若きウェルテルの悩み
ゲーテ/高橋義孝訳
目 次
第 一 部
第 二 部
編者より読者へ
解説(高橋義孝)
年譜
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若きウェルテルの悩み
哀れなウェルテルの身の上についてさがせるだけのものは熱心にさがしあつめ、ここにこうしてお目にかけてみる。諸君はきっとそれを私に感謝してくれるであろう。諸君はウェルテルの精神と心根とに感嘆と愛情とを惜しまれぬであろう。ウェルテルの運命には涙をこばまれぬであろう。
また、ちょうどウェルテルと同じように胸に悶《もだ》えを持つやさしい心の人がおられるならば、ウェルテルの悩みを顧みて自らを慰め、そうしてこの小さな書物を心の友とされるがよい、もし運命のめぐり合せや、あるいは自分の落度から、親しい友を見つけられずにいるのなら。
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第 一 部
[#地付き]一七七一年五月四日
ひと思いに出かけてしまって、ほんとによかったと思っている。人間の心なんて、変なものだね、君。ぼくがこれほどにも愛していて離れがたく思っていた君とわかれて、しかも朗らかにしていられるんだから。むろん君にはゆるしてもらえるだろうね。それにしても今までの行きがかりは、ぼくみたいな人間の心を苦しめるために運命のやつが特別に選《え》り抜いたとでもいうようじゃないか。むろん君のことは例外さ。しかしレオノーレには気の毒だった。そうかといってぼくの責任じゃない。レオノーレの妹の一風変った魅力にぼくが気持よくひきつけられている間に、向うからぼくが好きになりはじめたんだから、ぼくとしてもどうにも仕様がなかったんだ。けれど――ぼくも全然無罪かしら。あの娘をそんな方向へ持っていきはしなかったといえるだろうか。現にこのぼく自身が、実はちっともおかしくなんかない素直なあの娘の言葉や態度を、みんなと一緒によく興がったんだからね。そればかりか――いやいや、人間というものは自分で自分を責めることができるんだから妙なものさ。ぼくはね、君に約束する、自分を改善しようと思う、運命がぼくたちに課するちょっとした不幸を、これまでやってきたようにもう反芻《はんすう》すまいと思う。現在を現在として味わおう。過去は過去さ。たしかに君のいうとおりなんだ、もし人間が――しかし人間というやつはどうしてこういう仕掛けになっているんだろうね――こうまでしつこく想像力をはたらかせて過去の不幸を反芻せずに、虚心に現在を生きて行けたら、今より苦痛がすくなくてすむんだがね。
頼まれた例の件はできるだけうまくやるし、なるたけ早急にそれについて知らせるからと母に伝えてくれたまえ。恐縮だ。叔母にも会ったが、どうしてどうして内でうわさにきいていたような、そんな悪い人じゃない。元気で情のはげしい人だ。人はとてもいい。こっちに残っている遺産の分け前のことで母が苦情をいっていると叔母にいったんだ。するといろいろな理由や原因や条件をあげてね、それが承知ならいつでも全部引き渡す、ぼくらのほうで要求している以上のものをくれるというんだ。――いや、今はそれについて何も書きたくない、とにかく母にこう伝えてくれたまえ、万事上首尾に運びましょうからって。しかし、ねえ君、今度のちょっとした事件でもやっぱりそう思ったんだが、奸計《かんけい》や悪意なんかよりも、誤解や怠惰のほうがよっぽどいざこざの基になるんだね。すくなくとも前の二つのほうがたしかに珍しいんだ。
とにかくぼくはここにきてしごく健在だ。このすばらしい土地で一人ぼっちにしていられるのは、ぼくの心にとってはこの上ない清涼剤だし、それに春という季節がぼくのおびえがちな心を文句のないようにあたためてくれる。どんな木にも、どんな垣根《かきね》にも花がいっぱいだ。いっそ黄金虫《こがねむし》になりたい、そうしていいにおいの海をさまよい泳ぎ、自分の養分を存分に見つけ出せたらと思う。
町そのものは不快だが、まわりの自然はまったくいいようのない美しさだ。だからあのなくなったフォン・M……伯爵《はくしゃく》もここの丘の一つに庭園を造る気になったんだね。まったくいくつかの丘が実に美しく入り乱れて、ひどく気持のいい谷ができているんだから。この庭は簡素なものだけれど、一歩中へはいってみれば、この庭を設計した人がものものしい造園家じゃなくて、ここで自らたのしもうとする風流の士であったことはすぐわかる。故人生前のお気に入り場所で、今じゃぼくの気に入り場所でもある荒れはてた四阿《あずまや》でぼくはもう幾度か故人のために涙を流した。やがてぼくはこの庭園のあるじになるだろうし、まだ知り合いになってから二、三日しかたたない園丁もぼくを好いてくれている。ぼくとのつきあいで気まずい思いをするようなことはまずまずあるまい。
[#地付き]五月十日
不思議な朗らかさがぼくの心をすっかりとりこにしてしまった。ぼくが心底から味わいたのしんでいる甘美な春の朝な朝なのような。ぼくはひとりだ、そうしてぼくみたいな人間のために作られたこの土地での生活をたのしんでいるんだ。幸福この上もない。やすらかに生きているという感情の中におぼれきっている。だから絵筆のほうはそっちのけになってしまった。一本の線も今は描けそうにないんだが、しかしぼくが今ほどえらい絵描《えか》きだったことはない。まわりの美しい谷間《たにあい》から霧が立ちのぼり、昼間も暗いぼくの森の上に高々と太陽がかかって、ただ幾筋かの光線が神聖な森の暗がりにそっと差しこむ。そんなとき、ぼくは流れ下る小川のほとりの深い草の中にからだを横たえ、大地に身をすり寄せて数限りないいろいろの草に目をとめる。草の茎の間の小世界のうごめき、小虫、羽虫のきわめがたい無数の姿を自分の胸近く感ずる。自分の姿に似せてぼくらをつくった全能者の現存、ぼくらを永遠の歓喜のうちにやさしくささえ保っていてくれる万物の父のいぶきを感ずる。そのうち両の眼がかすんできて、身のまわりのいっさいや青空がまったくぼくの魂の中に、まるで恋人の面影《おもかげ》のようにやすらう。――そんなときにぼくは万感胸に満ちて、こう考えるのだ。ああ、こんなにもゆたかに、こんなにもあたたかく己《おれ》の中に生きているものを表現することができたらなあ。それを画紙にとらえることができたらなあ。そうして、ちょうど己の魂が無限なる神の鏡であるように、それが己の鏡になってくれたなら。わかってくれるかい。――けれど、だめなんだ、ぼくは。そういうものがあんまりすばらしいので、手も足も出なくなってしまうんだ。
[#地付き]五月十二日
このあたりには人の心をまどわす精霊が漂っているのか、それともぼくの胸の中のあたたかなすばらしい空想力のせいなのか、それはわからないが、周囲のいっさいがまるで楽園のように見える。町を出たすぐのところに泉が一つある。ぼくはまるでメルジーネとその姉妹たちみたいに、この泉にひどくひきつけられているんだ。――小さな丘を下って行くとね、アーチの前に出るから、それをくぐってさらに約二十段ばかり下へ降りる。そうすれば大理石を畳んだ間から実にきれいな水がわき出しているんだ。その上の方をぐるっとかこんでいる井筒の低い石垣、この場所のまわりをとりまいて陰を作っている高い木立、それからそのあたりのすがすがしさ、そういったものにはすべて何かこうぼくらの心をとらえて、しんとさせるようなものがある。一時間ばかりそこで過すのが日課になってしまった。むろんそこへは町から娘たちが水をくみにやってくるんだが、この仕事こそ実に罪のない仕事でいて、しかもまた一番大事な仕事なんだね。昔は王女たちもやったというじゃないか。すわってながめていると昔の族長時代もこんなふうだったろうかと思わざるをえない。遠い祖先の人たちは、みんな泉のほとりで知り合いになったり結婚を申し込んだりしたものなんだ。そうして、噴井《ふんせい》や泉のまわりには恵み深い精霊がすんでいたんだね。そういうことに思いの及ばないのは、つらい夏の日の旅をおえて、泉の冷気にほっと息をつくという味を知らない人間だけだろう。
[#地付き]五月十三日
ぼくの蔵書を届けてやろうかとのお問合せ。――冗談じゃない、勘弁してくれたまえよ。指導されたり励まされたり焚《た》きつけられたりするのはもうまっぴらなんだ。沸き立つこの心一つを扱いかねているくらいなんだから。必要なのはむしろ子守唄《こもりうた》だが、これはわがホメロスの中にふんだんに見つけ出した。実際よくぼくは沸き返る血潮を子守唄で寝かしつける。君だってぼくの心臓ほどむら気で落ち着きのないのを見たことはあるまい。いやこんなことを君にいう必要なんかありはしない。君はぼくという男が苦悶《くもん》から放縦な空想へ、甘い憂鬱《ゆううつ》から破滅的な激情へと移って行くのをいやというほど見せつけられてきたんだから。またぼくにしたところが自分の心を病気の子供のように扱っているのさ。したい放題にさせているんだ。ただしこういうことは他言無用だよ。これを悪くとるような人がいるからね。
[#地付き]五月十五日
もう顔馴染《かおなじ》みができた。身分の低い人たちだが、みんなぼくを好いていてくれる。ことに子供たちはね。最初ぼくが連中の間へ割り込んでいって、なれなれしくなにやかやとものを尋ねると、ぼくがからかっているんだと思った者もいて、ひどくそっけなくあしらわれたが、ぼくはそんなことではしりごみしなかったんだ。今までにも幾度か感じたことだったが、今度もつくづく思ったね、つまり多少身分のある連中は、いつだって下層の人たちとの間に距離を置いて冷然と構えている。近寄ったら損をするといった具合なんだね。ところがまた一方には、身分の低い人たちに自分の尊大さを一段と強く感じさせようという魂胆から、わざとへりくだって見せるような不届き者やたちのわるいいたずら者がいるのだ。
むろんぼくらは平等じゃないし、平等でありうるわけのものじゃないが、それにしたところがぼくをしていわしむれば、尊敬されるためにはいわゆる下層民から遠ざかっているにかぎると思いこんでいる手合いは、負けるのをおそれて敵にうしろを見せる卑怯者《ひきょうもの》と何の選ぶところもないではないか。
この間、泉のところへ行ってみると若い女中さんが一人いて、水桶《みずおけ》を一番下の段に置いて、仲間のくるのを待っているというふうなんだ。誰かきたら手伝ってもらって桶を頭に載せようというのさ。下へ降りて行って、その女の顔を見て、「手伝いましょうか、ねえさん」といってやった。――そうすると真《ま》っ赤《か》になってしまってね、「まあ、とんでもない」というんだ。――「遠慮はご無用さ」とぼくがいうと、桶の下敷を頭の上でちゃんと置き直したから手伝ってやった。礼をいって階段を登って行ったっけ。
[#地付き]五月十七日
いろいろな人と知り合いになったが、気の置けない仲間というのはまだ見つからない。いったいぼくのどこが人好きがするのかわからないが、大抵の人に好かれるし、親しくしてもらっている。それにつけても、この世の中を歩いて行くぼくらの道がほんのしばらくの間しか一緒でないのが恨めしい。土地の人たちの様子はどうだときかれれば、いずこも同じと答えなければなるまいね。人間なんてものは何の変哲もないものさ。大概の人は生きんがために一生の大部分を使ってしまう。それでもいくらか手によどんだ自由な時間が少しばかりあると、さあ心配でたまらなくなって、なんとかしてこいつを埋めようとして大騒ぎだ。まったく奇妙なものさ、人間というやつは。
けれどもなかなかいい人たちだ。ぼくが時折は自分を忘れて、おいしそうな御馳走《ごちそう》の並んだ食卓を前にほかの人たちと罪のない冗談を愉快にいい合ったり、ほどよい折にピクニックに出かけるとか、ダンスをやるとか、まあそういった天下御免の人間らしいたのしみを土地の人たちと共にすると、ぼくは本当にいい気分になってしまう。ただしそれ以外にもたくさんの力がぼくの中にあって、それがみんな使われずに朽ちかけているんだが、こいつは用心深く隠しておかなくちゃいけないってことを思い出しさえしなければいいんだ。それを思うとぎゅっと胸が締めつけられる。――しかしねえ、誤解されるというのが、やっぱりわれわれ人間の運命なんだ。
あの幼な馴染みの女友だちは死んでしまったんだ。いっそ互いに知らずにいたほうがよかったかもしれない。――けれど、もしあのひとを知らずにいたなら、ぼくは自分に向って、お前はばかだ、お前はこの世で求めてえられぬものを求めているんだといったかもしれない。しかしぼくには彼女というものがあったのだ。ぼくは彼女の心を、あのすばらしい魂をつかんでいたんだ。あのすばらしい魂を眼《め》の前に見ていると、自分が自分以上のものに思われたのだ。それというのも自分の全体をすっかり投げ出すことができたからなんだ。ぼくの魂のどんな力だってなおざりにされてはいなかった。彼女の前にいると、ぼくの心が自然をつかむときの、あの霊妙な心持になれたんだ。二人の交際はすごく微妙な感覚と最も鋭い理知とが織りなす永遠の織物だった。この織り模様の変化のどの一つだって、極端なものさえ例外なしに天才の刻印を打たれてはいなかったろうか。ところが、どうだ、現在は。――ああ、年上だっただけにぼくよりさきにあの人は死んでしまった。ぼくは絶対にあの人を忘れないぞ。あの人のしっかりした気性や、神様みたいな辛抱強さを。
つい二、三日前、V……という若い男に会った。顔だちのいい、さっぱりとした青年で、大学を出たばかりなんだ。頭がいいとうぬぼれているんじゃないが、ほかの人たちより物知りだと思いこんでいるらしい。事実いろいろの点から察するに勉強家だ。まあ学問が少々あるわけさ。ぼくが絵を描いたり、ギリシア語をかじっているのを聞きつけて(この二つはドイツじゃ二つの隕星《いんせい》さ)ぼくのところへやってきて、バトーからウッド、ド・ピルからウィンケルマンに及ぶ学識のほどを開陳に及んでね、ズルツェルの第一部はすっかり読んだの、ハイネの古代研究の原稿を持っているのだのと鼻息が荒いんだ。ぼくは、はあはあと承っておいた。
もう一人、いい人に知り合いになった。公爵家の法官で、率直なりちぎな人だ。子供が九人いるそうで、その九人の子供たちとこの人が一緒になっているところを見せたいものだと人がいう。この人の総領娘の評判はたいしたものだ。訪ねてくれといわれたので、近々出かけてみる。公爵家の猟舎に住んでいる。町から一時間半ばかりのところだ。奥さんをなくしてから町の官舎に住んでいるのがつらいというので、お許しをもらってそっちへ行っているというわけだ。
そのほかにも二、三、ひねくれた連中と知り合いになったが、どうにもたまらん変人どもでね、なれなれしくされるのが一番かなわない。
ではごきげんよう。この手紙なら気に入ったろう。事実ありのままだから。
[#地付き]五月二十二日
人生はただ一場の夢のごとし、よく人のいうことだが、ぼくもやはりいつでもそんな気持がしているのだ。人間の活動的な研究的な力を閉じこめている枠《わく》のことを考えてみたり、人間活動のいっさいが、ぼくらのみじめな生存を長びかすということ以外には、何も目的らしい目的を持たない欲望の満足だけを結局はねらっているのを考えたり、それからまた、ぼくらの閉じこめられている牢獄《ろうごく》の四壁にありもしないきれいな姿や明るい景色を描いているという始末だから、ぼくらの研究のある段階で満足しているのは、はかないあきらめにすぎないことを思ってみたりすると、ねえウィルヘルム――そうするとぼくはもうなんにもいえなくなってしまう。ぼくはぼく自身の内部に引き下がって、そこに一つの世界を見つけ出すのだ。むろん形のはっきりした力強い世界じゃない。予感とおぼろげな欲求のうごめいている世界だ。そうしてそこではいっさいが流れ動いている。ぼくは夢うつつにそういう世界に心たのしく身を投げかけて行くのだ。
学問のある学校先生や家庭教師の方々は、口をそろえて、子供というものは自己の欲求の拠《よ》ってきたる所以《ゆえん》を知らぬとおっしゃるのだが、大人だってそうじゃないか。子供たちと同じにこの地上をよちよち歩きまわってさ、どこからやって来てどこへ往《ゆ》くのかを知りはしないし、本当の目的に従って行動しもしないし、ビスケットやお菓子や鞭《むち》であやつられているわけなんだが、不思議だね、誰もそういう実情を信じたがらない。ところが、こんなにはっきりしていることはないじゃないか。
こんなことをいうと、君はきっと反対してこういうだろう。子供たちみたいに毎日毎日を他愛なく暮し過して、人形を引きずりまわり、服をきせたり脱がしたり、ママがお菓子をしまっておいた引き出しのあるあたりをひどく神妙にうろうろして、さてやっとかねて望みのものを手に入れたとなると口いっぱいにほおばって食べてしまい、「もっとおくれ」とせがむ。そういう人間がつまり一番幸福なのだというだろう。そうかもしれないね。――幸福な手合いさ。それからまた、自分たちのつまらぬ仕事だとか、自分たちのきまぐれにさえも仰山な名前をつけて、さあこれこそ世のため人のための大事業だと触れまわる人たちだってやはりそうだ。――それで済んで行く連中はそれでいいのさ。ところが世上万端の行き着く先を謙虚に悟り知って、仕合せに暮している市民の誰彼がちっぽけな自分の庭を飾り立てて天上の楽園のようにしたり、また不幸な人間が重荷を背負ってあえぎあえぎ世間を渡って行き、まず例外なく世の中の誰もがこの世の太陽の光を一分でもながく見ていたいと願っているということを見てとる人間は、そういう人間こそは口数をきかずに、自分自身の中から自分の世界を作り上げもするし、また、自分が一人の人間なのだから幸福でもあるわけだ。その上、そういう人間はどんなに浮世の束縛を受けていたって、いつも胸の中には甘美な自由感情を持ち続けているんだ。自分の好む時に、現世という牢獄を去ることができるという自由感さ。
[#地付き]五月二十六日
君は昔からぼくのやり口を知っていてくれるんだが、ぼくはいつもどこかに腰をおろすと、どこか親しみの持てる場所にちっぽけな小屋を打ち立てて、そこでできるだけつつましく暮そうとする。ここでも気持のいい場所を見つけ出した。
町から小一時間のところにワールハイムっていうところがある。その丘沿いの位置がはなはだ面白い。上手《かみて》の小道を通って村を出ると不意に谷全体が見渡せる。料亭のおかみさんは若くはないんだが愛嬌《あいきょう》があってきびきびしていてね、酒もある、ビールもある、コーヒーもある。しかし傑作は二本の菩提樹《ぼだいじゅ》だ。教会前の小さな広場はその葉陰になっているんだ。広場のまわりは農家、納屋《なや》、垣《かき》をめぐらした農家の庭先だ。こんなに親しみの持てる感じのいいところはまずちょっとあるまいよ。ぼくは料亭から小卓をこの広場に運ばせて、椅子《いす》も持って行かせて、コーヒーを飲んだり、ホメロスを読んだりする。ある晴れた日の午後だったが、ぼくは偶然初めてそこへ行ったんだが、そのときはばかにひっそりしていてね、みんな野良《のら》に出払っていて、四つくらいの男の子がたった一人地べたにすわって、生れてから半|歳《とし》もたったかと思われる赤ん坊を両足の間に置いて両腕で自分の胸によっかからしているのさ。一種の安楽椅子なんだね。あたりを見まわすその児《こ》の黒眼ははつらつとしているんだが、実におとなしくすわっているんだ。それを見てうれしくなってしまった。ぼくは向い合せに置いてある犂《すき》の上に腰をかけて、兄弟の有様を実にたのしい思いで写生した。そこへさらにすぐそばの垣根だとか納屋の扉《とびら》、こわれている車輪を二つ三つ、みんなそこにあるとおりの順序で描き加えたが、一時間ほどで、よくまとまった、とても面白いものができあがった。何も勝手にはつけ加えなかったんだが。そんなことで将来はただ写実一方で行こうと思う気持を強められたわけだ。無限に豊富なのは自然だけだ。自然だけが大芸術家を作り上げるんだ。市民社会を賞賛できるように、規則擁護論はむろん可能だし、規則に従って人間は決して没趣味なものやまずいものをこしらえはしない。ちょうど法律や作法によって身を律する人間が、絶対に不愉快な仲間だったりひどい悪者だったりすることがないようにね。しかしその代りに規則というものはどんなものだって、自然の真実な感情と真実な表現とを破壊するものなんだ。これは明白だ。君はあるいは反駁《はんばく》するかもしれない、規則はただ制限し余計な蔓《つる》を切り取るだけだ、そういうのは極端だ、と。――じゃ一つ、譬《たと》え話《ばなし》を持ち出そうか。つまり恋愛みたいなものなんだ、それは。若い男がある少女にぞっこんほれこんで、年がら年中その少女のそばにつきっきりで、全才能、全財産をあげてその少女に参っていることを絶えず示そうとする。そこへ一人の俗物、役人かなんかをやっている男が現われて、こういったと思いたまえ。「ねえ君、恋愛するのはもっともだが、ただしもっともな恋愛をしたまえ。君の時間を分けて、その一部は仕事にさく、そして休養時間を君の娘さんにささげたまえ。財産を計算して、必要なかかりを除いて、残った部分からその娘さんに贈り物をするというのなら結構だ。ただし贈り物もあまりひんぱんにしてはならない、誕生日とか命名日とかにかぎる」――などとやらかしたら、どうだろう。なるほどそんな忠告に従えば有能な青年ができあがるだろうから、こういう青年なら役人として使われてもご損はありませんといって、ぼくだってご領主様どなたにもおすすめするさ。だけど恋愛はそれでおしまいだ。その青年が芸術家なら、芸術もまたおしまいさ。ああいったいどうして、天才の流れが、あふれ出て高潮して押し寄せ、君らの心をゆすぶって驚愕《きょうがく》させるのはまれなんだろうか。――その岸辺の左右には落ち着きはらった紳士諸君が住んでいて、自分たちの四阿《あずまや》やチューリップの花壇や菜園が台なしにされやしないかと心配して、将来の危険にそなえて時折ダムを築く、排水工事を施すという次第だ。
[#地付き]五月二十七日
どうやらぼくは夢中になって譬えと講釈とに堕して、あれからあの二人の子供たちがどうしたか詳しく知らせるのを忘れてしまったようだ。昨日《きのう》の手紙でとぎれとぎれに説明したが、ぼくはすっかり絵画的な気分に浸って、例の犂の上にかれこれ二時間ばかりがんばっていたんだ。すると夕方近く一人の女が子供たちの方へやってきた。子供たちはそれまでずっとおとなしくしていたんだ。女は腕に籠《かご》をさげていて、遠方から「フィリップスや、まあ本当にお利口だねえ」と呼びかけるのさ。――ぼくにも会釈《えしゃく》するから、ぼくも頭を下げて立ち上がり、そばへ寄っておっかさんなのかどうかきいてみた。そうだった。大きいほうの子に白パンを半分やって、小さいほうを抱き上げて、お母さんらしくやさしく接吻《せっぷん》してやって、こういうのだ。――「このフィリップスに小さいのを預けまして、総領のと町へ白パンやお砂糖や土なべを買いに行ってまいりましたんでございますよ」――なるほど、ふたのずり落ちた籠の中にみんなはいっている。――「今晩はハンスに(これが一番小さい子の名前だった)スープをこしらえてやろうと思いまして。大きいのがいたずら者で、昨日はおかゆのおのこりのことでフィリップスと喧嘩《けんか》をいたしましてね、せっかくの土なべをこわしてしまいましたものですから」――ぼくが一番上の児は、とたずねると、草地で鵞鳥《がちょう》を二、三羽追っていると女が答えたが、まだいい終らないくらいのときに、それが飛んで帰ってきて、二番目の児に榛《はしばみ》の杖《つえ》を持ってきた。しばらくの立ち話でこんなことを知った。その女は学校の先生の娘で、連れ合いは目下|いとこ《ヽヽヽ》の遺産を受け取りにスイスに旅行中だそうだ。――「宅をだまそうといたしまして幾度手紙をやりましても返事をよこさないものでございますから、じきじき出向いてまいりましたが、たよりがちっともございませんので、何か間違いでもあったんじゃないかと案じております」――名ごり惜しくて立ち去りかねたが、三人の子供にそれぞれ一クロイツェルずつやった。一番小さい子の分は母親に渡して、町へ行ったときにスープに添えて食べる白パンを買ってやるようにいって別れてきた。
ねえ、君、ぼくという人間は、心がどうにもおさえられなくなると、のんきにたのしく自分の狭い生活圏の中で不平もいわずその日その日をどうにかしのいでいって、落ちる木の葉を見ては冬のきたこと以外にはなんにも思わないような、そういった人間をながめるのが何よりの薬なんだ。
それ以来ぼくはたびたび出かけて行くが、子供たちはすっかりなついちゃって、ぼくがコーヒーを飲むときにはお砂糖がもらえるし、夕方にはバター・パンやヨーグルトも山分けだ。日曜日には必ず一クロイツェルずつもらえる。祈祷《きとう》時間がすぎても行けないときは、料亭のおかみさんに立て替えてくれるように頼んである。
子供たちはすっかりぼくと友だちになって、いろんなことを話してくれる。ことに村の子供たちが大勢集まってくるときなんぞに、あの子供たちが外に現わすはげしい感情や率直な欲求の発露は見ていてしごく面白い。
ぼくに迷惑をかけはしないかといってお母さんは大心配だった。なだめるのに苦労をしたよ。
[#地付き]五月三十日
この間、絵について書いたことは、たしかに文学にもあてはまる。問題はつまり、すぐれたものをはっきりつかんで、それを思い切って表現するということにあるんだ。言葉はすくなくったって、むろんいろいろのことが含まれるわけだ。今日見た一情景なんぞは、そのまま写せば、飛び切りの牧歌詩だったろうが、文学だ情景だ牧歌詩だなんて、そんなものはどうだっていいじゃないか。自然の現象に親しんでいればいいんだ。技巧なんか何の役にも立つものか。
こんなふうに切り出すと君はきっとひどく高尚《こうしょう》上品なことを期待するだろうが、実はさにあらず、ぼくをこれほど夢中にしてしまったのは、ほかでもない一人の作男なんだ。――例によってぼくは話下手《はなしべた》だし、例によって君はきっとまたぼくの誇張癖が始まったと思うだろうが、またしてもワールハイムなんだ。こういう珍しいことはきまってワールハイムなんだ。
菩提樹の下でお茶の集まりがあったが、連中がちょっとぼくにぴったりしなかったものだから、口実をこしらえて仲間入りをしなかったのだ。
一人の作男が近くの家から出てきて、ぼくがついこの間写生した犂をせっせと直し始めた。その様子が気に入ったから、話をしかけて身の上をたずねてみたんだ。ぼくたちはすぐに互いの身の上を知り合ったし、こういう人たちを相手にするといつもそうだが、間もなく親密になってしまった。なんでもある後家さんのところにはたらいていて、なかなか優遇されているらしい。口をきわめてその女主人をほめそやすところから推すにどうやらひどくその人を慕っているんだね。もう若くはなくて、初めの夫というのにだいぶひどい目にあわされて再婚の意志はないんだそうだが、この作男が女主人をどんなに美しく、どんなに魅力のある人と思っているかは、その口うらから疑う余地が全然ない。先夫のいまわしい思い出を消し去るために自分がこの人と結婚できたらと熱心に望んでいるようだ。この男の純な思慕、愛情、まじめさを君に納得させようと思えば、ぼくはひと言ひと言ここに繰り返さなくてはなるまい。その様子の表情や響きのいい声やおさえつけた愛情の燃えるような眼《め》つきなんかを、いきいきと描き出そうというのには大詩人の腕前が必要だろう。この男の全身にあふれているやさしさを表現できるような言葉なんぞまずありっこない。ぼくがどんなに言葉を尽そうととうていだめだ。この男の女主人に対する関係をぼくが正しくないものと考えやしないか、その後家さんの立派な身もちをぼくが疑ってやしないかと心配している様子は、ことにぼくの心を動かした。その人の姿かたちを口にするときの様子は実に筆舌に尽しがたいんだ。それがこの男の心をしっかりとらえて放さないんだが、さりとて若々しい美しさじゃない。ぼくはこれまでこうも純粋な形で切実な欲望とやるせない熱い思慕を見たことがない。それどころかこういう純粋さで考えたこともない、夢みたこともない。この無邪気、この真剣さを思い出すと心の奥底が燃えてくるし、この人のりちぎとやさしさとがどこまでもぼくを追いかけてくるし、まるで自分もそのために燃え立たされたみたいにあえぎ焦《こ》がれるとまでいいたいんだ。こんなふうにいって、許してくれたまえよ。
なんとかして早くその後家さんに会えるようにしてみたいと思う。いや、待てよ、それは避けたほうがいいかな。恋人の眼でその人を見ているほうがいいかもしれない。この眼で見てしまえば、今ぼくが思い描いているようなわけにはいくまい、きっと。この美しい姿をむざと破壊するには及ばないのだ。
[#地付き]六月十六日
どうしてぼくが手紙を書かなかったかって。――そうきくんじゃ君もやっぱり学者先生のお仲間だ。しごく健在だぐらいは察してくれそうなものじゃないか、しかも――つまり結局こうなのさ、ある知り合いができたんだ、ひどく大切な。ぼくはね――わからない。
実にすばらしいひとと知り合いになった|てんまつ《ヽヽヽヽ》を順序よく話そうというのは、どうもぼくには荷がかちすぎるらしい。ぼくは満足だ、幸福だ、だからさ、語り手としちゃしごくふてぎわなんだ。
天使、かな。――陳腐だ、陳腐だ、誰だって好きなひとをみんなこういうからね。でもぼくには、そのひとがどんなに完全か、なぜ完全か話せはしないんだ。そうだ、ぼくはそのひとにもうがんとやられてしまったんだ。実に利口で実に純真、実にしっかりしていて実にいいひと、はつらつとしてまめでいて心は落ち着いているんだ。――
こんな文句はみんなけがらわしいおしゃべりだ、くだらぬ抽象語だ、あのひとの人柄《ひとがら》を露ほども現わしちゃいない、またこの次に――いや、この次じゃだめだ、今すぐに話そう。今話してしまわなければ、永遠にもう機会はこない。実はね、白状するとこの手紙を書き出してからもう三回も筆を投げ出して馬に鞍《くら》を置かせて出かけようとしたんだよ。そのくせ、けさ誓ったばかりなんだ、今日は出かけまいってね。そうしておきながら、太陽はまだどのくらい高いだろうとひっきりなしに窓ぎわへ行く始末だ。――
だめだった、とうとう行ってきた。今帰ってきたんだ、ウィルヘルム。これから晩御飯を食べて君に手紙を書く。可愛《かわい》い元気のいい子供たち、八人の弟妹にかこまれているあのひとをながめると、実にもうぼくはなんともいえない。――
こんなふうじゃ、いつまでたったって君にはなんにもわからないね。さあ一つ、努力して事細かに話してみよう。
ぼくがS……という老法官と知り合いになって、一度その人の隠居所、というか小王国をたずねるようにいわれたってことは、この間君に書いたとおりだ。ぼくはこの訪問を怠っていた。もし偶然その静かな土地にかくされている宝物を発見しなかったなら、行かずじまいに終ったことだろう。
ぼくらの若い連中が郊外で舞踏会をやろうというのでぼくも異存なく参加した。ぼくはこの土地の善良で美しい、といってそれ以外の点では平凡な娘さんを踊りの相手にきめたんだが、馬車を一台ぼくがやとって、ぼくのパートナーとそのひとのいとこを連れて催しのある場所へ出かけて行く、その途中でシャルロッテ・S……をさそうということに話がきまった。ぼくらが広い切り開かれた森の中を猟舎に向って馬車で行く途中、ぼくの相手がこういうんだ。――「これからおさそいする方、きれいなお方よ」――するといとこの人は相槌《あいづち》を打って、「ご注意遊ばせ、お好きになっちゃだめなことよ」というから、それはまたなぜですときいてみると、今度はぼくの踊り相手が、「だってもう婚約済みでいらっしゃるのよ。相手の方はとてもご立派な方で、今はご旅行中なんですの。お父さまがおなくなりになって、その後始末をなすったり、それにいい地位につこうとなさって出かけていらっしゃったのです」という返答なのだ。――そう聞かされたって、ぼくはベつに何ということもなかった。
猟舎の門前に乗りつけたときは、太陽が山に隠れるまでにはまだ十五分くらいも間があった。ひどく蒸して、婦人連は雷雨の心配をしだした。灰色がかった白っぽい雲がもくもくと四方の地平線にわき起ってくる気配なのだ。ぼくは出まかせの気象学を振りまわしてご婦人方の心配をまぎらわしたが、実はぼく自身が、どうやら今夜のたのしみには邪魔が入りそうだと心配しだした次第だった。
ぼくが馬車から降りると、女中が門のところへやってきて、ちょっとお待ちくださいまし、ロッテお嬢さまはただ今すぐお見えになりますからという。庭を突っ切って、しっかりとした造作のおもやの方へ行き、とっつきの階段を上って、玄関に足を踏み入れると、今まで見たこともないなんともほほえましい光景にぶつかったのだ。玄関先の広間に、二歳から十一歳までの子供たちがわいわいいっていて、その真ん中に姿のいい娘さんが一人いる。背丈《せたけ》は中位、あっさりした白服、腕と胸のところには淡紅色の飾り紐《ひも》がついている。手に持った黒パンを、まわりにいる子供たちの年と食欲に応じて切ってやっているのだが、その容子《ようす》がいかにもやさしい。パンをもらうと、どの子も「ありがとう」という。真心のこもった声だ。もらわぬさきからながいこと小さな両手を高々と差し伸べているが、いよいよ夕御飯のパンをもらうと、安心してかけて行く子もいる。静かな性分と見えてゆっくりとその場を離れて庭の門の方へ行く子もいる。お客さんや、お姉さんのロッテが乗って行く馬車を見ようというのだ。――「まあ、失礼いたしました。あなたさまにはこんなところまでお越しを願ったり、ご婦人方をお待たせしたりいたしまして。着がえをいたしましたり、留守中の用事があれこれとございまして、子供たちに夕方のパンをやりますのを忘れてしまったものでございますから。パンはわたくしが切ってやりませんとどうしても承知しないんでございますの」――ぼくは月並みなお愛想を口にしたが、なにしろそのひとの姿、声音《こわね》、振舞いにすっかり心を奪われてしまっていたから、そのひとが手袋と扇子をとりに部屋の中へかけて行ったときになってやっと、どうやら我に返った始末なんだ。子供たちは少し離れて、わきの方からぼくを見ていたが、ぼくがたいそう顔だちのいい一番小さな子のそばへ寄って行くと、あとしざりする。ちょうどそのとき、ロッテがドアから出てきて、「ルーイや、おじさまに手をお出しなさい」といった。――子供はとても元気よく手を差し出した。するとぼくはどうにも堪えきれず、ちっぽけな鼻には鼻汁がくっついていたが、心からその子に接吻してやらずにはいられなかった。――ぼくはロッテに手を差し伸べながらこういった。「おじさんですって。さあ、私があなた方と縁つづきになるというような仕合せに値するとお思いなんですか」――そうすると、いたずらっぽく笑って、「あら、わたくしたちずいぶん親戚《しんせき》が多うございますのよ。大変ですわ、もしあなたさまがその中で一番いけない方だったりしたら」――出がけにはすぐ下の妹で十一くらいになるゾフィーというのに向って、子供たちの面倒をよく見るように、それからパパが馬で散歩からお帰りになったら、ちゃんとごあいさつ申し上げるようにといいつける。小さい連中には、ゾフィーねえさんを大きいねえさんだと思ってよくいうことをきくようにというと、中にはすなおにうなずいたものもいたが、六つぐらいになるブロンドのおませが、「だってゾフィーねえさんはロッテねえさんじゃないもの。ロッテねえさんのほうがよくってよ」というんだ。――年かさの男の子二人は馬車のうしろによじのぼっていた。ぼくのとりなしで森のところまで乗せて行ってやることになった。ふざけたりしないで、ちゃんとしているという約束で。
どうやら乗りこんで婦人たちがあいさつをかわし、互いに衣装のことや、特に帽子のことでご意見の交換があり、今晩集まる連中の相当手きびしい批評が始まるか始まらぬうちに、ロッテは御者にいって弟たちをおろさせた。二人はもう一度ロッテの手に接吻したがった。大きいほうは十五歳という年相応の愛情をこめて、小さいほうははげしく乱暴に。ロッテは二人にもう一度ぼくたちにあいさつさせ、それが終るとまた車を先へ走らせた。
「先日お届けしたご本、もうおすみになって」といとこの人がロッテにたずねる。――「いいえ、まだなのよ、面白くないんですもの。お返しするわ。この前のもやっぱりそうね」――本の名を聞いてぼくは驚いてしまった。――ロッテのいうことにはすべてちゃんとした見識がある。ぼくがロッテの気持を理解しているってことがわかったものだから、顔つきもだんだん柔らかく満足にほぐれていくようだったが、ひと言ひと言に新たな魅力、精神の新しい輝きがその表情から発するのだ。
ロッテはこういうんだ。「以前は小説が本当に好きでございましてね、日曜日なんかに部屋のすみっこにすわりましてミス・イェンニーみたいなひとの幸不幸にただもうわくわくしておりました。それがまたとっても楽しくって、それは今でも全然つまらないというのじゃございません、何分にもご本を読むなんて暇がそうめったにございませんから、どうせ読むのならわたくしの趣味に合いましたものでありませんと。わたくしの世界と同じような世界を描いて、わたくしみたいな身の上のひとが出てきて、わたくし自身の家の中の生活のように興味が持てて親しめるような、そんなお話を書く作家が一番好きでございますわ。むろんわたくしどもの生活は天国ではございませんけれど、まあまあいってみますれば本当にたのしさの泉みたいなものなのですから」
