十二夜
ウィリアム・シェイクスピア作/三神勲訳
十二夜……またの名「お望み通り」
目 次
第一幕
第二幕
第三幕
第四幕
第五幕
解説
[#改ページ]
【場所】 イリリア
【人物】
[#ここから1字下げ]
オーシーノ公爵……イリリアの領主
ヴァレンタイン……公爵の侍臣
キューリオ……同
オリヴィア……伯爵家の若い女主人
サー・トゥビー・ベルチ……オリヴィアの伯父、士爵《ナイト》
サー・アンドルー・エイギューチーク……トゥビーの友、愚かな士爵《ナイト》
マライア……伯爵の侍女
フェービアン……伯爵の侍臣
マルヴォーリオ……伯爵の執事
フェステ……伯爵の道化
セバスチャン……メサリーンの名家の若者
ヴァイオラ……セバスチャンと双生児の妹(男装してシザーリオ)
アントゥニオ……船長、セバスチャンの友
もう一人の船長……ヴァイオラの友
神父、警吏、侍臣、侍女、楽士、船員たち
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]
第一幕
第一場
〔オーシーノ公爵邸の一室。オーシーノ公爵、侍臣キューリオ、貴族たち。音楽を聞いている。音楽やむ〕
【公爵】 音楽が恋する心のかてなら、もっと続けてくれ、思う存分味わわせてくれ。食べすぎて、胸につかえて、やがて食欲がなくなればよい。あの曲をもう一度! 絶えいるような調べだった。ああ、こころよい微風のようにわたしの耳にしのびよる。すみれ咲く丘を静かに吹きわたり、かぐわしい花の香を奪ってはまた与える。(――音楽)――もうよい、やめてくれ。まえほどにはもう美しくない。ああ、恋よ、きさまはなんという貪欲なやつ! 海のようにすべてを呑みこみ、やがてはいかなる貴いものも、たちまち卑しく変えてしまう。恋はまぼろし、あだな思いがつのるばかりだ。
【キューリオ】 狩りにでもお出かけになりましては、殿さま?
【公爵】 なにを狩り立てる、キューリオ?
【キューリオ】 鹿でも。
【公爵】 とうにこちらが鹿にされて、狩り立てられておるではないか。ああ、この目が一目オリヴィア姫を見たとき、大気がたちまち清められたように思われたのに。そのせつな、鹿の姿に変えられて、狂った猟犬さながらの、狂おしい恋の思いにかり立てられることになった。
〔ヴァレンタイン登場〕
どうだった、姫はなんと申された?
【ヴァレンタイン】 いかんながら、お目通りかなわず、お腰元の方からご返事をうかがってまいりました。姫君には、ここ七か年の間、太陽にさえ、あらわにはそのお姿をお見せにならぬご決心とか、修道院の尼のように、ひたすら家の中にひきこもられ、涙にぬれた美しい面《おもて》をおおって、日に一度、お居間の中を静かにお歩きなさいますだけ。これもひとえに亡き兄君をお慕い申すのあまり、胸の奥深くいつまでも兄君の悲しい思い出を抱きつづけるみ心と承《うけたまわ》りました。
【公爵】 ああ、一人の兄にすら、それほどまでに愛憎の負目《おいめ》を覚える――なんというやさしい心ばえの人だろう! これがもし、あの人の心のうちの思いがのこらず、すべて、キューピッドの黄金の矢でなぎたおされ、いみじくも美しいあの人の胸の玉座を完全に独り占めすることになったら、ああ、その時はあの人の心はどんなに燃えあがることだろう! さあ、こころよい花のしとねに案内してくれ、切ない思いは咲きみだれる花かげでこそなぐさめられる。〔退場〕
第二場
〔海岸近く。ヴァイオラ、船長、水夫たち〕
【ヴァイオラ】 なんという国、ここは?
【船長】 イリリアで。
【ヴァイオラ】 知らないイリリアなどへ来て、わたしどうしよう? お兄さまはあの世へ行っておしまいになった。でも、もしかすると、助かってるわね、そうじゃない?
【船長】 あなたさまはご運がよろしかった。
【ヴァイオラ】 おかわいそうなお兄さま! でも運がよければ、お兄さまも……。
【船長】 そうですとも、運次第です。お諦めなさることはありません。現に船が難破した後で、あなたさまやてまえどもがボートにしがみついておりました時、ふと見ると、あなたさまのお兄さまが、あの危険のさ中にゆうゆうと、勇気と希望に教えられたのでございましょう、波間にただよう大マストにご自分の身体をしばりつけて、まるで|いるか《ヽヽヽ》の背にまたがるアライオンのように寄せくる波を雄々しくのり切って行くお姿が見えました。えい、えい、確かにご無事でしたとも、てまえが見ている間は。
【ヴァイオラ】 いいことを言ってくだすって、さあ、お礼です。わたしがこうして助かったのですもの、お兄さまだって望みがあるわけです。今のあなたのお言葉でほんとに心丈夫になりました。この国をあなた、ご存知?
【船長】 はい、存じておりますとも。ここから僅か三時間とかからぬところで、てまえは生まれて育ったんで。
【ヴァイオラ】 どなたがここの国のお殿さま?
【船長】 公爵さまです。お人柄もご立派な方で。
【ヴァイオラ】 お名前は?
【船長】 オーシーノさまと申します。
【ヴァイオラ】 オーシーノさま、そのお名前は父から聞いたことがあります。その時分は、たしかまだおひとりでしたわ。
【船長】 いや、今でもそうです。とにかく、ついこの間まではな。もっとも、てまえはつい一月ほど前ここを発ったのですが、町ではその頃――とかくしもじもの者はお偉い方々のことをなにかと噂したがるものでございますからな――公爵さまがオリヴィア姫にご執心だともっぱらの評判でございました。
【ヴァイオラ】 どんな方?
【船長】 伯爵さまのお姫さまで、ご貞淑な方ですわ。お父さまは一年ほど前、お亡くなりになりましてな、お兄さまが後見しておられましたが、このお兄さまもまもなくお父さまの後を追われまして。なんでも噂ではお亡くなりになったお兄さまをお慕い申すあまり、お姫さまは男の方とは絶対にご交際なさらない、お目にもかからぬと固くお誓いなされたと申します。
【ヴァイオラ】 ああ、その方にわたしご奉公ができたら! そうして好い折りが来るまで、その方のおそばにかくれて、わたしの身分を世間に知られずにいられたら!
【船長】 そいつはちょっとむずかしい相談ですな。お姫さまはどんな願いの筋もお聞き届けなさらない、たとえ相手が公爵さまでもな。
【ヴァイオラ】 ねえ、あなたは、お見受けしたところ、いい方ね。うわべはきれいに飾りながら、汚れた心をかくしている人もたくさんあるけど、あなたはお見受け通りのお人柄にふさわしい正直なお心の方だとわたし思います。ですからお願い、お礼はどっさりします、どうかわたしに手をかして。わたしね、これから身分をかくし、姿をかえて、御殿へしのびこむの。つまり、その公爵さまにご奉公する。あなたがわたしをお小姓に仕立てて、御殿へ連れて行ってくださるの、大丈夫お骨折りはむだにはさせませんわ。歌も歌えるし、いろいろな楽器で殿さまをおなぐさめすることだってできますもの。立派に男のお小姓役がつとまります。その先、なにが起こっても、それはその時。まかせてちょうだい。あなたはただわたしのしぐさを黙って見ているの。
【船長】 お小姓役をおやりなさい、てまえがだんまり役をお引き受けしますから。頭のはちを割られても、口を割るようなことはこんりんざい。
【ヴァイオラ】 ありがとう。では案内して。〔退場〕
第三場
〔オリヴィア伯爵邸の一室。トゥビー・ベルチ、マライアを相手に酒を飲んでいる〕
【トゥビー】 いったいぜんたい、姪のやつどうしたんだ、死んだ兄貴のことをあんなに思いつめてよ? くよくよするのは身の毒だがなあ。
【マライア】 そんなことより、ねえトゥビーさま。毎晩もっと早くご帰館なさらなけりゃいけませんわ。お姪御さまのお姫さまも、あなたの晩《おそ》いのには大変ご立腹よ。
【トゥビー】 へっ、そちらがご立腹でも、こちらはご満腹とくらあ。
【マライア】 でもほんとに、あまりはめをお外しなさらないで。
【トゥビー】 外すもんか。この通り、ズボンのボタンだってちゃんとかかってらあ。靴だって見ろ、ちっとも外れてなんかいねえから。これでも外れてるってやつは、てめえの靴ひもで首でもくくりやがれ。
【マライア】 それに、そんなにがぶがぶ召し上がったら、きっとろくなことはありませんよ。つい咋日だってお姫さまがそのことをおっしゃってた。それからあの馬鹿な殿さまのこともね。そら、いつかの晩あなたがお連れになった、お姫さまに結婚を申し込むんだと言ってる方。
【トゥビー】 誰のことだ? アンドルー・エイギューチーク君のことか?
【マライヤ】 そうよ、あの方よ。
【トゥビー】 あいつはイリリアではたいした人物だ。
【マライア】 たいした愚者よ。
【トゥビー】 年収三千ダカットの金持ちだぞ。
【マライア】 たとえ何万ダカットのお金持ちだって、あの人にかかったら、一年とはもちませんわ。大馬鹿のくせに、むやみにお金を使うんだから。
【トゥビー】 馬鹿、なにを言いやがる! あいつはチェロがひけるんだぞ。それに、外国語だって、五、六か国語が一言一句間違いなく、暗《そら》でしゃべれるんだ。えらいやっちゃ、生まれつき才能に恵まれてるんだなあ、あいつは!
【マライア】 低能に恵まれてんのよ、あの人は。阿呆のくせに、たいしたけんか好きときてるんだから。幸い臆病の才能にも恵まれているから、それがけんか好きの才能とうまく釣合いがとれているからいいようなものの、そうでなかったら、とっくの昔に天国行きの幸運にお恵まれ遊ばしたろうって、分別のある人は言ってますわ。
【トゥビー】 そんな大それたことを言うやつは立派に名誉毀損罪にひっかかるぞ。誰がそんな暴言をはいた?
【マライア】 まだあるわ。毎晩のようにあなたを相手に酔っぱらっているって。
【トゥビー】 姪の健康を祝して乾杯するのよ。大事な姪のためなら、いやしくもこののどにものが通るかぎり、イリリア中に酒があるかぎり、わが輩断じて杯をおかぬ。姪のために杯をあげぬやつは卑怯者だ。すべからく飲むべし。飲んで、飲んで、飲みまくり、頭が独楽《こま》のようにぐるぐる回るまで飲むべしだ。(――ふらふら立ち上がり、マライアを抱いて踊る)――おい、おい、静粛、静粛。わがアンドルー・エイギューチーク君のお出ましだ。
〔アンドルー・エイギューチーク登場〕
【アンドルー】 やあ、トゥビー君! どうだい、トゥビー・ベルチ君!
【トゥビー】 やあ、これは、アンドルー君!
【アンドルー】 (マライアに)ごきげんよう、口のわるい別嬪さん。
【マライア】 (わざと丁寧に)あなたさまにも、ごきげんよう!
【トゥビー】 口上、口上、アンドルー君!
【アンドルー】 え、なんですか?
【トゥビー】 姪の腰元だよ。
【アンドルー】 ああ、これは、これは、口上さん、以後よろしくお願いするです。
【マライア】 わたしの名前、メリーですのよ。
【アンドルー】 いやあ、メリー・口上さん――
【トゥビー】 (傍白)おい君、ちがう、ちがう。「口上」ってのは、挨拶するんだ、乗りこむんだ、口説くんだ。襲撃するんだ、相手の女を。
【アンドルー】 (傍白)弱ったなあ、こんな人前でぼくそんなことできんですよ。「口上」ってのはそういうことですか?
【マライア】 ごめん遊ばせ、さようなら。(――行きかける)
【トゥビー】 (傍白)おい、アンドルー君、このまま敵をとり逃したら、侍の体面にかかわるぞ、二度と剣を抜かぬがいい。
【アンドルー】 ねえ、あんた、このままあんたをとり逃したら、侍の体面にかかわるです。二度と剣を抜かぬがいいです。――別嬪さん、あんたは馬鹿を相手にしていると思うですか?
【マライア】 わたし、まだあなたのお相手はしておりませんわ。
【アンドルー】 じゃ、相手にしてください、さあ。(――手をさし出す)
【マライア】 (手をとって)女のひとにむやみに手なんぞお出しになると、あぶのうございますよ。
【アンドルー】 なぜですか、ねえさん? なにかね、その謎は?
【マライア】 手をおやきになりますよ。
【アンドルー】 そんなこと。ぼくがいくら馬鹿だって、自分の手をやくほど馬鹿ではないですよ。だが、それはどういう洒落ですか?
【マライア】 あなたの手にあまる洒落。
【アンドルー】 あんた洒落がうまいですね。
【マライア】 ええ、お手のものよ、あなたのお相手なら。だから、あなたと手を切れば、わたしの洒落も種切れ。
〔アンドルーの手をはなし腰をかがめて退場〕
【トゥビー】 おい大将、葡萄酒でもぐっと一杯ひっかけるんだな。見事一本とられたなあ!
【アンドルー】 こんなに見事に手をとられたのは初めてですよ。葡萄酒に足をとられたことは何度もあるんですがね。ぼくは時々、おれには人並みの知恵しかないのかなあって悲観するですよ。ぼくは牛肉を食べすぎるんでねえ。それがきっと頭によくないですね。
【トゥビー】 そうだとも。
【アンドルー】 そうと知ったら、止めるんだったがなあ。トゥビー君、ぼく明日国へ帰るです。
【トゥビー】 おい、おい、大将、プールクワ?
【アンドルー】 なんですか、プールクワって? 帰るですか、帰らんですか? ぼく剣術やダンスを習ったり、熊の見世物を見物しているひまに、語学でもやっておけばよかったのになあ。ああ、文学でも研究しておくんだったなあ。
【トゥビー】 そうすれば、君の髪の毛もすばらしくなったろうよ。
【アンドルー】 え、文学をやれば、髪の毛がよくなるですか?
【トゥビー】 そうとも。文章でもひねれば、髪の毛だって多少はカールするだろうって。
【アンドルー】 でも、これぼくによく似合うでしょう、どうですか?
【トゥビー】 たいしたものだ。まるで糸巻き棒にまきつけた麻糸というところだ。百姓女がおまえさんの頭を股ぐらにかっぱさんで、糸を紡ぐのが見てえもんだ。
【アンドルー】 ほんとうにぼく明日帰るです、トゥビー君。あんたの姪は会ってはくれんし、会ってくれたにしても九分八厘まではぼく見込みがないです。この近くの公爵さんがあの人に熱を上げてるですから。
【トゥビー】 大丈夫、公爵なんか相手にせんよ、あれは。自分より上の人とは、姪は縁組みせん、身分でも、年齢でも、知恵でも、なんでも上の人とはな。現におれの前でそう断言したんだから。大丈夫、まだまだ脈はあるよ、君。
【アンドルー】 じゃ、もう一月滞在するかな。ぼくはとっても妙な気分の男でねえ。時によると、仮装舞踏会やお祭り騒ぎにとても夢中になるですよ。
【トゥビー】 なかなか芸人なんだな、君は。
【アンドルー】 ええ、そのほうではイリリア中の誰にだって負けんですよ。ぼくの目上の人は別ですがね。それから玄人《くろうと》にはかなわんですがね。
【トゥビー】 ダンスじゃ、どんなのが得意だい?
【アンドルー】 そりゃ、跳《は》ねるのが一番ですね。
【トゥビー】 (傍白)馬だね、まるで。
【アンドルー】 それから、逆《さか》飛びも、イリリア中の誰にだって負けんつもりですね。
【トゥビー】 おい、また、なんでそんなすばらしい芸を隠しとくんだ? なぜカーテンの奥にしまっておくんだ? 聖母さまの似顔絵じゃあるまいし、埃《ほこり》がかかるともったいないとでも言うのかい? 教会へ行くんだって、行きはジルバで、帰りはルンバとしゃれたらいいじゃないか。おれなら、散歩はマンボで、小便はチャッ、チャッ、チャッといくね。いったいどういう了簡だい、あたら天才をむざむざ埋もれさすのか? 君のすばらしい脚を見て、こいつはてっきりジルバの星の下で生まれたなとおれはにらんでいたんだ。
【アンドルー】 ええ、脚は強いですよ。赤い靴下がとてもよく似合うでねえ。どうです、ひとつ飲んで騒ぎますか?
【トゥビー】 それそれ、そうこなくっちゃ。お互いに五黄の星の生まれだったなあ。
【アンドルー】 五黄の星? 五黄の生まれは心臓が強いって言いますねえ。
【トゥビー】 その代わり、頭脳が弱い。――さあ、ひとつ跳ねて見せな。(アンドルー跳ねる)はは、そら。もっと高く。はは、はは、うまいぞ!(退場)
第四場
〔公爵邸の一室。ヴァレンタインと男装した小姓姿のシザーリオと名乗るヴァイオラ〕
【ヴァレンタイン】 シザーリオ君、殿さまがこれからも君に目をかけてくだすったら、きっと君はうんとお引き立てにあずかるよ。お目にかかってからまだ三日しかたたないのに、もうすっかり君をご信用なさっているんだから。
【ヴァイオラ】 これからも目をかけてくだすったらなんて、殿さまは気の変わりやすいお方だというの? それともぼくのご奉公が足りないと考えているの? ねえ君、殿さまは移り気な方?
【ヴァレンタイン】 いや、そんなことはないよ。
【ヴァイオラ】 よかった。あ、殿さまがいらっした。
〔公爵、キューリオ、従者たち登場〕
【公爵】 おい、誰かシザーリオを見なかったか?
【ヴァイオラ】 はい、殿さま、ここにひかえております。
【公爵】 皆の者はしばらくひかえておれ。(キューリオら一隅に退く)シザーリオ、おまえにはもうなにもかも打ち明けた。わたしの胸の中の秘密の巻物まですっかりひもといて見せてしまった。おまえ、これからあの方のところへ行ってくれ。断わられてもかまわん。門前に立ちつづけてお目通りかなうまでは、足に根が生えて動けませんと申しあげろ。
【ヴァイオラ】 そう申しましても、殿さま、もしお姫さまが、噂のように深い悲しみに沈んでおられましたら、とうていお会いくださるまいと思います。
【公爵】 わめき立ててやれ、礼儀も作法もふみにじってよい、目通りかなわず、むなしく立ちもどるよりは。
【ヴァイオラ】 もしお目にかかれましたら?
【公爵】 ああ、その時こそ、わたしの思いのたけをぶちまけろ。この切ない心を述べたてて、あの方を責めたてる。わたしの悲嘆を演じるにはおまえはまったく適《はま》り役。ういういしいおまえなら、もったいぶった顔つきの使者などよりもあの方の心をひくだろう。
【ヴァイオラ】 そんなことは。
【公爵】 いや、そうだとも。おまえを大の男と思うようなものは、その少年らしい無邪気な姿が目に入らぬのだ。ルビーのように赤いつややかなその唇にはダイアナといえどもとうていかなわぬ。おまえの細いのどは、まるで乙女のようにきれいにすんだ高い声だ。どこからどこまでおまえは女役の少年そっくり。きっとこの役目をつとめる宿命の星の下に生まれたのだぞ。(従者を手招いて)これこれ、おまえらのうち四、五名、これについて行け。なんなら皆参ってもよい。わたしは独りが一番よいのだ。――首尾よくやりとげよ。うまくいったら、わたしの財産はおまえのもの、主人と同じく自由に暮らせるぞ。
【ヴァイオラ】 わたくしの力のおよぶかぎりお姫さまを口説いてみます。――(傍白)ああ、因果なお役目! わたしのほうなのに、殿さまに口説かれたいのは。〔退場〕
第五場
〔伯爵邸の一室。マライアと道化フェステ〕
【マライア】 いいえ、どこに行ってたか言わなきゃ、お詫びなんかしてあげない。黙って家をあけたりして、きっと絞《しば》り首になるから。
【道化】 締めていただきましょう。この世で首尾よく絞り首になれば、こわいものなし。
【マライア】 そのわけは?
【道化】 お目々が見えなくなるからよ。
【マライア】 気の利かない答。「こわいものなし」というのはどういうことか知ってるの?
【道化】 教えてちょうだい、メリー先生。
【マライア】 阿呆のことよ。そうなれば阿呆も存分に舌が振るえる。
【道化】 さてさて神よ、願わくば知恵者には知恵を与えたまえ、阿呆にはその才を振るわせたまえ。
【マライア】 でもこんなに長いこと家をあけたんだから、いずれおまえは絞り首。それともお払い箱かな。どっちだっていいだろう、おまえ?
【道化】 絞り首になったおかげでいやなかみさんを持たずにすんだ例がいくらもあらあ。お払い箱なら、夏場に願いたいね。首筋が涼しい。
【マライア】 じゃ、覚悟はいいんだね?
