TITLE : 真夏の夜の夢
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目 次
第一幕
第一場 シーシアスの宮殿(大広間)
第二場 大工クインスの家
第二幕
第一場 アテネ近くの森
第二場 森の中(他の場所)
第三幕
第一場 森の中(前の場と同じ)
第二場 森の中(他の場所)
第四幕
第一場 森の中(前の場と同じ)
第二場 大工クインスの家
第五幕
第一場 宮殿の大広間
結びの口上
注 釈
シェイクスピアの生涯
『真夏の夜の夢』について
シェイクスピア事典
シェイクスピア名言集
年 譜
創作年表
真夏の夜の夢
登場人物
(アテネの貴族たち)
シーシアス アテネの殿さま
ヒポリタ アマゾン国の女王、シーシアスの婚約者
イージアス アテネの老貴族
ハーミア その娘、ライサンダーの恋人
ライサンダー ハーミアに恋する青年
ディミートリアス ハーミアに恋する青年
ヘレナ ハーミアの友人、ディミートリアスに恋する娘
フィロストレート シーシアスの宮廷祝典長
(アテネの職人たち)
ピーター・クインス 大工
ニック・ボトム 機《はた》屋《や》
フランシス・フルート ふいご屋
トム・スナウト いかけ屋
ロビン・スターヴリング 仕立屋
スナッグ 指物師
(妖精たち)
オーベロン 妖精の王
タイターニア 妖精の女王
パックまたはロビン・グッドフェロウ 妖精のいたずら小僧
豆 の 花 小妖精
くもの糸 小妖精
火取り虫 小妖精
芥子の種 小妖精
その他の妖精 妖精の王や女王のお供の妖精
シーシアスおよびヒポリタの従者たち
場面 アテネとその近郊の森
第一幕
第一場 シーシアスの宮殿(大広間)
(シーシアス、ヒポリタ、フィロストレートおよび従者たち登場 )
シーシアス われわれの婚礼の日もいよいよ迫ったな、ヒポリタ。
あと四日で《*》うれしい新月の宵《よい》だ。だが、まあ、
あの古い月め、なにをぐずぐずしているのだ、
なかなか消えようとはせぬ。人をじらしおって、
まるでまま母か後家がいつまでもがんばって
せっかくの身代を若い者の自由にさせないみたいではないか。
ヒポリタ 四日はまたたくまに夜の闇《やみ》に消え、
四晩は夢のうちに過ぎてしまいますわ。
やがて、銀の弓を引きしぼったような新月が
大空にのぼって、わたくしどもの晴れの儀式を
見守ってくれましょう。
シーシアス おい、フィロストレート、おまえ行って
アテネの若い人たちにひとつ景気をつけてきてくれ。
陽気なお祭り気分をあおってこい。
陰気な気分は葬式のほうにふりむけろ、
せっかくの祝言をしめっぽくされたのではかなわんからな。
(フィロストレート会釈して退場 )
ヒポリタ、わたしはこの剣であなたを口《く》説《ど》いて《*》、
むりやりうんと言わせたのだが、
婚礼のほうはひとつがらりと調子をかえて、
うんと派手に、盛大に、にぎやかにやるぞ。
(イージアス、ハーミアの腕を引っ張って登場。ライサンダー、ディミートリアスそれにつづく )
イージアス ごきげんうるわしゅう、殿さま。
シーシアス やあ、イージアス。なにかあったのか?
イージアス なんとも困ったことがおこりましてな、
実は娘のハーミアめを訴えにまいりました。
ディミートリアス、前に出なさい。殿さま、
てまえはかねがねこの男に娘をめあわす内意を伝えておりました。
ライサンダー、前に出なさい。ところが、殿さま、
この男が娘の心をたぶらかしたのでございます。
きさまは、ライサンダー、きさまは娘に恋歌を贈ったり、
愛のしるしの贈り物をとりかわしたりした。
きさまは月夜に娘の部屋の窓の下にしのびよっては
声をふるわせて心にもない恋のざれ歌をうなったりした。
それから髪の毛をまいた腕輪や指輪や首飾りやかんざし、
ピンやリボンや花束や砂糖菓子とか、うぶな娘心を
夢中にさせるしなものを贈って、この子の胸に
まんまときさまの姿をきざみつけてしまいおった。
きさまは手《て》練《れん》手《て》管《くだ》でわしの娘の心をぬすみとり、
わしに対して当然柔順なるべき娘を
強情な不孝者に変えてしまった。で、申しあげます、
もし娘めが殿さまの御前におきましても、
なおディミートリアスとの結婚を承諾いたしませんようなら、
どうぞアテネ古来の特権をてまえにお許しくださいまし。
わが子でありますからには、どうしようと勝手なはず。
この男にくれようと、殺してしまおうと、
この場合国法に明記されておりまするとおり、
親たるてまえの自由でございます。
シーシアス ハーミア、どうなのだ、おまえは? ようく考えてみなさい。
よいか、おまえにとって父上は神さまも同然、
おまえの美しい容姿も父上のたまもの、
そうだ、おまえはいわば父上の刻んだ
蝋《ろう》細《ざい》工《く》にすぎんのだから、そのすがたかたちを保つも毀《こぼ》つも、
父上の一存にまかされているのだ。
ディミートリアスは立派な若者ではないか。
ハーミア ライサンダーも立派でございます。
シーシアス いかにも、個人としてはな。
しかし、この場合、父上の承諾がないのだから、
ディミートリアスのほうが立派だとせねばならぬ。
ハーミア 父がわたくしの眼で見てくれたらと思います。
シーシアス それよりも、おまえの眼に父上の分別を持たせねばならぬ。
ハーミア 殿さま、どうぞご無礼をお許しくださいませ。
わたくしとしたことが、あられもなく、
このような席で自分の考えを申しあげたりして、
女の慎みにそむくことかもしれませんが、どうぞお聞きくださいませ。
殿さまにお教えいただきたいのでございます。
もしわたくしがディミートリアスとの結婚を拒みましたら、
どのように重い処罰を受けるのでございましょう?
シーシアス 生命を失うか、さもなくば、
生涯男との交わりをたたねばならぬ。
だから、ハーミア、おまえの心によく尋ねてみなさい、おまえの若さで
耐えられるかどうか、おまえの熱い血がはたしておさまるかどうか、
父親がえらんでくれた相手をことわるというなら、
尼となって、黒い衣に身をつつみ、
永久にほの暗い僧院の奥にとじこもったまま、
つれない月を相手に賛美歌を口ずさみながら、
一生を尼として淋《さび》しくおくれるものかどうか。
なるほど心の情欲をおさえ、処女として、
清らかな人生の旅路をたどれる者はまことに祝福された人ではある。
が、この世のしあわせからいえば、むしろ手折られて色香をめでられるほうが
ましではないか、人を寄せつけぬ棘《とげ》にかこまれ、あたらその身を
朽ちるにまかせて、独《ひと》り身の祝福を受けるにとどまるよりはな。
ハーミア わたくしはいっそ、その独り身の祝福のほうをとります。
むりやりにくびきをかけられ、心にもない人を
夫とあがめたくはございません。そんな人に
わたくしは処女の誇りを捧げようとは思いません。
シーシアス まあ、じっくり考えることだな。次の新月が出るまでに、
──ちょうどヒポリタとわたしとが末ながく夫婦のちぎりを
結ぶ晴れの婚礼の当日になるが──
よいか、それまでにおまえは父親の意志にそむいた罪で
死ぬ覚悟をするか、それとも父親の望みどおり
ディミートリアスと結婚するか、あるいは
ダイアナの神前で、尼として独身苦行の生涯を
送る《*》誓いを立てるか、いずれかに決めねばならぬぞ。
ディミートリアス ハーミア、考えなおしてください。ライサンダー、
きみもその不当な要求を引っこめて、僕の正当な権利を認めたまえ。
ライサンダー ディミートリアス、君は親父さんにかわいがられているのだから、
娘のほうはぼくにまかせて、親父さんと夫婦になったらどうだ。
イージアス 人をばかにするな! いかにもわしはこの男が好きだ。
好きだからこそ、わしのものはこの男にと決めているのだ。
娘はわしのもの、だから娘に対するわしの権利いっさいを
ディミートリアスにゆずり渡すのだ。
ライサンダー 殿さま、わたしは家柄も財産もかれに負けません、
愛情にかけてはかれよりもはるかにまさっております。
身分の点では、ディミートリアスにくらべて
──たとえまさっていないまでも──少しも遜《そん》色《しよく》ありません。
それになにより誇りとしたいことは、
わたしが美しいハーミアに愛されていることです。
ですから、結婚する権利は当然このわたしにあると思います。
このディミートリアスは、──かれの前で断言してはばかりませんが──
かつてはネダーの娘、ヘレナに言いより
娘の心をとらえました。ヘレナは今もなお
いじらしいばかりひたすらに真心を捧げているのです、
この恥知らずの浮気男に。
シーシアス 実は、わたしもそのように聞いておった。
それでディミートリアスとも話しあおうと思っていたのだが、
なんのかのとおのれの用事にかまけて、
うっかりしていた。(椅《い》子《す》から立ち)おい、ディミートリアス、
イージアス、おまえもいっしょに来てくれ。
おまえたち二人に内々に言ってきかすことがある。
ハーミア、おまえはよく考えて、恋人については
お父さんの意志にそうようにするのだぞ。
さもないとアテネの法律は、いやおうなく
おまえに死刑を言いわたすか、一生独身の誓いを立てさせるぞ、
刑を軽くすることはわたしの力でもどうにもできぬのだからな。
さ、行こう、ヒポリタ、元気を出しなさい。
ディミートリアス、イージアスも、いっしょに来てくれ。
今度の婚礼のことでなにかと二人に手伝ってもらわねばならぬし、
またおまえたちに直接かかわりあることについて
相談したいこともあるから。
イージアス はっ、喜んでお供いたします。
(ライサンダーとハーミアのほか一同退場 )
ライサンダー どうしたの、ハーミア? 顔色がよくないよ。
頬《ほお》のばらがどうしてまたそんなに色あせて?
ハーミア 雨の降らないせいよ、きっと。
この眼からは今にも大雨がありそうなのに。
ライサンダー ああ、ああ、本を読んでも、
物語や歴史に聞くところからでも、
真実の恋は滑《なめ》らかにはこんだためしがない。
たとえば、身分がちがうとか──
ハーミア まあ情けない! 身分が高すぎて恋ができないなんて。
ライサンダー または年が釣りあわないとか──
ハーミア まあ、憎らしい! 年をとり過ぎて相手にされないなんて。
ライサンダー または親兄弟のさしずを受けねばならないとか──
ハーミア まあ、いやだ! 他人《ひと》の眼に恋人を決めさせるなんて。
ライサンダー あるいは、互いにうまく釣りあっていても、
戦争や死や病気に四方から攻めたてられて、
影よりもはかなく、夢よりもみじかく、
音のように一瞬の間にかきけされてしまうんです。
まるでまっ暗な夜の稲妻みたい、
ぱっとひらめいて、天地をあかるく
照らしたかと思うと、あっという間もなく、
たちまち闇《やみ》の中にのまれてしまう。
幸福というやつはいつもそんなにもろく、はかないものです。
ハーミア もしまことの恋人たちがいつも悲しい目にあってきているものなら、
それが宿命というものなのですわ。
ですから、辛《つら》くてもお互いに辛抱しましょうよ。
恋にはつきものの、物想いや、夢や、溜《ため》息《いき》や、
願いごとや、涙などと同じように、これが
お定まりの恋路の邪魔というものですもの。
ライサンダー あっぱれな覚悟だ! そこでだ、ねえ、ハーミア、
ぼくに伯《お》母《ば》がいるんです。伯《お》父《じ》の残した
財産をうんとかかえているんですが、子供がない。
アテネから四十キロほどのところに邸をかまえ、
ぼくを実の息子のように大事にしてくれている。
ねえ、ハーミア、そこでならぼくたち結婚できる。
いくらきびしいアテネの法律でも、あそこまでは
追いかけられやしない。だから、このぼくを愛してくれるのなら、
明日の晩お父さんの家をぬけだして来てください。
そして都から五キロばかりのあの森、
──そら、いつか五月祭《*》に朝早く出かけたとき、
あなたとヘレナに会ったことがありますね──
あの森で待ちあわせましょう。
ハーミア まあ、ライサンダー、
わたし誓いますわ、キューピッドのいちばん強い弓にかけて、
金のやじりのついたいちばん上等な矢《*》にかけて、
ヴィーナスの使いの無邪気な鳩《はと》にかけて、
魂と魂とをむすんで、恋をたすけてくれる神さまにかけて、
不実なトロイ人《*》の船が港を出て行くのを見て
焼け死んだカルタゴの女王さまの身をこがした炎にかけて、
男の人たちが今までに破った愛の誓い全部にかけて、
──その数は女たちの全部の誓いをはるかに越えている──
わたし、きっと約束の場所で、明日
あなたにお会いしますわ。
ライサンダー じゃ、きっとですよ。──おや、ヘレナが来た。
(ヘレナ登場 )
ハーミア ごきげんよう、美しいヘレナ! どこへいらっしゃるの?
ヘ レ ナ まあ、美しいですって? やめてくださいな。
ディミートリアスを夢中にさせたのはあなたの美しさ、うらやましいわ!
あなたの眼は北斗星のよう、あなたのきれいな声は
さんざしの花の咲くころ、緑の麦畑から
羊飼いの耳にひびいてくる雲雀《ひばり》の歌よりもいい調べ。
病気が人にうつるように、ああ、器量もうつせるものなら、
ねえ、ハーミア、あなたのご器量をわたしに今ここでうつしてくださらない?
その声をわたしの耳に、その眼をわたしの眼に、
その美しい口調をわたしの舌にうつしてください。
世界がわたしのものなら、ディミートリアスのほかは
全部あなたにさしあげますから。
ねえ、教えて、どんな眼つきをしたらいいの? どんなまじないがあるの、
ディミートリアスの心をとらえるのに?
ハーミア わたし顔をしかめてやるのよ、でもやっぱり好きだと言うの。
ヘ レ ナ ああ、わたしがどんなに笑顔をつくっても、好きになってはくださらない。
ハーミア わたしどなりつけるのよ、でもやっぱり愛しつづけるの。
ヘ レ ナ ああ、わたしがどんなに頼んでも、愛してはくださらない。
ハーミア 嫌えば嫌うほど、つきまとってくるのよ。
ヘ レ ナ 慕えば慕うほど、お嫌いになるの。
ハーミア ねえ、ヘレナ、あの人のばかはわたしの罪ではなくってよ。
ヘ レ ナ あなたのおきれいなのが罪つくりなだけ。わたしもそんな罪つくりになってみたい。
ハーミア ご安心なさいな、もう二度とあの人に会うことはありませんから。
ライサンダーとわたしはいっしょにここを脱け出すの。
ライサンダーに会う前のアテネは
まるで楽園だったのに、
この人が天国を地獄に変えてしまったのよ。
ほんとに恋人って、なんて不思議な力を持っているんでしょう!
ライサンダー ヘレナ、あなたにぼくたちの決心を打ち明けておこう。
明日の晩、月の女神が銀色の顔を
水の鏡にあざやかにうつしながら
草の葉に真珠の露をおくころ、──
恋の道行をいつも首尾よくかくしてくれるその時刻に──
アテネの城門から二人でそっと脱け出そうときめたんです。
ハーミア そうして、あの森で、そら、よく二人で
うす色の桜草の咲き乱れる中にねそべって、
親しい打明け話をしあったわね、
あそこで、ライサンダーと落ち合い、
それからいっしょにアテネをあとにして、
見知らぬ人たちの間に新しい友だちをつくろうというのよ。
では、ごきげんよう、ヘレナ、わたしたちのためにお祈りしてくださいな。
どうぞあなたもディミートリアスに愛されますように!
お約束を忘れないでね、ライサンダー。明日の真夜中まで、
お目にかかれないのね、つらいわ。
(ハーミア退場 )
ライサンダー だいじょうぶですよ、ハーミア。──ヘレナ、さようなら、
あなたが想うほどに、どうかディミートリアスもあなたのことを想いますように!
(ライサンダー退場 )
ヘ レ ナ 人のしあわせってどうしてこうも違うものかしら!
わたしあの人に負けない器量よしだとアテネじゅうの人が認めているのに。
それがいったいなんだというの? かんじんのディミートリアスがそう思ってはくれないんですもの。
人がみな知ってるのに、あの方だけが知らん顔。
あの方はハーミアの眼に見とれて、ほかのことには盲目同然、
わたしはわたしであの方のいいところだけしか眼に入らない。
どんなに形のととのわない、卑しい、いやなものでも、
恋は美しいりっぱなものに変えてしまう。
恋は眼で見ず、心で見るのだわ。
だからキューピッドの絵も、翼があって盲目になっている。
恋の神さまの心にはすこしも分別がない、
翼があって眼がないのはせっかちでむてっぽうなしるし。
だから恋の神さまは子供だといわれてる、
しょっちゅう相手を間違えてばかりいるんですもの。
いたずらっ子が面白半分嘘《うそ》をつくように、
恋の小僧も誓いをたててはかたっぱしからやぶってる。
ディミートリアスがハーミアを見そめる以前には、
わたしに甘い誓いを雨あられのように浴びせかけながら、
ハーミアに熱くなったとたん、身も心もとろけて、
甘い誓いの雨もすっかりかわいてしまった。
そうだわ、これから行って、ハーミアの道行をあの人にお知らせしよう、
そうしたら、きっとあの方は二人の後を追いかけて明日の晩
森に出かけるにちがいない。せっかく秘密を教えてあげるのに、
たとえお礼を言われても、それではわりに合わない話だけれど、
森への往き帰りにあの方のお供ができるのが
せめてものわたしの骨折り賃。
(退 場 )
第二場 大工クインスの家
(クインス、ボトム、スナッグ、フルート、スナウトおよびスターヴリング登場 )
クインス みんなそろったかね?
ボ ト ム 書付けでもって、総括的に(個別的に、の誤り)ひとりずつ呼んだ、呼んだ。
クインス ここに名簿がある。この中に、アテネじゅうで今度の殿さまのご婚礼の晩に御殿で芝居のできる連中の名前が全部書いてあるんだ。
ボ ト ム ピーター・クインスさん、まず第一に、芝居の筋書きを話して、それから、役者の名前を呼びあげて、それから役どころにはいんなせい。
クインス うん、それがね、芝居ってえのは、 「いとも痛ましき喜劇、ピラマスとシスビーのいともむごたらしき死《*》」というんだよ。
ボ ト ム そいつは、すげえ傑作だね、きっと面白いや。さあ、ピーター・クインスさん、書付けどおり役者の名前を呼んでおくんなさい。さあ、みんなそう寄っちゃいけねえ。
クインス さ、呼ぶからね、返事しておくんなさいよ。機《はた》屋《や》のニック・ボトムさん。
ボ ト ム おいきた。おれの役は何かね? それを言ってから、つぎを呼びなせえ。
クインス ニック・ボトムさん、おまえさんはピラマスを演《や》ることになってるんだ。
ボ ト ム ピラマスって何だね? 色男役かね、敵《かたき》役《やく》かね?
クインス 色男役だよ、恋ゆえにわれとわが手でみんごと自害しはてるって男だよ。
ボ ト ム そいつは巧《うま》くやったらめっぽうお涙ちょうだいとくる役どころだね。おれが演った日にゃ、見物はまず眼の用心しなきゃなるめえ。うんと見物を唸《うな》らせてみせるぞ、ほろりとさせてやるぞ。さあ、お次を。──だけど、おれは敵役の豪傑のほうが柄にあうんだ。エルクレス《*》か化物退治の役なら、最高にうまくやってのけ、みんなの眼っくり玉をとび出させてみせらあ。
泰《たい》山《ざん》ふるえて
鳴動すれば
地獄のかんぬき
がくんと折れて、
はるかに輝く
フィッバス《*》の御《み》光《ひかり》、
鬼どもおそれて
腰ぬかす。
高尚なもんだ!──さあ、さあ、他の役者の名前を呼びなせい。──こりゃエルクレスのいきだ、敵役のいきだ。色男役となるってえと、もっとしんみりいくんだ。
クインス ふいご屋のフランシス・フルートさん。
フルート あいよ。
クインス フルートさん、おまえさんにはぜひシスビーの役を引き受けてもらいますよ。
フルート シスビーって何だね? 武者修行のおさむらいかね?
クインス いいや、すごい別《べつ》嬪《ぴん》でね、ピラマスがぞっこん惚《ほ》れこむことになっているのよ。
フルート まっぴらだよ、女形になるのはかんべんしておくんなさい。なにしろひげが生えかかってるんだから《*》。
クインス かまやしないよ、仮面をつけて、できるったけ細い声でやればいいんだ。
ボ ト ム 仮面で顔をかくしていいんなら、シスビーの役もおれに演らしてくんなよ。おっそろしく細い声で物を言うからさ──「シスビーや、シスビーや」 「あい、あい、ピラマスさま、わらわの大事な恋人さま! そなたの大事なシスビーですわいな、いとしい妻ですわいな」
クインス だめ、だめ、おまえさんにはどうしてもピラマスを演ってもらうんだ。フルートさん、おまえさんはシスビーだ。
ボ ト ム よし、お次は?
クインス 仕立屋のロビン・スターヴリングさん。
スターヴリング あいよ。
クインス ロビン・スターヴリングさん、シスビーのおっ母《か》さん《*》を頼むぜ。いかけ屋のトム・スナウトさん。
スナウト あいよ。
クインス おまえさんはピラマスのお父《と》っつぁんだ。わしがシスビーのお父っつぁん。指物師のスナッグさん、おまえさんは獅《し》子《し》の役だ。これで、役割は全部すんだわけだ。
スナッグ 獅子の白《せりふ》は書いてあるんですかい? あるんなら、早いとこ渡しておくんなさいよ。なにしろあっしは覚えがわるいんでね。
クインス 即席でぶちゃいいんだよ、唸るだけだからな。
ボ ト ム 獅子もおれにやらしてくんなよ。誰が聞いても気持がよくなるように唸ってみせるから。殿さまがお聞きになって感心しちまって、 「もう一度唸らせろ、もう一度唸らせろ」と思わずおっしゃるように唸ってみせるから。
クインス おまえさんがあんまり恐ろしく唸った日にゃ、奥方やご婦人方がびっくりして、きゃっとくらあ。そうなった日にゃ、わしたち全部間違いなく縛り首だぞ。
一 同 そうだ、そうだ、みんな縛り首だ。
ボ ト ム なるほど、ご婦人方がびっくりして正気をなくしちまったら、なんの見さかいもつかなくなるから、こちとらを縛り首にするかもしれねえな。だけどおれは、うんと声をヒョウ節(調節の誤り)して、子鳩のようにやさしく唸るよ、まるでうぐいすのさえずるように唸るよ。
クインス おまえさんにはピラマスがはまり役だ。なにしろピラマスってのは、おまえさん、そりゃ男前でね、惚れぼれするようないい男なんだから。水もしたたるような若殿さまよ。だからピラマスはおまえさんに限るんだ。
ボ ト ム よし、じゃ、引き受けるとするか。ひげはどんなのをつけたもんかね?
クインス そりゃ、どうともおまえさんの好きなのにするがいいよ。
ボ ト ム 麦わら色のひげにするか、だいだい色のにするかな、紅色のひげにするかな、それともフランス金貨の真黄色のひげとゆくか。
クインス フランスにゃはげ頭が多い《*》から、いっそひげなしでおやんなさるか。──(一同に書抜きを渡しながら)さあ、めいめいの書抜きを渡しとくからね、お願いだから、頼むから、後生だから、明日の晩までにようく白《せりふ》を入れて、市《まち》から二キロ足らずの御所の森へ集まっておくんなさいよ。ちょうど月があるから、そこでけいこしよう。市中だと人がたかって、せっかくの趣向がばれてしまう。それまでにはわしがこの芝居に要るだけの小道具を調べておくからね。みんな、後生だ、忘れなさんなよ。
ボ ト ム だいじょうぶ、みんな集まるよ。あすこでなら、思いっきり勇ましく、おおっぴらにけいこができらあね。みんな、一生懸命覚えてくんなよ。それじゃ、みんな。
クインス 殿様槲《がしわ》のところだぜ、落ち合う場所は。
ボ ト ム 合点だあ、ぬかりはねえから、心配するねえ。
(退 場 )
第二幕
第一場 アテネ近くの森
(パック《*》と妖《よう》精《せい》とが月夜の森の舞台の左右から登場し、中央でばったり出会う )
パ ッ ク おやっ、妖精さん! どこへ行くんだ?
妖 精 岡をこえ、谷間をこえ、
藪《やぶ》をぬけ、茨《いばら》をくぐり、
柵《さく》をこえ、囲いをこえ、
火をくぐり、水をくぐり、
わたしはどこでもさまよい回る、
お月さまよりまだ速く。
お后《きさき》さまにお仕えして
牧場の草の踊りの輪型に
露をおくのがわたしの役目。
おそば仕えはくりん草、
金の上衣《うわぎ》にきらきらするのは
引《ひき》出《で》にもらった真赤なルビー、
玉の模様の香りがただよう。
わたしはこれから露を探してきて、
くりん草の花にのこらず真珠の耳飾りをつけてあげるの。
さようなら、お小僧さん。わたし行かなきゃ、
お后さまとお付きの妖精たちがもうすぐいらっしゃるわ。
パ ッ ク 今夜は王さまがここでどんちゃんさわぎをなさるんだ。
用心、用心、お后さまをここへ近づけちゃ危いぞ。
オーベロンさまはここんところ大むくれなんだ。
それというのも、お后さまがかわいい男の子を《*》インドの王さまのところから
盗み出してきて、ご自分のお小姓にして可愛《かわい》がっているからだ。
まったくあんなきれいなさらわれっ子なんて見たこともないからな。
そいつがオーベロンさまには欲しくてたまらぬ、
森を回る時のお供の頭《かしら》にしたいんだ。
ところが、お后さまのほうではおとなしく手ばなすどころか、
そいつの頭に花の冠などかぶせて、目に入れても痛くないようなかわいがりよう。
だからこのごろのお二人は、顔さえ合わせれば、森でも、牧場でも、
清水のそばでも、星のきらめく空の下でも、どこでもかまわず
きまって大《おお》喧《げん》嘩《か》だ。おかげでおいら妖精どもは、そのたびに
どんぐりの笠《かさ》へもぐり込んで、小さくなって震えてなきゃならないのさ。
妖 精 そのかっこうで思い出したわ、
あなたはロビン・グッドフェロウでしょう、
妖精仲間のいたずら小僧の?
村の娘さんをおどかすのはあなたでしょう?
牛乳のクリームをそっとすくいとったり、急に石《いし》臼《うす》 をごろごろ回したり、
息を切らして攪《かく》乳《にゆう》器《き》を回すかみさんの邪魔をして、
バターをだいなしにしてしまう。ときには、
どぶろくの醗《はつ》酵《こう》を止めてみたり、
夜道に人を迷わせて、うろうろする人の後から大笑いするのはあなたでしょう?
