アガサ・クリスティ
ポワロ参上! 4
目 次
消えた鉱山
チョコレートの箱
コーンウォールの謎
クラブのキング
解説
消えた鉱山
僕は銀行の通帳をため息まじりに下においた。
「じつに妙だな。僕の超過引き出しは、ちっとも減らないよ」
「それで君は頭が痛いんだね? 私に超過引き出しなんかあったら、一晩中まんじりともできんよ」ポワロがいった。
「君はうまく帳尻を合わしてるんだろう!」僕はまぜ返した。
「残高四百四十四ポンド四シリング四ペンス」ポワロは満足げにいった。「きれいな数字だろう、どうだい?」
「それは君の銀行の支配人が気をきかしてそうしたんだよ。つまり、こまかいことまで、きちょうめんなことが好きな君の性分を、その支配人が心得ているということさ。投資のほうはどうなの――たとえば、山あらし印の油田株を三百ポンドばかり買ってみたら? 今日の新聞にのった設立趣意書によると、来年は十割配当だそうだよ」
「私には向かんね」ポワロは頭をふった。「はでな株は好きじゃない。安全確実な投資がいいよ――フランスの長期公債とか、イギリスのコンソル公債とか、それから――なんといったっけな――そうそう借り替えとかね」
「君は仕手株に手を出したことは一度もないの?」
「ないとも、君」ポワロは、いかめしくいった。「一度もないよ。私の持っている唯一の株は、君らのいう、仕手株じゃない。ビルマ鉱業株式会社の一万四千株だけだ」
ポワロは先をうながされるのを待つかのように一息入れた。
「それで?」と僕はうながした。
「ところがね、これは一文も金を払わずに手に入れたものなんだ――私の小さな灰色の脳細胞の仕事にたいする報酬としてね。この話をききたいかね? え?」
「むろん、ききたいね」
「この鉱山はね、ラングーンから二百マイルほど先のビルマの奥地〔当時のビルマはイギリス領〕にあるんだよ。十五世紀に中国人が発見して、マホメット教徒の反乱当時まで発掘がつづけられたんだが、一八六八年に、とうとう廃坑になってしまった。中国人は鉱脈の上層から豊富な鉛=銀鉱を採掘して、それから銀だけを精練すると、優秀な鉛を含有した大部分のかなくずはすててしまったのだ。もちろん、ビルマで採掘の見込みのある事業が再開されると、すぐにこの事実がわかったのだが、昔の採掘場が落盤や水で埋まっているために、鉱脈発見の試みは、すべて水泡に帰してしまったのだ。いろいろな企業組合《シンジケート》からも、なんども調査隊が派遣されて、広い地域にわたって試掘したが、いぜんとして、このすばらしい宝は手に入らない。ところが、ある企業組合の代表者が、この鉱山の位置を示す地図を、いまでも所持している中国人一家を探しあてた。その当主はウー・リンという名前だった」
「まるで通俗小説のさわりみたいだね!」
「そうかね? ああ、君、なにも金髪の絶世の美女がいなくたってね――いや、これはまちがった、君のいつもお気に入りの、とび色の髪の美女がいなくてもね、小説にはなるんだよ。たとえば――」
「先を話せよ」僕はあわてていった。
「よろしい、ところで、このウー・リンと連絡がとれたのだ。彼が居住している、その地方では、たいへん尊敬されている、りっぱな商人だった。ウー・リンはただちに問題の書類を所有していることをみとめて、取り引きの相談に応ずる気になった。ただし相手が幹部級の人物でなければ、取り引きの相談はおことわりだという。そこで、とうとう彼がイギリスまでのりこんで来て、ある大会社の重役連と会見するという段どりになった。
ウー・リンはアサンタ号で、イギリスに向かった。船は予定どおり十一月の冷たい霧の朝、サウサンプトンに入港した。重役の一人、ピアスン氏が出迎えにサウサンプトンまで行ったが、霧のために下りの列車がおくれてしまい、彼が到着したときには、すでにウー・リンは下船して、特別列車でロンドンに向かったあとだった。ピアスン氏は、まずいことになったと思いながら、ロンドンにひき返した。それというのも、この中国人がどこに泊まるつもりなのか見当がつかなかったからだ。しかしながら、その日の午後おそくに会社に電話が、かかってきた。それによるとウー・リンはラッセル・スクエア・ホテルに滞在している、船旅のせいで、ちょっと気分が悪いのだが、あすの重役会には大丈夫出席できるからという話だった。
重役会は十一時に開催された。ところが十一時半になっても、ウー・リンが姿を見せない。そこで秘書がラッセル・ホテルに電話をかけた。するとホテルでは、ウー・リンが友だちといっしょに十時半に出かけたと答えた。彼が重役会に出席するつもりで出かけたことは、いうまでもないことだが、午後になってもウー・リンの姿が見えない。もちろん、ロンドンに不案内のため道に迷ったとも考えられるが、その晩、おそくなってもホテルにも帰ってこない。こうなると、いてもたってもいられない気持ちになって、ピアスン氏は警察に届け出た。翌日になっても、あいかわらず、行方不明の人物の手がかりはつかめない。しかし、さらにその翌日の夕刻になると、テムズ河から死体があがって、それがあの不幸な中国人であることが判明した。死体にもホテルに残した荷物の中にも、鉱山関係の書類は影も形もなかった。
こと、ここにおよんで、私が事件に介入することになったのだよ。ピアスン氏が訪ねて来たよ。彼はウー・リンの死によって、深刻な打撃を受けてはいたが、主たる関心事は、中国人訪英の目的であった例の書類を発見することにあったんだ。警察の主たる関心事は、いうまでもなく犯人の捜査で――書類発見は、このつぎというわけだ。ピアスン氏が私に要望したことは、警察に協力するかたわら、会社の利益のために行動するということだった。
私は即座に快諾した。捜査が二方面にわかれていることはあきらかだった。一つは会社内部で、中国人の来訪を知っていた社員をさぐること。もう一つは、船内で、中国人の用件をかぎつけた乗客をさぐることの二つだ。私は二番目のほうから手をつけたよ。こっちのほうが、捜査範囲がせまいからね。ところがなんと、ミラー警部と鉢合わせしてしまった。彼がこの事件の担当だったのだが、私たちの友人のジャップ警部とは似ても似つかぬ男でね、自信家で、不作法で、まったく鼻もちならん男なのだ。ミラーと私は、いっしょに船の高級船員たちに面接してみたが、得るところはほとんどなかった。ウー・リンは航海中の大部分を一人きりですごしていた。わずかに二人の船客とつき合っただけなんだ――一人はあまり香んばしからぬうわさの持ち主である、ダイヤーという、からだをこわしたヨーロッパ人で、もう一人は、香港がえりの銀行員のチャールズ・レスターという青年だった。幸いこの両名のスナップ写真を入手することができたが、そのときは、もし、この二人のうちに犯人がいるとすれば、十中八九、それはダイヤーだと思ったね。ダイヤーは中国人の悪党どもの仲間入りをしていたから、もっともあやしい容疑者だったのだ。
つぎの段階はラッセル・スクエア・ホテルを訪れることだった。ウー・リンの写真を見せると、ホテルの連中は、すぐに本人だと確認した。そこでダイヤーの写真を見せると、ポーターは、凶行のあった朝、ホテルを訪れた人物ではないと断言する。これにはがっかりしたね。念のために、と思って、レスターの写真をとり出すと、驚いたことに、一目見てこの男だ、とポーターがいうんだ。
『そうです。このかたが十時半にやって来て、ウー・リンさんに面会したいとおっしゃいました。そして、ごいっしょに出かけられました』
ここで局面は一歩前進したよ。おつぎはチャールズ・レスター氏に会う段どりだ。彼はいとも気軽に会ってくれたよ。中国人の不慮の死をきいて落胆してね、全面的に協力するといってくれた。彼の話というのはこうなんだ。ウー・リンとの約束によって、十時半にホテルを訪問した。ところがウー・リンは姿を見せず、かわりにその召使が出て来て、主人は所要で外出したが、これから主人のいるところへご案内しましょうという。レスターはなにも疑わずに承諾したので、その中国人はタクシーをひろった。しばらく埠頭のほうへ車を走らせたが、急にレスターは不審の念にかられて、タクシーをとめさせ、召使の抗議を無視しておりてしまった。これが自分の知っているいきさつだ、と、レスターは断言した。
いちおう、なっとくのいく答えをもらったので、私とミラー警部は礼をいって引きさがった。ところが、すぐに、彼の話には多少、不正確なところのあることが判明した。まず第一に船内でもホテルでも、ウー・リンは召使を連れていなかったこと。第二には、当日の朝、二人の男を乗せたタクシーの運ちゃんが名乗り出て来たのだ。その話によると、途中で車をおりたどころか、レスターと中国人は、チャイナ・タウンの中心部の右手、ライムハウスの中にある、かんばしからぬ家へ車をのりつけたというんだよ。問題の場所は、多かれ少なかれ、最下等の阿片窟として知られているところなんだ。二人の紳士は中にはいり――一時間ほどしてから、イギリス人のほうが一人で出て来た。その人物は、運ちゃんが写真を見てレスターだと確認した男だった。紳士はひどく青ざめた顔で、気分がすぐれないようだった。そして運転手に、もよりの地下鉄の駅へ行くようにと命じた、ということだったわけだ。
チャールズ・レスターの身辺を洗ってみたところ、ひじょうに評判のいい男なのだが、山のような負債をしょって、しかも、ひそかに賭けごとに熱中していることがわかった。もちろん、ダイヤーだって野放しにしていたわけじゃない。ダイヤーがレスターに変装したという可能性も考えられないこともないのだが、その可能性は、まったく成り立たないことが立証されたのだ。問題の日、一日中のダイヤーのアリバイはまさに金城鉄壁なんだ。もちろん、阿片窟の主人は、東洋人特有の頑固さで、何から何まで知りませんの一点ばり。ウー・リンと会ったことはありません。チャールズ・レスターも見たことはありません。二人の紳士がその朝、ここへいらしたこともありません。警察の旦那のまちがいでしょう。阿片のアの字もここにはございません、とね。
しかし、主人の好意的な否定も、チャールズ・レスターの助けにはならなかった。彼はウー・リン殺害の容疑で逮捕されてしまった。家宅捜査もおこなわれたが、鉱山関係の書類は出てこない。阿片窟の主人公も同じく拘留されたが、警察の手入れによる収穫は皆無。警察の努力にたいする報酬としては、阿片棒一本すら、顔を見せなかった。
そうこうするうちに、ピアスン氏は、ひどくいらいらしはじめた。私の部屋を大股に行ったり来たりしながら、泣き事の百万陀羅《ひゃくまんだら》だ。
――しかし、なにか考えがあるでしょうが、ポワロさん! なにかあるはずですよ――とせっつく。
――もちろん、ありますよ(私は用心してそう答えたよ)。ありすぎるのが、悩みの種でしてね。だからどれもこれも、てんでばらばらの方向を指しているんです。
――たとえば?
――たとえばですね……タクシーの運転手です。阿片窟まで二人の客を乗せて行ったという彼の言葉を裏づけるものは、なにもないのですよ。それが一つの考えです。それから……あの二人は、じっさいに阿片窟に入ったのか、どうか? たとえば、あそこでタクシーをおりて、その家を通りぬけ、そのまま裏口からぬけて、べつな場所へ行ったとしたらどうでしょう?
ピアスン氏は、びっくりしたようすだった。
――それなのに、あんたは手をこまねいて、べんべんとしているのかね? なにかできそうなもんじゃないか?
彼はつまり、せっかちやなんだね。
――ムッシュー(と私は胸をそらせた)ライムハウスくんだりの、くさい通りを、がつがつした野良犬みたいに、うろちょろするのは、このエルキュール・ポワロの柄ではありませんぞ。落ちついてください。警察だって、動いているんですよ。
翌日になると、ピアスンが待ち望んでいたニュースがはいった。二人の男は、やっぱり問題の家を通りぬけたのだ。二人のおめあての場所は、テムズ河の近くの小さな飯店だった。そこへ入るのを目撃した者がいてね。で、レスターが一人だけで出てきたんだ。
さあ、そうなるとだ、ヘイスティングズ、いいかね、ピアスン氏が、とっぴょうしもない考えにとりつかれてしまったのだ! こうなったら、自分たちで、その飯店に行き、調査してみようといってきかないのだ。なだめたり、すかしたりしたが、どうしても、ききいれない。自分は変装するのだといって、あげくのはては、私にまでそうしろと――思い出しても、ぞっとするが――口ひげを剃《そ》れとまでいうしまつなんだよ――|Rien que ca《リヤン・ク・サ》(とんでもない話だ)! 私は、そんな思いつきは、滑稽だし、愚劣きわまると指摘してやった。意味もなく、美しいものをそこなってはいかんとね。それにだ、ひげを生やしたベルギー紳士は、ひげを剃らなくては、おいそれと裏町を歩いたり、阿片を吸うことも許されん、とでもいうのかね?
そこでピアスン氏も口ひげの件は譲歩したが、いぜんとして自分の計画は放棄しないのだ。その晩、やって来たがね――何ともすばらしいかっこうだった! 彼のいう『水夫服』とやらを着用におよんで、あごには汚らしい不精ひげを生やしてね。えりまきの不潔なことといったら、鼻をつまみたくなるくらいだった。それなのに、いいかね、本人はご満悦なんだ。じっさいイギリス人というのはいかれてるよ! 彼は私の服装にまで二、三文句をつけたが、私はいいなりだった。気ちがい相手に議論したってはじまらんからね。それから二人は出発したよ――要するに、ジェスチュア遊びをしている子供同然のなりをした男を、一人で行かせるわけにもいかんじゃないか?」
「むろん、そうだろうね」僕はそう答えた。
「それから――二人は到着した。ピアスン氏が奇妙きてれつな英語をしゃべって、海の男のふりをするんだ。ラバーズ(新米水夫)だのフォクスルズ(水夫部屋)だの、私にはちんぷんかんぷんの言葉をしゃべっていた。そこは天井の低い小さな部屋で、中国人がぎっしりいたよ。妙な料理を食べたっけ。|Ah, Dieu, mon estomac《アー・ディユー・モ・ネストマ》(ああ、胃がむかむかする)!」
ポワロは話をつづけるまえに、そっと胃のあたりを押えた。
「すると店の主人の中国人が、にたにた笑いながらやって来た。
――旦那がた、食物ほしくない。もっといいもの、のみに来た。パイプあるね、え?
ピアスンがテーブルの下で私のことをいやっというほど、けったよ(彼は水夫靴まではいて来たんだ!)