【道化】 そうでもないがね。二とこだけは肚《はら》をしめてるんで――
【マライア】 ひととことけても、片一方がしまってる。両方とけりゃ、ズボンがずるずる。
【道化】 うまいぞ、うまいぞ。(マライアの行きかけるのを見て)さあ、さあ、いらっしゃいよ。もしトゥビーさんがお酒をやめる気になったら、実際あんたぐらい気の利いたイヴさまはイタリア中どこを探したって見つかりっこないんだがな。
【マライア】 お黙り、ろくでなし、承知しないから。そら、お姫さまがいらっした。せいぜい上手にお詫びするんだよ。〔マライア退場〕
〔喪服姿のオリヴィア、マルヴォーリオ、従者たち登場〕
【道化】 (オリヴィアに気づかぬ振りをして)おお知恵の神さま、お願いだからおいらにうまく阿呆の才を振るわしておくれ! 実際、おまえさんに可愛いがられていると自惚れている知恵者が存外阿呆だったという例が世間にはざらにあらあ。だからおまえさんなんかと縁がないものと諦めてるおれさまは、これで案外知恵者で通るかもしれんて。そうよ、クイナペイラス曰《いわ》くだ、「阿呆なる知恵者たらんより須《すべから》く知恵ある阿呆たれ」(初めてオリヴィアに気がついたように)これは、お姫さん。ごきげんよう!
【オリヴィア】 誰か阿呆をあちらへ連れてお行き。
【道化】 (とぼけて)おい、聞こえないのか? 誰かお姫さんをあちらへお連れしろ。
【オリヴィア】 フェステ、おまえの頭は空っぽよ。もうおまえには用はない。それに、身持ちまでわるくなって。
【道化】 とお叱りのわが身の過ちはでございますな、酒と意見ですぐなおりまさあ。頭のほうなら、酒を注げば、空ではなくなる。身持ちのほうなら、意見でなおる。身持ちがなおりゃ、不身持ちじゃない。もしなおらなかったら、つくろい屋に頼む。なおしものは即ちつぎはぎ。過ちをおかす君子は悪のつぎはぎ、心を改める悪人はこれ善のつぎはぎなりとね。――この簡単明瞭な三段論法がお役に立てば、なにより。役に立たなかったら、さてその時はどうしたものか? 艱難汝を妻にす、花の命は短くて――。(従者らに)阿呆をあちらへとお姫さんがおっしゃった。さあ、早くお連れしろ。
【オリヴィア】 いいえ、おまえを連れて行けとわたしは言ったのよ。
【道化】 おや、こいつはとんだ勘違い! お姫さん、「衣裳は人を作らず」と申します。おいらだって頭ん中まで阿呆の服を着ているわけじゃなし。――失礼ですが、お姫さん、あんたが阿呆だという証明をしましょうか?
【オリヴィア】 うまくできるかい、おまえに?
【道化】 見ん事できましたら、ごかっさい。
【オリヴィア】 では証明してごらん。
【道化】 こいつはどうしても教義問答でゆくんだな。これ、これ、よい子じゃから、正直にご返事するのじゃよ。
【オリヴィア】 ほかにうさばらしもないから、おまえの下手な証明でも聞きましょう。
【道化】 これ姫や、そなたはなぜそのように嘆《なげ》くのじゃ?
【オリヴィア】 これ阿呆、兄上がお亡くなりになったからじゃ。
【道化】 さだめし魂は地獄へおちてしまわれたろうなあ、姫や。
【オリヴィア】 なにを申す、魂は天国へおのぼりになってしもうたわ。
【道化】 だから、そなたは阿呆じゃ。天国へのぼったお兄さんの魂を嘆くのじゃから。――皆のもの、この阿呆をそちらへ連れてまいれ。
【オリヴィア】 ねえ、マルヴォーリオ、どうこの阿呆? よくなったでしょう?
【マルヴォーリオ】 さよう、多少は進歩いたしましょうな、最後の苦しい息をひきとりますまでにはな。賢者をむしばむ老衰も阿呆にはかえって身の助けでござりまするからな。
【道化】 神よ、願わくばマルヴォーリオさんの上にすみやかに老衰をくだしたまえ、しかりしこうしてあの人の阿呆がますますつのりますように! トゥビーさんだって、おいらがたぬきじゃないとは断言しますがね、あんたが阿呆じゃないなんて、一杯おごったって言いっこありませんや。
【オリヴィア】 マルヴォーリオ、どう? なんとかおっしゃい。
【マルヴォーリオ】 てまえは不思議でなりませぬ、お姫さまともあろう方がなにゆえかかる無能なるやからをごひいき遊ばしますのか。つい先日もこやつは頭の空っぽの街の阿呆にたあいもなくへこまされておりました。ご覧くださいまし、もうやつは種切れでございます。あなたさまが調子をお合わせになってお笑い遊ばされませんと、こやつは手も足も出ぬのでございます。あなたさまの前でござりまするが、かような芸のない阿呆をおもしろがる賢い方々は、その実阿呆の下回りに過ぎぬとてまえは思考いたしまする。
【オリヴィア】 ああ、それがおまえの病気なのよ、マルヴォーリオ、そのうぬぼれの強いのが。おまえは物をなんでも素直にとらないのです。こだわりのない、広い、正しい心で見れば、たかがおもちゃの鉄砲玉としか思えぬものが、おまえにかかると大砲の弾丸《たま》になってしまう。天下ご免の阿呆なら、悪口を並べ立てても、毒はない。立派な思慮のある人がどんなに人を叱っても、悪口にならないのと同《おんな》じよ。
【道化】 マーキュリーの神さま、どうぞお姫さんを嘘つきの名人にしてあげてくださいまし。阿呆の弁護を引き受けてくださるんだから。
〔マライア再び登場〕
【マライア】 お姫さま、若い紳士の方がぜひお目にかかりたいと申してご門前にひかえております。
【オリヴィア】 オーシーノさまのお使い?
【マライア】 それは存じませんが、とてもハンサムな方。お供の人たちもご立派です。
【オリヴィア】 誰が応対に出ているの?
【マライア】 トゥビーさまでございます。
【オリヴィア】 お願い、すぐひっこませて。あの人、ちょっとこれだから、だめよ。(マライア急ぎ退場)マルヴォーリオ、おまえ出てください。公爵さまのお使いなら、わたしは病気だとか、不在だとか、なんとでも好いように言いつくろって、追いかえしてちょうだい。(マルヴオーリオ退場)(道化に)それご覧、おまえの道化も古くさくなったのよ、みんなに嫌われるんだから。
【道化】 あれ、たった今、おいらをひいきしてくれたのに。まるでご子息さまがおいらの仲間入りでもしたみたいに。ジョーヴの神さま、どうか坊っちゃまの脳天にどっさり脳みそをつめ込んであげてくださいまし! そら、来た、あんたの身内の方が。とてもおつむのお弱い方が。
〔トゥビーよろめきながら登場〕
【オリヴィア】 まあ、いやな人、朝っぱらからもうごぎげん!――ご門に来ているのはどういう方?
【トゥビー】 (舌がもつれる)紳士だ。
【オリヴィア】 紳士? どんな紳士?
【トゥビー】 その紳士はだ――ういっ(げっぷ)、こん畜生、塩にしんめ!(道化思わず失笑)どうした、阿呆!
【道化】 (マルヴオーリオを真似て)これはしたり、トゥビー殿!
【オリヴィア】 叔父さま、叔父さま、どうなすったの? 朝っばらからふらふらして。
【トゥビー】 ふられた? えんぎでもねえ、ふられるもんか!――門のところに人間が来ておる。
【オリヴィア】 ええ、だからどんな方ですの?
【トゥビー】 そいつが悪魔というなら、悪魔にしておけ。かまったことはねえ。われに「信仰」を与えたまえだ――(よろめきながら戸口へ)まあ、どうだっていいや。(トゥビー退場)
【オリヴィア】 阿呆、酔っぱらいはなにに似ている?
【道化】 けだし土左衛門《どざえもん》、阿呆、はたまた気違いにもね。好い気分になったところへ一杯ひっかければ、たちまち阿呆。二杯目で気違い、三杯目となると土左衛門でお陀仏。
【オリヴィア】 じゃ、急いで検死の役人を呼んできて。叔父さんはもう酔いどれ三段目。土左衛門よ。早く行って看ておあげ。(道化退場)
〔マルヴォーリオ登場〕
【マルヴォーリオ】 お姫さま、ご門前に参りました若い男は是が非でもお目にかかるのだと強情をはっておりまする。ご不快だと申しますと、それはかねて承知している、だからお目にかかりにうかがったのだと申します。ご就寝中だと申しますと、それももとより承知している、だから参上したのだと言われまする。なんと申したものでございましょう? なんと言ってお断わりしても、いっこう受け付けませぬ。
【オリヴィア】 お目にかからないとおっしゃい。
【マルヴォーリオ】 さよう申しました。するとお目にかかるまでは、ご門前にかかしのようにいつまでも立っている。ベンチの脚になったつもりでこんりんざい動かないなどと無法なことを申しまする。
【オリヴィア】 どんなたぐいの人なの?
【マルヴォーリオ】 さよう、たぐいと申しましても、やはり人間のたぐいでございますな。
【オリヴィア】 どんなふうなの?
【マルヴォーリオ】 それがまことにふうのわるい男で、否《いた》でも応でもお目にかかるのだと申すのです。
【オリヴィア】 いいえ、どんな人柄なの、いくつ位の人と言うのよ?
【マルヴォーリオ】 大人としてはいささかいとけなく、小児としてはちと|ひねて《ヽヽヽ》おりまする。色づく前のさやえんどう、赤味のさしかけた青りんご。つまり子供から大人への汐の変わり目。顔立ちはなかなか可愛らしいくせに、言うことがまことに生意気千万。なに、乳ばなれしたての青っ尻と見うけました。
【オリヴィア】 ここへお通し。――腰元を。
【マルヴォーリオ】 (戸口へ行き)お腰元、お姫さまのお召しですぞ。〔マルヴォーリオ退場〕
〔マライア登場〕
【オリヴィア】 ヴェールをおくれ。さ、顔へかけて。オーシーノさまのお使いの方にもう一度だけお会いするから。
〔ヴァイオラ登場〕
【ヴァイオラ】 ご当家のお姫さま、どなたがお姫さまでございますか?
【オリヴィア】 わたしが代わってご返事します。ご用件は?
【ヴァイオラ】 いともあでやかにして、いみじくもまたうるわしの君よ!――どうか後生ですから、ね、おっしゃって。あなたが当のお姫さまですか? まだお目にかかったことがないもんで。折角の口上をむだにしたくないんです。すばらしい名文句ですし、第一覚えるのにとても苦労したんです。お美しい皆さま、どうぞわたしを笑わないで。ほんのささいの無作法にも、わたしはとても神経質なんです。
【オリヴィア】 どこからおいでになりましたか?
【ヴァイオラ】 稽古したせりふ以外はしゃべれません。今のご質問はわたしの台本にございません。ねえ、おやさしい方、あなたがここのお姫さまでございますか? そうならそうと早くおっしゃってください。さっそく口上にかかりますから。
【オリヴィア】 あなたは喜劇役者?
【ヴァイオラ】 恐れ入ります。でもあなたがあくまで軽蔑なさるなら、断言します。わたしは今の役とは違った役柄でございます。あなたがここのお姫さまですか?
【オリヴィア】 わたしがかたりでなければね。
【ヴァイオラ】 いえ、かたりですとも、もしあなたがお姫さまなら。だってあなたは人に与うべきものを持ちながら、独り占めなさっておられるのですから。いや、これはおさしず以外のことでした。さっそくあなたを褒めたたえる口上にとりかかります。それから肝心の用件に入ります。
【オリヴィア】 肝心なところからお始めなさい。褒めたたえるほうはかんべんしてあげます。
【ヴァイオラ】 それは残念。あんなに苦労して覚えたのに。それにとても詩的なんです。
【オリヴィア】 ではますますうそにきまっています。お願いだから、しまっておいて。あなたは先ほど門前で無作法をはたらいたと聞きました。どんな方か後学のために見ておきたいと思ったの。下手な口上を聞きたかったからではありません。正気なら手短かにおっしゃい。気が違っていらっしゃるなら、さっさとお引きとりください。あなたの漫才のお相手をつとめるほど、わたしもまだ頭が狂っておりませんの。
【マライア】 (ヴァイオラの手に持っている帽子をさして)さ、さっさと帆を上げて。出帆、出帆!(戸を開き、ヴァイオラを押し出そうとする)
【ヴァイオラ】 (出されまいとして)そうはいかないよ、船頭さん。ぼくはもうしばらくこの港に碇泊するんだ。――お姫さま、この大女をお叱りください。
【オリヴィア】 あなたの心の中をお話しなさい。
【ヴァイオラ】 わたしは主人の使いです。
【オリヴィア】 なにかこわいことをおっしゃるのね、ご様子からみると。さ、いいから言いつかったことをおっしゃい。
【ヴァイオラ】 あなたのお耳にだけお入れしたいのです。わたしは宣戦布告に参ったのでも、貢物《みつぎもの》をとり立てに上がったのでもありません。手にはオリーブの枝、つまり平和と親善のお使いに参ったのです。
【オリヴィア】 それにしては初めが乱暴ね。いったいあなたはどういう方? なんのご用?
【ヴァイオラ】 乱暴をはたらきましたのはこちらさまのおもてなしのせいでございます。わたしの身分とわたしの用件とは処女のように大事な秘密。あなたのお耳には神のお告げですが、他人の耳には空念仏です。
【オリヴィア】 みんなしばらくここを外しておくれ。神のお告げとやらを拝聴しますから。
〔マライア、その他の従者たち退場〕
さあ、お告げとおっしゃるのは?
【ヴァイオラ】 いとうるわしき姫君――(と言いかけるのを)
【オリヴィア】 まあ、ありがたいお告げですこと! いくらでも注釈がつけられますわね。その本文はどこにありますの?
【ヴァイオラ】 オーシーノの胸の中にございます。
【オリヴィア】 そう。胸の第何章、第何節?
【ヴァイオラ】 作法通りにお答えしますと、第一章第一節。
【オリヴィア】 ああ、それならとうに読みました。あれは異端の教えです。もう他には?
【ヴァイオラ】 お姫さま、お顔をどうぞ。
【オリヴィア】 あら、顔と話せとご主人から申しつかってきましたの? だめよ、本文から外れては。でもカーテンをあげて、ご本尊をお目にかけましょうね。(ヴェールをとって)ほら、これがわたしの肖像――描きあげたばかり。どう、この調子?
【ヴァイオラ】 ああ、実に見事なできばえだ。全部が神さまの手になるものなら。
【オリヴィア】 大丈夫、色ははげないわ、どんな雨風にさらしても。
【ヴァイオラ】 これこそ完全に調和のとれた美です。この赤と白との配合は人間の手ではとうてい描けるものではありません。お姫さま、あなたはまたなんと冷酷な方でしょう、もしこの美しさをそのまま墓の中へお運びなさるなら、僅か一枚の写《うつ》しさえこの世にお残しなさらずに。
【オリヴィア】 まあ、そんな不人情な真似はいたしません。わたしの顔は残らず目録に残します。財産目録を作成して、顔の造作一式書きこんで、遺言状にちゃんととじこんでおきます。一つ、相当に赤い唇、上下二枚。一つ、青い目二個、ただし、まぶたつき。一つ、首すじ一本、あご一個、エトセトラ、エトセトラ。あなたはわたしを褒めたたえにわざわざよこされたの?
【ヴァイオラ】 あなたがどんなお方かわかりました。あなたは思いあがっていらっしゃる。だが、よしんば悪魔にしろ、あなたはお美しい方。わたしの主人の殿さまはあなたを思いつめています。ああ、あのような真心を受けるのは、女の身にとってもったいないほどの果報です、たとえこの世の美の王冠をささげられたあなたにとっても。
【オリヴィア】 どんなふうに思ってくださるの?
【ヴァイオラ】 神をあがめるように。涙は雨となり、うめき声は嵐、ため息は火となって、恋い慕っております。
【オリヴィア】 ご主人はわたしの心をよくご存知のはず。わたしはあの方を愛することはできないの。あの方はそれは心の正しい方でしょう。ご身分も高く、ご領地も広く、明朗でご清潔な若者だということもよく存じています。世間の評判もよく、寛大で、学問にも武芸にも通じておられ、その上、容姿端麗な美しい方です。けれども私には好きになれないの。ご主人はそのことをとうにご承知です。
【ヴァィオラ】 もしわたしが主人のあの情熱であなたを恋しておりましたら、そして生きながらも死んだように、あれほど苦しんでおりましたら、そうおっしゃられても、お言葉の意味がわからないでありましょう、どうにも理解がいきますまい。
【オリヴィア】 で、どうなさるの、あなたなら?
【ヴァイオラ】 ご門前に柳の枝で仮小屋をつくります。お邸の中の愛する魂に呼びかけます。かなわぬ恋の切ない思いを歌に作って、静まり返った真夜中に大声で歌います。山々に向かって声をかぎりにあなたのお名前を叫びます。おしゃべりの空気にこだまさせ「オリヴィアさま」とわめかせます。そうなると、あなたにはこの広い天地の間に身をおくところがなくなります、わたしをあわれとお思いにならぬかぎり。
【オリヴィア】 まあ、かなわないわね、あなたにかかったら。あなたはどんなお生まれ?
【ヴァイオラ】 今の身分より上の生まれです。ですが今とてけっこうです。紳士の生まれです。
【オリヴィア】 ご主人のところへお帰りなさい。ご主人を愛することはできません。もう二度とお使いをおよこしにならぬように申し上げて。でも、あなたならかまいません。ひょっとするとまたあなたが来てくださるかもしれませんわね、わたしの返事をどうおとりになったか、それを知らせに。――さようなら。ほんとにご苦労さま、これはほんの志よ。(金を与えようとする)
【ヴァイオラ】 わたしはおやといの使い走りではありません。どうぞお納めを。報われないのは、主人のほうです、わたしではありません。恋の神さまがいつかあなたがお慕いになる人の心を石に変えてくださいますように、そして火のように燃え上がるあなたの思いが主人と同様、冷たいさげすみを受けますように。さようなら、美しい冷酷なお方!
〔ヴァイオラ退場〕
【オリヴィア】 「あなたはどんなお生まれ?」「今の身分より上の生まれです。ですが今とてけっこうです。紳士の生まれです」――ほんとうに紳士よ、あなたは。言葉づかい、顔かたち、身体つき、物ごし、心もち、一つ一つが生まれの良さを語っています。――いいえ、早まってはいけない、落ちついて、落ちついて! 主人と家来とが入れかわらないかぎり――まあ、どうしましょう! こんなに急に恋の病にとりつかれるものかしら? なんだかあの若者の美しい姿がいつのまにか、そっとわたしの目の中へしのびこんでしまったようだわ。――でも……、だって――これ、マルヴォーリオ!
〔マルヴォーリオ登場〕
【マルヴォーリオ】 お召しでございますか?
【オリヴィア】 早く追いかけて、さっきの、あの生意気なお使いを、そらあの公爵さまの家来よ。この指輪をおいて行ったのよ、むりやりに。こんなもの要らないと言ってちょうだい。ご主人を嬉しがらせたり。当《あて》のない望みを持たせては迷惑だとおっしゃい。わたしお断わりよ、この話。もしあの若い男が明日こちらへ来るなら、そのわけを話してあげるって、そう言ってちょうだい。――急いでよ、マルヴォーリオ。
【マルヴォーリオ】 かしこまりました。
〔マルヴォーリオ急ぎ退場〕
【オリヴィア】 まあ、わたしなにをしたのだろう! わたしの心の知らないうちに、目だけが勝手に、独りでのぼせ上がったのではないかしら。運命よ、おまえの力をかしておくれ、――人間って自分を自由にできないのよ――どうしたらいいかしら? いいわ、なるようになるだけよ!(退場)
[#改ページ]
第二幕
第一場
〔アントゥニオの家の戸口。アントゥニオとセバスチャン〕
【アントゥニオ】 どうしてもお発ちなさる? お供もめいわくだとおっしゃるのか?
【セバスチャン】 かんべんしてください。ぼくは悪い星の下に生まれました。ごいっしょして、あなたまでぼくの不幸の巻きぞえにしたくありません。このままお別れして、一人だけで災難にぶっつかります。このうえご迷惑をかけたら、今までの恩を仇でかえすことになります。
【アントゥニオ】 せめて行く先なりと。
【セバスチャン】 いや、それもまったくあてのない旅ですから。それにしても、あなたって、実に好い人だなあ。ぼくが言わなければ、強いてせんさくしないんだから。このまま身分も打ち明けず、黙ってお別れするのは、心苦しくなりました。実は、アントゥニオ、ぼくはロデリーゴではなく、ほんとうの名前はセバスチャンというんです。お聞きおよびかもしれないが、メサーリンのセバスチャンはレぼくの父です。父はぼくと妹を残して亡くなりましたが、ぼくたち兄妹は双児なんです。ああ、いっしょに生まれた二人なら、死ぬのもいっしょであったなら! あなたのおかげでぼくは波間から救いあげられたが、その一時間ばかり前、妹は溺れて死んでしまったんです。
【アントゥニオ】 お気の毒な!
