じゃじゃ馬ならし
ウィリアム・シェイクスピア/三神勲訳
目 次
序幕
第一幕
第二幕
第三幕
第四幕
第五幕
解説
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登場人物
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〔序幕〕
領主
クリストファー・スライ……酔っぱらいの鋳掛け屋
居酒屋のおかみ
小姓、役者の一団、猟師たち、召使たち
〔本幕〕
パブティスタ……パデュアの富豪
ヴィンセンショー……ピサの老紳士
ルーセンショー……その息子、ビアンカの恋人
ペトルーチオ……ヴェローナの紳士、キャタリーナの求婚者
グレミオ……ビアンカの求婚者
ホーテンショー……同
トラーニオ……ルーセンショーの従僕
ビオンデロ……同
グルーミオ……ペトルーチオのちびの従僕
カーティス……ペトルーチオの老僕
ナサニエル……ペトルーチオの召使
フィリップ……同
ジョセフ……同
ニコラス……同
ピーター……同
マンチュアの学校の先生
キャタリーナ(またはキャサリーナ)……バプティスタの娘
ビアンカ……同
未亡人
仕立屋、帽子屋、バプティスタの召使、ペトルーチオの他の召使たち
場所 パデュアとペトルーチオの別荘
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序幕
第一場
〔ヒースの生い茂った野原、居酒屋の前。戸がひらき、おかみに追いたてられたスライがよろめきながら出る〕
【スライ】 の、のしちまうぞ、このあま!
【おかみ】 いいよ、ひっくくってもらうから、このごろつき!
【スライ】 ごろつきだと、くそばばあ。スライさまを知らねえな。歴史にちゃんと書いてあらあ。このスライさまは、はばかりながらリチャード征服王以来のお家柄だ。だから、要するにだ、へ、なにをくよくよ川端柳、あら、えっさっさ、とくらあ。
【おかみ】 コップなんかこわしてさ、弁償する気もないのかい?
【スライ】 ああ、ないとも、びた一文だって払わねえ、油断なさるな判官どの。そろそろ立ちもどって、つめてえ寝床でぬくまりましょうぞ。(スライ千鳥足で行きかけるが、茂みのかげに倒れこむ)
【おかみ】 そうかい、わかったよ。そんならお役人を呼ぶまでさ。お上《かみ》のね。(と入る)
【スライ】 上《かみ》だろうが、下《しも》だろうが、呼んでこい。法律どおりちゃんと申し開きしてやらあ。へえん、びくともするもんけえ。畜生、呼んできやがれ、さあ、お通ししな。(と眠りこみ高いびき)
〔角笛の音。領主とその一行が野原を横ぎってあらわれる。猟からの帰りみち〕
【領主】 おい、おまえは犬の手当をしてやれ。メリマンは少し血を抜いてやれ。かわいそうに泡を吹いているぞ。クローダーはあの声のよい雌といっしょにしておけ。おまえ見ていたか? シルバーのやつ、あの生垣の隅で、みごと獲物をかぎあてた。もう駄目かと思っていたがな。いい犬だ、二十ポンドでも手放せん。
【猟師甲】 殿さま、ベルマンもなかなかでございます。見当もつかぬにおいをうまく見つけて吠えたててくれました。それに、もうにおいも残っていないのを、今日は二度も見つけました。ベルマンのほうが上だと存じますが。
【領主】 ばかを言え。エコーだって足さえ早ければ、ベルマンが何匹かかったところでかなうものか。とにかくうんと食わせていたわってやってくれ、明日もまた山かけるぞ。
【猟師甲】 かしこまりました。
〔一同スライに気づく〕
【領主】 おや、こいつ死んでいるのか? それとも酔いどれか? おい、息をしているか?
【猟師】 勇ましく息をしております、殿さま。酒でほてっているんでしょうな。さもなければ、こんなつめたい寝床でぐうぐう眠れるものではございません。
【領主】 ばち当りなやつだ! 豚のように眠りこけている。眠りは死に似ているが、こいつの姿はおそろしさよりきたならしさが先にたつ。――おい、この酔いどれをひとつからかってやろう。こいつを寝間に連れていくのだ。いい着物を着せて、指には指輪をはめて、枕もとにはご馳走を並べたてる。目がさめたら立派な家来どもにかしずかせよう。そうなるとこいつめ、きっとわけがわからなくなるぞ、どうだな?
【猟師甲】 それはもう、かいもく見当がつかなくなりましょう。
【猟師乙】 目がさめたら、さぞ不思議な心持ちになりますでしょう。
【領主】 うれしい夢や、はかない空想からさめた時のようにな。――さあ、連れていけ。うまくやるのだぞ。一番いい部屋へ連れていけ。そっと起こさぬようにな。部屋のまわりには絵をかけてくれ、心もとろけるような絵を全部な。このきたない頭はあたたかい湯でぬぐって香油をぬりこめ。香木をたいて部屋じゅうを匂わせろ。それに音楽の用意も頼む。目がさめたら、美しい、妙なる調べをかなでるのだ、もしなにか言ったら、おそるおそる低い声で、こう言え。「御前さまにはなんのご用にわたらせられますか」とな。一人は薔薇水《そうびすい》に花びらを浮かべた銀の水盤をささげ持ち、一人は水さし、一人は手ぬぐい、そしてこう言う、「殿さまにはなにとぞみ手をおすすぎあそばしますよう」つぎはだれか豪奢な衣裳を用意して、お召物はどれになさいますか、とたずねる。するとまた一人は猟犬と馬の話をする。ついでに、奥方は御前の病気をたいそうお嘆きあそばされております、と言って、本人が今まで気がふれていたように思いこませるのだ。ちがうと言ったら、まだ夢をみていらっしゃるのでございますか、あなたさまは正真正銘ご立派なご領主さま、とこう言いくるめる。まあ、こんなふうにだ。いいか、うまくやってくれよ。けっこう面白いなぐさみになる、度をこさぬよう気をつければな。
【猟師甲】 おまかせください、殿さま。うまく芝居をうってご覧にいれます。なるほどおれは殿さまだわいとこいつが思いこむよう、せいぜい腕をふるうつもりでございます。
【領主】 ではそっと連れていけ。すぐ寝かしつけてしまうのだ。目がさめたら、めいめい自分の役を忘れまいぞ。(スライ運び出される。ラッパの音)
おい、あのラッパの音はなにか見てきてくれ。〔従者退場〕
きっとどこかの貴族だな。旅の途中、このあたりでひと休みしようというのにちがいない。
〔従者もどる〕
おい、どこのお方だ?
【従者】 役者どもでございました。ご用をつとめたいと申しております。
【領主】 ここへ呼べ。
〔役者の一行登場〕
やあ、おまえたちか、よく来たな。
【一同】 ありがたく存じます。
【領主】 今夜やしきに来てくれるか?
【役者甲】 なにとぞご用をつとめさせていただきとう存じます。
【領主】 それはよかった。――(従者に)この男には見おぼえがある。いつか百姓の惣領息子をやっていたな。――おまえが貴婦人をうまくくどきおとす場面だった。役の名は忘れてしまったが、たしかにあれはおまえにうってつけだ、いかにもそれらしかったぞ。
【役者甲】 仰せの様子ではソートーの役のことではないかと存じます。
【領主】 そうだ、そうだった。あれはうまかったぞ。――ところでおまえたち、ちょうどよいところに来てくれた。というのも、じつはちょっとしたなぐさみごとがあるのだが、それにおまえたちの手を借りたいのだ。さる殿さまに今夜おまえたちの芝居をお見せしようと思う。ただ心配なのはこの殿さま、まだ芝居というものを見たことがない。きっと妙なそぶりをすると思うが、それを見つけておまえたち、げらげら笑いだしたりしては困るのだ。そんなことで機嫌を損じてはならぬ。慎しみが大切なところだが、大丈夫かな。笑われればきっと立腹されることと思うが。
【役者甲】 大丈夫でございます。たとえそのお方さまが、世界一のおどけたことをなさいましょうと、わたしどもは笑いだしたりいたしません。
【領主】 さあ、役者たちを台所に案内しろ。ひとりひとり心からもてなすのだぞ。やしきにあるものなら、なんでも自由にとらせるがよい。〔従者、役者の一行を連れて退場〕
お前は小姓のバーソロミューのところへ行って、上から下まですっかり奥方らしく着つけしてやってくれ。終わったら寝室へ連れていけ、あの酔いどれを寝かした、な。「奥方さま」と呼んで、丁重につかえるのだぞ。わしからと言って立派にふるまうよう伝えてくれ。あいつも今まで夫にかしずく奥方たちのふるまいはかずかず見てきたはずだ。そのようにやればよいのだ。わしもそれだけの報いは忘れぬつもりだと言っておけ。相手は酔いどれだが、奥方が殿さまに言うようにな、やさしい声で、しとやかに、こう言わせるのだ、「殿さま、なんなりとお申しつけくださいませ、わらわは殿の奥、ふつつかながら妻にてござりまする。殿をいとしむわらわのまごころ、お見せいたしとうござりまする」。それからやさしく抱きしめる。甘い接吻をする。頭をあいつの胸におしつける。そこでよよと泣きだすのだ。かわいそうに、うれし涙だ。なにしろこの七年間というもの、殿はご自分をなさけない乞食、非人だと思いこんでいた。その病気も今やっと本復したのだからな。しかし思いのままに涙の雨を降らすのは女の芸だ。もし小姓にできぬとあればよい手を教えよう。たまねぎを使えばよい、たまねぎをハンケチにくるんで持っていけ。それで目をこすれば、いやでも涙が出るはずだ。いいな、さあいそいでとりはからえ。大いそぎだぞ。あとのことはいずれさしずしよう。(従者退場)
あの小姓なら、品といい、声といい、身ぶりもしぐさも大丈夫、奥方らしく化けてくれるだろう。あいつがあの酔いどれを、殿さまと呼ぶのが早く聞きたい。家来どもも笑いをこらえて、あのばかな百姓にへいつくばることだろう。早く見たいぞ。さあ、帰ってよく言いふくめておこう。わしが居ればまさか度のすぎたいたずらにはならぬだろう。うかれすぎるとどこまでつっ走るかわからんからな。(退場。猟師たちあとにつづく)
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第二場
〔領主の邸内の豪奢な寝室。寝間着姿のスライが椅子に眠っている。近くに従者たち。衣裳を持つ者、水盤、水さし、その他の調度品を持つ者、うやうやしくひかえる〕
【スライ】 (寝ぼけ顔で)おい、頼むからよ、ビールを一杯くんなよ。
【従者甲】 殿、白ぶどう酒はいかがでございましょう。
【従者乙】 砂糖づけはいかがでございますか、御前?
【従者丙】 御前、今日のお召物はどれになさいますか?
【スライ】 (はっきり目がさめる)あっしはクリストファー・スライってもんで。御前だ殿さまだはよしておくんなさいよ。白ぶどう酒なんざ生まれてこのかた飲んだことがないんでがす。漬物をくんなさんのなら菜っ葉の塩づけにしておくんなさい。着物はどれにするだって? ほかにチョッキは背中しかねえんで、靴下はすねしかねえし、靴といえば足しかねえ。もっとも今の靴も足とあまり変わりはねえんで、皮の間から足の指がのぞいていますさ。
【領主】 天よ。わが殿のかかるたわいもなき妄想をいやしたまえ! ああ、ご血統といい、ご領地といい、その高貴なるおん身分といい、かくも偉大なおん方が、かかるいまわしき悪霊《あくりょう》にとりつかれようとは!
【スライ】 おまえさんたちはあっしを気ちがいにしようってんですかい? あっしがクリストファー・スライじゃねえってんですかい? まちげえなくあっしはバートン・ヒースのスライじいさんのせがれだよ。生まれは行商人、徒弟奉公は刷毛《はけ》ぐしづくり、途中で商売げえして熊づかい、今じゃれっきとした鋳掛け職だよ。マリアン・ハケットに聞いてみておくんなさい。ウィンスコットの居酒屋の、あのでぶのかみさんならあっしのことを知ってらあ。十四ペンス、ビールの貸しがあるって言うにきまってらあ。言わなかったら天地がひっくりけえっちまわあ。
〔従者ビールを持って登場〕
とんでもねえ、気がちがってなどいねえってばよ。それが証拠に――(とビールを飲む)
【従者丙】 ああ、さればこそ奥方さまには悲嘆にくれておられるのでございます。
【従者乙】 ああ、さればこそ召使一同憂愁に閉ざされているのでございます。
【領主】 そのためにご親戚のかたがたも当家に足をお向けにならぬのでございます。殿の狂態におそれをなしてでございますぞ。ああ、殿、殿の高貴なるおん生まれのことをお考えあそばしますよう。昔の正気を追放先から呼びもどされ、このいやしい悪夢をこそ追放なさりませ。召使一同、おのおのそのつとめを果たさんものと、こうしておそばにはべっておりますぞ。あとは殿のおさしず一つでございます。音楽はいかがで? そらお開きあそばせ(音楽はじまる)
アポロの神のたて琴に、籠のナイチンゲールが数十羽、そろって歌っておりまする。おやすみあそばしますか? 床《とこ》の用意はできております。セミラミス女王のためにしつらえた快楽の床《とこ》よりもはるかにやわらかなここちよい床《とこ》でございます。散歩にとおっしゃいますか? 大地に花をまき散らしましょう。それともご乗馬に? 馬を飾りましょう。馬具には黄金と真珠がちりばめてございます。鷹がりをお望みでございますか? 夜明けの雲雀《ひばり》よりも高く舞いあがる鷹の用意がございます。それとも猟を? 犬どもの吠え声が空高く鳴りひびき、うつろな大地が鋭いこだまを返しましょう。
【従者甲】 山狩りと仰せられますか? 猟犬どもは風をきる雄鹿さながら、その速きこと雌鹿にまさるものでございます。
【従者乙】 絵をお望みでございますか? すぐに持ってまいります。小川の流れのほとりには、美少年アドーニス、ビーナスは生い茂る菅《すげ》の葉がくれに。女神の熱い吐息になまめかしくそよぐ菅《すげ》の葉はあたかも風にたわむれて波だつようでございます。
【領主】 あの絵もお目にかけましょう。生娘《きむすめ》のアイオーがジュピターにだまされて手ごめにされる、それをこの目で見るようにいきいきと描いてございます。
【従者丙】 いばらの森を逃げまどうダフネーの絵もございます。白いはぎはいばらにさされて血がしたたるかに見えて、追いかけるアポロもこれを見てはさすがに涙ぐむ、涙も血も絵からにじみ出るように描きあげられております。
【領主】 殿、あなたさまはまさしくわたくしどもの殿さまでございます。奥方もおありなのでございます。この末世にあって、またと見られぬほどの美しいお方が。
【従者甲】 その美しいかんばせも、殿のために流した涙の雨でむざんに色あせましたが、それまでは世界一の美しいお方、今とてどのご婦人にもおとらぬ美人でございます。
【スライ】 おれが殿さまかね? おれにそんな奥方があるのかね? 夢じゃあるまいな。いや、今までのが夢だったのかな。眠っちゃいねえぞ。ほれ、目も見える、耳も聞こえる、口だってきけらあ。かぎゃあいい匂いがするし、さわりゃすべすべする。こりゃほんとだ、おれは殿さまだぞ、もうまちげえねえや。鋳掛け屋なんかじゃねえ。クリストファー・スライなんてくそくらえだ。――よし、その奥方とやらを呼んでまいれ。それにビールをもう一杯だけ頼む。
【従者乙】 (水盤をさしだし)殿、なにとぞみ手をおすすぎあそばしますように。(スライ手を洗う)
ああ、ご正気にもどられまして、ほんとうにうれしゅうございます。ふたたびご自分がおわかりになられまして、まことに喜ばしゅう存じます。この十五年間、殿さまは夢を見ていたのでございます。眠りからさめたるが如く、今お気づきあそばしたのでございます。
【スライ】 十五年だって! そいつあよく寝てたもんだ。その間じゅう、ちっともしゃべらなかったのかね?
【従者甲】 いえ、よくお話しなさいましたが、それがまことにたわいもないことばかり。このような立派なお部屋におやすみなさっておいでですのに、戸外へたたき出される、などとおわめきあそばされ、その家《や》の内儀どのをいたくお叱りのご様子、口をきっていない瓶づめのかわりに、あやしげなジョッキを持ってきたので、お上《かみ》に訴えてくれるなどとおっしゃいました。ときおりシスリー・ハケットという名前をお呼びでございました。
【スライ】 うん、そこの女中だ。
【従者丙】 殿、そんな店をご存じのわけがございません。その娘にしても、それにいちいち名前をあげておいでになりましたスティーブン・スライとか、グリース村のジョン・ナップスじいさんとか、ピーター・ターフとか、ヘンリー・ピンパネルとか、そのほかかれこれ二十名あまりの者どもは、この近辺には住んでもおりませぬし、見かけた者もございませぬ。
【スライ】 ああ、なおってよかった! 神さまありがとうございやした。
【一同】 アーメン。
【スライ】 お礼はたんといたしやすよ。
〔小姓が奥方に扮装して登場。召使たちあとにつづく。その一人がスライにビールをささげる〕
【小姓】 わが殿にはご機嫌いかがにわたらせられまする?
【スライ】 ああ、いいとも、いいとも。これさえありゃご機嫌だ。(とビールを飲む)
うん、おれの女房はどこにいる?
【小姓】 わらわはここに。殿、なんのご用にござりまする?
【スライ】 あんたがおれの女房かい。どうしておまえさんて呼ばねえんだい? 家来どもなら殿さまもけっこうだが、おれはおまえの亭主だぜ。
【小姓】 わが夫《つま》にしてわが殿、わが殿にしてわが夫《つま》、わらわは殿の御意のままなる妻にてござりまする。
【スライ】 わかった、わかった。じゃそのわらわをなんて呼べばいいんだね?
【小姓】 奥と。
【スライ】 アリスの奥かい、ジョーンの奥かい?
【小姓】 ただ奥とひと言だけ。殿さまは奥方をみなそのように呼びまする。
【スライ】 これ女房の奥よ。わしは十五年以上も眠って夢を見ていたそうだな。
【小姓】 わらわにはそれが三十年にも思われまする。そのあいだうち捨てられてひとり寝のわびしさ。
【スライ】 そりゃ大変だ。――ものどもさがれ、目ざわりだぞ。(従者たち退場)
奥、さ、着物をぬいだり。さっそくお床入りだ。
【小姓】 ああ、かしこくも尊きわが殿。なにとぞ、なにとぞ、あとひと夜ふた夜のごしんぼうを。それもならぬとあれば、せめて日の暮れるまで。侍医どものきつく申しまするには、おん病のふたたびぶり返しませぬよう、寝所《しんしょ》をともにするのはしばらくご遠慮申し上げよとのこと。かようなわけでご無理でも、たってご納得くださいますよう。
【スライ】 たったぞ! 畜生、そんなに長いこと待てるかよ、――が、しかしだ。また夢を見るのはまっぴらだ。仕方がねえや、ご無理でも、まあ、がまんしようや。
〔従者甲ふたたび登場〕
【従者甲】 殿さまおかかえの役者どもが、ご病気ご本復と聞きおよびまして、愉快なる喜劇をごらんにいれたいと参りましてござりまする。侍医たちもよろしかろうとの仰せ、殿の久しいご気鬱《きうつ》に血も凝《こご》っておりましょうし、それに憂鬱こそは乱心の母、さればこそ芝居なとごらんになり、にぎやかな浮かれごとにお気持ちをお向けになるのも、千百の凶事《まがごと》をしりぞけ寿命を延ばすの道、まことに重畳《ちょうじょう》しごくと申しておりまする。
【スライ】 よし、見物しよう。やらせてくれ。――なあその楽《がく》ってのは、クリスマスのばか踊りかね、それとも軽業のことかね?
【小姓】 いえ、殿。もっともっと面白い、曲のあるものでござりまする。
【スライ】 曲? じゃやっぱり笛でも吹くんだな?
【小姓】 いえ、筋のある物語のようなものでござりまする。
【スライ】 まあいいや、とにかく見物といこう。さあ、女房の奥、おまえはおいらのそばだ。へ、なにをくよくよ川端柳、おたがい若いうちが花よ。(小姓、スライのそばに坐る。ラッパの吹奏。『じゃじゃ馬ならし』がはじまる)
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第一幕
第一場
〔パデュアの広場。バプティスタとホーテンショーの家がある。ルーセンショー、召使のトラーニオをともなって登場〕
【ルーセンショー】 トラーニオ、ぼくはかねてゥらうるわしのパデュア、この学芸の都を一度たずねてみたいと思っていたが、今こうしてイタリアの楽園、豊饒の地ロンバルディの野にたどりついた。これも、みな、お父上の慈愛あふれるお許しがあればこそ、そのご厚志に加えて、なにごとにつけ経験ゆたかな忠実な召使、おまえというよい供のおかげ、さあ、ここにしばらく滞在して、学問と教養のしあわせな道を進むとしよう。ぼくの生まれたピサは、市民のまじめなことで名高い都だ。しかもぼくの父親は、世界じゅうをまたにかけた大商人、ペンティヴォリオ家から出たヴィンセンショーだ。育ったところはフィレンツェだ。この生まれと育ちから、世間ではぼくに大いに期待している。その期待にそむかぬためにも、この好運に見合う人格の向上をはからなくてはならない。だから、トラーニオ、今度の遊学中は、もっぱら徳を修めようと思う。哲学についても、徳によって幸福に達する道、その問題を扱う方面に精だすつもりだ。おまえはどう思う? ピサを去ってパデュアまでやって来たのは、浅い水たまりをすてて深い淵の中に身を躍らせ、ふだんののどのかわきを心ゆくまで満たそうという、まあ、そんな気持ちからなのだ。
【トラーニオ】 てまえの意見などと、若旦那さま。てまえは万事若旦那さまのお気持ちどおりでございますよ。りっぱな学問の甘い蜜を、どこまでもお吸いなさろうとのご決心、うれしいことでございます、どうぞおつづけなさって。ですが若旦那さま、徳も修行もまことにけっこうでございますが、ストイックだのストトンだのはいけませんぜ。アリストテレス先生のおかたい教えばっかり勉強して、オウィディウスさんのやわらかいお話にはとんとごぶさた、なんてのは困ります。友だちどうしで理屈をこねれば、これがつまり論理学の勉強、ふだんの挨拶や話し合いはつまり修辞学の練習、沈んだ時には音楽と詩とで元気をつけて、もし気が向いたら数学と形而上学に精をだす。なにごとも楽しんでやらなきゃ身につきません。つまり、好きこそものの上手なれってわけで。
【ルーセンショー】 ありがとう、トラーニオ、いいことを言ってくれた。――それにしてもビオンデロのやつおそいなあ。パデュアではやがて友だちもたくさんできようが、それをもてなすにも適当な宿が必要だ、すぐにも用意をととのえて宿をきめたいところだが。
〔バプティスタの家の戸が開き、バプティスタ、キャタリーナとビアンカを連れて出る。グレミオ、ホーテンショーあとにつづく〕
おや?――おい、あの連中はなんだろう?
【トラーニオ】 若旦那歓迎の行列でございましょうよ。
【バプティスタ】 お二人とも、もうそれ以上言わないでください。わたしのかたい決意はおわかりのはずだ。いいですか、姉のほうを嫁《かたづ》けるまでは妹のほうはさしあげられません。もしキャタリーナをとおっしゃるのなら、けっこう。お二人のことは前からよく存じておるし、好意ももっている。どうぞお好きなように結婚を申しこんでください。
【グレミオ】 結婚よりも異議を申しこみたいよ。わしには手ごわすぎるて。どうだ、ホーテンショー、あんたは若いからいいだろう?
