高慢と偏見(下)
ジェーン・オースティン/伊吹知勢訳
目 次
高慢と偏見
第三十六章〜第六十一章
作品紹介
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第三十六章
ダーシー氏からこの手紙を手わたされたとき、エリザベスは今いちど申し込みを受けようなど期待はしませんでしたが、またその内容は見当のつけようもありませんでした。ところで事実はこのようなものであったので息もつかずに読みすすんだことは想像できます。そしてどんなに相反した激情がまきおこされたことか。エリザベスの感情はどうとも決めがたいものでありました。謝罪のよちがあると彼が信じていることはまず驚きを感じさせました。そしてあくまでも彼の弁解など恥を知る人ならかくしておきたいものだと信じこんでいました。その言葉のひとつひとつに偏見をいだいてネザーフィールドのできごとについての説明から読みはじめたのでした。あまりに熱心になりすぎて理解力がなくなるほどでした。次には何が書いてあるかとあせるために目のまえの文の意味に注意を向けることができなくなるほどでした。姉に気がないと信じたという言葉をただちにうそと断定し、あの縁組みに対する真の難点で最悪のものの説明をきいてはあまりに腹が立って彼のいい分に耳をかそうという気もおこらないほどでした。じぶんのしたことに対してエリザベスに納得のゆくほどの後悔はまったくあらわれていず、罪を悔いるものの文体ではなく傲慢不遜でありました。すべては高慢であり無礼でありました。
しかしこの問題の次にウィカム氏のことが出てきますと――この場合にはいくぶん明晰な注意力をもちえたのですが――いろいろなできごとがのべられており、それはもし真実であればウィカム氏を立派な人物と考えていた評価はまったくくつがえされることになるものでした。しかも彼自身がのべた身の上話と気がかりなほどよく似ているのでエリザベスの感情はもっと痛みがはげしく定義するのはいっそう困難でありました。驚愕、憂慮、恐怖さえも彼女を圧しつけました。エリザベスはそれを信じるに足りないものとしてくりかえし「これは虚偽にちがいない! こんなことはありえない! とんでもない虚言にちがいない!」と叫びまったくいっしゅうしたかったのでした。最後の一、二ページはほとんど内容もわからないほど興奮して手紙を読みおえましたが、それからいそいでこれをしまい、わたしはこんなものは気にかけまい、二度とみるものかと心にちかいました。
このように心をかきみだされて何事にも考えを集中することのできないままに歩きつづけました。がしかしみないという決心はすぐやぶれました。半分もたたないうちに手紙はひろげられ、できるだけ気をおちつけてウィカムに関する部分を熟読し、あらゆる文の意味を吟味してみるのでありました。ペンバレーの家族とウィカムとの関係に関する話は彼自身が話したこととまったく一致しました。先代のダーシー氏の親切は今まではそれがどの範囲に及ぶものかは知らなかったのでしたが、ウィカム自身の言葉と合致しました。そこまではおたがいの話は真に符合しているのでしたが、ことが遺言のこととなると相違がはなはだしくなりました。ウィカムがあの寺録について語った言葉はまだ記憶にあらたでありました。その言葉をそのまま思い出しながら、こちらかあちらかどちらかがひどい二枚舌を使っていることを感じないではいられなかったのでした。二、三分の間は、ウィカムの言葉が真実であってほしいと思う希望のとおり、事実彼の言葉にまちがいでないと心ひそかに信じるのでしたが、しかしよくよく注意して二度、三度と読みかえしてゆくうちにすぐつづいて書かれた、ウィカムが寺録に対するすべての権利を辞退してそのかわりに三千ポンドという巨額を受けとったという詳細を読むと、ふたたびためらいを感じられないではいられませんでした。手紙をおいてじぶんでは公平無私と思う態度でいちいちの事情をしんしゃくし、おのおのの話のどちらがたしからしいかと慎重に考えてみたのでしたが、なかなかうまくまいりませんでした。双方のがわでただ主張するだけだったからです。ふたたび読みつづけていきました。今まではいかに考えてもダーシー氏のこの事件でのやり方は、破廉恥という以外にいいあらわしようもないものと信じきっていたのですが、ある方向の転換でまったく無罪となるのでありました。
ダーシー氏がためらうことなくぜいたくと浪費癖の罪を責めたことはエリザベスに衝撃をあたえました。それが不当である証拠を出すことが不可能なだけよけいな痛手でした。ウィカムが偶然ロンドンで出会った青年、もとちょっと知り合っていた人と旧交をあたためてその人のすすめでXシャーの市民軍に入隊するまえにはうわさをきいたこともなかったのでした。以前の生活態度についてはじぶんの話す以外はハーフォードでは何も知られてはいなかったのでした。ウィカムが真実どういう人柄であるかについては、もしききただす方法があったとしても調査しようなどという気はおこさなかったでしょう。その顔つき、声、態度だけでありとあらゆる徳を身につけた人と思いこまされたのでした。ダーシー氏の攻撃から身をまもれる善良の実例、誠実とか慈悲の明確な特徴を思いおこそうとつとめ、少なくとも徳のすぐれていることを盾《たて》にときたまのちょっとした過失――ダーシー氏が長年の怠惰不品行とよんでいるものをエリザベスはこのようなものと考えたかったのでした――の償いにしようと懸命でした。しかしそのような思いではありませんでした。すぐ目の前に物腰応対の魅力をすべて身にそなえてウィカムがたちあらわれるのでありましたが、近所のものが善良な人とみとめるとかその社交的な能力のために市民軍団の食堂で人気があるとかいう以上にもっと本質的に善良である証拠は何一つ思い出せませんでした。この点について相当長い間考えた後でもう一度手紙を読みました。しかし次につづくダーシー嬢に対してたくらまれた陰謀の話はフィツウィリアム大佐とじぶん自身の間にそのまえの朝とりかわされたばかりのやりとりによっていくぶん裏書きされるものでありました。手紙の最後に詳細の真偽についてフィツウィリアム大佐にたずねてくれるよう書かれていましたが、この人からはすべてダーシー氏に関した事柄に親しい関係をもっていることをきいたばかりでありました。その人柄については疑う理由はなかったのでした。一時は大佐に問い合わそうと決心をしかけたのでありましたが、それも考えてみればぐあいのわるいことなので中止し、結局もし大佐が確証してくれるとじゅうぶん自信をもっていなければ、そのような申し出をするはずもないと思いかえしてきっぱりその考えをすててしまいました。
フィリップ氏宅での最初の夜、ウィカムとじぶんの間でやりとりされたことは完全に覚えておりました。多くはいいあらわされた言葉もそのまま記憶にいきいきと残っているのでした。そして今それが初めての人に対する話としては不適切なものであったことに心をうたれ、これまでその点に気がつかなかったことをいぶかりはじめました。あのようにじぶんを目立たせることのたしなみのなさ、口にいったことと行為の矛盾などに気づいてゆくのでありました。ダーシー氏に会うことを恐れないと大言壮語したこと、ダーシー氏がここを去るかもしれないが|じぶんは《ヽヽヽヽ》あくまでふみとどまるといった口の下ですぐ翌週のネザーフィールドの舞踏会にはじぶんから逃げだしたのでした。またネザーフィールドの人々があの地を去るまでは彼女以外の人には身の上話をしなかったのですが、みんなが引っ越してからはあらゆる場所でそれが話題になったことでありました。ダーシー氏の父親に対する尊敬のため息子の罪をあばくことはけっしてしないと確言しながら、引っ越し以後はダーシー氏の人格をおとしめるに遠慮会釈をしなかったことなどでした。