【セバスチャン】 妹はぼくに似ていると言われました。美人の評判も高かった。ぼくの口から言うのもおかしいが、気立てのやさしい美しい娘でした。どんな悪意のある人でも認めてくれるでしょう。――海の水に溺れて死んでいったのに、ぼくはまたあれの思い出を涙で溺らせてしまいそうだ。
【アントゥニオ】 知らぬこととはいえ、大変失礼しました。
【セバスチャン】 とんでもない、ぼくのほうこそほんとうにご厄介になりました。
【アントゥニオ】 ねえ、セバスチャン、これほどまでに友情が結ばれたのです。どうかお供をさせてください。
【セバスチャン】 それでは今までのご親切が無になります。せっかく助けてくだすったぼくをまた殺すようなものです。もうこれでお別れします。胸が一ぱいで、女のように気が弱くなっているんです。この上なにか言われると、目のやつがなにをしでかすかわかりません。(握手して)これからオーシーノ公爵のところへ参るつもりです。(退場)
【アントゥニオ】 すべての神がお守りくださるように! オーシーノのところにはおれの敵が大勢いる。さもなければ、すぐにでも後を追うのだが。いやなにがおころうと、君のためなら悔いはない。千万人といえども――。そうだ、行こう。(退場)
第二場
〔伯爵邸の近くの街上。ヴァイオラ、その後を追ってマルヴォーリオ登場〕
【マルヴォーリオ】 これ、これ、そちは先刻オリヴィア姫のお邸《やしき》に見えたお人かな?
【ヴァイオラ】 はい。お邸を出て、ここまで来たところです。
【マルヴォーリオ】 (厳しく)姫君からこの指輪をお返しいたしますぞ。そなたが自分で持ちかえっておれば、わざわざ追いかけてくる手間は省けたのに。なお、姫君にはこの度の申し出は固くお断わりするとのこと。その旨しかとご主人に申し伝えなさい。それから、もう一つ。そなたはこのことで二度とのこのこ出向いてくることのないように。もっともご主人がなんとおっしゃられるか、それを知らせに参るのはさしつかえないがな。
【ヴァイォラ】 お姫さまにお渡ししたんだ。――ぼくは受けとれません。
【マルヴォーリオ】 これ、これ、そなたは無作法にもこれを姫君に投げつけられたと申すな。だから同じようにして返せと言いつかって参ったのだ。(ヴァイオラの足下に投げる)腰をかがめて拾いたければ、そら、目の前にころがっておる。かがみたくなくば、誰にでも勝手に拾わせるがよかろう。(マルヴォーリオ退場)
【ヴァイオラ】 指輪なんか置いてきやしないのに。どういうつもりだろう、あの方は? まさか、わたしの男振りにぽおっとなってしまったのでは! いえ、そういえば、わたしの顔ばかり見つめていらっした。ものを言うのがお留守になったかと思うほど。なにか、こう、うわずって、とりとめもないことをおっしゃっていたっけ。そうだ、わたしを愛しちゃったのよ。――恋の手習い、あんな無粋な男を使って、わたしに誘いをかけたのよ。「指輪をお返しいたしますぞ」! 殿さまは指輪なんか贈りゃしないじゃないの。わたしだわ、お目当《めあて》は。もしそうなら、お気の毒、お姫さまは夢の中の男を恋したほうがまし。でも、仮の姿の男仕立てなんて、ほんとに罪。恐ろしい悪魔もこうして悪いことをするんですもの。顔のきれいな男なら、やわらかい蝋《ろう》のような女の心に自分の婆をきざみつけ、夢中にさせるくらいわけはない。ああ、女は弱い、わたしたちが悪いんじゃない。そういうふうに生まれついているんだもの、わたしたち。どうなっちゃうのかしら、これから先? 殿さまはお姫さまにご執心、男の女のわたしは殿さまに首ったけ、お姫さまは女の男のわたしに夢中。いったいどうすりゃいいのかしら? いくら殿さまを思ってみても、わたしは男、はかない望み。いくらお姫さまが思ってくれても、わたしは女、かなわぬ恋。ああ、ややこしい。いったいどうすりゃいいのかしら? 時よ、このもつれをほごすのはおまえの役。ああ、とても解けやしない、わたしには。(退場)
第三場
〔伯爵邸の一室。食卓とベンチ、食卓には冷えた食物とコップ。トゥビーとアンドルー、酔っぱらって登場〕
【トゥビー】 さあ、さあ、こちらへござれ、アンドルー殿。そもそも、夜中過ぎても床に入らぬは、これすなわち早起きなり。「飲酒暁を覚えず」ってのを君も知ってるだろう?
【アンドルー】 いいえ、ぼく知らんですね、そんなこと。でもおそくまで起きてるのは、やっぱり、おそくまで起きてるのですよ。
【トゥビー】 結論の誤りだな。空《から》とっくり同様、わが輩のもっともにくむところだ。夜中過ぎまで起きていて、さておもむろに床につけばすなわち早寝なりだ。そもそも、この世の中は四大元素からできてるのだろう?
【アンドルー】 そうです、そう言うですがね。ぼくはむしろ飲み食いが元だと思うですね。
【トゥビー】 学があるなあ、君は。だから飲み食いといこう。おおい、マリアン、お代わりだ!
〔道化登場〕
【アンドルー】 やあ、阿呆だ。
【道化】 (両人の間に座って)いや、これはおそろいで! 阿呆が入れば、ちょうど三馬鹿ってね。
【トゥビー】 いいところへ来た、阿呆。さあ、尻取り歌(輪唱)をやろうぜ。
【アンドルー】 まったくこの阿呆はいいのどをしとるですね。ぼくは四十シルぐらいすってもいいから、この阿呆のような脚とのどがあったらなあ。ほんとうにすごかったなあ、おまえの昨夜《ゆうべ》の洒落は! そら、ピグログロミタスのことだの、キューバスの赤道線を通過するヴェーピアンズ座の話だの、とてもよかったよ、実際。おまえの色女に心付けを六ペンスやったが、とどけてくれたかね?
【道化】 ご寸志は拙者かたじけなくも着服つかまつりました。いかんとなれば、マルヴォーリオの口はふし穴ならず、わが恋人はみずてんならず、而《しか》してマーミドンは飲屋にあらざればなり。
【アンドルー】 (訳がわからず)うまいなあ! 実際最高の洒落だよ、誰がなんてたってそうだ。さあ、歌をやってくれ。
【トゥビー】 やれ、やれ、六ペンスやるぞ。ひとつ歌え。
【アンドルー】 ぼくも一枚(六ペンス)はずむぞ。おめおめおくれをとって――
【道化】 甘いのにしますか、それともからいやつ?
【トゥビー】 甘いの、甘いの。
【アンドルー】 賛成、賛成。からいのは甘くないからな。
【道化】 (歌う)
どこをさまよう、恋人よ、
聞いておくれよ、わたしの歌を、
あまく切ない恋の歌。
もう行かないで、恋人よ、
旅路の果てにふとめぐりあう
この喜びを、ああ、誰か知る。
【アンドルー】 いかすなあ、こいつは。
【トゥビー】 よかぞ、よかぞ。
【道化】 (歌う)
はかないものは人の恋、
今日は嬉しい二人の逢瀬《おうせ》、
明日は悲しい泣き別れ。
待っていたとてせんはない、
早くキスして、かわいいおまえ、
若い命は、ああ、露のごと。
【アンドルー】 男の胸にぐっときます。
【トゥビー】 泣かすなあ。
【アンドルー】 ぐっときて、泣かせます。
【トゥビー】 手がこんでるな、そいつは。――おい、どうだ、大空をでんぐりかえすか? ひとつ尻取り歌でふくろうを驚かせてやろうか。どうだ、やるか?
【アンドルー】 やらなくって。尻取りならぼくのおはこですからね。
【道化】 さよう、ちり取りなら箱でもけっこう。いや、いや、尻取りならおかまでしょう。
【アンドルー】 そうだ、そうだ。――尻取りの文句は「ばか」ってのにしよう。
【道化】 「だまれ、ばか、おったんちん」ですかい? そうなると、旦那を馬鹿って呼ぶことになりますぜ。
【アンドルー】 人に馬鹿呼ばわりされるのは、なにもこれが初めてではないからな。さ、阿呆、始めた、始めた。「だまれ」で始めるんだ。
【道化】 黙っちまっちゃ、始められねえ。
【アンドルー】 うまい。さ、始まり、始まり。
〔三人尻取り歌を歌う。マライア酒を持って登場〕
【マライア】 まあ、まあ、どうしたの、このどんちゃん騒ぎは? 今にきっとお姫さまがマルヴォーリオに言いつけて、みんなを追ん出させるから。
【トゥビー】 (歌う)
「おいら三人陽気な仲間」
おい、わが輩はお姫さまとは血族だろうじゃねえか? 血がつながってるんだぞ。お姫さまがなんでい。お姫さまは張り子の虎、マルヴォーリオなんか田んぼのかかしだ。(歌う)
昔バビロンに男あり、
姫さま、姫さま、お姫さま
【道化】 恐れ入ったね、旦那の道化にゃ。玄人《くろうと》はだしだ。
【アンドルー】 うん、なかなかやりおるよ。ぼくだって素人《しろうと》はだしだ。あの人のほうはとび抜けてるがね、ぼくのほうは底抜けなんだ。
【トゥビー】 (歌う)
ああ、ころは師走の十二日――
【マライア】 後生ですから、お静かに!
〔マルヴォーリオ登場〕
【マルヴォーリオ】 皆さん、これはいったいなにごとです? 気でも狂ったのですか? この真夜中に、卑しい鋳掛け屋仲間同然の騒ぎをなさるとは、分別を、作法を、いやさ、体面をどこにお忘れになったのですか? あなた方はお邸を居酒屋になさるおつもりですか? 靴直し風情の歌う下品な歌を遠慮容赦もなくわめき立てて。場所がら、ご身分、時間、なに一つおわきまえないのですか?
【トゥビー】 ちゃんとわきまえてるよ、タイムとテンポはな。でなきゃ、歌の拍子がとれるか、この唐変木《とうへんぼく》!
【マルヴォーリオ】 トゥビーさま、遠慮なく申しますぞ。お姫さまが申されるには、ご親戚のよしみでお世話申しておるものの、あなたのご乱行にはほとほと愛想がつきる。今後お身持ちを改めざるかぎり、そうそうに当家をお立ち退きなさること。お姫さまには喜んでお別れ申すとおっしゃっておられますぞ。
【トゥビー】 (マライアに歌いかける)
岩よさらば、この世の別れ
〔マライアに抱きつく〕
【マライア】 まあ、おやめなさいまし、トゥビーさま。
【道化】 (歌う)
かすむまなこはいまわも近い
【マルヴォーリオ】 あきれはてたものだ!
【トウビー】 (歌う)
いやまだ死なぬ、まだ死なぬ
〔倒れる〕
【道化】 (歌う)
死なぬあなたが、なぜまたおきぬ?
【マルヴォーリオ】 いやはや、ご名誉なことだ。
【トゥビー】 (起きあがりながら、歌う)
やつをここから退い出すか?
【道化】 (歌う)
追い出すためには、なんとする?
【トゥビー】 (歌う)
とっと失せろとけっとばす
【道化】 (歌う)
いや、いや、いや、だめ、おまえにゃできぬ
【トゥビー】 (道化に)調子がはずれたぞ、こら、嘘をつけ。(マルヴォーリオに)たかが執事の分際で、なんだ。自分が堅蔵《かたぞう》だからって、この世に酒も饅頭もいらねえと言うのか?
【道化】 とんでもねえ、ヴィーナスさんに聞いてみろ。身体をほてらすホルモンだっているんだ。
【トゥビー】 そうとも、そうとも。――おい、とっとと出て行け。パンくずで首の鎖でもみがいてろ。――マライア、酒だ!
〔マライア、彼らの杯に酒をつぐ〕
【マルヴォーリオ】 マライアさん、お姫さまのごひいきをないがしろになさる所存ならともかく、かようなろうぜきには加担なさらぬが身のためですぞ。よいか、必ずお耳にお入れ申すから。(マルヴォーリオ退場)
【マライア】 早く行って、しっぽでもお振り。
【アンドルー】 あいつに決闘を申し込んで、すっぽかしてやろうか。あいつに阿呆面をかかせたら、すきっ腹にきゅーっと一杯ひっかけたように気持ちがいいだろうな。
【トゥビー】 やれ、やれ。おれが決闘状は書いてやる。なんなら、君の憤激のくだりを口頭であいつにぶっつけてもいいぞ。
【マライア】 まあ、まあ、トゥビーさま、今夜のところはがまん、がまん。お姫さまったら公爵さまのところの若いお小姓にお会いになってから、とてもいらいらしていらっしゃるの。マルヴォーリオのおっさんはわたしに任せとき。きっとあいつをうまくかついで、世間のもの笑いにしてみせるから。それ位できないようじゃ、わたしの女がすたれるわ。大丈夫、うまくやるわよ。
【トゥビー】 なんだ、なんだ、どうするんだ? どういうやつだ、あいつは?
【マライア】 そうね、あいつどうかすると時々ピューリタンみたい。
【アンドルー】 そうと知ったら、犬ころのようにぶんなぐってくれたものを。
【トゥビー】 なに、ピューリタンなら、ぶんなぐる? どうしてだ、わけを聞こうじゃないか、わけを。
【アンドルー】 なに別にわけなどないです。しかし理由なら十分あるです。
【マライア】 ピューリタンでもなんでもないのよ、あんなやつ。決まった主義などなんにもありゃしない。風向き次第のご都合主義よ。気どりやの抜け作。大げさなせりふを覚えこんで、むやみやたらに振りまわすだけ。その上、あいつのうぬぼれの強いときたら、人間の美点も長所も全部独り占めしているみたい。誰でも自分を一目見れば惚れずにはいられないと固くお信じ遊ばしているんだから。そこがまたこっちのつけ目なの。のぼせあがったあいつのうぬぼれにつけこんで思いっきり仕返ししてやるんだから。
【トゥビー】 いったい、どうしようてんだ?
【マライア】 あいつの通る路へ宛名のない恋文をおとしとくの。その中に書いてあるひげの色やら脚つき、歩きぶり、目つきや顔かたち、色つやなどで、これはてっきり自分のことに相違ないとあいつに思いこませるようにするの。わたしお姫さまそっくりの字が書けるのよ。古い手紙なんか、どっちが書いたか自分でもわからないくらい。
【トゥビー】 なるほど、読めた。
【アンドルー】 ぼくにも読めた。
【トゥビー】 おまえの落とした恋文を読んで、こいつはてっきり姪が寄こしたものと思いこむのだな、あいつ。そこで自分にぞっこん惚れこんだものとうぬぼれる。
【マライア】 まあ、そんな見当よ。
【アンドルー】 そんな見当で、あいつ見当をまちがえるですね。
【マライア】 ご名答。
【アンドルー】 全然、面白いですね。
【マライア】 地上最大のショー。わたしの仕かけたわなにきっとかかるから。あなた方二人と阿呆とでかくれていてね、あいつが手紙を拾うところに。その手紙をあいつがどうとるか、こっそり見物するの。――さ、早く寝床に入って、今夜はことの成行きを夢にでもごらんあそばせ。ではおやすみ。(マライア退場)
【トゥビー】 おやすみ、才女どの。
【アンドルー】 とてもいい玉《たま》ですね。
【トゥビー】 スコッチ・テリヤの純粋種だ。このおれさまに惚れてるんだ、え。
【アンドルー】 ぼくも女に惚れられたことあったかな、一度。
【トゥビー】 さ、寝よう、寝よう。君もっと金をとり寄せなきゃいかんぞ。
【アンドルー】 あんたの姪が手に入らんとなると、ぼくは莫大な損害ですよ。
【トゥビー】 だから金をとり寄せるんだ。それでもあれが君のものにならなかったら、わが輩を馬鹿とでもなんとでも呼ぶがいい。
【アンドルー】 そりゃ呼ぶですよ、あんたがどうとろうと、ぼくは全然呼ぶですよ。
【トゥビー】 さあ、さあ、酒でも暖めようぜ。寝るにはもうおそすぎらあ。いざや行かん、嘆きの騎士よ。(退場)
第四場
〔公爵邸の一室。公爵、ヴァイオラ、キューリオ、その他〕
【公爵】 (ヴァイォラに)なにか歌を聞かせてくれ。(登場した楽士に)や、お早う。おい、シザーリオ、あの歌がよいぞ、そら昨夜聞いた、あの古びた歌が。おかげで心の悩みがだいぶやわらいだ。せかせかと目まぐるしい当世向きのうわずった曲やわざとらしい歌詞などよりましだ。さ、せめて一節だけでも。
【キューリオ】 恐れながら、あれを歌いますものがただ今おりません。
【公爵】 誰が歌ったのか?
【キューリオ】 道化のフェステでございます。オリヴィァ姫のお父上がごひいきになった男で。今もどこかお邸内に参っているはず。
【公爵】 すぐに探してまいれ。それまで、いつものあの曲を。(キューリォ退場、音楽)
(ヴァイオラに)おい、ここへ来い。やがておまえが恋をすることがあったら、胸の苦しみの中からわたしのことを思い出してくれ。真実の恋をする人はみなわたしと同じなのだ、気まぐれで、いつもいらいらしている。そのくせ心の中では愛する人の面影をただ一筋に慕いつづける。――この曲をどう思う?
【ヴァイオラ】 恋する人の胸の底からもれて出るうめき声です。
【公爵】 生意気な、こいつ。ませたことを。子供のくせに、あやしいぞ。おまえは今までにそのやさしい目で可愛い人の顔をじっと見つめたことがあるに違いない。どうだ、あったろう?
【ヴァイオラ】 はい、多少は。おかげさまで。
【公爵】 どんな人だ?
【ヴァイオラ】 殿さまそっくりの人です。
【公爵】 そんな女には、おまえはもったいない。年は?
【ヴァイオラ】 殿さまぐらいです。
【公爵】 そりゃ、ふけすぎてる。女は自分より年上の夫のほうがよい。それではじめて調和がとれる。いつまでも夫の愛情をつなぎとめることができる。そうだろう、われわれ男がいくらいばっても、男心は女にくらべれば、浮気なもの。猛烈に恋いこがれても、ついふらふらと気がかわる。男の恋は手に入れるのも、失うのも、女から見れば、たあいもないもの。
【ヴァイオラ】 よく承知しております。
【公爵】 だから、おまえも年下の女を恋人にもつがよい。女のほうが若ければまだしもだが、しょせん、女はばらの花、美しく開いたかと思うとたちまち散ってしまう。
【ヴァイオラ】 ほんとうに。それだけあわれでございます。花の盛りにむざんに散り果てるのですから。
〔キューリオ、道化を伴って登場〕
【公爵】 さ、歌ってくれ、昨日の歌を。シザーリオ、聞いてごらん、古いひなびた歌だから。のどかな田舎の娘たちが日向《ひなた》で糸をつむいだり、毛糸やレースを編みながら、よく歌う歌だ。そぼくな真情がこもっている。いかにも古風に、純な男の恋心をかなしく歌い出している。
【道化】 よろしゅうございますか?
【公爵】 ええ、始めてくれ。
〔――音楽〕
【道化】 (歌う)
わたしゃ行きます、よみじをさして、
杉のひつぎにおさめておくれ。
息もとだえる、どうきもとまる、
むごいあの子に殺された。
白いかたびら、いちいの小枝、
さしておくれよ、つめたい胸に。
つれない人にこの身をささげ、
人の知らないこがれ死に。
そなえてくれるな、花一輪も、
わたしの黒いひつぎの上に。
ついてくるなよ、友だち一人、
わたしの悲しい野辺送り。
うずめておくれ、わたしの骨を、
人里はなれた山の中、
恋に泣く人、悩む人、
誰も知らない墓の中。
【公爵】 (金を与える)そら、ご苦労の駄賃だ。
【道化】 苦労じゃありませんや。わたしの道楽でさ、これは。
【公爵】 じゃ、道楽にむくいよう。
【道化】 なるほど、道楽にはお金がかかる。
【公爵】 もうよいから、引きとってくれ。
【道化】 どうぞふさぎの神さまがお殿さまをお守りくださるように! 洋服屋に言いつけて、七色模様の服を仕立てさせるんですな。殿さまのご機嫌にぴったりでさ。気の変わりやすい人は海へ行くがいいんだ。なにをしようが、どこへ行こうが、気の向くままだ。あげくのはては水にもぐっちまえるしよ。――ごきげんよう。(道化退場)
【公爵】 みんなも退っておれ。(キューリオら退場)
シザーリオ、もう一度、あの冷酷な姫君のところへ行ってきてくれ。こう申すのだ、わたしの真実の恋は世のつねの色恋とはちがってたかが土くれに過ぎぬ領地の広さなどには目もくれません、運命の手で姫君のものとなった卑しい財宝など、このわたしは運命同様少しも当てにしておりません。ただ自然の手であの方の頭上にかざり立てられた世にも不思議な宝石に魅せられましたと、そう言え。
【ヴァイオラ】 姫君がいやだと申されたら?
【公爵】 そんな返事はきかん。
【ヴァイオラ】 きかんわけには参りますまい。かりに殿さまを恋している女がいるとします、いえ、いないとは限りませんでしょうが。その人は殿さまがオリヴィア姫をお慕いなさると同様、一心に殿さまを思いつめているが、殿さまのほうはお好きになれない。それで、いやだとご返事なさるとしたら、仕方がございますまい、その人は。
【公爵】 女の小さな胸はわたしの心におそいかかるようなこのはげしい恋の情熱にはとうてい耐えきれるものではない。女の心には大きな情熱を入れる余地がない。了簡がせまいのだな。女の愛情は悲しいかな、味覚のたぐいだ、腹の底からわきおこる衝動ではない。ほんの舌の先の味わいだけだ。だから胸やけ、もたれ、吐き気をもよおしたりする。ところがわたしの愛は海のように貪欲で海のようになんでも呑みこむ。とうてい較べものにならん、わたしのオリヴィア姫を思う心と、たかが女の恋慕などとは。
【ヴァイオラ】 そう申されますが――
【公爵】 どうだと言うんだ?