そうかと思うと、ホブゴブリンとか親切者のパックさんとか呼ぶ人があると、
その人の仕事を手伝ってあげたり、幸運を授けたりする、
それもあなたね?
パ ッ ク いかにも、そのとおり。
そのひょうきんな、夜のいたずら小僧こそ、かく申す拙《せつ》者《しや》でござる。
おいらはふざけて、オーベロンさまだって笑わせるんだぞ。
牝《め》馬《うま》に化けてヒンヒン鳴いて
大《だい》豆《ず》で肥った牡馬のやつに一杯食わせてやるのさ。
時には、大きな梅の実に化けて、
おしゃべり婆さんのコップの中に身をひそめ、
婆さんがぐいと一杯ひっかけようとするとたん、口もとにピョンとはね上って、
しなびて、たるんだ婆さんのおっぱいに焼《しよう》酎《ちゆう》をぶっかけるんだ。
もったいぶったおん婆《ば》が得意の長談義をはじめる、
おいらを三脚床《しよう》几《ぎ》と間違えて大きなお尻《しり》をのっけようとするのさ、
と、おいらがひょいとぬける、婆さん尻もちをついて、
「こんちくしょう」とどなったかと思うと、急にコンコン。
するとみんな腹をかかえて笑い出し、
おかしくてたまらなくなって、水っ鼻をふきふき、
こんなおもしろいことはなかった、と言わあ。
おっと、どいた、どいた! オーベロンさまのお出ましだ。
妖 精 こちらからはお后さまが。ああ、王さまが早く行ってしまえばいいのにな。
(一方からオーベロンとそのお供の妖精、他方からタイターニアとそのお供の妖精登場。舞台いっぱい妖精の群れ )
オーベロン 強情っぱり! わるいところで会ったな、あいにくの月夜に。
タイターニア なんですって、やきもちやき! さあ、みんな、あっちへ行こう。
あの人とは二度といっしょに寝たり遊んだりしないことにしたんだから。
オーベロン 待て、はねっかえりの浮気者。おれはおまえの主人じゃないのか?
タイターニア じゃ、わたしはあなたの奥さまではなくって? だのにどうして
あなたは妖精の国をこそこそぬけ出し、
羊飼いのコリンに化けて、あの色っぽいフィリダ《*》を口《く》説《ど》いたり、
一日じゅうよくもあきもせず麦笛を吹いて、恋の唄《うた》を歌ったりしたの?
わたしが知らないと思って? またなんのためにあなたは
ここへやって来たの、はるばるインドの高い山から?
あの長靴をはいた勇ましいあなたの恋人、
あのたくましいアマゾンの女王とやらを、シーシアスに
嫁《とつ》がせるためでしょう。あなたは二人の新床を
祝福しにわざわざやって来たんでしょう。
オーベロン ヒポリタのことなど持ち出して、厚かましく
よくもおれの悪口が言えたものだ。
おまえとシーシアスとの仲をおれが知らないと思っているのか?
おまえはあの男をかどわかし、妻にしていたペリゴーナのところから、
星明かりにまぎれてあの男を連れ出したではないか?
それからあの男と美しいイーグリーズとの仲をさいたではないか?
アリアドニーとの仲も、アンタイオーパ《*》との仲も?
タイターニア みんなあなたのやきもちが作りあげた妄想よ。
夏の初めから《*》というもの、どこで会っても、
岡でも、谷でも、森でも、牧場でも、
小石を敷きつめた泉、草の茂る小川、
海のほとり、どこででも会いさえすればかならずがなり立てるので、
風のかなでる笛の音に合わせて輪踊りしようと思っても、
せっかくの楽しみがめちゃくちゃになってしまう。
だから、むだ骨折って笛を吹かせられた風が
その仕返しのように、海から有毒の霧をすいあげる、
それが雨になって陸地に降りそそぐため、
小さな小川まで一つのこらずふくれあがり、
いばりくさって岸からあふれ出すのよ。
おかげで、くびきをつけた牛の働きもむだになり、
百姓たちの流した汗もなんの役にも立たずに、
緑の麦はひげも生えそろわぬうちに腐ってしまう。
泥沼になった畑のすみの羊小屋には羊の姿はなく、
羊の死体にむらがる烏《からす》ばかりが肥えふとる。
芝《しば》生《ふ》に作った将《しよう》棋《ぎ》盤《ばん》も《*》泥にうまり、
草原のまがりくねった迷路遊びの路すじも消えうせ、
草ぼうぼうに荒れほうだい。
人間たちは冬の着物が欲しくなり、
夜になっても夏祭りの陽気な歌声もきこえてこない。
だから、海を支配なさるお月さまは
怒って顔をまっさおにして、下界の空気をしめらせ、
そのため風《か》邪《ぜ》ひきばかり多くなる。
この気違い陽気のせいで、四季の季節が
すっかり狂ってしまった。白《しら》毛《が》頭の霜が
まっ赤なばらのやわらかな膝《ひざ》におりたかと思うと、
氷った冬のうすくなった頭に、匂《にお》いのいい
夏の花のかわいい冠が、まるでからかうように
のせられる。春も、夏も、
実りの秋も、ふきげんな冬も、いつもとは
ちがった装束であらわれるので、その産物だけからは、
どれがどれやら見分けがつかず、人間たちはまったくとほうにくれている。
こうした天災ももとはと言えば、みんな
二人の喧嘩のせいよ、二人の仲たがいのせいよ、
わたしたちが生みの親、大元だわ。
オーベロン じゃ、おまえのほうで改めるがいい、おまえの心がけ一つだ。
なぜタイターニアは夫たるオーベロンに逆らわねばならぬのだ?
たかがあの捨て子の小僧をおれの小姓にくれ
と言っているだけではないか。
タイターニア ご安心なさい、
妖精の国全部と引換えにだってあの子はあげられませんから。
あの子の母親はわたしの大《だい》の信者でした。
あの香料の香のただようインドの国で、夜になると、
わたしのそばでよくおしゃべりしたり、
海岸の黄色い砂の上に坐《すわ》って、いっしょに
沖を行く商船を眺めたりしました。
船の帆がみだらな風をいっぱいにはらんで、
おなかを大きくふくらませるのを見ては二人で笑いあったわ。
あの女《ひと》はその船のかっこうをまねて──ちょうどあの子をみごもっていた──
かわいい泳ぐような足どりで、
船のあとを追いながら砂の上を走っていくと、
貝がらなど拾ってはまた帰ってきた、
商品をつみこんでは航海から帰ってくる船のように。
人間の悲しさ、あの子のお産で死んでしまった。
あの女のためにあの子を育てているのですもの、
あの女のためにもあの子は手ばなせません。
オーベロン いつまでこの森にいるつもりだ?
タイターニア たぶんシーシアスの婚礼の終わるまで。
おとなしくわたしたちの輪踊りに入って、
月夜の遊びを見物するつもりなら、いっしょに来てもいいわ。
それがいやならあっちへいらっしゃい、わたしもあなたのところへは行きませんから。
オーベロン あの子をくれ、そうすればいっしょに行くよ。
タイターニア 妖精の国をくれてもいやよ。──みんな、さああっちへ行こう。
これ以上ここにいても、喧嘩になるばかり。
(タイターニア、お供の妖精を引きつれて退場 )
オーベロン 勝手にしろ。よくも恥をかかせたな。
この仕返しがすむまでは、この森から出してやるものか。
おい、パック、ここへ来い。覚えているだろう、
おれはいつか岬《みさき》に腰をおろして、
いるかの背にのった人魚が、うっとりするような
いい声で歌を歌っているのを聞いていたっけな。
荒海さえその歌声に聞きほれて静まり返り、
空の星が海の乙女《おとめ》の歌を聞こうと、
熱狂して、いくつも星の座からとび出した、そうだな?
パ ッ ク よく覚えております。
オーベロン あの時、おれの眼には──きさまには見えてなかったろうが──
冷たい月と地球との間を飛んでゆく弓を持ったキューピッドが
見えた。見るとあいつは西の国の玉座にすわる
一人の美しい処女《*》の胸にじっとねらいを定めて、
千万の心臓をもつらぬき通さんばかりに
弓をひきしぼり、恋の矢をひょうとはなった。
だがキューピッドの火のような矢も
清らかな水のような月の光にひやされたらしく、
処女を誓った女王はなにごともなく立ち去られた、
恋に悩まされることもなく、処女の想いにふけったまま。
だが、そのキューピッドの矢の落ちた場所をおれは見ていた。
矢は西の国の小さな草花に当たって、
それまでは純白だった花が恋の矢傷で朱《あけ》に染まってしまった。
それで娘たちはあれを「恋のきちがいすみれ 」(三色すみれ)と呼んでいる。
あの花をとってきてくれ、いつか教えておいた花だ。
あの花の汁を眠っている人のまぶたにつけると、
男でも、女でも、眼をあけたとたんに
見えた生きものに夢中になって惚《ほ》れてしまう。
あの草をとってこい。すぐに帰ってくるのだぞ、
鯨が一キロと泳がぬうちにな。
パ ッ ク お安いご用で、たった四十分でぐるりと地球を
ひと回り。
(パック、風のように退場 )
オーベロン あの花が手に入ったら、
タイターニアの眠っている時を見すまして、
汁を眼にたらしてやろう。
そうすれば、目がさめたとたんに見えたものに惚れこんで、
──獅《し》子《し》でも、熊《くま》でも、狼《おおかみ》でも、牡牛でも、
いたずら者の猿《えて》公《こう》でも、おせっかいな尾無し猿でも──
なんでも見さかいなく、夢中になって追いまわすだろう。
そしてあのかわいい小姓をあきらめてわしの手に渡すまでは、
あれの眼からこのまじないをといてはやらぬぞ、
──なに、もう一つ別な草の汁を使えばわけなくとける。
や、誰か来たぞ。おれの姿は見えない《*》のだから、
ここで彼らの話を立ち聞きしてやろう。
(ディミートリアス登場、その後を追うようにヘレナ登場 )
ディミートリアス ぼくはきみなど愛しちゃいない、だからついて来たりしないでくれ。
ライサンダーとハーミアはどこにいるんだろう?
男は殺してやる、が女にはこちらが殺されそうだ。
二人がこの森へ逃げこんだときみが言うものだから、
こうしてやって来たものの、木の中で気が気じゃない、
かんじんのハーミアに行き会えないんじゃ。
えい、あっちへ行きなさい、もうついて来ちゃいけない。
ヘ レ ナ だってあなたが引くんですもの、ほんとにあなたって冷たい磁石ね。
そのくせ鉄を引こうとしないで、か弱い娘心を引くのね。
はがねのように忠実なわたしの心を。あなたさえ引かなければ、
わたしもついて来られないはずですわ。
ディミートリアス おや、ぼくがきみを引っぱるって? ぼくがやさしい言葉を
かけたことがあるかい? それどころか、はっきり言っているじゃないか、
きみなんか好きじゃない、好きになれもしないって。
ヘ レ ナ そう言われれば言われるほど、あなたが好きになるの。
わたしあなたのスパニエルよ。だから、ねえ、ディミートリアス、
あなたにぶたれればぶたれるほど、なおじゃれつくのよ。
わたしをスパニエルなみに扱ってください、けとばして、ぶって、
ほっといて、うっちゃっといて。ただ後生だから、
つまらない女ですけど、お供させて。
せめてわたしを、犬なみにかわいがって。ねえ、これほど
つつましい愛情のお願いがありまして?
それでもそれがわたしには、せいいっぱいの高望み。
ディミートリアス ぼくをあまり怒らせないでくれ。
きみの顔を見ると、ぼくは胸がわるくなる。
ヘ レ ナ あなたの顔を見ないと、わたしは胸がわるくなるの。
ディミートリアス いったいきみは娘の慎みを忘れたのか、
きみを愛してもいない男を追いまわして
人里はなれたこの森まで平気でのこのこついて来るなんて。
危険な夜中に、しかもよくない考えをおこさせやすい
人気のないところへ、処女という貴い宝を
持ってうかうかやって来るなんて。
ヘ レ ナ あなたの魅力がわたしのお守り。
あなたのお顔さえ見えれば、夜ではないの、
ですから今も夜中だとは思っていません。
この森にしても人気がないなんて大ちがい。
あなたって方がわたしには全世界ですもの。
独《ひと》りぼっちだなんてことはぜったいにありませんわ、
全世界がこうしてわたしを見つめていてくださるんですから。
ディミートリアス ぼくはもう逃げるよ、藪《やぶ》の中へかくれて、
きみを猛獣のえじきにさせてやる。
ヘ レ ナ どんな猛獣だって、あなたほど冷酷ではありませんわ。
逃げたいんなら、お逃げなさい。昔話があべこべになるばっかり。
強いアポロが逃げて、か弱いダフニーが追いかける《*》、
鳩《はと》が鷲《わし》を追跡する、おとなしい牝《め》鹿《じか》が、
虎《とら》を捕えようと後を追う。むだなことだわ、
弱いものが追いかけて、強いものが逃げるなんて。
ディミートリアス きみの話なんか聞いている暇はない。ほっといてくれ。
むりについて来たりすると、人気のない森の中で
どんなひどい目にあうかわからないから。
(ディミートリアス退場 )
ヘ レ ナ そう、神殿の中でも、町の中でも、野原でも、
あなたはしょっちゅうわたしをひどい目にばかり。ほんとにひどい方!
あなたのなされ方は女性全体への侮辱です。
わたしたち女性は男の方のように進んで相手を攻めて行くことはできません。
女は言いよられるもの、自分から相手にせまることはできませんわ。
いいわ、ついて行きます、恋しいあなたの手にかかって
死ぬのなら、地獄も天国ですもの。
(ヘレナ、ディミートリアスの後を追って退場 )
オーベロン しっかりおやりなさい、美しい娘さん。この森を出て行く前に、
おまえさんが逃げて、あの男のほうが追いかける番がくるよ。
(パック、風のようにふたたび登場 )
花とってきたか? ご苦労、ご苦労。
パ ッ ク へい、このとおり。
オーベロン さ、こっちへよこせ。
この森の中にじゃこう草の咲きみだれる土手があって、
桜草やすみれの花もうなだれながら咲き、
甘いすいかずらや、じゃこうばらや野ばらが
天《てん》蓋《がい》のようにその上におおいかぶさっている。
タイターニアは夜のひとときあそこに行って、
花にかこまれ、楽しい踊りになぐさめられて眠りにつく。
あそこでは蛇がエナメルの皮をぬぎすて、
それが妖《よう》精《せい》の身をつつむ着物になる。
おれはそこへ行って、この草の汁をあれの眼にぬりつけ、
いやな幻をいっぱい心におこさせてやる。
きさまもこれを少し持って、森中を探してこい。
アテネのきれいな娘さんが若い男に惚れているんだが、
男の方が嫌っている。その男の眼にぬってこい。
うまくやるんだぞ、男が目をあけたとたんに
その娘を見るようにな。そいつは
アテネ人のなりをしているからすぐわかる
いいか、せいぜい気をつけてな、女よりも
男のほうがずっと夢中になるようにな。
そして一番鶏《どり》が鳴く前におれのところへもどってこい。
パ ッ ク ご心配にゃおよびません。このパックめにお任せください。
(退 場 )
第二場 森の中(他の場所)
(タイターニアとお供の妖精たち登場 )
タイターニア さあ、さあ、こんどは輪踊りと妖精の歌。
それがすんだら、二十秒ばかり、めいめいのお仕事よ。
誰かじゃこうばらの蕾《つぼみ》の虫をとっておやり、
誰かこうもり退治に行って、翼のうすい皮をとってきておくれ、
小さな妖精たちの外《がい》套《とう》を作ってやるのだから。それから
誰かあの騒々しいふくろうを追いはらってきておくれ、
かわいい妖精の姿にびっくりして、毎晩ホーホー鳴いて
うるさくってしようがない。さあ、歌っておくれ、眠れるように。
それから仕事におかかり、そうしてわたしをやすませておくれ。
(妖精の歌 )
妖 精 甲 二枚の舌のまだら蛇、
刺《とげ》にくるまるはりねずみ、
いもり、とかげよ、わるさすな、
お后《きさき》さまに近よるな。
合 唱 うぐいすよ、調べよく、
いざ、歌え、子《こ》守《もり》唄《うた》。
ララ、ララ、ララバイ、
ララ、ララ、ララバイ。
わざわいも、
たたり、のろいも、
つつがなし、お后さまに。
いざ、歌で、おやすみなさい。
妖 精 甲 糸おりぐもよ、近よるな、
脚長ぐもも、さけて行け、
黒かぶと虫、角出すな、
うじ、なめくじよ、這《は》いよるな。
合 唱 うぐいすよ、調べよく、
いざ、歌え、子守唄。
ララ、ララ、ララバイ、
ララ、ララ、ララバイ。
わざわいも、
たたり、のろいも、
つつがなし、お后さまに。
いざ、歌で、おやすみなさい。
(タイターニア眠る )
妖 精 乙 さあ、さあ、あっちへ。これでだいじょうぶ。
一人だけ離れて、見張りをなさい。
(妖精たち退場 )
(オーべロン登場。手に持った花の汁をタイターニアの眼にたらす )
オーベロン 目ざめた時に見るものを、
まことの恋と思いこめ、
夢中でそいつに恋いこがれよ。
猫でも、熊でも、山猫でも、
豹《ひよう》や針毛のいのししでも、
さめたとたん目に入るものが、
おまえのだいじないろ男。
けがれたものが来た時目ざめよ。
(オーベロン退場 )
(ライサンダーがハーミアをつれて登場 )
ライサンダー ハーミア、苦しそうだね、森の中をさんざん歩きまわらせてしまって。
実は道がわからなくなってしまったんだ。
あなたさえよければ、この辺で休んで、
夜の明けるのを待ちましょうか。
ハーミア ええ、そうしましょう。どこか寝場所をさがしてね。
わたしはこの土手を枕《まくら》にしますから。
ライサンダー 一つ芝生を二人いっしょの枕にしましょう。
心も一つ、寝床も一つ、胸は二つで、誠は一つ。
ハーミア いいえ、いけませんわ。お願いだから、ねえ、
もっとむこうに寝てくださいな、そこでは近すぎます。
ライサンダー いや、誤解しないでください、
恋人なら心は互いに通じ合うものでしょう。
こうなんです、二人の心は固く結ばれている、
だから、二人でも心は一つでしょう。
お互いの胸が一つの誓いに結ばれている。
胸は二つで、誠は一つではありませんか。
ですから、あなたの横はいけないなどと言わないで。
横で休んだからって、ねえハーミア、よこしまなことはぜったいしないから。
ハーミア まあ、おじょうずね、ライサンダーったら。
でも、わたしそんなつもりで言ったのではなくてよ、
誰がそんなはしたない、無作法なことを。
ですけど、わたしを愛してくださるなら、
もっと離れたところで横になってほしいの。
お互いにまだ結婚前の男女として、
さすがは行儀正しいなといわれるほどのへだたりを
守りましょうよ。では、おやすみなさい、ライサンダー。
命のある限り、あなたの心が変わりませんように!
ライサンダー アーメン、アーメン、どうぞ変わりませんように!
ぼくが真心を失う時には、どうぞこの命をも失わせたまえ!
ぼくはここで寝よう。ぐっすり眠って、疲れをとりなさい。
ハーミア あなたもね。おやすみなさい。
(両人眠る )
(パック登場 )
パ ッ ク 森の中じゅうかけまわったが、
アテネのやつは姿も見えない。
そいつに会ったら、この惚《ほ》れ薬を
ためしにまぶたにたらしてくれるのによ。
やけに暗えな! や、こいつはどいつだ?
アテネ人のなりをしているぞ。
さてはこいつだな、お頭《かしら》の言ったのは、
アテネ娘を振ったやつだな。
こっちに娘もぐっすりねていら、
しめった汚ねえ土の上によ。
かわいそうに、独りぼっちで、
つれない男とこんなに離れて。
(ライサンダーの眼に花の汁をおとす )
やい、なさけ知らず、きさまのまぶたに
薬をかけるぞ、まじない薬だ。
今度さめたら、夜も寝ないで、
女の尻を追いかけまわせ。
おいらが行ったら、目をさますんだぞ。
おいらはこれからオーベロンさまへ。
(パック退場 )
(ディミートリアス、その後を追いながらヘレナ登場 )
ヘ レ ナ ディミートリアス、待って、殺されてもいいから。
ディミートリアス 行けったら、いつまでもつきまとうな。
ヘ レ ナ まあ、こんな暗《くら》闇《やみ》の中にわたしをうっちゃって行くの? ねえつれてって。
ディミートリアス ついてくるとあぶないぞ。きみなんかに用はない。
(追いすがるヘレナを振り切って退場 )
ヘ レ ナ ああ息が切れる、ばかみたいに夢中で後を追ってきたりして。
わたしって、お祈りすればするほど、お恵みが少なくなるみたい。
どこにいるか知らないけど、しあわせね、ハーミアは。
あんな美しい、人を魅《ひ》きつける眼をしてるんですもの。
あの人の眼はどうしてあんなに澄んでいるんだろう? いえ、涙のせいではない、
わたしの眼のほうがずっと涙で洗われているもの。
だめ、だめ、わたしは熊のようにみにくい女。
けだものでもわたしに出会うと、こわがって逃げてしまう。
ディミートリアスが化け物にでも会ったように、
わたしから逃げ出すのも無理はない。
ハーミアの星のような眼に負けないなどと思いあがらせたりして、
鏡がいけないのだわ、たいへんな罪つくりよ。
おや、誰かいるわ! ライサンダーさんだ! 地べたに!
死んでいるのかしら? 眠っているのかしら? 血は見えない、傷もない。
ライサンダーさん、ねえ、もし生きていらっしゃるなら、お起きなさい。
ライサンダー (半ば眠ったまま)ええ、火の中にだって飛びこみますよ、あなたのためなら。
(ヘレナに気づき)光輝くヘレナ! これぞまさしく自然の魔術だ!
あなたの胸は透きとおり、心臓が見える。
ディミートリアスはどこです? 名前を口にするのも
けがらわしい! この剣で刺し殺してくれる。
ヘ レ ナ まあ、ライサンダーさん、およしなさい、ほんとうに。
あの人があなたのハーミアを恋しているからって、かまわないじゃありませんか?
いいじゃありませんか? ハーミアの心は変わらないんですもの、それで満足なさい。
ライサンダー 満足しろって、ハーミアに? いやだ、今となっては残念だ、
あんな女とたとえどれほどでも時間をむだに過ごしたかと思うと。
ぼくの愛するのはハーミアではなく、ヘレナ、あなたなんだ。
誰が好きこのんで鳩をすてて、烏《からす》をとるものか?
男の愛情は理性に支配されるもの。
理性はあなたのほうがずっと立派だと言う。
成長するものはすべて季節が来ないと成熟しない。
ぼくもまだ若いままに、これまで理性も成熟しきれなかったが、
今や完全な判断力をそなえるようになり、
理性がわたしの愛情を動かして、あなたのその眼を
見なおさせた。あなたの眼はうるわしい恋の書物、
美しい恋の物語がつづられている。
ヘ レ ナ どうしてわたしはこんなにからかわれるんだろう?
あなたにいつどんなことをしたからって、こんな仕打ちを受けねばならないの?
わたしはディミートリアスに今まで一度だって、
やさしい目で見てもらえなかったし、これからだって見てもらえやしないのに、
それだけでたくさんじゃありませんか、たくさんじゃありませんか、
いくらわたしがばかだからって、その上からかわなくてもいいじゃありませんか。
あんまりだわ、ほんとにあんまりだわ、
そんなふうにあてつけてお口《く》説《ど》きになるなんて。
でも、いいわ、さようなら。ほんとにわたし今まで
あなたはもっと立派な方だとばかり思ってきましたのに。
ああ、一人の人からは嫌われ、
それを別の人からからかわれるなんて!
(ヘレナ退場 )
ライサンダー ハーミアには気づかなかったな。ハーミア、そこに寝ていろ、
ライサンダーのそばには二度と来るな。
どんな甘いものでも食傷すれば、
二度と見るだけで胸がわるくなるものだ。
人をまどわすいろいろの邪教にしても、
いったんその迷いからさめた人ほど、憎しみもはげしいものだ。
ぼくにとってきみは食傷した甘味だし、かつてまどわされた邪教でもある。
だから誰からも嫌われるがいい、中でもぼくからはいちばん嫌われるのだ。
さあ、これからぼくは愛情と力のかぎりヘレナを讃《たた》え、ヘレナに仕えるのだ。
(ヘレナの後を追って退場 )
ハーミア (目ざめかけて)ああ、ライサンダー、早く来て!
ああ蛇が胸に! 早くとってちょうだい!
まあ、こわい! なんて夢を見たんだろう?
ライサンダー、ほら、わたしこんなに震えていてよ。
蛇がわたしの心臓を食べてるのに、
あなたったら笑って見てるんですもの。
ライサンダー! まあ、いないの? ライサンダー! まあ!
聞こえないの? 行ってしまったの? ねえ、答えて!
ああ、どこなの? ね、返事して、聞こえたら。
後生ですから、なんとか言って! ああ、こわくって気が遠くなりそうだわ。
聞こえないの? じゃ、近くにはいないのね。
殺されてもかまわない、早くあの人を見つけ出さなければ。
(退 場 )
第三幕
第一場 森の中(前の場と同じ)
(クインス、スナッグ、ボトム、フルート、スナウト、スターヴリング登場 )
ボ ト ム みんなそろったかね?
クインス そろったよ。まったく、ここはけいこにゃおあつらいむきのめっぽういい場所じゃねえか。この芝生のところが舞台でよ、このさんざしの株が楽屋だ。これから科《しぐさ》をつけてけいこしよう、殿さまの御前でやるとおりにな。
ボ ト ム ピーター・クインスさん!
クインス なんだね、ボトムの大将?
ボ ト ム このピラマスとシスビーの喜劇にゃ、どうにもお客さんの気に入るめえと思うところがあるんだがね。第一、ピラマスが自害しようとして、剣をひっこ抜くんだが、こいつはご婦人方にはがまんできめえと思うんだが、どういうもんかね?
スナウト なるほど、そいつは物騒だな。
スターヴリング どうしても、こりゃその自害ってえのを抜いちまわなきゃなるめえな。
ボ ト ム なに、だいじょうぶ。うまくやってのける工夫がちゃんとあるんだ。口上を一丁こさえてくんな。その口上でだな、実は剣は抜くがけっして怪《け》我《が》をさせるようなことはねえって、それからピラマスはほんとうに死ぬんじゃねえって、言わせるのよ。それから、もっと安心させるために、こう断わらせるんだ。かく申すわっちはピラマスだが、ピラマスじゃねえ、実は機屋のボトムだと言わせるんだ。そうすりゃみんなが安心すらあね。
クインス なるほど、じゃそういう口上を言わせることにしよう。こいつはどうしても七五(調)でいくんだな。
ボ ト ム いいや、もう二つまけて、七七でやっつけねえ。
スナウト ご婦人方は獅《し》子《し》をこわがりゃしねえかね?