【キャタリーナ】 お父さまにうかがいますが、なんでこのわたしをこんな虫けらの前でさらしものにするのですか?
【ホーテンショー】 え、虫けらですって! なんてことを言うんだ。もっとしとやかでおとなしくないと、あんたの夫になる虫けらなど見つかりませんよ。
【キャタリーナ】 けっこうよ、ご心配ご無用、このキャタリーナには結婚する気なんてないんだから。もし結婚してごらんなさい、さっそく、あなたの頭の毛は椅子の足のくしでごしごしとかして、顔は爪の刷毛でまっかにぬりたてて、道化がわりに使ってあげますからね。
【ホーテンショー】 まるで悪鬼だ! 神よまもりたまえ!
【グレミオ】 わしもまっぴら。神よまもりたまえ!
【トラーニオ】 (小声で)こいつは面白くなってきましたぜ。あの娘、気がふれてるんですかね。あれで正気ならとんでもないじゃじゃ馬だ。
【ルーセンショー】 それにひきかえ、もう一人のほうはじいっとだまっていて、物腰もいかにもしとやかで、やさしい。しいっ、トラーニオ!
【トラーニオ】 ごもっとも。しいっとだまって気のすむまでご覧なさいまし。
【バブティスタ】 今申しあげたことをすぐにも実行にうつすために、――ビアンカ、お前は家にお入り。なにもおまえがかわいくないわけじゃない。気を悪くしないでおくれ、ビアンカ。(とビアンカを抱きしめる)
【キャタリーナ】 たんとかわいがっておもらい! でもあんまりいい気になっていると、そのうち泣きの涙で暮らさなきゃならないわよ。
【ビアンカ】 お姉さま、わたしだってつらいのよ。ね、お気を悪くしないで。――お父さま、おっしゃるとおりにいたします。本と楽器がわたしのお友だち、ひとりでおさらいいたします。
【ルーセンショー】 トラーニオ、ああ、女神が口をきいた!
【ホーテンショー】 バプティスタさん、それはあんまりです。わたしたちの好意が、かえってビアンカさんの悲しみの種になるなんて。
【グレミオ】 なんであの子を閉じこめなさる? バプティスタさん、姉の鬼娘の罪ほろぼしに、妹が代わって苦行をするなんてことは理屈にあわん。
【バプティスタ】 みなさん、どうぞご承知ください。もうはっきりきめたことですから。さ、お入り、ビアンカ。――(ビアンカ入る)
あの子は音楽と詩とがなにより好きなのです。未熟なあの子に教えてくれる、だれか適当な家庭教師をやといたいものです。ホーテンショーさんでも、グレミオさんでも、どなたか適当な方をご存じでしたらご推薦ください。優秀な方なら優遇しましょう。子供の教育には金は惜しまぬつもりですから。では失礼。――キャタリーナ、おまえはいてよろしい。わたしはビアンカにもっと話がある。(と入る)
【キャタリーナ】 あら、入ったっていいでしょう、わたしだって。いちいちさしずされなくってもけっこうよ。西も東もわからない子供じゃあるまいし。(とあとにつづく)
【グレミオ】 地獄へでもお帰り、おっかさんが待ってるわい。そのけっこうな生まれつきじゃ、だれもとめるものはあるまいて。(キャタリーナ、戸をばたんと閉める)
ほら、あれだ! こうなったら仕方ないよ、ホーテンショー。いくら好きだからって、鼻くそでも丸めながらじっくり腰をすえて待つよりほかはあるまいて。今度のところはとんだ失敗さ。では、ごめんなさいよ。――ああ、それにしても、わしもなにぶんあの子がかわいくてたまらんからして、手ごろな家庭教師がうまく見つかったら父親にひきあわせるつもりだよ。
【ホーテンショー】 ぼくもそうします、グレミオさん。ちょっとひと言だけご相談があります。なにしろ競争だから今まで話しあったこともなかったのですが、よく考えてみると、今ここで二人の利害が一致してますね。つまりあのお嬢さんにもう一度近づいて二人でまた楽しい愛の競争をするためには、とにかく一つのことを実現しなくてはなりません。
【グレミオ】 なんだな、それは?
【ホーテンショー】 姉のほうに夫をさがしてやることです。
【グレミオ】 夫をだって! 鬼をだろうが。
【ホーテンショー】 夫をです。
【グレミオ】 鬼をだよ。え、ホーテンショー、考えてもみろ。あの父親にどんなに金があろうと、鬼を嫁にするばかがこの世にあるか?
【ホーテンショー】 まあ、お聞きなさい。あの女の剣幕にはぼくもあなたもがまんできませんが、広い世間のことだ、もしかしたらそのくらいの欠点は金でうめあわせがつくっていう、勇ましい男にめぐりあわないともかぎりませんよ。
【グレミオ】 どうかな。ま、あいつの持参金をもらうくらいなら、わしは広場のまん中で毎朝むちでぶんなぐられたほうがまだましだわい。
【ホーテンショー】 まったくですな。くさったリンゴを好きな男はまずいませんものね。しかしね、面会禁止のおかげでこうして二人が友だちになった以上、なんとか姉のほうに夫が見つかるよう骨をおってみましょうよ。それまでは友好関係をつづけましょう。夫さえ見つかれば妹の結婚も自由になり、また二人で新しく競争だ。――ああ、かわいいビアンカ! おまえを手に入れた男こそこの世のしあわせ者だ! 一番早くゴールインした者が、エンゲージ・リングを手に入れるんだ。――どうですか、グレミオさん?
【グレミオ】 承知したとも。あの姉娘をくどく男が出てきたら、わしはパデュアで一番の馬を進呈したいくらいだわい。あの女をくどきおとして妻にして、見事乗りこなしてこの家から連れ出してくれるならな。――さあ行こう。(二人退場)
【トラーニオ】 若旦那、どうしたんです? いったい恋ってやつはこんなに急にとっつくものなんですか?
【ルーセンショー】 ああ、トラーニオ、今の今まで知らなかった、まさかこんなことになるとは思わなかった。さっきぼんやり見つめていると、ぼくの心はぼうっとして、そこに恋の魔力がしのびこんで来た。ああ恋の魔力! いまこそおまえにはっきりうちあけよう、おまえこそはわたしにとって心の秘密をうちあけられる大切な味方、カルタゴの女王がそのせつない恋をうちあけたアンナにもまして、大事な友だ。トラーニオ、あのしとやかな娘と結婚できないなら、ぼくは恋いこがれて焼け死んでしまう。ああ、トラーニオ、どうしたらいいか教えてくれ、おまえなら知っているはずだ。な、トラーニオ、助けてくれ、おまえなら、おまえならできるはずだ。
【トラーニオ】 若旦那さま、今はお小言を申し上げる場合ではございません。恋心は叱ったところで出ていくわけじゃなし、恋にとっつかれたのなら手はありませんや。ただ、ことわざどおり、「早いが珍重、やけどの薬」ってとこでしょうな。
【ルーセンショー】 ありがとうよ、トラーニオ。いいことを言ってくれた。さあ、もっと聞かせておくれ、おまえの言うことはいつももっともだから。
【トラーニオ】 若旦那さま、あなたはずうっと娘さんのほうばっかり見ておいでだったから、きっと肝心なことはお気づきじゃなかったでしょう。
【ルーセンショー】 気がついたとも。あの子の美しさはよくわかった。まるでアゲノールの娘エウローペさながらだ。その美しさを見ては、さすがのジュピターも、クレテの岸辺でひざまずいてうやうやしくその手を求めたというが。
【トラーニオ】 見たのはそれだけでしたか? 姉のほうがどなりちらして、嵐をまき起こしたのにお気づきじゃございませんでしたか? あの騒々しさは、人間の耳ではがまんできたものじゃございませんが。
【ルーセンショー】 トラーニオ、ぼくは見たぞ。珊瑚のくちびるが動いていた。あの人の息で、あたりの空気がかぐわしかった。あの人のものは、なにからなにまで、神々しく美しかった。
【トラーニオ】 しようがないなあ。この辺で正気にもどってもらわんことには。――若旦那、さあ、しっかりなさい。そんなにお好きならなんとか知恵をはたらかしてものにする工夫をしなくちゃ。いいですかい。姉のほうはとんでもないじゃじゃ馬だ、そいつを厄介ばらいするまでは、若旦那のいとしいお方も籠の鳥、親父さんが用心堅固にとじこめている。嫁にくれとうるさくせがまれちゃかなわんでしょうからね。
【ルーセンショー】 まったくひどい父親だなあ、トラーニオ。だがおまえ聞いていなかったか? あの人のためにいい家庭教師を見つけたいと言ってたな。
【トラーニオ】 聞いていましたとも。そこで思いつきました。
【ルーセンショー】 ぼくも思いついたぞ。
【トラーニオ】 こいつはきっと両方とも同じですぜ。
【ルーセンショー】 おまえから先に言え。
【トラーニオ】 若旦郷が家庭教師になって、あの子の先生役をひきうける。どうです、当ったでしょう。
【ルーセンショー】 そのとおり! だがうまくいくかな?
【トラーニオ】 むずかしいでしょうな。若旦郡の役はだれが代わりにやります? ヴィンセンショーさまのご子息として、このパデュアに滞在し、借りた家をとりしきり、本を読み、友だちをもてなす。そのうえ同郷の人を訪問し宴会に招待するとなると――
【ルーセンショー】 大丈夫、心配するな。いい考えがうかんだ。二人ともまだどこにも出かけていない。どっちが主人か召使か、顔を見ただけではだれにもわかりゃしない。で、こうするのだ。おまえが代わりに主人役になる、ぼくがやるように、家の体面や召使を立派にとりしきってくれ。ぼくはだれかほかの人間、フィレンツェ人か、ナポリ人か、ピサならもっと身分の低い男になるとしよう。さあ、計画はできた、やろう。さっそく服を脱いでくれ。この派手な帽子とコートを着れば、立派な主人になる。ビオンデロが着いたらおまえの召使にしよう。そうだ、まずあいつの口を封じて秘密を守らせなくては。
【トラーニオ】 どうしてもやれとおっしゃるのでしたら。――(二人衣裳をとりかえる)
とにかく若旦那さまがそうお望みなんだから、忠実な召使のてまえとしては、やらなぁなりますまい。出かけるとき大旦那さまがおっしゃいましたからな、「せがれによくつかえてくれよ」。もっともこんなおつもりじゃなかったでしょうがね。ではルーセンショーになりましょう、それもルーセンショーさまのおんためだ。
【ルーセンショー】 トラーニオ、頼んだぞ。このルーセンショーとて同じこと、大事なお方のおんために、恋の奴《やっこ》となりさがるのだ。ああ、思いもかけずひと目会ったばっかりに、目はくらみ、すっかりとりこになってしまった。
〔ビオンデロ登場〕
あ、あいつだ。――おい、今までどこにいたのだ?
【ビオンデロ】 どこにいたもなにも、こりゃいったいどうなったんで? え、若旦那、トラーニオが若旦那の着物を盗んだんですかい? それとも若旦那のほうが? いや、その両方ですかい? え、どうしたわけで?
【ルーセンショー】 いいか、おい。ふざけている時ではない。場合が場合だ。さあ、まじめに聞いてくれ。トラーニオはな、おれの命を救うために、この着物を着て、おれになりすましているのだ。こっちはトラーニオのふりをして逃げるところだ。というのは、ここへ着いたばかりでけんかに巻きこまれ、人を一人殺してしまった。それがどうもばれたらしい。いいか、ちゃんと召使らしくトラーニオにつかえるのだぞ。こっちも命がけでここから逃げて行くのだ。おい、わかったか?
【ビオンデロ】 ヘえ、ちっともわかりません。
【ルーセンショー】 いいか、かりにもトラーニオなどと呼んではならぬぞ。トラーニオはルーセンショーになってしまったのだから。
【ビオンデロ】 うらやましいこった、こっちもそうなりてえもんだ。
【トラーニオ】 おれもそうなりたいよ、次にひかえた大きな望み、バプティスタさまの末娘を、若旦那さまがものにするためにも――おっとっと。なあ、万事はおれのためじゃない、若旦那のためだ、いいか、どんな連中の前でもぬかりなくやってくれよ。ひとりの時にゃおれはたしかにトラーニオ、だが人前じゃおまえの主人ルーセンショーさまだぞ。
【ルーセンショー】 トラーニオ、さあ行こう。そうだ、もう一つ、そいつはおまえの腕しだい、あの連中といっしょにあの人に求婚するのだ。大丈夫、心配しなくていい。ちゃんとした、立派なわけがあってのことだ。(三人退場)
〔序幕の見物人たち話しあう〕
【従者甲】 殿、お目をおつぶりのご様子、芝居がお気に召さぬのでは?
【スライ】 (目をさまして)いやいや、大いにお気に召した。まったくけっこうなものだ。まだあるのかい?
【小姓】 まだはじまりましたばかりでござりまする。
【スライ】 こいつはすばらしい傑作だ、のう、女房の奥。早く終わればなおいいがなあ。(一同芝居を見つづける)
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第二場
〔パデュアの広場。前場と同じ。ペトルーチオとその従僕グルーミオ登場。ホーテンショーの家の前で立ちどまる〕
【ペトルーチオ】 ヴェローナよ、しばらくはおまえともお別れだ。おれはパデュアの友人たちに会いたくなったのだ。なかでも親友のホーテンショーに会いたい。たしかこれがあの男の家だったな。――そうだ。おい、グルーミオ、たたけ。
【グルーミオ】 たたけですって! 旦那さま、どいつをたたくんでございます? 旦那さまに誰がご無礼をはたらいたんで?
【ペトルーチオ】 間抜け! こいつを力まかせにたたけってんだ。
【グルーミオ】 こいつってえのは旦那さまのことで? とんでもない、旦那さまをたたくなんて!
【ペトルーチオ】 間抜け! ここをたたけってんだ、ぶんなぐれってんだ。ぼやぼやしてると、きさまの間抜け頭をどやしつけてやるぞ。
【グルーミオ】 えらい剣幕だ。もしたたこうもんなら、次は十倍ものお返しさ、わかってらあ。
【ペトルーチオ】 どうしてもやらんのか? よし、きさまがたたかんのなら、おれが呼びりんを鳴らしてくれる。(とグルーミオの耳をひねりあげる)
どうだ、リンリン鳴るだろう、そら、もっと調子をあげろ。
【グルーミオ】 た、た、助けてくれえ! うちの旦那は気ちがいだあ!
【ペトルーチオ】 わかったか、さあ、言われたとおりにたたけ、この間抜け野郎!
〔ホーテンショー出る〕
【ホーテンショー】 どうしたんだ、いったいなにごとだ? おや、グルーミオじゃないか。やあ、ペトルーチオ君も! ヴェローナではみんな元気かい?
【ペトルーチオ】 やあ、ホーテンショー君、けんかの仲裁役か? 「思いがけなき邂逅かな」か。
【ホーテンショー】 「よくぞこの賎《しず》が伏屋《ふせや》に、ささ、奥へ、ペトルーチオ殿」。心配するな、グルーミオ。さあ、立て、ぼくがとりなしてやろう。
【グルーミオ】 ほっといてください。旦那がいくらむずかしい言葉でごまかそうたってそうはいかねえよ。正当な理由はこっちにあるんだ、今日限りおひまをいただきますよ。え、まあお聞きくださいまし。旦那はたたけとおっしゃる。ぶんなぐれとおっしゃる。ですが召使の分際でご主人をたたくなんて、そんな大それたことが、いったいできるものですかい? いっそ初めに思いっきりぶんなぐっておけばよかった。そうすりゃこんな目に会わずにすんだかも知れぬ。
【ペトルーチオ】 なにを、この間抜けめ! いや、ホーテンショー君、おれはこいつに門の戸をたたけと言ったんだ。それをこのばかがどうしてもたたかんのだ。
【グルーミオ】 門の戸ですって! とんでもない。おい、ここをたたけ、ぶんなぐれ、力まかせにたたくんだ、とこうおっしゃるだけでしたぜ。今になって急に門の戸だなんて、とんだ言いがかりだ。
【ペトルーチオ】 ひっこんでいろ。それがいやならだまっているんだ、いいな。
【ホーテンショー】 まあぺトルーチオ君、こらえてやりたまえ、ぼくがグルーミオに代わってあやまる。昔なじみの、忠実で愉快な召使と仲たがいするなんて、いいことではない。ところで、君、教えてくれ。どんなうれしい風の吹きまわしで、故郷のヴェローナから、はるばるこのパデュアへやって来たのだ?
【ペトルーチオ】 若者たちを世界じゅうに吹き散らす、あの風に送られてやってきたのさ。せまい故郷をとび出して、広い世間でどえらい幸運をつかまえようというのだ。つまり、ホーテンショー君、こういうわけだ。実は親父のアントニオが亡くなった。そこであてのない旅に出た。あわよくばいい女房でも見つけて、うんと金もうけがしたい。まあ、ふところに金、故郷《くに》には財産、世間見たさの気ままな旅だ。
【ホーテンショー】 そんなら、君、あけすけに聞くが、不器量なじゃじゃ馬一匹、どうだもらう気はないか? ありがたくない話と思うかも知れないが、これだけは保証する、とにかく女は金持ちだ、それも大金持ちだ。しかし君はぼくの大の親友、あまりすすめる気にもなれないがね。
【ペトルーチオ】 ホーテンショー君、君とぼくとの仲だ、余計なことは抜きにしよう。ペトルーチオの妻たるにふさわしい財産をもった女がいるというのならそれで十分。大体、ぼくの結婚行進曲のテーマは財産だ。たとえその女が、フロレンティウスの恋人のようなまずい面《つら》だろうと、シビルのようなばばあだろうと、ソクラテスの女房、クサンチッペのようなとんでもないじゃじゃ馬だろうと、いや、もっとひどいのだってかまわん、おれはびくともするもんか。たけり狂うアドリア海の大波のように荒っぽい気性だろうと、そんなことでは少なくともおれの愛情はくじけはせん。おれは金のある女房を見つけにパデュアへ来た、金さえあればそれでけっこう。パデュア万歳だ。
【グルーミオ】 ええ、さようでございますとも、ホーテンショーさま。旦那さまの言うことに嘘はございません。金さえあれば旦那はだれでもけっこうなんで。相手があやつり人形だろうと、ひょっとこだろうと、馬五十二匹分の病気をひとりでしょいこんだ歯の一本もないよぼよぼばあさんだろうと、金さえあれば万事OKなんで。
【ホーテンショー】 君、はじめは冗談で言いだしたことだが、こうなったからには、よし、先をつづけよう。実はね、ペトルーチオ君、君に世話したい人というのはな、財産は十分、それに若くて美人だ。淑女たるにふさわしい立派な教育も受けている。ただ唯一の欠点はだね――いやそれが大変な欠点なのだが――始末におえないがみがみの、とんでもないじゃじゃ馬なんだ。ぼくならどんなに困っていようと、金を山ほど積まれても、とても結婚する気にはなれないね。
【ペトルーチオ】 もういい。君は金の威力をご存じないのだ。父親の名前を聞かせてくれ、それだけでけっこう。さっそく乗りこもう。たとえその女が秋ぐちの雷のようにがなりたてようと、驚かん。
【ホーテンショー】 父親はバプティスタ・ミノーラ、愛想のいい、親切な紳士だ。娘の名はキャタリーナ・ミノーラ、パデュアじゅうにかくれもない、怖るべき娘だ。
【ペトルーチオ】 女は知らんが父親の名は聞いている。むこうも死んだ親父のことは知っているはずだ。よし、女に会うまでは眠らんぞ。ホーテンショー君、そんなわけだ、会ったばかりで失礼だが、ここで失敬する。それともそこまで連れて行ってくれるか?
【グルーミオ】 どうぞ気の変わらぬうちに会わせてやってくださいまし。旦那の気性はよく知ってるが、その娘さんも旦那にかかったら、いくらがなりたてたところで効き目はないと、きっとお悟りなさるでござんしょう。畜生とか、ばかとか、はじめ十回ぐらいはわめきもしましょうが、それぐらいのことは旦那には屁のかっぱ。旦那がいったん口火を切ったとなるとまるで立て板に水だ。もしひと言でも口答えしてごらんなさいまし、たちまちおっかない雷が落ちてくる。そいつをくらったら耳はガンガンして目もくらんでしまう、生きた心持ちはありません。あなたさまはまだ旦那のことをよくご存じないので。
【ホーテンショー】 待ちたまえ、ペトルーチオ君。ぼくもいっしょに行くよ。その家にはぼくの宝ものがあるのだ。命より大切な宝石、妹娘の美しいビアンカがいるのだが、父親がどうしても会わしてくれない。ぼくでもだれでもあの子に求婚する者はのこらず面会禁止さ。なにしろ姉のほうが今言ったとおりのじゃじゃ馬だろう、だれも恐れて近づく者はあるまいと、父親として心配しているわけだ。そこで父親はかたく申し渡したのさ、キャサリン台風がめでたく夫を迎えるまではビアンカとの交際はいっさいまかりならぬ、とね。
【グルーミオ】 キャサリン台風! これが娘につけるあだ名かい!
【ホーテンショー】 そこでひとつ、ぼくに手をかしてくれないか、ペトルーチオ君? ぼくはこれから地味な服に着かえて変装するから、音楽に堪能なビアンカの家庭教師ということで、あの父親にぼくを推薦してくれたまえ。それがうまくいけば、とにかく大手をふって、ゆっくり思いのたけもあの子にうちあけられようってわけだ。さし向いでくどいたって、だれにも怪しまれやしない。
【グルーミオ】 なるほど、考えたねえ。年寄り連中をだますために、若いもんはいつでもいっしょになって知恵をしぼるもんだ。
〔グレミオ登場。そのあとにルーセンショー、家庭教師に変装しキャンビオと名乗っている〕
おや、旦那さま、ごらんなさいまし。だれでございましょう? おや!
【ホーテンショー】 しいっ、グルーミオ。あれがぼくの恋敵だ。ペトルーチオ君、ちょっと様子を見ていよう。
【グルーミオ】 とんだ若づくりだよ。あれで色ごとをね!(三人離れて立つ)
【グレミオ】 (手にした書きつけを見ながら)けっこう、けっこう。――本のリストはこれでよろしい。いいかな、製本はうんと立派にするんだな。恋愛論だけだよ。とにかくその点によく気をつけてな。それ以外の講義などせんでよろしい。わかったな。――バプティスタさんからもうんと謝礼が出るだろうが、それ以上にわしのほうでも、たっぷり色をつけるからな。さあ、これは返そう。(と書きつけを返す)さよう、本には香水をたっぷりしみこませるのだな。なにしろ手にとる人が香水そこのけのいい匂いのお方だ。――なにから読むかな?
【ルーセンショー】 なにを読みましょうと、あなたはわたしのご主人、かならずあなたのために弁じます。どうぞご安心ください、ご自分がその場に居あわせたも同様にうまくやりますから。いや、あなたご自身よりずっと効果的な言葉で弁じたててみせますよ、もっともあなたがわたしのように学者なら別ですがね。
【グレミオ】 こいつはたいした学者だわい!
【グルーミオ】 (傍白)こいつはたいした阿呆だわい!
【ペトルーチオ】 こら、だまれ!
