死せる魂
ゴーゴリ/工藤精一郎訳
目 次
第一章
第二章
第三章
第四章
第五章
第六章
第七章
第八章
第九章
第十章
第十一章
解説
訳者あとがき
[#改ページ]
第一章
県庁所在地のN市のある旅館の門へ、ばねつきのかなりきれいな小型の軽四輪馬車がはいってきた。これは退役《たいえき》の陸軍中佐か、二等大尉か、あるいは百人ほどの農奴《のうど》〔一生地主に隷属《れいぞく》し、土地に堅く結びつけられ、身分上の自由まで束縛された農民〕を所有している地主など――一口に言えば、まあ中流どころの紳士とよばれているような連中で、妻君のいないひとり者が乗りまわす馬車である。馬車の中には、美男子ではないが、みにくいというほどでもない、ふとりすぎでもなければ、やせすぎでもない、老人とは言えないが、といって青年とも言えない、ひとりの紳士がすわっていた。
この男の到着は市になんの騒ぎもおこさなかったし、特に人の耳目をひくようなことはなにもなかった。ただ旅館のすじ向かいの居酒屋の入り口のあたりにつっ立っていたふたりのロシア人の百姓が、なにやらことばを交わしただけだが、それも、しかし、乗っている男よりは、むしろ軽四輪馬車に対する意見であった。「おい、見ろよ」とひとりがもうひとりに言った。「すげえ車じゃねえか! もしとばしたとしたら、モスクワまで行きつけるかな、それともだめかな、おめえどう思う?」――「行きつけるさ」ともうひとりが答えた。「だが、カザン〔モスクワの東方約七五〇キロのヴォルガ河畔《かはん》の都市〕までは、行きつけめえな?」――「うん、カザンまではな」ともうひとりが答えた。これで話はおわった。それからもうひとり、軽四輪馬車が旅館のそばまで来たとき、おそろしく細い短い綾織《あやお》りもめんのズボンをはき、流行を追ったフロック・コートを看て、その下から青銅のピストル型のツーラ製のピンをさした胸当てをのぞかせた、ひとりの若者とすれちがった。若者はふりかえって、軽馬車をちらと見やると、風でとびそうになった縁なし帽を片手でおさえて、またすたすたとそのまま歩み去った。
馬車が門内へはいると、紳士は旅館の召使、もしくはロシアの旅館では一般に給仕《パラヴオイ》とよばれている使用人にむかえられた。ちょろちょろと、おそろしくすばしっこくて、どんな顔をしていたか、見定めるひまもないほどの小僧である。給仕はおそろしくひょろ長いからだに、後頭が|えり《ヽヽ》にうまりそうな長い半もめんのフロック・コートを着て、片手にナプキンをかけてさっととび出してくると、髪を一振りして、いそいそと板張りの廊下をつたって、たまたま空《あ》いていた階上の部屋へ客を案内していった。部屋はどこにでもあるようなありふれたものであった。というのは旅館そのものがごくありふれたものだったからである。つまり、県庁のあるどこの市にもあるような、おきまりの旅館で、一泊二ルーブリの宿料で旅客はしずかな部屋にありつけるが、かならず四隅からほしあんずほどもある油虫がかさかさとはい出し、隣の部屋へ通じるドアはたいていは箪笥《たんす》でふさいであるが、隣の客というのが、きまって無口でおとなしいくせに、好奇心だけは極度に強く、こちらのようすを細大もらさずさぐりたがるという|てあい《ヽヽヽ》である。この旅館の外観がまたいかにもその内部に相応していた。横にばかりむやみに広い二階建てで、一階は漆喰《しっくい》が塗られていないで、赤黒い煉瓦《れんが》の地はだが、もともときたないところへもってきて、はげしい気候の変化のためにいっそう黒っぽくうすよごれていた。二階はおきまりの黄色い塗料がぬられていた。階下には馬の首飾りだの、細引きだの、輪形パンだのを売る小店がならんでいた。これらの小店のいちばんはずれに、というよりは、むしろ窓台の上にと言ったほうがよさそうだが、赤銅《しゃくどう》のサモワール〔炭で沸かすロシア独得の湯沸かし器〕をおいて、これもサモワールに負けないほどの赤黒い顔をした蜜湯《みつゆ》売りが店をひろげていたが、遠くから見ると、もし片方のサモワールにタールみたいにまっ黒いあごひげがなかったら、窓台の上にサモワールが二つならんでいるのではないか、と思われるほどであった。
客が案内された部屋を検分しているあいだに、荷物がはこびこまれてきた。まず最初にはこびこまれたのは、白皮のトランクで、これはいささかくたびれていて、はじめての旅でないことをものがたっていた。トランクをはこんできたのは、長い毛皮|外套《がいとう》をひきずった小男のセリファンという馭者《ぎよしゃ》と、いかにもだんなのおさがりらしい、毛のすりきれただぶだぶのフロック・コートを着た三十前後のペトルーシカという従僕であった。このペトルーシカのほうは目つきがすこしけわしく、くちびると鼻がひどく大きかった。トランクにつづいて、カレリヤ白樺《しらかば》の飾り模様のついた小さな箱や、長ぐつの木型や、青い紙につつまれた鶏の丸焼きなどがはこびこまれた。こうしたものをすっかりはこびこんでしまうと、馭者のセリファンは馬のせわをしに、厩《うまや》のほうへ出かけていき、従僕のペトルーシカはとっつきの、せまくるしい、ひどくうす暗い部屋に自分のねぐらをつくりにかかったが、早くももう自分の外套といっしょに、なんとも異様な自分の臭気《しゅうき》をもちこんでいた。これはつづいてもちこまれた従僕用のさまざまな世帯道具のはいった嚢《ふくろ》にも共通の臭気であった。彼はこの穴ぐらの壁ぎわにせまい三脚のベッドをすえつけると、それをせんべいみたいに、のされてうすくなり、またおそらく、これもせんべいみたいに、あぶらがたっぷりしみこんでいるにちがいない、小さなふとんらしいものでつつんだ。これも早いところ旅館の主人にせがんで手に入れたものであった。
こうして従僕たちがそれぞれ自分の身のまわりの始末をつけているあいだに、紳士は大食堂へ出かけていった。こうした大食堂がどんなものかは――旅をしたことがある者なら知りすぎるほどよく知っている。例によって油性塗料を塗られた壁は、上のほうはタバコのけむりで黒ずみ、下のほうはさまざまな旅客の背もさることながら、それよりも土地の商人たちの背にこすられて、とろとろに光っている。というのは、市《いち》のたつ日には商人たちが六人、七人と連れだって、おきまりの茶一人まえを飲みにやってくるからである。それからおきまりのすすけた天井、これもまたおなじみのガラスの飾りがやたらにぶら下がっているすすけたシャンデリア。これがまたきまって、浜辺に群がる水鳥のように、おびただしい数の茶わんをのせた盆を活発に振りながら、給仕がすりきれた油布の上を走りまわるたびに、ぴょんぴょんおどり、にぎやかな音をたてるのである。壁いちめんにかけられた同じような油絵――一口に言えば、どれもこれもどこにでもあるようなしろものだが、ただひとつちがいは、一枚の絵に、読者がおそらくまだ一度も見たことがないような、巨大な乳房をもった妖精《ニンフ》が描かれていたことである。このような自然のいたずらは、しかし、いつの時代に、どこから、だれによってわがロシアにもたらされたものかわからぬ、さまざまな歴史画にも見られることがある。ときには、芸術を愛好するわが国の高官たちが、案内人たちの口車にのせられてイタリアで買わされたというものもあった。
紳士は縁なし帽をぬぎ、首から虹《にじ》色の毛のマフラーをはずすと――このようなマフラーは妻のある男には、妻が手ずから編んでやって、その巻き方をしかるべく教えてくれるものだが、ひとり者には、だれがこしらえてくれるのか、たしかなところはわたしには言えないし、そんなことは神のみぞ知るで、いずれにしてもわたしはこのようなマフラーをこれまで一度もしたことがない――さて、そうしたマフラーをはずすと、紳士は食事のしたくを言いつけた。こうした旅館にはおきまりのさまざまな料理、たとえば、不意の客にそなえて何週間もしまっておかれた巻きピローグをそえたキャベツ汁とか、えんどうの煮つけを盛り合わせた脳味噌料理とか、キャベツをそえたソーセージとか、去勢鶏《プリヤルカ》の焙《あぶ》り肉とか、塩|漬《づ》けきゅうりとか、いつでもすぐに出せるおきまりのあまいあんこ巻きとか、こうしたいっさいのお手軽料理があたため直されたり、あるいは単に冷たいままで、つぎつぎと食卓の上にならべられているあいだに、客は召使、いやロシアふうの呼び方によれば給仕をつかまえて、この旅館の持ち主は以前はだれで、いまはだれかとか、実入りはかなりあるかとか、おまえらの主人はしたたかの悪党じゃないのかなどと――あらゆるくだらないことをききはじめた。すると給仕は、案にたがわず「おお、だんな、そらひでえ悪党野郎ですよ」と調子にのって答えたものである。
文明のヨーロッパと同じように、文明のロシアにも、近ごろは給仕と話をしたり、ときにはさんざんにからかったりしないことには、料理店で食事ができないような紳士たちがひじょうに多くなった。しかし、この客はくだらないことばかりきいていたのではなかった。彼はきわめて詳細《しようさい》に、この市にいる県知事はなんという名でどういう人かとか、裁判所長はだれかとか、検事はだれかとかいうようなことを、根ほり葉ほりききだした。要するに、重要な地位にある役人はひとりももらさなかったのである。だがそれよりも、それほど身を入れてではないまでも、さらにこまごまと、すべての有力な地主たちについて、何人くらいの農奴《のうど》を持っているか、市からどのくらいはなれたところに住んでいるか、さらに気性《きしよう》はどんなで、市へは月に何度くらい出てくるかなどということまできいた。さらにまた、彼はこの地方の状態について、たとえば、悪性の熱病とか、たくさんの死者をだした流行性の疫病《えきびよう》とか、天然痘《てんねんとう》といったような、おそろしい病気はなかったかというようなことをきいたのだが、それがじつに細心で、あまりにも微《び》に入りすぎていて、その態度は単なる好奇心以上のものであることをしめしていた。
紳士の動作にはどことなく重みがあって、鼻ひとつかむのにもおどろくほど大きな音をたてた。どんなふうにしてそういう音を出すのか、わからないが、とにかく鼻がラッパのような音をたてるのである。この、一見、まったくなんの悪気もない動作が、しかし、給仕をすっかり感心させてしまった。それで給仕はこの音を聞くたびに、さっと髪をふって、うやうやしく姿勢を正し、頭をちょっとかしげて、なにかお持ちいたしましょうか? とたずねるのであった。食事がすむと客はコーヒーを一杯飲んで、ソファにすわり、背にクッションをあてがった。ロシアの旅館のこのクッションというやつには、ふんわりした毛のかわりに、煉瓦《れんが》や小石にひどく似たなにやらえたいの知れぬものがつめこんであるのである。そのうちにあくびが出はじめたので、客は給仕に言いつけて自分の部屋へ案内させ、そこで、横になって、二時間ほど昼寝をした。一休みすると、彼は旅館の給仕の依頼によって、しかるべき筋、つまり警察へ届けるために、一枚の紙きれに官等と姓名を書いた。給仕は階段をおりながら、綴《つづ》りをたどって、紙きれに書かれたつぎのような文字を読んだ。『六等文官パーヴェル・イワーノヴィチ・チチコフ。地主。私用のため旅行ちゅう』
給仕が綴りをたどってひろい読みしているあいだに、当のパーヴェル・イワーノヴィチ・チチコフはさっさと市内の観察に出かけた。そしてこの市が他の県の主要都市にくらべてすこしも劣っていないことを見てとって、どうやら満足を感じたらしかった。石造りの家々の黄色い塗料が強く目をうったし、木造の家々の灰色がつつましく黒ずんでいた。家屋は一階建てと、二階建て、それから県の建築家たちの意見によるとひじょうに美しいものとされている、おきまりの中二階つきの、つまり一階半建てのものもあった。ところによってはこれらの家々が野原のようにだだっ広い通りと、どこまでもつづく板塀のあいだに、忘れられたようにぽつりぽつり建っているところもあり、またごちゃごちゃとかたまりあっているところもあって、そこは人々の動きがめだち、活気にあふれていた。ほとんど雨に洗い流されてしまったような巻きパンや長ぐつの看板《かんばん》が目についた。青いズホンの絵が描かれて、ワルシャワの裁縫師|何某《なにがし》と名まえが書かれてあるのもあり、縁のない帽子やひさしのある帽子を描いて、『外国人ワシーリイ・フョードロフ〔純然たるロシア人の名まえで、ここではその無知を皮肉っている〕』といかめしく掲げている店もあった。わがロシアの劇場で幕切れ近くに客にふんしてぞろぞろと舞台に登場する役者たちが着ているようなフロック・コートを着たふたりの男が、玉突きをやっているところを描いた看板もあった。キューをかまえた腕をいくらかひねりぎみにうしろへひき、いまアントルシャ〔バレエでとび上がって踵《かかと》をうち合わせる動作〕をしおえたばかりというふうに、あしをななめにひいて、玉にねらいをつけているところが描かれていた。そしてそうした絵看板の下には、『当店』と書いてあった。またあちこちに、通りにテーブルを出しただけで、くるみや、せっけんや、せっけんそっくりの糖蜜がしをならべている露天商もあり、よくあぶらののった魚にフォークを突きさした絵をかかげた屋台店もあった。いちばん目につくのは黒ずんだ国の紋章《もんしよう》の双頭の|わし《ヽヽ》の看板〔当侍酒類は政府の専売となっていて、収入が帝室の歳費に繰り入れられたため、酒場の看板に帝室の紋章がつけられていた〕であった。しかしこれはいまではもう『酒場』という簡潔な文字に変えられてしまった。舗《ほ》道はいたるところ穴ぼこだらけであった。
彼は市の公園ものぞいてみた。やせたひょろひょろした木がたくさん植えてあるが、根つきがよくないらしく、下に三角形のそえ木がしてあり、そのそえ木にやけにあざやかにみどり色のペンキが塗ってあった。ところで、これらのひょろひょろしたやせ木が葦《あし》ほどの高さもなかったにもかかわらず、新聞にはイルミネーションの記事と合わせて、『市当局の配慮によって、わが市の公園はうっそうと繁茂《はんも》した樹木によって美観をそえられ、炎暑《えんしよ》の日に市民は涼気を満喫することができるようになった』と報じられ、さらに、『市民の胸が感激にうちふるえ、市長閣下に対する感涙《かんるい》がほおをつたうのを見て、言い知れぬ深い感動をおぼえたのであった』などと書きたてられた。彼は巡査《じゆんさ》をつかまえて、寺院へ行くのにはどう行ったら近いかとか、県庁へはどう行くのかとか、知事官邸はどこかなどと、こまかくきいたうえで、市の中央を流れている川を見に出かけた。そして宿へかえってからたんねんに読もうと思って、途中で柱にはってあったビラを破きとり、板張りの歩道をあるいてくるなかなか美人の婦人にじっと目をやった。その婦人のうしろにはお仕着せの軍服を看た少年が買物包みを持ってしたがっていた。彼はそのあたりのようすをよくおぼえておこうとでもするように、もう一度あたりを見まわしてから、こんどはまっすぐに宿へかえり、給仕にうしろから軽くささえられて階段をのぼり、自分の部屋へはいった。
茶を飲みおわると、彼は卓のまえにすわって、ローソクをともすように言いつけ、ポケットからビラをとりだして、右目をわずかに細めながら読みはじめた。しかし、ビラにはべつに注目すべきことはなにもなかった。コッツェブーの芝居〔アウグスト・フォン・コッツェブー。ドイツの劇作家。ロシア政府に重く用いられた〕が上演されていて、ロールの役をポプリョーヴィンが、コーラをジャブローワ嬢《じよう》がやるというだけで、その他の出演者にいたっては無名の役者ばかりであった。それでも彼はすっかりたんねんに目をとおし、一般席のねだんまでたしかめ、さらにこのビラが県庁の印刷局で刷られたことを知った。ついでなにかないかと思って裏を返してみたが、なにもなかったので、目をこすり、きちんとたたんで、手あたりしだいなんでもしまいこむことにしている小箱にそれをおさめた。その日は、どうやら、子牛の冷肉一人まえと、クワス〔おもに裸麦と麦芽とでつくるロシア人常用の清涼飲料〕一本をたいらげ、広大なロシアの国のあちらこちらで用いられている表現をかりるなら、ふいごを満開にしたような大いびきをかいてぐっすりねこんでしまうことでおわりになったらしい。
あくる日は一日訪問についやされた。彼はこの市のすべての高官連の歴訪に出かけた。まず県知事に敬意を表した。県知事は、チチコフと同じように、ふとりすぎでもなければ、やせすぎというほどでもなく、首にアンナ十字章を下げていたが、近くスタニスラフ星章〔高級文官にあたえられる勲章〕を授与されるはずだなどといううわささえあった。しかし、ひじょうなお人よしで、ときによると自分で紗《しや》にアプリケをしたりするというふうであった。それから副知事のところをたずね、つづいて検事、裁判所長、警察署長、専売人、国営工場監督官……というぐあいにあいさつまわりをした。残念ながら、この世界の有力者をすっかり並べたてることはいささかむずかしいことではあるが、しかしこの旅客が訪問ということにかけて異常な活動力を示したことは認めてよかろう。彼は医務局の監督や市役所の建築技師にまで敬意を表することを怠らなかったのである。そのうえまだ、軽四輪馬車の中で、あとだれを訪問したらよかろうかと長いこと思案していたが、もうこれ以上は市に役人は見あたらなかった。
有力者たちと話し合いながら、彼はじつに巧みに相手の心をとらえることができた。県知事にはさりげなく、この県に馬車を乗り入れると、いたるところ道路はまるでビロードのようで、天国にはいったような心地《ここち》がしたし、このように有能な役人たちを登用している県当局は大いに賞賛に価するとほのめかした。警察署長には市の巡査たちのことで、なにやらむずがゆいようなうれしがらせをつらつらと言ってのけた。副知事と裁判所長に対しては、ふたりともまだ五等文官でしかないのに、まちがったようなふりをして二度も「閣下」と呼び、それが彼らを大いにうれしがらせた。その効果がたちまちあらわれて、県知事はさっそくその日の自邸の夜会に彼を招待したし、他の役人たちもこぞって、ある者は午餐に、ある者はカルタ会に、ある者は茶の会に彼を招待したのであった。
彼は自分のことについては多くを語ることを、どうやら、避けているふうで、語るにしても、妙にばくぜんとして、ひどくひかえめで、こういう話になると、その話しぶりがいささかかたくるしくなり、自分なんかじつにつまらぬ世間のうじ虫みたいな存在で、みなさんに気をつかっていただくような人間ではないとか、これまでずいぶんつらいめにあい、勤務上では正義をつらぬきとおすために血を吐くような思いをし、そのために生命までもねらうような敵をたくさん持ったとか、いまは、やっと平穏《へいおん》な余生《よせい》をねがう気持ちになって、こうして安住の地をもとめているのだが、この市へやってきて、この市の指導的立場にある有力な高官たちにどうしても敬意を表さなければならぬという気持ちになったのだ、というようなことを述べただけであった。
これが、到着後早々に県知事邸の夜会に招かれることになったこの人物について、市の人々が知りえたすべてであった。この夜会に出かけるためのしたくがたっぷり二時間以上かかった。そしてそのけしょうにしめした彼の細心さといったらまさにおどろくほどで、どこででもお目にかかれるというものではなかった。食後の短い昼寝がおわると、彼は洗面のしたくを言いつけて、まず内側から舌《した》でほおをふくらませて、おそろしく長い時間をかけてほおをせっけんでみがき上げた。それから、給仕の肩からタオルをとり、二度ほど給仕の顔にブルルと鼻嵐をふつかけておいて、耳のかげからはじめて、そのまるっこい顔をまわりじゅうからたんねんにこすった。つぎに鏡のまえで胸当てをつけ、鼻のあなからのぞいていた鼻毛を二本むしりとった。そしてつぎの瞬間にはもう斑点模様《はんてんもよう》のあるこけもも色のフロック・コートにそでをとおしていた。
こうして服装をととのえると、彼は例の軽四輪馬車にゆられて、そちこちの窓からもれる淡い光に照らされた、はてしもなくつづく広い通りを走っていった。しかし、知事邸は舞踏会でもあるのかと思われるほどこうこうと明りがついていた。角灯をつけた馬車がずらりとならび、車寄せにはふたりの憲兵が立って、遠くで馭者たちの叫び声が聞こえた――要するに、必要なものはすべてそろっていた。大広間へはいると、一瞬チチコフは思わず目をそばめた。ローソクや、ランプや、婦人連の衣装のかがやきがあまりにも強烈だったからである。いちめん光の海であった。黒いフロック・コートがあちこちに、あるいはばらばらに、あるいはかたまり合って、ちらちらゆれたり、動いたりしていた。それはさながら夏の暑い七月のころに、あけはなされた窓ぎわで年とった女中頭が精製さとうを小さなかたまりに砕いているとき、そのきらきら光る白いかたまりの上をうるさくとびまわるはえの群れを思わせた。こどもたちがまわりに集まって、老女中頭の金槌《かなづち》をふり上げるかさかさにしなびた手の動きを、おもしろそうに見まもっている。そして軽やかな空気の流れに舞い上げられたはえの空中編隊は、わがもの顔に、勇敢に飛来し、老婆の目がよく見えないうえに、まぶしい陽光にくらまされているのをいいことに、おいしいかたまりの上に、あるいはばらばらに、あるいはびっしりとかたまり合ってたかる。そうでなくともいたるところでおいしいごちそうにありつける、豊かな夏に満腹しきっているのだから、はえの群れが飛来するのは、食べるためではまったくなく、ただ自分の姿を見せびらかし、さとうのかたまりの上を歩きまわり、前あしやうしろあしをこすり合わせたり、あるいは羽の下をかいたり、あるいは両方の前あしをまえにのばして頭の上をかいたりして、くるりと向きを変えると、また飛び去り、そしてまた新たなうるさい空中編隊とともに飛来するためなのである。
チチコフがまだひとわたりあたりへ目をやりおわらぬうちに、もう知事に腕をとられて、さっそく知事夫人に紹介された。彼はここでもすこしもうろたえなかった。彼は官等がそれほど高くもなければ低くもない中年の男のことばとして、きわめて礼にかなったおせじを言った。幾組かの人々が踊りはじめて、一同が壁ぎわへ下がると、彼は、腕を背に組んで、二分ほどひどく注意深く踊っている人々をながめた。多くの婦人たちが流行にそってきれいに着飾っていたが、中にはいかにもこの地方都市で仕立てたらしい服装のものもあった。男たちはここでも、他のあらゆるところと同じように、二つのタイプにわかれていた。一つはほっそりしたからだつきの連中で、たえず婦人たちのまわりにつきまとっていた。なかでも数人はペテルブルグの伊達《だて》男たち〔社交界の粋《いき》な青年貴族たちを言う〕と区別がつけにくいほどで、ひどく工夫《くふう》をこらした趣味のいいほおひげをたくわえるか、あるいは細面《ほそおもて》の顔を見た目にさわやかに、きれいにそり上げていて、ペテルブルグの伊達男たちそっくりに、なれなれしく婦人たちのそばにすわったり、フランス語をしゃべったり、婦人たちを笑わせたりしていた。
もう一つのタイプは肥満型か、あるいはチチコフのように、ふとりすぎとは言えないまでも、といって細いとも言えないからだつきの連中から成っていた。この連中は、反対に、婦人たちのほうへはちらりと横目をなげるだけで、近寄ろうとはせず、知事邸の給仕がカルタのテーブルをセットしはしないかと、そちらのほうへばかり目をやっていた。この連中の顔はまるまるとはちきれそうに肥《こ》えていて、中にはいぼができたのや、あばたのあるのもある。髪は、冠《かんむり》のように立てているのも、ウェーブをつけているのも、フランス人のいわゆる『もじゃもじゃ』型にしているのもいない――一様にあるいは短く刈りこんでいるか、さもなければぴたりとなでつけていて、そのために顔の線がますますまるく、しかもいかつく見えるのである。これは市の有力な役人たちであった。たしかに、この世の中では、ふとった連中のほうがやせた連中よりも事業の運営にたけている。やせた連中はむしろ嘱託《しょくたく》として勤めるか、さもなければただ数の中にくわえられて、あっちへふらふら、こっちへべたべたしている者が多い。その存在そのものがどういうものかあまりにも軽く、ふわふわしていて、まるでたよりないのである。ところがふとった連中は、決して枝葉の位置など占めず、かならず主流にがんばり、いったん腰をおちつけると、たのもしく、がっちりとすわりこみ、むしろ椅子のほうがぎしぎしきしんで、へたばってしまうが、彼らはぜったいに動こうとしない。見てくれのけばけばしさを彼らは好まない。だからやせた連中のように、フロック・コートがぴたりとからだに合ってはいないが、そのかわり金庫の中には|おたから《ヽヽヽヽ》がびっしりつまっている。やせた連中は三年もすれば、質屋の抵当にはいらぬ農奴はひとりもいないという有様だが、ふとった連中はゆうゆうとおちついたもので、いつのまにか――町はずれのどこかに妻名儀の家がひょっこりと建てられ、そのうちに反対側の町はずれに別な家があらわれ、やがて郊外に小さな村を手に入れ、ついには河川山林いっさいをそなえた広大な領地をわがものにする。そして、神と国家に対する勤めをおえ、世間の尊敬をかちえて、退官し、自分の領地へひっこんで、地主、客好きなりっぱなロシアのだんなとなり、豊かに、しあわせに暮らすのである。ところがその次の代になると、またしてもやせた相続人があらわれて、ロシアの慣習にしたがって、おやじの財産をまたたくまに蕩尽《とうじん》してしまうのである。
正直のところ、チチコフはこの夜会に集まった人々をながめまわしながら、ざっとこのようなことを考えていたらしい。その結果として、彼はやがてふとった連中の仲間にくわわったのであった。そしてそのほとんどが、彼の顔見知りの連中であった。まつ黒い濃いまゆをして、「きみ、あちらの部屋へ行こうじゃないか、ちょっときみの耳に入れておきたいことがあるんだよ」とでも言いたげに、左目をわずかにぱちぱちさせるくせがある検事、しかしこれは謹厳《きんげん》な、口の重い人物なのである。背はちんちくりんだが、舌《した》が鋭く、りくつ屋の郵便局長。じつに思慮深い、好人物の裁判所長。これらの人々がみな旧知のようにチチコフを歓迎した。チチコフはわずかに首をかしげて、ぞんざいにひとりひとりに会釈《えしやく》をかえしたが、しかしにこやかなあいそ笑いを口もとから消さなかった。ここで彼は、気味わるいほどいんぎんで、あたりのやわらかなマニーロフという地主と、いくぶんがさつに見えるサバケーヴィチと知り合いになった。この男は、やあ、失礼、と言うほうが先で、いきなりチチコフの足を踏んづけたのだった。さっそく彼はカルタをにぎらされたが、彼はあいかわらずあいそよくおじぎをしてそれを受けた。彼らはカルタ・テーブルをかこんですわり、そのままもう晩饗《ばんさん》まで立たなかった。なにかしんけんなしごとに没頭《ぼつとう》するといつもそうであるが、いっさいの会話がぴたりととだえてしまった。郵便局長はひどい話好きだったが、その彼も、カルタを手にすると、とたんに気むずかしげな顔になって、上くちびるで下くちびるをかくし、勝負のあいだじゅうその表情を変えなかった。絵札を出すときに、彼はどしんとテーブルをたたいて、もしそれがクイーンなら、「そら、坊主《ぼうず》の老妻《ばばあ》!」、キングなら、「そら行け、タンボフのどん百姓!」などとかけ声をかけた。いっぽう裁判所長は、「なんと、その百姓のひげ面ちょんだ! そら、ばばあの素っ首、いただきだ!」などと調子をつけた。ときにはカルタをテーブルにたたきつけて、「えい! いちかばちかだ、しゃあない、ダイヤでいこう!」などということばがとび出した。あるいは簡単に、「ハートだ! 胸の痛みだ! スペード野郎だ!」とか、「スペードがきだ! スペードあまだ! スペちゃんだ!」とか、もっと簡単に、「スペ公だ!」――これは彼らが仲間うちで札につけた名まえであった。
カルタがおわると、例によってかなり大声の議論になった。わが新米の客も議論にくわわったが、それがどことなくあまりにも巧みすぎて、一同の目には、彼は議論はしているが、しかしその議論そのものを楽しんでいるように見えた。彼は決して、「さあ、来た来た」などとは言わないで、「そうおいでなさいますか。では、あなたの二《ツウ》を切らせていただきますよ」というようなことばづかいをした。そして、彼はもっとよく自分のうった|て《ヽ》を相手に納得させるために、そのつどエナメルをかけた銀のシガレット・ケースを彼らのまえにさし出したが、その底にはにおいをよくするためにすみれの花が二つ入れてあった。
彼の注意を特にひきつけたのは、先に述べた地主のマニーロフとサバケーヴィチだった。彼はそこで裁判所長と郵便局長をちょっとわきのほうへよんで、さっそくふたりのことをきいた。彼がおこなった二、三の質問は、単なる好奇心ではなく、なにかもつと深い根拠を彼が持っていることをしめした。というのは、なによりもまずふたりはそれぞれ何人くらいの農奴を持っているか、領地はいまどんな状態かということを詳しくたずね、そのあとではじめて名まえと父称〔ロシア人の名まえのミドル・ネームで、父からのもらい名。ピョートルの子ならペトローヴィチとなる〕をきいたからである。しばらくするうちに、彼は完全にふたりの心をとらえてしまった。まだ中年にはかなり間《ま》があり、砂糖のようなあまったるい目をして、笑うときにはそれを糸のように細めるマニーロフは、彼にすっかり夢中になってしまった。彼はかなりながくチチコフの手をにぎりしめて、かならず自分の村を訪問する光栄をあたえてほしいと懇請《こんせい》した。彼のことばによると、村は市の門からせいぜい十五キロくらいのところだということであった。チチコフはきわめていんぎんに頭を下げ、心からの感謝をこめて相手の手をにぎりかえしながら、喜んでこの所望《しょもう》をはたさせてもらうばかりか、それを神聖な義務とさえ考えていると答えた。サバケーヴィチのほうもいくらかぶっきらぼうに、「わたしどもへもどうぞ」と言って、大きな長靴をはいた足をすり合わせたが、その長靴の大きなことといったら、これに、ふさわしいような足は、わけてもロシアに豪傑《ごうけつ》というものがしだいになくなりはじめたこのごろでは、とても見つかりそうには思われなかった。
翌日、チチコフは警察署長邸へ午饗と夜会に招かれ、午後三時からカルタ・テーブルをかこんで、そのまま夜の二時までカルタをやっていた。だが、そこで彼はノズドリョーフという三十前後の地主と知り合いになった。これはえらい快活な男で、三言四言交わすともうなれなれしくチチコフを|きみ《ヽヽ》よばわりをはじめた。警察署長や検事にもノズドリョーフは|きみ《ヽヽ》よばわりで、友だちのような態度をとっていた。ところが、カルタの大勝負がはじまると、警察署長と検事は極度に注意深く彼の負け札を見張り、彼のうつほとんどすべての札に目を光らせた。その翌日はチチコフは裁判所長邸で夜をすごした。所長はいくらかあかじみたガウンを着たままの姿で客たちを迎えたが、その中にはどこやらの婦人もふたりまじっていた。さらに彼は副知事の夜会、専売人の盛大な午饗、検事のささやかな午饗に招かれた。これは、ささやかとはいえ、しかし金のかかった午饗であった。さらに彼は商工会議所会頭の催した、これもやはり金のかかった、朝の勤行《おつとめ》の後の茶の会にも出席した。要するに、彼はいっときも宿におちついている暇がなく、宿へはただ寝るために帰るだけというありさまであった。
彼はどんなことにでもそれなりに調子を合わせることができ、自分が世事に明るい練達《れんたつ》の士であることをしめしたのであった。どんな話題でもかならずそれをもり上げることができた。話が馬の飼育場のことになれば、彼は馬の飼育場についても一席弁じたし、猟犬《りょうけん》の品定めの話になれば、この分野でも彼はひじょうに適切な意見をのべた。税務監督局でおこなわれた審査の件が議題にのぼれば――彼は裁判の裏面にもかなり通じていることをしめしたし、撞球《たまつき》の話になれば――撞球についてもミスはやらなかった。慈善の話がでると、彼は目に涙さえ浮かべて、じつに能弁に慈善について論じた。ウォトカ〔ロシアの火酒〕のつくり方が話にでれば、彼はそのつくり方のこつも心得ていたし、税関の監督や役人の話になれば、まるで自分が監督か役人であるように、そのあり方をみごとに論じた。
ところが、注目しなければならぬのは、彼はそうしたすべてをある重々しさで包んで、巧みに自分をおさえる能力を持っていることであった。彼の話しぶりは高くもなく、低くもなく、まったく申し分なかった。一口に言えば、どこへ向けても、ちゃんと通る人間であった。役人たちはひとりのこらず、この新しい客が来たことに満足した。県知事は、彼を思想のおだやかな善意の人であるとたいこ判を押したし、検事は――有能な人物であると認めたし、憲兵大佐は――常識のある男だと言った。裁判所長は――ものごとをよくわきまえたりっぱな男であると言い、警察署長は――態度がりっぱで親切な人物とほめ、警察署長夫人は――ほんとうに心がやさしく、交際のじょうずな方だと言った。めったに人のことをよく言ったことのないサバケーヴィチでさえ、かなりおそく市からもどると、もうすっかり服をぬいで、やせてぎすぎすした女房のそばに横になってから、「おれはな、県知事の夜会にでて、警察署長のとこで昼食をよばれたが、そこでパーヴェル・イワーノヴィチ・チチコフという六等官とじっこんになった。いや、じつにいい男だよ!」と言った。すると女房は、「フン!」と答えて、足で彼をつついたのだった。
こういった客にとってじつにくすぐったい評判が、市の人々のあいだに形成された。そして彼のある奇妙な特性とその計画というか、いなかで言う奇態《きたい》なできごとが、ほとんど町じゅうを完全な疑惑《ぎわく》に突きおとすまで、それはつづいたのであった。この奇態なできごとがなんであるかは、読者はまもなく知るであろう。
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第二章
もう一週間以上チチコフはこの市に滞在《たいざい》して、夜会に出たり午饗に招かれたりして、いわば大いに楽しく時をすごしていた。ついに彼はその訪問を市外に移し、約束どおりマニーロフとサバケーヴィチのふたりの地主をたずねることに決めた。あるいは、彼をその気にならせたのは、別な、もっと深い理由、もっと重大な問題があったのかもしれない……。だが、そうしたことはすべて、このものがたりをおしまいまで読みとおす忍耐《にんたい》さえ持っていただければ、つぎつぎと、場面を追って読者のまえに展開されるはずである。ただしこのものがたりは、結末に近づくにつれてますます広範囲に展開してゆく、おそろしく長いものがたりなのである。
馭者のセリファンは朝早く例の軽四輪馬車に馬をつけるよう言いつけられた。ペトルーシカは宿にのこって、部屋とトランクの番をするよう命じられた。ここでわが主人公につかえているこのふたりの農奴を知ることも、読者にとってよけいなことではなかろう。もちろん、彼らはそれほどめだつ人物ではなく、二次的、あるいは三次的とすら称される存在であり、この叙事詩の主要な流れとその原動力は彼らの上に立脚しているのではなく、わずかにゆれ、軽くひっかかっているだけにすぎないが、――しかしそれにしても作者はすべてにわたって極度に細心であることが好きで、れっきとしたロシア人であるにもかかわらず、ドイツ人のようにきちょうめんでありたいと思うのである。それは、しかし、あまり時間も紙数もとらない。というのは、読者がすでに知っていること、つまりぺトルーシカはだんなのお下がりのすこしだぶだぶの褐色《かっしょく》のフロック・コートを着ていて、こういう身分の人間の例にもれず、大きな鼻とくちびるをしているということに、ほんのわずかつけくわえればそれですむからである。性分は話好きというよりは、むしろ無口のほうで、文明、つまり読書に対する高尚《こうしよう》な熱情をさえもっていた、といっても読む本の内容にはすこしも頭を悩まさなかった。恋のとりことなった主人公のラブ・ロマンスであろうと、ただの初等教科書か祈祷書《きとうしょ》であろうと、彼にはまったくどうでもよかった。彼はなんでも同じような態度で読んだ。たとえ化学の本をあてがわれても、彼はそれを拒否しなかったろう。彼が好きなのは、なにを読むかということではなく、読むというそのこと、というよりは、むしろ読書そのものの過程といったほうがいいかもしれない。文字が集まってかならず一つのことばが生まれる、ときにはそのことばがどんな意味かとんとわからぬが、そんなことはどうでもよいのである。この読書はたいてい自分の巣のベッドのふとんの上にねそべっておこなわれたが、そのためにふとんは押しつぶされて、いよいよせんべいのように薄っぺらになってしまったのである。この読書熱のほかに、彼にはもう二つの習慣があって、これが他の二つの彼の特徴をつくり上げていた。それは、服をぬがないで、つまりそのまま、例のフロック・コートを着たまま寝ることと、ある自分の独自のにおい、かなりの程度そのねぐらにもしみこんでいるその独自のにおいを、いつも身につけていることである。だからどこかに、よしんばそれがそれまで人の住んだことのない部屋であっても、自分のベッドをおいて、外套と世帯道具を持ちこむと、それだけでもうその部屋には十年も人が住んでいたように思われるのであった。チチコフはきわめて神経質で、ときによっては気むずかしいほどの人間であったから、朝などそのすがすがしい鼻にぷーんとそのにおいをすいこむと、たちまち顔をしかめ、頭をぶるっとふって、「おい、こら、しょうのないやつだ、汗でもかいたのか。ふろへでも行ってきたらいい」と言うのだった。それに対してペトルーシカはなんとも返事をしないで、すぐにブラシを持って壁にかかっているだんなのフロック・コートのそばへ行くとか、わけもなくそこらをかたづけるとか、なんとなく忙しそうなようすをした。こうして黙りこくっているとき、腹の中でなにを考えていたか、――あるいは、『だが、おめえさまもお人よしだ、よくもあきもしねえで、同じことを四十回もくりかえすもんだよ……』などとひそかにつぶやいていたかもしれぬ。だんなに説教をされるとき、僕婢《めしつかい》がどんなことを考えているかは、神のみぞ知るである。というわけで、さしあたってペトルーシカについて言えることはこれくらいである。
馭者のセリファンはこれとはまったくちがう人間である……だが作者は下層階級の人間たちの話であまりながく読者を悩ますことは、気がひけてならない。というのは、経験によって、読者が下層階級の人間どもと知り合いになることを好まぬことは、重々承知しているからである。ロシア人というものはそうしたもので、一級でも自分より上の者とはなんとしても知り合いになりたいという強烈な欲望を持ち、伯爵とか公爵にちょっと会釈《えしゃく》される程度に顔を見知られたほうが、いかなる親密な友情よりもずっとありがたいのである。作者はこのものがたりの主人公が六等官にすぎないのが、いささか不安なほどである。六等官あたりなら、あるいは彼と知り合いになってくれるかもしれないが、すでに奏任官に近づいたようないわゆるお偉方《えらがた》は、あるいは、足もとにはいつくばる有象無象《うぞうむぞう》どもを傲然《ごうぜん》とへいげいする、あの侮蔑《ぶべつ》にみちたまなざしの一つをじろりと投げつけるかもしれないし、さもなければ、もっとわるいことに、作者にとって致命的とも言える黙殺という態度をとられないと、だれが知ろう。しかし、そのいずれもがいかに遺憾《いかん》であろうと、やはり、ともあれ、わが主人公へもどらなければならない。
さて、もうまえの晩に必要な指示をあたえておいたチチコフは、朝まだ暗いうちに目をさますと、顔を洗い、水をふくませた海綿で頭から足の先まてたんねんにこすり、――これは日曜日にだけすることにしていたが、その日が偶然に日曜日にあたっていた、――なめらかさと光沢という点でほんものの繻子《しゅす》といえるほどに、つるつるにほおをそり上げ、斑点模様のあるこけもも色のフロック・コートを着て、その上から熊の毛皮のシューバをはおり、あるいは右から、あるいは左から給仕に腕をささえられて階段をおりると、軽四輪馬車に乗りこんだ。がらがらと音高く、軽四輪馬車は旅館の門から往来へ出た。通りかかった神父が帽子をとった。あかだらけのシャツを着た数人のこどもたちが、「だんな、かわいそうなみなし子におめぐみを!」と言いながら、手を突き出した。そのこどもたちのひとりがしつこくうしろの馬丁台にとび乗ろうとするのを見て、馭者はピシリとそいつに鞭《むち》をくれた。とたんに馬車は穴ぼこだらけの石畳の上をごとごと走りだした。遠くにしまに塗った関門の柵《さく》が見えて、石畳の舗道が、他のあらゆる苦しみと同じく、もうまもなくおわることを知るのは、うれしいものである。そして、さらに何度か頭をしたたか車体にぶっつけたうえで、チチコフはやっとやわらかい大地の上を走りだした。市が背後《はいご》に去ると同時に、さっそくわが国の作家たちの慣習にしたがって、道の両側には小高い丘があり、もみの林があり、若い松の木の低いまぱらな林があり、古木の雷にうたれた木が立ちぐされ、野生のヒースが茂りなどと、愚《ぐ》にもつかぬ描写にかかることになる。ひもに通したようにだらだらとのびた村にさしかかった。家々は古い薪《まき》の堆積《たいせき》に灰色の屋根をかぶせたみたいで、その屋根の下には木を彫った装飾がついているが、それは手洗いのそばに下げてある手ぬぐいの刺繍《ししゅう》模様に似ていた。例によって、羊の毛皮外套を着た数人の百姓たちが門のまえのベンチに腰かけて、あくびをしていた。まんまるい顔をして、はちきれそうな胸を斜め十字にくくった女房たちが、上の窓からのぞけば、下の窓からは、子牛でなければ、豚どもがまぶしそうに鼻面を突き出した。要するに、見なれた光景であった。
十五キロの里程標を通りすぎて、彼はマニーロフのことばだとこのあたりに彼の村があるはずだ、と思い出した。ところが十六キロの里程標も通りこしてしまったが、村はいっこうに見えなかった。そして向こうから来たふたりの百姓に出会わなかったら、おそらく目ざすところに行きつけなかったにちがいない。ザマニーロフカ村はまださきかな、という問いに、百姓たちは帽子をとって、すこしりこうそうな顔をして、くさび形のあごひげをはやしたほうが、答えた。
「ザマニーロフカですと、いや、たぶん、マニーロフカのことだんべや?」
「うん、そのマニーロフカだよ」
「マニーロフカな! だら、もう一|露里《ろり》ばかし行ったら、そこでまっすぐ右さ、まがりなせえ」
「右へ?」と馭者がきいた。
「うん、右だ」と百姓は言った。「それがマニーロフカさ行く道だて。ザマニーロフカなんて聞いたこともねえ。あの村はそう呼ばれてるんだ。つまり村の名がマニーロフカというんで、ザマニーロフカなんてのはねえだよ。あそこらへ行くとまっすぐ山の上に家が見える。石造りの、二階家だ。地主さまのお邸《やしき》だよ。つまり、その家に地主さまが住んでなさるのさ。それが、おめえ、マニーロフカだよ。ザマニーロフカなんぞ、このあたりにゃ、ぜったいにねえだよ」
マニーロフカをさがしに出発した。二露里ほど来ると、村道へ折れる曲がり角に出会った。そしてその村道へはいってもう二露里、三露里、四露里ほども来たと思われたが、石造りの二階家はいっこうに見えなかった。そこでチチコフは、もし友に十五露里ほどといってその村に招かれたら、それはたっぷり三十露里はあるという意味なのだということを思い出した。マニーロフカ村はその地勢からしてもあまり人を招きよせることができなかった。地主館はぽつんと見晴らしのいい場所に立っていた。というのは、どちらから風が吹いても、吹きさらしの高台ということである。館が立っている斜面は、短く刈りこまれた芝生におおわれていた。そこにはリラや黄色いアカシヤの植込みのある英国風の花壇が二つ三つ点在し、五、六本ずつかたまりあった白樺の木立ちがそちこちに葉のすくないまばらな梢《こずえ》をそびやかしていた。そのなかの二つの木立ちの下に平べったいみどり色のまる屋根の園亭が見えて、空色の木の円柱に『夢想庵《むそうあん》』と記されていた。そのすこし下にみどりを浮かべた池があった。しかしこれは、ロシアの地主たちの英国ふうの庭園には珍しいものではなかった。この丘のふもとと、一部はその斜面にも、灰色の丸木小屋がごちゃごちゃに黒ずんでいたが、わが主人公は、どういうわけか、とっさにその戸数をかぞえだして、二百軒以上かぞえあげた。それらの家々のあいだには立ち木も、みどりもぜんぜんなく、いたるところ目にはいるものは丸太ばかりだった。
この殺風景な光景に生気をあたえていたのはふたりの百姓女で、さながら絵にあるように服のすそをたくしあげ、くるりとはしょってひざまで池につかり、二本の木のさおで破れた網をひっぱっていた。そしてその網の中に二匹のざりがにがひつかかっているのと、一匹の鯉がきらりとうろこを光らせたのが見えた。女たちはなにか言い争いでもしているらしく、なにやらののしり合っていた。わきのほうへすこしはなれたところに、松林がなにやらさびしげに青黒くくすんでいた。天気までがじつにおあつらいむきでがらりと晴れているでもなければ、どんより曇っているでもなく、明るい灰色というか、こんな色は守備隊の兵士の、といっても平和時の軍隊で、日曜日にはちょっぴり酒をやらかすといった兵士の古い軍服にしか見られないものだ。画趣をみたすための雄鶏《おんどり》にもことかかなかった。これは変わりやすい天候の予報者で、例によって女出入りのために他の雄鶏どものくちばしにかかって脳みそがはみだすほどまでに頭を突つきまくられていたが、それでもひどく大きな声をはり上げて元気にときをつくり、古むしろみたいにひきむしられた羽を得意げにはばたきさえした。
邸《やしき》に近づくと、チチコフは玄関の階段の上に主人の姿を認めた。彼はみどり色のメリノらしゃのフロック・コートを着て、近づいてくる馬車をよく見定めようと、手を日がさのように目の上にかざしていた。軽四輪馬車が玄関に近づいてくるにつれて、彼の目はしだいにうれしそうになり、微笑がますます大きくひろがっていった。
「パーヴェル・イワーノヴィチ!」チチコフが馬車からおりると、彼はたまりかねたように叫んだ。「やっとわたしどもを思い出してくれましたな!」
ふたりの友はかたく抱きあって接吻《せっぷん》した。そしてマニーロフは客を部屋へ案内した。彼らが玄関から控え室、そして食堂と通っていった時間は、すこし短すぎるが、しかしそのあいだを利用してこの館の主人についていくらか語れるかどうか、とにかく試みてみよう。しかしここで、このような企《くわだ》てがひじょうにむずかしいものであることを、告白しなければならない。もっともっとスケールの大きい人物を描写するほうが、はるかに容易である。ただせいいっぱい絵の具をカンバスにたたきつければそれでいいのである。黒い鋭い目、たれたまゆ、しわのきざまれた顔、片方の肩にかけられた黒い、あるいは火のような真紅《しんく》のマント、――それで肖像画はでき上がりである。ところがここの主人のようなだんな方になると、世間にざらにおり、見たところどれもこれも同じような顔つきだが、しかし、よく見ると、ごく小さな特徴がたくさん目につく、――こうした紳士たちの肖像を描くことは、まったく容易なことではない。ほとんど目につかないような、デリケートなすべての線を、眼前に浮かび上がらせるあいだ、強く注意力を緊張させていなければならないし、総じて、探究の実地訓練ですでに磨き上げられた視力をもっともっと深めなければならないのである。
マニーロフがどんな性格の男であるかは、おそらく神以外には言い得なかったろう。一般に、どっちつかず、自分なりの男、ことわざのことばをかりれば、都のボグダンでもないし、村のセリファン〔ボグダンはだんなふう、セリファンは下男ふうの名である〕でもない、という形容で知られている種類の人々がある。あるいは、マニーロフもその種類にくわえるべきかもしれない。彼は見た目にはりっぱな男であった。顔だちはこころよい感じをのこしていたが、このこころよさには、すこしあまさが多すぎたようだ。その態度やものの言い方にはなにか相手の好意や知遇にとり入るようなところがあった。笑い顔がひどく魅惑《みわく》的で、髪が薄あま色で、青い目をしていた。彼と話をはじめると、最初の瞬間には「なんという気持ちのよい、善良な人間だろう!」と言わずにおられない。ところがそのつぎの瞬間には、黙りこんでしまい、さらにそのつぎの瞬間には、「まったく、わけのわからん男だ!」とあきれて、――さっさとはなれてゆく。はなれてゆかなければ、死ぬほどの退屈を味わわされる。気にさわるようなことを言われると、だれでもぴりっとした、あるいはときには高飛車《たかびしゃ》なことばをさえ吐くものだが、そうしたことばは彼からはいっさいきかれない。だれにでも情熱というものがある。ある者はボルゾイ犬〔ロシアの猟犬の一種〕にその情熱を傾けるし、ある者は自分が大の音楽愛好家で、深遠な曲想を明確に感じとることができると思いこんでいる。またある者は大の食通をもって任じ、ある者は自分がふりあてられた役よりもほんのわずかでも高い役を演じたがる。ある者は、えらいけちな望みで、なんとか侍従《じじゅう》武官と肩を並べて町を流し、友人や知人、さらに知らぬ連中にも見せびらかしてやりたいものだ、とそんなことを夢に見たがる。ある者は黄金の腕を天から恵まれていて、ダイヤのエースか二点札をさっとたたきつけたいという超自然的な願望を感じているし、またある者の手はどこか不始末なところはないかとうずうずして、駅長とか馭者の頭のそばへのびたがる、――要するに、だれにでも自分の熱中というものがあるが、マニーロフにはなにもなかった。彼は家にいてもあまりものを言わず、だいたい思索にふけっていたが、なにを考えていたかは、これも神以外は知るよしもなかった。農場のことに、頭をつかっていたとは、義理にも言えない。彼は野良《のら》に出たことさえなかったし、農場のほうがおかまいなしにかってにうごいていたのであった。管理人が、「だんなさま、こうこうなさったほうがよろしいと思いますが」と言うと、彼はパイプをくゆらしながら、「うん、わるくないな」と答えるのがきまりだった。パイプをくゆらすのは、軍隊に勤務していたころに身についたくせで、軍隊ではもっとも謙虚な、もっとも洗練された、もっとも教養の高い士官として通っていたのだった。
「うん、たしかにわるくないな」と彼はくりかえした。百姓がやってきて、後頭をごしごしかきながら、「だんなさま、手間かせぎにやってくだせえな、税金をかせがにゃならねえだで」とたのむと、彼はパイプをくゆらしながら、「行くがいい」と言うのだった。百姓が居酒屋にしけこみに行くのだなどとは、彼の頭に浮かびもしなかったのだ。ときには、玄関の階段の上から庭や池をながめながら、家から池のふちまで地下道をつくったらいいだろうとか、池に石の橋をかけて、橋の両側にずらりと小店を並べ、百姓たちに必要ないろんなこまごました品を売るようにしたらいいだろうな、などと言ったりする。こんなときは目がとけるようにあまくなって、顔がさも満足そうな表情になるのだった。しかし、こうした案はすべてただ口先だけでおわってしまうのが常だった。彼の書斎にはいつもある一冊の本がおいてあって、その十四ページめにしおりがはさんであったが、もう二年ごしいつもこのページばかり読んでいて、いっこうに先へ進まないのである。彼の家の中はいつもなにかが足りなかった。客間にはいきな絹張りの美しい応接セットがおいてあったが、おそらくかなりの金をかけたものにちがいなかった。ところがその絹布が、ひじ掛け椅子二脚分足りなかったらしく、その二つにはただ粗布が張ってあるだけである。それでいて、この数年のあいだ主人は客を迎えるたびにきまって、「それにはおかけにならないでください、まだできておりませんので」と、ことわるのが口癖になっていた。またある部屋には家具らしきものはぜんぜんなかったが、これも妻を迎えたばかりのころ、「ねえ、きみ、明日にでも言いつけて、あとで直すにしろ、とにかくこの部屋に家具を入れることにしようね」と言ったが、いまだにそのままになっているのである。夜になると、ヴィーナスの三人の侍女の像がきざまれ、らでんのしゃれた風|除《よ》けのついた、ひどくしゃれた燭台《しょくだい》がテーブルの上に出された。そしてそれに並べて、これはもうあしが一本もげて、片方にかしげ、一面にローソクのかすがこびりついた、まるで廃品同様の銅の燭台がおかれたが、そんなことは主人も、主婦も、給仕もいっこうにとんじゃくしなかった。
彼の妻は……ところで、彼ら夫婦はおたがいにすっかり満足しきっていた。結婚してからもう八年をこえるというのに、いまだにどちらかがりんごの一きれか、菓子か、くるみなどをはこんできて、あふれるばかりの愛情をたたえたしびれるようなあまったるい声で、「ダーリン、お口をおあけ、このおいしいものを入れてあげますから」と言う。すると、当然のことながら、口がこのうえなく上品にあけられる。誕生日には、たとえばビーズ細工の歯ぶらし入れというような、思いがけぬプレゼントが用意される。それにしょっちゅう、ソファにかけているときなど、いきなり、どういう理由からかまったくわからないが、良人《おつと》がパイプをおくと、妻は、もしなにか手しごとをしていれば、それをやめて、じつに悩ましい長い接吻を交わし合うのだが、その長いことといったら、そのあいだに細巻きのシガーならゆうに一本ふかせるほどである。一口に言えば、彼らは世に言う幸福な夫婦であった。もちろん、長い接吻やプレゼントのほかに、家の中には他のしごとがたくさんあることは当然だし、さまざまな問題もつぎつぎとかたづけなければならない。たとえば、なぜばかみたいに、むやみやたらに台所で料理をこしらえるのか? どうして蔵の中がからっぽに近い状態なのか? なぜ女中頭があんなにものをかすめるのか? なぜ下男どもがああ不潔で、酔っぱらってばかりいるのか? なぜ村じゅうの百姓どもがごろごろ寝てばかりいるか、さもなければわるさばかりしているのか?
しかし、こんなことはみな低俗な問題で、マニーロフ夫人はりっぱな教育を受けていた。で、りっぱな教育というものは、周知のように、寄宿学校でさずけられるものである。ところで寄宿学校では、これまた周知のように、三つの重要な課目が人間の徳の根本とされている。すなわち、家庭生活の幸福のために欠かすことのできないフランス語と、良人《おつと》にこころよいひとときをあたえるためのピアノと、そして最後にようやく本来の家事で、つまり財布《さいふ》とかその他すてきな贈りものの編み方である。とはいえ、その教授法には、わけても今日では、さまざまな向上や改良がくわえられていて、それは寄宿学校を経営している女史の良識と手腕《しゆわん》にかかっている。ある寄宿学校では、まずピアノ、つぎにフランス語、そしてそのうえで家事という方法をとっているが、学校によっては、まず第一に家事、つまりすてきな贈りものの編み方、それからフランス語、そして最後にピアノという順序のところもある。教授法はまちまちである。
もうひとつ夫人について述べておくのもさまたげにはなるまい。マニーロフ夫人は……だが、実のところ、わたしは婦人について語るのが大いに苦手で、それにもうそろそろわが主人公たちへたちもどらねばならない。というのはもう先ほどから客間の入り口のところにつっ立って、互いに先をゆずり合っていたからである。
「どうぞどうぞ、わたしのことでそうお気をつかわないでください。わたしはあとではいらせてもらいますから」とチチコフは言った。
「いいえ、パーヴェル・イワーノヴィチ、それはいけません、あなたはお客ですもの」とマニーロフは手で入り口をチチコフに示しながら、言った。
「かたいことをおっしやらないで、さあどうぞ。いやですよ、そんなに四角ばっちゃ。さあ、おはいりください」とチチコフは言った。
「いいえ、なんとおっしゃられても、わたしはできませんよ、あなたのようなじつに気持ちのいい、教養の高い客をさておいて、先に通るなんて」
「いやですよ、わたしが教養が高いなんて……どうぞ、お先に」とチチコフ言った。
「まあ、ともかくお先にお通りくださいな」
「でも、どうしてでしょう?」
「そりゃ、きまってるじゃありませんか!」とマニーロフはとろけるような微笑を浮かべて言った。
けっきょくふたりの友はいっしょに向き合ったまま、いくぶんきゅうくつそうに腹と腹を突き合わせて、戸口をはいった。
「では、家内を紹介させてください」とマニーロフは言った。「ダーリン! この方がパーヴェル・イワーノヴィチさんだよ!」
チチコフははじめて婦人に気がついた。戸口でマニーロフとおじぎばかりし合っていたので、それまですこしも気がつかなかったのである。美しい婦人で、顔によくうつる服装をしていた。淡色の絹布の部屋着が彼女によく似合った。ほっそりした小さな手がなにやら持っていたものを急いでテーブルの上にすてると、四隅にぬいとりのある麻のハンカチをつかんで、すわっていたソファから立ち上がった。チチコフはうれしそうに彼女のさしだしたかわいらしい手のほうへ歩みよった。マニーロフ夫人はすこし鼻にかかった声で、彼の訪問を心から喜んでいること、そして夫が彼のうわさをしない日は一日もなかったことなどを語った。
「そうなんですよ」とマニーロフが受けた。「妻ときたら、しょっちゅうわたしにきくんですよ、『でも、どうしてあなたのお友だちはいらしてくださらないのでしょう?』――『まあ待ちなさい、ダーリン、きっと来てくれるから』それが今とうとう、こうしておたずねくださって、わたしたちを喜ばせてくださった。ほんとうに、なんと言ったらいいか……五月のお祭りと……誕生日がいっしょに来たようなうれしさですよ」
チチコフは、誕生日まで引き合いに出されるにいたったのをきくと、いささかきまりわるさをさえ感じて、自慢できるほどの名まえでもないし、りっぱな官等も侍っていないと、辞《じ》をひくくして答えた。
「あなたはそのどちらも持っておられる」とマニーロフはとろけるような微笑をうかべながら、さえぎった。「どちらも、いやそれよりももっともっと多くを」
「わたしたちの市はいかがでございました?」とマニーロフ夫人が言った。「楽しくおすごしになりまして?」
「ひじょうにすばらしい市です、じつに美しい市です」とチチコフは答えた。「ひじょうに楽しくすごすことができました。じつに気持ちのよい社交界です」
「して、知事さんをどうお思いになりまして?」とマニーロフ夫人は言った。
「どうです、じつにりっぱな、そして親切な人物でしょう?」とマニーロフが言いそえた。
「まったくそのとおりです」とチチコフは言った。「じつにりっぱな人物です。それにご自分の職務にすっかりとけきっておられるし、また、じつによく理解しておられる! ああいう人物の多からんことを願わねばなりませんな」
「まったくです。よくもああ、あらゆる人々とお会いになられて、すこしのみだれも見せずにおられるものですなあ」とマニーロフは顔をほころばせながら言いそえた。そして満足のあまり、耳のうしろを指でそっとくすぐられたねこのように、目を糸のように細めた。
「じつにあいそのよい、気持ちのいい人です」とチチコフはつづけた。「それに器用なことといったら! わたしにはまったく想像もできませんでした、さまざまな模様の刺繍《ししゆう》を、ご自分でみごとになさるんですよ! ご自分でお編みになった財布を見せてくださいましたが、女でもあれほどじょうずに刺繍ができるひとはめったにありませんよ」
「副知事も、じつに愛すべき人間でしょう、そうじゃありません?」とマニーロフはまたすこし目を細めて、言った。
「そう、まことにりっぱな人物です」とチチコフは答えた。
「じゃ、警察署長はいかがです? ひじょうに気持ちのいい人物でしょう?」
「きわめて気持ちのいい人物です。それに聡明で、じつに多くの本を読んでおられる! わたしは署長の家で、検事と県会議長もくわわって夜明け近くまでカルタをやりましたよ。まことに、まことにりっぱな人物です!」
「それでは、警察署長のおくさんを、どうお思いになりまして?」とマニーロフ夫人が言いそえた。「ほんとにおやさしいお方じゃございません?」
「そうですとも、あの方はわたしが知ってるかぎりのもっともすぐれた婦人のひとりです」とチチコフは答えた。
つづいて県会議長、郵便局長もおとされなかった。こうして市のほとんどすべての役人がとり上げられ、どれももっともりっぱな人物ということになった。
「あなた方はいつも村でお暮らしですか?」と、ようやく、今度はチチコフが質問を出した。
「おもに村でです」とマニーロフが答えた。「それでも、ときどきは市へ出かけます。それもただ教養ある人々に会いたいためです。年じゅうこもってばかりいますと、いなか者になってしまいますからねえ」
「そのとおりです。そのとおりです」とチチコフは言った。
「もっとも」とマニーロフはつづけた、「近所にいい友だちが住んでいて、たとえば、なにか礼節とか、りっぱな交際とかについて話し合うことができたり、魂をふるわせるような学問を研究し合うことができれば、別問題です。それこそ、いわば、天空高く舞うような思いで……」ここで彼はもっとなにやら別な表現を並べたかったらしいが、すこし調子にのりすぎたことに気がついて、手を宙にひとつ振っただけにとどめて、ことばをつづけた。「そうなれば、むろん、村のかたつむり生活も大いに楽しいものになるでしょうな。ところが、そういう友はぜんぜんおらんのですよ……そこでこうしてときどき『祖国の子〔一八一二年ペテルブルグで創刊された政治・文学・歴史の総合雑誌〕』を読むくらいでまぎらわしとるんですよ」
チチコフはそれにすっかり賛成して、しずかないなかにひっこんで、自然の風物を楽しみ、ときどき本を読む、そういう生活にまさる喜びはない、とつけくわえた。
「でも、あなた」とマニーロフは、言った。「やはり、ともに語る友がいなかったら……」
「おう、それはたしかです。まさにおっしゃるとおりです!」とチチコフはさえぎった。「友がなければ、世界じゅうの宝を集めたとてなんになりましょう!『金を持つより、よき友を持て』とある賢人も言っています」
「そうですとも、パーヴェル・イワーノヴィチ!」とマニーロフは、単にあまいというだけではなく、世慣れた如才《じよさい》のない医者が患者を喜ばせようと思って、やたらと甘味をくわえた混和薬のような、あくどくあまったるい表情を顔にあらわして、言った。「それでこそ、なんと言いますか、ある種の精神的愉悦を感じるものです……ほら、たとえば、今ですよ、隅然がわたしに幸福を、典型的とも言える幸福をあたえてくれました。こうしてあなたと話し合い、あなたのこころよい話を楽しむことができるのですもの……」
「とんでもない、なにをおっしゃる、こころよい話だなんて?……ごみみたいな人間、それだけのことですよ」とチチコフは答えた。
「おお、パーヴェル・イワーノヴィチ、正直に言わせていただきますが、わたしはあなたのお持ちになっているもろもろの資質のほんの一部でも持つことができたら、喜んで財産の半分を投げ出すことでしょうよ!」
「とんでもない、わたしこそ、あなたをこのうえなくごりっぱな……」
そのとき給仕がはいってきて、食事のしたくができたことを告げなかったら、ふたりの友の思い入れたっぷりのほめ合いはどこまで行ったことやら、ちょっと見当もつくまい。
「では、どうぞあちらへ」とマニーロフは言った。「都の豪華な邸宅で出すような料理は、わたしどもではできませんが、その点はお許しください。わたしどもでは、ロシアのしきたりに従って、野菜汁《シチー》だけですが、でも心がこもっております。さあ、どうぞあちらへ」
ここでふたりはまた、だれが先にはいるかでしばらくもめたが、けっきょくチチコフが横向きのまま食堂へはいった。
食堂にはもうふたりの男の子が待っていた。マニーロフの息子《むすこ》たちで、まだ高い椅子にはすわれないが、それでも食卓につかせられる年ごろになっていた。そばに家庭教師が立っていて、微笑を浮かべていんぎんにおじぎをした。主婦は自分のスープ皿のまえにすわった。客は主人と主婦のあいだにすわらされた。給仕がこどもたちの首にナプキンを巻いてやった。
「なんてかわいらしい坊ちゃんたちでしょう」とチチコフはふたりの子どもを見て、言った。「おいくつになります?」
「上は八つで、下はきのう六つになったばかりですの」とマニーロフ夫人が答えた。
「フェミストクリユス!」とマニーロフは、給仕にナプキンであごまでいっしょにしばられて、なんとかあごを自由にしようともぞもぞしていた上の子に向かって、言った。
チチコフは、マニーロフがどういうつもりでつけたのかわからないが、語尾が「ユス」などというギリシアくさい名まえを耳にすると、すこしまゆをつり上げたが、しかしすぐに顔を平常の表情にもどした。
「フェミストクリユス、フランスでいちばん美しい都市は、どこか、言ってごらん?」
ここで教師は全神経をフェミストクリユスに集中した。そしていまにもその口の中へとびこんでいくかに見えたが、フェミストクリユスが、「パリ」と答えると、ようやくほっとして、よしよしというふうにうなずいた。
「じゃ、ロシアでいちばん美しい都市は?」とまたマニーロフはきいた。
教師はまた緊張した。
「ペテルブルグ」とフェミストクリユスは答えた。
「それから、もうひとつは?」
「モスクワ」とフェミストクリユスは答えた。
「おりこうですねえ、坊ちゃん!」とチチコフは言った。「それにしても、どうでしょう……」と彼はすぐにいささかおどろきの顔をマニーロフに向けて、つづけた。「こんな小さな年齢で、もうこんなに知識があるなんて! 正直に言いますが、きっとこのお子さんは大物になりますよ」
「おお、あなたはまだこの子を知らんのですよ」とマニーロフは答えた。「頭のめぐりのはやいことは、ほんとにおどろくほどです。この小さいほうのアルキードは、それほどはしっこくはありませんが、この子ときたら、いまがいたずらざかりで、こがね虫かかぶと虫でも見せつけようものなら、たちまち目がぎょろぎょろになって、もう夢中で、すぐにすっとんでってしまうんですよ。わたしはこれを外交官にしようと思ってるんです。フェミストクリユス」と彼はまた上の子のほうを向いて、つづけた。「大使になりたいか?」
「なりたい」とフェミストクリユスはパンをむしゃむしゃ噛《か》み、頭を左右にゆすりながら答えた。
そのときうしろに立っていた給仕が大使の鼻をふいてやった。そしてこれはまさに適切な処置だった。さもなければスープにかなりしたたかな余分な汁がたらりと落ちたにちがいないからである。食卓の話題はしずかな生活の喜びということについて展開しはじめ、ときどき市の劇場や俳優たちについての主婦の感想でたちきられた。家庭教師は極度に注意深く話し手たちに目を配っていて、彼らが笑いかけているのを認めるやいなや、たちまち口をあけて、熱心に笑った。どうやら、彼は感謝の念のあつい人間らしく、こうすることによって主人の好遇《こうぐう》に報いようとしたのであろう。しかし、一度彼はけわしい顔つきをして、向かいにすわっていたふたりのこどもをきっとにらんで、きびしく食卓をとんとんとたたいた。これはまさに適切な態度であった。というのはフェミストクリユスがアルキードの耳に噛みつき、アルキードは目をつぶり、口をあけて、世にもみじめな声をはり上げてまさに泣きだそうとしたからである、だがアルキードは、そんなことをしていたらスープを一皿まんまととられてしまうことに気がついて、口をもとの状態にもどし、涙をこぼしながら羊の骨をむしゃむしゃやりだした。そしてそのために両方のほっぺたがあぶらでてらてらになった。主婦はたえずチチコフを見て、 「さっぱり召し上がっていただけませんのね、そんなにすこししかお取りにならないで」と言った。チチコフはそのたびに、「ほんとうにありがとうございます、わたしはおなかがいっぱいです、楽しい話にまさる料理はありません」と答えた。
ようやく一同は食卓から立ち上がった。マニーロフはすっかり満足しきって、片手を客の背にまわしながら、そうして客を客間のほうへ案内しようとした。するとだしぬけに客は意味ありげな顔で、あるひじょうに重要な件で彼とお話をしたいと言った。
「それならどうぞわたしの書斎のほうへいらしていただきましょう」とマニーロフは言って、窓が青みをました森のほうに向いている小さな部屋へ案内した。「これがわたしの居室ですよ」とマニーロフは言った。
「気持ちのいい部屋ですね」とチチコフはひとわたり見まわして、言った。
部屋は、たしかに、気持ちのよいほうであった。壁はねずみ色に近い空色っぽい色で塗られ、椅子が四脚、ひじ掛け椅子が一脚、書卓がひとつおかれていて、その上にもうまえに述べたしおりをはさんだ本が一冊と、書きちらした紙が数枚のっていたが、それよりもいちばん目についたのはタバコだった。それはいろんなふうにしておいてあって、紙の袋にはいっているものもあれば、タバコ入れにはいっているものもあり、むきだしのまま書卓の上にちらかされているのもあった。二つの窓台にもパイプからほじり出した吸いがらのかたまりが、かなり気を配ったらしくひじょうにきれいな列に並べてあった。どうやら、ときどき主人はこんなことをして時間をつぶしているらしかった。
「どうぞそのひじ掛け椅子におかけください」とマニーロフは言った。「そのほうがゆったりできると思いますから」
「いいえ、おかまいなく、わたしはこちらの椅子にかけさせてもらいますから」
「いいえ、それはいけませんよ」とマニーロフは笑顔をつくりながら言った。「そのひじ掛け椅子は客用ときめてあるんですから、どうあってもかけていただかなくちゃ」
チチコフはすわった。
「どうぞ一服おつけになってください」
「いいえ、わたしはやりません」とチチコフはやさしく、いかにも残念そうに答えた。
「どうしてです?」とマニーロフもやさしく残念そうな顔をして言った。
「やらないんですよ。こわいんです。タバコを吸うとやせるって言うじゃありませんか」
「失礼ですが、それは偏見《へんけん》というものですね。わたしに言わせれば、パイプのほうがかぎタバコよりもずっと健康的ですよ。わたしたちの連隊に中尉がひとりおりましてね。じつにりっぱな、きわめて教養の高い人物でしたが、これがあなた、食卓ではむろんのこと、こんなことを言うのはなんですが、まあ、そのどんなところででも、パイプを口からはなしたことがありませんでした。その男がいまもう四十をこえていますが、いまだにこれ以上は望めないというほど、健康そのものなんですよ」
チチコフは、たしかにそういうことはあるもので、世の中にはどんな該博《がいはく》な知識をもってしても説明がつけられないようなことがままあるものだ、と認めた。
「ところで、ひとつお願いがあるのですが……」と彼はどことなく変なひびき、とはっきり言えないまでも、ほとんど変に聞こえるようなひびきのこもった声できりだした。そしてすぐにどういうわけかうしろへ目をやった。マニーロフもどういうわけかうしろを見た、「農奴の人口調査名簿〔政府が人頭税|賦課《ふか》の目的に七年〜十年に一度、地主に提出させた農奴の名簿。女とこどもは省かれた〕をお出しになったのは、もうかなりまえですか?」
「そう、もうだいぶになります。というよりは、もうおほえがないと言ったほうがいいくらいですよ」
「それ以来、たくさんの農奴が死にましたか?」
「さあ、それは、管理人にきかにゃわかりませんな。おい、だれかおらんか! 管理人を呼びなさい、きょうはここに来てるはずだ」
管理人があらわれた。それは四十近い男で、あごひげをそり、フロック・コートを着て、一見して、ひじょうにおだやかな暮らしをしていることがわかった。というのは顔がふっくらとまるく、黄色っぽいはだの色と小さな目は、羽根ぶとんや羽根枕の味を知りすぎるほど知っていることをものがたっていたからである。すべての地主邸の管理人たちのように、彼も自分の出世の階段をのぼりつめたことが、すぐにみてとれた。かつてはただの読み書きのできる小僧《こぞう》で、やがて夫人のお気に入りのアガーシカとやらいう女中頭と結婚し、自分も下男頭となり、そのうちに管理人におさまったというわけである。さて管理人になってからは、いうまでもなく、すべての管理人たちと同じようにふるまって、村で小金をもっている連中と親しく行き来し、貧乏人に重税を課し、朝は八時すぎにのこのこ起き出して、サモワールの沸くのを待って、のんびりと茶を飲むというふうである。
「ねえ、おまえ! 人口調査表を提出したときから、どのくらいの農奴が死んだかな?」
「どのくらいとおっしゃるんですか? あれ以来ずいぶんたくさん死にましたな」と管理人は言って、手でふたをするみたいに軽く口をおさえて、ひとつからせきをした。
「うん、実のところ、わたしもそう思うよ」とマニーロフが受けた。「たしかに、ずいぶんたくさん死んだよ!」ここで彼はチチコフのほうを見て、さらにつけくわえた。「たしかに、ずいぶんたくさん死にましたよ」
「それで、だいたい何人くらいです?」とチチコフはきいた。
「そう、何人ぐらいだね?」とマニーロフはつたえた。
「さあ、数ですか? 何人死んだか、わかりませんな。だれもかぞえていないので」
「うん、たしかにそのとおりですよ」とマニーロフはチチコフのほうへ顔を向けながら、言った。「わたしもたくさん死んでるとは思いますが、さて何人となると、かいもくわからんのですよ」
「きみ、それを調べてくれんかね」とチチコフは言った。「死亡者全員の詳細《しようさい》な名簿をつくってくれたまえ」
「そう、全員の名簿をな」とマニーロフは言った。管理人は、「かしこまりました!」と言って、――引きさがった。
「だが、どうしてそんなものが必要なのです?」と、管理人が出てゆくのを待って、マニーロフはきいた。
この問いは、どうやら客を困惑《こんわく》させたらしく、その顔になにかこう緊張した表情があらわれ、そのために顔が赤らんだほどだった。――それはなにか思うように言えぬことを言おうとする緊張であった。そして事実、マニーロフがついにきき出したのは、かつて一度も人間の耳が聞いたことがないような、世にも奇妙な、異常なことがらであった。
「どういう理由で、とおききですね? つまりこういうわけです。わたしは買いたいのですよ、その農奴を……」と言いかけて、チチコフは口ごもって、おしまいまで言えなかった。
「とおっしゃると」とマニーロフは言った。「つまり、農奴を買いたいということですが、それは土地といっしょにですか。それとも単に移住させるために、つまり土地とは別にですか?」
「いいえ、農奴を持ちたいというのじゃないんですよ。ぜんぜんちがうんです」とチチコフは言った。「わたしがほしいのは死んだ農奴なので……」
「なんですって? ごめんなさい……わたしすこし耳が遠いので、なにかいまじつに妙なことが聞こえたような気がしましたが……」
「わたしは実際には死んでるが、戸籍の上ではまだ生きてることになっている農奴を手に入れたいと思うのですよ」とチチコフは言った。
それを聞くと、マニーロフは吸い口をつけた長いキセルを床の上へとりおとし、ポカンと口をあけて、そのまま数分のあいだあいた口がふさがらなかった。友情にみちた生活の楽しさを論じ合ったふたりの友は、むかし鏡の両側に向き合いにかけられていた肖像画のように、互いに相手の目をみつめ合ったまま、ぽかんとしていた。やがてマニーロフは長いキセルをひろいあげながら、下から、じろりと相手の顔を見た。こちらをからかったのではないか、口もとに薄笑いが浮かんではいないか、見定めようとしたのだが、そのようないろはぜんぜん見えず――それどころかかえっていつもよりも厳粛にさえ思われた。そこでふと、客がなにかのはずみに不意に気がふれたのではないか、と思って、ぞーっとしてその顔を見まもったが、客の目はきれいに澄んでいた。そこには狂人の目の中にちらちら燃えている、あの粗暴な、不安な火はなかった。すべてが整然としていて、すこしのみだれもなかった。どういう態度をとり、なにをしたらいいのかと、マニーロフはさんざん思案したが、口の中にのこったけむりをひじょうに細い流れにしてはき出すこと以外に、なにも思いつくことができなかった。
「そこで、こういった実際には生きていないが、法的な形の上では土きている農奴を、売却なり譲渡《じようと》なり、あるいはあなたが好都合とお考えになる形式でおゆずりしていただくわけにはいかないでしょうか。いかがなものでしょう?」
だが、マニーロフはすっかりうろたえて、頭が完全に混乱してしまって、ただぼうぜんと目をみはっているばかりだった。
「どうやら、お困りのようですな?……」とチチコフは言った。
「わたしですか?……いいえ、そうじゃないのですが」とマニーロフは言った。「ただ、得心《とくしん》がいきませんで……ごめんなさい……わたしは、むろん、あなたのあらゆる動作に、いわばにじみ出ているような、そういう輝かしい教育は受けることができませんでしたし、高度の表現技術は身につけておりませんので……あるいは、この……いまあなたがおっしやられたことの中には……別な意味がかくされているのではないでしょうか……もしかしたら、ことばの美しさをあらわすためにこのような表現をなさったのではないでしょうか?」
「いいえ」とチチコフはおうむ返しにいった。「そうじゃありません、わたしは対象を率直に申し上げているのです。つまり実際にもう死んでしまった農奴たちのことです」
マニーロフはすっかり度を失ってしまった。彼はなにかしなければならない、なにか質問をしなければならない、と感じたが、どんな質問をしたらいいのか――とんと見当がつかなかった。そこでけっきょくは、またけむりをはき出すことでおわったが、ただ今度は口からではなく、ふくらませた鼻の穴からだった。
「では、もしさしつかえなかったら、さっそく登記証書の作成にかからせていただきたいのですが」とチチコフは言った。
「なんとおっしゃいます、死んだ農奴の登記証書ですと?」
「あ、それはむずかしいですね!」とチチコフは言った。「書面には生きているように書きましょう、実際に戸籍簿にあるように。わたしはいかなる場合も民法にそむかないというのがたてまえです。そのために勤めていたころはつらいめにもあいましたがね。ごめんなさい、つまらんことを言いだして。わたしにとって義務は神聖ですし、法律は――法律のまえにわたしは盲目ですよ」
この最後の数語にマニーロフはうれしそうにうなずいた。しかしかんじんの話そのものの意味はやはりなんとしてもつかめなかった。そこで返事のかわりにやけに強くパイプをすぱすぱやりだし、そのためにしまいにはまるでファゴットのようにかすれた音をたてはじめた。彼はこのような聞いたこともない奇妙な提案についての意見をパイプから吸い出そうと力んでいるかに見えたが、パイプはかすれたうなりしか発しなかった。
「どうやら、なにか疑っておいでのようですな?」
「おお! とんでもない、ちっとも。わたしが言ってるのは、そんな、なにか、つまり、あなたについての批判的な見方をもっているなんて、決してそんなことじゃないんです。でもこんなことを申し上げてはなんですが、この計画、いや、それよりはむしろ、いわば、商取引きといったほうがいいかもしれませんが、――この商取引きが民法の規定とロシアの将来の見通しに合致しないようなことになりはしないでしょうか?」
ここでマニーロフは、妙なぐあいに頭をうごかして、顔のあらゆる線とぐっと引き結んだくちびるにいかにも深遠な表情をあらわして、きわめて意味ありげにじっとチチコフの顔を見やった。このような表情は、どこかの聡明すぎるほどの大臣の、それもこのうえなく複雑な問題に直面したときの顔をのぞいては、人間の顔にはおそらく見ることができなかったろう。
ところがチチコフはあっさりと、このような計画あるいは商取引きが民法の規定とロシアの将来の見通しに合致しないというようなことにはぜったいにならない、と言ってのけた。そしてちょっと間《ま》をおいて、法定の税金を領収するのだから、国庫にはかえって利益になるだろうとつけくわえた。
「あなたはそうお思いですか?……」
「わたしは、よいことだと思いますね」
「そうですか。よいことなら、それは別問題です。わたしにべつに異論はありません」と言って、マニーロフはすっかり安心した。
「では、あとは値段の話し合いだけですね……」
「値段ですと?」とマニーロフは言うと、またことばのつぎほを失った。「いったいあなたは、ある意味においてその生存をおえた農奴のことでわたしが金をとるなんて、そんなふうにお考えですか? もしあなたの頭にこのような、いわば空想的な希望が生まれたのなら、わたしは喜んでそんなものは無慣でさしあげますよ。登記料もこっちが持ちましょう」
マニーロフの言ったこれらのことばを聞いて、客はかくしきれぬ満足をおぼえたということを言いおとしたら、このできごとの記録者は大いに叱責《しつせき》をこうむってもしかたがない。彼はおそろしく沈着で、分別のある男だったが、さすがにこのときは山羊《やぎ》みたいにぴょんぴょんこおどりするところだった。これは、周知のように、喜びの衝動がきわめて強烈なときにのみ起こる現象である。彼はひじ掛け椅子にかけたまま、いきなりからだをねじったので、クッションに張ってあった毛織りの布がぴりっと裂け、当のマニーロフもすこしけげんそうに彼を見やったほどだ。感謝の念に突き上げられて、彼はやたらとお礼のたけを並べたてたので、マニーロフはすっかり面くらって、まっかになり、頭を横にふって否定のジェスチュアをしていたが、しまいには、あんなものはなんでもありません、ほんとうは、あなたに心底から傾倒しているので、それをなにかで証明したいと思ったので、死んだ農奴なんて一種のごみみたいなものですよ、などと言った。
「ごみなんかであるものですか」とチチコフは彼の手をにぎりしめて、言った。ここで彼はひじょうに深い吐息《といき》をついた。彼はどうやら心情を吐露《とろ》したい気持ちにかられたらしかった。そしてついに思い入れよろしく、表情たっぷりにこんなことを言った。「あなたがこの、一見、ごみみたいなもので天涯孤独《てんがいこどく》のこのわたしにどれほどの大きな援助をしめされたか、おわかりいただけたらどれほどうれしいでしょう! そうですとも、わたしはこれまでどれほどの苦難に堪えてきたことでしょう! 狂暴な荒彼にもまれるみじめな小舟みたいに……どれほどの圧迫、どれほどの迫害をこうむったことか、どれほどの悲愁を味わわされたことか、それもなんのために? 正義を守ったためです。自分の良心に恥じなかったためです。あわれな寡婦《かふ》や不幸なみなし子に手をさしのべたためです!……」ここで彼はあふれでる涙をハンカチでふきさえした。
マニーロフはすっかり感動してしまった。ふたりの友はながいことかたく手をにぎり合って、ものも言わずじっと涙のにじんだ目を見合っていた。マニーロフはわが主人公の手をぜったいにはなそうとしないで、熱っぽくにぎりつづけていたので、こちらはもうどうして引きぬいたらいいか、わからなかった。ようやく、それをそっとぬきとると、彼は登記を早くすませるにこしたことがないから、もし市のほうへ出向いていただければこんなありがたいことはない、と言った。それから帽子をつかんで、別れのあいさつをはじめた。
「おや? もうお発《た》ちになるのですか?」とはっと気がついて、ぎょっとしたように、マニーロフは言った。
そのとき書斎にマニーロフ夫人がはいってきた。
「リーザニカ」とマニーロフはいくらかあわれっぽい顔をして言った。「パーヴェル・イワーノヴィチが、わたしたちをお見すてになるんだよ!」
「わたしたちに退屈なさったんですよ」とマニーロフ夫人は答えた。
「おくさん! ここです」とチチコフは言った。「ここ、ここですよ」こう言って彼は手を胸にあてた。「そうです、ここにあなた方とともにすごした楽しいひとときの思い出が永久にのこるでしょう! お信じになってください。あなた方とたとい一つ屋根の下でないまでも、すぐご近所に暮らすことができたら、わたしにとってこれにまさる幸福はないでしょう」
「そうですとも、パーヴェル・イワーノヴィチ」このような考えにすっかり感激して、マニーロフは言った。「そんなふうに、一つ屋根の下か、あるいは楡《にれ》の木陰に暮らして、論じ合ったり、瞑想《めいそう》にふけることができたら、ほんとうにどんなにすてきでしょう!……」
「おお! それこそ天国の生活といえるでしょう!」とチチコフはため息まじりに言った。「さようなら、おくさん!」彼はマニーロフ夫人のさし出した小さな手をおしいただいて、つづけた。「さようなら、敬愛するわが友! わたしの頼みを忘れないでください!」
「おお、ごしんぱいなく!」とマニーロフは答えた。「わたしはふつか以上はあなたとはなれていませんよ」
一同は食堂へ出ていった。
「さようならかわいい坊っちゃんたち!」とチチコフは、もう片手と鼻がもげている木の驃騎《ひょうき》兵人形をいたずらしていたアルキードとフェミストクリユスを見ると、言った。「さようなら、ちびくんたち。ごめんね、おみやげを持ってこないで。でもおじさんは、実を言うと、きみたちがこの世にいることさえ知らなかったんだよ、今度来るときは、きっと持ってきてあげるからね。きみにはサーベルをあげよう。サーベルがほしいかい?」
「ほしいよ」とフェミストクリユスが答えた。
「きみには大鼓《たいこ》だ、そうだろう、太鼓だね?」と彼はアルキードのほうへかがんで、つづけた。
「うん、ターコ」とアルキードはうつむいて、小声で答えた。
「よし、太鼓を持ってきてあげよう。すてきな太鼓だぞ、そらこんなふうに鳴るんだ。トラルルル……ルウ……トラ・タ・タ、タ・タ・タ……さようなら、ちびくん! さようなら!」こう言ってアルキードのおでこに接吻すると、彼はマニーロフと夫人を見てにこっと笑った。それは両親に向かって、こどもたちの望みはほんとに無邪気ですねという微笑だった。
「こりゃいかん、お泊まりになったほうがいいですよ。パーヴェル・イワーノヴィチ!」もう一同が玄関へ出てから、マニーロフは言った。「ごらんなさい、あの黒い雲」
「なに、たいしたことはありませんよ」とチチコフは答えた。
「そうそう、サバケーヴィチのところへ行く道をご存じですか?」
「それをあなたにおききしようと思ってたんですよ」
「じゃ、いまあなたの馭者におしえますから」そこでマニーロフは最大級に親切に馭者に道順をおしえて、一度など馭者に|あなた《ヽヽヽ》と言ったほどだった。
馭者は、曲がり角を二つそのまま通りこして、三つめを曲がるということを耳におさめると、「おせわになりました。だんなさま」と礼を言った。そしてチチコフはいつまでもおじぎをしたり、つまさき立ちでハンカチを振ったりしている主人たちに見送られて、出立した。
マニーロフはながいこと玄関の階段の上に立って、遠ざかってゆく軽四輪馬車を見送っていた。そして、もうすっかり見えなくなってからも、まだパイプをくゆらしながら、たたずんでいた。やがて、ようやく自室へもどると、椅子にすわって、客にいささかなりと満足をあたえたことを心の中で喜びながら、瞑想にしずんだ。そのうちに彼の思索はいつとはなしに他の対象へ移り、しまいにはとほうもないところへ飛躍していった。彼は友情にみたされた生活の幸福を考え、友といっしょにどこかの川の岸辺に暮らしたらどんなにいいだろうなどと考えているうちに、やがてその川に橋をかけ、宏壮な邸宅を建て、モスクワさえ望めるほどの高い塔をつくり、毎夜その塔の上で茶を飲みながら、いろんな楽しい話題について論じ合うところまで飛躍してしまった。それから、チチコフといっしょに豪奢《ごうしや》な箱馬車にのってどこかの社交界に行き、そこであざやかな応待ぶりで一同を魅惑してしまう。そのうちにこのような美しいふたりの友情が皇帝の知るところとなったらしく、ふたりは奏任官に叙《じよ》せられる。そしてさらに、いよいよ空想のつばさは飛翔《ひしよう》をかさねて、しまいにはなにがどうなっているのやら、自分でもさっぱり見きわめがつかなくなってしまった。チチコフの奇妙な頼みが不意に彼の空想をたち切った。どう考えてみても、それはどういうものか彼の頭の中になま煮えのままのこっていた。どうひねくりまわしてみても、どうにも説明がつかず、彼はじっとすわって、やたらにパイプをふかすばかりで、そのまま晩飯時まで考えこんでいた。
[#改ページ]
第三章
いっぽうチチコフはすっかりいい気持ちになって、もう先ほどから里程標のある本街道を突っ走っている軽四輪馬車にゆられていた。彼の趣味と傾向の主たる対象がなににあったかは、前章ですでに明らかであろうから、彼がまもなく身も魂もあげてそれに沈みこんでしまったからといって、べつにおどろくにはあたらない。彼の顔をさまよっていた予想、見込み、そして考慮は、たえず満足げなほくそえみの跡を背後《はいご》にのこしてゆくところを見ても、ひじょうにこころよいものであったことは明らかである。それに没頭していたから、彼は、マニーロフ家の召使たちの親切にすっかり満足しきった馭者が、右側につけられた斑毛《ぶち》の副《そえ》馬に対してじつに適切な叱言《こごと》をあたえたことに、ぜんぜん気がつかなかった。まん中の黒馬《あお》と、ある議員からゆずられたので、議員という名をつけられている左側の栗毛が、目に満足そうな表情さえ浮かべて、いっしょうけんめいに力を出しきっているのに、この斑毛《ぶち》の右馬ときたらひどくずるいやつで、ただひいているようなふりをしているだけだった。
「ずるをやれ、こすいやつめ! そら、おれのほうがおめえよりもっとずるいぞ!」とセリファンは腰を浮かし、ずるけ馬にぴしっと鞭《むち》をくれて、言った。「われがしごとを忘れるでねえ、このドイツのさるまため! 黒馬《あお》は――いい馬だ。ちゃんとわれがつとめを果たしている、やつに餌料《えさ》をよけいにやるのは、やつがよくはたらくからだ。議員もいい馬だ……こら、こいつめ! なんで耳を振りやがんだ? こら、ばかめ、人が話してるときは、聞くもんだ! 無作法ものめが、おれのおしえることがきけねえのか。おい、こらどこへ行く!」ここで彼はまた鞭《むち》をびしっとあてて、どなりつけた。「ウッ、この野蛮人! いまいましいナポレオンめ!……」つづいて馬たち全部に声をかけた。「えい、野郎ども、しっかりやれ!」そして三頭にひとわたり鞭を入れたが、それは罰としてではなく、満足していることを示すためだった。このように満足していることを知らせておいて、彼はまた斑《ぶち》毛に説教をたれはじめた。「われぁ、そんなずるがかくしおおせると思ってるだか。いんにゃ、ほめてもれえてえと思ったら、正直に生きることだ。ほら、いまおれたちが行ったあの地主さまんとこは、みんないい人たちだ。いい人間となら、おれは喜んで話するよ。いい人間となら、いつだって友だちになれる、気が許せるからな。いい人間となら、喜んでお茶も飲むし、飯も食う。いい人間にはだれだって頭を下げるんだ。うちのだんなを見ろ、だれだってうやまうじゃねえか。それはな、いいか、だんながりっぱにお上《かみ》にご奉公したからだ。だんなは六等官さまなんだぞ……」
こんな説教をたれているうちに、セリファンはしまいに途法もなく遠い現実ばなれしたところに迷いこんでしまった。もしチチコフが注意して聞いていたら、彼個人の内輪に関するいろんなこまごましたことを知ったであろう。ところが彼の考えは自分の対象にすっかり忙殺《ぼうさつ》されていて、強い雷鳴がひとつとどろいてはじめて、はっとして、あたりを見まわしたのだった。空はいちめんに黒雲におおわれて、街道は大粒の雨滴《うてき》にうたれてほこりがぱっぱっとたっていた。しばらくするとまた雷鳴がもっと近くで、もっと大きく鳴りわたった。そして雨がいきなりバケツをぶちまけたように降りだした。はじめは、横なぐりにきて、車体の片側をたたいたが、ついで反対側をたたき、そのうちに、攻撃法を変えて、完全に垂直落下となり、馬車の屋根をまっすぐにはげしくたたいた。しぶきがついに彼の顔にまでかかりだした。そこで彼はやむなく、道中のけしきを見るための丸窓が二つついた皮の幌《ほろ》をしっかりおろすと、セリファンに早くやるように命じた。これも説教の途中でたち切られたセリファンは、こりゃたしかに、ぐずぐずしてはおれぬとさとって、やにわに馭者台の下からなにやらねずみ色の羅紗《らしや》でできたボロをひっぱり出し、それにそでを通すと、両手で手綱《たづな》をひっつかみざま、説教でこころよい疲れを感じてか、のろのろあしをはこんでいた三頭の馬に、はげしく気合いをかけた。だがセリファンは、曲がり角を二つこえたか三つこえたか、どうしても思い出すことができなかった。いろいろと思い合わせて、通ってきた道のことがところどころ思い出されてみると、彼は通過した曲がり角がたくさんあったことに思いあたった。ロシア人というものは決定的瞬間になると、先のことなどろくに考えずに、いきなりとびこんでゆくものだが、彼もその例にもれず、最初の十字路を右へ曲がると、「えい、野郎ども、それ行けぇ!」と叫んだ、――そしてその道がどこへ行くかなど、ちっとも考えずに、まっしぐらに馬をかりたてた。
雨は、しかし、いっこうにやみそうもなかった。路上につもっていた土ぼこりはたちまちぬかるみに変わって、馬は一歩ごとに馬車をひくのが困難になった。チチコフはこんなにながくサバケーヴィチの村が見えないので、そろそろ不安になりだした。彼の計算では、もうとうに着いていなければならぬはずだった。あたりへ目をやってみたが、墨を流したような暗闇で、鼻をつままれてもわからぬほどである。
「セリファン!」と彼はついにたまりかねて馬車から顔を突き出すと、言った。
「なんです、だんな?」とセリファンは答えた。
「見てみい、村は見えんか?」
「いいや、だんな、どこにも見えねえだよ!」
そう言うとセリファンは、鞭《むち》を振りながら、歌ともつかぬ、なにやらまとまりのない長ったらしいものをうなりだした。その長ったらしいものには、ロシアじゅうに、どんな片田舎にも、馬をはげましたり、かりたてたりするときに聞かれるあらゆる種類のかけ声がふくまれていた。べつに選択するわけでもなく、思い浮かぶままに、口から出まかせに歌いまくるのである。そのうちに、すっかり調子づいてしまって、馬どもを秘書官などと呼ぶにいたった。
いっぽうチチコフは、馬車が四方へゆれて、何度かいきなり車体にぶっつけられたのに気づいた。それが彼に、馬車が道からそれて、すきおこされた畑の中を走っているにちがいない、と感じさせた。セリファンは自分でもそれに気づいたらしかったが、そんなことはそぶりにも出さなかった。
「おい、この悪党め、どんな道を走ってるんだ?」とチチコフは言った。
「でもだんな、どうにもしょうがねえだよ。こんな時刻だし、鞭の先も見えねえような、このまっ暗闇だ!」こう言ったとたんに、馬車がはげしく傾いて、チチコフは両手でやっとつかまった。ここではじめて彼は、セリファンが酔っているのに気がついた。
「おい、おさえろ、おさえろ、ひっくりかえるぞ!」とチチコフは叫んだ。
「なあに、だんな、おれがひっくりかえしたりなんぞ、するもんかね」とセリファンは言った。
「ひっくりかえすなあ、よくねえ、そりゃもう百も承知だ。決してひっくりかえしたりなぞしねえって」
ついで彼はすこしずつ馬車の向きを変えはじめた。そしてあっちへまわし、こっちへまわしているうちに、とうとう馬車をすっかり横倒しにしてしまった。チチコフは、どろの中に四つんばいにつんのめった。セリファンは、それでも、馬をとめた。しかし、馬はへとへとに疲れきっていたので、ほうっておいてもとまったはずである。このような予期せぬ事態に彼はすっかりあわてふためいてしまった。彼は馭者台からはいおりると、両手を腰にあてたまま、ぽかんと馬車のまえにつっ立って、はい出そうとしてけんめいにどろの中でもがいているだんなをながめていた。そしてややしばらく頭をひねっていたが、「いやあ、ひっくりかえりやがったなあ!」とぼそりと言った。
「きさま酔っぱらっているんだな、靴屋みたいに!」とチチコフはどなった。
「いんにゃ、だんな、酔っぱらってるなんて、とんでもねえ! 酔っぱらうのはよくねえことだってことくらい承知してるだよ。友だちとちょっくら話をして、だっていい人間と話をすることはさしつけえねえし、べつになんにもわるいことはねえだで、そしてちょっくらさかなをつまんだだけで。さかなをつまむのはべつに恥ずかしいことでもねえし、いい人間とならさかなをつまんでもさしつけえねえだでな」
「このまえきさまが飲んだくれたとき、わしがなんと言った? あ? 忘れたのか?」とチチコフは言った。
「いんにゃ、だんなさま、どうして忘れるだかね。わしゃあ自分のつとめはちゃんとわきまえてるだよ。酒を飲むのがよくねえくらいは、ちゃんと承知してるだよ。いい人間とちょっくら話をしただけで、だって……」
「よし、いまからきさまをたたきのめして、いい人間とどんなふうに話をするものか、思い知らしてやる!」
「だんなのお好きなようにしてくだされ」とセリファンは観念して答えた。「たたきのめすなら、たたきのめしなせえ、わしゃあ決してさからわねえ。理由があるなら、べつに遠慮するこたぁねえ、たたきなせえ、そりゃだんなの自由ってもんだ。たたくってこたぁ必要なことだ、さもねえと百姓がつけ上がる。秩序ってものはまもらなきゃならねえ。理由があるんだら、さ、たたきのめしなせえ、なんでたたかねえんで?」
こうつべこべ並べたてられると、だんなはなんと答えたものやら、すっかり返答に窮《きゆう》してしまった。ところがそのとき、運命のほうがやきもきして彼らにあわれみをたれてくれたのか、遠くで犬のほえ声が聞こえた。チチコフは喜んで、馬をかりたてるように言いつけた。ロシアの馭者というものは目のかわりに、よくきく勘をもっている。だから、よくあることだが、目をつぶったまま、ときには全速力で走らせてもかならずどこかへは着くのである。セリファンは、まっ暗でなにも見えなかったが、馬をまっすぐに村の方角へ向けた。そして馬車の轅《ながえ》が柵《さく》にぶつかって、もうそれ以上どこへも進みようがなくなって、はじめて停止したのだった。
チチコフはしのつく雨の濃い幕をすかして、やっとどうやら屋根らしいものを認めた。彼はセリファンを門をさがしにやったが、しかしこれはもしロシアに門番のかわりに猛犬《もうけん》というものがなかったら、さがしあぐねてながいことうろうろしていたであろうことは、まずまちがいない。猛犬どもがものすごいほえ声で彼の接近をつたえたので、彼は思わず指を耳の穴につっこんだ。小さな窓に明りがともって、おぼろな流れとなってかろうじて柵《さく》までとどき、わが旅人たちに門の所在を示した。セリファンは門をたたきはじめた。するとまもなく、小さな耳門《くぐり》が開いて、粗|羅紗《らしや》の、百姓外套をすっぽりかぶった男とも女ともわからぬ姿がぬっと外をのぞいた。そして、だんなと馭者はしゃがれた老婆の声を聞きとった。
「だれだね、たたいてるのは? なにを騒いでるんだね?」
「旅の者です、おばあさん、一晩泊めてください」とチチコフが言った。
「おやまあ、えらい足まめな」と老婆は言った。「こんな夜分に来るとは! ここは宿屋じゃないよ、女地主の邸《やしき》だよ」
「どうしようもなかったんだよ、おばあさん、道に迷ってしまって。こんな晩に野原で夜あかしもできないし」
「そうだよ、まっ暗いし、おまけにこの雨だ」とセリファンがつけたした。
「黙っとれ、ばかもの」とチチコフは叱った。
「して、あんたは何者だね?」と老婆は言った。
「貴族ですよ、おばあさん」
貴族ということばが老婆をいくらか思案させたらしかった。
「待ちなさい、いまおくさんにうかがってみるから」老婆はそう言いのこして立ち去ったが、二分ほどすると今度は角灯を下げてもどってきた。
門があけられた。別な窓にも明りがついた。馬車は、庭へはいると、小さな家のまえにとまった。家の構えは暗くてよく見えなかった。片面だけが窓からもれる明りに照らされていた。またその同じ明りがまともにおちているので、家のまえの水たまりも見えた。雨が板屋根を音高くたたき、うるさい流れとなって下におかれた樽《たる》へ落下していた。そのあいだ犬どもは思い思いの声ではげしくほえたてていた。ある犬は、まるでそれによってなにやらすてきなごほうびでももらっているように、天を向いて、息のつづくかぎり、いっしょうけんめいにほえていた。またある犬は、まるでお寺の小僧のように、すぐにそのまねをしてほえた。それにまじって、まるで郵便馬車の鈴の音のように、子犬らしいうるさい最高音部がひびいた。そしてそれらすべてが最後に老犬らしいバスによってまとめ上げられた。この老犬はよほどたくましい犬の血統を、受けついだやつと見えて、コンサートが最高潮にたっしたとき、バスの最低音部の歌手がうなると同じように、うなって合唱をひきしめた。テノールのやつらが高い調子を出そうとやっきとなってつまさき立ちでのび上がり、頭をのけぞらして、いまにもとび上がりそうなようすを示す。ところがこのバスひとり、いや一匹だけは、ひげだらけのあごをえり飾りの中にひきしめ、どっしりと腰をおちつけ、ほとんど地面に伏せるようにして、その低い姿勢から窓ガラスがびりびり鳴るほどの自分の低音をはなつのである。こうした歌手たちから構成される犬の合唱を聞いただけで、この村が相当な村だということが想像された。
しかしずぶぬれになって、すっかりひえきったわが主人公は、ベッドにもぐること以外、なにも考えなかった。まだ馬車がすっかりとまりきらないうちに、彼はもう入り口の階段へとびおり、よろめいて、あぶなくころびかけた。玄関にはまた別な女が出てきたが、これはさっきの老婆よりはいくらか若いが、ひじょうによく似ていた。この女が彼を部屋へ案内した。チチコフはチラチラと二度、目をはしらせた。部屋は古めかしいしま模様の壁紙が、張りめぐらされており、なにかの鳥を描いた絵がかかっていた。窓のあいだに葉を巻いた形の黒ずんだ枠《わく》にはまった鏡がかかっていたが、そのうしろには手紙だの、古いカルタだの、くつしただのが押しこまれていた。文字盤に花模様の描かれた柱時計……それ以上は何も目にはいらなかった。彼はまるでだれかにまぶたに蜜を塗られたみたいに、目がねばっこくはりついたのを感じた。
一分ほどすると主婦がはいってきた。初老の婦人で、急いでかぶったらしい室内帽で頭をつつみ、フランネルのショールを首にかけていた。不作や災害にあったりするとおいおい泣き、いつも心配そうに頭をちょっと傾けているくせに、タンスのあちこちのひき出しに分けてしまってあるしまもめんの袋にはけっこう小金をためこんでいるような、ありふれた女地主のひとりだった。ちょっと見ただけでは、タンスの中に下着や、ナイトガウンや、糸束や、ほころびた女ものの外套、――これはいずれいろんな詰めものをしたお祭り用のピロシキを揚げるとき、うっかり古い服に焼け焦《こ》げをつくったり、あるいはひとりでにぼろぼろになったりすると、服に仕立てかえされるのである――などのほかはなにもないように見えるが、その実一つの袋には一ルーブリ銀貨、二つめには五十コペイカ銀貨、三つ目には二十五コペイカ銀貨というぐあいに分けてかくしてあるのである。ところが、古い服に焼け焦げもできなければ、ひとりでにぼろぼろにもならないと、ばあさんはしまりやだから、外套はほころびたまま長くしまっておかれて、後に遺言によって他のあらゆるがらくたといっしょに復従妹《またいとこ》の姪《めい》あたりの手にわたることになるのである。
チチコフは突然じゃまをして迷惑をかけたことをわびた。
「なんの、なんの」と主婦は言った。「それにしても、とんだ晩にお見えになりましたもので! ほんとにひどい嵐でした……こんな中をいらしたのですから、さぞなにか召し上がりたいでしょうが、なにぶんにも夜ふけで、したくができないものですから」
主婦のことばはシューッという奇妙な音にたち切られた。チチコフはぎょっとした。それは部屋じゅうを無数の蛇《へび》がはいまわっているような音であった。けれども、上を見ると、彼は安心した。柱時計が勇んで鳴りだそうとしているのだ、とわかったからである。シューッという音が鳴りおわらぬうちに、すぐに、ギーッという油の切れたような音がつづき、そしてようやく、ありったけの力をふりしぼって、まるでだれかが棒で割れ鍋《なべ》をたたいたような音をたてて、二時をうった。そしてうちおわると、振り子はまたおだやかにかちかちと左右にゆれはじめた。
チチコフは主婦に礼を述べると、なにもほしくないから、心配しないでほしい、ベッドのほかはなにもいらないと言った。そしてここはどのへんにあたるのか、サバケーヴィチという地主の村はここからどのくらいはなれているか、それだけをきかせてほしいと頼んだ。するとそれに対して老婆は、そういう名は聞いたこともないし、そういう地主はぜんぜんいない、と答えたのだった。
「じゃ、すくなくともマニーロフはご存じでしょう?」とチチコフは言った。
「へえ、マニーロフってどういうおかたで?」
「地主ですよ、おくさん」
「いいえ、聞いたことがありません。そんな地主はおりませんな」
「じゃどんな地主がいます?」
「ボブロフ、スヴィニイン、カナパーチェフ、ハルパーキン、トレパーキン、プレシャコフという人たちですね」
「裕福《ゆうふく》な人たちですか?」
「いいえ、あなた、裕福な地主なんておりませんよ。せいぜい農奴が二十人か、三十人です。百人から持ってるなんてそんな地主はおりませんよ」
チチコフはかなりの草深い田舎《いなか》に迷いこんだことを知った。
「では、市まではどのくらいあります?」
「さあ、六十露里くらいもありましょうかね。ほんとにお気のどくですわ、なにも召し上がるものがなくて! なんでしたら、お茶でもさし上げましょうか?」
「ありがとう、おくさん。ベッドのほか、なにもいりませんから」
「そうね、こんな中をはるばる来たんですもの、ゆっくり休息をとらなくちゃ。ここの、このソファに横になりなさいな。これ、フェチニヤ、羽根ぶとんと、羽根|枕《まくら》と、シーツを持っておいで。ほんとにひどい荒れようで、雷さまがあばれて――わたしは夜じゅう聖像のまえにお灯明を上げていたんですよ。おや、まあ、おまえさんたら、まるで野豚みたいに、背中も脇腹もどろだらけじゃありませんか! どこでそんなによごしたんです?」
「よごれたくらいですんだから、ありがたいようなものですよ。さもないと、あばら骨をすっかり折ってしまうところでしたよ」
「おやおや、そりゃとんだ災難でした! なにか背中に塗り薬はいりませんか?」
「ありがとう、ありがとう。だいじょうぶです。ただ女中さんにわたしの服をかわかして、ブラシをかけるように言ってください」
「わかったかね、フェチニヤ!」と主婦は、さっきローソクを持って玄関へ出てきたあの女のほうを向いて言った。彼女は羽根ぶとんを部屋へはこんできて、それを両側からぱっぱっとたたいてふくらまし、部屋じゅうに羽根くずをまきちらしたところだった。
「お客さまの外套とお召しものをあちらへ持っていって、亡くなっただんなさまのをよくやってあげたように、まず火でじゅうぶんにかわかして、それからよくたたきながら、しっかりこするんだよ」
「はいはい、おくさま!」フェチニヤは羽根ぶとんの上にシーツをかけて、枕をおきながら言った。
「さあ、寝床のしたくができましたよ」と主婦は言った。「では、ゆっくりお休みくださいな。それからもうなにかご用はありません? きっと、おまえさん、寝るまえにだれかにかかとをかかせる癖がついているんでしょう? 亡くなった主人はそうしてやらないとどうしても寝つかれなかったんですよ」
しかし客はかかとをかいてもらうこともことわった。主婦が出てゆくと、彼はそれを待っていたように急いで服をぬぐと、上着から下着まで、身からはぎとったすべての衣類をフェチニヤにわたした。フェチニヤも、おやすみなさいを言うと、それらのぬれた衣類をかかえて出ていった。ひとりになると、彼はほとんど天井にとどくほどにふんわりとふくれた寝床を、さも満足そうに見やった。フェチニヤは、見てのとおり、羽根ぶとんをふくらますことの名人であった。彼が椅子を踏み台にして、寝床の上にはい上がると、寝床はその重みでほとんど床につくほどに沈み、限界まで押しつけられてはみでた羽毛が、部屋じゅうに舞いちった。ローソクを消すと、彼は、更紗《さらさ》の夜具にくるまり、ひざを抱いてまるまって、すぐに眠りにおちてしまった。
あくる朝彼が目をさましたのは、もうかなりおそくなってからだった。陽光が窓ごしにまぶしく彼の目をさした。そして昨夜は壁や天井におとなしく眠っていたはえの群れが、うるさく彼におそいかかった。一匹は彼のくちびるにたかり、もう一匹は耳にたかり、もう一匹は目にとまろうとねらったらしいが、そそっかしいやつで鼻の穴の入り口近くにとまってしまった。ところが彼がうつらうつらしながらそれを吸いこんだからたまらない、思わず大きなくしゃみをした。――これが彼の目ざめの原因となった事情である。室内を見まわして、彼ははじめて額の絵が鳥ばかりでなかったことに気がついた。それらのあいだにはクトゥーゾフ〔公爵ミハイル・イラリオノヴィチ・クトゥーゾフ〔アレクサンドル一世時代の元帥で、一八一二年の祖国戦争でナポレオン軍を敗退させた名将〕の肖像画と、パーヴェル・ペトローヴィチ帝時代に流行したそで口の折り返しの赤い制服を着たどこやらの老人の油絵がかかっていた。柱時計がまたシューッという奇音をはなって、十時をうった。扉口から女の顔がちらとのぞいて、あわててひっこんだ。というのはチチコフがもっとゆっくり寝ようと思って、すっ裸になったからである。のぞいた顔が彼には、どこかで見たことがあるように思われた。あれはだれだったか、彼はしきりに思い出そうとつとめた。そしてやっと、この家の主婦であることに思いあたった。彼は、もうかわいてきれいに手入れされて、そばにおかれてあったシャツや服にそでを通した。服を着おわると、彼は鏡のまえに行ったが、ここでまたひとつ猛烈なくしゃみをした。その音があまりにものすごかったので、ちょうどそのとき窓の外へよってきた一羽の七面鳥が――窓は地面にひじょうに近かった――いきなりひどい早口でなにやらわけのわからんことを彼に話しかけた。おそらく、あら、おかぜを召さないでとでも言ったのであろう。それに対してチチコフはあほうとどなった。彼は窓に近づいて、目のまえにひらけた光景をながめはじめた。窓から見たところは、まるで鶏舎《けいしや》のようであった。すくなくとも目のまえに展開した狭苦しい庭には、いちめんに鶏やさまざまな家禽《かきん》が群がっていた、牝鶏《めんどう》と七面鳥はかぞえきれぬほどだった。そのあいだを一羽の雄鶏《おんどう》がゆうゆうとした足どりで、とさかを振り、まるでなにかに聞き耳をたてるように頭をちょっとかしげながら、歩きまわっていた。子豚たちをつれた親豚もいた。その親豚は、ごみのやまをひっかきまわしながら、ついうっかりひよこを一羽食べてしまったが、それに気づかないで、やはり自分のペースですいかのかわをがつがつとむさぼりつづけていた。
この小さな庭、というよりは、鶏舎は板塀でかこわれていて、その向こうにはキャベツや、ねぎや、じゃがいもや、てんさいや、その他の野菜頽の菜園がひろびろとつづいていた。菜園の中にはところどころりんごその他の果樹が植えてあって、かささぎや雀を防ぐ網がかけられていた。とくに雀は横なぐりに流れる黒雲のように群れをなしてつぎからつぎへと渡り歩いていた。それだからこそ、あちこちに長い竿の先に両手をひろげて通せんぼをした案山子《かかし》が立てられていたのである。そして案山子のひとつは主婦のずきんをかぶっていた。菜園の向こうには百姓家がつづいていた。そしてそれらの家々はばらばらにちらばっていて、きちんとした通りを形作ってはいなかったが、チチコフの観察したところでは、暮らし向きはかなりよさそうであった。というのはどの家もちゃんと手入れがゆきとどいていたからである。いたるところ屋根のくさった板は新しいのにふきかえられていたし、ひん曲がったような門はどこにもなかったし、それに門にくっついた納屋《なや》にはほとんど新しいような予備の荷馬車が、家によっては二台も立てかけてあるのが見えた。
「ほう、このばあさんの村もまんざら捨てたものでもないぞ!」と彼はひとりごとを言って、即座に主婦と話し合って、もっと親密になることをきめた。彼は主婦が顔を突き出しかけたあの扉のすき間《ま》から、ちょいとのぞいてみた。そして彼女が茶卓のまえにすわっているのを見ると、にこやかな笑顔をつくりながらそちらへはいっていった。
「おはようございます。いかがです、よくおやすみになれましたか?」と主婦は椅子から立ち上がりながら、言った。彼女は昨夜よりもいい服装をしていた。――黒っぽい衣装をつけて、昨夜のような寝室用の室内帽はもうかぶっていなかったが、それでも首にはやはりなにやらあやしげなものを巻いていた。
「ええ、ぐっすり眠りました」とチチコフはひじ掛け椅子にすわりながら言った。「あなたはいかがでした、おくさん?」
「それが、よく眠れなかったのですよ」
「どうしたんです?」
「不眠症なんですよ。腰が痛んで、あしの、このひざ頭のすこし上のところが、割れるみたいにずきずきうずいて」
「直りますよ、じき直りますよ、おくさん。そんなもの気にすることはありませんよ」
「直ってくれるといいんですがねえ。わたしは豚のあぶらをすりこんでみましたし、テレピン油も塗ってみたんですがねえ。して、お茶うけはなににいたします? このびんには果実酒がはいっておりますが」
「わるくないですな、おくさん、果実酒もいただきましょう」
読者は、チチコフが、やさしい笑顔はくずさないが、しかし、マニーロフのときよりはずっとくだけた話しぶりで、すこしもかた苦しさがないことに、すでに気づかれたことと思う。一言ことわっておかなければならないが、わがロシアではよしんばなにか他の点で外国人にまだかなわないところがあるにしても、応待の巧妙さでははるかに彼らを追いぬいているのである。わがロシア人の応待のさまざまなニュアンスやデリカシイのことごとくをあげつらねることは、とうてい不可能である。フランス人やドイツ人では、それらすべての特殊性と差異は永久に理解できまい。彼らは百万長者とも、ちっぽけな煙草屋の親父とも、ほとんど同じような声で、同じようなことばをつかって話す。もっとも、前者に向かっては内心米つきばったみたいにぺこぺこしているにちがいないのだが。わがロシアではそれとはちがう。わがロシアにはじつにたいした役者たちがそろっていて、農奴二百人を持っている地主と、農奴三百人を持っている地主とでは、すっかりちがった話し方をし、また三百人の地主と、五百人の地主とでは、またその話し方を変え、五百人の地主と、八百人の地主とでは、またその話し方がちがうというふうに、みごとな使い分けをやってのける――要するに、こう順ぐりに百万長者まで行っても、つねにそこにはそれなりの微細なニュアンスがあるのである。
たとえば、ここに一つの事務局があるとしよう。いやここではない、遠い遠い国のことだ。ところでその事務局には、局長がいるとする。まあ、部下たちのまえにすわっているときの、彼の姿を見ていただこう――まさに、そのおそろしいことといったら、うっかり口もきけないほどだ! 威厳、気品、その顔にはあらゆるものがあらわれている! 絵筆をとって描けば、プロメテウス〔ギリシア神話の神。ねんどで人間をつくり、それに生命と幸福をあたえるために天から火をぬすんで、その罰として主神ゼウスにコーカサスの山の岸壁に鉄鎖でしばられ、荒鷲におそわれながら苦悩にたえた英雄 〕だ。まさにプロメテウスそのものだ! 鷲《わし》のようにあたりをへいげいしながら、よどみなくゆうゆうと歩きまわる。ところがその同じ鷲が、一歩部屋を出て、上司の部屋へ近づくと、とたんにまるで|しゃこ《ヽヽヽ》みたいなちょこちょこ歩きになって、書類を小脇にしっかりとかかえてあたふたとすっとんでゆくのだ。社交界や夜会に出ても、みんなが自分以下の者ばかりだと、プロメテウスはそのままプロメテウスの威厳をたもつが、すこしでも位の上の者がいると、プロメテウスはたちまちオウィディウス〔古代ローマの詩人、「転身物語」で人間の木や花や動物への奇蹟的変身をうたった〕も考えつかないような変化を起こしてしまう。はえだ、いやはえよりももっと小さい、砂粒くらいにちぢこまってしまうのだ!
