リチャード3世
ウィリアム・シェイクスピア/大山俊一訳
目 次
第一幕
第二幕
第三幕
第四幕
第五幕
解説
年譜
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登場人物
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エドワード四世……ヨーク家出身の英国王。ジョージとリチャードの三人兄弟の一番上で、エドワードとリチャードの二人の息子がある
エドワード……皇太子、のちにエドワード五世(エドワード四世の息子)
リチャード……ヨーク公爵(エドワード四世の息子)
ジョージ……クラレンス公爵(エドワード四世の弟)
リチャード……グロスター公爵、のちにリチャード三世(エドワード四世の弟)
ヨーク公爵夫人……エドワード四世、クラレンス公、グロスター公の母
エリザベス……エドワード四世王妃
マーガレット……ランカスター家の故ヘンリー六世王妃
アン夫人……故ヘンリー六世皇太子エドワードの未亡人、のちにグロスター公と結婚
クラレンス公の幼い息子
マーガレット・プランタジネット姫……クラレンス公の幼い娘
ヘンリー……リッチモンド伯爵、のちにヘンリー七世
枢機卿バウチャー……カンタベリ大司教
トマス・ロザラム……ヨーク大司教
ジョン・モートン……イーリー司教
バッキンガム公爵
ノーフォーク公爵
サレー伯爵……ノーフォーク公爵の息子
伯爵リヴァーズ……エドワード四世の王妃エリザベスの兄
ドーセット侯爵およびグレー卿……ともにエリザベスの息子
オックスフォード伯爵
ヘイスティングズ卿
スタンレー卿……ダービー伯爵とも呼ばれる
ラヴェル卿
士爵トマス・ヴォーン、士爵リチャード・ラットクリッフ、士爵ウィリアム・ケイツビー、士爵ジェイムズ・ティレル、士爵ジェイムズ・ブラント、士爵ウォルター・ハーバート、士爵ロバート・ブラックンバリ、士爵ウィリアム・ブランドン
クリストファー・アースウイック……僧侶
もう一人の僧侶
ロンドン市長
ウィルトシャ州刑吏
トレッセルおよびバークレー……アン夫人の従者
その他、貴族、従者、使者、代書人、市長たち、刺客、亡霊、兵士ら
場所 英国
王権はこの間、ランカスター家のヘンリー六世から、ヨーク家のエドワード四世、同五世、リチャード三世をへて、ランカスター家のヘンリー七世へと受け継がれる。
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あらすじ
醜く生まれついたリチャード・グロスターは、自分を呪い、世の中を呪った。「俺は悪党になる決心をした」と大見得《おおみえ》をきり、野心と復讐心にもえてつぎつぎと悪事を重ねてゆく。妻を殺し、友を殺し、部下を殺し、幼い皇太子兄弟を殺し、国王にまでなる。
しかしリチャード三世は、つねに孤独である。彼のそばに現われては呪いの言葉を投げかける故ヘンリー六世王妃のマーガレット、彼に肉親を殺され嘆きと悲しみのなかに沈む人びとの呪詛。彼はとうとう、みずからの悪事のつぐないをすべき時をむかえる。
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第一幕
第一場 ロンドンの街頭
〔グロスター公リチャード登場〕
【グロスター】 今やわれわれの不平、不満の冬は、
このヨークの太陽のおかげで、さん然たる栄光の夏となった。
そしてわれわれの家の上に垂れこめていたすべての暗雲は、
大洋の深いふところの中へ葬られてしまった。
今やわれわれの額《ひたい》は勝利の花環《はなわ》で飾り立てられている。
われわれの破損した武器は記念品として陳列されている。
けたたましい戦闘準備の合図は楽しい人寄せの声となった。
壮絶な突撃前進は、心地よいダンスのステップに変わってしまった。
いかつい顔の「戦争」は顔のしわをすっかり伸ばしてしまった。
そして今や完全武装をした馬に歩武《ほぶ》堂々とまたがって、
腰抜けの敵兵どもの心胆《しんたん》を寒からしめる代わりに、
いい具合に情欲をかきたてる淫《みだ》らな楽《がく》の音に合わせて、
やつめは女の部屋でいとも敏捷に立ち回っている。
ところがこの俺は、やさごとには生まれつき向いていないし、
うぬぼれ鏡にうつつをぬかすようにもできてはいない。
この俺はへたくそな刻印《こくいん》を押された、できそこないの貨幣《コイン》だから、
流し目で品をつくって歩く女の前にしゃしゃり出る度胸がない。
この俺は、そらっとぼけの「自然」の女神にだまされて、
こんなことに必要な五体の均整が切り取られてしまったという訳だ。
かたわで、未完成で、月足らずのまま、
ほとんど半分もできあがらぬうちにこの世の空気を吸わされた。
こんなにちんばで、およそ浮世ばなれのかっこうだから、
俺がびっこをひきひきそばを通ると、犬の奴めは俺に吠えかかる。
つまりこの俺には、こんな笛や太鼓の平和で軟弱なときには、
日向《ひなた》でおのれの影法師でもながめて、
そのぶざまなかっこうをあれこれ歌う以外には、
おもしろおかしく暇をつぶす方法はない。だから、この俺が色男になってこの巧言令色の軟弱な時代を、
楽しく暮らすようには絶対になれっこはないのだから、
俺は決心した、いっそのこと大悪党になってやるのだ。
そしてこの頃のあのつまらぬ楽しみを呪ってやるのだ。
計画はもう動き出している。でたらめな予言や、
悪口を書いたビラや、夢占いで、恐ろしい序の幕はもう切って落とされている。
兄王エドワードと次兄クラレンスとが、
お互いに不倶戴天《ふぐたいてん》の憎悪を抱くように計ってやるのだ。
俺が陰険でうそつきで裏切り者であるのにひきかえて、
兄王エドワードはまじめで正直者だから、まちがいなく今ごろは、
Gの頭文字のつく者がエドワードの跡継ぎを殺すだろうという、
俺の作ったあのでたらめな予言の件で、
次兄のクラレンスは冷たい牢屋《ろうや》につながれているだろう。
待て、いろいろの思いごとは心の底に潜《もぐ》っていろ。クラレンスがやって来る。
〔護衛されたクラレンス公ジョージおよびロンドン塔看守長ブラックンバリ登場〕
こんにちは、兄上、このものものしい護衛はいったい何ごとですか?
兄上の後ろにお供をしているのは?
【クラレンス】 かたじけなくも
国王陛下が、この身の安全を顧慮されて、
わたしを牢獄へ連れて行くためにご任命になられた護衛様だ。
【グロスター】 いったいどういうかかりあいで?
【クラレンス】 わたしの名前がジョージだから。
【グロスター】 これは驚きました! それはいっこうに兄上の罪ではないでしょう。
そんなことなら、兄上の名付け親こそ罪に落とすべきです。
たぶん陛下は牢獄の中で、新しい名前を、
兄上に下さるというおつもりなのでしょう。
それにしてもどういう訳でしょうか兄上? どうぞお聞かせください。
【クラレンス】 うん、わかった時にはね。というのは実のところ、
わたしにもまだわからないのだ。が、わたしの知る限りでは、
王は予言だとか夢占いだかに夢中になっているそうだ。
それでアルファベットから、でたらめにGという字を取ってきて、
そして頭文字がGの者に王の子孫は滅ぼされると、
さる魔法使いが告げたと言っているのだ。
そしてわたしの名前がジョージで、Gで始まるから、
その下手人はこのわたしだと王は考えている訳だ。
こんなふうな他愛もない思いつきが王を動かして、
わたしをいま獄舎へ送ることになったらしい。
【グロスター】 それはつまり、男が女の言いなりになっている時に起こることです。
兄上を牢獄へ送るのは絶対に国王ではありません。
兄王の妻、グレー夫人エリザベスです、彼女《あれ》のやったことです。
王をそそのかして、この挙に出させたのです。
今日この日、許されて出獄するあのヘイスティングズ卿をも、
王をそそのかして牢獄へ送らせたのは、
エリザベスとその兄のあのお偉いお方、
アントニー・ウッドヴィルだったではありませんか?
兄上、われわれは安泰ではありません、安泰ではありません。
【クラレンス】 いやまったく! 王妃の一族か、王とそのお囲い者の
ショア夫人とのあいだの真夜中の走り使いかでなければ、
今、身の安泰なものはないだろうと思う。
ヘイスティングズ卿が赦免《しゃめん》されるについては、
卿がどんなに平身低頭してあの女に嘆願したかは知っているだろう?
【グロスター】 うやうやしくもありがたくもあのお女神様を拝みたてまつって、
わが侍従長閣下は晴れて自由の身におなりあそばされたのです。
ところで兄上、もしいつまでも王のお気に入りでありたいなら、
あの女の召使いになり、そのお仕着せを着るのが、
われわれのとるべき一番の方法だと思います。
あの疑り深い、着古した後家《ごけ》さんと、あのお囲い者とは、
兄が連中を貴婦人の位につけてからは、
この王国ではじつに権力ある「おなじみ」様ですからね。
【ブラックンバリ】 おふたかた様に、まことに失礼ながらお願い申し上げます。
いかなる身分の者といえどもクラレンス様とは、
個人的には会ってはならぬ、話してはならぬとの、
陛下よりのきついお達しにござりまする。
【グロスター】 そうか。ところでブラックンバリ閣下、御意ならば、
われわれの話をお聞き召されてもいっこうにかまいません。
われわれは謀反《むほん》のことなど話し合っているのではない。
王は明君で徳が高く、高貴なる王妃殿下におかれては、
御年《おんとし》は相当に召され、うるわしく、疑り深くはおわしまさないと言っているのだ。
われわれはショアの妻君の足はじつに美しいと言っているのだ。
くちびるは桜んぼ、目は愛らしく、言葉づかいはとびぬけて魅力的だと言っているのだ。そして王妃の親戚は貴族になられたと言っているのだ。
これがどうだと言うのだ? 全部そうではないというのか?
【ブラックンバリ】 この件に関しましては閣下、私は無関係であります。
【グロスター】 うむ、関係だと! ショア夫人と関係があるだと!
おい、ショア夫人と関係がある者はな、
たった一人を除いては、秘密にこっそりとやるのが得策というものだ。
【ブラックンバリ】 その一人と申しますのは、いったい誰で?
【グロスター】 あの女の主人に決まっているではないか。これでも俺を裏切るか?
【ブラックンバリ】 殿下、なにとぞお許したまわらんことを願い上げます。
そしてこれにて、公爵様とのお話を御こらえくださいますよう。
【クラレンス】 われわれもそちの職務をわきまえている。言うことを聞こう。
【グロスター】 われわれは王妃の忠愛なる賎民《せんみん》、
何でも御意《ぎょい》のままだ。
兄上、ごきげんよう。私は王のところへまいります。
ご所望《しょもう》のことは何なりと私めにお申しつけください。
エドワード王の後家さんを姉上様と呼ぶことだっていたします、
もしそれが兄上を自由の身にするためならば。
ところで、肉親の間柄でのこの不名誉、不面目、
私の心の痛みは兄上にはとうてい想像もできないほどです。
【クラレンス】 誰だって愉快でないことはよく知っている。
【グロスター】 とにかく兄上の牢屋生活、そう長くは絶対させません。
必ず自由の身にしてみせます。さもなくば私が身代わりをつとめます。
しばらくの間です、こらえてください。
【クラレンス】 やむをえぬ。ごきげんよう。〔クラレンス、ブラックンバリおよび護衛退場〕
【グロスター】 行け、二度ともどれぬ道を行け!
お人好しの正直者のクラレンス! 俺はお前さんが好きなんだ。
だからお前さんの魂を近ぢか天国へ届けてやろうという訳だ。
もし天が、われわれの手からの捧げものを引き受けてくれればの話だが。
ところでそこに来るのは誰だ? 放免されたばかりヘイスティングズか?
〔ヘイスティングズ卿登場〕
【ヘイスティングズ】 こんにちは、ごきげんうるわしく。公爵閣下!
【グロスター】 やあ、こんにちは、ご同様ごきげんよう侍従長閣下!
晴れて自由の身となられて心からおめでとう。
牢獄でのご生活、よくお耐えになられました。
【ヘイスティングズ】 忍耐の一語です閣下、完全に囚人にされました。
だが閣下、私をありがたくも牢屋へ入れてくれた人々には、
そのうち必ずご返礼申し上げるつもりでおりまする。
【グロスター】 いやたしかに、たしかに。兄クラレンスにも必ずそうさせてやる。
あなたの敵だった連中はつまりは彼の敵であり、
そしてあなた同様、彼もじつにひどい目に合わされているのだから。
【ヘイスティングズ】 トンビや禿鷹《はげたか》が自由に獲物をあさって、
鷲《わし》が閉じこめられているのですから、ますますもってお気の毒です。
【グロスター】 何か外《そと》のニュースは?
【ヘイスティングズ】 外で聞くニュースは内《うち》のが最低です。内のが最低です。
王はご不例で衰弱がはなはだしく、うつうつとしておられます。
それで侍医たちは万一を気づかっております。
【グロスター】 いや聖ヨハネにかけて、これはじつに悪いニュースだ。
そうだ、王は長いあいだ、げてもの食いの不摂生《ふせっしょう》を続けられてきた。
それでおからだの衰弱がことさらにひどいのだ。
それを思うとまことに痛ましい限りだ。
王はいずれに? やすんでおられるのかね?
【ヘイスティングズ】 さようでございます。
【グロスター】 ではお先へどうぞ。私も後から参ります。〔ヘイスティングズ退場〕
王はもう余命いくばくもない。しかしクラレンスが大至急早馬で、
天国へ送り届けられるまでは死なれちゃ困る。
これから行って、もっともらしい内容で十分固めた嘘八百で、
クラレンスをますます嫌うよう王をけしかけてやろう。
それで、もしも俺の深謀遠慮《しんぼうえんりょ》に誤算がなければ、
クラレンスの命は今日限りのものだ。
それが済みしだい、神よなにとぞエドワード王を召し給わんことを!
そしてあとの天下はなにとぞ私めに掻《か》き回させてくださいますよう!
そうなったら俺はウォーリックの末娘(皇太子エドワードの未亡人)と結婚してやるのだ。
彼女《あれ》の主人(皇太子エドワード)も父親(ヘンリー六世)も俺が殺したんだが、なにかまうものか。
あの女に償《つぐな》いをしてやる一番手っ取り早い方法は、
彼女の亭主となり父親となってやることだ。
断固そうしてみせる。あの女が格別好きだからという訳ではない。
極秘中の極秘の、ある計画のためなのだ。
それをあの女と結婚することによってぜひとも俺は実現したいのだ。
が、まだまだ獲らぬ狸の皮算用だ。クラレンスはまだ息をしているし、
王エドワードもまだ生きていて王権を握っている。
俺の儲《もう》けの総決算は、連中がすべて姿を消したその後だ。〔退場〕
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第二場 ロンドン、他の街頭
〔ヘンリー六世の遺骸、ハルバード(ほこ槍)を持った多数の警護者、喪主アン登場〕
【アン】 お下ろしください、お下ろしください、皆さんの肩の栄誉ある御荷を
もしも栄誉というものが柩《ひつぎ》の中にもはいり得るものならば……
いと高きランカスターの時ならぬご最期を、
しばし心から悲しんで、その霊を弔《とむら》いたいのです。
聖なる国王の、氷のように冷たいお痛ましいお姿!
ランカスター家の、蒼白きご遺骸!
ランカスター王統の血筋の、すでに血の気なき最後の名残りよ!
あなたの霊に呼びかけたとて、どうぞおとがめくださいますな。
あなたにこの傷を負わせたと同じ手で倒された
あなたの跡継ぎ、亡きエドワードの妻、
この哀れなアンの悲しみの言葉をどうぞお聞きください!
ご覧ください、あなたのお命を奪ったこの傷口の数々に、
私はこの哀れな両の目から甲斐なき涙のお薬を注ぎます。
おお、この数々の傷口をつくった手に呪いあれ!
ここからこの血を流させた血気に呪いあれ!
このようなことをあえてする心情を持った心に呪いあれ!
あなたの死によってこの私共を悲惨この上なくする、
あの忌《い》まわしい恥知らずに恐ろしい恐ろしい運命がふりかかれ!
蝮《まむし》やクモやヒキガエルや、その外すべての毒を持ってこの地上を
はい回るものにふりかかるより、もっともっと恐ろしい運命がふりかかれ!
もし万一あの男に子供ができるようなら、生まれそこないでありますように!
月足らずで日の目を見た、ふた目とは見られない化物でありますように!
その醜い、浮世ばなれした姿が、生まれ来るわが子を
楽しみにしていた母親を、ただのひと目で気絶させますように!
そしてその子はまた、あの男の不幸を一生受け継ぎますように!
もしあの男が妻をめとるなら、その人はそれはそれは不幸になりますように!
若い夫、それに父であるあなたを亡くしてこの私が不幸になったより、
その人はあの男の死によって、もっともっと惨めになりますように!
さあ参りましょうチャーツィヘ、そこに埋葬するために
セントポールから運ばれた、この聖なるご遺骸をお担《にな》いして。
それからお疲れの時にはいつにても、御荷を下ろしてお休みください、
その間私は、亡きヘンリー王のご遺骸をとむらい申し上げておりますから。
〔グロスター公リチャード登場〕
【グロスター】 待て、お前たち、そのかついでいる柩を下ろせ!
【アン】 いったいどこの邪悪な魔術師がこんな悪魔を祈り出したのか、
この聖なるご葬儀の邪魔立てをさせようとして!
【グロスター】 げすどもめ! その柩を下ろすのだ! さもなくば
聖パウロに誓って言うが、言うことをきかぬやつは血祭りにあげるぞ!
【警護の士】 閣下、どうぞ道をおあけください、柩を通してください。
【グロスター】 不作法きわまる犬どもめ! とまれと命命したらとまるのだ。
その槍の尖先《きっさき》をもっと上へあげろ! さもなくば、
聖パウロに誓って言うが、みんなこの足元にたたきのめして、
思いきり踏みにじってやるぞ! 乞食どもめがこしゃくな真似をしおって!
〔柩かつぎたち柩を下ろす〕
【アン】 おや、ふるえているのですか? みんなこわいのですか?
いや、あなた方をとがめることはやめましょう。みんな生身の人間なのだから。
生身の人の目が悪魔に耐えるはずがない。
消え失せよ、おのれ恐ろしい地獄の使い魔め!
お前の力がおよんだのは王の生身の体だけ、
王の御霊《みたま》まで手に入れることはできない。とっとと消え失せよ!
【グロスター】 おやさしい聖者! ご慈悲です、そんな残酷なことは言わないでください。
【アン】 汚らわしい悪魔! 後生だから、われわれの邪魔をしないで消え失せよ。
お前はこの地上の楽園を、お前の支配する地獄としてしまった。
恐ろしい呪いの言葉と苦しい叫び声でいっぱいにしてしまった。
もしもお前の無道のふるまいを、その目で見て楽しみたいと言うのなら、
お前自身の手になったこの虐殺のお手本をとくと見るがよい。
おお皆さん、ご覧なさい! 亡くなられたヘンリー王の傷口が
血でかたまった傷口が大きな口を開けて、また血を吹いています!
恥を知れ、恥を! この汚らわしいできそこないのかたわ者!
ただの一滴の血も残っていない冷たい、空《から》の血管から
このように血が吹き出るのは、お前がここにいるからに違いない。
天をも人をも顧みないお前の残酷きわまりない行ないが、
不思議このうえないこの血潮の大洪水を招いたのだ。
おおこの血を造りたもうた神よ、なにとぞ王の死に復讐あらんことを!
おお、この血を吸い込む大地よ、なにとぞ王の死に復讐あらんことを!
天よ、稲妻の一撃で、この人殺しを打ち殺してください! さもなくば
大地よ、口を大きく開けて、この男を生きたまま丸呑みにしてください、
ちょうどこの男の地獄腕が切りさいなんだ聖君主、
故ヘンリー王の血をいま呑みこんでいるように!
【グロスター】 奥方! あなたは慈悲のルールというものをご存知ない。
悪には善をもって、呪いには祝福をもって報いるべきです!
【アン】 悪党! お前は神の掟《おきて》も人の掟もわきまえていない。
いかにどう猛な野獣でも憐れみのかけらぐらいはあるものを!
【グロスター】 私にはその微塵《みじん》もありません、だから野獣ではありません。
【アン】 何という不思議、悪魔が真実を語るとは!
【グロスター】 いや、もっともっと不思議、天使がそんなにお怒りとは!
お願いです、一点非のない女性の鑑《かがみ》のようなお方!
どうかこの私めに、実情の一つひとつを逐一詳細に説明して、
この根も葉もない無実の罪の数々を晴らさせてくださいますように!
【アン】 お願い、どこを取っても悪と疫病のかたまりのような男!
どうかこの私に、実情の一つひとつを逐一詳細に説明して、
この明々白々な罪悪の数々をお前自身に呪わせて欲しい!
【グロスター】 言葉ではとうてい形容できない美しいお方!
どうかここはこらえて、私の弁解の言葉を聴いてください。
【アン】 心ではとうてい考えつくこともできない汚らわしい悪!
ここで首をくくる以外には、お前に弁解の言葉があるはずがない。
【グロスター】 そんな自暴自棄をしたのでは自分の罪を認めることになります。
【アン】 自暴自棄になってこそお前は罪の弁解ができるというもの。
他人に対していわれない虐殺をほしいままにした、
お前自身に対してふさわしい復讐をするのだから。
【グロスター】 私は殺さなかったとしたら?
【アン】 それならみんな殺されなかったはず。
だがみんなは死んでいる、悪魔のようなお前の手にかかって。
【グロスター】 私はあなたのご主人は殺しませんでした。
【アン】 では生きてるはず。
【グロスター】 いや亡くなってます、エドワードの手にかかったのです。
【アン】 この大嘘つき! マーガレット王妃がご覧になっていたのです、
お前のむごい刃《やいば》が血煙たてて夫を殺したところを。
しかもお前の兄弟たちがその尖先《きっさき》を払いのけなければ、
お前はそれをマーガレット様の御胸《みむね》に向けていたのです。
【グロスター】 私の罪でもないものを私の罪にした、
あの女の口汚ないののしりの言葉に、ついかっとなったのです。
【アン】 人殺し以外のことは夢にも考えたことがない、
お前の血に飢えた心が、ついかっとなったのです。
お前はこの王を殺しはしなかったと?
【グロスター】 それは事実であることを認めます。
【アン】 認めるですって? この針ねずみ! では神様なにとぞ、
お前がこの悪業のため地獄へ落ちることをお認めくださいますよう!
おお、王はおやさしく、おだやか、徳のお高い方でした!
【グロスター】 ますますもってふさわしい、王を迎える天上の王にとって。
【アン】 王は天国におられるのです、お前などは絶対に行かれない。
【グロスター】 それなら礼を言ってもらいたい、そこへ行くのを助けたこの私に。
地上より天国の方が、ずっと王にはふさわしいのだから。
【アン】 そしてお前には地獄以外にふさわしい場所はない。
【グロスター】 いや、もう一つあります、聴いてくれるというなら申しますが。
【アン】 どこか地下牢。
【グロスター】 あなたのベッド・ルーム。
【アン】 お前が寝る部屋など永遠の不安がふりかかれ!
【グロスター】 そのとおりになるでしょう、私があなたと一緒に寝るまでは。
【アン】 ぜひそうあって欲しい。
【グロスター】 そうに決まってます。ところで、姫、
こんな烈《はげ》しい機知の競《せ》り合いはもうやめにして、
いささかテンポを落として申すのですが、
プランタジネット家のこれら二柱《ふたはしら》、ヘンリーとエドワードの
この、ときならぬ死の原因をつくり出したその張本人は、
実際に手を下した者同様に責められるべきではないでしょうか?
【アン】 原因も、また最も呪うべき結果もみなお前。
【グロスター】 あなたの美しさがそういう結果の原因となったのです。
あなたの美しさが、寝ても覚めても私を悩まして、
あなたのその美しい胸の中にせめて一時間でも抱かれるなら、
全世界の皆殺しを断固決行してもよいと思うようになったのです。
【アン】 それと知ったら、人殺し! お前にはっきり言いますが、
この爪で私の両の頬の美しさをひき裂いてしまいたい。
【グロスター】 この目が我慢しません、あなたのその美しさを破壊するなんて。
私がおそばにおります限りは、あなたはそれを汚すことはなりません。
ちょうど全世界が太陽で元気づけられているように、
私はあなたの美しさでそうなのです。それは私の昼であり、命です。
【アン】 暗黒の闇がお前の昼を、死がお前の命をおおいつくすといい!
【グロスター】 君自身を呪ってはいけない、可愛い奴、君はその両方だ。
【アン】 両方だといいと思います、お前に復讐をするために。
【グロスター】 君を心から愛している人に復讐するなんて、
およそそれほど自然の道に反する議論はありません。
【アン】 私の夫を殺した者に復讐をすることは、
まったく正当で、かつ理にかなった議論です。
【グロスター】 ねえ姫、君の旦那さんを君から奪ったのは、
もっといい旦那さんを君にお世話申し上げるためだったんだ。
【アン】 夫より立派な人はこの地上で息をしてはおりません。
【グロスター】 前の旦那さんよりもっと君を愛してる人が生きてます。
【アン】 名前を言ってご覧なさい。
【グロスター】 プランタジネット家の者。
【アン】 それこそ亡き夫。
【グロスター】 名前はすっかり同じだが、性質はずっとましの者。
【アン】 どこにいます、そんな人?
【グロスター】 ここに。〔アン、グロスターに唾《つば》を吐きかける〕なぜ唾をかけるんです?
【アン】 いっそ唾が恐ろしい毒だといい、お前のような男にとっては!
【グロスター】 とんでもない、そんな美しい所から毒は出っこありません。
【アン】 ヒキガエルの頭には毒があるというけれど、こんな醜いのは見たこともない。
さっさと消えておしまい! お前は私の目にまで病毒を移す。
【グロスター】 美しい君の目が私の目を恋の病いの虜《とりこ》にしたのです。
【アン】 いっそこの目がバジリスクだといい、ひとにらみでお前が死んでしまうよう!
【グロスター】 私もそうだといいと思います、いっそこの場で死んでしまいたい。
というのは君の目は私を生き地獄に投げこんで、なぶり殺しにするのです。
君のその目は私の目からつらい涙を引き出して、
子供のような大粒の数々で、その外観を台無しにしてしまったのです。
同情の涙などかつて流したことのないこの両の目、
陰険な顔のクリッフォードの打ち振るう剣に倒された、
兄ラットランドのふりしぼる悲痛な叫び声を聞いて、
父ヨークや兄エドワードが涙を流したときでさえも、
また君の勇武のほまれ高きお父上が、まるで子供のように、
私の父の最期の悲しい物語をして、
何度も途中で止めてすすり泣いたり、大声を出して泣いたり、
それで、そばにいた者も全部、雨でずぶ濡れの木のように、
その頬を涙で打ち濡らしたときでさえも、そんな悲しいときでさえも、
私の男の目は、女々しい涙を軽蔑したのです。
こんな悲しみでも引き出すことのできなかった涙なのに、
君の美しさがそれを引き出しました。そして私は涙でめくらになりました。
私は敵にも味方にも、いまだかつて嘆願ということをしたことがありません。
私の舌はやさしい、お追従《ついしょう》の言葉などは知らなかったのです。
しかし君の美しさにあったが最期です、今こそ年貢《ねんぐ》の納めどき。
私の誇り高い心は嘆願し、舌にお追従を言わせます。
〔アンは軽蔑したように彼を見る〕
そんな風にして軽蔑することを君の唇に教えないでください。
それは姫、キスするために造られたので、軽蔑のためではありません。
君の復讐に燃える心がどうしても赦《ゆる》すことができないというのなら、
それ、この尖先《きっさき》するどい剣をこのとおり君に貸しましょう。
もしそれで、この真実の私の心をぐさっとひと突きにして、
君を心から讃美している私の魂を追い出してしまいたい、と思《おぼ》し召されるのなら、
私はこのとおり両の胸をかき開いて、君の死のひと突きをお待ちします。
このとおりひざまずいて、君の死刑執行をつつしんで懇願したてまつります。
〔彼は両の胸を開く。アンは彼の剣で彼の胸をひと突きにしようとする〕
さあ、止めてはだめです! ヘンリー王は私が殺したのですから。
でも、私をそそのかしたのは君のその美しさです。
さあ、早く片づけてください! 若いエドワードを刺し殺したのはこの私です。
〔アン再び彼の胸をひと突きにしようとする〕
でも、私をけしかけたのは君の天使のように美しいその顔です。〔アン、剣を落とす〕その剣をもういちど拾い上げてください、さもなければこの私を拾い上げてください。
【アン】 立ち上がるがいい、この大嘘つき! お前など死んでしまった方がいいが、
お前の下手人にはなりたくない。
【グロスター】 それなら私に自殺しろと命じてください、すぐそうします。
【アン】 それはとうにしたこと。
【グロスター】 君が腹を立てていたときのことです。
もういちど言ってください。そうしたら言下に、
君を愛するために君の愛する人を殺したこの手は、
君を愛するために、より真実の愛人、この私めを打ち殺します。
君はそのどっちの死にも責任があるのです。
【アン】 お前の心の内が測りかねる。
【グロスター】 言葉で申し上げたとおりです。
【アン】 どっちも嘘じゃないかしら?
【グロスター】 それなら男はみんな嘘つきです。
【アン】 いいわ、いいわ、あなたの剣はおしまいなさい。
【グロスター】 それなら仲直りをしたと言ってください。
【アン】 それはまだ先のこと。
【グロスター】 でも希望は持てるでしょうか?
【アン】 人は誰でもそうするものよ。
【グロスター】 どうかこの指環をはめさせてください。
【アン】 もらうってことはあげるってことじゃありませんよ。〔アン、指環をはめる〕
【グロスター】 ごらん、私の指環が君の指をしっかりと取り巻いている。
それとおんなじに、君の胸が私の哀れな心を取り囲んでいる。
そのどちらもお好きなように。指環も私の心もすべて君のものだから。
そしてもし、君の心からの下僕《しもべ》であるこの私の、
一つの願いごとを寛大にも君がききとげてくれるなら、
君は私の幸福をさらに永遠、確実なものとすることができるのだが。
【アン】 それは何です?
【グロスター】 この悲しみのいとなみを、当然その当事者たるべき、
この私にどうかお任せくださるようご了承願いたい。
そしてクロスビー・ハウス、私の屋敷へすぐに来てください。
そこにあるチャーツィの僧院においていとも厳粛に、
この高貴なる国王のご遺骸を埋葬申し上げ、
そのお墓の石を私の懺悔の涙で打ち濡らしたあとで、
できうる限り早く君に会いたと思う。
訳はすべては言えませんが、お願いします、
どうかこのことを聴き容れてください。
【アン】 よろこんで。それにあなたがこんなにも罪を悔いているのを見て、
わたしは嬉しさで胸が一杯です。
トレッセルとバークレー、さあ一緒に参りましょう。
【グロスター】 僕にごきげんようを言ってください。
【アン】 あなたはまだその資格がありません。
でもあなたはお世辞の言い方をわたしに教えてくれたので申します、
ではあなたごきげんよう、と言ったも同然とお考えください。〔アン、トレッセル、バークレー退場〕
【グロスター】 さあ柩をかつげ。
【警護士】 チャーツィヘでございますか、公爵閣下?
【グロスター】 いや、ホワイト・フライヤーズヘだ。そこで俺の来るのを待て。〔グロスター以外全員退場〕
こんなムードで口説かれた女が、かつてあっただろうか?
こんなムードでモノにされた女がかつてあっただろうか?
あの女を手に入れてやる。だがそれもほんのわずかな間だけのことだ。
驚いた! あの女の亭主とその亭主の父親とを殺したこの俺さまが、
あの女がこの俺をいちばん憎んでいるその時に、あの女を手に入れるとは!
あの女の口には呪いの言葉の数々、目にはいっぱいの涙、
俺に対する憎しみの証拠物件、血を吹く証人を目の前において、
神も、彼女の良心も向こうにまわして、おまけに亭主とその父親を殺しておいて、
俺さまの求婚の味方となって助けてくれるものとしては、
正真正銘の悪魔と、それを偽るうわべだけの顔つきで、
しかもあの女を手に入れるとは! いや、まったく驚き入った!
えっ?
あの女は夫エドワード、あのすばらしい王子を、
もう忘れてしまったのだろうか? つい三カ月ばかり前、
チュークスバリで、腹立ちまぎれのこの俺に刺されたあの夫を?
ありとあらゆる天賦の才能をゆたかにうけて、
若くて、勇敢で、賢明で、そして血統は紛れもなく王統で、
世界広しといえどもあんなすばらしい、ハンサムな男は、
二度とこの世に生まれ出ることはないだろう。
しかも彼女はあえてこの俺に目をつけるというのか?
あの立派な王子の黄金の芽を刈り取って、
彼女を涙の床の未亡人としてしまったこの俺に?
俺の全部を合わせたってエドワードの一部にも足りないこの俺に?
ちんばで、おまけにこんな醜男《ぶおとこ》のこの俺に?
いや、俺の全公爵領を乞食|銭《ぜに》一枚に賭けてもいい、
俺は今の今まで俺という人間を見そこなっていたのだ。
たしかに彼女は、俺には分らないが、この俺を、
どえらくハンサムだと思っているにちがいない。
俺も鏡の一つぐらいはおごらにゃなるまい。
それから洋服屋の一、二ダースは特約しておこう。
大いに流行を研究して、このカッコいい体を飾らにゃならん。
この俺さまが彼女の思し召しにかなったというからには、
いささかの費用はかけてもそれを永続きさせねばならん。
が、まず第一に、あの棺桶《かんおけ》のおっさんをお墓へ埋めるとしよう。
そしてそれからわが恋人のところへ泣きの涙で出かけるんだ。
うるわしの太陽よ、輝いていてくれ! 俺が鏡を一つ買ってくるまでは。
俺さまの歩く影法師をとくと眺めていたいからな。〔退場〕
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第三場 ロンドン、王宮の一室
〔王妃エリザベス、王妃の兄リヴァーズ卿、グレー卿ら登場〕
【リヴァーズ】 王妃、こらえてください、陛下がまもなく、
平常どおりのご健康を取り戻されることは疑いのないことです。
【グレー】 もしくよくよされていると、陛下のご容態は悪化するばかりです。
ですからお願いです、どうか楽しくしてください。
そして元気な、愉しいお顔で陛下を元気づけてください。
【エリザベス】 もし王に万一のことがあると、この私はどうなるだろう?
【グレー】 王が亡くなられるというだけのことです。
【エリザベス】 王が亡くなられるということは、あらゆる災いが起こるということ。
【グレー】 天はあなたに立派な王子を恵んでくださっています、
王が亡くなられたときにあなたの慰めとなるように。
【エリザベス】 残念ながら王子はまだ若い。未成年の間は、
リチャード・グロスターの後見に任されることになっている。
私を好かない、あなた方の誰をも好かないグロスターの。
【リヴァーズ】 彼が摂政になることは、おおやけに決定したことですか?
【エリザベス】 おおやけにはまだですが、内々には決まったことです。
もし王に万一のことがあれば、おおやけにそうなるに決まってます。
〔バッキンガム卿およびスタンレー卿登場〕
【グレー】 バッキンガム卿およびスタンレー卿が参られました。
【バッキンガム】 王妃殿下、ごきげんうるわしく存じ上げます!
【スタンレー】 いつもながら殿下、ごきげんうるわしく存じ上げます!
【エリザベス】 奥さんのリッチモンド伯爵夫人は、スタンレー卿よ、
あなたのご親切なお祈りに「アーメン」とは決して言わないでしょう。
でもスタンレー、リッチモンド伯爵夫人があなたの奥さんで、
そして奥さんが私を好かないからといって卿よ、安心してください、
奥さんが傲慢《ごうまん》だからといってあなたを嫌うことはいたしません。
【スタンレー】 王妃殿下、お願いでございます、彼女《あれ》をおとしいれようとするものの
悪意ある中傷を、ゆめご信用にならないでください。
また彼女《あれ》を非難する言葉が正当なものでありますならば、
なにとぞ彼女の弱点をおこらえくださるよう願い上げます。
気まぐれ病の昂《こう》じたもので、決して根深い悪意などではございません。
【エリザベス】 スタンレー卿、本日陛下を見舞われましたか?
【スタンレー】 バッキンガム卿と私と、ちょうどただ今、
陛下をお見舞いして戻ったところでございます。
【エリザベス】 王のご快癒《かいゆ》の望みはいかがなものでしょうか?
【バッキンガム】 非常にご有望でございます。陛下は元気にお話をされました。
【エリザベス】 神よ王に健康を! 陛下とお話をされたと?
【バッキンガム】 さようでございます。陛下は心から、
グロスター公と妃殿下のご兄弟方、またあの方々と
侍従長殿との間の調停、和解を望んでおられます。
そして皆様方が御前にご参集あられるよう、お召しの使いを出されました。
【エリザベス】 万事うまく参りますように! でもそれは絶対に不可能。
今がわが一族の幸福の絶頂ではないかという気がしてならない。
〔グロスター、ヘイスティングズ卿、ドーセット侯爵登場〕
【グロスター】 みんながわしに不当な仕打ちをしている。もう我慢がならぬ。
いったいこのわしが冷酷にして連中に愛情をいだいていないなどと、
王にむかって有ること無いこと告げ口をしたのは、どこの誰だ?
パウロさまに誓って言うが、こんな人心を離反させるようなうわさ話で、
王の御耳を一杯にする輩《やから》こそ、王に対する愛情まこと軽やかな者というべきだ。
わしはお追従も言えぬし、美辞麗句も得意でない。
人の顔をみてにっこりと笑い、お世辞を言い、嘘をついてだまくらかして、
フランス人よろしく家鴨《あひる》のように頭を上げ下げ、それに猿真似の行儀作法なんて真っ平だ、
それでついわしは、悪意、怨恨《えんこん》に燃える『かたき』だと思われてしまう。
いったい人は危害のことなど考えずに、正直|一途《いちず》には生きられないものか?