ウィカムに関係したあらゆることは今まったくかわった様相を呈しはじめてきました。キング嬢にいんぎんを通じたことも今はまったくいやらしいほどに金が目当てであり、キング嬢の財産がたいしたものでないことも彼の望みが法外でないことではなく、今では何でもつかもうというさもしさを証明するもののように思えました。じぶんに対するウィカムのふるまいには今ではもっともと思える動機は考えられませんでした。じぶんの財産に関して思いちがいをしていたか、あるいはじぶんが軽率にもあらわした愛好の念をそそってその虚栄心を満足させていたかでありましょう。未練がましくウィカムをよく思おうとしたあがきもだんだんよわくなっていきました。ダーシー氏をなおいっそう正しいとするものとして、ビングリー氏がずっとまえにジェーンに質問されて、その事件ではダーシー氏はまったく罪のないことを主張していたこと、またその態度は誇りがつよくて他をよせつけないようではあるけれど知り合ってからこのかた――近ごろはまた非常にいっしょにいる機会も多くそのやり方に一種の親しみを感じてきていたのですが――彼に節操がなく不正であると思わせられることは何もなく、宗教心のない不道徳な習慣をもっているとみえることも何もなかったのでありました。彼に関係のある人々の間では高くかわれ重んじられていること、ウィカムでさえも兄としての長所をみとめていたこと、彼女自身も何かやさしい感情をもつことのできる人であることをしめすように愛情ぶかく妹のことを話すのをたびたびきいたことがありました。もしその行動がウィカムの語ったとおりであるとすればそのようにひどい正義の冒涜が世間に知れないでいるはずのないこと、そんなことのできる人とあのようにやさしいビングリー氏との間に友情がなりたつとは考えられないこと等々でありました。
エリザベスはまったくじぶんが恥ずかしくなってまいりました。ダーシーのことを思い、またウィカムについて考えるにつけてもじぶんが盲目で不公平で偏見をもち不条理であったことを感じないではいられませんでした。
「何て恥ずかしいことをしてしまったんでしょう!」と彼女は叫びました。「人をみる目を自慢してきたわたしが! そのじぶんの能力をだいじがってねえさんのすなおな心の広さを笑い、役にもたたないというよりもむしろ罪な疑惑をおこしてじぶんの虚栄心を満足していたのだわ。この発見は何という不面目な! しかもただ不面目なのです。もし恋におちていたとしてもこれほどひどく盲目にはなりえなかったと思うわ。しかし恋ではなくて虚栄心がこの愚かしい行為の原因なのです。ひとりには好かれてうれしく思い、今ひとりにはないがしろにされて気をわるくし、知り合いのそもそも出発点で偏見と無知にこびてふたりに関するかぎり理性を追いやってしまったのです。この瞬間までわたしというものがわかっていなかったのだわ」
じぶんのことからジェーン、ジェーンからビングリーへと考えがひとつながりに流れ、ダーシー氏の|あの点《ヽヽヽ》に関する説明は不じゅうぶんにみえたと思い出し、そこをもういちど読んでみました。二度めに読んでみるとすっかりちがった印象を受けました。一つの件でダーシーの主張を信じざるをえなかったのに今一つの事件で信じないとこばむことができたでしょうか? ダーシーは姉が愛しているとはまったく思わなかったと断言していますが、それについてはいつもきかされたシャロットの意見を思い出さないわけにはゆきませんでした。またジェーンの外見をのべている点でも一理あることはこばめませんでした。ジェーンの感情は激しくはあってもほとんど表面にはあらわれませんでしたし、その態度は安らかに充ち足りた様子でかならずしも感受性の豊かさとは結びついておりませんでした。
じぶんの家族の者たちがとりあげられ、真実口惜しくはあるがもっともな非難の言葉をあびせられているところでは屈辱感はきびしいものでした。その攻撃の正当であるのにつよくうたれ、否定するどころではありませんでした。とくに言及されているネザーフィールドの舞踏会、ダーシーが最初に不賛成の気持ちをかためた夜のことはじぶんの心にもまざまざと残っており彼の印象よりつよくてもけっしてよわいことはないのでありました。
じぶんと姉に対するほめ言葉にはうれしく感じないわけではなく、たしかに心をなごませました。がうちの他の人たちがみずから招く軽べつをなぐさめることはできませんでした。ジェーンの失恋の原因は事実いちばん近しい人たちのしわざであったことに考えおよび、ふたりの信用があのようなぶしつけなふるまいでどれほど手いたく傷つけられるかと思案して、生まれてこのかたないほど重苦しい気分になるのでありました。
これを思いあれを思い事件を再検討したり、ありようを思い測ったり、そのように突然におとずれた重大な変化にできるかぎりみずからを適応させようと二時間も小径をさまよい歩いたあとではすっかりつかれはててしまいました。そのうえもう長い間家を留守にしたことに気づいて、とうとうそのほうへ足を向けいつものように快活な様子で話し合う気持ちをさまたげるようなもの思いは極力おさえる決心で家にはいりました。
はいるや否や留守中にロージングズから例のふたりの紳士がひとりびとりたずねてきたことをつげられました。ダーシー氏はわずか二、三分で辞去しましたがフィツウィリアム大佐は少なくとも一時間ほどいっしょにいて彼女を待ち、みつかるまで彼女を追って散歩せんばかりであったとのことでした。エリザベスは大佐に会いそこねて気の毒がるふりをしましたが事実は喜んでいました。フィツウィリアム大佐はもはや眼中になく手紙のことしか考えられませんでした。
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第三十七章
翌朝ふたりの紳士はロージングズを去りました。コリンズ氏はわかれの挨拶をするために門衛所の近くで待ち伏せしていたのですが、ふたりが真に健康そうなご様子でロージングズですぐまえに演じられた愁嘆場のあととしてはまずまずのごきげんであったと喜ばしいしらせをもち帰ることができたのでありました。それからロージングズへとキャサリン令夫人と令嬢をなぐさめに参上し、令夫人からのあまりに退屈であるゆえ皆々きて晩餐をともにするようにとの伝言をもち帰ってきて大満悦でありました。
エリザベスはキャサリン令夫人に会うと、もしじぶんさえその気になったら、このときまでには未来の姪《めい》として紹介されていたかもしれないと思いめぐらさないわけにはいきませんでした。その場合令夫人の憤怒はいかばかりであったかとにやりといたしました。「何を仰せられ、いかなるふるまいに出られたことやら?」とひそかにおもしろがっておりました。
まず最初にロージングズの人々のへったことが話題にのぼりました。「たしかにひしひしとそれが身にこたえます」とキャサリン令夫人は仰せられました。「わたしほど友の去るのが身にこたえる人はないと思いますよ。しかしあの青年らにはとくに愛着がありましてね。あちらでもたいへんわたしをしたってくれます! 帰るのをとても残念がっていましたが、いつでもあの人たちはそうなのです。大佐のほうは最後の瞬間までは相当気をはってましてね。がダーシーはものすごく感じていたようですよ。去年よりもっとね。ロージングズへの愛着がたしかに増しているようですよ」