――おれはかまわないぜ、ジョン。案内しな――とピアスンがいった。
中国人は相好《そうごう》をくずして、私たちを案内して行った。ドアをくぐって、地下室へおり、あげぶたをはねて、階段を何段か上り下りすると、ものすごく気持ちのいい、クッションのついた寝椅子がずらっと並んでいる部屋にはいった。二人が横になると、中国人のボーイが長靴をぬがせてくれたが、このときが、あの晩では一番いい気持ちだったな。それから連中は、阿片パイプを持って来て、阿片の玉をつめてくれた。二人はそれを吸って、夢見心地で眠るふりをした。ところが二人っきりになるや、ピアスン氏が小声で私を呼んで、すぐに床の上を這いはじめた。ほかの客が眠っている部屋を通り抜けて行くと、やがて二人の男の会話が耳についた。カーテンのうしろにかくれて耳をすませると、ウー・リンのことをしゃべっている。
――書類はどうなったね?――と一人がいう。
――レスターさん、持ってる――と答えたのは中国人だった――あの人、うまい場所にかくす、いってた――お巡《まわ》りにわからない。
――ああ、だけど奴はつかまったぜ。
――出てこられる。警察、きめ手ないある
そんな調子の話がまだつづいたが、どうやら、その二人の男が、こちらにくる気配なので、私たちはもとのべッドヘと退却した。
――もう引きあげる潮時だな――数分してから、ピアスン氏がいった――この場所は健康にわるい。
――そのとおりですな。芝居もたっぷりやりましたからね――と私はうなずいてみせた。
二人は阿片代を、たんまりはずんで、首尾よくこの家を抜け出した。ライムハウスの区域外に出ると、ピアスンは深呼吸をした。
――うまく抜け出したね。しかし、この目でたしかめないと気がすまんからな。
――まったくですね。ここまでくれば、問題の書類を見つけるのも、ぞうさないでしょう……なにしろ、変装までしたんですから。
そしてまったく、ぞうさなかったよ」
ポワロは突然そう言葉をむすんだ。
あまり唐突に話がおわったので、僕はまじまじとポワロの顔を見つめた。
「だけどさ――書類はどこにあったの?」
「彼のポケットにさ――|tout simplement《トゥ・サンプルマン》(まったくかんたんなことさ)」
「誰のポケットに?」
「驚くなかれ、ピアスン氏のポケットにさ!」
それから狐につままれたような僕の顔を見て、ポワロはおだやかに話しつづけた。
「君はまだわからんのかね? ピアスン氏はチャールズ・レスター同様、負債をしょいこんでいたし、賭けごとにも、これまた目がなかったのだ。そこで彼は、ウー・リンから例の書類を盗もうとたくらんだ。彼は予定どおり、サウサンプトンでウー・リンに会い、ロンドンまで同道して、まっすぐライムハウスへ行ったんだよ。霧のふかい日だった。中国人はどこへ連れて行かれるのか、わからなかった。おそらくピアスン氏は、阿片を吸いに、かなりひんぱんにあの店に足をはこんでいたので、その結果、二、三の特殊な友達ができていたんだな。彼がウー・リンを殺す気でいたとは、私も思わんよ。彼の考えでは、中国人の一人をウー・リンに化けさせて、書類の取り引き代金を着服するつもりだったのだ。そこまでは上出来さ――ところが、中国流の考えかたでは、ウー・リンを殺して死体を河に投げこむことなんて、お茶のこさいさいだ。ピアスンの中国人の相棒どもは、彼に相談もせずに、自分たちの流儀でウー・リンを片づけちまったのだ。さあ、そうなるとピアスン氏が、どれほどふるえあがったか、想像にあまりあるね。ウー・リンといっしょに汽車に乗っているところを、誰かに目撃されたかもしれないし――ことが殺人となると、たんなる誘拐とは、まったく話がちがうからな。
窮余の一策、彼は中国人をウー・リンに化けさせて、ラッセル・スクエア・ホテルに送りこんだ。死体さえ、あんなに早く発見されなければ、万事うまくいったかもしれん――おそらくウー・リンはチャールズ・レスターと約束があって、レスターがホテルに面会に来ることを話しておいたのだろうね。そこで、ピアスンは、自分から嫌疑をそらす絶好の手段を思いついたのだ。チャールズ・レスターをウー・リンと最後に、いっしょにいた人間に、仕立てればすむわけだ。変装者は召使になりすましてレスターに会い、できるかぎり迅速にライムハウスへ連れてくるように命令を受けたんだ。そして、おそらく、そこでレスターは、てきとうに麻薬のはいった飲み物でも飲まされたんだろう。一時間後に出て来たとき、レスターは、いったい何が起こったのか頭がもうろうとしていたんだ。だからレスターは、ウー・リンの死をきくや、うろたえてしまって、ライムハウスへ行ったことを否定してしまったのさ。
もちろん、それはピアスンの思う壷だった。しかし、ピアスンはそれで満足したろうか? いや、私のそぶりが不安になってきたので、レスターを決定的に不利にしてやろうと肚《はら》を決めたんだよ。そこで彼は苦労して変装した。私はだまされたふりをしてやったさ。さきほど、やつが子供のジェスチュア遊びみたいななりをしていた、といったろう? 私も一芝居うったのだ。やつはしてやったりと、家へ帰った。ところが翌朝ミラー警部が、玄関に姿を現わして、書類が、やつのからだから発見されてしまった。万事休す。そもそも、エルキュール・ポワロ相手に一芝居うとうなんて気を起こしたことが、まちがいのもとさ! この事件で本当に厄介だったのは、たった一つしかなかったよ」
「そりゃ何だい」僕は好奇心にかられてきいた。
「ミラー警部を説得することだったよ! じっさい、あほうだな、あの男は! ばかですれてるから、しまつにおえん。しかも、けっきょく、手柄は、やつの一人じめなんだからな!」
「そいつはひどいな」と僕は叫んだ。
「ああ、でも埋め合わせはついたよ。ビルマ鉱業のほかの重役連が、私の労にむくいる、ささやかなしるしとして、一万四千株をくれたんだからね。そうわるくもあるまい、え? しかし投資をするならね、ヘイスティングズ、後生だから気をつけてくれよ。君がさっき新聞で読んだ話も、まやかしかもしれんぜ。山あらし印の重役殿も、ピアスン氏と一つ穴のむじなかもしれないからな」
チョコレートの箱
すさまじい夜だった。戸外では風がたけりくるって、しのつく雨が窓をはげしくたたいていた。
ポワロと僕は、暖炉のまえにすわって、赤々ともえる火に、脚を伸ばしていた。二人のあいだには、小テーブルがあった。僕のそばには、慎重に調合したトディ酒。ポワロのほうには、僕なら百ポンドもらっても、ごめんこうむりたい、濃いどろどろのチョコレートがのっていた! ポワロはピンク色の陶器のカップから、こってりした褐色の液体をすすって、満足そうにため息をついた。
「|Quelle belle vie《ケル・ベル・ヴィ》(人生は楽しいね)!」とポワロはつぶやいた。
「そうとも、楽しい人生だよ。僕には仕事がある。それも楽しい仕事が! そして君は、かくも有名なる――」
「おい、君」とポワロが抗議した。
「だってそうだろう。まさにそうなんだもの! 君のこれまでの成功のあとをふり返ってみると、僕はまったく眩惑《げんわく》されるよ。失敗というものが、どんなものか、君は経験したことがないんじゃないか!」
「そんなことをいう人間は、よほどおっちょこちょいだ!」
「いや、まじめな話さ、失敗したことがあるかい?」
「いや、まじめな話さ、君。あたりまえじゃないか。いつも|La bonne chance《ラ・ボンヌ・シャンス》(幸運)に恵まれるとはかぎらんもの。依頼されたときには、すでに手おくれだったこともある。同じゴールをめざして仕事をしても、ほかの人間にしてやられたことも、たびたびある。まさに成功の一歩手前で、病に倒れたことも、二回ある。栄枯盛衰、常《つね》ならずさ」
「僕がいうのは、そういう意味じゃないよ。君自身の失敗から、かんぜんに降参したことがあるかっていうんだよ」
「ああ、わかった。君のいうのは、私がお手あげになったことがあるか、ということなんだね? 一度あるよ、君」意味ありげな微笑が、ゆっくりと、ポワロの顔面に拡がった。「そう、一度だけ、大失敗をした」
彼は急に椅子にすわりなおした。
「いいかね、君、君は私の成功の記録を綴っているね。その記録に、私の失敗談を追加してもらおうか!」
ポワロはまえにのり出して、火に薪をくべた。それから暖炉のわきの釘にかかっている手拭きで、ていねいに両手をぬぐい、椅子にもたれて話しはじめた。
「これから述べる物語は、ずっと以前にベルギーで起きた話なんだ。ちょうど、フランスでは教会と政府がはげしく抗争していた時期だった。ポール・デルラール氏は、当時フランスの有力な代議士で、彼が早晩、大臣の椅子につくことは、公然の秘密だった。彼は反カソリック派の急先鋒だから、もし彼が権力の座につけば、激烈な敵意に直面するはずだった。彼はいろいろの点で一風変わった人物でね。酒もたばこも、たしなまなかったが、それでも、ある方面では、品行方正とは、いいがたかった。といえば、ヘイスティングズ、君にもわかるだろうが |C'etait des femmes《セテ・デ・ファム》――|toujours des femmes《トゥジュール・デ・ファム》(色の道だよ、常に女だよ)!
彼は数年前に、ブリュッセル出身の若い女性と結婚したのだが、彼女は相当の持参金をもってきた。たしかにその金は彼の出世にとって有効だったろう。彼はその気になれば男爵を名乗ることもできたのだが、なんといっても、家は豊かでなかった。子供はないままに、妻は結婚後二年して亡くなってしまった――階段から落ちた結果なんだ。彼女が夫に残した遺産のなかには、ブリュッセルのアヴェニュー・ルイーズの邸宅があった。
その邸で彼は頓死してしまったのだ。ちょうど、彼があとをおそうと目されていた大臣の辞職とときを同じくしてね。あらゆる新聞が彼の経歴を長々と書きたてた。夕食後、突発的に発生した頓死は心臓まひによるものだった。
その当時は、君も知るように、私はベルギー警察隊の一員だった。ムッシュー・ポール・デルラールの死はことさら私の興味をひかなかったよ。これまた君が知るように、私は |bon catholique《ボン・カトリック》(善良なカソリック教徒)だし、彼が死んだことは、もっけの幸いのように思えたからね。
ところが三日ほどして、ちょうど私の休暇がはじまったとき、私のアパートに訪問客が現われた――深くヴェールをかけた婦人だが、若い女性であることはすぐにわかった。私は一目見て、彼女が |Jeune fille tout a fait comme il faut《ジュンヌ・フィユ・トゥタ・アフェ・コム・イル・フォ》(一点非の打ちどころのない娘)であることを知った。
「あなたがエルキュール・ポワロさんでございますか?」彼女が低い、美しい声できいた。
私は会釈した。
「警察隊の?」再度私は会釈した。
「どうぞお嬢さん、おかけください」
彼女は椅子に腰をおろして、ヴェールをはずした。愛らしい顔だが涙にぬれて、するどい苦悩に責めさいなまれているようすだった。
「ポワロさん、あなたが、目下休暇中であることは、わたくし存じております。だからこそ、私事にわたる事件を引き受けていただけるのではないかと思いましたの。わたくし警察に訴えたくございませんので」
私は首をふった。
「ご期待には、そえそうもありませんね、お嬢さん。休暇中とはいえ、私は警察隊の一員ですから」
彼女はまえにのり出した。
「|Ecoutez, monsieur《エクテ・ムッシュー》(ポワロさん、お聞きください)。わたくしがおねがいしたいのは、調べていただくことなんです。調査の結果を警察に報告なさるのは、まったくあなたのご自由です。もし、わたくしの考えていることが真相だとわかりましたら、それこそ法の手にゆだねるべきですもの」
それなら、少々話がちがうから、私はそれ以上、四の五のいわずに、お役に立つことにしたよ。
かすかな赤味が彼女の頬にさした。
「ありがとうございます。わたくしが調べていただきたいと申しますのは、ポール・デルラールさんの死因なんですの」
「|Comment《コマン》(なんですと)?」
「わたくしには、何も申しあげることはできません――ただ女の勘だけなのです。でもわたくしは、確信しております――確信して――デルラールさんの死は自然死ではございません」
「だってたしかに医者は――」
「医者でも、まちがうことはございますわ。あのかたはとても健康で、丈夫だったのです。おお、ポワロきん、おねがいですから、助けてください――」
かわいそうに、この娘は気が転倒している。ひざまずかんばかりの勢いなんだ。私は極力なだめたよ。
「お嬢さん、力になりますとも。あなたの懸念は、大丈夫、杞憂《きゆう》におわると思いますが、とにかく話してみてください。まずさいしょに、お邸《やしき》の人たちのことを話してみてください」
「はい、もちろん、使用人たちがおります。ジャネットにフェリシーに料理女のドニーズです。この料理女は長年、邸に勤めております。ほかの二人は、ふつうの田舎娘です。それからフランソワがおりますが、これも、古くからの召使です。あとはデルラールさんのお母さまが同居しておりますし、それにわたくしですの。わたくし、ヴィルジニー・メナールと申します。亡くなったデルラール夫人の従妹《いとこ》でして、三年このかたお邸の一員として暮らしております。これがあのお邸の人員構成です。まだお客さまが二人滞在しておりましたが」
「どういうかたです?」
「デルラールさんのフランスのお宅のご近所にいらっしゃるサン・タラールさんに、イギリスのご友人のジョン・ウィルスンさんです」
「で、まだご滞在ですか?」
「ウィルスンさんはいらっしゃいますが、サン・タラールさんは咋日、お発ちになりました」
「ところで、メナールさん。あなたのお考えは?」
「これから三十分のうちに、おいでいただけましたら、わたくし、あなたがおいでになる理由をこしらえておきますわ。なにかジャーナリズム関係のかたとして紹介しておいたほうが、よろしいかと存じます。パリからいらしたかたで、サン・タラールさんの紹介状をお持ちだと申しましょう。大奥さまは、お体がひどくお弱いので、あまりこまかいことにはご注意なさいません」
このお嬢さんの巧妙な口実で、私は客として邸にもぐりこみ、亡くなった代議士の母親に、ちょっと面会したよ。すばらしく堂々とした貴族的な容姿の婦人だが、健康を害していることは一見してあきらかだった。それから私は邸の中を自由に動いた。
君にこの仕事のむずかしさが想像できるものかどうか、私には疑問だね。いまをさる三日前に、男が一人死んでいる。なにか『からくり』があるとすれば、考えられる唯一の可能性は――毒だ! ところが、私は死体を見る機会もなかったし、毒薬をしこむことができた媒介物を調べたり、分析したりする可能性もない。にせものにせよ、何にせよ、検討にあたいする手がかりは皆無ときている。この『ごじん』は毒殺されたのか? それとも自然死か? このエルキュール・ポワロは、徒手空拳で決定しなきゃならんのだ。
手はじめに、使用人たちに会い、彼らの協力を得て、その晩のもようを要約してみた。夕食にでた料理とその給仕のやりかたにはとくに注意をはらった。スープはデルラール氏自身の手で、大きな深皿から、めいめいに、わけられた。つぎはカツレツとチキンの皿。最後は砂糖づけの果物。それらはぜんぶデルラール氏自身が卓上に並べて給仕している。これでは君だめだよ――全員を殺さずして、一人だけ毒殺しようというのは不可能じゃないか!
夕食後、老夫人は自分の部屋に引きとり、ヴィルジニー嬢が、つきそって行った。三人の男は、デルラール氏の書斎に席をうつした。そこで彼らは、しばらくのあいだ、楽しそうに駄べっていたのだが、とつぜん、何の前ぶれもなしに、代議士が床にばったり倒れてしまった。サン・タラール氏が室外にとび出して、フランソワに医者を大至急呼ぶようにと告げた。これは脳溢血にちがいないと、いったそうだ。しかし医師が到着したときには、すでに手おくれだった。
ジョン・ウィルスン氏には、ヴィルジニー嬢に紹介してもらった。彼はその当時のいわゆる典型的《ジョン・ブル》なイギリス人の中年の大男だった。彼の英語なまりのつよいフランス語による説明は、いままでのものと大同小異だった。
「デルラールの顔がまっかになったかと思うと、ばったり倒れました」
これ以上は、なにも収穫がなかった。つぎに私は悲劇の現場である書斎へ行って、とくに頼んで一人きりにしてもらった。これまでのところは、メナール嬢の他殺説をうらづけるものはなにもない。私は彼女の思いすごしだと信ぜざるをえなかった。彼女は、てっきり、故人に対してロマンチックな情熱を抱いていた結果、この椿事《ちんじ》を色眼鏡なしでみることができなくなっているのだろうと思ったんだ。とはいえ、私は細心の注意をもって書斎を調べたよ。致命的な一撃をあたえられるように、皮下注射の針を故人の椅子にしこむということもありえないことではないからね。そのためにできた微小な針あとなどが見のがされたこともないとはいえない。しかしこの説を、うらづけるものは何も発見できなかった。やけくそになって、私は椅子にぐったり腰をおろした。
「|Enfin《アンファン》(やれやれ)もうお手あげだ!」私は声に出していった。「どこにも手がかりがない! なにもかも、まったく正常じゃないか!」
私がそういったとき、かたわらのテーブルにのったチョコレートの箱が目にとまった。思わずどきっとしたね。デルラール氏の死因の謎をとく手がかりにならないとしても、すくなくとも正常ならざるものがそこにあったのだからね。私はふたをとった。中身は一杯で手つかずだ。チョコレートは一つも減っていない――だがそれだけに、私の目にとまった異常さが、いっそう強くなったのだ。そのわけはだよ、いいかね、ヘイスティングズ、箱はピンクなのに、ふたはブルーなんだ。ピンクの箱にブルーのリボンをかけたり、その逆をやるというのはよくお目にかかるが、しかし箱とふたがべつべつの色というのは――いや絶対に――|Ca ne se voit jamais《サ・ヌ・ス・ヴォワ・ジャメ》(お目にかからないね)!