スターヴリング 心配だよ、ほんとに。
ボ ト ム みんな、ここんとこはよっぽど思案をめぐらさなきゃならねえぜ。ご婦人方の中へ、こともあろうに獅子なんぞ引っぱり出すってえのはとんでもねえこったからな。なぜかって、おまえさん、生きた獅子ぐれえおっかねえ猛禽(猛獣の誤り)はねえからよ。こりゃあよほど用心しなきゃなるめえな。
スナウト だから、もう一丁口上をこさえて、実は獅子じゃねえって断わるんだな。
ボ ト ム いいや、名前を名のらせなきゃなるめえ。それから顔を半分獅子の首っ玉から出しちまうか。そうしてぜひ自分で口上言うんだな。まあ、こんな工合によ、 「ええ、ご婦人方に」──でなきゃ、 「おきれいなご婦人方にお願え申しますが」──と言うか、いや「お頼み申しますが」とするかな、それとも「ご無心申しますが、どうかおっかながらねえでおくんなせえまし、ぶるぶる震えねえでおくんなせえまし、だいじょうぶ命はうけあいますから。ほんとの獅子だと思われちゃ、てまえは情けねえです。とんでもねえ、てまえはそんなもんじゃござんせん、はばかりながらこれでも誰とも違わねえ人間一匹でさあ」──こう言って、かまわねえから、名前を名のっちまいねえ。はっきり指物師のスナッグでございって言っちまうんだ。
クインス うん、そうしよう。ところがね、むずかしいことがまだ二つあるんだよ。つまりだね、大広間にどうやってお月さまを持ち込んだもんかね。知ってのとおり、ピラマスとシスビーは月夜に逢《あい》引《び》きすることになってるんだから。
スナウト おれたちが芝居する晩にゃ月は出ねえかね?《*》
ボ ト ム 暦だ、暦だ。暦でお月さんを探した、探した。
(クインス、袋から暦を出して調べる )
クインス うん、月は出るよ、その晩は。
ボ ト ム じゃ、芝居する大広間の窓を開けっぱなしておきゃいいや。そうすりゃ、おまえさん、自然に窓から月がさしこむじゃねえか。
クインス うん、そうだな。それとも、誰か一人ちょうちんと茨《いばら》の束を持って《*》舞台に出て、てめえはお月さまの役を免ずる、じゃねえ、演ずる者でございます、って断わるんだな。それからもう一つあるんだよ。大広間にはどうしても石垣が要るんだ。筋書きではピラマスとシスビーは石垣の割れ目から語り合うってことになってるんだからな。
スナウト 石垣ときちゃ、ちょっくら持ち込めねえぜ。どうだね、ボトムさん?
ボ ト ム そうさ、誰か一人石垣を演じなきゃなるめえな。しっくいか壁土か石灰を身体にぬりつけて、石垣に見せるんだな。で、その隙《すき》間《ま》からピラマスとシスビーが恋をささやくって段どりだ。
クインス それでいいってことになりゃ、これでみんな片づいた。さあ、みんな坐《すわ》って、めいめいの役をけいこしてくれ。ピラマスから始めておくれ。白《せりふ》がすんだら、あの株の中へひっこむんだよ。めいめいきっかけを忘れないでな。
(パック登場 )
パ ッ ク (傍白)なんだ、がさつな職人ども、なにを大騒ぎしているんだ、
お后《きさき》さまのやすんでいるすぐそばで?
なに、芝居が始まる? よし、見物してやろう、
なんなら、一役買ってもいい。
クインス さ、ピラマスさん、白《せりふ》だ。シスビーさん、出ておくれ。
ボ ト ム 「シスビーどの、花の香のいとけがらわしく」
クインス 「かぐわしく」だよ、 「かぐわしく」だよ。
ボ ト ム 「──いとかぐわしく、
そなたの息もその花のよう、いとし、なつかしのシスビーどの。
や、人声が! そなたはしばらくここに、
すぐにもどって来るほどに」
(ボトムは藪《やぶ》の中へ入る )
パ ッ ク (傍白)とんだピラマスどのだな。
(ボトムの後を追って退場 )
フルート 今度はあっしの番かね?
クインス そうだよ、おまえさんだよ。いいかね、あの人はなにか物音がしたんで、ちょっと様子を見に行ったんだから、またすぐもどってくることになっているんだから。
フルート 「光り輝くピラマスさま、お肌《はだ》の色は白ゆりの花、
両頬は咲きほこるまっ赤な野ばら、
いとりりしくも、うるわしき若殿さま、
疲れを知らぬ若駒のごとくやさしきわらわの殿御、
さらば、ピラマスさま、かならずナガナスの墓地でお待ちいたしまする」
クインス 「ナイナスの墓地」だよ。おい、おい、そいつはまだ言っちゃいけないんだ。ピラマスに返事する時の白《せりふ》なんだから。おまえさんときたら、きっかけもなにもありゃしない、みんなのべたらに言っちまうんだから。いいかい、ピラマスが出る、そこでおめえさんのきっかけは切れるんだ。それ、 「やさしきわらわの殿御」ってとこだ。
フルート ああ、そうか。
「疲れを知らぬ若駒のごとくやさしきわらわの殿御」
(ボトム、ろばの頭をつけて藪から現われる、パックそれに続く )
ボ ト ム 「みめうるわしき若殿とならば、そなたのいとしき夫とならん」
クインス うわっ、おっそろしい! こりゃたいへんだ! お化けだぞ。お祈りだ、お祈りだ! 逃げろ、逃げろ! 助けてくれえ!
(ボトムをおいて、一同逃げ出す )
パ ッ ク そら追え、そら追え、ぐるぐる回れ、
沼でも、藪でも、原でも、野でも。
おいらは馬にも、犬にも化ける、
首なし熊にも、豚にも、火にも。
ヒンヒン、ワンワン、ウォーウォー、ブウブウ、ボウボウ、
馬だあ、犬だあ、熊だあ、豚だあ、火だあ。
(パック、一同の後を追って退場 )
ボ ト ム なんだってやつら逃げちまったんだ? こいつはてっきりいたずらに違えねえ、おれをおどかそうってんだろう。
(スナウト藪から顔を出して )
スナウト あれ、ボトムさん、情けねえ姿になっちまったな! なんてえ面《つら》だあ、そりゃ?
ボ ト ム なんてえ面だ? おめえと同じ馬面かもしれねえな。
(スナウトあわてて入る )
(クインスこわごわ引き返してきて )
クインス あれ、まあ、ボトムさん! とんでもねえこった! おめえ、化けちまったな!
(クインス逃げ去る )
ボ ト ム おれをからかってるんだ、ちゃんとわかってらあ。おれをばかにして、うまくいったら、おどかそうってんだ。だが、やつらがなにをしようと、ここを動くもんか。ここいらをぶらぶら歩き回って、歌でも歌ってやろう、怖がっちゃいねえってところを見せてくれる。
(ときどきろばのような鳴き声を交ぜながら、歌う )
色のまっ黒けな黒つぐみ、
くちばしだけは紅茶色、
同じ調子の歌つぐみ、
細いのどしたみそさざい。
タイターニア (目をさまして)誰だろう、花の床からわたしを起こすのは、天使かしら?
ボ ト ム うそに雀にあげひばり、
一本調子のかっこ鳥、
女房浮気と鳴くけれど、
亭主聞いても知らん顔。
そりゃそうだろう、ばかな鳥をつかまえて文句を言うやつがどこにいるもんか。寝とられ亭主《*》ってあいつがいくらわめいたからって、鳥を相手に喧《けん》嘩《か》してもはじまらねえからな。
タイターニア ねえ、あなた、お願いだから、もう一度歌ってちょうだい。
わたしの耳はあなたの声にすっかり聞き惚《ほ》れてしまったの。
目もあなたの姿に見とれてしまったの。
まあ、ほんとにうっとりするわ、あなたって! 一目見ただけで、
好きな方って思わず言わずにはいられませんわ。
ボ ト ム おかみさん、おめえさんはどうも理屈がわからねえようだね。もっとも、当世じゃ理屈と色恋とはあんまりいっしょにならねえようだがね。誰か中に入って、仲直りさせたらよかりそうなもんだが。いいや、おれにだってたまにゃこんな冗談ぐれえ言えるんだよ。
タイターニア いい男のうえに、あなたはとても頭がいいのね。
ボ ト ム いや、それほどでもねえがね。この森をぬけ出られるだけの知恵さえありゃ、今のおれにはありがてえんだが。
タイターニア いいえ、この森から出たがってはいけません。
あなたはここにいるのよ、いやでもおうでも。
わたしは並の妖《よう》精《せい》じゃなくってよ、
夏の神がいつもわたしのお供をしているんですから。
そのわたしが好きになったんだから、わたしといっしょにおいで。
妖精たちに言いつけて、あなたのお供をさせよう。
宝石が欲しければ、海の底からでもとって来させるし、
花の床であなたが眠っている間、歌を歌わせもしよう。
あなたの卑しい人間の根性を浄《きよ》めて、
空を飛ぶ妖精のように自由にしてあげる。
豆の花、くもの糸、火取り虫、それから芥《け》子《し》の種!
(名前を呼ばれた妖精が順々に彼女の前に現われる )
豆 の 花 はい!
くもの糸 はい!
火取り虫 はい!
芥子の種 はい!
一 同 (会釈して)どこへ参りましょう?
タイターニア おまえたちこの方を大切にして、お仕えするんだよ。
お出かけには先に立ち、おやすみには踊りをお目にかけるのよ。
お食事には、あんずや木いちご、
紫のぶどうや緑のいちじくや桑の実をとっておいで。
花蜂から蜜の袋をかすめておいで、
それから蝋《ろう》のいっぱいついている腿《もも》を切りとって、
ほたるの光でそれに火をともし、
お床の出入りにご案内なさい。
それからきれいな蝶《ちよう》の羽をもぎとって、
おやすみの時に眼にさす月の光を扇代わりに追っておあげ。
さ、みんな頭をさげてご挨《あい》拶《さつ》なさい。
豆 の 花 ようこそ、人間さま!
くもの糸 ようこそ!
火取り虫 ようこそ!
芥子の種 ようこそ!
ボ ト ム これはみなさん、ご免くだせえまし。失礼ですが、あなたさまのお名前は?
くもの糸 くもの糸です。
ボ ト ム どうぞ、くもの糸の旦《だん》那《な》、これからもお心やすくしておくんなさいよ。指をけがした時には、血止めに遠慮なくお世話になりますから。こちらさまは?
豆 の 花 豆の花です。
ボ ト ム どうぞおっ母さんのやわらけえ莢《さや》さんにも、お父っさんの堅い莢さんにもよろしく言ってくださいよ。豆の花の旦那、これからもお心やすくしておくんなさい。あんたさまは?
芥子の種 芥子の種です。
ボ ト ム 芥子の種の旦那、あんたの辛抱強いのはよくわかっておりますよ。あの臆《おく》病《びよう》者《もの》の大男の牛肉野郎があんたの身内の方をうんとこさ平らげやがった。あんたのご親類のおかげで、わたしもこれまでになんど泣かされたかしれませんよ。どうぞこれからもよろしくお願えしますよ、芥子の種の旦那。
タイターニア さあ、この方をご案内して、わたしのあずまやへお連れしなさい。
お月さまがなんだか涙ぐんでいるようね。
おぼこ娘が処女を奪われるのを悲しんで、
お月さまが泣くときには、かわいい花もみんなが涙顔。
わたしの大事な人に口をつぐませて、黙ってお連れして。
(一同退場 )
第二場 森の中(他の場所)
(オーベロン登場 )
オーベロン タイターニアは目をさましたかな?
なにを見つけたかな、目をさまして?
今ごろはそいつに夢中になって、追いかけ回しているはずだが。
(パック現われる )
使いやっこがもどってきたな。どうした、気違い小僧?
なにか騒ぎがもちあがったか、この妖精の森の中に?
パ ッ ク お后《きさき》さんが化け物に首ったけです。
お后さんがうっつらうっつらおやすみの最中、
ところもあろうに、誰も近づかぬ秘密のあずまやのすぐそばへ、
アテネの町のその日かせぎの仕事に追われる
がさつな職人仲間の阿《あ》呆《ほう》どもが、
芝居のけいこに集まったんです。なんでも、
シーシアスさまの婚礼のお祝いの余興に出すんだそうで。
どいつもこいつも間抜けばかり、中でもとびきりとんまな
ピラマス役が、芝居の段取りで、
いったん舞台をひっこんで楽屋の藪《やぶ》へ入りました。
しめたとばかりに、おいらはその時
まんまとそいつの頭にろばの頭をかぶせました。
やがて、相手のシスビー役との応答があるので、
大根先生大みえ切って藪の中から登場する。ところが、
現われ出たやつの姿を一目見るなり、仲間の連中、さあたいへん、
まるで、雁《がん》がそっとしのびよる猟師の姿を見つけたか、
群れをなす灰色頭の小《こ》烏《がらす》どもが鉄砲の音にいっせいに飛び立って、
カアカア鳴きながら、夢中で四方八方へ飛び散るように、
やつの姿に仲間の連中、いちもくさんに逃げ出しました。
切株につまずいて、すってんどうとひっくり返るやつ、
「人殺し!」とわめいて、アテネのほうに向かって助けを求めるやつ。
もともと知恵の足りないのが、今はただおっかない一心で僅《わず》かの知恵もどこへやら、
草や木にまでばかにされ、わるさをされる始末。
茨《いばら》や棘《とげ》に着物をひったくられる、袖《そで》をひきちぎられるやつもあれば、
帽子をとられるやつもある、いやはや、さんざんなていたらく。
こわさのあまり気違いのようになったこいつらをおいらはみんな外に連れ出して、
ろばのお化けのピラマス一人をその場に残してきました。
ちょうどその時、おあつらえどおり、お后さんが目をさまし、
とたんにそのろばにぞっこん惚れこんじまいました。
オーベロン そいつは思ったよりうまくいったな。
だが、アテネの若者のほうはどうだった、
言いつけたとおり、うまく目に惚れ薬をぬりつけたか?
パ ッ ク そっちもぬかりはありませんや。そいつが
アテネの娘のそばで寝ているところをやっつけときました。
目をさましたら、その娘を見るにきまってまさあ。
(ディミートリアスとハーミア登場 )
オーベロン しっ、じっとしていろ、あのアテネ人だ。
パ ッ ク 娘は同じだけど、男のほうは違うなあ。
ディミートリアス ああ、これほどあなたのことを思っているのに、なぜ怒っているんです?
そんなひどい言葉はひどい敵《かたき》にでもおっしゃい。
ハーミア 今はただ叱《しか》ってるだけですけど、今にもっとひどいことになるかもしれなくってよ。
なぜって、あなたはわたしに呪《のろ》われるようなことをなすってるんでしょう。
ライサンダーの眠っているところを殺したりして、
血の川へ足をふみ入れたんなら、さらに深みにふみこんで、
さあ、ついでにこのわたしもひと思いに殺したらどう。
太陽が昼にかならずついて回るように、あの人はいつも
わたしのそばにつききりだった。眠っているわたしを置きざりにして、
どこかへ行ってしまうなんて! そんなことがありうるなら、
この地球をぶち抜く穴があけられると言われても本気にするし、
お月さんがその穴をくぐって反対側に顔を出し、真昼に輝く
兄貴分の太陽を怒らせると言われても素直に信じるわ。
あなたがあの人を殺したに違いない。
そうよ、人を殺した顔だわ、その蒼《あお》ざめて、ものすごい顔は。
ディミートリアス いいえ、殺された男の顔ですよ、これは。
残酷なあなたの剣に心臓をぐさり突き刺されてしまった。
ところが、ぼくを殺したあなたは、あそこにきらめいている
金星のように、晴ればれとして、明るく美しい。
ハーミア それがわたしのライサンダーにどんな関係があって? どこにいるの、あの人?
ああ、お願いだから、ディミートリアスさん、あの人を返してください。
ディミートリアス あいつの死体など犬にくれてやりたい。
ハーミア まあ、人でなし! のら犬! 若い娘の慎みにも限度があるわ。
もう我慢ならない。じゃ、ほんとにあの人を殺したのね?
あなたなんかもう人間の仲間からお断わりよ。
ねえ、一度だけ、このことだけは正直に答えて、後生だから。
あなたは眠っているところを殺したのね、目をさましていたら
とてもかなうものじゃないから? ご立派だわ!
蛇にだって、まむしにだって、できるわね、それだけのことなら。
そうよ、まむしの仕業だわ。あなたはまむしのように卑《ひ》怯《きよう》で、
おそろしい毒を持っている。いいえ、まむしだってあなたよりひどくはないわ。
ディミートリアス なにを勘違いして腹を立てているんです?
ぼくはライサンダーを殺した覚えはありませんよ。
いや、おそらくやつは死んじゃいませんよ。
ハーミア では、後生だから、無事だと言ってください。
ディミートリアス 無事だと言ったら、お礼になにをいただけます?
ハーミア 二度とお目にかからないという特権をさしあげます。
嫌いなあなたのところから、これでお別れします。
わたしとはもうこれきりにして、あの人が生きていようと死んでいようと。
(ハーミア急いで退場 )
ディミートリアス あの剣幕じゃ、ついて行ってもむだだろう。
しかたないから、ここでしばらくやすむとしよう。
睡眠が破産して、悲しみに借金を返さないので、
悲しみの負担がますますふえるばかり。こうして横になって
じっとしていたら、いくらか貸しがとりもどせるかもしれない。
(ディミートリアス横になって眠る )
オーベロン なんてことを! きさま、とんだ人違いをして、
ほんとの恋人の眼に惚《ほ》れ薬をぬってきおった。
この間違いがもとで、不実な男に真心をとりもどさせるどころか、
かえって誠実な恋人を不実に追いやることになってしまった。
パ ッ ク そりゃ運命の女神のせいでさあ、おかげで、真心を持った男は百万人に一人、あとはみんな嘘っぱちな誓いを並べ立てて、女をだましてばかりいるんです。
オーベロン こら、これから森の中を風よりも速くかけ回って、
アテネのヘレナを探してこい。
恋の悩みにつかれはて、顔色もあおざめて、
溜《ため》息《いき》ばかりして、大切な若い血を枯らしている。
なにか幻を見せて、うまくここに連れてこい。
娘が来る前に、この男の眼にまじないをかけておくから。
パ ッ ク はい、はい、そらこのとおり、
だったん人の矢よりも速いや。
(パック、たちまち姿を消す )
(オーベロン、眠るディミートリアスの上にかがみこみ )
オーベロン キューピッドの矢を受けて
朱《あけ》に染った花のしずくよ、
こやつのひとみにしみとおれ。
今度眺める女の姿は
空にきらめく金星のごとく、
輝きまさん、うるわしく。
さめて娘を見るときは
恋せよ、せつに、愛せよ、とわに。
(パック現われる )
パ ッ ク お頭《かしら》さまへご注進!
ヘレナがただ今参ります。
おいらが間違えた若い男は
夢中で女を口《く》説《ど》いてまさあ。
やつらの茶番を見物しましょう。
人間ってやつは、まったくばかだなあ。
オーベロン こっちへ寄ってろ。やつらの騒ぎで
ディミートリアスも目をさますぞ。
パ ッ ク そうなりゃ二人で一人を口説く、
こいつはますますおもしれえや。
なんでもさかさで、ひっくりかえって、
とんちんかんなら、おいらは大好き。
(ヘレナの後を追いながらライサンダー登場 )
ライサンダー どうしてからかってるなどとおっしゃるのです?
ばかにしたり、からかったりするのに涙を流しますか?
見てください、こうして愛を誓いながら、ぼくは泣いています。
涙の中から生まれた誓いに嘘《うそ》があるわけがありません。
どうしてあなたには、からかうように見えるのです?
嘘でない証拠にこんな立派な真心のしるしまで見せているのに?
ヘ レ ナ ますます手がこんできたわね。
真心が二つもあって、殺し合ったら、たいへんよ!
今の誓いの言葉はハーミアのもの。あの人のことはあきらめるの?
立てた誓いが二つでは、なにも誓わないのと同じこと。
ハーミアへの誓いとわたしへの誓いとを天《てん》秤《びん》の両方の皿にかけてごらんなさい、
どちらも作り話のように重みがなく、どちらにも傾かない。
ライサンダー あの女に愛を誓ったころは無分別だったんです。
ヘ レ ナ 今だって無分別ですわ、あの人をお捨てになるなんて。
ライサンダー あいつはディミートリアスが愛しています。彼はあなたを愛しちゃいませんよ。
ディミートリアス (目をさまして)おお、ヘレナ、女神よ、天使よ、完全無欠な美しさ!
ああ、あなたのその眼をなんにたとえよう? その眼にくらべれば、
水晶だってくもっている。ああ、あなたのその唇、
赤く熟《う》れた桜んぼ同士が接《せつ》吻《ぷん》し合っているような、心をそそる唇!
トーラスの山《*》の、東風に吹きつけられた頂上の雪、
あの純白の雪も、あなたのその手にくらべたら、
たちまち烏のように見えるでしょう。ああ、どうか接吻させてください、
そのとうといみ手に、幸福の印章に。
ヘ レ ナ まあ、くやしい! ああ、情けない! わかったわ、あなた方は
みんなでぐるになって、わたしをばかにして、面白がっていらっしゃるのね。
思いやりがあり、礼儀作法をわきまえていたら、
まさかこんなひどい仕打ちはできないはず。
わたしを嫌うだけではあきたらずに、──ええそう、わたしたしかに嫌われている──
寄ってたかってなぶりものにしなけりゃすまないの?
あなた方がもし男なら──みかけだけはそのようだけれど──
よもやおとなしい娘をこんな目にあわせたりできないはず、
心の底から嫌っていながら、愛してるとか、
誓いますとか、歯の浮くようなお世辞を並べて。
あなた方はこれまでハーミアが好きで張り合ってたのに、
今度はこのわたしを嫌うのを張り合うのね。
ご立派な仕打ちよ、ええ、男らしいふるまいですわ、
一人ぼっちのあわれな娘をさんざんからかって、
涙の雨をふらせるなんて! かりにも紳士なら、
なぐさみ半分、小娘をいじめて、
くやしがらせるようなまねはなさらぬはず。
ライサンダー ディミートリアス、あまりにもひどすぎるぞ。やめたまえ。
きみはハーミアを愛している。ぼくが知らないとは言わさんぞ。
ぼくは今この場で、心の底から喜んで、
ハーミアに対するぼくの愛の権利をいっさいゆずるよ。
だからヘレナに対するきみの権利をぼくにゆずりたまえ。
ぼくはヘレナを愛している、これからも死ぬまで愛しつづける。
ヘ レ ナ 人をからかうにもほどがあるわ、こんなでたらめ聞いたことがない。
ディミートリアス ライサンダー、ハーミアはきみにまかす、ぼくはご免だ。
あの女を前には恋したこともあったかもしれないが、はるか昔のこと。
ぼくの心はハーミアのところへちょっとお客にいっていただけだ。
今はわが家のヘレナのもとにもどって来た、死ぬまで
ここに住む決心だ。
ライサンダー ヘレナ、嘘ですよ。
ディミートリアス 嘘とはなんだ、ぼくの真心がわかっちゃいないくせに。
でたらめ言うと、どんなひどい目にあうかわからんぞ。
そら、あそこへきみの恋人が来た、あれだ、きみのは。
(ハーミア登場 )
ハーミア 闇《やみ》夜《よ》で眼のほうはさっぱり利かないけれど、
耳はかえって敏感になる。
見るほうで受けた損害は
聞くほうで倍になって返ってくる。
ライサンダー、あなたを探しだせたのもこの眼じゃなくて、
耳のおかげなの、あなたの声をたよりにここまで連れてきてくれた。
それにしても、なぜわたしを置きざりにしたの? ひどい人!
ライサンダー じっとしてなんかいられるものか、恋しい想いがせき立てるのに。
ハーミア わたしを置きざりにさせるほどの恋しい想いって誰のこと?
ライサンダー 美しいヘレナだ。この人がぼくをじっとさせておかないのさ。
ああ、ヘレナこそ、あそこに光っているあらゆる空の星よりも、
夜の世界を明るく、きらびやかに飾る美人だ。
なぜぼくを探しになど来るのだ? これだけ言ってもまだわからないのか?
きみを捨ててきたのはきみがいやになったからなのだ。
ハーミア 嘘だわ。まさか、そんなはずは。
ヘ レ ナ まあ、この人までがぐるになって。
わかった、わたしをいじめるために、三人でしめし合って、
こんな意地わるな狂言を仕組んだのね。
あんまりだわ、ほんとうに友だちがいのない人!
あなたも仲間なの、あなたまでがいっしょになって、
わたしをいじめようと、こんな卑劣ないたずらをたくらんだの?
内証ごとはすべてあまさず打ち明けあい、姉妹の約束までむすび、
なん時間もいっしょにすごしながら、それでもまだ足りず、
別れを惜しんで、時の速さをぼやいたこと、
それをみんなあなたはお忘れになったの?
仲よしの学校時代や無邪気な子供の時分のことも?
ねえ、ハーミア、あなたとわたしとは手芸の神さまのように、
二人がかりで一つの花を刺《し》繍《しゆう》しあったわね、
二人とも同じ手本で、同じふとんに坐《すわ》って、
同じ調子で、同じ歌を歌いながら。
まるで二人の手も、足も、声も、心も、
みんな一つになったように。そんなにしてともどもに育ってきたわたしたち。
ふたなりの桜んぼのように、さきは二つに見えても
もとは一つにつながってた。
同じ茎にみのったかわいらしいいちごのよう、
つまり、体は二つで心は一つ。
また夫婦の紋のように、二つの紋が一つに組み合わされて、
表向きの家紋は一つ、そんな二人の仲ではなくって。
それなのに、そうした古いよしみも忘れてしまって、
あなたは男の人たちといっしょになって、気の毒な昔の友だちを
からかうの? あんまりだわ。ほんとにひどいわ。
女性全体がわたしに加勢してあなたを非難することよ、
たとえひどい目にあっているのはわたしだけにしても。
ハーミア まあ、あきれた、なにをそんなに怒っているの?
あなたをばかになんかしてないわ。あなたこそわたしをばかにしてるようね。
ヘ レ ナ ライサンダーさんをそそのかして、わたしをばかにするために、
後を追わせてわたしの眼や顔をほめそやさせたのはあなたではなくて?
それから、あなたのもう一人の恋人のディミートリアスに、
ついさっきまでわたしを足《あし》蹴《げ》にしていたあの人に、
わたしのことを女神だの、天女だの、神々しいだの、
この世のものとは思えないだのと、言わせたのもあなたではなくて?