ぼくはこれをきいて感動を隠すのに苦心した。むろんすぐそれをどうにも隠せなくなってしまった。ロッテがウェイクフィールドの牧師や――のことにも触れて実に見事な批評をするのをきいてぼくはもうすっかり夢中になってしまい、知っていることをみんなまくしたてたのさ。そのうちロッテが二人の婦人の方に話を向けたんで、やっと我に返ったわけだ。お二人は眼を丸くして、まるでそこにいなかったみたいにちょこんとすわっていたのだ。いとこは幾度か小ばかにするような顔つきでぼくを見つめていたが、そんなことは何でもなかった。
話題がダンスのたのしみに移った。――ロッテはこういった。「ダンス熱はいけないかもしれませんけれど、正直に申しますと、ダンスほどいいものはございませんわ。何か気がかりなことでもございますときは宅のぼろピアノの前にすわりまして対舞曲でもたたいておりますと、気持がもとどおりになってしまいますの」
こんな話の間中、ぼくは黒い眼に見入っていたんだ。いきいきとした唇《くちびる》、健康そうな若々しい頬《ほお》に、ぼくの心全体がつかまえられてしまった。ロッテの言葉が持っているすばらしい意味にどうにもすっかり感じ入ってしまって、その口にした言葉を幾度聞きもらしただろう。――君のことだから、こういえばわかってくれるだろう。要するに馬車が会場の前に止って、降りたときのぼくはさながら夢遊病者みたいだった。広間にはもう明りがついていて音楽の響きが外に流れ出ていたが、それすら耳に入らず、夢見心地《ゆめみごこち》であたりの暮色の中に融《と》け入っているといった状態だった。
アウドラン氏とそれからもう一人何とかいう人――名前なんか覚えていられるか――アウドラン氏はロッテの|いとこ《ヽヽヽ》と、またもう一人のひとはロッテのパートナーだが、その二人が馬車の扉《とびら》のところまできてくれた。そうしてめいめいパートナーを連れて行った。ぼくも自分の相手と上へあがって行った。
メヌエットでぐるぐる踊った。ぼくは相手をつぎつぎと取り換えたが、どうにもありがたくない相手にかぎっておしまいの握手をしたがらない。ロッテの組はイギリス舞踏を始めた。ぼくらと同じ列に入って踊りだしたのでぼくは喜ぶまいことか。わかるだろう。その様子が見せたかったね。いいかね、全身全霊を打ち込んで踊るんだ、踊ること以外はなんにも考えない、なんにも感じない、踊ることがすべてだといった具合で、実にのびのびと屈託がない。からだ全体が|ただ一つの《ヽヽヽヽヽ》調和音さ。たしかに踊っている最中は、ロッテの念頭には踊り以外の何物もないのだ。
二度目の対舞曲を申し込むと、三度目のを約束してくれた。ドイツ舞踏がとっても好きなんだとぼくにいうんだが、そのいい方がなんともかんとも可愛らしいのさ。――「こちらでは組になっている二人はドイツ・ワルツのときはそのまま組んでいるのが流行《はやり》ですのよ。わたくしのお相手の方はワルツがあんまりお得意じゃありませんから、あなたが代ってくださればかえっておよろこびだわ。あなたのお相手もだめでございましょう。ワルツはおいやなんですわ。でもイギリス舞踏のとき拝見しておりましたけれど、あなたはワルツがお上手《じょうず》でいらっしゃるわ。もしお相手をしてさしあげてよろしければ、わたくしのお相手のところへいらっしゃって、そうお願いしてくださいませんこと。わたくしはあなたのお相手のところへ参りますから」――むろん承知だ。その間はロッテの相手がぼくのパートナーのおつきあいをしてくれるように取り計らった。
いよいよ始まりだ。初めしばらくは腕をいろいろに組み合せて面白く踊ったが、ロッテの身ごなしは実に実に魅力があって軽快なのさ。ついにワルツになって、天上の星のようにぐるぐるまわりだすと、本当に踊れる人はそうたんとはいないものだから初めは少しごたついたが、ぼくたちは巧みにさばいて騒ぎがしずまるのを待った。そうして下手《へた》な連中が引き下がってしまってから本格的に踊りだした。ぼくらのほかにはアウドランの組だけが元気よく踊っていた。まああんなに軽々と踊れたことはまずない。ぼくはもう人間じゃなかった。世界中で一番可愛らしいひとを抱いて、まわりのものがみんな消えてなくなるまで、まるで稲妻みたいに踊りまくる――ウィルヘルム、はっきりいうよ、ぼくは誓ったんだ、ぼくが愛し求めているひとにはぼく以外の誰ともワルツは踊らせない、たといそのためにぼくの身が破滅しようとも。そうじゃないか。
ひと息入れるために広間を二、三度めぐり歩いた。ロッテが腰をおろす。ぼくが取りのけておいたオレンジが大いに役に立った。もうそれしか残っていなかったのだ。けれどロッテがあつかましい隣席の女にお愛想から分けてやる一きれ一きれに、ぼくは胸を刺されるようだった。
三度目のイギリス舞踏ではぼくらは第二番目の組だった。踊り進めていきながら、ぼくはもう呆然《ぼうぜん》として心地よく、この上もなくあけすけな純粋なたのしみを遺憾なく現わしたロッテの眼《め》と腕にうっとりしていると、一人の婦人に近づいた。もうそう若くないが、表情がとても感じがいいのでちょっと目立つ人だ。ロッテを笑いながらにらんで、人差し指を立ててしかるように二度もすれちがいざまアルべルトという名を意味ありげにいうんだ。
「アルべルトって、どなたなんです、ぶしつけだけれど」――ロッテが返事をしようとしたとき、あいにく大きく8の字をかかなくてはいけなかったので離ればなれになってしまったが、ぼくらが互いにすれちがったときはロッテの額にかすかな翳《かげ》りがさしていたように思う。――プロムナードのためにロッテはぼくに手を差し出してこういうのだ。「お隠ししたって仕方がございませんわね、わたくしのいいなずけみたいな、まじめな方ですの」――べつに耳新しいことじゃない。(ここへくる途中、連れの女たちに聞かされていたから)とはいうものの、これほどの短時間に、これほどいとしく思い始めたロッテというひとにそれを関係づけて考えてはいなかったものだから、やっぱりはっとした。そうなんだ、ぼくは頭がこんがらがって、なんだかわからなくなり、よその組にまぎれこんでしまったものだから、ダンスが混乱してしまったが、ロッテが落ち着いてリードしてくれたので、むろんすぐもとどおりになった。
まだそのダンスが終らないうちに稲光りがぐんぐん強くなりはじめて雷が音楽を打ち消した。もうずっと前から地平線で光っていたんだが、ぼくは普通の稲光りだといいくるめていたのだ。三人の婦人が列を抜けて走りだす。それぞれ相手の男がその跡を追う。全体ががやがやしはじめて音楽がやんでしまう。何かたのしみ事の最中に不幸だとか怖いことだとかが急にやってくると、そうでない場合よりもどぎつい印象を与えられるものだ。対照がはっきり感ぜられるためでもあろう。しかしまた一つにはぼくらの感覚がついその前までは開放され敏感になっていたために、それだけいっそう印象を迅速に受け入れるからだろう。見ていると婦人連は突然妙なしかめづらをする。それもそんなわけだからさ。一番利口なひとはすみっこの方へ行って窓に背を向け耳をおさえる。その前に膝《ひざ》をついて、前のひとの膝に顔をうずめるひともいる。三番目のが二人の間に割り込んで泣きながら二人を抱きしめる。家へ帰ろうとするのもいる。中にはまたすっかり狼狽《ろうばい》してしまい、どさくさにまぎれて接吻《せっぷん》をちょうだいしようというあつかましい紳士連中をかわすこともできずにいるようなのがある。おびえきった可愛《かわい》らしい唇の、天にささげるせわしないお祈りを接吻で蓋《ふた》をしてしまおうというので男たちの忙しいこと。男たちの中には、下へ行ってこの間にゆっくり一服というのもある。するとこの舞踏場の女主人公がうまいことを思いついたのだ。鎧戸《よろいど》とカーテンのある部屋に案内しようというので、これには皆々異存がなかった。部屋へ行くとロッテは椅子《いす》を円く並べ始めて、さあといわれてみんながすわると、遊戯をしようといいだした。
見受けるところ気の早い連中は、これは罰として接吻にありつけるわいと口をとんがらせててぐすねを引いた次第だったが、ロッテの提案は数えごっこだった。「よろしくって。わたしが右から左へぐるぐるまわりますから、みなさんは順番に自分にあたった数をおっしゃるの。ぐずぐずしてはだめよ、導火線みたいになさらなくては。つかえたり間違えたりなすった方はほっぺたをぴしゃりですわよ。そうやって千まで勘定いたしましょう」――さあ見ものだ。ロッテは片方の腕をあげてぐるぐるまわりはじめる。最初の人が一と唱える。その隣が二、おつぎが三、というふうだ。そのうちまわり方がしだいに速くなって、誰かが間違える、するとほっぺたをぴしゃりとやられる。大笑いをしているうちにそのつぎがまた言い違えてまたぴしゃり。そうやってどんどんはやくなっていく。ぼくも二つちょうだいしたけれど、どうもほかの人たちのよりもきつかったようでうれしかった。千まで数えきれないうちに、けんけんごうごうのうちにこの遊戯が終った。仲のいい連中がそれぞれかたまった。雷雨は通りすぎていた。ぼくはロッテについて広間へ戻った。その途中こういうのだ。「あのお遊戯で皆さんが雷やそのほかいろいろなことをすっかり忘れておしまいになったのね」――ぼくは口がきけなかった。――「わたくしもやっぱり大の臆病者《おくびょうもの》なのですけれど、ほかの方たちに勇気をつけようとして大胆なふりをしたものですから、自分にも勇気が出てまいりましたわ」――ぼくらは窓ぎわへ寄った。遠くの方で雷が鳴っている。すばらしい雨が気持よく地面に音を立てて降っている。すがすがしいかおりが、満ちわたる温かい大気にまじってぼくらのいる方へ漂ってくる。ロッテは窓の敷居に肱《ひじ》をついて外を見ている。空を見、ぼくを見る。眼には涙があふれている。ぼくの手に手を重ねて、「クロップシュトック!」というんだ。ぼくはすぐ、ロッテが思い浮べているクロップシュトックのすばらしい頌歌《しょうか》を思い出し、この合言葉によってロッテがぼくの上に注ぎかけた千百の感情の流れに身を没した。我慢がならず、ロッテの手の上に身をかがめて、歓喜の涙とともに接吻した。そうして再び彼女の眼を見やった。――気高くとうときクロップシュトックよ、この眼差《まなざ》しのうちに宿るおん身への崇拝を見られたならば。ぼくはあまりにもしばしばけがされたおん身の名前をこれからはもう二度と聞きたくない。
[#地付き]六月十九日
この前はどこまでだったかしら、覚えていない。あの手紙を書きおえて床に入ったのはたしかに二時だった。もし君を眼の前においてのお話だったら、きっと朝まで君をひきとめてしまっただろう。
舞踏会からの帰り道で起ったことはまだ書かなかったが、今日もそれを話すに似合わしい日じゃない。
日の出は何ともいえず荘厳《そうごん》だった。しずくのしたたる森、あたりの生き返ったような野原。つれの女のひとたちはこっくりこっくりやっていた。いかが、あなたも、わたくしにご遠慮なく、とロッテがいう。――「そのお眼をあけていらっしゃる間は全然ねむたくはありません」と答えてロッテを見つめた。――それでとうとう二人ともロッテの家の門前までそのままだった。女中がそっと門をあけてくれて、パパや弟たちはとロッテにきかれて、みなさまお変りなくまだおやすみでいらっしゃいますという返事。今日のうちにまたお目にかかりたいと頼んでぼくは辞去した。ロッテは承知してくれて、今出かけてきたところなんだ。さあそのときから太陽も月も星もぼくにはどうでもよくなってしまったんだ。昼も夜もあったもんじゃない。全世界がぼくのまわりから消えうせて行く。
[#地付き]六月二十一日
ぼくはまるで神が聖者たちのためにとっておいたような幸福な日々を送っている。このさきざきがどうだろうと、ぼくは人生のよろこびを、最も清らかなよろこびを味わったんだ。――ねえ、あのワールハイムってのを知っているだろう。ぼくはあすこがすっかりなじみになってしまって、あすこならロッテのところまで半時間で行けるし、あすこにいるとぼくはぼく自身を、人間に与えられているいっさいの幸福を感ずるのだ。
ワールハイムをぼくの散歩の目標に選んだとき、よもやここがこうまで天国に近いとは思ってもみなかった。ぼくのすべての願いはあの猟舎に秘められているんだが、長い散歩の途中、ある時は山の上から、ある時は川越しに平地から、まあいくたびながめやったことだろう。
ねえウィルヘルム、ぼくはいろんなことを考えてみたんだ、自分を拡《ひろ》げ、新しい発見をし、遠くをさまよう人間の欲求だとか、それからまた、進んで自分を制限し、右顧左眄《うこさべん》せずに昔からの人の通いなれたみちを進んで行こうとする内心の衝動だとかを。
不思議だ、ぼくがここへやってきて、丘から美しい谷をながめ、ぼくをめぐるあたりの景色をめでて――あすこには小さな森がある――あの森の木陰に入りこめたらなあと思い――あすこには山の頂がある――あすこに立って広々とした地方を見渡せたらなあと考え――打ちつらなる丘とやさしい谷間――ああ、あの中に自分をまぎれこませたなら。――ぼくは急いで行ってみる。そうして帰ってくる。望んだものは見つかりはしなかったんだ。未来というものも、遠方と何の変りがあるだろう。大きな漂うような全体的なものがぼくらの魂の前に横たわっていて、ぼくらの感情はぼくらの眼と同じようにその中にのみこまれてしまう。本当にぼくたちはぼくたちの全存在をささげて、たった一つの大きな壮麗な情感のいっさいの歓喜をもってぼくら自身を満たそうとあこがれるんだ。――ところが、ところが、急いで行ってみれば彼岸が此岸《しがん》になってしまえば、すべてはもとどおりなんだ。ぼくらは相変らず貧相で狭く、逃げ去った幸《さち》を求めて魂はむなしく息を切らしているのだ。
そんなわけだから、どんなに尻《しり》の落ち着かぬ放浪者だってついには自分の生れた国に舞いもどり、自分の小さな家に、妻のかたわらに、子供たちのまどいの中に、彼らを養う仕事の中に、広い世界で求めてえられなかったよろこびを見いだすのだ。
日の出とともにワールハイムに出かけて、料亭の庭先で砂糖豆を手ずから摘んで、腰をおろして莢《さや》の筋をとったり、その合間にホメロスを読んだり、それから料理場から壺《つぼ》を一つ持ってきてバターをすくいとり、豆を火にかけて蓋をし、そのそばにすわりこんで時々ゆりまぜたりするとき、ペネーロペの元気のいい求愛者たちが、牛や豚をほふって切りこまざいて火にあぶる情景が眼前に彷彿《ほうふつ》とする。族長時代の生活のいろいろな特徴ほどぼくの心を静かで真実な気分にしてくれるものはないんだ。ありがたいことにぼくは現在何の気どりもなくそういう時代の生活の面影《おもかげ》を自分の暮しぶりの中へ織り込んでいるのだ。
いい心持だ、自分で育てたキャべツを自分の食卓の上におく、そしてキャべツばかりか、それを植えた美しい朝、水をやったたのしい夕べ、その育っていくのをうれしく見守った日々、そういった日々すべてを一瞬間のうちに再び味わっている人間の単純で罪のない歓喜をしっかりと感じるんだからね。
[#地付き]六月二十九日
一昨日、町からドクトルがロッテの家へやってきたが、ぼくは地面の上でロッテの弟妹たちにとりかこまれて遊んでいた。ぼくの上にのっかって這《は》いまわるのがいる、ぼくをからかうのがいる。ぼくもぼくでみんなをくすぐったり、一緒になってわめいたりの大騒ぎだったのさ。ドクトル先生はこちこちの朴念仁《ぼくねんじん》で話に熱中してカフスの折り目を直したり、しょっちゅう襟飾《えりかざ》りの下をチョッキの間から引っ張り出したりしていたが、その有様を見て紳士の体面にかかわるものと思ったらしい。顔つきを見たらわかったよ。ぼくはかまうもんかというわけで勝手にしち堅いことをいわせておいて、子供たちがこわしてしまったトランプの家を建て直してやった。その後、奴《やっこ》さんは町中を触れて歩いたらしいよ、あすこの子供たちはもともと躾《しつけ》がわるかったが、ウェルテルのおかげでいよいよそれが徹底したってね。
そうじゃないか、ウィルヘルム、この世の中で子供らほどぼくの気持に近いものはないんだ。子供たちの様子を見ていて、他日世間に出てからはなくてかなわぬいろいろの美徳や才能が子供の中に認められたり、片意地の中に未来のものに動ぜぬ堅固な性格を見、いたずら気の中に世の荒波を乗り越えてゆくに大切な頼もしいユーモアと軽妙さとを見いだし、何から何までが実に清らか、実にすなおなのを見るとき――ぼくは人類の教師の金言をいつだって繰り返さずにはいられないんだ、「爾等《なんじら》もしこれらの者のひとりのごとくならずば」それにねえ、君、ぼくらだって子供とどうちがうんだ。むしろぼくらの手本と仰ぐべきものをぼくらは目下に見ている。意志を持たせまいとする。――じゃぼくらには意志がないっていうのか、いったいそんなことをする権利はどこにあるんだい。ぼくらのほうが年をとっていて、利口だからとでもいうのだったらとんだお笑い草さ。――天上の神の眼をもってすれば、大きい子供と小さい子供とがいるだけだ。そのほかにはなんにもありはしない。そのどっちのほうが余計に神の御心《みこころ》にかなっているかは、とうの昔にはっきりしているじゃないか。おかしなことにみんなは神を信じていながら、その言葉をきこうとしないんだ。――こいつも今に始まったことじゃないがね。――そして子供を自分たちの物指《ものさ》しで教育し、そうして――ああもうやめるよ、ウィルヘルム。もうこれ以上たわごとはいいたくない。
[#地付き]七月一日
病床で弱り果てていく多くの人たちなんかより、もっともっと苦しんでいるぼくの哀れな心臓には、ロッテが病人にとってどんなにありがたい存在であるかがよくわかる。ロッテは二、三日の間、町のあるきちんとした婦人のもとで過すことになった。その人は二、三の医者のいうところによると、もうそう永くないんだが、その人が臨終にはロッテにそばにきていてもらいたいというのさ。ぼくは先週ロッテと聖……の牧師さんをたずねた。一時間ほど脇《わき》に入った山の中の村で、四時近くに到着した。ロッテは二番目の妹を連れて行った。二本の大きなくるみの木におおわれた牧師館の庭に入って行くと、おじいさんの牧師は玄関前のベンチに腰をおろしていたが、ロッテの姿を認めて見るみる喜色満面、節こぶだらけのステッキもそっちのけで、ロッテを迎えに立ち上がろうとする。ロッテは走り寄ってベンチにすわらせ、自分もその脇に腰をかけて、父からのあいさつを伝え、年をとってからできた末子だといういやらしいきたない子を抱いてやった。君に見せたかったなあ、ロッテが老人のお相手をして、もう半分はひとのいうことのわからぬおじいさんに聞えるようにと声を張り上げて話しかけてさ、突然死んでしまった頑健《がんけん》な若い人たちのことや、カールスバートの温泉のよくきくことなんかを話してきかせ、来年の夏はそこへ出かけようという老人の決心をほめ、この前会ったときよりもずっと丈夫そうで元気に見えるなんぞというんだ。ぼくはその間、牧師夫人のお相手をしていた。老人は大変な上機嫌《じょうきげん》で、ぼくが黙っていられなくなって見事なくるみの木をほめたもんだから、ちょっと大儀そうではあったが、くるみの木の来歴を話し始めた。実際、その葉陰はとても気持がよかったんだ。――「古いほうのは植えた人がわかりませんのでな、誰だ彼だとは申しますが。向うのうしろのほうにあるやつはわたしの家内と同じ年ですから、この十月で五十歳になりますかな。家内の父親があれを植えたのが朝のことで、家内が生れましたのがその日の晩方というわけですわい。その父親と申すのがわたしの先任牧師で、まずまずこの木を可愛がることというたら。これはわたしとても同じことですわ。わたしが二十七年以前、貧乏な大学生でして、初めてこの家にやってきましたときには、今の家内があの木の下の柵《さく》に腰をおろして編み物をしておりましてな」――ロッテが娘のことをたずねると、シュミットという人と一緒に牧場の労働者たちのところへ出かけているということだった。老人は昔話の続きをやりだした。自分はここの親子に愛されて、まず副牧師になり、それから後釜《あとがま》にすわったのだという。話が終るとほどなく娘さんがそのシュミット氏と一緒に庭へはいってきて、ロッテに心のこもったあいさつをしたが、実際のところちょっとした娘さんなんだ。軽快な、からだつきのがっしりしたブリュネットで、こんな人とならしばらくの間、田舎で一緒に暮してみるのも悪くない。その愛人(ということはシュミット氏の態度でひと目でわかった)は上品な無口な人で、ロッテが話に引き入れようとしても、会話の仲間入りをしたがらないんだ。ぼくが一番不快に思ったのは、シュミット氏の顔つきでそうだろうと察したんだが、この男が仲間入りをしたがらないのは知恵のなさからじゃなくて、頑迷で不機嫌だからなんだ。少したつとこれがますますはっきりしてきた。散歩のとき、フリーデリーケはロッテと一緒だったが、時にはぼくとも肩をならべた。そうするとシュミット氏のただでさえ浅黒い顔が目に見えて曇ってしまい、ロッテがぼくのそでを引いて、フリーデリーケとあんまり親しそうに話をしてはいけないと目顔で知らせたほどだった。人間が互いに苦しめ合うくらい、ばかげたことはないんだ。ことに若い人たちがいっさいのよろこびにたいして最も開放的でありうる人生の春にさ、せっかくの日を二日なり三日なりしかめづらをして台なしにし合う、そうしてずっとあとになって初めてああばかなことをしたと悔むなんて実に愚劣きわまりない。ぼくはこいつが腹にあったものだから、夕方牧師館に帰ってきて食卓でミルクを飲んでいるとき、話がこの世のよろこびや悲しみに向いてきたのをこれ幸いと、不機嫌を手ひどく攻撃せずにはいられなかった。――われわれ人間はいい日が少なくって悪い日が多いとこぼすが、ぼくが思うにそれはたいてい間違っている。もしわれわれがいつも、神が毎日授けてくださるいいことを味わう率直な心を持っていられたなら、たといいやなことがあっても、それに堪えるだけの力を持つことができるだろう、といったのだが、牧師夫人はこれにたいして、「けれどわたしどもは自分たちの心持を自分たちの力ではどうすることもできませんわ。からだの調子がかなりものをいいますからねえ。調子がよくないと、何事にたいしても不機嫌になってしまいますわ」というので、ぼくはそれはそうですと夫人の言葉を肯定した。――「だからぼくらはそれを病気のように見て、何か薬はあるまいかとさがしてみたらどんなものでしょうか」――「本当にさようですわ」とロッテが口をはさんだ。「わたくしは、どうも万事わたくしたちの心がけ次第だっていう気がしてなりませんの。現にこのわたくし自身がそうなんです。気がむしゃくしゃして機嫌が悪くなりそうなときには、すいと立って庭へ出ましてね、あちこち歩きながら対舞曲の二つ三つも歌いますのよ、そうしますとすぐ気持がよくなりますわ」――ぼくはいった。「それなんですよ、ぼくのいいたかったことは。不機嫌というやつは怠惰とまったく同じものだ。つまり一種の怠惰なんですから。ぼくたちはそもそもそれに傾きやすいんだけれど、もしいったん自分を振い起す力を持ちさえすれば、仕事は実に楽々とはかどるし、活動しているほうが本当にたのしくなってくるものです」――フリーデリーケは一所懸命になってきいていたが、シュミット氏は、いや自分で自分が自由になるもんじゃない、少なくとも感情というものはそうだとぼくに反対した。――ぼくは答えた。「つまり問題は不快な感情でしょう、こいつは誰にしたってありがたくない。それに自分の力は、それをためしてみるまではどれほどあるものか、誰にもわかりはしませんよ。だってそうでしょう、病気になると、方々のお医者のところをかけずりまわる、そうしてなんとでもして丈夫になろうと思って、どんなに苦しい節制でも、どんなに苦い薬でもいやがるということはない」――好ましい老人もぼくらの議論の仲間入りをしようとして懸命にきき耳を立てていることがわかったから、ぼくはそっちの方に向いて声を大きくした。「たくさんの悪徳にたいしてはお説教があるけれども、ぼくはまだ不機嫌をいましめる言葉が説教壇から話されたのを聞いたことがないのですよ」――すると老人がいうのだ。「それは町方の牧師の仕事でしょうな。農夫たちに不機嫌はありませんわい。しかしたまにはよろしかろうかな。わたしの女房やロッテ嬢さんのお父さまなんぞにはな」――みんなが笑いだして、ご本人もさも面白そうに笑ったが、しまいには咳《せ》きこんだので会話は一時中断されたが、また例の青年がやりだした。「あなたは不機嫌を悪徳だといわれるが、私はどうもそれはいいすぎじゃないかと考える」――「どういたしまして。自分をもはたの人をも傷つけるものが、どうして悪徳じゃないでしょうか。お互いに仕合せにすることができないだけでももうたくさんなのに、めいめいが時にはまだ自分から自分に与えることのできる楽しみまでも、その上なお奪い合おうというのですか。不機嫌でいてですね、しかもまわりの人たちのよろこびを傷つけないようにそれを自分の胸だけに隠しおおせるような、それほど見上げた心がけの人がいるんなら、おっしゃってみてくださいませんか。むしろこの不機嫌というものは、われわれ自身の愚劣さにたいするひそかな不快、つまりわれわれ自身にたいする不満じゃないんですか。また一方、この不満はいつもばかげた虚栄心にけしかけられる嫉妬心《しっとしん》と一緒になっているんですよ。仕合せな人間がいる、しかもぼくらが仕合せにしてやったんじゃない、さてそういう場合に我慢ならなくなってくる、そういうわけじゃありませんか」――ぼくがあまり熱心に話すもんだからロッテが見て微笑した。フリーデリーケの眼《め》には涙が宿っているんだ。それを見るとぼくはまた勢いをえて話し続けた。――「ひとの心を左右する自分の力を頼りにしてですね、ひとの内心から湧《わ》き上がってくる素朴なよろこびを奪ってしまうなんていう人間は許しがたい。この世のどんな贈り物も、どんな親切も、今いったように暴君によってやきもちまじりの不機嫌のために、だめにされてしまった楽しい自己満足の一瞬間を償うようなことはできないのです」
この瞬間、胸がいっぱいになった。いろいろな思い出が一度にどっと押し寄せてきて、涙がこみ上げてきたんだ。
「仕合せなのは毎日自分に向ってこういえる人だけだ。お前は友だちに何もしてやることはできないぞ。友だちのたのしみの邪魔をせず、友だちと一緒になってたのしむことによってその幸福を増してやる以外は。それともお前は、友だちの心がせつない情熱に苦しめられ、愁《うれ》いに揺りうごかされているときに、一滴の鎮静剤を与えてやることができるのか。
そうしてやがて、お前のために花の盛りを滅茶苦茶《めちゃくちゃ》にされたその少女が、最後の、最も危険な病気にとりつかれて、やつれ果てて身を横たえ、うつろな眼で空を見つめ、あおざめた額には最期《さいご》の冷汗が絶えず浮んでくる。ところでお前はまるで呪《のろ》いを受けた者のようにその死の床の前に突っ立って、もうどんなことをしてみたところが絶望だとひしひしと感じながら、この死んで行くひとに一滴の強壮剤、一片の勇気を吹きこみうるのなら、すべてをささげても悔いるところはないのにと不安焦燥に身をさいなまれるとき、お前は果して何ができるというのか」
こういっていると、かつてぼくが遭遇した一情景の思い出が圧倒的に押し寄せて、ぼくはもうこらえきれずハンカチーフで眼をおさえその場を逃げだした。帰りましょうとロッテが声をかけてくれたので、やっと我に返った始末だ。帰り道、ぼくが何事にもあまり熱狂しすぎる、そういうふうだと身をほろぼしかねないからもっと自重なさいとロッテに叱《しか》られてしまったが。――ああ、ロッテよ、お前のためにぼくは生きなければならない。
[#地付き]七月六日
ロッテは相変らず例の危篤《きとく》のひとを看病している、陰《かげ》日向《ひなた》なく、いつでもやさしく、しっかりしていて、あの眼で見られると苦しみもやわらぎ、幸福な気持になれるのだ。昨夕、ロッテはマリアンネと小さいマールヒェンとをつれて散歩に出た。ぼくはそれを知っていたので、道で行き会い一緒に歩いた。一時間半ほど歩いてから、町の方へ引き返し、ぼくの大好きな、今では前よりももっともっと大好きな泉のところへきた。ロッテは低い石垣《いしがき》に腰をおろす。ぼくらはその前に立った。あたりを見まわすと、ぼくがひとりぼっちで淋《さび》しかったついこの間のことがありありと思い出された。――ぼくは心の中でいったのだ、愛する泉よ、あれからもうお前の冷気に浴してここに足を休めたことはなかったね。いつもいそぎ足で通り過ぎながら振り返っても見なかった。――下をのぞくとマールヒェンがコップに水を入れてせかせか上へあがってくるところだ。――ぼくはロッテを見つめた。そしてロッテという人がぼくにとってどんなに大切であるかをしみじみ思った。その間にマールヒェンがコップを持ってやってきた。マリアンネがそれをとろうとすると、「いやあよ」と実に可愛《かわい》らしい顔でいうんだ。「ロッテねえさんが一番さきよ」――ぼくはそういうときのマールヒェンの真剣さ、善良さにもうたまらなくなってしまったので、ぼくの気持を現わそうすべもないままに、やにわにマールヒェンを抱き上げて、きつく接吻《せっぷん》してやったのさ。そうするとマールヒェンは大声を立てて泣きだしてしまった。――そうするとロッテが、「あら、あなた、いけませんのね」というものだから、ぼくも困ってしまってね。――「さ、マールヒェン、おいで」ロッテはマールヒェンの手を取って階段をおりて行くのだ。「さあ、ここのきれいなお水で早くお洗いなさい、早くよ、そうすればなんともないのよ」――ぼくもそばに立って見ているとだね、子供は手をぬらしてどうも大変な意気ごみで頬《ほお》をこすっているのさ。どんなけがれも霊泉で洗いきよめられる、こうすればいやらしいひげがはえずにすむと思い込んでいるのだ。「もう大丈夫よ」とロッテがいっても、少しやるよりはたくさんやったほうがききめがあるとでも思ったのか、相変らず一所懸命に洗っているんだ。――ねえ君、ぼくはこの時よりも大きな畏敬《いけい》の気持をもっていかなる洗礼式にものぞんだことはない。ロッテがまた上へあがってきたとき、ロッテの前にひれ伏したい気持だった。ロッテはある国民の罪過をきよめた予言者のように思われた。
どうしてもこのことを黙っていられなかったものだから、ぼくは夕方この一件をいそいそとある男に話したんだ。思慮分別のある人だろうと思っていたのでね。ところがあてがはずれたんだよ。ロッテのやり方ははなはだ面白くないとの仰《おお》せさ。子供に嘘《うそ》を本当のように思わせてはならん。そういうことが数限りない誤謬《ごびゅう》や迷信の基になるのだから、われわれ大人は早くから子供がそういうものを持つことのないように配慮せねばならんとおっしゃるのさ。――そのとき、思い出したんだが、この人はつい一週間ばかり前に洗礼を受けたばかりなんだ。だからぼくはなんにもいわずにおいたのだが、心の中では真理に忠実であろうと誓ったのだ。すなわちこうだ、われわれは神がわれわれを遇するように、子供を遇しなければならない。神は心たのしい錯覚のうちにわれわれを酔ったように歩かせるときこそ、われわれを最も幸福にしてくれるのだ。
[#地付き]七月八日
子供だなあ、ぼくは。どうしてあの眼にこうも恋い焦《こ》がれるんだろう。これじゃまるで子供だ、ぼくたちは。――ワールハイムヘ行ったんだ。婦人連は馬車だった。散歩している間、ぼくはロッテの黒い眼の中に――ぼくはばかだ、許してくれたまえよ、君に見せたい、あの眼を。――つまりこうだ(というのは、もう睡《ねむ》くて眼がふさがりそうなのだ)。女たちはみんな車に乗りこんで、車のまわりには若いW……とゼルシュタットとアウドランとぼくが立っていた。なにしろみんな気の軽い、陽気な連中だから、馬車の中と外とでおしゃべりする。――ぼくはロッテの眼を求めた。ロッテは誰彼を見るんだが、ぼくを見てくれないんだ、このぼくをさ。あきらめてしょんぼり立っているぼくをさ。見てくれないんだ。――心の中では千度もさよならをいった。それでもぼくの方を見てくれないのだ。馬車が動きだす、ぼくの眼には涙が浮んできた。ぼくはロッテを見送った。そうするとロッテの髪飾りが馬車の扉《とびら》のところから外に出て、振り返ってこっちを見るではないか、ああ、しかしこのぼくを見ようとしたんだろうか。――君、ぼくにはわからない。わからないのがせめてもの慰めだ。おそらくぼくの方を振り向いたのだろう。おそらく。――おやすみ。いや実際ぼくは子供だねえ。
[#地付き]七月十日
ひとが集まってロッテの話が出るとき、ぼくがどんなにばかげた様子をするか、見せたいね。それを「ロッテはどうです」なんてぼくに聞く人がいるんだから、あきれてものがいえないよ。――「どうです」とは。ぼくはこの言葉を死ぬほど憎む。ロッテが気に入って、ロッテがその人の全身全霊をいっぱいにしてしまわないようなやつがいったいありうるだろうか。「どうです!」こないだオシアンはどうですってぼくにたずねた人がいたぜ。
[#地付き]七月十一日
M……夫人の加減がひどくいけない。どうか助かってくれるようにぼくは祈っている。ぼくはロッテとともに苦しみを頒《わか》っているんだから。ぼくの女友だちのところではめったにロッテとは会わないが、今日ロッテは面白いことを話してくれたよ。――夫のM……老人というのが強欲でとんでもないしみったれで、これまでずっと夫人をひどく苦しめて、お金の上で苦しい思いをさせてきたんだが、夫人はどうやらこうやらまあそれでも切り抜けてやりくりしてきたんだ。二、三日前医者がさじを投げたもんだから夫人は夫に自分の枕《まくら》もとへきてもらって、こんな話をしたというんだ。――ロッテも同席していた。――「わたしがあの世へ行ってしまいましたあと、もしこのまま黙っておりますと不愉快なごたごたが起るといけませんので打ち明けて申し上げますが、これまでできるだけきちんとつましく経済のほうを見てまいりましたわけでございますけれども、申し訳ございませんがこの三十年間たった一つお隠ししてまいったことがあるのでございます。わたしがあなたのところへ参りました当時、お勝手やそのほか家中の出費をまかないますためにあなたがおきめくださった金額は、本当にわずかなものでございまして、その後暮しが大きくなりまして商売のほうが手広くなってまいりましても、それに応じまして月々のものをふやしてくださることをご承知くださらなかったでございましょう。申し上げなくともご存じでございましょうが、一番世帯が大きくなりましたころも一週七グルデンでやっていけということでございました。わたしは何も申し上げずそのとおりにいたしまして、不足の分はお帳場の方からこちらへそっといただいておりましたのでございます。まさかこのわたしがそんなことをいたそうとは誰も思いはいたしますまいと存じましてね。わたしはただの一銭もむだづかいをいたしたわけではございませんから、こうして今お打ち明けしなくても、このままあの世へ参りまして何のやましいところはないわけでございますけれど、わたしのいなくなりましたあと、家の経済を見ます人がこのままではどう切り盛りしてよいかわからず、しかもあなたが、前の家内はそれでやりくりをつけてきたなどと頑固《がんこ》におっしゃったりしてはその人に気の毒でございますから」
以前の二倍も出費があろうかと思われるのに七グルデンで足りているのでは、何かそこにいわくがあるのではないか、ぐらいのことは察しがつきそうなものなのに、人間の心は時によると信じられないほど鈍くなってしまうものだとロッテと話し合ったことだった。もっともぼくは、自分の家には打ち出の小槌《こづち》があるんだと平気で考えているような人たちさえ知っている。
[#地付き]七月十三日
そうだ、思いちがいじゃない。あの黒い眼の中に、ぼくとぼくの運命への本当の関心を読みとることができる。いやぼくは――この点ぼくは自分の心を信頼していいと思うが、彼女が――こんなふうにいうことが許されるだろうか、こんなふうにいえるだろうか――ぼくを愛していると感じている。
愛してくれる。――そうしてぼくがぼく自身にとってどれほど大切なものになり、ぼくがどんなに――君にならこういってよかろう、君はこういうことを理解できる人だからね――彼女がぼくを愛してくれて以来というもの、ぼくはどれほどぼく自身を尊ぶようになっただろう。
うぬぼれだろうか、それとも本当にそうなんだろうか。――ぼくはロッテの心の中にある人で、ぼくが少しでも恐れなければならないような人を知らないのだ。しかし――ロッテが熱い思いをこめて実にやさしくいいなずけの人のことを話すとき――ぼくは自分が、名誉や位、帯剣までいっさいはぎとられてしまった人間のような気がしてくる。
[#地付き]七月十六日
偶然指と指とが触れ合ったり、テーブルの下で足と足とがさわったりするとき、ぼくはからだ中がぞっとする。ぼくは火にさわったときみたいにはっとして引っこめるが、神秘な力がまたぼくを前へ押しやる――五官が朦朧《もうろう》としてしまう。ああ、純真|無垢《むく》なロッテの魂は感じてくれないんだ。そういう些細《ささい》な親しみのしぐさがどんなにぼくを苦しめるか。話をしている最中なんぞに手をぼくの手の上に重ね、話に熱中してからだをすり寄せてきて、彼女の口の天使のような息がぼくの唇《くちびる》にふれたりしようものなら――雷にうたれるっていうのはそんなもんだろうか。――君、ウィルヘルム君、ぼくが他日この天国、この信頼をあえて――。君にはわかるね。そうだとも、ぼくの心はそれほど堕落してはいない。弱い、実に弱いんだ。――しかしそれが堕落というもんじゃあるまいか。
