変身
フランツ・カフカ作/川崎芳隆訳
目 次
変身
カフカの文学……解説と鑑賞
年譜
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変身
一
ある朝のこと、落ちつけぬまどろみの夢からさめたとき、グレゴール・ザムザは寝床のなかで一匹のばかでかい毒虫に変わった自分に気がついた。かたい甲羅《こうら》のせなかを下にした寝姿だった。ちょっと頭をもたげてみると、せりあがったアーチ型の腹部が見えた。鳶《とび》色の、固い環節《かんせつ》でいく重にも仕切られている。そのお腹《なか》のてっぺんには、掛けた布団がいまにもずり落ちそうなかっこうで、やっとこふみとどまっているしまつ。いつもの大きさにくらべると、哀れなくらい細く小さないく本ものあしが、目のまえで頼りなげにちらちらしている。
「何が起きたのだろう?」と、彼は考える。夢ではなかった。人ひとり住まうにはいささか小さすぎるというだけで、まずはまともな自分の部屋、勝手知った四つの壁に取りかこまれて、森閑《しんかん》としたおさまりようだ。包みをほどいた反物《たんもの》の商品見本が、ひろげたままに置いてあるテーブルの上方に……ザムザはセールスマンである……せんだってあるグラフ雑誌から切り抜いて、きれいな金ぶちの額にはめた肖像画がかけてある。毛皮の帽子に襟巻《ボア》といった姿の貴婦人が正座して、肘《ひじ》のあたりまですっぽり包んだ重たげな毛皮のマフを、見るひとのほうへ突きだしている。やがてグレゴールの視線が窓へ向かう。陰鬱《いんうつ》な天気であった……窓のトタン板をたたく雨だれの音が聞こえて……気分がすっかりめいってしまう。〈もう少しこのまま眠って、ばかばかしいことはいっさいがっさい忘れてしまうとしたらどうだろう〉と、いちおうそんなふうに思ってみたが、とてもできる相談ではない。というのも、もともと右を下にして寝るのが習い性となっていて、いまの状態ではそんな姿勢をとろうとしてもどだい無理というもの。右がわへひっくりかえろうと力《りき》んでみたところで、いつもぐらりとからだがゆれて、もとのもくあみになるばかり。そのあいだは、目をつぶったままだった。そうしていないと、もぞもぞ動くあしのようすがいやでも目にうつるからだった。百回ほどもやってみたが、そのうち、わき腹のあたりについぞ感じたことのない軽微な鈍痛をおぼえだしたので、とうとうあきらめることにした。
〈やれやれ、おれとしたことが、なんてまあしんきくさい職業《しごと》をえらんだものだろう〉と、彼は考えた。〈あけてもくれても旅から旅。店に坐っての商売にくらべたら、外交の仕事にゃ百層倍の苦労がつきまとう。そのうえ、汽車連絡の心労だとか、毎度のまずい食事だとか、猫の目のようにくるくる変わって、いっこうに長つづきしない、うわべばかりの人づきあいだとか、そういった種類の旅のつらさがおまけとあっては。いまいましいったらありゃしない〉
腹のうえあたりがむずむずしてきた。あお向けのままで、ベッドの柱のほうへゆっくりとからだを動かしていく。顔をもう少しあげやすいようにとそう思ったからだ。かゆいところがみつかって、そこいらがやたらと白いぶつぶつでいっぱいだった。でも、彼には見当のつきようもない。あしのひとつでさわろうとしたが、すぐにもひっこめる。さわったとたんに、ぞっと寒気が五体のまわりを走ったからだ。
そこでからだをずらせてもとの姿勢にかえっていった。〈あんまり早起きがすぎると〉と、彼はそう思う。〈人間がおよそふぬけになってしまう。人間にはね、眠りというものが必要なのさ。ほかのセールスマンの生活ときたら、まったくもってハレムの女そっくりなんだよ。たとえば、おれが、取った注文をメモしておこうと考えて、午前中に宿屋へ引きあげてみると、奴《やっこ》さんたちときたら、やっと朝食のテーブルについたところなんだから。こららもできりゃ社長《ボス》の支配下で、そうしたまねごとのひとつもしてみたいと思うんだが、まずはためしてごろうじろ、さっそく首がちょんだわな。それはとにかく、こんなやりかたができるのなら、こちとらだってけっこう至極《しごく》。おやじとおふくろのことを考えて、つらい辛抱するのでなかったら、とっくのむかし、暇をもらっていただろう。社長のまえにまかり出て、思いのたけを洗いざらいぶちまけてだな。そしたら奴さんもぶったまげて、デスクのうえから|ず《ヽ》|でん《ヽヽ》|どん《ヽヽ》ところげ落ちたにちがいないよ。いずれにせよ、デスクのうえにでんと構えて、高いところから見おろすように、社長に向かって話しかける……どう思っても、きみょうじゃないか。おまけに耳の遠いおっさんだから、こららとしたらぐっと近くによらにゃならん。でもね、すっかりあきらめるには、まだまだちょいと早すぎる。社長《ボス》から工面した両親のかりを、すっかり返すだけの現金《げんなま》がいつかたまってくれさえすれば……とはいっても、まだ四、五年はかかるだろうが……そのあかつきには断固としてあとへは引かぬ。これさえできりゃ、まずはこちらの人生の大転機。ところでと、さしあたっては起きるってことがかんじんかなめ、汽車の出るのは五時だったなあ〉
彼はたんすのうえで秒をきざんでいる時計のほうに目をやった。〈しまった〉とそう思う。六時半であった。秒針はゆっくりと進みつづける。半どころか、もはや四十五分に近いのだ。目覚しは鳴らなかったのだろうか。四時きっかりに合わせてあるのは、ベッドからもよく見えた。してみると、鳴ったことはたしかであろう。家財道具一式をゆり動かして鳴りひびいたやかましい音を知らないままに、平気の平左で寝すごすなんてことが、いったいぜんたいありうるだろうか。いや、いや、ぐっすり眠りこむ……むろんそんなぐあいにいくはずもなかったのだろうが、それだけにかえっていっそう、しん底から眠りほうけたのかもしれないぞ。ところでと、さしあたってはどうしたらいいのだろう。次の便は七時に出る。こいつに間にあおうと思ったら、なんでもかんでも急がにゃならぬ。見本はまだ包んじゃいないし、ご本人からしてはっきりしない心持ち、くるくる動きまわるなんてとんでもない。そのうえ、よしんば汽車に間に合ったとしてもだ、社長の落雷《かみなり》は避けようもあるまい。というのも、店の小僧が五時の汽車に乗りこむこのおれさまを待っていて、すっぽかしの一件については、とうのむかしに報告ずみというところだろうから。あいつときたら社長のお気に入りで、バックボーンもなければ分別もない、けちな下司《げす》野郎。ところで、病気といっておいたらどんなものだろうか。でもね、かえってことは七面倒になるばかり、いい結果は出そうにもない。つまりはだ、五年間のお店《たな》づとめのあいだじゅう、ついぞ病気になったためしがなかったからさ。そんなことをいってやった日にゃ、社長のこった、保険医同道でやってきて、おまえんとこの息子はなまけ者だと、両親《ふたおや》へのいやがらせだってやりかねないよ。たとえ抗弁これつとめようとも、健康の点じゃ完全無欠、ただもう仕事がいやなだけさとぬかす医者の断定で、ちょんと相成るにきまってる。そのうえ、いまのケースでは、医者の言い分がまちがいだともいい切れないのじゃあるまいか。じっさいのところグレゴール自身も、長い睡眠のあげくのはてに、相もかわらず残った眠気のことを除くとすれば、まことにもって気分|爽快《そうかい》、ひどい空腹感さえ覚えていたのである。
ベッドを離れようといった決心のほどはつきそうにもなく、以上のようなとりどりの思いをくりかえしていると、ちょうど六時四十五分を知らせる目覚し時計が鳴りだすのを機会《しお》に、ベッドの頭にあたるドアをそっとたたく音がした。
「グレゴールや」という母の声。「六時四十五分になったのよ。お仕事のほうはどうするつもりなの?」
やさしい声だった。それにこたえる自分の声を聞いて、ぎょっとした。まぎれもなく自分の声音《こわね》にちがいなかったが、なにかしら下のほうからどうにもならない苦しげなピイピイ声が紛れこんでいて、最初のひと声だけはことばの明瞭《めいりょう》さを妨げるまでにはいたらなかったが、それからあとは余韻の調子をぶちこわし、相手に聞こえるかどうか、まことに怪《あや》しいきわみであった。グレゴールは詳細にわたる返事をして、事の次第をつぶさに知らせたいとは思ったが、こんなはめに立ちいたった以上、ただもう「はい、はい、お母さん、ありがとう。もう起きてますよ」というだけにとどめるほかはしようもなかった。
おそらくは木のドアで隔てられていた関係で、彼の声変わりも外から気づかれるまでにはいたらなかったろう。返事を聞いて安心したらしい母親は、足を引きずるようにして立ち去っていく。だが、この短いやりとりから、意外にもまだ家に居残っていたグレゴールに、ほかの家族も気がついた。といったわけで、次の瞬間には、父親がわきのドアを握りこぶしてそっとたたいた。
「グレゴールや……グレゴールや」と、彼はそう呼びかけた。「こりゃまたどうしたというんだい?」
父はしばらく間をおいて、もういちど声を低め、返事をうながした。「グレゴールや、グレゴール」
すると別のわきドアから、妹のやつまでが小さな声で心配そうにいったものだった。
「グレゴール兄さんてば、どこかお悪いのじゃないかしら。ご用がおありなのじゃ?」
両がわに向かって、彼は返事をかえす。
「仕度《したく》はできてるよ」
発音には細心の注意をくばって、ことばのひとつひとつをゆっくりと区切りながら、声の変調を気取られないようにと懸命だった。父親は朝食の食卓にもどったが、妹のほうは相もかわらず囁《ささや》くようにいいつづける。
「グレゴール兄さんてば、あけてちょうだいな、お願いだから」
ドアをあけようなどとは夢にも思いうかべるはずがなく、旅の経験から習い性となった用心のよさをわれながらほめてやりたくさえなっていた。夜のあいだは、ドアというドアにロックしておくことである。
とりあえずのところでは、こっそりと気ずい気ままに起き出して着がえをし、まずは、まっさきに朝食をたべよう、さきのことを考えるのはそのあとだと思う。というのも、寝床のなかでどんなに考えあぐもうと、なんのたしにもなりはしないと、よくよくわかっていたからである。いままでだって、きっと寝相《ねぞう》が悪かったせいでもあろうか、しばしば軽い痛みを感じながらも、いったん起きあがってみると、ただもうきっすいの思い過ごしにすぎなかった場合がよくあったわいと、思い出されてきた。してみると、きょうの思い過ごしもいまに少しずつ消えていくのだろうと、期待する気持ちになってきた。そのうえ例の声変わりとても、ひどいかぜひきの前ぶれ、つまりは旅まわり男の職業病にほかなるまいと信じて疑わなかったのだった。
布団をはねのけるのは、いとも易々《いい》たることだった。ほんのちょっぴりお腹《なか》をふくらませるだけでよかったからで、布団はひとりでにずり落ちた。でもそれからさきがたいへんだった。なにしろ彼のからだたるや、ばかに大きくなっていたからで、いつもの状態ならば、起きあがるのに腕と手を使うというわけだったのに、いまではたくさんのあしがあるばかり。しかもそいつがしょっちゅう|てんでばらばら《ヽヽヽヽヽヽヽ》な動きかたをするうえに、どうにも制御いたしかねるというしまつ。いずれにせよ、どれか一本を折りまげようとしたら最後、まずはしょっぱなにそいつがぴんとまっすぐに伸びてしまったりする。なんとか思いどおりになってくれた、やれやれよかったと思ったときには、とたんに、ほかのあし全部が、まるでいましめでも解かれたように、痛ましいまでの無鉄砲な興奮からわいわいがやがやと動くのだった。
「ベッドのなかでぐずぐずしてちゃいけないなあ、いつまでも」と、グレゴールはひとりごとをいった。
そこで、とりあえず下半身をベッドから乗り出しにかかった。それにしてもまだ見たこともなかったから、その部分のかっこうたるや、かいもく見当もつきかねた。まず動かしてやろうとやってみたのだが、これはまたなかなかどうしてやっかい至極《しごく》。のろのろとはかどらないのがよくわかった。とどのつまりは頭にかっと血がのぼり、力をふりしぼるようにしてやみくもにからだを前方につき出したとたん、足もとの部分の木柱にしたたかぶっつかったものだから、灼《や》けつくような痛みがずしんとひびいて、つまりはこの下半身のあたりが、おそらくはからだぜんたいのうちで、いちばん感じの鋭いところたろうということがよくわかった。
そういうわけで、まずは下半身をベッドの外に乗り出そうと決心すると、用心に用心を重ねて頭をベッドのはしの方に向けてみた。こいつはうまくいった。胴体はでぶでぶにふくれて重たかったが、頭をまわすにつれて、それといっしょにのろのろと動いてくれた。だがついに頭がベッドの外に出てしまい、宙に浮かんだかっこうになってみると、このままの形で前へ乗り出していいものかどうか、いささか不安になってきた。というのも、こんな姿勢でころげ落ちでもしようものなら、それこそ神さまのお恵みでもないかぎり、頭部にけがを受けるのは夢まちがいもなかったろうからだ。いまのいまこそ気を確かに持つべき時期である。してみれば、ベッドのなかにじっと横になっていることこそ、肝要であろうと、考えたのだった。
ところが、またしてもため息まじりにさっきと同じ苦労をくりかえしながら、もとの姿勢で横になり、またぞろあの小さなあしが以前にも増していらいらといがみ争うのを眺めていると、この気ずい気ままなあしの動きを落ちつかせ、もとの秩序にかえしてやるのは、とてもじゃないが手におえそうには思えなかった。これじゃ、どうして安閑《あんかん》とベッドのなかに寝ころんでおられるだろうか。とはいっても、ここから解放されるめども立ちそうにない。しかし、なにはともあれ、いっさいを犠牲にし、当たってくだける以外にはなす手もあるまい、と彼はまたしても自分の心に語りかけるのだった。と同時に、冷静な分別にたよって、やけっぱちな決心を反省してみるほうが、終局的な成りゆきも上々ではあるまいかと、思い直してみることも忘れなかった。そのとき、彼は瞳を鋭くかがやかせ、窓の外に視線を向けたが、目にはいるものは、狭い通りの向かいがわさえもぽってりとおおいかくしている朝霧だけで、残念ながらそこからはなにひとつ慰めらしいものも、勇気らしいものも取りかえせなかった。
「七時にもなったのに、相もかわらず、霧、霧、霧か」
あらたに七時を告げる目覚し時計の音を聞きながら、彼はそういった。それからまたもしばらくのあいだ、息づかいも弱よわしげにじっと身を横たえていた。こうしてひっそりと寝そべってさえいれば、もういちどこれまでどおりの尋常一様な状態がもどってくるのではあるまいかと、期待するかのように。
やがて、彼はこんなふうにつぶやいた。〈七時十五分のベルが鳴るまでには、是が非でもベッドから完全に離れていなけりゃいけない。いずれにしろ、だれか店のものがやってくるにちがいあるまい、それまでには。このおれのことをしらべるためにだ。開店は七時まえだったからなあ〉
そこで彼は手ぎわよくからだぜんたいを平均にゆすぶりながら、そのままベッドの外へ投げ出す仕事にとりかかった。こんなふうにやれば、ベッドから落ちるさいに、頭をまっすぐ起こしておくつもりなのだから、たぶんかすり傷ひとつ受けないですむだろう。なあに背中はかたい甲羅なんだ。じゅうたんが敷いてあるんだもの、別にたいしたことになるはずがない。ただいちばん気になるのは、落ちた瞬間に大きな音がすることだけだ。べつにあわてふためくはずはないにしろ、ドアの外の連中がえらく心配するにちがいない。でもね、なにはともあれやってみなきゃなるまいて。
グレゴールがなかばからだをベッドの外に乗り出したとき……といっても、こいつは遊びごとみたいなもので、さして苦労のいる仕事とはいえなかった。ただもう気の向くままに、からだをゆすりつづけておればよかったからである……ふと頭にうかんできたのは、だれでもいい、助人《すけっと》がいればいいなあということだった。力持ちがふたりいれば……というのは、父親と女中のことだったが……これで万事はことずみだ。ふたりがまるくせりあがった背の下へ腕をちょいとさしこんで、はぎとるようにベッドからひっぱがし、背をまるめてお荷物をおろしておいてから、床の上で完全に上向きになるのを注意ぶかく見守っていてくれさえすれば、じゅうぶんなのだ。そうなれば、ここではじめてたくさんのあしが効用を発揮する段取りになるわけだよ。ところで、鍵《かぎ》という鍵がぜんぶかかっているもっかの状態は問題外として、おれは本気で助けを呼ぶべきなのかしら。そう考えると、われともなく微笑のかげが浮かんできた。金輪際《こんりんざい》の苦境に追いこまれていたのにもかかわらず。
これ以上からだをゆり動かしたひには、とてものことにつり合いのとれないところまできていたが、とにもかくにも、とっさのうちに最後の決心をつけなければならなかった。五分たてば七時十五分である。と、そのとき玄関でベルの鳴る音がした。
「いよいよもって会社からやってきたのだな、だれか知らないが」
そうつぶやきながら、からだがすくむようだった。にもかかわらず、あしだけはじたばた踊っている。一瞬、家のなかが静まりかえった。
「ドアをあけにいくものがいないのかな」と、グレゴールはひとりごとをいった。はかない希望が湧いてきた。でも、当然のことながら、女中が足取りもしっかりと出ていって、ドアをあけた。
最初のあいさつを聞いただけで、お客がだれであるか、彼にはすぐわかった……支配人みずからのご出馬であった。なんの因果《いんが》で、こともあろうにおれだけが、ちょいと会社をサボったというだけで、すぐにもオーバーな疑いをかけられる、そんなけちくさい会社にはいったのだろうか。勤め人というやからは、揃《そろ》いも揃ってくずにも等しい人間なのだろうか。たかだか朝のあいだ二、三時間仕事を休んだ程度のいきさつで、良心の呵責《かしゃく》に気もそぞろ、そのためだけでベッドから離れることさえできないような、正真誠実な人間など、彼らのなかにはひとりもいまいと、そんなつもりなのだろうか。正直のところ事情聴取の程度なら、たかだか小僧をひとりよこせば事はすむ……それもこのさいようすをきかせる必要があるとしての話なんだがね……それなのに支配人が自分でのこのこやってきて、こうした疑わしい事態の調査は管理者ひとりの解釈にしかまかされないのだと、わざわざ家族全員にみせつけないではおられないようなことがらなのだろうか。
こんな思いにふけっているうちに、グレゴールはしだいに興奮し、いつか力がみちあふれたのであろう。ベッドからもろにころげ落ちてしまった。とはいっても、意識して落っこちるつもりはなかったのである。どしんと大きな音がした。家鳴り震動するていのものではなかったが、いくらか軽いショックですんだのはじゅうたんのせいだったし、背中のほうにも思いのほか弾力があったものだから、びっくりするような重い音響にはならなかった。でも頭についてはじゅうぶんに注意してあげておく用意が足りなかったので、したたか床にぶっつけてしまった。腹立ちと痛みのために、彼は顔をぐるぐる回して、じゅうたんにこすりつけた。
「部屋のなかでなにやら落っこちたようですな」と、左隣の部屋で支配人がいった。
グレゴールの頭に、ふとこんな空想がうかんだ……あの支配人も、いつかはきょうのおれが経験したようなことがらに出くわさないものだろうか。そんな目に合わないとは、だれひとり予断できるはずがない。ところが支配人ときたら、グレゴールの疑問にたいする答えはこれだとばかり、隣の部屋をずっしずっしと二歩二歩|闊歩《かっぽ》しながら、エナメルのくつをきゅっきゅっと鳴らす。それに右隣の部屋からは、妹が囁きかけてきた。ご注進のつもりである。
「グレゴール兄さん、支配人さんがおいでだわ」
「わかってるよ」と、グレゴールはつぶやいた。でも、妹に聞こえるほどの声は出さなかった。
「グレゴールや」と、こんどは左手の部屋で父がいった。
「支配人さんがおいでなすってな。朝の汽車でたたなかったわけを知りたいとおっしゃってる。わしにはどうお答えしていいものやらわからんのじゃよ。いずれにせよ、じかに会って話してみたいとのおおせなんだがな。じゃからドアをあけてくれんかい。部屋が散らかっているぐらいのことは、お目こぼしねがえるじゃろう」
「おはよう、ザムザくん」と、支配人が親しげにことばをはさんだ。
「からだのぐあいがよくないのでございますよ」と、支配人に向かって母親がいった。ドアのところで話している父親のことばが終わらぬうちに。
「ぐあいが悪いのでございますよ。ほんとうです。ねえ、支配人さん。そうでなけりゃ、どうして汽車に乗りおくれたりするものですか! あの子ったら、まったくのところ、仕事のことしか考えちゃいないのですから。夜遊びのひとつでもやって気晴らししたらと、こちらのほうがやきもきするぐらいですもの。このたびの出張にしろ、帰ってきて一週間にもなろうというのに、毎晩うちにこもりっきり。家族のものとテーブルについたまま、だまって新聞に読みふけるとか、旅行案内をくらべるとか、そんなぐあいなんですよ。ただひとつの気晴らしといえば、糸鋸《いとのこ》の細工物にこってるときだけでしょう。せんだっても二晩か三晩がかりで、小さな額ぶちをこしらえましたわ。とてもみごとなできあがりでございますから、ご覧になったらびっくりなさいますでしょう。あの子の部屋にかかってますので、グレゴールがドアをあけたら、すぐにもお目にとまりますわ。いずれにせよ、わざわざおはこびくださいましてありがとうございます、支配人さま。わたしたちだけの力じゃ、ドアをあけさせるわけにはまいりませんでしたでしょうから。なにしろ、無類の強情っぱりときてますもの。それにしても、ぐあいが悪いことだけはほんとうですわ。朝がたようすをきいたときには、なんでもないと申しておりましたけど……」