ここでコリンズ氏は口をはさんで夫人にお世辞を、娘にはほのめかしをさしはさみましたが母娘ともどもやさしくほほえんでそれを受納しました。
キャサリン令夫人は晩餐のあとでエリザベスが元気のないことに気がつき、すぐにその理由をじぶんで考えつき、家へまもなく帰るのがいやなのだろうと想像し、つけ加えていいました。
「しかしもしそういう事情ならおかあさんにもうしばらく逗留させていただくよう手紙をお書きなさい。コリンズ夫人はきっとあなたにいてもらうのを喜ばれますよ」
「ご親切におっしゃっていただいて感謝いたします。けれどお受けすることができません。来週の土曜日にはロンドンに行かなければなりません」
「おやおや、それではここにたった六週間しかいなかったことになりますよ。わたしは二ヵ月はいるものと期待していたのに。コリンズ夫人にあなたのこられるまえにそういったのですよ。そんなに早く帰る理由はあるはずがないでしょう。ベネット夫人はもう二週間はあなたを手放しておけますよ」
「しかし父親ができないのです。先週早く帰るよういってまいりました」
「おお、おかあさんができればもちろんおとうさんはできますよ。娘は父親にはあまり重要ではないものよ。そしてもしもう一月まるまる逗留なさればあなたがたのひとりをロンドンまでつれていってあげられると思いますよ。六月はじめに一週間ばかり行くつもりですから。ドウソンはバルーシュの御者台でも苦情はいいますまいからひとりだったらたっぷりあきまがあります。ああそうだ、もしお天気さえ涼しければあまり大きくはないからふたりともつれてってあげてもよろしい」
「まことにご親切おそれ入りますがもとの計画どおりにしなければと存じます」
キャサリン令夫人はあきらめたようにみえました。「コリンズ夫人、召使をつけておやりにならなければいけませんよ。かねがね打ち明けているように若い娘ふたりで郵便馬車で旅行するなどとても堪えられません。たいへん礼儀にかなわないことです。だれかをおくるようにやりくりをおつけなさい。世の中であんなにいやなことはありません。若い娘さんというものはそれぞれの身分に応じてちゃんと保護され、気をつけられなければならないものです。姪のジョージアナが昨年の夏ラムズゲートへ行ったときにはぜひふたりの召使をつけるよう主張しました。ペンバレーのダーシー氏とアン令夫人の間の娘ダーシー嬢はこれをしないでは人前に出られるものではないのです。そういうことには非常に気をつけます。ジョンをお嬢さんたちにつけておあげなさい。コリンズ夫人。それをいってあげるのを思い出してようござんした。ほんとにふたりきりでおいかせになっては信用をおとすことになりますからね」
「おじが召使をおくってくれることになっております」
「おお、おじさんがね! 下男をやとっておいでなの、そう? そういうことに気を使ってくれる人がおありでようござんした。どこで馬をかえるの? おお、もちろんブロムリーでね。ベルでわたしの名をいえばよく気をつけてくれますよ」
キャサリン令夫人はふたりの旅行についてほかにもたくさん質問をいたしました。自問自答とばかりもいきませんでしたから、気をつけていることが必要でした。それがエリザベスには結局しあわせであったかもしれません。さもなければこのように心がいっぱいではじぶんのいるところを忘れてしまいかねませんでした。もの思いはひとり居のときのためにとっておかなければなりません。ひとりでいるといつでもそれに身をまかせ、それがいちばん大きななぐさめともなりました。一日としてひとり歩きをやめず、そのひとり歩きのたびごとに好んで不愉快な回想にふけったのでありました。
ダーシー氏の手紙をもうほとんど暗誦するほどでありました。あらゆる文章をよくしらべあげました。書いた人への感情はときによってたいへんちがいました。あの求婚のときの言葉使いを思い出すと今でも怒りにみたされました。しかしじぶんが不当に彼を責め非難したことを考慮するとじぶんの怒りはじぶん自身に向けられ、そのむくいられネかった恋をあわれむのでありました。愛着は感謝の心をそそり、その人柄は尊敬をよびおこしました。しかしその人を全体としてよしとみとめることはできず、じぶんの拒絶を一瞬たりとも後悔したこともなく、今一度会いたいなどとはつゆ思いませんでした。じぶんの過去の行動には腹を立て後悔するたねとなることがたくさんあり、家族の者たちの不幸な欠点のためにはよりはげしい無念の思いにさいなまれるのでした。父親はただみんなを笑いものにするだけで満足し、末の娘どもの野放図な軽率を抑制するよう努力しようとはしなかったのでした。母親は自身の習慣が正しいとはいいかねる人物なのでそのわざわいに全然気がつかないのでありました。エリザベスはよくジェーンと協力してキャサリンとリディアの無思慮をおさえようと努力したのですが、母親にあまやかされている以上はよくなる見込みは全然ありませんでした。気力のないいらだちやすい、まったくリディアのいうままになっているキャサリンでも、姉たちの忠告には敢然と立ち向かってきました。がんこでうかつなリディアはほとんどその忠告に耳をかそうとはしなかったのでした。無知で怠惰で虚栄心のつよい娘たちでした。メリトンに士官のいるうちはこれといちゃつきメリトンがロングボーンから歩ける範囲にある間は永久にそこに出かけてゆくでしょう。
ジェーンのための憂慮が今一つの大きな気がかりでした。ダーシー氏の説明でビングリーをもとどおり信用するようになりましたのでジェーンはだいじなものを失ったという感じは高まってくるのでありました。愛情は真実であることがわかり、行動についても疑いはすべて晴れ、ただダーシーへの信頼があまりにも過度であることを非難すれば非難できるくらいでした。あらゆる点で非常に望ましいたいへん有利で幸福を約束する結婚相手を家族の者たちの愚かなまた無作法な行動のためにふいにしてしまうとは! このような回想にウィカムの人柄が次第にわかってきたことも加わり、快活で今までほとんど気の沈んだこともないエリザベスでしたが今は心を動かされることのみ多く、どうにかたのしげな様子をすることさえも不可能でした。
ロージングズへのおよばれは最後の週になって最初とおなじようにひんぱんでありました。明日は出発という最後の夜もロージングズですごされました。令夫人はふたたびふたりの旅の詳細をこまかくおききになり、荷物づくりの最善の方法について指示をたまわり、着物を入れる正しい方法はただ一つであって、ぜひともそれを採用するようにと力説されました。それでマライアは帰ると昼間しあげた荷づくりをすっかりほどいて新たにつめかえることが必要と考えたのでした。
別れにあたってキャサリン令夫人はかたじけなくもではご無事でと仰せられ、来年もまたハンスフォードにくるようにとお招きくださいました。ド・バーグ嬢もせいいっぱいの努力でひざをまげ、ふたりに手をさしだされました。
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第三十八章
土曜日の朝エリザベスとコリンズ氏は朝飯のために顔をあわせましたが他の人たちのあらわれる数分まえでありました。この機会を利用して彼は必要かくべからずとみなしている丁重なわかれの言葉を申しのべたのでした。「エリザベスさん、家内がおいでくださったご親切に感謝の意をすでにあらわしたかどうか知りませんが、あなたがお帰りのまえにお礼の言葉を受けられますことはたしかであります。お泊まりいただきましたご好意は身にしみて感じております。どなたに対しても拙宅にひきよせる魅力のないことはよく心得ております。質素な生活様式、小さなへや、わずかな召使、世間との交際の少ないことであなたのような若いご婦人にはさぞかしハンスフォードを退屈なところとお思いになったことでしょう。しかしこんなところへおいでいただいたことに対し、心からありがたく思っていることを信じていただきたいのです」