「いや、あれはイワン・ペトローヴィチじゃないよ」と彼を見て、人々は言う。「イワン・ペトローヴィチならもっと背が高いが、あれは小さいし、それにやせっぽちだ。彼ならバスで、大声で話すし、ぜったいに笑わないが、あいつはなんだい、小鳥みたいにピイピイさえずって、のべつにやにや笑ってばかりいやがる」ところがそばへよって、見ると――まさにイワン・ペトローヴィチだ!「エヘ、ヘ!」なんてことだ……だが、それはともかく、登場人物のほうへもどろう。チチコフは、すでにわれわれが見たように、ぜんぜんかた苦しく構えないことに決めた。そこで茶わんを手にとると、そこへ果実酒をたらして、こうきりだした。
「おくさん、いい村をお持ちですなあ。農奴は何人くらいです?」
「農奴は、まあ八十人くらいでしょうか」と主婦は言った。「でも困ったことに、ここずうっと、天候に恵まれないで、去年なんかそりゃひどい不作で、ほんとに泣かされましたよ」
「でも、百姓たちは見たところ頑丈《がんじよう》だし、家もしっかりしてるじゃありませんか。ところで、お名まえをお聞かせくださいな。すっかりうっかりしていて……夜分に、うかがったものですから……」
「コローボチカと申します、十等官の後家《ごけ》ですよ」
「ほんとにありがとうございました。で、お名まえとご父称は?」
「ナスターシャ・ペトローヴナでございます」
「ナスターシャ・ペトローヴナ? いい名まえですな――ナスターシャ・ペトローヴナ。わたしのおばも、母の妹ですが、やはりナスターシャ・ペトローヴナというんですよ」
「あなたはなんとおっしゃいますの?」と女地主はきいた。「きっと議員さんでしょう?」
「いいえ、おばあさん」とチチコフは失笑して答えた。「残念ながら、議員じゃありませんな、ただ私用で旅をしてるんですよ」
「じゃ、仲買人でしょう! ほんと、残念なことをしましたわ、わたし蜂蜜を商人たちにばかみたいに安い値段で売っちゃったんですよ。あんたなら、きっと、買ってくれたでしょうに」
「いや、蜜なら買わなかったでしょうな」
「じゃ、なにかほかのものを? まさか麻じゃないでしょうね? 麻なら、いまうちにほんのすこししかないんですよ、せいぜい半プードくらい」
「いや、ちがいますよ、おばあさん、別な品物ですよ。どうでしょう、この村では農奴が死んでませんか?」
「おお、死にましたとも、十八人も!」と老婆はため息をついて、言った。「それが、おまえさん、死んだのはみんな働き手の、いい百姓ばかりで。もっとも、その後生まれたのもありますが、どうしようもありませんよ。鼻ったれの|がき《ヽヽ》ばかりですからねえ。ところが役人がやってきて――頭数で税を払え、なんて言うんですよ。農奴が死んでしまってるのに、税金だけはとりたてるんですよ。先週も、村の鍛冶《かじ》屋がひとり焼け死にましたが、これなんかほんとに腕のいい職人で、こまごました鍛冶仕事もよくできたのに」
「ほう、村に火事があったのかね?」
「さいわい、そんな災難には会ってませんがね、火事ほどこわいものはありませんよ。なあに、自分で焼け死んだんですよ。あんまり飲みすぎたから、腹の中がひとりで燃えだしたんですよ。青いほのおが口からふき出して、すっかり焼けて、まるで炭みたいに、まっ黒焦げになってしまって、あんなに腕のいい鍛冶屋だったのに! おかげでわたしは、馬車で出かけることもできないんですよ、だあれも馬に蹄鉄《ていてつ》を打ってくれる者がいなくて」
「なにごとも神の思《おぼ》し召しですよ、おばあさん!」とチチコフはため息をついて、言った。「神の叡知《えいち》にさからうようなことを言ってはなりません……ひとつそれを譲ってくれませんか、ナスターシャ・ペトローヴナ?」
「それをって、なにをだね?」
「その、死んだ者を全部ですよ」
「でも、譲るって、どんなふうに?」
「なあにかんたんですよ。なんなら、売っていただいてもかまいません。お金は払います」
「どういうことだね、わたしゃ、さっぱりわからんが! まさか墓から掘り出すっていうんじゃないだろうね?」
チチコフは、老婆がとんでもないことをいいだしたので、これはひとつよく説明してやることが必要だ、と見てとった。そこで彼は簡潔に、譲渡あるいは売買は書類上のことだけで、農奴は生きているものとして記載されるのだ、と老婆に説明した。
「でも、それをどうするんだね?」と、目をまるくして、老婆は言った。
「それはもうわたしの自由ですよ」
「でも、みなもう死んでるんだよ」
「そうですとも、生きているとだれが言いました? 死んでいるから、あなたには損なんですよ。あなたは死んだ人間たちの税金を払わされている。それをいまわたしが、そういうやっかいな支払いからあなたを解放してやろうというのです。わかりましたか? しかも解放してあげるだけじゃなく、そのうえさらに十五ルーブリをあなたにさし上げましょう。さあ、これでわかったでしょう?」
「どうにも、わたしにゃわからないよ」と主婦はぼそぼそと言った。「これまで一度も、死んだ農奴を売ったことなんてなかったものねえ」
「あたりまえですよ! これまでそんなことがあったとしたら、それこそよっぽどおかしいですよ。それとも、あんなことを言ってるが実際にはなにかもうけがあるんだろう、とでもお考えですか?」
「いいえ、そんなことは思いませんよ。そんなものにいったい、どんなもうけがあるんだね? あるわけがないよ。わたしが困ってるのは、ただその農奴たちが死んじゃってるということだけだよ」
『ちえっ、このくそばばあめ、よくよくの石頭と見えるな!』とチチコフは腹の中で思った。
「ねえ、おばあさん。とにかく、ようく考えてごらん。死んだ農奴たちの税金を、生きてるものと同じように払っていたら、財産をへらしてしまうじゃありませんか……」
「おお、どうか、それは言わないでください!」と女地主は急いでさえぎった。「つい先々週百五十ルーブリの上も払わされ、そのうえ、役人につけとどけまでしたんだから」
「そら、ごらんなさい、おばあさん。そこでひとつ、ほかのことはいいから、その役人の例だけをよく考えてごらん、もうこれからはつけとどけなんかしなくてもいいんですよ。だって今度はわたしが税金を払うんですから。おばあさん、あなたじゃなくて、わたしが払うんですよ。いっさいの義務をわたしが引き受けるんです。登記料までわたしが払おうというんですよ、わかりますか?」
老婆は考えこんだ。取引は、たしかに、有利らしく思われたが、ただあまりにも突拍子《とつぴようし》もない話なので、この仲介人にだまされるのではないかと、ひどく不安になりだした。なにしろどこから来たのかわからないし、しかも真夜中に舞いこんできた男である。
「どうです、おばあさん、ここらで手を打ちましょうか?」とチチコフは言った。
「だがねえ、わたしはこれまで死んだ者を売ったなんてことは、一度もありませんでしたしねえ。生きた者なら譲ってやったことがありますよ。現に一昨年女の子をふたり、ひとり百ルーブリずつで売りましたが、いい働き手になったといって、相手にはえらく喜ばれましたよ。ナプキンまで織るんだそうですよ」
「でも、生きた人間のことを言ってるんじゃありませんよ、そんなものはどうでもいいんです! わたしがきいているのは死んだ人間のことです」
「実のところ、わたしははじめなんだか損をさせられるような気がして、心配になったんですよ。ひょっとしたら、このひと、わたしをだまそうとかかってるんじゃないか、ほんとは……ほんとはもうすこし高いんじゃないかなんて……」
「えっ、おばあさん……いや、おどろいたひとだねえ! そんなものにいったいどんな値があるというんです? まあ、よくごらんなさい、ただの骨灰じゃありませんか。わかりますか? ただの骨灰ですよ。まああらゆるくず、がらくた、たとえばそこらへんにおちているボロきれでもとってごらんなさい、ボロきれにも値はあります、せめて紙工場ぐらいには売れますよ。ところがこんなものはなんの役にもたちません。さあ、おしえていただきましょうか、なんかの役にたちますか?」
「そりゃ、たしかに、おっしゃるとおりですよ。まったくなんの役にもたちませんよ。でも、わたしがひっかかってるのは、ただひとつ、それがもう死んでる人間だってことなんだよ」
『ええっ、このくそばばあめ、どこまでわからず屋にできてやがんだ!』チチコフはもうかんにん袋の緒《お》がそろそろ切れかけて、腹の中でどなった。『とても手に負えたもんじゃない! すっかり汗をかかせやがった!』そこで彼は、ポケットからハンカチを出して、ほんとに額ににじみ出た汗をぬぐいはじめた。しかし、チチコフは怒ってみてもはじまらなかった。ときには世の尊敬をあつめているような、国家|枢要《すうよう》の人物でさえ、事としだいではこのコローボチカとすこしも変わらないようになることがあるのだ。なにかいったん頭の中へきざみこんだら、もはやなんとしてもそれをくつがえすことはできない。太陽のごとく明白な論拠をいくらそのまえに並べたてても、ぜんぶ壁にはねかえるゴムまりみたいに、はじきかえされてしまうのである。汗をふきおわると、チチコフは、なんとか別な方面からこの老婆をなっとくさせる手はないものか、ためしにやってみることに決めた。
「ねえ、おばあさん」と彼はきりだした。 「あんたはわたしの言ってることをてんから理解したくないのか、でなければ、なにか言わにゃかっこうがつかんから、わざとそんなことを言ってるのか、どっちかですよ……わたしはあなたにお金をさし上げます。紙幣で十五ルーブリです。わかりますか? これはお金ですよ。そこらの通りで拾えるようなものじゃありませんよ。ところで、蜜はいくらで売りました?」
「一プード十二ルーブリですよ」
「ちょっと気がさしますね、おばあさん。十二ルーブリでなんか売れるわけがない」
「ほんとですよ、売ったんだから」
「まあ、いいでしょう。蜜はありがたいわけですよ。手がかかってますもの。あなたはそれを貯めるのに、おそらく約一年というもの気をもんだり、ほねをおったり、せわをやいたり、たいへんだったでしょう。あっちこっち移したり、蜜をはかせるためにいぶしをかけたり、冬は穴蔵にかこったり……。ところが死んだ農奴はこの世のものじゃありまぜん。ここにはあなたの手はちっともかかってません。彼らがこの世を去って、あなたの家計に損失をあたえたのは、みんな神の思《おぼ》し召しですから。蜜の場合は、あなたはその苦労に対して、そのほねおりに対して、十二ルーブリというお金をおもらいになった。ところが今度は、なにもしないで、ぬれ手に栗で、しかも十二ルーブリじゃなく、十五ルーブリという大金を、それも銀貨なんかじゃなく、ぱりっとした青紙幣〔一七六九年から一八四三年まで発行の五ルーブリ紙幣。色が青いところから青紙幣と呼ばれた。当時は紙幣と硬貨の価値がちがっていた〕で受け取れるのです」
このように強力な説得をしたから、さしもの老婆もついにかぶとをぬぐだろうということを、チチコフはもうほとんど疑わなかった。
「そうねえ」と女地主は答えた。「なにせわたしは後家《ごけ》でさっぱりの世間知らずだから、やっぱりすこし待たせてもらいましょうよ。そのうち商人でも来たら、値段をあたってみて」
「ば、ばかな、おばあさん! それこそ恥さらしですよ! なんてことを言うんです。ちっとは考えてごらんなさい! だれが死人なんて買うもんですか? ええ、そんなものがなんの役にたつというんです?」
「でも、なんかのときに畠しごとにでも使えるかもしれないじゃありませんか……」
「死人を畠しごとに! 気はたしかかね! 毎晩おまえさんの畠に立たせて、雀でもおどかそうってのかい、ええ?」
「おお、くわばらくわばら! おまえさんはなんておそろしいことを言うんだね!」と老婆は十字を切りながら、つぶやいた。
「じゃ、あとどこに使おうっていうんだい? そりゃ、かまわんさ、だって骨や墓は――みんなあなたの手もとにのこるんだよ、書き換えは書類の上だけですよ。さあ、どうでしょう? どうします? せめて返事だけでも聞かせてください」
老婆はまた考えこんだ。
「いったいなにを考えてるんです、ナスターシャ・ペトローヴナ?」
「ほんとに、なんぼ考えても、どうしていいのやらわからないんですよ。いっそのこと、麻を買ってもらいましょうかねえ」
「麻がなんだっていうんです? いいですか、わたしはまったく別なことを頼んでるんですよ、それをあなたは麻をおしつけようなんて! 麻は麻です。今度来たら、麻も買いましょう。だが、こっちはどうなんです、ナスターシャ・ペトローヴナ?」
「それがねえ、あんまりとっぴな、まるで聞いたこともない売りものなので!」
ここでチチコフは完全に忍耐の限界を踏み越えてしまい、腹だちまぎれに椅子をひっつかんで床にたたつきつけると、悪魔ということばを出して彼女をののしった。
悪鷹と聞くと女地主はちぢみ上がった。
「おお、それだけはかんにんしてください、おお、こわいこわい!」と彼女はまっさおになって、叫んだ。「つい一昨日の夜、一晩じゅうそいつにうなされたんだよ。お祈りがおわってから寝しなにトランプ古いをしようなんて気を起こしたものだから、きっと、神さまが罰にあんなこわいやつをおよこしになったんだよ。ほんとにいやらしいやつで、牛よりも長い角をはやかして」
「そんなやつが十匹もあんたの夢をおそわなかったのが、ふしぎですね。わたしがね、こんなことをもちだしたのは、ひとえにキリスト教的な人類愛があればこそですよ。あわれな後家さんが困苦にたえて、嘆き悲しんでいるのを見かねてさ……もうかまわない、かってに破産して、村もろともくたばってしまうがいいさ!……」
「まあ、おまえさんは、なんてひどいことを言うんだね!」と、おびえた目を彼にみはりながら、老婆は言った。
「まったく、あんたになにを言ってもむだだよ! あんたみたいのは、まあせいぜいよく言って、干し草の上にねそべってる番犬というのさ、てめえだけ干し草をくらって、他人《ひと》には食わせねえ。わたしはあんたからいろんな農産物を買いつけるつもりだったが、やめにしたよ。これでもお上《かみ》のご用達《ようたし》もつとめていますからねえ……」
ここで彼はちょっぴりうそをついた。ほんの口がすべっただけで、べつに深い考えがあったわけではなかったが、これが意外にきいた。
お上のご用達《ようたし》ということばがナスターシャ・ペトローヴナに強く作用した。すくなくとも彼女は、それだけでもうほとんどとりすがらんばかりの声になった。
「でも、どうしてそんなにいきなり怒りだしたんだね? これほど短気な人だって、まえから知ってたら、わたしゃ決してつまらんことなんか言いやしなかったのに」
「怒らにゃならんこともあるさ! ところがわたしとしたことが、ほんのつまらんことで腹をたてたりして!」
「じゃ、よろしいですね、わたしゃ紙幣で十五ルーブリでわたすことにしますよ! ただいいかね、おまえさん、ご用達のことを忘れちゃいやですよ。裸麦の粉だの、そば粉だの、ひきわりだの、家畜の食肉だのをお買い上げのせつは、どうか、このわたしに恥をかかせないでくださいよ」
「とんでもない、恥なんかかかせるものですか」とは言ったものの、彼は三筋の流れになって顔をつたいおちる汗を手でぬぐった。そして彼は、市にだれか登記およびその他の必要書類の作成をまかせることのできる代理人か知人はいないかと、くどくどと老婆にたずねた。
「いますとも、主僧のキリール神父さまのとこの息子が、裁判所につとめておりますよ」とコローボチカは言った。
チチコフはその息子にあてて委任状を書くことを彼女にたのんだ。そしてよけいなてまをはぶくために、いっそこっちで書いてやることにした。
『このひとがうちの麦粉や家畜をお上《かみ》に買い上げてくれるようなことになれば、ほんとにありがたいよ』そのあいだに、コローボチカはひそかにこう考えた。『いまのうちにうまくまるめこんでおかなくちゃ。そうそう、咋夜のこね粉がまだ残っていたし、フェチニヤに言いつけて、さっそくブリンを焼かせよう。それに卵を入れてうす味のピローグをこさえさせるのもわるくない。うちのあれはとってもおいしいし、それにそうてまもとらないから』
主婦はピローグをつくらせようという思いつきをさっそく実行に移すために部屋を出ていった。そして、どうやら、なにか手作りのかんたんな料理をそれにつけ合わせるつもりらしかった。いっぽうチチコフも、自分の手箱から必要なものを出すために、昨夜やすんだ客間へもどった。客間はもうとっくにきれいに掃除されて、豪華な羽根ぶとんはどこかへかたづけられ、ひじ掛け椅子のまえには白い卓布をかけたテーブルがおいてあった。その上に手箱をのせると、彼はちょっと一息入れた。というのは、まるで川にでもはまったみたいにがらだじゅうが汗でぬれているのを感じたからだ。シャツからくつしたまで、身につけているものはすっかり、じっとりとしめっていた。
『えっ、手を焼かせやがった、くそばばあめ!』一息入れると、彼はけたくそわるそうに言って、手箱を開いた。ところで、読者の中にはひどく好奇心が強くて、この手箱の構造から内部の配置まで知りたいと望んでおられるかたがたも、きっといるはずだ。よろしいとも、作者に異論のあろうはずがない! 内部の配置は、こうである。まん中にせっけん入れがあって、その裏にかみそりの刃を入れるうすい仕切りが六つ七つついている。それから隅のほうに砂袋やインキつぼをおさめる正方形の枠《わく》があり、そのあいだにぺンや、封蝋《ふうろう》や、その他すべての細長いものを入れる溝《みぞ》がくりぬいてある。それからふたのついたのや、つかないのや、さまざまな小さな仕切りがあるが、これには名刺やら、会葬通知書やら、劇場のきっぷやら、その他いろんなものがぎっしりつまっている。いわば彼の記憶のひき出しである。さて、このようにたくさんの仕切りのついた中ぶたを上げると、その下は広くなって、半切りの用紙の束が入れてある。さらにその下には金を入れておく秘密の小さな箱があるが、これがす早く手箱の横腹にかくれてしまうしくみになっている。これがいつもさっと出たと思うと、とたんにまたさっとかくれてしまうので、いったいいくら金があるのか、当のチチコフにも正確にはわからないほどである。チチコフはさっそく仕事にとりかかり、まずペンをけずって、それからやおら書きはじめた。そこへ主婦がはいってきた。
「おや、いい手箱をお持ちですね」と彼女はそばに腰をおろして、言った。「きっと、モスクワでお買いになったんでしょうね?」
「モスクワです」とチチコフは書く手を休めずに、答えた。
「そうでしょう、わたしははじめからそう思いましたよ。あちらではなんでも品物がよろしいですものね。一昨年妹がこどもの防寒ぐつをおみやげにくれましたけど、ほんとに丈夫な品物で、まだはいてるんですよ。あれまあ、おまえさんは紋章《もんしよう》入り用紙をどれだけ持ってなさるんだね!」と彼女は手箱の中をのぞいてびっくりした。たしかに、そこにはかなり多くの紋章入り用紙がしまってあった。「ねえ、一枚でいいからわたしにくださいな! そういうのがないものだから、裁判所に請願《せいがん》を出すようなときに、困ってしまうんですよ」
チチコフはこの用紙はそういう種類のものではなく、登記につかうもので、請願書にはつかえないことを、彼女に説明して聞かせた。それでも、がっかりさせないために、彼は一ルーブリの適当な証書用紙を彼女にやった。彼は委任状を書きおわると、彼女に署名をさせてかんたんな農奴の名簿をくれるようにたのんだ。ところが、女地主は記録も、名簿も、そういうものはいっさいそなえてなく ほとんど全員をそらでおぼえていた。彼はさっそくそれを口述させた。ところが、中にはちょっととまどうような苗字《みようじ》があり、それよりもあだ名には閉口して、彼はひとりひとり、まず名まえを聞いて、ちょっと考え、それから書くことにした。中でもピョートル・サヴェーリエフ・ニエウヴァジャイ・コルイト〔桶をだいじにしないピョートル〕とかいう名まえには、あきれかえってしまって、「なんて長ったらしいんだ!」と思わずつぶやいたほどだった。またもうひとつは名まえに「カローヴィイ・キルピーチ〔牛のくそ〕」などというのがくっついていたし、そうかと思うといやにかんたんに、カレソ・イワン〔車のイワン〕などというのもあった。書きおわると、彼は二、三度大きく息をすいこんだ。するとなにやら油で揚げたようなおいしそうなにおいが鼻をさした。
「どうぞ召し上がってくださいな」と主婦が言った。
チチコフがそちらを振り向くと、いつのまにかテーブルの上に、きのこだの、肉饅頭《ピロシキ》だの、|揚巻き《スコロドウムキ》だの、|揚げパン《シヤーニシキ》だの、|ふかしパン《プリカグルイ》だの、ブリンだの、たとえば、ねぎ、けしの実、凝乳、わかさぎ、その他ありとあらゆる詰めものをした|厚焼き《レピヨーシカ》だのが、どっさり並べられてあった。
「卵を入れたうす味のピローグですよ!」と主婦は言った。
チチコフは卵を入れたうす味のピローグをひとつつまんで、さっそく半分ほどほおばると、こりゃうまい、とほめた。たしかに、ピローグそのものもうまいにはうまかったが、老婆を相手にさんざん手こずらされたあとなので、なおさらうまく感じられたのだった。
「ブリンはいかが?」
返事がわりにチチコフは三枚のブリンをいっしょに巻いて、それを溶《と》かしたバターにたっぷりひたしてから、さっと口の中へ押しこみ、ナプキンでくちびると手をぬぐった。それを三度ほどくりかえしたうえで、彼は主婦に馬車のしたくを言いつけてくれるようにたのんだ。ナスターシャ・ペトローヴナはすぐにフェチニヤをやったが、それと同時にもっと焼きたてのブリンを持ってくるように言いつけることを忘れなかった。
「おばあさん、お宅のブリンはじつにおいしいですな」と、新たにはこんでこられた焼きたてのブリンをつまみながら、チチコフは言った。
「ええ、うちじゃこれを焼くのがじまんなんですよ」と主婦は言った。「ただ残念なことに、作がわるくて、粉のできがよくないものですから……おや、どうしてそんなにお急ぎになるんです?」と、チチコフが帽子をつかんだのを見て、彼女は言った。「まだ馬車のしたくができないじゃありませんか」
「できるんですよ、おばあさん、もうできてるでしょう。わたしの馬車はしたくが早いですからね」
「では、それから、ご用達《ようたし》のことは忘れないでくださいな、きっとですよ」
「忘れません、忘れません」とチチコフは玄関のほうへ出てゆきながら、言った。
「して、豚のあぶらはお買いになりません?」と主婦はそのあとにつづきながら、言った。
「どうして買っちゃいけないのかね? 買いますとも、ただ、あとでね」
「クリスマス週ごろまでにはできますから」
「買いましょう、買いましょう、なんでも買いましょう、豚のあぶらも買いましょう」
「たぶん、鶏の羽毛なんかもいるようになるんでしょうね。フィリップ精進期〔ギリシア正教のクリスマス前の精進期〕時分になると、鶏の羽毛もたくさんたまりますから」
「いいですとも、いいですとも」チチコフは言った。
「そらごらんなさい、まだ馬車の支度ができてないじゃありませんか」玄関の階段へ出ると、主婦がチチコフに言った。
「できますよ、もうじきです。ところで、本街道へ出るにはどう行ったらいいか、おしえていただけませんか」
「さあ、どうしたらいいものかねえ?」と主婦は首をひねった。「口ではとても、なにせ曲がり角が多すぎて。そうね、女の子をひとり案内につけてやりましょう。馭者台に、きっと、その子をのっけるくらいの席はありますわね」
「ありますとも」
「じゃあ、つけてやりましょう。その子は道を知ってますから。ただ、そのまま連れていってしまわないでくださいよ。まえにもひとり、商人にさらわれてしまったことがあったんでねえ」
チチコフが、決してさらっていくようなことはしないと断言すると、コローボチカは、やっと安心して、邸内にあるいろんなものに目をやりはじめた。彼女は倉の中から蜜を入れた木のつぼをかかえて出てきた女中頭をじろりとにらんだり、門へふらりとはいってきた百姓に目を光らせたりしていたが、やがてしだいに家事経営のほうへ心が移っていった。
しかしなぜこんなに長くコローボチカにかかわりあっていなければならぬのか? コローボチカであろうと、マニーロフであろうと、農業経営の生活であろうと、なかろうと――そんなもののそばはさっと通りすぎてしまうのだ! この世の中であっとおどろくほどすてきにつくり上げられているものは、そんなものではない。楽しさは、そのまえにいつまでもぐずぐずしていると、あっという間《ま》に悲しみに転じてしまう、そうなったらどんなばかげた考えが頭にはいこむかわかりゃしない。ひょっとしたら、こんなことさえ考えるかもしれぬ。待てよ、このコローボチカというばあさんが、人類発達のはてしない段階のこんな低いところにとどまっているというのは、はたしてほんとうだろうか? このばあさんと、芳香《ほうこう》をただよわせる鋳鉄の階段や、ぴかぴか光る真鍮《しんちゆう》や、マホガニーや、じゅうたんのある貴族の邸宅の壁に犯しがたく守られて、才気喚発の名流紳士の来訪を待ちながら、読みかけの本にあくびをしているような、このばあさんの妹とのあいだをへだてている深淵は、ほんとうにそれほど大きいのだろうか? ところで、こうした名流夫人というものは、とかく知恵をひけらかし、そらでおぼえた思想を口に出したがり、またその機会も多いのだが、その思想たるや、流行の法則にしたがってもう一週間も都じゅうに流布《るふ》されている代物《しろもの》で、その邸宅の中や、家事を知らぬために無秩序と乱雑をきわめているその領地の中で起こっているようなことについての意見ではなく、どんな政変がフランスで起ころうとしているかとか、最近のカトリック教はどんな方向をとっているかなどということについての意見なのである。だが、さっさと通りすぎよう、どうでもいいことだ! どうしてこんなことをくだくだしゃべってるのだ? だがしかし、なんのわずらいもない、のんきな、ほがらかな気持ちの中へ、わけもなく、いきなりまるで異質な奇妙な考えが流れこんでくるのは、いったいどうしたわけだろう? また笑いがすっかり顔からぬけきらないうちに、その同じ人たちの中にいながら、もうすっかり別人のようになってしまい、そしてもう顔には別な光がうつっているのだ……。
「そら、馬車が来ましたよ、馬車が!」とチチコフは、ようやく自分の軽四輪馬車がこちらへ近づいてくるのを見て、叫んだ。「おい、このぐずめ、なにをまごまごしてたんだ? ふん、きのうの酔いがまだ醒《さ》めきっていないと見える」
セリファンはそれになんとも答えなかった。
「さようなら、おばあさん! ところで、どこですかな、その女の子は?」
「これ、ペラゲーヤ!」と、入り口の階段のわきのあたりにつっ立っていた十一ぐらいの女の子に向かって、女地主は言った。女の子は手染めの粗布の服を着て、はだしだったが、新しいどろがべったりはりついているので、遠くから見ると長靴をはいているように見えた。
「だんなさまに道をおしえてあげなさい」
セリファンは女の子の手をつかんで馭者台へひっぱり上げてやった。すると女の子は、だんなの踏み段に片足をかけ、まずそれをどろでよごしてから、上へよじのぼって、セリファンのそばに位置をしめた。そのあとから、チチコフも踏み段に片足をかけ、車体を右側へかしげさせて、というのは彼は目方がかかるので、やっと席におさまると、言った。
「さあ! これでよしと! さようなら、おばあさん!」
馬は走りだした。
セリファンは途中ずっとえらくしちむずかしい顔をしていたが、そのくせ自分の仕事にはおそろしく慎重だった。これはなにかで失敗をやらかしたか、あるいは飲んだくれたかしたあとで、きまって彼にあらわれる現象であった。馬どもはおどろくほどつやつやにみがき上げられていた。一頭の首輪などは、これまではいつもほころびたままつけさせられていて、皮の下から麻くずがはみでていたのが、みごとにつくろわれていた。途中ずっと、彼はむっつりと黙りこくっていて、ときどき鞭《むち》を鳴らすだけで、馬どもに向かって例の説教をたれることもしなかった。もちろん、斑《ぶち》毛などはなにかありがたいお話を聞かせてもらいたくてじれていたのだが、というのは、そんなときは手綱はこの話好きの馭者の手にだらりと握られたままで、鞭もほんの形ばかり馬どもの背の上をあそぶだけだからである。ところがいまこの気むずかしげな口から聞かれるのは、「こら、この薄のろ! ぼやぼやしやがって!」という単調なおもしろくもない怒声だけだった。まじめな黒馬《あお》と議員《ヽヽ》でさえも、「よし、いいぞ」も、「それそれっ」も聞かせてもらえないので、不満だった。斑毛《ぶち》はそのからだの肉づきのゆたかな広い部分にじつに不快な鞭の打撃を感じた。『ちくしょう、なんてところをぶちやがんだ!』と斑毛《ぶち》は耳をぴくぴくうごかしながら、腹の中で思った。『打ちどころは、ちゃんと心得てやがる! まっすぐ背にビシッとあてないで、目だとか、腹だとか、こたえるところばかりねらいやがる』
「右かい、ん?」セリファンは目にしみるようなみずみずしい緑色の畑のあいだに雨をふくんで黒く光っている道を鞭《むち》でさしながら、よこにすわっている女の子に、木で鼻をくくったみたいにきいた。
「ううん、ちがう、おらがおしえてやるよ」と女の子は答えた。
「さあ、どっちだい?」そばまで来ると、セリファンが言った。
「そっちだよ」と、少女は手で示しながら答えた。
「こいつめ!」とセリファンは言った。「そっちなら右じゃねえか。右も、左も、わからねえんだな!」
空はきれいに晴れわたっていたが、道はひどいぬかるみで、車輪にどろがねばりついて、まもなくフェルトをかぶせられたみたいになってしまい、馬車がぐっと重くなった。そのうえ、土はねんど質で、あきれるほどねばっこかった。それやこれやが原因で、彼らは正午前に村道からぬけ出すことができなかった。女の子がいなかったらそれすらむずかしかったろう。というのは、まるでつかまえたたくさんのかにを袋からばらまいたみたいに、たくさんの道が四方八方へはいひろがっていたからで、これではセリファンが迷っても、とがめるほうが無理というものである。まもなく女の子が遠くに黒ずんでいる家を指さして、言った。
「あそこが本街道だよ!」
「あの家は?」とセリファンがきいた。
「料理屋だよ」と女の子は言った。
「じゃあ、これでもうおまえがいなくてもだいじょうぶだ」とセリファンは言った。「さあ、家へ帰りな」
彼は馬車をとめて、女の子をおろしてやりながら、歯のあいだから押し出すようにつぶやいた。
「いやはや、なんとまっ黒い足だ!」
チチコフは女の子に銅貨を一枚やった。すると女の子は馭者台にのったことでもうすっかり満足したうえに、駄賃《だちん》までもらって、ふらりふらり家のほうへもどっていった。
[#改ページ]
第四章
料理屋の近くまで来ると、チチコフは二つの理由で馬車をとめさせた。一つには馬を休めるためと、もう一つは、自分もすこし腹ごしらえをして、元気をつけるためである。こうした種類の人々の食欲と胃袋にはまったく羨望《せんぼう》を禁じえないことを、作者は白状しなければならぬ。ペテルブルグやモスクワに豪勢《ごうせい》な暮らしをしていて、明日はなにを食べようか、明後日の午饗はどんな趣向をこらしてやろうか、などと暇にあかして考え、さてその午饗に向かうと、まず用心に丸薬を一粒飲んでから、かきだの、かにだの、その他珍しいものばかり賞味して、あげくのはてはカルルスパード〔チェコのカルロヴイ・ワリ温泉地を言う〕かコーカサスあたりの保養地に療養に出かけるというような上流の紳士がたなど、こうした連中はまったく問題にしていない。彼らはこのような紳士がたを決してうらやましいと思ったことがないのである。それも道理、この中流どころの紳士たちは、最初の駅でハムを注文すると、つぎの駅では子豚をたのみ、さらにつぎの駅では蝶鮫《ちようざめ》の大切れか、あるいはソーセージの焼いたのにねぎをそえたのを、ぺろりと平らげ、つぎへ行けば、けろりとした涼しい顔で、時間などおかまいなしにテーブルのまえにすわりこみ、小蝶鮫のスープをすすり、ひげの煮たのや白子《しらこ》などをむしゃむしゃやっている。そのうえ口直しにジャムの揚げ巻きか鯰《なまず》のしっぽをつめたピローグかなんかを食べるのだから、他人ことながらその食欲のものすごさには寒気《さむけ》をおぼえる――こうした紳士たちこそ、まさに、うらやましい天の恩恵をほしいままにしているのである!
この中流の紳士たちが恵まれているような、このたくましい胃袋とひきかえにならば、なんのちゅうちょもなく所有している農奴の半分と、抵当にはいっていようがいまいが、外国式かロシア式の改良がくわえられていようがいまいが、全領地の半分を提供したいと思う上流の紳士は、ひとりやふたりではなかろう。ところが悲しいかな、どれほどの金を積んでも、改良のいかんを問わず、どれほどの領地をさし出しても、中流の紳士が持っているような胃袋は手に入れるわけにはいかないのである。
木造りの黒ずんだ料理店は、古風な教会の燭台のような彫り模様のある柱に支えられた、そのせまい客好きなひさしの下ヘチチコフを招き入れた。料理店はどことなく百姓家をすこしだだっ広くしたような感じだった。窓のぐるりや屋根の下をとりまいている、まだ木のかおりののこっているような彫り模様のある蛇腹《じやばら》が、黒っぽい壁にくっきりときわだっていた。鎧扉《よろいど》には花をいけた花びんの絵が描かれていた。
彼がせまい板張りの階段をのぼって、広い入り口の間《ま》へはいっていくと、ギイッとドアがあいて、まだら模様の更紗《さらさ》の服を着たふとった老婆が顔を出し、「こちらへ、どうぞ!」と言った。部屋へはいると、街道筋に多い木造の小さな料理店でだれでもかならず見かけるような、あらゆる古い顔なじみがチチコフの目にはいった。ほかでもない、さびのついたサモワール、つるつるにかんなをかけられた松の板壁、すみっこにおいてある茶びんや茶わんのはいった三角の戸棚、聖像のまえに青や赤のリボンに下がっている金色のせとものの卵、つい先ごろ子を生んだばかりの猫、目が二つでなくて四つにもなり、顔のかわりになにやら卵焼きのばけものみたいなものを映す鏡、そして最後に、聖像のわきの花立てに束にしてさしこんであるにおい草やなでしこ、これがすっかり干からびてしまって、においをかごうと鼻を近づけると、くしゃみが出るくらいがおちである。
「子豚はあるかね?」チチコフはあいさつ代わりに、立っている老婆にこうきいた。
「ありますとも」
「わさびとスメターナ〔濃いすっぱいクリームで、ロシア人の食卓には欠かされぬもの〕はついてるかい?」
「ついてますとも」
「それをくれ!」
老婆は引きさがると、すぐに皿や、のりがききすぎてかわいた木の皮みたいにつっぱったナプキンや、黄色っぽくなった骨製の柄《え》のついた、ペンナイフみたいに細いナイフと、ふたまたのフォークと、それにとてもまともに食卓の上には出せないような塩入れを持ってきた。
わが主人公は、例によって、すぐに老婆をつかまえて、いろいろとききだした。老婆が自分でこの料理店をやっているのか、それとも主人がいるのかとか、どのくらい収益があがるかとか、息子たちもいっしょかとか、上の息子はひとり者か、それとも女房持ちかとか、嫁はどこから来て、持参金はたっぷり持ってきたかとか、嫁の父は満足してるかとか、結納金《ゆいのうきん》がすくないので怒ったんじゃないかとか、――要するに、なにひとつききもらさなかった。当然、このあたりにどんな地主が住んでいるかということをたずねたことは、いうまでもない。そしてブローヒン、ポチターエフ、ムイリノイ、チェプラコフ大佐、サバケーヴィチなど、さまざまな地主が住んでいることを知った。
「ほう! サバケーヴィチを知ってるのかね?」と彼はきいた。すると老婆はサバケーヴィチばかりか、マニーロフも知っていて、マニーロフのほうがサバケーヴィチよりもずっと|えらぶつ《ヽヽヽヽ》だとほめた。彼はすぐに鶏の丸煮を言いつけて、子牛はあるかい、ときく。羊のレバーがあれば、羊のレバーを注文するし、なんでもすぐに食い試《ため》しをしてみる。ところがサバケーヴィチときたら、なにか一品しか注文しないが、その代わりそれはきれいに平らげてしまい、そのうえ値段はそのままで追加まで要求する、というのである。
彼がこんなふうにして老婆と話をしながら、子豚ののこった最後の一きれをむしゃむしゃやっていると、近づいてくる馬車のごとごとという車輪の音が聞こえてきた。窓からのぞくと、たくましい三頭の馬にひかせた軽四輪馬車が料理店のまえにとまったのが見えた。馬車からふたりの男がおりた。ひとりは髪が白っぽく、長身で、もうひとりのほうは背がすこし低く、髪が黒っぽかった。白っぽいほうは濃紺の軽騎兵の制服を着ており、黒っぽいほうは無造作《むぞうさ》にしまのアジアふうのふだん着をひっかけていた。遠くのほうから、もう一台、何種か毛の長い四頭の馬にひかれた空《から》の馬車がのろのろ近づいてきた。首輪はぼろぼろで、手綱はあらなわだった。白っぽいほうはすぐに階段をかけのぼったが、黒っぽいほうはあとにのこって、なにやら馬車の中をひっかきまわしながら、従僕《じゆうぼく》と話をしたり、のそのそ近づいてくる馬車に手を振ったりしていた。その声がチチコフにはすこし聞きおぼえがあるような気がした。彼がその男を観察しているあいだに、白っぽいほうは早くも手さぐりでドアの把手《とつて》をさぐりあてて、ぐいとあけてはいってきた。それはのっぽで、細面《ほそおもて》というよりは、いわゆる|しゃぶりかす《ヽヽヽヽヽヽ》という肉のそげおちたような顔で、にんじん色の口ひげをはやしていた。その黒っぽくこげた顔から、彼は煙――硝煙《しようえん》でないまでも、すくなくともタバコ――のなんたるかをじゅうぶんに知っている、と結諭することができた。彼はいんぎんにチチコフに会釈《えしやく》した。それに対してチチコフも同じようにいんぎんな会釈を返した。数分の時間があったら、彼らは話しこんで、親しい友になったことは、まちがいなかったろう。というのは最初の一歩はすでに踏み出されたし、ふたりはほとんど同時に、道路のほこりがきのうの雨ですっかり沈んで、きょうは涼しく、馬車をとばすにはじつに快適だ、と満足を表明したからである。ところがそこへ髪の黒っぽい彼の友人がはいってきて、縁無し帽をテーブルの上に投げ出すと、荒っぽく片手でその黒い濃い髪をなで上げた。それはがっしりとしまった申しぶんのないからだつきの、中背の男で、ほおはまるまると血色がよく、雪のようにまっ白い歯をして、漆黒《しつこく》のほおひげをはやしていた。しぼりたての牛乳のようにみずみずしく、健康が顔からしぶきちっているかと思われた。
「いよう、こりゃおどろいた!」と、チチコフを見ると、両手をひろげて、いきなり叫んだ。「どうした風の吹きまわしだ?」
チチコフはそれがノズドリョーフであることに気がついた。検事邸の午饗の席で会い、わずか数分のあいだにすっかり親しくなってべつにこちらからきっかけをあたえたわけでもないのに、たちまち「きみ、ぼく」となれなれしいことばをつかいだしたあの男である。
「どこへ来たんだい?」とノズドリョーフは言ったが、返事を待たずに、べらべらしゃべりだした。「ぼくは、きみ、定期市《いち》の帰りさ。いやみごとに、すってんてんだよ! まったくこれほど負けたなぁ生まれてはじめてだ。百姓馬を借りて、やっともどってきたってしまつさ! まあちょっと、窓から見てくれよ!」こう言って彼はチチコフの頭をぐいとねじ向けたので、こちらはあぶなく窓わくにおでこをぶっつけそうになった。「どうだい、ひでえやくざ馬だろう! ここまで来るのがやっとってざまだ。だから途中でこいつの馬車に乗りかえたんだよ」こう言いながら、ノズドリョーフは連れの男を指さした。
「あ、きみたちはまだだったな? ぼくの妹のむこで、ミジューエフというんだ! ふたりでけさからずっときみのうわさ話をしてたんだぜ。おい、きっとチチコフに会おうぜ、ってさ。まあ、とにかく、見せたかったよ、おれの負けっぷり! うそだと思うかもしらんが、|だく《ヽヽ》馬を四頭まけたばかりか――なにもかも洗いざらいだ。見たまえ、ほら鎖も、時計もないだろう……」チチコフはちらとそちらを見た。たしかに彼は鎖も時計もつけていなかった。そして、チチコフには、彼の片方のほおひげがすこしすくないし、別なほうにくらべてうすいように思われた。「だが、ふところにせめてあと二十ルーブリだけでもあったら」とノズドリョーフはつづけた。「よぶんにはいらん、二十ルーブリだけでいいんだ。そしたらぼくはすっかりとりかえしてみせたぜ。なに、負けた分をとりかえしたうえに、正直なところ、いまふところの中に三万ルーブリはうなってたはずだ」
「あんたは、そういえば、あのときはそんなことを言ってたぜ」と白っぽい髪が言った。「そのくせぼくが五十ルーブリやったら、それもすぐに負けちゃったじゃないか」
「あれは負けるはずじゃなかったんだ! ほんとだよ。負けるはずじゃなかったんだよ! おれがばかなへまをやらなかったら、ほんとに負けなかったんだ。二倍|賭《か》けのあとであのいまいましい七点札になぞつけなければ、場銭をすっかりさらうことができたんだ」
「でも、さらわなかったぜ」と白っぽい髪が言った。
「さらわなかったのは、つけるときをまちがったからさ。じゃきみは、あの少佐がうまいと思うのか?」
「うまかろうが、うまくなかろうが、とにかくあんたを負かしたじゃないか」
「なにあんなやつ!」とノズドリョーフは言った。「いまにこてんぱんに負かしてやる。そうよ、あいつに倍賭けをやらしてみりゃいいんだ。そしたらとっくりと見てやるぜ。あいつがどのくらいの腕か! それはまあ、チチコフ、最初の二三日はたっぷりたんのうしたぜ! まったく、すばらしい定期市《いち》だった。あんなに人が集まったことはないって、商人たちが自分であきれてるほどだ。ぼくが村から持ってったものはすっかり、えらい高値で売りきれさ。いやはや、きみ、底ぬけの大さわぎさ! いま思い出しても……くそっ! しゃくだなあ、きみがいなかったのが。きみ、町から三露里ばかりのところに竜騎兵連隊が駐屯《ちゅうとん》してたんだぜ。信じられるかい、士官たちが、連隊じゅうの士官だぜ、士官だけで四十人も町に乗りこんできたんだ……それっとばかりに、飲みだしたもんだ……ポツェルーエフという騎兵二等大尉……これが、きみ、たいした豪傑で! こんなにひげをはやして! ボルドーの赤をあっさりと|どぶろく《ヽヽヽヽ》なんて言ってさ。『おい、どぶろくを持ってこいと言ってるのが、わからんのか!』てな調子だ。それからクヴシンニコフって中尉……これがきみ、じつにかわいいやつなのさ! 実は、たいした遊び人なんだがね。おれたちはずっとこの男といっしょだったんだ。ポノマリョフのやつめ、おれたちにどんな酒を飲ませやがったと思う! きみに言っておくけど、あいつはふてえ野郎だぜ、あいつの店じゃなにも買っちゃいかんよ。酒の中に、赤い染料だの、コルクの焼けこげだの、いろんなものを混ぜやがって、そのうえ、にわとこの実をすりつぶして色つけにつかってやがるんだよ。ひでえ野郎だよ。だが、やつが特別室とよんでる奥の部屋からなにかのびんを持ち出してきたら、そりゃ、もう、きみ、まさに陶然として天国にいるような気持ちになるぜ。おれたちの飲んだシャンパンときたらそれこそ絶品だ――それにくらべたら県知事のところのなんざ、ありゃなんだい? ただのクワスじゃないか! きみ、考えてみたまえ、ただのクリコー・シャンパンじゃない、クリコー・マトラドゥーラとかいうんだ。つまり二倍のクリコーって意味だ。さらに、また一本出させたよ。ボンボンていうフランスのぶどう酒だ。におい? それがバラのようでもあり、うん、望みどおりどんなにおいでもするんだ。いや、じつによく遊んだよ!……おれたちのあとでなんとかいう公爵が来て、シャンパンを買いにやったら町じゅうに一本もなかったそうだよ。全部士官たちが飲んじまったんだ。信じられんだろうが、昼食のあいだにぼくひとりでシャンパンを十七本あけたんだぜ!」
「おいおい、十七本は飲みゃしないよ」と白っぽい髪が注意した。
「いや、誓って言う、飲んだよ」とノズドリョーフは答えた。
「あんたがなにを言おうと、かってだが、ぼくはあんたに言うよ。あんたは十本も飲みゃしない」
「じゃ賭《か》けようか、飲むか飲まんか?」
「なんのために賭けなどするんだい?」
「いいから、町で買ってきた鉄砲を賭けろよ」
「いやだね」
「いいから賭けろって、ためしにやってみろよ!」
「ためすのもごめんだな」
「そうな、おまえが鉄砲をなくしたら、帽子をなくしたみたいなものだ。えい、きみ、チチコフ、きみがいなかったのが、なんとしても残念だよ。ぼくは知ってるんだ、きみはきっとクヴシンニコフ中尉とはなれなかったろうよ。たちまちへそとへそがぴたりと合ったと思うよ! あれは一コペイカ〔十コペイカで一ルーブリ〕のはした金でびくびくしてるような、わが市の検事や、県のけちんぼ役人どもとは、人間のできがちがうよ。あいつはきみ、ガリビックであろうとバンク〔どちらもカルタ遊びの一種〕であろうと、なんでも来いだ。えい、チチコフ、ほんとにどうして来なかったんだろうな? まったく、意地わるしやがって、しようのないやつだよ! ぼくに接吻してくれ、こいつめ、ぼくは死ぬほどきみが好きなんだ! ミジューニフ、見ろ、これが運命の引き合わせというものだよ! だってそうじゃないか、彼がぼくにとって何者で、ぼくが彼にとって何者なのだ? 彼はどこからやってきたのかわかりゃしないし、ぼくだってこんなところに暮らしてるんだ……それにしても、きみ、すごい馬車の数だったぜ、まさに|en gros《アングロ》〔フランス語。おびただしい数の意〕ってやつだ。ルーレットをやって、ポマード二びんと、せとものの茶わんと、ギターをとったよ。そこでもう一度やったら、ちくしょうめ、すっかりいかれたうえに、さらに六ルーブリもふんだくられてさ。しかし、きみに見せたかったなあ、クヴシンニコフのやつのあつかましいくどきぶり、たいした女たらしだよ! おれたちはいっしょに舞踏会を片っぱしから荒しまわったんだ。ひとりごてごてと着飾った女がいてさ、レースの縁飾り、紗《しや》のうすもの、おしゃれの見本みたいにさ、まずつけてねえものはねえくらいだ……おれは、『くそくらえ!』と思っただけさ。ところがクヴシンニコフのやつ、あつかましいったらねえのさ、そばへべったりひっつきやがって、フランス語で口から出まかせにおせじをならべやがってさ……まったく、女ときたらのがさねえんだよ。やつはそれを、イチゴつみなんて言ってやがる。すばらしいさかなや、蝶鮫《ちようざめ》の干物も売ってたぜ。ぼくもひとつおみやげに買ってきたが、金があるうちに思いついて、よかったよ。ところできみ、これからどこへ行くんだい?」
「うん、ある人のところへね」とチチコフは言った。
「ある人、なんだいそんなの、よしちゃえよ! ぼくの家へ行こうや!」
「いや、そうはいかんよ、用事があるんだ」
「へえ、用事ときなすったな! 早いとこ逃げをうちましたね! ええ、きみ、オパデルドック〔パーヴェルをもじって言った。オパデルドックは軟膏ということで、二また膏薬のというほどの意味である〕・イワーノヴィチ!」
「ほんとだよ、用事があるんだ、それもたいせつな用事なんだ」
「賭《か》けてもいい、うそにきまってるよ! じゃ、言ってごらん、だれのとこへ行くんだい?」
「じゃ言おう、サバケーヴィチのところだよ」
とたんにノズドリョーフは大声で笑いだした。それは元気にあふれた健康な人のみに見られるような高笑いで、さとうのようにまっ白い歯をすっかり見せて、ほおがふるえておどり、そのためにドアを二つへだてた三つめの部屋の客が、夢なかばにがばとはね起きて、目をぱちくりさせて、『おい、どうしたんだ!』と口走るほどである。
「なにがおかしいのかね?」と、この笑いにいささかむっとして、チチコフは言った。
しかしノズドリョーフは大口をあいて笑いつづけながら、苦しそうに言った。
「おい、助けてくれ。腹がどうにかなりそうだ!」
「ちっともおかしいことなんかないじゃないですか。ぼくは約束したんですよ」とチチコフは言った。
「だってきみ、あんなやつのところへ行ったって、ちっともおもしろいことなんぞないぜ。あいつはただの|しわんぼう《ヽヽヽヽヽ》さ! ぼくはきみの気性を知ってるんだ。あいつんとこでバンクを一番やろうとか、ボンボンかなんぞのうまいぶどう酒にありつこうなどと考えていたら、えらいまちがいだぜ。ねえ、きみ、サバケーヴィチなんかよしたまえ。ぼくの家へ行こうじゃないか! すげえ蝶鮫《ちようざめ》の干物をごちそうするぜ! ポノマリヨフの野郎、ずるいやつめ、ぺこぺこおじぎをしゃがって、『だんなにだけですぜ、定期市じゅうさがしたって、こんなのは見つかりっこありませんよ』なんてぬかしやがる。しかし、とほうもねえペテン師だよ。おれは面と向かって言ってやった。『おめえと、市の専売人のふたりは、一番の悪党だ!』すると、あの野郎、蛙《かえる》の面にしょんべんで、あごひげをなでながら、えへらえへら笑ってやがる。おれとクヴシンニコフは毎朝やつの店で朝食を食べたんだよ。あっ、そうだ、きみに言うのを忘れてたが、いいかい、まさかもうあとへはひかんだろうが、たとい一万ルーブリ出すと言ってももうきみをはなさんからな。あらかじめことわっておくぜ。おい、ポルフィーリイ!」彼は窓のそばへ行って、自分の従僕《じゆうぼく》を大声で呼んだ。その従僕は片手にナイフを持ち、もういっぽうの手にはパンの皮と、馬車からなにやらとり出すついでに、すばやくちょいと切りとった蝶鮫の干物のひときれを持って、まさにぱくつこうとしたところだった。「おい、ポルフィーリィ」とノズドリョーフはどなった。「子犬を連れてこい! きみ、いい子犬だぜ!」と彼はチチコフのほうを向いて、つづけた。「かっさらってきたんだよ。持ち主の野郎、生命にかえてもわたせねえなんてぬかしやがんで。ぼくは薄栗毛の牝馬《めす》をやるからと言ったんだが、ほら、おぼえてるだろう。フヴォストゥイリョフのとこで交換したあの牝馬だよ……」チチコフは、しかし、いまだかつて薄栗毛の牝馬も、フヴォストゥイリョフも見たことがなかった。
「だんなさま! なにも召し上がらねえだかね?」と、そのとき老婆が彼のそばへ来て、たずねた。
「なにもいらん。いや、きみ、じつによく遊んだよ! そうだな、ウォトカを一杯もらおうか。どんなのがある?」
「アニソーワヤだがね」と老婆は答えた。
「よかろう、そのアニソーワヤをくれ」とノズドリョーフは言った。
「じゃ、ぼくにも一杯くれ!」と白っぽい髪が言った。
「劇場へ行ったら、ひとりの女優がうたってたが、それがカナリヤみたいにいい声なのさ! クヴシンニコフのやつ、ぼくのとなりにすわってたが、もうさっそく、『こいつぁ、きみ、一番、イチゴつみをやらざなるめえ!』なんてぬかしやがるのさ。見世物小屋だけでも、九十軒は下らなかったと思うな。フェナルディ〔一八二〇年代の有名なアクロバット師〕が四時間もくるくるまわってたぜ」ここで彼は老婆の手からグラスを受けとった。すると老婆は、直接に受けとってもらったので、うやうやしく腰をかがめた。
「あ、ここへ連れてこい!」と彼は、子犬を抱いてはいってきたポルフィーリイを見て、叫んだ。
ポルフィーリイは、だんなと同じように綿のはいったアジアふうの上っ張りを着ていたが、だんなのよりもすこしあかじみていた。
「こっちへくれ、ここの床の上におけ!」
ポルフィーリイは子犬を床の上においた。すると子犬は、四つあしをそれぞれ横っちょへのばしてぺたっと腹をつけ、くんくん床をかぎはじめた。
「いい子犬だろう!」と言いながら、ノズドリョーフは子犬の背中をつかんで、持ち上げた。
「こいつめ、おまえはおれが言いつけたことをやってないな」とノズドリョーフはポルフィーリイに言うと、子犬の腹を注意深く点検した。「ブラシをかけてやろうという気も起きなかったのか?」
「とんでもねえ、かけてやりましただよ」
「じゃ、どうしてのみがいるんだ?」
「さあね。てっきり、馬車の中でついただべさ」
「うそつけ、でまかせぬかしくさって、ブラシをかけようなどとは考えもしないで、そのうえ、自分ののみまでうつしやがって、ばか者! そら、見てくださいよ。チチコフ、どうです、この耳、さ、ちょっとさわってごらん」
「いや、それにはおよびませんよ。見ただけでわかります。いい血統ですね!」とチチコフは答えた。
「まあ、そう言わんで、ちょっと持ってごらん、さ、耳をさわってごらん!」
チチコフは、彼の気をわるくさせないために、子犬の耳にちょっとさわって、言った。
「なるほど、いい犬になりますね」
「それに鼻、どうです、この冷たいこと! ほら、さわってごらん」
彼のきげんを損じまいとして、チチコフは鼻にもちょっと指をふれて、言った。
「いい嗅覚《きゆうかく》ですね」
「純粋のボクサーだよ」とノズドリョーフはつづけた。「実を言うと、ぼくはもうまえまえからボクサーをねらってたんだよ。さ、ポルフィーリイ、あっちへ連れてゆけ!」
ポルフィーリイは子犬の腹をてのひらにのせるようにして抱き上げると、馬車の中へはこび去った。
「ねえ、チチコフ、きみはこれから是が非でもぼくの家に行かにゃならんよ。たった五露里、とばせば一息だ、それに、なんなら、ぼくのとこから、サバケーヴィチのところへも行けるし」
『さて、どうしたものかな』とチチコフはひそかに考えた。『ほんとにノズドリョーフのところへ寄ってやろうか。べつに他の連中よりわるいというわけではなし、まあ普通だし、それにカルタですってんてんになるような男だ。なんにでもがむしゃらにとびこんでゆくたちらしい――とすると、もしかしたら無償《ただ》でねだれるかもしれんぞ』
「では、行きましょう」と彼は言った。「ただ、あまり引き止めないでくださいよ。わたしには時間が貴重ですから」
「よう、きみ、そう来なくちゃいかん! よかった、よかった。どれ、お礼にひとつ接吻させてくれ」ここでノズドリョーフとチチコフは接吻し合った。「じつにすてきだ。三人でひとつ思いきりとばそうじゃないか!」
「いや、ほくはもうここでかんべんさせてもらうよ」と白っぽい髪が言った。「ぼくは家へ帰らなきゃならんのだよ」
「ばかな、なにをつまらんことを。ぼくは放免せんぞ」
「きっと、女房が怒るよ。ここからはそちらの馬車に乗せてってもらったらいいじゃないか」
「な、な、なに! ばかなことを言うな!」
白っぽい髪の男は、ちょっと見ると性格にいこじそうなところがあるように見えた。こういう連中は、まだ口も開かないうちに、もう口論の構えを見せていて、その考え方に明らかに矛盾することには、ぜったいに妥協せず、ばかをりこうとは決して言わないし、わけても他人の笛で踊ることはぜったいに承知しないかに見える。ところが、けっきょくは、その性格にある弱さが出て、はじめあれほど突っぱねていたことをあっさりと受け入れ、ばかをりこうと呼び、そのうちに他人の笛であきれるほどじょうずに踊りだすのが常である――一口に言えば、はじめは脱兎《だつと》のごとく、おわりは処女のごとし、というやつである。
「くだらん!」とノズドリョーフは白っぽい髪のなにやら言いわけがましいことを一言のもとにはねつけると、その頭に縁無し帽をぐいとかぶせた。そこで――白っぽい髪はしかたなさそうに彼のあとにつづいた。
「ウォトカのお代を、だんな、まだちょうだいしてねえだが……」と老婆は、言った。
「あ、いいとも、いいとも、ばあさん。おい 義弟《おとうと》! すまんが、払っておいてくれ。ぼくは懐中《かいちゆう》一文なしだ」
「いくらだね?」と義弟はきいた。
「ええ、なんの、だんなさま、みんなで銀貨で二十コペイカですよ」と老婆は言った。
「うそつけ、ふっかけやがって。紙幣《しへい》で五十コペイカもやっておきゃあ、じゅうぶんだ」
「それじゃかわいそうだよ。だんなさま」と老婆は言った、それでもぺこぺこしながら受けとったばかりか、いそいそとかけていって、客たちにドアをあけてやった。老婆は損をしなかった。というのはウォトカの値段よりも四倍も高くふっかけたからである。
一同は馬車に乗りこんだ。チチコフの馬車は、ノズドリョーフと義弟の乗った馬事と並んで進んだ。だから三人は途中ずっと自由に話し合いながら行くことができた。そのあとから、ともすればおくれがちに、やせた百姓馬にひかれたノズドリョーフの小型の馬車がつづいた。これにはポルフィーリイと小犬が乗っていた。
旅人たちが交わした会話は、読者にとってさほど興味あることではなかったので、それよりも、むしろ、ここでノズドリョーフという男についてすこし語ることにしよう。この男はわが叙事詩においてかなり重要な役を演ずることになりそうだからである。
ノズドリョーフという人間は、おそらく、読者にはもういくらかおなじみであろう。こうした人間にはだれでもかなり出会っているからである。こうした連中は暴れん坊と呼ばれ、こどものころや、学校へ行ってるころは、たのもしい友だちで通っているが、そのくせ、ときにはこっぴどいめに会わされる。その顔にはいつもからっとした、一本気な、向こうっ気の強い気性があらわれている。彼らはじきに友だちになって、こっちがまだ顔もおぼえないうちに、もう「きみ、ぼく」などとなれなれしいことばをつかいだす。友情は永久に持ちつづけそうに見えて、そのくせたいていは、友情を結んだその晩の記念の酒宴でけんか別れをしてしまうようなことになる。彼らはたいていおしゃべりで、遊び好きで、勇みはだで、押し出しがりっぱである。ノズドリョーフは三十五のいまでも、十八や二十のころとちっとも変わらず、遊ぶことになると目がない。結婚も、彼をすこしも変えなかった。まして妻は、彼にはまるで必要のないふたりのこどもをのこして、さっさとあの世へ行ってしまったのだから、なおのことである。こどもたちのことは、それでも、あだっぽい乳母がめんどうをみていた。彼が家にいるのはせいぜい一日で、それ以上はぜったいにじっとしていられなかった。鼻がえらく敏感で、数十露里先にでもあらゆる集まりや舞踏会のある定期市《いち》がかかると、すぐにそれをかぎつけ、もうあっというまにそこへ乗りこんで、カルタ卓をかこんで口論をおっぱじめ、はでな騒ぎをやらかしている。
こういう連中の例にもれず、彼の賭博《とばく》好きは病気だからだ。カルタでは、われわれがすでに第一章で見たように、彼はさまざまないかさま手口やその他の微妙なところを知っているので、ときどききたないことをやらかす。そのためにカルタの勝負が別なゲームでおわりになることがしょっちゅうだった。あるいは彼が長靴を振りまわしてけりになるか、あるいは彼の濃い、じつにみごとなほおひげを引きむしられるかである。それで彼は片方だけの、それもかなりうすくなったほおひげだけで家へもどることがままあった。ところが彼の健康とまるまるしたほおは、じつにうまくつくられていて、おどろくほどの育生力を蔵しているので、ほおひげはたちまち、むしろまえよりもりっぱなほどにはえそろうのだった。そしてなによりも奇妙なのは、そしてこれはロシアにしか起こりえないことだが、数日後にはもう、彼を袋だたきにした連中とまた出会って、まるでなにごともなかったようににぎやかに談笑しているのだ。そして彼も、いわゆるケロリならば、相手もケロリなのである。
ノズドリョーフはある意味の事件屋であった。彼が出ると、どんな集まりでも事件が起こらずにはすまなかった。なにかしらかならず事件が起こった。あるいは憲兵たちに会場から引き立てられるか、さもなければ友人たちに力ずくでつまみ出されるのがおきまりのしまつであった。よしんばそういうことがないにしても、やはりなにか他の者にはぜったいにできないような、妙なことをやらかす。たとえば、酒場で、笑うほかないようなこっけいな酔態《すいたい》を演じたり、しまいには自分でも恥ずかしくなってしまうような、のほうずもないほらを吹きまくる、といったたぐいである。そのほらも、まるでやぶから棒で、おれは青い毛の馬を持っているの、バラ色の毛の馬があるの、といったたぐいのばかみたいなことを、だしぬけに言いだすので、聞いているほうがしまいにはばかばかしくなって、「おい、おめえ、まためくら弾《だま》うちはじめたらしいな」などと言って、逃げ出してしまう。どうかすると、まったくなんの理由もないのに、身近の者をこきおろしたくなるというやっかいな病気を持っている人がいるものだ。中には、たとえば、高い官等を持ち、りっぱなふうさいで、胸にスタニスラフ星章をつけているような人物でありながら、はじめは諸君の手をにぎり、瞑想《めいそう》を誘うような深遠な問題について語っているかと思うと、だしぬけに、面と向かって、諸君をこきおろす。しかもその口のわるさは、そこらの十四等官らと選ぶところがなく、ぜんぜん、胸にスタニスラフ星章を下げ、瞑想を誘うような深遠な問題について語っていた人とは思われない。それで諸君はあきれて、肩をすくめて、ぽかんとつっ立ってるほか、どうにもしようがない。こういう奇妙な病気をノズドリョーフも持っていた。彼は親しくなった者ほど、早く恥をかかせた。これ以上ばかばかしいことは考え出せないというほどの、荒唐無稽《こうとうむけい》なでたらめをまきちらして、結婚や商談をぶちこわしておきながら、決して自分をその人たちの敵とは思っていないのである。それどころか、たまたままたその人たちと会うようなことがあると、また親しげにふるまって、「きみもひどいじゃないか、とんとぼくをお見限りでさ」などとぬけぬけと言うのだ。
ノズドリョーフは多くの点でじつに多芸多才な男、つまりなんでもやりたがり、なんでもこなす男だった。彼はいきなりたとい地のはてでも、きみの望むところへどこへでも行こう、などと言ったか思うと、つぎの瞬間にはきみの事業を手つだうよ、と言ったり、ここにあるものはなんでもきみのお望みのものと交換するよ、などと言ったりする。鉄砲、犬、馬――すべてが交換の対象であったが、しかし決してとくをしようという気持ちはない。これはひとえに、頭に血がのぼりやすく、気が早すぎるせいなのである。もしも定期市《いち》で運よくまぬけな鴨《かも》にぶつかって、すっかり巻き上げたりすると、彼はあちこちの店でまえから目をつけていた品物を山ほど買いこむ、――馬の首輪、香蝋《こうろう》、乳母のプラトーク、種馬、ほしぶどう、銀製の手洗い鉢、オランダ麻布、上等小麦粉、タバコ、ピストル、鰊《にしん》、絵、研磨《けんま》機、つぼ、長靴、陶器の食器といったものを、金のあるかぎり買いこむのである。とはいえ、これが家まで持ち帰られることはめったになかった。ほとんどその日のうちにそれはすっかり他の幸運な賭博者の手に移ってしまうばかりか、ときにはそのうえ自分の愛用のパイプに煙草入れと吸い口までそえて追加することもあり、またよくよく運がなければ、四頭立ての馬車そっくり、馭者までつけて巻き上げられてしまうこともあった。そんなときは、当の主人はつんつるてんのフロック・コートか、アジアふうの上っ張りを着て、馬車に乗せてくれる友だちはいないかとうろうろさがし歩く。ノズドリョーフとはこんな男であった! あるいは、それは消えてしまった性格の一つで、いまはもうノズドリョーフのような人間はいない、と人々は言うかもしれない。とんでもない! そんなことを言う人々は、まちがっている。ノズドリョーフはまだまだ永く世の中から消えはしない。彼はいたるところわれわれのあいだにいる、そしてただ別な服を着ているだけかもしれない。ところが人々は思慮が浅く、目はうわべしか見えないから、別な服を着ていると別な人間に思われるのである。
こうしているうちに、二台の馬車はもうノズドリョーフの家の門に近づいてきた。家では彼らを迎える準備はなにもできていなかった。食堂のまん中に木の踏み台が二つすえられて、百姓がふたりその上につっ立って、なにやらだらだらと牛のよだれのような歌をうなりながら、壁を白く塗っていた。床にはそこらじゅうに白ペンキがはねちっていた。ノズドリョーフは百姓どもも踏み台も即刻消え失せるように、言いつけると、指し図をあたえにとなりの部屋へかけこんでいった。彼が料理番に昼食の支度を命じている声が、客たちに聞こえた。そのようすでは、五時まえには食卓に着けそうもないと、もうそろそろすこし空腹を感じはじめていたチチコフは観念した。ノズドリョーフはもどってくると、自分の村にあるものをすっかり見せるからと、客たちを連れ出したが、二時間とちょっとでもうすっかり見せつくしてしまって、あとはもうなにも見せるものがのこっていなかった。
まず最初に彼らは厩《うまや》を見に行った。そこには連銭葦毛と、薄栗毛の、二頭の牝馬と、さらに栗毛の種馬が一頭いた。この種馬は、見かけはよくなかったが、ノズドリョーフは一万ルーブリ払ったと、神かけて誓った。
「これに一万出したって!」と義弟はひっかかった。「こんなのは千ルーブリもしないよ」
「ほんとだよ、一万出したんだ」とノズドリョーフはむきになった。
「そりゃ、あんたのかってだ、好きなように誓うがいいさ」と義弟は答えた。
「よし、なんなら、賭《か》けようか!」とノズドリョーフが言った。
賭けをすることは、義弟は望まなかった。
つぎにノズドリョーフはからっぽの厩《うまや》へ、案内した。まえにはここにもすばらしい馬がいたそうだが、いまは山羊《やぎ》が一匹あそんでいた。山羊は、古い迷信で、馬といっしょに飼っておかなければならぬものとされていた。それにこの山羊というやつは、どうやら馬とうまが合うらしく、まるで自分の家にでもいるように、平気で馬の腹の下をくぐってあそんでいるものだ。それからノズドリョーフは客たちに鎖につないである狼《おおかみ》の子を見せた。
「これが狼の子だよ!」と彼は言った。「わざと生肉を食わせてるんだ。ぼくはこいつを完全な野獣にしたてあげたいのさ!」つぎに池を見に行った。この池には、ノズドリョーフのことばだと、大の男がふたりかかってもなかなかひき上げられないほどの、化《ば》けものみたいなさかながいるそうだが、しかしこれにも、義弟は疑いを表明することをおこたらなかった。「そうだ、チチコフ」とノズドリョーフ言った。「きみにすばらしい犬のつがいを見せよう! ひきしまった四肢《あし》の強さは、まったくおどろくほどだよ。とがった鼻づらは――針みたいだ!」そして彼はじつにきれいな小さな小舎へ彼らを案内した。それは四方を板塀でかこわれた広い庭の中に建てられていた。
庭へはいると、そこにはあらゆる種類の犬がいた。首に密毛のはえたボルゾイもおれば、首の毛のうすいボルゾイもおり、色と毛並みもじつに多種多様で、褐色のも、黒にこげ茶のまじったのも、白に黄の斑《ぶち》のあるのも、黄に黒の斑のあるのも、黄に赤の斑のあるのも、耳の黒いのも、耳の灰色なのもいた……名まえもさまざまで、どれにも命令形がつけてあった。たとえば、|射て《ストレリヤイ》、|ののしれ《オブルガイ》、|飛びまわれ《ボルハイ》、|燃えろ《バジヤール》、|刈れ《スコスイル》、|書きなぐれ《チエルカイ》、|焼け《ドペカイ》、|焦がせ《プリペカイ》、|じれろ《セヴエルガ》、さらに|めんこ《カサートカ》、|ほうび《ナグラーダ》、|見張り《ボペチーテリニツッア》、といったぐあいである。ノズドリョーフは犬どものあいだにはいると、まるで家族たちにとりかこまれた父親のようであった。犬どもはたちまち『犬の舵』と称されるしっぽをぴんと立てて、まっしぐらに客たちに向かってとんでくると、彼らに歓迎のあいさつをしはじめた。その中の十匹ばかりがノズドリョーフの肩に前あしをかけた。|罵れ《オブルガイ》がチチコフに大いに親愛の情を示し、あとあしで立ち上がって、|した《ヽヽ》でくちびるをペロペロなめたので、チチコフはあわててぺっとつばを吐いた。客たちは、ひきしまった四肢《あし》の強さはまさにおどろくべきである、という犬どもを見まわした。――たしかにいい犬であった。それから一同はクリミヤ産の牝犬を見に行った。これはもう目が見えなくなっていて、ノズドリョーフのことばだと、もうじき死ぬはずだが、しかし二年ほどまえはすばらしい牝犬であった。よく見ると――たしかに、目が見えないらしかった。つぎに水車小舎を見に行った。水車は軸についてまわる石をおさえる鉄枠がなかったので、くるくると早くまわっていた。――ロシアの百姓どもの絶妙な表現をかりれば、『やたらとはねまわる』というやつである。
「あちらにもうすぐ鍛冶《かじ》場ができるんだよ!」とノズドリョーフは言った。
すこし行くと、たしかに鍛冶場ができかかっていて、彼らはそれも見物した。
「あの野原には」とノズドリョーフは前方を指さしながら、言った。「野兎がわんさといて、地はだも見えないほどさ。ぼくも一匹手づかみにしたことがあったよ」
「ええ、野兎を手づかみになんかできまいさ!」と義弟がちゃちゃをいれた。
「だってつかまえたんだからしようがないじゃないか、ちゃんとつかまえたんだ!」とノズドリョーフは言った。「今度はぼくの土地のとっぱずれの境界線をお見せしよう」と彼はチチコフのほうを向いて、つづけた。
ノズドリョーフはあちこちに小高い丘が散在する野原を通って客たちを案内していった。客たちは休耕地とすきおこされた畑のあいだをぬうようにして進まなければならなかった。チチコフはそろそろ疲れてきた。踏むと水がにじみ出るようなところが多かった。それほど土地は低かったのである。彼らははじめのうちは気をつけて、注意して足を踏み出していたが、そのうちに、そんなことをしてもなんにもならぬことに気づいて、ぬかるみはどっちが大きく、どっちが小さいかなど、いっさいおかまいなしに、まっすぐにどんどん歩いていった。かなり来たと思うころ、たしかに境界らしいものが見えた。一本の杙《くい》が立っていて、小さな溝《みぞ》が走っていた。
「あれが境界だよ!」とノズドリョーフが言った。「こちら側に見えるものはなにもかも、すっかりぼくのものだ。あっち側でも、あそこに青く見えているあの森も、森の向こうも、すっかりぼくのものだよ」
「おや、いったいいつあの森があんたのものになったんだい?」と義弟がきいた。「じゃ、近ごろ買ったのかね? たしかあれはあんたのものじゃなかったはずだが」
「そう、最近買ったばかりだ」とノズドリョーフは答えた。
「そんなに早く、いったい、いつの間《ま》に買いこんだんだい?」
「なあに、一昨日さ、ごっぽりとられたぜ、ちくしょう」
「だってあんた、一昨日は定期市《いち》にいたじゃないか」
「えい、まったくおめでたいやつだなあ、おまえも! 定期市《いち》にいることと、土地を買うことと、同時にはできないというのかい? そりゃ、おれは定期市にいたさ。だがうちの管理人がおれのいないあいだに買っておいたのさ」
「なるほど、管理人がねえ!」と義弟は言ったが、どうにも腑《ふ》におちないらしく、頭をひねった。
客たちは同じいやな道を通って家へもどってきた。ノズドリョーフは彼らを自分の書斎へ案内した。そこには、しかし、普通書斎といわれるところにあるもの、つまり本とか紙とかは、影すらも見あたらず、ただサーベルが一ふりと、鉄砲が二|挺《ちよう》壁にかかっているだけだった。鉄砲は一挺は三百ルーブリ、もう一挺は八百ルーブリということだが、義弟は、しげしげと見て、ただ首をひねっただけだった。それからトルコの短剣が見せられたが、その一ふりにはまちがって『サヴェーリイ・シビリヤコフ』というロシア名の銘《めい》が刻まれてあった。つづいてシャルマンカ〔背に負って歩く小形オルガン〕が披露された。ノズドリョーフはさっそく客たちのまえでハンドルをまわした。シャルマンカはなかなかいい音で鳴りだしたが、途中で、どうやら、内部がどうかなったらしい。というのは、マズルカが中途で『マルボローは征途につけり』〔フランスの古い歌〕という歌に変わり、その『マルボローは征途につけり』が突然昔なつかしいなんとかいうワルツに変わったからである。もうノズドリョーフはとっくにハンドルをまわすのをやめていたが、シャルマンカにはひどく勇ましい管が一本あって、なんとしてもしずまろうとせず、その後ながいことひとりで鳴りつづけていた。つづいてパイプが持ち出された――木のパイプ、陶器のパイプ、海泡石のパイプ、やにつやの出たもの、まだ出ていないもの、なめし皮がかぶせてあるもの、かぶせてないもの、最近賭博でとった琥珀《こはく》の吸い口のついた煙管《きせる》、どこかの宿駅で彼に首ったけになった、さる伯爵夫人が刺繍した煙草袋、この夫人の小さな手は、彼のことばをかりると、こよなく繊細《せんさい》なよけいものだったとのことだ――これは彼の用語では完成の極致という意味らしい。
例の蝶鮫《ちようざめ》の干物を虫おさえに軽くつまんだうえで、彼らは五時近くに食卓についた。どうやら食事というものが、ノズドリョーフの家では、生活の主要な部分にはなっていないらしかった。料理は大きな役割は演じていないと見えて、こげついたのもあるかと思えば、ぜんぜん煮えていないものもあった。どうやら、料理番はむしろある種のインスピレーションにみちびかれて、手にふれるものを片っぱしから入れたらしい。そばにこしょうがあれば、こしょうをふりかけ、キャベツが手にふれれば――キャベッを投げこみ、牛乳、ハム、えんどう、なんでもかまわずほうりこむといった調子で――一口に言えば、めちゃくちゃなごった煮というやつで、煮えれば、なにか味がでるだろうというわけである。その代わりノズドリョーフはぶどう酒には目がなかった。まだスープも出ないうちに、彼はもう客の大きなコップにポートワインを、別なコップにまがいもののソーテルン〔フランスのソーテルン市産の白ぶどう酒〕を注いだ。県や郡の町にはほんもののソーテルンなどなかったからである。それからノズドリョーフは、元帥閣下でさえもこれ以上のものは飲んだことがないというマデラ酒を一本持ってこさせた。たしかに、そのマデラ酒は口の中がやけどするほどだった。というのは商人どもが、強いマデラ酒を好む地主たちの好みを知っているから、ようしゃなくラムを混ぜたり、ときにはロシア人の胃袋ならたいがいのものに負けないのをいいことに王水〔濃硝酸と濃塩酸の混合液で、金、白金等を溶かす〕まで注ぎこんだりするからである。つぎにノズドリョーフはもう一本なにやら特別のびんを持ってくるように言いつけた。それは、彼のことばによれば、ブルゴーニュのぶどう酒とシャンパンをいっしょにしたものだということだ。彼はひどく熱心にそれを右と左、つまり義弟とチチコフのコップに注いだ。ところがチチコフは、なにげなく目をすべらせて、彼が自分のコップにはあまり注ぎ足さないのに気がついた。そこで彼は注意して、彼がなにか話に夢中になったり、義弟のコップに注いだりするすきをねらって、すばやく自分のコップの酒を皿にこぼした。しばらくするとナナカマド酒が食卓の上に出された。これはノズドリョーフのことばでは、純粋なクリームの味がするということだが、おどろいたことに、百姓たちの地酒のひどいにおいがつんつんと鼻に来た。つぎになんとかいう香草を浸したウォトカを飲んだが、とてもおぼえられないようなややこしい名で、当の主人でさえ二度めにはもう別な名で呼んだほどだ。食事はもうとうにすみ、酒ももう、じゅうぶんすぎるほど試みられたが、一同はまだ食卓をかこんですわっていた。
チチコフは、この義弟がいるまえではかんじんな用件のことをぜったいにノズドリョーフに切り出したくなかった。なんといっても義弟はやはり第三者で、この用件はふたりきりの親密な話し合いを必要としたからである。とはいえ、この義弟はとても危険な人物にはなれそうもなかった。というのは、すっかり酔いにのしかかられてしまったらしく、椅子にすわったまま、たえず、鼻の先で食卓をつついていたからだ。そのうちに自分でも、はなはだたよりない状態にあることに気づいたらしく、とうとう家へ帰してくれと言いだした。しかしそれが、ロシア式の表現にしたがえば、|釘抜き《やつとこ》で馬に首輪をかけるというやつで、なんともものうげな、だらけきった声だった。
「いや、だめ、だめ! 帰さんぞ!」とノズドリョーフは言った。
「こら、おれをばかにするなよ、おれは、ほんとに帰るんだから」と義弟は言った。「おめえ、てんでおれをばかにしすぎるぞ」
「くだらんことを言うな! これからバンクを一勝負やらかそうってんだよ」
「いやだよ、おめえ、自分でやるがいいさ。おれはやらねえよ、女房がかんすけになるからなあ、そうだ、あれに定期市《いち》の話をしてやる約束なんだ。だめだって、ひきとめねえでくれよ!」
「ふん、あれだの、女房だのって、けたくそわるい……ほんとにだいじなことは女房といっしょにやろうってのかい!」
「そうじゃないよ! あれはほんとにやさしくて、しとやかで、いい女房なんだよ! なにからなにまで、よくしてくれるんで……ほんとに、おれは涙が出そうなんだよ。だめだよ、おれを引きとめねえでくれ、おれは誠実な人間のままで、帰るんだよ。ほんとだよ、決してうそじゃねえ」
「帰らせてやりなさいよ。引きとめておいてもしようがないじゃありませんか!」とチチコフはそっとノズドリョーフに言った。
「それもそうだな!」とノズドリョーフは言った。「まったく好かんよ、こういう薄のろは!」そして声に出してつけくわえた。「ちえっ、かってにしろ、帰って女房といちゃつくがいいさ、この|ど《ヽ》助平!」
「そりゃいかんよ、おめえ、おれを助平なんて言わんでくれよ」と義弟は答えた。「あれにはほんとに恩を感じてるんだよ。ほんとに、気だてがよくて、やさしくてかゆいところに手がとどくようにしてくれるんで……ありがたくて、涙がこぼれるほどだよ。定期市《いち》にどんなものがありました、ってきかれたら、すっかり話してやらなきゃならないんだ。まったくかわいい女だよ」
「じゃ、行けよ。女房にでたらめ聞かせてやるがいいさ! そら、おまえの帽子だ」
「いいや、おめえ、ぜったいにあれのことをそんなふうに言っちゃいけないな。それは、言ってみれば、このおれを侮辱《ぶじよく》するようなものだ。あれはかわいい女だよ」
「だから、そのかわいい女のとこへ、さっさと帰れよ!」
「うん、じゃ帰るよ、わるく思わんでくれな、残れなくて。ほんとに残りたいんだけど、それができないんだよ」
彼はもうとうに馬車に乗って、馬車はもうとうに門を出て、もう先ほどから眼前には広々とした野原しかないことに気づかないで、いつまでもくどくど言いわけをくりかえしていた。このぶんでは、妻君も定期市のくわしい話をあまり聞けなかったにちがいない。
「ごみみたいな野郎だよ!」ノズドリョーフは窓ぎわに立って、遠ざかってゆく馬車をながめながら、言った。「あの、ぶざまなかっこうはどうだい! しかしあの副《そえ》馬はわるくないな、もうまえからねらいをつけてるんだが。まったくあいつはぬらりくらりで、どうにも手がっけられねえ。助平野郎だよ。まったく助平野郎だ!」
やがてふたりは部屋へはいった。ポルフィーリイがローソクを持ってきた。するとチチコフは、どこからどうとり出したものか、主人の手に一組のカルタがにぎられているのに気がついた。
「どうだね、きみ」とノズドリョーフは言いながら、カルタの両側を指でぎゅっとおさえ、すこしそらせた。そのためにカルタははぜるような音をたてて、ぱらぱらととび散った。「ひとつ時間つぶしに、ぼくが三百ルーブリで親になろうか!」
しかしチチコフは、なんの話か聞こえなかったようなふりをした。そして不意に思い出したように、言った。
「あっ、そうそう! 忘れないうちに言っておくけど、きみにひとつ頼みがあるんだよ」
「どんな?」
「そのまえに約束してもらいたいんだよ、きいてくれるって」
「だからどんな頼みだい?」
「ま、いいじゃないか、約束しなさいよ!」
「まあ、いいだろう」
「きっとですね?」
「きっとだよ」
「実はこういう頼みなんですよ。きみのところには、きっと、死んでしまった農奴でまだ戸籍から消されていないのが、たくさんいるだろうね?」
「うん、いるよ、それで?」
「それをぼくに譲ってもらいたいのですよ、ぼくの名儀に」
「でも、なんのために?」
「ええ、その、ぼくに必要なんだよ」
「だから、なんのためにさ?」
「まあね、とにかく必要なのさ……まあ、そんなこといいじゃないか――要するに、必要なんだよ」
「そうか、さては、てっきり、なにかたくらんだな、白状したまえ、なんだい?」
「だって、なにをたくらむんだね? こんなつまらないものからなにもたくらめやしないよ」
「じゃ、なぜ、そんなものがいるんだい?」
「おやおや、きみもずいぶんもの好きだねえ! どんなくだらんものでも、手でさわってみて、そのうえさらににおいまでかがにゃ気がすまんのだ!」
「じゃ、どうしてきみは言いたがらんのだい?」
「だって、聞いてきみになんのとくになるんだね? なに、ただ空想がひょいと頭に来ただけさ」
「よしきめた、きみが言わないあいだは、ぼくも|うん《ヽヽ》と言わぬ!」
「そら見たまえ、きみのほうからすでに破ってるじゃないか。約束をして、しかも誓っておきながら」
「ま、きみがどう思おうと、きみがそのわけを言わないうちは、ぼくは|うん《ヽヽ》と言わんよ」
『どう言ったものかしら?』とチチコフは考えた。そして一分ほど思案してから、死んだ農奴が必要なのは世間に対して重みをつけるためで、自分は大きな領地は持っていないから、ここしばらくのあいだせめて、死んだ農奴でもいいから持ちたいのだ、と説明した。
「うそだよ、うそだよ!」と、みなまで言わせずに、ノズドリョーフは言った。「ごまかすなよ、きみ!」