このささいなことが、役に立つかどうかは、わからなかったが、それがちぐはぐなので、私は調べてみる決心をした。ベルを押してフランソワを呼び、亡くなった主人が甘いものが好きだったのか、どうかたずねてみた。暗い微笑がフランソワの口辺に浮かんだ。
「はい、無二の好物でございました。チョコレートの箱は、きらしたことがございません。ご承知のように、旦那さまはお酒もおたばこも召しあがりませんでしたから」
「ところで、この箱は手がつけてないね?」私はふたをとって、彼に見せた。
「それはお亡くなりになる当日に買った新しい箱でございます。まえの箱が、きれそうになりましたので」
「するとまえの箱は亡くなられた日に、おわりになったのだね」
「さようでございます。翌朝、からになっておりましたので、すてましたです」
「デルラールさんは当日、四六時中、召しあがっておられたのかね?」
「ふつうは、夕食後でございます、はい」
私は光明が見えだした。
「フランソワ、君は口の固い人間になれるかね?」
「その必要がございますれば」
「|Bon《ボン》(よろしい)! ではいうが、私は警察の人間なんだ。すてたという箱を探してもらえるかな?」
「かしこまりました。ごみ箱の中にございましょう」
彼は出て行ったが、二、三分すると、ほこりだらけの箱を手にしてもどって来た。それは、箱がブルーでふたがピンクという点が、ちがうだけで、あとは私の手にある箱と同一製品だった。私はフランソワに礼をいい、もう一度口外せぬように念を押すと、それ以上はぐずぐずせずに、アヴェニュー・ルイーズの邸を出た。
「つぎに、デルラール氏の死に立ち合った医師を訪問した。その医者には、なかなか手こずったよ。専門語を羅列して、人を煙にまこうとするんだが、どうやらこの件については、みかけほどには自信がないらしいんだ。それでもどうにかこうにか、彼の警戒心をとかせると、彼はこういった。
「ああいう奇妙な頓死というのは、多いんですよ。かっと怒ったり、動転したりすると――それが腹いっぱい食事したあとだということは |C'est entendu《セ・タンタンデュ》(わかっていますし)――しかも、かんかんに怒って頭に血がのぼったとなれば、いちころですよ!」
「しかし、デルラール氏は、べつに動転なんかしていなかったでしょうが」
「いなかったですと? とんでもない、たしかサン・タラール氏と大激論をかわしていたはずですよ」
「また、どうしてそんな?」
「|C'est evident《セ・テヴィダン》(きまってるじゃありませんか)!」医師はそういって肩をすくめた。「サン・タラール氏は狂信的なカソリック教徒でしょう。二人の友情は、教会と国家の対立という問題によって、ひびがはいったのです。毎日毎日が激論の連続です。サン・タラール氏から見れば、デルラールは反キリストも同然でしたろう」
これは耳よりな話で、一考に値するものだった。
「もう一つ、うかがいます、先生。チョコレート一粒の中に、毒薬の致死量をしこむことは可能でしょうか?」
「可能だ、と思いますね」医師はゆっくりといった。「蒸発するようなことさえなければ、純粋な青酸なら、おあつらえむきでしょう。それに小さな錠剤を、うっかり飲んでしまえばね――しかし、その仮説はまずありえませんな。モルヒネやストリキニーネを一杯つめたチョコレートとなると」医師は顔をしかめた。「おわかりでしょうポワロさん――一かみしただけで、ジリッときますからね。あわて者ならいざ知らず」
「ありがとうございました、先生」
私は外に出た。おつぎは薬局を、それもアヴェニュー・ルイーズ近辺の薬局を調査することだった。警官という肩書きがものをいって、それほど手間をかけずに必要な情報を入手できた。問題の邸に毒薬らしきものを売ったという薬局は一軒だけ、その店がデルラール老夫人に硫酸アトロピンの目薬を売っているのだ。アトロピンは猛毒だから、その瞬間、私はこれだ、と思ったね。しかし、アトロピン中毒の症状というやつは、食中毒のそれに酷似していて、私が手がけているような症状は呈さない。それに、処方も古いやつだ。老夫人は長年のあいだ、両目とも『そこひ』にかかっていたのだよ。
私はがっかりして、薬局を出ようとすると、そこの主人が声をかけた。
「|Un moment《アン・モーマン》(ちょっと)ポワロさん、思い出しましたよ。その処方の薬を買いに来た娘さんが、イギリス人の薬局へも行かなくちゃならんとか、なんとかいってました。そこをお調べになったらいかがです」
私はそうしたよ。もう一度、肩書きをふりまわして必要なネタをきき出した。デルラール氏が死ぬ前日に、その店で、ジョン・ウィルスン氏のために処方をこしらえている。わざわざ調合したわけじゃない。ただ、トリニトリンの小さな錠剤を売っただけのことだ。私は見せてくれないかと頼んだ。主人が見せてくれたよ。私は胸がワクワクしたね――その小さな錠剤はチョコレートそっくりなんだ。
「これは毒かね?」私はきいた。
「いえ、ちがいます」
「これの効能を教えてくれないか?」
「血圧をさげますよ。心臓病の症状によって投薬します――たとえば、狭心症なんかです。動脈硬化にも効果があります。動脈硬化症ですと――」
私はさえぎった。
「|ma foi《マ・フォア》(いやいや)! そう効能書きを並べても、ちんぷんかんぷんだ。これを飲むと顔があかくなるかね?」
「もちろん、なりますとも」
「すると、かりに十錠――二十錠、飲んだら、どうなるかね?」
「そんなことは、ためさないほうがよろしいでしょう」主人はぶあいそうにいった。
「それでもなお毒薬にあらず、ってわけかね?」
「人ひとり殺すことができる薬でも、毒薬とは呼ばないものが、たくさんありますよ」いぜんとして同じ口調だ。
私は意気揚々と店を出た。やっと目鼻がつきはじめたぞ!
さて、ジョン・ウィルスンに殺人の手段があったことは、これでわかったが――しかし動機は? 彼はベルギーから商用で来て、単に顔見知りていどのデルラール氏に泊めてもらうよう頼んだ人物だ。どう考えてもデルラールの死によって、得るところはなさそうなんだ。それにイギリスへ照会した結果、ここ数年米、彼がアンギアナと称する、苦痛を伴う心臓病にかかっていることもわかった。したがって、彼があの種の錠剤をもっていたのは、しごく当然のわけだ。とはいえ、誰かがあのチョコレートの箱に近づき、はじめは、うっかりして新しいほうをあけたが、つぎに古いほうの箱をあけ、さいごの一粒の中身を取り出して、その中へつめこめるだけたくさんの小さなトリニトリンの錠剤をしこんだにちがいないと私は確信したね。チョコレートは大粒だったから、二十錠ないし三十錠は入れることができたろう。しかし、誰がやったのか?
邸には客が二人いた。ジヨン・ウィルスンには手段があり、サン・タラールには動機がある。しかもだ、サン・タラールは狂信者だ。そして宗教的な狂信者くらい気狂いじみているものはいない。彼が何らかの方法でジョン・ウィルスンのトリニトリンを、手に入れることは可能だったろうか?
新しい考えが私の頭に浮かんできた。ほう、君は笑ったな! いいかね、なぜウィルスンはトリニトリンが不足したのだろう? たしかに、イギリスを出発するさいには、必要にして、じゅうぶんな量は、当然、持参したはずじゃないか。私は再度、アヴェニュー・ルイーズの邸に足を運んだ。ウィルスンは外出していたので、彼の部屋の世話をしているフェリシーという娘にきいてみた。すこしまえのことだが、ウィルスン氏が洗面台にのせておいた薬瓶が紛失したのは、事実かどうかとね。女中は熱心に答えてくれた。それはまったく事実ですと。彼女自身がそのあとで叱責されたのだ。イギリスの紳士は、女中がそれをこわして、しかも詑びようとしないのだ、と考えたらしい。ところが、彼女はそれに手をふれたことさえない。どうみたって相棒のジャネットのやったことです――いつも用もないくせに、そのへんをうろちょろしてるんですから、と女中はいった。
私は立て板に水のフェリシーの抗議をなだめて、邸を辞した。いまや、知りたいことはぜんぶわかった。あとは証拠のうらづけだけだ。しかし、それは、容易なことではあるまい、という気がしたね。サン・タラールがジヨン・ウィルスンの洗面台から、トリニトリンの薬瓶を盗んだにちがいないとは思ったものの、第三者を説得するには証拠を見せる必要がある。ところが、手のうちはわからないのだ!
心配しなくてもいいさ。私には、ちゃんと――これが、どえらい仕事だということは、わかっていたんだから。あのスタイルズ事件で、私たちがなめた苦労は君も覚えているだろう、ヘイスティングズ? あれの二の舞いだよ――とはいえ、犯人を追いつめる証拠の連鎖を完璧にする、さいごの仕あげには、ずいぶん骨を折ったもんだよ。
私はメナール嬢に面会を求めた。彼女はすぐさまやって来た。サン・タラール氏の住所をたずねると、彼女の顔に困惑の色が浮かんだ。
「なぜお知りになりたいんですの、ポワロさん?」
「それが必要なんですよ、お嬢さん」
彼女は疑わしそうに――困ったようすだった。
「あのかたは、なにもお答えすることができませんでしょう。頭の中には、この世のことなんか、なにもございませんもの。ご自分のまわりで、何が起こっているのか、それさえほとんどお気づきにならないんですから」
「そうらしいですね、お嬢さん。ですが、あの男はデルラール氏の昔からの友人です。なにか参考になることを知っているかもしれません――昔のことを――古い遺恨だとか――昔の色恋沙汰なんかを」
彼女はあかくなって唇をかみしめた。
「たってと、おっしゃるのでしたら――でもでも――わたくし自分がまちがっていたことを、いまになって悟りました。わたくしの勝手なおねがいをきいてくださって、お礼の申しようもありません。でも、わたくし、あのときはとり乱してすっかり、うろたえておりました。でもいまになってみれば、究明しなければならない謎なんか、なにもないことがわかりました。おねがいですから、ポワロさん、もう手をお引きください」
私は彼女をしげしげと見た。
「お嬢さん、犬はなかなか匂いをかぎつけられない場合もあります。しかし、いったんかぎつけたとなれば、なにものをもってしても、それをやめさせることはできません。とくにそれが優秀犬の場合はそうです! ところでお嬢さん、このエルキュール・ポワロは最優秀犬なんですよ」
彼女は無言のまま、席を立った。そして数分後に、サン・タラール氏の住所を書き留めた紙をもって、もどって来た。私は邸を出た。フランソワが外で私を待ち受けていた。彼は心配そうな顔で私を見た。
「ニュースはございませんか?」
「まだないよ、君」
「ああ! |Pauvre《ポーヴル》(お気の毒な)デルラールさま!」彼はため息をついた。「私も旦那さまと同じ考えでした。坊主なんかごめんのほうです。でもまさかお邸の中ではそんなことは口にしませんでした。お邸の女《おなご》は皆さん信心ふかくて――まあ、けっこうなことなんでしょうが。|madame est tres pieuse《マダム・エ・トレ・ピウーズ》――|et mademoiselle Virginie auss《エ・マドモワゼル・ヴィルジニー・オシ》i(大奥さまは敬虔なかたですし――それにヴィルジニーお嬢さまもそうですから)」
ヴィルジニーお嬢さまだと? 彼女が |tres pieuse《トレ・ピウーズ》(ひどく敬虔)なのか? さいしょに会ったときの涙にぬれた狂おしげな顔を、思い浮かべて、私はいぶかしい気がしたよ。
サン・タラール氏の住所を手に入れたからには、時間を無駄にしなかった。が、アルデンヌの彼の邸宅の近くに到着してから、邸の内部へもぐりこむ口実を見つけ出すには数日かかったよ。しかし、ようやく、やってのけた――何だと思うね、君――鉛管工に化けたのさ! 彼の寝室にある小さなガスもれの口をふさぐという、ちょっとした仕事なんだ。私は道具をとりに外に出て、それから道具をたずさえ、うまく仕事ができるだろうと見当をつけたころ合いに、もどって来た。なにを探したらいいものやら、自分でも、ろくすっぽ、わからない。なくてならぬものは、一つだけ。だが、それを見つけるチャンスがあるとは思えなかった。まさか、そんなものをとっておくなんていう危険を、彼がおかすはずがないからね。
それでも、洗面台の上の小さな戸棚に鍵がかかっているのをみとめると、私は、むしょうに、その中にあるものが見たくなった。鍵はまったく、かんたんにはずせるやつだった。ドアがさっとあいた。古ビンがぎっしり、つまっている。ふるえる手で一つ一つとり出す。とつぜん、私は叫び声をあげた。考えてもみたまえ、君、私の手が、例のイギリス人の薬局のラベルをはった小さな薬瓶をつかんでいたのだ。ラベルにはこう書いてある。『トリニトリン錠剤。必要に応じて一錠服用のこと。ジョン・ウィルスン殿』
私は興奮をおさえて、小戸棚をしめ、薬瓶をポケットにすべりこませた。そしてガス洩れの修理をつづけたよ! 仕事というものは、組織的にやらにゃいかんからね。それから邸を出るや、とるものもとりあえず母国に向けて汽車に乗った。その晩おそく、ブリュッセルに到着した。翌朝、総監宛てに報告をしたためていると、手紙が届いた。デルラール老夫人からで、アヴェニュー・ルイーズの邸へ、至急ご来訪を乞う、との文面だった。
フランソワがドアをあけてくれた。
「|Madame la Baronne《マダム・ラ・バロンヌ》(男爵夫人)がお待ちかねです」
彼は老夫人の部屋まで案内してくれた。夫人は大きな安楽椅子に威儀堂々とすわっていた。
ヴィルジニー嬢のいる気配はなかった。
「ポワロさん、あなたの正体を、わたしはたったいま、知りました。あなたは警察官だそうですね」
「さようでございます」
「わたしのせがれが死んだ状況を調べるために、ここへ来ましたね?」
再度、私は答えた。
「さようでございます」
「では、あなたの捜査がどこまで進捗《しんちょく》したのか、おきかせくださいな」
私はためらった。
「そのまえに、どうしてこのことをお知りになったのか、それをうかがいたいと任じます、奥さま」
「もはや、この世の人間ではなくなった人からです」
その言葉と、そういったときの夫人の物思いに沈んだような口調が、私をギクッとさせた。私は口がきけなかった。
「ですからポワロさん、あなたのお調べがどこまで進んだんだのか、それをありのままに、即刻お話ししていただきたいのです」
「奥さま、私の調査は終了しました」
「せがれは?」
「謀殺されました」
「犯人はご存じですね?」
「はい奥さま」
「誰ですか、それは?」
「サン・タラール氏です」
老夫人は首をふった。
「それはまちがいです。サン・タラールさんに、そんな犯罪ができるわけがありません」
「証拠があります」
「もう一度おねあいしますが、その話をすっかり話していただけませんか」
こんどは、私もいうことをきいて、真理発見に至るまでの捜査の各段階をずっと説明した。老夫人は注意ぶかく耳を傾けていたが、さいごに頭をふった。
「そうです、ぜんぶあなたのおっしゃるとおりです、が、一つだけちがいます。せがれを殺したのはサン・タラールさんではありません。母親のこのわたしです」
私は目を丸くした。老夫人は、しずかに、うなずくしぐさをつづけた。
「あなたをお呼びしてよござんしたよ。ヴィルジニーが修道院に入るまえに、自分のしたことをわたしに打ち明けてくれましたが、これも神さまのおぼしめしでしょう。よくおききなさい、ポワロさん! せがれはわるい男でした。教会を迫害しました。堕地獄の生活を送ってきました。自分だけでなく、他人まで堕落させたのです。ですが、それよりもひどいことをやりました。ある朝、この邸の中のことでした、わたしが自分の部屋から出てくると、嫁が階段の上に立っていました。手紙を読んでいたのです。すると、せがれがぬき足さし足、その背後にしのびよって来て、いきなり、つきとばしたのです。嫁は転倒して、頭を大理石の段で打ちました。抱き起こしたときには、こと切れていました。せがれは人殺しなんです。そして、それを知っているのはこのわたし、母親だけなのです」
彼女はしばし両目をつぶった。
「ポワロさん、あなたには、わたしの苦悩、わたしの絶望が、おわかりになりますまい。わたしはどうすればよいのか? 警察に訴えるべきなのか? とてもそんなまねはできなかった。そうするのが、わたしの義務でしたが、理屈ではどうにもなりません。それに、わたしの申し立てを警察は信じたでしょうか? しばらくまえから、わたしの視力は弱っていましたから――わたしの見まちがいということにされたでしょう。わたしは沈黙を守りました。でも良心がとがめて、平静な気持ちではすごせませんでしたよ。沈黙することによって、わたしも人殺しの片棒をかついだのですもの。せがれは嫁の財産を相続してみるみるうちに出世しました。そしていまや、大臣の椅子まで約束されました。そうなれば、教会に対する迫害も倍することでしょう。それにヴィルジニーがおります、あのかわいそうな娘、美しくて、もとより敬虔な心の持ち主のあの娘は、せがれに魅せられたのです。せがれは女性に対して、ふしぎな、おそろしい魅力を持っていました。そうなることは、わかっていました。でも、わたしは無力でどうしようもなかったのです。せがれには、あの娘《こ》と結婚するつもりはなかったのに、とうとうあの娘《こ》は、せがれに、すべてを捧げよう、という気になってしまったのです。
そのとき、わたしの目からうろこが落ちました。あれはわたしのせがれです。わたしが命をあたえた。わたしには責任があります。一人の女を殺したばかりか、いまや、べつな女の魂まで殺そうとしている。わたしはウィルスンさんの部屋に行って、錠剤の瓶をとりました。あのかたが、いつぞや、この瓶の中には人間一人殺せるだけのものがあると、笑いながらおっしゃったことがあるからです。わたしは書斎に入って、いつもテーブルのうえにある大きなチョコレートの箱をあけました。はじめはうっかりして新しいほうをあけたのですが、古い箱もテーブルにのっていました。残りは一粒だけでしたから、かえって事は、かんたんにはこびました。せがれとヴィルジニー以外には誰もチョコレートを口にしません。ヴィルジニーはその晩、わたしのそばに引きとめておくつもりでした。すべては計画どおりはこんで――」
彼女は口をつぐんで一瞬、目をつぶり、それからまたあけた。
「ポワロさん、わたしのことをどうなさろうと、あなたのご自由です。きくところによると、わたしの余命もいくばくもなさそうです。神さまのみ前で、わたしは自分のしたことについて、よろこんで責任をおうつもりです。でも、わたしはこの世でも、責任をおうべきでしょうか?」
私はためらった。
「ですが、奥さま、あの『から』の瓶は」と、私はときをかせぐためにそういった。「どうしてあれがサン・タラール氏のところにあったのでしょうか?」
「あのかたが、おわかれのあいさつにこられたときにね、ポワロさん、ポケットの中に、そっと入れたのです。わたしには、どうしてあれを始末したものか、わからなかった。体がひどく弱っていましたから、助けをかりないと、そうそう動けないし、わたしの部屋で、あの瓶が『から』になっていることがわかると、疑いをまねくもとだと思ったのです。でもポワロさん」――そういって彼女は、きっと上体を起こした――「サン・タラールさんに嫌疑をかけようとして、そんなまねをしたのでないことは、わかっていただけますね! そんなことは、夢にも思いませんでしたもの。あのかたの下男が、きっと、あき瓶を見つけて、むぞうさにすててしまうだろうとばかり考えていました」
私は一礼した。
「わかりました、奥さま」
「で、あなたのご決定は、ポワロさん?」
その戸は毅然《きぜん》としてよどみがなかった。頭も相かわらず、しゃんとしている。
私は立ちあがった。
「奥さま、謹んでおわかれを申しあげます。私は捜査を完了しました――そして失敗しました! この問題はこれでおわりです」
ポワロは、ちょっと口をつぐんだが、それから静かにいった。
「老夫人は、それからちょうど、一週間後に亡くなったよ。ヴィルジニー嬢は見習い期間をおえて正式に尼になった。これでこの話はおわりだ。この事件では、私が鮮やかに立ちまわったとは、どうみてもいえないやね」
「しかし、いちがいに失敗とはいえないだろう」と僕はいさめた。「その状況では、ほかに考えようがなかつたんだろう?」
「いや、とんでもないよ、君」ポワロはとつぜん、生色をとりもどして大声を出した。「君にはわからないのかね? 私はばかの三十六倍もばかだった! 灰色の脳細胞がまるっきり働いてくれなかったのだ。そのあいだ、ずっと私の手にほんとうの手がかりがあったのにさ」
「どんな手がかり?」
「チョコレートの箱さ! かんぜんな視力の持ち主が、あんなまちがいをしでかすかね? デルラール老夫人が『そこひ』にかかっていたことはわかっていた――アトロピンの目薬がそれを教えてくれたじゃないか。ふたをとりちがえたことをわからないような視力の持ち主は、あの邸には一人しかいなかったんだ。私がさいしょの手がかりをつかんだのは、チョコレートの箱だったが、それにもかかわらず、終始一貫して、その真の意味をつかみとることが、私にはできなかった!