ロッテはぼくにとって神聖だ。ロッテの前ではいっさいの欲望が沈黙する。ロッテのそばにいると、いったい自分がどうなっているのか、とんとわからない。まるで魂の神経という神経がさかさになってしまうような気がするんだ。――ひどく素朴《そぼく》に、いかにも敬虔《けいけん》に、天使のような力でロッテがピアノでひくメロディーがある。ロッテのお好みの曲だ。その最初の音符をひいてくれただけでも、ぼくはあらゆる苦しみ、迷い、愁いから解放されてしまうのだ。
音楽の古い魔力について語られていることはみんな本当だと思う。単純な歌はぼくを感動させる。よくぼくが自分の額に一発弾丸を撃ちこみたくなっているようなときに、ロッテはその歌をうたいだしてくれるんだからなあ。ぼくの心の迷いや闇《やみ》は消しとんでしまう、ぼくは再びのびのびと息をする。
[#地付き]七月十八日
ウィルヘルム、愛のない世界なんて、ぼくらの心にとって何の値打ちがあろう。あかりのつかない幻燈《げんとう》なんて何の意味があるんだ。小さなランプを中に入れて初めて白い壁に色とりどりの絵が映るのさ。なるほどそれもはかないまぼろしかもしれない、それにしてもさ、元気な少年のようにその前に立って、その珍しい影絵にうっとりとしていれば、それもやっぱり幸福といっていいじゃないか。今日はやむをえない集まりに出るので、ロッテのところへは行けなかった。それで、どうしたと思う。下男をやったのさ、今日ロッテのそばに行った者をせめて一人ぼくの周囲に持っていたいためにだ。実にいらいらしながらその帰りを待ったが、帰ってきたのを見てはなんともうれしかった。頭を抱いて接吻してやりたかったよ、ただし恥ずかしくってそうもできなかったけれど。
ボロニヤ石を日向においておくと、光線を吸い込んで夜になってもしばらくは光るって話だが、この下男がボロニヤ石さ。ロッテの眼《め》があれの顔、頬、上着のボタン、外套《がいとう》の襟《えり》に注がれたのだと思うと、そういうものがみんなぼくにはひどく神聖で値打ちのあるものになるんだ。その瞬間は千ターレルくれる人があってもこの下男は手放すまいと思ったほどだ。下男がそばにいてくれると実にたのしかった。――実際、君、笑っちゃいけないよ、ウィルヘルム、ぼくたちをよろこばすものが幻影だとしても、それでいっこうかまわないではないか。
[#地付き]七月十九日
「会えるぞ」朝眼をさまして晴ればれとした気分できれいな太陽を見るとき、ぼくはこう叫ぶのだ「会えるんだ」と。さて一日中、ぼくにはそれ以外の何の望みもあったもんじゃない。一切|合財《がっさい》みんなこの希望の中へのみこまれてしまう。
[#地付き]七月二十日
公使の供をして×××へ行ったら、と君はいってくれるが、どうもまだそれはぼくにぴんとこないのだ。人に使われるというのはどうも面白くない、それにあの公使はいやなやつだということじゃないか。母はぼくを世の中へ出したがっていると君はいうが、ぼくは笑いだしちゃったよ。今だってぼくは世の中に出て立派にやっているじゃないか。えんどうを数えようと、隠元豆を数えようと、結局同じことではあるまいか。世の中のことは、どんなこともよくよく考えてみればくだらないのだ。だから自分の情熱や自分の欲求からでもないのに、他人のため、金のため、あるいは名誉とか何とかのためにあくせくする人間はいつだって阿呆《あほう》なのだ。
[#地付き]七月二十四日
絵のほうを怠けてやしないかと、ひどく気に病んでくれるのだから、いっそ何もいわずにおいたほうがいいかもしれないけれど、実はその後あんまりやっていないんだ。
こんな仕合せで、こんなに自然感情がゆたかに深刻だったことはこれまでにないのだ。一木一草にいたるまでぼくの心はうごくのだから。――ところが、どういったらいいのか、ぼくの表現力というのはばかに薄弱なんだね、なにからなにまでが魂の前を漂うような流れるような有様で、線一本引いてみることもできない。でも、土か蝋《ろう》でもあればおそらく何かこね上げても見られるんだがとうぬぼれている。もしこの状態がこのまま続けば、きっと粘土に手を出して、こねくりはじめるだろうよ。それがお菓子になってしまったって、まあいいじゃないか。
ロッテのポルトレエは三度ばかり始めてみたが、三度ともやりそこなった。ついこの間はなかなかうまくいったんだから、いっそ腹が立ってくる、そこで今度はシルエットを作ってみた。まあこれで我慢しておこうと思う。
[#地付き]七月二十六日
承知しました。愛するロッテよ、すベてちゃんとすませましょう。どうかもっとたくさん、もっとひんぱんに用事をいいつけてください。ひとつお願いがあるのです。ぼくに下さるお手紙には今後どうか吸い取り砂をまかないでください。今日お手紙を急いで唇へ持っていったところが、砂で歯がじゃりじゃりしましたから。
[#地付き]七月二十六日
こうしげしげとは会うまいと幾度思い定めたかしれない。けれどもそれが守れないんだ。毎日誘惑に負けて、では明日《あす》こそたずねまいと仰々しく誓うのだが、その明日がきてみれば結局またのっぴきならぬ用事にかこつけて、自分で知らない間にもうちゃんとロッテのそばにきているんだからなあ。前の晩に「明日もいらっしゃるわね」といわれたり――そういわれて行かずにいられるかい――あるいはまた、何か用事を頼まれる、そうすると、じきじきに返事をしに行ったほうがいいなと考えてしまう。あるいはまた、お天気がいいのでワールハイムまで出かける、そこまで行ってしまえば、三十分でロッテのところへ行けてしまうんだからね。――ロッテの雰囲気《ふんいき》に近づきすぎている――だからさ、あっという間にもうちゃんとロッテのそばにいるのさ。祖母が磁石の山の話をしてくれたっけが、船があんまりそばへ寄ると、たちまち金具という金具がみんな吸われて、釘《くぎ》も吸いとられ、ばらばらに重なり落ちてくる板にはさまれて、船の人たちはあわれにも死んでしまうのだそうだ。
[#地付き]七月三十日
アルべルトが到着した。ぼくはここを立ち去ろう。アルべルトが世の中で一番いい、一番立派な人間であって、どの点においてもぼくが進んでアルべルトの下に立たざるをえないような人間だったとしても、彼がぼくの眼の前で、ロッテのようなひとを所有しているのをとても我慢して見てはいられまいからね。――所有、か。――ねえ、ウィルヘルム、お婿《むこ》さんがここにいるんだ。好意を寄せずにはいられないような立派ないい人だ。仕合せなことに到着のときにはぼくは居合さなかった。もしその場にいたら、どんな気持だったろう。それになかなかきちんとした人で、ぼくのいるところではまだ一度もロッテに接吻《せっぷん》なんかしない。たいしたものじゃないか。彼がロッテにささげる尊敬のゆえにぼくは彼を愛さなければならん。ぼくにも好意を持とうとしているが、どうもこれは彼自身の気持からというより、ロッテの指《さ》し金《がね》らしいのだ。というのはそういうことにかけては女というものは敏感でへまをやらないからね。なぜって二人の崇拝者をむつまじくさせておいて得をするのは、つまりいつも女のほうなんだから。もっともこれが成功したためしはあんまりないらしい。
とにかくぼくはアルべルトにたいして尊敬を拒むことはできない。彼の落ち着いた態度は、ぼくの性格の落ち着きのなさと実に好対照をなしている。ぼくのこいつはどうにも隠しきれないのだ。もののよくわかる人で、ロッテがどういう女性であるかもよく知っているのだ。不機嫌《ふきげん》になることもあまりないらしい。ぼくがこの不機嫌というやつをあらゆる悪徳にもまして憎んでいることは君も知っているね。
彼はぼくを思慮のある男だと思っている。そうしてぼくのロッテヘの思慕、ロッテのしぐさを見守ってぼくが感じるはげしい喜びは彼の勝利感をたかめているのだ。それだけにますますロッテを愛するというわけなんだ。ひょっとすると彼も時にはちょっとしたやきもちをやいてロッテを悩ますことがあるかもしれない。しかしもしぼくが彼の立場にいたら、どうも立派な口はきけないような気がする。
彼がどうだろうと、それはかまわないのだが、ロッテのそばにいられるというぼくの喜びはもうなくなってしまった。愚かと呼ぶべきか、目がくらんだというべきか。――言葉なんかどうだっていい、事実は事実なんだ。――こんなことはアルベルトが現われる前からみんなちゃんとわかっていたんだ。ロッテにたいしてぼくにはなんの権利もないってことはわかっていたし、また、なんの要求もしなかった。――ただし、これほどの女性を前にして心に望みを起さないということが可能である限りにおいてだよ。――それなのに、別の男が実際に現われてきて、娘を連れて行ってしまうと、ぼくという愚か者はただ驚きあきれているばかりなのだ。
ぼくは歯ぎしりして、ぼくのみじめさをあざけっているんだが、結局どうにもならないんだからあきらめろなんてやつがいたら、二倍にも三倍にもあざけってやるんだ。――そんなやつはくそをくらえだ。――ぼくは森の中を歩きまわって、ロッテのところへやってくる、そうすると庭の四阿《あずまや》ではアルべルトがロッテのそばにすわっている、ぼくはどうにも格好がつかない、そんなときにはぼくはまるで狂ったみたいにはしゃぎだして、実にばかげた、とりとめもないことをやりだすのさ。――今日ロッテにいわれてしまった。「後生ですから、昨夕みたいな騒ぎはなさらないでくださいね。あんなにはしゃいでおしまいになると、怖《おそ》ろしくなりますわ」――君だからいうが、実はアルべルトが用事でうちを留守にする日をねらっているんだ。それっとばかり出かけて行く。ロッテがひとりでいると、ぼくはいつだっていい気持でいられる。
[#地付き]八月八日
そうじゃないのだ、ウィルヘルム、ぼくが前の手紙で、避けがたい運命には従えと要求するような人間は我慢ならんとののしったのは、何も君をあてこすっていったんじゃないのだよ。君がそんなふうな意見でいようとは本当に思ってもみなかったのだ。しかし結局君が正しい。しかしたった一つだけいわせてもらえばだね、世の中では|あれかこれかで《ヽヽヽヽヽヽヽ》片のつくようなものはそうめったにあるもんじゃないってことだ。ぼくらの気持や行動の仕方は実に複雑なのだ。鷲鼻《わしばな》と団子鼻との間に無数の変化があるようにね。
君の説全体を肯定しはするものの、しかも|あれかこれか《ヽヽヽヽヽヽ》の間をぼくがなんとかしてすり抜けようとしても、だから君は悪く思いはしないだろう。
君の説によればこうだ、ロッテに望みをかけることができるか、あるいはできないか、そのどちらかだ。そこで、第一の場合にはその望みが遂げられるようにがんばるがよし、第二の場合には気をたしかに持って、自分の力をすべて消耗するようなつまらぬ感情を捨てさるように努力すべきだ。――なるほど、君、まことにそのとおりなんだ、が――いうのはたやすい。
だから君、業病《ごうびょう》にとりつかれて、刻々衰えていく不幸な人に向って、短刀を揮《ふる》ってひと思いに苦の源を絶てと要求できるかい。その病人の精力をむしばんでいる病気は、また同時に病気からわが身を解放してしまおうという勇気を奪うものではなかろうか。
君はむろん似たような比喩《ひゆ》でこう答えられるだろう、誰にしたところがぐずぐずして自分のいのちを危うくするよりは、むしろ片腕をすっぱり切ってもらいたかろうと。――肝心なところだがね。――しかし比喩でやり合うのはやめよう。もういいさ。――ねえ、ウィルヘルム、ぼくも時によるとさっそうとして奮起する勇気が出てくるのだ、が、さて――どこへ行けばいいんだ。それがわかりさえしたら、むろん行くんだが。
[#地付き]夜
しばらく怠けて放り出してあった日記を今日ふとまた手にして驚いたんだが、万々承知の上でぼくは歩一歩深入りしてきたのだ。ぼくは自分の立場をいつもきわめて明瞭《めいりょう》につかんでいたのだ。それなのに、いざとなるとまるで子供同然に振舞ってしまったのだ。今だってそうだ、ぼくははっきりと事態を見通しているんだ。それでいてさっぱりよくなりそうな気配がない。
[#地付き]八月十日
もしぼくがばか者でさえなかったなら、飛び切り幸福な生活が送れるんだがねえ。現在ぼくのいる境遇ほどに一人の人間の魂をたのしくするのに好都合な事情というものは、そうめったに重なり合うもんじゃない。幸も不幸もぼくらの心次第だということはまったく本当だね。むつまじい家族の一員となり、老人には息子のように愛され、小さい者からは父親のように、ロッテからは――それにしっかり者のアルべルト、彼は気まぐれな不機嫌によってぼくの幸福を乱すようなことをしないで、心からの友情でぼくをもてなしてくれる。彼にとってはぼくはこの世の中でロッテにつぐ存在なのだ。――ウィルヘルム、ぼくら二人が散歩をしながら、ロッテのことをたのしく話し合う様子を君に見せたいと思う。しかしまずぼくらの関係ほど妙な関係がこの世の中に今まであっただろうか。それでもこのためにぼくはよく泣いてしまうんだ。
アルべルトが話してくれたのだが、ロッテのお母さんはしっかりした人だったそうで、いまわの際《きわ》にロッテに家のことと子供のことを託し、アルべルトにはロッテの行く末を頼んだのだそうだ。それ以来というものロッテは人が変ったように元気になって、家の中のことによく気を配り真剣味が出てきて本当の母親みたいになってしまい、いついかなる時もからだを休めず、やさしく立ちはたらいて、しかもいつだって不機嫌な顔を見せたことがないというのだから。――ぼくはそんな話を聞きながらアルべルトの横を歩いて行き、路傍の草花を摘みとって丹念に花輪に編み上げて、そうして――そばを流れている小川の中に投げる。そしてそれが静かに流れ下って行くのを見送っているのさ。――アルべルトが当地にとどまって、宮廷の相当な地位につくことになるってことは、もう君に書いたかしら。宮廷でも彼の評判はいいんだ。仕事の上で彼ぐらいに几帳面《きちょうめん》で勤勉な人はあんまり見たことがない。
[#地付き]八月十二日
まったくアルべルトという人は世の中で一番いい人間だ。昨日は彼とちょっと妙な一場面を演じちまったよ。あいさつをしに彼のところへ行ったんだ、急に山の方へ馬で出かけてみたくなったので。今この手紙も山で書いている。アルべルトの部屋の中をゆきつもどりつしているとピストルが二、三|挺《ちょう》あるのが眼《め》についたので、今度の旅行にあのピストルを貸してくれないかというと、「ああいいとも。もっとも弾丸はそっちでこめてくれたまえよ。ぼくはただああして飾りにかけておくばかりなんだから」という返事だった。――ぼくはその一つを取りおろした。――「以前ぼくは用心からとんだまずいことをやってしまったものだから、それ以来そういうものには手をつけないでいるんだ」――面白そうな話なのでぼくは聞きたくなったのだ。――「三月《みつき》ぐらいだったろうか、田舎の友人のところにいたんだ。そのとき一組の懐中ピストルを弾丸をこめずに持っていてね、安心して眠れたというわけだ。ある雨ふりの日の午後、退屈していると、どういうわけか、ひょっとして強盗にでも襲われると、このピストルが必要になりはしないか、そうしてひょっとすると、というふうに考えたんだね。君もわかるだろう、そんなふうに思うときもあるものだね。――それで下男にピストルを渡して、みがいて弾丸をこめておくようにいいつけたのさ。そうしたところがその下男が女中とふざけて、おどかしてやろうと思ってもてあそんでいるうちに、どうしたはずみか発射したんだ。ところが銃身にはまだ槊杖《さくじょう》がはいったままでいたもんだから、女中の右手の拇指《おやゆび》のつけ根に刺さって拇指をくだいてしまったのさ。さあ、泣かれたうえに治療代を払わされたものだ。それからというものぼくはいっさい弾丸をこめずにおいてあるんだ。ねえ君、用心も役に立たないね、一寸先は闇《やみ》だよ。しかしね」――そらそら君、知ってるだろう、ぼくはどんなにアルべルトが好きでもこの「しかし」には辟易《へきえき》する。だってわかりきっているじゃないか、どんな一般的命題にだって例外というものはあるってことは。ところがこの人は実にどうも正式なんだね。自分が何か早まったことや一般的なことや中途|半端《はんぱ》なことをいったなと思うと、今度は限定する、修正する、いい添える、撤回する、そいつがまた果てしがない。だからしまいには本題がどこかへ吹っとんでしまう。このときもそうだった。議論の間口が見るみるまにひろがっていくのだ。だからぼくはもう何も聞かずに、あらぬことを考えていたんだが、発作的な身ぶりで銃口を自分の右の眼の上に当てた。――「おい、君、何をするんだ」――「だって弾丸ははいっていないんだろう」――「それにしたって、なんてまねをするんだい」彼はいかにももどかしそうなのだ。「いったい人間はどういうつもりでまあ自殺などという愚を犯すのかね、わからんよ、ぼくには。自殺ということを考えただけで、ぼくは胸がむかむかしてくる」
「どうして君たちはそういきなりある事柄《ことがら》について愚かだの賢明だの、善《よ》いだの悪いだのいわずにはいられないんだろう。だけれどそういったところで結局どんな意味があるんだい。前もってある行為の内面的ないきさつを調べてみたうえでの話なのかい。ある行為がなぜ起ったか、なぜ起らなければならなかったか、その原因をはっきり説明してみせることができるのかい。もし君方がそういうことをやったら、なかなかもってそうあっさりと判断は下せまいと思うんだがね」
「いや、たといどんないわれ因縁《いんねん》があろうと、絶対に許しがたい行為があるということは、君も賛成してくれるだろうね」
ぼくは肩をすくめて、それはそうさと答えた。――「けれどね。君、その場合も若干例外がある。盗みが罪だということは真実だ。しかしさし迫る飢えから自分自身や家族の者を救おうとして盗みをはたらいた者は、同情に値するだろうか、刑罰に値するだろうか。不貞な妻と下劣な誘惑者を正当な怒りにかられて殺す夫にたいして、またよろこびにわれを忘れてとめどない恋の歓楽に身を任せた少女に向って誰が第一の石を振り上げるだろうか。ぼくらの法律さえ、この冷酷無情な衒学者《げんがくしゃ》さえ感動のあまり、罰を差し控えはしないだろうか」
「それとこれとは問題が別だよ。自分の情熱のとりこになって思慮分別を失った人間というものは、酔っぱらいや狂人みたいなものなのだからね」
「ああ君たちは理性的だねえ」とぼくは微笑して答えた。「情熱、陶酔、狂気。しかし君たちは悠然《ゆうぜん》と無感動に澄ましかえっていられるんだね、君たち道徳家は。酔っぱらいを叱《しか》りたまえ、狂人をきらいたまえ、坊さんみたいに素知らぬ顔で通りすぎたまえ、そうしてパリサイ人《びと》みたいに、そういう連中の一人にならなかったことを神に謝したまえな。ぼくは一度ならず酔いもした、ぼくの情熱は決して狂気に遠いものじゃなかった、しかしその両方を悔いてはいないんだ。何か大きなことや、何か不可能に見えるようなことをやってのけた非凡人は、みんな昔から酔っぱらいだ、狂人だといいふらされざるをえなかったことが、ぼくはぼくなりにわかってきたように思う。
しかしこの世間でだって、誰かが自由で気高い意想外な仕事をやりはじめると酔っぱらいだのばか者だのって取り沙汰《ざた》をするが、あれも実に聞くに堪えない。無感動な君たち、利口な君たちも、少しは恥ずかしいと思いたまえよ」
「そら、それがまた君の妄想《もうそう》というものさ」とアルべルトがいうのだ。「君はなんでもおおげさにしてしまう。すくなくとも今の場合、問題の自殺を立派な行為とくらべるなんていうのは間違ってはいないか。なにしろ自殺は弱さにすぎんのだからね。苦しみの多い人生に毅然《きぜん》として処していくより、死んでしまうほうがむろん楽なんだから」
ぼくはすんでのところで議論をやめにしようと思った。こっちが心の底からしゃべっているのに、とるに足らぬきまり文句であしらわれてはまったく立つ瀬がないからね。しかしこれまでにももう幾度かそういう意見はきいたし、それにたいして腹を立てたことも再三あるものだから気をしずめて、多少語気を強めて返答したのだ。「弱さだと君はいうのかい。後生だから外観にとらわれないでくれたまえよ。暴君の忍びがたい軛《くびき》の下にあえぐ国民がついに決起して鎖をちぎったとしても、君はそれを弱いというのか。家が火事になったのにびっくりしてからだ中の力がふるい起り、不断ならとてもどうにもならないような重荷をやすやすと運び去る男だとか、侮辱されて怒るあまりに六人を相手にしてこれをやっつけるような人だとかも、やっぱり弱いということになるのかい。ねえ、君、努力が強さなら、どうして過度の緊張がその反対ということになるんだ」――アルべルトはぼくを見つめた。「そういってはなんだが、君のあげる例はどうもこの場合にすこしもあてはまらないようだな」――「そうかもしれない。お前の物事のむすびつけ方は時々|唐突《とうとつ》だってこれまでにもよく人に非難されているからね。だから普通ならたのしかるべき人生の重荷を投げ捨てようというように決心をする人間の心持がどんなものであるか、それを別の方法で考えてみることができるかどうかやってみよう。なぜってぼくらは共感するかぎりにおいてのみある事柄を論ずる資格があるわけだから。
人間の本性には限界というものがある。喜びにしろ、悲しみにしろ、苦しみにしろ、ある限度までは我慢がなるが、そいつを越えると人間はたちまち破滅してしまう。だからこの場合は強いか弱いかが問題じゃなくて、自分の苦しみの限度を持ちこたえることができるかどうかが問題なのだ。――精神的にせよ、肉体的にせよだ。だからぼくは自殺する人を卑怯《ひきょう》だというのは、悪性の熱病で死ぬ人を卑怯だというのと同じように少々おかしかろうっていうんだ」
「逆説もまたはなはだしきものだ」とアルべルトが叫んだので、ぼくはこういった。「決してそんなにひどい逆説じゃないよ。いいかね、からだが病気のためにひどくやられて、精力がつきはて、もうはたらきをしなくなり、どんなに上手《じょうず》な療治をしても生命の順調な循環を回復することができなくなった場合、これは死病と呼んでしかるべきだということは君も認めるだろうね。
さてそこでだ、これを精神に適用してみたまえな。心がせばめられて、印象にたいして敏感すぎて、ある種の観念が腰をおろしてもう動こうとせず、自分というものを持てあましている人間の情熱が次第次第に大きくなっていって、平静な分別を根こそぎにしてしまい、破滅してしまうような人間を考えてみたまえ。
落ち着いた理性的な人は、そういう不幸な人間の状態をつぶさに見渡すだろうし、また何かと忠告もしてやれるだろう。だが、そうしたところでどうなるっていうんだい。病人が寝ているそばに立っていても、自分のありあまる力を爪《つめ》の垢《あか》ほども病人に分けてやることのできない丈夫な人間とえらぶところはないじゃないか」
この譬《たと》えはアルべルトには少し抽象的すぎたので、少し前に身投げをした少女のことを思い出させて、話の復習をした。「善良な小娘だったのさ。家の中の仕事や毎週のきまった労働の狭い世界の中で育ってきてね、まあ日曜日なんかには今まで少しずつ集めてきたものでも身につけて同輩とつれだって郊外に散歩に出るとか、あるいは大祭日にはちょっと踊るとか、ほかのことといえば喧嘩《けんか》の原因とか悪い評判の出所なんかのことを隣近所の娘とひどく熱中しておしゃべりし合って暇つぶしをするとか、そんなこと以外にはべつにこれといって何をたのしみにするというあてもない。――ところが情のはげしい性質だものだから、とうとうしまいにはもっと深い欲求を感じだす。それが男たちのお世辞のためにだんだん強くなってね、以前たのしみだったことが次第に面白くなくなっていくうちに、ふと一人の男と馴染《なじ》みになったんだが、そうするとこれまで覚えのなかったような感情にぐいぐい引きずられて、そうなったら自分の周囲のことなんか少しも気にかからない。その男にすべての希望をかけてしまって、たった一人の男以外のことはいっさい耳にも眼にも心にもはいってこない。ただもう、その一人に恋い焦《こ》がれるようになった。移り気な虚栄心の与える空疎《くうそ》な享楽《きょうらく》なんかはまだ全然知らないおぼこなんだから、目的に向ってまっしぐらに進んで行って、その男の妻になりたい、永遠の結合の中に自分に欠けているいっさいの幸福を見つけ出そう、そうしてこれまであこがれていたいっさいのよろこびの束を見いだそうとしたのだ。男が幾度も口約束をしてくれるので、あらゆる希望の確実さが保証されたし、大胆な愛撫《あいぶ》は彼女の欲望をいよいよかき立てて、そのために心がもうまったく窒息しそうになってしまう。あらゆるよろこびのおぼろげな意識と予感のうちに気もそぞろというわけで、緊張は極度に達したのだ。とどのつまり彼女は両腕を差しのべていっさいの願望をつかみとろうとする――ところが男に逃げられてしまうのだ。――呆然自失《ぼうぜんじしつ》、彼女は深淵《しんえん》にのぞんで立つ、どこを向いても暗黒だ。目当てもない、慰めもない、望みもない。たった一人の頼りにしていた男にすてられたのだからね。自分の眼の前に横たわっている広い世間が眼にはいらない。失ったものの代りになってくれるようなたくさんの人たちも眼にはいらない。どこを向いても、自分がまったくひとりぼっちだということしか感じられない。――眼がくらむ、おそろしい心の痛みに胸を締めつけられる。そうして身を投げるのだ。自分をすっぽりと包んでくれる死の中へ飛び込んでいっさいの苦しみを断とうとして。――ねえ、アルべルト、これはこの娘に限ったことだろうか。つまりこれが心の病気じゃあるまいか。人間の心が、入り乱れ矛盾し合ういろいろの迷宮からどうしても逃げだせなくなると、人間は死なざるをえないのだ。
これを傍観していてだね、はたから『愚かな女だ、辛抱して時のたつのを待っていれば絶望もしずまるし、別の慰め手もきっと出てくるだろうに』なんていう人はどうかしているよ。――それではまるで『熱病で死ぬとはばかなやつだ。体力が回復して精がつき血の混乱がしずまるまで待っていれば、万事具合よくいっただろうに。そうして今日まで生きていられただろうにね』というようなもんじゃないか」
アルべルトにはこの譬えもはっきりとはのみこめないらしく、まだぶつくさいって、「それは、君のいうのはごく単純な娘の場合だが、そんなに視野が狭くなくって、もっと事情をよく見通している理性的な人間の場合には、ぼくは自殺弁護の余地はまずなかろうと思うんだ」というようなことをいいだしたものさ。――ぼくはいってやったよ。「おい、君、人間に変りがあるものか。人間が持ってる少しばかりの知恵分別なんか、情熱が荒れ狂って人間性の限界がつい鼻のさきに見えてくると、屁《へ》の役にも立ちはしないんだ。むしろ――いやもうやめだ」ぼくはこういって帽子をつかんだ。胸がいっぱいになってしまって。――とにかくぼくらは互いに納得の行かぬままで別れた。まずまずこの世では誰も他人を理解しないものらしいね。
[#地付き]八月十五日
この世で愛情ほど人間というものを必要とするものはないことはけだし確かだね。ロッテを見ていると、ぼくを放したがらないことはよくわかる。それに子供たちもぼくが毎日やってくるものときめているようだ。今日はロッテのピアノの調律に出かけたんだが、子供たちにお伽噺《とぎばなし》をせがまれて調律はできずじまいだった。ロッテまでもどうか話をしてやってくれって頼むもんだから。今では子供たちはぼくに夕食のパンを切ってもらう。ぼくはこの点ロッテと同じ資格を有するにいたった。それからいろいろな手でお給仕されるお姫さまの話をしてやった。これはぼくの十八番の話だ。自分で話をすると、なかなか教えられるところが多い、本当だよ。この話が子供たちにどれほどの印象を与えるか、驚くのほかはない。ぼくがよくつなぎの話を出まかせにしゃべるものだから、前にも話したのとちがうことがあって子供らからすぐに抗議が出るのさ、前とはちがうってね。だから今では全部を少しも変えずに歌うような節をつけてすらすらと話し続ける練習をしている。だから物語の本を書く人も、第二版で筆を入れるのはたしかに考えものだと思う。たといそのほうが芸術的にすぐれたものになろうともだね。第一印象というものは受け入れやすいし、人間はどんなに現実離れのしたことでも信じる気になるものだ。ところがそいつはいったん頭に入ってしまったらこびりついてなかなか離れるものじゃないから、それをあとからかき落そうとしたり削りとろうとしたりしないほうが賢明なのだ。
[#地付き]八月十八日
幸福というものが同時に不幸の源にならなくてはいけなかっただろうか。はつらつたる自然を見てぼくは心にあたたかいあふれるばかりの感情をいだいた。ぼくは歓喜に燃えてこの感情の中に身を浸し、周囲の世界を天国のように思いなしたのだが、現在ではこの感情がどこまでもぼくにつきまとう悪霊となり、堪えがたい拷問者《ごうもんしゃ》となる。ぼくはかつて岩にすわって流れ越しにあの丘のつらなりに至る豊かな谷間を見渡し、自分の周囲にあるいっさいのものが芽ばえわきでるのを見、ふもとから頂上まで高い木を生い茂らせたあの山々、この上もなくやさしい森陰を複雑な線を描いて走っているあの谷々、夕風が空にやさしく揺り集める美しい雲の影を宿しながら、ささやく葦《あし》の間を静かに流れてゆく川をながめ、森をにぎわす小鳥の声を聞き、西に傾く太陽の名ごりの光の中に数知れぬ蚊の群れが元気よく飛びまわり、太陽の最後の明るい輝きが草の間からうなって飛ぶかぶと虫を解放し、あたりのざわめきや活発な営みを見て大地に注意を向けると、かたい岩から養分を吸いとる苔《こけ》、地味のやせた砂丘の斜面にはえている灌木《かんぼく》などがぼくに自然の内面の燃えるような神聖な生命を啓示してくれるとき、ぼくはそういうものすべてをぼくの心の中へ抱《いだ》きいれ、たぎりたつ豊けさのうちにわが身も神の一人になったのかと疑い、無限なる世界の何ともいえぬものの姿がいっさいに活気を与えながら魂の中をうごめくのであった。巨大な山々に取り巻かれ、眼前には深淵が横たわり、渓流《けいりゅう》はたぎり落ち、脚下に河が流れ、森と山とが鳴り響くとき、ぼくは大地の底深いところでそれらが互いにはたらき合い創造し合うのを見、また、地上には大空の下で生きとし生けるものの群れがうごめき、すべてのものが実にさまざまの姿をもってこの世界をうずめており、人間も小さな家の中に寄り合って安楽な生活を営み、そこに根をおろして、自分なりに自分たちが広大な世界の支配者だと思っている。哀れな愚者よ。自分がそれほど卑小であるからこそ、お前はいっさいを軽蔑《けいべつ》するのだ。――永遠に創造する者の霊は、分け入りがたい高嶺《たかね》はいうにおよばず、人間が足跡をしるしたことのない荒野、未知の大洋のはてにまで漂っていて、この霊を享《う》けて生きて行くものを、たといそれが塵泥《ちりひじ》であろうと嘉《よみ》するのだ。――ああ、そのころは頭上を飛んで行く鶴《つる》の翼ではかり知れぬ大洋の岸辺へどんなにか飛んで行きたかったろう。そうして無限なる者の泡立《あわだ》つ杯からたぎりこぼれる生命の歓喜を飲み、たといわが胸は狭く力は乏しくとも、万象を自己のうちに自己によってつくり出すものの至福を、せめて一滴なりと味わいたいとあこがれたのだ。
あのころの思い出だけがぼくをよろこばせる。あのいい現わしがたい感情を呼びもどし、再び口にしようというこの努力だけでさえ、ぼくの魂を高めてくれるが、それだけにぼくが現在取り巻かれている境遇の切なさを余計に感じさせもする。
ぼくの魂の前に引かれていた幕は落ちてしまった。無限なる生の舞台は、ぼくの眼前で、永遠に口を開いている墓穴の深淵に変ってしまった。君は「それはある」といえるか、すべては移ろい流れるのに。いっさいは稲妻のような速さで流転《るてん》し、存在の全き力が持続するのはまれで、悲しいかな、変転の流れに引き入れられ水底に没して岩に当って砕け散るのに、君や君の周囲の親しい人々をむしばまない一瞬間もなく、君自身が破壊者であり、あらねばならずにすむ一瞬もない。無心の散歩でさえ幾千の哀れな小虫は生命を奪われ、踏み出すたった一足が営々と築かれた蟻《あり》の冢《つか》をくずし、小さな世界はふみにじられて忌《いま》わしい墓場と化する。村々を洗い流す大洪水《だいこうずい》、都市をいくつものみこむ大地震、そういうまれにしか起らぬ大災害なんか、実はどうだっていいんだ。自然万物の中に隠れている浸蝕力《しんしょくりょく》、自分の隣人や自分自身をさえ破壊しないような何物をもつくることのなかった浸蝕力、こいつがぼくの心を掘りくつがえす。こう考えると、ぼくの足は不安のあまりよろめいてしまう。天と地とぼくの周囲のつくりはたらくもろもろの力と。ぼくの眼《め》には、永遠にのみこみ永遠に反芻《はんすう》する怪物の姿しか見えないのだ。
[#地付き]八月二十一日
重苦しい夢の名ごりに包まれながら、朝眼をさます。そうして彼女の方へむなしく腕を差し伸べる。たのしい無邪気な夢にたぶらかされ、野原に出てロッテの横にすわり、その手をとっていて、接吻《せっぷん》ぜめにしたかと思えば、わが身は夜のさびしいべッドに横たわっているのだ。ああまだ眠りからさめもやらず彼女を探り求めて、はっと正気に返る――苦しい胸の中からとめどもなく涙が流れる。どんなに泣いたって未来には慰めも望みもありはしないのだ。
[#地付き]八月二十二日
不幸だ、ウィルヘルム、活動力は調子が狂って落ち着きのない投げやり状態に陥り、のんきにしていられず、そうかといって仕事もまったくできない。表象力も持たない、自然にたいしても無感覚、本は思ってもいやだ。自分というものがなくなってしまうと、すべてがなくなってしまう。正直な話、ぼくはよく日雇い労働者になりたいと思う。そうすればせめて朝眼をさませばその日一日を過す目当てがあり、一つの欲求、一つの希望が持てるからね。ぼくはよく、書類の山にうずまっているアルべルトをうらやましく思うことがある。彼の位置にいればよかったろうにと想像することがある。これまでにもう幾度か急に思い立って君と大臣に手紙を書いて、公使館に地位を見つけてもらおうかと考えたこともある。君のいうところでは、それも当てのない話じゃないんだからね。ぼくもそれを信じている。大臣は昔からぼくを可愛《かわい》がってくれているし、何か実務についてみてはどうだと以前からすすめてくれているのだから、ぼくも時々その気になることがあるが、いつもそのあとで思い返して、あの馬の話なんかを考えてしまうと、もうどうしていいかわからなくなる。――自由に飽きて鞍《くら》と馬具をつけてもらったはいいが、乗りつぶされるっていうあの馬の話さ。――ひょっとするとぼくが現在の境遇を変えたがっているというのは、内心の不安な焦燥の現われなのじゃあるまいか、だとしたら、その焦燥感はたとい境遇が変ったってぼくにつきまとってくるだろう。
[#地付き]八月二十八日
ぼくの病気が治るものなら、医者はこの人たちだ。今日はぼくの誕生日で、朝早くアルべルトから小包が一つ届いた。あけると初めて会ったときにロッテがつけていた淡紅色の飾り紐《ひも》の一つが眼についた。何度もせがんだやつだ。それから十二折り版の本が二冊。ウェートシュタインの小型版ホメロス、ほしいほしいといっていたやつだ。おかげで散歩のときにあの大きいエルネスティを引きずりまわらなくてもすむ。このとおりあの二人はぼくの望みに先手を打って、こんなふうに何くれとなくこまごまと気をつけてくれるが、そういう心づくしというものは、贈り主の虚栄心のためにぼくらが屈辱を味わわされるような、こけおどかしの贈り物なんかよりもずっとずっととうといのだ。ぼくはこの飾り紐に千度も接吻する。そうして一息ごとに、あの幸福な二度とかえらぬ幾日かがぼくにもたらしてくれたよろこびの追憶を吸い込むのだ。ウィルヘルム、そんなものなのだ。ぼくは泣き言をいうまいよ。人生のつける花々は幻にすぎない。たいていは跡形も残さずに散りうせ、実を結びもせず、たとい実をつけたとしても熟しきる場合はすくないのだ。それでも熟した実だって十分にあるのだからね。だから――ねえ、ウィルヘルム――そういう熟した実をないがしろに軽蔑し、味わいもせず腐らせてしまえるだろうか。
ご機嫌《きげん》よう。すばらしい夏だ。ぼくはよくロッテの果樹園で果物をとる。長い竿《さお》を持って木に登って高いところの梨《なし》をもぐ。ロッテは下に立っていて、ぼくの落す梨を受けとる。
[#地付き]八月三十日