【ヴァイオラ】 女の恋もどんなに強いかわたくしはよく知っております。われわれと変わらず、女も恋に身を捧げるのでございます。わたくしの父に娘がおりましたが、ふとあるひとを恋しました。もしこのわたくしが女だったら、きっと同じように殿さまをお慕い申したことでしょう。
【公爵】 それで、その恋の成行きは?
【ヴァイオラ】 ございません。彼女は誰にも自分の恋を打ち明けませんでした。害虫にむしばまれる花のつぼみのように、胸の秘密に彼女のばら色の頬も次第に色あせ、深い物思いに沈んで、蒼ざめて、ふさぎこんだ姿はまるで石にきざんだ「辛抱」の像のように。それでもほほ笑みながら、胸の悲しみをじっとこらえておりました。これこそほんとの恋ではございませんか? われわれ男は口に出してなんとか申します、愛の誓いも立てますが、口先ばかりで、誠意がありません。言葉は多いが、真情のないのが男のつねでございます。
【公爵】 結局その恋ゆえに亡くなったのか、おまえの姉は?
【ヴァイオラ】 このわたくしが父の血をひくただ一人の娘、いえ、ただ一人の息子で――でも、ほんとうのところはまだ――。お姫さまのところへ行って参りましょうか?
【公爵】 そう、そう、肝心のことを忘れていた。急いで行って、この宝石を渡し、姫に伝えてくれ。わたしの恋の軍勢は絶対に退却しない、いかなる反撃にも屈しないとな。(退場)
第五場
〔伯爵邸内の庭園。左右に入口。一つは邸外へ通じ、他は家の中へ。家への入口まで広い通路、両側に大きなつげの木の植えこみ。家の入口の戸を開き、トゥビー登場、アンドルーつづく〕
【トゥビー】 (ふり返って家の中へ)こっちへ来いよ、フェービアン。
【フェービアン】 (入口から出て来る)言うにゃ及ぶ。どうしようてんで?
【トゥビー】 あのけちんぼの、むっつり助平の、こそこそ野郎に赤っ恥《ぱじ》をかかせようってんだ、どうだい?
【フェービアン】 そいつは面白い。あん畜生のおかげで、わたしはお姫さまの信用を失くしたんですから、例の熊の見世物の一件で。
【トゥビー】 あいつを怒らせるために、また熊をひっぱり出して、さんざっぱらからかってやるか、どうだ、アンドルー君?
【アンドルー】 やらなくってさ。こいつをのがしたら一生の不覚ですよ。
〔マライア急いで登場〕
【トゥビー】 おい、おちびが来たぞ――ようどうした、別嬪?
【マライア】 さ、あなた方三人とも早くかくれて。マルヴォーリオのやつ今すぐこの道をやってくるから。さっきからもうかれこれ半ときあまりも、あいつ日向《ひなた》で自分の影法師相手にもったいぶったお辞儀のおけいこよ。さ、よく見て、面白いこと受け合い。この手紙を見つけたら、とたんにじっと考えこんで馬鹿っつらを見せるから。さ、早く、かくれて、かくれて。(――手紙を道において)いい子だからおまえはここでじっと待ってるのよ、今すぐ鴨が一羽とんでくるから、うまくだまして、ねぎごとつかまえるのよ。(マライア家の中へ入る)
〔羽根をつけた帽子をかむったマルヴォーリオ登場、なにか考えこんで、ゆっくり歩いてくる〕
【マルヴォーリオ】 運命だ、すべて運命だ。――マライアがいつか申したことがある、お姫さまはあなたがお好きだと。そうだ、ご自分でも言っておられた。もし恋をするとしたら、わたしあなたのような人柄の人とするわ。たしかそんなふうにとれることを言っておられた。それに姫君はおそばにつかえる誰よりもこのわしを重んじなさる。――これはどう解釈したものか?
【トゥビー】 (傍白)うぬぼれやがって。
【フェービアン】 (傍白)しっ! 下手な思案ですっかり阿呆になりましたぜ。どうです、七面鳥そっくりですな。頭の羽根をおったてて、尻をふってるかっこうは。
【アンドルー】 (傍白)畜生、ぶんなぐってくれるぞ。
【フェービアン】 (傍白)しっ、しっ!
【マルヴォーリオ】 マルヴォーリオ伯爵さまか!
【トゥビー】 (傍白)うぬっ、悪党め!
【アンドルー】 (傍白)ピストル、ピストル!
【フェービアン】 (傍白)しっ、しっ!
【マルヴォーリオ】 ちゃんと先例もある。ストラッチー家の姫君がお付きの男と結婚しておる。
【アンドルー】 (傍白)楊貴妃め!
【フェービアン】 (傍白)いよいよ深みへはまりこみましたぜ。あののぼせ方!
【マルヴォーリオ】 結婚して三月もたったころ、わしは大広間の正面、一段高い椅子にゆったり腰をおろして――
【トゥビー】 (傍白)石弓はないか? 目玉をぶちぬいてくれる!
【マルヴォーリオ】 召使どもを呼び集める、わしは昼寝を終えて、花模様のビロードガウンをはおっておる、オリヴィアはまだベッドにのこっておる――
【トゥビー】 (傍白)畜生、地獄へおちろ!
【フェービアン】 (傍白)しっ、しっ!
【マルヴォーリオ】 それから心ゆくまで殿さま気分にひたる。さて、左右に居並ぶ一人一人をゆっくり見回してから、おもむろに口を開いて、おのおの召使の分際を忘れぬよう、注意する。そこで、誰ぞある、親族のトゥビーを呼んで参れと、こうなる――。
【トゥビー】 (傍白)牢屋にぶちこむぞ!
【フェービアン】 (傍白)しっ、しっ、まあ、まあ。
【マルヴォーリオ】 すると七人の召使がいっせいにご前をさがって呼びにまいる。その間わしは不興げに眉をひそめて座っている。手で懐中時計でも巻くかな、それともこの(執事の首の鎖に思わず手をやって、はっとして)――何か身につけた宝石でもいじくっている。そこへトゥビーがおそるおそるまかり出る。はいつくばってお辞儀をする――
【トゥビー】 (傍白)もう生かしちゃおけん!
【フェービアン】 (傍白)死なしたいほどでも、がまん、がまん。
【マルヴォーリオ】 わしは手をこうさし出す。主人としての威厳をあくまでもくずさず、親しげなほほ笑みをおしかくし――
【トゥビー】 (傍白)とたんにトゥビー様のげんこつがきさまの口元にとぶんだ。
【マルヴォーリオ】 こう言ってやる、「トゥビーどの、運命によりはからずも姪御と結ばれました以上、当家の主人として、ちとご注意申すのだが」――
【トゥビー】 (傍白)なんだと、なんだと?
【マルヴォーリオ】 「飲酒の悪癖を改められるよう」
【トゥビー】 (傍白)この、かさっかきめ!
【フェービアン】 (傍白)こらえて、こらえて。ここが大事なとこだ。
【マルヴォーリオ】 「さらに、貴殿におかれては、貴重な時間をいたずらに空費して、愚かな殿御と交際なさる」
【アンドルー】 (傍白)ぼくのことだよ、きっと。
【マルヴォーリオ】 「サー・アンドルーなにがしとかいう――」(手紙をみつける)
【アンドルー】 (傍白)そうだろうと思ったよ、みんながぼくのことを馬鹿というからな。
【マルヴォーリオ】 (手紙を拾いあげ)や、これはなんだ?
【トゥビー】 (傍白)いよいよ鴨がねぎを下ろしたぞ。
【フェービアン】 (傍白)しっ! どうかやつが声を出して読んでくれますように!
【マルヴォーリオ】 これは、たしかに、お姫さまの筆蹟だ。このCも、このUも、このTもみんな姫のだ。大文字のPはこうお書きなさる。これは、まぎれもなく、姫だ。
【アンドルー】 (傍白)このCも、このTもってのは、のどがかわいたのかな。
【マルヴォーリオ】 (手紙の表書きを読む)「さる恋しき方のみ許に、この文を真心をこめて、かしこ」――姫の文句だ。許せよ、封蝋さん。――まてよ、封蝋の印がルクレチアの肖像だ。いつも姫のお使いなさっているのだ。姫に間違いなしだ。――いったい誰にあててお出しなされたのか?
【フェービアン】 (傍白)もう大丈夫、こっちのものですぜ。
【マルヴォーリオ】 (読む)
神ぞ知る、わが恋。
そは誰ぞ?
唇よ、もらすまじ。
知らすまじ、わが君を。
「知らすまじ、わが君を」――その後は? 別の調子だな。――(考えこむ)「知らすまじ、わが君を」――わが君が、もしや、おまえだったら、おいマルヴォーリオさん?
【トゥビー】 (傍白)くたばれ、ひひおやじ。
【マルヴォーリオ】 (読む)
いとしき君はわがしもべ、
秘めたる恋のくるしさよ、
ルクレチアの胸のごと
M、O、A、Iぞ、わが命。
【フェービアン】 (傍白)こいつは、解くのに一汗かきますぜ。
【トゥビー】 (傍白)たいした女《あま》だよ、あいつは。
【マルヴォーリオ】 「M、O、A、Iぞ、わが命」いや、待てよ、これはと、これはと、これはと。
【フェービアン】 (傍白)また思いきったえさをしかけたもんだ!
【トゥビー】 (傍白)また思いきってとびついたもんだよ、あの阿呆め!
【マルヴォーリオ】 「いとしき君はわがしもべ」――そうだ、このわしは姫のしもべにちがいなかろう。わしは執事、姫はご主人。――ここまでは明々白々の厳粛なる事実だ。一点の疑義もない。問題は結びの文句だ。このアルファベットの組み合せがいったい誰をさすかだ。こいつにわしの名が少しでもひっかかりがつけばしめたものだが。待てよ、「M、O、A、――」と――
【トゥビー】 (傍白)|えい《ヽヽ》ぞ、|えい《ヽヽ》ぞ、|あいあい《ヽヽヽヽ》。さ、解いてみろ、えものがうまく嗅ぎつけられるか?
【フェービアン】 (傍白)いますぐ、吠えたてますよ、やっこさん、得意になって。
【マルヴォーリオ】 「M」と。――マルヴォーリオ――M――わしの名前の頭文字。
【フェービアン】 (傍白)そら、嗅ぎつけたぜ。たいした鼻だ。
【マルヴォーリオ】 「M」はよしと、――だがあとがうまく合わんな。「A」ならよいのだが、「O」となっている。
【フェービアン】 (傍白)|おお《ヽヽ》うらめしやか。
【トゥビー】 (傍白)|おお《ヽヽ》痛い目にあわせてもいいぞ。
【マルヴォーリオ】 それから次が「I」だ。
【フェービアン】 (傍白)|あい《ヽヽ》まいでね、そいつが。|あい《ヽヽ》しているのか、いないのか。そんな馬鹿な思案にふけるよか、自分の身の回りでもとっくり見渡したらどうだ。
【マルヴォーリオ】 「M、O、A、I」――この謎は前のようにはすらすら解けん。だがちょっとねじ曲げれば、わしのことととれんこともない。どの字もわしの名前の中にある。――待てよ、これが本文だな。「この文がそなたの手に入らんときはよくよくご思案なされたく。われ生まれはそなたに優る者なれど、いたずらに身分高さにおそれたもうことなかれ。人生まれながら高き者あり、自ら高さに登るもあり、また高さを人より与えられる者あり。今や運命の女神両手を広げてそなたを迎えいれんとす。いずくんぞ全身全霊を捧げて、これを抱擁《ほうよう》せざらんや。未来の大いなる日にそなえ、今よりよろしく古き衣を脱ぎすて、新しき装いをまとうべし。つとめてわが親族にさからい、わが召使に無愛想たれ。つねに大言壮語して、権謀術数の道を論じ、奇矯《ききょう》なる態度を装うべし。これすべてそなたを心より慕うる者の忠言なり。そなたの黄色の靴下を称賛し、つねに十文字の靴下どめを結ぶようそなたに勧めし者を忘れたもうことなかれ。ゆめ忘れたもうことなかれ。いざや起て、立身出世は、そなたが欲せば、疑いなし。欲せずば、永久に執事たるにとどまり、好運の女神の指先にふるるにも値せざる卑しき召使の身分に甘んずべし。さらば。そなたと勤めをとり変えんことを願う、幸運なる不幸な者より」真昼の野っ原だって、これ以上明白ではない。一点の疑いもない。ようし、これからはいばってやるぞ。政治の本を説もう。トゥビーを侮辱してやろう。卑しい知り合いとはみな縁を切ろう。どこからどこまでその人になりきるぞ。もう大丈夫、ばかをみる気づかいはない、どんなに空想に身をまかせたって。どう考えてみても間違いなしだ、姫さまはわしに惚れていなさる。先だってわしの黄色い靴下をほめておられたし、十文字の靴下どめをしたわしの脚のかっこうがいいともおっしゃった。この手紙の中にちゃんと書いてある通りだ。お好みの服装をするようにお指図なさっている。ああ、運命よ、ありがたい。わしは幸せだ。――うんともったいぶって、いばってやるぞ。さっそく黄色い靴下をはいて、十文字の靴下どめをしよう。ああ、神さま、運命よ、感謝しますぞ! まだ後書きがあるな。「われの誰なるかはすでに悟りしならん。もしわが恋を受け入れなば、笑顔を以てこれを示すべし。そなたのほほ笑みはすてきなり。されば、いとしき君よ、願わくば、わが前に来たる時はつねにほほ笑みたまえ」神さま、ありがとうございます。ほほ笑みましょう。どんなことでもいたしましょう、もしあなたがお望みなら。(退場)
【フェービアン】 アリ・カーンが千ダカットの年金をくれると言ったって、この狂言の株はゆずれませんや。
【トゥビー】 たいした趣向だ、おれの女房にしてもいいぞ。
【アンドルー】 ぼくも女房にしていいです。
【トゥビー】 持参金なんかいらねえや、もう一本こんな狂言を仕組んでくれたら。
【アンドルー】 ぼくもいらんです。
〔マライア登場〕
【フェービアン】 待ってました。大統領!
【トゥビー】 おれはおまえのまたぐらでも、喜んでくぐるぜ。
【アンドルー】 ぼくもくぐるですよ。
【トゥビー】 おれの身体なんぞばくちですって、おまえの奴隷になってもいいぞ。
【アンドルー】 ぼくも。
【トゥビー】 おまえの一服で、あいつすっかり有頂天だ。さめると、きっと気が違うぜ。
【マライア】 え、そんなに効き目があった?
【トゥビー】 大ありのこんこんちき。すきっ腹にしょうちゅうだ。
【マライア】 でしたら、この狂言のやま場をどうかお見逃しなく。そら、あいつがお姫さまのご前に出るとこをよ。きっと黄色い靴下をはいて来るわ。お姫さまのお嫌いな色なのよ。そのうえに靴下どめを十文字にしめて。それもお姫さまは大きらい。それから、きっとにたにたしてよ。このところおふさぎになっているお姫さまのお気持ちにさわるにきまってる。そこですっからかんに信用を落としちゃう。さあさあご用とお急ぎのない方はついていらっしゃい。
【トゥビー】 地獄の底までつき合うぜ。おまえのような気の利いた悪魔の案内なら。
【アンドルー】 ぼくもそこまで、つき合うぜ。(退場)
[#改ページ]
第三幕
第一場
〔伯爵邸の庭園。道化、笛と小太鼓を持って登場。笛と小太鼓を奏する。音楽の終わるころ、ヴァイオラ邸外に通ずる入口より登場〕
【ヴァイオラ】 やあ、今日は、鳴物屋さん。君は太鼓によって暮らしを立てているのかい?
【道化】 いいえ、教会によってです。
【ヴァイオラ】 じゃ、お坊さん?
【道化】 どういたしまして。ずっと教会によったところに家があって、そこに暮らしてます。教会のわきにね。
【ヴァイオラ】 なるほど。すると王さまが乞食に添い寝しているとも言えるわけだね、もし乞食が宮殿沿いに住んでいれば。教会も太鼓で暮らしを立てるか、もし太鼓が教会の暗がりに立てかけてあったら。
【道化】 ご名答。――正《まさ》に文運隆盛のご時勢だね。当世の才人にかかっちゃ、言葉も羊の手袋だ。表を出そうと裏を出そうと指先一つでさ。
【ヴァイオラ】 まったくその通り。言葉も勝手にもてあそぶ手合いにかかると、たちまちひっくり返されて、あいまいになってしまうからな。
【道化】 だから、あっしは妹に名前なんかつけるんじゃなかったよ。
【ヴァイオラ】 なぜだい?
【道化】 なぜって、名前はすなわち言葉でさあ。勝手に言葉をもてあそぶ手合いにかかって、妹がひっくり返されちゃ、かわいそうだからね。――実際、ご禁制このかた言葉はめちゃくちゃになりましたぜ。
【ヴァイオラ】 どうして?
【道化】 どうしてって、そのわけを話すには言葉を使わにゃならねえし、その言葉が近ごろじゃまったく頼りにならないんだから、話すにも話しようがないね。
【ヴァイオラ】 陽気な人だな、君は。なにも屈託がないらしいな。
【道化】 そうでもないさ。多少屈託はなくもないさ。内心じゃ旦那に屈託しているんですぜ。とっとと消えてくれれば、屈託はなくなるがな。
【ヴァイオラ】 君はオリヴィア姫の阿呆だろう?
【道化】 いいや、とんでもない。オリヴィァさまはご亭主をお持ちになるまでは馬鹿にご用はないんで。知らぬは亭主ばかりなりってえからね。わっしはお姫さんの阿呆じゃないよ、言葉の濫用係りでさ。
【ヴァイオラ】 先だってオーシーノさまのところで会ったね?
【道化】 阿呆は太陽と同じに、地球上を回って歩きまさあ、どこでも光ってまさあ。お姫さんとこばかり照らして、あんたの殿さまのところを照らさなきゃ、申しわけないからな。あそこにゃ、たしかあんたのような頭の切れる方もいたはずだ。
【ヴァイオラ】 ほこ先をこっちに向けようたって、相手にしないよ。さあ、お小遣い。(一枚の銭を与える)
【道化】 (手の銭を見ながら)ジョーヴの神さま、この人に髭をお恵みくださいまし。
【ヴァイオラ】 ほんとに、ぼくは髭のある顔が大好きなんだ。――(傍白)でも、自分で生やすのはまっぴらよ。――お姫さまはいらっしゃる?
【道化】 (手の銭を見つめながら)こいつを一組にしたら、子を生まないでしょうかねえ?
【ヴァイオラ】 生むでしょうよ、利子をとって貸せば。
【道化】 わっしはフリジアのパンダラスになりたいね。この色男のトロイラスのとこへきれいなクレシダ姫を連れてきたいもんだなあ。
【ヴァイオラ】 わかったよ。貰いっぷりがうまいね。――(また一枚の銭を与える)
【道化】 大した無心じゃありませんや。たかが物もらいを貰っただけでさ。クレシダ姫は落ちぶれて物もらいになったというからね。お姫さんは奥にいますよ。わっしがとりついできましょう。どこから旦那がおいでになったか申し上げまさ。ですが、旦那がどなたで、なんのご用か、そいつは阿呆の職権外でね。ちょっと偉そうだな、この言葉。(奥へ入る)
【ヴァイオラ】 あの人は阿呆だが、馬鹿じゃない。知恵がなけりゃ、うまく阿呆がつとまらない。冗談一つ言うにも、相手の気持ちや人柄や場合をじっと見張っていなけりゃならない。そして鷹のように目の前に来るどんな鳥でも見のがさずにさっと飛びかからねばならないんだもの。立派な本を書くのと同じくらい骨の折れる仕事だわ。上手に阿呆振りを演じなきゃならないんだもの。利巧な人が阿呆な真似をして知恵を台なしにするのとは大違い。
〔トゥビーとアンドルー登場〕
【トゥビー】 や、これは、ようこそ。
【ヴァイオラ】 おそれ入ります。
【アンドルー】 (気どっておじぎをして)|Dieu《デユー》 |vous garde, monsieur.《ヴーガールムシュー》(神があなたを守りますように)
【ヴァイオラ】 |Et vous aussi; votre serviteur.《エヴーオーシーヴォートルセルヴイター》(またあなたにも、あなたの僕《しもべ》です)
【アンドルー】 (どぎまぎして)おそれ入るですな。これは恐縮ですな。
【トゥビー】 さ、さ、ずんと奥へ。姪においても貴殿のご来訪を熱望しておりまする。たしか姪にご所用でしたな。
【ヴァイオラ】 はい、姫君こそわたしの嬉しい旅路の目当てでござります。
【トゥビー】 蹄《ひずめ》をおあげなされい。ささっとおはこびなさい。
【ヴァイオラ】 蹄をあげろと申されても、馬ならぬ身の悲しさ、あげる蹄がござりませぬ。
【トゥビー】 いや、お通り召されい、と申すのだ。
【ヴァイオラ】 かたじけのうござる。では喜んで通させていただきましょう。――いや、これは参らいでも。
〔オリヴィア、マライアを従えて登場〕
いみじくも、うるわしき姫君、天よ願わくば姫君の上によき香りを注がせたまえ。
【アンドルー】 若造のくせに、しゃれたことを言うなあ。――「よき香りを注がせたまえ」か、弱いなあ。
【ヴァイオラ】 今日《こんにち》参上いたしましたのは賢くて尊きあなたさまのお耳をお汚し申そうため。
【アンドルー】 「香り」「賢く」「尊き」。よし、三つともいける。こんど使おう。
【オリヴィア】 庭の門をお閉めなさい。みんなさがって。〔トゥビー、アンドルー、マライア退場〕
さ、お手を。
【ヴァイオラ】 (ひくく腰をかがめて)お目通りかないまして光栄に存じます。
【オリヴィア】 あなたのお名前は?