チチコフは自分でも、あまりいい思いつきではなく、理由がかなり弱いことを認めた。
「よし、では正直にきみに言おう」と彼は改まって言った。「ただし、どうか、だれにももらさないでほしい。実は、ぼく結婚しようと思うんだ。ところが、ここをきみに知ってもらいたいのだが、相手の両親というのがえらく気位が高くてね、まったく、ひととおりのやっかいさじゃないんだよ。つまらないかかわりを持っちゃったと、いまさらほぞをかんでいるんだが、どうしても三百人以上の農奴を持っていなきゃ婿《むこ》にできんと言うんだよ。ところがぼくは約百五十人ほど足らないものだから……」
「ふん、うそだよ! うそだよ!」とまたノズドリョーフは叫んだ。
「いや、今度こそは」とチチコフは言った。 「これっぽっちもうそはない」そしておや指で小指の先端を示した。
「おれは首を賭《か》けてもいいぜ、そんなのはうそにきまってる!」
「しかし、そりゃ失礼じゃないか! ぼくをなんだと思ってるんです! どうしてぼくの言うことがうそにきまってるんです?」
「そりゃあ、おれはきみという人間をちゃんと見ぬいているからさ。きみはたいした詐欺師《さぎし》だよ。親友としてずばり言わしてもらうがね! もしおれがきみの上官だったら、枝ぶりのいい木が見あたりしだい、さっさとしばり首にするところだよ」
チチコフはこのことばにむっとした。彼はだいたい、いささかでも粗暴なことばや、礼を失するような表現は好まなかった。相手が相当の高官ででもないかぎり、いかなる場合もなれなれしい態度をとらせることさえ、彼は好まなかった。そんなわけで、彼はいますっかり腹をたててしまった。
「もちろん、しばり首にするだろうな!」とノズドリョーフはくりかえした。「おれがこんなことをずけずけと言うのは、きみを侮辱《ぶじよく》しようなんてつもりじゃないよ。ただ親友として言ってるだけだよ」
「なにごとにも限度というものがある」とチチコフは威厳をこめて言った。「そのようなことばをつかって粋《いき》ぶりたいと思うのなら、軍隊へ行きなさい」それから、ちょっと間《ま》をおいてつけくわえた。「くれるのがいやなら、売ったらいいでしょう」
「売る! でもおれはきみという人間を知ってるからな。きみはけちな野郎だ、どうせそうはりこむわけはないだろうさ?」
「へっ、きみだって相当なものじゃないか! あきれたねえ! きみのところの死人どもは、ダイヤモンドだとでも言うのかね?」
「そう、そのとおりだ。おれはもうきみってやつがわかったからな」
「ばかな、きみ、どうしてそんなユダヤ人みたいな根性《こんじよう》を出すんだろうねえ! そんなものはあっさりぼくに譲ってくれてしかるべきなのに!」
「まあ、聞きたまえ、おれが決してそこらのしわん坊と同類じゃないということを、きみに証明するために、死人どもの代金など一文もとるまい。おれの種馬を買いたまえ、そしたらおまけにつけてやろう」
「とんでもない、なんのためにぼくが種馬を?」と、この申し出にすっかりおどろいて、チチコフは言った。
「なんのためとはなんだい? だって、おれはあの馬に一万出したんだぜ。でもきみには四千で譲ってやろう」
「だって、種馬をぼくがどうするんです?。養馬場を持ってるわけじゃなし」
「いいから聞きたまえ、きみはわかっとらんのだよ。おれがいまきみからもらおうってのは三千だけなんだぜ、のこりはあとで払ってもらえばいいんだ」
「とにかく、ぼくは種馬なんかいりませんよ、まっぴらです!」
「では、薄栗毛の牝馬を買いたまえ」
「牝馬もいりません」
「牝馬に、きみがさっき厩《うまや》で見たあの灰色の馬をつけて、たった二千にまけとくよ」
「とにかく馬はいりませんよ」
「売ればいいじゃないか。つぎの定期市《いち》で軽く三倍には売れるぜ」
「三倍もうかることがわかってるなら、きみが自分で売ったほうがいいじゃないですか」
「もうかることは、わかってるさ。だがおれは、きみにもうけさせたいのさ」
チチコフはその好意には礼をのべて、灰色の馬も、薄栗毛の牝馬もかたく辞退した。
「そうか、では犬を買いたまえ。すばらしい一つがいを譲ってやろう。ぞくぞくっとするような名犬だぜ! ひげがりっぱで、はりねずみみたいにごわごわした毛がつっ立ってさ、脇腹のがっしりと張っていることといったら、ちょっと想像以上だな。それに四肢《あし》がきりっとひきしまって、走らせたら地べたになんかふれないくらいだ!」
「でも、なぜぼくが犬を? ぼくは猟師《りようし》じゃありませんよ」
「だがおれはきみに犬を持たせたいんだよ。じゃ、犬がいやなら、シャルマンカを買いたまえ、ありゃ絶品だぜ。かけ値なし、千五百で手に入れたんだが、九百できみに譲ってやろう」
「だって、ぼくがシャルマンカを買ってどうするんです? ぼくはドイツ人じゃありませんからね、そんなものを持って大道を流して、金を乞うようなことはしませんよ」
「だってきみ、あれはドイツ人が持って歩くようなシャルマンカじゃないぜ。あれはオルガンだよ、よく見てくれよ、全部マホガニーでできてんだぜ。よし、もう一度きみに見せてやろう!」
ここでノズドリョーフは、チチコフの腕をぐいとつかむと、となりの部屋へむりやりひきずっていこうとした。それで、チチコフは足をふんばって抵抗し、どんなシャルマンカかもう知っているからとさかんに言いはったが、けっきょくもう一度マルボローがどのように征途についたかを聞かなければならなかった。
「もしきみが金を出すのがいやならだな、ひとつこうしようじゃないか、おれはきみにだ、このシャルマンカと、どれだけいるかしらんが死んだ農奴を全部わたす。その代わりきみは、自分の馬車に三百ルーブリをつけておれによこしたまえ」
「とんでもない、それじゃぼくはなにに乗って帰るんです?」
「おれの馬車をやるよ。さ、納屋《なや》へ行こう、それを見せてやろう! 塗り直しさえすれば、すてきな馬車になるぜ」
『ちえっ、このはえみたいな悪魔め、どこまでしつこいんだ!』とチチコフはひそかに考えた。そしてなにがなんでも馬車であれ、シャルマンカであれ、犬であれ――たといそれが脇腹のたくましい張りと四肢《あし》のきりっとしたひきしまりぐあいが想像を絶するような名犬であろうともだ――ぜったいにことわろうと腹をきめた。
「だってきみ、馬車も、シャルマンカも、死んだ農奴も、みんなひっくるめてだぜ!」
「いやですね」とチチコフは改めて言った。
「どうしていやなんだい?」
「ただいやだからさ。もうよしましょう」
「おかしな男だな、きみも、まったく! きみとは、どうやら、心を許せるよき友、仲間としての交際《つきあい》はできないようだな、まったくおかしなやつだ!……これでわかったよ、きみが二重人格だってことがな!」
「じゃ、なんです、ぼくがばかか阿呆《あほう》でなきゃならんというのかね? きみ、自分で考えてみたまえ、ぼくにまったく不要のものを、なぜぼくが手に入れなければならないのかね?」
「もういいよ、そんな話はよしてくれ。これできみという男がつくづくわかったよ。ほんとに、つきあいにくい男だ! ところで、どうだ、バンクをいっちょうやらんかい? おれは死んだ農奴を全部|賭《か》けるぜ、シャルマンカもだ」
「でも、バンクで決めるのは――つまり不明の危険にさらされるということですからね」と言いながら、それでもチチコフは彼の手の中にあるカルタにちらと横目を投げた。カルタは二組ともいかにも細工がしてありそうに思われたし、裏の模様そのものもじつにくさかった。
「なにが不明の危険だね?」とノズドリョーフは言った。「ちっとも不明なんかないさ! きみのほうに運がつきさえすれば、きみは、どえらいもうけができるんだ。そらどうだ! いい札じゃないか!」と彼は相手の熱をあおりたてるために、カルタをめくってみせながら、言った。「そらまた! また! へえ、まるでつきっぱなしってやつだ! ちえっ、これがうらみの九点札だ、これですっかりすっちゃったのさ! やられそうな気はしたんだが、めんどくせえ、目をつぶって、こう思ったね、『ちくしょう、おれを売るなら売りやがれ、罰あたりめ!』ってさ」
ノズドリョーフがこんなことをしゃべっているあいだに、ポルフィーリイがびんを一本持ってきた。しかしチチコフはカルタも、酒も、きっぱりとことわった。
「どうしてきみはカルタをやりたくないのだね?」とノズドリョーフは言った。
「気分がのらないからですよ。それに、実を言うと、ぽくはカルタがぜんぜん好きじゃないんです」
「どうして好きじゃないんだね?」
チチコフは肩をすくめて、言った。
「好きでないからですよ」
「つまらねえ男だ!」
「しかたがありませんよ、神さまがこんなふうにつくってくださったのだから」
「助平野郎だよ、言うことねえや! おれははじめ、きみをもうすこしはまともな人間だと思っていた。きみはつきあいってことがまるっきりわかっちゃいない。友だちとして話すことなんぞ、てんでできやしない……率直さも、誠意も、みじんもない! サバケーヴィチそっくりだよ。なんて根性のいやしい男なんだ!」
「だが、どうしてきみはぼくをののしるんです? いったい、カルタをやらないのが、わるいことですか? あなたがこんなつまらぬことでがたがたふるえるような人間なら、死んだ農奴だけ売ってもらえばけっこうです」
「禿《はげ》頭の悪魔でもつかむがいい! おれはな、そんなものただくれてやるつもりだったんだが、もうやめた、やるものか! たとい王国を三つ持ってきたって、断じてやらんぞ。このペテン師め、なんてしみったれた野郎だ! 今後きみとはいっさいつき合わん! ポルフィーリイ、厩《うまや》へ行って、こいつの馬に燕麦をあてがうなって言え。ほし草だけ食わせておけばたくさんだ」
このような結果になろうとは、チチコフは夢にも思わなかった。
「おれの目にふれんところにひっこんでたほうがいいぜ!」とノズドリョーフは言った。
ところが、こんなけんかをしたにもかかわらず、客と主人はいっしょに夕食をとった。もっとも今度はいろんなむずかしい名まえのついた酒のびんは一本も食卓に並ばなかった。ただ一本だけサイプラスとかいうのが出されたが、どう見ても酢っぱいものという総称でかたづけられてしまうような代物《しろもの》だった。夕食がすむと、ノズドリョーフは客用の寝床のしたくができているわきの部屋へチチコフを案内して、言った。
「これがきみの寝床だ! ゆっくりおやすみなさいも、きみには言いたくないな!」
ノズドリョーフが去ると、チチコフはじつに不愉快な気持ちであとにのこった。彼は内心自分がいまいましくてならず、こんなところに立ち寄って、むだに時間をつぶしたことで、自分に腹をたてていた。しかしそれよりももっと自分に腹がたったのは、この重大な話を彼にもらしたりして、こどもみたいに、ばかみたいに、軽慮《けいりょ》な行動をとってしまったことであった。というのは、この問題は、ノズドリョーフごときに打ち明けられるような、決してそのような性質のものではないからである……ノズドリョーフは人間のくずだ、でたらめなうそをつき、それこそ尾びれ背びれをつけくわえて、どんなことを言いふらすかしれやしない。そうなるといやがうえにもよくないうわさをたてられる――まずい、じつにまずい。『おれはまったくばかだった!』と彼は自分で自分に言いきかせた。
その夜、彼はほとんど眠られなかった。なにやら小さなえらくすばしっこい虫どもが堪えられないほど痛く刺すので、彼は指をいっぱいにひろげて刺されたところをごしごしかきながら、夢うつつに、「くそ、いまいましい、ノズドリョーフもろとも悪魔に食われてしまえ!」と口走ったほどだった。彼は朝早く目がさめた。彼はなによりもまず、ガウンをはおると、長靴をはいて、庭を横切って厩《うまや》に行き、すぐに出発のしたくをするようにセリファンに言いつけた。庭にもどってくると、彼は、やはりガウンを着て、パイプをくわえたノズドリョーフに、ばったり出会った。
ノズドリョーフはやあと親しげにあいさつして、よく眠れたかときいた。
「まあね」とチチコフはひどくそっけなく答えた。
「おれはね、きみ」とノズドリョーフは言った。「一晩じゅう、話すのも胸くそわるいような、じつにいやな夢の見つづけさ。おまけに口の中は、きのうのたたりで、まるで騎兵が一個大隊も泊まりやがったみたいだ。どうだね、きみ、おれがこっぴどくぶんなぐられた夢なんだぜ、まったく! それがだれだと思う? まさかと思うだろうが、それがポツェルーエフ二等大尉とクヴシンニコフの野郎なのさ」
『そうさ』チチコフは腹の中で思った。『きみなんぞ現実にぶちのめされりゃ、いいきみだよ』
「ほんとだよ! いや、痛いの痛くねえのって! 目をさますと、ちくしょうめ、 ほんとになにやらもぞもぞしてやがる――きっと、のみの鬼婆ぁだろう。じゃ、きみ行って着替えたまえ。おれもすぐ行くから。これから一発、支配人のくされ野郎をどなりつけてやらなくちゃあ」
チチコフは部屋へもどって、顔を洗い、服装をととのえた。そして食堂へ行ってみると、もう食卓の上に茶の用意ができて、ラムが一本のっていた。室内のあちこちにきのうの昼食と夕食の残骸《ざんがい》がちらばっていた。どうやら、ほうきが隅々にまでとどかなかったらしい。床にはパンのかけらがころがっているし、卓布の上にまでタバコの灰がくっついていた。主人は、そうてまどらなかったと見えて、まもなくはいってきたが、ガウンの下はもじゃもじゃと剛毛をはやした胸をさらけだしたほかは、なにも身につけていなかった。片手に長い煙管《きせる》をにぎり、もういっぽうの手に茶わんをのせて茶をすすっているかっこうは、まるで床屋の看板のようにきれいに髪にウェーブをかけた紳士や、短くきちんと刈り上げた紳士などは絶対に好まぬ画家にとって、ほれぼれするような画題だった。
「ところで、ひとつどうだね?」と、ちょっと間《ま》をおいて、ノズドリョーフは言った。「農奴を賭《か》けて一番やらんかね?」
「きみ、ぼくはカルタをやらないと、もうきみに言ったはずだよ。買え、というなら、買いますがね」
「売るのはごめんだな、そんなのは友だち同志のすることじゃないよ。おれはわけのわからんものから利益を得ようとは思わん。カルタなら――話はちがう。一回だけでもやろうじゃないか!」
「くどいようだが、いやですね」
「じゃ、交換はどうだね?」
「いやです」
「じゃ、きみ、将棋《しようぎ》をやろうじゃないか、きみが勝ったら――全部きみのものだ。おれのところにゃ、戸籍から消さねばならんようなやつらが、わんさといるんだぜ。おい、ポルフィーリイ、将棋盤を持ってこい」
「むだですよ、ぼくはやりませんから」
「でも、これはバンクじゃないぜ。運とかごまかしとか、そんなものはいつさいありっこないじゃないか。要は腕だけだよ。おまけに、ことわっておくけど、おれはまるきり手を知らんのさ、だから何手かおかせてもらわにゃ勝負にならんよ」
『ひとつ、やってみようかな』とチチコフは腹の中で思った。『こいつと将棋をさすか! 将棋ならおれもかなりの腕だし、いくらやつでも、将棋でいかさまはできまい』
「では、しかたがない。将棋をやりましょう」
「おれは死んだ農奴を賭ける、きみは百ルーブリだ!」
「どうしてそんなに? 五十も賭《か》ければじゅうぶんですよ」
「だめだよ、五十なんてそんなしみったれた賭けがあるものか! それなら金額は百で、おれのほうで中っくらいな子犬一匹と懐中時計につける金の印形《いんぎよう》を追加しよう」
「では、そういうことにして!」とチチコフは言った。
「さてと、ところでおれに何手おかせる?」とノズドリョーフは言った。
「それはどういうわけです? それはいけませんよ」
「いや、せめて二手ぐらいは先にささせなさい」
「だめですね、ぼくだってへたくそなんですから」
「おれはきみたちみたいな連中をよく知ってるんだぜ、どんなぐあいにへたくそか!」と言いながら、ノズドリョーフは駒をひとつすすめた。
「もう長いこと駒を手にしていないんですよ!」と言いながら、チチコフも駒をうごかした。
「知ってるんだぜ、どんなぐあいにへたくそか!」と言いながらノズドリョーフは駒をすすめ、そして同時にそで口の折り返しで別な駒をうごかした。
「もう長いこと駒を手に……えっ、おや! これは、きみ、なんですか? それをもとへもどしなさい!」とチチコフは言った。
「どれを?」
「それをですよ」とチチコフは言った。と同時にほとんど自分の鼻の先に、女王のほうへしのびよろうとしているかに見えるもう一つの駒を見つけた。その駒がどこから来たのか、とんとわからなかった。「やめた」とチチコフは席を立つなり、言った。「きみとはとてもやれません。一時に駒を三つもうごかすなんて、そんなやり方がありますか!」
「どうして三つだい? そりゃまちがいだよ。これはうっかりうごいちゃったんで、もとへもどすよ」
「じゃ。もう一つはどこから来たんです?」
「もう一つって、どれだい?」
「それですよ、その女王をねらってる?」
「ふざけるなよ、知らないようなふりをして!」
「いや、きみ、ぼくは駒をすっかり読んでたから、全部おぼえています。それはたったいまきみがそこへおいたのです。それはそらそこにあるべきですよ」
「なに、ここにあるべきだ?」とノズドリョーフはまっかになって言った。「ふん、そうか、なるほど、きみはいかさま師だな!」
「いや、きみ、いかさま師はきみのほうらしいですな、ただしっぽを出しただけで」
「きみはおれをだれだと思ってるんだ?」とノズドリョーフは言った。「おれがずるをやるとでも言うのか?」
「ぼくはきみをだれとも思ってませんよ。だが今後きみとはいっさい勝負はやらんでしょうな」
「だめだよ、きみはもうことわることはできん」とノズドリョーフはいきりたって、言った。「勝負ははじまったのだ!」
「ぼくはことわる権利がありますよ、なにしろきみは正直な人聞にあるまじき手をつかったのですからな」
「ちがう、うそだ。きみにそんなことは言わせぬぞ!」
「いや、きみ、うそをついてるのはきみですよ!」
「おれはインチキはしていない。だからきみはことわる権利はない、どうしてもこの勝負にけりをつけにゃいかんぞ!」
「そんなことをきみはぼくに強制できないでしょう」とチチコフは冷やかに言ってのけると、将棋盤のそばへ行って、駒をごちゃごちゃにかきまぜた。
ノズドリョーフは火のようになって、チチコフにつめよった。そのけんまくのものすごさに、チチコフは思わず二歩ほどあとずさった。
「無理にもやらせるぞ! 駒をかきまぜたって、平気だ、おれはすっかりおぼえてるからな。もう一度もとどおりに並べかえるまでだ」
「だめだよ、きみ、もうおしまいですよ、ぼくはもうきみとはやりませんからね」
「では、きみはやらんというのだな?」
「きみとはやれないってことくらい、自分でもわかるでしょう」
「いや、率直に言いたまえ、きみはやりたくないのだな?」と、さらにつめよりながら、ノズドリョーフは言った。
「やりたくありません!」とチチコフは言ったが、しかし、いざというときに備えて両手を顔のそばへ持っていった。事態はまさに熱をおびてきたからである。
この警戒はじつに適切だった。というのはノズドリョーフがいきなり手を振り上げたからだ……一瞬おそかったら、わが主人公のふっくらした気持ちのよいほおの片面に、おそらく拭い去ることのできぬ汚辱《おじよく》が印《しる》されたことであろう。しかし、さいわいその一撃をかわすと、彼はノズドリョーフのたくましい両手をつかみ、それをしっかりとおさえつけた。
「ポルフィーリイ、パヴルーシカ!」ノズドリョーフはふりきろうともがきながら、狂犬のようにわめきたてた。
それを聞くと、チチコフはこの魅惑的な場面を召使どもに見られたくなかったし、それにノズドリョーフをおさえつけていてもどうにもなるものではないと感じたので、その手をはなした。その瞬間にポルフィーリィとパヴルーシカがいっしょにはいってきた。これはがっしりした若者で、こんなやつを相手にしたのではとても勝ち味はなかった。
「それじゃきみは、この勝負をつけたくないというのだな?」とノズドリョーフは言った。 「ずばりと返事をしたまえ!」
「つけようにもつけられませんよ」と言って、チチコフはちらと窓を見た。すると、もうすっかり出発の用意ができている自分の馬車が目に映った。セリファンはいつでも玄関に着けられるように、合い図を待っているらしかった。が、どうしたところで部屋からはぬけ出せそうになかった。ドアのまえにはがんじょうなばか農奴がふたり立ちはだかっているのだ。
「ではきみはこの勝負の決着をつけたくないのだな?」とノズドリョーフは火にあぶったようなまっかな顔をしてくりかえした。
「そりゃ、きみが、正直な人間として恥ずかしくないさし方をしてたら、別ですよ。でも、もうできません」
「あ! じゃできんのだな、卑怯《ひきよう》者め! 勝ち味がないと見て、逃げようってんだな! こいつを、ぶんなぐれ!」と彼はポルフィーリィとパヴルーシカに向かって気ちがいのように叫ぶと、やにわに桜の木の煙管《きせる》をひっつかんだ。
チチコフは白布のようにまっさおになった。彼はなにか言おうとしたが、くちびるがひくひくふるえるだけで音にならないのを感じた。
「こいつをたたきのめせ!」とノズドリョーフは桜の煙管を振りかざし、さながら難攻不落の要塞に突撃するかと思われるばかりに、ゆでだこのようなまっかな顔から汗をまきちらして、突き進みながら叫んだ。
「ぶちのめせ!」と彼はまたものすごい声をはりあげた。それはさながら、その狂気じみた蛮勇が聞こえわたって、頭にかっとくるような事態が起きたら両手をおさえてはなすなと特別の指令がでているような、無鉄砲な中尉が、大突撃のときに自分の小隊に向かって「つっ込めぇ!」と叫びたてる、あの声さながらであった。中尉はかっとのぼせてしまって、頭の中は旋風《せんぷう》が吹き狂い、目のまえにはスヴォーロフ将軍〔エカテリーナ女帝、パヴェル一世時代の名将〕の姿がちらつき、がむしゃらに大|殊勲《しゆくん》に向かって突進する。彼はその狂気じみた突進によって、せっかく練り上げられた総攻撃のプランをぶちこわしてしまうことも、雲のかげにかくれた難攻不落の要塞の銃眼から無数の銃口がこちらをねらっていることも、自分の無力な小隊などこなごなに吹きとばされてしまうことも、彼のわめきちらしているのどをパチッと閉じてしまおうとして、すでに宿命の弾丸がうなりを上げて飛んできつつあることも、いっさい考えずに、『前進、突っ込めえ!』と叫びたてるのだ。
しかし、ノズドリョーフが要塞に猪突猛進《ちよとつもうしん》する向こう見ずな逆上した中尉さながらであったにしても、突進される要塞のほうは、とても難攻不落には見えそうもなかった。それどころか、要塞はすっかりおびえきって、きもがちぢみ上がってしまった。身をまもろうと構えかけた椅子も、ふたりの農奴にもぎとられてしまい、もうこれまでと、目をつぶって、生きたそらもなく、彼はこの家の主人のチェルチス製の煙管《きせる》の一撃を観念した。そしてどんなことになったかは、神のみぞ知るである。
ところが運命はわが主人公の脇腹とか、肩とか、およそやわらかい肉のついたところを救うことが好ましいと考えたらしい。まったく思いがけなく、まるで雲から落下したように、いきなりせかせかした鈴の音が鳴りわたったかと思うと、玄関に乗りつける馬車の車輪の音がはっきりと聞こえた。そしておさえとめられた三頭のはやりたつ馬の荒々しい鼻嵐と苦しそうな息づかいが、部屋の中にまでひびいた。一同は思わず窓へ目をやった。口ひげをはやして、半分軍服のようなフロックを着た男が、馬車からおりた。その男は玄関で案内を求めると、チチコフがまだ恐怖からさめきることができず、瀕死《ひんし》の病人にまま見られるような、なんともあわれっぽい姿をさらしていたその部屋へ、つかつかとはいってきた。
「失礼ですが、ノズドリョーフさんは、どなたです?」見知らぬ男はいささかとまどいぎみに、煙管を持って突っ立っているノズドリョーフと、その恥ずかしい状態からようやく立ち直りかけたチチコフを交互に見て、言った。
「そのまえにうかがいたいが、そういうあなたは何者です?」とノズドリョーフは男のほうへ近よりながら、言った。
「郡の警察署長です」
「それで、なんの用です?」
「わたしはあなたがある事件で起訴されており、その事件の裁決が下るまで裁判所の管理下におかれる、という通報を受けましたので、それをお知らせにまいったのです」
「なにをばかな、事件とはなんだね?」とノズドリョーフは言った。
「あなたは飲酒酩酊のうえ、こん俸をもって地主マクシーモフに個人的侮辱をくわえたという事件に問われたのです」
「うそだ! おれはマクシーモフなんて地主は見たこともないぞ!」
「ノズドリョーフさん! 失礼ですが、わたしは士官ですぞ。そのようなことはあなたの下男に言うのはさしつかえなかろうが、わたしに向かって言うべきことばではありません」
ここでチチコフは、それにノズドリョーフがどんな返事をするか、待たずに、急いで帽子をつかむと、署長のうしろをすりぬけて玄関へとび出し、馬車にとびのりざま、全速力で馬をとばすようにセリファンに命じた。
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第五章
わが主人公は、しかし、すっかりおじけづいてしまった。馬車は雲を霞とつっ走り、ノズドリョーフの村は野や坂や小山にかくれて、もうとうに見えなくなってしまったが、それでも彼は追手があらわれはしないかと気になって、たえずびくびくしながらうしろをふり向くのだった。息をするのがやっとで、心臓の上に手をあててみると、籠の中のうずらみたいに、せわしなく脈打っているのが感じられた。
『やれやれ、ひどい煮え湯にぶちこまれた! なんちゅうやつだろう!』ここであらゆる種類のおだやかならぬ、はげしいのろいがノズドリョーフにしこたまあびせられた。あまり芳《かんば》しからぬことばさえとび出した。これもやむを得まい! ロシア人だ、しかも腹だちまぎれだ。そのうえ、ことは決してじょうだんごとではないのだ。『どう言ってみたところで』と彼は自分で自分に言った。『あの警察署長の来るのが間《ま》にあわなかったら、おれは、きっと、もう日の目が拝めなかったにちがいない! 水の上の泡《あぶく》みたいに、あとかたもなく、子孫ものこさずに、未来のこどもたちに財産も、りっぱな名まえものこすことなく、消え失せてしまったことだろう』わが主人公は自分の子孫たちのことをひどく懸念《けねん》していた。
『なんて根性のきたねえだんなだ!』とセリフアンは腹の中で思った。『あんなだんなは、まだ見たこともねえ。なんだあのしうちは。面《つら》につばをはきかけてやりてえくらいだ! 人間に食わせねえのはまだしも、馬にはたっぷりあてがってやらにゃあ。馬は燕麦が好きだからなあ。それが馬のおまんまだ。早い話が、おれたちのお給金が、馬にとっちゃあ燕麦だ、そりゃ馬のおまんまだものなあ』
馬どももノズドリョーフのことをよく思っていないらしかった。黒毛《あお》と議員はむろんのこと、斑《ぶち》毛までも気分をそこねていた。彼の分はいつも他の二頭よりも燕麦の盛《も》りがわるいし、おまけにセリファンがかならずまず、「こら、このずるけ!」と言ってからしか、彼の秣槽《まぐさおけ》に燕麦をあけてくれないのだが、それでもそれはやはり燕麦にちがいなく、ただのほし草ではなかった。そして彼は満足な気持ちでそれをかんだし、ときどき、特にセリファンが厩《うまや》にいないときなど、そちらはどんな飼料をもらっているのか知りたくて、その長い顔をとなりの秣槽に突っこんでみたりしたものだ。それが今度はほし草ばかりだ……くそおもしろくもねえ。馬どもはみな不満だった。
ところがまもなくこの不満な連中の不平たらたらが、突然の、しかもまったく思いがけぬできごとによってたち切られた。馭者自身もふくめて一同が、はっと気がついてわれに返ったのは、向こうから来た六頭立ての軽馬車ががたんとこちらにぶつかって、ほとんど彼らの頭上に、軽馬車に乗っていた婦人たちのキャッという悲鳴と、「やいやい、この間《ま》抜け野郎! おれが声をからして、よけろ、ばか、右へよけろってどなったのが聞こえねえのか! おめえ、酒をくらってるな?」という向こうの馭者の叫び声が聞こえたときだった。セリファンは自分がわるかったと感じたが、ロシア人というものは他人のまえで率直に自分がわるかったと、その非を認めることを好まない困った癖があるから、彼はいきなり虚勢をはってやりかえした。
「なにぃ、おめえこそなんだ、そんなめくらめっぽうぶっとばしやがって目だまを酒屋に抵当《かた》においてきやがったのか、あ?」そうどなっておいて、彼は先方の馬具にもつれたのをはずそうとして、馬車をさげにかかったが、どっこいそうはいかなかった。すっかりもつれてしまっていた。斑毛《ぶち》はちょうどその両側にはまりこんだ新しい仲間たちを興味深げにかいでいた。
そうしたようすを、軽馬車の中の婦人たちは顔に恐怖の表情を浮かべて見まもっていた。ひとりは老婦人で、もうひとりは十六、七の若い娘で、金色に輝く髪の毛をじつにかっこうよくかわいらしく、小さな頭になでつけていた。その美しいうりざね顔は、新鮮な卵のように、やわらかい丸味を持ち、そして女中頭の浅黒い指につままれて太陽にかざされ、きらきら光る光線にすかして検査される生みたての卵のように、えも言われぬ透きとおるような白さに輝いていた。そのうすい耳もあたたかい光をとおして、ほんのりとバラ色に染まっていた。そのうえわずかにあけられたままの口もとに脅《おび》えが刻まれ、目にうっすらと涙を浮かべて――こうした表情のすべてがあまりにもかわいらしかったので、わが主人公は馬どもや馭者たちのあいだにもち上がった騒ぎなどはすっかり忘れて、しばらくのあいだぼうぜんと見とれていた。
「さげろ、わからんのか、このどん百姓!」と向こうの馭者がどなった。セリファンは手綱をうしろへひっぱった。向こうの馭者も同じように手綱をうしろへ引いた。馬どもはわずかに後退したが、すぐにまたひきかわをふんづけて、ぶつかりあった。こんなことをしているうちに、斑毛は新しい友だちがすっかり気に入ってしまったらしく、思いがけぬ運命の恵みで落ちこんだわだちから、ぜんぜんぬけ出そうという気はなく、その鼻面を新しい友だちの首にのっけて、相手の耳もとになにやらささやきかけたが、相手がのべつ耳を振っているところを見ると、どうやら、ろくでもないことを言ったらしい。
しかし、さいわいにもあまり遠くないところに村があったので、この騒ぎを聞きつけて百姓どもが集まってきた。このような光景はドイツ人にとっての新聞やクラブと同じことで、百姓たちにとっては心底からの喜びなので、馬車のまわりにはたちまち黒山のような人垣ができて、村にのこっているのはばあさんと赤ん坊だけという有様であった。ひきかわがとかれた。そして五、六発鼻面をどやされると斑毛《ぶち》もしかたなくうしろへさがりだした。要するに、馬どもはむりやりに引き離されたのである。ところが、先方の馬どもがせっかく仲よしになった友だちと引き離されたので、すっかりへそを曲げてしまったのか、あるいはただ無性《むしよう》に強情を張ったのか、とにかく、馭者がいくら鞭《むち》をくれても、いっこうにうごこうとせず、まるで釘づけにされたようにつっ立っていた。百姓どもの加勢はあきれかえるほどの大騒ぎになった。各人が先をあらそって口出しをした。
「おい、アンドリューシカ、おめえ、その右の馬をひっぱれや、それからミチャイおじをまん中の馬に乗せるんだ! 乗れや、ミチャイおじ!」赤っぽいあごひげをはやした、やせっぽちでのっぽのミチャイおじが、まん中の馬にやっとこさのっかったが、まるで村の半鐘か、いやそれよりも、井戸のはねつるべのかぎそっくりだった。馭者が馬をひっぱたいたが、馬はあいかわらず知らぬ顔で、ミチャイおじはさっぱり役にたたなかった。
「待てや、待てや!」と、百姓たちは叫んだ。「ミチャイおじ、おめえは側馬にのれや、まん中の馬にはミニャイおじをのせれ!」ミニャイおじはタールみたいにまっ黒いあごひげをはやし、寒さに凍えた市場じゅうの連中に飲ませるほどの蜜湯をいっぺんに煮たてられる、あのばかでかいサモワールそっくりのほてい腹をした、肩幅のやけに広い男だが、気負いこんで中馬にまたがると、――その重みで馬はあぶなくぺしゃんこにつぶれそうになった。
「よし、今度は行くぞ!」と百姓たちは叫んだ。「ひっぱたけ、ひっぱたけ! そら、その黄色っぽいやつに、思いっきり鞭《むち》をくれろ、足長《あしなが》蚊みてえに、あしをつっぱりやがって!」だが、どうしてもうまくゆかず、どう力んでみてもさっぱりらちがあかないのを見てとると、ミチャイおじとミニャイおじがふたりして中馬にのっかって、アンドリューシカを側馬にのせた。しまいに馭者が、すっかり業《ごう》を煮やして、ミチャイおじとミニャイおじを馬から突きおとした。そしてそれでよかった。というのは馬どもはまるで息も入れずに一駅を走りとおしたみたいに、全身からおそろしい湯気をたてていたからだ。馭者がちょっと休ませると、馬どもはひとりで走りだした。この騒ぎのあいだじゅうチチコフは若い見知らぬ娘をじっと見つめていた。そして何度か話しかけようとしてみたが、どうもうまくいかなかった。そうこうするうちに婦人たちは去り、そしてあの美しい頭と繊細《せんさい》な顔だちと、きゃしゃな姿態とは、まるでまぼろしかなにかのように消えてしまった。そしてまた道と、軽四輪馬車と、読者におなじみの三頭の馬と、セリファンと、チチコフと、起伏《きふく》の少ない荒涼とした野原が、そこにとりのこされた。
どこであろうと、いたるところ、この世の中では、かさかさに荒れて、ごつごつと節くれだち、不潔でかびのはえそうなどん底の貧民たちのあいだでも、一様に冷やかで、やりきれないほどきちんとした上流階級のあいだでも、人間は、せめて一度は人生の途上で、それまで見てきたこととはまるでちがう現象に出会い、そしてせめて一度は、それまでの全生涯に感じさせられたもろもろの感情とはまるでちがうある感情を、胸の中にめざませられるものである。われわれの人生を織りなしているいかなる悲哀をもつらぬいて、目くらめくような喜びが明るい光をのこして飛び去るものである。たとえてみれは、時おり、金ぴかのひきかわで、絵に描いたような美しい馬にひかれ、きらきら光るガラス窓のついた豪華な馬車が、不意に、まるで思いがけなく、百姓の荷車のほかは見たことがないような、どこかの荒れはてた貧しい村のわきを通りすぎるようなもので、百姓たちはいつまでもぽかんとつっ立って、あくびをした口をしめるのも忘れ、帽子をかぶるのも忘れて、もう夢のような馬車はとっくに消え去ってしまったのに、ぼんやりそちらをながめているのである。それと同じようにこの金髪の娘も不意に、まったく思いがけなく、このわれわれのものがたりに現われ、そしてたちまち消えてしまったのである。
そのときそこにいあわせたのがチチコフではなく、二十代の青年であったら、それが驃騎兵であれ、学生であれ、あるいは人生の舞台に踏みだしたはかりの無名の青年であれ、――おお神よ! いかなる感情がその胸の中にめざめ、うずき、そして燃えさかったことであろうか! 彼はいつまでもぼうぜんと遠いかなたへ目をすえ、道も忘れ、前途に待ち受けている譴責《けんせき》も忘れ、遅刻に対する罰も忘れて、自分も、勤務も、世界も、世界のありとあらゆるものをいっさい忘れ去って、しびれたようにその場に立ちつくしていたことであろう。
ところがわが主人公はもう中年者で、冷静によくものを見る性質だった。彼も考えこみはしたが、むしろ実際的で、決して盲目的ということはなく、部分的にはひどく具体的でさえあった。『美しい娘だ!』と彼は煙草入れをあけて、一かぎしたうえで、言った。『だが、あの娘の中でいちばんいいのは、どこだろう? どうやら、どこかの寄宿学校か女子大を出たばかりらしく、いわば、その女くささというか、つまり女どもの持っているもっともいやなところが、まだないというのもいいな。あの娘はまだこどもみたいで、あっさりしていて、頭に浮かんだことを、そのまま口にするし、笑いたいときに、笑うだろう。あの娘はどんなふうにでも作り上げられる。珠玉にもなれるし、石ころにもなれる。でもまあ石ころになってしまうだろうな! 今からおかあさんやおばさんという手合いにせわをまかせてみるがいい。一年もたてば女くささがぷんぷんとなって、実のおやじも見ちがえるほどに変わってしまうだろう。いつのまにやら、いばったりきどったりすることをおぼえこみ、見よう見まねでもじもじからだをくねらせたり、だれと、どんなふうに、どのくらいお話をしたらいいかとか、どんなふうに、だれを見つめたらいいかなどと考えて、頭を痛めてみたり、必要以上にしゃべりはしないかと、たえずびくびくしたりしているうちに、しまいには自分でも頭がこんがらがって、けっきょくは一生うそばかりついて暮らすようになって、まったくとほうもないばか女ができ上がってしまうのだ!』ここで彼はしばらく考えていたが、やがてつけくわえた。『だが、ありゃだれの娘だろう? おやじはどこのどんなやつだろう? 金持ちで篤志《とくし》家の、大地主ではないだろうか、それとも普通の、勤めで財をたくわえたおだやかな人間だろうか? だって、もしもだ、あの娘に二十万ぐらいの持参金を持たせたら、あの娘はそれこそ、まさに、三国一の花嫁になるかもしれんぞ。こういうものこそ、言ってみれば、りっぱな人間の幸福というものを作り上げることができるものなのだ』
二十万が彼の頭の中にいかにも誘惑的な夢を描きはじめたので、彼は心の中で、さっき馬車のまわりでごたごたがつづいてるあいだに、どうして馭者か馬丁に婦人がたがどこのどなたかたずねなかったのだろうと、自分の間抜けさかげんに腹がたってきた。しかし、まもなく見えてきたサバケーヴィチの村が彼のこうした考えを吹きはらい、彼の心をいつもの考えのほうへ向けさせた。
村は彼にはかなり大きいように思われた。白樺と松の二つの森が、一つは暗く、一つは明るく、まるで二枚の翼のように、村の右と左にあった。そしてそのあいだに赤い屋根と黒っぽいねずみ色、というよりは、荒壁のままといったほうがいいような壁の、中二階のついた木造の家が見えた――わがロシアで屯田兵《とんでんへい》やドイツ人移民のために建てられているような家である。建てるときに大工がたえず主人の好みと衝突したらしいあとが、随所に見受けられた。大工は形式にこだわる男で、|釣合い《シンメトリー》ということを主張するが、主人は――便宜《べんぎ》一点張りで、その結果は、見てもわかるように、片側は窓をすっかり釘づけにしてしまって、その代わりに小さな穴を一つあけてあった。これは貯蔵室の明りとりに必要だったらしい。破風《はふ》も、大工がどう騒いでも、どうしても建物の中央に来なかった。というのは主人が円柱を一本わきのほうへよせろと命じたからで、そのために、定式どおり円柱が四本ではなくて、三本だけになってしまった。庭はがんじょうな、法外に太い木の格子垣でかこまれていた。主人はがんじょうということに多く気を用いたらしかった。厩《うまや》や、物置きや、台所には百年ももちそうな重たい太い丸太がつかわれていた。村の百姓たちの家もおかしな素建てで、鉋《かんな》をかけた板壁も、彫り模様も、その他の装飾もいっさいなく、すべてががんじょう一点張りにつくられていた。井戸までが水車か船にしか使わないようながっしりした樫《かし》の木でつくられていた。要するに、どこを見ても、がっしりとして、びくともせず、がんじょうで不細工という規律がすべてを支配していた。
玄関に馬車が近づくと、チチコフは窓からほとんど同時に二つの顔がのぞいたのをみとめた。室内帽をかぶった、細長い、きゅうりのような女の顔と、まるくて幅が広い、ゴルリャンカと呼ばれるモルダヴィアのすいかのような男の顔である。ちなみにロシアではこのすいかでバラライカをこしらえる。二弦の軽いバラライカで、すばしっこい二十代の若者たちの飾りとも慰みともなって、そのしずかに流れる弾奏を聞きに集まってくる、胸やえりあしの白い娘たちに目くばせをしたり、きどってみせたり、口笛を吹いたりするのである。
玄関の階段の上に、青い立ちえりのついた灰色の上衣を着た従僕が出てきて、チチコフを控えの間へ案内した。そこへはもう主人が自分で出てきた。彼は客を見ると、ぽきぽきした声で「どうぞ!」と言って、チチコフを奥へ連れていった。
チチコフが横合いからちらとサバケーヴィチを見やると、中くらいの大きさの熊そっくりに思われた。しかも、ごていねいに着ているフロックはまったく熊の色そのままだったし、そでは長いし、ズボンは長いし、歩くかっこうもひざがゆがんで内またで、のべつ他人の足を踏んづけてばかりいた。顔の色は炭火のようにまっかで、五コペイカ銅貨によくあるような色だった。周知のように、世の中には、造化の神があまりめんどうなことは考えずに、やすりとか、ねじきりとかいったような細かい道具はいっさい用いないで、ただ目見当でおおざっぱにけずったような顔がたくさんあるものだ。斧《おの》でざくりと切れば――鼻ができ、もう一つざくりで――くちびるができ、ごっつい大|錐《きり》で目玉をくりぬき、そのまま仕上げもしないで、「生きよ!」と言って、世の中へおっぽり出したのだ。ちょうどそうしたごつい、不細工きわまる顔を、サバケーヴィチは持っていた。しかも彼はそれを上よりは、たいてい下に向けていて、おまけに首はじょきっとしてほとんど曲がりもまわりもしない。そのために話し相手の顔はめったに見ないで、いつもあるいは暖炉《だんろ》の隅っこか、あるいは扉口《とぐち》へ目を向けていた。
食堂へはいるとき、チチコフはもう一度横合いからちらと彼を見た。熊だ! まったく熊だ! そのうえ名まえまでがミハイル・セミョーヌイチ〔ロシア人は熊をミーシャまたミーシカと呼ぶ。ミハイルの愛称もミーシャ〕だ、どうしてこんなにまで熊に似せる必要があるのだ! 足を踏んづける彼の癖を知っていたから、チチコフはひじょうに用心深く自分の足をはこび、彼を先に立たせた。主人はこのわるい癖を自分でも感じていたとみえて、すぐに「あんたに痛い思いをさせましたかな」ときいた。チチコフはその心づかいを謝して、まだそのけねんはぜんぜんない、と答えた。
客間にはいると、サバケーヴィチはまた「どうぞ!」と言って、ひじ掛け椅子をさした。チチコフはすわりながら、壁と、壁にかかっている絵をちらと見やった。絵はどれもこれも、昔の勇士やギリシアの司令官の等身大《とうしんだい》の銅版画ばかりであった。軍服を着て、赤いズボンをはき、鼻めがねをかけたマヴロコルダート〔ギリシアの愛国者で政治家〕だの、ミアウリス〔ギリシアの有名な提督〕だの、カナリス〔ギリシアの政治家。以上いずれもトルコの支配からの独立戦争の指導者〕だのである。どの将軍たちも、背筋をふるえが走るほどの、ものすごく太い足をして、たくましいひげをはやしていた。この巨人ぞろいのギリシアの将軍たちのあいだに、どうしてか、そしてなんのためか知らないが、やせてひょろ長いバグラチオン将軍〔アレクサンドル一世時代の名将。一八一二年のボロジノの会戦で没す〕の像が、小さな旗と大砲の図がらの上に、しかもいちばんせまい額縁に入れられてかかっていた。そのとなりにはまたギリシアの女傑ボベリナの像がかかっていたが、その片方の足だけでも、近ごろのサロンをみたしているしゃれ者たちの胴よりも太いように思われた。主人は自分が丈夫でがんじょうにできているので、自分の部屋の中も丈夫でがんじょうな人々で飾ろうと望んだのであろう。
ボベリナのそばの、ほんの窓ぎわに、鳥かごが下がっていて、黒っぽい羽に白い斑点のあるつぐみが一羽こちらをのぞいていたが、これもサバケーヴィチにひじょうによく似ていた。客と主人が席に着いて、ことばがとぎれてからまだ二分とたたないうちに、客間の扉があいて、主婦がはいってきた。ひじょうに背の高い婦人で、自家製の染料でそめたリボンのついた室内帽をかぶっていた。彼女は棕梠《しゆろ》の木のように、頭をまっすぐに保ったまま、しずしずとはいってきた。
「これが家内のフェオドゥーリャ・イワーノヴナです!」と、サバケーヴィチが言った。
チチコフはフェオドゥーリャ・イワーノヴナがさしのべた手のほうへ歩みよった。彼女はその手をほとんど彼のくちびるに抑しつけるようにしたが、そのとき彼はその手がきゅうり漬けくさいのに気がついた。
「あんたに紹介しよう」とサバケーヴィチはつづけた。「ハーヴェル・イワーノヴィチ・チチコフさんだ! 県知事と郵便局長のところでお知り合いになったんだよ」
フェオドゥーリャ・イワーノヴナも、「どうぞ!」と言って、女王に紛《ふん》した女優のようなしぐさで、頭をちょっとうごかして、着席をすすめた。それから彼女はソファにすわると、メリノ緬羊《めんよう》の毛織りのショールで肩をつつんだ。そしてそれっきりもう、まばたきもしなければ、まゆもうごかさなかった。
チチコフはまた目を上げた。するとまた太いあしとおそろしく長いひげを持ったカナリスと、ボベリナと、かごのつぐみが目にはいった。
ほとんど五分ほど一同は沈黙を保っていた。つぐみが木のかごの底にちらばっている穀粒をつつくコツコツという音が聞こえるだけであった。チチコフはまた室内を見まわした。室内にあるものはどれもこれも、――みながんじょうで極端に不細工で、この家の主人とどことなく奇妙な相似点を持っていた。客間の隅に胴太のくるみの事務机がでんとすえてあるが、不細工きわまる四つあしの上にのっかってるところは、まったく熊そっくりだ。机、ひじ掛け椅子、椅子――どれもこれもじつに重たい、やっかいな代物《しろもの》で、――一口に言えば、一つ一つの物、一つ一つの椅子が、『おれもサバケーヴィチだぞ!』とか、『おれもサバケーヴィチそっくりだぞ!』と主張しているようであった。
「県会議長のイワン・グリゴーリエヴィチのところで、あなたのうわさがでましてね」だれも口をきろうとしないのを見て、チチコフはとうとう自分のほうから話を出した。「先週の木曜日でしたがね。じつに愉快な集まりでした」
「そう、わしはあの日は議長のところへは行かなんだですな」とサバケーヴィチは答えた。
「しかしりっぱな方ですねえ!」
「だれが?」と、暖炉の隅っこを見ながら、サバケーヴィチは言った。
「議長ですよ」
「なに、そりゃきっと、あなたにそう見えただけだよ。あいつはただのフリーメーソン〔十八世紀に創設された国際的な神秘教的秘密結社。ロシアでは一八二五年のデカブリストの乱に参加した革命秘密結社の党員にフリーメーソンが多かったために、自由主義者の意味に用いられた〕で、世界にかつてないばか者ですわ」
チチコフはこのすこしどぎつすぎるきめつけにいささか面くらったが、やがて、気をとり直して、ことばをつづけた。
「そりゃ、むろん、だれだって欠点のない人はおりませんよ。でもその代わり県知事は、じつにりっぱな人間ですなあ!」
「県知事がりっぱな人間だって?」
「ええ、そうじゃありませんか?」
「世界一の強盗だよ!」
「なんですって、県知事が強盗ですって?」とチチコフは言った。そしてどうして県知事が強盗の仲間に入れられてしまったのか、まったく理解ができなかった。「正直のところ、わたしにはそんなふうにはどうしても思われませんがねえ」と彼はつづけた。「失礼ですが、わたしの見たところでは、あの人の態度はぜんぜんそんなふうじゃありませんよ、それどころか、逆に、やさしいところが多すぎるくらいですよ」ここで彼はその証拠に県知事が自分で刺繍をした財布まで持ち出し、顔のやさしい表情をほめ上げた。
「顔だって強盗|面《づら》だよ!」とサバケーヴィチは言った。「まあ、ナイフでも持たせて、街道へおっぱなしてみるんだな――わずかの端金《はしたがね》のために、人殺しをやらかすから! やつと、それから副知事――これはゴガとマゴガ〔旧約聖書に出てくる悪人で、エゼオールの予言により、イスラエルの民を根絶するたあに北方から聖地に来るが、神にほろぼされる〕みたいないい相棒だよ」
『こりゃ、まずい、こいつはあの連中とは仲がわるいんだな』と、チチコフはひそかに考えた。『ではひとつ警察署長を話題にしてやろう。あれならこいつの仲間らしいから』
「しかし、わたしとしては」彼は言った。「実を言うと、いちばん好きなのは警察署長なんですよ。なんと言いますか、こう一本気で、ざっくばらんで、顔を見てもいかにも朴直《ぼくちよく》そうで」
「悪党だよ!」とサバケーヴィチははきすてるように言った。「裏切ったり、だましたりしておいて、しかも平気でそいつと飯《めし》を食う男だ! わしはあの連中はみな知ってるんだよ、ぜんぶ悪党だ、市じゅうが悪党だらけだよ。悪党が悪党の背にのっかって、悪党を追っかけまわしているんだよ。みんなキリストを売るやつばかりだ。たったひとりだけまともな人間がいる。それは検事だが、これだって、本当を言やあ豚《ぶた》野郎だ」
「どうお、あなた、食事にいたしません?」と夫人がサバケーヴィチに言った。
「どうぞ!」とサバケーヴィチは言った。
そして、前菜《ぜんさい》ののっているテーブルのそばへ行って、客と主人は慣例どおりウォトカを一杯ずつ飲んで、広大なロシアのどの都市でも村でも定めとしている前菜《ザクースカ》、つまりいろんな塩漬け類やその他の食欲をかきたてる珍味をつまんでから、一同そろって食堂のほうへ歩きだした。水面をすいすいと泳ぐがちょうみたいなかっこうで、主婦が先頭を歩いていった。あまり大きくない食卓に四人まえの食器が並べてあった。四番めの席にまもなくあらわれたのは、既婚の婦人とも老嬢とも、しかとは言いがたいし、しんせきの者なのか、家政婦なのか、ただやっかいになっている者なのか、これもなんともはかりかねるような、三十前後と見える女性で、どういうわけか室内帽をかぶらずに、斑《まだら》模様プラトークで、頭をつつんでいた、世の中には、一個の独立体としてではなく、その独立体についた斑点か汚点《しみ》みたいな存在として生きている人々がいるものだ。そういう人々がいつも同じ場所にすわって、同じように頭をきちんと保っていると、気の早いのは家具とまちがいそうで、生まれてからまだ一度も口をきいたことがないのではないかと思うかもしれないが、ところがどうして、女中部屋か倉の中へでも行こうものなら、ウヘッ! それこそあいた口がふさがらない。
「うん、きょうのシチーはひどくうまいよ!」サバケーヴィチはシチーを一さじすすって、シチーにはつきものの、羊の胃袋にそばがゆと脳みそとすね肉を詰めた『ニャーニャ』という名で通っている料理を盛った皿から、大きなかたまりを一つ自分の皿へとりわけると、こう言った。「こんなニャーニャは」と彼はチチコフのほうを向いてつづけた。「あなた、市で食えないですよ、あんなところじゃなにを出されるかわかりゃしない!」
「でも、県知事のところの料理は、わるくなかったですよ」とチチコフは言った。
「あんなものなにでこしらえるか、知ってますか? わかったら、手をつけんでしょうな」
「こしらえるところは、見てませんから、それについてはなんとも言えませんが、でも豚のカツレツと、さかなをやわらかく煮たのは絶品でしたよ」
「そう思われただけだよ。だってわしは知ってるんだよ、あの連中が市場でどんなものを仕込むか。ほら、あの横着者《おうちやくもの》のコック、フランス人のとこでおぼえたなんてぬかしくさるが、あの野郎、ねこを買ってきて、皮をひんむいて、兎《うさぎ》だなんてぬかして食卓に出しやがるのさ」
「まあ! このひとはなんて気持ちのわるいことを言うのかしら」と夫人が言った。
「だって、おまえ、あの連中のところではそういうことをするんだよ。わしがわるいんじゃないさ。あの連中がみなやってるんだもの。いらないものはなんでも、うちのアクーリカなら、きたないことばでなんだが、汚水溜めへ捨てるようなものでも、あの連中はスープに入れるんだよ! うん、スープに! そうだよ、入れるんだよ!」
「あなたったら食事のとき、いつもそんな話をなさって!」と夫人はまたとがめた。
「だって、おまえ」とサバケーヴィチは言った。「わしが自分でそんなことをしたのならだが、でもおまえのまえではっきり言うけど、わしはそんなきたないものは決して口にしないよ。蛙《かえる》をさとうでまぶして出されたって、そんなものは口に入れないし、かきだって食べないよ。だってかきがなにに似てるか、知ってるからな。さあ、羊をどうぞ」彼はチチコフのほうを向いて、ことばをついだ。「これは羊の肋肉《あばらにく》とかゆですよ! あの連中のところでつくるようなこまぎれにソースをかけたようなものとはわけがちがう、あんなのは市場に四日も店《たな》ざらしになってたような羊肉でこしらえるんだよ! あんな料理はみなドイツ人の医者やフランス人どもが考えだしゃがったんだ。その罪だけでもやつらをしばり首にしてやりたいくらいだ! また絶食療法なんて考えだしやがった。腹をからっぽにして直すというんだよ! あいつらは自分がやせっぽちでろくに食わねえから、ロシア人の胃袋もそれでなんとかうまくいくだろうくらいに考えてやがるのさ! いやいや、そんなわけにはいかん、そんなのはただの思いつきだ、そんなことは……」ここでサバケーヴィチは腹だたしげに頭まで振った。「文明だ、文明だと、御託《ごたく》ばかり並べおって、そんな文明なぞ――ぺっだ! もっと別なことばをつかいたいところだが、なにしろ食事の席なのでね。わしはそうじゃないな。わしなら豚があれは――豚を一匹まるごと食卓へ出させる、羊なら――羊をまるごと持ってこさせる、がちょうなら――まるごと一羽、というぐあいだ! わしならふたり分食べたほうがましだ。食いたいだけ、思う存分食うのだよ」サバケーヴィチはそれを事実で裏づけた。彼は羊の肋肉《あばらにく》を半分自分の皿にこそぎとると、それをすっかり平らげ、骨を一本あまさずガリガリかじって、しゃぶりつくしたのである。
『たしかに』とチチコフは考えた。『この男は口がおごってるわい』
「わしはそうじゃないよ」と、ナプキンで手をふきながら、サバケーヴィチは言った。「そこらのプリューシキンなんぞとは、ちがうんだよ。八百人も農奴を持っていながら、けちんぼめ、うちの牧場の番人よりもひどいものを食べてやがる」
「そのプリューシキンて何者です?」とチチコフはきいた。
「悪党だよ」とサバケーヴィチは言った。 「ちょっと想像もできんほどのけちんぼさ。やつよりは、監獄の囚人のほうがまだましな暮らしだよ。なにしろ、使用人をすっかり餓死させてしまったくらいだ」
「ほんとうかね?」とチチコフはぐっとのり出した。「そこでは、ほんとに、大勢の人々が死んでるんですか?」
「秋口のはえみたいにな」
「まさか、はえみたいになんて! で、なんですか、その人の村はここから遠いのですか?」
「五露里だよ」
「五露里ですって!」とチチコフは叫んだ。そしてわずかに胸のときめきをさえ感じた。「それでここから行くとしたら、門を出て右へ行くのでしょうか、それとも左ですか?」
「あんな犬畜生のところへ行く道なんぞ、知らんほうがいいでしょうな!」とサバケーヴィチは言った。「あんなとこへやるくらいなら、そこらの木賃宿《きちんやど》をすすめたほうが、いくらか気がとがめないというものだよ」
「いや、わたしがきいたのはべつに、どうのというわけじゃなく、ただいろんな土地を知っておきたいものですから」とチチコフはそれに対して答えた。
羊の肋肉《あばらにく》のつぎに、皿よりもずっと大きい揚げ菓子《がし》が出された。そのつぎは子牛ほどもある七面鳥が出されたが、これには卵やら、米やら、レバーやら、その他なにやらかにやら、胃にずっしりとこたえそうなものばかりが、びっしりと詰まっていた。これでさしもの昼食もおわった。そして、食卓から立ち上がったとき、チチコフはめかたが一プードも重くなったような気がした。客間へ行くと、もうテーブルの上に皿に盛ったジャムが出ていた――梨《なし》とも、杏《あんず》とも、いちごの類ともつかないが、しかし、さすがに客も、主人も手を出さなかった。主婦は小さな皿にとりわけるために、それを持って出ていった。そのいないあいだを利用して、チチコフはサバケーヴィチのほうへ向き直った。そちらは、あんなに腹いっぱい詰めこんだあとだから、ひじ掛け椅子にだらしなくもたれかかって、ときどきふうっとため息をつき、口からなにやらあいまいな音をもらしては、そのたびに十字を切り、手で口をおさえていた。チチコフはこう彼に切りだした。
「わたしはある用件でちょっとあなたとお話をしたかったのですが」
「さあ、ジャムを召し上がってくださいな」小さな皿を持ってもどってくると、主婦が言った。「だいこんを蜜で煮てみましたのよ!」
「まあ、それはあとにしよう!」とサバケーヴィチは言った、「おまえは部屋にさがってなさい、わしとパーヴェル・イワーノヴィチは服をぬいで、ちょっと一休みするから!」
主婦が、ではさっそく羽根ぶとんと羽根枕を持ってこさせましょうか、と言うと、主人は、「いいよ、わしらはここでこのまま休むから」とことわった。主婦は立ち去った。
サバケーヴィチは頭をわずかに傾けて、どういう用件か聞こうという姿勢をとった。
チチコフはどういうつもりかひじょうに遠まわしに話をはじめて、ロシア帝国全般の問題にふれ、その広大さを大いにほめて、古代ローマ帝国でさえもこれほど大きくはなかったし、外国人たちが驚嘆するのは当然だ、などと言った……サバケーヴィチは頭をたれてじっと聞いていた。ところが、その栄誉において並ぶものなきこの偉大な帝国の現行法によれば、戸籍簿に登録されている農奴は、その生活活動をおえてしまっても、新しい戸籍簿が作成されるまでは、生きている者と同様に見なされるのであるが、それというのもおびただしい数にのぼるささいな無益な調査の業務をはぶくことによって、当該官庁に過重な負担のかかることを防ぎ、そしてそうでなくてもすでに複雑きわまるものとなっている国家機構の複雑さをこれ以上増大させないためだ……サバケーヴィチは頭をたれて、じっと聞いていた。しかし、この方法がいかに正しいものであるにせよ、それはやはり、生きているものとして、彼らの税金まで納めなければならぬのだから、多くの地主たちにとってはかなり重荷である。そこで自分は、あなたには個人的に敬意を感じているから、この実際に重荷な義務を一部引き受けさせてもらおうとも思っているのだと言った。かんじんな点については、チチコフはひじょうに慎重に表現した。決して死んだということばはつかわないで、存在しないというふうに言った。
サバケーヴィチは依然として頭をたれて、じっと聞いていた。そしておよそ表情らしいものはなにひとつその顔に浮かばなかった。この男のからだの中には魂というものがぜんぜんないのか、あるいはあるにはあっても、あるべきところにではなく、不死のコシチェイ老人〔ロシアのおとぎばなしにててくる不死身なけちんぼうのじいさん〕の魂のように、どこか山の向こうに厚い殻の中に閉じこめられていて、その底でどんなにもがきあばれても、表面にはすこしの振動も来ないのではないかと思われた。
「そこで?……」とさすがにいくらか興奮して返事を待ちながら、チチコフは、言った。
「あなたは死んだ農奴が必要なのだな?」サバケーヴィチはすこしもおどろかずに、まるで麦の話でもしているように、ひどくあっさりとこうきいた。
「そうです」とチチコフは答えて、また表現をやわらげて、つけくわえた。「存在しないやつをです」
「見つかるでしょう、ないわけがない……」とサバケーヴィチは言った。
「で、もし見つかりましたら、あなたは、むろん……喜んで厄《やく》払いをしますでしょうな?」
「いいでしょう、売りましょう」とサバケーヴィチは今度はすこし頭を上げて、言った。買い手は、きっと、これでなにかもうけしごとをたくらんでるにちがいない、と彼は見てとったのである。
『ちくしょう』とチチコフはひそかに思った。『こいつめ、おれがほのめかすまえに、もう売るとぬかしやがる!』――そして、声に出して言った。
「それでたとえば、どのくらいのお値段で? とは言っても、しかし、これは……値段のことを言うのもおかしいようなものですが……」
「そうさな、余分にもらってもなんだから、掛け値なし、ひとり百ルーブリということにしましょうか!」
「百ルーブリ!」とチチコフは思わず叫んで、ポカンと口を開け、まじまじと相手の口を見つめた。自分のほうが聞きちがえたのか、それともサバケーヴィチの舌がもともと重くできているので、よくまわらないで、言おうとしたこととちがうことが口から出てしまったのか、彼は見当がつきかねたのである。
「なんだね、それでは高いというのかね?」とサバケーヴィチは言って、やおらつけくわえた。
「では、いくらだね、あなたの付け値は?」
「わたしの付け値? わたしたちは、きっと、なにか勘違いしてるか、そうでなければお互いによくのみこめないで、対象がなんであるかを忘れてるんですよ。ではわたしのほうから、このとおり胸に手をあてて、正直なところを申し上げましょう、ひとりあたり八十コペイカ、これがぎりぎりの値段ですよ!」
「えっ、なにを言うんだね――八十コペイカなんて!」
「でも、わたしとしては。どう考えても、これ以上は出せませんね!」
「だって、売るのはわらじじゃないよ」
「でも、まあ考えてごらんなさい、これだって人間じゃありませんよ」
「じゃあんたは、戸籍に生きてる農奴を八十コペイカ程度の端金《はしたがね》で売るような、そんなばか者がいると思ってなさるんだな?」
「ま、ちょっと待ってください、なぜあなたはそれを戸籍に生きてる農奴なんておっしゃるんです。だってそれはもうとっくに死んでしまって、のこってるのは手でさわることもできない音だけじゃありませんか。しかしこんな押し問答をいつまでもくりかえしたくありませんから、思いきって一ルーブリ半お出ししましょう、それ以上は出せませんねえ」
「恥ずかしくないですかな、そんな値段をつけて! あんたは掛引きしてなさる。ほんとの値段を言いなさい!」
「とんでもない、ミハイル・セミョーヌイチ、わたしの良心を信じてください、もうこれ以上は出せません。できないことは、いくらいわれてもできませんよ」とチチコフは言ったが、それでももう五十コペイカずつつけた。
「どうしてそうけちけちするんだね?」とサバケーヴィチは言った。「まったく、安い買いものですぜ! 他の地主ならあんたをだまして、農奴どころか、くだらんぼろかすを売りつけるところだが、わしのところは極上の胡桃《くるみ》みたいに、みな選《よ》りぬきばかりだ。腕のいい職人か、さもなきゃがっしりした丈夫な百姓ばかりだ。ま、調べてごらんなさい。たとえば、馬車造りの職人ミヘーエフ! あいつなんざ、バネつきの馬車のほかはこしらえなかったものだ。それも、モスクワあたりの職人のしごとみたいに、一時間も走ったらガタがくるようなのとはわけがちがう。ものすごくがんじょうで、自分で被《おお》いも張るし、漆《うるし》も塗ったものだ!」
チチコフは、そのミヘーエフが、しかし、もうとうにこの世にいないことを注意しようとして、口をあけかけた。ところがサバケーヴィチは、どこからこのようなことばの才能と速度があらわれたものか、油紙に火のついたような勢いでまくしたてはじめた。
「それから大工のプロープカ・ステパン? あんたがこんな腕っこきの百姓をどこかで見つけることができたら、わしはこの首を上げるよ。いやあ、まったく、とほうもない力持ちだった! 近衛《このえ》連隊にでも勤めさせたら、それこそどんな勲章をもらったか知れやしない、なにしろ背たけが二メートル半もあったからなあ!」
チチコフはまた、そのプロープカもこの世にいないことを注意しようとしたが、サバケーヴィチはすっかりエンジンがかかってしまって、ことばの流れがとまりそうもないので、黙って聞いてるほかはなかった。
「れんが職人のミルーシキン! あいつはどんな家の炉でもちゃんとこさえたものだ。靴職人のマクシム・テリャトニコフ、こいつときたら、靴針を持ってチクラチクラやってると思うと、たちまち、長靴ができてしまう。それがまたじつにがんじょうな長靴なんだ。しかも酒は一滴も口にしない! それからエレメイ・サラカプリョーヒン! これひとりだけでみんなを合わせたくらいの値うちはあったよ。モスクワで商売をやらせてたんだが、年貢《ねんぐ》だけで五百ルーブリから納めたものだ。まったく、こういう連中なのさ! そこいらのプリューシキンなどがあんたに売るのとは、ものがちがいますぜ!」
「でも、ちょっと待ってください」と、いつはてるともなさそうな、ものすごいことばの洪水にどぎもを抜かれてしまって、チチコフはやっと言った。「どうしてあなたは、そういちいちそんなものの長所をかぞえ上げるんです、だって今はそんなことを、言ってもしようがないじゃありませんか、もうみんな死んでしまってるんですから。死んでは塀のつっかい捧にもならぬって、諺《ことわざ》にも言うじゃありまぜんか」
「うん、そりゃあ、死人ですよ」サバケーヴィチは考えてみて、彼らがまちがいなく死人であったことに気がついたらしく、こう言ったが、すぐにまた言いたした。「しかしだね言ってみりゃ、いま生きている連中にしたってどうだね? あんなものがなんだね? はえだよ、人間なんてものじゃない」
「でもやはり、彼らは、現実に存在してますからね、頭の中にあるだけの空想《ゆめ》じゃないですよ」
「いや、ちがう、空想《ゆめ》なんかじゃないさ! はっきり言うけど、ミヘーエフみたいな男は、どこをさがしたって見つかりっこないですよ。ばかでかいやつで、この部屋にはいりきらんほどだった。いや、ありゃ空想じゃないよ! 肩の力のすごいことといったら、馬もかなわんほどだった。あんたがどこでこんな空想を見つけるか、ひとつ知りたいものだよ!」
おしまいの数語は、彼はもう壁にかかっているバグラチオン将軍とコロコトロニス〔ギリシアの将軍〕の肖像に向かってしゃべっていた。こういうことは話し合っているふたりの人間のあいだによく見られることで、ひとりが意味もなく、だしぬけに、話し合っている相手にではなく、偶然にはいってきた、それもまるで見も知らぬ男に話しかける。そして返事も、意見も、確認も聞かれないことは百も承知のくせに、まるでその男を仲裁者にひきこもうとでもするように、じっと目を見つめる。するとその男はとっさのこととていささかうろたえて、聞いてもいないことに返事をしたものか、それとも失礼にならぬようにしばらくそのまま立っていて、ころ合いを見てはなれたものかと、迷ってしまうのである。
「いや、二ルーブリ以上は出せませんよ」とチチコフは言った。
「それじゃ。わしが高くふっかけてばかりいて、あんたに対してすこしも親身にならない、などと思われるのはいやだから、ひとつぐっと譲って――ひとりあたま七十五ルーブリ、ただし紙幣でということにしましょう、ほんとにこれは友だち同志だからですぜ!」
『こいつは実際どういうんだろう』チチコフはひそかに考えた。『おれをばかだとでも思ってるのかしら?』――そして口に出してつけくわえた。
「へんですねえ、まったく。なんだか、わたしたちのあいだになんかの芝居か喜劇がおこなわれているような気がしてならんのですよ。そうでも思わないことには、どうにも説明がつきません……あなたはかなり聡明《そうめい》な人らしいし、りっぱな教育を受けておられるように見受けられる。こんなものはそれこそ鼻の先で笑いとばすようなものじゃありませんか。それがいったいどんな値うちがあるんです? だれに必要なんです?」
「だって、現にあんたが買おうとしてるじゃありませんか。してみると、つまり必要なわけだ」
こう言われるとチチコフはくちびるをかむばかりで、返事のことばが見つからなかった。彼はやむなく自分の家庭の事情を語りだした。するとサバケーヴィチがそっけなく言った。
「あんたにどんな事情がおありか、わしは知る必要がありませんな。わしは他人の私事に立ち入るのはきらいです。それはあんたの問題でしょう。あんたが農奴が必要だというから、わしはそれを売ろうというのですよ。買わなかったら、あとでほぞをかみますよ」
「二ルーブリですな」とチチコフは言った。
「かささぎは一つの鳴き声しか知らぬ、と諺《ことわざ》に言いますが、まったくですな、二ルーブリと言いだしたが最後、それにしがみついてはなれようとしない。ほんとうの値段を言いなさい!」
『えい、まったくいまいましいやつだ』とチチコフは腹の中で考えた。『もう五十ずつつけてやれ、犬に、おこぼれだ!』
「では、もう五十ずつつけましょう」
「そう、では、わしもぎりぎりの最後の線を出しましょう、五十ルーブリです! まったく、出血ですよ、こんなすばらしい農奴どもをこれより安くは、どこでだって買えっこないですよ!」
『どこまで欲の皮がつっぱってやがるんだ!』とチチコフは腹の中でののしった。そしていくぶんむっとしたようすで口に出した。
「いったいなにを考えてるのです……さも重大なことででもあるかのように。ええ、よそならね、わたしは無償《むしよう》でもらいますよ。それどころか早く厄払いしたいために、だれだって喜んで手ばなしますよ。そんなものをごしょう大事ににぎっていて税金をとられてるのは、まあよほどのばか者だけでしょうな!」
「でもね、こういう買いものは、これはここだけの話で、友だちだから言うのだがね、公然とできることじゃないことは、ご承知だろうね。わしなり、他のだれかがしゃべってごらんなさい――まずそんな人間は信用できないということになって、契約も結べなくなるし、有利な取引があっても相手にされなくなるでしょうな」
『ちえっ、からめ手で来やがったな、卑怯なやつだ!』とチチコフは思った。そしてすぐにきわめて冷やかな態度で言った。
「あなたがどうなさるおつもりか知りませんが、わたしはあなたの考えるように、なにかの目論見があって買おうというのではありません。ただおせっかい好きでやっていることですから。二ルーブリ半でおいやでしたら――失礼します!」
『こいつは容易なことじゃ音を上げんぞ、強情なやつだ!』とサバケーヴィチは思った。
「あんたには負けたよ、三十ルーブリずつで持っていきなさい!」
「いや、どうもあなたは売りたくないようですから、これで失礼します!」
「ま、そう言わんで、ちょっと待ちなさい!」とサバケーヴイチは言って、チチコフの腕をつかんで、いきなりその足を踏んづけた。というのはわが主人公がうっかり警戒を忘れたためで、その罰にチチチチッと叫んで、片足で二三度ぴょんぴょんとび上がらなければならなかった。「ごめん、ごめん、どうやら、あんたの足を踏んづけたらしいですな。ま、すわってくださいな! どうぞ!」こう言って彼はチチコフをひじ掛け椅子にかけさせたが、そのやり口にはちょっと器用なところさえあって、飼いならされた熊が、『おい、ミーシャ、ばあさんがからだを洗うまねをしてごらん』とか、『ミーシャ、こどもが豆をぬすむまねは?』などと声をかけられて、ひっくりかえったり、いろんな芸当をしたりする様を思わせた。
「ほんとに、こんなことをしてても時間のむだです、わたしは急がねばなりませんから」
「とにかく、ちょっとおすわりください、いまあなたに耳よりなお話をしますから」そしてサバケーヴィチはチチコフのそばに椅子をひきよせると、まるで秘密の話でもするように、そっと耳うちした、「角《つの》一つではいかがです?」
「つまり、二十五ルーブリですか? いや、ぜったいに、角の四分の一でもごめんですな、一コペイカもつけられません」
サバケーヴィチは黙りこんだ。チチコフも黙っていた。二分ほど沈黙がつづいた。鷲鼻《わしばな》のバグラチオン将軍が壁からきわめて注意深くこの掛引きを見まもっていた。
「いったいいくらだね、あんたのぎりぎり決着の値段は?」とうとうサバケーヴィチが言った。
「二つ半です」
「まったく、あんたの心は蒸した蕪《かぶら》〔人間味がないという意味〕みたいですなあ、じゃせめて三つにしなさい!」
「だめです」
「いや、あんたには手も足も出んですなあ、まあ手を打ちましょう! 損だが、親しい人を喜ばせずにはいられないという、犬みたいな性分でしてな、ところで万事をきちっとするために、登記証書を作ることも必要でしょうな」
「もちろんですとも」
「それがやっかいですよ、市へ出かけにゃならんですわい」
こういうことで話がきまった。ふたりは明日にも市へ出向いて、登記の手続きをすることをきめた。サバケーヴィチは喜んで承諾し、すぐに事務机のまえへ行って、自分ですべての農奴の名まえばかりか、その長所をもたんねんにあげて、名簿の作成にかかった。
チチコフはすることもないままに、うしろにすわったまま、彼のばかでかい図体《ずうたい》の観察にとりかかった。ヴャトカ産〔この地方産の馬は小がらだが頑健〕の馬の背のような、その幅広い背と、歩道に立てられている鋳鉄《ちゆうてつ》の柱のような、その太いあしを見ると、彼は思わず心の中でこう叫ばないわけにはいかなかった。『神も、なんてからだを授けてくれたものだ! まったく、世間で言う、仕立てはわるいが、縫《ぬ》いはしっかりしてるってやつだ!……もともと熊みたいに生まれついたものか、それともこんな田舎に暮らし、麦をまいたり、百姓どもを相手にしたりしているうちに、熊みたいになり、そして富農《クラーク》といわれる者になったのか? いや、そうじゃない、おまえはこんな田舎に住まんで、流行の教育を受け、官途について、ペテルブルグに暮らしたとしても、やはりこうだったろう。ちがいと言えば、おまえはいま羊の肋肉《あばらにく》を半分も平らげ、口直しに皿ほどもある揚げパンを食ってるが、ペテルブルグに住めば、きのこをそえたカツレツかなんぞをむしゃむしゃやらかすくらいのものだ。いまはこうして百姓どもの上におさまって、百姓どもとうまくやっていて、もちろん、ひどいめに会わせたりはしないだろうが、それというのも百姓どもが自分のもので、そんなことをしたら自分の損になるからだ。ところがペテルブルグならおまえの下に部下の役人たちがいることになり、こいつらはだいじな百姓どもとはちがうというので、こっぴどく痛めつけたり、また国庫の金をかすめるようなこともするだろう! まったく、富農ってやつは、いったんにぎった手はもう開きやしない! だが一本か二本、指を開かせたら、なお、しまつのわるいことになる。なんかの学問の上っつらをちょっとかじらせてみたまえ。やがてなんとか長というような地位になると、ほんとうに学問をおさめた連中に説教をたれるようなことになる。そのうえさらに、「どれひとつ、おれのえらさを見せてやろう!」なんて言いだして、みんなが閉口するような、とほうもない規定を考え出したりする……まったく、どれもこれもが富農だったら、それこそ!……』
「名簿ができたよ」とサバケーヴィチはふり向いて言った。
「できましたか? では、こちらへどうぞ!」彼はざっと目を通して、その正確で詳細なことにびっくりした。職業、姓名、年齢および家族の状況がたんねんに書いてあるほかに、余白にその身持ちや飲酒についての特別の傍註《ぼうちゆう》までついていて――要するに、見ていてうれしくなるほどだった。
「では手付けをいただきましょうか!」とサバケーヴィチは言った。
「なんのために手付けなどを? 市で一度に全額を受け取ったらいいじゃありませんか」
「でも、これがしきたりですから」とサバケーヴィチは言いかえした。
「さあ、それはこまりましたな、手もとに金を持っていないものですから。そうそう、いまここに十ルーブリならあります」
「いくらなんでも十ルーブリじゃあ! 最低せめて五十は出しなさい!」
チチコフは、いま所持していないからと、言いのがれをはじめた。しかしサバケーヴィチに、いや持ってないわけはない、ときっぱりと言われて、彼はしぶしぶもう一枚出した。
「じゃ、これ、もう十五さしあげましょう、計二十五です。では受取をいただきましょうか」
「だが、なんのために受取を?」
「そりゃあ、受取をいただいておくにこしたことはありませんよ。こんな世の中です……どんなことが起こらないともかぎりませんからねえ」
「いいだろう、じゃお金をこっちへよこしなさい!」
「どうしてお金を? わたしがこうしてここに持ってるじゃありませんか! 受取を書いたら、引替えにお渡ししますよ」
「だが、どうして受取が書けますかね? そのまえにお金をよく見せてもらわんことには」
チチコフは手にしていた紙幣をサバケーヴィチにわたした。サバケーヴィチは机のまえに行くと、その紙幣を左手のてのひらでかくして、右手で紙きれに、国立銀行紙幣二十五ルーブリ、右農奴譲渡金の内金として確かに受け取りました、と書いた。書きおわると、彼はまた改めて紙幣をつくづくとながめた。
「こりゃかなり古いですな!」と彼は一枚を日光に透かして見ながら、言った。「ちょっとやぶけてる。だがまあほかならぬあんたのことだ。これはまあ大目に見よう!」
『富農《クラーク》、富農《クラーク》!』とチチコフは腹の中でののしった。『おまけにこすっからいときてやがる!』
「で、女の農奴はいらんかね?」
「いや、もうけっこうですよ」
「高いことは言わんよ、友だちのよしみでひとり一ルーブリにしとこう」
「いや、女はいらんのですよ」
「そうかね、いらんというのなら、すすめてもはじまらんですな。好みは法律でしばれませんからな。諺《ことわざ》にも言うじゃありませんか、坊主を好くやつもありゃ、梵妻《だいこく》〔僧侶のつれあい〕を好くやつもあるとな」
「もう一つあなたにお願いしたいのは、これはわたしたちふたりだけのことにしていただきたいのですが」とチチコフは別れしなに言った。
「そりゃ、もちろんですよ。これは第三者を介入させるような事がらじゃない。親友同志が腹を割って話し合ったことは、ふたりだけの友情の中にしまっておかなくちゃいけません。では、さようなら! たずねてくだすって、ありがとう。どうか、今後ともお忘れなく。お暇でもできたら、またいらしてください。飯でも食って、楽しくすごそうじゃありませんか。またなにか、お互いにうまい話があるかもしれないし」
『ふん、もうごめんだね!』と、馬車に乗りこみながら、チチコフは腹の中で思った。『死んだ農奴で二ルーブリ半もふんだくりやがって、いまいましい富農《クラーク》め!』
彼はサバケーヴィチの仕打ちが癪《しやく》でならなかった。なんといったって、やはり、知事や警察署長のところで知り合いになった知人じゃないか、それをまるであかの他人みたいな仕打ちで、くずみたいなもので金をふんだくりやがった! 馬車が門を出るとき、彼はふり返った。するとサバケーヴィチがまだ玄関の階段の上に立っているのが見えた。そして客がどっちの方向へ行くか見定めてやろうとして、じっとこちらをにらんでいるように思われた。
「いやなやつだ、まだつっ立ってやがる!」と彼は歯のあいだがら押し出すようにつぶやいた。そして百姓家の立ち並ぶほうへ曲がるようにセリファンに言いつけた。こうして、地主邸のほうから見られないようにして、ここを離れようと思ったのである。彼は、サバケーヴィチのことばによると、たくさんの人々がはえみたいに死んだというプリューシキンのところへ行ってみたかったが、しかしそれをサバケーヴィチに知られたくなかったのである。馬車がもう村はずれまで来たとき、彼は最初に目についた百姓を呼んだ。その百姓は道でおそろしく太い丸太を見つけて、それを肩にかついで、まるで疲れを知らぬありのように、家へはこんでいくところだった。
「おい、ひげ面! ここからだんなの邸のそばを通らんで、プリューシキンのところへ行くには、どう行ったらいいんだね!」
百姓はこの質問に当惑したようだった。
「どうした、知らんのか?」
「へえ、だんな、知らねえだで」
「ちょっ、こいつめ! 白髪にもなりおってからに! 業《ごう》つくばりのプリューシキンを知らんのか。みんなにろくなものを食わせねえっていう、あのしわんぼうだよ?」
「あっ! あのほいどだか、ぼろぼろの!」と百姓はとんきょうな声を出した。
百姓はこの『ほいど』ということばにさらにじつに適切な名詞をもつけくわえたが、それは上品な会話には用いられぬことばなので、ここにはのせないことにしよう。しかし、それがよほどぴたりと言いあてた表現らしかったのは、百姓がもうとうに見えなくなって、馬車がもうかなり進んでからも、チチコフがまだくっくっ笑っていたのを見てもわかった。ロシア人というのはじつにうまいことを言うものである! いったんあだ名をっけられると、それは子々孫々にまでつたわり、勤務につこうが、退官しようが、ペテルブルグにいようが、地のはてへ逃げようが、もう決してはなれないのである。そしてその後どんなに知恵をしぼって、そのあだ名を品のよいものにしようとしても、代書人に金をつかませて古くからの貴族の名門の姓を拝借しようと、なんの助けにもならない。カラスがカァカァ鳴くみたいに、自分で自分のあだ名を裏打ちして、どこから、飛んできた鳥か、はっきりとさらけ出してしまうのである。ぴたりと言いあらわされたことばは、書かれたのと同じことで、斧でたたき割るわけにはいかない。しかも、ドイツ人も、フィンランド人も、その他いかなる人種もまじっていないで、きっすいの生きのいいロシア人だけが住んでいるロシアの奥地で生まれたことばはいずれも、おどろくほど適切である。ロシア人というやつは、ポケットをかきまわしてことばをさがすようなのろまではないし、巣ごもりの母鶏がひなをかえすみたいに、長いことかかってことばをあたためるようなことはしないで、一生持ち歩くパスポートとして、いきなりぺたりとはりつけてしまい、くちびるがどうだ、鼻がどうだなどと、もうあとでなにもつけたすことをしない、――一筆で足から頭まで描き上げられてしまうのである!