それに心理分析も誤っていた。もしサン・タラール氏が犯人であったら、そんなぶっそうな瓶をとっておくはずは絶対にあるまい。それがみつかったことはとりもなおさず彼の潔白の証拠だよ。まえもってヴィルジニー嬢から、彼がうっかり屋であることはきいていた。まったく、君に話したその辺のところは赤面《せきめん》ものだよ。この話をしたのは君にだけだ。私が鮮やかに立ちまわれなかったのは、ごらんのとおり。老婦人が単純かつ巧妙きわまりない方法で犯罪をやってのけたので、この、このエルキュール・ポワロは、まんまといっぱいくわされてしまったのだ。|Sapristi《サプリスティ》(くそ)! そんなことは沙汰のかぎりだ! 忘れてくれ。いや――覚えていてくれ。そして、いつでも、私の鼻が高くなり出した、と思ったら――いや、そんなことはまずあるまいて。でも、ないともいいきれんからな」
僕は笑いをかみ殺した。
ポワロがいった。
「いいかね、君、そうなったら『チョコレートの箱』といってくれよ。わかったね?」
「よしきた!」
「つまるところ」ポワロは考え込みながら「これも経験の一つだったよ! 現代のヨーロッパにおいて疑いもなく、最優秀の頭脳の持ち主である私にしてみれば、気持ちを大きく持つだけのゆとりがあるからな!」
「チョコレートの箱」僕はそっと、つぶやいた。
「|Pardon, mon ami《パルドン・モナミ》(なんだって君)?」
耳をそばだてて、まえにのり出したポワロの無心な顔を見ると、僕はつい弱気になってしまった。僕もポワロからはしばしば、いっぱいくわされている。しかし、ヨーロッパ随一の頭脳の持ち主ではないにしても、僕だって気持ちを大きく持つだけのゆとりはあろうというものさ!
「なんでもないよ」僕は、そう嘘をついて、ほくそ笑みながら新しいパイプに火をつけた。
コーンウォールの謎
「ペンジェリー夫人がお見えですよ」下宿のおかみはそう取りつぐと、気を利かして引きさがった。
およそ来そうもないような、多くの人物がポワロのもとへ相談にやってくるが、その中でも、このとき、ドアの内側で羽毛のえり巻を指でまさぐりながら、神経質そうに立っていたご婦人などは、その最《さい》たるもののように僕の目にうつった。驚くほどありふれた女性だった――やせぎすの、色あせた五十女。編んだ上着とスカートを身につけ、首にはなにか金色の宝石をかざり、白髪の頭には妙に不似合いな帽子をかぶっている。田舎町の通りを歩いていれば、毎日わんさとお目にかかるようなご婦人である。
ポワロは彼女の当惑ぶりを見てとるや、進み出て、快活にあいさつした。
「奥さま! どうぞおかけください。ここにいるのは私の同僚ヘイスティングズ大尉です」
婦人は腰をおろして、あいまいにつぶやいた。
「あなたがポワロさんですの? 探偵の?」
「なんなりとご用命ください、奥さま」
しかし訪問客は、いぜんとして口をとざしたままだった。ため息をつき、指を曲げ、そしてその顔は、しだいにあかくなってきた。
「なにか、私にできることでもございましょうか、奥さま?」
「はい、あのう――つまり――そのう」
「どうぞお話しください、奥さま――どうぞ」
こう、はげまされて、ペンジェリー夫人は勇気をふるいおこした。
「じつは、こういうわけですの、ポワロさん――わたし、警察とはかかり合いになりたくありません。いえ、どんなことがあっても、警察なんか行きたくありません! でも、そうはいっても、わたし、あることで、ひどく悩んでおります。それでわたし存じませんが、もし――」彼女は不意に言葉を切った。
「私のことでしたら、警察にはなんの関係もありません。私の調査は、あくまでも個人的なものです」
ペンジェリー夫人はその言葉にとびついた。
「個人的――そう、あたしが望んでいるのも、それなんですの。新聞にのったり、書きたてられたりしたくはございません。新聞が記事にするやりかたといったら、性《たち》がわるうございますからね、家族の者が二度と世間に顔向けができなくなってしまいます。それに、わたしにも確信があるわけじゃないし――ただ、おそろしい考えが、ふっと頭に浮かんで、どうしても頭にこびりついて、はなれないもんで」彼女は一息入れた。「それに私がエドワードのことを、ひどく悪くとっているのかもしれませんもの。人妻なら誰だって、そんなことを考えるのはたまらないことですわ。でも、近ごろでは、そんなおそろしいことが、よく新聞にのっていますので」
「ちょっと――あなたが、おっしゃるのは、ご主人のことですか?」
「はい」
「で、あなたはご主人の――なにを凝っていらっしゃるのです?」
「口に出していうのさえ、いやですわ、ポワロさん。でも、こんなことがよく起きて、新聞種になっていますわ――被害者が、なにも、あやしまないでいるうちに」
僕はそろそろ、このご婦人が、いつまでたっても話の要点にふれないのではあるまいかと、あきらめはじめた。しかしねばり強さにかけてはポワロもひけをとらなかった。
「おそれずに、お話しください、奥さま。私どもの調査で、あなたのお疑いが、事実無根のものだとわかれば、お気持ちもあかるくなるではございませんか。その点をお考えなすって」
「たしかに、そうですわ――こんな不安な思いでくよくよしているなんて、ほんとに、やりきれません。ああ、ポワロさん、わたし、自分が毒殺されようとしているんだという気が、無性にするんですの」
「なにがもとで、そうお考えなんです?」
ペンジェリー夫人の引っこみ思案が消えて、主侍医にでもいったらよさそうなことを、せきを切ったように並べたてた。
「すると食事のあとで痛んで、気分がわるくなる、とおっしゃるのですね?」ポワロが考えこみながらいった。「かかりつけの医者はございますでしょう、奥さま? その医者はなんといってます?」
「医者は急性の胃炎だと申します、ポワロさん。でも釈然としないで、あやふやな気持ちでいることは、わたしにもわかりますし、しょっちゅう処方を変えてみても、いっこうにきき目がないのです」
「あなたはご自分の懸念を――医者にお話しになりましたか?」
「いえ、ぜんぜん、いたしませんわ、ポワロさん。そんなまねをしたら町中にひろまってしまいます。たぶん胃炎なんでしょうね。でも妙なことに、週末にエドワードが不在の節は、わたし、からだのぐあいがまたよくなるのです。フリーダでさえ、それに気づいています――わたしの姪《めい》なんですよ、ポワロさん。それから、除草剤のこともございます。庭師は、一度も使ったおぼえがないというのですが、それが半分からになっていますの」
彼女は訴えるように、ポワロを見つめた。ポワロは安心させるように笑顔を向けて、ペンシルとノートをとった。
「それでは事務的にまいりましょう、奥さま。あなたと旦那さまは、どこにおすまいです?」
「ポルガーウィス、コーンウォール地方の小さな田舎町です」
「ながらくおすまいで?」
「十四年になります」
「それでご家族はあなたと旦那さま。お子さんは?」
「ございません」
「しかし姪ごさんがいらっしゃると、おっしゃいましたな」
「はい。フリーダ・スタントンがおります。夫のただ一人の妹の子です。八年ごしに、わたしどもと、いっしょにおります――一週間前までは、ということですが」
「ほう、すると一週間前になにか?」
「しばらくのあいだ、なにかとあまり楽しくないことが、ございました。フリーダの身の上にどんなことがおこったのか、わたしはぞんじません。が、ひどくつんとして、差し出がましく、なんですか気分がとげとげしていました。そして、とうとうある日、かんしゃくを爆発させて、家から出てしまい、町の中に自分の部屋を借りてしまいました。それ以来、会っておりません。気持ちがおちつくまでは、そっとしといたほうがいい、とラドナーさんがおっしゃるものですから」
「ラドナーさんとは、どなたです?」
冒頭に見せたペンジェリー夫人の当惑ぶりが、またぞろもどってきた。
「ああ、その人は――つまりお友だちなんです。たいへん気持ちのいい青年ですわ」
「その青年と姪ごさんのあいだにはなにか?」
「なにもございません」ペンジェリー夫人は強調した。ポワロは、ほこ先を変えた。
「あなたとご主人のくらし向きは、お楽なんでしょうね」
「はい、かなり裕福でございます」
「財産は、あなたのものですか、それともご主人のもので?」
「あら、それはぜんぶエドワードのですわ。わたしは自分の金というものは、なにもございません」
「奥さま、事務的にやるとなると、歯に衣《きぬ》を着せずに申しあげなくてはなりません。私どもは動機を探しています。ご主人がほんの |Pour passer le temp《プール・パセ・ル・タン》(暇つぶしに)あなたを毒殺するはずはありますまい! ご主人があなたを消そうとしたがる理由に、なにかお心あたりがございますか?」
「主人の下で働いている、金髪のあばずれ女のことがあります」ペンジェリー夫人は激昂《げっこう》していった。「主人は歯科医です、ポワロさん。そしてよく気がきく娘《こ》が、自分にはなによりも必要なんだと申しています。断髪で白衣を着て患者をさばき、充填《じゅうてん》物をこしらえる娘《こ》のことです。二人のあいだに、不純な関係があるといううわさがわたしの耳にはいりました。でも、むろん、主人はそんなことはないと誓いましたが」
「除草剤のことですが、奥さま、誰が注文しました?」
「主人ですの――一年ほどまえに」
「姪ごさんは現在、自分の金をどれくらいお持ちですか?」
「年に五十ポンドほどでしょう。あの子は、もしわたしが家を出れば、喜んで帰宅して、主人の世話をするはずですわ」
「すると家出をお考えになったので?」
「なにからなにまで、主人の好き勝手にさせる気持ちはございません。いまの女は、昔のようなしいたげられた奴隷では、ございませんよ、ポワロさん」
「その独立|不羈《ふき》の精神は、ごりっぱなことです、奥さま。ですが、実際面を考えてみましょう。今日はポルガーウィスにお帰りですか?」
「はい、遠出でここへまいりましたので。今朝の六時の汽車で発って、午後五時の汽車で帰ります」
「|Bien《ビヤン》(なるほど)! 私もさしあたり重要な仕事はありませんから、あなたの問題に専念できます。明日ポルガーウィスへまいりましょう。ここにいるヘイスティングズが、あなたの遠縁の親戚、またいとこの子だ、ということにいたしましょうか。私はヘイスティングズの、偏屈《へんくつ》な外国人の友人になりましょう。それまでのあいだは、あなたご自身か、あるいは、あなたの目のまえでつくられたもの以外は、口にしないようにねがいます。信用のおける女中はおりますでしょうね?」
「ジェシーは、とてもいい娘《こ》です。まちがいありません」
「それではあすまたお目にかかります。奥さま、勇気をお出しになってください」
ポワロはその婦人を送り出し、考えこみながらもどって来て、自分の椅子にかけた。しかし、それほど気をとられていたわけではないので、先刻の婦人が興奮のあまり指先でむしってしまった、羽毛のえり巻の小片を二つ見のがしはしなかった。彼はそれを注意深く集めると、くずかごにすてた。
「君はこの件をどう思うね、ヘイスティングズ?」
「不愉快な事件だな」
「そうだよ、もし、あのご婦人の疑惑が事実だったとしたらね。しかし、はたしてそうだろうか? 当節、除草剤を買うような亭主に災いあれだ。もし奥方が胃炎に苦しんで、その結果ヒステリックになったとしたら、ただではすまんからな」
「問題はそれだけだと思うかい?」
「ああ――|Voila《ヴォアラ》(そうだね)――私にも、わからんよ、ヘイスティングズ。しかしこの話は興味があるね――ひどく興味があるよ。というのはだ、君にもわかるだろうが、ことさら目新しい特徴がないんだ。だからヒステリー説がなりたつんだが、そうはいっても、ペンジェリー夫人からは、ヒステリックな女という印象は受けなかった。そうなんだ、もし私にして誤りなければだよ、私たちは痛烈きわまる人聞劇に直面しているわけだ。ヘイスティングズ、君はペンジェリー夫人が、夫にたいして、どんな感情を抱いていると思うね?」
「貞節と恐怖の相剋《そうこく》だね」
「しかしふつうなら、女性というものは、世間の誰を非難しようとも――夫はべつなんだよ。女はいいときも、わるいときも、あくまでも夫を信頼しようとする」
「『第二の女』の存在が事態を複雑にするぜ」
「そうだ、しっとにかられたら、かわいさあまって憎さ百倍だからな。しかし、憎悪すれば警察へ行くだろうね――私のところへはこないで、わめきたててスキャンダルにしたがるだろうよ。いや、いや、小さな灰色の脳細胞を働かせようじゃないか。なぜ、彼女は私のところへ来たのか? 自分の疑惑がまちがっていることを、たしかめるためにか? それとも――正しいことをたしかめるためにか? いやどうも、その点になると、わからんものがあるな――未知の因子があるよ。彼女は役者だろうかね、あのペンジェリー夫人は? いや、あれは生地《きじ》だよ、生地であることは誓ってもいいな。それだからこそ、私は興味があるんだ。ポルガーウィス行きの汽車を調べてくれないか、君」
その日の一番いい便《びん》は、一時五十分にパディントンを発ち、ポルガーウィスに、ちょうど七時すぎにつく列車だった。旅行は無事平穏にすぎたので、ポルガーウィスの、わびしい小駅のプラットフォームについたとき、僕は快適なうたた寝から目を覚ますしまつだった。そして、二人は旅行カバンを持ってダッチー・ホテルに乗りこんだ。軽い食事をとったあとでポワロは、僕のいわゆる従姉とやらを訪問しようじゃないかといい出した。
ペンジェリー家は、道路からすこし、奥まったところに建っていて、前面には旧式のカテジ風の庭があった。モクセイとアラセイトウの香りが、夕暮れの微風にあまくただよっていた。この旧世界の魅力と血なまぐさい事件を結びつけて考えることは、一見、不可能のようだった。ポワロはベルを鳴らしてノックした。講も答える者がいないので、ポワロは再度ベルを鳴らした。こんどはちょっと間をおいてから、とり乱した顔の女中が、ドアをあけた。両目はまっかで、はげしく、しゃくりあげている。
「ペンジェリー夫人にお目にかかりたいのですが」ポワロが説明した。「ご在宅ですかな?」
女中は目を丸くした。それから、まれにみる率直さで答えた。