きまって女の腐ったような、ずる賢い、人にうまく取り入る輩の手にかかって、
正直一方の真実は醜く歪められてしまうのだ。
【グレー】 ここにお集まりのどなたに閣下はお話しなのでしょうか?
【グロスター】 お前にだ、誠実さも信義のカケラもないお前にだ。
いったいわしがいつお前を傷つけた? いつお前を中傷した?
お前もだ、お前もだ? お前たち一族一党の誰でもだ?
どいつもこいつも全部くたばれ! 国王陛下におかせられては……
神よなにとぞ国王が、お前たちが希望する以上に長命であられますよう! ……
陛下はお前たちが愚にもつかぬ泣きごとで悩まし申し上げるので、
片時もご安泰にしておられるときがないのだ。
【エリザベス】 グロスター殿、それはあなたが間違っておりますぞ。
王は誰かに請願されて動かされたのでは決してなく、
王ご自身のお考えであなたをお呼びになられたのです。
おそらくは、あなたの外部の動作に表われている、
私の子供や、兄弟や、私自身に対するあなたの心の中の憎悪を、
王はご推察になられたのでございましょう。
かくしてお話し合いによってあなたのご不満の根をつきとめ、
それを取り除きたいとお考えになっておられるのです。
【グロスター】 わかったものではない。世も末になったものだ。
鷲《わし》でさえ止まろうとしない高い所で、ミソサザイが獲物をあさっている。
下種《げす》の成り上がり者が貴族さまにおさまりかえってる当世のことだ、
ほんものの貴族が下種なみに扱われたって何の不思議もない。
【エリザベス】 これこれ、グロスター殿! あなたのおっしゃりたいことはわかってます。
あなたは私や私の友人たちの出世が羨ましいのです。
おお神様、あなたなどのお世話には絶対になりませんように!
【グロスター】 ところが神はわれわれがあなたのお世話さまに相成るように、
思し召されているのです。兄のクラレンスはあなたの差し金で投獄されました。
わたし自身の不名誉この上なく、貴族全体が辱《はずか》しめを受けたことになる。
ところが一方では日々の栄達、昇進は目をみはるばかり、
ほんの二、三日前までは貴族のはしくれにも値しなかった連中が、
やんごとないにわか貴族におさまりかえっているではないか。
【エリザベス】 私の以前の満ち足りた、仕合わせな境遇から、
この患《わずら》い多い王妃の高い地位へ、私を引き上げられた神に誓って申します、
私はクラレンス公のことについて王を焚《た》きつけたことは
絶対になく、むしろ私はいつもいつも、
公のために弁解した、心からの取りなし役だったということを。
かりそめにも私にこんな卑劣な疑いをかけるとは、
グロスター殿、私に対しこの上ない侮辱を加えたことになりますぞ。
【グロスター】 このあいだのヘイスティングズ卿の投獄も、
あなたの差し金でされたのではないと言い切れる?
【リヴァーズ】 もちろんです閣下、つまり……
【グロスター】 もちろんそうでしょう、リヴァーズ閣下! 誰にもわからんことだから。
いやそればかりではない、もっとひどいこともできる。
君たちのすばらしい昇進のために大いに助力しておきながら、
そんなことには一切手を貸しませぬとはっきり言い切れる。
そしてそれらの栄誉はすべて君たち自身の才能のゆえだと言い切れる。
およそできないことはない! じつに結構、何でもできる!
【リヴァーズ】 何が結構できるのでしょうか?
【グロスター】 何が結構できる! 王様と結婚できたではないか?
未婚で、眉目秀麗《びもくしゅうれい》、自分より年下の若い王様と?
あなたのおばあさまはたしか、これほど結婚運は強くはなかった。
【エリザベス】 グロスター公殿、あなたの歯に衣《きぬ》着せぬ非難と、
にがにがしい叱責《しっせき》、こらえにこらえておりましたが、もう我慢がなりませぬ。
今までたびたびこらえてきた野卑な罵言《ばげん》の数々、
今度という今度は断固、陛下のお耳に入れましょう。
こんなになぶり者にされ、さげすまれ、がみがみ怒鳴られて、
こんなふうにして偉大な王妃でいるくらいなら、
野暮な田舎の女中にでもなっていた方がずっといい。
〔王妃マーガレット背後へ登場〕
大英帝国の王妃と仰がれても、喜びなどはほとんどない。
【マーガレット】 〔傍白〕その少ない喜びを、神よなにとぞもっとお減らしください!
お前の王妃としての栄誉、地位、その座はもともとみんなわしのものなのじゃ。
【グロスター】 何ですと? 王に言いつけると言ってわたしを脅迫するのですか?
どうぞご遠慮なく! いいですか、今言ったことは
王の面前でもはっきりと申し上げるつもりです。
投獄されるかもしれないが、それは覚悟の上です。
今こそ言うべきときなのだ。わたしの骨折りなんかみんな忘れられている。
【マーガレット】 〔傍白〕消え失せろ悪魔めが! わしはみんな覚えているぞ!
お前はロンドン塔の牢獄で夫のヘンリーを殺した。
テュークスバリで可哀想な息子エドワードを殺した。
【グロスター】 あなたが王妃になる前、つまりあなたの夫が王になる以前、
わたしは兄のため、駄馬となって働いたのだ。
兄の傲慢な敵という雑草を片っ端から抜いて捨てた。
兄の味方の者にはふんだんに褒賞を与えた。
兄の血統を王統たらしめるため、わたしはわたしの血を流したのだ。
【マーガレット】 〔傍白〕そうだ、兄王やお前のよりずっと上等な血をだ。
【グロスター】 そのあいだじゅう、あなたとあなたの先夫グレー卿は、
ランカスター家と結託しておったのだ。
それからリヴァーズ、あなたもそうだった。あなたの御主人は
セイント・オールバンのマーガレットの戦いで戦死したのではありませんか?
もしお忘れなら、思い出させてさし上げましょう。
あなたの身分が以前はどんなで、今はどんなかを。
そしてさらに付け加えて、わたしの身分が以前はどんなで、今はどんなかを。
【マーガレット】 〔傍白〕以前も人殺しの悪魔、今もそのとおり。
【グロスター】 可哀想な兄クラレンスは義父ウォーリックに背いた。
そうだ、そして自分自身の誓いさえ破った。主イエスよなにとぞお赦したまわんことを!
【マーガレット】 〔傍白〕神よなにとぞ復讐したまわんことを!
【グロスター】 それもみんなエドワードを王位につけるためだった。
そしてその御礼として可哀想に! 彼は牢獄につながれている。
神よ、わたしの心がエドワードの心のように火打ち石でありますように!
さもなくばエドワードの心がわたしのように優しく、憐れみ深くありますように!
わたしの心はこの世に生きて行くためには、あまりに子供っぽく単純すぎるのだ。
【マーガレット】 〔傍白〕恥を知って地獄へ失せろ、この世から退散せよ!
おのれ大悪魔め! お前の住むところは地獄よりほかにはあり得ない。
【リヴァーズ】 グロスター閣下、閣下が今おっしゃった
われわれが敵だったという動乱の時代にありましては、
われわれはただわれわれの主君、正統の主君に従ったまでです。
閣下が王であられればわれわれは当然閣下に従います。
【グロスター】 わしが王であればだと! 行商人にでもなった方がずっとましだ。
そのような考えが、ゆめわたしの心に起きませんように!
【エリザベス】 あなたがこの国の王となられても、
お考えのとおり、喜びなどというものはほとんどありません。
ちょうどこの国の王妃であるこの私にも、おわかりのように、
喜びなどというものは皆無であるのと同じように。
【マーガレット】 〔傍白〕そのとおり、王妃の喜びなどというものはない。
現にこのわしも王妃だが、喜びなどはいささかもない。
もうこれ以上ここで我慢していられない。
〔前へ進み出る〕
これ聴け、海賊ども! このわしから掠《かす》め取ったものの山分けで、
つかみ合いの大喧嘩をしている海賊め! わしの言うことを聴け!
この中に、このわしを見てふるえ上がらぬ奴が一人でもいるか?
わしが王妃だから忠良たる臣民として平身低頭するというのでないならば、
わしがお前たちに退位させられたから謀叛人として恐れおののいているのか?
おっと、おやさしい悪党さん、尻尾《しっぽ》を巻いてお逃げかい?
【グロスター】 汚らわしいしわだらけの魔女め! 何用あってここへ来たか?
【マーガレット】 お前の悪業の数々をもういちど数え上げたいばっかりに。
それをし終えないうちは金輪際お前を放してはやるまいぞ!
【グロスター】 お前は国外追放、見つかれば死刑の身ではないか?
【マーガレット】 そうじゃ。だが追放されて国外にいるより、
ここにいて、見つかって死刑になった方がずっとましじゃ。
夫一人と息子一人、お前はわしに借りがあるぞ!
そしてエリザベスお前は、王国一つ、それにお前たち全部が忠誠の借りが!
わしが持っているこの悲しみは、当然お前たちのものじゃ。
お前たちがわしから不当に奪ったすべての喜びはみなわしのものじゃ。
【グロスター】 わたしの父君ヨーク公がお前に投げかけた呪い、
父のつわものらしい立派な額をお前が紙の王冠をかぶせて辱しめ、
罵詈讒謗《ばりざんぽう》の限りをつくして父の目に悔し涙を流させたとき、
それから可愛いラットランドの罪なき血で浸された
一片の布きれを、その涙をふけとお前が父に手渡したとき、
父の魂の苦しみの奥底からお前に投げかけられた呪いが、
そのすべての呪いがお前の身の上にふりかかって来たのだ。
お前のむごたらしい行為を罰したのは神ご自身で、われわれではない。
【マーガレット】 神はそのように公正におわします、罪なき者を正しとされます。
【ヘイスティングズ】 おお、あんな赤子を殺すとはこれ以上いまわしい行為はなく、
これ以上無慈悲な行ないを耳にしたことはない!
【リヴァーズ】 それを聞いたとき、いかなる暴君も涙を流した。
【ドーセット】 復讐を予言せぬものはいなかった。
【バッキンガム】 ちょうど居合わせたノーサンバランド公もそれを見て涙を流した。
【マーガレット】 何じゃ! わしが来る前にはどいつもこいつも
喉《のど》をつかまんばかりになって吠えあっていたのに、
今度は束になってわしに喧嘩を売ろうというのか?
ヨークの恐ろしい呪いが、天を動かしたとでもいうのか?
それで夫のヘンリーの死と可愛い息子のエドワードの死と、
彼らの王国の喪失とわしの悲しみの国外追放と、
これら全部でやっとあの泣き虫小僧一人をつぐなうというのか?
呪いというものは雲を突き通して、天にも届くことができるものか?
よしそれなら、垂れこめる雲よ、わしの鋭い呪いにどうか道をあけてくれ!
わが夫ヘンリーは人殺しの手にかかり、結局エドワードを王位につけたが、
お前の夫エドワードは戦争で死ぬことはなくとも、不身持ちで死ぬ!
いま皇太子であるお前の息子エドワードは、
かつて皇太子であったわしの息子エドワードをつぐなうため、
同じように、子供のあいだに非業の最期をとげよ!
王妃たるお前自身は、王妃だったわたしへのつぐないに、
このみじめなわし同様、栄耀栄華《えいようえいが》後の落ちぶれた生活の苦惨をなめよ!
いつまでも死にそこなって、亡くなった子供たちの死を悲しむがいい。
そしてちょうどわしがお前を見ているように、もう一人の王妃を見よ!
ちょうどお前がわしの座を占めたように、お前のもので飾り立てた王妃をだ!
お前の幸福な日々はお前が死ぬずっと前になくなってしまえ。
そして長い長い悲しみの日々のあとで、
母でもなし妻でもなし、また英国王妃でもなくなって死ね!
リヴァーズよ、ドーセットよ、お前たちはわしの息子が
むごたらしい剣で刺し殺されたとき、手をこまねいて傍観しおった。
ヘイスティングズ卿、おぬしもそうじゃった。おお神よ、
お前たちはどいつもこいつも、誰一人として天命をまっとうすることなく、
いずれも不慮の突発事で無残な最期をとげるよう!
【グロスター】 呪いはもう止めろ、おのれ、いやらしいしわくちゃ婆ァめ!
【マーガレット】 そしてお前は除外するのか? 待て、むく犬、お前にも言うことがある。
もしも天に、わしがお前にふりかかれと祈るよりもっと多くの災いが、
天の河の堰《せき》も切れよとばかり堰とめてあるのなら、
おお今しばらく待って欲しい、お前の罪が熟し切るまで。
そして天の怒りの堰をいちどに断ち切って、どっと一時にお前の上に押し流せ!
この哀れな世界平和の攪乱者《かくらんしゃ》であるお前の上に!
絶え間ない良心の苛責《かしゃく》が四六時ちゅうお前の魂を噛み砕け!
お前の友人たちを、お前は生きている限り裏切者だと疑い続けよ!
そして陰険な裏切り者どもをお前の最良の友と思いこめ!
お前のその恐ろしい目を安らかな眠りが閉じること絶対なきよう!
眠れば必ず恐ろしい夢が身の毛もよだつ悪鬼の地獄絵で、
お前の心を、恐怖のどん底へつき落としてしまうように!
おのれ、このできそこないの鬼の申し子め! 泥ほじくりのイノシシめ!
この世いちばんの大悪党で地獄の申し子だという大烙印が、
生まれ落ちるとともに焼きつけられたこの生まれそこないめ!
お前を生んだ母親のお腹《なか》にとって何たる恥さらし!
お前を息子とした父親にとって何といやらしい鬼子!
この恥しらずの乞食め! おのれ憎っくき……
【グロスター】 マーガレット!
【マーガレット】 リチャード!
【グロスター】 何ですか?
【マーガレット】 お前など呼んではおらぬ。
【グロスター】 では、ひらにご容赦を! じつは先ほどから私のひどい悪口を、
いろいろとお並べになっていたと私は思ったものですから。
【マーガレット】 それはそうじゃ。だがお前の返事などは無用じゃ。
さあ、わしの呪いのしめくくりをつけてしまいたい!
【グロスター】 それは私がもうやりました。「マーガレット」で終わりです。
【エリザベス】 それでつまりわれとわが身を呪ったことになるのです。
【マーガレット】 絵に描《か》いた哀れな女王さん! わしの一生のまねごとさん! 腹の毒で徳利のように肩の膨れたあのクモ男にお前はなぜ砂糖をふりまくか?
あいつの恐ろしいクモの巣がお前のまわりに張りめぐらされてるのがわからんか?
馬鹿が! 馬鹿が! お前はお前自身を殺すナイフを研《と》いでいるんじゃ。
この毒のある、せむしのヒキガエルを呪うのをぜひ手伝ってくれと、
お前がわしに頼みにくるときが、いつかはきっとやってくる。
【ヘイスティングズ】 でたらめな女予言者め! 気違いじみた呪いを止めよ。
さもなくばわれわれの勘忍ぶくろの緒も切れようぞ!
【マーガレット】 おのれ恥しらず! お前たちこそわしの勘忍ぶくろの緒を切ったのだ。
【リヴァーズ】 あなたにふさわしい取り扱いをすれば、あなたも思い知るでしょう。
【マーガレット】 ふさわしい取り扱いをするためには、もっと礼儀を知るべきだ。
わしはお前たちの王妃で、お前たちはわしの臣下だとわしに納得させてくれ。
おお、わしに立派に仕えて、臣下としての務めを果たしてくれ!
【ドーセット】 この人と議論するのはおやめなさい。この人は気がふれている。
【マーガレット】 黙らっしゃい侯爵の旦那さん、お前さんは少し出過ぎてます。
できたての貨幣同然の爵位では、世間さまがそう安々と通用させてはくれません。
おお、貴族の栄誉を失くして惨めな目にあうことがどんなことか、
お前たち新米貴族たちに心底から思い知らせてやりたい!
高くそびえるものはすべて風当たり強く、揺れ動く。
そして一度で倒れれば微塵《みじん》に砕けてすべて跡形もない。
【グロスター】 じつにためになるご忠告、侯爵よくよく肝に銘じられよ。
【ドーセット】 わたくし同様、閣下にも関係したことです。
【グロスター】 さよう、君以上にね。しかしわしの生まれは非常に高い。
われわれの雛《ひな》は杉の梢《こずえ》に巣を造る。
そして風に戯れ、太陽をさげすむ。
【マーガレット】 そして太陽をも暗くしてしまう、哀れや哀れ!
見よ、かつては太陽と仰がれたわしの息子は、今や死の暗闇の中だ。
そのさん然と輝く光をお前の暗うつな怒りの雲が、
永遠の暗闇の中にすっぽりと閉じこめてしまったのだ。
お前たちの雛はわれわれの雛の巣の中に巣を作った。
すべてをしろしめす神よ、かくのごときことは絶対にお許しなきよう!
血を流して得たものは、また血を流して失くすよう!
【グロスター】 静粛に、静粛に! 慈悲の心までは無理にしても、せめては恥を知れ。
【マーガレット】 わしに慈悲だの恥だのと言えた義理か?
お前のわしに対する仕打ちこそ、無慈悲そのものではなかったか?
わしの二つの希望を虐殺するという恥しらずの行ないも、じつはお前のやったこと。
わしの知る慈悲とは烈しい怒り、人生とは屈辱のことじゃ!
そしてその屈辱の中で、わしの怒りは焔々《えんえん》と燃えさかっているのじゃ!
【バッキンガム】 もうやめよ、もうやめよ。
【マーガレット】 おお、ご立派なバッキンガム! お前の手にキスしよう。
お前さんとの同盟と友情とのおしるしとしてだ。
お前さんとお前さんの誉れ高きご一家に仕合わせが参りますよう!
お前さんの着物はわしらの血で汚されてはいないし、
お前さんはわしの呪いの圏外じゃ。
【バッキンガム】 同様にここにいる者はすべて。というのは、
呪いはそれを言った者の唇に戻るというではないか?
【マーガレット】 いや、わしの呪いは必ずや天にのぼって、
神の安らかな眠りを呼び醒ますことだろう。
おおバッキンガム、そこにいる狂犬に用心せよ!
あいつは尾を振っているときに咬みつくのだ。
あいつが咬むと、歯にある毒で必ず殺《や》られてしまう。
あいつにかかわりあいを持つでない。あいつに気をつけよ。
あいつは罪と死と、地獄の刻印を持って生まれた男だ。
あいつのまわりにはそれらの使い魔がついてまわってる。
【グロスター】 バッキンガム卿、この人は何と言ってるのですか?
【バッキンガム】 いや閣下、とるに足らぬつまらぬことです。
【マーガレット】 何じゃ! 親切心から忠告しているこのわしを小馬鹿にして、
近よるなと警告しているこの悪魔に優しい言葉をかけるのか?
おお、あいつがお前の心を悲しみで八つ裂きにしたとき、
そのときこそ、このことをとくと憶い出すがいい。
そして可哀相なマーガレットが予言者だったと思い知れ。
どいつもこいつも、みんなあいつの憎まれ者になれ!
そしてあいつがお前たちの、そしてお前たち全部が神の憎まれ者になれ!〔退場〕
【ヘイスティングズ】 あの女の呪いを聞くと身の毛がよだつ。
【リヴァーズ】 わたしもそうだ。いったい彼女《あれ》を、なぜ放しておくのだろうか?
【グロスター】 わしはあの女を責められん。神の聖なる御母君にかけて言うが、
彼女はこれまであまりにもひどい目にあっているのです。その点では
わたしも一役買っているが、わたしは今それを後悔している。
【エリザベス】 わたしの知る限りでは、わたしはあの人には何もしていない。
【グロスター】 だがあなたは、あの人の不仕合わせからまともに利益を受けている。
わたしはある人に尽くそうとあまりにも熱しすぎてしまった。
しかもその人はそのことについて、今あまりにも冷淡すぎる。
実のところクラレンスは素晴らしい報酬をもらったものだ。
おかげで彼は豚箱に閉じこめられ、肥らされているというわけだ。
神よ! かくのごとき悪事の張本人をなにとぞお赦しあらんことを!
【バッキンガム】 われわれに災いをなした者のために祈って終わるとは、
いかにも有徳のキリスト教徒にふさわしいなされ方だ。
【グロスター】 わたしはいつもそうするのです。〔自分に〕もちろん考えがあってのことだ。
いま呪ってしまったら、俺自身を呪ったことになっただろう。
〔ケイツビー登場〕
【ケイツビー】 妃殿下、国王陛下がお召しでございます。
そして公爵閣下も、それから皆様方諸卿全部。
【エリザベス】 ケイツビー、すぐ参ります。諸卿ご一緒に参りましょうか?
【リヴァーズ】 われわれは妃殿下にお供いたします。
〔グロスター以外全部退場〕
【グロスター】 俺が悪さをしておいて、まず俺が騒ぎたてる。
じつは俺がけしかけておいた極秘の悪事を、
憎むべき罪としてこれを他人のせいにする。
クラレンスはじつはこの俺が暗闇へ投げこんだのだが、
単純な間抜けどもの前ではおいおいと泣いてみせる。
とくにスタンレーや、ヘイスティングズや、バッキンガムの前で。
そして兄の公爵に対しては、王をけしかけたのは
王妃およびその一党だと言ってきかせる。
連中は今そうだとばかり思いこんでいる。そればかりか、
リヴァーズや、ドーセットやグレーに復讐しろと俺をそそのかしている。
そんなときは俺は溜息ついて、聖書などからいささか引用し、
神は悪に対しては善をもって報いよと命じたもう、などと彼らに言う。
かくして俺は、すっぱだかの悪事に衣を着せてしまう、
聖書から出鱈目《でたらめ》に盗んできた、使い古しの小切れでだ。
そしてじつは最もひどい悪事を演じているときに、俺は聖人に見せかける。
〔二人の刺客登場〕
だがちょっと待て! わが輩がやとった死刑執行人がやってきた。
おいおい、頑丈で手ごわい、しっかり者の兄弟分!
これから例の件を片づけに行ってくれるのか?
【刺客一】 さようでございます閣下。それで、
あの男のいる所へ入るのに必要な令状をいただきに参りました。
【グロスター】 よくそれに気がついた。ちょうどここに持っている。〔令状を渡す〕
ことを終えたら、クロスビー・プレイスヘ行くのだ。
だが、おいっ! できるだけ手っ取り早く片づけるんだぞ!
それに心を鬼にして、奴の嘆願など絶対に聴くんではないぞ。
というのはクラレンスは非常に口達者だから、
もし奴の言うことに耳をかせば、きっと仏心《ほとけごころ》を出すだろう。
【刺客一】 とんでもござんせん閣下。あっしらはおしゃべりなんか致しません。
おしゃべりは実行力に欠けるもの。ご心配には及びません、
あっしらは手を使いに行くので、舌を使いにゆくのではござんせん。
【グロスター】 愚か者の目が涙を流すとき、君らの目は石臼の石の涙を流すのだ。
君らが気に入った。さあ早速、君らの仕事に取りかかれ。
さあさあ、片づけてこい!
【刺客一】 承知いたしました閣下。〔退場〕
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第四場 ロンドン、ロンドン塔
〔クラレンスおよびブラックンバリ登場〕
【ブラックンバリ】 閣下、今日はなにゆえお顔色が優れませぬ?
【クラレンス】 おお、昨夜はじつにいやな夜だった。
気味の悪いことばかりだった。恐ろしい夢を見た。
キリスト教徒としての厚い信仰にかけて誓って言うが、二度と決して
こんな恐ろしい夜は過ごしたくたい。たとえそのために
幸福な日ばかりの世界をくれると言ったって真っ平ご免だ。
それほど気のめいるような、気味の悪い夜だった。
【ブラックンバリ】 どんな夢でしょうか閣下。どうかお話しください。
【クラレンス】 どうやらわたしはこの塔から脱獄して、
ブルゴーニュに渡る船に乗っているらしかった。
そしてわたしと一緒に弟のグロスターがいた。
弟はわたしを船室から甲板の散歩へ誘い出した。
そこからわれわれは故国イギリスの方角をはるか見やりながら、
ヨーク家とランカスター家の戦いのあいだに、
われわれの身に降りかかった数々の苦難の時について、
語り合っていた。甲板の上をわれわれ二人が、
危い足どりで歩いていたとき、何かのはずみで、
グロスターがつまずいたように思った。そして倒れざま、
それを支えようとしたこのわたしに打ち当たり、
わたしは大海の逆巻く怒濤《どとう》の真っただ中へ突き落とされた。
おお主よ、溺れるということは何という苦しみ!
何という恐ろしい水の音がわたしの耳に!
何という醜い「死」の姿がわたしの目に!
幾千もの恐ろしい難破船を見たように思った。
魚どもが食いあらした幾千もの人々の残骸。
金塊、巨大な錨《いかり》、真珠の山、
その価値はかり知れないほどの宝石、宝玉、
これらすべてが海底に散らばっていた。
あるものは死者の頭蓋骨の中にあった。かつては
目の玉が棲《す》んでいたその穴には、あたかも目の玉を馬鹿にするかのごとくに、
輝く宝石が入りこんでいた。そしてその宝石どもは、
ぬらぬらした海の底に色目を使い、
あたりに散らばる死者の骨を嘲《あざけ》っていた。
【ブラックンバリ】 死を目の前にしても閣下には、
そのような海の秘密をとくと眺められる余裕がおありでしたか?
【クラレンス】 あったように思う。いっそひと思いに死んでしまって、
魂を自由にしてやりたいと何度も思ったが、意地の悪い潮水が、
いつもわたしの魂を閉じこめてしまって、どうしても出してくれなかった。
何もない、広い広い、流動してやまない大気界を見つけたかったのだが。
はげしい動悸を打つ胸の中にわたしは魂を閉じこめていたが、
それを海中に吐き出したくて、わたしの胸は張り裂けんばかりだった。
【ブラックンバリ】 そんなひどいお苦しみにも、お目覚めにはならなかったのですか?
【クラレンス】 いやいや、それどころではない。わたしの夢は死後にまで続いた。
ああ! それからわたしの魂にはあらしが吹き始めたのだ。
わたしは詩人たちがよく書いている恐ろしい渡し守に連れられて、
あの陰うつな流れ、三途の河を渡ったように思った。
そして常闇《とこやみ》の王国へ行ったのだ。
到着早々のわしの魂をまず迎えてくれたのは、
わたしの岳父、かの名だたるウォーリックだった。
彼は大声で叫んだ。「おのれ不正直者クラレンスめ!
お前の偽証の罪に対して、この暗黒の王国はいかなる懲罰を下そうぞ!」
そう言って彼は消え去った。次にさまよい出てきたのは、
明るい色の髪の毛をした天使のような幽霊。
その髪は紅い血潮で染まっていた。それが甲高い声で叫んだ。
「クラレンスめが来た、嘘つきで、気まぐれで、誓いを破ったクラレンスが!
テュークスバリの戦場でこのわたしを刺し殺したクラレンスが!
復讐の女神よ、きやつをひっ捕えて、拷問にかけてください!」
それが言い終わるや、いまわしい悪魔の一群がわたしを取り巻いて、
わたしの耳の中で恐ろしい叫び声をわめきたてたように思った。
その叫び声があまりにひどかったので、わたしはとうとう、
震えながら目が覚めた。そしてその後しばらくのあいだは、
わたしは地獄にいるものと思えてならなかった。
わたしの夢はこんなにも恐ろしい印象を残していったのだ。
【ブラックンバリ】 閣下が驚かれたのも無理からぬことでございます。
聴いておりますこの私も、恐ろしさで震えるようでございます。
【クラレンス】 ああ、看守長、看守長! こんなふうに、
いま証拠を見せてわたしを苦しめているこれらの事柄は、
わたしはみなエドワードのためにしたのだ。それだのにこのお返しはどうだ?
おお神よ! もしわたしの、この心からの祈りも御心を和らげることができず、
どこまでもわたしの非行に対して復讐をなさるご意向なら、
せめてお怒りをわたし一人だけに向けさせたまえ!
わたしの罪なき妻と哀れな子供たちは、なにとぞご容赦くださいますよう!
看守長、お願いだ、しばらくわたしのそばにいてくれたまえ。
どうも心が重い。何とかひと眠りしたいのだが。
【ブラックンバリ】 心得ました閣下。どうか安らかにお休みくださいますよう!〔クラレンス眠る〕
悲しみは時の調和を破り、眠りの時を忘れさせる。
夜を朝にし、昼を夜にする。
王侯貴族の誇るものも、しょせん名のみなる称号にすぎない。
内面的な苦悩に対する、たんなる外面的な栄誉でしかない。
永遠に実現することなき夢を追って、
彼らは憩いなき苦悩の世界に呻吟《しんぎん》する。
かくして、彼らの称号と下々の名前とでは、
たんに名称が異なるだけで、そのほかの区別はまったくない。
〔二人の刺客登場〕
【刺客一】 おおい! 誰かいるか?
【ブラックンバリ】 こら! 何をしにやって来た? どうやってここへやって来た?
【刺客一】 クラレンスと話をしにやって来た。この足でここへやって来た。
【ブラックンバリ】 おい! それだけか、言うことは?
【刺客二】 だらだらと長たらしいよりは簡単な方がましですぜ。
われわれの令状を見せろ。これ以上の問答は無用だ。
〔ブラックンバリそれを読む〕
【ブラックンバリ】 この令状はわたしに、クラレンス公爵閣下を
君たちの手に渡せと命じている。
これがどういう意味か、わたしは聞きたくはない。
そのこととは何のかかわり合いも持ちたくないからだ。
公爵はあれに休んでおられる。鍵はそこにある。
わたしは国王のもとに参上しよう。そして異状なく
わたしの責任を君たちに申し送ったと申し上げよう。
【刺客一】 そう願いたい。それが賢明なやり方というもんです。ではごめん。
〔ブラックンバリ退場〕
【刺客二】 おい、寝てるまま殺《や》っつけるか?
【刺客一】 いや。目が醒めたとき、卑怯なやり方だと言うだろうからな。
【刺客二】 おいおい、きやつは最後の審判の日まで目が醒めることは絶対ないんだぞ。
【刺客一】 だからそのときに、寝てるままやっつけられたと言うだろう。
【刺客二】 あまり「審判」「審判」というもんだから、何か良心がとがめてきた。
【刺客一】 何だ、怖くなったとでもいうのか?
【刺客二】 やつを殺すのが怖いんじゃない、令状を持ってるんだから。
ただ、殺しをやって地獄へ行くのが恐ろしい。これは令状を持ってたって助からねえからな。
【刺客一】 俺はお前がもうしっかり腹が決まってたと思っていた。
【刺客二】 今はそうだ、公爵を生かしとこうとな。
【刺客一】 グロスター公爵のところへ戻って、そのとおり申し上げるぞ。
【刺客二】 いや、頼む、ちょっと待ってくれ。俺の弱気心も変わるだろうから。二十も数えりゃ十分だ。いつもそうなんだ。
【刺客一】 どうだ、もう気分は変わったか?
【刺客二】 いや、まだ良心のカスがちょっぴり残ってる。
【刺客一】 仕事が終わったときの褒美《ほうび》のことを考えろ。
【刺客二】 くそ! 殺っちまおう! 褒美のことを忘れてた。
【刺客一】 お前の良心は今はどこだ?
【刺客二】 もうグロスター公爵の財布の中だ。
【刺客一】 じゃあ公爵が褒美をくれるとき財布を開けると、お前の良心はまた飛び出てくるってわけだな。
【刺客二】 どうでもいい、勝手に行かせろ。良心をありがたがる奴なんているもんか。
【刺客一】 それがまたお前のところへ戻ってきたらどうする?
【刺客二】 かまわんでおくね。危ねえ代物《しろもの》だ。あいつは人を臆病にしちまうんだ。泥棒しようとすると必ずとがめ立てをしやぁがる。ののしってやろうと思うと必ずとめ立てをしやぁがる。隣りの女と寝てやろうと思うと必ず見つけてしまいやがる。あいつは人の胸の中で謀叛を起こすひどい恥ずかしがり屋だ。あいつがいると、ことが面倒になる。おかげで俺は、運よく拾った金貨入りの財布を返させられたことがある。あいつが一緒だとみんな乞食になっちまう。あいつは危ねぇものとして、どこの町からも村からも追い出されているんだ。誰だって上等な暮らしをしてぇ奴は、あんな奴と縁を切って、自分の思うままにやりてぇさ。
【刺客一】 くそ! 今も俺のひじの所にいやがって、公爵を殺さんようにって言ってやがる。
【刺客二】 そんな悪魔は心の中でひっ捕えて、信用しねえに限る。うまいこと取り入って溜息ばかりつかせるのがおちだ。
【刺客一】 ちえっ! 俺は大丈夫だ。あんな奴に負けっこねえ。
【刺客二】 名を重んじるつわもののような天晴《あっぱれ》れな口上だ。さあ始めるとするか?
【刺客一】 お前の剣の柄《つか》で奴の頭をぶん殴っておいて、隣りの部屋の葡萄酒樽へぶちこんでしまおう。
【刺客二】 おお、そりゃいい考えだ! 酒菓子にしちまおう。
【刺客一】 待った! 目を醒ましゃがった。
【刺客二】 殺っちまえ!
【刺客一】 いや、奴と話してみよう。
【クラレンス】 看守長はおるか? 葡萄酒が一杯ほしい。
【刺客二】 じゅうぶん飲めますよ閣下、もうすぐ。
【クラレンス】 ぜんたいお前は何ものだ?
【刺客一】 お前さんと同じ人間さまだ。
【クラレンス】 だがわたしのように王統の血統ではない。
【刺客二】 だがわっしらはお前さんのような悪党でもない。
【クラレンス】 お前の声は雷のように厳《いか》めしいが、顔は下賎だ。
【刺客一】 わっしの声は王様の声、わっしの顔はわっしのもの。
【クラレンス】 何という陰険な、何という恐ろしい話しぶりだ!
君たちの目がわたしには恐ろしい。なぜそのような蒼い顔をしているのだ?
誰が君たちをここへよこしたのだ? 君たちは何用で来たのだ?
【刺客二】 お前さんを、その……お前さんを……
【クラレンス】 わたしを殺しに来たのか?
【両刺客】 そうだ、そうだ。
【クラレンス】 君たちがそれをなかなか言えなかったところを見ると、
君たちにはそれを仕遂げる勇気はありそうにない。
ねえ君たち、いったいわたしは君たちにどんな悪いことをしたかね?
【刺客一】 わっしらにはしないが、王様にしたのだ。
【クラレンス】 ではお許しを願うこともできるだろう。
【刺客二】 だめです閣下、だから覚悟することです。
【クラレンス】 君たちは、数ある人間の中から、罪なき者を殺すために
選び出された者なのか? わたしの罪は何だというんだ?
わたしを告発できる証拠がいったいどこにある?
正当に構成された陪審員たちが、その評決を
厳めしい裁判官に提出したというのか? 哀れなクラレンスの死刑を、
いったいどこの誰が言い渡したというのか?
しかるべき法廷で有罪の宣告を受ける前に、
死をもってわたしを脅迫することは不法この上ない。
われらの嘆かわしい罪のために流された、主キリストの高価な血によって
君たちも救われることを望むなら、わたしはここに君たちに命令する。
君たちはわたしに一指も触れることなくここから帰りたまえ。
君たちがやろうとしていることをやれば、地獄行きは必至だ。
【刺客一】 われわれがやろうと思ってることは、すべて命令でしていることだ。
【刺客二】 そして命令を出しているのはわれわれの王様なのだ。
【クラレンス】 おのれ、罪深きやからめが! 王の王たる神は、
なんじ人を殺すなかれ、と、
その掟《おきて》の中でご命令になっている。それでもお前らは
神の掟をないがしろにして、人間の下す命令に従うというのか?
気をつけるがいい。神はその掟を破る者の頭上に、
必ずや天罰を下したもうことになっているのだから。
【刺客二】 そのとおり、その天罰がお前の頭上に下ったのだ。
お前のいまわしい誓言やぶりと人殺しに対する天罰が。
お前はランカスター家のために戦うと、
あれほど堅く神にお誓い申したではないか。
【刺客一】 それだのに、神の名に背く反逆者よろしく、
お前はその誓いを破り、その裏切りの剣をもって、
お前の主君ヘンリーの子供の腹をたち割ったのだ。
【刺客二】 お前がかばって育て上げると誓ったその王子の腹をだ。
【刺客一】 そのお前が、神の恐ろしい掟を何でわれわれに強制できるか?
お前自身がかくも無残に神の掟を破ってしまっているときに。
【クラレンス】 ああ何たることだ! このような悪事をいったい誰のためにやったのだ?
エドワードのため、兄のため、兄エドワードのためにやったのだ。
その兄が、そのことでわたしを殺そうと君らをよこすはずがない。
その点では兄もわたしとまったく同罪なのだから。
もし神がこの悪行に対して懲罰を下したもうのなら、
いいか分ってくれ、神はそれを公然となさるはずだ。
このような問題を神の御手から奪うことはやめてくれ。
神に対して罪を犯した者を切り捨てるために、
神は第三者を、不法な方法を必要とはされんのだ。
【刺客一】 それならば、まさに咲き出でんとする男の華
若きプランタジネット、あの立派な貴公子をお前の手で打ち倒して、
お前を血なまぐさい下手人にしたのはいったい誰だ?
