど悲しみに満ちて、しかもそれがよく似合う人を。純白の衣をまとって、神聖そのものだった。彼女はわたしの寝ている船室に近づいて来た。わたしの前で三回お辞儀をし、そして、何かを言い出そうとしてあえいだかと思うと、彼女の目は二つの噴水の出口のようになった。やがて激情がおさまると、このように話しはじめた。「アンティゴナス、運命が、あなたの意に反して、あなた自身を、私のかわいそうな赤ん坊を捨てる役にしてしまいました。この上は、あなたの誓言通り、ボヘミアには十分人里はなれた場所がありますから、そこへ行って、泣いて、その泣いている子を捨ててください。そして、その子は永久に亡きものと思われていますから、パーディタと呼んでやってください。私の主人の命令によってとはいえ、こんな残酷な仕事をした上は、あなたはもう二度と、あなたの妻のポーライナに会う事はありません」こう言うと、叫び声をあげて、彼女は空中に溶けてしまった。全く恐ろしかったが、やがてわれにかえってみると、これはまさしく現実、眠りではないと思われた。夢などというものは取るに足らぬものだが、今度だけは、はっきり言って、迷信と言われようとも、これによって支配されずにはいられない。たしかに、ハーマイオニ王妃は死刑にされてしまったのだ。そして、アポロは、このお子が、実は、ポリクサニーズ王のお子様だから、生きようと、死のうと、その実の父上の国に捨てよと望まれたにちがいない。花のようなお子よ、どうか仕合せに! さあ、そこに横たわって! そこにあなたの由緒《ゆいしょ》書きをおきましょう! これらはそこに。もし、運命の思《おぼ》し召《め》しなら、あなたの養育に使っても、あなたの未来のために十分なだけ残るだろう。暴風雨がやって来た、かわいそうに! あなたの母上の犯した過ちの故にこのように、破滅と、どうなるかもわからない運命にさらされるとは! 泣くこともできない、だが血をはくような思いだ! そして誓言によって、こんな仕事を命じられたわたしは、もっとも呪われているのだ。さようなら! いよいよ天候が険悪になって来た。どうやらあなたは途方もなく荒々しい子守唄をきくことになりそうだ。昼間だというのに、天空がこんなに暗いのをいまだかつて見た事はなかった。恐ろしい叫び声だ! 無事に船にもどれればよいが! あ、これは狩りで追われた獣だ! もうとうてい助かりそうにない!〔熊に追われて退場〕
〔羊飼い登場〕
【羊飼い】 十から二十三までの年なんか無けりゃいいんだ、さもなけりゃ、若者はその間は眠って過してくれりゃいいんだ。その年頃ってのは、娘に子供をうませたり、年寄りを馬鹿にしたり、盗みをしたり、喧嘩をしたりするだけだ――そら、聞えるだろう! 頭にかっかと来ている十九や二十二の奴らでもなけりゃ、こんな天気に狩りなんかするもんか! あいつらはわしの一番いい羊を二頭までおどかして逃げ出させてしまった。飼い主よりも先に狼がみつけやしないかと心配しているんだ。もしどこかにいるとすりゃ、海岸にちがいない、蔦《つた》でも食べているにちがいない。〔赤ん坊を見つけて〕や、こいつあどうだ! 運が向いて来たかな? いったいこりゃ何だ? あれまあ! 赤ん坊じゃないか! ひどくかわいらしい赤ん坊だ! 男かな、女かな? かわいい子だ、ほんとにかわいい子だ! きっとこれは罪の子だ、わしはあまり学はないが、でも宮廷の腰元が不義密通するのを読んだ事があるぞ。これは裏階段から忍びこんだか、トランクの中にかくれてか、ドアの陰にかくれてかしてやった密通だ。この子を生んだ当人たちは、かわいそうにこんな所に捨てられている子よりも、ぬくぬくしているにちがいないんだ。かわいそうだから拾ってやろう。だが伜《せがれ》が来るまで待つとしようか。たった今、おいと呼んだようだった。おーい!
〔道化登場〕
【道化】 おーい、ほい。
【羊飼い】 何か、そんなに近くにいたのか、もしお前が死んで腐っちまった時にも語り草になる事を見たけりゃ、こっちへ来いよ。おい、どうかしたのかね?
【道化】 おらあ、ものすげえものを二つも見ちまっただ、海と陸とでよ! だが、はっきり海とも言えねえなあ、今はもう空だもんなあ、大空と海の間にゃ、針一本の先だって突っこめねえもんな。
【羊飼い】 伜や、そりゃまた、どういうこったね?
【道化】 親父《おやじ》さんにもみて貰いたかったぜ、どんなにたけり狂って、怒って、岸を呑みこんじまうかをよ! でもよ、大事なことはこれじゃねえんだ。おお、あのかわいそうな人たちの悲しげな声! 今見えたかと思うと、すぐ見えなくなっちまうんだ。今船が帆柱でお月様に穴をぶちあけるかと思うと、こんどは、まるで大樽の中にコルク栓をぶちこんだみたいに、泡に呑まれちまうんだ。それから今度は陸戦のほうだがね、熊のやつがあの人の肩の骨を食いちぎる有様ときたら! その人はおいらに助けてくれと叫んでた。自分の名前はアンティゴナス、貴族だと叫んでた。だが、とにかく船のほうを終らせちまおうよ、つまり海がすっかりそれを呑みこんじまったんだ。まず、かわいそうな人たちは叫んだ、そして海がそれをばかにしたんだ。かわいそうな紳士は叫んだ。そして熊がそれをばかにしたんだ。どっちもすげえ大声で叫んだ、海も暴風雨もかなわねえ大声でよ。
【羊飼い】 そいつあまあ、いつのことだね?
【道化】 今、たった今だよ。これらを見てからまばたきもしていねえよ、あの人たちはまた水の下で冷たくなっちゃいめえ。熊はあの紳士を半分も食っちゃいめえ、今、食ってる最中だろうよ。
【羊飼い】 わしがそばにいて、その年寄りを助けてやりたかったなあ!
【道化】 それより船のそばにいて、その船を助けて貰いたかっただ。そこじゃ親父さんの慈悲の心にも足場のおきようがなかっただろうけどな。
【羊飼い】 ひでえこった! ひでえこった! だけど、伜や、これを見てみろ。神さまに感謝しろよ、お前は死にかけているものに出あい、わしは生まれたばかりのものに出あっただ。さ、見てみろよ。ほら、立派な人の子にふさわしい|うぶ《ヽヽ》着だ! ほら、伜や、とり上げてみろよ、とり上げて見ろよ、開けてみろよ。そうだ、ええと、わしゃ妖精の力で金持になると言われてただ。こりゃきっと妖精の「取り替え子」だ。開けてみろよ。中に何が入っているかね?
【道化】 親父さんはしあわせな年寄りだぜ、もしも若い頃の罪が許されりゃ、親父さんは金持になるよ! 金貨だ! みんな金貨だ!
【羊飼い】 こりゃ妖精の金だ、伜や、今にわかるぞ。さあ早く拾って、こっそり隠しておくんだ。うちへ帰ろう、帰ろう、近道を通って。わしらはしあわせだな、伜や、そしてこのしあわせを続けるにゃ、秘密にしておくしかねえ。羊なんか放っとけ、さあ、伜や、近道して帰ろう。
【道化】 親父さんは見つけたもの持って、近道を帰ってくれや。おいらは、熊がもうあの紳士のとこから行っちまったか、どの位食っちまったか見てくらあ。腹ぺこの時でなきゃ、ひどいこたあしねえんだが。もしもあの人が少しでも食い残されてたら、おらが埋めてやるべえ。
【羊飼い】 そいつあいいこった。残ってるものからその旦那の素姓がわかったら、わしを呼びに来て、そこへ連れてってくれや。
【道化】 ああ、いいともさ。埋める手伝いをしてもらうべえ。
【羊飼い】 今日は吉日だ、伜や、こんな日にゃ善い行ないをしようぜ。
〔退場〕)
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第四幕
第一場
〔コーラス(解説役)としての「時《タイム》」登場〕
ある人々を楽しませ、すべての人に試練を与え、誤りを犯し、
それを明るみに出して、善人には喜び、悪人には恐怖である私、
今より「時」の名におきまして、この翼を
使わせていただきます。私が十六年の歳月を
ひと飛びにこえまして、その広い間隙におこりました事は、
一切説明せずにそのまま残しますが、法律をくつがえし、
同じ一時間に習慣を植えつけ、かつ破壊することさえ、
私の力でできることですので、どうか私をおとがめ下さいませんように。
私は最も古い秩序があった前にも、現在の秩序が受け入れられる前にも、
今の私と同一であったとお認め下さい。この私は、
そのような秩序をとり入れた過去の時を目撃しており、
同様に未来において、現在支配している最も新しい秩序の目撃者となり、
私の現在の物語同様、現在光りかがやいているものをも、
陳腐なものとしてしまいます。皆様がたが寛大なお気持でお許し下さるならば、
これより砂時計をおきかえまして、私の舞台を、
あたかもその間、皆様がお眠りになっていたかのように、
進めさせて頂きます。レオンティーズ王は、その愚かな嫉妬の結果を
非常に嘆き悲しみ、部屋に閉じこもったままの状態におきまして、
どうか寛大なる観客の皆様、私がただ今、
美しきボヘミアにいるとご想像下さい。そして前に、王には
王子があると申した事を思い出して下さい。
そのお名前はフロリゼルである事を今こそ申し上げます。
そして同様に急いで、パーディタについて申し上げましょう、今は
おどろく程に美しく成長されたという事を。
彼女にどのような事が起りますかについては
只今は予言いたしたくありません。「時」のニュースは
それが起りますままに知って頂きましょう。羊飼いの娘と、
それにまつわるいろいろな事が、これから語られますが、それが
「時」の主題であります。この事だけはおみとめ下さいますよう、つまり、
もしも皆様が今までにもっとつまらぬ時をお過しになられたなら、
あるいはまた、そのような事がおありにならないとしても、これからは皆様は
決してご退屈される事がありませぬよう、「時」自身が切にお願い申し上げます。
〔退場〕
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第二場 ボヘミア ポリクサニーズの宮殿
〔ポリクサニーズとカミロ登場〕
【ポリクサニーズ】 ねえ、カミロ、お願いだ、これ以上しつこく言わないでくれ、お前に何かを断わるのはとてもつらいことだ。だが、これを許すことは死にも等しい。
【カミロ】 私が故郷を出ましてから十五年になります。大体において、私は外国の空気を吸って暮しては参りましたが、私は故郷に骨を埋めたく存じております。それに私の主人、罪を悔いておられる王が、私に帰るようにと使いをよこされました。その王のお心痛めるお悲しみを私が少しでも和らげてさし上げられましたら――と考えます事は私の思い上がりかも知れませんが――それも私がおいとまを頂きたく思う心をかきたてるのでございます。
【ポリク】 カミロ、お前がわたしを愛してくれているなら、今わたしのもとを去って今までのお前の忠勤を無にしないでくれ。わたしがお前をこんなに必要とするのは、お前自身の善良さの故なのだ。こんな風にお前を失なうくらいならば、初めからいてくれなかったほうがよかった。お前は、お前以外のだれにも十分に出来ないような仕事をやってくれたのだから、これからもそれをお前自身でやってくれるか、さもなければお前がその仕事までもお前と一緒に持って行ってしまうことになるのだ。そのお前の忠勤に対してもわたしが十分に感謝していなかったとしたら――どんなに感謝してもしたりないのだが――もっと感謝するようにする事をわたしのこれからの仕事にしよう。そうする事によって、お前の友情にみちた奉仕は益々重ねられて、わたしも得をするのだから。あの宿命の国、シチリアについては、もうたのむから口にしないでくれ。その名前を聞いただけで、わたしには、――お前が言うように――罪を悔いた王、仲直りをした王、わたしの兄弟ともいうべき人を思い出して、わたし自身が罰を受けているような気持だ。王があのもっとも大切な王妃とお子たちを失なわれた事は今でもまた新たな悲しみなのだ。そう言えば、わたしの息子、フロリゼル王子といつ会ったかね? 恥知らずの息子を持った王の不幸は、徳高いと認められた息子を失なった王の不幸と同じなのだ。
【カミロ】 王様、王子様にはもう三日ほどお会いしておりません。ほかにどんなもっと幸福なことがおありになるのかは私は存じません。が、残念なことでございますが、私の気がつきましたかぎりでは、王子様は近頃は宮廷から遠くはなれられまして、以前ほどは王子様としてのお仕事に精を出してはおられないようでございます。
【ポリク】 カミロ、わたしも十分に考えてもみたし、何となく心配していた。王子が宮廷を留守にするのをこっそり部下に探らせもしていた。それで解ったのだが、王子はごく身分の低い羊飼いの家にいてそこからほとんどはなれた事がないそうだ。その羊飼いというのは、全く無一文だったのが、近所の者たちも全然想像もできないほどに、急にものすごい大金持になったのだそうだ。
【カミロ】 王様、私もそのような男の事を聞いております。その男は世にもまれなほど美しい娘を持っておりますそうで。その娘の噂は、そのようなまずしい家から出たものとは思われぬほど広まっております。
【ポリク】 それもわたしの得た情報と同様だ。そして、わたしが心配するのは、それが息子をそこへ引き寄せた釣り針らしいということだ。お前もわたしと一緒にそこに行ってくれないか。そこで――われわれの身分を明らかにしないようにして――羊飼いに少し話をしてみようじゃないか。その素朴な男からわたしの息子がしばしばそこに通っている理由をききただす事は難しいことではないと思う。どうか、お願いだ、今はシチリアの事を考えずに、わたしと共にこの仕事に当ってくれないか。
【カミロ】 喜んでご命令に従います。
【ポリク】 それでこそカミロだ! さ、変装しなくてはならない。〔退場〕
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第三場 羊飼いの家の近くの路上
〔オートリカス歌いながら登場〕
【オートリカス】
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水仙の花が咲き出せば、
ヘイ! 乞食女が谷を越え、
その時、春がはじまるよ、
赤い血が冬の顔にも見られるよ。
白布が垣根にさらされりゃ、
ヘイ! かわいい小鳥、歌うのさ!
盗っ人の歯がうずき出すよ、
ビール一杯は王様のご馳走だ!
ティラリラ、ひばりはさえずるよ、
ヘイ、ヘイ、ツグミにカケス、
おれとおばさんたちにゃ夏の歌、
乾し草にねころぶおれたちさ。
おれはこう見えても、フロリゼル王子にお仕えした。盛んな時にゃ、ふっくらしたビロードを着たもんさ。でも今はもう、失業の身だ。
だがよ、そんな事嘆いていられるかい!
夜には青い月が照る。
おれがあちこちぶらつく時にゃ、
そんな時にゃ、すべて上首尾さ。
鋳かけ屋が立派な商売ならば、
豚皮袋をかついでよけりゃ、
おれの商売も立派なもんさ、
足枷《あしかせ》はめてもそう言ってやるよ。
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おれ様の商品は布地だ。鳶《とんび》が巣づくりする時にゃ、小さなリネンの布切れに気をつけろ。親父はおれにオートリカスって名をつけた。オートリカスってのは、その昔、おれと同様に、メルクリウスの星の下にうみ落されて、同じようにつまらねえ小物を盗む|こそ《ヽヽ》泥だった。おれは|さいころ《ヽヽヽヽ》と女でこの晴衣を手に入れた。おれの収入は|けち《ヽヽ》な|いかさま《ヽヽヽヽ》で入ってくるのさ。街道すじで捕って絞首台に送られたりなぐられたりするのは真っぴら、なぐられる事や首くくられることはおそろしいや。来世がどんなになるかは、考えないで眠ることにする。おっと、獲物だ! 獲物だ!
〔道化登場〕
【道化】 ええと、羊十一頭で羊毛二十八ポンドだ。それを金に直せば、一ポンドちょっとだ。だから、千五百頭分の羊毛を刈ったら、いくらになるかな?
【オート】 〔傍白〕|わな《ヽヽ》がしっかりしていりゃ、あの山|しぎ《ヽヽ》はおれのものさ。
【道化】 数取り計算器なしじゃ、できねえや。まてよ、おいら、毛刈り祭のために何買って行くんだっけな。三ポンドの砂糖と、五ポンドの乾ぶどうと米か――妹のやつ米なんかどうするんだろ。親父さんは妹を祭の女王にした。それで妹はうまくやってる。毛刈りをするものに贈るために、二十四も花束つくった。皆、男性三部合唱のメンバーで、しかもとっても上手だ。だいたいの者は中声とバスの声だが、一人だけ清教徒がいて、角笛に合わせて讃美歌をうたうんだ。梨パイに色つけるためにサフランを買わなきゃ、それに|にくづく《ヽヽヽヽ》、なつめ、いや――そりゃおいらの書きつけにゃないや、|にくづく《ヽヽヽヽ》が七つ、しょうがが一つか二つ、だがこりゃ貰ってくりゃいいかもしれない。|すもも《ヽヽヽ》が四ポンド、日干しの乾ぶどうが同量。
【オート】 おお、何でおれは生まれて来たんだ!
〔地面にはいまわる〕
【道化】 おやまあ、こりゃどうしたこっだ!
【オート】 おお、助けてくれ、助けてくれ! この|ぼろ《ヽヽ》を引っぺがしてくれ! そして、死なしてくれ、死なしてくれ!
