目次
変身
旧新潮文庫版あとがき(高橋義孝)
解説(有村隆広)
年譜
変身
1
ある朝、グレーゴル・ザムザがなにか気がかりな夢から目をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な虫に変っているのを発見した。彼は鎧《よろい》のように堅い背を下にして、あおむけに横たわっていた。頭をすこし持ちあげると、アーチのようにふくらんだ褐《かっ》色《しょく》の腹が見える。腹の上には横に幾本かの筋がついていて、筋の部分はくぼんでいる。腹のふくらんでいるところにかかっている布団はいまにもずり落ちそうになっていた。たくさんの足が彼の目の前に頼りなげにぴくぴく動いていた。胴体の大きさにくらべて、足はひどくか細かった。
「これはいったいどうしたことだ」と彼は思った。夢ではない。見まわす周囲は、小さすぎるとはいえ、とにかく人間が住む普通の部屋、自分のいつもの部屋である。四方の壁も見なれたいつもの壁である。テーブルの上には、布地のサンプルが紐《ひも》をほどいたまま雑然と散らばっている。――ザムザは外交販売員であった。――テーブルの上方の壁には絵がかかっている。ついこのあいだ、絵入り雑誌にあったのを切りとって、こぎれいな金箔《きんぱく》の額に入れてかけておいた絵だ。毛皮の帽子をかぶり、毛皮の襟《えり》巻《まき》をまいた婦人がひとり、きちんと椅《い》子《す》にかけて、大きな毛皮のマフの中にすっぽりさしいれた両腕を前にさしだしている絵である。
それからグレーゴルは窓の外を見た。陰気な天気は気持ちをひどくめいらせた。――窓の下のブリキ板を打つ雨の音が聞える。――「もう少々眠って、こういう途方もないことをすべて忘れてしまったらどうだろうか」と考えてもみたが、しかしそれはぜんぜん実行不可能だった。なぜかというと、グレーゴルには右を下にして寝る習慣があったが、現在のような体の状態ではそれはできない相談であった。どんなに一所懸命になって右を下にしようとしても、そのたびごとにぐらりぐらりと体が揺れて結局もとのあおむけの姿勢にもどってしまう。百回もそうしようと試みただろうか。そのあいだも目はつぶったままであった。目をあけていると、もぞもぞ動いているたくさんの足がいやでも見えてしまうからだ。しかしそのうちに脇《わき》腹《ばら》のあたりに、これまでに経験したことのないような軽い鈍痛を感じはじめた。そこでしかたなく右を下にして寝ようという努力を中止した。
グレーゴルは思った。「やれやれおれはなんという辛気くさい商売を選んでしまったんだろう。年がら年じゅう、旅、旅だ。店勤めだっていろいろ面倒なことはあるのだが、外交販売につきまとう苦労はまた格別なのだ。そのうえ、旅の苦労というやつがあって、そればかりはどうにもならない。列車連絡の心配、不規則でお粗末な食事。それに、人づきあいだってそうだ。相手が年じゅう変って、ひとつのつきあいが長つづきしたためしなしで、本当に親しくなるようなことなんかぜったいにありはしない。なんといういまいましいことだ」腹の上がなんだか少々かゆい。頭をもっと高くもたげられるように、あおむけになったまますこしずつ体を上のほうへ、寝台の前《まえ》枠《わく》のほうへずらせてみると、そのむずがゆい場所が見えた。そこにはただもう小さな白い点々がいっぱいくっついていた。それがなんであるかはわからなかった。一本の足を使ってその場所にさわってみようとしたが、すぐまたその足を引っこめた。ちょっとさわってみたら、ぞうっと寒気がしたからである。
彼はまた体をずらせてもとの位置にもどった。彼は思った、「この、早起きというやつは人間をうすばかにしてしまう。人間はたっぷりと眠らなければいけないのだ。ほかの外交販売員たちはまるで後《ハー》宮《レム》の女のようにやっているではないか。はやい話がおれが外で一仕事すませて午前中に宿にもどり、かき集めた注文を整理して書きあげようというころになって、彼らはやっと朝食という段どりだ。このおれがそんなことでもしようものなら、社長はいきなりおれを首にしてしまうだろう。
このおれだってそんなふうにのんびりとやってみたいのは山々なのだ。両親というものがあればこそこうやって我慢もしているんだが、親でもいなかったなら、もうとっくのむかしに辞表を出しているところなんだ。社長の前につかつかと進み、思っているとおりのことをずけずけと言ってやる。そうしたらやつは仰天してデスクから落っこちるだろう。いずれにしろデスクの上に腰をかけて、上のほうから頭ごしに社員と話をするというのは奇妙な流儀さ。そのうえ耳が遠いときているんだから、こっちはよほど近くまで寄らなければならない。いや、ぜんぜん希望をもてないというわけのものじゃない。将来この社長に両親の借金を払いきってしまえるだけの金がまとまったら――まだ五、六年先のことになるだろうが――そうしたらおれは断然やってやるぞ。それがおれの人生の一大転換期になるだろう。それはそれとして、さあ、いまはもう起きなければならない、汽車が出るのは五時なのだから」
そして、用《よう》箪《だん》笥《す》の上でかちかち鳴っている目ざまし時計のほうを見やった。「これはいかん」と彼は思った。六時半であった。針は悠《ゆう》然《ぜん》と進んで行く。半も過ぎた。もうそろそろ四十五分だ。鳴らなかったのだろうか。ちゃんと四時に鳴るようにかけてあるのは、寝台からもわかる。たしかに鳴ることは鳴ったのだ。が、そうだとしたら、この部屋いっぱいに鳴りひびく例の音に目をさましもしないで安らかに眠りすごすなんていうことがありえようか。いやむろん一夜を安らかに眠ったわけではなかったのだが、しかし安らかに眠らなかっただけいっそう昏《こん》々《こん》と眠ったのかもしれない。それにしてもいまはどうすればいいのか。つぎの汽車は七時発だった。その汽車に間に合おうというのには、気違いのように急がなければならない。ところがサンプルにはまだ紐もかけてない。それからけっして気分も溌《はつ》剌《らつ》としてしごく上々というわけではなかった。またたとい汽車に間に合ったとしても、社長の雷を避けるわけにはいくまい。なぜかというと、五時の汽車で発《た》つはずの彼の来るのを待っている例の小僧のやつが、来ないと知ってもうとうのむかしにそれを主人にご注進におよんでいるだろうから。こいつは主人のお気に入りの、へつらい者の、大ばか者であった。しかし病気だと言ってやったらどうだろうか。そう言ってやるのは、このうえもなく辛《つら》いことだし、またうさんくさく思われるにちがいない。なぜならグレーゴルはこの五年間のサラリーマン生活で、いまだかつて病気というものをしたためしがなかったからだ。病気だなどと言ってやると、社長は健康保険医を連れてやってくるだろうし、息子の怠慢を両親に向ってなじるだろうし、どんなに言いのがれをしようとも、では先生に診ていただけと言われたならば万事休すなのだ。実際この健康保険医にとっては、体に何一つわるいところはないが、しかし仕事はいやがるという人間一種類しか存在しないのだから。事実また現在のような場合、一概に保険医がわるいとは言いきれまい。ずいぶん長く眠ったあげくにまだ眠たいというのは少々おかしな話だったが、それを一応問題外にすれば、グレーゴルはしごく健康であったうえに、ひどく空腹を感じていさえしたからである。
そういったことをとっさのうちに思いめぐらせて、しかも寝床を離れようという決心がつきかねていたときに――そのとき、時計がちょうど六時四十五分を打った――寝台の頭のところのドアをそっとノックする音がする。「グレーゴルや」という声がする――母親であった。――「六時四十五分ですよ。お仕事のほうはどうするの?」やさしい声である。グレーゴルはそれに答える自分の声を聞いてぎょっとした。むろんまぎれもないこれまでの自分の声にはちがいなかったが、その昨日までの自分の声の中に、言ってみれば下のほうから、どうしようもない、苦しそうな、ぴいぴいいう声がまじってくるのだ。このぴいぴい声はただ最初の瞬間だけはたしかに言葉の明瞭《めいりょう》を妨げずにいるが、そのかわり語尾をひどく曖《あい》昧《まい》なものに変えてしまい、聞いている相手にこっちの言うことがわかってもらえるかどうかあやしいほどのものであった。くわしい返事をして一切を説明しようと思ったが、そういうしだいなので、「はい、はい、お母さん、ありがとう、いま起きるところです」と言うにとどめた。ドアは木製であったから、グレーゴルの声の変化は、ドアの外側にいる者にはおそらくわからなかったのであろう。母親は息子の返事に安心して、足を引きずりひきずり遠のいていった。だがこの小さい問答は、ほかの家人に意外にもグレーゴルがまだ出かけずにいることをわからせてしまった。はたせるかな、もうひとつの側のドアを父親が軽く、しかし拳《こぶし》でノックした。「グレーゴル、グレーゴル。どうしたんだ、いったい」それからすこし間《ま》をおき、いっそう声を低めて、「グレーゴル、おい」と注意した。すると向い合せの別のドアの外では、妹が小声で心配そうに「お兄さん、気分がわるいの? なにか入り用なものでもあるの?」という。グレーゴルはその両方に向って「もう支度しました」と答えたが、言葉を慎重に発音し、言葉と言葉のあいだに長く間をとって、自分の声の、妙に響くようなものをすべて除きさろうと苦心した。父親はふたたび朝食のテーブルにもどっていったが、しかし妹はまだドアのところにいて「お兄さん、ここをお開けなさいよ、ねえ、お願いだから」とささやいた。だが彼はドアを開けようなどとは思ってもみなかった。旅行中の習慣をそのまま自分の家にもちこんで、夜はドアというドアの錠を下ろしておくという自分の用心に感謝したほどであった。
最初彼は、悠々と人にじゃまされずに起きあがり、服を着て、なにはともあれ朝飯を食べよう、それが終ってからはじめてその先のことを考えることにしようと思った。寝床の中でくよくよ思いわずらっていたって分別のある結論に到達することはあるまいと推量したからである。思い出してみると、寝床の中でいくどか軽い痛みを感じたようでも(おそらくそれは寝相のわるいせいなのかもしれないが)、ところが起きてみると、そういう苦痛というのがまったくの錯覚だったことがよくある。だから自分の今日のいろいろなありさまも実は寝起きの錯覚だったことがわかるかもしれないと彼は緊張した。声が変ってしまったのも、ひどい風邪の、つまり旅行ばかりしている外交販売員の職業病の前ぶれにほかならないのではあるまいか。彼は頭からそう思いこんで疑わなかった。
布団をはねのけることはしごく造作なくやれた。ただほんのちょっと、腹をふくらましさえすればよかった。布団は自然と下へ落ちた。ところがそれから先が厄介なことになってきた。ことにそれはグレーゴルの体の幅がひどく大きかったからである。起きあがるには腕や手の助けを借りなければならないのに、その腕や手のかわりに現在あるのはたえずてんでんばらばらに動くたくさんの小さな足しかなく、またその足さえも彼の思いどおりにはならなかった。たとえば一本の足を折りまげようとすると、その足はまずぐっと伸びる。それでもどうにかこうにかその一本の足を使って自分のしようと思ったことをしとげても、そのあいだじゅうほかの全部の足どもは、まるでやっと解きはなたれたとでもいうように、いたいたしく大騒ぎをやっていた。「寝床の中でいつまでもぐずぐずしていさえしなければいいんだ」とグレーゴルはひとりごとを言った。
はじめ体の下半身を寝床の外へ出そうと試みたが、彼がまだ自分の目で見てもいず、またどういうふうになっているのか見当もつけられずにいたその下半身は、ひどく不活発な動き方しかしないということがわかった。仕事はひどく手間どった。そこでしまいには、業をにやしたというふうに力をふりしぼって、がむしゃらに下半身を前へ突き出した。ところが、方角を誤ったとみえて寝台の足もとのほうの柱枠に下半身をいやというほどぶつけてしまった。そのさい感じた燃えるような痛みは、まさにこの下半身こそ現在ではもっとも感覚鋭敏な部分らしいということを彼に教えた。
そこでこんどはまず上半身を寝台の外に出そうと試みて、用心ぶかく頭を寝台の縁のほうへねじ曲げた。これは造作なくやれた。とにかく胴体はその幅といいその重さといい無器用に大きなものであったが、それでもどうやら徐々に頭の転回にしたがってくれた。しかしいざ頭が寝台の外に出て宙に浮んでみると、そのまま寝台から外へ乗り出して行くことに不安を覚えた。つまりこういうやり方で寝台の外に出るとすれば、どうしても結局はどさりと下へ落ちなければならない。とすれば奇跡でも起らないかぎり頭部の安全は期しがたいからである。ほかならぬいまの場合、なにより肝心なのは気を確かにもっているということなので、気を失うようなことをするよりは、むしろこのまま寝床の中にいたほうが彼としてはましであった。
しかし似たようなむだ骨を折って、溜息《ためいき》をつきながら、またもとどおりの格好で横になり、またぞろ眼前に、どうやら最前よりはいっそういらいらとたがいに喧《けん》嘩《か》しあっている細い足どもを見て、しかもこの大騒ぎに落ちつきと秩序とをもたらす手だても見つからずにいると、もうこれ以上寝床の中にいるわけにはいかない、たとい寝台の外へ出るという希望がどんなにわずかしかなかろうと、とにかくいっさいを犠牲にしてそれを敢行するのがもっとも思慮分別にかなったことだと彼はふたたび自分に言いきかせた。と同時にまた、やけくその決心よりも冷静な、もっとも冷静な思慮のほうがずっといいものなのだということを、そうしたさなかにもときおり思ってみることをも忘れなかったのである。そうしてときどきできるだけ鋭く窓のほうに目を向けた。ところが残念ながら窓の外には朝霧がたちこめているばかりであった。霧は狭い通りの向う側の家並みをさえ隠していた。そういうわけで、窓から外を眺めたところで慰めにも助けにもならなかった。また目ざましが時を打った。「もう七時だ」と彼はつぶやいた。「もう七時だ、それなのにまだこの霧だ」それからまたしばらくのあいだ、静かにじっとしていたらひょっと日ごろ馴《な》染《じみ》の、以前の状態にもどるのではあるまいかといったふうに息をためて静かに横たわっていた。
しかしそれから彼はつぶやいた。「七時十五分までには、なにがなんでも寝床を出ていなくちゃならない。それまでにはどのみち、おれのことを聞きに店からだれかやってくるだろう。店を開けるのは七時前なんだから」こうして彼は体ぜんたいを完全に平均にわきのほうへ揺すりながらずらして、寝台から出る作業にとりかかった。体ぜんたいが、頭が先、うしろが先ということなしに、一時にそっくり寝台からころげ落ちれば、頭部の安全は、落ちしなに慎重に上のほうへ持ちあげることによっておそらく確保しうるであろう。背中は堅そうだから、絨毯《じゅうたん》の上に落ちたところでこれということはあるまい。なによりも心配なのは墜落のさいに生ずる大音響である。これは家じゅうの者を震えあがらせはしないまでも、なにごとが起ったのかと大心配させることであろう。しかしそれも万やむをえない。とにかく寝床から外へ出てしまわなければならない。
体をすでに縦半分ばかり寝台の外へ乗り出したとき――この新しい方法は辛いよりもむしろおもしろかった。体を左右にすこしずつ揺りころがしていけばよかったからだ――だれかがちょっと手を貸してくれたならば、事はきわめてやすやすと運ぶだろうということに気がついた。力の強い人がふたり来てくれれば――彼は父親と女中のことを考えた――十分なのだ。ふたりがそれぞれ腕を自分の丸くそった背中の下へさしいれて寝台から自分をはぎとって、体をこごめて自分を床《ゆか》の上に置く。それからただあわてないで、自分が床の上でぐるりとひっくり返るまで待っていてもらう。そうなればこの足どもにも意味が生ずるというものであろう。しかし、ドア全部に錠が下りているということをぜんぜん問題外にしたところが、はたして実際に救援を乞《こ》うべきであろうか。こういう状態でいることの辛さもさることながら、そう考えると、彼はやはり微笑を禁じえなかった。
それ以上強く体を揺すると、均衡を失って寝台からころげ落ちるばかりのところまで来ていた。ぐずぐずしてはいられない。いよいよ最終決定を下さなければならない。あと五分で七時十五分だから。――そのとき、玄関のベルが鳴った。「店からだれかやってきたな」と思うと、体が硬直するような気がした。ところが足どもはいっそうせわしなくばたばた動きはじめた。一瞬、なんの物音もしない。「開けてやらないんだな」とグレーゴルはつぶやいた、なにかばかげた希望にしがみつきながら。しかしすぐいつものように女中がしっかりした歩き方で玄関のほうへ行き、ドアを開けた。グレーゴルには、訪問者の挨《あい》拶《さつ》の最初のひとことを聞いただけでそれがだれであるかがわかった。――なんと支配人であった。いったいどうしておれだけが、ちょっとさぼったぐらいでたちまちひどい嫌《けん》疑《ぎ》をかけられるような商会に勤めるという因果なまわりあわせになったのだろう。一体全体サラリーマンというサラリーマンはだれも彼もやくざなごろつきだというのか。なるほど朝の二、三時間ばかりは仕事に使わなかった。とはいえ、良心の呵《か》責《しゃく》のために気も狂いそうになり、じつにそのためにこそ寝台を離れることができずにいるような、そういう忠実で恭順な人間がひとりもいないとでもいうのか。様子を聞きに来させるのには小僧かなんかでも十分ではないか。――むろんその「様子を聞かせる」ということが必要だとしての話だが。――それなのに、どうあっても支配人ご自身が出馬してこなければならないのか。そうして、このうさんくさい事件の調査は支配人以外の者にはまかせられないのだということが、罪《つみ》科《とが》もない家族全部に告げ知らされなければならないのか。グレーゴルは力いっぱいに寝台から外へころげでた。もっともそれはまともな決心をしたうえでのことではなく、むしろ上に言ったようなことを考えて興奮してしまったからである。どすんという大きな音がした。しかし大音響というほどのものではなかった。下が絨毯であったし、背中の甲《こう》羅《ら》もグレーゴルが想像していたよりは弾力があったから、人がおやと思うような重苦しい音はしなかった。ただ用心ぶかくもたげておかなかったせいで頭をちょっと打った。彼は首を動かして、怒りと痛みのために絨毯にこすりつけた。
「そこの部屋でなにか落ちたようですな」と支配人が左手の隣室で言った。グレーゴルは、今日おれの身に起ったようなことが、ひょっとしていつかこの支配人の身の上にも起らないものだろうかと、想像してみようとした。そういうことが起らないとはだれにも断言はできない。だがあたかもグレーゴルのこういう考えにたいして返答するかのように、隣室で支配人がしっかりした足どりで二、三歩あるいて、エナメルの編《あみ》上《あげ》靴《ぐつ》をきゅうきゅういわせた。右手からは、グレーゴルに支配人が来たことを知らせようとする妹のささやき声が聞えてきた。「お兄さん、支配人さんよ」「わかってるよ」とグレーゴルはつぶやいた。もっとも妹が聞くことのできるほどの大きな声は出せなかった。
「グレーゴル」こんどは左手の部屋で父親の声がする。「支配人さんがお見えになって、おまえがなぜ朝の汽車で発たなかったかとおたずねだ。どうお返事申したらいいのだ。とにかく直接おまえに話がしたいとも言っておいでだ。だからドアを開けなさい、さあ。なに、少々ぐらいとりちらかしてあっても、それは大目に見てくださる」「おはよう、ザムザ君」と支配人が親しそうに言葉をはさんだ。まだ父親がドアのところでグレーゴルに向って言葉をかけている最中に、母親が支配人に向って話しだした。「体のぐあいがわるいのでございますよ、支配人さん、ほんとに。そうででもございませんければ、汽車に乗りおくれるような子じゃございません。なにしろ仕事以外のことはなにも考えないのでございますもの。夜分など、たまには気晴らしに外へ出かけてくれればいいと、こっちのほうがやきもきするほどでございますものね。こんどなんかはもう一週間もうちにおりますんですが、夜分はうちにこもりっきりでございましてね。お茶の間のテーブルの前にすわって、黙って新聞を読みますとか、旅行案内をひっくり返しますとかで。道楽といえば、あなた、鋸《のこ》細《ざい》工《く》なんでございますからねえ。こないだも二晩か三晩がかりで、小さな額縁をこしらえまして。まあとてもいい額縁でございますよ。自分の部屋にかけてございます。あの子が部屋を開けましたらすぐにごらんになれます。でもこうやってわざわざお出かけをいただきまして、ほんとに仕合せでございました。わたくしどもだけじゃ、ドアを開けなかったことでございましょう、なにしろ頑《がん》固《こ》者《もの》でございましてねえ。けれども、さっき聞いてみましたらなんともないとは申しておりましたが、たしかに病気なんでございます」「すぐ行きます」とグレーゴルはゆっくりと用心ぶかく言ったが、外の会話をひとことでも聞きもらすまいとして身動きもしなかった。こんどは支配人が言った。「そうでしょう、奥さん、どうもそうとしか考えられませんな。たいしたことでなければよろしいが。もっともわれわれ商売人というものは――これが幸か不幸か――それはそれとしてですな、少々の病気ぐらいはまあたいていは商売大事と思って我慢して治してしまうべきものでもあるんですな」「じゃ、支配人さんがおはいりになるからな、いいか」父親が我慢しかねた体《てい》で、またノックした。「だめです」とグレーゴルが言った。左手の部屋には気まずい沈黙がきた。右手の部屋では妹がすすり泣きしはじめる。