不幸な男よ、お前はばかではないのか。われとわが身を欺《あざむ》いているのではないか。この狂気のような果てしのない情熱は何だというのだ。ぼくの祈りは彼女以外の何ものにも向けられていない。ぼくの想像力には彼女以外の誰も姿を現わさぬ。周囲のいっさいも、ただ彼女との関係でだけ意味を持ってくる。実際それがぼくに数々の幸福な時間を与えてくれるのだ。――再び彼女と別れなければならぬ日までは。ああウィルヘルム、心は別れろとぼくに迫ってくる。二時間、あるいは三時間、彼女のそばにいて、彼女の姿、振舞い、やさしい言葉づかいにたのしい思いをして、そのうちやがてぼくのいっさいの感覚が緊張し、眼の前が暗くなり、何事も耳に入らなくなって、喉《のど》を暗殺者にでも締めつけられるみたいな気持がしてくると、胸苦しいあまりにせめて息を吐こうと心臓がはげしくうちだし、そのためにかえって気持が千々に乱れ――ウィルヘルム、本当なんだ、自分が生きているのか死んでいるのか、わからなくなるんだ。そうして――時折、悲しみのあまりに、ロッテが許してくれるのを幸いその手をとってみじめにも胸の苦しさを涙で晴らそうとする――そんなとき、ぼくはもういたたまらず外へ逃げだす。そうして遠く野原をほっつき歩く。けわしい山に登る。道もない森に分け入り、藪《やぶ》に傷つきいばらに刺されるのがせめてものよろこびなんだ。そうしているといくらかでも楽になる。いくらかでも。ぼくは疲れと喉のかわきのためによく途中で倒れたままになる、しかも夜ふけなんだ。時にはまたさびしい森の上には満月がかかっている。ぼくは曲りくねった木に腰をおろし、傷ついた足の裏をいくらかでもいたわってやろうとする。あたりが静かなためにかえって疲れが出てきてうとうとと薄明りのうちにまどろむこともある。ああ、ウィルヘルム、さびしい僧房、皮のころもにとげの帯、そんなものこそぼくの魂のあこがれ求めるなぐさめだろう。それではさようなら。この悲惨を終らせるものは墓場以外にはありそうもない。
[#地付き]九月三日
もうここにはいられない。ありがとう、ウィルヘルム、ぼくのぐらつく決心をかためてくれたのは君だ。もう二週間以来、ロッテと別れようと思い続けている。ぼくは逃げなければならない。ロッテはまた町の女友だちのところに出てきている。それからアルべルトは――そうして――ぼくは逃げださなければならん。
[#地付き]九月十日
たまらない一夜だった。ウィルヘルム、今ではすっかり気分が落ち着いている。もう二度と再び会わないことだろう。君の頸《くび》にしがみついて、ぼくの心に押しよせてくるさまざまな思いを泣いて思いきり打ち明けられたら。ぼくはここにこうしてすわり、息を切らして、気をしずめようと懸命になり、朝を待っている。夜が明ければ馬がくることになっているんだ。
ロッテは安らかに眠っているだろう、もう二度とぼくに会えないなんて思ってもいないだろう。ぼくは自分の身を振りもぎったんだ。二時間ばかり一緒に話をしていた間、ついにぼくの決心をもらさずにいることができた。つらかったけれど。けれどもまあなんというすばらしさだったろう、あの二時間は。
アルべルトは夕食後すぐロッテと庭へくると約束したので、ぼくは大きな栗《くり》の木立の下の高台に出て、沈んでいく太陽をながめていた。このやさしい谷間も、ゆるやかな河の流れも、これが見納めだ。ぼくは幾度もいくどもロッテと一緒にここに立って、壮麗な光景に見入ったものだった。それを今は――ぼくは好きな並木|路《みち》をゆきつ戻りつした。まだロッテを知らない以前、何がなしに心をひかれてぼくはよくここを去りかねる思いをしたものだったが、あとでロッテと知り合いになって間もなく、ロッテもここが好きだということがわかって互いによろこび合ったっけが、ここはこれまでぼくが見た芸術品の中でも最もロマンチックな場所の一つだ。
まず栗の木越しに広やかな眺望《ちょうぼう》が開けている――ああ、そうだったね、君にはもう幾度もこのことは書いたね、高いぶなの木が壁のようになって最後には路の両側からせまって、それに続くしげみのために並木路が次第に薄暗くなり、ついにはまわりをかこまれた小広場で終る。さびしさがぞくぞくと人に迫ってくるような、ぼくが初めて昼日中あすこに足を踏み入れたときにどんなにしんみりとした気持になったか、いまだによく思い出せる。ぼくはおぼろげにここが幸福と苦悩の舞台になるだろうということをすでに感じたのだった。
ぼくが半時間も死別と天上の再会というやるせない甘い考えにふけっていると、高台を登ってくる足音が聞えた。急いで走り寄って、ロッテの手をとって接吻をしたが、身の内がぞくぞくするようだった。上に登ると、ちょうど月がしげみに覆《おお》われた丘のうしろからのぼってきた。ぼくらはあれこれと話し合いながら、知らずしらずのうちに暗い四阿《あずまや》の方へ歩いて行った。ロッテが中に入って腰をおろすと、アルべルトがその横にかける。ぼくもロッテの横にかけた。だが気が落ち着かないもんだからぼくはじっとすわってはいられず、立ち上がり、ロッテの前へ行って、あちこち歩いてから、また腰をおろした。息苦しいような状態だった。ぶなの木の壁の端をかすめてぼくらの前の高台全体を照らし出す美しい月光を見て、ロッテが、まあごらんなさいといってくれたが、われわれのまわりが濃い夕闇《ゆうやみ》にとざされていただけにいっそう鮮やかなすばらしいながめだった。みんな黙っていると、しばらくしてロッテが口を切った。「わたくし、いつも月を浴びて散歩をいたしますとね、きっと亡《な》くなった人たちのことを思ったり、死ぬことや行くさきざきのことを考えたりいたしますの。わたくしたちも、みんなあの世へ行ってしまいますのねえ」なんともたまらないような声なんだ。「だけどねえ、ウェルテル、あの世でまた会えるかしら、お互いにわかりますかしら。どうお思いになって、ね。どうお考え?」
ぼくは手を差し伸べた。眼には涙があふれてきた。「ロッテ、むろん会えます。この世でも、あの世でも。会えますとも」――それ以上ものがいえず――ウィルヘルム、彼女は事もあろうに、せつない別れを一所懸命に胸に隠しているぼくに向ってこんなことをたずねたんだ。
「そうして、亡くなってしまった親しい人たちはわたくしたちのことを知っているでしょうか。わたくしたちが元気でいて、やさしい愛情でその人たちを偲《しの》んでいるってことを感じてくれるのでしょうか。わたくし、静かな夕方なんかに妹や弟たちと一緒にいて、昔みんなが亡くなりました母のまわりにおりましたように、わたくしのまわりにいてくれるときなんぞ、いつもきまって母の姿が眼の前に浮んでまいりますのよ。そんなとき、わたくしは母恋しさに泣きながら空を見上げまして、まあどうかちょっとでもよろしいから母がこの様子を見てくれたなら、そうして母が亡くなりますときにわたくしが約束いたしましたとおり、ちゃんとこの小さい人たちのお母さんになっていますのを見てくれたならとしみじみ思いますの。わたくし、本当に心の底から『ねえお母さま、あなたみたいにこの小さい人たちにしてやれませんでごめんください。けれどわたくし、できるだけのことはやっています。みんなちゃんと服もきておりますし、食べるものにも不自由いたしておりませんし、いいえ、そんなことよりも、よくいたわって可愛がってやっております。どうぞわたくしたちの仲のいい様子を見てくださいまし。ねえ、お母さま。お母さまは子供たちの仕合せを、いまわの際《きわ》につらい涙とともに神様にお願い遊ばしたけれど、この様子をごらんになることがおできになったら、きっと神様に真心こめてお礼を申し上げて、神様をおたたえになることでしょう』」
なんという言葉か、ウィルヘルム、あの言葉を繰り返すことのできる人間なんかいないんだ。こういう天使みたいな心根の発露を、どうして冷たい死んだ文字が表わせようか。アルべルトがやさしく口をはさんだ。「ロッテ、あんまり興奮してはいけない。まったくあなたの心はそういういろいろな考えに傾きやすい。けれど、お願いですから――」、「いいえ、アルべルト、あなただってお忘れじゃないでしょう。お父さまがご旅行中に、小さな人たちを寝に行かせてしまってから、わたくしたち二人が小さな丸テーブルを中にすわって過した幾晩かを。よくいいご本を持っていらっしゃったけれど、それをお読みになったことはほとんどおありにならなかった。――どんなことをするより、あの、母の立派な魂と触れ合うことのほうがよろしかったのではありませんこと。母は本当に、きれいで、やさしくて、快活で、いつも休むということをしなかったのですね。わたくしがよく寝床の中で神様の前に身を投げ出して涙ながらに、神様、どうかわたくしをあの母のようにしてくださいましとお願いしたことは神様がよくご存じでいらっしゃるわ」
ぼくはロッテの前に身を伏せて、手をとり、涙でぬらした。「ロッテ、神の祝福はあなたとあなたのお母さまの霊の上に宿っているんだ」――「あなたが母をご存じでいらしったらねえ」ロッテはぼくの手を握りしめた。――「あなたに知っていただくだけの値打ちのある人でございましたわ」――気が遠くなりそうだった。こんなにたいへんなうれしい言葉はいまだかつてぼくに向って発せられたことはないんだよ。――「それほどの人が、末の男の子が生れてまだ六カ月にもならないうちに、これからというときに亡くなってしまうなんて。そんな長わずらいではございませんでした。落ち着いて悟りきっておりましたけれど、ただ小さい人たちのことを案じましてね。ことに一番小さいのを。臨終が近くなりましたときに、子供たちを連れてきてくれと申しますので、わたくしが枕《まくら》もとへみんなを連れてまいったのでございます。小さいのは何のことやらわかりませんし、上のほうのはおろおろしておりましたが、みんな寝床のまわりに集まりますと、母が手をあげまして子供たちのためにお祈りをいたしまして、かわるがわるに接吻をして向うへ行かせましてから、わたくしにこう申すのでございます。『あの子供たちのお母さんになっておくれ』――わたくしは約束のしるしに母の手を握りました。――『なまやさしいことではないのよ。お母さんの心と、お母さんの眼とですからね。わたしは、母親になるということがどんなことかあなたにはもうわかっているということは、たびたびあなたの感謝の涙を見てよくわかっています。いいですか、弟や妹たちには母親のように。それからお父さまには、妻の誠実と従順とをもってお仕えするのですよ、お慰めしてあげるのですよ』母は父のことをたずねましたが、父は外に出かけておりました。それと申しますのも、母を失います苦しみに堪えかねておりましたからなので、父はもうまったく参ってしまっておりました。
アルべルト、あなたはお部屋にいらっしたのね。母が誰かの足音をききつけて、あれは誰とたずねて、あなたを身近くお呼びしてあなたとわたくしをじっと見つめ、わたくしたち二人が仕合せで、また、一緒になって幸福に暮せるだろうといわぬばかりの、安心しきった静かな眼つきでございましたわねえ」――アルベルトはロッテの頸を抱いて、接吻した。「そうだ、ぼくたちは幸福だ。これから先もだ」――いつもは落ち着いているアルべルトがすっかり度を失ってしまった。ぼくは自分がどうなってしまったのかもわからなかった。
「ウェルテル、これが亡くなった母なのです。何と申したらよろしいのか、わたくしはよくこう考えますの、自分の生涯《しょうがい》の一番愛する人を奪い去られてしまうなんて、いったいどういうことなんだろう。その苦しみをはっきりと感じておりますのはただもう子供たちだけでございますわ。小さな子供たちは、母が亡くなりました後もながいこと、黒い男たちがママを連れて行ってしまったと悲しんでおりました」
ロッテは立ち上がった。ぼくは心底から感動興奮したあまり、すわったままでロッテの手を握っていた。――「もう参りましょう、おそくなりますから」といって、ロッテは手を引こうとするので、ぼくはますます固く握り締めたのだ。――「ぼくたちはまた会えますとも。見つかりますとも。どんな姿をしていたって見分けがつきます。ぼくは行きます。よろこんで行きます。だけれど、永遠にというのであったらぼくはいやだ。さようなら、ロッテ。さようなら、アルべルト。また会いましょう」――「あしたね」とロッテは冗談をいった。――明日《あした》という言葉が胸をついた。ロッテが手をぼくの手から引いたとき、それには気がつかなかったんだ。――二人は並木路から向うへ行ってしまった。ぼくは立ったなりで、月光の中の二人の後ろ姿を見送っていた。ぼくは地にひれ伏して、泣いた。はね起きて、高台にかけのぼり、下を見ると、向うの高い菩提樹《ぼだいじゅ》の陰を庭戸の方へ動いて行くロッテの白い服がほのかに光っている。ぼくは両腕を差し伸べた。ロッテの姿は消えてしまった。
[#改ページ]
第 二 部
[#地付き]一七七一年十月二十日
昨日ぼくらは当地に着いた。公使はちょっと加減が悪く、ここ二、三日は引きこもっておられるだろう。公使が不親切でさえなかったら、万事上々というところなんだが、だがどうも思うに運命はぼくに苛酷《かこく》な試練を課そうとするらしい。しかし元気を出そう。気を軽く持っていればどんな場合にも切り抜けられる。気を軽く? ついこんな言葉が出てきたんだが、こいつはこっけいだ。まったくちょっとでもいいからぼくがもっと気軽な人間だったら、ぼくはこの世の中で一番果報者なんだろうがね。なんということだろう、少々ばかりの力と才能とを持った連中が、得意然とぼくの面前でおしゃべりをしているのに、ぼくは自分の力と自分の才能に絶望しているんだから、神様、あなたは私にいっさいを与えてくださったが、なぜあなたはその半分を差し控えておいて、その代りに自信と自足を下さらなかったのでしょう。
辛抱が第一だ、辛抱していさえすれば万事が好転するだろう、ねえ、君のいうとおりさ。毎日世間の人の中にまじって追いまわされて、連中のしていることや仕事ぶりをながめていると、次第にぼくは自分自身と折り合いがつくようになってくる。たしかにわれわれは万事をわれわれ自身に比較し、われわれを万事に比較するようにできているから、幸不幸はわれわれが自分と比較する対象いかんによって定まるわけだ。だから孤独が一番危険なのだ。ぼくらの想像力は、自分を高めようとする本性に迫られ、また文学の空想的な映像に養われて、存在の一系列を作り上げ、われわれはその系列中の一番下ぐらいにいて、われわれ以外のものは全部われわれよりすばらしく見え、誰もわれわれよりは完全なのだというふうに考えがちだが、それもさもあるべきことと思う。ぼくたちはよくこう思う、ぼくらにはいろいろなものが欠けている。そうしてまさにぼくらに欠けているものは他人が持っているように見える。そればかりかぼくらは他人にぼくらの持っているものまで与えて、もう一つおまけに一種の理想的な気楽さまで与える。こうして幸福な人というものが完成するわけだが、実はそれはぼくら自身の創作なんだ。
これに反してぼくらがどんなに弱くても、どんなに骨が折れても、まっしぐらに進んで行くときは、ぼくらの進み方がのろのろとジグザグであったって、帆や橈《かい》を使って進む他人よりも先に行けることがある、と実によく思う。――そうして――ほかの人たちと並んで進むか、あるいはさらに一歩を先んずるときにこそ本当の自己感情が生れるのだ。
[#地付き]十一月二十六日
とにかくなんとかここに落ち着けるかと思う。仕事がどっさりあるのが何よりありがたい。そのつぎは、種々雑多な人間、いろいろな新しい人間がぼくの心の前でにぎやかに芝居を演じてみせてくれることだ。C……伯爵《はくしゃく》という人と知り合いになった。つきあえばつきあうほど尊敬したくなるような人だ。はらの大きい、しっかりとした人で、そうかといって視野が広いから冷たくはない。友情や愛情にたいする感情も十分持ち合せていることは交際してみればよくわかる。この人のところに持ちこまれた仕事をやってあげて、二言三言話し合ったところが、ぼくらは互いに理解し合えるし、ぼくとならほかの人たちと話せないようなことも話し合えるということがわかったものだから、ぼくを大いに買ってくれているのだ。ぼくもまた伯爵のぼくにたいする打ちとけた態度を賞賛せざるをえない。他人に向って胸襟《きょうきん》を開く大きな魂を見ることほど、本当のあたたかいよろこびをもたらすものはこの世にないのだ。
[#地付き]十二月二十四日
公使は実にいやな男だ。予想したとおりさ。まずこんなにせせこましいばか者は見たことがない。実にこまごまとしていて口やかましいこと、まるで小姑《こじゅうと》だね。けっして自分自身に満足しない。だから何をしてやったってありがたがらない。仕事はあっさりとすませるのがぼくの流儀だ。いったんすませた仕事をあとからこね返すようなことはやらない性《たち》だ。ところが公使はぼくが提出した草稿を突き返してこういうんだ。「結構だが、もう一ぺん眼《め》を通してみたまえ。もっと適当な文句、もっとうまい不変詞が必ず見つかるものだ」――ぼくたる者、あえて何をかいわんやだ。「と」が一つでも、接続詞が一つでも欠けちゃいけないんだ。ぼくがよくやらかす倒置法は大のきらいなんだ。複合文は普通の調子に書きくずさないと、てんで意味がつかめないんだね。こういう人間を相手にしなければならんとはまったく災難だ。
フォン・C……伯爵の信頼が、その償いをつけてくれる唯一《ゆいいつ》のものだ。ついこないだも、公使の緩慢さと慎重さとに不満だということを正直にぼくにいっていたよ。「そういう人たちは自分をも他人をも困らせる。しかし山を一つ越えて行かなければならないのなら、仕方がないから越えるまでだ。そこに山がなければ、道中はむろんもっと快適だろう。距離も短くなるだろう。しかし現に山があるのだから、越えなければならんのだね」
伯爵がぼくに好意を持っていることにじいさんも感づいているらしくて、それが癪《しゃく》にさわるんだ。だから機会あるごとにぼくに向って伯爵の悪口だ。むろんぼくがそれを反駁《はんばく》するもんだから、事態は悪化するばかりさ。昨日《きのう》なんかはぼくもすっかり腹を立てたよ。伯爵の悪口をいってぼくをも当てこすっているんだ。伯爵はこういった世俗的な雑務にははなはだ堪能《たんのう》だし、仕事ぶりも軽快で筆も立つが、文章家の例にもれず徹底的な学識がない、とこういって、どうだおれの言葉の裏がわかるかというような顔つきをするんだ。しかしぼくはそんな当てこすりなんか屁《へ》とも思わん。ぼくはそんなふうに振舞う人間を軽蔑《けいべつ》する。ぼくも負けていないで、相当きびしくやり返してやった。「伯爵は私たちが尊敬せざるをえないような方です。人柄《ひとがら》だって識見だってそうです。伯爵くらいに立派に、自分の精神を拡大して無数の事物に押しひろめ、しかも世俗的な生活のためにも精神を活動させている人は見たことがありません」こんなことをいったって公使にはちんぷんかんぷんさ。それ以上愚論を重ねて不愉快な思いをしたくなかったから早々に辞去した。
しかしこんなことになるのも君たちみんなの責任なんだぜ。うまいこといってぼくを軛《くびき》にかけてさ、むやみやたらに活動を賛美したのはなにしろ君たちなんだからな。馬鈴薯《ばれいしょ》を植えたり馬で町へ穀類を売りに行ったりする人間のほうがぼくなんかよりもはたらきがないというなら、ぼくは今こうしてつながれる懲役船の上でなお十年間も働きぬいてみせるんだが。
それから、ここでお互い同士ながめ合っている忌《いま》わしい連中のうわべだけきらびやかな悲惨、退屈さ加減ときたら、一寸でも五分でもひとの上へ出ようとして虎視《こし》眈々《たんたん》とねらっている彼らの位階欲、まったくむきだしの最もあわれむべき最もあさましい欲念。たとえばある女など、いつも自分の高い家柄やお国自慢をひけらかしている。だから知らない人は、そればかりの家柄や生れた国の評判をまるで貴重品みたいに思いこんでいるとは、ばかな女もあるもんだと思わざるをえないのだが――どうしてどうして、それどころか、その女たるやついこの付近の書記の娘なんだよ。――どうだ、君、こんなに下劣な恥さらしができるほどに分別の浅い人間どもはぼくの理解しがたいものなんだ。
いうまでもなく自分の物さしで他人を計ることの愚はぼくも次第に認めつつある。そうしてまた、ぼくは自分自身を持てあましているくらいだし、この心臓もこんなに荒々しくうっているんだから、――連中がぼくに干渉しさえしなければ、ぼくは喜んで連中にはしたい放題のことをさせておこうよ。
最もぼくをいらだたせることは、この宿命的な社会事情だ。むろんぼくだって、身分の別ということは必要であり、それがぼく自身にいろいろな利益をもたらしているということは人並みに認める者だ。けれどもぼくがこの人生でまだ少々ばかりのよろこび、わずかの幸福を味わおうとするときだけは、身分のちがいなんぞにその邪魔をされたくない。最近散歩に出た折、フォン・B……嬢というひとと知り合いになった。このぎごちない世間に生きていても、ひどく素直なものを持っている人だ。いい人だよ。話をしているうちに意気投合してね、別れぎわに一度おたずねしてもよろしかろうかといったら、どうぞどうぞ、というわけでその折を待ちきれなかったくらいだ。この土地の人じゃない。叔母さんのところに住んでいる。この叔母さんの顔つきは気に入らない。ぼくはせいぜいこの叔母さんなるものに敬意を表して、おもに話をそっちへ向けた。三十分たらずの間にぼくはかなりのことをそれと見てとったが、あとでB嬢自身の口から聞き知ったことと大体合っていた。あの年で万事につけて不如意なんだそうだ。しかるべき財産もなし、才覚もなし、先祖の系図以外には頼るものもなし、自分が立てこもっている身分以外には保護もなし、二階に陣取って下を歩いている平民どもの頭を見下す以外には何のたのしみもなしというわけなんだ。若いときはきれいだったんだそうで、面白おかしく世の中を渡って、初めは気まぐれな性分でずいぶんと若い男を悩ましたらしいが、としをとってからはある老士官と一緒になっておとなしくなり、この軍人さんは相手の従順とかなりの生活費と引き換えに、自分の四十代を彼女と過して、死んだんだ。もう五十代で、ひとりぼっちだ。姪《めい》がこれほど可愛《かわい》らしくなかったら見向きもされないだろう。
[#地付き]一七七二年一月八日
ここの連中ときたら儀礼的なこと以外は何事も念頭になく、年がら年じゅう心がけていることは何かといえば食卓で一席でも上位を占めてやろうということなんだ。じゃほかに何も仕事がないかというと、けっしてそうじゃない。くだらんことにかまけているから、大切な仕事はむしろ未済のまま山積している有様なんだ。先週なんかも橇遊《そりあそ》びのとき、いざこざが起って、せっかくのたのしみが台なしになってしまった。
この阿呆《あほう》どもには地位なんてものはそもそも問題じゃない、第一席を占めているからといって、必ずしも第一の役割を演じているわけじゃないということがわからんのだ。いったい王なんてものは大臣に牛耳《ぎゅうじ》られ、大臣は秘書官に牛耳られる。そうなると誰が第一席ということになるんだ。それは他人を掌握し、他人の力や情熱を、自己の計画遂行のために引き締めるだけの権力ないしは策略を持っている人じゃないか。
[#地付き]一月二十日
愛するロッテよ、私はお便りせずにはいられなくなりました。はげしいあらしを避けて、今貧しい農家の一室にいます。私のさびしい巣のD……で気持のぴったりしない見知らぬ人々の間をうろうろしていると、お便りをしようという気がどうしても起らなかったのです。けれども今ここにこうして、この小屋の中に、こんなにさびしく、小窓に吹きつける雪とあられとに閉じこめられていますと、まず真っ先に思われるのはあなたのことです。その中に一歩足を入れるやいなや、ロッテよ、あなたの姿、あなたの思い出が、こんなに聖《きよ》らかに、こんなにしみじみと、あの最初の幸福な瞬間がよみがえってきたのです。
放心の波にもまれ、感覚のひからびてしまったぼくの姿をごらんになったら。胸が豊かにあふれる一瞬間も、仕合せな一刻も絶えてないのです。私はいわばのぞきめがねの前に立って、人や馬が動きまわるのをながめ、これはみんな幻ではないのかとよく自分にたずねてみるような始末です。私もその人形の一人だ、いやあやつり人形のようにあやつられている。そうして時々隣の人形の木で作られた手を握って、ぎょっとして飛び退《の》くのです。夜になると、明日は日の出をながめようと考える。朝になってみれば起きる気にならない。昼は昼で、今晩は月の光をたのしもうと思うが、夜がくれば部屋に閉じこもったなりだ。なぜ起きるのか、なぜ眠るのか、私にはよくわからないのです。
私の生活をこれまで動かしていた酵母がないのです。真夜中にも私を元気にしていてくれた慰めがなくなってしまったのです。朝になると私を眠りから揺り醒《さ》ました慰めが今はもうないのです。
フォン・B……嬢という人とたった一人知り合いになりました。あなたに似ています、もし誰かがあなたに似ることができるとすれば。おやおやお世辞がお上手《じょうず》だとおっしゃるかもしれない。でもそれは本当なのですよ。少し前から私は実に行儀がよくなってきました。そうせずにはいられないものですからね。冗談もいいます。女の人たちは、私ぐらいお世辞のうまい人はいないといっています。(それから嘘《うそ》をつくことも、とつけ加えてくだすっても結構です。嘘をつかずにやっていけるものじゃありませんからね)フォン・B……嬢のことをお話ししようとしていたんですね。このひとの碧《あお》い眼を見ると、このひとが豊かな心の持ち主だということがわかります。自分の身分をいやがっています。心の願いを一つもかなえてくれないからなんです。このひとは俗世間から逃げだしたがっています。私たちは郊外に出て無邪気にたのしくとりとめもないことをいい合って時を過すことがよくあります。そうして、あなたのことを話すのです。このひとはあなたを慕っているんですよ。やむをえずというのではなくて、進んでそうなのです。とてもあなたのことをききたがって、あなたを愛している。――
あなたの足もとにすわって、あのなつかしいお部屋にいられたら。そうしてあの可愛い子供たちが私のまわりを飛びまわっていてくれたら。あなたがあまりやかましいとお思いだったら、こわい話をしてやって、みんなを私のまわりに集めてしんとさせてしまう。
雪のきらめく野の果てに太陽がすばらしく沈んでいきます。あらしはしずまりました。そうして私は――またもとの籠《かご》の中へもどらなければならない。――ではさようなら。アルべルトは一緒ですか。それで、どうですか――いや、私としたことが、とんだことをお尋ねしましたね。
[#地付き]二月八日
一週間以来というもの大変な天気だが、ぼくにはかえってありがたい。なぜってここにきて以来、今日はいい天気だと思ってよろこんでいると、必ず誰かに不愉快な思いをさせられるんだからな。雨がうんと降るとか、吹雪《ふぶき》だとか、霜がおりるとか、雪どけだとかいうと――やれありがたし、外へ出たって家の中と同じことだろう、あるいはその反対に、と考えてほっとする。朝、太陽が昇って、いい天気になるらしく思われると、ぼくは「さてこれで連中が互いに奪い合いをする天の賜物《たまもの》が手に入るわけだ」と叫ばずにはいられない。健康、名声、喜悦、保養。しかもたいていは低劣、無理解、狭量《きょうりょう》からなので、そのいうところをきくと、連中は連中なりに辻褄《つじつま》を合わせているんだからなあ。どうかまあお願いだから、そうお互いに腸《はらわた》の中を引っかきまわすようなことをしないでくれと、伏して懇願したくなるときがある。
[#地付き]二月十七日
どうやら公使とぼくとの関係はそろそろ危ないのじゃないかと心配している。まったくたまらない男だ。仕事のしぶりや事務のさばき方がなんともこっけいなので、なんとしても我慢ならず異を唱えて、ぼくはぼくなりにさっさとやっつけるんだが、そうするともちろんお気に召したためしなしだ。この間は宮廷に訴え出たらしい。大臣から穏やかなお小言をちょうだいした。穏やかとはいい条、お小言にはちがいない。仕方がない。辞職願を出そうかと思っているところへ、大臣から私信を受け取ったのだ。これを読んでひざまずいて、大臣の気高い高貴な賢明な心を拝みたかったよ。大臣はぼくの神経過敏をたしなめて、ぼくの活動について、他人への影響について、事務上の徹底についていだいている過激な考えを元気で青年らしいといって尊敬してくれて、それを根こそぎに失《な》くしてしまおうとせず、ただやわらげて、それらが真面目《しんめんぼく》を発揮して力強く活動しうるように仕向けようとされている。ぼくも一週間ばかりはそれに力づけられ、気持もよくまとまったのだ。魂の平静、これは貴重なものだ。自分自身にたいするよろこびだからね。ただこの宝石が美しくて貴重であるのと同時に、どうかそうこわれやすくさえなければいいんだがねえ。
[#地付き]二月二十日
神よ、君たちふたりに祝福を垂れたまえ。私にお恵みくださらなかった幸福な日々のすべてを君らに恵まれんことを。
ありがとう、アルべルト、ぼくをだましてくれて。実は君たちの婚礼の知らせを待っていたんだ。知らせがあったら、その日にはごく厳粛にロッテのシルエットを壁からはずして、ほかの反古紙《ほごがみ》と一緒にしてしまおうと心に期していたんだが。もう君たちは夫婦だが、ロッテの絵姿は依然として壁間にかかっている。このままにしておくことにしよう。それでいいではないか。たしかにぼくも君たちと一緒なんだから。君には迷惑をかけずにぼくもロッテの心の中にいるんだから。そうさ、第二番目の席を占めているんだ。ぼくはその席を保ち続けるつもりだ。そうせずにはいられない。万が一にもぼくがロッテに忘れられてしまうようなことがあったら、ぼくは気がふれてしまうだろう。――アルベルト、こう考えるとぼくは地獄に突き落されるような気がする。アルべルト、さようなら、天上の天使よ、さようなら、ロッテ、さようなら。
[#地付き]三月十五日
とんだ目にあった。もうここにはいたたまれない。歯をくいしばる、畜生、この不愉快は償いようがないんだ。まったく君たちの責任だぜ、やいのやいのといってぼくを駆り立てて、気に染まない地位に追い込んで苦しめたのは君たちなんだから。だからいわないこっちゃないんだ。それからまたぞろそれはお前の神経過敏のせいだなんていってもらいたくないから、年代記筆者がやるように簡単に一つの物語をしてあげようね、君。
フォン・C……伯爵《はくしゃく》はぼくを好いてくれて、目をかけてくれる。それは世間にも知れ渡っているし、もう何度も君に知らせたとおりだ。で、昨日《きのう》は昼食に呼ばれた。だがあいにく、夜は伯爵家で身分の高い人ばかりの集まりがあることになっていたんだ。そういうこととはちっとも知らなかったし、ぼくらみたいな下の連中が集まりに加わっていないなんてこともついぞ気づかずにいたのさ。それはそれでいい。ぼくは伯爵のお相伴をしてから、食後は伯爵と二人で大広間を歩きながら、伯爵や、折から来合せたB……大佐と話をしていたが、だんだん夜の宴会の時間が迫ってきた。ぼくはうかつにも考えていなかった。するとそこへ世にも尊きフォン・S……夫人がご夫君とご同道で、よく孵《かえ》った鵞鳥《がちょう》みたいな娘を引き具してご来臨遊ばしたと思いたまえ。胸の平べったい、コルセットで締め上げた娘だ。通りすがりにお家重代の高慢ちきな眼《め》つき、鼻つきをした。ぼくは心底からこういう手合いが気にくわんので、退却しようと思って、ただ伯爵がくだらんおしゃべりから解放されるときばかりを待っていると、知り合いのフォン・B……嬢が現われたんだ。ぼくはこのひとに会うと、いつも多少は気が晴ればれとするものだから、ついその場に居すわって彼女の椅子《いす》のうしろに立っていたんだが、しばらくしてからわかったんだけれど何か話しぶりがいつもよりぎごちなく、どうも迷惑そうな様子も見える。これは変だと思った。このひともほかの連中と同じことなんだろうかと考えると、腹が立ってきて、帰ろうとしかけたが、こっちの妙な邪推ではないかとも思い、まさかという気もあったものだから、まだひと言、ぼくの気持にぴったりするような言葉も聞けるかとその場にぐずぐずして、そして――とにかくその間に次第にお客さんが集まってきた。フランツ一世の戴冠式《たいかんしき》のころからの衣装を全部着こんだF……男爵、ここじゃ職掌柄《しょくしょうがら》フォンをつけて呼ばれている宮中顧問官のR……とその耳の悪い夫人なぞ、それから、古代フランクの衣装の破れ目を最新流行の布きれで縫い繕ったという格好の粗末ななりをしたJ……もやってきたっけ。そういうのがどんどんつめかけてきたんだ。二、三知った顔とぼくは話をしたんだが、みんなどうもひどく口数が少ない。ぼくは考えた――そうしてB……嬢だけに注意を向けていた。そうすると、女連が広間の片すみでひそひそ話をしていたっけが、それが男たちの間にも伝わり、フォン・S……夫人が伯爵に話をして(これはみんなあとでB……嬢から聞いたのだが)、伯爵がぼくの方へつかつかと歩いてきて、ぼくを窓ぎわに引っぱって行くんだ。――「君もご承知だろう、われわれの妙なしきたりをね。どうやらお集まりのお客様方には、君がここにおられるのがお気に召さぬらしい。わたしはけっしてなんとも」――「閣下」とぼくはみなまでいわせず、「幾重にもおわび申し上げます。まことにうっかりしておりました。しかし閣下はこのうかつをお許しくださるだろうと存じます。もっと早く失礼申し上げようと存じておりましたのに、どうした風の吹きまわしかついつい長居つかまつりまして」ぼくは微笑しながらこういい添えて、おじぎをした。――伯爵はぼくの手を握った。伯爵の心は十分ぼくに通じたわけだ。ぼくはこのお上品な集会をそっと抜け出し、一頭立の馬車をM……に走らせて、丘に登って沈んで行く太陽をながめ、ホメロスを開いて、オデュッセウスがすぐれた豚飼いのもてなしを受ける見事な詩節を読んだ。すべてすばらしかった。
夕方、御飯を食べに行きつけの料亭に行くと、食堂にはまだ二、三人残っていて、すみの方でテーブル・クロースをのけて骰子《さいころ》をころがしていた。そこへ正直なアーデリンがやってきて帽子を置きながらぼくの姿を見て、そばにきて小声でいうのだ。「いやなことがあったってね」――「ぼくがかい」「伯爵に追い出されたってじゃないか」――「夜会なんか、ぼくのほうでまっぴらごめんさ。外へ出られてありがたかったくらいさ」――「そうか、君がそんなふうになんとも思っていないのはよかったな。ただみんながもううわさをしているのはけしからんと思うんだ」――それを聞いてぼくは初めてむかむかしてきた。食事をしにきてぼくを見ていたやつらは、そうか、それでぼくをじろじろ見たんだな、と考えると、全身の血が逆上するようだった。
それだけならまだしも、今日なんかはぼくは行く先ざきで気の毒がられ、かねてぼくをねたんでいるやつらは勝ち誇って、少しばかり頭のいいのを鼻にかけて、頭さえよければ伝統なんかを無視してもいいなんて思いこんだうぬぼれ者の行く末かくのごとしなんていったり、そのほか何だかだと悪口雑言《あっこうぞうごん》を並べるのを聞くと――心臓に短刀を突き刺したくなるんだ。なるほど独立|不羈《ふき》の精神なんてことをいうにはいうが、自分たちの有利な地位を利用する卑怯《ひきょう》なやつらに何だかだいわれて我慢していられる人がいたらお目にかかりたい。そのおしゃべりが根も葉もない場合なら、聞き流してもいられようがね。
[#地付き]三月十六日
万事がぼくをいらいらさせる。今日|並木路《なみきみち》でB……嬢に会った。我慢しきれず話しかけて、連れから少し遠のくと早速この間の彼女の態度にたいするぼくの不満を表明した。「まあ、ウェルテルさん」と彼女はせつなそうにいうのだ。「わたくしの心をご存じなのに、あのときのことをそんなふうにおとりになったんですの。わたくし、広間に一歩はいりましたときから、あなたのことでずいぶん心をいためましたのよ。みんな初めからわかっていたものですから、よほどあなたにそれを申し上げてしまおうかと思いましたのよ。フォン・S……夫人やT……夫人はご夫君たちもご一緒に、あなたとご同席するくらいなら帰っておしまいになるだろうし、伯爵にしたところがこの人たちとまずいことになるのはいやがっていらっしゃるくらいのことは、ちゃんとわかっておりましたの――そうすると、今この騒ぎなんですわ」――「騒ぎって?」とぼくは一応とぼけて見せはしたものの、つい昨日アーデリンがいったこと全部がこの瞬間煮え湯のようにぼくの血管の中をかけめぐった。――「これまでだって、わたくし、どんなにつらかったことでしょう」と早や涙を浮べているのだ、このやさしい人は。――ぼくは自分を制することができず、彼女の足もとに身を投げそうになった。――「話してください」とぼくは叫んだ。――涙が彼女の頬《ほお》に伝わって流れている。ぼくはわれを忘れた。彼女は涙を隠そうとはせず、ぬぐった。――「ご存じでしょう、わたくしの叔母を」と彼女は始めた。落ち着いている。「あのときは叔母も出てきておりましたね、まあなんという眼つきをして見ておりましたでしょう。ウェルテルさん、ゆうべ一晩さんざん聞かされましたうえに、けさも早くからあなたとのおつきあいのことでお説教なんです。叔母があなたのことを悪《あ》しざまにこきおろしますのを、わたくしはじっと黙って聞いていなければいけなかったのです。ろくすっぽご弁護することもできはしませんでしたし、それにそうするわけにもまいらなかったのです」
その一言一言、心臓に剣を突き通される思いで聞いた。いっそそういうことは、みんなぼくにいわず黙っていてくれたほうがありがたかったのだが、彼女はそこに気がつかないらしく、これからさきもいろいろなうわさが飛ぶだろうとか、一部の人たちがそのために凱歌《がいか》をあげるだろうとか、他人にたいするぼくの軽蔑《けいべつ》や高慢がこらしめられて(これはもう以前からぼくに非難されていた点だ)、連中がみな悦に入るだろうとか、そんなことまでつけ加えて話すのだ。ウィルへルム、こういうことを真心こめた声で彼女の口から聞くというのは――ぼくはやられた。今でもまだ胸が煮えくり返る。いっそ誰かが面と向ってぼくを非難してくれたらいい。そうしたらぼくは相手の胴腹に刀をぐさりと突き刺してやる、血を見たらぼくの気持もいくらか納まるだろうとさえ思った。実際ぼくは何度短刀を握ってこの苦しい胸を楽にしようと思ったかしれない。種のいい馬ははげしくせめられると、息を楽にするために本能的に自分の血管をかみ破るということだ。ぼくもたびたびそんな気になる。血管を切り開いて、永遠の自由をえたいと思うのだ。
