マクベス
ウィリアム・シェイクスピア作/大山俊一訳
目 次
第一幕
第二幕
第三幕
第四幕
第五幕
解説
年譜
[#改ページ]
登場人物
[#ここから1字下げ]
ダンカン………スコットランド国王
ドンルベイン…ダンカンの王子
マルカム………ダンカンの王子
マクベス………国王軍の将軍
バンクォウ……国王軍の将軍
マクダフ……スコットランドの貴族
レナックス……同
ロス……………同
メンティース…同
アンガス………同
ケイスネス……同
フリーアンス……バンクォウの息子
シューアード……ノーサンバーランド伯・イギリス軍の将軍
息子シューアード……老シューアードの息子。
シートン……将軍マクベス付きの将校
少年……マクダフの息子
イギリス宮廷の医者
スコットランド国王侍医
兵士
門番
老人
マクベス夫人
マグダフ夫人
侍女……マクベス夫人に仕える侍女
へカティ
三人の魔女
その他、貴族、将校、兵士、刺客、従者、使者など
バンクォウの亡霊、その他の幻影
場所 四幕三場のみイギリス、その他はすべてスコットランド[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]
あらすじ
雷鳴とどろく荒野、三人の魔女たちが出現。魔女たちは戦場から凱旋するマクベスと友人バンクォウに、二人の運命を暗示することばをなげかける。その一つ「コーダーの城主になる」ということばが現実となったとき、マクベスの心は野心のとりことなる。マクベス夫人は、これを知って夫の心をそそのかす。
マクベスはダンカン王暗殺を皮切りにつぎつぎと悪事を重ね、友人のバンクォウをも殺害する。悪事に悪事を重ね、血の上に血を塗ったマクベスの心の平静は失われる。宴席でバンクォウの亡霊を見、不安と恐怖にさいなまれながらも、マクベスはダンカン王の息子マルカムや忠臣マクダフと戦わねばならない。マクベス夫人の心は血なまぐさい悪事についにたえかね、うわごとに数々の悪事を告白し、ついにこれが昂じて夫の陣中で死ぬ。ただひとり残されたマクベスは、虚無感と絶望、不安に打ちひしがれながら、苛烈な闘いへと突き進む。[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]
第一幕
第一場 ヒース茂った荒野原
〔雷、稲妻、三人の魔女登場〕
【第一の魔女】 いつまた会おう三人で
雷、稲妻、または雨の中。
【第二の魔女】 この混乱動乱の終わったとき、
この戦いに勝ってそして負けたとき。
【第三の魔女】 それは日の暮れる前。
【第一の魔女】 その場所は?
【第二の魔女】 ヒース茂った荒れ野原。
【第三の魔女】 そこで会おう、マクベスに。
【第一の魔女】 いま行くグレマルキン!(お化け猫)
【第二の魔女】 パドック(ヒキガエル)が呼んでいる。
【第三の魔女】 すぐ行く!
【全部の魔女】 きれいは汚なく、汚ないはきれい。
飛んで行こう霧と汚れの空の中。〔退場〕
[#改ページ]
第二場 野営地
〔舞台内側にて戦闘準備のラッパの音。国王ダンカン、マルカム、ドンルベイン、レナックスが従者を伴って登場。血まみれの衛兵隊将校が二、三の兵士に支えられて別の戸口より登場〕
【ダンカン】 なんというひどい血だ、あの男は? 見るも無残な
あの様子から考えて、この反乱のごく最近の戦況を、
あの男は語ってくれようぞ。
【マルコム】 これが例の将校です、
わたくしが危うく捕虜になるところ、あっぱれ勇敢な兵士にふさわしく、
立派に戦ってくれたのは。ようこそ勇敢なる友よ!
この暴動の情報、君が戦場を離れる直前の戦況を、
国王陛下に奏上してほしい。
【将校】 まこと疑わしい状態でありました、
たとえば水に溺れた二人の者が、精魂尽きてすがりつき合い、
互いの力を相殺するごとく。かの残虐なるマクドナルドは、
(彼こそはまこと逆徒たるにふさわしき者、と申すは
いや増しに増す悪徳の数々がその頭上に群がるは、
すべてその目途のため)西方諸島より駆り集めたる
アイルランド土民の歩兵、騎兵どもをその配下といたしました。
しかして「運命」の女神はこの呪うべき彼の行動に微笑を投げかけ、
あたかも逆徒の情婦のごとく見せかけました。しかしすべてあまりに弱勢、
と申すは、勇敢なるマクベスは(彼こそはその名にふさわしき者)、
反徒の情婦「運命」の女神もものかは、鋼鉄の刃《やいば》を振りかざし、
血煙たてて敵兵どもを薙《な》ぎ倒し、
あたかも「勇武」の愛人のごとくに、己《おの》が血路を切り開き、
ついにくだんの下郎と顔を合わせました。
と見るや、暇乞いの握手もあいさつもあらばこそ、
一撃のもと、へそから顎への縫い目を解きほぐしてしまいました。
しかして、かの逆賊の首級をばわが城塞に打ち掛けました。
【ダンカン】 おお勇敢なる従弟《いとこ》よ! あっぱれなるものよ!
【将校】 たとえば春分の太陽が折り返しの運動を始めるその地点より、
船を打ち沈めるあらし、恐ろしき雷鳴のとどろき出ずるごとく、
喜びの生まれ出ずるかと見えたるその源より、
悲しみも湧き出ずるもの。心されよ、スコットランド国王、心されよ、
「正義」が「勇武」にてものものしく武装され、
かのアイルランドの足軽部隊を追い散らすやいなや、
ノルウェー国王はここぞ好機到来と見て取って、
武器をば磨きあげ、新手《あらて》の援軍を手中に収め、
新たなる攻撃を仕掛けて参りました。
【ダンカン】 それはマクベス、バンクォウら、
予の指揮官どもを狼狽せしめたのではなかろうか?
【将校】 さようにござりまする……
たとえば雀が鷲《わし》を、兎がライオンを狼狽せしめるごとく。
さりながら真実を申せば、かく報告申し上げざるを得ず、
すなわち、たとえば火薬倍増、過重|装填《そうてん》せし巨砲のごとく、
指揮の両人は……
連続倍加の打撃をば敵の頭上に打ち重ねました。
血の湯煙立つ傷に湯浴みせんとの意向なるか、
はたまた第二のゴルゴタと、人の記憶にとどめしめるためなるか、
しからざれば、ここに言うべき言葉もなし……
さはあれ、わが体はすでに力なく、わが深傷《ふかで》は救助を求めて泣き叫ぶ。
【ダンカン】 そちの言葉はそちの傷同様、まことそちにふさわしい。
ともに栄誉にあふれている。早く医者を呼んでやれ。
〔将校支えられて退場〕
〔ロスおよびアンガス登場〕
【ダンカン】 あれへ参ったのは?
【マルカム】 ロスの領主殿にございます。
【レナックス】 なんというせわしげな目だ! このように見えるものだ、
なにか異例の事態につき報告しようとする者は。
【ロス】 国王万歳!
【ダンカン】 領主、いずれより参られたか?
【ロス】 ファイフからにござりまする、陛下。
かの地ではノルウェーの国旗がスコットランドの空一面を侮《あなど》り、
わが国民の心胆を寒からしめました。ノルウェー国王みずから、
恐るべき大軍を率い、
かの不忠きわまる反逆者コーダの領主に援けられ、
スコットランドにとり悲運このうえなき戦闘を開始いたしました。
そのとき、戦争の女神「ベロウナ」の花婿は、歴戦の甲冑に身をつつみ、
対等互角に正面からノルウェー王に立ち向かい、
剣先は剣先に対し、反逆の腕は腕に対し、
しだいにかの驕れる者の心を制しました。そしてついに、
勝利はわが方に帰しました。
【ダンカン】 なんたる幸運!
【ロス】 かくしてノルウェー王スウィーノウは今や
降伏の条件をひたすらに懇願。
しかしてわが方は、スント・コルミーズ・インチ島において、
わが国費支弁のため一万ドルの賠償金を彼が支払うまでは、
部下の兵どもの遺体埋葬は差し許さぬ所存にござりまする。
【ダンカン】 かのコーダの領主、二度と予が心からの信頼を
裏切るようなことがあってはならぬ。即刻死刑を宣告せよ。
しかして彼がこれまでの称号は、これをマクベスに与えよ。
【ロス】 承知つかまつりました。
【ダンカン】 あの男が失いたるもの、あっぱれマクベスが手に入れた。〔退場〕
[#改ページ]
第三場 ヒース茂る荒れ野原
〔雷鳴。三人の魔女登場〕
【第一の魔女】 どこへ行ってた、お前さん?
【第二の魔女】 豚を殺しに。
【第三の魔女】 お前さんはどこへ?
【第一の魔女】 船乗りのおかみが膝に栗のせて、
もぐもぐ、もぐもぐ、もっぐもぐ。
「わたしにおくれ」とわたしは言った……
「消えて失せろ、魔女め!」とうまい物食いの、かさっかき婆めはどなりやがった。
きやつの亭主は「タイガー」号の船長、アレッポヘ船出した。
だが、篩《ふるい》に乗ってそこをめざしてこっちも船出だ。
それから尾のないネズミに化けて、
やってやる、やってやる、ぜひやってやるぞ。
【第二の魔女】 お前さんに風一つあげよう。
【第一の魔女】 そりゃありがたい。
【第三の魔女】 わたしも一つ。
【第一の魔女】 ほかのはみんなわたしが持っている。
それで港、港を吹きまくってやるんだ
海図の中で、
わかってる限りの全部の場所を。
あの男、干し草みたいに干し上げてやる。
夜も昼もきやつのまぶたのさしかけに、
眠りは断じて宿らせない。
きやつは呪いのかかった男。
苦しい九《く》、九《く》の八十と一週、
こけて、やつれて、骨と皮ばかり。
船を沈めることはできないが、
あらしで十二分に揉《も》んでやる。
これを見てご覧。
【第二の魔女】 どれどれお見せ。
【第一の魔女】 これが操舵手《かじとり》の親指だ、
帰りの船が難破した。〔内側で太鼓〕
【第三の魔女】 太鼓だ! 太鼓だ!
マクベスがやってくる。
【全部の魔女】 運命の女神の姉妹、手に手を取って、
海と陸《おか》との早飛脚、
こうして回る、ぐるぐると、
三回はお前さんのへ、三回はわたしのへ、
おまけにもうあと三回、九回で結び。
静かに! これで呪いは仕上がった。
〔マクベスとバンクォウ登場〕
【マクベス】 こんな汚なくてきれいな日は見たことがない。
【バンクォウ】 フォレスまでまだどのくらいだろうか? ……こりゃ何だ?
しぼみきっていて、しかも身なりはまことにひどい、
とてもこの地上の住人とは見えかねる、
だが、この地の上にいる。生きているのか、それともお前は
われわれが尋問できる例のものか? 言うことがわかると見える、
どれもこれもが申し合わせたように、ひび割れのした指を
皮ばっかりの唇に押しあてている。女であるに違いない、
だが顔に髭《ひげ》があるのを見れば、そう解釈することも
不可能だ。
【マクベス】 なにか言え、もし言えるなら……何者だ、お前たちは?
【第一の魔女】 万万歳マクベス! 万歳、グラームズの領主殿!
【第二の魔女】 万万歳マクベス! 万歳、コーダの領主殿!
【第三の魔女】 万万歳マクベス! 将来、国王たるべき人!
【バンクォウ】 マクベス殿、なぜ驚かれるか? わが耳にはきれいに響くこの事柄、
なにか恐れているようにお見受けするが。真実に誓って尋ねるが、
そちらは幻であるか、それともこの目にそれと見える
そのもの通りのものであるか? わが尊敬する同僚マクベス殿を、
お前らはまず現在の敬称、ついで近々の栄《は》えある叙勲、
および国王たるべき希望の大いなる予言で迎えたので、
将軍は茫然自失《ぼうぜんじしつ》の体《てい》だ。わしにはお前らは話しかけてくれない。
もしもお前らが「時」の種を見通すことができ、
どの粒が育ち、どれが育たぬと言うことができるなら、
わしにも一つ話してみてくれ。
さりとてわしは
お前らの厚意や憎しみを、願ったり恐れたりしているのではない。
【第一の魔女】 万歳!
【第二の魔女】 万歳!
【第三の魔女】 万歳!
【第一の魔女】 マクベスより小にして、しかしてより大。
【第二の魔女】 さほど幸運ならずして、しかもはるかに幸運。
【第三の魔女】 汝は多くの国王をもうけよう、汝自身は王にはならぬが。
されば共に万歳、マクベスとバンクォウ!
【第一の魔女】 バンクォウとマクベス、共に万歳!
【マクベス】 待て、お前らの言葉はまだ足りぬ、もっと説明してくれ。
父サイナルの死によってグラームズの領主となったことはわかっている。
だがコーダについてはどうしてだ? コーダの領主は生きている、
羽振りのいい御仁《ごじん》だ。それに国王になるなどということは、
見渡したところ、心の目のとどく範囲内には金輪際《こんりんざい》見あたらない、
コーダの場合とまったく同じだ。言え、いったいどこからお前らは
この不可思議なる情報を手に入れたのか? またなにゆえに、
この荒涼たるヒースの野にお前らはわれらの行く手をとどめ、
かくも予言めいたあいさつをするのか? ……言え、「ここに命じる」〔魔女たち消える〕
【バンクォウ】 地面にも泡《あわ》があるのだ、ちょうど水面にあるように、
この連中はまさにこの種のものだ。どこへ消え去ったのだろう?
【マクベス】 空中だ。いま体《たい》をなしていると見えたものが、
あたかも人の息のように空中に溶けてしまった。留まってほしかった!
【バンクォウ】 いま話してるそのものは、実際にここにいたのだろうか?
それとも気違い草の根でも食って、
理性がすっかり≪とりこ≫になってしまったのだろうか?
【マクベス】 君の子孫は国王になる。
【バンクォウ】 君自身は王になる。
【マクベス】 それにコーダの領主にも。そんなふうではなかったかね?
【バンクォウ】 まさにその通りのいい調子。誰だ、やって来たのは!
〔ロスおよびアンガス登場〕
【ロス】 マクベス殿、国王はそちの勝利の報らせを受けて
ことのほか喜ばれた。国王は逆徒との戦闘における
そちの赫々《かくかく》たる武勲を想い、驚嘆と賞賛との気持ちが
国王の心の中で相争った、賞賛を言葉に出してそちに与うべきか、
それともただ心の中で驚嘆しているべきか。王はやむなく沈黙し、
その日の爾余《じよ》の戦況を見守るうちにそのほうは、
勇敢なるノルウェー軍の隊列のまっただ中に割って入り、
その方自身が打ち倒した累々《るいるい》たる屍《しかばね》の恐ろしい形相《ぎょうそう》もものかわ、
獅子|奮迅《ふんじん》の働き。戦況を報らせる伝令の足なみは繁く、雨あられ、
そして、どの伝令もどの伝令も伝えてくるのは、
王国を守るこの大いなる戦いにおけるそちへの賞賛の数々、
それらがすべて国王の御前に降り注いだ。
【アンガス】 われわれが遣《つか》わされたのは、
われらが主君、国王よりの感謝をそのほうに伝えるため、
ただ国王の御前にそのほうを案内するためであって、恩賞は後ほど。
【ロス】 しかして、いずれご沙汰あるより偉大なる栄誉の手付けとして、
王はその御名《みな》において、そのほうをコーダの領主に叙するよう命じられた。
よって、ここにその称号により、万歳、コーダの領主殿!
この称号はそのほうのもの。
【バンクォウ】 はてさて! 悪魔が真実を言えるのか?
【マクベス】 コーダの領主はまだ生きておられる。いったいなにゆえに借り着を
このわたしに着せられるか?
【アンガス】 領主であった人は事実生きている。
しかし、重い刑の宣告のもとに生きながらえているにすぎない、
いずれは処刑されるべきもの。ノルウェー側と結んでいたものか、
それとも隠密裡《おんみつり》に人的および財政的援助を
かの賊徒に与えていたものか、それともまたは、
その両人と結託して祖国の滅亡を計ったものか、わたしは知らない。
ただ彼はすでに大反逆の罪を自供し、それが検証され、
ついにわが身を滅ぼすこととなった。
【マクベス】 グラームズとコーダの領主。
最大のものはこれからだ。〔ロスとアンガスに〕ご足労まことにありがたい。
〔バンクォウに〕君は君の子孫が国王になってほしいと思わぬか?
コーダの領主をわたしにくれたあの連中が、
まさにその通りの約束をしたのだ。
【バンクォウ】 それを天《てん》から信用すると、
コーダの領主に加えて、これから君をけしかけて
王冠をほしがらせないとも限らない。それにしても不思議千万。
よくあることだが、われわれを破滅に引き入れるため
暗闇の手先どもは、ごく些細な事柄に関しては
正真正銘の真実を告げて信用させ、その後でわれわれを裏切るのだ、
重大な事柄に関して。……
諸卿、一言お話し致したき儀が。
【マクベス】 〔傍白〕二つの真実が告げられた、
帝国を主題としたすばらしい盛り上がりの一幕の、
まことみごとなる序の口として。……心からお礼を申し上げる、諸卿よ。……
〔傍白〕この超自然的な扇動は
悪いはずはない。善いはずはない。……
〔傍白〕もし悪いとするなら、なにゆえに成功の手付けをこの俺によこしたのだ?
それはもう事実となり始めているではないか? 俺はコーダ領主だ。
もし善いとするなら、なぜこの俺はあの誘惑に敗けてしまうのだ?
その恐ろしい形相を思えば身の毛もよだち、
しかと座を占めた俺の心臓は、つね日ごろとはまるで打って変わって、
はげしい鼓動を俺の肋骨に打ち鳴らしている。目前の恐怖は
恐ろしい想像に比べれば、まことに微々たるものだ。
殺しはまだ単に想像のものたるにすぎないが、俺の野心は
俺というこの一個の完全な王国を揺さぶり動かし、
ために行動の機能は揣摩憶測《しまおくそく》で完全に息の根を止められ、
かくしてなきものを除けば、あるはただなきもののみ。
【バンクォウ】 見よ、わが相棒は茫然自失。
【マクベス】 〔傍白〕もし運がこの俺を王にしてくれるというのなら、
俺自身あくせくしないでも王にしてくれるだろう。
【バンクォウ】 受け取ったばかりの栄誉は、
袖を通したばかりの着物同然、長く着付けなければ、
体にぴったりとは合わない。
【マクベス】 〔傍白〕どんなことでも来るなら来い、
時と時間とはどんな荒々しい日でも経《た》って行くものだ。
【バンクォウ】 マクベス殿、じつはわれらお待ちしているのだが。
【マクベス】 いや失礼した、お許しを願いたい。
鈍な頭で、あることを懸命に想い出そうとしていたところ。
諸卿よ、お骨折りのほどは長く身どもの記憶のメモに記入して、
日ごとそのページを繰《く》ってありがたさを思い出させてもらいます。
王のもとへ参りましょうか。
〔バンクォウに〕今日のことをよく考えてくれたまえ。いつか暇なときに、
その間にそのことをしかるべく勘案しておいて、腹臓《ふくぞう》ないところを、
お互いに話し合おうではないか。
【バンクォウ】 よろこんで。
【マクベス】 ではまたそのときに。今はこれにて。皆さん、参りましょう。〔退場〕
[#改ページ]
第四場 フォレス、宮殿の一室
〔ファンファーレ。国王ダンカン、マルカム、ドンルベイン、レナックス、および従者たち登場〕
【ダンカン】 コーダに対する死刑の執行は終了したか?
その任に当たる将校たちは、まだもどってはおらぬのか?
【マルカム】 陛下、まだ帰ってはおりませぬ。が、その最期を見届けた者から、
その模様を聞きおよびました。その者の言うところによりますと、
彼コーダはいとも率直にその反逆の大罪を認め、
陛下のお許しを懇願したてまつり、そして心からなる
懺悔《ざんげ》をいたしましたる由。およそ彼の一生を通じて、
その辞世ほどあっぱれなるものは他に見当たりませぬ。あたかもすでに
死に方の舞台げいこをすませた者のように、従容《しょうよう》として死につきました。
その所持するものの最もたいせつなものを投げ出すこと、
あたかも一顧《いっこ》の価値なき些末事《さまつじ》のごとく。
【ダンカン】 心の本性を
その顔で見破る方法などというものはあり得ない。
あの男こそ予が絶対の信頼を置いていた
まことりっぱな男であった……
〔マクベス、バンクォウ、ロス、およびアンガス登場〕
おおあっぱれ、従弟よ!
わしの恩知らずの罪が今の今とてこのわしの上に
重くのしかかっていたところである。君ははるか彼方《かなた》だ、
いかに迅速な恩賞の翼をもってしても、君の速さにはとうてい
追いつくことはできない。いっそ君の功績《てがら》がもっと少なくて、
わしの感謝と恩賞とが、わしの思うままにそれと
均衡を保てたらと思う。言い残したことはただ一つ、
君の取り分はわしが払えるもの以上の、それ以上のものである。
【マクベス】 陛下に対し忠節を尽くすは身ども臣下の当然の本分、
それを果たすこと自体がすなわち恩賞でありまする。陛下のお役目は、
ただそれをご嘉納《かのう》される御事《おんこと》のみ。
身どもの励む忠勤は、陛下の王位・王権に対したてまつっては子であり、召し使い、
すなわち陛下の御上《おんうえ》に必ずや敬愛と栄誉とをもたらすごときすべてをなして、
ただなすべきことを相果たすのみにござりまする。
【ダンカン】 よう帰った。
予はそちの植え付けにかかったぞ、そして今後も
そちが十分生育するよう骨を折ろう。あっぱれ、バンクォウ殿、
そちもマクベスに劣らぬ勲功をたてた、しかとそれに相違なきこと
明らかにしておかねばならない。わしに貴公を抱かせてくれ、
わしの胸にしっかりと。
【バンクォウ】 御胸《みむね》の内でもし育ちますならば、
その収穫はすべて陛下ご自身のもの。
【ダンカン】 わがありあまるよろこびは、
あふれ出でて止めもあえず、悲しみのしずく涙の粒に
その身を隠さんとしている。子どもたち、近親者、領主諸侯、
およびその地位これらにつづく諸侯、予はここに明らかにいたしたい、
予は予が王国の継承権を予が長子マルカムに
授与せんとするものである。今後は彼を皇太子カンバランド公と
呼称することといたしたい。しかしてその栄誉は、
単に彼のみに単独に与えられるものにはけっしてあらず、
貴顕の紋章はあたかも満天をちりばめる星のごとく、
その資格あるすべての者の上に輝かん。いざインヴァネスヘ参ろう、
このうえとも世話になるとしよう。
【マクベス】 休息も陛下のお役に立っていないなら、私めには骨折り同然。
わたくし自身先ぶれ役を相つとめ、身どもの妻に
陛下のお成りを告げて、大いに喜ばせてやることといたしまする。
ではこれにて失礼つかまつります。
【ダンカン】 ではわがコーダ領主殿!
【マクベス】 〔傍白〕カンバランド公爵だと! これは
俺がつまずくか、それとも跳び越えなければならない
踏み台だ、俺の道をふさいでいるのだから。星よ、お前の火を隠せ!