【ホーテンショー】 しいっ、グルーミオ。(とグレミオのそばに進み出る)
こんにちは、グレミオさん。
【グレミオ】 ホーテンショーさんか、これはまたよいところで。どこへ行くところかおわかりかな? バプティスタさんのところへ行くのだよ。わしは先ほど、かわいいあの子に家庭教師を一生けんめいさがしましょうと約束しましたがな、それが運よくこのお若い方にめぐりあってな。学問といい、行儀作法といいあの子にぴったりの方ですわい。歌のほうにくわしくてな、ほかにも本はうんと読んでいる。それもいい本ばかりをな。
【ホーテンショー】 それはよかったですね。ぼくもある紳士に会ったのですが、その方が、ぼくにやはり家庭教師を世話してくださるそうです。立派な音楽家で、あのお嬢さんの先生には理想的な人です。これでぼくのほうもあなたにおくれずに、親切がつくせるというものです、ぼくのかわいいあの子に。
【グレミオ】 わしのかわいいあの子だ。きっとものにしてみせるからな。
【グルーミオ】 (傍白)きっとかもになってみせるからな。
【ホーテンショー】 グレミオさん。あの子のことで、今ここで言い争っても仕方ありません。それより、あなたがちゃんと聞いてくれるのでしたら、一つお知らせすることがあります。おたがいに都合のいい話なんですよ。実はこの紳士に偶然出会ったのですが、われわれのほうでこの方の気にいるような約束さえすれば、あのキャサリン台風をくどいてやろうと言うのです。そのうえ持参金しだいでは結婚してもいいと言っているのですよ。
【グレミオ】 言うだけじゃな。ほんとにやってくれればうまい話だが、――ホーテンショー、あの女の欠点はすっかり話したのかな?
【ペトルーチオ】 聞きましたよ、なんでもとんでもないがみがみ女だというんでしょう。それだけだったらかまわんですよ。
【グレミオ】 かまわん! ほんとですか? いったいどこのお生まれで?
【ペトルーチオ】 生まれはヴェローナ。アントニオの息子です。父が死んで遺産がころがりこんだ。せいぜい長生きをして、しあわせに日を送りたいと思っています。
【グレミオ】 しあわせにねえ! あんな女とですかい? しかしあんたのお好みとあれば、どうぞやってください。なんによらずご援助はしますわい。だがほんとうにあの山猫をくどいてくれるのかな?
【ペトルーチオ】 くどい!
【グルーミオ】 くどきますとも。くどかなかったらてまえがしめ殺しやしょう。
【ペトルーチオ】 そのつもりでここまで来たのです。少しぐらいの大きな音じゃこの耳は響きませんよ。これでもライオンのほえる声を聞いた耳だ、怒涛逆まく大海原が、汗をしぶいたいのししのように怒り狂うのを聞いた耳だ。戦場にとどろきわたる大砲の音、天空にこだまする雷《いかずち》の声、堂々たる戦陣をしいた激戦の地で、はげしい警鐘、軍馬のいななき、ラッパの響き、なんでもみんな聞いてきた耳だ。たかが女のどなり声ぐらいに驚いてたまるものか。そんなものは田舎の百姓家のいろりばたで、栗のはぜる音にもたりやしない。ばかばかしい。お化けをこわがるのは子供だけだ。
【グルーミオ】 なんにもこわがらないのは旦那だけだ。
【グレミオ】 なあ、ホーテンショー。このお方はちょうどよい時に来てくれたもんだ、このお方にもよし、わしたちにもよし。
【ホーテンショー】 それで、この人の求婚の費用は全部われわれ二人で負担すると約束したのですが。
【グレミオ】 いいとも、いいとも。あの女をものにしてくれるのならな。
【グルーミオ】 女のほうは大丈夫。じゃ、あっしのご馳走も大丈夫、とこう願いたいもんだね。
〔ルーセンショーに変装したトラーニオ、ビオンデロを従えて登場。着飾って気どった歩きぶり〕
【トラーニオ】 やあ諸君、ごきげんよう。パブティスタ・ミノーラ氏の家へ参りたいのだが、失礼ながら道を教えていただけまいか?
【ビオンデロ】 美しいお娘ごが二人おいでになるお方だ。そうでしたね、旦那?
【トラーニオ】 そうだ、ビオンデロ。
【グレミオ】 ちょっと。娘さんにもお会いになるおつもりかな?
【トラーニオ】 父親にも娘さんにも会いましょうな。それがどうかしましたか?
【ぺトルーチオ】 とにかく、どなるほうじゃないでしょうね。
【トラーニオ】 わたしはどなる女は嫌いです。ではビオンデロ、参ろう。
【ルーセンショー】 (傍白)よう、千両役者!
【ホーテンショー】 ちょっとお待ちください。あなたはその娘さんに求婚なさるおつもりですか?
【トラーニオ】 してはいけませんかな?
【グレミオ】 いけないとも。このまま黙って、さっさと帰りなさい。
【トラーニオ】 おかしいですよ。ここは天下の公道、あなたもわたしも通行自由のはずですぞ。
【グレミオ】 あの子はそうはいかぬぞ。
【トラーニオ】 して、その理由は? うかがいましょう。
【グレミオ】 たって知りたければ言ってやるがな。あれはこのグレミオさまの気にいった娘だからだ。
【ホーテンショー】 このホーテンショーの選んだ娘だからです。
【トラーニオ】 ま、お静かに。お二人とも紳士なら、公平に願いましょう。わたしの言うことも、ま、黙ってお聞きいただきたい。バプティスタ氏は立派な紳士、わたしの父ともまんざら知らぬ仲ではない。もしその娘さんが噂以上の美しさなら、求婚者はいくらあってもよし、わたしもその一人に入っていいわけです。レダの娘ヘレンには千人の求婚者があった。そんならビアンカさんにも、もう一人ぐらいふえたって当然でしょう。いや、ふえることになりますぞ。このルーセンショーが名乗り出ますから。たとえパリスがあの人を手にいれようとこれに加わりましてもです。
【グレミオ】 こううまくしゃべられちゃ、わしらの負けだわい。
【ルーセンショー】 なあに、勝手にやらせておきなさい、すぐに馬脚をあらわしますから。
【ペトルーチオ】 ホーテンショー君、いったいなんのためにべちゃくちゃしゃべっているんだ?
【ホーテンショー】 失礼ですが、あなたはバプティスタさんの娘さんにお会いになったことがあるのですか?
【トラーニオ】 いいえ、まだですが、お二人おいでだそうで、一人はがみがみやで有名、一人はしとやかな美しさで評判だとか。
【ペトルーチオ】 君、その最初の娘はこっちにまかせてもらいたい。手出しは無用だ。
【グレミオ】 けっこうですな。あれはヘラクレスにおまかせしますわい。十二の難業以上にむずかしい仕事でしょうからな。
【ペトルーチオ】 君、これだけはよくこころえておいてくれたまえ。君のお望みのその妹のほうだが、なにしろ父親が求婚者を寄せつけないのだ。姉のほうがまず結婚するまでは、だれにもやらぬと言っている。妹の自由は姉しだいっていうわけだ。
【トラーニオ】 そういう事情なら、あなたはわれわれにとって、とくにわたしにとっては大切なお方です。みごと突破口を開いて、この難業をなしとげようというのですからな。姉が手に入れば妹は自由になる。自由になればわれわれのチャンスもくる。幸運がこのうちだれの手に入ろうと、感謝を忘れるような忘恩の徒は、ここにはおりませんから。
【ホーテンショー】 名言です。よく気づかれました。ところであなたも、求婚者の一人として名乗りをあげた以上、われわれ同様、この方にお礼をしてくださるでしょうね。われわれはみな、この方の恩義をうけているのですから。
【トラーニオ】 言うにゃおよびません。そのしるしに、本日午後のひとときを、諸君一同とともに、われらの恋人の健康を祝して乾杯しましょう。いったん競争となったら、法廷で争う原告、被告のように力いっぱい闘うとして、まずは友として飲みかつ食おうではありませんか。
【グルーミオ】 こいつはすばらしい話だ! 兄弟さあ行こうぜ
【ビオンデロ・ホーテンショー】 まったくいいご提案です。ぜひそうしましょう。ペトルーチオ君、ぼくが君の主人役だ。(一同退場)
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第二幕
第一場
〔バプティスタの家の一室。ビアンカがうしろ手に縛られて壁ぎわにうずくまっている。キャタリーナ、そのそばに居丈高に立っている〕
【ビアンカ】 お姉さま、お願いですから許してください。妹をこんな奴隷扱いになさるのはご自分の恥ではありませんか。ひどいわ。こんなアクセサリーなら、手をほどいてください、自分でもぎとりますわ。着物でも、下着でも、全部脱ぎますわよ。お姉さまのお言いつけなら、なんでもいたします。目上の人に対するつとめは、わたしよく存じておりますもの。
【キャタリーナ】 じゃ、おっしゃい、おまえに結婚を申しこんだ人のなかで誰が一番好き? 嘘を言ったら承知しないよ。
【ビアンカ】 嘘なんか申しませんわ、お姉さま。わたし世間の男の人のなかで、特に好きな方なんてまだ一人もお目にかかったことはございませんわ。
【キャタリーナ】 この猫かぶり! ごまかしても駄目よ。ホーテンショーでしょう?
【ビアンカ】 お姉さまがあの方をお好きなら、わたしからあの方におすすめしますわ。どうぞご自由に結婚なさいまし。
【キャタリーナ】 それじゃどうやらお金のほうらしいわね。グレミオのところへいって、安楽に暮らそうって気ね。
【ビアンカ】 あら、お姉さま、あの人のことでこんなに腹をたてていらっしゃるの? まさか。あら、ふざけていらっしゃるのね。ああ、わかったわ、さっきからわたしをからかっていらっしたのね。ねえ、ケイト姉さま、手をほどいて。
【キャタリーナ】 (ビアンカをたたく)ふざけているかどうか、これでわかるでしょう。(ビアンカ泣き声をあげる)
〔バプティスタ登場〕
【バプティスタ】 どうしたというのだ。これ! なんでそんな乱暴をする? ビアンカ、こっちへおいで。かわいそうに、泣いてるじゃないか。(と手をといてやる)
あっちで縫いものでもしてなさい、お姉さんにかまうんじゃない。――このろくでなしが、こんな鬼みたいなことをして恥ずかしくないのかい。なにもしない者をなんでいじめたりする? いつあの子がおまえに口答えをしたか?
【キャタリーナ】 だまっているのがしゃくにさわるのよ。だからやっつけてくれる!(とビアンカにとびかかる)
【バプティスタ】 (キャタリーナをとめて)わしの目の前で! ビアンカ、さ、お行き。(ビアンカ走り去る)
【キャタリーナ】 まあ、お父さま、妹の味方なさるの? そう、わかったわ、大事な宝ものですものね、早くお婿さんをさがしてあげなきゃ。わたしは妹の結婚式にみんなからうしろ指をさされて、いつまでたってもオールド・ミスなんだわ。あの子ばっかりかわいがるんですもの。いいえ、お説教はたくさん、わたしお部屋で泣いてるから。いつかはきっとこの仕返しをしてやるから。(ととび出して行く)
【バプティスタ】 ああ、わしともあろう者がなんて情ないことだ! おや、だれかが来たぞ。
〔グレミオが家庭教師キャンビオに変装したルーセンショーを連れて登場。つぎはペトルーチオ、やはり音楽楽リショーに変装したホーテンショーを連れて出る。つづいてルーセンショーになりすましたトラーニオ、ビオンデロにリュートと本を持たせて出る〕
【グレミオ】 はい、ごめんなさいよ。
【バプティスタ】 これはこれは、グレミオさん。――やあ、みなさん、いらっしゃいまし。
【ペトルーチオ】 やあ。さっそくですがキャタリーナというお嬢さんがおいでだそうで、美人で貞淑なお方とお聞きしましたが。
【バプティスタ】 はい、たしかにキャタリーナという娘がおりますが。
【グレミオ】 あんた、すこし遠慮がなさすぎる。もっとていねいにやりなされ。
【ペトルーチオ】 うるさいぞ、グレミオさん。黙っていてください。――わたしはヴェローナから参った者です。噂によりますとそのお嬢さんは大変美しい、頭のよい、しかもやさしくて、内気で、おとなしいお方だとか。そのすばらしい性質、女らしい振舞を聞きおよびまして、噂のほどをこの目でしかとたしかめたく、失礼をかえりみず、こうしてのこのことお宅にまかり出た次弟です。この男はほんのご挨拶がわり、(とホーテンショーをひきあわせる)どうぞお受けとりください。音楽と数学に堪能な男です。お嬢さんもその方面にはおたしなみがおありだそうで、十分お役にたつことと存じます。どうぞお使いください、そうなればわたしの面目もたつというもの。名前はリショー、マンチュアの生まれです。
【バプティスタ】 ようこそおいでくださった。またいい方をご紹介くださってありがとう存じます。ですが娘のキャタリーナは、あれはとてもあなたにはむきません。父親として情ないことですが。
【ペトルーチオ】 手ばなしたくないとおっしゃるのですか? それともわたしでは気にいらぬとでも――
【バプティスタ】 いや、いや、誤解なさっては困ります。ありのままを申したまでで。どちらからおいでになりました? お名前は?
【ペトルーチオ】 名前はペトルーチオ、アントニオの息子です。イタリアじゅう父の名を知らぬ者はありますまい。
【バプティスタ】 存じておりますとも。それではなおのこと歓迎します。
【グレミオ】 お話ちゅう失礼だが、なあ、ペトルーチオ君、このあわれな請願人のわしらにも、すこししゃべらしてくれんか。さあ、どいた、どいた。まったくおそろしくせっかちな人だ。
【ペトルーチオ】 失礼、失礼。すぐにも実現したかったものですから。
【グレミオ】 その気持ちはよくわかるがな。しかしきっとあとで後悔しますよ。-ところでバプティスタさん、今のこの方のおくりもの、きっとお気に召したことと思うが、わしのほうもいささか感謝の気持ちをあらわしたいと思いましてな。心ばかりのおくりものを用意しました。いつもあんたにはだれより世話になっておりますからな。これ、この若い先生はな、(とルーセンショーをひきあわせる)フランスのランスで長いこと勉強なさった方だ。さっきの先生は音楽と数学に堪能だそうだが、この先生はギリシア語、ラテン語、ほかにもいろんな言語に通じておられる。名はキャンビオ。さあ、どうぞお使いください。
【バプティスタ】 それはそれは、お礼の言葉もありませんよ、グレミオさん。――キャンビオさんとやら、ようこそおいでで。――(トラーニオに)ところであなたにはまだお目にかかったことがないようですが、ご用のむきをお聞かせいただけますかな?
【トラーニオ】 いや、これは申しおくれまして失礼いたしました。わたくしは当市にははじめて参った者ですが、どうぞお嬢さまの求婚者の一人に加えていただきたいと存じます。美人で貞淑だと評判のビアンカさんのほうです。いえ、上の方《かた》から先にかたづけようというかたいご決心のほどは先刻承知いたしております。わたくしとしましてただ願うことは、わたくしの家柄のこともご承知いただいたうえで、他の求婚者の方にまじって、遠慮のないご交際をお許しいただきたいということでございます。さしあたって、お嬢さま方のお役にと存じまして、ここに粗末な楽器と、ギリシア語およびラテン語の書物を少々持参いたしました。(ビオンデロ前へ出てリュートと本をさし出す)さいわいご嘉納いただけますれば、値打ちも増すものと存じます。
【バプティスタ】 お名前はルーセンショーでしたな? お生まれはどちらで?
【トラーニオ】 ピサでございます。父はヴィンセンショーと申します。
【バプティスタ】 ピサの有名なヴィンセンショーさんで! お噂はかねがね承《うけたまわ》っております。これはこれはほんとうによくおいでくださいました。――(ホーテンショーとルーセンショーに)あなたはリュートを持って、あなたは本を持って、すぐ娘たちに会ってください。おうい。だれかおらんか!
〔召使登場〕
このお二人を娘たちのところへご案内しろ。娘に伝えなさい、このお二人は先生方だから、くれぐれもご無礼のないように、とな。
〔ホーテンショーとルーセンショー、召使に案内されて退場〕
みなさん、しばらく庭でも散歩して、それから食事にいたしましょう。ほんとうによくおいでくださった。どうぞご自由におくつろぎください。
【ペトルーチオ】 バプティスタさん、わたしも用のある体です。結婚の申し込みに毎日参るわけにはいきません。父をご存じならわたしのこともお察しはおつきのはず。父の相続人はわたし一人、土地も財産も、わたしの代になってから、増えこそすれ減りはしません。で、わたしがお娘さんにうんと言わせたとして、持参金はいくらおつけになりますか?
【バプティスタ】 わたしの死後地所を半分、それに二万クラウン持たせましょう。
【ペトルーチオ】 それだけ持参金をいただくのでしたら、わたしも寡婦の相続権を保証しましょう。万一わたしが先に死んだ場合は、地所を全部、その他地上権一切をゆずります。それではさっそく細目をとりきめ、契約書を作成して、双方とりかわすことにしましょう。
【バプティスタ】 契約書もけっこうですが、肝心のあの子の心はどうでしょうな。あの子がうんと言わなければはじまりませんからな。
【ペトルーチオ】 そんなことはなんでもありません。見ていてごらんなさい、お父さん。向こうが気が強いならこっちだって強引だ。燃えさかる炎が二つぶつかりあえば、火勢をあおる燃料もみるみる燃えつきてしまう。小さな火も弱い風だと燃えあがるが、砂を巻く突風にはたちまち吹き消される。ぼくがその突風だ。たかが小娘のちょろちょろ炎、消さなくてどうします。生まれつきの乱暴者、子供みたいなくどき方はしませんよ。
【バプティスタ】 どうぞうまくくどいてくださいよ。心からご成功を祈ります。きっとひどいことを言いますから、覚悟していてください。
【ペトルーチオ】 大丈夫。山は風を覚悟のうえ、嵐がいくら吹きつのろうと、びくともするもんですか。
〔ホーテンショー登場、頭に傷をうけている〕
【バプティスタ】 あ、どうなすった! そんなに青い顔をして?
【ホーテンショー】 青いですか? こわかったからですよ。
【バプティスタ】 どうです、娘に音楽家の素質はありましょうか?
【ホーテンショー】 むしろ兵隊にむいておいでです。リュートをひくより刀を振りまわしたほうが似合います。
【バプティスタ】 ではリュートの稽古はしてくださらなかった?
【ホーテンショー】 こっちが剣術の稽古台にされちゃいました。弦をおさえる勘どころがまちがっているから、ただちょっと手をとって指の使い方を教えようとした、するとたちまち悪鬼のように怒りだし「勘ですって? わたしの癇《かん》のほうがおさまらないわよ」と、これですからね。そしてやにわに頭をガチャン。わたしの頭はリュートをつき抜けて、まるで首枷《くびかせ》をはめられた罪人ですよ。度胆をぬかれて、しばらくはリュートごしに、ぼんやり相手の顔を見ていました。するとお嬢さんは、門《かど》づけ芸人だの、キイキイ野郎だの、まるでわたしをやっつけるために覚えてきたような悪態を、山ほど並べたてるのです。
【ペトルーチオ】 すごいぞ! なんていきのいい娘さんだ。これでますます好きになったぞ。ああ、早く話してみたい!
【パブティスタ】 (ホーテンショーに)まあ、そんなにがっかりしないでいっしょにおいでなさい。妹のほうを見ていただきましょう。あの子は勉強も好きだし、親切に教えてくだされば喜びもします。――ペトルーチオさん、あなたもいっしょに来なさるかな、それともケイトをよこしましょうか?
【ペトルーチオ】 そう願います。わたしはここで待ってましょう。来たら少々馬力をかけてくどきにかかりますよ。(一同退場。ペトルーチオだけ残る)
よし、毒づいてみろ。ナイチンゲールをもちだそう、ナイチンゲールみたいにいい声ですね、とこういくんだ。睨みつけたら、なんてきれいだ、朝露にぬれたバラの花だ、とこう言ってやる。だんまりをきめこんで一言もしゃべらなかったら、実に雄弁だ、とほめそやす。頭がいいから言うことが気がきいている、とやる。出て行けときたら、ていねいに礼を言う、一週間も逗留してくれとせがまれたような顔をするんだ。結婚なんかまっぴらとでも言ってみる、結婚の予告は? 結婚式の日どりは? とたたみかけるんだ。さあ、来たぞ。ようし、そらいけ!
〔キャタリーナ登場〕
こんにちはおケイちゃん。――おケイってんでしょう。
【キャタリーナ】 よくおわかりになったわね。でもあなたちょっと耳がお悪いんじゃない? あたしのことならみんなキャタリーナって呼びますわよ。
【ペトルーチオ】 それは長すぎる。ただのおケイでたくさんですよ。かわいいおケイちゃんだ。たまにはけんかのおケイって呼ぶ人もいるそうだが、三国一のおケイちゃんだ。景気のいいおケイちゃん、おいしいケイキのおケイちゃんだ。万事OKのおケイちゃんだ。だからおケイちゃん、すばらしいおケイちゃん、ぼくの心のおケイちゃん、どうか聞いておくれ。あなたのやさしさはすべての町々でほめたたえられ、あなたの貞淑と美貌はいたるところで噂の種となっている。しかも実物ははるかにまさるというのだから、それを聞いては矢も盾もたまらず、あなたをみごと射とめようとかけつけたのだ。
【キャタリーナ】 おあいにくさま。お門ちがいですわ、どうぞお引きとりください。ここは戦場ではございませんの、弓や鉄砲は要りませんわ。
【ペトルーチオ】 じゃ、なにが要ります?
【キャタリーナ】 腰かけ。
【ペトルーチオ】 ちょうどいい、さあ、坐ってください。
【キャタリーナ】 乗せるのはろばの役目、あなたみたいに。
【ペトルーチオ】 乗せるのは女の役目、あなたみたいに。
【キャタリーナ】 やせ馬とはちがいますよ、わたしは。けおとされないようご用心あそばせ。
【ペトルーチオ】 めっそうもない、かわいい君に乗っかるなんて。まだうら若い柳腰じゃないか。
【キャタリーナ】 柳腰でも、あなたみたいな屁っぴり腰ではあぶないわ。これでも二枚腰ですわよ。
【ペトルーチオ】 どうりで腰が強い。話の腰を折るのも上手だしね。
【キャタリーナ】 やっとおわかりになったの、腰抜けさん。
【ペトルーチオ】 腰は抜けても、かわいい鳩ならつかまえられるよ。
【キャタリーナ】 鳩をつかまえそこねて、蜂の巣をおつかみなさいますな。
【ペトルーチオ】 そうか、熊ん蜂か。どうりでいつもぷんぷんしてらあ。
【キャタリーナ】 わたしが蜂なら、針にお気をつけなさい。
【ペトルーチオ】 針ぐらい引っこ抜いてやる。
【キャタリーナ】 どうぞ。でも腰抜けさんに針のありかがおわかりになる?
【ペトルーチオ】 わからなかったらどうかしてるよ。針はお尻さ。
【キャタリーナ】 舌よ。
【ペトルーチオ】 誰の舌?