【ヴァイオラ】 あなたさまの僕《しもべ》、シザーリオと申します。
【オリヴィア】 わたしの僕! いけませんわ、そんなの、謙譲の美徳なんてもうはやりませんのよ。あなたはオーシーノ公爵のご家来ではありませんか。
【ヴァイオラ】 その公爵はあなたさまの僕。つまりわたくしはあなたさまの僕の僕、ですからあなたさまの僕でございます。
【オリヴィァ】 あの方のことはわたしなんとも思っていませんの。あの方のほうでも、わたしのことなどきれいさっぱり忘れてくださればいいのに。
【ヴァイオラ】 お姫さま、きょううかがったのも、あなたさまにお願いして少しでもやさしい思いをかけていただこう、あの方のお身の上に、と思いまして。
【オリヴィア】 ご免なさい、もうやめて。あの方のことは二度と言わないで。でも、もしなにか別のお話がおありでしたら、わたし喜んでおうかがいしますわよ、あなたのお言葉なら、天上の調べ以上に。
【ヴァイオラ】 ですが、お姫さま、――
【オリヴィア】 ちょっと待って、あの、この前、あなたがわたしの心に魔法をかけてお帰りになったとき、すぐ後を追わせて、あなたに指輪をさしあげました。心を欺く行為ですわ、自分のも、召使のも、多少あなたのもね。きっとあなたはお気を悪くなさったでしょう、わたしのやり方に。ご自分のものでもない指輪をわけもわからずむりやり押しつけられたりして。どうおとりになったかしら? さぞかしあなたはわたしの卑しいやり方にむごい心で考えられるかぎりの非難の矢を思う存分浴びせかけたことでしょうね? 賢いあなたですもの、もうすっかりおわかりですわね。この黒いクレープではわたしの心の中はかくせませんわ。ねえ、なんとかおっしゃって。
【ヴァイオラ】 心からご同情申します。
【オリヴィア】 同情は恋の第一歩?
【ヴァイオラ】 そうとはかぎりません。世間によくあるではございませんか、時には憎い敵に同情することだって。
【オリヴィア】 じゃ、もう笑って、みんな忘れてしまいましょう。ああ、いやだわ、卑しい人にかぎってすぐにいばりだす! どうせ餌食にされるくらいなら、狼よりは、ライオンに食べられたほうがどれほどましか。(時計が鳴る)
時計が叱っているわ、時間をむだにするなって。いえ、ご安心なさいな、あなたをどうもしやしないから。でもね、あなたの身にも、心にも、実りの秋が訪れるとき、あなたの奥さまになる方はさぞかし美しい旦那さまを刈り入れることでしょうね。そちらが出口よ、その西のほうが。
【ヴァイオラ】 夕日が沈むほうですな。西の海へさらりか。神さまのお恵みとお幸せとがいつも姫君とともにありますように! では、別になんのお言葉も、主人には?
【オリヴィア】 お待ちなさい。お願いだから、おっしゃって、ねえ、わたしをどう思う?
【ヴァイオラ】 あなたさまは大変な思い違いをしていらっしゃる。
【オリヴィア】 あなただってそうでしょう、もしこれが思い違いなら。
【ヴァイオラ】 ですから思い直してくださいまし。わたしは見かけ通りの男ではございません。
【オリヴィア】 そうですとも、きっとわたしが思っているような方だわ、あなたは。
【ヴァイオラ】 あなたさまがお考えくださるのが、今のわたくし以上のものでしたら、――いえ、いえ。今のわたくしはあなたさまの哀れな阿呆です。
【オリヴィア】 ああ、あの人の口にかかると、どんな怒りも嘲りも気持ちよく、つい、うっとりしてしまう。罪におののく心は自然に表に現われるけど、かくした恋はなおのこと。恋の闇路は真昼の路。シザーリオ、春のばらの花に、処女の心に、名誉に、真実に、いえ、すべてにかけて誓います、わたしあなたが好き。どんなにあなたがいばっても、思慮や分別で自分の心を抑えても、好きで、好きでたまらない。あら、わたしこんなことを言ってしまって。おっしゃらないで、そっちが勝手に恋したんだもの、わたくしには関係ありませんなんて。そんな言い抜けはなさらないでね。そら世間で申しますわね、求めて得たる恋はよし、求めずして得たる恋はさらによしって。
【ヴァイオラ】 わたくしの若い心の純潔にかけて誓いますが、わたくしにはたった一つの心しか、胸しか、誠しかございません。それはどんな女の方にも捧げたこともなくどなたにもあげられません。わたくし一人のものですから。では、ごきげんよう、お姫さま! もう二度と参りません。主人の涙の物語をお話申しにはあがりません。
【オリヴィア】 そんなことおっしゃらずに、また来てくださいな。あなたのお声を聞くだけで、今はどんなに嫌いでも、あの方が好きになるかもしれませんもの。(退場)
第二場
〔オリヴィア邸内の一室。トゥビー、アンドルー、フェービアン登場〕
【アンドルー】 いや、ぼく帰るです。もう一刻たりともこんなところに留まらんです。
【トゥビー】 どういうわけだ、おい、七面鳥?わけを聞こうじゃないか。
【フェービアン】 わけをよくお話しにならなくっちゃ、ね、アンドルーさん。
【アンドルー】 だって、君の姪はあの公爵のお小姓ばかりちやほやして、ぼくなんかちっとも構《かま》ってくれんじゃないですか。ぼくちゃんと見たですよ、庭のところで。
【トゥビー】 あの時、姪のやつ、君のほうを見たか、どうだ、親友?
【アンドルー】 はっきり見たですよ。
【フェービアン】 それはお姫さんがあなたをお好きになっている立派な証拠ですぜ。
【アンドルー】 なんだと、人を馬鹿にするですか?
【フェービアン】 とんでもない。思慮と分別とに誓いを立てさせて、その証拠の信憑《しんぴょう》性をちゃんと証明してお目にかけますよ。
【トゥビー】 思慮と分別なら、ノアが箱舟の船長だったころからのれっきとした判事さんだ。
【フェービアン】 そもそもお姫さんがことさらあなたの目の前で、あの若造にご好意をお示しになったというのはですな、これはひとえにあなたをじらそうという魂胆なんですぜ。あなたの眠っている勇気を呼びさまし、心臓に火をつけ、肝臓に硫黄の火を燃えあがらそうってわけなんで。ですからあの時、あなたはしゃれた会釈の一つもしておけばよかったんです、な。それからできたてのほやほやっていう新しい洒落をぽいんと叩きつけて、若造の口をふさいでしまえばよかったんだ。お姫さんもそいつを内心当てにしていたんですぜ。ところがその当てがはずれちまったんで、がっかりですよ。こうしてあなたがあたらチャンスをみすみす二度もつぶしちまったんで、お姫さん、少々おかんむり。せっかくの熱もさめちまって、やがて冷たい秋風も吹こうっていう寸法でさ。情勢を挽回するには、ここらでひとつ思いきった手をお打ちになるんですな。度胸のいいところを見せるか、それとも頭のいいところか。
【アンドルー】 どっちか見せにゃならんとすれば、もちろん度胸のほうですよ。頭のほうはぼく弱いんでね。頭を使うくらいなら、ピューリタンにでもなったほうがましですよ。
【トゥビー】 じゃ度胸を元手に一勝負やるんだな。あの公爵んところの小僧っ子に決闘を申し込んで、三十六か所の手傷を負わせるんだ。姪のやつ、ぐっとくるぜ。実際、男は度胸だからなあ。あの方いい度胸だわってことになりゃ、どんな女だっていちころだ。
【フェービアン】 その手、その手。
【アンドルー】 持ってっていただけますかしら、果し状は?
【トゥビー】 引き受けた。うんと勇ましいことを書くんだぜ。簡潔にして辛辣《しんらつ》、みだりに機知を弄するにはおよばんが、つとめて雄弁斬新にやっつけろ。ペンの許すかぎり嘲弄罵倒するんだ。馬鹿呼ばわりは多いだけよろしい。「嘘つき野郎」って言葉は紙に書けるだけ並べたてるんだ。たとえ唐紙ほどでっかい紙でも、紙いっぱいに書きならべろ。さ、かかった、かかった。悪筆はかまわんが、毒筆をふるうんだ。そらっ、行け。
【アンドルー】 どこでお目にかかれますか?
【トゥビー】 君の小部屋に行くよ、さ、さ。(アンドルー退場)
【フェービアン】 貴重な存在ですなあ。
【トゥビー】 貴重だとも。ざっと二千ポンドの値打ちものだ。
【フェービアン】 変わった果し状ができますぜ。――まさか届けにゃいらっしゃらないでしょうな。
【トゥビー】 行くともさ。あっちの小僧をうんとたきつけて承知させるんだ。ところがあの二人じゃ、首に縄をつけて引っ張ったって、喧嘩にゃならねえ。アンドルーときたら、やつを解剖してみろ。あいつの肝臓には蚤の足がぬれるだけの血もねえや。あったらおいらが飲んでやらあ。
【フェービアン】 あっちの若造も、あんまり血の気はなさそうだ。
〔マライア小走りに登場。おかしさに脇腹をおさえながら〕
【トゥビー】 来た、来た、みそさざいのひなっ子が。
【マライア】 あなた方笑いたかったら、おなかの皮がよじれるほど笑いたかったら、さ、ついていらっしゃい。――マルヴォーリオの阿呆がホッテントットになっちまったの、化物になっちまったのよ。まっとうなキリスト教徒なら、あんな馬鹿な真似はできっこない。(笑いを抑えきれずに)履いてるのよ、黄色い靴下を!
【トゥビー】 (大声で)十文字にしばって?
【マライア】 それがみっともないったら、まるでチンドン星。ずっと後をつけていたの、あの人の命でもねらうように。手紙のさしず通りよ。にたにた笑って。その笑い顔ったら、まるでこのごろの地図みたいに、顔中筋だらけ。ご丁寧に新しい印度の島までついているわ。前代未聞よ。腐った卵でもぶっつけたくなるわ。きっとお姫さま、おぶちになるわ。ところがあの人、顔をぶたれても、にたにた笑って、嬉しがるわ。かたじけない、これも、ひとえにご寵愛のしるしって。
【トゥビー】 さ、さ、早く案内してくれ、やつのところへ。(退場)
第三場
〔街上。アントゥニオとセバスチャン登場〕
【セバスチャン】 これ以上お世話をかけたくなかったのに、苦労がかえって愉快だなどとおっしゃるんだから、負けましたよ、あなたには。
【アントゥニオ】 ひとりで残っていられなかったんで。いっしょに行きたいと思うと、もう矢も楯もたまらず、後を追いかけて、とび出して参りました。いや、いや、あなたのためなら、むろんこれ以上の長い旅にもどこまでも喜んでお供しますが、こんどはちょっと心配になってきました。なんといっても不案内の土地、旅先であなたの身の上に、どんなことが起こるかわかりませんからな。案内人も友人もない他国の人には、とかく乱暴で不親切な土地柄ゆえ、ことさらに一人旅のあなたの身を案じて、後を遣いかけてきてしまったのです。
【セバスチャン】 アントゥニオ、ただありがとうと言う以外ぼくはなんにも言うことがありません。ありがとう、ほんとうにありがとう。もちろんこんな口先のお礼であなたの心のこもった親切を帳消しにすることはできませんが、今のぼくには真心から感謝するほかお礼のしようがありません。金でもうんとあれば別ですが。――どうしましょう? この町の旧跡でも見物しましょうか?
【アントゥニオ】 明日にいたしましょう。まず宿を決めてからに。
【セバスチャン】 ぼくはちっとも疲れてはいませんし、夕方までにはまだ間がありますよ。ねえ、それまでに目の保養をしましょうよ、この町の有名な記念物や名所旧跡を見て回って。
【アントゥニオ】 それだけはごかんべんください。わたしはうっかりこの街中を歩きまわれないんです。かつてここの公爵の船を相手にして、海上で奮戦し、敵方にずいぶん被害を与え、相当暴れましたから、万一ここで捕まれば、言いのがれがききません。
【セバスチャン】 きっとこの国の人をたくさんやっつけたんでしょう。
【アントゥニオ】 いや、そんな血を流すような罪をおかしたわけではありません。もっとも、その時の行きがかりによっては、ずいぶん血なまぐさいことにもなりかねなかったのですがね。われわれがその際、公爵方から奪ったものを返還すればことは済んだんです。貿易上の理由から、わたしの市の大多数はそれに賛成でしたが、わたし一人反対したんです。そのために、ここで捕まればひどい目にあうのです。
【セバスチャン】 ではあまり出歩かないほうがいいですね。
【アントゥニオ】 そうなんです、危険ですから。――さ、受けとってください、わたしの財布です。南の市外のエレファント(象)という宿屋がいいでしょう。部屋と食事を用意させときますから、ゆっくり街を見物して回って、見聞をひろめていらっしゃい。宿で待っていますよ。
【セバスチャン】 この財布は?
【アントゥニオ】 なにか物珍しいものでもふと見つけて、買いたくならんとも限らんでしょう。あなたの蓄えはつまらん買物などに使ってはいけません。
【セバスチャン】 では財布はたしかにお預りしました。一時間ばかりしたらもどります。
【アントゥニオ】 エレファントですよ。
【セバスチャン】 大丈夫。(別々に退場)
第四場
〔オリヴィア邸の庭園。オリヴィア物想いにふけりながら登場。マライアその後に従う〕
【オリヴィア】 (傍白)後を追いかけさせたけど、もし引き返してきたら、どうしよう? ご馳走しようかしら? それともなにか差し上げたほうが? 若い人には物を贈るほうが、お願いしたり約束したりするよりきっといいわ。あら、つい声が大きくなって――(マライアに)マルヴォーリォは? いつも大真面目に、落ちつきはらっているから、いまのわたしにはおあつらえ向きの召使――どこに行ったの、マルヴォーリオは?
【マライア】 ただ今参りますが、とても妙な格好をしているんでございますのよ、あの人。きっと悪魔にとっつかれたんですわ。
【オリヴィア】 まあ、どうしたの? 変なことでも言うの?
【マライア】 いいえ、それがただにたにた笑ってばかり。お姫さま、くれぐれもご用心あそばせ。たしかに気が変でございますよ。
【オリヴィア】 呼んでちょうだい。
〔マルヴォーリオ、黄色い靴下をはき、もったいぶった足どりで通路を歩いてくる〕
このわたしだって気が変だわ。浮かれるのとふさぐのとの違いだけ。どうしたの、マルヴォーリオ?
【マルヴォーリオ】 お姫さま、ほ、ほ、ほ。
【オリヴィア】 ま、どうして笑うの? 真面目な話があって呼んだのよ。
【マルヴォーリオ】 真面目なお話? 待ってました。どうも、その、血液の循環が阻害されましてな、こう十文字にしめつけますとな。――なに、かまいません、おひとりさえ喜んでくださる方がおありなら、てまえはもうそれで満足。小唄の文句じゃございませんが、「おまえひとりが嬉しいならば」
【オリヴィア】 まあ、どうしたの、おまえ? なにかあったの?
【マルヴォーリオ】 いきな靴下こがね色、燃える心はあかね色。――あのお文たしかに当人の手に入りました。おさしず通り、ちゃんと実行いたします。かのうるわしき水茎の跡は、てまえよく存じておりますです、はい。
【オリヴィア】 おまえ寝室へいらっしゃい。少し横になったら、マルヴォーリオ。
【マルヴォーリオ】 ご寝室へ! はい、はい、いとしいお方、喜んでお供いたします。
【オリヴィア】 まあ、かわいそうに! なぜそんなににやにやするの? 自分の手になぜそんなにキスするの?
【マライア】 どうなすったの、マルヴォーリオさん?
【マルヴォーリオ】 なにを、腰元風情が! さようさ、うぐいすも時には小がらすに答えることもあろう。
【マライア】 よくもそんなへんてこな格好して、お姫さまの前にのこのこ出られたものですわね、あなたは?
【マルヴォーリオ】 (オリヴィアに)「いたずらに身分高きにおそれたもうことなかれ」ちゃんと書いてありましたな。
【オリヴィア】 それはなんのこと、マルヴォーリオ?
【マルヴォーリオ】 「人生まれながら高き者あり」
【オリヴィア】 え?
【マリヴォーリオ】 「自ら高きに登るもあり」――
【オリヴィア】 なんですって?
【マルヴォーリオ】 「また高きを人より与えられる者あり」
【オリヴィア】 神さま、正気にかえしてください!
【マルヴォーリオ】 「そなたの黄色の靴下を称賛し」――
【オリヴィア】 黄色の靴下を!
【マルヴォーリオ】 「十文字の靴下どめを結ぶようそなたに勧めし者を忘れたもうなかれ」
【オリヴィア】 十文字の靴下どめ!
【マルヴォーリオ】 「いざや起て、立身出世は、そなたが欲せば、疑いなし」――
【オリヴィア】 わたしが立身出世するの?
【マルヴォーリオ】 「これを欲せば、永久に召使たるにとどまれ」
【オリヴィア】 まあ、これは本物だわ。
〔召使登場〕
【召使】 お姫さま、公爵さまのお使いの若い方がお戻りになりました。――むりやりお連れいたしました。あちらでお待ちしております。
【オリヴィア】 すぐ行くわ。(召使退場)マライア、この人に気をつけてね。叔父さんどこにいるの? 家の者たちに言いつけて、あの人によく注意してちょうだい。万一、間違いでもあったら、大変。(オリヴィア退場。マライアつづく)
【マルヴォーリオ】 お、ほ、ほ! やっとおわかりになりましたか? わざわざかのトゥビー殿にわしの世話をお命じなさる! わざとあの人をお呼びになるのだ、わしに反抗させようと思って。手紙の中でそうお命じになっておられる。「今よりよろしく古き衣を脱ぎすて」と言っておられる。「つとめてわが親族にさからい、わが召使に無愛想たれ。つねに大言壮語して、権謀術数の道を論じ、奇矯なる態度を装うべし」それからどういうふうにふるまうか書いてある。むずかしい顔をして、身のこなしはおごそかに、物言いは壮重に、服装は紳士にふさわしく整える。お姫さまはとうとうわしの手に入った。これこそひとえに神さまのおかげだ。ありがとうございます、神さま! 今もあちらへいらっしゃるとき「この人に気をつけてね」。この人! マルヴォーリオでもなきゃ、これ執事、でもない。「この人」とな。いや、なにもかもぴったり符合する。そう、大文夫だ、一点の疑いも、一抹の懸念も、いかなる障害も、疑惑も、不安も、ない、ない、ない、ない、なにもない。たしかにない。わしの望みは大丈夫かなえられる。これは神さまのおかげだ、わし一人の力じゃない。神さま、ありがとうございます、かたじけのうございます。
〔マライア、トゥビー、フェービアン登場〕
【トゥビー】 どこにおる、悪魔につかれた男は? たとえ地獄中の悪魔がたばになって、あいつに乗り移ったって、かまやしねえ。問答してくれる。
【フェービアン】 いますよ、いますよ、あそこに。――どうしたんです?
【トウビー】 おい、どうした?
【マルヴォーリオ】 退れ。ひかえろ。余はひとりでおりたいのだ。退りおろう。
【マライア】 そうら、あのしゃがれ声は悪魔の声ですよ、とっついているんですよ。あの人の中に! だから申しあげたでしょう、トゥビーさま、お姫さまはあなたにあの人の世話をするようにとおっしゃったのよ。
【マルヴォーリオ】 ふふん! さもありつろう。
【トゥビー】 (マライアに)これ、これ、静かに、静かに。そっと、大事に扱わねばいかん。おれにまかせとき。――どうした、マルヴォーリオ君? どんな具合かね? おい、これ! 悪魔なんぞ追っぱらっちまえ。あいつは人の敵だぞ。
【マルヴォーリオ】 なにを申しておるのだ?
【マラィア】 そうらね、悪魔の悪口を言うと、すぐきげんを悪くするんですから。神さま、どうぞあの人が正気にもどりますように!
【フェービアン】 あの人の小水《しょうすい》を占い婆さんのところへ持っていって、調べてもらうんですな。
【マライア】 そうそう、あすの朝、さっそく届けさせましょう。お姫さんはあの人をそりゃ大切になさっているんですもの。
【マルヴォーリオ】 こら腰元、なにを申す!
【マライア】 まあ!
【トゥビー】 おい、おい、静かにしなさい。手荒くしちゃいかんよ。怒らしちまうじゃないか。おれにまかしとけ。
【フェービアン】 そっとやるのが一番。そっと、大事に。悪魔は狂暴なしろものなんだから、乱暴に扱っちゃあぶない、あぶない。
【トゥビー】 おや、坊や、どうした、どうした? そら、いい子、いい子。
【マルヴォーリオ】 え!