俺の暗黒にして極秘の欲望に光をあててはならぬ、
手がすることには目をつぶれ。しかしやらなければならぬ、
それがやりとげられたら、といてい正視できない恐ろしいことをだ。〔退場〕
【ダンカン】 さようバンクォウ殿、あの御仁はまこと勇壮無比、
あの御仁が賞賛されるのを聞くことは何よりの馳走、
予にとっては大酒宴じゃ。では後を追って参ろう、
先発して行ったは、実は予らを歓迎せんとの心づかい。
親戚縁者としてまこと比類なき御仁。
〔ファンファーレ。退場〕
[#改ページ]
第五場 インヴァネス、マクベスの居城の一室
〔マクベス夫人登場、手紙を読んでいる〕
【マクベス夫人】 「連中はわしと勝利の日に出会った。そして完璧きわまる調査によってわかったのだが、連中は人間の知力以上のものを持ちあわせている。さらに尋問してやろうという気持ちに燃えていたら、連中はおのが気流を起こし、その中にみな消えてしまった。まこと奇怪千万と呆然とたたずんでいるうちに、国王よりの使者参り、わしに向かっていわく「コーダ領主万歳!」と。じつはその称号でこれら運命の女神の姉妹たちは、すでにわしにあいさつしておったのだ。そしてさらに「万歳、国王たるべき人!」と言って、そういう時の来たるべきことに関し、わしの注意を喚起した。このことはさっそくそちに伝えたほうがよいとわしは考えたのだ(わが心から愛する偉大なるパートナーよ)、どんな偉大なることがそちに約束されているとも知らずに、喜びの当然の分け前にあずからぬようなことがあってはならないからだ。以上のこと心にとどめてよく考えておいてほしい。ではご機嫌よう」
あなたはグラームズ領主、それにコーダ領主。お次は
あなたに約束されたものに必ずしてみせる。だが気になるのは
あなたの性質。最短距離の近道を横切って行くにはあなたは、
あまりにも人情のミルクがありすぎる。あなたは偉大になりたい、
野心がなくもない。だがそれに伴ってしかるべき
悪に欠けている。あなたがひどくほしがっているもの、
それをあなたは正しい方法で手に入れたい。まちがったことはしたくない、
それでいてあなたは不当なものをほしがっている。偉大なるグラームズ領主、
あなたがほしがっているものは、もしほしいなら「こうしなくてはならぬ」
と叫んでいる。それをあなたはやることを恐れている、
やらないほうがいいというのではけっしてないくせに。早くお帰りなさい、
このわたしの血管に流れる性根《しょうね》をあなたの耳に注ぎこみ、
あなたを金環から遠ざけているすべてのものを、
このわたしの舌の力で鞭打つことができますように。
その王冠をあなたはすでに、運命と超自然の助けによって
いただいてしまったも同然です。
〔使者登場〕
何の知らせじゃ?
【使者】 国王陛下、今宵お成りにござりまする。
【マクベス夫人】 気でも狂ったか、そんなことを言おうとは。
お前の主人は国王といっしょではないのか? もしいっしょなら、
準備をするよう、このわたしに知らせがあったはず。
【使者】 お言葉ですが、領主様ご帰還、それに相違ござりませぬ。
同輩の一人が領主様の先を越して参ったのでござりまするが、
早飛脚ほとんど息も絶えんばかり、報告をすますだけが
やっとという始末にござりました。
【マクベス夫人】 その者をいたわっておあげ、
だいじな知らせを持って参ったのだから。〔使者退場〕
鴉《からす》までが嗄《しわが》れ声で鳴いている、
このわたしの城の胸壁の下、王ダンカンが
死の入城をすると告げている。来たれ、お前たち悪霊ども、
人間の悪しき思いにかしずく者よ、わたしをこの場で
女でなくしてくれ、頭のてっぺんから爪先までこのわたしを
恐ろしい残酷でいっぱいにしてくれ! わたしの血を濃くしてくれ、
あわれみの心への通路となる血管を全部ふさいでくれ、
自然の情からの後悔の念がこのわたしの恐ろしい意図を揺り動かし、
わたしの意図とその実行のあいだの調停役となって
目的達成を妨げぬように! 来たれ、このわたしの女の胸に!
わたしのミルクを胆汁にしてくれ、お前たち人殺しの手先どもよ、
お前たちは見えざる「実体」としていたるところで、
「自然」の悪事に仕えているのだ。来たれ、濃い夜よ、
地獄の黒煙《くろけむり》でお前をすっぽりと包んでしまってくれ、
このわたしの剣が傷をつくってもそれが剣に見えぬように!
天が夜も毛布からのぞき見して「待て、待て!」
と叫ばぬように!
〔マクベス登場〕
【マクベス夫人】 偉大なるグラームズ殿! あっぱれコーダ殿!
そのいずれより偉大なお方、予言にいわく「将来は万万歳!」
現在は未来についてはまったくの無知ですが、あなたのお手紙は
その現在をわたしに飛び越えさせました。そして今この瞬間、
わたしは未来を感じています。
【マクベス】 わが最愛の妻よ、ダンカンが今宵やってくる。
【マクベス夫人】 そしていつここをお発《た》ち?
【マクベス】 明日朝、と考えているらしい。
【マクベス夫人】 おお! その朝を
太陽が見ることは絶対にさせぬ!
あなたのお顔は、領主殿、たとえてみれば一冊の本、
異例のことがあるのだと、すぐに読みとれます。
世間をあざむくために、世間なみの顔をなさい。歓迎の気持ちを目に、
手に、口もとに表わしなさい。表面では無心の花を装って、
そしてその下では蛇となるのです。やがて来る客人には
したくをしておかねばなりませぬ。そして今夜の大仕事は
すべてこのわたしの処理にお任せくださらねばなりませぬ。
かくしてこれからのわれわれのすべての夜と昼とに、
絶対の王権と支配権とがもたらされることになるのです。
【マクベス】 また話し合うとしよう。
【マクベス夫人】 もっと上を向いて何食わぬ顔を。
万が一にも顔色を変えるということは、何かを恐れているしるし。
そのほかはすべてわたしにお任せを。〔退場〕
[#改ページ]
第六場 同じ場所 城の前
〔オーボエと松明《たいまつ》。ダンカン、マルカム、ドンルベイン、バンクォウ、レナックス、マクダフ、ロス、アンガスおよび従者たち登場〕
【ダンカン】 この城はすばらしい場所にある。空気は
軽やかに、そして心地よくわが感触に訴え、
気がなごむ。
【バンクォウ】 初夏の候のこの訪問答、
寺院に巣くうイワツバメが、ここを愛の古巣としているのを見ると、
天の息吹きがこのあたりでは魅惑のかおりを漂わせていることが、
よくわかりまする。どの張り出し、小壁、控え壁、
それに格好な突角、いずれを見ましてもこの鳥が
吊り床、繁殖用の揺りかごを取り付けていないところはござりませぬ。
鳥どもがいちばん増えて、群がり集まっているところは、愚考するに、
空気はおだやかと存じまする。
〔マクベス夫人登場〕
【ダンカン】 それ! 予の栄《は》えあるもてなし役のご入来だ。
予にまつわりつく愛は、ときに予にとって迷惑千万であるが、
しかも予はそれを愛として常に感謝している。かく申すは、
そちの骨折りに対しては、そちは「神よ、王に御恵《みめぐ》みを!」と礼を述べて、
そちの迷惑は予に感謝すべきである、とそちを諭《さと》したいがため。
【マクベス夫人】 私どものご奉公は仮りに倍加、さらに倍増されようとも、
陛下が私ども一家に下されたもうた深遠かつ広汎な栄誉に対しましては、
まこと貧弱かつ単純きわまるものでありまする。
従来の栄誉に対したてまつり、かつこれに加えての最近の叙勲に対したてまつり、
私どもは陛下の祈祷僧になり申し、永遠に「陛下に御恵みを!」と
念じることといたしまする。
【ダンカン】 コーダの領主はいずれに?
予は領主の後をすぐに追って、設営係を相つとめ申そう
との魂胆であった。されど領主は乗馬の名手、
かてて加えて拍車同様に鋭い、大いなる愛の気持ちが、
領主を先着させる仕儀《しぎ》とあいなった。美しく高貴なるもてなし役殿、
予は今宵、そちの客人とあいなりまする。
【マクベス夫人】 私ども陛下の召使いは、
すべて陛下の御《おん》もの、私どもの召使い、私ども自身、私どもの財産は、
ご希望によりいつ何時《なんどき》たりとも、決算をいたし、
陛下にご返戻《へんれい》申し上げる準備ができておりまする。
【ダンカン】 御手を貸されい。
ご主人のところへご案内願いたい。予は領主を心から愛する。
しかして領主に対する予の好意は今後も変わらぬものである。
ではお許しを、おもてなし役殿。〔退場〕
[#改ページ]
第七場 同じ場所 城中の一室
〔オーボエと松明。給仕人頭、皿および食卓用備品を持った数人の召使い登場して、舞台を通りすぎる。次いでマクベス登場〕
【マクベス】 やればやりおおせるというなら、それなら
さっさとやってしまったほうがいい。もしも暗殺が
その成果を一網打尽にすることができ、その終焉と共に
成功を釣り上げることができるというなら……この一撃で
すべてを成就し、すべてに終止符を打てるなら……この世、
ただこの世だけ、「時」のこなたの岸辺、浅瀬だけのこととして……
われわれはよろこんで来世を賭《と》してもよい。だがこういう場合、
われわれはいつもこの世で判決を受ける。そしてその結果は
われわれが血なまぐさいことを教えると、教わったあとは必ずや
発案者に仕返しをするということになる。公平無私の「正義」は
われわれが盛った毒杯の中身を、われわれ自身の唇に
すすめるのだ。彼はここではこの俺を二重に信頼している。
まず俺は彼の親戚であり、臣下であるから、いずれにしても
こんな行為に出ようとは考えもつかない。それから彼のもてなし役として、
俺は当然殺人者に対してドアを閉めるべきものと考えている。
俺自身がナイフを持つなどはもちろん論外のこと。かてて加えて
ダンカンは、権力行使に当たってはまこと謙虚、職務履行はまこと潔白、
ために彼の美徳・美質はあたかも天使さながら、
りゅうりょうとして響きわたるラッパを吹き鳴らして、
彼を消し去ったことの深い罪を責めたてるに違いない。
そして「憐憫《れんびん》」は、裸のままの生まれたての赤ん坊となって、
吹きすさぶあらしに打ち跨《また》がり、または最高天使となって馬に乗り、
目には見えざる空中の早飛脚の背から、
その恐ろしい行動をすべての人の目に吹き込むだろう。
かくして風も涙にかきくれてしまうのだ。この俺には
俺のこの意図の脇腹に入れるべき拍車がない。ただあるのは、
跳び上がる野心だけ、それが跳躍しすぎて
向こう側に落ちてしまう。
〔マクベス夫人登場〕
【マクベス】 どうした! 何かあったか?
【マクベス夫人】 夕食はほとんど終わりました。なぜ食堂をおたちに?
【マクベス】 わしのことをたずねていたか?
【マクベス夫人】 あなたご存じなかったのですか?
【マクベス】 この仕事をこれ以上おしすすめることはもうやめにしよう。
彼は最近、このわしに栄誉の叙勲を与えたばかりだ。それにわしは、
貴重な代償を払ってあらゆる種類の人々の黄金の評判を得たのだ。
その真新しい光沢は今こそ身に着けるべきで、
そう早々に脱ぎ棄てるべきではない。
【マクベス夫人】 あなた自身が着ていた
あの希望は酔っていたのですか? あれから一眠りしたとでも?
そしていま目が覚めて、気が大きくなってなさったことに
そんな青い顔をしていらっしゃる? もうこれからは、
あなたの愛情もそんなものと考えます。あなたは
希望は持ちつづけているくせに、終始勇気ある行動を
持続するのが恐ろしいのですか? あなたはぜひ手に入れたい、
あなたが人生の飾りと高く評価しているものを。
しかもあなたは、ご自身で考えても憶病者である生き方をしている。
ことわざにある哀れな猫同然、「したくない」を「ほしい」の
付き人にしているではありませんか?
【マクベス】 頼むから、黙っていてくれ。
俺は男にふさわしいことならどんなことでもやるのだ。
それ以上のことは人間わざではない。
【マクベス夫人】 ではどんな獣だったのですか、
あのときこの計画をわたしに打ち明けさせたのは?
あなたが思いきってそうしてくださったとき、あなたは男でした。
それで、それ以上のものにおなりになれば、ますますもって
あなたは男らしくおなりです。時間も場所もあのときには
計画に合致せず、それをあなたは合わせようとお骨折りでした。
ところがいざ全部のお膳立てが自然にできあがってみると、
そのことがかえってあなたをダメにしてしまう。わたしは
乳房を含ませたことがあり、わたしの乳を飲む赤ちゃんがどんなに
かわいいかを知ってます。それでもわたしは、赤ちゃんがわたしの顔の中で
笑ってるときに、歯のない歯ぐきからわたしの乳首をもぎ取って、
その脳味噌をたたき出したことでしょう、もしわたしが
あなた同様やると誓った以上は。
【マクベス】 もしわれわれが失敗したら?
【マクベス夫人】 われわれが? 失敗する?
ただあなたの勇気をじゅうぶんな張りに締め上げさえすれば、
われわれは失敗しません。ダンカンが眠りこんだとき、
(一日のつらい旅の疲れは、彼をすぐに深い眠りへと
誘うにきまってます)、二人の寝室付きの従者に
飲みつぶれるまで、たらふく酒を飲ませてやりまする。
頭脳の番人である「記憶」も溶けてアルコールの蒸気となり、
理性の容《い》れものともいうべき頭脳も、何のことはない
ただのアルコール蒸溜中のレトルトになってしまいます。豚同様に
ヘベれけに酔いしれて、死人同様に眠りこけているときなら、
あなたとわたしでやれば、番人のいないダンカンに対し、
やれないことがありますか? 海綿のように酒を吸った役人に対して、
何ができないことが? 連中にわれわれのこの大いなる殺しの罪を
着せてやるのです。
【マクベス】 男の子だけを産むがいい!
お前のようなめっぽう強気の気性は、男の子以外は
つくるべきではないからだ。いぎたなく寝こんだ
例の寝室付きの従者どもを血で塗りたくり、おまけに
きやつら自身の剣をば使っておけば、この連中の仕業だと
考えぬ人があるだろうか?
【マクベス夫人】 誰だってそう取るに決まっています、
ダンカンの死に際してわれわれが悲嘆にくれ、
かつ泣き叫ぶのを目《ま》のあたりに見れば。
【マクベス】 心は決まった、この恐ろしい、
大仕事のため、からだじゅうのありとあらゆる力を引きしぼるとしよう。
参ろう、できるだけ表面《うわべ》をつくろって、人目をごまかすこととしよう。
偽りの面《おもて》は偽りの心が知るものを隠さねばならぬ。〔退場〕
[#改ページ]
第二幕
第一場 同じ場所 城の中庭
〔松明を持った従者に先導されてパンクォウおよび息子のフリーアンス登場〕
【バンクォウ】 夜もだいぶ更けたか、フリーアンス?
【フリーアンス】 月は落ちました。時計は聞こえませんでした。
【バンクォウ】 月が沈むのは十二時だが。
【フリーアンス】 いま少し遅いと思います、父上。
【バンクォウ】 それ、わしの剣を持ってくれ、天も緊縮財政か、
空のあかりもみな消えた。これも持ってくれ。
鉛のように重い眠気が、わしの上にのしかかっている。
だがわしは眠りたくはない。御恵み深き天使たちよ!
眠りにつくと人の性《さが》、とかくおちいりがちな忌まわしい思いが、
わたくしの内に起こらぬようお守りを!
〔マクベス、松明を持った従者をしたがえて登場〕
【バンクォウ】 わしの剣をくれ。
誰か?
【マクベス】 味方だ。
【バンクォウ】 おや、まだお休みではなかったか? 王は床につかれた。
ことのほかご機嫌うるわしくあらせられ、城中の
下働きのものどもへおびただしいご下賜《かし》品をつかわされた。
とくにこのダイヤは王のいわゆる「最上のもてなし役」、
奥方への王のごあいさつのしるし。王はこのうえないご満足に
身を包まれていた。
【マクベス】 なんの準備もあいかなわず、
思うばかりですべてただ無調法《ぶちょうほう》、
さもなくば存分のおもてなしをつかまつることができたのだが。
【バンクォウ】 すべて上首尾。
わたしは昨夜、例の三人の運命の女神どもの夢を見た。
君には連中は何がしの真実を告げたと思うが。
【マクベス】 連中のことは
わたしは考えない。だが君ともども、いつか都合のよいときに、
その事柄に関して何がしの話し合いをしなければと思っている、
もちろん君が時間をくれればの話だが。
【バンクォウ】 いつにてもよろこんで。
【マクベス】 君がもし、いざというときに、わがほうに付いてくれるなら、
君の栄誉のため、決して悪いようにはせぬつもりだが。
【バンクォウ】 かくして、
名誉を加えんとして、いささかもそれを失わぬというのなら
お言葉にも従おう。だがわが胸の内は常に清廉潔白、
王への忠誠心にはいささかの曇りもない。
【マクベス】 ではゆるりお休みを!
【バンクォウ】 ありがとう。お休みなさい。
〔バンクォウおよびフリーアンス退場〕
【マクベス】 おい、奥さんに言ってくれ、わしの寝酒の用意ができたら
鐘を打ち鳴らすように。お前も床についてよいぞ……〔従者退場〕
これは剣か? 俺の目の前に見えているのは?
柄《つか》が俺のほうに向いている。それっ、つかんでやろう……
だめだ、つかめない。だが、まだ俺の目には見えてるぞ。
不吉なまぼろしめ、お前は目には見えるが、
感じることはできないのか? それともお前は単なる
熱にうなされた脳味噌から発生したニセもの、
心の中の剣であるにすぎないとでも言うのか?
まだ見える。見たところでは、すんぷん違《たが》わぬではないか、
わしのこの剣と。
お前はわしが行こうと思っていた方角にわしを導いて行く。
それにお前はわしが今まさに使おうとしていた道具なのだ。
わしの目がほかの感覚に愚弄されたということか?
それとも他の全部の感覚を合わせたよりまだマシということか?
まだ見える。しかもお前の刃《は》にも柄にも血がべっとりと。
前にはそんなものはなかったのだが……はて、もうそれもない。
こんなふうに目に映るのは、心で血なまぐさいことを
考えているからだ。今や全世界の半分をおおう部分で、
「自然」は死んでいるように見える。そして恐ろしい悪夢が
帳《とばり》を降ろした安らかな眠りを破っている。魔女の世界では
青白い魔女の女王への捧げ物の儀式のまっ最中。そして萎《な》えしぼんだ
人殺しは、その歩哨の狼の非常呼集を受けて……その吠え声が
合言葉……ぬき足さし足で美女ルークリースを犯した
かのタークィンの足どりよろしく、その目標めざして
幽霊のごとくに動いて行く。汝《なんじ》、確固不動の大地よ、
この俺の足音を聞かないでくれ、どの方向に向かっているかを。
ほかならぬお前の小石どもが、この俺の所在をぺらぺらしゃべり、
この時刻にまことふさわしい、このしじまの恐ろしさを
取り去ってしまう。俺がこう大言壮語しているあいだは、彼は生きている。
言葉は熱気のこもった行為にあまりにも冷たい息を吹きかける。
〔鐘が鳴る〕
俺は行く、そうすればそれは終わりだ。鐘が俺を呼んでいる。
聞くなダンカン、鐘の音を、これこそお前を天国か、
それともまたは地獄へと送る弔いの鐘の音だ。〔退場〕
[#改ページ]
第二場 同じ場所
〔マクベス夫人登場〕
【マクベス夫人】 酒で連中はへべれけになったが、こっちは大胆になった。
連中は火が消えたようだが、こっちは勇気の火がついた。しっ! 静かに!
あのつんざく鳴き声はフクロウ、死刑囚に恐ろしいおやすみを告げる
不吉な夜警、あの人はいま仕事にとりかかっている。
ドアはあいてる。たらふく飲み食いした従者どもは、
大いびきをかいて自分の仕事をバカにしている。寝酒に一服盛ったので、
いまや死に神と「自然」とが、連中を生かそうか死なそうかと、
たがいに相争っている。
【マクベス】 〔内側で〕誰だそこにいるのは? おい、これっ!
【マクベス夫人】 ああ! 連中が目をさましてしまって、
仕損じてしまったのでは? 計画だけで実施されなければ、
われわれの身の破滅! 静かに! 連中の剣は用意しておいた。
あの人がそれを見逃すはずはない。眠り顔がわたしの父に
似ていなかったら、この手でやってしまっていたのだが。あの人だ!
〔マクベス登場〕
【マクベス】 やり終えたぞ。……なにか物音を聞かなかったか?
【マクベス夫人】 フクロウが鳴くのが聞こえました。それにコオロギが鳴くのも。
なにかおっしゃいましたね?
【マクベス】 いつ?
【マクベス夫人】 いま。
【マクベス】 降りてくるときに?
【マクベス夫人】 そうです。
【マクベス】 静かに!
二番目の部屋にいるのは誰か?
【マクベス夫人】 ドンルベイン。
【マクベス】 これは見るも無残。〔手を見て〕
【マクベス夫人】 「見るも無残」などとバカなことを。
【マクベス】 一人は眠りながら笑っていた。一人は「人殺し!」と叫んだ。
それで互いに目をさましてしまった。わしは立って、聞いていた。
が二人ともお祈りを言ったかと思うと、またあらためて、
眠りにかかった。
【マクベス夫人】 二人が同じ部屋に泊まっているのです。
【マクベス】 一人は「神よ御恵みを!」と叫び、「アーメン」ともう一人、
まるで死刑執行人同然の、こんな手をしたわしを見たかのように。
連中が「神よ御恵みを」と祈る、その恐怖の声を耳にして、
わしには「アーメン」が言えなかった。
【マクベス夫人】 そんなに深く考えないで。
【マクベス】 だがどうして「アーメン」と言えなかったのだろう?
それこそ、わしが神の御恵みを最も必要としていたときだ。
しかも「アーメン」が喉《のど》につかえてしまった。
【マクベス夫人】 こんなことをそんなふうに、
考えてはなりませぬ。それではわたしたち気が狂ってしまいます。
【マクベス】 どうも声がして「もう眠れないぞ! マクベスは眠りを殺す」
と叫ぶのをわしは聞いたように思う。罪のない眠り、
千々に乱れる心のわずらいの糸を編みととのえる眠り、
日々の生の終わり、ひどい労働のあとの一風呂、
傷ついた心の良薬、大いなる「自然〕のメイン・ディッシュ、
人生の饗宴のいちばんの馳走。
【マクベス夫人】 どういうことでしょう?
【マクベス】 なおもその声は「もう眠れないぞ!」と家じゅうに叫んでいた。
「グラームズは眠りを殺した、さればコーダはもう絶対に眠らせないぞ、
マクベスはもう眠らせないぞ!」
【マクベス夫人】 そんなふうに叫んだのは誰です? りっぱな領主の
あなたがいったいなぜ、すばらしいお力をそんなふうに弱めて、
まるで頭がおかしいようなお考え方を? さあ水を持たせて、
あなたの御手からその汚らわしい証拠を洗い取ってしまいなさい……
どうしてこの剣をあの場所から持ってきてしまったのですか?
これはあの場所に残しておくべきもの。さあ持って行って、
いぎたなく眠るあの連中を血で塗りたくってきてください。
【マクベス】 いやもう行かんぞ。わしはわしのしたことを考えるのが
恐ろしいのだ。二度と見るのはご免だ。
【マクベス夫人】 なんという意志薄弱!
その剣をおよこしなさい。眠っている者と死んだ者とは、
描《か》いた絵にすぎません。絵に描いた悪魔を恐がるのは
子どもの目です。もし血を流していれば、その血で
あの下僕どもの顔に金色のメッキを施してやりましょう。
連中が禁を犯したように見せかけるのです。
〔退場。内側で戸を叩く音〕
【マクベス】 あのノックの音はどこだ?