エリザベスは熱心に謝意を表し、たしかにしあわせでしたと確言いたしました。シャロットといっしょに暮らし、いろいろのお心づくしをうけて六週間をたのしくすごし、わたしのほうこそたいへんありがたく思っていると申しました。コリンズ氏は満足し、なおいっそう微笑しながらも厳しゅくな調子で答えました。
「あなたが相当気持ちよくおすごしくださった由をきいて、このうえない喜びを感じております、たしかに最善をつくしましたのです。それにまことに幸運なことに極めて身分の高いかたにご紹介ができ、ロージングズとの関係からしばしば質素な家庭の場面に変化をあたえることができましてあなたのハンスフォードのご訪問もあながち退屈一方のものでもなかったかといささかうぬぼれている次第です。キャサリン令夫人のご家族とわれわれとの関係と申すものはまことにもってなかなか人の誇りえぬ、絶大な利益と祝福をもたらすものであります。あなたもわれわれの間柄をよくみてくださいましたでしょう。このなかに滞在するかぎりにおいてはけっしてお気の毒と申すことはできないかと考えます」
その感情の高揚にとって言葉は不じゅうぶんで彼はへやを歩きまわらなければならなくなりました。エリザベスのほうではうそにならないかぎりで丁重な挨拶を二、三の短い文にまとめるようつとめました。
「事実たいへんよい報告をハーフォードシャーへおもちかえりになりましょう。少なくともおもちかえりになることができるとうぬぼれております。キャサリン令夫人の家内に対するお心づくしは毎日ごらんになりましたし、そうじてあなたの友はわるいくじをひいたとは――いやこの点に関しては何も申さないがよろしいでしょう。ただ申し上げたいのは、愛するエリザベス嬢《さん》、わたしは心からあなたにもおなじような幸福な結婚をと願っております。愛するシャロットとわたしは一つ心一つ考えであります。あらゆることに人格ならびに意見において著しくよく似ております。おたがい同士のためにつくられた感があります」
もしそうならそれは非常に幸福なことと安心していえるのでした。おなじように誠実な気持ちで彼が家庭の慰安を得ていることをかたく信じ、それを喜びました。しかしこの家庭の慰安の源である当のご婦人の入場でその演説の中断されたことを残念には思いませんでした。かわいそうなシャロット! 彼女にこんな人の相手をさせておくのは何とも憂うつでした。しかしこの人は何もかも承知のうえで選んだのです。訪問者らが去って行くのを明らかに名残りおしく思っている様子ですが、同情を求めているようにはみえませんでした。家庭と家政、教区と家禽すべて家庭の慰安にかかわる仕事はまだ魅力を失っていないのでした。
とうとう四輪馬車の到着、トランクが縛りつけられ、小さい包みはなかにいれられ、用意完了がつげられました。友だち同士の愛情こもったわかれのあとでエリザベスはコリンズ氏に伴われて馬車までまいりました。庭を下りながら家族のみんなにくれぐれよろしくとことづけ、冬にロングボーンで受けた親切の感謝を、また面識のないガーディナー夫妻への挨拶を託することを忘れませんでした。それから彼女の手をとって車にいれ、マライアがそれにつづき、扉がとじられようとしたちょうどそのとき、彼は突然ややろうばいしてロージングズのご婦人たちにことづけをするのをまだ忘れているのではないかと思い出させました。
「しかし」と彼はつけ加えました。「もちろんあなたがたはここに滞在中にしめされたご親切に対するお礼とともにご挨拶をつたえられることを希望していられることと考えますが」
エリザベスは異議をとなえず、扉はしめられることを許可され、馬車は立ち去りました。
「ほんと」とマライアは二、三分の沈黙のあとに声高に申しました。「きてから二、三日のように思えるけどずいぶんたくさんのことがおこったわ!」
「ほんとにいろいろのことが」と相手はため息をして申しました。
「ロージングズで九度も晩餐によばれて、あとお茶が二度! 話すことがいっぱいだわ!」
エリザベスは心のなかでつけ加えました。「かくさなければならないこともたくさんあるわ」
この旅はおたがいの会話もなく、はっとさせられることもなく、ハンスフォードを出てから四時間のうちにガーディナー氏宅に到着し、ここで二、三日とどまる予定でした。
ジェーンは丈夫そうな様子でした。おばが予約しておいてくれた種々なたのしみでその心までをよくしらべるおりもありませんでした。しかしジェーンは彼女といっしょに家に帰るはずでしたからロングボーンではたっぷり観察する暇がありましょう。
さてこの間《かん》、ダーシー氏の求婚についてロングボーンに帰るまで姉に話さないでいるのはかなり努力のいることでした。ひどくジェーンを驚かし、いくら理性的になろうとしてもすてきれないじぶんの虚栄心を満足させるもののことを思うと、打ち明けたくてしかたがなくなるのでありました。その誘惑をおさえることができたのはまだどの程度話すべきかにつき心が決まっていなかったのと、いちど話題にはいるとビングリーに関するあることをくりかえして姉をただよけいに悲しますことになりはしないかという懸念があったからでした。
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第三十九章
五月の第二週三人の若い婦人たちはグレースチャーチ・ストリートからハーフォードシャーのXに向けて出発しました。ベネット氏の馬車が出迎えるはずの指定の旅館に近づくとキティとリディアが二階の食堂からのぞいているのがみえ、御者が時間をよくまもったことを証明しておりました。このふたりはもう一時間あまりまえからここへきて向かいの帽子屋をひやかしたり、守衛の哨兵をみたり、サラダにきゅうりをあしらってもりつけたりしてたのしくすごしていたのでした。
姉たちを歓迎してふたりは得意げに宿屋の食料室がふつう提供するような冷肉をならべた食卓をみせびらかしました。「すてきじゃない? 驚いたでしょう?」
「わたしたちみんなにおごってあげるつもりだったのよ」とリディアはつけ加えました。「でもお金を貸してちょうだいね。あそこのお店でみんな使ってしまったの」それから買い物をみせながら、「ほらね、このボネットを買ったのよ。あまりきれいだとは思わないけれど、どちらかといえば買ったほうがいいと思ったのよ。家に帰ったらこわしてもっとうまくまとまるかやってみるつもりなの」
姉たちがみにくいとわるくちをいうとまるで気にかけないでつけ加えました。「もっとみにくいのがまだ二つ三つあったわ。もっと美しい色のサテンを買ってかざればまあまあだと思ったのよ。それにこの夏、Xシャーの連隊がメリトンをたって行ったら何を着ようと意味ないわ。二週間たったらいってしまうのよ」
「まあほんとなの?」とエリザベスは大満足でした。
「ブライトンの近所で駐屯することになりそうなのよ。おとうさまに夏の間みんなをつれていっていただきたいと思うわ。とてもうまい計画でお金なんかほとんどかからないのよ。おかあさまだってとても行きたがってらっしゃるし、もしそうしなかったらこの夏はどんなみじめなことになるでしょう!」