「それではまだご存じありませんの? 奥さまはお亡くなりになりました。今晩――三十分ほどまえにお亡くなりになったのです」
僕らは呆然として、女中を見つめた。
「なんで亡くなられました」やっと僕がきいた。
「じつは、これには事情がございます」そういって、女中は肩ごしに、ちらっと背後へ目を走らせた。「もし奥さまといっしょに、邸にいる必要がないのでしたら、私、荷物をまとめて、今夜、お暇《いとま》をいただきたいですわ。でも、つきそう人もなしに死んだ奥さまを、ほっぽらかすわけにはいきません。あたしの口からかれこれいう筋あいのものじゃありませんし、いう気もありませんが――でも皆さん、知っていらっしゃいますよ。町中に知れわたっています。もし内務省にラドナーさんが投書なさらなくても、誰かがそれをやりますわ。医者は勝手なことを、いうかもしれませんが、でも、あたし今夜、旦那さまが棚から除草剤のビンをとるところをこの目で見たんですもの! そして、ふりむいてあたしが見ているのを知って、日那さまは、ぎくっとなさったんですよ! 奥さまのおかゆはテーブルのうえにあって、いつでも召しあがれるようにしてあったんです! このお邸にいるかぎり、あたし、たべものは一口も口に入れません! 死んだって入れるもんですか」
「奥さまのかかりつけの医者はどこに住んでいます?」
「アダムズ先生なら、そこの角をまがって、ハイ・ストリートの二軒目のお宅ですわ」
ポワロは急いで踵《くびす》を返した。その顔はすっかり青ざめている。
「かれこれ、いう気がないにしては、あの女中、ずいぶんしゃべったね」僕は、にこりともせずにいった。
ポワロはこぶしをかため、自分の手のひらでピシャッと打った。
「ばか者だ、じつに、どしがたいばか者だったよ、この私はな、ヘイスティングズ。私は自分の灰色の脳細胞を自慢していたが、いまや人一人殺してしまったのだ、私のところへ救いを求めてきた生命を。これほどすみやかに、事件がおころうとは夢にも考えつかなかった。神よ許したまえ。いや、私は事件がおころうとは、まるきり本気にしていなかったんだ。ペンジェリー夫人の話は、つくりごとのように思えたんでね。おや、ここが医者の家だ。医者に会って話をきいてみよう」
アダムズ医師は、よく小説の中に出てくる、客あしらいのうまい典型的な田舎医者だった。彼はいんぎんに僕らを招じ入れたが、こちらの用向きに気づくや、そのあから顔が紫色になった。
「まるで、でたらめです。私が診察しなかったとでも、おっしゃるんですか? 胃炎です! 純然たる胃炎ですよ。この町は、ゴシップの温床でしてね――ゴシップ好きの婆さんが、わんさと集まって、知りもしないことを、かってにいいふらしているんです。新聞の品のわるいこの種の記事を読みつけていますからね、この町の人間も誰か毒殺されるぞ、ということくらい、婆さん連中の気に入ることはないのです。だから棚に除草剤のビンでもあろうものなら――それっとばかり、空想をたくましくするんです。私はエドワード・ペンジェリーを知っていますがね――彼は祖母の飼っていた犬さえ、毒殺する気になれなかった男ですよ。その男が、なんでまた女房を毒殺しなければならんのです? そのわけを教えていただきたいもんですな」
「あなたのご存じないことがですね、先生、一つだけあるんですよ」
そういって、ポワロはごく手短にペンジェリー夫人が、ポワロを訪れたいきさつのあらましを語った。それをきいて、アダムズ医師の驚くまいことか! 両眼はまさに顔からとび出さんばかりであった。
「いやはや、なんとね!」彼は絶叫した。「あの気の毒なご婦人は、頭が狂っていたにちがいない。なぜ私に打ちあけなかったんです? そうするのが木筋でしたろう」
「しかし夫人のおそれを一笑に付したでしょうが?」
「いや、そんなことはありません、私は偏見を持つまいと心がけています」
ポワロは医師を見つめて、微笑を浮かべた。医師が内心ひどく、ろうばいしていることは、あきらかであった。家を出るや、ポワロはぷっと吹き出した。
「ひどく強情だね、あの男は。私が胃炎だといった、ゆえにそれは胃炎であるとね! ところがそういうくせに、彼氏の気持ちは安らかじゃない」
「おつぎは?」
「宿屋に帰るのさ。そして、イギリスの田舎のベッドで恐怖の一夜をすごすんだよ、君。まったく、あの安物のイギリス製のベッドときたら、あわれむべき代物だな!」
「それで明日は?」
「|Rien a faire《リヤン・ナ・フェール》(することはないよ)。ロンドンへ帰って、あとの推移を待たなきゃならん」
「いやにおとなしいんだな」僕はがっかりした。「もしなにごとも、おこらなかったらどうする?」
「いや、おこるよ! それは約束してもいい。医者はその気になれば、いくらでも死亡診断書を発行できるさ。しかし、人の口に戸は立てられん。それもある意図のもとに、しゃべるだろうからね、それはまちがいないよ!」
ロンドンへ帰る汽車は、翌朝の十一時発だった。駅に向かって出発するまえに、ポワロは、故人の話に出てきた、姪のミス・フリーダ・スタントンに会いたいという意向をもらした。彼女の下宿先は、ぞうさなく見つかった。フリーダ嬢といっしょに、背の高い、色の浅黒い青年がいた。彼女は、いくぶんろうばいしながらも、その青年をジェイコブ・ラドナー氏だと紹介した。
フリーダ・スタントン嬢は、伝統的なコーンウォール地方タイプの、目のさめるような美しい娘だった――黒髪に黒い目、バラ色の頬。そしてその黒い目にきらりと光る色は、怒らせないほうが無難な、はげしい気性を物語っている。
「かわいそうな叔母さん」ポワロが自己紹介をして、自分の用向きを説明すると、彼女はいった。「悲しくてたまりませんわ。わたし朝のあいだずっと、もっと親切にして、もっと我慢すればよかったのにと後悔していたの」
「君はずいぶん、しんぼうしたよ、フリーダ」ラドナーがさえぎった。
「そうよ、ジェイコブ。でもわたし、かんしゃく持ちだってことは、自分でも知ってるのよ。けっきょくは、叔母さんのほうが、ばかだったのよ。わたしがただ、笑いとばして気にしなければよかったんだわ。むろん、叔父さんが毒殺しようとしているなんて、そんな叔母さんの考えはばかげていたわ。叔父さんがあげた食物をとると、いつもぐあいがわるくなったのはたしかよ――でも、それは気のせいにすぎないと思うわ。かならず、ぐあいがわるくなるだろうと決めこんでしまうの。すると、ほんとにそうなっちゃうのよ」
「あなたが仲たがいをなすった、ほんとうの原因はなんですか、お嬢さん?」
スタントン嬢はためらって、ラドナーを見た。青年はすぐにその意味をさっして、
「僕は失礼しなきゃならん、フリーダ。今晩また会おう。さよなら、皆さん。皆さんは駅へいらっしゃる途中なんでしょうね?」
ポワロはそうだと答えた。ラドナーは出て行った。
「あなたがたは婚約なさっておられるんでしょう?」ポワロがなにくわぬ微笑を浮かべてきいた。
フリーダ・スタントンは赤面しながら、そのむねをみとめた。
「そして、それがじつは、叔母とのいさかいの種だったのよ」と彼女はつけ加えた。
「この縁ぐみに、叔母さんは賛成なさらなかったのですか?」
「いえ、それほどでもなかったの。でも、叔母は――」そこで言葉がとぎれてしまった。
「それで?」ポワロがやさしくうなずいた。
「わたし、叔母のことを、かれこれいうなんて、ほんとにいやだわ――いまとなっては、この世にいない人なんですもの。でもそれをお話ししなければ、どうしても事情がわかってもらえないわ。叔母はジェイコブに、すっかりのぼせあがっていたのよ」
「ほう?」
「そうなのよ。ばかばかしいったらないわ。叔母は五十すぎなのに、ジェイコブは三十にもならないのよ! でも、そうなの。あの人に夢中になったの! だから、とうとうわたしも、彼が求めているのはわたしですよ、っていわなくちゃならなかったの――そうしたら、もう叔母は気狂いみたいに、さわぎ立てて、まるでわたしのいうことなんか信じないの。そして、あんまりとげとげしくて、失礼なことばかりするんですもの、わたしがかっとなっちゃったのも、むりはないわ。わたし、そのことをジェイコブと話し合ったの。それでけっきょく、叔母が正気にもどるまで、わたしがしばらく家から出て行くのが一番いいだろうって、二人の意見が一致したのよ。かわいそうな叔母さん――叔母は、すっかり頭がおかしくなっていたんだわ」
「たしかに、そうらしいですね。どうもありがとう、お嬢さん。いろいろ説明していただいたので、だいぶ、はっきりしてきました」
僕がいささか驚いたことに、ラドナーは下の通りで僕らを待っていたのである。
「フリーダがお話ししたことがなんであるか、僕にはじゅうぶん推測がつきます」とラドナーはいった。「まったく、不幸なことがおきたもんです。それにおさっしのとおり、僕にとっても、わずらわしいかぎりでした。ぜんぜん僕のせいではない、ということは申しあげるまでもないでしょう。はじめは、僕も喜んでいました。老婦人の姪にたいする心づくしだと思ったからです。まったく、ばかばかしいかぎりでした――が、極度に不愉快でしたよ」
「君とスタントン嬢はいつ結婚なさる?」
「早急にしたいと思っています。ところで、ポワロさん、僕はざっくばらんに、あなたにお話ししましょう。僕はフリーダよりも、ちょっと、よけいに知っていることがあるんです。彼女は叔父が潔白だと信じています。が、僕には、それほど確信がありません。でも、一つだけはお話しできます。つまり、僕は自分の知っていることは、ぜったいに他言しないつもりだ、ということです。眠っている犬はそっとしておきましょう。僕にしたって、妻の叔父なる人が、裁判にかけられて、殺人罪で絞首刑になるなんて、ぞっとしませんからね」
「なぜ、そんなことをお話しなさる?」
「それは、かねがね、あなたのおうわさを聞いているからですよ。それに、あなたが頭の切れるかただということも僕は知っています。あなたが事件を調べて、叔父に不利な証拠をつかむことは、まったくありうることです。でも申しあげておきますが――それが、なんになります? 死んだ人の命は返ってきませんし、夫人はおよそスキャンダルを好むような人ではありませんでした――まあ、スキャンダルになるなんてことを考えただけでも、夫人は浮かばれません」
「その点は、おそらく君のいうとおりでしょうな。すると私が目をつぶることをお望みなんですな?」
「それが僕の考えです。その点、自分が利己的であることは、はっきりみとめます。が、僕には大事な仕事がある――洋服屋と装身具の商売をいま築きあげているところなんです」
「大部分の人間は利己的なものですよ、ラドナーさん。しかし、それを正直にみとめることは誰にもできることではない。私はあなたのお頼みどおりいたしますがね――しかし率直にいって、この事件をもみ消すことはうまくいかんでしょう」
「どうしてです?」
ポワロは指を一本立てた。その日は市場の開催日だった。僕らが市場を通りぬけて行くと――せわしげな人声が中から聞こえてきた。
「民の声――それが、つまりラドナー氏が……あ、走らなきゃならんぞ、さもないと、汽車におくれちまう」
「じつに、おもしろいじゃないか、え、ヘイスティングズ?」汽笛一声、列車が駅から離れるとポワロがいった。
彼はポケットから、小さな櫛と、これまた顕微鏡的な鏡をとり出して、しんちょうに、口ひげの手入れをしていた。息せききって、駅まで走って来たあいだに、口ひげの左右の均衡が、かすかにふぞろいになったためである。
「君はそう思うらしいね。でも、僕にとってはおもしろいよりも、むしろ、あさましくて不愉快な事件だな。それに謎も、ほとんどないしね」僕はそう答えた。
「同感だよ。ぜんぜん、謎はないよ」
「叔母が若い男にのぼせあがっていたという、あの娘《こ》の驚くべき話は、事実として受けとってもいいんだろうね? その点が、どうも僕には眉つばのように思えるんだけど。故人はあれほど、りっぱで尊敬に価する婦人だったんだから」
「なにも驚くにはあたらないさ――まったく、ありふれたことだよ。新聞を注意して読んでいればだよ、その年配のりっぱな尊敬に値するご婦人とやらが、二十年も、いっしょに暮らしてきた亭主を残して家出することなんか、ざらにお目にかかるよ。ときには子供たちまで捨ててしまうんだ、自分よりもいちじるしく年の若い男と、いっしょになるためにね。君は |les femmes《レ・ファム》(女性)の崇拝者だ。君は顔がよくて、君に微笑みかけるような趣味のいい女なら崇めたてまつってしまう。しかし心理学的には、女性について君は無知そのものだね。女の人生の秋には、ロマンスを求め、冒険を求める、狂った時期がかならずくるものなんだ――手おくれにならぬまえにね。たとえ田舎町の尊敬すべき歯科医の妻だからといっても、それはかならずやってくるね!」
「それで君は」
「頭のいい男なら、かくのごとき好機を利用せざるべけんや、と考えるよ」
「しかし、ぺンジェリーがそれほど頭がいいとは、思えないな」僕は思案げにいった。「彼は町中の物議をかもしてしまったもの。しかし、それでも君のいうとおりだろうね。なにかネタを知っているただ二人の男、ラドナーと医者は、二人そろってもみ消したがっている。ペンジェリーはなんとか、うまくやってのけたんだな。やつに会ってみたいもんだね」
「それならお安いご用だ。つぎの列車でひき返して、奥歯が痛むからと、うそをつけばいい」
僕はするどくポワロを見た。
「どうして君が、この事件をそれほどおもしろいと思うのか、僕は理由を知りたいね」
「私の興味はね、君の言葉によって、いとも適切に喚起されたんだ。女中に会ったあとで君は、とやかくいうつもりはないにしては、あの女中ずいぶんしゃべったな、といったろうが」
「ああ!」僕は疑わしげにいった。それから自分がいい出したことにもどって、「なぜ君がぺンジェリーに会おうとしないのか、ふしぎだなあ」
「君、私は三カ月の猶予をペンジェリーにあたえるね。そのあとで、会いたくなれば会うさ――被告席にいる彼にね」
僕は、はじめてポワロの予言がはずれるのではないかと考えた。三カ月たったが、例のコーンウォールの件については、なにごともおこらなかったのだ。ほかの仕事に追われて、僕がペンジェリー家の悲劇を忘れかけたころ、とつぜん、ペンジェリー夫人の死体発掘命令が内務大臣から発令された、という短い記事が新聞にのったので、そのことが僕の頭によみがえった。
