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ご主人様と呼ばせてください
サタミ シュウ
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ご主人様と呼ばせてください
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シーン1―3 041―055
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昨日はありがとうございました。
本当は結婚以来、めったなことでは飲みに行かないのですが、なぜか今回は素早くお誘いに食いついてしまって、自分でも不思議でした。でも、予想どおりというか、まるで何回もご一緒してるかのようにくつろいで(くつろぎすぎて失礼があったかも……)、とにかく笑わせてもらいました。
写真、ぜーったいに送らないで! 本当に予告どおり、すごい枚数撮ってましたよね。でも、もともと写真嫌いの上に、あんなに酔っぱらってるときの自分の顔なんて……。想像しただけでぞっとしちゃいます。本当にすぐに消去してくださいね。
そして、昨日はすっかりご馳走《ちそう》になってしまってありがとうございました。来週は私に任せてくださいね!
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妻が他の男とセックスをしていることを知ったのは、結婚して八か月目のことだった。
理由は至極簡単なことで、男からのそれを示す内容のメールに、妻の着衣だがホテルらしき部屋で顔を隠して撮影を拒むような仕種《しぐさ》をしたデジタルカメラの写真が添付されていたからだった。
それはいわゆるメールソフトで受信したものではなく、インターネット経由で送受信を行うフリーメールでのものだったが、私がそれを知っていることに妻は気づいていない。
ネットを立ち上げ、有名なポータルサイトのフリーメールページにアクセスする。妻が学生のころから使っていて、深い理由はなく私には教えなかった、名前と誕生日の組み合わせのメールアドレスと、妻の実家で飼っている犬の名前のパスワードを打ち込む。
あっさりとそこには妻の送受信履歴が現れる。
この手のフリーメールを持っているほとんどの者がそうであるように、妻も通常はプロバイダー経由でメールソフトを使うアドレスを使用するので、そこにはほとんど私信はない。あるのはそのポータルサイト自体から送られてくる、膨大な数の広告メールだけだ。「おトクで楽しいクーポンが満載!」「あなたの愛車はいくら?」「デジタルカメラ、高級バッグ、現金が当たる!」「三〇〇万円かりても金利はたったの九%!」。
妻が私にそのアドレスを教えていなかったのと、私にとってはほとんど同じくらい深い意味はなく、私はときどきそのメールを見ていた。そしていつも、そんな広告メールが届くだけで妻がもう使っていないことだけを確認していた。
妻の様子の変化に気づいたのは十二月だった。
二―三度、トイレや風呂《ふろ》から出た私がリビングに戻る前に、さっと携帯を閉じていることがあった。その瞬間を見たわけではないが、液晶のバックライトが光っていることと、話し声が聞こえなかったことから、メールを送信したか受信したかであろうことは推測できた。
もちろん妻が風呂に入ったり寝入ったりしたあとに調べたが、どうやらそれが私に秘密にせざるを得ないものだったということだけはわかった。
怪しいメールを見つけたわけではない。正反対に、受信フォルダも送信フォルダも、すべてのメールが削除されていたからだった。通話の着信履歴とリダイヤルにも私の知っている人畜無害な名前しか並んでいなかった。
もっとも初歩的なミスだ。
妻のスケジュールを振り返って、その起点となった日を考えてみると、おそらく昨年の十一月二日だろうと私は推測した。
十一月一日は妻の二十五歳の誕生日だった。その日、私は妻を誘って赤坂《あかさか》の中華レストランでお祝いをした。妻は素直に喜び、その夜、生理中だったのでセックスはしなかったが、妻はつたないながらもいつもよりは長い時間をかけてフェラチオをして、最後は私の言うとおり手でしごいて私を射精させた。
妻は私のものに限らず、精液を飲み干した経験がないと言っていた。
それが本当か嘘かはわからないが、まったくしたことがないか、一度して以来したくないと思ったか程度の誤差だろうと思う。どちらにせよ、私にとってはそれほど重要な問題ではなかった。
誕生日の翌日は土曜日で仕事も休みだったが妻はめずらしく夜、外出した。前々から言われていたことだったが、職場のデザイナー仲間の一人がクラブでDJをするイベントがあり、そこに妻の誕生パーティを合わせるという企画だったらしい。
私も誘われたが断った。そういった若者イベントに縁遠くなっていたことと、同じ理由で妻の友人たちと相性があまり良くなかったせいもある。
「三歳しか違わないのに、ガキだと思って馬鹿にしてるんでしょう?」
妻はよくそう言ってふくれた顔をしてみせた。
確かにそのとおりだが、もっと根本的な理由は他にあった。それを妻には説明することはなかったし、したところで意味がないことでもあった。
とにかくその日、誕生日の翌日に何かがあった。その日にセックスをしたわけではない。おそらくそこで、出会いがあったか、もしくは誘い的な言葉を受けたはずだ。
それは後に妻のフリーメールで正解だったとわかるのだが、その段階でも私はそう確信していた。勘でも推測でもなく、私にはそういうことがはっきりわかるのだ。わかってしまう理由については、いまは述べない。
私と妻はセックスレスというわけではなかった。
出会ったのはちょうど二年前の四月、仕事上の集いを通じて知りあった。
妻は男好きする顔立ちはしていたが、どちらかと言えば真面目そうで野暮ったい雰囲気のほうが強く、簡単に言えば手慣れた男たちはあまり手を出さないタイプだった。しかし私には初対面でわかったが、体は抜群に良かった。プロポーションではなく、これは私だけの言葉だと思うが、セックスにおけるあらゆる肉厚がだ。
きちんと「つきあう」手はずを踏んで、出会って二か月目に初めてのセックスをしたあとで、私は妻の体が自分の予想に反していなかったことを知った。そして呼吸を整える妻に、もうひとつの確信に近い予想を聞いてみた。
「六人目?」
自分の部屋のベッドで、私は腕を頭に組んで天井を見つめたまま聞いた。私の胸に頬を乗せていた妻は、しばらく動きもせずじっとしたあとで、ぽかんとした顔をしたまま半身を起こして私を見た。
「え?」
私は目だけを妻に合わせた。
「経験人数」
妻はじっと私を見つめたあとで、困ったような笑みを浮かべて同じ言葉を繰り返した。
「え?」
つきあっていた男が三人、理由はともかくつきあうつもりだったが一回もしくは二回程度で終わった男が二人、そして私という計算だった。その場では妻は答えなかったが、後で聞いてみるとそれは寸分|違《たが》わず当たっていた。
そして一年後、昨年の六月に私は妻と結婚した。
その前も後も、頻繁というほどではなかったが、私は妻と二週間以上セックスをしないということもなかった。
妻がおそらく想像すらしたこともないであろうプレイの数々は、私は妻にはしなかった。妻がもっとも羞恥心《しゆうちしん》を抱くのがシックスナインという程度の、ひたすらオーソドックスなセックスをしていた。しかし妻はほとんと毎回、そんなごくあたりまえのセックスだけで、びくんびくんと体を震わせ、軽く失神するほどの絶頂を感じていた。
そして五か月後の十一月、妻はその「彼」に出会った。
おそらく彼は、私ほどではないだろうが、堅い妻の中にある淫乱《いんらん》なセックスの匂いに気づいたのだろう。そしてこう思ったに違いない。
この女は、素敵だ可愛いだの美辞麗句を並べるより、好きだ愛してるだの熱烈な告白をするよりも、君はとてもいやらしい、経験が少ないから自分でそう思っていないだけで、僕ともっとセックスを楽しむことができるはずだと口説くべきだ、と。
とても正しい読みで、彼は熱心にそのスタンスで妻を口説き始める。
もちろん妻は拒む。
男経験が少なく、しかも新婚の人妻だという自覚もきちんとある。
しかし彼はその拒否の合間を縫うように、何やかやと理由をつけては妻に電話やメールを入れたり、昼間にふとお茶に誘い出したり、残業後の終電まで一時間というタイミングなどを狙ったりして、巧みに妻を誘う。
妻は彼の態度が嫌いではない。そしてこの時点では、彼のセックスの誘いを断る自信も余裕もある。しかしこれほど体目当てを売りにする陽気な男に誘われる嬉《うれ》しさも隠せないし、彼の下品に見せかけて巧妙に妻のその気を少しずつ呼び起こすセックス話の数々に、愉快に笑い転げていたりもする。
密度の濃いそんな日々が一か月以上経って、妻は彼にすっかり感化され、やがて彼の決めの一手に頷《うなず》かざるを得なくなる。
「ここまで来て断るなんて、それはずるいよ」
彼はきちんと、妻に「いい女であることの責任」も刷り込んでいる。
そして、くだらない言い方をすれば、妻は彼と一線を越える。
一月十日、妻は溜《た》まっていた代休を消化する名目で休みを取り、私には買物と映画の用事を告げ、日中に彼とホテルで事に及ぶ。
そこからはごくごくあたりまえの、不倫と呼ばれるセックスが続いていくわけだが、ひとつだけその話があたりまえではなかったことが、妻の夫が私だったことだ。
「もし夫にばれてしまったら」の前提で妻や彼が考えられるような筋書きは、この先には待っていない。その夫が私であるかぎり、よい方向であれ悪い方向であれ、妻にも彼にも想像がつかない展開となる。
さて、どうしたものか。
「絶対にイヤだと言ってたけど、わざと送りつけちゃいます。このアドレスなら大丈夫だよね。今度はもっとちゃんとした(もちろん『そういう意味』だよ)写真撮ろうね」
笑いながらも必死に顔を隠そうとしている妻の写真と、彼のメールの文面を見つめながら、私は考えた。
ほんの五分ほどだが、私の頭の中でその「計画」が綿密に練り上げられていく。
そしてその計画のエンディングが見えたところで、私は妻のパソコンの使用ソフトの履歴を消し、立ち上げる前と同じ状態にして電源を落とした。
妻とだけは、いわゆる一般的に言われる「普通」でいようと思ったのだが。
そう思ってから、気づくと私は笑っていた。
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シーン8―1 241―260
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あやまらないでくださいな。もしすごく忙しかったら、会うことどころかメールだってできないかもしれないし。こちらこそ、そこまで思ってもらってるのにごめんなさい。
あー、あなたがすごいおじいさんで、「やりたいけど、体がついてこないのじゃ」とか言ってるのに、私が「しようよ! しようよ!」って無理矢理追いかけてるみたいな状況であればいいのになあ、なんて、すごくくだらないことすら考えてました(笑)。
ただ、本気で「しようよ」と言ってくれているあなたに対して、私がいま一歩踏み込めない状況を本気で説明すると、あーんなに重ーい内容になってしまっただけ。
きっといつもなら、もっと流れは単純にスムーズにいってるところ、こと私に関しては色々我慢をしてもらって、これでもものすごく恐縮してるの。
だから、もし「なんだめんどくさいな、やーめた!」ってなってしまったら、悲しいけど、それは仕方ないというか、私は諦《あきら》めざるを得ないだろうとも思っています。
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「言われたとおりにしてる?」
有楽町《ゆうらくちよう》で落ち合って山手《やまのて》線に乗ってから、僕は隣に立つ明乃《あきの》に、とくに声を潜めずに聞いた。
明乃は「声が大きいよ」という困ったような怒ったような顔を見せてから、恥ずかしそうに「うん」と小さな声で呟《つぶや》いた。
「会っただけで、そうなっちゃったりしてたりね」
僕は込み合う車内で、わざと平静を装ったトーンで話を続けた。
明乃はあからさまに顔を赤くして、僕の言葉を聞かないように陽が落ちた車外の景色のほうに目をやった。
僕が昨夜送ったメールは、「明日は短めのスカートで、下着をつけないで直《じか》にストッキングはいてきてね」。その返信は来なかったが、明乃はそれを実行して山手線に揺られている。
「普通に話したほうがいいよ」
僕は明乃にすっと体を寄せて耳元で囁《ささや》くと、また普通のデート中のカップルか仕事帰りの同僚か、他人には一目では判断がつかない程度の距離と向きになった。
「なんかそういうのって、落ち着かないものらしいよね」
平然と僕がそう言うと、明乃は俯《うつむ》いて小さな声で「そうよ」と呟いた。
「早く落ち着きたい感じ?」
しつこく僕は、まわりの乗客たちには何について語り合っているかわからないように、しかしきちんと聞こえるように言った。
「一刻も早く」
明乃はそこでようやく、必死に素の顔を作って僕の顔を見て言った。僕は思わずにやりと笑ってしまう。
「でもさ、そうなってるかどうかは、落ち着く前に確認しないとね」
僕のその言葉に、明乃はせっかく作れた素の顔を、また真っ赤にして黙ってしまった。
五反田《ごたんだ》駅について、僕は無言で明乃を先に歩かせる。「短めのスカート」というのはミニスカートそのもののつもりだったが、明乃はそこだけは抵抗があったらしく、膝下《ひざした》丈の巻スカートをはいている。
駅を出て目黒《めぐろ》川を越える橋を歩いていく。
僕はさっとデジタルカメラを出して、五メートル先を歩く明乃の後ろ姿を、フラッシュをたいて撮る。その瞬間に、明乃の肩がびくんと震えるのを見ながら、僕はすぐにカメラをしまって何でもないように歩き続ける。
やがていつも使うラブホテルへと近づく。いつものように僕は無言で明乃を追い抜き、先に一人でそのドアを抜ける。その後を、ロビーに誰もいないことを確認した明乃が、ほんの数秒だけ時間差をつけて小走りに追ってくる。
「入るときって、いつまでも慣れない」
フロントでキーを受け取り、エレベーターに乗っている間に明乃は心臓を押さえるような素振りをしながら言った。
僕はすっと近づき、そんな明乃のスカートの中に乱暴に手を入れ、太股《ふともも》あたりからすっと指を股間《こかん》へと這《は》わせていく。明乃は硬直したように体を強《こわ》ばらせた。僕は閉じかけていた足を押しのけるように指を性器のほうへ進め、ストッキング越しの感触を確かめる。
「すごく濡《ぬ》れてる」
明乃は僕の顔を見られなくなって俯いた。
部屋に入るなり、僕は明乃をベッドに仰向《あおむ》けに押し倒すようにした。スカートを脱がさず、腰のほうへと裾《すそ》を押しのける。
「染みになってるけど?」
わざと笑って言って、ストッキング越しに人さし指の腹で明乃の性器の襞《ひだ》をたどるようにゆっくり這わせた。明乃は右腕で顔を隠すようにして目を閉じる。
僕はこの感じながらも羞恥《しゆうち》を味わう明乃の顔が好きだ。フラッシュをたかずに左手で明乃のその表情、そして僕の指が動く股間を何枚も写真に収めていく。明乃は思わずその音に足を閉じてしまう。
「足を開いて」
「だって……」
「もう俺の前では足を閉じるな」
僕は少し強い口調で言った。明乃は観念したようにゆっくりと力を抜き、顔を覆っていた腕もおろしていく。
「そう。必ず顔も見せていて」
恥ずかしさのために頬を赤くして、すでに目も少しうつろな明乃は、四肢の力を抜き目を開いた。まだ目を合わせることができない明乃に、僕は容赦なくシャッターを押し続ける。
「脱いで」
僕がそう言うと、明乃は半身を起こして、僕に背中を向けてスカート、ブラウス、キャミソールの順番で脱いでいった。僕はその姿も写真に収めていく。
「ようやく照れなくなったね」
僕が言うと明乃はふと振り返って、デジタルカメラを見るとすぐに顔を背けた。
「いまでも嫌だよ、それ」
「撮られること?」
「うん」
明乃は濃紺のブラと直にはいたストッキングだけの姿でそう言うと、恥ずかしさを紛らわせるように脱いだブラウスとスカートを丁寧に畳んだ。
「でもすごくエッチで色っぽい顔するようになってきたよ」
「それは……」
「明乃も撮られると興奮するからだろう?」
僕がそう言うと、明乃は少し困ったような顔をしてから、小さく「うん」と頷《うなず》いた。
「でも、この写真……」
「もちろん俺があとでオナニーするためだけのものだよ。何があっても人には見せない。信用して」
僕がそう言うと、明乃は懇願するような目を向けた。
「本当にね。私、自分でも馬鹿なこと許しちゃったなあって思うよ」
「夫がいる新婚の人妻なのに」というニュアンスを含ませて明乃が言った。僕は「わかってるよ」という顔をして、明乃に近づいた。
肩に手を触れる。明乃の体が少し強ばったように震える。僕が顔を近づけると、明乃はゆっくり目を閉じ、口を薄く開けた。
僕は唇に触れると同時に強く舌を明乃の中へと進ませる。すでに柔らかく濡れた明乃の舌は僕の舌を待ちかまえていたように、絡みついてきた。
「ん……」
塞《ふさ》がれた口の端から明乃のせつない吐息が漏れた。
キスをするときはとにかく淫靡《いんび》に、涎《よだれ》が滴り落ちるくらいに唾液《だえき》をたっぷり絡み合わせるよう、僕は明乃に教え込んでいる。
僕は犯すように明乃の口の中を味わいながら、しかし手はゆっくり、豊かな明乃の胸を包むブラのラインをたどったり、触れるか触れない程度の強さで、ストッキング越しに明乃の性器の縁をたどった。
明乃から溢《あふ》れ出た液体の染みはさらに大きくなっていた。
「……って」
吐息と同時に明乃の言葉が漏れる。
「何?」
「触って……」
明乃は目を閉じたままそう言うと、また荒々しく僕にその柔らかい唇を押しつけて舌を差し込んできた。僕はそれを一度離して、明乃に諭すように言った。
「ちゃんと言わないと駄目だよって教えてるだろ?」
僕の言葉に明乃は、小さく「いや」と呟《つぶや》いてまた唇を押しつけてきたが、やがて諦《あきら》めたように離れると、俯きながら小さな声で言った。
「私のあそこ、指でぐちゃぐちゃにして」
僕は「よく言ったね」という意味を込めて、優しく明乃に口づけた。
「でも今日はその前に……」
僕はそう言うと、明乃から体を離してベッドから降りた。
「たっぷり撮ってあげる。真ん中に四つんばいになってごらん」
明乃は一瞬戸惑った顔を見せたが、もう完全に僕といるときのモードのスイッチが入ったようで、素直に僕の言葉に従った。
しかし恥ずかしさを振り切るような顔をしながらも、緊張が解けないのか四つんばいになりながらも背中を丸めたような恰好《かつこう》になってしまう。
「腰を落として。お尻《しり》を突き出すように」
僕はそう言いながら、シャッターを休まずに押していく。
明乃は言われたとおりに、顔を向けたこちらからでも見えるよう、ブラからこぼれそうな乳房がシーツに触れるか触れないかまで腰を落とし、頭の向こうにストッキングだけに包まれた柔らかな尻を突き出した。
「やらしくてすごくいいよ」
僕はベッドのまわりを動きながら、その明乃の体にたっぷり視姦《しかん》するような目とカメラを向けた。
「反対側を向いて」
明乃は言われるまま枕のほうへ顔を向け、僕に尻を向けた。僕が口にしようとしたことを、明乃が先に言った。
「恥ずかしい……」
「何が?」
「いつもより、濡れてる……」
「自分でもわかる?」
「うん……お願い、もうして。直接触って欲しい」
僕はカメラを置くと、明乃の尻に手を伸ばした。そして性器のあたりをすっと触ったあとで、両方の人さし指を立て、その真ん中から一気にストッキングを破った。
「そんなこと……」
振り向きかけた明乃は次の瞬間、がくんと頭を枕に落とすように体を震わせた。
「すごいっ……」
僕がいきなり明乃の中に人さし指と中指を挿入したからだった。明乃の性器は襞や肛門《こうもん》まで潤すかのように液体が溢れていて、僕の指は何の躊躇《ちゆうちよ》もなく迎え入れられていた。
ぴりぴりと伝線して右の尻は完全に露出して、左の尻には性器から尻の線を直径に半円を描くようにその破れた部分が留《とど》まっている。
「気持ち……」
「いい」という言葉が大きな喘《あえ》ぎ声に変わった。明乃の白い尻が、堪《こら》えられないという感じで円を描くように艶《なま》めかしく動いている。
「もっと声を出していいよ」
僕は指の動きを激しくさせながら、フラッシュをオンにして、左手でその様子を撮りつつ言った。
「ぐちゃぐちゃだよ。全部撮ってるからね」
「いや、いや、いや……」
明乃は枕を抱きしめ顔をうずめると、拒否の言葉を喘ぎ声に変えて叫んだ。
「いきそうになったら、ちゃんと言うんだよ」
くちゃくちゃと卑猥《ひわい》な音を立てる明乃の性器の中の指を、ざらざらとした内襞《うちひだ》を強くこすりあげるようにして僕は言った。自覚はないだろうが、明乃の尻はいつのまにか、僕の指を味わい尽くそうとするかのように、前後に動いていた。
「もう、もう、だめ。いく、いっちゃう」
明乃が叫んだ。その言葉を合図に、性器の中でじわっとした感触とともにさらに液体が溢れてくる。僕は指を少し明乃の尻のほうに持ち上げるようにして、隙間を作った。
「あああああああ、ほんとに、もう……」
絶頂の言葉は声にならなかった。そして同時に、僕の指の下から大量の液体が飛び散ってきた。
僕が指を抜くと、明乃は荒い呼吸のまま仰向けになってベッドの上に倒れた。癖で閉じそうになる足を僕は開かせ、股間を破かれたストッキングとブラの姿のままで、顔を紅潮させた姿をカメラに収める。
僕はそこでようやくチノパンとトランクスとシャツを脱ぎ、Tシャツは着たままで明乃の顔の横に、すっかり硬くなった性器を突きつけた。
明乃の唇に僕の勃起《ぼつき》した亀頭《きとう》が触れる。
明乃はふと薄目を開けると、息も整わないうちに、顔を横にしてそれをくわえ込んだ。乱れた髪を直すこともなく、だらしなく開けた口から長い舌を差し出して僕の性器を必死に舐《な》める。
とろんとしたままの目を見上げるように僕に向け、僕はその顔に何度もフラッシュを浴びせた。
やがて体を動かせるようになると、明乃は口の奥まで性器をくわえこんで、左手をその根本に添えて軽くしごきだした。
呼吸のために口を開けるたびに、明乃の淫靡な吐息と、たっぷり撫《な》でつけられた明乃の唾液の音が響く。
亀頭がぴくんと動いてしまうと、明乃はそのたびに少し嬉《うれ》しそうな顔をする。明乃は僕の性器の下に潜り込むと、根本からじゅばっじゅばっと音を立てながら強くキスしていった。そして再び亀頭からくわえ込むと、体を起こしてまた四つんばいの姿勢になって、手と首のスピードを速めていった。
「感じる……」
僕がそう言葉を漏らすと、明乃は膝《ひざ》をついて立つ僕の顔を見上げ微笑んだ。
「気持ちいい? 少し出てるよ」
「すごくいい。もっと続けて」
僕はカメラのモニター越しに明乃を見下ろしながら言った。
明乃は口を離すと、僕が教えたとおり、突き出した舌で亀頭の先を舐めながら、右手で強くしごきだした。
「いけそう?」
甘い吐息を吐きながら明乃が言った。
「いけそう……。いかせて」
僕はカメラを持ってないほうの右手で明乃の頭に軽く手を添えた。明乃は促されるように再び性器をくわえ、根本をしごく手をもっと速くしながら、じゅっじゅっじゅっと音を立てて、口と舌で僕をどんどん導いていった。
「出すよ」
その瞬間になって、僕は思わず呻《うめ》くように言った。
「うん」
僕の目線の下で、明乃が激しく頭を前後させながら言った。僕は明乃の横顔を撮るために伸ばした左手だけを違う人間のもののようにして、その他の全神経を明乃の温かく柔らかい口の中に集中させた。
「出るっ」
堪え切れなくなった僕の性器から、大量の精液が一気に吐き出された。
「はぁっ」
明乃が短く喘ぐ。どくどくと僕は明乃の中に射精を続けた。明乃はその間、体のすべての動きを止め、咽喉《のど》の奥まで放たれる生温かい液体の感触に、眉間《みけん》に皴《しわ》を寄せて耐えるように受け止める。
力が抜けて、すっと腰をベッドに下ろしたとき、明乃の口いっぱいになっていた僕の精液が、少し唇に溢《あふ》れた。明乃は指でそれをすくうと、自分の口の中に戻し、そしてゆっくり時間をかけて飲み干していった。
仰向《あおむ》けに倒れた僕は、だらしなくてかてかと光る性器越しの僕の足の間で、ぺたんと座り込んで息を整えている明乃を見ていた。明乃はその恰好のまま、顔にかかる髪を耳元で押さえるようにしながら、再び僕の精液が少し残る性器を口に含むと、優しく舌で舐めとっていった。
僕に教えられるまでは、精液を飲み干すことも、その後にこうしてリッピングしていくことも知らなかった女。
そう思うと僕は妙な興奮を覚えた。
明乃は性器の先に唇をつけ、吸い出すようにちゅっちゅっと音を立てて最後の一滴まで丁寧に口に入れた。そして力尽きたように、僕の性器に頬をつけるようにしてゆっくり倒れ込んでいった。
[#改ページ]
シーン10―1 316―335
[#ここからゴシック体]
さっきは電話にてお邪魔しました。
飲んでるかなと思いながらも、本当に休みが取れた嬉しさに思わず電話しちゃった。
わーい! ああだこうだ言ってるけど、とにかく楽しみ! 嬉しい!