丸屋根や円塔や、十字架をいただいた教会や修道院が、わが聖なる敬神の国ロシアには、掃ききれぬほどたくさんまきちらされているが、これまた掃ききれぬほどたくさんの人種、世代、民族が地表に群がり、色とりどりに入りまじり、せかせかとかけまわっている。そしてそれぞれの民族が、精神の創造力や、その明確な独自性や、その他の神に授けられた才能にみちみちた、力の泉を自分の中に持ちながら、それぞれ異なる独自のことばを使用し、そのことばによって、どんなものを表現する場合でも、その表現に自分の特徴の一部を反映させるのである。英国人のことばには心理洞察と人生に対する賢明な知識がこもり、フランス人の短命なことばは軽いしゃれできらっと光ってすぐに飛散し、ドイツ人の知的なぎすぎすしたことばは、並みの頭にはとてもわからないようなことを、巧妙に考え出す。しかし、ぴたりと言いあらわされたロシアのことばほど、生きがよく奔放《ほんぽう》で、心の底からほとばしり出て、生命力にみちあふれ、はげしく沸きたっていることばは、他に類を見ない。
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第六章
ずっと以前、わたしがまだこどもだったころ、もはやかえることなく流れ去ってしまった少年の日々に、わたしは見知らぬ土地をはじめて訪れるのが楽しくてたまらなかった。それが教会のない小さな部落であろうと、貧しい郡の町であろうと、教会のある村であろうと自由農民の大きな村であろうとかまわない。――そこにこどもの好奇心に燃えた目がたくさんの珍しいものを発見したものだった。どんな建物でも、ほかにないなにか目につく変わったところがあると――かならずわたしの足を引きとどめて、わたしの目をおどろかせた。町人たちの住む荒けずりの丸太壁の低い平家がごちゃごちゃと立ち並ぶあいだに、ぽつんと一軒だけ突き出している、窓の半分は飾りだけという、よくある建て方の石造りのお役所の建物であろうが、雪のようにまっ白に塗られた新しい教会の上にそびえている、白いトタンぶきの格好のよい丸屋根であろうが、市場であろうが、町の中で見かけた田舎のしゃれ者であろうが――若々しい鋭敏な注意からもれるものはなにひとつなかった。そして、わたしは旅行馬車から鼻を突き出して、それまで見たこともなかった妙な型のフロックや、八百屋の戸口から干からびたモスクワ製の菓子のびんと並んでちらと見えた、釘やら、遠くからは黄色っぽく見える硫黄《いおう》やら、干しぶどうやら、せっけんやらを入れた木箱類をながめたり、いったいどこの県からこんなたいくつな田舎へ吹きよせられてきたものか、道路のわきのほうを歩いてゆく歩兵士官や、シベリア服を着て競走馬車をとばしてゆく商人をながめた。するとわたしの考えはすぐにそのあとを追って彼らの貧しい生活へと移ってゆくのだった、郡の役人がそばを通ると――すぐにわたしは、この人はどこへ行くのだろう、どの兄弟かの家の夜会へでも行くのだろうか、それともまっすぐ自分の家へ帰って、すっかり日が暮れるまで、三十分ほど入り口の階段に腰かけて夕げしきを楽しみ、それから母や、妻や、妻の妹や、家族みんなと早めの夕餉《ゆうげ》をかこむのだろうか、そしてスープがおわってから、貨幣の首飾りをつけた女中かだぶだぶの上衣を着た召使が、ようやく、長くその家に伝わる燭台にあぶらローソクを立てて持ってくるころ、彼らのあいだにはどんな話がはずんでいるだろう、などと空想するのだった。どこかの地主の村に馬車が近づくと、わたしは珍しい思いで、ひょろりと高い木造の鐘楼《しようろう》や、横に大きい黒ずんだ古い木造の教会をながめるのだった。はるか遠くに、木々の緑を透《とお》して、地主館の赤い屋根や白い煙突が、いかにもわたしの心を誘うようにちらちら見えだすと、わたしはもうじれったい思いで、早くこの目をさえぎっている森が両側へひらけないかなあ、と待っていると、やがて邸《やしき》の全容が眼前にあらわれる。すると、おお! それはぜんぜんありふれた外観ではないのだ。その邸のようすからわたしは、ここの主人はいったいどんな人だろう、ふとった人だろうか、息子たちはいるかしら、若々しいかん高い笑い声をたてたり、いろんな遊戯《ゆうぎ》をしたりする娘たちが六人もいるのではないかしら、下の妹はびっくりするような美人かもしれない、そしてみんな目は黒い目かしら、主人は朗らかな人だろうか、それとも九月末ごろの日々のように、陰気な顔をして、ぶすっとして暦《こよみ》をながめたり、若い者にはたいくつな裸麦とか小麦の話などばかりしてるのではないだろうか、などと想像してみるのだった。
それがいまでは、どんな見知らぬ村へでも平気で近づき、そのありふれた姿に冷やかな目を投げるようになってしまった。わたしの冷えた目に憩《いこ》いをあたえてもくれないし、べつにおもしろくもないのである。以前にはわたしの顔に生き生きした表情と、笑いと、やむことを知らぬおしゃべりを誘い出してくれたものが、いまは冷たくかたわらを通りすぎるだけで、わたしの動かぬくちびるは冷やかな沈黙をまもっているだけである。おお、わが青春よ! おお、わが青春の日々よ!
チチコフが百姓によってプリューシキンにあびせられたあだ名を思い出しては、腹の中でくっくっ笑っているあいだに、馬車はいつの間《ま》にかたくさんの百姓家や通りのある大きな村の中にはいっていた。しかし、まもなく、丸太を敷きつらねた道にかかって馬車がものすごくゆれだして、はじめてそれに気がついた。この丸太道にくらべては、町の石畳の舗道などものの数ではない。これらの丸太が、ピアノのキイみたいに、上がったり下がったりするために、ぼんやりした客は後頭にこぶをこさえたり、額に青あざをつくったり、あるいは自分の歯で自分の舌の先をいやというほどかんだりする。
彼はどの木造の百姓家もなにかひどく荒廃しているのに気がついた。壁の丸木は黒ずんで古かったし、屋根はたいていふるいのように穴だらけだった。中には上の棟飾りと、その両側に肋骨のような垂木《たるき》だけしか残っていない小屋もあった。どうやら小屋の主たちが、雨降りにはどうしたところでざあざあもりだし、お天気にはもるわけがない。居酒屋にでも、大道にでも――要するに、どこにでも広々とした場所があるのに、なんでこんなところにめそめそしてることがあろうと考えて、むろん、たしかにそのとおりだが、自分で屋根板やこまいをひっぱがしてしまったものらしい。窓はガラスなどはなく、中にはボロや上っ張りをつめてふさいだのもあった。どういう理由からか知らないが、たいていのロシアの百姓家にはついている、屋根の下にはり出した手すりのついた露台は、傾いて、絵にもならぬほどにうすぎたなく黒ずんでいた。小屋のうしろには、ほうぼうに山のように積み上げた麦叢《むぎづか》が列をなしてはるか遠くまで並んでいたが、もう長いことそのまま放置されているらしく、焼きのわるい古|瓦《かわら》のような色に変色して、てっぺんにはいろんな雑草がはえ、わきには灌木《かんぼく》の茂みさえはりついていた。これはどうやら地主のものらしかった。
これらの麦叢と荒れはてた屋根屋根のかげから、はるか向こうの空中に、二つの村の教会が、馬車が曲がるにつれてあるいは右に、あるいは左に、見えがくれした。二つの教会は並んで建っていて、一つは荒れはてた木造、もう一つは石造りで、黄色っぽい壁がきたなくよごれ、いたるところひび割れができていた。地主邸がすこしずつ見えてきて、やがて百姓家の家並みがきれて、その先がところどころくずれた低い垣をめぐらされた菜園かキャベツ畠とおぼしい荒地になると、ようやくその全景が見えた。その長い、とほうもなく長い奇妙な城は、なんとなく老いぼれた廃兵を思わせた。それはところどころ一階で、ところどころ二階という妙な造りで、もうその古さを防ぎきれぬ個所も見受けられる黒ずんだ屋根の上に、向かい合いに二つの望楼がそびえていたが、そのいずれももはやすこし傾いて、かつてはそれを飾っていたにちがいない美しい塗りはおもかげもなかった。壁はところどころひび割れができて漆喰《しつくい》の下地がむき出しになり、長年にわたって荒天や、雨や、嵐や、秋の変わりやすい気候などに痛めつけられてきたことがうかがわれた。窓は開いているのは二つだけで、あとは鎧扉《よろいど》がおろしてあり、中には板を打ちつけてあるのさえあった。この二つの窓でも、内側からは、やはり盲目に近かった。一つには青いさとう袋の紙を三角に切ったのがはられていて、黒っぽく見えた。
邸のうしろにある古いだだっぴろい庭が、村の背後を通って、はるか野原までのびていたが、草木が思うさまにはえ茂り、これだけがこの広大な村にさわやかな生気をあたえ、この生き生きとした荒野だけが、絵になるように思われた。思うままに枝を張りひろげた木々の梢が一つに溶《と》け合って、緑の雲か、きらきらと葉をそよがす線の乱れた丸屋根のように、地平線に盛り上がっていた。嵐か雷で頭を折られた白樺の白い巨木が、この緑の丸屋根から突き出して、まるで形の正しい大理石の円柱のように空に浮き出ていた。柱頭のかわりに、その先端に斜めにとがっている折れ口は、その雪のように白い幹の上に、帽子か、あるいは黒い鳥のように、黒く見えていた。ホップのつるが、下のほうでにわとこや、ななかまどや、はしばみなどの茂みをしばり上げ、さらに柵の頭をはったあげく、ついに白樺の幹にとっついて、その中ほどまで達している。中ほどまで来ると、そこからたれ下がって、もう他の木々の梢にとっつこうとねらうつるもあり、またそのねばっこい巻蔓《ひげ》を輪に巻いて、空中にたれ下がり、風にゆられているものもある。
陽光を浴びている森の緑の茂みが、ところどころ割れて、そのあいだがら陽《ひ》の通らぬ深い奥が、まっ黒い猛獣の口のように、黒々と見える。そこはすっかり影におおわれて、その暗い奥のほうに一筋の細い小道、くずれた手すり、傾《かし》いだ園亭《えんてい》、老い朽ちて空洞だらけになった柳の幹、その柳の根方から剛毛のようにびっしりとはえた灰色の低くちぢれた灌木、あまりにもひどい茂みのために枯れてしまって、もつれ合いからまり合っている木の葉や小枝、さらにその緑のてのひらのような葉をよこへのばした楓《かえで》の若枝などが、かすかにちらちらと見えかくれした。と、その楓の葉の一枚に、どこをどうくぐりぬけてきたものか、不意に日光がさして、パッとそれを透きとおるようなまっかな色に変え、この濃い闇の中に奇蹟のようにきらきらと燃えた。この庭のはずれに、一きわ高く数本のやまならしの大木がそびえていて、葉がかさこそと騒ぐその梢に大きな鳥の巣がいくつかのっている。そして何本か折れた枝やまだすっかり折れきらぬ枝が、枯れた葉をつけてだらりとたれ下がっていた。要するに、それは、自然も人工も思いおよばないが、自然と人工が力を合わせ、ときには意味もなくやたらに積み重ねられた人間の労働のあとに、自然がその仕上げののみをふるい、重い固まりをくずし、やぼな正確さや、裸のプランが見えているようなつまらないほころびは除いて、きちんと測定されたむだのない正確さという冷たさの上につくられたいっさいのものに、絶妙なあたたかさをあたえるときに、はじめて生まれる美しさであった。
一、二度曲がると、わが主人公はやっと邸のまえに出た。それは遠くで見るよりもいっそう痛ましく見えた。柵や門の朽ちた木はもう青ごけにおおわれていた。召使部屋、納屋《なや》、倉などの建物が、見るからに古びて、庭にごちゃごちゃと立っており、そのそばに右と左にほかの庭へ通じる門が見えた。なにもかもが、ここにはかって大規模な豊かな生活が流れていたことをものがたっていた。それがいまはそのどれもが陰気くさく見えた。生き生きした光景はなにひとつ見られなかった。――戸が開くでなし、そのへんから人が出てくるでなし、人の住む家らしい生き生きした気配《けはい》はひとつも感じられないのだ!
ただひとつ正門だけがあけられたが、それもこの死に絶えたような場所に生気をあたえるために故意にあらわれたように、ひとりの百姓がむしろをかけた山積みの荷馬車をひいてはいってきたからであった。そういうときでもないかぎりは、その正門もぴたりと閉ざされていたにちがいなかった。というのは鉄の蝶番《ちようつがい》に化け物みたいな南京錠が下がっていたからだ。チチコフが見ていると、ある建物のそばに一つの姿があらわれて、荷馬車をひいてきた百姓となにやら言い合いをはじめた。ややしばらく彼はその姿が女か男か見わけることができなかった。着ているのもまったくはっきりせず、むしろ女の上っ張りのようにも見えるし、頭には邸の下働きの女どもがかぶっているまるい頭巾《ずきん》のようなものをかぶってるが、声だけは女にしてはすこししゃがれているようには思われた。『うん、女だ!』と彼は腹の中でそう言ったが、すぐにまた否定した。『いや、ちがうぞ!』彼はつくづくながめて、最後に『もちろん、女にきまってる!』と断定した。その姿のほうでもやはりじっと彼を見つめていた。客などというのはよほど珍しかったらしく、彼女はチチコフばかりでなく、セリファンも、馬までもしっぽから鼻面まで、じろじろとながめまわした。腰に鍵《かぎ》束を下げているのと、百姓をかなり乱暴なことばでののしったところから見て、チチコフは、これはおそらく女中頭にちがいないと判断した。
「ねえ、ばあさん」と彼は馬車からおりながら言った。「ご主人は?……」
「るすだよ」とこちらがききおわるのも待たずに、女中頭はさえぎった。そして、一分ほどすると、こうつけくわえた。「だが、何用だね?」
「用事があるんだよ」
「部屋へ通りな!」くるりと向こうを向くと、老婆はこう言った。その背中には麦粉がいっぱいついていて、下のほうに大きな穴があいていた。
彼は、まるで穴蔵からみたいに、冷たい空気がひやりと流れてくる、暗いだだっぴろい玄関へはいった。玄関のつぎの間《ま》もやはり暗い部屋で、ドアの下側にある広いさけめをもれる明りで、闇がわずかに薄白んでいた。そのドアをあけると、彼はやっと明るいところへ出たが、その乱雑さにあっとおどろいてしまった。まるで家じゅうが床洗いをやっていて、一時この部屋へ家具をすっかりごちゃごちゃに積み上げたかと思われた。テーブルの上にこわれた椅子がのっていて、そのわきに振子のとまった柱時計がおいてあったが、それにはもうくもの巣がはっていた。そちらには戸棚がひとつ横腹を壁にくっつけておいてあり、その中には古い銀器や、ガラス容器や、支那の陶器などがごちゃごちゃにはいっていた。螺鈿《らでん》をモザイク式に埋めた事務卓は、もうところどころ螺鈿がとれて、そのあとが膠《にかわ》が黄色っぽくこびりついた穴ぼこのままになっており、その上にあらゆる不要物がいちめんにちらかっていた。――上に卵型のつまみのある緑色っぽくなった大理石の文鎮《ぶんちん》でおさえた、細かい字をびっしり書きこんだ書類の束、天地の赤い、革表紙の古い本、野性のくるみほどの干からびてこちこちになったレモン、ひじ掛け椅子のもぎれた腕、なにやら液体がはいって、はえが三匹浮いたまま、上に手紙がのっかっているグラス、封蝋のこまかいかけら、どこかでひろったボロきれ、インクがこびりついたまま、肺病やみのようにかさかさにかわいてしまった二本のペン、おそらく主人がまだフランス軍がモスクワに侵入する以前に歯をほじくったものとみえて、すっかり黄色く変色してしまったつまようじ、といった類である。
壁には数枚の絵がせせこましく無秩序にかかっていた。ばかでかい太鼓や、三角の帽子をかぶって喚声《かんせい》を上げている兵士たちや、死にかかった馬などが描いてある、どこかの会戦の細長い石版画が、もう黄色っぽく変色して、細い青銅の線がはいり、四隅にやはり青銅の輪のついた、ガラスもないマホガニーの額縁にはいっているかと思うと、そのとなりにはほとんど壁を半分も占領して、油絵の具で花や、くだものや、すいかの切り身や、いのししの首や、頭をたれた鴨《かも》を描いた、大きな黒ずんだ絵がかかっていた。天井のまん中からズックのふくろをかけられたシャンデリアが下がっていたが、すっかりほこりをかぶって、|さなぎ《ヽヽヽ》のはいった|まゆ《ヽヽ》そっくりに見えた。
隅のほうの床には、もっとひどいがらくたで、卓の上にはのせられないようなものが山と積んであった。しかしどんなものがあるのか、ちょっと当てるのはむずかしかった。というのは、ほこりがあまりにもひどくて、手をふれたらたちまち手袋のようになってしまうからである。ひときわはっきりとその山から突き出ていたのは木の鋤《すき》の折れたかけらと古い靴底であった。もしもテーブルの上にのっている古いすりきれた頭巾がそれを告げてくれなかったら、この部屋に生きた人間が住んでいるとはどうしても思うことができなかったろう。
チチコフがこの奇妙な室内装飾をつくづくながめまわしていると、横のドアがあいて、庭で会ったあの女中頭がはいってきた。ところが、見ると、女中頭ではなくて、どうやら邸の管理人のようだ。女中頭なら、どうあってもあごひげをそるようなことはあるまいが、これは、そっていたし、それもごくたまにしかそらないとみえて、あごから耳にかけて、まるで、馬の手入れに使う鉄ぐしそっくりだ。チチコフは顔に問いかけるような表情を浮かべて、この男がなにを言いだすだろうかと、じりじりしながら待った。男は男で、チチコフが言いだすのを待っていた。とうとうチチコフのほうが、この異様な疑ぐり深さにあきれて、先にたずねることにした。
「ご主人は? いるんですか?」
「いますよ」と管理人は言った。
「どこにいるんです?」
「なんだね、おまえさん、めくらかね?」と管理人は言った。「あきれた人だ! 主人はこのわしだがね!」
ここでわが主人公は思わず二三歩あとずさって、まじまじと相手に目をみはった。彼はこれまでいろんな種類の人々をすくなからず見てきたし、作者も読者も、おそらく決して会うことはあるまいと思われるような人々にさえ会う機会を持ったが、それでもこのような男にはまだ会ったことがなかった。顔はべつにとりたてて変わったところはなかった。それはやせた老人によくある顔だが、ただあごだけがひどくまえへしゃくれていて、つばをはくたびにハンカチをあごにあてなければ、つばがひっかかってしまいそうだった。小さなくぼんだ目はまだ生き生きしていて、ねずみが暗い穴からとがった顔を突き出して、耳をそば立て、ひげをひくひくさせて、どこかにねこやいたずら小僧がかくれていはしないかとあたりをうかがい、疑ぐり深く空気のにおいまでかぎまわすみたいに、長いぼさぼさまゆの下から落ち着きなくうかがっていた。
いちばん目につくのは、その服装だった。どんな手段をつかってどうほねおったところで、彼の着ているガウンがなにで作られているかは、まず突きとめられそうもなかった。そでと胸のあたりはあかとあぶらでとろとろに光って、長靴のなめし皮そっくりになっていた。うしろには普通なら二つのはずのすそが四つにさけてぶらぶらとたれ、その先から綿くずのようになったもめんのボロが下がっていた。首にもなにやらえたいの知れぬものが巻きつけられていた。くつしたか、つり帯か、腹巻きか、とにかくネクタイでないことだけはたしかだ。要するに、もしチチコフが、どこか教会の入り口あたりででも、こんな服装をした彼を見かけたら、おそらく、二コペイカ銅貨を恵んでやったことであろう。なぜなら、わが主人公の名誉のために一言ことわっておかねばならぬが、彼はひどく同情深い心の持ち主で、貧しい人間を見ると、どうしても二コペイカ銅貨を恵んでやらずにはいられなかったからである。
ところがいま彼のまえに立っているのは乞食《こじき》ではない、れっきとした地主なのだ。この地主は農奴を千人以上も持っているのだ。お望みとあらばこころみにさがしてみるがいい。これほどの穀類を、脱穀したものや、粉にしたものや、あるいは刈り取ったままの状態で貯え、倉庫や、納屋や、乾燥室には、麻布や、羅紗《らしや》や、羊の毛皮のなめしたのやなめさないのや、干し魚や、あらゆる野菜類や、食料品類がびっしり山積みにされているような地主が、そうめったにあるものではない。もしだれかが、あらゆる種類の木材や、決して使われそうもない食器類がしまいこまれるばかりになってごたこたと並べてある、その裏庭をのぞいたら、――これはひょんなことで、足まめなおばさんたちやおしゅうとさんたちが女中をつれて、予備の家庭用品をさがしに毎日通ってくる、あのモスクワの木製雑貨市場に迷いこんだのではないかと思うにちがいない。その雑貨市場には、張り合わせたり、磨いたり、接《つ》ぎ合わせたり、編んだりしたあらゆる木工品、つまり樽《たる》だの、中を二つに仕切った桶だの、手桶だの、ふたのついた桶だの、口のついたつぼだのつかないつぼだの、瓶子《へいし》だの、編み籠だの、女どもが糸紡ぎのときに麻束やその他こまごましたものを入れる桶だの、やまならしの薄板を曲げてつくったざるだの、白樺の樹皮で編んだ円筒形の箱だの、そのほか貧富の別なくロシアの人々が使うありとあらゆる日用品が山と積んであった。いったいなんのためにこんなにたくさんの細工物が、プリューシキンに必要なのだろう? たとい彼の持ってるほどの領地が二つあったとして、一生かかってもとても使いきれないほどであろう。ところが彼はそれでもまだ足りないらしかった、そのくらいでは不満な彼は、毎日自分の村の通り通りをほっつき歩いて、橋の下をのぞいたり、どぶ板の下に目を光らせたりしては、古い靴底であろうが、女の服のボロであろうが、鉄の釘であろうが、土器のかけらであろうが、目にふれるものはなんでも拾って、家へ持ちかえり、チチコフが部屋の隅に見たあのがらくたの山へ投げこむのである。
「そら、釣り気ちがいがまた釣りに出かけるぜ!」獲物《えもの》をあさりに出かける彼を見かけると、百姓たちはこう言い合ったものだ。そして実際に、彼の通ったあとは道を掃く必要がなかった。この村を通ったある士官が拍車を落としたことがあったが、その拍車はもうあっという間《ま》に例のがらくたの山へ送りこまれていた。どこかの女房が井戸端で大あくびをして、うっかりバケツを置き忘れたら、たちまち彼に持ち去られてしまった。ただし、現場を見つけた百姓が、すぐにその場でとがめると、彼は文句も言わずに、そのさらったものを返すのだが、いったん例の山の中へ投げこまれたら、もう最後である。彼は、これは自分のもので、いついつ、これこれの者から買ったのだとか、おじいさんから譲られたのだなどと、がんとして言い張るのだ。自分の部屋の中で、彼は封蝋のかけらであろうが、紙きれであろうが、古ペンであろうが、目にふれるものはのこらず床から拾い上げて、事務卓の上か、窓台の上にのせた。
しかし、彼だって勤倹《きんけん》貯蓄にはげむりっぱな主人だった時代もあったのである! その当時は妻も家族もいたし、近所の人々が食事をよばれに来て、彼に経営のことを聞いたり、りこうな経済のとり方を学んだりしたものだった。すべてが生き生きと流れ、きちんと測られた歩みをしていた。粉ひき場も、フェルト製造所も活動すれば、羅紗《らしゃ》工場も、指し物工場も、機《はた》織り工場も活気を呈していた。主人の鋭い目はどんな隅々にもおよび、勤勉なくものように、せかせかと、しかしぬかりなく、自分の経営というくもの巣の上をかけまわっていた。その顔にはあまりはげしい感情はあらわれなかったが、目には理知のひらめきが見られ、そのことばには経験と処世の知識がしみこんでいたので、客たちは彼の話を聞くのを楽しみにしていた。
あいきょうのよい話好きの主婦は客あしらいのよいことで聞こえていた。客を迎えに出るのはふたりのかわいらしい娘で、ふたりとも金髪で、バラのようにみずみずしかった。息子もとび出してくる。えらく元気のいい少年で、客がそれを喜んでいようがめいわくがろうが、そんなことはおかまいなしに、だれにでも接吻する。家の窓はぜんぶあけ放されていて、中二階はフランス人の家庭教師の部屋になっていた。この男はいつもきれいにひげをそっていて、射撃の名手で、いつも昼食のおかずにやまどりか鴨をとってきたが、ときには獲物は雀の卵だけのこともあって、そんなときは自分だけ卵焼きをつくってもらった。そんなものは彼のほかは家じゅうのだれも食べなかったからだ。その中二階には、ふたりの娘の家庭教師をしている、彼の同国の婦人も住んでいた。主人も食卓へはフロックを着てあらわれた。それはいくらかくたびれてはいるが、まだそっくりしていて、ひじもたるんでいないし、補布《つぎ》などどこにもあたってなかった。
ところがこのせわ好きな主婦が死んで、鍵の一部とそれにともなうこまかい、心づかいが彼に移った。プリューシキンはなんとなく落ち着かなくなり、妻をなくした男というものはえてしてそうなりがちだが、疑ぐり深くなり、吝嗇《けち》になった。長女のアレクサンドラ・ステパーノヴナに彼は家政のいっさいをまかせる気になれなかった。そして彼のこのためらいは正しかった。というのは、アレクサンドラ・ステパーノヴナはまもなく、どこの騎兵連隊所属かだれも知らない二等大尉とかけおちして、父が軍人はみなばくち打ちで道楽者だという妙な偏見《へんけん》から、士官というものを好まないことを承知で、どこかの村の教会でさっさと結婚してしまったからである。
父親は娘の前途をのろっただけで、連れもどすことはしなかった。家の中はますますさびしくなった。彼には吝嗇《けち》がますますはっきりあらわれはじめた。ごわごわした髪の毛のあいだに光る白髪《しらが》というものは、吝嗇の忠実な友であるが、これがますますその成長に拍車をかけた。息子が勤務につく年齢になったので、フランス人家庭教師は解雇されたし、彼と同国の婦人は追放された。アレクサンドラ・ステパーノヴナの誘拐《ゆうかい》に一役買ったことがわかったからである。息子は、父親の考えによって、役所で実務をおぼえるために県の首都へやられたが、そちらへは行かずに軍隊へはいってしまって、自分でこう決めてしまったから、軍服をこしらえる金を送ってほしい、と父に手紙を書き送った。その返事として彼が、民間でいわゆる『シシ』というやつ〔人を侮辱するために親指をつぎの二指のあいだから突き出して見せる形で、ここではなにもやらない。つまりあかんべえという意味である〕を受け取ったことはしごく当然である。そのうちに、父とともに家にのこっていた下の娘がぽっくり死んでしまい、この老人がいよいよたったひとりで、自分の財産の番人、管理人、所有者となってしまった。孤独な生活は吝嗇にたっぷりと滋養をあたえた。そしてこの吝嗇というやつは、周知のとおり、おおかみの飢えた腹を持ち、むさぼればむさぼるほど、ますます貪婪《どんらん》になるというしまつのわるいものなのである。そうでなくてもそれほど深いものではなかった彼の人間的感情は、時を追って浅くなり、毎日この使い古された心の廃墟の中からなにものかが失われていった。
ちょうどこのような時に、軍人に対する彼の意見を故意に裏打ちするように、息子が賭博《とばく》で持ち物をすっかりなくしてしまった。老人は心底から父親ののろいを彼に送っただけで、それきりもう彼がこの世に生きているのか、いないのか、決して知ろうともしなかった。年ごとに窓がつぎつぎと閉ざされて、しまいには二つが残るだけとなり、その一つは読者がすでに見たように、紙がはられていた。年とともに、ますます急速に、経営の主要な部分が彼の目先から消えうせ、そして彼ののみとり眼《まなこ》は紙きれや古ペンなどに向いてゆき、そういうものを自分の部屋に集めるようになった。農作物やその他の製品などを買いつけに来る商人たちに対しては、ますますがんこになり、商人たちはあの手この手でさかんに掛引きをしてみたが、しまいにはすっかりあいそをつかして、あれは人間じゃねえ、鬼だよ、と言って、ぜんぜん相手にしなくなってしまった。
干し草や穀類はくさり、麦叢《むぎづか》や禾堆《くさやま》はきれいに肥料《こやし》に変わってしまって、キャベツでもまきたいほどで、地下蔵の小麦粉は石みたいにこちこちになって、金づちでくだかなければならぬほどで、羅紗《らしや》や麻布や織物は、すっかりほこりの中にうまっていて、手をふれるのもおそろしいほどだった。彼はもう自分でも、なにがどのくらいあるのか忘れていた。そしておぼえているのは、なにかの酒の残りを入れて、だれにもぬすみ飲みされないように印をつけておいたフラスコは戸棚のどこにおいたかとか、古ペンとか封蝋のかけらはどこにのせたかということだけであった。
しかし、それとは別に収入だけは従前どおり集められた。百姓たちはやはりまえと同じだけの年貢《ねんぐ》を収めなければならなかったし、女どもはまえと同じだけのくるみを集めて納めさせられたし、機《はた》織り女は麻布をやはりまえと同じ反数だけ織らなければならなかった。――そしてそれがみな倉庫に投げこまれて、みなくさってぼろぼろになってしまうのだ。そして彼自身もしまいに人間のボロのようなものになってしまった。アレクサンドラ・ステパーノヴナがなにかもらえはしまいかと思って、小さなこどもを連れて二度ほどたずねてきたことがあった。どうやら、転々と移り歩く二等大尉との生活は、結婚前にあこがれたほど魅力的なものではなかったらしい。プリューシキンは、それでも、彼女を許して、テーブルの上にあったなにかのボタンを小さな孫におもちゃにやったが、しかし金は一文もやらなかった。二度めにアレクサンドラ・ステパーノヴナはふたりの男の子を連れて、老父にお茶がしと新しいガウンを持ってきてやった。父の着ているガウンがあまりにもひどくて、見ているのが心苦しいばかりか、恥ずかしかったからである。プリューシキンはふたりの孫をかわいがり、右のひざと左のひざにひとりずつのせて、馬にでものってるようにゆすってやったが、しかし娘にはなにひとつやらなかった。アレクサンドラ・ステパーノヴナはそのままむなしく帰っていった。
さて、チチコフのまえに立っていたのはこういう地主だったのである! ところで、一言ことわっておかねばならぬが、だれもが引きこもるよりは発展することを好むロシアでは、このような現象はめったに見られないものである。まして、ロシア式の向こう見ずなだんな風を吹かして思いっきり豪遊し、いわゆる財産を飲みつぶしてしまうような地主がすぐ近所にいるのだから、このような現象にはただただあきれるほかはない。この住居を見てびっくりして足をとめ、ちっぽけなみすぼらしい地主ばかりがいる中に突然どこの公爵様がまぎれこんだのだろうと、首をひねらぬ旅人はおるまい。たくさんの煙突や望楼や風見を持ち、傍屋や客用の離れ屋などの群にとりかこまれた白い石造りの館は、まさに宮殿である。そこにないものがなにかあろうか? 芝居もあれば、舞踏会もあり、庭はかがり火や灯籠《とうろう》にこうこうと照らされて、一晩じゅう音楽がとどろきわたっている。全県下のほとんど半分ほどの人々が着飾って、木の下で楽しげに語らい、そしてこの無理に作り出された明るさの中で、奇怪なおそろしいものに見えるような顔はひとつもないが、しかし木々の茂みの中からこのにせものの光を浴びた枝が、その明るい緑をうばわれて、芝居もどきにぬっと顔を出したり、また上のほうほど暗くなり、やわらかさがうすれて、そのために夜空はいつもの二十倍もおそろしい姿に見え、はるか頭上に、木々のきびしい梢が、深い眠りに沈む闇に抱きこまれて、葉をそよがせながら、この根方を照らす見せかけのはなやかな光に憤懣《ふんまん》をもらしている。
もう数分間ブリューシキンは一言もものを言わずにつっ立っていたしチチコフもやはり、主人そのもののようすと、さらにこの部屋の中のありさまに気をうばわれて、話をはじめることができなかった。長いこと彼は、どういうことばで来訪の理由を説明したらいいものか、思いつけなかった。彼は、ここのご主人が慈愛に富み、まれに見る崇高《すうこう》な魂を持っている人だと聞いたので、敬意を表しに伺うのを自分の義務と考えて、というような意味のことを言い出しかけたが、あわてて思いとどまった。いくらなんでもそれではあんまりだ、と感じたのである、もう一度部屋の中のすべてのものにチラと横目をくれて、彼は『慈愛』と『まれに見る崇高な魂』ということばを、『経済』と『秩序』ということばにとりかえればどうにか格好がつくと感じた。そこで、文句を作り変えて、彼は、ここのご主人が経済観念に長じ、珍しい領地の管理法をとっておられると聞いたので、お会いして直接敬意を表するのを義務と考えて、お伺いしました、と言った。むろん、ほかのもっとよい理由を持ってくることができたはずだが、そのときはほかのことはなに一つ頭に浮かばなかったのである。
それに対してプリューシキンはくちびるをもぐもぐさせてなにやらつぶやいた。歯がなかったからだ。なにを言ったのかは、明らかでないが、おそらく、こんなような意味のことであったろう。『へっ、敬意などとぬかしくさって、とっとと消えうせろ!』ところがわがロシアには、どんなしわん坊でもその掟《おきて》を踏みこえることができないほどに、客あしらいのよさが広く行きわたっていたので、彼はすぐにいくらか聞きとれることばでつけくわえた。「ま、どうぞおかけください!」
「もう長いこと客が来ませんのでな」と彼は言った。「それに正直のところ、来てもらってもあまり得《とく》になりませんしな。互いに行ったり来たりするなんて、まったくろくでもない習慣をつくったものですわい。経営のほうもなおざりになるし……おまけに客の馬に干し草を食わせてやらにゃならん! わしはもうとっくに昼飯はすましましたがな。それにうちの台所ときたら、天井が低くて、いやもうひどいきたなさで煙突がすっかりこわれてましてな、うっかり火でも入れようものなら、火事になる騒ぎですわい」
『ふん、なるほど!』とチチコフは腹の中で思った。『サバケーヴィチのところで揚げパンと羊の肋肉をどっさり食べてきて、助かったわい』
「それになんともいまいましい話だが、屋敷じゅうに干し草が一つまみもない始末でしてな!」とプリューシキンはつづけた。「それに実際のところ、貯めておきようがないのですわ。土地はせまいし、百姓どもはなまけもので、しごとがきらいで、居酒屋にしけこむことばかり考えてけつかる……いまに、よぼよぼじじいになってから物乞いに歩くようなことになりかねんですわい!」
「でも、わたしが聞いたところでは」とチチコフはひかえめに言った。「あなたは千人以上の農奴をお持ちだとか」
「どこのだれがそんなことを言ったんだね? おまえさん、そんなことを言いやがったやつの目玉に、つばでもはきかけてやりなされ! とんだ酔狂者で、きっと、あんたをからかってやろうとしたんだよ。千人だなんて、とんでもない。なんなら行ってかぞえてみなされ。そんなにいるものかね! この三年というもの、いまいましい熱病がはやりおって、百姓どもをごっぽりもっていかれましたわい」
「えっ! たくさん死んだのですか?」とチチコフは身をのり出して叫んだ。
「ええ、ごっぽりな」
「失礼ですが、何人くらいです?」
「八十人もやられましたかな」
「まさか?」
「うそなど言いますかい」
「もうひとつうかがいますが、あなたがいまおっしゃったのは、このまえの人口調査以後の数字でしょうな?」
「それならまだましだよ」とプリューシキンは言った。「あのときからだと百二十人になりますかな、困ったことさ」
「ほんとですか? 百二十人も?」とチチコフは叫んで、おどろきのあまりわずかに口をあけたほどだ。
「うそをつくには、年齢《とし》をとりすぎましたよ。七十からになりますからなあ!」とプリューシキンは言った。彼はこのような、ほとんどうれしそうな嘆声に、どうやら気をわるくしたらしい。チチコフも、他人の悲しみをこのように無視してはたしかに無礼だと気がついて、すぐにため息をついて、ほんとにお気のどくなことで、と言った。
「でも、同情はふところに入れられませんしな」とプリューシキンは言った。「この近所に大尉がひとり住んでましてな、どこの馬の骨かわかりもしないのに、なにを思ったか――わしのしんせきだなどとぬかしくさって、『おじさん、おじさん!』などと言って、わしの手に接吻してからに、しおらしいことをぬかしくさって、わんわん泣きおって、こっちが、耳をふさぎたくなるほどでしたわ。ウォトカでもしこたまあおってきたと見えて、まっかな顔をしやがって。きっと、軍隊勤めで、ばくちで金をなくしてしまったか、女優にだまされてつるつる裸にされてしまったにちがいない。それで今ごろになってからわしのところへ来て同情などしゃがるのさ!」
チチコフはむきになって、彼の同情はその大尉のとはぜんぜん種類がちがって、ことばだけではなく、実行によってそれを証明するつもりであることを説明し、そしてもう先へのばしてる場合ではないと見てとって、すぐさま、ずばりと、そのような気のどくな事情によって死んだすべての農奴たちの税金を支払う義務を引き受けてやるつもりであると言ってのけた。この申し出は、どうやら、完全にプリューシキンの、どぎもをぬいたらしい。彼は目をぱちくりさせて、長いことまじまじとチチコフを見つめていたが、やがてこうきいた。
「それじゃ、あんたは、軍隊には勤めなかったのかね?」
「いや」チチコフはかなり狡猾《こうかつ》に答えた。「文官でした」
「文官かね?」とプリューシキンはくりかえして、まるでなにか食べているように、くちびるをもぐもぐさせはじめた。「でも、どういうわけだね? そんなことをしたらあんたの損になるだけじゃないか?」
「あなたに喜んでもらえるなら損ぐらい平気ですよ」
「おお、あんたは! まったく、なんて、奇特《きとく》なおかただ!」プリューシキンはうれしさのあまり、鼻の穴からかぎタバコのかすが、まるで濃いコーヒーみたいに、じつに見苦しくどろりとたれかけたことも、部屋着のすそが開いて、まさに見るに堪えないような服がのぞいたことも、気がつかないで、こう叫んだ。「ほんとに老人をなぐさめてくだされて! ああ、あんたはわしの救いの神じゃ! わしの命の恩人じゃ!……」それ以上はもうプリューシキンはなにも言えなかった。ところが、それから一分もたたないうちに、このようにさっと彼の木石《ぼくせき》のような顔に浮かんだこの喜びが、またさっと消えて、そんなものはまるでなかったように、また気づかわしげな表情にもどった。彼はハンカチで顔をぬぐうと、それをまるめて、上くちびるをこすりはじめた。
「ところで、こんなことをきいて、あんたを怒らしちゃ困るが、その、あんたは毎年やつらの税金を払ってくださるのかね! それでお金はわしに渡してくださるのかな、それとも国庫のほうへでも?」
「そのことですが、ひとつこんなふうにしませんか。つまりそれらの農奴たちが生きているように見せかけ、あんたがそれをわたしに売ったということにして、登記の手続きをとるのですよ」
「なるほど、登記をねえ……」と言って、プリューシキンは考えこみ、またくちびるをもぐもぐさせはじめた。「だってその登記の続きにしたって――やはり金かいりますよ。役人どもときたらひどい恥知ずですからなあ! 以前ですと、銅貨で五十コペイカに小麦粉の一袋《いつたい》もやればよかったが、この節はひきわりを馬車一台もやったうえに、さらに赤紙幣〔十ルーブリ〕の一枚もつけなきゃならねえ、えらい欲ばりになりましてなあ! どうして坊主どもが知らんふりをしてるのか、わしはとんと合点がゆかん。なにか説教じみたことを、言ってくれればいいものを、そりゃなんと言っても、神のことばにゃさからえませんでなあ」
『なにをぬけぬけと、おまえこそさからってるくせに!』とチチコフは腹の中で思ったが、しかしすぐに、彼を尊敬しているから、登記の費用も自分が引き受けるつもりだと言った。
登記の費用までも引き受けると聞くと、プリューシキンは、この男は完全なばかで、文官だったなどというのはうそっぱちで、きっと士官で、女優のしりを追いまわしたくちにちがいないときめてしまった。とはいうものの、彼はやはり、喜びをかくしきれないで、彼にばかりか、彼にこどもがいるかどうか聞きもしないで、彼のこどもたちにまで、思いつくかぎりのうれしがらせを並べたてた。彼は窓のところへ行くと、指先でガラスをとんとんとたたいて、「おい、プローシカ」とどなった。一分ほどすると、だれかが息せききって玄関へかけこんできた音が聞こえた。そしてそこで長いことぐずぐずして、靴をどたどたさせていたが、やがてドアが開いて、プローシカがはいってきた。十三歳ばかりの男の子で、ばかでかい長靴をはいているので、一歩ごとに足がぬけそうになった。なぜプローシカがそんなに大きな長靴をはいていたのか、それはすぐにわかった。プリューシキンの家では、召使が何人いようと、彼らのはく長靴は一足だけで、それは常に玄関にそなえつけられていたのである。だんなの部屋へ呼ばれた者は、たいていはだしで庭をとんでくる。そして玄関へはいると、長靴をはき、そして部屋へあらわれるというしくみである。そして部屋を出ると、また玄関に長靴をおいて、自分の本来の靴底にもどってとんでゆく。秋の時分や、特に朝霜がおりはじめるころに、窓から外を見ると、あらゆる召使たちが、どんな身軽な男性舞踊手でも舞台ではとてもやれないような、みごとな跳躍《ちようやく》をやっているのが見られるであろう。
「見てやってくださいな、このばか面を!」プリューシキンはプローシカの顔を指さしながら、チチコフにこう言った。「まったく、棒《ぼつ》くいみたいにばかなくせに、なにか物をおくと、あっという間《ま》にかすめてしまいやがる! おい、このあほんだら、なにしに来たんだ、あ、言ってみろ、ん?」こう言って彼はしばらく口をつぐんでいたが、それに対してプローシカもやはり沈黙を返した。「サモワールのしたくをするんだ、わかったか、それからほらこの鍵を持ってって、マーヴラにわたし、倉へ行けってな。倉の棚の上に、アレクサンドラ・ステパーノヴナがお茶がしに持ってきた甘食パンの固くなったのがあるから、それを持ってこいって、いいな!……こら、待たんか、どこへ行くんだ? ばかめ! まったく、あきれたばかだ! ごそごそしおって、足に小鬼でもひっついてくすぐってるのか?……しまいまでよく聞きなさい。堅パンは上っつらが、おそらく、かびがはえてるから、ナイフでそれをけずりおとすのだ。いいな、そしてそのくずはすてないで、鶏小屋へ持ってゆかせなさい。それからだな、おまえは倉へはいっちゃいかんぞ、わかってるな、もしはいってみろ、白樺のほうきでいやというほどぶちのめしてやるからな! ちょうど腹もすかしてるだろうから、なおこたえるわ! まあ、倉にはいろうなんてしてみろ、わしはこの窓から見張ってるからな。あいつらにはまったくゆだんもすきもありませんよ」プローシカが長靴をひきずって出ていくと、彼はチチコフを見て、こう言った。それから彼はチチコフにも疑わしげな目をちらちら向けはじめた。このような異常な寛大さなどというものが、彼にはありそうもないものに思われてきた。そこで彼は腹の中で、『こいつはあやしいぞ、ひょっとしたら、あの極道者《ごくどうもの》たちみたいに、とんだ食わせ者かも知れんて。茶にありつくために、いいかげんなだほらをふきくさって、はいさよならの口かもしれんぞ!』と思った。そこで、用心のつもりもあり、すこしさぐってみたいとも思ったので、登記手続きはなるべく早くすませるにこしたことはない、なにしろ人間の生命というものはあてにならないもので、きょうは元気でもあすはころりとゆくかもしれないから、と彼は言った。
チチコフはいますぐにでも手続きをとる意志があることを表明して、とにかく農奴の名簿を早く出してくれと要求した。
これがプリューシキンを安心させた。彼はなにかしようと思案しているふうだったが、はたして、鍵を持つと、戸棚のまえに行った。そして、戸を開けて、長いことコップや茶わんのあいだをひっかきまわしていたが、やがて言った。
「はて、見つからんですな。すてきなリキュールがあったはずだが、さてはやつらに飲まれてしまったかな! なにしろぬすっとみたいなやつばかりだ! おや、はてな、これだったかな?」チチコフは彼の手に、まるでチョッキでも着せたみたいに、すっかりほこりにつつまれているびんがにぎられているのを見た。
「死んだ家内がこしらえたんだよ」とプリューシキンはつづけた。「女中頭のやつがすっかりうっちゃらかして、栓《せん》もしやがらんと、あのろくでなしめが! かなぶんやらなにやら、いろんなものがごっそり落ちてましたが、わしがごみをすっかりさらったんで、ほら、いまはきれいになりましたよ。どれひとつあんたに注《つ》ぎますかな」
だがチチコフは、飲むほうも食べるほうももうすましてきたからと言って、そのリキュールを極力|辞退《じたい》した。
「飲むほうも食べるほうももうおすみになった!」とプリューシキンは言った。「なるほどなあ、やっぱり、育ちのいいかたはすぐにわかりますわい。食べなくたって、おなかがいっぱいだとおっしゃる。ところがそこらのぬすっと野郎ときたら、いくら食わせても……ほら、あの大尉なんてやつは――来るなり、『おじさん、なにか食べるものはありませんか!』ときやがる。心安だてに、わしをおじだなどと、うそっぱちを、わしのほうがやつをおじいさんというみたいなものだ。自分の家に、きっと、食べるものがなにもないものだから、それでふらふらほっつき歩いてけつかるのさ! そうそう、あんたは役だたずののらくら者どもの名簿がご入用でしたな? よろしいとも、わしはな、調査があったらまっさきにやつらをけずるつもりで、ちゃんと別な紙に書きとっておきましたわい」
プリューシキンはめがねをかけて、書類の束をひっかきまわしはじめた。そしていろんな書類の束を解くたびに、客が思わずくしゃみをしたほどの、ものすごいほこりを客にふるまった。やっと彼は表から裏からいちめんに書きこまれた一枚の紙を拾い出した。農奴たちの名まえが、まるでぶよでもたかったみたいに、びっしり書きこまれていた。パラモノフだの、ピメノフだの、パンテレイモノフだのと、いろんな名まえがあり、グリゴーリイ・ドエズジャイ・ニェ・ドエジョーシなどという妙な名まえ〔どこまで行っても行きつかぬという意味で、行けども行けどものグリゴーリイということになる〕も見えた。ぜんぶで、百二十数人あった。チチコフはこれほどの数を見るとにやりとほくそ笑んだ。しかし彼はそのほくそ笑みをポケットにかくして、登記の手続きをするために町へ出かけてもらうことになるだろうと、プリューシキンに言った。
「町へ? いったいどうして?……どうして家をるすなんかにできますかね? だってうちのやつらときたら、ぬすっとか悪党ばかりで一日で家の中をつるつるにされて、それこそ上っ張りをひっかける釘までもなくなってしまいますわい」
「じゃ、どなたか知り合いのかたはおりませんか?」
「知り合いですと? とんでもない、そんなものはみんな死ぬか、けんか別れをしてしまいましたわい。あっ、そうだ! おりますとも、おりますよ!」と彼はとんきょうな声をたてた。「裁判所長が知り合いですわ。昔はここへなんどか来てくれたものだ、よく知っとりますわい! 一つ釜《かま》の飯を食った仲で、よくいっしょに塀をよじのぼったものですわい! 知らないことがあるものかね? ようく知っとりますわ! じゃあ、あの男に手紙を書きましょうかな?」
「ぜひそうしてください」
「なんのなんの、ふるい友だちで! 学校でいっしょでしたよ」
するとこの木石のような顔を不意にあたたかい光のようなものがちらとかすめ、感情とはいえないまでも、感情の弱々しい反映のようなものがあらわれた。それはおぼれかかった者が不意に水面にあらわれて、岸に集まった人々にうれしそうに救いを求めたのに似ていた。しかし喜んだ人々が岸から綱を投げて、背か、疲れはてた手が、もう一度ちらと見えはしないかとかたずをのんで見守ったが、それもむなしく、――さっき顔を見せたのが最後であった。その後は呼べどもむなしく、しんとしずまりかえったこたえのない河面《かわも》がひときわおそろしく、荒涼たるものになってしまう。こうしてプリューシキンの顔も、感情らしいものが一瞬ちらとかすめたあとは、まえにもまして冷酷な、そして下品なものとなった。
「机の上に四つ切りの白い紙を一枚のせておいたはずだが」と彼は言った。「どこへ消えてしまったものやら。うちのやつらときたらまったく役だたずばかりだ!」そこで彼は机の上を見たり、下をのぞきこんだり、そこらじゅうひっかきまわしたあげく、とうとう「マーヴラ! マーヴラはおらんか!」と叫びたてた。
その呼び声にこたえて、両手で皿をわしづかみにしたひとりの女があらわれた。皿の上には、もう読者にもおなじみのこちこちの堅パンがのっていた。そしてふたりのあいだにはこんな会話がとりかわされた。
「このどろぼうねこめ、紙をどこへやった?」
「あれまあ、だんなさま、だんなさまがコップにかぶせたちっちゃな紙っきれのほかは、おら、そんなもの見たことねえだよ」
「なに、おまえのその目に、ぬすんだとちゃんと書いてあるわい」
「だって、おらなんでそんなものぬすまにゃならねえだね? そんなものおらにゃ、なんのとくにもならねえ、おら字が読めねえだで」
「うそをつけ、おまえは。ポノマレンコにやったんだろう。あいつめいくらか書けるので、それでおまえあいつのところへ持っていってやったんだろう」
「なにポノマレンコは、ほしけりゃ、紙ぐらい自分で手に入れるだよ。あのひとはあんたの紙なんか知るもんかね!」
「まあ見てるがいい、おまえそんなうそをつくと、おそろしい最後の審判で鉄ぐしにさされてあぶられるからな! まあ楽しみにしてるんだな、どんなふうにあぶられるか!」
「だって、おらそんな四つ切りの紙になど手もふれねえのに、なんであぶられるだね? そら、なんか別な女《おなご》の弱みでなら、しかたねえだども、うそこいたなんてとがめだてされたことは、おらまだ一度だってねえだよ」
「なあに、いまに鬼どもがちゃんとおまえを火あぶりにするわい!『こら、おまえもだ、このずる女め、だんなをだました罰だ!』と鬼どもが言って――まっかな鉄ぐしでおまえをあぶるさ!」
「ならおら言うわさ、『とんでもねえ! ほんとだ、いりもしねえもの、おらとらなかった……』おや、そらそこの机の上にあるでねえだか。いつもありもしねえことでとがめだてばかりしなさって!」
プリューシキンがそちらを見ると、たしかに四つ折りの紙があった。そこで彼は一分ほどつっ立って、くちびるをもぐもぐさせていたが、やがて言った。
「ふん、なんだっておまえはそうぷりぷりしてるんだ? この針ねずみめ! こっちが一言いやあ、もう十言《じゅっこと》も口答えしくさる! あっちへ行って、手紙の封をする火でも持ってきなさい。おい、ちょっと待ちなさい。おまえはあぶらローソクでも持ってくるつもりだろうが、あぶらってやつは溶けやすくて、すぐ燃えてなくなってしまう。あんな損なものはない。だから木切れに火をつけて持ってきなさい」
マーヴラは出ていった。プリューシキンはひじ掛け椅子にすわるとペンをにぎって、長いこと紙きれをひねくりまわして、これをさらに八つ切りにできはしまいかと思案していたが、ようやく、どう工夫してみたところが切れない、と納得すると、かびが浮いたなにやらどろどろしたものの底にハエがたくさん沈んでいるインキつぼにペンをつっこんで、楽譜《がくふ》のおたまじゃくしそっくりの字をならべながら、手紙を書きにかかった。彼は、ともすればおどり出し、紙いっぱいにとびまわろうとする手を、たえずおさえて、けちけちと行《ぎよう》のあいだをつめて書いていたが、それでも白いところがたくさん残るのが、気になってしかたがないらしかった。
それにしても、これほどつまらない、けちけちした、いやらしいものにまで、人間は落ちることができるものだろうか! これほどまでに変わることができるものか! そしてこれが真実に近い姿なのか? すべてが真実らしい。どんなことだって人間には起こりうるのだ。もしいま情熱にみちあふれている青年に、年老いてからのその姿を見せてやったら、ぞっとしてとびのくことであろう。真綿にくるまれたような華やかな青春時代をおえて、荒くきびしい壮年にさしかかるときも、心して、いっさいの人間らしい動作をしっかりと持ってゆくようにつとめることだ。それを途中で置き去りにしたら、あとで拾い上げようと思っても、もうそれはできない! 前途に待ち受けている老残はきびしく、おそろしいもので、もはやなにももとへもどしてはくれない! 墓のほうが老残よりは慈悲深い。墓には『ここにだれそれ眠る』と書かれている。だが非人間的な老残の冷たい、なんの感情もない顔には、なにも読みとることができないのである。
「ときに、どなたかあんたのお友だちで」とプリューシキンは手紙をたたみながら、言った。「逃亡農奴の入用なかたはおりませんかな?」
「じゃあなたのところには、逃亡農奴もいるのですか?」チチコフははっとわれに返って、急いでこうきいた。
「いるから、困っとるのですよ。婿《むこ》があちこち問い合わせてはくれたんですがな、とんとゆくえがわからんとか言いおって。もっともあいつは軍人ですからな。拍車をがちゃつかせることは名人だが、裁判のこととなるとどうもさっぱりで……」
「それで、何人くらいです?」
「そうさな、やはり七十人もいますかな」
「まさか?」
「いや、ほんとですよ! わしのとこは、それこそ毎年逃げおりますでな。うちのやつらはえらい大食《おおぐ》らいばかりでな、ぶらぶらあそんでばかりけつかるせいで飯ばかり食う癖がつきおって、おかげでわしの食べるものがなにもない始末ですわい……ま、逃げたやつなんぞ、いくらでもいいですわい。ひとつあんたのお友だちに持ちかけてみてくだされ。十人くらいでも見つけたら、いいもうけになりますよ。だって登録農奴はひとり五百ルーブリが相場ですからな」
『とんでもない。こんなうまい話を友だちなんぞににおいもかがしてやるものか』とチチコフはひそかに腹の中でつぶやいた。そして、そんな友だちはぜったいにいるわけがない、というのはこういう裁判の問題というのは、着物のすそがほころびるほどお役所通いをしてもさっぱりらちがあかず、けっきょく出費のほうがかさんでしまうからで、しかし実際にひどくお困りのようだから、このまま見ているのもなにで、自分が引き受けてもよいが……なにしろ値段が、口に出すのも恥ずかしいほどしかつけられないので、と言った。
「それで、いくらつけてくれますかな?」とプリューシキンはきいた。そしてユダヤ人みたいな顔つきになり、手が水銀のようにぶるぶるふるえた。
「まずひとり頭二十五コペイカというところでしょうね」
「で、お払いのほうは、現金ですかな?」
「そう、この場で現金で払います」
「なんとか、わしのこの貧乏をあわれんで、四十コペイカずつに上げていただけないものかね」
「ご老人!」とチチコフは言った。「そりゃ、四十コペイカどころか、ひとり五百ルーブリずつでもお払いしたいですよ! 喜んでお払いしたいところですよ。だってあなたのような善良なご老人が心がやさしいばっかりに苦労しておられるのを、目のまえにしてるのですからねえ」
「ええ、ほんとにそうですとも! まったく、そのとおりですよ!」と、うなだれて、悲しそうに頭を振って、プリューシキンは言った。
「なにもかも心がやさしいせいですよ」
「そら、ごらんなさい。わたしは一目であなたの人間を見ぬいたでしょう。だから、ほんとに五百ルーブリずつさしあげたいのはやまやまですが、しかし……わたしにはそれだけの資力がありません。そこで、もう五コペイカずつつけさせてもらいましょうか。そうすると、ひとり頭三十コペイカになりますよ」
「そりゃ、もう無理とは言いませんが、せめてあと二コペイカずつでもくっつけてやってくださいな」
「じゃ、二コペイカずつくっつけさせてもらいましょう。して、何人です? たしか七十人とおっしゃったようでしたが?」
「いやいや、全部で七十八人になりますわい」
「七十八、七十八、ひとり三十コペイカとすると、しめて……」ここでわが主人公は一秒考えた。たしかに一秒は越えないで、とっさに言った。「二十四ルーブリ九十六コペイカですな!」彼は数学に強かった。そして彼はすぐにプリューシキンに受取を書かせて、金をわたした。プリューシキンはそれを拝むようにして両手でおしいただくと、まるでこぼれはしないかとびくびくしながらなにかの液体でもはこぶように、事務卓のほうへ持っていった。
事務卓のまえまで来ると、彼はもう一度それを念入りにかぞえ直してから、これまたきわめて注意深く、箱の一つにおさめたが、おそらくそれは、カルプ師とポリカルプ師というこの村のふたりの神父が彼自身を埋葬するときまで、そのままそこに埋蔵《まいぞう》されて、婿と娘と、さらにあるいはしんせきと名のる大尉に筆舌《ひつぜつ》につくせぬ喜びをあたえるもととなることであろう。金をしまいこむと、プリューシキンはひじ掛け椅子にすわったが、どうやら、もう話の種がなくなってしまったらしい。
「おや、もうお帰りなさるのかね?」チチコフがポケットからハンカチを出そうとして、ちょっとからだをうごかしたのを見ると、彼はこう言った。
この問いは、たしかにもうこれ以上ぐずぐずしている理由のないことを、チチコフに思い出させた。
「そう、もうお暇《いとま》する時間です!」と彼は帽子をつかんで言った。
「だが、お茶を?」
「いや、お茶をごちそうになるのはこのつぎの時にしましょう」
「おやおや、せつかくサモワールの支度を言いつけましたに。でも正直のところ、わしはお茶を好きませんでな。ぜいたくな飲みものだし、おまけにさとうの値段がごつう上がりましたでな。プローシカ! サモワールはいらんぞ! 堅パンはマーヴラのところへ持ってゆけ、わかったな。もとのところへもどしておけと言うんだぞ。いや、いいわい、こっちへよこしなさい。わしが自分で持ってゆくから。じゃ、おまえさま、ごきげんよろしゅう、おたっしゃでな。この手紙はおまえさまから裁判所長にわたしてくだされ。そうとも! 読ませてやってくだされ、あれはわしの古い友だちだ! そうだとも! 一つ釜の飯を食った仲だよ!」
つづいてこの奇怪な現象であるこのしわくちゃの老人は、客を庭から送り出したが、そのあとですぐに門をしめさせて、それから番人どもが定められた持ち場に立ってるかどうか、倉をひとわたり見まわった。番人たちは角々に立って、木のシャベルで鉄板代わりの小さな空樽《あきだる》をたたいていた。そのあとで台所をのぞいて、召使たちがちゃんとしたものを食べてるかどうか調べてみるようなふりをして、かゆを入れたシチーをたらふくつめこみ、それから召使たちをひとりのこらず、やれ手くせがわるいの、しりくせがわるいのと、ののしりちらしてから、やっと自分の部屋へもどった。ひとりきりになると、彼は、きょうの客の、たしかに類のないあのような親切に対して、どんなお礼をしたものかと、ちょっと考えてみたりさえした。『ひとつ懐中時計でもやろうかな』と彼は腹の中で考えた。『あれはすばらしい銀時計だ、ありふれた黄銅のとか、青銅のなどとはものがちがう。すこうしいたんでるが、そのくらいは自分でなおすだろうさ。ありゃまだ若い男だ。花嫁さんに気に入られるには、懐中時計くらい持たにゃなるまいさ! いや、待てよ』と彼はちょっと思案してからつけくわえた。『それよりあれはわしが死んでから、あの男の手にわたるように、遺言に書いておくことにしよう。わしのことを思い出してくれるようにな!』
しかしわが主人公はそんな時計などもらわなくてもきわめて上きげんだった。このような棚からぼた餅のような獲物こそ、なによりの贈り物というものだ。実際、なんと言っても、死んだ農奴ばかりか、さらに逃亡農奴まで、占めて二百数人だ! それは、プリューシキンの村に着いたときからすでに、彼はなにかうまいことがあるだろうという予感はあったが、しかしこれほどのもうけがあろうとは夢にも思わなかった。みちみち彼は常になく陽気で、拳《こぶし》を口にあてがってくちびるをふるわせながら、まるでラッパでも鳴らすみたいに、口笛を吹いたりしていたが、そのうちになにやら歌のようなものを口ずさみはじめた。それがなんとも奇妙な歌なので、セリファンまでが神妙な顔でじっと耳をすましていたが、とうとうちょっと小首をかしげて、「だんな、なんだねその歌は!」と声をかけたほどだった。
彼らが市に着いたときは、もう夕闇が濃くなっていた。陰影《かげ》が光とすっかり溶《と》け合い、それに物象までが溶け合っているように見えた。関門のしま模様の横木がへんにぼやけた色に見え、歩哨《ほしよう》に立っていた兵士のひげが目よりもずっと上のおでこのあたりにくっついていて、鼻がどこにあるのか見えなかった。がらがらという音がして、馬車がゆれだしたので、石畳の舗道《ほどう》にはいったことがわかった。街灯《がいとう》はまだともされてなかったが、そちこち家々の窓には灯がはいりはじめていた。そして横町や露地では、兵士や、馭者や、労働者や、赤いショールをかけ、靴をつっかけた女の姿で、こうもりのように辻々をとびまわる特殊の生物がわんさといるようなどの市でも、この時間にはつきものの場面や会話がはじまっていた。チチコフはそんな連中には目もくれなかった。それどころか、郊外の散歩をおえて家路をたどるらしい、ステッキをついた多くのスマートな役人たちにさえ目をやろうとしなかった。
ときおり、どうやら女の声らしい、「なに言ってんの、この酔っぱらい! そんな失礼なことをすると承知しないわよ!」とか、「お放しったら、破けるじゃないの、ばか、警察へ行ったら、こっぴどくやっつけてやるから!……」というような叫び声が彼の耳に聞こえてきた。一口に言えば、劇場の帰りに、スペインの夜ふけの街角や、巻き髪をたらしてギターをかかえた悩ましい女の姿などをもやもやと思い浮かべながら歩いている二十歳《はたち》ぐらいの夢見がちな青年に、いきなり熱湯のようにあびせられることばである。こういう青年たちの空想にあらわれないものがはたしてあろうか? 彼らは天にも舞い上がるし、シルレルの家〔シルレルはドイツロマン派の詩人。ここではどんな空想にもふけるという意味〕も訪問する――ところが頭上に、いきなり、雷のように宿命的なことばが落下すると、はっとして、自分がまた地上に、しかもセンナヤ広場の居酒屋のそばにつっ立っていることに気がつく。そしてまた夢も希望もない殺風景な日常の生活が彼のまえに冷たく立ちふさがるのである。
ついに馬車は、かなりの長途の旅をおえて、まるで穴の中へでもはいるように、旅館の門へはいっていった。そしてチチコフはペトルーシカに迎えられた。ペトルーシカはすそがひろがるのがいやなので、片手でだぶだぶのフロックのすそをおさえ、もういっぽうの手でチチコフが馬車からおりるのを助けはじめた。給仕もローソクを持ち、ナプキンを肩にかけて、とび出してきた。ペトルーシカがだんなの帰りを喜んだかどうかは、わからないが、すくなくともセリファンと目くばせすると、いつもの気むずかしいぶっちょう面がどうやらいくぶん晴れたように思われた。
「ずいぶんごゆっくりでございましたな」と給仕は階段を照らしながら、言った。
「うん」とチチコフは階段をのぼりかけて、言った。「で、きみのほうはどうだね?」
「はあ、おかげさまで」と給仕は頭を下げながら答えた。「きのうどこかの中尉さんがお着きになりまして、十六号室にお泊まりになりました」
「中尉?」
「どういうかたかわかりませんが、リャザンからいらしたとか、馬は栗毛で」
「よし、よし、これからもよろしく頼むぞ!」とチチコフは言って、自分の部屋へはいった。彼は控え室をぬけながら、鼻をひくひくさせて、ペトルーシカに言った。「おまえ、せめて窓くらいあけたらどうだ!」
「ええ、ときどきあけてましたで」とペトルーシカは言ったが、それはうそだった。
もっとも、それがうそだくらいは、主人も承知していたが、しかしもうなにも言いたくなかった。これだけの旅のあとだけに、彼は強い疲労を感じていた。子豚だけのほんの軽い夕食をすますと、彼はすぐに服をぬいで、寝床へもぐりこみ、すぐに堅い眠りにおちた。痔《じ》も、のみも知らず、あまり気がまわるほうでもないといった幸福者たちだけを訪れる、あの爽快な眠りであった。
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第七章
長いたいくつな旅で、寒さや、みぞれまじりのじめじめした天候や、どろんこのぬかるみ道に悩まされ、寝ぼけ顔の駅長だの、耳につく鈴の音だの、馬車の修理だの、あげくはののしり合いだの、小うるさい馭者だの、石頭の鍛冶屋だの、その他あらゆる街道筋のいたずら者だのと、さんざんなめに会ったあげく、ついになつかしいわが家の屋根が見えだし、こちらへ飛んでくるように窓の灯が近づいてくる。
と思う間《ま》に、やがて彼のまえになつかしい部屋部屋があらわれ、出迎えにかけ出してきた人々の喜びの喚声《かんせい》が上がり、こどもたちがきゃっきゃっとはねまわり、ほっとして語り出すしずかな会話が、いっさいのつらかったことを記憶から抹《まつ》殺するような力を持つ、燃えるような接吻によってとぎれがちになる。このような安らぎの場所を持つ、家族のある人々はしあわせだが、みじめなのは独身《ひとり》者である!
また作家にしても、その悲惨な現実で人の胸を刺すようなくさくさする醜悪な連中などには見向きもせずに、崇高な人間の品格を発現しているような人々に近づき、常に動揺する諸形象の大きなうず巻きの中から少数の例外だけを選び出し、その竪琴《たてごと》の高尚な調べを一度も変えたこともなければ、その自分の高みから貧しいささやかな同業者たちのうごめく世俗へなどおりたこともなく、地上になどふれもせずに、遠くかけはなれた高雅な形象にのみ没頭できる者は、じつにしあわせである。しかもそうしたみやびな天上人たちのあいだにあって、さながら自分の家族の中にあるかにふるまい、それで名声が遠く高く轟《とどろ》きわたるのであるから、そのけっこうな身分はまさに二重のうらやみである。
彼は心をとろかすような薫煙で人々の目をいぶし、人生の悲惨な面をかくし、世にも美しい人間だけを見せて、巧みに人々の心をくすぐる。人々はみな、こぞって拍手を送りながら、彼のあとにつづき、その勝ち誇る二輪戦車を追って走ってゆく。彼は偉大なる世界的詩人と称揚されて、大空を飛ぶ群鳥をしりめにゆうゆうと飛翔する鷲の姿さながらに、世界じゅうの全詩人たちの上に君臨《くんりん》している。彼の名まえを聞いただけで若い熱しやすい心は感激にうちふるえ、彼の姿を仰ぎ見る万人の目に涙がきらきら光る……その権勢において彼に並ぶ者はいない――彼は神だ! ところが、たえず目先にあるが、無関心な目には映らないようないっさいのもの――つまり、われわれの生活をとりまいている無数のこまごましたつまらぬことの、ぞっとするようなおそろしいどろ沼や、ときにはつらい、もの悲しい道もあるこの地上にうようよしている、ありふれた、冷たい、うちくだかれた人々の心の底を、あらいざらい思いきって表面にひき出し、なさけを知らぬ鋭利なのみですべての人々の目のまえに、まざまざと浮きぼりにして見せるような作家は、その境遇もちがうし、そのたどる運命もぜんぜん別である!