【キャタリーナ】 あなたのよ。いつもひとのお尻ばっかり追いかけていらっしゃるじゃない。さようなら。(と行きかける)
【ペトルーチオ】 え、ぼくの針が君のお尻に? まあ、待ちたまえ、(とキャタリーナの腕をおさえる)
大丈夫、ぼくはこれでも紳士――
【キャタリーナ】 だかどうだか、ためしてみますわよ。(とペトルーチオの顔をピシャリと打つ)
【ペトルーチオ】 もう一度やってみろ、ほんとにはりたおすぞ。
【キャタリーナ】 そんなことをなされば紳士の体面がまるつぶれよ。女のわたしに乱暴なさったらあなたは紳士ではない。紳士でなければ体面もない。
【ペトルーチオ】 体面なら大丈夫、こうして貞淑な女房どのと対面しているんだから。
【キャタリーナ】 対面でなくて海綿でしょう、あなたは。
【ペトルーチオ】 海綿なら使って重宝するぜ。
【キャタリーナ】 おことわりしますわ。わたし、しみとりは要りませんの。(と腕をほどく)
【ペトルーチオ】 おケイ、まあお待ちよ。そんなにしかめっ面をするんじゃない。(とふたたびとらえる)
【キャタリーナ】 しぶ柿を見るとどうしてもこうなるの。
【ペトルーチオ】 しぶ柿なんかどこにもないじゃないか。だがそんなしぶい顔をするんじゃないよ。
【キャタリーナ】 ございますとも。
【ペトルーチオ】 どこに? さあ、見せておくれ。
【キャタリーナ】 鏡さえございましたら。
【ペトルーチオ】 じゃぼくの顔のことか?
【キャタリーナ】 ご名答。お若いのに感心、感心。(とまた腕をほどこうとあがく)
【ペトルーチオ】 そうはさせないよ。ぼくは若いだけに力もあるから。
【キャタリーナ】 しわもありますわね。
【ペトルーチオ】 苦労してるから。
【キャタリーナ】 無駄なご苦労ね。(とようやく腕をのがれる)
【ペトルーチオ】 おケイ、ちょっと待った。そんなに逃げなくてもいいじゃないか。(とまたつかまえる)
【キャタリーナ】 腹をおたてになりたいの? さあ、放して。(ともがきながら噛みついたり引っ掻いたりする)
【ペトルーチオ】 放すもんか。――なんてやさしい人だ、君という人は。噂じゃ乱暴でお高くとまった、臍まがりだと聞いてきたが、実際会ってみれば噂とは大ちがい。快活で、陽気で、親切すぎるほど親切で、言葉数こそ少ないが、春の花のようにかわいらしい。(キャタリーナ睨みつけたり、くちびるを噛んだりする。それをいちいちあてつけながら)
こんなかわいい顔じゃしかめっ面なんてできっこない、睨《にら》もうたって無理な話だ。小娘みたいにくちびるを噛むなんてできない相談だし、だいたい人の話にさからうような人柄じゃない。それどころか持ち前のやさしさで求婚者をもてなしてくれる。なにしろ言葉がおだやかで、なごやかなものやわらかい調子だからねえ。(とキャタリーナを放してやる)おケイちゃんがびっこだなんて誰が言い出したんだい? 世間の陰口ってやつはひどいもんだ! ほれこのとおり、おケイははしばみの枝のようにまっすぐですらっとしている。肌の色は小麦色、はしばみの実のようだ。味だっておケイのほうがずっとおいしいにきまっている。さあ、ちょっと歩いてごらん。そうら、びっこなんかひくものか。
【キャタリーナ】 おばかさん! わたしに命令なさるおつもり?
【ペトルーチオ】 ああ、そのしとやかな足どり、この部屋が光り輝くようだ。さながら女神ダイアナが、森を静かにさまようようだ。ああ、君こそ女神ダイアナたれ。ダイアナこそはケイトたれ。ケイトに女神の清浄を、ダイアナに女の情愛を!
【キャタリーナ】 どこでお習いになったの、そんな気のきいたせりふ?
【ペトルーチオ】 即興だよ。生まれつき頭はいいんだ。
【キャタリーナ】 お母さまが頭がよかったのね。それにしては息子さんのほうがねえ――
【ペトルーチオ】 頭が悪いってのかい?
【キャタリーナ】 身のまわりの世話はむずかしい。
【ペトルーチオ】 だから、そいつを君にしてもらいたいのさ。さあ、つまらないおしゃべりはよして、はっきり言おう。君との結婚のことはお父さんももう同意しておいでだ。持参金の相談もすんだ。君がなんと言おうとぼくは君と結婚するぞ、実際ぼくは君に似合いの亭主だよ。この光に照らされて輝きわたる君の美しさ、それを見てぼくは君を愛するようになった、となれば結びの神たるこの光にかけて、君はぼく以外の男と結婚してはならないのだ。ぼくは君を飼いならすために生まれついている。この山猫のおケイを飼い猫同様のおとなしいおケイに変えてやるぞ。
〔バプティスタ、グレミオ、トラーニオふたたび登場〕
そら、お父さんだ。――いいかい、いやと言ってはならないよ、――ぼくはあくまでキャタリーナを妻にするから。
【バプティスタ】 ペトルーチオさん。娘のほうはうまくいきましたか?
【ペトルーチオ】 無論ですとも、うまくいかないでどうします。ぼくが失敗するなんてあり得ないことですよ。
【バプティスタ】 おや、キャタリーナ、どうした、ばかにふさぎこんでいるじゃないか?
【キャタリーナ】 心配してくださるんですの、お父さま? ほんとうにとんだ父親らしいお心づかいをしてくださいましたのね、わたしをこんな気ちがいのところへ嫁にやろうとなさるなんて、気ちがいも気ちがい、乱暴で、図々しくて、どなりちらせばなんでもおし通せると思ってるんだから。
【ペトルーチオ】 お父さん、実はこうなんです。あなたも世間もこの娘さんについては全然見当ちがいの噂をしている。じゃじゃ馬に見えるのは、これは政策のためなんです。実際は強情どころか鳩のようにおとなしいんですよ。おこりっぽいなんて嘘の皮、夜明けのようにおだやかで、辛抱づよいところはグリセルダの二代目、貞節にかけてはルクリースも顔まけです。で、つまりぼくたちは相談の結果、完全に意見が一致しました。つぎの日曜日にぼくたちは結婚式をあげます。
【キャタリーナ】 つぎの日曜に首でもくくられるがいいわ。
【グレミオ】 あんた、首をくくられろって言ってますぞ。
【トラーニオ】 これでうまくいったのですか? これじゃわれわれのほうもおあずけだ。
【ペトルーチオ】 みなさん、まあお待ちなさい。ぼくがこの人を選んだのだ。ぼくとこれさえ満足なら、もうなにも文句はないはずです。さっき二人っきりのとき約束したんです、これは人前ではあくまでじゃじゃ馬でおし通すことにね。君たちに言ってもちょっと信じてもらえんだろうが、実際はぼくを猛烈に愛しているんだ。ああ、ほんとうに情《じょう》の深い人だ、ぼくの首っ玉にかじりついて、まるで競争でもするように接吻の雨あられ。それでやさしい誓いの言葉を浴びせかけられちゃ、ぼくもまたたく間にノック・ダウンてわけさ。君たちはまだねんねだよ! いいかい、びっくりしないでよく聞いておきなさいよ。男と女が二人っきりになれば、猛烈なじゃじゃ馬が腰抜け亭主にたちまち飼いならされてしまうんだ。さあ、おケイ、握手だ。(とキャタリーナの手を乱暴に握る)
ぼくはこれからヴェネチアヘ行くよ。結婚式の衣裳をととのえねばならん。お父さん、披露のほうはお願いします。お客の招待も頼みますよ。きっとキャタリーナはきれいな花嫁になりますよ。
【バプティスタ】 なんと言ったらよいのやら。ま、とにかくお手を。神よ祝福をあたえたまえ! さ、これで婚約はできた。
【グレミオ・トラーニオ】 アーメン。それでは我々がこの立会人いになりましょう。
【ペトルーチオ】 お父さん、おまえも、それからみなさんも、これでひとまず失礼します。さあ、ヴェネチアだ。まごまごしてるとすぐ日曜になる。指輪を買って、いろんなものを買って、そうだ、それに晴れ着がいる。さあ、ケイト、接吻しておくれ。日曜日には結婚だ!(とキャタリーナを抱いて接吻する。キャタリーナ、その腕からのがれ、部屋をとび出して行く。ペトルーチオは悠然と退場)
【グレミオ】 こんな急な婚約は見たことがないて。
【バプティスタ】 こうなるとわたしはまったく貿易商人の役ですよ。いちかばちかの取引きにめくらめっぽう乗り出そうてんですから。
【トラーニオ】 しかし蔵にしまっておいたところで、どうせながもちする品物ではなし、うまくいけばひともうけ、海の藻屑と消えてももともとじゃありませんか。
【バプティスタ】 いや平穏無事に連れそってくれれば、ひともうけですわい。
【グレミオ】 たしかにあの男なら、平穏無事におさえつけますわい。――さあ、バプティスタさん、それでは今度は妹娘のほうだ。ながいこと待っていた日がとうとうやって来たわけですからな。わしはご近所でもあるし、それに一番早く結婚を申し込んでおりますぞ。
【トラーニオ】 わたしのお嬢さんを愛する気持ちは、とうてい言葉では証言できないでしょう。考えのおよぶところではありますまい。
【グレミオ】 おい若造、そんなものはわしの想いのたけにくらべたら屁にもならぬわい。
【トラーニオ】 やい老ぼれ、おまえさんの胸はもうこおりついているよ。
【グレミオ】 おまえのはこげつきだ。はねあがり、ひっこんでろ。年だからこそ養えるんだ。
【トラーニオ】 若いからこそ喜ばせられるんだ。
【バプティスタ】 まあまあ、お二人とも。ここはわたしにおまかせください。勝負は契約書で決めましょう。つまりお二人のうちで、娘によけい財産を残してくださるお方、その方にビアンカをさしあげるとしましょう。さあ、グレミオさん。あんたは娘になにを約束なさるかな?
【グレミオ】 まず市内の邸《やしき》ですよ。あなたも知ってのとおり、銀の皿やら黄金やらがぎっしりつまっている。あの子がかわいい手を洗う水盤に水さし、壁掛けは豪奢なタイアのつづれ織り、象牙づくりの小箱には金貨がざくざく、糸杉の長持ちには、それ、アラス織りのかけぶとんやら、立派な衣裳やら、寝台のカーテンに覆い、極上の亜麻布、真珠をちりばめたトルコ製のクッション、刺繍でかざったヴェネチア金糸のたれぎぬ、白鑞《はくろう》製の器具に真鍮製の道具、そのほか家や世帯に必要な品物ならば、なんだってないものはない。次にわしの農園だて。乳牛が百頭、よく肥えた食用牛が百と二十頭、これだけでも農園の大きさはおわかりじゃろうが、なんでもみんなその大きさ相当にそろっている。正直なところ、わしも寄る年波だて、明日にでも死ねばこれがみんなあの子のもの、そのかわり生きてるうちは、あの子も、ま、わしの独占じゃ。
【トラーニオ】 たったそればかりで独占とは虫がよすぎる。わたしのほうもお聞きください。ぼくは父親の跡とりで一人息子です。もしお嬢さんをいただけるのでしたら、豊かなピサの都にある邸を三、四軒、お嬢さんに残しましょう。いずれもグレミオさんがパデュアにお持ちのどの邸にもおとらぬ立派なものです。そのほか毎年、肥えた土地からあがる二千ダカット全部お嬢さんの寡婦産といたしましょう。――どうしました、グレミオさん。まいりましたかな。
【グレミオ】 (傍白)土地のあがりが毎年二千ダカット! わしの土地を全部あわせたってそれだけにはならぬ。(大きな声で)とにかくみんなあの子にやりますとも、それに貿易船が一隻、今、マルセイユの港に停泊している。――どうした、貿易船にはがっくりだろう。
【トラーニオ】 おや、ご存じないのですか? ぼくの父は貿易船を三隻持っています。ほかに二隻の大型ガレー船、防水ガレー船なら十二隻、それもみんなお嬢さんに約束するよ。あなたがつぎになにをもち出そうと、その二倍は約束するよ。
【グレミオ】 いやもうみんな出しちまった。もう種ぎれだ。わしの持っていないものまで、あの子に約束できんしな。バプティスタさん、わしに好意をもってくれるなら、わしのものはなにもかもみんな約束しますわい。
【トラーニオ】 さあ、バプティスタさん。それではお嬢さんはどうあってもわたしのもの。お約束でしたからね。グレミオさんはせりに負けたわけです。
【バプティスタ】 たしかにあなたのほうがずっといい条件です。それではお父上にご承認願ったうえで、あの子はあなたにさしあげましょう。さもないと、失礼だが、もしあなたのほうが先に亡くなられた場合、娘が困りますからな。
【トラーニオ】 よけいなご心配です。父は老人ですよ。わたしはまだ若い。
【グレミオ】 若いからって早死するやつもあるからな。
【バプティスタ】 よろしい、それではこう決めました。ご承知のようにつぎの日曜にはキャタリーナが結婚することになっています。で、そのつぎの日曜に、ビアンカをルーセンショーさんに嫁がせましょう、お父上のご承認さえいただければ。もしご承認のない場合はグレミオさんに。それでは失礼いたします。いろいろとありがとうございました。(と一礼して退場)
【グレミオ】 こちらこそ失礼しましたな。――さあ、もうおどしたって駄目だぞ。おい、若造、はったりはやめとけ。おまえの父親の顔が見たいわい。なにもかもみんな息子にゆずってしまって、寄る年波に、息子の家の居候になるってのかい。ばかばかしい。イタリア人の古狸に、そんなお人よしがいるもんか。(と退場)
【トラーニオ】 いまにみろ、そのしわだらけの狐の皮をひんむいてやるぞ。――しかしこっちも切札ばっかりで、あぶない勝負をしたってわけだ。それも若旦那のことを思えばこそだが、さて、こいつはどうしても、にせ者のルーセンショーに父親が必要になったわい。つまりにせ者のヴィンセンショーってやつだ。まったくおかしな話だよ。父親が子供をこしらえるってのが世間の通り相場だが、今度の仕事じゃ子供のほうから父親をこしらえたきゃならぬ、さあ、うまくいったらおなぐさみだ。(退場)
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第三幕
第一場
〔バプティスタの邸内、ビアンカの部星。リショーに変装したホーテンショーがリュートを持ってビアンカのそばに坐っている。キャンビオに変装したルーセンショーは二人からすこし離れて待っている。ホーテンショー、リュートのひき方を教えるのを口実にビアンカの手をとる〕
【ルーセンショー】 やめたまえ、君! 芸人のくせに図々しいぞ。さっきキャタリーナさんから、手痛い待遇を受けたのをもう忘れたのかい?
【ホーテンショー】 このお嬢さんはね、姉さんとはちがうんだよ、書生っぽ先生、妙《たえ》なる音楽をこのうえなく愛していらっしゃる。まあおとなしく、ぼくの優先権を認めることですなあ、音楽の勉強で一時間たったら、つぎに君もやはり一時間、ゆっくり講義をしたらいい。
【ルーセンショー】 低能だな、君。まるでわかっていないんだな。なんのために音楽ができたのか、それさえも知らないのか? 勉強や毎日の仕事で疲れた心をなぐさめ元気づけるための音楽じゃないか。だからまず学問を先にするとしよう。ぼくの講義の合間に、ひとつ音楽でもやってもらおうよ。
【ホーテンショー】 (立ち上がって)なにを! 生意気言うと承知しないぞ。
【ビアンカ】 およしなさいな、お二人とも。そんなけんかをなさったらわたしが困るだけですのよ。だってわたしが決めることなんですもの。わたし先生の鞭をこわがる小学生じゃありません。時間割に縛られて、いちいちすることをきめられるなんていやです。わたしはわたしの好きなように勉強するの。さあ、もうけんかしないようにここに坐りましょう。ね、楽器をとってしばらくひいててちょうだい。調子が合う頃には、あの先生のお講義のほうも終わるでしょうから。
【ホーテンショー】 調子が合ったらすぐ、あいつの講義は終わりにしてくださいますね?
【ルーセンショー】 調子どころか気分も合いっこないさ。(ホーテンショーまた立ち上がるがすぐビアンカにおさえられる)
さあ、早く調子を合わせたり。(ビアンカとルーセンショー坐る)
【ビアンカ】 この前はどこまででしたっけ?
【ルーセンショー】 ここですお嬢さん、――
|Hic ibat Simois, hic est Sigeia tellu《ヒックイバットシモイスヒックエストシゲイアテルス》,
|Hic steterat Priami regia celsa senis《ヒックステテラットプリアミレギアセルサセニス》,――
【ビアンカ】 訳して。
【ルーセンショー】 いいですか。――Hic ibat――前にも言ったように、――Simois――ぼくの名前はルーセンショー、――hic est――父はヴィンセンショー、――Sigeia tellus――あなたの愛をかちえたいためにこうして変装している、――Hic steterat――あとで求婚に来るルーセンショーは、――Priami――ぼくの召使のトラーニオで、――regia――ぼくの格好をしているだけ、――celsa senis――それというのもあの色気ちがいのもうろくじいさんをだしぬくため。
【ホーテンショー】 お嬢さん、調子が合いました。
【ビアンカ】 ひいてちょうだい。(ホーテンショーひく)
あらひどい、高音が全然狂ってるわ。
【ルーセンショー】 つばでもつけて、もう一度やるんだね。
【ビアンカ】 じゃわたしがやってみるわ、できるかしら。いい、――Hic ibat Simois――わたしはあなたを存じません、――hic est Sigeia tellu――わたしはあなたを信じません、――Hic steterat Priami――あの人に聞かれないように用心なさい、regia ――いい気になってはいけません、――celsa senis――でも望みを捨ててもいけません。
【ホーテンショー】 お嬢さん、もう大丈夫です。
【ルーセンショー】 今度は低音が駄目だろう。
【ホーテンショー】 低音は大丈夫だ。狂っているのは君の低能のほうだろう。――(傍白)あの書生っぽ、なんて図々しいやつだ。どうもあやしいぞ。きっとぼくの大事な人をくどいているにちがいない。ようし、学者先生、もう油断しないぞ。(と二人のうしろにしのび寄る)
【ビアンカ】 そのうちには信じられるかも知れません。でも今は駄目。
【ルーセンショー】 ね、信じてください。――(ホーテンショーに気づく)というのは、いいですか、イーアシディーズとはつまりエイジャックスのことです。祖父の名にちなんでそう呼ばれていたのです。
【ビアンカ】 先生のおっしゃることなら信じなくてはなりませんわね。さもなければ、頭から疑ってかかって、いつまでも妙な理屈を言ってることになりますもの。でもそれはまあいいわ。さあ、リショーさん、今度はあなたの番よ。――(とルーセンショーをわきに連れていって耳うちする)
ね、先生、お二人に楽しそうにしたからって、気を悪くなさらないで。
【ホーテンショー】 君には出てもらいたいな。しばらく自由にさせてくれないか。ぼくの音楽は、三部合奏ではどうも調子が合わんのだ。
【ルーセンショー】 いやにかた苦しいんだね。じゃ待ってるよ。――(傍白)よし、その間に監視していてやろう。どうもあの音楽の先生、妙に色気づいてきたようだぞ。(ルーセンショー少し離れて立つ。ビアンカとホーテンショー坐る)
【ホーテンショー】 お嬢さん。直接楽器について指の使い方を覚える前に、まず基本からはじめなくてはなりません、ごく簡単な方法で音階をお教えします。今まで音楽の教師たちが教えてきたよりも、ずっと楽しい効果的な方法です。さあ、ここにきれいに書いてあります。
【ビアンカ】 でもわたし、音階ならずっと前に習いましたわ。
【ホーテンショー】 それでもどうぞ読んでください。ホーテンショー式音階です。
【ビアンカ】 (読む)――
ド、われはあらゆる和音の基礎にして、
レ、ホーテンショーの恋情を代弁す。
ミ、ビアンカよ、彼をこそ汝《な》が夫《つま》に、
ファ、彼は真情をかたむけて汝《なれ》を愛せり。
ソ、われの記号は一つなれど、二つの音符をになえり、
ラ、ああ、汝《なれ》のあわれみなくば死せん身なるを。――
あら、これが音階? まああきれた、いやだわ。わたし古い流儀のほうが好き。気のきかないたちだから、妙な新方式で昔からの規則を変えたりできないの。
〔召使登場〕
【召使】 お嬢さま。お父さまが、もうお勉強はそのぐらいにして、お姉さまの部屋の飾りつけを手伝うようにとおっしゃっておいでです。明日はご承知のとおり結婚式でございますから。
【ビアンカ】 では先生方、ごきげんよう。わたしは向こうへまいります。(ビアンカ、召使退場)
【ルーセンショー】 あなたがいなければ、もうここには用がない。(退場)
【ホーテンショー】 だがぼくのほうは用がある。あの書生っぽのやつ、すこし探ってやらなくては。どうやらすっかりまいってるらしいぞ。だが、ビアンカ、もし君がどんないんちきな囮《おと》りにでもながし目をおくるようなさもしい女なら、どうぞ好きなやつをつかまえるがいい。そんな浮気女だとわかったら、よし、あっさりとくらがえだ。おまえなんかきっと見返してやるぞ。(退場)
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第二場
〔パデュアの広場。舞台からは見えないが、すぐ近くにバプティスタの家がある。さらにその向こうには、結婚式の行なわれる教会がある。
バプティスタ、グレミオ、ルーセンショーのトラーニオ、キャンビオのルーセンショー、花嫁衣裳を着たキャタリーナ、ビアンカ、召使たち、お客たち。一同、ペトルーチオの来るのを待っている。見物人あたりにむらがる〕
【バプティスタ】 ルーセンショーさん。今日は前からきめていたとおり、キャタリーナとペトルーチオの結婚式なのですが、当の婿《むこ》殿からなんの音沙汰もないのですよ。これではどんな噂をたてられることやら。だいいち、牧師さんが来ていよいよ式をあげる段になったら、さあ婿殿がいないではどんなに笑われても仕方がありますまい。ねえ、ルーセンショーさん、まったく一家の恥さらしですよ。
【キャタリーナ】 恥をさらすのはわたしだけよ。いやでいやでたまらないってのに、あんな気まぐれな、半気ちがいの乱暴者と、どうしても結婚させられるんですから。あんなにあわてて求婚しながら、結婚となると急にのんびりしてしまう。わたし言いましたわね、言いましたでしょう。あの男は馬鹿だって、左巻きだってね。ぶっきらぼうなふりをしてるけど、ほんとうは毒があるのよ、ひどい冗談だわ。陽気な男だって評判になりたいばっかりに相手かまわず求婚しては、結婚の日取りまできめて、披露だ、お客だ、教会だと騒いだあげく、ほんとうは全然結婚する気なんかないのよ。世間じゃきっとこのキャタリーナを指さして、くちぐちに言いたてるわ、「ほら、あれがペトルーチオの奥さんだよ、あの気ちがいのさ。もっともあいつがいつ舞い戻って式を挙げる気になることやら」
【トラーニオ】 ま、そう興奮なさらずに、ね、キャタリーナさん。バプティスタさんも。どんなことで約束におくれたかは知らないが、あの人はけっして悪気のある人じゃないですよ。ぶっきらぼうだが実に賢い人だ。のん気そうでいて根はまじめなんですよ。
【キャタリーナ】 ああ、でもわたし、あんな人に会わなければよかった!(と泣きながら家のほうへ退場。ビアンカ、花嫁づきの召使たちそのあとを追う)
【バプティスタ】 かわいそうになあ、泣くのも無理はない。こんなひどい目にあっては、仏さまでも腹がたつだろう。ましてひと一倍わがままな、じゃじゃ馬と言われたおまえのことだ。
〔ビオンデロかけこんで来る〕
【ビオンデロ】 旦那さまあ! 大変だ、前代未聞の大変だ。おなじみの大変だ。
【トラーニオ】 前代未聞でおなじみとはどういうことだ?