【トゥビー】 小父ちゃんと遊《あちょ》ぼうね、いい子だから。おい、君! 悪魔なんか相手に鬼ごっこするのはみっともないぞ。あんなやつ追い出しちまえ。
【マライア】 お祈りをさせなさいよ、お祈りを。
【マルヴォーリオ】 お祈りだと、このすべため!
【マライア】 だめね、信心なんててんで受け付けないのね。
【マルヴォーリオ】 やい、そのほうども残らずくたばりおれ。汚《けが》らわしいうじ虫めらが。よく聞けよ、余はそのほうどもの同類にあらず。やがていつの日にか思い知らさん。(マルヴォーリオ退場。一同見送る)
【トゥビー】 ひゃあ、わしゃたまぎたよ。
【フェービアン】 これが舞台で演じられたら、とてもほんとうとは思われませんな。
【トゥビー】 やつめ、すっかり毒が回っちまった。
【マライア】 さ、すぐ後を追っかけるのよ。ぐずぐずしているうちにばれちまったら大ごとよ。
【フェービアン】 あの調子だと本式にいかれちゃうかもしれないな。
【マライア】 けっこうお邸が静かになりますわ。
【トゥビー】 や、やつを縛りつけて、暗いところへぶちこんじゃえ。姪ももう気が違ったものと思いこんでいるんだ。さんざっぱらからかってやろうぜ。おれたちには好い慰め、やつには好い懲《こ》らしめだ。いいかげん遊びくたびれたら、かわいそうになってくらあ。最後にこの狂言の筋書きをご披露して、狂言回しのおまえさんに花束贈呈といこうじゃないか。――おい、おい、別口が現われたぞ。
〔アンドルー登場、手紙を持っている〕
【フェービアン】 また一つ茶番のねたが出来ましたぜ。
【アンドルー】 これが果し状であるです。読んでくれたまえ。酢と胡椒はじゅうぶん利かしてあるですよ。
【フェービアン】 舌にぴりっときますかな?
【アンドルー】 かっとくるですよ。まあ読んでみたまえ。
【トゥビー】 どれ。(受けとって読む)「こら、若造よ、きさまはいかなる者にせよ。生意気なる野郎なり」
【フェービアン】 いいぞ、最低に勇ましいや。
【トゥビー】 (読む)「怪しむなかれ、驚くなかれ、なにゆえにかく呼ぶかと。いかんとなれば、わが輩はその理由を言わざればなり」
【フェービアン】 うまく逃げた。そう書いとけばしっぽをつかまれる心配はないや。
【トゥビー】 (読む)「きさまはオリヴィア姫のもとに来た。しかして姫はわが輩の面前にてきさまを歓待す。しかりといえども、なにしろきさまは馬鹿野郎なり。これわが輩のあえて決闘を申し込むゆえんならず」
【フェービアン】 きわめて簡潔、明瞭、ならず。
【トゥビー】 (読む)「わが輩はきさまの帰りを待ち伏せすべし。もしきさまが、たまたまわが輩を殺さんか――」
【フェービアン】 おもしろい。
【トゥビー】 (読む)「きさまは正《まさ》にごろつき悪党のたぐいと言わんか」
【フェービアン】 やっぱりあぶないところはよけてますな。よろしい、その調子。
【トゥビー】 (読む)「さらば。天の恵みわれら両人のいずれかの魂の上にあれ。天に上って恵みを受けるのは多分わが輩の魂のほうなるやしれず。しかれども勝算わが腕にあり。とくと用心せよ。きさまの出かたいかんによりては親友とも仇敵ともなりうる、アンドルー・エイギューチークより」この果し状でやつが起たねえようじゃ、腰が立たねえんだ。よしおれが渡してやる。
【マライア】 ちょうどいい折りよ。いまお姫さまと何やら密談中。もうすぐ帰るわ。
【トゥビー】 さ、アンドルー殿。庭の隅であいつの出てくるのを刑事《でか》のように見張っているんだ。やつが姿を現わしたら、とたんに引っこ抜くんだ。引っこ抜いたら、とたんに威勢のいいたんかを切るんだ。刀の切れ味より、たんかの切れ味で男をあげた例はいくらもあらあ。さ、行ってきな。
【アンドルー】 たんかはぼくにまかしといて。(外の入口から退場)
【トゥビー】 この手紙じゃちょいと渡せねえや。あの若造はなかなかどうして才もあり、学もあるやつらしい。公爵の大事な使いで姪のところにしげしげやって来るんだからな。こんなばかばかしい果し状じゃ、おっかながるどころか、吹き出しちまわあ。おれが口頭で伝えるよ。その際、エイギューチークの武勇のほどをうんと吹聴して、あいつが獰猛《どうもう》で、向こう見ずで、武芸百般免許皆伝と吹きこんでやろう。なに、わけはない、あの生っ白《ちろ》いやさ男ならすぐ本気にすらあ。そうなりゃ、どっちも震えあがっちまって、お互いに顔を見合わすだけでたちまちひっくり返っちまうぜ。
〔オリヴィアとヴァイオラ家の中から登場〕
【フェービアン】 来ましたよ。姪御さんとごいっしょに。別れの挨拶がすんだら、帰るところをつかまえましょう。
【トゥビー】 それまでにひとつ勇ましい果し合いの口上でもひねりだそう。(トゥビー、フェイビアン、マライア庭の奥へ入る)
【オリヴィア】 いくら怨みごとを申しあげても、通じないのね。石のような心には。ただこちらが恥ずかしい思いをするだけ。いけないことは、わたし自分でもよく知っていますのよ。でもいくら叱っても、わたしのいけない心はわがままで、意地っぱりで、言うことをきかないの。
【ヴァイオラ】 あなたが味わう切ない心の苦しみをわたくしの主人もとうから味わっているのです。
【オリヴィア】 ねえ、このブローチを、わたしのためにつけてくださいな。わたしの肖像よ。ね、これなら口をきかないから、あなたを困らせはしませんわ。明日また来て。お願いよ。なにか欲しいものないかしら。あなたのためなら、なんでも差し上げますわ、わたしの恥にならないかぎり。
【ヴァイオラ】 いいえ、なんにも、――主人を愛していただくことのほかは。
【オリヴィア】 それはだめ。あなたを愛するともうお約束したんですもの。
【ヴァイオラ】 その約束は無効です。
【オリヴィア】 また明日いらして。それまでさようなら。あなたのようなかわいい悪魔なら、喜んで地獄へでもついて行きますわ。(オリヴィア家の中へ入る。ヴァイオラ出口へ向かう)
〔トゥビーとフェービアン登場〕
【トゥビー】 あの、もしもし、ちょいと!
【ヴァイオラ】 (振り向いて)なんですか。
【トゥビー】 えへん、剣を抜きたまえ。君がはたしていかなる種類の侮辱を加えたものか、わしは存ぜぬが、君の帰路をようして、庭のかなたでひそかに待ち伏せしている男がおりますぞ。ブルドッグさながらに、血相変えて、ものすごく猛りたっておる。さ、剣の鞘を払いなされ、ご用意めされよ。敏捷にして獰猛、恐るべき相手ですぞ。
【ヴァイオラ】 なにかの間違いです。ぼくはだれからも怨みを買うはずはありません。人に侮辱を加えたことなんかありません。
【トゥビー】 ところがさにあらずと向こうは言っておる。命が大事ならすぐに身を守る用意をなさい。なにしろ、相手は若くて、千人力、剣道の達人にしておまけに怒り狂っておるときているからな。
【ヴァイオラ】 いったいどういう方なんです、その人は?
【トゥビー】 あっぱれの騎士だ。もっとも戦場を駆けめぐり、武勲かっかくたる爵位ではないらしいがな。ところが喧嘩となると、まるで閻魔か鍾馗《しょうき》だ。すでに三人の男の命を奪っておる。いまのあのけんまくじゃ、相手をたたき殺して幕場へ送りこまなきゃおさまるまいよ。――のるかそるか、食うか食われるか。これがやつの合言葉だ。
【ヴァイオラ】 引き返してお邸のだれかに送ってもらおうかな。喧嘩はぼく全然苦手なんです。わざと人に喧嘩を売って、勇気を試めそうという変わった人もあるそうですね。その人その同類かもしれませんね。
【トゥビー】 いいや、男子として当然の憤りからだ。あのような侮辱を加えられては、男子いずくんぞ起たざらんや。だから望み通り、さ、立ち合いなさい。引き返すことはならん。たって引き返すなら、わしが相手になる。あいつを相手にするのとどちらが手強いかな。さ、行け、いやなら、さ、剣を抜け、わしが相手だ。どうしても立ち合わねばならぬ。さもなきゃ、今後腰に剣などぶらさげるな。
【ヴァイオラ】 これはまた乱暴な、理不尽な言いがかり。お願いですから、うかがってください。ついうっかり無礼を働いたのかもしれませんが、ぼくには覚えがありません。
【トゥビー】 よろしい、尋ねてこよう。フェービアン君、きみ、この紳士のそばについていてくれたまえ、わしがもどってくるまで。(外の出口から退場)
【ヴァイオラ】 ねえ、あなたは事情をご存知ですか?
【フェービアン】 あの紳士が立腹して、どうしても決闘するんだといきまいてるのは知ってますがね、詳しいことはいっこうに。
【ヴァイオラ】 どんなふうの人ですの?
【フェービアン】 見たところはたいして強そうでもありませんがね、いったん剣をとるとどうして生やさしい相手ではない。このイリリアのどこを探したって、あれほど恐るべき剣術つかいはちょっと見当りませんな。(ヴァイオラの腕をとり)あの人のところへ行ってみますか? あなたのためにわたしが極力仲裁してみましょう。
【ヴァイオラ】 そう願えればありがたいのですが。ぼくは騎士のお相手をするより、牧師のお相手をしたほうが似合う人間ですから。気の弱いのはだれに知られたって恥ずかしくなんかありません。(両人退場)
〔トゥビー、アンドルー登場〕
【トゥビー】 それがだな、まるで閻魔さまだよ、あいつは。あんな怪童丸は見たことがない。――一丁願ってみたがね、鞘をつけたままでな。いきなり一本突いてきた。目にもとまらぬ早業《はやわざ》だ。とうてい受けきれたものじゃないよ。返す刀がまたしたたか。大地を踏む足がはずれることがあっても、あいつの剣先ははずれっこないな。なんでもダライラマお抱えの剣士だったそうだ。
【アンドルー】 とんでもないことになったなあ、ぼくは下りるよ。
【トゥビー】 こっちは下りても、あっちがおさまらんよ。あの勢いじゃ、フェービアンだって手に負えまい。
【アンドルー】 畜生、あいつがそんなに強くって、おまけに剣術がうまいってことがわかっていたら、あいつの死ぬのを待ってるんだったなあ。早まったなあ。なんとかして今度のことは忘れてもらえんですか? そうしたら、馬をあの人に進呈してもいいですがね、あのあおのキャピレットを。
【トゥビー】 先方に話してみよう。ここに待っていてくれ。うんと偉そうに立っているんだぜ。命のやりとりはしないですますよ。(傍白)馬まで手に入るとは、こいつは話がうますぎらあ。
〔フェービアンとヴァイオラ庭園の門から登場。
トゥビーはフェービアンを傍に呼ぶ〕
(フェービアンに傍白)丸くおさめてくれって、馬をくれたぜ。相手は閻魔大王だと言って、おどかしつけたんだ。
【フェービアン】 (トゥビーに傍白)こっちもまるでがくがくですぜ。息をはずませて、まっ青な顔をしてまさ、熊にでも追いかけられてるみたいに。
【トゥビー】 (ヴアイォラに)今となってはやむをえん。武士の意気地、あとへは引かんと言うんだ。実は先方でも熟慮の来、決闘の理由がとるに足らんことを悟ったのだが、今さら仕方がない。先方の面子《めんつ》を立てるために刀を抜きなさい。大丈夫、けっしてけがはさせないと申しておるから。
【ヴァイオラ】 (傍白)神さま、どうぞお守りください。男でないことがすぐにばれてしまうわ。
【フェービアン】 突いてきたら、こう下がるんだ。
【トゥビー】 さ、アンドルー君、今になってはやむをえん。体面上、やむをえず一回だけ君と手合わせせんければならぬ、と言うことだからな。武士の作法だ、むりもない。しかし先方も紳士としてまた剣士として、固くわしに約束された、けっしてけがはさせないとな。さ、始めた、始めた!
【アンドルー】 どうぞその約束をお守りくださるように!
【ヴァイオラ】 (アンドルーに)ほんとに、ほんとはやりたくないのに。
〔両人剣を抜いてかまえる〕
〔アントゥニオ登場〕
【アントゥニオ】 (アンドルーに)剣を引け。この若い紳士がなにか無礼を働いたなら、罪はわたしが引き受ける。もしあなたが無礼をはたらいたのなら、代わってわたしが立ち合いますぞ。
【トゥビー】 君は、おい! いったい、君はなに者だ?
【アントゥニオ】 この青年のためなら命も惜しくない男だ。喧嘩を買ってでるくらい朝飯前だ。
【トゥビー】 ようし。きさまが売るなら、おれが買う。
〔両人剣を抜く。二人の警吏近づく〕
【フェービアン】 トゥビーさん、やめた、やめた。役人が来た。
【トゥビー】 (アントゥニオに)そら、あかん、ではいずれ、後刻。
〔木の陰にかくれる〕
【ヴァイオラ】 (アンドルーに)どうか剣をおおさめください。
【アンドルー】 はい、おさめるですとも。それからさっきのお約束はちゃんと守るです、あいつは調子のいい馬で、よく言うことをきくですよ。
【警吏甲】 (アントゥニオを指さして)あの男だ。取り押えろ。
【警吏乙】 アントゥニオ、ご用だ。オーシーノ公爵の訴えによりそのほうを取り押える。
【アントゥニオ】 人違いだ。
【警吏甲】 違うものか。きさまの顔には見覚えがある、たとえ船長の帽子をかぶっておらんでもな。引き立てろ。顔を知られているのは当人も先刻承知だろう。
【アントゥニオ】 そうか。(ヴァイオラに)あなたを探しに出たばっかりに。仕方がない。いさぎよく仕置きを受けよう。こうなっては先刻の財布を返してもらわねばならぬが、これからどうなさる、あなたは? この身はどうなろうとかまわんが、あなたのためになにもしてあげられなくって、それが残念だ。――なにをぼんやり立っているのです、元気をお出しなさい。
【警吏乙】 さ、参れ。
【アントゥニオ】 あの金の中からいくらか返していただかねば。
【ヴァイオラ】 え、なんの金ですか? ご親切に助けてくだすったのに、思いがけずこんな目におあいになって、ほんとにお気の毒。資力の乏しいぼくですが、少しばかりご用立てします。(財布を開き)あいにくいくらも持ち合わせはありませんが、でもご入用なら少しぐらいは。さ、これが財布の半分です。
【アントゥニオ】 「なんの金?」いまになって知らぬなどとは? あれほどの親切もまだあなたには不足だったのか、そんな平気な顔をして? これ以上みじめな思いをさせないでくれ。あなたのために尽くした好意を一つ一つ数えあげて、あなたを罵《ののし》るような情けない真似をこのおれにさせる気か?
【ヴァイオラ】 なんのことかさっぱりわかりません。あなたがどなたかぼくは知りません、お会いしたこともありません。口から出まかせのほらを吹いたり、酒に酔って、くだを巻いたり、そのほか弱い人間がとかく陥りやすいかずかずの悪徳の中でもぼくは恩知らずを一番憎みます。
【アントゥニオ】 なんだと!
【警吏乙】 さ、ぐずぐずせずに参れ。
【アントゥニオ】 (警吏に)もう一言だけ。ここに立っている、この若い男は危うく死神の腹ん中に呑みこまれそうになったのをおれが救い出したのだ。おれは身も心も捧げて、親切を尽くしてきた。この顔立ちからも、必ず立派な人間に相違ないと、あがめんばかりに大切に仕えてきたのだ。
【警吏甲】 こっちの知ったことか。時間の無駄だ、引き立てる。
【アントゥニオ】 とんだ偽物だった、本物だと思いこんでいたのに。こら、セバスチャン、きさまは美しい顔に泥をぬるやつだ、醜い人間とは根性の醜いやつのことだぞ。みっともない、かたわの人間とは人情のないやつのことだ。人の徳は美しいが、美しい姿をした悪徳は外側ばかり飾り立てた空っぽの悪魔の長持ちだ。
【警吏甲】 こいつ頭にきたらしいぞ。引き立てろ。さ、参らんか。
【アントゥニオ】 どこへでも連れてゆけ。(警吏、アントゥニオを連れて退場)
【ヴァイオラ】 あんなに興奮して言うんだもの、嘘や冗談のはずはない。でも、ほんとかしら? ほんとだったら、ああ、これがほんとだったら! お兄さま、ほんとにあなたと間違えられたのなら!
【トゥビー】 (木の陰から)おい、アンドルー殿、こっちへ来たまえ。フェービアン来いよ、大事な話がある。
【ヴァイオラ】 わたしのことをセバスチャンと呼んだわ。わたしお兄さまとは瓜二つの生き写し。この服も色も飾りもすっかり同じ。お兄さまのを真似てるのだもの。おお、もしこれがほんとなら、嵐も親切、逆巻く波も情け深いことになる。(退場)
【トゥビー】 まったく根性のきたねえ小憎っ子だ。おまけに兎より臆病ときてやがる。友だちが困っているのを目の前に見ながら、知らん顔の半兵衛だ。臆病のほうはフェービアンが先刻ご承知だ。
【フェービアン】 臆病、底抜け最高の臆病野郎だ。
【アンドルー】 畜生、追っかけていって、ぶんなぐってくれようか。
【トゥビー】 やれ、やれ。めちゃくちゃになぐりつけろ。もっとも剣は抜くなよ。
【アンドルー】 抜かなくって――
〔剣を抜き、ヴァイオラの後を追う〕
【フェービアン】 ひとつ見物しましょうや、どうなるか。
【トゥビー】 どうもこうもなるものか。あのご両人じゃ。(退場)
[#改ページ]
第四幕
第一場
〔オリヴィア邸の前の広場。セバスチャンと道化登場〕
【道化】 あなたを呼びにきたんですよ。どうして間違いなんで?
【セバスチャン】 くどいな。いいかげんにしろ。用はない。あっちへ行け。
【道化】 たいした役者だなあ、旦那は! さよう、わが輩はあんたを知らん。姫君のご用であんたを呼びに参ったのではない。あんたもシザーリオ君ではない。これはわが輩の鼻にあらず。あるものはすべてあらず。
【セバスチャン】 たわけたことを。無駄口はよそでたたけ。おまえはまったくおれの知らん男だ。
【道化】 たわけたことを、とは恐れ入ったね。だれか偉い人にでも言われたのだな。それをさっそくおれに応用したんだろう。「たわけたことを!」世界中がいまにご大層な言葉を使うようになるぜ。ねえ旦那、後生だからそんなにおとぼけなさらずに、なんとお姫さまにご返事申しあげたものか言ってくださいよ。今すぐ参りますと申しあげてもよろしいでしょう?
【セバスチャン】 頼むから、あっちへ行ってくれ、阿呆君。そら、金だ。まだぐずぐずしていると、今度は別のをお見舞い申すぞ。
【道化】 気まえがいいな、旦那は。――阿呆に金をくれる賢い旦那は好い評判を買いこむというもんだ――もっとも、値は張るがね。
〔アンドルー抜き身を振り回しながら登場。トゥビーとフェービアンその後に従う〕
【アンドルー】 やい、もう逃がさんぞ。そら、どうだ。(見事突き損じる)
【セバスチャン】 なにを、こいつ、こら、こら、こら。(アンドルーをなぐり倒す)ここの人間はみんな気が違っているのか?
【トゥビー】 (背後からセバスチャンを抱きかかえ)待ったり、待ったり。まあ、待てったら。短剣を屋根の向こうにほうり投げるぞ。
【道化】 さっそくお姫さまに知らせとこ。巻き添えを食っちゃ、割に合わねえから。
【トウビー】 (セバスチャンを制して)まあ、まあ、待たねえか。
【アンドルー】 (なぐられた跡を手でなでながら)止めんでもいいです、勝手になぐらせるがいいですよ。ぼく別の手段を講じますから。ぼく暴行傷害罪で告訴するです。いやしくもイリリアに法律がある以上、断然やるです。さきに手を出したのはぼくのほうですがね、そりゃ問題じゃないです。
【セバスチャン】 手を放せ。
【トゥビー】 どっこい、放さんぞ。(アンドルーに)おい、勇ましいお兄《あにい》さん、剣を拾っときな。あっぱれな腕前だ。(セバスチャンに)これさ。
【セバスチャン】 放さんか、えいっ。(トゥビーを突き放し)さ、どうだ?(剣を抜く)やる気か、やるなら、さ、剣を抜け。
【トゥビー】 なんだと?(剣を抜き)青二才が! よしきさまの脳味噌を三グラムばかりそぎ取ってやる。(両人闘う)
〔オリヴィア登場〕
【オリヴィア】 お待ち、トゥビー。やめて、やめてちょうだい。(両人雛れる)
【トゥビー】 これは、お姫さま!