【クラレンス】 兄弟愛、それから悪魔、それにわたしの怒りだ。
【刺客一】 俺たちがここへお前を殺しに来たのも、
お前の兄さんのため、それからわれわれの任務、それにお前の悪行のためだ。
【クラレンス】 もし君たちがわたしの兄のためを思うなら、わたしを憎まないでくれ。
わたしはその弟なのだ。そして心から兄のためを思っている。
もし君たちが報酬のために雇われているのなら、どうか帰ってほしい。
そうしてくれれば、君たちを弟のグロスターのところへ遣《つか》わそう。
エドワードがわたしの死の報らせを聞いて君たちにくれる褒美よりも
もっと素晴らしい報酬を、わたしの命を救ったお礼だと弟がくれるだろう。
【刺客二】 いや大まちがい。グロスターさんはお前さんを憎んでいなさる。
【クラレンス】 とんでもない! 弟はわたしを好いて、大事にしてくれている。
ぜひ弟のところへ行ってくれ。
【刺客一】 わかった。それはそうするさ。
【クラレンス】 そして弟に言ってくれ。父君ヨーク公が、
その武勲|赫々《かくかく》たる腕でわれわれ三人の子供を祝福されたとき、
そして心の底から、われわれ三人は心から愛しあえといわれたとき、
われわれ三人の兄弟愛にこうもひびが入ろうとは、夢想もされなかっただろうと。
弟にこのことを思い出すよう言ってくれ。きっと涙を流すだろう。
【刺客一】 そうだ、石臼の涙をね。グロスターさんがわれわれにそう教えてくれた。
【クラレンス】 おお、弟を悪く言わんでくれ。あれは根がやさしいのだ。
【刺客二】 そのとおり。収穫時に降る雪も根がやさしいというならばね。馬鹿馬鹿しい、
お前さんは考えちがいをしている。お前さんを殺しによこしたのは弟さんなのだ。
【クラレンス】 そんなことがあろうはずがない。弟はわたしの悲運に涙して、
わたしを両の腕に抱きしめて、すすり泣きしながら、
わたしを自由な身に必ずしてみせると誓ってくれたのだ。
【刺客一】 それはそうだ。この地上の苦しみから天国の喜びへ
お前さんを解放すれば、つまりはそういうことになる。
【刺客二】 神様と仲直りしてください閣下、死ななければならないのですから。
【クラレンス】 神と仲直りをせよとわたしに言うくらいの、
敬虔《けいけん》な気持ちをその心に持ちながら、しかも君たちは、
君たち自身の魂の救済には、完全に目を閉じているのか?
君たちはわたしを殺すことによって神と戦うことになるのだ。
ねえ君たち、よくよく考えてほしい。君たちをそそのかして
このことをやらせる者も、このことのために君たちを憎むようになるだろう。
【刺客二】 どうしたらいいだろう?
【クラレンス】 情け容赦をすることだ、地獄へ落ちぬために。
【刺客一】 情け容赦だと! そんなことは臆病者か女子供のすることだ。
【クラレンス】 情け容赦の心なき者は獣、野蛮人、悪魔だ。
もし君たちが貴公子で、ちょうど今のわたしのように、
自由を奪われて獄舎に閉じこめられていたならば、
そしてちょうど君たちのような刺客が来たとするならば、
君たちのうち、いったい誰が命|乞《ご》いをせぬ者があるだろうか?
君たちもわたしの境遇におかれたら、きっとこうして嘆願するだろう。
ねえ君、君の顔には憐れみの心が出ているようだ。
もし君の目がたんなるおべっか使いでなく、真に君の真心を表わしているのなら、
どうかわたしの味方になって、わたしのために命乞いをしてくれ。
こうして頭を下げて頼んでいる貴公子には、乞食さえも同情しよう。
【刺客二】 閣下、うしろに気をつけて。
【刺客一】 〔クラレンスを刺す〕これでもか、えい、これでもか!
これでもまだなら、葡萄酒樽の中へぶちこんでやる。〔死骸を担《かつ》いで退場〕
【刺客二】 何という無残なやり方、むごたらしいやり方だ!
聖書に出てくるピラトじゃないが、こんなむごい人殺しからは、
俺はきれいさっぱり手を洗いたい!
〔刺客一再び登場〕
【刺客一】 おい! いったいどうしたというんだ? なぜ手をかさないんだ?
まったく実際、お前がどんなに仕事を怠けたか、公爵さまに言いつけるぞ。
【刺客二】 俺はクラレンス様の命を助けたんだと言ってほしいくらいだ。
褒美はお前がもらえ。そして俺の言ったことはみんな公爵に言いつけろ。
俺は公爵さまが殺されたことを心から後悔しているんだ。〔退場〕
【刺客一】 俺は後悔なんかしておらん。この臆病者め! 勝手にしろ!
ところで、公爵さまがどこかへ埋めろと命令されるまで、
この死骸、どこかの穴蔵へ隠しておくことにしよう。
そして褒美をもらい次第、ここを離れることにしよう。
これは必ず露顕するにちがいない、ここには一刻も留まってはおれない。〔退場〕
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第二幕
第一場 ロンドン、宮廷の一室
〔ファンファーレ。病身の王エドワードは椅子に坐ったまま、王妃エリザベス、ドーセット、リヴァーズ、ヘイスティングズ、バッキンガム、グレー、その他登場〕
【王】 そう、これでよい。これでわしは今日一日のすばらしい仕事をやりとげた。
諸卿よ、どうか今後とも末長くこの一致した団結を持続せられたい。
わしはもう余命いくばくもない。毎日、主のお召しを、
今日か、今日かと待っている身であるが、
諸君のあいだにこの和親をもたらしたのであるから、
いっそう安らかに天国への旅に出立できるであろう。
リヴァーズとヘイスティングズ、互いに握手せよ。
憎しみを包みかくしてではなく、心からの友情を誓い合うように。
【リヴァーズ】 上天に誓って、今後わが心が憎しみに汚されることはありません。
この握手をもって、私の真心からの友情の固めといたします。
【ヘイスティングズ】 私の全命数をかけて、ここに同じことを心から誓います!
【王】 王の面前でかりそめの誓いごとをして、王を辱しめるようなことがあってはならぬ。
王の中での最高の王たる主は、もしも諸卿の心の中に
内密のたくらみごとがあるならば、必ずやこれを打ち破り、
お互いがお互いの下手人となるようお定めになるにちがいない。
【ヘイスティングズ】 私の全運勢をかけて、ここに心からの友情を誓います。
【リヴァーズ】 私も同様、真心からヘイスティングズヘの友情を誓います。
【王】 妃よ、このことについてはあなたも例外ではありませんぞ。
息子ドーセット、君もだ。バッキンガム、君もだ。
君らは互いに党派をつくり、他を排斥してきた。
妻よ、ヘイスティングズ卿を大切になさい。その手に口づけを許しなさい。
なすことはすべて偽らず、真心をもってなすように。
【王妃】 ではヘイスティングズ! 前々からの憎しみは、
これですべて忘れることにいたします、私および私一族の運命にかけて!
【王】 ドーセット、卿への友情を誓いなさい。ヘイスティングズ、侯爵を頼む。
【ドーセット】 われわれのこの友情、ここにはっきり誓いますが、
私の方からこれを破るようなことは決してありませぬ。
【ヘイスティングズ】 私も同様に誓います。〔互いに抱擁する〕
【王】 さて、バッキンガム公爵、君もわしの妻の一族と友情を誓って、
この団結をより強固なものにしてほしいのだ。
そして君らの心からの和合でこのわしを喜ばせてくれ。
【バッキンガム】 〔王妃に〕このバッキンガムが妃殿下に対したてまつり
憎しみの心を抱いたり、忠誠の真心をこめて
殿下および殿下のご一族にお仕えしないときは、神よなにとぞ、
私が最も多くの友愛の情を期待する人々からの憎悪で私を罰してくださるよう!
私が友人の助けをぜひ必要とする絶対絶命のときに、
そして私がその友人が真の友人であると心から信じているときに、
その男が陰険、不正直、裏切り、かつ狡猾《こうかつ》きわまる男でありますよう!
殿下および殿下のご一党に対して私の心が冷淡になりましたら、
神よ、なにとぞこのようなご懲罰をこの私に下したまわんことを!
〔彼ら互いに抱擁する〕
【王】 バッキンガム公爵、君のその誓いの言葉は、
わたしの病める心にとってまこと心地よい強心剤だ。
この席に、弟のグロスターが加わっておれば、
この和解をなお完全なものとすることができるのだが。
【バッキンガム】 それがいい具合に、〔グロスターおよびラットクリッフ登場〕
公爵とリチャード・ラットクリッフ士爵がお見えになりました。
【グロスター】 国王陛下ならびに王妃殿下、お早ようございます。
それからお集まりの諸卿、本日はまことすばらしい日で!
【王】 さよう、今日という日はまことよい日であった。
グロスター、われわれは今日はじつに立派な勤めを果たした。
互いに怒り心頭に発し、かたくなにいがみ合っていたこの面々の、
かたき同士を仲直りさせ、憎しみあっている者同士を和解させた。
【グロスター】 陛下、それはじつによいことをなされました。
ここにおられる貴族の方々の中で、虚偽の中傷や、
誤った臆測でこの私に敵意を抱いておられる方が、
もしありましたら……
私が知らないあいだに、あるいは腹の立った勢いで、
ここにおられるどなたにもとうてい耐えられないようなことを、
この私がしでかしているというようなことが万が一にもございましたら、
どうか寛大な御心で私との和解をお認めいただきたく存じます。
互いに敵であることは私にとっては死同然、私の最も嫌うところであります。
私はすべての善良なる人々に愛されることを心から願っております。
まず王妃殿下、私は殿下に忠愛の真心をもってお仕えいたしたく思いますが、
殿下からもなにとぞ真の和睦《わぼく》を賜わりたく存じます。
それからあなたからも、バッキンガム公爵殿、
われわれのあいだには何かわだかまりがあるように思うが。
それからあなたからも、あなたからも、リヴァーズ卿、ドーセット卿、
ゆえなくして、あなた方すべては私に渋面を造って来られたが。
公爵、伯爵、諸卿、その他の皆さん、皆さん方全部の和睦をお願いする。
私が心の奥底でいささかなりとも仲違いをしているような人は、
イギリス広しといえどもただの一人もおられないものと信じている。
その点、私は昨夜生まれたばかりの赤子とまったく同じだ。
こんな優しい人間味を賜わった神に私は心から感謝する。
【エリザベス】 これからは今日という日は神聖な日として記念されるでしょう。
神よ願わくば、すべての紛争が円満に解決されますよう!
陛下、このさい私は陛下に心からお願いいたします、
クラレンス様をなにとぞお許しくださいますよう!
【グロスター】 これはまた姉上、私は王の面前で
こんなふうに嘲弄されるために、姉上に忠愛を誓ったのではありません。
兄クラレンス公爵が死刑になったことは誰でも知っていることではありませんか?
〔すべての者が驚愕する〕
これは故人の遺骸を侮辱するものであり、たいへんな非礼であります。
【王】 弟の死は誰でも知っていることだと! そのようなことを誰が知っていようぞ!
【エリザベス】 すべてを照覧あらせられる神よ! 何という恐ろしい世の中でしょうか!
【バッキンガム】 ドーセット卿、わたしの顔色も皆さんのと同様真っ青ですか?
【ドーセット】 そのとおりです公爵。今ここにおられる方で、
その顔から赤い血の気のひかない人はおりません。
【王】 クラレンスが死刑になったと? 死刑の命令は取り消されたはずだ。
【グロスター】 ですが可哀想に! 最初の命令で処刑されてしまったのです。
最初の命令は翼の生えたマーキュリが運んだように速く参りましたが、
取り消しの命令はのろまの『ちんば』が運んだようにゆっくりと参りました。
それが着いたときには、彼はもう処刑されて、埋葬がすんだところでありました。
世の中には、兄よりも数等卑劣で、数等不忠義な輩《やから》が、
血統は兄ほど王統に近くはないくせに、兄以上の血なまぐさい企みで王に近づき、
惨めな兄クラレンスが受けたよりももっとひどい目にあうべきはずなのに、
何の嫌疑も受けず、大手を振って立派に通用しているというのに!
〔スタンレー登場〕
【スタンレー】 陛下お願いがございます、私のこれまでの忠勤に免じてお願いが!
【王】 頼むから静かにしてくれ。わしの心はいま悲しみで一杯なのだ。
【スタンレー】 陛下がお聴きいれくださいますまではここを動きません。
【王】 それならすぐ言うがよい。そちの願いというのは何だ?
【スタンレー】 助けていただきたいのです陛下、私の召使いの命を。
じつはその男、ごく最近までノーフォーク公爵のお抱えであった、
ある不埒《ふらち》な武士を斬り捨ててしまったのです。
【王】 わしはこの舌でわしの弟の死刑を宣告しておきながら、
その同じ舌で、一人の下司《げす》の命を助けねばならないのか?
弟は人を殺しなどしなかった。弟の咎《とが》はただ計画されただけにすぎぬ。
しかもその罰は極刑というこの上なく無残なものであった。
いったい誰が、弟のために助命の嘆願をしたというのだ? わしが腹を立てたとき、
いったい誰がわしの足下にひざまずいて、ぜひとも考え直すようわしを諫《いさ》めたか?
いったい誰が真の兄弟愛というものをわしに説いてくれたか?
いったい誰が、哀れなクラレンスは権力者ウォーリックを捨てて、
ほかならぬわしのために戦ってくれたのだと、いったい誰がわしに話してくれたか?
テュークスバリの戦場でわしがオックスフォードに組み伏せられたとき、
弟はわしを助けてくれ、「兄上、生き長らえて国王になってください」
と言ってくれたが、いったい誰がこのことをわしに言ってくれたか?
二人ともども戦場で夜を明かし、危うく凍え死にそうになったとき、
弟は自分の着物を脱いでまで、このわしを庇《かば》ってくれた。
そして自分は痺《しび》れるような寒空に、ほとんど裸同然の薄着でいた。
いったい誰がこのことをわしに言ってきかせてくれたというのか?
わしが無謀な怒りのために愚かにも、すべてこれらのことを、
わしの記憶からむしり取ってしまったとき、君らの中にただの一人として、
わしにそのことを思い出させてくれる親切心を持った者はいなかった。
それがどうだ、君らの馬丁や下郎が酒に酔って人を殺し、
わが救世主キリストの貴い生き写しである人間のイメージを壊したとなると、
君らはたちまち、なにとぞお許しを、なにとぞお許しをと、
膝を七重八重に折り曲げてのわしへの嘆願だ。
そしてわしはわしで、まちがいとは分っていながらそれを許さねばならない。
ところがどうだ、弟のためには誰ひとりとして口をきいてくれる者はいなかった。
わしもまたわしで不徳にも、気の毒な弟のためにわし自身を説得することを、
あえて怠った。君らの中でいま最も誇り高き者も、
弟の存命中はその世話になり、その恩恵を受けたのだ。
しかも誰ひとりとして弟の命乞いをした者はいなかった。
おお神よ、あなたの正義のお力が必ずやこのわたし、そして君たち、
わたしの一族、そして君たちの一族に天罰をお下しになることを恐れます。
さあヘイスティングズ、部屋へ連れて行ってくれ! 可哀想に、クラレンス!
〔エドワード王、王妃、ヘイスティングズ、リヴァーズ、ドーセットおよびグレー退場〕
【グロスター】 すべては軽卒な行動の結果だ。皆さんもお気づきでしょうが、
兄クラレンスの死を知らされたとき、身に覚えのある王妃一族たちは、
みな一様に顔面蒼白になってしまったではありませんか?
彼らは兄の死刑を終始、王に要求していたのです!
神は必ずや復讐されることでしょう。では諸卿、
エドワード王の下へ参って王を慰めようではありませんか?
【バッキンガム】 閣下のお供をさせていただきます。〔退場〕
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第二場 同、宮廷の一室
〔ヨーク公爵夫人がクラレンスの二人の子供をともなって登場〕
【男の子】 ねえ、おばあさま、僕らのお父様はお亡くなりになったの?
【公爵夫人】 そんなことはありませんよ。
【女の子】 そんなら、おばあさまはなぜそんなに泣いて、胸をたたいて、
「おお、クラレンス、可哀想に!」なんておっしゃるの?
【男の子】 お父様が生きていらっしゃるんだったら、
なぜそんなふうに僕らをご覧になり、そして頭を振り、
僕らのことを孤児だの、可哀相な子だの、捨て子だのとお呼びになるの?
【公爵夫人】 いいえ、いい子たちね。二人ともまちがってるわ。
わたしは王様のご病気のことを悲しんでいるのです。
王様がお亡くなりになると困ると思って。あなた方のお父様が
お亡くなりになったからではありません。亡くなれば泣いたとて詮《せん》ないこと。
【男の子】 じゃ、お父様はお亡くなりになったんだとおっしゃってることになる。
伯父さまの王様がそういう悪いことをしたにちがいありません。
神様がきっとかたきを討ってくださるでしょう。私は神様に、
必ずそうしてくださるよう一生懸命お祈りいたします。
【女の子】 私もお祈りいたします。
【公爵夫人】 しっ、静かに! 王様はあなた方をたいへんに可愛がっておられるのです。
あなた方は知恵の発達も十分でないし、まだまだ浅はか、
誰がお父様を殺したのかあなた方に想像できることではありません。
【男の子】 いいえおばあさま、できます。グロスター叔父さまが
おっしゃいました、王様は王妃さまにけしかけられて、
お父様を牢屋へ入れる罪状を考え出したのだと。
叔父さまはそうおっしゃって、泣いておられました。
そして私に同情して、私の頬に優しくキスしてくださいました。
それから、これからはお父様だと思って叔父さまに頼れとおっしゃいました。
叔父さまは自分の子として私を可愛がってくださるとおっしゃいました。
【公爵夫人】 ああ!「偽り」がこんなにも優しい姿に変装し、
有徳の仮面をかぶって奥底の「悪徳」をおおい隠そうとは!
たしかにあれはわたしの子だ。それがわたしは恥ずかしい。
だがあの悪人根性はわたしの乳房から吸い取ったものではない。
【男の子】 おばあさま、叔父さまが嘘をついてらっしゃると思っているの?
【公爵夫人】 そのとおりですよ。
【男の子】 そんなことはありません。おやっ! この騒ぎは何でしょう?
〔王妃エリザベス髪をふり乱して登場。リヴァーズ、ドーセットその後について登場〕
【エリザベス】 ああ! わたしがいくら泣き叫んで、わたし自身を呪い、
わたし自身を苦しめたとて、誰もわたしをとめることはできない。
暗い絶望のどん底に落ちこんで、わたしの魂を苦しめてやろう。
自分自身の敵《かたき》となって、われとわが身を攻めたててやろう。
【公爵夫人】 このあさましいばかりの愁嘆場はいったい何のため?
【エリザベス】 すさまじい悲劇のフィナーレを演じるためなのです。
私の夫、あなたの息子、われわれの王、エドワードが亡くなりました!
根元が枯れ果ててしまった以上、これからは枝はどうして育つでしょうか?
養分を吸い上げない葉が、どうして萎《しぼ》まないでいられましょう?
生きていらっしゃるのなら悲しみなさい。死ぬのならお早くなさい。
今ならまだ、翼に乗ったわれわれの魂は王の魂に追いつけます。
あるいは、忠良な臣民として王の後に従って、
永遠に変わることなき常闇《とこやみ》の新しい王国へと旅立てます。
【公爵夫人】 ああ、そなたの悲しみはわたしにも分配してもらう権利があるのです、
そなたの立派な夫にわたしも親としてそれを誇る権利があったように。
わたしはわたしの夫の死後、泣きの涙で暮らしてきました。
そして夫の形見の子供たちを眺めて生きてきました。
が今は、亡き夫の姿を生き写しにした二つの鏡も、
残酷な「死」の力で粉微塵にこわされてしまった。
そして今わたしの喜びとして残っているのは、できそこないの鏡一つだけ。
そこに写るわたしの恥を見てわたしはただ嘆くばかり。
そなたは後家になった。けれどもそなたはまだ母親です。
そなたの子供たちが、まだ生きる喜びとして残されている。
だが「死」の神は、わたしの夫をこの両の腕から奪い取り、
あまつさえ、わたしのかよわい両の手の二本の杖、
クラレンスとエドワードをもぎ取った。そなたの悲しみはわたしのと比べれば、
ほんのわずかな一部分。わたしの悲しみはそなたのをはるかに凌駕《りょうが》し、
わたしの泣き声はそなたのを完全に打ち消してしまいます!
【男の子】 ああ! 伯母さまは私たちのお父様が亡くなっても泣いてはくださらなかった。
だから私たちだって親類として泣いてはあげません。
【女の子】 私たちが父なし子になっても、少しも悲しんではくださいませんでした。
だから伯母さまが後家さんの涙を流しても、一緒に泣いてはあげません!
【エリザベス】 泣き悲しむのにお手伝いなどしてくれなくてけっこうです。
悲しみの涙と言葉なら、わたしにはいくらでも産めるのです。
世のありとあらゆる泉よ、その流れをすべてわたしの目に流しこんでおくれ!
わたしの目は海になって、潮の満ち干《ひ》をつかさどる月の支配を受け、
あふれ出る涙で、全世界を溺れさすことができるように!
ああ、わたしの夫のために、わたしのなつかしいエドワードのために!
【子供たち】 ああ、私たちのお父様、私たちのなつかしいお父様のために!
【公爵夫人】 ああ、二人の息子のために、エドワードとクラレンスのために!
【エリザベス】 エドワードだけが頼りだったのに、亡くなってしまった!
【子供たち】 お父様だけが頼りだったのに、亡くなってしまった!
【公爵夫人】 二人の息子だけが頼りだったのに、亡くなってしまった!
【エリザベス】 こんなひどい不幸にあった未亡人がまたとあろうか!
【子供たち】 こんなひどい不幸にあった孤児がまたとあるでしょうか!
【公爵夫人】 こんなひどい不幸にあった母親がまたとあろうか!
ああ何という悲しみ! わたしがこれらの悲しみのすべての産みの親だ。
皆の悲しみはそれぞれ一部分だが、わたしのは全部だ。
エリザベスはエドワードのために泣き、わたしもそうだ。
だが、わたしはクラレンスのために泣くが、エリザベスはそうではない。
この子供たちはクラレンスのために泣き、わたしもそうだ。
だが、わたしはエドワードのために泣くが、子供たちはそうではない。
ああ! この三人分の悲しみにくれているこのわたしの上に、
あなた方三人全部の涙を流しなさい。わたしはあなた方の悲しみの子守役。
悲しんで、悲しんで、あなた方の悲しみを存分に甘えさせてあげましょう。
【ドーセット】 母上、気をとり直してください。神のなされたことに
そのように不満を持たれると、神は必ずや不快に思われることでしょう。
金を借りるとき、非常に寛大な親切心で貸してくれたものを、
返す段になってしぶしぶ、いやいやながら返すとしたら、
世間一般の常識ではそれを恩知らずと申します。
ましてこのように天を怨《うら》むのは、恩を知らぬもはなはだしいというものです。
天はしばし母上にご貸与になった国王の返済を要求されているのです。
【リヴァーズ】 姉上、子を思う母親の例にならって、若王子のことを
今はお考えになるべきです。すぐお迎えの者をお出しなさい。
そして王位につけなさい。王子こそ姉上のこれからの生き甲斐です。
悲しみは亡くなったエドワードの墓の中に葬っておしまいなさい。
そしてあなたの喜びを生きているエドワードの王位に植えつけなさい。
〔グロスター、バッキンガム、スタンレー、ヘイスティングズ、ラットクリッフ登場〕
【グロスター】 姉上、元気を出してください。われわれとてすべての者が、
われらの輝ける星が光を消したことを泣き悲しんでいるのです。
しかしいくら悲しんだとて今さらどうにも仕方のないことです。
ああこれは母上! どうも失礼いたしました、お許しください。
母上がおられることに一向に気づきませんでした。かくひざまずいて、
母上の祝福を心からお願いいたします。
【公爵夫人】 神がそなたに祝福を垂れさせたもうように! そして同時に、謙虚、愛、
慈悲、柔順、心からの尊敬心に目覚めさせたまえ!
【グロスター】 アーメン!〔傍白〕そして天命をまっとうさせたまえ!
とつけ加えるのがいつもの母上の祝福の終わり文句だ。
それを抜かしたのには何か訳でもあるのだろうか。
【バッキンガム】 暗いお顔の王子さま、悲しみにうちひしがれた貴族諸卿、
皆様方はすべてこの悲しみの重荷をともに担《にな》っておられるのですが、
もうこのあたりでお互いの愛の心で元気づけ合おうではありませんか?
現王からの収穫はすでに使い果たしてしまいましたが、
新王からの収穫はこれから刈り取ろうとしているのです。
腫れあがって、くずれ、膿《うみ》を出している皆さんの心の傷は、
いま副《そ》え木を当てられ、縫い合わされ、癒着しはしましたが、
安静にして、大事に扱い、これ以上悪化するのを避けなければなりません。
したがってごく少人数のお付きの者をおつけして、
ただちにラッドローから当ロンドンヘ若王子さまをお迎えし、
われらが新王としてご即位していただくのがよいと存じます。
【リヴァーズ】 バッキンガム卿、少人数のお付きの者と申します訳は?
【バッキンガム】 それと申すのはリヴァーズ卿、多数で参りますと、
いま治ったばかりの不和の傷がまた口を開くといけないからです。
国はまだ未熟で、主権は確立しておりませんから、
それだけにその危険性は多分にあると思われるのです。
どの馬も己れを制御するものがなく、手綱の自由を得て、
意の向くままにどこへでも走れるようなところでは、
危害の怖れがあるだけでも、公然たる危害と同様に十分に、
前もって警戒されてしかるべきものと私は考えます。
【グロスター】 王はわれわれすべての者と和睦されたものとわたしは考えている。
その誓いはわたしにあっては確実にして、真実のものです。
【リヴァーズ】 私もそうです。おそらく全部のものがそうだと思います。
ですが、まだ国はなにぶんにも未熟でありますので、
いやしくも破綻の怖れあるようなことは避けられるべきだと思います。
大勢で参りますと、たまたまそういう危険が起こらぬとも限りません。
それで私は、ごく少数の者で王子をお迎えすべきだという、
バッキンガム卿のご意見に賛成いたすものであります。
【ヘイスティングズ】 私もそれに賛成です。
【グロスター】 ではそうしよう。そして早速、
ラッドローへ急行する人を定めることにしよう。
母上も、それから姉上も、どうかこの件に関して、
ご意見をきかせてくださいませんでしょうか?
【エリザベス・公爵夫人】 よろこんで。
〔バッキンガムおよびグロスターを除いて全部退場〕
【バッキンガム】 閣下、なにびとが王子を迎えに旅立とうとも、
われわれがここに止まることは絶対なりません。
と申しますのは、最近お話した例の件の手始めとして、
王妃の高慢な親戚どもを王子から引き離すいい機会を、
是が非でもこの旅行中につくり出したいからなのです。
【グロスター】 君はわたしの片腕だ! わたしの最高のブレインだ!
わたしへの御告《つ》げだ! わたしの予言者だ! ねえ君、
わたしは子供になって、万事君の言うとおりにするよ。
ではラッドローへ行こう。こうしてはおられぬのだから。〔退場〕
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第三場 同、街頭
〔舞台の左右の入口より、市民一および市民二それぞれ登場〕
【市民一】 やあ、お早よう。そんなにお急ぎでどちらへ?
【市民二】 それが実のところ、私にもさっぱり分らないのです。
例のニュースはお聞きになりましたか?
【市民一】 ええ、王様が亡くなられたという。
【市民二】 まったくいやなニュースです。「すべての異変は凶事《きょうじ》の先触れ」ですからね。
何か目をまわすような大事件がなければいいが。
〔市民三登場〕
【市民三】 やあごきげんよう、皆さん!
【市民一】 やあ、お早ようございます。
【市民三】 エドワード王が亡くなられたというのは確かなニュースで?
【市民二】 そうなんです、残念ながらそうなんです。お気の毒に!
【市民三】 では皆さん、たいへんな世の中になりますね。
【市民一】 いやいや、神のご加護を得て息子の王子様が立派に国を治めます。
【市民三】 「その王わらべなる国は災《わざわ》いなるかな!」
【市民二】 いやいや、立派に統治される望みはあります。
ご幼少のあいだは、王の顧問官たちによって。
立派にご成年のうえは御《おん》みずから。かくしていずれにしても、
王子様が立派にご統治なさることはまちがいありません。
【市民一】 ヘンリー六世のときもそうでした。
ご生後わずか九カ月でパリで王冠を戴かれました。
【市民三】 そうでしたか? いやいや皆さん、大ちがいです。
当時この国では、まこと史上まれなほどに、
賢臣|綺羅《きら》のごとくに王位をとりまき、
王のご後見役には立派な叔父様方がおられたのです。
【市民一】 こんどの王様もそうです、父方、母方の両方に。
【市民三】 いっそ全部が父方の出であるか、
あるいは父方には全然いなければよかったのです。
誰がいちばん王位に近いかの競《せ》り合いは、神様がそれをお止めにならなければ、
直接にわれわれが痛手を受ける大問題となるのです。
おお、グロスター公爵は危険きわまりない!
それに王妃の傲慢不遜な息子たち、兄弟たち。
もしこの人たちが支配される方の人で、支配する方でなければ、
この病める国も、従前どおり仕合わせになれるのですが。
【市民一】 いやいや、あまり取り越し苦労をしすぎます。万事必ずよくなります。
【市民三】 賢者は雲を見て、雨|仕度《じたく》をします。
大きな葉の散るのを見れば、冬の近いのを知ります。
日が西に没すれば、誰だって夜が来ることを知っています。
時ならぬ時にあらしがやってくれば、こりゃ凶作だなと思います。
万事よくなるかもしれません。しかしすべては神意のままですから、
われわれの業報《ごうほう》以上、予期以上のことが起こるかもしれません。
【市民二】 まったく人々の心は恐怖で一杯です。
おそらくは、どこの誰と話をしてみても、みんな、
沈んだ、恐れおののいているような顔をしています。
【市民三】 大異変の起こる前は、常にそういうものです。
神様からいただいた本能で、人は近づいてくる危険を、
予感するのです。ちょうどわれわれが経験から、大あらしの前には、
風もないのに海の浪が高くなると知っているようなものです。
しかしすべては神様にお任せしましょう。ところでどちらへ?
【市民二】 そうそう。裁判官のところへ呼び出されているのです。
【市民三】 私もそうなんです。ではご一緒に参りましょう。〔退場〕
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第四場 同、宮廷の一室
〔ヨーク大司教、故エドワード王の第二王子ヨーク幼公爵、王妃エリザベス、ヨーク公爵夫人登場〕
【大司教】 皆様方は昨夜はストーニー・ストラットフォードにご一泊された由、
今夜はノーサンプトンにお泊まりになられます。
明日か、さもなければ明後日にはお着きになられるでしょう。
【公爵夫人】 わたしは皇太子に会いたくてなりません。
この前会ったときより、ずっと大きくなったことでしょう。
【エリザベス】 ところがそうではないそうです。このヨークの方が、
背では兄王子をほとんど追い越したそうなのです。
【ヨーク】 そうなんです。でも僕はそうでない方がいいんです。
【公爵夫人】 どうしてだね? 大きくなることはいいことなんですよ。
【ヨーク】 おばあさま、いつかの晩、僕たちが夕食を食べているとき、
リヴァーズ叔父さまが、僕の方が兄さんより随分と大きくなったもんだ、
とおっしゃいました。するとグロスター叔父さまが言いました、
「小さな植物は花をつけ、雑草はただ伸びるだけ」だと。
それからは僕は大きくなりたいとは思わなくなりました。
美しい草花は伸びが遅く、雑草はぐんぐん伸びるんだそうですから。
【公爵夫人】 誓って言いますが、ほんとうに、その言葉は
あなたにそれを言ってきかせた当のご本人には当てはまりません。
あの人は子供のときは、それはそれは弱い、小さい子でした。
一人前になるのに、たいへんに長い時間と暇がかかりました。
だから、もしそれがほんとうなら、あの人は立派な人になっているべきです。
【大司教】 事実、公爵閣下はそのとおりであられます。
【公爵夫人】 そうだといいんですが。でも母親というものは心配いたします。
【ヨーク】 そうだ、あのことを思い出していれば、
叔父さまが僕の伸び方をやっつけたよりもっとひどく
叔父さまの伸び方を徹底的にやっつけてやったんだが。
【公爵夫人】 どういうふうに? ねえ、わたしにきかしておくれ。
【ヨーク】 あのね、みんなが言うには、叔父さまの伸び方はとても早かったの。
生まれて、たった二時間ばかりで、どんどん堅い物が噛めたんですって。
僕は最初の歯が生えるまでに、まる二年もかかったのに。
ねえおばあさま、こういえば噛みつくように痛い皮肉になったのにね。
【公爵夫人】 ねえヨーク、言って。いったい誰がそんなことを言った?
【ヨーク】 叔父さまの乳母です。
【公爵夫人】 乳母ですって! あの人の乳母はあなたが生まれる前に亡くなりました。
【ヨーク】 そうでないとすると、ええと、誰だか忘れてしまいました。
【エリザベス】 これこれ、あなたはほんとに口の悪い、末恐ろしい子です。
【大司教】 王子様は子供です、なにとぞお叱りになられませんように。
【エリザベス】 「壁に耳あり」……
〔一人の使者登場〕
【大司教】 使者がまいりました。どういう知らせかね?
【使者】 いや申し上げるのもまことにいたましいお知らせでございます。
【エリザベス】 皇太子はいかが?
【使者】 ご安泰、つつがなくあらせられます。
【公爵夫人】 ではその方の知らせというのは?
【使者】 リヴァーズ卿およびグレー卿がポンフリットの牢獄へ送られました。
トマス・ヴォーン卿もご一緒に。全員罪人としてです。
【公爵夫人】 それを命じたのは誰ですか?
【使者】 グロスターおよびバッキンガムの
両公爵閣下であらせられます。
【公爵夫人】 いかなる科《とが》で?
【使者】 私が存じておりますことは全部申し上げました。
何がゆえに、いかなるお科《とが》でご三方が捕えられたかは、
大司教閣下、わたくしめには全然知らされておりませぬ。
【エリザベス】 ああ何ということだ! わたしの家が滅びるのが目に見える!
虎が、か弱い牝鹿《めじか》をつかまえてしまったのだ。
傲慢不遜な無理非道が、がんぜない、威厳などまるでない
子供がついている王位を、蚕食し始めたのだ。
さあ、破滅でも死でも虐殺でも、何でも来るがよい!
すべての終わりが、まるで絵を見るように一目瞭然だ。
【公爵夫人】 呪われた、安らいなき、諍《いさか》いの日々、
わたしは何という長いあいだ、こんないやな日の目ばかりを見てきたのだろう!
わたしの夫は王冠を得ようとして、一命を失った。
そしてわたしの子供たちは運命の趣くまま、浮いたり沈んだり。
わたしは子供たちが勝ったり負けたりするごとに、喜んだり悲しんだり。
そしてやっとのことで王位につき、内乱のあらしが
きれいに吹きおさまると、今度は勝った者同志が、
お互いにしのぎを削り、兄弟同志が、血縁同志が、
味方同志が互いに歯向かっている。おお途方もない
気ちがいじみた暴虐! いいかげんにその恐ろしい悪さを止めにして欲しい!
さもなければ、このわたしを死なせてほしい。もう死に顔はたくさんだ。
【エリザベス】 さあさあヨーク、聖院へ行くのです。
母上さま、ごきげんよう。
【公爵夫人】 お待ちなさい、わたしも一緒に参りましょう。
【エリザベス】 母上さまはそれには及びません。
【大司教】 〔王妃に〕王妃殿下、さあいらっしゃい。
ご自身の財宝と調度品類はお持ちになってください。
わたくしといたしましては、お預りいたしております御玉璽《おんぎょくじ》、
王妃殿下にお任せいたしたく存じます。わたくしは全運命をかけて、
殿下および殿下のご一統様にお仕えすることを誓います!
さあ、皆様を聖院へご案内申し上げましょう。〔退場〕
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第三幕
第一場 同、街頭
〔ラッパの音。皇太子エドワード、グロスター、バッキンガム、バウチャー大司教、ケイツビー、その他登場〕
【バッキンガム】 皇太子様、ようこそ居城ロンドンヘお帰り遊ばされました。
【グロスター】 わが君、わが心のご主君、ようこそお帰りになりました。
旅のお疲れでふさぎこんでおられますね。
【皇太子】 いいえそうではありません。ただ途中での不幸な出来事で、
すっかりうんざり、憂鬱、気が重くなってしまったのです。
もっとたくさんの叔父様にここで迎えてほしかった。
【グロスター】 皇太子、殿下はまだお若くて、世の汚れに染まれないので、
世の偽りの奥底まで潜《もぐ》られたことがおありにならない。
人を見てその外見だけしかおわかりにならないのです。
ところがその外見というのは、神様はご存じなのですが、
内側の心と一致することはほとんどまれ、いや絶対にありません。
殿下が会いたがっておられる叔父様方は危険な人たちです。
殿下はあの人たちの甘い言葉だけに耳を傾けられて、あの人たちの心の底の毒をご覧にならないのです。
神よ、なにとぞそのような偽りの友から殿下をお守りくださいますよう!
【皇太子】 神よなにとぞお守りください! だがあの方たちはそんな人たちじゃない。
【グロスター】 殿下、ロンドン市長がご挨拶に見えました。
〔ロンドン市長およびその従者たち登場〕
【市長】 神よ、殿下に健やかにして、幸いなる日々を垂れさせたまえ!
【皇太子】 市長殿ありがとう。それから皆のものもありがとう。
私は母上と弟のヨークがもっとずっと前に途中で、
私たちを出迎えてくれるものと思っておりました。
いやんなっちゃうな、ヘイスティングズったら何てのろまなんだろう。
早く来て、みんなが来るのか来ないのか、知らせてくれればいいのに。
〔ヘイスティングズ登場〕
【バッキンガム】 それ、タイミングよく、汗をふきふきやってきました。
【皇太子】 やあ、いらっしゃい。ねえ、母上はこられるのですか?
【ヘイスティングズ】 どんな理由からか、私にはとんと見当がつきかねますが、
御母上の王妃と弟君ヨーク公は、聖院へ、
ご逃避あそばされてしまいました。弟君は、
私と共に殿下をお迎えしたいとせがまれましたが、
御母上はどうしてもお許しになられませんでした。
【バッキンガム】 ええい! 何という訳の分らない、途方もないやり方だ!