さもなきゃ、わたしを嫌いぬいているこの人がそんなことを言うはずがないわ。
おまけにあんなに心からあなたを大切にしているライサンダーさんがあなたを捨てて、
わたしを愛するなんて、そんなことがありっこないわ、
あなたがそそのかさなきゃ、あなたがおやんなさいと言わなきゃ。
たとえわたしがあなたのようにきれいでないからって、
恋人につきまとわれていないからって、運がよくないからって、
片想いばかりで、いつもみじめな目にばかりあわされてるからって、
同情こそすれ、ばかになさることはないじゃありませんか。
ハーミア わからないわ、なんのことだか。
ヘ レ ナ ええ、どこまでも白《しら》をお切りなさい。知らないふりをなさい。
わたしがむこうを向いたら、舌を出して、
お互いに目くばせなさい。面白いなぐさみをお続けなさい。
この狂言は首尾よく終わったら、記録ものね。
あなた方が同情心、好意、思いやりのひとかけらでも持ち合わせていたら、
わたしをこんなお笑い草になど絶対になさるはずがない。
さようなら。こんな仕打ちを受けるのも、なかば身から出た錆《さび》。
いいわ、すぐにも死んじゃうか、姿を消して、かたをつけるから。
ライサンダー 待ってください。ヘレナ、ぼくの言い分を聞いてください。
わたしの恋、わたしの生命、わたしの魂、わたしのヘレナ!
ヘ レ ナ まあ、お上手だこと!
ハーミア (ライサンダーに)あなた、そんなにからかわないで。
ディミートリアス ハーミアの言うことをきかぬなら、
ぼくがむりにでもきかせてみせるぞ。
ライサンダー さあ、むりにでもきかせたいなら、きかせてみろ。
きみのおどしなど、あの女の頼み同様、なんの利き目もありゃしない。
ヘレナ、ぼくはあなたを愛しています、ほんとうです、命をかけて誓います。
あなたのためなら喜んで命を捨てます。
あなたを愛していないなどというやつをたたき殺してみせます。
ディミートリアス いや、ぼくの愛にくらべたら、こいつのなんか問題になりません。
ライサンダー よし、さあ、あっちへ行って、剣をもってその言葉を証明しろ。
ディミートリアス さあ、来い。
ハーミア (ライサンダーを抱きとめて)ライサンダー、まあ、どうなさるの?
ライサンダー えい、あっちへ行け、エチオピア《*》!
ディミートリアス だめ、だめ、いくら
振り切るようなふりをしても、ついて来るぞといくら息まいてみせたって、
来られるもんか。なんだ、きさま臆《おく》病《びよう》者《もの》のくせに!
ライサンダー えい、はなせ、猫め、いがめ! けがらわしい、はなせったら。
はなさんと、振りとばすぞ、蛇のように。
ハーミア どうして急にそんなに乱暴におなりになったの? どうしたの、
ねえ、あなた?
ライサンダー ねえ、あなた? ちくしょう、渋皮色のだったん人め、えい!
この丸薬め、毒薬め、消えちまえ。
ハーミア それ、ふざけてるのと違うの?
ヘ レ ナ そうよ、ふざけているんですとも、あなただって。
ライサンダー ディミートリアス、さっきの約束はかならず守るぞ。
ディミートリアス 確実な保証がほしいな。そんなあやしげな
ひもつきじゃご免だよ。きみなんか当てにならん。
ライサンダー なに、この女をなぐれと言うのか、殺せと言うのか?
たとえ嫌いな女でも、まさか女にむかってそんなひどい仕打ちができるか?
ハーミア まあ嫌いですって? それよりひどい仕打ちがありますの?
嫌いな女、わたしが? どうして? まあ、どうしてなの、あなた?
わたしハーミアじゃなくって? あなたはライサンダーでしょう?
わたしが急にみにくくなったの?
さっきまで愛していたのに、今では見限ったとおっしゃるの?
ね、見限ったって──ああ、なんということ!──
まさか本気では?
ライサンダー そうとも、本気だとも。
もう二度ときみの顔なんか見たくなくなったんだ。
だから、きれいさっぱり諦《あきら》めろ、惑いも疑いも無用だ。
確かも確か、これほど確かなことはないんだ。いいか、洒落《しやれ》や冗談じゃないぞ、
ぼくはきみが嫌いで、ヘレナが好きなんだ。
ハーミア (ヘレナに)まあ、掏《す》摸《り》よ、あなたは! 毛虫よ!
恋ぬす人よ! まあ、あなたって人は夜中にこっそり出て来て、
わたしの恋人の心臓を盗んでしまったのね?
ヘ レ ナ うまいのね、お芝居が!
あなたには慎みも、娘らしいはじらいもないの?
よくも恥ずかしくないこと? そんなことを言って、腹を立てさせ、
わたしに乱暴な返事をさせようというの?
ひどいわ、ひどいわ、ぺてん師、操り人形!
ハーミア 操り人形? そう、そこがあなたのつけ目なのね。
わかったわ、あなたは二人のせいをくらべて、
ご自分のせいの高いことをひけらかして、
自分のほうがせいが高いから、すらっとしているからって、
それでこの人をまんまと口説きおとしたのね。
それであなたはすっかりのぼせあがったのね、
わたしがこんなにちびで、背が低いからって。
わたしがどれほど低いっていうの、え、塗りたての旗《はた》竿《ざお》さん?
どんなに低くって? いくら低くても、
この爪《つめ》であなたの眼くらいひっ掻《か》けてよ。
ヘ レ ナ (男たちに)ねえ、あなた方、わたしをばかになさっても、
どうぞあの人に乱暴なまねはさせないで。わたしおてんばではありません、
乱暴なまねはとてもわたしにはできません。
子供のように気がよわいの。
わたしに手をあげさせないでね。わたしあの人には
とてもかないませんもの。そりゃ、あの人のほうが
わたしよりちょっとばかり背は低いけど。
ハーミア まあ、また、低いって!
ヘ レ ナ ねえ、ハーミア、どうかそんなに怒らないで。
わたしはいつもあなたを愛していたのよ、ハーミア。
あなたの内証ごとを守ったし、一度だってあなたを怒らせるようなことはしていない。
ただ、ディミートリアス恋しさの一心で、あなたが
この森へ逃げて来たことをあの人に教えてあげただけ。
そこであの人はあなたの後を追い、わたしもあの人の後を慕ってついてきた。
けれどあの人はすごい剣幕でわたしを追い返そうとして、
打つの、蹴るの、殺すのと言っておどかした。
ですから、だまってほっといてくだされば、
愚かな心を抱いて一人でアテネに帰ります。
もうあなた方の後は追いません。さあ、行かせて。
わたしはご覧のとおり、愚かな、思慮のない女です。
ハーミア さあ、さっさとお帰り。誰がひきとめるっていうの?
ヘ レ ナ 誰もひきとめてやしないわ、わたしの未練が残るだけ。
ハーミア え、ライサンダーに?
ヘ レ ナ ディミートリアスにだわ。
ライサンダー 心配しないでいいよ、ヘレナ、あなたに手出しはさせないから。
ディミートリアス このぼくがさせやしないぞ、たとえきみがハーミアの肩を持ったって。
ヘ レ ナ ハーミアは怒ると、とても乱暴でこわいのよ。
小学校のころ、とてもおてんばだったの、
ちびのくせに、とても気がつよいの。
ハーミア また、ちびだなんて! ふた言目には低いとか小さいとか!
(ライサンダーに)なぜわたしにあんな悪口を言うのをほっとくの?
どいてちょうだい。
ライサンダー やめろ、ちび、
一寸法師、寸づまり、
南《ナン》京《キン》玉《だま》、どんぐりめ。
ディミートリアス よけいなおせっかいだよ、きみは、
ヘレナはきみなどの世話になりたくないんだから。
手を出さないでくれ。ヘレナのことは言わないでおいてもらおう。
肩なんか持つことはならん。少しでも恋人気どりを見せたら、
ただではおかんぞ。
ライサンダー もう女の邪魔がないから、
さあ、ついて来い、来られるなら。きさまかおれか、
どちらにヘレナに対する権利があるか、剣で決めよう。
ディミートリアス ついて来い? 生意気言うな、並んで行く。
(両人退場 )
ハーミア あなた、この騒ぎはみんなあなたのせいよ、
だめよ、逃げちゃ。
ヘ レ ナ あなたなんて、もう信用できない。
あなたのようなおてんばといっしょにいるのはご免だわ。
あなたのほうが手が早いから、喧《けん》嘩《か》は強いけど、
脚はわたしのほうが長いもの、逃げるのも速くってよ。
(ヘレナ退場 )
ハーミア まあ、あきれた、どうしたことなの、これ。
(ハーミア退場 )
(オーベロンとパック進み出る )
オーベロン こりゃきさまの不注意からだぞ。しょっちゅう間違いばかりしている。
それとも、承知のうえでのいたずらか?
パ ッ ク いえ、まったく、その、間違えたんで。
アテネ人のなりをしている男だって、
王さまがおっしゃったじゃございませんか。
だからおいらのやったことに落ち度はないんで、
アテネの男に薬をぬりつけたにゃ違いないんですから。
どっちみち、てんで面白い成行きじゃありませんか?
こういういがみあいが、おいらはめっぽう楽しいんで。
オーベロン あの恋人たちは決闘の場所を探している。
だから、おい、急いで、闇夜にしてしまえ。
地獄のアケロン《*》にたちこめるまっ黒いもやを、
今すぐ星月夜の空いっぱいにひろげ、
あのいきり立つ恋敵同士をひきずりまわして、
顔が合わんようにうまく引きはなすのだ。
まずライサンダーの声色をつかって、
さんざんディミートリアスの悪口を言っといてから、
今度はディミートリアスの声でがなりたてろ。
いいか、この手で二人をうまくあしらって、離ればなれにしてしまうのだ。
そのうちには死のように深い眠りが鉛の足どりで、
こうもりのような翼をひろげて、二人のまぶたにしのびよるにちがいない。
そうしたら、この草をしぼってライサンダーの眼にたらせ。
この汁《*》には眼の迷いをはらい、
これまでどおりに物を見せる
あらたかな効能があるのだからな。
彼らが今度目をさますときには、今までのばかな騒ぎが
はかない一場の夢、幻としか感ぜられず、
生死を超えたかたいきずなで結ばれて、
仲むつまじくアテネにもどるだろう。
きさまがその仕事をしている間に、おれは
后《きさき》のところへ行って、あのインドの子供を手に入れ、
それからまじないを解いて、化け物にみいられた
あれの眼を自由にしてやろう。それで、万事めでたし、めでたしだ。
パ ッ ク 王さま、こりゃぐずぐずしちゃいられませんぜ。
夜の女神の竜の車がぐんぐん雲を切ってかけてゆきます。
オーロラ(《あけぼの》の女神)さまのお先触れ《*》が、そら、もうあそこで光りはじめましたぜ。
あいつが現われると、あっちこっちうろつき回っていた幽霊どもが、
ぞろぞろ墓場へもどるころあい。四つ辻《つじ》に埋められた罪人や水死人《*》の
うかばれない亡霊も、
もうみんなうじ虫だらけの寝床に帰っちまった。
あいつらは恥ずかしい姿をお日さまの目にさらすのがこわくて、
自分のほうから日の光を避けて、
いつもまっ黒い顔の夜きり相手にできぬ手合い。
オーベロン おれたちはやつらとはわけがちがう《*》。
このおれはオーロラとは仲のいい遊び仲間、
東天の門がいちめんに燃えるような朱にそまって
大海にむかっておしひらかれ、美しい天の光が
緑の海原をまばゆい黄金に変えるころあいまで、
役人よろしく森の中を闊《かつ》歩《ぽ》できるのさ。
しかし、急いでやれ、ぐずぐずするな。
夜の明けんうちに、かたをつけられぬことはあるまい。
(オーベロン退場 )
(あたりに深い霧がたちこめる )
パ ッ ク こっちだ、あっちだ、そらここだ。
あっちだ、こっちだ、そら走れ。
町でも、村でも、おいらにゃ一《いち》目《もく》、
パックよ、やつらをひきまわせ。
そら、一人来たぞ。
(ライサンダー闇の中をさぐるようにして現われる )
ライサンダー やい、ディミートリアス、どこにいるんだ? 返事しろ。
パ ッ ク (ディミートリアスの声で)ここだ、悪党、ちゃんと抜いて待ってらあ。きさまはどこだ?
ライサンダー よし、今行くからな。
パ ッ ク じゃ、来い、もっと平らな場所へ。
(ライサンダーその声の行くえを追って退場 )
(ディミートリアス闇の中から現われる )
ディミートリアス やい、ライサンダー、返事をしろ。
やい、大ぼら吹きの臆《おく》病《びよう》者《もの》め、逃げやがったか?
返事をしろ! 藪《やぶ》にかくれたのか? どこにもぐった?
パ ッ ク (ライサンダーの声で)やい、臆病者、星にむかっていばっているのか?
決闘だぞって藪にむかってほざいているのか?
来られないのか、やい、臆病者! 陰《かげ》弁《べん》慶《けい》はよさないか。
きさまのような弱虫はむちでなぐりつけてくれる。まともに
剣など抜いては男がすたる。
ディミートリアス うぬ、そこにいたのか?
パ ッ ク やい、おれの声についてこい、こんなところじゃ決闘できんわ。
(ディミートリアス声を追って退場 )
(ライサンダーふたたび出てくる )
ライサンダー いつも先回りしては、はやし立てる。
声のするところへ行ってみると、もう姿が見えない。
あいつはおれよりずっと足が速い。
急いで追いかけるんだが、あいつの逃げ足の速いこと。
とうとうこんなまっ暗な足場の悪い所に出てしまった。
ひとまずここでやすむとしよう。(横になる)やさしい朝よ、
早く来てくれ、おまえが少しでも白みかけたら、
ディミートリアスを見つけて、この恨みをはらしてくれる。
(ライサンダー眠る )
(ディミートリアス走りながらふたたび登場 )
パ ッ ク ほれ、ほれ、ほれ! 臆病者、なぜ来ない?
ディミートリアス こら、動くな、男なら。わかっているぞ、
おれが向かっていくと、あちこち逃げるばかり、
ふみとどまって勝負ができんのだ。
今度はどこにかくれおった?
パ ッ ク こっちだ。こっちだ、ここにいらあ。
ディミートリアス ええい、おれをからかっているのだな。今にみていろ、
夜が明けたら、ひどい目にあわせてやるからな。
それまでどうとも勝手にしろ。なにせすっかり疲れきって、
意地も張りもないわ、この冷たい土の上に横にならんことにはやりきれん。
夜が明けたら、やっつけてやるから、覚悟しろ。
(ディミートリアス横になって眠る )
(ヘレナ現われる )
ヘ レ ナ ああ、いやな夜、長い、あきあきする夜!
お願いだから時間をつづめて! 東の空の嬉《うれ》しい日の出を早めて欲しいの、
わたしを嫌うあの人たちと別れて、
ひとりでアテネに帰れるように。
眠りよ、悲しみの眼を閉ざしてくれるやさしい眠りよ、
わたしをしばらくどこかへそっと連れていってね。
(ヘレナ横になって眠る )
パ ッ ク まだ三人か? 一人足りんぞ。
二人と二人でちょうど二組。
来たな、女が、ふくれっ面《つら》して。
いたずら小僧のキューピッドめ、
やさしい女を泣きわめかせて。
(ハーミア登場 )
ハーミア ああ、くたびれた、ああ、情けない、
露にはぬれるし、茨にはひっかかれるし。
もうこれ以上歩けない、這《は》うこともできやしない。
歩こうにも、足が思うように動いてくれない。
夜の明けるまでここでやすもう。
神さま、ライサンダーをお守りください。決闘にでもなりましたら。
(ハーミア横になって眠る )
パ ッ ク ぐっすりと
眠れ、地べたに。
眼の上に
ぬるぞ、薬を、
ほれ、いろおとこ。
(ライサンダーの目に花の汁をたらす )
眼があけば、
われを忘れて、
うっとりと、
捨てた女に
じっと見とれろ。
好いた同士と
下世話にいうが、
きっとそうなる、眼がさめたらな。
ジャックがジルといっしょになれば《*》、
言うことなしというわけだ。
さあ、これでおすとめすとは元のさや、万事めでたし、めでたしだ。
(パック退場 )
第四幕
第一場 森の中(前の場と同じ)
(タイターニア、ろばの頭のボトム、妖《よう》精《せい》たち登場。オーベロンひそかに後から従う )
タイターニア さあ、この花のしとねにおすわりなさいな、
あなたのかわいい頬 《ほお》をなでてあげるから。
このすべすべした、なめらかな頭にばらの花をさして、
大きなきれいな耳に接《せつ》吻《ぷん》してあげるわ、ねえ、あなた。
ボ ト ム 豆の花はいるかね?
豆 の 花 はい。
ボ ト ム 頭をかいておくんなさい、豆の花さん。くもの糸さんはいるかね?
くもの糸 はい。
ボ ト ム やあ、くもの糸さん、おまえさんお願えだから剣を持って、あざみのてっぺんにとまっている尻《しり》の赤い花蜂をやっつけてきておくんなさい、そうして蜜袋をとってきておくんなさい。あんまりあばれちゃいけませんぜ。蜜の袋を破かねえように気をつけなせいよ。蜜がこぼれて、おまえさんが蜜に流されちゃたいへんだからね。──芥《け》子《し》の種さん?
芥子の種 はい。
ボ ト ム 芥子の種さん、手をかしておくんなさい。まあ、まあ、そんな固くるしいおじぎはやめておくんなさい。
芥子の種 どんなご用でしょう?
ボ ト ム いや、ただね、くもの糸(豆の花の誤り)さんに手つだって、頭をかいてもらいたいのさ。こりゃ床屋に行かなきゃならねえな。顔のあたりがおっそろしく毛むくじゃらになったようだからな。おれはひどく敏感なたちなんでね、毛がちょっとこそばゆくっても、かかねえではいられねえんだよ。
タイターニア ねえ、あなた、なにか音楽をやらせましょうか?
ボ ト ム おれはこれでも音楽にかけちゃ相当な耳を持っているんだよ。ばかばやしでもやってもらおうか。
タイターニア それとも、ねえ、あなた、なにか召しあがる?
ボ ト ム ああ、召しあがるね、かいばを一桶《おけ》ぐらい。ぱりぱりした上等の烏麦ならもりもりやりたいね。いや、待てよ、まぐさがむしょうに食いたくなってきた。上等のまぐさときたら、うまいまぐさときたら、たまらねえからな。
タイターニア わたしのところには大胆な妖精がいるから、
りすの倉を探させ、新しいくるみをとってこさせよう。
ボ ト ム それよか干しえんどうを一つかみか二つかみほしいんだよ。けど、お願えだから、みんなに言いつけて、おれをそっとしといてもらいてえ。どうもねむけがさしてきたようだから。
タイターニア おやすみなさい、わたしあなたを抱いてあげるから。
さ、おまえたちおさがり、めいめいどこかへお行き。
(妖精たち退場 )
ねえ、ひるがおと甘いすいかずらとは
やさしく、こんなふうにからみあうのよ。
皮の厚いにれの木の枝には、つたのつるがこんなふうにからまっている。
まあ、かわいい人! かわいくって、かわいくってたまらないわ!
(両人眠る。オーベロン進み出て二人の姿に眺めいる )
(パック登場 )
オーベロン パック、いいところへもどって来た。どうだ、いい眺めだろう。
あまりにもたわいがないので、かえってかわいそうになってきた。
ついさっきも森の中であれに会ったが、
このいまわしい阿《あ》呆《ほう》におくる花をせっせと集めていたので、
さんざん叱《しか》りつけて、喧《けん》嘩《か》になってしまった。
その時もあれは新しい匂《にお》いのよい花で冠を作って、
こいつの毛むくじゃらの頭にかぶせていた。
まえには花の蕾《つぼみ》にかかって、丸い真珠のように
明るく誇らしげに輝いていた露の玉は
今はかわいい花の眼にうかぶ涙のしずくになって、
こんなあさましい目にあわされるのをなげいている。
わしは思うさまどなりつけてやったが、
あれはただおとなしくあやまるばかりなので、
じゃ、あのさらいっ子をよこせと言ってみた。
すると、あっさり承知し、腰元の妖精に言いつけて、
妖精の国のわしのあずまやまでとどけてよこした。
あの子が手に入ったからには、もうあれの眼の
いまわしい迷いをといてやろう。
パック、おまえアテネの職人の頭から、
お化けの面をはずしてやれ。
目がさめたら、他の連中のように、
無事にアテネにもどれるようにな。
今夜のことはいかにも理解に苦しむ
奇怪な夢としか思えぬようにな。
まず、后《きさき》のからといてやろう。
(女王の眼に花の汁をたらしながら )
元にもどれよ、つねのごと、
元にかえれよ、眼の力。
このダイアナのつぼみには《*》、
キューピッドの花にまさるききめあり。
さあ、タイターニア、目をさまして、さあ、起きなさい。
タイターニア まあ、オーベロンさま! なんて夢をみてたのかしら!
どうも、ろばにすっかり魅《み》いられていたらしいの。
オーベロン そこにおまえの恋人がいるよ。
タイターニア どうしてこんなことに?
まあ、なんていやらしい、見るのも気持がわるい!
オーベロン しっ、静かに──パック、その頭をとってやれ。
タイターニア、音楽をたのむ、五人の者を
普段よりもずっと深い眠りにひき入れるのだ。
タイターニア さあ、音楽をはじめなさい、眠りを深める調べをね。
(静かな音楽 )
パ ッ ク さあ、今度さめたら、生まれついてのどんぐり眼《まなこ》をきょろきょろさせろ。
(ボトムの頭からろばの頭をとり去る )
オーベロン おい、音楽だ! さあ、タイターニア、手をつないで、
みんなが眠っている地面をゆりかごのようにゆすぶってやろう。
(二人、手をとりあって踊る )
これですっかり仲直りができたから、
明日の真夜中にはシーシアスの御殿に行き、
お祝いににぎやかに舞いおさめて、
子々孫々まで末ながく栄えるように祝福しよう。
この二組の恋人同士にも、シーシアスといっしょに
めでたく式をあげさせてやろう。
パ ッ ク あれ、王さま、お聞きなさい、
ほれ、朝のひばりが鳴きだしましたぜ。
オーベロン では、タイターニア、息をひそめて、
夜の影追って空をかけよう。
われら地球をすぐひと回り、
さまよう月をたちまち追いぬく。
タイターニア さあ、参りましょう。では、飛びながら、
お話しください、今夜の次第を。
どうしてわたしが人間たちにまじり
地面の上にねむっていたのか。
(オーベロン、タイターニア、パック退場 )
(突然角笛の音が明るくなってきたあたりの空気をふるわす。シーシアス、ヒポリタ、イージアス、従者たち狩猟姿で登場 )
シーシアス おい、誰か行って、猟犬係をさがしてこい。
五月祭の式もすんだし、
朝もまだ早いので、ひとつ、
ヒポリタにわたしの猟犬どもの合唱を聞かせてやろう。
西の谷間に犬を放せ、みんな放すのだぞ。
さ、急いで、猟犬係をさがしてこい。
(一従者急いで退場 )
ヒポリタ、さあ、山の頂上に登って、
猟犬どもの吠《ほ》え立てる声とその反響とが
入り乱れてあやなす音楽を聞こうではないか。
ヒポリタ いつかヘラクレスさまやカドマスさま《*》とごいっしょに
クレタ島の森でスパルタ犬をつかっての熊狩りを
見たことがあります。あんなに勇ましい犬の吠え声を
わたし今までに聞いたことがありません。森も、
山も、空も、いいえ、あたり一面がこだましあって、
しっくりととけ合う一つの大きな叫びにつつまれたのです。
あんな美しい騒音を、あんなに快いとどろきを、その後絶えて聞いたことがありません。
シーシアス わたしの猟犬もスパルタ種だ。
同じように赤毛で、顎《あご》がたれさがり、左右に
朝露をはらうような大きな耳がたれ、
膝《ひざ》が曲がって、セサリーの牡《お》牛《うし》のように喉《のど》の皮がたるんでいる。
獲物を追うのはおそいが、鳴き声にそれぞれ高低があって、
大小さまざまの鐘のようにおのずから調子が合っている。クレタにも、
スパルタ、セサリーにも、これほどに声の調子の合った猟犬の群れが
勢《せ》子《こ》の声、角笛の響きにこたえて、吠えたてたためしはまだないのだ。
まあ、聞いてみてください。──や、待て、どうしたことか、ここに森の精たちが!
イージアス 殿さま、ここに眠っているのは、これはわたしの娘でございます。
それから、これがライサンダーで、こっちはディミートリアス、
これはヘレナ、ネダー老の娘ヘレナです。
さてもふしぎな、どうしてここに、いっしょにこうして?
シーシアス きっと五月祭を祝おうと思って、朝早く
起きたのだろうが、わたしたちの来るのを聞いて、
祝賀のためにここで待っていたのだろう。
だが、イージアス、たしか今日は
ハーミアが諾否の返事をする日だったな。
イージアス さい、さようで。
シーシアス おい、猟師どもに命じて、角笛でこの若者たちを起こしてやれ。
(角笛の音とときの声。恋人たち目をさまし、驚いてとび起きる )
やあ、お早う。ヴァレンタインのお祭り《*》はとうに過ぎたのに、
この森の小鳥どもは今ごろやっとつがい始めたのか?
ライサンダー これは失礼を。
(一同シーシアスの前にひざまずく )
シーシアス どうか皆立ってくれ。
きみたち二人は敵同士のはずなのに、
どうしてまた急にこんなに仲良くなったのだ?
憎みあうもの同士が並んで眠りながら、
互いに相手をおそれず、疑いもせぬとは。
ライサンダー なんとも、しどろもどろのお答えしかできません、
半ば夢、半ばうつつの状態ですので。正直いって、確かなお答えができかねる始末、
どうした経緯《いきさつ》でここにこうしていることになったのか。
しかし、考えてみますと──いや、真実のみを申しあげたく存じますが──
そう、たしかこういうことでした。
わたしはハーミアといっしょにここへ参りました。わたしどもの目的は
アテネを後にして、アテネの国法のとどかぬ
どこか遠いところへ行って、そこで──
イージアス もうよい、もうよい、──その後はお聞きになるには及びません。
どうかこやつに国法に照らしてのお裁きを、お裁きを。
ディミートリアス、こいつらはこっそり駈《かけ》落《おち》しようとしたのだぞ、
そうなのだ、そうしてわしら二人の鼻をあかそうとしたのだ。
みすみすおまえは妻をとられ、わしは父親としての権利を、
娘をおまえの妻にくれてやる権利を、ふみにじられるところだった。
ディミートリアス 殿さま、二人がひそかにしめしあわせ、
この森で落ち合うつもりと、このヘレナから聞かされて、
かっとなったわたしは二人の後を追い、
ヘレナもわたしを慕ってついて参りました。
ですが、殿さま、なんとも不思議な力のために、
──いえ、ほんとうにその力に動かされたのです──
あれほどハーミアを思いつめていた心が急に淡雪のように消えてしまい、
今ではまるで子供のころむやみに大事にしていた
つまらぬ玩具《おもちや》のようにしか思えないのです。
今ではわたしが心の底から愛し、慕い、頼りにして、
いつまでも見あきぬのはヘレナだけでございます。
この人とは、殿さま、ハーミアに会う前に、
婚約の仲でした。ところが、病気のときにありがちのように、
一時このおいしい食物が見るのもいやになりました。
が、また健康をとりもどし、元の好みにもどりまして、
今ではもう、むしょうに欲しい、好きだ、手に入れたいとただそればかり。
これからは一生この人を愛しつづけるつもりです。
シーシアス 美しい恋人たち、よいところで会えた。
その話はいずれゆっくり聞くとしよう。
イージアス、わたしに免じてまげて承知してもらわねばならぬことがある。
ほどなくわたしたちといっしょに、この二組の若者たちにも
同じ神殿で永遠のちぎりを結ばせたいのだ。
朝もだいぶおそくなったから、
予定の狩猟は中止とし、
みんなそろってアテネへ引きあげよう。三組の男女が
これからめでたく式をあげ、盛大な祝宴をひらくのだ。
さあ、ヒポリタ。
(シーシアス、ヒポリタ、イージアス、従者たち退場 )
ディミートリアス 今までのことが、まるで雲にかすんだ遠い山々のように、
ぼうっとなって、なにがなんだか見分けがつかなくなっちまった。
ハーミア わたしも、眼の焦点がうまく合わないみたい、
なにもかも二重に見えるようよ。
ヘ レ ナ わたしもよ。
ディミートリアスという宝石を拾いはしたものの、
おまえのものと言われても、まだ本気には信じられない。
ディミートリアス ぼくたちはほんとうに目がさめているのかしら?