「すぐいきます」と、グレゴールはゆっくりと用心しいしいそういいながら、外の話はひとことたりとも聞きもらすまいと、からだを固くしたままだった。
「いや、奥さん、わたしにもそうとしか考えられないんですよ」と、支配人はいいはじめた。「まずはね、たいしたこともあるまいとね。ですが、いまひとつの立場からいわせていただきますと、われわれ商人というてあいはです……幸か不幸か知りませんが、とにもかくにもまず第一番めに考えるのが商売のこと、ちっとやそっとの病気なんて物の数じゃないんです。こいつがつまり、てまえどものモラールというやつで……」
「そういったわけでな。支配人さんに部屋のなかへはいっていただいてもいいだろう」と、しびれを切らした父親がそうたずね、もういちどドアをノックした。
「だめですよ」と、グレゴールはいった。
左隣の部屋は森閑《しんかん》と静まりかえり、右隣の部屋では妹のすすり泣きがはじまった。
どうしてあっちのほうへ行かないのだろう、妹のやつは。思うに起きぬけといったところから、まだ着がえを終えていないのだな。それにしても、泣きだしたってえのは腑《ふ》におちないなあ。おれが起きてこない、そして支配人をなかへ入れない、とまあそんなところかしら。それも、いまにもおれの首がとびそうな危険な状態にはいっているからかしら。馘首《くび》になったら、社長《ボス》のやつめ、またしても昔借用したお金のことで両親をぎゅうぎゅういわせるというわけなのだろうかな。でもね、こいつはさしあたりいらぬ心配というところだよ。だっておれときたら、いまもってここにこうしているのだし、家族のものを見殺しにしようなんて、夢にも考えちゃいないんだから。
ともかくいまといういまは、じゅうたんの上に寝ころんでいるそういったおれのかっこうを知ったとしたら、正気で支配人を部屋のなかへ入れてほしいとたのめるわけがないだろう。こんなささいな失礼を盾《たて》にして、即刻馘首をいいわたす、とてもできない相談だよ。あとから適当ないいわけをみつけるぐらい屁《へ》のかっぱだからな。もっかのところは、泣きごとをいったり、手をすり合わせたりして、相手の気持ちをかき乱さないほうがよほど賢明だろうとグレゴールにはそう思われたのだった。とはいいながら、ほかの連中がおろおろと途方にくれて、こんなふうにでているのも無理はない。なんせ、ひとにはわけのわからぬ煮《に》え切らない態度を取りつづけているおれだからな……
「ザムザくん」と、そのとき支配人が声を高めて呼びかけた。「こりゃいったいどうしたというのだね。きみはそこの部屋を封鎖して、ただひとつ、イエスかノーの返事をかえすだけ。ご両親につまらぬ心配をおかけしてるが……ついでにいっておきたいことがある……つまりは、仕事というものを、前代未聞のやりかたでサボっとるんじゃないのかな。わたしゃね、ここでご両親と社長の名において申し上げるのだが、まったくもってまじめな話、きみに現在のはっきりした説明を求めたいのだよ。びっくりしたなあ、ほんとうに。かねておとなしい分別のある男だと信じて疑わなかったんだが、そのきみが、いまとつじょとして、奇妙な気まぐれを見せつけようと思いはじめたらしい。社長ときたら、けさがたわたしにきみの欠勤の理由について、あれかもしらんとおっしゃった……それというのは、先日以来きみの担当になっている現金回収のことなのさ。しかしこの点についちゃ、じっさいのところ、いうなりゃわたしの名誉にかけるといった調子で断言しておいたんだ。とんでもない、そんな解釈はべら棒ですとね。ところがだ、いまここでお目にかかっているのは、きみの了解に苦しむ依怙地《いこじ》ときてな。もはやきみのために弁解してあげようといった気持ちも、すっかり消えてしまうじゃないか。それにきみの地位といえどもだ、けっして安閑たるものじゃないんだよ。もともとこうした話は、相対ずくで語り合わなきゃならないことなのだが、こうしてわたしの時間を無駄に過ごされたとあっちゃ、ご両親ともどもお聞きいただかなけりゃならなくなっても、いたしかたないと思うのだ。要するに、最近におけるきみの成績たるや、まことにもって不満足というほかはない。なるほど、とび切りの業績を出すシーズンでないってことは、だれにも異議のないところなんだが、ぜんぜん仕事のできない時季なんてものもありっこないからねえ。ザムザくん、いや、いや、あっちゃならんのだよ」
「でもね、支配人さん」と、グレゴールはわれを忘れてそう叫び、興奮のあまり、ほかのことがらはすっかり失念してしまっていた。「すぐに、ほんとうにもうすぐにあけてさしあげますよ。なにやら不快でしてな、目まいがするものですから、どうにも起きあがれなかったというわけなんで、いまでもやはりベッドのなかに寝ています。だけど、もうすっかりよくなりました。いま起き出すところなんです。ですから、ほんのちょっとのあいだご辛抱を。まだ自分で思ってるほどはよくもないんですが。しかしもう大丈夫です。ひとりの人間が急にこんな目を見なきゃならんとは! ゆうべといえば、まだまだぴんぴんしておりましたのに。両親だって知ってますとも。でもね、よく考えなおしてみますと、ゆうべのうちからおかしな気がしないでもなかったのですよ。ほかから見れば、きっと変だったにちがいありませんもの。そのことを、なぜお店のほうに知らせておかなかったのでしょう。だけど、わたしたちときたら、いつも常日ごろからして、病気なんてものは、自宅《うち》で寝てなくても治るものだと信じてますからね。支配人さん、両親のことはお手やわらかに! いまおっしゃいましたご非難についちゃ、いずれも理由皆無なんですよ。そんなこたあ、これまでひとことだって聞いたためしもありませんからね。思うにです、お送り申した最近の注文書を、お読みになっておられないのでしょう。いずれにせよ、八時の汽車ででも出発いたしますよ。二、三時間休ませていただきましたので、すっかり元気になりました。どうかこだわりはおすてください、ねえ、支配人さん。これからすぐ仕事につきますから。ですから、お願いです。このことを社長にご報告のうえ、よしなにお取りなしくださいませんでしょうか」
そして、こうしたいっさいの話をせかせかとしゃべりまくり、自分でもなにをしゃべったのかわらぬながら、早くもベッドのなかで板についた練習のおかげから、楽々と上手に箪笥《たんす》のほうへ近づくや、こんどはその箪笥を手がかりに立ちあがろうとやってみた。じっさいにドアを開き、じっさいに姿をあらわして、支配人と語ってみたいと思ったのだった。いまこのおれになにやかやと注文をつけた連中がありのままの姿を見たらなんというだろう、彼はそれが知りたくてたまらなかった。やつらはびっくりぎょうてんするだろう。そしたら、おれにはなんの責任もなくなってしまうのだし、悠々《ゆうゆう》としていりゃそれでよい。やつらが騒ぎ立てさえしなきゃ、こららとしても、とくべついきり立つ必要もないってわけだろうさ。急ぎさえすりゃ、八時にはちゃんと駅にも行けようというもの。はじめの二、三度はつるつるした箪笥からすべり落ちたが、とうとうどうやら掉尾《とうび》の力を振るって、すっくと立ちあがることができた。下半身に感じる灼けるような痛みもなんのその、つぎにはすぐわきの椅子の背にもたれかかり、小さなあしでそのふちにからみついた。おかげでどうやら気も落ち着いて、やっとおしゃべりもやまったものだから、いまや支配人の口説《くぜつ》に聞きいれるようになったのである。
「しゃべってることばがひとつでもわかりましたかね」と支配人が両親に聞いていた。「わたしたちをたぶらかしてるわけじゃないでしょうな」
「めっそうもない」と、そう叫びながら、母親はもう涙声になっていた。「たぶんひどい病気なんでございますよ。だというのに、わたしたちとしたことが、あの子を苦しめたりして。グレーテや、グレーテや」と母親はさらに声を大きくして叫んだ。
「なああに、お母さん」と妹が反対側から答えていった。グレゴールの部屋ごしに交える母娘の会話である。
「お医者さまのところへ行ってちょうだい、いますぐに。グレゴールは病気なんだわ。早いところ先生を呼ばなきゃ。さっき兄さんのいった話をお聞きかい?」
「けだものの声でしたね、ありゃもう」と支配人はそういったが、母親のにくらべると、きわだって低いひびきであった。
「アンナ、アンナ」とひかえの小部屋ごしに台所へ向かって呼びかけ、父親は手をたたいた。
「錠前屋《じょうまえや》を呼んでこい」
すると早くもふたりの娘はスカートをはためかせ、ひかえの小部屋を駆けぬけると……ところで妹のやつ、いつの間に着換えの早業《はやわざ》をやってのけたのだろう……玄関のドアをすばやくあけた。しまる音は聞こえなかった。あけっぱなしのままで出かけたにちがいない。大きな不幸に見舞われた家ではよくあることだ。
ところでグレゴールときたらずっと落らつきを取りもどしていた。してみると、おれのことばは、やはりひとさまにはわからないんだな。自分としてはまことにはっきり、いつもよりももっとはっきり聞こえたつもりなんだがね。たぶん慣れたせいだろう、耳のほうが。ともかく、みんなはおれが普通じゃないと気づいたらしい。だから助けてやろうとしているようだ。そう確信し、確実にとりあえずの指示がとられている。そう思うと彼は嬉しかった。これでどうやらもとどおり人間の仲間入りができたというものだ。彼は医者と錠前屋との両ほうから、なにかすばらしい破天荒《はてんこう》の処置を期待しながら、このふたりの区別はとくべつ考えてもみなかった。決定的な話し合いはもうすぐだ。それにそなえて、じゅうぶんにはっきりした声が出せるよう準備しておかなきゃいけない。彼は軽い咳《せき》ばらいをした。むろんできるだけ圧《おさ》えつけた咳ばらいをだ。というのも、これとても、人間の咳ばらいとはちがったものになるかも知れないと、思ったからである。もはや彼にはそうした相異を区別する自信がなくなっていた。隣の部屋はいつのまにか森閑となった。たぶん両親は支配人とテーブルをかこんで、ひそひそ話をはじめているのであろう。でなければ、みんなでドアにからだをすりよせ、聞き耳を立てているのでもあろうか。
グレゴールは肱掛椅子《ひじかけいす》ごと、ゆっくりとドアのほうににじりより、そこで椅子をはなし、ドアにからだをぶっつけると、ドアをささえにしてすっくと立ちあがった……小さなあしのかかとには少しばかりねばねばしたものがついており……彼はそこで、ちょっとのあいだつらい仕事からひと息入れ、それから鍵穴につっこんだ錠前を口でまわしにかかった。悲しいことに、厳密に歯といえるようなものはなさそうだった……してみると、なにを使って鍵をつかめばよかったのであろう……しかしそのかわりに顎《あご》は頑丈そのものだった。だから、じっさいにはこの顎の助けで鍵をまわすことができたのだった。だが、疑いもなくどこかに傷をこしらえたことには気づかなかった。というのは、彼の口から褐色《かっしょく》の液体が鍵をつたって流れ出し、ぽとぽとと床の上に滴《したた》り落ちたからである。
「聞いてごらん」と、隣の部屋で支配人がいった。「鍵をまわしてますよ」
グレゴールには大きなはげみになることばだった。でも、ほんとうのところは全員が総がかりで声援してほしかった。父も母も「それ、グレゴール」と叫びかけてくれてもよかったろう。「頑張れ、こっちだぞ、鍵にしっかりとつかまるんだぞ」
みんなが気をはりつめながら自分の努力を見つめているのだなとそう思い、彼はできるかぎりの総力をふりしぼって、ぼうっと頭がかすむほど錠前にかじりついた。鍵の回転が進むにつれて、彼自身も鍵穴のまわりを踊るように回転した。いまや口だけでからだを保ち、必要に応じては鍵にぶらさがることもあったし、全身の重量で押しこんだりしていたが、ついにパチンという音といっしょに錠前が開いて、その明るい音にグレゴールは我れに返った。
「ほうら、錠前屋なんかいらなかったろう」といって、ドアをせいいっぱい開くために頭をとっ手の上にのせた。こんなぐあいにしなければあかないとあっては、いよいよドアがあいたとなっても彼の姿が見えるまでにはいかなかった。まずはゆっくりといっぽうの翼板のまわりをまわっていかなければならない。というのも、部屋のなかへはいる直前、ぶざまにもあおむけにひっくりかえらないための慎重な用心が必要だったからである。ところが、こんなにも懸命に骨の折れる動きかたをやって時間をかけているさいちゅう、早くも支配人がひと言《こと》大声で「おう!」とうなるのを開いたのだった……風のうなりを思わせるひびきであった……こういったぐあいで、支配人の姿も目にはいった。支配人はドアのいちばん近くに立っていて、開いた口を片手でおさえ、じりじりとあとずさりしていくさまは、なにか目に見えない、一様に作用しつづける力に押しやられるとでもいったふうだった。母親は……支配人を前にしながらも、前夜以来ときっぱなしにした髪の毛をもじゃもじゃにおっ立てながら……まずは、ぱっと手を組み合わせ、父親を見つめておいてから、グレゴールのほうにふた足ついとあゆみより、まるく開いたスカートのまんなかにへなへなと崩《くず》れ折《お》れると、すっかり見えなくなるまでに顔を胸のなかへうずめてしまった。父親はといえば、グレゴールを部屋のなかへ押しもどそうとするように、にくったらしい顔つきで拳《こぶし》を握ったが、やがておろおろと居間のなかを見まわし、両手で目をおおうと、頑丈な胸を波立たせて泣いた。
こうなると、グレゴールも部屋のなかへはぜんぜんはいろうとはせず、内がわからしっかりと止め金をかけ、翼板によりかかっていたものだから、からだの半分と、その上にある横にかしげた顔だけが見えていた。その顔でほかの連中をぐるりと見渡したのだった。
いつの間にかあたりはずっと明るくなっていて、向かいがわの道路には、正面のはてしもなく続いた灰黒色の建物の一部……それは病院であった……がくっきりと立っていて、前面の壁にはくっきりと切りとられた同じ形の窓が並んでいた。雨はいまだに降りつづけたままだったが、それはもう大つぶの、ひとつひとつ目に見える雨脚《あまあし》、ぽとりぽとりと地面に落ちるしずくにしかすぎなかった。食卓には朝食《あさめし》の食器類が多過ぎるくらいのっかっていて、これは朝食こそ父にとっては一日じゅうのいちばん大切な食事であったからである。彼はいろんな新聞に目を通しながら、いく時間にもわたってゆっくりとたべつづけるのだった。ま向かいの壁にはグレゴールが軍隊にいたころの写真がかけてあり、中尉《ちゅうい》姿で片手を軍刀のつかにかけている。くったくのない微笑をうかべたその写真からは、見るひとに彼の姿勢態度と軍服への尊敬を要求していた。控えの間に通じるドアがあいており、玄関の扉も開いていたから、玄関の前の踊り場と二階からおりてくる階段の降り口も目にはいる。
「じゃあ」と、グレゴールはいい、落ちつきを保っているのは自分だけだという自覚がはっきりしていたので、「すぐに着換えをして見本の荷造りをしたら、出社いたします。出かけることにご異存はありますまいね、ご異存は。ところで支配人さん、ようやくおわかりのとおり、わたしゃ石頭じゃありませんし、仕事はもう大好きなんです。出張ってやつは生やさしいもんじゃありませんが、どさ廻りをやらんことにゃ、おまんまにもありつけません。いったいこれからどこへいらっしゃるのでしょう、支配人さん? お店のほうへ、そうですか。いっさいがっさいうそ偽りのないところをご報告くださいますでしょうな。人間すべていっときぐらい働けない場合もありますでしょうよ。でもね、そんなときこそむかしの成績を思い出してですな、もう少ししたら調子もよくなるんだろうから、そうしたらそれだけにいっそう精を出し、精神を集中して働くだろうとお考えになってくださるぜっこうのチャンスというものですよ。正直のところ社長さんには恩義を感じておりまして、この点についちゃ支配人さんもご存知のとおりです。それにいっぽうじゃ両親のことも妹のことも念頭から放れませんし、まったくのところ板ばさみの状態なんですな。でもね、なんとかもういちど働いてこの窮地を切り抜けますよ。どうかこれ以上わたしの立場をつらいものにしないでください。お店ではどうか味方になってください。だれしも旅まわりは大きらい、わたしにもわかってますよ。大金をもうけて、それでいい暮らしをしているとしか考えやしませんもの。それにこういった偏見をよく考えて改めるそんなきっかけもありゃしませんし。でもね、支配人さん、あなたはそんじょそこらの社員連中よりも、こうした事情をよくお見通しになれるかた。いや、それどころか、これはここだけの話なんですが、大局のおわかりになる点じゃ社長さん以上です。あのかたときたら、経営者としての性質から、平社員のことについちゃまちがったご判断をくだされがちですからね。あなただってようくご承知でしょうが、ほとんど一年じゅう店を外にするセールスマンは、えてしてかげ口や、偶然やら、根も葉もない中傷の犠牲になりやすい。でいながら、なんとも防御の手がないですな。そんな件についちゃ、まずはたいていの場合なにもきかされちゃいませんからね。やっと事情がわかるのは、くたくたに疲れて出張を終え、家へたどりついたとき、なんの原因でそうなったのか、もはやわけもわからぬ結末を、身につまされて知らされるのが落ちなんです。支配人さん、お帰りになるのなら、なにかひと言おっしゃってからにしてください。わたしの話の一片ぐらいはせめても嘘《うそ》じゃないとおきかせくださってからにして」
だが支配人はグレゴールの話をふた言、三言きいたかきかないうちに、そのまままわれ右をしてくちびるをとんがらせ、ふるえる肩ごしに相手のほうを眺めやるだけだった。グレゴールがしゃべっているあいだじゅう、じりじりとドアのほうへにじりより、いっこくも目を放そうとはしなかった。だがこの部屋から出てはならぬとなにかしら秘密の命令でも受けいれるように、その動きかたはいかにもまだるっこかった。すでに控えの間までたどりついていた、と、そこで支配人はふいに身を躍らせ、最後の一歩をいっきに居間から引き抜いた。おそらくこの光景を見たものの目には、彼がかかとにやけどをしてとびのいたとでもうつったことだろう。それから玄関のところでさっと右手を階段のほうへ差しのべた。くだんの方角にこそ、この世のほかの救いが待っているといったふぜいだった。
そのときグレゴールは気がついた……こんな気分で帰してしまっちゃ世の終わりだぞ、なにがなんでもだ。もしもお店におけるおまえの地位をふいにしたくないとそう思うなら。両親にはこの間の事情がおれほどわかっちゃいまい。お店につとめているかぎり一生ご安泰だといった信頼は長年のもの、もっかのところは突然の心配ごとで動てんして、さきのことなど考える暇もない。ところがグレゴールにとっては、このさきざきが重大なのだ。支配人をひきとめ、なだめ、説得して、なんとかわかってもらわにゃならん。おれ自身と一家の将来は、まさしくそのひとことにかかっている。妹がいてくれさえしたら! あいつはかしこい女だから、おれがまだ安穏《あんのん》とあお向けに寝ころがっていたときから、もう泣いていたような奴《やつ》。女にゃからっきし甘い支配人のことだもの。妹の口説《くぜつ》にあったらいちころさ。あいつならドアをしめて驚きふためく支配人をなんとかなだめ、外に出ない工夫ぐらいはしたことだろう。ところがあいにく妹は居合わせちゃいなかったから、それをやるのはおれさま自身でなけりゃならん。
彼はひとりでどれくらい動けるのかかいもくわからぬといったことがらも、さらには自分の話すことばにしろ、ひょっとしたら、いやおそらくは聞くほうの相手に理解してもらえまいということさえすっかり忘れてドアの翼板から離れ、ずるずると敷居《しきい》を越えて支配人のところへ近づこうとした。ところが相手ときたら早くも踊り場のあたりまで逃げだしていて、そこの手すりに両手でしがみついている、妙ちきりんなかっこうで。グレゴールはなにか支《ささ》えはないかと探したが、たちまち小さな叫びをあげ、小さなあしを横に開いて、ぶったおれた。と、たちまちこの朝はじめて、からだが楽になるのを覚えたのだった。小さなあしがしっかりと床をふまえて、思うがままに動くじゃないか。それに気づくとうれしかった。そのうえ、行こうと願う方向へ運んでくれそうなのだ。ありがたや、これで悩みはいっさいがご破算かと、彼は思った。ところが、そのとき、つまりはちょっと動きをおさえてからだをゆすぶり、母親のところからそれほど遠くはなれていないあたりの床の上に、対面するようなかっこうで四つんばいになったとたん、いままでぼんやりと放心のていに見えていた母親が、いきなりぴょんと跳びあがり、両腕をいっぱいにひろげて、指という指を開きっぱなしにしたではないか。