「ほんとに」とエリザベスは考えました。「それは愉快な計画ですこと。完全にわたしたちをいちどで破滅させてしまうわ。やれやれだわ! ブライトンと兵営いっぱいの兵隊さん、わたしたちは市民軍の貧弱な一連隊とメリトンで月々ひらかれる舞踏会だけでねをあげているのに!」
「みなさん、いいしらせがあるのよ」テーブルにつきながらリディアは申しました。「何だと思う? すばらしいすごいしらせよ。みんなの好きなある人のこと」
ジェーンとエリザベスはおたがいに目を合わせて、給仕はいなくてもよいといいわたされました。リディアは笑って申しました。
「かたくて分別くさくてまったくおねえさんらしいわ。給仕にきかせたくないと思ってるんでしょう。ききたがるもんですか! これからいおうとしていることよりずっとひどいことをしょっちゅうきかされてるわよ。しかしあの給仕はみっともないから、行ってくれてよかったわ。あんな長いあごみたこともない。さあそれではニューズよ。ウィカムのこと、給仕なぞにきかせるのはもったいないわ。そうじゃあない? ウィカムがメアリ・キングと結婚する危険はありません。そらね、どう! リヴァプールのおじさんのところへ行ってあちらに住みます。ウィカムはたすかりました」
「そうしてメアリ・キングはたすかりました」とエリザベスはつけ加えました。「財産の点で無分別な結婚から」
「もし好きだったのなら、行ってしまうなんてばかだと思うわ」
「しかしどちらもそれほど愛していたわけでもないのでしょう」とジェーンは申しました。
「|ウィカム《ヽヽヽヽ》のほうで愛していなかったことはたしかよ。うけあってもいいわ。全然愛してなぞいませんよ。だれがあんないやなそばかす娘なんぞ!」
エリザベスはじぶんはこれほど下品な言葉《ヽヽ》は使えないけれど、感情《ヽヽ》としてはじぶんの胸にかつていだき、自由でとらわれないと空想したものとたいしてちがわないことに気づいてはっとするのでありました。
皆がたべ、姉たちが支払をすましてから馬車が命令され、多少のやりくりで全員と荷物、道具袋に小包とそのうえありがたくないキティとリディアの買い物までそのなかにおしこまれました。
「うまくつめこまれたこと」とリディアは叫びました。「ボネットを買ってよかったわ。もう一つ帽子箱がふえるだけでもおもしろいわ! さあさあ居心地よくおさまって家に帰るまでお話ししたり笑ったりしないこと。まずだいいちに出かけて以来何がおこったかきかせてちょうだいよ。愉快な男性はいて? たのしくやって? ふたりのうちのひとりは帰ってくるまでにはおむこさんをみつけてくるととっても期待をしてたのよ。ジェーンはじきに老嬢になってしまってよ。もうかれこれ二十三ですものね! あたし二十三になるまでにまだ結婚できなかったらとても恥ずかしいと思うわよ! フィリップスおばさまもあなたがたに早くだんなさんができるといいと思っていらしてよ。それは想像もつかないほど熱心に。リジーはコリンズさんをつかまえといたほうがよかったといってられるわ。でもそれでは全然おもしろくなんぞなかったろうと思うわ。あーあ、だれよりも早く結婚したらどんなにすてきでしょう! そうしたら|介添えになって《ヽヽヽヽヽヽヽ》みんなを舞踏会につれてってあげるわ。あのねえ、フォスター大佐のところで先日ふざけてとてもおもしろかったのよ! キティとあたしとそこで一日すごしてね、夜にはちょっとしたダンスパーティをしてくださることになったの。(ついでですけどフォスター夫人とはあたし|とても《ヽヽヽ》仲よしなの)それでハリングトンさんのところのふたりにくるようにおっしゃったのよ。ところがハリエットが病気でペンはひとりでやってきたの。それからどうしたと思う? チェンバーレエンに女の着物を着せたの。考えてもみてよ、すごくおもしろかったのよ! 大佐とフォスター夫人、キティとわたしとおばさま――おばさまには着物を一枚借りる必要があったものだから――をのぞくほかはだれひとりこれを知らないのよ。とても想像もできないほどよく似合ってね! デニー、ウィカムとプラットほか二、三人の男の人がはいってきても全然彼だとわからなかったのよ。とても笑ったわ! フォスター夫人も笑ったわ。死ぬかと思ったほど。|それで《ヽヽヽ》何かがあると気がついたのね。それからすぐにみつけたわ」
そのようなパーティやわるふざけの話で、リディアはロングボーンまでの道中みんなをたのしませようとつとめ、キティもときどきつけ加えたり助言したりしました。エリザベスはなるべくきかないようにしていましたがウィカムの名がたびたび口にされるのでそれを耳に入れないわけにはいきませんでした。
家庭では親切に迎えられました。ベネット夫人はジェーンがあいかわらず美しいのをみて喜びました。晩餐の間に一度ならずベネット氏はじぶんからエリザベスにいいました。
「リジー、よく帰ってきたね」
食堂の会衆は大ぜいでした。ルカス家のほとんど全員がマライアに会い消息をきくためやってきたからでした。いろいろな話題がそれぞれの心をとらえておりました。ルカス令夫人はマライアからテーブルごしに長女の安否とにわとりの消息をきいておりました。ベネット夫人はずっと下座にすわっているジェーンから最新流行の話をききながら他方これをルカス家の下の娘たちに小売りするという二重の作業に従事しておりました。リディアはほかのだれよりも大きな声できく人にはだれでもおかまいなく午前中のいろいろとたのしかったことを数えあげておりました。
「おお、メアリ、あなたも行けばよかったのに。とっても愉快だったの! 行く道でキティとわたしはすっかりブラインドをひいてね。馬車にはだれもいないようにみせかけたの。キティが気分がわるくならなければ、ずっとそのままでゆくんだったけれど。ジョージについたときとても気前よくやったのよ。ほかの三人に世界一すてきな冷肉のおひるをおごったのよ。いらしてたらあなたにもおごってあげたのに。それから帰ってくるときまた愉快なの! とうてい馬車にはいりきらないと思ったのよ。おかしくておかしくてもう死にそうだったわ。また帰る道中陽気にやってね! 大きな声で話したり笑ったり、十マイルさきまできこえるほどだったわ!」
これに対してメアリはたいへんきまじめに答えました。
「そのような愉快な快楽をけなそうなどとはつゆ思いません。疑いもなく女性一般の心によくかなうものであるからです。しかし|わたし《ヽヽヽ》には全然魅力がありません。本のほうをずっと好ましく思います」
この返事をリディアはひと言も耳に入れませんでした。半分以上だれにでも耳を傾けることはなく、メアリのいうことには全然注意をはらいませんでした。
午後になってリディアは他の娘らといっしょにメリトンへの散歩をしてみんなの消息をききたいとしきりにせがみました。しかしエリザベスはその計画には断固反対いたしました。ベネットの娘らは半日家にじっとしていられないで士官を追いまわしているといわれたくないのでした。彼女の反対には今一つの理由がありました。ウィカムに会うのをおそれ、できるだけさける決心だったのでした。連隊がやがて移動するということは|彼女には《ヽヽヽヽ》言葉にいえないほど安堵をあたえました。二週間たてば彼らは去って行きます。ひとたび去ってしまったらウィカムのゆえに何もじぶんをなやますもののないようにと望むのでありました。
家に帰って何時間もたたないうちにリディアが宿屋でちょっとほのめかしていた例のブライトンゆきの計画は両親の間でたびたび話し合われているのを知りました。エリザベスはすぐ父のほうには全然ゆずる気持ちのないのをみてとりましたが返事は極めてぼんやりとしていると同時にあいまいでしたので、母はたびたび勇気をくじかれながらも最後には成功するのではないかと全然絶望もしなかったのでした。