妹はなぜほかの人たちのところへ行かないのだろう。きっといましがた起きたばかりで、まだ着物を着はじめてもいないのであろう。それからまたなぜ泣くのか。おれが起きないで、支配人を部屋に入れないから泣くのか。おれの首がとびそうだから泣くのか。おれが首になってしまえば社長がまた例の古いおどし文句をくりかえして両親をぎゅうぎゅう言わせるだろうと心配して泣くのか。しかしそういうことはいまのところ無用な取越し苦労というものだ。おれは現にここにこうしているんだし、家の者を見すてようなどとはさらさら思っていない。目下のところグレーゴルはらくらくと絨毯の上にころがっている。そして彼の状態を知った者ならだれもまさか彼に向って、支配人を部屋に入れろとまじめに要求しはしないであろう。なるほどこれは無礼にはちがいない。しかし、それもあとで適当簡単にとりつくろえる無礼であるし、それがたちまちグレーゴルの首に響くとは考えられない。それからまた、泣いたり詫《わ》びたりで支配人にとりつくよりは、いまは支配人をこのままそっとしておくのが当をえた処置だとグレーゴルは考えた。だがこのどちらつかずの曖昧さこそ、ほかの人たちを当惑させ、彼らの態度を正当化したのである。
「ザムザ君」支配人はいまや一段と声を高めた。「どうしたというんだね。きみは自分の部屋に閉じこもって、返事をするかと思えばただイエス、ノーだ。ご両親には無用にして重大なるご心配をかける。そのうえ――これはまあついでに申しあげるんだが――きみの職務をじつに前代未聞のやり方において怠っておる。わしはいま、ここに真剣に、きみのご両親ならびにきみの主人たる社長にかわって、きみが即刻明瞭にきみのこういう態度を説明することを要求する。いやはや、どうも。わしはきみを落ちついた分別ある人間だと思っておったが、どうやらきみはいま突然奇妙な気まぐれをひけらかしてやろうという気持ちになりはじめたようだ。なるほど社長は今朝早くわしに向って、きみの欠勤理由を推量して話してくれた。――つまり最近きみにまかせてある回収金だね。――しかしわしは、それは社長の当て推量にすぎんとはっきり言いきったのだ。ところでどうだ、こういうきみの不可解な頑固さ加減を見せつけられては、わしにしたところがきみをすこしでもかばおうという気は消しとんだというしだいだ。それにきみ、きみの首も絶対安全というものじゃないぞ。もともとわしはきみとふたりきりのところでこういうことを話そうと思っておったのだが、こうしてきみがわしに無益な暇《ひま》欠《か》きをさせるからには、自然ご両親にもお聞かせすることになったのだ。つまりきみの最近の成績はまことに芳しくなかった。むろん現在はいい成績をあげることのできるシーズンではない。それはよくわかる。しかしだね、ぜんぜん成績のあがらんシーズンというのはあるもんじゃない。ザムザ君、そういう季節はあるべきはずのもんじゃない」
「しかし支配人さん」グレーゴルはわれを忘れて叫んだ。興奮のあまり一切合切を忘れた。「すぐ開けますよ、ほんとにすぐですよ。ちょっと気分がわるいんで、めまいがしたんで、起きられなかったんです。いままだ寝床の中なんです。けれどもうすっかりよくなりましたから。いま寝台から出るところです。どうかもうほんのちょっとお待ちください。やっぱりどうもまだ調子がよくないんですけれど、それでもまあどうやらです。こんなに急に病気になるなんてね。現に昨日の晩はなんともなかったんです。両親がよく知ってます。いや、そういえばゆうべどうもちょっとおかしいとは思ったんです。わたしを注意して見たらやっぱりすこし様子がおかしかったのかもしれませんよ。店のほうに知らしておきさえすればよかったんですが。けれども、なにも寝なくったって少々の病気ぐらい、と思っているもんですから。支配人さん、どうか親たちにがみがみおっしゃらないでください。いまいろいろとわたしをお責めになったけれど、みんな見当はずれです。だってだれにもまだそういうことは言われなかったんですから。このあいだわたしがお送りしておいた注文書をまだ見ていらっしゃらないんじゃないでしょうか。とにかく八時の汽車で発ちます。二、三時間休んだんで元気になりました。どうか、支配人さん、おひきとりください。すぐ仕事にとりかかりますから。それからすみませんが、どうか社長にそのことをよろしくお伝えください。お願いします」
さて以上のようなことを一気呵《か》成《せい》に、自分でもなにをしゃべったかわからずにしゃべりながら、グレーゴルは用箪笥のほうへ近よっていった。寝台の上ですませた訓練のおかげであろうか、事はたやすく運んだ。そして用箪笥にすがって立とうと試みた。本当にドアを開けて、本当に自分の姿を見せ、支配人と話をしようと思ったのだ。いまこれほど自分に会いたがっている連中が自分の変りはてた姿を目《ま》のあたりに見たらなんというだろうかと彼はわくわくした。もし彼らがびっくり仰天したら、おれにはもう責任はないから、悠然としていればいいし、彼らが平気の平左だったら、おれもまた興奮するいわれはないわけで、急いで駅へ駆けつけて八時の汽車に間に合うようにすればいいだけの話だ。最初二、三回はすべっこい箪笥からすべり落ちたが、どうやら最後には体を踊らせて、ちゃんと立つことができた。下半身が焼けるように痛んだが、彼はもうすこしもそれを意に介しなかった。それからすぐわきにあった椅子の背の凭《もた》れに体を倒しかけて、凭れの縁にたくさんの足でしがみついた。そうすると自制心も出てきたので、自然おしゃべりもやまった。やっと支配人の言葉に耳を傾けることができるようになった。
「わずかひとことでもおわかりでしたか」と支配人が両親に言っている。「われわれをからかっているんじゃないでしょうな、まさか」「とんでもない」と母親はもうおろおろ声だ。「きっとこれは大病なんでございますよ。かわいそうに、うっかりしていて。グレーテや、グレーテ」と母親が呼んだ。「なあに、お母さん」と妹が反対側で返事をする。グレーゴルの部屋を中にはさんで話しあっているわけであった。「すぐに先生のところへ行っておくれ。グレーゴルが病気ですよ。はやく、先生をお呼びして。いまグレーゴルがしゃべったのをお聞きだったかい」「獣の声だ」と支配人が言ったが、母親の大声にくらべてひどく低い声であった。「アンナ、アンナや」と父親が玄関の間《ま》ごしに台所の女中を呼んで、手をたたいた。「すぐ錠前屋を呼んできてくれ」そうするともう女ふたりは裾《すそ》をばたばたさせて小部屋を駆けぬけて出て行った。――いったい妹はどうしてああすばやく着物が着られたのであろう――そして玄関のドアをさっと開けた。あとを締める音が聞えないところから察するに、開けっぱなしで行ってしまったらしい。なにか大きな不幸が起った家ではありがちのことである。
だがグレーゴルははなはだ落ちついてきた。なるほど彼の言った言葉はもう人にわかってはもらえなかった。自分にはきわめて明瞭に、最前よりずっと明瞭に思えたのであるが、おそらく耳が慣れたせいであろうか。しかしどのみち、ほかの人たちは彼の様子がどうやらただごとではないと信じこんでしまったようで、彼を助けてやろうという気になっている。最初の処置がとられたさいの確信と着実さとに彼は気をよくした。これでまたふたたび人間世界に結びつけられたという気持ちになり、両者つまり医者と錠前屋とから、ぼんやりこのふたつのものをひとつに考えながら、大がかりで驚異的な成果を期待した。刻々近づいてくる決定的な話し合いにできるだけ明《めい》晰《せき》な音声を得るために彼はちょっと咳《せき》ばらいをした。もっとも苦心してあたりをはばかった咳ばらいであった。それもまた人間の咳ばらいとはちがったふうに聞きとられる恐れがあったからである。事実、彼自身はもうその辺のことを判断する勇気の持ち合せがなかった。そのあいだ、隣室はばかに静かになってしまった。おそらく両親は支配人と額《ひたい》を集めて茶の間のテーブルを中にひそひそ話をしているのであろう。あるいはおそらく三人ともドアに寄りそって、聞き耳を立てているのかもしれぬ。
グレーゴルは肘《ひじ》掛《かけ》椅子ごと徐々にドアのほうへずり寄って、そこで椅子を放し、ドアに体を投げて、垂直の姿勢をとった。――小さな足どもの足裏は少々ねばねばする液を分泌していた。――そしてほんの一瞬間、そこで辛い運動から体を休めた。それが終ると、口で鍵穴《かぎあな》にささっていた鍵をまわす仕事にとりかかった。残念ながら口の中に歯らしいものはないようであった。――とすればいったい何物で鍵をはさめばいいのだろうか。――しかし歯のないかわりに顎《あご》の力がむろん強かった。事実また顎を使って鍵を動かすことができたのであるが、そのさい疑いもなくどこかを痛めてしまったことに気づかなかった。というのは褐《かっ》色《しょく》の液体が口から流れ出て、鍵を伝わって床にしたたり落ちたからである。「おや、お聞きなさい」と隣室の支配人が言った。「自分で鍵をまわしていますぜ」グレーゴルはこの言葉に大いに元気づけられた。しかし本来ならみんなが声援を送ってくれるべきではないか。父親も、母親も。「グレーゴル、しっかり、しっかり」ぐらいのことは言ってくれるべきなのだ。「がんばれ、ほら、錠前にとりつけ」と。そしてみんながはらはらしながら彼の努力を見まもっていてくれるという考えが、満身の力をふりしぼって、気も遠くなるほどに彼を鍵にしがみつかせた。鍵が回転するのにつれて彼は錠前の周囲を踊りまわった。体もいまはただ口ひとつで立っていた。必要に応じて彼は鍵にぶらさがったり、あるいはまた全身の重みをかけて鍵を下に押しもどしたりした。ついに錠が開いた。澄んだ音がした。それがグレーゴルをはっきり正気にたち返らせた。ほっと息をつきながら彼はつぶやいた。「まずこれで錠前屋はいらなかったわけだ」そして、ドアをすっかり開けるために、把《とっ》手ての上に頭を置いた。
ドアを開くのにもこんなふうにしなければならなかったので、ドアが内側にすっかり開かれても、彼の姿はドアのうしろになっていて最初は外からは見えなかった。彼はまずゆっくりとドアの開かれたほうの翼板を伝って前にまわらなければならなかった。しかもごく慎重にやらなければ、部屋にはいる直前、ぶざまにどさりとあおむけに倒れる心配があった。彼がまだその困難な作業に没頭して、他を顧みる暇をもたずにいたとき、すでに支配人が大声で「おおっ」というのが耳にはいった。――まるで風が吹きすぎるような声であった。――そのつぎには支配人の姿が見えた。彼はドアにもっとも近く立っていた。ぽかんと開けた口に手を押しつけて、ゆっくりとあとしざりして行った。目に見えぬ、均等に働く力に追いまくられて行くような格好である。母親はというと――支配人の前だというのに髪の毛はまだゆうべ解いたままで逆立ちしていたが――最初まず両の掌《てのひら》を組み合せて父親のほうを見、それから二《ふた》足《あし》グレーゴルのほうへ進みでて、つぎにへたへたと床にすわってしまった。スカートがまわりにぱっと開いた。顔は胸に隠れてまったく見えない。父親は憎々しげな表情で拳を固めて、グレーゴルをもとの部屋の中へ突きもどさんばかりの様子を見せたが、それから不安げに茶の間の中をきょろきょろ見まわし、やがて手で両の目を覆って、分厚い胸も波打つほどに泣きはじめた。
さてグレーゴルはしっかり留め金のかかった観音開きのドアの片方の翼板に内側から寄りかかって、向うの部屋にはぜんぜんはいっていかなかった。だから、体半分と、斜めにかしげた頭が見えるだけであった。その斜めにかしげた頭で彼はほかの人たちのほうをのぞいていた。あたりはよほど明るくなっていた。道路をへだてた向う側には、向い合せの、際限もなく長い黒灰色の建物の一部がはっきりと見られた。――それは病院だった。――道に面した壁面には規則正しい窓の穴が一定の間隔を置いて開いている。雨はまだ降っていたが、大粒の雨脚がひとつひとつそれと見わけられ、ひとつひとつがきちんきちんと地面に落ちていた。朝食のテーブルの上には食器がやたらにならんでいた。父親にとっては、この朝食が一日じゅうでのもっとも重要な食事であって、彼はいろいろな新聞を読んで二、三時間もねばるのであった。ちょうどさしむかいになった壁には、グレーゴルの軍隊時代の写真がかかっていた。中尉姿で、刀に手を置き、屈託のない微笑を浮べ、これを眺める人に向って彼の姿勢と軍服とに敬意を払うことを要求していた。玄関の間に通ずるドアは開けはなしになっており、玄関のドアも開いているのが見えたし、玄関前の階段口と、下に通ずる階段とが見えた。
「では」とグレーゴルは言った。そして冷静を保っているのは自分ひとりであることをはっきりと意識していた。「すぐ服を着て、サンプルの包みをこしらえて、出かけますから。出かけさせてくださるんでしょうね、支配人さん。ごらんのとおりわたしはけっして頑固者じゃありませんし、仕事好きなんです。むろん旅行は楽じゃありませんが、そうかといって旅行がなかったら生きてはいけまいと思っているんです。これからどちらです、支配人さん、お店ですか。そうですか。万事ありのままお伝えくださいますね。だれにしたってちょっと働けなくなるときはありますからね、そんな場合には、ふだんの成績のことを思い出してくださって、ぐあいさえよくなればむろん旧に倍して精を出すものだということを考えてくださらなくちゃ。わたしはまったくの話が社長を恩に着ているんです、申しあげるまでもないんですが。いっぽうまた両親や妹のことも気がかりで、板ばさみなんですよ。けれどなんとか切りぬけてみせます。しかしどうかこれ以上わたしを不利な立場に追いこまないでください。店でもどうかわたしをかばっていただきたいんです。外交販売員は人に好かれない、よくわかってます。大金を儲《もう》けて、いい暮しをしていると思われているんです。そうかといって、こういう偏見を考えなおしてみようという気を起さない、まあそれももっともです。だけど、支配人さん、あなただけはほかの連中よりも事情をよくのみこんでいらっしゃるわけじゃありませんか。いや、ここだけの話ですが、社長なんかよりもそうなんです。社長はなにしろお役目柄からいっても物事を判断する場合にとかく社員というものには不利な考え方もしがちですからね。こんなことはくどくど申しあげるまでもないと思いますが、一年じゅう店を留守にして外を出あるいている外交員はとかく陰口や偶然事やいわれのない非難を背負いこむもので、こっちはそうだからといってどうしようもない立場にいるんですしね。まったくの話がそういうことはなにひとつこっちの耳にははいってこない。旅を終ってやれやれと家に帰ってきたときになってはじめて、原因なんかはもう探ってみることもできないような、いやないろいろな結果を自分の体に見つけだすというしだいなんですよ。どうか、支配人さん、おひきとりになるまえに、お願いですから、なるほどおまえの言うことも多少はもっともだといった意味のお言葉をお聞かせいただきたいんです」
ところが支配人はグレーゴルの言葉を二言三言聞いただけでもう体をわきのほうへずらせて、唇《くちびる》をそらせたまま、震える肩ごしにしかグレーゴルのほうを振り返ってみなかった。そしてグレーゴルがしゃべっているあいだ、一瞬たりともじっとしていず、グレーゴルから目を離さずに出口のドアのほうに向ってじりじりと動いていった。この部屋を出てはならぬという禁令でもあるかのように。そうやって彼はついに玄関の間に行きついた。最後に彼が一方の足を茶の間から引きぬいた目にもとまらぬ運動を見た者は、彼がそのとき踵《かかと》を火傷《やけど》したといった感じを受けたといってもむりはあるまい。ところが玄関の間で彼は階段のほうに向って思いきり右手を伸ばした。階段のところには、まさに超地上的な救済が彼を待ちもうけているとでもいったふうであった。
こういう気分で支配人を帰らせてしまってはたいへんだ。もし店でのおれの地位を危険にさらすまいというのなら、ぜったいにこのまま帰らせるべきではない。グレーゴルはこう見てとった。両親にはこれがグレーゴルほどにはよくわかっていない。長年のあいだに両親は、この店に働いていればグレーゴルの一生は大丈夫という確信を養っていたうえに、目下は眼前の心配事で精いっぱいというところだったので、将来を慮《おもんぱか》るなどということはとうていできない相談だった。ところがグレーゴルはまさにその将来のことを慮った。支配人をひきとめて、気を静まらせ、説きふせて、最後にはこっちに好意をもってくれるように計らわなければならない。グレーゴルならびにグレーゴル一家の未来がまさにかかってそこに存することは火を見るよりもあきらかなのだ。妹がこの場にいあわせたなら。妹は利口だし、グレーゴルがさっきまだ悠々とあおむけに寝ていたときに一度もう泣いたのだ。それに支配人は女にはやさしい男だから、妹の口《く》説《ど》きはきっと功を奏するだろうに。玄関の戸を締めて、玄関の間で支配人をかき口説いて気を静めることも妹にならできるだろう。だがあいにくのことにその妹はいなかった。グレーゴル自身がやらなければならない。グレーゴルは現在どうすれば自分の体を動かすことができるのか、それをまだまったく知らなかったし、また、たとい自分がなにかしゃべったところでおそらくは、いや十中の八九はまたもや相手にわかってはもらえまい。そういうことに思いをおよぼすこともなく、グレーゴルはドアの翼板を離れて、そろそろと敷居を越えた。そして支配人のところへ行こうとした。支配人はもう階段口のところの手すりに滑《こっ》稽《けい》にも両手でしがみついていた。しかしグレーゴルは、体をささえてくれるものをむなしく求めながら、小さな叫び声をあげて腹《はら》這《ば》いに倒れた。その瞬間、彼はこの朝はじめて体が楽になるのを感じた。足どもはいまこそはじめて床を踏まえていたし、グレーゴルの意のままになってくれる。そうと知って彼は喜んだ。それどころか足どもはグレーゴルの向おうとするほうへ彼を運んで行こうとした。しめた、いよいよこれでいっさいの悲運を徹底的に挽《ばん》回《かい》できるぞとグレーゴルは信じこんだのだが、その瞬間、というのはつまり母親がへたばりこんでいるすぐそばで、飛んででもいきたいのを押えているために体をゆらゆらさせながらちょうど母親の真向いの床の上を這っていたとき、まったく放心の体《てい》に見えた母親が突如としてとびあがって、両腕を大きくひろげ、指という指を開いて「助けてえ、助けてえ」と叫んで、グレーゴルの姿をよく見ようとでもいうように頭をうつむけていたが、グレーゴルを見るどころか、それとは逆に無意識にうしろへすっとんだのである。しかし朝食の用意のしてあるテーブルがうしろにあることを忘れて、テーブルのところへ行きつくなり、ただぼんやりと急いでテーブルの上へ尻《しり》をかけてしまった。そのために彼女のすぐそばで、ひっくり返った大きなコーヒー・ポットからコーヒーがどっと流れ出て、じゃあじゃあ絨毯の上にこぼれた。彼女はまったくこれに気がつかないように見えた。