【道化】 あれまあ、気の毒に|ぼろ《ヽヽ》引っぺがすよりゃ、もっと|ぼろ《ヽヽ》着ることが必要じゃねえだか?
【オート】 おお、旦那! このいやらしい|ぼろ《ヽヽ》のほうが|むち《ヽヽ》よりもやり切れねえんです。したたかなやつを百万べんもくらったんですがね。
【道化】 おお、気の毒に! 百万べんもぶたれちゃえらいこった。
【オート】 盗まれた上にぶたれたんです。金も着物もすっかりはぎとられて、こんないやらしいものを着せられたんです。
【道化】 馬に乗ってたかね? それとも歩いてたかね?
【オート】 歩いてました、旦那、歩いてましたよ。
【道化】 なるほど、お前さんに着せていたその着物から見ると歩いてた奴にちげえねえ。もしもこれが馬に乗ってたものの着物なら、きっとひどい戦争に行ってたやつだ。さ、手を貸しな、助けてやるよ、さ、手を貸しなよ。
【オート】 おお、ご親切な旦那、そっと願いますよ。
【道化】 おお、気の毒に!
【オート】 おお、旦那、そっと願いますよ。旦那! どうやら肩の骨が外《はず》れちゃったようで。
【道化】 どうだね? 立てるかね?
【オート】 そっと願います。旦那!〔金をすり取って〕旦那、そっと願います。本当にご親切な旦那だ。
【道化】 金がないんじゃないか? 少しならやってもいいぜ?
【オート】 いえ、旦那、ご親切にどうも。本当に結構なんで、ここから四分の三マイル位のところに親戚がありますんで、そこへ行こうと思っております。そこへ行きゃ、金もありますし、望むものは何でも手に入りますから。どうか旦那、お金は結構です。そんな事して頂いちゃ、とても気がすみませんので。
【道化】 あんたを身ぐるみはいだのはどんなやつだったのかね?
【オート】 玉ころがしを商売にしているような奴です。もとは王子様のご家来だった奴です。その男のどんな美徳が原因で宮廷を追い出されたかは知りませんが、とにかく|むち《ヽヽ》で宮廷を追い出されたんです。
【道化】 その男の悪徳と言うつもりだろ! 美徳が|むち《ヽヽ》で宮廷を追われるわけはねえもんな。みんな美徳を大切においときたがるもんな、ただ、それが長つづきしないだけさ。
【オート】 そうです、悪徳というつもりでした。わたしはこの男をよく知っています。その男は猿回しをしたり、執達吏になったり――執行役人のこってすが――、それからその男は「放蕩息子」の人形芝居をやって歩いていました。そしてわたしの地所のある所から一マイルと離れていない所で鋳かけ屋の女房と一緒になりました。そしてたくさんの|ろく《ヽヽ》でもない職業を転々と変えたあげく、とうとう悪党になっちまいました。その男をオートリカスと呼んでいる人もあります。
【道化】 とんでもない奴だ! 泥棒だ、たしかに泥棒だ! 祭や市や熊|いじめ《ヽヽヽ》なんかをねらってうろつく奴だよ。
【オート】 その通りです。そいつですよ、旦那。そいつがわたしにこんな着物をきせたんです。
【道化】 ボヘミア中で一番臆病な悪党だよ。ちょっとでも威勢よくして、唾でもはきかけてやりゃ、逃げてっただろうに。
【オート】 実は、わたしは喧嘩にゃ強くないんで、そういう方面にゃからきし意気地がないんです。そしてあいつはたしかにそれを知ってたんです。
【道化】 気分はどうかね?
【オート】 ご親切な旦那、ずっとよくなりました。立つことも、歩く事もできます。わたしは旦那においとま乞いして、親戚の家に出かけようかと思います。
【道化】 途中まで送っていってやろうか?
【オート】 いいえ、ご立派な旦那、とんでもない。
【道化】 じゃ、元気でな! おら、毛刈り祭のために香料を買いに行かなきゃなんねえ。
〔退場〕
【オート】 ご親切な旦那、お達者で! 香料買うほどお前さんのふところは暖かくはないぜ。毛刈り祭でまたお目にかかろうぜ。もしもおれがこの盗みを手初めにして、次々とやらかして、毛刈りの奴らを羊にしてしまうことができなかったら、おれを悪党のリストから外《はず》して、善人の名簿におれの名前を書きこんでくれりゃいいんだ!
〔歌〕
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ことこと歩け、野中の道を、
陽気に越えろ、牧場の|踏み段《スタイル》、
陽気に行けば一日歩ける、
気持がふさげば、一マイルももたぬ。〔退場〕
[#ここで字下げ終わり]
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第四場 羊飼いの家の外
〔フロリゼルとパーディタ、少しはなれて、羊飼いの親子、変装のポリクサニーズとカミロ、モプサ、ドルカス、召使いたち登場〕
【フロリゼル】 君の特別な服は、君の体のいたる所に生気を与えている。君は羊飼いの娘ではない、四月のはじめに姿をのぞかせる花の女神フローラだ。この君たちの羊の毛刈り祭はかわいらしい神々の会合のようだ。そして君はその女王さま。
【パーディタ】 まあ、王子さま、そのような大げさなお言葉をおとがめ申し上げるのは、私には似つかわしくございません――こんなこと申し上げてお許し下さい! 王子様は、この国のしるしとしてすべての人の仰ぐそのお体を、百姓の衣服でおかくしになり、まずしく卑しい娘にすぎぬ私をまるで女神のように着かざらせていらっしゃいます。もしも私どもの宴会で、そのような馬鹿ばかしいことがいつも食卓で行なわれて、食事をする人たちもそれを習慣として心得ておりませんでしたら、私は王子様がこんなお姿をしていらっしゃるのを見て顔赤らめておりますでしょうし、私自身、姿を鏡で見ましても気絶してしまいますでしょう。
【フロリ】 ぼくはぼくの鷹があの時君のお父さんの土地をよこぎって飛んだことを神さまに感謝している。
【パーデ】 それがよいことでありますように! 私には身分がちがいます事がおそろしゅうございます。王子様のようなお偉い方はそんなお気持になられた事はございませんでしょう。今でも私は、偶然にもあなたのお父様が、あなたがなさったように、こちらへ来られはしないかと思っただけでも震えてしまいます。ああ、運命の神々! もしもお父様が、ご自分の立派な王子様のこんな卑しいお姿をごらんになったら、どんなお顔をなさるでしょうか? 何とおっしゃるでしょうか? こんな借りものの晴れ着をきているこの私はどんな風にお父様の厳しいお顔を見ればよいのでしょうか?
【フロリ】 陽気にして何も心配しなくていいんだ。神々ご自身でさえ、恋のためには卑しい姿をされて、獣の形に身をやつされた事があるのだ。ユピテルは牡牛になられて、ほえたりされたのだ。碧《へき》海の神ネプチューンは羊になられて、めえと鳴かれた。そして火に包まれた神、金色のアポロの神は、今、ちょうどぼくがしているように、まずしい、卑しい百姓の姿をされたのだ。どの神々も、ぼくほど、世にも類《たぐい》まれな美人のために身をやつされた事はなかったし、その行動は、ぼくの場合ほど清らかではなかった。ぼくの欲望はぼくの名誉より先に走ることはないし、ぼくの欲情もぼくの結婚の誓いよりも烈しく燃えることはないからだ。
【パーデ】 おお、でも、王子様! あなたのそのご決心も、きっとそうなるにちがいないと思いますが、王様の権力によって反対された時には、もちこたえることはできないでしょう。二つの道の中の一つをお選びになることが必要になると思います。その時には必ずそうなりますが、あなたが今のお心をお変えになるか、私が生命を捨てるかのどちらかです。
【フロリ】 ねえ、パーディタ、お願いだ、無理にそんな事を考えて、お祭りの楽しさを暗くする事はやめてくれないか。ねえ、パーディタ、ぼくは君のものだし、それができない位なら父の子でもないのだ。もしもぼくが、君のものでないのなら、何だって何のものでもないように、ぼくはぼく自身のものでもあり得ないんだ。たとえ運命が否定しようとも、ぼくの気持は決して変らない、さあ、君、陽気になってくれ給え、そんな考えは、こうしている間に君が見ているどんなものででもいいから絞め殺してしまってくれ給え。君のお客さんたちがやってくる。さ、元気を出したまえ。われわれ二人できっと来ると誓い合ったわれわれの結婚式のめでたい祝いの日が今日であるかのように。
【パーデ】 おお、運命の女神さま! どうか幸運の女神さまであって下さい!
〔羊飼い、道化、モプサ、ドルカス、その他、変装したポリクサニーズとカミロ登場〕
【フロリ】 ほら、お客さんたちがやって来た。さあ、元気よく、皆さんをもてなしてあげるのだ。頬が真赤になるほど陽気にやろうよ。
【羊飼い】 これ、娘や、何てこった! うちの婆様が生きていた時にゃ、こういう日には、食器部屋の係で女中頭で料理人だったぞ。女主人と女中の一人二役だったぜ。さあ、皆さんをもてなして、給仕もする。自分で歌も歌えば、自分でダンスもする。今ここに、このテーブルの上手《かみて》にいるかと思えば、今度はまん中にいる。こっちにいるかと思えば、もう別の客をもてなしている、動き回って顔がほてると、それを冷やすために酒をちびりと飲んで、それで一人一人の客の健康を祝ったもんだ。お前はまるでお客さんみたいに、ひっこんじまっているじゃないか。これじゃ今日の集まりの女主人じゃないみたいだぞ。さあ、今日はじめて来てくださったお客さんたちに、ようこそとご挨拶をするんだ、そうすりゃお互いにもっと知り合えるし、もっとよい友だちになれるんだ。さあ、そんなに顔を赤くしたりしないで、今日のこの祭りの女主人らしくふるまってくれ。さあ、さあ、羊たちがしあわせでいられるように、お客さんたちに、ようこそ毛刈り祭に来てくださったとご挨拶してくれ。
【パーデ】 〔ポリクサニーズに〕ようこそお出でくださいました。私の父の意志によりまして、私は今日の日の女主人役をつとめさせて頂きます。
〔カミロに〕ようこそいらっしゃいました。ドーカス、そこにある花をあたしに取ってくださいな。お客さまがた、あなたには|まんねんろう《ヽヽヽヽヽヽ》と、ヘンルーダをさし上げましょう。長い冬の間もずっと色も香りも失なうことがありません。お恵みと思い出があなた方おふたりにいつもありますように、私共の毛刈り祭にようこそお出でくださいました。
【ポリクサニーズ】 娘さん――あなたは美しい人だ――われわれのような年寄りに冬の花とはまことにふさわしい。
【パーデ】 今年もだんだんふけてまいりましたが、まだ夏が完全に死んでもおりませんし、震えるような冬がうまれてもおりません。この季節の一番美しい花といえば、カーネーションと、ある人たちは「自然の父《てて》なし子」と呼んでいる縞のあるアラセイトウでございましょうが、そのような花は私どもの田舎の庭にはございません。そして私はそれらをほしいとも思いません。
【ポリク】 何故かね、娘さん? なぜその種の花をおろそかにするのかね?
【パーデ】 私は、その花を縞にするとき偉大な造化の自然に、人工のわざが加えられると聞いておりますので。
【ポリク】 そうかも知れない。しかし自然が何らかの手段によってよりよくされるとしたら、その手段をつくるのは自然自身なのだ。だから、その人工の|わざ《ヽヽ》、あなたはそれが自然に加えられると言っていたが、その|わざ《ヽヽ》も自然が創ったものだ。ね、娘さん、われわれはうまれる良い若枝を野生の台木と結婚させて、高貴な血統の芽によって、より卑しい木に子を宿らせることがあるのだ。これが自然を改良する人工の|わざ《ヽヽ》だ――改良というよりは変化させると言ったほうがよい――しかし人工のわざ自体は自然のわざだ。
【パーデ】 さようでございます。
【ポリク】 では、あなたの庭をアラセイトウで豊かにするがよい、そしてそれを「父なし子」などとは呼ばぬことだ。
【パーデ】 私はわざわざ土を掘りかえしてそのようなものを一本でも植える気はございません。私が白粉《おしろい》を塗ったら、この方が私をきれいだと言ってくださり、そしてただそれだけの理由で私によって子供を残したいとお望みになって頂きたくないのと同じことなのです。さあ、あなた方にはこれを、香り高いラベンダー、ハッカ草、|しそ《ヽヽ》の花、マヨラナ、キンセンカ、お日様と共に寝床にはいり、お日様と共に泣きながら起きる花、これらはみな真夏の花、そしてこれらは中年のお客さまがたにさし上げようと思います。ようこそお出でくださいました。〔花を客人に与える〕
【カミロ】 わたしがあなたの羊だったら、草を食べるのをやめて、ただじっと見つめて暮すだろう。
【パーデ】 まあ、何ということを! あなたはすっかりおやせになって、一月の強い風に吹きまくられておしまいになりますわ。さ、美しい方、〔フロリゼルに〕あなたの若さにふさわしい春の花が何かあるといいのですけれど。あなたのも、そしてあなたのも。〔モプサや他の娘たちに〕まだ|おとめ《ヽヽヽ》の枝の上に蕾をつけていらっしゃるあなたがたです。おお、プロサピーナよ、あなたが、おそれおののいて、黄泉《よみ》の国の王ハディスの戦車から落ちたあのとりどりの花がほしい! ラッパ水仙、燕もまだ現われない前に咲き出して、三月の風をその美しさでとりこにする花! ほのかに咲く|すみれ《ヽヽヽ》の花、それでもユーノーのまぶたよりも愛らしい花、ヴィーナスの息よりもかぐわしい花! あおざめた桜草の花、結婚もせずに、輝かしい日の神フィーバスの盛りの時も見ずに死んでしまう花、おとめたちにありがちな病気で。大胆にものおじしないで咲くクリン草の花、それに王冠草、あらゆる種類の百合《ゆり》の花、|いちはつ《ヽヽヽヽ》もそのひとつ! ああ、こういう花がないのです、あなたにそれで花環をつくって上げたいのですが、そして私のいとしい友、その人にお花を沢山まいて上げたいのですが。
【フロリ】 なんだ、死骸みたいに?
【パーデ】 いいえ、恋人が横になって遊ぶことができる土手《どて》のように。死骸みたいにではありません。いえ、もしそうでも――埋葬されるためにではなく、生きて、私の腕に抱かれるためにです。さあ、あなたのお花を受けとってください。私は、なんだか、前に聖霊降臨祭の時のお芝居で見たことを今自分でやっているような気がします。きっとこんな衣裳を着ているので私の気持まで変ってしまったのですわ。
【フロリ】 君のやっている事は何でも、いつも、前にやった事よりもすばらしくなるんだ。君が話をしていると、ぼくはいつも君にそうしていて貰いたいと思う。君が歌っていると、ものを買う時も売る時も歌って貰いたいと思うし、施《ほどこ》しをする時も、お祈りをする時も歌って貰いたいと思う。君が用事を言いつけるときも、歌でやって貰いたいと思うんだ。君がダンスをしている時は、ぼくは君が海の波だといいと思う。君が波ならばいつも踊ってばかりいられるからだ。いつも動いて、動きつづけて、他のことは何もしなくていいからだ。君のすることは何でも、その一つ一つがとてもすばらしいものだし、君がやっているその時々に最高のものなんだ、だから君の行為はすべて女王様さ。
【パーデ】 おお、ドリクリーズ、あなたの賞め言葉は大げさですわ。あなたの若さと、真実なはじらいの赤さを美しくのぞかせていらっしゃるから、あなたが汚れのない羊飼いの若者だということがわかりますが、さもなければ、ドリクリーズ、私は、当然のことですが、あなたが私をだまして求婚していらっしゃるのだと心配しますわ。
【フロリ】 ぼくにもそんな意図はないけど、君にも心配するなんていう才覚はないと思うよ。さあ、いっしょに踊ろうよ、おねがいだ、さ、ぼくのパーディタ、手を。決して別れることのない|きじ《ヽヽ》鳩の|つがい《ヽヽヽ》のように。
【パーデ】 私もお誓いしますわ。
【ポリク】 田舎そだちの生まれの卑しい娘としてこんなきれいな娘はいないと言ってもいいだろう。彼女のすること、彼女の様子、すべて彼女の身分以上のものが感じられるのだ、こんな田舎には似つかわしくない気品がある。
【カミロ】 王子様が何か言われましたら顔を赤らめております。ほんとうにあの娘は、村の祭りの女王でございます。
【道化】 さあ、さあ、楽器を鳴らせ!
【ドーカス】 モプサがあんたの相手でしょうよ。あの人とキスするときにゃ臭み消しのにんにくがいるよ。
【モプサ】 まあ、ひどいわ!
【道化】 しゃべるんじゃないぜ、しゃべるんじゃないぜ。行儀《ぎょうぎ》よくしろ!
さあ、楽器を鳴らせ!
〔音楽、羊飼いの男女の踊り〕
【ポリク】 ねえ、おやじさん、あんたの娘さんと踊っているのはどういう若者かね?