二人っきりの金曜日を楽しみに。太陽の光のもと、思いっきり、あんなことも、こんなことも。すごく気持ちのいい午後を過ごせますように!
正直な気持ちはそれだけです。本当に本当に楽しみにしてます。
いままで色々書いてきたことは、それなりに正直に告白をしてきたつもりなのだけど。
いままであなたをじらして楽しんだり、駆け引きを楽しんだりしたつもりはないんです。本当に。言葉にするのは難しいんだけど。
あなたは駆け引きなんかもういらないと言ったでしょ。だから私は、自分にも素直になろうとしているし、あなたの言葉にも素直になろうと思ってます。
だからごめんなさい、前のメールもはぐらかしたつもりはまったくなかったのだけど、ごめんなさい。私、ありがとうの一言も書いてなかったね。
[#ここでゴシック体終わり]
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何事にも「しかるべき」人物がいるし、「しかるべき」ことがある。
考えたシナリオを現実的なものにするために、私は一か月近くの時間を要した。
その間に出会った人物は四人。
小説家。その小説家の紹介で出会った「しかるべき」弁護士と「しかるべき」探偵。そしてその探偵の紹介の「しかるべき」ある業者。
彼らは実に迅速に私の打診を実行してくれた。
最初に連絡をした小説家は、三年前にある「しかるべき」場所で出会った、私の過去を知る数少ない人物の一人だった。
「立ち直れたのかな」
電話をかけて名前を名乗ると、三年ぶりの名前だったためかしばらくの沈黙のあとで、小説家はそう言うとふっと笑った。
「おかげさまで。元に戻れたのかという意味でお聞きなら、たぶん立ち直ってはいないと思いますが」
私の答えに、小説家はさらに愉快そうに笑った。
「あのときのことならよく覚えている。あれから彼女には?」
「いえ」
小説家の問いに、私は「あれ以来一度も」という意味で答えた。
「では……」
小説家は何かを期待するような口ぶりで言った。
「新しいことを始めます」
私は言った。小説家は無言で私の次の言葉を待った。
「あなたに幾人かのしかるべき人物を紹介していただきたいんです」
私のその言葉に、小説家は言った。
「条件は?」
「失礼ながら、それをどうしたらよいのか私にはわかりませんでした」
私は正直に言った。すると小説家は私の言葉を遮るように言った。
「君のその新しい話と、三年前の話をすべて私に委《ゆだ》ねるということでいかがかな?」
しかるべき人間は話が早い。
「そうおっしゃるかと思っていました」
僕がそう答えると、小説家はまた愉快そうに笑った。
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シーン12―2 421―440
[#ここからゴシック体]
うん、あなたが望むような(?)、エロっぽい回答をすると、
なんで私の体はこんなに反応してしまうのだろう?
ということ。あなたの言うとおりなのかな、やっぱり。
ただ、触られる瞬間までは、自分でもどういう状態になっているのか、よくわかってないのだけど、わかったとき、びっくりしてしまったのは確か。
あと、あなたのを…のとき涙が出るのはなぜって聞くけど、実は何も感じてないの。
こんな風にするのがほとんど初めてだからとか、できないと思ってたのにできたからとかじゃなく、ただ受け入れて、そして涙が出てしまうの。何なのだろうね。自分でもまだ解明できていない体の不思議(笑)。
さすがに昨日は、ぐったりでした。寝るときまで余韻が残ってたよ。
[#ここでゴシック体終わり]
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「もう捨ててもいい?」
洗面台の前で股間《こかん》の部分を破られたストッキングを脱ぐとき、明乃は恥ずかしそうに僕に聞いた。僕は頷《うなず》きながら、その姿を大きな鏡越しに撮った。
バスタブに湯を入れている間に、明乃はスポンジで僕の体を丹念に洗う。こうやって男の体を洗うのも、明乃にとっては僕が初めてだった。
「どうして夫にはしてあげないの?」
僕はわざと意地悪にそういうことを聞く。
「だって一緒に入ったりしないし……」
明乃は僕の手の指を洗いながら言う。
「一緒に入って、ちんちん洗ってあげたりしたら喜ぶよ」
「いきなりそんなことしたら、びっくりされちゃうよ」
「そんなことじゃ浮気されるぞ」
僕は立ち上がって、片膝《かたひざ》で跪《ひざまず》く明乃に体を向けた。
「もう、夫はそんな人じゃないっていつも言ってるでしょう」
明乃はふくれた顔を見せながら、僕の性器に手を添えて泡立てたスポンジでゆっくりこすっていった。
「こっちこそいつも言うだろう。明乃こそそんな妻じゃないって思われてるのに、現にこうしてるじゃない」
「これは特別。夫はしないし、してるヒマもないと思う」
明乃の根拠のない自信に、いつも僕は笑ってしまう。
「明乃の夫って、見た目もかっこいいんだろう?」
「けっこう、モテてたと思う。昔の話はあんまりしないけど」
夫の容姿については、明乃は謙遜《けんそん》もなく普通にそう言う。
「そんなモテモテ男が、結婚して妻だけなんて考えられないけどねえ」
僕の言葉に、明乃は「もう」という顔をしてから言った。
「あなたこそ、婚約者が他の男とこんなことしてたらどうするのよ」
「あいつはしないね、絶対に」
「ほら、同じこと言うじゃない」
僕は肩をすくめてみせた。
明乃も自分の体を洗い終えると二人でバスタブに入った。明乃を僕によりかからせる。その体勢で、バブルバスの中で明乃の豊かな胸に手を回し、揉《も》み上げたり乳首を指で転がすようにつまんでいるのも僕は好きだった。明乃も最近では、後ろに手を回してきて、亀頭《きとう》を指先でまさぐるようになってきた。
「夫のとどっちが好き?」
僕がそう言うと、明乃はすっと僕の性器から手を離した。
「どうしてもそれだけは言わないね」
僕はまた意地悪するように、手を明乃の性器へと伸ばし、指先を入れながら言った。
「比べたくないし……」
明乃は僕の手を押さえるようにして言った。
「比べちゃいけないことだと思うの」
「俺としてるときに、夫のこと考えたりする?」
僕は明乃の手を振り払うようにして、指をさらに奥へと進めた。
「考えない。考えたらこんなことできない……あんっ」
抜いた指でクリトリスを撫《な》であげると、明乃はすぐに反応した。
「だから本当に……お願い……」
吐息を漏らしながら、明乃は言った。
「してるとき、そういう風に夫のことは言わないで」
明乃はすっと力が抜けたように、僕の肩に頭をもたせかけてきた。僕は指でクリトリスを愛撫《あいぶ》したまま、明乃を振り向かせるようにして、荒々しく唇を味わった。
「わかった。約束するよ」
舌を明乃の口の中で舐《な》め回すように動かすと、明乃は声にならないまま「うん」と言った。
「そろそろ出よう。たっぷり感じさせてくれる?」
そう言うと、明乃はまた唇を塞《ふさ》がれたまま「うん」と頷いた。
体を拭《ふ》いて出るとき、僕は明乃に全裸の上にキャミソールだけをつけてと言った。明乃は素直に従って、先にベッドで仰向《あおむ》けになる僕のほうへ、少し濃い陰毛を隠すようにしながら、その恰好《かつこう》でやってきた。髪はピンで留めている。これはもう言わずとも明乃はするようになった。写真を撮るとき、顔が隠れないようにするためだ。
「おいで」
僕がそう言うと、明乃は横に来て可愛らしく抱きつき、それから僕が教え込んだとおりの愛撫を僕の全身にしていった。
唇、耳、首から始まって、乳首、腹、腰と僕の体をたっぷり唾液《だえき》をつけて舐め上げていく。キスとフェラチオしか経験がなかった明乃は、僕に出会ってこうして男の体に奉仕していくことの楽しさも知った。まだアナルは舐めることも舐められることも抵抗があるらしいが、数度目で僕の足の指も一本一本丹念に舐めるようになった。
「おいで」
体中への愛撫が終わると、僕は明乃に同じ言葉を繰り返した。僕は仰向けの姿勢のまま明乃が渡すコンドームをつける。明乃はその性器を手で押さえ、ゆっくりと僕のものを自分の中へと沈めていく。
ぐちゅっぐちゅっという卑猥《ひわい》な音が響く。明乃はもうたっぷりと濡《ぬ》れている。
「はあああっん……」
僕は明乃の腰に手を添え、まずゆっくりと明乃を動かす。腰を支点に、明乃の下半身が僕の体の上で艶《なま》めかしく動き出す。明乃の呼吸は一気に荒くなり、すぐに喘《あえ》ぎ声が漏れ始めた。
「気持ちいい?」
「すごく……ああ、すごっ……」
呼吸が止まったような間のあとで、明乃は大きな声で「あああああっ」と喘ぎ出す。下から見上げる明乃は、軽く目を閉じてすべての神経を結合している部分に集中させるようにして、一気に上り詰めていった。
僕は一度体を離すと、明乃を四つんばいにさせて、後ろから挿入して激しく打ちつけた。そのすべてを撮っていく。
僕のストロークに合わせて、明乃の喘ぎはどんどん大きくなっていく。「こんなに声を出すのも初めて」と最初のうちは恥ずかしがっていたが、もういまの明乃は遠慮なく快感を口にするようになっていた。
「気持ち……あああっ、すごくいい、もうだめ、すぐに……」
僕は今度は明乃を仰向けにさせると、恥ずかしいくらい足を開いて持ち上げ、その内股《うちまた》が僕の胸につくようにして、明乃の中に勃起《ぼつき》したものをまた打ち込んでいった。
「だめ、ほんとに、もう……」
叫ぶ明乃の姿を、腰を振りながら僕は何枚も撮っていった。
勢いあまって僕の性器が抜けたとき、入れ直そうとする僕に明乃は荒い息を吐きながら言った。
「もうカメラは置いて」
その言葉の意味はわかっているが、僕はわざと首を横に振る。
「嫌だね。いやらしい明乃を撮りまくるのが俺のブームだって言っただろ」
明乃はそこで少しだけ目を開いて、懇願するような顔になった。
「どうしても置いて欲しかったら、ちゃんと言わなくちゃ」
僕はそう言って明乃の言葉を待った。明乃はまた目を閉じると、唇をきゅっと噛《か》みしめてから言った。
「もっと激しく抱いて欲しいから、一緒にいって欲しいから、カメラは置いて」
僕はカメラを置いて、優しく明乃にキスをした。明乃はぎゅっと僕の首に腕を回すと強く抱きついてきた。
「いけそう?」
「もう、すぐそこ……」
僕はその姿勢のまま、最後の激しい動きになった。明乃は僕の前後の動きに合わせるように、ぴくんぴくんと腰を上下に動かし、やがて隣の部屋にも確実に聞こえているくらいの叫び声を上げると、絶頂を迎えた。
僕もその声を合図に、我慢を続けていた性器から、どくんと射精した。
最初にセックスをしてからほんの数回で、これが僕と明乃のパターンになってきていた。
僕の婚約者と明乃の夫が仕事で遅い日、それぞれに「じゃあこっちも今日は遅くなるよ」と告げる。そして早い時間から二人で有楽町駅で落ち合い、もっとも誰にも会わずにすみそうだからという理由で五反田のラブホテルへと向かう。
最初は僕が明乃を指や舌で、次に明乃がフェラチオで僕をいかせる。その後、二人で風呂《ふろ》に入り話をする。出たら明乃が僕の全身を舌で愛撫し、挿入し一緒に果てる。
その後、時間があれば酒を飲みに行き、なければそのままで明乃の終電の時間で別れる。
それほど時間が取れないときは、カラオケボックスで最初のお互いをいかせることだけで終わることもよくあった。明乃とセックスするようになって二か月半、このどちらかを週に一度、可能なときは二度のペースで実行している。
この日も、僕はラブホテルを出ると明乃と無言で別れた。足早に駅に向かう明乃の後ろ姿を見送る。
お互いにとって都合がいい関係。明乃とのセックスは最高だが、それで僕と婚約者の関係が崩れることはない。明乃も夫と別れる気はない。明乃は恋愛ごとではなく、初めてセックスそのものを目的としたセックスに目覚めて、それが楽しくてしょうがないところなのだ。
この関係は、たとえば明乃が夫との子供を妊娠するなどしないかぎり、終わる理由もなく続くものだと僕は思っていた。
しかし次の日、僕は自分の考えが浅はかだったことを知る。
この夜のことが「シーン19」と呼ばれることになるなど、もちろん想像すらしていなかった。
ただ、僕と明乃の「終わる理由」については、決してその読みは間違っていたわけでもないのだが、僕がそれを知ることはなかった。
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シーン13―1 441―460
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あなたのおかげで、すっかり仕事やる気がなくなりました(笑)。
あのままもっと遊べたらよかったのに……。でも仕事の途中で会うのは避けたほうがいいということを再認識。
あの裏庭、うちの会社のベランダからも丸見えなんだよ。会社に戻ってからそれを思い出して、冷や汗でした(笑)。
確かにあなただといろんなことが気持ちいい。素直に認めます。でも、負けず嫌いなので、あなたにも私で初めて発見したこととか、そういうのがあると嬉《うれ》しいんだけどな。エロエロなあなたには、どうせもうそんな新しい発見なんてないんでしょうけど!