彼は一般の拍手も贈られないし、感謝の涙も、感激した魂の万雷の喚声も聞くことができない。熱狂した十六娘が、夢中になってとびついてくることもないし、自分で誘い出した嘆声のあまい陶酔《とうすい》にわれを忘れることもない。そしてけっきょくは、現代の裁き、彼によって育《はぐく》まれた創造物を無価値で低俗なものであるとする、偽善的な非情な現代の裁きをまぬがれることができない。そして人間性を蔑視《べつし》した作家たちの列の片隅に追いやられてけいべつの目で見られ、彼自身が描き出した人物たちこそ彼の分身だとされて、彼の持つ心も、魂も、卓抜な才能のほのおもうばい去られてしまうのである。なぜならば現代の批評は、太陽系を観察するレンズと、目に見えぬ微生物のうごきをつたえるレンズが、同じようにすばらしいものであると認めないからであり、また、さげすまれた生活からとった絵を芸術の極致にまで高めるためには、なみなみならぬ魂の深さが必要であることを認めないからである。さらにまた、現代の批評は、高い歓喜の笑いが高い抒情的な感動と同列に立つものであり、そうした笑いと見世物小屋の道化役者のギャクなどとのあいだにははかり知れぬほどの大きなへだたりがあることを認めないからである! 現代の批評はそれを認めようとしないで、すべてを認められぬ作家に対する非難と誹謗《ひぼう》に向けてしまうのである。だから彼は苦楽をわかつ相手もなく、答えてくれる者もなく、なさけをかけてくれる者もなく、家のない旅人のように、ただひとり道のまん中にとりのこされるのである。その立場は寒々としたもので、その孤独が胸に痛くしみじみと感じられるのである。
そしてわたしは、この先まだ長いあいだ、ふしぎな力にみちびかれるままに、わが奇妙な主人公たちと手をたずさえて、大きく流れうごく生活のすべてを見わたし、世の人々に見える笑いと、見えない、世に知られぬ涙を通して、その流れを観察する運命を定められているのである! そして、聖なる恐怖と輝きにつつまれた章の中から、湧《わ》くがごとくに、おそろしい霊感の吹雪《ふぶき》が巻き上がり、読者がうろたえおののきながら、それらのことばの荘厳な轟きを感じとるのは、まだ遠い先のことである……
さあ出かけよう! 出発だ! 額にしわをよせて、気むずかしい暗い顔をしてるのは、もうたくさんだ! さあ、声なきさざめきがみちあふれ、音なき小鈴が鳴りわたっている人生の中へ、まっしぐらにとびこみ、チチコフがなにをしているか見ることにしよう。
チチコフは目をさますと、大きくのびをして、じゅうぶんに睡眠をとったことを感じた。二分ほどそのままあお向けになっていたが、やがて彼はパチッと指をならすと、晴れやかな顔になって、いまはもう自分は四百人ばかりの農奴を持っているのだということを思い出した。そこで彼はすぐに寝台からとび起きたが、あれほどながめるのが好きな自分の顔をちらとも見なかった。彼は自分の顔の中であごがもっとも魅力的だと認めていたらしく、しょっちゅう、特にひげをそっているときなど、だれかれかまわず友だちにじまんしたものである。「ほら、ごらん」と彼はいつもあごをなでながら言ったものだ。「じつにいいあごだろう。まんまるだよ!」
ところがいまは、彼はそのじまんのあごも、顔もちらとものぞかずに、いきなり、起きぬけのままの格好で、色とりどりの|縫い付け飾り《アツプリケ》のついたモロッコがわの長靴をはいた。これはトルジョークの町でさかんにたたき売りされている長靴である。するとロシア人特有のだらしのない気持ちが目ざめて、スコットランドふうの短いシャツひとつで、日ごろのたしなみも自分のいい年齢《とし》も忘れて、いともあざやかにかかとであしの内側をぽんとたたいて、部屋の中で二度ほど跳躍《ちようやく》をやった。それから、さっそくしごとにとりかかり、まず小箱のまえでほくほく顔で手をこすり合わせた。ちょうどかたぶつの郡の検事がなにかの審査に出向いて、前菜のテーブルに近づきながらやるあのもみ手である。
そして、彼はすぐに小箱の中から書類をとり出した。ぐずぐず長びかせないで、早く事をすませたかったのである。彼は書記になど一文も払わずにすむように、自分で登記の書類の文案をつくり、下書きをし、清書もすることにきめた。書式のことならなんでも知っていたので、彼はまず歯切れよく大きな文字で『一千八百某年』とぶっつけ、つぎに小さな文字で『地主何某』と記し、あとはきまりどおりすらすらと書いていった。二時間もするとすっかりでき上がった。
さてそれから、その書きおえた書類に目を通しながら、百姓たちを、かつてはたしかに百姓たちで、働いたり、耕したり、飲んだくれたり、馬車をひいたり、だんなをだましたりしたのもいようし、あるいはめだたぬじみないい百姓だったのもいるにちがいない、そうしたかつての百姓たちの名簿をじっと見ていると、自分でもわからぬふしぎな感情におそわれた。それぞれの名簿がなにかその独自の性格を持っているような気がして、そのために百姓たちまでがそれぞれ独自の性格をあたえられているように思われた。コローボチカの所有に属していた百姓たちは、ほとんどが名まえにおまけやあだ名がついていた。プリューシキンの名簿は綴りの短いのが特徴で、名も父称もはじめの数語だけでそのあとに点をうってあるのが随所に見られた。サバケーヴィチの作成した名簿は、その並みはずれて充実し、詳細なことは、おどろくばかりで、百姓の性質が一つももれなく書きこまれてあり、ある百姓については『腕のいい指し物大工である』とうたい、またある百姓には『分別があり、酒は飲まず』と付記してある。また、父はだれで、母はだれで、そのふたりの素行はどうであったかということまで、詳細にしるされており、ただ一つフェドートフ某という男の項にだけ、『父は不明で、下女カピトリーナの腹から生まれたが、性善良で、手くせわるくなし』とあった。このように詳細に書いてあるので、妙な生々しさがあって、百姓たちがついきのうあたりまでまだ生きていたような気がした。そしてそれらの名まえをながめているうちに、彼はついほろりとなって、ほっとため息をついて、『おまえたち、ここにえらいぎゅうぎゅう詰めにされたなあ! ええ、おまえたち、生きてるあいだになにをしてきたんだい? 暮らし向きはどんなだったんだね?』とつぶやいた。
そして彼の目はなにげなく一つの名まえの上にとまった。それはかって女地主コローボチカの所有物だったピョートル・サヴェーリエフ・ニュウヴァジャイ・コルイトという農奴である。彼はまたしてもおさえきれなくなって、思わずこんなことをつぶやいていた。『へえ、なんて長い名まえだ、まるまる一行にわたってるじゃないか! おまえは職人だったのかい。それともただの百姓だったのか。いったいどんな死に方をしたんだ? 居酒屋で死んだのか、それとも酔っぱらって街道にねていて、まぬけな居眠り馬車にひき殺されたのかい?』
プロープカ・ステパン、大工、酒をたしなまず模範農奴なり。あ! あれか、ステパン・プロープカ、近衛《このえ》にでもやったらという、あの豪傑か! きっと、斧を腰にさし、長靴を肩にかついで、県内をくまなく歩きまわり、一コペイカでパン、二コペイカで干し魚というぐあいに暮らしをつめて、いつも銀貨を百ルーブリほども財布につめて家へ持ちかえったんだろうな、いや、ひょっとすると、千ルーブリ紙幣の一枚ぐらい亜麻布のズボンに縫いこむか、長靴にねじこむかしてきたかもしれんぞ。おまえはどこで召されたんだい? 実入りがいいというので、教会の丸屋根へでものぼったのか。そして、ひょっとしたら、十字架へとっつこうとして、足をすべらせて、横木からまっさかさまに地面へおっこちたんだろう。そして、そばにいたミヘイおじとかいうのが、うしろ頭をごしごしかいて、あい、ワーニャ、魔がさしたんだな、とつぶやいただけで、今度は自分が、腰になわをゆわえて、おまえのいた場所へはっていったにちがいない。
マクシム・テリャートニコフ、靴職人。へっ、靴屋か! 『靴屋みたいに飲んだくれ』と諺《ことわざ》にも言うからなあ。知ってるよ。おい、おまえのことはちゃんと知ってるぞ。なんなら、おまえの経歴をすっかり語ってやろうか。まずドイツ人のところに弟子《でし》入りしてか、そのドイツ人の親方は犬ころみたいにおまえたちに一つ皿で餌《えさ》をくわせ、ちょっとでも縫い方がちがうと、かわ鞭《むち》で背中をどやしつけ、外へ遊びにも出さず、そのおかげでおまえは並みの靴職人じゃなく、びっくりするようないい腕になって、親方は女房や仲間との茶飲み話に、得意顔でおまえのじまんをしたことだろう。ところが年期があけると、『さあ今度は、自分で店を持ってやるぞ。ドイツ人の親方みたいに、一コペイカも惜しんでためこむようなあんなけちなまねはしねえで、いっぺんにもうけてみせるぞ』というわけで、だんなにかなりの年貢《ねんぐ》を納めて、ささやかな店を持ち、どっさり注文をとって、さてしごとをはじめた。どこかでくさった皮を三分の一ほどの安値でしこんで、一足で二倍ものもうけをあげたが、二週間もたつとこわれてしまって、おまえはこっぴどくののしられ、注文がさっぱりなくなって、おまえはやけ酒をあおるようになり、あげくは飲んだくれて、道ばたにひっくりかえって『へん、世の中なんぞくそおもしろくもねえ! ドイツっぽの野郎じゃまばかりしやがって、ロシアの人間にゃ住むところもねえざまだ』なんてわめきちらすようになったんだろう。
『はて、これはどんなやつだったかな。エリザヴェータ・ワラベイ。へっ、しっかりしろ! こりゃ女じゃないか! でも、どうしてここへまぎれこんだろう! サバケーヴィチのやつめ、こんなとこでまでだましやがった!』チチコフの言うように、それは、たしかに、女であった。どうしてここへまぎれこんだのか、それはわからないが、しかしじつに巧みに書かれていたので、ちょっと見ると男にとれたし、それに語尾をトでおえ、つまりエリザヴェータではなく、エリザヴェートと男名まえに細工してあった。しかしチチコフはそんな小細工には気を迷わさないで、すぐにそれを抹消《まつしよう》した。
『グリゴーリイ・ドエスジャイ・ニェ・ドエジョーシ! おまえはいったいどういう人間だったんだい? 馬車屋でもやっていて、三頭立てのむしろかけの荷馬車でも仕立てて、商人たちと定期市へくり出したきり、永久に自分の生まれた棲家《せいか》をすててしまったとでもいうのかい。途中で魂を神にお返ししたのか、あるいはどこやらのほっぺたの赤い、まるっこい兵隊後家を仲間たちと張り合って殺されてしまったのか、それともおまえのかわの大きな手袋と、ずんぐりだが、がっしりした三頭の馬に、森の浮浪人《ふろうにん》が目をつけたのか、それとも、ありそうなことだが、板|寝床《どこ》の上にころがって、ぼんやり考えごとをしているうちに、がばととび起きて、なんの理由もなく、いきなり居酒屋にとびこみ、そこからふらふらと氷穴へ行って、それっきり消えてしまったのか。まったくロシア人てやつは! まっとうな死に方をしたがらんのだ! ところでおまえたちは、どうしたというんだ?』と彼は、プリューシキンの逃亡農奴たちが記載されている紙に目を移しながら、ひとり言をつづけた。『おまえたちはまだ生きているというのに、いったいどうするつもりなのだ! 死んだも同じことじゃないか。そしていまごろはその早い逃げ足でどこをほっつき歩いているのだ? プリューシキンのところの暮らしがつらかったのか、それとも、ただ好きで、森の中をさまよい、旅人の身ぐるみをはいでいるのか? いまごろは監獄にぶちこまれているのではないだろうか。あるいは別の主人にひろわれて、畑でも耕しているだろうか? エレメイ・カリャーキン、ニキータ・ヴォロキータ、その息子アントン・ヴォロキータ〔カリャーキンは「あぐらかき」、ヴォロキータは「ぐず」の意で、ここでは反語〕――こいつらは、あだ名からして、いかにも逃げるのがうまそうだ。ポポフ、下男、こいつは読み書きができるにちがいない。きっと、ナイフなんかはにぎらんが、うまいことぬすみをはたらいていたのがばれたんだろう。だが、おまえみたいな旅券を持たぬやつはじきに郡警察署長につかまってしまう。するとおまえは対審でぬらりくらりとへらず口をたたく。「おまえはだれの農奴だ?」まず機先を制して二言三言おまえをどなりつけておいてから、署長はこうきりだす。「これこれの地主でごぜえます」とおまえはふてぶてしく答える。「なんでこんなところへ来た?」と署長が言う。「年貢《ねんぐ》かせぎに出されましたんで」とおまえはすらすらと答える。「旅券はどこにある?」――「宿の亭主のピーメノフって男に渡してごぜえます」――「ピーメノフを呼べ! おまえがピーメノフか?」――「へえ、わっしがピーメノフでこぜえます」――「こいつはおまえに旅券を渡したか?」――「いんにゃ、こいつは旅券なんか渡さねえでごぜえます、へえ」――「なんでおまえうそをこくか?」と署長は言って、濃厚なことばを何言《なんこと》かつけくわえる。「そのとおりでごぜえます」とおまえはけろっとして答える。「あっしはこの野郎に渡したんじゃねえんで、なにぶん夜おそくけえりましたもんで、鐘|撞《つ》きのアンチープ・プロホーロフにあずけたんでごぜえます」――「鐘撞きを呼べ! こいつはおまえに旅券を渡したか?」――「いんにゃ、旅券なんて受け取らねえですだ」――「なんだこらっ、またうそこいたな」と署長は言って、またなにやら濃厚なことばをたたきつけた。「旅券はどこにあるんだ?」――「たしかにあったんですがね」とおまえはすぐさま答える。「おかしいな。どうやら、途中のどこかでおっことしてしまったらしいな」――「じゃ、その兵隊|外套《がいとう》は」署長はなにやらまた濃厚なことばを景品としておまえにあびせかけたうえで、言う。「なんでかっぱらった? そのうえ、坊さんのとこから銅貨のはいった金|櫃《びつ》もぬすんだろう?」――「とんでもねえ」とおまえはびくりともしないて答える。「ぬすみなんぞこれまで一度だってしたことがねえですだ」――「じゃなんでその外套がおまえのとこにあったんだ?」――「さあ、知らねえですな、きっとだれかか持ってきておいたにちげえねえですだ」――「えい、この悪党め、口のへらねえやつだ!」と署長は手を脇腹にあてがい、頭を振りながら言う。「こいつに足かせをはめて、牢屋《ろうや》に、ぶちこめ」――「こりゃどうも! ありがてえこって」とおまえは答える。そこでおまえは、ポケットから煙草入れを出して、おまえの足に足かせをはめているふたりの廃兵に、親しげに煙草をごちそうして、いつごろ退役になったかとか、どこの戦争に行ったかとか、こまごまとたずねる。というわけでおまえは、裁判で刑がきまるまで、未決でぶらぶらしている。やがて刑がきまり、ツァレヴォコクシャイスクからなんとかいう市の監獄へ送られる。さらにまたそこの裁判所の命令で、ヴェシェゴンスクとかいうところへやられる。こうしておまえは監獄から監獄へ転々と渡りあるき、新しい住居をひとわたりながめまわして、「へえ、こりゃひでえや、ヴェシェゴンスクの監獄のほうがまだもちょっとはきれいだぜ。あそこなら小骨遊び〔動物の小骨を並べて立てておいて、それを小骨を投げて倒す幼稚な遊び〕ぐれえやる場所もあったし、それに仲間も多かったぜ!」などとうそぶくようになる。アバクーム・フィロフか! おまえはどうしたんだ? どこのどんなところをさまよっているのだ? ヴォルガヘでも吹きよせられて、自由な暮らしにあこがれ、ひき舟人夫の群れにでもはいったのか?』
ここでチチコフはひとり言をやめて、ちょっと考えこんだ。彼はなにを考えたのだろう? アバクーム・フィロフの運命をか、それとも、年齢や、地位や、財産のいかんを問わず、ロシア人であるかぎり、自由気ままな生活の底ぬけ騒ぎを思い浮かべるとき、だれしも考えこむように、ただなんとなく考えこんだのだろうか? それにしても、ほんとに、いまごろフィロフはどこにいるのか? 商人たちに雇われて、穀物の積み出し場でわあわあとにぎやかにやっているだろうか。帽子に花やリボンをつけたひき舟人夫の群れが、くび飾りやリボンをつけたすらりと背たけの高い恋人たちや女房たちと別れを惜しんで、にぎやかに騒いでいる。輪舞《りんぶ》や、歌声が、広場じゅうにわきたっている。ところがそのそばで、荷役の人夫たちはどなられたり、ののしられたり、急《せ》きたてられたりしながら、負いかぎで十プードもある袋をひっかけて背負いながら、渡し板をえっちらおっちら渡って、えんどうや小麦をざあーっと深い船の底にあけ、燕麦やひきわり麦のかますを積み込んでいる。そしてその向こうには広場いちめんに、まるで砲弾のように、ピラミッド型に積み上げられた袋の山が見え、おびただしい穀物の山が高々とそびえているのが見える。これが船の腹にすっかり積み込まれると、はてしない船隊が一列に並んで春の流氷を道連れに出発するのである。そしてそのうちに、ひき舟人夫たちよ、今度はおまえたちの働く番がくる! そしていま浮かれ騒いだように、今度はみんな力を合わせて、しごとにとりかかり、ロシアのように単調なはてしない歌に合わせて、汗みずくになって船をひっぱるのである。
「ウヘッ! もう十二時だ!」やがてふと時計を見ると、チチコフは言った。「おれはいったいなにを考えこんでいたんだ? まったく、しごとをしてたのならともかく、なんということもなく、はじめはばかなひとり言を言っていて、そのうちに考えこんでしまったなんて。まったく、おれはなんてあほうなんだ!」こう言うと彼は、スコットランドふうの寝巻きをヨーロッパふうの服に着替えて、まるく出っぱった腹をバンドのしめ金でキュッとしめると、オーデコロンを全身にふりかけた。そしてあたたかい縁無し帽を持ち、書類を小脇にかかえて、登記の手続きをするために民事裁判所へ出かけた。
彼は急いだが、それはおくれるのをおそれたからではない――彼はおくれるのなどなんでもなかった。というのは、裁判所長は知り合いだから、こちらの望みどおりに執務時間をのばしてもらうことも、ちぢめてもらうこともできたからで、まあ、言ってみれば、ホメロスの『イーリアス』に出てくる古代ギリシアのゼウスの神が、お気に入りの神々に戦いをやめさせるとか、あるいは最後まで戦う手段をあたえるとか、その時の必要に応じて、昼を長くしたり、夜を短くしたりした、あれと同じことである。そうではなく彼は自分で早くこの一件をすましてしまいたいという気持ちがあったからだ。それまではなにか不安で、すっきりできないような気がした。なんといっても、この農奴たちは完全にほんものとは言えないのだから、こういう場合はなににかぎらず早く重荷を肩からはずしてしまうことだ、という考えが来たのだった。こんなことをあれこれと考えながら、褐色の羅紗《らしや》の表をつけた熊の毛皮のシューバ〔すその長いロシア独得の毛皮の外套〕を肩にひっかけて、通りへ出たとたんに、横町へ曲がる角のところで、彼は、やはり褐色の羅紗の表をつけた熊の毛皮のシューバを着て、耳おおいのついた防寒の縁無し帽をかぶったひとりの紳士に突き当たった。
紳士はあっと叫んだ。それはマニーロフであった。彼らはすぐに互いにかたく抱擁しあって、そのままの格好で五分ほど通りをふさいでいた。相互の接吻があまりにも強かったので、ふたりともその日は一日じゅう前歯の痛さがとれないほどだった。マニーロフの顔にはうれしさのあまり鼻とくちびるだけがのこって、目はすっかり消えてしまった。彼は十五分ほど両手でチチコフの手をかたくにぎりしめていて、そのためにチチコフの手は熱いほどにほてった。こよなくデリケートな、こころよい言いまわしで、彼はパーヴェル・イワーノヴィチを抱きしめるために天翔《あまが》けてきたという意味のことを語ったが、それは踊りに誘う場合、相手の娘に言うことだけがまあ大目に見られるような、歯のうくようなおせじで結ばれた。チチコフが、どんな礼を返していいかまだ自分でもわからずに、口を開きかけると、不意にマニーロフはシューバの下から円筒形に巻いて、バラ色のリボンでしばった紙をとり出すと、じつに格好よく二本の指でつまんで差し出した。
「なんです、これは?」
「百姓たちですよ」
「ああ!」彼はすぐにそれをひろげて、目を走らせると、その筆跡《ひつせき》の正しさと美しさにおどろいた。「きれいですねえ」と彼は言った。「これでは清書の必要もありません。おまけにまわりに縁《へり》までつけて! だれがこんなみごとな縁《ふち》どりをなさったんですか?」
「まあ、それはおききにならないでください」とマニーロフは言った。
「あなたですか?」
「家内ですよ」
「え、これはどうも! ほんとに恐縮しますよ、こんなおほねおりをいただいて」
「パーヴェル・イワーノヴィチのためですもの、どんなことでも喜んでいたしますよ」
チチコフは感謝をこめて頭を下げた。チチコフが登記の手続きをしに裁判所へ行くところだと知ると、マニーロフは喜んで同行を申し出た。ふたりの友は手をにぎり合って歩きだした。出っぱりとか、段々とか、ちょっとでも平らでないところがあると、マニーロフはチチコフを支えて、ほとんどひっぱり上げてやるようにして、気持ちのいい笑顔をつくりながら、パーヴェル・イワーノヴィチに足をけがさせるようなことは決していたしませんからと言いそえるのだった。チチコフはいささかわずらわしく感じていたので、なんと礼を言ったものか、ことばに窮《きゆう》して、恥ずかしかった。互いに助け合いながら彼らはようやく裁判所のある広場まで来た。それは大きな三階建ての石造りの建物で、どうやらその中に勤めている役人たちの心の清らかさをあらわすためらしく、全体がまっ白に塗られていた。
広場にある他の建物はどれひとつとして、その大きさで石造りの建物の比ではなかった。他の建物といっても、銃を持った兵士がひとり立っている哨所と、二つ三つの辻馬車の馭者のたまり場と、それから木の燃えさしや白墨で乱暴におなじみのらく書きがしてある、長い板塀で、そのほかはこのさびしい、あるいは、わが国の言いならわしにしたがえば、美しい広場にはなにもなかった。二階と三階の窓から、フェミダの使徒〔ギリシア神話に出てくる法律の女神。ここでは裁判所の役人たちを言う〕たちの清廉《せいれん》な顔々が外をのぞいたが、すぐにまたひっこめられた。たぶん、そのとき上司でも部屋へはいってきたのだろう。ふたりの友は階段を登るというよりはかけ上がっていった。というのは、チチコフはマニーロフに支え上げられるのを避けようとして、足をはやめたし、マニーロフはマニーロフで、チチコフに疲れさせてはわるいと思って、とぶようにしてかけ上がったからで、うす暗い廊下にはいったときは、ふたりともふうふう肩で息をしていた。廊下でも、部屋へはいっても、彼らの目はその清潔さでおどろかされるようなことはなかった。当時はまだそういうことには気が配られないで、汚《よご》れたものは、汚れたままにほうっておかれて、見た目に気持ちのいいような外見をつくろうなどということはなかった。
フェミダも、べつに服を変えるようなことはしないで、いつものふだん着や部屋着のままで客を迎えた。わが主人公たちが通っていったいくつかの事務室のようすを描写しなければならないのだが、作者はおよそ役所なるものに強度のコンプレックスをいだいている。もしも床にも机にもすっかりニスがかけられて、ぴかぴか光るまぶしいほどの事務室を通りぬけるようなことがあったら、それこそ作者はすっかりかしこまって下を向き、目を伏せて、さっさと走りぬけるはずで、だからそこがどれほど泰平で、そして隆盛をきわめているか、まったく知らないのである。わが主人公たちは、書きちらされたのや白いのや、たくさんの紙や、うつむけられた頭や、幅広いうなじや、えんび服や、田舎仕立てのフロックや、そうした中にぐっとひきたって見える、薄ねずみ色の普通の背広などを見た。この背広の男は頭を横に曲げ、ほとんどそれを紙にくっつけるようにして、えらい早さで、まるで書きなぐるようにして、なにかの調書の書き抜きをつくっていたが、土地の詐取《さしゆ》か、あるいはどこかのおだやかな地主によってとりあげられた領地の差しおさえに関する調書であろう。こうしたおだやかな地主は裁判ざたばかり起こしながら安全に自分の生涯を生きぬき、こどもも孫もその翼の下に入れてぬくぬくと品よく育てるのである。さらにわが主人公たちの耳に、ときどきかすれ声でささやかれる、「恐れ入りますが、フェドセイ・フェドセーヴィチ、第三百六十八号の件をお願いします!」とか、「あなたはしょっちゅう備品のインキつぼのふたをどこかへやってしまいますね!」というような声が聞こえた。ときどき、上司のひとりと思われるもっと尊大な声が、頭ごなしにどなりつけた。「おい、書き直したまえ! さもないと、靴をぬがせて、六日六晩飯も食わせずに、わしのまえに立たせてやるぞ!」さらさらというペンの音がたいへんな騒々しさで、ちょうど柴を積んだ数台の荷車が、二十センチほども枯れ葉のつもった森の中を通っているようであった。
チチコフとマニーロフは、まだ若い役人がふたりすわっているとっつきの机のそばへ近づいて、たずねた。
「ちょっとおうかがいしますが、あの不動産の登記の係はどちらでしょうか?」
「いったいどんな用件ですか?」とふたりの役人はふり向いて言った。
「実は登記の届けを出したいのですが」
「それで、なにを買ったのですか?」
「そのまえにおききしたいのですが、不動産の係はどこでしょう? ここでしょうか、それともどこかほかのところでしょうか?」
「でもそのまえに、なにをいくらで買ったのか、それを言ってください。そしたらどこか教えます。そうでなければ教えてあげるわけにいきません」
チチコフはとっさに、このふたりは、若い役人というものがすべてそうであるように、ただ好奇心が強いだけで、自分と自分の職務により多くの重みと意味をあたえたいだけなのだ、と見てとった。
「まあ、聞きなさい」と彼は言った。「不動産譲渡に関する手続きが、その値段などに関係なく、同一の係でおこなわれるくらいのことは、わたしはちゃんと承知してますよ。だからその係を教えてくれとあんたがたに頼んでいるのだが、どこにどういう係があるのかあんたがたが知らないのでは、しかたがありませんな。どなたかほかの人にききましょう」
役人たちはそれに対してなんとも返事をせず、ひとりがむすっとして隅のほうの机を指さしただけだった。その机にはひとりの老人がすわって、なにかの書類に番号をつけていた。チチコフとマニーロフは机のあいだを通ってまっすぐにそちらへ歩いていった。老人はひどく熱心にしごとをしていた。
「ちょっとおうかがいしますが」とチチコフは腰をかがめながら言った。「農奴の係はこちらでしょうか?」
老人は目を上げて、ゆっくり言った。
「ここは農奴の係ではありませんな」
「では、どこでしょう?」
「それは農奴課ですよ」
「して、どこでしょう、その農奴課は?」
「それはイワン・アントーノヴィチのところですよ」
「そのイワン・アントーノヴィチはどこにいますか?」
老人は反対側の隅を指さした。チチコフとマニーロフはイワン・アントーノヴィチのほうへ行った。イワン・アントーノヴィチはまだ遠くから片目をうしろへ投げて、横目でふたりをじろりとにらんだが、すぐにまえよりも熱心に書きものに没頭《ぼつとう》した。
「あの、ちょっとおうかがいしますが」とチチコフは腰をかがめながら言った。「こちらが農奴課でしょうか?」
イワン・アントーノヴィチは聞こえないようなふりをして、返事もしないで、書類の上に顔をふせていた。これはもういい年齢《とし》をした男で、若いおしゃべりやはねっかえりでないことは、一目で知れた。イワン・アントーノヴィチはもう四十をかなり越えているらしく、髪は黒々と濃く、顔の中央がぜんたいに鼻をめがけて前方へ突き出している感じで、――一口に言えば、一般にどびん面《づら》といわれている、あれだった。
「おうかがいしますが、ここが農奴課でしょうか?」とチチコフは言った。
「ここだが」とイワン・アントーノヴィチは言って、そのどびん面をねじ向けたが、すぐにまた書きものにかかった。
「実は、こういう用件でうかがったのですが、と申しますのは、当郡の地主のかたがたから、移住させる目的で農奴を買いましたものですから。登記証書はそろっておりますので、手続きをすまそうと思いまして」
「売り手は出頭してますか?」
「出頭してる者もいますし、あとは委任状をもらってきています」
「申請書は?」
「申請書も用意してきました。わたしの希望としては……ちょっと急がなければならないものですから……なんとか、その、今日じゅうにすましてしまうわけにはいきませんでしょうか?」
「えっ、きょうじゅうに! それはできませんな」とイワン・アントーノヴィチは言った。「まず違法な点がないかどうか、審査しなければなりませんからな」
「しかし、手続きを早くしてもらうということについては、所長のイワン・グリゴーリエヴィチが、わたしの大の親友ですので……」
「しかし、イワン・グリゴーリエヴィチひとりではどうにもできませんよ。他にも責任者はいますからね」とイワン・アントーノヴィチはそっけなく言った。
チチコフはイワン・アントーノヴィチがほのめかした言外の意味をさとって、言った。
「他の人にも気をわるくさせるようなことはしませんよ。わたしも勤めていたことがありますので、そのへんのところは心得ていますから……」
「イワン・グリゴーリエヴィチのところへいらっしゃい」とイワン・アントーノヴィチはいくらか声をやわらげて言った。「だれにあつかわせるか、所長に指示してもらってください。わたしなら事務をとどこおらせるようなことはしませんよ」
チチコフはポケットから紙幣を一枚ぬきだして、それをイワン・アントーノヴィチのまえにおいた。すると彼はそれにはぜんぜん目もくれないで、とっさに本をその上にのせた。チチコフがそれを彼に見せようとすると、イワン・アントーノヴィチは頭を振って、見なくてもわかってるというそぶりをした。
「では、この男に所長室へ案内させましょう!」とイワン・アントーノヴィチが言って、あごをひとつしゃくると、そばにいた神聖な役人のひとりで、あまりにも熱心にフェミダに仕えたために、両そでのひじがぬけて、もういつからか裏地がのぞいているほどで、そのためにかつて十四等官の位をあたえられたという男が、かってウェルギリウスがダンテにつくした〔ウェルギリウスは古代ローマの詩人。イタリアの詩人ダンテの『神曲』では、ダンテはこのウェルギリウスに案内されて地獄をまわる〕ように、いそいそとわがふたりの友を所長室へ案内した。そこにはゆったりしたひじ掛け椅子がおかれていて、正義標〔ガラスの三角錐の置物で、ピョートル一世の勅令が刻みつけてあり、役所の机の目にかならず備えつけられていた〕と二冊の分厚い本がのせてあるテーブルの正面に、所長がただひとり、まるで太陽のようにさんぜんたる輝きを放ってすわっていた。
そこまで来ると新ウェルギリウス氏はすっかり恐懼《きようく》感激してしまって、足がすくんで室内へ一歩もはいる勇気がなく、くるりとまわれ右をすると、まるでござみたいにざらざらにすれて、鶏の羽根が一本ひっついている背を見せてもどっていった。広い室内へはいると、彼らは所長がひとりきりでないことに気がついた。正義標のかげにかくれて見えなかったが、所長のそばにサバケーヴィチがすわっていたのである。彼らの来訪は喚声《かんせい》で迎えられ、お上《かみ》のひじ掛け椅子が荒っぽくうしろへ押しやられた。サバケーヴィチも椅子から立ち上がって、長いそでをだらりとたれたその姿をあらわした。所長はチチコフを抱擁《ほうよう》の中へ迎え入れ、接吻の音が広い室内をみたした。ふたりは互いに健康のことをたずねあうと、双方とも少々腰が痛いことがわかって、すぐにこれはすわってばかりいる生活のせいだろうということになった。
所長はもう農奴買い入れのことをサバケーヴィチから知らされていたらしく、すぐにチチコフにお祝いのことばを述べだしたが、これはわが主人公をいささか面くらわせた。しかもいま、それぞれに内密にということにしておいたサバケーヴィチとマニーロフのふたりの売り手が、こうして顔を見合わせてつっ立っているのを見ては、なおのことぐあいがわるかった。それでも彼は所長に礼を述べると、すぐにサバケーヴィチのほうを見てきいた。
「その後おからだのぐあいはいかがですか?」
「おかげさまで、どこが、どうってこともありませんな」とサバケーヴィチは言った。
たしかに、どこがどうとこぼすはずがなかった。このあきれるほどがっしりできている地主よりは、むしろ鉄がかぜをひいたりせきをしたりしたほうが、うなずけるというものだ。
「そう、あんたはいつも丈夫ですなあ」と所長が言った。「亡くなられたおとうさんも丈夫な方でしたな」
「そう、熊にひとりで立ち向かったほどですからなあ」とサバケーヴィチは答えた。
「しかし、あんただって」と所長は言った。「その気になったら、熊ぐらいたおせるでしょう」
「いや、だめですわ」とサバケーヴィチは答えた。「死んだおやじはわしよりもずっと強かったですからなあ」そして、ひとつため息をついてから、さらにつづけた。「いやいや、いまどきはああいう人はいなくなりましたよ、たとえばこのわしの暮らしにしてからが、こんなのが暮らしと言えるかね? 自分でも、どうも……」
「ほう、あんたの暮らしのどこがよくないのかねえ?」と所長は言った。
「よくない、よくないですわ」と首をわずかに曲げて、サバケーヴィチは言った。「だって、そうでしょうが、イワン・グリゴーリエヴィチ、わしは、五十年も生きていながら、まだ一度も病気したことがないのですぞ。せめてのどがすこし痛むとか、腫《は》れものでもできてくれたらと思うのだが……いや、これはろくなことはない! いずれそのうちまとめて、がさっときますわ」こう言うと、サバケーヴィチはしんみり考えこんでしまった。
『ちえッ、こいつめが』とチチコフと所長は同時に考えた。『こぼすにことかいて、なにを寝言いってるか!』
「あなたに手紙をあずかってきたのですが」とチチコフはポケットからプリューシキンの手紙をとり出して、言った。
「だれからでしょう?」と所長は言って、封を切ると、思わず叫んだ。「あっ! プリューシキン。あの男はまだこの世に息をしてるのですねえ。ほんと運命というものですなあ、あんなにりこうな、裕福《ゆうふく》な男だったのに! それがいまでは……」
「犬畜生だよ」とサバケーヴィチは言った。「悪党め、百姓どもを片っぱしから餓死《がし》させおって」
「なるほど、よろしいとも」と、手紙に目を通すと、所長は言った。「わたしが代理人になりましょう。ところで、いつ登記の手続きをなさいます、いまですか、それともあとで?」
「さっそくとりたいと思ってます」とチチコフは言った。「できたら、きょうにでもと思って、あなたにもお願いしようと思っていたのです。実は、あすここを出発したいと思うものですから。ここに登記証書も、申請書も、持参いたしました」
「そりゃよろしいでしょう、ただしだ、あんたがどんなにじたばたなさっても、そんなに早くはここからかえしませんぞ。登記はきょうじゅうにすませますが、それはそれとして、もうしばらくわたしらとつき合いなさい。では、さっそくやらせましょう」と言うと、彼は事務室に通じるドアをあけた。そこには、もし事務室を蜜蜂の巣箱にたとえることができるなら、巣箱にちらばる働き蜂のような役人たちがうようよしていた。「イワン・アントーノヴィチはいるかな?」
「はい」という声が内部から聞こえた。
「ここへ来るように言いたまえ!」
すでに先刻おなじみのイワン・アントーノヴィチが所長室にそのどびん面を突き出して、うやうやしく礼をした。
「イワン・アントーノヴィチ、このかたの登記の手続きをしてあげなさい……」
「それから、忘れんでくだされよ、イワン・グリゴーリエヴィチ」とサバケーヴィチが口を出した。「双方からすくなくとも二名ずつは、証人がいりますからな。さっそく検事を呼びにやりなされ、あれは暇な男だから、きっと、家にごろごろしてますわ、なにせ補佐官のゾロトゥーハのやつがすっかりやってますでなあ、あいつときたらまったく、世界一のわいろ取りだ。それから医務局監督、あいつも閑人《ひまじん》だ、どこかにカルタでもやりに行ってなきゃ、きっと、家にいるよ。それにまだまだ手近にたくさんいまさあ。――トルハチェーフスキイ、ベクーシキン、どいつもこいつも重たいばっかりで、むだに地球に苦労かけてるやつらばかりだ!」
「なるほど、そりゃそうですな!」と所長は言って、すぐにそれらの人を迎えに事務員を走らせた。
「もうひとつお順いがあるのですが」とチチコフは言った。「ある女地主からも農奴を買いましたのですが、その代理人として祭司長のキリール神父の息子さんを呼んでいただけないでしょうか。こちらにお勤めだと聞いてますが」
「よろしいとも、呼ばせましょう!」と所長は言った。「万事うまくやりますよ、ただ役人にはだれにもなにもやらんでください、これはわたしからもくれぐれもお願いしますよ。わたしの友人に金をつかわせるわけにゃいきませんからな」
こう言うと、彼はすぐにイワン・アントーノヴィチになにやら指示をあたえたが、それは明らかにあたえられたほうには好ましいことではなかったらしい。農奴譲渡証書は、どうやら、所長によい効果をあたえたらしい、特に総額にしてほぼ十万ルーブリほどの買いものである、と見てとるにおよんで、所長はすっかり感服してしまった。数分のあいだ彼は満足しきった表情でじっとチチコフの目を見つめていたが、やがて言った。
「そうですかい! いやあ、パーヴェル・イワーノヴィチ! とうとう手に入れましたなあ」
「ええ、どうにか手に入れました」とチチコフは答えた。
「幸運でしたなあ、まったく、幸運でしたなあ!」
「ええ、自分でも、これ以上の幸運は考えられないだろうと思います。なんといったって、青年のふわふわした自由主義的な空想にではなく、堅固な基礎の上にしっかりと足を踏みしめなければ、人間の目的というものは定まりませんからねえ」ここで彼は、この機会とばかりに自由主義をののしり、それにひっかけて、若い者たちをこきおろした。しかし、彼のことばにはどことなく腰のすわらないところがあって、口とは裏腹に、自分に向かっては、『へっ、うそをつけ、しかも大うそをさ!』と言いたそうであった。彼は、なにか妙な表情に出会いそうな気がして、マニーロフやサバケーヴィチの顔を見ようとさえしなかった。しかしそれは彼の思いすごしで、サバケーヴィチの顔はぴくりともうごかなかったし、マニーロフはチチコフのことばにうっとりと聞きほれて、うれしそうにただうなずくだけで、歌手が伴奏のヴァイオリンを圧して、小鳥ののどもおよばないような高い調子をうたい上げたときの、音楽ファンをとらえるような、そうした陶酔《とうすい》にひたりきっていたのである。
「だが、なぜあんたはイワン・グリゴーリエヴィチに言わんのだね」とサバケーヴィチが口を入れた。「それこそどんなものを手に入れたかということをさ。あんたにしてもだよ、イワン・グリゴーリエヴィチ、この人がどんな買いものをしたかぐらい、なんできかんのだい? まったくすばらしい農奴だ! それこそ黄金だよ。わしはあの馬車大工のミヘーエフまで売ってやったんですぜ」
「えっ。ミへーエフを売ったって、まさか?」と所長は言った。「わしも馬車つくりのミヘーエフは知ってますよ。いい職人でしたなあ。わしも馬車を作り直させたことがありますよ。だが、おかしいな、どうして……たしかあんたは、あの男が死んだと、わしに、言ったはずだが……」
「だれが、ミへーエフが死んだなんて『言いましたかい?」とサバケーヴィチはすこしもあわてずに言った。「死んだのはやつの兄のほうで、やつはぴんぴんして、まえよりも元気になりましたわい。こないだも、モスクワでもできないような、いい馬車をこさえおった。まったく、あいつは皇帝専属の馬車大工にしてあげたいくらいですわい」
「たしかに、ミヘーエフはいい職人ですなあ」と所長は言った。「あんたがどうしてあんな男を手ばなしたか、わしはふしぎに思ってるほどですよ」
「それも、ミヘーエフだけじゃないんだよ! 大工のプローブカ・ステパンも、れんがつくりのミルーシキンも、靴屋のテリャートニコフ・マクシムも、――みんな売っちゃったんだ、みんなこの人に渡してしまったんだよ!」そして、みんな家に必要な、腕のたつ職人たちなのに、いったいどうして手ばなしてしまったのかと、所長がきくと、サバケーヴィチはやけぎみに片手を振って、答えた。「あ! どうもこうもないさ、ばか虫にとっつかれたんだ。えい、売ってやろうか、なんて言ってるうちに、うっかり売つちまったのさ!」そう言うと彼は、われながらばかなことをしたものだとくやしくなったらしく、がっくりとうなだれて、こうつけくわえた。「こんな白髪頭になっても、まだばかがなおらんのだよ」
「ところで、パーヴェル・イワーノヴィチ」と所長は言った。「土地もつけないで農奴をお買いになって、いったいどうなさるおつもりだね? 移住でもさせるのかね?」
「移住させます」
「なるほど、移住させるなら話は別だ。で、どちらへ?」
「場所は……ヘルソン県です」
「ああ、あちらはすばらしいところですなあ!」と所長は言って、あちらの牧草ののびのよさを大いにほめた。「それで、土地はじゅうぶんにありますか?」
「じゅうぶんです、買い入れた農奴に必要なだけはあります」
「川か池でも?」
「川があります。もっとも、池もありますが」そう言ってから、チチコフはなにげなくサバケーヴィチにちらと目をやった。するとサバケーヴィチはあいかわらず石のような無表情な顔をしていたが、しかし彼には、その顔に『へっ、うそつけ! 川があるってか、池もだって、じゅうぶんな土地が聞いてあきれらあ!』と書いてあるように思われた。
こんな話がつづいているあいだに、ぽつぽつと証人があらわれはじめた。読者におなじみの、目をしぱしぱさせる癖のある検事だの、医務局の監督だの、トルハチェフスキーだの、ベグーシキンだのといった、サバケーヴィチの表現によれば、重たいばっかりで、むだに地球に苦労をかけている連中である。その多くはチチコフのまったく知らない人々であった。証人の足らない分ばかりか、よけいな分まで、ただちに裁判所の役人たちから集められた。というわけで、祭司長のキリール神父の息子ばかりか、親父の祭司長までも呼びよせられた。証人たちはそれぞれ自分の位階勲等《いかいくんとう》までも付して署名した。まえのめりに書く者もあるし、うしろ下がりに書く者もあり、中にはロシアのアルファベットにも見あたらないような文字までならべて、ほとんどさかさまに書いた者もあった。例のイワン・アントーノヴィチがじつに手ぎわよくてきばきと事をはこんで、農奴譲渡証書が登録され、日づけが記入され、台帳その他必要帳簿に記載されたが、半パーセントの手数料と官報への掲載費をとられただけで、チチコフはほんのわずかな出費だけですんだ。おまけに所長はその手数料も半額にするようにという指示をあたえたが、あとの半額は、どういう方法でかは知らないが、だれか他の請願者の分にかぶせられることになった。
「さて」と、いっさいこの手続きがおわったところで、所長が言った。「これであとは祝杯をあげるだけですな」
「ももろんですよ」とチチコフは言った。「あなたはただ時間だけを指定してくださればけっこうです。わたしとしては、こんな気持ちのいいみなさんがたのために、シャンパンの二三本をあけなくちゃ申しわけありませんからな」
「いや、そんなふうにおとりになっちゃ困るな。シャンパンはわたしたちが用意しますよ」と所長は言った。「それはわたしたちのせねばならぬこと、わたしたちの義務というものですよ。あんたはお客さんだ、ごちそうせねばならんのはわたしたちですよ。さて、みなさん! とりあえず、こういうことにしようじゃありませんか、つまりだ、ここにおいでの全員で警察署長のところへおしかける、ありゃ奇術師みたいなもので、魚市場でも酒倉でも、まえを通りしなにちょっと目配《めくば》せするだけで、われわれは、ご存じ、酒にもさかなにもたっぷりありつけるというわけだ! それにこのまたとない機会に、ホイスト〔カルタ遊びの一種〕も楽しもうじゃありませんか」
このような提案をだれもことわるわけがなかった。証人たちは魚市場と聞いただけでもう腹がぐうっと鳴りだした。一同はあわててそれぞれの帽子をつかんだ、そして所長室での評議はおしまいになった。一同がぞろぞろ事務室を通っていくと、イワン・アントーノヴィチのどびん面が、うやうやしくおじぎをして、そっとチチコフにささやいた。
「農奴を十万ルーブリもお買いになって、ほねおり賃に白紙幣〔二十五リーブリ紙幣〕一枚はひどいですよ」
「でもどんな農奴だというんだい」それに対してチチコフもささやき声で答えた。「ろくでもねえ役だたずばかりだ、その半分の値うちもないさ」
イワン・アントーノヴィチは、これはがっちりした客で、もう出しっこないと見てとった。
「プリューシキンのやついくらで手ばなしたかね?」と彼の別な耳にサバケーヴィチがささやいた。
「それより、ワラベイなんかなぜくわえたんだね?」それに答えないで、チチコフはこうやり返した。
「ワラベイ、どこの?」とサバケーヴィチは言った。
「女だよ、エリザヴェータ・ワラベイ、しかもごていねいに語尾がトとしてあったぜ」
「いや、そんなワラベイなんてのはくわえたおぼえがないな」と言うと、サバケーヴィチは他の客たちのほうへはなれていった。
やがて客たちはがやがやとかたまり合って警察署長の家についた。警察署長は、まさしく、奇術師みたいな男で、事のしだいをみなまで聞きおわらないうちに、すぐに区警察の署長を呼びつけた。これはエナメルの塗りのひざの上まである長靴をはいた、きびきびした男で、いつものことらしく、署長が二言ほど耳うちして、あとは一言「わかったな?」とつけくわえると、たちまちさっとふっとんでいった。そして別室で客たちがホイストに夢中になっているあいだに、早くも食卓の上には大|蝶鮫《ちようざめ》、蝶鮫、鮭、塩漬けのイクラ、一塩《ひとしお》のイクラ、にしん、小蝶鮫、チーズ、舌《タン》や蝶鮫の背の肉の燻製《くんせい》などが並べられた――これは全部魚市場からとどいてきたもので、つづいて主人側からの添え物として、九プードもある蝶鮫の頭肉や、軟骨や、ほお肉を詰めたピローグや、白茸を入れたピローグや、揚げ菓子や、バターで揚げただんごや、煮たくだものに蜜をかけたのなどの家庭料理がはこばれた。警察署長はある意味で市のおやじであり、恩人であった。彼は市民たちのあいだで、まるで自分の家族の中にいるみたいにふるまい、店や市場などへは、まるで自分の倉でも見まわるような調子で顔を出した。総じて、いわゆる水に合ってるというやつで、彼は自分の職務というものを完全につかんでいた。彼がこの職務のために生まれたのか、それともこの職務が彼のためにつくられたのかと、迷うほどであった。
というわけで、じつにりこうに立ちまわったので、彼の収入は先任者たちの二倍にもふえたが、それでいて全市民から愛されていた。もっとも彼を愛したのは商人たちで、それは彼がいばらないからであった。たしかにそのとおりで、彼は商人たちのこどもの洗礼をしてやったり、彼らと仲間づき合いをしたりして、ときにはごっぽりとまき上げることがあったが、そのやり方がじつにうまいのである。ぽんと肩をたたいて、にやりと笑い、茶をふるまったり、自分のほうから将棋《しようぎ》をさしに行くと約束したり、景気はどうだとか、なにはどうしたとか、いろんなことを親身になってきいたりする。そしてこどもがどこかわるいなどと聞くと、さっそく薬をおしえてやる、――要するに、抜けめのない男である! 馬車に乗って見まわりに出かけると、だれかれの別なくことばをかける。「元気か、ミヘイチ! おまえともそのうちゴルカ〔カルタ遊びの一種〕の勝負をつけにゃいかんな」――「へえ、アレクセイ・イワーノヴィチ」とそちらは帽子をとりながら答える。「かたをつけにゃいけませんて」――「おい、きみ、イリヤ・パラモーヌイチ、家へ馬を見に来いよ。きみのとひとつ競走させようか、そうだ、繋駕《けいが》をつけてこいよ、走らせてみよう」馬に目のないその商人は、いわゆる相好をくずしてという笑い方をして、あごひげをなでながら、「ひとつやってみましょうかな、アレクセイ・イワーノヴィチ!」と答えたものだ。そうすると売り子たちまでが、帽子をとり、にやにやしながら互いに顔を見合わせて、「アレクセイ・イワーノヴィチはいいだんなだなあ!」とでも言いたげなようすである。要するに、彼は庶民の気持ちを完全につかむことができたわけで、アレクセイ・イワーノヴィチは「とるものはとるが、その代わり決して裏切るようなことはない」というのが商人たちの一致した意見であった。
酒や料理が出そろったのを見て、警察署長は客たちにホイストの勝負を食後に持ちこすことを提案した。そこで一同はぞろぞろとそちらの部屋へ移ったが、もう先ほどからそちらから流れてくるにおいがこころよく客たちの鼻孔をくすぐり、特にサバケーヴィチなどは扉口のほうへちらちら目をやって、食卓のはしのほうに大きな皿にのせておいてある蝶鮫にねらいをつけていたのだった。客たちはまずグラスに一杯ずつ、ロシアで印材につかわれるシベリアの水晶にしか見られないような、濃いオリーブ色のウォトカをぐいとあおると、フォークを構えて四方から食卓に近づき、ある者はイクラに、ある者は鮭に、ある者はチーズにというぐあいに、いわばめいめいその性格と嗜好《しこう》をあらわに出しはじめた。サバケーヴィチはそうしたこまかいものにはいっさい目もくれずに、蝶鮫のまえにどっかとすわりこんで、みんなが飲んだり、しゃべったり、食べたりしているすきに、わずか十五、六分でそれをきれいに平らげてしまった。それで署長がその蝶鮫を思い出し「みなさんに、ひとつ、この自然の恵みをご賞味ねがいましょうかな!」と言って、フォークを持って一同とそちらへ行って、よくよく見ると、なんと、自然の恵みはしっぽだけしか残っていなかった。当のサバケーヴィチはえらく神妙に、まるで自分でないような顔をして、一つだけすこしはなれた小さな皿のまえに行って、なにやら小さな干し魚をフォークで突ついていた。蝶鮫をひとりで始末してしまうと、サバケーヴィチは安楽椅子にすわりこんで、もう食べも、飲みもしないで、目を細めたり、ぱちぱちさせたりしているばかりだった。
署長は酒をけちるのがきらいとみえて、つぎつぎと限りなく乾杯《かんぱい》の辞《じ》がつづいた。最初の乾杯は、おそらく読者自身も推察したとおり、新しいヘルソン県の地主の健康に捧げられ、つづいて彼の農奴たちのしあわせと、そのつつがなき移住が祝され、そのつぎに彼の未来の美しき妻の健康が唱えられたので、わが主人公の口もとには思わずこころよい微笑が浮かんだ。一同は彼をとりかこんで、せめて二週間でもこの市に滞在してくれるようにと、極力ひきとめにかかった。
「そりゃいかんよ、パーヴェル・イワーノヴィチ! いくらなんでも、入り口をのぞいただけで、こんちわさよならでは、そりゃあんまりつれないですよ! だめだめ、わたしたちとしばらくつき合いなさい! ひとつみんなであなたの花嫁をせわしましょう、ねえ、イワン・グリゴーリエヴィチ、ひとつこの人の花嫁をせわしようじゃありませんか?」
「それがいい、ぜひ見つけてあげよう!」と裁判所長が受けた。「もういくらじたばたしてもだめですよ、ぜがひでも花嫁を押しつけますからね! いやいや、だめですよ、もうこうなったら、観念なさい。わたしたちはじょうだんを好きませんでな」
「おやおや? じたばたなんかしませんよ」と、チチコフは苦笑して言った。「結婚はなにもその、むきになって逃げまわるようなものじゃありませんよ、適当な相手さえあればね」
「ありますとも、ないわけがない、ちゃんとお望みどおりの相手が見つかりますよ!……」
「では、そういうことでしたら……」
「ブラヴォ、滞在決定!」と一同が叫んだ。「万歳、ウラー、パーヴェル・イワーノヴィチ! ウラー!」そして一同は手に手に杯を持って彼のまえに歩みよった。
チチコフは一同と杯を合わせた。「だめ、だめ、もう一度だ!」と、のぼせやすい連中は口々に言って、またあらためて杯を合わせた。つづいて三度めが来ると、三度めも杯を合わせた。またたくまに一同は底ぬけに陽気な気分になった。酔うとすっかり気がやさしくなる裁判所長は、何度かチチコフを抱きしめて、感にたえたように、「わたしの恋人! わたしのおかあさん!」などと言っていたが、そのうちに、パチッと指を鳴らすと、『ほんとにおまえはよか男、カマリンスキーの百姓さん!』という有名な歌を口ずさみながら、彼のまわりを踊りはじめた。シャンパンのあとにハンガリーのぶどう酒がぬかれたが、これがいっそう元気をあおりたてて、たいへんな騒ぎになった。一同はホイストのことなどきれいに忘れてしまって、政治のことや、戦争のことまで、あらゆる問題をとりあげて、議論をし、叫びたて、余のときならそんなことを口にしようものならこどもたちを叱りつけるはずの、自由主義的な思想をまで開陳した。そしてきわめてむずかしいたくさんの問題が即座に解決された。
チチコフはこんな楽しい気分になったことはこれまでになかった。そしてもうほんとにヘルソン県の地主になったような気になって、三年輪作の耕法だの、幸福な夫婦生活だの、いろいろと改良することや未来の生活設計などを語り、あげくはサバケーヴィチに向かって、ウェルテルがシャルロッテに送った手紙〔ゲーテの『若きウェルテルの悩み』の一節〕を詩のように朗読しはじめた。ところがそちらは、安楽椅子にでれっとすわったまま、目をぱちくりさせているばかりだった。蝶鮫を一匹平らげたので、大いに目の皮のたるみを感じていたせいである。
チチコフは自分でも、すこし調子にのりすぎたと感じたので、馬車を頼んで、検事の馬車で送ってもらうことになった。検事の馭者は走りだしてからわかったのだが、ひどく達者な男で、片手で手綱をあやつりながら、もういっぽうの手をうしろへのばして、落ちないようにだんなをおさえるという芸当をやってのけた。こうして、彼は検事の馬車でやっと旅館にたどりついたが、その後もなお長いこと、さくら色の顔をして、右のほおにえくぼのある、金髪の花嫁がどうの、ヘルソン県の村がどうの、資本がどうのと、らちもないことをくどくどとしゃべっていた。
セリファンにはなにやら経営上の指示らしいものまであたえて、ひとりひとり点呼をとるから、新しく移住した百姓を全員集合させろなどとどなった。セリファンはかなり長いことむすっとして聞いていたが、やがて「だんなの服をぬがせてやれや」とペトルーシカに言いすてて、ぷいと部屋を出ていった。ペトルーシカはだんなの長靴をぬがせにかかって、あぶなく靴もろともだんなまで床にひきずり落としそうになった。しかし、とうとり長靴がぬがされ、彼はどうにか服をぬいで、しばらく寝床の上でごろごろして、寝台を無慈悲にきしませていたが、やがてすっかりヘルソン県の地主になりきって眠りにおちた。
いっぽうペトルーシカは斑点模様のあるこけもも色のフロックとズボンを廊下へ持ち出し、木のハンガーにかけてぶざまにひろげると、鞭でたたき、ブラシでこすって、廊下じゅうにほこりをまきちらしはじめた。彼はもうそれをハンガーからはずしかけて、ふと下を見ると、セリファンが厩《うまや》からもどってくるところだった。ふたりは目が会うと|かん《ヽヽ》で互いに相手の気持ちがわかった。だんなが寝込んだから、ちょっとその辺をのぞいてみようじゃないか、というわけである。すぐにフロックとズボンを部屋へもどすと、ペトルーシカは下ヘおりた。そしてふたりは肩を並べて歩きだしたが、互いに遠征の目的については一口もしゃべらず、みちみちまるで関係のないよそごとばかりぺらぺらしゃべっていた。
ふたりはあまり遠くまで足をのばさなかった。ただ、表の通りを向こう側へ渡っただけで、旅館の真向かいにある一軒の家の、まっ黒くすすけた低いガラス扉を押した。そこはほとんど地下室のようなところで、もうどの木のテーブルにもたくさんの人々がすわっていた。あごひげをそったのやそらないのや、毛皮のシューバをひつかけたのや、シャツだけになってるのや、中には小役人らしくけばだった粗羅紗の外套などもまじっていた。そこでペトルーシカとセリファンがなにをしたか、それは神のみぞ知るだが、一時間もするとふたりは腕を組み合って、完全に無言のまま、互いに足もとをかばい合い、角々に気をつけながら、そこを出てきた。
彼らは手をにぎりあって、はなれないようにしながら、階段をのぼるのにまるまる十五分ももたもたして、やっとのことではい上がった。ペトルーシカは一分ほど自分の寝台のまえにつっ立って、どんなふうに寝ようかと思案していたが、けっきょく寝台に直角にごろりとあお向けになったので、両足で床をつっぱる格好になった。セリファンもその同じ寝台にどたりとのめりこんで、ペトルーシカの腹に頭をのせて横になったが、ここが彼の寝場所ではなく、厩の馬のそばでなければ、おそらく下男部屋あたりに寝なければならないのだが、そんなことはすっかり忘れていた。ふたりはすぐに寝こんで、うわばみが二匹いるようなものすごいいびきをかきだしたが、それに呼応して隣の部屋からだんなの細い口笛のような寝息が聞こえていた。
彼らがもどるとまもなくあたりはひっそりとしずかになって、旅館ぜんたいが深い眠りにつつまれた。ただひとつ、リャザンから来たという中尉の部屋の小さな窓にだけ、まだ明りが見えていた。この男はよほどの長靴気ちがいと見えて、もう四足もこしらえたくせに、五足めを注文して、のべつ足に合わせてみていた。彼はそれをぬいで、横になろうと思って、何度か寝台のそばまで行ってみたが、どうしてもそれができなかった。長靴は、たしかに、すばらしいできばえで、彼はそれからも長いこと片足を持ち上げては、粋《いき》でみごとに仕上げられたかかとをしげしげと見まもっていた。
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第八章
チチコフが農奴を買い入れたことが話題になった。市じゅうにさまざまなうわさや、意見や、移住させるために農奴を買うことが有利かどうかの議論がひろがった。議論を聞くと、多くの人々がこの問題に精通しているように思われた。「むろん」とある人々は言った。「そりゃそうだよ、論ずるまでもないさ。南のほうの土地は、たしかに、豊かだし、地味《ちみ》もよくこえている。しかしチチコフ氏の百姓たちは水がなくてどうするだろう? 川がぜんぜんありませんからな」――「そんなのはまだいいよ、水がないくらい、どうってことはないさ、ステパン・ドミートリエヴィチ、でも移住ってやつはあてになりませんからなあ。なにしろ、相手が百姓ですよ、新しい土地に来たわ、さあ耕作にかからにゃならん、ところが住む家もなけりゃ、庭もない、なにもないとなりゃあ、――そりゃ逃げるのは、目に見えてますよ。あっという間《ま》に逃亡して、影も形もなくなってしまうのがおちでしょうな」――「いや、アレクセイ・イワーノヴィチ、まあお待ちなさい、わたしは賛成できませんな、チチコフ氏の百姓どもが逃亡するというあなたの話には。ロシア人というものはなにごとにも順応できるし、どんな気候にも慣れるものですよ。たといカムチャツカへやってもですよ、防寒手袋だけ渡せば、どれってわけで、斧を持って、新しい小屋を建てる木を伐《き》りに行く連中ですからねえ」――「でも、イワン・グリゴーリエヴィチ、あんたはだいじなことをひとつ見落としてますよ、チチコフ氏の百姓がどんなやつらか、あんたはまだ聞いていないじゃありませんか。いい百姓なら、地主が売るわけがないってことを、あんたは忘れてますよ。わたしは首を賭《か》けてもいいが、チチコフ氏の百姓はぬすっとで、手に負えない飲んだくれで、なまけもので、あばれんぼうにきまってますよ」――「そりゃ、そうですな、それには賛成しますよ、そのとおり、だれもいい百姓を手ばなすばかはいませんからな、そりゃチチコフ氏の百姓どもは飲んだくれでしょう。しかしですよ、考えなきゃならんのは、そこにも道徳というものがあるということですよ、やつらにだって道徳心があるということですよ、いまは役だたずだが、新しい土地に移ったら、急に優秀な百姓に変わるかもしれない。こうした例はかなりありますからな、いまの世間にも、それから歴史にも」――「いやいや。ぜったいに」と、官営工場の監督が言った。「ぜったいにそういうことはあり得ませんな。というのは、チチコフ氏の百姓たちには、これから二つの強敵があらわれるでしょうからな。第一の敵は、ご存じのように酒類の自由販売がおこなわれている小ロシアの諸県に近いということですよ。わたしは断言しますが、まあ二週間もしないうちに酒びたりで、ふにゃふにゃになってしまいますよ。第二の敵は、移動の途中でかならずやつらの身につく流浪《るろう》生活の癖というやつですよ。まず、やつらをいつもチチコフ氏の目のつくところにおいて、やかましく監督し、どんなちっぽけなことでも容赦せずにびしびししめ上げることですな。それも他人《ひと》にまかせたりしないで、自分で直接に、必要な場合には、げんこつで前歯をたたき折ったり、首筋をぶんなぐったりしなきゃだめですよ」――「どうしてチチコフ氏が自分で監視したり、ぶんなくったりしなきゃいかんのかね? 管理人くらい見つかるでしょう」――「まあ、見つけてごらんなさい、どいつもこいつも悪党ばかりだから!」――「悪党になるのは、主人がしごとを見ないからですよ」――「そのとおりだ」と多くの人々が異口同音に言った。「主人がすこしでも経営のことがわかって、しかも人を見る目があったら――きっと管理人はよくなるものですよ」ところが監督は、五千ルーブリ以下ではいい管理人は雇えないと言った。すると裁判所長が、三千ルーブリでもけっこう見つけられるという意見を出した。すると監督が、「あんたはどこでそれを見つけるつもりです? まさか鼻の先じゃないでしような?」と言った。すると裁判所長は、「いや、鼻の先じゃないよ、だがこの郡内ですよ、ほかでもないピョートル・ペトローヴィチ・サモイロフですよ。ああいう男が、チチコフ氏の百姓たちに必要な管理人というのですよ!」多くの者が親身になってチチコフの立場を考えた。そしてあれほど多勢の百姓たちを移動させることの困難を思うと、ぞっとしてしまって、チチコフの百姓たちのような、あんな荒っぽい連中のことだから暴動でもおこさねばよいが、とひどく危ぶみはじめた。すると警察署長が、暴動などすこしも心配することはない、そういうことを防止するために郡警察署長というものがおいてあるので、郡警察署長が自分で乗り出さんでも、身代わりに自分の制帽だけでもそこへ送ってやれば、その帽子が百姓どもを新しい居住地まで追いやってくれるはずだと言明した。多くの者が、チチコフの百姓たちをたけりたたせた不穏《ふおん》な空気を根絶する方法について、それぞれの意見をのべた。意見はさまざまで、なにもそこまではと思われるほどの、軍隊式の厳格と残酷さをにおわせたものもあったし、また温情《おんじょう》主義の精神が息づいているものもあった。郵便局長は、チチコフの前途には、彼の表現によれば、百姓たちの一種の慈父のような存在となり、有益な啓蒙を実施するという、神聖な義務があるのだと言って、啓蒙の方法についてはランカスター〔イギリスの教育学者〕式の相互教育法を大いに激賞した。
このように市じゅうでは大いに論議が交わされ、つい熱心なあまり、多くの者が、直接チチコフにまで面と向かってそうした忠告のいくつかを伝えたし、百姓たちを新しい居住地まで無事に送るために警備兵を雇うことさえすすめる者も出てきた。それらの忠告にチチコフは礼をのべて、必要な場合にはかならずご忠告にしたがいますからと言ったが、警備兵をつけることはきっぱりと拒絶して、彼が買い入れた百姓たちは性質がきわめて温順《おんじゅん》で、自分たちも移住したいという積極的な気持ちを持っており、暴動などぜったいにあり得ないから、そのようなものはまったく不必要だと断言した。
こうしたすべてのうわさや議論は、しかし、チチコフが予期しえたかぎりの、もっとも都合のよい結果をもたらした。ほかでもない、彼はまさしく百万長者にちがいない、といううわさが流れたのである。市の住人たちはそうでなくても、われわれがすでに第一章に見たように、心からチチコフを愛したのだから、こういううわさが流れてからというものは、ますます夢中になってしまった。もっとも、実を言うと、彼らはみんな善良な人々で、互いに仲よく暮らし、完全な友だちづき合いで、その会話にも一種特別の素朴さと親しさの調子があった。たとえば、「やあ、イリヤ・イリッチ」とか、「おい、きみ、アンチパトル・ザハーリエヴィチ!」とか、「かつぎなすったね、え、え、イワン・グリゴーリエヴィチ」といったような調子である。郵便局長はイワン・アンドレーイチという名まえだが、かならず「シュプレッヘン・ズィ・ドイッチェ〔ドイツ語の「ドイツ語をお話しになりますか?」という文句。口癖を名まえの上にくっつけた〕のイワン・アンドレーイチ」と枕詞がつけくわえられた。
要するに、みんながひじょうに家族的であった。また多くの者がかなりの教養を身につけていた。裁判所長は、当時はまだ冷《さ》めきっていない新味とされていたジュコフスキーのバラード『リュドミーラ』〔ロシアのロマン派詩人〕を暗誦していて、その多くの部分をじつにみごとに朗唱した。特に『林が寝入りて、谷は眠りに閉ざされぬ』というところに来ると、ほんとに谷が眠っているのが見えるように、「シーッ」ということばをそえ、なお実感を出すために彼はそのとき目をつぶってみせたものだ。郵便局長はむしろ哲学にこっていて、じつに熱心に、ほとんど毎晩といっていいほど、ヤングの『夜』〔イギリスの詩人。『夜』はロシアでも多くの人に愛読された〕とエッカルハウゼン〔ドイツの神秘主義者〕の『自然の神秘への鍵』を読んでいて、それらからかなり長い抜き書きをつくっていたが、それがどんなものかは、だれも知らなかった。とはいえ、彼は機知に富み、ことばがきざで、自分でも言ってるが、話を飾りたてるのが好きだった。彼はじつにさまざまな小詞をはさんで話を飾った。たとえば、『ねえきみ』『つまり、なんといいますか』『でしょう』『わかりますね』『考えてもごらんよ』『比較的』『言ってみれば』『ある意味では』といったたぐいで、彼はそれをやたらとまきちらした。彼はまた片目をつぶったり、細めたりによってもかなり効果的に話を飾り、それが彼の皮肉な暗示の多くにじつにぴりっときいた味を添えたものだ。その他の連中もそれぞれに多少の教養があって、ある者はカラムジン〔ロシアの作家、歴史家〕を読んでいたし、またある者は『モスクワ報知』をとっていたし、また中にはいっこうになにも読まない者もあった。また、いわゆる『ぐず』、つまりなにかをやらせるには足で蹴《け》とばさなければうごかないような人間もいたし、まるきりのなまけもので年がら年じゅうごろごろねそべってばかりいて、蹴とばしても足を痛めるだけ損というもので、なにがどうなろうとぜったいに起きない者もいた。
風采《ふうさい》にかけては、すでにご存じのように、みな堂々とした連中ばかりで、肺病やみなどひとりもいなかった。いずれも、妻君とふたりっきりであまいむつ言を交わすときなど、妻君からふとっちょさんとか、おでぶちゃんとか、ほていさんとか、黒ちゃんとか、おばけちゃんとか、おいたちゃんなどと呼ばれているような連中であった。だが、総じて彼らはみな善良な人々で、底ぬけに客好きで、いっしょに食事をするとか、一晩ホイストをかこんだりすると、それですっかりうちとけてしまうのだから、ましてチチコフのように人がらも応待もじつに魅力があり、実際に人に好かれる秘訣という武器を身につけていれば、それは推《お》して知るべしである。一同にすっかりほれこまれてしまって、彼はどうしてこの中を逃げ出したものやら、とんと口実が見つからず、聞かされることはといえば、「まあ、もう一週間、あと一週間だけわたしたちといっしょに暮らしなさいよ、ハーヴェル・イワーノヴィチ!」というようなことばかりで、――一口に言えば、いわばだっこされた赤ちゃんみたいにあまやかされてしまったのである。だがそれよりもはるかにめざましかったのは、チチコフが婦人たちにあたえた感銘であった(これにはただただ驚くほかはない!)。それをいくらかでも説明するためには、婦人たちそのものについて、さらに彼女たちの社交界についていろいろと語らなければならないし、また、いわば生きた色彩をもって彼女たちの精神的特質というものを描き出さなければならないのだが、作者にはそれがはなはだ苦手なのである、いっぽうからは、高官連の夫人たちに対する限りない尊敬の念が作者の筆をしぶらせるし、他方……他方からは――要するに苦手なのである。N市の婦人たちは……いや、どうしてもだめだ。どうもおじけがきてしまうのだ。N市の婦人たちになによりもめだつのは……いや、不思議なほどだ、まるで鉛でもつまってるみたいに、ぜんぜんペンが上がらないのだ。まあしかたがない、彼女たちの気性については、わたしよりももっと色彩が生きていて、パレットにもっとたくさんの絵の具をそなえている他の作家に語ってもらうことにして、ここでは上っ面だけを、それもごくさらっと、二言三言語るほかはあるまい。
N市の婦人たちは、いわゆる押し出しがりっぱというやつで、この点ではためらわずに他のすべての婦人たちの模範に推すことができるほどであった。作法を知り、品をたもち、エチケットをまもり、ごくデリケートなほんのちょっとした礼儀にも気を配り、特に最新の流行はどんなさ細なところも見のがさない、というようなことにかけては、彼女たちはペテルブルブやモスクワの婦人たちをさえ陵駕《りょうが》していた。ひどく凝《こ》った服装をして、市内を軽馬車を乗りまわしていたが、最新流行の命令にしたがって、うしろには金モールの制服を着た従者がちゃんとつっ立って、ゆられていた。
訪問客の名刺は、たといそれがクラブの二か、ダイヤのエースの札に書かれたようなものでも、ひじょうに神聖なものとされていた。そのことから、たいへんな仲よしで、しかもしんせき同志だったふたりの婦人が、ひどいけんかをしたことがあったが、それというのも、どちらかの婦人がうっかりして返礼の訪問を忘れたというだけなのである。その後双方の夫たちやしんせきたちがふたりを和解させようとしてさんざんほねをおったが、もはやどうにもならなかった。この世の中にどんなこともできないものはないが、ただ一つ、返礼の訪問を忘れたことからけんかしたふたりの婦人を和解させることだけは、ぜったいにできないと思い知らされたのであった、こうしてふたりの婦人は、市の社交界の表現をかりれば、犬猿のあいだがらになってしまった。
第一位の争いについても、たびたび、じつに強烈な場面が演じられて、男たちはその盾《たて》となることについての完全に騎士的な、度量の広い観念を示唆《しさ》されたものである。みんな文官ばかりであったから、決闘は、もちろん、おこなわれなかったが、その代わり折りさえあれば、互いにどろのなすり合いをして、ときには決闘以上の苦しみを味わわされたことは言うまでもない。
N市の婦人たちの気質は、ひどく厳格で、あらゆる悪徳や誘惑に対する高潔な憤怒《ふんぬ》の情につらぬかれ、いっさいの弱味をようしゃなく罰した。かりに彼女たちのあいだに|よろめき《ヽヽヽヽ》というようなことがあったにしても、そこはごく内密におこなわれたから、ぜったいにそんなけはいも外へもれるようなことはなく、品位はりっぱにたもたれていたし、それに夫のほうもよく仕込まれていて、よしんば妻君の|よろめき《ヽヽヽヽ》を見たり、あるいは聞かされたりしても、『教母が教父といっしょにいたからって、なにも気にすることはないさ!』とことわざを引用してりこうにあっさりと受け流してしまうのである。
もうひとつ言っておかなければならないのは、N市の婦人たちは、ペテルブルグの多くの婦人たちと同じように、ことばづかいには異常なまでに気を使って、礼を失することのないように苦心していたということである。彼女たちは、『鼻をかんだ、汗をかいた、つばをはいた』などとはぜったいに言わないで、『鼻を軽くしました、ハンカチをつかいました』というふうに表現した。『このコップ、もしくは皿はくさい』などとはまちがっても、言ってはならなかった。また、それを暗示させるようなことすら、言うことはいけないとされて、その代わりに、『このコップはお行儀がよくありません』とか、なにかこれに類した表現が用いられた。さらにもっとロシア語の品をよくするために、ことばの半分ほどは会話から完全にしめ出されて、そのためになにかといえばフランス語に走らなければならなかったが、さてそのフランス語となると、まるで話は別で、上にあげたようなものよりもはるかに荒っぽいことばが、平気で許されていた。さて、これが、上っ面だけをごくさらっと、N市の婦人たちについて言いうることである。
だが、もしもちょっと深くのぞけば、もちろん、もっと別な面がたくさん発見されるだろうが、女の心をもちょっと深くのぞくことはじつに危険である。そこで、上っ面だけに限定しながら、話を進めることにしよう。これまではすべての婦人たちがその応待の気持ちのいいことはじゅうぶん認めていたが、どういうものかチチコフのことをあまり話題にしなかった。ところが、彼が百万長者であるといううわさが流れてからというものは、事情がすこし変わってきた。しかし、婦人たちが利己主義だというのでは決してない。すべての罪は『百万長者』ということばにあるのである、――百万長者その人ではなく、じつにこの一言がわるいのである。このことばのひびきそのものに、どんな金嚢《かねぶくろ》にもまして、根性のきたない連中にも、どっちつかずの連中にも、心の善良な人々にも、――つまり、すべての人々に作用するなにかが秘められているからである。百万長者には、卑屈《ひくつ》さというもの、いかなる打算にも基づかない、無欲な純粋な卑屈さというものを、見ることができるという利点がある。多くの人々が、彼からなにももらうはずがないし、もらう権利もないことをよく承知していながら、それでもかならずそのまえへちょこちょこ走り出たり、追従《ついしょう》笑いをしたり、帽子をとったり、百万長者が食事に招かれたと聞くと、その食事の席へむりやり押しかけていったりする。このいじらしい卑屈な気分が婦人たちに感づかれたかどうかは、なんとも言えないが、しかしあちらこちらの客間で、むろんチチコフは無類の好男子とは言えないが、男としては申しぶんないし、もうすこしふとっているか、まるかったりしたら、あまり見ばえはよくないけど、まああのくらいなら、などということが語られはじめた。そのついでにやせた男についていささか屈辱的な話まででた。つまりやせた男などは、まあせいぜいつまようじみたいなもので、人間のうちにはいらないというのである。婦人たちの服装にはいろんな飾りがごてごてとくっつけられるようになった。アーケードの商店街ではほとんど押し合わないばかりのにぎわいになり、馬車がわんさと押しかけて、そぞろ歩きの人々があふれた。商人たちは、定期市《いち》で仕入れてきたが、値段が高いのでかかえこみになっていた幾点かの生地が、急に足がついて、飛ぶように売れだしたのを見て、びっくりした。朝のミサのときに、ひとりの婦人がほとんど教会の半分も占領しそうな張りスカートを衣装の下につけているのを見て、その場にい合わせた区警察署長が、この貴婦人の衣装を踏んづけたりしてはたいへんだとばかりに、会衆をすこし遠くへ、つまり入り口近くのほうへさがらせた。
チチコフは自分でもある程度はこの異常な関心に気づかないわけにはいかなかった。ある日、宿へもどると、彼はテーブルの上に一通の手紙を見出した。どこのだれから来たものか皆目《かいもく》見当がつかなかった。渡すように言われたが、だれからと言えとは言われなかったと、給仕はぼかした。手紙はひどく思いきった、つぎのようなことばではじまっていた。『いいえ、わたしはあなたにお手紙をさしあげずにはおられません!』つづいて魂と塊のあいだにはひそかに共鳴し合うものがあるということが語られ、この真理は行のほとんど半分を占めるほどのたくさんの点々によって強調されていた。それからいくつかの考えが述べられていたが、それがじつに言いえて妙なので、ここに書きうつしておく必要があろうと思う。『わたしたちの人生とは何でしょう?――悲しみの住む谷間てす。社交界とは何でしょう?――感情のない人々の集まりです』ついで彼女は、この世を去ってもう二十五年になるやさしい母の書きのこした手紙を読むと涙が流れます、と訴え、こんな息苦しい囲いの中で自由に空気も吸えないような町を永久にすてて、荒野へ行きましょうとチチコフを誘い、そして最後はすっかり絶望的な調子になって、つぎのような詩で結ばれていた。
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二羽の小鳩がそなたに示さん
わが冷たき遺骸《むくろ》を、
悲しげに鳴きつつ、そなたに告げん、
彼女は涙のうちに死せりと。
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最後の行は韻《いん》をふんでなかったが、それは、しかし、どうでもよい。こんなふうに書くのが当時の傾向であった。署名らしいものもなかったし、名も、姓も、日づけさえも書いてなかった。Post-scriptum〔追記〕として、彼自身の心がこの手紙の主をさぐりあてるはずだし、なお明日の県知事邸の舞踏会に、その本人も出席するでしょう、とだけ書きそえてあった。
これはひどく彼の興味をひいた。この匿名《とくめい》の手紙にはひどく心をひき、好奇心をかきたてるところが多かったので、彼はそれを二度、三度と読み返して、最後にこんなことをつぶやいた、「しかし、どんな女が書いたのか、さぐりあてるのも、おもしろいぞ!」要するに、問題は、明らかに、しんけんみをおびてきたわけで、彼は一時間以上もそればかり考えていたが、けっきょく、両手をひろげて、首をすくめながら、「それにしてもこの手紙は、ずいぶんひねって書いてあるわい!」とつぶやいた。それから、言うまでもないが、手紙はくるくると巻かれて、例の手箱の中に、なにかのポスターと、もう七年も同じ状態で同じ場所におかれている結婚式の招待状のあいだに納められた。
しばらくすると、はたして、県知事邸の舞踏会の招待状が彼のところへとどけられた――これは県庁の所在する都市ではごくあたりまえのことで、県知事のいるところ、舞踏会ありは鉄則であって、さもなければ貴族階級からの当然の愛と尊敬はかちえられないのである。
チチコフは直ちにいっさいの余分なしごとをうっちゃらかしにして、舞踏会へ出かける準備に没頭した。というのは、たしかに、心をそそり、胸をはずませるような理由がたくさんあったからである。だからこそ、おそらく、天地創造以来けしょうにこれほどの時間がかけられたことはなかろうと思われるほどの念の入れ方であった。まず最初の一時間というものは鏡に映る自分の顔のたんねんな観察にのみついやされた。彼は顔にさまざまな表情をつけてみた。もったいぶったきまじめな顔をつくってみたり、いんぎんな顔をつくって、ただしちょっと微笑をそえてみたり、そのつぎは微笑をとったただのいんぎんな顔にしてみたり、かと思えば鏡に向かって三、四度おじぎをして、フランス語などぜんぜん知りもしないのに、ちょっとフランス語に似たなにやらあいまいなことばらしきものをそえてみたりした。彼はさらに鏡の中の自分に向かっていろいろと自分でも思いがけぬようなこっけいな身ぶりをして、まゆやくちびるでウインクしたり、舌《した》までつかってなにやら合い図をした。
要するに人間は、ひとりきりで、しかも気分はよく、おまけにだれにものぞかれる心配がないとなると、ずいぶんいろんなことをやるものである。ようやく彼は指先で軽くポンとあごをたたくと、「へえ、こいつ、ちょっとした色男だせ――」と言って、――いよいよ着替えにかかった。衣装をつけるあいだじゅう彼はこのうえない上きげんで、ズボンつりをかけたり、ネクタイを結んだりしながら、足をすり合わせて、とびきり上等のおじぎをしてみたり、一度も舞踊などやったことがないくせに、アントルシャ〔バレエ用語で、とび上がって、空中でかかとを幾度も打ち合わせる動作〕をやってみたりした。このアントルシャがちょっとした罪のない結果を招いた。たんすがゆれて、テーブルの上からブラシがころがり落ちたのである。
彼が舞踏会に姿をあらわすと、会場に異常な興奮をまきおこした。その場にい合わせた者はひとりのこらず、彼を迎えに走りよった。ある者はカルタを手に持ったままとんできたし、またある者は話がもっとも佳境にはいって、「ところが区裁判所のそれに対する答弁が……」と言いかけたところで、区裁判所がどういう答弁をしたのか、そんなことはもうほったらかして、わが主人公のところへあいさつにかけよった。
「パーヴェル・イワーノヴィチ! やあ、これはこれは、パーヴェル・イワーノヴィチ! ようこそ、パーヴェル・イワーノヴィチ! よく来てくれましたな、パーヴェル・イワーノヴィチ! いやあ、うれしいよ、パーヴェル・イワーノヴィチ! やっと顔を見せてくれましたな、パーヴェル・イワーノヴィチ! やあ、いらっしゃい、われらのバーヴェル・イワーノヴィチ! さあ、手をにぎらせてくださいな、パーヴェル・イワーノヴィチ! こっちへよこしてください、わが最愛のパーヴェル・ペトローヴィチに、思いきり接吻するのですから!」
チチコフはあっというまに数人に抱擁《ほうよう》された。裁判所長の抱擁からまだぬけきらないうちに、もう郵便局長に抱きしめられ、郵便局長は彼を医務局の監督に渡した。医務局の監督は――専売人に、専売人は――建築技師に……県知事はそのとき婦人連にかこまれて、片手にボンボンの引換券を持ち、もういっぽうの手に狆《ちん》を抱いていたが、彼の姿を見ると、引換券も狆も床へ投げ出してしまい――狆がキャンキャンと鳴きだした。要するに、チチコフは異常な喜びと楽しさを広くまきちらしたのである。
満足か、あるいはすくなくとも会場ぜんたいの満足な気分の反映が、あらわれない顔はひとつもなかった。長官が役所に査察にやってきたときに、役人たちの顔にこんな表情が見られるもので、すでに最初の恐怖がすぎて、長官がおおむね満足し、やがてじょうだんを言いだしたり、ということはつまりこころよさそうな笑いを浮かべてなにごとか三言四言ことばをかけたりしたのを見ると、彼を取り巻いた側近の役人たちがそれに応えてその二倍もの笑いを返す。長官のことばがよく聞きとれなかった連中も、心底からうれしそうに笑うし、しまいにはずっとはなれて出口のドアのまえに立っていた、生まれてからまだ笑ったことがなく、人々の鼻の先にげんこつを突き出すことしか知らない警官まで、反射の不変の法則にしたがってその顔になにやら笑いらしきものをあらわしたが、それは笑いというよりは、むしろ強烈なかぎ煙草をかいでいまにもくしゃみをしようとする寸前の人の顔に似ていた。
わが主人公は一同にひとりひとりこたえて、どことなくいつにない身ごなしの軽妙さを感じていた。彼はいつもの癖でわずかに首をかしげて、右に左に会釈《えしゃく》をしたが、その動作がいかにもしぜんで、一同をうっとりさせた。婦人たちはたちまちきらびやかな花綵《かさい》のように彼をとりかこんで、あらゆる種類の芳香の雲をあたりに漂わせた。ある婦人がバラのにおいを放散すれば、そのつぎの婦人からは春とすみれのにおいが漂い、そのつぎの婦人は全身が木犀《もくせい》のにおいにつつまれていた。チチコフは鼻を上に向けて、ただうっとりとそれらの芳醇《ほうじゅん》なかおりをかぎまわした。
服装の凝り方もたいへんなもので、モスリンや、繻子《しゅす》や、紗《しゃ》などの色合いは、何色と色名を選ぶのさえむずかしいほどのうすい流行色であった(好みがそれほどまでに洗練されていたのである)。リボンや花束などが衣装のそちこちにじつに生き生きと無造作《むぞうさ》につけられているが、このいかにも無造作らしく見せかけるために、すこしも雑でない頭がさんざんにしぼりぬかれたのである。軽やかな頭飾りが、まるで耳にだけ支えられているようにふんわりとのって、さながら、『えい、どっかへ飛んでいってしまうぞ、でもこの麗人《れいじん》を持ち上げて、いっしょに連れていけないのが残念だ!』とでも言っているかのようであった。胴はぴっちりとしめ上げられて、いかにも張りのある、目にこころよい形をつくっていた(ここでことわっておかなければならないが、N市の婦人たちは総体的にすこしふとりぎみであったが、じつに巧みにコルセットでしめていたし、それに、身のこなしがいかにも優美だったので、ふとっていることなどすこしもめだたなかった)。頭から足の先まですっかり工夫され、異常なまでの熱心さで点検されていた。えりや肩はまさに必要なだけ露出されて、ぜったいにその限度をこすようなことはなかった。
それぞれ自分の信念に基づいて、これならば殿方の心をとろかすことができると感じた限界まで、その肉体をあらわにして、そのほかの部分はすべてじつに凝った好みでかくされていた。あるいはふんわりしたリボンのえり飾りとか、『接吻』という名で知られた、生ケーキよりも軽いショールが、エーテルのようにふわっと首にまといつくか、あるいは肩のうしろで、衣装の下から『謙遜』という名で知られた薄い麻布《バチスト》をぎざぎざに裁った小さな縁飾りをのぞかせているというふうな趣向であった。この『謙遜』は胸もとや背のもはや男性をまよわせることのできなくなったものをかくしながら、そのくせそこにあたかも破滅の因がかくされているかに、男性に気をもたせる役をはたしていた。長い手袋がそでまでぴったりとかくすようなことはしないで、ひじのすこし上の男心をもっともそそる部分はちゃんとあらわにのこされていて、多くの婦人たちのそのあらわな腕がうらやましいような豊かさを息づいていた。
ある婦人などはもっと深くひっぱり上げようとして、キッドの手袋を破ってしまったほどである――要するになにを見ても、『いいえ、ここは田舎じゃありませんわよ、首都ですよ、花のパリですのよ!』と書いてあるかに思われた。ただところどころに、不意に、この世にこんなものがあったのかと驚くような妙ちきりんな頭蓋帽だの、もうすっかり流行おくれの、ただ自分だけの好みらしい、なにやらくじゃくの羽らしいものが、チラと見えたりした。しかしそれまでなくするわけにはいかない。どこかにかならずボロが出るのが、地方都市の特徴なのである。
チチコフは彼女たちのまえにたたずみながら、『しかし、手紙の主はどの女だろうな?』と思って、鼻をまえに突き出したが、その鼻の先をかすめるようにしてひじだの、そで飾りだの、そでだの、リボンの先端だの、いいにおいの胸飾りだの、衣装だのの列が流れるばかりであった。急調子のガロバート〔男女の組が鎖のようにつらなって急調子なステップで踊る舞踏〕がいまやたけなわであった。郵便局長夫人、郡警察署長、青い羽根をつけた婦人、白い羽根をつけた婦人、グルジアの公爵チプハイヒリーゼ、ぺテルブルグから来た役人、モスクワから来た役人、フランス人ククー、ペルフノスキー、ヘレペントフスキー――みんなが立ち上がって、踊りだした……
「いや! こりゃたいへんなことになったわい!」とチチコフはあとずさって、つぶやいた、そして、婦人たちが、それぞれの位置に散るのを待って、顔や目の表情で手紙の主を見分けることができはしないかと、目を光らせはじめたが、顔の表情でも、目の色でも、どれが手紙の主かどうしても見分けることができなかった。どこを見てもそれかあらぬほどの、とらええぬほどの微妙なかげりが、ほのかにうつろうばかりだ、うっ! なんという微妙な!……『だめだ』とチチコフは自分で自分に言いきかせた。『女ってのは、こういうものなのだ……』ここで彼はあきらめたように片手を振った。『まったく話にならん! まあためしに、彼女らの顔をちらちらかすめ、かすかなかげりや、ほのめかしをすっかり語るか、あるいはつたえるか、こころみてみるがいい、――けっきょくは、なにひとつつたえられはしないさ。目ひとつにしてからが、無限に広い国みたいなもので、そこへ人間がまよいこんだら、もうおしまいさ、どこへ消えたものやら皆目わからなくなってしまう! かぎでさぐろうが、なにでどうしようが、もう引き上げられやしない。まあ、ためしに、では、その目の輝きひとつをとりあげてみるがいい、ぬれた目、ビロードのような目、あまいとろけるような目、どんな目がないかなんて、神さまでなきゃご存じない! けんのある目、やわらかい目、いかにも悩ましげな目、あるいはだれかが言ったように、あまい疲れを宿した目、あるいはあまい疲れは宿さないが、それ以上にあだっぽいつやがあって――こんなのが人の心にからみついたら、それこそ弓となって心の琴線《きんせん》をかきたてるのだ。いや、ただただ言うべきことばを知らん、人類のみやびな半分とでも言うか、それ以外にはなんとも言えん!』
これは失礼! わが主人公の口からそこらの街頭で耳にするような俗っぽいことばがとび出したらしい! だが、どうしようがあろう? ロシアの作家の立場はこんなものなのだとはいえ、もし街頭の俗なことばが本の中へとびこんできたとすれば、それは作者の罪ではなく、読者、特に上流階級の読者の罪なのだ。彼らからは第一ちゃんとしたロシア語など一つも聞かれないが、フランス語や、ドイツ語や、英語なら、いやというほど知っていて、しかも発音の方法までいちいちごていねいに、心得ていて、フランス語は鼻にかかったしたたるいしゃべり方をするし、英語は鳥がさえずるみたいに発音して、顔まで鳥みたいにとがらせ、おまけに鳥みたいな顔をつくれない者をばかにしてせせら笑ったりさえするのだ。そのくせロシアにはさっぱりなにもわかちあたえないで、せいぜい愛国心を見せて別荘にロシアふうの小屋を建てるくらいのものだ。上流階級の読者、さらにそのしりにくっついて、上流階級にあやかろうとしている連中は、これが現状なのだ! そのくせ、なんと小うるさいことだ! ぜったいに、なにもかも厳選された、きれいな上品なことばで書かれなければ承知しないのだ。一口に言えば、ロシア語が理想的にみがき上げられて、ひとりでにいきなり雲から落ちてきて、まっすぐ彼らの舌《した》の上にのり、口を開いてそれをはき出しさえすればそれでいいというぐあいにしたいものだ、と虫のいいことを望んでいるのだ。人類の半分である女性たちが、りこうぶってあつかいにくいのは言うまでもないが、実を言うと、尊敬する読者諸君のほうが往々にしてもっとしまつがわるいのである。
さて、そのあいだもチチコフは、どの女性が手紙の主なのか、ぜんぜん見当がつかなかった。彼はもっと注意をこめて目を向けてみると、婦人たちのほうにも、希望とあまい悩みをないまぜにあわれな彼の心へ吹き送るような、なにかそこはかとないけはいがその表情にあらわれているのに気がついた。そしてとうとう彼はさじを投げた。『だめだ、どうしてもわかりゃしない!』とはいえ、それは彼の陽気な気分をすこしもそこねるものではなかった。彼はごくしぜんに、じょさいなく、幾人かの婦人たちとこころよいことばを交わしながら、婦人から婦人へと小刻みにせわしなく移っていった。これはいわゆるちょこちょこ歩きというやつで、色好みの年寄りと称される小づくりなしゃれ者の老人が、かかとの高いくつをはいて、こまめにせかせかと婦人たちのまわりをとんで歩くときの、あの歩き方であった。彼は右に左にかなり巧みに向きを変えて、短いしっぽか、あるいはコンマみたいな形にさっと片足をうしろへ引いて会釈をした。
婦人たちはもうすっかり満足しきって、彼の中に気持ちのいい点やあいきょうのあるところを山ほど見出したばかりでなく、彼の顔に威厳というか、周知のように全女性のあこがれであるあのマルスの神〔ローマ神話の軍神。美丈夫の典型とされる〕や軍人をさえ思わせるような、きりりとした表情をさえ認めはじめた。しかも彼のことで早くもちょっとしたいさかいが起こりはじめていた。彼がたいていドアのそばに立っているのに気がついて、数名の婦人たちがわれがちにドアのそばの椅子を占めようとして、ひとりが幸運にもすばやくその椅子に腰をおろしてしまうと、あぶなく不快きわまるスキャンダルが起きかけて、多くの婦人たちには、やはり自分も同じことをしようとしたくせに、このようなあつかましさがこのうえなく醜いものに思われたのだった。
チチコフは婦人たちとの会話にすっかり夢中になって、というよりは婦人たちがじつに凝ったデリケートな謎めいたことばをつぎつぎとまきちらして、彼をすっかりまごつかせてしまい、その裏の意味をさぐりあてるのに、額に汗がにじみ出るようなしまつだったので、彼は礼儀としてまず第一にこの家の主婦のところへあいさつに行かなければならぬことをうっかり忘れていた。彼がそれを思い出したのは、もう何分かまえから彼のまえに立っていた知事夫人から声をかけられたときだった。知事夫人はあでやかに首をかしげながら、やさしい、すこし皮肉な声で言った。
「あら、パーヴェル・イワーノヴィチ、ほんとにようこそいらしてくださいました!……」知事夫人のことばを正確にここにつたえることは、わたしにはできないが、とにかくひじょうにあいそうがよくて、社交界を描き、上流社会のことばづかいに通じていることをじまんにしているわが国の貴族作家たちの小説に出てくる、貴婦人と騎士のあいだに交わされるような、まあこういった調子であった。「あなたのお心はいまどなたかにすっかり占められていて、すげなくあなたに忘れられたかわいそうなわたしどもなどのはいる余地は、それこそほんの片隅にもございませんでしょうけど……」わが主人公はとっさに知事夫人のほうに向き直って、流行小説の中のズボンスキーとか、リンスキーとか、リーディンとか、グレミンとか、その他いかなる粋な軍人たちにも一歩もひけをとらないような、あざやかなことばを返そうと口を開きかけて、ふと目を上げると、不意に、まるで雷にでもうたれたようにはっと立ちすくんでしまった。
彼のまえに立っていたのは知事夫人だけではなかった。夫人に手をとられて、初々《ういうい》しい十六七の娘が楚々《そそ》とした風情で立っていたのである。みずみずしい金髪の娘で、優雅な端正な面だち、心もちとがったあご、魅惑的な卵形の顔の輪郭《りんかく》は、それこそ画家がマドンナのモデルにと懇望したいほどで、山であろうと、森であろうと、広野であろうと、顔であろうと、くちびるであろうと、あしであろうと、すべて広々と雄大になりたがるロシアでは、めったに見られない現象である。この娘こそ、彼がノズドリョーフの屋敷から逃げ出した途上で、馭者がうっかりしていたのか、馬がぼやぼやしていたのか、両方の馬車が妙なぐあいに衝突し、手綱がもつれてしまって、ミチャイおじとミニャイおじがやっきとなって解き放しにかかった、あのときに見かけた金髪の少女であった。チチコフはすっかりうろたえてしまって、はっきりしたことばは一言も発することができず、グレミンも、ズボンスキーも、リーディンもぜったいに言うはずがないような、なにやらわけのわからないことをしどろもどろにつぶやいた。
「うちの娘をまだご存じじゃございませんわね?」と知事夫人は言った。「このあいだ学校を卒業したばかりでございますのよ」
彼は、思いがけぬことで一度お目にかかっておりますと答えて、さらになにやら言いそえようとしたが、そのなにやらがぜんぜんことばにならなかった。知事夫人は、さらに二言三言いったが、しまいに娘をつれて広間の向こう隅の他の客たちのほうへ行ってしまった。それでもまだチチコフはその同じ場所にぼうぜんと立ちつくしていた。それはちょうど、じゅうぶんに散歩を楽しみ、たっぷりと見物してやろうとばかりに、いそいそと街《まち》へ出かけた男が、なにか忘れたことを思い出して、いきなり立ちどまった格好に似ていた。
こんなときの格好ほど間《ま》のぬけたものはない。なにを忘れたのか、思い出そうとしきりに首をひねる、――ハンカチじゃないかな? いや、ハンカチはちゃんとポケットにはいっている。金かな? いや、金もポケットにある。なにも忘れていないような気がする。ところがなにものとも知れぬ声が、おまえはなにか忘れてるぞ、と耳もとにささやくのだ。そうなるともう、気もそぞろになって、目のまえを流れてゆく群衆や、とびすぎてゆく馬車や、通りすぎてゆく軍隊の帽子や小銃にぼんやり目を向けているが――なにもよく見ているわけではない。これと同じようにチチコフも不意にまわりでおこなわれているいっさいのことに縁のない人間になってしまった。
そのとき、婦人たちのにおやかなくちびるから英知《えいち》やあいそうにみちたたくさんの暗示や質問が彼に向けられた。「わたしどものような、とるに足らぬあわれな女に、あなたがなにをお考えになっていらっしゃるのかおたずねするあつかましさを、許していただけますかしら?」――「あなたのお考えがさまよっていらっしゃる、その幸福な場所は、いったいどこでございましょうかしら?」――「あなたをそのあまいもの思いの谷へ誘った女《ひと》はどなたかしら、お知らせいただけませんこと?」しかし彼はそれらの問いにまるで気のない返事をしただけで、こころよいいフレーズはすっかりかげをひそめてしまった。そればかりか彼は無作法にも、じきに婦人たちのそばをぷいとはなれて、ふらふらと向こう側のほうへ歩きだした。知事夫人と令嬢が、どこへ去ったのか、見とどけようとしたらしい。
ところが婦人たちはそんなに早々と彼を放免しようとは望まなかったらしく、めいめいがひそかに、われわれ男性にとっては危険きわまりない、ありとあらゆる武器を駆使《くし》し、自分のいいところをじゅうぶんに見せつけてやろうと決心した。ここでちょっとことわっておかなければならないが、ある婦人たちには、――わたしはある婦人たちと言っているので、これはすべての婦人たちということではない、――ちょっとした欠点があって、額でも、くちびるでも、手でも、どこか自分の特によいところを認めると、もうそれで自分の顔のもっともよいところが、だれの目にでもまっさきに目について、だれもがすぐに異口同音に、『おい、見たまえ、あの娘はなんと美しいギリシア型の鼻だろう!』とか、『なんという端正《たんせい》な、チャーミングな額だろう!』などと言うものと思いこむのである。美しい肩を持っている婦人は、その肩にすべての若い男が完全に魅せられてしまい、彼女がそばを通るたびに、『おお、なんという美しい肩だろう!』と感動のつぶやきをもらすばかりで、顔や、髪や、鼻や、額などは見ようともしないし、よしんば見るにしても、なにやら無関係なものを見るみたいにただ気のない目をすべらせるだけだ、とはじめからきめてしまっているのである。こんなふうにある婦人たちは考えているのである。そこで婦人たちはそれぞれ、踊りでできるだけチャーミングにふるまい、自分のもっともすぐれたところをまぶしいほどにきらびやかに見せてやろうと心に誓った。郵便局長夫人は、ワルツを踊りながら、まるでほんとうになにやら天上の妙音が聞こえてきたかのように、うっとりと頭をすこし横にかしげた。またあるひじょうに愛らしい婦人は、――その彼女自身の言うところによると、右足に小さなおできができるという、ちょっとした不都合に見舞われたために、ビロードのくつをはかねばならなかったほどで、踊ろうと思ってきたのではさらさらなかったが、――それでも、がまんができなくなって、ついビロードのくつのままで二、三周ワルツを踊ってしまったが、それというのも郵便局長夫人にあまりのぼせ上がらせたくない思いからである。
しかしそうしたすべての努力もチチコフに予期の効果をあたえなかった。彼は婦人たちの思惑いっぱいのワルツには目をくれようともしないで、たえずのび上がっては婦人たちの頭ごしに、あの魅惑的な金髪の令嬢はどこへ行ってしまったのだろうと、目を走らせ、椅子にすわっても、肩や背のあいだから目をきょろきょろさせていたが、とうとう、羽根のついた東洋ふうの頭飾りをいかめしく頭にのせた母と並んですわっている彼女をさがしあてた。どうやら彼は、強行突撃によって彼女を奪取しようとでも思ったらしい。春の気分にそそのかされたのか、あるいはだれかに背後から突きとばされたのか、とにかく彼はあたりへは目もくれずに、決然と前方へ突き進んだ。専売人はいきなり突きあたられて、ぐらっとよろめき、危く一本足でたたらを踏んだが、さもなければ、むろん、うしろの人々を将棋《しようぎ》倒しにするところだった。郵便局長もあとずさってかなり鋭い皮肉をまじえた驚きの目で彼を見つめたが、彼はそちらへは目もくれなかった。彼の目には遠くにいる金髪の娘しか映らなかった。娘は長い手袋をはめてすわっていたが、どうやら嵌本床《はめきゆか》の上をとびまわりたい思いにうずうずしているらしかった。
もうそのかたわらで四組の男女がマズルカを踊りはじめた。かかとがカツカツと床に鳴り、どこやらの二等大尉が思うままに、手、足、全身を駆使して、だれひとりとして夢の中でも踊れないような、みごとな回転を見せていた。チチコフはあぶなくかかとで蹴とばされそうになりながらマズルカのそばをすりぬけて、まっすぐに知事夫人と令嬢がすわっているところへ進んでいった。ところが近づくにつれて、ひどく臆病になって、小きざみな粋な歩き方などは、どこへやら、いくらかためらいがちになって、全体の動作にもどことなくぎこちなさがめだった。
ほんとにわが主人公の胸に愛の感情がめざめたのか、そのへんのところは確《しか》とは言えない、――だいたいこういう類の紳士、つまりふとっているともいえないが、かといってやせているともいいかねるようなタイプの男たちが、恋のとりこになる可能性を持つなどということ自体が、そもそも疑わしいくらいだ。だが、それはともかくとして、ここにはなにかそうした妙なもの、彼が自分でも自分に説明できないようななにものかがあった。彼自身があとで告白したところだが、そのにぎやかな話し声やざわめきをふくめて舞踏会ぜんたいが、しばらくのあいだどこか遠くへ遠ざかってしまったように、彼には思われたのだった。バイオリンやラッパがどこか山のかなたでわめいているようで、すべてが絵の無造作に塗りつぶされた野原のように、ぼんやりしたもやのようなものにつつまれてしまった。そしてこのいいかげんに塗りたくられたぼんやりした野原のかげから、魅惑的な金髪娘の華奢《きやしや》な姿だけが、完全に描き上げられて、はっきりと浮き出していた。その卵形の顔、卒業後数か月の若い女性にしか見られない、ほっそりしたこわれそうな胴、そして純白の、ほとんど飾りのない衣装が、ふんわりと、しっくりとみずみずしいほっそりした肢体をつつんで、いたるところにきれいな線を浮き出させている。彼女ぜんたいが、象牙でたんねんに彫り上げられた人形かと思われた。彼女ひとりだけがくっきりと白く、にごった不透明な群れの中から、透きとおるようなまぶしいほどの姿となって浮き出していた。
こういうことも世の中にはあるらしい。そしてチチコフのような男でも一生のうちで数分ぐらいは詩人になるらしい。しかし『詩人』ということばはすこしオーバーであろう。とはいえ、すくなくとも、彼は自分がすっかり青年にもどってしまい、ほとんど竜騎兵にでもなったような気がした。彼女たちのかたわらにあいた椅子を見つけると、彼はすぐにそこにすわった。話ははじめのうちははずまなかったが、そのうちにうまくほぐれだして、彼はぐっとだいたんにさえなった。しかし……ここで、じつに悲しいことだが、人間がどっしりして、重要な地位を占めているような男というものは、どういうものか婦人たちと軽妙な話ができないものだ、ということを認めなければならない。こうしたことの巧みなのは中尉程度の諸君で、せいぜいが大尉どまりである。どんなコツがあるのか、それは神のみぞ知るで、どうやらたいした気がきいたことはしゃべっていないらしいのだが、娘たちはたえず椅子の上で身をもじって笑いころげるのである。五等官あたりがどんなことを話すのか、あるいはロシアはひじょうに広大な国だというようなことを話題にするのか、あるいはかなり機知には富んでいるが、――おそろしく書物のにおいのするようなおせじでもとばすのか、ともあれなにかこつけいなことを言うと、それを聞いている娘よりも、言った本人のほうがはるかにおもしろそうに笑うのである。
ここでこんなことをことわったのは、わが主人公の話の途中でなぜ金髪娘があくびをしだしたかを、読者に知ってもらいたいためである。ところが、わが主人公はそんなことにはいっこうに気づかずに、つぎつぎと愉快な話を披露していた。これはもう彼があちらこちらでこのような場合に何度もむしかえした話で、たとえば、シムビルスク県のソフロン・イワーノヴィチ・ベスペーチヌイのところでも、そのとき娘のアデライーダ・ソフローノヴナと夫の三人の妹たち、マーリヤ・ガヴリーロヴナと、アレクサンドラ・ガヴリーロヴナと、アデリゲイダ・ガヴリーロヴナがいたので、こういう話をした。リャザン県のフョードル・フョードロヴィチ・ペレクローエフのところでも、またペンザ県のフロール・ワシーリエヴィチ・ホベドノスヌイとその弟のピョートル・ワシーリエヴィチのところでも、ここにはその妻の妹カテリーナ・ミハイロヴナと、彼女のまたいとこにあたるローザ・フョードロヴナとエミーリヤ・フョードロヴナがいたからである。ヴャトカ県のピョートル・ワルソノフィエヴィチのところでもした。ここには彼の新妻の妹ペラゲーヤ・エゴーロヴナと、姪《めい》のソーフィヤ・ロスチスラーヴナと、ふたりの異母姉妹――ソーフィヤ・アレクサンドロヴナとマクラトゥラ・アレクサンドロヴナがいたからである。
どの婦人たちもチチコフのこのような態度がひどく気に入らなかった。ひとりの婦人などはそれを彼に気づかせようとして、わざと彼のすぐ鼻の先を通り、その衣装のふとい張り骨でかなりぞんざいに金髪娘をこすり、肩のまわりにかけていたショールをわざと乱して、その端で娘の顔をなでるようにした。それと同時に彼の背後のひとりの婦人の口から、すみれのにおいとともに、かなりとげのある毒々しい非難がとんだ。しかし、あるいはほんとうに彼の耳にはいらなかったのか、あるいは聞こえなかったようなふりをしたのか、しかしこれはよくなかった。婦人の意見というものは尊重しなければいけないからだ。これは彼も悔んだが、もうあとの祭りで、後悔先に立たずというやつである。
どう見ても正当な憤慨《ふんがい》が、多くの顔々にあらわれた。この集まりでチチコフの重みがどれほど大きかろうと、たとい彼が百万長者で、その顔に威厳と、さらにマルスの神や軍人を思わせるようななにものかがあらわれていようと、婦人たちがだれにもぜったいに許すことのできないものがある。相手が何様《なにさま》であろうがである。そしてそうなったらもはや万事休すである!