大司教閣下、お出迎えのため、弟君のヨーク公を、
ただちに皇太子様のところへよこされるよう、
王妃を説得していただけないでしょうか?
もし王妃がどうしてもお聞き入れにならなければ、ヘイスティングズ卿、
あなたが一緒に行って、むりやりにでも王妃の手からもぎ取ってきてください。
【大司教】 バッキンガム卿、もしわたしの拙《つたな》い弁舌が功を奏して、
ヨーク公を王妃の御手から引き離すことができましたら、
ただちにここへお連れ致しましょう。しかし穏やかにお願いしてみて、
たとえ王妃がお聞き入れないと致しましても、
われわれが聖院の神聖なる区域内に侵入することは、
上天の厳に禁じたもうことであります! いかなることがありましても、
それを犯すことは、私には絶対にできません。
【バッキンガム】 大司教、閣下はあまりにも頑迷固陋《がんめいころう》にすぎます。
あまりに形式的で、旧式すぎます。今の世の中はもっと堕落しています。
もっと今の世の中にふさわしい見方をしなくてはなりません。
ヨーク公を連れ出したとて、聖院を侵すことには絶対なりません。
もともと聖院の恩恵は、そこに逃げこむ以外には
一命をまっとうする方法の無い者、またはそこに逃避することを
みずから願い出るだけの才覚のある者に与えられるものなのです。
幼公にはまだそれだけの才覚もなければ、逃避する理由もありません。
したがって私の考えでは、そこへ逃避する権利はありません。
だから、もともとそこにおるべきでない者をそこから連れ出したとて、
聖院の特権を破り、その掟をないがしろにすることには絶対なりません。
聖院へ逃げこんだ大人というのは今までにもたびたび聞きましたが、
聖院へ逃げこんだ子供というのは、いまだかつて聞いたことがありません。
【大司教】 ではともかくも、今度だけは仰せのとおりにいたしましょう。
さあヘイスティングズ卿、ご一緒に参りましょうか?
【ヘイスティングズ】 参りましょう大司教。
【皇太子】 皆さん、でき得るかぎり急いでほしい。〔大司教、ヘイスティングズ退場〕
ねえグロスター叔父様、もし弟のヨークが来たら、
戴冠式の日まで、われわれはどこに泊まるのでしょうか?
【グロスター】 王家の者としての殿下に最もふさわしいところにです。
私の考えを申し上げます、ここ一両日のあいだ、
ロンドン塔でお休みになるのが一番いいと思います。
それから殿下のお気に召す所、殿下の健康に一番よく、
また一番おもしろく娯しい所にお泊まりになるといいと思います。
【皇太子】 ロンドン塔は、他のどこよりも嫌いな所です。
ジュリアス・シーザーが建てたものでしょう?
【バッキンガム】 そもそもの初めはシーザーです。
そして、後世なんども建て直しを重ねたものです。
【皇太子】 シーザーがそれを建てたということは、
記録にあることなの? それとも代々の言い伝え?
【バッキンガム】 記録にあることでございます。殿下。
【皇太子】 しかし、たとえ記録にはなくとも、
その事実は子々孫々のすべてに繰り返し伝えられて、
時代から時代にわたって人々の記憶に生き続け、
おそらくは最後の審判の日にいたるまで、決して忘れられることはないと思う。
【グロスター】 年よりも聡《さと》い者は決して長生きはせぬという。
【皇太子】 叔父様、なんですか?
【グロスター】 特記がなくとも、名声は長生きをすると言ったのです。
〔傍白〕こんなふうにして、道徳劇に出てくる例の「悪玉」のように、
一つの言葉に二つの意味を持たせてやるんだ。
【皇太子】 あのジュリアス・シーザーという人は偉い人でした。
彼の勇気は赫々《かくかく》たる武勲を打ちたて、それで彼の知性を飾りましたが、
彼の知性はその武勲を後世に伝えるために記録を残したのでした。
「死」もこの偉大な征服者を征服することはできませんでした。
肉体は滅びても、その栄誉は永遠に生きているのですから。
ねえバッキンガム殿、あなたに言いたいことがあるのですが……
【バッキンガム】 なんでございましょう殿下?
【皇太子】 もしわたしが大人になるまで生きていられたら、
わたしはフランスにある昔からのわれわれの権利を取り戻したいと思う。
事もし成らなければ、王者として生きるより、一兵士として討ち死にしたい。
【グロスター】 春の訪れの早いときは、夏は非常に短いのがつね。
〔ヨーク公、ヘイスティングズ、バウチャー大司教登場〕
【バッキンガム】 さあ、折りよくヨーク公がお見えになられました。
【皇太子】 ヨーク公リチャード! 予が愛する弟よ、元気でやっているか?
【ヨーク】 元気です国王陛下。もう、こうお呼びしなければなりませんね。
【皇太子】 そう。それは予の悲しみでもある、そちの悲しみであると同様に。
国王陛下の亡くなられたのは、つい先ごろのような気がする。
そして国王という称号は、それと同時に非常に威厳がなくなってしまった。
【グロスター】 ごきげんよう! ヨーク公爵殿下!
【ヨーク】 叔父様、ありがとうございます。あっ、叔父様、
いつか叔父様、雑草は非常に成長が早いと言われましたね?
お兄さんの皇太子は僕よりずっと大きくなりました。
【グロスター】 そうですね。
【ヨーク】 じゃあ、お兄さんは何の役にも立ちませんか?
【グロスター】 いやいやとんでもない。そんなふうには言っておりません。
【ヨーク】 それじゃあ叔父様は、依怙贔屓《えこひいき》をしていらっしゃるのですね。
【グロスター】 いやいや、お兄様は国王として私にご命令ができますが、
殿下は私に対して親戚としてのお力を持たれているだけなのです。
【ヨーク】 叔父様、お願いがあります、その短剣を僕にください。
【グロスター】 私の短剣ですって? 喜んでさし上げましょう殿下。
【皇太子】 ヨーク、乞食になったの?
【ヨーク】 ええ、叔父様のね。だって叔父様はくださるんだから。
それに大したものじゃあないから、もらってもいいんですよ。
【グロスター】 もっと大きいものをあげましょうか。
【ヨーク】 もっと大きいの! ああ、そっちの剣もくださるんですね。
【グロスター】 ええ、さしあげますよ殿下、これが軽ければね。
【ヨーク】 ああ、それでわかりました。軽いつまらない物だけくださるのですね。
重い大切な物は、くださいと言ってもお断わりになるのですね。
【グロスター】 これは殿下がお下げになるには重すぎます。
【ヨーク】 いいえ、もっともっと重くても、大して重いものとは思いません。
【グロスター】 では、わたしの武器がどうしても欲しいのですか、おちび様?
【ヨーク】 ええ、叔父様がいま僕をお呼びになったようにお礼を言いたいので。
【グロスター】 どんなふうに?
【ヨーク】 ちょびっとね。
【皇太子】 弟のヨーク公は、いつもこんな言葉の遊びに夢中なんです。
叔父様、どうぞお気にさわることなどありませんように。
【ヨーク】 お気にさわるではなくて、おこぶに下がるでしょう?
叔父様、兄さんは叔父様と僕を馬鹿にしてますよ。
僕は小さくて猿のようだから、ちょうど猿まわしがするように、
叔父様の背中のこぶに僕をぶら下げろと言うんです。
【バッキンガム】 なんという当意即妙の話しぶりでしょう!
叔父様をからかっておいて、しかもそれを和げるために、
自分自身をうまく、適当に棚下ろしをやっている。
この年でこの頭の切れ方とはただただ驚くばかりです。
【グロスター】 殿下、それでは参りましょうか?
私とバッキンガム公とは、これから母上様の
王妃のところへ参り、ロンドン塔へお出ましになって、
そこで殿下をお迎えあそばすよう、お願い致すことと致します。
【ヨーク】 なんですって! 兄さんはロンドン塔へ行かれるんですか?
【皇太子】 摂政の叔父様がぜひそうせよ、と言われるから。
【ヨーク】 ロンドン塔では僕はゆっくりとは眠れません。
【グロスター】 どうして? なにが怖いのですか?
【ヨーク】 ほんと、クラレンス叔父様の怒った幽霊が怖いのです。
叔父様はそこで殺されたんだと、おばあさまがおっしゃいました。
【皇太子】 わたしは亡くなった叔父様などは怖くはない。
【グロスター】 生きてる叔父さんだってね?
【皇太子】 みんな生きていてくれればいいが。それだったら心配はないのだが。
とにかく、叔父様参りましょう。重い重い沈んだ心で、
みんなのことを考えながら、わたしはロンドン塔へ参ります。
〔出発の合図のラッパの音。グロスター、バッキンガム、ケイツビー以外すべて退場〕
【バッキンガム】 閣下、あのへらず口をたたくちびのヨークが、
こんなにひどい罵詈讒謗《ばりざんぽう》をたくましゅうするとは、
あの陰険な母親にそそのかされたに相違ないと思います。
【グロスター】 そうだ、そうだ。だが何という末恐ろしい小僧だ。
大胆で敏捷、利巧で手早く、しかも有能だ。
頭のてっぺんから足の先まで、あの母親そっくりだ。
【バッキンガム】 それはそれとして。ケイツビー、ちょっと。
君はわれわれが話したことを秘密として厳守すると同時に、
われわれが意図していることを遺漏《いろう》なく実行に移すと誓った。
途中で君に強調しておいたわれわれの立場は、もうよく分ったことと思う。
ところで君にうかがいたい。ここにおられる公爵閣下を、
この大英帝国の王位におつけ申すことについて、
ウィリアム・ヘイスティングズ卿をわれわれ同心の一味に加えたいが、
これは簡単にはゆかないだろうか? 君の考えをうかがいたい。
【ケイツビー】 あの方は故王に対する恩義から、皇太子を心から大事にしています。
したがって、皇太子のためにならないような事にあの人を引き入れることは困難です。
【バッキンガム】 それならスタンレーはどう思う?。あれならどうかね?
【ケイツビー】 あの人は万事ヘイスティングズのするとおりです。
【バッキンガム】 ではよい。することはただ一つ。これから出かけて行って、
ヘイスティングズ卿がわれわれの意図にどういう興味を示すか、
まるでごく遠まわしのように探りを入れてみてくれたまえ。
そして、ご即位に関する会議に列席、審議に加わるために、
明日ロンドン塔へ出むくよう申しつけてくれたまえ。
もし彼がわれわれの方になびく形勢ありと見てとったら、
大いに彼を鼓舞激励して、われわれの立場をすべて話してくれたまえ。
もし彼の態度が鉛のように鈍く、氷のように冷淡、まるで気乗りがしないなら、
君もそんなふうな態度をとっておけ。そして話をやめておけ。
そしてわれわれにそのことについて知らせておいてくれたまえ。
明日は別々の二つの会議を開かねばならぬから。
そして君には大いに活躍してもらわねばならないのだ。
【グロスター】 ウィリアム卿によろしく言ってくれたまえ。
彼の昔からの仇敵どもは、明日、ポンフリット城で、
放血の手術を受けるんだと彼に言ってくれたまえ。
そしてこの素晴らしいニュースを大いに喜んで、
ショアご夫人様に優しいキスを、もう一つおまけするよう言ってくれ。
【バッキンガム】 ではケイツビー君、この仕事を立派にやってくれたまえ。
【ケイツビー】 両公爵閣下、細心の注意を払っていたします。
【グロスター】 結果は、今夜寝る前に知らせてもらえるかね、ケイツビー君?
【ケイツビー】 必ずそういたします閣下。
【グロスター】 クロスビー・プレイスだ。二人ともそこにいる。〔ケイツビー退場〕
【バッキンガム】 閣下、もしヘイスティングズ卿が、
われわれの計画に賛同しないとわかったらどういたしましょう?
【グロスター】 奴の首をはねちまえっ。何とか処置を講じよう。
ところで、わしが国王になった暁には君は、
ヘリフォードの伯爵領、それに兄王が生前所有していた
一切の動産をわしに請求してくれたまえ。
【バッキンガム】 そのお約束のもの、閣下の御《おん》手ずから頂戴いたしましょう。
【グロスター】 よろこんでさしあげよう。大いに期待していてくれたまえ。
さあ、早めに夕食をすましておこう。その後で、
われわれの計画をもう少し消化して、何らかの形にしておきたい。〔退場〕
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第二場 同、ヘイスティングズ卿邸前
〔一人の使者ドアの前に登場〕
【使者】 〔戸をたたきながら〕閣下! ヘイスティングズ閣下
【ヘイスティングズ】 〔内側から〕誰か、戸をたたくのは?
【使者】 スタンレー卿からの使いの者にございます。
【ヘイスティングズ】 〔内側から〕いま何時かね?
【使者】 ちょうど四時を打ったところでございます。
〔ヘイスティングズ登場〕
【ヘイスティングズ】 スタンレー卿はこのごろの夜長、よく眠れぬと見えるな?
【使者】 私の申しつかったところから察しますと、そのようにございます。
まず、私どもの主人から閣下へよろしくとのことでございます。
【ヘイスティングズ】 それから
【使者】 それから閣下へお伝えするよう申しつかりましたことは、
主人は今宵、リチャードの紋所の猪が主人の兜《かぶと》をもぎ取った夢を見たそうです。
そしてさらに主人の申しますには、会議は二か所で開かれ、
その一方で決定されたことが、もう一方の会議に出ている
閣下と私どもの主人とを、悲嘆にくれさせるそうであります。
したがって、この身に迫った、予感された危険を避けるため、
閣下が私ども主人と共にただちに馬をはしらせて、
主人ともども全速力で北のほうへ逃げのびられてはどうかと、
閣下の御意《ぎょい》を得るため、主人はここに私めを遣わした次第にございます。
【ヘイスティングズ】 よしよし、使いご苦労。さあ帰った、帰った。
二つの会議の件はご心配無用とご主人に伝えてほしい。
ご主人とわたしとが一方の会議にはおるのだし、
もう一つの方にはわたしの腹心の友ケイツビーがおる。
そこでの、われわれに関するすべての情報は、
細大もらさずただちにわれわれの手に入ることになっている。
お申し越しのご心労はまったく根も葉もないことだとお伝え願いたい。
それから、夢などと申すものはしょせん、安眠できぬときの妄想にすぎず、
それをお信じになるとは、まこと単純きわまると愚考いたす。
猪《いのしし》が実際にわれわれを追う前に逃げのびるなどは、
かえって猪をけしかけてわれわれを追わせるようなもの。
つまりは、思ってもいなかった所で追跡を始めさせる結果となる。
さあ帰って、ご主人に、起きて、わたしの所へ来られるようお伝え願いたい。
ご一緒にロンドン塔へ参ることにいたしましょう。
例の猪、必ずやわれわれを分相応にもてなしてくれるに違いない。
【使者】 承知いたしました。おおせのとおりに申し伝えます。〔退場〕
〔ケイツビー登場〕
【ケイツビー】 ヘイスティングズ閣下ごきげんよろしゅう!
【ヘイスティングズ】 おはようケイツビー。ずいぶん早いな。
何か変わったことがあるのかね、変わったことが? まったく不安な世の中だ。
【ケイツビー】 おおせのとおり、まこと目が回るような世の中でございます閣下。
それで、リチャードが王国の花環を頭に戴くまでは、
この世の中は立派に、真っ直ぐには立ち直らないと思います。
【ヘイスティングズ】 なに? 花環を戴く? お前の言うのは王冠のことか?
【ケイツビー】 さようでございます。
【ヘイスティングズ】 そんなでたらめに乗せた王冠を見るくらいなら、
このわしの頭という王冠が、わしの肩から切り離された方がずっとましだ。
だが、リチャードは王冠を狙っているとお前には思えるか?
【ケイツビー】 そりゃ、もちろんです。そして閣下がご自分からその味方になって、
そのことからの恩恵にあずかられるよう、彼は心から願っております。
それでここに、この素晴らしいニュースを閣下にお届けするわけなのです。
今日というこの日にこそ、閣下の仇敵ども、
王妃の一党はポンフリットで死刑に処せられます。
【ヘイスティングズ】 もちろんわしは、そのニュースを聞いても涙は流さない。
彼らは常にわしの反対党だったのだから。
だが、わしがリチャードの一味に加わって、
亡きご主君の正統のお世嗣《よつぎ》をしりぞけたてまつるなどは、
神もご存じだが、わしは死刑を宣告されても断じてやらぬぞ!
【ケイツビー】 神よ、なにとぞ閣下のそのうるわしい御心をお守りくださるよう!
【ヘイスティングズ】 だが、これで一年が十二カ月笑いが止まらない。
このわしをご主君の憎しみを買うよう中傷した奴らの、
その哀れな末期《まつご》が生きてこの目で見られるとは。
ところでケイツビー、ここ二週間とたたぬうちに、
そんなこととは夢にも知らない二、三の連中を、ながの旅路に出すつもりだ。
【ケイツビー】 まったく予期も、準備も何もしていないときに、
不意に死ぬなんて、これほどいやなことはないでしょうね閣下。
【ヘイスティングズ】 おお恐ろしいことだ、恐ろしいことだ!
リヴァーズやヴォーンやグレーは、そういう目に遇うのだ。
それから、自分ではまったく安全だと考えている数人の連中。
連中は、君も知ってのとおり、リチャードやバッキンガム両公爵と
たいへんに懇意にしている君や僕と同様、自分は安全だと思いこんでいる。
【ケイツビー】 両公爵とも閣下を高く高くお買いになっておられます。
〔傍白〕お前の首はもうロンドン橋のてっぺんに晒《さら》されたも同然なんだから。
【ヘイスティングズ】 それはわしも知っている。それにじゅうぶん価すると思っている。
〔スタンレー卿登場〕
やあいらっしゃい、いらっしゃい! 猪狩り用の槍はどこにござる?
猪が怖いのに、どうして素手で来られたか
【スタンレー】 やあ、おはようございます。ケイツビーおはよう。
おふざけになっても結構ですが、だが何としても
別々の会議というのが気に入りません、私は気に入りません。
【ヘイスティングズ】 わたしだって命がほしいのは、あなたと同じです。
それにはっきりと申し上げますが、わたしの全生涯で、
今の今ほど命が大切と思ったときはありませんでした。
われわれの地位が安全なものだと確実に知らないで、
わたしがこんなに意気揚々としておられると思いますか?
【スタンレー】 ポンフリットの諸卿も、ロンドンを発つときは、
みな陽気で、その地位はまったく安泰だと思っておりました。
そして事実、気にかけるような事は何もありませんでした。
それがご覧のとおり、たちまちにして日は陰《かげ》ってしまいました。
この突然の恨みの刃《やいば》の一突きがわたしは怖いのです。
神よ願わくばこのわたしが、いらざる杞憂《きゆう》を抱く臆病者で終わりますよう!
ではロンドン塔へ参りましょうか? 時もだいぶたったようですから。
【ヘイスティングズ】 さあさあ、一緒に参りましょう。ところでスタンレー卿、
さっきお話しの諸卿は、今日首をはねられるのです。
【スタンレー】 あの連中を罪におとしいれた人々が平然と帽子をかぶっているよりは、
まだあの連中が首をつけている方がましだ。とにかく正直なんだから。
が、とにかく参りましょう。
〔ヘイスティングズという名の従者登場〕
【ヘイスティングズ】 先に行ってくれたまえ。わたしはこの男と話がある。〔スタンレーおよびケイツビー退場〕
やあ、ヘイスティングズ、よい所で会えた。このごろの景気はどうかね?
【従者】 閣下がお尋ねくださいましたのがせめてもの景気です。
【ヘイスティングズ】 わたしはこの前ここでお前に会ったときよりも、
おかげで、ずっと運が向いている。あのときは、
王妃一族の差し金で、わたしはロンドン塔へ、
罪人として引かれてゆくところであった。
それが、今はどうだ……これはごく内密の話だが……
今日この日に、わたしの敵どもは首をはねられるのだ。
わたしはこんな幸運のときを、かつて経験したことがない。
【従者】 神よ、なにとぞ閣下のご満足ゆくまで、それが長続きいたしますよう!
【ヘイスティングズ】 ありがとう、さあ、これで一杯お祝いに飲んでくれたまえ。〔財布を投げる〕
【従者】 ありがとうございます、閣下。〔退場〕
〔一僧侶登場〕
【僧侶】 ちょうどよい所でお会いしました。閣下はいつもお元気で。
【ヘイスティングズ】 ありがとう、ジョン殿。心からお礼を申します。
先日のご祈祷にまだお礼をいたしておりませんが、
次の安息日に来てください。ぜひお礼を致したい。
【僧侶】 おおせのとおりにいたします。
〔バッキンガム登場〕
【バッキンガム】 おや侍従長閣下、お坊さんとご要談ですか?
ポンフリットのご友人たちこそお坊さんがご入用、
閣下は懺悔《ざんげ》、赦免などいっさいご無用と存じますが。
【ヘイスティングズ】 いや、ちょうどこのお坊さんとお会いして、
今お話の人々のことを思い出しているところでした。
ところで、ロンドン塔へいらっしゃるんですか?
【バッキンガム】 ええそうです。だが長居は無用です。
閣下よりお先に失礼いたすつもりでおります。
【ヘイスティングズ】 いや、たぶんわたしは昼食までおるつもりです。
【バッキンガム】 〔傍白〕いや晩飯もだ。ご当人はいっこうにご存じないが。
さあ、参りましょうか?
【ヘイスティングズ】 お伴をさせていただきます。
〔退場〕
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第三場 ポンフリット、城前にて
〔ハルバードを持ったラットクリッフが、リヴァーズ、グレー、ヴォーンらを刑場に引き立てて登場〕
【ラットクリッフ】 さあ、囚人どもを引き立てよ。
【リヴァーズ】 リチャード・ラットクリッフ殿、わたしはあえて言うが、
至誠、忠義、忠節のために、
今日、一人の臣民が首をはねられるのですぞ。
【グレー】 神よなにとぞ、お前たち陰謀者の群れから幼いご主君をお守りください!
お前らは地獄ゆき必定《ひつじょう》の、吸血鬼の集まりだ。
【ヴォーン】 今後永久に、このことを悲しんで暮らすことになるぞ。
【ラッロクリッフ】 さあ急げ。お前たちの寿命はもう切れている。
【リヴァーズ】 おおポンフリットよ、ポンフリットよ! おお残虐な牢獄よ!
王侯貴族の恐ろしい、忌まわしい破滅の場所よ!
そのお前の壁の罪深い囲いの中で、
リチャード二世は無残にも切り殺された。
そして今また、お前の悪名をさらに轟《とどろ》かすために、
われら罪なき血を流してお前に吸わせる。
【グレー】 マーガレットの呪いが、今こそわれわれの頭上にふりかかったのだ。
リチャードが彼女《あれ》の子供を刺したとき、われわれがそれを傍観していたと、
ヘイスティングズや、あなたや私を呪っていたが。
【リチャード】 それから彼女《あれ》はリチャードを、さらにバッキンガムを呪った。
その次にはヘイスティングズを呪った。おお神よ!
われらに対する呪いをお取り上げになったと同様に、きやつらへの呪いも
なにとぞお聴きいれくださいますよう! そしてそれにて姉および王子たちは、
なにとぞおこらえくださいますよう! そのために、神もご照覧あるごとく、
われら忠良な臣下はここに無実の罪に血を流します。
【ラットクリッフ】 急げ。お前たちの死刑のときはとっくにすぎた。
【リヴァーズ】 さあグレーよ、さあヴォーンよ、お互いに相抱いて、
再び天国で相逢うまでの、しばしの暇乞《いとまご》いをしようではないか。〔退場〕
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第四場 ロンドン塔内の一室
〔バッキンガム、スタンレー、ヘイスティングズ、イーリー司教、ラットクリッフ、その他、テーブルに坐っている〕
【ヘイスティングズ】 さて皆さん、われわれがここに会しましたのは、
戴冠式についての諸事項を決定するためであります。
神の御名において謹んでお尋ねするが、日取りはいつがよろしいでしょうか?
【バッキンガム】 式当日のための諸事は万端ととのっておりますか?
【スタンレー】 ととのっております。あとは日取りを決めるだけです。
【イーリー】 それなら明日がいいと私は考えます。
【バッキンガム】 その点に関して、摂政閣下はどうお考えでしょうか?
公爵閣下と最も懇意にされておられる方はどなたでしょうか?
【イーリー】 摂政閣下の御心は閣下が一番よくおわかりのことと存じます。
【バッキンガム】 われわれは互いに顔は知っています。しかし心の中のこととなると、
わたしがあなたのを知らないと同様、摂政は、わたしの心を知りません。
またあなたがわたしのを知らないと同様、わたしは摂政の心を知りません。
ヘイスティングズ卿、あなたは公爵と大変にご昵懇《じっこん》の間柄と思いますが。
【ヘイスティングズ】 その点、私は公爵に感謝いたしております。
私は公爵のご愛顧を受けております。しかし戴冠式に関してのご意見については、
私は閣下にお尋ねしたこともなければ、またいかなる形式にせよ、
閣下がそれについてお考えをお洩らしになられたことはありません。
しかしその日取りは、ご出席の皆様方でお決めになって結構と存じます。
公爵に代わりましては私が意見を述べさせていただくことといたしますが、
それで公爵閣下にはじゅうぶん喜んでいただけるものと信じております。
〔グロスター登場〕
【イーリー】 ちょうどよいときに公爵ご自身がお見えになりました。
【グロスター】 皆さんこれはこれは、おはようございます。
つい寝坊をしてしまいまして。しかし重大な事柄で、
もしわたしが出席していたなら決着をつけることができたものを、
わたしがおらなかったためそうできなかったというような事はないでしょうね。
【バッキンガム】 閣下が折りよくお見えにならなければ、
ウィリアム・ヘイスティングズ卿が閣下のご代役を勤められるはずでした。
つまり、戴冠式についての閣下のご意見をお述べになるはずでした。
【グロスター】 そういうことのできるお方は、ヘイスティングズ卿以外にない。
閣下はわたしを非常によくお知りになり、かつわたしにご好意をお持ちです。
イーリー卿、この前わたしがホルボーンに参りましたとき、
お庭に素晴らしい苺《いちご》があるのを拝見いたしましたが、
あれを少々、ぜひお取り寄せくださいませんでしょうか?
【イーリー】 光栄です、さっそく取り寄せることにいたします。〔退場〕
【グロスター】 バッキンガム卿、ちょっと話があるのですが。
〔わきへ連れて行く〕
今度の件についてケイツビーがヘイスティングズの腹を探ったところ、
あの無鉄砲者は大したのぼせかたで、ご主君のお世嗣が、
あの先生はうやうやしくもそう呼んだそうだが、英帝国の王位を
失うことに賛成するくらいなら、自分の首を
はねられた方がよほどましだと、大きなことをぬかしたそうだ。
【バッキンガム】 しばらくのあいだ席をおはずしください。私も一緒に参ります。
〔グロスター、バッキンガム退場〕
【スタンレー】 ところで栄《は》えある日の日取りはまだ決めていませんが、
私の考えでは、明日というのでは余りに突然すぎると存じます。
私自身にいたしましても、日延べされれば別ですが、
明日すぐと申すのでは、いっこうに準備ができかねます。
〔イーリー司教再登場〕
【イーリー】 グロスター公爵閣下はどこに行かれましたか?
例の苺《いちご》はさっそく取り寄せるようにいたしました。
【ヘイスティングズ】 閣下は今朝はことのほかごきげんうるわしく、穏やかに見えます。
こんなにごきげんでおはようの挨拶をされるとは、
何かたいへんにお気に召された、いいことがおありになるに違いありません。
キリスト教国広しといえども、私は閣下のように心の中の愛憎を、
そっくりそのまま顔に出してしまう人を他に知りません。
閣下はそのお顔を拝せば、お心の中がすぐにわかってしまいます。
【スタンレー】 今日の閣下のお顔の動きを見られて、
閣下のお心のなかをどういうふうに読み取られましたか?
【ヘイスティングズ】 それですが、閣下はここに列席のどなたに対しても、
ご不快の念は抱かれてません。もしそうなら、とうにお顔に出ています。
〔グロスター、バッキンガム再登場〕
【グロスター】 皆さんにお尋ねしたい。忌まわしい魔術の力で、
わたしの死をたくらみ、恐ろしい地獄の祈祷の文句で、
わたしのからだを不具にした者があったとしたら、
そういう悪魔のような奴は、どう処分すべきでしょうか?
【ヘイスティングズ】 私は閣下に対し心からの敬愛の念をいだいておりますが、
ここにおられる方々のどなたより熱心に私は、そのような罪人は、
それが誰であろうと直ちに処断されるようおすすめします。
そういう輩《やから》は即刻死刑に処すべきであると考えます。
【グロスター】 では、しかとその罪の証拠を、そなたのその目で見てほしい。
これこのとおり、わしは魔力にかかってしまった。このわしの腕は、
うち枯らされた若木のように、げっそりと萎《な》えしぼんでしまった。
この忌まわしい魔術の烙印をわしに焼きつけたのは、
あの極悪非道の魔女、エドワードの女房めが、
あのけがらわしい売女《ばいた》のショアと一緒にたくらんだしわざだ。
【ヘイスティングズ】 もしあの人たちがそういうことをしでかしたのなら……
【グロスター】 もしだと! お前はあの売女の保護者でありながら、
よくも、もしだなどと言えたものだ。お前は謀叛人だ。
きやつの首をはねろ! さあ、パウロ様に誓って言うが、
きやつの首がはねられるのを見ぬうちは、俺は夕食もとらんぞ!
ラヴェル! ラットクリッフ! すぐに実行するよう、しかと監督せよ!
わしに好意をいだかれる他の方々は、どうぞお席を立ってご一緒願います。〔ヘイスティングズ、ラットクリッフ、ラヴェル以外すべて退場〕
【ヘイスティングズ】 おお、英国にとって何たる悲しみ!
わしなどはどうなってもよい。愚か者のわしはこれを防けば防げたのだ。
スタンレーは猪にその兜をもぎ取られる夢を見たと言ったが、
わしはそれを嘲《あざけ》り、逃げのびることを大いに蔑《さげす》んだ。
わしの盛装した馬は今日、三回もつまずいた。
そしてこの塔を見上げたとき、ちょうど主人のわしを、
あたかも刑場へ送り込むのをいやがるように狂奔した。
ああ! 今となっては、さっきの坊さんが必要になった。
今となっては、さっきの従者に言ったことが悔まれる。
わしの敵どもは今日みんなポンフリットで首をはねられるんだ、
このわしは御覚《おんおぼ》えめでたく、地位はまことに安全なんだと、
愚かにも勝ち誇ったように話したことが悔まれる。
おおマーガレットよ、マーガレットよ! 今こそお前の重々しい呪いが、
この哀れなヘイスティングズの惨めな頭上にふりかかったのだ!
【ラットクリッフ】 さあさあ急げ! 公爵様はご夕食をお待ちかねだ。
手っ取りばやく懺悔をすませろ。公爵様はお前の首をお待ちかねだ。
【ヘイスティングズ】 おお、地上の人間のほんのしばしの恩寵を、
われわれは天上の神の恩寵よりも懸命に追い求めているのだ!
地上の人間の愛想のいい顔つきに希望の楼閣を築く者は、
船の帆柱の上の酔っぱらった水夫のようなものだ。
船が揺れるたびに、いつ大海原の深みの真ん真ん中へ、
ころげ落ちるかわからない。
【ラヴェル】 さあさあ急げ! いくらわめいたとて甲斐ないことだ。
【ヘイスティングズ】 おお血に飢えたリチャード! 哀れな英国!
どんな悲惨な時代にもまして恐ろしいときが、
きっときっとお前の上にやってくる!
さあ、断頭台へ連れて行け。わしの首をリチャードの所へ
持って行け。今わしを嘲笑する者も、まもなく命を失くすだろう。〔退場〕
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第五場 ロンドン塔城壁
〔錆びた、ぶかっこうな鎧《よろい》を着たグロスターおよびバッキンガム登場〕
【グロスター】 ねえ君、君はぶるぶると震えて顔色を変え、
言葉の真ん中で息をころし、
それからまた始め、また止め、
まるで精神が錯乱し、恐ろしさで気が狂ったようにできるかね?
【バッキンガム】 何の何の、そこらの悲劇役者はだしです。
話をしては後ろを見、あたりをじろじろと見まわし、
木の葉ひとつそよいでもぶるぶる震え驚いてみせます、
まるで何もかも疑っているように。恐れおののく顔つきも、
作り笑いの優しい顔も、すべてわたしの意のままです。
どっちにしても策略どおり、いつなんどきにても、
そのお役目を立派に果たしてご覧に入れます。
ところで、ケイツビーは出かけましたか?
【グロスター】 うん、出かけたんだ。それ、そこに市長を連れてやって来る。
〔市長とケイツビー登場〕
【バッキンガム】 市長殿……
【グロスター】 それ、そこの吊り上げ橋に気をつけろ!
【バッキンガム】 やっ、太鼓の音だ!
【グロスター】 ケイツビー、城壁を見てまわれ!
【バッキンガム】 市長殿、われわれが市長殿をお迎えしたわけは……
【グロスター】 後ろに気をつけろ、お前の後ろだ! 敵がいるぞ!
【バッキンガム】 神よ、罪なきわれらをなにとぞお護りくださいますよう!
〔ラヴェル、ラットクリッフがヘイスティングズの首を持って登場〕
【グロスター】 待て待て、連中は味方だ、ラットクリッフとラヴェルだ。
【ラヴェル】 さあ、あの卑劣な謀叛人の首を持って参りました。
謀叛人などとは想像もしなかった、あの危険なヘイスティングズの首です。
【グロスター】 わしは心からこの男を愛していたのだから、まったく涙なきを得ない。
この世にキリスト教徒として生を受けた者の中で、
この男こそは、罪のない男として一番はっきりしていると思いこんでいた。
わしはこの男を、いわばわしの常用手帳として、
わしの心の秘密のすべてをそこに書きつけておいたのだ。
彼は心の悪事をうわべの美徳で、まこと巧みにかくしていたので、
その明々白々な罪をのぞいては……つまりわしの言うのは、
あのショアの女房との交際のことなのだが、
それをのぞいては、彼にはいささかの疑惑の影も見出し得なかった。
【バッキンガム】 そうです、そうです。これほど陰険な謀叛人は、
かつて聞いたことがありません。いいですか市長殿、
こうして大いなる天意によりわれわれが生きながらえて、
これを話すことがなかったら、あなたは恐らく夢想だにしなかった、
ましてや信じることなどはとうていできなかったことでしょう、
狡猾《こうかつ》きわまる謀叛人は今日、会議の席上で、
この私とグロスター公爵閣下を殺そうとたくらんだのです。
【市長】 ほんとうですか?
【グロスター】 何ですと! あなたは我々をトルコ人か異端者だとでも思っているのですか?
われわれは英王国の平安とわれわれ自身の身を護り、
この絶対危急のときを何とかきりぬけようと、
万やむを得ずこの挙に出たもので、さもなくば、
誰が好きこのんで国法を無視してまでも、かくも軽卒に、
この悪党を処刑などするものですか?
【市長】 神よ、閣下にご幸運を垂れさせたまえ! 彼は処刑が当然でありました。
おふた方とも、今後このような陰謀をたくらむことを戒められるため、
まことご立派に、ことをご処断になられました。
【バッキンガム】 あのショア夫人としけこむようになってからは、
彼はろくなことはしでかさないぞと思っておりました。
しかし、われわれは市長殿がお立ち合いになる前に
死刑を執行しようなどとは夢にも思っておりませんでした。
ところが、ここにいるわれわれの友人たちは、われわれを思うあまりに、
いささかわれわれの意に反して、早まってしまったのです。
われわれは市長殿に来てもらって、謀叛人の話を直接に聞いてもらい、
その陰謀の目的と方法とを犯人自身がうち震えながら
白状するのを、市長ご自身の耳で聞いてほしかったのです。
そして、そのありのままを市民たちに知らせてほしかったのです。
そうすれば市民たちは、ヘイスティングズのこの事件に関して、
われわれを誤解したり、その死を悲しんだりはしないでしょうから。
【市長】 いや閣下、閣下のお言葉でもうじゅうぶんでございます。
私が直接この目で見、この耳で聞いたも同然であります。
おふた方のおおせ、いささかも疑うところはございません。
この事件に関しての正しいご処置のありのままを、
わが忠良なる市民たちに細大もらさず伝えましょう。
【グロスター】 じつはわれわれはそのために、市長殿をここへお招きしたのです。
そして口やかましい世間の非難を避けたかったのです。
【バッキンガム】 われわれのこの計画に市長殿はまにあいませんでしたが、
どうかただいま申し上げたわれわれの意図の証人にはなってください。
それでは市長殿、要件は以上、これで失礼つかまつる。〔市長退場〕
【グロスター】 バッキンガム君、後をつけたまえ、あの後を。
市長は市会議所の方へ大急ぎで出かけて行った。
そこへ行って、絶好のチャンスと思ったときに、
エドワードの子供たちはみんな妾腹《めかけばら》だと証言したまえ。
エドワードが在世中、「王冠」という家号の市民がおったが、
それが自分の子供に家を継がせるという意味で、
自分の子供を「王冠」の世嗣ぎにすると言っただけで、
兄はこれを死刑に処したとみんなに話してくれたまえ。
いや、まだある。兄のすさまじい女色についてもぜひぶちまけてくれたまえ。
兄の野獣のような欲望が、次々とその対象を変えて行ったことも。
色に狂った目と心で、欲情のおもむくまま、手当たりしだい、
ところかまわず餌食にし、女中であろうが、小娘であろうが、
また人妻であろうが、何でもござれ毒牙にかけたことを話してくれたまえ。
いや必要とあれば、ことわしの身近におよんでもいっこうにかまわん。
わしのお袋が、あの淫乱あくことを知らぬ兄、
エドワードを身ごもったとき、わが父君ヨーク公は、
じつはフランスに遠征中だったのだと言ってくれたまえ。
そして指折り数えてその月日を正確に調べてみると、
兄エドワードはじつは父のほんとうの子ではないことがわかった。
この事実は、兄の顔つきを見れば容易にわかることだ。
亡き父君の立派な顔つきには似ても似つかないものだった。
だがこのことはどうか婉曲《えんきょく》に、お手やわらかに願いたい。
なにぶんにもご存じのとおり、お袋はまだ生きていることだから。
【バッキンガム】 ご心配ご無用です閣下、うまく弁士を相つとめます。
目当ての黄金の謝礼が私自身の手に入るような気持ちになって、
一生懸命しゃべりましょう。では閣下、ご無礼つかまつります。
【グロスター】 うまく行ったら、一行をベイナード城へ連れて来てくれたまえ。
高位の神父たち、学識ある司教たちにともなわれて、
そこにわしは鎮座ましましていようから。
【バッキンガム】 では行って参ります。三時か四時ごろに、
市会議所からのニュースをどうかご期待願います。〔退場〕
【グロスター】 ラヴェル、大至急ショー博士のところへ行ってくれ!