すごく恥ずかしいけど、あの後、仕事しながらあなたに○○されている感触を思い出してうっとりしちゃって、自然に足がきゅーってなってしまいました。
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その日、私は彼が勤めるデザイン事務所を訪れた。
事前に連絡をしたとき、私は自分の勤める本当の社名と、偽名でなく本当の名前を名乗った。
出版社のウェブコンテンツ事業部に勤めるものだが、新しく立ち上げるコンテンツのデザインをトータルでお願いしたい。ついては時間をいただけないだろうか。
私はそう言った。デザイン事務所だが、所属するそれぞれがフリーのデザイナーのように指名で仕事を受けることも多いので、彼も何の疑いも持たず、さっそくその二日後でどうでしょうかと答えた。
私が名乗って打診した内容については、ひとつも嘘をついていない。私が勤めているのも本当に出版社のウェブコンテンツ事業部だ。ただ、新しく立ち上げるコンテンツが、その事業部の仕事だとは一言も言っていない。
午後二時に銀座のビルの、彼の事務所があるフロアを訪れる。
ドアにいちばん近いデスクで、コンピュータを前に写真の修整をしていた若い男の子に、彼の名前と自分の名前を告げる。
パーティションの向こうから、その彼が現れる。
なるほど。
私は彼の近づいてくる様子を見ながら、こういう男ならばあり得なくもないと冷静に考えていた。そこには怒りや嫉妬《しつと》はまったくない。単純に、「なるほど」という言葉だけが相応《ふさわ》しい感情しかなかった。
「わざわざお越しいただいて……。こちらへどうぞ」
彼は私の姿を見て、少しだけ驚いたような様子を見せる。確かに、私と彼は三歳しか違わない。まだ私も二十八歳なのだ。その彼の驚きの理由は、いつものことなのでわかる。私の話す口調、態度、雰囲気といったものが、とくに電話越しだともっとそれなりなポジションにいる、それなりな年齢の男を想像させるからだ。
しかし実際の私は、まだ三十歳前で、顔立ちも体つきも決して悪くない。いまもこの事務所に入った瞬間、二人の女性がこの場に似つかわしくない、きちんとスーツを着こなしたそれなりの見栄えの男が現れて、気もそぞろになっていることが、私にはわかる。
パーティションで区切られた六人掛けのテーブルが置かれた一角に入り、私は彼の勧めるまま椅子に座った。
「ご挨拶《あいさつ》の前に……。コーヒーでよろしいですか?」
「ありがとうございます。いただきます」
彼は顔だけを出して、奥にいる誰かにコーヒーを二つ頼んだ。私はここでもどうでもよいことがひとつわかってしまう。コーヒーを運んでくるのは、先ほど私に目を留めた二人の女性の、手前にいるほうだ。
「はじめまして。よろしくお願いします」
彼が名刺を差し出してくる。私も立ち上がり、それ相応の挨拶をして自分の名刺を差し出す。
「失礼ですけど、もっと年配の方を想像してました」
「よく言われます」
私は彼に安心させるような笑みを浮かべてそう言う。しかし、彼が微笑みを浮かべられるのはこれで終わりになる。
「お忙しいことでしょうから、さっそくお話をさせていただきます。私は明乃の夫です」
人の表情から徐々に笑みが消えていく瞬間を、私はじっくり観察した。
彼はしばらく動けなくなって、たっぷり十秒以上経ってから、テーブルに置いた私の名刺に目を落とした。彼はそこに記された名字と、明乃の名字が同じであることを知る。
「大変緊張しているでしょう。私のほうで話を進めますので、聞いていてください」
私はバッグから茶封筒を取り出し、中からクリアファイルにきちんと整理された書類を、裏返しにして置く。
「コーヒーをいただいたら、これをお見せしながらお話しします」
私のその言葉を合図に、予想どおりの女性が、お盆にコーヒーとスティックシュガー、ミルクを持って入ってきた。私は彼女に「ありがとう」と微笑みかける。彼女は照れたような嬉しそうな笑みを返し、「ごゆっくり」と去っていった。これも一応、彼女に凍りついている彼の姿を注目させないためだ。
「まずこちらから」
私は一つ目のクリアファイルから一枚の紙を取り出す。そこに記されているのは、彼、彼の婚約者、彼の実家、彼の婚約者の実家、この事務所、事務所の社長、五つの彼の主要取引先の社名と担当者名それぞれの、住所と電話番号。
「まず、私はこれだけの人物にすぐにコンタクトが取れる状況にいることを理解しておいてください」
彼は何も言葉を発することができない。
次に私が取り出したのは、ある三日間の、彼の行動についての詳細なレポート。何時にこの事務所を出て、何時にどこで明乃と落ち合い、何時に別れたか。そしてその後、どこで彼が婚約者に会ったか。
同じファイルにはそのときの写真も入っている。五反田のラブホテルに少し離れて入っていく彼と明乃の姿、カラオケボックスのドアのガラス越しに、特定はできないが明乃が彼の性器を口に含んでいるであろう姿、明乃と別れたあとで深夜、彼が渋谷《しぶや》のカフェで婚約者と寄り添っている姿。
「私が所持しているのは、この三日分だけではありませんが、これだけでも充分でしょう」
私は外に漏れても仕事の打ち合わせをしていると聞こえるように、普通のトーンで話し続けた。彼が冷静を装うのに必死だということはよくわかったが、いかんせん私とはこういうことにおける「格」が違う。
「私はいかなる手段でも取れます。ごくあたりまえに考えられるのは、事を荒立てずにあなたから慰謝料をいただくことですが、その場合、ざっと試算してみるとこうなります」
私は三つ目のファイルから、弁護士が作成した書類を彼に見せた。彼は一応、目線を金額のところに落としたが、0の数をきちんと数えられたかどうかは怪しい。
「これはあくまでも、事を荒立てずにという意味での計算です。もちろん、私が先ほどお見せしたリストのすべてに、あなたのことを伝えるか否かという点は加味されていません。そうなった場合、仕事上の社会的制裁はあなたとその取引先の関係次第ですが、光村希美《みつむらのぞみ》さんとそのご両親においては、この私への慰謝料額を大幅に上回るというのが、弁護士の見解です」
私が彼の婚約者の名前を口に出すと、彼はかさかさに乾いた唇をぎゅっとつぐんで湿らせるような仕種《しぐさ》をした。
「しかしこういう場合……」
彼がその後、何と続けようとしたかは、おそらく彼自身にもわかってはいなかっただろう。追いつめられた状況をなんとかして打破したいだけの、無駄な発言だった。私は彼の言葉を遮って言った。
「私はこのことで、妻と離婚する気もなければ、彼女を責めるつもりもない。つけくわえるならば、私が君とのことを知っていることも、彼女に言うつもりもない」
彼は黙ったまま、私の言葉を必死に理解しようとしていた。
「つまり……」
かすれた声で彼は言った。
「つまり、あなたは僕だけにそれなりの罪滅ぼしをさせたいというわけですか」
「罪滅ぼし?」
私は彼の目を見つめたまま言った。私自身この瞬間、自分の何かが変わることを感じていた。目の前にいる男の「面白くなさ」に少しだけ怒りを感じてしまったのかもしれない。
「つまらない。まったくつまらないね」
私の声のトーンが変わったことに、彼はいままでとは違う怯《おび》えを感じたのがわかった。
「私は君を一般的にどうこうすることなど、まったく興味はないんだよ。これは、君が私の条件を飲まなければ、一般的にはこのような処遇を受けるという、最低ラインのサンプルだ」
私は裏返して置いた書類と写真に目をやって言った。
「条件……」
「そう、条件だ」
私は彼の目を見つめて言った。彼はそらしたいのに私から目をそらすことができなくなっていた。
「これは、恐喝とかそういったものに……」
「君は自分の立場がわかっているのか?」
最後の抵抗を見せようとする彼のあまりの想像力のなさに、私はやはり少しだけ腹が立ってきていた。彼は私の強い口調にびくんと震え俯《うつむ》いた。
「……すいません。話してください」
私は彼の姿を見て、自分のシナリオが順調に進んでいることを確認し、言った。
「怖がることは何もない。それどころか、これから君はもっと楽しくなる」
私は笑みを浮かべてみせた。しかし彼は顔を上げることができなかった。
いよいよ彼に「指令」を下すところになって、私はあることに気づいておかしくなった。
私の先ほどからの自分の話し方、口調が誰かに似ていると思っていたのだが、それは三年半前に、一度出会っただけの男のものだった。
まさかこんなところで、「彼」の影響が出てしまうとは。
そう思うだけで私は声を出して笑いそうになっていた。
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シーン16―1 501―550
[#ここからゴシック体]
いままで本当にたくさんの「初体験」はさせてもらったけど、今回はちょっとすごかったです。もう思い出しただけで顔が真っ赤。
変な風に取らないで欲しいんだけど、あなたはあんな風によく外でするの? そこのビルの人に見つかったらとか怖くならない? もうドキドキでした。服着たままいきなり後ろから……なんて、私も柄にもなくエッチなこと言ってみたけど、本当にすぐに実行しちゃうとは! すごい人だ、あなたは。
さっき、シャワーを浴びたら気持ちよくて、夫が遅かったので、裸のままで部屋を薄暗くして、音楽を聴いてた。しばらくしたら、ムクムクとエッチな気分になって、足をぎゅーっと伸ばして、目を閉じて、あの非常階段でのことを思い出したら、下半身が熱を帯びてきて、気持ちよくなって、息絶えました。
[#ここでゴシック体終わり]
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「君にはこれからも、妻との関係を続けてもらう」
数秒の沈黙の後で、僕はおそるおそる上目遣いで明乃の夫を見た。言っている言葉を、瞬時に頭のどこかで理解し、別のどこかでその理解を否定する考えが生まれた。
よく三文小説で聞くような、別の男に妻を抱かせ、それで興奮を得るというタイプの男なのだろうか? いや、そんな感じではない。では……。
「いちばん大事なことを先に言うが、私と出会ったことで、妻との関係を絶つことは許さない。これまでと同じペースかそれ以上で会うんだ」
意味がわからなかった。
「腰が引けたような行動を取った場合、もしくは理由の如何《いかん》にかかわらず、妻が君との関係を絶とうとした場合は、その原因は君にあると見なし、その際はさきほど知らせたような、一般的な処置を取る」
僕はテーブルに目をやった。いつのまにか、さきほど置かれていた書類は片づけられていた。
明乃の夫の顔を見る。
実に整った顔立ちをしている。なぜ明乃と結婚したのだろうかと余計なことを考える。変な言い方だが、もっとわかりやすく「いい女」と呼ばれる女をものにするのも、僕に比べればずいぶん楽なようにも思えた。
「妻の体がそのへんの女とは比べ物にならないのは、君もよく知っているとおりだ」
びくんとした。
僕は思っていたことを声に出してしまったのか、そのくらい怯え混乱していたのかと慌てた。同時に、いちばん最近の行為中の明乃の姿が、僕の中にどんどん浮かんでくる。全身を震わせて絶頂に達する明乃。いま自分が置かれている状態と、すぐにも抱きたくなる明乃のイメージが、妙なまざり方をして、僕は混乱していた。
そして、恐怖でずっと目を合わせないようにしていたが、僕は驚いて明乃の夫と目を合わせてしまう。強いわけでも射ぬくようなわけでもなく、そこにはまったく感情が見えない瞳《ひとみ》があった。人に見られているというよりも、監視カメラが目の前にあるような感じさえある。
「妻とのセックスは基本的に君の自由な裁量でやってもらってかまわない。ただし、私は君にときどき指令を出す。それは無条件で実行してもらいたい」
「指令……」
やっと声が出た。
「命令と言い直してもいい。これもとくに君を困らせるようなものにはならない。どころか逆のことだと言ってもいい。妻とのプレイに関して、君はよりよいアドバイスを受ける程度に思ってくれればそれでいい」
やっと気がついた。明乃の夫に対する根本的な違和感は、彼が、妻が不倫をしていることをまったく怒っていないということだった。嫉妬《しつと》もしていない。表情と口調で僕にでもわかるが、最初に思ったような、妻が他の男に抱かれて性的興奮を得るようなタイプでもない。
では何が目的なのか。
もちろんそんなことは、僕にわかるわけもなかった。ただひとつ、明乃の夫には、普通であれば最初から拒否反応を示されるような話でさえ、相手の脳の中に直接|叩《たた》き込むような話し方ができるということだった。
僕は「洗脳」されているような気にすらなった。
僕の体は震えっぱなしで、明乃とのことがばれたという事実に、したくもない想像が次から次へと押し寄せてきているというのに、明乃の夫の言葉は、まるで何十回も読み返した言葉のように、僕の頭の中に刻み込まれていく。
「君が行為の最中に写真を撮ることが好きなことも知っている」
あまりにも混乱しすぎていて、その言葉に恥ずかしいという感情は起こらなかった。
「光村希美さんはそれを好まないようだね。婚約者との行為ではできないぶん、妻でずいぶん楽しんでいるようだ」
僕は身構えた。めずらしく問いかけの口調だった。怒りがないと思っていたが、もしかすると明乃の夫の「ポイント」はここにあるのか?
しかしそれは確かにポイントには違いなかったが、僕の考えるような意味でのポイントではなかった。
「妻とのすべてを、サイトにアップして欲しい」
明乃の夫は、僕を見据えたままそう言った。
「サーバーとドメインはこちらで用意してある。これがFTPのアドレスとパスワードだ」
新たなファイルからそれが書かれた紙を一枚取り出し、明乃の夫は僕のほうへ差し出した。
何を言っているのかわからなかった。
「これが私が君に与える、もっとも重要な指令であり、君に一般的な処置を取らないかわりの条件だ。出会って以降のすべての写真と妻から受け取ったメールを、きちんとした体裁にしてひとつのサイトとして完成させて欲しい」
「サイト……」
「そう、妻のサイトだ。君が撮った写真を素材に、君が作るサイトだ」
僕はいつのまにか、明乃の夫の目をじっと見つめていた。想像力を超えると、恐怖という感情は意外に収まるものなのだなと、なぜかそんなことを頭のどこかで冷静に分析していたりもした。
「君はデザイナーだ。稚拙な出来映えであることは許さない。きちんと観賞に耐えうるように作成してくれ。ただし、その観賞を許される人物は三人。君と私と、妻だ」
「彼女に……」
明乃に、と言いそうになって、僕は慌てて言い直した。
「そう、妻もだ。そこはうまくやってくれ。もちろん自分の淫《みだ》らな写真がネット上にアップなどされたら、一人の女としても、既婚者としても大変抵抗をするだろう。しかしそれは必ず説得してもらう」
ふと考えても、明乃がそんなことを許すとは思えなかった。でもまたしても僕は頭のどこかで、その説得自体が彼女とのセックスをより深くしていくのかもしれないなどと期待もしていた。
明乃の夫の前で震える僕。
明乃の夫の指令に驚く僕。
明乃との今後に悦《よろこ》びを見つけそうになっている僕。
だんだん、自分の感情がよくわからなくなってきていた。
「もう一度言うが、サイトにアップするのは、君が撮る写真と、妻の君宛のメールのすべてだ」
僕は明乃から受け取ったメールのいくつかを、瞬時に思い出していた。僕とこういう関係になって以降、直接的に卑猥《ひわい》な言葉こそ使わないが、明乃のメールの文面は、充分に僕を勃起《ぼつき》させるものになっていた。
「デザインだのレイアウトだのは君に任せる。私がというよりも、妻が見て喜ぶようなものを作ってやってくれ。細かいことだが、検索などにいっさいひっかからないよう、文字はすべて写真扱いにするくらいの手間はかけて欲しい」
僕はデザイナーとして、その具体的でやや専門的な話にだけ、ごく普通に頷《うなず》いていた。明乃の夫の目が少しだけ笑った。
「徐々に指令していくつもりだが、行為はよりハードにしていくこと。君はこれまで以上にありとあらゆる状況で写真を撮ること。妻をよりタブーのない女にしていくこと」
明乃の夫は誓約書を読み上げるように続けた。
妻を淫乱《いんらん》な女に仕立てることを、他の男に任せるという計画?
一瞬そう思ったが、明乃の夫の考えていることはそんなレベルではないということだけは、さっきからなんとなくわかっていた。
「妻と会った夜のうちに、その日の写真とそれまでのメールをアップすること。写真もメールも内容によって削除したり修正したりすることは不可。最初のアップは十日後の四月一日の午前〇時。そこまでの分をすべて完成させておいてくれ」
そこまで言うと、明乃の夫は何の前触れもなくすっと椅子を後ろに引いて立ち上がった。僕もつられて立ち上がる。
「では話は以上だ。今後、私は君と会うことは二度とない。連絡はすべてメールで行うので、それは絶対的な指令だと思って実行してくれ」
僕は自分がうまく立てているのかさえよくわからなかった。
明乃の夫は僕を改めて見ることも、もちろん挨拶《あいさつ》することもなく、パーティションの向こうへと歩いて行った。ちょうどそこへ、さっきコーヒーを運んできた同僚デザイナーの女性が歩いてきて、彼女は明乃の夫に気づくと、少し慌てたように頭を下げた。
「おいしいコーヒーをありがとう」
まったく偉そうに聞こえず、実にスマートに、爽《さわ》やかにすら聞こえる口調で、明乃の夫は彼女にそう微笑みかけ去っていった。きっと彼女は後で、僕に「さっきの人、誰?」と聞いてくることだろう。
僕は気づいた。
いまのいままで、僕は明乃の夫をどこかで馬鹿にしていたはずだった。これだけの淫靡《いんび》な肉体を持つ女と結婚しながら、セックスにおけることをひとつとして教え込まなかった、つまらない男。そう思っていたはずだった。
ところが、明乃の夫はそうではないどころか、それどころの男でもなかった。
明乃の夫の姿が完全に見えなくなったあとで、僕は手探りで椅子の位置を確かめて、倒れ込むように座った。気づくと汗が一気に噴き出してきて、膝《ひざ》ががくがくと震えていた。
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シーン20―2 681―700
[#ここからゴシック体]
すごい。こんなにちゃんと作ってくれるなんて。
なんか自分の写真のサイトだってことは関係なく、本当に感心しちゃったのと、やっぱりプロだなあ、一応同じ仕事してるのに、私なんかよりよっぽどすごい人だったんだなあって、そっちのほうで尊敬しちゃいました。
マイサイトが人にはわからないようになってるって、なるほどーって、なんかいつものように無理矢理納得させられてる?(笑)
でも本当にお願い。絶対誰にも言っちゃダメよ。かなりいっぱいごねたけど、その気持ちはいまも本当は変わってません。
あと、モロに写っちゃってるのって、本当にあのままにするの!?