女というものは、男と比べて性格がどれほど弱く、そして無力であろうと、突然男は言うもおろか、世の中のなにものよりも毅然《きぜん》となる場合がある。チチコフはほとんど他意はなく、うっかり無視した格好になったのだが、それが、婦人たちのあいだに、椅子の奪い合いで壊滅のふちにあった団結をさえよみがえらせた。彼がなにげなく口にしたなにかの詩とか、ごく普通のことばにも、とげのあるほのめかしがあるように受けとられた。この不穏な空気をさらにあおるように、若い客のひとりが、もっともこれは周知のように地方都市の舞踏会にはつきものなのだが、踊っている連中にあてた諷刺詩《ふうしし》を作った。するとたちまちその詩がチチコフの作にされた。
憤激はいよいよ大きくなり、婦人たちはあちらこちらにかたまり合って、口をきわめてチチコフの悪口をはじめた。あわれにも卒業したての娘は徹底的にたたかれて、彼女に対する判決にはもはや署名されてしまったのだった。
ところで、いっぽう不快きわまる意外なできごとがわが主人公を待ち受けていたのである。金髪娘があくびをかみころしているのに、彼がそれに気づかずに、さまざまな時代に起こった歴史上のできごとを調子よく語りながら、ギリシアの哲学者ディオゲネスにまでふれかけたときに、奥の間からぬっとノズドリョーフがはいってきた。食堂からとび出してきたのか、普通のホイストよりも大がかりな勝負がおこなわれていた小さな客間から、自分の意志で出てきたのか、あるいは無理に追い出されてきたのか、いずれにしても彼は検事の腕をつかんで、ひどい上きげんであらわれた。検事は、おそらく、もう先ほどからひっぱりまわされていたらしくかわいそうにその濃いまゆをあっちこっちへ向けて、この友情のスクラム行進からなんとかぬけ出す方法はないものかと思案しているふうであった。
たしかに、それはやりきれなかった。ノズドリョーフは景気つけに、もちろんラム酒を入れて、茶を二杯あおり、猛烈にだぼらをふきまくっていた。チチコフはまだ遠くからその姿を見つけると、ここで出会ったらどうせろくなことはないと見たから、犠牲もやむをえまいとし、つまりせっかくのこのうらやむべき場所をすてて、できるだけ早く遠ざかろうと心にきめた。ところが、まずいことに、そこへひょいと県知事があらわれて、チチコフを見つけると、渡りに舟と喜んで、彼をひきとめ、いま女の愛が長くつづくものかどうかについてふたりの婦人と議論をしていたところだが、その審判官になってもらいたいと頼んだ。いっぽうノズドリョーフのほうはもう彼を見つけて、どかどかと彼のほうへ突進してきた。
「よお、ヘルソン県の地主君、ヘルソン県の地主君!」と彼はまだ遠くから、春のバラのようなみずみずしいまっかなほおをふるわせて高笑いをしながら、叫んだ。「どうだ? 死人をわんさと買いこんだかい? あんたは知らんのだな、知事閣下」彼はいきなり知事のほうを見て、だみ声でわめきたてた。「こいつは死んだ農奴を商いにしてるんですぜ! ほんとだよ! なあ、チチコフ! きみってやつは――おれはきみに友だちとして言ってるんだせ、だってここにいるのはみんなきみの友だちばかりだ、それにさいわい知事閣下もいるしよ――おれはきみをしばり首にしてやりてえくらいだ、まったく、しばり首によ!」
チチコフはただただ身の置き所を知らなかった。
「まさかと思うでしょうがね、閣下」とノズドリョーフはつづけた。「こいつめおれに言いやがるのさ、『死んだ農奴を売ってくれ』だってさ、おれは腹をかかえて笑いましたね。ここへ来たら、三百万で移住させる農奴を買いこんだなんて聞かされてさ! どんな農奴を移住させるつもりかい! ええ、こいつはおれから死んだ農奴を買ったんですぜ。おい、チチコフ、きみは豚だよ、まったく、豚野郎だ、ちょうどここに閣下もいなさる、ちがいますかな、検事!」
ところが検事も、チチコフも、知事自身もすっかり頭が混乱してしまって、なんと答えたものやら、ぜんぜんわからなかった。いっぽうノズドリョーフは、そんなことにはいっこうおかまいなしに、半分正気なことばをべらべらとまくしたてた。
「まったく、きみは、ええ、おい、きみ……おれはきみのそばを離れんぞ、なんのためにきみが死んだ農奴を買ったのか、知るまではな……おい、チチコフ、きみは恥ずかしくないのか、まったく、おれほどいい親友がいないことを、知ってるくせに。そら、閣下もここにいられる、そうだな、検事どの? あんたは信じないかもしれんがだな、閣下、おれたちは心底からの親友同志なんだ、つまりあんたがだな、ほら、おれはちゃんとここに立ってるからさ、おい、ノズドリョーフ! 正直に言いたまえ、きみには親父とチチコフと、どっちがだいじだ? と言ってごらんなさいよ、そしたらおれは言うよ、チチコフだ、ってさ、ほんとだぜ……おい、きみ、おれにひとつ接吻させてくれ。じゃ、閣下、ひとつごめんこうむって、こいつに接吻させてもらいますぜ。おい、チチコフ、じたばたしなさんな、その雪みたいにまっ白いほっぺたにひとつ接吻をさせてくれや!」
ノズトリョーフは接吻しようとして、じゃけんに突きとばされ、危くつんのめりそうになった。みんな彼のそばから逃げて、もうそれ以上聞こうとしなかった。だが、それでも死んだ農奴の買い入れ云々《うんぬん》という彼のことばは、げらげらと高笑いをしながら、大声でわめきちらされたので、広間の遠い隅のほうにいた人々の注意までひきつけた。このニュースがあまりにも奇妙だったので、一同はあっけにとられて、ばかみたいな顔をして、あいた口がふさがらなくなってしまった。
多くの婦人たちが意地わるい、とげのある妙な薄笑いを浮かべて目くばせし合ったのに、チチコフは気づいた。中にはどっちともとれるなにかこうあいまいな表情をした婦人たちもあって、それがいっそう彼の困惑を大きくした。ノズドリョーフは札つきのうそつきで、それは知らない者がなかったから、彼からどんなあほらしいことを聞かされようとすこしも驚くことはなかったが、それでも人間というやつは、まったく、この人間というやつは、どんなふうにできているのか、了解に苦しむのだが、どんなニュースであろうと、それが初耳でさえあれは、『どうです、ひどいでたらめを言いふらすじゃありませんか!』と、ただそれだけ言いたいためにでも、かならずそれを他の人間に知らせるのだ、――すると他の人間は、あとでは自分でも、『ほんと、まったくくだらんうそだよ、聞くに値せんね!』と言うにしても、ともあれ喜んで傾聴《けいちよう》するのだ、――そしてそのあとですぐに、それを知らせて、そのあとでいっしょに義憤を感じながら、『なんという俗悪なうそだ!』と叫ぶために、つぎの聞き手をさがしに出かけるのだ。こうしてそれはかならず全市を一巡し、市じゅうのすべての人間がかならず思うさましゃべりまくって、そのあとでこれは聞くに値せず、語る価値なしと認めるのである。
この、一見、意味もなさそうなできごとがいちじるしくわが主人公の調子を狂わせた。ばか者のことばがどんなに愚かでも、ときにはりこうな人間をうろたえさせるにじゅうぶんなことがある。彼はなんとなくぐあいのわるい気づまりをおぼえはじめた。ちょうどぴかぴかに磨き上げた長靴で不意にくさいどぶの中へ踏みこんだようなものだ。要するに、よくない、まったくよくない! 彼はそれを考えまいとして、なんとか気を晴らし、気をわきへそらそうとつとめて、ホイストの仲間にくわわってみたが、まるでゆがんだ車輪みたいに、どうもうまくまわらない。二度もしるしのちがう札を出し。三度めはまだ出されていないのを忘れて、勢いこんで、うっかり自分の切り札を出してしまった。
裁判所長は、あんなによく、しかも緻密にと言ってよいほどに、カルタを知っているチチコフが、どうしてこんなまちがいをやらかして、彼自身の表現によると、これこそ神のように絶対だと期待をかけていたスペードのキングを、なまくら札にするようなことをしてくれたのか、どうしても理解ができなかった。もちろん、郵便局長も、裁判所長も、それに警察署長までが、例によって、恋のとりこになったのではないかとか、パーヴェル・イワーノヴィチはハートがちんばをひいてるようだが、だれに射たれたか知ってますぞなどと、わが主人公をからかった。しかしそれがすこしも彼の心をなぐさめてくれないし、どんなに笑ったり、じょうだんを返したりしようとしてみても心が重るばかりだった。
晩餐の席でも、みんな気持ちのよい連中ばかりで、ノズドリョーフはもうとうに追いはらわれていたが、彼はどうしてもくつろいだ気持ちになれなかった。ノズドリョーフがつまみ出されたのは、当の婦人たちまでがついに、彼のふるまいがあまりにも破廉恥《はれんち》になりすぎたと認めたからで、コチリオン〔ルイ十四世時代に流行した舞踏〕の最中に彼は床にすわりこんで、踊っている婦人たちのスカートのすそに手をかけたりしだして、婦人たちのことばをかりると、それこそもはや見るにたえない醜態であった。晩餐はきわめて楽しいもので、三つの燭台や、花や、菓子や、酒びんのまえにちらちらする顔は、どの顔もごくしぜんな満足に輝いていた。士官や、婦人や、えんび服の紳士たちは――みんなあいそうがよくなり、しつこいほどに親切になった。男たちは椅子から立ち上がって、あらそうようにして給仕から料理皿をうばい、驚くほどの巧みさでそれを婦人たちにすすめた。ある中佐などはソース皿を抜き身の軍刀の先にのせてある婦人のまえに差し出すという放れ業をやってのけた。チチコフのまわりの年配の男たちは、なかなかうがったことばをはいては、その口直しにじゃけんにからしを塗りたくったさかなや子牛の肉をむしゃむしゃやりながら、大声で議論に花を咲かせていた。そしてその論じ合っていることが、彼がいつも参加しているような問題だったが、彼はまるで遠路の旅でへとへとに疲れきった人間みたいで、なにも頭にはいらないし、なにに立ち入る力もなかった。そして彼は晩餐のおわるのを待とうとさえしないで、こういう場合のいつもの習慣よりもはるかに早く辞去した。
さて、読者におなじみの、ドアがたんすでふさがれ、ときどき隅のほうから油虫が顔を出す、例の部屋へかえってからも、彼の頭と心の状態は、腰かけているひじ掛け椅子がぐらぐらしてるのと同じように、ひどく不安定であった。胸の中が不快で、ざわついて、なにか重苦しい空虚感がそこにのこっていた。「あんな舞踏会なんて考え出したやつは、どいつもこいつも悪魔にさらわれてしまえ!」と彼は腹だたしげに言った。「ふん、ばかみたいになにを喜んでるんだ? 県下は不作で、値上がりで苦しんでるというのに、あんなふうに舞踏会に夢中になりやがって! ヘッ、なんだい、あの女どもは、百姓女のつづれみたいにごたごたと飾りをつけやがって! 中には千ルーブリものものをからだに巻きつけてるのがいるんだから、あきれるよ! それがみな百姓どもの年貢《ねんぐ》でこさえるんだ、いや、もっとわるいのは、おれたちの仲間の良心の代金でこさえてやがるのさ。ちゃんとわかってるんだよ、なんのためにわいろをとり、心をねじ曲げるかなんて。みんな妻君にショールだの、ロブロン〔腰に箍《たが》骨を入れてスカートを広く張った古風な衣装〕だのと、名まえをあげるだけでも舌をかみそうなろくでもないものを買ってやるためだ。じゃ、どうして? シドーロヴナとかいうそこらのじゃじゃ馬に、郵便局長夫人のほうがいい衣装をつけているなどと言われないためで、そんな女のために千ルーブリもの大金をポイとけむりにしてしまうのだ。『舞踏会、舞踏会、ああ楽しい!』などと大騒ぎをしやがって、舞踏会なんてまったく愚劣《ぐれつ》きわまるよ、ロシア精神にももとるし、ロシア人の気質にもあいやしない。なにがなにやらわかりやしない。いい年をした男が黒ずくめの服を着て、小鬼みたいにしょきっと、みっともないざまをして、いきなりおどり出て、足でどろでもこねるみたいな格好をしやがって。中には、女と組みながら、となりの男となにやらきまじめな話をして、そのくせ足だけは、まるで子山羊みたいに、右に左にちょこまかまわしている……みな猿まねだよ、猿まねにすぎんよ! なにもフランス人は四十になっても、十五、六のこどもみたいだからといって、こっちまでそのまねをすることはないじゃないか! いや、まったく……舞踏会のあとというと、なにかわるいことでもしたような気がして、思い出したくもなくなるよ。まるで上流社会の紳士と話したあとみたいに、頭の中はまるでからっぽだ。上流の紳士というやつは、とにかくよくしゃべり、なににでも軽くちょっとふれ、本からひっぱり出したことを多彩に、雄弁にまくしたてるが、頭にはなにひとつ残らず、あとになってみると、自分の商売のことしか知らないが、その代わり経験をもとにしてからだでしっかりとおぼえている、そこらの商人たちとの話のほうが、こんなこけおどかしの雄弁よりもずっと役にたつことがわかるのだ。ところで、あんなものから、あんな舞踏会などからなにが得られるというのだ? もしかりにだ、ある作家がその場面をすっかりありのままに描写しようと思いたったらどうだろう? なに、本の中のそれだって、ほんものと同じように、まるで無意味なものになるにちがいない。舞踏会とはいったいなにか、道徳的なものか、それとも非道徳的なものか? 要するになにがなにやらわかりやしない! ペッとつばをはいて、本を閉じるのがおちさ」
こんなふうにチチコフは総じて舞踏会というものをかんばしくないものとしてけなしたが、どうやら、ここには他の憤激の理由も混じっていたらしい。なによりも業腹《ごうはら》なのは、舞踏会そのものではなく、ひょんなことで破綻《はたん》をきたして、思いがけなく一同のまえにとんだぶざまをさらし、なにか妙なすっきりしない役割を演じてしまったということであった。むろん、分別のある人間の目にもどって見れば、あんなことはみなばかげたことで、特にかんじんな問題がすでにしかるべく処理されてしまった今となっては、愚かしいことばなどなんの意味も持たないことは、彼にもわかった。ところが人間というものはおかしなもので、彼が尊敬もしていないし、そのあくせくした態度や服装をとりあげてさんざんにけなしていたような連中からうとまれるということが、強く彼を悲しめたのである。事情をよくよく考えてみると、その理由の一部は彼自身にあることがわかったから、彼にはなおいまいましくてならなかった。
自分には、しかし、彼は腹をたてなかった。そしてそれは、もちろん、正しかった。人間はだれでも自分をすこし大目に見るという小さな弱点を持っているので、それよりはいつそ腹いせにあたりちらすことのできる、だれか手近な者をさがそうとつとめるものである。たとえば、従者とか、いいところへやってきた部下の小役人とか、妻君とか、あげくは椅子などがいい災難で、めくらめっぽうに投げとばされ、ドアあたりにぶつかって、腕木や背がふっとんでしまう。そして憤怒とはどういうものか思い知らされるのである。さてチチコフもまもなく、いまいましさが吹き込みうるかぎりのすべてのものをその肩にになわせる手近なものを見つけた。その手近なものとはノズドリョーフであった。そして彼がたてよこあらゆる面からさんざんにののしられたことは、言うまでもないことで、それこそどこやらのうそつきの村長や馭者が、旅慣れた苦労人の大尉とか、ときには将軍につかまり、すでに古典となったたくさんの文句のほかに、さらにその本人の発明でまだ一般化されていない新しい文句を無数に差しくわえて、完膚《かんぷ》なきまでにやっつけられるようなものであった。ノズドリョーフの家系まですっかり調べ上げられ、遠く先祖までさかのぼって、こっぴどくやっつけられた。
ところが、彼が堅いひじ掛け椅子にすわって、さまざまな思いと不眠に悩まされながら、ノズドリョーフとその先祖たちにさんざんあたりちらし、そのまえに、灯心にもういつからか黒い燃えかすが帽子のようについて、いまにも消えそうになりながら、あぶらローソクがとろとろと燃えていて、窓からは黒い盲目の夜が近づく夜明けにもううすれかけながら、彼をのぞきこみ、遠くで鶏が鳴きかわし、そしてすっかり寝しずまった市のどのあたりかを、どんな階級のどんな身分の者かは知らないが、粗羅紗の外套にくるまって、ロシアの遊び人たちによってすっかりとろとろに踏みならされた道だけを知っている運のない男が、ふらりふらりさまよっていたにちがいないころ――そのころ、市の他のはずれでは、わが主人公の立場をますます芳《かんば》しくないものにする一つの事件が起こりつつあった。
ほかでもない、市の遠いはずれの通りや路地をぬって、なんと呼んでいいものやら迷うような一台の奇妙な馬車がゴトゴトと走っていたが、それが曲物《くせもの》なのである。それは旅行馬車《タランタス》ともちがうし、半幌馬車《コリヤースカ》でもないし、半蓋四輪馬車《プリーチカ》にも似ていない。むしろすいかの化けものに車輪をくっつけたといったほうが近いかもしれない。このすいかのほっぺた、つまり黄色いペンキの痕跡がのこっているドアは、把手《とつて》がぐらぐらしているうえに、錠がいいかげんにひもで結わえられているという状態なので、ひどくしまりがわるかった。すいかの内部は、巾着《きんちやく》型や筒型や普通の枕の形のさらさのクッションにみたされ、黒パンや、輪形白パンや、あんパンや、肉まんじゅうや、ふかしパンなどをつめた袋がびっしりとつまっていた。上のほうには鶏肉入りのピローグやきゅうり漬け入りのピローグがはみ出していた。馬車の後部には、あごひげをもじゃもじゃにのばし、髪にすこし白いもののまじった、生まれながらの下男面をした男が、手織りの雑色の上衣を着て乗っていた、――いわゆる『従僕《マーイル》』の総称で通っている男である。鉄の把手や錆《さ》びたネジのゴトゴトギイギイとうるさい音で、市の向こうはずれの哨所で居眠りしていた巡査が目をさまし、警棒を振り上げて、ねぼけ声をせいいっぱい、張り上げて、「だれだ?」とどなったが、――しかし、だれも歩いている者はなく、ただ遠くてゴトゴトという音が聞こえているだけなのを知ると、えりのところでもぞもぞしているふとどきな動物を一匹つかまえて、街灯の下へ行き、さっそく爪でそれを処刑した。そして、警棒を立てかけると、また騎士道の掟にしたがってうとうとしだした。馬どもは蹄鉄《ていてつ》がうってなかったし、それに、安全な市の鋪道にほとんどなじみがなかったと見えて、しょっちゅう前あしをすべらせてひざをついた。馬車は、通りから通りへ何度か曲がった末に、やっと、ニェドトゥイチキ区のニコラ寺院という小さな教会のまえのうすぐらい路地へ折れた。馬車から、綿入れの胴着をきて、プラトーク〔ロシア婦人の頭をつつむきれ〕で頭をつつんだひとりの女が下りて、双の拳《こぶし》で男もおよばぬほどにはげしく門をたたいた(男といえば、手織りの雑色の上衣をきた従僕《マールイ》は死んだように眠りこけていて、あとで足をつかんでひきずりおろされたのだった)
犬どもがほえだし、門は、ついに口をあけて、えらい苦労のあげくではあったが、ともかくこの不細工な旅行用具をのみこんだ。馬車は薪やら、鳩小屋やら、その他物置やら納屋やらがちらばっている、ねこの額ほどの庭へはいった。馬車からひとりの婦人がおりた、それは十等官夫人の女地主コローボチカであった。この老婆は、わが主人公が立ち去るとすぐに、もしかしたらあの男にだまされるのではないかとひどい不安におそわれて、この三日というもの夜も眠られず、馬に蹄鉄はうってなかったが、とにかく市へ出かけて、死んだ農奴たちにいくらの相場がついているかを、正確に知ろうと決意したのだった。もしかしたら、三分の一ほどの安値で手放して、大損をこかされたのではないか、そう思うと矢も盾《たて》もたまらなくなったのである。
この彼女の到着がいかなる結果を生んだかは、読者はあるふたりの婦人のあいだに交わされた会話から知ることができるであろう。その会話とは……しかしこれは次の章にゆずったほうがよさそうである。
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第九章
早朝、N市で訪問の時間と定められている時間よりもかなり早いころ、中二階とそら色の円柱のあるオレンジ色の木造の家の玄関から、チェックの粋《いき》なコートをはおったひとりの婦人が、ぎざぎざえりの外套を着て、金モールを巻いたまるいぴかぴかの帽子をかぶった従者をしたがえて、せかせかととび出してきた。婦人はそのまま驚くほどの早さで、ステップを踏むと、玄関まえに待っていた軽馬車に乗りこんだ。従者は急いで馬車のドアをしめ、ステップを上げると、馬車のうしろのかわひもにつかまってとび乗りざま、「やれ!」と馭者に叫んだ。
婦人はつい今しがたビッグ・ニュースを聞きこんだばかりで、それを早く、だれかに聞かせたいというおさえがたい衝動《しようどう》を感じていた。婦人はたえず窓から外を見やっては、まだ道のりの半分ほどしか来ていないのを見て、じりじりするようなもどかしさをおぼえた。彼女にはどの家もいつもより長いように思われたし、それにせまい窓がたくさんついた白い石造りの養育院がじれったいほどどこまでもつづいているような気がして、とうとうかんしゃくをおこして、「まあ、いやな建物だわ、いったいどこまでつづいてるのかしら!」と口走ってしまった。馭者はもう二度も「早くやってよ、早く、アンドリューシャ! きょうはじれったいほどのろのろじゃないの!」というこごとをちょうだいしていた。
ついに目的地に達した。馬車はやはり木造の濃いねずみ色の平家建ての家のまえにとまった。窓の上に白い浮き彫りのある小びさしがあり、窓のすぐまえに高い格子垣をめぐらした狭い植込みがあって、そこに植わっているやせた木々は、永久に消えることのない街《まち》のほこりをかぶって白っ茶けていた。窓には花をいけた花びんや、籠の中でくちばしで輪をくわえてぶらんぶらんゆれているオウムや、ひなたで眠っている二匹の小犬などがちらちら見えた。この家には、かけつけた婦人の心から親しい友が住んでいた。作者はこのふたりの婦人をどのような名まえで呼んだら、従来さんざんな攻撃をうけたあの愚をくりかえさずにすむかと、大いに苦慮している。
かってに考えだした名まえをつけることは危険である。どんな名まえを考案しようと、わが広大なロシアの国のどこかの片隅にはかならずだれかはそういう名まえを持ったのがいて、その人こそいい迷惑というものでかんかんになって怒って、あいつはいろんなことをさぐり出すためにわざとこっそりやってきたのだとか、あいつはこれこれこういう男で、これこれの毛皮外套を着ていて、アグラフェーナ・イワーノヴナのところへ立ち寄ったが、たいへんな食いしんぼうだ、などと言いふらすにちがいないのである。官等など言おうものなら――それこそ、もっと危険である。このごろわがロシアではおよそ官等とか身分とかいうものはひどいいらだちの因《もと》になっていて、本にでも書かれていようものなら、もう自分のことのような気になってしまう。どうも、そうした風潮なのである。ある市にばかな男がいて、とそれだけ言えばもうじゅうぶんで、それがりっぱな人身攻撃とされてしまい、りっぱな風采《ふうさい》の紳士がいきなりとび出してきて、『わしも男だ、つまりわしもばかということになるじゃないか』とどなりつける、――要するに、なんでも早のみこみをしてしまうのだ。
というわけで、こうしたいっさいのめんどうをさけるために、婦人客が訪れた先の婦人を、彼女がN市でほとんど異口同音に呼ばれているように、つまり、どこから見ても気持ちのよい婦人と呼ぶことにしよう。この呼称は彼女が正当にかちえたもので、というのは、たしかに彼女は目分をこのうえなくあいそうよく見せるためには、なにものも惜しまなかったからである。とはいえ、そのあいそうのよさのかげには、ウヘッ、あのなんとも抜けめのない女心のずるさがかくされていたのは、もちろんで、その気持ちのいいことばの中にも、ちらちらと、ときに鋭い針の先がのぞいていたもので、このような、なんとかして、なにかで一位になりたいとやきもきしている婦人の憤激《ふんげき》でも買おうものなら、それこそたいへんである。しかしこうしたものはすべて、県の首都にのみ見られるあのこよなく繊細《せんさい》な社交術という衣の下にかくされているのである。彼女の動作はすべて洗練されていて、詩も愛したし、ときには夢見るように頭をわずかにかしげるポースも堂に入っていた、――そして、彼女はたしかにどこから見ても気持ちのいい婦人だというのが、みなの一致した意見であった。
もうひとりの婦人、つまりたずねてきたほうの婦人は、性格にそれほどの多血性を持たなかった。だからただ気持ちのよい婦人とだけしておこう。客の来訪で、ひなたで居眠りしていた小犬どもが目をさました。いつも自分の長い毛にあしをもつれさせているむく毛のアデールと、あしの細い牡犬のポプリの二匹である。この二匹はキャンキャンほえてしっぽを振りまわしながら控え室へとんでいった。するとそこでは客がコートをぬいで、流行のがらと色の衣装のえりのところに長くたれている二本のしっぽにちょっと手をやったところだった。室内にジャスミンのかおりが流れた。どこから見ても気持ちのよい婦人はただの気持ちのよい婦人の来訪を知るやいなや、すぐに控え室へかけこんできた。
婦人たちは手をとりあって、接吻をし、ワッと喚声《かんせい》を上げた。こんな声をたてるのは、女学校を出たばかりの若い娘たちが、卒業後まもなく、あちらのおとうさまはうちのおとうさまよりも貧しく、身分も低いのだと、母にまだ聞かされていないうちに、ばったり出会ったときぐらいなものである。小犬たちがまたほえだしたので、接吻の音はしぜん大きくなり、小犬たちをハンカチでたしなめておいて、婦人たちは客間へ向かった。言うまでもなくそら色の部屋で、ソファと、長円形のテーブルと、|きずた《ヽヽヽ》をからませた小さなついたてまでおいてあった。婦人たちのうしろから、むく毛のアデールとあしの細いのっぽのポプリが、くんくんいいながらかけこんできた。
「さあ、どうぞこちらへいらして、ここへおかけになって!」と主婦は言いながら、客をソファの隅にかけさせた。「そう! そこがよろしいわ! ではこのクッションをおあてになって!」と言うと、主婦は客の背のうしろにクッションを押しこんだ。そのクッションには、いつもカンヴァスに刺繍すると同じ方法で、毛糸で騎士が刺繍してあった。つまり鼻は段々でとがらせ、くちびるは四角という縫い方である。
「わたしほんとにうれしゅうございますわ、あなたにいらしていただいて……ふと玄関に車のついたけはいを聞いて、こんなに早くいったいなにかしら、と思いましたのよ。うちのパラーシャったら、『きっと副知事夫人ですわ』なんて言うものだから、あたしは『あら、じゃまたおばかさんがくだらない話をしに来たのね』と思って、すんでにるすだからって、ことわらせようとしましたのよ……」
客はもうさっそく本題にはいって、ニュースをつたえようとした。ところがちょうどそのとき、どこから見ても気持ちのよい婦人が嘆声を上げたので、急に話は別な方向へそれてしまった。
「まあ、なんておもしろいがらの更紗《さらさ》でしょう!」と、どこから見ても気持ちのよい婦人が、ただの気持ちのよい婦人の衣装を見て、嘆声を上げた。
「ええ、なかなかおもしろいがらでしょう。でも、プラスコーヴィヤ・フョートロヴナは、こうしがらもちょっとこまかくて、水玉が褐色じゃなくて、そら色だったら、もっとすてきだって言うのよ。あのひとの妹さんのところに生地が送られてきましたけど、そのがらのすばらしいったら、ほんと、なんと言ったらいいかわからないくらいですわ。どうでしょう、おくさま、そら色の地に、人間の頭がこれ以上は考えられないくらいの、細い、それは細いしまがあって、そのあいだに目と手、目と手、目と手というふうに模様がはいって……一口に言って、ちょっと類がありませんわ! あんながらは世界にまだなかったって、はっきり言えると思いますわ」
「おくさま、それはまだら模様でしょう」
「あら、とんでもございません、まだら模様なんかじゃございませんわ」
「いいえ、まだら模様ですわよ!」
ここでことわっておかなければならないが、どこから見ても気持ちのよい婦人はすこし唯物《ゆいぶつ》主義者的なところがあって、否定と懐疑《かいぎ》の傾向があり、これまでもじつに多くのことを拒否してきた。
ここで、ただの気持ちのよい婦人は、あれはぜったいにまだら模様でないと説明して、そして叫んだ。
「ええ、お気のどくさま、キャザの縁飾りなんてもうつけてるかたはございませんのよ」
「あらどうして?」
「その代わり花模様のレースをつけてますわ。花模様のレースがいま大流行ですのよ。肩掛けもレース、そで飾りもレース、肩飾りもレース、すそにもレース、どこもかしこもレースずくめでございますわ」
「よくありませんわよ、ソーフイヤ・イワーノヴナ、レースずくめなんて」
「いいえ、それが、アンナ・グリゴーリヴナがわいらしいったら、信じられないほどなのよ。二重《ふたえ》にぬいつけるの、間《ま》を広くとって、上に……でもごらんになることですわ、そしたらびっくりなさって、ほんとねえってきっとおっしゃいますわ……だって、どうでしょうあなた、コルセットのたけがもっとのびて、下が舳《へ》先みたいにとがり、まえの鯨骨《くじら》がおそろしくとび出しているのよ。スカートは昔流行したみいに、そうね、ちょうどペチコートをはいたみたいに、まわりにまるくふくらませて、そのうえうしろにはすこし綿を入れて、それこそ申しぶんのない美人に見せようというわけでございますのよ」
「まあ、そんなの平凡だわ、ほんと!」とどこから見ても気持ちのよい婦人は、もったいらしく頭を振って言った。
「ほんと、そうね、わたしもそう思うわ!」とただの気持ちのよい婦人は答えた。
「あなたがどうおっしゃろうと、わたしはぜったいにそんなまねはしないわ」
「わたしだってよ……ほんと、驚きますわね、流行ってとんでもないところまで行ってしまうんですもの……あきれてしまいますわ! わたし、わざとお笑いにしてやろうと思って、妹に型紙をたのみましたのよ。うちのマレーニヤがもう縫いにかかってますわ」
「あら、じゃあなたのとこに型紙がございますの?」とどこから見ても気持ちのよい婦人は、かなり心の動揺を見せて叫んだ。
「ええ、そりゃ、妹が持ってきてくれたんですもの」
「あなた、それをわたしにゆずっていただけません、おねがい」
「あら、わたしもうプラスコーヴィヤ・フョードロヴナに約束してしまいましたのよ。まさかそのあとではねえ」
「プラスコーヴィヤ・フョードロヴナのあとなんか、いやですわよ! そりゃあなたあんまりじゃございません、身内みたいなわたしをさておいて他人《ひと》にやってしまいなさるなんて」
「でも、あのひともわたしには従伯母にあたりますのよ」
「おや、あのひとがあなたの従伯母ですって、知らなかったわ、ご主人のほうのつながりとばかり……いいえ、ソーフィヤ・イワーノヴナ、わたしそんなこと聞きたくもないわ、だってそうじゃございません、あなたがわたしにこんな侮辱をあたえようとしてなさるなんて、そんな……きっと、あなたはわたしのことがもういやになったのね、きっと、わたしともういっさいのおつき合いをやめたくなったのね」
あわれなソーフィヤ・イワーノヴナはどうしたらよいのやらまったくわからなかった。彼女は燃えさかっている火のあいだに立たされたような気がした。そら見なさい、つまらんじまん話をした罰だ! 彼女は針でおろかな舌《した》を突き刺してやりたい気持ちだった。
「ところで、あのだて男はどうなりましたかしら?」とどこから見ても気持ちのよい婦人が話の向きを変えた。
「あらっ、まあ! わたしったらぼんやりあなたのまえにすわっていて! それなのよ! だって、あなたご存じじゃないでしょ、アンナ・グリゴーリエヴナ、わたしなにをお知らせしようと思ってここへ来たのか?」ここで女客の息がつまり、ことばが、はやぶさのように、つぎからつぎと獲物を追ってとび出しはじめたので、それをおさえとめるには、この心からの親友のように、思いきった非人間的な態度に出る以外にてがなかった。
「あなたがどんなに賞めちぎったり、持ち上げたりしても」と彼女はいつになくいきいきとした張りのある声で言った。「わたしはあの男にはっきりと、面と向かって言ってやりますわ、あの男が劣等な人間だってことを、ええ、劣等よ、お下劣よ、役だたずのやくざ者よ」
「まあ、ちょっと聞いてくださいな、おもしろいったらないのよ……」
「あの男が好男子だなんて、評判になってるけど。どこが好男子なのよ、とんでもない、あの鼻ったら……あんないやな鼻ないわ」
「ま、ちょっとお待ちったら、わたしの話も聞いてくださいな……ねえ、アンナ・グリゴーリエヴナ、わたしに語らせてよ! 大事件なんですから、おわかりになって、大事件なのよ、スコナペル・イストアールなのよ」と女客はそれこそ必死の思いを顔に浮かべて、すがりつかんばかりの声で言った。
ここで、別にさまたげにもなるまいと思うのでことわっておくが、ふたりの婦人の会話にはひじょうに多くの外国語のことばがさしはさまれ、ところどころはひどく長いフランス語のフレーズが用いられたのである。しかし、作者はフランス語がロシアにもたらすもろもろの有益な援助は大いに多としているし、また、むろん祖国に対する深い愛情からではあろうが、四六時ちゅうフランス語をつかうというわが上流階級の賞賛さるべき慣習には、敬意を表するにいささかもやぶさかではないが、しかしやはりこの自分のロシアの叙事詩の中へ、いかなる他国語のフレーズも持ち込む気にはどうしてもなれないのである。だから、ロシア語でものがたりを進めることにする。
「いったいどんな大事件ですの?」
「ああ、わたしのだいじな、アンナ・グリゴーリエヴナ、わたしのおかれたこの立場を、ちょっとでもあなたに想像していただけたら! じつはね、けさほど家へお梵妻《だいこく》さんがたずねてきてね――お梵妻さん、ほら、あのキリール神父のおくさんですよ、そしてどうでしょう、あなた、あの評判のおとなしそうな男、あの旅の男が、どんなやつだと思います、え?」
「ええ、まさかあの男がお梵妻さんをくどいたんじゃないでしょうね?」
「あら、アンナ・グリゴーリエヴナ、くどいたくらいなら、またいいわよ。ま、お聞きなさいましよ、お梵妻さんの話を。なんでも昨夜おそくコローボチカとかいう女地主さんがやってきて、すつかりおびえきって死人みたいなまっさおな顔をして、話したんだそうですけど、そのお話ったら! まあ、お聞きなさいましよ、ほんとに小説みたいですから。家じゅうがもうすっかり寝しずまった真夜中に、とつぜんドンドンと門をたたく音、それがあなた、とんでもない乱暴なたたき方で、『あけろ、あけろ、あけないとたたき破るぞ!』ってどなるんですって! あなたこれをどうお思いになって? こんなことをしていながら、なにさ、だて男ぶって?」
「それで、そのコローボチカとかいうひとはどうなの、若くて美人だとでもいうの?」
「とんでもない、おばあちゃんですよ!」
「あら、すてきじゃない! じゃ、あの男はおばあちゃんに手をつけたのね。してみると、この市の婦人たちの好みもりっぱなものねえ、とんだ男に夢中になったものだわ」
「あら、ちがうのよ、アンナ・グリゴーリエヴナ、ぜんぜんそうじゃないのよ、あなたの思いちがいよ。それがこうなんですって、どうでしょう、あなた、リナルド・リナルディン〔ドイツの作家ウルピウスの同名の小説の主人公で、盗賊〕みたいに、頭から足の先まですっかり武装したのが、ぬっとはいってきて、『おい、死んだ農奴をすっかり売ってくれ』と言うんですって。コローボチカが、『死んでるんだから、売るわけにはまいりません』と筋の通った返事をすると、あの男は、『いや、やつらは死んではいない。死んでいようが、いまいが、こっちのことで、おまえの知ったことではない。やつらは死んではいない、死人じゃない、死人じゃないんだ!』とどなるんですって。とにかく、たいへんな騒ぎになって、村じゅうの人々がかけつけるし、こどもたちは泣きわめくし、みんななんのことやらわからずに、むやみやたらにわめきちらすという騒ぎで、それこそ、ただもう、おそろしさに生きた空《そら》もなかったんですって!……でも、あなたには、アンナ・グリゴーリエヴナ、わたしがこの話を聞いたときどんなにおびえきったか、想像できないと思うわ。『まあおくさまったら』とマーシカがわたしに言いますのよ、『鏡をごらんなさいな、まっさおですわよ』でもわたしは、『鏡どころじゃないわ、さっそくアンナ・グリゴーリエヴナに知らせてあげなくちゃ』そう言って、すぐに馬車のしたくを命じましたのよ。馭者のアンドリューシャが、どちらへやりましょうときいたけど、わたしなんにも言うことができなくて、ただばかみたいにあれの目を見ているばかりで、あれはわたしが気が狂ったのじゃないか、と思ったかもしれませんわ。ああ、アンナ・グリゴーリエヴナ、わたしがどれほどおびえきったか、ちょっとでもあなたに想像していただけたら!」
「でも、へんですわねえ」とどこから見ても気持ちのよい婦人は言った。「死んだ農奴が、いったいどんな意味があるのかしら? わたし、正直に言いますけど、どういうことなのかさっぱりわかりませんわ。その死んだ農奴とやらの話を開いたの、わたしこれでもう二度めよ。良人はまだ、ノズドリョーフがいいかげんなことを言ってるんだろうなんて言ってますけど、なにか、きっと、わけがありそうだわね」
「ですけれど、ご想像くださいな、アンナ・グリゴーリエヴナ、それをはじめて聞かされたときの、わたしの驚きったらなかったわよ。『いまとなっては』コローボチカがこう言うんですって、『どうしていいのやら、さっぱりわかりません。なにやらいいかげんな紙にサインさせて、紙幣で十五ルーブリぽいと投げつけて、それで、わたしは世間知らずで、身よりたよりのない寡婦《かふ》だから、なにもわかりませんから……』って言ったそうですけど。とまあ、こんな事件なんですのよ! でも、ほんとに、わたしがどんなにおびえきったか、あなたにすこしでも想像していただけたら」
「それはわかりますけど、でも、これは死んだ農奴がおめあてじゃなくて、ここにはなにか別な意図がかくされているわよ、きっと」
「正直のところ、わたしもそう思うのよ」とただの気持ちのよい婦人はいささか驚きぎみに言った。そしてすぐに、なにがかくされているのかさぐりたい強烈な欲望を感じた。彼女はがまんができなくなって、間《ま》をおきながら言った。「でも、いったい、なにがかくされていると、お思いになって?」
「それより、あなたはどうお思いになる?」
「わたしがどう思うって?……わたし正直のところ、頭がすっかりこんがらかってしまって」
「でも、やはり、わたしどうしても知りたいと思うの、このことをあなたがどんなふうに考えているか?」
しかし気持ちのよい婦人はなんと言ったらいいのか、かいもく見当がつかなかった。彼女にできるのはただ不安に胸を騒がすことだけで、なにか筋の通った推定を立てるというようなことになると、もう手も足も出なかった。そして、だからこそ他のどの婦人たちよりも、彼女はやさしい友情と助言が必要だったのである。
「じゃ、いいこと、死んだ農奴とはいったいなにものでしょう」とどこから見ても気持ちのよい婦人が言いだした。するとそのことばで女客はからだじゅうを耳にした。耳がひとりでにのびて、からだがふわっと浮き、腰がほとんどソファにふれていないかに見えた。そしてかなり重いほうだったにもかかわらず、急にほっそりとなって、ふっとひとつ吹いたら空中へ飛んでしまいそうな、軽い羽根を思わせた。
それはちょうど、犬で追いたてる猟の大好きなだんなが、もうじき追いたてられた兎がとび出してきそうな森に近づくと、はっと凍りついた一瞬、編み鞭を振り上げたまま馬もろとも、まさに点火せんとする火薬に変わってしまうようなものである。彼はかっと見開いた目をうす暗い地表にすえて、獲物を追いつめ、行く手にどんな雪けむりが舞い上がって、銀色の星のような雪つぶてが口を、ひげを、目を、まゆを、海狸《ビーバー》の毛皮の帽子を襲おうと、ひるまず、なんとしても獲物をしとめずにはおかないのである。
「死んだ農奴とはね……」と、どこから見ても気持ちのよい婦人は言った。
「なんですの、なんですの?」と女客は胸をわくわくさせながら、せっついた。
「死んだ農奴だなんて!……」
「ねえ、おしえて、ごしょうだから!」
「これはただ人目をごまかすために考えられたことなのよ、ほんとのねらいはね、いいこと、県知事の娘をかどわかそうというのよ」
この結論は、たしかに、まったく思いがけないもので、どう考えても異常であった。気持ちのよい婦人は、それを聞くと、とたんにその場に石化してしまって、まっさおに、それこそ死人のようにまっさおになり、まさに、じょうだんでなくきもをつぶしてしまった。
「あらっ、まあ!」と彼女は両手をぱちっと打ち合わせて、叫んだ。「そこまでは、わたし夢にも気がつきませんでしたわ」
「ところがわたしはね、正直に言いますけど、あなたが目を開きかけたとたんに、このことだなと、ぴんときましたのよ」とどこから見ても気持ちのよい婦人は答えた。
「でも、そんなことだとしたら、ねえ、アンナ・グリゴーリエヴナ、女子大の教育なんてあてになりませんわねえ! だって、まだほんの小娘じゃありませんか!」
「なんの小娘なもんですか! あたし、あの娘の言ってることをそれとなく聞いてたんですけど、それがあなた正直のところ、わたしとっても恥ずかしくて口に出せませんわ」
「そうですわよ、アンナ・グリゴーリエヴナ、このごろの道徳観念もとうとうそこまでだらくしてしまったかと思うと、ほんとに胸がひきさかれますわ」
「ところが、殿がたときたらあの娘に夢中なんですよ。わたしの目から見ると、正直のところ、どこがどうってとりたてて言うほどのところもありませんがねえ、……動作だって生意気ったらないし」
「あら、ほんとよ、アンナ・グリゴーリエヴナ、あの娘はまるで銅像よ、あのつんととりすました無表情な顔ったら」
「ええ、あのきどりようったら! ほんと、つんとすまして! あんな作法ってあるかしら! だれにおそわったのか、知らないけど、あんなもったいぶった女、わたしまだ見たことがありませんわ」
「そうですとも! あの娘は銅像みたいに無表情で。死人みたいにあおい顔をして」
「あら、なにをおっしゃるの、ソーフィヤ・イワーノヴナ、恥ずかしげもなく紅《べに》をさしてたじゃないの」
「まあ、そんなことありませんわよ、アンナ・グリゴーリエヴナ、白墨みたいにまっ白でしたわ、それこそきみわるいほど、まっ白でしたわよ」
「おやまあ、わたしあの娘のすぐそばにすわっていましたのよ。紅を指ほどの厚さに塗ってるものですから、しっくいみたいに、ぼろぼろとはげおちて。おかあさんが教えたのよ、自分が|男たらし《コケツト》なものだから、ところがどうして、娘のほうが上手《うわて》らしいわね」
「まあ、ちょっとお待ちくださいな、それはあなたがどんな誓いをおたてになろうと、かまいませんけど、わたしは、あの娘がほんの一しずくでも、ほんのぽっちりでも、ほんのぼかしででも紅をさしていたら、今すぐこどもも、夫も、全財産を投げ出してもかまいませんわよ!」
「あら、どうしてそんなことをおっしゃいますの、ソーフィヤ・イワーノヴナ!」とどこから見ても気持ちのよい婦人は言うと、パチッと手を打ち合わせた。
「ほんと、あなたったら妙なかたねえ、アンナ・グリゴーリエヴナ! わたしびっくりしてあなたの顔を見ちゃったわ、」と気持ちのよい婦人は言って、これもパチッと手を打ち合わせた。
だが、ふたりの婦人がほとんど同時に見たものについて意見がわかれたからといって、読者にはべつに不思議に思われないであろう。たしかに、世の中には、ひとりの婦人が見れば、まったく白く見えるが、別な婦人が見ると、赤く、こけもものようにまっかに見えるというような、そのような性質を持っているものがたくさんあるものである。
「そう、あの娘があおかったという証拠がもうひとつありますわ」と気持ちのよい婦人がつづけた。「わたしつい今しがたのことのようにはっきりおぼえてるけど、わたしマニーロフさんのそばにすわっていて、『ごらんなさいな、あの娘の顔色のあおいこと!』とマニーロフさんに言いましたのよ。まったく、この市の殿がたたちみたいに、よくよくの盲目ででもなければ、あんな娘に夢中になれはしないわ。だのに、あのだて男ときたら……ほんと、いやらしいったらありゃしない! あなたにはとても想像できないと思うわよ、アンナ・グリゴーリエヴナ、あの男がどれほどわたしにいやらしく見えたかなんて」
「でも、あの男におだやかでないご婦人がたがかなりいましたわよ」
「あら、わたしがっていうの、アンナ・グリゴーリエヴナ? とんでもない、そんなこと決しておっしゃってもらっちゃこまるわ、決して、決して!」
「おや、わたしあなたのことを言ってるんじゃありませんよ。まるであなたのほかはだれもいなかったみたいに、妙なことをおっしゃるわねえ」
「決してよ、決してよ、アンナ・グリゴーリエヴナ! おことわりしておきますけど、わたしはちゃんと自分というものをわきまえておりますからね。それは、どこかのおくさまがたみたいに、えらくお高くとまっているかたたちのことは存じませんけど」
「まあ、失礼しちゃうわね。ソーフィヤ・イワーノヴナ! それならわたしも言わせてもらいますけど、わたしにはそのようなみっともよくないことはこれまで一度だってございませんでしたからね。ほかのかたは存じませんが、わたしにはありません、はっきりおことわりしておきますわ」
「まあ、どうしてあなたお怒りになったの? だってあそこには他のおくさまがたもいたじゃありませんか、あの男のそばにすわろうとして、ドアのところで椅子のうばい合いまでしたようなおかたもありましたわ」
さあ、気持ちのよい婦人によって放たれたこのようなことばのあとには、嵐が起こるのはさけられぬはずであった。ところが、驚いたことに、ふたりの婦人が急におとなしくなって、まったくなにも起こらなかったのである。どこから見ても気持ちのよい婦人は、流行の服の型紙がまだ手もとに来ていないことを思い出したし、ただの気持ちのよい婦人は、この心からの友だちによってなされた発見について、まだくわしいことをなにもきき出していないことに気がついたからで、そのためにすぐに平和が来たのである。と言って、このふたりの婦人がもともと腹の中に相手を傷つけたいという欲望を持っていたとは言えないし、だいたいふたりとも性質にわるいところはなかったが、ただなんとなく、無意識に、話しているあいだに相手をちょっと突ついてやろうというささやかないたずらっ気が生まれたのだった。ときに、おもしろ半分に、『ほら、これ、きみにやるよ! そら、これ食えよ!』というような生きのいいことばをつぎつぎとさしはさむようなもので、男の心にも、女の心にも、いろいろと変わった要求があるものである。
「それにしても、わたしひとつだけわからないことがあるんですよ」とただの気持ちのよい婦人が言った。「どうしてチチコフが、ここへちょっと寄っただけなのに、そんな思いきったことをする気になったのでしょうねえ。共謀者がいないなんて、ちょっと考えられないわ」
「あなたはいないとお思いになって?」
「じゃ、あなたは、いったいだれがあの男のしり押しをしたと思って?」
「そうね、ノズドリョーフあたりじゃないかしら」
「まさかノズドリョーフが?」
「あら、どうして? あの男のやりそうなことじゃありませんか。ご存じでしょうけど、あの男は実の父親まで売ろうというんですからねえ、というのは、まあ、カルタの賭《か》けにすることですけど」
「おや、まあ、ほんとにおもしろいニュースをうかがいましたこと! ノズドリョーフがこの事件にささってたなんて、わたし夢にも思いませんでしたわ!」
「あら、わたしははじめっからそう思ってましたのよ」
「まったく、世の中にはなにが起こるかわかりませんねえ! だって、チチコフがはじめてこの市に来たときに、のちに社交界にこんな奇妙な騒ぎをまき起こそうなどと、予想できたかしら? ああ、アンナ・グリゴーリエヴナ、わたしがどれほどきもをつぶしたことか、あなたに知っていただけたら! でも、もしあなたのご好意とご親切がなかったら……それこそ、もう、あぶなく破滅のふちに……おお、おそろしい! うちのマーシカが、わたしが死人みたいにまっさおなのを見て、『おくさま、顔色が死人みたいにまっさおですわ』と言うものですから、わたしは、『マーシカ、今はそれどころじゃないんだよ』と叱りつけてとんできたんですよ。こんな大事件ですのに! じゃ、ノズドリョーフが関係してたのね、ほんと、恐れ入りましたわねえ!」
気持ちのよい婦人はこの誘拐事件についてもっともっとくわしく、つまり何時に、どこで、どんなふうにというようなことまで、きき出したくてたまらなかったが、しかしそれは欲が深すぎた。どこから見ても気持ちのよい婦人は正直にこれ以上はわからないと言った。彼女はうそがつけなかった。なにか推定することは――話が別だが、それだってその推定が心内の確信に根ざしている場合のことである。もしも心内の確信が感じられたなら、彼女は自説をあくまで主張することができたであろうし、そしてここに他人の意見を克服する天分を誇りにしている有能な弁護士があって、彼女と論戦をこころみたならば、――心内の確信とはどういうものかを、思い知らされたことであろう。
ふたりの婦人が、はじめは単にひとつの仮定として予想していたことを、しまいにはきっぱりと確信するにいたったが、それはなにも珍しいことではない。賢明な人間と自称しているわれわれ一同が、ほとんどそれと同じようなことをしており、しかも学者たちの諸考察がそれを証明しているのである。学者ははじめは異常なまでに卑屈な態度でそれに近づき、おどおどと、どっちつかずに、ごくおだやかな質問からはじめる。そこからではないでしょうかな? これこれの国の名まえはそのあたりの地方から来たのではなかろうかな? とか、この文献は、それとは別のもっと後代のものではありませんかな? とか、この民族はこれこれの民族と理解する必要はないでしょうか? といったぐあいである。それから急いであれやこれやと古代の文献をあさっているうちに、なにかの暗示を見つけるか、あるいは単に暗示と思われるようなものにでも出会うかすると、たちまち勢いづいて、だいたんになり、おどおどした仮定からスタートしたことなどすっかり忘れてしまって、無遠慮に古代の学者たちに話しかけたり、質問をしたり、また自分が彼らに代わって答えたりまでする。彼にはもう自分がそれを目でたしかめて、明確に把握したように思われて、――そして考察は、『つまり、これはこれこれしかじかであった、したがってこれこれの民族と理解せねばならぬ、つまりかかる観念からこの問題を見ねばならぬのである!』というようなことばで結ばれる。つづいて演壇からおおやけに発表され、――こうして新しく発見された真理が世の中に流布《るふ》され、模放者と崇拝者を集めることになるのである。
ふたりの婦人がこのように錯綜《さくそう》した事情をじつに巧みに手ぎわよく解決した、ちょうどその時に、濃いまゆ毛の下で片目をパチパチさせるだけで、いつも仮面のような無表情な顔をした検事が、客間へはいってきた。婦人たちは先を争って事件のすべてを彼に報告し、死んだ農奴の買い入れや、知事令嬢の誘拐の意図などについてぺらぺらとまくしたてて、彼をすっかり面くらわせてしまった。そのために彼は長いことその場につっ立ったまま、左目をぱちぱちさせて、ハンカチであごひげをたたいて、そこについていたタバコの粉をパラパラはらい落としていたが、なにがなにやらとんと意味がのみこめなかった。
そのまま彼をそこへのこして、ふたりの婦人は市じゅうに一騒動を起こすために、それぞれその受け持ち地区へ出かけていった。この企てはわずか三十分ほどで首尾よくその目的が達せられた。市じゅうはたいへんな騒ぎになって、人心はすっかりかきみだされたが、だれもなんのことやらさっぱり意味がつかめなかった。ふたりの婦人がみんなの目にじつに巧みに煙幕《えんまく》をはりめぐらしてしまったので、みんなは、わけても役人たちは、しばらくのあいだ立ちくらんで、われにかえることができなかった。最初のうち彼らの状態は、眠っている小学生が、早く目をさました仲間のこどもたちに驃騎兵、つまりタバコの粉をつつんだ紙を鼻の穴へさしこまれたときの状態に似ていた。夢うつつだから思いきり深く息をしてタバコをすっかり吸いこんでしまい、はっと目をさまして、あわててはね起き、寝ぼけ眼《まなこ》を見はってばかみたいにあたりをきょときょと見まわすが、自分がどこにいるのか、どうなったのか、さっぱりわからないが、やがて斜めに射しこむ光線に照らされている壁が目に映り、隅々にかくれたこどもたちの笑い声や、窓の外の朝げしきに気がつき、目ざめた森や、無数の鳥の鳴き声や、狭い小道のあいだをくねくねと見えがくれしている、きらきら光る小川や、キャッキャッとはしゃぎながら水あびをしているこどもたちが見えてくる。そして、そのときになってやっと、鼻の穴に驃騎兵がはいっていることに気がつくのである。
まったくこれと同じような状態に、最初しばらくのあいだ市の住民たちと役人たちはおかれたのである。だれもかれもが、まるでうすのろみたいに、きょとんとしてしまった。死んだ農奴と、県知事の娘と、チチコフが彼らの頭の中でごちゃごちゃとまじりあって、なんともへんなぐあいにもつれあった。しばらくして、最初の痴呆《ちほう》状態がすぎてからようやく、彼らはその三者を見分けて、一つ一つ切りはなすことに気づいたらしく、事情の糾明《きゆうめい》にとりかかったが、問題のほうがどうしてもほぐれたがらないのを見て、腹をたててしまった。死んだ農奴など、なんだというのだ、まったくどう説明したらいいのだ? 死んだ農奴などまったく理屈にあわぬ、いったいどうして死んだ農奴なんぞ買わねばならぬのだ? そんなばかがどこにいるものか? おまけに、そんなものを買うなんて、金をすてるようなものじゃないか? それに、どんなめあてがあって、どんなことに、死んだ農奴なんぞを結びつけようというのだ? それにどうしてここに知事の娘がでてきたのだ? よしんば彼が知事の娘を連れ去ろうとねらったにしてもだ、そのためにどうして死んだ農奴を買わねばならんのだ? 死んだ農奴を買ったからとて、どうして知事の娘を連れ去るのだ? 死んだ農奴を引き出物にでもしようと思ったのか? まったく、なんというばかげたうわさが市じゅうにひろまったのだろう! からだの向きも変えないうちに、もうあらぬうわさをたてられるなんて、なんというなげかわしい傾向だろう、それもすこしでも意味があるならまだしも……しかし、ひろまった、ということは、つまりなにか理由があったわけか? 死んだ農奴にどんな理由があるというのだ? 理由などあってたまるか。なんてことはない、竹ざおをひきずった荷車みたいに、だれかがべらべらしゃべっているうちに、ひょっこりそんなことになったので、くだらん、ナンセンスさ、半熟の長靴ってやつだ! あほらしいとはこのことだ!……、要するに、うわさがうわさを生んで、市じゅうの人々が、死んだ農奴と県知事の娘のことや、チチコフと死んだ農奴のことや、県知事の娘とチチコフのことを、それぞれ組み合わせて話題とし、それこそ市に住むかぎりの者がひとりのこらず立ち上がった。それまでまどろんでいたかに見えた市が、旋風のように巻き上がったのである。きゅうくつな靴を縫った靴屋や、仕立て屋や、飲んだくれの馭者に罪をおっかぶせて、何年間も寝巻きのまま家の中にねころがっていた、ぐずやのろまどもが、ぞろぞろとねぐらからはい出てきた。もうとっくの昔にいっさいの交際を絶ってしまって、いわゆるザワリーシン氏やポレジャーエフ氏とばかりねんごろにしていた連中(これは『ポレジャーチ〔横になる〕』と『ザワリーツア〔寝ころがる〕』という動詞から出た有名な術語で、横臥、仰臥、その他あらゆる姿勢で、いびき、鼻笛、その他あらゆる付属物をともないながら死んだように眠る意味に、ソピコフ〔鼻笛〕氏とフラポヴィッキイ〔いびき〕氏を訪ねるというフレーズが用いられると同じように、わがロシアでよく使われるしゃれである)、また五百ルーブリもはりこんだ豪勢なさかなスープや、一メートル半もの大蝶鮫《おおちようざめ》や、口に入れたらとろりととけるようなピローグなどのごちそうでつろうとしても、ぜったいに家の中から誘い出せなかったような連中が、ひとりのこらずぞろそろと出てきたのである。
つまるところ、市はなかなかにぎやかで、大きく、それなりの人口もあることがわかったのである。スイソイ・パフヌーチエヴィチだの、マクドナル・ド・カルローヴィチだのと、これまでついぞ聞いたこともなかったような人間もあらわれたし、おそろしくのっぽな、片腕に貫通銃創のある、これまでだれも見たこともない男が、客間ににょきっとつっ立ったりした。通りという通りに有蓋軽馬車や、えたいの知れぬ大型車や、ガタ馬車や、車輪のギイギイ鳴る馬車などがあふれて、たいへんな騒ぎになった。今でなく、そして事情がちがっていたら、この程度のうわさは、おそらく、だれの注意もひかなかったであろうが、N市はここ数年というものおよそ事件らしいものはなにもなかったのである。特にこの、二か月のあいだは、首都で投書とよばれているようなことさえ、ぜんぜんなかった。これは、周知のように、都市の生活にとっては、適時な食料品の入荷と用じことで欠かすことのできないものなのである。
市の世論にはたちまち二つのまったく相反する意見があらわれ、またたくまに二つの対立する党派が形成された。つまり男性派と女性派である。男性派は、さっぱり腰がきまらず、おもに死んだ農奴に関心を向けた。女性派はもっぱら知事令嬢の誘拐の問題に熱中した。この党派は、婦人たちの名誉のために指摘しておく必要があるが、はるかに統制がとれ、気の配りも密であった。これは、どうやら、巧みに家計を切りまわすりっぱな主婦になるという彼女たちの使命そのものから来るらしい。彼女たちのあいだではいっさいがまもなくはっきりした一つの姿をとり、明確な形をあたえられて、ちゃんとした説明もつけられて、みごとに仕上げもされた。一口に言えば、完成された絵ができ上がったのである。
つまり、チチコフはもうだいぶまえから知事の娘にほれこんでいて、ふたりは月の光にぬれて公園であいびきをかさねたりしていたほどで、知事にしても、チチコフがユダヤ人みたいに金持ちではあるし、彼にすてられた妻のことさえなかったら(チチコフに妻があったことを、彼女たちがどこから知ったのか、それはだれにもわからなかった)、娘をやるつもりにさえなっていたが、そこへ望みのない愛に悩みはてた妻が、せつせつと胸にせまるような手紙を知事に送ってきた。そこでチチコフは、どうしても両親の承諾をえられそうもないと見てとってかけおちを決意した、というのである。他の家では、話の筋立てがすこしちがっていて、チチコフには妻などというものはぜんぜんないとし、ただ抜けめがなく、確実いっぽうに行動する男だから、娘を手に入れるために、まず母親を落としにかかって、ついに人目をしのぶ深い仲になり、それからやおら娘に対する結婚の申し込みを持ちだした。ところが母親はびっくりして、宗教にそむく罪をおかすことをおそれ、また良心の苛責《かしやく》を感じて、それをきっぱりとことわった。そこでやむなくチチコフは誘拐を決意したのだ、というのである。こうした風説が、ひろまるにつれてますますたくさんの説明や訂正が付加されて、しまいには、場末の路地裏にまで滲透していった。ロシアというのは下層階級の人々が上流社会のさまざまなゴシップをうわさし合うのをひどく好む国だから、この話は、チチコフのことなど見たこともなければ聞いたこともないような裏長屋でもうわさされるようになり、ますます尾びれ背びれがつけられて、とほうもない説明までくわえられるようになった。
話の筋は時を追うてますますおもしろくなり、日ましに完全な形に近づき、ついにいかにももっともらしい、完全に仕上げられた形で、知事夫人の耳に達したのである。知事夫人は、一家の主婦として、市でナンバー・ワンの貴婦人として、かつまたこのようなことはつゆほども疑ったことのない婦人として、このような醜聞《スキヤンダル》にこのうえない侮辱を感じて、烈火のごとく腹をたてたが、この腹だちはどこから見てもしごく当然であった。あわれな金髪娘は、十六娘がまれに母から受けることのある、あの不快きわまる「面とむかってのきびしい追求」をたえしのばなければならなかった。きびしい質問や、訊問や、叱責《しつせき》や、威嚇《いかく》や、非難や、訓戒が、洪水のようにおそいかかったので、娘はみるみる涙目になって、ただ声をふるわせて泣くばかりで、なぜ叱られるのか母の一言も理解できなかった。いつ、どんな理由でたずねてきても、ぜったいにチチコフを通してはならぬという厳命が門番にあたえられた。
知事夫人に関する作戦を一応終了すると、婦人たちは男性派に攻撃をかけて、彼らを自軍の陣営にひきこみ、死んだ農奴などはつくりごとで、ただ人目をそらし、誘拐を有利にする陽動作戦として用いられたにすぎないことを認めさせようとこころみた。男たちの中には、この誘いにのって、彼女たちの陣営に走る者がかなりでてきて、仲間の男性たちから痛烈な非難をあび、|みずてん《ヽヽヽヽ》だの腰巻だのとさんざんにののしられた、――周知のように、これは男にとってきわめて屈辱的な罵《ば》言である。
しかし男たちがどんなに武装して、抵抗をこころみたところで、彼らの陣営には女性の陣営に見られるような統制というものがなかった。彼らの陣営では、すべてがどことなくかさかさで、どろくさく、ふてぎわで、無益で、不体裁で、劣悪で、頭の中はごった返しの雑踏で、考えがすこしもまとまりがなく、ちりぢりばらばらで、――要するに、なにごとにつけからまわりばかりする男の本性、粗野で、鈍重で、家をとりしきるにも、心の構えを固めるにも向かない男の本性がすっかりむき出しにされたわけで、男というものはえらそうな顔をしているが、たえず信念がぐらつき、ものぐさで、しょっちゅうなにかを疑ぐり、びくびくしているものなのである。
彼らの説によると、こんなことはみなくだらぬことで、知事の娘の誘拐などということは、文官ではなく、むしろ驃騎兵のやることで、チチコフがそんなことをするわけがない。そんなことは女どものつくり話だ、女というやつは――袋みたいなもので、なにか入れられると、それをそのまま運んでいくものだ、関心を向けなければならぬ主要問題は、死んだ農奴だが、これが、しかし、どういう意味を持つものやら、とんとわからん、とはいえ、ここにはじつにけしからぬ、よくないたくらみがかくされているらしい、というのである。なぜ男たちが、ここにけしからぬ、よくないたくらみがかくされていると思ったか、それはすぐにわかった。県に新任の総督が来ることになったからである。これは、周知のように、役人どもに大|恐慌《きようこう》をもたらす事件で、しらみつぶしの検査がおこなわれ、厳重な譴責《けんせき》だの、ほおげたがひん曲がるほどのビンタだの、その他長官が部下にふるまうあらゆる種類のごちそうを突きつけられることになるのだ。『さあ、たいへんなことになったぞ』と役人どもは考えた。『市にこんなばからしいうわさが流れていることが、総督の耳にちらとでもはいったら、それだけでもう火だるまのように立腹なさるかもしれんぞ』医務局の監督は不意にまっさおになった、というのは不意にどこからどうわいたのか、彼の頭に、死んだ農奴ということばは、適宜《てきぎ》な防疫措置《ぼうえきそち》をとらなかったために、流行性熱病が蔓延《まんえん》し、病院その他多くの場所でおびただしく死んだ病人という意味で、チチコフは秘密調査のために総督官房から特派された役人ではあるまいか、という考えがひらめいたからである。彼はさっそくそのことを裁判所長に話した。裁判所長は、そんなばかなことが、と一笑にふしたが、そのあとで、チチコフが買った農奴がほんとに死人だったら、と考えて、今度は自分がまっさおになってしまった。彼がその登記を認可し、しかもプリューシキンの証人にまでなったではないか、そんなことが総督の耳にはいったら、それこそどんなことになるか? 彼がそれをほんのちらと一、二の者に耳打ちしただけで、聞いたほうも急にまっさおになった。恐怖というものはペストよりも粘着《ねんちやく》しやすく、一瞬にして伝わるものである。一同は突然ありもしない自分の罪まで見つけ出しはじめた。『死んだ農奴』ということばが持つニュアンスがひどくばくぜんとしているので、最近あった二つの事件のあとしまつで、早く埋葬しすぎた死体に対するほのめかしがあるのではないか、などという疑いさえ出てきた。その一つの事件というのは、この市の定期市《いち》にやってきたソリウィチェゴーズスク〔ロシアの東北部のヴォログダ県下の郡の中心都市〕の商人たちが、打ち上げに同じ地方のウスチスイソーリスク〔上と同県下の他の郡の中心都市〕の商人連中を招いて、アルシャードや、ポンス〔ともに酒、香料、果汁、さとうなどでっくる飲料の一種〕や、芳香酒《バルサム》などのびんを林立させ、ドイツふうの工夫をまじえてロシア式に盛大に張った酒盛りの結果として起こったのである。酒宴は、例によって、けんかでおわった。ソリウィチェゴーズスクの連中はウスチスイソーリスクの連中をなぐり殺してしまった。もっとも彼らも脇腹や、肋骨《ろつこつ》の下や、みぞおちにかなりでかい青あざをつけられたが、これでみると殺された連中のげんこつも相当に大きなものであったことがわかった。勝ったほうのひとりなどは、拳闘仲間のいうノックアウト・パンチを鼻にくらって、鼻がすっかりつぶれてしまって、鼻のかけらが指半分ほどかろうじて顔の中にのこっているありさまだった。商人たちは、すこしばかりやりすぎたと言って、自分たちの非を認めた。彼らは自首した際に、役人ひとりひとりに四ルーブリ紙幣をにぎらせたといううわさが流れた。しかし、事件はすこぶるあいまいで、訊問と現場検証の結果、ウスチスイソーリスクの連中は炭酸ガス中毒により死んだということになり、炭酸ガスによる中毒死として埋葬されたのである。最近あったもう一つの事件というのは、つぎのような事件であった。ウシワーヤ・スペス村の国有農民が、ボロフカ村とザジライロヴォ・トーシ村のやはり国有農民と結んで、ドロビャーシキンとかいう巡査もろとも駐在所を地表から消してしまったというのである。なんでもその駐在、つまりドローシキンとかいう巡査があんまりうるさく村へやってくるので、つねづね厄病神《やくびようがみ》みたいにきらわれていたが、その真因は、この巡査が女癖があまりよくなく、村の女房たちや娘たちに色目ばかりつかっていたためらしい。百姓たちが正直に供述しているところでは、この巡査がねこみたいに夜ばいが違者で、すでに何度か見張りを立てたほどで、一度などはある百姓家にしのびこんだところをつかまえて、裸のまま追いはらったことさえあったということだが、しかし、真相は不明である。もちろん、これほど女癖がわるければ罰を受けて当然ではあろうが、だからといってウシワーヤ・スペス村の百姓も、ザジライロヴォ・トーシ村の百姓も、実際にこの殺害にくわわったなら、そのかってなふるまいはやはり許されるべきではない。しかしこの事件もあいまいで、この巡査の死体は路上で発見されたが、制服だかフロックもずたずたに引き裂かれていて、もはや顔の見分けもつかなくなっていた。事件は村や郡の裁判所をまわって、市の控訴院《こうそいん》にまで持ちこまれ、そこでははじめ未公開で審議されて、百姓たちのだれが実際に殺害にくわわったのか不明であり、といって全員を処刑することは多すぎてできないし、ドロビャーシキンはすでに死んでいるのだから、たとえ裁判に勝ったからとて、あまり得にもならないが、百姓たちは生きているのだから、彼らにとっては有利な判決を下されることがひじょうに重要な意義を打つ、という考えに立って、巡査ドロビャーシキンはウシワーヤ・スペス村とザジライロヴォ・トーシ村の農民たちに不当な圧迫をくわえたことによって、自ら農民たちのうらみを買ったが、死んだのは、橇《そり》でもどる途中、卒中の発作《ほつさ》によるものである、という判決が下された。事件はまるくおさめられた、と思われていいはずなのだが、役人たちは、どういうわけか、きっとこの死せる魂たちのことがいま問題になっているのだ、と考えはじめた。その不安に故意に追い討ちをかけるように、そうでなくても役人たちがおろおろしていたちょうどそのときに、県知事のところに一度に二通の通告がとどいた。
その一通には、もろもろの証言や報告によると貴県に紙幣偽造犯人がさまざまな偽名をつかって潜伏しているはずであるから、直ちに厳重な捜索をしてもらいたい、ということが書いてあった。もう一通は隣県の知事からの依頼状で、手配ちゅうの強盗がひとり逃亡したので、県内に身分証明書および旅券を呈示しない挙動不審《きようどうふしん》な人間がいたら、直ちに逮捕してもらいたいという内容であった。この二通の書面は一同をあぜんとさせた。これまでの結論や推定はすっかりご破産になってしまった。もちろん、これがチチコフになにかのかかわりがあろうなどとは、ぜったいに思われなかったが、しかし、それぞれ自分の立場からあらためて思い直してみると、彼らはいずれも、チチコフがほんとうに何者なのか、まだ知っていないことに気がついた。チチコフ自身が、自分のこととなるとひどくあいまいなことしか言わないし、もっとも、役所勤めをしていたころ正義のために苦しい思いをしたなどとは言ったが、それだってどことなくあいまいだし、しかもその際彼の生命までねらうような敵がたくさんいたというようなことまで言ったことを思い出して、彼らはますます考えこんでしまった。ということは、つまり彼の生命が危険だったということで、したがって、彼は追求されていたということになり、それはつまり、彼がなにかそうしたことをしでかしたということに……さて、いったい彼は何者なのだ? もちろん、彼がにせ札をつくるようなことができようとは、思われないし、まして強盗をはたらきそうには、どうしても見えない。風采がりっぱだ。しかしそれにしても、まったく、それならそれで、いったい彼は何者なのだ?
というわけで役人たち一同は、今にしてはじめて、本来ならばこの叙事詩の第一章において課さるべきであった疑問を、それぞれ自分の胸に問うたのである。農奴を売った地主たちをよんで、もうすこしくわしくきいてみようということになった。そうすればすくなくとも、実際にどんな取引がおこなわれ、死んだ農奴ということばをどう解すべきかわかるかもしれないし、もしかしたら、うっかりして、ほんのちらとでも、だれかに自分の真のもくろみをもらしたり、あるいは自分の素性《すじよう》をにおわせたりしていないともかぎらない、と思ったのである。
まずコローボチカがよばれたが、これからはたいしてうるところがなかった。まず十五ルーブリで農奴を買ったこと、鳥の羽根も買うといい、いろいろとたくさん買うことを約束し、お上《かみ》のご用達《ようたし》に獣脂《ラード》も買い上げてやるなどと言ったから、てっきり詐欺師にちがいない、というのはまえにもそういうやつがひとりいて、鳥の羽根を買ったり、獣脂《ラード》をお上のご用達にしてやるからといって、みんなをだまし、梵妻《だいこく》などは百ルーブリ以上もだましとられたことがあったからだ、ということくらいであった。あとはなにをべらべらしゃべっても、ほとんど同じことの繰り返しばかりで、役人たちはコローボチカがあきれたばかなばあさんだということを思い知らされただけであった。マニーロフは、パーヴェル・イワーノヴィチのことなら、自分自身のことと同じように、いつでも喜んで保証するつもりであるし、パーヴェル・イワーノヴィチの才能の百分の一でも持つことができるなら、全財産を投げ出しても惜しくはない、と答えて、総じてことばをつくして彼を絶賛し、うっとりと目を細めて友情についての若干の考察をつけくわえたのであった。これらの考察は、もちろん、彼の心情の柔和な動きをじゅうぶんに説明はしたが、役人たちにかんじんな問題はすこしも明らかにしてくれなかった。サバケーヴィチは、自分の見たところでは、チチコフはりっぱな人物で、自分が売った農奴たちは選りぬきのいせいのいい連中ばかりだが、今後のことについてまでは保証できないから、たとえ困難な移住の途中で死ぬようなことがあったにしても、それは自分の責任ではなく、神の思し召しというものである、しかも熱病とかその他生命をうばうおそろしい病気が世の中にはすくなからずあるもので、一村ぜんぶが死に絶えたという例もあるくらいだ、と答えた。
役人たちはもう一つの手段をつかってみた。これはあまり品はよくないが、しかし、よく用いられる手《ヽ》で、いわゆるからめ手というやつで、さまざまな従者仲間のつきあいを通じて、だんなの以前の生活や事情についてなにかくわしいことを知っていはしないかと、チチコフの従者にいろいろとあたらせてみたが、これもあまりたいしたことは聞き出せなかった。ペトルーシカからはそのねぐらのむかむかするようなにおいをかがされただけだし、セリファンからは、お上の勤めをつとめ上げた人で、まえには税関につとめていたこともあるということだけで、そのほかはなにも聞かれなかった。こうした階級の者にはじつに妙な癖があって、なににせよ、そのことをずばりときかれると、さっぱり思い出せず、頭の中にすこしもぴんと来ないで、ただ知らないと答えるだけだが、なにかよそごとをきくと、頭の中がたちまちそちらへほぐれていって、こちらが知りたくもないことまで、いやにくわしくべらべらとしゃべり出すものである。
役人たちによっておこなわれたすべての探索《たんさく》のこころみは、チチコフが何者か、正確にはどうしてもわからないが、しかしやはり、チチコフはぜったいに何者かにはちがいない、ということを彼らに明らかにしてくれたにすぎなかった。彼らはついにこの問題について最終的に討議し、すくなくとも、なにをどうすべきか、いかなる手段をとるべきか、そして彼がほんとうに何者なのか、つまり不穏な意図《たくらみ》を持つ男として逮捕拘留する必要があるような人間なのか、あるいは反対に彼のほうが彼ら全員を腹の黒いやからとして逮捕拘留できるような人間なのか、それを決定することにきめた。そのために全員が、どんな無理を押しても読者諸君にすでにおなじみの市の慈父であり恩人でもある警察署長の家に集まることが定められた。
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第十章
読者諸君にすでにおなじみの市の慈父であり恩人である警察署長の家に集まってみると、役人たちはこの数日の心労と不安のためにげっそりやつれたことを、互いに認め合った。たしかに、新総督の任命と、重大な内容の二通の通告と、このわけのわからぬとっぴなうわさ――これらのものは彼らの顔にまざまざとその跡をのこし、多くの者がえんび服が目に見えてだぶだぶになった。
みんなしょうすいしていた。裁判所長もやせたし、医務局の監督もやせたし、検事もやせた。セミョーン・イワーノヴィチとかいう男は、決して姓を呼ばれたことがなく、人さし指に大きな指輪をはめて、いつも婦人たちに見せびらかしていたしゃれ者だが、その男までがやせた。もちろん、どこにでもそうした者はいるもので、いっこうに元気を失わぬきもの、ふとい者もいるにはいたが、ごく少数で、というよりは、郵便局長ひとりだけであった。彼だけはいつも変わらぬ起伏《きふく》のないぼう洋とした態度で、こんなときはきまって、「あなたがたのことはよく承知してますよ、総督さん! まあ、あなたがたの三人や四人変わることがあっても、わしはもうここにこうして三十年もかんばってるんですぜ」と言うのが癖であった。
それに対して他の役人たちはいつもこうやり返したものである。「そりゃ、きみぁいいよ、シュプレッヘン・ズィ・ドイッチェのイワン・アンドレーイチ。きみのしごとは郵便事務で、郵便物を受け付けて、発送するだけだ。ずるをやるにしたところで、締切りを一時間早くして、おくれてきた商人から時間外受付料をとるとか、規定外の品物を送ってやるくらいなもので、――だから、むろん、いつもきれいな手でいられるってわけだ。ところが悪魔にとっつかれていつもそでの下にしのばれてみろ、きみがとりたくなくっても、悪魔のやつがおしこんでくれるようになるんだぜ。そりゃきみは、気が楽さ、こどもにしたって、息子がひとりきりだ。だが、プラスコーヴィヤ・フョードロヴナはいいからだに恵まれてるから、一年もたったら、みごもって、プラスターシカか、ペトルーシカが生まれる。そうしたら、まあ、きみの歌の文句も変わるだろうよ」
役人たちはこんなことを言ったが、ほんとうに悪魔の誘惑に抗《こう》しきれるものかどうか、それを裁くのは作者のしごとではない。さてここに開かれた集会には、一般民衆のあいだで筋道といわれている必要な要素が欠けていることが、ひどくめだった。総じてわれわれロシア人というものはどういうものか会議に向くようにはつくられていない。下は百姓たちの寄り合いから、上は学会やその他の委員会まで、およそわがロシアの集会というものは、全体をとりしきる一つの頭がなければ、収拾のつかない混乱をきたしてしまう。どうしてそうなのか、ちょっと説明にこまるが、どうやらこの国の人々の気性が、飲んだり食べたりするために開かれる集まり、たとえば、ドイツ式のクラブその他あらゆる宴会場の会合以外には、ぴったり合わないようである。ところがいつでも、まあどんな集まりにでも、出ようという殊勝《しゆしよう》な気持ちはある。だからいきなり、とうとつに、慈善団体だの、後援会だの、その他わけのわからぬ団体をつくったりする。目的はりっぱだが、しかしけっきょくはなにも生まれないのである。これはあるいは、最初にいきなり感激してしまって、もうそれですべてがうまくいったと考えてしまうせいかもしれない。
たとえば貧民救済の慈善団体の設立を計画して、かなりの額の寄付金を集めると、われわれはすぐにこのような、美しい善行を記念して市の名士をひとりのこらず招いて午餐会を開き、その費用に寄付金の半分は消えてしまう。その残金でさっそく委員会のために、暖房と守衛のついた豪華な家を借りる。すると貧民救済のための金はせいぜい五ルーブリ半くらいしか残らないことになる。しかもなおその金の分配をめぐって委員同志の意見がまとまらず、それぞれが自分の縁者のほうへまわそうとする。ところが、いまここに集まった会合はそれとはまったく種類がべつで、緊急の必要があって開かれたのである。貧民とか第三者とかの問題ではなく、どの役人にもかかわりのある問題で、これは全員を一様におびやかした災厄《さいやく》に関係した問題なのである。したがって、この際はいやでも心を合わせ、しっかりと結びつかなければならぬはずである。ところが、それにもかかわらず、まったくとほうもない結果になってしまった。
意見の不一致ということは、どんな会議にもつきものだから、それは言わないとして、集まった連中の意見になんとも理解しかねるような妙にあやふやなところがさらけ出されたのである。ある者は、チチコフを紙幣偽造犯人だと言っておきながら、そのあとですぐに、「だが、ひょっとしたら、そうでないかもしれん」と言い直したし、またある者は、彼は総督官房の役人だと断言したが、すぐにまた、「だが、わかったものじゃないさ、額に書いてあるわけじゃないからな」とつけくわえた。変装した強盗ではあるまいか、という臆測《おくそく》には、全員が反対した。風采《ふうさい》におのずからなる気品があるうえに、その話しぶりにも荒っぽい所業の人間をにおわせるようなところはぜんぜんない、とだれもが認めたのである。このとき、しばらくのあいだなにやら黙想に沈んでいた郵便局長が、不意にある霊感にうたれたためか、あるいは他になにか理由があったのか、突然大きな声で叫んだ。
「諸君、あれをだれだと思います?」
彼がこう言ったその声の中に、なにか強く胸をうつようなものがあったので、一同は思わず異口同音に叫んだ。
「だれだね?」
「あれは、諸君、いいかな、ぜったいにコペイキン大尉その人だよ!」
そこですぐに、一同は異口同音にきいた。
「そのコペイキン大尉というのは何者だね?」
「じゃ、あなたがたは、コペイキン大尉が何者か知らんのかね?」と郵便局長は言った。
一同は、コペイキン大尉が何者であるか、まったく知らない、と答えた。
「コペイキン大尉というのは」と、その煙草入れのふたを半分ほど開くと、郵便局長は言った。半分ほどしか開かないのは、そばのだれかに指をつっこまれるのを警戒したからで、彼は他人の指の清潔さというものがあまり信用できず、しかも口癖のように、『知ってますよ、あなた、あなたがたはその指でどんなところをいじくりなさるか知れたものじゃないが、タバコというものは清潔を要求しますからな』などと言ったものである。「コペイキン大尉とは」と郵便局長は、タバコを一かぎしたうえで、言った。「そう、しかしこれは、話をしたら、たしかにそこらの作家にとってはまたとないじつにおもしろい一編の叙事詩になりますなあ」
そこにいた一同は、ぜひそのものがたりを、あるいは、郵便局長によれば、作家にとってまたとないじつにおもしろい一編の叙事詩を、聞かせてもらいたいと頼んだ、そこで彼は話しだした。
コペイキン大尉のものがたり
「十二年の戦争〔一八一二年のナポレオン軍とのいわゆる祖国戦争〕のあとにですな、きみ」室内には聞き手はひとりだけでなく、全部で六人もいたのに、郵便局長はまるでひとりに話しかけるようにこうきりだした。
「十二年の戦争のあとに負傷兵たちといっしょに、コペイキン大尉も故国へ送還されたわけです。放浪癖《ほうろうへき》があり、おそろしくむら気で、営倉《えいそう》にぶちこまれたこともあり、拘禁《こうきん》されたこともありで、――いろんなめに会ってきたのです。クラースヌイ〔スモーレンスク州の都市。一八一二年十一月三〜六日の激戦でロシア軍がナポレオン軍に大打撃をあたえた〕付近だったか、ラィプツィヒ〔ドイツの都市。この付近で一八一三年に連合軍とナポレオン軍の三日間にわたる大会戦がおこなわれた〕付近だったかの戦いでかわいそうに、片手片足をなくしたんですね。だが、そのころはまだ負傷兵の救済については、ご存じのように、なんの法令も定められてなかったのです。あの廃兵基金とやらが制定されたのは、つまり、なんです、そのずっとあとのことですからねえ。コペイキン大尉は、働かにゃならんと思いましたが、のこっている一本の腕が、きみ、左手なんだよ。そこで家へもどっておやじに相談すると、おやじは『おまえを養ってやることはできんなあ、考えてもみろ、おれひとりが食うや食わずのざまだ』となさけない返事です。そこでコペイキン大尉は、こうなったうえはペテルブルグへ出かけて、『自分はこれこれこういう者で、いわば国のために、生命をなげ出し、血を流したのです……』というような申し立てをして、なにか国からの補助がないものか、ひとつ皇帝に嘆願してみようと決意したわけです。そこで、まあ、荷馬車やらお上の御用馬車やらのやっかいになって、――ま、要するに、どうにかペテルブルグまでたどりついたというわけです。まあ、ひとつ想像してごらんなさい、こんな田舎者、つまりコペイキン大尉がいきなり、いわば世界にその類を見ないような、華麗《かれい》な首都のどまん中へおっぽり出されたのです! 目のまえに突然まぶしいほどの光の波、いわば生活のある種の舞台、おとぎばなしのシェヘラザード〔『千夜一夜物語』の女主人公。ここではおとぎばなしのような奇蹟という意味〕のようなものです。それはそうでしょう、きみ、不意にあの、きらびやかなネフスキー通りだの、さらに、ほら、あのゴローホワヤ街だの、ちえっ! それから、ほら、あのリテイナヤ街だ。空には、ほら、高い尖塔がそびえてるし、橋が、ちえっ、どうです、ふわっと、つまりにじみたいに浮いてるってわけだ、――要するに、伝説のアッシリアの都、セミラミス〔古代アッシリアの伝説の女帝で、首都にバビロンにまさる壮麗な宮殿を建てたといわれる〕だよ!