いったい俺はどうしたというのだ? どんな音にもふるえ上がる。
この手は何だ? ぞっとする! この目もえぐり出されるぞ。
渺茫《びょうぼう》たる大海原の水全部なら、この手からきれいさっぱり
血を洗い落としてくれるだろうか? いや、むしろこの手のほうが、
億万の波頭《はとう》たつ大海《たいかい》をまっかな血潮で染め上げよう、
青海原をただ紅《くれない》の一つにして。
〔マクベス夫人再登場〕
【マクベス夫人】 わたしの手もあなたのと同じ色になりました。でもわたしは
そんな青白い心臓を持つのはきらいです。〔戸を叩く音〕
ノックの音がする、
南側の入口です。さあお部屋へ参りましょう。
ほんのわずかばかりの水で、このことはきれいさっぱりです。
そうすればまったく安心です! あなたの強さは
あなたを置いてきぼりにしてしまったのです。〔戸を叩く音〕ほら! まだノックが。
その上にガウンを羽織ってください。誰か尋ねてきて、
われわれが寝ていないことがわかっては困ります。呆然として、
そんなに元気なく物思いに沈んでいては困ります。
【マクベス】 俺のしたことを考えるくらいなら、俺自身を忘れたほうがましだ。〔戸を叩く音〕
起こせダンカンを、その音で。ほんとうにそうできればいいのだが!〔退場〕
[#改ページ]
第三場 同じ場所
〔門番登場。内側で戸を叩く音〕
【門番】 あれっ、戸を叩いてやがる! こりゃあ、人間様が地獄の門番をやらかすとなると、のべつ幕なしに鍵を開けてにゃならぬ。〔戸を叩く音〕叩け、叩け、叩け。地獄の大物悪魔ベルゼバッブの名にかけて尋ねるが、お前は誰だ? なんと百姓《ファーマー》め。凶作の見込みでうんとこさ溜めこんだら、それがみんごとおっぱずれて大豊作。それで首をくくっちまった奴め。さあはいれ、ちょうどおあつらえ向きのときだ。ハンケチをどっさり用意しとけ、ここじゃあ汗だくになるからな、〔戸を叩く音〕叩け、叩け。おつぎは誰だ、ええと……もう一人の大物悪魔の名にかけて聞くが? これは正真正銘≪ぼかし屋≫様のご入来だ。こいつはまるっきり正反対のことでも平気で誓えた両|天秤《てんびん》男。神様のおためとばかりに国は売れたが、天道様はぼかし切れなかった。これはこれは! さあはいれ、「ぼかし屋」さん。〔戸を叩く音〕叩け、叩け、叩け。おつぎ誰だ? ほんに、こりゃあイギリスの洋服屋、生地のたんといらぬフランス式タイトのズボンの注文を受けてまで、たんと生地をごまかしおった。あげくの果てがこの始末。さあはいれ、洋服屋さん。ここじゃお前のアイロンもよーく焼けるぞ。〔戸を叩く音〕叩け、叩け。金輪際静かにせんという了見だな! お前は何者だ? それにしても地獄にしちゃあ、ここはバカに冷えやがる。地獄の悪魔の門番役なんかもうまっぴらだ。実はこの世で桜草の小径を歩きゃあがって、やがて地獄の業火へ落っこちる、いろんな仕事の連中を何人かは通してやるつもりだったが。〔戸を叩く音〕開ける、開ける。
〔戸を開ける。マクダフおよびレナックス登場〕
だんながた、門番がここにいることをお忘れなく。
【マクダフ】 こんなに遅くまで寝ているところを見ると、昨夜は
よほど遅く床についたと見えるな?
【門番】 さようにごぜえます。わっしら二番|鶏《どり》まで飲みあかしましただ。ところでだんな、酒がけしかけるものに三つごぜえますだ。
【マクダフ】 酒がとくにけしかけるという三つとは何だ?
【門番】 そりゃあだんな、鼻が赤くなること、ぐうすか眠ること、それに小便でさあ。色気も≪けしかけ≫ますがだんな、こいつぁ≪かきけし≫もします。その気を起こさせますが、その実行力は抜き取っちまう。しかるがゆえに吾人いわく、酒は色気の「ぼかし屋」なりと。色気を出させておいてだめにする。けしかけといて消しちまう。口説いたあげくにがっかりさせる。おっ立たせといてしかもおっ立たねえ。緒論は要するにだ、ぐっすり寝かせてぼかしちまう。まんまとのせて、のして、おさらばでさあ。
【マクダフ】 ではそちは昨夜、酒にのせられ、のされたというわけだな?
【門番】 さようで、だんな。喉をやられてのせられましただ。だが色にのせられたその礼に、こっちもたっぷり仕返ししました。わっしは思うだが、色気となりゃあこっちのもの、ときにゃわっしの脚をさらいやがったが、とうとう一発やっつけましただ。
【マクダフ】 ご主人はお目覚めか?
〔マクベス登場〕
われわれが戸を叩いて起こしてしまった。やって来られた。
【レナックス】 おはようございます!
【マクベス】 おはよう、ご両所!
【マクダフ】 王はお目覚めでしょうか、領主殿?
【マクベス】 まだです。
【マクダフ】 朝は早目に起こすよう私めにお命じでした。
うっかり遅くなるところでした。
【マクベス】 拙者が案内いたしましょう。
【マクダフ】 今般のこと、喜ばしいお骨折りとは存じますが、
しかしやはりお骨折りではあります。
【マクベス】 よろこんでやる骨折りは苦労を忘れさせます。
このドアです。
【マクダフ】 失礼ながらお起こししましょう。
私の役目上いたし方ありません。〔退場〕
【レナックス】 王はきょうお発ちでしょうか?
【マクベス】 そうおおせられております。
【レナックス】 昨夜は騒々しい夜でした。われわれが泊まったところでは、
煙突が吹き倒されました。そして聞くところによれば、
泣き声が空中に聞かれたとか、不気味な「死」の叫び声が。
それから世にも恐ろしい調子で、悲惨な動乱近し、
この悲しみの世に新たに飛び立たんとする混乱近しと、
かの夜陰の鳥、フクロウが予言し、夜どおしわめき立てました。
人によっては、昨夜は大地が高熱を出して、それでうなされ震動した、
とも言ってます。
【マクベス】 まことひどい夜であった。
【レナックス】 若い私の記憶をたぐってみても、
こんな例は絶無です。
〔マクダフ再登場〕
【マクダフ】 おお! 恐ろしい、恐ろしい、恐ろしいことが!
口でも心でも言い表わせない恐ろしい、恐ろしいことが!
【マクベス・レナックス】 なにごとだ?
【マクダフ】 今こそここに、かつてない最高、最大の破滅が!
神を神とも思わぬ極悪無道の殺人が、聖なる塗油を受けて即位した
ご主君の御堂《みどう》を切り開き、その中なるご主君の命をば
盗み出してしまったのだ!
【マクベス】 なにを言っているのだ? 命をだと?
【レナックス】 ご主君のことを言っているのか?
【マクダフ】 お部屋に行ってみたまえ。目がつぶれる、
恐ろしい怪物ゴルゴンを見たと同じだ。私の話など聞かないで、
自分の目で見て、自分で言うに限る。
〔マクベス・レナックス退場〕
【マクダフ】 起きろ! 起きろ!
警報の鐘を鳴らせ! 王様殺しだ! 反逆だ!
バンクォウにドンルベイン! マルカム起きろ!
心地よい眠り、「死」のにせものを振るい落とし、
「死」そのものを見よ! 起きろ、起きろ! 起きて
この世の終わりの姿を見よ! マルカム! バンクォウ!
起きあがれ、最後の審判に墓から呼び出されるごとくに! そして歩け、
亡霊のごとくに! この恐ろしい出来事を直視せよ!
〔鐘が鳴る〕
【マクベス夫人】 なにごとですか?
このすさまじいラッパの音で家中の眠っている者に
総員集合をかけるとは? なにごとですか、なにごとですか?
【マクダフ】 おお奥方、
私が申し上げることは、奥方が耳に入れるようなことでは
ございません。それを女性の耳に物語るということは
その女性を殺すということです。
〔バンクォウ登場〕
おおバンクォウ! バンクォウ!
われらが主君が無残な最期を!
【マクベス夫人】 おお何ということが!
そのようなことが、このわが家の中で起こるとは!
【バンクォウ】 どこにせよ、
あまりに残酷。頼むマクダフ、後生だから今言ったことを取り消して、
そうではないと言ってくれ。
〔マクベス、レナックス再登場〕
【マクベス】 こんなことが起こるなら、せめてこの一時間前に死んでいたら、
わしの一生は祝福されたものだった。今この瞬間から、
この人生に生きがいのあるものは、何一つなくなってしまった。
すべては愚劣。栄誉も恩寵も、そのおおもとがなくなってしまった。
人生の酒は抜き取られ、この酒倉が誇れるのは、
底に残った澱《おり》だけになってしまった。
〔マルカム、ドンルベイン登場〕
【ドンルベイン】 なにか不都合が?
【マクベス】 御身の上にです、しかもご存じない。
殿下のお血筋のおおもとの水源、その源泉が止められたのです。
その根源自体が止められてしまったのです。
【マクダフ】 御父君陛下が殺されました。
【マルカム】 おお! 何者に?
【レナックス】 しかとは言えませんが、ご寝室付きの者どものしわざ。
きやつらの手や顔にはすべて殺しのしるし、血がついておりました。
それに剣にも。血を拭きもせずにきやつらの枕元に、
置いてあるのが見つかりました。きやつらは目をすえ、精神錯乱。
きやつらに人の命を托することが、そもそもまちがいでした。
【マクベス】 おお! それにしても逆上のあまりにきやつらを
殺してしまったことが悔やまれる。
【マクダフ】 なぜにそのようなことを?
【マクベス】 いったい誰に、逆上してしかも慎重、憤激して冷静、
忠義でしかも中立、同時にこれができようか? できるはずがない。
王を思う心が強いあまりに、つい早まって理性の制止をも
振り切ってしまった。王ダンカンはここに倒れていた、
その白金の膚《はだえ》を黄金の血潮で織りなして。
その深い刺し傷は、恐ろしい「破滅」を導き入れる
「自然」の城壁の突破口のように見えた。そこにあの二人が、
殺し屋の仕事の朱《あけ》に染まっていた。連中の剣は不都合にも
鞘《さや》ならぬ血潮の衣をつけていた。人の心を持つ者なら、
そしてそれを外に表わすだけの勇気を持つ者ならば、
誰がそれを制止できようぞ?
【マクベス夫人】 私を連れて行って、誰か!
【マクダフ】 奥さんをみてあげてください。
【マルカム】 〔ドンルベインに傍白〕なぜわれわれは沈黙を守っているのだ?
われわれこそ、この問題で大騒ぎする権利がある。
【ドンルベイン】 〔マルカムに傍白〕ここで何が言えるか?
錐《きり》の穴ほどの小さいところにも殺人鬼は隠れていて、
いつ躍り出てわれらをつかまえぬともかぎらない。逃げよう。
われわれはまだ涙も出はしない。
【マクダフ】 〔ドンルベインに傍白〕大きな悲しみも
まだ実感としてはやって来ない。
【バンクォウ】 奥方をみてあげてくれ……〔マクベス夫人連れ出される〕
それではまず何か着物を着てくることとして、裸には
この寒さはこたえる……その後でみなでまた集まって、
この残虐な殺りくについて話し合い、ことの真相を究明しよう。
恐怖と不安とで体じゅうが揺れ動かされるようだ。
神の大いなる御手《みて》の中にわたしは立っている。
その庇護のもとで、隠密裡《おんみつり》に意図されている反逆の陰謀と、わたしは戦う。
【マクダフ】 わたしもだ。
【全員】 われらすべて。
【マクベス】 戦うにふさわしい着物を、急いで身につけようではないか。
そしてホールで落ち合うこととしよう。
【全員】 承知いたしました。
〔マルカムとドンルベインを除き全員退場〕
【マルカム】 君はどうする? あの連中と行動を共にするのはやめよう。
心にもない悲しみを装うのは、心よこしまなる人間の
容易になすわざだ。僕はイギリスヘ行こうと思う。
【ドンルベイン】 僕はアイルランドだ。別行動を取ったほうが、
われわれの身はずっと安全だ。いまいるこの場所では、
人の笑いにも剣がある。血筋がわれらに近いものほど、
血なまぐさい想いをわれらに抱くのだ。
【マルカム】 弓を放れた殺しの矢は、
まだ空中にある。われわれのいちばん安全な道は、
その的を避けること以外にはない。だからすぐに馬だ。
そして暇乞《いとまご》いだの何だのと形式ばっておらないで、
こっそり脱け出すにかぎる。絶体絶命の危急のときに、
からだ一つで逃げ出すことは当然認められてよいはずだ。〔退場〕
[#改ページ]
第四場 城の外
〔ロスと一人の老人登場〕
【老人】 二十の三倍、六十足す十年間のことは、わしはよーっく憶えてまさあ。
その一巻の年月のあいだに、恐ろしい目にも不思議なことにも
わしは数々出会いました。だが昨夜《ゆうべ》の恐ろしさに比べれば、
みんなどれも物の数ではありません。
【ロス】 ねえご老体、
ご覧のとおり天も人間どもの悪行に腹を立てたかのように、
この血なまぐさい舞台を恐ろしい顔でながめている。時計では昼だ、
だが暗い夜が空行く苦悶の太陽の首をまだ締めつけている。
夜の力が強すぎるのか、それとも昼が恥ずかしがっているのか、
暗闇が大地の顔を埋葬してしまっている、生きた日の光が、
それにキスすべきときだというのに。
【老人】 まこと不自然きわまります、
しでかされた行為そっくりです。この前の火曜日、
一羽の鷹が獲物に飛びかかろうと誇らかに舞い上がったとき、
ネズミ捕りのフクロウに飛びかかられて、食い殺されてしまいました。
【ロス】 そしてダンカンの馬が(これこそ不自然中の不自然、だが事実)、
りっぱな毛並み、そして駿足、まさにその血統の寵児、
それが突如野生にかえり、馬屋をこわして飛び出した。
それが服従をきらって争うさまはさながら人間全体に
戦いを挑むがごとくであった。
【老人】 よく共食いをすると聞いてますが。
【ロス】 まさにそのとおりだった。わたしはそれをこの目で見たが、
まこと驚天するばかりであった。
〔マクダフ登場〕
それマクダフ殿が見えられた。
世間の様子はいかがですか?
【マクダフ】 ではご存じないのか?
【ロス】 わかりましたか? 誰がやったのか? 残忍というも愚かなこの行為?
【マクダフ】 マクベスが殺したあの連中。
【ロス】 おお、なんたることだ!
そしてきやつらの狙いは?
【マクダフ】 連中はそそのかされたのだ。
王の二人の息子たち、マルカムとドンルベインが
こっそり脱け出て逃げ出した。それで王殺しの嫌疑は
彼ら二人にかかっている。
【ロス】 どれもこれも不自然きわまる。
自分自身の命のおおもとをまでむさぼり食おうとは、
なんと無暴きわまる野心! かくなる上は次の王位継承権が
マクベスに行くことは、ほぼ確実になったと思われる。
【マクダフ】 すでに国王に指名され、即位式のためスクーンの町へ
出かけられた。
【ロス】 ダンカン王のご遺骸はいずれに?
【マクダフ】 コームキルに運ばれた。
王のご先祖たちの御霊《みたま》の安らかに眠る聖なる霊廟、
ご遺骸の安置所へ。
【ロス】 スクーンヘ行かれますか?
【マクダフ】 いや、ファイフヘ行く。
【ロス】 わたしはスクーンヘ参ります。
【マクダフ】 それがいい。あちらでは万事うまくいっているように。では!
古い着物がこんどの新しいのより着やすいなどということのないように!
【ロス】 さようならご老体。
【老人】 神があなた様に祝福を垂れさせたまうように。そして
悪を善となし、敵を味方とするような方々の上にも!〔退場〕
[#改ページ]
第三幕
第一場 フォレス 城中の一室
〔バンクォウ登場〕
【バンクォウ】 これでお前は国王、コーダ、グラームズと全部を手に入れた、
まさに運命の女神どもが約束したとおりに。俺は心配だ、
そのためにお前がひどく汚ないやり方をしたのではないかと。
だが言われている、それはお前の子孫のものとはならないで、
この俺が多くの国王の根元、先祖となるだろうと。
もしも彼らの口から真実が出るものならば、マクベスよ、
ちょうどお前の上に彼らの言葉がありがたく輝いているように、
それなら、実際にお前の上に実現された真実によって考えれば、
彼らの言葉は同様にこの俺へのご托宣でもあり、
俺にも望みありというわけではないか? だが、静かに! やめとこう。
〔セネット調のラッパの音。マクベスは国王として、マクベス夫人は王妃として登場。レナックス、ロス、その他の貴族、従者ら登場〕
【マクベス】 ここに予の主賓がおられる。
【マクベス夫人】 このお方が忘れられては、
われらの大祝宴に大きな穴があいたようなもの
万事だいなしになってしまいます、
【マクベス】 今宵、予は公式の晩餐会を催そうと思う。
それで貴殿の出席を願いたい。
【バンクォウ】 いや陛下は私どもに、
ただお命じになればよいのです。私めは臣下といたしまして、
絶対に解けることのない絆《きづな》をもちまして、永久に
陛下に対したてまつり、結ばれておるのでござります。
【マクベス】 きょうの午後はお出かけか?
【バンクォウ】 さようにござりまする、陛下。
【マクベス】 じつは予は、今日午後の会議で貴殿のご意見を、
いつもながら重要かつ有益であった貴殿のご意見を
うけたまわるつもりであった。だがそれは明日にいたそう。
お出かけは遠くへか?
【バンクォウ】 だいたいのところ、今から出かけて晩餐までには
戻れるくらいのところです。馬足が思うようでなければ、
夜分に入り、一、二時間がところはお時間を
拝借することにあいなりそうです。
【マクベス】 予の宴会は忘れぬように。
【バンクォウ】 絶対に忘れませぬ、陛下。
【マクベス】 予の聞くところによれば、血に飢えた二人の王子は
それぞれイギリスおよびアイルランドヘ逃亡した。そして二人は
自身の残酷な父親殺しを白状するどころか、奇怪しごくな造りごとで、
聞く人の耳をいっぱいにしているそうな。しかしそれについては明日、
共に考えることといたそう。このほかにも二人の討議を必要とする
国の問題がある。馬の所へ急ぎたまえ。
では今宵もどられるまで、さらばだ。
フリーアンスもいっしょに行くのだろうか?
【バンクォウ】 さようにござりまする陛下。では時間が参りましたので。
【マクベス】 貴公たちの馬の足並みが迅速にして、かつ確実なることを祈る。
それでは貴公らご両所を馬の背に托することとする。
お元気で……
〔バンクォウ退場〕
みなのもの、夕刻七時まではそれぞれ意の向くままに過ごすがよい。
晩餐会における予の出席を、ますますもって歓迎してもらうために、
その時までは予も余人をまじえず、一人で過ごすこととしよう。
ではそれまで、いずれもごきげんよう。
〔マクベスと一人の従者以外退場〕
おいっ、ちょっと用事がある。
例の連中は予の命令を受けるため待機させてあるか?
【従者】 はい、陛下。
城門の外に待たせてありまする。
【マクベス】 予の前へ通せ。〔従者退場〕
ただこうあるだけでは無意味だ、
安全にこうあるのでなければ。バンクォウヘの予の恐怖は、
深く刺さっている。あの男の高潔な人柄の中に、
恐れなければならぬものが君臨している。断固やるところは相当なものだ。
しかもきやつには、不撓不屈《ふとうふくつ》の精神力にかてて加えて、
その勇気を暴走させないだけの思慮というものがある……
奴の行動は安全なのだ。この俺が真実恐れているものは、
あの男以外にはいない。それに俺の守り本尊は
きやつの下で屈辱をなめている……マーク・アントニーのが、
シーザーのに同じ目に合わされたというが。例の運命の姉妹が、
最初、国王の名で俺に話しかけたとき、奴は彼らをたしなめた、
そして自分にも何か言えと命令した。すると予言者よろしく姉妹は、
「歴代の国王の父親、万歳!」ときやつに言った。
俺の頭上には彼らは、実らぬ花の王冠を載せ、
俺の手の中には、子を生まぬ無益の笏《しゃく》を握らせて、
はては俺の世継ぎでもない、直系でもない者の手によって、
もぎ取られてしまうという次第。もしそうだとするならば、
バンクォウの子孫のために俺は俺の心を汚したのだ。
きやつらのために、聖君主ダンカンを俺は手がけたことになる。
静かなるべき俺の心の杯《さかづき》に、悪意の毒を注《つ》いだのも、
ただ単にきやつらのため。そして俺の永遠の宝、俺の魂を
人類共通の敵、悪魔の手に渡したのも、ただきやつらを王にするため、
バンクォウの種を国王にするためだけだったとは!
そんなことならいっそのこと、さあ来い「運命」よ、向かって来い!
とことんの決着をつけるまで相手になってやるぞ! 誰だ?
〔従者、二人の刺客を伴って再登場〕
ではドアのところへ行って、予がそのほうを呼ぶまでそこで待て。〔従者退場〕
きのうのことではなかったかな、いっしょに話し合ったのは?
【刺客一】 さようでござりまする陛下。
【マクベス】 そうか、それならば、
君らはわしの話をじっくりと考えておいてくれたろうね?
過去において君たちをこんなにも逆境にとどめていたのは、
ほかならぬあの男のしわざだったということを知ってもらいたい、
君たちは罪もないこのわたしのせいだと思っていたらしいが。
このことはこの前の会談で君たちにもよく説明したし、
実際の証拠を挙げて君らに納得してもらったとおりだ。
いかにして君らが欺《あざむ》かれ、いかにして裏をかかれたか、
その手先どもは? それを操っているのは誰か?
それにその他もろもろの事情を呑みこめば、
たとえ頭の働きが人並みの半分でも、頭が多少狂っていても、
「バンクォウの仕打ちだ」とわかるはず。
【刺客一】 そうご説明でした。
【マクベス】 そうだったな。だがそれだけではなかった、実はそれが
きょうのわれわれの二度目の会合のポイントなのだ。君たちは
これをこのまま放置できるほど、それほどがまん強い性質なのだと、
自分自身を認めているのか? 君たちはこの善良な男のために、
おまけにその孫子《まごこ》のために祈るほど、それほど信心深いのか?
その重い手がのしかかって君らを墓場へと押し倒し、
君らの子孫を永久に乞食にしたというのに。
【刺客一】 われわれは男です、陛下。
【マクベス】 そうだな、額面だけは男として通用しているようだ。
犬にもいろいろある。猟犬、グレーハウンド、雑種、スパニエル、
野良犬、むく犬、粗毛の猟犬、狼と犬との交配種、
どれもみな犬という名でとおる。だが犬の値打ちによるカタログは
足の速い犬、遅い犬、りこうな犬、
番犬、猟犬などと、すべて「自然」の女神が
それぞれの犬に与えた天賦の才能にしたがって、
犬どもを区別する。それによってそれぞれの犬は、
十把一からげ的カタログとはまったく別に、
各自固有の名称をもらうのだ。人間とて同じことだ。
さあ、もし人間のカタログの中で君らの占める階級が、
人間の最低のものでないというなら、それを行動で示すと言え。
そうしたら君らの胸にひとつ仕事を打ち明けよう、
それを実行しさえすれば、君らの敵はさっぱりと取り除かれ、
君らは予の心と愛情とにしかと結びつけてつかわそう。
きやつが生きているあいだは予は健康でも病気同然だ、
奴が死んではじめて、完全に健康だと言える。
【刺客二】 私めは、陛下、
世の中のむごい仕ぐさ、仕打ちが何といたしましても
腹にすえかねておりますので、世間に一泡《ひとあわ》ふかすためなら、
かまうことはない、なんでもいたします。
【刺客一】 私とても同じこと、
不幸にこづきまわされ続く不運には飽き飽きしていますので、
ひとつ伸《の》るか反《そ》るか、チャンスがあれば命をかけて
やってみたいと思います。
【マクベス】 二人とも知ってのとおり、
バンクォウはこれまで君らの敵だった。
【刺客二】 そのとおりです、陛下。
【マクベス】 そして現在わしの敵だ。非常に危険な至近距離にいるので、
奴の生きている一分一分は、鋭い一本一本となって、
わしの急所を突いてくる。やろうと思えば公然と武力をもって、
奴をわしの目の前から追い払い、それがわしの意志だと宣言し、
それを正当化することはできる。だが、そうやってはならない。
奴にもわしにも親しい共通の友人たちがいて、
その連中の気持ちをわしは失くすことはできない。そればかりか、
自分で倒しておいてその死にわしは涙を流さねばならないのだ。
これがつまり、わしが君らの援助を求めて色目を使い、
種々の重大なる事情のため、このことをあえて
大衆の目に伏せておいた理由なのだ。
【刺客二】 わたくしどもは、陛下、
いかなるご命令も実行いたします。
【刺客一】 たとえそのためわれらが命が……
【マクベス】 君らの性根は顔に出ている。せいぜい一時間以内に、
どこに待ち伏せの根を張ればよいかを知らせよう、
事情を完璧に調査した上で、それを決行すべき正確な時刻を
君らに伝達することとしよう。ぜがひでも今晩やらねばならぬのだ。
しかもこの城から離れた場所においてだ。いいか覚えておけ、
このわしは手を汚すわけにはゆかんのだ。それにきやつといっしょに……
この仕事で球が外れたりヘマをやらかすことは許されぬ
きやつと行動を共にしている伜《せがれ》のフリーアンスめも、
この暗黒の運命を迎えなければならないのだ。
伜のほうを消すことも、父親のほうを消すこと以上に、
わしにとっては重要なのだ。さあ君らだけで、どうするか決めろ、
すぐにもどるぞ。
【刺客二】 われら決心はついておりまする、陛下。
【マクベス】 ではすぐに頼むぞ。あちらで待っていてくれ。〔刺客ら退場〕
決まったぞバンクォウ、もしもお前の魂が天国へ
飛んで行くというのなら、今宵こそいよいよそのときだ。〔退場〕
[#改ページ]
第二場 同じ場所 他の一室
〔マクベス夫人、一人の従者と共に登場〕
【マクベス夫人】 バンクォウは宮廷を出ましたか?