「お母さん、お母さん」グレーゴルは低くこう言いながら母親を見あげた。瞬時、支配人のことはまったく彼の念頭になかった。そのかわり流れるコーヒーを見ていくどか口をぱくぱくさせずにはいられなかった。それを見ると母親はことあらたに大声をあげ、テーブルからとんで離れて、駆けつけた父親の両腕の中に倒れた。だがいまやグレーゴルは両親にかまってはいられなかった。支配人ははや階段を下りかけて、手すりの上に顎をのせてこれを最後とこっちを振り向いた。グレーゴルはできるだけ確実に追いつくためにスタートを切った。これを見て支配人ははっとしたらしい。というのは階段を一挙に二、三段とびおりて、姿を消してしまった。しかし逃げながら「ひゃあ」と叫んだ。この叫び声は階段を上下に突きぬいて響いた。さてところが、残念ながら支配人の逃亡はまた、そのときまでわりに落ちつきを見せていた父親の気分をはなはだしく混乱させたようで、自分から支配人を追いかけるとか、あるいは一歩譲って、支配人に追いつこうとするグレーゴルのじゃまをしないとかいうのとは逆に、支配人が帽子や外《がい》套《とう》といっしょに椅子の上に置きっぱなしにしていったステッキを右手につかみ、左手ではテーブルの上から大判の新聞紙をひったくって、足を踏みならし踏みならし、ステッキと新聞紙とを振りふりしてグレーゴルをもとの部屋に追いもどそうとしはじめた。いくら頼んでもむだだったし、頼む言葉は理解されもしなかった。どれほどへり下って首を動かしてみても、父親はただますます強く足を踏みならすだけであった。向うでは母親が寒い朝だというのに窓をひとつ開けた。そしてぐっと外へ乗り出して、窓の外で顔を両手の中にうずめた。階段口と外とのあいだに風の道ができあがってしまい、ぴゅうぴゅう風が吹きぬけるので、カーテンが舞いあがる、卓上の新聞紙がばさばさいう。二、三枚は床の上へ吹きとばされた。父親は情け容赦なく、まるで野蛮人みたいにしっしっと言いながらグレーゴルを追いたてようとする。だがグレーゴルはまだあとしざりの練習をぜんぜんしていなかったし、また事実それは非常に緩慢にしか行われなかった。方向転換がやれさえしたら、苦もなくもとの部屋にもどることになったであろうが、向きを変えるのに手間どって父親をかっとさせたくはなかった。それにいつなんどき、手に持ったステッキで背中や頭を打たれて命を落すかもしれない。しかし結局は方向転換をする以外に道はなかった。なぜかというとあきれかえったことに、逆行だと一定の方向をとることさえできかねるということが判明したからである。そういうわけで、たえず父親のほうをおそるおそるうかがい見ながら、彼はできるだけ迅《じん》速《そく》に、といっても実際にはひどくのろのろと方向転換をしはじめた。父親にも息子の健気《けなげ》な意志がそれと察せられたらしく、こんどは息子のしぐさの妨げをせず、逆に必要に応じてステッキの先で遠くのほうからあれこれと指図してくれた。しっしっという叱《しっ》咤《た》の声さえなかったならどんなによかったであろう。その声を聞くとグレーゴルは実際おろおろしてしまうのであった。彼がもうほとんど転回を完了したときも、父親がたえず口にしたしっしっという声に気を奪われて、ついまたもとの方向に逆もどりするというようなことも起った。それでもどうやらうまいぐあいに敷居のところに首が来たが、こんどは胴体の幅が広すぎてそのままでは戸口を通過しかねるということがわかった。まだ留め金の下りているもう一方のドアの翼板でも開けてやったら、グレーゴルの胴体が無事に通過するだけの余地も生ずるわけであったが、気の転倒した父親がそこに気づくはずはむろんなかった。なにがなんでもできるだけすみやかにグレーゴルをもとの部屋に追いもどさなければならない、これが父親の固定観念であった。とにかく這ったままで通過できないとあれば、立ちあがって、その姿勢で敷居口を通過しなければならないであろうが、そうするにはいろいろと面倒な準備がいる。父親の剣幕ではそういう手間さえもまずまず許されそうになかった。きっと父親は、なにをぐずついているんだというわけで、いまや一段と気合いをこめてグレーゴルを追いたてた。うしろに聞える声は、この世にたったひとりの父親の声のようではなくなっていた。実際のところもうぐずぐずしてはいられなかったので――ままよとばかり――グレーゴルはしゃにむに敷居口へ胴体を突っこんでいった。胴体の片側がドアにはさまれて上に持ちあがった。彼は部屋の戸口に斜めの姿勢で引っかかっていた。一方の横腹がひどくすりむけた。白く塗ったドアにはいやらしい斑《はん》点《てん》が残った。ほどなくにっちもさっちもいかなくなった。自力ではもう身動きもならない状態であった。一方の側の足どもは宙に浮んでぴくぴく動いているし、別の側の足どもは床にぎゅうぎゅう押しつけられている。――そのとき、父親がうしろからぐんと一押し強く突いてくれた。ありがたいことにこれで局面が打開された。そのためにグレーゴルは血だらけになって自分の部屋の奥のほうへすっとんだ。それからステッキで部屋のドアがばたんと閉じられた。するとあたりがついにしんとなった。
2
はや日も暮れようというころになって、やっとグレーゴルは気絶状態に似た重苦しい眠りからふと目をさました。べつにこれということがなくても、おそかれはやかれもうそろそろ目をさます時刻ではあった。というのは十分に休養し、ぐっすり眠ったという気分だったからである。しかしかすかな足音と、玄関の間《ま》に通ずるドアを用心ぶかく締める音がしたために目をさまされたような気もした。天井のそこここや、家具の上のほうには青ざめた街路燈の光が流れ入っていたが、床の上のグレーゴルの周囲は真っ暗であった。触角をまだ無器用に働かせながら――いまにしてはじめて彼には触角のありがたみがわかったのだが――彼はゆっくりとドアのほうへ這いよって、なにごとが起ったのか見ようと思った。胴体の左側は一本の長い、不快にひっつる傷口のように思われたし、両方の足の行列で本式のちんばを引いて進んでいかねばならなかった。そのうえ、足を一本、午前中の騒ぎでひどく負傷していた。――負傷した足がただの一本だけだったというのはほとんど奇跡的だったと言っていい。――その足は死んでしまったように引きずられて行った。
いったい自分がなぜドアのところまで行く気になったのかは、ドアのところにたどりついてはじめて合点がいった。なにか食べものの匂《にお》いがしたからなのである。つまりそこには、こまかくちぎった白パンの浮いている甘い牛乳を入れた鉢《はち》が置いてあった。グレーゴルはうれしさのあまり声をたてて笑いだしそうになった。朝よりも腹のすき方がひどかったからである。彼はすぐさま牛乳の中に目もつかってしまうほどに首を突っこんだ。しかしほどなく失望して首を引っこめた。――体全部がふうふういいながら協力してくれるのでなければものを食べることはできなかった。――ところが胴体の左側が痛んで食べるのに不自由したばかりか、いつもなら大好物で、それだからこそ妹がわざわざ部屋の中へ入れてくれた牛乳がいまはぜんぜんうまくないのだ。それどころか逆にぞっとしたといわんばかりにその鉢から頭をそらせて、部屋の中央に這いもどってしまった。
ドアの透き間から見ると、茶の間にはもうガス燈がともっていた。いつもならこの時刻には父親が一段と声を張りあげて夕刊を、母親や、ときには妹に読んできかせているのだが、いまは物音ひとつしない。してみると、妹がいつも話してくれたり手紙に書いてよこしたりしたこの新聞朗読の行事は、現在ではもうまったく廃止されているのかもしれない。それにしても、家の中に人がいないというわけはあるまいに、あたりがじつにひっそり閑としている。「なんていう静かな暮しぶりなんだろう」グレーゴルはひとりごちた。そして眼前の闇《やみ》を見つめながら、両親や妹にこういうけっこうな住居《すまい》の中でこういう暮しぶりをさせることのできる自分もまんざらじゃないなと考えた。しかしこの安楽、この幸福、この満足のいっさいがいまや恐ろしい最後をとげることになるとしたらどうであろうか。いや、そんなことを思ってくよくよするよりは、と考えたグレーゴルは、それよりも体でも動かしてみようというわけで、這って部屋の中を行ったり来たりした。
長い夜がふけていくあいだに、そばのドアが一度、それから向い合せの側のドアが一度、ほんの少々ばかり開かれて、すぐにまた閉じられた。だれかが部屋にはいる用事があったのであろうが、やはり心配と不安が先にたってはいりかねたのであろう。そこでグレーゴルは茶の間に通ずるドアのわきにぴったりと身を寄せて、できることなら、はいり悩んでいる訪問者をなんとかして部屋に入れるか、それができないのならせめて相手がだれであるかを知ろうとした。ところがドアはもうそれきり開かれなかった。待ってみたがむだだった。ドアというドアに鍵《かぎ》がかかっていた今日の早朝はだれも彼もグレーゴルの部屋にはいろうとしたのに、いまはだれもやってこない。しかもドアのひとつはグレーゴルが開けたのだし、昼のうちほかのドアもすべて開けられていたことにまちがいはない。そしていまではどの鍵も外側からさしこまれていた。
夜もふけてからやっと茶の間の灯《あかり》が消されたので、両親と妹の三人がそれまで寝ずに起きていたことがすぐにわかった。なぜならそのとき三人が爪《つま》先《さき》で遠のいていく足音がはっきりと聞きとれたからである。そうなると翌朝まではもうだれもグレーゴルのところへやってくる者はあるまい。とすれば明け方までの長い時間を使って、だれにも妨げられずに今後の生活方針を熟考してみることができるわけだ。ところが、彼がいま余儀なく床の上に平たく這っているこの部屋、天井の高いがらんとした部屋は彼を妙に不安にした。原因はわからなかった。五年このかた住みなれた自分の部屋だというのに、これはおかしな話であった。――そこでグレーゴルは半ば無意識に体の向きを変え、ちょっと照れくさい思いをしながら寝椅子の下へ急いだ。背中が少々押えつけられるし、もう首をもたげることもできなかったが、寝椅子の下ははなはだ居心地がよく、ただ体の幅が広すぎて全部がすっぽりはいってしまわないのだけが残念であった。
グレーゴルは寝椅子の下に這いつくばったまま、おりおり空腹感に妨げられながらも、うとうとと眠ったり、また心配や定かならぬ希望に身をゆだねたりして一夜を過した。しかしどう考えてみたところで結論は同じであった。つまりさしあたっては下手に騒いだりせず、家の者たちを忍耐と最大の注意とによっていろいろな不快を忍ぶようにしむけなければならないということである。自分がこういうありさまではどのみち家人になにかといやな思いをさせずにはすみそうもなかったからである。
夜の明けきらぬ朝まだき、グレーゴルは、固めたばかりの決心の強さをためしてみる機会を恵まれた。つまり玄関の間のほうから妹がドアを開いて中をのぞきこんだのである。妹は、もうほとんど完全に身づくろいしていた。緊張した面持だった。すぐに兄の姿は見つからなかったが、寝椅子の下にいるのを発見すると彼女はひどく驚いて――驚くにはあたらないのに。どこかにいるにきまっているではないか。飛んで逃げられるものではなし――自分で自分がどうにもならず外からドアをまた締めてしまったのだ。けれども自分の態度を恥ずかしく思ったのか、すぐにまたドアを開け、足を爪先立てて部屋の中にはいってきた。大病人か、知らない人の部屋にはいってくるようなふうであった。グレーゴルは寝椅子の縁まで首を伸ばしきって妹を眺めた。ミルクを飲まずに置いてあるのに気がつくだろうか。それも腹が減っていないからじゃないんだが。もっと口に合うような別のものでも持ってきてくれたのかしら。おれに言われなくても、自分からそうやってくれまいものか。おれとしては妹に向ってそこに気づかせるよりも、むしろ飢え死んだほうがいいくらいなのだ。とはいえ実のところグレーゴルは寝椅子の下からとびだして、妹の足もとに体を投げて、なにかおいしい食べものをくれと言いたくてうずうずしていたのである。けれども妹はけげんな顔つきですこしも減っていない牛乳の鉢をすぐに見つけだした。鉢のまわりに少々牛乳がこぼれているだけである。彼女はすぐ鉢を取りあげた。ただし素手ではなくて雑《ぞう》巾《きん》でである。そして部屋の外へ持ちさった。ではそのかわりになにを持ってきてくれるのだろうかとグレーゴルは胸をどきどきさせて、あれこれと想像をたくましゅうしたのだが、妹が親切ごころから実際に運んできたものを見て二の句のつげない気持ちになった。妹は兄の嗜《し》好《こう》を試験するためにさまざまなものをかき集めて持ってきた。それも古新聞紙の上にならべたてて。半分くさった古野菜、まわりに白ソースのこわばりついた夕食の残りの骨、乾《ほし》ぶどうに巴《は》旦《たん 》杏《きょう》が少々、グレーゴルが二日まえにこんなものが食べられるかといったチーズ、なにもつけてないパン、バターをぬったパン、同じくバターをぬって塩をかけたパン。さらにそのうえ、水を入れた鉢。どうやらこれはグレーゴル専用ときめてあるらしい。それから急いで部屋を出て行き、あまつさえ外から部屋に鍵をかけた。これはグレーゴルが妹の前では恥ずかしがって食べられないだろうと察しての思いやりからであり、鍵をかけたのは、人に見られずに気楽に食事できるということをグレーゴルにぜひわかってもらいたいからのことであった。食事にとりかかると足どもがもぞもぞと動いた。どうやら傷はどれもこれもすでにまったく治ってしまったらしい。もうどこもなんともないようだった。これにはグレーゴルも驚きあきれた。一カ月以上もまえにナイフで指をほんのちょっと怪《け》我《が》したことがあったが、あの傷は現に昨日までかなり痛んだではないか。とするとこれは感覚が少々鈍ったということなのだろうか、などと思っているうちにも彼はもうがつがつとチーズを食べはじめていた。たちまちグレーゴルの気を強くひいたのはほかならぬこのチーズであった。チーズ、野菜、ソースとすばやく順ぐりに平らげた。満足のあまり目には涙が出てきた。ところが新鮮な食品のほうはうまくなかった。だいいち匂いからしてたまらなかった。それどころか、食べようとするものをわざわざずっとわきのほうへ引きずったほどであった。すべてをとうに平らげおわってもとの位置にのうのうと寝そべっていると、妹がゆっくり鍵をまわした。引き下がれという合図なのである。彼はもうすでに眠りこまんばかりであったにもかかわらず、それに驚いて急いで寝椅子の下へ這いこんだ。ところで妹が部屋の中にいるわずかのあいだにせよ、寝椅子の下にはいっているのはグレーゴルにとって容易ならぬ苦行であった。なにしろたっぷり食べたので腹がすこしふくらんでいて、場所の狭さに息さえしかねたからである。そういうこととはつゆ知らぬ妹は、食べのこしたものばかりか、まったく口がついていないものまでも箒《ほうき》で掃き寄せた。いったんここへ持ってきたからには、口のついていないものももう使いみちはないと言わんばかりであった。それから手ばやくいっさいを手《て》桶《おけ》の中へ落しこんで木の蓋《ふた》をして、部屋の外へ運びさった。ときどき窒息しそうになりながらグレーゴルは目の玉を少々突き出してその様子を見ていた。妹が背中を見せるやいなや、グレーゴルは間髪をいれず寝椅子の下から這いでて、伸びをし、ゆったりとした姿勢になった。
こういうぐあいに毎日の食事がグレーゴルに当てがわれた。朝食は両親や女中がまだ寝ているころ、昼食はみんなの食事が終ってしまってからだった。というのは昼食後は両親ともしばらく昼寝をするし、女中は妹に買物を言いつけられて外出するからである。むろんだれしもグレーゴルに飢え死にさせようと思いはしなかったとはいえ、そういう時間に食事が与えられるというのは、結局家の人たちがグレーゴルの食事どきを避けたかったからなので、グレーゴルのことは妹の口から聞かされるだけで十分といったところだったろうし、また妹にしてみれば、家族がただでさえもういやというほど苦しんでいるのであるから、なんとしてもみんなの悲しみをそれ以上は大きくしたくないという肚《はら》だったのであろう。
一体全体あの朝、医者や錠前屋にいったん来てもらっておきながらどういう口実を設けて帰したのか、グレーゴルはその辺のことをまったく知ることができなかった。グレーゴルの言うことは相手に理解されなかったので、グレーゴルが相手の言葉をちゃんと理解できようとはだれも思わなかったからであり、そういうしだいで妹はグレーゴルの部屋へ来ても、ただときおり溜《ため》息《いき》をついたり、聖者の名を唱えたりする以外にはなにもしゃべらなかった。したがってグレーゴルもそれを聞いて満足するよりほかはなかったのである。のちになって妹が多少は万事に慣れてきたときになってはじめて――完全に慣れるなどということはとうていありうべからざることであった――グレーゴルはときどき善意の言葉、あるいは善意と解される言葉を小耳にはさむことができるようになった。グレーゴルの食が進んだときは、妹は「あら、今日はおいしかったとみえるわ」と言い、反対の場合には「またちっとも食べてないわ」と悲しそうに言うのがつねであった。ところでそういう反対の場合がしだいにひんぱんにくりかえされるようになってきたのである。
直接にはなにひとつ新しいことは聞けなかったので、グレーゴルは隣の部屋部屋から漏れる話し声に耳をそばだてた。ちょっとでも人の声が聞えると彼はすぐそのドアのところへいざり寄って、ぴたりとドアに体を寄せつけた。ことにはじめのころは、ひそひそ話ではあったが、彼のことがどこかに出てこないような会話はひとつもなかった。二日つづけて三度三度の食事ごとに、さてどうしたものだろうと相談する声が聞えた。だが食事と食事のあいだのときでも家の中のだれかしらが同じ話題を話しあった。つまりだれもたったひとりでは家に居残りたがらなかったし、万が一にも家じゅうの者が出はらってしまうというわけにもいかなかったので、すくなくともいつもふたりの人間が家の中にいたからである。女中がこんどの事件について、なにをどの程度に知っていたか、これは十分にはわからなかった。――しかしすでに第一日目に、母親の前に膝《ひざ》をついて即刻お暇《いとま》をいただきたいと願いでた。それから十五分ばかりしていよいよ家を出て行くときは、まるでたいへんな恩を受けたとでもいうように、涙ながらに解雇してもらえたことを感謝し、こっちから頼みもしないのに、こんどのことについては爪の垢《あか》ほども他言はいたしませんからと堅く誓っていった。
そうなると妹が母親といっしょに勝手仕事もしなければならなかった。が、それもたいした苦労にはならなかった。なぜならみんなほとんど何も食べなかったからである。ひとりがひとりに食べろ食べろとすすめる。しかしそう言ってもだめで、相手は「ありがとう、もうたくさん」とかなんとかいう以外の返事をしない。グレーゴルはそういうやりとりをひんぱんに耳にした。酒の類《たぐい》もおそらくまったく飲まれていないようであった。よく妹が父親にビールはいかがとたずねる。「あたし、自分で取りに行ってきますわ」と健気に申し出る。父親が返事をしないので、それを外聞をはばかっての沈黙と察して、「なんでしたら門番のおばさんに行ってもらいますわ」とさえ言う。するとさすがの父親も返事をする。大きな声で「飲まん」と言うのである。これでビールの一件はもうまったく抹《まっ》殺《さつ》されてしまう。
すでに第一日目のうちに父親は妻と妹に全財産の状態や将来の見通しを説明して聞かせた。ときどきテーブルのそばを離れて、小さな手さげ金庫から、書きつけだとか帳簿だとかを持ってくる。この手さげ金庫は五年前商売が破産したときにどうやら救い出されたものである。複雑な錠を開けたり、必要なものを取り出したあとでそれをしめたりする音が聞えてくる。父親の説明は、ある点ではグレーゴルが監禁生活をはじめて以来、心を慰めてくれた最初のものであった。これまで彼は父親が破産のために丸裸になってしまったものとばかり信じこんでいた。すくなくとも父親は、グレーゴルに向ってその反対のことは言わなかった。またグレーゴルのほうでもそれについて父親に質問したことはない。当時グレーゴルの念頭には、みんなを完全な絶望に追いこんだ商売上の悲運をできるかぎり急速に家族の頭から忘れさせてしまうために全力を傾けるということ以外のなにものもなかった。そんなわけでグレーゴルは人なみ以上の熱心さで仕事にとりかかり、ほとんど一夜にしてみじめな一店員から外交販売員にのしあがった。むろん外交員になれば金を儲《もう》けるにもいろいろと別の道があったし、仕事の成果はただちに歩合の形で現金に変った。そしてこの金を家へ持って帰り、喜んだり驚いたりしている家族の目の前でテーブルにならべてみせることができた。あのころはすばらしかった。のちになってグレーゴルは優に一家をささえることができるくらいの、また現に一家の財政を賄うに足るだけの金を儲けはしたものの、あのすばらしい時期は、すくなくともむかしの輝かしさとともにもどってくることはもうなかった。家人もグレーゴルもそれに慣れっこになってしまい、金を受けとる側の感謝と投げだす側の気前のよさとに変りはなかったとはいうものの、そこにはもうことさらに気持ちのこもったという感じが出てくるというわけには行かなかった。ただ妹だけは兄に特別の情愛を示しつづけていた。グレーゴルとはちがって大の音楽好きで、ヴァイオリンがひどく上手だったから、この妹を来年は音楽学校へ入れてやろうというのがグレーゴルのひそかな計画であった。もっともそういうことをするとたいへん金がかかるのだが、そのくらいの金はまた別の道でなんとか工面できようと考えていたのである。グレーゴルがときどきちょっと家に帰っているあいだなど、音楽学校のことはしばしば兄妹の話題になったが、それもただ美しい夢というにとどまって、とうてい実現不可能とされていたし、両親はそういう無邪気な会話を聞いただけでもういやな顔をした。しかしグレーゴルはこの計画をぬかりなく練っていて、クリスマス前夜にはそれをおごそかに発表してやろうと思っていたのである。