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これからの計画のためにも、私は妻といままでどおりのペースで、いままでどおりのセックスをしていく必要があった。
その夜、やはり二週間ぶりほどで、パジャマを着て洗面台の前で化粧水をつけている妻の背後に立った。鏡越しに妻が「?」という顔を見せる。私はその肩に優しく手を置き、触れるか触れないかくらいのキスを首筋にする。ぴくんと妻の体が震え、鏡越しに確認するような目を向けた。
「それ終わったらおいで」
私はそう言い残して、先に寝室へと戻る。
ベッドで妻を待ち、妻は部屋に入ると恥ずかしそうに部屋の電気を消す。そして私の隣から体を近づけてくる。私は妻の肩に手を回しその体を近寄せ、キスをする。
その後は、誰でもやるようなごくごくありきたりな前戯を妻にする。ときどきそこで、妻をフェラチオに導くこともあるが、状況的に妻が酒を飲んで少し酔っているときなどを除き、ほとんどさせることはない。私は短い時間だが丹念なクンニを施し、コンドームをつけ妻に挿入する。
私にとって妻とのセックスは、本当にそれだけで良かったのだ。
正直に言えば、最初のころ私はこういう感触と具合を持つ妻との、ごくありきたりで、しかしきちんと快感を得られるセックスが、私を「あること」から立ち直らせ、治してくれないかと思っていた。そして、実際にそのくらい妻とのセックスは「普通に」良かった。
しかしいまになってよくわかる。つまらない言い方だが、これはこれ、あれはあれ。まったくの別物だったのだ。
以前、私は一般的にはアブノーマルと言われてしまうであろうセックスと関係に、ある女と溺《おぼ》れていた。四年前から三年前にかけて、そのおよそ一年間で、私はそれまでの私ではなくなった。
そしてその関係を築いていた女が私を捨てて去ったあとで、私はまたしても違う自分になってしまった。ありとあらゆることに感情が揺れ動かなくなり、ありとあらゆることに興味をなくした。
それ以降、仕事は何も言わずにただ淡々とこなした。セックスができる女たちにまったく連絡を取らなかった。友人たちも去った。
妻に会ったときは、そうなってから一年近くが過ぎたころで、私はきっと心の片隅で、妻を契機に「リハビリ」を自分に施したかったのかもしれない。
しかし、これはこれ、あれはあれ、だった。
そう、今回私が妻と彼に取る行動は、妻を寝取られた復讐《ふくしゆう》でもない、嫉妬心《しつとしん》を増幅させて心を揺り動かすためでもない。
私なりの、私が快楽を得るための、私だけのやり方を選び取るためなのだ。
「君も自分の道を早く見つけなさい。君なら私と違う方法で、私よりも大きな国を築くことができるよ。お世辞ではなく、君にはそうなるべき性癖がある。資質ではなく性癖だ」
三年半前、ある男に言われた言葉。いま私は、それを実行に移している。
声を出さずに上り詰めた妻が、私の背中に強く手を回した。
射精を終え、私は体を離すとコンドームに溜《た》まった精液を妻に見せた。もちろんこんなことをするのは初めてだ。
「たまってたみたいだよ」
私は笑みを浮かべて言った。妻は恥ずかしそうにしながらも、どこか嬉《うれ》しそうな顔になって、私がつまんでいるものの、ぶら下がった部分をじっと見つめていた。
それから二時間後、妻が眠ってから、私はパソコンを立ち上げた。
四月一日午前一時。間違いなく、彼は私の指令を一分と遅れずに実行しているだろう。
アドレスバーにURLを打ち込む。
上出来じゃないか。
画面が現れた瞬間、私は彼にそう言ってやりたくなった。さすがにそれなりに売れっ子と呼ばれるだけのデザイナーではある。
オープニング画面は、明乃の数枚の写真が折り重なるように現れては消えていくという凝ったもので、十枚ほどでそれが終わると、真っ黒な画面の中からぼんやり発光するように、「Enter」という文字が現れる。
それをクリックすると、ずらりと並ぶシーンナンバーと日付、そしてそれぞれ一枚ずつサンプル写真が添えられた、インデックスページ。
彼は妻との行為を、きちんとデザインされた画面に二十枚ずつの写真で構成していた。ずらりと並ぶ二十枚のサムネイルをクリックすると、その一枚の拡大写真とその間のメールが現れる。画面自体の右矢印マークをクリックすると次のシーンへ、上矢印マークをクリックするとインデックスページに戻るというリンクまで張っていた。
まずはざっとサムネイルだけで全ページを見る。明乃が彼の性器をしゃぶり、自分の性器を弄《もてあそ》ばれ、挿入され喘《あえ》いでいる姿が、ここまでで彼の振り分けたシーンナンバーで「20」、写真枚数は七百十点あった。最初にセックスをしたときのものは「シーン11」だった。
私は彼も充分「こちら側」に来る性癖があることを見抜いた。行為はまだまだアマチュアレベルだ。しかし、その「素質」は充分にある。それ以上に、行為を自ら撮るときのアングル、そしてこうやって構成する力とセンス。それはデザイナーだからという理由をはるかに超えているものだった。
シーン1。薄暗いバーの個室。
靴を脱いでソファに座っている。膝《ひざ》丈のスカートの、ふくらはぎの写真。一枚だけ、自分の手で裾《すそ》を太股《ふともも》のほうにずりあげ、五センチほど膝より上の白い肉付きのいい曲線を見せている。
シーン2。どこかのレストラン。
胸元の写真。外の夜道。繋《つな》いでいる手。
シーン3。カラオケボックス。
上を脱ぎ、キャミソールだけの姿。肩のオレンジ色のブラのライン。胸元のブラのレースと寄せて強調した胸の谷間。テーブルの下からスカートの中を狙い、慌てて上から手を押さえている写真。肩を抱かれ、足をソファに投げ出すようにしている写真。
シーン4。昼の喫茶店。
ロングスカートから伸びる、網タイツにパンプスの足元。
シーン5。カラオケボックス。
酒で赤くなっている顔。無防備な胸元。スカートのスリットに伸びた男の手。ブラウスの胸元のボタンをひとつ外し、男の指先がブラに触れている。足元越し、前回よりも網目の大きいストッキングから太股へ。目を閉じ、硬くなってキスをしている写真。
シーン6。日中、天気のいい日のオープンテラスのカフェ。
サラダを口にし、笑顔を見せている。公園を歩く姿。
シーン7。夜、会社の近くにある神社の境内。
スカートの裾、胸元を執拗《しつよう》に追っている。ピンボケのキス写真。
シーン8。居酒屋の個室。
これまで以上に胸元を強調した服。自分の手でその膨らみを少し見せている。テーブルの下、ふくらはぎを撫《な》でている男の手。
カラオケボックス。
スカートはほとんどまくりあげられた状態で、ソファの上に靴を脱いで座っている。酒と恥ずかしさで赤い顔。近すぎてどこが写っているのかわからない、抱き合う写真。服越しに揉《も》まれる柔らかい乳房。膝を抱え、何かに耐えるようなポーズ。
シーン9。どこかのビルの非常階段。
キス。座ってロングスカートをたくしあげている。男の性器をおそるおそる握っている手のアップ。
シーン10。カラオケボックス。
露《あらわ》になる太股。そこを撫でる手。目を閉じ、ぼんやりした顔つきでのキス。
シーン11。太陽の光が差し込むシティホテルのツインルーム。
ワンピース姿。上半身裸で、うつぶせで横を向いている顔。恥ずかしそうな笑顔。シーツを体中に巻き付けて立ち上がろうとしている写真。
シーン12。バーのトイレ。
外したブラを顔の横に構えてのセルフ。
ラブホテル。
コットンパンツと下着をずらされ、わずかに見える陰毛。恍惚《こうこつ》とした表情。男にもたれかかって呼吸を整えるような顔。下着をはき直している写真。手を前に出して、自分の顔を隠そうとしているフェラチオ写真。横からのアングルで、男の性器を深くくわえ込んで目を閉じている一枚。
シーン13。会社のビルの裏庭。
胸元から乱暴に入れた手が、ブラから左の乳房を露にしている。下着は膝までずらされ、スカートの中に男の手が入っている。頭でほとんど見えないが、上からのアングルの、跪《ひざまず》いてフェラチオしている写真。
シーン14。カラオケボックス。
真っ赤なブラの上から両方の乳房を露出させ、恥ずかしそうに俯《うつむ》いている。左斜め上から、男の亀頭《きとう》を目を閉じて舐《な》め上げていく写真。のけぞって喘いでいる写真。
シーン15。ラブホテル。
着衣のまま、下着だけ右足の太股にひっかけて座り、恥ずかしそうにカメラを見ている。ピンク色のバスタオルを体に巻いて、横たわる男の性器をくわえ込んでいる写真。
シーン16。どこかのビルの非常階段。
下からのアングルで、顔を上気させながら、濃紺の下着をはいていく連続写真。
シーン17。ラブホテルのソファ。
キャミソールを下にずりさげ、豊かな胸を露出させ、その乳首を指でいじられている。ミニスカート。片方の太股にひっかけた下着。紅潮して息を整えている顔。
シーン18。ラブホテル。
上は着衣のまま、目隠しをされベッドに仰向《あおむ》けになっている。性器の中に差し込まれている男の指。乱暴に揉まれている胸。馬乗りになった男の性器を、場所を確かめるように口に含む写真。すべてが終わったあとの、全裸でうつぶせになっている姿。尻《しり》のライン。
シーン19。ラブホテル。
下着をつけずにストッキングをはいている。四つんばいでポーズ。破かれたストッキング。性器の中に入る男の二本の指。枕を抱きしめ叫んでいる姿。横になったまま、膝をつく男の性器を舐め上げている。キャミソールだけの姿で、仰向けの男の首、乳首、腹、性器に口づけていく姿。男の上で挿入したまま、見下ろしている写真。結合部。
和風レストランの個室。
箸《はし》で料理を運んでいる顔。テーブルの下の組まれた足。
シーン20。ラブホテル。
ソファの上でジーンズスカートをはいたまま、膝を折って座っている。その中で下着をつけず露になっている性器。これまでよりも濃いアイライン。ベッドにうつぶせで、その恰好《かつこう》のまま尻を露出させている。喘ぐ顔。まわりの肉を引っ張られ襞《ひだ》まで見せている性器のアップ。結合中、横向きの目を開けている顔。その向こうに男の頭。後ろから伸ばされた指をしゃぶる。全裸。仰向けの男の目線越しに、指で上を向かせた男の性器を、向こう側から舐め上げていく姿。
上出来じゃないか。
私はもう一度、その台詞《せりふ》を思った。今度は妻に対して。
私はもっと後になるだろうと思っていた指令を、彼にメールすることにした。
それは、きっと妻がもっとも拒否反応を示し、しかしすぐにあたりまえのように受け入れるはずだ。
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シーン21―2 731―750
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うん、実はそうかもって自分でも思ってた。
あるときから、必ず私にベルトはずさせて、ファスナーもおろさせるなあとは気づいてました(笑)。
そういう風に言われてしまうと、むむむって感じだけど、私、そのときそんなにエッチな顔してるかしら。
マイサイトで写真見ても……そうかもしれないなあと思いながらも、まだあなたが私のどんな顔がエロいと思ってくれてるのか、ちゃんとわかってないかもしれないね。
確かに、あなたのモノを口に入れたまま、カメラ目線で目を開けてる写真は、私自身もかなりきました。
いつのまにこんなエッチな顔できるようになったんだろう……。
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どう考えても異常な命令だというのに、素直に従っている僕は自分がどうかしているんじゃないかと思った。
明乃の夫に、明乃とのセックスをすべてサイトにしろと言われ、僕は本当にそれしかやるべき道が残されていないのか、きちんと弁護士なり、もしくは明乃自身に相談すれば、明乃の夫が言うような羽目にはならないのではないかと、何日間もずっと考えてみたりもした。
明乃にもその間、一度会ってホテルでセックスをした。
夫と出会ってしまったこと、そして僕が指令を受ける立場になってしまったことが、二人の関係にどんな影響を及ぼすのか、自分でもどうなるか怖かった。
しかし、明乃の顔を見て、ホテルに入ると、なぜか自然と夫のことは忘れることができ、いつものパターンで濃い時間を過ごすことができた。
だが思わぬところで僕はいつもと違う行動を取っていた。
ホテルの部屋を出るとき、明乃は言った。
「今日、なんかすごくカメラを意識しちゃった」
どきっとしたが、確かに僕は、いつもよりも、明乃の性器そのものとか、挿入しているときの明乃の顔とか、これまでは少なめだった写真を撮ろうとしていたように思う。
もしかしたら、僕はすでにその気になっているのかもしれない。
翌日の深夜、皆が帰って一人になった事務所で、ふとパソコンにインストールされているウェブ作成ソフトを立ち上げ、昨日までの明乃との写真を保存していたCD―ROMを入れてみた。
気づくと朝になっていた。僕はそれから一度も立ち上がることなく、明乃のサイト作りに熱中していたのだった。
その間、僕はずっと勃起《ぼつき》を続けたままだった。
体は限界にきていて、目も霞《かす》んでこれ以上モニターを見ていることもできないくらいだったが、僕の頭の中には、残りのやるべき作業や後で施す修正点がすべて、明確に順序立てて浮かんでいた。
昨夜、婚約者の希美から着《き》ていたメールにも返事をしていなかった。
時計を見ると七時。昼近くにならないと他の人間も出社して来ない。僕はこのまま明乃のサイトの作業を続けるか、家に帰って眠るかを考えた。
その答えはすぐには決まらず、僕はとりあえず、この時間には必ず起きている希美に電話をかけた。
「おはよう。どうしたの? 徹夜?」
「まだ事務所にいる。希美はいつもどおり?」
「さっき起きたところ。普通に出勤よ」
希美は僕よりも二歳年上の歯科医で総合病院に勤めている。胸こそ小さいが、腰や太股《ふともも》のラインが細く美しく、着ている服やメイクに絶対に手を抜かない。
変な言い方だが、セックスについても希美は申し分ない。明乃とそういう関係になった後でも、希美と回数が減ることはなかった。明乃とは違い、希美とはゆっくり落ち着いた、それこそ時には笑ったり話したりしながらすることもある。同じセックスという言葉でも、明乃と希美とでは、まったく違う行為をしているようにさえ思う。
つきあおうと言ったとき、彼女は黙って僕の顔を見つめた後で、「それより結婚しない?」と言った。
僕は思わず頷《うなず》いてしまったが、それは正しい選択だと後で思った。希美と結婚して一緒に暮らすことを想像すると、僕の中にネガティブなものはひとつも現れない。明乃とセックスをするようになってもその考えは変わっていない。
しかしいまの僕は、正しいとか間違っているとかではなく、希美という存在自体を考える回路が頭の中で繋《つな》がっていなかった。
これまでもこんな時間に徹夜明けで事務所から電話をしたことが二度ほどある。そのときは、僕はすぐにタクシーを飛ばして部屋へ行き、出勤前のメイクを終えた希美と、慌ただしくも激しいセックスをした。そして、口紅を引き直して出ていく彼女を見送り、彼女のベッドで眠った。
希美が電話口で無言になる。そのことを思い出しているのかもしれない。
僕はまだ完全には収まっていない勃起した性器の位置を、ジーンズ越しに直した。いますぐ彼女を抱きたい気持ちはもちろんあった。
しかし目を上げた僕の前には、明乃の写真が小さくサムネイル状態で二十枚並んだ画面があった。
それを見た瞬間、僕は言った。
「そっか。こっちはまだ終わらないんだ。夜、時間合ったら会おうか」
一瞬の沈黙で、希美が僕が来ることを期待していたことを知る。
「大変だね。私は今日は普通どおりだと思う。メールするね」
「こっちもするよ。じゃあ行ってらっしゃい」
「はーい。行ってきます」
可愛らしく希美はそう言って電話を切った。少しだけ、「いまからすぐ行く」と言わなかったことを後悔したが、僕はすぐに、またパソコンの画面に集中した。
それから三日後、四月一日の午前〇時に、僕は指令通り完成させたサイトをサーバーにアップした。
きっと明乃の夫もここまでのものを仕上げるとは思っていなかっただろう。
そんな風に思って、僕は何を得意げになっているのかと自分を戒めた。喜ぶべきことが根本から間違っている。
さらに僕には難題が待っている。このサイトを明乃に見せ、今後も続けることを了解させなくてはならない。
どうしたらよいのかわからなかったが、とりあえずそれは後で考えることにした。このサイトを作るために、後回しにしてしまった本当の仕事をこれから一気に片づけていかなくてはならない。
しかし二時間後、僕はその夜、それ以上仕事を続けることができなくなってしまったことを知った。
サイトを見た明乃の夫から、更なる指令が届いたのだ。
僕はそのメールの文面を見つめたまま、しばらく動くことができなくなった。でも、自分でもどうしてだかはわからないが、その文面を見ているうちに僕はいつのまにか勃起していた。
「妻を奴隷と呼び、自分のことをご主人様と呼ばせなさい」
それができるかどうかは想像もつかなかった。でも、僕は一刻も早く、明乃に会いたかった。
明乃の性器を思いきり舐《な》めたい。明乃にたっぷりフェラチオをさせて、精液を思いきり口の中に出したい。明乃の性器に、僕の硬くなったものを悲鳴を上げるまで打ちつけたい。そして「ご主人様」と明乃が僕を呼ぶ。
そう思うと勃起したものはより硬くなって、僕はどうにかなってしまいそうだった。
いや、と同時に頭の片隅で僕は思う。
もしかしたら僕は、「シーン21」を早くアップしたいのかもしれない。
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シーン25―1 826―845
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ご主人様。寄り道のせいで、疲れが増したり、しんどくなってたりしてないことを祈っています。
さっき胸にキスされて、本気でいますぐあそこも触って欲しいと思いました。本当に、自分でももてあますほどに、体がいやらしくなってきています。私ばかりこんな風になってしまって、ご主人様の負担になってないといいけど、それがとても気になります。
またすぐに私をぐちゃぐちゃにしてください。私のあそこはいまにも、滴り落ちてきそうなほど、ご主人様に愛撫《あいぶ》されることを待ち焦がれています。
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カラオケボックスで壁に背をつけ立っている妻が下着を膝《ひざ》までおろされ、性器の中へと彼が舌を差し込んでいる。遠慮なく大きな声で喘《あえ》ぐ。指でかきまわされると絶頂を迎え、そのままその場へ崩れるように座り込む。
彼はとろんとした瞳《ひとみ》の妻の顔を上に向かせ、そのまま性器を口の中へと入れていく。しゃぶりつく妻。彼は性器を妻の口の中から左頬のほうに押しつけ、その頬の膨らみを楽しむ。乱れた前髪の中から、カメラに目を向ける妻。やがて射精。きつく目を閉じ、咽喉《のど》元に溜《た》まった精液をこぼさないようにゆっくり飲み干していく。
昼の下北沢《しもきたざわ》の街並み。春らしい爽《さわ》やかなワンピースにカシミアのカーディガンを着ている妻が歩いている。
どこかのビルの屋上。跪《ひざまず》いてフェラチオをしながら、普通に目を開けカメラを見つめている。
ラブホテルのソファで、順番に服を脱いでいく妻。全裸になった妻が、膝を立てて座っている。恥ずかしさで目をカメラに向けられない。右膝に右手を、左膝に左手を添え、少しだけM字で足を開いていく。
湯の張っていないバスタブの中で、前に手をつき尻《しり》を突き出している妻。その性器の中に、彼の指が差し込まれている。
個室居酒屋で並んで座り、彼の股間《こかん》に顔をうずめ丹念に性器をしゃぶっている妻。精液を受け止め呆然《ぼうぜん》とした妻のあごに彼が手を添え、カメラに向かって口を開かせている。舌の上にどろっと溜まった精液。
人気《ひとけ》のない、どこかのマンションのエレベーターロビーで、昼の光の中、一心不乱にフェラチオをしている妻。
妻と彼のセックスは、着実に次の段階へと進んでいるようだった。
撮影癖という大きな要因もあるが、きっと彼には、アマチュアレベルながらそういった意味での想像力があるのだろう。おそらく、彼と同い年だったころの私よりも、彼のほうがよっぽどその「素質」あるいは「性癖」がある。
そしていまの私は、そんな妻と彼を「加速」させることができる。
私がかつての自分ではなくなったのは、彼と同じ二十五歳のときだった。
それまで、私は自分のルックスの良さをきちんと活用し、それ相応に、あるいはそれ以上に、女を口説き寝ることを楽しんでいた普通の男だった。
それを変えたのは「香奈《かな》」という名の女と、香奈の「ご主人様」だった。
二十四歳のとき、私は転職した職場で出会ったその美しい人妻を、それまでのセオリーどおり口説こうとした。しかし香奈は頷《うなず》かなかった。正確に言えば、頷くことも断ることも、香奈には許されていなかった。
香奈には夫ではなく、別に「ご主人様」がいた。ご主人様の命令であれば香奈はどんなことでも従った。どんな恰好《かつこう》でもしたし、どんな拘束具も受け入れた。電車の中で自慰行為をさせられても、アナルを犯されても、小便を飲まされても、快感を得る女にご主人様は香奈を仕立てていた。
そのご主人様の命令で、香奈は私とセックスをした。香奈はその一部始終を撮っていてと、私にビデオカメラを渡した。
私は香奈にのめり込んでいった。そして、私が香奈の向こうにいるご主人様の存在を知ったとき、香奈との関係がご主人様に仕組まれたものだと知ったときには、私はもうどこへも逃げ出せない状態に追い込まれていた。
やがてご主人様は、香奈という奴隷を捨てて去っていった。その現場に立ち会わされた私は、香奈の「私の奴隷になりなさい」という言葉に、「はい」と頷いていた。
そして私は香奈の奴隷となり、いま振り返っても、香奈とのプレイ以外のことはまったく記憶にない日々を送った。
そして、ご主人様が香奈にそうしたように、ある日、香奈は私を捨てた。
その日から私は、比喩《ひゆ》的表現ではなく廃人となった。
妻と知りあいセックスをしたときに、香奈に出会う前の自分に戻れるかもしれないと心のどこかで思ったかもしれないが、もちろんそうはならなかった。
しかし香奈に捨てられてちょうど三年が過ぎたいま、私の中にはあのときと同じではないが、あのときに似た、自分の中から何かがふつふつと沸き上がるような感触を味わっている。
いまの私には、あのとき「ご主人様」が言った、「ひとつの行為には、必ず明快な目的と意志が必要だ」という言葉が少しだけわかるような気がした。
私には明快な目的と意志がある。
妻は眠っている。
私はこれから、妻が「本当に」眠っているのか、探偵の紹介で出会った業者から購入した薬の効き目を試さなくてはならない。
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シーン28―2 991―1010
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どうもありがとう。楽にしていいよと言われて、すごくほっとしました。
ほっとして、同時にいかに、この奴隷の頭がさらにがちがちになっていたかということに気づき、自分でもびっくりしています。
ご主人様はご主人様です。それは変わりません。