[#地付き]三月二十四日
宮廷に退官を申し出た。おそらく聴き届けられようかと思う。あらかじめ君たちの許しをえなかったのは申し訳ないが、どのみちここにはいられないし、それに君たちがぼくに思いとどまらせようとして何かといってくれるだろうことも、すっかりぼくにはわかっているし、それに――おふくろにはよしなに話をしておいてくれたまえ。ぼくは自分で自分の始末がつかないのだから、おふくろの面倒が見られなくても、きっと許してくれるだろう。むろんおふくろは悲しむだろう。なにしろ息子が枢密《すうみつ》顧問官や公使を目ざしてまっしぐらに踏み出した美しいコースが今度みたいに突然中断されて、子馬はもとの厩《うまや》に逆もどりというわけだから。君たちのいいようにどうともとってくれたまえ。こうだったら留任できただろうとか、ああだったら留任すべきだろうとか、いろいろな場合もそれぞれに考えられるだろうが、とにかくぼくは辞める。ではぼくがどこへ行くかというと、当地に××公爵という人がいるが、この人はぼくとうまが合うというのか、ぼくの意図を聞き知って自分の領地へ一緒にこいというのだ。美しい春をそこで過したらよかろうというんだ。気ままにさせてくれるという約束だし、われわれは互いにある程度は打ちとけられる間柄なんだし、一《いち》か八《ばち》かこの人について行ってみようと思う。
[#地付き]四月十九日
追伸
お手紙二通たしかに拝受。退官願いが聴き届けられるまで、同封の先月二十四日付の手紙をそっちへ送らずにおいたために返事がおくれた。おふくろが大臣に頼みこんで、ぼくの計画の邪魔をしやしないかと思ったので。だがもう大丈夫だ、許可がきているから。宮廷ではだいぶこの許可を出ししぶったようで、大臣からも手紙をいただいた。――こんなことを君たちが知ると、またぞろ新たな繰り言の種を提供するようなものだが。公子からは退職のはなむけとして二十五ドゥカーテンのご下賜《かし》があった。公子のお言葉にはぼくも感涙にむせんだ。ぼくが先日の手紙で母に頼んだお金は、だからもういらなくなった。
[#地付き]五月五日
明日《あす》ここを発《た》つ。道筋からわずか六マイルのところにぼくの生れた場所があるので、そこへも久々に立ち寄って、昔のたのしい夢見心地《ゆめみごこち》の時代を思い出そうと思う。父の死後、母がぼくを連れて、現在の堪えがたい町へ引きこもろうとして出て行ったあの門をはいってみよう。じゃ失敬、ウィルヘルム、途中の便りはする。
[#地付き]五月九日
巡礼者のような敬虔《けいけん》な思いをこめて故郷への巡礼行を終えた。そうして数々の思いがけぬ感情にとらえられた。S……からやってきて、町へ十五分ばかりのところに大きな菩提樹《ぼだいじゅ》が立っているが、車をそこで停《と》めてぼくは降りて、馬車はそのまま先へ行かせた。徒歩でいっさいの追憶を思う存分にいきいきと新たに味わおうと思って。そうして菩提樹の下に立ってみた。昔、子供のころにはここが散歩の目標でもあれば、その限界でもあったのだ。変ってしまった。あのころは幸福に無邪気に、ぼくは未知の世界をあこがれて、ぼくのあこがれはやる胸を満たし満足させるゆたかな養分、ゆたかな享楽《きょうらく》を未知の世界のうちに期待したのだった。今、ぼくは広い世界から再びここに舞い戻ってきた。――ウィルヘルム君、希望という希望はくずれ、計画という計画は破れた。向うに見える山々にも、昔はいろいろな願いをかけていたのだ。何時間もここにすわって、山のあなたにあこがれ、やさしくかすみ渡ってぼくの眼に映る森や谷間にわれとわが心をとけこませたものだった。そうして家へ帰らなければならない時刻がくると、このすばらしい場所を立ち去りがたい思いにひどく苦しめられたものだった。――町に近づいて行き、古《ふる》馴染《なじ》みの別荘を見て心からあいさつを送った。新しいのは気に入らない。そのほかに加えられた変更はすべて不愉快にながめられた。門をはいると、すぐ昔どおりの自分に立ちかえった。しかしこまごましたことは書かずにおこうね。ぼくにはどんなに面白くても、それをきく君のほうじゃ退屈だろうから。宿はぼくらが昔住んでいた古い家の隣の、広場に面した宿屋にしようときめていた。通りがかりに、あの実直な老婦人が幼いぼくたちを押しこめた寺子屋の教室が小間物店に変っているのに気づいた。あの檻《おり》の中でぼくが堪え忍んだ不安、涙、胸苦しい感情、せつなさが思い出された。――一足ごとに、注意をひかれないものはなかった。聖地の巡礼者でも、これほど多くの宗教的な追憶の場所に行き会うことはなかろうし、その心もこれほど宗教的な感動に満たされはすまい。――書きたいことは山ほどあるが、たった一つだけ書こう。川沿いにある屋敷のところまで行ってみた。これもぼくの散歩道だった。平たい石を投げてできるだけ幾度も水を切らせようとして遊んだ場所だ。まざまざと昔がよみがえってくる、ぼくはよくここに立って、水の流れをながめ、本当に不思議な予感をもって川下の方を見、この川の流れて行く末にある地方はどんなふうのところだろうと想像をほしいままにしたが、むろんぼくの想像力はすぐ底をついてしまう。けれどもかまわずその先を考えて行くとついには見ることのできぬ遠方を心に描いて呆然《ぼうぜん》としたものだった。――そうじゃあるまいか、ぼくらの立派な先祖たちは、あんなに狭い知識しか持たなくとも、あんなに幸福だったのだ。その感情、その文学はあんなに子供らしかったのだ。オデュッセウスが、はかるべからざる海原《うなばら》、限りなき大地というとき、それは実に真実で人間的で切々と引き締っていて神秘的だ。今日ぼくが小学校の生徒と一緒になって、地球は丸いなんて人まねしていったところで、それがどうだというのだろう。人間は、その上で味わい楽しむためにはわずかの土くれがあれば足り、その下に眠るためにはそれよりももっとわずかで事が足りるのだ。
いよいよ公爵《こうしゃく》の猟舎にきている。公爵とは気分よく一緒にいられる。正直で単純な人だ。お取り巻きには、ぼくなどのちょっとわかりかねるような妙な人間がいる。悪者とは見えないが、さりとて実直というふうでもないようだ。時には正直に見えることもあるが、まあやはり信用の置ける人たちではない。さらに遺憾に思うことは、公爵がただ人から聞いたり本で読んだりしたことを、しかも他人から借りてきたらしい立場で話すことだ。
それに公爵はぼくの心よりも、ぼくの理知や才能のほうを高く評価しているんだが、このぼくの心こそはぼくの唯一《ゆいいつ》の誇りなのであって、これこそいっさいの根源、すべての力、すべての幸福、それからすべての悲惨の根源なんだ。ぼくの知っていることなんか、誰にだって知ることのできるものなんだ。――ぼくの心、こいつはぼくだけが持っているものなのだ。
[#地付き]五月二十五日
実はある計画が立ててあって、実現されるまでは君たちには何もいわないつもりだったが、それがだめになったので、どっちでもよくなってしまった。戦争に行こうと思ったのさ。ながい間そう思い続けていたんだ。公爵のあとについてここへやってきたのにも、実はそんなわけがあったのだ、公爵は××勤務の将軍だ。散歩の折打ち明けたところ、とめられてしまった。もしもぼくが彼のあげるいろいろな理由に耳をかすまいとしたのだったら、ぼくの従軍志願は気まぐれというよりむしろ情熱だったのだろうが。
[#地付き]六月十一日
君が何といおうと、もうこれ以上ここにはいられない。ここにいたってまったくしようがないんだ。退屈だ。公爵は本当によくしてくれる。だけど落ち着くことができない。ぼくら二人の間には結局共通点がない。公爵は理知の人、しかしごく平凡な理知の人だ。公爵との交際は、よく書かれている本を読む以上にぼくを面白がらせはしない。まだ一週間はいるが、そうしたらまた当てのない旅に出る。ここにいてした仕事のうち一番よかったものは絵を描《か》いたことだ。公爵は芸術がわかる。もしあんなに衒学《げんがく》的でなくて、陳腐な術語に煩《わずら》わされなかったら、もっとよくわかる人なんだが。せっかく心をこめて自然や芸術の話を面白くしてやるのに、型のごとき術語で危なげな意見を吐いて、どうだこれで一挙に片づいたろうなんて顔をされると、まったくやれやれだよ。
[#地付き]六月十六日
そうだ、ぼくは放浪者にすぎぬ。この世の巡礼者だ。しかし君たちもそれ以上のものなのだろうか。
[#地付き]六月十八日
君のことだからぼくの行く先を打ち明けようか。あと二週間はまだここにいなければならないが。そうしたら××鉱山に出かけてみようと思っている。だが、白状するとこれも口実なんだよ。そんなことはどうだっていいんで、ぼくはただ少しでもまたロッテの近くへ行きたい。それさ、問題は。ぼくは自分の心を笑いながら――しかもその欲するがままにするのだ。
[#地付き]七月二十九日
いやこれでいいのだ、万事これでいいんだ。――ぼくがもし――彼女の夫だったら。ああ、私をつくられた神よ、あなたがもしこの至福を私にお与えくださったとしたら、私の全|生涯《しょうがい》は不断の祈りであったことでしょう。私は文句をいうのではないのです。しかしこの涙を、このむなしい願いをおゆるしくださいまし。――彼女がぼくの妻。もしぼくがこの世で最も愛らしいロッテをこの腕にかきいだくのだったら。――身震いがする、ウィルヘルム、アルべルトがあのかぼそいからだを抱いていると考えると。
しかしこんなことをいってもいいんだろうか。悪いわけはあるまい、ウィルヘルム。ロッテはぼくと一緒だったほうがずっと幸福だったろうと思う。アルべルトはロッテの心の願いをすべて満たしてやれる人間じゃない。感受性にある欠陥がある。あの欠陥――この言葉は君のいいように解釈してくれ。アルべルトの心は――ぼくとロッテとが一体になれるような、面白い本のそんな個所にきたって――そうだ――共鳴して鼓動しないんだ。ぼくら二人の心持が第三者の行動を見て声をあげたくなるような、そういった数限りない場合にだって。ウィルヘルム君――むろんアルべルトは心底からロッテを愛しているさ。だからそれほどの愛ならどんな酬《むく》いを受けたっていいんだ。――
我慢ならんやつに邪魔をされた。涙はかわいた。気も散ってしまった。さようなら、ウィルヘルム。
[#地付き]八月四日
ぼくばかりではないのだ。人間誰でも希望を欺《あざむ》かれ、期待を裏切られる。菩提樹の下の例の善良なおかみさんをたずねた。一番上の男の子がうれしさのあまり大声を出してぼくの方へかけてきたものだから、おかみさんもその声につられて外へ出てきた。ひどく沈んだ様子で、口を開くなりこういうのさ。「旦那《だんな》さま、うちのハンスが亡《な》くなってしまいまして」――一番下の男の子だ。ぼくは黙っていた。――「主人もスイスから帰ってはまいりましたが、手ぶらでございまして、親切な方々がいらっしゃらなかったら、乞食《こじき》をして帰ってこなければならなかったでございましょう。途中で熱病をわずらったものでございますから」――ぼくは何もいえず、子供にいくらかやった。りんごを少しばかり、どうしても持っていけというのでもらって、悲しい思い出の場所を立ち去った。
[#地付き]八月二十一日
手の平を返すように、心境がたちまち一変する。時とすると生活がよろこばしい色合いを帯びそうになることがある。が、それも一瞬のことにすぎない。――正体なく涙に暮れていると、もしアルべルトが死んだら、お前は、いやロッテは、などとついつい考えてしまう。そうしてこの幻を追って行く。が、深淵《しんえん》の縁に行きついて、身ぶるいとともにあとしざりする。
町の門を出て、ロッテを踊りに連れて行くのに初めて通った道を歩いた。変ってしまった。すべてが実に変ってしまった。何もかも過ぎ去った。昔の有様の俤《おもかげ》はなく、昔の感情の一鼓動さえない。かつては全盛の領主として城を建て、贅《ぜい》を凝らして飾り立てたその城を、死にのぞんで最愛の子息にあふれる希望とともにのこしたが、その城が焼けこわれてしまった跡へ帰ってきた亡霊ならさしずめこうだろうか、といった気持だ。
[#地付き]九月三日
ぼくだけがロッテをこんなにも切実に心から愛していて、ロッテ以外のものを何も識《し》らず、理解せず、所有してもいないのに、どうしてぼく以外の人間がロッテを愛し|うる《ヽヽ》か、愛する|権利がある《ヽヽヽヽヽ》か、ぼくには時々これがのみこめなくなる。
[#地付き]九月四日
やっぱりそうしたものだろうか。自然が秋へと傾くように、ぼくの心にも身辺にも秋色が濃くなってゆく。ぼくの心の木の葉は黄ばんでくる。そうしてあたりの木々の葉はもう散り落ちてしまった。ぼくがここへきてすぐのころ、ある作男のことを一度書いたろう。今度またワールハイムにきて、その男の消息をたずねてみたが、主家を追い出されたというだけで、誰もそれ以上詳しいことを話したがらないのだ。昨日《きのう》偶然ほかの村へ行く道でばったり会ったから話しかけたところ、事情のあらましを話してくれた。二重にも三重にも感動させられた。そのおさらいをすれば、君も容易にわかると思う。だがそんなことをしたってしかたがないんだがね。ぼくを不安にし傷つけるようなことをどうしてこの胸一つに納めておかないんだろう。なぜ君までも悲しますんだろう。なぜぼくはこういつも君にたいして、ぼくをあわれみ叱《しか》る機会を与えるのだろうね。まあ、いいさ、これもぼくの運命の一つだろう。
ぼくの問いに答える男の様子は沈んだ静かな調子だったので、何か臆《おく》しているように見えたが、間もなく突然われに返りまたぼくにも気がついたというふうで、前よりも率直に自分の犯したあやまちを告白し、その身の不幸を嘆いた。その一言一句を君の前に直接持ち出せたらと思う。女主人にたいする愛着が日増しに強くなって、しまいには自分が何をしているのか、また彼の言葉でいうと、自分の頭をどこに置けばいいのか、自分でわからなくなってしまったと打ち明けてくれた。いや打ち明けというよりは、追憶をたのしくかみしめるように話してきかせたといったほうが適当かもしれない。食べることも飲むことも寝ることもできなくなって、喉《のど》は締めつけられるような気がし、してならないことをしてしまったり、頼まれた仕事を忘れたり、憑《つ》きものでもしたような具合になって、とうとうある日、主人が上の部屋にいるのを知って忍びよったのだ。いや吸い寄せられてしまったというほうが正しいんだろう。願いがききいれられなかったので、腕ずくで思いを遂げようとしたわけだ。自分がどうしてそんなことをやってしまったか、自分でもわからないという。女主人にたいしてはいつも真正直に考えていたし、その夫となって一緒に暮すということばかりを切に願っていたことは神も照覧あれという次第だ。こうしてしばらく話をしているうちに妙に言葉がつかえてきたんだ。いうべきことはあるが、どうもそれを口に出す勇気がないといったふうだ。それでも内気に白状したところによると、その女主人のほうでも彼に向って多少は気のあるような素振りを見せて、相当親しく近づくことも許したらしい。二度も三度も言葉をとぎらせて、こんなことをいうのは、彼の言葉どおりにいえば、あのひとを悪者にするためじゃない、自分は今までどおりあのひとを尊敬し愛しているので、今いったようなことを口にしたことはないのだが、ただ自分がまったくのばか者だと思われては心外なのでぼくに話すのだといって熱心に弁明を繰り返した。――さてここでまた、ぼくの永久に歌うお定まりの歌が始まるのさ。あの男の様子、今でもぼくの心の中にあるあの男の姿を君に見せてやりたい。もしぼくがすべてを正しく君にいえたのなら、ぼくがいかにあの男の運命に同情しているか、同情せざるをえぬか、君もわかってくれると思う。もっとも君もぼくの運命を知っているし、ぼくという人間を知っているんだから、ぼくがすべて不幸な人たちにひきつけられる所以《ゆえん》、ことにこの不幸な男に関心を持つ所以はわかりすぎるくらいにわかるだろう。
手紙を読み直してみて気づいたが、ぼくは話の終末を書くのを忘れてしまった。しかし容易に想像がつくだろう。女主人は抵抗する。そこへ弟に当る人がやってくる。この弟というのは前々からこの作男を憎んでいて、追い出したがっていた。というのはもし姉が新たに結婚すると、自分の子供たちのふところにころげこむはずの遺産がふいになるからだ。姉には子供がないので、そのままの状態なら当然そうなるわけだ。この弟というのが作男をすぐさま追い出して、事を大仰にしてしまい、たとい女主人のほうにその意志があっても、もう二度と雇い入れるわけにはゆかぬようにしてしまったんだ。今では別の男が雇われているが、うわさによるとこの男のことでも弟と仲たがいをしてしまったそうで、どうやらこの男と女主人は結婚するらしいことは確実だが、そんなことでもあれば自分はただではおかぬつもりだという。
ぼくの報告には誇張はない。美化もない。むしろ控え目にすぎたといってよかろう。ぼくがありきたりの道徳的なきまり文句を使ったので、話が雑になってしまったかと思う。
だからこの愛着、この信実、この情熱は詩的創作じゃない。それはぼくらが無学だの粗野だのという階級の人たちの中に、きわめて純粋に生きているんだ。ぼくら教養ある人間は――実は教養によってそこなわれた人間なんだ。この話をまじめに読んでみてくれたまえ。この話を書いたので今日は心が静かだ。ぼくの気持がいつものようにせかせかと波立っていないことは筆跡を見ればわかるだろう。まあ読んでくれたまえ。そうしてこれはまた君の友人の身の上話でもあることを思ってくれたまえ。そうさ、ぼくだってこのとおりだったのだ。そうしてこのとおりになるだろう。しかしぼくはこの哀れな不幸者ほどけなげでもない。しっかり者でもない。自分をこの男と比較する勇気がないくらいだ。
[#地付き]九月五日
ロッテは、仕事のために田舎へ行っている夫に短い手紙を書いた。こういう書き出しだ、「おなつかしいあなた、できるだけ早くお帰りくださいまし。限りないよろこびをもってお帰りをお待ち申し上げております」――ちょうど一人の友だちがたずねてきて、ちょっとさしつかえがあってそう早急にはまだ帰れないという知らせをもたらした。手紙は発送されず、夕方ぼくの眼《め》に触れた。ぼくは読んで微笑した。どうしてお笑いになるの、ときかれてぼくは叫んだ。――「空想力というものは、実際神の賜物《たまもの》ですね。この手紙、一瞬間ぼくに宛《あ》てたものだと勝手にきめてしまったんですよ」――ロッテは話をふっと切った。気を悪くしたらしい。ぼくも黙ってしまった。
[#地付き]九月六日
やっとの思いで青い粗末な燕尾服《えんびふく》を脱ぎすてることにした。初めてロッテと踊ったときの服だ。もっともこのごろではぼろぼろになっていたんだ。しかし前と全然同じのを作らせた。襟《えり》も袖《そで》も。それに前と同じの黄色いチョッキとズボンも。
しかし全然前と同じような感じは出ない。どういうわけかしらないが。――まあ着ているうちにはこれも気に入ってくるだろう。
[#地付き]九月十二日
アルべルトを迎えに行ったので、ロッテは二、三日留守をした。今日ロッテの部屋へ行くと、向うからぼくを迎えてくれた。うれしくて手に接吻《せっぷん》した。
鏡のところからカナリヤが一羽飛んできてロッテの肩にとまった。――「新しいお友だち」といって、自分の手の上にさそいよせた。「小さい人たちにと思いましたの。可愛《かわい》いのよ。ごらんなさい。パンをやりますと、羽をばたばたさせて、とてもおとなしく食べます。接吻もしますのよ、よくって」
ロッテが口を差し出すと、小鳥はとても可愛らしくロッテの美しい唇《くちびる》に接吻する。まるでその享《う》ける幸福を感ずることができるように。
「あなたにも接吻させてやりましょう」こういってロッテは小鳥をぼくの方へよこした。――小さな嘴《くちばし》はロッテの口を離れてぼくの口に移った。ぼくの唇をついばむ感触は、愛情のこもった享楽《きょうらく》のいぶき、予感のようだった。
ぼくはいった。「この接吻は欲望を含んでいますね。食べものが欲しいんだ、だからただ可愛がってやるだけでは不満のようですね」
「わたくしの口から餌《え》を食べもするのよ」ロッテはこういった。――唇にパン屑《くず》を少しはさんでロッテが差し出した。無邪気ないたわりの愛情が限りない歓喜のうちにたのしく笑っているような唇だ。
ぼくは顔をそむけた。あんなことはしてもらいたくない。そんな、天使のような純真さと浄福の表現でぼくの空想力を刺激してもらいたくない。味気ない人生が時に誘い込んでくれる眠りの中からぼくの心をさましてもらいたくはないんだ。――しかし、それもいいじゃないか。――ロッテはそんなにぼくを信頼していてくれるんだから。どんなにぼくが愛しているか、ちゃんと知っているんだから。
[#地付き]九月十五日
気が狂いそうだ、ウィルヘルム、この世にまだわずかばかり残っている貴重なものに全然無感覚な人間がいるということを知ると。覚えているだろう、ぼくがロッテと一緒にたずねたことのある聖……の実直な牧師さん、あのひとのところにあったくるみの木さ、あのすばらしい! いつもぼくの気持を実に晴ればれとさせてくれた木だ。あの木があるために牧師館が親しみ深くもあったんだし、あの枝ぶりのすばらしさ、すがすがしさ。あれを大昔に植えた尊敬すべき坊さんたちの追憶。学校の先生は自分のおじいさんから聞いたというある坊さんの名前をよくいっていたっけが、とても立派な人だったそうだ。あの木陰に立つとぼくはいつもおごそかにその人を思い出す。いいかね、あの木は切りたおされてしまったんだよ。昨日先生にそのことをいうと、涙を流しておられた。――切りたおされたんだ。気が狂いそうだ。最初の一撃を加えた犬畜生は殺してやりたい。もしぼくの家の庭にあんな木が二、三本もあって、その一つが老齢のために枯死するようなことでもあれば、ぼくは悲しみのために病気になってしまうだろうに、そのぼくが今は傍観していなくてはならないんだ。しかし、たった一つ痛快なことがある。人の気持って妙だね。村中がおこりだしちゃったんだ。牧師夫人が、あの木を切らせることによって、村にどんな憤慨の種をまいたかは、バターや卵やその他の進物の来具合で納得するだろう。なぜってこの女なんだ、この新しい牧師のかみさんが今度の事件の張本人なんだ。(先の牧師さんももう死んでしまった)やせていて病身で、誰もかまってくれないもんだから、自然世間のこともおかまいなしなんだ。学者気取りのばか女、聖典研究に血の道をあげ、最新流行のキリスト教の道徳的批判的改革に夢中で、ラーファーテルの狂信を鼻先で笑い、からだがひどく悪いもんだから神の大地に何のよろこびも感じない。こういう人間だからこそ、あのくるみを切りたおす気にもなれたんだろうさ。あきれ返ってものもいえない始末だ。落ち葉で庭がよごれる、じめじめする、日当りがわるい、実が熟すると子供が石を投げる、そんなことが癇《かん》にさわる、ケニコットやゼムレルやミヒァエーリスの比較考究の深刻な冥想《めいそう》が妨げられるというのさ。村の人たち、ことに年をとった人がひどく腹を立てているのをみて、「なぜあんた方は黙っているんだ」とたずねてみたが、「村長さんがそのつもりなら、この土地じゃ、どうにもなりませんや」という返答だ。――しかしただ一つ愉快だったのは、たださえスープの味をまずくする女房のわがままをこの際逆に利用しようとして、村長としめし合せて、木を売った金を山分けにしようとしたんだが、それを管理所が聞き知って「こっちへよこせ」といいだしたわけさ。木の植わっていた部分の土地にたいしては管理所に昔からの権利があるんで、管理所の手で競売された。木はたおれている。ぼくがもし領主だったら、牧師の細君も村長も管理所も――領主!――うん、そうであれば領内の木のことなんかかまいはしないだろう。
[#地付き]十月十日
あの黒い眼を見ただけで、もう気持がよくなってしまう。それを、君、不快なのは、アルべルトは――期待していたほどには――もしぼくが――だったら、こうだろうと信じていたほどたのしそうに見えないのだ。――ぼくはダッシュなんか使いたくない。しかしそのほかには表現しようがないんだ。――しかし、きわめてはっきりしていると思う。
[#地付き]十月十二日
心の中では、オシアンがホメロスを追いのけてしまった。なんという世界だ、このすばらしい人間がぼくを引っ張って行く世界は。渦《うず》巻く霧の中を、祖先の亡霊たちを定かならぬ月光|裡《り》に導き行くあらしに包まれて、荒野をさまよい行くのだ。山の方からは、森を流れる水流のどよみの中を、亡霊の半ばかすれたうめき声が洞窟《どうくつ》から聞えてくる。また、最愛の高貴なるひとの眠る苔《こけ》むして草ぼうぼうたる四つの墓石のほとりには、死なんばかりになげき悲しむ乙女の慟哭《どうこく》が聞かれる。はてしなき荒野に父祖の跡を尋ねて、ああ、その墓石を見つけ出《い》だし、波うつ海に隠れ行くやさしい夕ベの星をいたむとき、この英雄の胸には、まだやさしい光が果敢なる人々の危難の行く手を見守り、月が花輪に飾られて凱旋《がいせん》して帰ってくる船を照らしていた過ぎし日々がよみがえってくる。額に深い苦悩の色を浮べ、最後にただ一人残された寄るべなき英雄が、疲れ果てて墓のほとりへとよろめき進み、亡《な》き人々の力なき幻の影を見て、いたましく燃え上がるよろこびを幾度となく胸に吸い込み、冷たい大地を、丈高《たけたか》い草の風になびいているのを見おろして叫ぶ。「わが美しかりしを知れるさすらい人は来たるベし、来たるべし。来たり問うべし、『かの歌い人、フィンガルのすぐれたる息子はいずくぞ』と。彼の足はわが墓の上を踏み行きて、むなしくわれをこの地上に問い求めん」――君、ぼくは気高い従者のように剣を抜いて、断末魔の苦しみに息のとだえゆく自分の主君をひと思いに刺して、この解放された半神の跡を追って自分も死んで行きたい。
[#地付き]十月十九日
この空隙《くうげき》、この胸の中に感ずるおそるべき空白。――ぼくはよくこう考える、もしお前が一度でもいいからロッテをこの心に押しつけることができたら、この空白はうずめられるだろうと。
[#地付き]十月二十六日
ぼくにはだんだん確かになってくる。確かに、日増しに確かになってくる、人間の存在なんて何でもないんだ、まったく何でもないんだ。ロッテのところへ女の友だちがきたので、ぼくは隣の部屋へ行って本を手に取った。読めない。で、ペンを手にものを書こうとした。低い話し声が聞える。互いにとりとめもない、街のうわさをしている。あの人が結婚するとか、この人が病気で大変悪いとか。かわいた咳《せき》をする、顔が骨ばってきた、気が遠くなることがある、もう絶望だと一方がいう。誰それさんもずいぶんお悪いんですって、とロッテ。もうむくみがきたそうよ、と友だち。――ぼくはそういう哀れな人たちの病床に思いを馳《は》せずにはいられない。ぼくはそういう人たちを目《ま》のあたりに見た。みんな死んで行くのをいやがって、まあどんなにか――ウィルヘルム、それなのに女たちの話を聞いていると――縁もゆかりもない人が死んで行くような感じだ。――ぼくは身のまわりを見まわす、部屋の内を見まわす、そばにあるロッテの衣装やアルべルトの書類、すっかりおなじみになってしまった家具、このインク壺《つぼ》もそうだ。そうしてこう考えるのさ、お前はこの家の何なのだ。はっきりいってみれば。お前の友だちはお前を尊敬している。お前もたびたび彼らをよろこばせる。お前の心は彼女なしには生きていられないようなふうに見える。――しかも、もしもお前がこの小世界から別れ去って、行ってしまったら、お前のいないということが彼らの運命に残す空白を彼らは感じるだろうか、どのくらいながい間感じているだろうか、どのくらいながい間。――いや、人間ははかないものだ、自分自身の存在が本当に信じられる場合だって、自分がちゃんとそこにいるということを本当に印象づけることのできるような場合、だから自分の愛する人々の思い出や魂の中でだって、やがては消え薄れて行かざるをえないんだ、しかもまたたく間に。
[#地付き]十月二十七日
人間はどうして互いにこうまで冷たくしていられるんだ。それを思うと胸をかきむしり、脳天をたたきこわしたくなることがよくある。ああ、愛だってよろこびだって、あたたかさだってたのしみだって、ぼくが提供するんでなければ、誰もこっちに与えてくれはしない。そうして冷然と力なくぼくの前に立っている人は、ぼくがどんなにたのしく胸をふくらませていたって幸福にしてはやれないんだ。
[#地付き]同日夕刻
ぼくは実にいろいろなものを持っている。しかし彼女を慕う心がいっさいをのみこんでしまう。ぼくは実にいろいろのものを持っている。しかし彼女なくしてはいっさい無となる。
[#地付き]十月三十日
ぼくはもう百遍もすんでのところで彼女の頸《くび》にかじりつこうとした。こんなにいろいろと親しさを見せつけられて、しかも手を出してはならないのだ。このぼくの気持は神以外にはわからない。手を出すというのは、人間の一番自然な衝動だ。子供は、眼につくものには何でも手を出すじゃないか。――ぼくだけ別だというのか。
[#地付き]十一月三日
本当なんだ、ぼくはよく、もうこれっきり眼がさめなければいいがと願い、さめないでくれと念じつつ寝床に身を横たえる。ところが朝がくれば眼をあける、再び太陽を見る、そうしてみじめな思いに沈む。気まぐれになれたらねえ。お天気や第三者や失敗した企てなんかに罪をなすりつけることができたら、堪えられない不満の重荷も半分は軽くなるだろうが、残念ながら、いっさいの罪が自分だけにあることはわかりすぎるくらいわかっているんだ。――いや、罪じゃない。つまり以前いっさいの幸福の源がぼく自身の中にあったように、いっさいの悲惨の源はぼく自身の中に隠されているのさ。以前あふれるばかりの情感のうちに漂い、一足進むたびごとに、背後に天国が開けていき、一つの世界全体をやさしくかきいだいた心の持ち主は、果して現在のこのぼくなんだろうか。しかもこの心はもう死んでしまっているんだ。もうここにはどんな感激もわかない。眼《め》はひからび、感覚はもはや慰めある涙で元気づくこともなく、額に不安のしわをつける。苦しくてたまらぬ。なんといったってぼくの生活の唯一《ゆいいつ》の歓喜だったもの、身のまわりにいくつもの世界をつくりだしたあの神聖な活力をなくしてしまったのだから。あの力はなくなってしまった。――窓から遠い丘をながめ、朝日が霧を破って丘の上に昇り、静かな草原を照らして、葉の落ちた柳の間を縫ってゆるやかな川がぼくのいる方へうねってくるのを見るとき――ああ、このすばらしい自然もまるでニス塗りの風景画のようにぼくの眼下にじっと動かずに置かれているんだ。どんな歓喜も、ぼくの心臓からただの一滴の幸福感さえ頭脳へ注ぎ込んではくれない。まるで水のかれた井戸、かわききった桶《おけ》みたいに、人間一人が神の面前に突っ立っている。幾度も地に身を投げて神に涙を乞《こ》うた。空がぎらぎらと輝き、身のまわりの大地がひからびるときに農夫が雨乞いをするように。
だが、むろんだめだ、神はぼくらのせっかちな願いには雨も陽《ひ》の光も与えはしない。それにしても、あのころはなぜあんなにたのしかったんだろう。思い出すと苦しい。辛抱強く神の心を待って、神が注ぎかけてくれた歓喜をありがたく切実な思いで心全体で享けたからなんだろうか。
[#地付き]十一月八日
ロッテはぼくの乱暴をしかった。ああ、なんというやさしい思いがこもっていたろうか。ぼくがよく乱暴にも一杯のぶどう酒からつい一びんあけてしまうものだから。――「だめよ、そんなことをなすっては。ロッテのことを考えてちょうだい」――「考えるですって。そんなことをぼくに命令する必要があるんですか。考えていますとも。――いや、考えてなんかいない。あなたはいつだってぼくの心の中にいる。今日もぼくはあなたが先日馬車から降りた場所にいたんです」――ロッテは話題を変えて、ぼくをそういう話の方向からそらそうとした。君、もうおしまいだ、ぼくはロッテのいいなり放題、どうにでもなってしまう。
[#地付き]十一月十五日
ウィルヘルム、親切なご忠告ありがとう、いろいろ心配してくれてすまない。だが安心していてくれ。ぼくにこらえさせてみてくれ。ひどくやられてはいるが、まだがんばり通す力は十分にある。ぼくは宗教を尊敬する、これは君も知っているね、宗教は多くの疲れた人には杖《つえ》となり、多くの衰えきった人には慰めとなるとぼくも思う。ただ――いったい宗教は誰にたいしてもそうありうるのだろうか、そうなければならんのだろうか。広い世間を見渡せば、宗教がそんなふうでないたくさんの人がいることがわかるはずだ。宗教がそんなふうの意味を持ちそうにもないたくさんの人たちだ。これは説教をきくきかぬに限らずだ。そこでぼくの場合はどうなのだろうか。神の子さえも、自分のまわりに集まるのは、父なる神が自分に与えた人たちだといっているじゃないか。ところでぼくがもし神の子に与えられている人じゃなかったら。ぼくの心がぼくに告げているように、もしぼくを神が自分のためにとっておこうとするのだったら。――お願いだから誤解しないでくれ。この無邪気な言葉から嘲弄《ちょうろう》なんかを読みとらないでくれ。ぼくが君に見せているのはぼくの魂なのだ。でなかったら、ぼくはむしろ黙っていただろう。むろんぼくにしたって誰にもわからないようなこといっさいについては何もいいたくはないさ。つまり人間の運命とは、自分の分に堪え、自分の杯を飲みほすことではないか。――そうしてこの杯を天の神が人間の身であったときに苦すぎると思ったのなら、ぼくが空《から》意地《いじ》を張って、うまそうな顔をしてみせるにはあたるまい。ぼくの全存在が有と無の間に打ち震え、過去が稲妻のように未来の暗い深淵《しんえん》の上に光を投げ、身辺のいっさいが没落し、ぼくと一緒に世界がくずれて行くというおそるべき瞬間に、どうしてぼくが恥ずかしがる必要があろう。――「わが神、わが神、なんぞわれを捨てたまいしや」と、むなしく上にあがろうとしてもがく力の深みから歯ぎしりするのが、自分の中へ追いつめられ自分を見失いとめどなく墜落して行く人間の、そんな場合の声ではあるまいか。もろもろの天界を一枚の布のようにまいてしまう神の子さえも免《まぬか》れなかった瞬間にぼくがおびえたって、いっこうにかまわないじゃないか。
[#地付き]十一月二十一日
ロッテがぼくに向って、ぼくら二人を破滅させる毒をこしらえているということ、ロッテにはこれがわからない。これを感じない。しかしぼくは、ぼくの破滅のためにロッテの差し出す杯をたまらぬ心地《ここち》よさですするのだ。ロッテはよく――よく? よくじゃない、時々だが、時々ぼくを親しい眼差《まなざ》しで見る。また、ぼくの感情の他意のない表現をやさしく受けとってくれる。また、ぼくの受苦にたいする同情を額に現わす。しかしいったいそういうものが何だというんだ。
昨日帰りしなにぼくに手を差し伸べて、「さようなら、わたしのウェルテル」といってくれた。――わたしのウェルテル。そういってくれたのは初めてだ。ぼくは全身が瞬間震えた。そうしてその言葉を百遍も繰り返した。昨夜、寝ようとするとき、いろいろなひとり言をいって、ついいきなり「おやすみ、わたしのウェルテル」といってしまったのさ。あとで自分で大笑いをしてしまった。
[#地付き]十一月二十二日
「ロッテをぼくに」と祈ることはできない。けれどしばしばロッテはぼくのもののような気がする。「ロッテを与えたまえ」とは祈れない。ほかの男の持ちものだから。ぼくは自分の苦痛に堪えかねて屁理屈《へりくつ》をこねるまでだ。黙ってぼくの勝手にさせておいたら、対立命題の連祷《れんとう》ができあがるだろう。
[#地付き]十一月二十四日
ぼくが苦しみに堪えているのをロッテは知っている。今日、ロッテの眼差しが胸に突き入るように思った。ロッテは一人だった。ぼくは何もいわず、ロッテはぼくを見つめていた。そうしてぼくはもうロッテのやさしい美しさも、立派な精神の輝きも見なかった。そういうものはすべて眼底から消えてしまった。そんなものよりはるかにすばらしい眼差しがぼくの上に注がれていたんだ。心からの同情、最も甘美な共感の色をたたえた眼差しが。どうしてあのとき、ぼくはロッテの足下に身を投げてはならなかっただろうか。どうしてぼくの答えとしてロッテの頸に千百の接吻《せっぷん》を与えてはならなかったろうか。ロッテは身をかわしてピアノにすわり、甘い低い声でピアノに合わせて歌を口ずさんだ。ロッテの唇《くちびる》があんな魅惑的に見えたことはない。ピアノからわき出てくる甘美な音を身のうちにすすりこもうとして、その口は渇望《かつぼう》的に開かれ、そうしてただしんみりとした反響が清らかな唇からこだましてくるようだった。――いや、とてもぼくにはいい現わせない。――もう堪えきれず、ぼくは頭をたれて誓った。「この、天上の霊が漂う唇に口づけしようなどとは絶対にしないぞ」――しかし、しかし――ぼくはどうしても――ああ、わかるだろう、それがぼくの魂の前に隔ての壁のように立っているんだ。――あの幸福――それを得さえしたなら身を滅ぼしてその罪は償ったっていい――罪?