【オリヴィア】 どうしたの、この有様は? なんて浅ましい! 礼儀も作法もわきまえぬ野蛮人なら、山の洞穴にでもお住みなさい。お退り。お怒りにならないでね、シザーリオ。乱暴者、お退りなさい。(トゥビー、アンドルー、フェービアンこそこそと退場)
こんな乱暴をいきなりお受けになって、さぞかし不愉快でしょうけど、どうか大目にみてやってくださいな。あの、家へいらしてくださらない? あの乱暴者がこれまでにどれほど悪い悪戯をしでかしたかお話しますから。きっときょうの事も笑って済ましてくださいますわ。ね、いらして。いやだなどとおっしゃってはいや。憎らしい、あの人のおかげで、ほんとにびっくりしましたわ。
【セバスチャン】 (傍白)どういうことだ、これは? どうなるのだ? おれの頭がどうかしたのかな? 夢を見ているのかな? 恋よ! いつまでも甘い忘却の淵におれを沈めておいてくれ! ああ、夢なら醒めずに、このままいつまでも眠っていたい!
【オリヴィア】 ねえ、いらしって。わたしの言う事をちっとも聞いてくださらないの?
【セバスチャン】 聞きます、聞きますとも。これが聞かずにいられますか。
【オリヴィア】 まあ、嬉しい! ほんとにあなたは素直な方。さ。(退場)
第二場
〔オリヴィア邸の一室。背後にカーテンのかかった小室。道化とマライア登場。マライアは手に黒いガウン(僧衣)と付け髭を持っている〕
【マライア】 いいこと、このガウンを着て、この髭を付けるのよ。てっきり牧師さんのトゥパス先生だと思いこますのよ。さ、早く。わたし急いでトゥビーさんを呼んでくるから。(退場)
【道化】 よし、これを着て、うまく化けてやろう。こんなガウンを着て人をたぶらかしたやつは、なにもおれが初めてじゃなかろう。――(ガウンを着て、髭を付ける)どうも偉い坊さまにしちゃ、いささか背丈が足らん。学者にしちゃ、やや肉がつきすぎる。だが世間さまで親切で正直者と言われる男なら立派なものだ。神さまや学問に通じた人たちに劣りゃせん。来たな、一味徒党が。
【トゥビー】 これはようこそ、先生!
【道化】 (作り声で)よい日和じゃのう、トゥビー殿。ペンとインクは悪魔の使うものと考えおって生涯手にしなかった、あのプラーグの聖人さまがゴルボダック王の姪御に申された通り「それ、あるものはあり」じゃ。わしも牧師じゃから牧師じゃ。「あるもの」はすなわち「あるもの」、「あり」すなわち「あり」じゃ。
【トゥビー】 さ、お始めください、トゥパス先生。
【道化】 (カーテンに近づいて)これ、これ! おるか? 神よ、この中なる僕《しもべ》の上に心の安らぎを与えたまえ、アーメン!
【トゥビー】 (傍白)牧師そっくりだ。うまいぞ。
【マルヴォーリオ】 (中から)だれだ、おまえは?
【道化】 牧師のトゥパスが狂人のマルヴォーリオを見舞いに参ったのじゃ。
【マルヴォーリオ】 トゥパス先生、トゥパス先生! 先生、お願いですから、わたしのお姫さまのところへ行ってきてください。
【道化】 黙れ、悪魔め! よからぬ色情をおこさせおって! きさまはどうしてこの哀れな男をそのように苦しめるのじゃ? わたしのお姫さま、わたしのお姫さま、とばかり言わせおって?
【トゥビー】 いいぞ、いいぞ、牧師先生。
【マルヴォーリオ】 トゥパス先生、こんな無法な事ってあるもんじゃありません。――先生、わたしは気なんか違ってはおりません。皆で寄ってたかってむりやりわたしを押し込めたのです、こんな暗い真暗闇へ。
【道化】 黙りなさい、嘘つきの悪魔め! きさまのようなやつにでもわしはあまり乱暴な言葉を使わぬ。悪魔といえども礼を失せぬが、これ礼節の道じゃからな。そこは暗いというのか?
【マルヴォーリオ】 暗いです、暗いです、先生。地獄のように真暗です。
【道化】 はて異《い》なことを。そこにはたしか張り出し窓があるはずじゃが。そこからは厚い壁のようによく光が差し込む。北南の方に面して高窓もあり、黒檀のように明るいはずじゃ。それだのに、暗黒だと申すのか?
【マルヴォーリオ】 トゥパス先生、わたしは気が違ってはおりません。ほんとにここは暗闇です。
【道化】 こら、狂人、それは誤りじゃ。およそ暗闇とはこれすなわち心の闇にほかならず。おまえは心の闇路を踏み迷いおるのじゃ、霧の中のエジプト人のようにな。
【マルヴォーリオ】 いいえ、ここは心の闇路に劣らず真暗です、地獄のように真暗です。ほんとうにこんな不当な目にあわされて。わたしは先生同様ちっとも気が違っておりません。ね、試してみてください、なにか筋の通った事柄を尋ねてみてください。
【道化】 では尋ねるが、そもそも野鳥に関して、ピタゴラスはなんと申しておるか?
【マルヴォーリオ】 われわれの祖母《ばあ》さんの霊魂が時によると鳥に宿ることもあると言っております。
【道化】 その説をそもいかようにおまえは考えおる?
【マルヴォーリオ】 わたしは人間の霊魂は尊いものと考えておりますので、彼の説には同意いたしかねます。
【道化】 いかん。それではまだ当分暗いところを出るわけにはいかん。わしはおまえの正気を認めることはできん。おまえがピタゴラスの説を信じるようになるまではな。正気にかえったら、おまえはむく鳥の焼鳥が食えなくなろう。おまえの祖母さんの魂が宿っておるかもしれんからのう。(カーテンの前を離れる)
【マルヴォリーオ】 (呼ぶ)もしトゥパス先生、トゥパス先生、トゥパス先生!
【トゥビー】 よう、よう、トゥパス大先生!
【道化】 ざっとこんなもんで。(仮装を脱ぐ)
【マライア】 髭やガウンは要らなかったわね、見えないんだもの。
【トゥビー】 今度は地声でやってみな。どんなぐあいか後で知らせてくれ。(マライアに)おい、そろそろこの悪戯にけりをつけて、きりのいいところであいつを出してやろう。姪もだいぶおかんむりだし、ここいらで打ち上げにしねえとあぶねえや。後でおれの部屋に来てくれ。(トゥビーとマライア別々に退場)
【道化】 (歌う)「これさ、ロビンや、陽気なロビン、お主の情人《いろ》はどうしてござる?」
【マルヴォーリオ】 これ阿呆――
【道化】 (歌う)「おらの女《あま》っ子薄情者よ」
【マルヴォーリオ】 これ、阿呆――
【道化】 (歌う)「おやまあ、おまえ、そりゃまたなぜに?」
【マルヴォーリオ】 これ、これ、阿呆――
【道化】 (歌う)「おらを見捨てて」
――だれだい、呼ぶのは?
【マルヴォーリオ】 おい、阿呆、おまえ、わしに贔屓してもらいたかったら、頼むから持ってきてくれ、ろうそくとペンとインクと紙をな。わしも紳士だ、けっして悪いようにはしないからな。
【道化】 マルヴォーリオの旦那でしたか?
【マルヴォーリオ】 そうだよ、わしだ、わしだ。
【道化】 お気の毒だねえ。どうしてまた正気を失くしちまったんです?
【マルヴォーリオ】 おまえ、こんなひどい目にあわされた者って世の中にあるもんじゃない。わしは気は確かだよ。おまえとちっとも変わらない。
【道化】 変わらない、このおれと? じゃ、あんたは気が違っているんでさ。
【マルヴォーリオ】 皆で手とり足とり、むりやりわしをこんな暗闇に押し込めたんだ。馬鹿な牧師をよこしたり、ありとあらゆる無礼を加えて、わしを気違いにしちまったんだ。
【道化】 しっ、いけませんよ、気をつけなきゃ。牧師さんはまだここにおり……。(作り声で)マルヴォーリオ、マルヴォーリオ、神のお恵みにより、おまえがすみやかに正気に立ちかえりますよう! つとめて睡眠をとるようにするのじゃ。つまらぬたわごとを慎しむのじゃ。
【マルヴォーリオ】 トゥパス先生、――
【道化】 (作り声で)おまえさんもあの気違いとみだりに言葉をかわしてはならぬぞ。(地声で)えっ。てまえですか? 大丈夫です、てまえは。ではごきげんよう、トゥパス先生。(作り声で)はい、はい、アーメン!(相手のなにか耳打ちするのを聞いたように、地声で)へい、へい、承知しました。
【マルヴォーリオ】 阿呆、阿呆、おい阿呆――
【道化】 まあ、まあ、ご辛抱なさい。なんですか? あなたにものを言うんじゃないって言われましたぜ。
【マルヴォーリオ】 頼むから明りと紙を持ってきてくれ。ほんとうにわしはイリリア中のだれにだって負けんくらい正気なんだ。
【道化】 ほんとにそうなら嬉しいね!
【マルヴォーリオ】 間違いなく正気なんだ。――阿呆、頼む、インクと紙と明りだ。わしが手紙を書くから、お姫さまのとこへ持って行ってくれ。祝儀はうんとはずむからな。
【道化】 承知しました。ですが、ほんとうのところ、あなたは気違いじゃないんですか? 気違いの振りをしているだけなんですかい?
【マルヴォーリオ】 ほんとにほんと、正気なのだ。気が違ってはおらん。信じてくれ。
【道化】 信じると言っても、相手が気違いじゃねえ。明りと紙とインクはお届けしますよ。
【マルヴォーリオ】 すまん、阿呆、お礼はたっぷりはずむからな。さ、早く行ってきてくれ。
【道化】 (踊りながら歌う)
へえ、参《めい》りやす、参りやす。
すぐまた戻って参りやす。
悪魔の親分ご難渋、
子分のおいらはおどりだす。
へなちょこ剣を振り回し、
目をつり上げて力足《ちからあし》、
へい、へい、悪魔の親分さん、
安心なせい、引き受けた、
子分がここにひかえてる。
行って参りやす、悪魔さん。(退場)
第三場
〔オリヴィァ邸の庭園。セバスチャン家から出てくる〕
【セバスチャン】 これは空気だ。あれは太陽だ、あんなに輝いている。この真珠の指輪をもらったが、たしかに手にも触れる、目にも見える。頭がぽうっとなって、なにがなんだかわからないが、気は狂ってはいないようだ。いったいアントゥニオはどうしたろう? エレファントに行ってみたがいなかった。あそこに行ったことは間違いない。おれを探しに市を散歩してくると言って出かけたというから。あの人がいてくれたら、きっと相談にのってくれるのに。おれにはわからなくなった。これはきっとなんかの間違いかもしれん、気が違っているわけじゃない――心からそう信じてはいるが、こんな思いがけない、とんでもない幸運ってあるもんじゃない、今までに例もなけりゃ、常識じゃ考えられん。自分で自分の目を疑いたくなるし、理性とも争いたくなる。理性から見れば、当然おれが狂っているか、さもなければあの人が狂っているのだ。しかしもしあの方が気違いだったら、どうしてこんな大家《たいけ》の女|主人《あるじ》となり、たくさんの召使を使い、内外の仕事を一人で切り回すことができよう? 現にあんなに落ちつきはらって、一つ一つすらすら、てきぱき片付けている。はてな、だがあんまり話がうますぎて頭がおかしくなりそうだ。あ、あの方だ。
〔オリヴィア、神父と登場〕
【オリヴィア】 こんなに急いで、お気を悪くなさらないでね。――お約束を守ってくださるなら、ごいっしょに礼拝堂へ来てください。この神父さまの前で、聖なる御堂の屋根の下で、わたしと結婚の誓いを立ててください。あやふやな疑いにおののくわたしの心を安心させてくださいまし。神父さまはこの事を秘密にしておいてくださいますわ、あなたが公表してさしつかえないとおっしゃる時まで。いずれその折りには、わたしの身分にふさわしい式をあげたいと思います。ね、そうしてくださる?
【セバスチャン】 承知しました。ごいっしょに参ります。いったん結婚を誓ったからには、生涯真心を捧げます。
【オリヴィア】 では神父さま、お供します。神さま、どうぞこの儀式を祝福してくださいまし!(退場)
[#改ページ]
第五幕
第一場
〔オリヴィア邸前の広場。道化とフェービアン登場〕
【フェービアン】 おい、頼むから、その手紙を見せてくれ。
【道化】 フェービアンさん、わたしにも頼みがあるんで。
【フェービアン】 聞くよ、なんでも。
【道化】 この手紙を見ないでくださいよ。
【フェービアン】 それじゃ、まるで犬の子をやっといて、その代わりそいつを返してくれっていうやつだ。
〔公爵とシザーリオ、供回りを引き連れて登場〕
【公爵】 君たちオリヴィア姫の家の者か?
【道化】 はい、さようで。お姫さまの取り巻きで。
【公爵】 おまえはよく知ってるぞ。どうだ、近ごろ?
【道化】 それがね、敵のおかげで得をして、味方のおかげで損をしました。
【公爵】 はてはて、それは理屈に合わんな。
【道化】 ってのは、友だちはわたしを褒めますがね、敵のほうははっきり馬鹿だと言ってくれますから。つまり、敵によって、己れを知らされ、友だちによって欺かれる。かくて結論は、キスの如く、マイナス四つでプラス二つとすれば、味方のおかげで損をして、敵のおかげで得をする。
【公爵】 なるほど、面白い。
【道化】 ちっとも面白くはありませんや。どうやらあなたもわたしの友だちになりたいらしいな。
【公爵】 そのためにおまえに損をかけんぞ。そら、金をやる。
【道化】 はんぱだね、一枚じゃ。物事は二つそろって一対。丁と半。
【公爵】 こらこら、ばくちはいかん。
【道化】 丁と張ったら、今度は半だ。
【公爵】 しかたがない、もう一枚張ろう。そら。
【道化】 ジャン、ケン、ポン、で勝ち負けがきまる。三度目の正直、ワルツは三拍子。三位《さんみ》一体は畏れ多いが、三枚目ってのも、なかなか捨てたもんじゃない。
【公爵】 もうその手には乗らんぞ。お姫さまにわたしの来たことを申しあげて、首尾よくここにお連れしてきたら、もう一枚ぐらいはずむ気を起こさんともかぎらんがな。
【道化】 じゃ、もどってくるまで、そっと寝かしといてくだきいよ。行って参ります。誤解なさらないでくださいよ、欲しがったって、欲張りじゃない。あなたの気まぐれもそっと寝かしといておくんなさい。今すぐもどってきてたたき起こしますから。(奥へ入る)
〔アントゥニオを引き立てて警吏登場〕
【ヴァイオラ】 あの人です、わたしを助けてくれたのは。
【公爵】 あの顔には確かに見覚えがある。この前に見た時には、硝煙弾雨の中で、汚れた顔はヴァルカンのようにものすごかったが。あの時、玩具のような船を指揮していた。吃水《きっすい》も浅く、船体もちっぽけで見るかげもない船に乗りこんで、わが優秀な艦隊に斬りこんできた。その猛襲に多大の損害をこうむり、恨みをのんだ味方の者も敵ながら彼のめざましい働きぶりには思わず感嘆したものだ。どうしたのだ?
【警吏甲】 オーシーノ公、この男はかのアントゥニオです。積荷を満載したフェニックス号がカンディアからの帰路を要して、これを奪い、タイガー号を襲撃し、御前《ごぜん》の甥御タイタスさまの片脚を失わせましたのも、この男でございます。大胆不敵にも、町中でわが身の恥をさらして、暴れ回っておるところを引っ捕えました。
【ヴァイオラ】 あの人は親切な方です。わたくしのために剣を抜いて危ういところを助けてくれました。ただ後でとても変なことを申しました。なんのことか、逆上したとしか思えないような。
【公爵】 どうした、天下の海賊! 広い海をわがもの顔に暴れ回るおまえがおめおめ敵の手に捕えられるとは? どうして敵国の真ん中で、しかも白昼、姿を現わすような愚かな真似をしたのか?
【アントゥニオ】 オーシーノ公爵、失礼ながら、海賊の汚名はお返しいたしますぞ。このアントゥニオはいまだかつて賊を働いた覚えはございません。これまでのいきさつから、オーシーノ公の敵であることは確かに認めざるをえませんがな。当地へ参ったのは魔がさしたのでございます。閣下のわきに立っているその恩知らずの青年はあわや荒波に呑まれようとしているところをわたしが救いあげ、すでに息も絶え絶え、ぐったりと死んだようになっていたのをようやくのことで生き返らせました。それから今まで、陰になり日向《ひなた》になり、ただ一途に彼のため尽くしてきたのです。今度も彼の身を気づかうあまり、身の危険を知りながら、この敵地にあえて乗り込んできました。案の定、彼は暴漢に襲われておりましたので、それを救うため、剣を抜きました。ところがどうです、わたしが捕えられると見るや、薄情者め、巻き添えになるのを恐れて、あくまでも白《しら》を切り、今までの恩義を忘れて、このわたしをこの二十年間一度も会ったことのない赤の他人扱い。わずか半時《はんとき》前に、自由に使うようにと渡しておいた財布も、返してくれない始末です。
【ヴァイオラ】 そんなことは?
【公爵】 いつ当地へ参ったのか?
【アントゥニオ】 きょう参ったのです。この三月というもの、一日も、いや一時《いっとき》も離れたこともなく、二人でいっしょに暮らしてきました。
〔オリヴィア従者と奥から出る〕
【公爵】 姫だ。ああ、天使が地上へ降り立った。おい、おまえの言うことはまったくのたわごとだ。この三か月というもの、この青年はわたくしのそばを離れたことはない。が、その話はまた後だ。――あっちへ連れてゆけ。
〔警吏アントゥニオを一隅へ連れ去る〕
【オリヴィア】 このオリヴィアになんのご用? 前にお断わりしたことのほかに、まだなにかわたくしにお役に立つことでも? シザーリオ、約束を守ってくださらなかったのね。
【ヴァイオラ】 え?
【公爵】 オリヴィア姫――
【オリヴィア】 どうしてなの、シザーリオ? ――お待ちください、オーシーノさま。
【ヴァイオラ】 殿さまのお話をお先に、どうぞ。
【オリヴィア】 失礼ですが、これまでと同じお言葉の蒸し返しでしたら、折角の音楽の後で犬の吠えるのを聞く以上にわたくしには耳ざわりでございます。
【公爵】 いつまでも情のないことを!
【オリヴィア】 いいえ、いつまでも情が変わらないのでございます。
【公爵】 いいえ、正《まさ》しく不実なお心。情け知らずの姫、あなたの冷たく無慈悲な祭壇に今までどんな信者も捧げたことのない魂のこもった祈りをわたしは捧げてきましたのに。どうしたらよいのでしょう、わたしは?
【オリヴィア】 どうぞお好きなように。
【公爵】 では、エジプト人の盗賊のように、わたしも死ぬ前に思いきって愛する女をわれとわが手で締め殺しましょうか? 狂暴な嫉妬心も時には気高いもの。が、まあ、お聞きください。あなたはわたしの誠意をちっとも汲んでくださらない。わたしにも、もうだいたいの察しはついている、あなたの心の中でだれがわたしを押しのけ、自分が好い子になっておさまっているか。どうぞいつまでも石のような心をお持ちなさい。しかしごひいきのこの子供は、あなたもことのほかご寵愛のようだが、わたしにとっても掛け替えのない大事な小姓、冷酷なあなたの膝下《しっか》からひっさらってゆきますぞ。主人を差し置いて、恋の王座を独り占めする横着者。おい、ついて来い。もうどんな残酷なことでもやってのけるぞ。かわいい小羊をいけにえにしてみせる、積もる恨みを晴らすのだ。小鳩のような顔をした烏のような心の女に。(行きかける)
【ヴァイオラ】 (その後を追い)喜び勇んで、どこまでもお供します。殿さまのご満足がゆくなら、わたくしは何度でも喜んで死にます。
【オリヴィア】 シザーリオ、どこへ行くの?
【バイオラ】 ついて行くのです、恋しいお方の後に。この二つの目よりも、この命よりも大事なお方、妻にする女よりも、この世のなによりも、いとしいお方について行きます。これが嘘や冗談なら、神さま、どうぞ愛を汚《けが》した罪で、このわたくしに罰をお加えください。
【オリヴィア】 まあ、憎らしい! ああ、だまされたわ。
【ヴァイオラ】 だれがだましました? だれがあなたを裏切りました?
【オリヴィア】 ご自分をお忘れになったの? あれはそんなに昔の事? 神父さんを呼んでちょうだい。(従者奥へ入る)
【公爵】 (ヴァイオラに)さ、早く来い。
【オリヴィア】 どこへいらっしゃるの? シザーリオ、あなた、お待ちになって。
【公爵】 あなただと?
【オリヴィア】 はい、夫ですもの。夫でないとは言わせません。
【公爵】 夫になったのか?