【羊飼い】 みんなはドリクリーズと呼んでます。自分じゃ立派な牧場を持ってると自慢してますがな。わしはあの若者が自分で言うのを聞いて、それを信用しとりますだ。正直らしくみえますからな。わしの娘が好きだっていってますだ。わしもその通りだと思うとります。お月さんが水の面《おもて》をじっと見つめる時だって、あの若者がじっと、わしの娘の目を読むみたいに見つめるのにゃかなわないですだ。それに、はっきり言って、どっちのほうが一番ほれているか、キス半分の差もないですだ。
【ポリク】 娘さんは踊りが上手《じょうず》ですな。
【羊飼い】 何やらしても上手ですだ。親の口からこんな事言うのも何ですが、黙っているべきかもしれませんがな。もし若いドリクリーズが娘を手に入れたら、あの若者が思ってもいないようなものを、娘はやる事ができるでしょうよ。
〔召使い登場〕
【召使い】 旦那さま! 玄関口の所に来ている行商人の歌を聞きなさったら、もう二度と太鼓や笛に合わせて踊ることはなさらねえでしょう。いや、バグパイプに合わせたって踊ることはなさらねえでしょう。あの男ときたら、金を数えるよりも早く、ちがった調子の歌を次々と歌いますだよ。まるで民謡を食ってしまったようにはき出すんで、だれもかれも皆、そこへ車が引きつけられちまうみたいでさ。
【道化】 またとない時に来てくれたじゃないか。その男をここへ通してくれ。おら民謡が大好きだ。悲しい歌が陽気にうたわれたり、まったく陽気な歌が悲しげにうたわれたりするのはこたえられないからな。
【召使い】 その行商人は、男向き、女向き、大小さまざまな歌をとりそろえて持ってますだ。どんな小間物屋だって、あんなにお客にぴったり合う手袋はそろえてはおけねえですだよ。若い娘たちのためにかわいらしい恋の歌もありますだ、ふしぎなこってすが、いやらしい所が全然ねえ歌ですだ。ディルドーやフェイディング、「女をなげろ、女をなぐれ」なんていう陽気な折りかえしがついてますだ。そして口の悪い奴らが、ちょっといたずらしてやろうと、途中でいやらしい冗談を入れたりすると、その行商人は娘さんに返事させますだ、「わあ、いたずらはやめてよ!」ってね。その「わあ、いたずらはやめてよ!」で、その口の悪い奴をはぐらかして、面目まるつぶれにしちまいますだ。
【ポリク】 そりゃ見事な男じゃないか。
【道化】 たしかに、お前の言うその男はすばらしく頭のいい奴だ。そいつは何か新しい品物を持ってるのかね?
【召使い】 その行商人は虹《にじ》のあらゆる色のリボンを持ってますだよ。そして、ボヘミア中の弁護士さんたちがよってたかって学問的にさばこうとしてもさばき切れねえほど沢山の|かけ《ヽヽ》ボタンも持ってますだよ。リネンの打ちひも、毛の打ちひも、麻まがいの綿テープ、本リネンなど持ってますだ。それを何と、神様や女神様のことを言うみてえに、歌うんだから、それを聞いてると、仕事衣だって女の天使みたいでさ。袖口だって、胸飾りだって同じように女の天使みたいに歌にして歌っちまいまさあ。
【道化】 たのむ、ここへ連れて来てくれ。歌いながら入ってくるように言ってくれ。
【パーデ】 歌の中でもいやらしい事は言わないようにその人に言ってちょうだい。
〔召使い退場〕
【道化】 ああいう行商人にゃ、お前が思ってるより物知りがいるんだよ。
【パーデ】 そうよ、兄さん、とても物知りぶる人がいるわ。
〔オートリカス歌いながら登場〕
【オートリカス】
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吹きだまりの雪のようなリネン、
鴉《からす》のように黒い|ちりめん《ヽヽヽヽ》、
ダマスクばらのようににおう手袋、
顔の仮面《マスク》や、鼻の仮面《マスク》、
黒ビーズの腕輪、琥珀《こはく》の首飾り、
ご婦人部屋用の香水、
金色の帽子と胸かざりは、
若者から彼女への贈物、
飾りピンと鋼鉄の棒アイロン、
頭の先から足まで女の子の欲しいもの、
さあさ、買った、買った、さあ買った!
若者たち、さあ買った、彼女を泣かせぬそのために、
さあさ、買った、買った!
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【道化】 おれがモプサに惚れてなけりゃ、お前に金とられるなんてことはないんだが、おれは彼女に首ったけだから、リボンか手袋でも買わにゃなるまい。
【モプサ】 お祭りに間に合うように買ってくれるはずだったのに。でも今だっておそくはないわ。
【ドーカ】 この人、あんたにもっと何か約束してるんでしょう。ちがうなんて言ったら二人とも嘘つきだわ。
【モプサ】 この人はあんたに約束したものはみんな払ったはずよ。たぶん約束以上にあげたはずだわ、それをその内に返そうなんて恥かしいことはおやめよ。
【道化】 娘たちにゃ行儀作法ってもんはもうないのかい? 顔を見せてなきゃならないとこに下着を見せびらかしているぞ。こんな内緒《ないしょ》ばなしするなら乳しぼりの時とか、寝る時とか、かまどの前とかでやればいいのに、そういう時がないのかい? お客さんがたの前でそんな事ぺちゃくちゃしゃべらなくてもいいじゃないか? お客さんがたがこそこそ話してなさるからいいようなものの、もうしゃべるのやめて、ひと言も言うんじゃないぞ。
【モプサ】 やめたわ。ねえ、きれいな色のネッカチーフと匂いのいい手袋とを買ってくれると言ったじゃない。
【道化】 おれが途中でだまされて有り金みんな失くしちまったと言っただろう?
【オート】 いやはや、まったく、世の中には詐欺師《さぎし》がいますからな。だからみんな気をつけなけりゃいけませんや。
【道化】 大丈夫だ。ここじゃ何も失くす気づかいはないや。
【オート】 そう願いたいもんで、だんな。何しろあっしは金目《かねめ》のものを沢山持ってますんで。
【道化】 何を持ってるんだね? 民謡は?
【モプサ】 お願い、どれか買ってよ。あたしは印刷された民謡が好き、たしかに、それなら本当の話だもの。
【オート】 ここに一つ、とっても悲しい調子のがありますぜ。金貸しの女房が一度に金袋を二十も産んで、蛇の頭と蟇蛙をきりこまざいて煮たのを食べたかったって歌でさあ。
【モプサ】 本当だと思う?
【オート】 いかにも本当でさ、ついひと月前のことでさ。
【ドーカ】 まあいやだ、金貸しなんかと結婚したくないわ!
【オート】 産婆《さんば》さんの名前も分ってるんだ、蔭口《かげぐち》さんとかいう人で、それに五、六人の実直なご婦人たちがいたようですぜ。なんであっしが嘘なんて売り歩くもんですか?
【モプサ】 ね、お願い、それを買ってよ。
【道化】 いや、まずそれはおいといて、まず、もっとほかの民謡を見ようじゃないか。ほかのものも買うよ。
【オート】 も一つ魚の歌がありまさあ。四月八十日の水曜日に海岸に現われたんで、水面から四千|尋《ひろ》もあり、娘たちのつれない心をうらむこの歌を歌ったんでさ。どうやらこの魚、もとは女の人だったらしく、彼女を愛してくれる男と交《まじ》わるのをことわった為に冷たい魚にされちまったんだそうで。この歌はほんとに哀れな、本当の話でさ。
【ドーカ】 本当の話だと思う?
【オート】 これには五人の裁判官の署名があり、わたしの荷に入りきらないほどの証人もいまさ。
【道化】 それもおいといて、ほかのを。
【オート】 これはとても愉快な歌で、とてもきれいな歌ですがね。
【モプサ】 愉快なのも買いましょう。
【オート】 ええと、これはとびっきり愉快なやつでして、「二人の娘が一人の男に言いよる」という歌の節でうたえるんです。西の方の地方じゃ、こいつを歌えない娘さんはないそうですよ。はっきり言いますが、これは大流行の歌ですよ。
【モプサ】 あたしたち二人とも歌えるわよ。もし、あんたも一緒に歌ってくれるなら、歌ってもいいわ。三部の歌でしょう。
【ドーカ】 ひと月前にあたしたちおぼえたのよ。
【オート】 男のところはあっしが引き受けましょう。こりゃあっしの商売だからね。じゃ、はじめましょう。
〔歌〕
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あっち行っておくれ、おいら行くとこがある、
お前たちにゃ知らせちゃなんねえだが。
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【ドーカ】 どこへ?
【モプサ】 まあ、どこへ?
【ドーカ】 どこへ?
【モプサ】 あんた誓ったじゃないのさ、はっきりと。あたしにゃ何でも話すってさ。
【ドーカ】 あたしにだってそうよ。さあ連れてって。
【モプサ】 納屋《なや》へ、そうとも粉ひき場へ行くの?
【ドーカ】 どっちへ行っても、悪いことするのね。
【オート】 どっちでもないさ。
【ドーカ】 え、どっちでもないの?
【オート】 どっちでもないさ。
【ドーカ】 あんたはあたしの恋人だと誓った。
【モプサ】 あたしにゃもっと誓ったじゃないの。じゃ、どこへ行くの? え、どこへ行くの?
【道化】 じきにおれたちすっかりおぼえて、おれたちだけで歌えるようになるさ。親父《おやじ》さんとあの旦那がた、真面目な話をしているようだから、邪魔しちゃならねえ。さあ、その荷物もっておれの後について来い。おい、お前たち二人に何か買ってやるよ。おい、行商人、一番いいのを買ってやるよ。さあ、お前たち、ついて来いよ。
〔ドーカス、モプサと共に退場〕
【オート】 そして、たんまり払って貰いましょう。
〔歌〕
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テープを買わんかね、
ケープの紐はいらんかね、
ねえ、いとしい、かわいい娘さん、
絹は、糸は、いらんかね、
髪の飾りはいらんかね、
最新流行の、すばらしいものばかり、
さあ、いらっしゃい、
金は天下の仲介人、
何でもこれで手にはいる。〔退場〕
[#ここで字下げ終わり]
〔召使い登場〕
【召使い】 旦那さま、三人の荷車ひきと、三人の羊飼いと、三人の牛飼い、三人の豚飼いが、毛むくじゃらな様子をしてやって来て、半人半獣の神さまだといってますだ。何でも踊りを用意して来たそうで、娘さんたちは仲間に入らないもんで、めちゃくちゃのとびはね踊りだと言ってますだ。当人たちは――玉ころがししか知らない人たちには、ちっとばかり荒っぽいかもしれねえが――とてもおもしろいんだと言ってますだよ。
【羊飼い】 追っぱらえ! そんなのはいらねえ! もう品の悪いばかさわぎが今までにも多すぎた。お客さん、ほんとにうんざりなすったでしょうが。
【ポリク】 あんたこそ、せっかく余興をやってくれようと言う人たちをうんざりさせている。その三人ずつ四組の牧人たちの踊りを見ようじゃないか。
【召使い】 その中の一組の三人は、彼らの言うことによりゃ、前に、王様の前で踊ったことがあるそうです。そのなかの一番|下手《へた》なやつも|ものさし《ヽヽヽヽ》で十二フィート半はとび上りますだ。
【羊飼い】 おしゃべりはやめろ。このお客さんたちが所望だから、その連中を呼んでこい、すぐにだぞ。
【召使い】 へえ、もう戸口のところで待ってますだよ。
〔ここで十二人の半人半獣神の踊り〕
【ポリク】 おお、おやじさん、またこの事はあとで話そう。
〔カミロに〕ちょっと行きすぎじゃないか? そろそろ引き離す時だ。正直者で、いろいろと話してくれた。〔フロリゼルに〕やあ、どうかな? 君の心はあんまりいっぱいなんで、とてもお祭りなんか楽しんでいられないんだろう。まったくだ、わしも若い頃、君と同じように、恋をしていた頃には、よく彼女に、装身具などおくったものだった。行商人のもっている絹物などを略奪して、それをすっかり、わしの恋人にやって受けとって貰いたいと思ったくらいだ。君は行商人から何も買わず、彼を行かせてしまったね。もしも君の恋人がそのことを誤解して、それは君に愛情がないためだとか、気|まえ《ヽヽ》がよくないためだとか言って君を責めたら、君は答えに困るだろう、少なくとも君が、いつも、君の恋人をしあわせにしておきたいと思うならね。
【フロリ】 おじいさん、ぼくの恋人はそんなつまらないものをちっとも欲しがりはしないんです。彼女がぼくから期待している贈物は、ぼくの心にしっかりとしまって鍵をかけてあるんです。それをぼくは彼女にあげました、もっともまだ正式に渡してはないのですが。おお、このお年寄りの前で、ぼくの生命をかけた愛の言葉を聞いてください! この人はかつて恋をしたことがおありのようだから。ぼくは君の手を、この手を取って誓おう! 鳩の|うぶ毛《ヽヽヽ》のようにやわらかく、そして真白な手、エチオピア人の歯のように、または北風に二度もふきつけられてふるいわけられた粉雪のような真白な手を!
【ポリク】 このあと、どんな言葉がつづくのか? この若者は、もうすでに美しく白い手を、その上に、きれいに洗っているかのように思えるじゃないか! ああ、君の話の邪魔をした、さあ、話をつづけてください。君の愛の告白をわたしも聞こうじゃないか。
【フロリ】 どうか聞いてください。そして証人になってください。
【ポリク】 このわしの隣りの人もかね。
【フロリ】 え、その人も、その人ばかりでなくすべての人、この大地、そしてこの天もすべて! ぼくがもっとも威厳のある王位についたとしても、そして、もっともそれにふさわしいとしても、ぼくが人目を惹いたもっとも美しい若者であったとしても、またいまだかつて、人間が持っていなかったほどの力と智恵を持っていたとしても、もしも彼女の愛がなければ、そんなものは何の価値も認めない。そのようなものは、彼女のためにこそ、すべて使おう。この人のために役立てよう、さもなければ、こんなものはなくなってしまえばよいのだ。
【ポリク】 立派な愛の言葉だ。
【カミロ】 まじめに愛しているようですな。
【羊飼い】 だが、娘や、お前も同じようなことをこの人に言えるかね?
【パーデ】 私は、そんなに上手には言えません。何も言えませんわ。上手に言うつもりもありません。私自身の思いを型紙にして、私はこの方の純粋な心を裁断いたしますわ。
【羊飼い】 いや、手を取り合うんだ、話はきまった! そして、見知らぬお客さんがた、あんた方が証人になってください。あっしは娘をこの若者にやりますだよ。そして娘の持参金は、この若者の財産と同じにしますだ。
【フロリ】 おお、それはあなたの娘さんの徳によってはかるとしましょう。ある人が死ねば、わたしにはあなた方が夢にもみなかったような財産がはいるのです。その時はあなた方はびっくりするでしょう。でも、ともかくも、この証人のかたがたの前で、ぼくらを婚約させてください。
【羊飼い】 さあ、あんたの手を、そして、娘や、お前の手を。
【ポリク】 ちょっと待ってください、お願いだ。君にはお父さんがおありかね?
【フロリ】 あります。でも、それがどうだとおっしゃるのですか?
【ポリク】 お父さんはこの事をご存知かな?
【フロリ】 いえ、知りません。知らせようとも思いません。
【ポリク】 わしが思うには父親というものは息子の結婚式の時には、そのテーブルにつくのにもっともふさわしい客人なのだ。もう一度聞きますがね、君のお父さんは、もうすっかり年を取られて物の道理も分らなくなっておられるのじゃないかな? もうすっかり|ぼけ《ヽヽ》てカタルで弱り切っておられるのかな? 話はできるのかね? 聞くことは? 人の見分けはつくのかね? 自分の財産について議論するかね? 寝たっきりじゃないのかね? またすっかり子供にもどって子供っぽいことばかりしかしないんじゃないのかね?
【フロリ】 いいえ、お客さん、父は健康ですし、父と同じ年頃のたいていの人と比べて力もあるのです。
【ポリク】 このわしの白い|ひげ《ヽヽ》にかけて言うが、もしそれが実状なら、君は、お父さんに対して、少しばかり親不孝をしていますぞ。自分の息子が結婚相手を自分で選ぶのは当然だが、それと同じように、父親も――父親の喜びというものはただ立派な子孫を持つ事だが――そのような場合には、自分も相談にあずかるのが当然のことだと思うものだ。
【フロリ】 まったく、その通りです。しかし、それを今あなたにお話するわけにはいかないんですが、ちょっと別な理由がありまして、この件について父には知らせるわけにはいかないのです。
【ポリク】 知らせてあげなさい。
【フロリ】 知らせるわけにはいきません。
【ポリク】 お願いだ、知らせてあげなさい。
【フロリ】 いいえ、そうはいきません。
【羊飼い】 知らせてやりなされ。お前さんがわしの娘を選んだことをなげかれるようなことはねえだから。
【フロリ】 いや、いや、そうはいかないんです。さあ、ぼくたちの婚約の証人になってください。
【ポリク】 離婚の証人になろう、若い衆、〔変装を解く〕息子とは呼びかねる。お前のように下卑《げび》たやつは息子と認めるわけにはいかない。王|笏《しゃく》をもつべき世つぎでありながら、羊飼いの杖など持つ身をよそおったりして! 老いぼれの悪党め! お前を縛り首にして、お前の生命を一週間しかちぢめられないのが残念至極だ。そして、お前は、その若さで、魔術に上達している奴! きっとお前はその相手が王の血統の阿呆だと知っていたにちがいない――
【羊飼い】 おお、とんでもねえこった!