二、三日すると、『コーンウォールの謎』は、あらゆる新聞のトピックになった。どうやらゴシップが、いつまでも尾を引いて消えないでいたところへもってきて、やもめになったペンジェリーと秘書のミス・マークスとの婚約が発表されたため、ゴシップが、いままでにないほどはげしく再燃したらしい。そして、ついに請願書が内務省に送られたので、ペンジェリー氏が妻殺しの容疑で逮捕されてしまったのである。
ポワロと僕は予審に列席した。予想どおり、かずかずの証拠が出てきた。アダムズ医師は砒素中毒の症状が、胃炎のそれと、まちがいやすいものであることをみとめた。内務省の専門家は、所見を述べた。女中のジェシーはとうとうとまくしたてた。女中の話の大部分は却下されたが、それでも被告に対する容疑を確実に強めることにはなった。フリーダ・スタントンは、叔父が料理した食事をとると、きまって叔母のからだのぐあいがわるくなったことを証言した。ジェイコブ・ラドナーはぺンジェリー夫人の死亡当日、たまたま、たちよったところ、ペンジェリーが除草剤のビンを食料貯蔵室の棚にもどしていたこと、ならびにペンジェリー夫人のかゆが、そのすぐそばのテーブルのうえにのっていたことを述べた。それから金髪の秘書、マークス嬢が喚問された。彼女は泣いてヒステリックになりながら、彼女と雇い主のペンジェリーのあいだで、『密約』があったこと、妻の身に万一のことがあれば、その場合は、結婚するとペンジェリーが約束したことなどをみとめた。ペンジェリーは弁護を保留して裁判にかけられることになった。
ジェイコブ・ラドナーは僕らの宿舎まで、いっしょに歩いて帰った。
「どうです、ラドナーさん」とポワロがいった。「私がいったとおりでしょうが。民の声は語る――しかも、確信のある声で語るとね。この事件をもみ消すことはできない相談でしたよ」
「まったく、おおせのとおりですね」ラドナーがいった。
「彼が釈放されるチャンスはあるでしょうか?」
「そうですな、弁護を保留しましたな。彼にはなにか――イギリス流にいうと、切り札があるのかもしれん。どうです、中に入りませんか?」
ラドナーは招待を受けた。僕はウイスキー・ソーダを二杯にチョコレートを一杯注文した。注文を受けたほうでは、チョコレートと聞いて、仰天していた。だから、はたしてそれが、姿を現わすかどうか、僕は大いに疑問だった。
「むろん、この種のことなら、私はかなり経験をつんでいます」ポワロが話しつづけた。「だからペンジェリーが助かる唯一の道を私は知っています」
「それはなんです?」
「君がこの書類に署名することだよ」
そういって奇術師のようなすばやさで、ポワロは、ぎっしり文字が書きこんである書類をとり出した。
「なんですか、これは?」
「君がべンジェリー夫人を殺したむねの自供書だよ」
一瞬、沈黙があった。それからラドナーは笑い出した。
「あなたは頭が狂っている!」
「いや、いや、君。私は頭が狂っていないよ。君はこの上地へやって来た。そして商売をはじめたが、金につまった。ぺンジェリー氏はたいへん裕福な人だ。君はその姪に会う。彼女は君に気があるようだ。しかし、彼女が結婚したあかつきに、ペンジェリーがくれるわずかの持参金では、君にとって、ふじゅうぶんだ。そこで叔父と叔母の二人を消す必要がおきた。そうなれば、姪が唯一の身寄りだから全財産は彼女のものだ。なんと、うまく、しくんだもんだね! 君はあの初老のご婦人にいいよって、とうとう、とりこにしてしまった。そして彼女に夫を疑わせるようにしむけたんだ。まず夫人は、夫が自分を騙《だま》していることを知り――それから、君に誘導されて自分を毒殺しようとしていると思いこんだ。君はしょっちゅう、あの家を訪れていた。だから、夫人の食べ物に砒素を入れる機会はいくらでもあったのさ。しかし、君は注意して、夫が不在のおりは、ぜったいにそうしなかった。女だから、夫人はその疑惑を一人でしまっておかない。姪に話す。むろん、姪はほかの女友だちに話すさ。君の唯一の難点は、二人の女性にたいして、それぞれ、べっこの関係を保持することだったが、それでさえ、見かけほどは難しくなかった。君は叔母に向かって、夫の疑惑を招かぬために、姪に求愛するふりをしなければならないと説明したのだ。姪のほうには、さほど説得する必要はなかったろうね――なにしろ自分の叔母を本気で恋敵だ、と思うはずがないものな。
しかし、ペンジェリー夫人は、君に一言もいわずに、私のもとへ相談に来る決心をした。もし夫が自分を毒殺しようとしているとはっきり確信できれば、彼女も夫を捨てて、自分の生活を君の生活と結ぶことに、やましさを感じなくなるからだ――彼女は君もそうしたいと望んでいるものだ、とばっかり考えたのだ。しかしそれはぜんぜん、君の筋書きには合わない。君は探偵にせんさくされるのがけむったかった。好機到来。君があの家にいるときに、ペンジェリー氏が妻のかゆを持って来た。そこで君は致死量の砒素を投入した。あとはかんたんさ。うわべは事件をもみ消したがっているように見せかけて、かげにまわって騒ぎを大きくしたのだ。しかし君はエルキュール・ポワロを計算に入れるのを忘れたね、賢明なる君が」
ラドナーの顔は紙のように白くなったが、それでもなお、高飛車に出て、なんとかポワロのほこ先をかわそうとした。
「たいへんおもしろいし、それによくできていますね。しかし、なぜ、そんなことを僕に話すんです?」
「そのわけはね、君、私は法を代表しないでペンジェリー夫人を代表しているんだ。夫人のために、君に逃げる機会をあたえてやるよ。この書類に署名したまえ。そうしたら、二十四時間の猶予をやろう――二十四時間たったら、書類を警察の手に届けるからね」
ラドナーはためらった。
「あなたは、なにも立証できませんよ」
「できないだと? 私は、エルキュール・ポワロだよ。窓のそとを見てみたまえ、君。二人の男が通りにいるだろう。彼らは君のあとをつけるように命令されているんだ」
ラドナーは、つかつかと窓に行って、鎧戸をあけた。それから、悪態をつき、がっくりして、もどって来た。
「わかったかね、君? 署名したまえ――それが君の最上のチャンスだよ」
「しかし、どんな保証が――」
「私のいうことを信用せんのかね? エルキュール・ポワロの言葉に二言はないよ。署名するね? よろしい。ヘイスティングズ、君、すまないが、左手の鎧戸を半分あけてくれないか。それがラドナー氏を邪魔せずに逃がしてもよろしいという合図なんだ」
青ざめて悪態をつきながら、ラドナーは急いで部屋から出て行った。ポワロは静かにうなずいた。
「卑怯者さ! まえからわかっていたんだ」
「だけどポワロ、君のやったことは法律違反だぜ」僕は憤慨してどなった。「君はいつも感情に溺れてはいかん、とお説教をしているくせに、こんどは自分で、危険な犯罪者を、まったくの感情から、逃がしてしまったじゃないか」
「これは感情じゃない――仕事なんだよ」ポワロは答えた。「君には、わからんのかね、私たちには、あの男を断罪する証拠がないんだよ。なんならこれから出て行って鈍重《どんじゅう》なるコーンウォールの人間に、この私、エルキュール・ポワロの知っていることを話してみようか? 連中は一笑にふすだろうよ。彼をおどしつけて、あんなふうに自白させるのが唯一のチャンスだったんだ。私の目についたあの二人ののらくら者は、大へん役に立ったよ。もう一度鎧戸をおろしてくれないか、ヘイスティングズ? いや、べつに理由はないさ。さっきのは、あれも |mise en scene《ミーズ・アン・セーヌ》(演出)のうちだったんでね。
むろん、約束は守らなければならんさ。二十四時間だったね? ぺンジェリー氏にはそれだけ気の毒なことだが――まあ身から出たさびだね。なにせ女房を騙したんだから。君も知るように、私は家庭生活というものについては、きびしい男なんだ。いいとも、二十四時間待つさ――それからあとは? 私はスコットランド・ヤード(ロンドン警視庁)に絶大なる信頼をよせているよ。彼らはラドナーを捕えるよ、君、きっと捕えるよ」
クラブのキング
「事実は小説よりも奇なり、だ」デイリー・ニューズマンガー紙をわきにおいて、僕はそういった。おそらく、それが独創的なせりふではなかったせいか、わが友ポワロの癇《かん》にさわったらしい。卵型の頭をかしげて、念入りに折目をつけたズボンから、目に見えないほこりを、ていねいに払いながら、ポワロはいった。
「なんたる、深遠な言葉だ! わが友ヘイスティングズは思索家でいらっしゃる!」
しかし僕はこの不当なる揶揄《やゆ》にたいしては、不満の意を表わさず、わきにおいた新聞紙を手でたたいた。
「君も朝刊は読んだろう?」
「読んだよ。読んでから、きちんともとどおりにたたんでおいたよ。私は君のように、床のうえにほうりだしたりはしなかったな。君に秩序と方法が欠けているのは、嘆かわしいかぎりだよ」
(これが彼のわるいくせだった。秩序と方法は、ポワロの金科玉条《きんかぎょくじょう》で、自分の成功も、それのおかげだといいきる始末である)
「それじゃ興行師のヘンリー・リードバーンが殺された記事は、目についたろう? 僕がいまのせりふを吐いたのも、じつは、そのせいなんだ。事実はたんに小説よりも、奇なるばかりじゃない――より劇的だよ。まあ、あのイギリスの堅実な中産階級である、オグランダー一家のことを考えてもみたまえよ。父親と母親、息子と娘、この国なら、どこでもざらにいる典型的な一家だよ。男たちは毎日ロンドンに出勤し、女たちは家事をする。彼らの生活は平和そのもので、単調このうえない。ところが昨夜、ストレッタムのデイジーミードにある小ぎれいな郊外住宅の居間で、ブリッジに興じていると、とつぜんなんの前ぶれもなしにフランス窓がぱっとひらいて、女が一人、よろめきこんで来た。そのグレーのサテン地のコートには、べったり血痕がついている。彼女は『人殺し!』と一言もらすや、床の上にくずおれて気を失ってしまった。その女がさいきん、全ロンドンをその魅力のとりこにしてしまった、有名なダンサー、ヴァレリー・サンクレールであることは、日ごろ、写真を見つけているために、すぐわかった」
「それは君の話術からかね、それともデイリー・ニューズマンガーが、そう書きたてたのかね?」
「デイリー・ニューズマンガーは、締め切りに追われて、たんに事実を並べるのが精いっぱいだよ。しかし、この話のドラマチックな様相にすぐ僕はうたれたね」
ポワロはおもおもしくうなずいた。
「人間あるところ、かならずドラマありさ。ただしだよ――それがかならずしも、君の考えているところにあるとはかぎらん。その点をお忘れなくね。とはいえ、私もこの事件には興味を持ったよ。つまり、どうやら私が一役買いそうなんでね」
「ほんとかい?」
「そうなんだ。今朝、モラニアのポール皇太子の代理だと称する紳士から電話がかかってきて会見の約束をしたよ」
「しかし、それが事件とどんな関係があるの?」
「君はゴシップ新聞を読んでいないんだね。おもしろおかしい話がのっている新聞だよ。『小ねずみの聞くところでは』とか『小鳥はそれを知りたがっている』ってな記事がね。見たまえよ」
僕は彼の短い、ずんぐりした指が示す記事に目を走らせた。
『――はたして、外国皇太子と有名なダンサーの仲は! もし新しいダイヤの指輪がレディのお気に入れば!』
「さあ、ところで、君のドラマチックなお話に、もどるとしよう。ちょうど、サンクレール嬢がデイジーミードの居間の、じゅうたんに、ばったり気を失ったところだな」
僕は肩をすくめて、話した。
「彼女が息を吹き返して、さいしょにもらした言葉の結果、オグランダー家の二人の男は戸外にとび出して、一人は彼女の手当てのために医者を呼びに行き、もう一人は、警察へかけつけ――そこで一部始終を話してから、警官を同道のうえ、リードバーン氏の豪壮な別荘モン・デジールへとむかった。それはデイジーミードからさほど遠くないところにあるんだ。そこへ行ってみると、主人公の大興行師が、ついでにいうと、この男はいささか、かんばしからぬうわさの主なんだが、後頭部を卵の殻みたいにわられて、書斎の中に倒れているのが発見された」
「私は君の話術を見そこなっていたよ。どうもお詫びしないと……おや、皇太子殿下のおいでだ!」
高貴な訪問客は、クェオドール伯爵と名のった、見なれぬ風采をした長身の青年だった。あごはうすく、有名なモランベル家特有の口もと、それに狂信者のような黒いギラギラした目。
「ポワロさんかな?」
わが友は軽く一礼した。
「ポワロさん、じつはいま、私はなんとも、いいようもないほど、苦境に立っている――」
ポワロは手をふった。
「ご心配の筋はわかっております。サンクレール嬢は殿下のご親友でいらっしゃる、そうでございましょうが?」
皇太子は単刀直入に答えた。
「私は彼女を妃に迎える所存だ」
ポワロは居ずまいを正して目を丸くした。
皇太子は話しつづけた。
「私の家系で貴賎《きせん》結婚(高貴の者が身分のない女と結婚すること)をする者は、なにも私が、はじめてというわけではない。兄のアレグザンダも、皇位につくのを拒否した。われわれはいまや、はるかに文明の進んだ時代、旧来の陋習《ろうしゅう》には束縛されぬ時代に生きている。それに、サンクレール嬢は、じじつ、私とまったく同じ階級の出なのだ。あなたも彼女の経歴に関する、うわさをお聞きかな?」
「サンクレール嬢の生まれについては、いろいろとロマンチックな物語が、つきまとっておりますが――著名な踊り子には、よくあることです。アイルランド人の日雇い雑役婦の娘だといううわさもあれば、また母親がロシアの大公夫人というのもありますし」
「はじめのうわさは、むろん事実無根、二番目の話が真相だ。ヴァレリーも、あからさまにはいえぬとしても、そうとれるようなことを、遠まわしにいってくれたし、なんといっても、彼女は無意識のうちに、立居ふるまいなどで、毛並のよさを証明している。私は遺伝なるものを信じていますぞ、ポワロさん」
「私も遺伝は信じております」ポワロは考え深げにいった。「私は遺伝に関しては二、三奇妙なことも、経験いたしております――|moi qui vous parle《モワ・キ・ヴー・パルル》(私といたしましては)――いや、用件にもどりましょう、殿下。で、私になにをお望みですか? 殿下はなにをおそれていらっしゃいます? ずばり申しあげて、よろしゅうございましょうね? サンクレール嬢がこの犯罪とは、なにか関係があるのではございませんか? 彼女はむろん、リードバーンとは面識がございますね?」