正直に言うと、あるときから、急にご主人様とのセックスが、それまで以上に気持ちよくなったような気がします。でも、同時にご主人様が怖くなったような気もしていたんです。
でもそう言ってもらえて嬉《うれ》しかったです。ほっとしたからこそ、いままで以上に淫《みだ》らにエロになれるのかもしれない。
ご主人様、次にお会いするときに、たっぷりとご奉仕し、たっぷりと可愛がっていただけることを、心より楽しみにしています。
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六月になったその日、いつものように、五反田のラブホテルで明乃と会った。
部屋に入り、服を着たままスカートをたくしあげられた明乃の恥ずかしそうなポーズを、ベッドの上で何枚も撮っていく。網目の大きなストッキングからは、申し訳程度の黒い小さな下着が見え、そこからは性器の肉や陰毛が淫らにはみ出している。
僕は明乃の服を脱がせた。ブラもショーツに合わせた、ほとんど紐《ひも》のような、乳首も透けて見えているものだ。
「スケベなのを買ったんだね」
僕がそう言うと、明乃は赤くなって顔を隠すようにして俯《うつむ》いた。
「ご主人様が喜ぶかなあって……」
なんとかそう口にする明乃を、僕はベッドに仰向《あおむ》けに倒した。僕は明乃がこの下着を買ったことを知っている。明乃から聞いたわけではない。
僕は明乃のストッキングを片足だけ脱がせ、片足だけはいたままという恰好にさせた。
「指令の前に自分で買ってるとは驚いたな」
僕は明乃の体を舐《な》め回すように撮りながら言った。
「夫に怪しまれるんじゃないのか?」
僕はわざとそう言った。
「だから友達のハワイ土産って言ったの。こんなのつけられないって」
「実際にこうしてつけてるじゃないか」
僕は手を取って明乃の半身を起こした。
「うん……。だからそれは、ご主人様とこうして……」
「今日は先にしてくれる?」
僕は明乃の言葉を遮って言った。こんな風に明乃を試すように話していることが、ぞくぞくするような快感でもあり、これ以上続けると自分からボロが出そうな気がしたからだった。
明乃は膝《ひざ》を曲げて座り直すと、ベッドの上に立つ僕を見上げながら、ゆっくりと亀頭《きとう》を口に含み、唾液《だえき》をたっぷり撫《な》でつけるように舌を動かし始めた。尻《しり》の下あたりにぞくっとした快感が走り、僕は手をつく場所を探してしまいそうになる。
「明乃……」
会うたびごとに巧《うま》くなっていく明乃のフェラチオに、勃起《ぼつき》をより硬くさせながら僕は言った。ぐちゅぐちゅと音を立てて僕の性器を咽喉《のど》元までくわえ込んでいた明乃は、少し口を引くとそのまま首を傾げ僕を見た。
「今日、顔にかけるぞ」
本当は「かけてもいい?」と聞きたかった。でも、僕はそう言うように指示されている。
明乃は一瞬困ったような顔をした。行為自体になのか、僕の言葉遣いになのか。僕はすぐにでも優しく言い直したかった。でもぐっと堪《こら》えた。
「最初は、少しだけにして……」
やがて明乃は目を伏せそう言うと、両手を僕の膝あたりに添え、顔を少し速く前後させ、僕の性器を含む口元から唾液を吸い上げる音を大きくしていった。
もう耐えられなくなっていた。僕は明乃を少し乱暴に押し倒すと、体の上に馬乗りになった。小さく淫らなブラに包まれた、明乃の温かい乳房の上に座るような体勢になる。
明乃は首から顔を上げるようにして、あごの方から突き出された僕の性器を、左手で押さえながらくわえ込んだ。僕は腰を少し浮かせ、明乃の口の中を犯すのにもっとも適した角度で、自分の腰も速いスピードで前後させた。
「出すぞ」
僕はそう言うと、いつもなら明乃の口の中で亀頭を包まれた状態で出しているものを、すっと腰を引き、明乃の少し開いた口と唇のあたりに向けてぶちまけていった。ほとんどがすごい勢いで明乃の舌や咽喉へと向かう。そして残りは、明乃の口のまわりから頬にかけて飛び散った。
明乃の唇と紅潮した頬に留《とど》まる白い精液に、僕はすごい興奮を感じ、何枚も何枚もフラッシュをたいた。
明乃はしばらく放心したように目を閉じていた。
やがて、添えてあった左手に少し力を込めると、優しく僕の性器をしごき、亀頭の先から残りのすべてを吸い上げるように飲んでいった。
脱力してカメラを持っていないほうの手を、思わず明乃の顔の横についてしまう。明乃は目を閉じたまま、僕のその手を右手で握り、左手は萎《な》え始めた性器に添えたまま、自分の乳房の上へと導いた。
シャワーを浴びたあとで、僕は明乃に事前に指示していたとおり、キャミソールと太股《ふともも》までのストッキングだけの姿になるように命じた。
一度目のプレイが終わっているためか、今度はそれほど照れた様子もなく、明乃はベッドの上で露出した性器を隠すこともなく、僕のカメラに目線を送っていた。
僕は明乃にカメラを渡した。
「どんな風にでもいいから、自分の体や顔を撮っていて」
僕の言葉に明乃は驚いた顔を見せる。
「私が?」
明乃が自分で撮るアングルの写真を見てみたいと僕は思っていた。いや、正直に言えば、そういうアングルの写真も組み込んだほうが、明乃のサイトはもっと淫らになると頭の片隅で思っていた。もっと言えば、明乃の夫は僕の進歩ぶりを褒めるだろうとすら考えていた。
明乃が次の言葉を告げる前に、僕は明乃の股間《こかん》に顔をうずめ、いきなり性器の中に舌を差し込み、べろべろと襞《ひだ》の奥をかきまわした。
「いやっ……」
カメラを手にしたままの明乃が、顔を押さえるようにしてのけぞった。
さっき明乃の口を犯すような気分だったのと同じように、今度は明乃の性器を舌で犯しているような感じだった。
舌先を硬くしてクリトリスを突き、襞を強く甘噛《あまが》みする。たっぷり唾液を垂らしてちゅーちゅーと音を立てて吸い、中からすくい取った愛液を内股《うちまた》に撫でつけるように運ぶ。
「だめ、だめ、だめ、だめ……」
そんな言葉とともに、明乃の呼吸が速く荒くなっていく。僕は手を伸ばし、すっかり忘れたままのカメラを持たせ、明乃の指でその顔に向けた写真を撮る。
「撮っていなさい」
「だって、だって、すごいっ、そんなの、あああああ」
明乃はまたカメラを手放してしまう。僕はカメラを構えると体をぐっと開かせた足の間に入れ、今度は指で明乃の性器を激しく愛撫《あいぶ》していった。
その後、ベッドの上をのたうちまわるようにして、絶叫しながら上り詰めた明乃の姿をあらゆる角度から収めていった。
明乃は軽く失神したようにうつぶせになって動かない。僕の指には白濁した明乃の愛液がこびりついていた。
しばらくしてから、僕は立ち上がって、さっき明乃がつけていた小さく卑猥《ひわい》な下着を持ってベッドに戻った。放心状態の明乃のキャミソールを脱がす。
「明乃、起きてこれをもう一度つけて」
明乃はなかなか目を開くことができなかったが、やがて朦朧《もうろう》としたまま少し体を起こすと、僕の言うとおりに、しかし力が入らずにずいぶんと時間をかけて、ブラとショーツをつけていった。
「奉仕しなさい」
明乃がなんとかブラのホックを留めるのを見てから、僕は命令口調で言った。いまの明乃の顔や状況がそうさせるのか、僕はその自分の口調に今度は違和感を感じなかった。
明乃はとろんとした目をしたまま、仰向《あおむ》けになった僕の体に覆いかぶさってくる。
僕の右の乳首を舌で舐《な》め回しながら、右手の人さし指で僕の左の乳首を愛撫していく。この行為の途中で、次第に頭と体が目覚めてきたのか、やがて明乃の舌にも指にも力がこもるようになり、ホテルの部屋には明乃が立てる唾液とキスの音が響き始めた。
手を上に上げて、僕の体の上に四つんばいになった明乃の全身を撮る。モニター画面の中には、突き出した尻の黒く細いレースの線が見える。それは明乃の尻の白くきれいな曲線をより卑猥に見せていた。
明乃は僕の体を丹念に舐め上げていく。腰のあたりを舐めながらも、その手は僕の乳首への刺激を忘れない。そして明乃は性器を通りすぎ、内股からふくらはぎへと舌を這《は》わせていった。
「足を舐めさせてください」
明乃が言った。上目遣いで僕を見るその瞳《ひとみ》は潤んでいた。もう僕にそれを抑えるものはなくなっていた。
僕は膝を立てると明乃が舐めやすいようにして言った。
「全部の指を丁寧に奉仕しなさい」
「はい」
僕のその口調に、明乃は従順に頷《うなず》いた。
そして明乃は僕の足の指とその股を、ひとつひとつ丁寧に、僕が向けるカメラを必ず目を開けて見つめたまま、じゅるっじゅるっと音を立てて舐めていった。
僕の奴隷が、僕の汚い足に奉仕している。
そう思うと、僕の腰のあたりに痺《しび》れるような快感が走った。僕はもう自分を止めることができなくなっていた。
「今日はアナルも奉仕しなさい」
僕は言った。いままでアナルセックスはおろか、明乃は愛撫するのもされるのも、それだけは拒んできた。
一瞬の間があった。僕は、次に出てくる明乃の言葉が怖かった。ご主人様と呼ぶことも、奴隷と扱われることも、やはり嫌だと言い出したとき、それを屈服させるだけの「何か」を僕はまだ持っていない。
しかし明乃は僕の目を見つめたあとで言った。
「では、お尻《しり》をこちらに向けてもらえますか」
ぞくぞくした。僕は言われるがままに、四つんばいになると明乃のほうへ尻を突き出した。手が回らずその姿を収めることはできなかったが、ずいぶん不恰好《ぶかつこう》だったと思う。
明乃は僕の尻にそっと手を添え、目の前に差し出された肛門《こうもん》に、伸ばした舌をおずおずと触れてきた。そして舌先を上下に動かす。
「気持ちいいですか?」
明乃が言った。僕は答えることができなかった。もっと舐め上げて欲しいという欲求しかなかった。
僕は返事の代わりに、カメラを股間の下のほうへ伸ばすと、適当な目測で、明乃の舌のほうへ向けて何枚もフラッシュをたいた。
明乃は僕の尻の間に顔をうずめるようにして、舌先をアナルの中へと差し込み、右手はだらしなく垂れ下がった僕の睾丸《こうがん》を優しく揉《も》み上げていた。
「おちんちんもしゃぶりたいです」
どのくらいの時間、僕は明乃のアナルへの奉仕に我を忘れていたのかわからない。ふと明乃は舌を離すと、そう言った。
僕は名残惜しさを感じながらも、もう一度仰向けになった。明乃はすぐに僕の性器を口に含み、じゅぶっじゅぶっと音を立てた。
僕はいつのまにか、すべての前提になっている事柄を忘れていた。
明乃の夫のこと、夫からの指令のこと、希美のこと。そういったものがすべて吹き飛んでいて、明乃という奴隷とセックスをしている自分という状況に、頭が真っ白になっていた。
コンドームをつけ、明乃の下着を脱がさずずらし、女性上位で挿入させた。
僕の上で大声で喘《あえ》ぎながら腰を振る明乃に、僕は左手に持ったカメラでフラッシュを浴びせ、右手で口を開けさせ舌で指を舐めさせたり、ほとんど用をなさないブラごと乱暴に乳房を掴《つか》んで、はみ出した乳首を強くつねりあげたりした。
そして僕は明乃を押し倒す。明乃の足首を持ち、高々と持ち上げて結合部を露《あらわ》にし、激しく突いていると、凌辱《りようじよく》をしているような気分になってきた。
「気持ちいいか?」
僕の問いに、明乃はもう答えることができない。「いいっ、すごいっ」と絶叫を上げつづけている。
「おまんこをこうされてどうなんだ?」
僕の息も荒い。でも、僕はどうしてもそういう嗜虐《しぎやく》的な言葉を明乃に言いたくてしょうがなかった。そして、その答えが欲しかった。
「ほら、言ってごらん。俺のちんぽは気持ちいいのか?」
これ以上、僕は射精を我慢できなかった。そのとき、間断なく喘ぎ声が漏れる明乃の口から、その言葉が聞こえた。
「ご主人様の、すごい、すごくいいです、もうもうだめ、壊れちゃう」
最後は絶叫だった。明乃はびくんと体を反らせた。その瞬間、僕もその動きにつられるように、どくんどくんと大量に射精した。
早い時間から会っていたおかげで、これだけのプレイをしたあとでも、明乃の終電まで一時間ほど時間があった。
僕は明乃を個室がある居酒屋に誘った。ホテルを出るとき、下着をつけることは禁じ、太股《ふともも》留めのストッキングをはくように言った。
店に入って、梅酒サワーを飲む明乃の顔は、いままでになく淫靡《いんび》で、いますぐにでもまたセックスができそうなくらい、僕の性器は反応していた。
「今日の……」
明乃が言った。
「すごかった」
そう言うと、グラスに目を落として明乃は俯《うつむ》いた。
「すごく感じた?」
「うん。でも……」
明乃は僕に目を合わせないまま続けた。
「少し怖かった」
「怖い?」
僕が聞き返すと、明乃は僕の顔を見て、少し困ったような顔をした。
僕は少し慌てていた。いろんなことを焦りすぎていたのかもしれない。
そう思って僕は少し冷静になって考え、そして混乱した。僕が明乃と「ご主人様と奴隷」であることを焦った理由は何なのだろう。確かにそのシチュエーションで僕はいままでにないくらい興奮した。自分が本物のご主人様になれるかはさておき、明乃に本物の奴隷になって欲しいと思った。
でも、それは本当に僕の、僕だけの意志なのか。明乃とのセックスのためなのか。
明乃の夫の、冷たく整った顔が浮かぶ。
僕はその顔を振り払うように、テーブルの下で靴を脱いで足を伸ばす。明乃の膝《ひざ》に爪先が触れる。足を伸ばして太股の間へと滑り込ませ、足を開かせる。カメラをテーブルの下で構え、明乃の股間《こかん》を三枚、連続して撮った。
明乃は目だけで、驚きと「やめて」という恥ずかしさを見せ、平然としたポーズを作るために頬杖《ほおづえ》をついた。
「あと、告白ってどうしたらいいの?」
僕の足が戻り、カメラがテーブルの上に置かれたのを確認してから、明乃は言った。
「告白?」
「サイト用にっていう、あれ」
「ああ」
僕は慌てた素振りを見せないようにして言った。
「サイトに明乃のエロい写真がいっぱいあるだろう。そこに明乃のメールだけじゃなくて、明乃自身、そのプレイをどう思ったのか、淫乱な感じで告白して欲しいんだ」
明乃はしばらく僕の言葉を吟味するような仕種《しぐさ》をした。
「なんかそういうの、難しそう」
「そうでもないよ。思ったままを書いてくれればいい」
僕は言った。
「そういうのって、興奮するの?」
明乃が「それだったら」というニュアンスを込めて言った。
僕は頷《うなず》いた。僕はそのとき、僕にその指令を出した明乃の夫は、やはりそれで興奮を得るのだろうかと同時に思っていた。
明乃を見送った後で、僕は家にも帰らず希美の部屋にも行かず、事務所に戻った。もちろん、明乃のサイトを作るためだった。
パソコンにインストールして気づいた。この夜、僕は写真を三百枚も撮っていた。
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シーン30―3 1191―1210
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怒らないで聞いてください。
いま、会社に誰もいないのね。で、私、ご主人様に言われたとおり、これは家に持って帰っちゃいけないんだろうなあと思ってたり、マイサイトもあんまり見ちゃいけないんだなあと思ってたのね。
でも、さっきサイトを見てしまって、昨日のこと思い出しちゃって、それで、なんだか、むくむくと好奇心が湧いてしまって、会社だというのに使っちゃった。一応、トイレでしたんだけど。
自分一人でこんなことするなんて、本当にいやらしい女だなあと思いつつ、でも、やってるうちにすっごく気持ちよくなってしまって、あんまり大きな声を立てられなかったけど、一人で本当によがってしまった。
使って、どんどん気持ちよくなってくるにつれ、ああ、どうしていまここにご主人様がいないのかしら、こんな淫《みだ》らな姿を見てもらえたらいいのに、いっぱい撮ってもらえればいいのにって、本気で思った。
そして、いますぐご主人様のモノをしゃぶりたいって本当に思った。
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主〉ではこの後、オナニーしてその報告をしなさい。
あき〉わかりました。
あき〉夫から電w
おしらせ〉あきさんが退室しましたので待機中になります。
おしらせ〉SWさんが入室しましたので、このチャットルームをロックしました。
主〉以上、すべてに目を通し、これもアップしておきなさい。
私は誰もいない会社のデスクから、深夜二時半、明乃に電話をかけた。
「何してた?」
「何も。そろそろ寝ようかなって思ってたところ。今日はまだまだかかりそうなの?」
「いや、もう会社を出るよ」
「じゃあ起きて待ってようか?」
「気にしないで眠かったら寝てていい。そっと帰るようにするよ」
「あ、そうだ」
「何?」
「ほら、もうすぐ誕生日」
「ああ、そうだね」
「色気ないこと聞くけど、何か欲しいものある?」
「本当に色気のないことを聞くね」
私は笑ってみせた。妻も誘われるように笑う。
「何か思いついたら言うよ。でも、明乃が好きに選んでくれたものでいい」
「わかった。考えておくけど、でも何か思いついたら言ってね」
「じゃあ、もう出るよ」
「うん。本当に寝ちゃってたらごめんね」
「気にしないでいいよ」
私はそう言って電話を切った。
これまでとこれからのバランスを考えて、今日あたりは妻とセックスをしたほうがよい日だ。始めるべき「もうひとつの」セックスの前の、最後の「通常の」セックスを。
私は目の前のパソコンに残るチャット画面を見つめながら、そう思った。
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シーン36―1 1506―1525
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あのチャットの後、短い時間だったけど本当に一人でやってしまいました。
今度したいリクエストを出した、ホテルで服を着たまま……というのを想像して、と思っていたのに、チャットで一人で想像したりして話をしていたから、とくに何か想像しなくても、いつものポーズを取っただけで、すぐに気持ちよくなってしまいました。
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「誕生日って何が欲しい?」
「まだ一か月も先だよ」
僕は笑ってみせた。希美も「わかってるわよ」という感じで笑い、ワインを一口飲む。
「でもさ、順調にいけば独身最後の誕生日よ」
「なんだよ、順調にいけばって」
「結婚前こそ何があるかわからないってよく言うじゃない。私はマリッジブルーになるかもしれないし、あなただって『もっと違う女がいるんじゃないか』なんて思い始めるかもしれないわよ」
希美はわざと意地悪そうな顔を作って、僕を試すような目で見た。僕はグラスにワインをついであげてから、同じ顔と同じ目をして、希美を見た。
「もうとっくに思ってるかもよ?」
「私のほうこそ思ってたらどうする?」
「もしそうだとしたら、そうだな、それぞれ一度そっちに行って、飽きて戻ってきてから結婚しよう」
僕がそう言うと、希美は少し考えるような顔をして、「いいこと言う」という表情になって笑った。
勘定をすませて店を出たときに、携帯が鳴った。事務所のパソコン宛のメールの転送だった。
「どうする?」
もう一軒行こうか、それとも僕か自分の部屋に行こうかという意味で、希美が言った。
「ごめん」
僕は落ち込んだ顔を作って、閉じた携帯を振ってみせた。
「仕事?」
「うん」
「かかりそう?」
「わからない。かもしれない」
「わかった。じゃあ早く終わりそうだったら電話して。帰ってるから」
「うん。行けたら行くよ」
地下鉄の駅まで一緒に行き、僕は希美に手を振って、事務所へ向かう別の電車に乗った。
仕事ではなかった。明乃の夫から、新たな指令が届いていたのだ。
いまから明乃にこのようなメールを送りなさいという内容だった。
今夜、夫が遅ければチャットで話そう。このサイトに来て欲しい。先に「あき」という名でチャットルームに入り、メッセージ欄には「人待ち」と書いておくこと。僕は「主」という名前で入るので、会社でバイブを使ってオナニーをしてしまった話を、たっぷりと聞かせるように。
そして明乃に送るそのメールはBCCで私にも送るように、君はその後、私がメールで指示するまでチャットルームには入らないようにと、明乃の夫は書いていた。
従うしかない。僕は言われたとおりに実行した。
明乃の夫が指定した、入室者が二人になると自動的にロックされる、いわゆる2ショットチャットの画面を見る。明乃から確認の返信が着《き》て、僕がその確認の返信をし、何度かブラウザの「更新」ボタンをクリックすると、やがて三十室ずらりと並ぶチャットルームの、二十五番目に明乃が現れた。
「あき 女 人待ち」
僕はもう一度更新ボタンをクリックする。すると、すでにそこは、「満室」という表示に切り替わっていた。
考えられることはただひとつ。明乃の夫は、僕になりすまして、明乃とチャットで会話をしようとしているのだ。
時計を見ると午前一時になるところだった。
それからずっと、僕は仕事も何もできない状態のまま、メールソフトの送受信メールを何度もクリックして、次に来るはずの明乃の夫からのメールの到着をひたすら待った。
何度も何度も更新ボタンをクリックして、二人が入室してロックされているその部屋の「満室」という表示が変わるのを待った。
他のメールが着ても返信しなかった。トイレに立ち上がることもできなかった。
ようやく、二十五号室の表示が「主さんが待機中です」という文字に変わったのは、もう午前二時半を過ぎていた。
「SWという名で入室してきなさい」
同時に明乃の夫からメールが届いた。
僕は慌てて「入室」ボタンをクリックし、ハンドルネーム欄に「SW」と打ち込み、入室した。
そこには、「主」という名前で僕になりすました明乃の夫が、明乃と交わした長い長い会話が残っていた。
そして明乃の夫は、僕に「これもアップしなさい」と指令を与えるとチャットルームを出ていった。
僕は、チャットルームをロックして誰も入ってこられないようにしてから、そこに残された文字のすべてを、貪《むさぼ》るように読みながらコピーしていった。
そのチャットのログには愕然《がくぜん》とするしかなかった。
明乃の夫は、明乃に向かって平然と「夫とはしているのか?」と聞いている。しかも文面から、そこにはいっさい嫉妬《しつと》的なものも、倒錯的なものも感じられなかった。「主」はあくまでも淡々と、僕が言いそうなことを、そしてこれがぞっとすることなのだが、僕が言いそうだが決して僕が言えないような言葉を、明乃に投げかけていた。
明乃は最後まで、チャットの相手が自分の夫だったことに気がつかなかった。相手が僕であることを疑いもせず、夫に向かってバイブに取り憑《つ》かれた自分の淫乱《いんらん》さを告白している。
さらに、明乃は、そのチャット相手であることを知らずに、明乃の夫がわざとかけたであろう電話に慌てて、おそらくそのままブラウザを閉じるようにしてチャットを終えていた。
僕は目まいがしてきた。明乃の夫に、いつのまにか尊敬に似た気持ちすら抱いていた。しかし明乃の夫が何を目的としているのか、それだけはいっこうにわからなかった。
僕は一度大きく深呼吸をしてから、サイト作りに取りかかった。
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おしらせ〉主さんが入室しました。
主〉もし途中で旦那《だんな》が帰ってきたら、話の途中でも遠慮せずすぐに消していいよ。
あき〉わ、こんな風になってるんだ。
あき〉こういうの初めてなんだけど、これ、もうチャット状態になってるの?