[#地付き]十一月二十六日
ぼくはよく自分にこういう、「お前の運命は類がないものだ、ほかの人たちは幸福といっていい――お前ほどの苦しみを味わった者はいないのだ」。そんなとき、ぼくは古い詩人を読む。まるで自分の心の中をのぞくような気がする。ぼくはいろいろなことに堪えなければならん。ああ、ぼく以前でも人間はこんなに哀れなものだったんだろうか。
[#地付き]十一月三十日
ぼくは、ぼくは正気に返ってはならぬと見える。どこへ行っても、度を失ってしまうような事件にぶつかる。今日《きょう》なんか! おお、運命、人間よ。
午頃《ひるごろ》、川に沿って歩いて行った。食欲がなかった。いっさいが荒涼としていた、湿っぽい冷たい西風が山の方から吹いてくる、灰色の雨雲が谷の中へ匍《は》って行く。遠方に粗末な緑色の上着をきた人が見えた。岩の間を匍いまわって、薬草でもさがしているようなふうだった。近づくとぼくの足音に相手が振り向く。非常に面白い人相の男だ。静かな悲哀感がおもな表情になっているが、その点を除けば生《き》一本《いっぽん》な人のよさそうな人だ。黒い髪の毛はピンで二つの輪に結ばれ、残りは太く編まれて背中にたれている。見受けたところ、身分の低そうな人なので、何をしているのかとたずねても悪くは思うまいと考えて質問すると――「花をさがしているのですが」と深い溜息《ためいき》をつき、「見つからないのです」と答える。ぼくは微笑していった。――「だって、花の季節じゃないでしょう」――相手はこっちへおりてきながらいう、「花はたくさんありますよ。私どものところには|ばら《ヽヽ》と|すいかずら《ヽヽヽヽヽ》の二種類あります。一つはおやじがくれたんですが、雑草みたいに生えてますよ。もう二日もさがしているんですが、見つからないんです。このあたりにもいつも咲いているんですがね、黄色、青、赤。矢車草はきれいな花が咲きますね。一つも見つからない」――少し気味のわるいところがあるので、遠まわしにたずねた。「君はその花をどうするんです」――不思議な痙攣《けいれん》的な微笑がその顔をゆがめる。――指を口にあてて、「ひとにいっちゃ困りますが、実は恋人に花輪を約束したんです」――「それは結構だ」――「あれはそのほかにいろんな物を持っていますよ、金持ちですからね」――「だけれども、君の花輪がほしいというわけなの」――「まったく、宝石も冠も持ってますからね」――「名は何ていうの」――「オランダさえ私に金を払ってくれたら、こうならずにすんだんですが。いや昔はよござんした。実に愉快でしたよ。もうだめです、今じゃ。今じゃ私は――」空を仰ぐ眼に浮んだ涙がすべてを物語っていた。――「じゃ君は幸福だったんだね」――「ああ、もう一度あんなに幸福だったら。まるで水の中の魚みたいに、幸福で面白くってのんきで」「ハインリヒ」と呼ぶ声がする。老婆《ろうば》が一人やってきた。「まあ、ここにいたのかい。方々さがしまわったんだよ、おいで、御飯ですよ」――ぼくは老婆の方へ行きながら聞いた、「あんたの息子さんかね」――「さようでございますよ、何の因果か、こんなふうになってしまいまして」「どのくらいになるんだね」――「こんなに静かになりましたのは、半年も前からでございましょうかしら。まあまあこれまでになりまして大安心をいたしております。それ以前はまる一年というものあばれておりましてね。精神病院で鎖につながれておりました。今ではどなた様にも何もいたしはしませんが、ただ王女様がどうだの皇帝様がどうだのと、年中申しております。たいそう気立てのいい物静かな子でございまして、私の暮し向きのほうのこともたすけてくれましたり、筆蹟《て》も見事でございましたが、なんですか急にふさぎ性になってしまいまして、高い熱を出したかと思いますとあばれだしたんでございますよ。でもまあただいまではごらんのとおりでございますが。こんなことを申し上げては何かも知れませんが、旦那《だんな》さま」――ぼくは話し続けようとする相手をさえぎって、こうたずねた、「何かたいそう仕合せで楽しかったといって自慢しているが、それはどうした時だったんだね」――老婆はさびしく微笑した。「まあ、せがれが、ばかなことを。気がふれておりましたときのことなんでございますよ、それをいつも自慢にいたしましてね。正気をなくして精神病院におりました折のことでございますよ」――ぼくははっとした。金貨を一枚、老婆の手に押しつけて、二人を残して足早に立ち去った。
「お前が幸福だったとき、か」ぼくは急いで町に向って歩きながら叫んだことだった。「お前が水の中の魚みたいに楽しかったころ、か」――天上の神様よ、人間は物心のつかぬ以前か、分別を再び失ってしまった以後かでなければ幸福にしていられない。あなたはこれを人間の運命ときめたのですか。――気の毒な男よ、しかしぼくはお前の憂鬱《ゆううつ》、お前の精神の狂気、お前がやつれてゆく狂気がうらやましくもあるんだ。お前は王女のために花を摘もうとして心楽しく出かける――冬のさなかに――そうして、見つからないといって嘆いている。なぜ見つからないか、お前にはわからない。そうしてぼくは――ところがぼくは希望もなく目的もなく出かけて、家に帰ってくる。もとの木阿弥《もくあみ》だ。――オランダが金を払ってくれたら、どんなに自分が別の人間になるだろうと思っている。幸福な男よ、お前は自分の幸福の得られぬことをこの世の障害の罪に帰しうるのだ。お前にはわからない、お前の破壊された心、狂ったあたまにお前の悲惨の原因があり、これは地上のいかなる王者もなおすことのできぬものなのだということが、お前にはわからないのだ。
病気を治そうと思って、遠いとおい霊泉に旅をして、そのためにかえって病気が重くなり臨終の苦しみをひどくしてしまった病人だとか、胸に悩みがあって、良心の呵責《かしゃく》を免れ魂の苦しみをなおそうとして、キリストの聖なる墓に巡礼に出かける人間だとかを軽蔑《けいべつ》するような人は、慰めのない死にざまをするがいい。前人未踏の道を歩いて足の裏を一足ごとに傷つけても、その一足一足は悩める魂の鎮静剤の一滴であり、苦しさを忍んで過す日ごとの旅に、心のわずらいは次第にすくなくなって行くのだ。――それを、君ら空言家は褥《しとね》の上にすわっていて、迷妄《めいもう》と呼ぶのか。――迷妄!――ああ、神よ、あなたは私の涙を見てくださる。人間をこれほどにも哀れにおつくりになったそのうえに、あなたはこのほんのわずかの貧しさ、万物を愛するあなたにささげられている、このわずかばかりの信頼を奪い取る同胞たちまでもつけ添えてくださらなくてはいけなかったのですか。なぜなら、草根木皮やぶどうの木の汁などによせる信頼は、ぼくらをめぐるいっさいのものの中に治癒《ちゆ》する力、しずめる力を授けておおきになったあなた、私たちがひとときとして欠きえぬ力を与えられたあなたによせる信頼なのではありませんか。私の知らぬ父よ、これまで私の全霊を満たしておられたのに、今はこの私から顔をそむけてしまわれた父よ、私をどうかあなたのところへ呼び寄せてくださいまし。もうこれ以上黙っていないでください。黙っておられたって、この飢えた魂は思いとどまりはしない。――思いがけなく自分の息子がもどってきて、頸《くび》にかじりつき、「帰ってきました、お父さん。仰せのとおり、この旅路をもっとながく辛抱しなければいけなかったのですが、それを中途でやめてもどってきてしまいましたが、どうかおおこりにならないでください。世の中はどこも同じです。辛苦と労働があって初めて報酬とよろこびがあります。けれどぼくにはそういうものがどうでもよくなったのです。ぼくが仕合せにしていられる場所はただあなたがいらっしゃるところだけです。そうしてあなたが見ていらっしゃる前でぼくは苦しみもし楽しみもしたいのです」こういわれて怒ることのできる人が、父親がいるだろうか。――そうして、あなたは、天上の神よ、この息子を追いのけようとなさるのでしょうか。
[#地付き]十二月一日
ウィルヘルム、この前書いたあの幸福な不仕合せ者、あれはロッテの父親のところにいた書記だったんだ。ロッテを恋して、それを隠していたが、ついに打ち明け、そのために免職になり、それで気がふれてしまったんだ。こんなに味も素っ気もない報告だが、それでもぼくがどんなにはげしくこの話に感動したか、わかってくれ。アルべルトが平然とした調子で話してくれたんだが、君もまったく同じように平然として読むことだろうがね。
[#地付き]十二月四日
やりきれないんだ。――君、もうだめだ、ぼくは。これ以上はだめだ。今日、ロッテの横にいた――すわっていた、ロッテはピアノを弾いた、いろいろのメロディー、それからありとあらゆる気持を、ありとあらゆるだよ――全部だ――どう思う、君は。――小さな妹はぼくの膝《ひざ》の上で人形に服を着せている。ぼくは涙が出てきた。うつむくとロッテの結婚指輪が眼《め》にはいった――ぼくは泣いた――すると突然、おなじみの甘いメロディーに移った、突然なんだ。ぼくは慰めの感情に包まれた。すると同時に昔のこと、ぼくがこの歌をきいたころのこと、不愉快な陰鬱な中間期のこと、遂げられなかった数々の希望のことなどが思い出され、それから――ぼくは部屋の中を往《い》ったり来たりした。何かこみ上げてきて、息が詰りそうになる。――「頼むから」はげしい感情の爆発とともにぼくはロッテのそばへかけ寄った。「頼むからやめてください」――ロッテはやめて、ぼくの顔をじっと見つめていた。――「ウェルテル」ぼくの魂を突き刺すような微笑を浮べているんだ、「ウェルテル、あなた、とてもお加減がお悪いのね。あんなに大好きな御馳走《ごちそう》がおいやだなんて。お帰りになったら。お願いです、気を落ち着けてくださいね」――ぼくはさっと身をそむけて帰ってきた。そして――神よ、あなたは私の悲惨をごらんになっておられる。だからこの始末をつけてくださるでしょう。
[#地付き]十二月六日
ロッテの幻がつきまとっていて離れない。夢にもうつつにもそれが心を占領している。眼を閉じるとこの眼の中に、内面の視力が集まり合うこの額の中に、あの黒い眼が現われてくる。ここだよ、うまくいえない。眼をつむると、ロッテの姿が出てくる。海のように深淵《しんえん》のように、あの眼はぼくの前、ぼくの中にやすらっていて、ぼくの額の感覚をみたすのだ。
半神だなんぞといわれている人間が何だ。力が一番必要とするときに、まさにその力の持ち合せがないじゃないか。それからまた、よろこびに小おどりし、あるいは悲しみに打ち沈んで、そのどちらの場合にも、豊かな無限者のうちにとけ入ろうとするまさにその瞬間に引きとめられて、鈍い冷たい意識に引きもどされるじゃないか。
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編者より読者へ
編者は、ウェルテル自身が書きのこした書簡の連鎖を、編者の説明によって中断する必要の起らぬ程度の分量の自筆書類が残存するならば、それをもって最後の注目すべき何日かの報告に代えようと切望した。
編者は、彼の身の上によく通じていると思われる人々の口から正確な報告を蒐集《しゅうしゅう》しようと極力努力してきた。身の上といっても簡単である。そして、些細《ささい》な点若干を除けば、すべての話は相互に一致しているが、関係者たちの心境についてのみは、意見がわかれ、判断はまちまちである。
われわれが苦心の結果知りえたものを忠実に物語り、かつその間に故人ののこした書簡を挿入《そうにゅう》し、さらにいやしくも発見された資料はどんなに零細なものも粗末に扱わぬという以外にいたしかたがないわけである。凡庸ならぬ人間の行動についていえば、些々《ささ》たる一行為にせよ、その本来の真実の動機を発見するのは至難の業《わざ》であるから、ことさらそうしなければならぬ。
ウェルテルの心の中では、不満と不快とが根を次第に深くおろしていき、ますますしっかりとからまり合い、そして、彼の全存在をとりこにしてしまった。精神の調和は完全に破れていたし、その本性の所有するいっさいの力をかき乱す内心の興奮と激情とは、最も忌《いま》わしい結果を招来し、結局彼に倦怠《けんたい》状態のみを残したが、これまでに彼がすべての不幸と戦ってきたより以上のいたましさをもって彼はそこから脱出しようと努力した。心のもだえは、爾余《じよ》いっさいの精神力、快活さ、明敏さをむしばみ尽して、人中に出ても憂鬱《ゆううつ》にしているようになり、次第に不仕合せとなり、それにつれてわがままにもなっていった。すくなくともアルベルトの友人たちはそういっている。彼らの主張するところによると、ながい間望んでいた幸福をようやくにして獲得したアルべルトという純粋な落ち着きのある人間、およびこの幸福を将来にわたっても保持しようとするその振舞いを、ウェルテルは正しく判断しえなくなったのであって、かかるウェルテルはどうかというと、いわば日ごとに自己の全財産を使い果して、夕暮れを迎えるとそのために飢え苦しむ人間のごときものだというのである。彼らの言葉によれば、この短い期間にアルベルトの人間が変ったはずはない、彼は依然としてウェルテルが最初見知ったような、そしてあれほどに尊重し敬い慕っていたような人間なのであって、何物にも増してロッテを愛し、ロッテというものを世間にたいして誇り、世間からもロッテをきわめて立派で美しい女性として認めてもらいたがっているわけであるから、彼がどのような疑いの気配にも容赦せず、そういう場合には何びとともこの貴重な所有物を、たといどのように無邪気な方法であるにせよ、相分とうという気を持たぬのは、さればまことに無理からぬ話だというのである。彼らが打ち明けたところによると、ウェルテルがロッテのそばにいるときは、アルべルトはしばしば妻の部屋から出て行ってしまったが、それはしかし友人ウェルテルにたいする憎悪《ぞうお》や反感からではなく、自分が同席してはウェルテルが気づまりであろうと考えたからにほかならぬというのである。
ロッテの父が病気になって、部屋から外へ出られなくなったので、ロッテを迎えに馬車をよこした。ロッテはその馬車にのって出かけた。美しい冬の日であった。初雪がたくさん降って、このあたり一帯を覆《おお》った。
ウェルテルは翌朝彼女の跡を追った。アルベルトがロッテを迎えに行かぬ場合、自分が連れ帰るためである。
晴れた天気もウェルテルの濁った気持にはたいしたききめがなく、魂の上には重苦しい圧迫感があって、物悲しい映像がつきまとって離れず、思いは悩ましい想念から想念へと移って行くばかりであった。
自分自身に絶えざる不満を感じて日を送って行くウェルテルの眼《め》には、他人の状態までも日増しに憂慮すべき混乱したものに見えてきた。彼はアルべルトとその妻との美しい関係を自分がこわしてしまったものと思いこんで、わが身を責めたが、ただしそこにはアルべルトにたいするひそかな反感がまじっていた。
この折も彼の考えは途中でこの問題の上に落ちていった。彼は自分に向って、ひそかに歯ぎしりしながらいった。「そうか、そうか、これが親しい、やさしい、心こまやかな、万事に気のつく交情、落ち着きのある陰《かげ》日向《ひなた》のない信実というものなのか。倦怠ではないか、無感動じゃないか、そんなものは。あれは、実のある尊い女房よりも、まったくとるに足らぬ仕事のほうにひかれる男じゃないか。あれは自分の幸福の何たるかをわきまえているんだろうか。いったいロッテを相応に尊敬できる男なんだろうか。むろんロッテを妻にしているさ、それはなるほどそうだろうよ。――当り前のことだ。己《おれ》はこの事実にはもうなれっこになっているつもりだ。だがこの事実は己を狂気にしかねない、己を締め殺しかねない。――しかしそもそも己への友情はずっと続いてきているのだろうか。すでにあの男は、己のロッテへの思慕を自分の権利の侵害と思い、己のロッテへの心づかいを穏やかな非難だと思っているんじゃなかろうか。わかっているさ、己にはちゃんとわかっているんだ。あれは己に会いたがらない。己が遠のくことを望んでいるんだ。己がうろうろしていては迷惑なんだ」
ウェルテルはしばしば足早な歩みを止めて立ちどまり、引き返そうとするように見えたが、しかしその都度思い直して歩み進めて、そんなことを考えたり、そんなふうにひとりごとをいったりしながら、ついにはいわば心ならずも猟舎に行き着いてしまった。
玄関を入って、老人とロッテとの様子をたずねた。家の中は多少ざわついていた。上の男の子が、「向うのワールハイムに大事件が起ったんだよ、農夫が一人殺されたんだ」と話してくれた。――が、これはべつにウェルテルの心を動かさなかった。――部屋にはいってみると、ロッテがさかんに老人をとめている。病気なのに老人は外へ出かけて、現場で事件の調査をするといってきかないのである。加害者はまだ不明で、死体は早朝戸口の前で発見された。被害者はある未亡人の作男だった。この未亡人は以前別の男を雇っていたが、この男は暇を出されてしぶしぶこの家から出て行ったのである。こんなうわさがとんでいた。
これを聞くとウェルテルは飛び上がらんばかりに驚いた。――「そうだったのか。行かなくてはならん。一刻もじっとしてはいられない」と叫んだ。――彼はワールハイムに急行した。すベてがまざまざと思い返される。彼がよく話をしたことのある、今では自分にとってはなはだ愛すべき人間となっている作男、犯人はあれだということはまったく疑う余地のないことだと思ったのである。
死体の置いてある料亭へ行くには菩提樹《ぼだいじゅ》の間を抜けて行かねばならなかったが、その折彼は昔あれほど好きだったこの場所に恐怖を覚えた。あんなにたびたび近所の子供たちが遊んでいた入り口は血でよごされたのである。愛情と信実、この最もうるわしい人間感情は、暴力と殺戮《さつりく》に変ってしまったのである。高い木には葉もなく、枝は霜を置いており、低い墓地の塀《へい》に覆いかぶさっていた美しい生垣《いけがき》もすっかり枯れて、そのすきまからは雪に覆われた墓石が見えていた。
村中の人が集まっている料亭に彼が近づいたとき、突然叫び声が起った。遠方に武装した人々の一団が見えた。犯人をつれてくる、と皆々が叫んだ。ウェルテルもそちらを見たが、果せるかなそうだった。まぎれもないあの男だった。未亡人をあんなにはげしく愛していた作男、ついこの間、忿懣《ふんまん》を秘めて、ひそかな絶望をいだいてうろついているところをウェルテルが出会ったあの男である。
ウェルテルは、捕えられた男の方へ走り寄って叫んだ。「君、なんということをしたのだ」――男は静かにウェルテルを見つめて何もいわなかったが、ついに落ち着いて答えた。「あのひとには誰にも手をつけさせない。あのひとは誰と一緒になってもいけないのです」――人々は男を料亭の中へ連れこんだ。そしてウェルテルは急いでその場を立ち去った。
このすさまじいおそるべき感動のために、ウェルテルの内部にあったいっさいが揺られて混乱した。一瞬、彼は自分の悲哀、不満、無感動な捨《す》て鉢《ばち》の状態から身を引き起した。同情が打ちかちがたく彼の心を占領した。なんとでもして助けてやろうと思って、彼はいても立ってもいられなかった。彼は男の不幸をしみじみと感じた。犯罪人としても罪は実に軽いと思い、すっかり男の立場に自分を置いて考えてみると、余人をも説得しうると確信するにいたった。今この場ででも男を弁護できると思われ、早くも活発きわまる弁論の言葉が口をついて出てきそうになり、猟舎に急いだが、すでにその途中でも、ロッテの父である法官に陳述しようと考えたいっさいのことを、小声で口に出さずにはいられなかったのである。
部屋にはいると、アルべルトがきていた。これが一瞬彼を不快にした。しかしすぐに気を取り直して、法官に向って熱をこめて自己の意見を述べた。老人はききながら二度三度頭をふった。ウェルテルは一人の人間が一人の人間の弁護をするためにいいうるいっさいのことを非常に活発に熱心に真率に述べ立てたのであるが、むろん容易に理解しえられるように、法官はそれによって心を動かされることがなかった。それどころか彼はウェルテルのいうことをみなまで聞かず、強く反対して、殺人犯を庇護《ひご》するウェルテルの非をとがめて、もしウェルテルの主張が通るならばいっさいの法律は無効となり国家の安寧は危殆《きたい》に瀕《ひん》するといい、また自分としてはこの場合においては最大の責任者として万事が秩序正しく、所定の筋道をふむようにする以外の手段を知らぬといい添えた。
ウェルテルはそれでも承服しないで、あの男を助けて逃がしてやるような場合にはどうか大目に見ていただきたいと懇願したが、法官はこれをも拒絶した。アルべルトがついに口をはさんで老法官の側に立ったので、ウェルテルはいい負かされ、法官から二、三度「ならん、あの男を救ってやることはできん」といわれたのち、烈《はげ》しい苦痛をいだいて辞去した。
この言葉がどれほどの打撃を彼に与えたか、彼の書いたものの中にあった一紙片によってこれを察することができる。これはたしかにその日のうちに書かれたものである。
「君は救われないのだ、不幸な男よ。ぼくにはよくわかっている、ぼくらはみな救われないのだ」
法官の面前でアルべルトが捕えられた男について最後にいったことは、ウェルテルの気持をひどく傷つけた。ウェルテルはその言葉の中に自分にたいする若干の敵意が認められると思いこんだ。よく考えてみるならば、怜悧《りこう》な彼のことであるから、両人の言い分が正しそうだということがわからぬはずはなかったのであるが、もし彼がそれを承認許容するとなると、自己自身の奥深いところにあるものを断念せざるをえぬような気がしたのである。
これに関係のある一紙片がウェルテルののこした書類中に見いだされる。この一葉はおそらくウェルテルのアルべルトにたいする全関係を示しているであろう。
「彼は立派ないい人間だと幾度自分にいってきかせたって、それが何の役に立つだろう。しかしこれを思うとはらわたを千切られるようだ。己《おれ》は公平ではありえぬのだ」
穏やかな夜で、雪どけ模様であった。ロッテはアルベルトと徒歩で帰ってきた。途中ロッテはあたりを見まわして、夜もウェルテルが一緒にいてくれないのが物足りないといったふうであった。ウェルテルのことを話し始めたアルべルトは、公平な態度ではあったが彼を非難した。その不幸な情熱に言及して、なろうことなら遠ざけるようにしてもらいたいといった。――「私たちのためにもそれが望ましいと思う。お願いだからあの男があまりひんぱんにやってこないように、またお前にたいするあの男の態度が別の方向をとるように気をつけてもらいたい。世間がうるさいのだ、もうそこここでこれについてうわさをしているのだから」――ロッテは沈黙していた。この沈黙はアルベルトの気にさわったらしかった。すくなくともこのとき以来、アルベルトはロッテに向ってウェルテルのことを少しもいわなくなった。ロッテのほうからウェルテルのことをいいだすと、アルベルトは口をつぐむか、あるいは話題を変えてしまった。
不幸な男を救おうとしてウェルテルが行なったむなしい試みは、消えゆかんとするともしびが最後にぱっと燃え上がったごときものであって、このときからウェルテルはいっそう深くただ苦痛と無為の中へと落ち込んでいくばかりであった。ことに、例の男が今は犯行を否認しはじめているので、ひょっとするとウェルテルは反対証人として喚問されるかもしれぬと聞かされたときは、ほとんど正気を失わんばかりであった。
かつて俗世間との交渉において彼がなめたいっさいの不快事、公使館勤務での憤慨、その他彼が失敗したことのすべて、かつて受けた侮辱、そうしたことすべてがウェルテルの心の中を浮きつ沈みつした。彼は考えた。こうしたことすべてを味わわされた自分であってみれば無為に陥るのも当然だ、自分はいっさいの未来の見通しから切断されてしまった身だ、自分には俗世の活動をするための手がかりをつかむことができないのだ。こうしてウェルテルはじりじりと悲しい最期《さいご》へと近づいて行った。自分の不思議な情念や考え方や果てのない情熱に身をゆだね、やさしい思慕のひとの静かな生活を乱しつつ、いつまで待っても変化するとは思われぬ物悲しいまじわりを続けながら、むりにも自分の精力をかき立てて目的も見込みもなくこれを消耗して行くのであった。
今われわれが次に挿入しようと思う若干の書簡は、彼の混乱と情熱、その休むことなきもがきやむなしい努力、その生の倦怠などを最も雄弁に物語るものである。
[#地付き]十二月十二日
「ウィルヘルム君、あれは悪い霊に憑《つ》かれて追いまわされているのだと世間の人がいうような不幸者がいるね。ぼくの現在の状態はまあそんなものだ。時折ぼくを襲ってくるものがある。不安じゃない。欲望じゃない。――何かわからぬ狂躁《きょうそう》衝動だ。それがぼくの胸をかきむしろうとする。それが喉《のど》を締め上げようとする。なんという苦しさだ。するとぼくはいたたまれず、荒涼たる冬の夜の物すさまじい景色の中をほっつき歩くのだ。
ゆうべは外に出ずにはいられなかった。急になま暖かくなってきたと思ったら、川があふれた、小川の水嵩《みずかさ》が増した、ワールハイムから下手の谷が氾濫《はんらん》していると聞いたので、十一時をまわっていたが急いで外へ出た。おそろしいながめだった。月光の中を岩から水が渦巻《うずま》き流れて落ちかかり、畑も牧場も生垣も何もかものみつくす。広い谷間は上手も下手もさながら暴風の中に荒れ狂う一面の海原《うなばら》だ。隠れた月が再び黒雲の間から出てくると、見わたす限りの洪水《こうずい》がぞっとするように月光を反射してごうごうと立ち騒いでいる。すると戦慄《せんりつ》ともあこがれともつかぬものが襲ってくるのだ。ぼくは腕をひろげて深淵《しんえん》に向い立ち、深いふかい息をした。そしてぼくの苦痛、ぼくの憂悶《ゆうもん》のいっさいを、かなたに荒れ狂うにまかせて波のようにとどろき行かせる歓喜を思って呆然自失《ぼうぜんじしつ》した。ああ。それなのにお前は、そのひと足を地面から持ち上げられないのか、そうしていっさいの苦悩を断つことができないでいるのか。――ぼくの砂時計はまだ落ちつくしてはいない、それはぼくにわかる。ねえ、ウィルヘルム、ぼくは、あの暴風とともに雲を引き裂き、洪水につかみかかれるのなら、よろこんで自分の存在を放擲《ほうてき》したと思う。そうだ、おそらくはいつかとらわれのこの身にも、そういう歓喜が与えられはすまいか。――
夏の日の散歩でロッテと一緒に柳の木陰に休んだことのあるあの小さな広場をぼくは憂鬱《ゆううつ》にさがし求めたが――そこも水につかっていた。あの柳さえほとんどそれと見分けがつかないのだ、ウィルヘルム。ぼくは考えた、ロッテの家の牧場や猟舎があるあたり、ぼくらの四阿《あずまや》は奔流に洗い流されているんじゃあるまいか。囚人が夢に見る家畜の群れや牧場や栄位のように、たのしかった過去が陽《ひ》の光のように差しこんでくる。ぼくは立ちつづけた。――自分を責めようとは思わない。自分には死んでみせる勇気があるから。――いっそのこと――しかし今、ぼくはここに老婆《ろうば》のようにすわっているんだ、生きて甲斐《かい》ないいのちをせめて一時なりとのばして楽にしようと、よその家の生垣から薪《まき》を拾い集め、人の門口に立ってパンを乞《こ》う老婆みたいに」
[#地付き]十二月十四日
「何だっていうのだ、これは。自分で自分に驚く。ロッテへの愛は一番神聖な純粋な兄妹のようなものじゃなかったか。一度でも不埒《ふらち》な望みを心に感じたことがあったか。――誓言はしない――ところが、なんという夢を見たことか。人はよくひどく矛盾する作用を自分に関係のない力のせいにするが、それはまったく正しい。昨夜のことだ。それをいうのさえ身が震える。ロッテを抱きしめ、かたく胸に押しつけ、愛の言葉をささやくその口を限りない接吻《せっぷん》で覆《おお》ったのだ。ぼくの眼《め》は恍惚《こうこつ》としてロッテの眼にとけこんでいた。神よ、今もあの燃えるようなよろこびを一所懸命に呼びもどしてうっとりとしている己《おれ》は罰せられるべきか。ロッテ、ロッテ。――そう、ぼくはもうおしまいだ。感覚は混乱し、もう一週間以来思考力もなく、涙ばかり出る。どこへ行っても不愉快だ、そうしてどこにいても不愉快だ。望みは何もない、何もいらない。引き上げたほうがいいらしい」
この世を去ろうという決意は、このころ、こういう事情の下に次第にウェルテルの心を占領していった。ロッテのところへ帰ってきて以来、それがいつもウェルテルの最後の希望、最後の念願であった。しかし彼は、急ぎすぎてはならぬ、早まってはならぬ、かたく決心がついてからできるだけ冷静に断固として行わねばならぬと自分に言いきかせていたのである。
彼の疑惑、自己自身との争いは、ウィルヘルムにあてて書き出したかと思われる一紙片によってこれをうかがうことができる。これは日付なしで、彼の書類の間にはさまっていたものである。
「彼女がいるということ、彼女の運命、ぼくの運命にたいする彼女の共感、そういうものを思うと、ひからびた脳髄からも最後の涙が絞り出される。
幕をかかげて、その奥へ入って行く。問題はそれだ。それをなぜ、ためらっているのだ。その奥がどんなふうになっているかわからないからという理由からか。そして、もう二度と帰ってこられないからという理由からか。はっきりしたことが何もわからないような場合に混乱と暗黒を予想するというのが、結局人間精神の|さが《ヽヽ》なのか」
ウェルテルはついに自殺という悲しい観念になれ親しむようになってしまい、決心は強固な変らぬものとなった。ウィルヘルムに与えた次のごとき文意|不明瞭《ふめいりょう》の書簡はその一つの証拠である。
[#地付き]十二月二十日
「あの言葉をそんなふうに解釈してくれた君の愛情に感謝する。本当に君のいうとおり、ぼくは引き上げたほうがいいんだ。君たちのところへ帰ってこいという提案には、全然賛成というわけにもいかない。すくなくとも、もう一つまわり道をしてみたい。ことに寒さが続いて道がよさそうな現在だから。君がぼくを迎えにきてくれるというのも実にうれしい。けれどどうか二週間ばかり待ってくれたまえ。その間のことについてはもう一通手紙を書く。熟しきらぬうちに摘みとってはならないのさ。二週間早いか遅いかでは大きなちがいだ。母には息子のために祈ってくれといってくれ。それから何かと不孝なことをしてしまって、どうかゆるしてくれといってくれたまえ。よろこばせてあげなくてはいけない人にかえって心配をかけるってのが、やはりぼくの運命なんだ。さようなら、ウィルヘルム君。天のあらゆる祝福が君の上に与えられんことを。さようなら」
この頃《ころ》ロッテの心持がどんなふうであったか、自分の夫、自分の不幸な友人にたいしてどんなふうに考えていたかについて、われわれはあえて言葉でこれを現わす勇気を持たない。むろんわれわれの知っているロッテの人柄《ひとがら》から推して穏やかにこれを察することはできるし、やさしい魂を持つ女性ならばロッテの身になって、ロッテと一緒に感じてみることはできる。
われわれとしてこれだけは確かだといいうるのは、ウェルテルを遠ざけるために最善をつくそうとかたく決意していたことであって、彼女にためらいが見られたとしたら、それは心のこもったやさしいいたわりの気持からであった。これがどれほどの犠牲を彼に要求するか、否《いな》、これは彼にとって不可能に近いということを彼女は知っていたからである。しかしこの頃になるとむしろ決然たる態度をとる必要に迫られていたのであって、彼女も、また夫もこの関係については一言半句も口に出さなかったのであるから、それだけに、自分の考えがけっして夫のそれに劣るものでないということを、実際の行動によって夫に証明してみせなければならなかったわけである。
ウェルテルが最後に挿入《そうにゅう》した手紙をウィルヘルムにしたためた日はちょうどクリスマス前の日曜日であった。夕方ウェルテルはロッテを訪れた。ロッテはひとりで家にいた。ロッテは小さなひとたちのためにととのえたクリスマスの贈り物の玩具《がんぐ》などを整理しているところであった。彼は贈り物をもらう子供の悦《よろこ》びや、急に扉《とびら》が開いて、ろうそくや砂糖菓子やりんごなどで飾り立てた部屋の有様に天国にでもつれてこられたようにぼうっとさせられたころの話をした。――ロッテは困惑をやさしい微笑に紛らわせながら「お行儀よくなすっていらっしゃれば、あなたにもいいものを差し上げますわよ、巻きろうそくとね、それから何か」――「だけどお行儀よくっていったいどんなふうにすればいいんです。どういうふうにしていろというんです。ぼくがどういうふうにしていられるんですか、ロッテさん」――「木曜日の晩がクリスマス・イヴでしょう。子供たちや父も参ります。そのときはみんなが贈り物をもらいます。あなたもそのときにいらしってちょうだい。――だけれどその前はだめよ」――ウェルテルはぎくりとした。――「お願いです。そう申し上げなくてはならないんです。わたくしの落ち着きのために、お願いですわ。このままではどうしたってもういけないんです」――彼は眼をそらせて、部屋の中を往《い》ったり来たりした。そして、かすかな声で「このままではもういけない」とつぶやいた。そういわれたためにウェルテルが陥ってしまったおそろしい状態をはっきりと感じとったロッテは、いろいろなことをたずねてウェルテルの気を紛らわそうとしたが、もうだめだった。――「そうですとも、ロッテさん、ぼくはもう二度とお目にかかりませんよ」――「あら、なぜ。またお会いできますわ、お会いしなくてはなりませんわ。ただ適度になすってちょうだい。あなたって方は、どうしてまあこんなにはげしく、一度手をつけたことならなんにでも、どうしてこう情熱的にしつっこくなさるのでしょうね。そういう生れつきなのねえ。お願いですわ」と、ロッテはウェルテルの手をとった。「適度になすってね。ご立派な精神を持っていらっしゃるんだし、学問だって才能だっておありになるんですから、いろいろとおたのしみになれるじゃございませんの。一人前の男らしくなってちょうだい。わたくしなんぞを悲しくお慕いにならないでくださいまし。あなたをお気の毒だとお思いする以外に何がこのわたくしにできましょう」――ウェルテルは歯ぎしりして、暗い眼つきでロッテを見た。ロッテは再びウェルテルの手をとった。「どうかちょっとでいいのですから気を落ち着けてちょうだい、ウェルテル。そうじゃないこと、あなたは自分を欺《あざむ》いて、わざとご自分を破滅させておしまいになろうとなすっていらっしゃるのよ。いったいどうしてこのわたくしをお選びになったの。よりによって。ひとの持ち物を。そういうおのぞみをこんなにすばらしいものに見せかけているのは、どうしようとこのわたくしはあなたのものになりっこがないという、ただそのことなのじゃないのかしら」――ウェルテルは手を引いて、眼のすわった不快そうな眼つきでロッテを見つめた。――「見事だ、はなはだ見事だ。きっとアルベルトからのご注意ですね。芝居ですね、大芝居だ」――ロッテは応じた、「いいえ、こんなことは誰にだっていえますわ。でもいったいこの広い世間に、あなたのお心ののぞみをかなえてさしあげられるようなひとがいないなんて、そんなことがありうるでしょうか。そのお気持になって、さがしてごらんになれば、きっと見つかると思いますわ。だってもうずいぶん前からわたくし心配でなりませんの、あなたがもうしばらく以前からずっとご自分でご自分をわざわざ狭くしてこだわっていらっしゃるということが。あなたのためにも、わたくしたちのためにもよ。ご気分をお変えになってください。ご旅行をなすってはいかが。お気が紛れますわ、きっとよ。おさがし遊ばせ、あなたのお心に合った方をお見つけになって、そうして帰っていらっしゃいまし。そうしてみんなでたのしく本当の友情というものを味わい楽しみましょうよ」
ウェルテルは冷やかな笑いを浮べた。「こいつは印刷できる。そうして家庭教師諸君に推奨できる。ロッテさん、お願いだ、もう少しの間だけそっとしておいてください。そうすれば万事うまくいくのですから」――「けれどね、お願いですからクリスマスまではお訪ねくださらないでね」――ウェルテルが答えようとしたときにアルベルトが部屋に入ってきた。二人は素っ気ないあいさつをかわし、並んで気づまりな様子で部屋の中を往ったり来たりした。ウェルテルはどうでもいいような話をしはじめたが、それもすぐにとぎれた。アルベルトもそんなふうにお茶を濁していたが、それからロッテに向って頼んであった用事のことをたずねた。片づいていないと聞いてアルベルトは二言三言ロッテにいった。この言葉はウェルテルには冷淡に、いや苛酷《かこく》に思われた。帰ろうとしたが、帰れずぐずついているうちに八時になった。心中の不満不快は増すばかりである。ついに食卓の用意が始まった。ウェルテルは帽子と杖《つえ》をとった。どうぞゆっくりしていてくれたまえとアルベルトがいったが、ウェルテルはこれを空《から》世辞《せじ》と聞いて、冷やかに辞退して帰って行った。
ウェルテルは帰宅して、足下を照らそうとあかりを差し出す若い従僕の手からこれを奪って、一人で部屋に入り、声を立てて泣いた。興奮してひとりごとをいい、いらだたしく部屋の中を往き来し、ついに着のみ着のままで寝台の上に倒れた。十一時頃、靴《くつ》を脱がせるのかどうかたずねようとして従僕が思い切って彼の部屋に入ってみると、ウェルテルはまだそのままの格好で寝台の上に身を横たえていた。ウェルテルは脱がせてくれといって靴を脱がせ、あしたは己《おれ》が呼ぶまで部屋に入ってきてはならぬと命じた。
十二月二十一日、月曜日の早朝、ウェルテルは次のごとき手紙をロッテにあててしたためた。これは彼の自害後、封をされたままで書き物机の上に発見され、ロッテに渡された。種々の事情から推して、明らかにウェルテルはこれを断続的にしたためたと思われるから、編者はところどころに説明を挿入しつつ以下にこれを掲げようと思う。
「決心しました。ロッテ、ぼくは死にます。ぼくはこれを感傷的な誇張なしに、落ち着いて、あなたに最後に会う日の朝、書いているのです。あなたがこの手紙を読まれるときには、すでに冷たい墓が、その最期《さいご》に及んであなたと相語らうことにまさるどんなよろこびも知らぬ不幸な落ち着きのない男の硬直した四肢《しし》を覆っているのです。おそろしい一夜でした、しかし思えばありがたい一夜でした。ぼくをはっきりと決心させてくれたのはこの一夜なのですから。死にます。昨日《きのう》、心のおそろしい激昂《げっこう》のうちにあなたから身を振りもぎるようにしてお別れしてくると、あのときのことすべてが心に押し寄せてきて、あなたのそばにいる希望もよろこびもないぼくというものを考えると、身の毛のよだつような冷たい思いをさせられ――かろうじて自分の部屋にたどりつき、われを忘れて折れ崩れてしまいました。ああ、神よ、あなたはぼくに最後の、この上もなく悲しい涙の慰めを与えてくださった。心の中には無数の計画や希望が狂いまわっていたけれど、とうとうしっかりと、はっきりと、最後のただ一つの考えがきまったのです。自殺です。――横になり、朝、眼をさましたときの、落ち着いた気持のときも、死のうという考えは、まだ小ゆるぎもせずしっかりとしています。――絶望じゃありません、がんばり通したぞという安心です、あなたの犠牲になるのだという確信です。そうだ、ロッテ、黙っている必要がどこにあります、ぼくら三人のうち、誰か一人が引っ込まなければならない。ぼくがその役を買って出るんだ。白状するとぼくの引き裂かれた心の中を、しばしば――あなたの夫を殺そう――あなたを――自分を殺そうという考えがそっと狂いまわっていたのです。――もういい、そんなことは。――美しい夏の夕方、山にのぼったら、ぼくもたびたび谷をのぼってやってきたのだとぼくのことを思い出してください。そういうときは、夕陽のさす中を風になびく高い草の向うの、墓地にあるぼくの墓の方をながめてください。――書き始めたときは落ち着いていましたが、今は、今は子供のように泣いています、そういうこといっさいがありありと眼前に浮び上がってくるものですから――」