【ビオンデロ】 おなじみのペトルーチオさんが前代未聞の格好でやって来たからで。
【バプティスタ】 なに! 来た?
【ビオンデロ】 いや、まだでさ。
【バプティスタ】 まだだと?
【ビオンデロ】 今来るところで。
【バプティスタ】 じゃ、いつここへ来るのだ?
【ビオンデロ】 へえ、あっしのいる所にちゃんと立って、みなさんにご挨拶なすったら、それで来たことになるわけで。
【トラーニオ】 だが、その前代未聞の格好とはどういうことだ?
【ビオンデロ】 へえ、それが、新しい帽子に古いチョッキ。三度も裏返したようなよれよれの乗馬ズボン。靴ときたら、廃物利用でちびたろうそく入れに使っていたやつをまた持ち出して、それも片っぽうは締め金の、片っぽうは紐で締めるってやつで。腰には一本|赤鰯《あかいわし》、公会堂の奥の倉庫から引っぱり出してきたしろもの。柄《つか》は折れてる、鐺《こじり》はとれてる。上衣とズボンの結び紐だって二本ともいかれてましたぜ。鞍は虫くいだらけ、鐙《あぶみ》ときては珍無類。それで馬がまた大変。尻《けつ》の骨はゆがんでる。鼻疽《びそ》にかかって鼻の穴からなにやらだらだらたらしている、上あごはできものでふくれてる、耳のつけねもふくれてる、ついでに脚の関節もふくれてる。皮疽《ひそ》の、黄疸《おうだん》の、蹴爪《けづめ》にははれもの。歩けば中気ですぐひっくり返る、腹ん中には虫がわいてる。背骨はまがってる、肩の骨ははずれてる、前脚はくっついてる。それがだらんとした轡《くつわ》をつけて、面繋《おもがい》は安っぽい羊の皮、それもけつまずいたやつをやたらと引っぱったもんたから、もう何度もぶっ切れて、大きな結び目だらけ。腹帯は六ぺんもつぎはぎをあてたやつ。鞦《しりがい》は女もののビロードのお古、それもごていねいに飾りものの頭文字が二つ、きれいにはめこんだままですぜ、そいつだって荷縄であっちこっちとつないでありますさ。
【バプティスタ】 どなたがごいっしょだ?
【ビオンデロ】 へえ、お供を一人。そいつがまた馬に負けないようないでたちなんで。片足にはリンネルの靴下、片足にはラシャのゲートル、しかもその留め紐が赤と青の切れっぱし、帽子はすすけた時代もんで、羽根飾りのかわりになにやら妙ちきりんなリボンが束になってくっつけてある。ま、化物ですな、衣裳をつけたお化けってやつで。あいつはどうしたってどこか野蛮国の家来でさ、紳士のお供なんてもんじゃありません。
【トラーニオ】 きっとなにかの気まぐれでしょう、そんな格好をするのは。しかしあの人はときどき粗末な服装で出歩くことがある。
【バプティスタ】 どんな格好だろうと、とにかく来てくれたのはありがたい。
【ビオンデロ】 いいえ、来るんじゃないんで。
【バプティスタ】 おまえ、さっき来ると言ったろう?
【ビオンデロ】 どなたのことで? ペトルーチオさんがですか?
【バブティスタ】 そうだ。
【ビオンデロ】 いいえ、そんなことは言いませんよ。あっしはただ馬が来ると言ったんで。背中にペトルーチオさんを乗せてますがね。
【バプティスタ】 こいつ、一つことじゃないか。
【ビオンデロ】 とんでもない、
一銭かけよか。
馬と人とじゃ
一つじゃないぜ、
ま、たんとでもないが。
〔ペトルーチオ、グルーミオをしたがえてあらあらしく登場。二人とも、ビオンデロのせりふどおり、ひどい服装をしている〕
【ペトルーチオ】 さあ、どこだ、お歴々は? だれかおらんか?
【バプティスタ】 (つめたく)よくおいでで。
【ペトルーチオ】 よくでもなさそうですな。
【バプティスタ】 欲は申しません。
【トラーニオ】 いや、欲を言えばもっとましな服装でおいでいただきたかったですね。
【ペトルーチオ】 こうして乗りこむほうがずっと勇ましい。だがおケイはどこにいる、僕のかわいい花嫁は? おやお父さん、どうしたんです? みなさんもしぶい顔つきですな。――このお歴々はなんだってじろじろ見るんだ? おれがまるですばらしい記念碑か彗星でもあるのかね、まさか天変地異ってわけでもあるまい。
【バプティスタ】 ですがペトルーチオさん。今日はあんたの結婚式ですぞ。はじめはあんたが来ないんじゃないかと心配していた。だがこんな格好で来られちゃ、なお困ります。さあ、そんな着物は脱いで! あんたの身分にかかわる。こっちはりっぱな式をあげるつもりなのに、目ざわりです。
【トラーニオ】 それに説明してくださいよ。いったいどんな重大な理由でこんなにながいこと奥さんを待たせたんです? だいいちこんな格好で来るなんて、あなたらしくないですよ。
【ペトルーチオ】 話せば長く、聞くも涙。――まあとにかく、約束どおり来たんだからいいでしょう。もっとも余儀なく少々脱線しましたがな、その辺の事情はまた落ち着いた時にでもご納得のいくように説明しましょうよ。――だがおケイはどこだ、おそいじゃないか、時間がたつ。もう教会に行く時刻だ。
【トラーニオ】 そんな失礼な格好はおよしなさい、花嫁に会うんでしょう。さあ、わたしの部屋へ行って、わたしの着物がそろっていますから。
【ペトルーチオ】 とんでもない、このままで会います。
【トラーニオ】 しかしまさか式はこのままじゃないでしょうね?
【ペトルーチオ】 いやこのままです。だからもうかれこれ言わないでください。結婚の相手はぼくです、着物じゃない。こんな着物をとりかえるのはわけないが、それよかおケイの心の衣裳を立派なものにとりかえたい。ケイトも喜ぶだろうし、ぼくだってなおのことありがたい。――しかしあなたを相手におしゃべりをしている場合じゃない。さあ、ぼくの花嫁に挨拶しなくては、愛の接吻でぼくの権利をしっかり封印しておくとしよう。(とグルーミオを連れていそいで退場)
【トラーニオ】 あの気ちがいじみた服装はきっと、なにかわけがあってのことにちがいありません。しかし、まあなんとか説きつけて、教会へ行く前に着かえさせたほうがいいですね。
【バプティスタ】 とにかくついて行ってみます。この成行きを見とどけなくては。(とペトルーチオのあとを追う。グレミオその他つづく。トラーニオ、それを見おくりながら、ひとりのこったルーセンショーにささやいていたが)
【トラーニオ】 しかし今問題なのは、お嬢さんの愛情だけではございませんよ。あの父親にもうんと言わせなくちゃ。それには若旦那さま、一人人間がいりますんで。どんな男でもけっこう、こっちの間に合うように、うまく役にはめこみますから。なあに、役ってのはピサの大旦那さまの身代わりなんで。手前が約束した以上の財産を向こうに保証してやる、とそれだけパデュアでやってくれれば、もう若旦那さまのお望みどおり、安穏無事にあのお嬢さまと天下晴れての結婚ができるってわけで。
【ルーセンショー】 あの音楽教帥のやつ、ひとの行動をいやにくわしく監視してるが、あいつさえいなけりゃ、いっそ駈落ちしたほうがいいと思うんだ。いったん結婚さえしてしまえば、世界じゅうが反対したって、ぼくのものだもの。
【トラーニオ】 そのことも、ま、おいおい検討してみるとしましょう。とにかく今の場合は機会をのがさぬことです。さあ知恵くらべはこれからだ。まずあの老獪なグレミオ、父親のミノーラだってなかなか用心ぶかいし、それに抜け目のない音楽教師、色気づいたリショーもいる。すべては大事な若旦那、ルーセンショーさまのおんためだ。
〔グレミオ、はあはあ言いながら戻ってくる〕
おや、グレミオさん、教会からですか?
【グレミオ】 ああ、ほっとしました。学校のひけた時のような気持ちですわい。
【トラーニオ】 新郎、新婦は戻って来ますか?
【グレミオ】 新郎だと? いやまったくとんでもない野郎だよ、あれは。雷野郎のがみがみ野郎、あの娘も思い知るだろうて。
【トラーニオ】 がみがみ野郎? あの娘よりですか? まさかそんな!
【グレミオ】 あいつは鬼だ。鬼も鬼、鬼の親分だ。
【トラーニオ】 娘のほうが鬼ですよ。鬼も鬼、鬼のおふくろだ。
【グレミオ】 とんでもない、あいつにくらべたら、あの娘はまるで子羊だ、鳩だ、人形だ。とにかくルーセンショーさん、まあ聞いてください。牧師が例によって、「汝、キャタリーナを妻とするや」と聞いたと思いなされ。するとどうだ、あの男「きまってらあ」と言ったもんだ、それも大きな声だから、牧師はすっかり驚いて、聖書を落っことしてしまった。それを拾おうとかがみこんだとたん、あの気ちがいめ、牧師をげんこでポカリとやった。さあ、牧師も聖書もひっくり返る大騒ぎ、その中であいつは「やい、どいつでも手が出せるなら出してみろ」とこうだよ。
【トラーニオ】 で娘さんはどう言いました、牧師さんが起きあがった時?
【グレミオ】 ただもうぶるぶるふるえてたよ。無理もない話さ、自分の婿殿が床《ゆか》をふみならして牧師がなにか悪いことでもしたように毒づいてるんだからな。が、まあ、どうにか式もすんで最後のぶどう酒になった。ところがまた「乾杯!」ってどなったもんだよ。あれじゃまるで船の上さ、嵐のあとで仲間といっしょに、無事を祝って飲んでるようなもんだ。だいいちあんた、ぶどう酒をあおって、コップに残った酒びたしのお菓子をだよ、あれはだいたい花嫁にやるもんだってのに、寺男の顔にぶつけたんだからな。なに、わけなどあるもんか、ただその男のひげがうすくて、ひもじげで、飲んでる間じゅうお菓子だけでもくれってような顔をしてたからだっていうんだよ。それがすむと花嫁の首っ玉をつかんで唇に猛烈な接吻をやらかした。それがまた大変な音だ、唇をはなす時、教会じゅうに鳴りひびいたんだからな、あんた。いやもうわしも恥ずかしいのなんの、とにかくここまで逃げて来たんだが、おっつけみんなも来ることだろう。まったくあんな気ちがいざたの婚礼ははじめてだよ。(音楽が聞こえる)
うん、聞こえる。ほら、楽隊がやってるわい。
〔楽師たちを先頭に、結婚式の行列が入ってくる。つづいてペトルーチオとキャタリーナ。ビアンカ、バプティスタ、ホーテンショー、グルーミオ、その他つづく〕
【ペトルーチオ】 みなさん、いろいろとありがとうございました。みなさんはこれからいっしょに会食なさるおつもりで、披露のご馳走もたくさんご用意くださっているようですが、残念ながら急用のため出かけなければなりません。失礼ですが、ここでおいとまをいただきます。
【バプティスタ】 夜まで待てんのかね?
【ペトルーチオ】 どうしても日の暮れぬうちに出かけなくてはならんのです。驚かないでください。用件をお話しすればお父さんだって早く行ったほうがいいとおっしゃるにちがいありませんよ。――みなさん、今までなにくれとお世話くださって感謝しています。おかげでぼくもこのような忍耐づよい、美しい、しかも貞淑な女性を妻にすることができました。どうぞお食事を。父もごいっしょします。ぼくの健康を祝して大いにやってください。さあこうしてはいられない。ではみなさん、お元気で。
【トラーニオ】 せめて食事だけでもごいっしょ願えませんか?
【ペトルーチオ】 駄目ですな。
【グレミオ】 わしからもお願いしますわい。
【ペトルーチオ】 駄目です。
【キャタリーナ】 ね、あなた、お願い。
【ペトルーチオ】 気にいった。
【キャタリーナ】 じゃいてくださるのね?
【ペトルーチオ】 いや、君の頼むのが気にいった。だがいくら君が頼んでもぼくは行くよ。
【キャタリーナ】 わたしを愛してくださるのなら、ね、お願い。
【ペトルーチオ】 グルーミオ、馬だ!
【グルーミオ】 合点だ。用意はできてますぜ。腹いっぱい燕麦がつめこんでまさあ。
【キャタリーナ】 ようござんす、お好きなようになさいまし。わたしはまいりませんから、今日だって、明日だって、気がむくまでわたしはまいりません。さあ、戸はちゃんとあいてます。行くのはお勝手。その長靴がやぶけないうちに、お出かけなさいまし。わたしはお供いたしません、気がむくまでは行きませんから。最初っからこれでは先が思いやられますわ、いつご亭主風を吹かせてどなりちらすかわかりゃしない。
【ペトルーチオ】 ケイト、およし。そんなにおこるもんじゃないよ。
【キャタリーナ】 おこりますとも。――お父さま、いいの、お父さまには関係ないことなの。ね、だまっててください。あの人の勝手になんかなるものですか。
【グレミオ】 そら、いよいよはじまりますぞ。
【キャタリーナ】 みなさん、どうぞ披露の席へ。女は言いなりになっていると、ばか扱いにされてしまいますからね。
【ペトルーチオ】 ケイト。君の命令だ、お客はみんな向こうへ行くとも。――君たちもいろいろとご苦労だった、いいから花嫁の命令にしたがってくれ。――さあ、宴会だ。食いものも飲みものもたっぷりある。これの結婚を祝して満《まん》をひいてもらおう。騒ごうと、狂おうと、お好きなように。いやなら首でもくくってくれ。だがこのかわいいケイトだけはぼくがあずかった。(とキャタリーナの腰を抱きかかえる。キャタリーナ、さかんに身をよじって騒ぎたてるが、それにはかまわず、わざと一同を睨み回し、いちいちキャタリーナの動作にあてつけて)
おどかしたってきくものか。じたばたしようが、睨みつけようが、やきもきしようが、おれのものはどうしたっておれのものだ。これはおれの所有物、おれの動産、おれの家屋、おれの家財道具。おれの畠だ、納屋だ、馬だ、牛だ、ろばだ、なにもかもおれのもの。さあ、女はここにいる。手を出せるものなら出してみろ。このパデュアでおれの行く手を邪魔するやつは、いつでも相手になるぞ、どんな威勢のいいやつだってかまわん。――グルーミオ、剣を抜け。おれたちは山賊どもに襲われたんだ。きさまも男なら、奥さんを救いだせ。――こわがらなくてもいいよ、ケイト。おまえには指一本さわらせやしない。相手が百万人だろうと大丈夫。(とキャタリーナを抱きかかえて退場。つづいて剣を抜いたグルーミオ、二人の入るのを援護するしぐさで退場)
【バプティスタ】 まあ、ほっときましょう。あんなにおしとやかな二人のことだ。
【グレミオ】 いや、行ってくれてありがたかった。腹の皮がよじれて死ぬかと思うたよ。
【トラーニオ】 お嬢さん。お姉さまのこと、どうお考えですか?
【ビアンカ】 ご自分が気ちがいじみていましたから、ちょうど似合いの旦那さまですわ。
【グレミオ】 われ鍋にとじぶたってとこだわい。
【バプティスタ】 ではみなさん、花嫁、花婿はおりませんが、その披露の空席もご馳走がうめ合わせましょう。――そうだ、ルーセンショーさん、あんたが花婿の席に坐ってください。ビアンカはキャタリーナの席へ坐らせましょう。
【トラーニオ】 ビアンカさんの予行演習ですか?(とビアンカの手をとる)
【バプティスタ】 まあ、そういったところです。――ではみなさん、どうぞ、どうぞ。(一同退場)
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第四幕
第一場
〔田舎にあるペトルーチオの別荘、その広間。階段が二階の回廊に通ずる。大きな暖炉。テーブルが一脚。長椅子、腰かけなどいくつか。三方にドアがあり、その一つは外の玄関に開く。玄関からグルーミオ登場。肩に雪が降りかかっている。脚は泥まみれである〕
【グルーミオ】 なんてこった、まったく。よぼよぼ馬に気ちげえ旦那、おまけに泥んこ道とくらあ。こんな情ねえ話ってあるもんか。ぶん殴られて、泥だらけになり、そのうえくたくたでもう動けねえや。火を起こしておけだって? あとから来てゆっくりあったまろうって寸法だろう。おれみてえなちびとっくりは燗のつくのも早いからいいようなもんの、これがでっかけりゃ、くちびるは歯に、舌は上あごの天井に、心臓はどてっ腹にこおりついてよ、まずゆっくり火にでもあたって、とけるのを待たなけりゃなるめえ。が、まあいいや。さあ、火でも吹きながらぬくまろうぜ。まったくこの陽気じゃ、おれよりでっけえ体のやつあ風邪をひくにちげえねえ。――おうい、カーティス!
〔カーティス登場〕
【カーティス】 だれだな、寒そうな声で?
【グルーミオ】 つららだよ。嘘だと思うならさわってみな、肩からかかとまでひと滑りだ、早えのなんのって、頭から首の根っこまで滑るみてえだ。おい、火だ、じいさん。
【カーティス】 旦那と奥さんは来るのかな?
【グルーミオ】 来るとも。だから火だよ、「火だ、火だ、火の手だ水かけろ」とくらあ。おっと水はいけねえや。
【カーテイス】 どうだ、奥さんは噂どおりのじゃじゃ馬かね?
【グルーミオ】 今朝の霜がおりるまではな、じいさん。だが冬になれば、男だろうが女だろうがけだものだろうが、みんなしぼんじまわね。この寒さじゃ旦那も奥さんも、このおれだってしなびちまった。え、兄弟《きょうでえ》。
【カーティス】 兄弟呼ばわりはやめてくれ、一寸法師。おらあおめえみてえなけだものとはちがうでな。
【グルーミオ】 たった一寸だと。へ、やきもちやきのおめえなんざ、角が一尺も突き出てらあ。おれだっておめえの角ぐれえの身丈《みたけ》はあらあね。さあ、火を起こしてくんなよ。奥さんに言いつけるぜ。すぐそこまで来てるんだ。火を起こさなかったてんで、おめえの目から火が出るぜ。(カーティス火を起こしはじめる)
【カーティス】 なあ、グルーミオ。世間の様子はどんなだな?
【グルーミオ】 つめてえ風が吹いてらあね。なにをしたってこおりつきそうだ。あったけえのはじいさんの仕事ぐれえのもんさ。さあ、しっかり起こしてくんな。かげひなたなくつとめれば、それだけ報いもあろうってことよ、旦那も奥さんも、骨の髄までこおってやってくるぜ。(火が勢いよく燃えあがる)
【カーティス】 どうだ、あったかになったろう。さあ、グルーミオ、話を聞かしてくんな。
【グルーミオ】 「知らざあ言って聞かせやしょう」とな、話の種はつきねえぜ。
【カーティス】 そうじらすなよ。おめえはひとの気をもたせるのがうまいからな。
【グルーミオ】 (火にあたりながら)だからよ、まずゆっくりとぬくまってからだ。なにしろひでえ寒さだったからな。――料理番のやつはどこにいる? 夕飯の支度はいいのかい? え、家ん中は片づいてんのか? 床《ゆか》に細藺《ほそい》をまいて、くもの巣をとっぱらってよ。連中は新しいお仕着せにとっけえただろうな? 白い靴下をはいてよ。奥の連中も、婚礼の衣裳にちゃんと着かえただろうな? 男も女も、ジョッキもコップも、内から外まできれいにみがき上がってるかい? テーブルかけは? 万事ぬかりはないんだろうな。
【カーティス】 大丈夫だよ。だから話してくんな。
【グルーミオ】 まずな、おれの馬がへたばって、旦那と奥さんがいきなり――
【カーティス】 どうした?
【グルーミオ】 鞍から泥ん中へころげ落ちた。それにはちとわけがある。
【カーティス】 ほう、そこを聞かしてくれ。
【グルーミオ】 耳をかしな。
【カーティス】 ほいきた。
【グルーミオ】 そらきた。(とカーティスの頭をたたく)
【カーティス】 なにするだ。これじゃ聞くじゃなしにこたえるじゃねえか。
【グルーミオ】 そうさ、まったくこたえる話だよ。それによ。ここで一発くらっておけば、耳の穴もぶったまげて、話の通りもよくなるだろう。――さあ、いいか。そもそもだ、われわれ一行はぬかるみの山道をくだりはじめた。旦那は奥さんのうしろに乗ってた。
【カーティス】 ほう、一匹の馬にお二人でかい?
【グルーミオ】 それがどうした?
【カーティス】 たった一匹ではな。
【グルーミオ】 うるせえな。てめえで話をするがいいや。余計な口出しをしなけりゃ、すんなり話してやったのによ。奥さんの馬がぶったおれて奥さんがその下じきになった話をよ。なにしろひでえぬかるみだ。奥さんがどんなに泥だらけになったか知らんだろう。ところが旦那ときたら、その奥さんを馬の下にほったらかしておれを殴りつける。馬がけっつまずいたからって、おれが悪いんじゃねえのによ。それをとめようとして奥さんは泥ん中をわたって来る。旦那はどなる、奥さんはなだめる。今までひとをなだめたことなんざない人がだぜ。おいらはわめく、馬はかけ出す。奥さんの手綱はぶっ切れる、おいらの鞦《しりがい》はなくなる。まだ話はたんとあるが、それも鞦といっしょに忘却の淵に沈むってわけよ。いずれも後世に残る重大な話の種だが、かわいそうに、おめえはそれも聞けずに墓ん中へ入っちまうんだよ。
【カーティス】 それじゃ旦那のほうがずっとじゃじゃ馬らしいな。
【グルーミオ】 そうよ、じいさんだっていずれそれが身にしみるだろうよ。家ん中でどんなにふんぞりけえってるやつでも、旦那が帰って来たらお手あげよ。――さあ、こんなことをしゃべくってる時じゃねえや。連中を呼ぶんだ。ナサニエル、ジョセフ、ニコラス、フィリップ、ウォールター・シュガーソップ、それにまだいるな。みんな頭をきれいにとかして、紺のお仕着せのちりを払って出てこい。靴下どめは派手に結んじゃいけねえぜ。左脚をひいておじぎするんだ。手に接吻するまでは、旦那の馬のしっぽの毛一本だってさわっちゃいけねえんだぜ。――さあ、用意はいいか?
【カーティス】 いいともよ。
【グルーミオ】 じゃ、呼びな。
【カーティス】 おうい、みんな、聞こえたかあ。旦那の出迎えだぞう。新しい奥さんをお祝《ゆわ》えしろ。
【グルーミオ】 とんでもねえ、じいさん、奥さんをゆわえつけちゃならねえ。
【カーティス】 そんなことはわかってるよ。
【グルーミオ】 だっておめえ、みんなに奥さんをおゆわえしろって言ったじゃねえか。
【カーティス】 いや、お祝えしろって言ったんだ。祝辞《しゅくじ》を申しあげるんだ。
【グルーミオ】 奥さんは杓子《しゃくし》なんかいらねえよ。
〔召使たち登場〕
【ナサニエル】 よく戻ったな、グルーミオ。
【フィリップ】 どうした、グルーミオ。
【ジョセフ】 よう、グルーミオ。
【ニコラス】 やあ、グルーミオ。
【ナサニエル】 どうだい、大将?
【グルーミオ】 よう、みんな! どうした! よう、大将! やあ、兄弟! ああくたびれる、挨拶はこれだけだ。――ところでみんな、相変わらず元気がいいな、用意はいいのかい? すっかり片づいてるな?