「助けて、こわい、助けてよ」と叫ぶやいなや、顔をぐいとつき出した。グレゴールをもっとよく見たいというふうだった。だが、じっさいは逆だった。無意識にうしろのほうへ駆けだしたのだから。食器ののっかったテーブルが背面にあるのは忘れていた。だからここまでくると、われを忘れてすばやく食卓に腰かけてしまった。そばのひっくりかえったでっかいコーヒー・ポットから、コーヒーがざあざあとじゅうたんの上に流れ落ちた。それにも彼女はまったく気づかないようだった。
「お母さん、お母さんたら」とグレゴールは小声でいって母の顔を見上げた。一瞬、支配人のことは念頭から消えていた。それなのにじゃあじゃあ流れるコーヒーを見ると、何度となく顎《あご》をぱくぱくさせないではおられなかった。そのようすに母親はまたしても金切り声をあげた。テーブルから逃げ出し、急いで駆けよってきた父親の腕に倒れかかった。だが、いまのグレゴールには、両親のことなどかまっちゃおれない。支配人はもう階段のところまでいっている。手すりに顎をのせ、これが最後とうしろをふりかえる。なんとかして追いつこうと、グレゴールはスタートを切る。はっと気づくところがあったのか、支配人はいっきに階段を数段にかけおりて、姿はすでに消えていた。だがなおも残していった「ひいっ」という声は、階段の上にも下にもつつぬけにひびき渡った。
ところで、それまではどうやら落ちつきを保っていた父親までが、雲を霞《かすみ》と逃げ去った支配人のおかげで、これまた残念にも完全に取り乱してしまったようだった。進んで支配人のあとをおっかけるか、せめては追いかけるグレゴールをとめるかすればよいものを、帽子や外套ともども安楽椅子の上に取り残していったステッキを右手につかむと、左手でテーブルの上にあった大型の新聞をひったくり、ばたばたと足音も荒げに、ステッキと新聞をうちふりながら、息子を彼の室内へと追い返しにかかったからだった。必死の願いもなんのその、どんな頼みもわかってもらえなそうだった。いかに姿勢を低くして頭をめぐらそうとも、父親はただもういっそう強く足を踏み鳴らすだけ。向こうでは母親が寒い天気などにはおかまいもなく、窓のひとつをこじあけると、からだをぐっと乗り出して、顔を両手のなかに押しつけた。小路と階段の間をさっと強風が吹きあげてき、さっとカーテンがめくれあがるのといっしょに、テーブルの上の新聞ががさがさと音をたてながら、ばらばらと床の上を飛んでいった。
情け容赦《ようしゃ》もあろうことか、父親はしっしっと声を出して彼を追い立てる野蛮人そっくりである。ところがグレゴールのほうは、あとずさりの練習が皆無《かいむ》ときてる。だからまったくもってのろのろと動くほかはできかねるのだ。部屋にかえることくらいはなんでもなかったはずだのに、向きのかえかたに時間がかかって、父をいらだたせるのもこわいのだ。いつなんどき父の手にするステッキが、彼の背中か頭部を死ぬほどに、ぶちのめしてくるかもわからない。とはいっても、とどのつまりはほかに打つ手もありゃしない。というのも、あとずさりの方法では、きまった方向がとれないのに気がついて、愕然《がくぜん》としたからだった。そこでたえず父親のほうを不安げに横目で見つめながら、なんとかすばやい動きをやらかそうとは思ったものの、じっさいにはひどくのろのろと方向を変えはじめたのだった。父親もやっと彼の善意をみとめたらしい。というのも、こんどは彼をじゃまにしようとはせず、むしろ「そっち、そっち」というふうに、ときどきステッキで方向の向きさえ示してくれたからだった。ただ、あの「しっ、しっ!」といういやなかけ声さえやめてくれさえすれば、どんなにありがたかったことだろう。こいつだけは、まったく気もてんとうしそうになるのだった。
やっとのことで向きを変えたと思った瞬間に、この「しっ、しっ」がむやみと耳につき、とたんにまたもや向きをまちがえてちょいと逆戻りをしてしまう。それでもやっとの思いでなんとか頭だけは入口のところまでもってはきたが、胴体の部分が広すぎて、うまく通り抜けられないのに気がついた。グレゴールが通り抜けられるのにじゅうぶんな通路を作ってやればよかったのだろうが、そうした思いつきもいまの混乱した父親には、むろん縁どおいこころみだった。たとえばしめたままになっているもういっぽうの翼扉をあけてやりさえすればよかったはずなのに。父親にすれば、息子の奴をいっときも早く部屋のなかに追いかえさねばと、それだけでいっぱいだった。だからといって、グレゴールが立ちあがり、こうしたやりかたで入口をくぐろうとすれば、おそらくはいろいろな準備がいるはずだったから、とてものことに父親の我慢するところとはならなかったのだろう。
想像どおり父親はなにをぐずぐずしているのかといわぬばかりに、いちだんと声をあらげ、追い立てるのだった。うしろからひびくその声は、世のなかにひとりしかいない父親の声とはぜんぜん別物になっている。もはや笑いごとではないのである。やぶれかぶれで、グレゴールは、ドアのなかに突入した。からだの片ほうが持ちあげられ、入口のところで横転した。もういっしぽうの横腹は一面のすり傷だった。白いドアにきたならしい汚点《しみ》がついた。まもなくぴたりとドアにはさまって身動きひとつできなくなった。片がわにならんだあしが宙ぶらりんのままちくちくふるえ、反対がわのあしは床に押しつけられて痛かった……とたんにうしろのほうから父がひとつきグイとくれたので、やっとどうにか形がついた。ひどい出血のまま、彼は部屋の奥深くすっ飛んだ。おまけとばかり父がステッキでドアをしめた。それからやっとあたりが静かになったのだった。
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二
たそがれごろになって、グレゴールは重くるしい、失神にも似た夢から目をさました。かく別の邪魔がたとえはいらなかったとしても、これ以上は眠りつづけられなかっただろう。というのも、感じからすればもうじゅうぶんに休息し、じゅうぶんに眠りたりていたからだった。だが、彼を目ざましたのは、なにかしらあわただしい足音と、控えの間に通じるドアをそっとしめる物音だったらしい。部屋の天井や家具の上部には、あららこちら街燈の電気が青白く照らしていたが、グレゴールのいる床のあたりは暗やみだった。いまやっと、こりゃ大したものだとわかってきた触覚をたよりに、それでもまだ不器用な使いかたをしながら、のろのろドアのほうへはい出していった。そこでなにごとが起きたのかしらべてみたいと思ったからだった。からだの左側には、不快な引きつれの感じられる長い傷が一本あるらしく、二列のあしで本式のびっこをひかなければならなかった。おまけに一本だけは、午前中のできごとのあいだに大けがをしていたものだから……といっても、一本だけですんだのはほとんど奇跡といってもよかったろうが……ただずるずるとひきずっていた。
ドアのそばまで行ったとき、いったいなにが彼をここへ引きよせたのか、やっと気づいたというわけだった。なにやら食べものの匂《にお》いがしていたからだった。というのも、そこにはおいしそうな牛乳のいっぱいはいった壷がひとつおいてあり、小さくちぎった白パンのいくつかが浮いていた。彼は喜びのあまり声を立てて笑い出しそうだった。朝がたにくらべるとずっとお腹《なか》がすいている。さっそく牛乳のなかへほとんど目の上のあたりまで顔をつっこんでみたが、すぐにがっかりして引きあげた。左のわき腹《ばら》が痛んで食べにくいというだけではなく……からだぜんたいを喘《あえ》ぎながら協力させないことには、食べるもくそもなかったが……そのほかにも、これまでの大好物でもあり、だからこそ妹が入れてくれたにちがいない牛乳がうまくもなんともなかったからである。それどころか、逆にいや気のようなものさえおぼえて、部屋の中央へとはいもどったのだった。
ドアのすきまからのぞいてみると、居間にはガス燈がともってはいたが、いまでは森閑とし、物音ひとつきこえない。ふだんの日のこの時刻なら、父親が母に向かって、ときには妹にさえも声をはりあげ夕刊を読みきかせているころあいだったはずだのに。してみると、いつも妹が話してくれたり手紙にもいってよこした父の新聞朗読も、近ごろとなってはすっかりさたやみになったのかも知れない。だからといって、家のなかはからっぽじゃなかったのに、あたりは静まりかえっている。〈なんとまあ静かな暮らしかたをする家だろう〉と、グレゴールはひとり言をいい、顔前の暗やみに見入りながら、両親と妹をこんなに美しい家のなかで暮らさせてやることのできた自分に大きな誇りを、いまさらながらおぼえたのだった。ところがいまや安穏無事な生活のいっさいが、恐怖とともに終わってしまわなければならないとすれば、これはまたどうなることだろう。そんな考えにふけるようなら、いっそう動きまわるほうがよっぽどましだと、グレゴールは部屋のなかをあちこちはいずりまわった。
長い夜のあいだに、両開きドアのいっぽうがいちど、片ほうの扉がいちど、ほんのちょっぴりあけられて、すぐにまたしまったことがある。たぶんだれかがはいってこなきゃならんと思ったのだろうが、すぐまた考えあぐんでやめたのであろう。そこでグレゴールはぴったりとドアにへばりつき、はいるのをためらう人物をなんとか入れてやるようにするか、さもなくばせめてはそのひとの正体を見さだめようと決心した。でも、ドアはもはやあけられる気配もなくて、彼はただいたずらに待つだけだった。鍵がかけてあった朝がたには、どいつもこいつもはいってこようと懸命だったのに、いっぽうのドアは自分であけ、もういっぽうのドアも昼のあいだに開かれた。それだのにもはやだれひとりはいってくるものもなかったし、おまけにいまじゃ、外から鍵がかけられている居間のあかりが消されたのは、やっと夜もふけてからのこと。してみれば、両親も妹もそれまでずっと起きていたのは必定《ひつじょう》だろう。いまになって三人がこっそりと爪先き立ちになりながら、遠ざかっていく気配をはっきりと聞きわけることができたから。これで朝になるまでは、もうおれのところにやってくるものもいるはずがない。というわけでグレゴールには、これからさきの生活をどんなふうにととのえていくか、専心思いめぐらす時間がたっぷりあろうというものだ。ところが、しょうことなしにぺったりと床にはいつくばっているこの高い天井のがらんとした部屋が、不安で不安でしかたないというところには、これまたどうしたわけがあったのであろう。ここにはこれで五年という長いあいだを暮らしつづけていたじゃないか……そこで半分は無意繊のまま向きをかえ、いささか照れくさい思いはしたものの、急いでソファの下にもぐりこんでいったのだった。もぐってみると、背中のあたりがやや窮屈《きゅうくつ》で、もはや顔をあげることもなかったが、それでもすぐに、こりゃまんざらでもないなあという気になってきた。だがただひとつ残念だったのは、からだの幅が広すぎて、ソファの下におさまりきれないことだった。
ひと晩じゅう、彼はソファの下で時を過ごした……ときにはせっかくのまどろみから空腹のあまり再三再四目をさましたり、ときには不安や漠《ばく》たる希望におそわれたりしながら。だが不安にせよ希望にせよ、帰《き》するところは決まっていた。とにもかくにもとりあえずのところは、冷静沈着にふるまって耐え忍び、できるかぎり遠慮して、現在における自分の状態からどうしても起きなくてはすまない不快さを、家のものぜんぶに我慢してもらうほかはないという結論だった。
つぎの日の朝早く、まだ夜のあいだとさえいってもよかったろうが、グレゴールは決めたばかりの決意の力をためしてみる機会にめぐまれたというわけだった。それというのも、控えの間からおおよその着換えをすませた妹が、ドアをあけて、身をこわばらせながら室内をのぞきこんだからである。すぐに見つけはしなかったが、ソファの下にいる彼に気づくと……とにかくどこかにいなきゃならなかった、飛んで逃げ出すわけにもいくまいじゃないか……びっくりぎょうてんしたものだから、すっかりどぎもをぬかれて、またもや外からドアをしめてしまった。でも、そうした態度を後悔すると、あらためてすぐにもドアを開き、重病人か見も知らぬ赤の他人にでも接するように、爪先き立ちの足どりで、部屋のなかへはいってきた。グレゴールは、ソファのすぐふちのあたりまで頭をつき出し、相手の様子を見まもった。妹のやつ、手をつけなかった牛乳に、それもだ、けっしてお腹がすいていなかったせいじゃないってことに気づくだろうか。もっとおれに気にいるなにかほかの食べものをはこんでくるだろうか。もしも進んでそうしてくれないようだったら、ほんとうはソファの下からはい出して、妹の足もとに身を投げ出し、なにかおいしいものがほしいのだよといいたいところが本音《ほんね》なんだか、そんな思いを気どらせるぐらいなら、いっそのこと死んだほうがどれほどましかしれやしない。ところがいっぽう妹は、まわりに少々こぼれた程度で、壷《つぼ》にはまだ牛乳がいっぱいはいっているのを見つけるやいなや、不審の色を顔にうかべて、すぐにもくだんの壷を手に取りあげた。とはいっても素手ではなくぼろ切れでだ。それから外へ持ち出した。
グレゴールはわくわくしながら待っていた……こんどはお代わりにどんなものを運んでくるだろうか。彼はいろんな想像を思いめぐらす。だが、想像だけでは妹が親切心から実際にはこんでくれた品物を、いい当てるわけにはいかなかったろう。兄の好みをためそうと持ってきた食いものは、いろんな品のかき集めで、それらはすべて古新聞の上にひろげてあった。まずはなかば腐《くさ》った古野菜、食い残した夜食の骨、これには白ソースがべっとりとついている。それから乾ぶどうと|はたんきょう《ヽヽヽヽヽヽ》がふたつ、三つ。二日まえにグレゴールが見るのもご免といったチーズがひと切れ。なにもつけてないパンと、バターを塗ったパン。おまけにバターを塗り、塩をふりかけたパンのひと切れ。そのほかにおまけとして今度はグレゴール専用ときめられたらしい、水のはいった鉢一個。それから大急ぎで部屋から遠ざかり、鍵までかけてくれたのは、グレゴールが妹の自分をまえにしてさも食べづらいだろうとわかってからの、心やさしい思いやりのせいだったろうか。のうのうと食べたいだけ食べられるようにしてもらいたい心意気を、わかってほしいとの気持ちからだった。いまや食事がはじまると、グレゴールのあしががさがさと鳴った。とにもかくにも傷のほうは、もはやすっかり治ったらしく、なんのさわりも感じられない。気づいて彼はびっくりした。ひと月ももっとまえ、指のところをほんのちょっといためたその傷が、まだおとといという日まで、ずきずきうずいていたのを思いだしたからだった。〈おれとしたことが、デリケートな感覚が鈍りでもしたものか〉とそう考えながら、早くもチーズにがつがつとかぶりつく。ほかのどんな料理にも増して、いちはやくも激しい食欲をそそられたのは、ほかでもない、くだんのチーズだったから。すばらしいスピードで、目からぽとぽとと満足の涙を流しながら、チーズ、野菜、ソースを食いあさる。ところが新鮮な野菜はうまくもなんともないのである。匂いさえも堪《た》えがたかったから、食べたいと思う品だけをひと切れずつ、遠くのほうへ引きずっていったほどだった。
戻るようにとの合図がわりに、ゆっくりと妹の手が鍵をまわしたそのとたん、彼はもうとっくのむかしありとあらゆるものを食べつくし、同じ場所にさも大儀といわぬばかり寝そべって、うとうとと眠りにはいりかけていたところだったが、その音にたちまちびっくりして目をさますと、またもや急いでソファの下にはいこんだ。でも、妹が部屋のなかへはいるわずかな時間とはいいながら、こうやってソファの下にもぐりこんでいなけりゃならないとあっては、なみなみならぬ我慢であった。というのも、しこたまたいらげたあげくのはては、からだもいくらかまるくなり、そこのこんな狭いところじゃ、息をするのも容易ではない。いくたびかちょいとした窒息の機会におそわれながら、涙のあふれる目で見つめていると、そんなこととは露《つゆ》知らぬ妹が、ほうきを使って食べ残りのかすだけではなくて、グレゴールが手さえふれなかった食い物までも、さてはもう不用の品であったかといわんばかりにかき集め、なにもかもいっしょくたに急いで桶《おけ》のなかにほうりこむと、木のふたをして、それから外へはこび出す。妹が背中を向けるか向けないうちに、早くもグレゴールはソファの下からはい出して、手足を伸ばし、ふっと胸をふくらます。
こんなぐあいにグレゴールは、毎日食事をもらったが、いちどは朝がた両親と女中がまだ唾眠ちゅう、それから二度めはみんなの昼食が終わってからのことだった。昼食後には父も母もちょっとのあいだ仮眠をとったし、女中のほうは妹のさしずにしたがい、買物に出かけるしくみになっていた。グレゴールが餓え死にしてもかまわないとは、おそらくだれひとり考えたものもいなかったろうが、彼の食事に関するかぎりは、妹の口からきかされる話でせいいっぱい、それ以上はとても我慢いたしかねたからだったろう。それに妹のほうにしろ、彼らの悲しみのいくらかにせよ、できるかぎりは少なめにしてやりたいと、願っていたにちがいない。正直のところ両親はもうじゅうぶん過ぎるほど、悩みに悩んでいたのだから、
あの最初のあけがたに、どんなふうにいいふくめて、せっかく来てもらった医者や錠前屋《じょうまえや》を追いかえしたものやら、グレゴールにはかいもく見当のつきようもない。というのも、彼のことばはだれひとりわかるものでもなかったから、先方とても自分たちのいうことが理解してもらえようとは、夢々考えもしなかった。妹とても同じこと。だからこそその妹が部屋にはいってきたときも、時たまはっとため息をつき、あるいは聖者の名を唱えたり、耳にするのはその程度、でもただこれだけで満足するほかはなかったのだ。あとになって、妹がいくらかは諸事万端にも慣れたころ……とはいえ完全に慣れきれるなんて、むろんあろうはずもなかったが……グレゴールはようやくときには親切なことばを、あるいはまたそんなふうにもとれることばを聞くようになった。
「それでもきょうはおいしかったらしいわよ」と、彼女はそんなふうにいうのであった。グレゴールがたらふくたいらげたときにはだ。ところが反対の場合には、なにかしら悲しげにつぶやいたものだった。
「おやおや、またひとつ残らず食べてない」
そしてじっさいには、すこしずつ手をつけない日のほうが次第にふえていったのである。
グレゴールとしては、ニュースについてはなにひとつじかに聞けるはずもなかったが、それでも隣室の話からいろんなことを知ったのだった。たまたま人声のひとつも聞こえようものなら、すぐさまそちらのドアへすっとんでいき、からだぜんたいをぴたりとそこに押しつけた。とりわけ最初のころには、たとえどんなに低いひそひそ話であろうとも、なにかしら自分のことがらが持ち出されない会話は皆無であった。二日のあいだというものは、三度の食事のたびごとに、こりゃいったいどう処置したらよかろうかと、相談しあうのが聞こえていた。だが食事と食事のあいだにも同じような話題が論じられていたのだから、せんじつめれば、いつも少なくとも家族のうちのふたりは家に残っていたわけである。ひとりで留守をしようといいだすものはいなかったし、家を完全な無人にすることもぜったいにできなかったから……女中も最初の日に……とはいってもこんどの事件について、どんなことをどの程度承知していたやら、あまりはっきりもしていなかったが……即刻お暇をいただきたいと、母親に七重《ななえ》の膝を八重《やえ》にも折って懇願これつとめたあげく、十五分のちには家を出るといった仕儀になったとき、涙をこぼしてお礼をいった。願いの筋がかなえられて嬉しいというのである。そのようすたるや、お暇をちょうだいできたのが、この家《や》でうけた彼女最高の恩恵とでもいうかのようだった。そのうえ、頼まれもしないのに、今回の件については、ぜったいに他言いたしませぬと固い誓いをつけ加えたのだった。
こういった次第で、いきおい炊事は妹が母親を手伝ってとりしきることになった。もっともだれひとりろくすっぽ食欲らしい食欲もわくはずがなかったから、たいした仕事にはならなかった。だれかが相手に食事をすすめても、「ありがとう、もういいよ」といった返事ばかりが返ってくるのを、グレゴールもたびたび耳に聞いていた。おそらくは酒などたしなむものはひとりとしていなかったのだろう。ときどき、「ビールでもお飲みになったら」と、気を引くこともあり、親切にも「わたしがいって買ってくるわ」と、申し出る場合もあったようだが、父親はだまって断っていた。妹のほうは外聞を気にする父を哀れに思って、「管理人のおばさんにいってもらってもいいことよ」と、いいだしさえするのだが、けっきょくは「いらないよ」と、大声でどなり返されるのが落ちだった。こうして、ビールの話は二度と出ることもなかったのである。