十時近く、ウェルテルは従僕を呼んだ。そして服を着ながら二、三日中に旅行に出かけるから服にブラシをかけ、すべて荷造りできるように始末しておけといいつけた。また、払いのすんでいないところからは全部請求書をもらってくるよう、二、三貸し出してある本を取りもどすよう、これまで一週ごとに何か与えてやることにしていた少数の貧乏な人たちには二カ月分ばかりのものを先払いするように命じた。
食事を部屋に持参させ、食後は馬でロッテの父のもとを訪れたが、不在であった。沈思の態《てい》で庭の中を往きつもどりつして、これを最後にいろいろな思い出の悲しい味わいをなおも胸にたたんでおこうとでもする様子であった。
小さい者たちはながく彼を静かにさせてはおかなかった。跡を追いかけまわし、とびつき、話をする。あしたと、そのあしたと、もう一日すると姉さんのところへクリスマスの贈り物をもらいに行くのだ、とか、てんでに想像力をはたらかせて、その贈り物の予想を話してきかせる。――「あした、それからそのあした、もう一つあしただね」――ウェルテルはこういって子供ら全部に心のこもった接吻を与えた。そして帰ろうとすると、小さい男の子が何やらウェルテルにささやこうとした。大きい兄さんたちがとってもでっかい年賀状を書いた、こんなにでっかいんだ、一枚はパパ、一枚はアルベルト小父《おじ》さんと姉さん、それからもう一つはウェルテルさんだ、そうしてお正月の朝、あげるんだよ、と内証で話してくれた。彼はもはやいたたまらず、皆に少しずつ小遣《こづか》いをやって、馬に乗り、お父さまによろしくといい置いて、涙とともに立ち去って行った。五時頃帰宅して、女中に、夜ふけまで火を持たすように煖炉《だんろ》を見てくれと命じた。従僕には階下で書籍や衣類の荷造りをさせ、服を布袋に入れて口を縫いつけさせた。おそらくそののち、次に掲げるロッテあての遺書の一節を書き継いだのである。
「まさかと思ったでしょう。ぼくがおとなしくクリスマスまで待っていると思ったでしょう。ロッテ、今日会わなかったら、永遠に会えないことになるんだ。この手紙はクリスマスの夜あなたの手もとに届く。あなたは震えて、この手紙を涙でぬらすでしょう。死にます。死ななければならない。決心がついて、本当にいい気持です」
その間、ロッテは奇妙な状態に陥っていた。ウェルテルとああして別れてみると、彼と離れるのがどんなにつらいことであるか、また、彼が自分から離れなければならないとなると、どれほどの苦しみをなめるか、ということをしみじみと感じたのである。
ウェルテルはクリスマスの晩まで来ないということは、アルベルトが同座しているときにそれとなくいっておいた。アルベルトは用があって近在の役人のところへ馬で出かけて行き、やむをえず一晩泊ってくることになっていた。
そこでロッテはただひとりすわっていた。小さい弟や妹たちの誰もまわりにはいない。自分の身のまわりのことを静かにあれこれと考えていた。自分は今では現在の夫とかたく結ばれている。夫の愛情と真実もよくわかっているし、自分は心から夫を愛している。堅気な女性が自分の生活の幸福を築くには、現在の夫の落ち着きと頼もしさとは、まるで天から賜わったといってもいいようなものだと思われる。自分や自分の弟や妹たちにとってこの先ざき夫がどんなに頼りになる人であるかもよくわかっている。ところがその一方、ウェルテルも自分にとって掛け替えのない存在となっている。相知った最初の瞬間から、二人の心はいかにもぴったりと調和していて、ウェルテルとのながい交際の間にいろいろと一緒に過してきた折々は、自分の心にぬぐいがたい印象を残している。面白いと感じたもの、面白いと考えたものは、ウェルテルとともにこれを相分つのが常であった。ウェルテルが自分から離れてしまえば、自分という存在に二度と埋めがたい空隙《くうげき》がぽかりと口をあけそうに思われる。ああ、もしこの現在、ウェルテルという人を自分の兄弟に変えてしまえたなら。どんなにか自分は幸福であろう。――ひょっとして自分の親しくしている女性とウェルテルを結婚させられたなら、ウェルテルのアルベルトにたいする関係をもまたまったくもとどおりにする見込みも立つだろうけれど。
ロッテは自分の女友だちを一人ずつ順に考えてみた。しかし誰にも何かと難があって、この人ならウェルテルにと思われるような女性は一人もいない。
ロッテはこんなふうにあれこれと考えてみて、初めて自分は実は心ひそかにウェルテルを自分のものにしたいと切望しているのだということを、無意識にではあるが深く感じた。ところがそれと同時に、彼を自分のものにすることはできもしないし、許されもしないと自分にいいきかせた。ロッテの心は純真で美しく、不断は本当に軽快で、すぐに明るさを取りもどすのであるが、この夜は重苦しく沈んで、前途に幸福な見通しを持たなかった。心が締めつけられ、眼《め》は陰鬱《いんうつ》な翳《かげ》を帯びていた。
六時半に近いころ、ウェルテルが階段を上ってくるらしい音を聞いた。それからすぐその足音、ロッテをたずねる声を聞きわけた。ロッテはひどく動悸《どうき》が打った。ウェルテルを迎えてこれほどひどく胸が騒いだのは初めてだといってもいい。できることなら居留守を使いたかった。そして彼が部屋に入ってくると、ロッテは取り乱して熱を帯びた声で叫んだ。「お約束はどうなすったの」――「約束なんかしませんでしたよ」――「それならせめてわたくしのお願いくらいきいてくだすったっていいじゃありませんか。わたくし、お互いに冷静でいられますようにと思って、お願いしたのではありませんか」
自分が何をいっているのか、何をしているのか、ロッテにはわれながらはっきりしない。ウェルテルただ一人を相手にしていないために、二、三の女友だちのところへ使いを出した。ウェルテルは持参した二、三冊の書物を下に置いて、別のはないかとたずねた。ロッテは友だちが早く来てくれればいいがと願っている。来てくれなければいいがと願っている。女中がもどってきての口上には二人ともさしつかえがあって出られないというのである。
ロッテは隣室で女中に仕事をさせようとした。しかしすぐ考えが変った。ウェルテルは部屋の中を往ったり来たりしている。ロッテはピアノのところへ行って、メヌエットを弾きだしたが、思うように弾けない。気を引き締めて、さあらぬ態でウェルテルの横に腰をおろした。ウェルテルは例のごとく長《なが》椅子《いす》にかけているのである。
「何か読むものを持っていらっしゃらないこと」――何も持っていない。――「あすこの、わたくしの引き出しに、あなたがお訳しになったオシアンの歌が少し入っていますわ。まだ読んでおりませんの。あなたに読んでいただこうと思っていたものですから。でもあれ以来いい折がございませんでしたし、そんな機会が出てきそうにもございませんでしたから」――ウェルテルは微笑して、歌稿を持ってきた。手にとると、ある戦慄《せんりつ》が彼を襲った。原稿に眼を落したとき、涙があふれてきた。ウェルテルは腰を下ろした、そして朗読した。
「暮れゆく夜の星よ、汝《なんじ》はうるわしく西にきらめき、雲間より汝の輝けるかしらをあげ、おごそかに汝の丘をさすらい行く。荒野をながめて汝何をか求むる。吹きすさぶ風はしずまりて、遠方よりは小川のせせらぎ聞えきて、岩間を洗う潮の音遠し。夕蝿《ゆうばえ》のうなり野面《のづら》に群れぬ。うるわしき光よ、何をながむる。されど笑《え》まい往《ゆ》く汝をよろこばしく波はかこみて、汝のやさしき髪を洗えり。さらばよ、静けき光。現われよ、オシアンの心の、汝、壮絶の光よ。
かくて力勁《ちからづよ》く現われ来たりぬ。わが亡《な》き友どちは過ぎにし日々のごとくにローラにつどい寄れり。――フィンガルは濡《ぬ》るるさ霧《ぎり》の柱のごとく、四囲にその勇士らを従えたり。見よ、歌びとらのきたるを。髪白きウリン、偉丈夫のリノ、やさしき歌びとアルピン。しかして汝、あわれ深き嘆きの人ミノナ。――かそけくささやける草々を丘辺の春風のこもごもに吹きなびけしごとくに、われら歌のほまれのために競いてしゼルマのはなやげる日々を思わば、友よ、あわれそのかみの俤《おもかげ》をとどめざるはいかに。
このとき、美しきミノナ進みいでぬ。伏せし眼に涙あふれ、丘辺より吹きくる風に重き髪は流れぬ。――ミノナのやさしき声を聞きて勇士らの心は愁《うれ》いにとざされたり。うべなり彼らのザルガルの墓を見、白きコルマの暗き家居《いえい》を見しことあまたたびに及びたれば。うるわしき声音《こわね》のコルマは丘の上にすてられたり、ザルガルは来たらんことを約したれど、はや夜のとばりよもを覆《おお》いぬ。丘の上にひとり座すコルマの声をきけ。
コ ル マ
夜はきぬ。――われひとりあらし吹く丘の上にあれば、風は山にとどろき、流れは岩をかまんとするを、ひとりわれのみ、あらし吹く丘にすてられ、雨露をしのぐにすべなし。
月よ、雲間より出《い》でよ、夜の星々よ、現われよ。われを導きてかのところへ至らしむべし、わが恋うる人の、狩の疲れ休めんとて、弓の弦《つる》をはずし、荒き犬どもに取り巻かれつついますかのところへ。されどわれひとり水に洗わるる岩の上に座し、水音とあらしとのみ耳に聞けど、わが恋うる人の声はさらに聞かず。
ザルガルよ、なぜかためらう。約束を忘れしや。――岩と木はかしこに、ざわめく流れはここにあり。たそがれとともに来たらんと約せしを。ああ、ザルガルはいずこに迷い行けるや。傲《おご》れる父と兄とをすて、おん身とともにのがれ行かんと誓いしを。われらが族かたみに久しき仇敵《きゅうてき》なれど、われとおん身は、ああ、ザルガルよ。
しばしもだせ、おお、風よ、しずまれよ、束《つか》の間《ま》は、おお、流れよ、わが声の谷間に響き行きて、わがさすらいの人のきき知るべく。ザルガルよ、われなり、汝を呼ばうは。木々と岩根と、ザルガルよ、われはここにあり、いかなればかくもためらいたまえる。
見よ、月はさしのぼり、流れは谷間に輝き、丘の岩は灰色なれど、そが上に彼の姿なく、その来たるを告ぐる犬もなし。われひとりここに座せども。
されどかの荒野にあるは誰々ぞ。――わが恋うる人か、はた同胞《はらから》か。――語れ、わが友よ。いらえなくて、わが心、不安におびえぬ。――あわれかの人らすでに亡し。彼らの剣はたたかいの血に染みて赤し、わが同胞よ、わが同胞よ。いかなればわがザルガルを仆《たお》せしや。おお、わがザルガルよ、いかなればわが同胞を仆せしや、ともにいとしき人々なりしを。ああ、汝は丘にありしあまたの勇士らの中にも美しく、彼は人皆のおそれし武人なりしに。われにいらえよ、わが声をきけ、いとしき人々よ。ああ、されど、みな永遠にもだしていらえなし。彼らの胸、大地のごとく冷たし。
おお、丘の岩、風吹きすさぶ山の頂より、亡き人々の霊よ、われに語れかし、われは懼《おそ》れず。――汝らいずこに行きていこえる。いかなる狭間《はざま》に汝らを求むべきや。――風に聞けどかすかなる声もなく、丘のあらしに耳を澄ませど遠くいらうる声もなし。
悲しみてわれは座し、涙して朝を待つ。墓を掘れかし、汝ら死者の友びとら。さあれ、わが至らんまでは閉ずることなかれ。わがいのちは夢のごとくに消ゆべきを、いかにしてひとりとどまるをえん。岩根にくだくる流れのほとりにわが友びとと住まわん。――丘の上に夜きたり、荒野に風吹き渡らば、わが心、風の中に立ちて、わが友どちの死をいたむ。狩人《かりゅうど》は小屋にありてわが声を聞き、懼れかつ慕う。わが友びと思いてわが声は甘ければ。ああ、ともにわがためにはいとしかりしを。
ミノナよ、トルマンのやさしき恥ずかしき娘、汝の歌はかくありき。われらコルマがために泣き、心は乱れぬ。
ウリンは竪琴《たてごと》をもて現われ、アルピンが歌をうたいき。――アルピンが声音はやさしく、リノが心は熱し。されど彼らはすでに狭き墓にいこいて、その声はゼルマに響くことなし。かつてウリンの猟より帰りきたるとき、かの勇士らはいまだ死せざりき。彼は丘の上の競いの歌を聞きし者なり。彼らが歌はやさしく、悲しかりき。彼らの悼《いた》みしは勇士が中の勇士モラルが死なり。彼の魂はフィンガルの魂のごとく、彼の剣はオスカルの剣のごとくありき。――されど彼は仆れ、彼が父は悲しみなげき、彼が妹は涙にくれぬ、ミノナの眼《まなこ》は、猛《たけ》きモラルの妹ミノナの眼は。ミノナはウリンの歌の前に引き退きぬ、あらしの至らんを知りて、うるわしきかしらを雲間に隠す西の月のごとく。いざや、ウリンとともに竪琴をとりて、嘆かいの歌をうたわん。
リ  ノ
風と雨とはしずもりて、昼はかく明らけく、雲は破れぬ。移ろう陽《ひ》ざしは空駆けつつ丘を照らし、山の激流は赤く谷間を流れ行く。甘美なるかな、汝、渓流《けいりゅう》のささやき。されどわが聞く声はなお甘美なり。そはアルピンが声、死せる人をいたむなり。その頭は老いのために垂れ、涙はその眼を赤く染めたり。アルピンよ、たぐいなき歌びとよ。なぜなればかくさびしく沈黙の丘に座するや。いかなれば汝、なげき悲しむや、森を吹く突風、はるかなる岸辺の波のごとくに。
アルピン
リノよ、わが涙は死者のため、わが声は墓の住人のためなり。汝は丘に立ちて姿やさしく、荒野の息子らの間にありて美し。されど汝はモラルがごとく仆れん。汝が墓辺にいたむ者座すべし。丘は汝を忘れ、汝が弓は広間に弦《つる》なくてすてられん。
おお、モラルよ、汝は丘の小鹿《こじか》のごとく速く、空に燃ゆる夜の火のごとく猛かりき。汝が怒りはあらし、汝が剣は荒野が上の稲妻、汝が声は森を流るる雨後の小川、はたまた遠き丘辺の雷に似たりき。汝が腕に多くの者ら仆され、汝が怒りは多くの者らを殺しぬ。されど戦いより帰りし汝の額の、いかにやさしかりしことよ。面輪《おもわ》はあらしの去れる後の陽のごとく、静けき夜の月のごとく、汝が胸は立ち騒ぐ風の凪《な》ぎし海のごとくに静かなりき。
今や汝の家は狭く、汝が居間は暗く、墓は歩みて三歩なり。ああ、かつてかくも偉《おお》いなりし汝。苔《こけ》むして立てる四基の石を措《お》きて汝をしのぶべきものなし。落ち葉せるひともとの木、風に泣く丈高《たけたか》き草に今はわずかに猟人は偉いなりしモラルを思う。汝をいたむ母、汝になく、愛の涙に暮るる乙女もなし。汝を生みし母は死し、モルグランの娘らは仆れたりき。
杖《つえ》に倚《よ》るかの人は誰《た》そ。老いのために髪は白く、涙に眼の赤きは誰そ。汝が父なり、おお、モラルよ、汝を措きて、いかなる息子の父なるや、彼は戦場の汝が勇名を、逃げ散る敵のさまを聞けり。モラルがいさおしを聞ける彼は、汝が深手を聞かざりしや。泣け、モラルが父よ。泣け。されど汝が息子は汝が慟哭《どうこく》を聞くことなし。死者の眠りは深く、塵《ちり》の枕《まくら》は低く、呼ぶ声にいらえること絶えてなく、汝が叫びに絶えて目ざめず、おお、まどろめる者に『醒《さ》めよ』と告ぐる朝の墓にきたる日はいつぞ。
さらばよ、汝、最も高貴なる者、戦場の征服者よ。あわれ戦場は汝を見ることなく、暗き森は汝が剣の輝きに映ゆることあらじ。汝は世嗣《よつ》ぎなかりしも、歌に汝が誉れを伝うべし。きたらん世々は汝が事蹟《こと》を、戦場に仆れし汝が名を聞くべし。――
勇士らの悲しみの声は高かりしも、されどアルミンのはげしき嘆きは最も高かりき。アルミンは若くて死せる子を思えばなり。カルモル、音に名高きガルマル侯は勇士アルミンのかたわらにありき。『アルミンのかく嘆くは何のゆえぞ。なにとて彼は泣くぞ。心を溶かしよろこばしむる歌声を聞かずや、湖より立ち上がり谷に流れて行くやわらかき霧のごとき。うるおいたり、咲ける花々。されど陽は再び勁く照りきたりて、霧は流れ去りぬ。海をめぐらすコルマの主アルミンよ、なにとてかくは愁うるや』
愁うとや。この悩み、いかでか愁えであるべき。――カルモルよ、汝はいかなる息子を失わず、いかなるうるわしき娘をも失わざりき。雄々しきコルガル、世に美しきアンニラは生く。おお、カルモル、汝が一族は栄ゆ。しかるをアルミンは彼の一族の最後の者なり。汝のしとねは悲し、おお、ダウラよ。墓にありて汝が眠りは苦し。――汝の歌、汝の快き声して目ざむるはいつの日ぞ。吹け、汝、秋風よ。吹け、暗き荒野を狂い行け。たぎり立て、森の流れよ。ほえよ、あらし、樫《かし》のこずえに。断雲を縫いゆく月よ、汝の蒼白《あおじろ》き面を時に示せ。わが子らは死し、勁き人アリンダルは仆れ、美しきダウラの息絶えしおそろしかりし夜を思わしめよ。
ダウラ、わが娘、汝はげにもフラの丘照らす月のごとくうるわしく、降りくる雪のごとく真白に、そよ風のごとくやさしかりし。アリンダルよ、汝が弓は勁く、汝が戦場の槍《やり》は速く、汝が眼差《まなざ》しは波間の霧のごとく、汝が楯《たて》はあらしの燃ゆる雲なりき。
戦場にその名も高きアルマルきたりて、ダウラの情を求めしとき、ダウラながく拒みえずして、幸《さち》多きまじわりを結びき。
オドガルの息、エラトの怒りしは、その兄のアルマルがために撃たれしによれり。彼、姿を変じてうるわしき小舟に打ち乗り、波間をこぎきぬ。彼の巻毛は老いて白く、おごそかなる面は静けかりし、『世にうるわしき、アルミンが娘よ、遠からぬ海の上、かの岩かげの、赤き木の実きらめくところに、アルマルはダウラを待てり。われは先達、潮騒《しおさい》の海を越えて、汝をかしこに伴わんとす』
ダウラ、エラトに従いて、アルマルを呼べるに、巌《いわお》のほかにいらうものなし。『アルマルよ、わがいとしきアルマルよ、なにしにかくわれを苦しむる。きけ、アルナトの子、きけ、ダウラきたりて汝を呼ばうを』
裏切りのエラトはあざ笑いて陸に逃げぬ。ダウラは声をあげて、父よ、兄よと呼ばわりぬ、アリンダルよ、アルミンよ、と。ダウラを救う人はあらざるか。
その声は海を越え響きぬ。わが息子アリンダルは獲物に心はやりて丘をかけおりぬ。彼の矢は腰に鳴り、手には弓を持ちて、黒き灰色せる五頭の猟犬は彼を取り巻く。彼は不敵のエラトを岸辺に見いだし、これを捕えて樫の木に腰をかたくいましめたれば、エラトのなげきは風を満たしぬ。
ダウラを陸地に連れもどらんとアリンダルは波間に舟をこぎ入れぬ。怒れるアルマルきたりて、灰色に羽根打てる矢をつがえて、ひょうと射しに、ああ、汝が胸にあたれり、おお、わが子、アリンダルよ、エラトにあらで、仆れしは汝なりき。小舟は岩かげに至れども、汝は折れ伏してはやこと絶えぬ。汝が足の下に汝が足の血は流れぬ、おお、ダウラよ、汝がなげきのいかばかりなりし。
波は小舟を打ち砕きぬ。ダウラを救わん、救いえざればわが身も死せんと、アルマルは海にとび入りぬ。折しも丘よりはやて吹きつけ、アルマルは波間に沈みて、再びは生きて帰らざりき。
ひとり波に洗われたる岩の上に、われはわが娘の悲傷の声を聞けり。その叫びは高くせつなかりしも、父は救うあたわざりき。夜《よ》すがらわれはみぎわに立ちて、弱き月の光の中にその姿を見、その叫びを聞きしに、風すさまじく、雨は山肌《やまはだ》に強かりき。その声は弱まり行きて、黎明《れいめい》を迎うる間もなく、息絶えぬ、岩に生《お》うる草かげの夕風のごとくに。悲しみを負いてダウラは逝《ゆ》けり。遺《のこ》りしはひとりアルミンのみ。戦場のわが猛き力は失われぬ。乙女らが中のわが誇りは失われぬ。
山にあらし吹き、北風に波高きとき、鳴りひびく岸辺に座して、われはおそろしき岩をながむ。沈みゆく月のうち、わが子らの亡霊を見ること、幾そたびぞ。わが子らは定かならぬ薄明の裡《うち》を悲しくもむつみ合いつつさまよい行くなり」
涙はロッテの眼《め》にあふれて、心の憂悶《ゆうもん》を遣《や》るかに見えた。ためにウェルテルの朗読の声はとぎれた。ウェルテルは草稿をすててロッテの手をとり、いたましい涙にむせんだ。ロッテは片方の手で面を覆ってハンカチーフで眼をおさえた。二人の感動はおそろしいばかりであった。二人は自分たちの悲しい身の上を高貴な英雄たちの運命の中に感じとった。二人は一緒に感じたのである。そして二人の涙はとけ合った。ウェルテルの眼と唇《くちびる》とはロッテの腕に燃えた。ロッテは戦慄《せんりつ》に襲われて、身をずらそうとした。しかし苦痛と同情とは鉛のように重くのしかかっていて、からだの自由がきかないのである。ロッテは吐息して気をとりなおし、すすり泣きしながら、先を続けてくれるように頼んだ。その声音《こわね》は何とも形容できなかった。ウェルテルはからだが震え、心臓が張り裂けそうになった。草稿を取り上げて、とだえがちに朗読した。
「春風よ。われを呼び起ししは何ゆえぞ。媚《こ》びて語るや、『われは天の雫《しずく》もてうるおす者』と。されどわが凋落《ちょうらく》の時は近く、わが葉を振い落すあらしは迫れり。さすらい人は明日きたるべし、わが美しかりし姿を見しさすらい人はきたるベし、きたりてわれを野面《のづら》に求めさすらうべし。されどわれを見いださざるべし――」
これらの言葉の持つ全重量が不幸な青年の上に落ちていった。絶望のあまりウェルテルはロッテの前に身を投げて、その両手をとり、これを眼に、額に押し当てた。ひょっとしたらという予感がロッテの心をかすめ過ぎた。ロッテの五官は惑乱した。ウェルテルの両手を握って、われとわが胸に押しつけ、悲しい様子でウェルテルの方へ身をかがめた。二人の熱い頬《ほお》が触れ合った。世界は消えうせた。彼はロッテに腕をまきつけ、ロッテを胸に掻《か》きいだいて、ロッテの震え口ごもる唇に物狂おしい接吻《せっぷん》を浴びせた。――「ウェルテル」、ロッテは声を詰らせ、顔をそむけた。――「ウェルテル」――そして力なく手で相手の胸を押しのけた。――「ウェルテル」、彼女の声には、この上なく気高い感情のこもった落ち着きがあった。――ウェルテルはさからおうとせず、腕を解き、正気を失ったもののようにロッテの前へ仆れ伏した。ロッテは身をふりもぎって立ち上がった。混乱と不安、怒りと愛情に身をふるわせていった。「これが最後です、ウェルテル。もうお目にかかりません」――そして哀れな青年を思いのこもった眼で見ながら隣室へいそいだ。扉《とびら》が閉じられた。ウェルテルはロッテの方へ両腕を差し伸べたが、あえて引き止めようとはしなかった。彼は長《なが》椅子《いす》に頭をもたせかけたまま床に仆れて、そのままの格好で半時間ぐらい経《た》ったとき、物音にわれに返った。女中が食卓の用意をしようとしている。部屋の中を往《ゆ》き来していたが、女中が行ってまた自分一人になってしまうと、隣の小さい部屋のドアのところへ行って小声で、「ロッテ、ロッテ、たった一言だけ、さようならだけでも」と呼びかけてみたが――返事がない。ウェルテルは待った。また頼んで、待った。それから身を返して、叫んだ。「さようなら、ロッテ、永遠にさようなら!」
町の門にきた。すでに顔見知りの番人は何もいわずウェルテルを外へ出してやった。みぞれの夜だった。十一時|頃《ごろ》になって再び町の門の扉をたたいた。ウェルテルが家に帰りつくと、従僕は主人が帽子をかぶっていないのに気づいた。しかし何もいおうとはせず、服を脱がせた。びしょぬれにぬれていた。帽子はあとで、谷にのぞんだ丘の斜面の岩の上に発見された。暗い雨夜に落ちもせずにどうしてあの岩に登ったのか、不可解である。
ウェルテルは床に入って、ながい間眠った。翌朝、従僕が呼ばれてコーヒーを持って行くと、書きものをしていた。ロッテにあてた手紙の、次のごとき個所をしたためていたのである。
「こうして眼をあけるのも、これが最後です。ああ、この眼は二度と再び陽の目を見ることもない。空には物悲しい霧がかかって太陽は見られません。それでは自然も、その息子、友、愛人の近づく終末をいたむものと見える。ロッテ、これが最後の朝だぞ、と自分にいいきかせるのは、何ともいいようのない心持です。しかし浅いまどろみの夢の中のようだといえるかもしれない。最後の朝。ロッテ、ぼくにはこの、最後の朝という言葉の意味が少しもわからない。ぼくはこうして力強くしゃんとしている、ところが明日になれば、手足を伸ばして力なく地面に横たわるのです。死ぬ。死ぬとはどういうことだろう。どうでしょうか、死について何かいったって、それは夢を見ているようなものではありませんか。ぼくもこれまで死んでゆく人をずいぶん見ました。けれども人間の考えは狭いもので、人生の初めと終りのことははなはだぼんやりしているのです。今はまだこのぼくはぼくのもの、そう、あなたのものです。そうですとも、恋しいあなたのものです。それなのに一瞬間で――分れて別れてしまう――たぶん永遠にね――いや、ロッテ、違う――どうしてぼくが滅んでしまうことがあるだろう。どうしてあなたが滅んでしまうだろう。ぼくたちはここに|いる《ヽヽ》んだ。――滅ぶ――何だ、それは。からっぽな言葉だ。意味のない響きだ。ぼくの心にとって何の感じもありはしない。――死ぬ、ロッテ、冷たい土の中に埋められる。狭い、暗い!――ぼくがまだ頼りない少年だったころ、ぼくにはかけがえのない女の友だちがいました。死んでしまったのです。ぼくは棺について行った。棺が墓穴の中におろされるとき、そのそばで見ていた。綱がずるずると棺から引き抜かれて、また上に引き上げられ、最初のひとすくいの土がシャべルでばらばらと投げ込まれる。心細そうな棺の蓋《ふた》が鈍い音を立てる。音が次第に鈍くなっていく、そうしてついに全部埋まってしまう。――ぼくは墓のそばにばったりと仆《たお》れてしまいました。――心が動転し揺すぶられおびやかされかきむしられて。どうしたんだか、自分ではわからなかった――どうなるんだろうか――死んでしまう、墓、こんな言葉はぼくにはわからない。
昨日《きのう》のこと、本当にゆるしてください。あれがこの世での最後と思っていたんです、ああ、本当に初めて、初めて『ぼくは愛されているんだ』という歓喜の感情が、もう何の疑うところもなくぼくの身内をぐっと燃え貫いたんです。あなたの唇から流れた神聖な炎は、まだ今でもぼくの唇の上に燃えています。心の中には、新しいあたたかい歓喜があります。ゆるしてくださいね、本当に。
ぼくには、あなたがぼくを愛しているってことはわかっていたんだ、最初の熱い眼差し、最初の握手で。けれどあなたのそばを離れていたり、アルベルトがあなたと一緒にいたりすると、いつも熱病みたいな疑いに苦しめられたんです。
覚えていますか、いつかあのおぞましい集まりで、あなたは言葉をかけることも、握手をすることもならず、ぼくに花を下さいましたね。ぼくは夜ふけまであの花の前にひざまずいていた。あの花はあなたの気持の証拠だった。だがああいう印象も消え去ってしまった。ちょうど眼に見ることのできる神聖なしるしで豊かに与えられた神の恩寵《おんちょう》の感情すらも、信者の心から次第にまた薄れて行くようにね。
永久のものは何もありはしない。けれども、ぼくが昨日《きのう》あなたの唇に味わったあの燃えるいのちは、今もしみじみと感じているあのいのちは、どんな永遠がやってきたって消すことなんかできないのだ。ロッテは己《おれ》を愛している。この腕はロッテをいだき、この唇はロッテの唇の上に震え、この口はロッテの口に押しつけられて口ごもったんだ。ロッテは己のものだ。あなたはぼくのものだ。そうですとも、ロッテ、永久に。
それに、アルベルトがあなたの夫だってことが何です。夫、か。この世ではそうでしょう――この世じゃぼくがあなたに恋し、アルベルトの腕からぼくの腕にあなたをもぎとろうというのは罪でしょうよ。罪だ? よろしい、ぼくは自分を罰してやる。ぼくは罪をたっぷりと心たのしく味わったのだ、この罪を。いのちの香油と力を心の中に吸い込んだのだ。そのときからあなたはぼくのものだ。ぼくのものなんだ。ロッテよ。先に行きます。先に父のもとへ、あなたの母のもとへ行きます。そうしてぼくは訴えます。ぼくらの父は、あなたがくるときまでぼくを慰めてくれることでしょう。そうしてぼくはあなたのところへ飛んで行く、あなたをつかんで、無限なる神のみ前で、永遠の抱擁を続けながらあなたと一緒にいるんだ。
夢を見ているんじゃありません。幻でもない、墓に近よってぼくは心が冴《さ》えてきた。死ぬんじゃない、また会えるんです。あなたのお母さまに会えるんです。ぼくは会います。見つけ出すでしょう、そうしてお母さまにぼくの心のありったけをぶちまけます。あなたのお母さま、あなたの似姿」
十一時近くになってウェルテルは、もうアルベルトは帰っているだろうかと従僕にたずねた。従僕は、アルベルトさまの馬が牽《ひ》かれて行くのを見受けました、と答えた。すると彼は次のごとき短い手紙を書いて従僕に渡した。封はしなかった。
「旅行に出かけようと思いますので、恐縮ですがピストルを拝借願えますまいか。どうぞごきげんよう」
愛すべき夫人は昨夜ほとんど眠らなかった。かねて恐れていたものが、思っても見ぬ心配してもいなかったような方向からやってきたのである。不断は清らかに軽やかに流れている血が熱病にかかったかのように沸き返り、思いは千々に乱れて美しい心をさいなむ。ロッテが胸の中に感じているもの、それはウェルテルの抱擁の炎であろうか、彼の不埒《ふらち》なことにたいする怒りであろうか、本当にのびのびとした自由な無邪気と自分にたいする屈託のない信頼とがあった以前に、今の状態をくらべて見ることから生ずる不快であろうか。どうやって夫を迎えたものであろう、打ち明けてもいっこうさしつかえはないものの、さてそうする勇気の出ないあの一場面をどう打ち明けたものであろうか。もう永い間二人は互いに黙っていたが、それなのに自分がまずこの沈黙を破り、しかも具合のわるいときにこういう思いがけぬ事件を夫に打ち明けられたものであろうか。ウェルテルが訪ねてきたと知らせただけでも夫はきっといやな顔をする、それなのにこういう意外な破局をどうして夫に告げることができよう。夫が自分を本当に公平な眼で見て、まったく何の邪推もせずに受け入れてくれるということが果して期待しえられようか。自分の心の中を読んでいただきたいと願えたものかどうか。だからといってまた、夫の眼をあざむくことが自分にできるであろうか。これまでは曇りのないガラスのようにあけ放しにわだかまりなくしていて、どんな気持も一つだって夫に隠しもしなかったし、また隠すこともできなかったこの自分が。心配の種はきりがなく、ロッテはために困《こう》じ果てた。ところが何かというと、もう自分から失われてしまったウェルテルのことが思われる。手放してしまうことはできない。といって、残念ながらこのままに放っておくよりほかに仕方がない。そしてウェルテルはロッテを失ってしまえば、彼の手にこの世ではもう何も残らぬのである。
そのときははっきりとさせてみることはできなかったにせよ、夫婦の間にしっかりと根をおろしてしまったわだかまりが、この場合どれほど重く彼女の上にのしかかったことであろう。これほどに分別もあり、これほどに善意を持つ人たちが、ある隠れた気持の食い違いからお互いに沈黙し始めて、めいめいが自分は正しく相手は間違っていると考えこんで、事情が紛糾し一つが一つを煽《あお》り立てて、ついにはここをはずしたらという肝心の瀬戸ぎわに立ち至ってあいにくと|もつれ《ヽヽヽ》を解くことが不可能になったというわけである。こんなことにならないうちに二人の仲がしっくりといって、互いに歩み寄り、愛情と思いやりとがこもごもに二人の気持を動かし、そして互いが心を開き合ったとしたら、おそらくわれわれの友を救うみちはまだあったのかもしれぬ。
そこへもう一つ、特別な事情が加わった。ウェルテルは、その書簡によっても明らかであるが、この世を去ろうという願いを少しも隠さなかったのである。この点に関しては、アルベルトはこれまでにもしばしばウェルテルと言い争いをしてきたし、この問題は夫婦の間でも話題に上っていた。自殺というものに徹底的な反感をいだいていたアルベルトは、平素はまったく彼に見受けられぬような一種の癇癖《かんぺき》を見せて、そういう意図のまじめであることははなはだ疑わしいと主張することがしばしばであったし、それのみかこの問題を茶化すような態度にさえでて、とうてい信ずることはできぬとロッテにいったりした。ロッテがこの問題を考えて物悲しい光景を想像したりする折には、アルベルトのそういう言葉がたいそう頼もしいものに思えたのであるが、他面また夫がそんなふうであるからこそ今自分を苦しめている心配を夫の耳に入れかねてもいた次第である。
アルベルトが帰宅した。ロッテは狼狽《ろうばい》してせわしなく夫を出迎えた。機嫌《きげん》がわるい。用事が片づかなかったし、それに近在の役人というのが頑固《がんこ》で偏狭《へんきょう》な男であった。道の悪かったこともアルベルトを不機嫌にしたのである。
変ったことは、とたずねられて、ロッテはあわてて、「ウェルテルさんが昨夜お見えでした」と答えた。手紙は、とたずねると、手紙一通と小包がお部屋に置いてございますという返事である。アルベルトは自分の部屋へ行く。ロッテはあとにひとり残った。自分が愛し、尊敬する夫がこうして眼《め》の前にいてくれるということで、また何か新しい気持になれる。夫の立派な人柄《ひとがら》や愛情や善意を思ってみると、気分もよほど落ち着いてきた。何がなしに夫のあとについて行きたくなって、自分の仕事を持って夫の部屋へ行った。不断でもよくそうしているのである。夫は小包を解いたり読んだりしている。内容のあまり愉快とはいえぬものも若干あるらしい。ロッテは二、三、夫にたずねた。夫は手短かな答えをして、書き物机に向ってものを書き始めた。
夫婦はこんなふうにして、一時間ばかり一緒にいた。ロッテの気持は次第に暗くなっていった。自分の念頭にあることを打ち明けるのは、たとい夫が上々の機嫌でいるときでさえ、ひどくむずかしいということを感じた。ロッテは悲しくなってきた。この悲しさを隠そう、涙をのみこんでしまおうとすればするほど、この悲しい気分はますます危なっかしいものになってきた。
ウェルテルからの使いの少年が現われたとき、ロッテの困惑はその絶頂に達した。少年はアルベルトに紙片を渡した。アルベルトは平然と妻の方を向いて、「ピストルをわたしておあげ」といい、また使いの少年には、「道中ご無事でと申し上げてくれ」といった。――この言葉は雷のようにロッテの頭上に落ちた。からだがぐらぐらして立っていることができぬ。自分がどうしているのか自分でわからぬ。ゆっくりと壁の方へ寄って、震える手でピストルを取りおろし、塵《ちり》を払って、ためらった。もしアルベルトがいぶかるような眼で促さなかったら、もっとながくためらっていたことであろう。ロッテはひと言もものがいえず、黙って不吉な武器を少年に渡した。少年が辞し去ると、仕事を取りまとめて、口ではいい現わしがたい不安な気持で自分の部屋へ行った。心はさまざまのおそろしい事件の予言をする。いっそ夫の足下に身を投げて、昨夜のいきさつ、自分の罪、自分の予感をあらいざらい打ち明けようかと考えたが、そういうことをしてもむだであろうと考え直した。とりわけ夫にウェルテルのところまで出向いて話をしてきてもらうというのは、望みがたいことである。食卓の用意がととのい、ほんのちょっとした用事で訪ねてきて、すぐに帰るという親しい女の友だちがそのまま腰を落ち着けてくれたので、どうにか食卓での談話の格好もついた。互いに努めて口をきき話をし気持を糊塗《こと》した。
少年はピストルを持ってウェルテルのところへ帰ってきた。ウェルテルは、ロッテが自分でピストルを少年に渡してくれたと聞いて、狂喜してピストルを受け取った。パンとぶどう酒とを持ってこさせてから、少年を食事に行かせ、自分は腰をおろして書き継いだ。
「ピストルを手にとって、埃《ほこり》を払ってくれたのはあなたです。ぼくはこのピストルに何度でも接吻《せっぷん》する。あなたの手が触れたのだ。そうだ、天の霊よ、おまえはぼくの決心を嘉《よみ》してくれるのだ。それからロッテよ、あなたは手ずからぼくに武器を与えてくれた。かねてあなたの手から死を享《う》けたいと念じていたのに、ああそれが実現するのだ。使いにやった少年にしつっこくぼくは聞きました。震えていたんですってね、ピストルを渡すときに。さようならはいってくれなかったんですね。――どうしてだ、どうしていってくれなかったんだ。――あなたは永遠にぼくとあなたとが結ばれてしまったあの瞬間のために、ぼくにはもう心を閉ざしてしまったというのですか。ロッテ、千年たったからといって、あの印象を消すことはできないんだ。けれどぼくは思う。これほどにもあなたのために胸を焦《こ》がしている人間をあなたは憎めはしない」
食後、ウェルテルは少年に命じてすべてのものをすっかり荷造りさせ、たくさんの書類を破り、外出して、まだ残っているこまごました借りをすませた。いったん帰ってきたが、雨降りだというのにまた外に出て、町の門から伯爵家《はくしゃくけ》の庭園へ出かけて行き、郊外を歩きまわって、夕刻になって帰宅して机に向った。
「ウィルヘルム、見納めに野や森や大空を見てきた。君にもさようならをいおう。母上、おゆるしください。慰めてあげてくれたまえよ、ウィルヘルム君。みんな達者でね。持ち物は全部始末してある。ごきげんよう。あの世でまた会おう、もっと楽しく」
「君にはすまないことをしてしまったね、アルベルト、しかしゆるしてくれるだろうね。君の家庭の平和を乱し、君たち二人の間に不信の種子《たね》を蒔《ま》いてしまった。さようなら、ぼくはけりをつけようと思う。ぼくの死によって君たちお二人が仕合せになってくれれば、アルベルト、アルベルト。天使を幸福にしてあげてくれ。それでは、どうかいつも神の祝福が君の上にあるように!」
ウェルテルはその夜も引き続き書類をかきまわして、いろいろと引き裂き、煖炉《だんろ》にくべた。包みもいくつかこしらえて、ウィルヘルムの名あてにして封をした。編者もその中のいろいろのものを見たが、短い文章や断片的な感想である。十時に煖炉に火をつぎ足させ、ぶどう酒を一本持参させてから、従僕を寝に就かせた。従僕の小部屋は、この家の人々の寝室と同じくずっと奥の方にある。従僕は翌朝すぐ仕事ができるように服を脱がずに寝た。駅逓《えきてい》馬車が家へくるのは六時前だと主人がいったからである。
[#地付き]十一時過ぎ
「身のまわりのものすべてがしんと静まり返っています。ぼくの心も静かです。神よ、この最期《さいご》の瞬間にこの熱情とこの力とをお恵みくださったことを感謝します。
ロッテ、ぼくは窓辺に歩み寄って、空をながめる、荒れ模様の、脚《あし》の速い雲間にまたたく永遠の天空のまばらな星をながめます。そうだ、あの星は落ちはしないのです。永遠なる神はあの星を胸に抱いているのだ、そうしてこの私をも。大熊座《おおくまざ》の轅星《ながえぼし》が見えます。ぼくの一番好きな星だ。夜あなたと別れて門を出ると、ちょうどあの星が真向いに懸っている。ぼくは幾度か酔い心地《ごこち》であの星をながめ、ぼくの現在の幸福のしるし、神聖な標石と思って両手を差し伸べたことでした。そうして今でも――おお、ロッテ、一つとしてあなたを偲《しの》ばせないものはない、あなたはぼくを取り巻いている。神聖なあなたが触れたものなら、どんなつまらぬものも、まるで子供のように飽くことを知らずにぼくはひったくるようにしてきたのですから。
なつかしい影絵《シルエット》よ。これはあなたに遺《のこ》して行きます、どうか大事にしてください。部屋を出入りするごとに、ぼくはこれに幾千の接吻、幾千のあいさつをしたのです。