【ナサニエル】 大丈夫だ。旦那はすぐかい?
【グルーミオ】 すぐもすぐ、もう馬をおりた頃だ。だからみんな――おや! しいっ! そら旦那の足音だ。
〔玄関の戸が乱暴にあけられ、ペトルーチオが入ってくる。つづいてキャタリーナ、もうぐったりして気を失いそうな様子だが、それでも気丈に弱味を見せまいとしている。二人とも全身泥まみれである〕
【ペトルーチオ】 家のやつらはどこだ? だれも出迎えぬのか、鐙《あぶみ》をおさえるやつもいなければ、馬の始末をするやつもいない! おい、どこだ。ナサニエル、グレゴリー、フィリップ!
【召使たち】 へい、へい、旦那さま。へい、旦那さま。
【ペトルーチオ】 ヘい、へい、へい、旦那さま。へい、へい、へい、旦那さま。間抜け! 無作法もの! 出迎えはどうした! 主人に対してなんという態度だ! つとめ気がないのか! 先によこした馬鹿はどこにいる?
【グルーミオ】 へい、旦那さま、馬鹿は死ななきゃなおらねえんで。
【ペトルーチオ】 このどん百姓! 肥えくみ野郎! 猟園のところまで出迎えろって言っておいたろう、この間抜けども引き連れてだ。
【グルーミオ】 ヘえ、なにしろナサニエルの上着が仕上がりませんで、それにゲイブリエルの靴はかかとの飾りが間に合わず、ピーターの帽子はつや出ししようにも、いぶしのたいまつがきれちまって、ウォールターの短刀はさびついて抜けませんで。アダムとラルフとグレゴリーだけがちゃんとしてるだけで、あとはみんなぼろぼろの、がたがたの、乞食みてえなんで。それでもなんとかこのとおり、出迎えてはおりますんで。
【ペトルーチオ】 さがれ。さあ、早く夕食を持ってこい。(召使たちいそぎ退場)
(鼻歌を歌う)「昔のくらしはどこへ行った」か、まったく召使たちはどこへ行った、だ。――(キャタリーナが戸口に寄りかかったままなのを見つけて)さあ、ケイト、お坐り。よく来てくれたね。(と火のそばへ坐らせる)
さあ、食事だ、食事だ、食事だ。
〔召使たち食事を持って登場〕
おい、なにしてるんだ、早くしろ!――いやケイト、大丈夫。ゆっくりしなさい。(とキャタリーナのそばに坐る)
おい、靴を脱がしてくれ。のろま! 早くしろ!(召使靴を脱がせようとひざまずく)
(また歌う)「それはお寺の坊さんの話、
ある日ぶらぶら歩いていると――」
馬鹿! 足がねじれて抜けっちまうぞ!(と召使をたたく)
どうだ、わかったか。わかったら片方はちゃんと脱がせろ。(靴を脱ぎ終わって立ち上がる)
ケイト、さ、元気をお出し。――おうい、水を持って来い水だ!(召使、水盤を持って出る。するとわざとそっちを見ずに)
猟犬のトロイラスはどこだ? おい、おまえはすぐいとこのフェルディナンドを呼んで来てくれ。(召使一人退場)
ケイト、彼にだけはお近づきの接吻をしてやっておくれ。――上靴はどこだ? 水はどうした?(召使ふたたび水盤をさし出す)
さあ、ケイト、手をお洗い。ほんとによく来てくれたね。(とわざとつまずいて水盤の水をこぼしてしまう)
間抜け! なんだって水をこぼすのだ!(とその召使をたたく)
【キャタリーナ】 ね、お怒りにならないで。うっかりこぼしてしまったのよ。
【ペトルーチオ】 間抜け! ぐずののろま! うろちょろしやがって! さあ、ケイト、お坐り。お腹がすいたろう。食前のお祈りをしておくれ、それともぼくがやろうか?――なんだ、これは? 羊の肉だな?
【召使】 はい。
【ペトルーチオ】 誰が持って来た?
【ピーター】 てまえで。
【ペトルーチオ】 こげてるぞ! なんだ、どれもこれもこげている! 畜生ども! 料理番はどこだ? おまえら、おれの嫌いなものを棚ん中からさがし出して、わざわざ皿にもって食わせようってのか? さげろ、食べ物も飲み物もみんな持って行け!(と食べ物を召使の頭めがけて投げつける)
うすぼんやりのとんちきめ! 無作法もの! なんだと、ぶつくさ言う気か? よし、痛い目にあわせてくれる!(召使たち逃げ出す。カーティスだけ残る)
【キャタリーナ】 ねえ、あなた、そんなに興奮なさらないで。今の肉けっこうでしたわ、あなたさえお気に召せば。
【ペトルーチオ】 いや、ケイト、あれはこげてかさかさだ。ぼくはあんな肉を食うのをかたく禁じられてるんだ、癇が高ぶって怒りっぽくなるからね。あんな焼けすぎた肉を食べるくらいなら二人とも断食していたほうがいいんだよ、おたがいふだんも癇のつよいほうだからね、さあ、がまんをおし。明日になればこんなこともあるまい。今夜だけはいっしょに断食しようね、さあおいで、新床《にいどこ》へ案内しよう。(二人二階へあがる。カーティスつづく)
〔召使たち、こそこそとあらわれる〕
【ナサニエル】 ピーター、こんなの見たことがあるかい?
【ピーター】 いや、旦那のは毒をもって毒を制するってやつだよ。
〔カーティスもどる〕
【グルーミオ】 じいさん、旦那は?
【カーティス】 奥さんの部屋で、節制についてお説教の最中だ。それもな、どなるやら、毒づくやら、わめくやらで、かわいそうに奥さんはどこへ行ったらいいのやら、どっちを見たらいいのやら、口もきけずに坐ってござる。夢からさめたみたいにな。――そら逃げろ、旦那が来るぞ!(召使たち逃げ出す)
〔ペトルーチオ二階の回廊にあらわれる〕
【ペトルーチオ】 首尾よく亭主関白の座についた、おれの地位は最後まで安泰だろう。鷹は今すっかり腹をへらしている。たまらなくなって音をあげるまでは、たらふく食わせてはならぬのだ。腹がくちれば、思うように飼いならすこともできなくなる。もう一つ方法があるぞ。野性の鷹を飼いならし、飼い主の呼び声どおりに呼びもどすには、眠らせぬことだ。じたばた羽ばたいて、言うことをきこうとしない雌鷹にやる方法だ。――さあ、今日はなにも食べさせなかった。これからもだ。昨夜は眠らせなかった。今夜も眠らせぬぞ。さっきの肉と同じく、寝床の支度にあれこれ難くせをつけてやろう。枕や長まくらを、あっちこっちにほうり投げる。おおいもシーツもはぎとって投げ散らす。そうだ、そのような乱暴沙汰も、すべてはあれの身分を敬《うやま》えばこそだというふりをする。結局あいつはひと晩じゅう眠れない。それで居眠りでもしたら、どなったり、わめいたり、うるさくて寝られぬようにしてやろう。これがすなわち涙の剣で妻を切るの法、こうしてあの気ちがいじみた強情をなおそうってわけだが、さて、お客さま、どなたかほかにじゃじゃ馬ならしの妙案をご存じなら、まことにありがたい話、さあどうぞお教えくださいまし。(退場)
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第二場
〔パデュアの広場。ルーセンショーとビアンカが腰をおろして本を読んでいる。トラーニオとホーテンショー登場。二人に気づかれぬよう舞台のはしに立つ〕
【トラーニオ】 ねえ、リショーさん。ほんとですか、ビアンカさんがこのルーセンショー以外の男を恋してるなんて。今までぼくをうまくだましていたというんですか?
【ホーテンショー】 わたしの申し上げたことにご納得いかぬなら、さあ、ここにかくれてあいつの教えるのをうかがってごらんなさい。(二人、舞台のはしからうかがう)
【ルーセンショー】 ねえ、お嬢さん。本を読んでためになりますか?
【ビアンカ】 先生、なにを読んでくださいますの?
【ルーセンショー】 ぼくの専門のところです。オウィディウスの「愛の技法」ですよ。
【ビアンカ】 先生はほんとにそれがご専門ね。お上手だわ。
【ルーセンショー】 お嬢さんがぼくの相手をしてくださるからです。(二人接吻をかわす)
【ホーテンショー】 優等生だ。進歩が早いよ、まったく。さあ、これでもあなたはあの女に、ルーセンショー以外の恋人はぜったいにないとおっしゃるのですか?
【トラーニオ】 ああ、とんでもない女だ! 女心と秋の空だ! まったくあきれはてましたよ、リショーさん。
【ホーテンショー】 いやもうかくす必要はない、じつはぼくはリショーではありません。音楽家というのはたんなる見せかけです。ぼくのような紳士を捨てて、あんなろくでなしを神様扱いにしているあの馬鹿娘のために、こんな変装をしていたのかと思うと、まったくいまいましい。君、ぼくはホーテンショーという者です。
【トラーニオ】 ホーテンショーさんでしたか。ビアンカさんを。深く愛しておいでだとは聞いてましたよ。どうです、あの尻軽な娘は! もうぼくもあなたとごいっしょします。あなたもその気持ちとあれば、ぼくもあの女から永久に手を引きましょう。
【ホーテンショー】 そら、また接吻していちゃついてる! ようし、ルーセンショーさん、さあ手を。この手にかけてぼくはかたく誓います。二度とあの女には近よらない。今まであんなつまらぬ女を、ありがたがってちやほやしたのは大まちがいだった。もうぜったいに見向きもしません。
【トラーニオ】 ぼくもこの手にかけて心から誓います。あの女とはけっして結婚しない、たとえ向こうから頼んできても。なんだあんな女! そら、あんないやらしい様子をして!
【ホーテンショー】 世界中の男があんな女を相手にしなければいい! ぼくはね、今の誓いをまもるという証拠に、三日以内にある金持ちの未亡人と結婚します。その人はね、ぼくがあの高慢ちきな威ばりくさった馬鹿女に熱をあげている間じゅう、ぼくのことを愛していてくれたんですよ。ではルーセンショーさん、さようなら。女は器量じゃない、女らしい優しさですよ、ぼくはそこにひかれます。では失礼。さっきのかたい誓いはきっとまもりますよ。(ホーテンショー退場。トラーニオ、ルーセンショーとビアンカのほうへ行く)
【トラーニオ】 お嬢さま、おめでとうございます。祝福された恋人とはあなたのことです。さっき思いがけずお睦まじいところを拝見して、ホーテンショーともどもすっかりあきらめてしまいました。
【ビアンカ】 あら、トラーニオ、冗談ばっかし。――でもほんとうにあきらめて?
【トラーニオ】 すっかりあきらめましたよ。
【ルーセンショー】 じゃ、リショーのほうはうまく片づいたわけだな。
【トラーニオ】 なんでも今度は元気のいい後家さんに結婚を申し込むんだそうです。その日のうちにも式をあげると言ってましたよ。
【ビアンカ】 どうぞうまくいきますように!
【トラーニオ】 きっと上手に飼いならしますでしょう。
【ビアンカ】 そう言ってるけど、ね。
【トラーニオ】 なにしろじゃじゃ馬ならしの学校へ行きましたから。
【ビアンカ】 学校! そんな学校があるの?
【トラーニオ】 ありますとも。ペトルーチオさんが先生ですよ。四十八手ぜんぶ教えてくれまさあ。じゃじゃ馬ならしの妙手ですよ。どんなうるさいのだっておとなしくなりますから。
〔ビオンデロかけこんで来る〕
【ビオンデロ】 おうい、旦那! あんまり長いこと見張ってたんで、おいらはへとへとだい。でもとうとう見つけましたぜ。あれはまがいもんじゃねえ、立派なじいさんだ。向こうの丘からこっちへ来ます。役にたちそうですぜ。
【トラーニオ】 どんな男だ?
【ビオンデロ】 商人かな? それとも学校の先生かな? よくはわからねえ。でも身なりはきちんとしてるし、歩きっぷりから顔かたちまで、大旦那にそっくりでさ。
【ルーセンショー】 トラーニオ、その人をどうする気だ?
【トラーニオ】 ひとのいい男だといいんですがね。こっちの話を信用してくれれば、きっと喜んで大旦那さまの身代わりを引き受けるでしょうよ。自分ですっかり大旦那さまになりきったつもりで、お嬢さまへの財産を保証してくれますさ。さあごいっしょにあちらへ。ここはてまえにおまかせください。(ルーセンショーとビアンカ退場)
〔学校の先生、登場〕
【先生】 やあ、こんにちは!
【トラーニオ】 ごめんください。まだ遠くへおいでですか? それともこのパデュアまでの旅ですか?
【先生】 ええ、一、二週間はここに滞在しましてな、それからローマまで行って、寿命があればまだトリポリまで足をのばすつもりでおりますわ。
【トラーニオ】 お国はどちらで?
【先生】 マンチュアです。
【トラーニオ】 マンチュアですって? それは大変だ! よくまあパデュアヘ。命がけですよ!
【先生】 命がけ! どうしたっていうんです? おどかさないでくださいよ。
【トラーニオ】 マンチュアの人間がパデュアへ来るなんて殺されに来るようなもんですよ。ご存じなかったのですか、事情を? マンチュアの船はみんなヴェネチアに抑留されています。大公が、なんでもあなたの国の大公との間にもめごとができて、公然とその布告を出されたのです。今着いたばかりでは仕方ないが、その布告のことを全然知らないなんて、考えられませんよ。
【先生】 やれやれ、それはわしにはとんだ災難だ。じつはフィレンツェからの為替手形を持ってるのだが、それをこのパデュアで渡さなくてはならんのでな。
【トラーニオ】 そうですか、きっとお役にたてますよ。そうだ、こうしましょう、よろしいですか。――その前にまずあなたはピサヘいらっしゃったことがありますか?
【先生】 ありますとも。ピサならよく知っている。市長のまじめなことで名高い都ですわい。
【トラーニオ】 ではヴィンセンショーという人をご存じですか?
【先生】 いや会ったことはありませんな。しかし噂は聞いてますよ。ならぶ者のない大商人だそうだが。
【トラーニオ】 ええ、ぼくの父です。じつを言うと、あなたの顔は父にどこか似てるんですよ。
【ビオンデロ】 (傍白)月とすっぽんも丸いところは似てるさ、どうでもいいがね。
【トラーニオ】 命のかかった瀬戸ぎわです。あなたのためにひと肌ぬぎましょう。父だって喜ぶと思います。とにかくあなたが父に似ていたのはもっけの幸いでした、どうぞ父の名前と信用をご利用ください。遠慮なくわたしの宿にとまってくださってけっこうです。父になりきったつもりでふるまうことですよ。おわかりですか。そうすれば、ご用のおすみになるまで当市に滞在できるってわけです。これがお役にたつようでしたら、どうぞご遠慮なく。
【先生】 ああ、助かりましたわ。おかげで命も自由も救われましたよ。ご恩は一生忘れませんとも。
【トラーニオ】 ではいろいろと手はずをととのえるとして、さあ、ごいっしょにまいりましょう。ついでに申しておきますが、じつはぼくも毎日父の来るのを待ってるのですよ。この町のバプティスタというお方のお嬢さんとぼくが結婚することになりましてね、遺産の保証をしてもらうのです。まあ、こまかい事情はあとでくわしくお話しします。さあ、まいりましょう。父らしく身なりをととのえなくてはなりません。(退場)
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第三場
〔田舎にあるペトルーチオの別荘、その広間。キャタリーナとグルーミオ登場〕
【グルーミオ】 と、とんでもございません。そんなことをしたら殺されちまいまさあ。
【キャタリーナ】 わたしが困れば困るほど、面白がってるようだわ。まるでわたしを飢え死にさせるために結婚したみたい。父の家の戸口に来る乞食だって、せがめばすぐになにかにありつける。たとえうちであげなくっても、どこかで施しをうけられる。だけどわたしは、せがもうにも、どうすればいいのかわからない、だってそんな必要がなかったんですもの。わたしお腹がすいてふらふら、眠れないのでくらくら、どなられどおしでひと晩じゅう起こされ、がなりたてられて食事はめちゃめちゃ。でももっとくやしいのは、それをみんなわたしへの愛情からという顔をなさること。まるでわたしが眠ったり食事したりすれば、今にも命とりの病気にかかるか、すぐにも死ぬと言わんばかり。ねえ、グルーミオ、お願い。なにか食べるものを持って来てちょうだい。なんだってかまわないわ、くさってさえいなければ。
【グルーミオ】 牛の足なんかはいかがでしょう?
【キャタリーナ】 まあ、すてき。ねえ、持って来て。
【グルーミオ】 でも癇の虫に悪いんじゃございませんか? それよりもつの照り焼きはいかがで?
【キャタリーナ】 大好きよ。ね、グルーミオ、持って来て。
【グルーミオ】 さあどうですかね、やはり癇には悪いかも知れませんよ。牛肉と芥子《からし》ってのはどうです?
【キャタリーナ】 好き、好き、大好き。
【グルーミオ】 ですが、芥子ってやつは、ちょっと刺戟が強すぎますからね。
【キャタリーナ】 そんなら牛肉だけにして。芥子はつけなくていいわ。
【グルーミオ】 困りますな、芥子なしでは。芥子のつかない牛肉なんて、このグルーミオには持って来られませんや。
【キャタリーナ】 じゃ、両方でも、一つでも、持って来られるものならなんでもいいのよ。
【グルーミオ】 それじゃ肉なしの芥子だけにしましょう。
【キャタリーナ】 おさがり! 嘘つき、よくもからかったわね。(とグルーミオをたたく)
さっきからご馳走の名前ばっかし聞かせて。いいわ、みんなで寄ってたかって、わたしをいじめては喜んでなさいよ。いまにきっとひどい目にあうから。出てお行き、さあ、出てお行き!
〔ペトルーチオとホーテンショー登場。肉の皿を持って来る〕
【ペトルーチオ】 どうだいケイト? おや、ひどく元気がないね。
【ホーテンショー】 奥さん、どうなさいました?
【キャタリーナ】 こごえそうよ。
【ペトルーチオ】 さあ、元気を出して、こっちを見てごらん。ほらいい亭主だろう。ぼくが自分で料理して、君に持って来てあげたんだよ。(と肉の皿をテーブルの上に置く。キャタリーナとびついて食べる)
ねえ、ケイト、これだけ親切にすればありがとうぐらい言ってもいいだろう。――返事もない。じゃ口にあわないんだな。せっかくの親切も無駄ぼねか。(と皿をテーブルからひったくる)
おい、さげてしまえ。
【キャタリーナ】 お願い、さげないで。
【ペトルーチオ】 どんなつまらぬ親切にも、必ず礼は言うものだ。ぼくの料理に手をつけるなら、礼ぐらいは言うことだ。
【キャタリーナ】 ありがとう。(ペトルーチオ皿を置く)
【ホーテンショー】 ペトルーチオ君、そんな! 君のほうが悪いぞ。さあ、奥さん。ぼくがお相伴します。(とテーブルに坐る)
【ペトルーチオ】 (傍白)さあ、ホーテンショー! 友だちがいにみんなたいらげてくれよ。君の親切がうまくきいてくれるといいのだが!――ケイト、さあ早くおあがり。さて、いよいよ君の里帰りだ。身分にふさわしく立派に着飾って、宴会にのりこもう。絹の上衣に帽子、金の指輪にひだ襟、スカートをふくらませる輪骨に袖飾り、スカーフ、扇子、その他もろもろ、立派な着がえも一そろい、琥珀の指輪に真珠玉、装飾品もとりまぜて。――(キャタリーナがふと顔をあげたすきに、ペトルーチオの目くばせで、グルーミオすばやく皿をさげてしまう)
食事はもうすんだのかい? じゃ仕立屋が待ってるよ。君の体をきれいなひだ飾りでかざりたてようってわけだ。
〔仕立屋が女もののガウンをかかえて登場〕
さあ店をひろげてくれ、まずそのガウンだ。〔仕立屋ガウンをテーブルの上にひろげる〕
〔帽子屋が箱を持って登場〕
やあ、なにか用かい?
【帽子屋】 ご注文の帽子をおとどけにあがりました。(と箱を開いて帽子を取り出す)
【ペトルーチオ】 なんだ、これは! お椀で型をとったのか?(と乱暴に帽子をつかんで)
まるでビロードのお皿だ! 畜生、ひどいものをこしらえやがって。貝がらだよ、こんなものは。くるみの殻だ、ボンボンだ、おもちゃだ、がらくただ、赤ん坊の帽子だ。さっさと持って行け!(と帽子をほうり投げる)
もっと大きく作れなかったのか!
【キャタリーナ】 これより大きなのはおことわりよ。これが今の流行なの。ご婦人がたはみんなこれくらいの帽子をかぶってますわ。
【ペトルーチオ】 君もおしとやかなご婦人になったら、かぶるんだね。それまではおあずけだ。
【ホーテンショー】 (傍白)長いおあずけになりそうだ。
【キャタリーナ】 あなた! わたしにもひとこと言わせてくださいまし。いいえ、ぜひ言わせていただきます。子供じゃないんですから。赤ん坊とはちがいます。あなたよりずっとお偉い方にだって、わたし言いたいことは言ってまいりました。それが聞きたくないのなら、どうぞ耳をふさいでいらっしゃい。わたし怒っている時ははっきり口で言います。だまってこらえてるなんていや、胸がさけてしまいますから。さけるくらいなら、どんなひどいことでも思いっきり言って、せいせいしていたいんです。
【ペトルーチオ】 そうだ、まったくだよ。じっさいひどい帽子だなあ。パイの皮だ、夜店のおもちゃだ、絹でくるんだ肉饅頭だ。君もこれが嫌いだって! それでますます君が好きになった。
【キャタリーナ】 わたしを好きになろうとなるまいと、わたしはこの帽子がいいんです。どうしてもこの帽子にします、これでなければなりません。
【ペトルーチオ】 そうか、ガウンか。いいとも、さあ仕立屋、ガウンを見よう。(とガウンをひろげてあるテーブルヘ行く。その間にグルーミオそっと帽子屋を帰してしまう)
こいつはひどい! チンドン屋でも着るのか? なんだこれは? 袖口か? まるで大砲の筒口だ。よくもまあこんなに、上から下まで切りきざんだなあ。切紙細工か? チョキチョキ、ジョキジョキ、切りも切ったり床屋のはさみも顔まけだ。おい、仕立屋、いったいぜんたいこれはなんて名前のしろものだ?
【ホーテンシヨー】 (傍白)このぶんじゃ、帽子もガウンも見送りだ。
【仕立屋】 ご注文どおり、最近の流行にあわせてちゃんとていねいに仕立てましたのでございますが。
【ペトルーチオ】 そうだ、たしかにそう注文した。だが覚えているか、おれはこんなにごていねいに、みっともないものを仕立てろとは言わなかったぞ。さあ、足もとの明るいうちにとっとと出て行け。もう出入りはさしとめだぞ。そんなものを買うものか、さあ、とっとと帰っちめえ。
【キャタリーナ】 こんなすてきなガウンてありませんわ。ほんとにすばらしいわ、お品がよくって、きれいですわ。あなたはわたしをからかっていらっしゃるのね。
【ペトルーチオ】 そうだ、こいつはおまえをからかっているのだ。
【仕立屋】 いいえ、奥さまは旦那さまがからかっていると――
【ペトルーチオ】 無礼もの! なにを言うか、この糸くず野郎の指ぬき野郎! 三尺、二尺、一尺、五寸、一寸五分のものさし野郎! きさまは蚤だ、しらみの卵だ、寒さにちぢこまったこおろぎだ! おれの家までやって来て、糸巻きを振りまわして威張る気か? 出て行け、このぼろっきれの、はしっきれの、はんぱっきれ! ぐずぐずしてるとおれがそのものさしではかってくれる! とんだおしゃべりをしたと、生きてるかぎり思い出すようにな。まったくまあおれの女房のガウンを、よくもこんなに台なしにしたな!