「いかにも。リードバーンは彼女に首ったけであることを告白しておった」
「で、サンクレール嬢は?」
「彼女のほうは、なんとも答えようがなかったはずだ」
ポワロは皇太子をするどく見つめた。
「彼女に、なにか、リードバーンをおそれる理由でもございましたか?」
皇太子はちょっと、ためらってから、
「じつは、ちょっとしたことがあった。あなたは占い師のザラをご存じかな?」
「いえ」
「驚くべき女だ。あなたも、いつか訪ねてみるとよい。ヴァレリーと私は、先週、ザラに会いに行った。彼女はトランプ占いをしてくれた。そしてヴァレリーに凶兆を――暗雲がたちこめていると語った。それからさいごのカード――底札とかいうのを、めくるとクラブのキングであった。するとザラがヴァレリーに『気をつけるんだよ。おまえさんを支配している男がいる。おまえさんはその男をおそれている――その男のために、おまえさんは大へんな危険に瀕している。その男が誰だか、心あたりがおありだろうね?』といいおった。ヴァレリーは、唇まで白くなって、こっくりうなずくと、『ええ、あるわ』と答えた。それからほどなく、われわれは、ザラのもとを辞したが、ザラがヴァレリーにあたえたさいごの言葉は、こうだった。『クラブのキングに気をつけるんだよ。危険が迫っているからね』私はヴァレリーに問いただしたが、なにもいおうとせず――ただ、大丈夫よ、というばかりだった。しかし咋夜の事件がおきてみて、私にもいま、はっきりとわかった。クラブのキングとは、リードバーンのことであって、ヴァレリーはあの男をおそれておったのだ」皇太子はとつぜん、口をつぐんだ。「だから、今朝、新聞をひろげたときの私の不安も、おわかりくださるだろう。もし、ヴァレリーが、カッとなって――いや――そんなばかな!」
ポワロは椅子から立ちあがって、皇太子の肩をやさしくたたいた。
「そうご心配なさらないで。私におきかせください」
「ストレッタムへ行ってくださるか? まだ彼女はデイジーミードにいると思うが――ショックを受けて、憔悴《しょうすい》して――」
「さっそく、まいりましょう」
「手はうってある――大使館を通じて。あなたはどこへでも、立ち入り自由ですぞ」
「それでは出発します――ヘイスティングズ、君、いっしょに、くるかね? |Au revoir M. le prince《オー・ルヴォワール・ムッシュー・ル・プランス》(失礼します皇太子殿下)」
モン・デジール荘は、徹底的に現代的で気持ちのいい、ずばぬけて美しい別荘であつた。短い車道が道路から邸へとつづき、美しい庭園が数エーカーにわたって邸の背後にひろがっていた。
ポール皇太子の名前を持ち出すと、玄関に現われた執事は、すぐに僕らを、凶行の現場へと案内してくれた。書斎は豪勢な部屋だった。建物全体の前面から背面まで通る広さがあり、両側に窓が、一つずつあった。一つは前面の車道に面し、もう一つは、庭に面している。死体が倒れていたのは後者の窓の隅であった。警察が捜査を完了して、死体を運んで行ったのは、さほどまえのことではなかった。
「これはこまったぞ」僕はポワロに小声でいった。「やつら、せっかくの手がかりを、ぶちこわしてしまったかもしれないね?」
小男は微笑した。
「やれやれ――手がかりは内部からくる、ということを、何回いえば、君はわかるんだろうね。この灰色の脳細胞の中に、あらゆる謎をとく、手がかりがあるんだよ」
彼は執事のほうをむいた。
「死体を動かした以外は、この部屋はもとのままだろうね?」
「さようです。昨夜、警察がお見えになったときのままです」
「それでは、ここのカーテンだがね。あれはちょうど窓の出っ張りにかかるようになっているね。むこうの窓も同じだ。昨夜、カーテンは引いてあったかね?」
「はい、毎晩、私が引きます」
「すると、リードバーン氏が、自分であけたということになるね?」
「さように存じます」
「昨夜、来客があることは、君は知っていたかね?」
「主人はなにも申しませんでした。でも、夕食後は自分の邪魔をしないようにと、お命じになりました。おわかりと思いますが、この書斎にはお邸の横のテラスへ抜けるドアがございます。主人は、その気になれば誰でも、そこから書斎へお通しできるわけで」
「ご主人は、そうする習慣があったのかね?」
執事は、つつましくせきばらいした。
「さように存じます」
ポワロは、つかつかと問題のドアへ行った。鍵はかかっていなかった。彼はドァをあけて、テラスに出た。テラスの右手は車道で、右手に行くと赤煉瓦の壁があった。
「あれは果樹園でございます。その先に、中に入るドアがございますが、いつも六時になるとしめてしまいます」
ポワロはうなずいて書斎にもどった。執事もあとからついて来た。
「君は昨夜のできごとで、なにか耳にしなかったかね?」
「はい、書斎で人声がいたしました、九時ちょっとまえでございます。でも、かくべつ珍しいことではございませんし、とくに、ご婦人の場合はそうでございます。でも、申すまでもなく、てまえどもは使用人室へひきとってしまいましたので、ちょうど、反対側にございますから、なにも聞こえなくなってしまいました。そのあと十一時ごろに、警察がやって来たようなわけでございます」
「人声というのは何人だったね?」
「それはわかりかねます。ご婦人の声がわかっただけでして」
「なるほど!」
「失礼ですが旦那さま、ライアン博士がまだ邸におられますから、お会いになってみてはいかがでございましょう」
僕らはこの提案にとびついた。そして数分のうちに、陽気な中年の医師といっしょになった。彼はポワロが要求する情報をぜんぶ話してくれた。それによると、リードバーンの死体は、窓の近くに横たわっていて、頭は大理石の窓椅子《ウインド・シート》のわきにあった。傷は二つあり、一つは両眼のあいだ、そしてもう一つの致命傷のほうは、後頭部にあった、とのことであった。
「死体はあおむけに倒れていたのですか?」
「ええ、ここにあとがありますよ」医師は、床のうえの、小さな黒っぽいしみを指さした。
「その後頭部の傷が、床に倒れたさいに、できたものだとは、考えられませんか?」
「不可能ですね。凶器がなんにせよ、頭蓋にそうとう食いこんでいる傷ですからね」
ポワロは考えこむようにして、正面をながめた。両側の窓の朝顔口は大理石を彫った椅子になって、ひじかけの両腕はラィオンの頭のかたちに彫られている。ポワロの目がピカッと光った。
「かりに、リードバーンが、この突き出したライオンの頭部に、うしろむきに倒れて、そのまま床のうえにすべりおちたとしたらどうでしょう? その場合は、先生がおっしゃるような傷の原因になりませんか?」
「ええ、そうなるでしょうね。しかし彼が倒れていた角度からすると、その説は成り立ちません。それにその場合には、かならず、大理石の椅子に血痕が付着しているはずですよ」「洗いおとされないかぎりはですな?」
医師は肩をすくめた。
「それは、まず考えられませんね。不慮の事故を他殺のように見せかけたところで、誰の利益にもなりますまい」
「まったくそうですな」ポワロは同感の意を表した。「で、その傷のいずれかが、女性の手で加えられたとは考えられますかな、いかがでしょう?」
「いや、問題外でしょうね。サンクレール嬢のことをお考えなんでしょう?」
「確信をもつまで、私は誰も特定の人物のことは考えません」ポワロは静かにいった。
ポワロは、ひらかれたフランス窓に、注意をむけた。すると医師がまた話をつづけた。「サンクレール嬢が逃げ出したのはそこからですよ。木立ちのあいだがら、デイジーミードが、チラホラ見えますでしょう。むろん、邸の正面の道路ぞいには、もっと近くに家がたくさんあるのです。が、距離のはなれているデイジーミードに彼女がかけこんだのは、それがこちら側から見える、ただ一軒の家だったからです」
「どうも、ありがとうございました、先生」ポワロがいった。「行こう、ヘイスティングズ、サンクレール嬢の足どりをたどってみようや」
ポワロは先になって、庭を通り、鉄門をぬけ、短い緑の野原を越えて、デイジーミードの庭門をくぐった。それは半エーカーほどの地所にたっている、外観を飾らぬ小邸宅だった。小さな階段があって、フランス窓に通じていた。ポワロはその方向に、あごをしゃくった。
「サンクレール嬢が通ったのは、ここだな。私たちは、彼女ほどせく必要もないのだから、正面玄関にまわるのがよかろうね」
女中が、僕らを迎えて居間へ通し、それからオグランダー夫人を探しに行った。居間が昨夜のままになっていることは、一見してあきらかだった。暖炉には灰がまだ残っており、ブリッジ・テーブルは部屋の中央に出しっぱなしである。ダミーが一枚さらされて、手札がほうり出されてあった。室内は、みかけ倒しの装飾品で、いささか飾り立てすぎていたし、それにたくさんの家族写真がゴテゴテと壁にかかっていた。
ポワロにはそれが、僕ほど気にさわらぬらしく、写真をじっとながめて、いくぶん、斜めになっているのを一、二枚、まっすぐに直してやった。
「|La famille《ラ・ファミーユ》(家族)――家族の結合ってものは、強いんだろう? 感傷が美にとってかわるんだからな」
僕も同意したが、目は写真を見つめたままだった。それは家族写真で、頬ひげをはやした紳士と高いひさし髪の婦人、ずんぐりむっくりした少年、それに不必要なほど、多くのリボンをつけた二人の少女が、うつっていた。僕はかなり昔のオグランダー一家だろうと思って、興味をもってしげしげとながめた。
ドアがあいて若い女が入って来た。黒い髪をきちんと装えて、淡褐色のスポーツ・コートにツイードのスカートをはいている。
娘はいぶかしげに、僕らを見た。ポワロは一歩まえに出て、
「ミス・オグランダーで? おじゃましてあいすみません――とくに、あんなおとりこみのあとでは、なおさらです。まったく、こんどのことはご迷惑でしたろう」
「むしろ、てんてこまいでしたわ」令嬢は用心深く答えた。僕はドラマの要素が、オグランダー嬢の登場によって空費して行くのを感じはじめた。想像力を欠いた彼女の性格が、いかなる悲劇よりも優越しているのだ。つぎに述べた彼女の言葉は、僕のこの考えをさらに強めてくれた。
「お部屋がこんな状態で、お詫びしなくてはなりませんわ。使用人たちが、ばかみたいに興奮しておりますので」
「昨夜あなたがいらしたのは、この部屋でございますね、|n'est-ce-pas《ネ・ス・パ》(ちがいますか)?」
「はい。夕食後に、ブリッジをしておりました。すると――」
「失礼ですが――どのくらいのあいだ、おやりでした?」
「そうですね――」オグランダー嬢は思案していた。「はっきり申しあげられません。たしか十時ごろだったと思います。ラバー(三回戦)を五、六回しましたから」
「で、あなたご自身もすわっておられましたね――どこにです?」
「窓の正面ですわ。母と組んで、ノートラ(ブリッジの手)をやっていました。するととつぜん、なんの前ぶれもなしに窓がぱっとあいて、サンクレール嬢がよろめきながら、室内にはいってきたのです」
「サンクレール嬢だということがわかりましたか?」
「なんとなく、見おぼえがあるな、と思いました」
「で、彼女はまだお宅にいらっしゃいますね?」
「ええ、でも、どなたにも会いたくないとおっしゃっています。まだ、とても衰弱していますわ」
「私なら会うとおっしゃるでしょう。サンクレール嬢に、モラニアのポール殿下からの緊急の用件をたずさえた者が来たと、とりついでいただけませんか?」
鉄のように冷静なオグランダー嬢も、皇太子の名前を聞いて、いささかショックを受けたようだった。しかし、彼女はそれ以上は口をつぐんで、伝言を持って部屋を出た。そして、すぐにもどって来て、サンクレール嬢が、自室でお目にかかるそうですと伝えた。
僕らは彼女のあとについて、階段をあがり、広々としたあかるい寝室へはいった。窓ぎわの寝台には、女性が一人、横になっていたが、僕らがはいると頭をむけた。一目見て、この二人の女性の対照に僕はうたれてしまった。じっさいの顔だちや髪の色が、まるっきり似ていないわけでもないので、それだけにかえって、対照が強調されるのだ――しかし、それにしても、なんというちがいだろう! ヴァレリー・サンクレールの表情といい、身のこなしといい、なにひとつとして、ドラマを表現していないものはないではないか。まるで全身から、ロマンスの香りを発散しているみたいなのだ。緑色のフランネルのドレッシング・ガウンが足のほうにかかっている――どうみても、ありきたりの着物である。しかし、彼女の個性的な魅力が、それに異国的な風情をあたえて、燃えるような色の東洋ふうのガウンを、まとっているかのように思えるのだ。
「ポールからのお使いですって」その声も外見にふさわしく――豊かでものうかった。
「さようでございます、マドモアゼル。殿下と――それに、あなたのお役に立つためにまいりました」
「なにを知りたいとおっしゃるの?」
「昨夜おこったことを、ぜんぶ知りたいのです、細大もらさずに!」
彼女は、やるせない微笑を浮かべた。
「うそをつくとでもお考えなの? あたしだって、ばかではないわ。かくしごとをしたって、はじまらないくらいは、わかっていてよ。リードバーンはあたしの秘密をにぎっていたのよ、あの死んだ男は。それであたしを脅迫したの。ポールのために、あたし取り引きしょうとしたの。ポールを失うのがこわかったのよ……。でも、あの男が死んでしまったから、あたしは安全になったわ。でも、だからといって、あたしが殺したわけじゃなくてよ」
ポワロは微笑を浮かべると頭をふった。
「それをおっしゃる必要はございませんよ、マドモワゼル。では、昨夜のことをお話しになってください」
「あたしが金を出すからといったら、あの男は乗り気になって、昨夜の九時に会おうと指定したの。あたしのほうから、モン・デジール荘へ出むくってわけよ。場所は、わかっていたわ、まえにも行ったことがあるから。それでサイド・ドアから書斎へ行くことにしたのよ、そうすれば使用人たちに見られないですむからよ」
「ちょっと、マドモワゼル、あなたは夜分一人きりで、そこへいらっしゃるのが、こわくはございませんでしたか?」
答えるまえに、一瞬、間があったと思ったのは、僕の気のせいであろうか?