【従者】 はい王妃殿下。
しかし夜分にはもどりまする。
【マクベス夫人】 王様に伝えてほしい、
お暇なおりにちょっとお話したいことがございますと。
【従者】 承知いたしました、妃殿下。〔退場〕
【マクベス夫人】 手に入れたものは何もなし、何もかもが骨折り損、
望みは達してもそれに伴うべき満足感がないのでは。
殺される側にたったほうがずっと安泰、殺しによって
こんな不安なよろこびの中に生きるくらいなら。
〔マクベス登場〕
どうなさいました、あなた? なぜおひとりでいらっしゃる?
無残このうえない妄想だけを唯一のお相手として?
そのような不安なお考えは、その対象自体と共に
当然死ぬべきものではないでしょうか? 仕方のないものは
考慮すべきではありませぬ。すんだことはすんだこと。
【マクベス】 われわれは蛇に深傷《ふかで》は負わせたが、殺したのではない。
やがて治って元どおりになる。なさけないことだがこっちの悪巧みは、
これまでどおり毒牙の危険にさらされていることに変わりはない。
恐怖の中で食事を取り、眠れば恐ろしい夢に悩まされ、
夜ごとふるえが止まらない。こんな状態でいるくらいなら、
いっそ大宇宙も微塵《みじん》にくだけろ!
天上界も地上界も死滅してしまえ!
休みない心の乱れの中にいて心のかせの拷問台に乗るよりは、
死者の仲間入りをしたほうがよっほどましだ、
実はこっちの心の平和のために死後の平和の世界へと
送り届けてやったのだが。ダンカンは自分の墓にいる。
一生涯の熱病《おこり》の苦しみのあとで、彼はぐっすりと眠っている。
反逆は最悪のことをやりとげた。鋼鉄も毒も、
内憂も外患も、いかなるものももはや彼に
手を触れることはできない!
【マクベス夫人】 おやめになって。
さああなた、そんな恐ろしいお顔をなさらないでください。
今晩のお客様にまじって明るく、愉快にしていてください。
【マクベス】 そうしよう。だからお願いだ、君もそうしてくれたまえ。
バンクォウにはとくに念入りな配慮を頼む。
言葉でも目でも彼を主賓として遇してほしいのだ。
このままではどうにも不安だ……
われらの栄誉はお追従《ついしょう》の流れにどっぷりと水浸し、
顔は心の仮面として、心の底で考えていることは
偽り隠していなければならんのだ。
【マクベス夫人】 そんなふうにはおっしゃらないで。
【マクベス】 おお俺の心のうちはたくさんのさそりでいっぱいだ!
君も知ってのとおり、バンクォウと伜フリーアンスが生きている。
【マクベス夫人】 だがあの人たちの命の借用証も期限は永久ではありません。
【マクベス】 そこにまだ望みがある。きやつらは襲える。
だから陽気にしていたまえ。コウモリがわびしい僧院のあたりを
飛びはじめる前に……魔女の女王、黒衣のへカテに呼び出されて、
固い殻に身をかためたかぶと虫が、眠たげな羽音をぶうんと立てて、
入り相《あい》の鐘の響きよろしく大あくびをさそう前に、
恐ろしいことをしでかしてやるぞ。
【マクベス夫人】 何をなさろうとしているのでしょうか?
【マクベス】 それについては何も知るな。かわいい奴だ、
すべて終わったときに大いに拍手してくれ。来たれ、夜の帳《とばり》よ、
哀れみを起こす日の目をすっぽりとおおってしまってくれ、
そして汝の血なまぐさい、目に見えぬ手によって、
きやつらの命の借用証を反古《ほご》にし、ずたずたに引きさいてくれ、
俺がいつも顔面蒼白なのもきやつらゆえ。光がかげる、カラスが
森のねぐらへ飛んで行く。
昼間のいいものが居眠りをし、まどろみ始める、
すると夜の暗闇の手先どもが獲物をめざして動き始める。
俺の言うことが飲みこめぬらしいな。だが黙っていてくれ。
悪に始まりしことがらは悪による以外に生きる術《すべ》なし。
さあ、いっしょに行ってくれ。〔退場〕
[#改ページ]
第三場 同じ場所 宮殿をとりまく王立公園の宮殿に通じる道すじ
〔三人の刺客登場〕
【刺客一】 だがお前に俺たちといっしょになれと命令したのは誰だ?
【刺客三】 マクベスだ。
【刺客二】 この男を怪しむ必要はない。この男の伝える指令も、
俺たちがこれからやらねばならぬということも、
俺たちが受けた命令どおりだ。
【刺客一】 じゃあいっしょになってくれ。
西の空にはまだ幾条かの日の光が輝いている。
行き暮れた旅人は遅くなって宿なしにならぬよう、
拍車を入れて急いでいる。そして俺たちの見張っている
当の張本人も近づいてくる。
【刺客三】 静かに! 馬の音がする。
【バンクォウ】 〔内側で〕おおい! 松明を持て!
【刺客二】 まちがいなくきやつ。ほかの者で、
今宵の宴会の来客のリストに乗っている者はすべて、
すでに宮廷に到着している。
【刺客一】 きやつの乗って来た馬が引き馬されて行く。
【刺客三】 あの道だとあと一マイルはある。だが彼はほかの連中と同様に、
ここで馬を降り、宮殿の門のところまでの近道を、
徒歩で行くことを常としている。
〔バンクォウおよび松明を持ったフリーアンス登場〕
【刺客二】 明かりが、明かりが!
【刺客三】 きやつだ!
【刺客一】 さあ、かまえろ。
【バンクォウ】 今宵は雨降りだ。
〔三人でバンクォウを襲う〕
【刺客一】 さあ、どんどん降らせろ。
〔刺客一は松明を消し、他はバンクォウを襲う〕
【バンクォウ】 おお陰謀だ! 逃げろフリーアンス、逃げろ、逃げろ、逃げろ!
そして敵《かたき》を討ってくれ! おお下司めが!〔死ぬ。フリーアンス逃げる〕
【刺客三】 誰だ明かりを消したのは?
【刺客一】 そうするはずではなかったか?
【刺客三】 一人しか殺《や》れなかった。伜めは逃げた。仕事のよりたいせつな半分を
俺たちは仕損じてしまったのだ。
【刺客一】 とにかく行こう、そしてやっただけのことを報告しよう。〔退場〕
[#改ページ]
第四場 宮殿内の広間
〔供宴の準備。マクベス、マクベス夫人、ロス、レナックス、その他の貴族、従者たち登場〕
【マクベス】 階級、順位は卿《けい》らご存じのとおり、席に着いてほしい、
たびたびはくり返しませんが、心からの歓迎の意を表します。
【諸卿】 感謝にたえませぬ陛下。
【マクベス】 予自身も客人のお仲間入りをさせてもらおう、
そして僭越《せんえつ》ながら主人役を勤めさせてもらうこととする。
女主人役としての王妃は玉座のほうだが、折りを見て、
諸卿への歓迎の言葉をお願いすることとしよう。
【マクベス夫人】 どうぞ私の代わりに、それを皆様に申し上げてください、
私も心から皆様方のお出でを歓迎しているのでございます。
〔刺客一が戸口に登場〕
【マクベス】 ご覧、客人たちはみな、心からそちに感謝しているのだ。
いずれの側も同人数。わしはまん中へすわることとしよう。
どうか心おきなく大いに楽しんでください。すぐもどります、
テーブルをまわして皆で大杯を傾けよう。〔戸口へ行く〕
顔に血が付いているぞ。
【刺客一】 それならバンクォウの血です。
【マクベス】 それなら奴の中にあるよりも、お前の外側に付いていたほうがいい。
きやつは片づけたか?
【刺客一】 陛下、奴の喉を掻《か》っ切りました。
私めがやってやりました。
【マクベス】 お前は喉掻きのいちばんの名人だ。
だがフリーアンスに同じようなことをした奴もりっぱだぞ。
それもお前がやったのなら、お前はまさに二冠王。
【刺客一】 申し上げます陛下……フリーアンスは逃げました。
【マクベス】 これでまた俺の熱病《おこり》がやってくる。さもなくば俺は完璧だった、
堅固なること大理石のごとく、確固たること巌《いわお》のごとく、
融通無碍《ゆうずうむげ》なることわれらを取り巻く大気のごとく
それが今は牢屋に入れられ、閉じこめられ、監禁され、小癩千万《こしゃくせんばん》な
不安と恐怖とに縛られている。だがバンクォウはだいじょうぶだろうな?
【刺客一】 はい陛下、だいじょうぶ確実に溝の中でおやすみです。
頭に二十か所も堀のような深傷を受けてです、
そのいちばん小さいやつ一つでも優《ゆう》に命取り。
【マクベス】 それはありがたい……
親蛇はそこに倒れている。逃げた小蛇は
その本性からやがて毒をたくわえるようになるだろうが、
今のところは牙はない。さがってよいぞ。明日朝、
また話し合うこととしようではないか。〔刺客一退場〕
【マクベス夫人】 わが君、
乾杯はどうなされたのでしょうか? 常に心からの
歓迎の気持ちが表わされない宴会ならば、それぞれが
会費を払ったパーティ同然です。ただ食べるだけなら家がいちばん。
外で食べるなら食事をおいしくするソースは心からのもてなし、
それがなくてはこんな会食は裸同然。
【マクベス】 よくぞ気がついてくれた!
では乾杯! われらの胃の健全なる働きのために、
その健康のために!
【レナックス】 陛下、お席についてくださいませんでしょうか?
【マクベス】 国中の栄えある貴顕・高官は全部一堂に会したことになる、
もしわが栄誉あるバンクォウ殿のご出席を得られたら。
〔バンクォウの亡霊登場、マクベスの席につく〕
なにか事故があったのであろうが、それに同情するよりはむしろ、
わしは彼の非礼を責めたい!
【ロス】 バンクォウ殿の欠席は、陛下、
自身の約束を違《たが》えた責むべき行為。陛下なにとぞ、
ご同席の栄誉をわれらにお与えくださいませんでしょうか?
【マクベス】 席がないぞ。
【レナックス】 ここにお席が取ってございます。
【マクベス】 どこに?
【レナックス】 ここにでございます陛下。なにゆえそのように驚かれまする?
【マクベス】 これをやったのは誰だ?
【諸卿】 なにをでございますか陛下?
【マクベス】 お前はわしがやったなどとは言えんぞ。そんなに振るな、
血ぬられた前髪を俺にめがけて。
【ロス】 諸卿よお立ちください。陛下はご不例であらせられる。
【マクベス夫人】 みなさん、どうぞおすわりください。主人はよくこうなります。
若いときからこうだったのです。お願いです、おすわりください。
発作はごく一時的のもの、一瞬のうちに
また元どおり元気な姿にもどります。皆様あまり気になさいますと、
かえって王のお気持ちを損い、発作を長びかせることにあいなります。
王にかまわず召し上がれ。〔傍白〕あなたはそれでも男ですか?
【マクベス】 そうだ、それも大胆なほう。悪魔を仰天させるような
恐ろしいものでもあえて見すえられるのだ。
【マクベス夫人】 まあごりっぱ!
これこそあなたの恐怖心を絵に描いてみせたもの、
これこそあなたをダンカンの所へ導いたとおっしゃった
空に描かれた例の短剣。このような激情の発作は
真の恐怖の名をかたるペテン師で、冬のいろり火の前、
おばあちゃんの加勢を受けてする女子供の物語にこそ
まこと似つかわしいもの。あなたはまさに恥の化身!
なぜそのようなお顔をなさるのです? すべてすんでしまえば、
あなたは椅子の上をご覧になっているだけのこと。
【マクベス】 あれを見てくれ!
それ! あれを見よ! それ! どうだ、あれでも言うことはないか?
なにがこれしきのこと! うなずけるくらいなら何か言え……
もし納骨堂や墓が、われわれの埋めた連中をまたこの世の中に、
送りもどすということになると、いっそ墓には埋めないで、
とんびに食わしたほうがずっとましだ。
〔亡霊消える〕
【マクベス夫人】 まあ! ばかばかしい、それでも男?
【マクベス】 ここに立てば、きやつが見えた。
【マクベス夫人】 ばかばかしい! 恥をお知りなさい!
【マクベス】 これまでも人の血は流されてきた、古い昔、
人間が法令を制定して国から暴力を追放する以前の昔にも。
そうだ、それからそれ以後も、耳にするだに無残な殺しが
ずっと行なわれてきた。だが昔は脳味噌が叩き出されれば、
それで人間は死んでしまったものだ、そしてそれで
万事は終わりだった。ところがどうだ、今では
脳天に二十もの致命傷を受けながら、きやつらはまた立ち上がる、
そしてわれわれを椅子から押しのける。かかる殺しもさることながら、
これはまた実に奇々怪々と言うべきだ。
【マクベス夫人】 わが君、ご友人諸卿がお待ちかねです。
【マクベス】 うっかり忘れていた……
そんなに訝《いぶか》しい目つきでわしを見ないでくれたまえ、貴族諸卿よ、
わしには奇怪な持病があるのだ、そのことを知っている者は、
なんとも思わないのだが。さあ諸君に歓迎の意を表し、健康を祝そう。
諸君全員への乾杯がすんだらすわろう。酒を注いでくれ、なみなみと。
会食者全員の幸福のために乾杯!
〔亡霊再登場〕
みなさん方のために! その出席が熱望されるわが友のために!
それからみなさん方お互いに乾杯を。
【諸卿】 国王陛下への忠誠を誓って乾杯!
【マクベス】 下がれ! 目に入らぬ所へ消えて失せろ! 墓の中へもどれ!
お前の骨には髄がない、お前の血は凍りついている。
目ばかりぎょろつかせているが、お前のその目には
ものを見る力はない。
【マクベス夫人】 どうか皆様方、これは常日ごろ
ふつうのこととお考えください。それに相違ございません。
ただ残念なことはその場の興を殺《そ》いでしまうことです。
【マクベス】 男ならやるということなら、俺はやるぞ。
どう猛このうえないロシア熊の格好で近づいて来るなら来い、
甲冑で身を固めた犀《さい》、それともハーケイニアの虎、
その格好以外のものなら何でもよい、それならこの俺の強い筋肉が、
打ち震えることなどは断じてないぞ。さもなくば生き返って来い、
そしてそのほうの剣を持って人跡まれな場所で俺にいどめ、
もしそのときこの俺が震え上がっていたなら、天下に公言してよいぞ、
俺は赤ん坊のような女子どもにすぎんのだと。下がれ、恐ろしい影め!
実体なきまぼろしめ、下がれ!〔亡霊消える〕
そうだ、それでよし……行ってしまえば、
俺はまた元どおり男だ……どうか着席していてほしい。
【マクベス夫人】 ひどい取り乱しようであなたは興を殺《そ》ぎ、
宴会をだめにしてしまいました。
【マクベス】 あんなものが現われて、
夏の日の雲のごとく悠然とわが頭上を通りすぎて行くのに、
平然といっこうに驚かないでいられるか? 君を見ていると、
俺自身の生まれつきの本性までもわからなくなってくる。
いまあんな恐ろしいものを目の当たりにして、しかも君は
両の頬《ほお》はルビー色、平素の顔色ひとつ変えないようだ、
この俺は恐怖で真っ青だというのに。
【ロス】 どんな恐ろしいものですか、陛下?
【マクベス夫人】 どうかお話しかけにならないで。ますますひどいようです。
質問は発作をひどくするばかりです。皆様、お休みなさい……
退席の順番などお待ちになる必要はございません、
直ちにお引き取りください。
【レナックス】 お休みなさいませ。陛下のご健康を心から
お祈り申し上げます。
【マクベス夫人】 皆様方に心からお休みなさいと申します。
〔貴族、従者たち退場〕
【マクベス】 それは必ず血を呼ぶということだ。血は必ず血を呼ぶのだ。
死体の上の石が動いたということだ、樹木が話したということだ。
鳥占いや、それによる自然の秘密の因果関係を知る法が、
カササギや、しゃべり鳥や、深山《みやま》ガラスを使って、
極秘の血なまぐさい殺人者をつきとめたこともある。どれほど夜はふけたろう?
【マクベス夫人】 夜と朝とのほとんど境い目、どっちとも言えませぬ。
【マクベス】 君はどう思う? マクダフが国王たる予の命令に反して、
顔を見せなかったことを?
【マクベス夫人】 使いの者はお出しになったのでしょうか?
【マクベス】 たまたまその旨を耳にしたのだ。だが念のため使いを出そう。
ああいう連中の家にはわしが手なずけた下僕が、
一人くらいは必ずおいてあるのだ。明日の朝早々に、
わしは例の運命の女神姉妹たちのところへ行ってくる。
もっとしゃべらせるのだ。今となってはたとえ最悪の手段によっても、
たとえ最悪の事態でも、俺はぜがひでも知りたい。俺の利益のためには、
他のあらゆることは犠牲にするのだ。すでに血の河にここまで
足を踏み入れてしまった以上、これ以上|渉《わた》るべきではないとしても、
引き返すことは、さらに進むこと以上に億劫《おっくう》だ。
おどろくべきことを俺は考えている、すぐ実行に移すのだ。
あれこれ勘案することなく直ちに行動に移さなければならない。
【マクベス夫人】 あなたは眠りが必要です、われわれの命を支える眠りが。
【マクベス】 さあ眠ることにしよう。わしのおどろくべき自己欺瞞は、
まこと初心者のいだく恐怖心。まだまだ厳しい訓練が必要だ。
われわれは行動の面ではまだ若輩にすぎない。〔退場〕
[#改ページ]
第五場 ヒース茂った荒野原
〔雷鳴。三人の魔女登場してヘカテに会う〕
【第一の魔女】 おや、どうしたのですヘカテさん? 怒ったような顔をして?
【ヘカテ】 当たり前だよ、しわくちゃばばあめ!
ずうずうしくも生意気にも、よくもお前たちは
生きる死ぬの問題、その謎を
マクベス相手に取り引きをしたな?
お前たちの魔法の主、
すべての危害の陰の考案者たる
このわたしをば出しぬいて?
われらが栄えある術を披露もさせずに?
しかもさらに悪いことは、お前のしたことは、
すべてあの意地の悪い、怒りっぽい、
気紛れ息子のためばかり。あいつも他の連中と同じこと、
かわいいのは自分のことだけで、お前たちではない。
だが今こそつぐないをしろ。これから出かけて、
アケロンの洞穴で朝早くに、
わたしといっしょになるのだ。そこへあいつが、
自分の運命知りたさにやってくる。
お前たちの大釜も、呪文も用意しろ。
呪いも、そのほか何もかも。
わたしは空を飛んで行く。今夜一夜は
不吉で悲惨なことに使うのだ。
正午《ひる》前までに終わらねばならぬ大仕事。
月の面《おもて》の片隅にかかる
不思議な魔力の蒸気の一滴、
地に落ちる前に受けとめて、
それを蒸溜するは魔術の手練《しゅれん》。
かくて造り上げたる魔法の幻影、
その魔性の力によって、
あいつをば破滅にみちびくのだ。
あいつには運命を蹴飛ばし、死をさげすみ、あまつさえ
人知、天恵、恐怖の枠をもはるかに越えた野望を抱かせてやるぞ。
お前たちみんなも知ってのとおり、慢心は
生あるものの最大の敵なのだ。〔内側で音楽と歌〕
聞け! わたしを呼んでいる。見よ、わたしの使い魔たちが、
霧雲の中にすわって、わたしが行くのを待っている。〔退場〕
〔内側で歌、「こっちへおいで、こっちへおいで」など〕
【第一の魔女】 さあ、われわれも急ごう、へカテはすぐにもどるだろう。〔退場〕
[#改ページ]
第六場 スコットランドのどこかで
〔レナックスと一人の貴族登場〕
【レナックス】 わたしが前に言った言葉は君の考えと一致している。
だがそれ以上のことは君自身で解釈してくれたまえ。ただわたしは、
事態はまことおどろくべき方向に進められてきたと言うだけだ。
慈愛深きダンカンはマクベスに悼《いた》まれた。事実、彼は亡くなった!
そして勇敢なるバンクォウは、夜分あまりにも遅く出歩いた。
伜フリーアンスが彼を殺したのだと言って言えぬこともない。
フリーアンスは逃げてしまったのだから。夜遅くの出歩きは危険!
いったい誰がこれを見て鬼畜の行為と思わないでいられるというか?
二人の伜マルカムとドンルベインが人もあろうに、
その慈愛深き父親を殺してしまったのだから。なんたる恐ろしい罪!
それがどんなにかマクベスを悲しませたことか! 彼は立ちどころに、
忠義心からの怒りのあまり、酒の奴隷、眠りのとりこになっていた
職務怠慢の二人の下手人を、斬り裂いてしまったではないか?
まことあっぱれな行動ではなかったか? そうだ、おまけに賢明だ!
あの連中が自分らはやらなかったと否定するのを聞けば、
人間なら誰だって憤激するに決まっているからだ。だからあえて言う、
彼は何もかも実にうまく処理したのだ。真実わたしは思う、
もし万一、彼がダンカンの息子たちを手中におさめたら、
(すべては天意、そうはならないだろうが)彼らは
父親殺しがどういうことかを思い知るだろう! フリーアンスまたしかり!
だが多言無用! 歯に衣《きぬ》を着せぬ言葉づかい、それに加えて
例のタイラントの宴会に姿を見せなかったという理由で、
マクダフは王の不興をこうむったということだ。君はいま、
彼がどこに身を隠しているかを知ってるか?
【貴族】 このタイラントに
生得の権利を奪われてしまった王ダンカンの息子は
目下イギリスの宮廷に身を寄せている。そして彼は
敬謙なる王エドワードの手厚い庇護を受けています。
おかげでいかなる運命の痛手を受けようとも、彼の尊厳は
いささかも傷つけられてはいません。マクダフはそこへ赴《おもむ》いたのです。
聖なる国王に願って、マルカム援助のため、ノーサンバランド伯、
および武勇にはやるシューアードに軍を起こしてもらおうがため。
かくしてわれらはこれらの援助の下、(かてて加えて
このことをみそなわす上天のご加護を得て)ふたたび、
われらの食卓に食物を、われらの夜に安眠をもたらし、
われらの饗宴、宴会の席から血なまぐさい刃物を取りのぞき、
国王に心からなる忠節を尽くし、そしてありがたき恩賞を受けられるのです。
これらはすべてわれらが心から待ち望むもの。そしてこの知らせは、
マクベスをひどく激昂《げっこう》させ、そのため彼はついに、
なにがしの戦争準備をしています。
【レナックス】 マクダフには使いを?
【貴族】 出しました。そして「私は参れません」ときっぱり断わられて、
憂うつな顔つきの使いの者はくるり背を向け、
「こんな返答で私を困らせると、いまに悔やみます」
とでも言うかのごとくつぶやきました。
【レナックス】 それはいみじくも、
思慮のおよぶ限りマクベスから距離を保つようにとの、
マクダフヘの警告であるわけだ。どの天使でもよい、
どうかイギリスの宮廷へ飛んで、マクダフの到着以前に
彼の使命を伝えてほしい! そして神の祝福が急速に
呪われた手の下で呻吟するわが祖国スコットランドに
またもどって参りますように!