それはさて、まず部屋を借りようとあちこちあたってみたが、なにしろどこもかしこも目だまがとびぬけるほど高い。カーテンといえ、ブラインドといえ、靴のもぐりそうなじゅうたんといえ、ちえっ――まるでペルシアに行ったようなもので、いわば、まあ、金を踏んづけてるようなものだ。ただ、つまり、街を歩いていても、鼻にぷんぷん来るのは、何千何万という金のにおいばかり。ところがわがコペイキン大尉の懐中たるや、青紙幣〔五ルーブリ紙幣〕が十枚そこそこしかない。そこで、レーヴェリとかいう安宿に、一晩一ルーブリで泊まることにして、昼食は――野菜汁と牛のたたき肉ひときれですました。さて、もそもそしていてもしかたがない、と思って、どこへ願い出たらいいかを、いろいろときいてみました。すると人々が言うのには、最高委員会とかいう、つまりそうした役所ですな、そこへ行きなされ、長官はなんとかいう将軍だと教えてくれました。しかし、ここでことわっておかなくちゃなりませんが、皇帝は当時首都にいなかったのです。軍は、おわかりでしょうが、まだパリからもどらないで、全部外国にいたというわけです。コペイキン大尉は、朝早めに起きると、左手であこひげをごりごりけずって、というのは床屋に払うのだって――ある意味では、ばかにならぬというわけです。軍服を着こむと、木の義足をことこと鳴らして、どうでしょう、いきなり長官のなんとか将軍の邸を訪れていったものです。住居は、ときくと、あそこだよ、と宮殿まえの海岸通りの家を教えられました。その家が、なんと豪勢《ごうせい》な邸宅で、窓のガラスが、驚くまいことか、一間半もある鏡みたいなもので、そのために飾りびんやらなにやら、室内にあるものがみんな、まるで外にあるみたいな気がして、つい、うっかり、通りから手をのばしてしまうほどです。壁は高価な大理石、ピカピカの金属の装飾、ドアのとっ手なんかもあんまりきれいすぎて、そのまえに、まず小間物屋へかけこんで、せっけんを二コペイカほど買って、二時間もごしごし手を洗ってからでなければ、さわるのが気かひけるというほどで――要するに、なにもかもピカピカ光っていて――つまり、頭がぼうっとなってしまいそうです。玄関番からしてすでに将軍ぜんとしていて、金ピカの頭のついた杖を持ち、伯爵みたいな面がまえをして、まるでたっぷりうまいものを食わされてでくでくふとった狆《ちん》そっくり。バチスト麻のカラーをつけて、ちくしょう!……
わがコペイキン大尉はこわごわ木の義足をひきずって応接室へ通ると、アメリカとかインドとか、これはきみ、金メッキをされたすてきな磁器の花びんがあるじゃないですか、そんなものをひじで押し倒しでもしてはそれこそたいへんと、びくびくしながら隅のほうにちぢこまりました。まあ、そこに気が遠くなるほど待たされたのは、いうまでもない、というのは、つまり、おわかりだろうが、とほうもなく早く来たので、そのころは将軍はまだやっと起きたばかりで、侍僕がうやうやしく銀のたらいを持っていき、これからやおら、つまり、あちらこちらを洗おうというところです。コペイキンが四時間ほど待っていると、ようやく副官だか当番の役人だかがはいってきて、『ただいまから将軍が応接間にお出ましになります』と告げた。応接間にはもう人々がうじゃうじゃと――それこそ皿の中の豆みたいなありさまです。それがみなわが友のような小者ではなく、文官なら四等官か五等官、軍人なら大佐といった連中ばかりで、あちこちにベタ金の星章もちらちら見える、――つまり、将官ですよ。そのうちに不意に室内を、まるでなにかの軽い気体みたいに、かすかなそよぎがわたり、あちこちに『シッ、シッ』という声が聞こえて、すぐにしーんと水を打ったようにしずまりかえったと思うと、将軍がはいってきました。
どうです……考えてごらんなさい、国家的人物ですよ! その顔には、いわば……つまり、その身分にふさわしく、わかりますな……その高い官位にふさわしく……つまりそうした表情が浮かんでるんですよ、わかりますな。その場にいた者はひとりのこらずぴーんと張りつめて、びくびくしながら、かたずをのんで、いわば運命の決定を待ったことは、いうまでもありません。大臣、いや長官はひとりひとりのまえに立ちどまって、『あなたの用件は? あなたは? あなたはなにをお望みかな? あなたはどんなことかな?』というぐあいにたずねられて、ついに、わがコペイキンのまえに来ました。コペイキンは、勇を鼓《こ》して、『これこれかようなわけでございます、閣下、血を流し、手と足を、つまり、失いました。そのためにはたらくことができません。あえて国家のあたたかい慈愛をお願いするしだいでございます』と申し立てました。大臣は、彼が木の義足をつけ、からっぽの片そでが軍服にぬいつけてあるのを見て、『よろしい、近日ちゅうにもう一度出頭しなさい』と申されました。コペイキンはおどり上がらんばかりに感激して退出しました。そりゃ無理もありません、いわば、国家最高の高官に謁見《えつけん》を許されたのですし、それに今度こそやっと年金の望みがかなえられようというのですから。彼はもう、天にものぼる心地で、そうでしょうとも、ピョンピョン歩道をとんで、パルキンスキイ酒場によって、ウオトカを一杯あおり、それから、きみ、『ロンドン』レストランで飯を食ったというわけです。カツレツにふうちょうそうの実の薬味、それからいろんな添えものをしたチキンをたのみ、ぶどう酒を一本おごって、夜は劇場へ、――つまり、お祭りさわぎをやらかしたというわけですよ。歩道へ出てみると、すらりとしたひとりの英国婦人が歩いている。白鳥のように楚々《そそ》として、ええ、きみ、なんとも言えない風情《ふぜい》だ。わがコペイキンはがらだじゅうの血がかっかほてって、そりゃそうですよ、義足をことこと鳴らして、ぴょこたんぴょこたんその婦人のあとを追ってかけ出しかけたが、『いや、待てよ、いまに年金がどっさり下がるから、それからにしよう。なにしろ今はすこしつかいすぎたからな』と思い直しました。
さて、それから三、四日して、わがコペイキンはまた大臣邸をたずねて、大臣のお出ましを待って、『これこれしかじかで、閣下のお指し図を仰ぎにまいりました、病気が思わしくないうえに、傷がいたみまして……』というようなことを、つまり、切り口上で申し立てたわけです。閣下は、そりゃ、すぐに彼に気がついて、『ああ、よろしい。だが今はまだなんとも言えんな、わしに言えるのは、陛下のお帰りになるまで待ちなさい、ということだけじゃよ。そうしたら、確実に、傷病兵に関する法令が定められるはずじゃ。陛下の御意《ぎよい》を得んことにはわしはなにもでけんのじゃよ』とおっしゃられた。そして、軽くうなずいて、はい、おつぎ、というわけだ。コペイキンは、なんとも割り切れない気持ちで、そりゃそうでしょうとも、外へ出た。彼はもうあすにでも、『そら、これがきみの分だ。一ぱいやって元気をつけたまえ』てなわけで、相当の金を下賜《かし》されるものと思っていたのが、案に相違して、待てと言われたうえに、しかもいつまでとも言われなかったのです。彼は、まるで料理人に水をぶっかけられて、しっぽをまたのあいだにまきこみ、耳をたれて、こそこそ逃げ出すプードルみたいに、しょんぼりと玄関を出ました。『なにかまうものか』とコベイキンは考えました。『もう一度行って、もう最後のパンのひときれを食べてしまったので、なんとか助けていただけなかったら、それこそ、餓死するほかはない、と訴えてやろう』というわけで、彼はまた宮殿まえの海岸通りへ出向いたわけです。すると玄関番が、『だめだ、きょうはお会いになられん。あす来なさい』と、にべもない。あす行ってみると――また同じ返事、しかも玄関番は彼のほうを見ようともしない。そんなこんなしてるうちに、青紙幣はもうポケットに一枚のこるばかりになってしまった。きのうまでは野菜汁《シチー》と牛肉を一きれぐらい食べていたのが、きょうはうって変わって、きたない小店でねこも食わないようなニシンかきゅうりの塩漬けとパンで、四コペイカくらいですませるというみじめさ。要するに、あわれすきっ腹をかかえて、狼《おおかみ》みたいにガツガツしてたってわけですよ。どっかのなんとかレストランのわきを通ると――中でコックが、おわかりでしょうか、外国人のコック、フランス人ですよ、そいつがまるでくったくのない顔をして、オランダ製の、雪のようにまっ白い前掛けをして、なんとかソースや、松露《しょうろ》をそえたカツレツなど、つまり、見ただけで、腹がキューッと鳴り、思わずつばをのみこむような、そうしたとびきりの珍味をこさえてるってわけです。ミリューチンの店のまえを通ると、窓から、こんな豪勢な鮭だの、さくらんぼだの――一つ五ルーブリもするやつですぜ、それこそ馬車ほどもあるばかでかいスイカだのが、顔を突き出して、いわは、百ルーブリも投げ出してくれるようなばかを、さがしてる、――要するに、どちらを向いても、頭がくらくらするような誘惑ばかりで、よだれがだらだら流れるというのに、彼は『あす、あす』とつれない返事ばかり聞かされてるというわけです。
どうです、彼の心中、察するにあまりありというやつでしょう、ええ、いっぽうからは、いわば鮭とスイカ、それでいて他方からは――いつも同じ|あす《ヽヽ》というからっぽの皿、とうとう、さすがに彼も、つまりそのかんにん袋の|お《ヽ》が切れて、なにがなんでも、わかりますな、突入しようと決心したのです。そこで玄関先で、だれか請願者の通るのを待ちうけ、おりよく来かかったどこやらの将軍のあとについて、義足の音をしのばせながら、まんまと応接間にはいりこみました。長官は、いつものように、お出ましになると、コペイキンを見とがめて、『きみはなにしに来たんじゃ、どうしてここへ、あ? もうきみには、決定を待つようにと、ちゃんと申しわたしてあるじゃないか』と言ったものです。するとコペイキンは、『したが、閣下、お察しください、わたしは、その、ひときれのパンもないのです……』――『だからどうしろというのじゃ? わしはきみのためにはなにもしてやれん。当分自分でなんとか暮らしをたてるようつとめるんだな、自分で手段をさがしたまえ』――『でも、閣下、あなただっておわかりのはずですよ、片手片足がなくて、どんな手段がさがせるというのです』――『しかしじゃな』と閣下は言いました。『きみにもわかってもらいたいが、わしが、つまり、きみを養ってやるわけにはいかんのじゃよ、わしはたくさんの負傷兵をかかえておるが、それがみな同等の権利を持っておるのじゃよ……忍耐することじゃ。陛下がおもどりになったら、陛下のご慈愛がきみを見すてておくわけがない、それはわしが保証するよ』――『だが、閣下、わたしは待つことができません』とコペイキンは言ったが、もう、なんといいますか、いくぶんむきになっていたのです。長官ももうむしゃくしゃしてきました。実際のところ、そちらにもこちらにも大勢の将軍たちが決定や、指示を待っていたわけで、それこそ、いわば、一分もゆるがせにしたら重大な結果を招くような、緊急を要する重要な国家的問題ばかりなのですが、――それをしりめに、しつこい悪魔めがまだくっついているというわけです。『失礼だが、わしは時間がないのでな……きみのよりもっと重大な問題がわしを待っているのじゃよ』と言って、将軍は、つまり、やんわりと、もう帰りたまえということをほのめかしたわけです、ところがわがコペイキンは、――なにしろ、腹の虫がきゅうきゅう悲鳴を上げているので、『なんと言われましても、閣下、けりをつけていただくまでは、ここを動きません』とやってしまった。
さあたいへん……おわかりでしょうが、一言口をきいただけで――それこそ虫けらみたいにふっとんでしまって、もうどこへうせたかさがしようもない、というほどの将軍に向かって、こういう口をきいたのですから……もしわたしらにですよ、一つ位の下の役人がそういうことを言ったとしても、そりゃもうたいへんな無礼というものです。ところが、これは開きがありすぎますよ、開きが、なにせなんとか元帥とコペイキン大尉ではねえ! 月とスッポンとはこのことですよ! 将軍は、ただじろりとにらんだだけだが、この目というやつが、おわかりでしょうが、火をふく大砲みたいなもので、それこそこっちのきもったまがちぢみあがって、かかとの下へちぢこまってしまう。ところがわがコペイキンは、どうでしょう、まるで釘付けになったみたいに、その場につっ立ってるじゃありませんか。『どうしたのじゃな?』と言って、将軍はぐいと彼の肩を押しました。しかし、実を言うと、将軍はそれでもまだかなりやさしく応待していたほうで、だれか他の者だったら、それこそものすごい雷が落ちて、まずまちがいなく、それから三日ぐらいというもの、通りをさか立ちできりきり舞いしてもまだ正気にもどれなかったでしょう。ところが将軍はただこう言っただけでした。『よろしい、ここの生活が高くついて、扶助料《ふじよりよう》が決定するまで落ち着いて待っていることができんと言うのなら、官費できみを故郷《くに》へ送りかえしてやろう。伝令兵を呼んで、この男を本籍地へ送りとどけさせえ!』すると、たちまち伝令兵があらわれたが、それが雲つくような大男で、その手のでかいことといったら、まず、生まれつき馭者になるためにつくられたみたいな手で、――いわば、まあ口よりもげんこつでものごとのけりをつける、といった男だ……そこで、あわれわがコペイキンは、ぐいとひっつかまれて、有無を言わさず馬車に押しこまれてしまったのです。わがコペイキンは考えましたね、『ふん、すくなくも馬車賃は払わずにすむ。それだけでもめっけものさ』というわけで、伝令兵に護送されて出発したが、その途中で、つまりその、いわばこう腹をくくったわけです。『将軍のやつ、自分で生きる方法を見つけろ、とぬかしやがった、――よし、それなら、かってに見つけて、好きなことをしてやるぞ!』さてそれから、彼がいったいどこへやられたのか、どうなったのか、それはまったく不明なのです。それっきり、コペイキン大尉の消息はぷっつりと切れて、詩人たちの言う、レタなんとやらの、忘却の川へ沈んでしまったのです。ところがです、いいですか、じつはここからロマンの緒《いとぐち》といいますか、その発端がはじまるのです。さて、コペイキンがどこへ消えたか、それは不明ですが、それから二か月もすぎないうちに、どうでしょう、リャザン地方の森に強盗の一団が出現し、その頭目というのが。きみ、ほかならぬその……」
「だが、ちょっと待ちたまえ、イワン・アンドレーイチ」と、不意に彼の話をさえぎって、警察署長が言った。「そのコペイキン大尉とやらは手と足が片方ないと、あんたは自分で言ったじゃないか、でもチチコフは……」
ここで郵便局長は、あっそうか、ととんきょうな声を上げると、いきなりピシャリと自分の額をたたいて、一同のまえで自分が薄のろであることを公言した。彼は、このくらいのことがどうして話のそもそもの出だしのときに頭に来なかったのか、なんとしてもわからなかった。そして、『ロシア人の知恵はあとから』ということわざがあるがまったくそのとおりだ、と認めた。そのくせ一分もすると、彼はもう生《なま》かじりの知識をふりまわして信用の回復をねらい、しかし英国では機械学がひじょうに進歩して、新聞によると、ある学者がすばらしい木製の義足を発明したが、それには外からは見えないような小さなバネがついていて、それをちょっと押したところが、その義足がさっさと歩きだしてその人間をどこかへ連れ去ってしまい、それっきり杳《よう》として消息が不明だそうだなどと語りだした。
しかし一同は、チチコフがコペイキン大尉だということには大いに疑念をいだいて、郵便局長がすこし脱線しすぎたようだと思った。とはいえ、彼らとて、いずれも、決しておくれをとったわけではなく、郵便局長のなかなかうがった推測にそそのかされて、それに負けないような迷説を並べたてた。それぞれに理のある臆説《おくせつ》がたくさん出たが、しまいに、こんな説までとび出した――あまりにも珍妙で、口にするのも気恥ずかしいほどだが、チチコフが変装したナポレオンではなかろうかというのである、英国人は昔から、ロシアの領土が広大なのをうらやんでいて、ロシア人が英国人と話をしているところを描いたまんがなども何度か出されたほどだが、その一つに英国人が立って、うしろに綱をつけた犬をひいているのがある。そしてこの犬がナポレオンで、『おい、気をつけろよ、わからんことを言うと、この犬をけしかけてやるからな!』と言っているのだが、――今度おそらく彼らがセント・ヘレナ島からナポレオンを放免したにちがいない。そして今そのナポレオンが、チチコフのようなふりをしてロシアに潜入しているのだが、ほんとうはぜんぜんチチコフなどではないのだ。
むろん、役人たちはこんなことを信じたわけではなかったが、それでもしばらく考えこんで、それぞれ腹の中でこの問題をながめているうちに、チチコフがなにげなく横を向いたりしたときなど、ナポレオンの肖像にひどく似ていることに気がついた。警察署長は、十二年の戦争に出征して、直接ナポレオンを見ているが、やはり、ナポレオンが背たけはチチコフよりも決して高くはなく、そのからだつきもふとりすぎているとは言えないが、といってやせているというわけでもない、ということを認めないわけにはいかなかった。おそらく読者の中には、こうしたことをありえないばかげた作り話だと思われるかたもいるかもしれないし、作者もその意をむかえて、これはみな作り話ですと言いたいところだが、残念ながら、これはみなこのとおりにそっくりそのままに起こったことであるし、しかもなお驚かされるのは、この市が草深い僻遠の地にあるのではなく、それどころか両首都からあまりはなれないところにあるのである。とはいえ、これは輝かしいフランス軍撃退後まもなく起こった事件であることを、記憶しておく必要があろう。その当時はすべてのわがロシアの地主や、役人や、商人や、店員など、字の読める者はもちろん、読めない者まで、ひとりのこらず、すくなくともその後八年くらいのあいだは熱烈な政治狂になったのである。『モスクワ報知』や『祖国の子』はなさけようしゃなく読みまくられて、最後の者の手にわたるころはもうぼろぼろにちぎれて、もうなんの役にもたたないというありさまであった。人々は、『おまえさん、燕麦《えんばく》を一|桝《ます》いくらで売ったかね?』とか、『どうだい、きのうの初雪で猟はあったかい?』などときくかわりに、『で、新聞になんと書いておったかね? またナポレオンを島から釈放したんじゃなかろうな?』などと言うのだった。商人たちはそれをひどくおそれていた。というのはもう三年も牢獄につながれているある予言者の言ったことを頭から信じこんでいたからである。その予言者はどこからともしれず、わらじをはき、おそろしくさかなくさい裸皮の皮衣を着てふらりとあらわれて、ナポレオンは反キリストであり、今は石の鎖につながれて、七重の壁の中に押しこめられ、七つの海によってとりかこまれているが、やがて鎖を破り、全世界を征服するであろう、と宣言した。その人心をまどわすことばのために、予言者は、当然、監獄に入れられたが、しかしその目的は達せられ、商人たちを完全な狼狽《ろうばい》に突き落としたのである。その後長く、すごく荒っぽいもうけしごとをしたときでさえ、商人たちは料理店でお祝いの茶を飲みながら、反キリストのうわさをすることを忘れなかった。役人や貴族たちの多くもばかなと思いながらもそれを考えて、周知のように、当時ひじょうに流行していた神秘主義に感染して、ナポレオンという語を組みたてている一つ一つの文字に、ある特別の意味を見てとったり、またその名まえの中に黙示録《もくじろく》の神秘の数字〔『ヨハネ黙示録』第十三章十八節にある神秘の数六六六のことで、その名がこの数にあたる者は反キリストであるという。暴君ネロもそうであったが、祖国戦争当事はナポレオンの名にこの数字をこじつける試みがさかんにおこなわれた〕を発見した者さえすくなくなかった。
というわけで、役人たちが思わずこの問題を考えこんでしまったのも、べつに不思議はないのである。しかし、まもなくはっとわれに返って、彼らの想像がすでにあまりにも走りすぎて、見当ちがいなところに迷いこんでいることに気がついた。一同は考えに考えて、さんざん論じ合ったあげく、ついにもう一度よくノズドリョーフにきいてみるのもわるくあるまい、という結論に達した。なんといっても彼は死んだ農奴に関する事件を最初に持ち出した男であり、また、どうやら、チチコフとはなにか特別に親密な関係にあったらしいから、きっと、チチコフの素性についてなにかすこしはもれ聞いているにちがいない、とにかくもう一度ノズドリョーフにしゃべらせてみよう、というわけである。
この役人という連中は、またそれにつづくどんな身分職業の連中でもそうだが、なんとも奇妙な人々である。だって、ノズドリョーフがうそつきで、その言うことなどそれこそなに一つ信用できないと、百も承知で、それでもなお彼にたよろうとするのである。まったくあつかいきれない! 神を信じないで、鼻梁《はなばしら》がむずむずしたら、かならず死ぬなどというばかげたことを信じているのだ。すなおな調和と高い叡知《えいち》に貫かれた、白日のごとく明るく澄んだ詩人の創作には見向きもしないで、どこやらの思い上がったふとどき者が、自然を裏返しにゆがめ、ごちゃごちゃといいかげんにつくりあげたものにばかりとびつき、それがすっかり気に入って、『これだ、これこそ真に心の秘密を解いたものだ!』などとこおどりするのだ。生涯、医者というものには鼻もひっかけず、よくよくになると、あやしげな呪文でなおす老婆にすがったり、あるいは、いくらかましなのは、なにやらわけのわからぬ草をせんじた薬らしきものを、自分でこしらえたりしているが、どうしてそんなものが自分の病にきくと思いこんだのか、それは神のみぞ知るである。
もちろん、その実際に困難な状況を考えると、役人たちの態度もある程度は許せる。おぼれる者はわらをもつかむ、と言うではないか。そのときにはもはや、一本のわらにははえ一匹くらいはのれるだろうが、自分のめかたは百キロはないまでも、八十キロくらいはたっぷりある、ということを考える理性がなく、そんなことはまるで考えずに、わらをつかんでしまうのである。警察署長は直ちにノズドリョーフに、夜会におこし願いたいという招待の手紙をしたためると、例のひざの上までくる長靴をはいた、ほおがうらやましいほど赤い、部下の区署長が、やにわにおっとり刀でいちもくさんにノズドリョーフの宿をめざしてかけだした。
ノズドリョーフは重大なしごとにかかりきっていて、もうここ四日というもの部屋から一歩も出ないし、だれにも会わないで 食事は小窓から差し入れさせていた、――それでいくらかやせて、顔色もわるくなったほどだった。そのしごとというのはひどく慎重を要することで、数十組のカルタの中からたった一組だけ、もっとも忠実な親友のようにぜったいにたよりになる、もっとも的確なカルタを選び出すことなのである。この作業はどうすくなく見てもあと二週間は要した。そしてそのあいだじゅうポルフィーリイはミラノ種の小犬のへそを特製のブラシでそうじし、日に三度ずつせっけんで洗ってやらなければならなかった。ノズドリョーフはこうしてカンヅメになっているところをじゃまされたのでがんかんに怒って、いきなり追いかえしてしまったが、署長の手紙を読むと、夜会にはきっと何人か新米が来てるだろうから、ごっぽり|かも《ヽヽ》れるかもしれんぞと思って、すぐにきげんを直し、急いで部屋に鍵をかけると、そこらにあった服をいいかげんにひっかけて、出かけていった。
ノズドリョーフの証言や推定が役人たちのそれとまっ向から対立していたので、せっかく形になりかけていた彼らの推論がまた振り出しの昏迷《こんめい》へもどされてしまった。ノズドリョーフというのはおよそ疑惑などということを知らぬ一本気な男で、彼らの推定には大いにぐらつきとためらいがめだったが、それと同じ程度に大いにこの男にはその反対の不動と確信があった。彼はすべての項目に対して、すこしのつまずきもなく、すらすらと答えて、チチコフは数千ルーブリで死んだ農奴を買ったし、自分はそれを売ったが、それは売ってはならぬという理由が認められないからだ、と言明した。チチコフはスパイで、なにかさぐり出そうとしているのではないか、という質問に答えて、ノズドリョーフは、スパイである、とずばりと言ってのけて、まだ学校に行っていたころから、自分も同じクラスだったのだが、もう間者《かんじや》というあだ名をつけられて、そのために仲間のこどもたちから、その中に自分もいたが、何度かふくろだたきにされて、あとで両方のこめかみにだけでも蛭《ひる》を二百四十匹もつけなければならなかったほどだ、と言った――つまり彼は四十匹と言おうと思ったのだが、二百ということばがひとりでに頭にくっついてしまったのである。チチコフはにせ札つくりではないか、という質問に、彼は、にせ札つくりだ、と答えて、おまけにチチコフのおそろしい器用さを立証する逸話《いつわ》までつけくわえた。つまり、彼の家に二百万ルーブリの偽造紙幣がかくされていることを、警察が探知して、厳重に包囲し、それぞれの戸口にふたりずつの見張りを立てた。ところがチチコフがそれをすっかり一晩のうちにすりかえてしまったので、翌日踏み込んで調べてみると、もうすっかりほんものの紙幣になっていたというのである。ほんとうにチチコフは知事の娘の誘拐をたくらんでいたのか、そして彼自身がその事件に関係していたというのはほんとうか、という質問に対して、ノズドリョーフは、援助したと答えて、自分が手をかけなきゃ、うまくいきっこないさ、と口をすべらし、――はっと気がついて、こんなうそをついてもなんにもならんし、自分の立場をわるくするだけだ、と思ったが、もはやなんとしても舌をおさえることができなかった。それも、しかし無理からぬことで、というのは、どうしても言わずにはおられないようなおもしろいシーンが、ひとりでにつぎつぎと浮かんできたからである。結婚式があげられることになっている教会のある村の名まえまでとび出し、それはトルフマチェフカ村といって、神父は――ソードルという坊主で、式の費用は――七十五ルーブリだが、これもはじめはしぶったが、穀物商《こくもつしよう》のミハイルをその教母と結婚させたことを密告してやるぞとおどかしたから、坊主めやっと承知したので、おまけに馬車まで貸してくれて、駅ごとの替え馬まで用意してくれることになった、などと語り、話はすっかり細かくなって、馭者の名まえはどうのなどというところまで行ってしまった。ナポレオンの話を持ち出してみたが、役人たちはわれながらそんな話を持ち出したことがばかばかしくなった。というのはノズドリョーフがすっかり調子にのって、すこしも真実らしいところがないどころが、それこそ雲をつかむようなばかげた話をしゃべりだしたからである。そこで役人たちは、あきれてその場をはなれてしまった。
ただひとり警察著長だけが、その後なおしばらく、せめてなにかもうすこしましなことが出るかもしれないと思って、聞いていたが、これもしまいには片手を振って、「なんのことやら、さっぱりわからん!」と音《ね》を上げた。そして一同は、いくらしぼっても、牡牛からは乳が出ない、という意見に落ち着いたのである。おまけに、役人たちはまえよりももっとわるい立場に追い落とされて、けっきょく、チチコフが何者かどうしてもわからない、ということで問題は結着した。そして、人間とはどんなものかがはっきりとわかったのである。つまり自分のことではなく、他人のこととなると、よく知恵もまわり、道理もよくわかって、他人が苦しい立場におちいったりすると、じつに心のゆきとどいたしっかりした忠告をあたえるものだ! 『なんという明敏な頭だろう! なんというしっかりした人だろう!』と人々は驚嘆する。ところがこの明敏な頭になにか災厄がふりかかり、自分が苦しい立場に追いこめられると、その強い気性がどこかへ消えうせ、しっかりした人がすっかりしどろもどろになってしまって、みじめな小心者、見るも気のどくな弱々しいこどもか、あるいはノズドリョーフのいうただのすけべえ野郎に変わってしまうのである。
これらいっさいの風説、意見およびうわさは、どういう理由からか、あわれな検事にもっとも強い打撃をあたえた。その打撃があまりにも強烈だったので、彼は家へもどると、すっかり考えこんでいたが、突然、いわゆるポックリと死んでしまったのである。脳溢血《のういつけつ》にあたったのか、それともなにか他のショックにうたれたのか、とにかくすわっていた椅子から、そのままどたりとうしろへころげ落ちてしまったのである。当然、家人はびっくりして、「あっ、たいへん!」と叫んで、せめて放血でもと、医者を呼びに走らせたが、しかし見ると、検事はもう一個の魂のない、死体となっていた。そこではじめて人々は、生前その遠慮深さからそんなものは一度も見せてくれたことがなかったが、彼にも、たしかに、魂があったことを知り、哀悼《あいとう》を表したのである。
ともあれ、死というものは、偉人にあらわれても、小人にあらわれても、等しくおそろしいものである。つい先ほどまで歩いたり、動いたり、ホイストをやったり、いろんな書類に署名したりして、またしょっちゅう役人たちのあいだにまじって太いまゆをうごかし、左目をぱちぱちさせていたのが、いまは卓の上に横たえられ、もはや左目はぴくりともうごかないのだ。が、ただまゆだけがまだなにやら問いたげにもたげられたままだった。故人はなにを問うていたのか、なぜ死んだのか、あるいはなぜ生きていたのか、それは神のみぞ知るである。
でも、それは矛盾してる! あまりにも非常識だ! こどもでもわかるのに、役人たちが、そんなばかばかしい話をつくり上げ、真実からすっかり離れてしまって、自分でつくった亡霊に自分でおびえてるなんて、そんなことってあるものか! 多くの読者諸君はこう言って、作者の非常識をなじったり、あわれな役人たちをばか者呼ばわりしたりするだろう。というのは人間は『ばか』ということばにはいたっておおようで、日に二十度も身近の者にふるまうからである。十のうち一つばかなところがあると、それだけでもはや、九つのいいところは無視して、ばかの刻印《こくいん》を押されてしまうのである。読者諸君は上のほうのしずかなところに陣取って、下のほうで近くしか見えない人間どもが右往左往しているのを一望のもとに見渡しながら、判断しているのだから楽である。人類の世界史にも、不要なものとしてぬき出され、抹殺《まつさつ》されてしまったと思われるような世紀がたくさんある。過去の世界では、いまならこどもでもまちがわないようなあやまちがたくさんおかされてきたのである。ツァーリの宮殿にふさわしいような荘麗な建物に通じる道のような、まっすぐな道がちゃんと目のまえにあるのに、人類は、永遠の真理に到達しようとつとめながら、なんという曲がりくねった、さびしい、通れないような細い、遠くはずれた道ばかり選んできたことであろう! このまっすぐな道は、他の、どの道よりも広く、美しく、昼は太陽の光をあび、夜は無数の明りで照らされているのに、そのわきのほうのさびしい暗がりを人々は流れてきたのある。そしていくたび、すでに天上の声を聞きながらも、なおも彼らは道をそれて、踏みまよい、白昼にまたも行きづまりの隘路《あいろ》にまよいこみ、互いに目をくらまし合いながら、鬼火に誘われるままに、底無しの沼池に踏みこんでしまって、ぞっとしながら、『出口はどこだ、出口はどこだ?』と叫び合ったことか。いまの世代の人々はすべてがはっきりと見えるから、過去の人たちのこのような迷いにあきれて、祖先たちの迷妄《めいもう》を笑っているが、それはその歴史が天上の聖なる火によってしるされたもので、一つ一つの文字が叫びかけ、いたるところから鋭い指が彼に、つまりいまの世代の人々に向けられているのを知らないからである。そしてそのために、いまの世代の人々は、さも自信ありげに、得意そうに笑っているが、じつはすでにいくつかの新しい迷誤をおかしはじめていて、同じように子孫たちに笑われる日が来るのである。
チチコフはこんなことが起こっているとは夢にも知らなかった。まるで故意にそうしくまれたかと思われるほど、ちょうどそのころ彼はちょっとかぜをひいたのがもとで、歯茎が浮き、のどをはらして寝ていたのである。わがロシアの地方都市の気候というものはこうした病気はじつに惜しみなくばらまいてくれるのである。こんなことで、この生命《いのち》が子孫ものこさずに中断されるようなことになってはたまらないと思ったので、彼は三日ほど部室にこもっているにしかずと決めたのだった。この数日のあいだ、彼はのべついちじくの実を浸した牛乳でうがいをし、もっともそのいちじくはあとで食べたが、かみつれの花をせんじた汁と樟脳《しようのう》の湿布《しつぷ》をほおにあてていた。なにかで暇をつぶそうと思って、彼は買いこんだ農奴たちの新しい詳細な名簿を何通かつくりトランクの中から見つけ出した『ラヴァリエール公爵夫人』〔フランスの女流作家ジャン・リースの伝記小説。ラヴァリエール公爵夫人はルイ十四世の寵妃で、王の愛がモンテスパンに移ったのを見ると、修道院へ去りそこで生涯をおわった〕の何巻かを読み、手箱の中からいろんなものや書き付などをとり出して調べ、いくつかは二度ほど読み直してみたが、しかしどうにもたいくつでならなかった。彼には、市の役人たちがだれひとりとして一度も見舞いにも来ないのが、どういうことなのか、なんとしても解せなかった。ついこのあいだまでは、郵便局長か、検事か、裁判所長か、だれかの馬車が宿のまえにとまっていないことはなかったのである。
彼は部屋の中を歩きまわりながら、肩をすくめるほかしかたがなかった。そのうちに彼はやっとだいぶよくなったような気がして、もう外に出てもだいじょうぶだと知ると、どうしてよいかわからないほどの喜びを感じた。彼はさっそく、けしょうにとりかかり、まず手箱をあけて、それからコップに湯を注ぎ、ブラシとせっけんをとり出して、ひげをそるしたくをととのえたが、これはしかし、もうだいぶまえからその時期が来ていたことで、あごへ手をやって鏡を一目見るなり、彼は思わず、「や、これはひどい、まるで林みたいだわい!」とうなったほどであった。たしかに、林とも言えないが、ほおからあごにかけて春|蒔《ま》きの麦がかなり濃く芽を出していた。ひげをそりおわると、彼は元気に手早く服を着にかかったが、勢いあまってあぶなくズボンからとび出しそうになった。ついに、きちっと服装がととのうと、彼はオーデコロンをたっぷりふりかけ、できるだけあたたかくからだをつつみ、用心にほおをつつんで、通りへ出ていった。
病気がかいふくしてはじめて外へ出た者はみんなそうだが、彼の気持ちも浮き浮きしていた。目にふれるものがみな、家々も、通りすがりの百姓たちも、自分に笑いかけてくるように見えた。ところが、実際には、すれちがったふたりの百姓は苦虫をかみつぶしたような顔をしていて、ひとりがついいましがた相手の横面をしたたか張りこくったばかりだった。彼はまず最初に知事邸を訪問することにきめた。みちみちさまざまなことが思い出されて、金髪娘の姿が頭の中でくるくるまわり、空想がしだいにおどりだして、彼は腹の中でひとり笑いをして自分で自分をからかいはじめた。こんな浮かれた気分で、彼は知事邸の玄関まえに立った。さっそく控え室にはいって、いそいそと外套をぬぎかけると、玄関番のまったく思いがけぬことばに彼はびっくりした。
「お通しできません!」
「なに、なんてことを、わしを見ちがえたんだな? よく目をあけて顔を見ろ!」とチチコフは玄関番に言った。
「なんで見ちがえるかね、はじめて見る顔じゃあるまいし」と玄関番は言った。「なに、あなただけ通しちゃいかんと言われてるんだよ、他のかたならだれでもかまいませんがね」
「こいつめなにをぬかすか! なぜだ? どういうわけだ?」
「そういう言いつけなんだから、そりゃ、そうするほかはねえ」と玄関番は言って、「うん」とつけくわえた、それからしごく当然みたいに彼のまえに立ちふさがって、まえにいそいそと外套をぬがせてくれたときに見せたあのあいそう笑いは、薬にしたくもなかった。どうやら、チチコフをじろじろ見やりながら、腹の中ではこんなことを考えていたらしい。『へっ! 玄関ばらいをくわされるようじゃ、どうせおまえも、ろくでもないごろつきにちがいない!』
『どうもわからん!』とチチコフは腹の中でつぶやいた。そしてすぐその足で裁判所長をたずねた。ところが裁判所長は彼を見ると、すっかりうろたえてしまって、ことばを二言とつなげることができず、とんでもないばかなことを口走ったので、ふたりとも赤面してしまったほどだ。彼のもとを去りながら、チチコフはみちみちしきりに小首をかしげて、裁判所長がなにを言おうとしたのか、あのことばはどういうことなのか、突きとめようと苦吟《くぎん》したが、どうしてもなんのことやらつかめなかった。つづいて警察署長、副知事、郵便局長など、他の連中のところへ寄ってみたが、どれもこれもあるいは居るすをつかうか、あるいは会ってもじつに妙な態度で、ぎくしゃくしたわけのわからぬことを口走り、そわそわして、なんともばかげたことになってしまうので、チチコフは彼らの頭のぐあいを疑ったほどだった。
せめてその理由だけでも突きとめたいと思って、さらにひとりふたりたずねてみたが、さっぱりらちがあかなかった。彼の気が変になったのか、役人たちの頭がどうかしたのか、これはみな夢の中のことなのか、夢よりもばかげたことが現に起こったのか、どちらとも決めることができないままに、まるで夢遊病者のように、彼はあてもなく市ちゅうをさまよい歩いた。もうおそく、ほとんど薄暗くなってから、彼はあれほど上きげんで出た宿へもどった。そしてくさくさして、茶を持ってくるように言いつけた。むすっと考えこんで、自分の立場が妙なぐあいに急転した理由をあれやこれやとむなしくせんさくしながら、茶を注ぎかけると、不意にドアが開いて、まったく思いがけなくノズドリョーフがぬっとはいってきた。
「ことわざに言うじゃないか、友のためなら千里も一里とな!」と彼は縁無し帽をぬぎながら言った。「まえを通ったら、窓に灯が見えたので、よしひとつ寄ってやろう、きっとまだ起きてるにちがいない、と思ったのさ。おや! こりゃいいや、茶があるじゃないか、喜んでごちそうになるぜ。きょうは昼飯にごたごたしたものをしこたまつめこんだので、そろそろ胃袋のやつがさわぎだしたところさ。どれ、一服つけさせてくれたまえ! きみのパイプはどこだい?」
「だってぼくはタバコを吸いませんよ」とチチコフはそっけなく言った。
「うそを言いたまえ、きみがタバコを吸うのをぼくが知らんとでも言うのかい。おーい! はて、なんと言ったかな、きみのところの下男は? おーい、ワフラメイ、ちょっとこい!」
「きみ、ワフラメイじゃない、ペトルーシカだよ」
「なんだって? だってきみのとこにゃまえにワフラメイってのがいたじゃないか」
「ワフラメイなどというのはいたことがないな」
「ああ、そうか、ワフフメイってのはありゃデレービンの下男だ。きみ、デレービンてやつはまったく果報者だぜ。おばさんがな、息子が農奴の娘と結婚したというんで、息子と大げんかをやらかしてさ、今度全財産をやつにゆずることにしたんだってさ。今後のために、おれもそんなおばをひとりぐらい持ちたいと思うよ! ときにきみ、どうしたんだい、こんなにみんなから遠ざかって、どこへも行かないで? そりゃむろん、きみがときどき学問に熱中するし、読書が好きだぐらいは、おれも知ってるが(いったいどこからノズドリョーフが、わが主人公がときどき学問に熱中し、読書が好きだなどという結論をひき出したのか、それは、正直のところ、わたしたちにはまったくわからないし、チチコフにしてもなおさらのことである)。そうだよ、きみ、チチコフ、ほんとにきみに見せたかったよ……あれこそ、まさに、きみの諷刺《ふうし》の才にずばりの好餌《こうじ》だったぜ(どうしてチチコフに諷刺の才があったのか、これも不明である)。思ってもみたまえ、きみ、リハーチェフって商人のところでゴルカをやったんだが、そりゃもう見ものだったぜ! いっしょにいたペレペンデフがこう言うのさ。『いや、もしここにチチコフがいたら、それこそずばりだぜ!……』(だがチチコフはペレペンデフなどという名は生まれてこのかたまだ一度も聞いたこともなかった)。それにしてもきみは、ええ、まったく、おれに対してひでえことをやらかしたものさ、おぼえてるかい、ほら、あの将棋《しようぎ》のときだよ、おれの勝ちだったのになあ……おい、きみ、あれにゃまんまといっぱいくわされたぜ。ところがおれときたら、どれだけおめでたくできてるのか、どうしても怒れねえ性分なんだよ。さっきも裁判所長と……あっ、そうだ! きみに注意しておこうと思ったんだが、市じゃきみえらく評判がわるいぜ、きみはにせ札つくりの犯人にされてるんだぜ。おれにもうるさく聞きやがるから、だんぜんきみをかばってさ、きみとは学校でいっしょだったとか、きみのおやじを知ってるとか、べらべらまくしたてて、なあに、ぐうの音もでねえほど、したたか煙にまいておいたさ」
「ぼくがにせ札つくりだって?」と、思わず椅子から腰を浮かして、チチコフは叫んだ。
「しかし、いったいなんだってまた、きみはあんなにやつらのきもをつぶしたんだい?」とノズドリョーフはつづけた。「やつらは、それこそ、恐怖で頭がどうかしちゃってさ、きみを強盗だの、スパイだのと……で、検事なんぞはびっくりしたはずみに死んじゃったぜ。あすが葬式だよ。きみは行かんのか? やつらは、実を言うと、新任の総督の到着をおそれているのさ、きみのことでなにかもち上がりゃしないかとさ。だが、おれに言わせりゃ、もし総督がふんぞりかえって、えらそうな面をするようだったら、まず貴族どもは完全にそっぽを向くだろうな、貴族ってやつはちやほやされることを望むからな、そうじゃないか? そりゃむろん、書斎にひっこもって、舞踏会なんか開かなくってもかまわないさ、だがそれがなんになるんだ? なんのとくにもなりゃせんじゃないか。しかし、それにしてもだ、きみ、チチコフ、きみもあぶねえしごとをたくらんだものだな」
「あぶないしごとって、なんのことだね?」とチチコフは不安そうにきいた。
「きまってるじゃないか、知事の娘の誘拐よ。おれは、正直言うと、きみならやりそうだと思ってたぜ、ほんとだよ! 舞踏会で、きみたちがいっしょにいたところを、一目見たとたんに、ぴんときたね、さてはチチコフのやつ、なるほど、そうかい……それにしても、きみの選択はまずかったな、あんなのどこがいいんだい。そう言えばひとりいいのがいるぜ、ビクーソフのしんせきで、つまり姉の娘なんだが、ありゃいい娘だぜ! あれこそ、きみ、絶品てやつだよ!」
「おいきみ、きみはなにを言うんだね? ぼくが知事の娘を誘拐するだって、そりゃなんのことだい?」と、目をまるくして、チチコフは言った。
「もうよせよ、しらをきるのは、きみもずいぶん腹を割らない男だな! おれは、実を言うと、そのことで来たんだぜ、一はだぬがせてもらおうと思ってさ。まあ、そういうことならしかたがない、きみに式をあげさせてやろう、馬車と替え馬はおれもちだ、ってわけさ、ただし一つだけ条件があるんだ、というのは、きみが三千ルーブリをおれに貸すってことさ。きみ、これだけは、どうしてもいるんだよ!」
こんなふうにノズドリョーフがしゃべりまくっているあいだに、チチコフはこれはみな夢ではなかろうかと思って、何度か目をこすってみた。にせ札つくりの犯人、知事の娘の誘惑、彼が原因らしい検事の死、総督の到着――こうしたことは彼にかなりの驚愕《きようがく》を与えた。『いや、こういうことになりだしたら』と彼はひそかに考えた。『もうぐずぐずしてはいられない、できるだけ早くここを逃げだすことだ』
彼は早々にノズドリョーフを追いかえすと、すぐにセリファンを呼んで、あすの朝六時にかならず宿を発てるように、すっかり点検し、馬車に油をさし、その他すべての準備をととのえて、明けがたまでには出発するばかりにしておくように言いつけた。
セリファンは、「へえ、わかりました。パーヴェル・イワーノヴィチ!」と言ったが、――しかし、戸口のところで立ちどまると、そのまましばらくぽかんとつっ立っていた。だんなはすぐにべトルーシカに言いつけて、寝台の下からもうかなりほこりをかぶったトランクをひっぱり出させると、彼に手伝わせて、あまりうるさいことは言わないで、くつしたやら、シャツやら、下着の洗ったのも洗わないのもごちゃまぜに、さらに靴型やら、カレンダーやら……どしどしつめこみにかかった。それらは順序もへったくれもなくごちゃごちゃにつめこまれた。
彼はあすになるとまたどんなじゃまがはいらないともかぎらないから、ぜひとも今夜のうちにしたくしておこうと思ったのである。セリファンは、二分ほど戸口につっ立っていたが、やがてひどくのろのろと出ていった。のろのろと、これよりおそくは考えられないほど、のろのろと、すりへって角のなくなった階段に、べたりべたりとぬれた長靴のあとをのこしながら、やっと下へおりると、右手で長いことうなじをごしごしかいていた。
このごしごしはどういう意味だったか? 総じてうなじをかくということはどういう意味があるのか? むさ苦しい皮衣の上に帯を巻いた仲間と、あすどこかの酒場でおち合うことになっていた、そのせっかくの楽しみがふいになったので、いまいましかったのか、それとももうこの土地ににくからぬ女ができて、夕日が落ちて、赤いシャツの若者どもが屋敷の召使たちのまえでバラライカをかき鳴らし、しごとをおえた庶民たちがひそひそとなにやらささやきかわす灯ともしごろ、そっと門口に立って、思いをこめて白い小さな手をにぎる、あのじれったいようなうれしさとももうお別れだと思ったからか? それともただなんとなく、あの召使部屋の、暖炉のそばの、皮衣をしいたあたたかい場所と、町できのやわらかいピローグや野菜汁《シチー》に別れを告げて、あすはまた雨や、泥濘《でいねい》の道や、その他いろんな不自由が待つ旅の空へ出なければならぬのが、のこり惜しかったのか? それは神のみぞ知るで、推しはかるべくもない。ロシア人がうなじをごしごしやるのは、いろいろとたくさんの意味があるのである。
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第十一章
しかし、なにひとつ、チチコフが思ったようにはいかなかった。第一に、彼自身が予定していたよりもおそく起きた、――これが第一のおもしろくないことであった。彼は起きるとすぐに、馬車に馬がつけられているか、すっかり準備ができているか、見にやった。ところがもどっての報告では、馬車にはまだ馬がつけられていないし、まだなんの準備もできていないというのである。これが第二のおもしろくないことであった。
彼はむかっ腹をたてて、わが友セリフアンになにか殴打《おうだ》に類するものをみまってやろうとまで腹をきめて、さて向こうはどんな言いわけをもってくるかな、とじりじりしながら待ちうけた。まもなくセリファンが戸口にあらわれた。そしてだんなは、うれしいことに、早く出発しなければならないというような場合にかならず召使どもから聞かされる、ごくあたりまえのきまり文句を並べられたのである。
「でも、パーヴェル・イワーノヴィチ、馬に蹄鉄を打たにゃならんでしょうがな」
「えい、このとんちき! 薄のろめ! そんなら、なぜそれをまえに言わなかったのだ? あ、時間がなかったとは言わせんぞ!」
「そりゃ、時間はあったにはあったが……それから車輪ですが、パーヴェル・イワーノヴィチ、ありゃあ鉄の輪をすっかりはめ直さなけりゃだめでしような、なにしろ今度は道がでこぼこで、でっけえ穴があっちこっちにありますでなあ……まあなんですな、前の輪はまるでぐらぐらだから、おそらく、二駅《ふたえき》ともたんでしょうな」
「この悪党め!」両手をぱちりと打ち合わせて、こう叫びざま、チチコフはさっとセリファンのまえにかけよった。そちらはあまりそばまで来られたので、だんなにおみやげをちょうだいしてはかなわんと、二、三歩うしろへさがって、そっぽを向いた。
「おまえはおれを殺す気か? あ? おれを斬り殺そうというのか? 街道へ出たらおれを殺《ば》らす気だな、強盗め、このいまいましい豚ちくしょう、海坊主! あ? そうだろ? 三週間もでれでれしててからに、あ? そんなことはおくびにも出さんと、ぐうたらぱかりしおって、――ほんとならいまころは、いよいよ出発の間ぎわで、馬車を玄関につけてだ! もうすっかり用意ができ、乗りこんで、さあ出発、となるはずじゃないのか、あ? それをおまえってやつは、よくもぶちこわしてくれたな、あ? そんなことくらいまえにわかってたんだろ? わかっていたんだな、あ? あ? 返事をしろ。わかってたな? あ?」
「わかってましただ」とセリファンはうなだれて答えた。
「じゃ、なぜそのとき言わなかったんだ、あ?」
この問いにセリファンはなんとも答えなかった。が、うなだれて、自分で自分にこう言いきかせているようであった。『見ろ、なんてやつかいなことになっちまっただか。知ってたくせに、言わなかったからだぞ!』
「しかたがない、いますぐ鍛冶屋を呼んできて、二時間ですっかり仕上げさせろ。わかったな?かならず二時間以内にだぞ、もしできなかったら、そのときこそきさまを、きさまを……ねじ曲げて、折りたたんでやるぞ!」わが主人公は腹の底から怒っていたのである。
セリファンは命令を実行しようと、戸口のほうへ行きかけたが、そのまま立ちどまって、言った。
「それから、だんな、あの斑毛《ぶち》ですが、ありゃまったく、売っとばしちゃったほうがいいようですがな。だってあの野郎ときたら、パーヴェル・イワーノヴィチ、まったくのぐうたらで、どう罰が当たって、あんなものができやがったか、じゃまになるばかりですよ」
「よし! じゃおれがひとつ市場へ行って、売りとばしてやろう!」
「まったくですよ、パーヴェル・イワーノヴィチ、あの野郎見かけだけはいいが、その実とほうもねえなまずるいやつで、あんな馬ぁ……」
「ばかもの! 売るといったら、売るんだ。いつまでぶつくさ言ってるか! それよりいいな、いますぐ鍛冶屋をここへ連れてきて、二時間以内にできなかったら、どえらいやつをくらわせるからな……自分で自分の面《つら》がわからなくなるほどのな! さあ行け! さっさと行かんか!」
セリファンは出ていった。
チチコフはすっかりふきげんになって、サーベルを床に投げつげた、これはしかるべき相手に畏怖《いふ》の気持ちをおこさせるために旅のあいだつねに手もとからはなさなかった品である。彼は鍛冶屋たちと折り合いをつけるのに、十五分の上も手まどった、というのは鍛冶屋どもが、案にたがわず、札つきの悪党で、急ぎのしごとと見てとると、ちょうど六倍の手間賃をふっかけたからである。どれほど彼が激昂して、かたりだの、強盗だの、追いはぎだのとどなりちらし、最後の審判《しんぱん》まで持ち出しても、鍛冶屋どもはてこでもうごかなかった。彼らはみごとに強情を張り通して、――値段をびた一文ひかないばかりか、二時間どころかまるまる五時間半もしごとにかけたのである。
そのあいだ彼は、旅に発つまえの、もうトランクはすっかり荷造りされて、部屋の中にはひものきれはしだの、紙きれだの、いろんなごみくずがちらばっているばかりで、まだ出るわけにもいかず、といってここにじっとしてもいられないような、経験のある者ならだれでも知っているあのいやな思いを、たっぷり味わわされた。しょうことなしに窓から、腕をくんだり、けちくさいことをぺちゃくちゃしゃべったりしながら通りすぎる人々を、ぼんやりながめていると、通行人も愚かしい好奇の目を上げて、こちらをちらと見ると、またそのまま歩いてゆく。それを見るにつけ、あわれにもまだ発てない自分の身がかえりみられて、旅人はいよいよいらだたしい気持ちになるのである。どんなものでも、目にはいるものがすべて、窓の真向かいの小店も、向こう側の家の、短いカーテンのかかった窓のそばへ近よってくる老婆の頭も、――なにもかも彼にはいまわしい。だが、彼は窓のそばをはなれようとしない。ぼんやりつっ立って、あるいはもの思いにしずんだり、あるいはまたにぶい注意を目のまえにうごいたり静止したりしているすべてのものに向けたりしている。そしてちょうどそのとき、すぐ指の先のガラスにぶつかってブンブンいってるのろまなハエを、腹だちまぎれにつぶりしたりする。
しかしなにごとにもおわりがあるもので、ついに待ちに待ったときが来る。すっかり準備がととのい、馬車の前輪はちゃんと直され、車には新しい鉄輪がはめられ、馬どもは水飲み場からひいてこられた。そして強盗鍛冶屋どもはもらった紙幣をかぞえ直し、旅の無事を祈って、帰っていった。ようやく馬どもが馬車につけられ、貰ったばかりの焼きたての丸パンが二つ持ちこまれ、セリファンもなにやら食べものを馭者台についてる袋に押しこみ、そしてついにわが主人公も、例の半木綿《デミコツトン》のフロックを着て、帽子を振っている給仕や、よそのだんなの出立を見に集まってきた宿の下男たちや、よその従僕たちや、あくびをしている馭者たちや、その他出発の際にはつきもののあらゆる情景に見送られて、馬車に乗りこんだ、――そして例の独身男の乗りまわす軽馬車、こんなに長くこの市に滞在して、おそらく、もう読者をうんざりさせてしまったにちがいない、あの軽四輪馬車が、ついに宿の門を出た。
『やれやれ、助かったぞ!』――チチコフはほっとして、十字を切った。セリファンは鞭を鳴らした。はじめしばらくは踏み台にのって馬車にしがみついていたペトルーシカも、やがてセリファンのとなりにすわりこんだ。わが主人公はグルジア毛氈《もうせん》の上でしりの当たりぐあいを直しながら、皮張りのクッションを背のうしろに押しこみ、二つのあたたかい丸パンを横へ押しやった。そして馬車はまたしても、周知のように、はね上げる力を持つ鋪道《ほどう》のおかげで、がたがたはずみながら揺れだした。彼はなんとも言いようのない気持ちで、家々や、壁や、塀や、往来を見やった。するとそれらも、やはり揺れながら、ゆっくり後方へ去ってゆくように思われた、そして生きているあいだに、いつの日かふたたびこれらの風物を目にすることがあるであろうか、それは神しかわからないのである。
ある曲がり角のところで馬車はとまらなければならなかった。というのはその通りを端から端までうずめてはてしない葬列が通っていたからである、チチコフは、窓から顔を出して、だれの葬式かペトルーシカにきかせた。そしてそれが検事の葬式であることを知った。彼はいやな気がして、すぐに隅のほうに身をひそめると、皮のひざ掛けをかぶり、窓掛けをひいた。馬車がこうしてとめられているあいだ、セリファンとペトルーシカは神妙に帽子をとって、だれが、どんなふうに、どんな服装で、なにに乗ってゆくかなどと、たんねんに観察しながら、歩いているのが何人で、乗物にのっているのが何人で、と数をあたったりしていた。
だんなは、だれにも知った顔をするな、顔見知りの従僕など見かけても会釈《えしゃく》などしてはならんぞ、とふたりに厳重に言いわたしたが、自分もやはり小窓の皮の窓掛けのすき間からおそるおそる観察しはじめた。柩《ひつぎ》のうしろから、役人一同が帽子を手に持ったままぞろぞろと歩いていた。彼は馬車に気づかれるのではないかと、びくびくしだしたが、彼らはそれどころではなかった。彼らは野辺送りの人々がかならず交わすようなさまざまな世間話を、交わそうとさえしなかった。彼らはそのとき自分のことしか頭になかったのである。新しい総督は、どんな人だろう、どんなふうにことにあたり、どのように彼らをあつかうだろうと、ただそればかり彼らは考えていた。歩いてゆく役人たちのあとに、馬車がつづいて、黒い頭巾をかぶった婦人たちの顔が見えた。そのくちびるや手のうごきから見て、彼女たちは活発な話に熱中しているらしく思われた。もしかしたら、彼女たちも新しい総督の着任を話題にして、どんな舞踏会がもよおされるだろうかと、そのもようを想像したり、衣装につける縁飾りやアップリケのことに心をくだいたりしていたのかもしれない。
それらの馬車のあとに何台かのからの馬車がつづき、それらが一列に並んでつぎつぎと通りすぎてゆくと、ようやくそれで葬列がきれて、わが主人公は馬車をすすめることができた。皮の窓掛けをあけると、彼はほっとため息をついて、しみじみと言った。
「ああ、あの検事も! なんとなく生きながらえて、そして死んでしまったか! おそらく新聞に、部下および全国民の深い悲しみのうちに、尊敬すべき市民が逝去したとか、まれに見るよき父で、範とすべきりっぱな夫であったとか、その他いろんなことがごたごたと書きたてられることだろう。おそらく、柩につきそった未亡人とこどもたちの涙は人々の悲しみをそそったなどと書きそえられるだろう。ところがよくよく考えてみれば、人の記憶にのこるのは、まゆの濃い男だったというくらいのものなのだ」
ここで彼はセリファンにもっと早くやるように言いつけたが、同時にふとこう思った、『しかし、葬式に出会ったのは縁起《えんぎ》がいいぞ。死人に出会うと|つき《ヽヽ》がまわるって言うからな』
そのあいだに馬車はしだいにさびしい通りへ曲がり、まもなく市街のおわりを告げる木柵が長々とつづきはじめた。やがてもう鋪道もおわり、関門もすぎた。市がもううしろになった。もうなにもない。そしてまた旅の空に出たのだ。そしてまた街道の両側には、里程標だの、駅長だの、井戸だの、荷馬車だのが、つぎつぎと流れすぎてゆき、灰色の村が見えてくると、サモワールだの、ひなたぼっこの老婆が目につき、旅籠《はたご》から元気なひげ面の亭主が燕麦をかかえてとび出してくる、八百露里以上も歩いてきた破れわらじの旅人がとぼとぼ歩いている、小さな町にはいり、家々や、小麦粉の樽《たる》だの、わらじだの、巻きパンだの、その他こまごましたものを並べた木造の小店の立ち並ぶ通りをすぎ、まだらに塗った関門をぬけると、修理ちゅうの橋があり、そして右も左も、見わたすかぎり野原がひろがり、地主の旅行馬車だの、『なにがし砲兵大隊』としるされたみどり色の弾薬車をひいてゆく騎馬兵だのと行きちがう。みどりと黄の広野に、すきおこされた黒い地はだのしまもようが点々とつらなり、遠くで歌声が流れ、松の梢が霧にかくれ、遠く鐘の音が消えうすれ、はえのように豆つぶの鳥が舞い、はてしない地平線が……ああ、ロシア! ロシアよ! わたしはいまおまえを見ている。この奇《く》しきうるわしの遠い国〔ゴーゴリはローマで『死せる魂』の第一部を書き上げようとしていた〕からおまえを見ているのだ。貧しく、ちりぢりで、おまえのふところは住み心地がよくない。人の目を楽しませたり、驚かしたりしてくれるような、奔放《ほんぽう》な自然の奇勝もなければ、思いきった意匠《いしょう》をくわえられた人工の美もない。断崖にそそり立つ、無数の窓のきらめく荘厳な城を持つ都市もなければ、絵のように美しい立ち木も、家を巻き、滝のたえまない飛瀑《ひばく》のかげをはうキズタもなく、天にとどくかとばかりに峨々《がが》とそびえ、頂《いただき》に奇岩怪石をようする岩山もなく、ぶどうのつるや、キズタや、無数の野ばらがからみついている、重畳《ちょうじょう》する古びたアーチもなく、そのアーチのあいだからはるかに望まれる、銀色の明るい空にまぶしく輝く、千古の雪をいただく連山の姿もない。おまえのうちにあるものはすべてが荒涼としてかぎりなく、なだらかである。おまえの小さな町々は、まるで点か標のように、平原の中にぽちぽちと突き出ている。目を誘い、心を魅するようなものは、なにもない。ところが、いったいどのようなとらえがたい神秘な力が、わたしの心をこれほどまでにおまえにひきよせるのか? おまえのはてしない広がりを、海から海までくまなく流れわたる、あのもの悲しいおまえの歌が、なぜわたしの耳についてはなれないのか? なにがそこに、その歌の中にあるのか? なにがわたしを呼び、慟哭《どうこく》し、そして心をつかむのか? どのような音が痛ましくわたしのはだにふれ、魂にしみとおり、心臓にからみつくのか? ああ、ロシアよ! おまえはわたしからなにを望むのだ? どのような目に見えぬきずながおまえとわたしのあいだにかくされているのだ? どうしておまえはそんな目でわたしを見るのだ、そしてなぜおまえのうちにあるすべてが、期待にみちたそのような目をわたしに向けるのか?……そしてわたしが、この謎をとくすべもなく、ぼうぜんとたたずんでいるうちに、もう雨をふくんだ重苦しい雷雲がわたしの頭におおいかかり、おまえのはてしない広がりをまえにしてわたしの思考は盲《めし》いてしまった。このはてしない広がりはなにを予言しているのか? ここにこそ、おまえの中にこそ、おまえそのものがはてるところを知らないのだから、限りなく偉大な思想が生まれるはずではないのか? ここにこそ、手を振りまわし、歩きまわるだけの場所があるのだから、巨人が生まれるはずではないのか? そしていま、そのたくましい広茫《こうぼう》がたけだけしくわたしを抱きしめ、わたしの心にその恐るべき力をまざまざと見せてくれたのだ。わたしの目は異常な力を持つ光をあたえられた。おお! なんという輝かしい、絶美な、世に知られぬ遠い国であることか! ロシア!……
「おさえろ、手綱をしめろ、ばかもの!」とチチコフはセリファンにどなった。
「こら、サーベルをくらいたいのか!」と向こうから馬を走らせてきた二尺余もある口ひげをはやした伝令兵がどなった。「見えんのか、こら、森の鬼に魂をひっこぬかれたか。公用の馬車だ!」そして、まぼろしのように、轟音と土煙をのこして三頭立ての馬車が消え去った。
旅! このことばにはなんという奇妙な、人の心を誘《いざな》い去ってしまう、奇蹟的なひびきがこもっていることか! そしてこの旅そのものが、実際になんとすてきなものであることか! 晴れわたった日、秋の紅葉、ひんやりと冷たい大気……旅行用の外套のえりをかき合わせ、帽子を耳まで下げて、ひしと、そしてすわり心地よく馬車の隅に身をよせる! 最後の寒気がぶるっと全身を走りぬけると、もう快い温味《ぬくみ》がそれにかわった。馬は快適に走っている……するうちに誘いこむようなねむけがしのびよって、瞼《まぶた》が重くたれてきて、そしてもう『白雪ならで……』といううたも、馬の鼻嵐も、車輪の音も、なかば夢の中となり、もうとなりの客を隅へ押しつけて、寝息をたてはじめる。目をさますと、もう駅を五つも通りすぎていた。月がでている。見知らぬ町だ。教会の木造の丸屋根と黒い尖塔が見える。黒い丸太造りの民家、白い石造りの屋敷。月の光があちこちに落ちて、壁や、石畳の道や、往来に白い麻のハンカチをまきちらしたかのようだ。それを炭のようにまっ黒い影が斜めにたち切っている。月光にぬれた板屋根がまるで金属のように白く光り、人影ひとつない――みな眠っているのだ。ただ一つだけほのかに、どこかの小窓から灯影がもれている。だれか自分の靴のほころびでも縫っているのか、パン屋が炉の火でもおこしているのか――でもそんなことは、旅人にはどうでもよい! ああ、夜! 力強い天体! なんという美しい夜がつくられていることか! ああ、大気! そして遠い、高い、空、無限に深い天のふところで、広やかに、朗々《ろうろう》と、そして明るく広がっている夜空!……しかし、冷たい夜の息吹《いぶ》きがさわやかに目をなでながら、旅人をあやすと、もうたわいなくまどろんで、夢の世界をさまよい、なだらかないびきをかきはじめる。するとかわいそうに、隅へ押しつけられたとなりの客が、ずっしりのしかかる重さに気づいて、腹だたしげに押しかえす。目をさますと――もうまたあたりは畑野と広野で、どこにもなにも見えない――目途《もくと》のかぎり、ただ荒涼としたけしきだ。里程標がチラと目をかすめて飛び去ってゆく。朝のけはいがおとずれる。ほの白い冷え冷えとした地平線の上にほのかな金色のしまがかかり、風の冷たさがひときわきびしくなる。旅人はあたたかい外套にひしとくるまる!……なんという快い冷気であろう! またしてもうとうとと快いねむりにひきこまれる! ごとんとゆれて――また目がさめる。太陽がもう高くのぼっている。「もちょっとしずかにやれ! しずかに!」という声が聞こえる。馬車は急な坂を下っている。下のほうに広い堤防があり、広い明るい池が、陽光をあびて、銅の盆のようにまぶしく光っている。村が見える。家々が斜面に点々とちらばって、向こうに教会の屋根の十字架が星のように光っている。百姓たちのがやがや話し合う声が聞こえてくると、急にたまらない空腹におそわれる……ああ! おまえは時としてなんという楽しさをあたえてくれることか。遠い、遠い旅よ! いくたび、傷心のはて、おぼれる者のように、わたしはおまえにすがりついたことか、そしてその度におまえはあたたかくわたしを抱きとり、救い出してくれたのだ! そしておまえの胸の中で、いかに多くのすばらしい構想や、詩想が生まれたことか。そしてどれほどの霊妙な感銘がきざまれたことであろう!……しかしわが友チチコフもそのときは散文的な夢想ばかりを感じていたわけではなかった。ではひとつ、彼がどんなことを感じていたか、見てみよう。はじめのうち彼はなにも感じなかった。そしてまちがいなく市をはなれたかどうかを、たしかめようと思って、うしろばかりふりかえっていた。ところが、市はもうとうに消えうせて、鍛冶場も、製粉所も、そのほか市の周辺にあるいっさいのものが、もう見えなくなり、石造りの教会の白い尖塔さえも、もうとうに地平線のかげに沈んでしまったことを見てとると、今度は彼の頭はもうあたりの風景でいっぱいになってしまって、右や左へ目をやるばかりで、N市のことなど、まるで遠い少年のころに通りすぎた町かなんぞのように、彼の記憶から消えてしまったようであった。そのうちにあたりの風景も彼の心をひかなくなり、彼は軽く目をとじて、頭を枕に押し当てた。
実を言うと、作者にはむしろこれがさいわいなのである。というのはこのあいだを利用してわが主人公のことをすこし語ろうと思うからだ。たしかにこれまでは、読者諸君もご覧になられたように、ノズドリョーフだの、舞踏会だの、婦人たちだの、市ちゅうのうわさだの、はては、無数のつまらないこと、といってこれは本に書きうつされればつまらなく見えるだけで、実世間に生きて流動しているあいだは、ごく重大なことと見なされているのだが、こうしたもろもろのことにたえずさまたげられてきた。しかし今はそうしたものはいっさいわきに押しやって、もっぱらわが主人公の前身を語ることにしよう。
わたしが選んだこの主人公が読者のお気に召したかどうかは、ひじょうに疑わしい。ご婦人がたのお気に召さないことは、はっきりと断言できる。というのはご婦人がたというものは、主人公が完全無欠な人間であることを要求し、そして、精神的あるいは肉体的にちょっとのけがれでもあれば、それでまゆをひそめてしまうからである! 作者がどんなに深くその主人公の心の奥をのぞきこもうと、たとえその姿を鏡よりも鮮明に映しだしても、その主人公にご婦人方は一顧《いっこ》の価値もあたえないのである。そもそもふとっているのと中年なのが、チチコフにひじょうな損をさせた。いかなる場合も主人公がふとっていてはいけないのであって、ほとんどの婦人たちが、顔をそむけて、『まあ、なんていやらしい!』とまゆをひそめるのである。ああ! それは作者もじゅうぶんに心得ているのだが、それでもなおかつ作者は、有徳の紳士を主人公に選ぶことができないのである。しかし……あるいは、この同じものがたりの中に、これまでまだふれられていない弦が奏でられ、ロシア魂のはかりしれぬ宝庫がひらかれ、なにものにも屈せぬ勇気をそなえた男性や、女心の微妙な美しさをすべてそなえ、ひろやかなやさしい心とひたむきな献身にみたされた、世界のどこにも見出すことのできないようなすばらしいロシア娘があらわれるかもしれない。そうしたならば、そのまえに他民族のいかなるすぐれた人々も死人のように見えることであろう。それは生きたことばのまえに書物が死物《しぶつ》に見えるのと同じことである。ロシアが勃然《ぼつぜん》とうごきだす……そうすれば人々は、他民族にあっては単にその魂の皮層をかすめたにすぎないものが、どれほど深くスラヴ魂の中に根をおろしていたかを知るであろう……しかしなんのために、なぜ、そんな先々のことを語る必要があるのだ? きびしい内省の生活と、独居の冷徹な現実直視の中に育てられて、もうとうに不惑の齢《よわい》に達した作者が、青年のようにわれを忘れるのは見苦しいことだ。なにごとにもその順番と、場所と、時間がある! しかし、有徳の紳士はやはり主人公には選ばれない。そしてなぜ選ばれないか、その理由をあげることもできる。それは、もういいかげんあわれな有徳の紳士に休息をあたえていいころであるし、『有徳の紳士』ということばが人々の口をばかにしてしまったからだ。有徳の紳士を馬に変えて、作家という作家がこれにまたがり、鞭やらなにやら手あたりしだいのものでひっぱたいて、さんざん駆りたてたので、有徳の紳士はすっかりへたばってしまい、いまはもう有徳の影すらもなく、あとにのこったのは肋骨と皮ばかりというみじめな姿にされてしまったからだ。だから、有徳の紳士とはただ偽善的に口にされるだけで、だれにも尊敬されていないからだ。いや、もうそろそろ悪党を馬にしていいころだ。というわけで、悪党を馬車につなごうというのである!
わが主人公の生まれはあいまいで、決してはなやかなものではない。両親は貴族だったが、代々の貴族か、一代で成り上がったものか――そのへんのところはわからない。彼の顔は両規のどちらにも似ていなかった、すくなくとも、出産のときにせわをやいていた親戚の女で、世間で普通に|ちゃぼ《ヽヽヽ》といわれているような、背のひくいやせた女が、赤んぼを抱きあげながら、思わずこうなげいたほどであった。「あれまあ、思っていたのとまるでちがう赤ちゃんだよ! せめて母かたのおばあちゃんに似てくれたら、と思ってたのにさ。まるでこれじゃ、ことわざじゃないけど、父にも母にも似ないで、どこかの風来坊にそっくりの鬼っ子ができちゃったじゃないのさ」
人生は最初、雪をかぶってぼんやりくもった小窓をとおして、妙にしぶいふきげんな顔で彼をのぞいた、こどものころは仲のいい友だちも、あそび仲間もなかった。冬も夏もあけられたことのない小さな窓のついたせまい小部屋、羊の毛皮の裏をつけた長いフロック・コートを着て、す足に毛糸のスリッパをはいて、のべつハァハァ苦しそうな息をしながら室内を歩きまわり、隅っこのたんつぼにべッペッとつばをはく病身の父、朝から晩までペンを持たされて、指やくちびるまでインクでよごして、机のまえにすわっていなければいけないこと、目のまえにはってある『うそをつくな、目上の者にしたがえ、心を正しくせよ』という心得、たえず室内を歩きまわるスリッパの音。そしておもしろくもない勉強にあきて、なにかの文字に角《つの》かしっぽなどをつけたりすると、とたんにおっこちる「またいたずらしてる!」という聞きなれた、しかしいつ聞いてもおそろしい声。そしてその叱言《こごと》につづいて、うしろからのばされる長い指のつめでぎゅっと耳のはしをつねり上げられるときの、あのもうなれっこにはなったが、しかしいつも不愉快な感じ。これが、彼がかすかにおぼえている、最初の幼年時代のみじめな姿であった。しかし人生にはすべてがあっという間《ま》に急変してしまうことがあるもので、春が訪れて、はじめてうららかな陽《ひ》がさし、雪どけ水がにぎやかに流れ出したある日、父は息子をつれて、馬商人たちのあいだでは|かささぎ《ヽヽヽヽ》と呼ばれている、褐色に黄色いまだらのあるやせ馬をつけた田舎馬車で出かけた。馭者をつとめたのは、チチコフの父が所有していた唯一の農奴一家の家長で、家の中のほとんどすべてのしごとを引き受けていたせむしの小男であった。彼らはかささぎにひかれて二日近くがた馬車にゆられ、途中で泊まり、川をわたったり、冷たいピローグと羊の焼き肉をかじったりして、三日めの朝にようやくある市に着いた。少年の目のまえにいきなりきらびやかな町並みがあらわれたので、彼は思わずポカンと口をあけたまま、しばらくふさぐことができなかった。そのうちにかささぎは馬車もろともばしゃっと穴にはまりこんだ。そこからどろんこの横町がだらだらと下り坂になっていた。|かささぎ《ヽヽヽヽ》はその穴の中で、せむしとだんなにどやされながら、長いこと全力をふりしぼってあがいていたが、やっとのことでぬけ出して坂の中途にあるせまい庭に馬車をひき入れた。その庭には古びた小さな建物のまえに二本のりんごの木がいっぱいに花をつけていて、建物の向こうはななかまどと|にわとこ《ヽヽヽヽ》だけの低い小さな庭になっていて、その茂みの奥にかくれるように、曇りガラスの小さな窓がひとつついた、こっぱ屋根の丸木造りの亭が立っていた。ここには彼らの遠縁の、しわくちゃの老婆が住んでいた。このばあさんはいまでも毎朝市場に出かけ、もどるとサモワールに当ててくつしたをかわかすという達者なばあさんで、少年のほおを指でポンポンとはじいて、そのまるまるした肉づきにうれしそうに目を細めた。
彼はこの家にやっかいになって、市の学校に通うことになった。父は、一晩泊まって、あくる日に帰っていった。別れるときに父は涙一粒こぼすでなく、おこづかいに五十コペイカ銅貨を一枚くれたが、それよりもなによりも、つぎのような賢明な教訓を少年にあたえたのだった。「いいか、パヴルーシャ、勉強するんだぞ、いたずらをしたり、わるさをしたりしてはいかん、なによりも先生や上の人に気に入られるようにすることだ。上の人に気に入られるようになれば、勉強がそれほどできなくても、頭がよくなくても、なにもかもがうまくゆき、みんなを追いこすようになるんだよ。友だちなんかつくっちゃいけないよ、ろくなことは教えやしないから。だが、どうしてもつくらにゃいかんようなら、できるだけ金持ちの子と友だちになることだ、どうころんでも損にならないようにな。だれにもおごったり、ごちそうしたりしちゃいかん、それよりもこっちがおごられるようにすることだ。とにかく一コペイカもむだにしないで、ためるんだよ。なんといったって金が世の中でいちばんのたよりなんだ。友だちだの仲間だのというやつらはおまえをだましたり、おまえが困るとまっさきにおまえを裏切ったりするが、金だけは、おまえがどんな災厄にぶつかっても、決して裏切るようなことはない。金があればどんなことだってできるし、どんな無理だって押せるんだよ」こうした教訓をあたえると、父は息子と別れて、また|かささぎ《ヽヽヽヽ》にひかれて家へもどっていった。そしてそれっきり彼はもう父を見なかったが、しかしこの父のことばと教訓は彼の心の底に深く根をおろしたのである。
パヴルーシャ少年はその翌日から学校へ通いだした。特に得意な学科というものはなく、むしろ勤勉できちょうめんな子というほうであったが、その代わり別な面、つまり実際的な面ではすぐれた才能を発揮した。彼はたちまち要領を会得《えとく》して、友だちに対してはじつにうまく立ちまわって、彼らにおごらせるようにしむけ、自分のほうからは一度もおごったことがないばかりか、時には、おごられたものをそっと持ちかえって、あとでそれを当のおごった相手に売りつけたことさえあった。まだ赤んぼうのころから、彼はもうがまんするということをおぼえていた。彼は父からもらった五十コペイカを一コペイカもへらさなかった。それどころか――その年のおわりまでには、異常なまでの機転をはたらかして、逆にそれをふやしたのだった。たとえば、蝋《ろう》で|うそ《ヽヽ》をこしらえて、それに色を塗り、ひじょうにいい値段で売りつけるというようなことをやってのけたのである。そのごしばらくのおいだ彼は別な|やま《ヽヽ》しごとに身を入れた。つまりこうである。まず市場でなにか食べものをしこんで、教室でなるべく金持ちの子のそばにすわる。そしてその子がなまつばをのみこみはじめたと見ると、――これは腹がすきだした証拠である、――彼はなにげないような顔をして机の下から蜜菓子だの巻きパンだののはしをちらちらさせて、相手の気をそそり、その腹のへりぐあいに応じて値段をつり上げるのである。彼はまた二か月というもの部屋にとじこもって、小さな木の檻《おり》に入れた二十日ねずみの仕込みに熱中し、とうとう合図によってうしろあしで立ち上がったり、ねそべったり、起き上がったりするまでに慣らして、それもやはり高値で売った。ためた金が五ルーブリになると、彼はその袋の口を縫いつけて、改めて別な袋にためはじめた。上の者に対しては彼はもっともっと抜けめなく立ちまわった。彼はだれもまねができないほどおとなしく椅子にかけていることができた。ここでことわっておかなければならないが、教師というものはおとなしい、行儀のよい子が大好きで、頭がよくて生意気な子にはがまんがならないものだ。こいつらきっとおれを笑うにちがいない、そう思うからである。生意気だとにらまれたが最後、からだをちょっとうごかすとか、なにげなくまゆをぴくりとさせるとか、そんなさ細なことで、もう教師はかっとなってしまうのである。教師はその生徒をつまみ出して、こっぴどく罰した。「おまえからそのふてぶてしい、言うことをきかぬ虫をたたき出してやる!」と教師はいきまいた。「おまえは自分で自分のことがさっぱりわかっておらんが、わしはおまえの腹ぐらいすっかり知りぬいてるぞ。そこにひざで立っておれ! すこしひもじい思いをするがいい!」そこであわれなこどもは、なんで叱られたのかわからないで、ひざをすりむきながら、一日じゅう腹をすかしていなければならないのである。「能力と才能、そんなものはどうでもいい」と教師は口癖のように言ったものだ。「わしは品行だけを重視する。わしは、イロハのイもわからんでも、品行の方正な者には、全課目満点をつける。性根がよくなく、生意気なやつには、たとえソロン〔紀元前七世紀から六世紀にかげてアテネに住んでいた有名な立法家で、ギリシア七賢人のひとりにかぞえられた〕を負かすほど成績がよくても。零点をやるからな!」この教師は、「酒は飲んでも、しごとができれば、それでいい」と言ったことで、寓話《ぐうわ》作家クルイロフを死ぬほどきらい、まえに教えていた学校では、はえがとぶ音も聞こえるほどしずかで、一年じゅうひとりの生徒も教室でせきをしたり、鼻をかんだりする者がなく、ベルが鳴るまで教室の中に生徒がいるかどうかわからないほどだったと、いつも満足そうに目を細めて語ったものだ。チチコフはすぐに教師の気質をのみこんだ、そしてどんな態度をとるべきかということを会得した。彼は授業のあいだじゅううしろからどんないたずらをされても、目も、まゆも、ぴくりともうごかさず、ベルが鳴るやいなや、さっととんでいって、まっさきに耳当てのついた帽子を教師に渡した(教師はいつも耳当てのついた帽子をかぶっていた)。そして帽子を渡すと、まっさきに教室を出て、途中で三度ほど教師に出会うようにつとめて、そのたびに帽子をとってていねいにおじぎをした。これがすっかりうまくいった。彼は在学ちゅうずっとすばらしい点をとり、卒業のときに全課目満点をつけられ、卒業証書と、金文字で『学術優秀にして品行方正なるを賞す』としるした本を一冊もらった。
学校を出ると、彼はもうかなり魅力的な容貌《ようぼう》とかみそりを必要とするあごを持った、いい若者になっていた。そのころ父が死んだ。遺産としてのこされたのは、着古されてもう縫い直しもきかぬ四枚のチョッキと、羊の毛皮の裏を当てた二着の古いフロック・コートと、わずかばかりの金だけであった。父は、どうやら、金をためろと教えたのは口先だけのことで、自分ではさっぱりためなかったらしい。チチコフはすぐに古ぼけた家とねこの額ほどの地所を千ルーブリで売ると、市で勤めて生活をたてるつもりで、家族をつれて市へ移った。ちょうどそのころ、しずかなことと方正な品行を好んだ教師が、愚かさのためか、あるいはなにかあやまちをおかしたのか、かわいそうに学校を追われた。教師は悲しさをまぎらすために酒を飲みだしたが、しまいには飲む金もなくなってしまった。一かけらのパンもなく、せわをしてくれる者もなく、彼は病の身をどこか場末の晒屋《ろうおく》の火の気もない部屋に横たえていた。彼のかつての教え子で、常々言うことをきかぬ生意気なやつとにらまれていた、りこうで機敏な連中が、その気のどくな状態を知ると、すぐに必要なものまでたくさん売りはらって、彼のために金を集めた。ただひとりパヴルーシャ・チチコフだけが貧しいとか金がないとか言いのがれを言って、しぶしぶ五コペイカ玉を一枚さしだしたが、友人たちは、「えい、この恩知らずめ!」とどなって、その場でそれをたたき返した。あわれな教師は、むかしの教え子たちのそのような行為を聞くと、両手で顔をおおった。そしてその見えなくなった目から、まるでがんぜないこどものように、涙がぼろぼろこぼれ落ちた。
「神さまのおかげで、死にぎわに心から泣かせてもらいました」と彼は弱々しい声で言った。そしてチチコフのことを聞くと、苦々しげにため息をついて、すぐにこうつけくわえたのだった。「えい、パヴルーシャのやつめ! 人間とはそんなに変わるものかねえ! あんな品行方正な、乱暴なところなどひとつもない、おとなしい子だったに! ねこをかぶっていたのか、いや、すっかりだまされました……」
しかし、わが主人公がそれほど冷酷でかわききっていて、あわれみも同情も知らないほどに感情がにぶっていたとは、いちがいに言えない。彼はそのいずれも感じていたし、助けてあげたいという気持ちさえあったが、ただ手をふれまいと決めた金にはふれたくなかったので、出せる金額がごくわずかになってしまっただけのことで、――要するに、一コペイカもむだにしないで、ためろ、という父の教訓がいかされたわけである。しかし彼はもともと金そのもののために金に執着《しゅうちゃく》を持っていたわけではなかった。だから彼は心底からけちでしみったれというのではない。いや、彼をうごかしていたのはそんなものではない、――彼が別途に夢見ていたのは、なにもかもじゅうぶんにそろった豊かなみちたりた生活であった。りっぱな馬車や、豪荘な邸宅や、おいしい食事、――こういうものがたえず彼の頭の中に描かれていたのである。やがて、いつかは、きっとそうしたすべてをしみじみ味わえる日が来るようにと、そのために一コペイカを惜しみ、自分もがまんし、他人にもけちくさくしているのである。金持ちが美しい競走馬車に乗って、豪勢な馬具をつけた馬にひかせて、矢のようにとんでいくのを見たりすると、彼は魅せられたようにぼうぜんとその場に立ちつくし、やがてはっと気がつくと、まるで長い夢からさめたように、『あいつ、ついこのあいだまでは手代だった。頭を丸刈りにしてやがったっけ!』などとひとりごとを言ったものだった。とにかく裕福《ゆうふく》と安楽のにおいのするものはなんでも、自分でもよくわからないある感銘を彼にあたえた。彼は学校を出ると、ちょっとほねを休める気にもなれなかった。早く勤務について、出世のいとぐちをつかみたいという願望が、それほど強烈だったのである。しかし、りっぱな卒業証書を持っていたにもかかわらず、彼は税務監督局にどうにか採用になるまでになみなみならぬ苦労をしなければならなかった。どんな辺鄙《へんぴ》な田舎でも手づるというものが必要なのである!
彼はほんのつまらない役をあたえられ、年に三十ルーブリか四十ルーブリの俸給にありつくことになった。それでも彼は熱心に職務にはげみ、どんなことにも負けず、すべてを克服してやろうと決心した。そしてたしかに、彼は前代未聞の献身と忍耐と節約を示したのである。朝早くから夜おそくまで、気力も、体力も、その疲れということを忘れて、彼はすっかり書類の中にうずまってせっせと書きまくり、家へも帰らずに、事務室で机の上に眠り、時には小使といっしょに食事をしたりしたが、しかしそれでも身なりをきちんとして、清潔をたもち、顔に気持ちのよい表情をつくり、立ち居にどことなく気品をさえそえることができた。ここでことわっておく必要があるが、税務監督局の役人といえば、風采の上がらないことと品のわるいことで知られていたのである。中には焼けそこないのパンみたいな顔をして、ほっぺたが片方へふくれ、あごが反対のほうへゆがんで、上くちびるが水ぶくれみたいにむくれ上がって、それがごていねいにひびわれているという、一口に言えば、まるで見られないようなご面相もあった。彼らはなにか荒っぽい、まるでかみつきそうな声でしゃべり、しょっちゅうバッカスの酒神にいけにえを捧げて、スラヴの魂の中にまだ異教精神の名残りがたくさんのこっていることを証明していた。ときには、いわゆる一杯きげんというやつで役所へ出ることさえあって、そのために役所は規律がみだれ、空気がすっかりけがされてしまうのだった、こうした役人たちの中にあって、チチコフはなにからなにまで、正反対で、顔だちも品がよく、声もやさしく、強い飲みものはいっさいたしなまないのだから、どうしたってめだたないはずはなかった。
しかし、それでもなお彼の道はけわしかった。たまたま彼の上司になったのが、石のような冷酷と頑迷《がんめい》の見本のような、もうよぼよぼの老課長で、生まれてからまだ一度も笑顔を見せたこともないし、だれにも一度も時候のあいさつもしたことがないという、まったく近よりがたい人物だった。街ででも、彼の自宅ででも、いつもの彼とちがう彼を、だれも一度も見たことがなかった、せめて一度くらいなにかに心をうごかすとか、酒を飲んで酔って笑うとか、強盗どもが酔うと興ずるようなばかさわぎに興ずるとか、そういうことがあっていいはずなのに、彼にはそんなそぶりはつゆほどもなかった。彼には悪人らしいところも、善人らしいところも、まったくなく、そうしたものがなにもないところになにかぶきみなものがあった。能面のような無表情な顔は、べつにきわだった欠点はないが、まったくなにも連想させるものがなく、左右の線が一分のくずれもなくきびしい釣合をたもっていた。ただあばたや噴火口が、やたらに顔に突きささっていて、それが彼の顔を、俗に言う悪魔が夜な夜な豆をたたきにやってくるといったたぐいの顔にしていた。
このような男にとり入って、その気をひくなどということは、とても人間わざではできそうもなく思われたが、しかしチチコフはそれをこころみたのである。まず彼はさまざまなめだたぬ小さなことできげんをとりはじめた。まず彼が使っている鵞《が》ペンのけずり方をしさいに観察して、そのとおりに数本の鵞ペンをけずり、彼がとりかえようとするたびに、すっとそれを手もとへさし出した。それから彼の机の上のごみやタバコの粉をフッと吹きはらったり、布きれでふき清めたりした。またインクつぼの下に新しい端ぎれをしいてやった。またどこかから彼の帽子、よくもこんな帽子が世の中にあったものだと思われるような、じつにひどい帽子を見つけてきては、役所のひけ時近くになるといつも彼のそばにおいておいた。壁の白い粉が背中についたりすると、すぐにそれをはらってやった――しかしそうしたこまごました心づかいは、まるでそんなことはせんぜんなかったかのように、完全に無視されたままだった。そのうちにチチコフは彼の家庭のようすをさぐって、彼にはひとり、これも悪魔が夜な夜な豆をたたきに来るというようなたぐいの顔をした年ごろの娘があることをかぎあてた。彼はひとつそちらから攻撃をかけてやろうと考えた。彼女が日曜日にどこの教会へ行くかを突きとめて、彼はきちっと服装をととのえ、ピンとのりのきいた胸当てをつけて、いつも彼女の真向かいに席を占めた、――この作戦がまんまと効を奏して、さしもの頑迷《がんめい》な課長もついにぐらつき、彼を茶に招いたのである!