なんだか、まだ眠って夢をみているような気がするよ。
たしかに、ここに殿さまがいらっしゃって、ついて来いと言いましたね?
ハーミア ええ、そうよ。それから父も。
ヘ レ ナ ヒポリタさまも。
ライサンダー そう、殿さまは神殿に行くから、ついてこいとおっしゃったんだよ。
ディミートリアス じゃ、たしかにさめているんだ。さあ、すぐについて行こう。
そうして、みちみちぼくらがめいめいにみた夢について話し合おう。
(シーシアスの後を追って退場 )
ボ ト ム (目をさまして)おれのきっかけになったら呼んでくんな、返事するから。次のきっかけは「いとうるわしきピラマスさまよ」だ。あ、あ、あー(大きなあくびをして、あたりを見まわす)──ピーター・クインスさん! ふいご屋のフルートさん! いかけ屋のスナウトさん! スターヴリングさん! あれえっ! さてはそっと逃げちまったな、寝ているおれを置きざりにして! とてつもねえ不思議な夢だったな。人間の知恵じゃまともに説明できねえってやつだ。こんな夢をかれこれ吹《ふい》聴《ちよう》してまわるやつはろば野郎に違えねえ。たしか、このおれが、そのろば──いや、誰にだって、そいつはとても言えるもんじゃねえ──(手でこわごわ自分の頭や耳にさわって)なんでも、このおれが、その、なんだ、それからこの頭にゃでっけえ──いや、とんでもねえ、おれの頭になにが生えていたか言ってやろうなんてやつがいたら、そいつはとんでもねえ気違え野郎だ。おれのみた夢は、いまだかつて人間さまの眼で聞いたこともなけりゃ、耳で見たこともねえ、手で味わったこともなけりゃ、舌で考えたこともねえし、心で話したこともねえ、てえした夢だ。こいつはひとつ、ピーター・クインスさんに頼んで、この夢の歌を作ってもらうことだ。歌の題は「ボトムの夢」がいいや。ボーッとしてるからな。そうして、そいつを芝居のおしめえに殿さまの前で歌ってやろう。それとも、ぐっと趣向を変えて、シスビーの臨終に歌うかな。
(退 場 )
第二場 大工クインスの家
(クインス、フルート、スナウト、スターヴリング登場 )
クインス ボトムさんのとこへ人をやってみたかね? まだ帰らねえのかね。
スターヴリング さっぱり消息がねえんだよ。てっきりあの人はさらわれちまったんだ。
フルート あの人が帰ってこなけりゃ、芝居はだめだね。演 《や》れないねえ?
クインス むずかしいな。あの人のほかにゃ、ピラマス役のやれるのはこのアテネじゅうでも一人もいねえからな。
フルート そうさ、あの人はアテネの職人仲間じゃ、一番の芸人だからね。
クインス そうよ、それに男っぷりも一番だ。そいから、声のいいのじゃ、なんたってエロ級だあね。
フルート プロ級って言うんだよ。エロ級なんて、とんでもねえ下らねえもんのことだ。
(スナッグ登場 )
スナッグ おい、みんな、殿さまが今神殿からお帰りだ。それになんでもほかに若え貴族さまが二、三組、式をあげなすったそうだ。おれたちの芝居が演れたら、こいつは出世もんだがなあ。
フルート ああ、ボトムの大将、惜しいことをしたな! 一日六ペンスのお手当を生涯もらえるところをよ、すっかりふいにしちまった。六ペンスってとこははずれっこなかったによ。もし殿さまがピラマスを演らして六ペンスくれねえようなら、おれは縛り首になってもいいや。あの人なら、それくれえの値打ちはあるとも。一日六ペンスは間違えねえ。
(ボトム登場 )
ボ ト ム 若えのいたか? 連中いたか?
クインス ボトムさん! こいつは、うれしいね! こいつは、ごうぎだね!
(一同ボトムをとりかこむ )
ボ ト ム みんな、おれは不思議なことを話さなきゃならねえ。──だが、どんなことかって聞いちゃいけねえぜ。なぜって、こいつを話したら、おれはまっとうなアテネ人じゃねえってことになるからな。──だが、ひとつなにもかもあらいざらいぶちまけるか。
クインス ぜひ聞かしてくんな、ボトムさん。
ボ ト ム いいや、話せねえ。おれが話そうってことは、殿さまが今お食事をおすましになったとこだということだけだ。さあ、さあ、衣《い》裳《しよう》をまとめた、まとめた。ひげには丈夫なひもを付けなよ。靴に新しいリボンを付けて、すぐに御殿に集まるんだ。みんなめいめい自分の役をもう一ぺん読みかえしてみな。要するに、その、なんだ、おれたちの芝居がおとりあげになったんだ。とにかく、シスビーにゃきれいなリネンを着てもらわにゃならねえ。それから獅《し》子《し》の役は、爪《つめ》を切らねえがいいぜ、獅子の爪は長くのびてなきゃならねえからな。それから、お役者さんたち、いいかい、玉ねぎやにんにくを食っちゃいけねえよ、いい息でやらにゃならねえからよ。お客さま方がきっと言うぜ、いきがいい喜劇だってな。言うことはこれだけだ。さあ、出かけたり、出かけたり。
(一同退場 )
第五幕
第一場 宮殿の大広間
(シーシアス、ヒポリタ、フィロストレート、貴族たち、従者たち登場 )
ヒポリタ ほんとうに不《ふ》思《し》議《ぎ》ではございませんか、シーシアスさま、あの恋人たちの申すことは。
シーシアス あまりに不思議な話なので、ほんととは思えない。わたしは
奇怪な昔話やたわいもないおとぎ話のたぐいは信ずることができん。
恋人とか狂人とかいうものは脳が熱して、
ありもしないものを勝手に想像するので、とても
冷やかな理性では理解できないようなことを考えつくものだ。
狂人、恋人、それから詩人のたぐいは、
みな空想で頭がいっぱいにつまっているからな。
広い地獄にも入りきれんほどのおびただしい悪魔の姿を見るもの、
それが狂人だ。恋人もこれに劣らず狂っていて、
ジプシー女の顔にヘレンの美しさ《*》をみとめる者だ。
詩人の眼は不思議な霊感に恍《こう》惚《こつ》として怪しく輝き、
天より地へ、地より天へ、一瞬にしてかけめぐる。
こうして想像力がこの世にないものの
形を作りだすと、詩人のペンは
その姿をいきいきと描きだし、空《くう》漠《ばく》たるものに
定まった居どころと名前を与えるのだ。
強烈な想像力はいろいろな手を使うものだ、
たとえば、なにか喜びが欲しくなると、
すぐにその喜びを持ってくるものを空想する。
あるいは夜中になにか怖ろしいことを思いつくと、
たちまち茂みが熊と思えてくる。
ヒポリタ でも、昨夜の話を一部始終聞いたところでは、
ことにみんなの心がいっしょに変えられているにつけても、
ただの空想のせいばかりとは申せませんわ、
なにかもっと確かなつながりのあることのように思われますの。
でも、とにかく、ほんとに不思議な珍しいこと。
シーシアス あ、あそこへやって来た。恋人たちがうれしそうに、あんなにはしゃぎながら。
(ライサンダーとハーミア、ディミートリアスとヘレナ登場 )
やあ、おめでとう! 恋の喜びと若々しい日々がいつまでも
きみたちの心に伴うように!
ライサンダー わたしどもにまさる喜びが
おふた方のお散歩に、お食事に、おふしどに伴いますように!
シーシアス さあ、さあ、芝居か踊りか、用意があるのか?
夕食のデザートから床につくまでの三時間という
この長い退屈な時間をすごすのになにかあるのか?
祝典長はおらんか?
どんな余興を用意している? この待ちどおしい時を
まぎらすなにか芝居でもないのか?
フィロストレートはおらんか?
フィロストレート はい、これに。
シーシアス おい、今夜はどんななぐさみを用意している?
どんな芝居か? どんな音楽か? なにか面白いことでもなければ、
こののろくさい時間をまぎらしようはあるまい?
フィロストレート 用意しておきましたいろいろなおなぐさみのリストでございます。
この中からまずお気に召したものをお選びくださいますよう。
(書付けを渡す )
シーシアス (書付けを読みながら) 「怪人セントール族との戦い《*》、
ハープに合わせて、アテネの宦《かん》官《がん》これを吟ず」
これはやめよう。これはもう后《きさき》に話したことだ、
従兄《いとこ》のヘラクレスの手柄話をした折りに。
「バッカスの祭りに酩《めい》酊《てい》したる女たち《*》怒って
トラキアの楽人オルフュースを八つ裂きにしたる騒動の場」
これは古い趣向だ。わたしがこの前テーベから
凱《がい》旋《せん》したときにも演《や》ったことがある。
「九人の美の女神たち先ごろ貧窮の中に
この世を去りし学者の死《*》をいたみ嘆くこと」
これは諷《ふう》刺《し》だな、皮肉で、ぴりっと人を刺すのだろう。
婚礼の余興にはふさわしくない。
「若きピラマスとその恋人シスビーとの
くだくだしく短き一場、いとも陽気なる悲劇」
陽気で悲しい? くだくだしくって短い!
熱い氷、燃える雪、というようなものだ。
この不調和をどう調和させる?
フィロストレート その芝居と申すのが白《せりふ》の言葉が十ばかりにすぎず、
わたくしの存じます限り脚本としては無類の短さでございますが、
実のところ、そのわずか十の言葉だけ、長すぎるのでして。
そのために「くだくだしい」と申すことになるわけ。なにせ、
まともな白《せりふ》も、うなずける役柄も、皆無というできそこない。
なるほど、悲劇には相違ございません、
主人公のピラマスが自害し果てるのでございますからな。
わたくしもその稽《けい》古《こ》を見まして、じっさいに
涙を流しました。が、あれくらいおかしくって、
涙を流したことはございません。
シーシアス それを演るのはどんな者どもだ?
フィロストレート このアテネの町で働いております職人連中でございます。
これまでこんなことについぞ頭を使ったことのない手合いでございますが、
おめでたいご婚礼の余興にと、この芝居を準備いたしまして、
大骨折って慣れぬ白《せりふ》を覚えこんだのでございます。
シーシアス じゃ、それを見よう。
フィロストレート いいえ、殿さま、とてもご覧になれるようなしろものではございません。
一見いたしましたが、もうまったくつまらぬ、たわいもないものでございます。
ご覧に入れるつもりで、そりゃ一生懸命気の毒なほど苦労して、
白《せりふ》を覚えこんでおりますが、その心意気だけが
おなぐさみになりますくらいのものです。
シーシアス その芝居を見よう。
単純で正直な心で演じてくれるものなら、
どんなものにせよ、不都合はあるまい。
さあ、つれて来てくれ。──ご婦人がた、席におつきなさい。
(フィロストレート退場。人々はそれぞれ席につく )
ヒポリタ なれない人たちが力に余る仕事に取り組んだり、奉公熱心から
みすみす失敗とわかっている仕事にかかるのを見せつけられるのは、やりきれませんわ。
シーシアス いや、だいじょうぶ、そんな心配はいらない。
ヒポリタ でも、その人たちはこの道にはなんの心得もないとか。
シーシアス たとえ見どころがなくても、面白がって見てやるのが深い思いやりというもの。
相手の間違いを真《ま》に受けてやるのがわれらの楽しみ。
正直な勤め心でやり損じたことは、寛大な心で、
その努力を買ってやり、できばえを問わない。
わたしが訪ねたある所で、偉い学者たちが、
あらかじめ用意してあった歓迎の辞を述べようとした。
が、いよいよその場になると、先生がた震えて、まっ蒼《さお》になり、
言葉も途中でとぎれとぎれにつかえるし、
慣れた演説口調もどこへやら、あまり固くなって声が喉《のど》にひっかかるやら、
とどのつまりは、途中でつかえてしまって、
せっかくの歓迎の辞も述べずじまいに終わった。だが、
わたしはこの沈黙の中から熱心な歓迎の意をくみとったよ。
おそるおそる、このわたしに心から尽くそうとするその内気さの中に、
さわやかな弁舌をもってあたりかまわずまくしたてる
雄弁にけっして負けないこころざしをわたしは読みとることができた。
だから、真情にあふれた正直な心は
たとえ言葉は少なくとも、語るところは多いと、わたしは思うよ。
(フィロストレートふたたび登場 )
フィロストレート 口上役が参りました。
シーシアス さあ、さあ、ずっとこちらへ。
(トランペットのファンファーレ。口上役のクインス登場 )
口 上 役《*》 「もしそれご不興をかわんか、これひたすらわれらの望むところ。
はすなわちひとえにご不興をかわんと。われらまかりいずるにあらず
ただ拙《つたな》き技をご覧に供せんことを。のみ願うものとご推察あらんことを
われらの大目的のそもそもの発端これなり。
かくわれらご前にまかりいず、悪意をもって。いずくんぞ
来たらん、ご満足をいただかんことをのみ願いて。
われら目ざすところ皆々さまを楽しませんのみ、
いずくんぞ来たらん。皆々さまを失望させんために
俳優どもの用意はととのえり。願わくば、彼らの舞台により、
芝居の一部始終、残らずご覧くださらんことを」
(口上役のクインス退場 )
シーシアス あいつめ、句切りもなにもまるでおかまいなしだ。
ライサンダー むちゃくちゃにとばしましたな。まるであばれ馬みたいに、てんでおさえがきかないんですな。よい戒めですよ──口をきくだけではだめ、正しくきかねば。
ヒポリタ あの人の口上はまるで子供がフルートを吹いているみたいですわね。音は出ても、まるで調子はずれ。
シーシアス もつれた鎖だ。どこといって切れてはいないが、雑然として、体をなさぬ。つぎはなんだ?
(ピラマス〔ボトム 〕、シスビー〔フルート 〕、石垣〔スナウト 〕、月光〔スターヴリング 〕、獅子〔スナッグ 〕、説明役のクインス登場 )
説 明 役 「皆さま方にはこのだんまり芝居の顔ぶれをご覧なされて、
さだめし不思議とおぼしめされましょうが、真相はやんがて明々白々になりまする。
これなる男は何者かと申せば、これぞピラマスどのにござります。
こちらにひかえし花も恥じろう別《べつ》嬪《ぴん》さんは、これぞシスビーどの。
この、石灰としっくいを塗り立てたる男は石垣役、
これなる二人の恋人衆をつれなくへだてる憎っくき石垣にござります。
この石垣の隙《すき》間《ま》を通して、哀れ二人は互いに恋をささやきあい、
わずかに心をなぐさめましたる次第、嘘《うそ》いつわりはござりません。
この提《ちよう》燈《ちん》と茨《いばら》の束を持ち、犬をつれましたるこれなる男は
月の役を勤めまする。それと申しまするのが、この恋人衆は
月の光をたよりにして、ところも恐ろしきナイナスの墓地にて
あいびきをなし、つもる想いを語らいあったのでございます。
ところがたいへん、これなる獅子と呼ぶものすごい獣めが
約束どおり夜ふけにただ一人、一足さきに参りましたるシスビーどのを
おびやかしたのでござります、いや、その、おどかしたのでござります。
おどろいて逃げるとたんに、シスビーどのはマントをおとされる。
それをば、くだんの憎っくき獅子めが血だらけの口にくわえて振り回す。
それとは知らぬピラマスどの、若衆姿もほれぼれと、いそいそ急いで来てみれば、
こはいかに、恋しいシスビーどののマントはむざんや血《ち》汐《しお》に染まって。
さてはてっきり獅子に食われしものと思いこみ、やにわにやいばを
やわらかな胸元めがけて、やっとばかりにやっつけまする。
いっぽう、桑の木《こ》蔭《かげ》にしばらく身をひそめておりましたシスビーどのは
ピラマスどのの短剣を引き抜き、あいはてまする。その他委細は
これなる獅子やら、月やら、石垣やら、恋人衆やらが
舞台を勤めまする間に、くわしく申しあげさせまする」
(石垣とピラマスをのこして役者一同退場 )
シーシアス 獅子が口をきくのかな?
ディミートリアス 不思議はございません、獅子にも一匹ぐらい口をきくのがいても。
ろばがいくらも口をきく世の中ですから。
(石垣役進み出る )
石 垣 「この芝居におきまして、てまえスナウトと申しますが、
石垣の重い役を勤めることに相成りました。
この石垣と申しますのが、どうかご承知おき願いますが、
中に割れ目と申しますか、隙間と申しますか、それがあるんでございまして、
そこから恋人衆のピラマスとシスビーとが
人目をしのんでしげしげ恋をささやくのでございます。
このねば土としっくいとこの石とでもって、てまえが
くだんの石垣だってことがわかるようになっていますんで。まあそんなわけでございます。
それから、これがその割れ目で、こう右と左と、(両手の指を丸めて)
この間から恋人衆がこわごわ恋をささやきあうというすんぽうで」
シーシアス しっくいの白《せりふ》としては、最高だ。
ディミートリアス こんな気のきいたことを言う石垣ははじめてです。
(ピラマス前に進み出る )
シーシアス ピラマスが石垣のところに来たぞ。しいっ!
ピラマス 「ああ、もの怖ろしき夜よ! ああ、まっ黒けの夜よ!
ああ、夜よ、日が暮れればかならず訪れる夜よ!
ああ、夜よ! ああ、夜よ! ああ、あわれ、悲しや、
もしやいとしいシスビーどのが約束を忘れたのでは。
さても、そなたよ、ああ石垣よ! ああ、なつかしい、やさしい石垣よ!
いとしい方の父御の屋敷とわが父の屋敷との中をへだてる石垣よ!
ああ、石垣よ、石垣よ! ああ、なつかしい、やさしい石垣よ!
いざ、割れ目を見せて、わがこの眼にのぞかせてくれい。
(石垣指を丸めて、さし出す )
かたじけない、親切な石垣どの。ジョーヴの神のみ恵み、そなたの上にあるように。
やっ、なにも見えぬわ、シスビーどのの影さえ見えぬ。
おのれ、憎っくき石垣め、うれしい人の姿をなぜ見せぬ、
くたばりおれ、石垣め、おれをまんまとだましおって!」
シーシアス あの石垣は生きているのだから、黙っておらん、きっとどなり返すぞ。
ピラマス いいや、そうはならねえんです。「おれをまんまとだましおって」というのが、シスビーのきっかけなんです。これからあれの出になるんで、それをわたしが石垣の隙間からのぞいて見つけるって段取りになってまさあ。見ていてご覧なさい、ちゃんと言ったとおりになりますから。そら、来た、来た。
(シスビー登場 )
シスビー 「ああ、石垣よ、そなたはこれまで数知れずわらわの溜《ため》息《いき》を聞きやったな、
わらわのいとしいピラマスさまとわらわの仲をつれなくへだておって。
わらわの桜んぼの唇はそなたの石をなんぼキスしたことやら。
石灰と馬の毛とでぬりかためたこの冷たい石を」
ピラマス 「やっ、声が見える。どれ、割れ目に行って、
シスビーどのの顔が聞こえるか、うかがいくれん。
シスビーどのや!」
シスビー 「ああ、わらわの恋人! 恋人であろうがな?」
ピラマス 「あろうがなかろうが、われらはそなたの恋人じゃよ、
そして、ライマンダーのように《*》、いつまでも真実に」
シスビー 「そしてわらわはヘレンのように《*》、運命の神に殺されるまで変わらずに」
ピラマス 「シャファラスがプロクラスを想うより《*》、われらはそなたに忠実に」
シスビー 「シャファラスがプロクラスを想うように、わらわはおんもとを」
ピラマス 「ああ、この憎い石垣の穴からわが唇にキスしてくだされ」
シスビー 「キスはしても、穴にとどくだけで、おんもとの唇にはとどきませぬわいな」
ピラマス 「ナガナスの墓地にこれからすぐに来て、会ってはくださりませぬか?」
シスビー 「死のうと生きようと、今すぐ参りまする」
(両人退場 )
石 垣 「こうして石垣のてまえの役もこれにて無事に勤めおわりました。
おわってしまえば、石垣はこうしてひっこみまする」
(石垣役退場 )
シーシアス これで両家の間の壁はこわれてしまった。
ディミートリアス しかたありませんな、黙って立ち聞きするようなずうずうしいやつですから。
ヒポリタ こんなばからしいお芝居って見たことがありませんわ。
シーシアス およそ芝居などというものは、最高のできばえでも影にすぎない。最低のものでもどこか見どころがある、想像でおぎなってやればな。
ヒポリタ でも、それはあなたご自身の想像ですわ、あの人たちのではなくて。
シーシアス いや、あれらが自分で想像しているほどにこちらが想像してやれば、あれで立派な役者として通る。あ、来たぞ、けだかい動物が二匹、人間と獅子だ。
(スナッグの獅子とスターヴリングの月光登場 )
獅 子 「ご婦人さま方に申しあげます。あなたさま方はとてもおやさしくって、
おっそろしくちいちゃな小鼠が床を走ってるのを見てさえこわがりますから、
どうもうな獅子がほんとにあばれ回って吠《ほ》え立てたら、
きっとおっかながって、ぶるぶる震えなさるに違えございません。
だから、前もって断わっておくんですが、実はてまえ指物師のスナッグという者で、
けっして恐ろしい牡《お》獅《じ》子《し》でも、牝《め》獅《じ》子《し》でもございません。
てまえがほんとの獅子になって、ここへあばれこんだとなったら、
こいつはまったくなんとも情けねえ話じゃございませんか」
シーシアス なかなかやさしい動物だ、それに言うことが正直だよ。
ディミートリアス 獣としてはちょっと類がないほどけだかいやつですな。
ライサンダー だが、この獅子は勇気にかけてはまず狐《きつね》と《*》いうところですかな。
シーシアス いかにも、そして分別では鵞《が》鳥《ちよう》だろう《*》。
ディミートリアス いや、いや、あいつの勇気では、とても分別には手が出せません。ところが狐はあっさり鵞鳥をかたづけますからな。
シーシアス いや、あいつの分別では、たしかに勇気には手が出せない、鵞鳥は狐に手が出せないからな。が、まあいい、それはあいつの分別にまかせるとして、月の言うことを聞いてやろう。
月 光 「この提《ちよう》燈《ちん》は角のかっこうをした三日月さんなのでございます」
ディミートリアス 角は自分の頭に《*》つけてくればいいのに。
シーシアス あれは三日月ではない、満月だよ。だから角は丸い輪の中にかくれて見えないのだ。
月 光 「この提燈は角のかっこうをした三日月さんなのでございます。
てまえは月の中の男のつもりでございます」
シーシアス 今までのうちではこれがいちばんおかしい。あいつはあの提燈の中へ入っていなければならんわけだ。それでなくて、どうして月の中の男と言えるかね?
ディミートリアス ろうそくが燃えていますからな、中へは入れませんよ。ご覧のとおり、もうじりじり盛んにいぶっていますよ。
ヒポリタ この月にはうんざりね。早く変わってくれればいいのに!
シーシアス 知恵のにぶいところを見ると、もうそろそろかけそうだ。義理からも、道理からも、沈む時まで待ってやらねばなるまい。
ライサンダー こら、月、先を言え。
月 光 「ええ、あの、あっしの言うことは、ただこの提燈がお月さんで、それからあっしが月の中の男で、それからこの茨《いばら》の束があっしの茨の束で、それからこの犬があっしの犬であります、ということだけであります」
ディミートリアス そりゃみんな提燈の中へ入っていなければならんじゃないか、みんな月の中にあるんだから。が、しいっ、シスビーが出たぞ。
(フルートのシスビー登場 )
シスビー 「ここがナガナスの墓地じゃわいな。わらわの恋人はいずこにおじゃる?」
獅 子 「うおっ!」
(シスビーあわててマントを捨てて退場 )
ディミートリアス ようよう、獅子、唸《うな》りっぷりがいいぞ。
シーシアス ようよう、シスビー、逃げっぷりがいいぞ。
ヒポリタ ようよう、お月さん、照りっぷりがいいわよ。ほんとにあの月は品よく照らしていますこと。
(獅子がシスビーのマントをくわえて振り回す )
シーシアス ようよう、獅子、くわえっぷりがいいぞ。
ディミートリアス 待ってました、ピラマスどの。
(ピラマス登場、獅子退場 )
ライサンダー おなごり惜しゅう、お獅子どの。
ピラマス 「やさしい月よ、かたじけない。そなたの日の光、かたじけない。
月よ、かたじけない、よくぞ明るく照してくれる。
そなたのうるわしい、金色にきらめく光で、
あの真実のシスビーどののしのぶ姿がしかと見わけられる。
や、こはいかに、ああ、情けなや!
や、しかと見よ、あわれ、もののふ、
なんたることか、このありさま!
まなこよ、見つるか、
なんとて、かくは?
ああ、わが子鳩、いとしいそなた!
そなたのマントが
血《ち》汐《しお》にそまり!
いざ、来たれ、復《ふく》讐《しゆう》の神!
運命よ、いざ、いざ、
わが玉の緒を切れ《*》、
いざ、くだけ、くつがえせ、くるえ、くい切れ!」
シーシアス 恋人の死に加えて、そのうえこの大愁嘆なら、みんなほろりとさせられるだろう。
ヒポリタ ほんとに、あの男が気の毒になってきましたわ。
ピラマス 「ああ、自然よ、なぜにそなたは獅子なんぞ造りおったのじゃ?