グレーゴルは、ドアに身を寄せて立ちあがり、耳をそばだてているあいだにも、現在のこのありさまでは思っても由ないこういうことをふと考えることがあった。ときによると全身がひだるくて、耳をそばだててなどいられなくなり、うっかり頭部をドアにぶつけることもある。しかしまた急いでしゃんとさせる。というのも、そんなことのために生ずるごく小さな物音さえも、隣室の人々の耳にはいってしまい、みんなはぴたりと口をつぐんでしまうからである。ちょっと間をおいて父親が、あきらかにドアのほうを向いて「またなにをやっていることか」などと言う。そうしていったん中絶した会話がようやく、またぼそぼそとはじめられるのであった。
父親は自分の説明をくどくくりかえす癖があった。それは、ひとつにはもう長いあいだそういう事柄をあつかわずにいたからであり、またひとつには話を聞く母親が一ぺんで相手の言うことを理解したためしがないからでもあったが――そういう説明を盗み聞きしてグレーゴルにはっきりとわかったのは――いろいろと打撃を受けたにもかかわらずむかしの財産がほんの少々はまだ残っていて、利息のほうにはぜんぜん手がついていないので、以前よりわずかでもそれがふえているという事実であった。だがそのうえ、毎月グレーゴルが家へ入れてきたお金は――グレーゴル自身はわずかに二、三グルデンしか自分の懐ろに入れなかったのである――全部消費されていたのではなくて、こまめに貯蓄されて、ちょっとした金額になっていた。グレーゴルはドアのうしろでせっかちにうなずき、この思いがけない用心と倹約とを喜んだ。本来ならば、そういう浮いてくる金で社長に親《おや》父《じ》の負債を大幅に返却して行けたであろうし、そうなればグレーゴルが現在の勤め口から解放される日も非常に早まったことであろうが、いまとなってみれば、父親がこういう処置をとっていてくれたほうが疑いもなく一家の仕合せであったわけである。
とはいうものの、そのくらいの小金で一家が利息で食べて行くということなどは、思いもよらなかった。おそらくその程度の金では、一年か、せいぜいのところ二年食いつなぐのが関の山であろう。金といってもそれくらいのものにすぎなかった。つまりそれは、手をつけてはならない、万一の場合にしか使ってはならない程度の金額にすぎなかった。生活費は別に稼《かせ》ぎださなければならなかった。ところで父親はどうかというと、なるほど達者ではいるが、なにぶんもう寄る年波で、なにもせずに五年もぶらぶらしてきたので、働く自信をなくしているうえに、苦労が多かったのにいっこうに芽の出なかった生涯最初の休暇といえるこの五年間にすっかり太ってしまって、体の自由もたいしてきかないありさまであった。とすればぜひ母親に稼いでもらわなければならないのだが、これも年で、そのうえ喘息《ぜんそく》病《やみ》ときている。家の中をあちこちするのにさえ大儀がるというしまつで、二日に一度は呼吸困難のために窓を開いて寝椅子の上で過すという女である。残るところは妹だが、なにしろまだ十七歳の小娘であって、身ぎれいにして、たっぷり眠り、お勝手のお手伝いをし、お金のかからない気晴らしに出かけたり、なによりもまずヴァイオリンをひく、といったことからなりたっているような暮しぶりを大目に見てもらって今日まできたような子供であったから、この妹になんで一家をささえることができようか。隣室の話がひとたびこの点におよぶと、いつもグレーゴルはドアのもとを離れて、すぐそばにある冷たい皮の寝椅子の上に身を投げかける。恥辱と悲痛のために、体が熱くなってくるからである。
グレーゴルはその皮の寝椅子の上で長い夜々をまんじりともせず、椅子の張皮をかきむしって過すことがよくあった。そうかと思うとまたときには、たいへんな苦労をいとわずに椅子を窓ぎわへ押していき、それから窓の敷居に這いあがって、椅子に体をささえて、以前彼にとって窓から外を眺めるということの中に感じられた一種の解放感をただ漠《ばく》然《ぜん》と思い出しながら、窓によりかかって過すこともあった。つまり、ほんのちょっと離れたところにあるものでも、日ましにその輪郭がしだいしだいにぼけるようになっていったからである。以前は明けても暮れても目の前に見える向う側の病院がいまいましくてならなかったのに、その病院さえももう見ることができなくなってきた。自分が、閑静ではあるが都会のまんまん中の、このシャルロッテン街に住んでいるのだということをはっきりと知らなかったならば、窓外の眺めが、灰色の空と灰色の大地が見わけもつかずにまじりあっている荒野だと言われても、格別いぶかりはしなかったことであろう。注意ぶかい妹は、椅子が窓ぎわにあるのを見つけたのはただ二度ばかりにすぎなかったが、それからというもの、部屋の掃除をすませたあとはかならずいつももとどおりに窓ぎわへ椅子を押していき、のみならずそれ以来は内側のガラス窓を開けっぱなしにしておいた。
もしもグレーゴルが妹と話をして、そういう心づかいのすべてにたいして妹に感謝することができさえしたならば、妹のサービスをもっと安らかな気持ちで受けることもできたであろう。しかしそれができなかったので妹にたいして心苦しかった。むろん妹はこんどのこと全体の辛《つら》さをできるだけぼかそうと努めた。時がたつにつれて、だんだんうまく行くようになったことは言うまでもない。それにグレーゴルのほうでも、しばらくするうちにはいっさいを最初のころよりもいっそう正確に見ぬくようになってきた。妹が部屋にはいってくるだけでグレーゴルは震えあがった。ふだんできるだけグレーゴルの部屋を人に見させまいとして妹は一所懸命であったが、それにもかかわらずグレーゴルの部屋にはいってくるやいなやドアを締める手《て》間《ま》暇《ひま》さえ惜しんで、いきなり窓べに駆けより、まるで窒息しそうだといわんばかりにせわしない手つきで窓を開けて、どんなに寒いときでもそんなことにはおかまいなしに暫時窓ぎわに立って深く息を吸いこむのであった。彼女はこういう駆け足と窓をがたがた言わせることで日に二度はグレーゴルを震えあがらせた。妹が部屋にいるあいだじゅうグレーゴルは寝椅子の下で震えていた。しかしまた彼にも十分にわかっていることであったが、もし妹がグレーゴルの部屋に窓を締めたままではいっていられさえしたなら、むろんなにも好きこのんでこういう苦痛をグレーゴルに味わわせるようなことはしなかったであろう。
グレーゴルが変身してからすでに一月はたっていたころのある日、もうそのころはグレーゴルの姿を見て妹がことさらにびっくりしたりするいわれはぜんぜんなかったわけであるが、いつもより妹の来ようがすこし早かったので、グレーゴルがまだじっと動かず棒立ちになって窓から外を眺めていたことがある。妹はそういうグレーゴルの姿を見てたまげてしまった。グレーゴルがそうやって窓のところにいれば、すぐに窓を開けることができないから、妹が部屋にはいってこなかったとしても、グレーゴルにとってはそれはすこしも不思議ではなかったであろう。しかし妹は部屋にはいってこなかったばかりか、うしろにとびしさってドアを締めてしまった。知らない人が見たら、グレーゴルが妹を待ち構えていて食いつこうとしたのではないかと考えたとしたってむりはなかったであろう。むろんグレーゴルはすぐさま寝椅子の下へ身を隠したが、二度目に妹がやってきたのは正午だったし、のみならずいつもよりずっとそわそわしていた。してみると、おれの姿を見ることはあいかわらず妹にとってはやりきれないことなのだ、先々もこの状態はつづくことだろう、とグレーゴルはそのことから推察したしだいであった。寝椅子の下に隠れていても、どうしても体がちょっとは見えてしまう。ところで妹は兄の体のほんのわずかな部分を見てさえも逃げだしたくなるにちがいない。それを逃げずにこらえているというのは、よほど自分を押えているからなのだろう。グレーゴルはそう見てとったのである。体を少しでも妹の目にふれさせないために、彼はある日のこと麻布を背中にのせて寝椅子の上へ運んでいった。――この仕事は四時間かかった。――そして、自分の体がまったく見えなくなるような、またたとい妹がこごみこんでも見えないようなぐあいにその麻布を按《あん》配《ばい》した。もしも妹がこの麻布を不必要だと考えたならば、むろん取りのけてしまうことができる。なぜならなにも酔狂でグレーゴルがこんなふうにすっかり体を隠しているわけではないということは、わかりきっていたからである。はたして妹は麻布をそのままにしておいた。それどころか、一度グレーゴルが用心ぶかく麻布をほんのすこしかかげて、妹がこの新しい設備をどう考えているかをうかがいみたときなどは、妹の目の中に感謝の色をちらりと認めたようにさえ感じた。
最初の二週間は両親はどうしても彼の部屋にはいることができずにいた。これまで両親はよく妹に腹をたてることがあった。妹を役たたずの小娘くらいに思っていたからである。しかしいまでは妹の仕事を心からありがたがっているということは、おりおりの両親の話からグレーゴルにもわかった。それがいまでは、妹がグレーゴルの部屋の掃除をしているあいだじゅう、父母のどちらもよく部屋の外に待っていて、妹が外へ出てくるやいなや、部屋の中の様子や、グレーゴルの食べたものや、挙止振舞いや、ひょっとして少しはいいほうへ向う兆《きざし》が見えたかどうかというようなことなどを、妹はくわしく両親に語りきかせなければならなかった。それで母親のほうはわりにはやくグレーゴルのところへ行ってみようという気になったが、しかし最初のうち父親と妹とは、いろいろともっともな理由をあげてそういう母親を押しとどめた。その理由というのをグレーゴルは非常に注意ぶかく聞いていたが、それはまったくもっともなものであった。はじめのうちは母親もそんなことで思いとどまっていたが、そうこうするうちには父親と妹とが腕ずくで押しとどめるというようなことにもなった。母親は大声を出した。「行かせてくださいよ、グレーゴルのところへさ。なんといったってこのあたしの息子なんだから、かわいそうに。わかりきってるじゃありませんか、あたしが行ってやらなくちゃいけないっていうことぐらいは」毎日ということではむろんいけなかろうが、おそらくせめて一週間に一度ぐらいなら母親が自分の部屋にはいってきてくれたほうがよくはあるまいか。なんと言おうと母親は妹などよりずっと万事をよく心得ているのだ。なかなか感心だとはいえ妹はまだ子供だし、結局は子供らしく気軽であればこそこういう厄介な仕事をひきうけてもいるのだから。
母親に会いたいというグレーゴルの望みはほどなくかなえられた。日中は両親たちへの気づかいだけからも窓ぎわへは行くまいと思ったが、床の上を這《は》いまわったところでたかが二、三メートル四方の広さでたいしたことはなし、じっと静かに腹這いになっていることは夜中だけでさえもうたくさんだったし、ものを食べることも、このごろではもうすこしも楽しみにはならなかったので、四方の壁や天井を縦横十文字に這いまわるという習慣をつけて気晴らしをした。ことに天井にへばりついているのは気持ちがよかった。床の上に這いつくばっているのとはよほど趣がちがう。息も楽にできるし、軽い振動が体じゅうに伝わる。グレーゴルは天井にへばりついていて、ほとんど幸福と言ってもいいほどの放心状態におちいり、不覚にも足を離して床の上へばたんと落ちて、われながらそれに驚くこともよくあった。しかしながらいまでは言うまでもなく以前とはちがって自分の体を意のままにすることができるので、そういう大墜落をしても怪我はしなかった。妹はグレーゴルが考えだしたこの新しい慰みごとにすぐ気がついて――というのは壁や天井にねばねばした汁の跡が残るので――グレーゴルができるだけ広く這いまわれるようにと思って、妨げになる家具、ことに用《よう》箪《だん》笥《す》と書き物机とを取りのけてやろうという気を起した。ところがそれはひとりでやれる仕事ではない。そうかといって父親にその手伝いを頼むわけにはいかない。女中もむろんとても手伝ってはくれないだろう。というのは、この十六ばかりになる小娘は、以前の下女が暇をとって以来、健気にもずっと辛抱していてくれたのだが、台所のドアの鍵《かぎ》は年じゅうかけておいて、ただ特に呼ばれたときにだけドアを開けるという許しを得ていたからである。それやこれやで妹にしてみれば、父親のいないときを見はからって母親に来てもらう以外に手だてはなかった。母親はうれしさのあまり歓声をあげて来てくれたが、グレーゴルの部屋の戸口まで来ると黙ってしまった。言うまでもなくまず妹がグレーゴルの部屋の中がちゃんとしているかどうか下検分した。それが終ってからはじめて母親を部屋に入れた。グレーゴルは大急ぎに急いで麻布をいつもよりふかぶかと、わざと皺《しわ》だくさんにかけた。そこでちょっと見には全体が偶然寝椅子の上に投げおかれた麻布にすぎないように見えた。こんどもまたグレーゴルは麻布の下からそっと様子をうかがうことを怠らなかった。だがいまいきなり母親の姿を見ることは断念した。彼としては、やっと母親が来てくれたということだけでうれしかった。「大丈夫よ、お母さん、見えやしないわよ」と妹が言った。たしかに母親の手を引いてやっているらしい。さてグレーゴルの耳には、か弱い女ふたりがかなり重たい箪笥をこれまでの場所からずらしはじめ、ひきつづき仕事の大部分が妹の肩にかかってくるのを心配する母親が、あんまり無理はおしでないよととめるのに、それには耳も貸さずにせっせと仕事を進めている様子が聞えてくる。ひどく手間どった。どうやらたっぷり十五分は過ぎたと思われるころ、母親が言いだした。「いっそこれはやっぱりこの部屋に置いておいたほうがよくはないのかね、だいいち重すぎるし。お父さんが帰ってみえないうちに片がつきそうもないじゃないの。そんなことにでもなってごらん、部屋の真ん中にこのまま置きっぱなしじゃさぞグレーゴルも迷惑だろうしさ、足《あ》掻《が》きがつきゃしないやね。それにね、家具を片づけてしまってグレーゴルがどう思うだろうか、あたしたちには皆目見当がつかないじゃないの。かえって以前のままにしておいたほうがいいんじゃないの。グレーゴルの身にしてみれば。家具を片づけてしまうとお部屋ががらんとして、あたしにはなんだかたまらない気持ちがするのさ。なんにしろ長いことこの部屋に寝起きしてきたんだから、一切合切片づけてしまうと、なんだか見すてられてしまったような気にならないともかぎらないからねえ。それにね、こんなことをするとね」と声を一段と低めた。もっとも最初からささやくような声でしゃべってはいた。グレーゴルがどこに隠れているのか、はっきりとはわからなかったとはいえ、とにかく自分の声の響さえも聞かせたくないといったふうである。よもやグレーゴルが人間の言葉を解しようなどとは夢にも思わぬ母親であった。「家具を片づけたりすれば、あたしたちがあの子がよくなることをすっかりあきらめてしまって、まるであたしたちがもうあの子のことをかまおうとしないんだということをはっきりと言ってしまうようなことになるじゃないの。あたしはこう考えるんですよ、部屋の模様はむかしとそっくりそのままにしておいたほうが、またグレーゴルが人間にもどったときにこの部屋がちっとも変っていないのを見て、それだけ容易にそのあいだのことが忘れられようというものじゃあるまいかねえ」
こういう母親の言葉を聞いてグレーゴルは悟った。直接人間に向って人間の言葉が話せず、そのうえしかも家から一歩も外へ出ない単調なこの二カ月間の生活は、どうやらおれの頭を狂わせてしまったらしい、と。なぜかというと、部屋がからっぽになってくれたほうがいいなどとまじめに希望するようでは、そう説明するよりほかに説明のしようがないからであった。おれは本気になって、先祖から伝わった家具を居心地よく配置している暖かい部屋を洞窟《どうくつ》に変えてしまおうと思っているのか。家具が全部片づけられてしまえばどこであろうとむろん思いのままに這いまわることはできるのだが、しかしそれと同時に人間として生きてきた自分の過去を急速に完全に忘れてしまうであろう。現にいまもう忘れかかっているのではなかろうか。そして母親の声をひさしぶりに耳にしたからこそ一時おれが正気にたちもどったのではあるまいか。いやいや何物も運びさられてはならない。万事もとどおりであるべきだ。家具が自分の状態におよぼすいい影響がなくなってしまっては困る。家具があるために無意味に這いまわることができなくても、それは不利というよりは大きな利益なのだ。
ところが妹の意見は残念ながら別であった。妹は事グレーゴルの身の上にかんするかぎり、両親などよりははるかに事情に明るく、また事情通と目《もく》されていたし、自分からもそう思いこんでいたしだいであり、それもぜんぜんいわれのないことではなかった。そういうわけでいまのような母親の忠告は妹にとっては、最初はそれしか考えに入れていなかった箪笥や書き物机のみならず、必要欠くべからざる寝椅子は例外としてことごとくの家具を片づけてしまうという意見を固執するに十分な根拠なのであった。妹にそういう要求を持ちださせたのは、むろん子供らしい反抗心と、このころの期間に不意に、辛い思いをして獲得された自負心とばかりではなかった。事実また彼女はグレーゴルが這いまわるのには空間がたっぷりなければならず、それなのにだれの目にもあきらかであるように家具はぜんぜんなんの役にもたたないということを看破していた。しかしおそらくはまたこの年ごろの娘にありがちの狂熱心も一役買っていたのであろう。そういう狂熱心はどんな機会にも自分を満足させようとし、またそういう狂熱心がいまグレーテを誘惑して、グレーゴルの境遇をいっそう悲惨なものにしよう、しかしそうすることによっていままでよりもさらにいっそうグレーゴルのためにつくしてやろうという気を起させたのであろう。なぜならがらんとした四方の壁以外になにもないところにグレーゴルがひとりぽっちでいるような部屋へは、おそらくグレーテ以外の何《なに》人《びと》もはいっていく勇気を持てないだろうからである。
そういうわけであったから妹は母親の意見で翻意するようなことをしなかった。母親はそうでなくてさえグレーゴルの部屋の中にいるものだからただもうそわそわして頼りなさそうに見うけられた。それで、ほどなく口をつぐんでしまい、用箪笥を運び出そうとする妹の手伝いをした。さてこの用箪笥なら、万やむをえぬとあればなくてもさしつかえなかったが、書き物机のほうはそうはいかなかった。ふたりの女がはあはあ言いながら用箪笥を押して部屋を出て行くやいなや、グレーゴルは寝椅子の下から首を出して、どうしたら慎重に、またできるだけ穏便に妹たちの仕事に干渉することができるかを思案した。だがあいにくなことに最初にもどってきたのは母親のほうであった。グレーテは隣室でまだ箪笥にしがみついて、それをひとりで揺りうごかしていた。むろん箪笥の位置はすこしも変らなかった。ところで母親はグレーゴルの姿かたちを見ることに慣れていない。見たら病気にもなりかねまい。そこでグレーゴルはびっくりして寝椅子の別の端のほうへ急いであとしざりした。しかし麻布の前の方が少々動くのはいかんともしがたかった。母親におやと思わせるのにはそれだけで十分であった。母親はふと足をとめて、一瞬そのままじっとしていたが、やがて隣室のグレーテのところへもどっていった。
なに大事件が起るというのじゃない、家具の二つ三つを置きかえるだけの話だ、グレーゴルはこんなふうにいくどか自分に言いきかせたにもかかわらず、女たちの出入りや小さなかけ声、床の上で家具がきしむ音などは、ほどなくグレーゴル自身が認めざるをえなかったように、四方八方から押しよせてくるものすごい音響のような作用をおよぼし、できるだけ首や足をちぢめて腹をぴったり床につけてはいたものの、これではほどなくおれの辛抱我慢も限界に達するだろうとつぶやかざるをえなかった。ふたりの女たちは部屋をからっぽにしようとしている。彼が愛していたいっさいのものを運び出そうとしている。糸《いと》鋸《のこ》やその他の道具が入れてあった用箪笥はもう運びだされてしまった。そうして現在は、もう床にしっかりと食い入っている書き物机に手をかけて揺りうごかしている。それは、商科大学の学生として、中学校の生徒として、いやすでに小学生のころからグレーゴルがずっと勉強に使ってきた書き物机なのだ。――事ここにたちいたっては、ふたりの女たちがもっている善意を吟味する余裕などは実際にもうもつことができなくなった。事実彼はふたりの存在をほとんど忘れていた。というのは疲れたのでふたりは無口のままたち働いていて、聞えるのは、どたどたいう重たい足音ばかりだったからである。
そこで彼が寝椅子の下から外へ出て――女たちはちょうど隣の部屋で机によりかかって一息入れているところであった――這う方向を四たび変えたが、真っ先になにを救うべきかの見当をつけかねていたときに、もうがらんとしてしまった壁面に一つだけまだぽつんと例の毛皮ずくめの婦人像がかかっているのに目がとまった。そこで急いで這いあがって、ガラスの上に体を押しつけた。ガラスは彼の体をしっかりとささえて、熱い腹がひえびえとして心持ちがよかった。グレーゴルがいまこうして覆いかくしているこの絵だけは疑いもなくだれにも持っていけまい。こっちへもどってくる女たちの様子を見るために彼は茶の間のドアのほうへ首をねじ曲げた。