【ヴァィオラ】 いいえ、とんでもございません。
【オリヴィア】 まあ、なんて臆病な! どうしてご自分のことをお隠しになるの? こわがって、ご自分の幸運をお隠しになることはありませんわ。あなたがどんな身分がおっしゃい。そうすればこわがっている相手とあなたの身分がちっとも劣らないことがわかりますわ。
〔神父登場〕
よく来てくださいました、ありがとうございます。神父さま、あなたの神聖なお仕事に誓って、包まずここでお話しください。しばらくの間、内密にしておこうと思っていましたが、事情があって今すぐ公表しなければならなくなりましたので、お話しください。この青年とわたしとの間になにがとり行われたか。
【神父】 永遠の夫婦の契りの式がとり行われました。互いに手と手を固く結び合わされ、神聖なる接吻を取りかわし、さらに指輪を交換せられまして、契りを固められました。以上の結婚の儀式、始めより終りまで、聖職にあるてまえ立ち合いの上、厳かにとり行われました。その時より今まで、てまえの時計によりますると、わずか二時《ふたとき》しか経過しておりませぬ。
【公爵】 よくもだましおったな、このひなっ子め! きさまの羽が生えそろったら、どんな大それたやつになることか? それとも、悪知恵が働きすぎて、自分のわなにまんまと自分からひっかかるはめになるか? さっさと出て行け。夫婦にでもなんにでもなれ。ただし、今後は二度と顔を見せるな。汚らわしい!
【ヴァイオラ】 殿さま、けっしてわたくしは――
【オリヴィア】 さあ、隠さないで。どんなにこわくても、少しは真実を守ってくださいな。
〔アンドルー出る、頭を負傷している〕
【アンドルー】 ああ、大変だ、大変だ! お医者さんだ! お医省さんを早く呼ぶんだ。トゥビーさんだ。
【オリヴィア】 どうしたの?
【アンドルー】 あいつに頭をやられた。トゥビーさんも脳天血だらけだ。大変だ。早く行くです。四十ポンドぐらいすったって、家にいたらよかったなあ。
【オリヴィア】 だれにやられたの?
【アンドルー】 公爵さんのお小姓の、シザーリオとかいう男だ。弱虫だと思ったら、とても強虫だったです。
【公爵】 シザーリオが?
【アンドルー】 あれっ、こんなところにいるのか? 君はむやみにぼくの頭を割ったですね。ぼくはトゥビーさんにけしかけられたですからね。
【ヴァイオラ】 なぜぼくに? ぼくはあなたにけがなどさせません。あなたこそ、理由もなく、ぼくに剣を抜いたじゃありませんか。ぼくは丁寧に応対しました。けがなんかさせやしません。
【アンドルー】 脳天が血だらけになっても、けがをさせないと君は言うですか? 脳天が血だらけになるくらいなんともないと言うですか?
〔トゥビー、道化にかかえられて出る。頭から血が流れている〕
そら、トゥビーさんがちんばをひきながら来たから、もっと詳しく話してくれるよ。あの人が酔っぱらってさえいなかったら、君なんか手もなく片付けちまったんだが。
【公爵】 どうしたんです? 大丈夫ですか?
【トゥビー】 どうだっていいや。――やられた、それだけよ。――(道化に)阿呆、医者のディックはどうした、おい?
【道化】 もう一時間も前から酔っぱらってまさあ。あの先生ときたら、朝の八時にはもう目がもうろうとなるんだから。
【トゥビー】 やぶ医者め! いつもふらふらしてやがって。酔っぱらいのやぶは、おりゃだいきらいだ。
【オリヴィア】 あっちへ連れて行きなさい。だれがあんな手荒なまねをしたんでしょう。
【アンドルー】 ぼくが介抱するですよ、トゥビーさん。どうせいっしょに手当を受けるですからね。
【トゥビー】 介抱する? 馬鹿で、脳足りんで、抜け作のおまえがか? 空気の抜けたような面《つら》ぁしやがって、この阿呆たれが!
【オリヴィア】 早く連れて行って、手当をしておあげ。
〔道化、トゥビー、アンドルー入る。セバスチャン登場〕
【セバスチャン】 申しわけありません。あなたのお身内の方にけがをさせてしまって。しかし、よしんばわたしの親身の兄弟でも、あんなことをされたら、黙ってはいられません、自衛のためにも。
〔一同驚いてセバスチャンの顔を見つめる〕
そんなこわい顔をなさって、わたしのしたことをきっと怒っていらっしゃるのですね。ねえ、そうでしょう? どうぞお願いですから、許してください。さっき二人の取りかわした、あの嬉しい誓いに免じても。
【公爵】 顔も一つ、声も一つ、姿も一つで、人は二人! 鏡に写る形なら、どちらが影で、どちらが形か?
【セバスチャン】 アントゥニオ! おお、アントゥニオ! どこにいたんです? あなたに別れてから、ぼくは大変な目にあいました。一時《いっとき》一時がまるで拷問の苦しみです。
【アントゥニオ】 セバスチャンか?
【セバスチャン】 なんて顔をするんです、アントゥニオ?
【アントゥニオ】 いつから二人になったのです? 一つのりんごを真二つに割ったって、この二人ほどにそっくり同じにはなるまい。どちらがセバスチャンだ?
【オリヴィア】 まあ、不思議な!
【セバスチャン】 あれは、ぼくのはずはない。ぼくには男の兄弟はなかった。ぼくが神さまのように、ここにも、あそこにも、どこにも同時にいられるわけはない。妹は一人いたが、無情な荒波に呑み込まれてしまった――(ヴァイォラに)ねえ、あなたはぼくになにか縁故があるの? どちらのお生まれ? お名前は? ご両親は?
【ヴァイオラ】 生まれはメサリーン、父はセバスチャンです――セバスチャンという兄もありました。あなたにそっくりの姿で海の底に消えてしまいました。死んだ人の魂が生きた姿でこの世に現われるものなら、あなたはまるで兄の幽霊。
【セバスチャン】 こわがらなくっても大丈夫、ぼくは幽霊ではありません。ご覧の通り、手も足もある。なにからなにまで全部一致するんだがなあ、ああ、あなたが女だったら! ぼくはあなたを抱き締めて、涙をぽろぽろこぼしながら「よくも生きていてくれた、ぼくのヴァイオラ」と言えるのに。
【ヴァイオラ】 わたしの父には頬にほくろがありました。
【セバスチャン】 ぼくの父にも。
【ヴァイオラ】 ちょうどわたしが十三になった日に亡くなりました。
【セバスチャン】 ああ、あの日のことは今でもはっきり覚えている。そうだ、父がこの世の生涯を閉じられた悲しい日は妹が満十三の誕生日。
【ヴァイオラ】 わたしたち二人がこの世で一番幸福な兄妹となるのに、わたしの男姿だけがじゃまだとおっしゃるなら、しばらくお待ちください。時と所と運命と、どこから見ても間違いなくこのわたしがヴァィオラだとじゅうぶん納得がいくようにしますから。わたしをこの国の浜辺へ救いあげてくれた船長さんのところへご案内します。わたしの女の着物が預けてあります。その人の手引きでわたしはこの殿さまにご奉公することになりましたの。それからのわたしの勤めはこのお姫さまと殿さまとの間のお使い番です。
【セバスチャン】 (オリヴィアに)なるほど、それでぼくが間違えられたわけか。しかし女の本能は結局確かなものですな。あなたはあやうく純な生《き》娘と結ばれるところだった。が、それだって、そうとんでもない間違いではありません。ぼくにしても妹同様、純潔な男です。
【公爵】 なにをぼんやりなさる。――あれは立派な家柄の男です。こうなったら、影と形ははっきりした。わたしも幸運な難破船の仲間に入れてもらおう。(ヴァイォラに)おい、おまえはこれまで何度となくわたくしはどんな女より殿さまがお慕わしい、と言っていたな。
【ヴァイオラ】 はい、その言葉を今あらためてここでお誓い申します。そしてその誓いをいつまでも大事に守りつづけます。昼夜をわかつ太陽がいつまでも大空に燃えつづけるかぎり。
【公爵】 手をおかし。早く女の着物を着た姿を見せてくれ。
【ヴァイオラ】 着物は、わたくしをこの国の浜辺へ連れてきてくれた船長さんの家に預けてあるのですが、船長さんは今捕えられています。お姫さまのご家来のマルヴォーリオさんに訴えられまして。
【オリヴィア】 さっそく自由にするよう申しつけましょう。――マルヴォーリオをお呼び。ああ、そうだったわ、どうしましょう? 皆が言っていたっけ、あの人、かわいそうに、気が違ってしまったって。
〔道化再び出る。手に手紙を持つ。フェービアン従う〕
このところわたし自身すっかりとりのぼせてしまって、あの人のこともうっかり忘れていたわ。どうなの、マルヴォーリオの病気は?
【道化】 さよう、あのような病に悩む者としましては、感心に、悪魔の襲撃をよく防いでおりまするな。あなたさまにこの手紙をしたためました、朝のうちにお届けするはずでございましたがな、気違いの文《ふみ》はしょせん福音書とは申せませんので、いつ届こうといっこう大事ありません。
【オリヴィア】 読んでごらん。
【道化】 皆さん、ご静聴をお願いします。ただ今より阿呆殿が気違い殿の書簡発表を行いまする。――(狂人のような大声で)「ああ、姫君よ」――
【オリヴィア】 まあ! 気でも違ったの?
【道化】 いえ、ただ気違いの言葉を述べておるだけで。気違いの言葉を正しく伝えるとなりますと、どうしても発声もそれらしくいたしませんとな。
【オリヴィア】 普通の調子でお読みなさい。
【道化】 でも、あれが気違いの普通の調子なんで。しからば、賢明なるわが姫君よ、謹んで聞こし召されよ。
【オリヴィア】 (阿呆の手から手紙をひったくり、フェービアンに渡して)おまえ、読みなさい。
【フェービアン】 (読む)「ああ、姫君よ、あまりにも無法ならずや。世人もかならずやこれを知るべし。今|某《それがし》を暗闇に監禁し、酔漢の叔父御をして監視せしむといえども、某は姫君に劣らず、正常なる分別を有する者なり。某に最新流行の服装を推奨せる姫君の書簡は正《まさ》に某の手元にあり。これかならずや某の証《あか》しとなり、かつは姫君の不名誉となるやはかりがたし。某のこといかようにお考えたもうともご自由なり。屈辱のあまり、主人に対し非礼をかえりみず、早々頓首、
非道な取扱いを受けおるマルヴォーリオ」
【オリヴィア】 自分で書いたの?
【道化】 さようで。
【公爵】 あまり気違いらしくもなさそうだが。
【オリヴィア】 すぐに出してやって、連れておいで。
(フュービアン奥へ入る)
オーシーノさま、これまでのいきさつをお考えくだすった上で、もしわたくしを妹とお呼びくださるなら、二組のめでたい祝いの式をこのわたくしの邸で、よろしければ、わたくしの費用でとり行いたいと存じますが。
【公爵】 けっこうです、ご提案に喜んで賛成します。(ヴァイオラに)主人からあらためて暇を出すぞ。これまでよく尽くしてくれた。本来のか弱い生まれにそむき、良家育ちにはふさわしからぬさまざまの勤めによく励んでくれた。またよくも長い間このわたしを主人と呼んでくれた。そのお礼に、さ、その手を。――今からおまえはこれまでの主人の奥方さまだぞ。
【オリヴィア】 妹! あなたはわたしの妹よ。
〔フェービアン、マルヴォーリオを伴って登場〕
【公爵】 気違いですか、あれが?
【オリヴィア】 そうですの。どうしたの、マルヴォーリオ?
【マルヴォーリオ】 お姫さま、あなたさまはてまえをひどい目におあわせになりましたな、まったくもってひどい目に。
【オリヴィア】 わたしが? いいえ。
【マルヴォーリオ】 いいえ、おあわせになりましたとも。どうぞこれをお読みくださいまし――(懐中から手紙をとり出す)これがあなたさまの筆跡でないとはよもや申せますまい。これと違った字なり、文句なり、書けますものなら、書いてみせてくださいまし。これはわたしの封印じゃない、わたしの押したものじゃない、とおっしゃれますか? おっしゃれるわけがない。さて、そうなりますると、どうしてもご名誉にかけて、お答えいただかねばなりませぬ。いったいぜんたい、あなたさまはなにゆえにことさら、てまえにご好意をお示しくだすったのでしょうか? またにやにや笑って、黄色い靴下をはき、十文字の靴下どめを結んで、トゥビーさまや召使どもにむずかしい顔をしてみせろ――こんなことをなぜにお言いつけになったのでしょうか? さて、胸をときめかして、お言いつけ通り実行するてまえを、またなぜに手とり足とりかつぎ上げ暗闇に押し込め、牧師に見舞わせ、人間の頭脳で考えつくかぎりの、あらゆる悪戯《いたずら》を仕掛けさせたのでございます? さあ、どういうわけでございます?
【オリヴィア】 お気の毒だけど、マルヴォーリオ、これはわたしの書いたものじゃないわ、字はほんとによく似ているけど。きっとマライアよ、そうに違いないわ。そうそう、そう言えば、やっぱりマライアだったわ、おまえが気が変だと言いだしたのも。そこへおまえがにやにやしながらこの手紙の注文通りの格好で現われたんだわ。――まあ、がまんなさいな――ほんとにずいぶんひどい悪戯をされたものね。でもこの悪戯の犯人がわかったら、おまえ自身が原告兼裁判官となって被告を裁くがいいわ。
【フェービアン】 お姫さま、わたくしから申し上げます。なんとも思いがけない、きょうのめでたいこの場を不祥な喧嘩や口論で汚したくないものでございます。衷心《ちゅうしん》よりそれを願いまして、包み隠さずに白状いたしますが、実は、わたくしとトゥビーさんとが共謀してマルヴォーリオさんにわなをしかけたのでございます。それと申すのも、この人のどこか尊大で無礼な態度がかんにさわったからでございます。手紙はマライアがトゥビーさんにせがまれまして、よんどころなく認《したた》めました。そのご褒美にというわけで、トウビーさんはあの女《ひと》と結婚しました。その後、演ぜられましたこっけいな悪ふざけは人の恨みを買うと申すより、むしろ笑いを誘うたぐいのもの。このようなことになりましたのも、元をただせば、双方それぞれに言い分があろうかと存じます。
【オリヴィア】 まあ、かわいそうにみんなにからかわれて!
【道化】 さよう、「人生まれながら高き者あり、自ら高きに登るもあり、また高きを人より投げ与えられる者あり」てまえもこの狂言じゃ一役勤めましたんで、トゥパス先生でね、――まあ、そりゃどうでもいいや。――「阿呆、ほんとにわしは気違いじゃないぞ!」それよか、こいつはどうですかい?「お姫さまともあろうお方がなにゆえかかる無能なるやからをごひいきあそばしますか? あなたさまがお笑いあそばされませんと、こいつは手も足も出ぬのでございます」――ええ、回《めぐ》る因果の小車とござい。
【マルヴォーリオ】 この恨みはいつか晴らしてくれるぞ、きさまら全部に!(マルヴォーリオ退場)
【オリヴィア】 ほんとにひどい目にあわされたわ、あの人。
【公爵】 すぐ追いかけて、なだめてやれ。船長のことをまだマルヴォーリオから聞いていない。そのことが明らかになり、いよいよ吉日が決まったら、われら互いに愛し合う心と心とを結ぶ婚礼の式を盛大に挙げよう。――それまでは、いとしい妹よ、わたしはこの邸にとどまることにしよう。シザーリオ、来い! 男の姿をしている間は、おまえはシザーリオさ。今度姿を変えたら、いよいよオーシーノの奥方、オーシーノの恋の妃《きさき》だ。(道化を残して一同退場)
【道化】 (歌う)
ちっちぇ餓鬼《がき》の時分にゃ、
へい、ほう、雨と風。
悪戯《いたずら》しても笑い顔、
ああ、雨が降る、雨が降る。
粋《いき》な兄いの時分にゃ、
へい、ほう、雨と風。
泥棒《どろぼう》すりゃ島送り、
ああ、雨が降る、雨が降る。
嬶《かかあ》もらった時分にゃ、
へい、ほう、雨と風。
法螺《ほら》を吹いちゃすきっ腹、
ああ、雨が降る、雨が降る。
寝床に入る時分にゃ、
へい、ほう、雨と風。
夫婦そろって酔っぱらい、
ああ、雨が降る、雨が降る。
世の始まりは知らねえが、
へい、ほう、雨と風。
これで芝居は幕となる、
今後ごひいき願いやす。(退場)
(完)
[#改ページ]
解説
「十二夜」はシェイクスピアの喜劇の中でも最高の傑作とされている。この作品は彼がこれまで書いてきたさまざまの喜劇のいわば集大成である。これまでの喜劇に使われたのと同じようなシチュエーションがいくつかここでも使われ、同じような人物がいく人かこの作品にも姿をみせる。ヴァイオラ、セバスチャンという双生児の人違いはすでに初期の「間違いの喜劇」で使われた手だし、セバスチャンとアントゥニオとの間の男の友情も、すでに「ヴェニスの商人」で、名前も同じアントゥニオとバッサーニオとの間の関係として描かれている。オーシーノ公爵の恋煩いはジュリエットに会う前、ロザラインのやさしい面影にひたすら恋いこがれるロミオの姿を連想させないであろうか。登場人物では、この作品をひときわ楽しくしている馬鹿のサー・アンドルーは「ヘンリー四世」第二部のサイレンスや「ウィンザーの陽気な女房たち」のスレンダの再来であり、サー・トゥビーはフォルスタフの近い身内である。あの生気溌剌たるヴァイオラの男装姿には「ヴェローナの二人の紳士」でも、「ヴェニスの商人」でも、「お気に召すまま」でも、すでになん度かお目にかかってきた。マルヴォーリオはシャイロックの生まれ変わりだといったら反対する人もあろうが、両人の間に多くの共通点のあることはだれでも認めるだろう。まずこの二人のそれぞれの作品における役割はどうか? 二人とも、ロマンスと恋の世界の敵とされて総スカンを食い、みんなからさんざんからかわれたあげく舞台から退散する役回りである。ただしシャイロックがこの役割からともすれば逸脱しようとする傾向があることはすでに触れたとおりだが、マルヴォーリオのほうは同じ役割を見事に生かしきってあますところがない。シャイロックのように作品全体の統一を危うくするどころか、この喜劇の内容をいっそう豊かなものにしている(現代人のデモクラティックな心情はマルヴォーリオの扱われ方に不当な階級差別を見つけて、シャイロック同様マルヴォーリオに対してもときには強い同情を示したりするが、マルヴォーリオはけっして悲劇的人物として描かれていない。彼に対する同情は筋違いといわなくてはならない)。これはこの喜劇がいかに巧みに仕上げられているかを示す一例にすぎない。これまでに扱ったさまざまなシチュエーションや人物をこの作品に利用しながら、それらをいっそう巧みに仕上げ、いっそう効果的に組み合わせることに成功しているところに、シェイクスピアの技巧の円熟が、心憎いほどはっきりと読みとれるのである。
「十二夜」はシェイクスピアの他の喜劇と同様ロマンチックな恋愛が主題である。優雅な男女の空想的な世界と平行して酔っぱらって乱痴気騒ぎを演ずる滑稽な男女の卑俗な世界が描かれていることも他の喜劇と共通している。ただこの作品では二つの対照的な世界が他の作品の場合よりも密接に結びつき、からみ合っている。その住人はいわば二階と一階との違いはあっても、同じ屋根の下に住んでいる。二階の人々も一階の人々も血のつながりや主従のつながりで結ばれている。彼らは、いわば同じ仲間である。彼らがみな若い人たちであることもこの喜劇の特色である。恋になやむ男女はいうまでもなく、比較的年配のサー・トゥビーにしても最後にはマライアと結ばれるし、マルヴォーリオも恋文という餌に手もなく食いつくほど、まだ気も若い。「十二夜」の世界は若い人々の自由な世界である。彼らの行動(恋愛)を外部から妨げるものはなに一つない。「真夏の夜の夢」の男女の恋は父親によって妨げられた。「ヴェニスの商人」のポーシアの結婚さえ、亡父の命令に従わねばならなかった。ところが「十二夜」の恋人たちはだれにも命令されず、だれにも干渉されない。
障害は彼ら自身にある。オーシーノもオリヴィアも現実と理想(観念)とを取り違えている。オーシーノはオリヴィアに恋いこがれているように見えるが、実は恋の観念(幻影)に恋いこがれているのだ。いたずらに涙を流し、溜息をついては、使いをやって愛の口上を述べさせる彼は(初期のロミオと同じように)現実のオリヴィアを恋するのではなくて、甘美な恋を恋しているにすぎない。兄の死を悼んで七年間の喪に服する決心をするオリヴィアも兄妹愛の美しさ(観念)に溺れて、現実を忘れたセンチメンタリストである。そのためにヴァイオラの男姿にたちまち心を動かすような間違いをひき起こす。オーシーノが目の前のヴァイオラの外観に目をくらまされて、自分を恋するかれんな女心を見抜けないのと同様である。現実を忘れて幻影を追い回す人々の、外観にだまされて本体を見すごす人々の、喜劇である。マルヴォーリオの喜劇もオーシーノとオリヴィアの喜劇のグロテスクな、滑稽な変形にすぎない。この作品の題名にとられた「十二夜」は、クリスマスの祝いの最後の日(十二日目)、一月六日の顕現の祝日(東方の三博士がベツレヘムを来訪しキリストの生誕を祝した記念日)の夜をさし、この夜には一般に乱痴気騒ぎが行われたという。この喜劇は一六〇一年の一月六日の夜、エリザベス女王の御前で初めて演ぜられたものと推定されている。こんな楽しい芝居なら、さぞかし女王さまもご満足遊ばしたことだろう。(訳者)