早くも最初の日のうちに、父は財産の現状や将来の見通しなどについて、母親にも妹にもこまごまと話して開かせ、ときどき席を立っては、五年前店が破産におちいった際になんとか救い出してきた手さげ金庫から、書きつけだの帳簿などをいろいろ取り出してきた。七面倒くさい錠前をはずし、さがしている当の品物を持ち出すと、またもとどおり鍵をかける音が聞こえてきた。そうした父親の説明は、ある種の意味で、グレゴールが監禁状態にはいって以来、はじめて耳にできたうれしい話ともいえたであろう。というのも店の没落にあたって、父の手に残ったものといえば、それこそ|びた《ヽヽ》一文なかったと思いこんでいたからだった。少なくとも、父親の口から逆の話めいたものはひと言たりとも聞いてはいなかったし、グレゴールの立場としてもそういった点についてたずねる気持ちもなかったからである。当時、彼の頭をいっぱいにしていたのは、ひたすらありとあらゆる力をうちしぼり、家族全員を絶望悲嘆のどん底につき落とした破産の悲運を、一同の念頭からいっときも早く忘れさせたいというひと言だった。そのためにこそ、あのころまことに異常ともいえる熱心さで働きはじめ、またたくまに一介のしがない小店員から一躍セールスマンに転進したのも、セールスマンならば当然金もうけの機会にもいろいろとめぐまれ、働き次第では歩合《ぶあい》という手で現金《げんなま》を家に入れて、テーブルの上にならべ、家族のものを驚かせたり、喜ばせたりすることもできたのだった。思えば、はり合い豊かな時代であった。その後、一家の出費全部をまかなえる金……事実、正真正銘まかないとおしてきたのだが、でも、あのころが二度とまた帰ってきはしなかった。少なくともあんなすばらしさでくりかえされはしなかったのだ。というのも、家族たちにしろグレゴール自身にしろ、いつかあたりまえみたいな感じに慣れて、金を受けとるがわには感謝の思いが、さしだすほうには喜びが、なるほどあるにはあったろうが、そのむかしたがいの心底に通いあったあたたかさは、もはやみるべくもなかったのだった。
でも、妹だけはたえず兄への親近感を忘れなかった。グレゴールとは違い、ことのほか音楽好きで、ヴァイオリンにかけてはほれぼれするほどの才能に恵まれていたから、来年は音楽学校の進学を、彼は心ひそかに考えていた。それにはいうまでもなく多額の金がいるはずだったが、彼にはちゃんと覚悟のほどもきまっていたし、それも別のやりかたでなんとか金の工面《くめん》はつくだろう。グレゴールが出張から帰っている短い滞在期間にあって、音楽学校の話はしばしば兄妹のあいだにとりあげられたが、それはいつも手には届かぬ夢物語に過ぎなかったし、実現不可能と思いこまれていたものだから、両親はこうした無邪気な話を聞くことさえも、好もしいものに思わなかった。しかしグレゴールはあくまでも本気になって計画を練りつづけ、クリスマスのイヴには、堂々と権威をもって発表しようと期待していた。
ところでただいまのグレゴールといえば、ドアのところにへばりついたまま立ちあがり、じっと耳をすませている最中なのだが、それでも頭のなかを駆けめぐるのは、もはやもっかの状態ではどうにもならなくなったそのような考えだった。ときどきからだじゅうがけだるくなって、とても話など聞けない状態におちいって、どうかすると頭をドアにぶっつけてしまうのだったが、またもやたちまちしゃんと立ち直るのだった。というのも、そういったへまから生ずる小さな物音でさえ、隣の部屋につたわるやいなや、みんなははたと口をとざしてしまうからだった。
「またぞろなにかやらかしたかな」と、しばらく間をおいて父がいう。明らかにドアのほうを向いてであろう。それからやっととぎれた会話がぼそぼそとした調子ではじまる、というぐあいである。
いまにしてグレゴールにはのみこめてきた……というのも、父親はたびたび説明をくりかえすのがくせで、ひとつには彼自身すでに長いあいだこのような件についてノー・タッチの状態であったのと、もうひとつは母親がいっぺん聞いたぐらいでは、どうにも理解しかねるといったところがあったからである……要するに本筋はといえば、いろんな不運が重なり合ってきたとはいうものの、むかしの財産がごくわずかながらも残っていて、手をつけないままにしておいた利子のほうもいくらかずつは子を生んでいたし、くわえてグレゴールが毎月家に入れていた金も……というのは私用に使ったのは、二、三グルデンにしか過ぎなかったからである……全額出費に使われたわけではなくて、残りはそのまま貯蓄にまわって、ちよっとした金高になっていた。ドアのうしろで熱心に合づちを打ちながら、グレゴールはそういった話を耳に聞き、この思いもそめぬ用心と倹約ぶりを喜んだのだった。ほんとうからいえば、この種の余ったお金でもって、店主に借りた父親の借金をもっとたくさん返却できたはずだったし、グレゴールとしてもいまの職業からはなれられる日もはるかに近かったといってもよかったろうが、もはやいまとなっては、父親がえらんでくれた処置のほうがずっとましだったと、疑うところなくそう思わざるをえないのだ。
とはいえ、この程度のはした金では、よしんば一家のものが利子で食いつなごうと考えてみたところで、どうにもしようがないだろう。たかだか一年か、せいいっぱいのところ二年たったらパンクする。つまりはそういった程度のものにしか過ぎなかった。要するにぜったい手をつけてはならない金、まさかの場合にとっておかなくてはならない金である。当然生活費はなにかべつの方法でひねりださなくてはなるまい。ところが父親といえば、なるほどぴんぴんしているにはちがいないにしろ、もはや押しよせる年波、働きをやめてからすでに五年の歳月がたっているきょうこのごろ、二度の勤めには大した自信もなさそうだ。この五年間は、労のみ多く報いられるところの少なかった彼にとって、いうなればはじめての休暇、このあいだもからだのほうはこえふとり、なにかと動きまわるのもおっくうである。となれば、帰するところはさしあたりおふくろのほうがかせぎのがわにまわらにゃならないところなのだろうが、これがまた喘息《ぜんそく》持ちときているとあって、家のなかのゆく末にも難渋《なんじゅう》するといった調子、二日に一度は呼吸困難の発作を起こしてソファの上に横たわり、窓を開けっぱなしにしておかねばならぬ。とどのつまりは、もっぱら妹の力にたよるほか手もないといったわけ合いなのだが、やっと十七歳になった小娘とあるからには、これまでの生活といえば、いたってめぐまれた身分、小ぎれいな衣装を身につけて、たっぷりと眠り、つつましいいくつかの楽しみごとに加わるのが関の山、なににもましてヴァイオリンを奏《ひ》くのが大好きである。といったことから、話が金かせぎの必要さにおよんでくると、いつもはじめのころはドアから遠ざかり、そばにあるつめたいソファに身を投げかけた。というのもグレゴールは恥ずかしさと悲しみのために、かっかともえてきたからだった。
その革ソファに横たわったまま、彼はしばしば長いいく夜をまんじりともせず、ただもういく時間ものあいだ張り革をかきむしるだけで過ごすこともあった。かと思えば、ひどい苦労もなんのその、いすを窓ぎわへ押していき、あげくは窓敷居をはい上がって、いすにからだをささえながら窓によりかかるといった芸当もやってのけた。つまるところはそうして外を眺めやり、むかし窓から戸外を望み見るたびに味わった解放感を、なんとはなしに思い出したかったからである。というのも、じっさいのところ彼の目にとっては、ほんのわずか離れたところにある物でさえ、日一日としだいにぼやけた形に見えはじめていたのだから。以前はいつも目のさきにちらついて、目ざわりでしようがなかった向かい側の病院すらもが、もはや完全に見えなくなっていた。閑静とはいえ、町のまん中にあるシャルロッテ街の住人だというはっきりした自覚がなかったとしたら、いま窓のところから眺めている景色がおそらくは灰色の空と灰色の大地とがとけあってひとつになった境い目も定かにはわからぬ荒野だと、そんなふうに信じこんだかも知れなかった。妹だけはさすがに気のつく女だっただけに、たしか二度だけは椅子が窓ぎわによせかけてあるのを見つけ、それからというものは、部屋の掃除をすませたあとで、いつも椅子をもとの窓ぎわにかえし、以来内がわの窓をあけておくようになった。
ところで妹との話がかない、なにかとつくしてくれる彼女の気持ちにお礼のひと言もいえさえしたら、妹の奉仕をうけるグレゴールの心中にも、いささか休まるところがあったろうに、それがかなわぬばっかりにまったくもってたまらなかった。いうまでもなくこんどの不愉快なできごとにともなう苦痛については、根こそぎ拭《ぬぐ》い去ろうとするのが妹の真意であったし、事実、日とともにだんだんと成功するかに見うけられたが、グレゴールとても日ましにいっさいをずっとはっきり見ぬけるようになっていた。といったわけで、妹が部屋にはいってくるだけでも、もうたまらなかった。というのも、ふだんの彼女はグレゴールの部屋をなんとか人目にさらさないようにと百方つとめているくせに、いったん室内に足を踏み入れるやいなや、ドアをしめる手ももどかしいといわぬばかりに、わき目もふらず窓ぎわへ走りより、いまにも息がつまりそうだといった手つきでさっと窓をあけ、どんなに寒い日であろうとも、しばしがほどは窓ぎわにたたずんで、大きく息をつくのであった。この種のどたばた騒ぎで、一日のうちでグレゴールは二度びっくりしなければならなかった。そのあいだ、彼はソファの下でふるえつづけていたのだが、それでも、彼にはよくわかっていた……妹にしろ、なにを好んであんなふるまいに出るものか。もしも兄のいる部屋で窓をしめたままいっしょにおられるものならば、どんなにしあわせだったろうかと。
ある日のこと、それはグレゴールが虫に変わってからはやひと月もたったころだったので、妹にしろ兄の姿を目にしたからとて、かくべつびっくりするほどのこともなくなっていたが、たまたまはいってくる時間がいくらか早目だったので、じっと窓辺に立って外の景色を眺めているグレゴールにぶつかってしまった。そのとき、妹がなかへはいってこなかったと仮定するにせよ、彼には予期できないことじゃなかったはずだ。というのも、たまたま妹が窓をあけにいくのを邪魔する位置に立っていたからだった。彼女はなかへはいってこなかったばかりではない、うしろへしりごみしながら、バタンと扉をしめてしまった。なにも知らない他人が見たら、待ちぶせしていたグレゴールが妹が来たのを幸いに、噛《か》みつこうとでも思ったのだろうと想像したかも知れなかった。むろん、とっさにソファの下へ身をかくした。だが待ちに待った妹がやってきたのは正午《おひる》であった。そのうえ、せっかくはいってはきても、いつもにくらべて、なにやらそわそわと落ちつけなげなそぶり。彼女にとっても、兄の姿はやはり見るに忍びないのだろうかと思われて、これからも同じくりかえしがつづくのだろう。ソファの下からちょっぴり見えるからだの一部でさえも、どんなに我慢して逃げだしたくなる気持ちを押さえているのかしら。
そんな姿を見られないですむようにと、ある日グレゴールは麻布を背中にのっけてソファの上にはこびあげ……前後四時間を要する仕事であった……からだがすっぽりかくれてしまい、たとえ妹がかがみこもうとも目につかないように苦心して工作したのだった。こんな麻布なんか必要ないと、もしも考えるようだったら、たぶん妹はさっさと取りのぞいてくれるだろう。麻布をかぶってからだをかくす……だてや酔狂《すいきょう》でやるはずはないことぐらいはわかりきっているはずだろうさ。ところが麻布はそのままだった。それどころか、ある日頭を使って麻布を注意ぶかくちょいと持ちあげ、妹がこの新しい設営ぶりをどんなふうに受けるだろうかとのぞいてみたら、なにかしらまなざしに感謝の色がほのめくのをかいま見たような気さえしたのだった。
両親には最初の二週間、彼の部屋へはいってくるそんな勇気はわきかねたようだ。これまでのふたりは、たびたび隣室から洩《も》れる話声によると、妹のことをましゃくに合わない|ねんね《ヽヽヽ》だよと、腹にすえかねるところもあったようだが、いまとなってはけなげな彼女の働きぶりに感服しきっているようだった。それでも、妹が部屋の掃除をしているうちは、父も母も室外で待っており、さて妹がひと足外へ出てくるやいなや、部屋の様子はどうなのか、グレゴールはどんなものを食べたのだろうか、きょうの態度はどうだったのか、よくなるといったふうはなかったかなどと、ひとつひとつことこまかに聞きただす。いずれにせよ、母親のほうはわりかた早くなかへはいりたい気持ちを見せたが、とりあえず父と妹はなにかともっともらしい理由をあげて、母の決意を押しとどめた。そうした理由を念入りに聞き入りながら、グレゴール自身にも、なるほど無理もないと了解できた。でも、終わりごろになると、父娘も力づくでとめなければならなくなった。彼女は大声で叫んだものだった。
「グレゴールのところへ行かせてちょうだい。かわいそうなわたしの息子なんだもの。行かなくちゃすまないわたしの気持ちがわかってもらえないのかしら?」
すると、グレゴールみずからも、むしろ母親にきてもらったほうがいいのじゃなかろうか。むろん毎日とはいくまいが、週にいっぺんぐらいならけっこうだ。なんといっても、母親のほうが妹なぞよりなにかとわかってくれている。よくやってはくれてるが、なんせ妹はまだ子ども、けっきょくのところは、子どもっぽい気軽さから、あんなにこむずかしい面倒もひきうけてくれてるのさ、とグレゴールはそんなふうに考えた。
母親に会いたいと願うグレゴールの望みがまもなく実を結ぶことになった。昼のあいだこそ両親の思惑《おもわく》を考えて、窓辺にあらわれるのをやめてはいたが、だからといって二、三メートル四方の床をはいまわるだけでは大したことにもなりようがなく、じっと横になっているのは、夜だけでもなかなか我慢しきれなかった。それに食事にしたところで、もはやこのごろとなっては、いっこうに楽しくもなんともない。そういうわけで、気晴しのためにひとつの習慣を覚えるようになった。というのは、つまるところ壁や天井をたてに横にとはいまわること、とりわけ天井にぶらさがっているのがとくべつ気にいった。それは床に寝ているのとはおもむきを異《こと》にする味わいで、息をするのもはるかに容易、かろやかな振動が身内のなかを走るのだった。こうやって天井にぶらさがり、ほとんど幸福とさえいえる忘我の境に遊んでいると、うっかりからだが離れて床に落っこち、われながらびっくりぎょうてんすることもある。でも、いまではむろんむかしとはちがって、からだのこなしも自由にあつかえたものだから、たとえそうした大|墜落《ついらく》にあった際にも、かくべつ傷手《いたで》をうけはしなかった。
ところで、妹はグレゴールが自分のためにせっかくみつけた新しいこころみに、さっそく気づいたようだった……というのも、はいずりまわった彼の跡には、からだからしみ出た粘液が、あちこちにべとついていたからである。妹は兄ができるかぎり自由に広い範囲をはいずりまわれるようにと、およそ運動の邪魔になるような家具類、とりわけ箪笥《たんす》とテーブルを片づけてやろうと思ったが、妹ひとりの力で動かせるはずはない。かといって父親に助力を申し出るだけの勇気もなかったし、女中にも力をかすだけの能力はぜったいにありえなかったろう。というのも、十六歳がらみのこの小娘は、まえの料理女が暇をとってからというもの、なるほど雄々しくよく辛抱してつとめをつづけはしたが、ただし台所の鍵は四六時中かけっぱなしのまま、とくべつ用事があるときしかあけないという許しをもらっていた。といったところから、妹としては母親に来てもらえるのも、父親が留守の機会をねらうほかはない。喜びにたかぶった声を高くあげながら母親はやってくる。でもグレゴールの部屋のまえに来ると、口をつぐんで立ちどまるのだった。まずとっぱなに部屋のなかが片づいているかどうか見きわめるのは、妹の仕事。それからようやく母を導き入れるのである。グレゴールときたら、これはもう大あわて、麻布をいっそうふかぶかとひっかぶり、しわもたんと作るというぐあいだったので、正直いってぜんたい的にはただ偶然にソファの上へ投げ出された一枚の麻布としか見えなかった。グレゴールはこんどもまた布切れの下からのぞき見するのはやめにした。きょうはまず母親との顔合わせをあきらめて、とにかく来てくれたということだけで満足した。
「さあ、来てごらんなさいな。兄さんの姿は見えないのよ」と、そういって、妹は明らかに母の手を引っぱっているようだった。グレゴールの耳には、か弱い女ふたりでただでさえ重い古箪笥を動かしているらしい物音が聞こえてきた。心配してとめようとする母のことばもなんのその、どうやら妹は移動仕事の大半を身ひとつに引きうけて大わらわ。ずいぶん暇どって、もはや十五分はたっぷりたったと思えるじぶん、母親がいった……箪笥はやはりここにおいておいたほうがいいだろう。なぜかといえば第一にあまりにも重すぎるし、父親が帰ってくるまでに動かしおえるのはむずかしかろう。そのうえ部屋のまん中にいすわっているとあっては、グレゴールにも邪魔になる。第二には、家具を遠ざけて、グレゴールがよろこぶかどうかはなはだもって疑問であろう。むしろいまのままにしておくのがいいのではなかろうか。からっぽになった壁を見ると、わたしゃもう、胸のつまる思いになるからね。あの子だって同じことじゃないかしら。だって、この部屋の家具類は長年のおなじみなのだから、がらんどうの室内にはいったら、なにかこう見すてられたみたいな気分になるのではなかろうか……。
「そうじゃないかしら?」と母親はひそひそ声で話を終わった。そもそも彼女の話しっぷりたるや、なにかこうささやきかけるといったふうのやりかたで、そもそもどこにいるのかいないのかさっぱりわからぬグレゴールに、わずかな声のひびきすら聞こえないように苦心している……とでもいいたげだった。というのも息子には、もはや人間の声なるものが理解しかねるのだと、信じて疑わなかったのであろう。
「そうじゃないかね、え、家具をとっぱらったりしたひには、まるであの子がよくなるのをあきらめきったあげくのはてに、平気で思うがままにさせておくんだと、わざわざこちらのほうから思い知らせてやるようなものじゃないかしら? わたしゃね、お部屋のなかはやっぱりこれまでしてきたとおり、きちんとさせておくのがいちばんだと、まずはそんなふうに思うんだよ。そうすりゃ、あの子がもういちどわたしたちのところへもどってきても、なにひとつ変わっちゃいないのに気づくだろうから、それだけ早くいやあな期間を忘れてくれるのじゃないかしら」
母親のことばを聞きながら、グレゴールは悟るところがあった……この二か月のあいだにおれの頭はすっかり狂ってしまったのではないか。それはつまり人間のことばで直接話しかけることができないうえに、家のなかにじっととじこもっただけの暮らししかできないせいなのだと。どう考えても自分の部屋がからっぽになればよいなどと本気でそう思えるのは、こうとでもとるほかに説明のしようもないではないか。正真正銘親代々の家具類がならんだこのあたたかい部屋をがらん洞の空室に変えてしまう気なのだろうか。そうなればむろん思うがままにどちらのほうにとはいずりまわれるにちがいなかろうが、と同時に人間として過去をあっというまに、きれいさっぱり忘れてしまうことにもなるだろう。いずれにせよ、いまではもうたしかに忘れかけているらしい。そのおれをいくらか正気に引きもどしたのは、ただひとつ長いあいだ聞いたことのなかった母の声を、耳にしたおかげであった。なにひとつ持ち出されては困りもの。いっさいがもとのままであってくれなきゃいけないんだ。家具があるおかげで、おれの状態がどれほどいい結果になっているものやらわかりゃしないんだから、こいつがなくなっちゃたまらない。意味もなくはいずりまわる邪魔になるとしても、家具があるってことは、マイナスじゃなくてたいへんなプラスなんだから。
ところが残念ながら妹の意見は別であった。彼女としてはグレゴールの相談話がでるたびごとに、両親の考えるようなものじゃないと反対するくせがついていたが、思えば、あながち不当ともいえなかった。そういったところから、いまのべられた母親の忠告も、妹にとっては最初ひとりぎめにしていたように、ただもう箪笥《たんす》とテーブルを片づけるだけではなくて、必要欠くべからざるソファだけはとにかく、いっさいの家具という家具を運び出したいと反対する理由もじゅうぶんあろうかというわけだった。むろんそこにあったのは、子どもっぽい反抗心だけともいいかねたろうし、このころようやくにして身につけた自信のせいだけだともきめられなかった。いずれにせよ、彼女の見る目は正確だった。つまるところ、グレゴールがそこらあたりをはいずりまわるには、とてものことに広い場所がなによりも必要、それにまして家具類ときたら、だれが見ようと一目瞭然、なんの役にも立ちやしない。ところがいっぽう、この年ごろの娘によくみかける、よしやどんな場合であろうとも、なにがなんでも満足いくまでやりとげなけりゃ気がすまぬと、そんな熱に浮かれた真情も、どうやら動いていたにちがいない。そしてまたこうした同じ傾向がグレーテの心を誘惑し駆り立てて、兄貴がおかれた現在の状態をもっと恐ろしいものにしてしまい、そうなったらこれまでつくした以上の献身を兄につくしてやれたじゃないかと考えたのだった。ということは、要するにひとりぼっちのグレゴールが四壁にかこまれた空間を、だれにはばかることもなくはいずりまわる部屋のなかへは、このグレーテという妹のほかいったいはいっていく人間がいるだろうか。