遺骸《いがい》のお世話は手紙でお父上にお願いしておきました。墓地の奥の、畑に向いた方の隅《すみ》に二本|菩提樹《ぼだいじゅ》が立っています。ぼくはそこに葬《ほうむ》られたいのです。お父上はそうしてくださるでしょう。そうしてくださることがおできなのです。あなたからもお願いしてください。信心深いキリスト教徒に向って、彼らの遺骸をこの不幸な男のかたえに横たえさせたくはありません。あなた方がどこかの路《みち》のほとりあるいは谷間《たにあい》にぼくのなきがらを埋めて冢《つか》をきずき、祭司やレビ人びとがしるしの石に祝福をたれつつ通りすぎ、サマリヤ人が一滴の涙を注いでくれたならと思っています。
さあ、ロッテ、ぼくはためらうことなく冷たい死の杯をとって、死の陶酔を飲みほしましょう。あなたが差し出してくださったのだ、どうしてためらうことがあるでしょう。ぼくの生涯《しょうがい》の念願や期待は一つ残らずすべて満たされたのです。ぼくはこんなに冷然と、こんなに頑固に死の鉄の扉《とびら》をたたこうとしています。
あなたのために死ぬという幸福にあずかりえたならば。ロッテ、あなたのためにこの身をささげるという幸福に。あなたの生活の平静と歓喜が再び帰ってくるというのならぼくはよろこび勇んで死んで行くのですが。しかし、身近かな人たちのためにその血を流して、その死によって友だちに新しい百倍の生命をかき立てるというのは、ただ少数の高貴な人々にしか許されなかったことです。
この服装のまま葬ってください。あなたがこの服に触れ、これをきよめてくださったんですから。これも父上にお願いしておきました。ぼくの霊は柩《ひつぎ》の上に漂います。ポケットはさがさないでください。あなたが子供たちと一緒にいらしったところへぼくが初めて伺ってお目にかかった折、胸につけておられた淡紅色の飾り紐《ひも》――そうです、子供たちにはたくさん接吻してやってください、そして不幸な友だちの運命を話してやってください。可愛《かわい》い子供たち、ぼくのまわりに集まってきて。ぼくは本当にあなたと結びついていたんですね、あのときからもうあなたという人が放せなかったんだ。――この飾り紐は一緒に埋葬してください。ぼくの誕生日に贈ってくださったんでしたね。こういうものをみんなぼくはどれほどむさぼり求めたことか。――ああ、こんなことになろうとは思わなかった。――落ち着いてください、お願いです、静かにしていてくださいよ。――
弾丸はこめてあります。十二時が打っています。ではやります。――ロッテ、ロッテ、さようなら」
隣家のひとが火薬の閃光《せんこう》を見、銃声を耳にした。しかしそののちはことりともしないので、それ以上べつに気にもとめなかった。
朝六時、従僕があかりを掲げて部屋に入った。床上に主人のピストルと血を見いだした。大声をあげて、からだに手をかけた。返答がない。喉《のど》がごろごろ鳴っているばかりである。二、三の医者のところへ走り、アルベルトに通知する。ロッテは呼鈴の音を聞いて、からだがすくんだ。夫の眼をさまし、二人して起きた。従僕は大声をあげて泣きながらしどろもどろである。ロッテは気を失ってアルベルトの前に仆《たお》れた。
医者が到着したとき、不幸なウェルテルは床上に仆れたままで、もう手のくだしようがなかった。脈は打っていたが、四肢《しし》はことごとく麻痺《まひ》していた。右眼の上部から脳が射貫かれている。脳漿《のうしょう》が流れている。腕の静脈を開いて血を出した。血はほとばしり出た。依然呼吸は続けられていた。
椅子《いす》のもたれに付着している血痕《けっこん》から推すに、ウェルテルは書き物机に向って椅子に掛けたまま引き金を引いたらしい。それから床に落ち、身もだえしつつ椅子の周囲をのたうちまわり、窓に向って、力尽きて仰向けに仆れていた。服は着たままである。靴《くつ》もはいている。青い燕尾服《えんびふく》に、黄色のチョッキを着ていた。
この家の人たちも、隣近所も、町中もこのために大騒ぎとなった。アルベルトがかけつけてきた。ウェルテルはベッドに寝かされていた。額には繃帯《ほうたい》をして、顔はもう死人の相である。手足はぴくりともせぬ。肺は、あるいは高くあるいは低く、依然として気味の悪い音を立てている。臨終が迫っているようであった。
ぶどう酒は一杯しか飲んでいない。机上には『エミーリア・ガロッティ』が開かれたままになっていた。
アルベルトの驚き、ロッテの悲しみについては何もいうまい。
老法官は知らせを受けて馬でかけつけてきた。熱い涙とともに死に行くウェルテルに接吻した。そのあとから上の息子たちも徒歩でやってきた。苦痛をおさえがたいという様子でベッドの傍《そば》に打ち伏して、ウェルテルの両手や口に接吻する。ことにウェルテルにいつも一番可愛がられていた長男は、ウェルテルが息を引きとってからも唇《くちびる》から離れようとしないので、はたで無理に引き離した。こときれたのは正午十二時であった。法官がいてくれたのと、その処置とで騒ぎは鎮《しず》まった。夜十一時近く、法官の計らいによって遺骸は故人の望んだ場所に葬られた。柩には老人と息子たちとがついて行った。アルベルトは行かなかった。ロッテのいのちが気づかわれたからである。職人たちが棺を担《かつ》いだ。聖職者は一人も随行しなかった。
[#改ページ]
解説
[#地付き]高橋義孝
ゲーテ―人と作品
青春そのものを爆発的に歌いあげた世界文学史上最高の傑作『若きウェルテルの悩み』 Die Leiden des jungen Werthers の作者、ドイツが生んだ最大の詩人ヨーハン・ヴォルフガング〔・フォン〕・ゲーテ Johann Wolfgang (von) Goethe は、ドイツ・ライン地方マイン河畔の神聖ローマ帝国|直轄《ちょっかつ》自由市フランクフルトに、一七四九年八月二十八日「正午十二点鐘とともに」生れた。家系は父方では一六八六年アルテルンに没した蹄鉄《ていてつ》鍛冶《かじ》ハンス・ゲーテにまで遡《さかのぼ》りうる。その子ハンス・クリスティアンも同じ職業にたずさわり家は富み栄え、その長男フリードリヒ・ゲオルク(一六五七年生れ)は裁縫師として諸国を遍歴したのちフランクフルト市に至り、市民権を得て料亭の未亡人を妻に迎えて二子を挙げたが、長男は早く死に、両親の愛はもっぱら次男ヨーハン・カスパル(一七一〇年生れ)に注がれた。これがゲーテの父となる人である。
ヨーハン・カスパルは法律を学んで、フランクフルト市の要職に就こうとしたが果さず、一七四二年、名目上の帝国|枢密《すうみつ》顧問官となり、宏壮《こうそう》な邸宅に老母とともに住んでいた。一七四八年八月、彼はフランクフルト市長の娘、十七歳のカタリーナ・エリーザべト・テクストルをめとった。ゲーテの母となった人である。ゲーテは、父から堅忍不抜の精神を、また母からは生活への悦《よろこ》び、諧謔《かいぎゃく》の心、空想の天賦《てんぷ》という資性を享《う》けた。
少年時代 定職のために時間を割かれることのなかった父親は、少年ゲーテに二、三の私教師の助けをかりて苛酷《かこく》と思われるほどの教育を施した。弟妹は五人あったが、すぐ下の妹コルネーリアのほかはみな早世した。
一七六四年四月、フランクフルト市で神聖ローマ帝国皇帝ヨーゼフ二世の戴冠式《たいかんしき》が挙行された。あたかもゲーテの少年期に終止符を打つかのように、一つの内的体験、すでに前年から始められていたいわゆるグレートヒェンとの恋が戴冠式の翌日に不幸な終末を告げた。ゲーテ自身の言葉によると「詩は十歳のころから作りはじめた」というが、一七五七年(満八歳)テクストル家の祖父母に捧《ささ》げた新年の詩が現存する最古の作品である。
ライプツィヒ時代(一七六五年―六八年) 一七六五年九月末、ゲーテは法律を学ぶべくライプツィヒ大学に入学し、当時「小パリ」と呼ばれていたライプツィヒ市ではじめて広い世間に接した。いわゆるグレートヒェンとの恋が初恋とすれば、ゲーテはこの地で旅館の娘ケートヒェン・シェーンコップとの第二の恋を体験する。一七六八年八月、ゲーテは病を得て故郷の市に帰った。啓蒙《けいもう》主義の温床ライプツィヒですごした三年間は、ゲーテにとっては啓蒙主義を克服するのに要した三年間でもあった。
第一次フランクフルト時代(一七六八年―七〇年) 一家の望みがかけられていた長男が学業半ばで、しかも病んで帰ってきて、さらに翌年の春まで病床にあったのだから、ゲーテ家内部の空気は重苦しく暗かった。しかし病中、ゲーテは親戚《しんせき》の老嬢ズザンナ・フォン・クレッテンべルクの感化を受けて、汎神論《はんしんろん》的宗教感情をつちかった。六九年の秋にはゲーテの処女詩集『新歌集』が出版された。
シュトラースブルク時代(一七七〇年―七一年) 一七七〇年の春、二十歳のゲーテは父の命によって、大学の修業課程を完了して法律家となるべくシュトラースブルク大学へ入学した。ドイツの都市ライプツィヒでフランスを知ったゲーテは、フランス領シュトラースブルク市でドイツを発見した。ゲーテ伝は、このシュトラースブルク時代に二つの重大な事実を記録する。一はゲーテのために、自然、ホメロス、シェイクスピア、オシアン、聖書、民謡、ハマン、ドイツ中世文化、すなわち反ライプツィヒ的なものへの眼《め》を開いてくれたヨーハン・ゴットフリート・ヘルデルとの出会いであり、この出会いによってドイツ文壇に疾風|怒濤《どとう》運動が起るのである。他はシュトラースブルク市に近いゼーゼンハイムの牧師の娘フリーデリーケ・ブリーオンとの恋である。この恋は永くゲーテの胸に悔恨の棘《とげ》を残した。七一年八月、いまはドクトルの学位を得てシュトラースブルクをあとにフランクフルトへ帰ってゆくゲーテの胸中には詩想が雲のように湧《わ》いていたが、それからほどなくして完成したのはドイツ文学史上最初の歴史劇『鉄手の騎士ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン』である。
第二次フランクフルト時代(一七七一年―七二年) 八月末故郷の市に帰ったゲーテは、さっそく弁護士事務所を開いたが、商売不熱心で、棄《す》てたフリーデリーケへの自責の念、ヘルデルに植えつけられたものの醗酵《はっこう》、ぞくぞくと生れてくる詩的構想などのために一刻も落着いてはいられず、上記『ゲッツ』のほかにも多くの詩や散文をものした。七一年の十二月末、ダルムシュタットで軍隊の主計をやっていたメルクの訪問を受けた。このメルクは『ファウスト』中の悪魔メフィストーフェレスのモデルだといえば、ゲーテの生活に対するメルクの意味はおよそ想像がつくであろう。
ヴェッツラル時代(一七七二年五月―九月) 七二年五月中旬、ゲーテは帝国大審院で法律事務を実習すべく三カ月の予定で小さな田舎町ヴェッツラルに赴いた。このヴェッツラル滞在中に、『若きウェルテルの悩み』の主人公を死へ駆りやったロッテのモデル、シャルロッテ・ブフと相知った。ロッテにはすでに許婚者《いいなずけ》ケストネルがあった。ゲーテは激しい思慕の情を抑えて、九月十一日の早朝、ひそかにヴェッツラルを去った。
第三次フランクフルト時代(一七七二年―七五年) 『ゲッツ』や『ウェルテル』が刊行され、交友の範囲が拡大され、ゲーテが若き天才児の名をほしいままにして、文名ようやく定まったのがこの時期である。七二年の十月末に、ライプツィヒ時代以来顔見知りの青年イェルーザレムがヴェッツラルで自殺した。十一月のはじめにはふたたびヴェッツラルを訪れ、ロッテやその婚約者ケストネルと歓談し、イェルーザレムの自殺事件の詳細を聞き知った。七三年はゲーテにとっては淋《さび》しい年で、四月にはいよいよロッテが結婚式を挙げ、六月には『ゲッツ』が出版されて世間の大喝采《だいかっさい》を博したが、十一月には兄ゲーテのよき理解者であった妹コルネーリアが結婚して家を去り、十二月にはメルクがロシアへ行くというので別れを告げにくる。翌七四年九月、「精神的インフルエンザの病原体」といわれた『ウェルテル』が発表された。子供のころから人形芝居やいわゆる民間本《フォルクスブーフ》などでなじみの深かったファウストを素材として詩劇を書こうとして筆をおろしたのも、一七七三年から七五年にかけてのことであり、この『初稿ファウスト』(のちの『ファウスト』第一部の前身)は永くその原稿が埋もれていたが、ほぼ百年も経《た》った一八七一年に、この『初稿ファウスト』の写しが偶然発見されて、一八八七年刊行された。七四年十二月十一日はゲーテにとっては記念すべき日で、ザクセン・ワイマル公国の二人の公子カール・アウグストとコンスタンティンが家臣とともにパリへ赴く途中フランクフルトに立ち寄ってゲーテと会った。ここに後年のゲーテのワイマル生活の端緒が開かれたわけである。七五年のはじめには、銀行家未亡人の娘エリーザベト(リリー)・シェーネマンと知って恋仲になり、双方の親の了解の下に婚約が整ったが、いろいろ事情が重なって九月下旬にはこの婚約が解消した。九月二十二日、いまは当主となったワイマル公の訪問を受けた。ワイマルへ来ないかというのである。ゲーテはこれを承諾して、十月三十日、侍従フォン・カルプの案内でワイマルへ向けて出発した。ゲーテにとって暫留《ざんりゅう》の地と思われたワイマルは、はからずもその終生安住の地となるのである。
ワイマル時代前期(一七七五年―八六年) 一七七五年十一月七日朝五時、ゲーテは、総面積一千九百平方キロメートル、総人口十万のザクセン・ワイマル公国の首都、人口六千のみすぼらしい田舎町ワイマルに到着した。繁華な都会の児《こ》で、いま売り出しの天才詩人を、この淋しい田舎町につなぎとめてしまったものは何であろうか。
それは第一にカール・アウグスト公をはじめとするワイマル宮廷人の文化学芸を尊重し愛好する雰囲気《ふんいき》であり、第二に父親譲りの、仕かけたことはやりとげずにはおかないというドイツ魂であり、第三にようやくにして思うがままに驥足《きそく》を展《の》ばしうべき格好の天地をここに見いだすことができたという意識であった。フリードリヒ大王の姪《めい》にあたり、はやく夫君に死別して、七年戦争時代を通じて前後十七年間政治の難局に処して国家の経営と二子の保育とをみごとにはたし了《おお》せた賢夫人アンナ・アマーリアの子、十八歳にして一国の元首となったカール・アウグストは、フリードリヒ二世が将来有望と評し、詩人ヴィーラントが大器と称揚した英邁《えいまい》な君主であり、虚飾をきらう剛毅《ごうき》ときわめて繊細な感受性とを併《あわ》せ持った、当時としては珍しく進歩的な人間であった。ワイマルのような片田舎の小さな町にあれほどの人材を集めて、この地をドイツ学芸文化の中心地となしえたのは、ひとえにカール・アウグスト公の人物のしからしむるところであった。いまゲーテを得たカール・アウグスト公の生活は不羈《ふき》奔放の色を濃くしていった。たださえ青年の客気にはやる公を、ゲーテが調子を合わせて誘惑するといって眉《まゆ》をひそめる者が宮廷内外に少くなかったが、しかしそれは杞憂《きゆう》にすぎなかった。すでに奔放な青年期を精神的に克服していた彼は、おもむろに公を実務に精励する有為な君主に教育して行こうと深く心中に期するところがあったからである。ただちに枢密評議員と閣議員に補《ほ》された彼は、ときにはその重みに耐えかねて折れ崩れるかと思われるほどの責任と大小の政務を一身に背負わされた。また鉱山事務をも見ることになった彼は、イルメナウの廃坑開発に着手し、ここに地質学、鉱物学研究がはじまり、植物学、骨学、解剖学の研究がこれに併行した。一七七九年八月、満三十歳のゲーテはワイマル公国の大臣となり、三年後の八二年六月には貴族に列せられ内務長官となった。八六年九月のイタリア旅行に至るまでのワイマル時代前期の十年間はまた、ゲーテの自然科学研究によって裏打ちされた自然哲学への礎石の置かれた歳月でもあった。解剖学の分野では八四年に人間の上顎《じょうがく》間骨を発見し、植物学の領域では「原植物」の考えがまとまりはじめた。地質学の方面では水成説の味方をした。後代の人々が愛誦《あいしょう》してやまない詩もこの時期に多く作られた。小説ではのちの『ヴィルヘルム・マイステルの修業時代』の初稿『ヴィルヘルム・マイステルの演劇的使命』が起稿された(七七年)。散文の『イフィゲーニエ』、『タッソー』が完成した。
しかし前期ワイマル時代の最も重要な事件は、シャルロッテ・フォン・シュタイン夫人との不思議な恋であった。夫人はゲーテにとっては姉妹であり恋人であり助言者であり友人であった。二十六歳のゲーテがはじめて会ったときにはすでに七人の子を生んだ三十三歳の女だったフォン・シュタイン夫人に対するゲーテの熱情は十二年間にわたって燃え続けた。ゲーテは人目も憚《はばか》らずに夫人を恋い慕ったが、イタリア旅行を境に主客転倒して、のちには夫人のほうがゲーテを求めた。八六年七月初旬、夫人はカールスバートへ赴き、その跡を追ってゲーテも同地へ赴いたが、すでにこのときイタリア旅行の決意が固められていた。八月十四日、夫人はワイマルに帰った。ゲーテはアウグスト公に無期限の休暇を乞《こ》い、行く先を何びとにも告げずに九月三日の午前三時、単身カールスバートからイタリアへ「逃走」した。
イタリア旅行(一七八六年九月―八八年六月) ゲーテがはるかにイタリアの空を臨んで、スイスのゴットハルト峠に佇《たたず》んだことは前後二度ある。一度は恋(リリー・シェーネマン)のため、一度は義務のため、二度とも彼は道を南にとることを断念した。しかしいまや彼は、いっさいの繋縛《けいばく》を断ち切って芸術家たる自己を救済すべく心勇んで南の国への道を辿《たど》るのである。
八六年十月二十九日、ポルタ・デル・ポポロをくぐって「三十年来の宿願と希望」の都ローマの土を踏む。ローマでのゲーテは、午前中は『イフィゲーニエ』の改作に従事し、午後はドイツ人画家ティッシュバインの案内で美術品を見物して回るという完全な芸術生活を送った。イタリアの諸地方を旅するかたわら彼は『エグモント』、『タッソー』の改作、『ファウスト』の仕事を進めていった。八七年の秋にはミラノの女性マッダレーナ・リッジとの恋がある。翌八八年四月二十三日、無限の惜別の情とともにゲーテは「永遠の都」をあとにし、六月十八日にワイマルに帰着した。イタリアはゲーテに古代の芸術理想と古代的生活の理念とを教えた。反面彼はドイツの同時代人とのつながりを失った。イタリアから帰ってきたゲーテは、ドイツに対して冷然たる態度で臨んだ。同時代人もゲーテを白眼視した。つまりイタリアはゲーテをドイツから疎隔《そかく》したのである。
ワイマル時代後期(一七八八年六月―一八三二年三月二十二日) 「明るい空を暗い空に取りかえ」てふたたびワイマルの人となったゲーテは、イルメナウ鉱山と学芸関係の役所の監督以外のいっさいの官職から解放された。フォン・シュタイン夫人との仲も不和になった。ゲーテに、のちに正妻となったクリスティアーネ・ヴルピウスという妾《めかけ》ができたこともシュタイン夫人をゲーテから遠ざけた一因であった。しかし夫人との交わりは五年ののちに復して、一八二七年、夫人が没したとき、遺言してフラウエンプラーンのゲーテ家の前を柩車《きゅうしゃ》の通るのを避けさせた。
シェイクスピア(自由への衝動)、シュタイン夫人(自己抑制)、イタリア(美的・官能的生活理想)、この三者はこれまでのゲーテの歩みを特色づける三つの合言葉である。イタリアから帰ってゲーテはふたたび抒情詩《じょじょうし》(『ローマ悲歌』一七九〇年、『ヴェネチア短詩』九一年)に筆を染め、また熱心に光学研究を行った。九〇年には『断片ファウスト』が著作集の一巻として刊行された。一七八九年七月十四日に勃発《ぼっぱつ》したフランス革命は、ゲーテにさまざまな体験と作品とをもたらした。しかしゲーテのワイマル時代後期最大の事件は、彼がシラーと交わりを結んだことだとしなければなるまい。
一七九四年八月二十三日には、シラーがゲーテ崇拝の情を述べた有名な手紙を書き、ここに相見て以来六年ののちにゲーテとシラーの心はしっかりと結ばれ合った。シラーとつきあいはじめてゲーテの文筆活動は急速に活溌《かっぱつ》になっていった。『ヴィルヘルム・マイステルの修業時代』が完成を見る(九六年)。シラーと共同で文芸批評的な短詩『クセーニエン』(九六年はじめより)を書き続ける。九七年三月にはドイツ国民叙事詩『ヘルマンとドロテーア』ができあがる。しかしシラーの最大の功績は、九〇年の『断片ファウスト』で満足していたゲーテ、古代ギリシアの世界に没頭していたゲーテに、最も非ギリシア的な作品『ファウスト』の稿を継がしめたことであろう。シラーの没した一八〇五年(五月九日)までの十年間、ゲーテは実に多方面な活動を行った。そしてゲーテは、死んだシラーという「友のうちに私の存在の半分を失った」と嘆いた。
一八〇四年、ナポレオンがフランス皇帝となった。一八〇六年八月には神聖ローマ帝国が瓦解《がかい》した。一八〇八年九月にはナポレオンがエルフルトに諸侯を会した。一帝、四王、三十四諸侯が来会した。十月二日、ゲーテはナポレオンに謁《えっ》した。「ここに一人の人間がいる」は、このときにナポレオンの口から発せられた言葉である。「生粋《きっすい》のドイツ的非愛国者」(トーマス・マン)ゲーテは、心中深くナポレオンを崇敬していた。
一八〇九年には、近代小説のさきがけとなった『親和力』が完成し、自伝『わが生涯《しょうがい》より・詩と真実』が同年に計画された。一〇年には二十年間の研究労作『色彩論』がまとまった。一八一九年には、六年前から書き溜《た》められていた東洋風の詩篇が『西東詩篇』としてまとめられた。この詩篇は、一八一四年に相知った才媛《さいえん》マリアンネ・フォン・ヴィレマーとの恋の体験を基にして成ったものである。このころすでにゲーテの名声は全ヨーロッパにあまねく、訪客はその跡を絶たなかったが、ゲーテの身辺には孤独の影がさしていた。一六年六月には妻のクリスティアーネが死んだ。一八一九年、ゲーテは七十歳になったが、その精神的視野はますます拡大され、心身にいささかの衰えも見られなかった。一八二三年、七十三歳の老ゲーテは十七歳の少女ウルリーケ・レーヴェツォと知って結婚する決心をしたが、ウルリーケが受けなかった。この恋は、ゲーテ晩年の抒情詩の白眉《はくび》『マリーエンバートの悲歌』を生み出した。
一八二五年九月三日、カール・アウグスト大公は即位五十年祭を祝った。午前六時、宮苑《きゅうえん》内のローマ亭に祝賀の詞《ことば》を述べにきた第一の客はゲーテであった。君臣は相抱いた。同年十一月七日にはゲーテのワイマル在住五十年祭が祝われた。しかし高齢者のつねとして、ゲーテは幾多親族故旧の葬を送らねばならなかった。シュタイン夫人が死ぬ、カール・アウグスト大公が急逝《きゅうせい》する、大公妃ルイーゼが亡《な》くなる、一人息子のアウグストがローマで客死する。しかし、晩年のゲーテは、『ヴィルヘルム・マイステルの遍歴時代』と『ファウスト・第二部』という二大作品をついに完成させた。畢生《ひっせい》の大作という言葉があるが、一七七三年ころに書きはじめられ、ほとんど六十年後の一八三一年に完成した『ファウスト』こそまさに文字どおりゲーテ畢生の大作であった。
一八三二年三月十六日、ゲーテは風邪《かぜ》気味で床についた。二十二日午前十一時三十分、ゲーテは肘掛《ひじかけ》椅子《いす》の左|隅《すみ》にもたれたまま八十二年の生涯を終った。
二人の孫には子がなかったので、一八八五年、ゲーテ家でただ一人生き残っていた孫ワルテル・フォン・ゲーテが死んで、ゲーテ家は絶えた。
『若きウェルテルの悩み』について
ヴェッツラルにおけるシャルロッテ・ブフとの恋愛体験をもとにして作られたこの小説が発表されるや否《いな》や(初稿は一七七四年に完成し、一七八四年に第二稿が成った。ここに訳出されたのは、この第二稿である)、読書界は深刻な衝撃を受け、賛否両論の渦《うず》が巻き起った。というのも、これはそれまでの小説の常識を完全に打破る作品だったからである。
十八世紀の小説は、恋愛小説にせよ、旅行小説にせよ、読者に娯楽を提供し教訓を与えることを目的としていた。すなわち十八世紀は芸術や文学の本質的機能を、人を「娯《たの》しませることと有益であること」(prodesse et delectare)に見ていたのに対して、『ウェルテル』は根源的に人間の生き方そのものを問題にしようとした。読者の思念は主人公がなぜ自殺しなければならなかったかという点に拘《かか》わりあわざるをえない。従来の小説では、愛が人間の自由意志によって死に結びつくなどということは、考えられないことだった。たとえば、ルソーの『新エロイーズ』の女主人公にしても、夫との幸福な結婚生活を送ると同時に、魂の中では恋人と強い愛に結ばれているのであるが、ウェルテルにはそのような霊肉分離の愛に満足することはまったく不可能であった。彼は全人的な愛を求めた。しかし彼の宿命的な恋人ロッテがやがて人妻となることは最初からわかっているし、また人妻に恋をすることは、浮世の掟《おきて》が許さない。そういうどうにもならない状態から脱出して愛を永遠化するために彼に残された唯一《ゆいいつ》の道は、すなわち死だったのである。永遠の生命を信ずることなしには、死は単にあらゆる希望を閉ざすものでしかない。しかも、死へのあこがれは、ロッテと相知る前にすでに彼の心のうちに芽生えていた。現に彼は、「そういう人間はどんなに浮世の束縛を受けていたって、いつも胸の中には甘美な自由感情を持ち続けているんだ。自分の好む時に、現世という牢獄《ろうごく》を去ることができるという自由感さ」(五月二十二日の手紙)と書いている。
この作品に対する非難の一つに、これは自殺弁護の書だとするものがあった。事実、この作品によって自殺が流行しさえした。しかしゲーテの真意は自殺弁護にあったわけではない。ヴェッツラルから帰ったあとの一時期、彼自身、生への倦怠《けんたい》から死を想《おも》い、短剣を手にしたこともあるほど不安定な精神状態にあった。そういう時期にヴェッツラルでの旧友イェルーザレム自殺の報が届いた。強烈なショックを受けたゲーテは、「夢から揺りおこされ」た。彼は自分の恋愛体験と友人の自殺事件とを結びあわせて一つの小説を書こうと思い立った。作品創造によって自己を危機から脱出させるのは、ゲーテの天才的な常套《じょうとう》手段である。こうして『ウェルテル』創作は、作者自身の青春の危機を乗りこえるための作業になった。
主人公ウェルテルの無限への衝動、豊かな感情は、同時にゲーテ自身のものでもあったが、ただ一つ、作者ゲーテに見られるような創造的な精神が主人公に欠けているという点が決定的な違いである。ひたすら自己の感情に忠実で、青春のエネルギーのすべてをもっぱら自己の内部に向けるのみで、現実の社会に適応し、そこに自己の生活を築きあげることを知らない青年の悲劇が『ウェルテル』なのである。後年ゲーテは、「『ウェルテル』は、厭世《えんせい》という病的状態から生れたものであり、あの時代の病的風潮であったセンティメンタリズムを文学的に記録した小説である」と言っている。
十八世紀においては悲劇文学は戯曲の独占物であって、一般に散文小説には悲劇的素材を表現する能力はないと考えられていたが、『ウェルテル』はこの通念を打破し、また手紙という内的告白の手段を駆使した『ウェルテル』は、小説という文学ジャンルに一つの大きな可能性を切り開いた作品でもあった。
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年譜
一七四九年(寛延二年) 八月二十八日、フランクフルトに生れる。教育熱心な父ヨーハン・カスパル(三十九歳)と優しい母カタリーナ・エリーザベト(十八歳)の間で、裕福な素封家の長男として育った。
一七五〇年(寛延三年) 一歳 十二月七日、妹コルネーリア誕生、生涯《しょうがい》強い絆《きずな》で結びつけられる。他に弟二人、妹二人が生れたが、いずれも夭折《ようせつ》。
一七五三年(宝暦三年) 四歳 クリスマスに父方の祖母から人形芝居を贈られる。やがて自ら人形を使い、演出するようになり、演劇の世界へ関心を抱く。
一七五六年(宝暦六年) 七歳 七年戦争|勃発《ぼっぱつ》。三年後には仏軍フランクフルトを占領。仏軍のために上演されるフランス劇団の劇場に通い、フランス語に親しむ。ファウスト伝説にも接触。父による教育以外に、ラテン語、フランス語、イタリア語、英語、ヘブライ語、絵画、習字、ピアノ、フェンシング、乗馬等、多方面に亘《わた》る個人教授を受け、すぐれた才能を示す。
一七六三年(宝暦十三年) 十四歳 グレートヒェンと呼ばれる少女との初恋。
一七六五年(明和二年) 十六歳 十月、父の希望で法律学を修めるため、ライプツィヒ大学に入学。フランス的な、都会的・社交的|雰囲気《ふんいき》の中で、自由な、いささか軽薄な学生生活を享受《きょうじゅ》する。
一七六六年(明和三年) 十七歳 フランクフルトの友人シュロッサーがライプツィヒに来て、共にゴットシェットを訪問。同じくシュロッサーを通じてケートヒェン・シェーンコップを知り、恋に陥る。この恋が最初の戯曲『恋人の気まぐれ』のモティーフになる。五月、レッシングの『ラオコーン』に大きな影響を受ける。
一七六八年(明和五年) 十九歳 法律学よりも詩作や画《え》に情熱を傾けたが、七月、精神的・肉体的な無理が昂《こう》じて喀血《かっけつ》。八月末、帰郷し、療養。母方の親戚《しんせき》の婦人を通じて敬虔《けいけん》派の信仰を知り、励まされる。ライプツィヒ時代に着手された『同罪者』完成。
一七六九年(明和六年) 二十歳
『新歌集』処女詩集(秋刊)
一七七〇年(明和七年) 二十一歳 三月、病気|快癒《かいゆ》、勉学と学位取得のため、シュトラースブルクへ出発。九月、ゴットフリート・ヘルデルと近付きになり、ハマン、ホメロス、シェイクスピアなど反ライプツィヒ的なものへの眼《め》を開かれる。この出会いによりドイツ文壇に疾風|怒濤《どとう》運動が起る。十月、ゼーゼンハイムの牧師の娘フリーデリーケ・ブリーオンと恋愛。
一七七一年(明和八年) 二十二歳 八月、得業士の資格取得。心ひそかにフリーデリーケに別れを告げて帰郷し、弁護士開業。内的必然性により恋人を棄《す》てた「逃亡」は生涯、罪の意識として残る。十一月、六週間で『鉄手の騎士ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン』を完成。
一七七二年(安永元年) 二十三歳 五月、ヴェッツラルへ法律実習のため赴く。六月、シャルロッテ・ブフ(愛称ロッテ)と知り合い、激しい恋に陥るが、彼女の婚約者ケストネルの立派な態度に助けられ、身を退《ひ》く決心をする。九月、帰郷。弁護士の仕事のかたわら、ロッテへの苦しい情熱を詩作と画に向ける。十月、一知人が他人の妻への愛に悩んで自殺。これが『若きウェルテルの悩み』を書く契機となる。
一七七三年(安永二年) 二十四歳 十一月、親友シュロッサーと妹の結婚。『ファウスト』に着手。
『ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン』戯曲(六月刊)
一七七四年(安永三年) 二十五歳 『若きウェルテルの悩み』の成功で一躍有名作家となる。
『若きウェルテルの悩み』(九月刊)
『クラヴィーゴ』悲劇
一七七五年(安永四年) 二十六歳 一月、アンナ・エリーザベト・シェーネマン(リリー)を知り、四月、婚約するが、九月、解消。ワイマルの若い公子アウグストの招聘《しょうへい》に応じてフランクフルトを去ってワイマルへ赴く。戯曲『エグモント』に着手。十一月、ワイマル到着。ここでヴィーラントと親交を結ぶ。
『エルヴィンとエルミーレ』歌唱劇(九月上演)
『シュテラ』戯曲
一七七六年(安永五年) 二十七歳 一月、ワイマル宮廷の主馬頭《しゅめのかみ》の夫人シャルロッテ・フォン・シュタインへの最初の手紙。七歳年上のこの夫人への愛は十年以上も続く。六月、枢密《すうみつ》評議員に任官、鉱山の仕事を担当し、地質学、鉱物学に興味を持つ。
『兄妹』戯曲
一七七七年(安永六年) 二十八歳 二月、『ヴィルヘルム・マイステルの演劇的使命』に着手。六月、妹コルネーリア、没。十二月、ハールツに旅行。
『冬のハールツ紀行』
一七七九年(安永八年) 三十歳 八月、正枢密顧問官に任官。九月、ワイマル公に伴し、スイス旅行。
『タウリスのイフィゲーニエ』戯曲(三月、散文完成、四月、上演)
一七八〇年(安永九年) 三十一歳 『トルクワートー・タッソー』に着手。
一七八二年(天明二年) 三十三歳 五月、父、死去。六月、貴族に列せられ、フォン・カルプ辞任後、内務長官、大蔵大臣に就任。
一七八四年(天明四年) 三十五歳 多忙な政務の中にあっても激しい知識欲は解剖学にも向けられ、三月、「上顎《じょうがく》間骨」を発見。
一七八六年(天明六年) 三十七歳 九月、湯治に訪れたカールスバートを密《ひそ》かに出発、多くの断片を完成する意欲に満ちてローマへ向う。『ファウスト』二場面を加える。この間、イタリア各地を旅行。
一七八七年(天明七年) 三十八歳 ミラノの女性マッダレーナ・リッジとの恋。
『エグモント』悲劇、定稿
『ゲーテ著作集』ゲッシェン版、第一―四巻(決定稿『イフィゲーニエ』を収める)
一七八八年(天明八年) 三十九歳 六月、ワイマルへ帰るが、シュタイン夫人との関係がこじれ、政治的にも孤立。七月、造花工場の女工クリスティアーネ・ヴルピウス(三十三歳)との生活を始める。九月、フリードリヒ・シラー(二十九歳)と会い、十二月、シラーをイェーナ大学の教授に推薦。『ローマの悲歌』に着手。
『ゲーテ著作集』第五巻
一七八九年(寛政元年) 四十歳 七月、フランス革命勃発。十二月二十五日、長男ユーリウス・アウグスト・ワルテル誕生。クリスティアーネはさらに四子を生むが皆夭折。
『ゲーテ著作集』第八巻
『トルクワートー・タッソー』戯曲
一七九〇年(寛政二年) 四十一歳 自然科学を研究。
『植物変態論』
『ゲーテ著作集』第七巻(『断片ファウスト』を含む)
『ゲーテ著作集』第六巻(『トルクワートー・タッソー』を含む)
『ローマの悲歌』
一七九一年(寛政三年) 四十二歳 五月、ワイマル宮廷劇場新設、劇場監督に就任。再び枢密顧問官に戻る。
『ヴェネチア短詩』
『大コフタ』喜劇
『光学への寄与(1)』
一七九二年(寛政四年) 四十三歳 八月、アウグスト公の陣地マインツへ出発。九月、ヴァルミの砲撃戦、プロイセン・オーストリア同盟破れる。
『ライネケ狐《きつね》』
『新著作集』ウンガー書店、第一巻(『大コフタ』『ローマの謝肉祭』を含む)
一七九三年(寛政五年) 四十四歳
『新著作集』第二巻(『ライネケ狐』を含む)
一七九四年(寛政六年) 四十五歳 四月、『ヴィルヘルム・マイステルの修業時代』改作に着手。六月、シラーより「ホーレン」誌への協力を求められ応じる。八月、シュタイン夫人に手紙を書く、友情よみがえる。十一月、シラーを通じ、フリードリヒ・ヘルダーリーンを知る。
一七九五年(寛政七年) 四十六歳 一月、シラー主宰月刊文芸雑誌「ホーレン」発刊、一七九七年にかけて『ドイツ亡命者の談話』『ローマの悲歌』を発表。
詩『無風』『幸福な航海』『ミニヨンの歌』『竪琴《たてごと》ひきの歌』『フィリーネの歌』
一七九六年(寛政八年) 四十七歳 一月、シラーと警句集『クセーニエン』執筆に専心、十月、「詩神年鑑一七九七年」に発表。伝記『べンヴェヌート・チェルリーニ』翻訳に着手。六月、『ヴィルヘルム・マイステルの修業時代』を完結。九月、叙事詩『ヘルマンとドロテーア』に着手、翌年完成。この頃《ころ》より、当時のドイツ精神文化の中心地イェーナをしばしば訪問。昆虫《こんちゅう》の生態研究に熱中。
一七九七年(寛政九年) 四十八歳 六月、『ファウスト・第二部』に着手。
一八〇一年(享和元年) 五十二歳 一月初め、大病を患《わずら》い、中旬、ようやく危機を脱する。十月、戯曲『庶出の娘』に着手。
一八〇三年(享和三年) 五十四歳
『庶出の娘』(四月初演)
一八〇五年(文化二年) 五十六歳 一月、再び重病に罹《かか》る。五月九日、シラー永眠。
一八〇六年(文化三年) 五十七歳 八月、神聖ローマ帝国滅亡。十月、ナポレオン、ワイマルに入る。この時フランス兵に襲われたゲーテを勇敢に救ったクリスティアーネと法律上正式に結婚。
一八〇七年(文化四年) 五十八歳 五月、『ヴィルヘルム・マイステルの遍歴時代』に着手。
一八〇八年(文化五年) 五十九歳 六月、『親和力』第一稿完成。八月、自伝執筆を決意。十月、エルフルトにてナポレオンに謁見《えっけん》。
『ファウスト・第一部』
一八〇九年(文化六年) 六十歳 四月、イェーナに赴き、『親和力』改稿と『色彩論』執筆に専心。『わが生涯より・詩と真実』起稿。
『親和力』(十月完成)
一八一〇年(文化七年) 六十一歳
『色彩論』
一八一一年(文化八年) 六十二歳 一月、『わが生涯より・詩と真実』の稿を継ぐ。五月、中世美術研究家ボアスレー来訪、この面のゲーテの知識に寄与。ベートーヴェンより『エグモント』の作曲を献ずるとの手紙を受取る。
『わが生涯より・詩と真実』第一部(十月完成)
一八一二年(文化九年) 六十三歳
『わが生涯より・詩と真実』第二部
一八一三年(文化十年) 六十四歳 一月、ヴィーラント没、二月、追悼講演を行う。三月、独立戦争始まる。四月、戦火迫り、ワイマルからテプリッツへ出発。身辺の愛国的風潮には終始冷淡で、三カ月滞在。十月、ライプツィヒ会戦でナポレオン敗北。
一八一四年(文化十一年) 六十五歳 四月、連合軍パリ入城の報至る。六月、『西東詩篇』を計画。十月、フランクフルトよりワイマルへ向う。
一八一五年(文化十二年) 六十六歳 二月、クリスティアーネ重態。九月、マリアンネ・ヴィレマー夫人への情熱を詩に託して送る。詩才豊かな夫人から詩によって応《こた》えられ、これらは『西東詩篇』に収められる。夫人とはこれ以降、二度と会わなかった。
一八一六年(文化十三年) 六十七歳 六月六日、クリスティアーネ永眠、大きな衝撃を受ける。
『イタリア紀行』
一八一七年(文化十四年) 六十八歳 永年尽力した宮廷劇場監督を罷免《ひめん》される。息子アウグストがオッティーリエ・フォン・ポグヴィッシュと結婚。イギリス、フランス、東洋などの外国文学に関心を持ち、次第に世界文学の理念が形成されてゆく。
一八一九年(文政二年) 七十歳
『西東詩篇』
一八二一年(文政四年) 七十二歳
『ヴィルヘルム・マイステルの遍歴時代』第一部(五月刊)
一八二三年(文政六年) 七十四歳 二月、重い心臓病を患う。七月、湯治先のマリーエンバートで十七歳の少女ウルリーケに求婚するが受入れられない。
『マリーエンバートの悲歌』抒情詩《じょじょうし》
一八二四年(文政七年) 七十五歳 四月、バイロン戦死。その死を惜み『ファウスト』中に哀悼の詩を入れる。これを契機に『ファウスト』の稿、捗《はかど》る。
一八二五年(文政八年) 七十六歳 九月、アウグスト大公在位五十年祝典。十一月、ゲーテのワイマル宮廷出仕五十年記念祭。
一八二七年(文政十年) 七十八歳 シュタイン夫人没。
一八二九年(文政十二年) 八十歳
『シラー・ゲーテ往復書簡』
『ヴィルヘルム・マイステルの遍歴時代』
一八三〇年(天保元年) 八十一歳 五年間の中断後、『詩と真実』に再び手をつけ、また『ファウスト』完成を急ぐ。十月二十七日、息子アウグスト、ローマに客死。十一月、喀血。
一八三一年(天保二年) 八十二歳 遺言状を作成の後、全生涯の「おもな仕事」である『ファウスト』の製作に没頭、着手以来五十八年、八月半ばに完成。
『わが生涯より・詩と真実』第四部(十月脱稿)
一八三二年(天保三年) 享年八十三(数え年)歳 三月二十二日午前十一時半、生涯を閉じる。「もっと明るく」というのが最後の言葉であったといわれている。
『ファウスト・第二部』
[#地付き]高橋義孝 編