【仕立屋】 いいえ、旦那さまはなにか勘ちがいをしておいでで。店の主人が注文を受けましたとおりに仕立てでございます。グルーミオさんがいちいちその注文をなさいました。
【グルーミオ】 とんでもない、手前がそんな注文など。ただ布を持って行っただけで。
【仕立屋】 (グルーミオに向き直り)じゃあんた、どう仕立てると言いなさった?
【グルーミオ】 どうって、針と糸で仕立てろって言ったよ。
【仕立屋】 裁《た》てとは言わなかったのかね?
【グルーミオ】 おい、しゃれたことを言うじゃねえか。
【仕立屋】 おしゃれは商売だ。
【グルーミオ】 おれにいんねんつけるなよ。人のしゃれるのを手伝うのは商売だろうが、おれには用がねえ。仕立屋だからって妙なたてつくと承知しねえぞ。おれはてめえんとこのおやじに服を裁ってくれとは言った、しかしこんなにこまかく切りきざめなんては言いやしねえぞ、故にだ、てめえは嘘つきだ。
【仕立屋】 いいとも、ここにちゃんと型の書きつけがある。これが証拠だ。
【ペトルーチオ】 読んでみろ。
【グルーミオ】 そんな書きつけはでたらめだ、もしおれがそう言ったと書いてあれば。
【仕立屋】 (読む)「一つ、ガウンはゆったり仕立てること」
【グルーミオ】 旦那、ゆったりだなんて、そんな、淫売の着る服じゃあるまいし、てまえが言うはずがありませんよ。もし言ったんなら、てまえをスカートの中に縫いこんで、糸巻きの心棒でたたき殺してくださいまし。こっちはただガウンを作れって言っただけなんで。
【ペトルーチオ】 先を読め。
【仕立屋】 「小さな円形のケープをつける」
【グルーミオ】 それはケープとは言ったがね。
【仕立屋】 「袖は大きく」
【グルーミオ】 袖は二つって言ったぞ。
【仕立屋】 「袖の仕立てにはとくに工夫をこらすこと」
【ペトルーチオ】 そこがけしからん。
【グルーミオ】 その書きつけがちがってるんだ。書きつけのほうがだよ。おれは袖はいったん裁ったうえで縫いあわせろって注文したんだ。さあ、どっちがほんとうか決着をつけようじゃねえか。そんな指ぬきなんかはめたってちっともこわかあねえぞ。
【仕立屋】 こっちの言ったことにまちがいあるもんか。出るところへ出ればはっきりするんだ。
【グルーミオ】 よし、おもてへ出ろ。てめえはその書きつけが槍がわりだ。おれにはそのものさしをかしな。さあ、どっからでもかかってこい。
【ホーテンショー】 おい、グルーミオ。それじゃ仕立屋のほうに勝ちみがないよ。
【ペトルーチオ】 おい仕立屋、とにかくこのガウンはおれはいらん。
【グルーミオ】 ごもっともで、旦那さま。奥さまのものですからな。
【ペトルーチオ】 さあ持って行け。おやじにいいようにしろと言え。(仕立屋服をしまおうとする)
【グルーミオ】 やい、畜生、手を出すな! うちの奥さまのものを、てめえのおやじのいいようにされてたまるか!
【ペトルーチオ】 おい、グルーミオ、それはどういう意味だ?
【グルーミオ】 いや、ちょっと考えもおよばねえような深い意味がありますんで。奥さまの肌につけるものをあいつのおやじがいいように使うなんて。と、とんでもねえこった!
【ペトルーチオ】 (小声でささやく)ホーテンショー君、勘定は大丈夫払ってやると言ってくれ。――(大声で)さあ、持って行け、――つべこべ言わずにもう帰れ!
【ホーテンショー】 (仕立星にささやく)おい、この服の代は明日払うからな。ひどいことを言われたが気にしないでくれ。さあ行け。親方によろしく頼む。(仕立屋退場)
【ペトルーチオ】 さあケイト、これからお父さんのところへ行こう。このままでいいとも。ふだん着だがきちんとしている。衣裳は貧弱でも財布はふくらんでる。精神が美しければ肉体も立派に見える。太陽が黒い雲の間から美しい光を放つように、粗末な服装からも徳はおのずからあらわれるものだ。馬鹿なかけすの羽根がきれいだからって、ひばりより尊いとは言えないだろう。まむしの皮が立派な模様だからって、うなぎよりいいとは言えやしない。だからケイト、アクセサリーが貧弱だからって、服装が粗末だからって、君の値うちはさがりゃしない。もしこれが恥だというのなら、ぼくのせいにすればいい。そうときまればさあ陽気にいこう。すぐに出かけるんだ。楽しい君の里がえり、飲んだり食ったりはしゃいだり。連中を呼んでおくれ。まっすぐお父さんの家だ。馬はロング・レインのはしに待たせておこう。そこまで歩いてあとは馬だ。待てよ、もうかれこれ七時ごろだな、向こうに着くのはちょうど昼飯どきだ。
【キャタリーナ】 いいえ、あなた、もう二時近くですのよ。着いたらきっと夕食ですわ。
【ペトルーチオ】 馬のところへ行くまでには七時になる! おい、おまえはおれのすることなすこと、いちいち反対するんだな。よしもうやめだ。今日は行かん。おれが七時だと言ったら、時計が何時だろうと絶対に七時なのだ。そうなるまでは出かけるものか。
【ホーテンショー】 驚いたなあ。この大将は太陽にまで命令する気だ。(退場)
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第四場
〔パデュアの広場。バプティスタの家、そしてすぐ近くにトラーニオの宿がある。トラーニオが先生を連れて登場。先生はヴィンセンショーの服装で、旅の長靴をはいている。今パデュアへ着いたという格好。二人、バプティスタの家に近づく〕
【トラーニオ】 これがその家です。寄っていただけますね?
【先生】 もちろんだよ。バプティスタさんも覚えておいでだろう、たしかもう二十年も前の話だが、ジェノアで、ペガサスという宿屋で相客だったことがある。
【トラーニオ】 その調子。どんな場合にも、父親らしいもったいぶった様子で、しっかりやってください。
【先生】 大丈夫。
〔ビオンデロ登場〕
そら、あんたの召使だ。あれにもよくのみこませておいたほうがいいですぞ。
【トラーニオ】 あいつなら大丈夫。――おい、ビオンデロ、しっかり頼むぞ。いいか、この方をほんとうのヴィンセンショーだと思うのだ。
【ビオンデロ】 まかせとき。
【トラーニオ】 バプティスタさんの伝言はいいのか?
【ビオンデロ】 ちゃんと言っておきました。お父さんがヴェネチアに来ていて、今日はパデュアへ着くはず、それを待ってるところだってね。
【トラーニオ】 ご苦労、ご苦労。さあ一杯飲んでこい。(と金を与える)
〔戸が開きバプティスタ登場。つづいてルーセンショー〕
あ、バプティスタさんだ。さあ、おちついてくださいよ。
――バプティスタさん、よいところでお目にかかりました。お父さん、このお方がさっきお話ししたバプティスタさんです。ねえ、ものわかりのいいお父さんらしく、ぼくがちゃんとビアンカさんと結婚できるようにしてくださいよ。
【先生】 ま、お待ち。――ごめんください。実は債権のとりたてのため当地にまいったところですが、せがれから大事な話を聞かされましてな。せがれめがお宅の娘ごと相愛の仲だとか。ま、ご高名はかねてうけたまわっておりますし、せがれも娘ごを大層おしたい申し、娘ごもご同様とあっては、あまりせがれをじらすのも父親としてはどうかと思いましてな、この辺で結婚させたいと思いましたようなわけで。もしお宅さまのお気持ちもわたしどもと変わりませぬようなら、はっきり約束をとりきめたうえで、ご息女への遺産の件は喜んで同意したいと存じております。いや、お噂はかねてうけたまわっておりますので、いまさらお宅のことを調べようなどという気はございません。
【バプティスタ】 こちらこそご挨拶がおくれて失礼しました。率直、簡明なお言葉、うれしく存じます。おっしゃるとおりお宅のご子息ルーセンショーさんはわたしの娘を思うてくださり、また娘もおしたいしております。二人とも、まさか上べだけの、浮わついた気持ちとも思えません。したがいまして、お宅から、ルーセンショーさんの父親として、娘に十分な寡婦産を譲渡なさるとのお約束さえいただけますれば、もうこの縁組にはなんの問題もございません。娘は喜んでさしあげましょう。
【トラーニオ】 ありがとう存じます。それでは婚約の場所はどこがよろしゅうございますか? 双方納得のうえではっきり契約も結ばなければなりませんが。
【バプティスタ】 わたしの家はいけません。ご存じのように、壁に耳ありで、召使もたくさんおりますし、それにグレミオさんも、しょっちゅう聞き耳をたてており、いつ邪魔が入らないともかぎりませんから。
【トラーニオ】 では、わたしの宿はいかがでございましょう。父もいっしょに泊っておりますし。今夜あそこで内々に、万事を処理してしまいましたら。ここにおいでの方にお嬢さんを呼びにやってくださいませんか。(とルーセンショーに目くばせをする)
代書人のほうはこれに行かせます。ただ申しわけありませんが、なにしろ急な話なので、なんのご馳走もさしあげられませんでしょうが。
【バプティスタ】 けっこうですとも。――キャンビオさん、さあ、ビアンカにすぐ支度をするように言ってください。ついでに事情も話してやってくれんか、ルーセンショーさんのお父さんがパデュアにお着きになって、あれの結婚話も大体まとまったとな。(ルーセンショーすぐ立ち去るが、トラーニオからの目くばせで、舞台のはしにかくれる)
【ビオンデロ】 神さま、仏さま、どうぞうまくいきますように!
【トラーニオ】 お祈りはあとにして、早く行ってこい。(とビオンデロに目くばせ。ビオンデロは舞台のはしでルーセンショーといっしょにかくれる)
〔トラーニオの宿の戸が開き、食事の用意のできたことを知らせる〕
さあ、バプティスタさん、ご案内しましょう。まったく光栄です。ほんの一品料理ですが、この不調法はいずれピサで埋めあわせましょう。
【バプティスタ】 ではお言葉にあまえまして。(トラーニオ、バプティスタ、先生、宿に入る。ルーセンショーとビオンデロ舞台の正面に出る)
【ビオンデロ】 キャンビオさん。
【ルーセンショー】 なんだい、ビオンデロ。
【ビオンデロ】 さっき旦那があんたに笑って目くばせしてましたね。
【ルーセンショー】 それがどうした、ビオンデロ。
【ビオンデロ】 なんでもありませんがね。あっしをここに残したってのは、つまり、さっきの合図の目くばせに、どんな深い意味がかくされてるのか、それを説明させようってわけなんで。
【ルーセンショー】 その説明を聞かせてくれよ。
【ビオンデロ】 いいですかい。――バプティスタはもう大丈夫、にせ息子のにせ親父と今話しているから。
【ルーセンショー】 それでバプティスタさんは?
【ビオンデロ】 あの人の娘をあんたが夕食にお誘いするんで。
【ルーセンショー】 それから?
【ビオンデロ】 聖ルカ教会のもうろく坊主が、いつでもあんたのご用をつとめまさあ。
【ルーセンショー】 なるほど。それでどういうことになる?
【ビオンデロ】 さあ、わかりませんなあ。――わかっているのは、ただ、いかさま契約でみんな大忙しだってことで。早いとこあんたも娘さんと契約を結ぶんだ。「版権独占」の契約を結ぶんだ。さあ、教会だ! 坊主に書記にそれから四、五人、まっとうな立会人をつかまえるんだ。しかしあんたがいやなら今さら言うことありませんや、ビアンカさんとやらに永久におさらばするこってすな。(と行きかける)
【ルーセンショー】 おい、おい、ビオンデロ。
【ビオンデロ】 こっちはぐずぐずしてられませんでね。兎料理のつめものに使うパセリをとりに畠へ行った娘っこが、昼すぎにはもう嫁になる世の中ですからね。ま、あんたにもそう願いたいもんで。ではごめんくださいまし。旦那に教会へ行けと言いつかりましたんで。あんたが付録つきでやってくるまでに、坊主のほうの支度をしておくようにって。(と走り去る)
【ルーセンショー】 そうするよ、いやそうするとも。あの人さえ承知なら。あの人も喜ぶことだ、なにも心配することはない。どんなことが起ころうと、とにかくはっきり言ってみよう。このキャンビオは、もう、あの人なしではおれないのだ。(退場)
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第五場
〔パデュアへ通じる街道。ペトルーチオ、キャタリーナ、ホーテンショー、召使たち、道ばたで休んでいる〕
【ペトルーチオ】 さあ行こう! お父さんの家ももうすぐだ。やあ、いい月だなあ! 見ろあの光!
【キャタリーナ】 月ですって! 太陽ですわ。月だなんて。
【ペトルーチオ】 いや、あの美しい光はたしかに月だ。
【キャタリーナ】 いいえ、あのすばらしい輝きはたしかに太陽です。
【ペトルーチオ】 おれのおふくろの息子にかけて、つまりこのおれさまにかけて、あれは月だ、星だ、おれの言うとおりのものだ、それでなければもう先へは行かんぞ。――おい馬をもどせ! いちいちさからう、さからうほかに能がないのか!
【ホーテンショー】 (キャタリーナにささやく)なんでも合づちをおうちなさい、先へは進めませんよ。
【キャタリーナ】 あなた、さあまいりましょう。ここまで来たのですから。月でも、太陽でも、なんでもけっこうでございます。ろうそくだとおっしゃりたいのならわたしもこれからはそうだと申します。
【ペトルーチオ】 あれは月だ。
【キャタリーナ】 はい、月ですわ。
【ペトルーチオ】 嘘をつけ、あれはむろん太陽だ。
【キャタリーナ】 では、むろん太陽です。でもあなたがちがうとおっしゃれば、太陽ではありませんわ。月もあなたのお気持ちも、いろいろ変わりますものね。あなたがすべての名づけ親、名前どおりになりますわ、わたしにもその名前どおりに見えますの。
【ホーテンショー】 (傍白)進め、ペトルーチオ、君の勝ちだ!
【ペトルーチオ】 さあ出発だ! こういかなくっては。だいぶ苦労したが、これも悪くはない。――だが待て、だれか来たぞ。
〔ヴィンセンショー登場、旅姿〕
(ヴインセンショーに)こんにちは、お嬢さん、どちらへおいでですか? ねえ、ケイト。まったくこんなきれいなお嬢さんを見たことがあるかい。頬の色をごらん、ほんのり桜色だ。そら、あの目。夜空に光る星よりもずっと美しい。顔までが空のようにまばゆく見えるね。ほんとにかわいいなあ! お嬢さん、もう一度ご挨拶します。ケイト、こんな美しいお方だ、君も抱いてご挨拶なさい。
【ホーテンショー】 (傍白)あんなじいさんを娘扱いにして、びっくりして気がちがうぞ。
【キャタリーナ】 春の若草のようなお嬢さん、なんてお美しいんでしょう。どちらへお出かけですの? お家はどこ? こんな美しいお嬢さんをもったら、ご両親はさぞおしあわせでしょうね。いいえ、それよりもっとしあわせなのはあなたの夫となる方、あなたを奥さまにできるなんて運のいい方ですわ!
【ペトルーチオ】 おい、ケイト! 気でもちがったのか? この方は男だよ。しわだらけの、しなびきったご老体だよ。おまえの言うような娘さんじゃない。
【キャタリーナ】 ごめんなさい、おじいさん。日の光がまぶしくって、すっかり見まちがえてしまいました。見るものがなんでも若々しく見えるんですの。今やっとご老人だということがはっきりしましたわ。どうぞお許しくださいまし。とんでもないまちがいをいたしました。
【ペトルーチオ】 どうか許してやってください。失礼ですが、どちらへおいでです? もしごいっしょいただければ楽しい旅ができると思いますが。
【ヴィンセンショー】 これはこれは。奥さんもなかなか愉快なお方ですな。思いがけないご挨拶でびっくりしましたよ。わたしはヴィンセンショーと申しましてな、ピサのものです。これからパデュアへまいりまして、息子に会うつもりですわい。だいぶ長いこと顔を見てませんでな。
【ペトルーチオ】 息子さんのお名前は?
【ヴィンセンショー】 ルーセンショーといいますが。
【ペトルーチオ】 それはいいところでお目にかかりました。息子さんのためにも好都合でしたよ。そうだ、法律上から言っても、またご年配のことを考えても、ぼくはあなたをお父さんと呼んでいいわけだ。つまり、ここにいるぼくの妻の妹と、あなたの息子さんはもう結婚しているはずですから。いや、別に驚くことはない、お嘆きなさらずともいい。妻の妹というのは立派な娘ですよ。持参金も十分だし、家柄もれっきとしています。それに、どんな立派な紳士と結婚したって恥ずかしくないだけの資格をもっています。さあヴィンセンショーさん、抱かせてください。(二人抱きあう)
ごいっしょに、あなたのご子息に会いに行きましょう。きっと会ったら大喜びですよ。
【ヴィンセンショー】 だがほんとうですかな? ふざけた旅の人がよくやることだ。ちょっと出会った相手に冗談を言って喜んでるんじゃありますまいな。
【ホーテンショー】 ぼくが保証しますよ。ほんとうですとも。
【ペトルーチオ】 さあ行きましょう。会えばほんとうだとわかります。はじめふざけてたものだから、なかなか信用してもらえませんね。(一同出発する。ホーテンショーだけ残る)
【ホーテンショー】 ペトルーチオ、おかげで勇気が出たぞ。さあ、あの未亡人からはじめよう。もし相手が強情だったら、あいつが教えてくれたように荒療治をするまでだ。(退場)
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第五幕
第一場
〔パデュアの広場。グレミオが舞台のはしに腰をおろしている。バプティスタの家の戸が静かに開き、ビオンデロ、もとの服装にかえったルーセンショー、顔を布でかくしたビアンカがそっと出て来る。グレミオは二人に気がつかない〕
【ビオンデロ】 (小声で)しいっ、いそいでくださいよ、坊さんが待ってますから。
【ルーセンショー】 ぼくたちは大丈夫だ、おまえはここに残っていてくれ、あとでどんな用が起こるかもしれないから。(とビアンカとともにいそぎ退場)
【ビオンデロ】 あぶねえもんだ。無事教会へ入るのを見とどけるまでは、こっちは安心できねえや。それからすっとんで来りゃあ、こっちの用だって間に合うさ。(とあとを追う)
【グレミオ】 (立ち上がって)キャンビオのやつ、ばかにおそいな。
〔ペトルーチオ、ヴィンセンショー、グルーミオ、および召使たちの一行登場。トラーニオの宿の前に行く〕
【ペトルーチオ】 この家ですよ、ルーセンショーさんの宿は。父の家はもっと広場寄りです。そっちへ顔だししなくてはなりませんから、ここで失礼します。
【ヴィンセンショー】 いや、このままお別れするわけにはいきませんわい。一献さしあげましょう。ここなら大丈夫おもてなしできますよ。たぶん、なにか支度ができていましょうからな。(戸をたたく)
〔グレミオ、一行に近づく〕
【グレミオ】 そこはとりこみ中らしいでな、もっとたたかんと駄目だよ。(ペトルーチオ、強くたたく)
〔先生二階の窓から顔を出す〕
【先生】 誰だな? そんなにたたくと戸がこわれてしまうぞ。
【ヴィンセンショー】 ルーセンショーさんはおりませんかな?
【先生】 おるがね、お会いすることはできん。
【ヴィンセンショー】 ふところに百ポンドか二百ポンドの金を用意しているんだがね、そいつでいっしょに遊ぼうってわけなんだが。
【先生】 何百ポンドだろうと、金なんかそっちへとっておきなさい。あれには金の不自由はさせん、わしの生きているうちはな。
【ペトルーチオ】 (ヴィンセンショーに)ねえ、ぼくの言ったとおりでしょう、息子さんはパデュア中の人気者なんですよ。――おうい、くだらん挨拶はぬきにして、ルーセンショーさんに伝えてくれたまえ、ピサからお父さんが会いに来られたんだよ、今、門口で待っておられるってね。
【先生】 でたらめを言うな。あれの父親ならとうにマンチュアから着いて、今ここで窓から顔を出しているぞ。
【ヴィンセンショー】 じゃ、あんたがお父さんかね?
【先生】 そうだ、あれの母親の言うことが確かならな。
【ペトルーチオ】 (ヴィンセンショーに)これはまたどういうことですか? ひどい詐欺行為ですよ、ひとの名前をかたるなんて。
【先生】 そいつをつかまえてくれ。きっとわしのふりをして、ここで誰かを欺そうとしてるんだ。
〔ビオンデロ登場〕
【ビオンデロ】 (ひとりごと)無事教会へ送りこんだ。どうかおしあわせにお暮らしなさいまし!――おや、誰だ? あ、大旦那だぞ! いけねえ、もう駄目だ。
【ヴインセンショー】 (ビオンデロを見つけて)こら、こっちへ来い、大泥棒。
【ビオンデロ】 (通りぬけようとして)まっぴらごめんくださいまし。
【ヴインセンショー】 (腕をつかまえて)逃げるのか、こいつ。きさまわしを忘れたのか?
【ビオンデロ】 忘れた? とんでもねえ。忘れるはずがありませんや、生まれてこのかた一度だって会ったことのねえ人をさ。
【ヴィンセンショー】 なんだと、この悪党め。自分の主人の父親にまだ会ったことがないってのか?
【ビオンデロ】 え、大旦那ですって? そんならよく知ってますとも。ほら、あの窓から今こっちを見てますんで。
【ヴインセンショー】 こいつ、どこまでも!(とビオンデロをたたく)
【ビオンデロ】 助けてくれ! 助けてくれ! 気ちがいに殺される!(と走り去る)
【先生】 せがれはどこだ、助けてやってくれ! おおい、バプティスタさん!(窓から顔をひっこめる)
【ペトルーチオ】 ねえ、ケイト。わきへ寄って、この騒動の成行きを見物しよう。
〔先生、召使たち、バプティスタ、トラーニオ、手に手に棍棒を持って出て来る〕
【トラーニオ】 誰だ、あなたは? ぼくの召使に乱暴するなんて。
【ヴィンセンショー】 誰だって! おまえこそ誰だ? おや、こいつ! 召使のくせにおめかししやがって! そのチョッキはなんだ! そんなビロードのズボンをはいて! 外套も帽子もどこから持って来た! ああわしの身代はもうめちゃめちゃだ! こっちは家で一所懸命倹約してるってのに、息子と召使は学校で湯水のように金を費ってる。
【トラーニオ】 いったいどうしたというんです?
【バプティスタ】 気でもちがったんですかね?
【トラーニオ】 お見うけしたところ立派なお年寄りだが、言うことはどうも気ちがいとしか思えない。ねえ、ぼくが真珠や金を身につけているからって、それがあなたになんの関係があるんですか? 父のおかげで、ぼくはちゃんとこうしていられる身分なのです。
【ヴインセンショー】 父親だと! こいつ、おまえの父親はベルガモの船の帆づくりじゃないか。
【バプティスタ】 人ちがいですよ、あんたのほうがまちがっている。この方のお名前をなんだと思っておいでだ?