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第四十章
早くジェーンにおこったことの次第を知らせたいというエリザベスの待ちかねる気持ちはもはやこれ以上おさえることができなくなりました。とうとう姉の関係のある部分はすべて差しひかえて、お驚きになるわと相手に覚悟をさせながらダーシー氏とじぶんの間におこったことのあらましをのべたのは次の朝でした。
ベネット嬢の驚きは、つよい姉らしいえこひいきで、エリザベスがどんな賞賛を受けてもまったく当然のことと思いだんだんとおさまってきました。驚きはすべてまもなく他の感情にとってかわられました。ダーシー氏がじぶんの愛情を打ち明けるのにあのように似つかわしくない、その愛情のたすけとならない態度をもってしたことを非常に残念がり、妹の拒絶がダーシーを不幸にすることを考えるとなおいっそう悲しく感じるのでした。
「成功するという自信がありすぎたのがいけなかったのね。たしかにそれを外にあらわしてはいけなかったのだわ。しかしそのために失望はもっとひどかったでしょうね」
「ほんとね」とエリザベスは答えました。「わたしも心からあのかたをお気の毒と思っているわ。でもいろいろとほかに気をひかれるものをおもちだから、わたしへの気持ちなどたぶんすぐお忘れになるわ。でもわたしおことわりをしたのをまさか責めたりしないでしょうね?」
「あなたを責める! まさか」
「でもウィカムのことを同情しすぎて責められたことがあるわ」
「あなたのいったことがまちがっていると知っていたわけではないわ」
「しかしその翌日おこったことをお話しすればわたしがまちがっていたことがおわかりに|なる《ヽヽ》|でしょう《ヽヽヽヽ》」
それからエリザベスはジョージ・ウィカムに関するかぎりの内容をくりかえし手紙について話しました。それはジェーンにとって気の毒なことにたいへんな打撃でした。この一個人のなかにあつめられたほどの悪を全人類合わせてももっていないと考えていたい人だったのですから。ダーシーの弁解は彼女の気持ちには非常にありがたいものではあったのですが、このようにウィカムが悪人であることを暴露してはとてもなぐさめとはなりませんでした。非常に熱心にたぶん誤解があったのだろうとそれを証明しようとし、他をまきぞえにしないでひとりの罪をはらそうと一所懸命でした。
「それはだめよ」とエリザベスはいいました。「どんなにしたってふたりとも善人にするわけにはいかないわ。えらんでちょうだいよ。しかしひとりだけで満足しなければね。ふたり合わせてもあまりとりえがたっぷりとあるわけではないのでひとりの善人しか作れないの。それも近ごろかなり位置転換があったのよ。わたしとしてはとりえはすべてダーシー氏のものと思うよう傾いてきたけれど、あなたはどちらでもお好きなように」
しかしジェーンから微笑がかえされるまでには多少時間がたちました。
「こんなにどきっとしたことはないわ。ウィカムがそんなわるい人だなんて! ほんとに信じられないくらい。そしてお気の毒なダーシーさん! ね、リジー、どんなにお苦しみになったか考えてみてよ。とても失望なさったでしょう! それにあなたがそんなにわるく思っているのがわかって! お妹さんのあんなことまでおっしゃらなければならないなんて! ほんとに心が重くなるわ。あなたもきっとそうでしょう」
「おお! いいえ、あまりあなたが気の毒がるのでわたしはまったく感じなくなってしまったわ。じゅうぶんに真価をみとめてあげてくださるのでわたしのほうは時々刻々無関心になってゆきます。あなたがふんだんに同情の安売りをなさるのでわたしはすっかり倹約になってしまいました。もっとあなたが彼のためになげき悲しめば今にわたしの心ははねのように軽くなってしまいますよ」
「かわいそうなウィカム! あんなに善良な顔つきをして! あんなに率直でやさしい物腰をしていて」
「あのふたりの青年の教育にはたしかに管理上過ちがあったのよ。ひとりが善人となり、今ひとりが善人のみかけだけをとったのね」
「わたしはダーシーさんがあなたの考えるほど善人の|みかけ《ヽヽヽ》に欠けた人だとも思わなかったわ」
「でも理由もなしにあのかたに対してあんなにはっきりとした嫌悪《けんお》を感じるなんてとても頭がよいつもりだったのよ。あんなに人をきらうとその天才に拍車をかけて機知に富んだ言葉が口をついて出るのよ。正当なことは何一ついわず、むやみとわるくちをいっているかもしれないわ。しかし人をいつも嘲笑しておればときに何か機知に富んだいいぐさにぶつかったりするのよ」
「リジー、あなたが最初その手紙を読んだときはそんな見方はできなかったでしょうね」
「それはできなかったわ。とてもおちつかない、たいへん居心地のわるい、とても不幸だったといってもいいわ。じぶんの感じたことをだれに話すこともできず、なぐさめてくれてわたしのことを弱虫でうぬぼれがつよくてばかげていると――それはそのとおりだとじぶんでもわかっているの――いってくれるジェーンもいないし! ほんとにあなたにいてほしかったわ!」
「ダーシーさんにウィカムのことを話すのにあんなにつよい言葉を使ったのは運がわるかったわね。今となってみればまったくその資格のない人のようですものね」
「たしかにそうよ。しかしあのように運わるく苦々しい口をきいたというのももとはといえばわたしがつのらせていた偏見の当然の結果よ。ただ一つ忠告してもらいたいことがあるのよ。ウィカムの人柄をみんなに知らせておくべきでしょうか、それともそんなことはしていけないかしら」
ベネット嬢はしばらくだまってそれから答えました。
「たしかにあまり暴露する理由はないように思うわ。あなたの意見は?」
「そうすべきではないと思うの。ダーシーさんもお書きになったことを公表していいとはおゆるしになっていないわ。反対にお妹さんに関したことは詳細はすべてできるだけわたしの胸におさめておくようにとのおつもりらしいし。ウィカムの行動のほかの点についてはもしわたしがみんなの目をさまそうとしたってだれがわたしを信じるかしら? ダーシーさんに対するみんなの偏見ははげしいんですもの。もし好ましい人として説明しようものなら、メリトンの善良な人々のなかばは困りきってしまってよ。わたしにはとても力が及ばないわ。ウィカムはまもなく去ってしまうのだし、そうすればここの人々にとってあの人の本性はあまり意味のないものだわ。今からしばらくたってすっかりわかってしまうでしょう。そのときにはもっとまえにわからなくてずいぶんおばかさんだったわねと笑ってあげればいいのだわ。今のところ何もいわないわ」
「あなたのいうとおりよ。過ちを公表すれば永久に身の破滅よ。たぶん今は前非をくいて評判をたてなおそうと望んでられるのよ。あの人を自暴自棄におちいらせてはいけないと思うわ」
エリザベスの心のあらしはこの会話でおさまりました。二週間の間おさえつけていた秘密の二つだけはとり去られました。もし今後このどちらかについて語りたいと思えばジェーンがいつでも喜んで耳をかしてくれましょう。しかしその背後にひそむものがあり、これは用心深くあかすことはしなかったのでありました。ダーシー氏の手紙の残りの半分については思いきって話すことをせず、また姉がダーシー氏の友によって真心から尊重されていることも説明いたしませんでした。ここにだれにもわかちあえない秘密があり、当事者ふたりの間に完全な了解のなりたったとき以外にはこの最後の荷厄介な秘密をすて去ることはできないことを承知しておりました。「そのありそうにもないことがもし万一おこったときにはビングリーがじぶんで話したほうがいいことなのだわ。使う価値がなくなるまでは使う自由がなくなったのね」