ふたりはそう長く休憩せずにほどなくもどってきた。グレーテは母親の体に腕をまわして、ほとんど抱きかかえんばかりにしていた。「さあ、こんどはなんにしましょう」とグレーテが言って、あたりを見まわした。そのとき、グレーテの目と壁にへばりついているグレーゴルの目がかちりと合った。きっと母親がいたばっかりに妹は度を失わなかったのであろう、顔を母親のほうへこごめて、母親が周囲を見まわせないようにして、こう言った。「ねえ、お母さん、ちょっとお茶の間へもどらないこと」ただし声を震わせて、前後のわきまえもなく言った言葉であった。グレーテのつもりは彼にはっきりとわかっていた。妹は母親を安全なところへ連れて行き、それからグレーゴルを追いもどそうと考えたのだ。だが、追いもどせるものなら追いもどしてみるがいい。グレーゴルは自分の絵の上にへばりついたまま、絵を相手に渡そうとしなかった。ぐずぐずしているとおまえの顔にとびついてやるぞ、と言わんばかりである。
しかしグレーテがそういうことを言ったのはかえって藪《やぶ》蛇《へび》であった。母親は一歩わきへ寄って、花模様の壁紙の上にある巨大な褐《かっ》色《しょく》の斑《はん》点《てん》を見てしまい、自分の見たものがグレーゴルだということをそもそも意識する以前に荒々しい声で、「助けてえ、助けてえ」と叫ぶなり、まるでいっさいを放棄するとでもいうように両腕を大きく広げて寝椅子の上へ倒れて、動かなくなってしまった。妹は「兄さんったら」と拳《げん》固《こ》を振りあげてグレーゴルをにらみつけた。これは変身以来妹が直接兄に向って言ったはじめての言葉であった。妹は母親を正気づかせるような気つけ薬を捜しに隣の部屋へ駆けこんだ。グレーゴルも手伝いたかった――絵を救い出す余裕はまだある――しかし体が額のガラスにぴったりとくっついていたから、むりやりに引きはがさなければならなかった。それから自分も急いで隣室へはいっていった。以前のように妹になにか忠告してやれるかのように。だがなにもできずに妹のうしろにぽかんとしているよりほかはしようがなかった。種々雑多な小《こ》壜《びん》の中をひっかきまわしていた妹は、うしろを振り返って二度びっくりした。そのとき、壜の一つが下に落ちてこわれた。ガラスの破片がグレーゴルの顔を傷つけた。なにかわからないが、腐食させるような薬液がグレーゴルの胴体のまわりを流れた。ところでグレーテはそれ以上ぐずぐずしていずに持てるかぎりの壜を持って母親のところへひき返した。ドアは足で締めた。こうしてグレーゴルは母親から遮《しゃ》断《だん》された。母親はグレーゴルのためにおそらくはほとんど死に瀕《ひん》していたのである。このドアは開けてはならなかった。妹は母親のそばにいなければならない。自分がはいっていって妹を追い出してはならない。そこでじっと待っているよりほかにすることはなにもなかった。自責と不安の念にかられて、彼は這いまわりはじめた。すべてのものの上を這って歩いた。壁も家具も天井も這った。もう部屋全体が彼を中心にぐるぐるとまわりはじめたとき、グレーゴルは絶望のうちに天井から下の大テーブルの真ん中に落ちた。
わずかな時が経過した。グレーゴルはぐったりと伸びたままの格好でいた。周囲は静かだった。きっとこれは吉兆なのだ。そのとき、玄関のベルが鳴った。女中はむろん台所に閉じこめられているので、グレーテが開けに出なければならない。父親が帰ってきたのである。「どうかしたのか」というのが父親の最初の言葉であった。グレーテの様子を見てすべてを察したらしい。グレーテの声がよく通らないのは、きっと父親の胸に顔を押しあてているからなのだ。「お母さんが気絶したのよ。でももうだんだんよくなってきたわ。グレーゴルが這いだしちゃったの」「そんなことだろうと思った。わしがしょっちゅうおまえたちに言っておったのに、おまえたちがわしの言うことを聞こうとせんからこのしまつだ」父親がグレーテの短かすぎる報告をわるく解釈して、グレーゴルがなにか手荒なことをしてのけたと考えたことがはっきりとわかった。そこでグレーゴルとしては父親の気を静めるようなことをやってみなければならなかった。なにしろ事情を説明する時間も可能性ももたなかったので、彼は自分の部屋のドアのもとに逃げて、ドアに身をすり寄せた。そうすれば玄関の間《ま》からこちらへはいってくる父親は、グレーゴルがすぐに自分の部屋にもどろうという最善の意図をもっており、したがって彼を追いもどすということは不必要で、ただドアを開けてやりさえしたらすぐに自分の部屋の中へ消えうせるのだということを容易に見てとることができる。グレーゴルはそう考えた。
しかし父親はそういう微妙な空気を察しとるような気分になってはいなかった。彼は部屋にはいってくるなり「そうか」と叫んだ。憤慨と喜悦をつき混ぜたような声の調子であった。グレーゴルは首をドアから引きもどして父親のほうへ向けた。彼の目の前に突っ立っているのは、実際思いもかけぬ父親の姿であった。とにかく近ごろは新趣向の這い歩きに気をとられて、以前のように家の中の出来事に気を配ることを怠っていた。本来なら家の中の事情の変化に出会っても驚くにはあたらなかったはずなのだ。それはそれとしたところが、しかしこれがはたしてまだ自分の父親といえる人であろうか。以前グレーゴルが商用旅行に出かけていくときなど寝床の中にぐったりと身を埋めて寝ていた父親、帰ってきた晩などは寝間着で安楽椅子にすわったまま彼を迎えた父親、よく立ちあがれもせず、うれしさを示すのにただ両腕しかさしあげられなかった人、年に二、三度、日曜日や大きな祭日などに連れだって出かけた散歩のおりなどには、そうでなくてさえもともと足のおそいグレーゴルと母親のあいだにはさまって、そのおそいふたりよりもまだのろのろと、古い外《がい》套《とう》にくるまって、いつも用心しいしいステッキを突いて歩いていった人、なにかものでも言おうとするときはほとんどいつでも足をとめて連れのふたりを自分のまわりに寄らせた人、あの父親といま眼前に立っている人とが同一人なのであろうか。以前はそんなふうだった父親が、いまはしゃんと体を起して立っていた。銀行の小使が着ているような、ぴっちりした紺色の、金ボタンのついた制服を着ていて、上着の高い堅いカラーの上に突き出た顎《あご》の肉は二重になっており、毛深い眉《まゆ》の下には元気で注意ぶかそうな黒い目がぴかぴか光っている。以前は櫛《くし》も入れていなかった白《しら》髪《が》は、念入りすぎるほど念入りにぴったりと櫛で頭の地になでつけられて光り輝くばかりである。彼は金モールで頭文字を縫いとった制帽――どうやら銀行の名前らしい――を弧を描いて部屋の中を飛ばせて寝椅子の上へ投げた。そして、制服の長い裾《すそ》の端をうしろへはねのけて両手をズボンのポケットに入れ、にがりきった顔つきでグレーゴルのほうへ進んできた。父親は自分で自分がなにをしようと考えているのかおそらく知らないのだ。とにかく彼は足をひどく高く持ちあげて歩いた。グレーゴルは父親の編《あみ》上《あげ》靴《ぐつ》の底が途方もなく大きいのにびっくりした。しかし彼はそのままぼんやりしてはいなかった。自分の新生活の第一日目以来、父親が彼にたいしては最大限の厳格さこそ当をえたことと考えているという事実を彼は知っていたからである。そこで父親が近よれば追われるように前へ逃げ、父親が立ちどまれば彼もまた足をとめた。父親がちょっと体を動かしただけでも彼はすぐ急いで前へ逃げた。こうしてふたりはいくども部屋の中をぐるぐるまわった。とはいえそのあいだ、なにも決定的なことは起らなかったばかりか、テンポがゆっくりしているので、よそ目にも追跡という外観は呈しなかった。壁や天井へ逃げたりすると父親はそれをことさらの悪意ととりかねなかったので、グレーゴルもいまのところは床の上にいたわけである。いずれにせよグレーゴルは、そうやって床の上を這いまわることだってそう長いあいだはやっていられないだろうと考えざるをえなかった。なぜかというと父親が一足歩く距離をグレーゴルは無数の運動で埋めなければならなかったからである。人間でいた時分にだって肺はそう丈夫なほうではなかったのだ。すでに息切れが感じられだしたのになんの不思議があろうか。こうして全力を傾けてよろよろ這っているあいだ、目もほとんど開けてはいなかった。愚かにも床の上を這って逃げる以外の、別の逃げ方にはとんと気がつかなかった。自由に壁に這いあがることができたわけだが、それももうほとんど忘れかけていた。もっとも壁面は、丹念な彫りのある家具類のためにぎざぎざやとがったところがたくさんあってでこぼこしてはいた。――と、そのとき、彼のすぐわきになにかが飛んできて、彼の前をころがった。林《りん》檎《ご》であった。やんわりと投げられたらしい。つづいてすぐ第二の林檎が飛んできた。驚きのあまりグレーゴルは立ちすくんだ。それ以上這って逃げてももうだめだった。父親は爆撃の決意を固めていたからである。食器棚《だな》の上にあった果《くだ》物《もの》皿《ざら》からどのポケットにもいっぱいにつめこんだ林檎を、さしあたってはぴたりとねらいをつけずにやたらに投げつけだしたのだ。小さな赤い林檎は電気仕掛けみたいに床の上をころげまわってぶつかりあった。そっと投げられた林檎の一つが背中をかすったが、べつに背中には異状なく林檎は滑りおちた。ところが第二弾が背中にぐさりとめりこんだ。場所を変えれば、突然の信ずべからざる背中の苦痛が消えるとでもいうように、グレーゴルはさらに逃げようとしたが、まるで釘《くぎ》づけにされたような感じで、全感覚が完全に狂ったまま、その場に伸びてしまった。目が見えなくなる直前、自分の部屋のドアが開かれるのをやっと見ることができた。なにごとか叫ぶ妹のうしろから母親が走り出てきた。下着のままだった。気絶状態でいたときに呼吸を楽にするために妹が着物をぬがせておいたからである。母親はそのなりで父親めがけて走りよった。そのあいだに紐《ひも》や留め金のはずされたスカートなどが一枚一枚床にずり落ちた。その衣類に足をとられながら父親のもとに駆けよって、父親に抱きついて、ふたりでひとりの人間のようになり、――しかしそのときもうグレーゴルの目は見えなくなっていた――両手で父親の後頭部をささえてグレーゴルのために命乞《いのちごい》をした。
3
一月以上もグレーゴルを苦しめたこの重傷は――だれもあえてとりのけようとする者がいなかったので、あの林檎は、この事件の目に見える記念品として肉の中にめりこんだままになっていた――現在のいたましくもおぞましい姿かたちにもかかわらず、グレーゴルが家族の一員であり、家族の一員は敵みたいにとりあつかうべきではなく、逆に嫌《けん》悪《お》の情を胸に畳みこんで忍ぶ、ただもう忍ぶということが家族の義務の命ずるところなのだということを父親にさえ反省させたように見うけられた。
というのも、グレーゴルはその傷のために体を自由に動かすことがおそらくは永遠にできなくなってしまい、現在では部屋を横切るのにさえ、まるで老廃兵みたいに非常に長い時間を要したとはいいながら――高いところを這い伝わることなどもってのほかであった――そういう状態悪化は、彼の考えによればつぎのようなことによって十分に償われることになった。つまりいつも夕方から夜にかけて茶の間とグレーゴルの部屋とをへだてているドアが開かれた。グレーゴルは一時間も二時間もまえから一心不乱にこのドアに目をこらすのがつねであった。暗い部屋の中にいる彼の姿は、茶の間にいる人からは見られない。しかし反対にグレーゴルには、ガス燈で明るく照らしだされたテーブルのまわりに集まる家族の姿を見たり、その会話を、いわば公許という形で、だから以前とはまったく別のやり方で聞くことができるようになったからである。
旅先のどこかの安ホテルで、じとじとと湿っぽい寝具の中へ疲れた体を横たえなければならないようなとき、グレーゴルはいつも少々うらやましい気持ちで自分の家の茶の間で家の者がにぎやかに話しあっている様子をしのんだことだったが、いま目の前にあるのはそういうむかしの団《だん》欒《らん》風景ではなかった。いまではたいていひどくひっそりと時が過ぎていくばかりである。父親は夕食後まもなく自分の安楽椅子にかけたまま眠りこむ。母親と妹とはしめしあわせて静かにしている。母親は燈下に上体を乗り出して流行服飾店から頼まれた上品な下着類の針仕事をやっているし、売子になっていた妹は、将来もっとましな働き口にありつこうとするためか、夜を速記術とフランス語の勉強に当てている。ときおり父親が目をさます。そうして自分が眠っていたのを知らなかったかのように、母親に向って「今日もたいそうおそくまで精が出るじゃないか」と言って、すぐにまた眠りこむ。すると母親と妹とはたがいにものうい微笑をかわす。
父親は、なにかかたくなに、家へ帰ってからも小使の制服をぬぐことを拒んだ。部屋着は曲もなく衣装鉤《かぎ》にぶらさがっているのに、あいかわらずずっと自分の職場にいるかのように、あるいは家にいても上役の声を待ちかまえているかのように、きちんと制服を身につけたまま眠りこんでいた。母親と妹とはこの制服をきたなくすまいとして一所懸命になったが、なにぶんにも支給されたときにもう新品ではなかったのだから、よごれが目だちはじめていた。グレーゴルはよく一晩じゅう、金ボタンはいつも磨《みが》くのでぴかぴか光っているが、地はもうしみだらけによごれきった制服を眺めて過した。老人はこの服をきちんと着こんで、ひどく窮屈そうに、だが静かに眠っていた。
十時をまわると、母親は低く声をかけて父親を起す。それから寝床に寝に行かせようとして言葉をつくした。実際こんな格好で眠っていたのでは本当に眠ったことにはならない。六時には勤めに出かけなければならない体であるから、ぜひともぐっすり眠ってもらわなければならないのである。しかし小使になってこのかたとりつかれた頑《がん》固《こ》さで、いつでももっと茶の間のテーブルのところにいるのだと言いはるのであったが、そのくせきまってまた眠りこんでしまう。そういう父親に安楽椅子を寝台にかえてもらうのは並みたいていの苦労ではなかった。母親と妹とが控え目ながらどれほどいろいろ言いきかせても、父親は十五分くらいのあいだは目をつぶったまま頭をゆっくりと振っているだけで御《み》輿《こし》を上げようとはしない。母親は老人の袖《そで》を引いて、なにかおだてるようなことをその耳もとでささやくし、妹は妹で勉強をそっちのけにして母親の加勢をするが、父親には歯が立たないのである。老人はますますふかぶかと安楽椅子の中へ沈みこむのであった。女ふたりが老人の脇の下に手を入れると、そこでやっとのこと目を開けて、母親と妹とをこもごもに見て、例のきまり文句をつぶやく、「これが人生さ。これがわしの老後の隠《いん》棲《せい》さ」そしてふたりの女にささえられ、手間暇をかけて体を起す。自分の体が自分の重荷だという格好である。女たちにドアのところまで連れて行ってもらう。そこでもういいよという合図をする。あとはひとりで歩いて行く。しかし母親は早々に縫いもの道具を、妹はペンを投げだし父親のあとを追って、寝支度の手伝いをする。
働き疲れてぐったりとしたこの家庭の中で、ぎりぎりのところ以上にグレーゴルの面倒を見る時間はだれももちあわせているはずがなかった。家政はますます切りつめられて行く。女中にも結局は暇が出て、そのかわりに、頭のまわりに白い髪の毛をばさばささせた骨ばった大女が朝晩やってきて、いちばん面倒な仕事をした。そのほかのいっさいは母親が針仕事のかたわらやってのけた。そればかりか、むかしは母親や妹が楽しみの集まりや祝い事などある折に得意になって身を飾った種々雑多な服飾品なども売りに出されるようになった。これは晩方みんなが集まってどのくらいに売ったものだろうかと相談しあっているのを見聞きしてグレーゴルが知ったことである。しかしいちばんの頭痛のたねといえば、それはいつも住居問題であった。現在の家族の事情ではこの住宅は広すぎる。しかし移転の方策はたたない。グレーゴルをどうしたら引っ越しさせるかがわからないからである。しかしグレーゴルにはちゃんとわかっていたが、引っ越しを妨げているのはグレーゴルへの顧慮ばかりではなかった。適当な箱をこしらえて、息抜きのために二つ三つ穴でも開ければ、グレーゴルなどは苦もなく運搬できるはずだ。移転を妨げていたおもな理由はむしろ完全な絶望感と、自分たちは親《しん》戚《せき》知人のあいだにもたえてその例を見ることのできないような不幸に見舞われているのだという考えとであった。世間が貧乏な人たちにたいして向ける要求には、一家の者たちはもう最大限度にこたえていた。父親は銀行の下っ端職員のために朝食を取ってきてやるようなことさえいとわなかったし、母親は母親で見も知らぬ人の下着のために自己を犠牲にし、妹はお客の命令しだいで売場のうしろで右往左往した。家族の者の力はもう限度に達していたのだ。父親を寝かしつけて、母と娘とが茶の間にもどってくる。そして仕事には手をつけず、頬《ほお》と頬とが触れあわんばかりに寄りそってすわる。すると母親はグレーゴルの部屋を指さして、「グレーテや、あそこの戸をお締め」と言う。グレーゴルはいまやふたたび暗《くら》闇《やみ》の中にうずくまる。隣の部屋では女ふたりがさめざめと泣くか、あるいは涙も出ずにテーブルをじっと見つめている。そんなとき、グレーゴルの背中の傷は、いましがた受けたばかりの傷のように痛みはじめるのであった。
グレーゴルは夜も昼もほとんど眠らず過した。おりおりグレーゴルは、こんどドアが開いたらむかしとまったく同じようにひとつ家事の面倒を一身にひきうけてやろうと考える。彼の脳裏にはふたたびひさしぶりに店の社長や支配人、店員たちや小僧たち、ひどく頭の鈍い下男、別の商売をやっている二、三人の友だち、ある田舎ホテルの女中、楽しいはかない思い出、大まじめに、だがあんまりのんびりとした求婚の仕方をした、ある帽子店のカウンターにいる女の子などの姿が現われてくる。――そういう姿が、見知らぬ人やすでに忘れてしまった人などのあいだにまぎれこんで現われてくる。しかしそういう人たちは彼や彼の家庭を救ってくれるどころか全部が全部無力であった。彼らの姿がふたたび消えさったときにはほっとする。そうかと思うと、家族のことなど気に病む気持ちにぜんぜんなれないようなときもある。現在の虐待にたいしてむしょうに腹がたつばかりである。なにを出されたら食欲を起すだろうか、彼自身見当がつかなかったとはいうものの、しかも他面、台所へ這っていって、食欲は少しもなかったがそれでもなにか自分の口に合うものを台所から持ちだす計画を立てたりする。なにをやればグレーゴルに喜んでもらえるか、いまではもうそんなことは思ってもみずに、妹は朝と正午、店へ急ぐ前に、ありあわせの食べものをあたふたと足先でグレーゴルの部屋へ押しこむ。そうして夕方には、その食べものがおそらくはただちょっと口にされたものか、あるいは――これがもっともひんぱんにくりかえされたことだったが――ぜんぜん手もつけられていないかにはいっこう無頓《むとん 》着《ちゃく》に、箒《ほうき》で一掃きはいて外へ出すのであった。部屋の掃除はまえまえから妹の役目で、夕方行われたが、それもいまではこれ以上手ばやくはやりようがないというほどにいけぞんざいであった。四方の壁にそってよごれが線を引いていたし、そこここにはごみと汚物の固まりがころがっていた。はじめグレーゴルは、妹が部屋にはいってくるとき、わざとそういうことさらよごれた隅《すみ》っこに身を置いて、そうすることによってある程度まで妹に非難を加えようと思った。しかしたとい千年万年そこにうずくまっていたって妹が態度を改めるようなことは起らなかったであろう。妹はグレーゴル同様ちゃんと汚物を見ていたのだ。ただ彼女は汚物を放置しておこうと堅く決意していたのである。その場合、グレーゴルの部屋の掃除という自分の特権が侵害されないように、これまでの妹には見られなかった特別の神経過敏さで監視をつづけた。この神経過敏さは家族のものすべてを驚かせた。あるとき、母親が二、三杯のバケツの水でグレーゴルの部屋の大掃除をしてのけたことがある。――もっともそのときは部屋が水びたしになってグレーゴルはひどく機嫌をそこね、寝椅子の上に立腹してふてぶてしくじっと動かずにころがっていたのだが――母親はやがてその罰をこうむった。というのは夕方帰宅した妹がグレーゴルの部屋の様子が変ったのを認めるやいなや、かんかんに怒って茶の間に駆けこみ、まあまあといって手で制する母親を尻《しり》目《め》に、わっとばかり身をよじらせて泣きだした。これには両親も――むろんこの泣き声は父親を例の安楽椅子からとびあがらせた――驚きあきれて最初は拱手《きょうしゅ》傍観していたが、そうしてばかりもいられず、やがて右側では父親が、なぜおまえはグレーゴルの部屋の掃除を娘にまかせておかないのだと言って母親を責めるし、左からはグレーテが、もう掃除なんかぜったいにしてやらないからと金切り声をあげるのに母親はおろおろして、興奮してわれを忘れている父親を寝室に引きずっていこうとする。一方ではグレーテがしゃくりあげて身ぶるいしながら、小さな拳《こぶし》を固めてテーブルをどんどんたたいている。ドアを締めてくれさえしたらこの愁嘆場を見ずにすむし、この騒ぎも耳にせずにもすむものを、だれもドアを締める才覚が出ない。グレーゴルは憤激のあまり音高く口をしゅっといわせた。