【貴族】 わたしもその天使に祈りを托そう。〔退場〕
[#改ページ]
第四幕
第一場 暗い洞穴
〔まん中に煮えたぎる大釜。雷鳴。三人の魔女登場〕
【第一の魔女】 三度、三度、黒茶のしま猫が鳴いた。
【第二の魔女】 三度と一度ハリネズミが泣いた。
【第三の魔女】 ハーピァー(怪物鳥)が声たてた。……時間だ、時間だ。
【第一の魔女】 ぐるぐるまわれ、大釜のまわり。
毒の材料を投げこもう。……
冷たい石の下、三十と一の夜と昼、
たらりたらりと毒の汗流し、
眠ってるところをつかまったヒキガエル。
魔法の鍋でまず煮てやろう。
【全部の魔女】 骨折り苦労は倍の倍。
釜の火燃えろ、釜は煮え立て。
【第二の魔女】 沼地の蛇の肉ひと切れ、
煮えろ、焼けろ、釜の中。
イモリの目にカエルの指。
コウモリの毛に犬の舌。
蝮《まむし》の毒牙にヘビトカゲの針。
トカゲの脚にズクの羽。
苦労を起こす強いまじないとなれ、
地獄の吸い物よろしく煮えろ、煮え立て。
【全部の魔女】 骨折り苦労は倍の倍。
釜の火燃えろ、釜は煮え立て。
【第三の魔女】 竜のうろこに狼の歯、
魔女のミイラ。塩水の海で人を食った
サメの食道に胃袋。
闇夜に掘った毒にんじん。
神をののしるユダヤ人の肝臓。
山羊の胆のうに月食のときに
おろされたイチイの小枝。
トルコ人の鼻に韃靼《ダッタン》人の唇。
淫売女にみぞに産み落とされ、
首絞められた赤ん坊の小指。
粥《かゆ》を濃く、粘っこく煮つめろ。
それに加えろ虎のはらわた、
釜の中身にもう一つおまけだ。
【全部の魔女】 骨折り苦労は倍の倍。
釜の火燃えろ、釜は煮え立て。
【第二の魔女】 ヒヒの生き血でそれを冷ませ。
これで呪いはしっかりとできた。
〔ヘカテ、さらに三人の魔女と共に登場〕
【ヘカテ】 おおよくやった。骨折りご苦労、
みいりはみんなに分けてやる。
さあ釜のまわりをまわって歌え、
こびとや妖精のように輪になって、
入れた中身に呪いをかけよう。
〔音楽と歌、「黒い妖精」など。ヘカテおよびヘカテと共に登場した三人の魔女退場〕
【第二の魔女】 親指がちくちく痛む、
よからぬものがやってくる。〔戸を叩く音〕
外れろ、錠前、
叩くのが誰だろうと。
〔マクベス登場〕
【マクベス】 これどうした、汝ら秘密の、暗黒の、真夜中の老婆ども!
お前らのしていることは何だ?
【全部の魔女】 名なしの行為。
【マクベス】 わしは命じる、汝らが身につけている術にかけて、
いかにしてそれを知るにいたったかは問わぬが、答えよ。
たとえお前らが四方の風を解き放ち、その暴風をして
教会と戦わせようと、たとえ泡立つ万里の波濤が
航海中の船を難破させ、海底深く呑みこんでしまおうとも、
たとえ穀物が穂の出ぬまま打ち倒され、樹木が吹き倒されようとも、
たとえ城塞がそれを守る者の頭上に崩れ落ちようとも、
たとえ宮殿が、またはピラミッドがその頭部を
土台のほうへ打ち傾けようとも、たとえ自然の宝、
万物生成の根本の理法がみなすべて崩れ去ろうとも
かくしてついには破壊でげんなりしてもよい、答えよ、
わしの尋ねることに。
【第一の魔女】 言え。
【第二の魔女】 尋ねよ。
【第三の魔女】 答えてやろう。
【第一の魔女】 言え、お前はわれらの口からそれを聞きたいのか、
それともわれらの親方からか?
【マクベス】 親方を呼んでくれ、会わせてくれ。
【第一の魔女】 雌豚の血を流しこめ、自分が生んだ
ひと腹九頭をのこらず食ってしまった奴のをだ。
人殺しの絞首台から垂れたあぶらを、
炎にくべろ。
【全部の魔女】 さあおいで、どこにいる?
お前の姿と仕事を上手にお見せ。
〔雷鳴。第一の幻影、武装した首〕
【マクベス】 言え、汝、未知の力よ……
【第一の魔女】 あれはお前の気持ちを知っている。
あれの言うことを聞け、お前は何も言うな。
【第一の幻影】 マクベス! マクベス! マクベス! マクダフに気をつけよ。
ファイフの領主に気をつけよ。もう放免してくれ、たくさんだ。〔第一の幻影消える〕
【マクベス】 お前が何であろうと、親切な警告には感謝する。
お前は俺の恐怖を言い当てた。だがもう一言、……
【第一の魔女】 あれは命令されるのをきらう。さあおつぎの登場、
一番目よりもっと強力だ。
〔雷鳴。第二の幻影、血だらけの子ども〕
【第二の幻影】 マクベス! マクベス! マクベス! ……
【マクベス】 耳が三つあったら全部で聴きたい。
【第二の幻影】 残酷に、大胆に、そして断固とやれ。人の力を
大いにさげすみ笑え、なんとなれば女から産まれた者は誰一人、
マクベスを損なうことはあり得ない。〔第二の幻影消える〕
【マクベス】 では生きていろ、マクダフ。お前なんか恐れる必要があるものか。
だが待てよ、念には念を入れておく必要がある。
運命の女神から証文をひとつ取っとこう。お前は生かしとけぬ。
青ざめた俺の心臓にうそをつくなと言ってやり、
雷が鳴っても平然と眠れるように。……
〔雷鳴。第三の幻影、王冠を戴いた子ども、手に木の枝を持っている〕
これはなんだ?
王の後継者という格好で現われて来たではないか?
その子どもの額《ひたい》には環が巻かれているではないか?
まぎれもない王権のシンボルだ。
【全部の魔女】 黙って聴け、話しかけてはならぬ。
【第三の幻影】 すべからく獅子の気位をもち、誇り高くあれ、
誰が怒り誰がいらだとうと、謀反人《むほんにん》がどこにいようと、
いっさい気にかけるな。マクベスが滅びることはあり得ない、
大いなるバーナムの森がいと高きダンシネインの丘へ、
マクベスめがけて動くまで。
【マクベス】 それは絶対にあり得ぬ。
いったい何人《なんぴと》が森を軍隊に召集できるか? 大地に縛られた樹木に、
その根を抜き取れと命令できるか? すばらしい予言だ! 善い予言だ!
反抗する死人め! ゆめ二度と立ち上がるな。バーナムの森が
動き出すまで。そしてわがいと高き座に位するマクベスは、
「自然」からの生命《いのち》借入れ期間をまっとうし、最後の息は
天命に、自然死に払いもどすことになるのだ。だが俺の心は
ひとつのことを知りたがって鼓動を高鳴らせている。言ってくれ
(もしお前の術でそこまでわかるなら)、バンクォウの子孫が
この国を治めることがあるかどうか?
【全部の魔女】 それ以上知ろうとするな。
【マクベス】 なにがなんでも答えが知りたい。これを拒んでみろ、
お前たちには永遠の呪いをかけてやるぞ。教えてくれ。
釜はどうして沈むのだ? それにこの音楽はなんだ?〔オーボエの音〕
【第一の魔女】 見せろ!
【第二の魔女】 見せろ!
【第三の魔女】 見せろ!
【全部の魔女】 奴の目に見せろ、奴の心を嘆かせろ。
影のように現われ、影のように消えて行け。
〔八人の王の行列、最後の一人は手に魔法の水晶の玉を持っている。最後にバンクォウの亡霊がついている〕
【マクベス】 お前もまたバンクォウの亡霊のようだ、下がれ!
お前の王冠は俺の目を焼き焦がす。ところでお前の髪は、
お前の額も金環に巻かれているが、最初のにそっくりだ……
三番目のも前のと同じようだ。汚らわしい婆《ばばあ》どもめ!
なぜこんなものを俺に見せるのだ? 四番目か? 目の玉よ飛び出ろ!
おい! この系譜は最後の審判のラッパが鳴り響くまで続くのか?
まだあるのか? 七番目か? 俺はもう見る目を持たんぞ……
まだ八番目が出てきやがる。これは手に魔法の水晶の玉を持っている。
その中にはもっともっと映ってる。その中のあるものは、
二つの宝珠と三つの王笏《おうしゃく》とを携《たずさ》えているのが見える。
なんたる恐ろしい幻影だ! いまこそこれが事実だと俺にもわかった。
血で髪をかたまらせたバンクォウが俺を見てにっこり笑ってるぞ、
そして、これはみな自分のものだと指さしている。おい! そうだろう?〔幻影消える〕
【第一の魔女】 そうだ、すべては事実。だがどうして
マクベスはこうも呆気《あっけ》に取られているのだろうか?
さあみんな、あれの気分を引き立ててやろうじゃないか、
いちばんおもしろいものを見せてやろうじゃないか。
わたしが空気を魅惑して音楽を奏でさせよう、
みんなはみんなで、魔女の踊りを踊っておくれ。
きっとこの大王様はおっしゃってくださるに違いない、
われらの忠勤は王様のご歓迎にじゅうぶんお返しができたと。
〔音楽。魔女たち踊る。そして消える〕
【マクベス】 連中はどこだ? 消えたか? この邪悪なときは、
今後永久に暦のなかで呪われていろ! ……
はいれ、外の者!
〔レナックス登場〕
【レナックス】 お呼びでござりましょうか陛下。
【マクベス】 運命の姉妹たちを見たか?
【レナックス】 いいえ見かけませんでした。
【マクベス】 君のそばを通らなかったか?
【レナックス】 通りませんでした陛下、事実です。
【マクベス】 きやつらの乗って行く空気は病毒で汚れてしまえ!
きやつらの言うことなど信用する奴はみんな地獄へ落ちろ!
駆け足の馬の蹄《ひづめ》の音が聞こえたが? だれが参ったのだ?
【レナックス】 二、三の使いの者が陛下にお知らせを持って参りました、
マクダフがイギリスヘ逃げた由にござりまする。
【マクベス】 イギリスヘ逃げたと?
【レナックス】 さようにござりまする。
【マクベス】 〔傍白〕時よ、お前はいつも俺の恐ろしい仕事の先手を打つ。
羽のはえたもくろみは動作がそれについてゆかない限り、
絶対に追いつくことはできない。いまこの瞬間からは、
俺の心に生まれた初児《ういご》はこれをすぐさま実行に移して、
俺のこの手の初児としなければならぬ。今の今とて、
俺の考えに行動の王冠を戴せるため、思いついたことはすぐ実行だ。
マクダフの居城に不意討ちを食わせてやるのだ、
ファイフを急襲するのだ。きやつの妻と子どもら、
それにかわいそうだが、血のつながりを持つすべての奴らを、
刃《やいば》にかけてしまうのだ。バカ者よろしく大言したところで何もならぬ。
このことは断固やるぞ、このもくろみが冷めぬうちに。
ただ幻影だけはもうたくさんだ! 使いの人たちはどこにいる?
さあ、そこへ案内してくれ。〔退場〕
[#改ページ]
第二場 マクダフ居城の一室
〔マクダフ夫人、その息子、ロス登場〕
【マクダフ夫人】 なにをしでかしたと言って国から逃げ出したのでしょうか?
【ロス】 堪《た》えてください奥さん。
【マクダフ夫人】 あの人は堪えなかったではありませんか?
逃亡するなんて気違い沙汰です、実際には何をしなくても、
恐れていれば謀反人にされます。
【ロス】 奥さんご存じないのです、
それが思慮からか、それとも恐怖からしたことか。
【マクダフ夫人】 思慮ですって! 自分の妻を、自分の子どもを、
自分の城を、自分の領地を、自分自身が逃げ出す場所に
置き去りにしておくことがですか? あの人はわたしたちを愛していない。
あの人には自然の愛情が欠けているのです。鳥のうち最もささやかな
あのミソサザイでさえ、子どもを巣にかかえていれば、
襲ってくるフクロウには断固戦いを挑みます。
すべては恐怖からで、わたしどもへの愛情などは微塵もありませぬ。
しかもこんなふうに逃亡するとは道理にもなにもかないません、
思慮も愛情同様知れたものです。
【ロス】 後生ですから、
ご自分をもう少し押えてください。そうおっしゃいますが、
ご主人はりっぱな、賢明な、先見の明あるおかたです、
今の世の発作を……最もよくご存じなのです。もうこれ以上は話せません。
ただ、残酷なのは今の時勢です。自分が謀反人と言われても
なぜそうか自分でもわからない時勢です。うわさを信じるのも
ただ恐怖から、それでいて何を恐れているのかは知らないのです。
われわれはただ荒れ狂う海上に、あちらこちらと、
漂っているばかりなのです。では失礼いたします。
またじきにここへもどって参ることといたします。
最悪の事態というのは、それが最低か、または
元の状態へまた上がるか、どっちかです。じゃあ君、
君に神様の御恵みがありますように!
【マクダフ夫人】 父親がありながら、なきも同然。
【ロス】 これ以上長居をしますと、わたしはとんだ愚か者、
涙を見せてはわたしの恥、あなたにとっても不愉快でしょう。
ではこれで失礼をばいたします。〔退場〕
【マクダフ夫人】 お前、おとうさんはもう亡くなったのです。
これからどうします? どうして生きていきますか?
【息子】 小鳥のようにです、おかあさん。
【マクダフ夫人】 ええ、虫や羽虫を食べて?
【息子】 なんでも手に入るものをです、小鳥たちはそうしてます。
【マクダフ夫人】 かわいそうな小鳥! お前は鳥網も、もちも、わなも、仕掛けも、
なにも恐がろうともしない。
【息子】 どうして恐がらなくてはいけないの?
かわいそうな、つまらない鳥なんか猟師は狙いはしません。
おとうさんは亡くなりはしません、おかあさんが何とおっしゃったって。
【マクダフ夫人】 いいえ亡くなりました。おとうさんがほしかったらどうする?
【息子】 おかあさんこそ夫がほしかったらどうします?
【マクダフ夫人】 そりゃおかあさんなら、どんな市場だって二十人くらいは買えますよ。
【息子】 ではおかあさんはまた売るために二十人も買うのですね。
【マクダフ夫人】 お前は知恵のありったけで話しているんだね。
でもほんとのところ、年の割にはお前は知恵がおありだ。
【息子】 おとうさんは謀反人だったの、おかあさん?
【マクダフ夫人】 ええそうだったの。
【息子】 謀反人ってなあに?
【マクダフ夫人】 つまり誓いを立ててそして嘘をつくことよ。
【息子】 そうする人はみんな謀反人なの?
【マクダフ夫人】 そうする人は誰でも謀反人、首を絞められなければなりません。
【息子】 誓いを立てて嘘をつく人はみんな首を絞められなけりゃいけないの?
【マクダフ夫人】 誰でもよ。
【息子】 誰がその人たちの首を絞めるの?
【マクダフ夫人】 そりゃ正直な人たちよ。
【息子】 そんなら首絞められる人たちはバカみたい。嘘をつく人、誓いを立てる人は正直な人よりずっと数が多いんだから、正直な人を打ち負かして首を絞めてしまえばいい。
【マクダフ夫人】 なんと頭のいい子だ、神よこのうえともご加護を! だがおとうさまがほしければお前はどうする?
【息子】 おとうさんが亡くなれば、おかあさんは泣くでしょう。おかあさんが泣かなければ、それはもうすぐ僕に新しいおとうさんができるというよい証拠。
【マクダフ夫人】 かわいそうなおしゃべりさん、お前さんは何というおしゃべりなんだろう?
〔使者登場〕
【使者】 おお奥様! 私は奥様にはまだお見知りおきをいただいてはおりませんが、
私のほうでは奥様の高貴なご身分よくよく存じております。
じつはある危険が奥様の身近に迫っているのでございます。
もし手前どもの忠告をお聴きいれくださるならば、
ここにいらっしゃってはなりませぬ。お子様ともどもお逃げください。
このようにお驚かし申し上げるのはまこと野蛮千万ですが、
これ以上の悪事をあなた様に企むなどはまさに鬼畜のふるまい、
しかもそれがごく身近に迫っているのです。神よ、なにとぞお守りください!
これ以上はここには止まれません。〔退場〕
【マクダフ夫人】 どこへ逃げろというのだろう?
わたしは何も悪いことはしていない。だが、いまこそ思い当たる、
わたしはあくまでも地上界におるのだ。ここでは悪事を企むことが、
しばしば賞賛に値するとされる。善いことをすることは、ときに、
危険にして愚かな行ないと考えられる。それならなぜ、おお!
こんな女々しい言いわけをわたしはここで述べたてるのだろう?
悪いことはしていないなどと言って? この恐ろしい顔つきの人たちは?
〔刺客ら登場〕
【刺客】 お前の主人はどこにいる?
【マクダフ夫人】 お前のような者が見つけられるような、
そんな汚らわしい場所には絶対におりませぬ。
【刺客】 きやつは謀反人だぞ。
【息子】 うそだ、この毛むくじゃらの悪者!
【刺客】 おのれこの卵めが!〔息子を刺しながら〕
謀反者の雑魚《ざこ》めが!
【息子】 僕は殺された、おかあさん早く逃げて、お願い!〔死ぬ〕
〔マクダフ夫人、「人殺し!」と叫びながら退場。刺客らそれを追って退場〕
[#改ページ]
第三場 イギリス 王宮の一室
〔マルカムおよびマクダフ登場〕
【マルカム】 どこかわびしい物陰を見つけましょう、そしてそこで
悲しいわれらの胸の中、存分に泣いて晴らしましょう。
【マクダフ】 いやむしろ
必殺の剣をしかと握り、栄えあるつわものにふさわしく
仆《たお》れた祖国を防ぎ守ろうではありませんか。新しい朝を迎えるごとに
新しい未亡人が泣き叫び、新しい孤児が泣いています。
新しい悲しみは天の顔を打ちのめし、ために天はこだまし、
あたかもスコットランドと共に苦しみ、同じ悲しみの声で
泣きわめいているようです。
【マルカム】 事実だと信じられるなら嘆きもしましょう。
わかっていることなら信じもしましょう。わたしが正すことのできることは、
よい時機を見つけしだい、そうすることにしましょう。
あなたのおっしゃったことは、たぶん、そうなのだと思います。
あの名前を言っただけでも舌にできものができそうな暴君《タイラント》も、
かつては栄誉の士と考えられていた。あなたは彼に忠誠をもってつかえて来た。
じじつ、彼はまだあなたには手を触れていない。わたしは若いが
あなたはわたしを種にして彼に取り入ることもできる。そして
このか弱い、貧弱な、罪のない小羊を差し出して、
怒れる神を宥《なだ》めることは賢明とも言える。
【マクダフ】 わたしは謀反人ではありませぬ。
【マルカム】 だがマクベスはそうです。
いかに善良にしてかつ高潔なる人士も、
帝王の命令にはひるむもの。いや失礼の段お許しください。
わたしがどう思おうとあなたの本性は変えられるものではない。
天使たちは、いちばん光ったのが地獄に落ちた後も、依然として輝かしい。
すべての汚らわしいものが競って美徳の額を装おうとも、
美徳自身はみずからの姿を変えてはならない。
【マクダフ】 わたしは希望を失いました。
【マルカム】 たぶんその性急さです、わたしが疑問と考えているのは。
なぜあなたは貴い愛情の根源、愛の強い絆である
あなたの奥さんや子どもさんを、保護者もないままに捨てたのですか?
別れのあいさつひとつもしないで? ……だがお願いします、
わたしが抱いている疑惑をあなたの不名誉などと考えないでください、
わたしの自己防衛にすぎないのです。わたしがどう考えようと、
あなたが完全に正しいのかもしれません。
【マクダフ】 血を流せ、血を流せ、祖国よ!
強大な暴政よ、汝の基礎をしっかりと築け、
善政は汝を妨害しようとはしないのだから。汝の悪行を誇るがいい。
暴君王としての称号は確認された! では殿、さらばでございます。
わたしはあなたの考えているような悪党にはなりたくありません、
あの暴君の掌握下にある全領域をもらっても、それに
豊かな東方をおまけにしてくれてもごめんです。
【マルカム】 腹をたてないでほしい。
わたしは絶対的にあなたを怖れている者として言っているのではない。
わたしはわが祖国が暴政のくびきの下に沈んでいると思う。
祖国は泣き、血を流している。毎日、日が改まることに、
新しい深傷《ふかで》がこれまでの傷に加えられている。それにわたしは思う、
わたしのために揚げられる手も必ずやあることだろうと。
ここイギリスにおいても慈悲深きエドワード王からは、
数千の精鋭の提供を受けている。しかしながらこれにもかかわらず、
わたしがこの暴君の頭を踏みつけたり、または
その首をわたしの剣先に突き刺すようなときが来れば、
かわいそうに祖国はこれまで以上の悪事悪徳を経験するだろう、
これまで以上に多くの面で、これまで以上に苦しむだろう、
その後を継ぐ者のために。
【マクダフ】 いったいそれは誰のことでしょうか?
【マルカム】 それはつまりわたし自身です。わたしは知ってるが、
わたしの中にはあらゆる悪徳の接穂《つぎほ》が植えつけられている。
だからその芽が開けばあの黒一色のマクベスでさえも
雪のごとくに真っ白に見えるだろう。かくしてかわいそうにわが祖国は、
わたしの際限ない悪行の数々と比較して、彼マクベスをば
小羊として仰ぎ見ることでしょう。
【マクダフ】 恐ろしい地獄の
全部の住民の中にだって、悪においてマクベスを凌駕《りょうが》するような
そんなひどい悪魔が現われようとは思われません。
【マルカム】 なるほど彼は
残酷にして好色、貪欲にして虚偽、欺瞞の人間であり、
短気で悪辣《あくらつ》、およそ悪と名のつくあらゆるものを
身につけている。だがこのわたしの淫蕩ときては
底がない、まったくない。スコットランドじゅうの人妻、娘、
既婚の婦人、未婚の乙女もわたしの欲情という水槽を
いっぱいにすることはできなかった。わたしの欲望は
それを塞《せ》き止めようとする節操のあらゆる障害物を、
簡単に押し流してしまうでしょう。マクベスのほうがずっとましです、
こんなのが国を支配するよりは。
【マクダフ】 際限のない不節制は
人間という一小王国内の暴政です。それがもとで
幸福なるべき王位が時ならず空位にされ、幾多の王が
没落の憂き目に会いました。だが自分のものを自分が取るのに、
なんの気づかいの必要もありません。お楽しみはこっそり
人目につかぬところで、あり余るほどふんだんになさって、
しかもまじめなふりをしていればよい。それで世間はごまかせます。
自分から喜んで応じる女性はたくさんいます。いかに貪欲な禿げ鷹が
あなたの中にいようとも、国王のそういう好みを知って、
自分の身を王に捧げようとする多くの女性全部を
食べ尽くすことはできません。
【マルカム】 いや、まだあるのだ。
生まれつき最も出来の悪いわたしの性質の中には、
飽くことを知らぬ貪欲が巣くっていて、万一わたしが王にでもなれば、
わたしは貴族の領地目当てに彼らの首をはねるだろう。
ある者はその宝石を狙われ、また他の者はその家屋敷を狙われる。
ところがわたしは持てば持つほど、あたかも料理にソースをかけたように、
わたしの食欲はますます貪欲になるのだ。かくしてわたしは
善良にして忠誠なる良民にけんかを仕掛け、財産目当てに
彼らを滅ぼすことになるだろう。
【マクダフ】 貪欲というものは、
熱いが短い期間の夏のような情欲に比べればずっと根が深く、
有害な根を張るものです。これが原因で多くの王が
剣に倒されました。しかしご心配には及びません。
スコットランドにはあなたの欲望を満たす豊富な物資があります、
すべては王室の財産です。すべてこれらはがまんできることです、
あなたのほかの美点と考え合わせれば。
【マルカム】 しかしわたしには何もない。王にふさわしい美徳、
たとえば正義、真実、節制、堅実、
寛大、信念、慈悲、謙虚、
敬謙、忍耐、勇気、堅固、
そんなものは薬にしたくもない。それどころかわたしは
あらゆる罪の変奏曲でいっぱいなのだ、そしてそれが実に各種各様の
実演をしてくれているのだ。いや、もしわたしに権力があれば
和合のミルクは地獄へと流し落としてしまい、
全宇宙の平和を混乱におとし入れ、地上のあらゆる統一を
打ち破ってやるのだが。
【マクダフ】 おおスコットランドよ、スコットランドよ!