【ヴィンセンショー】 お名前! 名前も知らんとでも言うのか。わしはこいつが三つの時から育ててきたんだ。よし、聞かせてやろう、トラーニオだ。
【先生】 帰れ、帰れ、この左巻き! これの名前はルーセンショーだ。わしの一人息子だ。このヴィンセンショーの大事な跡とりだ。
【ヴインセンショー】 ルーセンショーだと! そうか。こいつ、きさまの主人を殺したな! この男をつかまえてくれ。さあつかまえるんだ、大公の命令だ。――ああ、せがれ、わしの大事なせがれ!――こら、悪党、ルーセンショーをどこへやった?
【トラーニオ】 役人を呼んでください。
〔役人登場〕
この気ちがいを牢へ連れて行ってください。――バプティスタさん、すぐ裁判へ回すようにおとり計らい願います。
【ヴインセンショー】 なに、牢だと!(役人、ヴィンセンショーをつかまえようとする)
【グレミオ】 おい、ちょっと待て。この人を牢へ入れることはならんぞ。
【バプティスタ】 グレミオさん、よけいなことを言わないでください、わたしの命令です。
【グレミオ】 バプティスタさん、気をつけなされ。良縁だなどといい気になって、一杯食わされるといけませんぞ。わしはどうもこの人が、本物のヴィンセンショーのような気がするて。
【先生】 そんならはっきり言ってもらいましょう。
【グレミオ】 いや、はっきりとは言えんがな。
【トラーニオ】 あなたはぼくがルーセンショーじゃないって言いたいんでしょう。
【グレミオ】 いや、あんたがルーセンショーさんだということは、よく知ってるわい。
【バプティスタ】 このもうろくじじいもついでに牢へ連れて行け。
【ヴィンセンショー】 勝手のわからぬ他国では、さんざこづき回されて、ひどい目に合うもんだ。――まったくけしからん! この悪党めが!
〔ビオンデロがルーセンショーとビアンカを連れてもどって来る〕
【ビオンデロ】 ああもう駄目だ! ほら、大旦那が! ねえ、ちがうと言ってくださいよ、お父さんじゃないって。ほんとうのことがわかったらなにもかもおしまいだ!
【ルーセンショー】 許してください。お父さん。(とひざまずく)
【ヴインセンショー】 おまえ、生きていたのか!(ビオンデロ、トラーニオ、先生、一目散に宿の中へ逃げこむ)
【ビアンカ】 (ひざまずいて)お許しくださいまし、お父さま。
【バプティスタ】 なにをしたというのだ? おや、ルーセンショーさんは?
【ルーセンショー】 ここにおります。ほんとうのヴィンセンショーのほんとうの息子です。にせ者があなたの目をくらましている間に、お嬢さんとの結婚式をすませて来ました。
【グレミオ】 いんちきだ、まったくひどいいんちきだ、みんな一杯食わされたぞ!
【ヴィンセンショー】 トラーニオのやつ、どこへ行った? ひとをからかいおって、ひどいやつだ。
【バプティスタ】 なんだ、これはうちのキャンビオじゃないか?
【ビアンカ】 キャンビオがルーセンショーに変わったのですわ。
【ルーセンショー】 愛の奇蹟です。ビアンカさんを愛するあまり、ぼくはトラーニオと身分を交換したのです。トラーニオがこの町でぼくの役をやっている間に、ぼくはとうとう望みどおりめでたく幸福の港にたどり着くことができました。トラーニオの仕業は、すべてぼくが無理に言いつけたこと、お父さん、どうかぼくに免じて許してやってください。
【ヴィンセンショー】 わしを牢へぶちこむなどとほざきおって、あの悪党め、鼻を引きむしってくれる。
【バプティスタ】 だがルーセンショーさん。あんたはわしの、承諾なしに娘と結婚したことになるぞ。
【ヴィンセンショー】 ご心配なく、バプティスタさん。きっとご満足のいくようにとり計らいますとも。だがあの悪党め、どこへかくれた? このままにしておいては腹の虫がおさまらん。(と戸をおしあけ、トラーニオの宿へ入りこむ)
【バプティスタ】 わしもだ、この悪だくみは徹底的に調べあげなくては。(と自分の家へ入る)
【ルーセンショー】 ビアンカ、大丈夫だよ。お父さんはおこりゃしないから。(とバプティスタのあとにつづく)
【グレミオ】 わしはすっかりしくじった、なにもかもおしまいだ。このうえは、みんなといっしょにご馳走にでもありつくか。(と二人につづく)
【キャタリーナ】 ねえ、あなた、行きましょうよ。どうなることか見とどけたいわ。
【ペトルーチオ】 その前にまず接吻だ。さあ、ケイト。
【キャタリーナ】 だってあなた、こんな道のまん中で?
【ペトルーチオ】 なんだ、ぼくが恥ずかしいのか?
【キャタリーナ】 いいえ、そんな。接吻するのが恥ずかしいの。
【ペトルーチオ】 よし、わかった。引き返そう。――おい、グルーミオ、帰るんだ。
【キャタリーナ】 待って。します。ね、お願い、帰らないで。(二人接吻する)
【ペトルーチオ】 どうだ、いいだろう? さあ、ケイト、行こう。なんでもやってみることさ、ぐずぐずしているのがいちばんいけない。(三人バプティスタの家に入る)
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第二場
〔ルーセンショーの宿の一室。バプティスタとヴィンセンショー、グレミオと先生、ルーセンショーとビアンカ、ペトルーチオとキャタリーナ、ホーテンショーと未亡人登場。トラーニオが召使たちといっしょに食後のデザートを運んで来る〕
【ルーセンショー】 だいぶ長くかかりましたが、不協和音もやっと調子が合いました。激しい戦いも終わって、過ぎ去った危険のかずかずを、笑って話しあえる時になったわけです。ねえ、ビアンカ、君はぼくのお父さんをもてなしてください。ぼくも君のお父さんを、まごころこめてもてなしましょう。ペトルーチオ兄さん、キャタリーナ姉さん、ホーテンショー君にそのお連れの美しい奥さん、どうぞ大いにやってください。ほんとうによくおいでくださいました。この小宴は、さっきのすばらしいご馳走のあと、お腹のすき間を埋めるほどのもの、さあ席について、食べたり話したりゆっくりくつろいでください。(一同席につく。召使たち、飲みものや果物などをすすめる)
【ペトルーチオ】 さっきから、坐って食べてまったくご馳走ぜめだ。
【バプティスタ】 (ペトルーチォに)なあ、婿どの、このもてなしはパデュアならではですぞ。
【ペトルーチオ】 まったくパデュアじゃ親切ずくめですよ。
【ホーテンショー】 ぼくたち夫婦もそう願いたいもんですね。
【ペトルーチオ】 どうやらホーテンショー君のところはこわがってるらしいぞ。
【未亡人】 こわがってる! わたしが? とんでもありませんわ。
【ペトルーチオ】 あなたは賢い方だと聞いていたが、ぼくの言ったことをとりちがえてますね。ぼくは、ホーテンショー君があなたをこわがってるって言ったんです。
【未亡人】 いつも目まいがしていると、世の中のほうが回って見えるらしいわね。
【ペトルーチオ】 なかなか頭がまわりますな。
【キャタリーナ】 奥さま、それはどういう意味ですの?
【未亡人】 心の中でペトルーチオさんのことを思ってましたの。
【ペトルーチオ】 心の中でぼくのことを! おだやかじゃないな、ホーテンショー君がおこりますよ。
【ホーテンショー】 いや、これの言ってるのはね、君の例を思いついたというんだよ。
【ペトルーチオ】 そのとおり。さあ奥さん、接吻してあげなさい。
【キャタリーナ】 「いつも目まいをしていると、世の中のほうが回って見える」。ねえ、それはどういう意味なのか教えていただけません?
【未亡人】 あなたのご主人はいつもじゃじゃ馬に悩まされているものだから、わたしの家もそうだろうと、頭から思いこんでるの。わたしの申しあげた意味がおわかりになりまして?
【キャタリーナ】 ずいぶんお下劣な想像ですこと。
【未亡人】 騒々しいのはあなたじゃない?
【キャタリーナ】 あなたのほうこそ錚々《そうそう》たるものですわ。
【ペトルーチオ】 がんばれケイト!
【ホーテンショー】 おい、負けるなよ!
【ペトルーチオ】 百マルク賭けよう、ケイトがきっと押し倒すぞ。
【ホーテンショー】 あれを押し倒すのはぼくの役目さ。
【ペトルーチオ】 お役目ご苦労。さあ、乾杯だ!(と乾杯する)
【バプティスタ】 どうです、グレミオさん。今の若い者は口がたっしゃですな。
【グレミオ】 まったくだよ。角つきあわせて洒落のめしおる。
【ビアンカ】 洒落の角ですって。駄洒落のうまい人なら、おしゃれな角をはやしてるって言いますわ。
【ヴィンセンショー】 花嫁も、おしゃれと聞いては目がさめましたな。
【ビアンカ】 大した洒落じゃありませんもの。また眠ります。
【ペトルーチオ】 いや、眠らせないぞ。売られたけんかだ、一つ二つぴりっとしたところをおみまいしますぞ。
【ビアンカ】 あなたのさかなになるなんてまっぴら。わたしは泳いで行きますから、釣竿でもかついで追いかけてらっしゃい。――皆さま失礼いたします。(と立ちあがり、一同におじぎをして退場。キャタリーナ、未亡人、あとにつづく)
【ペトルーチオ】 うまく逃げられた。やあ、トラーニオの旦那。君もあの魚を追っかけたが、とうとう釣り落としたな。さあ、餌をとられて逃げられた連中のために、乾杯だ。
【トラーニオ】 手前は鵜《う》の役目でございました。ただ若旦那さまのために、魚をくわえて来ただけでございます。
【ペトルーチオ】 うん、鵜だけあってなかなかのみこみが早い。ただちょっと生ぐさいな。
【トラーニオ】 あなたさまもなかなかいい釣をなさいましたようで。もっとも、かわいい魚が手ごわすぎて、料理しかねているご様子ですが。
【バプティスタ】 ペトルーチオさん、一本やられましたな。
【ルーセンショー】 トラーニオ、ありがとう、みごと一本とったぞ。
【ホーテンショー】 さあ、白状したまえ、ぐさりだろう。
【ペトルーチオ】 なんの、少々かすっただけさ、どうやらその一本はぼくをそれて、お二人にみごと的中したらしいぞ。
【バプティスタ】 なあ婿どの、まったくのところあんたは世界一のじゃじゃ馬にあったようだな。
【ペトルーチオ】 とんでもありませんよ。じゃその証拠に、めいめい女房を呼びにやりましょう。さあ、賭けようじゃないか。呼びに行ってすぐ来るようならすなおな女房、その夫が賭け金をちょうだいするんだ。
【ホーテンショー】 いいとも、いくらだ?
【ルーセンショー】 二十クラウン。
【ペトルーチオ】 たった二十クラウン? ぼくは鷹や犬にだってそれくらいは賭ける。自分の女房じゃないか、二十倍といこう。
【ルーセンショー】 じゃ百クラウン。
【ホーテンショー】 いいとも。
【ペトルーチオ】 よし、いこう。
【ホーテンショー】 誰からはじめる?
【ルーセンショー】 ぼくからだ。おいビオンデロ、奥さんを呼んで来てくれ。
【ビオンデロ】 ヘい。(と出て行く)
【バプティスタ】 わしが半分もとう。ビアンカならきっと来るとも。
【ルーセンショー】 ひとにもってもらうのは嫌いです。全部ぼくが賭けますとも。(ビオンデロもどる)
おい、どうした?
【ビオンデロ】 奥さまからのおことづけです。忙しいから行かれないって。
【ペトルーチオ】 忙しいから行かれないだって? 返事はそれだけか?
【グレミオ】 なるほど、やさしい返事ですわい。だが大丈夫かな、あんたの奥さんはもっと手ごわいかも知れんて。
【ペトルーチオ】 まったく面白くなってきましたな。
【ホーテンショー】 おいビオンデロ、ぼくの奥さんに、すぐ来るように頼んで来てくれ。(ビオンデ口出て行く)
【ペトルーチオ】 なるほど、頼むわけか! 頼まれちゃ来ないわけにはいくまい。
【ホーテンショー】 気のどくだが、君のはいくら頼んだって駄目にきまってる。(ビオンデロもどる)
おい、奥さんはどこだい?
【ビオンデロ】 来たくないそうで。きっとなにか悪ふざけをするつもりだろう。用があるならそっちからいらっしゃいって。
【ペトルーチオ】 来たくないか! だんだんひどくなる。よし、もうがまんならん、それが女の言うことか! おい、グルーミオ、おれの女房に言って来い。おれの命令だ、すぐ参れってな。(グルーミオ出て行く)
【ホーテンショー】 返事はわかってるさ。
【ペトルーチオ】 どんな?
【ホーテンショー】 いやです、だよ。
【ペトルーチオ】 ぼくのがなおさらひどかったら、万事休すだ。
〔キャタリーナ戸口にあらわれる〕
【バプティスタ】 おや、キャタリーナだよ! これはいったいどうしたことだ?
【キャタリーナ】 お呼びですの? なにかご用でございますか?
【ペトルーチオ】 君の妹はどうしてる? ホーテンショー君の奥さんは?
【キャタリーナ】 暖炉のそばでお話ししておいでですわ。
【ペトルーチオ】 ここへ連れておいで。いやだと言ったら、首に縄をつけてでも引っぱっておいで。さあ、すぐ連れて来てくれ。(キャタリーナ出て行く)
【ルーセンショー】 驚いたなあ、こいつはまさしく天変地異だ。
【ホーテンショー】 まったくだ。いったいなんの前兆だ?
【ペトルーチオ】 平和の前兆だよ。愛の、平穏な家庭生活の前兆だよ。目上の者を畏れ敬い、正しい支配に身をゆだねること、簡単に言えば、円満と幸福はすべてここから生ずるんだよ。
【バプティスタ】 ペトルーチオさん、どうぞおしあわせにな。賭けはあんたの勝ちだ。みんなの賭け金のほかに、わしからも二万クラウンつけ加えよう。新しい娘への新しい持参金、あれはまったく別の娘に生まれ変わったのだからな。
【ペトルーチオ】 いや、ぼくの勝ちはこればかりではありませんよ。さあ、あれがすなおだという、もっとはっきりした証拠をお見せしょう。あれの心に新しく貞淑が生まれ、従順が育っているのですよ。
〔キャタリーナがビアンカと未亡人を連れてもどって来る〕
ほら、来ましたよ。お二人のわがままな細君を、女らしくやさしく説き伏せて、ちゃんと連れて来たのですよ。――ケイト、君の帽子は似合わないぞ。そんなつまらんものは足で踏みつぶしてしまえ。(キャタリーナ、そのとおりにする)
【未亡人】 こんなひどいことを見せるために、わざわざお呼びになったの? 今までに、こんな馬鹿らしい目に会ったことがないわ!
【ビァンカ】 いやだわ! あんな馬鹿みたいに言うことをきくなんて。
【ルーセンショー】 ね、ビアンカ、君もすこしは馬鹿になって言うことをきいてくれなくちゃ、利口なつもりでいちいち口出しするから、さっきから百クラウンも損してしまったんだよ。
【ビアンカ】 そんなことで賭けをなさるなんて、あなたのほうがよっぽどどうかしてるわよ。
【ペトルーチオ】 ケイト、この強情な女たちに教えてやってくれ、夫に対する妻の本分というものをな。
【未亡人】 からかわないでちょうだい。今さら聞きたくありませんわよ。
【ペトルーチオ】 さあ、いいかい、まずこの奥さんからだ。
【未亡人】 やるもんですか。
【ペトルーチオ】 やるとも。――さあ、この奥さんから。
【キャタリーナ】 いやですわ、そんなお顔をなさっちゃ。眉をしかめて、さげすんだような目でごらんになるなんて、それはあなたのご主人を、王さまを、統治者を、傷つけることになりますのよ。その美しいお顔も、霜にあった牧場の草のようにすっかり台なしになり、せっかくのお名前も、風に吹かれた蕾のように傷つけられてしまいますわ。どう考えても、女らしい、やさしいお顔とは申されませんわよ。女がおこった顔をするのは、きれいな泉をかき乱すようなもの、泥できたならしく濁ってしまい、清らかさも消え失せ、どんなにからからにのどのかわいた人でも、一口だって口をつけて飲む気がしなくなるでしょう。夫はあなたの殿さまです、命です、あなたの主人です、かしらです、君主です。だってあなたのためを思い、あなたが安楽に暮らせるようにと、海でも陸でも、つらい仕事に身をゆだねているのですから。あなたがあたたかい家の中で、安心しきって横になっている間、嵐の夜でも、きびしい暑さの日中でも、夫はいつもあたりを見張っているのですわ。そしてあなたに求めるものといえば、愛情と、やさしい顔と、すなおな心と、それだけ。こんな大きな借りのわりに、なんて少ない支払いでしょう。ね、だから女は、君主につかえる臣下のように、夫にかしずくべきなのです。強情をはったり、つむじをまげたり、いやな顔をしたりして、夫の正しい意志にしたがおうとなさらないのは、やさしい君主の恩を忘れて、よこしまな反逆をくわだてる謀叛人になりさがることですわ。でも女ってどうして馬鹿なのでしょう、ひざまずいて平和を求めるべきなのにかえって戦さをしかけたり、命令にしたがってやさしくつかえるべきなのに、どうしても思いのままに夫を支配したがったりなさる、わたし恥ずかしくなりますわ。わたしたちの体はどうしてこんなに柔らかなのでしょう? 弱くて肌もなめらかで、つらい世間の荒仕事には、どうしてもむきません。やっぱり女の気だてや心も、体と同じく、やさしくか弱いからではなくって? さあ、おこりんぼうさん、わたしたちにはなに一つできませんのよ。わたしももとはあなたたちと同じ、高慢で、思い上がって、生意気なことはきっとあなたたち以上、いちいち口答えしては、睨みかえしてましたの。でもやっとわかりましたわ。女のふり回す槍なんて藁《わら》しべみたいなもの、力だって弱くてくらべものにならない、強そうに見えるのはほんの見せかけだけだってことが。さあ、そんな了簡はもうおすてになったら。なんの役にもたたなくってよ。手を旦那さまの足の下におつきなさいな。わたし、夫が気にいるのなら、従順のしるしにいつだってそうするつもりですのよ。
【ペトルーチオ】 すばらしいぞ、ケイト。さあ、接吻してくれ。
【ルーセンショー】 そうか、大いにやってくれたまえ。勝利は君のものだ。
【ヴィンセンショー】 ふだん言うことをきく子供には、うれしい言葉だろう。
【ルーセンショー】 ふだん言うことをきかぬ女には、耳のいたい言葉でしょう。
【ペトルーチオ】 さあ、ケイト、行こう。新床が待っている。ここに三組のめでたい夫婦ができたが、君たち二組は落第だ。――(ルーセンショーに)もっとも君もくじには当ったが、一等賞はぼくのものだ。さあ、勝った以上はさっさと引きあげよう。みなさん、ではおやすみなさい。(ペトルーチオとキャタリーナ退場)
【ホーテンショー】 大いにやってくれたまえ。じゃじゃ馬ならしの君の腕前、みごとだったよ。
【ルーセンショー】 まったく不思議だよ。失礼だが、あの人があんなにかいならされるなんて。(一同退場)(完)
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解説
「じゃじゃ馬ならし」
「じゃじゃ馬ならし」はただのファース(笑劇、茶番狂言)か、それともまっとうな喜劇か、という点が学者の間で議論されている。もちろんファースも広い意味では喜劇にちがいないし、それなりの価値がないわけではないのだが、一般にファースというとき、筋も 登場人物もでたらめで、理屈も道理も無視した舞台を作り、ばかばかしい笑いを誘うドタバタ喜劇をさす。
この戯曲の本筋をなすペトルーチオ、キャタリーナ間のいきさつは古くから民話や民謡、あるいは民間の芝居などに扱われた話であるという。あたかも猛獣使いが猛獣をならすように、むやみに気の強い女を笞の力をかりて世にも従順な妻に仕立てることに成功した男の話は、元の形ではおそらくファースだったにちがいない。女は理由もなく乱暴で気が強く、男はそれに輪をかけた乱暴者、両人とも人間らしさなど一かけらも持ち合わせぬうえに、そのならし方が手荒く猛烈だとなれば、これをファース以外のものに仕上げるほうがむしろむずかしい。
シェイクスピアのペトルーチオ、キャタリーナの筋立ても基本的にはまさしくファースである。キャタリーナは手のつけられぬ乱暴な女だし、ペトルーチオは財産を目当に結婚する乱暴者である。ならし方も野生の鷹をならすように、まず食物や睡眠を奪って肉体的に消耗させて相手の抵抗を打ちくだく暴力的なやり方である。最後に精根つきた女が男の意のままに動き、ついには夫婦間における夫の絶対支配権を賛美する演説をするまでに、徹底した貞女ぶりを発揮するにいたる。
シェイクスピアの「じゃじゃ馬ならし」には、このようにファースめいたおかしみがふんだんに利用されてはいるものの、それだけのものといいきることはむろんできない。キャタリーナはなんの理由も動機もないのに、ただむちゃくちゃに乱暴にふるまっているわけではない。それは自分を無視して妹のビアンカばかりをかわいがる父親や世間に対する(未熟な)反抗なのだと観客に納得させる配慮があることを見逃してはならない。彼女も人並に男に愛され結婚したいのだが、親も世間も相手にしないのでは、妹や父親に八つ当りするのも無理からぬことである。彼女はペトルーチオに反抗しながらもしばしば女らしさをのぞかせている。彼女はファースに見るような型通りのじゃじゃ馬、強情女の化け物ではない。ペトルーチオにしても同様である。口先では乱暴なことを言っているが、ユーモアもやさしさもある賢い若者としての面も描かれている。キャタリーナに対してもことさら相手の心を傷つけるような言葉をさけている。キャタリーナが見かけの乱暴さとうって変わって内心はやさしくおとなしい女であることを信じて、そのことを相手に自覚させようとしているようにみえる。彼の召使や商人に対する乱暴もキャタリーナに対する一種の実物教育である。キャタリーナのはしたない振舞いをそっくりそのまま再演してみせて、さてこれをどう思し召す? というわけである。ついに彼女も夫の善意を悟る(第五幕第五場)。彼女がならされたのは男の暴力によって精魂つきはてて自我の角を折ったためという以上に、自己の愚かさを知り、夫の善意を悟ったからである。つまり悪女から貞女に一変した性格の変化には内的(心理的)な裏付けが用意されているのである。ただのファースではなく、むしろ純正な喜劇に近いと言われるのも、こうした理由による。
と言ってもこの劇にファース的要素が依然として残っていることは否定できない。キャタリーナやペトルーチオの性格はまだじゅうぶんに成熟していない。粗野で一面的なところが残っている。妹のビアンカを中心にした副筋は、主筋のリアルで乱暴な雰囲気とは対照的に、洗練された社交的雰囲気を持っている。喜劇的主題の上では、主筋が乱暴な娘がおとなしい妻になる話に対して、おとなしい娘が強い妻になる話が副筋の意味である。いかけ屋のスライを主人公とした面白い序劇については、それが途中で消えてしまったのは(なぜ消えたのかわからない)残念だ、と言うにとどめる。(三神勲)