【ポリク】 お前の美しい顔を|いばら《ヽヽヽ》で引っかいて今よりももっと卑しい身分にしてやるぞ。お前は、馬鹿な息子め、もしも、これから先、お前が――もう二度とふたたびこの女に、会えないようにしてやるが、――この女に会えないと嘆息でもついたら、わしはお前に王位など継がせはしないからそう思え! そうなれば血を分けた子とは思わんぞ。血のつながりなどないわ、デューカリオンよりももっと遠くさかのぼっても関係ないわ。よく聞け! わしについて宮廷にもどれ! 羊飼いめ! わしの怒りはおさまらんが、今度だけは、死刑だけはかんべんしてやるわ。それからこの女魔術師め! お前は羊飼いの相手としては、申し分ないわ。いや、こいつにだって申し分ないんだ、わしの息子でさえなければ、こいつの方こそお前にふさわしくない位にいやしく成り下《さが》っているのだ。もしもこれからお前がこの田舎の家の|かんぬき《ヽヽヽヽ》を外《はず》して、彼を中に入れたり、お前の抱擁で彼の体をこれ以上縛りつけるような事をしたら、お前の|きゃしゃ《ヽヽヽヽ》な体がとうてい耐えられない位の残虐な方法で死刑にしてやるぞ!〔退場〕
【パーデ】 これで、すべて駄目になりました! 私はそんなに恐れてはおりません。一度か二度、私は、王様にお話申し上げようとしておりましたわ、はっきりと、王様の宮殿を照らす同じ太陽が、私共の田舎家《いなかや》からも顔をかくす事がないということ、同じように照らしてくれるということを。さあ、王子様、いらしてくださいませ。私はこのような恋がどんな結果になるか申し上げましたわ。どうぞ、王子様というご身分を大切になさってくださいませ。私のこの夢は――今はもうその夢からさめました。私はもう女王様ぶったりはいたしません、羊の乳をしぼって、泣いて暮しますわ。
【カミロ】 どうしなさった? おやじさん! 死ぬまえに何とか言うのだ。
【羊飼い】 もう口もきけねえ、考えることもできねえ。おらが知ってることも知りたかあねえだ。おお、王子さま! あんた様は八十三歳の|じじい《ヽヽヽ》をめちゃくちゃにしてしまいなさっただ、静かに墓ん中さはいろうと思っていただに! ほんとうに、おらも親父《おやじ》さまの死んだベッドの上で死のうと思っていただに、実直なおやじさまの骨のそばで眠ろうと思っていただによ。もう駄目だ! 仕置き人がおらに|死にごろも《ヽヽヽヽヽ》着せてよ、おらを坊さまも土をかけてくれないようなところに埋めるんだ。おお、のろわれた娘よ! お前は、この人が王子さまだと知っていながら、この人と誓いを交そうなんて大《だい》それた考えを起しくさって! もう駄目だ! もう駄目だ! もしもこの一時間のうちに死ぬことができるなら、おらあ死んでも本望だよ。〔退場〕
【フロリ】 どうして君はそんなにぼくを見るんだ? ぼくは悲しいだけで、恐れてなんていないんだ。手間どったが、何も変っちゃいないんだ。ぼくは前のままのぼくだ。引きもどそうとすれば無理にでも前に進むだけだ。いやいやながら皮|ひも《ヽヽ》に引きずられて行きはしないよ。
【カミロ】 王子さま、お父様のご気性《きしょう》はよくご存知のはずです。今のところは、何をおっしゃってもお聞き入れにはならないでしょう――王子様もそんな事をなさるおつもりはないと拝察いたします――今のところは、王子さまのお姿をごらんになることもおいやでいらっしゃいましょう。ですから、王様のはげしいお怒りがおさまりますまで、お姿をお見せにならないほうがよろしいかと存じます。
【フロリ】 ぼくも見せるつもりはない。お前は――カミロだね?
【カミロ】 その通りでございます。
【パーデ】 このような事になると何度申し上げたことでしょうか。私の威厳も、あなたのお父様に知られてしまうまでしかつづかないと何度申し上げた事でしょう!
【フロリ】 ぼくが誓いを破らない限り、君の地位に変りはないのだ。もしもぼくが誓いを破るような時があったら、自然は大地の横腹をめちゃめちゃにくだいてしまい、その中の種子をすべてこわしてしまうのだ。さあ、顔をあげてくれ! 父上、ぼくの王位継承権を抹殺してください! ぼくは愛情のほうを継ぎます。
【カミロ】 ようくお考え下さいませ。
【フロリ】 もちろん考えるとも、ぼくの愛によって。もしもぼくの理性が愛情に従順であるならば、ぼくには理性もある。もし従順でないならば、ぼくの感覚は、むしろ狂気を好んで、狂気を歓迎するだろう。
【カミロ】 それはあまりにも自暴自棄ななさり方です。
【フロリ】 自暴自棄でもかまわない。ただ、それがぼくの誓いを守るやり方だ。ぼくはそれを誠実と考えざるを得ないのだ。カミロ、ボヘミアの王国に代えても、ボヘミアで落穂のように拾える栄華に代えても、また、太陽が見るすべてに代えても、閉ざされた大地がその中にはらむすべてに代えても、限りなく深い大海が測り知れぬ深さに隠しているものすべてに代えても、ぼくはこの美しいぼくの恋人に対する誓いはやぶらない! だから、お願いだ、あなたはずっといつもぼくの父の尊敬している友達だったが、ぼくが父のそばにいなくなった時も――ぼくはほんとうに、もう父に会うことはないだろうから――あなたの親切な忠言で父の怒りをしずめてください。ぼくの将来については、ぼくは断固自分で運命とたたかうつもりだ。あなたには知らせるから、父にも知らせてくれ。ぼくはこの人と海にでるつもりだ、この土地では一緒にいられないこの人と共に。そして、ぼくたちの必要な今、ちょうど幸いなことに、すぐ近くに一隻の船を碇泊させてあるのだ、この日のために用意しておいたわけではないのだが。どういうコースを選ぶかは、知らせてもあなたには何の役にも立たないし、また、ぼくもそれを知らせる気もないのだ。
【カミロ】 ああ、王子さま、あなたのお心がもっと忠告を聞き入れてくださればよいのですが、それとも、このような困難な時にもっと強いお心を持ってくだされば。
【フロリ】 パーディタ、聞いてくれ。〔彼女を傍につれてゆく〕
〔カミロに〕ちょっと待ってくれ。
【カミロ】 何と言ってももう駄目だ、どんな事があっても出奔されるつもりだ。もしも王子様の計画をわたしの目的にもかなうようにすることができたら、わたしも幸福だが。王子様を危険からお救いし、愛情と敬意をささげることができ、しかももう一度なつかしいシチリアを見ることができたら、あの不幸な王様、わたしの主君のお姿をみることがかなうなら! わたしは本当にお目にかかりたいと願っているのだが。
【フロリ】 やあ、カミロ、面倒な仕事で心が重かったものだから、大変失礼をしたね。
【カミロ】 王子様、私が今まであなたのお父様に対する愛敬の念から、およばずながら致して参りましたご奉公についてお聞き及びでございましょう。
【フロリ】 お前は実に立派にその功績に値する人間だ。お前のした事を語るのは、父にとっては音楽のようなもの。父も何とかお前に報いたいと、ただ思うばかりでなく、実現したいと苦労していたようだ。
【カミロ】 それでは、王子様、もし、あなた様が、この私が王様を心からお慕いし、そして王様にもっともお近い方、王子様を心からお慕いしているとおわかりくださいますならば、どうか私の考えておりますことをおきき入れください。もしもあなたのもっと重大で、すでにご決定なさいました計画が、変更可能なものでございますならば、私の名誉にかけて、王子様にふさわしい歓待をお受けになることができますような所を、私がお教えいたします。そこでは王子様が、愛しておられる方と楽しい生活をお送りになることができましょう。この方とお別れになることは――そのような事は決してありませんように――王子様の破滅でない限りあり得ないことでございます。ご結婚なさいませ。私も王子様のご不在中でき得る限りの努力をいたしますので、ご不満なお父上様のお心をやわらげて、お父上様が、同意してくださるようにいたします。
【フロリ】 カミロ、どうすれば、ほとんど奇蹟にも近いそんな事ができるのかね? それならばぼくはお前をただの人間以上のものと呼んで、そのように信じてお前に任せよう。
【カミロ】 王子様はもう、行き先をお決めになりましたか?
【フロリ】 いや、まだ全然決めてない。だが、まったく考えてもいなかった事件が起ったのだから、何の計画もたてられないのは仕方のないことだ。だから、はっきり言ってぼくたちは運命の奴隷、風の吹くまにまにもてあそばれるハエだ。
【カミロ】 それでは私の申し上げることをお聞き下さい。もし王子様がご決心をお変えになるおつもりがなくこのままご出奔なさいますのでしたら、シチリアへおいでなさいませ。そしてそこであなた様と、あなた様の美しい妃殿下、妃殿下――私はそうにちがいないとお見うけいたしますが――とご一緒にレオンティーズ王にご対面なさいませ。このお方には妃殿下にふさわしいご衣裳をおきせなさいませ。私が思いますには、レオンティーズ王はその高貴な両手をおひろげになり、涙をお流しになりながらあなた方を歓迎なさいますでしょう、まるで王子様がお父上様であるかのように、「息子よ、許してくれ」とおっしゃって、あなた様の美しい妃殿下のお手にキスされるでしょう。何度も何度も、昔の不親切と今の親切ななさり方にご自分自身をお苦しめになり、昔の不親切よ、地獄へ落ちよ、今の親切よ、考えよりも時よりも早く育てよとお命じになりますでしょう。
【フロリ】 カミロ、だけど、わたしの訪問の理由は何とつけて、王の前に出たらよいのだろうか?
【カミロ】 お父上の王からつかわされたと、王様にご挨拶し、王様をお慰めするために来たとおっしゃいませ。王子様、王様に対してどのようにふるまわれたらよろしいか、また、お父上様からとして、王様にどのようにおっしゃればよろしいかは、私たち三人の了解する事として、私が書いてさし上げましょう。それが、王様にお会いなさいます時に、あなた様がおっしゃるべき事を指示してくれましょう。王子様がおっしゃいます事はお父上様のお心から出た事であり、お父上様のご意志を話しておられると王様がみとめて下さらねばなりませんから。
【フロリ】 ありがとう。これで何か希望が持てるようだ。
【カミロ】 無計画に、あなた様がたを、いまだかつて人も通ったことのない海や、人が夢みた事もない岸にゆだねてしまわれるよりは望みがある道でございます。このままではたしかに悲惨な目にお会いです。だれもあなた様をお助けすることもなく、一つの不幸をふり払われると、又別の不幸がふりかかり、確かなものといえばあなた様の錨《いかり》だけ、それも、せいぜい、あなた様がいやだとお思いになるような場所に、船をとめるだけ。その上、ご承知の事とは存じますが、繁栄こそまさに愛の絆《きずな》でございます。その愛の新鮮な美しい顔も、その愛の心もともに、苦難に会えば変ってしまいます。
【パーデ】 その一つは本当です。私も苦難が頬の色を変えてしまうとは思いますが、心を変えることはできません。
【カミロ】 なるほど、そうおっしゃいますか? あなたのお父さんの家に、これから先もずっと何年も、あなたのような方はうまれますまい。
【フロリ】 ねえ、カミロ、この人はうまれこそぼくの生まれに及ばないが、育ちはずっとすばらしいんだ。
【カミロ】 教育を受けておられないからおかわいそうとは思いません。なぜならこの方は先生がたと比べても、ひけはとらない方のようにお見受けします。
【パーデ】 どうぞもうごかんべん下さい。ありがたいお言葉に顔が赤くなりますわ。
【フロリ】 ぼくのかわいいパーディタ! だが、おお、ぼくたちは今、|いばら《ヽヽヽ》の上に立っている! カミロ! ぼくの父を助けてくれた、そして今はぼくを助けてくれるカミロ、お前はわが家の名医だが、ねえ、どうしたらいいだろう! ぼくは今、ボヘミア王の王子らしい支度もしていないし、シチリアに行っても体面が保てない。
【カミロ】 王子様、そんな事はご心配に及びません。ご承知の通り、私の財産はすべてシチリアにございます。まるで私が作りました芝居を、王子様が演じて下さいますように、ご身分にふさわしい立派なご衣裳その他を整えますことを私は考えております。たとえば、王子様が何一つご不自由なさることがない事を知って頂くために、一言《ひとこと》申し上げます。
〔傍へ行き話す〕
〔オートリカス登場〕
【オートリカス】 は、は、「実直」ってやつは何て阿呆だ! そしてその兄弟分の「信頼」ってやつも、まったく愚かな紳士だ! おれは安ぴかものを皆売っちまったぞ。|まがい《ヽヽヽ》の宝石、リボン、鏡、香水玉、ブローチ、手帳、民謡、ナイフ、テープ、手袋、靴ひも、腕輪、角《つの》の指輪、何一つ残ってないぞ、おれの荷物は空っぽで、断食してるみたいだ。あいつらは、まるでおれの|がらくた《ヽヽヽヽ》が神聖で、買い手に福を授けるかのように、われ先にと、買いに殺到するんだ。そうさせといて、おれは、どいつの財布が一番|かっこう《ヽヽヽヽ》もよく抜き取るのにも適しているか見ておいた。あとあとの為に目をつけておいたというわけさ。あの阿呆の野郎は――分別のある人間になるためにゃ何か欠けてるがね――娘っ子の歌がすっかり好きになっちまって、その歌の調子や言葉を覚えちまうまでは、どうしても足を動かそうとしない。だから、ほかの羊飼い野郎どもがおれの所に寄って来て、すべてほかの感覚は耳に集まってしまっているんだ。感覚がお留守になっちまっているから、下着だってとろうと思えば盗めるのさ。ズボンの前ポケットから財布を抜き取るんだってわけはないさ。鎖《くさり》にさげてある鍵を|やすり《ヽヽヽ》で切りとってやろうと思った位だ。みんなあの阿呆の旦那の歌をきいて、うっとりとしちまって、ほかのことは聞えもしなけりゃ、感じもしないんだ。だから、この皆のぼうとした恍惚状態をねらって、おれはほとんどの奴らの祭りの財布をすりとってやった。もしあの|おいぼれ《ヽヽヽヽ》野郎が娘と王子のことをわめきながら入って来て、おれの阿呆鳥どもを|もみがら《ヽヽヽヽ》から追い出さなきゃ、おれは全軍の財布を一つ残らず滅ぼしていたんだが。
〔カミロ、フロリゼル、およびパーディタ、前に出る〕
【カミロ】 さようで、しかし、私の手紙が、今お話申し上げた方法で、あなた様がお着きになられるのと同時に届きますでしょうから、お疑いは晴れましょう。
【フロリ】 そして、お前がレオンティーズ王からお返事を頂く?
【カミロ】 それでお父上様もご満足なことでございましょう。
【パーデ】 あなたにおしあわせを! あなたのおっしゃる事すべてうまく行くように思われます。
【カミロ】 〔オートリカスを見て〕あれはだれでしょうか? 私たちはこの男を使いましょう。手に入るものは何でも役に立てましょう。
【オート】 今のおれの言うこと聞かれちまったかな。こいつあ絞り首だ。
【カミロ】 やあ、こんにちは! 何でそんなに震えているのかね? 心配することはない。何もお前に危害を加えようとしているのではないのだ。
【オート】 わしゃ哀れなまずしい男でございます、旦那。
【カミロ】 おお、いつまでもそのままでいればよい。だれもお前から貧乏を盗むものはいない。だが、お前の外側の貧乏をどうしても取りかえて貰いたいのだ。だから、すぐに着物を脱いでくれ――こうするにはさし迫った事情があるのを承知してくれ――そしてこの方と服を取りかえてくれ。この方のほうが全く損にきまっているのだが、それに、おまけまであるんだぞ。
【オート】 わしゃ哀れなまずしい男でございます、旦那。〔傍白〕おれはあんたをよく知ってるぜ。
【カミロ】 それ、急いでくれ。この方はもう半分脱いでおられる。
【オート】 本気でございますか、旦那?〔傍白〕どうやら|におう《ヽヽヽ》ぞ。
【フロリ】 急いでくれ、お願いだ。
【オート】 なるほど、前金を頂きました。でもこれを頂く事は良心が許しません。
【カミロ】 さあ、脱いで、脱いで!〔フロリゼルとオートリカス衣裳を取りかえる〕おしあわせな妃殿下――私のこの予言が当りますように――どこかにおかくれにならねば、どこか物かげに。王子様のお帽子をおとりください、そしてそれを深くおかぶりになって、あなたのお顔を包み、あなたの服をお脱ぎになって、出来ますかぎり、あなたの本当のお姿に似ないような様子をなさってください。つまり、この辺に見はりがいるかも知れませんので、見とがめられずに、船にお乗りになることができますように。
【パーデ】 この芝居では私も一役演じなければならないようですね。
【カミロ】 いたし方ございません。王子様、もうおすみになりましたか?