そういった理由から、妹は母親の忠告などでいったんきめた決意のほどを変えようとはしなかった。母親といえば、この部屋にはいってからもなにかしら不安な気持ちをおさえかねたとみえて、おちおちと落ちつかなげなようすであったが、やがては口もきかなくなって、箪笥を運び出そうとする妹に、せいいっぱい手伝いはじめた。グレゴールのほうからすれば、まずまず箪笥はなくてもすませたろうが、テーブルはぜがひでも必要なのだ。といったところから、ふたりの女が息を切らせて箪笥を室外に押し出すやいなや、さっそくソファの下から頭をもたげ、どうしたら妹たちの気持ちをそこなわないで、用心ぶかく制止できるだろうかと思案した。あいにくと最初にもどってきたのは母親のほうだった。してみると、グレーテときたら隣の部屋でただひとり、箪笥相手の大格闘、あちこちとゆすぶりながら、むろんのこと、位置をかえようなどとは思いもそめまい。ところでいっぽう母親はグレゴールの姿に見慣れていなかったものだから、もしもいったん目にとまったら、病気にだってなりかねまい。グレゴールはびっくりして、あたふたとソファのべつの端っこまであとずさりしたが、でも麻布の前面が少々ゆれ動くのには、手のほどこしようもなかったから、それだけでもう母親の注意をすっかりひいてしまった。足を止め、一瞬その場に立ちつくすと、つづいてグレーテのところへ逃げだしていった。
これといって変わったことが起きたわけじゃないんだよ。たかだか家具類をふたつ、三つ動かしたばかりなんだと、グレゴールはかさねがさね自分にそういいきかしたわけだったが、女たちの行き来する気配だとか、小さなかけ声だとか、床をきしる家具の音だとか、そんなひびきがごっちゃになって、なにかこう四方八方からひしめきよせる大混乱におそわれているといった感じを、われながら承認せずにはいられなかった。からだを固くして頭とあしをちぢめ、腹をぴったり床につけながら、これじゃいまになにもかもだめになる、とうてい我慢できなくなると、なすすべもなく自分にいいきかすほかはなかった。女たちの手で、彼の部屋はだんだんとからっぽになっていった。愛着のふかいすべてのものが取り去られたのである。糸のこぎりその他の工作用器具をしまっておいた箪笥も運び出され、つぎには床にしっかりとはめこんだテーブルをゆさぶっている。商科大学、中学、いな小学校に通っていたころから、宿題の解答に使った机であった。もはやここまでくると、女たちの行動が善意から出ているのかどうか、吟味《ぎんみ》する余裕もなくなっていたし、どだい彼女らがそこにいることさえも忘れそうだった。疲れきって、ものもいわずに働きつづけるだけだったから、いまはいかにも重たそうなふたつの足音だけが聞こえていた。
そこでふいにグレゴールが姿をあらわした……女たちはちょうど隣の部屋でテーブルによりかかり、ひと息入れるところだったが……走る方向を彼は四度変えた。まずとっぱなになにを残しておくべきか、自分でもわからなかった。まるはだかになった壁に毛皮ずくめの婦人像がただ一枚かかっている。それがふと目をひいた。あわててはいあがると、ガラスにからだをおしつけた。と、ガラスはしっかりと彼をささえ、熱っぽいお腹に快感を与えた。せめてはいま全身でぴったりとおおいかくしているこの写真だけは、おそらくだれも持ち去りはしまい。彼は頭を居間に通ずるドアのほうへ向けた、女たちが帰ってくるのを見守るために。
ふたりはたいして休みもとらないままで、早くも引きかえしてきた。片腕を母親のからだにまわして、グレーテは抱きかかえんばかりのかっこうだった。
「さて、こんどはなにを片づけましょうか」と、グレーテはいって、あたりを見まわした。
そのとき、グレーテの目と、壁にへばりついていた彼の目が交錯した。妹が取り乱さなかったのは、母がそばにいたせいであろう。顔をそちらへそむけてかがめ、周囲に目を配ろうとする母親の邪魔をしながら、たしかにふるえ、うわずった声でこういった。
「いらっしゃいな、わたしたちもうしばらく居間のほうにいってましょうよ」
グレゴールには、妹の意図するところがよくわかった。まずは母親を安泰にしておいてから、彼を壁から追っぱらおうというわけだ。よかろう、やれるものならやってみろ! それならば、写真の上にみこしをすえて、めったに渡してたまるものか。それどころか、おまえさんの顔にとびつくかもしれないぞ。
でも、グレーテのことばに母親はいよいよ不安を覚え、わきのほうへからだをずらし、花模様の壁紙についた褐色のしみを見つけると、目に当の対象がグレゴールだったのかとはっきりさとりもしないうちに、「ああ、どうしよう、ああ、どうしよう」と、金切声をむき出しにしながら、なにもかもがおしまいだといわぬばかりに両腕をいっぱいにひろげたまま、ソファの上にひっくりかえると、もはや身動きひとつしなかった。
「まあ、グレゴールったら!」と妹はそう叫び、こぶしを振りあげて、刺すような目でにらみつけた。グレゴールが虫に変わって以来、妹から直接きいた最初のことばであった。気を失った母親に、なにか気つけの薬をと、隣の部屋に駆けこんだ。彼も手伝いがしたかった……写真を救い出すのはあとでもけっこうなのだ……ところがガラスにへばりついたからだは、力づくでむりにもひっぱがすほかはない。やっとの思いで、彼も隣室へ走りこむ、むかし同様、なにか妹のために助言できるとでもいうように。でも、つまるところはなにひとつとてやれない。ぽつねんと妹のうしろに立っているほかはなかった。彼女は小びんのたぐいをいろいろと引っかきまわしている。と、うしろを振りむいて、びっくりした。びんがひとつ床に落ちて、がちゃっと割れた。その破片のひとつでグレゴールは顔に傷をした。まわりを腐蝕剤《ふしょくざい》のようなものが流れていた。ところで、グレーテはこれ以上ためらってもいられなかったので、持てるだけの小びんを手にすると、母親のいる部屋へ駆けこんでいった。ドアは足でしめた。こうしてグレゴールは母親から遮断《しゃだん》されてしまった。たぶん彼の落度から死にかかっているのではあるまいか。ドアをあけるわけにはいかなかった。母親のそばについてなきゃならない妹を追い出す気はもうとうなかった。もはや待つ以外には手もなかった。彼は自責の念と心配にさいなまれて、はいはじめた。壁も家具も天井もなかった。そこいらじゅうをめくらめっぽうはいずりまわった。ついにはまわりの部屋ぜんたいがぐるぐると回転しだした。彼は絶望して、大きなテーブルのまんなかに転落した。
わずかな時間が流れ、グレゴールはくたくたに疲れて、そこに横に寝ころがっていた。あたりはひっそりとして、おそらくはよいしるしと思われた。そのときベルが鳴った。女中はむろん厨房《ちゅうぼう》にとじこもったままだったから、ドアをあけにいくのはグレーテの仕事でなければならぬ。父親が帰ってきたのである。
「なにが起きたのかね?」というのが彼の最初のことばであった。グレーテの様子からたぶんいっさいを見ぬいたのであろう。答えるグレーテの声はいかにもにぶかった。あきらかに顔を父の胸ぐらに押しつけているのであろう。
「母さんが気を失ったのよ。でも、もうよくなってきてるわよ。グレゴールがとび出してきたものだから」
「そんなことだろうと思ってたよ」と父がいった。「いわないことじゃなかった、いつもおまえたち女は聞く耳をもとうとしない」
グレゴールにははっきりしていた……つまるところ、彼がなにか暴力ざたにおよんだものと悪意に解釈しているのだ、なんせグレーテの報告が簡単にすぎるものだから。こうなると、彼にはこの機会になんとか父親をなだめておく必要があろうというものだ。というのも、父に説明してきかせるには、時間もなければ見こみもない。そこで自室のドアのところまで逃げていき、そこにぴたりとはりついた。つまるところは、いま考えているのは即刻自分の部屋へ引きかえす、だから追っぱらう必要は少しもない。ただドアさえあけてくれたら、間髪《かんはつ》をいれず消えてしまうだろうというもくろみを、控えの間からはいってきた父にわかってもらいたかったからである。
ところが父親の気分たるや、そんな細やかさのわかるような状態ではなかった。
「おや!」と彼ははいってくるなりそう叫んだ。憤りと喜びが交りあったような声だった。グレゴールは頭をドアから引いて、父のほうにあげた。正直いって、いまそこに立っていようとは、思いもそめなかったのだ。たしかにちかごろでは、新しいはいかたを覚えたということもあって、以前ほどほかの部屋のできごとに身がいらなくなっていたから、ほんらいなにか変わった事件に出あってもとくべつ取り乱すはずはなかったにちがいない。ところがだ、これがやはりむかしどおりの父親だったのだろうか。そのむかし、セールスの旅に出かけるときに、ぐったりとベッドのなかでふとんにくるまっていた同じ人物。帰ってきた晩には、パジャマ姿で肘掛いすにかけたまま、このおれを迎えてくれたあの親父。立ちあがるなんてさたのかぎり、両腕をあげただけで喜びの色を示したひとりの男。年に二度か三度の日曜だとか大祭日のときなどに、いっしょに連れだって歩いた数少ない散歩で、がんらい足のおそい母親とグレゴールのあいだにはさまりながら、いつでももっとゆっくりした足取りで、くたびれた外套《がいとう》に身を包み、いつも用心ぶかくステッキをついて、そろそろと歩いていたあの親父。なにか話をしようとするときには、ほとんどいつもといっていいぐらい立ちどまり、連れのものをまわりに集めた例の父。あの父親が、いま目のまえにいる男と同じ人物だったのだろうか。いまその男がしゃんとまっすぐに立っている。銀行の小使いが着ているような、金ぼたんつきの青い制服をぴたりと着こなし、上着のかたくて高いカラーの上には、頑丈そうな二重あごがふくれあがって、もじゃもじゃの眉毛の下から、黒い目の光が生き生きと注意ぶかげにかがやいている。これまではいつもぼさぼさにほうってあった髪の毛も、心をこめて櫛《くし》を入れ、いたいたしいほどきちょうめんに撫《な》でつけてあるではないか。おそらくは銀行の名前になっているらしい金モールじるしのついた帽子を部屋の端《はし》から端へぽいと孤を描いてソファの上のほうに投げると、制服の長い裾をはねかえして、両手をズボンのポケットにつっこみ、苦虫《にがむし》をかみつぶしたような顔つきで、グレゴールのほうへ近づいてきた。彼自身おそらくはなにをもくろんでのことか、わからなかったのではあるまいか。いずれにせよ、足のあげかたがいつもになく高かったので、長靴の底がとてつもなく大きいのに、グレゴールはびっくりした。だからといって、ただぼんやりしているだけではすまされなかった。新しい生活がはじまった第一日めから、父親は自分にたいして最高の厳格さで対処することこそ至当であろうと考えていた。その点については、グレゴールとても万々承知のうえなのだ。といったところから、彼は逃げるにしくはないと思案して、父親が足をとめれば彼自身もとまったし、相手がちょっとでも動いたとあれば、こちらもすぐに前進した。こういうふうにして、ふたりの堂々めぐりはいくたびかくりかえされたのだったが、だからといってなにか決定的なことがらが起こったわけではさらさらなくて、むしろいっさいはのろくさと進行したものだから、一見したところ、追っかけごっこのようには見えなかった。
そういうわけで、彼はさしあたり床の上にいることにした。壁や天井などへ逃げたりしたら、かえって父の心証を害し、悪意あってのこととまちがえかねなかったからである。むろんこんなふうに走りまわっていたひには、とても長つづきしそうにないとも、自分みずからにいいきかせずにはおられなかった。父親が一歩あるくあいだに、彼としては数かぎりないあしの運動をやらかさなければならなかったから。息切れももうはじまっていた。がんらいが、肺臓には自信のあるほうではなかった。全力疾走を志して、よろよろと進んでいるあいだに、ほとんど目もあけてはいられない。頭もぼんやりとにごって、ただもうがむしゃらに走る以外には、いい考えもうかばない。四つの壁にはまだ逃げる余地があったということも、もはやあらかた忘れたぐあい。といってもこの部屋の壁には、ぎざぎざやとがったところのいっぱいついた、念入りな彫物のある家具類がおいてある……と、そのとき彼のすぐそばに、なにかが落っこちてきた。軽くほうり投げたものらしかったが、目のまえでころころところがったのだ。|りんご《ヽヽヽ》であった。つづいてふたつめがとんできた。びっくりしてグレゴールは立ちどまった。これ以上走ってもしかたあるまい。父親はこのおれを爆撃しようと決心したのだな。配膳《はいぜん》台の果物皿から、ポケットというポケットを|りんご《ヽヽヽ》でいっぱいにし、いわばいきあたりばったりにろくすっぽ狙いもつけず投げつける。小さな赤いりんごは、まるで電気仕掛けみたいに、ごろごろと床の上をころげまわってぶっつかる。そっと投げた一個が、グレゴールの背中をかすめた。でもそのままころがり落ちて、けがにはならなかった。ところが間髪をおかずにとんできたやつが、背中に、がんとまともに命中した。彼はからだを引きずって逃げにかかった。信じられない不意うちの痛みを消すには、場所さえ変えればよかろうとでもいうように。でも、釘づけにされたみたいな感じで、いっさいの感覚が完全に狂い、その場にへたりこんでしまった。それでも最後の視力でようやく目にしたものは、彼の部屋のドアが手あらく開かれて、泣き叫ぶ妹のまえに下着姿の母親があたふたととび出してくる光景だった。気を失った母親の呼吸を楽にしてやろうと、妹が上着を脱がせてやっていたからである。それから父親めがけて駆けよった。その途中でほどけたスカートが床へずり落ちた。そのスカートに足をとられながら、父親にとびつき抱きつくと、ふたりはすっかり一体となって……父親の後頭部に両手をまきつけ、グレゴールの命をいたわって願いつづけた……だが、そのときにはもはやグレゴールの目は見えなくなっていた。
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三
はや一か月以上もグレゴールをさいなみつづけた重傷は……だれひとり取りのぞいてくれるものもなかった|りんご《ヽヽヽ》のつぶては、いまもなお背中の肉に食いこんで、歴然たる形見のあとを示したまま……いまとなっては、父親にすら、かくもあわれないかがわしい姿になりおおせたものの、やはり息子は家族の一員にちがいないのだと、惻陰《そくいん》の心を起こさせるかのようだった。身内のひとりであるからには、仇敵のような扱いはすべきでない。それどころかむしろ嫌悪の情は胸におさめて、無理にも堪えることこそ家族の一員として当然はたすべき義務ではないかと、いまさらながら思い知るところがあったらしい。
いっぽうグレゴールのがわにあっては、身に受けた重傷のおかげで、自由気ままの行動は永久に不可能となったので、部屋を横ぎるにも老いさらばえた不具者のように、長い時間をかけかけ、のろのろとやってのけるほかはなくなったのだが……したがって高いところをはいずりまわろうなどとは、思いもおよばぬことだった……ところがこうした悪化した状態とは逆に、考えようによっては、これを補ってあまりある代償も得られるようになったともいえそうだった。つまるところ、夕べの時間がやってくると、例のとおり、早《はや》もう二、三時間まえから、いつも目を皿のようにしてみつめるならわしになっていたドアがあけられて、灯《あか》りのともった食卓についた家族全員の姿が眺められたのに、くらがりのなかの彼の様子はぜんぜん目につかなかったばかりではなく、家族の会話もむかしとはことかわり、いうなれば公認された形で聞けるようになったからである。
とはいえこれらの会話ももはやかつての溌剌《はつらつ》とした内容のものではなくなっていた。むかし見知らぬ土地の、ちっぽけな安宿でしめっぽい夜具にくるまって、いつもある種のあこがれを抱いて心に浮かべたにぎやかな会話ではなくて、おおかたはひそやかにぽつりぽつりとかわされたしめやかなまどいであった。父親は夕食が終わるのを機会に、安楽椅子に坐ったまま、うとうとと眠りはじめたし、母親と妹はたがいにうなずき合いながら、ほとんど物音ひとつ立てなかった。あかりの下に身をのり出した母親は流行服飾店から頼まれた上物《じょうもの》下着類の下請け作業に精を出したし、女店員の仕事についた妹は、速記とフランス語の勉強に夜の時間を費やした。そのうちいつかはもっとましな地位を手に入れようとの算段だったのだろう。ときたま父が目をさまし、眠っていたのも知らぬげに、母親へ話かけた。
「今夜もまたいつまで針仕事をする気かね?」
そういうとすぐにもこくりこくりとまどろみはじめ、母娘《おやこ》のふたりはたがいに顔を見合わせて、疲れた微笑を投げかけ合うのだった。
一種の強情さで、父親は自家《いえ》のなかでも制服を脱がないといいはりつづけた。パジャマは衣装|鉤《かぎ》にかけっぱなしのまま使い通してもなかったが、きちんと制服に身を固めた父親は、自分の座席にうつらうつらしながら、なんどきたりとも任務につける用意をととのえて、自宅《うち》のなかにいるときでも、すわ上役のお声をと待機《たいき》おさおさ怠らないかのごとくであった。そういうわけで、はじめから新調とも思えなかった制服は、母親と妹がどんなに丹念な手入れを施そうとも、きちんと整った形を取りつづけるわけにはいかなかった。グレゴールはしばしば夜どおし、金ぼたんだけがぴかぴか光る、あちらこちら汚れっぱなしの制服を眺めて過ごした。そのお仕着せを、老人はいかにも窮屈げに着ながら、おだやかな眠りをむさぼっていた。
時計が十時を打つやいなや、母親はそっと声をかけて父の目をさまさせようとする。それからつづけて、「ここじゃほんとうに眠ったことにゃなりませんよ。すぐにベッドのほうへいかなくちゃ、六時には勤めに出かけなけりゃいけないのですから、どうしてもまともな睡眠が必要なのです」と、説得にかかるのだった。
ところが小使いになってからというもの頑固になったらしい父親は、もうしばらくテーブルのところにいるのだと、いつもいいはりつづけるのだったが、それでいてまたぞろ眠りこんでしまうのがお定まり。そうなると、安楽椅子からベッドへ移動させるには、さらに輪をかけたいちだんの苦労がかかろうというわけだった。母と妹のふたりが短い小言《こごと》をくりかえしながらどんなにしつっこく説得しようとも、ものの十五分はゆっくりと首を振って、目をしっかりと閉じたまま、立ちあがろうとはしなかった。母親は袖を引っぱって、相手の耳になにやらお世辞らしいことばを囁《ささや》きつづけたし、妹は妹で勉強を中断し、母の加勢に加わるというしまつ。にもかかわらず、|かえる《ヽヽヽ》の顔への小便《しょんべん》だった。ただもういちだんと深く安楽椅子に身を沈め、ふたりの女が腋《わき》の下へ手をつっこむのを待ってから、しぶしぶと目を開き、母親と妹の顔をかわるがわる見くらべながら、いつもこんなふうにいうのであった。
「これが人生というものなのさ。老いぼれてからの休息というものなのさ」
それからふたりの女にささえられ、このからだこそが自分にとっては最大の重荷にほかならないといったぐあいに、おうぎょうなそぶりで立ちあがり、女たちに手を引っぱられて、ドアのところまで連れていかれると、そこでもうけっこうだと手を振って、さきはひとりで歩いていくのだが、母親はお針の道具をほうり出し、妹は急いでペンを投げ出すと、父親のあとを追いかけて、さらになにかと手をかしてやる。
仕事に精魂ともにすりへらし、過労におちいった家族のもののいったいだれに、これだけはどうしてもと考えられる以上の面倒を、グレゴールのためにしてやれる時間が残っていたというのであろう? 暮らしのぐあいはいちだんと切りつめられていったので、女中も結局はおけなくなって、頭のまわりに白髪の毛をぼさぼささせた骨《ほね》ぶとの大柄な雇い婆《ばあ》さんが朝と夕方の二回やってきて、とくに骨の折れる家の仕事を片づけるようになったが、そのほかはいっさいがっさい母親が、数多い針仕事をつづけながら、面倒をみなければならなかった。
事態はそれだけでは治りようもなく、そのむかし母と妹が催しごとやお祝いごとのおりおりに、うちょうてんの喜びで身につけたいろいろな装飾品までも売りに出されて、その間のいきさつは、目標の値段について毎夜みんなで話し合う会話のふしぶしから、グレゴールにもよくわかった。だが、なかでもいつも最大の悩みとなったのは、現状からいって広すぎると思われるこの家を、どうにも引っこせないということだった。つまりは、どんなふうなやりかたでグレゴールを移したらよいか、考えおよばなかったからである。だが彼にはよくわかっていた……移転を妨げているものは、かならずしも自分にたいする遠慮だけからではない。なんとなれば、空気|孔《あな》をいくつかあけた適当な箱に入れてはこべば、なんのぞうさもなかろうではないか。家族の住居移転を拒んでいるのは、むしろ完全な希望喪失と、親戚知人のだれもが知らないようなひとの不幸に打ちのめされているという思いであった。世間のひとたちが貧乏人に要求するいっさいを、彼らはとことんの末までやりとげていた。父親はしがない銀行員のために朝食をとってきてやったし、母親は他人の着物の洗濯に専念してはばからなかったし、妹はお客のいいつけに従って売り場のうしろをかけずりまわったが、でも家族の力はもはやその限度に達していたからである。母と妹が父親をベッドへ連れていき、やっと居間へ戻ってくると、仕事を片づけ、からだを近づけると見るうちに、早くもほおをよせ合って坐《すわ》りこみ、グレゴールの部屋を指さしながら母親が「グレーテや、あそこのドアをしめてちょうだい」と、いうのを待って、彼はまたしてもまっくらなくらやみに包まれてしまうのだったが、隣の居間ではふたりのほおをよせた女が涙にかきくれるか、いまではもうその涙さえも涸《か》れてしまって、ただもうじっとテーブルを見つめている。そんなときグレゴールの背中の傷は、たったいましがた受けでもしたようにうずきはじめるのだった。