〔ケイツビーに〕君は修道士ペンカーのところへ行ってくれ。両人に
大至急ベイナード城でお目にかかりたいと伝えてくれ。〔ラヴェルおよびケイツビー退場〕
さて俺もあっちへ行ってあのクラレンスの小僧どもを、
日の目を見ぬところへ引っ張って行く内密の手はずをととのえよう。
そして、いかなる者といえども、あの王子たちには、
万が一にも近づくことのないよう言いつけておこう。〔退場〕
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第六場 ロンドン街頭
〔代書人登場〕
【代書人】 これがヘイスティングズ閣下の罪状書だ。
規定どおりの書体で、まことにきれいに清書ができあがった。
今日、セント・ポールで、読み上げるためだ。
それに筋書きの組み立て方も、なんと見事なできばえだ!
ケイツビーがこれを俺のところへ持って来たのは昨夜だから
清書し直すのに、ちょうど十一時間かかったわけだ。
原案を作るのにも、たっぷり同じくらいかかっている。
が、思えば、ほんの五時間前には、ヘイスティングズはぴんぴんしておった。
いささかの嫌疑もなく、取り調べを受けることもなく、天下晴れて自由だった。
いやはや、なんとも立派なご時世だ! いったい、
この明々白々なからくりがわからぬ頓馬がどこにいるもんか!
だが、それが見通しだと言える無頓着者も、またいない!
まったくいやな世の中だ。なにもかもが、めちゃめちゃになってしまうだろう、
こんな悪いことが堂々と行なわれて、しかも見逃されていようとは。
[#改ページ]
第七場 同、ベイナード城の中庭
【グロスター】 やあバッキンガム君! 市民たちは何と言ってるかね?
【バッキンガム】 いや、主キリストの聖なる母君に誓って申しますが、
市民たちは黙りこくっています、一言もものを言いません。
【グロスター】 エドワードの子供たちの妾腹のことにふれたかね?
【バッキンガム】 もちろんです。ルーシー姫とのご婚約のことも申しました。
それからフランスヘ代理を遣わしてのご婚約のことも、
どん欲、あくことを知らない野獣のような肉欲についても。
それから、町の女房たちを片っ端からその毒牙にかけたことも。
小さな事にも言いがかりをつける暴君ぶりも。自身が庶子であり、
生まれたときにはお父君はフランス遠征中であり、
おまけに、お父君には全然似てはいないということも。
それに加えて、閣下の持ってお生まれになった特徴が、
閣下のお顔立ちにせよ、閣下のいとも高貴な心がまえにせよ、
お父君にまこと生き写しであられることを証言いたしました。
スコットランドにおける閣下の赫々たるご武勲、
野戦における閣下のご経験、平時における閣下の政治的ご手腕、
閣下の寛大なお心、ご高徳、謙遜な態度、すべてを並べたてました。
事実、閣下のご意図に関して必要なことで、話すことを省いたり、
話を簡略にしすぎたりしたことは、なにひとつございません。
そしてわたしの演説が終わりに近づいたときに、
わたしは真に国を思う者は「英国王リチャード万才!」
と唱えるよう、市民たちに命令いたしました。
【グロスター】 それで市民たちはそうしたかね?
【バッキンガム】 なんの、なんの、ただの一言も発しませんでした。
まるで銅像か石の塊りのようにだまりこくって、
互いに顔を見合わせて、真っ蒼になっているばかりでした。
それを見てわたしは、市民たちを叱りつけました。
そして市長に、このことさらの沈黙はいかなる魂胆かと詰め寄りました。
すると市長は、一般市民は市広報官の話以外は、
あまり聞きなれておりませんので、と答えました。
そこで市広報官に命じて、わたしの話をもう一度やらせました。
「公爵閣下はこのように申されました。このように証言されました」
というふうに言って、彼は自身では確固たることは何も言いませんでした。
その話が終わったところで、会堂の末席に陣取っていた
わたしの数人の手下が、それぞれの帽子を高く投げました。
そして十人くらいの声が「リチャード王万才」と叫びました。
そこでわたしは、小人数の連中が作ってくれた機会を利用して、
「忠良なる市民諸君に心から感謝する」と申しました。
「この皆さん方すべての拍手喝采と心からの歓声とは、
皆さんが賢明であること、リチャードを愛されていることの証拠である」
そう言ってわたしは話を打ち切り、引き上げて参りました。
【グロスター】 何というだんまりの朴念仁《ぼくねんじん》どもだ! 話す気がなかったのだね?
じゃ、市長もその仲間もここへは来ないのかね?
【バッキンガム】 市長は参っております。なにか心配事があるふりをしてください。
たってせがまれなければ、決して話相手にならないでください。
必ず祈祷書をお手にすることをお忘れないように。
そして閣下、二人の聖職者のあいだにお立ちになることもお忘れなく。
じつは、それを低音部にして、ひとつ神々しい旋律を流してみせますから。
われわれが何かを要求しても、決してたやすくはお聴きいれなきよう。
花恥ずかしい乙女のように、いやだいやだと言って、そして受け入れてください。
【グロスター】 では行こう。君はわしに懸命に頼みこむ、市民たちのために。
わしは君に懸命にいやだと言う、わし自身のために。
こうすりゃ、上首尾に持って行けるにきまってる。
【バッキンガム】 さあ、さあ、屋根の台にお上がりください。市長がノックしています。
〔グロスター退場。市長、市会議員、市民たち登場〕
ようこそ市長殿。わたしもここで通されるのを待ちくたびれているのですが、
閣下は誰ともお会いになられないようなのです。
〔ケイツビー登場〕
ケイツビー! 閣下はわしの願いになんとおおせられているかね?
【ケイツビー】 閣下、なにとぞ明日か、それでなければ明後日
お訪ねくださるよう、閣下にお願い申し上げるよう申されております。
閣下はただいま、高位の教父おふた方と共に引き籠られ、
敬虔なお祈りを捧げられている最中であります。
それで閣下は、この聖なるご勤行《ごんぎょう》の妨げになるような、
俗世間のわずらいごとにかかずらうことを一切望まれません。
【バッキンガム】 いやいやケイツビー君、もう一度閣下の所へ戻って、
小生、市長、ならびに市会議員の諸氏が、
市民全般の幸福と安寧《あんねい》とにかかわるような、
非常に重大な事柄に関するまこと重要な計画に関して、
閣下とぜひご相談いたすため参上いたしました、と伝えてくれたまえ。
【ケイツビー】 おおせの趣旨、ただちにお伝え致します。〔退場〕
【バッキンガム】 ああ、公爵閣下はエドワードのような人とは雲泥の差です!
閣下は淫らな情欲のヘッドに転がっているというような方では決してない。
ひざまずいて、一心に敬虔なお祈りを捧げられておられる。
高等淫売を二匹もはべらせて、それといちゃついているような方では決してない。
高位の教父おふた方と共に、一心にお祈りをされておられるのだ。
怠惰な肉体を肥らせるために、惰眠をむさぼっているような方では決してない。
不眠の霊魂を豊かにするために、ひたすらお祈りをされておられるのだ。
この高徳この上ないお方が、この国の王位を継承されれば、
このイギリスの国はまったく仕合わせこの上なしなのだが!
しかし、そのご承諾を得ることは、とても無理だ。
【市長】 神よ、公爵閣下がそれをお断わりになることをなにとぞ禁じたまえ!
【バッキンガム】 いやお断わりになるでしょう。それ、ケイツビーが戻ってきた。
〔ケイツビー再登場〕
さあケイツビー君、公爵閣下はなんとおおせられた?
【ケイツビー】 閣下は、前もってなんの知らせもないのに、
なぜ皆様方が、かくも多数の市民たちをお集めになられて、
ここにお見えになられたのか、ご不審に思っておられます。
閣下は皆様方がなにかよからぬ事をお考えなのではないかと案じておられます。
【バッキンガム】 閣下が、わたしが何かよからぬ事を考えるなどと、
そんなふうにお考えとは、まことにもって情けない。
われわれが閣下を心から敬愛してここに参ったことは、天地に誓っていい。
だからもう一度戻って、閣下にそう伝えてくれたまえ。
〔ケイツビー退場〕
敬虔にして信心深い聖者たちが数珠を繰って、
一心にお祈りをしているときは、その人たちを呼び出すことはむずかしい。
精魂こめてのお祈りは、そんなにもありがたいものなのだ。
〔グロスター、二人の司教のあいだに立って、上の露台に登場。ケイツビー再登場〕
【市長】 あっ、ご覧なさい、閣下が二人の牧師のあいだに立ってお出ましだ!
【バッキンガム】 真のクリスチャンとしての貴公子が、
悪のわなにおちいるのを守る二つの大徳の御柱《みはしら》だ。
それに、御覧なさい、祈祷書を手にしておられる。
これこそは閣下が敬虔なクリスチャンであられるまことの証拠。仁慈ぶかき、名だたるプランタジネット家正統の御君《おんきみ》。
われわれのお願いになにとぞ好意あるお耳をお傾けください。
そして、まことのクリスチャンとしてのお勤めを、
かくお邪魔申し上げたわれわれの非礼をお許しください。
【グロスター】 いやいや、そのようなご弁解の要はさらにございません。
神へのお勤めに余りに熱心になりすぎたあまりに、
皆様方のお出でをおろそかに致しました私めこそ、
閣下のお許しを心から願わなければなりません。
しかし、それはそれとして、私めにご用とおっしゃいますのは?
【バッキンガム】 それこそは、上は天にまします神の大いに嘉《よみ》せられるところ、
下はこの国王なき国の善良なる臣民が心から喜ぶことでございます。
【グロスター】 私が市民諸君に何か不愉快きわまることを、
しでかしてしまったのではないかと恐れます。それで皆さんが
私の無知を叱責されるために参られたのではないかと。
【バッキンガム】 そのとおりでございます閣下。それでお願いがございます。
そのおまちがいを、私どものお願いをお聴きいれあってつぐないくださいますよう!
【グロスター】 もちろんです。キリスト教国に生を受ける者としてそれは当然です。
【バッキンガム】 では申し上げます、閣下が尊厳にして至高の王位を、
すなわち閣下のご先祖が代々承け継がれた帝王の御職、
天命によって授けられた御位、生得のご権利、
王家としての閣下のお家柄、ご血統のほまれを、
けがらわしい血統の、身分いやしい者に軽々しく、
お引き渡しになられたことは大きな誤りであります。
閣下が眠りを誘うような静かなお祈りに専心されているとき……
われわれは実は国のため、それをお起こし申し上げるため参ったのですが……
この島国の王国はその素晴らしい手足を失くしてしまいました。
その顔には屈辱の大烙印が押されてしまいました。
その王家の幹には、いやしい接穂《つぎほ》がつがれてしまいました。
そして、すんでのことで、肩で小突き落とされて、
暗い、深い忘却の深淵に、がぶり飲み込まれるところでした。
それを救い出すために、われわれはここに心から閣下にお願い申し上げます、
どうか閣下御みずからこの国の王としての統治権を握られ、
この国の政治の責任をお担いになってくださいますよう。
それも摂政だとか、家令だとか、代理人だとか、
または他人の利益を守るための差配だとかいうのではなく、
代々王統から王統へと連綿として承け継がれた、
閣下の生得のご権利、閣下のご領有地、閣下の所有物としてであります。
私は以上のことを閣下にお願い申し上げるために、
閣下を心から敬愛したてまつる市民たちと相はかり、
また市民たちの熱烈このうえない慫慂《しょうよう》に動かされて、
この正当なお願いを閣下に申し上げるために参りました。
【グロスター】 このまま黙って引き上げてしまうべきか、
あるいは君たちをひどく咎《とが》めるべきか、どちらがわたしの地位と、
君たちの気持ちに適しているのか、わたしにはわからない。
もし返答をしなければ、わたしは野心のため物も言わずに、
君たちが今愚かにもわたしの頭上に戴せようとした、
あのわずらわしい黄金の王冠をかぶることに、
このわしが同意したと君たちは言うだろう。
君たちがわたしを敬愛するあまりにしてくれた君たちのこの嘆願を、
もしわたしが素気《すげ》なくも咎めだてしたならなば、
それではこんどは、君たちのわたしへの友情を損なうことになる。
だから、返事をして、しかも野心家だと誤解されないように、
そして、返事をして、しかも君たちの好意を損なうことのないように、
わたしは、はっきりと次のようにお答えする。
諸君のご好意には心から感謝する。しかしながら、
わたしの乏しい価値を考えると、諸君の高い要求にはとうてい応じかねます。
まず第一に、もしすべての障害物が取り除かれて、
生得の権利として、そして易々楽々と手に入るものとして、
王冠へのわたしの道がきわめて平坦なるものであるとしても、
このわたしという人間の才能はあまりにも貧弱であります。
わたしの欠点はあまりにも大きく、そして数多くあります。
したがって、このわたしは荒海にはとうてい耐えぬ笹小舟、
偉大なる王位の影に身をかくすことにあこがれて、
わたし自身のはかない栄光の蒸気で窒息するよりは、
わたしはむしろ、王位から遠く身を離していたい。
が、しかし、わたしごときが出る必要は毫《ごう》もないことを神に感謝しています。
また、出たとしても、皆さんのお役に立ち得るとはとうてい思えません。
幸い、王家の木には立派な実がなりました。
月日のたつのはまことに速いもの、すぐに熟して、
帝王の座にふさわしいものに相なります。
そして必ずやまたふたたび、幸福な時世が到来いたします。
諸君がわたしの頭上に戴せようとしているものを、わたしは皇太子に戴せます。
それは皇太子の生得の天命であり、権利であります。
それをこのわたしがもぎ取るなど、神よ断じて禁じたまえ!
【バッキンガム】 閣下、それは閣下の良心の証拠にはなります。
しかしすべての状況をよくよく考えてみますと、
そのようなお考えはきわめて些細なものと言わざるを得ません。
閣下はエドワードは兄王の子だとおおせられます。
われわれもそう申します。ですが正統の子ではありません。
と申しますのは、先王はまず第一にルーシー姫とご婚約になりました。
この件につきましては閣下の御母君が生きた証人であられます。
そしてその後に、代理人を遣わしてフランス王の妹君、
ボーナ姫とご婚約になりました。この二つが駄目になると、
その次には、いとも哀れな請願人が王の御目にとまりました。
すでにたくさんの子がある、苦労をしつくした母親でした。
もう美しさも萎《な》えしぼんだ、苦悩でやつれ果てた後家で、
最良の時はとうにすぎ去った、まさに『うばざくら』でありました。
これが王の淫蕩な目をすっかり虜にしてしまいました。
王を誘惑して最高最上の王位から、下劣な堕落の淵に突き落とし、
忌まわしい重婚の罪におとしいれてしまったのです。
われわれがたんに儀礼上、王子と呼んでいるエドワードは、
じつはこうした、先王の不義の結果生まれた子なのです。
今はまだご存命中のあるお方に失礼でありますから、
このへんで舌の動きを止めようと思いますが、
じつはまだまだひどいことを述べたてられるのです。
ですから閣下、この王位授与の申し出、
なにとぞ王統の血筋も正しい閣下がお受けくださいますよう。
それはたとえ、われわれやわれわれの国を幸福にするためではないとしても、
それは閣下のご立派な家柄を、この堕落した
ひどい世の汚れから救い出すためであります。
そして王位を正しい血統へ戻すためであります。
【市長】 閣下、お願いでございます。市民たちは心からそう願っております。
【バッキンガム】 閣下、この心からの申し出、なにとぞお断わりにならないでください。
【ケイツビー】 閣下、皆の者を喜ばせてください。その正しい願いのお聞き届けを!
【グロスター】 ああ、諸君はなぜこのような面倒をわたしにかけようとするのか?
わたしは王位、最高主権にいささかも似つかわしくない。
諸君に心からお願いする、どうか思い違いをしないでほしい、
諸君に同調することはできないし、またそうしようとは思いません。
【バッキンガム】 たとえ閣下が、御兄上の子供に対する熱烈な愛の御心から、
それを退位させるに忍びないとして、申し出をお断わりになられても、
われわれは閣下の優しい御心、寛大で親切で、
ご婦人方に見られるような深い憐れみの御心をよく存じております。
閣下のご親戚はもちろん、位の上下にかかわらずすべての者に対する
閣下のご態度に、われわれはそれを実際に拝見しているのであります。
しかし閣下がわれわれの願いを、お聞き入れになってもならなくても、
われわれは御兄上の子供を王位にお即け申そうとは思いません。
閣下のお家柄の不名誉となり、お家断絶にはなりますが、
われわれはどなたか他の者を王位にお即《つ》け申そうと思います。
では以上、われわれの決心を申し上げまして、これにて失礼いたします。
では市民諸君、やむをえない。もうお願いするのはやめようではないか!
〔バッキンガムおよび市民たち退場〕
【ケイツビー】 閣下、どうか皆を呼び戻してください。願いを聞いてやってください。
もしお聞き入れがなければ、国中あげて泣き悲しむことになるでしょう。
【グロスター】 君はわたしをどうしても、わずらいの世界に引き入れたいのか?
皆の者を呼び戻したまえ。わたしとても木石ではない。
君たちの心からの嘆願がわたしの心に届かぬはずはない。〔ケイツビー退場〕
もちろんそれはわたしの良心と真心に反してではあるが。
〔バッキンガムその他再登場〕
バッキンガム公爵、ならびに賢明にして良識ある市民諸君!
皆さん方が、わたしが希望すると否とにかかわらず、どうあっても
運命の重荷をわたしの背中に縛りつけようとなさっている以上、
わたしもその重荷を担《にな》わなければならない、と思うようになりました。
しかし、諸君のこの強硬きわまるお申し出に関して、
もし陰険な中傷や、悪意ある叱責の言葉が出てきた場合には、
諸君はわたしに降りかかるすべての汚点、汚れを、
ただただ諸君が強要したのだと言って、ぬぐってくれなくてはならない。
神も照覧あるごとく、また諸君もご存じのことと思いますが、
わたし自身はそのような希望はいささかもいだいてはいないのだから。
【市長】 閣下に神のご祝福を! よく存じております、必ずそういたします。
【グロスター】 そう言うことが、つまり真実を伝えることになる。
【バッキンガム】 では閣下、王様のご称号で閣下に敬意を表したてまつります。
英国国王、リチャード王万才!
【全員】 万才!
【バッキンガム】 戴冠式は、明日でいかがでしょうか?
【グロスター】 いつにても。万事は君のお考えどおりに。
【バッキンガム】 では明日、われわれは殿下にお仕えたてまつります。
ではこれにて、われらよろこび勇んで失礼つかまつります。
【グロスター】 〔司教に〕さあ、われわれはまたお勤めに戻りましょう。
諸卿よ、ごきげんよう。ごきげんよう皆さん。〔退場〕
[#改ページ]
第四幕
第一場 ロンドン塔前
〔一方の入口より王妃エリザベス、ヨーク公爵夫人、ドーセット侯爵、他方よりグロスター公爵夫人アンが、クラレンスの末女マーガレット・プランタジネット姫を連れて登場〕
【公爵夫人】 そこに来るのは誰だろう? 優しいグロスター伯母さんに
手を引かれた孫娘のプランタジネットだろうか?
きっと、あの可愛い王子たちを出迎えようと、
優しい愛の真心から、ロンドン塔へ小さな足を運んでいるのだろう。
これはこれは、いい所で会いました。
【アン】 おふたかた様とも。ごきげんうるわしく何よりのことと存じ上げます。
【エリザベス】 あなたもごきげんよう。ところで、どちらへ?
【アン】 じつは当所へ参ったのでございます。お見かけいたしましたところ、
おふたかた様とも私どもと同じご用向きかと存じますが、
いたいけな王子様にここでご挨拶申し上げようと存じまして。
【エリザベス】 ご親切にありがとう。さあご一緒に入りましょう。
〔ブラックンバリ登場〕
おや、ちょうどよいときに、看守の方が見えられた。
看守長さん、ごめんください。お尋ねしたいことがあるのですが、
皇太子と弟息子のヨークはどうしてますでしょうか?
【ブラックンバリ】 非常に元気でおられます。お気の毒でございますが、
王子様方とのご面会はお許しすることはできませぬ。
絶対会わせてはならぬという王様のきついご命令でございます。
【エリザベス】 王様ですって! 誰ですそれは?
【ブラックンバリ】 摂政殿下のことです。
【エリザベス】 おお殺生《せっしょう》な! 主よ、そのような称号を彼に禁じたまわんことを!
摂政が王子たちの愛情とわたしとのあいだに溝を作ったのでしょうか?
わたしは母親です。なにびともわたしを子供たちから引き離すことはできません。
【公爵夫人】 わしは王子たちの父親の母親だ。何としても王子たちに会いたい。
【アン】 私は王子たちの義理の伯母であり、愛情では母親同然です。
ですから王子たちに会わせてください。咎《とが》を受けたらわたしが引き受けます。
あなたの任務を解きます。すべての責任はわたしが負います。
【ブラックンバリ】 いやそれは絶対になりませぬ。それは許しませぬ。
私は誓いをたてて任務についているのです。どうかお許しのほどを。
〔スタンレー入場〕
【スタンレー】 たったの一時間後にはヨーク公爵夫人は、
御母君として立派な王妃お二人をご覧になられるでしょう。
また私は、お二人の王妃の御母君としての公爵夫人にご挨拶申し上げます。
〔アンに〕さあ、ウェストミンスターへお急ぎなさい。
そこでリチャードの王妃となって、王冠を戴くのです。
【エリザベス】 ああ! この胸のレースも裂けよ!
この苦しい胸の鼓動が、もっともっと自由に打てるように!
でなければ、この恐ろしい知らせで、わたしは気絶してしまう!
【アン】 なんという残酷な知らせ! おおなんといういやな知らせ!
【ドーセット】 元気をお出しください。母上、いかがなさいました?
【エリザベス】 おおドーセット、話などしている暇はない。お逃げなさい。
「死」と「破滅」とが犬のように、あなたの後ろについて回ってます。
お前の母親だということが子供たちの禍《わざわい》のもと。
「死」に追いつかれたくないなら、海を渡りなさい。
そして「地獄」の手の届かぬリッチモンドの所へ行きなさい。
さあお急ぎ! 大急ぎでこの屠殺場から逃げ出すのです。
さもなければここでいたずらに死人の数を増やすだけ。
そしてわたしはマーガレットの呪いの餌食となって、
母親でもなく、妻でもなく、英国王妃でもなくなって死ぬだけのこと。
【スタンレー】 ご忠告はまこと賢明なお心遣いといえます。
〔ドーセットに〕できる限り時間をうまく、早く使いなさい。
息子のリッチモンドには、途中まで出迎えるよう、
私から手紙を出しておきましょう。さあ愚かにも手間どって、
不意打ちを食って捕えられないよう、できるだけお急ぎなさい。
【公爵夫人】 おお、あたりかまわず毒を撒き散らしてゆく無残な風!
おお、呪われたわたしのお胎《なか》は、恐ろしい「死」を産み出す場所となった。
ひとめ見れば立ちどころに死んでしまうという、あの恐ろしい
バジリスクをこの世の中へ産み落としてしまった!
【スタンレー】 〔アンに〕さあ、お急ぎください。私は大至急お迎えに参ったのです。
【アン】 私は、ほんとうにいやいやながら参ります。
おお神よ、願わくば、私の額を取り巻く黄金の環が、
罪人がかぶせられるあの熱い熱い鉄の環となって、
私の脳の髄まで焼き焦がしてくださいますよう!
即位式の聖油のかわりに、恐ろしい毒をこの体に塗りたくって、
「王妃万才!」と人々が言う前に、いっそ死んでしまいたい。
【エリザベス】 さあ、いらっしゃい。可哀想に。わたしは羨ましいとは思いませぬ。
わたしを喜ばせようと、自分にひどくしなくてもいいのです。
【アン】 まあ! どうしてでしょうか? 私の今の夫であるあの人が、
故ヘンリー王のご遺骸におつき申し上げている私の所へ来たとき、
私のもう一人の夫、リチャードとは似ても似つかぬ天使のような夫エドワードと、
そのとき私が涙しておつき申し上げていた聖ヘンリー王の流したもうた御血が、
まだその手からきれいに洗いおとされていない
リチャードの顔を見たとき、私の心からの願いはこうでした。
「こんな若さでこの私を苦労でやつれた未亡人にしてしまったリチャード!
お前を私は心の底から呪ってやる!
お前がもし結婚したら、お前の床には悲しみがついてまわれ!
そしてお前の妻は、そんな者になる物好きがもしいるならば、
お前が私の夫を殺したために私が不幸になったより、
お前が生きているためにかえってもっともっと不幸になれ!」
ところがどうでしょう! この呪いの言葉をもういちど繰り返す暇もない、
ほんのしばらくの間に、女心のなさけなさ、
私は浅はかにも、あの男の甘い言葉のとりこになってしまいました。
そして私の呪いの言葉は、われとわが身を呪うことになってしまいました。
それ以来、私の目は休むということを知りません。
あの人の床に寝て、私はかつて一時《ひととき》でも、
安らかな眠りの黄金の露を味わったことはありません。
あの人が恐ろしい夢にうなされるので、私はいつも起こされてしまうのです。
それにあの人は、父のウォーリックのことがありますので私を憎んでいます。
きっとごく近いうちに、私を追い出すことでしょう。
【エリザベス】 可哀想に! さようなら。心からお気の毒に思います。
【アン】 いえ、お悔やみを申し上げるのはこちら。心からご同情申し上げます。
【エリザベス】 さようなら、この上ない栄誉を悲しみで迎えるお方!
【アン】 さようなら、その栄誉にお別れをするお気の毒なお方!
【公爵夫人】 〔ドーセットに〕リッチモンドの所へ行きなされ。幸運を祈ります!
〔アンに〕リチャードの所へ行きなされ。天使がお守りくださいますように!
〔エリザベスに〕聖院へ行きなされ。静かなお祈りの生活ができますように!
わたしはお墓へ参ります。なにとぞ、平和と安らいがございますように!
八十何年間、思えばわたしは悲しみの年月を送ってきたものじゃ。
ひとときも続く喜びがあれば、後は一週間も続く悲しみでたちまち壊されてしまう。
【エリザベス】 お待ちになって。ご一緒にもういちど塔をながめましょう。
昔ながらの石の塔よ、情けあるなら憐れんでほしい! 二人の幼子《おさなご》が
ある陰謀のために、お前のその石の壁の中に閉じこめられているのです。
かわいい幼子たちにとって、なんという粗野なゆりかご!
かよわい王子たちにとって、なんという手荒な乳母!
年をとった恐い顔のお友だち! どうか子供たちをいたわってください。
かくも愚かにも悲しみにくれながら、石の塔よ、私はお前にお別れします。〔退場〕
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第二場 同、宮廷の大広間
〔行列の到着を知らせるラッパの音。王冠を戴いて盛装したリチャード、バッキンガム、ケイツビー、小姓、その他登場〕
【リチャード】 みなの者、さがっておれ。バッキンガム公爵!
【バッキンガム】 はっ、国王陛下!
【リチャード】 そちの手を貸してくれ。
〔ラッパの音。リチャード王座に登る〕
かくも高い所へ、君の助言と、
君の助力とによって、国王リチャードとして着席するを得た。
しかしながら予がこの栄誉を身につけるのは、一日だけのことであろうか?
それとも永続きするものであろうか? 予はそれを喜んでよいものであろうか?
【バッキンガム】 願わくば末長く、永遠に続くものでありますように!
【リチャード】 さあそこでだバッキンガム、わしは一つ試金石になって、
君が果たして純金がどうかを試してみたい。
エドワードの小倅《こせがれ》めはまだ生きている。わしの言いたいことはわかるだろう?
【バッキンガム】 陛下、どうぞ続きをおっしゃってください。
【リチャード】 つまりバッキンガム、わたしは王になりたいと言っているんだ。
【バッキンガム】 ですから陛下、陛下はもう王様におなりです。
【リチャード】 なんだと? わしが国王だと? そりゃそうだ。だがエドワードが生きている。
【バッキンガム】 そのとおりです陛下。
【リチャード】 「そのとおりです」とは、
まるでエドワードが正統の世嗣《よつぎ》のような口ぶりだ!
君! 君はいったいいつからそんなに鈍感になったのだ?
では、はっきり言おう。わしはあの私生児を片づけてほしいのだ。
それもたったの今、今すぐにやってもらいたいのだ。
さあそれで君の考えは? さっそくに返事してくれたまえ、簡単明瞭に。
【バッキンガム】 すべては陛下の御意のままにござります。
【リチャード】 ちぇっ! 君はまるで氷だ。君の親切心はすっかり凍りついてしまった。
ねえ、あれを片づけることに君は賛成するのか、しないのか?
【バッキンガム】 陛下、どうかしばらく息をつく暇を、ご猶予《ゆうよ》を。
その後でこの件に関し、明確にお答え申し上げたいと存じます。
いえ長くとは申しませぬ、すぐ確たるご返事を申し上げます。〔退場〕
【ケイツビー】 〔他の者に傍白〕王はご立腹だ。見たまえ、唇を噛んでおられる。
【リチャード】 〔王座から降りる〕こんなことなら、てんからのろまの抜け作か、
向こう見ずの小僧っ子を相手にした方がましだった。うさんくさい目つきで、
わしをじろじろ見まわすような奴にもう用はない。
高望みのバッキンガムめが用心深くなりおった。
おい小姓!
【小姓】 はっ陛下、なに用でございましょう?
【リチャード】 賄賂《わいろ》の金さえやれば、殺しをごく内密にやってのける、
そんな男をお前はどこかに知らないか?
【小姓】 不平不満たらたらの士族を一人知っております。
その人はたいへんに気位は高いのですが、ひどく貧乏なのです。
金さえやれば二十人がかりで説き伏せるよりいっそう強力、
必ず何でもやるに違いありません。
【リチャード】 その者の名は何という?
【小姓】 ティレルと申します。
【リチャード】 その男ならわしもちょっとは知っている。その者をここへ呼べ。〔小姓退場〕
あの深謀遠慮、老獪《ろうかい》なバッキンガムにもう用はない。
心の奥底の秘密事なんか、もう相談してやるもんか。
ここまでの長い路、わしと一緒に疲れも見せずにやってきて、
ここへ来て息をつかせてくれとは何事だ? ふん、それもよかろう。
〔スタンレー登場〕
やあスタンレー卿、何事が起こったかね?
【スタンレー】 申し上げます陛下、
聞くところによりますと、ドーセット侯爵が
リッチモンドのおりまする地域へ逃亡したとのことでございます。
【リチャード】 おいケイツビー、ここへ来い! わしの妻アンが、
たいへんに重態だと世間に言いふらしてくれ。
彼女《あれ》を外に出歩かせないよう、必要な手は打っておく。
誰か三食にも事を欠く貧乏士族を見つけ出してくれ。
クラレンスの娘とすぐに結婚させたいのだ。
上の小僧は頭が弱い。だから心配の要はない。
おいおい夢でも見ているのか? もういちど言うぞ。
王妃アンは重態で今日の日にも危いと言いふらすのだ。
さあすぐやれ。育ってわしの害になるようなものは、
今のうちに息の根を止めておくことが、今のわしには必要なのだ。
〔ケイツビー退場〕
わしは兄エドワードの娘と結婚しておかねばならん。
さもなければわしの王国などは、もろいガラスの上も同然だ。
弟たちを殺しておいて、そしてその姉娘と結婚しようとは
何たる危い橋だ! だがわしはもう血の河に、あまりに深く踏みこんだ。
もうこうなっては、罪が罪を呼ぶだけだ。
涙を流す憐憫《れんびん》の情などは、この目の中には宿っておらぬ。
〔小姓、ティレルとともに再登場〕
お前の名がティレルか?
【ティレル】 ジェイムズ・ティレル。陛下の最も忠良なる臣民にございます。
【リチャード】 それに相違ないか?
【ティレル】 陛下、なにとぞお試しくださいますよう。
【リチャード】 わしの友人を一人殺す勇気がお前にあるか?
【ティレル】 御意のままにございます。ですが、敵は二人ならなお結構なのですが。
【リチャード】 それならお誂《あつら》えむきだ、わしの憩いと
安らかな眠りを妨げる二人の大敵、
これをぜひ君に片づけてもらいたいのだ。
ティレル、塔にいる二人の私生児のことだ。
【ティレル】 二人に近づける手はずさえつけてくだされば、
陛下のご心痛をお取り申し上げるのに、さほどの手間もいりません。
【リチャード】 お前の言葉は快い音楽だ。おい、ティレル、ここへ来い。
これを証拠に持って行け。立て。わしに耳を貸してくれ。〔王ささやく〕
やることはただそれだけだ。終わったらそう言って来い。
うんと可愛がって、位を上げてやるからな。
【ティレル】 さっそく片づけて参りましょう。〔退場〕
〔バッキンガム再登場〕
【バッキンガム】 陛下、先ほどお尋ねの件につきまして、
慎重に熟慮を重ねて参りました。
【リチャード】 いや、あれはもうよい。ドーセットがリッチモンドの所へ逃げたぞ。
【バッキンガム】 私もそれはうけたまわりました。
【リチャード】 スタンレー、あれは君の妻君の子だ。その点よく気をつけよ。
【バッキンガム】 陛下、陛下が陛下のご栄誉とご信義にかけて私めにくださると、
お約束くださいましたご褒美の品、ここに頂戴いたしたく存じます。
ヘリフォードの伯爵領およびその動産一切、
陛下が私にくださるとお約束になったものを戴きたいと存じます。
【リチャード】 スタンレー、君の妻君に気をつけよ。もし君の妻君が
リッチモンドに手紙を出すようなことがあれば、それは君の責任だぞ。
【バッキンガム】 陛下、私の正当なお願いに対するご返事は?
【リチャード】 わしはよく覚えているぞ、ヘンリー六世が、
リッチモンドはやがて王位に即くだろうと予言した。
リッチモンドがまた鼻たれ小僧の時分のころだ。
王位に即く! たぶん……
【バッキンガム】 陛下!
【リチャード】 あのとき予言者のヘンリー六世はなぜ、わしが傍《かたわ》らにおったのに、
わしが彼を殺すだろうと予言しなかったのだろう?
【バッキンガム】 陛下、伯爵領をくださるとのお約束……
【リチャード】 リッチモンド! わしがこの前エクセターに行ったとき、
市長の好意で、そこの城を見せてもらったが、その城が
ルージュモントと言った。それを聴いてわしはぎょっとした。
というのは、アイルランドのある詩人がかつてわしに、
リッチモンドに会えば長生きしないと言ったからだ。
【バッキンガム】 陛下!
【リチャード】 うん、いま何時かね?
【バッキンガム】 まことに厚かましき限りとは存じますが、なにとぞ、
先日のお約束を思い出してくださるようお願い申し上げます。
【リチャード】 ところでいま何時かね?
【バッキンガム】 十時を打つところでございます。
【リチャード】 じゃ勝手に打たせるがよい。
【バッキンガム】 とおおせられますと?
【リチャード】 君はまるで時計小僧のジャックが根気よく時計を打つように、
くださいくださいと言って、わしの考えごとを邪魔するからだ。
わしは今日は人に物をくれる気分になっておらんのだ。
【バッキンガム】 では、くださるのかくださらないのか、それだけでもうけたまわりたい。
【リチャード】 なんとやかましい奴だ。わしはそんな気にはならんと言ってるんだ。〔バッキンガム以外全員退場〕
【バッキンガム】 これでよいのか? わたしは心から忠勤を励んだのに、
その返礼がこれか? 何のために骨を折って彼を王にしたのだ?
おお、ヘイスティングズの前例もある。わしのこの危なっかしい頭が、
とにかくまだついているうちに、ブレックノックヘ逃れよう。〔退場〕
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第三場 同
〔ティレル登場〕
【ティレル】 残虐な血なまぐさい仕事は終わった。
この世始まって以来、この国で犯された人殺しで、
これほど憐れをそそる殺しはなかったろう。
この非情な虐殺をやってのけるために雇われて、
とくに一味に加えられたダイトンとフォレストというような、
血なまぐさいことでは名うての悪党の犬どもも、
あの子供たちを殺す最後の場面を物語るときには、
憐れみの同情心で一杯になって、子供のようにおいおいと泣いていた。
「おお! あの可愛い子供たちはこんな風に寝ていた」とダイトンは言った。
「こんな風に、こんな風に、大理石のような真っ白な両の腕で、
二人は無邪気に抱き合っていた」とフォレストは言った。
「二人の唇は、同じ枝に咲いた四つの紅薔薇《べにばら》の花、
夏の日に美しく咲き誇り、互いにキスし合っていた。
二人の枕元には一冊のお祈りの本が置いてあった。
それを見て、ほとんど気が変わったのだが、おお魔がさして……」
そう言って悪党のフォレストめは黙ってしまった。
それからダイトンが続けて言った。「われわれは
天地創造の開闢《かいびゃく》以来、自然が造りたもうた、
最も完全優美なものの息の根を止めてしまったのだ」
それ以後二人は、良心と後悔とですっかり参ってしまった。
二人は物も言えなかった。それで二人と別れて、
俺はあの残酷なリチャード王に報告に来たわけだ。
おっとそこへやって来た。
〔リチャード登場〕
陛下、ごきげんうるわしく!