主〉もうこちらからも読めてる。余計な話はしないで。
あき〉はい。
主〉そのことを詳細に。
あき〉バイブのこと?
主〉そう。
あき〉どう言えばいいのかな。
主〉そんな状況で、どんな風にしたのか説明して。
あき〉とにかく、なんだか気になって、
あき〉誰もいなくなったことをいいことに、
主〉最初は写真を見てたから?
あき〉まずはサイトを見ていたんだけど、
あき〉そしたら、昨夜の感触を思い出してきて。
主〉俺のほうから言うと、昨日のバイブ、
主〉あっという間に奴隷の中に入って、ぴったり貼りついて動いていたけど。
あき〉うん、なんだか認めるのは恥ずかしいけど、
あき〉きっと、潜在的に興味はあって、
主〉でも、ずっと意味なく嫌悪感を示してたぞ。
あき〉うん、本当に見たときはえぐいし、
あき〉なんか、現物を見るとリアルだなあって思って、
あき〉本当に、いやーな感じだったの。
主〉どの瞬間に、気持ちいいものに変わった? すごく簡単に入った。
主〉ものすごく待ちわびてたみたいに、いやらしくくわえ込んでた。
あき〉よくわからない。
あき〉でも、もう抵抗できないんだろうな。
主〉バイブの気持ち良さに?
あき〉違う。ご主人様の命令に。
主〉俺の命令で、最初は嫌でも、いままでハズレだったりしたことないよな?
あき〉うん。
主〉でも、今回のオナニーは命令してないぞ。一人で勝手に、しかも会社で。
主〉なんてふしだらな奴隷なんだって、自分でも思うだろ?
あき〉自分でもびっくりした。
あき〉ちょっと、怖いかな。
主〉コンドームをつけて、トイレでいきなり入れたのか?
あき〉つけないでそのまま入れちゃった。
主〉スイッチを入れて、ぐるぐるあそこの中をかきまわして?
あき〉最初は、動いてると入れにくくて、
あき〉止めたまま、
主〉入れる前からびしょびしょに濡《ぬ》れてたのか?
あき〉びしょびしょとまではいかないけど、
あき〉でも、何か自分で準備するまでもなく、
あき〉でも、けっこうすぐに入っちゃった。
主〉いやらしい体だな。本当に。
あき〉それで、もう入れて、動かしただけで、
あき〉すごく気持ちよくなってきて、
主〉クリトリスにあてるほうも使ったのか。
あき〉ご主人様から使い方を聞いてたから、
あき〉気持ちいいんだけど、
あき〉あともう少し、
あき〉何か、と思って、そっちも使っちゃったの。
あき〉そしたら、本当におかしくなるかと思った。
主〉どうやってやった?
あき〉片手で大きいのを持って、
あき〉入れたまま、
あき〉小さいほうをもう一方の手で、クリトリスに近づけたの。
主〉大きいのは奴隷のあそこの中で動いていて、
主〉小さいほうでクリトリスを自分で刺激したのか。
あき〉そう……。
主〉いったか?
あき〉前にご主人様に聞いていた、
あき〉潮をふく、という状態になったような気がする。
主〉すごいな。会社のトイレで潮をふきながらオナニーしている奴隷。
主〉そこまでだとは。
あき〉うん……。
あき〉しかも私、そのおもちゃを使った後、
あき〉自分でいつもするやつしちゃったの。
主〉ふだんのオナニーもか?
あき〉うん。
主〉しかも会社で?
あき〉うん。
あき〉なんか、急にそれもしたくなったの。
主〉淫乱《いんらん》。
あき〉…………。
主〉もうそうとしか呼べない女だと自分でも思うだろ?
あき〉うん、いやらしいなあと思った。
主〉俺は嬉《うれ》しいよ。
あき〉本当に嬉しく思ってくれる?
主〉もういままでの女ではいられないと思った?
あき〉うん。
主〉それは俺のおかげか?
あき〉ご主人様を喜ばせるためではなくて、
あき〉そういう風に、色々な欲が出てきたのは、
あき〉ご主人様100パーセントだよ。
主〉俺が「奴隷になりなさい」って言った意味がわかってきたか?
あき〉うん。
あき〉昨日、本当に体がそうなってるんだ、と思った。
あき〉色々抵抗があることもあったりもするんだけど、
あき〉でも、ご主人様に命令されると、
あき〉従うしかないのだと感じるの。
主〉もう、自分でも抵抗しなくなってきてると思うだろ。
あき〉うん。
あき〉だから、
あき〉ちょっとずつかもしれないけど、
あき〉これからもっといろんなことができるのではないかなあと。
主〉進歩したね。
主〉しかし、会社で潮をふいてオナニーするまでになるとはね。
あき〉これだけ、どんどん大胆になって、
あき〉どんどん性欲に走って、
あき〉おもちゃを家に持って帰ることくらい、
あき〉ほんの些細《ささい》なことだよ。体が変わったら、
あき〉本当に、急に夫に、すごく積極的になるわけにもいかず、
あき〉そうするとご主人様に、
あき〉一極集中。
主〉いままで俺のことを考えたり、思い出したりしたときに、
主〉そのまま旦那に迫ったことはあるか? 正直に答えなさい。
あき〉やっぱりダイレクトにご主人様を思い出して、
あき〉誘えない。というか、誰でもいいから、性欲を
あき〉満たして! というわけではないから、
あき〉はっきり言って、ご主人様を思い出して、
主〉俺のちんぽを無性にしゃぶりたくなるか。
あき〉うん。本当に。
あき〉でも、今日がいちばん強烈に思った。
主〉自分の写真はどうだった。
あき〉見ました。不思議な感じ。
主〉一人でしたくなった?
あき〉うん。バイブ、持って帰れば良かったかも。
主〉会社に置いてるのか? いま使いたくてしょうがない?
あき〉うん。さっき使いたくなった。
主〉バイブなしでオナニーは?
あき〉してないよ。全然何もしなかった。
主〉俺とは?
あき〉したい。ちゃんと時間を取って。
主〉それとも夫といっぱいしてるか?
あき〉ほとんどしてないよ。本当に。
主〉いま俺とどんなことがしたいか答えなさい。
あき〉たっぷり時間をかけて。具体的に言うと、
あき〉いっぱいしゃぶらせてもらって、
あき〉ぐちゃぐちゃになるまで触ってもらいたい。
主〉こないだみたいに、俺を挑発するような下着をつけてか?
あき〉うん。
主〉でも、夫にも見せてるだろう?
主〉それをつけてたっぷりセックスしたんじゃないのか?
あき〉まだしてない。
あき〉嘘はついてません。
主〉俺のザーメンをどこで受け止めたい?
あき〉今度は胸で。
主〉それはしゃぶった後、手でしごいて出させたいのか?
あき〉そう。
主〉胸に出したザーメンはどうする?
あき〉飛び散ったものを、一ヶ所に集めて、
あき〉胸に撫《な》でつけてみたい。
主〉その後はどうする?
あき〉指ですくって舐《な》めている私の姿を、
あき〉ご主人様に見てもらいたい。
主〉夫とのセックスの違いを、隠さずに言いなさい。
あき〉ご主人様とのセックスは、
あき〉純粋に、セックスそのものを楽しもうという、
あき〉その思いが強い分だけ、私にとっては、
あき〉濃いセックス。
あき〉体中がすごく汗をかいたりして、
あき〉体が素直に反応している。
主〉夫やその前の男たちではそうはならないのか?
あき〉確かにいままでも、最初のころはその人の体に、
あき〉まだ自分の体が慣れていなくて、
あき〉新鮮だからなのか、体がすごく反応するということは、あったかもしれないけど、
あき〉だけど、私がすごくストレートに、
あき〉セックスをしたいと思って、
あき〉淫《みだ》らな気持ちに嘘をつかずに、
あき〉セックスをしているのは初めてだから。
主〉じゃあ俺ではなくても、今後は他の男でも夫でも、淫らになれるか?
あき〉そういう風には考えていないです。
あき〉確かにご主人様は、
あき〉ご主人様だと思っていて、一人の男性ではなくて、
あき〉でもこんな風に思うのも、
あき〉ご主人様がご主人様であるからで。
主〉ザーメンを撫でつけたいこと以外に、やりたいことは他にあるか。
あき〉すぐには……。あとで、メールしてもよいですか?
主〉いや、時間が大丈夫なかぎりいま書きなさい。
主〉夫は大丈夫なのか? こんな時間まで帰らないのか?
あき〉うん、まだ帰ってきてない。
主〉外でセックスしてるんだろうな。
あき〉そんなことないです!
主〉妻がそれだけ他の男とセックスばっかりしてるんだから、
主〉夫だって当然してると思うのが普通じゃないか?
あき〉そう言われれば、ですけど、きっとうちの夫はしないと思う。
主〉それでしたいことは?
あき〉前にどこかの階段で、してもらったみたいに、
あき〉洋服を着たまま、後ろからしてもらいたい。
主〉青姦《あおかん》でバックから犯されたいんだね?
あき〉外でなくていいんです。ホテルでも。
あき〉服を着たまま、下だけ脱がされてというのが、
主〉興奮したのか?
あき〉そのときは無我夢中でわからなかったけど、
あき〉よく思い出しちゃう。
あき〉あとは、
あき〉最初にも書いたけど、いっぱいしゃぶらせてもらいたい。
あき〉今度はホテルに入ったら、すぐにご主人様の
あき〉モノをしゃぶらせてもらうというのを、許可していただきたいです。
主〉では次回、言われなくても自分からしなさい。
あき〉はい。
あき〉こんなにいっぱいフェラチオして、こんなに
あき〉いっぱい飲んだのは、初めてです。
主〉ザーメンを飲んだときの気持ちは。
あき〉嬉しい。
あき〉私、ご主人様のモノが、
あき〉好きです。
あき〉ご主人様のモノをしゃぶらせてもらって、ご主人様の
あき〉モノが反応してくるのを感じていると、
あき〉ダイレクトに私の体も反応するようになりました。
あき〉淫らな気持ちになってくる。
主〉ではこの後、オナニーしてその報告をしなさい。
あき〉わかりました。
あき〉夫から電w
おしらせ〉あきさんが退室しましたので待機中になります。
おしらせ〉SWさんが入室しましたので、このチャットルームをロックしました。
主〉以上、すべてに目を通し、これもアップしておきなさい。
[#改ページ]
シーン37―1 1546―1565
[#ここからゴシック体]
早くリクエストかなえてもらえる日が近づくことを祈っています。
なのに私のほうが具体的な日程を出せずにごめんなさい。
顔に思いっきりかけて……というのも、きっといつかしてみたい。想像しただけで、なんだかエロな気持ちになります。
顔中べたべたにして、私はご主人様を挑発することを想像すると……。
[#ここでゴシック体終わり]
[#改ページ]
妻のサイトが始まって三か月が過ぎ、七月四日、私は二十九歳の誕生日を迎えた。
妻が選んだ西麻布《にしあざぶ》の和食屋で、妻は私にタグホイヤーの時計をプレゼントしてくれた。
「自分の夫なのに、あなたは本当に難しいの」
「難しい?」
「私の旦那《だんな》様は若くてかっこいい。でも私の旦那様はおじいさんみたいに落ち着いてる」
妻はふだんはあまり飲まない日本酒で顔を赤くしながら、読み上げるように言った。
「だから大人すぎるの選ぶと似合わないし、若すぎるの選ぶと笑われそう」
「面倒な男と結婚したもんだね」
私は妻に微笑みかけ、店の自慢だという湯葉を口に運んだ。
「二十歳のころの、普通に二十歳だったあなたに会ってみたい」
妻は言った。それはおそらく、かつて妻に「もっと若いときからそうだったの?」と聞かれたときに、「いたって普通だったと思うよ」と返事したことを覚えていての言葉だろう。
しかし私は二十歳のときにはまだ童貞だった。大学卒業のときにソープランドで童貞を捨てるほど遅かった。それは妻には言っていない。しかしその後の二年間、私が自分のルックスをいかして片っ端から女を口説いてセックスばかりしていたナンパな男だったことも知らない。
もちろんその次の一年間、一人の女に狂い、その女の奴隷になっていたことも当然妻は知らない。
「ねえ、いままで聞いたことなかったけど、変なこと聞いてもいい?」
「いいよ」
「私の前って、何人くらいの人とつきあったことある?」
たいした質問ではないがそれなりに勇気がいったようで、妻は聞くなり私と目を合わせないように、豚の角煮に箸《はし》をつけた。
「それは恋人という意味? セックスした人という意味?」
「それって、そんなに数が違うの?」
妻が急に私の目を覗《のぞ》き込んできたので、私は少し笑ってしまった。
「違うね。かなり違うよ」
「じゃあ、それぞれ何人と何人?」
「明乃一人と、他約百人」
「聞いた私が馬鹿でした」
妻はふくれた顔を作って、グラスに残った日本酒をぐっとあけた。私は肩をすくめた。妻には、「そういう話には答えないよ」という態度に映ったわけだが、私は実に正直に本当のことを答えていた。
遅い時間まで飲み、帰ってそれぞれシャワーを浴びたあとで、私は妻に「今日はもう寝よう」と、誕生日だからとセックスするわけではないことをそれとなく告げた。妻は一瞬だけ何かを考えるようにしてから言った。
「最近ちょっと変なの」
「何が?」
「何か起きたときの感じ」
「どういう風に?」
「うん、うまく言えないんだけど、なんだかぐっすり寝たのかよく眠れなかったのか、よくわからないぼーっとした感じになることが多いの」
「そうか。でもひとつだけ言えることは……」
妻は心配そうに私の次の言葉を待った。
「よく眠れないってことはないと思う。俺が寝返り打ったとき顔を叩《たた》いちゃったことがあるけど、これっぽっちも起きなかったから」
しばらく黙ったあとで妻は徐々に表情を変え、「今日、仕返ししてやる」と言うと、笑顔を向けて「おやすみ」と寝室へ入っていった。
ドアが閉まるのを見届けてから私は思った。
これまでのパターン的には、そろそろセックスをしてもいいころなのだが、私は今後、妻と「普通の」セックスをするつもりはない。わざわざ妻が「セックスレス」になった時期を思い出しやすいように、私の誕生日をその区切りとすることも最初からシナリオどおりの展開だ。
一時間ほどして妻が寝入るのを待つ。そしてある「用事」を終わらせて、パソコンを立ち上げる。
妻が日曜日に「少しだけ仕事してくる」と言った日のものだった。誰もいない自分の会社の応接室で彼にフェラチオしている「シーン36」まで進んでいるサイトを見ながら、私はこちらもシナリオどおりに事が運んでいることを確認した。
第一段階で、彼に指令を与え実行させ、彼自身を変えていく。
第二段階は、私の指令によって目覚めた彼の想像力に、私の指令をプラスして妻を変えていく。
第三段階は、妻自身の想像力を操作する。そして、私は同時に、妻に「あること」を施していく。
現在はこの第三段階に突入している。これが終わるといよいよ最終段階になる。そのとき私はもっとも相応《ふさわ》しい方法で、妻と彼から、その悦《よろこ》びを奪い去る。
形としては復讐《ふくしゆう》と言えるかもしれない。しかし私は知っている。その後、妻も彼も、何日後か何年後か何十年後かはわからないが、この期間のことを糧として、新しい世界を作り始めることを。
私自身がそうだったからだ。
彼に送ったバイブレーターは、予想以上に妻の第三段階に効果があったようだった。
真っ赤なブラとショーツにガーターストッキングという恰好《かつこう》で、ロングブーツをはいたまま四つんばいになって自分の指を性器の中へ入れている妻の写真を見ながら、私はそう思った。
妻はそんな窮屈な体勢ながらも、必死に目線をカメラに送って喘《あえ》いでいる。
同じ恰好でバイブを自らの手で押し込むと、驚いたようにも怯《おび》えているようにも見えるその目はもはや、カメラも彼も関係なく、快感に没頭している女のそれだった。
仰向《あおむ》けになって、楽な姿勢でバイブを出し入れしながら、傍らの彼の性器に必死に舌を伸ばす妻。
やがて彼から精液が放たれ、妻の紅潮した顔を汚していく。
半身を起こしたときに、頬や唇からだらしなく垂れる精液を拭《ぬぐ》おうともせず、妻は完全にいききったうつろな目でカメラを見つめていた。
次のシーンで妻は、その恰好のまま、床に足を踏ん張るようにして、ベッドに手をつけ、立ったまま彼に後ろから激しく突かれていた。
彼は腕を必死に伸ばしていたのであろう。上から、横から、様々な角度から妻の体が快感に震えていることがよくわかった。
私は気づくと口元に笑みを浮かべていた。
パソコンはそのままに立ち上がる。
ふと思い立って、私はビデオカメラを取り出した。
これは今回の私のシナリオには関係がない。しかし、私は自分自身にこれくらいの遊びを許してもよいだろうと思った。
[#改ページ]
シーン38―5 1656―1675
[#ここからゴシック体]
鏡越しの姿を見るのは、本当に自分ではない、誰か別のエロの欲求の塊のような女に見えます。不思議ですが。
いつも鏡の前だと俯《うつむ》いてしまうけど、今度はちゃんとセックスの最中にも、鏡の中のご主人様や自分を見てみたい。
最初のころと比べると、顔が変わったというより、ご主人様とセックスをするときの表情が変わったのかもしれません。
最初は色々と戸惑ったりしていたように思うのですが、最近の写真を見ていると、ご主人様のあそこに顔をうずめている私は、本当に、ただ、ご主人様のモノをしゃぶりたい、ただ、それだけでそこにいるという感じがします。
そして、実際にそのとおりなのです。
[#ここでゴシック体終わり]
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ホテルに入って、めずらしくすぐにプレイを始めず、明乃をソファに座らせ、僕はベッドに座って少し話をした。
明乃が心配事があると言っていたのもあるし、僕自身、持ってきた道具に明乃がどういう反応を示すか少し怖かったというのもある。
「おかしいって、どういうこと?」
「うん、だからうまく説明できないんだけど、体が変なの。前よりもぼんやりすることが多くなったし」
「風邪とかそういうのではなく?」
「うん、なんか病気とかそういう感じじゃなくて……。あと、言いづらいんだけど……」
「何?」
「あそこの感じが変なの。ときどき」
明乃は恥ずかしそうに俯いた。
「どういうこと?」
「なんだろう、バイブで一人でしちゃったときとか、あなたといっぱいセックスしたときとか、その後って、けっこう余韻が残るのね、私」
「余韻って、気持ち的なものでなく、実際あそこに?」
「うん」
明乃は赤くなって僕を見た。
「オナニーしてないときも、俺とセックスしてないときも、それがあるってこと?」
「うん」
僕は少し悔しさを混ぜた口調で笑ってみせた。
「夫だろ、じゃあ」
「違うの」
「じゃあ他にも男ができた?」
「そんなわけないじゃない」
明乃が少し怒ったような口調で言った。僕は「まあまあ」という仕種《しぐさ》をしつつ、少し頭を下げてみせた。
「最近あんまりしてないし」
「夫と?」
僕がそう聞き返すと、明乃は「言わなければよかった」という顔を一瞬見せてから、「うん」と頷《うなず》いた。
「どのくらいしてないの?」
「そういう話、嫌じゃないの?」
「少しは嫌だけど、かなりは嫌じゃない」
僕はおどけて答えてみせた。
「一か月くらいだけどね、そうは言っても」
明乃はそう答えつつも、その口調には「もうこれ以上そのことは聞かないで」というニュアンスを込めていた。僕もあえてそれ以上の質問はしなかった。