憎っくき獅子がいたればこそ、わが恋人はあたら花の命をうしのうてしもうたわ。
あの人こそは世界一の美人であるものを──いや、いや──あったものを、
この世にあって、愛し、愛され、明けくれ、明るく遊んでおったものをなあ。
いざ、涙よ、かきくもれ、
えい、刃よ、つきとおせ、
ピラマスのこの乳首を。
うむ、左のこの胸、
心臓のあるこっち側だ。
(胸を刺す )
こうしてわれらは死んでゆく、ゆく、ゆく。
もうわれらは死んだ、
魂はぬけ出した。
あれ、もう空へ舞いあがった。
息よ、消えろ、
月よ、とだえろ。《*》
(月光役あわてて退場 )
さあ、死ぬ、死、死、死、死」
(ピラマス顔をおおう )
ディミートリアス 四、四、四って言ってるが、一じゃないか。あいつ一人きりなんだから。
ライサンダー 一にもならないさ。死んじまったんだから、ゼロだよ。
シーシアス 外科医の手にかけたらまだ助かるかもしれんぞ。もっとも生き返ったところで一人前には扱えんが。
ヒポリタ 月はどうしてひっこんでしまったんでしょう? これからシスビーが来て、恋人を見つけなきゃならないのに。
シーシアス 星明かりで見つけるさ。そら出て来た。あれの愁嘆でこの芝居もおしまいだ。
(シスビー登場 )
ヒポリタ あんなピラマスのためなら、長い愁嘆場はいらないわ。短くやってもらいたいわ。
ディミートリアス あのピラマスとこのシスビーとでは、どっちもどっち、ちょうどいい勝負ですな。
あいつが男だってこともとんでもないことだが、こいつが女だってこともそら恐ろしい話だ。
ライサンダー そら、もう恋人を見つけましたよ、あの愛敬のある眼で。
ディミートリアス 始まり、始まり、嘆きの一場!
(シスビー、倒れているピラマスのそばに駆けより )
シスビー 「ねえおいでかえ、いとしいお人!
死んでかいな、おんもとは?
ああ、ピラマスさま、お起きなされ、
もの言うてくだされ。言わぬのかえ?
死んでか、ほんに死んでか? ああ、
かわいいこの眼も土に埋めにゃならん。
この白ゆりの唇も、
桜んぼのこの鼻も、
この桜草のほっぺたも、
みんな冷たくなってしもうた。
恋人たちよ、泣いてくだされ。
眼はにらのように緑だったになあ。
ああ、運命の女神たち、
さあ、さあ、早う来て、
乳のように白い手を
血汐の中へ浸すのじゃ、
いとしいお方の玉の緒を
はさみ切りしはおぬしがしわざ。
舌よ、なにも言うまいぞ。
頼みの剣よ、早う来て、
わらわの胸を血汐でそめておじゃ。
(胸を刺す )
やさしい皆さま、ごきげんよう。
こうしてシスビーは死にまする。
さらば、さらば、いざさらば」
(ピラマスの上に倒れ伏す )
シーシアス 月と獅子が生きのこって、死《し》骸《がい》をかたづけるわけだな。
ディミートリアス それから石垣もおります。
ボ ト ム (むっくり起きあがって)いいや、間に立っていた石垣はもうこわれちゃいました。
これから結びの口上をお目にかけやしょうか、それとも仲間の二人でバーゴマスクの道化踊り《*》を踊って、お耳にいれやしょうか?
シーシアス いや、結びの口上はよろしい。この芝居には言い訳はいらんからな。言い訳はするな。役者がみんな死んでしまったのだから、非難のしようがない。いや、これを書いた作者がピラマスを演じて、シスビーの靴下止めで首でもくくってくれたら、すばらしい悲劇になるのだがな。いや、面白かった、じっさい、立派に演じてくれた。が、そのバーゴマスクというのを見せてくれ。結びの口上はいらんぞ。
(ボトムとその仲間の道化踊りがあって、役者たち退場 )
真夜中の鐘が十二時を打った。
恋人たち、おやすみなさい。もうそろそろ妖《よう》精《せい》たちの出る時刻だ。
今夜は思わず夜ふかししたので、
明日の朝は寝すごしそうだ。
このたわいもない芝居が、
宵の時刻のおそいあゆみをまぎらしてくれた。みんな、おやすみ。
これから二週間この祝いをつづけよう、
夜ごとに宴をはり、趣向の変わった遊びをしよう。
(一同退場 )
(パック箒《ほうき》を持って登場)
パ ッ ク かつえた獅子が獲物に唸《うな》り、
狼《おおかみ》どもが月見て吠《ほ》える。
畑仕事にうちくたびれて、
百姓どもはいま高いびき。
炉ばたの残り火ほのかに光り、
いやな梟《ふくろう》がうるさく鳴いて、
枕《まくら》のあがらぬみじめな人に
経かたびらを思い出させる。
ちょうど真夜中、淋《さび》しい墓場に
並んだお墓が口をひらいて、
亡者の群れがぞろぞろ連れだち
お寺の道をすいすいとおる。
今こそ、すだまのおいらの天下だ。
月の女神のお馬車のあとから、
お日さまなんぞはるか後ろに、
夢のように、闇《やみ》夜《よ》を追いかけ、
おいらは浮かれる。鼠一匹
今夜はさわぐな、めでたいこの家。
おいらは箒で、扉のうしろの
ちりをはらいに、先に来たのさ。
(オーベロン、タイターニアおよび妖精の群れ登場 )
オーベロン かすかに残る炉の火をつけて、
家中ほのかに照らし出せ。
かわいいすだまら、ひとり残らず、
小鳥のように軽やかに踊れ。
おれの後から声をあわせて
歌って踊れ、足どり軽く。
タイターニア 先にあなたがお歌いなさい、
ことば、ことばを節おもしろく。
手に手をとって、声もやさしく、
この家の幸《さち》を歌いましょう。
(一同歌い、踊る )
オーベロン いざ、すだまらよ、夜明けまで、
館《やかた》のうちそと、くまなくめぐれ。
われら二人は新床を
祝いきよめん、おごそかに。
ここで生まれる子どもらに
ゆく末ながく幸《さち》あれかし。
三組の夫婦ともどもに
仲良く暮らせ、いつまでも。
生まれついてのあしききず
その子どもらになきように。
ほくろ、みつ口、きずのあと、
生まれながらにきらわれる
不吉なしるし、ただ一つ
その子どもらになきように。
このきよらかな野の露を
すだまら、それぞれ、手に持って、
部屋部屋のこらず祝福せよ、
この宮殿に平和あれ、
主《あるじ》の上に恵みあれ、
安らかなれと祈りつつ。
いざ、急ぎ、
仕事にかかれ。
夜明けまでには、皆かえれ。
(一同退場 )
結びの口上
パ ッ ク わたしども影ぼうしのこの舞台、
お気にさわりましたら、どうぞおぼしめせ、
しばらくここでまどろみながら、つまらぬ夢を見たものだと。
さすればきっとお怒りもおとがめもなくすみましょう。
夢のようにたわいもない、
お粗末きまわるこの芝居を
笑いとばしてお許しください。
わたしも正直者で通ったパック、
お見のがしいただけますなら、
思いもかけぬこの身のしあわせ、
ほどなくきっと目ざましい舞台を
ご覧にいれましょう。
パックは嘘は申しません。
皆さまどうぞ、ご機《き》嫌《げん》よろしゅう。
ごひいきいただけますなら、お手をどうぞ。
お礼はたっぷりこの舞台からパックがさせていただきます。
(退 場 )
注 釈
*(シーシアス) 「あと四日で」 この時から「あと四日で」新月が出て、結婚式が行なわれるというが、実のところ、挙式は翌々日の計算になる。これはこの部分のせりふが作者によって後年改訂されたために生じた矛盾であると、ドーヴァ・ウィルソンは見ている。
*(シーシアス) 「この剣であなたを口説いて」 プルターク英雄伝においてアテネの建国者として語られているこの半伝説的英雄シーシアスはアマゾン族と戦ってこれを破り、アンタイオーパまたはヒポリタと結婚したという。チョーサーの「カンタベリー物語」の中の「騎士の話」ではシーシアス(あるいはシーシュース)はアマゾン族の国シシアを征服し、捕虜にした女王ヒポリタと結婚したことになっている。
*(シーシアス) 「尼として独身苦行の生涯を送る」 ローマの神話ではダイアナは処女の守護神であるので、その神の社に仕える一種の巫《み》子《こ》の意味にとれるが、作者の念頭にあったのはキリスト教の修道院の女修道僧だったかもしれない。
*(ライサンダー) 「五月祭」 五月一日に民間の祭りとして古来から英国では行なわれた。若者たちは未明から起き出して近くの森や牧場に行き、木の枝を折ってこれに花束を付け、持ち帰って家の窓や戸口を飾ったという。また村の美しい娘を女王(メイ・クイーン)にえらび、村をあげて踊りくるったという。
*(ハーミア) 「金のやじりのついたいちばん上等な矢」 恋の神キューピッドは二種類の矢を持っていた。黄金のやじりのついた矢は射られた人に恋心を起こさせ、鉛のやじりの矢は恋を冷淡にするという。
*(ハーミア) 「不実なトロイ人」 ローマ建国の叙事詩、ヴァージルの「イーニッド」によれば、主人公イーニアスはトロイの陥落後、諸国を流浪し、その途中カルタゴにもとどまった。その時カルタゴの女王ダイドウに恋されたが、イーニアスは女王をふり切って、イタリアへと船出してしまった。それを見て、女王は炎に身を投じて自殺した。
*(クインス) 「ピラマスとシスビーのいともむごたらしき死」 中世を通じての有名な恋物語の一つ。チョーサーにもこれを扱った詩がある。バビロンの美女シスビーはピラマスと相思の仲であったが、親が許さぬのでひそかに会っていた。ある時二人はバビロンの建設者ナイナスの墓で会うことを約し、シスビーが先に来てみると、一頭の牝獅子が牡牛を噛み殺していた。驚いたシスビーはいったんその場を逃げ去ったが、その時上衣を落としていった。その上衣を見てピラマスはシスビーが獅子にやられたものと思いこみ、自殺してしまう。まもなく引きかえしてきたシスビーもピラマスの死体を見て自害する。
*(ボトム) 「エルクレス」 ギリシア神話の英雄ヘルクレスのボトム式訛り。文武に秀でたこの英雄は中世を通じて物語や歌に取り扱われたが、特に中世の演劇で無双の豪傑として活躍している。
*(ボトム) 「フィッバス」 フィーバス(太陽の神、太陽)の訛り。
*(フルート) 「ひげが生えかかってるんだから」 エリザベス朝の演劇では、まだひげの生えない、声変わりする以前の少年が女形になった。
*(クインス) 「シスビーのおっ母さん」 五幕で実際にこの劇中劇の幕があいてみると、ここで配役のきまったシスビーの父母、ピラマスの父はいずれも姿を現わさず、そのかわり「石垣」とか「月光」とかの役がふえている。
*(クインス) 「フランスにゃはげ頭が多い」 フランスには梅毒が多く、したがってはげ頭が多い、と英国人は考えていた。
*パック この愉快な妖精は、この芝居では別にロビン・グッドフェローとも、ホブゴブリンとも呼ばれているが、元来いたずら者の妖精一族全体の総称だったらしい。それを作者はロビン・グッドフェローないしホブゴブリンと同一の妖精個人の名前にして使っている。
*(パック) 「かわいい男の子を」 妖精は人間のかわいい子供をさらってゆくといわれている。この子もインドの王さまとその妾(タイターニアの愛していた女)との間に生まれた子供であろう。
*(タイターニア) 「コリン、フィリダ」 古来から田園牧歌に出てくる若い純朴な恋をする男女の名前。
*(オーベロン) 「ペリゴーナ」 「イーグリーズ」「アリアドニー」「アンタイオーパ」 プルターク英雄伝によれば、いずれもシーシアスに愛され、あるいは彼の妻になった女たち。
*(タイターニア) 「夏の初めから」 ここに語られる天候異変――寒い夏――は一五九四年、英国に実際起こった出来事といわれる。
*(タイターニア) 「芝生に作った将棋盤」 農村の遊劇で、芝生に作った四角形の盤で九個の駒を動かして勝負をきめる。
*(オーベロン) 「玉座にすわる一人の美しい処女」 当時の英国女王エリザベスを指す。
*(オーベロン) 「おれの姿は見えない」 かくれ蓑を着たように、妖精の姿は人間には見えない。
*(ヘレナ) 「か弱いダフニーが追いかける」 ギリシア神話のアポロ(日の神)が河の神ランドの娘ダフニーを見そめ、これを捕えようと迫ったが、娘はあやうく捕えられそうになった時、神に祈って月桂樹に化身したという。月桂樹(ギリシア語ではダフニー)がアポロに関係ありといわれるのはそのため。
*(スナウト) 「芝居する晩にゃ月は出ねえかね?」 第一幕の冒頭でのシーシアスの言葉によれば結婚式の当夜、すなわち「芝居する晩」は新月の夜であり、ここでも前後くいちがっている。
*(クインス) 「茨の束を持って」 われわれが月を見て「兎がもちをついている」と考えるように、英国では「男が茨の束を持ち、犬を連れている」姿と考える。
*(ボトム) 「寝とられ亭主」 かっこうはその鳴き声が「妻に裏切られた夫」 (cuckold)と聞こえるといわれていた。
*(ディミートリアス) 「トーラスの山」 小アジアの山脈。
*(ライサンダー) 「エチオピア!」 ハーミアはブルネット型の美人、目は茶色で髪や皮膚もやや黒味をおび、背がひくい。ヘレナのほうはブロンド型で、青い目に金髪、色はすきとおるように白く背がたかい。
*(オーベロン) 「地獄のアケロン」 アケロンは正確にいえば地獄の河の名前であるが、ここでは単に地獄というほどの意味に用いられているようだ。
*(オーベロン) 「この汁」 四幕一場に出てくる「ダイアナの(花の)つぼみ」 (英語で純潔の木《チエイスト・トリー》という灌木の花)の汁のこと。
*(パック) 「オーロラさまのお先触れ」 明けの明星(金星 )。
*(パック) 「四つ辻に埋められた罪人や水死人」 自殺者、罪人などは正式な葬式は認められず、四辻や道端に投げすてるがままにされた。これらの人々とか水死人とかの霊は死後もうかばれずに、夜になると地上をさまようものと信じられていた。
*(オーベロン) 「やつらとはわけがちがう」 霊的存在には神や天使のような光の霊と、悪魔や亡霊のように闇の霊とがあるが、同じ夜の世界に住む霊でも、オーベロンや家来の妖精たちは闇の霊ではないということなのだろう。
*(パック) 「ジャックがジルといっしょになれば」 「太郎と花子」というように(若い)男女にごく普通の名前。
*(オーベロン) 「このダイアナのつぼみには」 ダイアナは純潔な処女の女神。 「ダイアナの花」については、八六頁*の注を参照のこと。なお、 「キューピッドの花」とは、もちろん三色すみれのことである。
*(ヒポリタ) 「ヘラクレスさまやカドマスさま」 ヘラクレスはギリシア神話の英雄、カドマスはテーベを建国した伝説的人物。ヘラクレスとヒポリタのいきさつはプルターク伝にも触れられている。
*(シーシアス) 「ヴァレンタインのお祭り」 二月十四日の聖ヴァレンタインの祭日については若い男女の縁結びをめぐりさまざまな風習があるが、この日は小鳥たちもそれぞれの配偶者をえらぶ日とされている。
*(シーシアス) 「ジプシー女の顔にヘレンの美しさ」 色の浅黒いジプシー女をトロイ戦争のヘレンのような絶世の美女と思いこむ。
*(シーシアス) 「怪人セントール族との戦い」 ヘルクレスの武勇伝の一つ。セントール族とはギリシア神話に出てくる上半身が人間で、下半身が馬の姿をしている化け物。古代ギリシアの北東部のセッサリー地方の山岳部に住む。同じ地方に住む勇猛なラビシー族との間にラビシー族の王ビリートス(シーシアスの友人)の結婚式に端を発して戦争を起こし、敗北したという。シーシアスとその従兄弟のヘルクレスもこの結婚式および戦争に参加した。
*(シーシアス) 「バッカスの祭りに酩酊したる女たち」 ギリシア神話でハープの名手、オルフュースは、トラキヤの河の神でアポロの子、ユーリディシの死を悲しむあまり、すべての女性に冷淡だったので、これを怨んだ女たちが酒神バッカスの祭りにオルフュースの身体を八つ裂きにしてしまった。
*(シーシアス) 「この世を去りし学者の死」 これは一五九二年に貧窮のうちに死んだ劇作家・詩人ロバート・グリーンを指しているのだといわれている。グリーンは死ぬ前、シェイクスピアを「成り上がり作家」とけなしつけている。
*口上役 口上役のクインスは殿さまの御前に出てすっかりあがってしまい、せっかく用意した下書きもどこへやら、語の読みちがえ、句読点の打ちちがえで、まったく体をなさない無残な口上になってしまう。
*(ピラマス) 「ライマンダーのように」 レアンダーの誤り。レアンダーとヒーローとの有名な恋物語をふまえている。アビドスに住むレアンダーは毎夜ヘレスポント(ダーダネルス海峡)を泳いで、対岸のセストスにいるヒーローに会いに行った。が、ある夜ヒーローのかかげる塔の火が消えて見えなくなったために溺れ死ぬ。ヒーローもその後を追って死ぬ。
*(シスビー) 「ヘレンのように」 ヘレンは前項のヒーローの誤り。ヘレンといえばトロイのヘレンで、夫には必ずしも忠実でない、というよりむしろ不実だったとされている。
*(ピラマス) 「シャファラスがプロクラスを想うより」 セファラスとその愛妻プロクリスの誤り。セファラスはオーロラに愛されたが、その愛をしりぞけ、あくまでも妻に忠実だったという。
*(ライサンダー) 「勇気にかけてはまず狐」 狐は知慧はあるが、勇気のない動物とされている。
*(シーシアス) 「分別では鵞鳥」 鵞鳥はばか鳥とされ、獣でいえば、まずろば格。
*(ディミートリアス) 「角は自分の頭に」 不義をする妻を持つ夫の額に角がはえるという。ここにいう「ちょうちん」は動物の角を使ったがんどうふうのものらしく、その角にかこつけて冗談を言っているわけ。
*(ピラマス) 「わが玉の緒を切れ」 運命の女神は三人で、一人が人間の生命の糸を紡ぎ、もう一人はその長さを定め、残りの一人がその糸をたち切るという。
*(ピラマス) 「息よ、消えろ、月よ、とだえろ」 「消えろ」と「とだえろ」とをさかさまに言い違えている。
*(ボトム) 「バーゴマスクの道化踊り」 一種の田舎ふうのおどけた踊り。イタリアのベルガモ地方の百姓の踊りがその始まりとされている。
シェイクスピアの生涯
シェイクスピアは一五六四年四月二十六日、イギリスの中部ウォリックシア州、ストラットフォードの教会で洗礼を受けている。正確な誕生日はわからない。一般に四月二十三日を彼の誕生日としているが、当時の風習として子供が生まれて二、三日のうちに洗礼を受けさせることや、たまたま四月二十三日が彼の死んだ日と一致すること、さらにこの日がイギリスの守護者聖ジョージの記念日であることなどから、この日が選ばれたのだという。イギリスの誇る不世出の文豪の誕生日にしては心もとないはなしだが、当時の作家の生涯となるとわからない点が多いのが普通なのであって、とくにシェイクスピアの生涯だけが不明確なのではない。したがってここでも、不完全な切れ切れの事実や記録をつなぎ合わせて、おおよその輪郭をえがくほかないのである。
父親のジョン・シェイクスピアは付近の農村の出身らしく、若いころストラットフォードに移り、シェイクスピアが生まれる数年前、この地方の旧家アーデン家の娘メアリと結婚した。彼の商売については、肉屋、羊毛商、雑穀商、手袋製造業などいろいろ言われているが、主として羊や山羊、鹿の皮を扱う仕事に従事したらしい。しかし、木材や穀物を扱った記録が残っているところから、農業牧畜のさかんなこの地方の町の商人として、いろいろな商売を兼ねていたのかもしれない。ストラットフォードはエイヴォン河に沿う風光明《めい》媚《び》な地方都市で、当時住民約二千人、自治が許され、市民自身の手で市政が行なわれていた。彼はつぎつぎに市の要職につき、一五六八年、シェイクスピアが四歳の年には市長に選ばれた。その後も市の要職についており、家を買い入れたりしている記録からみれば、シェイクスピアの少年時代の父は、ストラットフォードではもっとも有力な市民の一人だったに相違ない。しかし父の繁栄も、一五七六年の紋章の許可願い(紋章を許されれば紳士階級になる)の記録を最後にして、下降線をたどりはじめた形跡がみえる。彼にかんするさまざまな記録は彼の経済的不振を語っていると解釈される。彼の姿は市の公的な会合にはもはや見られない。シェイクスピアの十二、三歳のころである。
シェイクスピアはそのころどうしていたろう。確かな証拠はないが、彼の市のグラマー・スクールに通っていたとみるのがいちばん自然な推測のようだ。この学校は市民の子弟のために市当局によって維持されていた。有力な市民の子供として、シェイクスピアは当然ここに入学することができたであろう。グラマー・スクールは七歳で入学し、十五、六歳で卒業するというから、今日の小・中学校に相当するが、授業の内容はかならずしも初歩的ではない。グラマー(文法)といっても古典文法の意味で、主としてラテン語、ラテン文学を教えていた。もちろん大学のように専門的な学問や教養を与えることはできなかったとしても、当時の教養人として必要な学問や教養の基礎を授けることはできた。無学で無教養な田舎者が霊感をうけて数々の傑作を書いたという、古くから伝わるシェイクスピア観は、現代ではあまり信用されていない。事実、当時のストラットフォードは、けっして無学者ばかりの田舎町ではなかった。シェイクスピア自身の同郷の知人や友人にも、立派な知識人がいく人か数えられるのである。
シェイクスピアは家業の不振のために中途で学校を退いて肉屋の徒弟になった、という古い言い伝えがある。しかしここでも確かなことはわからない。肉屋といえば父のところだろうと推測する人もある。他人のところにせよ父のところにせよ、市民の子弟が徒弟となるのは当時としては自然のコースだったのだろう。彼が大学へ行った記録はない。学校の先生をしたという伝説もあるが、この時代のことかあるいは二十代のことかわからない。
シェイクスピアの十代の終わりごろ、早くも彼の人生にとって重大な事件が起きている。一五八二年十一月、彼はアン・ハサウェイと結婚した。この結婚はさかんな論議を招き、推測や臆説のまとになっている。というのも、この結婚には普通でないと思われる点があるからである。第一に二人の年齢である。シェイクスピアは十八歳、相手のアンは二十六か七。男の年若なのは別にしても、女のほうが八、九歳も年上である。第二に二人ともストラットフォードの住人なので普通なら町の教会に結婚の許可が記録されるのだが、二人の結婚の許可は主教の事務所から出されている。それは一種の便法らしく、当事者が結婚を急いだり、秘密をもとめたりするときにとられた手続きらしい。シェイクスピアにも結婚を急ぐ理由はあった。翌年五月には長女のスザンナが生まれているからである。この結婚の記録から、年増女の狡猾な誘惑など、ロマンティックな想像をめぐらすことも可能だが、事実は平凡な結婚だったのかもしれない。長女が生まれてから二年目には双子の男女、ハムネットとジュディスが生まれた。
シェイクスピアにかんする次の確かな記録は、一五九二年にあらわれる。大学出の作家ロバート・グリーンがその年の九月に死亡し、その遺稿が出版されたが、その中に明らかに劇場人としてのシェイクスピアをさした非難の言葉がある。その内容はともかく、グリーンの非難は、シェイクスピアが一五九二年の秋にはすでにロンドンの演劇界において、先輩作家のねたみまじりの非難をかうほどのはなばなしい活躍をしていたという証拠になる。しかし、双子の誕生からこの記録までの約七、八年間、──彼の二十一、二歳から二十八歳までの期間──それがまったく空白なのである。その期間彼がどうしていたか、どうして故郷を出たか、どうして役者の仲間に加わったか、なにもわからない。ストラットフォード近くの地主の猟園を荒らしたために故郷をとび出さなくてはならなくなったのだという言い伝えがある。教師だったとの伝説もこの期間のことかもしれない。後年の作品に示される、各方面にわたる広い知識を考え合わせると、だれしもいろいろな推測を加えたくなるだろう。劇場でお客の馬の番人をしたとか、プロンプターから身を起こしたとか、伝説めいたはなしはいろいろあるが、とにかく一五九二年には、シェイクスピアはロンドンの演劇界ではなばなしい成功をおさめていた。
一五九二年といえば、年代的にいって、シェイクスピアは劇作家としてじつに幸運なスタートを切ったといえるだろう。ロンドンの劇壇の八〇年代には大学出のインテリ作家たちが活躍していたのだが、彼らの大部分は、グリーンの例のように、死亡するか第一線をしりぞくかして劇壇から消えていった。そのうえ、一五九二年から三年にかけてペストの大流行があり、ロンドンの劇場は閉鎖され、再開とともに劇団の再編成が行なわれた。劇団は新しい才能、新しい戯曲を求めていたのである。
一五九四年、シェイクスピアは新しく組織された「内大臣一座」の幹部座員として名をつらねている。この劇団はジェイムズ一世の即位(一六〇三年)とともに「国王一座」と名を改め、盛衰のはげしいロンドンの劇団の中で、長い間繁栄した。シェイクスピアは故郷に引退するまでこの劇団の一員だったが、それは劇団にとってもシェイクスピアにとっても幸運なことであった。彼ははじめは役者兼座付作者として活躍したが、のちには主として作家として働いたらしい。 『ハムレット』の亡霊や『お気に召すまま』の老僕アダムを演じたというが、役者としてはそれほど優秀ではなかったのかもしれない。すくなくとも劇団にとっては、もちろん作家としてのシェイクスピアのほうがどれほどたいせつだったかは想像できる。一五九六年、一人息子のハムネットがストラットフォードに埋葬された。その翌年には大邸宅を故郷の町に買い入れている。常識的に考えて、シェイクスピアは家族とはなれてロンドンで暮らしていたと推測される。もっともストラットフォードとの連絡は保たれていたであろう。ことに一六〇一年の父の死後は、往来がひんぱんだったらしい。土地の購入や長女の結婚(一六〇七年 )、母の葬式(一六〇八年)などには当然ストラットフォードに帰ってきただろう。彼が故郷の町に引退したのは一六一〇年ごろ、彼の四十六歳ごろと推定されるが、その引退は突然のことではなかったように思われる。ロンドンの劇団は、このころ一つの転機を迎えていた。シェイクスピアはそれを賢明に察知していたのかもしれない。それに、演劇界において彼の地位が確立した三十代のなかばから、早くも彼はストラットフォードへ帰り住む準備をしていたと考えられるふしがある。故郷に引退したシェイクスピアは、町第一の邸宅に住み、町の有数の資産家の一人として、英国人の理想とするカントリー・ジェントルマンの生活を楽しんだらしい。一六一六年四月二十三日の死の約一か月前、多額の遺産の分配と相続とを詳細に指示した遺言状を作成している。
できるかぎり正確な資料にもとづいてシェイクスピアの生涯をたどってみたが、今われわれの心にどのような人間像が浮かんでくるだろうか。正直にいって、おそらくこれだけの材料からまとまったシェイクスピアの人間像を組み立てることはだれにもできまい。時代により、人により、異なったシェイクスピア像が作られてきたのも不思議ではない。しかし、彼の一生が世俗的にもみごとな、成功した一生だったことだけは、すくなくとも言いうるであろう。彼が人生の達人だったかどうかは知らないが、芸術のために人生の俗事をかえりみないといったタイプの詩人ではなかったことは確かのようである。しかも彼の残した作品は、彼がすぐれた詩人であることを立証している。結局、シェイクスピアの中には、大詩人と大俗人とが仲よく同居していたようだ。それが彼の人間としてのなぞでもあり、また彼の芸術のなぞでもあるのかもしれない。
『真夏の夜の夢』について
五月祭か夏至祭か?