しかし妹が昼間の勤めにくたくたになって、グレーゴルの世話をするのにあきあきしていたにせよ、それにしても母親が娘のかわりをつとめる必要はすこしもなかったのだし、また、グレーゴルだってなにもなおざりにされたわけでもなかった。というのはつまりいまでは上にのべた手伝い女がいたからである。その長い一生涯、しっかりとした骨太の体で、ありとあらゆる辛《つら》いことを切りぬけてきたらしいこの後家婆さんは、グレーゴルをはじめからすこしもこわがらなかった。彼女はあるとき偶然にグレーゴルの部屋のドアを開けたことがあった。それも好奇心やなんかではなかった。ひどく驚いたグレーゴルはだれに追われるでもなくうろうろと這いまわりはじめた。すると手伝い女は両手を腹の上に組んで動ずる気色もなく突っ立ったまま、グレーゴルの様子を眺めていた。それ以来、いつも朝晩ちょっとドアを細目に開けて、グレーゴルのほうをのぞきこむことを怠らなかった。最初、手伝い女は、「馬《ま》糞《ぐそ》虫《むし》さん、こっちへおいで」とか、「本当にねえ。この老いぼれ虫は」などと、彼女にしてみればたぶん親愛の言葉なのであろうが、そういう言葉でグレーゴルを自分のいるほうへ呼びよせようとしたりした。グレーゴルはそういう誘いの声を耳にしてもこれを黙殺して、ドアがぜんぜん開かれなかったようなふりをして自分のいる位置からすこしも動かなかった。まったくの話がこの女に、気まぐれに意味もなくグレーゴルのじゃまをしたりさせずに、毎日部屋の掃除をするように言いつけたらよかったのだ。ある日の朝まだき――はげしい雨脚が窓ガラスを打っていたが、これもおそらく春の間近い証拠だったのであろう――手伝い女がまたぞろ例のようにからかいはじめたので、グレーゴルはひどく立腹して、のろのろと頼りなげにではあったがとびかかるような気配を見せて女のほうへ体を向けた。相手はしかし驚くどころかドアのそばにあった一脚の椅子をあっさり高々と振りあげた。口を大きく開いて立ちあがったその様子は、手にした椅子がグレーゴルの背中に打ち下ろされたときになってはじめてその口をとじるつもりだという意図を明瞭《めいりょう》に物語っていた。「なんだい、たったそれだけかい」彼女はグレーゴルがふたたび方向を転じたのを見てそう言って、椅子を静かに部屋の隅にもどした。
彼はもういまではほとんどなにも食べなかった。たまたまさしいれてある食べもののわきを通りすぎたりするときにかぎって、遊び半分一口食べてみるが、飲みくだすでもなく何時間も口にふくんだままでいて、たいていはあとで吐き出してしまう。最初は、おれにこうものを食べられなくさせたのは、この部屋の状態があんまりみじめだからなのだと考えたが、実際は逆で、いくたびも変る部屋の模様に彼はすぐ慣れっこになってしまうのであった。ほかに置き場所のないような品物はなんでもこの部屋の中に入れるというならわしができあがっていた。ところでそういう品物はたくさんあった。なぜかというと、家の中の一部屋を三人の下宿人に貸してしまったからである。この気むずかし屋の紳士たちは――あるときグレーゴルがドアの透き間から確かめたところによると三人が三人とも顔一面にひげを生やしていた――極端に秩序や清潔を重んずる人たちであった。それも自分たちの部屋ばかりではなく、とにかく下宿人であってもこの家の人間になってしまった以上は家全体のこと、ことに勝手元の清潔整頓に口出しをした。役にたたないものやひどくよごれたがらくたの類には容赦しなかった。そのうえ彼らは自分たちの家具その他を持ちこんできたから、そんなわけでたくさんの品物が不要になってきた。いずれも売るには売れず、さりとて捨ててしまうのも惜しいというような代物である。そういうものが全部グレーゴルの部屋に流れこんできた。それから灰捨て箱や台所のくずを入れるごみ箱も同じくグレーゴルの同室人となった。なんであろうが当座不要のものならすべて、いつもせかせかと忙《せわ》しげな手伝い女がただ無造作にグレーゴルの部屋へ引きずってきた。ありがたいことにグレーゴルの目には、運ばれてくる品物と、その品物を持っている手だけしか見えなかった。きっと手伝い女は、いつか折を見てそういう品物をまた取りにくるか、あるいは全部まとめて一挙に捨てに行くかするつもりだったのであろうが、事実は全部そっくりそのまま、最初に投げこまれたその場所にころがっていた。ただしグレーゴルはがらくたのあいだを縫って、初めはこのままだと這《は》いまわる余地がなくなってしまうので、のちにはしかしそういう仕事をしたあとは死ぬほど疲れてもの悲しくまた幾時間も動かずにいたとはいえ、そうするのがだんだんとおもしろく思われてきたので、そういう二つの理由からがらくたの位置を動かしたのである。
下宿している紳士連はときによるとみなが共同で使用する茶の間で夕食をしたためることもあった。であるから茶の間のドアが締められたままになっている晩も多かった。けれどもグレーゴルはこれをさして苦痛とも感じなかった。ドアが開いているような晩にも、それを利用せず、家人は気づかなかったが、グレーゴルは自分の部屋のいちばん暗い隅っこにいたからである。しかしあるとき、手伝い女が茶の間のドアをほんの少々開けっぱなしにしておいたことがあった。夕方になって間借り人たちが茶の間にはいってきて、明りをつけたときもドアはそのままになっていた。三人はテーブルの上《かみ》手《て》に席を占めた。以前父親と母親とグレーゴルとがすわった場所である。三人はナプキンをひろげて、ナイフとフォークを手に取った。すると母親が肉を入れた大皿を持ってドアのところに姿を現わした。すぐそれにつづいて妹が馬《ば》鈴《れい》薯《しょ》を高々と盛りあげた大鉢をささげて姿を現わした。料理は湯気をたてて強い匂《におい》を放っていた。下宿人は自分たちの目の前に据えられた皿や鉢の上に、吟味するようなふうに身をかがめた。実際に、三人のうちでは親分株に見うけられる中央の紳士が肉を一切れ大皿にはいったまま切り取った。十分に柔らかいかどうか、だから台所へ突き返さなくてもいいかどうか調べようがためだったことはあきらかだった。彼は満足した。そこで、緊張した面持でその場の様子を見まもっていた母と娘とはほっと安《あん》堵《ど》の溜《ため》息《いき》をつきながら微笑しはじめた。
家の者は台所で食事した。それでも父親だけは、台所へ行くまえに茶の間にはいってきて制帽を手にぴょこりと一度頭を下げ、テーブルのまわりを一まわりした。紳士連は三人とも立ちあがって、なにやらひげの中でつぶやく。さて自分たちだけになると、彼らはほとんど完全な沈黙のうちに食事を進めた。グレーゴルは妙な感じをもったが、食事中のありとあらゆる物音の中からたえず聞えてくるのはものを噛《か》む歯の音であった。その音はグレーゴルにたいして、ものを食べるには歯というものが必要であり、かつどんなにりっぱな口でも歯がなければなにをすることもできないのだという事実を教えるために聞えてくるように思われた。グレーゴルは心配そうにつぶやいた。「おれもなにか食いたい。だが、あんなものはいやだ。紳士諸君はあんなふうにしてめしを食っているというのに、このおれは死んでいくのだ」
まさしくその夜のことである――グレーゴルには姿を変えて以来ヴァイオリンの音を耳にした記憶がたえてなかった――台所のほうからヴァイオリンの音が響いてきた。紳士連はもう食事を終り、中央の男が新聞を引っぱりだして他のふたりに一枚ずつ渡して、それぞれ椅子の凭《もた》れによりかかって新聞を読み、煙草《たばこ》を吹かしはじめていた。ヴァイオリンが演奏をしはじめると三人はおやという顔で椅子から立ちあがり、爪《つま》先《さき》立てて玄関の間のドアのところに固まって立った。台所にいてもその物音が聞えたらしく、父親が叫んだ。「おやかましいんじゃありませんか。でしたらすぐやめさせますが」「どういたしまして」と中央の紳士が答えた。「なんなら、お嬢さんもこっちの部屋へいらっしゃったらいかがですかな。こっちのほうが気分がよろしいのだから」「そう願えますか、では」と父親はまるで自分がヴァイオリンをひいているみたいに返答した。紳士連は茶の間にもどって、待った。やがて父親は譜面台を、母親は楽譜を、妹はヴァイオリンをそれぞれに持って茶の間にはいってきた。妹はおちついて演奏の準備万端を整えた。両親はこれまで下宿人というものを置いたことがなかったので、下宿人にたいする礼儀の度を過して、自分たちの椅子に腰を下ろすことさえしかねて、父親はドアにより、右手をぴったりとボタンをかけた制服のボタンとボタンのあいだにさしいれていた。しかし母親は下宿人のひとりに椅子をすすめられ、偶然その人が椅子を置いてくれた場所が部屋のわきのほうだったが、椅子の位置はそれなりにしてそこに席を占めた。
妹はひきはじめた。父と母とは、それぞれの位置から娘の手の運びを注意ぶかく見まもった。グレーゴルは、演奏の音にひかれてわれ知らず少々前のほうに出て、もう首を茶の間に突っこんでいた。彼はこの日ごろまったく他人のことを顧慮しなくなっていた。そして自分でもそれをほとんどいぶからなかった。だがすこしまえまでは他人への顧慮ということが彼の誇りであったのだ。ところがいまこそグレーゴルは人目をはばかるべき十分な理由をもっていたはずなのである。つまりいまでは彼の部屋の中はどこもかしこもたいへんな埃《ほこり》で、ちょっと動いても埃がぱっと舞いあがるようなありさまであったから、彼の体も厚い埃に覆われていたのである。背中や脇腹には糸くずや髪の毛や食べものの残りなどをたくさんくっつけたまま這いまわっていたのである。外界にたいする彼の無関心は非常に大きいものだったから、以前昼のあいだいくどかやっていたようにあおむけにころがって絨毯《じゅうたん》に体をこすりつけるようなこともやらなくなっていた。それなのに、紙くず一つ落ちていない茶の間の床の上へ少々這いだしてなんの気おくれをも感じなかった。
ところがまた、彼が這い出てきたことに気づく者はいなかった。家族の者はヴァイオリンの演奏にすっかり気《け》どられていた。これに反して紳士連は、はじめは手をズボンのポケットに突っこんで、譜面台のすぐうしろのところに席を占めて、三人が三人ともそうしようと思えばすぐ楽譜をのぞきこめるような場所にいたが――これはたしかにたいへん演奏の妨げになったにちがいない――ほどなく低い声で話をしながら頭をたれて窓ぎわのほうへひき退き、心配げな父親に見まもられたままそこにとどまった。実際だれがどう見たって、みごとなあるいは愉快なヴァイオリン演奏を聞こうという期待を裏切られ、あきあきしてしまい、ただ非礼にわたることを避けようという気持ちからしぶしぶ聞いているにすぎないということは明々白々であった。ことに三人が煙草のけむりを鼻や口から上へ吹きあげる様子は、人にこの三人がひどくいらいらしていることを推測させた。だがしかし妹はじつに美しくひいていた。顔を片方に傾け、目は吟味するように、もの悲しく楽譜の行を追っている。グレーゴルはさらに少々にじりでた。そして床《ゆか》にぴったりとついてしまうほど頭を低く下げた。できることなら妹の視線をとらえようというのである。音楽にこれほど魅了されても、彼はまだ動物なのであろうか。グレーゴルは自分が憧《あこが》れ求める未知の滋養分への道が示されているような気がした。彼は妹のすぐそばまで進んでいってスカートの裾をくわえ、それによって自分が妹にヴァイオリンを持って向うの部屋へ来てもらいたがっているのだということをほのめかそうと決心した。実際ここではグレーゴルがしようと思うほどにはだれも妹の労をねぎらいはしないのだ。そうだ、そうしたら妹をもうおれの部屋から外へは出すまい。すくなくともおれの生きているあいだは。おれの恐ろしい姿はそのときはじめておれの役に立ってくれるだろう。部屋のどのドアをも油断なく同時に見はって、侵入者にはわっと吠《ほ》えて向っていってやる。もっとも妹を強制的におれの部屋にとどまらせておいてはならない。妹の自由意志でなければならない。妹には寝椅子の上のおれの横にすわってもらう。耳をおれの頭のほうへ傾けさせる。そうしたらおれは、妹を音楽学校にやる堅い決心をしていたのであって、もしこんどの不祥事が勃《ぼっ》発《ぱつ》しなかったならば去年のクリスマスに――クリスマスはやっぱりもう過ぎさってしまったのだろう――どんな反対論にも耳を貸すことなくみんなにこの計画を披露してやるところだったのだということをうちあけよう。こううちあけられてみれば、妹は感動のあまりわっと泣きだすだろう、そうしたらおれは妹の肩のところまで伸びあがって、首に接《せっ》吻《ぷん》してやるのだ。勤めに出るようになってから、妹はリボンも襟《えり》もつけずに首を丸出しにしているのだから。
「ザムザさん」中央の紳士が父親に向って叫んだ。そしてそれ以上なにも言わずに人さし指で、ゆっくりと前進してくるグレーゴルを指さした。ヴァイオリンがやんだ。中央の紳士は最初は頭を振りながらほかのふたりにちょっと笑いかけて、それからふたたびグレーゴルを見た。父親はグレーゴルを追いはらうよりはまず紳士連の気を静めるのが急務だと考えているように見えた。とはいえ三人の紳士はすこしも興奮してなどいなかったし、それにヴァイオリンの演奏よりもグレーゴルのほうが彼らを興がらせるように見うけられた。父親は三人のところへ急いで近より、腕をひろげて三人をその部屋へ追いもどそうとし、いっぽう自分の体でグレーゴルのほうを見ることができないようにした。すると三人は実際少々怒りだした。父親の態度に怒りだしたのか、ないしはグレーゴルのような存在が隣の部屋にいたなどとは夢にも思わなかったのに、それがいま自分たちにわかってきたというので怒りだしたのか、これはもうだれにもわからなかった。三人は父親に釈明を求め、それぞれに腕を振りあげ、せわしなくひげをひねり、ほんのすこしずつ自分たちの部屋のほうへ後退していった。ところで妹はどうかというと、突然中断された演奏後、しばらくは呆《ぼう》然《ぜん》としていたが、やがて、われに返って、しばらくはだらりとたらした両手にヴァイオリンと弓を持って、まだひいているみたいに楽譜に見入っていたのが急に身を起し、せわしなく肺を活動させる呼吸困難のためにまだ自分の椅子にかけたなりでいる母親の膝《ひざ》に楽器を置いて、隣の部屋へ駆けこんだ。三人は父親に追いまくられてさっきよりはよほどはやくその隣の自分たちの部屋に接近しつつあった。妹は慣れた手つきで、あれよあれよという間に枕《まくら》や掛布団をばたばたふるって、寝床をさっと整えた。三人が部屋にはいってくるまえにはもう寝台の整頓を完了して、ひらりと部屋の外へ出てしまった。どうやら父親は例の片意地を発揮しだしたらしく、いずれにせよ下宿人にたいして払うべき尊敬をぜんぜん忘れてしまって、三人をただもう押しに押していった。ついに敷居ぎわで中央の紳士がどしんと足で床を踏んだので、このために父親は停止した。「わたしはいまここに宣言する」彼はこういって手を上げ、目で母親と娘の姿をも求めた。「わたしは、この住居ならびに家族のうちに存するいとうべき事情にかんがみ」――彼はここでとっさに決心して床に唾《つば》を吐いた――「この家を出て行く。わたしはいうまでもなくこれまでの費用はいっさいお支払いしない。そのかわりわたしは今後、きわめて容易に理由づけらるべきいかなる損害賠償要求をひっさげて――嘘《うそ》ではありませんぞ――貴下に迫ろうか、これを考慮するつもりです」彼は沈黙して、自分の前方を見つめた、ちょうどなにかを待ちもうけてでもいるかのように。はたしてほかのふたりがただちに口を切った。「われわれもまた契約を解除する」それから中央の紳士は、ドアの把《とっ》手《て》をにぎって、ばたんと大きな音をたててドアを締めた。
父親は手探りしながら自分の椅子へよろめきもどり、どさりと腰を下ろした。見たところはいつもの居眠りという格好であるが、首をじっとさせておくことができないようにしきりとうなずいているのを見れば、ぜんぜん眠っていないことがわかる。そのあいだじゅうグレーゴルは以前の場所に静かにうずくまっていた。つまり同居人に見つかったその場所である。計画が不成功に終ったことにたいする失望と、しかしまたおそらくは腹をすかしつづけてきたところからくる衰弱とのために、彼は動くことができなかったのだ。彼はいますぐにも彼の上にがらがらといろいろなものが崩れおちてくるだろうと恐ろしくも予期して、待っていた。震える母親の指からヴァイオリンがするりとぬけて膝から下へ落ちてからんと音をたてた。この音すらも、彼を驚かせ動きださせるにはいたらなかった。
「ねえ、お父さん、お母さん」妹はこう言って、話の糸口として手でテーブルを打った。「もう潮時だわ。あなたがたがおわかりにならなくったって、あたしにはわかるわ。あたし、このけだものの前でお兄さんの名なんか口にしたくないの。ですからただこう言うの、あたしたちはこれ《・・》を振り離す算段をつけなくっちゃだめです。これの面倒を見て、これを我慢するためには、人間としてできるかぎりのことをやってきたじゃないの。だれもこれっぽっちもあたしたちをそのことで非難できないと思うわ。ぜったいに、よ」
「そのとおりだわい」と父親がひとりごちた。まだあいかわらず息の静まらない母親のほうは、気でも狂ったような目つきをして、口に手を当てて深い咳《せき》をしだした。
妹は母親のところへ急いで、額《ひたい》をささえてやった。父親は娘の言葉を聞いてなにか考えがまとまったとでもいうようなふうで、椅子に正座し、下宿人の食事以来まだテーブルの上に置きっぱなしになっている皿のあいだで制帽をもてあそびながら、ときどきじっとして動かないグレーゴルのほうに目をやった。
「これを振り離さなくちゃだめよ」と妹は父親に向って強く言った。母親は咳きこんでいるので、なにも聞えないのである。「これ《・・》はお父さんとお母さんを殺しちゃうわ、そうですとも。あたしたちみたいに、こんな苦労をして仕事して行かなければならないっていうのに、いったいどうして家の中のこんな永久の苦しみに辛抱できて。あたしだってもうそんな辛抱はできないわ」こう言って妹はわっと泣きだした。涙が母親の顔にかかった。妹は機械的に手を動かして母親の顔からその涙をぬぐった。
「娘や」と父親はやさしく、しごくもっともだという様子で言った。「それならどうすればよかろうな」
妹は肩をすくめた。どうしていいか見当がつかないのである。泣いているあいだに、先刻の断々乎《だんだんこ》たる調子とは逆に、どうしていいのかわからなくなってきたのだ。
「こいつがわしたちのことをわかってくれさえしたら」と半ばは問いただすように父親が言った。妹は泣きながらはげしく手を振った。そういうことはありえないという意味なのである。
「こいつにわしたちのことがわかってくれたら」と父親はくりかえし、目を閉じることによって、そんなことはありえないという娘の確信をわが身に納得させた。「そうだったら、こいつと話し合いをつけることだってまんざらできない相談じゃあるまいが。だがこんなありさまじゃ――」
「放《ほう》り出しちゃうのよ」と妹が言った。「それ以外にどうしようもないわ、お父さん。これがお兄さんのグレーゴルだなんていつまでも考えていらっしゃるからいけないのよ。あたしたちがいつまでもそんなふうに信じこんできたってことが、本当はあたしたちの不幸だったんだわ。だっていったいどうしてこれがグレーゴルだというの。もしこれがグレーゴルだったら、人間がこんなけだものといっしょには住んでいられないというくらいのことはとっくにわかったはずだわ、そして自分から出ていってしまったわ、きっと。そうすればお兄さんはいなくなっても、あたしたちもどうにか生きのびて、お兄さんの思い出はたいせつに心にしまっておいたでしょうに。それなのにこのけだものときたらあたしたちを追いまわす、下宿のかたがたを追いはらう、きっとこの家全体を占領して、あたしたちを表の道の上に野宿させるつもりなのよ。ね、ちょっと、ほら、お父さん」妹は突然叫びだした。「もうやりだしたわよ」グレーゴルにもまったく不可解な恐怖のうちに妹は母親をさえ離れ、母親の椅子からもとびのいた。グレーゴルのそばにいるよりは、母親を犠牲にしたほうがいいというような様子である。そうして父親の背後へ逃げた。父親は娘の挙動だけで度を失って同じく立ちあがり、娘をかばうかのように両腕を半ば上へあげた。