僕にとって意外だったのは、明乃の夫が、この一か月はしなかったとしても、それまでは普通に明乃とセックスをしていたという事実のほうだった。それは、とても彼には似合わないことのような気がした。
「逆に変なこと聞くけど、生理ちゃんときてる?」
「大丈夫。こないだちゃんときてた。なんか体が変だなって思ったのって、それより前だから……。それは大丈夫でしょう?」
明乃は確認するように聞いた。
「いつもちゃんとゴムつけてるだろ。俺がそうじゃないかと思ったのは、夫のほうだよ」
明乃は今度は言葉にしなかったが、「それも大丈夫なようにしてる」と目で答えた。
意外なのか当然なのか、もう僕にもよくわからなくなっていたが、明乃は僕が差し出した首輪を、抵抗なく自らの手で首に巻いた。
「ここでしようか」
なんとなくいつもとは違う部屋にするとそこには小さなサウナルームがあり、僕はスチームのスイッチを切って明乃を招き入れた。
全裸に首輪だけの姿で、明乃が豊かな胸を少し揺らして入ってくる。言われずとも顔がきちんと見えるように、髪をピンで留めていた。
僕は座って、明乃に跪《ひざまず》くよう仕種で指示する。明乃は無言で従い、僕の性器をすぐにくわえ、長い時間そうしたままたっぷり唾液《だえき》を含ませると、大きく呼吸しながらじゅるじゅると音を立てて吸い上げた。
「今日は明乃の好きなようにしゃぶりなさい」
僕はプレイの口調になって言った。
明乃は頷くと、それから亀頭《きとう》から陰嚢《いんのう》まで、すべての箇所を全部味わうように、舐《な》め、含み、くわえ、しごいて、唾液まみれのものにしていった。僕はその明乃の淫乱《いんらん》な顔に向けて、何度も何度もフラッシュをたく。
やがて明乃の体を起こし、僕の乳首にキスをさせながら言った。
「首輪をされてどうだ?」
精一杯のご主人様口調で僕は聞いてみる。
「つけた瞬間、奴隷だと思いました。嬉《うれ》しいです」
明乃は豊かな胸に僕の性器を挟み、両側からしごきあげるようにしながら、そう言って僕を上目遣いで見た。
「出すぞ」
その言葉に堪《こら》えきれず、僕は立ち上がった。そのとき僕は明乃の口にもう一度含ませて射精するつもりだった。
しかし明乃は顔の前で僕の性器を握ると、前後に強くしごきながら、喘《あえ》ぐように言った。
「いっぱいかけて。ザーメンかけてください、ご主人様」
この状況を楽しんでいる余裕などなかった。
僕は予告もなく、いきなり射精した。明乃の右目の上あたり、頬、口元に精液が飛び散る。その瞬間、明乃は驚きで体をびくんとさせ、慌てて目を閉じながらも、自分の顔を僕の亀頭のほうへと近づけ、出てくるものをすべて受け止めようとした。
力が抜けて座り込む。目の前には、顔中に貼りついた精液を指で拭《ぬぐ》うこともなく、呆然《ぼうぜん》とした顔で僕の性器を見つめている明乃がいた。
僕はそのときこんなことを思った。
たまらなく、この女が愛《いと》おしい。
明乃をそのままで座らせると、今度は僕が跪いて明乃の性器にむしゃぶりついた。明乃のせつなげな、でも遠慮のない大きな嬌声《きようせい》が狭いサウナルームに反響する。射精したばかりなのに、すぐにも僕はまた勃起《ぼつき》しそうだった。
明乃のクリトリスを吸い出すように強く舐めながら、僕は頭の片隅で、明乃が首輪にこれほど反応することを、これを僕に送りつけてきた明乃の夫は最初からわかっていたのだろうかと思った。
そして、この後に明乃に着せるつもりの、メイドのコスチュームも。
[#改ページ]
シーン40―1 1736―1755
[#ここからゴシック体]
少しの間だというのに、お会いできない間がとてもつらく、いつもご主人様のモノを想像して一人でしていました。
それもあって、さらにメイド姿ということもあって、私は相当|淫乱《いんらん》な感じになっていたかと思います。
なんだか頭がぼうっとして、バイブを使っている姿を見られていても、自分の気持ち良さが優先されて、ご主人様が入れてくださったときなんてものすごくぞくぞくしてしまいました。
さらに「自分で使いなさい」と小さいほうをあてがわれて、ご主人様には乳首を触っていただいて、すぐにいってしまいました。
いま思い出してもいやらしくて、あそこが濡《ぬ》れてきちゃいます。
[#ここでゴシック体終わり]
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明らかに妻の様子は変わってきていた。
病気になったわけでも、体調不良というわけでもない。ただ体が何か変だという違和感をたえず持っているようだった。
妊娠かもしれないという疑念も頭をよぎるだろう。しかし、生理は順調にきている。いまのところは。
その違和感は私も予想していなかったことだが、そうなのだと言われれば理解することはできた。ただ、その状態がどこか気分的な不安も引き起こしつつ、しかし、妻のセックスをより能動的に淫《みだ》らにさせることまでは、さすがに驚きがあった。
サイトにアップされた、妻の淫らな姿の数々。
これまでと変わらずに淫らだと言えばそれまでだが、たとえばそれは目の表情、ふとした指の動き、腰のくねらせ方、彼の性器を口に含んだ唇のめくれ方、そういったひとつひとつに表れていた。
私が妻にときどき施している薬にそのような成分はない。つまりそれは、妻のセックスの成熟と同時に、不安定な自分をプレイによって確かめ直したいという無意識の表れなのかもしれない。
その日、久しぶりに小説家に会った。五か月前には電話で話をしただけで、小説家は「しかるべき」弁護士と探偵を私に紹介してくれた。実際にこうして会うのはおよそ三年半ぶりになる。
「ここに来るのは?」
小説家が聞いた。
「あのとき、あの方に会ったとき以来です」
私は答えた。小説家は、私が香奈の「ご主人様」に最初で最後に出会った店を指定してきていた。
私を狂わせた女を、奴隷に仕立てていた小太りの中年男。
私は彼に隷属と執着とは何かを叩《たた》き込まれた。
バー「スモールワールド」はあのころとは内装も変わり、当時いたモヒカン頭のマスターのかわりに、三十代半ばくらいの、きれいな顔立ちをしているが驚くほど皴《しわ》の多い女性がカウンターの中にいた。
あのときは、「ご主人様」と他に男が二人、それぞれ自分の奴隷たちを首輪で繋《つな》いで床に正座させていた。しかしいまは、私と小説家以外の客の姿はなかった。
小説家の要望で、香奈との話の前に、いまの私の話を先にした。私は長い時間をかけて、そろそろエンディングを迎えようとしているはずの物語を告白した。
「君は本当に面白い」
小説家は酒ではなくコーラを飲みながら言った。
「そうでしょうか」
私は日本酒を常温で飲んだ。
「色々な人間を見てきたが、君ほどわかりやすい連鎖を引き継ぎ、君ほど特異なアレンジを施した男はいないだろう。あの男は慧眼《けいがん》だったということだ」
小説家は「ご主人様」を思い出すような仕種《しぐさ》をして言った。
「連鎖?」
「連鎖、そして遠隔操作。直接に手を触れずに人を支配と隷属の関係に置くことだよ」
私は黙って小説家の言葉を聞いた。
「あの男は香奈という女を隷属させ調教した。しかし彼の意図を上回ることが起きた。君だ。君は連鎖によって、あるいは意図せぬ遠隔操作によって調教されていたと言えるだろう。失礼なことを言うが、彼が去った後に、彼女が君を奴隷にしたことは『おまけ』みたいなものだと、私には思える」
私は黙って小説家の言葉を受け止めた。
「いま君は、奥さんではなく、奥さんの浮気相手を調教していると言えるだろう。それによって、彼は奥さんを調教する。話を聞くかぎり、君の奥さんに性の貪欲《どんよく》さはあっても、そちらの性癖はあまりないようだがね。しかし、彼にはある。だから君はこのようなシナリオを選び取ったわけだ」
小説家の言葉で、私は自分の中でも何かが明確になった。
不貞を働いた妻への怒り、そして復讐《ふくしゆう》。その浮気相手への怒り、復讐。
そんなものをほとんど感じなかった理由。それは調教と隷属の世界への帰還の予感だった。そして、陳腐な言葉だがそれによってでしか私には得られない、生の喜びがある。
「あのとき、あの方にこう言われたんです。『君もいずれそうなるだろう。君にはそうなるべき性癖がある。資質ではなく性癖だ』と」
「あの男の言っていることは正しかったじゃないか」
小説家はコーラを飲み干すと笑った。
「それは香奈の奴隷になったことよりも、今回の話だ。君はあの男とは違うやり方で今回のシナリオをやり遂げようとしている。それが君の性癖だったということだ。君が望む関係性を、君の本当の喜びを、行為として表現したのが今回の君の取った行動だったというわけだ」
私は頷《うなず》いた。
「あの男が香奈を通じて君に施した調教を、その後、君は香奈との具体的な行為で確実なものとした。そして時をおいて、いま君があの男の側に立っている」
「チェーンリアクションとリモートコントロール」
私が言うと、小説家は煙草に火をつけて大きく一息吐き出すと、その煙の行方を目で追った。
「面白いね。続いていくものなんだよ」
「質問してもよろしいですか」
「どうぞ。遠慮なく」
私は目を閉じて頭の中を整理してから言った。
「確かにこれが私の性癖でしょう。私はこうせざるを得なかった。ただ、後悔とは違う意味で、ときどきそれが正しいのかと考えるときもあります。というのもあのとき、あの方に私はこうも言われているんです。『君には一貫した強い何かがある。しかし想像力がない』と。想像力のない人間が描くシナリオで本当に良かったのかと」
小説家は途中で私の言葉を制した。
「ゼロから生まれる想像というものはこの世にはないんだよ」
小説家は空のグラスを上げてコーラのおかわりを頼んだ。
「想像力というのは必ず何らかの経験に裏打ちされたものだ。ひとつの経験がひとつの想像を生む。その想像が、新たな経験を生む。その連鎖で物事は進んでいる」
小説家はほとんど吸わないうちに煙草を灰皿に押しつけた。
「君がその彼と奥さんに施していることを、仮に支配と呼ぼう。その支配は何かの経験の上に成り立つ想像力から生み出されたものだ。つまり三年前の君の経験が、今回の君の想像を生み、今回の経験が、君や奥さんやその彼に、新たな想像力を生む。ただそれだけのことだよ」
小説家はそう言うと私の目を見た。私は「ありがとうございます」という意味を込めて頷いた。
「必要なものはたったひとつだ」
小説家は言った。
「明快な目的と意志」
正解がわかった私が先回りして言うと、小説家は愉快そうに笑った。私も笑った。
「ひとつだけ言わせてもらっていいかな」
やがて小説家が言った。私は「どうぞ」と無言で伝えた。
「君の話は実に面白い。私にそのストーリーを委《ゆだ》ねてくれることには心から感謝する。しかし、これから訪れるエンディングが甘い」
小説家はそう言うと、おかしそうに笑った。
「甘い、ですか」
「甘いね。あの男が最後に君と香奈に取った道も、私に言わせればもっともすぎて面白くない。今回の君のシナリオもだ。もちろん私たち以外の人間が聞いたら、君は人非人扱いされるだろう。それでも、これは相応《ふさわ》しい言葉かどうかはわからないが、君は優しすぎるよ」
深夜、家に戻って、私は寝ている妻の鼻孔に、そっと薬を一滴垂らした。肉体に何の害も及ぼさないものだが、明日、妻はまた体に何らかの違和感を覚えるだろう。
優しすぎる結末。
小説家の言葉を思い出して私は笑ってしまう。
何事にもエンディングは必要だ。ある経験には必ず「卒業」がなければならない。私はもっとも相応しいその方法を、最初の段階から決めている。
サイトの妻を見る。首輪をつけて、彼に丹念にフェラチオして精液を浴びた妻の顔は実に美しかった。
その後、シャワーを浴びた妻は首輪をしてメイドの衣裳《いしよう》をつけていた。ソファに座り、撮影を続ける彼の言うがまま、大きく足を開き、濡れた性器に黄色いバイブを自ら突き立てていく。
次のシーンで妻は、彼の全身を舌でくまなく奉仕し、女性上位で挿入し腰を振り、正常位で激しく突かれ、最後はバックで絶頂を迎えていた。
私はタグホイヤーで時間を確認してから、寝室へ向かった。
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シーン42―3 1916―1935
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あのあと、夫がいたので部屋ではさすがにできないので、トイレの中で、こっそりしました。
想像したのは、この前しゃぶらせていただいた、誰もいない公園の妙に明るい公衆トイレで、今度は私が立ったままにされていて、ご主人様にぐちゃぐちゃに触られるところ。膝《ひざ》ががくがくしてきて、しゃがませてもらいたいんだけど、それは許してもらえなくて、でも、どんどん気持ち良くなっていく自分……。
そういうシーンを頭に描いて、いつものスタイルで足をまっすぐに伸ばしてきゅっと閉じたら、すぐに気持ちよくなってしまいました。
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会ったときから明乃の様子がおかしかった。
三日前にホテルで濃く激しいセックスをした。
僕は明乃の夫から送られてきた、股間《こかん》の部分があいた真っ赤なボディストッキングを明乃に着せた。いつもより直接的な言葉で喘《あえ》ぎ、いつもよりも舌も腰も激しく使い、何度も何度も絶頂を迎えた明乃に、僕もいつも以上に興奮し、射精した。
ただ、会ってから帰るまで明乃はまったく話をしなかった。待ち合わせたときから少し思い詰めたような顔をしていて僕も少し心配になったが、その後の狂うような姿にすぐに気にすることはなくなった。
しかし、やはり今日も明乃はそんな顔で僕の部屋を訪れた。
最初は初めて僕の部屋に招いたことへの、緊張のせいかもしれないと思った。
一昨日《おととい》、僕の二十六歳の誕生日を祝ってくれた希美は、今朝から実家に帰省していて来ることはない。
明乃は無言だった。
その空気に耐えられなかったのは僕のほうで、僕はベッドに仰向《あおむ》けになると、気まずさを打ち消すようにその口調になって言った。
「しゃぶりなさい」
僕の言葉はかさかさに乾いていた。しかし明乃は、小さく「はい」と頷《うなず》くと、すぐに僕の腰の脇に正座して、ベルトをはずし、僕の腰を浮かせてはいていたアーミーパンツを足元まで脱がせた。トランクス越しに優しく僕の性器を指で撫《な》でる。僕はもう勃起《ぼつき》していた。
「直接触って」
僕がそう言うと、明乃はトランクスも脱がせ、足元にひっかかっているアーミーパンツと一緒に抜き取ると、さっと畳んで傍らに置いた。
「跨《また》がりなさい」
明乃は黙って従い、スカートの裾《すそ》を膝までまくってから、僕の両足を跨いだ。性器を握り、一瞬僕の顔を見る。僕の性器の向こうで、キャミソールの中の明乃の豊かな胸の谷間が揺れた。
「唾《つば》を垂らして」
明乃は言われたとおり、亀頭《きとう》の上に唾液《だえき》を垂らす。僕は慌ててデジタルカメラのシャッターを押していく。たっぷり唾液が振りかかると、明乃は指でそれを撫で付けるように、僕の亀頭を指の腹で刺激し始めた。
「明乃」
やがて明乃が僕の性器を口に含み、丹念に舐《な》め上げ始めてしばらく経ったときに僕は言った。明乃はくわえたまま、僕を上目遣いで見る。
「もしかして、俺と別れたいと思っていないか?」
明乃の動きが止まる。しかししばらくの無言の後で、明乃は何も言わずに再び舌を使い始めた。
「こっちにおいで」
僕は明乃の脇に手を入れて自分のほうへと引っ張った。
明乃は目を伏せたままで、体をずらすと、僕の胸元に頬を乗せた。明乃の右の乳房が僕の腰あたりを刺激する。明乃は右手で性器を握ったまま、ゆっくりと動かし続けている。
「どうした?」
いっこうに顔を上げない明乃に、僕は言った。そして無理矢理僕のほうに顔を向かせる。やはり、明乃の瞳《ひとみ》には少し涙が滲《にじ》んでいた。
「話してごらん」
「いいですか、ご主人様」
明乃はしごく右手を止めないまま言った。
「普通に話していいよ」
僕は言った。明乃が少し変だったことは、このところの様子でわかっていた。しかし、そういう気持ちになりつつあることは知らなかった。昨日、明乃の夫からメールがくるまでは。
「体が変だなっていうのは、前から話してるでしょう」
僕は頷いた。
「結局、原因はわかったの?」
明乃は首を横に振る。
「生理は?」
「大丈夫」
「それで、体のことと俺と別れたいのとは関係あるの?」
「関係あるのかないのか、自分でもよくわからないんだけど……」
明乃は僕の性器を握る自分の手のほうへ目を落として言った。
「なんだか怖いことばっかり想像しちゃうの。ぼーっとすることが多くなってから……」
「夫にばれたらどうしようとか?」
僕はわざと言ってみた。
「……うん、それもある。私って、すごく都合がいいんだなとか」
「夫に対して?」
「うん」
おまえの夫はそんな男じゃないと言えたら、どれだけ楽だろうかと思った。
「もともとこういうのが向いてないのは向いてないと思うよ」
明乃は僕を見て言った。
「こういうの?」
「こういう風にこそっとやるようなこと」
「じゃあ、堂々とやればいい」
僕がそう言うと、明乃は初めて少しだけ笑った。
「探偵みたいなの、あるじゃない? そういうのやらない人だと思うけど、もしやったらどうしようとか、それだけじゃなくて、いろんなことでどうしようって思うことはいっぱいあるよ」
本当に明乃は自分の夫のことを何も知らない。やらない人だと思うどころではない。明乃の夫は、そんなレベルではない。
「でも夫だけじゃなくて、あなたとか、あなたの婚約者とか、私自身に対しても、いろんなことを考えてしまうの」
「俺のことも俺の彼女のことも、全然心配しなくていい」
「わかってる。でもね、そういうばれちゃったらとかだけじゃなくて、何だろう、最近の私、前よりもエッチになってると思わない?」
明乃は恥ずかしそうに言った。
「すごいよ。ますます明乃とするのが俺も好きになってる」
僕は本当のことを言った。
「私も。でも、それも怖いの」
「感じすぎることが?」
「違うの。してるときはすごくいいの。全部忘れちゃうくらい、あなたとのセックスしか考えてない。でも、終わった後でどうして私がこれほどになっちゃったのかって考えると……」
「その体が変だっていうのと関係ある?」
「あるような気もするし、ないような気もするし……。そういうね、やってることと、考えてることと、勝手に思っちゃうことが、いま全然ひとつにまとまってくれなくて、それですごく怖くなる。なんか、右手と右足を同時に出してるみたいな、変な感じになっちゃうの」