【フロリ】 今ぼくが父に会っても父はぼくを息子とは呼ばないだろう。
【カミロ】 いや、お帽子はいけません、〔帽子をパーディタに渡す〕さあ、あなたも、参りましょう。さようなら、お前さん。
【オート】 さようなら、旦那。
【フロリ】 おお、パーディタ、二人とも大事なことを忘れていた。ちょっと、ひと言。〔彼ら傍へ退る〕
【カミロ】 〔傍白〕さてこれからわしがやることは、王様にこのご出奔と、王子様がたがどこに行かれたかを申し上げることだ。そうしてわしの望むところは、何とかして王様に王子様方の後を追いかけて行かれるように説きふせることだ。そうすれば、王様のお伴をして、わしは、もう一度、シチリアを見ることができる。まるで女があこがれるように、どうにかしてもう一度シチリアが見たい。
【フロリ】 われわれに幸運が恵まれるように! それじゃ、カミロ、ぼくらはこんな風に海岸に行くよ。
【カミロ】 お早く行かれたほうがよろしゅうございます。
〔フロリゼル、パーディタおよびカミロ退場〕
【オート】 事の次第はわかったぞ、おれは聞いたぞ。聞き耳、さとい目、すばしこい手がスリにゃ必要だ。するどい鼻も必要だ、耳や目や手のために嗅《か》ぎまわらにゃならんからな。今は不正直な者の栄える時だってことがわかる。おまけがなくたって、こんないい取り引きはないぞ! この取り引きに加えて、こりゃまた何てすばらしいおまけだ! どうやら今年は神々がおれたちを大目にみてくださるんだな。何も準備せずにやったって何でも出来るぞ。王子様自身が悪いことをやろうってんだ。お荷物をかかとにくっつけて、親父さんのところから|ずらか《ヽヽヽ》ろうってんだから、もしもこの事を王様に知らせるのが正直者のすることだとしても、おれはそんな事はやらないぞ。かくしておくほうが悪党らしいやり方だもんな。そのほうがおれの商売に忠実だもんな。
〔道化と羊飼い登場〕
おっと引っこんでようぜ、引っこんでようぜ、頭を忙しくつかう材料がまたやって来たぞ。どんな小路の|はて《ヽヽ》にも、どんな店にも、教会にも、裁判所にも、絞首台にも、注意深い人間には仕事があらあな。
【道化】 ほれ、ほれ、何、ぐずぐずしてるんだ! あれは|取りかえ子《ヽヽヽヽヽ》でございまして、わたしの血をわけた子ではありませんと王様に申し上げるよりほか仕方があるめえ。
【羊飼い】 まあ、わしの言うこと聞いてくれ。
【道化】 まあ、おれのいうこと聞いてくれよ。
【羊飼い】 じゃ、言ってみろ。
【道化】 あれは親父さんの血をわけた子じゃねえから、親父さんの血肉が王様に悪いことをしたわけじゃない。だからよ、親父さんの血肉は王様にお仕置きさ受けるすじ合いはないぜ。あの子の囲りで見つけたものを王様にお見せするだ。あの子が身につけているもののほかは、あの秘密のものを、すっかりお見せするだよ。それだけしときゃ、法律なんか何にもならないぜ、絶対大丈夫だ。
【羊飼い】 王様にみんな話すべえ、何もかも。そして王子様の|わるさ《ヽヽヽ》も話すべえ。あの人あ、父王様にとっても、わしにとっても、良くねえお人だよ、わしさ王様の義理の兄弟にしようとしてなさるだ。
【道化】 まったく、親父さんが王様と義理の兄弟とはなあ、これほど縁遠いってことはないぜ。そうなりゃ、親父さんの血はオンスあたりいくら値上りするかわからねえや。
【オート】 〔傍白〕なんて賢いことを言っている、犬っころめ!
【羊飼い】 さあ、王様のとこさ行くべえ。この包みの中にあるものを見たら、王様は|ひげ《ヽヽ》をかきむしりなさるべえよ。
【オート】 〔傍白〕こいつらが苦情を言いに行ったら、おれのご主人の|かけ落ち《ヽヽヽヽ》に邪魔になるかもしれねえな。
【道化】 どうか王様がご殿においでになりますように。
【オート】 〔傍白〕おれは生まれながらに正直な人間じゃねえが、時には偶然に正直になることがある。この行商人の|つけひげ《ヽヽヽヽ》をポケットにしまっとこう。〔|つけひげ《ヽヽヽヽ》を取りはずす〕やい、百姓! どこへ行くのだ。
【羊飼い】 ご殿にまいります、おそれながら。
【オート】 ご殿での用は、何か、だれにか、その包みは何だ、お前たちの住所、氏名、年齢、財産、育ち、そのほか何もかも一切、かくさずに言ってみろ!
【道化】 わしらはただの百姓でございまして、へえ。
【オート】 嘘つけ! お前たちは荒っぽい毛がはえてるじゃないか。嘘ついちゃいかんぞ。嘘ってものは商人にだけしか似合わない。やつらはしばしばおれたち軍人に向って嘘をつくのだ。しかし、おれたちは、それに対して剣は用いないで、金で支払うから、やつらはおれたちに嘘はつかないんだ。
【道化】 旦那様が、もしご自分ですぐ言い直されなかったら、もう少しで、わしらに嘘つくとこでしただ。
【羊飼い】 おそれながら、旦那様は宮廷のお方でいらっしゃいますだね?
【オート】 おそれながらもへちまもないが、おれは宮廷人だ。この服装の宮廷風がわからんかね? おれの歩きっぷりに宮廷の優雅さがないかね? お前の鼻はおれの身体から宮廷の匂いをかぐことができないかね? このおれに、お前のような下卑《げび》た奴に対する軽蔑が反映してはいないかね? お前はおれがうまい事を言ったり、しつこく攻めたてたりして、お前の用向きを聞き出そうとしている、だから、おれは宮廷人じゃないと思っているのじゃないかね? おれは頭から足まで立派な宮廷人だ。そして、宮廷でお前の用向きをとりつぐこともとりつがぬこともできるんだ。だから、お前の用向きをかくさずに話してみろ。
【羊飼い】 王様に用事がありますだ。
【オート】 王様への代弁人をお前は決めているのかね?
【羊飼い】 おそれ入りやすが、わかりませんので。
【道化】 代弁人ってのは宮廷の言葉で雉子《きじ》のことだ、持ってねえって言うだよ。
【羊飼い】 持ってねえですだ。雉子も、雄鶏《おんどり》も雌鶏《めんどり》も持ってねえですだ。
【オート】 馬鹿者にうまれなかったおれたちは何てしあわせ者だろう! だけど、自然はもしかしたらおれたちをこいつらみたいに創ったかもしれない。だから軽蔑はするまいよ。
【道化】 この人は偉い宮廷人にちげえねえ。
【羊飼い】 着物は立派だがよ、着方はあまり立派じゃねえ。
【道化】 途方もないところがなおさら立派なんだぜ。きっと偉い人だ。楊枝《ようじ》を使ってるんでわかるぜ。
【オート】 そこの包みは? 中には何が入っているのかね? 何のためにその箱を持って歩くのだ?
【羊飼い】 この包みと箱の中には王様の他には見せられねえ秘密のものが入っていますだ。もし王様にお目通りがかなって、お話ができりゃ、すぐにも王様におみせしますだ。
【オート】 爺さん、お前さん無駄骨折りだよ。
【羊飼い】 なぜなんで、旦那?
【オート】 王様はご殿にはいらっしゃらないのだ。憂欝をおはらいになるため、そして空気に当られるために、新しい船に乗って行かれた。というのは、もしお前にこの重大な事態がわかるなら、よく心得ておけ、王様はただ今、悲嘆にくれておられるのだ。
【羊飼い】 さようだそうで、旦那。王子様のことで、羊飼いの娘と結婚しようとなされたもんで。
【オート】 もしその羊飼いがつかまっていないのならば、逃げたほうがいい。その男の受ける呪い、その男が受ける拷問は、人間の背中を砕き、怪物の心臓も破ってしまうほどのものだ。
【道化】 本当にそう思いますかね、旦那?
【オート】 人間の知恵が考え出す限りの重い刑、残酷な復讐の刑が、その羊飼いばかりじゃなく、彼の身内の者にもふりかかってくるだろう。全くの遠縁の者でも、みんな絞首人に処刑されるだろう。かわいそうだが、仕方がないのだ。おいぼれの羊飼いのくせに、羊を飼ってるような身分のくせに、娘を高貴の身分にしようと企らんだのだ! 石攻めの刑にしようという話もあったが、それじゃ軽すぎると、わたしは主張する。玉座を羊小屋に引きずりこんだのだからね! ありったけの死刑を行なってもまだ足りない。いちばん厳しい刑でも生やさしすぎるくらいだ。
【道化】 その年寄りに息子があると、もしや、お聞きになっちゃおりませんかね?
【オート】 彼には息子が一人ある。そいつは生きたまま、皮をはがれ、体中に蜂蜜をぬられて、|すずめ《ヽヽヽ》蜂の巣のてっぺんに置かれ、四分の三とすこしぐらい死ぬまでそのままにしておかれるのだ。それから、また、強い酒か、熱い酒で息を吹き返させられて、皮はがれたまま、しかも暦の中で一番暑いとされている日に、煉瓦の壁にもたせかけておかれるんだ。太陽は、南に向いながら、じりじりと照りつけ、彼が、ハエにたかられて、死んでゆくのを見とどけるのだ。だが、そんな謀叛人みたいな悪党なんかのこと話して何になる? きゃつらのみじめさなど、笑ってやればよいのだ、その罪は極刑に値するのだからな。ところで、お前たちは正直で実直な者たちのようだから聞くが、王様にどういう用事なのかね? もしわたしを紳士らしく待遇してくれれば、王様のおられる船に連れてゆき、お前たちのことをやさしく、そっととりなしてやってもよい。王様以外に、お前たちの願いをかなえてやる力のある者がいるとしたら、まあ、それはここにいるのだ。
【道化】 この人は、とても偉い人のようだ。この人の言うことを聞いて、金をあげることにしようや、権力ってものは|がんこ《ヽヽヽ》な熊みたいなものだがよ、ときどき、金で鼻ずらとることができるだ。その財布の内側をこの人の手の外側にみせてやりゃいいんだ。これ以上さわぐことはねえ。「石攻め」とか、「生きたまま、皮をはぐ」とか言ったじゃねえか。
【羊飼い】 もしもお心がごぜえやすなら、旦那、わしたちの仕事のとりなしをして下せえやすなら、ここに金貨がありますのを取って下せえ。あとでもっと足し前してもええだ。それを持ってくるまで、この若けえ男を|かた《ヽヽ》に置いてゆきますだ。
【オート】 約束を果した後でか?
【羊飼い】 へえ、さようで。
【オート】 よし、その半金を貰っておこう。お前もこのことに関係しているのか?
【道化】 少しばかり、旦那。あっしの場合はとてもかわいそうなものですが、皮をはがれるような目に会わないよう願いますがね。
【オート】 おお、そりゃ羊飼いの息子の場合だ。|きゃつ《ヽヽヽ》は絞首刑にすりゃいいのだ、見せしめにするためにも。
【道化】 心配するな、大丈夫だ! おらたちは王様の処へ行って、めずらしいものをお見せするんだ。王様にあの娘が親父さんの娘でもなく、おれの妹でもないことをわかってもらうんだ。さもないとおらたちはおしまいだ。旦那、あっしも、仕事が終った時には、この年寄りと同じだけあげますだ。そして、この年寄りが言ってるように、金が届けられるまで、|かた《ヽヽ》になりやしょう。
【オート】 お前たちを信用しよう。ひと足さきに海岸のほうに行っていてくれ。右手を行くんだ。わたしは生垣をちょっと眺めてからすぐ行くから。
【道化】 この人に会えてほんとによかった、ほんに祝福されただ。
【羊飼い】 この人が言ってるように、先さゆくべえ。この人はわしたちに神様がつかわされたお人だ。〔羊飼いと道化退場〕
【オート】 おれが正直になろうと思っても、運命の女神が許しちゃくれないようだ。女神様はすばらしいおみやげをこの口に落してくださる。言い寄られて、二重のおみやげだ――金と、主人の王子様のためになることだ。このために、おれをとりたててくださるということだってなきにしもあらずだ。おれはこの二匹の|もぐら《ヽヽヽ》を、盲目のやつたちをつれて行って、王子様の船に乗せてやろう。もしも王子様が、こいつらをもう一度、岸に放り出したほうがいいと考えるなら、また、こいつらが王様に訴えようとしているものなど、何の関係もないと考えるんなら、おれは余計なおせっかいと叱られりゃすむことじゃないか。そんな呼び方や、恥なんかへっちゃらだ。王子様のところへこいつらを連れて行こう。何か|もの《ヽヽ》になるかもしれない。〔退場〕
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第五幕
第一場 シチリア レオンティーズの宮殿
〔レオンティーズ、クリオミニーズ、ダイオンおよび召使いたち登場〕
【クリオミニーズ】 陛下、もう十分でございます。陛下は聖者のようなご悲嘆を示されました。たとえどのような過失がおありでも、陛下がお償《つぐな》いにならないものは何一つございません。まったく、罪を犯されましたことを償って余りあるご悔悟を示されました。もはや、天も陛下のご罪過をお忘れになりましたでしょうから、陛下もお忘れ下さい。天と共に、陛下もご自身をお許し下さい。
【レオンティーズ】 王妃と彼女の美徳を思い出すかぎり、それにつけてもわたしの汚点を決して忘れることはできない。そして、つねにわたし自身の罪を考えてしまうのだ。それはあまりにも大きな罪で、そのためにわたしの王国には世継ぎはなくなってしまった。そして男がその中から希望を育ててゆくことのできる最もいとしい伴侶を失ってしまったのだ。
【ポーライナ】 まことに、その通りでございます、王様、もし王様が世界中の女性と、一人ひとり、結婚なさいましても、あるいはすべての女性から何か良い所をお取りになって、完全な女性をおつくりになりましても、王様が殺してしまわれたお方には比べものにならないでしょう。
【レオン】 わたしもそう思う。殺した! 彼女をわたしは殺した! そうだ! だがお前がそう言うと、わたしの心を刺し貫かれたように思う。それは、お前の口から言われても、わたしの心にあるときと同様に痛烈だ。さあ、どうか、めったにそんな事は言わないでくれ。
【クリオ】 決して口になさってはいけません。それよりは現在にもっとためになるような、あなたの親切な心がもっとよくあらわれているような言葉を申されるほうがよい。
【ポーラ】 あなたも王様にご再婚をおすすめになるかたがたの一人ですね。
【ダイオン】 もしもあなたがそれを望まれないなら、あなたはこの国を思っていない証拠、陛下の尊いお名を、後にまで思い出させるように伝える気がないのです。あなたは陛下にお世継ぎがないために、どんな危険がこの国にふりかかるか、そしてどうしてよいかわからずにいる一般の人々を破滅させてしまうかもしれないということなど少しも考えておられないのです。前の王妃様が安らかでいらっしゃるとおよろこび申し上げることほど敬虔なことがほかにあるでしょうか? 王様のご血統の回復のために、現在のお心をお慰めするために、そして将来のご幸福のために、もう一度お美しいお妃様を王様がお迎えになられるとしたら、これほど神聖な幸福がありましょうか?
【ポーラ】 亡くなられた王妃様に比べたら立派な方など一人もございません。それに、神々は、その秘かなご意図を成就されているはずです。あの神聖なアポロの神がおっしゃったではございませんか、それがアポロのご神託のご主旨ではございませんでしたか? つまりレオンティーズ王は、失われた子の発見されるまで、世継ぎをもつことはないと。そしてお姫様を見つけ出すことは、私の夫アンティゴナスが墓を破って、もう一度、私の所へもどってくるのと同様に、とても私たち人間の理性では信じる事もできないようなとんでもないことでございます。夫はきっと、幼いお姫様と共に死んだのだと思います。あなたは天に逆らい、天の意志に反するような事を王様がなさるべきだと、おすすめしておられるのです。〔レオンティーズに〕お子様などお望みなさいますな。王冠は必ずや世継ぎを見出すものでございます。アレクサンダー大王は王位をもっとも立派な人に残されました。それでかえって彼の後継者はもっともよい方であったようでございます。
【レオン】 ポーライナ、お前はハーマイオニのことをよくおぼえていてくれる。そうだ、貞節なハーマイオニの事をだ。おお、あの時に、わたしがお前の忠告に従うことができたらよかったのに――そうしていたら、今でも、わたしは王妃の明るく開いた目をみることができたのに――彼女の唇から宝を受けとることができたのに――
【ポーラ】 そしてお受け取りになられて、王妃様のお唇をもっと豊かになさることができましたでしょう。
【レオン】 お前の言うとおりだ。あんな妻はまたといないのだ。だから、もう妻はめとらぬ、もっと悪い妻をめとり、もっとよい待遇をしたならば、ハーマイオニの聖霊がまたふたたび彼女の肉体にやどって――もしもわたしがそのような罪を犯したら――魂のやすらぎを得ぬままに、この世の舞台にあらわれて、「なぜ私にはこのような仕打ちを?」と言いはじめるだろう。
【ポーラ】 もし王妃様にそのようなお力がおありなら、そうなされるのは当然でございましょう。
【レオン】 当然だとも。そしてわたしを怒らせて、新しい妻を殺させてしまうだろう。
【ポーラ】 私ならそういたしますとも。もしも私が迷い歩く亡霊だといたしましたら、私は王様に申し上げます。彼女の目を見るようにと、そしてその鈍い目のどこがよくて、王様が彼女を王妃に選ばれたかお話下さいと申し上げます。それから悲鳴をあげます。王様のお耳も裂けてしまいますほどの。そしてそのあとで申し上げます、「私の目をおぼえていて下さいませ」と。
【レオン】 星だ、星だった。それに比べれば、すべてほかの目は、死んだ石炭も同然! 再婚の心配などするな。ポーライナ、わたしは妻はめとらぬ。
【ポーラ】 では、王様は、私がお許し申し上げない限り、決して結婚などしないとお誓い下さいますのでしょうか?