この戯曲の題名── ──の Midsummer は一年中で昼のいちばん長い夏至(北半球では六月二十一日)のころを言う。また辞書によれば、Midsummer Day といえば、六月二十四日で、英国では一年四回の四季の勘定日(quarter day)の一つであって、宗教的には洗礼者聖ヨハネの祭日であるという。Midsummer Night とか Midsummer Eve とかはこの祭日の当夜や前夜を言うらしい。元来太陽がいちばん長く地上を照らす夏至のころとその反対の冬至のころ(Midwinter)とはヨーロッパの人たち、とくに北欧の人たちには古くから重要な季節の変わり目とされていたらしく、その季節を祝うさまざまな行事が行なわれ、それに関係のある風習や迷信が広く流布していたらしい。これはヨーロッパ人がキリスト教に帰依する以前からのことであり、後にキリスト教がはいってからもキリスト教の行事と結びついて今に及ぶものも少なくない。たとえばクリスマスは以前から行なわれていた民俗的な冬至の行事を利用したものといえるし、六月二十四日は夏至祭の当日であるとともに、キリストに洗礼を授けた聖ヨハネの祭りとされた。そうして後世のクリスマスが純粋にキリスト教的なもののほかにさまざまな民俗的な行事や儀式や風習が混ざりあっているように、聖ヨハネ祭を中心にした行事や風習にも古い夏至祭の民俗的なものが各地で見られるようだ。
フレーザーの『金枝篇』にはヨーロッパ各地で古くから行なわれた聖ヨハネ祭(夏至祭)の行事や風習が記されている。この祭りの前夜にわが国のドンド焼きのように戸外で火をたき、その火をかこんで老若男女が踊り狂う風習はヨーロッパの各地で古くから行なわれたという。その火は雷や雹《ひよう》の災害や家畜の悪疫や魔女の害に対する魔除けの意味があった。反面この夜は魔女たちが集まって祝宴を催すとも信ぜられていた。またこの夜に集められた露や薬草は病気や恐ろしい魔法に対して効能があるとも言われている。この夜、花を摘んで花束を作り、枕の下に入れて眠ると夢で未来の夫をみることができるともいう。フレーザーが記述しているヨーロッパ各地で行なわれていたこの祭りに関する風習がシェイクスピアの英国で実際にどれほど行なわれていたものか、またシェイクスピアがこの作品の中でそれらをどれほど意識的にとりいれているものか正確なことはわからない。その祭りの前夜に魔女たちが集まって祝宴を催すとか、その夜に集めた露や花に不思議な効能があるという信仰などは、この劇の妖精の活躍や惚れ薬の三色すみれの花とも関連があるようにも考えられるが、作者自身どれほどこれを意識して使っているかわからない。ただ Midsummer Night または Midsummer Eve といえば古くからの民俗的な祭りの夜であって、さまざまな行事や信仰がこれに結びつき、一年のうちでも特別な「魔法の夜」であることは確かである。
『十二夜』と並んでこの戯曲が民間の祭典からその題名をとっていることは、この戯曲ばかりかシェイクスピアの他の喜劇の形式や性格を考えるうえで重大な示唆を与えるかもしれないが、しかしこの題名については十八世紀のジョンソン博士以来一つの疑問が投げかけられている。この芝居は五月一日のいわゆる五月祭を中心にして起こった事件を描いているようにみえる。登場人物によって過去の五月祭のことが語られるばかりか、現在の五月祭に言及される。アテネの殿さまシーシアスとヒポリタの一行は朝早く森に狩猟に来て眠っている二組の若い男女を発見する。この男女は、
きっと五月祭を祝おうと思って、朝早く
起きたのだろうが、わたしたちの来るのを聞いて、
祝賀のためにここで待っていたのだろう。
とシーシアスは推察している。この推察通りとすれば、この喜劇の二組の若い男女は五月一日の朝、前夜の騒動も忘れて無事に和解し、同じ日にシーシアス夫妻とともにめでたく結婚式を挙げたことになる。このようにシェイクスピアは五月一日のいわゆる五月祭を中心にして起きた事件を描きながら、別の言い方をすれば、作者はこの劇の時を五月祭の日を中心に設定しながら、どうして戯曲の題名を六月二十三日か二十四日の夏至の祭り(聖ヨハネ祭)の夜としたのかというのがジョンソン博士の疑問である。もちろん五月祭を中心にして起きた事件を描いたからといって、かならずしも五月祭という言葉を題名に使わねばならぬというわけはない。どんな題名にしようが作者の自由であり、作者の一時の思いつきから生まれる場合や便宜的ないし興行政策的に決定される場合もあるだろう。しかし五月祭の事件を描いた戯曲を五月祭と並ぶ民間の祝典である六月の夏至祭の名で呼ぶには、そう呼ぶだけの理由があるはずである。その理由は何だろう? 実は五月祭も夏至祭もともに古い民俗的な祭典で、その行事や風習に共通の要素が多いことが問題を複雑にしている。
五月一日の五月祭(May day)は、現代では勤労者の祝日だが、ヨーロッパでは古くから民間の一大行事となっていた。この日、村民は朝早く起きて森へ行って木を切り倒して村へ運び、その木を村の広場に立てて祝うことはヨーロッパ各地で広く行なわれた古い行事であるとフレーザーは書いている。木の霊に宿る効能を人間にも分かたせようというのだという。英国の北部では、若い男女は五月一日の前夜、夜半すこし過ぎには床を起き出て、音楽を奏し角笛を吹きながら森へ行き、木の枝を折って花束で飾る。夜明けごろ家に帰り、花で飾った木の枝を戸口や窓べにかける、と『金枝篇』にも記されている。シェイクスピアと同時代のフィリップ・スタッブズという一種の評論家の著書の中に「五月柱《メイポール》」(Maypole)についての詳しい記述がある。
「五月祭や聖霊降臨節やその他の機会に村の老若男女がこぞって夜中に森や山に出かけ、一晩中浮かれ遊び、朝になるとかばの木や木の枝を持って家に帰り、集合場を飾る。……彼らがいちばんたいせつにして森から持って帰るのは五月柱である。四十頭ないし八十頭の牛をつなぎ、牛の角をきれいな花束で飾って、五月柱をひかせる。柱には上から下まで花や草をひもで巻きつけ、時にはさまざまの色を塗りたて、二、三百人の男女子供たちがぞろぞろとその後に従う。ハンカチや旗をその先端に結んだ柱が立てられると、その周囲の地面に木の葉や花を撒き、柱に緑の枝を巻きつけ、その近くに小屋や亭《あずまや》を設ける。それから皆で踊りを始める」
このような中世紀以来の古い異教的祭典に反対のこの清教徒派の評論家は、こうした祭りが世道人心に与える弊害を次のように攻撃している。
「立派な、信用できる人々の言うところによれば、この夜森に出かける四十人、六十人ないし百人の乙女のうちで処女のままで家に帰ってくる者はその三分の一にも足りない」
しかしこの五月祭と夏至祭とには、その行事や信仰に共通なものが少なくない。スウェーデンでは五月祭の行事が夏至祭の六月二十四日に行なわれるという。この日には家々は緑の小枝や花で飾られ、もみの若木が戸口に立てられる。現代でもストックホルムでは木の葉や花や色紙や黄金色に彩色した鶏卵などを飾りつけた一五センチないし三〇センチの五月柱が花屋で売り出される、とフレーザーは書いている。魔女たちの活躍するのも二つの祭りの前夜に共通する信仰である。ゲーテの『ファウスト』のヴァルプルギスの夜は五月一日の前夜である(あるドイツ語の翻訳ではこの戯曲の題名を「ヴァルプルギスの夜の夢」としているという )。夜明け前に野や山で集めた木の枝や花や露には悪疫や悪魔の害を払う不思議な効能があると信ぜられていることも両者に共通している。従ってこの喜劇の妖精の活躍や三色すみれの話はどちらの祭りにも関連のあることで、これだけでどちらとも決められない。どちらとも決定するのを作者は故意に避けているように思えるほどである。五月祭のもっとも特徴的な五月柱のことには触れず、夏至祭に特有なかがり火は戯曲のどこにも出てこない。
ただ五月祭説の有力な根拠になっている、すでに引用したシーシアスの「五月祭を祝う」という言葉はかならずしも五月一日の祭りを意味しないという考え方がある。スタッブズも書いているように、五月一日に限らず、聖霊降臨祭(五月下旬)にも、その他の祭りにも、当時の人々は夜森へ行って草や花を集め、歌や踊りを楽しんで、お祭り騒ぎをしたらしい。それを五月祭の祝いと総称したらしい。Mayingという英語は五月一日の祭りに参加することだけではなく、他の祭日や休日に遊山に出かける場合にも使われたらしい。従ってシーシアスの「五月祭を祝う」も五月一日の祝いを意味しないで、単に「お祭りの祝い」の意味であって、この場合お祭りは夏至祭の祭りでもさしつかえないことになる。この芝居の時の設定は五月祭には関係なく、題名通り夏至の祭りにすべきであるというのである。
実はこの喜劇を題名の夏至の祭りに結びつける理由はほかにもある。はたして夏至の祭りに関係があるかどうか知らないが、このミッドサマーという言葉は「狂気」や「乱心」と結びついて用いられる。 『十二夜』のオリヴィアに midsummer madness という言葉がある。気違いじみたマルヴォーリオの言動を評した言葉で、 「狂気の沙汰」の意味である。またmidsummer moon という言葉にも「狂気」に関連する意味があるらしい。ある種の「狂気 」、 「恋の狂気」がこの喜劇のテーマであるとすれば、ミッドサマーはメーデーよりも、この喜劇の題名にふさわしいと言えよう。
月光の森
この戯曲の設定がはたして五月祭か、それとも夏至祭か決定することはむずかしい。五月祭にしろ夏至祭にせよ、要するに民俗的な祭りがこの喜劇の基本的な雰囲気になっていること、その雰囲気を現わすのに夏至祭の夜がより適切な作品の題名として選ばれたのであろうという以外確かなことはわからない。
題名の問題をはなれて、五月祭か夏至祭かの問題については面白い考え方がある。それによると、夜の森の世界は夏至祭と結びつき、アテネのシーシアスの世界は五月祭に結びつくという。戯曲の第一幕と第四幕第一場の中途の夜明けから第五幕までが五月祭の世界であり、シーシアスとヒポリタは五月祭の王さまとそのお后《きさき》で、五月一日を期してめでたく結婚する。夜の森は夏至祭の世界で妖精の王オーベロンとその后タイターニアとが支配するというのである。脚本では森の夜はシーシアスの世界と時間的に連続しているように見える。劇の冒頭の場でシーシアスはあと四日でうれしい新月の宵、ヒポリタとめでたく結婚式を挙げる日であると言う。同じ場面でライサンダーとハーミアとは「明日の晩」アテネをぬけ出して森で落ち合うことを約束する。森の一夜が明けるとシーシアスの結婚式の当日となり若い恋人二組もいっしょに式を挙げる。日数の計算は合わないが、シーシアスの宮殿の第一日から森の夜を経て最後の宮殿の祝賀の夜まで時間は連続しているように見える。しかし表面的には時間が連続しているように見えながら、実のところ森の夜とその前後とは時間が断絶していると考えることもできる。夜の森はアテネの世界とは別の世界である。妖精の活躍する一種の魔法の世界である。浦島太郎の竜宮のように現実の世界とは異なった時間の世界である。そうとれば、この戯曲に見られる日数の矛盾や新月で月光が輝くなどのテキストの中のいろいろな表面的な矛盾もそんなに気にせずにすむことになる。
四日後の結婚式の予告で始まりその祝いで終わるこの喜劇は、場面もシーシアスの宮殿の場で幕が開き、同じ宮殿の場で幕が閉じる。しかし喜劇の主要な場面はアテネ郊外の夜の森である。妖精の王と女王とが喧嘩し、パックが風のように飛び回り、若い男女が恋を争い、職人のこっけいな芝居のけいこが始まり、その中の一人がろばにされ、妖精の女王に惚れられる気違いじみた騒ぎはすべてこの夜の森の中の出来事である。この一種の「魔法の森」がこの喜劇の世界であるが、このいわば「魔法の森」での出来事の喜劇性はそれを前後からはさむシーシアスの宮廷の健全な常識にささえられた日常性との対照を通じて、一段と強調されることになる。互いに愛しあうライサンダーとハーミアとは親と国法の制約をのがれてアテネを出て、夜の森で落ち合う。 「いくらきびしいアテネの法律も追いかけられない」ところに住んでいる伯母の家で結婚するためである。ハーミアを恋するディミートリアスは二人の後を追い、ヘレナはディミートリアスの後を追って森へ来る。芝居のけいこの職人衆もアテネを出て夜の森へ集まる。 「市中だと人がたかって、せっかくの趣向がばれてしまう」からとクインスは考え、森の中でなら「思いきり勇ましく、おおっぴらにけいこができる」からとボトムも賛成した結果である。
シーシアスの宮殿は、そしてアテネの世界は、法と秩序の世界、理性と常識の世界、日常生活の世界である。これに反して夜の森は自由と無秩序の世界、欲望と悪戯の世界、祭りと無礼講の世界として描かれている。伝統的には森はロビン・フッドの世界、アウトロウの世界、自由の世界だが、シェイクスピアの森──たとえば『お気に召すまま』のアーデンの森──もその伝統に例外ではない。アテネの殿さまシーシアスはアマゾンの女王ヒポリタを剣で口《く》説《ど》いて、むりやりうんと言わせたのだが、いまや双方の完全な和解のうえで盛大な結婚式を挙げようとしている。ところが夜の森を支配する妖精の王と女王とは「かわいいインドの子供」のことで大喧嘩である。
おかげでおいら妖精どもは、そのたびに、
どんぐりの笠へもぐり込んで、小さくなって震えてなきゃならないのさ。
と妖精のパックは嘆いているが、そのパック自身が「牝馬に化けてヒンヒン鳴いて、牡馬のやつに一杯食わせ」たり、三脚床《しよう》几《ぎ》に化けてもったいぶったおん婆に尻もちつかせる、ばかな人間どものいがみあいを見物するのがなにより面白く、
なんでもさかさで、ひっくりかえって、
とんちんかんなら、おいらは大好き
と公言するいたずら小僧である。
妖精は古くからヨーロッパで信じられていた夜の世界の住民だが、この戯曲の妖精は在来の民間伝説の妖精から作者によってかなり変えられているらしい。妖精の王と女王の名前からして、オーベロンはゲルマン系の名前としても、タイターニアは「タイタンの生まれ」の意味、ローマの詩人オヴィディウスが月の女神ダイアナを呼ぶのに用いた言葉で、明らかにラテン語系統の名前である。このことからも明らかなようにシェイクスピアの妖精は民間伝説とギリシア・ローマ古典と英国の文学的伝統の不思議な総合の産物である。シェイクスピアの妖精の特徴は極端に小さな点である。 「豆の花」とか、 「くもの糸」とか、 「芥《け》子《し》の種」とか、彼らの名前がその繊細で微小な姿を表わしているが、彼らは「どんぐりの笠」にもぐり込み、蝙《こう》蝠《もり》の翼のうすい皮が外《がい》套《とう》に、蛇の脱いだエナメルの皮が彼らの着物になる。彼らは蝶の羽を扇代わりに、花蜂の蝋《ろう》のついた腿《もも》のたいまつに蛍の火で点火する。形が小さいだけではない。民間伝説の妖精は元来夜の世界の存在であって、亡霊や魔女のように闇《やみ》の世界をさまよう魔物である。人間にしばしば災害をもたらす、不吉な存在として恐れられていた。しかしこの戯曲に現われる妖精は自然の露や草や花と同一の、自然の美しく繊細なものと同一の、存在のように描かれている。彼らは芝生に露をおき、九輪草の花に真珠(露)の首飾りをつけ、ばらの蕾《つぼみ》の害虫をとってやる。彼らは自然に恵みをもたらし、自然の恵みを人間にもたらす有益な存在である。伝統的な妖精に見られるような荒々しさや粗野なところはなく、やさしく優美である。ろばのボトムにまでいんぎんで、礼儀正しい。オーベロンやタイターニアやパックはほかの妖精たちとはその大きさからいってもちがうが、全体としてこの戯曲では彼らが人間に対して友好的な存在として描かれている(オーベロンやタイターニアがこの森にはるばるインドからやって来たのもシーシアスとヒポリタとの結婚を祝福するためである )。しかし彼らは人間とはちがった、自由な自然の存在である。王と女王との激しい争いにおいて、パックの悪戯において、さらに小さな妖精の優美さにおいて、彼らは自然そのものであって、この神秘な夜の森の世界を支配するのにふさわしい存在である。
この戯曲では妖精と並んで月が重要な登場人物である。戯曲を通じていたるところに月に対する言及がある。冒頭のシーシアスとヒポリタの会話が月に言及する。あと四日でうれしい新月だが、古い月がぐずぐずしてなかなか消えようとしないのにシーシアスはいらだっている。これに対してヒポリタは四日四晩はまたたく間に過ぎ、
やがて、銀の弓を引きしぼったような新月が
大空にのぼって、わたしどもの晴れの儀式を
見守ってくれましょう。
となぐさめる。ライサンダーは月夜にハーミアの部屋の窓の下にしのびよっては恋のざれ歌をうなって、ハーミアをたぶらかしたとイージアスは非難し、ライサンダーとハーミアは「月の女神が銀色の顔を水の鏡にあざやかにうつす」ころ、二人でそっとアテネから脱け出そうと言う。妖精は森で「月夜の遊び」を楽しみ、職人たちも「ちょうど月があるから」夜の森で芝居のけいこをしようという。キューピッドの恋の矢も「清らかな水のような月の光にひやされ」て処女女王はつつがなかったとオーベロンは語り、ろばのボトムに惚れたタイターニアは空を見上げて「お月さまがなんだか涙ぐんでいるよう」だと言う(タイターニアという名前が月の女神ダイアナに関連がある )。職人たちは芝居の当夜に月が出るかどうか大騒ぎして暦を調べ、当夜の芝居には仕立屋のスターヴリングがお月さまの役として登場する。月光はこの芝居の舞台のすみずみまで浸しているように感じられる。しかし月(lunar)は狂気(lunacy)や狂人(lunatic)と同根語で、 「月光に打たれる」 (moonstruck)とは「気の狂った」という意味である。月の光を長く浴びると気が変になるとも信じられていたらしい。月は妖精とともにこの狂った森の世界の象徴である。
この森に迷いこんだアテネの四人の男女や職人たちが悪夢のような一夜をあかすことになるのも不思議はない。一人の女性を二人の男性が争うのは古来からの恋の争いの定石だが、この恋物語の特異な点はこの三人にさらに一人の女性が加わっていることである。男二人に女一人の三人なら、どうしても一人余ることになるが、男二人に女二人なら、普通なら男女二組となって安定するはず。ところが一組の男のほうが相手の女を捨てて他の組の女を恋するようになり、この二組の組み合わせがこわれたところから芝居が始まり、森ではさきに捨てられた女を二人が争うが、結局は二組とも元通りの組み合わせにおちつき、夜明けとともに若者たちは森を後にアテネに帰る。一人の女に夢中になっていた二人の男が急にその女を捨てて、別の女にそろって夢中になる。この二組の男女の関係の変化はバレーの動きのパターンの変化を見ているようでもあると評する人もあるが、トランプの札の組み合わせの変化を眺めているようでもある。この男女はトランプの札のように個性がない。彼らのゲームには個性は必要ない。
もちろん男たちの突然の心変わりは直接には「恋のきちがいすみれ」のせいになっている。しかしディミートリアスはこの惚れ薬を塗られる以前、愛していたヘレナを捨てて、急にハーミアに熱くなったという。ロミオはジュリエットをひと目見るなり、それまであれほど恋いこがれていたロザラインのことを忘れて、ジュリエットに夢中になる。 「理屈と色恋とはあんまりいっしょにならねえようだ」とボトムも言うが、男女の恋愛は本来理屈や理性には無関係であるらしい。惚れ薬があろうがなかろうが、われわれは理屈も理由もなくある人に夢中になり、また別の人に夢中になる。本来恋は一種の狂気であり、恋をする人は詩人や狂人と変わらないというのがこの喜劇の立場のようにみえる。恋に狂うのは愚かな人間ばかりではない。妖精の王と女王もかわいいインドの子供のことで争っている。やがて美しい女王は相手もあろうに醜悪なろばのボトムに夢中になる。
どんなに形のととのわない、卑しい、いやなものでも、
恋は美しいりっぱなものに変えてしまう。
この天女と獣のたわむれる姿は恋の最もグロテスクな戯画である。
考えてみれば、森の一夜の愚かな狂言も若者たちにはけっしてむだな経験ではなかった。彼ら四人は元の組み合わせにもどっただけではなく、新しい安定した関係を確立したように見える。森を出るときの彼らは森に来たときの彼らよりもはるかに成長したとの印象を与える。彼らは森の一夜の愚かな狂言の中で新しく自分を見出したとも考えられる。この四人の男女は夜の森を舞台に今までの自分とは別の役を演じた。男たちに嫌われていたヘレナが男たちに愛され、二人の男に慕われたハーミアが嫌われる役になる。ヘレナは今までのハーミアの役を演じ、ハーミアはヘレナの役を演じる。ライサンダーも以前のディミートリアスの役を演じ、ディミートリアスがライサンダーの役に変わる。この経験はたしかに彼らの精神的な成長をうながしたとみてよいようだ。ただしボトムだけは別のようだ。ろばになったり、とくに天女のような美しい女に愛されることは御前芝居で恋人役のピラマスを演じる彼にとっては貴重な経験のはずだが、彼にはなんの変わりがない。ろばになっても、天女に惚れられても、ピラマスを演じても、ボトムはあくまでも機屋のボトムでしかない。
ボトム一座の芝居つくり
殿さまの結婚式の祝いの余興に御前で素人芝居を演ずるアテネの職人たちはこの喜劇の登場人物のなかで貴族や妖精と並んで一つの明確なグループを形成している。シェイクスピアの他の戯曲、とくに喜劇の場合と同様、このがさつな職人たちは教養のある貴族たちと対照され、劇の道化的な役割を演じている。アテネの貴族の若者たちは恋愛を通じてわれわれを笑わせるが、アテネの職人たちは彼らの演ずる芝居を通じて観客を笑わせる。若者たちが恋の狂気にかられて愚かな狂言を演じているとき、職人たちは慣れぬ芝居のけいこに夢中になっている。
彼らは恋愛には縁のない人たちである。恋人は詩人や狂人とともに「空想で頭がいっぱいにつまっている」のだが、彼らの頭は空っぽで、空想や想像力のひとかけらもない。想像力が欠けているくせに芝居を演ずることがそもそも無理な話であるが、その芝居がピラマスとシスビーの有名な恋物語を仕組んだものとなると話はますますおかしくなる。 「恋ゆえにわれとわが手でみんごと自害しはてる」色男役ピラマスが機屋のボトム。彼は職人仲間ではいちばんの芝居巧者で通っているが、自分でも言うように「敵役の豪傑のほうが柄にあう」人物である。ピラマスの相手のシスビー役はふいご屋のフルート。彼もきれいな女形より武者修行のおさむらいのほうが似あう人物である。芝居の演目から配役から、どこから考えてもこの恋の悲劇はこっけいなファースにならざるをえない。この芝居の筋自体がこっけいである。オヴィディウスの『変形譜』からとったこの恋物語は『ロミオとジュリエット』と同じように恋人同士の死に終わる悲しい物語だが、その死がまったくの偶然と思い違いから起こっている。『ロミオとジュリエット』もその筋立てで偶然があまりに大きな役割を演じているために悲劇としての感動が損《そこな》われるという批評もあるが、『ロミオとジュリエット』にはそうした悲劇としての構成上の欠点を補ってあまりある詩的な美しさがある。しかし詩的な美しさをまったく欠いた職人たちの「ピラマスとシスビー」は芝居の筋からみても『ロミオとジュリエット』のグロテスクなパロディにすぎない。
それ以上にこっけいで、また興味があるのは職人たちの芝居つくりの方法である。ボトムの一座は芝居を上演するとき観客の存在を忘れることができない。御殿に集まって一座の芝居を見物する殿さまご夫妻をはじめ宮廷のお歴々のことがことごとに気にかかる。お偉方の見物人のことが気にかかるのはむりもないが、ボトム一座のように観客を気にするあまり、役について、せりふについて、いちいち観客に言い訳していては芝居は成り立たない。ピラマスが自害しようとして剣を抜くのは見物のご婦人方には我慢ができないだろうと考えて、口上を作らせる。その口上で、実は剣は抜くがけっして怪我をさせない、ピラマスはほんとうに死ぬんじゃない、いや、ピラマスはピラマスじゃない、実は機屋のボトムだと断わらせる。さすがに実際の御前公演ではこの口上は省かれているが、舞台に登場する獅子も石垣もお月さまも全部の役がまず口上で自分の役を説明しては名前を名のることになる。物言わぬはずの獅子や装置の一部の石垣やお月さんが口をきくのは論外としても、見物人に向かって直接話しかけたり、自分の名前を名のっては芝居のぶちこわしである。舞台のイリュージョンが破られるからである。芝居は舞台に虚構の世界を作りあげる。この「うそ」の世界は見物人の「ほんとう」の世界とは一応別の、独立した世界であるが、ボトムたちにはこの「うそ」と「ほんとう」の区別がつかない。見物人に絶えず直接話しかけることによって、独立したうその世界をこわしている。自分たちでイリュージョンを作りあげるつもりでいながら、自分たちの手で次から次へとそのイリュージョンを破っていく。そのうえ、御殿に集まって一座の芝居を見物する観客が盛んにやじを飛ばし、半畳を入れて芝居のイリュージョンをこわすのを手伝っている。役者と見物人とがいっしょになって虚構の世界をぶちこわしている。同時にこれは役者と観客とが協力して「ピラマスとシスビー」のパロディを作っているとも考えられる。