エリザベスは今は家におちついて姉の真の精神状態をじっくり観察することができたのでした。姉は心たのしまない様子、今でもビングリーに対してやさしい愛情をいだいておりました。これよりまえにはじぶんが恋しているなど空想したことさえない人でしたからその思慕は初恋らしい熱烈さと同時に、初恋がふつうに誇れる以上の堅実さをもっており、これはこの人の年齢なり性質のゆえと思われました。彼の思い出をだいじにし、どの男性よりも彼を好んでいましたから、あの失恋の悲しみ、じぶんの健康をそこない家の人たちの心の平和を傷つけるあの悲しみにふけるのを我慢するためにはその良識とみなへの思いやりをふるいたたせなければならないのでした。
「ね、リジー」とある日ベネット夫人は申しました。「ジェーンの受けたあのひどい仕打ちを何とお思いかい? わたしとしては二度とだれにも話さないことに決めましたよ。先日フィリップスねえさんにもそういいましたよ。しかしジェーンがロンドンであの人にちょっとでも会ったかどうかわからなくてね。ともあれ、あの人はたいそうつまらない人でしたよ。こうなってはジェーンがあの人を手に入れる見込みはまずなさそうだね。この夏ネザーフィールドへやってくる話はほとんどきかないよ。知っていそうな人にはひとりなしたずねてみたのたけど」
「もうネザーフィールドにはお住みにならないのだろうと思います」
「おお、よござんす! お好きになさったらいいでしょう。だれもきてもらいたいなど望みませんよ。しかしわたしの娘にたいへんひどい仕打ちをしたといつでもいいますよ。もしわたしがあの娘ならだまってなんていなかったろうと思いますよ。いいかい、わたしのなぐさめはもしジェーンが失恋して死んでしまったら、あの人もじぶんのしたことを後悔するだろうということです」
しかしエリザベスはそのような予想をしてみてもいっこうに心はなぐさめられないので、答えはいたしませんでした。
「ね、リジー」とすぐあとでつづけました。「それでコリンズのふたりはたいへんたのしく暮らしているのだね? 結構、結構、ただつづけばいいと思うだけですよ。食べ物はどんなふうだったかい? シャロットはなかなか経済家だからもしあのおかあさんの半分も抜け目がなければ相当倹約ですよ。|あの人たち《ヽヽヽヽヽ》の家もちは全然ぜいたくなどしないだろうね、たぶん」
「ええ、全然しませんわ」
「たしかにうまくきりもりして、そうそう。けっして収入をこえないように気をつけてね。|あの人たち《ヽヽヽヽヽ》はお金に困ることはありませんよ。それは結構なことですよ! それでおまえのおとうさんがなくなられたらロングボーンが手に入ることをたびたび話していただろうね。そのときはいつでもじぶんのものという気持ちなんだね、きっと」
「それはわたしのまえでは口に出さない話題ですわ」
「そうだね、もし口に出したら奇妙だものね。しかしたしかにふたりでは始終話しているにちがいないよ。ええ、ええ、法律上じぶんのものでもない資産をもらって平気なのなら、なおさら結構なことですよ。|わたしなら《ヽヽヽヽヽ》、ただの限嗣《げんし》相続でじぶんのものになったものなど恥ずかしくて」
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第四十一章
帰宅後の第一週間はすぐにすぎてしまいました。第二週がはじまりました。連隊のメリトン滞在の最後の週で、近辺の若い女性たちは急速にしおれておりました。その落胆はほとんどそのあたりいったいの現象でした。食べて、飲んで、寝て、日常の仕事に従事できるのはベネット家の姉娘らだけでした。キティとリディアのみじめさは極端でしたが、このふたりはたびたび姉たちの平気なのをなじり、家族のうちにこんな無情なもののいるのを了解できないのでした。
「ああ、わたしたちはどうなるんでしょう。何をして暮らしたらいいかしら」悲しみの苦々しさをこめてたびたびなき声をあげました。「よくそんなににやにやしていられるわね、リジー」
愛情深い母親は彼女らと同様なげき、じぶん自身二十五年まえ、おなじような場合に堪えた悲しみを思い出すのでした。
「たしかわたしもミラー大佐の連隊の移動したときには二日間ぶっつづけて泣いたものだったわ。胸がはりさけると思ったわ」
「たしかに胸がはりさけるわよ」とリディアは申しました。
「ブライトンへ行けさえすればね」とベネット夫人が意見をのべました。
「ええ、そう、ただブライトンへ行ければね! でもおとうさまは意地わるなのよ」
「海水浴を少しすればうんと元気回復しますよ」
「フィリップスおばさまもわたしにもとてもいいだろうといってられたわ」とキティがつけ加えました。
こういうなげきの声がロングボーンの屋敷に四六時中ひびきわたったのでありました。エリザベスはそれでおもしろがって気をまぎらそうと思ったのですが、おもしろさは恥ずかしさでうち消されてしまいました。新たにダーシー氏の抗議の正当なのを感じました。これほどダーシーが友の意見に干渉したことをゆるす気持ちになったことがないほどでした。
しかしリディアの将来のくらいみとおしがすぐに晴れわたりました。彼女は連隊の大佐の細君であるフォスター夫人から招待を受け、ブライトンに同伴することになったのです。このかけがえのない貴重な友は若くて近ごろ結婚したばかりでありました。上きげんで元気のよいところからおたがい気に入って、三ヵ月の知り合い中二ヵ月は仲よしとなっていたのでした。
この場合のリディアの有頂天、フォスター夫人への礼賛、ベネット夫人の喜び、キティの屈辱はとうてい申しのべられるものではありません。キティの気持ちにはまったくむとんちゃくにおちつきのない興奮状態で家中とびまわり、みんなにお喜びを要求してまえまえよりももっと猛烈に笑ったりおしゃべりしたりいたしましたが、その間《かん》キティのほうはいらいらとした調子で支離滅裂な言葉でじぶんの運命をなげき悲しんでおりました。
「フォスター夫人はリディアをよぶくらいならわたしだってよんでくれたらいいのに、特別に仲よしで|ない《ヽヽ》からってひどいわ。わたしだってリディアとおなじようによばれる権利はあるわ、いえ、もっとあるくらいよ二つ年上なんですもの」
エリザベスはもっとものをわからせるよう、ジェーンはあきらめさせるようつとめましたがむだでした。エリザベス自身としては母やリディアとおなじような気持ちをかきおこされるどころではなくてこれはリディアの常識の死刑執行証となりえるものとみて、ひそかに父親に行かせないよう忠告をしないではいられなかったのでした。もし知れたらじぶんが憎悪のまととなることはよく承知していましたが。リディアが全体としてひどくお行儀のわるいこと、フォスター夫人のような人と仲よくして得るものはなにもないこと、誘惑が家にいるときよりももっと大きいブライトンであのようなおつれといっしょでは今よりもっと無分別になることもあろうと説いてみせたのでありました。父は注意深く傾聴してこう申しました。
「リディアはどこか人なかへ出てこなければおちつかないだろうし、現在の事情でこれほど費用をかけず、これほどうちの者に迷惑をかけずにはそれができる方法はないのだよ」