【マルカム】 こんな人間でも国を治める資格があるかどうか言ってくれ。
わたしはいま話したような人間なのだ。
【マクダフ】 国を治める資格ですって?
とんでもない、生きる資格もない。……おお哀れな国民よ!
血なまぐさい王笏を持った潜主を国王に戴いて、いったいお前は
いつの日にかまた健全なる日の目を拝むことができるというのか?
なぜならスコットランドよ、お前の王位の真の後継者は、
自己の禁治産者宣告を自分で自分自身に宣言し、
あまつさえ自分の生まれを中傷しているのだから。父君の王は
まれにみる聖君主であられた。あなたを産まれた母君の王妃は、
立っておられるときより、ひざまずいて祈られているときのほうが多く、
日々を生きること日々を死するがごとくであられた。では、さらばです!
ご自身に対して列挙された悪徳、悪行の数々は、
このわたくしめをスコットランドから追放いたしました。おおわが胸よ、
お前の望みはここに絶えた!
【マルカム】 マクダフよ、誠実の申し子ともいうべき
汝のこの貴い心情は、わたしの魂の奥底から
黒い疑惑をぬぐい去り、汝が真実と名誉を重んじる
まこと高潔の士であることをわたしに納得させた。悪鬼のマクベスは、
これまでこうして手を変え品を変えてわたしを誘惑し、
わたしをその手中に収めようとしてきた。しかしわたしは常に
慎重に用心して、早急に信用することを避けてきた。しかし
汝とわたしのこのたびのことに関しては神もご照覧あれ! いまここに
わたしはわたし自身を汝の指図の下におくことを宣言し、
わたし自身についての悪口を取り消します。わたしが
わたし自身の上に積み重ねた汚れと罪は、わたし自身の本性とは
なんの関係もないことをここに宣言します。わたしはまだ
女というものを知らない。かつて偽証をしたことはない。
自分のものだったものも返してくれとせがんだことはない。
いかなるときにも約束を破ったことはない。悪魔ですらも
その仲間に売ろうとしたこともない。真実を愛すること
人生を愛することにいささかも劣らぬ。わたしの最初の嘘は、
わたし自身についての今の嘘だ。真実のわたしは
あなたのもの、わが祖国のもの、その命令どおりです。
そして実は、あなたがここに到着する以前に、老シューアード卿が
すでに戦闘準備なり、一万の精鋭を率いて
スコットランドヘ出撃するところでありました。
さあ、共に行こう。大義名分はわれにある。神よなにとぞ
われに勝運をお与えくださいますよう! なぜ黙っているのです?
【マクダフ】 こんなに嬉しいことと嬉しくないこととが一度にいっしょでは
どう和解させるか骨が折れます。
〔医師登場〕
【マルカム】 なるほど、ではまた。医師どの、王はお出ましでしょうか?
【医師】 さようにございます。たくさんの惨めな連中が、
王に癒《いや》していただこうと待っています。彼らの病気は
医術ではいかんともしがたいものですが、王がお触りになると
立ちどころに治癒します。そういう霊験を天は王の御手に
お与えになっているのです。
【マルカム】 ありがとうございました、医師どの。〔医師退場〕
【マクダフ】 病気というのは何でしょうか?
【マルカム】 いわゆる「王様の病気」です。
この聖なる国王が行なわれる最もおどろくべき奇跡、
わたしはイギリスヘ来て以来、王がこれを行なわれるのを
たびたびこの目で見てきた。いかにして王が天を動かされるのかは、
王ご自身が最もよく知っておられる。ただ見るも痛ましいほどに
腫れ上がり、化膿し、医者の手にはとうてい負えないような者、
たいへんに苦しんでいる重患の人々も、王は癒される。
病人の首もとに一枚の「天使の金貨」をかけてやり
敬謙なお祈りを捧げられるのです。聞くところによると、
王はこの祝福されたる天与の治癒の力を、その王位継承者に
長く伝えられるそうだ。さらにこのおどろくべきお力に加えて、
王は予言をされる天賦の才能を持っておられる。
そのほか王座をぐるり飾るほどの神の祝福の数々、
すべては王が聖君主たることを物語っております。
〔ロス登場〕
【マクダフ】 誰か参りました。
【マルカム】 わたしの国のものだ、だがわたしの知らない人だ。
【マクダフ】 やあ君、ほんとうによく来てくれたね。
【マルカム】 いま思い出した。神よ、われわれ相互をかくも疎遠《そえん》にする
障害物を、一日も早く取り除かれんことを!
【ロス】 なにとぞそうなりますよう!
【マクダフ】 スコットランドは変わりはないか?
【ロス】 ああかわいそうな国!
自身の状態を知ることさえ恐ろしい。それはとうてい
母なる祖国などとは呼び得ない。われわれの墓場です。
何も知らない者を除いては笑い顔を見せているものは何もない。
ため息、うめき声、悲鳴は空をつんざいているが、
これを気にとめる人もいない。深い悲しみも、これを見る人の目には
ほんの興奮した程度でしかない。死人の鐘の音にも
誰の弔いかと訊《き》く人もいない。善良なる人々の命は
その帽子につけた花の命よりもなおも短く、
病死するまでもなく非業の最期をとげます。
【マクダフ】 おおあまりにも念入りな、しかも真実の話!
【マルカム】 最近の最も悲惨なことは?
【ロス】 一時間前の悲惨事は人に話しても、つまらぬことと黙らされます。
一分ごとに新しいのが続々と生まれているのです。
【マクダフ】 わたしの妻は!
【ロス】 ええ、ご安泰です。
【マクダフ】 それから子どもたちも?
【ロス】 それもご安泰です。
【マクダフ】 暴君も妻や子どもの平和を打ち壊すことはしなかったのだね?
【ロス】 そうです、皆さんご安泰でした、お別れしたときには。
【マクダフ】 言うことを出し惜しみしないでくれ、実はどうなんだ?
【ロス】 わたしがこの知らせ、この耐えがたい知らせを伝えるため
こちらへ発ったとき、心ある者多数がマクベスと戦うために、
家を捨てたといううわさが立ち始めておりました。
そしてそれはたちまち事実だと確認されるにいたりました。
暴君の軍隊が動員されるのをこの目で見たからです。
いまこそ絶対援助のときです。殿下がスコットランドに現われれば、
立ちどころに兵隊は集まり、女性も剣を取って戦います、
この苛烈な苦悩を払いのけるために。
【マルカム】 みなに喜んでもらいたい、
じつはわれわれも進撃するところだ。慈悲深きイギリス王は、
勇敢なるシューアードと一万の兵をわれに貸し与えられた。
キリスト教国広しといえども、彼ほどに老齢にして
しかも優れた軍人は他に例がない。
【ロス】 このよろこびに
同じよろこびをもってお応えすることができたら!
だが私の申し上げることは、荒涼たる砂漠のまん中、万が一にも
人の耳には届かない所で泣き叫ぶべきことなのです。
【マクダフ】 なんについて?
国全体についての悲しみか? それとも誰か特定の個人だけが
受け継いでいる悲しみか?
【ロス】 まともな人間なら
誰でもいくぶんかはその悲しみを味わっているのです。しかし
その最たるものはあなたに関してです。
【マクダフ】 それが俺のだというなら、
俺には何も隠さないでくれ。さあ今すぐそれを言ってくれ。
【ロス】 これまでかつて聞いたこともないような悲痛きわまることを、
あなたのお耳に入れたからといって、あなたの耳が永久に
わたしの口をさげすむようになっては困ります。
【マクダフ】 おお! わかったぞ。
【ロス】 お城が急襲されたのです。奥様も、お子様がたも
無残に殺されてしまいました。その模様を物語ることは、
このむごくも打ち殺された鹿の屍《しかばね》の山の上に、さらに
あなたの屍を積み重ねることになります。
【マルカム】 慈悲深き神よ! ……
おい、君も男だ! 帽子で顔を隠すなどやめたまえ。
悲しみは言葉に出すことだ。物言わぬ悲しみは
荷を積みすぎた心にささやいて、それを打ち破ってしまうとか。
【マクダフ】 子どもたちもか?
【ロス】 奥様も、お子様がたも、召使いたちも、
居合わせたもの全部です。
【マクダフ】 しかも、俺はその場におれなかったのだ!
妻も殺されたのか?
【ロス】 申し上げたとおりです。
【マルカム】 元気を出したまえ。
この大いなる悲しみを癒す薬には、これに相応する
大いなる復讐以外にはない。
【マクダフ】 彼には子どもがない。……かわいい子どもたち全部か?
全部だと君は言ったな? ……おお地獄トンビめ! 全部だと?
おい、俺のかわいい雛鳥《ひなどり》全部か、しかも親鳥まで、
無残にもひとつかみでか?
【マルカム】 男らしく立ち向かいたまえ。
【マクダフ】 誓ってそうします。
だが同時に感情を捨てるわけには参りません。
みんな生きていたんだということを思い出さずにはいられません、
わたしにとって最もたいせつだったものが。天は単に傍観していて、
みんなの味方をしてくれなかったのだろうか? 罪深きマクダフよ!
みんなはお前のために打ち殺されたのだ。なんという悪人だ、この俺は。
自身はなんの罪もないのに、みんなこの俺の罪のために、
無残な最期が彼らの魂にふりかかったのだ。天よ彼らに安らぎを!
【マルカム】 これをもって汝の剣の砥石《といし》とせよ。悲しみを
怒りに変えよ。心を鈍らすな。すべからく憤激せよ。
【マクダフ】 おお! 目は女子どものように泣きはらし、口では
大言壮語してだけいればいいのなら! だが神よ、
すべての手間は省いてください。面と面とをつき合わせて、
あのスコットランドの鬼とこのわたしを戦わせてください。
わたしの剣の届くところへ、きやつをおいてください。もしきやつが逃げられたら、
天よ彼をお許しあらんことを!
【マルカム】 これでこそあっぱれ、男の調子。
さあ、国王のもとへ参ろう。わが軍の準備は完全だ。
あとは国王から出発許可をもらうばかりだ。マクベスは
揺さぶればすぐ落ちるように熟し切っている。上なる天使たちも
武器を身につけられた。みな大いに意を強くしてよいのだ。
夜はいかに長くとも必ずや日の目をまた見るものだ。〔退場〕
[#改ページ]
第五幕
第一場 ダンシネインのマクベスの居城内の一室
〔侍医および侍女登場〕
【侍医】 わしは二晩あなたと寝ずの番をしたが、あなたの報告に真実性を認めることはできない。夫人が歩き出されたごく最近の例はいつじゃな?
【侍女】 陛下が野戦にお出立になられて以来ずっとでございます。奥様はいつもベッドからお起きになり、無造作にガウンを羽織られ、手箱の鍵をお開けになり、紙を取り出して二つに折られ、なにやらお書きになり、それをお読みになり、その後でそれを封印、それからベッドヘおもどりになりました。ですがこのあいだじゅうずっと、奥様は完全におやすみだったのです。
【侍医】 心身が大いに混乱動揺されている証拠じゃ、眠りの恩恵を受け、しかも同時に目の覚めているときの行動をされるとは! この夢中遊行時に、歩行およびその他の実際の行動以外に、なにか、夫人が口にされるのを聞いたことはないかな?
【侍女】 それは侍医殿、そのとおりにはけっして申し上げられません。
【侍医】 いやわたしには言ってもよいのじゃ。医者として秘密は守るのじゃ。
【侍女】 いいえ侍医殿にも、どなたにも絶対に。わたしの言うことが正しいと証明してくれる人がいない以上は。
〔マクベス夫人ろうそくを持って登場〕
ご覧なさい! 夫人が来られます。いつもとそっくりそのままです。そして誓って申しあげますが、完全におやすみになっているのです。よくご観察ください、隠れていましょう。
【侍医】 あの明かりはどうして手に入れられたのだろうか?
【侍女】 お傍《そば》にあったものです。お傍にはいつも明かりがございます。そういうお言いつけなのです。
【侍医】 ごらん、両の目は開けておられる。
【侍女】 さようでございます、でもその感覚は閉じています。
【侍医】 あれは何をなさっておられるのだろう? ごらん、夫人は懸命に両の手をこすっておられるのじゃ!
【侍女】 あのように手を洗う仕種《しぐさ》をされるのはいつものことなのです。こうして十五分間もお続けになるのを見たこともございます。
【マクベス夫人】 まだここにしみがある。
【侍医】 しっ! なにか言っておられる。わたしの記憶をより確実に証拠立てるために、夫人が口にされることを書き留めておこう。
【マクベス夫人】 消えろ、このいやらしいしみ! 消えろ、というに! ……一つ、二つ、ではいよいよやるときだ。……地獄は闇だ。……まあ、あなた、何です! 軍人でありながら、こわいんですか? ……なんで誰かが気づくなどと心配する必要があるのですか、なんぴとといども、われわれの権力を裁くことはできないときに? ……だがあの年寄りにあんなにもたくさんの血があるとは、思いもかけないことだった。
【侍医】 聴いたろうな、あれを?
【マクベス夫人】 ファイフの領主には奥さんがあった。今どこにいるのだろう? ……おや、この両の手は絶対にきれいにはならないのか? それはもうやめて、あなた、それはもうやめて。そんなに驚いて、あなたは全部をだめにしてしまいました。
【侍医】 困った、困った、あなたは知るべきでないことを知ってしまったのじゃ。
【侍女】 夫人がおっしゃるべきでないことをおっしゃってしまったのです、それは確かです。だが夫人がなにをご存じなのか、それは神様だけがご存じのことです。
【マクベス夫人】 ここにまだ血の臭いが残っている。アラビアじゅうの香水をふりかけても、この小さな手の臭いを消すことはできないだろう。おお! おお! おお!
【侍医】 なんというため息だ! 心がひどい重荷を背負わされているのじゃ。
【侍女】 この体全部がなんの値うちもなくなってもいい、このような心を胸にいだくくらいなら。
【侍医】 うん、うん、うん。
【侍女】 運よく治るよう祈ってください。
【侍医】 この病気はわたしの医術では治せない。だが夢中遊行の病人でも、ベッドの中で神聖な死に方をした者をわたしは知っていますじゃ。
【マクベス夫人】 手をお洗いなさい、ガウンを着てください。そんな青い顔をしないでください。……もう一度言いますがバンクォウは葬られたのです。お墓から出てくるはずはないではありませんか。
【侍医】 そうだったのか!
【マクベス夫人】 おやすみなさい、おやすみなさい。誰かが門を叩いています。さあ、さあ、さあ、さあ、お手を貸してください。すんだことは致しかたがありません。おやすみなさい、おやすみなさい、おやすみなさい。〔退場〕
【侍医】 あれでベッドヘもどられるのだろうか?
【侍女】 はい、まっすぐに。
【侍医】 忌まわしい噂が世間に立っている。自然でない行為が、
自然でない苦悩を生み出すのだ。悩める心は
物言わぬ枕にその秘密を打ち明けようとする。
夫人が必要なのは医者ではなくて僧侶なのだ。
神よ、なにとぞわれらすべてを許したまえ! 夫人を看てあげるのじゃ。
自らを傷つけるような危険物はすべて身近に置かぬよう、
そして夫人からはいつも目を離さぬようにな。ではおやすみ。
おかげでわたしの心はすっかり混乱、わたしの目はくらんでしまった。
思うことはあるのだが、口に出す気は毛頭ない。
【侍女】 おやすみなさい侍医殿。〔退場〕
[#改ページ]
第二場 ダンシネイン近くの田舎
〔鼓手、旗手らを従えてメンティース、ケイスネス、アンガス、レナックスおよび兵士ら登場〕
【メンティース】 イギリス軍は近い。指揮を取るはマルカム、
その叔父のシューアード、それに勇敢なるマクダフ。
みな復讐心に燃え上がっているのだ。その悲痛きわまる動機は、
血なまぐさい、恐ろしい突撃命令の入り混じる戦場へと
死者をも駆り立てるのだ。
【アンガス】 たぶんバーナムの森の近くで、
われわれは彼らと出会うだろう。あの道をやって来ているのだから。
【ケイスネス】 どなたかご存じか、ドンルベインもいっしょだろうか?
【レナックス】 確かなところを申し上げるが、いっしょではない。ここに
貴族全員の名簿がある。シューアードの息子もいる。
そのほかまだ髭《ひげ》も出そろわぬ、この参戦が一人前の男になった
最初の証拠という若者も多数いる。
【メンティース】 暴君《タイラント》は何をしているだろうか?
【ケイスネス】 要害ダンシネインの城固めに専心している。
ある者はきやつは気違いと言っている。それほど彼をきらいでない者は、
狂暴な勇気と呼んでいる。ただ確かなことは、
彼は自分自身の病める感情を規律のベルトの中に、
その留め金で締め上げることができないということだ。いまこそ彼は、
その秘密の殺人が両の手にこびりついているのを感じているのだ。
いまこそ相つぐ謀反が彼の背信を責めたてている。
彼の指揮下にある者も単に命令されるから動いているので、
彼に心服しているからではけっしてない。いまこそ彼はその称号が、
だぶだぶで体に合わぬことを痛感しているのだ。まるで
巨人の服を小人のこそ泥が着たようだ。
【メンティース】 では誰が彼を責められよう、
彼の苦悩の心が思いとどまったり、躍《おど》り上がったりしたとても。
彼自身の心の中にあるすべてのものが、マクベス自身に
謀反を起こしているのだから。
【ケイスネス】 では進軍しよう、
忠誠の誠を尽くすために、それを真に尽くすべきところでだ。
われわれは病める祖国を快方に向かわせる良薬に出会うのだ。
そして彼と共に、祖国がかかっている熱病を癒すために、
われわれの血の最後の一滴までも流すのだ。
【レナックス】 つまり
王家の花に水をやり、雑草を溺れさすのに必要なだけ。
さあ共に、バーナムの森めざして進撃しよう。〔進軍しつつ退場〕
[#改ページ]
第三場 ダンシネイン 城中の一室
〔マクベス、侍医、従者ら登場〕
【マクベス】 もう報告はいらんぞ。逃げ出したい奴はみな行かせろ。
バーナムの森がダンシネインの丘に向かって動くまで、
わしは恐怖心などに感染するはずはない。小僧のマルカムがなんだ?
奴は女から産まれたのではないとでもいうのか? 人間界のことすべてを
知り尽くしているあの精霊たちは、わしにこう宣言したぞ、
「マクベスよ恐れるな。女から産まれた男が汝を打ち負かす権力を
持つようになることは絶対ない」だから逃げろ、裏切り者の領主たちめ、
逃げてイギリスの食い道楽どもといっしょになるがいい。
わしの行動を律する精神と、わしが胸にいだく心とは、
不安でへこたれたり、恐怖で打ち震えたりは絶対せんぞ。
〔下僕《しもべ》登場〕
悪魔に真黒にしてもらえ、この青い顔をしたろくでなしめ!
いったいどこでそんな鳥はだ顔をひろってきたのだ?
【下僕】 およそ一万の……
【マクベス】 ガチョウか? このまぬけめ!
【下僕】 兵隊でござります。
【マクベス】 退がれ! その顔を引っ掻いて、臆病づらを真っ赤っ赤にしてこい、
この真っ白けの肝臓の弱虫小僧! どこの兵隊だ、おい道化?
お前のような奴はくたばれ! お前の亜麻色の青白い顔は、
ほかの者まで不安に引きずりこむ。どこの兵隊だ、おい青二才!
【下僕】 イギリス軍にござります、陛下。
【マクベス】 お前の顔は引っ込めろ。〔下僕退場〕
シートン! わしは気分が悪い。
あいつを見ていると……シートンはおらぬか? この一戦こそ
俺を永久に元気づけるか、それとも一挙に蹴落とすかだ。
俺はじゅうぶんに長生きをした。……俺の一生涯もすでに
凋落のとき、黄葉の時候に落ち込んでしまったのだ。
そして老年時代の伴侶として付き添うべきもの、
たとえば名誉、敬愛、服従、大勢の友人のごときは、
俺は持つことを期待してはならぬ。その代わりにあるものは、
数々の呪い……声にはなっていないが、根が深い、それに気の毒に、
家来どもの空世辞、追従……誰もがやめたくて、しかもやめられぬもの。
シートン!
〔シートン登場〕
【シートン】 陛下、お召しにござりますか?
【マクベス】 その後の知らせは?
【シートン】 ご報告申し上げましたすべてのことは陛下、確認されました。
【マクベス】 俺は戦うぞ、骨から肉が切り取られてしまうまで。
よろいをくれ。
【シートン】 いまだその必要はござりませぬ。
【マクベス】 俺は着たいのだ。
もっと馬を駆り出せ、国じゅうを走り回らせるのだ。
恐怖を口に出す奴は絞首刑だ。よろいをくれ。……
侍医殿、患者はどうかな?
【侍医】 陛下、ご病気というわけではございませぬ、
ただ次々と起こってくる妄想に悩まされておられ、
そのためお休みになられませぬ。
【マクベス】 それを治せというのだ。
お前には心の病気は治せぬとでもいうのか?
あれの記憶に根ざしている悲しみを抜き取って、
心にしかと書き留められた悩みごとを掻き消すのだ。
そしてなにか、すべてを忘却に追いこむ妙薬で、
心に重くのしかかっているあの危険なしろものを、
彼女の胸の内から取り除くのだ。
【侍医】 その儀なれば、
それは患者自身で治すべきものと存じまする。
【マクベス】 薬なんか犬にくれてやれ。そんなものはもう要らん。……
さあ、よろいを着せるんだ。俺の指揮棒をよこせ。……
シートン、駆り出せ……侍医殿、領主どもが逃げ出しているのだ。
さあ、早いとこ済ませるんだ。おい侍医、もしもお前に、
この国の尿検査をして、この国の病気の正体を見つけだし、
それを下剤で洗い流して元の健康体にすることができたら、
俺はお前をほめてつかわすぞ、こだまがさらにこだまするほどの
大拍手喝采で。……それは付けないでおくのだ。……
大黄でも、せんなでも、どんな下剤薬でもいい、
このイギリス軍を洗滌《せんじょう》してくれるものは侍医殿、お聞きおよびでないか?
【侍医】 はい陛下。陛下お手ずからのご投薬、おかげをもちまして
われら何かを聞きたまわるを得ました。
【マクベス】 それは後から持って来い。……
俺は死も、破滅も、断じて恐れんぞ、
バーナムの森がダンシネインにやってくるまでは。〔退場〕
【侍医】 〔傍白〕もしダンシネインから無実で脱出できるなら、
どんな莫大な報酬も二度とわたしをここへ引きつけることはできまい。〔退場〕
[#改ページ]
第四場 ダンシネイン近くの田舎《いなか》 森が見える
〔鼓手、旗手らを従えてマルカム、老シューアード、その息子、マクダフ、メンティース、ケイスネス、アンガス、レナックス、ロスおよび兵士ら進軍して登場〕
【マルカム】 諸卿よ、われらが安らかに眠れる日が、
いよいよ近づいて来たのだ。
【メンティース】 われらそれをいささかも疑いませぬ。
【シューアード】 前に見える森は何というかな?
【メンティース】 バーナムの森です。
【マルカム】 各兵士にそれぞれ木の枝を切り落とさせ、
それをかざして進撃させよう。かくしてわれわれは
わが軍勢を敵に秘匿することができ、敵の偵察にはわが軍に関する
報告を誤らせることができるだろう。
【兵士】 おおせのごとくにいたします。
【シューアード】 われわれの入手したあらゆる情報によれば、
あの自信満々たる暴君《タイラント》はいまなおダンシネイン城内に立てこもり、
あえてわれわれに城を包囲させようとしている。
【マルカム】 それが彼の主たる意図。
なんとなればこれまで、彼のもとから逃亡する機会に恵まれさえすれば、
身分高きも低きも彼を見捨てる者が続出したからである。
もっか彼につかえている者もすべては強制徴募による兵卒のみ、
連中の心もまた留守である。
【マクダフ】 それが事実か否かは結果が決めることです、
われわれはそれまでは判断を差しひかえましょう。われわれはただただ
軍人の本分を尽くすのみです。
【シューアード】 われわれのものと明言できるものと、
いまだわれわれのものならざるものとをしかるべく区分して、
それをわれわれに知らしめてくれる時は近づいている。
憶測的な観測は不確実な希望を物語るにすぎず、
確実なる結果は実戦によって決定する以外に方法はない。
それをめざして戦《いくさ》を進めよう。〔進軍しつつ退場〕
[#改ページ]
第五場 ダンシネイン 城内
〔鼓手、旗手らを従えてマクベス、シートン、兵士ら登場〕
【マクベス】 おい、城壁の外側にわが軍の軍旗をかけろ!