【レオン】 決して結婚はしない。ポーライナ、どうかわが魂に祝福あらんことを!
【ポーラ】 では、皆様がた、王様のご誓言の証人になって下さいませ。
【クリオ】 それはあまりにもゆきすぎです。
【ポーラ】 ハーマイオニ王妃のご肖像のようなお方がもう一度王様の前にあらわれませんかぎりにおいては。
【クリオ】 奥さん。
【ポーラ】 もうよろしゅうございます。でも、もし王様がご結婚あそばしたいならば――どうしてもと仰せられますなら、いたし方ございません――私に王様のため王妃様をおえらびする役目をお与えくださいませ。前の王妃様のように、お若い方ではいけません。前の王妃様の亡霊が迷い出られた時に、王様が腕に抱いておられる王妃様をごらんになりましても、およろこびになるようなお方でなければなりません。
【レオン】 誠実なポーライナ、お前が結婚せよと命令するまではわたしは結婚はしない。
【ポーラ】 それは、前の王妃様がもう一度生き返られた時でございます。それまではいけません。
〔一人の紳士登場〕
【紳士】 ご自身で、ポリクサニーズ王の王子フロリゼルと名乗られるお方が、かつてお見受けしたこともございませんようなお美しい妃殿下をおつれになりまして、陛下にお目にかかりたいとおっしゃっておられます。
【レオン】 どうしたわけだ? 偉大なポリクサニーズ王の格式にもふさわしくない訪問だな。何の前ぶれもなく、突然のことであるところから考えると、この訪問はあらかじめ計画されたものでなく、緊急の事態か事件によって余儀なくなされたものであろう。伴《とも》の者はどのようなものか?
【紳士】 ごくわずかでございまして、それもごく賤しい者ばかりでございます。
【レオン】 王子の妃も一緒だと申したな?
【紳士】 はい、さようでございます。かがやかしく太陽の照らすこの大地の上で、まことたぐいまれな美しいお方でございます。
【ポーラ】 おお、ハーマイオニ様! つねに過ぎ去ったものは、どんなにすぐれていても忘れられ、現在が過去よりまさっていると誇るものでございます。ですからお墓の中のあなた様は、今目の前に見られる者に一歩おゆずりにならねばなりません。あなたはご自分でおっしゃいましたし、詩にも書かれました。でも書かれたものはこの主題であったお方よりももっと冷たくなってしまいました。「かつてたぐいまれであり、永遠にたぐいまれなるもの」と詩に書かれました、あなたの詩には王妃様のお美しさがかつてはみちあふれておりました。よりお美しい方を見られたとは、何という潮の引きかたでしょうか!
【紳士】 お許し下さい。王妃様の事をついすっかり忘れておりました。お許し下さい。ですが、今来られたお方は、あなたがひと目ご覧になりましたら、きっと私と同じようにおっしゃいますでしょう。もしもこのお方が、新しい宗派をおはじめになりましたならば、他の宗派を奉じるすべての者の熱をさましてしまうでしょう。ついて来るようにと申されるだけで皆改宗してしまいましょう。
【ポーラ】 何ですって、女はそうはゆきません!
【紳士】 ご婦人がたもあの方を愛するでしょう。どんな男性よりももっと立派なご婦人ですから。男のかた方には、すべての女性の中でもっともたぐい稀な方ですので。
【レオン】 クリオミニーズ、行ってくれ。しかるべき君の友達と一緒に、王子たちを迎えに行ってくれ。彼らを歓迎しよう。
〔クリオミニーズたち退場〕
しかし、ふしぎなことだなあ、このようにこっそりここへ来るとは。
【ポーラ】 子供の中の宝石ともいわれた私どもの王子様が、もし今生きておられましたら、ちょうどその王子様とお二人そろって同じお年頃でございます。お二方のお誕生はひと月とちがっておりませんでした。
【レオン】 もうそれを言わんでくれ。やめてくれ。王子のことを言われると、また、もう一度死に目に会ったような気がする。たしかに、この客人に会ったら、お前の言葉を思い出して、またその事を考えて、わたしは、理性を失なってしまうかもしれない。あ、こちらへ来たようだな。
〔フロリゼル、パーディタ、クリオミニーズおよび他の者たち登場〕
君のお母さんはまことに貞淑な夫人であったのだな、王子、君のお父上の王そっくりに君をうみなさったようだ。わたしがもし今、二十一歳の若者であったなら、君の父上の面影が君にそのままあらわれており、その物腰もそっくりだから、わたしは君の父上にしたように、君を兄弟と呼んで、昔二人でやったいたずらなどを一緒に語り合っていただろう。本当によく来てくれた。君の美しい妃も――女神のようだ!――おお、何ということ、わたしは二人ともなくしてしまった! もし生きていれば、美しい君たちのように、天と地の間に立って、見る人を驚嘆させただろう。そしてわたしは失なってしまった――すべて自分の愚かさのために――君の立派な父上の交際と、友情をも失なってしまったのだ。みじめな思いにたえながらも、生きていたいと願うのは、その父上にもう一度、お会いしたいと思えばこそだ。
【フロリゼル】 父の命によりまして、私はここシチリアの国に参りました。そして父からの、ご挨拶を王様にさし上げるためにまいりました。王が、友情をもって、兄弟に送るご挨拶を持ってまいりました。そして、もし老衰のため、――老年には伴ないがちの――体力が父の思うようにならないような事がございませんでしたならば、彼は自分自身で、陛下の王国と父の国とをへだてる陸や海をはるばる越えて、お目にかかりに参ったはずでございました。父は、陛下を――父は私にそのように申し上げるようにと申しました――この世のすべての王|笏《しゃく》やそれを手にする者よりもお慕いしていると申し上げるようにと。
【レオン】 おお、わが兄弟よ! 立派な人だ! その君にあのようなひどい仕打ちをした事が、今更のようにわたしの心を苦しめる。このような君の挨拶、またとなく親切な挨拶は、わたしのぐずぐずした怠慢を思い起させる! この国へ本当によく来てくださった。大地が春を迎えたようだ! そしてお父上はまた、こんな美しい人を、恐ろしい、少なくともやさしいとは言えない大海の危険にさらしてまで、ここによこして下さったのか、この人が骨折ってここへ来てくださった事に価しない、ましてすべて身の危険をおかしてまで訪ねてくださる価値のないわたしに会うために。
【フロリ】 陛下、彼女はリビアから参りました。
【レオン】 あの勇敢なスラマス、立派な誉れ高い君主の恐れ愛されている国から?
【フロリ】 さようでございます。そこから参りました。彼の娘でございます。娘とわかれるとき、父親は涙を流しておりました。そこから、しあわせにも南風の助けを得て、私どもは、陛下を訪問するようにとの父の命令を実行するために、海を渡って参りました。私の伴まわりのおもだった者たちは、私が、シチリアの海岸で暇を与えたのでございます。彼らはボヘミアに向いました、リビアにおける私の成功ばかりでなく、陛下、私と、私の妻とが、完全に、只今私どもがおりますこの国に到着したということを知らせるためにでございます。
【レオン】 祝福にみちた神々が、君たちがこの地に滞在する間、すべての悪疫からこの国を清めたまわんことを! 君はまことに神聖な父上を持っておられる、徳の高い紳士だ、その神聖な人に対して、わたしは罪を犯してしまったのだ。そのために、天は、わたしの罪を怒られて、このわたしを世継ぎの子を持たぬ状態におかれてしまった。君の父上には――天から子を与えられるにふさわしい人だが――君という王子が恵まれた、彼の徳にふさわしい君が。もしも、君たちのようにすばらしい息子と娘とを、今まのあたり見られたら、わたしはどんなに幸福だっただろう!
〔貴族登場〕
【貴族】 陛下、私の申し上げますことは、もしも証拠がこのように近い所にございませんでしたら、ご信用いただけないと思います。陛下、おそれながら、ボヘミア王ご自身のご挨拶を私が持参いたしました。王様はご子息の王子様を捕えてくださるようにとお望みでございます。王子様は――その威厳も義務も投げすてられまして――王位継承のご将来も捨てられ、お父上の王様のもとから羊飼いの娘と共にご出奔されましたそうで。
【レオン】 ボヘミア王はどこにおられる?
【貴族】 市内においでになります。私は王様の所から参りました。私は支離滅裂な申し上げかたをいたしておりますが、それは私にとりましてもまことに驚きなのでございます。陛下のご殿に急ぎ向われます間に――この美しいお二人を追いかけられての事と存じますが――途中で王様は、この|にせ《ヽヽ》のお姫様の父親と兄とに会われました。二人とも、このお若い王子様とともに、彼らの国を逃れて来たものでございます。
【フロリ】 カミロが裏切ったのだ! あの男の名誉と、あの男の実直さは、今日まですべての風雪に耐えて来たのだが。
【貴族】 そのように彼をお責めなさいませ。彼はいまお父上の王様と共におります。
【レオン】 だれが? カミロがか?
【貴族】 陛下、カミロでございます。私は彼と話をいたしました。彼はただ今、その貧しい者たちを訊問いたしております。あのように震えている者たちを見た事がございません。彼らはひざまずき大地に口づけし、何か話しますたびに偽誓をいたしております。ボヘミア王はがんとしてお聞き入れにならず、あらゆる種類の死刑を課すぞとおどしておられます。
【パーディタ】 おお、かわいそうなお父さん! 天は私どもをいつもスパイに見はらせていらして、どうしても私共の婚約を祝ってはくださらないのです。
【レオン】 君たちは結婚しているのかね?
【フロリ】 いえ、まだです、陛下、できそうにございません。どうやら、星はまず谷に口づけをするようです。運命というものは身分の高いものも低いものも同じように裏切るものです。
【レオン】 王子、この人は王の娘なのだね?
【フロリ】 そうです、ひとたび私の妻になりましたならば。
【レオン】 なるほど、お父上があまり早く来てしまわれたのでその「ひとたび」がぐずぐずとしているわけだ。残念なことだ、君が子としての義務で結ばれている父上の、愛情を裏切ってしまった事は実に残念なことだ。そして同じくらい残念な事は、君の選んだその人がその美しさほどに裕福でなくて君が正式に結婚できないということだ。
【フロリ】 さあ、元気を出すのだ。たとえ運命の女神が、はっきりとぼくたちの敵であっても、父と共に、ぼくたちを追いかけてこようとも、ぼくらの愛を変える力など全く持っていないのだ。陛下、お願いでございます、陛下が私くらいにお若かった頃のことを思い出して下さい、その頃、陛下が持っておられた愛情をお考え下さい、そして私の|とりなし《ヽヽヽヽ》役とおなり下さい。陛下がお頼み下されば、父は、どんな高価なものでもつまらぬもののように与えてくれるでしょう。
【レオン】 もしそうしてくれるなら、わたしは君の大切な妃をおねだりしよう。父上はその人をつまらぬものとお考えだ。
【ポーラ】 王様、王様のお目は若すぎます。王妃様がおなくなりになるひと月足らず前でも、王妃様は、今、王様のごらんになっておられる方よりお美しゅうございました。
【レオン】 今この人を見つめながらわたしは王妃のことを考えていたのだ。〔フロリゼルに〕まだ君の願いに返事をしていなかったな。わたしが君の父上の所に行ってみよう。君の名誉が、君の情愛で破られることがないなら、わたしはその情愛と君たちの味方になろう。その用事で、わたしは父上の所へ行くことにしよう。だからついて来て、わたしのやり方を見ていなさい。さあ、行くことにしよう。〔一同退場〕
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第二場 レオンティーズの宮殿の前
〔オートリカスと紳士登場〕
【オートリカス】 あなたはこの話の場所におられたのですか?
【紳士一】 わたしはその包みを開く時、そばにいて、羊飼いの爺さんがそれを見つけた時のことを話すのを聞きました。その話に王様はまったく驚かれたようでしたが、それからしばらくして、私どもは皆、部屋から出るように命じられました。ただ、その羊飼いが、子供を見つけたというのだけは聞いたように思います。
【オート】 その結果をぜひ知りたいものです。
【紳士一】 わたしのはとぎれとぎれの話ですが、王様とカミロにみとめられた変化はまったく驚くべきものでした。お二人とも、お互いに顔を見合わせておられましたが、目の玉が飛び出さんばかりでした。|おし《ヽヽ》のような沈黙には雄弁が感じられ、その身ぶりそのものに言葉がありました。お二人とも、まるで、世界が贖《あがな》われたというような、また世界が滅亡したというような話でも聞かれたかのようでした。驚嘆のはっきりした気持がお二人に見られました。しかし、どんなに賢い人が見ていても、見ただけでは、それが喜びを意味するものか、悲しみを意味するのかわからなかったでしょう。がとにかく、どちらにしてもその極端な場合であったにちがいありません。
〔別の紳士登場〕
あそこに来た人に聞けばもっとわかるかもしれません。ロジェロ、何か変ったことがあるのかね?
【紳士二】 まったくボン・ファイアをたかなくちゃ。神託がそのとおりになったのだ。お姫様が見つかったのだ。この一時間のうちに民謡作家でも表わせないようなふしぎな事が沢山起ったのだ。
〔また別の紳士登場〕
ほら、あそこにポーライナ様の執事がやって来た。あの人はもっと知っていますよ。どうなっていますか? このニュースは、本当だと言われてはいるけれども、あまり、古い物語みたいで、真疑のほどはわからないように思えますが。王様のお世継ぎが見つかったのですか?
【紳士三】 まったく真実です。もしも真実が、証拠で明らかにされるものならば、聞いた事を見たとはっきり断言したくなるほど、沢山の証拠に一貫性があるのです。ハーマイオニ王妃様のマント、首にかかっていた王妃様の宝石、それに副えてあったアンティゴナス様のお手紙。その筆蹟もたしかにアンティゴナス様のものでした。お母様そっくりのあの方の威厳、お育ちにまさって自然とあらわれる高貴なご性質、そしてその他多くの証拠から、たしかにあの方は王様のお世継ぎのお姫様と断言されます。お二人の王様の再会をごらんになりましたか?
【紳士二】 いいえ。
【紳士三】 それは残念でした。まことにすばらしい、口にはつくせないような光景でした。喜びが次々と重なって、高まってゆくのですが、お二人のお喜びは涙の中にひたされましたので、それはまるで悲しみがお暇《いとま》|ごい《ヽヽ》をして泣いているようでした。お目を天に向けられたり、お手を高くさしのべられたり、まったく気もそぞろでおられたご様子で、お召物で判断しない限り、お顔ではお二方の見分けがつかないほどでした。わたし共の王様は、お姫様が見つかったお喜びのあまり、我を忘れておられたかと思うと、あたかも、そのお喜びが今度はお悲しみに変ったかのように、「おお、お前のお母さんは、お前のお母さんは!」とお叫びになり、それから、ボヘミア王に許しをお乞いになるのです。それから、今度は婿君《むこぎみ》を抱かれたかと思うと、またお姫様を強く抱擁されるのです。そして今度は、羊飼いの老人にお礼を言われる、老人は何代にもわたって風雨にさらされて立っている噴水の像のように堅くなって立っているのです。あのようなご対面は今まで聞いたこともありません。それをありのままお話しようとしても、|びっこ《ヽヽヽ》になり、絵にかくように描こうとしても駄目なのです。
【紳士二】 お姫様をここからおつれしたアンティゴナスさんはどうなさったのですか?
【紳士三】 これも又古い物語のようでして、だれも信用しなくても、耳を傾けようとしなくても、話の内容はちゃんとあるのです。あの方は熊にめちゃめちゃに食い裂かれてしまったのです。これは羊飼いの息子が証言しています。彼は、正直で、ひどく正直で、その言葉は信用できるのですが、その上、ポーライナ様がお見おぼえのアンティゴナス様のハンカチと指輪を持っているのです。
【紳士一】 船と従者たちはどうなったのでしょうか?
【紳士三】 主人が亡くなったと同時に、難破したのです。羊飼いの見ている前で。ですからお姫様をお捨てすることを手伝った者たちすべては、お姫様が見つけられた時に、死んだのです。しかし、ポーライナ様のお心の中に起った喜びと悲しみのあの気高いまでの戦い! 一方の目はご主人をなくされた悲しみに伏せられ、一方の目はご神託が成就された喜びに天を仰いでおられました。ポーライナ様はお姫様をお抱《だ》き上げになり、もう二度とお姫様を失くす危険がないようにと、かたくご自分のお胸に釘づけになさるように抱きしめておられました。
【紳士一】 この威厳ある一幕は王侯貴族を観客にする価値があります。演じておられるのも王侯貴族ですから。
【紳士三】 その中にももっともすばらしい場面の一つは、私の目もつい釣られて――魚ではないのですが水びたしにされてしまいましたのは――王妃様のおなくなりになった事が語られたときでした。王様がご立派に、悲しみにみちて告白されるのを、お姫様はじっと聞いておられたのですが、その苦痛にたえかねておられるご様子! ひとつ、またひとつ溜息を悲しそうにおつきになりまして、とうとう、「ああ!」と言われて、血の涙を流されたとでも申しましょうか。まったく私の心も血の涙を流しましたのですから。大理石のように冷たい心を持ったものも顔色を変えました。あるものは気絶いたしました。すべての人が悲しみました。もし世界中の人がそれを見ていたならば、世界中の人が悲しんだでしょう。
【紳士一】 そのかたがたは宮廷へお帰りになりましたか?