【リチャード】 やあティレル君、わしのためいい知らせを持って来てくれたかね?
【ティレル】 陛下がお御命じになったことを仕遂げたことが、
陛下にとりまして良いことならば、まこと良い知らせを持って参りました。
やり遂げましたから。
【リチャード】 二人が死んだのをしかと見とどけたのだね?
【ティレル】 見とどけましてございます。
【リチャード】 そして埋めたんだね?
【ティレル】 塔付きの牧師が二人を埋めました。
ですが、どこに埋めたのかは、実のところ存じません。
【リチャード】 ティレル、夕食がすんだころ、わしのところへやって来たまえ。
そのときに、連中が死んだときの模様を聞かせてくれ。
それまでに、わたしに何をして欲しいか、よく考えておくのだ。
欲しいものは何でも君のものになる。
ではそのときにまた。
【ティレル】 では陛下、失礼つかまつります。〔ティレル退場〕
【リチャード】 クラレンスの息子は完全に閉じこめてある。
娘は貧乏士族と結婚させてしまった。
エドワードの息子たちは天国で、アブラハム様の御胸でお休みだ。
そして妻のアンはこの世に「お休みなさい」を言ってしまった。
さてそこで、ブルターニュのリッチモンドめだが、
あいつは兄の娘、あの若いエリザベスを狙っている。
その結びつきを利用して王位を得ようと虎視眈々《こしたんたん》だ。
だから俺さまが先まわりして、彼女《あれ》をうまくものにしてやろう。
〔ラットクリツフ登場〕
【ラットクリッフ】 申し上げます陛下!
【リチャード】 そんなはいり方をして来るのは、いい知らせか悪い知らせか?
【ラットクリッフ】 悪い知らせにございます。モートンがリッチモンドの所へ
逃げました。バッキンガムが武骨なウェールズ人に助けられて、
軍を起こしました。そしてその軍勢は刻々増えておりまする。
【リチャード】 イーリーがリッチモンドと合流したことの方が、
バッキンガムとそのにわか仕込みの軍隊より、ずっと気にかかる。
さあさあ、臆病虫にとりつかれて、あれこれ考えてばかりいるのは、
のろまの『のろ助』に仕えるぐずの下司のやることだ。
のろまのうしろに控えているのは哀れな貧乏の『まいまいつぶろ』
されば電光石火の早業よ! お前がわしの翼になってくれ!
主神ジュピターの使い神になってくれ、国王の伝令になってくれ!
さあ兵隊を集めろ。議論は止めて、武器だ武器だ。
大急ぎでやらなくてはならん。賊はもう兵を起こしたのだ。〔退場〕
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第四場 同、宮廷の前
〔老妃マーガレット登場〕
【マーガレット】 これで、さしもの栄耀栄華《えいようえいが》も熟し切って、
大口あけて待ち受けている「死」の口へ、ぽたりぽたりと落ち始めたのじゃ。
わしは今まで、このあたりに秘かに身をかくし、
わしの敵どもが次第に凋落《ちょうらく》してゆくさまを眺めてきた。
恐ろしい序幕だけはこの目でしかと見届けたからには、
あとはフランスヘ行ってゆっくり続きを楽しむとしよう。
おそらくは残忍で陰惨、たいへんに悲劇的なものになることはまちがいない。
可哀想なマーガレット、後ろに引っこんでいなさい、誰かがやって来る。
〔王妃エリザベス、ヨーク公爵夫人登場〕
【エリザベス】 おお可哀想な王子たちよ! おお可愛い子供たちよ!
香ぐわしい芽をふいたばかりで、ついに咲かずじまいとなった子供たちよ!
あなたたちの霊魂がまだ空中に飛んでいるのなら、
そして永遠の裁きの結着がまだついていないのなら、
あなたたちの空気の翼に乗って、わたしのまわりを飛び回っておくれ。
そしてあなた方のお母さんが泣き悲しむのを聞いておくれ。
【マーガレット】 そうだ、お袋のまわりを飛び回れ。お前たちの若い輝かしい朝が、
老いの暗闇にかくされてしまったのは、すべて因果応報だと言ってやれ。
【公爵夫人】 あまりに多くの悲しみでわたしの声は嗄《か》れてしまったので、
嘆き疲れたわたしの舌は物も言うことができない。
エドワード・プランタジネット、お前はなぜ死んだのだ?
【マーガレット】 プランタジネットはプランタジネットのつぐないじゃ。
エドワードはエドワードに死の負債を払ったのじゃ。
【エリザベス】 おお神様、こんな可愛い小羊をお見捨てになって、
恐ろしい狼のお腹へ投げこんでしまうおつもりなのですか?
こんなひどいことを、目をつぶってお見逃しになったことがありましょうか?
【マーガレット】 夫のヘンリーが亡くなったとき、それから息子のときもそうじゃった。
【公爵夫人】 死同然の命、盲目同然の両目、見るも哀れな生きている亡霊、
悲しみの舞台、世の恥さらし、墓が本居で、この世は借り住まいの命、
長い長い飽き飽きする年月を、ごく手短かにまとめ上げた歴史物語、
休らうことなきお前の心を、イギリスの、この忠実なる土の上に休ませよ。〔坐る〕
不忠にも、罪なき子供たちの血で酔わされたこの土地に!
【エリザベス】 ああ、いっそお墓をもらえないものでしょうか。
こんな悲しみの居場所を、わたしにくださるくらいなら!
ここでこうして休むより、わたしはここに骨を埋めてしまいたい!
ああ、この世にわたしたちほど悲しみごとの多い人が、他にいるだろうか?〔公爵夫人の傍に坐る〕
【マーガレット】 〔前に進み出る〕悲しみは古いのが偉いのなら、
このわしに優先権の恩恵をよこしなさい。
そしてわしを上座に据えて嘆かしておくれ、
もし悲しみにもお仲間というものがあるならば。〔皆と一緒に坐る〕
わしの悲しみをよくよく見てから、お前たちの悲しみを数えたてるがよい。
リチャードという奴が殺すまで、わしにはエドワードという息子があった。
リチャードという奴が殺すまで、わしにはヘンリーという夫があった。
リチャードという奴が殺すまで、お前にはエドワードという息子があった。
リチャードという奴が殺すまで、お前にはリチャードという息子があった。
【公爵夫人】 わたしにもリチャードという夫があった。それをお前が殺してしまった。
ラットランドという息子もあった。それをお前が手伝って殺してしまった。
【マーガレット】 お前にはクラレンスという息子もあった。それも
リチャードめが殺しおった。われわれ全部を死に追いこむ地獄犬は、
ほかならぬお前のその胎《はら》から這い出して来たのじゃ。
目が見えるよりも先に歯が生えて、仔羊たちを引き裂いて、
そのうまい血を舌なめずりしながらねぶったあの犬は、
神の創りたもうた傑作のあの忌まわしい破壊者は、
悲しみの涙に泣きぬれる人々の泣きただれた目を見て得意になっている。
この地上第一の素晴らしい暴君は、お前の胎が産み出したのじゃ。
おかげでわれわれ全部の者は墓の中へと追いこまれるんじゃ。
おお厳正にして公平、すべて正義をみそなわす神よ!
この極悪無道の犬が、その母親の子供を餌食《えじき》にして、
母親までも他の人々の悲しみのお仲間入りさせてくれたことを、
わたしは心の底から感謝しておりまする!
【公爵夫人】 おおヘンリーの奥方よ、わたしの悲しみを見て、
勝ち誇るのはやめなさい。わたしがお前のために涙を流したことは神様も御存じだ。
【マーガレット】 腹を立てなさんな。わしは復讐に餓えてるんじゃ。
そして今こそ、それを眺めてたらふく満足しておるんじゃ。
わしのエドワードを殺したお前のエドワードは死んだ。
お前のもう一人のエドワードも、わしのエドワードをつぐなうために死んだ。
幼いヨークは、ほんのおまけだ。お前の方のエドワードを二人足したって、
わしが失くした完全無欠のエドワードの比ではあり得ない。
わしのエドワードを刺したお前のクラレンスは死んだ。
そしてこの気違いじみた芝居を手をこまねいて傍観した、あの不徳義者の
ヘイスティングズ、リヴァーズ、ヴォーン、グレーらは、
ときならぬ時に首を締められて、暗い墓の中へと送られた。
忌まわしい地獄の回し者のリチャードはまだ生きている!
きやつこそは人の魂を買って地獄へ送る、地上たった一つの地獄の出店だ!
だがもうすぐだ、もうすぐだ。きやつの同情に値する、
しかし誰ひとり同情する者もない最期は、もうすぐやってくる!
大地は大口をあけ、地獄は燃えさかり、悪魔どもは吠え、
聖者は祈っている、きやつを一刻も早くこの地上から運び去ってもらうために。
神様お願いです、どうか、きやつの寿命を終わりにしてください!
そしてこの目の黒いうちに、「あの犬めが死におった」と言わせてください!
【エリザベス】 おお、あなたはいつか予言なさいました。
あの徳利の蜘蛛《くも》男、あのせむしのヒキガエルを呪うのを手伝ってくださいと、
わたしがあなたに頼みに行くときが、いつかはきっとやってくると。
【マーガレット】 そのときにわしはお前を、わしの一生のまねごと、
哀れはかない影法師、絵に描《か》いた哀れな女王と呼んだ。
わしのかつてありし姿の二度目の演《だ》しもの。
恐ろしい中身の芝居につけられた、見せかけだけの嬉しい前口上。
ひどく投げ出されるために高く高く持ち上げられた人。
二人の可愛い子供を持っていると、ただかりそめに信じこまされていた母親。
はかない夢の女王姿、戦場で恐ろしい狙撃手の的《まと》になる
敵の目を惹く派手な旗手。高い高い女王の身分の
なんの実もないただの立て看板。たちまちに消える人の息、水の泡。
ほんの舞台ふさぎの、茶番の女王。
お前の夫は今どこにいる? お前の兄弟たちはどこにいる?
お前の二人の息子はどこにいる? お前の喜びはどこにある?
誰がお前に願いごとをし、お前にひざまずいて「王妃万才!」というだろう?
お前の前でお世辞たらたらだった、あの頭の低い貴族どもはどこにいる?
お前の後ろに長蛇の列をつくった、あのおつきの者どもはどこにいる?
これをみんな正しい順序で言ってみるがよい。お前の今の姿がわかるじゃろう。
仕合わせな妻ではなくて、世にも哀れな未亡人。
喜びあふれる母親ではなくて、母と呼ばれたことを嘆く人。
王妃ではなくて、わずらいの王冠をかぶる哀れな女。
物を頼まれる人ではなくて、うやうやしく人に物を頼む人。
わしを軽蔑した者ではなくて、わしに軽蔑される者。
すべての人に恐れられている人ではなくて、一人の人を恐れている人。
すべて人を命令している人ではなくて、誰ひとり服従する者のいない人。
こうして運命の女神のあやつる正義の車の輪は回ったのじゃ。
そして振り落とされたお前は、時勢の餌食となったのじゃ。
ただ過去の追憶にふける以外に思うこともないので、
お前の今の境遇はますますもってお前を苦しめる。
お前はわしの地位を奪い取った。そのお前が
同じ分量の悲しみをこのわしから奪い取るのは当然ではないか?
今やお前の高慢な首も、わしの重荷の片棒を担いでいるんじゃ。
その片棒をこのさい、この場所で、わしは疲れた首から下ろしたい。
そして全部の荷物をお前さんにお任せしたい。
ごきげんよう、ヨークの奥方。悲しみの王妃さん、さようなら。
ではこのイギリスの悲しみを、フランスでとっくり楽しもう。
【エリザベス】 おお、呪いの上手なお方、しばらくお待ちください。
敵を呪うにはどうしたらよいか、どうかそれを教えてください。
【マーガレット】 夜は寝るのを我慢して、そして昼は断食せよ。
過ぎし日の仕合わせを現在の悲しみと比較せよ。
お前の子供たちは、実際よりもっともっと可愛かったと思うのじゃ。
そして殺した奴は、実際よりもっともっと悪い奴だと思うのじゃ。
お前の損失を過大にすれば、悪の張本人はますます悪くなる道理。
これを繰り返し反芻《はんすう》していれば、呪いは自然上達するものじゃ。
【エリザベス】 わたしの言葉はなまくらです。生気を与えてください。
【マーガレット】 お前の悲しみが、お前の言葉をわしのと同様鋭くしてくれる。〔マーガレット退場〕
【公爵夫人】 不幸な人はどうしてあんなに言葉たくさんなのだろう?
【エリザベス】 言葉は依頼人の悲しみに答える口先だけの空しい弁護士
あわれ遺言の必要もなく逝《い》った「喜び」の、むなしい遺産相続者
悲運をかこつ、むなしい言葉の気の毒な弁士、好きなだけ騒がしてやりましょう。
どうせ口に出して悲しんだとて、なんにならぬとは知りながら、
それでも話せば、それだけ心が軽くなる。
【公爵夫人】 それでは、黙っているのはお止めなさい。一緒においで、
あなたの二人の可愛い息子の息の根を止めた、
わたしのあの極道の息の根を、呪いの言葉で止めてやろう。
〔ラッパの音〕
ラッパが聞こえる。さあ派手に泣きわめいてやりましょう。
〔リチャード王、部下の兵士とともに進軍してくる〕
【リチャード】 わしの進軍の邪魔をするのは全体どこの何者じゃ?
【公爵夫人】 おお、わしじゃ、お前がまだ呪われたお胎《なか》の中にいたときに、おのれお前を締め殺してしまって、お前のしでかした人殺し、
極悪無道の行ないを邪魔することのできた者じゃ!
【エリザベス】 お前はその額を金の王冠で隠しているのか?
もし正義が行なわれるならば、お前のその額には
大烙印が焼きつけられて当然なのだ。その王冠の所有者たる皇太子の虐殺者、
わたしの可哀相な息子たち、兄弟たちの恐ろしい殺人者としての大烙印が。
さあ言いなさい、この悪党の下司め、わたしの子供たちはどこにいる?
【公爵夫人】 おのれこのヒキガエルめ! お前の兄のクラレンスはどこにいる?
それにその息子のネッド・プランタジネットはどこにいる?
【エリザベス】 あの優しいリヴァーズ、ヴォーン、グレーたちはどこにいる?
【公爵夫人】 親切なヘイスティングズは、どこにいる?
【リチャード】 ラッパ手! ファンファーレだ! 鼓手! 非常呼集を鼓《う》て!
いやしくも聖油を受けて即位した主君の悪口|讒言《ざんげん》とはもってのほか、
この大うそつきの女どもの言うことを聞こえなくしてしまえ! それ鼓て!
〔ラッパと太鼓の音〕
穏やかに、物を頼む正しい態度で来るなら聞かぬこともないが、
さもなければ、いくら泣こうがわめこうが、
戦争のかまびすしい音でかき消してしまうぞ。
【公爵夫人】 いったいお前はわたしの子供か?
【リチャード】 さよう、その点、神と父上と、それから母上に感謝してます。
【公爵夫人】 それならわたしの腹立ちを、腹を立てずに聞きなさい。
【リチャード】 母上、わたしは母上と同じような気性なので、
こごと、文句の類はいっさい聞く耳を持ちません。
【公爵夫人】 おお、言わせておくれ!
【リチャード】 じゃ言うがいい。だがわしは聞かぬ。
【公爵夫人】 穏やかな、優しい言葉で話をしよう。【リチャード】 それに手短かに願います母上。わしはいま忙しいのだから。
【公爵夫人】 お前はそんなに忙しいのか? わたしは神様もご存じだが、
苦しみ、悩んでお前がやって来るのを待ちわびていたのに。
【リチャード】 それでとうとうわしはこの世にやって来て母上を喜ばせた。
【公爵夫人】 とんでもない。そうでないことぐらいはお前も知ってのとおりだ。
お前が生まれたばっかりに、この世はわたしの生地獄となった。
お前が生まれるときも、わたしには死の苦しみだった。
小さいときはお前は癇癪《かんしゃく》もちで、わがまま一方の子供だった。
学校時代はお前は恐ろしい、無謀で乱暴な、狂暴な子だった。
成人してからは大胆不敵、勇敢で、向こう見ずだった。
年をとってからは高慢、狡猾、陰険、残忍で、
表面はずっと穏やかになったが、内はそれだけ悪人で、表裏二面の偽善者だった。
いったいお前がわたしと一緒にいてわたしを楽しませてくれた、
そういう仕合わせなときをお前は挙げることができるか?
【リチャード】 そんなものはない。いや、ただ一度だけある。わしと一緒にいたときに、
母上だけが朝食に呼ばれた「ハンフリーの時間」というのがあったっけ。
このわたしが母上にそれほど目ざわりなのならば、
さあ進軍させてください、そうすれば不愉快な思いをさせずにすむ。
太鼓を打て!
【公爵夫人】 後生だから、わたしの言うことを聞きなさい。
【リチャード】 あまりひどいことを言いすぎる。
【公爵夫人】 一言だけ聞きなさい。
二度とお前にものを言おうとは思っていないから。
【リチャード】 それなら。
【公爵夫人】 お前がこの戦争で勝って勝利者として凱旋する前に、
神の正義の摂理によって、お前が死んでしまうか、
それとも悲しみと老衰でわたしが死んでしまうか、
いずれにしてもわたしは二度とお前の顔を見ることはないだろう。
だから今日は、わたしの心の奥底からの呪いをお前にかけてやる。
その呪いが戦いの日に、お前が身につけている
その完全武装の鎧兜《よろいかぶと》より、もっともっとお前を疲れさせるように!
わたしの祈りが、お前の敵側について大いに戦うように!
敵方ではエドワードの子供たちの幼い魂が、
その味方一人一人の魂にささやいて、
勝利と成功とを約束してくれますように!
お前は残酷だが、お前自身も残酷な死に方をするだろう。
生きているあいだはもちろん、死んだ後々までも、汚名がお前につきまとうのだ。〔公爵夫人退場〕
【エリザベス】 まだまだ呪いの材料はあるのだけれど、
それをする気力がわたしにはない。ただ「アーメン」とだけ言っておこう。〔エリザベス退場しようとする〕
【リチャード】 お待ちください。じつはあなたにご相談したい儀がございます。
【エリザベス】 この上さらに殺したくともわたしにはもう、
王子は一人もありはしない。娘たちは、リチャード、
一生お祈りで暮らす尼にするつもり。悲しみの王妃などにはせぬつもり。
だから、娘たちの命を狙うことなどは、ゆめ考えてなりませぬ。
【リチャード】 あなたにはエリザベスという名の娘さんがおありだ。
貞淑で、美しく、血統は王統の優雅なお姫様が。
【エリザベス】 だから死ななくてはならないか? おお彼女《あれ》は生かしておいておくれ!
不義不徳の行ないで彼女を堕落させよう。あの美しさを汚してやろう。
エドワードのベッドを裏切ったのだと、わたし自身が汚名を着よう。
彼女《あれ》には不名誉この上ない私生児のヴェールをかぶせよう。
血なまぐさい人殺しの刃《やいば》にかからないためならば、
彼女《あれ》はエドワーの娘ではないという懺悔までしてもよい。
【リチャード】 娘さんの生まれを悪く言わないでください。娘さんは血統正しい王女です。
【エリザベス】 彼女《あれ》の命を救うため、わたしはそうではないと敢えて言う。
【リチャード】 由緒ある生まれであってこそ、娘さんの命は最も安全なのです。
【エリザベス】 その安全の中にいたために、二人の兄弟は殺された。
【リチャード】 いや、お二人は生まれたときの星が悪かったのです。
【エリザベス】 いや、悪い仲間たちが二人の命を狙ったのだ。
【リチャード】 すべて運命で決まったことは避けられません。
【エリザベス】 そのとおり。神の恩寵を避けて通るのを運命と決めるなら。
わたしの子供たちはもっときれいな死に方をする運命だった、
もし神の恩寵がそなたをもっときれいな生き方で祝福していれば。
【リチャード】 あなたはまるでわたしが甥御《おいご》たちを殺したかのように言いますね。
【エリザベス】 オイゴ? そのとおり。オイコまれてしまった。叔父たちに欺かれて
死の暗闇の中へ。喜びも、王国も、親戚も、自由も、生命もすべて奪われて。
子供たちのかよわい心臓を刺したのが誰であろうと、
間接的にではあるが、それを命令したのはそなたの頭なのだ。
あの人殺しのナイフはたしかになまくらで、刃が付いていなかった、
わたしの優しい仔山羊たちの内臓を掻き切るために、
お前の石のように硬い硬い心臓で磨ぎすまされるまでは。
悲しみに馴れて、どう猛な悲しみを取り押えているのだが、
さもなくば、わたしの舌が子供たちの名をお前の耳に並べたてる前に、
わたしの爪がとっくにお前の目の中に錨《いかり》を下ろしてしまっているのだ。
そしてわたしは、恐ろしい恐ろしい死の内海で、
帆も、綱具《つなぐ》もちぎり取られた捨て小舟、
岩のようなお前のその胸に打ち当たって、木っ端みじんに砕けるのだ。
【リチャード】 王妃、血なまぐさい戦争における私の武運と、身を挺しての勝運にかけて誓うが、
わたしは心からあなたと、あたたのご一統の方々のために、
よいことをしようと考えているのです。かつてわたしがあなた方にした
数々の悪いことよりも、もっと多くのよいことをしたいと考えているのです!
【エリザベス】 わたしのためになるようないいことなどというが、
その天使にも見紛《みまご》う顔を一皮はげば、その下には何が隠されているのだろう?
【リチャード】 あなたのお姫様を高く高く上げようとしているのです。
【エリザベス】 どこかの首切り台へ? そこで首を失くすために?
【リチャード】 とんでもない。運命の与え得る至高の地位、尊厳の位《くらい》、
この地上の栄誉の最高のもの、王家の紋章へです。
【エリザベス】 そのことでわたしの「悲しみ」の機嫌を取ってみるとよい。
わたしの子供に、いったいお前はどんなに高い、
尊厳と栄誉の地位を贈与することができるか言ってみるとよい。
【リチャード】 わたしの持ち物そっくり全部。そうです! それにわたし自身。なにもかも。
すべてを結納金としてあなたの子供さんに差し上げましょう。
だから、わたしがあなたにしたとあなたが思いこんでいる、
悪いことの数々は、みんなあの「忘却の河」に投げこんで、
すべてをこのさい、きれいさっぱり忘れてほしい。
【エリザベス】 手短かにしてほしい。さもないと、親切についての話の方が、
お前の親切自体よりずっと長続きすることになりかねない。
【リチャード】 では言おう、わたしはあなたの娘さんを『心から』愛している。
【エリザベス】 娘の母親もそういうことだろうと『心で』思っている。
【リチャード】 どう思っているのですか?
【エリザベス】 つまりお前は『本心から』遠く離れて娘を愛しているのだと。
彼女《あれ》の兄たちもお前は愛の真心から遠く離れて愛していた。
それに対してわたしは心の底からお礼を言いたい。
【リチャード】 そんなに慌てて、わたしの言う意味を取りちがえては困ります。
わたしは、あなたの娘さんを心をこめて愛していると言っているのです。
そして娘さんをイギリス国王王妃にしたいと思っているのです。
【エリザベス】 するとイギリス国王には誰がなるというのか?
【リチャード】 娘さんを王妃にする人に決まってます。そのほかに誰がいますか?
【エリザベス】 なんですって、お前が?
【リチャード】 そのとおり。どうお思いになりますか?
【エリザベス】 どうやって彼女《あれ》が口説けるか!
【リチャード】 それをあなたにお聞きしたい。
娘さんの気持ちを一番よくご存じなのはあなたなのだから。
【エリザベス】 お前は、どうしてもそれを聞きたいか?
【リチャード】 お願いします、真心をこめて。
【エリザベス】 彼女《あれ》の兄たちを殺した男に、傷ついた心臓二つを
娘の所へ持って行かせるのだ。それにはそれぞれ、
エドワード、ヨークと名を刻むのだ。それを見て娘は涙を流すだろう。
その上で、ちょうどマーガレットがかつてお前の父に、
ラットランドの血に浸したハンカチをやったように、
ハンカチをやるのだ。そして彼女《あれ》に言ってやれ、そのハンカチこそは、
彼女《あれ》の優しい兄たちの体から流れた血潮を吸いこんだものだと。
そして、そのハンカチで流れる涙を拭けと言ってやれ。
それでもまだ彼女《あれ》がお前を好きだと言わないならば、
お前の素晴らしい武勇伝を書き並べた手紙を出すのだ。
お前が彼女《あれ》の叔父のクラレンス、叔父のリヴァーズたちを
あの世へ送ってやったのだと書いてやれ。じつは彼女《あれ》のためを思って、
叔母のアンを手っ取り早く片づけたのだと書いてやれ。
【リチャード】 からかってはいけません。そんなことをしても娘さんは、
わたしの手には入りません。
【エリザベス】 ほかに方法は絶対ない。
お前が誰か別の人間の姿、形をとることができて、
こういうことをしでかしたリチャードでなくなれれば別だが。
【リチャード】 それもみんな娘さんを愛するがゆえにしたのだと言ったら?
【エリザベス】 いや、それならますます嫌いになるに決まっている。
そんな残忍なことをして、それで愛をかち得るはずがない。
【リチャード】 すべてしてしまったことは、今更どうにもなりません。
人間というものは、ときにまこと愚かな行ないをするものなのです。
そして後になって、とくと考えて後悔しているのです。
もしわたしが、息子さんたちの王国を奪ったというのなら、
そのつぐないをするために、それを娘さんにお返ししましょう。
もしわたしが、あなたのお胎から生まれた王子たちを殺したというのなら、
あなたの子供さんたちを生かすため、わたしの子供は
あなたの血統から、あなたの娘さんに生んでもらいましょう。
「おばあさま」と呼ばれることは、情愛のこまやかさにおいて、
「おかあさま」と甘えられることといささかも変わりません。
わたしの子供はあなたの子供、ほんの一段下にいるだけのこと、
あなたとまったく同じ素質、あなたとまったく同じ血統です。
苦労をするのも同じこと。ただ違うのは一夜のお産の苦しみ、
あなたがかつて耐えたのを、今度は娘さんが我慢をするのです。
あなたの子供たちはあなたの若いときの煩《わずら》いの種、
わたしの子供はあなたの老後の慰めとなりましょう。
あなたの受けた損失は国王の息子さんただ一人、
そしてその損失のために、あなたの娘さんが王妃になれるのです。
すべてをつぐないたいと思いますが、それは望んでもできないこと、
ですから今のわたしにできる親切を、どうか受け容れてくださるよう。
恐怖心から悶々の心をいだいて外国の土地をさまよっている、
あなたの息子さんのドーセットも、この盛大な婚儀が決まり次第、
すぐさま母国へ呼び返すことにいたしましょう。
そして高位、高官の身分に立身させましょう。
あなたの美しい娘さんを妻と呼ぶ国王は、
当然家族の一員としてドーセットと兄弟になりましょう。
あなたは再び、国王の母と呼ばれる身分になるのです。
そして悲しみのときに打ち壊されたすべてのものは、
二重の幸福のよろこびで繕《つくろ》われるのです。
そうです! われわれの時代がこれから始まるのです。
あなたが流した涙の一滴、一滴は、
光り輝く真珠の玉となって戻ってくるのです。
あなたが貸し出した悲しみの元金は、
三十倍もの仕合わせの利子がついて返ってくるのです。
ですから、さあ母上! 娘さんの所へいらっしゃい。
まだ恥ずかしがる年ごろでしょうが、あなたの経験で大胆にしてください。
そして恋人の言葉に耳を傾けられるような下地を作っておいてください。
黄金の主権の王冠に憧れる希望の焔を、
娘さんの優しい心の中に燃え立たせてください。
結婚の静かな喜びのときを、あなたのお姫様に知らせてあげてください。
そしてわたしのこの腕で、あの間抜け者のバッキンガムの
くだらん謀叛を打ち懲《こ》らしめたら、その足で
輝く勝利の花環に飾られてわたしは戻って参ります。
そしてあなたの娘さんを勝利者のベッドヘご案内いたし、
わたしのかち得た勝利の仔細《しさい》を物語ることにいたしましょう。
かくして娘さんを唯一の勝利者、シーザーのシーザーにしてみせます。
【エリザベス】 なんと言ったら一番いいか? 彼女《あれ》の父親の弟が
彼女《あれ》の夫になるのだと言ったらいいか? それとも叔父がと言ったらいいか?
それとも、兄や叔父たちを殺した人がと言ったらいいか?
いったいどういう資格でわたしがお前のために娘を口説いたならば、
神が、法律が、わたしの名誉心が、娘の愛情がそれを認めて、
若い娘に気持ちよく受け入られるようにすることができようか?
【リチャード】 この結婚によって美しき英国に平和をもたらすのです。
【エリザベス】 それを娘は一生の苦しみで買うのです。
【リチャード】 命令できる国王が、頭を下げて頼んでいるのだと言いなさい。
【エリザベス】 頼んでいることは王の王、神の禁じたもうこと。
【リチャード】 高い権力の地位、王妃になるのだと言いなさい。
【エリザベス】 そしてそれを失くすだけ。母親とまったく同じこと。
【リチャード】 わたしは娘さんを永久《とわ》に愛すと言ってください。
【エリザベス】 だがその「永久に」がいつまで続くことじゃやら?
【リチャード】 うるわしのお命が続く限りみごと実行いたします。
【エリザベス】 だがその娘の花の命、いつまで続くことじゃやら?
【リチャード】 天なる神と、自然の女神の思《おぼ》し召されるとおりです。
【エリザベス】 地獄とリチャードの思し召されるとおりです。
【リチャード】 君主たるわたしが、恋人としてはお嬢さんの臣下だと言ってください。
【エリザベス】 でも、あなたの臣下たる娘はそんな君主が嫌いなのです。
【リチャード】 そこを何とか、わたしのために大いに弁じてください。
【エリザベス】 正直な話は簡単に言うのが一番です。
【リチャード】 では簡単に、わたしの愛の真心を話してください。
【エリザベス】 簡単でしかも嘘の話とは、まことにもって耳ざわり。
【リチャード】 あなたの言葉はあまりに浅はか、「いき」すぎです。
【エリザベス】 いえとんでもない、わたしの子供は深く埋められ、「死んでます」。
可哀想な子供たち! 深い深い墓の中で死んでいる。
【リチャード】 王妃、そのことにふれるのはおやめなさい。過ぎ去ったことです。
【エリザベス】 いやいやその琴を奏でましょう。この玉の緒《お》の断ち切れるまでは。
【リチャード】 この聖ジョージとガーター勲章と王冠とにかけて……
【エリザベス】 神聖を侵されたもの、名誉を汚されたもの、三番目は奪ったもの。
【リチャード】 わたしは誓います……
【エリザベス】 誓うものはなにもない。これは誓いでは絶対ない。
ジョージ様はその神聖を侵されて、その聖なる名誉は失くしている。
ガーター勲章はその名誉を汚されて、その崇高な騎士の徳とはおわかれだ。
王冠は奪い取られたもの、その王者の栄誉はさらにない。
もし人を納得させるような誓いをしたいのなら、
お前がこれまでまだ汚さなかったもので誓うがよい。
【リチャード】 ではわたし自身にかけて……
【エリザベス】 お前は自身で身を誤った。
【リチャード】 では世界にかけて……
【エリザベス】 それはお前の犯した悪事で一杯。
【リチャード】 では父上の死にかけて……
【エリザベス】 それはお前が生まれたことで汚してしまった。
【リチャード】 それならいっそ、神にかけて……
【エリザベス】 神こそ最高に被害を受けたもの。
もしもお前が、神にかけた誓いを破ることを恐れたのならば、
わたしの夫の国王が実現した和解をお前はこのように、
無残に壊さなかっただろうし、わたしの兄弟たちも殺されはしなかったろう。
もしもお前が、神にかけて誓いを破ることを恐れていたのなら、
いまお前の頭を取り巻いているその帝王の王冠は、
わたしの子供の可愛いこめかみを飾っていただろうに。
そして二人の王子たちはここで息をしていただろうに。
その二人ともが今は、やがて土くれになるのを待ちながら枕を並べている!
お前が誓いを破ったために、うじ虫の餌食にされてしまったのだ。
それから何で誓うのか?
【リチャード】 やがて来る時によって誓いましょう。
【エリザベス】 それはもう過去においてとうにお前が汚してしまった。
なぜならば、わたし自身、過去においてお前が犯した悪事のために、
未来|永劫《えいごう》、たくさんの涙を流さねばならないのだから。
お前に親を殺された子供たちは生きながらえても、
教える人もなき青年時代、年を取ったときそれを大いに悲しむだろう。
お前に子供を虐殺された親たちは生きながらえても、
丸裸の枯木同然、寄る年波とともに、それを大いに悲しむだろう。
やがて来る時によって誓うのは止めよ。それはもうとっくに、
誤って使われた過去でお前が汚してしまったのだ。
【リチャード】 この危険きわまる戦争における全運命をかけて申しますが、
わたしは真実このことを成功させて、罪のつぐないをしたいと
心から願っているのです! われとわが身を地獄へ落としましょう!
天よ、運命よ、わたしに仕合わせなときが来るのを邪魔してください!
わたしに光を与えないでください! 夜は休息を与えないください!
すべての幸運の星はわたしのなすことにさからってください!
もしも、これから、万が一にもこのわたしが、
純粋無垢、聖なる心をもってただひたすらに、
あなたのうるわしいお姫様に仕えないようなことがあるならば!
わたしの仕合わせもあなたの仕合わせも、すべてお嬢様にかかっています。
お嬢様なしでは、わたしにも、またあなたにも、
お嬢様自身にも、国全体にも、数多くのキリスト教徒にも、
ただ死と荒廃と滅亡と衰微とが待ち受けているだけです。
それはこの結婚によらなければ避けられません。
それはこの結婚によらなければ、どうしても避けられません。
ですから母上様……わたしはあなたをそう呼ばなくてはなりませんが……
娘さんへのわたしの愛の代弁者にぜひなっていただきたい。
今までのことは言わないで、これからのことを大いに弁じてください。
わたしの過去の功罪でなく、これからの功績についてです。
今の世の逼迫《ひっぱく》した情勢を大いに説いてください。
区々《くく》たる個人のわがままな気持ちで、国家の大計を誤らないでください。
【エリザベス】 こんなふうに悪魔に誘惑されてよいのだろうか?
【リチャード】 さよう、悪魔が、もしよいことするようすすめるのなら。
【エリザベス】 わたし自身が我を忘れてよいものだろうか?
【リチャード】 さよう、あなたの追憶があなたに道を踏み外させるのなら。
【エリザベス】 だが、お前はわたしの子供たちを殺したのだ。
【リチャード】 でもわたしがそれをあなたの娘さんのお胎へ埋めてあげます。
そこからは、不死鳥が香料の巣に身を焼いて生まれ変わってくるように、
あなたのお子さんそっくりの子供が生まれて、あなたを喜ばせるのです。
【エリザベス】 娘のところへ行って、お前の言うことを聞かせようか?
【リチャード】 そうです、そして仕合わせな母親におなりなさい。
【エリザベス】 では行こう。なるべく早く使いの者をよこしてください。
そうしたら娘の気持ちをお知らせしましょう。
【リチャード】 わたしの心からの愛のキスを伝えてください。ではさようなら。〔リチャード、エリザベスにキスする。エリザベス退場〕
情けに弱い馬鹿者め! 浅はかな、気の変わり易い気まぐれ女め!
〔ラットクリッフ、ケイツビーを従えて登場〕
おいおい! どうしたのだ?
【ラットクリッフ】 畏《おそ》れながら国王陛下、西海岸に、
強力な海軍船団が碇泊しております。陸地の方には、
多数の疑わしい、信頼のおけない味方が群がっております。
彼らは武装もせず、敵どもを撃退しようともいたしません。
リッチモンドがその海軍の大将だということであります。
そしてバッキンガムが陸からその上陸を援護してくれるのを待って、
いま海上を遊弋《ゆうよく》しているのだそうであります。
【リチャード】 誰か足の速い者、大急ぎでノーフォーク公爵のところへ行け!
ラットクリツフ、お前が行くか、それともケイツビーか? ケイツビーはどこだ?
【ケイツビー】 陛下、ここにおります。
【リチャード】 ケイツビー、大至急公爵のところへ飛べ。
【ケイツビー】 承知いたしました。できる限りの至急便で行って参ります。
【リチャード】 ラットクリッフ、ここへ来い! 大至急ソールズバリのところへ行け。
あそこへ行ったら……〔ケイツビーに〕この頭の鈍い、気のきかぬ下司め!
なにをそこでぐずぐずしているのだ、なぜ公爵のところへ行かんのだ?
【ケイツビー】 まず陛下、陛下から公爵への伝達事項として、
公爵にお伝えする陛下のご意向をおっしゃって下さい。
【リチャード】 おおそうだ。許してくれケイツビー。すぐにできるだけ多くの兵を集めて、
大軍を編成するよう、そしてただちにソールズバリで
わしを待つよう公爵に伝えてほしいのだ。
【ケイツビー】 行って参ります。
【ラットクリッフ】 畏れながら陛下、わたしはソールズバリでなにを?
【リチャード】 なんだと、わしより先にそこへ行って何をしようというのだ?
【ラットクリッフ】 いま陛下が、そこへ大急ぎで行くようおおせられたのですが。
〔スタンレー登場〕
【リチャード】 いや、考えが変わった。スタンレー、なにかあったか?
【スタンレー】 陛下、お耳を喜ばすほど良い知らせでもなければ、
さりとてご報告をさし控えねばならぬほど悪い知らせでもありません。
【リチャード】 なんだそれは、まるで謎だ! 良くもなければ悪くもないだと!