しかしグレーゴルにしてみれば、だれかを、いわんや妹を不安がらせようなどとはまったく思ってもみないことであった。彼は部屋に這いもどるために回転しはじめたにすぎなかったのである。あわれむべき現在の状態では困難な回転を行うためには首の加勢を必要とした。そのためにいくども首を持ちあげては床を打った。その奇妙な動作が人々をいぶからせもし驚かせもしたのだ。彼は動作を中止し、周囲を見まわした。どうやら彼のよき意図は認められたらしい。人々はただ瞬間的にびっくりさせられたにすぎなかった。そうとわかると家族の者は黙って悲しくグレーゴルを見つめた。母親は椅子にすわって両足をぴったりとつけて前へ伸ばしていた。疲労のために瞼《まぶた》がほとんどふさがりそうであった。父親と娘とはならんですわっていた。娘は手を父親の首にかけていた。
さあ、またはじめてもいいだろうとグレーゴルは考えて、ふたたび仕事にとりかかった。辛い作業のために息づかいが荒くなったが、それを押えることはできかねた。またおりおりは一息入れざるをえなかった。そうだからといって彼を追いたてる者はいなかった。万事が彼自身にまかされていた。回転が完了したとき、すぐさままっすぐに這いもどりはじめた。彼と彼の部屋とのあいだにある距離の大きさには驚かされた。ついさっきいったいどうしてこの遠い道のりを、それとは知らずにこの衰弱した体で這いおおせたか、合点がいかなかった。しょっちゅう、はやく這っていかなければと思いつづけていたために、家族の者のひとことも、叫び声一つも彼を妨害しなかったことにはほとんど気づかなかった。敷居のところまでたどりついたときになってはじめて彼はうしろを振り返った。ただし完全に首をねじり曲げたわけではない。首がこわばってきたのを感じたからである。それでも、自分のうしろになにひとつ変化のなかったことだけはどうやら見てとることができた。ただ妹は立ちあがっていた。グレーゴルの最後の一《いち》瞥《べつ》は母親の上をかすめた。母はもうすっかり眠りこんでいた。
グレーゴルが部屋にはいるやいなや、大急ぎでドアが締められ、堅く閂《かんぬき》がかけられ閉鎖された。うしろで突然起ったこの物音のために彼はひどく驚かされた。足ががくりと折れたほどだった。こんなにあわててドアを締めたのは妹であった。あらかじめ立ちあがっていて、グレーゴルが部屋にはいったと見るや、さっととんできたのだ。グレーゴルの耳にはその足音がぜんぜん聞えなかったのである。すると、「やれやれ」と妹は両親に向ってさけんだ、鍵《かぎ》穴《あな》の鍵をまわしながら。
「さて」とグレーゴルは考えて、あたりの暗《くら》闇《やみ》を見まわした。自分がもうまったく動けなくなっているのがほどなくわかった。それを格別不思議だとも思わなかった。むしろこのほそぼそとした足でここまで這ってこられたというのが不自然なくらいであった。その他の点ではわりに気分がいいように思われた。むろん体ぜんたいが痛いには痛いが、それもやがて薄らいで、最後にはまったく消えさるように思われた。柔らかい埃にすっかり覆いかくされた背中の腐った林《りん》檎《ご》やその周囲の炎症部の存在もすでにほとんどそれとは感ぜられなかった。感動と愛情とをもって家の人たちのことを思いかえす。自分が消えてなくならなければならないということにたいする彼自身の意見は、妹の似たような意見よりもひょっとするともっともっと強いものだったのだ。こういう空虚な、そして安らかな瞑《めい》想《そう》状態のうちにある彼の耳に、教会の塔から朝の三時を打つ時計の音が聞えてきた。窓の外が一帯に薄明るくなりはじめたのもまだぼんやりとわかっていたが、ふと首がひとりでにがくんと下へさがった。そして鼻孔からは最後の息がかすかに漏れ流れた。
朝早く手伝い女がやってきたとき――それだけはどうかやめてくれるようにと、これまでにもいくどかやさしく言ってみたが、急いで力まかせにドアというドアをたたきつけるように締めるので、この女がやってくると家じゅうの者はゆっくり寝ていようにもいられなくなるのである――例のごとくちょっとグレーゴルの部屋をのぞいてみたが、最初はべつに異状を認めなかった。じっと動かないグレーゴルを見て、こんなところにわざとそうしているんだ、ふてくされているんだと思った。女はグレーゴルがいっさいの分別をそなえているものとかねて考えていたのである。ところが偶然長い箒を持っていたので、ドアのところからその箒をさしこんでくすぐろうとした。それもなんの効果も示さなかったので腹をたてて、グレーゴルの体を少々突いた。グレーゴルがその伏せている場所からずるずると突き動かされるままに動くのを見たときにはじめて、女ははてなと思った。ほどなく事の真相を知って、目を丸くし、われ知らず口笛を吹いたが、ぐずついてはいないで、寝室のドアをさっと開き、暗闇に向ってどなった。「まあちょっと来てごらんなさいよ、くたばってますよ。あすこに伸びてます、くたばって」
ザムザ夫妻はダブル・ベッドから身を起して、最初はまずこの手伝い女にたいする不快の念を克服しなければならなかった。それからやっとのこと報告の意味を理解する段どりにこぎつけた。いったんその意味がわかったとなると、夫妻はそれぞれ寝台の右側左側から急いで床へ下りた。ザムザ氏は毛布を肩に引っかけ、ザムザ夫人はただ寝間着のままで出てきてグレーゴルの部屋にはいった。そのあいだには茶の間のドアも開かれた。グレーテは下宿人を置いて以来、茶の間で寝起きしていた。一睡もしなかったようにグレーテはちゃんと着物を着ていた。蒼白《そうはく》の顔もそれを物語っているようであった。「死んだ」と夫人は言って、たずねるように手伝い女のほうを見あげた。むろん自分で確かめてみられたのであるし、確かめなくとも見ればわかることであった。「まずそうだね」女が言った。証明するために箒でグレーゴルをわきのほうへかなりの距離、突き動かしてみせた。夫人はその手をとどめようとするようなそぶりを示したが、実際にはそうしなかった。「さて、これで神さまに感謝できるというものだ」とザムザ氏が言って、十字を切った。すると三人の女たちもその例にならった。わき目もふらずに死体を見つめていたグレーテは、「ねえ、まあなんて痩《や》せていたんでしょう。なにしろずいぶん長いことなんにも食べなかったんだから。食べものが、入れてやったときそのままで出てきたんだから」事実グレーゴルの体は、まったく平たく干からびていた。もはや足が胴体を上へ持ちあげず、またそのほかにも人の注意をそらせるものがなにもなくなってしまったいまになってはじめてそれがはっきりと認められた。
「グレーテや、ちょっとばかりあたしたちのほうへおいで」悲しそうな微笑を浮べてザムザ夫人が言った。グレーテは死体のほうを振り返り振り返り、両親のあとについて寝室にはいった。手伝い女はドアを締めて、窓をいっぱいに開けはなった。朝も早いというのに、すがすがしい空気の中には、どこかに暖かさがまじっていた。本当にもう三月も末に近かった。
三人の紳士が部屋から出てきて、きょとんとして朝食のありかを捜した。朝食の支度は忘れられていた。「朝めしはどこだ」と親分株のが手伝い女に不機嫌にたずねた。しかし相手は指を口に当てて、黙って急いで、グレーゴルの部屋へ行ってみろという合図をした。三人は言われたとおりにグレーゴルの部屋へ行き、少々くたびれた上着のポケットに手をさしこんで、いまはもうすっかり明るくなった部屋の中で、グレーゴルの死体のまわりに突っ立った。
そのとき、寝室のドアが開いて、制服姿のザムザ氏が、一方の腕を夫人に、他方の腕を娘に添えて姿を現わした。三人とも泣いた痕《こん》跡《せき》が少々見える。グレーテはときおり父親の腕に顔を伏せた。
「即刻ここをお立ちのき願いましょう」ザムザ氏はこう言って、自分の体から女ふたりを離さずに戸口のほうを示した。「とおっしゃると」と中央の紳士がやや驚いたように言って、ひどくやさしい笑顔を見せた。他のふたりは手を背にまわして、たえずこすりあわせている。自分らの有利に終る大合戦がはじまるのを楽しく待ちかねているといったふうである。「わしがただいま申しあげたそのままの意味ですな」ザムザ氏はこう答えて、左右に女ふたりを伴ったままの隊形を崩さずに相手に近よっていった。下宿人の代表者は最初のあいだじっと立ったままで、事態を新たに整理しなおすかのように床を見つめていた。「では、出ましょう」やがて彼はこう言って、ザムザ氏を見あげた。突然自分を襲ってきたへりくだった気持ちの中で、この新しい決意にたいしてさえ相手の新たな承認を得たいとでもいうふうである。ザムザ氏は、目を大きく開いたまま、ただいくたびも短く相手にうなずいてみせた。それから代表者は本当に玄関の間のほうへすぐ大《おお》股《また》で歩きはじめた。別のふたりは、手をじっとさせたまましばらくのあいだ聞き耳を立てている様子であったが、急に親分のあとを追いかけてとんでいった。そうしないとザムザ氏が先手を打って玄関の間へ行き、彼らと親分とのあいだの連絡を切断しはすまいかと心配するとでもいうような格好であった。玄関の間で三人は一様に衣装掛けから帽子を取り、ステッキ立てからステッキを抜き、無器用なおじぎをして、退去して行った。まったくいわれのない不信の念をいだいて――いわれのないことはすぐ知れた――ザムザ氏は女ふたりを伴って玄関前の階段口へ出ていき、手すりによりかかって、三人の紳士がゆっくりとしかし規則正しい足どりで長い階段を降りていき、一階ごとに階段口の一定の曲り角でいったん姿を消し、二、三秒してまた姿を現わすのを見ていた。三人が下へ降りて行くにつれて、三人にたいするザムザ一家の関心は薄らいでいった。最初はこの三人に向って、やがてはしかし三人を下にして肉屋の小僧がひとり、いばった様子で頭に荷をのせて階段をのぼってきた。そのころになってやっとザムザ氏はふたりの女を連れて手すりのところを離れた。三人は重荷のおりたような気持ちで家の中へ引き返した。
親子三人は今日という日を休息と散策に使おうと決議した。三人にはそういう勤労中断の十分ないわれがあったばかりではない。むしろぜひともそれを必要としたのだ。そういうしだいで三人はテーブルの前にすわって、ザムザ氏は重役あてに、ザムザ夫人は内職注文者あてに、グレーテは店主あてに、それぞれ欠勤届を書いた。書いているときに手伝い女が、朝の仕事は終ったからもう帰ると言いに来た。三人は顔も上げずにただちょっとうなずいただけであった。けれども手伝い女がすぐ帰ろうとしないのに気がついて、不機嫌に顔を上げた。「なにか、用かね」とザムザ氏がたずねた。手伝い女は薄笑いを浮べて戸口に立っていた。この一家にたいそうすばらしいことを知らせてやりたいのだが、根掘り葉掘り聞かれるのでなければ、そうあっさりとは聞かせられないというような様子である。女の帽子の上にある、ほとんど垂直に立った小さい孔《く》雀《じゃく》の羽根が――もうまえまえからザムザ氏にはこの羽根が気に食わなかったのである――かすかに四方八方に揺れうごいていた。「なんの用なの、いったい」とザムザ夫人が聞いた。女は家族の中ではこのザムザ夫人をまだしもいちばん尊敬していたといえる。「はい」と女は答えた。親しそうな笑いのためにすぐにあとの言葉がつづけられないのだ。「隣の例のもののとり片づけは、もうご心配ご無用です。すっかりすませてしまいましたから」ザムザ夫人とグレーテとは、先をまた書きつづけるというような格好でテーブルの上へかがみこんだ。ザムザ氏は、手伝い女がいっさいをことこまかに説明しだしそうにするのを見てとって、手を伸ばしてそれを断固として拒絶した。口に蓋《ふた》をされたものだから、女は自分がひどく忙しい身であることを思い出し、あきらかにむっとして「じゃ、みなさん」と叫んで、ぐいとまわれ右をし、すさまじい音をたててドアを締め、帰っていった。
「夕方来たら、暇をやってしまおう」とザムザ氏が言ったが、夫人も娘もこれには返答をしなかった。どうやら得られたばかりの心の落ちつきを手伝い女にまたかき乱されてしまった格好だからである。ふたりの女は立ちあがって、窓ぎわへ行き、抱きあって立っていた。ザムザ氏は椅子にかけたままふたりのほうへ向きなおり、しばらく静かにふたりの様子を眺めていたが、やがてこう言った。「さあ、もういいだろう。過去は過去さ。わしのことも少々はかまっておくれ」ふたりはすぐそのとおりに、部屋の中にもどってきてザムザ氏を愛《あい》撫《ぶ》し、急いで欠勤届を書きおえた。
それから親子三人はうちそろって家をあとにした。数カ月以来たえてなかったことである。三人は電車で郊外に出た。電車の中には三人のほかに客はだれもいなかった。暖かい日がさんさんとさしこんでいた。ゆったりとうしろによりかかりながら、三人はこれから先のことをあれこれと語りあった。よく考えてみれば一家の将来もそうわるいものではないということが判明した。なぜかというと、三人の職業はどれもこれも――これまでたがいにたずねあったりしたことはまったくなかったのであるが――話しあってみればまったく恵まれたものであったし、ことに将来ははなはだ有望であったからだ。事態改善のいちばん手っとりばやい有効な方策は、疑いもなく住居を変えることであった。これまで一家はグレーゴルが捜しだした家にひきつづき住んできたわけであるが、三人はその現在の家よりももっと手狭で家賃の安い、しかし出《で》端《は》のいい、なにはともあれいったいにもっと住みいい家がほしかった。三人がこんなふうにおしゃべりをしているうちに、ザムザ夫妻は、しだいに生きいきとして行く娘のようすを見て、娘がこの日ごろ顔色をわるくしたほどの心配苦労にもかかわらず、美しい豊麗な女に成長しているのにふたりはほとんど同時に気がついた。ザムザ夫妻は、しだいに無口になりながら、また、ほとんど無意識に目と目でうなずきあいながら、さあそろそろこの娘にも手ごろなお婿さんを捜してやらねばなるまいと考えた。降りる場所に来た。ザムザ嬢が真っ先に立ちあがって若々しい手足をぐっと伸ばした。その様子は、ザムザ夫妻の目には、彼らの新しい夢とよき意図の確証のように映った。
旧新潮文庫版あとがき
高橋義孝
一九一八年、第一次世界戦争が終った。ヨーロッパの文明世界、ことにドイツの精神的世界にみなぎりわたった危機・破局の意識は、文学史の上ではいわゆる表現主義の運動に結晶した。表現主義の詩人たちの眼には、人生は専ら、危険な不安定な、興奮に充ち満ちた、恐怖すべき、残酷な、嘔《おう》吐《と》を催させる、暗鬱な、疑惑に満ちた、矛盾だらけの、分裂した、苦悩多きものとして映じた。彼らはこのような人生を精神・魂・心・愛、つまり人間のいわゆる主体的なものの過度の緊張によって繋縛しようとした。そして、絶叫、忘我、反抗、拒絶、断念、新しきものの待望などが彼らの対決方式であった。詩、戯曲、小説などあらゆる文学形式がこの「主観主義的」戦闘に駆り出された。ヴェルフェル、トラークル、クラブント、カイザー、シュテルンハイム、トラー、メル、フォン・ウンルー、ヨースト、デーブリーン、バルラッハらによって数多くの「表現主義的」作品が書かれた。だがあらゆる文学運動の例に漏れず、多くの詩人たちは打上げ花火のようにただ文学史の夜空に消えて行った。わずかばかりの詩人が、わずかばかりの作品が残った。そして今日の鑑賞に堪えている。「徐々にそのより深い諸前提が理解せられ、今日でもドイツではほとんど完全に未知に近い」(マルティーニ)詩人フランツ・カフカ Franz Kafka はその一人である。「変身」(》Die Verwandlung《1916.)はその一つである。
カフカは一八八三年七月三日プラハに生れ、一九二四年六月三日、ウィーン近郊のキールリングで四十一歳で没した。表面は平凡な市民生活のうちに一生を過した。(その点、いかにも「詩人」らしい生涯を送ったシュテファン・ゲオルゲと対照的であり、また、カフカの生涯は二十世紀の文明世界における詩人の一生活方式として象徴的であろう。)長編に 》Das Schloss《》Amerika《》Der Prozess《などがあり、無数の短編、断片、随想、日記、覚書がある。短編中にはすぐれた作品が多い。友人の、同じく詩人マクス・ブロートが彼の死後遺稿を整理して全集版をアメリカで刊行した。ほどなく完結するはずである。彼の文学の特色は「徹底的に写実的な手法によって、純粋に象徴的なものを表現する」(マールホルツ)点にありとせられ、彼において「ヨーロッパのニヒリズムは致命的な自己意識に到達した」(マルティーニ)といわれる。
「その種において完全なものは、その種を超越する」(ゲーテ)からか、カフカの作品にはニヒリズムを超えるものがある。
その作品中、ことに有名な、この『変身』の「巨大な褐色の虫」は何の象徴であろうか。答えは無数にあるようだ。そしてどの答えも答えらしくは見えぬ。けだし文学とは、それ自身がすでに答えなのであるから。
(一九五二年初夏)
解説
有村隆広
カフカの生涯と作品
生い立ち
フランツ・カフカは、一八八三年(明治十六年)、チェコスロヴァキアのプラハに、富裕な商人ヘルマン・カフカの長男として生まれた。父親のヘルマンは、南ボヘミアの田舎生まれのユダヤ人であり、長い間ゲットーに住んでいたが、その後、商才を発揮して小間物商となり、当時のプラハのユダヤ人としては成功者の部類に入った。カフカの母親ユーリエは、豊裕なドイツ系ユダヤ人の出であり、その父は呉服商を営んでいた。
母親ユーリエの家系には、独身者、変人、医者、タルムード(ユダヤ教典の集大成)の研究家等がいた。伯父ジークフリートは変わり者で、生涯独身であった。また、別の伯父ルードルフも孤独を好み、隠遁生活をしていた。カフカの伝記作者、クラウス・ヴァーゲンバッハは、カフカの幼年時代の印象を、内気さ、おずおずとした控え目な感情、臆病さ、接触能力の貧困という表現を用いて説明し、これらはカフカの母方の家系の特徴であると分析している。カフカもまた、自分は父方の家系ではなく、母方、レーヴィ家の血筋をより多く受け継いでいると『父への手紙』のなかで述べている。
また、カフカのほとんどの作品のなかにもヴァーゲンバッハが分析したような諸特徴がみられる。したがって、カフカの文学は、すでに彼がその生を受ける前に、その特徴のいくつかが出来上っていたことになる。
孤独な少年時代
カフカは一八八九年(明治二十二年)の秋、プラハの旧市街にあるドイツ系小学校に入学した。父親のヘルマンは仕事に忙殺され、また、母親も常に父親の助手として働いていたので、幼いカフカが両親と顔を合わすことはまれであった。教育は料理女と、そして後になってからは、フランス人の女家庭教師にまかされていた。したがって幼いカフカは常に孤独であった。この頃のカフカを、ヴァーゲンバッハは、この子供の臆病な性格と死人の眼のような真剣さは、その原因は一般的にいえば両親の教育にあった、と述べている。カフカは、後年、幼年時代の母のしつけについて『父への手紙』のなかで、次のように述べている。
母が僕に対して、とても優しかったのは事実です。しかし、僕にとってはそれもすべてあなたと関係していたため、結局はよい状態にあるとはいえませんでした。母は無意識のうちに、狩猟における勢《せ》子《こ》の役割を果たしていたのです。……そして、そのことで僕が独りだちしそうなときは、いつも母が間に入り、その優しさで、あるいはまた……あなたへのとりなしによってまるく収めるのでした。
普通の家庭では、横暴な父親から母親が子供をかばう。しかしカフカの家庭では、父親の意を受けた母親のとりなしによって、子供は父の権威にまるめこまれてゆく。したがって父親に抵抗しながらも、たくましく成長していくという普通の子供たちの経験をカフカは有しなかった。母親譲りのデリケイトな性格は、このような教育によって、ますます、内向的なものになった。学生時代からのカフカの親友、マックス・ブロートは、プルースト、クライストと同じようにカフカも、一生、幼年時代の印象を清算できなかったと述べ、カフカが幼年時代に受けた教育が、将来の生活、そして彼の文学にも影響を与えたことを認めている。
夢多き青春時代――ギムナージウムから大学へ
カフカは一八九三年(明治二十六年)から一九〇一年(明治三十四年)まで、旧市内にある国立のギムナージウムに通う。ギムナージウムの高学年になると文学書を読みはじめる。一九〇一年から一九〇六年まで、プラハのカール大学で法律を学ぶが、自分の生涯が文学に捧《ささ》げられることを自覚しはじめる。晩年、カフカは青春の思い出を『〈彼〉一九二〇年の手記』のなかで次のように回想している。
もうずい分前のことだった。哀《かな》しみに打ちひしがれて、僕はラウレンチ山の中腹に腰を下していたことがあった。そして人生に抱いている願いを考えてみた。そのうちで最も重要な、あるいは最も魅力的な願いとして明らかになったのは、人生を展望すること……であった。人生がそれ本来の厳しい浮き沈みを続け、同時に人生がそれと同じようにはっきり虚無として、夢として認識されるように展望したかったのである。
カフカもやはり人の子、年頃の青年と同じように、モルダウ河(チェコ名・ボルタバ)の左岸にあるラウレンチ山(丘といった方がふさわしい)の中腹に腰を下して、未来への夢に耽《ふけ》った。しかし、その夢は普通の青年が有するような夢ではなく、人生を虚無として、浮動としてとらえたいという夢であった。これは、カフカがその人生の途上において、この現実の世界は仮象の世界であることを認識していたことの証明である。