叫び声は「敵襲!」ばかりだ。わが軍の力をもってすれば、
包囲軍など大いに笑いさげすむことはいともたやすい。勝手に包囲させろ、
そのうちに飢餓と熱病とにみんな食い尽くされてしまうのだ。
きやつらがわが味方であるべき連中の加勢を受けなければ、
断固きやつらに立ち向かい、髭と髭つき合わせて対決し、
きやつらを国へ追い返してやったのだが。あの音はなんだ?〔内側で侍女たちの泣き声〕
【シートン】 侍女たちの泣き声にござりまする、陛下。〔退場〕
【マクベス】 俺は恐怖というものの味を、ほとんど忘れてしまった。
かつては夜半に泣き声などを聞けば、その恐ろしさにぞっとして、
全五官が悪寒《おかん》で打ち震えたものだ。そして俺の髪の毛は
何か不気味な物語を聞くと、まるで生きもののように
一本一本が逆立ち、動いたものだ。だが恐ろしいものをたらふく食いすぎた。
どんな恐怖も俺の頭の中の血なまぐさい思いにすっかり慣れっこになって、
いっこうに俺を驚かさない。
〔シートン再び登場〕
あの泣き声は何だった?
【シートン】 陛下、妃殿下がお亡くなりです。
【マクベス】 いま亡くなるべきではなかった。
やがてはこんな知らせにも、もっとふさわしい時が来ただろうに。……
あした、そしてまたあした、そしてまたあしたと……
一日一日がこのささやかな足取りで這い寄って行く、
記録された「時」の最終、最後の綴り字まで。
そしてわれわれのきのうというすべての過ぎし日々は、愚か者の
墓土への道の明かりにすぎない。消えろ、消えろ、つかのまの明かり!
人生は単なる歩く影、哀れな一役者にすぎない。
その持ち時間を舞台の上で、腹を立てたり気取ったり、
そしてその後は、人に聞かれることもさらにない。これぞまさに
狂人のたわごと、音と激情とでいっぱいなのだが、
意味するものはなにもない。
〔使者登場〕
お前は舌を使うために参ったのだ。さあ、さっさと話せ。
【使者】 おそれながら陛下、
私《わたくし》はこの目で見たままをご報告申し上げるべきではありますが、
それがどう申し上げてよいやらわかりませぬ。
【マクベス】 よいから言ってみよ。
【使者】 じつは私《わたくし》見張り役として丘の上に立番中、
バーナムの森のほうを眺めましたるところ、これはいかに、
森が動き出すごとくに見えました!
【マクベス】 この大ボラ吹きめ! 下司めが!
【使者】 これがもし事実でなければ、どのようなお怒りもこらえます。
が、ご覧ください、三マイルとはござりませぬ、森がやって参ります、
森が動いているのでござります!
【マクベス】 お前の言うことがもし嘘だったら、
手近な木の枝にお前を生きながらぶら下げてくれようぞ、
飢えで萎《な》えしぼむまでだ。お前の言うことがほんとうなら、
同じことをお前がこの俺にやってもかまぬわぞ。
俺は決心の手綱を引き緊める。だが同時に、
真実を装って嘘をついたあの悪霊の例の「ぼかし」が
気になってきたぞ。「恐れることなかれ、バーナムの森が
ダンシネインにやって来るまで」……ところで今やその森が
ダンシネインめざしてやって来る。武器を取れ、武器を取れ、出撃だ!
もし彼が断固言い張っていることが事実となって現われたら、
もうここからは逃《のが》れられもしないし、ここに止まることもできない。
俺はもう日の目を仰ぐのがいやになってきた。
この大宇宙の秩序が今こそ全部だめになってしまえばいいと思う。
戦闘準備の鐘を鳴らせ! 風よ、吹きまくれ! 来たれ、破壊よ!
みなの者、せめては武具を背負って死のうではないか。〔退場〕
[#改ページ]
第六場 同じ場所 城の外
〔鼓手、旗手らと共にマルカム、老シューアード、マクダフら、木の枝をかざした軍隊を引き連れて登場〕
【マルカム】 これでじゅうぶん接近した。木の枚の遮蔽物を捨てて、
諸君の地の姿を出してもらいたい。……叔父上!
叔父上はわが従弟すなわちご子息のシューアードと相ともに、
第一軍を指揮してほしい。マクダフおよび予は、
わが作戦企図にしたがって爾余《じよ》の必要事項を
担当することといたしたい。
【老シューアード】 ではご機嫌よう。……
今宵もし暴君マクベスの軍に遭遇するの機会を得ば、
われらただ、倒れて戦う能わざるときにのみ、やまんのみ。
【マクダフ】 すべてのラッパを吹き鳴らせ、あらん限りの息で吹け、
血と死のさきがけとしてのけたたましいラッパを!〔退場。突撃ラッパの音続く〕
[#改ページ]
第七場 同じ場所 城外の他の場所
〔マクベス登場〕
【マクベス】 まるで熊いじめだ。俺は杭《くい》に縛られて逃げることもできん。
ようしそれなら熊らしく、もう一ラウンドやってやるぞ。
いったい女から産まれないというのは何者だ? 俺が恐れるのは
そいつだけ、他には何もない。
〔小シューアード登場〕
【小シューアード】 その方、名を名乗れ。
【マクベス】 それを聞いて驚くな。
【小シューアード】 驚くものか。たとえお前の名が地獄にいるどれよりも
熱い名前であろうとも。
【マクベス】 俺の名はマクベスだ。
【小シューアード】 たとえ悪魔自身が名を名乗っても、この俺の耳に
それほど汚らわしくは響かぬぞ。
【マクベス】 そりゃそうだ、それほど恐ろしくはな。
【小シューアード】 おのれ嘘をつくな、この忌まわしい暴君め! 俺のこの剣で
お前の嘘を証明してやるぞ。〔二人戦う。小シューアード殺される〕
【マクベス】 お前は女から産まれたか。……
俺は剣を笑ってやるぞ、武器を笑いとばしてやるぞ、
女から産まれた男に振り回されているやつならば。〔退場〕
〔突撃ラッパ。マクダフ登場〕
【マクダフ】 むこうのほうで音がする。……おい暴君め、顔を出せ。
もしもお前を殺すのが俺のこの剣でないならば、
妻と子どもたちの亡霊は永久にこの俺に付きまとうことだろう。
俺はケチなアイルランド土民兵など相手にしたくはない。
きやつらは雇われて鋒《ほこ》を握っているだけだ。マクベスよ、
お前を倒すか、さもなくば俺の剣は刃こぼれもせずに、
なにをなすこともなくまた元の鞘《さや》に収まるのだ。そのあたりにいるのだな。
この物々しい物音は誰か大物がいることを物語っている。
運命の神よ、なんとか彼を見つけさせてほしい!
願いはただそれだけだ。〔退場。突撃ラッパの音〕
〔マルカム、老シューアード登場〕
【シューアード】 殿、こちらへどうぞ。……城は穏便に明け渡されました。
暴君めの部下たちはお互い同士敵味方となって戦っております。
勇敢なる領主たちは戦争においてりっぱな働き、
本日の戦いの勝敗の帰趨《きすう》はすでに明らかであります。
もうなすべきことは何もござりませぬ。
【マルカム】 われわれの側に味方して
戦っている敵兵を見た。
【シューアード】 では殿、入城することといたしましょう。〔退場。突撃ラッパの音〕
[#改ページ]
第八場 戦場の他の部分
〔マクベス登場〕
【マクベス】 いったいなぜこの俺がバカなローマ人を倣《なら》って、
自らの剣で倒れなければならんのだ? 生きてる敵のいる限り、
傷はきやつらの上につけてやる。
〔マクダフ登場〕
【マクダフ】 引き返せ、地獄犬め、引き返せ!
【マクベス】 数多《あまた》いる人のうちで、お前とだけは会いたくなかった。
だがもどって行け、俺の心はもうこれ以上お前の血を
背負い切れない。
【マクダフ】 なにも言うことはない。……
俺の声はこの剣にある。おのれ、言葉ではとうてい尽くせない
この残酷無比な悪党め!〔二人戦う〕
【マクベス】 いくらやってもむだだぞ。
この俺さまに血を流させようとするくらいなら、
いっそお前の剣でこの手応えのない空気を斬ってみたらどうだ?
斬るなら斬るで、傷がつくようなかぶとに斬りつけろ。
俺の命には魔法がかかっている。女から産まれた男に
屈服することは絶対にあり得ないのだ。
【マクダフ】 その魔法も絶望だぞ。
お前が日ごろつかえてきた悪の天使に訊ねてみるがよい、
マクダフは母親の腹から時ならずして切開手術、
摘出されたのだと教えてくれるわ!
【マクベス】 そんなことをこの俺に言えるお前の舌にこそ呪いがかかれ!
おかげで俺の男としてのいい所はすっかり凋《しぼ》んでしまった。
あのインチキ悪霊どもの言うことはもう金輪際信用してやらんぞ、
二枚舌でごまかしぼかしてこのわれわれを騙《だま》しおった。
われわれの耳には約束めいた言葉を響かせておいて、
しかもそれに托したわれらの希望は無残に砕いた。お前とは戦わぬぞ。
【マクダフ】 なら降参せよ、臆病者、
一生涯、世のさらし者、見世物となって生きるがいい。
われわれはお前を世にもまれな化け物として陳列し、
立て札立ててペンキを塗って書いてやろうぞ、
「ここにご覧になるのが暴君」と。
【マクベス】 断じて降参などするものか。
マルカムなどの青二才の足下にひれ伏して、どろを嘗《な》めさせられ、
下司の野次馬になぶり者にされてたまるものか。
バーナムの森がダンシネインにやって来ようが、
対決の相手のお前が女から産まれた男でなかろうが、
俺は戦うぞ最後まで。見よこのとおりつわものの楯《たて》、
俺は前に投げだしたぞ。さあかかって来いマクダフ、
「待った、参った」と最初に言った奴が地獄ゆきだ。
〔戦いながら退場。突撃ラッパ。戦いながら二人登場。マクベス殺される〕
[#改ページ]
第九場 城中にて
〔退却のラッパ。鼓手、旗手らを引き連れてマルカム、老シューアード、ロス、領主ら、および兵士たち登場〕
【マルカム】 いまここに見えない味方の者も無事入城していてほしい。
【シューアード】 いずれ誰かは退場せねばなりませぬ。だが見渡したところ、
今日ほどの大勝利、その割には代償は軽くすみました。
【マルカム】 マクダフの姿が見えません。それにご子息の姿も。
【ロス】 ご令息は武人の誓いをまことごりっぱに果たされました。
ご成人されたばかりのごく短いご生涯ではあられましたが、
その戦いの場所においていささかのひるむこともなく、
ご成年にふさわしい武勇をはっきりと示されました。そしてあっぱれ、
武人の最期をお遂げになられました。
【シューアード】 では死んだのだな?
【ロス】 は、ご遺骸はお運び申し上げました。お悲しみのほどは、
ご令息のごりっぱさに準じてはなりませぬ。それでは
お悲しみに際限がなくなります。
【シューアード】 受けた傷は正面だったろうな?
【ロス】 はい、額のまんまん中に。
【シューアード】 されば神よ、彼を神の戦士としてご嘉納を!
このわしに髪の毛ほどにたくさんの世継ぎがあったとしても、
これ以上あっぱれな死に方を望むことはできまい。
これをもって伜《せがれ》の悔やみはすんだ。
【マルカム】 いや、もっとお悔やみの要がある。
それはこのわたしがあい勤めます。
【シューアード】 いや、その要はござりませぬ。
あれの最期の出立の模様はりっぱだった、あっぱれ務めを果たしたと、
みなが申しておるので十分です。さらば伜よ! ……それっ、より新しい吉報だ。
〔マクダフがマクベスの首を持って再登場〕
【マクダフ】 万歳国王陛下! もはや国王であられます。ご覧ください、
この呪われたる暴君の首を! かくしてこの世は解放されました。
ご覧なさい、いまこそあなたを取り巻いている貴顕、諸卿は、
誰でもがその心の中でわたしのごあいさつに言葉を合わせているのです。
その声は私《わたくし》の声と共にいとも高らかに唱和してほしい、
万歳、スコットランド国王!
【全員】 万歳、スコットランド国王!
〔ファンファーレ〕
【マルカム】 予はここで長く時間を費やすわけには参らない。
速やかにみなの者が予のために励んだ忠勤に報い、
みなの者に対する予の借りをなくさねばならない。領主、近親諸卿よ、
ここに諸卿を伯爵に叙する。スコットランドにおいては
かくのごとき栄誉が授与されたことはかつてない。新しい世と共に、
新しく始められなければならないその他のことは、……
たとえば暴君の張りめぐらした周到なわなの目から逃げて
外国に亡命中の友人たちを故国に呼びもどすとか、
この死せる屠殺者とその悪鬼のごとき王妃との二人に使われた、
鬼畜の手先どもをその隠れ場所から引きずり出すことなど、……
その王妃は聞くところによれば、われとわが手で無残にも
自分の命を絶った由。……この件につき、またその他の
予のなすべき諸般の事柄については、天なる神のご加護を得て、
予はしかるべき均衡、機会、場所を見いだしてそれを実施したい。
ではここに諸卿全員に、また諸卿一人ひとりに心から感謝の意を表します。
スクーンにおける予の戴冠式、全員ぜひご出席を願いたい。〔ファンファーレ。退場〕(完)
[#改ページ]
解説
〔若きシェイクスピアから巨匠へ〕
シェイクスピアが名作『マクベス』を書いたのはいつか、その的確な期日はわかっていない。しかし多くの最近のシェイクスピア学者たちが推測しているように、『マクベス』が最初に上演されたのはおそらくは一六〇六年八月と考えられるから、実際に書かれたのはその前年か、またはその年と考えてそう大きな誤りはないだろう。シェイクスピアが四十一か二歳のときである。十七世紀初頭の数年間、一六〇〇〜六年はおそらくはシェイクスピアの劇作活動が最高潮に達した時期といえる。このあいだにシェイクスピアは『ハムレット』『オセロウ』『リア王』『マクベス』など、ふつう彼の四大悲劇と呼ばれている大作を次々に書いた。『マクベス』はこの中でも最後期の作品である。
しかしながらシェイクスピアはこういう大作を、突如として十七世紀初めに書き始めたわけではけっしてない。その前には長い、血の出るような修練の時代があった。若い時代には若い時代を、中年時代には中年時代を、シェイクスピアはそれぞれの時代の生活と意見を忠実に書き続けてきたのであった。シェイクスピアが劇作を始めたのは一五九〇年ごろからであるが、大体一五九四年くらいまでを一区切りとして考えることができる。彼の最も初期の習作時代である。この時期にシェイクスピアは喜劇『まちがいの喜劇』『ヴェロウナの二人の紳士』『恋の骨折り損』、歴史劇『ヘンリー六世・一部』『ヘンリー六世・二部』『ヘンリー六世・三部』『リチャード三世』『ジョン王』、悲劇『タイタス・アンドロニカス』などを書いた。これらの作品における若いシェイクスピアの情熱は主として、人間の内面というよりは外面的な行動の面に集中された。エリザベス朝残酷物語『タイタス』では、女性を犯した悪党どもは、その発覚を恐れてその女性の舌をえぐり、両手を切り落とした。『まちがいの喜劇』の第一のポイントは要するに、主従二組の双生児が人まちがいをし、そのたびごとに下僕の双生児がなぐられればよかった。『ヘンリー六世』三部作は、伝えられた歴史物語を人間の行動面から把握し、これを走馬燈のごとくに展開することであった。「習作時代」の若いシェイクスピアが捉えたものは主として外面的な、行動的な人間像であった。
次の時代は喜劇『真夏の夜の夢』、歴史劇『リチャード二世』、悲劇『ロミオとジュリエット』などのいわゆる「抒情的な作品時代」である。いずれも一五九五年ころの作である。これらの作品には若いシェイクスピアの抒情詩が、夜空に撒き散らされた星くずのごとくに、作全体に一面にちりばめられている。若いシェイクスピアの目が、人間の行動面から内面へと向けられ始めた第一歩といえる。
この傾向は次のいわゆる「ロマンティックな喜劇時代」(一六○○年ごろまで)になって、ますます顕著となってくる。喜劇『ヴェニスの商人』『じゃじゃ馬馴らし』『むだ騒ぎ』『お気に召すまま』『ウィンザーの陽気な女房たち』『十二夜』、歴史劇『ヘンリー四世・一部』『ヘンリー四世・二部』『ヘンリー五世』、悲劇『ジュリアス・シーザー』などの名作、大作がこの時代の作品である。歴史劇におけるシェイクスピアはますます歴史の羈絆《きはん》から脱却し、自由奔放な人間ドラマを書くようになる。『ヘンリー四世』『ヘンリー五世』における士爵フォールスタッフはこの時代のシェイクスピアが描いた人間の傑作である。若い王子ハルがフォールスタッフなどを相手としながら、やがて名君主ヘンリー五世に成長してゆく姿は、実は当時のシェイクスピア自身の人間観の展開といえる。喜劇におけるシェイクスピアの登場人物は、それぞれがおかれた環境との結びつきをますます密着したものとしてゆく。人間が真に個性を獲得し、主体性を確立するための基盤が、ここにできあがる。シェイクスピアのいわゆるロマンティック・コメディは、このような舞台上に演じられた各人各様の人間の万華鏡である。これを演じる恋人たちは偉大なる英雄ではない。しかし鞭を必要とするような下劣な人間でもない。美点をも弱点をも兼ね備えた、あるがままの人間である。笑うベき、しかし同時に愛すべきシェイクスピアの喜劇的人間像がここにできあがる。
しかしこの明るい、伸びやかな喜劇の世界においても、すべての人がしあわせであるわけではない。環境と密に結んだ現実許容のリアリズムには、光とともに影が付きものである。『ヴェニスの商人』の喜劇はシャイロックの悲劇でもある。楽しい『十二夜』の笑いはマルヴォーリオの呪いの声でもある。明るい喜劇の世界にも一条の影がさしている。そしてその影一線は十六世紀の終わりが近づくにしたがって、その陰影をますます濃くしてゆく。シャイロックは憎むべき悪党ではある。しかしあのような環境におかれれば、だれだってあのように行動せざるを得ないではないか? マルヴォーリオまたしかり。シェイクスピアの大悲劇の時代がここに始まる。
〔『リチャード三世』と『マクベス』〕
初期の名作『リチャード三世』と、悲劇時代の大作『マクベス』とを比較してみると、その間のシェイクスピアの思想と演劇技巧が成長、展開してゆくさまがつぶさにうかがえて、まことに興味ぶかい。ともに主人公が大の悪党である。しかしそれを描く作者シェイクスピアの目・筆には明らかに年代の開きがある。『リチャード三世』は荒削りの若さとパッションの歴史劇である。『マクベス』は老練な作家が綿密な計算の上に打ち立てた人間の魂の悲劇である。このことはまず両者の開巻|劈頭《へきとう》の部分を比較してみれば歴然としよう。『リチャード三世』の出発点はなんと言っても概念的だと言える。シェイクスピアはリチャードの性格を創造するに当たって、まずある一つの悪のタイプを概念的に規定している。彼が後期の作でしたように、人間の意志が外部的な種々の要因と相互に作用し合って、その必然的な結果として悪人をドラマティックに描写してゆくというようなことがない。グロスター(リチャード)は芝居の初めの部分で、いきなり機械的に
[#ここから1字下げ]
俺は悪党になる決心をした(一幕一場)
[#ここで字下げ終わり]
と心に決めている。そう決心するにいたった理由については、彼が醜い風采のために世人に、とくに女に相手にされなかったからだと、彼の有名なセリフが明確に説明している。しかし要するに説明は説明で、これは芝居で示されているわけではない。われわれはまず悪党と機械的に規定された彼の性格を、そのまま概念的に鵜《う》呑みにする以外に方法はない。「悪太郎」の登場である。これが良心の呵責に悩んだり、善人になる可能性はまずない。
これが『マクベス』の初めの部分だとどうなっているか? 主人公マクベスは初めから平板的に「悪太郎」とはけっして規定されてはいない。むしろ逆賊マクドナルドを征伐した名将として明確に描かれている。まず最初のシーンは雷鳴とどろき、稲妻のひらめく荒野である。そこにうごめく三人の魔女は口をそろえて、
[#ここから1字下げ]
きれいは汚なく、汚ないはきれい(一幕一場)
[#ここで字下げ終わり]
という謎のような呪文を唱えている。そしてやがて登場してくるマクベスの最初のセリフが
[#ここから1字下げ]
こんな汚なくてきれいな日は見たことがない(一幕三場)
[#ここで字下げ終わり]
マクベスがすでに魔女どもの影響下にあることは確かである。彼が魔女どもの呪文にかかっているということは、彼自身がすでに悪の選択をなしたということである。なぜならば魔女ども(悪魔)は悪の芽ばえた人の心を誘惑することはできるが、人の運命全体を支配することはできないからだ。人間の運命を支配し、その将来を予言できるのは神および天使たちだけである。マクベスはすでに何らかの形で王位を簒奪することを考えていたに相違ない。その悪の選択に対して魔女どもは誘惑の言葉、呪文を投げかけるのである。その点ではマクベスはすでに「汚ない」と言える。しかしそれだけで全部ではない。悪の選択をしたマクベスも、もし魔女どもの誘惑、マクベス夫人の誘惑がなかったら、彼の悪への芽ばえも萎えしぼんでしまっただろうとも言える。その点ではマクベスは「きれい」であるかもしれない。要するに初めて登場してくる主人公マクベスはリチャード三世の場合と違って、完全に「汚ない」悪党ではけっしてない。彼の性格はヒースの魔女どもを包んでいる「霧と汚れた空気」(一幕一場)同様、「きれいで汚ない」以外の何ものでもない。そしてそれから、この芝居全篇のドラマを通して、「汚ない」悪党の姿が徐々に形成され、展開されてゆくのである。『リチャード三世』ではわれわれ読者、観衆は主人公リチャードの悪党ぶりを外面からながめる。『マクベス』ではわれわれ自身も主人公マクベスの意識の世界に直接に入りこんで、その悲劇の苦悩をあいともに分かち合う。初期のシェイクスピアと悲劇時代の彼との違いが、ここにはっきりと浮き彫りにされている。
〔『マクベス』の時代的背景……火薬陰謀事件をめぐって〕
十七世紀の始まりとともに、イギリスの精神的風土は急激に暗さを増していった。この暗流の一つの噴出口が一六〇五年十一月五日にその一部が公表された火薬陰謀事件であった。この日、全イギリスの心臓の鼓動は一瞬止まるかに見えた。ロバート・ケイツビー、トマス・ウィンター、ガイ・フォークスなどカトリック信者の貴族、名門のグループが、十一月五日の議会開会日を利用して時の国王ジェイムズ一世、王家一族、政府要人を一挙に葬らんとした大陰謀事件が発覚したのである。方法は簡単にして大胆、議会(貴族院)の下に大爆薬を仕掛けることであった。その情報がもれ始めたのは実施予定の十一月五日の十日前くらいからであったが、その計画の全貌が明らかにされるにしたがって、その残忍さは全英国を驚倒させた。悪辣、陰険、奸佞《かんねい》、邪知などと悪に関連のあるあらゆる形容詞が使われた。これがもし成功していたら? すべてのイギリス人は息を呑んだ。
これが成功していたら、おそらくはカトリック教徒がもっと勢力を得、清教徒たちの勢力は激減していたかもしれない。そうなればイギリスの共和制(一六四九〜六〇年)などというものも存在しなかったかもしれないし、オリヴァー・クロムウェルなどという英雄も出てこなかったかもしれない。オランダ、スペインなど諸外国との外交関係も大幅に手直しが加えられていたかもしれない。シェイクスピアの悲劇の大作『マクベス』などもあるいは書かれなったかもしれない。そして彼のその後の作品も、おそらくは現存するものとはだいぶ趣を異にしたものとなっていたろう。彼の代表的な傑作の一つ『アントニーとクレオパトラ』のようなみごとな作品も、あるいは書かれずじまいになってしまったかもしれない。ジェイムズ一世がいないとなれば、大哲学者ベイコンの思索と行動もだいぶ変わっていたかもしれない。とにかくわれわれの想像は止まる所を知らない。ただ一つ確実に言えることは、その後の大英帝国の歴史はその進路を大きく変えていただろうということである。その後の英国史が世界史で果たす役割を考えれば、これは実に容易ならざることであった。いまもってだれのしたことかわからない一通の密告状がなかったら……