夜も昼もグレゴールはほとんど一唾もしないままに過ごしていた。そして、こんどドアがあきでもしたら、家族の仕事をむかしどおりにもういちど自分ひとりの手で果たしてやろうと、考えることもときにはあった。彼の頭のなかには、久かたぶりに店主のおもかげや支配人、店員や小僧たち、とくべつ頭の鈍い下男のこと、ほかの仕事についている二、三の友人、地方のどこかの宿の部屋つき女中、なつかしいかりそめの思い出、そして真剣ではあったが、でもあまりにも間のびしたモーションで求婚したさる帽子店につとめる婦人会計係……といったひとたちの姿が、見も知らぬ連中やすでに忘却のかなたにあるひとびとのなかにまじり合いながら、立ちあらわれてきた。だが、だれひとりとして彼と彼の家族に手を借すどころか、すべては近づきがたいひとたちばかりであったから、そうした姿が消え失せていったとき、彼はなにかほっとする気持ちであった。でも、ときにはまた家族のことなどもうどうでもいいと思うこともあった。彼の心をいっぱいにしたのは、ひどい待遇にたいするいかりだけだった。彼にはどんなものが食欲をそそってくれるのか想像だにもできなかったが、それでもなんとか台所にいきついて、お腹はちっともすかないにせよ、とにもかくにもなにか口に合いそうなものを取ってこれたらと、そんな計画を立ててみた。いまではもうどんな食事がとくべつにグレゴールを喜ばせるかなど考えてみる暇もなく、妹は朝と昼、店の勤めにかけつけるまえ、あたふたとなにかしらあり合わせの食物をグレゴールの部屋に足で押しこんでやり、夕がたにはその食い物がほんのちょっぴりつまんであろうと……そういったケースがいちばん多かった……あるいはぜんぜん手もつけられないままであろうと、露《つゆ》さらさらおかまいもなく、ひと掃《は》きさっと箒《ほうき》を使って部屋の外へすててしまうのだった。居室の掃除もいまでは彼女ひとりの担当となり、時間はいつも夕がたということになっていたのだが、これ以上早くはぜったいにできない手ぎわのよさ。四面の壁に沿って縞《しま》模様のよごれが跡を引き、あちらこちらにはごみや汚物のかたまりがころがっていた。はじめのうちは、妹があらわれる時分を見はからい、とくべつによごれた隅っこに陣取って、非難の意志を示そうとしてみたが、たとえ何週間そこに頑張りつづけようとも、妹の心根を改めることは、ぜったいにできなかったであろう。というのも、妹にしろ彼自身と同様によごれた部屋の一件については、もはや十二分に承知のうえで、そのままほったらかしにしておこうと決心していたからである。いうなれば家族ぜんたいをとりこにしてしまった一種のまったくもって新しい敏感さで、いまとなってはグレゴールの部屋の掃除いっさいが、ただもう自分ひとりの手にまかされているのだ、と監視の目を光らせていたのだった。
ある日、母親がグレゴールの部屋の大掃除をやってのけたことがあり、バケツ二、三ばいの水を使っただけでおしまいとなったが……びしょぬれになった部屋の状態にむろんグレゴールも腹を立て、ソファの上にながながと寝そべりながら、身動きひとつしないままにふてくされた姿勢を崩さなかった……とはいえ母親のほうとても罰を受けないままで済むわけがない。夕がたになって、グレゴールの部屋に出来《しゅったい》した変化に気づくやいなや、妹にはこの上もない怒りにかられて居間に駆けこんでいき、母親が両手をあげておがむように許しを乞うのもなんのその、からだを引きつらせて泣き出した。これにはさすが両親も……むろん父親はびっくりして安楽椅子から立ちあがったが……最初しばらくのあいだは驚きあきれ、なすすべもなく見守るだけだった。でも、やがては彼らも興奮の渦に巻きこまれ、右がわでは父が、グレゴールの部屋の掃除は妹にまかせてあるはずだったと母親を責め立てると、左がわでは妹がもうぜったいに兄さんの部屋の掃除はご免《めん》だわと、泣きわめくのだった。ところでいっぽう母親は、激昴《げっこう》のあまりわれを忘れた父親を寝室のほうへ引っぱっていこうと懸命だったし、妹はすすりなきに身をふるわせながら、小さな両の拳《こぶし》でむやみやたらとテーブルの上を叩きつづける。グレゴールはまたグレゴールで、だれひとりドアをとざし、目のまえの光景と大騒動を見せないですませる才覚に気づかないのかと腹にすえかね、いかりのあまり、大きな舌打ちをしてみせたのだった。
勤めのために疲れきった妹が、飽《あ》きをきたして、むかしどおりの面倒が見られなくなったとしても、その代わりに母親がグレゴールの世話を引きうけなければならない必要はすこしもなかったろうし、だからといってグレゴールがほったらかしにされる筋合いもなかっただろう。それというのも、現在では例の手伝い女がいたからである。おそらくは長い生涯を通じてどんなにつらい場合をも、あの頑丈な骨格の力で切りぬけてきたと思われる後家の婆さんは、グレゴールをとくべつきらうふうにも見えなかった。とり立てて好奇心に動かされたわけでもなかったのに、ある日この婆さんは偶然にもグレゴールの部屋のドアをあけたことがある。完全に虚《きょ》をつかれたグレゴールが、だれひとり追い立てるものもいなかったのに、うろうろと走りはじめるのを目にすると、彼女はお腹の上に腕を組み、びっくりして立ちどまった。そのとき以来、婆さんは忘れる気配もなくいつも朝夕部屋のドアをちょいとあけ、グレゴールの姿をのぞきこむ。はじめのうちは自分でも親切心のあらわれと思いこんでいたのだろうか、「こっちへおいでよ、甲蟲《かぶとむし》のおじいさん」とか、「見てごらんてば、甲蟲のじいさんを!」などと呼びかけながら、自分のほうへ引きよせようとしたものだった。でも、グレゴールはそういう呼びかけにひとことの返事もするではなく、もともとドアがあけられなどしなかったようなそぶりをしながら、じっとその場に居すわっていた。ときどきの気まぐれ心から、役にも立たない邪魔をさせるぐらいだったら、この手伝い婆さんにいいつけて、毎日部屋の掃除をするようにしむけてくれたほうがよっぽどありがたかったのに。
ある日の早朝……おそらくは早くも春の訪れの前ぶれと思われる激しい雨が窓のガラスを打っていた……いつものように例のことばを手伝いの婆さんがかけはじめたものだから、グレゴールはひどく腹を立て、むろんのろくさとよろめきながらも、正面目がけて跳《と》びかかるようにからだを向けた。ところがどうして、こわがるどころか、ドアの近くにあった椅子を高々と持ちあげた。大きく口をあけて立ちはだかった婆さんのようすからすれば、手にしたくだんの安楽椅子をグレゴールの背中めがけて打ちおろさないかぎり、開いた口は金輪際《こんりんざい》つぐまないといった気配が明瞭だった。グレゴールがもとどおりからだの向きを変えたとき、婆さんはこうきいた。
「そうかい、それだけなのかね」
いまとなっては、もはやグレゴールはほとんどなにひとつ食べようともしなかった。偶然にごちそうが用意されているそばを通りすぎるようなときには、遊び半分ちょいとひと口食べてみる場合もあるにはあったが、それを何時間ものあいだ口内にふくんでおいてから、たいていは吐き出すといったぐあいだった。はじめのころは、自分でも食い物が食べられないのは部屋の状態がみじめなせいだと思っていたのだったが、部屋の様子がいろいろと変わっていくそのことにも、すぐさま慣れるようになってきた。ほかの部屋に置けない品物を、この室内に運びこむといった習慣がいつの間にかできあがり、いまではそういった物がたくさんあった。というのも、住居のひと部屋を三人の下宿人に貸したからだった。このきまじめな紳士たちは……ある日グルゴールがドアのすきまからたしかめたところによれば、いずれも顔じゅうひげだらけの男たちだった……ひどくきれいずきな人柄で、ひとたびこの家に住みこんだとなったからには、彼らの部屋だけではなく、住居の全部、したがってとりわけ台所の状態が気になった。不用の品とか、とくに汚れたがらくたは我慢できかねたのである。そのうえ家具類は大部分自前の持物を持ちこんでいたので、そういった事情から、売るわけにはいかないが、使う気にもなれないたくさんの品物があふれにあふれ、それがひとつ残らずグレゴールの部屋へ移されたのだった。同じようないきさつで、灰すて箱と屑《くず》箱が台所からやってきた。とりあえず使い道のなくなったものは、いつもせかせかと動きまわる例の手伝い婆さんが、顧慮《こりょ》するところもなくグレゴールの部屋へ投げこんだ。幸いに、たいていの場合、グレゴールが目にしたのは、当の物品とそれを運んでくる事だけであった。たぶん手伝い婆さんの最初の気持ちは、時と次第で、これらの品物をもういちど取り戻しにくるか、そうでなければいっさいがっさい束にして、いっきにすててしまうつもりだったのだろうが、実際には、最初投げこまれた同じところにそのまま置きっぱなしになっていた。とはいっても、グレゴールががらくたの間をはいずりまわって動かしたものもある。はじめのうちは、はって歩く余地がなくなるといったところから、余儀《よぎ》なくやらされた部分もあるにはあったが、後にはこうした運動のあとで死ぬほど疲れ、悲しい気がして、またもや教時間のあいだ動けなくなったにもかかわらず、次第にそうしたしぐさが楽しくなってきた。
下宿人たちもときどき家で夕食をとる際に、共同の居間を占領したものだから、居間のドアがしめ切りになる夕がたもたびたびあったが、グレゴールにしてみれば、ドアが開くといったことがらについては、いとも容易にあきらめていた。のみならず、ドアがあけられていたころのいく夜にあっても、すでにそうした点をじゅうぶんに利用しようとはせず、家族に気づかれることもなく、部屋のいちばん暗い隅っこに寝そべっていた。でも、ある夜、手伝いの婆さんが居間に通じるドアを少しばかりあけっぱなしにしていたことがあり、下宿のひとたちが夕がたはいってきて、灯りをつけたときにもやはりそのままになっていた。彼らの坐る場所はテーブルの上手《かみて》で、そこはかつて父と母とグレゴールが坐る席だった。下宿人たちはナプキンをひろげ、ナイフとフォークを手に取った。すぐに母親が肉の皿を手に持ってドアのところにあらわれる、すぐあとにつづいて山盛りにもったじゃがいもの皿をかかえてはいってき、食べ物からは強い匂いが立ちのぼっていた。下宿の紳士たちは、あたかも食前の吟味でもするように、目のまえに置かれた皿の上へ身をかがめた。そして実際に中央の座を占めて、べつのふたりになにやら権威を示すかのような風格を示していた男が、まだ皿の上にのっかったままの肉のひと切れを切りとった。明らかにこの肉片が完全にやわらかいかどうか、いうなれば台所へ戻さなければならないようなものではないかどうかをたしかめていた。彼が満足の面もちになると、緊張しながら見守っていた母と妹が、ほっと息をついて、微笑しはじめるのだった。
家族一同は台所で食事をとった。それでも父親は台所へはいっていくまえにこの部屋へはいってきて、いちどだけ頭をさげ、帽子を手にテーブルのまわりを一巡した。すると下宿人たちはひとり残らず立ちあがって、なにやら口のなかでぶつぶつとつぶやくのだった。でも、三人だけになるやいなや、もはやひと言《こと》も話そうとはしないで、ただもうがつがつとかきこむだけだった。食事のあいだじゅう、いろいろな物音にまじって、絶える間もなくくりかえし聞こえる物をかむ音に、グレゴールはなにかしら異様な感じを覚えたものだった。食べるのには歯が必要だ、歯のない顎《あご》はどんなに美しかろうと物の用には立たないという事実を、見せつけられているようだった。
「ぼくにだって食欲はあるんだよ」と、グレゴールは気になってそうつぶやいた。
「でもね、こんな料理じゃね。あの連中ときたら、ほんとうによく食べるなあ。こちとらだったら、いっぺんにおだぶつだ!」
ちょうど同じ晩がたのことだったが……このごろとんとご無沙汰《ぶさた》つづきになっていた……ヴァイオリンの音を台所のほうから聞いたのだった。はやくも夕食をおえた紳士の諸君は、まんなかの席に坐った男が新聞を取りあげ、ほかのふたりに一枚ずつくばると、それぞれにゆったりと椅子に腰かけ、たばこをふかしながら読みふける。ところが、ヴァイオリンの音色を耳にすると、たがいに顔を見合わせて立ちあがり、足音を殺して玄関の間のドアのところまで出かけていった。それからひとかたまりになってたたずんだ。その気配は、台所からも聞こえたのだろう。
「みなさん、お耳ざわりじゃございませんか。それならすぐにやめさせますが」と、父親の叫ぶ声がした。
「どういたしまして……耳ざわりどころか」と、親分株の男がいった。「お嬢さんにですな、こちらの部屋へきていただいて、わたしたちのところで弾いちゃいただけませんかねえ。こっちのほうがずっといい気分になれますよ」
「それじゃ、おことばにあまえて」と、父親は自分がヴァイオリンを弾く当人ででもあるように、大きな声でそういった。
間借《まがり》人たちは部屋に引きかえして、待っていた。間もなく譜面台をかかえた父親と、楽譜を手にした母親のあとから、妹がヴァィオリンをかかえてやってきた。妹は落ちつきはらって準備をする。両親《ふたおや》には間貸しの経験がなかったものだから、間借人にたいする態度に遠慮するきらいが濃すぎる。いまも自分たちの椅子に坐ろうとしないのだ。父ときたら、ドアによりかかって立ったまま、ぴったりと身についた制服のふたつボタンのあいだに、右手をつっこんでいる。母親のほうは、たまたま隅っこに椅子が一脚おいてあったものだから、紳士のひとりがすすめるままに、そこへそうっと腰を落ちつけた。
妹の演奏がはじまった。娘の手さばきを両親はめいめいの場所から、かたずをのんで見守りつづける。その弾きっぷりに、グレゴールも心をひかれた。思わず前のほうへ乗り出していくうちに、いまではもう首を居間のなかまでのぞかせていた。他人の思惑などあまり気にならないというのが、このごろの心境だった。それがかくべつ不思議とも思えない。かつてのグレゴールは、他人の気持ちをおしはかる……それがいうなれば誇りであった。そういった遠慮は、いまこそ以前にもましてなによりも必要であったはず。というのも、彼の部屋ときたら、どこもかしこもうず高いほこりの山におおわれていたものだから、ちょっとでも身動きしようものなら、そこらあたりもうもうと舞いあがるちりほこり、からだじゅうがまっ白になってしまうからだった。そのうえ、背中や脇腹には、糸くず、毛髪、食べものかすなどをこってりと引きずっていた。いまはもうむかしのように、昼間のあいだ何度となく仰向《あおむ》けにころがって、じゅうたんにからだをこすりつけるというような身だしなみには、とんとご無沙汰のていだったから。だのにそんなきたならしいかっこうで、掃除のゆきとどいた居間の床に、平気の平左で乗り出していったというわけだった。
もちろん気づいたものはいなかった。両親はすっかりヴァイオリンの音色に気を取られっぱなしだったし、紳士の諸君ときたら、それとは反対にはじめのうちこそ両手をズボンのポケットにつっこんだまま、妹の譜面台のうしろにぴたりとよりそい、かりにも本人たちにのぞく気さえあろうものなら、ひとり残らず楽譜のなかみを読みとることができただろうから、妹にしてみればおそらくは邪魔っけこのうえもなかったろうに、そのうち三人はこそこそと小声でなにやらことばをかわし、顔を伏せて窓ぎわへ引きさがり、気づかわしげに見守る父親の目に見守られながら、ずっとその場に残っていた。様子から察するに、なにかかわいらしいヴァイオリン曲なり、心楽しい演奏を聞かせてもらえるつもりだったが、こと志《こころざし》とちがって全曲目を聞かされるのにあきあきしながら、ただもうお義理からだまって弾かせておこうといったふうに見えていた。とりわけ、ひとり残らず鼻と口から葉巻の煙を天井たかくふかせているところは、ひどくいらだっているとしか思えない。
それにしても、妹の演奏はまことにもって堂々たるもの、顔をわきへかしげ、試すように憂《うれ》いをふくんで、瞳《ひとみ》が譜面の行を追っていた。グレゴールはもう少し前のほうへにじりより、顔を床すれすれにもっていく。かなうことなら妹の視線に出合いたいと思ったからだった。これほどまでに音楽のとりことなりながら、彼はやはり一匹の虫だったのだろうか? あこがれ求めていた未知の糧《かて》に近づく道が、ようやくあらわれたというような心持ちであった。彼は心にきめる……妹のところにはい出して、そのスカートを口で引っぱり、そうしながら彼女にヴァイオリンを持ったまま、自分の部屋へきてもらいたい願いのほどをしめしてやろうと。というのも、ここにいるだれひとり、彼がみとめたほどの評価を、妹の演奏に与えてはいなかったからである。二度ともう妹を部屋の外に出したくない、すくなくともおれが生きているあいだはだ。おれのおそろしい姿形が、はじめてものの役に立とうというものだ。部屋のありとあらゆるドアを万遍《まんべん》なく見はって、やってくる侵入者にうなり声をあびせてやろう。でもね、妹のやつを無理にも引きよせてやろうというのではない。気がむけばそばにいてくれる……それだけでいいんだよ。長椅子にならんで腰をかけさせ、あの子がおれのほうに耳をかしげてくれたら、こんなふうに打ち明けてやりたいのだ……おれはね、おまえをぜがひでも音楽学校へ入れてやる計画をもっていたのだよ。途中で今度の災難がやってきさえしなかったら、去年のクリスマスに……でもね、クリスマスはたしかにもう過ぎちまったなあ……みんなに向かって宣言するはずだったんだ。たとえどんな反対があろうとも、そんなこたあおかまいなかったんだが。こんなふうに説明したら、妹のやつったら感激してわっと泣き出すことだろう。そしたら、おれは妹の肩のところまで伸びあがってさ、あいつの首っ玉に接吻してやるだろうに、勤めに出てからというもの、リボンもカラーもつけなくなったむき出しのえり首にだ……。
「ザムザさん」と、まんなかにいた紳士が父親にむかってとつぜんそう呼びかけながら、二の句がつげないままに、ひとさし指でゆっくりと前のほうにはい出してきたグレゴールをさし示した。ヴァイオリンの音がやみ、まんなかの男はひとまず首を振って仲間ににやっと笑いかけておいてから、またしても視線をグレゴールに返した。父親はグレゴールを追っぱらうよりか、紳士たちを落ちつかせるのが先決と思ったらしかったが、彼らはいっこうに驚くけぶりも見せはせず、ヴァイオリンよりはむしろグレゴールのほうに興味を覚えたらしい。ところが父親はあわてふためいて紳士たちのほうへ近づくと、両腕をひろげて彼らの部屋へ押しかえしながら、自分のからだを盾《たて》にして、グレゴールの姿をおおいかくそうとしたものだから、こんどは彼らもほんとうにいくらか腹を立てたようすだったが、その立腹が父親の態度にあったものやら、あるいは隣の部屋にグレゴールのようなものがひそんでいたことを知らないでいて、いまごろやっとわかりかけたという点にあったものやら、その辺の事情ははっきりしなかった。三人の紳士は父親に説明してもらいたいといい、彼らのがわでも両腕をあげたり、落ちつかなげにひげをひっぱったりしながら、のろのろと自分たちの部屋へ引きさがるほかはなかった。いきなり演奏を中断されて茫然自失《ぼうぜんじしつ》していた妹も、そのあいだになんとか急場を切りぬけて、しばらくのあいだ、だらりとたれた両の手にヴァイオリンと弓をつかんでたたずんでいたが、やがてまたさきを弾こうとするように楽譜のなかをのぞきこむ。と思うまに、とつぜんすっくと立ちあがり、胸苦しげにぜいぜい喘《あえ》いで、そのまま椅子に坐りこんでいた母親のひざへ楽器を放り出し、いまちょうど父親の追い立てをくった間借人たちが、いちだんと早めに後退していった隣の部屋へ、さっとばかりに走りこむ。それから慣れた手つきで、ふとんや枕をばたばたふっとばし、ベッドをきちんと整理するのが見えていた。三人の紳士がまだ部屋のなかへやってこないうちに、ベッドを片づけおえると、すりぬけるように出ていった。ところが、父親のほうときたら、またしてもいつもの依固地《いこじ》さが頭をもたげたらしい。とにかく間借人たちに払わらければならない敬意など、すっかり忘れてしまっていた。ただもう押して押して押しまくるだけだったから、とうとうドアのところまで来たとたん、まんなかの紳士がじだんだを踏んだので、ようやく行動中止ということになった。
「わたしはここに宣言する」とそういって、紳士は片手を上にあげ、目で母と妹をさがし求めた。
「この住居と家庭のなかにある不愉快な事情を考慮のうえ」……ここまでいうと、彼は意を決したようにぺっと床につばを吐いた。「契約解除の拳に出ます。いうまでもなく、これまでの居住にたいする賃貸料はびた一文お払いしない。ところで、当方の受けた損害についてはいとも容易に理由づけられるものなのですが……嘘《うそ》じゃありませんぞ……なんらかの賠償をあなたに要求するかどうかは、なおじゅうぶん考慮してからにいたしたい」