事務所ではだれも気づかぬうちに、事はとんとんとはこび、チチコフはさっさと課長の家に移って、同家にはなくてはならぬ人間になってしまい、麦粉やさとうを買ってやったり、娘に対しては婚約者のような態度をとり、課長をおとうさんと呼んで、手に接吻したりした。おくればせにそれを知った役所の連中は、二月末の大斎期まえには結婚式があげられるだろうなどとうわさし合った。頑迷な課長は彼のために局長に奔走《ほんそう》してやるようにさえなって、しばらくするとチチコフは新設されたある課の課長の椅子をあたえられることになった。ここに彼が老課長にとり入ったおもな目的があったらしい。というのは、課長の椅子にありついたとたんに、彼はこっそり自分の荷物を家へ送り、翌日にはもう別な住居に移っていたからである。そして彼は老課長をおとうさんと呼ぶことをやめ、手に接吻をしなくなり、結婚話も、まるでそんなことはなかったみたいに、たち消えになってしまった。しかし、老課長と会うたびに、彼はいつもあいそよく手をにぎって、茶に招いたので、さすがに表情をくずしたことがなく、石のように冷えきった心の老課長も、そのたびに頭を振って、鼻の先でこうつぶやいたものである。「まんまと、一杯くわせやがった、ちくしょうめ!」
これが彼が踏みこえた最大の難関であった。それから先はずっとらくで、とんとん拍手になり、ひとかどの人物になった。応待や物腰の気持ちのよさも、事務の面における機敏さも、この世界で出世するために必要なあらゆる要素を、彼はそなえていた。こうした武器を駆使して彼はわずかのあいだにいわゆるみいりのいい地位を獲得し、それをじつに巧みに利用した。しかしちょうどそのころに収賄《しゆうわい》に対するきびしい追求がはじまったことを、知っておく必要がある。ところが彼はその追求を恐れなかったどころか、しぼられてはじめて出てくるロシア人の奇知というやつをずばり発揮《はつき》して、たちまちそれを自分に有利なように向け直してしまった。つまりこういうわけである。
請願者がやってきて、片手をポケットにつっこみ、わがロシアにおける表現を用いれば、ホワンスキ公爵〔当時のロシアの帝国銀行総裁で、紙幣にはこの人の署名が印刷してあったところから、紙幣のことを皮肉にそう呼んだ 〕署名の例の紹介状をとり出そうとすると、「いや、いけません」と彼はその手をおさえるようにして、にこにこ笑いながら言うのである。「そんなふうに思っていただいちゃ困りますよ、ぼくはそんな……いや、そりゃいけません。これがわれわれのつとめです。義務ですから、お礼などいただかなくともちゃんとやりますよ! その点はご安心ください、あすまでにきちんとやっておきます。失礼ですがお住居は? なにもご自分でおはこびになることはありませんよ、こちらからちゃんとお宅へ届けますから」請願者はすっかりごきげんになって、いまにもおどりだしたいような喜びようで、『やっと、りっぱな人物があらわれた。ああいう人間がもっと多くならなきゃいかん、ありゃまったくダイヤモンドのような人物だ!』などと考えながら、帰ってゆく。ところが一日待っても、二日待っても――家へ届けられない、三日めも同じだ。事務所へ行ってみると――書類はまだそのままで、手もっけられていない。そこでダイヤモンドのところへ行って詰問《きつもん》すると、「あっ、これはこれは申しわけございまぜん!」とその両手をにぎって、おそろしくいんぎんに言う。「なにしろここのところしごとが山積してましてな。でもあすまでにはきっと作成します、まちがいありません。まったく、合わせる顔がありませんよ!」そしてそうしたことばになんとも言えぬ魅力的なしぐさがともなうのである。もしその際なにかのはずみでコートのすそがはだけたりすると、すぐにそれを直して、すそをちょっと手でおさえたりする。ところが明日も、明後目も、三日めになっても、書類は家に届けられない。請願者はそこではじめて、ふざけやがって、こりゃなにかわけがあるな、と気がつく。そこでそれとなくあたってみると、そりゃ書記たちにいくらかつかませなくちゃあ、という話だ。『そりゃ言われるまでもない、わたしは二十五コペイカ玉の一枚や二枚は出すつもりでいたんだ』――『いや、二十五コペイカ玉くらいじゃ失礼でしような、白紙幣一枚ずつくらいは気張らなきゃあ』――『白紙幣一枚ずつですと!』と請願者はびっくりする。『なにをそんなに目をまるくしてるんです?』と先方は言う。『つまり、書記たちには二十五コペイカずつ渡り、のこりは課長のふところにはいる、というしくみなんですよ』そこで勘のにぶい請願者はゴツンと自分の額に一発くらわせて、新しい制度だの、収賄の取締りだの、役人どものばかていねいな上品ぶった態度だの、このごろの世の中はなっとらんと口をきわめてののしるのである。以前にはすくなくともどうしたらよいかくらいはわかっていた。課長に赤紙幣〔赤紙幣とは十ルーブリ紙幣、白紙幣は二十五ルーブリ紙幣〕一枚つかませれば、それですんだものだ。ところが、今どきは白紙幣一枚ずつ、それもそれと気がつくまで、一週間もいらいらせにゃならんしまつだ。役人の清廉《せいれん》だの、上品だの、そんなものは悪魔に食われてしまえ! 請願者の怒るのはもっともだが、その代わり今は収賄者というものがいなくなった。つまり上の者はすべて清廉潔白な上品な人々で、秘書や書記だけが悪党なのである。
まもなくチチコフのまえにすばらしい運がひらけた。ある大規模な官営の建物が建設されることになり、その委員会が編成されたのである。この委員会に彼も名をつらね、もっとも活動的な委員のひとりになった。委員会はただちに活動をはじめた。この建設をめぐって六年間もすったもんだがつづいたが、天候にわざわいされたのか、あるいは材料がよくなかったのか、いずれにしても土台ができただけで、それ以上はいっこうにはかどらなかった。ところがそのあいだに市の反対側の郊外に、いつの間《ま》にか委員のひとりひとりの瀟洒《しょうしゃ》な構えの私宅ができていた。どうやら、そちらのほうが地盤がよかったらしい。委員たちはもうすっかりいい調子になって、家族ぐるみのはなやかな生活をはじめた。そこではじめて、そのときになってようやく、チチコフは抑制《よくせい》と仮借なき自己犠牲のきびしいおきてからすこしずつぬけ出すようになった。ここではじめて長年にわたった禁欲がようやく緩和《かんわ》されて、彼がさまざまな快楽に決して無関心であったわけではなく、だれもがぜったいに自分を制しきれない、血の燃えたぎる青春時代に、彼だけはけなげにもじっと自分をおさえつづけてきたことがわかったのである。いくらかぜいたく癖もでて、彼はかなり腕のいいコックを雇ったり、オランダ製の薄手のシャツを着たりした。また、県内のだれも着ていないような上質のラシャを買ったりして、このころから斑点模様のある肉桂色や赤っぽい色の服地を好むようになった。そのころになると、彼はもうすばらしい一対の馬を手に入れ、自分も片方の手綱をにぎって、副馬の頭を側方へしぼって駆けさせたりした。彼はもう海綿にオーデコロンをまぜた水をふくませて、からだをふく習慣を身につけ、はだをなめらかにする高価なけしょうせっけんを買い、さらに……
ところが不意にこれまでのぐずな長官のあとへ厳格な軍人で、収賄《しゆうわい》やおよそ不正といわれるものの敵という新しい長官がおくりこまれてきた。着任の翌日、彼は全員に報告書の提出を要求して、役人たちをひとりのこらずふるえ上がらせ、いたるところに勘定の合わない不足額を発見すると、たちまち例の瀟洒《しようしや》な私宅に目をつけて、調査をはじめた。そして役人たちは免職になり、私宅は国に没収されて、さまざまな社会施設や幼年学校に向けられた。みんなさんざんな目に会わされたわけだが、チチコフがだれよりもひどかった。チチコフの顔が、気持ちよくできているのに、のっけから長官の気にそまなかった。いったいどうしてなのか、これは知るよしもないが、ときにはべつに理由などなくただそうなることもあるものだ、――そして長官は彼を目の敵《かたき》にした。がんこな長官は全員にとって雷のような恐ろしい存在ではあったが、しかしやはり軍人あがりで、役人の世界の巧妙な裏の跪計《きけい》には通じなかったので、しばらくすると、神妙そうな顔つきと、どんな者にもとり入る|コツ《ヽヽ》という奥の手を使って、他の役人たちは長官の慈悲にすがりつき、そのために長官は手もなくまるめられて、自分ではまったくそんな手合いとは知らずに、以前よりももっと上手《うわて》な悪党どもの手ににぎられてしまった。そして本人はいい気なもので、ようやくしかるべき人々を選んだことに、満足の意をさえあらわして、自分の人を見る目の確かさを本気でいばったものである。
役人たちはじきに彼の人間と気性を見ぬいた。彼の配下にある者はひとりのこらず、不正のおそるべき追求者となり、まるで|やす《ヽヽ》を構えた漁夫がよくあぶらののった蝶鮫を追いかけるみたいに、いたるところで、あらゆる面で不正を追求し、しかもそれがみごとな成果をあげたので、たちまちのうちに各人がそれぞれ数千ルーブリの私財をつくってしまった。そのころ以前の役人たちの多くが正道に立ちかえって、ふたたび帰参をかなえられた。しかしチチコフだけはどんなにほねをおってみても、ぜったいに願いがいれられなかった。完全に将軍の舵《かじ》をにぎっている秘書に、ホワンスキー公爵署名の紹介状をきかせて、とりなしをたのんでみたが、その秘書でさえどうにもすることができなかった。将軍は、鼻をつかんでひきまわされはしても(もっとも、本人はそんなことは知らないのだが)、その代わりいったんある考えが頭の中に深くこびりついたら、もうそれは釘がささったも同じことで、もうどうしたって引き抜くことができない、といったたぐいの人間だった。賢明な秘書がなしえたことと言えば、チチコフの履歴書のけがれを消してやったのがせいいっぱいで、それすらチチコフの気のどくな家族の悲惨な運命をまざまざと描写して、同情に訴えることによって、やっと長官の心をうごかしたからであった。だが、さいわいなことに、チチコフには家族がなかったのである。
『ふん、なんてことだ!』とチチコフ言った。『うまくひっかけて――ちょっと引いたら、糸が切れて――おじゃんか。泣いたってはじまらん、またやり直しだ』そこで彼はまたはじめから出直し、また忍耐で武装し、これまでずいぶん気ままに、楽しく羽をのばしたが、それをまたがっちりと引きしめようと決心した。それにはまず別な市へ移って、気分を一新して、新たに名をあげることが必要だ。しかしどうも思うようにいかなかった。そしてわずかのあいだに二度も三度も職を変えなければならなかった。その勤め口もどういうものか不潔な、人にいやしまれるようなものばかりだった。チチコフは創世以来と言えるほどの、じつに礼儀正しい人間であったことを、忘れてはならない。彼ははじめのうち不潔な同僚たちの中でもまれなければならなかったが、それでも心の中ではつねに清潔を愛し、事務所の中はうるし塗りの机がおかれて、すべてがきちんとしていないと、気分がわるかった。彼はぜったいに品のわるいことばは使わなかったし、他人のことばに官位や身分に対する当然の尊敬が欠けているのを認めると、つねに屈辱を感じた。読者の耳にも快く聞こえることと思うが、彼は二日に一度はかならず下着を替えたし、夏の暑い時分などは毎日取り替えるというふうで、ちょっとでも不快なにおいがすると、もうがまんがならなかった。こういった理由から、ペトルーシカが彼の服や長靴をぬがせに来るたびに、彼はかならず丁字油《ちようじゆ》を鼻に塗ったもので、なにかにつけて彼の神経は処女のそれのようにデリケートなのである。だから、またあらためて、強い安酒のにおいがぷんぷんにおい、態度のがさつな連中のあいだに身をおくのが、彼にはつらかったのである。彼はずいぶん気をしっかり持ったが、それでもこの不遇な数年間に肉が落ちて、顔色もあおくなったほどだ。その後すこしずつふとりだして、読者がはじめて彼と知り合いになったときに見たような、あのまるまるした、品のよい姿に近づいていき、ちょいちょい鏡を見ては、妻とか、こどもとか、楽しいことをいろいろと考えては、微笑がひとりでにこみ上げてくるようになったが、そのころはなにげなく鏡の中の自分をのぞいたりすると、『うへっ、おれはなんていやな顔になったんだ!』と思わず叫んだもので、その後はながいこと鏡を見ようとしなかった。
しかしわが主人公はすべてを堪えて、強く、しんぼう強く、堪えぬいた。そして――とうとう税関吏の職にありついた。ことわっておく必要があろうが、これは彼がかねてから心中ひそかに望んでいた職なのである。彼は、税関の役人たちがどんなしゃれた外国製の品々を家にそなえつけているか、そしてどんな陶器やバチスト麻などを教母や、おばや、妹に送ったりするかを、知っていた。彼はもうまえまえから何度となく、『ああいうところに勤めたいものだ。国境は近いし、同僚はみな文化的だし、薄手の極上のオランダ製のシャツだって自由に手にはいるというものだ!』とため息まじりに言ったものだった。なおその際、彼は肌に並みはずれた白さとほおにみずみずしいつやをあたえる特殊のフランス製のせっけんのことも考えていたことを、つけくわえておく必要があろう。それがなんという名まえのせっけんかは、知るよしもないが、しかし彼の想像によれば、国境にはかならずあるはずであった。というわけで、彼はかねがね税関に勤めることを望んでいたが、建設委員会の現実の種々の利益にひきとめられ、税関は、なんといっても、やはり大空に飛んでいる鶴にすぎないが、委員会は手の中の四十雀《しじゅうから》だと、じつにうがった考察をしていたのだった。ところがこうなったうえは、彼はなにがなんでも税関にはいろうと決意し、そしてそれをはたしたのである。だから彼はその職務に異常なまでの熱意を示した。さながら、運命そのものが彼を税関吏にすることを定めていたかに思われた。彼のような機敏さ、洞察力《どうさつりよく》、そして炯眼《けいがん》は、これまでだれも見たことはおろか、聞いたことすらないほどであった。三、四週間のうちに彼はもう税関業務にすっかり熟達して、その裏の裏まで見ぬいてしまった。彼は秤《はかり》やものさしを使わなくても、送り状を見ただけで、どういう包装には羅紗なり他の生地なりが何ヤールあるかということがわかったし、包みを手にとっただけで、すぐにそれが何ポンドあるか言いあてることができた。検査となると、同僚たちも舌《した》を巻いたほどで、その言いぐさではないが、彼にはたしかに犬の嗅覚《きゆうかく》があった。そしてボタン一つのはてまでさわってみるその根気のよさには、ただただ驚嘆するほかはなく、しかもそれがうんざりするほど冷静に、信じられぬほどいんぎんにおこなわれるのである。そして検査されてる客のほうがむかっ腹をたてて、われを忘れ、そのあいそのいい顔をぶんなぐってやりたいような衝動にかられたときでも、彼は、顔の表情も、いんぎんな態度も、すこしも変えることなく、ただこんなふうに言うだけである。「恐れ入りますが、ちょっとお立ちになっていただけないでしょうか?」とか、「恐れ入りますが、おくさま、あちらの部屋へおこし願えませんでしょうか? あちらでわたしたちの同僚の妻君がお話をうかがいますから」とか、「失礼ですが、このナイフでちょっとあなたの外套の裏をほどかせてもらいます」とか。そして、こんなことを言いながら、彼はそのほどいたところから、ショールやら、スカーフやらを、まるで自分のトランクからとり出すみたいに、冷静にとり出すのである。上司たちでさえ、あれは人間じゃない、悪魔だと評したほどであった。彼は車輪の輪の中からも、轅《ながえ》からも、馬の耳の穴からも、その他、作家などにはとうてい思いもおよばない、税関の役人くらいしか目をつけないような、とんでもない場所から、いろんなものをさがし出した。それであわれな旅行者たちは、国境を通過してからも、しばらくはわれに返ることができないで、全身にびっしょりかいた冷汗をふきながら、ただ十字を切って『ええ! くそめ!』とつぶやくばかりだった。それは教師に秘密室へ呼びこまれて、なにやら説教を聞かせられるはずのところ、説教と思いきやいきなりぶんなぐられて、ほうほうのていで逃げてきた生徒の状態にそっくりであった。
こうしてしばらくは彼のために密輸業者たちは完全にあがったりになった。これはポーランドの全ユダヤ人にとって大恐慌《だいきようこう》であり、絶望であった。彼のまじめさと堅さは、どうにも手のほどこしようがなく、ほとんどふしぜんなほどであった。彼はいろんな没収した品物や、押収《おうしゆう》はしたものの手続きの繁雑《はんざつ》をさけるために帳簿にはのせないこまごましたものなどをごまかして、わずかばかりの金をつくるようなことはしなかった。このように無欲で熱心な勤務ぶりが全体の驚嘆の的となり、ついに長官の耳に達しないわけがなかった。彼は官等を授けられ、地位も上がった。そこで彼は密輸業者どもを絶滅する案を建言し、ただしその実行を彼に一任してくれるようにたのんだ。
直ちに彼にその指揮権と、あらゆる探索をおこなう無制限の権利があたえられた。これこそ彼が望んでいたものであった。ちょうどそのころ、じつに綿密周到に計画された強力な大密輸団が組織された。このだいたんふてきな計画は数百万の利益があがることになっていた。彼はもうだいぶまえからこの情報をつかんでいて、自分を買収するためによこされた者に、「まだ時期ではない」とにべもなく言いきってその実行をおさえていたのである。そして、今度の指揮をゆだねられると、「機至る!」と言って、ただちに密輸団に通報した。計算はすこしの狂いもなかった。そしてわずか一年のあいだに彼は、営々として二十年間精勤しても得られないだけの金額をたくわえることができた。それまで彼が密輸業者たちといかなる接触も持とうとしなかったのは、単に将棋《しようぎ》の歩の役をさせられるだけのことで、したがってわずかな端金《はしたがね》にしかならないと見たからであった。だが今は……今はまったく事情が別だ。
彼はどんな条件でも出すことができた。事をすらすらはこぶために、彼は同僚の役人をひとり誘いこんだ。その男はもう頭が白くなっているくせに、やはり誘惑には抗しきれなかった。条件がきまり、てはずがつくと、密輸団は行動に移った。活動ははなばなしく開始された。読者は、きっと、あのスペイン緬羊《めんよう》の輸入を装って何度となくくりかえされたあざやかな密輸の話を聞いておられるにちがいない。あの緬羊《めんよう》どもは二重の毛皮を着せられて国境を通過し、その毛皮のあいだには数百万ルーブリのブラバント〔ベルギーとオランダにまたがる地方。レースの産地として有名〕のレースがかくされていたのである。この事件が起こったのは、まさにチチコフが税関に勤めているときであった。もし彼がこの計画にくわわらなかったならば、世界じゅうのいかなるユダヤ人といえどもこのような計画を成功させることはできなかったであろう。
こうして三、四度緬羊の群れを国境を通過させると、ふたりの役人のふところにはほぼ四十万ルーブリくらいずつの分けまえがころがりこんだ。チチコフのほうは、いっそう機敏だから、五十万をこえていたろうとうわさされた。もしある不吉なけものが彼らのまえを横切らなかったら、この浄財《じようざい》がどれほどの額に達したことか、それは神のみぞ知るである。悪魔にいたずらされたというか、ふたりは理性を失ってしまったのである。つまり、早い話が、互いにかっと血がのぼって、べつにこれというわけもなくけんかになってしまったのである。あるときなにやら熱くなって言い合っているうちに、どうやら、いくらか酒もはいっていたらしいが、チチコフは相手の役人を、なんだ坊主のせがれのくせに、とののしった。すると相手は、ほんとに坊主の息子であったが、どういうわけかひどい屈辱を感じて、やにわにかみつくようなはげしい口調で、「ちがうぞ、でたらめこくな、おれは五等官だ、坊主のせがれなんかであるものか、おまえこそ坊主の小せがれじゃないか!」とやり返した。そしてさらに、相手にとどめをさすように、「どうだ、思い知ったか!」とつけくわえた。こうして彼はかってに考えだしたののしりことばを相手にたたきつけ、みごとにけんつくをくわしたし、「どうだ、思い知ったか!」という文句はかなりきいたはずだが、しかし、それでも腹の虫がおさまらないで、さらに追い討ちをかけてひそかにチチコフを密告したのである。しかし、そうでなくてもふたりは、税関の役人たちの表現をかりれば、実のしまった大根みたいにみずみずしい、ぱっちりとはじけそうな娘のことで、いがみ合っていたといううわさで、なんでも若者たちを買収して、夕暮れに横町の薄暗がりでチチコフをぶちのめさせたとか、ふたりがけんかしているすきに、娘はシャムシャレフとかいう二等大尉にまんまといただかれてしまったという話だが、しかし真相のほどは、わからない。それは、もの好きな読者の想像にまかせたほうがよさそうである。それはともかく、こうしたことから密輸業者たちとの秘密の関係が明るみに出てしまった。五等官は自分もころんだが、同僚をも追い落としたわけである。ふたりは裁判にかけられ、財産をすっかり没収されてしまった。しかもそれがいきなり、まるで雷のように彼らの頭上に落下したのである。
まるで悪酔いからさめたみたいに、自分たちのしでかしたことに気づいて、ふたりはちぢみ上がった。五等官は、こうした場合のロシア人の習慣にしたがって、やけ酒を飲みだしたが、わが六等官のほうはその悲運に屈しなかった。家宅捜索に来た上役たちの、嗅覚《きゆうかく》がどんなに鋭くとも、彼はまんまと金の一部をかくしおおせることができた。彼はもうもまれぬいて、人間の心の裏の裏まで知りぬいていたから、そのよくまわる知恵のかぎりをしぼりぬいて、あるいはいかにも如才《じよさい》のない態度ではたらきかけたり、あるいは泣かせ文句をつかったり、あるいはいかなる場合もしそんじることのないおせじの目つぶしをくわせたり、あるいはそでの下をつかませたりして、――要するに、うまく細工して、同じ免職でも、すくなくとも仲間の役人みたいにざまのわるいまねはしないで、刑事裁判もまぬがれたのである。しかし資金も、いろいろな外国の品物も、なにひとつ彼の手もとにはのこらなかった。そうしたものにはまたそれぞれ別な愛人が見つかったのである。
彼の手もとにのこったのは、万一にそなえてかくしておいた一万ルーブリばかりの金と、二ダースほどのオランダ製のシャツと、それから独身男が乗りまわす小型の軽四輪馬車が一台と、馭者のセリファンと従僕のペトルーシカのふたりの農奴と、それに税関の役人たちが、さすがに気のどくに思って彼にのこしてくれた、ほおのつやをまもるための特別なせっけんが五個か六個、これだけであった。というわけで、わが主人公はまたしてもこのようなみじめな境遇に転落してしまったのである! なんという大きな悲運が彼の頭上に落下したことか! これが彼が言う勤務のうえで正義のために堪え忍ばねばならなかったことなのである。本来ならばこのへんで、このような嵐と、試練と、運命の変転と、人生の悲哀にうちのめされて、彼はのこった虎の子の一万ルーブリを持ってどこかの草深い平和な田舎町にひっこみ、日がな一日低い家の窓辺に更紗《さらさ》のガウンにくるまったままじじいくさくすわりこみ、日曜日ごとに百姓どものけんかの仲裁をしたり、気ばらしに鶏小屋へ出かけて、スープにする牝鶏を選んでみたり、こんなふうにしておだやかな、しかしそれなりに意味のある生活が流れていった、というぐあいに結ぶところであろうが、しかし、そうはいかなかった。
彼の性格の不屈な力というものを、公正に認めなければならない。人を自殺に追いこまないまでも、冷えきった生けるかばねにしてしまうに足るような、これほどの悲運のあとでも、彼の内部にあるふしぎな情熱は消えなかったのである。彼は悲しみに沈み、怒りに燃え、世界じゅうにあたりちらし、運命の不公平に腹をたて、人間の不公平に憤激《ふんげき》した。しかしそれでも、新しい計画をたてることをやめなかった。一口に言えば、彼はおそるべき忍耐を示したのである。これに比べればあのドイツ人のぐどんな忍耐などものの数ではない。あんなものはただ血のめぐりがおそく、だらだらとしているからなのである。それとは逆に、チチコフの血ははやりたっていて、ともすればとび出して、自由にあばれようとするものに、くつわをはめておくためには、理性的な意志の力がよほど強烈でなければならない。彼はいろいろと考えてみた。そして彼の考察はある面では正しかった。
『どうしておれが? なぜおれに災難がおそいかかったのか? いまどき税関につとめてぼやぼやあくびなどしてるやつがあるものか! みんなうまい汁を吸ってるじゃないか。おれはだれも不幸にしなかった。未亡人を裸にしたわけじゃなし、だれをも路頭に迷わせたわけじゃない、ただありあまったものを横取りし、だれもがくすねるものをくすねただけじゃないか。おれがやらなかったら、だれかがやるんだ。いったいどうして他のやつらはのうのうといい思いをしてるのに、おれは虫けらになり下がらねばならんのだ? そしていまのおれは、いったい何者だ? こんなおれがいったいなんの役にたつのだ? 一家のちゃんとした父親たちの目を、おれはどんな目で見ようというのだ? ただ世の中のじゃまになっているだけだと知って、どうして良心の苛責《かしやく》を感じずにいられよう? あとになって、おれのこどもたちはなんと言うだろう? きっと、おやじはろくでもないぐうたらで、おれたちに財産をなに一つのこしてくれなかった、なんて言うにちがいない!』
すでにご存じのように、チチコフは子孫のことをいたく心にかけていたのである。たしかに胸にしみる対象ではある! こどもたちがなんと言うだろう、という自問が、なぜともなく、ひとりでに頭に浮かぶようなことがなかったら、おそらく、だれもこれほどの深みにははまるまい。さて、この未来の祖先は、用心深いねこが、どこかから主人が見ていはしないかと、片目だけをちらと横へすべらせながら、せっけんであれ、ローソクであれ、獣脂《じゆうし》であれ、カナリヤであれ、そばにあるものはなんでも急いでひっさらうように、――つまり、なにも見のがすまいと目を光らせた。このように、わが主人公は嘆いたり、泣きごとを言ったりはしたが、そのあいだも頭の中の目は決して眠ってはいなかったのである。頭の中ではたえずなにかしでかそうとねらい、ひたすら機会を待っていた。彼はまたしてもちぢこまり、また苦しい生活をはじめて、また自分にきびしい節約を強《し》い、また清潔で上品な環境から不潔ないやしい境遇へ身を落とした。そして浮かび上がる機会を待ちながら、彼は代理人とよばれる職業にさえつかなければならなかった。これは当時のわがロシアではまだ公民権を認められていない身分で、どこへ行ってもつまはじきにされ、下っ端役人にも相手にされず、依頼した本人にまでばかにされて、玄関先でへいこらはいつくばって、とにかく人間並みにはあつかわれないものとされていたが、しかし食うためには選り好みはしていられなかった。
そのうちにたまたま一つ、何百人かの農奴を担保《たんぽ》にして後見会議院から金を借りる手続きをしてもらいたい、という依頼があった。領地はもうどうにもならぬまでに疲弊《ひへい》しきっていた。そこまで行ってしまったのは、家畜が疫病《えきびよう》で死ぬ、管理人どもがつまみ食いをする、凶作《きようさく》がつづく、伝染病が流行していい働き手どもがたおれる、という悪条件が重なったところへ、当の地主が話にならぬばか者なためであった。なんと彼はモスクワの邸宅を最新流行の趣味に飾りたて、その工費に全財産をつぎこんでしまって、そのために食うに困るようなことになってしまったのである。そうした理由から、ついに残された最後の所有物をなげなければならぬはめになったのである。こういうものを国庫に担保に人れるなどということは、そのころはまだ珍しいことで、申し込むほうもおっかなびっくりであった。チチコフは代理人の資格で、まず役人たちにひととおりわたりをつけた(あらかじめわたりをつけないことには、ご存じのように、簡単な問合せとか訂正とかでさえも受け付けてもらえないのである。だからせめてマデラ酒の一杯ずつでもみなさんに飲んでもらうということになるのである)――というわけで、役人たちそれぞれにそれ相応の鼻薬をかがせたうえで、チチコフは、これこれこういうわけでして、と説明して、じつは農奴の半分は死んでるのですが、あとでなにかめんどうなことが起こらないようにと思いまして、と切り出した……
「でも、戸籍簿にはのってるのだろう?」と書記が、言った。
「のっております」とチチコフは答えた。
「ふん、じゃいったいなにをびくびくしてるんだね?」と書記は言った。「ひとりが死ねば、ひとりが生まれる、それで数はもともとだ」
書記は、どうやら、調子をつけて言うのが得意らしかった。ところがそのとき、かつて人類の頭に浮かんだことのないような霊感的な考えが、わが主人公の頭にひらめいたのである。『ちえっ、おれはなんてまぬけだ』と彼は腹の中でつぶやいた。『さがしてる手袋が、帯にちゃんとはさんであるじゃないか! よし、つぎの戸籍調べがくるまえに、死んだ農奴をせいぜい買いまくるのだ、仮に千人として、うん、後見会議院がひとりにつき二百ルーブリずつ貸すとすれば、それでもう二十万だ! しかもいまがチャンスだ、せんだって伝染病が流行して、ありがたいことに、かなりの死者がでたばかりだ。地主どもはカルタですったり、道楽したりして、どいつもこいつも破産しかかって、ペテルブルグに出てきて勤め口をさがしてるしまつだ。領地はほったらかされて、管理はでたらめときてる、税金を払うのが年ごとに苦しくなる、とすると、人頭税を払わずにすむというだけでも、みんなそんなものは喜んでゆずってくれるにちがいない。ひょっとしたら、やっかいばらいに金までつけてくれるやつもいるかもしれんぞ。もちろん、むずかしい、気ぼねのおれる、あぶないしごとで、またなにかめんどうが起こるかもしれんし、とんだうわさをたてられないでもない。だが、そのために人間には知恵というものが授けられているのじゃないか。なによりも都合がいいのは、こいつはだれが考えたってありそうもないことで、だれもほんとにしないだろうということだ。もっとも、土地がなけりゃ農奴も買えないし、担保《たんぽ》にすることもできない。そうだ、移住させる目的ということで買えばいいじゃないか、移住させるのだ。いまどきはタウリク県やヘルソン県なら、移住さえすれば、土地は無償《むしよう》でもらえる。そこへやつらをすっかり移住させてやろう! ヘルソン県へ! そこにやつらを住まわせるのだ! 移住は正式の手続きをふめは、合法的にできる。だが、農奴を調べると言い出したら? なにかまうものか、びくびくすることはない、警察署長の署名のある証明書でも見せてやるさ。村の名はチチコフ村とでもするかな、いや、洗礼名をとって、パヴロフスコエ村とするのもわるくないな』かくしてわが主人公の頭の中にこの奇妙な主題が組みたてられたのである。それに対して、読者諸君が彼に感謝するかどうかは、作者の知るところではないが、すくなくとも作者はことばにつくしがたいほど、深く感謝しているのである。なぜなら、なんと言おうと、もしこの考えがチチコフの頭にこなかったならば、この叙事詩は世にあらわれなかったであろうからである。
ロシアの習慣にしたがって、十字を切ると、彼は実行にとりかかった。住む土地をさがすようなふりをしたり、その他いろいろと口実をつくって、彼はわがロシアのあちらこちらをのぞいて見ることにした。そして、特にさまざまな不幸や、凶作《きようさく》や、疫病《えきびよう》や、その他の災害に苦しめられた地方、――要するに、必要な農奴をなるべく容易に、そして安く買えそうなところを選んだ。彼はやたらにどの地主にも話をもちかけるということはしないで、なるべく自分の好みに合う人間とか、あまり苦労をせずに事をはこべそうな地主などを選んで、まず知り合いになって、自分に好意を持つようにし向けて、なろうことなら金をつかわずに、友情というやつで農奴を手に入れようとつとめた。というわけで、読者諸君は、これまであらわれた人物たちが自分の好みに合わないからといって、作者を叱ってはいけない。それはチチコフの罪であって、ここでは彼が完全な主人であり、彼が行こうと思うところへ、われわれもついて行かなければならないのである。また、登場人物があまりにもみすばらしく、おもしろみがない、というもっともな非難をこうむるならば、作者としては、事件の大きな流れと広がりの全貌《ぜんぼう》は、決してはじめからすっかり見えるものではない、と答えるほかはない。どんな町に馬車を乗り入れても、たとい首都のような大都会でも、はじめは妙にわびしいものである。すべてが灰色で、単調で、煤煙《ばいえん》ですすけた工場や製造所がながながとつづき、それがおわるとようやく六階建ての建物の角が見えだし、商店や看板がつらなり、一面に鐘楼《しようろう》や、円柱や、銅像や、塔などに埋まり、都会らしい輝きや、ざわめきや、音響や、その他みごとに人間の手と頭がつくり上げたあらゆるものにつつまれた、街路の壮麗な遠景が開けるのである。
はじめの農奴の買い入れがどのようにおこなわれたかは、読者諸君がすでに見られたとおりだが、さてこれから事態がどのように進展し、主人公によってどのような成功や失敗が演じられるか、もっと大きな障害をどのように解決し、そして克服しなければならぬか、どのような偉大な人物たちが登場し、広大なものがたりの目に見えぬ槓杆《てこ》がどのような動きを示し、その遠い地平線がどのように開け、そして全体がどのように壮大な抒情的な流れをとるか、それはおいおいに見てもらうほかはない。
この中年の紳士と、独身者が乗りまわす軽馬車と、従僕ペトルーシカと、馭者セリファンと、すでに呼び名もおなじみの議員《ヽヽ》からずるの斑毛《ぶち》にいたる三頭立ての馬どもとからなる旅の一行のまえには、まだまだ長い道中が横たわっているのである。さて、これがわが主人公のありのままの姿である! だが、あるいは、精神的素質の面で彼はどんな人間であるか? と簡潔な断定を求められるかもしれない。彼が徳と善をじゅうぶんにそなえた君子でないことは、明らかである。では何者であるか? 卑怯者《ひきようもの》だというのか? なぜ卑怯者なのか、どうして他人にそうきびしくせねばならぬのか? このごろのわがロシアには卑怯者などというのはいない、いるのは考えのおだやかな、気持ちのよい人々ばかりで、公衆の面前で横っ面を張りとばされてロシア人の面よごしをするようなやつは、いてもせいぜい二、三人だが、そんな連中までこのごろは徳操がどうのと談じているしまつである。まあ、もうけ主義のだんなとでも言っておけば、もっとも無難であろう。やたらにもうけたがる――これが|悪のもと《ヽヽヽヽ》で、そこから世間が|黒い霧《ヽヽヽ》という名をあたえるようなものが生まれるのである。もっとも、こういう人間にはもともとなにかいやなにおいがあるもので、実生活ではそうした人間と親しくして、しげしげと行き来し、楽しくいっしょに時間をすごしてるような読者も、いったんそうした人間がドラマか叙事詩の主人公として登場すると、たちまち冷たい目を向けるようになるのである。だが、どんな性格も忌《い》みきらわないで、じっとそれに観察の目をそそぎその性格のよって生まれたそもそもの因まで見きわめる者は、賢明《けんめい》である。
人間の内部ではすべてが急速に変転するもので、目に見えないようだったのが、あっという間《ま》におそろしいうじ虫に成長し、わがもの顔にすべての生命の液を吸いとってしまう。そして、大きな熱情ばかりか、なにかささやかなものに対するほんのちょっとした欲望までが、りっぱな事業をなしとげる使命をになって生まれてきた人間の内部に成長し、彼に偉大な神聖な義務を忘れさせ、なんの価値もないがらがらおもちゃのようなものを偉大な神聖なものと思いこませてしまう、という例がすくなくないのである。
人間の欲望というものは、浜の真砂《まさご》のように数限りなく、しかもそれがみなそれぞれに異なり、低いものも、美しいものも、みな一様にはじめは人間の意志にしたがっているが、やがて成長し、そのおそろしい暴君になるのである。そうしたすべての欲望の中からもっとも美しいものを選んだ者は幸福である。その限りない幸福は時とともにますます大きく広く成長して、その魂のきわまるところを知らぬ天国へ深く深く浸透《しんとう》していくからである。しかしその選択が人間のままにならぬ欲望もある。それは人間が生まれたときからすでにくっついていて、それをふりすてる力が人間にはあたえられていないのである。それは神か悪魔の書いた予定によってみちびかれ、その中には生涯にわたってやむことなく、たえず呼びかけるなにものかがある。その欲望はこの地上で大事業を成就《じようじゆ》することを運命づけられている。それは、あるいは暗い姿をとるかもしれないし、あるいは世界を喜悦《きえつ》させる明るい光明となってあらわれるかもしれないが、いずれにしても等しく人間には知るすべもない超自然の意志によって呼び出されるのである。そして、もしかしたら、この当のチチコフの中に、彼を招きよせる、彼のどうにもならぬある欲望が宿っていて、彼のあじけない生涯の中に、後に人々を天上の叡知《えいち》のまえにはいつくばって跪拝《きはい》させるような、なにものかがひそんでいるのかもしれない。そして、これからこの世にお目見えしょうとするこの叙事詩に、なぜこのような形象があらわれたのか、それはまだ秘密である。
そして、このような主人公に読者諸君が不満であってくれれば、なにもどうということはないのだが、ほかならぬこの主人公に、このチチコフという人物に、読者諸君は満足するはずであるというゆるがぬ確信が、作者の心の中に宿っているから、つらいのである。もし作者が、彼の心の中をのぞいたり、その底にすっとすべりこんで、世の中からかくれているものをひきずり出したり、彼がだれにも打ち明けようとしない秘密の考えをあばいたり、というようなことをしないで、彼がマニーロフやその他の市の連中のまえにあらわれたままの姿を示しただけでも、読者諸君はやはりけっこう楽しんで、おもしろいやつだと思ってくれたにちがいない。なにもわざわざ、彼の顔や姿をいきいきと目のまえにうごかして見せなくたってかまわないのだ。そのかわり読みおわっても心がいっこうに騒がず、またすぐにロシアじゅうを楽しませているカルタ卓にすわることができようというものである。
そう、わが善良なる読者諸君よ、あなたがたはむきだしにされた人間のみにくさなどは見たくもないであろう。なぜ、なんのためにそんなものを? とあなたがたは言うであろう。この世の中にはけがらわしいおろかなことがたくさんあることを、われわれが知らんとでも言うのか? そうでなくてもわれわれは、まったく気がくさくさするようなことをしょっちゅう見せられているのだ。そんなものより、美しい、心がしびれるようなものを、見せてもらいたい。われわれに忘却をあたえてもらいたい! 「どうしておまえは、そう、経営がうまくゆかないなどと、そんなしんきくさいことばかりわしに言うのだ?」と地主が管理人を叱りつける。「そんなことくらい、わざわざおまえに聞かんでもわかってる、ええもっとほかの話はできんのかね? それより、そんなことは忘れさせてもらいたいな。忘れられたら、わしは幸福なんだよ」というわけで、いくらかでも傾きを直せるはずの金が自分を忘却へみちびくためのもろもろの手段に費されてしまうのである。そして、偉大なる手段の思いがけぬ泉を掘りあてるかもしれぬ理性が、惰眠《だみん》をむさぼっているあいだに、領地はさっさと競売《きようばい》に付されてしまって、地主は困りはてた末、まえにはあれほどおそれていた乞食《こじき》の群れに身を落とすこともいとわないような、みじめな心をいだいて、忘却をもとめて浮き世の放浪へ出るのである。
さらに、いわゆる愛国者たちの側からも作者に非難があびせられることと思う。この愛国者たちというのは、ふだんはのんびりと自分の書斎にこもって、まるで愛国とは無関係なことにたずさわり、他人のふところで自分の生活をまかないながら、せっせと金をためているくせに、いったん、自分たちが祖国のために恥ずべきことだと認めるようなことがなにか起こったり、ちらちらと苦い真実が語られているような本があらわれたりすると、たちまち、くもが、巣にひっかかったハエを見つけたみたいに、そっちこっちの片隅からとび出してきて、いっせいにこう叫びたてるのである。「いったい、こんなものを世に出していいのか? こんなことをことあげしていいのか? だいたいここに書かれていることは、こりゃすっかりわがロシアの現実ではないか、――こんなことをしていいのか? 外国人になんと言われるだろう? わるく言われて楽しいはずがあろうか? こんなことを書かれて平気だなどと思われはしないか? われわれが愛国者じゃないなどと思われはしないか?」
このような賢明な叱責《しつせき》に対しては、特に外国人の意見云々の叱責に対しては、正直のところ、なんとも返答のしようがない。ただこんな話をしておこう。ロシアのある遠い片田舎にふたりの男が住んでいた。ひとりは一家の主人で、キーファ・モーキエヴィチといい、性質のおだやかな男で、だらだらと生活を送っていた。彼は家庭のことはいつさいかまわないで、その生活のすべてをむしろ思弁的な方面に向けて、つぎのような、彼自身の表現をかりれば、哲学的諸問題に熱中していた。「たとえば、動物だが」と彼は室内を歩きまわりながら、言うのである。「動物は裸で生まれてくる。では、なぜ裸で生まれるのか? なぜ鳥のような生まれ方をしないのか? なぜ卵からかえらないのか? まったく、なんというか、自然というやつは深く考えれば考えるほど、ますますわからなくなってしまう!」キーファ・モーキエヴィチはこんな思索にふけっていた。しかしこれはさして問題ではない。もうひとりの男はモーキイ・キーフォヴィチといって、彼の息子である。それがわがロシアで豪傑と称されているたぐいの男で、おやじが動物の生まれ方に熱中しているあいだに、この肩のいかった二十歳の若者は思うさまあばれまわっていた。彼はなにをやるにも決してすんなりとはゆかず、かならずだれかの腕をへし折るか、あるいはだれかの鼻柱にこぶをつくるかしてしまうのである。家の中でも、隣近所でも、下女から犬ころにいたるまで、彼を見かけるとあわてて逃げかくれた。彼は寝室の自分のベッドまでめちゃめちゃにたたきこわしてしまった。モーキイ・キーフォヴィチはこんな男だが、しかし根は善人であった。しかしこれもまだ問題ではない。問題というのはこうなのである。「あの、だんなさま、キーフア・モーキエヴィチさま」とうちの下女やらよその下女やらがそろって、父親に訴える。「あのモーキィ・キーフォヴィチの若だんなはいったいどういうんでしょう? だれも生きたそらがありませんよ、あんな乱暴なかたってありますかしら!」――「うん、いたずらで、困ったやつだな」きまっておやじはこう答えたものだ。「だが、いったいどうしたらいいんだな、ぶんなぐっておとなしくさせようにももう手おくれだし、それにそんなことをしたらひどいおやじだとみんなに叱られる。あいつはあれでなかなかみえ坊だから、だれか他人《ひと》のまえで叱れば、おとなしくなるだろうが、そんなことをして評判になったら――それこそ困る! 町じゅうに知れわたって、あれが犬畜生呼ばわりでもされてみなさい。まったく、わしがつらくないとでも思うのかね? わしだって父親じゃないか? 哲学にばかりふけっていて、さっぱりかまってやらないから、わしが父親じゃないというのかね? そんなことがあるものか、わしはちゃんと父親だ! 父親だ、なにをぬかすか、父親だぞ! モーキイ・キーフォヴィチはわしの、ほら、ここにこの胸の中にちゃんといるのだ!」ここでキーファ・モーキエヴィチはげんこつでどしんと胸をたたくと、すっかり興奮してしまうのだ。「よしんばあれが犬畜生であろうとだ、わしがそんなことを世間に言えるか、わしがあれを裏切るようなまねができるか」そこで、あふれるばかりの父性愛を示すと、彼はモーキイ・キーフォヴィチがあいかわらず蛮勇《ばんゆう》をふるうままに放任して、またしても自分の好きな対象に立ちもどって、だしぬけにこんな問題を考えてみるのだった。『ふん、もし象が卵から生まれるとしたら殻《から》は、それこそ、とんでもなく厚いものでなきゃいかんだろうな、大砲の弾丸《たま》も通らないような。とすると、こりゃなにか新しい火器を考案せにゃならんわい』こんなふうにこの平和な片田舎に住むふたりの男の生活は流れていったのである。
ところでこのふたりは、この叙事詩のおわり近くなってから、まるで窓から顔を出したみたいに、ひょいとあらわれたのだが、それは、これまでのんびり哲学かなんぞにふけるか、あるいはなでさするように愛している祖国の金をくすねて私腹をこやすことに熱中し、悪いことをしないように、というのではなく、悪いことをしていると言われないようにと、それにばかり気をつかっているような、ある種の熱烈な愛国者の側からの非難に、遠慮がちに答えるためである。だがしかし、非難の真の理由は、愛国心でもなければ、父性愛でもない。別なものがその下にかくされているのである。なぜことばをかくす必要があろう? 作者でなくて、だれが赤裸々な真実を言わなければならぬのか? あなたがたは深く向けられた視線をおそれている、あなたがたは自分がなにかに深い視線を向けることもおそれる、あなたがたはあまり考えぬ目をすべてのものの表面にすべらせることを好む。あなたがたは腹の底からチチコフを笑いもするだろうし、もしかしたら作者をほめて、『しかし、なかなか味なものを見つけ出したものだ、きっとおもしろい男にちがいない!』などと、言うかもしれない。そしてそのあとで、自分をかえりみるといよいよ自信が強まり、満足そうな微笑がおのずと顔にほころびて、あなたがたはこうつけくわえることであろう。『しかし、なんだな、たしかに地方によってはじつに妙ちきりんな、こっけいな人間がいるものだ、それに悪党だってかなりいようさ!』ところが諸君の中に、キリスト教徒らしい謙譲《けんじよう》な気持ちになって、人まえではなく、ひとりしずかに、自分自身との対話のときに、『はたして、自分の中に、ちょっぴりでも、チチコフらしいところはないであろうか?』というこのいやな問いかけを自分の心の奥深くへ向ける者が、だれかあろうか? まったく、そうはありたくないものだ! さもないと、そのときたまたまそばを通りかかった知り合いで、あまり高くもなければ、あまり低くもない官等の男が、たちまち連れの男のひじをつついて、いまにもふき出しそうに、『見ろよ、おい、そら、チチコフだ、チチコフが歩いてるぜ!』などと言って、そのうえさらに、こどもみたいに、地位や年齢にふさわしい体面も忘れて、うしろから追いかけながら、『チチコフ! チチコフ! チチコフ!』とはやしたてることであろう。
しかしわれわれは、その身の上話が語られていたあいだは眠っていたわが主人公が、もう目をさまして、こんなにしばしばその名まえをくりかえしたら、かんたんに聞きつけられてしまうことを忘れてかなり大きな声になっていた。彼は侮辱を感じやすい男で、自分の名まえを気やすく口にされることを好まない。チチコフに腹をたてられようが、たてられまいが、読者にはさして痛くもなかろうが、作者としては、どんなことがあっても自分の主人公とけんかをするわけにはいかない。まだ旅に出たばかりで、これから先の長い道中をふたりで手をとりあって進まなければならないし、まだ長編二部が前途にひかえており、――これが容易なことではないのだ。
「おい、おい! どうしたんだ?」とチチコフはセリファンに言った。「こら?」
「なんですかね?」とセリファンはのんびりした声で言った。
「なにがなんですかだ? このぐうたらめ! なんて走らせ方をしてるんだ? おい、もっとぴしぴしやらんか!」
それも道理で、セリファンはもう先ほどから重いまぶたのたれるにまかせて、こくりこくりやりながら、ときおりこれもうつらうつらしている馬どもの脇腹になまくら鞭《むち》をふるばかりで、のろのろと馬車をすすめていた。ペトルーシカのほうは、もういつのまにかどこかへ帽子をずり落としてしまって、うしろへそりかえって、頭をチチコフのひざのあいだにつっこんだ。それでチチコフはその横面をぴしゃりとひっぱたいて、やっと頭をどけたほどだった。セリファンはすこしねむけを落とすと、二、三度|斑毛《ぶち》の背をどやしつけて、それを走らせてから、馬どもの上にピューッと鞭を鳴らして、調子っぱずれなうたうような声で、「びくびくするねえ!」とどなった。
馬どもはねむけをすっとばして、馬車を軽々とひっぱりながら、さっとかけだした。セリファンはただ鞭を鳴らしながら、「えい! えい! えい!」とかけ声をかけるばかりで――三頭立ての馬車が、わずかに下り勾配になっている街道のいたるところにある坂に乗り上げたり、一気にかけおりたりするたびに、馭者台の上で軽やかにゆられていた。チチコフはまっしぐらにとばすのが好きだったから、皮のクッションの上で軽くからだをはずませながら、ただにこにこ笑っていた。
いったいまっしぐらにとばすことを好まないロシア人があろうか? 飲んで浮かれ、頭がぐらぐらするほど騒ぎまくって、なにかと言えば、『えいくそ、どうにでもなりやがれ!』とやぶれかぶれになりがちなロシア魂、そんなロシア魂がどうしてそれを好かずにいられよう? そこには心を有頂天《うちようてん》にさせる絶妙ななにかが感ぜられるのに、どうしてそれを好かずにいられよう? あたかも、目に見えぬ力につかまれて、その翼にのせられたかのようだ、自分もとび、まわりのすべてもとぶ。里程標もとぶ、ほろ馬車の馭者台にのった商人たちも向こうからとんでくる、樅《もみ》や松が黒々としげり、斧《おの》の音やからすの鳴き声が聞こえる森も両側からとんでくる、どこともしれぬ遠くへ消えている街道もあとへあとへととんでゆく、そして見定めるひまもなくとび去ってゆく、この風を巻く鋭い明滅には、なにか心にめまいをおほえさせるものがある、――じっとして動かぬものといえば、頭上の空と、ふんわりと浮かぶ雲と、その雲間からのぞく月だけである。おおトロイカよ! 鳥のようなトロイカよ、だれがおまえを考案したのだ? きっとおまえは、活発な民族と、なまはんかなことがきらいで、広くなだらかに地球の半分にひろがり、里程標などかぞえだしたら目がかすんでしまいそうな大地の中にのみ、生まれえたものにちがいない。そしておまえは、どうやら、鉄のねじ釘などでしめられた精巧《せいこう》な旅行用の車ではなく、ヤロスラヴあたりの腕じまんの百姓が、斧一|挺《ちよう》とのみだけで、てっとり早くさっとこしらえ上げたものにちがいない。馭者でドイツ製のひざ上までの長靴なんてはいたやつはいない。ひげをぼうぼうとはやかして、手袋をはめただけで、なにやらえたいのしれぬものの上に腰かけ、それが腰を浮かして、ビューッと鞭を鳴らし、歌らしきものをうなりだすと――馬は疾風《はやて》となって大地をけり、車輪の輻《や》は一つのなめらかな円板にとけあい、道がだだっと鳴動して、通行人がびっくりしてあっと悲鳴をあげたかと見ると――もうトロイカは見る見る遠ざかって、とぶ、とぶ、とぶ! そらもうあんなに遠くに、豆つぶのようなものが、ほこりを舞い上げ、空気をねじきって、とんでゆく。
このようにおまえも、ロシアよ、なにものにも追いこされぬ疾風のトロイカになって走り去ってゆくのではなかろうか? おまえのすぎる道からほこりが舞い上がり、橋げたがとどろき、すべてがあとへ、あとへととりのこされてゆく。この人間わざとも思えぬ奇蹟を目のあたりに見た者は、あぜんとして立ちすくんでしまった。これは天からひらめいた稲妻ではないのか? このそらおそろしいような疾走はなにを意味するのだ? そしてこの世にもふしぎな馬にはどのようなふしぎな力が秘められているのだ? おお、馬よ、馬よ、なんというすばらしい馬だ! おまえたちのたてがみの中には風神が宿っているのか? おまえたちの全身の血管には鋭い聴覚が脈うっているのか? 頭の上からふってくるなつかしい歌声を聞きつけると、さっといっせいに銅のようなたくましい胸をはり、ほとんど大地に蹄《ひずめ》をふれることなく、空中を切る一本の線と化して、神がのりうつったかとばかりに疾駆《しっく》する!……ロシアよ、おまえはどこへとんでゆくのだ? おしえてくれ。だが答えはない。鈴の妙《たえ》なる音が鳴りわたり、千々《ちぢ》にひきちぎられた空気が風を巻いて、鋭くうなるばかりだ。地上にあるいっさいが、かたわらをとびすぎてゆく。そして、他の民族や国々はちらと横目で見ると、あわててわきへよけて、このトロイカに道をゆずるのである。(完)
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解説
人と文学
ロシア文学史にゴーゴリ時代と称される輝かしい時代がある。そしてそれは現在もまだ生きているといってさしつかえない。というのは、ゴーゴリによって写実主義の道が開かれ、その道をたどりながら、ドストエフスキー、トルストイ、ツルゲーネフ、チェーホフ等の大作家がロシア文学の黄金時代をつくり上げ、その伝統は今日につづいているからである。ゴーゴリがロシア文学の母と称される所以《ゆえん》である。
〔少年時代〕 ゴーゴリはウクライナのポルタワ県ミルゴーロド郡ソロチンツイ村に、コサックの血をひく地主の子として生まれた。父ワシーリイは芝居好きで、劇作家、監督、俳優を兼ねるという才能の豊かな人であった。母は宗教心のあつい、空想好きな女だった。彼は英雄的な伝統や、伝説や、民話や、踊りや、おどけたユーモアや、美しいのどかなウクライナの自然にかこまれて、父の領地で少年時代をすごし、一三歳のときに家をはなれて、ネージン市の高等学芸学校にはいった。
この時代にすでに文学の才と演劇や美術に対する嗜好《しこう》があらわれ、同人雑誌『星』を発行したり、学校演劇のために脚本を書いたりしている。彼はまたすぐれた喜劇役者でもあった。卒業のころの彼の手紙に「自分の俗界の外皮で、人間の高い使命を踏みにじってしまった」徒食《としよく》者たちとたたかい、祖国のためになろうとする、彼の生涯の基本的テーマがすでに形づくられつつあったことがわかる。父が他界したので自活の必要に迫られ、一八二八年に学校を卒業すると、彼はロマン的な田園詩「ガンツ・キューヘリガルテン」と高い生活を憧れる青春の夢をいだいてペテルブルグへ上った。
〔ウクライナ物時代〕 灰色の霧深い首都は若いゴーゴリの青春の夢を根こそぎ破った。田舎から出てきたばかりの、|ひき《ヽヽ》も|つて《ヽヽ》もない一八歳の青年は、たちまち生活に窮《きゆう》し、職業的な俳優になろうとしたが相手にされず、アーロフの筆名で自費出版した『ガンツ・キューヘリガルテン』は、もとより専門の批評家の批評にたえうるものではなく、さんざんの悪評で、白尊心の強い彼は書店からとりもどして焼きすててしまった。こうしてなにもかもうまくゆかす、やぶれかぶれの気持ちになり、たまたま故郷の母から銀行に納める利子として送ってきた数百ルーブリを懐中にして、リューベックに旅した。二か月の旅でいくらか傷心も癒《い》えてペテルプルグにもどると、ようやく勤め口にありついた。しかしある調査局の書記補というみじめな役で、卑屈《ひくつ》な小役人や尊大な官僚の姿をつぶさに見て幻滅を感じた。こうしてなじめない首都であさましい生活の種々相を見るにつけ、しぜん、彼の思いは故郷のウクライナの空にかよった。そして少年時代の記憶や印象をまとめて短編『イワン・クパーラの前夜』を『祖国雑記』誌に発表し、つづいて八つの物語をおさめた短編集『ディカーニカ近郷夜話』を出した。「自分を慰めるために、できるだけこっけいなものを考え出し……青春にそそのかされて」書いた、この幻想と現実のないまぜから生まれた新しい歌の世界が、プウシキンに「自由な、純朴な真の喜びと、すばらしい詩と、すばらしい感受性がある……ロシア文学においてこれまで知られなかった独得の芸術である」と賞され、彼の知遇《ちぐう》をえて一躍文名をえた。
その後文学に憑《つ》かれたように書きすすめ、生活のために一時ペテルブルグ大学の歴史の教授になったり、印象を新たにするために故郷をたずねてその凡俗さに幻滅したりしたあげく、故郷の地名にちなんだ文集『ミルゴーロド』を出した。この中にはロマン主義的な歴史小説『タラス・ブーリバ』、恐怖と諧謔《かいぎやく》をからみ合わせた妖怪物語『ヴィー』などがあるが、『昔|気質《かたぎ》の地主たち』と『イワン・イワノヴィチとイワン・ニキフォロヴィチが喧嘩をした話』には写実主義への移行が見られ、凡俗をあざわらう強い風刺《ふうし》的気分、ユーモア、憂鬱《ゆううつ》、そして空虚への病的な恐怖が感じられる。後のゴーゴリの作品の先駆をなすものである。
〔ペテルブルグ物時代〕 ゴーゴリは平坦で、単調で、色あせていて、灰色で、霧深いペテルブルグに住んで、ウクライナ物を書いているあいだに、このいまわしい、欺満《ぎまん》にみちた都会生活と人間を書こうという気分がしだいに熟して、まえにウクライナの材料を集めた時のように、この都会生活でのさまざまな記憶や印象をまとめた。そして最初に出たのが、一八三五年に出版された文集『アラベスク』である。この文集におさめられた『ネフスキー通り』『肖像画』『狂人日記』には後の『鼻』と同じく、ゴーゴリ独特の風刺が生きていて、不安、奇妙な幻想、女性的な薄気味わるい直感、現実と幻想のないまぜが見られる。年代は少し下がるが、やはりペテルブルグ物の一編に数えられる最も重要な作品の一つに、短編『外套《がいとう》』〔一八四二年〕がある。
これはだれからも愛されず、だれの保護も受けず、だれからもかえりみられないような男、生まれながらの善人で、謙遜《けんそん》家で、勤勉家で、無抵抗主義者のようにあきらめ深く、自分の境遇に病的なほどに満足を感じ、しごとのために生命《いのち》をちぢめていることさえ気がつかないような男に、ロシア的の深い同情をそそいだ小説で、ロシアにしか生まれない、真にロシア的な小説といわれている。ピョートル・クロポトキンは「『外套』はゴーゴリの小説ちゅう、見えざる涙をふくむものの最もよい例である……すべてこの作品のあらゆる行はことごとく大芸術家の才能をあらわしている。この小説がひとたび世にあらわれると、その当時も、また今日にいたるまで、ゴーゴリ以後のロシアの作家はだれも『外套』のような小説を書きたいという印象をあたえられたといっても過言ではない」と言っている。
〔検察官の反響〕 これもピョートル・クロポトキンのことばを借りると、「ゴーゴリ以後の数多《あまた》の劇作家はこの戯曲を手本として机上《きじよう》に備えた」という社会風刺劇の傑作で、憎悪と嘲笑と風刺に燃えるかのような作品である。彼は「てめえの面《つら》がゆがんでるのに、鏡を責めてなんになる」と題辞《だいじ》に言っているように、行政的な無能、官僚の粗野《そや》と無恥《むち》、警察の汚職と蛮行、一般市民の道徳的知的水準の低さ、下層民に対する不当な圧迫など、地方ロシアの実相をそのまま鏡に映し出した。それはだれでも知っていたロシア、知ることを恐れていたロシアだった。ゴーゴリ白身『検察官』執筆の目的はロシアの下劣《げれつ》な事物を残らず積み上げて嘲笑することだといっている。しかし彼の風刺の裏には現実の醜悪に対する深い悲しみがある。見える笑いを通して見えざる涙をそそぐという態度がその特質である。この戯曲が上演されると、当然のことながら、貴族や官僚などの階級の人々から猛烈な非難が起こった。こういう喜劇を上演することは社会の公安を害するものだという激烈な意見も出た。日ごろ病弱な彼は完全にたたきのめされて、医師に転地療養をすすめられ、プウシキンに題材をあたえられた大作『死せる魂』の漠《ばく》たる構想を持って外国へ旅立った。
〔放浪と失意〕 生涯に、妻も持たず、家もなさなかったゴーゴリは、一八三六年に旅立って以来、驚くべきことに、死の年〔一八五二年〕まで流浪《るろう》の旅をつづけている。彼はドイツからスイスを訪れ、そこで『死せる魂』の構想を全部練り直し、全ロシアを作品の中に表わすという野心に燃えて、パリで書きすすめている時、プウシキンの訃報《ふほう》を受けた。彼は傷心のあまりしごとが手につかず、パリを去ってローマへ行った。南国人の彼はここで心の故郷を見出したような気がした。流浪の中で、彼がもっとも気に入り、もっとも長く滞在し、もっとも多くしごとをしたのは、ローマである。彼はときどき思い出したように筆を進めたが、創作意欲がしだいに衰えを見せるようになった。ロシア貴族やカトリック僧たちの影響を受けて、迷信的、神秘的な問題にひじょうに関心を持つようになったためであった。
三九年に帰国してふたたび『死せる魂』第一部を書きはじめたが、極度の神経衰弱に陥り、またローマヘもどり、四一年ようやく第一部を脱稿《だつこう》、急いでモスクワへ帰り、検閲官とのいざこざの後、翌四二年についに発表された。
彼はこの作品において主人公とともに国内を旅行しながら、多数の道徳的不具者を見出し、鋭い風刺的解剖をほどこし、国民のまえに見るに堪えぬ醜悪をさらけ出し、実際にはロシアの社会制度と国家組織を痛烈に鞭《むち》打ったのである。四〇年代の知識人が理性に基づいて批判したロシアの嫌悪《けんお》すべき現実に対する芸術的非難と言えよう。彼が哲学にも、科学にも、世界文学にも興味を持たず、社会問題もばくぜんとしか理解せずに、ロシアの醜悪な現実を描写することによってはからずも提起した問題は、同時代の知識人たちの焦点である国民的自覚の問題だったのである。敏感で、病的で、落ち着きがなく、自分ひとりの世界にとじこもり、肉体的にも精神的にも常態でなかったゴーゴリは『死せる魂』の巻き起こした異常なセンセーションに狼狽《ろうばい》し、恐怖につき落とされて、四二年ローマヘのがれ、世間からかくれて、宗教的|冥想《めいそう》にふけった。
そして彼は自分の創《つく》った世界を嫌悪《けんお》し、罪悪感におびえ、作品を通して神に仕え、読者に有益な善行の模範を示そうという理想に憑《つ》かれて、三年以上のあいだ病気の発作《ほつさ》と精神の衰えにあえぎながら、『死せる魂』第二部の創作に苦吟した。しかし芸術的な描写を通じて自分の宗教的な思想を表現するには、自分の才能が異質であることをさとり、激しい自己嫌悪に陥り、四五年憂鬱症の発作を起こして、第二部の草稿を焼き捨てた。そしてこれまでの自分の創作をことごとく否定する『友人たちとの往復書簡抄』〔四七年〕を発表した。ところが彼の予想と自信に反して、ベリンスキーをはじめ多くの知人たちの怒りにみちた批評に会い、彼は愕然《がくぜん》として、自分の義務は芸術を通して人生と和睦《わぼく》することだとして、『作者の懺悔《ざんげ》』〔四七年〕を書き、文学への立ち直りを見せた。彼はふたたび第二部を書きはじめたが、作家としての魂を悪魔に売りわたしたという罪悪感、神秘的な天罰の思想にとりつかれ、不安と煩悶《はんもん》にたえられなくなり、エルサレムヘの巡礼の旅に出かけ、一夜を主の墓のもとで泣き明かしたこともあった。しかしこの旅も救いをもたらさなかった。彼は憔悴《しようすい》しきってモスクワヘもどり、病床に臥《ふ》した。それでもごくまれに精神の平静をとりもどし、少しずつ原稿を書きすすめた。事実その数章は、まことの機智縦横のゴーゴリにもどったと、友人たちを熱狂させた。しかしこれが二元に悩んだゴーゴリの悲劇だった。
彼の目的は、読者を神の世界に導くことだったが、彼のペンがふれるものはいっさいが邪悪ないまわしい悪魔的なものになってしまうのである。彼は悪魔の誘惑である文学を放棄しなければ地獄の責め苦は免れぬと懺悔僧《ざんげそう》に宣告された。そのころから彼は目に見えない敵に追いまわされるように、ロシアじゅうの流浪の旅に出かけ、どこに行っても安息を見出すことができず、モスクワのア・トルストイ宅にもどり、白昼に幽霊を見るにいたり、神に贖罪《しよくざい》を乞うために一週間の断食と祈祷《きとう》の後、ある夜突然狂乱状態に陥り、激しく泣きながら、四年間の努力と苦悩の結実である『死せる魂』第二部の原稿を火中へ投じ、そのまま虚脱状態に陥り、その数日後に四四歳の生涯を終えた。一八五二年二月二一日のことであった。
作品解説
〔成立〕 ゴーゴリの戯曲や小説は事実から題材を得たものが多い。『死せる魂』の案も『検察官』と同じく、プウシキンから授けられたものである。魂は当時のロシアにあっては農奴という意味である。この題名には、実際の死んだ農奴と、生ける屍《しかばね》のような、当時のロシアに充満していた生きている死せる魂、の二つの意味がこめられていることは自明である。当時のロシアでは戸籍調査は数年に一度おこなわれるだけで、そのあいだに死んだ農奴は戸籍面では生きていて、地主はその人頭税を払わなければならなかった。チチコフという天才的な詐欺師《さぎし》の主人公が、ふとしたことからこの事実に目をつけて、地主たちにとっては有害無益なこの死んだ農奴を買い集めて、どこか南のほうに無償同然の土地を手に入れ、そこへこの証書面だけの農奴を移住させて、有名無実の登記書を作成し、この農奴つきの土地を担保《たんぽ》にして国庫から大金を借り出そうという奇想天外な計画をたてる。そして死んだ農奴を求めて、地主たちを歴訪するという筋立てである。
ゴーゴリは最初、この敬愛する師友からあたえられた材料をもとにして、以前の諸短編よりも、もっと大規模の、写実的な、ユーモラスで風刺的な長編を書くつもりであったらしい、彼はこの長編をできるだけ早くものにしたいと思い、『検察官』の発表よりも早く、一八三五年末には執筆をはじめて、その最初の数章をプウシキンのまえで朗読している、プウシキンははじめは心から笑ったが、しだいにその顔をくもらし、ついには堪えがたい憂鬱《ゆううつ》に陥り、朗読がおわったとき、おお、われわれのロシアはなんという悲しい国であろう、と悲しげに叫んだというのは有名な話である。
〔経過〕 しかしそのころは、彼はこの新しい長編について、まだ明確な腹案を持っていたわけではなかった。彼がロシアを去って、ドイツからスイスをたずね、そしてパリに落ち着き、創作に苦吟《くぎん》しているあいだに、彼の構想はしだいに広くなった。それは一八三六年の十二月にジュコフスキーに送った手紙に明瞭に見られる。「わたしはペテルブルグで書きはじめた『死せる魂』にまたかかっています。わたしはまえに書いたところを書き直しました。そうして全体の構想をたて直し、年代記でもつくるようなつもりで、じっくりと取り組んでいます。……もしこの作が自分の意図《いと》したとおりに完成しましたら、――あとにも先にもない小説というか、とにかく、すばらしいものになるつもりです。その中にはありとあらゆる人物が出てきます。全ロシアがその中にあらわれるでしょう。これこそ、わたしの名に値する、わたしでなければできない作品になるでしょう」ここには『検察官』に対するベリンスキーをはじめとする批評界からよせられた、まったく思いがけぬ絶賛から得た自信と、二七歳の青年ゴーゴリの満々たる野心がうかがわれる。
ゴーゴリの構想によると、このゴーゴリの言う叙事詩は、ダンテの神曲にならって、三部作になるはずであった。すなわち、第一部では、ロシア人の持っている、あるいは人類の持っているあらゆる醜悪を摘発《てきはつ》する、第二部では、醜悪の中にも生ける人間の魂の苦悶《くもん》を感じる人間を描く、第三部で、もっとも理想的な人物、つまり真の永遠の人間性をあらわす、という構想で、第三部に「ロシア魂の限りない豊富さが示され、女性的精神のあらゆる驚嘆すべき美をそなえたロシアの神聖な処女があらわれる」はずであった。しかしけっきょくは、第一部を書いただけにおわり、焼却を免れた第二部の数章が、この世に残されたにすぎなかった。
それはさて、ゴーゴリはパリでこの野心作を書きつづけていたときに、プウシキンの訃報《ふほう》に接した。これはゴーゴリにおそろしい打撃をあたえた。彼は友人に、こう書き送っている。「わたしの生涯のすべての楽しみ、わたしの至高の楽しみは、あの人とともに消え去ってしまった。あの人の助言がなければ、わたしはなに一つ企図《きと》することができなかったし、あの人を自分のまえに想像することができなければ、一行だって書けなかった。あの人の口にすること、あの人が認めるもの、あの人が嘲笑するもの、あの人が永遠の賛辞をあたえるもの――これだけがぼくの心をみたし、ぼくの力を鼓舞《こぶ》してくれたのだった。……神さま! あの人に暗示をあたえられた今のわたしのしごと、それを創《つく》り上げること……ああ、わたしにはそれをつづけることができない。いくたびかペンをとった――が、ペンは手から落ちてしまうのだ。ああ、この悲しさ!」
こうしてゴーゴリは悲嘆にくれ、しごとが手につかず、それに彼には理解しえぬ革命のパリのわずらわしさをのがれて、ローマへ行った。そして彼はこの永遠の芸術の都ローマに、魂の故郷を見出すことがでぎた。彼はここで思いがけない喜びと満足にひたることができ、魂の安らぎを得て、いままでの架空的な考えを遠ざけ、彼の愛する夢の国と別れて、改めて自分の国に目を向けた。つまり、あらゆるロマン的な空想をすてて、ロシアの現実を写実的に描こうと思いたったのである。そしてこの三年のあいだほうぼうを旅しながらも、おもにローマに腰を落ち着けて、第一部の前半を書き上げた。
しかし、ここでまた一つの死が彼に大きな悲しみをあたえた。一八三九年、彼が深い母性愛のような愛情をよせていた青年貴族ヨシフ・ヴィエリゴルスキーの死である。十日のあいだ、寝食も忘れて枕頭《ちんとう》につききりで、愛する若い美しい生命の消えてゆくのを見つめていたことが、彼の極度に敏感な魂と病的な神経にどれほどの衝撃をあたえたかは、思いなかばにすぎるものがあろう。
彼は帰国してペテルブルグ、モスクワを転々とし、四〇年夏ふたたび外国へのがれて、ウィーンで執筆ちゅう極度の憂鬱症に陥り、「床に横たわっていても、椅子にかけていても、二分と落ち着いていられない」という発作を起こして、大好きなローマへ舞いもどり、一八四一年、ようやく、『死せる魂』第一部を脱稿した。そして十月、ゴーゴリはモスクワへ帰り、出版の手続きをとろうとしたが、彼にとってはまったく意外にも、十二月十二日モスクワ検閲委員会によって出版不許可の決定が下された。霊魂は不滅であるはずなのに、『死せる魂』という題名は不穏当《ふおんとう》だという理由である。しかしそのころちょうどモスクワに来ていたベリンスキーの尽力《じんりよく》によって、原稿をペテルブルグの検閲委員会へ送ることになった、そして翌四二年三月九日、題名を『チチコフの遍歴、あるいは死せる塊』と改めること、「コペイキン大尉のものがたり」を部分的に改作すること、という条件つきでようやく出版を許可された。このようにして一八三五年十月に筆を起こしてから約七年の有余《うよ》曲折をへて一八四二年五月ようやく『死せる魂』第一部は世にあらわれたのである。
〔文学史的な位置〕 ベリンスキーは『死せる塊』をこう評している。「これこそ純粋にロシアの国民的な作品だ。この作品は、民衆の生活の奥底から生まれ、仮借《かしやく》なく、愛国的であると同様に、真実であり、現実のさまざまなベールをはぎとる。これは、ロシアの生活の真の本質を熱情こめて愛する心で書かれた作品であり、着想もその表現も、性格描写もロシアの日常生活の細部描写も、限りなく芸術的な作品であり、同時に、この作品は社会的、歴史的な含蓄《がんちく》に富んでいる」
ロシアの小説は十九世紀の二〇年代にはじまり、その最初の代表としてゴーゴリを得た。彼が出現するまでは、ロシア文学はその散文を知らなかったのである。ゴーゴリに至って、とくに短編『外套』と彼の唯一の長編『死せる魂』において、はじめて散文が詩に対する、決定的な優勢を得たのである。ロシアの散文は彼ひとりにその存在を負い、その成功の原因を負っていると言っても過言ではない。『死せる魂』における写実主義、現実に対する芸術的判決、仮借なき風刺の精神は、その後継者であるドストエフスキー、トルストイ、ツルゲーネフ、ネクラーソフ、チェーホフ、シチェドリン等の作品の中にも、永遠に生きているのである。『死せる魂』は天才ゴーゴリが、先人も助手もなく、たったひとりでうち立てたロシア近代文学の一つの不滅のたいまつと言えよう。
作品鑑賞
〔作者の意図〕 『チチコフの遍歴』という題名が示すように、作者の意図するところは、チチコフにロシア国内を遍歴させて、ロシアの地獄編を書くこと、つまり全ロシアがそこに含まれるような、ゴーゴリにだけしか書けないような、「あとにも先にもない小説」というものを書くことであった。これこそわがロシアの現実ではないか、こんなものを見せたら、外国人はなんと言うだろう、といわゆる愛国者たちが憤慨するような、だれもが知っていながら、知らないふりをしているあらゆる醜悪、あらゆる不道徳を見本のように集めて、それらを一つ一つ写実的に取り扱いながら、芸術的に誇張してみせることであった。だからこの叙事詩は「奇妙な観察と自由自在な手腕で描かれたいろいろな型の人間の一種の風俗画」と見ることができ、恋愛小説でもないし、複雑な筋も結構もなく、事件らしい事件もない。
この小説は、一八三〇年から一八四〇年ごろまでの、つまり農奴制度が終わりに近づきつつあった時代、貴族地主制の解体時代を背景としたもので、作者は奇想天外な計画をいだいた主人公チチコフを遍歴させて、その時代の地主貴族の段落と官吏社会の堕落《だらく》の種々相をつぶさに観察する。ゆるやかな物語ふうに文章がつづいてゆき、ところどころで作者に語りかけられるために、読者はいつのまにかひきこまれて、チチコフとともに行動し、チチコフとともに地主たちに会い、チチコフとともに笑い、チチコフとともに嘆き、また作者の観察に魅せられて、作者とともにチチコフをながめながら、作者とチチコフと三人でトロイカにゆられながら、広大なロシアを旅するのである。
〔象徴としての人間群像〕 主人公チチコフをはじめこの作品に登場する諸人物を見ると、作者は人間の個性よりもむしろ人間の型を書いている。それらの人物たちを、ゴーゴリは、一つの個性として、一つの型として、全人間の代表的な象徴として、それぞれの生活を書いており、それらの人物たちは写実を圧搾《あつさく》した象徴となっているのである。
チチコフは悪党ではなく、ただ獲得欲につかれた男にすぎない。富の追求にかけては、決してためらわないが、同時に機の至るまでは、おどろくべき忍耐力を発揮する。何事にも器用に立ちまわり、愛想《あいそ》がよく、礼節ありげに見え、その迎合的《げいごうてき》な物腰といい、世故《せこ》にたけた振舞いといい、どんなことにも合わせることのできることばの巧みさといい、まさしく名望家の典型である。彼はつらつらと雲をつかむようなことを言ったり、お上品なことを言ったり、感傷的なことを言ったりして、どんないやらしい醜悪なこともおおいかくす才がある。要するに、ソフィストであり、アポロジストであり、その特別な才能は、搾取《さくしゅ》社会のもっとも非人間的な、罪深いことがらに、お上品なおおいをかけることである。ベリンスキーはチチコフの形象を当時の議会の議員たちの形象と結びつけ、「彼らはチチコフとまったく同じであり、ただ異なるといえば、着ている服だけだ……彼らは、死んだ魂は買い集めない、が、自由な議会の選挙で、生きた塊を、こっそり買い集めている!……議会の無頼漢《ぶらいかん》は、地方の裁判所の無頼漢よりも、教養はつんでいる。しかし、両者とも、悪い点ではどっちがどっちとも言いきれない」と言っている。
チチコフが最初にたずねるマニーロフは感傷家で、お人好しで、はじめのうちはりっぱな親切な人に見えるが、けっきょくはたいくつなうんざりするような男でしかない。彼はいかなる興味も、実質的な望みも、強烈な刺激も持たない。彼の生活はそれこそ彼の夢想と好一対である。彼の性格は、要するに性格の欠除であり、彼の親切心の下には、からっぽを除けば、なにもかくされていないのである。彼の冥想癖《めいそうへき》は、現実の生活、人民の苦しみに対する完全な無関心にほかならない。「だれにでも自分というものがある。ところがマニーロフにはそんなものはなにもなかった」このなにもないということ、つまり生きた生活と生きた人間に対する死のような冷淡さ、これがマニーロフ的人間のおそろしさなのである。
コローボチカはぐちっぽい寡婦《かふ》で、すこし足りないようでいて、物のしまつが神経的にこまかい、けちなしまりやである。世間から隔絶《かくぜつ》された田舎に住んでいるから、極度に疑り深く、その頭は、一つ一つの考えが、まるでねずみ取りにでもかかるように、頭にひっかかり、そこで自動的に死んだように身動きができなくなるようにできている。だから、欺《だま》されて損をしたのではないかと思うと、夜も眠られなくなり、死んだ農奴の相場をききにわざわざ町へ出かけてゆくようなばかなことをするのである。
ノズドリョーフは乱暴者で、うそつきで、おおぼらふきで、賭博狂《とばくきよう》で、居酒屋と定期市《いち》の英雄で、何事にもすぐ手を出し、どんな集会でも舞踏会でも、彼がでればかならず一騒ぎ起さずにはすまないというしまつのわるい男である。彼の生活は騒々しく、無秩序で、彼はむやみに精力と時間と金を浪費する。分別がまったくない。ただひっきりなしに騒ぎたて、暴れまわっていたいだけで、その荒々しい感情の爆発は、爆発そのものが目的で、なんの役にもたたない。
サバケーヴィチは、造化の神が斧《おの》を振って大ざっぱに削り、いっさいの仕上げのてまをはぶいてこの世にほうり出したような、頑丈一点張りな、熊のような粗野な男である。歩くたびに人の足を踏んづけるような、がさつなのろまのくせに、見かけによらず口は達者で、聞いているほうが胸がわるくなるほど、くそみそに知人たちをやっつける。そのうえおそろしくぬけめがなく、貪欲《どんよく》で、死んだ農奴の美点を、まるで生きている者を語るように、べらべらとまくしたて、値段の掛引きで、チチコフとやり合うところは、ゴーゴリの独壇場《どくだんじよう》で、筆が一段とさえる。おそろしい大食漢で、舌《した》もなかなか利《き》き、なにを食べるにも、いちいち知事をはじめ知人たちの台所をこっぴどくけなすのが口癖である。けっきょく死んだ農奴を一番の高値でチチコフに売りつける。がさつで貪欲なロシア的タイプである。
プリューシキンは、世界文学にあらわれた最高の吝嗇漢《りんしよくかん》といわれている。彼は獲得という悪魔のためにはいっさいを犠牲にしてしまい、いっさいの人間らしい感情が、彼の心の中でしだいに消えしぼんでしまって、まるで乞食のような姿をし、その貧欲な目は、釘一本、ぼろきれひとつ、ひも一本も、決して見のがさない、道徳的にも堕落しきって、礼儀作法はもちろん、自負心さえも失っている。クロポトキンは、「吝嗇《りんしよく》家のプリューシキンのごときは、驚くべき心理の深さをもって描かれていて、いかなる文学にも、これ以上の、これより人間的な吝嗇家の肖像は見出されない」と述べている。
〔手法と文体〕 こうして読者は、作者にみちびかれて、いたるところでチチコフとともに生きている死せる魂に出会い、くだらない雑談、たわ言、ばかばかしさ、無知、貪欲、凡俗のかぎりを見せつけられるわけだが、細部や性格を徹底的に写実的に描くゴーゴリの記述は、例によってゴーゴリ独特の怪奇味《かいきみ》にあふれている。そして、全体をつらぬく文体は、写実的な描出と幻想的な特長とのたくみな混合である。無数のおどけた名まえや警句《けいく》が、哄笑《こうしよう》と喧噪《けんそう》のなかでうず巻き、何十種もの食べものや飲みもののようなささいなものが、クワスに漬けた長靴のような焼き肉などといったような、誇張された比喩《ひゆ》で描写される。場景や人物のこっけいさは、一例をあげればチチコフがコローボチカをたずねた場面で、ロシア人の応対の微妙さを説いたところもそうで、いたるところに無数にあるのだが、名句、警句、故意のまちがい、奇妙なくりかえしによって、いやがうえにも高まり、突如として文章は律動を変えて、喧燥《けんそう》から冥想《めいそう》へ、冥想から哄笑《こうしよう》へ、哄笑から抒情へ、抒情からしのび笑いへ、しのび笑いから演説調へと変わる。そしてふたたび呼びかけるようなささやきへ、ふくみ笑いへ、哄笑へともどり、きらめくようなしゃれや、ユーモアや、皮肉がちりばめられる。ゴーゴリの散文の律動とその抒情的な特性は、この叙事詩『死せる魂』で絶頂に達している。後に象徴派の詩人アンドレイ・べールイは、「もし文体が生命と律動を正しく写し出すものなら、ニーチェとゴーゴリは、おそらくヨーロッパ散文のもっともすぐれた文章家であろう」と言ったことは有名である。
またこの作品の叙述は、いたるところで抒情的な余談や、瞑想的な章句によってたち切られる。これらの余談や瞑想的な章句は、ときにはふとった男とやせた男の論議や、婦人たちに関する感想などのように、すこし軽い気分で語られるところもあるが、しかし大部分はしんからまじめで、憤怒《ふんぬ》もあれば(プリューシキンの運命を語る最後の数章などのように)、ロシアについてのしんこくな思索《しさく》もある。また、少年の日のチチコフがほうぼうの見知らぬ町や村をおとずれる回想場面や、旅からもどって、なつかしいわが家の窓の灯がちらちら見えてくる場面やトロイカで旅人が街道を疾走する場面などのように、読者に砂漠でオアシスに出会ったような思いをさせるところもある。読みすすむにつれて、プウシキンでなくても、憂鬱で、もの悲しい気分に沈み、当時の批評家であったアンネンコフをして、「どうしてロシアにはあのようないやらしい人間がいるのだろう? どうしてわが国ではあのような信じられないことが起こるのだろう? どうしてあのような考えが、態度が、ことばが、恐怖を呼びおこさずに通用するのだろう?」と嘆かせたやりきれない気分が、そうした抒情的な美しい場面によって救われるのである。
代表作品解題
〔ディカーニカ近郷夜話〕一八三一〜三二
ゴーゴリの故郷ウクライナの美しい自然を背景に、民間の伝説や風習をロマンのかおりゆたかにうたい上げた短編集で、二二歳のゴーゴリを一躍花形作家にした出世作。二巻からなる全部の作品で悪魔が活躍し、幻想と現実がたくみにないまぜられて、じつに美しい芸術の世界をつくっている。これらの物語の世界ではあらゆることが可能で、いろいろなこっけいなあるいはおそろしい悪魔のたくらみが展開される。定期市のお祭りさわぎを背景に、若者が、お人好しの亭主と雷おかみを悪魔のいたずらでちぢみ上がらせて、めでたく愛する娘と結ばれる話〔ソロチンツイの定期市〕、村の鍛治屋の若者ワクーラがいたずらな小悪魔をつかまえて、それに乗ってペテルブルグの宮殿へ飛んでゆき、女王さまに美しい靴をもらって、めでたく村の高慢な美しい娘といっしょになる話〔降誕祭の前夜〕、また美しいコサック娘ハンナをめぐって、村長の親父《おやじ》と息子が恋仇《こいがたき》となり、最後に、継母《ままはは》にいじめられて自殺をした娘の妖精が、若者を助けてハンナと結婚させる話〔五月の夜〕などは、こっけいな恋愛ものがたりだが、ある若者が愛する娘との結婚に入り用な金を得るために、悪魔に魂を売りわたし、知らずに愛人の弟を殺してしまうという、完全に人間を破滅させてしまう話〔イワン・クパーラの前夜〕や、近親相姦と殺人を幻想ふうに描いた復讐ものがたり〔怖ろしき復讐〕などの恐怖にみちた怪奇譚もある。決してただの伝説でもなく、また小ロシアの現実でもなく、これこそ堪えがたいほど美しいゴーゴリの歌が創造した芸術で、これまでのロシア文学が知らなかった、新鮮な生命のあふれる独特の芸術である。
〔タラス・ブーリバ〕一八三五
この作品はウクライナを題材としたゴーゴリのロマン主義小説の傑作で、コサックの小唄や民謡を通じ、ウクライナの伝説を通じ、歴史を通じて、芸術の分野に再現された十五世紀のコサックの生活で、コサックの『イリアッド』と言われている。そのころのウクライナは、一方からはトルコのふだんの襲撃におびやかされ、他方からはポーランドが、正教信者であるウクライナ人をカトリック教化し、封建的な支配を打ち建てようと圧迫してくるので、彼らは二つの敵と宗教のために戦わなければならなかった。そのために彼らはコサックの自由団体として住み、ふだんは農業や漁業に従事し、一旦|緩急《かんきゆう》のあるときはいっせいに立ち上がった。その特殊の前衛のようなものが、ドニェプル下流のザパロージュのセーチにあり、六十の廠舎《しようしや》から成り、その一つ一つが独立の廠舎隊をつくっていた。
この小説は、武骨一辺の老タラスの家に、キエフの神学校を卒業したふたりの息子オスタップとアンドレイが帰ってくるところからはじまる。老タラスはふたりがりっぱなコサックに成長したことをほめ、母親の悲嘆など意に介せず、翌朝さっそくふたりをセーチへ連れてゆく、そして親子三人はポーランドとの戦争の渦中《かちゆう》に巻きこまれる。平時のセーチのコサックたちの自由な生活、当時の戦争のありさまなどが、生き生きと描出される。包囲された敵の城内は、糧食の欠乏から陥落寸前になっていた。そのとき次男アンドレイは敵の総帥の令嬢がキエフで知った初恋の少女であることを知り、夜ひそかに糧食を持って敵の陣中へ走る。留守中のセーチがダッタン軍に襲われたことを知り、コサック軍は半数が急遽《きゆうきよ》帰り、老タラスが残留軍の指揮をとる。勢いをえた敵軍との凄惨《せいさん》な戦いの末、タラスは次男アンドレイを捕えて銃殺するが、自分も重傷を負い、長男オスタップは捕虜になる。オスタップは残酷な死刑に処され、あまりの苦痛に思わず父の名を呼ぶと、変装して見物にまじっていた老タラスが敵中にあることも忘れて、「おお、見ているぞ!」と叫び、息子のコサック魂をたたえる。後、老タラスは一方の将としてポーランド討伐に馳《は》せ参じ、各所に敵を撃砕《げきさい》して息子の仇《あだ》を討ち、ついに捕えられて、ドネストル河畔で火焙《ひあぶ》りの刑に処されて壮烈な最後をとげる。
十五世紀のコサックの絵巻物ふうの英雄譚で、ロマン的な叙事詩であり、ゴーゴリはタラスを人間の高貴な運命という理想を実現する人物としてロマン的な愛と情熱をもって書いている。
〔ネフスキー通り〕一八三五
この作品は『肖像画』『狂人日記』とともに文集アラベスクにおさめられたもので、いわゆるペテルブルグ物の一つで、ゴーゴリの独特の才能である現実と超自然のないまぜがうかがわれる。朝から夜中までのネフスキー通りの情景とあらわれる人々の変化を述べながら、性格も傾向もまったく相異なるふたりの友の奇妙な運命を描くという新しい形式を開いた小説である。
ある日の夕方、群衆にまぎれて散歩していたふたりの友、画家のピスカリョーフとピローゴフ中尉は、それぞれ別な女に心をうばわれて思わず立ちどまる。ロマンチックで、臆病だが、時と場合によっては燃え上がろうとする感情のひらめきを持っている画家は、あつかましい自信家の中尉にけしかけられて、「マドンナ」のあとをつけてゆくと、女は淫売窟《いんばいくつ》へはいってゆく。この思いがけぬなりゆきに胆《きも》をつぶした画家は大急ぎで逃げ出すが、しかし彼はその女の清純な美しい顔が忘れられない。彼は彼女を夢にまで見る。この夢の中の恋愛の場面その他の描写は、ロマン的であり、しかもじつに写実的である。だが、ふたたび女に会おうとして彼が見たものは、やはり不潔な淫売窟であり、そして淫売婦の彼女であった。幻想と現実のあまりの不一致にたえかねて画家は自殺する。ピローゴフ中尉の追った女は、ただのむっちりふとった肉感的なドイツ人の人妻で、しかもすこしおめでたくて、よろしくやっているところを、その焼きもちやきの亭主と仲間たちに見つかり、こっぴどいめに会わされる。この中尉の情事の凡俗さとばからしさと、画家の夢想と苦悩が、この物語の対象の妙をなしている。なにもかもが虚偽だ、なにもかもが幻影だ、と作者は慨嘆《がいたん》している。
〔検察官〕一八三六〕
これはゴーゴリがプウシキンからもらった題材で、ロシアのいっさいの悪を笑いとばすという意気ごみで書き上げた、しんらつとかくれた憤怒《ふんぬ》にみちた風刺劇である。一八三六年、ジュコフスキー邸の文学者の集まりではじめて朗読された。そこに居合わせたプウシキンは腹をかかえて笑ったといわれる。この喜劇のだいたんさに驚いた検閲官は許可をしぶったが、ジュコフスキーのはからいで、この喜劇は宮廷で朗読され、皇帝に上演を許可された。こうして、一八三六年四月十九日ペテルブルグのアレクサンドラ劇場で初演された。この劇は、あまりにふうがわりだったために、観客はぼうぜんとして拍手を忘れ、幕がおりてからはじめて劇場全体がわき返ったと伝えられる。
この喜劇はある小さな地方都市で起こる。この都市は粗野で収賄家《しゆうわいか》の市長と悪党でま抜けの役人どもに支配され、腐敗しきっている。都から検察官が微行《しのび》で行政の視察に派遣されるといううわさで、大騒ぎをしているとき、フレスタコーフというただ者でないらしい面構えをした他所《よそ》者の若者がこの市で唯一の旅館に投宿していて、どうも振舞いが普通でないという知らせを受ける。だれもが、この男こそ微行の検察官にちがいないと思いこむ。市長はさっそく自宅ですばらしい歓迎会を催して、この若者に賄賂《わいろ》をにぎらせ、ちやほやする。若者はうわ気心を起こして、市長の娘に結婚を申し込んだりする。市長は首都で立身出世の道が開けたとうちょうてんになる、若者は思わぬ贈り物と金でふところがふくらんだので、化けの皮がはげないうちにと逐電《ちくでん》する。お祝いの客でわきたっている市長邸に郵便局長が一通の手紙を持ってかけこんでくる。フレスタコーフがペテルブルグの友人にあてたじまんの手紙で、自分を検察官と勘違いしたあほうどもをあざ笑い、役人のひとりひとりにひどいあだ名までつけている。市長と役人たちがぼうぜんとしているとき、今度はほんものの検察官の到着が告げられる。
これこそだれもが知っていた、いや知ることを恐れていたロシアであり、だれもが知っている人物と場景を通して描かれたロシアであった。ベリンスキーが指摘しているように、この作品は写実主義の手本であり、ゴーゴリを批判的リアリズムの開祖としたのである。
〔外套〕一八四二
これはロシア文学においてはじめて、だれにも愛されず、だれにもかえりみられない、運命にしいたげられた貧しい者に深い同情を示した名作である。主人公アカーキイ・アカーキエヴィチは生まれながらの善人で、気が弱く、勤勉で、あきらめ深く、病的なほどに自分の境遇にあまんじ、しごとのために命をちぢめていることにさえ気がつかないような小役人である。彼はどうにもがまんのならない必要に迫られて、外套を新調することを決心する。そして決心するまでもそうだが、決心してからも信じられないほどの悲喜こもごもの犠牲と不自由をしのんで、ついに夢を実現する。彼はこの外套一着で生まれてはじめて人間らしい気持ちになれるのだが、その喜びもつかのまで、新調祝いに上役が開いてくれた祝宴の帰りみち、辻強盗に襲われて外套をぬすまれてしまう。彼は警察に訴え出たが、さっぱり要領を得ないので、同僚たちにすすめられてある高官にとりなしをたのむ。高官は、ちょうど幼友だちが来ていたので、自分の威厳を見せようと思い、さんざん待たしたあげく、彼を通して用件をきくなり、物には順序というものがある、わしをなんと心得ているのだ、とかんしゃくを起こして彼を追い出す。彼は打ちひしがれ、失意のどん底に陥り、熟病にかかって死んでしまう。ところが、その後カリンキン橋の付近に役人のふうをしてぬすまれた外套を捜している幽霊があらわれるといううわさがひろまる。ある夜、例の高官が馬車で通りかかると、不意にアカーキイ・アカーキエヴィチとそっくりの幽霊が襲いかかって、「とうとう来やがったな! おれにはきさまの外套がいるんだ! きさまはおれの外套のためにほねおるどころか、かえって叱りとばしやがった、――さ、今度はきさまのやつをよこせ!」とどなった。高官は外套を脱ぎすてて逃げ去った。この時以来幽霊は二度とペテルブルクの薄闇にあらわれることはなかった。
この幽霊の一節は、アカーキイ・アカーキエヴィチに対するゴーゴリの深く美しい愛が、何人にも認められなかったそのあわれな生涯に報いたかのようである。この不幸な主人公は当時のロシアの社会の不正に踏みにじられた無数の貧しい人々の象徴と解釈され、この解釈が短編『外套』に重大な意義をあたえた。ドストエフスキーが「われわれはみなゴーゴリの『外套』から出た」と言ったのは有名であり、しいたげられた人々の描写はロシア散文のおもな流れの一つとなり、ツルゲーネフ、ドストエフスキー、ガルシン、コロレンコ、チェーホフ、ゴーリキイ等の作家が、ゴーゴリの遺産を受けついだのである。
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訳者あとがき
わたしはさいわいにしてゴーゴリの不朽の名作『死せる魂』を訳す機会をえて、いろいろなことを感じ、大きな喜びを持つことができた。その一つは古典のみがあたえてくれる深い感動である。古典に接する場合いつもそうであるが、そのみずみずしい生命力にふれて、心を洗われるような感動と喜悦《きえつ》をおぼえるものである。もっとも古典というのは永遠に枯死することのない生命力を持つもので、それでこそ古典と呼ばれるのである。ゴーゴリが『死せる魂』の中に描き出した、思わず目をひそめたくなるような数々の人間像は、今日もわれわれの周囲に、あるいはわれわれの内部に、生きている。目をつぶらずに、それを直視することを、ゴーゴリは語りかけてくるのである。
もう一つは、ゴーゴリの作品はだいたいがむずかしいが、『死せる魂』は特にいわゆる訳しにくい小説である。これはわたしひとりの意見ではなく、一般の定説である。今度訳すにあたっては、諸先輩の既訳にひととおり目を通したが、いずれもりっぱな訳で、いたるところにその苦心のほどがうかがわれて、頭の下がる思いがしたことを、ここにあえて述べておきたい。わたしは訳をすすめながら、行きずまったりすると、なにか小説を読む癖があるが、今度は行きづまってばかりいたので、宇野浩二の作品と高見順の作品、いわゆる饒舌体《じようぜつたい》の小説を読みきってしまった。これもわたしにとっては思わぬ喜びであった。
それからもう一つ、国立児童図書出版所版を底本として、旧正字法時代の版とアカデミー版を参照したのであるが、その差異といえば児童図書版のほうはさし絵と注が多いというだけのことである。対象が少年少女であるからさし絵が多いのは当然であるし、注は主として帝政時代に存在して現在はなくなっている役職名とか、服装とか、料理とか、道具類とか、外国語などの説明である。本文はそっくり原文のままである。日本でいえば明治よりもさらに二十数年以前の作品が、そのままの形で少年少女たちに読まれているわけで、国語問題の上からも大いに考えさせられるものがある。
以上二三感想を述べたが、最後に本書を訳出する機会をあたえてくださった旺文社に感謝の意を表したい。(訳者)
〔訳者略歴〕
工藤精一郎《くどうせいいちろう》 ロシア文学者。一九二二年福島市生まれ。ハルビン学院卒業。おもな訳書。『罪と罰』(ドストエフスキー)『父と子』(ツルゲーネフ)『鉄の流れ』(セラフィモーヴィチ)『パリ陥落』(エレンブルグ)など。