「だから」
僕は言った。
「俺と別れれば、落ち着けるんじゃないかと思った?」
明乃はしばらく考える仕種《しぐさ》をした後で、「うん」と頷《うなず》いた。僕は大きな溜息《ためいき》をついてみせた。
「別れたいの?」
「別れたくないけど……」
「俺のちんぽは好き?」
「好きだよ」
僕の亀頭を愛撫《あいぶ》する明乃の右手の指に少し力が入った。
「じゃあこれからもしゃぶらせてあげるよ」
「うん……」
「もうしなくていいの?」
「ううん、しゃぶりたいけど……」
「ちゃんと言ってみなさい」
僕は少しだけ強い口調で言った。明乃は俯《うつむ》いて頷くと、泣き出しそうな声で言った。
「ご主人様のおちんちんをしゃぶっていたい。これからも」
「それだけか? ちゃんと全部言ってごらん」
「ご主人様のおちんちんが好き。しゃぶるのが好き。セックスも好き。私のあそこをぐちゃぐちゃにされるのも好き」
明乃はどこか悲しそうな目をしたまま言った。
僕は体を起こすと、明乃をベッドの壁側にもたれさせるように座らせた。スカートの中に手を入れ、荒々しく下着を脱がせる。
手早くコンドームをつけると、その座った体勢のまま足を大きくM字に開く明乃に、僕はそのまま性器を挿入すると打ちつけていった。
明乃は僕の肩に手を回し、すぐに声を上げ始めた。
昨日のメールにあった明乃の夫からの指令。
「妻が別れたい素振りを見せても、必ず引き止めること」
なぜ明乃の夫にそれがわかっていたのかはわからない。しかし、とりあえずこの段階では、僕はその指令を守ることができたようだった。
僕はほっとしていた。
しかし二か月後、終わりはあっけなく訪れた。
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シーン45―1 2056―2075
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ごめんなさい。せっかく初めてお部屋に呼んでもらった日だったのに。
でも、本当にあなたのことがという問題ではなく、私自身が、気になることがあると本気で楽しめないんだと思ってしまいました。
この気持ちがすぐ治ればいいんだけど……。
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「虫歯ではないようですよ」
若い女医は私の顔を覗《のぞ》き込むようにして言った。
「このへんですよね?」
「そうです」
手鏡越しに右の奥歯あたりを指す女医に、私は頷く。
「レントゲンにも出てませんし、おそらく歯ではなく、歯茎の神経のほうですね。過敏になってるんだと思います」
「なるほど」
私は半身を起こして、紙コップで口をゆすいだ。
そして女医ににっこりと笑顔を作ってみせる。
この笑顔がどの程度の効果を及ぼすかは自分でよくわかっている。思ったとおり、彼女は照れた様子を見せないように、私から目をそらしカルテに目をやった。
「ご結婚されてるんですか」
若く美しい女医は、きっと同じ台詞《せりふ》を何度も言われているだろう。しかし、私はこの台詞に妙な下心も余計な詮索心《せんさくしん》も混ぜずに、ごくあたりまえのように言うことができる。
「あ、はい。いえ、まだなんです。そのうちにという感じで」
女医は左手の薬指をなんとなく隠すような仕種をして言った。
「そうですね。石が大きいのは婚約指輪だった」
「奥様にもそうされました?」
女医は私の薬指を見て聞いた。
「きちんと何か月分とかいうのを買わされました」
私が肩をすくめて言うと、女医は少し嬉《うれ》しそうに笑った。私との距離の縮まりを感じていることはわかる。
「でも、また何か買わされそうなところです」
女医は「?」という顔で私を見る。私は、女医に様々な意味で私に好感を持つはずの、困ったような笑顔を作ってみせた。
「子供ができるんですよ」
昨夜、妻は私に妊娠を告げた。妻がそれを伝えるのをずいぶん長い間迷っていたことを、私は知っている。
私は饒舌《じようぜつ》だった。いままで見せたこともないような笑顔も見せ、喜び、妻を抱きしめ、喋《しやべ》り続けた。
沈黙を作らなかったのは、妻に余計な告白をさせないためだった。
やがて妻の中である決意が生まれたのに気がついた。私が話している最中に、妻は徐々に強《こわ》ばっていた顔から緊張を解き、笑顔を見せ始めた。
それでいいんだよ。
私は心の中で妻にそう語りかけていた。
その夜、妻が寝入ったあとで私はパソコンを立ち上げて、妻のサイトを見た。
シーンナンバーは「50」まであって、写真点数は二千二百四十五点に及んでいる。
しかし、当然と言えば当然だが、「シーン46」以降、妻の告白メールはその内容と反して無味乾燥なものになっていった。
「メイドの恰好《かつこう》に首輪をつけていただくと、奴隷としての嬉しさを感じます」
「ご主人様のおちんちんが、すぐにぬるっと入ってしまうほど、私のあそこは濡《ぬ》れていました」
「セックスの他には何も考えられず、頭が真っ白になって身動きが取れなくなってしまいます」
「彼女ともしているお部屋かと思うと、妙な興奮をいたしました」
「メイドの恰好で鏡の前で目隠しされ、ご主人様にベッドまで手を引かれていくときはドキドキしました」
「何も見えず、縄の手錠で身動きが取れないまま、バイブでいっぱい弄《もてあそ》んでいただいて、とても濡れました」
「さんざんバイブでいかせていただいたあとで、四つんばいになった私に、ご主人様のおちんちんを入れていただいて、気を失うかと思いました」
「何も考えられずに頭が真っ白になりました」
そして「シーン49」と「シーン50」は、彼の部屋でのフェラチオ写真が五枚ずつあるだけで、どちらも妻は泣き出しそうな顔をして、本気で「撮らないで」という顔を向けていた。
妻が実際に妊娠したのはそれ以降だった。しかしその前から妻の中には、その文字がずっと頭の中から離れなかったに違いない。
妻は彼とどうしても会えなくなる。
やがて妻は、本当に自分が妊娠したことを確かな方法で知り、彼に理由は言わずに別れを告げる。
そして、私に何と伝えるべきかわからない日々が続く。
私はサイトの最初からじっくりとすべての写真とメールを見ていった。
一年近く前の、まさかこれから自分が不倫をすることになるなどとはまったく考えていなかった、バーでの妻の無邪気な笑顔。その後に連なる淫《みだ》らな写真の数々とは、同じ女とは思えない。すべてを見終えたとき、私は最後にもう一度、最初のその写真をクリックした。
私は正しくないことをした。
間違ったこともしていない。
しかしこのとき、初めて私に嫉妬《しつと》なのか後悔なのか、あるいはただの感傷なのか、自分でもよくわからない気持ちが襲った。
私はじっとその一枚目と、そのときの妻のメールを見る。
「なんだかバタバタしててお返事遅れました。ごめんなさい。
昨夜はぎりぎりで終電の1本前に乗れました。ご心配ありがとう。
電話もメールも基本的には大丈夫なんですけど、なんとなく出づらいこともあるのでそのときはごめんなさい。お気になさらずにね。
あと飲み会は一応結婚している身ですので、途中で失礼させていただくこともあるかもしれません。それでもよろしければぜひ!」
この妻に会いたい。
そんな風に思ってしまったのだ。
しばらくして私はブラウザを閉じ、アップされたすべての写真とメールを削除し、サーバーとドメインの解約手続きをした。
そして彼に最後のメールを送った。
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シーン50―1 2240―2245
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ごめんなさい。ちょっとメールだとうまく書けません。
[#ここでゴシック体終わり]
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ふと我に返った。
「何?」
「すごく硬いって言ったの」
希美が長い髪を耳元でかきあげるようにして、性器をくわえたまま上目遣いで僕を見た。
「気持ちいいからだよ」
僕は言った。希美はフェラチオを中断すると、僕のほうに体をずらしてきて、右手で性器を弄ぶようにしながら耳元で囁《ささや》いた。
「他のこと考えてたでしょ?」
「他のこと?」
僕は自分の声が慌てたように聞こえなかったことにほっとする。
「さっきテレビ出てたグラビアの子にやってもらってるとでも思ってた?」
希美は怒った様子もなく普通に聞く。
「希美こそ、ブラッド・ピットにフェラチオしてるつもりでやってた?」
セックス中の軽口だけは僕はすらすら言える。希美は僕の顔と性器を見比べてから言った。
「じゃあそのつもりでしてみる」
僕は「よろしく」とおどけてみせると、目を閉じ、希美の舌を感じながら、さっきまでのように明乃のことを考えた。
明乃は徐々におかしくなった。何か思い詰めているような顔ばかりするようになっていた。一度は引き止めることに成功したが、二度目に会うのをやめたいと言われたとき、僕は明乃を説得することができなかった。そして、その後は会うこともなく、明乃から最後のメールが着《き》た。
それから僕にはずっと、勝手に去って行ったことへの怒りと、明乃と一刻も早くプレイをしたいという欲求を交互に味わって過ごしてきた。どこかで、これは一時的なものだろうと楽観的に考えてもいた。
しかし、昨夜受け取った明乃の夫からのメールで、僕と明乃は本当にもう終わってしまったんだということを知った。
「入れていい?」
希美が聞く。
「いいけど、もう終わり?」
「ブラッド・ピットの気分になれなかったんだもん」
希美はそう言うと、ベッドから降りてコンドームを取り出して戻ってきた。僕はそれを受け取り、体を起こして性器にはめる。僕が仰向《あおむ》けになっていた位置に、選手交代のように希美は体を横たえた。
どんな体位でも好きだけど、入れるときはこうがいいと、挿入はいつも希美の希望で正常位からというのが決まりになっている。
もうひとつ希美が他の女と変わっているのは、挿入したままあれやこれやと話をするのが好きだということだった。
希美はそれほど声を上げないし、感じてきてもあまり顔や体は乱れない。ただ、ある瞬間を過ぎると体がじわっと熱くなってきて、僕の肩や背中に回した手に力が入る。おかげでときどき爪痕《つめあと》が残るが、明乃はそれを見たときに何も言わなかった。
希美にゆっくりと挿入し、僕はふと変な錯覚に陥る。手を伸ばした先に、明乃の豊かな乳房がなかったからだった。
僕は腰をゆっくり動かしながら、希美の体を確認する。
そして明乃の夫のことを考える。
なるほど、明乃の夫は確かに約束を守った。
僕は明乃の不倫相手の代償として、慰謝料を取られたわけではない。社会的制裁を加えられたわけでもない。婚約者である希美にバラされたわけでもない。
ただ、ある期間の人妻との不倫を終えただけだ。
明乃の夫が介入していなければ、それなりに終わりを迎えるときには、悲しさとかほっとした気持ちとか未練とか、そういった一般的な感情を味わったのかもしれない。
でも、そうではない。明乃の夫が残していったのは、自分ではどうしようもないくらいの「混乱」だった。
あまりに混乱が大きいと、逆にふだんは普通にしていられることを知った。仕事をしているときも、希美とこうしてセックスしているときも、急に叫び出したりするような事態にはならなかった。
ただ、一人になってしまうと僕は、文字通り動けなくなった。そしてそのとき、僕は何に対してかはまったくわからなかったけど、とても怖かった。
まだ体温の上がっていない希美が、僕を優しく淫靡《いんび》な目で見つめる。
「こんなときにそんな話するなって言うかもしれないけど」
「そんな話するな」
すかさず僕は答える。
「子供欲しいとか思う?」
「子供?」
僕は腰の動きを同じスピードで続ける。ここでぴたりと止まったり、驚いた顔をするわけにはいかない。
「考えたことなかったけど」
僕は平然を装って言う。
「希美は欲しいの?」
「誤解しないでね。そういうわけじゃなくて……んっ」
僕の動きが少し強くなって、希美が声を漏らす。
「違うの。今日すごーくかっこいい患者さんが来てね」
「さっきその男を思い浮かべてやれば良かったのに」
僕が言うと、希美は少し考えるような素振りをしてから、「それありかも」と小さく笑った。
「それで、その希美のオナペット野郎がどうした?」
「私のオナペット紳士には残念ながら奥さんがいるの。それで、子供ができたんですって言ったんだけど、なんかそのときの笑顔がすごくかっこ良くて」
「いまは考えてない」
僕が言うと、希美は「?」という顔になった。僕が希美の言葉に軽口を返さなかったせいだった。
「子供。別に嫌だとか一生いらないとか思わないけど、じゃあいますぐコンドーム外してがんがんやろうぜって気分でもない」
希美はしばらくじっと僕を見つめた後で、そっと腕を回して僕を引き寄せた。百点ではなかったようだが、及第点の答えだったようだ。
でも、僕は嘘をついていた。僕は昨夜、猛烈に子供が欲しいと思っていたのだ。
「明乃は妊娠している。今後はいっさいの連絡を断つこと。これを守ってもらえれば、こちらも今後君へ何らかの行動を起こすことはない。ただし、君の状況は私が最初に通達したものと変わっていないと承知しておいてもらいたい」
これが明乃の夫からの最後の指令だった。
明乃が僕に別れを告げた理由がようやくそのときにわかった。
しかし同時に僕は、それが自分の子供だったらという可能性も考えた。九十九パーセントそれはあり得ないとわかっていた。
僕はいついかなるときでも避妊を怠ったことはないし、さらには途中からほとんど、明乃の口や体に射精していた。コンドームをつけていったときでも、明乃は用心深く、それが漏れたりせずちゃんとその中に溜《た》まっているか確認までしていた。
でも、何かの勢いでという可能性だってまったくゼロというわけでもない。
僕の子供だったらと想像してみたとき、僕は自分が意外だった。明乃が僕の子供を産むとしたら、僕はとても嬉《うれ》しいと思ったのだ。
希美の体が熱を帯びてきた。細い背中に回した手に、じんわりと汗が滲《にじ》んできている。
「このままで一緒にいっていい?」
僕は聞いた。
「もっといろんな風に……」
希美が目を開けて僕を見た。しかしその言葉はすぐに喘《あえ》ぎ声に変わった。
「嘘。一緒にいまいきたい」
希美は目を閉じると僕を強く抱きしめた。僕も腕に力を入れ、腰の動きを速めていく。そして希美の押し殺したその声を聞きながら射精した。
希美の体を抱きながら、僕は今度はこんなことを考えていた。
明乃を抱きたい。
そして、明乃の夫の指令が欲しい。
どくどくと長い射精をしながら、僕はどうしようもなく、絶望していた。
[#改ページ]
シーン51―1 No Image
[#ここからゴシック体]
本当にごめんなさい。
何度も何度も、メールではなく本当の手紙を書きかけ、書いては破り書いては破りでした。
事情はいつかきっと話します。でも、本当のお願いです。いまは私に連絡を取らないでください。心の底からのお願いです。
勝手なことはわかってます。でも、お願いします。それしか言えません。
いま私は自分が何をどうしたらいいのかわからない状態にいます。あなたに会っても、どうなってしまうかわからないくらいです。
理由は言えないんですが、いまとても怖い。いろんなことが怖い。
でも、いまの私は、その怖さに全部の力を持って立ち向かわなくちゃいけない。そうする理由もあります。
たとえひどい結果になっても、私は絶対に、やり遂げなくちゃいけないことがあるんです。
どうか、私をそっとしておいてください。
[#ここでゴシック体終わり]
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私の腕にはめられてから三年二か月の時を刻んだタグホイヤーに目をやって時間を確認してから、人込みの中で先を歩く妻の後ろ姿を見た。
結婚したころのことを思い出す。
際立って美人というほどではないが、どこか男好きする愛嬌《あいきよう》のある顔をしていて、スタイルもとびぬけて良かったわけではないが、その顔つきとは違っていやらしい、言葉を変えれば抱き心地のいい肉のつきかたをしていた。
子供が生まれて多少体質も変わった。腰から尻《しり》にかけてはやはりひとまわり余分な硬さが加わったし、体毛もやや濃くなった。乳房も小さくなったし、少し形も崩れてきたと言わざるを得ない。
それでもまだ、二十八歳の妻は一般的に見ても性的欲求を満たすにはまったく申し分のない女だと思う。
行く手を遮る、アトラクションに並ぶ長蛇の列を見渡して、妻が「どっちから行けばいいかしら」という顔をして振り返った。僕は眠ってしまった息子を抱き直して、右前方へ向かうよう目配せした。妻は息子の顔を覗《のぞ》き込むような仕種《しぐさ》をして、「かわいい」と口の形だけで言うと微笑んだ。
妻はくるっとまた背を向けると、シンデレラ城を迂回《うかい》するように出口のほうへ歩き始めた。
可愛い女だ。
私はとても素直にそう思う。
妻が妊娠したときに私も考えていなかったことがひとつあった。
あたりまえのことだが、子供の顔は親に似てくるということだった。
息子は驚くほど私によく似ていた。誰もが「パパに似てハンサムだね」と言った。
妻がいつの段階で、それが彼の子ではなく、ちゃんと私の子だったと知ったのかはわからない。
妊娠した時点でなのか、出産直後に息子を抱いたときなのか、私には言わず何かしらの確認手段を取ったときなのか、それとも最近になって息子の目鼻立ちが私に似てきてからか。
何にせよ今度は、妻の中に恐ろしい事実と疑問が浮かびあがる。
私はいつ、夫とセックスをしていたのだろう、と。
妻が他の男と不貞を働いていたことを一生胸にしまって生きていくように、その事実を私が妻に明かすことも、おそらく一生ないだろう。
私にとってそれは、妻への復讐《ふくしゆう》などではなかった。「しかるべき」エンディングのために、もっとも相応《ふさわ》しい方法だっただけだ。
しかし私はそろそろ、妻にとっては許しの、私にとっては新たな世界へ進むための言葉をかけてやってもよいころなのだろう。そう考えたあとで、それは悪くないアイデアだと思った。
小説家の言葉を思い出す。二年前、妻が私に妊娠を告げたエンディングよりも、このエピローグのほうがはるかに甘く、優しすぎる結末だ。
しかしそれでいい。
今夜、息子を寝かしつけたら、私はこう言って妻を誘うのだ。
[#改ページ]
「明乃、もう一人作らないか」
[#改ページ]
Not Found
角川文庫『ご主人様と呼ばせてください』平成20年5月25日初版発行
平成20年7月30日3版発行