彼は口をつぐんで、ぼんやりと前方を見つめた、なにかを待ちもうけるといったぐあいに。案の定《じょう》、つづいて二人の仲間が口を開いた。
「わたしたちも即刻解約だ」
そのことばが終わるのを待って、中央の男がドアのとってをにぎり、バタンと音を立てて戸をしめた。
父親はよろよろと手探りしながら安楽椅子のところまでいくと、そのなかにへたりこんだ。恒例になった晩の居眠りをするために、手足を伸ばすといったふうだった。でも、支えをなくしたような安定しない頭で力強くうなずいているところからみると、眠ってなどいないということがよくわかる。グレゴールはそのあいだじゅう、間借人たちから見つけられた位置に、じっとうずくまりつづけていた。まんまと失敗した計画にがっかりしたせいもあっただろうが、もういっぽうでは長いあいだの絶食から引き起こされた衰弱も手伝ったのであろう、もはや身動きひとつできなかった。つぎの瞬間にはもうなにもかもがらがらと頭の上に崩れ落ちてくるだろう、そういったある種の確信に気もそぞろ、それを待ちもうけてもいたのだった。というわけで、母親のふるえる指の下からすべり落ち、ひざからころげて、ひとりでにころんと鳴ったヴァイオリンにも、びっくりする気配はみえなかった。
「ねえ、お父さん、お母さん」と、妹はテーブルをとんとたたいて、話をはじめた。
「おしまいだわ、こうなったら。あなたがたにはおわかりじゃないかもしれませんが、わたしにはよくわかってるのよ。この化け物のまえで、兄さんの名まえをいうなんて、わたしご免だわ。わたしにひと言だけいえるのは、なんとかしてこやつから手を切らなきゃいけないってこと。いつまでも面倒をみてやったり、つらい我慢にたえながら、そりゃもう人間の力にできるかぎりのぎりぎりを果たしてきたのだわ。わたしたちの悪口をいえるものが、いったいどこにいましょう」
「そのとおり」と、父親はひとりごとみたいにそういった。いまもってせわしい息づかいをつづけていた母親は、口もとに手を当て、物狂《ものぐる》いめいたまなざしで、にぶい咳《せき》をはじめた。
つかつかと歩みよった妹は、母のひたいを押さえてやった。妹のことばを聞いて、父の考えもきまったらしい。姿勢を正して坐りなおすと、相もかわらずおきっぱなしになっていた下宿人たちの皿のあいだで制帽をもてあそびながら、折りにふれてはグレゴールのほうに目をやった。
「この化け物と手を切らなきゃいけませんわ」と、こんどはひたすら父にだけ向かって妹がいった。咳のおかげで、母の耳にはなにひとつ聞こえなかった。
「こいつはね、あなたがたおふたりを殺すかもしれないわ。わたしにはそれがよくわかるのです。わたしたちみたいに、あくせく苦労しいしい働きながら、おうちに帰ってまでこんなにきりのない責め苦をつづけていく……とても辛抱できゃしませんわ。わたしもうご免だわ」
こういって、妹ははげしく泣きだしたものだから、涙のしずくが母の顔にしたたった。妹が機械的に手を動かして、拭《ぬぐ》った。
「ねえ、おまえ」と、父は思いやりの色をあらわしながら、よくわかったよといいたげにこう呼びかけた。
「だがね、わしら、どうしたらいいだろうね」
妹はただもう肩をすくめてみせた、なんともならないというしるしであった。泣いているあいだに、そうした気持ちがさっきの自信とは裏目となって、彼女の心をとらえていたのだった。
「わしたちのいうことが、あいつにわかってもらえたらなあ」と、父親はなかば質問するようにそういった。妹は泣きじゃくりながら、激しく手をふった……考える余地はないとの意味を態度にあらわして。
「わしたちのいうことが、あいつにわかってもらえたらなあ」と、父親は同じことばをくりかえし、目をとじて考える余地がないといった妹の確信を、われとわが心に納得させようとした。
「そうしたら、あいつと話しあってけりをつけることもあろうというものだが。でもね、あれじゃねえ……」
「出ていってもらうのよ」と、妹が叫ぶ。
「それがたったひとつの手段だわよ、お父さん。あいつがね、グレゴールだったという考えかたは、捨ててしまわなきゃ。いままでそんなふうに思いつづけていたわたしたちこそ、不幸《ふしあわせ》だったのね。だって、あいつがどうしてグレゴールだというのでしょう。もしも本物のグレゴール兄さんだったら、あんな虫けらなどと人間がいっしょに住めないことぐらい、とっくのむかしにわかっていたはずだもの、自分のほうからとっとと追《お》ん出ていたでしょうねえ。そしたら、兄さんなんかいなくたって、わたしたちのことですもの、じゅうぶんに生きのびられるでしょうし、兄さんの思い出を胸に抱いて、あたためつづけることでしょうよ。ところがどうです、この虫けらはわたしたちを追いかけ、下宿人のかたがたを追い出しちゃう、きっと家ぜんたいを占領して、わたしたちを路頭に迷わせようってこんたんなんだわ、ほら、ねえ、見てごらんなさいな、お父さん」と、いきなり、そう叫びはじめた。
「ほらね、またぞろおっぱじめたわよ!」
グレゴールにはまことにわけのわからぬ恐怖であったが、妹は母親のそばからさえも身を引いた。グレゴールのそばにいるくらいなら、母を犠牲にしてもやむを得ないといわぬばかりに、嘘いつわりのあらばこそ、母親の椅子からも跳《と》びのいて、父のうしろへあたふたと逃げこんだ。こうした娘の振舞いひとつだけでもおろおろと自制心を失い、いっしょになって立ちあがった父親は、娘の身をかばおうとでもするように、両腕をなかば前のほうへ差し出した。
だが、ほかのひとを、とりわけ妹を驚かせてやろうなどといった考えは、グレゴールの夢にも思うところではなかった。右回りをしたのは、ただもう自分の部屋へ帰ろうと考えただけのこと。いうまでもなくけがをして以来、からだが思うにまかせなかったので、回転するのもひと苦労、首の助けをかりないことにはどうにもならなかった。つまりは何度も首をもちあげて床にたたきつけないと、にっちもさっちもいかなかったから、彼の動きはいかにもふうがわりな目立ちかたをするわけだった。ひととき動きをやめてあたりを見まわした。これといった悪意のないことはわかってもらえたらしい。要するにほんの一瞬びっくりしただけだった。いまではだれもかれもがだまりこんで、悲しげに見つめていた。母親は両脚をそろえて前にのばし、椅子にからだを横たえながら、疲労のあまり、いまにもふさがりそうな目つきだったし、父と娘はならんで腰かけ、妹は手を父親の首にまきつけていた。
「これならまわれ右をしてもかまわんだろう」とそう考えて、グレゴールはふたたび仕事にとりかかる。骨の折れる動作だったので、自然と息づかいが荒くなる。おさえようとしてどうにもならなかった。時にはひと休みをしなければならない。ともあれだれひとり追い立てるものはいなかった。要するにするがままなのだ。やっとの思いで方向転換がおわった。そこでまっすぐにもどりはじめた。部屋までの距離がこんなにあるとは驚きだ。この弱りようで、さっきは同じ道のりをとくべつ遠いものとも思わずにはいずってきたのが、自分ながらふしぎである。いずれにせよ、一刻も早くはって帰ろうという以外には考えなかったので、家族のものがことばや叫び声でじゃましなかったことにも気づかなかった。首をふり向けたのは、やっとの思いでドアの入口までたどりついたときだった。とはいえ、首のあたりがなにかこうつっぱるように感じられて、完全にふりかえるところまではいかなかったが、それでも妹が立ちあがっただけで、背後の光景になんの変化も起きてはいない……それは彼の目にもはっきりと見てとれた。最後に母の姿がちらりと見えた。もうすっかり眠りこけていた。
部屋にはいったとたんに、バタンと音がしてドアがしめられ、とめ金がかけられて、完全に封鎖された。うしろでふいに大きな音がしたものだから、あしががくりと折れ曲るほどびっくりぎょうてんした。こんなにあわてふためいてドアをしめたのは妹だった。すっかり身がまえをし、立ちあがっていたのだった。そして、うむをいわさず戸の前にすっとんできたのだった。グレゴールには、妹の足音がぜんぜん聞こえなかった。鍵をまわしながら、彼女は両親に向かって叫びかけた。
「やっとのことで終わったわ」
「ところでと」グレゴールは自分にそう問いかけながら、暗闇のなかをみまわした。そしてまもなく、もはや動けそうにもない自分に気づいたのだった。とはいっても、とくべつふしぎがるほどのことでもない。というよりは、むしろこれまで、こんなか細《ぼそ》いあしではいまわられたことのほうがよほど不自然に思われた。いずれにせよ、気分はかなり快適だった。からだ全体に痛みこそあったが、その痛みもすこしずつ弱まって、いずれはすっきりとなれそうだった。背中にくっついた|りんご《ヽヽヽ》にせよ、そのまわりのやわらかなほこりですっぽりおおわれた傷口にせよ、いまではもうほとんどといっていいぐらい気にならなかった。彼は感動と愛情の思いでもって、家族のことを思いうかべた。おれは当然消えてゆくべき身だといった考えは、おそらく妹の意見よりもはっきりしていただろう。そうしたつつましい、平和な追想状態のなかにひたりつづけているうちに、とうとう三時を告げる塔の時計が鳴った。それでも窓の外がいちめんにほんのりと明るくなりはじめるのを、彼は感じていた。やがて頭がひとりでに沈んで、鼻の孔から最後の呼吸がかすかに洩《も》れていった。
朝早く例の家政婦がやってくると……この女ときたら、もはやいくたびとなくこれだけはしないようにと頼んでいたにもかかわらず、うちのなかのドアというドアを、力まかせにせかせかとしめたものだから、彼女がやってきたら最後、家じゅうのものがおちおち眠っておれなくなるのだったが……その婆さんがいつものようにグレゴールの様子をちょいとのぞいて、とっさのうちにはなんの異常にも気づかなかった。彼女の考えからすれば、グレゴールはわざと身動きしないで横になり、ふてくされたかっこうをしているのであった。やつにはなんでもわかるのだ、とそう思った。ちょうど長めのほうきを手にしていたものだから、ドアの口からつっこんで、こっそりとくすぐってみた。ぴくりともしなかった。婆さんにはそれがしゃくだった。だからこんどは、もうすこし力を入れてついてみた。すると、相手のからだは手ごたえのかけらもなく、ずるずると押されっぱなしのままだった。そこで、ようやく「これはおかしい」と、思いはじめた。やがて事の真相がはっきりすると、目をまるくして、思わずも口笛を吹いた。でも、ぐずぐずしているわけにはいかなかった。とっさにザムザ夫妻がやすんでいた寝室のドアを手荒くあけて、暗闇のなかへ大声で叫んだ。
「まあ、見てごろうじろ、あいつがね、くたばっておりますよ、あそこに伸びて、すっかりおだぶつですわ」
ザムザ夫妻はダブルベッドにきちんと坐り、まずは婆さんへの狼狽《ろうばい》ぶりをとりつくろわなければならなかった。それから、やっとのことで報告の内容を理解したのだった。そこでふたりはおのおののがわからあわてて跳びおりると、ザムザ氏は毛布を肩にひっかけ、ザムザ夫人は寝巻きだけのままで、寝室からあらわれ、グレゴールの部屋へはいってきた。そのあいだに居間のドアも開かれていた。下宿人をおくようになってからというもの、グレーテの寝室はこの居間になっていた。見るとゆうべは一睡もしなかったように、きちんと身づくろいをととのえている。それはまっさおな顔色からも証明されそうだった。
「死んじまったの?」そうたずねかけながら、婆さんの顔を見あげた。調べてみるつもりがあるのなら自分でもできたはずだったし、たとえ調べてみなくともわかるはずだった。
「そうでしょうね」と婆さんはいって、グレゴールの死骸をほうきでもういちどわきのほうへ強く押しやり、証明してみせた。夫人はほうきをおさえるかっこうだけはしてみせたが、でもそうはしなかった。
「さて」と、ザムザ氏がいった。
「これで神さまにもお礼がいえるというものだ」
彼は十字を切った。三人の女もそれにならった。死体をみつめたままでグレーテがいった。
「まあ、見てご覧なさいな、あのやせかたといったら。もうながいことなんにも食べなかったのだから。なにを食べても、そのままそっくり出てくるんだもの」
グレゴールのからだは、そのことばどおりすっかり平べったく、かさかさにひからびていた。もはやあしを使って起きあがるわけでもなければ、そのほかひとの目をそらさせるようなものも、なにひとつなくなっている今になって、やっとわかってきたのだった。
「グレーテや、ちょっとわたしの部屋へきておくれ」と、ザムザ夫人がもの悲しげな微笑をうかべていった。グレーテは死骸のほうをふりかえりながら、両親のあとについて寝室のなかへはいっていく。家政婦の婆さんがドアをしめ、窓をいっぱいに押しひらいた。早朝だったのに、すがすがしい空気には、早くもほのかな暖かさが入りまじっている。すでに三月も終わりのころだった。
三人の紳士たちは自室から出ると、目をまるくしながら、きょろきょろと朝食のありかをさがし求めた。彼らのことは家族の念頭から消えていた。
「朝食はどこでしょう」と、まんなかの男がぶっちょう面《づら》で家政婦にたずねた。
でも、婆さんは口に手をおき、それからせわしげに無言のままで紳士たちに目くばせした……グレゴールの部屋へきてほしい、という合図であった。そのことばにつれて、三人の男たちも室内へはいると、いくらかくたびれた上衣のポケットに両手をつっこみ、いまやすっかり明るくなった部屋のなかに、グレゴールの死体をかこんでつっ立った。
そのとき寝室のドアがあいて、制服すがたのザムザ氏が立ちあらわれ、いっぽうの腕には妻のからだを、片ほうの腕には娘をだいていた。三人ともいくらか眼を泣きはらしている。思い出したようにグレーテが顔を父の腕に押しあてた。
「即刻この家から出てもらいましょうか」と、父親がいって、ドアのほうを指でさし示した。母娘《おやこ》をだいた手はそのままだった。
「それはどういうことですかな?」と、まんなかの男がややどぎまぎした面《おも》持ちでそう聞くと、やさしい微笑をうかべた。あとのふたりは両手を背中にまわし、たえずこすりつづけていた。分《ぶ》のいい結果におわる大論争を期待しているというふうだった。
「ことばどおりの意味ですよ」と、ザムザ氏はそう答え、ふたりの女と一直線に並んだまま、下宿人のほうへ近づいてきた。まんなかの紳士は最初のあいだぐっとそこにつっ立って、床の上を見つめていた。まずは考えを整理しようというようだ、それからザムザ氏の顔を見あげていった。
「じゃあ、出ていきましょう」
急に卑屈な気持ちがこみあげてきて、こんな決心をすることにさえ、新しい承諾を求めているといったあんばいだった。
ザムザ氏は大きな目で、ただ二度、三度短くうなづき返すだけだった。と、つづいて、例の紳士がすぐにもずかずかと大またに玄関の間へ歩いていった。ふたりの友人は、すでにしばらくのあいだ、こすりあわせていた手をやめ、じっと話に聞きいっていたが、得たりや応《おう》と紳士のあとを追っかけてすっとんだ。そのようすは、ザムザ氏が先まわりをして、玄関の間へちん入し、首領とのあきいだを割《さ》きかねまいと恐れるかのようだった。玄関の間で三人は帽子かけから揃《そろ》って帽子を手にとると、傘立てからステッキを引っこぬき、だまってぴょこりとお辞儀をして、家から出ていった。
確証すべき理由のないことはわかっていたが、それでもザムザ氏はなにやらあてにならんといった気がして、ふたりの婦人と並んだまま、玄関の踊り場まで出ていくと、手すりによりかかり、三人の後姿を見守っていたが、彼らはゆっくりした足取りながら終始かわらぬかっこうで、長い階段をおりていった。一階ごとに所定の曲り角へやってくると姿を消し、やがてまた現われてくる。だんだんと下へいくごとに、ザムザ一家の彼らにたいする関心もうすらぐようだった。まもなく肉屋の小僧がこの三人とすれちがい、そのうち彼らのずっと上ほうを頭に荷物をのっけたまま、意気揚揚とやってきたものだから、ザムザ氏も即刻女たちといっしょに手すりのところから引きあげて、家のなかへはいっていった。肩の重荷がおりたというようだった。
きょう一日を休息と散策に使おうというのが、彼らの一致した結論であった。彼らには仕事を休む当然の理由があったばかりか、ぜったいに必要でもあった。といったわけで、三人はテーブルにつくと、三通の欠勤届を書いた。ザムザ氏は重役にあて、ザムザ夫人は注文主あて、そしてグレーテは社長にあてて……書いているあいだに、家政婦が部屋にやってきて、帰りたいと申し出た、朝の仕事がすんだからというのである。三人は書きつづけながら、最初は目もあげないでただもううなずくだけにしておいたが、いぜんとして立ちのこうとしない家政婦のようすを見ると、腹立たしげに顔をあげた。
「なんだい?」と、ザムザ氏がたずねた。婆さんはうすら笑いをうかべて、ドアのところに立っていた。家族のものにすばらしい幸福な知らせを伝えることもできるのだが、それにはとことんまでの質問があってのこと、でなきゃ教えるわけにはいかないといいたげだった。帽子の上にはほとんど垂直に立ったダチョウの羽根飾りがついていたが、こいつは例の家政婦が家で働いていたあいだじゅうザムザ氏をむしゃくしゃさせていたものだった。その羽根飾りが左右前後にゆらゆらゆれている。
「で、いったいなんの用事なの?」と、ザムザ夫人がたずねた。夫人には婆さんがいまでも最大の尊敬を払っているらしい。
「はい」と家政婦は答え、親しみの笑いをうかべると、すぐにはさきのことばが出なかった。
「つまりはですね、お隣のあいつのことですが、もうどうやって運び出すかご心配にゃおよびませんよ。すっかり片づいちまってますからね」
ザムザ夫人とグレーテは手紙の上にかがみこんだ。書きものをつづけたい自分たちの気持ちを見せようとでもするように。いまいっさいを前後残らず話しはじめそうな家政婦の物腰を見てとると、ザムザ氏は片手を伸ばしてきっぱりと拒絶した。おしゃべりを喰《く》いとめられたものだから、片づけなければならない急用のことを思い出し、損じた気持ちを顔にあらわして、「じゃ、さようなら」とそう叫び、とげとげしいようすでくびすを返し、ばたんとあらあらしくドアをしめると、家から立ち去っていった。
「今晩にもやめてもらおう」と、ザムザ氏がそういったものの、夫人からも娘からも返事は聞かれなかった。というのも、どうやら取りもどせたらしい心の平静が、家政婦のおかげでまたぞろかき乱されたようだったから。ふたりは立ちあがり、窓のところへいくと、たがいに抱きあったまま立っていた。ザムザ氏は安楽椅子にかけた姿勢でそのほうへからだをふり向け、しばらくのあいだ物もいわずに見守っていたが、やがてこんなふうに叫んだ。
「さあ、こっらへ来てくれないか。すんだことはもうすんだことだ。少しゃわしのことも考えてくれなくちゃ」
ふたりの女はさっそく氏のことばにしたがい、急ぎ足で部屋のなかへ出かけていくと、氏を愛撫《あいぶ》し、すばやく欠勤届を書きあげた。
それからみんな揃って住居を出た。すでにこの二、三か月というもの絶えて例のないことだった。三人は電車に乗って、郊外へ出た。家族のほかにはひとっ子ひとり乗っかっていない車には、陽の光がすみずみまでもさしこんでいる。シートにゆったりと背をもたせかけた三人は、将来のことをあれこれと語り合った。よく考えると、けっして悪いようにはなりそうにもないとわかってきた。というのも、これまではついぞ身を入れて検討したこともなかったが、三人の職業はどれをとっても、たいへんに恵まれていたものだったし、とりわけさきの望みはじゅうぶんだった。もっかのところ改善しなければならない最大の項目といえば、境遇についての問題だったが、これとてもむろん住居をかえれば、いとも容易になしとげられる。彼らが希望していたのは、現在グレゴールが探してきたこの家よりも、もっと小さくて安い、とはいいながら、もっと便利で実用的な住居であった。こんなおしゃべりをしているあいだに、ザムザ夫妻はしだいにいきいきと活気づいてくる娘のようすを見ながら、ほおの色が青ざめるほどの悩みごとにもめげず、近ごろ目に見えてきれいな、みずみずしい女に育ったなあと、ほとんど同時に気づいたのだった。夫婦はことば少なになりながら、ほとんど無意識のうちに目頭でうなづきかわし、娘にもそろそろいいおむこさんを探してやらなきゃならない時節になったと考えていた。目的地について、まっさきに電車から降りた娘が若々しいからだで背のびしたとき、ふたりにはそれが自分たちの新しい夢と善いもくろみを、はっきりと実証してくれるもののように思われたのだった。
[#改ページ]
カフカの文学……解説と鑑賞
カフカは「労働者傷害保険局」に勤務していた十四年間に、主要作品のほとんどを書き上げている。それだけではない。彼の作品をはるかに越える数千ページにおよぶ膨大な量の日記や手紙がこの期間に書かれている。
昼間の勤務と夜の文筆活動……この二重生活が分裂をひき起こさないはずはない。しかし勤務をやめてしまうことは、ともかくできなかった。したがって、彼が十四年間勤務したことは、わずかな例外と、わずかな休暇保養を別にすれば、カフカはほとんどプラハでくらしたことになる。「プラハはぼくを手放してはくれない。この母には爪がある」と彼は友人に手紙を書いている。「いつか遠く離れた国の椅子に坐り、事務所の窓から砂糖きび畑や回教徒の墓地を眺めたいという望み」を同じく友人に話している。これらは、異国への、つまり遠いところへの、すなわち自由への憧景である。裏返せばそれは、あらゆる意味で現実の苦悩の表示であり、自らの天職をまっとうできないのではないか、という不安の表明以外の何ものでもない。「ぼくのたどる道は決していいものではない。……きっとぼくは、のたれ死するに違いない」とも友人に書き送っている。