カフカは彼が書いた最初の作品断片、『ある戦いの記録』のなかで、人間はあたかも実在しているかのように振舞っているが、本当は実在していないのだと述べ、この現実の世界は幻のようにはかない存在であると嘆いている。人間の認識能力に対する深い絶望を、クライスト、ニーチェ、ホーフマンスタールの系列のなかで、カフカは感じたといえる。ここにカフカ文学の原点がある。
永遠の異邦人――ユダヤの民
カフカが故郷をなくしたユダヤ人の子孫であることが、彼の文学に深い刻印を与えたことはまぎれもない事実である。彼の作品そのものには、ユダヤ人ということばはでてこないが、主要作品のほとんどには共同社会から追放されたユダヤ人の孤独な姿が描かれている。カフカと同じくプラハに住んでいたカフカの伝記作者パーベル・アイスナーは、カフカが生活していた頃のプラハの街では、土着のチェコ人、支配者のドイツ人、その中間に位置するユダヤ人たちが互いに憎みあって生きていたと述べている。なかでもユダヤ人たちは、チェコ人からはよそ者として除《の》け者にされ、ドイツ人からは成上り者として嫌われていたと、報告している。
アイスナーは、さらに、これらユダヤ人たちは、モルダウ河の堤防に背を向けて、「常に死と隣り合わせ」に生きていたと述べる。
カフカも幼少の頃から自分たちは歓迎されない民族であることに気付いていた。彼の盲目の友人、オスカー・バウムは幼い頃、チェコ人の子供たちとの争いで失明したが、それについてカフカは後年、彼は民族の犠牲になったのだと語っている。またカフカは、彼の最後の作品『歌姫ヨゼフィーネ、あるいは二十日鼠族』のなかで、「私たち種族のものたちは青春というものを知らない。……私たちの生活では、子供は少しでもひとり歩きが出来るようになり外見の見分けがつき出すと、もう大人と同じようなことをしなければならない」と述べ、ユダヤ民族の哀しい運命を的確に描いている。
昼間は役人、夜は作家の二重生活
カフカは一九〇六年、法学博士になり一年間裁判所で実習を行う。その後、一九〇八年友人の父親の世話で、労働者災害保険局の役人となる。カフカも大変就職に苦労した。この役所の勤務は午前中だけで、午後は帰宅してよかったので、文学を自分の天職と考えていたカフカにとっては、比較的めぐまれた職場であった。
父との対立相克
一九一二年(明治四十五年)の秋、カフカは一夜のうちに『判決』を書きあげる。彼はこのことについて、『日記』のなかで「この物語はまるで本物の誕生のように汚物やねん液でおおわれて僕の中から生まれてきたのである」と述べ、本格的な作品がようやく出来上った喜びを吐露している。彼は『判決』のなかで、彼が当時直面していたあらゆる問題、父親との関係、ユダヤ教のこと、女性関係、形而上学的問題等を取り扱っている。ここでは父親との関係について述べてみよう。
主人公のゲオルク・ベンデマンはフリーダ・ブランデンブルクという女性と婚約するが、父親はそれに反対し、ゲオルクに死刑宣告を下す。驚き、恐れ戦《おのの》いたゲオルクは、父の部屋をとびだし、川へ身を投げて自殺する。ストーリーから推せば、実に変な物語であるが、ここには、カフカと実在の父親との関係が暗示されている。カフカはその生涯を通して常に父親と対立していた。父親はカフカの生活のあらゆること、職業のこと、結婚のこと、日常生活に関する様々なことに干渉した。カフカは『父への手紙』のなかで、「父上、あなたは肘《ひじ》掛《か》けいすに座ったまま世界を支配していらっしゃいました。あなたの意見が絶対正しくて、他の意見はすべて狂って変で、おかしな意見ということになってしまいました」と述べ、父親に絶えず支配されていたことを嘆いている。
しかし、そうかといって、カフカが父親を徹底的にきらい、また父親もカフカを憎んでいたかといえば決してそうではない。
私たちは散歩の途中で再びキンスキパレーにやって来た。その時、ヘルマン・カフカという看板の出ている商会から黒いオーバーを着て立派な帽子をかぶった長身で肩幅の広い男が出て来た。彼は私たちの五歩ばかり前に立ち止って、私たちを待っていた。私たちが三歩近づくと、その男は非常に大きな声で叫んだ。「フランツ、お帰り。空気が湿っぽいぞ」。カフカは奇妙に低い声でいった。「親父です。僕のことを心配してくれているのです。愛情はよく権力の顔をしているものです。さようなら。またいらっしゃい」私はうなずいた。フランツ・カフカは私に手を差し出さずに行ってしまった。(『カフカとの対話』)
『カフカとの対話』は、ヤノーホという当時十八歳の青年がカフカとの交遊の思い出を書き留めたものである。カフカは当時、三十八歳で、ヤノーホを弟のようにかわいがっていた。年下の青年の前で父親の愛情を受けているカフカの複雑な気持を、この対話から読みとることができる。カフカには父に対する愛情と恐れが並存していたことになる。
社会主義への接近
『アメリカ』(一九一四年)のテーマのひとつとしては社会批判を挙げることができる。カフカはこの作品で、主人公のカール少年の眼をとおして、貧しい労働者たちの生活を描いている。
カフカの社会主義への関心はギムナージウム時代にさかのぼる。彼はその頃、ヨーロッパ社会主義の党花であるカーネーションをいつも身に着けていた。カフカの役所、労働者災害保険局はその立場上、場合によっては労働者と敵対関係になることもありうる。しかし、カフカは、労働者たちについて、「こうした人々は何と控え目にしていることでしょう。彼らは僕たちの所に頼みに来るのです。保険局を襲撃し、何もかも粉々に打ちこわすかわりに彼らは頼みにやって来るのです」と述べ、労働者たちに同情している。『審判』のテーマのひとつは裁判所の腐敗であり、また『城』では官僚機構の無能さと非能率が描かれているのも、カフカの社会主義への関心と決して無関係ではない。
フェリーツェとの婚約、そして解消
一九一二年(明治四十五年)の夏、カフカは親友、マックス・ブロートの家で、フェリーツェ・バウアーと会い、彼女に一《ひと》目《め》惚《ぼ》れした。フェリーツェは、カフカの形容によれば、いわば「女中のような」女性で、がっちりとした体格で、当時としては職業を有するキャリアウーマンであった。カフカは彼女に手紙をせっせと出しているが、最初は、フェリーツェはカフカの異常さと強引さにへきえきしていた。しかしマックス・ブロートのとりなしもあり、彼女も、カフカに関心を持つようになってきた。ところが、今度は逆に、カフカの心に、あるとまどいが生じ、フェリーツェとの交際を避けようとする気持になる。それは、彼女がカフカの心の中にまで入り込み、彼の心から孤独を奪い去ってしまうからである。カフカは、文学とは孤独の中でのみなされうると考えていた。しかし、フェリーツェと婚約し、その後結婚すれば、その孤独は失われ、したがってまた、文学することが不可能となると、カフカは考えるにいたった。
彼は、一方においては孤独を恐れ結婚しようとする。しかし他方においては、結婚は孤独を不可能にすると考え、それを拒否しようとする。カフカはこのようにお互いに矛盾する気持に悩み続けたが、『審判』では、フェリーツェとの婚約が主人公ヨーゼフ・Kの逮捕、婚約解消が処刑という形で象徴的に描かれている。このようにカフカは作品の中で、フェリーツェとの関係を再現している。
カフカはその後、彼女とまた交際し、二度目の婚約をしたが、これもまた、表向きは結核による喀《かっ》血《けつ》という理由で、解消された。カフカはこの時は前回以上に苦しみ嘆いた。
絶対的なるものを求めて
フェリーツェとの婚約解消、結核の発病等のため、カフカは絶望の日々を過ごす。その後、一九二〇年(大正九年)、彼の作品『火夫』をチェコ語に翻訳したチェコ人の人妻、ミレナ・イェセンスカと恋愛をする。この不幸な体験は、書簡集『ミレナへの手紙』に収められている。
その後、カフカは彼のファウストともいうべき『城』(一九二二年)を執筆する。主人公の土地測量師のKは、故郷の町に妻子を残して、深い雪に埋もれた城の村に到着し、そこで測量師としての地位を得ようとする。この場合、測量師としての職を得るということは絶対的なものを求めるということに通じる。若い頃、この世界の不条理に気付いたカフカは、その反動として、「人間は自分のなかに、不壊者がいるということを意識することなくしては生きてゆけない」と述べ、その生涯を通して絶対的なるものを求め続けた。しかしカフカはそれに対する解答を見出すことなく、一九二四年六月、ウィーン郊外、ドナウ河右岸のクロスターノイブルクで、結核のため四十一歳の若さで、この世を去った。
『変身』について
『変身』は一九一二年の十一月に執筆されているが、出版されたのは三年後の一九一五年のことであった。
『変身』は奇怪な小説である。ある朝、グレーゴル・ザムザは自分が一匹の巨大な虫に変身しているのに気付く。カフカの描写からすると、これはどうやら巨大なむかでといったほうがふさわしいかも知れない。人間が動物に変身するということは、童話の世界でならまだしも、普通の世界ではありえない。これが第一の不思議である。第二の不思議は、グレーゴルの変身を周囲の人々が誰も不審に思わないということである。人々は、そのような現象は、当然のことながらありうることだと考えている。第三番目に、カフカが、なぜ変身したかを、まったく説明していないこと、これもまた不思議なことである。このような奇怪な事実を面前にして、読者は、ただ困惑し、自分の気持を整理することができない。そして、考えられうるかぎりの様々の解釈を行なってみる。
そこで、読者の理解を深めるために、『変身』について、カフカ自身のコメントを紹介してみたい。
一、……とても読めたものではない結末、ほとんど細部にいたるまで不完全だ。出張によって妨げられなかったら、もっといいものができていたであろう。(『日記』)
カフカは先ず、『変身』が失敗作であるとこぼす。その理由は、創作に要する時間が不足したからであると残念がる。創作する時間がなかったという事実は、後述するように『変身』のテーマとも関係してくる。
二、……「小説の主人公の名前はザムザですね」と私は言った。「それは、カフカの暗号のような響きを持っております。ザムザという単語のSは、カフカという語のKと同じ位置にあります。Aは……」カフカは、私の話を中断して言った。「暗号ではないですよ。ザムザはまったくカフカだというわけでもないのです。『変身』は決して告白ではありません。ある意味では、秘密漏《ろう》洩《えい》ではありますが」(『カフカとの対話』)
主人公のザムザは作者カフカのことを指しているのではないかというヤノーホの問に対し、カフカはそれを肯定も、否定もしない。カフカの話し振りから推測すると、『変身』には自伝みたいなところもある。
三、……『変身』は、恐ろしい夢です。恐ろしい表象です。(『カフカとの対話』)
一の場合とは異なり、ここでは、カフカは『変身』は現実の世界のものではないことを暗示する。夢であると断言している。
四、……この前のお手紙では、オトマル・シュタルケが『変身』の扉絵を描くはずだとのことでした。私はそのことでびっくりしております。……つまり、シュタルケはいつも写実的に、実際どおり描いておりますから、彼はたとえば昆虫そのものを描こうとするかもしれないと、そう考えたわけです。それだけは駄目です。それだけはよくありません。私は彼の能力の範囲を制限するつもりはありません。私は当然のことながらこの物語をよりよく知っているわけですから、それでお願いするのです。昆虫そのものを描くことはいけません。遠くのほうからでも、姿を見せてはいけません。(『手紙』一九一五年)
右の文は、『変身』を出版したクルト・ヴォルフ書店への手紙の一節である。書店では画家のシュタルケに扉絵を描いてもらうことにしていたのであろう。もしシュタルケが本当に昆虫の絵を描くとすれば、それは作者カフカの意図したものとはまったく別のものになるから、カフカはあわてて手紙を書いたのであろう。この点からみれば、『変身』は単なる動物譚《たん》ではないということがはっきりとしてくる。
五、次に、『変身』の書評に対するカフカの反応を紹介してみよう。
エートシュミットは僕がありふれた事件の中へ奇跡をこっそりしのび込ませていると主張しています。それは彼の重大な誤解です。普通のものそれ自体がすでに奇跡なのです。僕はそれをただ記録するだけです。僕がうす暗い舞台の照明のように、物を少しばかり明るくすることはありえます。(『カフカとの対話』)
カフカは、自分はいたずらに奇跡を書いているのではなく、ごくあたりまえのことを書いているだけだと述べる。カフカのこの言葉は、『変身』を理解するうえで重要な示唆を与えてくれる。
六、なお、最後に、『変身』のテーマについてのカフカ自身の発言を紹介してみよう。
『火夫』、『変身』……そして『判決』は、外面的また内面的にも同じものです。三つの作品には、明白な、かつもっともらしい秘密の結び付きがあります。息子たちという表題でこれら作品がまとまることを、諦《あきら》めたくはありません。……
カフカは右の文で、『変身』のテーマは息子たちであると明言している。彼は、ある時には、『変身』は一夜の夢、恐ろしい表象であるといい、またある時には、ここでは普通のことが描かれていると述べ、そして今また、そのテーマは息子たちであるとも言っている。カフカ自から『変身』について様々異なることを述べている。ましてや、読者が、『変身』の解釈にとまどうのは、当然のことである。そのとまどいがはっきりと表われているのが、カフカ研究者たちの多様な解釈である。
先ず、メタモルフォーゼ(変形)という技法は、文学においては次の三つに分類できるとカフカ研究家クレメンス・ヘーゼルハウスは述べる。その第一のタイプは、人間が低次元、あるいは無生物的な自然領域へ追放される場合であり、第二のタイプは、人間がより完全なものへ止揚される場合であり、第三のタイプは人間が神的なもの、絶対的なものに変形する場合であると述べている。『変身』は、彼の分類に従えば第一のタイプに属する。そして、このような技法は、内部世界と外部世界、日常的なものと非日常的なものの対立を鮮明に浮き上がらせているといえよう。
次に具体的解釈の例を紹介してみよう。
一、私的生活と職業生活との相克
グレーゴルはセールスマンとしての職を拒否し、自由に生きたいと考えているが、そのように振舞うことのできない彼の苦悩が、『変身』で描かれている。これはカフカの伝記的諸事実によっても裏付けることができる。彼は、『変身』を執筆していた頃、午前中は役所に勤め、午後は父親の経営する工場の管理を任されていた。従って、天職と考えている文学のために時間をさくことが困難であった。当時の日記の中で、「今日は一字も書かなかった」という意味のことをしばしば書き留めている。このような焦燥感がカフカに『変身』を書かせたといえる。
二、家族物語――父親と息子との対立相克
グレーゴルは父親が投げた林《りん》檎《ご》の傷が原因となって死ぬ。父親が勝利を収めたわけである。その場合、家族は常に父親の味方をする。これは丁度、『父への手紙』からも類推できるように、カフカとその実在の父親ヘルマンとの関係を連想させる。
三、形而上学的世界――非連続の世界
著名なカフカ研究者、ヴィルヘム・エムリヒは人間はその考え方において、「ダス・マン(世間の人)」と「ダス・ゼルプスト(本来の自己)」に分類できると述べ、グレーゴルはそれら両方の世界に生きていると分析する。そして、変身という現象は、グレーゴルの本来の自己が、その日常生活、すなわち、世間の人の中に衝撃的に入り込んできたことを意味すると、述べる。
したがって彼の論理に従えば、『変身』は時空を超越したアルキメデスの点から観察したこの現実世界であるといえる。アルキメデスの点から見れば、この現実世界は非連続の世界であり、もはや、論理的整合性とか、因果律に基づくような価値判断は存在しえない。それゆえに、グレーゴルはそこでは生存の基盤を失う。
四、その他、『変身』をマルクス主義的に解釈し、資本主義社会における公的生活と私的生活との矛盾が描かれているという解釈もある。また、神と人間との関係が暗示されているという宗教的な見方もある。
さらにまた、『変身』の読み方としては、その前作品『判決』との関連で読むべきであるとハルトムート・ビンダーは述べているが、これは当を得た見方である。つまり、『判決』の主人公のゲオルクが名前を変えて、『変身』の世界に入り込んだという考え方である。
ところで、グレーゴルが変身したことを伏せておいて『変身』を読んだら、どうなるであろうか。両親を心配させる登校拒否児、ある日突然ノイローゼになった猛烈社員と見《み》做《な》してもよいのではないか。カフカは『変身』の扉絵に昆虫が描かれることには猛反対したが、彼自身の提案としては、「……次のような場面を選びます。両親と支配人が閉ったドアの前にいるところ、あるいはもっとよいのは、両親と妹が明るい部屋にいて、暗い隣室へのドアが開いているところ」と述べている。グレーゴルの姿を人目に触れさせないことによって、カフカ自から読者に様々の解釈を許しているようである。
(一九八五年四月、ドイツ文学者・九州大学教授 高橋義孝閲)
年譜
一八八三年(明治十六年)七月三日、チェコ系ユダヤ人、ヘルマン・カフカを父とし、富裕なドイツ系ユダヤ人、ユーリエ・カフカ(旧姓レーヴィ)を母として、チェコスロヴァキアのプラハに生まれる。
一八八九年(明治二十二年)六歳 ドイツ系小学校に入学。
一八九三年(明治二十六年)十歳 ドイツ系ギムナージウム(中・高等学校)に入学。
一九〇一年(明治三十四年)十八歳 ギムナージウム卒業。同年秋、プラハのドイツ系大学、カール大学に入学。二週間化学を学び、その後、法律を専攻する。
一九〇二年(明治三十五年)十九歳 ミュンヘン大学でドイツ文学を勉強する予定であったが断念し、その後引き続き法律を学ぶ。
一九〇三年(明治三十六年)二十歳 法制史国家試験に合格。
一九〇四年(明治三十七年)二十一歳 この頃、『ある戦いの記録』の草稿Aを執筆した模様。ヘツベル、グリルパルツァー、フローベル、ドストエフスキーを読む。ホーフマンスタールの『チャンドス卿の手紙』に感銘する。
一九〇六年(明治三十九年)二十三歳 法学博士の学位を授与される。十月から一年間、裁判所で法律の実習。
一九〇七年(明治四十年)二十四歳 一般保険会社に臨時雇として入社。『田舎の婚礼準備』を書く。
一九〇八年(明治四十一年)二十五歳 七月より労働者災害保険局に勤める。八編の小品を『観察』と名付けて発表する。
一九〇九年(明治四十二年)二十六歳 『ある戦いの記録』(草稿A)から二つのエピソード、『祈るひととの対話』、『酔っぱらいとの対話』をヒューペリオン誌に発表。
一九一〇年(明治四十三年)二十七歳 日記を書き始める。
一九一一年(明治四十四年)二十八歳 親友マックス・ブロートと共に四週間、パリ旅行をする。
一九一二年(明治四十五年・大正元年)二十九歳 八月、最初の恋人、フェリーツェ・バウアーと出会う。創作意欲大いに湧く。ゲーテ崇拝。六月下旬から七月にかけ、ブロートとワイマルにゲーテ博物館を訪ねる。九月、『判決』、『火夫』を執筆。十一月、『変身』執筆。十二月、最初の単行本、短編集『観察』出版。
一九一三年(大正二年)三十歳 九月、ウィーンに出張、ついでにシオニスト会議に出席する。
一九一四年(大正三年)三十一歳 六月、フェリーツェと婚約、ただし七月には早くも解消する。『アメリカ(失踪者)』執筆を終える。八月、『審判』の執筆を開始し、翌年一月、執筆を終える。十月、『流刑地にて』執筆。
一九一五年(大正四年)三十二歳 フェリーツェと再会。十月、フォンターネ賞受賞。『変身』出版。
一九一六年(大正五年)三十三歳 この頃から翌年にかけて『田舎医者』等の短編を書く。
一九一七年(大正六年)三十四歳 七月、フェリーツェと二度目の婚約。ただし、結核による喀血のため、またもや婚約解消。父との関係も悪化する。
一九一八年(大正七年)三十五歳 チューラウ、続いてシェレーゼンで療養に努める。
一九一九年(大正八年)三十六歳 一月、ユーリエ・ヴォホリゼクと婚約。『父への手紙』執筆。
一九二〇年(大正九年)三十七歳 チェコ人の人妻、ミレナ・イェセンスカに恋する。ユーリエとの婚約を解消する。
一九二二年(大正十一年)三十九歳 『城』、『ある犬の回想』、『断食芸人』等を執筆。
一九二三年(大正十二年)四十歳 最後の恋人、ドーラ・デュマントを識る。九月以降、ベルリンに住む。『建設』執筆。
一九二四年(大正十三年)四十一歳 『歌姫ヨゼフィーネ、あるいは二十日鼠族』を執筆。四月よりウィーン郊外のクロスターノイブルクのサナトリウムで療養。六月三日、喉頭結核のため、死去。恋人デュマント(愛称ディアマント)が最後まで付き添う。
有村隆広編