「そりゃそうよ。でも、いっしょに行ってよ、と頼める人が誰もいなかったんですもの。それに自分でも必死だったわ。リードバーンはあたしを書斎に入れたわ! あいつ、あたしのことを、まるで猫がねずみをおもちゃにするように、なぐさんだのよ。あたしをなぶりものにしたのよ。あたしは七重《ななえ》のひざを八重《やえ》にも折って哀願したの。でもむだだったわ! それからよ、あの男が自分の条件を切り出したのは。それが、なんであるか、さっしがつくでしょう。あたしは拒絶したわ。あの男のことを、どう考えているか、洗いざらいぶちまけてやったのよ。やつはすましてにたにた笑っていたわ。それから、とうとうあたしが口をつぐんだら、そのとき、物音がしたの――窓のカーテンのうしろだったわ――リードバーンもそれを聞いたのね。自分でカーテンのところへ、つかつかと歩いて行くと、パッとあけたのよ。男が一人かくれていたわ――おそろしい顔をした浮浪者みたいな男が。その男はリードバーンをなぐって――それから、またなぐったので、リードバーンは倒れたのよ。浮浪人が血だらけの手で、あたしをつかまえたから、あたしは身をよじって、ふりほどくと、窓からとび出して、無我夢中で走ったの。すると、この家のあかりが目についたので、ここにかけつけたのよ。鎧戸はあがっていたので、家の人がブリッジをしているのが、見えたわ。あたし、ころげこむようにして居間に入ったの。ただ『人殺し』って、あえぐのがやっとで、あとはなにもかも、わからなくなってしまったわ――」
「ありがとうございました。マドモアゼル。あなたの神経にとっては、たいへんなショックだったでしょうね。ところで、その浮浪人は、どんな人相の男でした? どんななりをしていたか、覚えていらっしゃいますかな?」
「いえ――なにもかも、あっという間のできごとですもの。でも、こんど会ったら、わかると思うわ。人相があたしの頭に焼きついていますもの」
「もう一つ、うかがいます、マドモアゼル。モン・デジール荘の書斎の、もう一つの窓のカーテンのことですが、車道に面しているほうのね、あのカーテンはひいてございましたかな?」
はじめて、この踊り子の顔に困惑の表情が一瞬浮かんだ。しきりに思い出そうとしているようであった。
「|Eh bien mademoiselle《エー・ビヤン・マドモワゼル》(いかがですお嬢さん)?」
「そういえば――そうたしかにまちがいないわ! カーテンは引いてなかったわ」
「それは妙ですな、もういっぽうのが引いてありましたからな。いや、けっこうです。べつに重大なことでもないでしょうから。で、あなたは、まだしばらく、ここにお泊まりですか、マドモワゼル?」
「医者の話では、明日になればロンドンに帰れるだろう、とのことでした」そういって、彼女は部屋を見まわした。オグランダー嬢は、すでに部屋にはいなかった。「ここのかたは、みなさん親切ですが――あたしとは、世界がちがうので、肌が合わないのよ! それに、あたしにしても |bourgeoisie《ブールジョワジー》(中産階級)は好きになれないわ!」
その言葉の裏には、かすかに、にがにがしさがこもっていた。
ポワロはうなずいた。
「よく、わかります。私がいろいろおたずねして、お疲れにならなければよろしいのですが」
「そんなことはありませんわ。ただ、ポールにすぐこのことが、すっかり伝わってしまうのかと思うと、それが、ひどく気がかりなのよ」
「それでは、お大事にどうぞ、マドモワゼル」
部屋を去りかけたポワロは、急に足をとめて、一対のエナメル革のスリッパに食いつくように注意をむけた。
「あなたのですか、マドモワゼル?」
「そう。磨いてもらって、たったいま、持って来てもらったのよ」
「ははあ!」いっしょに階段をおりながら、ポワロがいった。「どうやら召使たちは、靴を磨けないほど浮き足立っている、というわけでもないらしいな、もっとも、暖炉の掃除は忘れているがね。さあて、君、さいしょは一、二おもしろい点がありそうだったが、どうも残念ながら、この事件も一巻のおわりのようだな。すっかり底がわれてしまったよ」
「それじゃ犯人は?」
「エルキュール・ポワロたるものがだよ、浮浪人風情を追いかけたりはしませんよ」わが友は大見得をきった。
ホールで僕らはオグランダー嬢に出会った。
「居間で、ちょっとお待ちいただけませんかしら。母がお話ししたいと申しておりますので」
居間は、いぜんとして手つかずのままだった。ポワロは漫然とカードを集め、ちんまりした、よく手入れの行きとどいた両手でそれをきった。
「私の考えていることがわかるかね、君?」
「いや!」僕は勢いこんでいった。
「オグランダー嬢がブリッジで、ノートラをやっていたのはまちがいだったと、考えているのさ。彼女はスリースペードでいくべきだったよ」
「ポワロ! ふざけるのもいいかげんにしろよ!」
「|Mon Dieu《モン・ディユー》(やれやれ)、私だって年がら年中、血なまぐさいことばかりは話しておられんよ!」
とつぜん、ポワロは身をかたくした。
「おいヘイスティングズ――ヘイスティングズ。見たまえ! クラブのキングがカードの中にないぞ!」
「ザラの予言だ!」僕は叫んだ。
「え?」ポワロは、僕のいったことが、呑みこめないらしかった。彼は機械的に、カードをそろえるとケースに収めた。その顔はひどく重々しかった。
「ヘイスティングズ」彼はやっと切り出した。
「このエルキュール・ポワロはえらいまちがいをしでかすところだったよ――とんでもないまちがいをね」
彼の顔を見て、じょうだんでないことは僕にもわかったが、しかし、なんのことやら、まるで見当がつかなかった。
「もう一度やり直さなきゃならんな、ヘイスティングズ。そう、もう一度やり直しだ。しかしこんどこそ、どじはふまんぞ」
そのとき、美しい中年の婦人が部屋にはいって来たので、ポワロの言葉は中断されてしまった。婦人は片手に家計簿を数冊かかえていた。ポワロは会釈した。
「あのう、サンクレール嬢のお友だちのかたとか、うかがいましたが?」
「サンタレール嬢のお友だちの使いでまいりました、奥さま」
「あら、さようですの。わたしまた――」
不意にポワロは乱暴に窓にむかって手をふった。
「お宅の鎧戸《よろいど》は昨夜おろしてなかったのですか?」
「はい――そのせいで、サンクレールさんに、あかりが、はっきり見えたのだと思いますわ」
「昨夜は月明かりでした。あの窓とむかい合ったあなたの席から、サンクレール嬢の姿が見えなかったとはふしぎですな?」
「ゲームに熱中していたせいだろうと思い出す。なにしろわたしども、こんな経験は生まれて、はじめてなもんですから」
「いかにもそうでございましょうな、奥さま。それでは、もうご安心なすってもよろしいでしょう。サンクレール嬢は明日、発つようですから」
「あら!」夫人の顔があかるくなった。
僕らが玄関から出ようとしていると、女中が階段を掃除していた。
「二階のご婦人の靴を磨いたのはあんたかね?」女中は首をふった。
「いいえ。誰も磨いてないはずですけど」
「それじゃ、誰が磨いたんだろうね?」道路を歩きながら僕はポワロにたずねた。
「誰も磨かんさ。磨く必要なんてありゃせんもの」
「そりゃあ、月夜に国道なり小道なりを歩いて来たなら土はつかないさ。しかし、まさか、庭の中をあれほど歩いたんだから、泥まみれになったはずだよ」
「そうとも」ポワロの顔には奇妙な微笑が浮かんでいた。「その場合なら、よごれたはずだ」
「しかし――」
「あと三十分がまんしたまえよ、君。これからモン・デジール荘にひきかえすんだから」
執事はまたぞろ、僕らが現われたのを見て、あっけにとられたらしかったが、僕らが書斎へもどることについては、とやかくいわなかった。
「おい、そりゃ窓がちがうぞ、ポワロ」
「私はそうは思わんね。ここを見てごらん」彼はそういって、大理石のライオンの頭部を指さした。かすかな色あせたしみがついている。彼は指を移して、磨き立てた床のうえの、同じようなしみをさした。
「なに者かがリードバーンの眉間をなぐったのだ。彼はうしろざまに大理石のこの突起に倒れて、そのまま床へすべりおちた。そのあとで、床のうえを引きずってむこう側の窓まではこばれ、そこに横たえられたんだ。しかし医師が話してくれたのと同じ角度ではなかった」
「しかしまたどうして? まったく不必要なことじゃないか?」
「どっこい、それが、かんじんなことなのさ。それに犯人をつきとめる手がかりにもなるんだ――もっとも、ついでにいっとくが、この犯人、リードバーンを殺すつもりはなかったんだ。だから彼をさして殺人犯と呼ぶのは当をえていない、が、ひじょうに力の強い男にちがいないな!」
「床のうえに死体を引きずって行ったからかい?」
「それだけじゃない。とにかく興味しんしんたる事件だったな。もっとも、すんでのところで愚劣きわまるへまをやるところだったが」
「すると事件はおわった、つまり、君には、いっさいがっさいがわかったということかい?」
「さよう」
あることを思い出して僕ははっとなった。
「いや、君の知らないことが一つあるぞ!」
「というと?」
「なくなったクラブのキングの所在を君は知らないじゃないか?」
「え? おやおや、こりゃこっけいだ! いや、なんともこっけいだな、君」
「どうして?」
「どうしてって、私のポケットにあるからさ!」そういって、ポワロはれいれいしく、とり出してみせた。
「おう!」僕はいささか拍子ぬけがした。
「どこでまた見つけたんだい? ここでかい?」
「べつに驚くにはあたらんさ。ただ、ほかのカードとは、いっしょに箱から出されなかったんだ。箱の中に残っていたのさ」
「ふうん! しかし、それにしても、なにか得るところはあったんじゃないのかい?」
「そうとも、君。私は国王陛下《キング》に敬意を表するね」
「それからマダム・ザラにもね!」
「ああ、そうだ――その婆さまにもね」
「さて、これから、なにをするんだい?」
「ロンドンへもどるさ。しかし、そのまえにデイジーミードのさるご婦人と、ちょっと話しをしなければならん」
さいぜんと同じ小娘が、ドアをあけてくれた。
「皆さま、ただいま食事中でございます――サンクレールさまでしたら、お休みでございますが」
「オグランダー夫人に二、三分おめにかかればよろしいのだ。そう、とりついでくれないか?」
僕らは居間に通されて待ち受けた。通りすがりに食堂にいる家族の姿が、ちらっと見えた。筋骨たくましい二人の男が加わっていた。一人は口ひげをはやし、もう一人は、これまたあごひげをはやしていた。
二、三分するとオグランダー夫人が部屋に入って来て、さぐるようにポワロを見た。ポワロは一礼して、
「奥さま。私どもの母国、ベルギーでは、母親にたいして、深い思いやりと大いなる敬意をはらっております。|mere de famille《メール・ド・ファミーユ》(家庭の母)とは、なにものにも代えがたいものです!」
オグランダー夫人はこのポワロの開口一番を聞いて、いささかあっけにとられたようだった。
「私がここにまかり出ましたのも、その理由からです――母なる人の苦悩を静めんがためにです。リードバーン氏の殺害犯人は発見されることはないでしょう。ご心配にはおよびません。この私、エルキュール・ポワロがそう申しあげるのです。私のいうことは、まちがってはおりませんでしょう? それとも、私が安心させる必要があるのは、母ではなく、妻のほうでしょうか?」
一瞬、間があった。オグランダー夫人は、自分の目でポワロの意図をおしはかっているようであった。やがて夫人はしずかにいった。
「どうして、あなたがご存じなのか――わたしにはわかりません――でも、そうです。あなたのおっしゃるとおりです」
ポワロは重々しくうなずいた。
「これで用件はすみました。しかし、ご安心ください。イギリスの警官は、エルキュールポワロほどの慧眼《けいがん》は持っておりませぬ」彼はそういって、壁にかかった家族の写真を軽く爪でたたいた。
「昔はお嬢さんが、もう一人おいでだった。お亡くなりになりましたね、奥さま?」
夫人が、またさぐるようにポワロを見つめたので、ふたたび間があいてしまった。それから夫人は答えた。
「はい、娘は亡くなりました」
「ああ!」ポワロはきびきびした口調でいった。「それでは私どもは、ロンドンへ帰らなければなりません。失礼して、クラブのキングを、カードの中に、もどさせていただきましょうか。これがあなたの唯一の手ぬかりでしたな。一時間以上も、五十一枚しかないカードでブリッジをしていたとは――いやはや、いやしくもゲームの心得のある人間なら、とうてい信用するわけがありませんよ! |Bonjour《ボンジュール》(さようなら)!」
「どうだね、君」駅へむかって歩いていると、ポワロがいい出した。「すっかり、わかったろうが!」
「なんにもわからない! 誰がリードバーンを殺したんだい?」
「息子のジョン・オグランダーだよ。父親かむすこか、はじめのうちは迷ったが、むすこのほうが腕っぷしが強そうで、年も若いから、むすこに目星をつけたんだ。二人のうちの、いずれかにちがいないよ。なにしろ窓の問題があるからね」
「というと?」
「モン・デジール荘の書斎には、四つの出入り口があった――ドアが二つに窓が二つだ。しかし犯行に利用されたのは、あきらかに一つだけだよ。三つの出入り口は直接に、あるいは間接に、正面玄関に通じている。しかし、ヴァレリー・サンクレールが、ひょんなことから、デイジーミードにとびこんで来た、と見せかけるためには、悲劇が裏手の窓でおこったことにしなければならなかったのだ。事実、いうまでもないことだが、彼女は気を失い、ジョン・オグランダーが肩にかついではこんで来たのだ。私が犯人は力の強い男だといった理由はそれなのさ」
「それじゃ、二人であそこへ行ったのかい?」
「そうとも。君も覚えているだろうが、私が一人で行くのはこわくなかったか、ときいたときに、ヴァレリーは、ちょっと口ごもったろう? ジョン・オグランダーが彼女に同行したんだが、リードバーンはへそを曲げただろうね。彼らは口論し、おそらく、リードバーンがヴァレリーに侮辱的言辞を弄したのがもとで、オグランダーが、なぐったんだ。あとのことは、君が知ってのとおりさ」
「しかし、それじゃ、ブリッジはなんのためだい?」
「ブリッジというやつは、四人いることが前提になる。こういう単純なことは、かえって疑いを招かないもんだ。あの晩ずっと、あの居間には、三人の人間しかいなかったなんて考える人間はいるもんかね」
僕はまだ釈然としなかった。
「わからないことが、もう一つあるよ。踊り子のヴァレリー・サンクレールとオグランダー一家と、どんな関係があるんだい?」
「おやおや、それがわからないとは、ふしぎだねえ。しかも君は壁にかかった写真を、とっくりとながめていたじゃないか――私よりも長いあいだ。オグランダー夫人のもう一人の娘は、家族にとっては、死んだも同然かもしれないが、世間にはヴァレリー・サンクレールという名前で知れわたっているんだよ!」
「なんだって?」
「二人の姉妹を、いっしょに見たときに、似ていることに気づかなかったかね?」
「いや」僕は白状した。「僕はおよそ対照的な存在だな、と思っただけだ」
「それは君の心が外面的なロマンチックな印象に眩惑されているからだよ、ヘイスティングズ。顔だちは、瓜二つも同然だし、髪の色もしかりだ。ただ、おもしろいことに、ヴァレリーは自分の家族を恥じているし、家族のほうも彼女を恥じているんだな。しかし、そうはいっても、いったん緩急の場合になると、彼女は兄に助けを求め、ひとたび事態が悪化するや、家族はめざましい団結力を見せた。血のつながりとは驚くべきものだよ。彼らはみな芝居ができるんだ、あの家族は。ヴァレリーが演技的才能に恵まれたゆえんは、そこだな。私もポール殿下同様、遺伝なるものを信じるね! 彼らは、まんまと私にいっぱいくわせたんだからな! あの幸運な偶然と、それにオグランダー夫人にかまをかけて、みんなの座席の位置に関する娘の説明が矛盾していることをつきとめなかったら、オグランダー一家はエルキュール・ポワロを一敗地にまみれさせただろうよ」
「皇太子にはなんて報告するつもりだい?」
「ヴアレリーが犯罪を犯したなんて、とうていありえない、それに例の浮浪人も発見されるかどうか、疑わしいと、そう報告するね。それから、ザラにおくる私のあいさつも伝えておこう。じっさい、ふしぎな暗合だったな、あれは! 私はこの小事件を『クラブのキングの冒険』と名づけようと思うんだがね、どう考えるね、君は?」(完)
解説
アガサ・クリスティは推理小説の長編を五十作以上も書いているが、短編集の数も少なくない。多少の重複と英米版の異同を考慮に入れても十冊はくだらないだろう。それらを大別すると、長編でもおなじみのエルキュール・ポワロとミス・マープルが主人公のもの、トミーとタペンスのコンビもの、短編だけに活躍するパーカーパインとクィンが主役のもの、特定の主役の探偵がいないもの、に分類できる。ポワロものの短編は、さらにポワロが単独で活躍するものと、相棒のヘイスティングズ大尉と組んだものとにわけられる。後者の作品は、典型的なホームズ=ワトスン・スタイルで、ヘイスティングズが全体の話しの語り手であり、同時に引き立て役も勤めている。
ポワロものの処女長編は(それは同時にクリスティの処女作でもある)、一九二〇年に発表された「スタイルズ荘の怪事件」であるが、処女短編は、「ポワロ参上! 2」に収めた「戦勝舞踏会事件」であり、一九二三年三月七日号の雑誌「ザ・スケッチ」に発表された。したがって初めに「スタイルズ荘事件」と僕《ヘイスティングズ》とポワロの関係が述べられているのも、そのせいである。
エルキュール・ポワロはベルギー人で、前ベルギー警察隊の隊長をつとめ、名探偵として国際的名声をうたわれてから隠退。その後第一次大戦中ロンドンに亡命し、そのまま定着して私立探偵を開業した。クリスティが、なぜベルギー人という、ヨーロッパの小さな国の国民を自作の名探偵にしたてたのか、その意図は明らかにしない。あるいは、たんなる気まぐれから出発したものかもしれない。しかしそのために、一種のユーモアと風刺の味をそえる効果を生んでいることは注目されていい。
この卵型の頭に八字髭をはやした、おしゃれな小男は、ヘイスティングズ大尉を通して、しばしば大英国民の風俗習慣を揶揄《やゆ》し、やんわりと皮肉っている。これを一種の軽い風刺とみれば、もう一つのユーモアは、ポワロの言葉づかいから生まれている。ベルギー人ポワロの国語は元来がフランス語である。そのために感嘆詞や興奮したさいには、ひんぱんにフランス語が口をついて出てくるが、英語でときどき、愛嬌のある言いまちがいをしている。日本語で、とほうにくれる、という場合、五里霧中というが、たとえていうと、これを六里霧中といいまちがえるたぐいである。ときどき、ヘイスティングズが訂正しているが、英米の読者なら、この自尊心の強い外人探偵の舌たらずな言い回しにぶつかって、にやっとするところではあるまいか? もっとも、これをいちいち、訳文に表現するとくどくなるので、日本語訳ではこの味がほとんど消されてしまっている。やむをえないことではあるが、ポワロものの鑑賞のためには、いちおう、心得ていてよいことであろう。(厚木淳)
◆「ポワロ参上!」4◆
アガサ・クリスティ/小西宏訳
二〇〇四年十二月二十日