実はシェイクスピア以前の芝居では、舞台と客席、役者と見物人との区別がそれほど明確ではない戯曲が少なくない。初期のインタールード(別項の「シェイクスピア事典」参照)のなかには本来見物人であるべき人物が舞台に出て一役を演ずるような作品もある。ボトム一座の公演のように宮廷や貴族の邸の大広間などで演じられたこうした芝居では舞台といっても広間の一部であって、それを三方から囲んで見物席が設けられるとすれば、舞台と客席とを明確に区別することは空間的にもむずかしい。客席が舞台の一部を占領したり、舞台が客席へはみ出したりすることもあろう。舞台と客席とはその周辺が互いに重なりあっている場合が多い。従って観念的にも舞台と客席の区別は不明確になり、舞台から観客に直接に話しかけるようなことがしばしば起こりうる。役者としても、ピラマスはほんとうはピラマスではない、機屋のボトムだ、などと言って、舞台の「うそ」の世界から観客の「ほんとう」の世界に簡単に帰ってくる。初期のインタールードに見られるような、こうした幼稚な演劇意識ないし技法からぬけ出した後に書かれたシェイクスピアの芝居にも、口上の形式や道化の演技などになお古い芝居の技法が残っている。
職人たちが御殿で演じた芝居は、この古い型の芝居である。役者たちの拙劣な演技は論外として、そのせりふのスタイルをはじめ、さまざまな幼稚な技法は古い型の芝居に共通な特徴である。職人たちの芝居を通してシェイクスピアはこの古い幼稚な型の芝居つくりを笑っているのだが、同時に作者はその幼稚な方法や技巧を巧みに利用して結婚祝いのすぐれた余興の芝居をつくりあげた。舞台と客席との区別が不明確なことは役者と見物人との交流を自由にする。ここでは職人の役者たちが芝居を「演ずる」だけではない。その芝居を見物する宮廷の方々もいっしょになって芝居を「演じ」ている。こうして舞台と客席とが協力してすばらしいショーをわれわれに提供している。
シェイクスピア事典
──シェイクスピアと宮廷──
『真夏の夜の夢』は、アテネの王さまシーシアスが宮廷の祝典長フィロストレートを招いて、結婚式の余興をとりしきるように命ずる場面からはじまっているが、それはシェイクスピア時代の宮廷の模様をかなり正確に伝えていると言ってよいであろう。当時の宮廷では、エリザベス女王も、つづくジェイムズ一世も、ともに芝居好きとあって、しばしば劇団を宮廷に招いて芝居を上演させた。そして事実、その上演をとりしきるのが、内大臣のもとに所属する「祝典長」の役目だったのである。シェイクスピア時代の劇団は、宮廷と密接な関係をもっていた。
エリザベス朝の演劇の隆盛は世界演劇史上まれにみるものであり、その隆盛をささえていたのが民衆の演劇熱であることは論をまたないところであるが、その反面、ピューリタン的色彩の濃厚なロンドン市当局は、狭量な道徳的見地から、演劇を神の教えに背く不道徳なものとして、演劇に対し執《しつ》拗《よう》な攻撃をくり返していた。当時の劇場がすべてロンドン市の郊外に建てられていたのは、そのような事情によるものであった。劇壇はその対抗策として宮廷に頼った。もし当時の宮廷に、演劇を愛好し、積極的にそれを育成しようとする姿勢がなかったならば、エリザベス朝演劇の黄金の稔りはもたらされることがなかったであろう。宮廷は、ある意味では、当時の劇団にとって最大のスポンサーだったのである(社会史的に言えば、当時のピューリタンは絶対王政による重商主義政策からとり残された毛織物業者、中産の商人、ヨーマンなどの中産階級をその主体にしていたのであり、ロンドン市当局はそれら中産の新興ブルジョワジーを基盤としていた。したがって、演劇をめぐるこのような対立は、究極的には、やがて半世紀あとのピューリタン革命に連なる一連の対立の中に還元されるであろう )。
歴史的に言っても宮廷と演劇との結びつきは古い。すでに中世以来、宮廷の祝祭日の余興などに仮面劇《マスク》を上演するという演劇的な催しがあったのであるが、宮中奉仕のいわゆる「劇団」の存在をさかのぼってたどっていくと、シェイクスピアの時代に先立つ約一世紀前、ヘンリー七世の宮廷における王室お抱《かか》えの劇団がその最初として記録にあらわれてくる。もっとも劇団とは言っても役者の数は四人にすぎないが、彼らは宮中での祝宴のたびに芝居を演じて興を助けたのであった。のちのヘンリー八世の宮廷ではその人数が八人に増加したことが知られるが、そのような慣習はもちろん宮廷だけのことではなかった。貴族たちも同様に家中に役者を抱えていた。そのもっとも古い記録は、ヘンリー七世のそれよりさらにさかのぼった一四六八年、エセックス伯の家中に家臣として抱えられていた役者たちのものである。のちに所々方々を渡り歩いていた民間の劇団が、きびしい浮浪者取締令を逃れるために、名目上貴族の家臣としての地位を獲得することによって、一介の河原乞食の身分をカムフラージュしようとしたことは、たとえ名目上のこととはいえ、このような古くからの慣習を利用しようとしたものとして理解されるであろう。
ここでいささか本筋から離れるようであるが、その十五・六世紀のころの、宮廷もしくは貴族の邸宅における演劇の上演様式について、一応の説明を加えておくことが便利であろう。当時の演劇は「インタールード」と呼ばれるものであり、主として十五世紀に盛んに行なわれた「道徳劇」の発展したものであった。道徳劇とは、諸徳、諸悪を擬人化した、はじめから完全に抽象化された登場人物による寓《ぐう》意《い》教訓劇であり、インタールードも道徳劇のもつアレゴリカルな筋立てを基盤としながら、折りからルネッサンスの新学問の胎動にうながされて、より世俗的な、より教養的なテーマを、娯楽的に描写しようとする傾向をもった。宮廷や貴族のお抱えの役者たちは、インタールードを饗《きよう》宴《えん》の合間に演じた。作品の長さはだいたい千行あまり(シェイクスピアの作品の二分の一ないし三分の一程度 )、時間的にも宴会の間の息抜きとして演じられるにふさわしい。事実インタールードという名称も、饗宴(ルード)の合間(インター)に上演されるべき芝居、として説明されるのである(ただしこの語源説には有力な異説がある )。たとえばインタールードのもっとも初期の作品の一つである『ファルジェンスとルークリース』 (一四九八年ごろ)は、千行あまりの二部に分かれており、それぞれが一続きの宴会の間を縫って上演されたことが明らかである。 『真夏の夜の夢』第五幕第一場、職人たちの演ずる劇中劇は、このインタールードの上演の面影を伝えているであろう。そしてひろくシェイクスピア時代の宮廷、あるいは貴族の邸宅での演劇の上演は、このような伝統に基づくものとして理解されるであろう。
くだってエリザベス女王の宮廷にも、その初期のころにはインタールードを演ずる役者たちがいた。しかしインタールード自体、この時代の演劇の急激な発展の前には次第に色あせたものになり、女王も少年劇団の演ずる新しい劇により心を奪われたのであった。インタールード役者によるエリザベス女王の宮中での上演の記録は一五五九年のそれが最後であり、その後彼らは宮廷を離れたり、死亡したりして、そのまま補充されることがなかった。かわって宮廷の寵を得たのは、聖ポール寺院や王室礼拝堂などに所属する少年聖歌隊(少年劇団)の演ずる芝居であり、宮廷での演劇はこれら少年劇団の奉仕がその主流を占めるにいたるのであるが(このころにはすでに宮廷自体が実質的に役者を抱えておくという慣習はなく、宮廷での演劇の上演は宮廷外の劇団による宮中奉仕によっていた)、やがて一五七六年、ロンドンにはじめて大衆劇場が建設されるとともに、市民の演劇熱が高まり、民間の劇団が大いに発展してきた。宮廷の奉仕も徐々に少年劇団の手から、民間の成人劇団の手へと移行していく。その推移は劇団の宮中奉仕の回数に如実にあらわれている。たとえば一五五八年、エリザベス女王の即位の年から、一五七六年、ロンドン最初の大衆劇場建設の年まで、劇団の宮中奉仕の回数は七十八回であるが、そのうち少年劇団の四十六回の奉仕に対し成人劇団のそれは三十二回であった。しかるに一五七六年から一五八三年までの回数では、成人劇団の三十九回に対し少年劇団のそれは十七回にすぎない。こうして宮廷での演劇の上演は民間の成人劇団のものとなり、やがてロンドンの劇壇を独走するシェイクスピアの劇団がその主流を占めることになる。シェイクスピアの一座は、内大臣ハンズドン卿《きよう》ヘンリー・ケアリーをパトロンにいただき「内大臣一座」と称していたころ、一五九四年から一六〇三年まで三十二回宮廷に奉仕している。そしてジェイムズ一世の即位とともに「国王一座」を名のるに及んで、一六〇三年から一六一六年までの間、宮廷での上演回数は百七十七回に及んだ。
当時の劇団はすべて貴顕をパトロンとし、 「レスター伯一座」 「ペンブルック卿一座」などそのパトロンの名前を麗々しく一座の名前にいただいていたが、それはあくまでもきびしい浮浪者取締令を逃れるための方便にすぎず、経済的援助を受けていたわけではなかった。しかし劇団が宮廷に奉仕するときには多額の奉仕料が下賜された。上演をとりしきるのは、はじめにふれたように内大臣に所属する祝典長の役目であった。祝典長は本来宮廷で祝宴の催されるときに任命される一時的な役目であったが、ヘンリー八世のころ常設の官職となり、やがて演劇の隆盛にともなって、宮廷のみならずロンドンの大衆劇場での上演の脚本の検閲をも受けもつという強大な権力を手に入れるにいたる。一五七九年に祝典長に任命され、爾《じ》来《らい》三十年、シェイクスピアの活躍した期間をとおしてこの職にあったエドマンド・ティルニーは、とくにこの祝典長の権力を拡張した有力な人物として知られるが、これらの事実からも、当時の劇壇一般と宮廷との密接な関係をうかがうことができよう。ひろく当時の劇壇は、いわば宮廷を中心として転回していた、とさえ言えるのである。
宮廷の祝宴のシーズンは、通常十一月一日の万聖節から翌春の四旬節の初めまでであったが、芝居の上演されるのは主としてクリスマスから新年にかけてであった。とくに十二月二十六日の聖ステファノ祭、二十七日の聖ヨハネ祭、二十八日幼児日、新年の日、一月六日の十二夜などの祝宴には芝居が上演されることが通例であった。さらに二月二日の聖燭祭にも芝居が上演された。そのほか『真夏の夜の夢』にえがかれているように、宮中でのいろいろな催しにさいして芝居の上演されることがあったであろう。とくにジェイムズ一世の時代になって、宮廷での上演回数は飛躍的に増加した。それは、前に引いたシェイクスピアの劇団の宮中奉仕の回数に如実に示されているところである。
それでは宮廷で上演される作品はどのようなものであったのか。もちろん、すでにロンドンの大衆劇場で上演され、一般の喝《かつ》采《さい》を博していた作品が多かったであろう。しかし逆に、新しく宮廷での上演のために書きおろされた作品もあった。たとえば『十二夜』という作品は、最近の研究によれば、一六〇一年一月六日、十二夜の夜、ホワイトホールにおいて、エリザベス女王がロシア大使グレゴリー・イヴァノヴィッチ・ミクーリンと、イタリアのトスカナのグラチアノ公爵ヴィルジニオ・オーシーノとを招いて宴を張ったとき、その余興として初演されたものと推定されている。もしこの推測が当っているとすれば、 『十二夜』という題名自体、またオーシーノ公爵という主人公の名前自体、その饗宴をあてこんだ作者の才気のあらわれとして理解されるであろう(そのようなあてこみは、他の登場人物の名前や描写にもみられるという)。そして饗宴のおりに劇団を招いて芝居を上演させるというのは、もちろん宮廷だけにかぎったことではなかった。貴族たちもまた、祝宴にさいし、その興を助けるために劇団に芝居を上演させるということがあった。『真夏の夜の夢』は、そのような必要に応じて成立した作品の一つであると考えられる。これはおそらく、本来貴族の結婚式の祝宴用の作品として執筆されたものであったろう。その痕《こん》跡《せき》はいたるところに見出される。
たとえばこの作品の枠組である。まずシーシアスとヒポリタの結婚式という大きな枠が設定され、職人たちはその祝宴用の芝居を上演することになる。プロットの中心をなす二組の恋人たちのもつれた恋も、やがてはこの大きな結婚式の枠の中に解消される。開幕劈《へき》頭《とう》のシーシアスのせりふも、大詰めで退場する彼のせりふも、明らかに結婚式をあてこんだものであろう。さらにシェイクスピア時代の英国では、妖精は結婚式と縁が深かった。妖精は結婚式を祝福する存在であると同時に、もし彼らの機嫌を損ずるようなことがあれば、不吉な禍《わざわい》をもたらすと信じられていた。結婚式に妖精の好意が得られるよう祈念することは、この時代の慣習だったのである。『真夏の夜の夢』の最後で、妖精の王オーベロンにこの結婚式を祝福する歌を歌わせるという趣向は、そのような慣習を意識した結果であろう。そしてなによりもこの作品の長さである。二一三六行( 「新ケンブリッジ版」による)という長さは、シェイクスピアの三十七篇の戯曲の中でも四番目に短い。それはおそらく、大衆劇場での上演よりは私的な饗宴の場での上演にふさわしい。ドーヴァ・ウィルソンという学者の推測によれば、この作品は最初一五九二年またはそれ以前に執筆されたものであり、その後一五九四年の上演を前に一度改訂され、さらに一五九八年の上演にさいして再度改訂されたものであるという(作品中にみられる細部の不一致は、そのような数回にわたる改訂の結果であろうとウィルソンは考えている)。もちろんそれらの上演の年代に時期的に適合する貴族の結婚式も、それぞれ具体的に推測できるのであるが、本稿ではそこまで立ち入らない。いずれにせよ『真夏の夜の夢』が、貴族の結婚祝賀用の台本として成立したことはまず疑いないであろう。
このように宮廷の(あるいは貴族の)祝宴用として、多少とも公的な次元で脚本が執筆される(あるいは在来の脚本が改訂される)という場合だけではなく、あくまでも個人的な要望というか、好みに応じて、まったく新しく脚本が書きおろされるということももちろんあったであろう。たとえば『ウィンザーの陽気な女房たち』については古くからの伝説があって、シェイクスピアの『ヘンリー四世』を見たエリザベス女王が、その中で活躍するフォルスタッフの魅力に魅《み》せられて、今度は恋をするフォルスタッフを見たいと劇団側に所望したために、シェイクスピアが大いそぎで仕上げたのがこの喜劇であると伝えられている。確かな根拠のある説ではないが、当時の劇団と宮廷との密接な関係からみて、いかにもありそうな話ではある。さらに宮廷側から要望がなかったとしても、劇団側でその好みを察して、上演用の脚本にしかるべきせりふなり、場面なりを書きこんでおくという場合も当然予想される。『マクベス』第四幕第三場にいささかならず唐突にあらわれる「王の病」のくだりは、そのような例の一つとして考えられよう。シェイクスピアにとって、当時の宮廷は、もっとも強力なスポンサーだったのである。
だがしかし、シェイクスピアはたんなる宮廷の御用作家ではなかった。 『真夏の夜の夢』一六〇〇年版の四つ折り本の扉には「大衆劇場において数回上演されたる脚本」という但し書きがあり、本来貴族の結婚祝宴用として成立したこの作品が、当時の一般大衆にもひろく喝采を博したことが知られるのである。『十二夜』にせよ、われわれがこの作品を鑑賞する場合、エリザベス女王が外国からの貴賓を迎えるために書きおろされた喜劇というこの作品の成立事情は、まったく問題にならない。シェイクスピアの場合、たとえ特殊な目的のために書かれた作品であっても、一般大衆の鑑賞を妨げるようなものではけっしてなかった。また逆に、それが一般大衆用の作品であっても、宮廷の饗宴という特殊な場で熱狂的な喝采を博することができた。シェイクスピアの偉大さはまさしくこの点にかかっている。
演劇は、それが上演を目的としたものである以上、好むと好まざるとにかかわらず、観客の嗜《し》好《こう》によって制約を受ける。とくにエリザベス朝のような、芸術としての演劇という観念がまったく確立していなかった時代にあっては、その制約の度合いは今日のわれわれの理解をはるかにこえるものであった。それはむしろ観客への完全な迎合とさえ言えるものであって、宮廷ももちろんそうした観客層の中の(たとえ演劇のよき理解者であったとしても)、もっとも影響力の強い一団として理解される。シェイクスピアは、そのような観客による制約に大いに順応していたようにみえる。それはたとえば、当時シェイクスピアに劣らぬ名声をほしいままにしていた風刺喜劇作家ベン・ジョンソンの、観客の趣味を向上させようというような高姿勢とは、まことに対《たい》蹠《しよ》的なものであった。しかし彼は、観客の嗜好におおらかに順応しながら、しかもその規制を完全に超えていた。
シェイクスピアと宮廷との関係もその一つの例にしかすぎない。先にふれた『真夏の夜の夢』一六〇〇年版四つ折り本扉の但し書きは、一見迎合的な宮廷劇の作家でありながら、ひろく大衆のうちに深い根をおろしていたシェイクスピアという稀有の劇作家の姿を、象徴的に示しているもののように思われる。
シェイクスピア名言集
第一幕 第一場
なるほど、心の情欲をおさえ、処女として、
清らかな人生の旅路をたどれる者はまことに祝福された人ではある。
が、この世のしあわせからいえば、むしろ手折られて色香をめでられるほうがましではないか、
人を寄せつけぬ棘《とげ》にかこまれ、あたらその身を
朽ちるにまかせて、独《ひと》り身の祝福を受けるにとどまるよりはな。
ああ、ああ、本を読んでも、
物語や歴史に聞くところからでも、
真実の恋は滑《なめ》らかにはこんだためしがない。
まるでまっ暗な夜の稲妻みたい、
ぱっとひらめいて、天地をあかるく
照らしたかと思うと、あっという間もなく、
たちまち闇《やみ》の中にのまれてしまう。
幸福というやつはいつもそんなにもろく、はかないものです。
どんなに形のととのわない、卑しい、いやなものでも、
恋は美しいりっぱなものに変えてしまう。
恋は眼で見ず、心で見るのだわ。
だからキューピッドの絵も、翼があって盲目になっている。
第一幕 第二場
獅子もおれにやらしてくんなよ。誰が聞いても気持がよくなるように唸ってみせるから。殿さまがお聞きにな って感心しちまって、 「もう一度唸らせろ、もう一度唸らせろ」と思わずおっしゃるように唸ってみせるから。
第三幕 第二場
お頭《かしら》さまへご注進!
ヘレナがただ今参ります。
おいらが間違えた若い男は、
夢中で女を口《く》説《ど》いてまさあ。
やつらの茶番を見物しましょう。
人間ってやつは、まったくばかだなあ。
このおれはオーロラとは仲のいい遊び仲間、
東天の門がいちめんに燃えるような朱にそまって
大海にむかっておしひらかれ、美しい天の光が
緑の海原をまばゆい黄金に変えるころあいまで、
役人よろしく森の中を闊《かつ》歩《ぽ》できるのさ。
第五幕 第一場
恋人とか狂人とかいうものは脳が熱して、
ありもしないものを勝手に想像するので、とても
冷やかな理性では理解できないようなことを考えつくものだ。
狂人、恋人、それから詩人のたぐいは、
みな空想で頭がいっぱいにつまっているからな。
広い地獄にも入りきれんほどのおびただしい悪魔の姿を見るもの、
それが狂人だ。恋人もこれに劣らず狂っていて、
ジプシー女の顔にヘレンの美しさをみとめる者だ。
詩人の眼は不思議な霊感に恍《こう》惚《こつ》として怪しく輝き、
天より地へ、地より天へ、一瞬にしてかけめぐる。
こうして想像力がこの世にないものの
形を作りだすと、詩人のペンは
その姿をいきいきと描きだし、空《くう》漠《ばく》たるものに
定まった居どころと名前を与えるのだ。
たとえ見どころがなくても、面白がって見てやるのが深い思いやりというもの。
相手の間違いを真《ま》に受けてやるのがわれらの楽しみ。
およそ芝居などというものは、最高のできばえでも影にすぎない。最低のものでもどこか見どころがある、想像でおぎなってやればな。
年 譜
一五五七年
父ジョン・シェイクスピア、メアリ・アーデンと結婚、イギリス中部ウォリックシア州ストラットフォードに住む。
一五五八年
エリザベス女王即位。
ジョンの長女ジョウン誕生(九月十五日受洗、乳児のうちに死亡)
ジョン、市の保安官に選ばれる(翌年も再選)
一五六一年
ジョン、市の収入役に任じられる(二期勤める)
一五六二年
ジョンの次女マーガレット誕生(十二月二日受洗、翌年死亡)
一五六四年
ジョンの長男ウィリアム・シェイクスピア誕生(四月二十六日受洗)
一五六五年
一歳
ジョン、市の参事会員に選ばれる。
一五六六年
二歳
ジョンの次男ギルバート誕生(十月十三日受洗 )
一五六八年
四歳
ジョン、市長に選ばれる。
一五六九年
五歳
ジョンの三女ジョウン誕生(四月十五日受洗、長女夭折のため同名を与えたらしい)
一五七一年
七歳
ジョン、市の参事会長、市長代理に選ばれる。ジョンの四女アン誕生(九月二十八日受洗)
一五七四年
一〇歳
ジョンの三男リチャード誕生(三月十一日受洗)
一五七六年
一二歳
ジョン、紋章の許可願いを申請。
イギリス最初の常設劇場がロンドン郊外に開設。
一五七八年
一四歳
ジョン、家を担保にして四十ポンドを借りる(十一月十四日)
一五七九年
一五歳
ジョン、妻の財産を処分。
アン死亡(四月四日埋葬)
一五八〇年
一六歳
ジョンの四男エドマンド誕生(五月三日受洗)
一五八二年
一八歳
ウィリアム・シェイクスピアとアン・ハサウェイとの結婚(十一月二十七日結婚許可証発行)
一五八三年
一九歳
長女スザンナ誕生(五月二十六日受洗)
一五八五年
二一歳
双生児ハムネット(男)とジュディス(女)誕生(二月二日受洗)
一五八七年
二三歳
このころロンドンに出る(?)
一五八八年
二四歳
イギリス、スペインの無敵艦隊を破る(七月二十八日)
一五九二年
二八歳
作家ロバート・グリーン死亡(九月三日)
この年の後半および翌年にかけて疫病のためロンドンの劇場が閉鎖される。
一五九三年
二九歳
作家クリストファー・マーロウ刺殺される(五月三十日)
一五九四年
三〇歳
「内大臣一座」の幹部座員となる。
一五九六年
三二歳
長男ハムネット死亡(八月十一日埋葬)
ジョン、紋章の使用を許される(十月二十日)
一五九七年
三三歳
ストラットフォード第一の邸宅を六十ポンドで買い入れる。
一五九九年
三五歳
「内大臣一座」の本拠「地球座」開場、シェイクスピアは共同劇場主の一人となる。
一六〇一年
三七歳
エセックス伯、ロンドンで反乱を起こし(二月八日)死刑に処せられる(二月十四日)
一六〇二年
三八歳
ストラットフォード近郊に三百二十ポンドで、百七エーカーの土地を買う。
一六〇三年
三九歳
エリザベス女王逝去(三月二十四日)
ジェイムズ一世即位。
シェイクスピアの一座は「国王一座」と改名(五月十九日 )。疫病のためロンドンの劇場はほとんど一か年にわたり閉鎖。
一六〇五年
四一歳
ストラットフォードおよびその付近の土地の権利を四百四十ポンドで買う。
一六〇七年
四三歳
長女スザンナ、医師ジョン・ホールと結婚(六月五日 )。弟エドマンド、ロンドンで死亡。
一六〇八年
四四歳
スザンナの娘エリザベス誕生(二月二十一日受洗)
母メアリ死亡(九月九日埋葬)
一六〇九年
四五歳
シェイクスピアの一座、室内劇場「ブラック・フライアーズ座」を買収。 「地球座」とともに二つの劇場をもつことになる。
一六一〇年
四六歳
このころ故郷に引退(?)
一六一二年
四八歳
弟ギルバート死亡。
一六一三年
四九歳
ロンドンに百四十ポンドで家を買う。
『ヘンリー八世』の上演中、 「地球座」火事で焼失(六月二十九日)
弟リチャード死亡。
一六一六年
五二歳
次女ジュディス、ストラットフォードのトマス・クイニーと結婚(二月十日)
遺言書を作成(三月二十五日)
シェイクスピア死亡(四月二十三日 )、埋葬(同二十六日)
一六二三年
妻アン死亡(八月六日埋葬)
最初のシェイクスピア戯曲全集(第一《フアースト》フォリオと通称)が出版される。
創作年表
(創作年代はE・K・チェインバーズの推定による。戯曲の場合、年代が二年にまたがるのは、翌年の初夏にいたる芝居の一シーズンを基準にしているからである)
一五九〇─九一年 『ヘンリー六世・第二部』『ヘンリー六世・第三部』
一五九一─九二年 『ヘンリー六世・第一部』
一五九二年 『ヴィーナスとアドーニス 』 (詩 )
一五九二─九三年 『リチャード三世』 『間違いの喜劇』
一五九三─九四年 『タイタス・アンドロニカス』
『じゃじゃ馬ならし』
一五九三─九六年 『ソネット詩集』 (大部分)
一五九四年 『ルクリース』 (詩)
一五九四─九五年 『ヴェローナの二紳士』 『恋の骨折損』 『ロミオとジュリエット』
一五九五─九六年 『リチャード二世』 『真夏の夜の夢』
一五九六─九七年 『ジョン王』 『ヴェニスの商人』
一五九七─九八年 『ヘンリー四世・第一部』 『ヘンリー四世・第二部』
一五九八─九九年 『むだ騒ぎ』 『ヘンリー五世』
一五九九─一六〇〇年 『ジュリアス・シーザー』 『お気に召すまま』 『十二夜』
一六〇〇─〇一年 『ハムレット』 『ウィンザーの陽気な女房たち』
一六〇一─〇二年 『トロイラスとクレシダ』
一六〇二─〇三年 『終りよければすべてよし』
一六〇四─〇五年 『以尺報尺』 『オセロ』
一六〇五─〇六年 『リア王』 『マクベス』
一六〇六─〇七年 『アントニーとクレオパトラ』
一六〇七─〇八年 『コリオレーナス』 『アセンズのタイモン』
一六〇八─〇九年 『ペリクリーズ』
一六〇九─一〇年 『シンベリン』
一六一〇─一一年 『冬の夜ばなし』
一六一一─一二年 『あらし』
一六一二─一三年 『ヘンリー八世』
真《ま》夏《なつ》の夜《よ》の夢《ゆめ》
シェイクスピア
三《み》神《かみ》 勲《いさお》=訳
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平成13年2月9日 発行
発行者 角川歴彦
発行所 株式会社 角川書店
〒102-8177 東京都千代田区富士見2-13-3
shoseki@kadokawa.co.jp
本電子書籍は下記にもとづいて制作しました
角川文庫『真夏の夜の夢』昭和44年11月30日初版刊行
平成8年12月25日改訂初版刊行