計画は綿密に、大胆に、周到に進められていった。参加者はいずれも熱烈なカトリック信者、神に誓いを立てている以上、秘密漏洩の心配はまずなかった。いずれも先祖、家族、本人がその信仰ゆえに世の辛酸をなめ尽くしてきた人々であった。国王、貴族、政府要人が議会に集まるのを利用して、これを爆薬をもって一挙に葬ろうというのはケイツビーの発案であった。一六〇四年五月、議会に隣接する家が借りられ、その家の地下室から議会へ地下道を掘り、貴族院の真下に大爆薬を仕掛けるという仕組みであった。議会とのあいだの壁、九フィートの石を削岩することは難事業だったが、苦労してトンネルを半分行った所で、貴族院の真下には倉庫用の地下室があり、それが貸しに出されていることがわかった。さっそくその倉庫は借りられた。フォークスがジョンソンという偽名を使って借用人となった。ロンドン某所に集積してあった莫大な量の火薬が夜陰に乗じて運びこまれた。その上には大きな石、鉄棒などが積み重ねられ、さらにその上には薪が積まれ、万一の発覚に備えた。一六〇五年五月、すべての準備は完了した。ジェイムズ一世没後の政治態勢に対しても万全の配慮がなされた。
ところがここに一つの問題点が急に大きくクローズアップされてきた。国王と共に議会の発会式に参列するカトリックの高僧者たちをどうするか、という点であった。なんらかの方法で警告を与えられるべきである、というのが全員の一致した意見であった。しかしその方法については各自の考え方はまちまちであった。議会開会十日前、一通の匿名の手紙がカトリック信者のある貴族の家に舞いこんだ。開会式に出席しないよう勧告し、婉曲ながら「出席者は手ひどい打撃を受けることになるだろう」と事件をほのめかしてあった。事はただちに国王に連絡された。そして必要な警戒態勢がただちにしかれた。十一月四日、議会の下検分に出かけた侍従長は、例の倉庫におびただしい量の薪の山を見つけた。国王の緊急捜査命令を受けて、夜半、くだんの家を急襲したウェストミンスター総監は、ちょうど戸口から出てくるフォークスに出会った。しめて三十六個の火薬の樽が見つけられ、身体検査をされたフォークスの所持品には、時計、火口《ほくち》類が発見された。拷問の末、事件の全貌が明るみに出され、これに連座した全員が逮捕された。翌年の一月二十七日には裁判が行なわれ、全員が反逆罪、「馬に引かれた木枠で刑場に運ばれ、絞首刑、後に死体四分」という極刑に処された。
事件に直接に手をかすことはしなかったが、精神的、政治的に多大の援助、便宜を与えることを惜しまなかった貴族にエヴァラード・ディグビー卿がある。彼は事件後の事態収拾に大いに活躍するはずであった。彼は当時まだ弱冠二十二、三歳、非常にハンサムで名門の出、美しい妻をめとり、すでに二人の子宝に恵まれ、当時臣下としてはおそらくはこれ以上は望め得ない順境にあった。一六〇三年春、エリザベス女王の後を継いで即位したばかりのジェイムズ一世(前のスコットランド王ジェイムズ六世)は、エディンバラからロンドンヘ上る途中、ラットランドのビーヴァ城に立ち寄り、ディグビーに士爵の位を授けている。ジェイムズ一世という王様はハンサムな貴族が好きだったが、ディグビーにも大いに興味を示し、また彼に大いに期待するところがあったのであろう。その彼がこの事件に連座していたのである。一六〇六年一月三十日木曜日、彼は同じく極刑の判決を受け、セント・ポールの絞首台へ引かれ、処刑され、その死体は四分された。その最期はまことにりっぱなものだったという。彼はあらゆる罪を告白、神および国王、王妃の許しを乞い、従容として絞首台に立った。当時おそらくはセント・ポール近くに住んでいたシェイクスピアは、おそらくはこのシーンを直接見ていたかもしれない。『マクベス』の次のセリフはおそらくはディグビー卿の最後の模様を伝えたものと思われる。
[#ここから1字下げ]
彼コーダはいとも率直にその反逆の大罪を認め、
陛下のお許しを懇願したてまつり、そして心からなる
懺悔をいたしましたる由。およそ彼の一生を通じて、
その辞世ほどあっぱれなるものは他に見当たりませぬ。あたかもすでに
死に方の舞台げいこをすませた者のように、従容として死につきました。
その所持するものの最もたいせつなものを投げ出すこと、
あたかも一顧の価値なき些末事のごとく。(一幕四場)
[#ここで字下げ終わり]
この大逆事件の原因は要するにジェイムズ一世自身にあった。エリザベス女王を継いで即位した新王ジェイムズ一世に、これまで何かと迫害を受けていたカトリック教徒は大いに期待するところがあった。そして事実、即位当初は王は彼らの機嫌を取った。しかしそれもほんの束の間、王はたなごころをかえすごとくに、その態度を変えた。ケイツビーらの決心の動機はここにあった。ジェイムズ一世は非常に学のある国王であった。彼には『悪魔論』(一五九七)、『バジリコン・ドロン』(「国王の贈り物」の意のギリシア語、一五九九)の二つの著書があり、いずれも当時広く読まれた本だった。前者は当時評判の高かったレジナルド・スコットの『魔術の正体発見』に対抗して、魔女などの超自然的なものの存在を肯定したもの、後者は王子ヘンリー(幼没)に与えた国王処世訓である。いずれも当時のイギリスの精神的風土に大きな影響を与えた。今これらを読んでみると、王はまことに聰明な人だったようである。しかし苛酷な現実は常に彼の理想を裏切っていった。とくに『バジリコン・ドロン』における彼の主張とは裏腹に、即位当初はカトリック教徒の機嫌をとり、後に態度を急変して彼らの憤激を買うなど、政治の実践家としては落第だったようである。火薬事件は不発に終わった。しかし流言飛語、第二の火薬事件のデマの飛び交うその後のロンドンの無残さを考えると、いっそ大爆発が成功してカラッとしたほうが数等マシだったと思えるほどであった。世の中はまさに暗闇であった。一六〇五年十月五日には大日食があった。劇作家シェイクスピアがこの機会を見のがすはずはなかった。名作『マクベス』はかくしてできあがった。
一六〇六年、デンマーク国王クリスチャン四世は従兄弟の英国王ジェイムズ一世をイギリスに訪れた。酒以外に目がなかったデンマーク国王(『ハムレット』の王クローディアス?)は、もちろん浴びるほどの酒で供応されたことであろう。そしておそらくはその席でシェイクスピアの新作『マクベス』が初上演されたものと思われる。『マクベス』に出てくる潔白の士バンクォウはスチュアート王朝の祖と考えられている。クリスチャン四世と席を並べて観劇したジェイムズ一世の得意は思うべし。火薬陰謀事件のふるえの未だ止まらなかった一般大衆は『マクベス』の逆賊マクドナルドの処刑に安堵の胸をなでおろし、「国王殺し」マクベスの悲惨な最期に心から拍手を送ったことだろう。当時の人々にとってはマクドナルドおよびマクベス自身は、つい最近絞首台の露と消えたディグビー卿にほかならなかったと思われる。『マクベス』一幕一場、ヒース茂る荒野に登場した三人の魔女は「きれいは汚なく、汚ないはきれい」という謎のような呪文を残して空中に消えた。これはすべての価値の転倒した悪魔の世界のモットーであり、つまりは当時の人々にはディグビー卿の世界のモットーであった。エリザベス女王とともに一時燦然たる光芒を放ったエリザベス朝の栄光は、爆薬が爆発したと否とにかかわらず、永遠に終焉を迎えたのであった。
〔魔女どもをめぐって〕
悲劇『マクベス』はかくして『悪魔論』の著者ジェイムズ一世を喜ばすための、王様の芝居ということができるが、このことは同時に『マクベス』が悪魔(魔女)の芝居ということもできる、ということである。悪霊は果たして人間を誘惑することができるか? 学者国王ジェイムズ一世をはじめとして当時の一流知識人たちの思考、論争の一つの中心がそこにあった。スイスやフランスの亡霊論、悪魔論のおもなものは英訳して出版された。イギリス国内でも前記のレジナルド・スコットをはじめ、トマス・ナッシュの『夜の恐怖……亡霊について』、エセックスのモールダンの説教師ジョージ・ギッフォードの『魔女および魔術師による悪魔どもの巧妙なる「常套手段」について』、『魔女および魔術についての対話』、後のカンタベリー大僧正サミュエル・ハースネットの『ローマ法王の驚くべきペテン告発』など多くの悪魔論、亡霊論が発表された。シェイクスピアの『ハムレット』、『マクベス』はこの点に関する彼自身の解答と考えることができる。悪魔、魔術、亡霊に関する言及はもちろんこれら二大作に限られたことではない。シェイクスピアの全作品に多かれ少なかれそれへの言及が見られる。悪魔論、亡霊論はエリザベス朝心理の一つの共通の基盤と言える。しかしシェイクスピアは『ハムレット』において亡霊論に、『マクベス』において悪魔論に集中し、これと真っ向から対決したのであった。いな、「対決」という言葉はここではおそらくは適切ではないだろう。なぜならばそれはあくまで演劇的技法によっての対決であるからである。シェイクスピアは第一人称単数によって論文を書いたのではない。ドラマを書いたのである。作中に登場してくる人物の口を借りて、それぞれの立場を公平に、ありのままに提供し、かくして真実を一段と掘り下げていく方法である。かくして『マクベス』は魔女および魔術を信じる側にも、それをカトリックのペテンと決めつける側にも共通して興味ある芝居であり得たのである。前者には魔女の登場を初めとして、その神秘的な呪文、その実現などまことに興味津々たるものがあったに相違ない。また後者にとってはマクベス自身の野心を出発点としたその想像力、妄想、その実現はこれまた大いに興味をそそるものであったにちがいない。このことは後者の態度を精神分析学に置き換えれば、二つの態度はそっくりそのまま現在にも適用されるものであろう。現在では魔女は存在しない。しかし現在のわれわれにとって「魔がさす」という事態が依然として一つの事実であることが示しているように、マクベスの悲劇は常にわれわれの心の中に実在する一つの悲劇のパタンだと言える。同時代の哲学者ベイコンは魔女や亡霊の跳梁《ちょうりょう》する「魅惑の鏡」を理性の光で払拭したかに見えたが、われわれは魔女から逃避することは永遠にできない。
ところでその「魔がさす」が問題である。マクベスはいつ、どこで、どのように「魔にさされた」のか? シェイクスピアはそれについては何も語ってはいない。ダンカン王殺しの野望が先か、それとも魔女の誘惑が先か、すべては魔女どもが身を隠しているヒースの霧に包まれている。おそらくは『マクベス』におけるシェイクスピアの演劇技巧の最も巧みなポイントがここにあるのであろう。この霧を見透かすのは哲学であり、神学であり、神の仕事である。当時の魔術の常識によれば、マクベス自身がまずダンカン王殺しの悪の決定をしたと考えてよいだろう。魔女(悪魔)はマクベスのその心の中の決定を、心の窓……すなわちマクベスの目を通して感知し、以後その悪の決定を成就させ、首尾よくマクベスを破滅に導くために全力を尽くして彼を誘惑するのである。悪魔(魔女)は元はといえば天使であり、神に反逆して地獄に落とされた(堕落天使)とはいえ、地上の人間には及びもつかない非凡な洞察力、敏捷な機動性を持っている。理想君主ダンカンは「心の中のことを顔色でうかがい知る方法はない」(一幕四場)と言っているが、魔女どもにはこれが可能なのである。一幕三場、初めて登場したマクベスが
[#ここから1字下げ]
こんな汚なくてきれいな目は見たことがない
[#ここで字下げ終わり]
という最初のセリフを言うまでに、おそらくはこれだけの決定が、主人公と悪魔の両方に行なわれていたと考えてよい。
ここでスコット、ジェイムズ一世、ギッフォード、ハースネットなどにより、魔女というものの考え方の大要を紹介することとする。問題の性質上、細目の点では諸家の意見が食い違っているのはやむを得ない。魔女は文字どおり自分の魂を悪魔に売った女のことである。悪魔は以後「マスター」としていろいろの悪事を彼女に命じる。悪魔は空気を「濃くしたり」、暗くしたりして、周囲の人の目には見えないようにして魔女を空中を通して運ぶ。魔女はこの「濃い」空気(霧、あらしなど)の中を箒などに乗って飛びまわり、自由に空中に「融けこむ」(身を隠す)ことができるが、これは彼女ら自身の力によるのではなく、いずれも悪魔の力によるものである。魔女は「使い魔」というものを従えている。「使い魔」はふつう猫、コウモリ、フクロウ、ヒキガエル、イモリなどの小動物で、主人たる魔女の命令を行なうものである。ジェイムズ一世などはこの「使い魔」が実は悪魔自身だと考えている。魔女は悪魔の奴隷であるが、その魔女の奴隷である「使い魔」となって魔女の行動を監視しているというのである。その場合には「使い魔」は実際には悪魔自身、魔女の主人である。魔女はその魂を悪魔に売り、すべてその命令することを実行するのであるから、実質的には悪魔自身と考えてよい。悪魔は単数大文字(Devil)でも複数小文字(devils)でも同じことである。単数であってしかも同時に離れた数か所に存在するというようなこともできる。悪魔はもともとは十七世紀の英詩人ジョン・ミルトンの『失楽園』などに明らかなごとく、高位の天使たちであった。それが神に反逆して地獄に落とされた連中である。これら堕落天使は天使と同じではない。天使は神と同様、人の将来を予言し、人の運命を形づくることができるが、悪魔にはそれはできない。魔女はあらしを起こして舟を翻弄し、水夫を消耗させることはできるが(一幕三場)、直接に手を下して船を沈めたり水夫を殺したりすることはできない。しかし堕落してはいても、もとは天使である。悪魔(魔女)は地上の人間がとうていかなわないような動作の敏捷性と非凡な洞察力を持ち合わせている。その力によって悪魔はあたかも天使と同じように将来を見通し、これを予言する力を持っているように人々を信じこませることができる。グラームズ領主拝命というような、比較的小さい事柄でまずマクベスの信用を得、最後にダンカン王殺害というような大きな事柄に誘惑、かくしてマクベスの魂を奪い去るというような方法が悪魔の常套手段である(一幕三場)。
アメリカの学者ヘンリー・ポールは、シェイクスピアは『マクベス』を書くに当たって、ジェイムズ一世の『悪魔論』に非常に多くを負っていると主張している。『マクベス』の魔女、悪魔など悪魔論的な考え方は、王ジェイムズのそれに非常に近いというのである。この点で、主人公マクベスの悪魔論的格式が芝居の初めと終わりとでは大いに異なっている、というポールの見方が大いに注目されなければならない。一幕の各シーンでは、魔女のシーンはもちろんのこと、魔女たちは要するに悪魔(あるいは悪魔ども)に仕えるもの、それに命令されるがままに動くもの、奴隷である。魔女たちの使い魔が悪魔自身であるかどうかは別問題として、主人公マクベスは悪魔……魔女……使い魔という悪魔論の指揮系統を通して誘惑されているのである。これに反して四幕一場では命令しているのはマクベス自身である(四幕一場)。「マスター」はマクベスで、悪魔や魔女はその命令を実行しているのだ。王ジェイムズによれば前者の指揮系統をソーサリーといい、後者をネックロマンシーと呼ぶ。前者によって魔術を行なう者をソーサラーと呼び、後者をネックロマンサーという(『悪魔論』第一巻三章)。マクベスは四幕ではネックロマンサーとなったわけである。
ソーサラーとネックロマンサーとの違いは要するに、魔術を行なう者と悪魔との契約の違いである。ソーサラーが悪魔と結ぶ契約は一種の間接契約であり、ネックロマンサーのそれは悪魔との直接契約である。魔術を行なうについては悪魔が規定する種々の制約がある。呪文を行なう人間の数、その方法、場所、道具、魔法の輪(円形、三角、四角、一重、二重……)の作り方などについてやかましい規則がある。ソーサラーの場合、もし呪文をまちがえたり、まちがって魔法の輪を踏んだりすると、そのソーサラーはからだも魂もたちどころに地獄へ落とされてしまうのだ。ネックロマンサーの場合は初めから魂を悪魔に売り渡してしまうのである(三幕一場)。ネックロマンサーの場合、悪魔がその命令に服するのは(実際は服したように見えるにすぎないのだが)、このような条件下においてだけなのである。そしてこの条件の下ではネックロマンサーの魂、すべてはすでに地獄へ落とされているのだ。ソーサラーの場合もネックロマンサーの場合も、すべての魔法の力は、呪文の効力も魔法の輪の力も、すべては要するに悪魔自身のすること、その力にかかっている。そしてさらにさかのぼればすべては、悪をためし、悪を滅ぼさんとする偉大なる天意の一環をなすにすぎない。
〔マクベスの悲劇〕
この芝居の初めの部分に描かれているような知勇兼備の名将が、いったいなぜに聖君主ダンカンを殺すというような野心を持ち始めるのだろうか? この誤った悪の選択の原因についてはわれわれは何も知り得ない。これはおそらくは神の領域である。シェイクスピアもこの点についてはおそらくは故意に、なんらの説明も与えてはいない。ただわかっていることはなんらかの原因で正常なる思考、選択ができないような状態におかれるにいたったということである。エリザベス朝における正常な思惟法のひとつの典型は、『ハムレット』のいわゆる「二分法」である。父王の亡霊に接したハムレットの第一の疑問は、それが果たして真に父王の亡霊か、それとも単なる悪魔の所行であるか、「在るか、それとも在らぬか、それが問題」であった(『ハムレット』三幕一場)。ところがマクベスの場合はどうだ? この正常な疑問の形式が出てこない。同僚のバンクォウは魔女の姿を認めるやいなや、ハムレット的な二分法の疑問を立ちどころに彼女らに呈している(一幕三場)。しかるに同じく初登場したマクベスの最初のセリフは
[#ここから1字下げ]
こんな汚なくてきれいな目は見たことがない。
[#ここで字下げ終わり]
魔女どもが入念に仕上げた魔法の輪に足を踏み入れたマクベスが、すでに彼女らのモットー、
[#ここから1字下げ]
きれいは汚なく、汚ないはきれい(一幕一場)
[#ここで字下げ終わり]
の影響下にあることは明らかである。マクベスにはハムレット的二分法はあり得ない。彼にとっては「きれいか、それとも汚ないか」は問題とはならない。「きれいは汚ない」であり、「在る」はすなわち「在らぬ」である。マクベスの悲劇がここにある。
シェイクスピアの四大悲劇『ハムレット』『オセロウ』『リア王』『マクベス』は魂の悲劇と言える。シェイクスピアが『ハムレット』において提起した「問題」は、『オセロウ』『リア王』の二作を経てついに『マクベス』においてこのような、人間の意識の世界の非論理の分野に迫る展開を見せるにいたった。ここにシェイクスピアはこれら四大悲劇を通して、壮大なる人間の意識の王国を完成したのであった。新しい世紀十七世紀もしだいに年を重ねていくにしたがって、シェイクスピアの才能は次にどのような展開を示していくべきか。それが彼の次の課題である。
[#改ページ]
年譜
一五六四 四月二十三日頃、ストラットフォード・アポン・エイヴォンにおいてウィリアム・シェイクスピア生まる。四月二十六日、ウィリアム受洗。
一五八二(十八歳) 十一月二十八日、ウィリアムはアン・ハザウェイと結婚。
一五八三(十九歳) 五月二十六日、長女スザンナ受洗。
一五八五(二十一歳) 二月二日、ウィリアムの双生児、ハムネット(男)とジュディス(女)受洗。
一五八七(二十三歳) この頃ウィリアムはロンドンに出る。
一五八九(二十五歳)『ソネット集』の大部分を書く。
一五九〇(二十六歳)『ヘンリ六世』第二・第三部を書く。
一五九一(二十七歳)『ヘンリ六世』第一部完成。
一五九二(二十八歳) 三月三日、『ヘンリ六世』第一部上演。『リチャード三世』『まちがいつづき』完成。
一五九三(二十九歳)『ヴィーナスとアドニス』登録出版。『タイタス・アンドロニカス』『レイプ・オヴ・ルークリース』登録。『ヴェローナの二紳士』完成。『じゃじゃ馬ならし』上演。ウィリアム、彼の劇団の再編成にあたって株主として参加する。十二月二十八日、『まちがいつづき』上演。
一五九五(三十一歳) 十二月九日、『リチャード二世』上演。『真夏の夜の夢』完成。
一五九六(三十二歳) 父ジョン、紋章(Coat of Arms)を許される。
一五九七(三十三歳) ウィリアムはストラットフォードのニュー・ブレイスを六十ポンドで買い入れる。クリスマスに『恋の骨折損』上演。『ロミオとジュリエット』の第1四折判出る。
一五九八(三十四歳)『ヘンリ四世』第一部登録。『むださわぎ』『ヘンリ五世』完成。
一五九九(三十五歳) 九月二十一日、『ジュリアス・シーザー』上演。『お気に召すまま』完成。
一六〇〇(三十六歳)『ヘンリ四世』第二部登録。『ヴェニスの商人』第1四折判出る。『ハムレット』『ウィンザーの陽気な女房たち』完成。
一六〇一(三十七歳) 一月六日、『十三夜』宮廷にて上演。父ジョン死す。九月八日埋葬。『トロイラスとクレシダ』完成。
一六〇二(三十八歳) 七月二十六日『ハムレット』登録、『ハムレット』オクスフォード、ケムブリッジにて上演。『末よければすべてよし』完成。
一六〇三(三十九歳)『お気に召すまま』宮廷において上演。『ハムレット』第1四折判出る。
一六〇四(四十歳) 十一月一日、「国王一座」により『オセロウ』上演さる。十一月四日、『ウィンザーの陽気な女房たち』上演。十二月二十六日『以尺報尺』上演。『ハムレット』第2四折判出る。
一六〇五(四十一歳) 一月七日、『ヘシリ五世』上演。二月十日、『ヴェニスの商人』上演。『リア王』完成。
一六〇六(四十二歳) 十二月二十六日、『リア王』宮廷において上演。『マクベス』『アントニーとクレオパトラ』完成。
一六〇七(四十三歳) 六月五日、娘スザンナはドクター・ジョン・ホールと結婚。『コリオレーナス』『アセンスのダイモン』完成。
一六〇八(四十四歳) 母メアリー死す。九月九日埋葬。『ペリクレース』執筆。
一六〇九(四十五歳)『ソネット集』出版。『シムベリン』完成。
一六一〇(四十六歳) ウィリアム、ストラットフォードに引退。『冬の夜ばなし』を書く。
一六一一(四十七歳) 十一月一日、『テムペスト』宮廷において上演。
一六一二(四十八歳) 王女エリザベス結婚の祝いのために「国王一座」によってシェイクスピアの作品が多数上演された。
一六一三(四十九歳) 六月二十九日、『ヘンリ八世』上演。
一六一四(五十歳) ウィリアム、ロンドンヘ。
一六一六(五十二歳) 一月、遺言書を書く。二月十日、次女ジュディス結婚。三月二十五日、遺言書に署名。四月二十三日、ウィリアム死す。四月二十五日埋葬される。
〔訳者紹介〕大山俊一(おおやま・としかず)一九一七年生まれ。東京文理大英文科卒。オハイオ州立大学大学院卒M・A・ハーバード大学名誉研究員(一九六五〜六)。中世および近世英文学専攻。主著『シェイクスピア人間観研究』『ハムレットの悲劇』『複合的感覚』、訳書『ハムレット』(旺文社文庫)その他。