率直に最短距離の近道で話すことができるのに、
いったい何だってそんなにぐるぐる回り道をする必要があるのだ?
もういちど聞く、なにがあったのだ?
【スタンレー】 リッチモンドが海の上におります。
【リチャード】 じゃ海に沈めてしまえ、海の下にしてしまえ!
生白い肝臓の風来坊め! きやつはそこで何をしているのだ?
【スタンレー】 わかりません。すべては想像するだけです。
【リチャード】 では、その想像は?
【スタンレー】 ドーセットやバッキンガム、イーリーにけしかけられて、
英国王位を要求するために攻め寄せて来たものと思われます。
【リチャード】 王位が空席だとでもいうのか? 国王の剣を吊る者がおらんとでもいうのか?
国王が亡くなったとでもいうのか? 国の主権者がおらんとでもいうのか?
予をのぞいてヨークの跡継ぎがいるとでもいうのか?
さらに、大ヨークの跡継ぎをのぞいて、英国国王がいるとでもいうのか?
だから、きやつがいったい何をしに海にやって来たのかが知りたい。
【スタンレー】 ただいま申し上げました以外の目的は、わたくしには想像できません。
【リチャード】 きやつはそちの国王となるために来たのだという以外は、
あのウェールズ人めは何でやって来たのか、そちにはわからぬというのだな。
お前はわしに謀叛をしよう、きやつの所へ走ろうというのではないか?
【スタンレー】 いや滅相《めっそう》もございません、陛下。なにとぞ誤解されぬよう。
【リチャード】 では、きやつを撃退すべきその方の軍隊はどこにいるのだ?
家の子|郎党《ろうとう》はどこにいるのだ? 家来どもはどこにいるのだ?
みんな今ごろは西海岸にいるのではないか?
叛乱軍どもの上陸を援護しているのではないか?
【スタンレー】 いや、陛下。私の軍勢は北方におります。
【リチャード】 そりゃわしには、いささか寒すぎる。西海岸で主君に仕えるべきときに、
お前の軍隊は北方にいて、いったい何をしているというのだ?
【スタンレー】 陛下、私の軍隊はまだ陛下のご命令を受けておりません。
陛下の優渥《ゆうあく》ある御意をたまわりますならば、
私は部下の将兵を召集いたしましょう。そしてそれを引き連れて、
陛下のお望みの時と所で、陛下にお目にかかりましょう。
【リチャード】 そうだろう、そうだろう。お前はリッチモンドに合流したいのだ。
ところがそうはゆかん。お前は信用せん。
【スタンレー】 畏れながら陛下、
陛下が私めの忠義心をお疑いになることは、まこといわれがございません。
私は陛下に二心を抱いたことはかつてなく、将来も絶対にございません。
【リチャード】 よろしい。では兵を集めよ。だがお前の息子の
ジョージ・スタンレーは残してゆけ。いいか、しっかりと心を決めてかかれ。
さもなければ、お前の息子の首は風前の燈火《ともしび》じゃ。
【スタンレー】 では御意のごとくに。私は陛下に忠義の真心を尽くすのみであります。〔退場〕
〔使者登場〕
【使者】 畏れながら陛下、ただいまデヴォンシャーにて、
私めが味方の者どもから得た確かな情報によりますと、
士爵エドワード・コートニーと、その兄にあたる
高慢無類の糞《くそ》坊主、エクセターの司教とが、
その他の同志どもを糾合して叛旗をひるがえしました。
〔第二の使者登場〕
【使者二】 陛下、ケントでギルドフォード家が叛乱軍を起こしました。
そして同志は時々刻々それに加わっており、
軍勢はますます増大するいっぽうであります。
〔第三の使者登場〕
【使者三】 陛下、大バッキンガム公爵の軍隊が……
【リチャード】 やめろ、このフクロウめ! どいつもこいつも縁起でもない歌ばかり歌いおる!〔使者三をなぐる〕
ええい、これでもか! こんどはもっといい知らせを持って来い!
【使者三】 私が陛下に申し上げようとしておりましたのは、
降ってわいたような大雨と洪水のため、バッキンガムの軍隊が、
支離滅裂になって四散したということであります。
そしてバッキンガム自身は単独行動を取っておりますが、
その所在はつきとめておりません。
【リチャード】 そうか、すまん、すまん。
このわしの財布、取っておけ。これでさっきの乱暴許してくれ。
バッキンガムめを捕えて来た者には褒美をとらせるというふれを、
誰か気がきく者が出しておいてくれただろうか?
【使者三】 そのようなお触れは、たしか出されておりまする。
〔第四の使者登場〕
【使者四】 士爵トマス・ラヴェルおよびドーセット侯爵が、
ヨークシャーで叛旗をひるがえしたそうであります。
しかし、よい知らせも陛下に持って参りました。
ブルターニュの海軍はあらしで吹き散らされてしまいました。
リッチモンドはドーセットシャーでボートを岸に出し、
岸にいる人たちにリッチモンドの味方かどうか、
イエスかノーかと尋ねました。岸の人たちは、
自分たちはバッキンガム公に遣わされて来たもので、
その味方だと言いました。しかしリッチモンドは
それを信用せず、出帆を命じ、ブルターニュへ逃げました。
【リチャード】 進軍、進軍。戦闘準備ができた以上、ただ進軍あるのみだ。
外からの敵は逃げてしまって、それと戦う必要はなくなったとしても、
国内の賊どもを平らげる必要はなおあるからだ。
〔ケイツビー再登場〕
【ケイツビー】 陛下、バッキンガム公爵が逮捕されました。
これが最上の知らせであります。リッチモンド伯爵が、
強力な軍隊を率いて、ミルフォードに上陸いたしました。
これはぐんと悪い知らせであります。しかしご報告はしなければなりません。
【リチャード】 ソールズバリヘ前進! ここで議論討論に花を咲かせているうちに、
王位継承の大事な戦いに引けを取り、敗れるようなことがあっては大変だ。
誰か、バッキンガムをソールズバリヘ連れて参るよう、
早速に処置をとれ。他の者はわしと一緒に前進せよ。〔退場〕
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第五場 同、スタンレー卿邸宅の一室
〔スタンレー卿および士爵クリストファー・アースウィック登場〕
【スタンレー】 アースウィック殿、リッチモンドにこう伝えて欲しい。
あの残忍無比な猪めの汚らわしい小屋の中に、
息子のジョージ・スタンレーは閉じこめられてしまった。
もしわたしが叛旗をひるがえせば、息子の首はたちどころにとんでしまう。
そのため目下のところ、ご援助いたしかねていると。
さあ、出かけたまえ、ご主君にくれぐれもよろしく伝えてくれるように。
なお、リッチモンドとエリザベス姫とのご婚儀の件については、
王妃は心からご賛成のむね伝えてほしい。
ところでリッチモンド伯は今どこにおられるか?
【アースウィック】 ペンブルックか、ウェールズのハーフォード・ウェストです。
【スタンレー】 伯のもとに集まった知名の士は?
【アースウィック】 名だたる武人の士爵ウォーター・ハーバート、
士爵ギルバート・トールバット、士爵ウィリアム・スタンレー、
オックスフォード、勇名とどろくペンブルック、士爵ジェイムズ・ブラント、
それに勇敢なる一軍を率いたライス・アップ・トマス、
そのほか貴顕、知名の士の数々。
もし途中に抵抗がなければ、
ロンドン目指して進軍を続けるはずであります。
【スタンレー】 さあ、ご主君の所へ急ぎたまえ。くれぐれもよろしく。
わたしの心の内はすべてこの手紙の中にしたためておいた。
では元気で。〔退場〕
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第五幕
第一場 ソールズバリ、広場
〔州刑吏と護衛たち、バッキンガムを刑場へ引き立てて登場〕
【バッキンガム】 リチャード王はどうあっても面接を許してはくれないか?
【刑吏】 どうあってもお許しになりません。ですから諦めてください。
【バッキンガム】 ヘイスティングズとエドワードの子供たちよ、
グレーおよびリヴァーズよ、聖なるヘンリー王とその王子エドワードよ、
ヴォーンおよびその他、卑劣な、汚ならしい不正手段によって
命を奪われた人々よ、もしみなさんの怒りに燃える
不平不満の霊魂が、あの雲間を通して、
このありさまを眺めることがあったなら、復讐はこのときとばかりに、
このわたしの身の破滅を大いに嘲《あざけ》りわらってほしい!
ねえ君、今日は万霊節ではなかったかね、そうだろ?
【刑吏】 さようでございます。
【バッキンガム】 そうか、では万霊節がわたしの体の破滅の日だ。
破滅の日なのだ、わたしがエドワード王在世のときに、
もしわたしが王の子供たち、王妃の一族を裏切るようなことがあったなら、
どうかこの身にふりかかってほしいと祈ったのは。
この破滅の日なのだ、わたしが最も信頼をおく者に裏切られて、
このわたしが失脚するようにと心から願ったのは。
この日、この万霊節の日こそ、神の裁きに恐れおののくわたしの魂にとって、
かつて犯したもろもろの罪の年貢の納めどきなのだ。
わたしは至高にしてすべてを照覧あらせられる神と戯れる不遜をあえてしたが、
今こそ神はわたしの偽りの祈りを、逆にわたしの頭上にふりかけたもうのだ。
そのとき冗談に祈ったものを、いま真実にして下したもうのだ。
かくて神は、邪悪な人間の振りまわす剣の切っ先を、
その非道な所有主自身の胸へと向けさせたもうのだ。
かくしてマーガレットの呪いの言葉は、わたしの首にふりかかる。
彼女は言った、「きやつが悲しみでお前の心を八つ裂きにしたときに、
マーガレットは予言者だったと思い出せ」と。
さあお役人衆、わたしを汚辱の台へと導いてくれ。
悪は悪の報いを、罪は罪の報いを受けて当然なのだ。〔退場〕
[#改ページ]
第二場 タムワース付近の野営地
〔リッチモンド、オックスフォード、士爵ジェイムズ・ブラント、同ウォールター・ハーバートその他、鼓手、旗手らを連れて登場〕
【リッチモンド】 戦闘準備なれる将兵、ならびに私が心から敬愛する友人諸君!
暴政のくびきの下で無残にもうち砕かれた同輩および友人諸君!
かく遥《はる》けくも、われわれは国の中心部まで、
なんらの抵抗も受けることなく進撃して来た。
そして今ここに、わが父君スタンレーから、
素晴らしい鼓舞、激励の手紙を受け取った。
諸君の夏場の畑を荒らし、たわわに実る葡萄を台無しにした、
あの残忍にして、極悪無道の猪《いのしし》めは、
諸君の生温かい生き血を豚のごとくにむさぼり吸い、
諸君の腹をくりぬいて己れの餌箱としている。
あの汚らわしい豚めは、聞くところによれば、この国の中央部、
レスターの町の近くに、駐屯しているそうである。
タムワースからそこまでは、わずか一日の進軍行程である。
勇敢なる将兵諸君、神の御名においてお願いする、断固勇往|邁進《まいしん》してほしい。
この恐ろしい戦争のただ一度の血の試練によって、
永遠の平和という大いなる収穫を刈り取るためである。
【オックスフォード】 それぞれ各人の良心は一騎当千の強者《つわもの》となって、この罪深い人殺しと正面切って戦うのだ。
【ハーバート】 彼の部下は必ずや彼を裏切って、わが方に味方します。
【ブラント】 彼についている者は、彼を恐れてついているだけで、
危急存亡の大事なときには彼を見捨てるにきまっている。
【リッチモンド】 すべてわれらに利あり。いざ神の御名において、前進!
正しい希望はまことに速く、つばくろの翼に乗って飛んで行く。
王者はそれによって神となり、より身分低き者は王となる。〔退場〕
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第三場 ボズワースの平原
〔王とその軍、ノーフォーク公爵、サレー伯爵、その他登場〕
【リチャード】 ここにテントを張れ、ここボズワースの平原に。
サレー伯、なぜそのようにふさいだ顔をしている?
【サレー伯】 いや陛下。わたしの心の中は、顔の外より十倍も元気です。
【リチャード】 ノーフォーク公爵……
【ノーフォーク】 はっ、陛下なんでございましょうか?
【リチャード】 ノーフォーク、今日はひどい打撃を食うだろうね、違うかね?
【ノーフォーク】 打撃は受けることもあり、与えることもあるでしょう、陛下。
【リチャード】 わしのテントを張れ! 今宵はわしはここで寝る。
明日はいずこで寝るじゃやら? ままよ、どこだって同じことだ。
誰か賊軍の兵力を探った者はおらぬか?
【ノーフォーク】 せいぜい六千か七千がところでしょう。
【リチャード】 なんだ、それならわが軍はその三倍もの軍勢じゃ。
加えて王の名はわが方にとり盤石《ばんじゃく》の備えとなっている。
敵側にはそれは欲しくともありはせぬ。
テントを張れ! さあ、貴顕諸公、
有利な地形を偵察しようではないか。
作戦に熟達の士を呼んでくれ。
戦例を生かせ、戦機を失ってはならぬ。
明日という日は諸君、忙しい日だからな。〔退場〕
〔他方の側にリッチモンド、士爵ウィリアム・ブランドン、オックスフォードその他登場。兵士たちリッチモンドのテントを張る〕
【リッチモンド】 疲れた太陽は燦然と黄金色に輝いて沈んだ。
そしてその火の車の赤々と輝く車輪の跡は、
明日は好い天気だと教えてくれている。ウィリアム・ブランドン士爵、
貴公にはわたしの軍旗の旗手を命じる。
インクと紙を若干わたしのテントヘ持って来てくれたまえ。
わが方の戦闘隊形と作戦計画とを書きしるしたい。
各部隊指揮官にそれぞれの任務を与え、
限りあるわが兵力をしかるべき均衡をもって配分したい。
オックスフォード伯爵、それから君、ウィリアム・ブランドン士爵、
それに君、ウォルター・ハーバート士爵はわたしと共に本隊にいてほしい。
ペンブルック伯爵はその麾下《きか》の部隊の指揮をとる。
ブラント大尉、伯爵にわたしのお休みなさいを伝えてくれたまえ。
そして明日の朝二時に、わたしのテントヘ
来られるよう、伝えてくれたまえ。
それからブラント大尉、もう一つ頼みがある……
スタンレー卿はどこに駐屯されているか、君は知っているかね?
【ブラント】 卿の旗印を見まちがうことがなければ、
そのようなことは万が一にもないと確信しておりますが、
卿の部隊は王の主力部隊の南方、
少なくとも半マイルの所に位置しております。
【リッチモンド】 もしさしたる危険を冒すことなく可能だったら、
ブラント大尉、なんとかして卿と直接会って話してほしい。
そしてわたしよりこの大切な書面を渡してほしいのだ。
【ブラント】 私の命をかけて、閣下、必ず任務を実行いたします。
では閣下、安らかにお休みあそばしますよう!
【リッチモンド】 お休みなさい、ブラント大尉、さあ諸君、
明日の仕事について相談し合おうではないか。
わしのテントヘ入ろう、風は寒く、膚にしみる。〔一同、テントへ入る〕
〔リチャードのテントヘ、リチャード、ノーフォーク、ラットクリッフ、ケイツビーその他登場〕
【リチャード】 何時になった?
【ケイツビー】 夕食時でございます、陛下。
ただいま九時であります。
【リチャード】 わしは今晩は夕食は要らぬ。
インクと紙を持って来い。わしの兜は前よりかぶりやすくなっておるか?
わしの鎧、武器は全部わしのテントヘ運んであるか?
【ケイツビー】 はっ、陛下。すべて準備万端ととのっております。
【リチャード】 ノーフォーク君、大至急、君の任務につきたまえ。
しっかりした番兵をつけるのだ。信頼できる歩哨を選ぶのだ。
【ノーフォーク】 承知いたしました、陛下。
【リチャード】 明朝は雲雀《ひばり》とともに活動開始だ、いいかノーフォーク君?
【ノーフォーク】 誓ってそういたします、陛下。
【リチャード】 ケイツビー!
【ケイツビー】 はっ、陛下?
【リチャード】 武装した使者一名、
スタンレーの部隊へ出してくれ。日の出前にその部隊を率いて来るよう、
スタンレーに命令しろ。それに従わなければ息子のジョージは、
永遠の夜の暗闇の洞穴へ落ちこむのだと言ってやれ。
〔ケイツビー退場〕
酒を一杯ついでくれ。ろうそく時計を一本つけてくれ。
明日の戦闘には白馬のサレーに鞍をおいてくれ。
槍は吟味して丈夫なのを用意しておいてくれ。重すぎても困るぞ。
ラットクリッフ!
【ラットクリッフ】 はっ、陛下?
【リチャード】 あのふさぎ者のノーサンバランド卿を見かけたか?
【ラットクリッフ】 サレー伯爵トマスとあの方とは、
鳥も鳴きやんだ日暮れどき、部隊から部隊へと、
兵士を激励して回っておられました。
【リチャード】 そうか、それで安心した。酒を一杯ついでくれ。
わしの頭はいつものように敏捷に働かん。
気分もすぐれず、滅入るようだ。
そこへおいてくれ。インクと紙は持って来てあるな?
【ラットクリッフ】 ございます、陛下。
【リチャード】 わしの番兵を立番させてくれ。もう行ってよい。
ラットクリッフ、真夜中ごろわしのテントヘやって来て、
わしが武装するのを手伝ってくれ。もう行ってよいと言っているんだ。〔ラットクリッフ退場。王テントの中へ入る〕
〔リッチモンドのテント開く。リッチモンド、その部下の将校たちがいる。スタンレー登場〕
【スタンレー】 運命と勝利の女神がそちの頭上で微笑むように!
【リッチモンド】 暗い夜が与えてくれるすべての休息が、
お父上、あなたの上に訪れますように!
母上はどうしておられるでしょうか?
【スタンレー】 わしが母上に代わってそちを祝福しよう。
母上は絶えずリッチモンドの幸福を祈っているのだ。
がそれはそれとして、静かな夜は更けてゆく。
そして東の空はもう白黒のまだらの空になり始めた。
もうこうしてはおられない。要するに、
朝のうちに戦闘態勢を完了して、
屍《しかばね》の山をなす血の白兵戦で
勝敗を一気に決してしまうのだ。
わしはできうる限り……したいと思うことはできないので……
最良の機会を利用して、人目をくらまし、
勝敗の帰趨《きすう》さだまらぬこの戦いでそちを助けよう。
しかし、はっきりとそちの側に立つわけにはまいらんのだ。
もしそれが露見したが最後、そちの弟のジョージは
この父の見ている真ん前で首をはねられるのだ。
では元気で。例ならば、長いあいだ別れ別れになっていたのだから、
優しい愛の言葉を取り交わし、ゆっくりと歓をつくしたいのだが、
自分の時間などは持ち得ないこの危急のとき、
すべてはあきらめねばなるまい。
神よ、なにとぞそのような愛の営みのときをお与えください!
ではもう一度さようなら。勇敢に、しっかりやってくれ!
【リッチモンド】 諸卿よ、父上を部隊まで送りとどけてほしい。
いろいろなことで思いは乱れるが、とにかく一睡を取ろう。
是が非でも勝利を収めなくてはならぬ明日の戦いに、
鉛のように重い眠りがわしの上にのしかかってはならないから。
では諸卿よ、もう一度お休みなさいを申します。〔リッチモンド以外全員退場〕
おお神よ! わたしはあなたの一下級将校だと考えております。
なにとぞわが軍に、お恵みある眼差しを垂れさせたまえ!
なにとぞお怒りの鉄の棒をわが軍にお与えください!
われらが敵であるあの簒奪《さんだつ》者の兜を、
一撃のもとに打ち砕いてしまうために!
われらをして悪を懲らしめる神の使徒たらしめてください!
そして勝利の栄誉に輝くあなたの栄光を讃美させてください!
わたしの瞼《まぶた》がまだ降りてしまわぬうちに、
わたしはわたしの霊魂をあなたの御手に委ねます。
眠っているときも、起きているときも、なにとぞ私めをお守りください!〔眠る〕
〔ヘンリー六世の王子エドワードの亡霊登場〕
【亡霊】 〔リチャードに〕明日はお前の魂の上に重く重くのしかかってやるぞ!
まだ幼いわたしをテュークスバリの戦場で、
無残にも刺し殺したことを思い出せ! そのゆえに絶望せよ、そして死ね!
〔リッチモンドに〕元気をお出しなさい。虐殺された王子たちの
辱しめられた魂が、そちの味方となって戦うのだから。
ヘンリー王の直系たるエドワードがそちを激励しているのだ。〔退場〕
〔ヘンリー六世の亡霊出る〕
【亡霊】 〔リチャードに〕わしの存命中、わしの聖油を受けた体は、
お前の手にかかって数々の致命傷で切りさいなまれた。
ロンドン塔とわしのことを思い出せ! 絶望せよ、そして死ね!
ヘンリー六世がその方に、絶望して死ねと命じているのだ。
〔リッチモンドに〕徳高くして信仰心深き者よ、そちが勝利者となれ!
そちが王位に即くことを予言したヘンリーが、
眠りについているそちを激励しているのだ。生き長らえて栄えよ!〔退場〕
〔クラレンスの亡霊出る〕
【亡霊】 〔リチャードに〕明日こそはお前の魂の上に、重く重くのしかかってやるぞ!
酒樽に浸されて、ワインに食傷して死んだこのわたしが!
お前の陰謀に乗せられて殺された、哀れなクラレンスが!
明日、戦闘の真っ最中このわたしのことを思い出せ!
そしてなまくらになったお前の刀を落とせ。絶望せよ、そして死ね!
〔リッチモンドに〕ランカスター家の後裔《こうえい》たるリッチモンドよ、
ヨーク家の辱しめられたる後継ぎたちは、そちのために心から祈ろう。
天使たちがそちの戦闘をお守りくださるよう! 生き長らえて栄えよ!〔退場〕
〔リヴァーズ、グレー、およびヴォーンたちの亡霊出る〕
【リヴァーズ亡霊】 〔リチャードに〕明日こそはお前の魂に重く重くのしかかってやるぞ!
パンフリットで死んだリヴァーズだ! 絶望せよ、そして死ね!
【グレー亡霊】 〔リチャードに〕グレーのことを思い出せ、そしてお前の魂を絶望させよ!
【ヴォーン亡霊】 ヴォーンのことを思い出せ、そして犯した罪の恐ろしさで、
お前の槍を落とせ。絶望せよ、そして死ね!
【三人の亡霊】 〔リッチモンドに〕目覚めよ、リチャードは己れの胸にうずく、
良心の呵責で滅ぶということを思え。目覚めよ、そして戦いに勝て!〔退場〕
〔ヘイスティングズの亡霊出る〕
【ヘイスティングズ亡霊】 〔リチャードに〕血なまぐさき罪深き者よ、罪の呵責で目覚めよ!
そして血なまぐさき戦闘でお前の一生を終われ!
ヘイスティングズ卿のことを思い出せ! 絶望せよ、そして死ね!
〔リッチモンドに〕安らけく、乱されることなき魂よ、目覚めよ、目覚めよ!
武器を取れ、戦え、そして勝利者たれ、わが英国のために!〔退場〕
〔二人の幼王子の亡霊出る〕
【二幼王子亡霊】 〔リチャードに〕塔内で息を止められた二人の甥の夢を見よ。
リチャードよ、二人ともども鉛となって、お前の胸にのしかかり、
滅亡と、屈辱と、死とへお前を圧《お》しつぶしてやろう。
お前の甥の二人の魂がお前に命じる、絶望して死ね!
〔リッチモンドに〕眠れ、リッチモンド、安らかに眠れ。そして喜びの中に目覚めよ。
天使たちがそちを猪《いのしし》の害からお守り下さいますよう!
生き長らえて、仕合わせな王統の祖となりなさい。
エドワードの不仕合わせな子供たちが、そちに栄えよと命じます。〔退場〕
〔妻アンの亡霊出る〕
【アン亡霊】 〔リチャードに〕リチャードよ、そちの妻、そちと共に寝て、
かつて安らけき時を過ごしたことのないそちの妻、哀れなアンが、
今こそ、そちの眠りを不安と焦燥で一杯にしてやろう。
明日、戦闘のさなかで、わたしのことを思い出せ。
そしてなまくらになったそちの刀を落とせ。絶望せよ、そして死ね!
〔リッチモンドに〕なんじ安らかな魂よ、安らかに眠れ。
成功と仕合わせな勝利の夢を見よ!
そちの敵リチャードの妻はそちのために祈る。〔退場〕
〔バッキンガムの亡霊出る〕
【バッキンガム亡霊】 〔リチャードに〕そちが王位に即くのを最初に助けたのがこのわしだ。
そちの暴君ぶりを身に染みて感じた最後の者がこのわしだ。
おお、戦闘のさなかにバッキンガムのことを思い出せ。
そしてそちの犯した罪の恐ろしさで死ね!
夢を見よ、夢を見よ、血なまぐさい行為と死の夢を見よ。
気を失って絶望せよ。絶望して最後の息を引き取れ!
〔リッチモンドに〕わしはそちを助けたいと望んでいたが、果たさずに死んだ。
しかし元気を出されたい、ゆめ失意、落胆などせぬように。
神と天使たちとはリッチモンドの側に立って戦ってくださる。
そしてリチャードは得意の絶頂で転落するのだ。
〔リチャード、夢でうなされて、とび起きる〕
【リチャード】 馬をもう一頭持って来い! わしの傷の包帯をしろ!
おお神様、お助けを! いや待て! なんだ夢じゃないか。
おお臆病者の良心め、お前はなんとこの俺を苦しめることか!
明かりが青く燃えている。草木も眠る真夜中だ。
俺の体はぶるぶる震えて、冷や汗がにじみ出ている。
どうしたというんだ? 俺自身が怖いのか? そばには誰もいやしない。
リチャードはリチャードが好きだ。つまり、俺は俺だ。
ここに人殺しがおるのか? いやおらん。いや、俺がそうだ。
じゃ逃げろ。ええ、俺自身からか? その最大の理由はこうだ……
俺が復讐するといかんからだ。なんだ、俺が俺に復讐するというのか?
おお、なんたることだ! 俺は俺自身が可愛いのだ。それはどうしてだ?
俺が俺自身になにかいいことをしたとでもいうのか?
いやとんでもない! 悲しいかな俺は、いずれかと言えば、
俺がしでかした憎むべき行為の数々で、俺自身を憎んでいるのだ。
俺は悪党だ。しかも嘘をついて、そうでないような顔をしている。
馬鹿め、自分のことはよく言うもんだ。馬鹿め、いい顔ばかりするな。
俺の良心の野郎は、何千もの別々の舌を持ってやがって、
その一つ一つがまた別々の話を持ちこんできやがる。
そしてその話のいずれもが、俺は極悪人で地獄行きだとぬかしやがる。
偽証だ、偽証だ、最高級の偽証の罪だ!
人殺しだ、残酷無比な人殺しだ、第一級の人殺しの罪だ!
これまでにやらかした各種各様の罪が法廷に立って、
てんでに「有罪! 有罪!」とわめき立てやがる。
これじゃ俺は絶望だ。俺を愛してくれる者は一人もおらん。
俺が死んだって哀れんでくれる者なんか一人もおらん。
そりゃそうだ、俺自身が俺に愛想をつかしているときに、
誰が他人のこの俺に、哀れみなどをかけてくれるもんか!
〔ラットクリッフ登場〕
【ラットクリッフ】 陛下!
【リチャード】 おおびっくりさせやがる。誰だ?
【ラットクリッフ】 陛下、私めにございます。村の一番|鶏《どり》が、
もう二度まで朝への挨拶を告げました。
味方の方々はもう起きて、武装にかかっております。
【リチャード】 おおラットクリッフ! わしは恐ろしい夢を見た!
わしが今までに殺した奴らの亡霊が、みんなわしのテントヘやって来て、
どいつもこいつも、みんな口を揃えて、明日こそは思い知れ、
リチャードの頭上に仕返しをしてやるぞ、と嚇《おど》かしたようだった。
お前はどう思う、味方の者はみんなわしに忠誠を尽くすだろうか?
【ラットクリッフ】 もちろんであります、陛下。
【リチャード】 いや危いもんだ、危いもんだ!
【ラットクリッフ】 いいえ陛下、ものの影など絶対お気になさいませんよう。
【リチャード】 使徒パウロにかけ誓って言うが、堅固な鎧兜に身をかため、
間抜けのリッチモンドに指揮された、
実質何千、何万の兵隊の集まりよりも、
今宵の亡霊どもの方がはるかにわしの心の臓にこたえた。
夜明けまでにはまだ間《ま》がある。さあ、わしと一緒に来い。
味方のテントのそばで、そっと立ち聴きしてやろう。
誰か、わしのもとから脱走しようとしているかもしれんからな。〔退場〕
〔リッチモンド、テント内にいる。諸卿登場〕
【諸卿】 おはようございます、リッチモンド閣下!
【リッチモンド】 ああ、お許し願いたい、諸卿、ならびに警護の諸君、
皆さんに起こされるまで寝坊をきめこむとは。
【諸卿】 よくお休みになれましたか、閣下?
【リッチモンド】 皆さんが行かれてから、ずっと、
じつに気持ちよく眠りました。それからじつにいい夢を見ました。
こんなによく眠って、こんなにいい夢を見たことはかつてありません。
たしか、リチャードに殺された人々の亡霊が、
わたしのテントヘやって来て、味方の勝利を叫んだように思いました。
ここに諸君に明言します、この嬉しい夢の追憶で、
いまわたしの心は躍り上がるような喜びで一杯です。
もう朝の何時ごろになったでしょうか、諸君?
【諸卿】 ちょうど四時を打ったところであります。
【リッチモンド】 それならもう武装をして、命令を出すときだ。
〔リッチモンドの兵士への演説〕
愛する国民諸君! このさし迫った危急のとき、
わたしはこれまで諸君に申し述べて来た以上のことを、
ここでくだくだしく述べることはできない。ただこれだけは忘れないでほしい。
神とわが正義の戦争目的とは、われらの側にあって戦ってくれるのだ。
高徳の聖者や、リチャードに辱しめられた魂の祈りは、
高く築き上げられた城壁となってわれわれを守ってくれるのだ。
リチャード自身をのぞいては、リチャードに仕えるわれわれの敵でさえも、
リチャードが勝つよりもわれわれが勝利を収めることを望んでいるのだ。
なんとなれば、諸君、彼らが仕えているあの男はいったい何であろうか?
彼こそは紛れもない残忍無類の暴君、人殺し。
人の血を流して王位に上がった者、人の血を流して王位を固めた者。
現在手にしているものを獲得するためには手段を選ばなかった者。
そしてそれを助けた人々を虐殺してしまった人殺し。
卑しい、汚らわしい一塊《いっかい》の石くれ、誤って坐らされた英国王の椅子という、
台の地金のおかげで宝石に見えているにすぎないもの。
つねに神の敵であった男。
したがって諸君がもし神の敵と戦うならば、
神は正義を行なうため、諸君を神の兵士としてお守りくださるのは当然だ。
もし諸君が暴君を打ち倒すために汗を流すならば、
暴君は打ち殺されて、諸君は安らかに眠ることができるだろう。
もし諸君が国家の敵と四つに組んで大いに戦うならば、
じゅうぶんな国の褒賞が諸君の苦労をつぐなってくれるだろう。
もし諸君が諸君の妻女を守って戦うならば、
諸君の妻女は諸君を征服者として家に迎えてくれるだろう。
もし諸君が諸君の子供を剣の恐怖から救ってやれば、
諸君の子供の子供は諸君が年を取ったとき、それに報いるだろう。
されば神の御名において、そして以上の大義名分において、
軍旗を上げよ、正義の剣を抜け!
わたしは、もしこのことが成らなければ、そのつぐないとして、
この冷たい地面に、冷たい屍となって横たわるだろう。
がしかし、もしこのことが成った暁には、諸君のすべてが、
下々の者にいたるまで、その成果の分け前に必ずやあずかることだろう。
鼓手よ、ラッパ手よ! 太鼓を打て、ラッパを吹け! 力一杯精一杯!
神よ、聖ジョージよ! リッチモンドに勝利を得させたまえ!〔退場〕
〔リチャード、ラットクリッフ、従者、兵士ら再登場〕
【リチャード】 ノーサンバランドはリッチモンドのことを何と言っておったか?
【ラットクリッフ】 彼は戦争の訓練は受けておらんと申しておりました。
【リチャード】 それが事実だ。で、そのとき、サレーは何と言ったかね?
【ラットクリッフ】 にっこり笑って、「そりゃこっちの思う壺だ」と言いました。
【リチャード】 まったくそのとおりだ。サレーの言うとおりだ。
〔時計の打つ音〕
それ、時計の音を数えろ。暦を取ってくれ。
誰か日の出を見た者がおるか?
【ラットクリッフ】 私はまだ見ておりませぬ。
【リチャード】 じゃ、おかしくって顔を出せないというんだな。暦では、
もう一時間も前に東の空を飾っていなくてはならんのだから。
こりゃ陰鬱な日となるに違いない、誰かにとって。
ラットクリッフ!
【ラットクリッフ】 はっ、陛下?
【リチャード】 今日は日の目は拝めないだろう。
空は険悪で、わが軍の頭上に低く垂れこめている。
この湿っぽい涙雨が、ただの地上の露だといい!
今日は日が出ない! そりゃ、リッチモンドめにとったって、
まったく同じことだ。この険悪な空模様は、
リッチモンドの上にも、同様に陰鬱にのしかかっているのだから。
〔ノーフォーク登場〕
【ノーフォーク】 陛下、武器を、武器を! 敵は傲然《ごうぜん》と進撃して参りました。
【リチャード】 さあ動け、動け。わしの馬の装具をつけてくれ。
スタンレー卿を起こせ、部隊を引率して来るように言え。
わしの部隊の兵士は、わし自ら戦場へ引率しよう。
それから、わしの作戦部署は次のごとくに決定する。
前衛は歩兵、騎兵同数をもって構成し、
横一線に散開すべし。
射手はその中央に位置するものとする。
ノーフォーク公爵およびサレー伯爵は、
この歩兵および騎兵部隊を指揮すべし。
余の作戦部署は以上のごとくである。
余は本隊に在り。本隊の両翼は、
部隊最強の騎兵をもって援護するものとす。
この作戦部署に加えて、聖ジョージ様のご加護を! これでどうかね?
【ノーフォーク】 かたじけなくも陛下、たいへん立派なご命令でございます。
このようなものを今朝わたくしのテントで見つけました。〔紙片を見せる〕
「ノーフォークのジョンさん、あまり大胆におなりなさんな。
お前の大将リチャードは、とっくに買収済んでござる」
【リチャード】 こりゃ敵のしわざだ。
さあ諸君、各自の部署についてほしい。
うそっぱちの夢物語などにおどかされてたまるものか。
良心などというものは臆病者の言うことで、
そもそもが強者を怖れさせるために造った言葉だ。
願わくばわれらの強力な武器がわれらの良心、剣がわれらの法律たれ!
進撃だ、進撃だ、勇敢に突っ込め、白兵で突入しろ!
天国へ行くか、さもなくば共に手を取り地獄行きだ!
〔王の軍隊への演説〕
これまではわしが申し述べた以上に今更つけ加えることはない。
これから相対しようとしている相手がどういう連中かをよくよく考えよ。
流れ者、ごろつき、追われ者の寄せ集めにすぎん。
ブルターニュの『かす野郎』、卑しい下司の水飲み百姓だ。
国が腹一杯になりすぎて、吐き出されて、
むちゃな冒険、確実な破滅へとかり出された野郎どもだ。
君たちが安らかに眠っているあいだに、君たちを不安のどん底に落とすのだ。
君たちは土地を持ち、美しい妻君に恵まれているのだが、
きやつらはその土地を取り上げ、妻君たちを犯そうと企んでいる。
しかもこのごろつき野郎どもを指揮しているのが誰だというんだ?
ほかならぬ、お袋の費用で長い間ブルターニュにいたけちな野郎。
生まれてこの方、せいぜい靴が雪に埋もれるくらいの寒さしか
経験してないという、ほんの弱虫小僧。
さあ皆の者、こんな浮浪人は鞭打って、海の向こうへ追い返そう。
この思い上がった、フランスのぼろ切れ野郎ども、
この、生きることが面倒になった餓死寸前の乞食どもをここから追い出せ。
きやつらはこんな馬鹿な仕事にうつつをぬかさなけりゃ、
とうの昔に食いはぐれ、哀れな鼠め、首をくくって死んでしまったはずなのだ。
たとえ敗けるにしても、まともな人間に敗けようではないか。
ブルターニュの私生児どもなんか真っ平だ。われらのご先祖は、
きやつらの国にのりこんで、きやつらを打ちのめし、ぶん殴り、
叩きのめしてやったのだ。そしてきやつらの汚名を長く記録に残してやったのだ。
こんな連中にこの国を勝手にさせてよかろうか? 女房と寝かせてよかろうか?
娘たちが盗まれてよかろうか?
〔遠くに太鼓の音〕
それっ、きやつらの太鼓の音だ!
戦え、わが英国の貴族たち! 戦え、わが勇敢なる卿士たち!
射手、力のあらん限り弓を引け!
はやる駿馬に鋭い拍車を入れ、しゃにむに前進せよ。
振りしごく槍の林でお天道さまもびっくり仰天させてやれ!
〔使者登場〕
スタンレー卿は何と言った? 部隊を連れてやって来るか?
【使者】 陛下、来ることを断わりました。
【リチャード】 きやつの息子のジョージの首をはねろ!
【使者】 陛下、敵はもう沼を越えて来ております。
ジョージ・スタンレーの処刑は戦いの後になさってください。
【リチャード】 わしの胸の内には、幾千もの心臓が高鳴っている。
軍旗を上げろ! 敵中に突っ込め!
わが勇気の守り神、うるわしの聖ジョージ様、
なにとぞわれらに火龍の勇猛心を吹き込んでくださいますよう!