カフカの示す孤独は、母方の血すじをひいて出てきたものであるが、プラハの環境こそその母胎だと、バーゲンバッハは指摘する、一九〇〇年にはプラハの四十五万の住民のうち、三万四千人だけがドイツ語を使っていた。すなわち、社会的に重要な地位をしめていたのはドイツ人であり、それは約七パーセントという微々たる数であった。したがってプラハにいたドイツ人は、離れ島のような孤立を味わわねばならなかったし、現代の疎外のいわば草わけみたいなものであったと指摘する。だがカフカはほとんど誤りなくチェコ語で話せ、書け、旧市街の真中で育った唯一の作家であるわけだが、血はユダヤ人であり、ドイツ語で教育をうけている。すなわちドイツ語を自在に使い、ドイツ文化の理解者でありながらドイツ人ではなく、プラハに住んでいながらチェコ人ではなく、ドイツ的であろうとするとチェコ人から非難されるのみならず、ドイツ人からも非難され、ユダヤ人でありながらユダヤ教とも疎縁になっているという孤立の状態が、カフカをとりまく情勢であった。加えて強健で、声量があり、太っ腹の巨大な父親に対し、やせて背丈だけはひょろ長い、腺病質という肉体的な条件がカフカにはあった。しかし、いずれにしてもカフカの孤独をこうした条件のみで規定してしまうことは許されるものではない。
「書くこと」の孤独
彼の唯一の救いの道である「書くこと」自体がすでに彼に孤独を強いているからだ。鋭い独自な彼の観察・分析は、他者との連帯を不可能にしてしまうある距離を、必ずつくっている。
しかし、「書くこと」自体におけるこの孤独は、しばしば何ものかに結びつき、豊かさ、少なくともそれは創造的なものに転ずる可能性を内在しているわけだが、この孤独を強いることにもなる「書くこと」が許されない場合の孤独は、カフカにとっては苦痛、それも身をさくような苦痛以外の何ものでもなかったのである。「三日書かないとぼくは気が狂いそうだ」とカフカは書く。そうしたときのカフカは、まるで死人のようであったことは、友人も証言している。
「書くこと」とはカフカにとって自己の生にじかに触れうる、したがって死の深みにも降下しうる唯一の道であった。友人のブロート宛の手紙の中で、カフカはこう書いている。
「書くことでぼくは支えられているのだ。しかし書くことでこういった種類の生活が支えられているのだといったほうが、もっと正しいのではないかどうか。もしぼくが書かなければ、ぼくの生活がもっとよくなるなどとは、むろん考えてはいない。そうしたらむしろもっと悪く、まったく耐えられず、狂気の沙汰で終わるに違いない……」
ブロートに宛てた手紙だけではない、他の人々に宛てた手紙にも、日記にもこうした「書く」ということは到るところに書かれている。一九一三年八月二十一目の日記には「私とは文学に外ならないのです。それ以外の何ものであることもできないし、あろうとも思いません」と書いている。文学はカフカにとってすべてであった。「文学はいわば病気のようなものです」とカフカは年下の詩人グスターフ・ヤノーホにいっている。「……しかし熱をおさえたからといってまだ健康になれません。逆に高熱が浄化して輝かしてくれるのです。」
「生きることのすべてが、まさしく死への道にすぎません」というヤノーホのことばに対して、「……病気は常に警告であると共に力試しです。それですから病気・病苦・苦悩は敬神のもっとも重要な源泉でもあります。」とカフカは答えている。カフカにとって文学とは常に、生死の問題と抜き差しならぬ関係を結ぶこと以外の何ものでもなかったのである。それ故に彼にとって「書くことは祈り」となるのである。勤務が終わったのち、夜、深夜そしてときには明方まで、冬にはこごえる指先に息を吹きかけ、カフカは自己の分析とその言語定着、観察と解釈、さらに本質存在への指向といった限りない作業に従事していた。静まり返った夜は、彼のいわゆる「生死」と関係を保つ場であった。ごく普通の希望を夢見ながら、希望をはるかに越える絶望に呻吟しながら……。
「私の唯一の熱望、私の唯一の使命は……文学です」とカフカは一九一三年八月二十一日付婚約者の父宛の手紙の下書きに書いている。それ故に、その使命の自覚があればこそ、救いがそれ以外からは得られないという確信を持っていたが故に、カフカはいかなる情況にあろうとも「それでもなお」ということばが、すなわち行為がこの上もない緊迫感に裏うちされている。書くこととは祈りであり救いであるということは、決して一面的なことではないはずだ。だからこそカフカは書くことによって、救われないということを書いている。
マックス・ブロートの功績
カフカの作品は一九二〇年代には、ごくわずかなとりまきによってのみしか理解されていなかった。彼の作品が世界的になるには、幾つもの国境を越え、死後幾十年もの年月を要した。すなわち最初フランスでサルトル、カミュらによって大きくとりあげられ、次にアメリカに渡り大きな問題を提示した。カフカの作品がドイツ語圏に帰ってきたのは一九五〇年代、プラハには一九五七年、ロシア語では一九六三年『流刑地にて』が最初である。
今日カフカをぬきにしては現代の文学を語ることは不可能のようだ。世界の指導的作家達は、多かれ少なかれカフカの影響を受けているからだ。それにしても、カフカの死後おびただしい量の未発表の原稿の焼却を遺言されたカフカの友人マックス・ブロートは、あえてこの約束を守らず、カフカの死の翌年からこの原稿の整理、編集にさっそくとりかかった。今日カフカの作品が手軽に入手できるのも、ブロートの決断があったればこそである。カフカの人と作品に触れるとき、ブロートの存在も、まさしく大きな存在といわざるを得ない。
カフカ文学の特徴
E・ムンクに『叫び』(das Geschrei)と題する絵がある。それは黒い空間に背を向けた一人の人間が、絵を見る者に向かって堪えがたい叫び声をあげている構図である。バックに描かれている黒い入江が夜であれ、暗い夜明けの港であれ、ともかくそうした黒をバックにして叫ぶ作中の人の顔は、まさに単調な表現であるが故に、こごえるような恐怖を示している。それだけではない。その感情を、その絵を見る者に適確にひきおこさせ、衝撃を与え、共通の、そして不可避の怖れを再度確認させる。救いを求めての「叫び」であれば、それはただそれだけのもので終わったであろうが、もはや救いがどこにもないという生存の深部からの「叫び」であることがこの絵の本質を形成している。
十九世紀末期から今世紀初頭において、自らの力をきわめて適確に示したムンクは、絵画を通して〈現代〉を明らかに予見していた。
同時代のドイツ語圏の作家フランツ・カフカは、このムンクの「絶叫」ときわめて濃い近親性を示しながら、同じく〈現代〉と深いかかわりを持ってくる。だがしかしムンクの『叫び』に対してカフカの作品はどれも、絶叫どころか声もたてない生と死の荒涼とした世界をきわだたせ、あるいは予示している。叫びという直接個の存拠を示す情熱的な行為の一片すらも拒否された状態の中で、悲惨な、それはどうしても悲惨としかいいようのない死をもってしめくくられているのが、カフカ作品の特徴なのである。読む側が受ける異様な感じ、響き。「カフカにおいて驚くべきことは、だれでも驚くべきことに驚かないことである」と、G・アンダースは指摘している。
作品の解説と鑑賞
一九一二年九月に書かれた『判決』の約二か月後、一九一二年十一月から十二月にかけて『変身』は書きあげられている。
この奇妙な作品は、「ある朝のこと、落ちつけぬまどろみの夢からさめたとき、グレゴール・ザムザは寝床のなかで一匹のばかでかい毒虫に変わった自分に気がついた」という書き出しで始まっている。ある朝突然に、これという理由もなくヨーゼフ・Kは逮捕されたという書き出しをもって始まる『審判』と非常に類似している。ヨーゼフ・Kがなぜ逮捕されねばならなかったのか、その理由が判らぬように、グレゴール・ザムザがどうして虫に変身しなければならなかったかの理由は一切不問にされ、有無をいわさぬ異常な情況から物語は始まっていく。なぜそうなったか、どうしてこのような状態に立ち到ったかとの詮索は一切無駄なことというより、情況の恐ろしい変化が、突如として現われ、つじつまを合わせている日常がいっきにゆさぶられ断層に露呈された空虚な空間にわれわれは変化の恐ろしさを見るのである。しかし、こうした場合にきまって生ずる〈そんなことが〉は、やがて〈ありうる〉と奇妙な確信に変わりうる可能性を、カフカの導入部は常に持っている。だからこそ「何が起きたのだろう? と、グレゴールは考えた。夢ではなかった」というザムザの確かめを、われわれも自ずと受け入れていくことになる。
ザムザは虫に変わった。それもある朝突然にである。しかし彼が虫に変わってしまったという以外は、日常はすべてそのままである。それだけではない。彼のからだだけがグロテスクな毒虫に変わっているのであって、彼の〈頭〉は少しも変わっていない。それ故に彼はぴくぴく動いているたくさんの細いあしを見ながら、かつ、鎧《よろい》のようにかたい背中や、ふくらんだ褐色の、幾本かの筋のついた腹を見た上で、外交販売員である自分の仕事のことを考えていく。自らの変身に驚くよりも出勤できないことにグレゴールはあせりを感ずる。
カフカはこうした異常からの脱出を試みない。むしろザムザをしてごくありふれた日常の中をはい廻らせることによって、カフカ自身の孤独な生を、それこそ「額に引き寄せ」恐怖を直視し、誤解を分析し、不幸と希望の不可分の秘密にのめり込んでいく。すべては、カフカの作品に現われる一切は、彼の恐ろしいほど徹底した自己観察の果てに引き出されているのである。孤独・不安・不幸・恐怖、これらはカフカの作品の主調音であり、カフカ自身の生きた証でもある。
グレゴール・ザムザは毒虫に変身したことで職を失い、そのことで家族の生活を支えられない不安にさいなまされる。母をおどかしてはならない。妹を不安にしてはならないと細心の注意を払う。もしも自分がこうしたからだでなかったなら、といった条件文で、カフカはグレゴールの善意を長々と綴る。妹には、母にはこれこれのことをしてやれるのにと、まるで一切をバラ色のように推論し、「してやれたはずなのだ」と断定を下す。しかし、現実はグレゴールが非常にこまやかな心を、すなわち善意を示せば示すほど、逆に断絶は容易ならぬものになり、人々はグレゴールの示す善意の度合をはるかに越えて不安になっていく。すなわち善意が決して善意として受け取られない必然性が、ゆるやかに反復を操り返しながら、変身したグレゴールの目を通して描かれていく。それにしても親密な心地よい関係に、ある角度から照射を当てると、ばらばらにその関係が分解してしまうのではないかという怖れを単にこの作品は示しているのではない。断絶と孤独はカフカにとって存在の本質である。したがって彼の作品に〈笑〉がなくとも少しも不思議はない。
グレゴールの最期は、父親に投げつけられて背中の肉にくい込んだりんごを背おったまま息をひきとっていく。すなわら「背中にくっついたりんごにせよ、そのまわりのやわらかなほこりですっぽりおおわれた傷口にせよ、いまではもうほとんどといっていいぐらい気にならなかった。彼は感動と愛情の思いでもって、家族のことも思いうかべた。おれは当然消えてゆくべき身だといった考えは、おそらく妹の意見よりもはっきりしていただろう。そうしたつつましい平和な追想状態のなかにひたりつづけているうちに、とうとう三時を告げる塔の時計が鳴った。それでも窓の外がいちめんにほんのりと明るくなりはじめるのを、彼は感じていた。やがて頭がひとりでに沈んで、鼻孔から最後の呼吸がかすかに洩れていった」
われわれはこの作品が『判決』の延長上にあることがよく理解できるのだが、この作品はここで終わってはいない。家族の安堵、解放感、希望に満ちた出発を意味する喜びがあふれた数ページが、このあとに続く、しかし新しい夢に未来をたくす家族の喜びを明るく生き生きとカフカが描けば描くほど、暗いものが限りなく湧出してくるのもこの作品の結末でもある。
[#地付き]山後文一
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年譜
一八八三 七月三日、フランツ・カフカは、父ヘルマンと母ユーリエ(旧姓レーヴィ)の長男として、現在のチュコスロヴァキアの首府プラハの旧市街で生まれた。両親ともユダヤ人で、父は貧しい家の出身、田舎の行商からやがて大きな商店を経営するほどになった。母はプラハの旧家で一族には学者や変人が多かった。
一八八五(二歳) 弟ゲオルクが生まれたが半年後に死亡。
一八八七(四歳) 弟ハインリヒが生まれたが一年半後に死亡。
一八八九(六歳) フライシュマルクトのドイツ系小学校へ一八九四年まで通学。妹ガブリエーレ(愛称エリー)が生まれる。
一八九〇(七歳) 妹ヴァレリー(愛称ヴァリー)が生まれる。
一八九二(九蔵) 妹オッティーリエ(愛称オットラ)が生まれる。妹三人はのちにナチ強制収容所で虐殺された。両親は仕事に忙しく、妹たちはあまりにも年下のため親しめず、淋しい毎日を過ごす。
一八九三(十歳) 旧市街のドイツ系国立ギムナジウム(中・高等学校)へ一九〇一年まで通学。のちにこの学校の階下に父の店ができた。
一八九七(十四歳) このころから翌年まで、のちに社会主義者になったルドルフ・イローヴィと友交を結び、社会主義に関心を持つ。
一八九八(十五歳) このころから一九〇四年まで、のちに美術史家になったオスカー・ポラックと友交を結び、大きな影響を受ける。
一八九九(十六歳) 芸術誌「クンストヴァルト」から影響を受ける。このころ創作をこころみたが、現存していない。
一九〇〇(十七歳) ニーチェの作品、特に「ツァラトゥストラ」を愛読。
一九〇一(十八歳) プラハのドイツ大学に入学。はじめの二週間は化学を学んだが、父の希望でのちに法学を選ぶ。
一九〇二(十九歳) 夏学期にドイツ文学を、特にヘッベルを研究した。冬学期からミュンヘン大学でドイツ文学をつづける計画をたてたが、父の反対にあい、やむなく法学を学ぶ。休暇中に母方の叔父で、トリーシュで医者をしているジークフリート・レーヴィのところに滞在。この叔父にはもっとも親しみを感じ、のちに『田舎医者』のモデルとした。秋、一歳年下の法科学生であったマックス・プロートと終生の交友を始める。彼は後年、カフカ全集の編者になった。
一九〇一(二十歳) 法制史国家試験を好成績で通過。長編『子供と町』の一部分および詩、散文をポラックに送ったが、現存していない。
一九〇四(二十一歳) 日記、回想録、書簡集などをしきりに読む。秋から翌年春にかけて、ホフマンスタールの影響が認められる『ある戦いの記録』を執筆。
一九〇五(二十二歳) 作家オスカー・バオム、マックス・ブロート、哲学者フェリクス・ヴェルチュと定期的会合を持つ。第一次卒業試験を終える。
一九〇六(二十三歳) 第二次・第三次卒業試験を終え、七月、法学博士の学位を授与される。四月から九月まで叔父リヒャルト・レーヴィの弁護士事務所で記録係として勤務。十月から一年間、法務実習。『田舎の婚礼準備』の執筆をはじめる
一九〇七(二十四歳) 八月、叔父ジークフリートの家に滞在。十月から翌年七月まで一般保険会社に臨時雇いとして勤務。夜は保険学、イタリア語を学ぶ。
一九〇八(二十五歳) 隔月雑誌『ヒュペーリオン』一・二月号に散文八編を初めて発表。のちに『観察』に収める。二月から五月まで労働者保険講座を受講。七月、ボヘミア王国労働者傷害保険局に臨時職員として勤務。職務に熱心であった。マックス・ブロートとの交友はさらに深まる。
一九〇九(二十六歳) 『ヒュペーリオン』、三・四月号に、『祈る若者との対話』『酔いどれとの対話』の二編を発表。九月、ブロート兄弟とイタリアのリーヴァへ旅行。近くのブレッシャで、そのころはまだ珍しい飛行機ショーを見物。帰国後、日刊紙に『ブレッシャの飛行機』を発表。アナーキストの会など、種々の社会主義の集会に出席。
一九一〇(二十七歳) 日記をつけ始める。十月、ブロート兄弟とパリへ旅行。十二月ひとりでベルリンへ旅行。東欧ユダヤ人が演じる民衆劇に興味を持つ。
一九一一(二十八歳) 一月から四月にかけてしばしば出張旅行。八月、ブロートとともにチューリヒ、ルガノ、パリへ旅行。その後、チューリヒ近郊にある自然療養所へひとりで滞在。十月以降、東欧ユダヤ人の劇を規則的に見る。
一九一二(二十九歳) ユダヤ史、ユダヤ教、ユダヤ文学を研究。二月十八日、東欧ユダヤ劇団の俳優イーザーク・レーヴィのために解説的講演を行なう。初夏から翌年一月にかけて『失踪者《アメリカ》』の第七章まで書く。六月、ブロートとともにワイマルへ旅行。途中、ローヴォルト、ヴォルフなどの出版業者に会う。七月、ハルツ山中の自然療養所に滞在。八月十三日、ブロートの家でフェリーツェ・バウアに会う。九月二十日、フェーリツェへ初めて手紙を書く。九月二十二日の夜から翌朝にかけて『判決』を書きあげる。十月二十三日、フェリーツェからの初めての手紙を受ける。以後おびただしい文通が始まる。フェリーツェに宛てた手紙が約五百通残っている。十一月、まだ未完成の『変身』をオスカー・バオムの家で朗読。十二月、小品集『観察』をローヴァルト社から出版。
一九一三(三十歳) 三月、書記補になる。三月と五月にベルリンにいるフェリーツェを訪問。五月、『アメリカ』の第一章にあたる『火夫』をヴォルフ社から出版。六月、『判決』を発表。フェリーツェに初めて求婚の手紙。恋愛と創作との矛盾に苦しむ。九月、リーヴァへ旅行。十一月、フェリーツェの友人グレーテ・ブロッホと会い、やがて文通を始める。彼女への手紙は約百通残っている。マックス・ブロートと一時的に不仲になる。キルケゴールを読む。
一九一四(三十一歳) 一月、再度手紙でフェリーツェに求婚。四月、承諾を得る。五月末、正式に婚約。七月十二日、婚約解消、十三日にバルト海へ旅行。八月、はじめて両親とはなれて、ひとりで住む。十月、『流刑地にて』を完成。『アメリカ』の最後の章と『審判』を書き始める。十二月、『掟の門』を書き上げる。フェリーツェの友人グレーテ・ブロッホとの関係が深くなる。彼女はカフカの子を生み、その子は七歳で死亡したというが、彼自身は知らなかった。
一九一五(三十二歳) 一月、フェリーツェと再会。四月、妹エリーとハンガリーへ旅行。十月、カール・シュテルンハイムの受けたフォンターネ賞をカフカの『火夫』に譲る。十一月、『変身』をヴォルフ社から出版。
一九一六(三十三歳) 四月、妹オットラと旅行。七月、マリーエンバートにフェリーツェと滞在。十月、『判決』をヴォルフ社から出版。十月ミュンヘンで『流刑地にて』を公開朗読。短編集『田舎医者』を執筆。
一九一七(三十四歳) 七月、フェリーツェと二度目の婚約。八月、喀血。肺結核の診断を受ける。八か月の休暇を得て、チューラウに住む妹オットラの許で暮らす。フェリーツェが訪れる。キルケゴールの作品に没頭。十二月、婚約解消。『夢』『豺《やまいぬ》とアラビア人』『学士院へのある報告書』を発表。
一九一八(三十五歳) 夏までチューラウに滞在。十一月、シェーレーゼンに翌年春まで滞在。ユーリエ・ヴォホリゼクと知り合う。
一九一九(三十六歳) 五月、『流刑地にて』をヴォルフ社から出版。六月、ユーリエと婚約。秋、短編集『田舎医者』をヴォルフ社から出版。十一月、シューレーゼンに滞在中、『父への手紙』を書く。
一九二〇(三十七蔵) 一月、局書記となる。三月、十七歳の少年グスタフ・ヤノーホと知り合う。四月から三か月間、メラーンに滞在。その間にカフカ作品のチェコ語の翻訳者ミレナ・イュセンスカ=ポラク夫人と文通。ミレナにあてた書簡は『ミレナヘの手紙』として日本でも翻訳されている。六月、ミレナに会うためにウィーンへ行く。ユーリエと婚約解消。多数の短編を書く。十二月、マトリアリのサナトリウムで療養中、医学生ロベルト・クロプシュトックと知り合う。
一九二一(三十八歳) 九月、マトリアリからプラハへ帰る。ミレナはしばしばプラハを訪問。十月、ミレナに日記すべてを渡す。
一九二二(三十九歳) 一月から九月にかけて『城』を執筆。三月、『城』の一部分をブロートに朗読。五月、ミレナとの最後の出合い。七月、労働者傷害保険局を退職、恩給を受ける。『ノイエ・ルントシャウ』十月号に『断食芸人』を発表。夏、『ある犬の回想』を書く。
一九二三(四十歳) 『歌姫ヨゼフィーネ』を執筆。妹エリーたちとバルト海沿岸へ行き、若い東欧ユダヤ人女性ドーラ・ディアマントと知り合う。九月、ドーラとともにベルリンに住む。十月、『小さな女』『家』を書くが生活に窮し、病状悪化。このころの作品の多くは破棄された。
一九二四(四十一歳) 三月、病状悪化のため、叔父ジークフリート、ブロートが来て、プラハに移す。つづいてウィーン郊外の療養所に移る。喉頭結核の診断を受ける。ドーラ、クロプシュトックがつきそう。六月三日死去。十一日、プラハの新ユダヤ人墓地に埋葬。夏、短編集『断食芸人』をシュミーデ社から出版。 (浦山光之編)