【紳士三】 いいえ、お姫様は、ポーライナ様がご所有のお母様の像のことをお聞きになりまして――これはかの稀なるイタリアの天才ジュリオ・ロマーノが長い年月をかけて制作し、新しく完成したものです。もしロマーノ自身が永遠性を持ち、彼の作品に息を吹き込むことができるならば、造化の神、「自然」をあざむいて、その仕事を奪ってしまうだろうと思われるほど、完全に「自然」の模倣者なのです。彼の創ったハーマイオニ様の像は、あまりにもハーマイオニ様そっくりですので、つい話かけて、お返事がいただけるのではないかと思うほどのものなのです。皆様は大変ご熱心なご希望でそれを見にそこへ行かれました。そこでご夕食を召し上がるおつもりのようです。
【紳士二】 わたしはポーライナ様がきっとあそこに何か大切なものをお持ちなのだと思います。と申しますのは、ハーマイオニ様がお亡くなりになってから、ずっと、一日に二度、三度、こっそりとあの遠く離れたお宅へお出かけになっておられましたから。わたしたちもそこへ行って、共に、皆様のお喜びに加わろうではありませんか?
【紳士一】 そこへ行く事のできるもので行かないものがありましょうか? まばたきする毎に、何か新しいお恵みが生まれるでしょうから。そのようなところにおりませんことは、わたし共の知識を増す機会をむざむざ失くしてしまうことですから。
〔紳士たち退場〕
【オート】 さてと、今までにおれがちょっとした事をやっていなかったら、出世がおれの上に落ちてくるという所なんだが。おれはあの爺さんと息子を王子様の船に乗せてやったんだ。あいつらが包みか何かの話をしていると王子様に申し上げたのもおれさ。でもあの時には、王子様は、てっきり羊飼いの娘と思い込んでいなさったあのお姫さんにあまり夢中になっておられたんで、それにお姫さんはひどい船酔いになるし、王子様も同じような状態だったが、ひどい|しけ《ヽヽ》がずっと続いて、このふしぎな事はわからずじまいだった。でもまあ、このおれには同じことだ。秘密を発見したのが、このおれだって、ほかにいろいろと具合のわるいことやらかしているおれだから、あまりいい結果にはならないさ。
〔羊飼いと道化登場〕
ほらやって来た、おれが、心ならずも善い事をしてやった奴らがやって来たぞ。もう運の花が開いたような様子でやって来たぞ。
【羊飼い】 これ、せがれや、おら、もう子供のできる年じゃねえだが、お前の息子も娘もうまれながらの紳士だぜ。
【道化】 やあ、ちょうどいいとこで会っただ。あんたは、この間、おらが生まれながらの紳士でねえんで、決闘するのはいやだと言ったな。この着物が目にはいらねえか? 目に入らねえから、ずっとおれが生まれながらの紳士じゃねえって言いはるつもりかよ。この衣裳が生まれながらの紳士じゃねえって言えるなら言ってみろ。嘘ついてると言えるなら言ってみろ。さあ、言ってみろ、そしておれが今でも生まれながらの紳士でねえかどうか試してみろ!
【オート】 いや、旦那、今、あなたは生まれながらの紳士です。
【道化】 そうとも四時間前からずっと、いつでもそうだったんだ。
【羊飼い】 おらもそうだったんだ。
【道化】 そうとも。けど、おれは親父《おやじ》さんより先に生まれながらの紳士だった。だって、王様の息子さんがおれの手を取って、おれを兄さんと呼びなさった。それから、二人の王様たちが親父の事を兄さんと呼びなさったもの。そして、それから、おれの弟の王子様と、おれの妹のお姫様が、おれの親父さんをお父さんと呼びなさった。そしておらたちみんな泣いただ。おらたちが流したはじめての紳士らしい涙だった。
【羊飼い】 伜や、もっともっと流すように長生きしよう。
【道化】 そうとも、それでなけりゃ運が悪いっていうもんさ、おらたちみたいに途方もない身分のものはよ。
【オート】 つつしんでお願い申し上げます。どうか今まであなた様に対して犯しました私の誤ちのすべてをお許し下さいまして、どうか私のことを王子様によしなにおとりなしください。
【羊飼い】 伜や、そうしてやってくれよ。おらたち、寛大になんなきゃなんねえ、何しろ紳士なんだからよ。
【道化】 改心するってんだな?
【オート】 はい、おそれながら。
【道化】 そんなら、手をくれ。おら王子様に誓言してやろう、お前がボヘミア中でだれにもまけない正直な男でごぜえやすとな。
【羊飼い】 そう言うのはええが、誓っちゃなんねえ。
【道化】 誓っちゃなんねえって、紳士だからか? 百姓や郷士だったらただ言うのはいいが、おら誓言するぜ。
【羊飼い】 もし嘘になったらどうする、伜や?
【道化】 それがどんな嘘だって、ほんとうの紳士なら友達のために誓言することができるんだ。だからおら王子様に誓言する、お前が勇敢な男で、飲んだくれじゃねえって。けど、おら知ってるだ、お前が勇敢な男じゃなくて、飲んだくれだってことを。けど、おら誓言するだ、だからお前に勇敢な男になって貰いてえだ。
【オート】 力の限りそうなるよう努力いたします。
【道化】 ああ、どんな方法でもいい、勇敢な男だってこと証明してくれ。勇敢な男でもないのに飲んだくれだってこと、おら、ほんとにふしぎに思ってるだ。あ、聞えるぞ! 王様たち、王子様たち、親戚の者たちが、王妃様の絵姿を見に行かれるんだ。さあ、ついてこい。おらたちの家来にしてやるだから。〔一同退場〕
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第三場 ポーライナの家の一室
〔レオンティーズ、ポリクサニーズ、フロリゼル、パーディタ、カミロ、ポーライナおよび貴族たち登場〕
【レオンティーズ】 おお、有力で善良なポーライナ、お前のおかげで、これまでどんなに慰められたことか!
【ポーライナ】 何を仰せられます、王様。私はその気持だけはございましたが、十分にはできませんでした。私のご奉公に王様は十分に報いて下さいました。でございますが、このたび、王様とご兄弟の王様、ご婚約なさいました二つの王国のご世継ぎ様ともども、このようにまずしい私の家にお運びを賜わりましたことは、もったいない過分のお恵みでございます。私が一生かけましても、それに、お報いすることはできません。
【レオン】 おお、ポーライナ、お前にはかえって面倒をかけることになろう。ただ、王妃の肖像がみたくて参ったのだ。今通って来た廊下《ギャラリー》には珍しいものが沢山あって十分満足したが、そこには娘がそれを見るために来た彼女の母の像というのは見かけなかった。
【ポーラ】 ご存命中も王妃様は世にも稀なお方でございました、ですからお生命《いのち》のない似姿も、私はかたく信じておりますが、王様がかつてご覧になられましたどのようなものにも、人間の手でつくられましたどのようなものにもまさっております。ですから、それだけは、他のものとは別にしてございます。さ、こちらでございます。眠りがつねに死の似姿でございますように、まるで生きておられますような王妃様の似姿をごらんになるのでございますよ。さあ、ごらんになりまして、よくできているとおほめくださいまし。
〔ポーライナ、カーテンを引き、像のように立っているハーマイオニを見せる〕
何も仰せられませんね、そのほうがよろしゅうございます。それだけお驚きが大きい事がわかります。でも、何かおっしゃって下さい。まず、王様。なかなか似ておいででございましょう?
【レオン】 生きているようだ! わたしを叱ってくれ、石の像よ! わたしはそうしたらお前が本当のハーマイオニだと言える。いや、叱らないからこそ、お前はハーマイオニなのだ。お前は幼児《おさなご》のように、慈悲のように、やさしかった。だが、ポーライナ、ハーマイオニはこんなに|しわ《ヽヽ》はよっていなかった、これほど年をとってはいなかった。
【ポリクサニーズ】 おお、それほど年とってはおられません。
【ポーラ】 それだけ、これを刻んだ人がすぐれているということでございます。十六年ほどの歳月を経たように、そしてまるで現在生きておられるようにこの像をつくったのでございます。
【レオン】 今生きていたらきっとこのような姿であろう。そして、どんなにかわたしを慰めてくれたであろう、それを思うとかえってわたしの心は深く刺されるのだ。おお、こうして立っている! このような威厳を持った、生命力にみちた姿で! 今は冷たく立っているが、温い血が通って! あのはじめてわたしが求婚した時には! おお、恥かしいことだ。石像はわたしを責めてはいないのか! それよりももっと石のように冷たいと言って? おお、すばらしい王妃の像! お前の威厳には魔術があるようだ。そしてそれが、わたしの悪業を呼びおこして思い出させ、そして、驚き見つめている娘からは魂を奪ってしまった。娘はお前のそばに石のように立っている。
【パーディタ】 どうぞお許し下さい。そしてそれは迷信であるなどとおっしゃらないで下さい。私はひざまずいて、お母様の祝福をお願い申し上げます。お母様。私が生まれたその時におなくなりになった王妃様、どうかあなたのお手に口づけをさせてくださいませ。
【ポーラ】 おお、お待ちくださいませ。その像は彩色をほどこしたばかりでございますので、色がまだ乾いておりません。
【カミロ】 陛下、陛下のお悲しみはまことに重くのしかかっております、十六たびの冬もそれを吹きはらうことができませんで、十六たびの夏もそれを乾かすことができなかったのでございます。どんな喜びでも、それほど長生きしたことはございません。どんな悲しみももっと早く自殺してしまいましたでしょう。
【ポリク】 ねえ、兄王、このことの原因であったこのわたしに、自分が悲しむだけの、その分だけの悲しみをあなたから取り除くような力を持たせてください。
【ポーラ】 ほんとうに、王様、もしも私がこのつまらぬ像をお目にかけますことが、このように王様をお悲しませすることを考えておりましたなら――この石像は私のものでございますので――お見せするのではございませんでした。
【レオン】 いや、カーテンを閉じないでくれ。
【ポーラ】 いえ、もうこれ以上ご覧になってはいけません。王様がこの像が動きだすなどとお考えになるといけませんから。
【レオン】 そのままに、そのままに! いっそ死んでしまっていたらよいのだ。だがなんとなく――これをつくったのは誰であったかな?――ごらんなさい、息をしているようには思えませんか? そしてあの血管に本当に血が通《かよ》っているようではありませんか?
【ポリク】 すばらしい傑作だ。唇には温い生命がみちているようだ。
【レオン】 目のつくり方は動きがあるようにみえる、まるで技巧にあざむかれているようだ。
【ポーラ】 カーテンを引きます、王様はもうすっかり夢中になられまして、今にその像が、生きているとお考えになりかねませんので。
【レオン】 おお、ポーライナ、二十年間もつづけて、わたしにそう思わせてくれ! この世のどんな平静な心も、そのような狂気の喜びにはとても及ばないのだ。そのままにしておいてくれ。
【ポーラ】 王様、申し訳ございません。こんなにまでお苦しめいたしまして、でももっとお苦しめいたすこともできます。
【レオン】 苦しめてくれ、ポーライナ、なぜならば、この苦しみは、強心剤のもっているような甘い味があるからだ。わたしには彼女の像から息が洩れているように思えてならない。どんな名人の|のみ《ヽヽ》でも息まで刻むことができただろうか? だれもわたしを笑わないでくれ、わたしは口づけをしようと思うのだ。
【ポーラ】 王様、どうか、おやめ下さい。その唇の赤い絵具はまだぬれております。もしお口づけなされば、はげてしまうでしょう。陛下のお唇も油絵具でよごれてしまいますでしょう。カーテンを引いてもよろしゅうございますか?
【レオン】 いや、この二十年間は閉じるな。
【パーデ】 その間中私は、そばに立って、眺めておりましょう。
【ポーラ】 すぐ、そのような事をおやめになって、すぐこの礼拝堂からお離れになりますか、それとももっとふしぎな事が起ることをご覚悟くださいませ。もしそれをご覧になることができますならば、私はその像を本当に動かしてごらんに入れます、台から降りて、王様のお手をとらせてごらんに入れます。でも、その時には、陛下は私が――そんなことは決してないのでございますが――悪魔の力に助けられているとお思いになりますでしょう。
【レオン】 お前が像にさせることができることは何でもさせるのだ。わたしはよろこんで眺めよう、話させることは何でもよろこんで聞こう。その像を動かせるくらいなら話させることもたやすいだろう。
【ポーラ】 まず、ご信仰を。目ざめさせて頂かねばなりません。それから、皆様、じっと立ちつづけて下さい。さて――私がこれから始めますことを不法なこととお考えのお方はここからご退席くださいませ。
【レオン】 はじめてくれ。だれも動いてはならんぞ。
【ポーラ】 楽人たち、像をお起しなさい、はじめなさい!〔音楽〕
さあ、時間でございます。台をお降りください。もう石であることをおやめ下さい。こちらへいらしてください。すべての方々を驚かせて下さい! さあ! 私はお墓をふさいでしまいましょう。さ、お動き下さい、さ、こちらへお出で下さい! 無感覚は死におゆずりなさいませ。なぜなら、生命が死からあなた様を取りもどしたのです。お動きになるのが見えますでしょう。
〔ハーマイオニ台から降りる〕
そのようにお驚きになってはいけません。像のなさる事は神聖です、私の|まじない《ヽヽヽヽ》が合法的なのと同様に。〔レオンティーズに〕今度お亡くなりになるまでは王妃様をお避けになってはなりません。そのような事をなされば、王様は王妃様を二度お殺しになることになります。さあ、お手をお出し下さい。王妃様がお若かった時には、王様はご求婚なさったではございませんか。お年を召された今、王妃様のほうに求婚者になれと仰せられるのですか?
【レオン】 おお、温い! もしもこれが魔術ならば、それが食事する事と同様、合法的なことであるとしよう。
【ポリク】 像が王を抱擁した!
【カミロ】 王様の首のところにとりすがっておられる。もしも生きておられるのなら、お口をきかせてください!
【ポリク】 そうだ。そして今までどこで生きてこられたか、またどうやって、死者たちの所から逃れてこられたかをはっきりお話し頂きたい!