突撃! 勝利はわれらの頭上にある!〔退場〕
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第四場 平原の他の部分
〔突撃ラッパ。乱戦。ノーフォークとその部隊、ケイツビー登場〕
【ケイツビー】 援軍を! ノーフォーク閣下! 援軍、援軍!
王のご活躍ぶりはまこと人間わざとは思われません。
いたる所で、手当たり次第、敵を窮地に追いこんでおられます。
ご乗馬は倒され、王はまったくの徒歩で戦われ、
あらゆる死の危険を冒してリッチモンドを探し求めておられます。
閣下、一刻も早く援軍を。さもなければ戦いは敗れます!
〔突撃ラッパ。リチャード登場〕
【リチャード】 馬を持て! 馬を! 馬を持って来た者には王国をやるぞ!
【ケイツビー】 陛下、ご退却ください。馬は私めが持って参ります。
【リチャード】 下司め! わしはこの賽子《さいころ》の一振りにわしの命をかけている。
いい目が出るまでは、挺子《てこ》でもここからは退かんぞ。
いったい、この戦場にはリッチモンドが六人もおるのか?
もう五人も殺したが、どれもこれもみな、きやつではない。
馬を持て! 馬を! 馬を持って来た者には王国をやるぞ!〔退場〕
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第五場 平原の他の部分
〔突撃ラッパ。リチャードとリッチモンド登場。戦う。リチャード倒される。退却のラッパ。ファンファーレ。リッチモンドおよび王冠をひっさげたスタンレーが諸卿と共に登場〕
【リッチモンド】 神と諸卿の武勇に栄えあれ! 勝利者たる諸卿、諸君!
戦いはわれらの勝利となった。残忍無類の犬めは死んだ。
【スタンレー】 豪勇無双のリッチモンド、天晴れであった!
見よ、このとおり、この長いあいだ横領されていた王冠を、
この残忍無類の大悪党の死んだこめかみから、
わしは断固もぎ取った。それでそちの額を飾らんがためである。
これを冠《かむ》りなさい、自分のものとしなさい、価値あるものとなさい。
【リッチモンド】 天にまします大いなる神よ、なにとぞすべてを嘉《よみ》したまわんことを!
が、言ってください、弟のジョージ・スタンレーは健在ですか?
【スタンレー】 健在です、閣下。レスターの町で健在でした。
御意ならば、われわれもお伴してそこへ参ります。
【リッチモンド】 敵味方のおもな戦死者の名は?
【スタンレー】 ノーフォーク公爵ジョン、フェラーズ卿ウォルター、士爵ロバート・ブラックンバリ、および士爵ウィリアム・ブランドンです。
【リッチモンド】 それぞれの身分に応じてその亡骸を丁重に葬ってほしい。
逃亡した兵士どもで、その非を認めて恭順の誠《まこと》を示し、
わが方に戻る者はそれを許すとの布告を出すように。
それから次に、かねて予が聖餐を受けて誓ったごとく、
予は白薔薇と紅薔薇の結合を実現しよう。
この紅白たがいの敵意に、長いあいだ渋面をつくっていた天も、
このうるわしい巡り合わせを、微笑をもって祝福してほしい!
わしの言うことを聞いて、この反対を祈る謀叛人はおるまい。
英国は長い間、気が狂っていた。そして今や満身創痍《まんしんそうい》だ。
兄弟はただ盲目的に兄弟の血を流し、
父親は無暴にも息子を殺し、
息子はやむを得ず父親の虐殺者となった。
この別れ別れになったヨークとランカスターを、
恐ろしい敵意で反目し合っているこれら両家を、
おお、今こそ、これら二大王家の真の後継者、
リッチモンドとエリザベスをして、
神のうるわしいお定めによって、なにとぞ結合させてください!
そして神よ、御意ならば、なにとぞ穏やかな平和と、
豊かな富と、幸福な日々の数々とを、
わが後継者たちにお恵みたまわらんことを!
あの血なまぐさい日々を再び蘇《よみがえ》らせようと企み、
哀れな英国を血の流れに泣かそうとする者があるならば、
神よ! なにとぞそのような謀叛者の剣の刃《やいば》を打ちこぼしてください!
このうるわしの国の平和を謀叛をもって損おうとする者があるならば、
なにとぞそのような者が生きて、この国の幸を味わうようなことのなきよう!
今や内乱の傷は癒やされた。平和は蘇った。
神よなにとぞ、この平和を末長く長くお守りくださいますように!〔退場〕
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解説
〔シェイクスピアの習作時代と『リチャード三世』〕
シェイクスピアは大体一五九〇年頃から劇作消動を始めたが、おおよそ一五九四年くらいまでを一区切りとして、これを彼の習作時代と考えるのがふつうである。シェイクスピアはこの時代に『リチャード三世』(一五九三?)を含めて、『まちがいの喜劇』『ヴェロナの二人の紳士』『恋の骨折り損』『ヘンリー六世・第一部、第二部、第三部』『ジョン王』それに『タイタス・アンドロニカス』などを書いた。次の時代は『真夏の夜の夢』(一五九五)『リチャード二世』(一五九五)『ロミオとジュリエット』(一五九五)などのいわゆる抒情的な作品の時代である。
習作時代の作品を通じて見られる最大の共通点は、いろいろな意味で、要するに外面的、機械的、人工的だということである。登場してくる性格は類型的なものが多い。彼らは多く内面的な、自発的な自由意志をもって行動するというよりはむしろ、外面的な力、慣習、権威によって動かされていると言ったほうがよい。その権威は、たとえば『まちがいの喜劇』の場合はローマのプロータス(Plautus, 前254? 〜前184)であり、『ヴェロナの二人の紳士』の場合は中世からの「友情」の概念、慣習であり、『タイタス・アンドロニカス』の場合は同じくローマのセネカ(Seneca, 前4? 〜後65)である。こういう外面的な権威によって動かされている登場人物は、極言するなら操り人形のごときものと言える。後期の大悲劇の主人公たちのように、自らの自由意志で選択、行動する主体性に欠けている。
劇の構成の点から考えても、たとえば『ヘンリー六世』に見られるように種本、ホリンスヘッドの『年代記』(Holinshead, Chronicle, 1577, 1587)に大きく影響され、たぶんに散漫であり、断片的である。材料を自在に取捨選択して芸術の鉈《なた》を振るい、独自の構成、統一、調和を持たせるまでに至っていない。詩の形にしても、お手本どおりのブランク・ヴァース(五脚抑揚調の無韻詩)を書くことに汲々《きゅうきゅう》としているようである。後期の名作のそれに見られるような自由奔放の自然さがない。修辞法についても同じことが言えるかもしれない。名作『ハムレット』のポローニアスの修辞学はそのまま、若いシェイクスピアの姿であったかもしれない。詩的心象は概して単一で、これも後期の作品に見られるような作品内における機能的な展開、有機的な構成というものに欠けている。
いささか過酷な言い方をすれば、シェイクスピアの習作時代のごくあらましの特性は以上のようになるだろう。しかし「過酷な言い方をすれば」と言ったのは、過酷な言い方をしない言い方もあるということである。事実はこのように単一に要約し得るものでは決してないということでもある。
このような観点に立って、かついささかの寛容をプラスすれば、おそらく以上の概観とはかなり違った要約をなし得るだろう。つまりこの時代のシェイクスピアは、以上の外面的な、機械的な制約、コンヴェンションから脱却すべく血みどろの精進をしていたとも言い得るのだ。習作時代のシェイクスピアには既に明らかに後世の大を約束するような芽が見出せるのだ。たとえは『まちがいの喜劇』は決して単なるプロータスの模倣ではない。そこには後期の悲劇の大作に見られるような、的確な人間描写への出発点が明確に見出せる。『恋の骨折損』のバルーンの複雑な人間描写を見よ。おそらくはそういう点では、この時代の作品におしなべて習作時代の作というレッテルを貼っても、われわれにとってはあまり利益はないだろう。
重要なことは作品の本質を「理解」することだ。『リチャード三世』において習作時代をようやく脱却しようともしている、若いシェイクスピアの才能の断面図を的確に捕えることだ。シェイクスピアのような大家では、「若さ」とは何を意味するか? それは後期の作品の尺度で計られるものか? 計られないとすれば『リチャード三世』のような作品は、一体いかなる自律的なルールで評価されるべきものであるか? この点をよく考えるべきだ。
〔『リチャード三世』の制作年代〕
『リチャード三世』の制作年代についての唯一の外的証拠は、一五九七年十月二十日、ロンドンの出版業者アンドルー・ワイズによる公の登記の記録、および同年のいわゆる「第一の四折版《クォートゥ》」(全紙を二度折った大きさの本で、通例9.5×12.5インチ)の出版があるだけである。しかし物語の筋書が『ヘンリー六世・第三部』の続きであること、言葉使い、詩形、修辞法、劇の技巧などが明らかにシェイクスピアの初期のスタイルを代表するものであることなどから、おそらくは一五九二年の終わり頃か一五九三年に書かれたものだろうと、E・K・チェインバーズは推定している。そうとすれば一五九二年六月二十八日から九三年年末までは、疫病のためロンドンのすべての劇場は閉鎖されていたから、シェイクスピアはこの作を比較的暇な時に書いたことになる。
この制作年代をもっと早く、一五八八年か九年頃と推定する学者もいる。最近の学者は多く一五九三〜四年に傾いていると言えるかもしれない。ジャイルズ・フレッチャーの詩『リチャード三世の王冠への昇進』(一五九三)、アンソニー・チュートの詩『ショアの女房』(一五九三)がシェイクスピアの『リチャード三世』と関係があるかどうかは、明確にはわかっていない。完全な形では現存しない作者不明の作『リチャード三世の実の悲劇』(一五九四)とシェイクスピアの作との関係はよほど明確である。貴族たちの和解とエドワード王の死、王妃一族の没落、王妃の聖院への逃避、ヘイスティングズの没落、王子虐殺等々共通のエピソードが多い。有名な「馬を持て! 馬を! 馬を持って来た者には王国をやるぞ!」(五幕四場)に対して、『実の悲劇』には「馬を持て! 馬を! 新しい馬をだ!」がある。いずれがいずれに影響を与えたかは定かではないが、両者の相互関係は明らかである。学者によっては、さらに完全な形のもう一つの『実の悲劇』が、一五九四年以前に存在していたと推定している。それがシェイクスピアに影響を与えているかもしれない。影響を与えられているかもしれない。筆者自身の好みを言わせてもらうなら、一五九三年あたりが妥当なところと思われる。習作時代も終わろうとしている頃の若さと野心と力の大作である。
劇場が閉鎖されていたあいだは、多くの劇作家たちは転業したり、田舎まわりの役者に転向したりして生計の途を見出した。シェイクスピアはこの間、おそらくは詩作に専念していたようだ。「ヴィーナスとアドウニス」(一五九二〜九三)、「ルクリースの凌辱」(一五九三〜九四)などをパトロンのサザンプトン伯に献呈している。それから『十四行詩集《ソネット》』の大部分もこの時代に書かれたものと思われる。一五九四年に劇場が再開された時にはグリーン、マーロウなどすでに亡く、劇壇におけるシェイクスピアの勢いはまさに圧倒的だった。次いで彼は『真夏の夜の夢』『リチャード二世』『ロミオとジュリエット』などの抒情的な大作を書く。劇場が閉鎖されていたあいだ彼が多く詩作に専念していたことを考えれば、これは当然のことであろう。『リチャード三世』も当時の詩作の影響を受けないはずはなかった。一読してわかるように、この作は歴史劇としては非常に抒情的であり、かつ叙事詩的でもある。この傾向は前者は『リチャード二世』において、後者は『ヘンリー五世』においてその後それぞれの頂点に達するものである。
〔種本の問題〕
『リチャード三世』の種本は他の歴史劇『マクベス』などの場合同様、ホリンスヘッドの『年代記』である。ホリンスヘッドはさらにホールの『尊厳にして至高なるランカスター、ヨーク両家の結合』によったものである。ホールはさらにリチャード三世の部分は多くサー・トマス・モアの『リチャード三世伝』(一五一三年頃書かれ、一五五七年出版)、およびボリドア・ヴァージルの『英国史』(一五五五)によっている。ヴァージルはイタリアの学者で、ヘンリー七世(一四五七〜一五〇九)の時に法王アレクサンドル六世の使者として渡英し、英国史を書くことを依頼された人である。モアとヴァージルから恩恵を受けた者にさらにリチャード・グラフトンがある。彼の『続・散文によるジョン・ハーディングの年代記』(一五四三)はホールに影響を与え、その後彼自身の『年代記全般』(一五六九)では逆にホールから得るところがあった。かくしてホリンスヘッドはモア、ポリドア・ヴァージル、ホール、グラフトンなどすべてに負うところがあり、シェイクスピアは主としてホリンスヘッドおよびホールを通して、そしてさらには直接に、モア、ポリドア・ヴァージルなどから恩恵を受けた。
サー・トマス・モアの『リチャード三世伝』を一読してわれわれは、シェイクスピアの『リチャード三世』のモラル、ドラマの基本概念がそこにすでにある程度固まっていることに一驚する。これはシェイクスピアにとって仕合わせなことか不仕合わせなことかは知らないが、たとえばヘイスティングズのエピソード、バッキンガムのシーンなどはシェイクスピアそっくりと言っても過言ではないほどだ。シェイクスピアが恩恵を受けたと考えられている先人のすべての業績を細部にわたって比較検討すれば、その類似性はまことに驚くべきものであるに違いない。グロスターがヘイスティングズに言いがかりを付ける例のシーン(三幕四場)を叙述するサー・トマス・モアの筆は、まこと簡潔にしてドラマティックだ。モアの雄勁《ゆうけい》なスタイルは移すべくもないが、その一節に一応の訳をつけてみよう。
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……そこで摂政はしばらく失礼すると詫びて、席を立った。それから小一時間もたって、十時をまわった頃、閣議室へ戻り、またその席についた。しかしその顔色は一変していた。驚くべき苦々《にがにが》しさと、憤懣やるかたない表情で、眉をひそめ、渋面をつくり、いらだち、そして下唇を噛んでいた……
しばらく座っていてから、こう切り出した。「国王にかくも血統の近いこの身、国王ご自身とその王国の摂政たるこの身の破滅を企らみ、願った者があるとすれば、それはいったい如何なる仕打ちを受けてしかるべきだろうか?」この問いに並みいる貴顕は驚愕した。……そこで侍従長〔ヘイスティングズ〕が、摂政とは昵懇《じっこん》のあいだがらである故あえて大胆に答えて然るべしと考えて、それがいかなる身分の者といえども、よろしく大反逆罪に問われるべきが至当と答えた。貴顕はすべてこれに賛同した。すると摂政は言った。「それこそはあの女魔法使い、兄の妻、それとその共謀者の仕業だ」王妃のことを言ったのである……
摂政は続けて言った。「あの女魔法使いが、その一味の共謀者、ショアの女房と一体いかにして、類をもって集まり、その妖術、魔術をもってわたしのこの体を消耗させたかを御覧に入れよう」そう言って摂政は左腕の袖を肘までまくり上げ、萎え凋んだ細い腕を見せた。まことその例を見ないほどのものだった……
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シェイクスピアが最も多くを負っているのはホリンスヘッドだが、次の一章の訳からだけでもそれは明らかだろう。
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リチャード、三番目の息子は……知恵と勇気の点では兄たちと同じだったが、体の出来と動作の面では遥かに劣っていた。背丈は小さく、手足の恰好は悪く、せむしで、左肩は右肩よりずっと高く、顔付はしごく悪かった。意地が悪く、怒りっぽく、妬《ねた》みやすく、生まれる前からすでにたいへん手早やであった。ほんとうのこととして伝えられるところだが、母君の公爵夫人のお産はたいへんに重く、切開のあげくにやっと生まれたほどだった。足から先に生まれ、生まれた時には歯が生えていた……
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シェイクスピアが最も多くを負っているのはホリンスヘッドだが、シェイクスピアの作の第一幕、第二幕、第三幕および第四幕の一部に相当する部分ではホリンスヘッドは、おそらくはホールを通して、サー・トマス・モアおよびポリドア・ヴァージルによっている。残りの第四幕と第五幕とはホールによっている。シェイクスピアの『リチャード三世』が前半と後半とで調子が変わっているのは、このあたりの事情によるものであるかもしれない。前半は主として性格描写に重点がおかれているが、後半は主として筋書に動かされていると言えるだろう、とくに四幕四場を境としてリチャードが弱気になっている点は注意されるべきである。実は、サー・トマス・モアの物語がこのあたりで終わってしまっていたという事情があった!
リチャード三世劇としては、シェイクスピア以前にも二つの作品があった。一つは前述の作者不明の作『リチャード三世の実《まこと》の悲劇』(一五九四)、もう一つはレッグ博士『リチャード三世』(一五七三年頃)というラテン語の作である。いずれもリチャード三世劇の伝統の上で何らかの貢献をしていることは認められてはいるが、シェイクスピア自身にいかなる直接的な影響を与えたかについては、まだ的確な評価はできていない。小さな点においてシェイクスピアに影響を与えた『為政者の鑑《かがみ》』(一五六三)もここに挙げられなければならない。この悲劇物語詩集の第十八番目がクラレンス公爵の物語であるが、それがシェイクスピアのクラレンスに何らかの影響を及ぼしたことは否定できない。その「序」の部分がすぐれているが、それがクラレンスの獄中の夢物語、酒樽のエピソード、シーンに何がしかの影響を与えていることは明らかだ。
このようにシェイクスピアはいろいろな意味で先人、種本の恩恵、影響を受けているが、このことは彼がこれらの史家、詩人たちに盲従したということではもちろん決してない。彼らはあくまでもシェイクスピアに物語の輪郭を示したというにとどまる。その内容を充実したのはあくまでもシェイクスピア自身の想像力である。彼の思想と芸術である。冒頭の有名なグロスターの独白を始めとして、多くの有名なセリフはすべてシェイクスピアの創造である。アン求愛のシーン、マーガレットの二つの呪いのシーン(一幕三場、四幕四場)、グロスターとヨーク幼王子とのやりとりのシーン等々、シェイクスピア自身の独創と考えられるものを拾い集めれば限りがない。しかし何と言っても最も大切なポイントは、この作品が一つのまとまった全体として持っているこの作独特の調和、統一である。それを通してわれわれが膚《はだ》でじかに感じる若いシェイクスピアのパッションである。言葉使いはまだ未熟であり、生硬である。しかしその生硬な未熟さの中には、粗削りの芸術からのみ生まれる一種の力強い美がうかがわれる。これは芸術的には最も完成した最後期の名作、たとえば『コリオレイナス』などには絶対にないものである。上演の時にはよく省略される、いわゆる「機械的」なマーガレットの呪いのシーンは、それが作り出す一種独特の心理的なチャンネルによって、われわれの心を捕える。逆説的だが『リチャード三世』の魅力の秘密は実はこの「機械的」な点にあると言える。この作の持つ「儀式的な様式化」がこの作の生命と言える。マーガレットの呪いの儀式を通して、最後のクライマックス、ボズワースの平原でのリチャードの断末魔の叫び声「馬を持て! 馬を! 馬を持って来た者には王国をやるぞ!」(五幕四場)にいたる儀式的な様式の線には、悲劇の持つ一種の崇高な悲壮感がある。これこそシェイクスピア自身の独創であり、ここに若いシェイクスピアの思想と芸術の一つの出発点を見いだすことができる。
〔同時代の作家たち、とくにマーローの影響について〕
この劇でシェイクスピアが焦点を向けているのは、悪党としての主人公リチャードの大それた野心、それを実現するために彼が犯した数々の非行、その結果として自らの墓穴に急転直下してゆくリチャードの姿である。作の主人公に対する強烈な集中という点で、すべてのシェイクスピアの作品中でもこの劇は独特な地位を占めている。悲劇の主人公を悪党にして、それにその作のすべてを集中してゆくやり方は、シェイクスピアはマーローに倣《なら》ったものだろう。マーロー以前のイギリスの悲劇は多く中世的な意味のもので、善良にして偉大な人間の運命的没落を描いたものが大部分だった。しかしその描き方、主人公に対する集中はきわめて散慢なものだった。マーローは『タンバレン』『フォースタス博士』『モールタのユダヤ人』などにおいて、中世的な概念とは異なる悲劇を創り出した。
マーローの創造した悲劇は、人間性の悪の世界だった。それまでの世界観は要するに、人間は善なりという信仰の上に築かれたものだった。これを根底からくつがえしたものの有力な一人はイタリアのマキャアヴェリ(一四六九〜一五二七)だった。彼の人間観は、人間は本質的には悪なりという現実的なものだった。やがてホッブズ(一五八八〜一六七九)などもこれと同じ哲学観を持つようになるが、これはルネサンスの人間観、哲学観の一大前進を示すものだった。
マーローが描いたのはこのような本質的には悪党の悲劇だった。マーローはローマのセネカの影響を大いに受けたものだが、その人間観を描き出すのに、彼独持の驚くべきパッションと壮麗無比な詩をもってした。彼はその自由な言葉を自在に駆使し、そのゆたかな想像力は全宇宙を飛翔した。そしてその強烈にして壮大な詩情を、主人公一人に集中し、燃焼しつくした。その主人公は、作者自身のマーローと共に、燦然《さんぜん》ときらめくエリザベス朝の栄光のごとく、一瞬輝く光芒を放って、やがて消えて行ったのだ。
若いシェイクスピアが、マーローに象徴されたエリザベス朝的栄光に眩惑されたのは当然だった。おそらくは故郷ストラットフォードの町の舞台でそれを見て、マーローの壮大なイメージ、素晴らしい音楽、われとわが身を焼きつくす強烈無比の情熱に完全に魅惑されたに違いない。シェイクスピアはマーローにならって、リチャードをマキャアヴェリ的悪党の中心人物とした。マーローにならって全部の焦点をこの悪党主人公に向け、その急激な上昇と下降の運命線を情熱をこめて描き出した。かくして描き出されたリチャードは、ミルトンのセイタンにも似た一種の崇高さを持つに至ったと言えよう。
マーローの影響に続いて考えるべきは、キッド(一五五八〜九四)や、リリー(一五五四?〜一六〇六)などの影響である。この芝居では非常に多くの登場人物が殺される。刑場へと引かれるシーンが多い。亡霊がたくさん出てくることもこの作品の特色である。このような血なまぐさい、陰惨なシーンは、『タイタス・アンドロニカス』ほどひどくはないが、『リチャード三世』におけるセネカ的要素、キッドの『スペイン悲劇』からの影響は明らかである。これは当時の観客がそういうものに非常に興味を持っていたということであり、劇場人シェイクスピアがそういう一般慣習、流行に敬意を表したということであろう。
次にこの劇では言葉の技巧、あそびが非常に多いことが注目されなければならない。周知のように、当時の人々の言葉に対するパッションは非常なものだった。リリーが始めたいわゆる「華麗なる文体」(ユーフュイズム)は、当時の人々の趣味嗜好に合ったものであった。それは今日におけるように悪罵の言葉では決してなかった。当時の人々の古典修辞法に対する傾倒は、今日のわれわれの想像を絶するものであった。リリーがその作(Euphues,1579)において用いているような各種各様の形式的な修辞法の形式、同音異義語、両義語、対句、ギリシア劇で用いられた対称問答法などがしきりに出てくる。『リチャード三世』ではこれらの修辞法的な形式が大切なのである。それがこの芝居の儀式的なスタイルを構成する重要な要素となっている。
〔中世「道徳劇」からの影響〕
三幕一場、グロスターは皇太子兄弟に一応やっつけられた恰好になっているが、そこで彼は一つの注目すべき〔傍白〕を放っている。
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こんなふうにして、道徳劇に出てくる例の「悪玉」のように、
一つの言葉に二つの意味を持たせてやるんだ。
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これは非常に意味のあるセリフである。すべてのエリザベス朝の芝居は多かれ少なかれ、中世の芝居の影響を受けているが、『リチャード三世』もとりわけてその傾向が強い。それは各種の年代記やその他の種本の場合のように、類似の言葉使い、イメージの流れとなって、具体的に作品の中に多く現われているというのではないが、芝居全体の基本的な製作態度、基本的な概念となって、芝居全体を大きく動かしていると言えるものである。たとえば冒頭の独白に見られるように、自分自身のことを観客に訴え、自分の「手の内」をある程度披露することによってまず観客の同情を得、観客を自分の側に引きこむやり方は、中世の道徳劇に出てくる「悪」の常套手段である。主人公リチャードの皮肉にして巧妙な自己紹介の仕方は、「反キリスト」として登場して観衆の同情を獲得した道徳劇のスター、「悪」のそれと同じである。道徳劇の「悪」の先祖は道化である。このようなイギリス在来の伝統的な役柄の系譜をたどって行くと、シェイクスピアのリチャードの根本的な性格がよりよくわかってくる。われわれのこの「同情」は、芝居の進行と共に見事に裏切られてゆく。見方によっては、これはわれわれの、われわれ自身に対する裏切りでもある。ここで『リチャード三世』に対するわれわれ自身の参画の程度、『リチャード三世』がわれわれにとって何であるか、の意味が急激に深まってくる。
〔悲劇か歴史劇か〕
最近のシェイクスピア学では、シェイクスピアの歴史劇は二つのグループに分けて考えられるべきだ、というE・M・W・ティリヤードの主張が一般に受け入れられている。まず『ヘンリー六世・第一部』『第二部』『第三部』および『リチャード三世』は相互に密接に関連したもので、一つのまとまった四部作として考えられなければならない。次に孤立した作『ジョン王』が来る。その次に、『リチャード二世』『ヘンリー四世・第一部』『第二部』および『ヘンリー五世』の四部作が来る。そして最後に第二番目の孤立した作『ヘンリー八世』が来る。介在している二つの孤立作を除けば、シェイクスピアの全歴史劇は明らかに二つの四部作のグループから成り立ち、それぞれの四部作は全体としてまとまった一つの統一体をなしている。第一の四部作の主題ないしは主人公は「英国」である。第二のそれは「英国王」である。そして二つの四部作を通して見られるものは、中世の悲劇の共通した概念「偉大なる人間の没落」である。こういう主題は登場人物として姿を現わしてはもちろんいない。しかしこれらすべてを背後から動かしている無名の登場人物だと言える。シェイクスピアはこれを前述の史家ホールから学び、また『為政者の鑑』の影響を受けた、とティリヤードは説明している。
ティリヤードの提言は、もちろん正しい。シェイクスピアのすべての歴史劇の背後にそのような統一、総体的なデザインがあることは明らかである。ただしかし注意しなければならぬことは、そのことはそれぞれ個々の作品の独立性、その独立した芸術性を割り引くということでは決してないということだ。極端に言うならば、『リチャード三世』は『リチャード三世』で、他の作品とは何の関係もないとも言えるのだ。それ自身の悲劇性と芸術的なまとまりを持った独立した作品だと言える。それでは『リチャード三世』の持つ悲劇性とはいったい如何なるものか?
『リチャード三世』は前述の一五九七年の「第一の四折版《クオートゥ》」からすでに『リチャード三世の悲劇』というタイトルが付けられている。シェイクスピアの初めての全集(第一の二折版《フォリオゥ》…一六二三年)では歴史劇の部類に入れられているが、それ自身のタイトルはやはり『リチャード三世の悲劇』となっている。『リチャード三世』のタイトルに関しての、このようなそもそもの初まりからの「歴史」と「悲劇」の複雑な噛み合わせは、実はこの作自身の独特の悲劇性を暗示している。サー・トマス・モア、ポリドア・ヴァージル、ホール、ホリンスヘッドなどを経て築かれたチューダー王朝の歴史観が、巨大なメカニズムとしてそこにあった。善とはその秩序のメカニズムであった。その秩序からあえて離脱することを誓ったグロスターは悪である。
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俺は決心した、いっそのこと大悪党になってやるのだ。(第一幕第一場)
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なかば道化的、なかば中世道徳劇の「悪」的性格をもって登場したグロスターは、彼自身はその巨大なメカニズム、「歴史」を嘲笑はするが、しかしその彼自身がマーガレットの呪いなどに象徴される修辞の儀式、メカニズムの歯車に捲き込まれて行くのをいかんともしがたい。第五幕におけるリッチモンドの登場は神意の実践である。リチャードはもはや、その神意の実践という巨大なデザインのほんの一部でしかない。「歴史」は小なる一リチャードの「悲劇」を苦もなく押しつぶす。しかし押しつぶして何になるであろうか?「悲劇」を生み出した「歴史」が、それを押しつぶしただけでいったいいかなるメリットがあるというのだろうか? 「歴史」の「悲劇」がここにある。リチャードの最後の神への訴えの言葉には、いささか彼本来の道化的な響きがある。
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おお神様、お助けを!(五幕三場)
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これをマーローのフォースタス博士の断末魔の叫び声、
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見よ、見よ、主キリストの血が大空を紅に染めている!
その一滴で、その半滴で、俺の魂は救われるのだが。ああ主キリスト!(第十九場)
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に比べると、マーローのほうがより悲痛な魂の叫びがある。しかし魂の悲劇を書こうとはしていないシェイクスピアのアプローチには、より確固とした、より広汎な歴史自体の悲劇があると言えよう。
〔『リチャード三世』の出版および批評の歴史〕
『リチャード三世』がシェイクスピア在世当時から、たいへんな評判作であったことは周知の事実である。一五九七年から一六二二年までの間に、「四折版」の形で六版を重ねたほどである。一六二三年には「二折版」の形でシェイクスピアの全集が出版され、以後各種各様の版でじつにおびただしい数の版を重ねて今日にいたっている。『リチャード三世』はシェイクスピアの全作品中、『ハムレット』などと共に最も多く読まれ、愛された作品の一つと言える。
十八世紀イギリス文壇の大御所、ジョンソン博士は次のように言っている。
「これはシェイクスピアの最も評判のいい作品の一つである。しかし、これはよくあることだが、評判がいいからと言ってそれが優れた作品であるとは限らない。この劇にはそれ自身優れたシーンが幾つがあり、また上演して効果をおさめるような優れた構成があることは否定できない。しかしある部分は末梢的であり、ある部分は鼻もちならぬものであり、またある部分は事実とかけ離れすぎている」
ジョンソン博士のこの批評は、その後の『リチャード三世』批評の方向を決定したように思う。なぜならばその後の批評はいずれも「優れてはいるがしかしながら……」、または「数々の欠点はあるがしかしながら……」つまり、「しかしながら」が付いた批評の形がその後の『リチャード三世』批評の一つのパターンとなったからだ。これは必らずしもこの作のみに限ったことではない。ただこの作では余りにこの傾向が強いということである。おそらくは最近の『リチャード三世』批評でも、いまなおわれわれはこの傾向から完全に脱し得たとは言い切れまい。
〔『リチャード三世』上演の歴史〕
舞台上の『リチャード三世』はたいへんに好評だったが、それは作者シェイクスピアにとっては必らずしも名誉だったとは言い切れないものがあった。というのは一七〇〇年七月、コリー・シバー(一六七一〜一七五七)がロンドンのドルアリー・レイン劇場で自作の台本で演じて以来、じつに百年以上ものあいだ、シバーの台本が使われたからであった。シバーのテクストは全篇約二千五十行中、その約半数の千六十行は彼自身に書き直されたという代物だった。第一幕は検閲でカットされたため、『ヘンリー六世・第三部』から寄せ集められた。クラレンス、エドワード四世、マーガレット、ヘイスティングズなどの重要な役柄がすべて抹殺された。クラレンスの夢物語のシーン、マーガレットの呪いのシーンなどはもちろん取り除かれた。今からでは到底考えられないほどである。それでもシバー自身が演じたリチャードは、シェイクスピアの主人公の悲劇的壮大さはなかったが、そのメロドラマ的悪役は好評であった。シバーの台本は簡潔で要領を得、上演用としてはシェイクスピア自身のものより優れている、という批評さえあったくらいである。シバーの『リチャード三世』はじつに八七回も上演を重ねた。
シバーの台本をシェイクスピアのものに戻すことを始めたのはケンブルの一八一一年の上演からであった。そしてその傾向を押し進めたのがマックリーディの一八二一年の上演であった。マーガレットの最初のシーン(一幕三場)が回復された。マーガレットの二番目のシーン(三幕四場)が回復されたのは一八四五年、フェルプスの上演においてであった。ところがそのフェルプスも、やがてまたシバーに逆戻りし、一八七七年のアーヴィングの上演は完全にシバーへの復古調ぶりを示した。最近ではオリヴィエの映画がやはりシバーの名残りをとどめているから、『リチャード三世』上演に関しては、シバーの台本がいかに絶大な影響力を持ったかは容易に想像できる。
シバーの名声はシェイクスピア自身にとってはマイナスかもしれない。しかし同時に、クラレンスの夢物語のシーン、マーガレットの呪いのシーンなど、今考えればこの作の中心部ともいうべきものを取り去って、しかもなお以上のような名声を得たとすれば、それはやはり原作者シェイクスピアのメリットとも考えられる。シェイクスピアの若さの力作ともいうべき『リチャード三世』には、それだけ削られてもなお百年間ものあいだ人々を惹きつけた何かがあるのではないか? ジョンソン博士以来『リチャード三世』批評は「……しかしながら……」であるが、われわれはもっとその好評の面に注目し、その真の理由を分析することに努めるべきではないか? 誰もが『リチャード三世』の若さの粗削りの芸術を一応はけなす。そして誰もがまた「しかしながら」へ逆戻りする。『リチャード三世』は、同じくシェイクスピアの若さの力作『ロミオとジュリエット』などと同様、シェイクスピアの若さが生んだモナ・リザ的作品としてあり続けるだろう。(大山俊一)
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年譜
一五六四 四月二十三日頃、ストラットフォード・アポン・エイヴォンにおいてウィリアム・シェイクスピア生まる。四月二十六日、ウィリアム受洗。
一五八二(十八歳) 十一月二十八日、ウィリアムはアン・ハザウェイと結婚。
一五八三(十九歳) 五月二十六日、長女スザンナ受洗。
一五八五(二十一歳) 二月二日、ウィリアムの双生児、ハムネット(男)とジュディス(女)受洗。
一五八七(二十三歳) この頃ウィリアムはロンドンに出る。
一五八九(二十五歳) 『ソネット集』の大部分を書く。
一五九〇(二十六歳) 『ヘンリ六世』第二・第三部を書く。
一五九一(二十七歳) 『ヘンリ六世』第一部完成。
一五九二(二十八歳) 三月三日、『ヘンリ六世』第一部上演。『リチャード三世』『まちがいつづき』完成。
一五九三(二十九歳) 『ヴィーナスとアドニス』登録出版。『タイタス・アンドロニカス』『レイプ・オヴ・ルークリース』登録。『ヴェローナの二紳士』完成。『じゃじゃ馬ならし』上演。ウィリアム、彼の劇団の再編成にあたって株主として参加する。十二月二十八日、『まちがいつづき』上演。
一五九五(三十一歳) 十二月九日、『リチャード二世』上演。『真夏の夜の夢』完成。
一五九六(三十二歳) 父ジョン、紋章(Coat of Arms)を許される。
一五九七(三十三歳) ウィリアムはストラットフォードのニュー・ブレイスを六十ポンドで買い入れる。クリスマスに『恋の骨折損』上演。『ロミオとジュリエット』の第1四折判出る。
一五九八(三十四歳) 『ヘンリ四世』第一部登録。『むださわぎ』『ヘンリ五世』完成。
一五九九(三十五歳) 九月二十一日、『ジュリアス・シーザー』上演。『お気に召すまま』完成。
一六〇〇(三十六歳) 『ヘンリ四世』第二部登録。『ヴェニスの商人』第1四折判出る。『ハムレット』『ウィンザーの陽気な女房たち』完成。
一六〇一(三十七歳) 一月六日、『十三夜』宮廷にて上演。父ジョン死す。九月八日埋葬。『トロイラスとクレシダ』完成。
一六〇二(三十八歳) 七月二十六日『ハムレット』登録、『ハムレット』オクスフォード、ケムブリッジにて上演。『末よければすべてよし』完成。
一六〇三(三十九歳) 『お気に召すまま』宮廷において上演。『ハムレット』第1四折判出る。
一六〇四(四十歳) 十一月一日、「国王一座」により『オセロウ』上演さる。十一月四日、『ウィンザーの陽気な女房たち』上演。十二月二十六日『以尺報尺』上演。『ハムレット』第2四折判出る。
一六〇五(四十一歳) 一月七日、『ヘンリ五世』上演。二月十日、『ヴェニスの商人』上演。『リア王』完成。
一六〇六(四十二歳) 十二月二十六日、『リア王』宮廷において上演。『マクベス』『アントニーとクレオパトラ』完成。
一六〇七(四十三歳) 六月五日、娘スザンナはドクター・ジョン・ホールと結婚。『コリオレーナス』『アセンスのダイモン』完成。
一六〇八(四十四歳) 母メアリー死す。九月九日埋葬。『ペリクレース』執筆。
一六〇九(四十五歳) 『ソネット集』出版。『シムベリン』完成。
一六一〇(四十六歳) ウィリアム、ストラットフォードに引退。『冬の夜ばなし』を書く。
一六一一(四十七歳) 十一月一日、『テムペスト』宮廷において上演。
一六一二(四十八歳) 王女エリザベス結婚の祝いのために「国王一座」によってシェイクスピアの作品が多数上演された。
一六一三(四十九歳) 六月二十九日、『ヘンリ八世』上演。
一六一四(五十歳) ウィリアム、ロンドンヘ。
一六一六(五十二歳) 一月、遺言書を書く。二月十日、次女ジュディス結婚。三月二十五日、遺言書に署名。四月二十三日、ウィリアム死す。四月二十五日埋葬される。
〔訳者紹介〕
大山俊一(おおやまとしかず)一九一七年生まれ。東京文理大英文科卒。オハイオ州立大学大学院卒。中世および近世英文学専攻。主著『シェイクスピア人間観研究』『ハムレットの悲劇』『複合的感覚』。訳書『ハムレット』『マクベス』『オセロウ』その他多数。