【ポーラ】 生きておられると、ちょっとでも申し上げようものなら、まるで昔の物語のようだと、一笑に附されてしまいますでしょう。でも生きておいでのようです。まだお話になりませんけれども。もうしばらくご覧ください。
〔パーディタに〕どうぞ、お姫様、お父様とお母様の間におはいり下さい。おひざまずきになって、あなたのお母様の祝福をおねがい下さいませ。
〔ハーマイオニに〕こちらをお向き下さい。パーディタ様が見つかりました。
【ハーマイオニ】 神々よ、どうかご照覧下さい! どうかあなたの神聖なる|びん《ヽヽ》より、あなたのお恵みをわが娘の頭上にお注ぎ下さい! さあ、私の娘よ、話して下さい、どこで今まで育てられたのですか? どこで今まで生きて来ました? どうして、あなたのお父様の宮廷を見つけたのですか? 聞かせて上げましょう、私はポーライナから知らされたのですが、ご神託によってあなたが生きているという希望を与えられて、わが子に会うまではと今日まで生きて来たのです。
【ポーラ】 そのお話は、またあとでごゆっくりなさいませ。このような状態になりますと、他の皆様が、同じようなお話であなた様のお喜びのお邪魔をするようなことになるといけません。さあ、大切なものをお手に入れられた皆様方お揃いでおいで下さい。お喜びをごめいめいにお分ち合いになってください。老いた|きじ《ヽヽ》鳩の私はどこかの枯れ枝に飛んで行き、そしてそこで、もう私が死ぬまで二度と見つかることのない私の夫のことをなげきかなしみましょう。
【レオン】 おお、ポーライナ、黙って聞きなさい。お前はわたしの同意を得て夫を持たねばならないぞ、わたしもお前の同意を得て妻を持ったのだから。これはわたしとお前との間で誓言によってとり決められた結婚だ。お前はわたしの妻を見つけた、だがどういう風にして見つけたかはいずれたずねてみる。なぜならばわたしは妻が死んだのをみたと思った。そして幾度もむなしい祈りを妻の墓にささげたのだ。わたしはお前のために立派な夫を見つけるために、遠くまでさがしに行くことはしない――その男については、本人の気持もいくらかは知っている。――さあ、カミロここへ来てポーライナの手をとりなさい。この男の価値と実直さは十分に認められている。そしてここで、われわれ二人の王によって、確認されている。さあ、ここを出ようではないか。どうしたのだ? わたしの兄弟の顔を見てくれ。二人に許しを乞いたい。あなた方の清らかなまなざしに対して、わたしは、よこしまな疑いをさしはさんでいたのだ。これがあなたの婿だ。この王の王子だ。天のお導きによって、彼は、あなたの娘と婚約したのだ。ポーライナ! さあ、ここから案内してくれ。われわれがお互いに、ゆっくりと、いろいろ尋ねたり答えたりできるような所へ。われわれが最初に別れてから今までの、広い時のへだたりの間に、一人一人が演じた役割を語り合おうではないか。さ、急いで案内してくれ。〔一同退場〕(完)
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解説
〔新しい時代へ〕
若いシェイクスピアが志を立て、妻子を故郷ストラットフォードに残してロンドンに出て、劇作家として、劇団人としての生活をはじめてから、いつしか長い年月がすぎた。われわれには何の記録も残されていないが、シェイクスピアの数々の作品が、その間の彼の作家として、人間としての円熟、発展を示してくれる。疫病の流行、劇場閉鎖などの試練の時を経て、いつかシェイクスピアは第一線の作家としてめざましい活躍をし、劇団人としても成功し、経済的にもみちたりた生活が送れるようになっていた。父親ジョン・シェイクスピアの為に「紳士《ジェントルマン》」の称号を手に入れ、自分の家の紋章も持つことができるようになった。彼はつねにロンドンの大衆と共に生き、彼らのために芝居を書いた。彼の心の中にはつねにエリザベス女王に対する敬愛の念があり、おそらくそれは、幼ない日、ケニルワースの城で、若い女王のためにパジェントが行なわれたのを垣間見た頃と少しも変っていなかったであろう。
世の中は移り変り、世紀末の懐疑と幻滅とを経て、新しい知性、新しい自我を求める十七世紀がスタートした。華やかな若き日の面影はなおとどめていても、エリザベス女王はいつか老齢に達し、一六〇三年には亡くなった。スコットランドからジェイムズ一世が来て王位につき、新しい主権者となった。つねに観客の要望に応じつつ、新しい作品を次々と世に送ったシェイクスピアの創作態度はますます円熟して行った。貴族社会がだんだん落ち目になり、一方中産階級の勃興は目ざましいものがあった。庶民の生活形式も内容も少しずつ変化していた。公共劇場《パブリック・シアター》の土間で芝居を見物していた大衆は、私設劇場《プライヴェート・シアター》に高い入場料を出して入り、前よりも程度の高い、洗練された芝居を喜んで見るようになっていた。
新しい時代への変化を、シェイクスピアは一般の人々以上に敏感に受けとめていた。彼の芝居に拍手喝采を送ってくれるロンドンの各階層の人たちのために、彼は精一杯書きつづけていた。故郷ストラットフォードに新しい大きな邸、ニュー・プレイスを購入したシェイクスピアは劇作家としての成功を土産に故郷へ帰る日を楽しみに書いていたのかもしれない。一六〇一年の父ジョンの死、一六〇三年のエリザベス女王の死、彼のパトロンであったサウザンプトン伯の死刑の宣告等々の、次々に彼の身辺に起った大きな事件が直接、間接に彼の創作態度に与えた影響も決して小さくはなかったと言えよう。
〔悲劇時代〕
十六世紀の終り、いわゆるロマンティック・コメデイを書きつづけて好評をはくしたシェイクスピアは、『十二夜』を最後に新しい悲劇へ目を向けて行った。古典悲劇の形式や技巧から脱して、自らの心の中を深く掘り下げて、そこに主体性を発見しようとし、自己のおかれた環境に対する矛盾、苦悩の中に悪と対決して自己を確立しようとする新しい悲劇観が打ち立てられて行った。『ハムレット』『オセロウ』『リア王』『マクベス』の四大悲劇、『ジュリアス・シーザー』『アントニーとクレオパトラ』『コリオレーナス』などのローマ劇には、古い時代から新しい時代への移り変り、エリザベス朝から、ジェイムズ王朝へかけての、人間観、世界観、宇宙観、宗教観の変化がさまざまなレベルで反映されている。善悪の区別が素朴に明白に設定され、明るい積極性にみちていたエリザベス朝初期の栄光は、いつか幻滅と暗さにおおわれ、つねに相対的なものの見方の中に、灰色の世界の中に、人生の、自己の、真実を求めようとする努力がみられるのであった。いわゆるロマンティック・コメデイは、この時代においては、風刺と皮肉との中に人間の欠点や醜さへの批判を表現する問題劇へと変化していた。シェイクスピアの芝居は新しい時代と共に、新たな発展、変化を加えて行ったのである。
〔最後期の劇〕
くりかえし述べて来たように、シェイクスピアはつねに観客と共に、時代と共に生きて来た。観客はつねに新奇なものを求めた。悲劇的な矛盾や苦悩のぎりぎりの所に人間の真実を求めようとする試みも、午後のひととき娯楽を求めて劇場に出かけるロンドンの市民たちの興味と関心をいつまでも惹きつけておくことはできなかった。彼らはまた新しい芝居を求めるようになった。そしてこのような観客の要望にこたえてシェイクスピアも悲劇時代に終止符をうち、新しい芝居を世に送ったのである。これがいわゆるロマンスと呼ばれる最後期の作品、『冬の物語』『シンベリン』『ペリクリーズ』『テンペスト』である。これらの芝居では悲劇は背景となり、悲劇の大団円から芝居がはじまる。新しい和解と再生の主題が展開し、深い人間理解を基盤とした、象徴と寓意を含んだ、美しい調和の世界が見られ、劇作家シェイクスピアの豊かな才能のみごとな完成が見られる。
一六〇七年にはシェイクスピアの長女スザンナが医師のホール氏と結婚、一六一〇年頃にはシェイクスピアは故郷ストラットフォードに帰り、静かな晩年を家族と共にそこで送ったようである。しかしこれらの伝記的なエピソードをそのまま、彼の最後期の作品に結びつけてゆくことはできない。ただ、われわれが容易に想像できるのは、新人作家たち、フランシス・ボーモントとジョン・フレッチャーの悲喜劇《トラジ・コメデイ》が好評であり、またベン・ジョンソンの仮面劇《マスク》が高く評価されていたその頃に、シェイクスピアもかなりそれらの形式に関心を持っていたであろうということである。シェイクスピアの最後期の作品は、これらに対抗して書かれたものと単純に断言はできないが、それらをふまえて、彼独自の、新しい芝居を意欲的につくり上げたものである。
〔新しい象徴と寓意の探求〕
十六世紀から十七世紀へ、エリザベス朝からジェイムズ王朝へ、人々の関心や興味も移り変り、作家や観客の芝居に求めるものも変化して行った。シェイクスピアのライバルであった作家、ベン・ジョンソン(一五七三〜一六三七)の仮面劇《マスク》が、貴族社会にも、また一般大衆にも大きな影響をもちはじめていた。中産階級の物質的、精神的な向上と共に、彼らの趣味もいつか貴族的なものに近づき、仮面劇の洗練された面白さが高く評価されるようになった。若い頃のエリザベス女王の肖像画が非常に現実的、写実的であったのに対して、老齢の女王の肖像が象徴的に描かれるようになったことにも、仮面劇の影響がみとめられる。初期の芝居においても、象徴や寓意に関心を示していたシェイクスピアは、最後期の作品において、新たな、より複雑な態度で、象徴と寓意を巧みに活用している。そしてこれは時代感覚に敏感にこたえている彼の創作態度を示すものであるといえよう。
『冬の物語』
一六一一年五月十五日、医師で占星術師のサイモン・フォーマンという人が「地球座」で『冬の物語』を観たという。彼のメモには最後の彫像の場面のことは何も書いてないが、オートリカスのトリックの面白さなどが記されている。おそらくこの作品はこの上演の時から数ヶ月前に書かれたものであろう。その当時「冬の物語」という言葉は「途方もない空想の物語」という意味に使われていたし、「冬の炉ばたで語られる老婦人たちの|たわい《ヽヽヽ》もない物語」という意味でもあった。現実的なものや、常識では到底理解できないようなエピソードとその展開がシェイクスピアの『冬の物語』の主題であり、彼はそこに新しい象徴と寓意の|より《ヽヽ》所を求め、新しい劇的効果を求めて行ったのである。
まず、王レオンティーズの嫉妬について。親友ポリクサニーズを少しでもながく、シチリアの自分の宮廷に引きとめておこうとして、妻のハーマイオニにその説得役になってくれと頼んだのはレオンティーズ自身であった。そしてハーマイオニがやっとそれに成功した時、突然レオンティーズの心にはげしい嫉妬が起る。彼は妻とポリクサニーズの仲を疑い、彼女を監禁する。ハーマイオニはやがて女の子を出産するが、レオンティーズはそれが自分の子であるという事を認めない。老臣アンティゴナスに命じてその子を捨てさせる。罪人として法廷で裁かれる王妃。王はアポロの神託を待ちかまえていた、妻を正当に裁くために。やがて使者が神託を持って登場、神託はレオンティーズの憶測のまちがいである事、ハーマイオニの潔白を告げた。丁度その時、王子マミリアスの死が知らされ、それをきいて王妃ハーマイオニは失神、やがて侍女ポーライナによって彼女の死がつげられる。レオンティーズの嫉妬は消え、彼は悔悟の念に苦しむ。そして芝居の本筋はここから展開する。
レオンティーズの嫉妬をオセロウの場合と比べてみよう。オセロウの場合には、それは悪役イヤゴウの策略によって引き起されたものであり、それがオセロウの悲劇の中心主題であった。しかしここでは全くちがうのである。王の嫉妬は突然おこり、やがて消える。嫉妬はいわばこの劇の背景であり、象徴的なスタートである。ちょうど『テンペスト』において、暴風雨と難破が果しているような役割を王の嫉妬が果している。そしてそれはこの劇における愛の象徴と寓意を展開させてゆくための必要な条件でもあった。
〔愛の象徴と寓意〕
この劇においては、王妃ハーマイオニの愛と貞節は象徴的に表現される。彼女の愛を、対照的に強くあらわしてゆくのが、彼女の夫レオンティーズ王の突然起した嫉妬と妄想である。妻の不貞の妄想にとらわれたレオンティーズの嫉妬は、妻をしりぞけ、わが娘さえ拒否してしまった。しかし、ハーマイオニの愛と貞節は、片時もゆらぐことなく高くかかげられた。彼女自身その行動によって自分の潔白を示すという方法はとらなかった。侍女ポーライナの計らいによって、ハーマイオニの死が告げられ、それとほとんど同時に、王の愛を一身にあつめていた幼い王子マミリアスの死が告げられた。生まれたばかりの王女にはパーディタという名がつけられ、彼女はポーライナの夫、老臣アンティゴナスに抱えられて宮廷を逃れた。アンティゴナスは暴風雨の中、ボヘミアの海岸近くにパーディタを捨てる。彼自身は突如として現われた熊に食い殺されてしまった。マミリアスの死、アポロの神託による王妃の潔白の証言によって、レオンティーズ王は悔い改めるが、時すでにおそく、彼はただ一人悲しみと後悔の中に残される。そして彼の心に自分の犯した罪を思い起こさせて彼を苦しめるのは、妻の貞節と共に、それを行動に移して彼を責めるポーライナの言葉でもあった。愛も死も、この劇ではすべて象徴であり、その象徴が寓意によってさらに劇的効果を強めて行った。
舞台上には口上役の「時」があらわれて、十六年の歳月の経過を告げる。中世劇にあらわれるような寓意的人物「時」が、愛の象徴を裏付け、舞台と観客を結んでゆく。ボヘミアの海岸で、羊飼いの親子に拾われたパーディタは美しい娘に成長し、いつか恋をするようになった。その恋の相手はボヘミア王ポリクサニーズの王子フロリゼルであった。牧歌的な美しい枠組み、英国的な伝統ゆたかな「羊の毛刈り祭」の楽しい雰囲気の中に、若い二人の恋は育てられてゆく。しかしボヘミア王ポリクサニーズが息子の秘かな恋を知り、その相手が身分の卑しい羊飼いの娘である事を知って怒ったとき、フロリゼルとパーディタは秘かにボヘミアを逃れて、パーディタの父、レオンティーズ王の統治するシチリアへ向うのであった。
一方ポーライナの気転によって、ハーマイオニはひそかにかくまわれていた。十六年の長い間、その秘密は知られることなく過ぎた。そのシチリアの国へ、フロリゼルとパーディタがやって来た。そしてそれを追ってボヘミア王もシチリアに到着。やがて羊飼い親子の持参した品々からパーディタの身許が明らかにされ、レオンティーズはわが娘との再会のよろこびにひたった。妻との間を疑って無実の罪をきせたポリクサニーズ王とも和解し、彼らの仲は、息子と娘の結婚によって、さらに親密なものになろうとしていた。ポーライナは王たちやパーディタたちを王妃ハーマイオニの彫像のある部屋に案内した。やがてポーライナの言葉と共にハーマイオニの彫像がその台から降りて王を抱擁する。ハーマイオニの愛と貞節の勝利であり、ポーライナの知恵と行動による王と王妃の愛の復活であった。愛の象徴と寓意は美しく結ばれてこの劇を完成させるのである。
ハーマイオニの愛の象徴は、舞台の上では、彫像の形をとって、抽象と具体とを結んでゆく。貞節な妻ハーマイオニの描き方はまことに象徴的である。そしてこれが「時」の寓意と結ばれてゆく。「愛」の象徴と「時」の寓意を中心として、これは当時の観客の趣味に合った新しい芝居であった。この芝居における「愛」の象徴と現実を結んでゆくのが侍女ポーライナの性格描写と行動である。さらに愛の象徴と寓意のもう一人の|にない《ヽヽヽ》手であるパーディタと、彼女のおかれた牧歌的な、そして当時の人々の生活に身近かな英国の「羊の毛刈り祭」の行事とその楽しい雰囲気も、この芝居における愛の象徴と寓意を劇的に展開してゆく上に重要な要素である。羊飼いの娘としてのパーディタが変装のポリクサニーズ王やその他の客人に、それぞれ花を贈りながら語る言葉にも、愛の象徴と寓意は美しく表現され、空想と現実が結ばれてゆく。
最後期の芝居におけるシェイクスピアの象徴と寓意に対する興味と関心は、当時の時代感覚と観客の意識と舞台との間を交錯しながら、抽象と具体、虚構と現実の間を往き来し、ユニークな舞台効果をあげている。『冬の物語』は空想的な物語でありながら、円熟したシェイクスピアの現実の姿を示して、独自な世界を創り上げている。この劇から、われわれが直接にシェイクスピアの人生観や思想を把握することは難しいが、この劇の象徴と寓意の美しい展開の中に、夢と現実の交錯の中に、笑いと涙の結ばれてゆく中に、数々の作品を世に送って円熟した才能を示しながら、故郷ストラットフォードで、ロンドンの舞台に思いをよせて、妻や子供たちと生活していたであろうシェイクスピアを思い起す事は可能である。そしてわれわれはミランダと共にさけぶのである。
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まあ、すばらしい!
何てたくさんの美しい人間がここにいるのでしょうか!
人間って何て美しいんでしょう!
(『テンペスト』第五幕一場一八一〜一八三)
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訳者あとがき
『冬の物語』を訳しはじめてからずい分長い時がすぎた。やっと訳しおえた今、あたりは初夏の美しい緑である。そう言えばこの作品を訳すためにテクストを読み直しはじめたのは、白樺の幹が、陽にきらきらとかがやいている新緑の頃の信州の家においてであった。
シェイクスピアの作品を日本語に訳すことの困難さを今回ほど強く感じた事はなかった。シェイクスピアのイメージを大切にしながら、日本語でもシェイクスピアに近づく事ができる訳をとつねに心がけながら、この仕事をつづけているが、今回は彼の最後期の作品、マスクや象徴や寓意に彼自身も、彼の観客も強い興味と関心を寄せていた頃の作品。舞台と言葉の結ばれ方、観客と登場人物の意識、認識のレベルの問題が特に難かしい作品である。初期の劇や、ロマンティック・コメデイの場合とは異った雰囲気と感覚とをどのようにして日本語に移せばよいのか? 単純に、機械的に訳せば、まことに陳腐なお伽話になってしまいそうな、「熊」や「彫像」の場面をどう扱えばよいのか? 問題は限りなくあった。そして訳しおえた今もそれらすべてが解決されたとは思っていない。
訳しながら、時々、じっと目を閉じて舞台を想像した。舞台の上でシェイクスピアの言葉が創り出す、美しい、楽しい、そして威厳さえある格調の高さを自分の心の中に再現してみた。『真夏の夜の夢』の最後のパックの言葉が心に浮んで来た。
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もし私ども影のような者がお気に召さなくとも、
皆さまがたがここにしばし眠られて
私どもが夢の中にあらわれたとおぼし召せば
すべてお心はとけますでしょう。
そしてこのたわいない、はかない物語はただひとときの夢のようなもの、
どうか、皆さま、おとがめくださいますな。
お許しくださるならば、今後とも改めてまいります。(第五幕一場三九四〜四〇一)
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むせぶような緑の中に訳者は夢を追い求め、夢を言葉にあらわそうとしていたのだ。そし て言いかえるならば、それがまさにこの作品の本質であった。そして訳者もパックと共に、「お許しくださるならば、今後とも改めてまいります」と口上を終らせたい。
一九七七年六月
〔訳者紹介〕
大山敏子(おおやま・としこ) 一九一四年生まれ。東京文理科大英文科卒。近世英文学専攻。主著「シェイクスピアの心象研究」「シェイクスピアの喜劇」「女性と英文学」他。訳書「ヴェニスの商人」「ジュリアス・シーザー」「真夏の夜の夢」「お気に召すまま」「十二夜」「じゃじゃ馬ならし」など多数。