「リディアの不注意で無分別な態度が世間の人の注目をひいて、わたしたちにどんな不利をまねくか、いえ、もう現にまねいてしまっているかを知っていらしたらきっともっとちがった考え方をなさると思いますわ」
「もうまねいているっ!」ベネット氏はくりかえしました。「ほっ! おまえの恋人の何人かが驚いて逃げてしまったのかね? かわいそうなリジー! しかし気をおとさないほうがいいよ。おばかさんとかかわり合うのがいやで辛抱できないようなそんな神経質な青年は惜しむねうちはないよ。さあリディアのご乱行でよりつかないなさけない奴さんたちのリストをみせてごらん」
「あら、そうじゃありません。何もそんな被害を受けたわけではありませんわ。わたしの不平をいっているのはもっと一般的なことなのです。うちの評判はあの野放図に陽気で、あつかましい自制心のない人柄でとてもわるくなりますわ。はっきりいいますけど、ごめんなさい。おとうさまがあの自由奔放なむこう意気を少し制御しておおきにならなければ、今のようなことばかりしていては人生はおくれないということを骨折って教えこんでおおきにならなくては、やがてとりかえしのつかないことになってしまいます。人柄はすっかりかたまって、十六歳ではしにも棒にもかからない浮気娘になってしまいます。しかも最低最悪の浮気ですわ。若さとまずまずの容姿以上には何の魅力ももたないのですよ。無知でからっぽの精神のためにちやほやされたいとの一心で世間の軽べつをひきおこしますことをしでかします。このような危険にキティもまきこまれる恐れがありますわ。あの娘《こ》はリディアの導くところどこへでもついてゆくのですもの。うぬぼれで無知、怠けもので全然制御を受けていません。あんなふうではふたりがいたるところで非難されさげすまれ、姉たちもその不名誉にまきこまれることになりますわ」
ベネット氏はエリザベスが全心をその問題にうちこんでいることがわかりました。それで愛情深く手をとって答えました。
「あまり心配するんではないよ、おまえ。おまえとジェーンが行くところ、きっと尊敬され重んじられるにちがいないんだから。たいへん愚かな妹がふたり――いや、三人かな――いたっておまえたちのねうちが下がるわけではないし。リディアがブライトンに行かないことには平和がやってこないよ。それだから行かせようではないか。フォスター大佐はなかなかもののわかるかただから、あの娘を真の危害からまもってくださるだろうし、運よくあの娘はあまりに貧しいからねらわれるほどのえものでもなしとなるとブライトンではただの浮気娘としてでもここでよりもずっとはばがきかないだろうさ。士官らはもっと注目しがいのあるご婦人たちをみつけるだろう。とにかくあの娘がひどく悪化したとなれば一生とじこめておくこともみとめられるだろうし」
エリザベスはこの答えで満足しないわけにはいかなかったのですが、意見はまえとおなじでした。落胆して残念に思いながら父のもとを去りました。しかしそれをくよくよと考えて苦悩をそそることはその性質にはないことでした。果たすべき義務は果たしたと考えてさけられない不幸に腹を立て、気にやんで不幸を助長することはいたしませんでした。
リディアと母親がもしエリザベスと父親との相談内容を知ったとしたらその憤怒はふたりの協力のおしゃべりをもってしてもじゅうぶんにあらわしつくせたとは思えません。リディアの想像ではブライトンへの訪問は地上の幸福の可能性をすべて包含するものでした。彼女は空想の目をかりて士官のあふれたはなやかな海水浴場の街々をくりひろげてみました。現在では未知の士官の目の幾十の注視のまととなっているじぶん自身を想像しました。また兵営のはなばなしいありさまを、一糸乱れず美しく列を正してならんだテント、若く陽気で緋《ひ》色でまばゆいばかりの軍人の群れ。そのながめの点睛はテントの下に陣どって一時に少なくとも六人の士官とやさしく恋の口説をかわすじぶん自身でありました。
もしじぶんの姉がこのようなはなばなしいできごとから、また現実から切り離そうとしていることを知ったなら、どんな感じをもったことでしょう? その感慨は母親によってのみ了解されたことでしょう。この人だけが娘に同情をもっておりました。リディアがブライトンに行けるということで夫はけっしてそこへ行く気にならないだろうという憂うつな確信をなぐさめるのでした。
しかし母と娘は父と娘との間にかわされたことについてはまったく知りませんでした。ふたりの狂喜はリディアが家を出る前日までほとんどとぎれもしないでつづいておりました。
エリザベスがウィカム氏と会うのももう最後でありました。帰って以来たびたび彼と同席しましたから心の動揺はもうほとんど感じませんでしたし、とくに以前のあの心のはずむ好意などは全然消え失せておりました。最初うれしいものに感じたあの温和のなかに気持ちをわるくさせる気どりとあきあきさせる単調さをみてとることさえできたのでありました。じぶんに対する現在の挙動には新たに気持ちをわるくさせる源がありました。ふたりが知り合って最初のころ非常にめだっていたような心づくしをまた新たにみせはじめたことで、これはそれ以来いろいろとおこったことを考えるとただ腹立たしくさせるばかりでありました。そのように役にもたたない気まぐれなお愛想の相手にじぶんをえらび出すのをみてまったく関心をなくしてしまいました。そのお愛想をがんきょうに制止しながら、彼がどのように長く、またどのような原因からでも、ちやほやするのを中止しておいてもふたたびちやほやしはじめれば、いつでも相手の虚栄心を満足させてじぶんを好きにならせることができる、と信じていることでまるで自分が叱責を受けているように感じるのでありました。
連隊のメリトン滞在のまさに最後の日他の士官らといっしょに、ウィカムはロングボーンで晩餐をとりました。エリザベスは彼からきげんよくわかれようなどという気持ちはほとんどありませんでしたから、ハンスフォードではいかがおすごしでしたかとたずねられて、フィツウィリアム大佐、ダーシー氏ふたりともロージングズで三週間すごしたことをつげ、大佐と面識がおありかとききました。
ウィカムは驚いて不興げなまたぎくっとした顔つきでしたが、一瞬で気をとりなおしまた微笑をうかべながら以前はよくお目にかかったことがあると答えました。たいへん紳士らしい人であるがあなたはどうお思いかとたずねました。エリザベスの答えは熱をこめて、好意をしめす返事をしましたが、まもなくあとで彼は無関心をよそおって付加しました。
「ロージングズの滞在はどれくらいとおっしゃいましたかね?」
「三週間ちかくでしたわ」
「たびたびお会いでしたか?」
「ええ、ほとんど毎日」
「あの人の態度は彼のいとことはだいぶちがいますでしょう」
「ええ、だいぶちがいます。しかしダーシーさんもおつき合いするうちにだんだんよくなられましたわ」
「なるほどね!」とウィカムは叫びました。がその顔つきをエリザベスはみのがしませんでした。「それではおたずねしてもいいでしょうか―」といいかけて中止し、もっと陽気な調子でつけ加えました。「よくなったのは応対の態度なのですか? あの日常の話しぶりにいくぶん丁重さを加えられたというわけですか? まさか」と声をおとしてもっとまじめな調子になって、「性質がよくなるわけもありませんからね」
「いいえ! 性質はもとのままだと信じてますわ」
エリザベスの話す間ウィカムはその言葉を喜んでよいのかその意味を疑ってよいのかよくわからないといった顔つきでした。エリザベスの表情には何か意味深長なものがあり、何となく気がかりな不安のまじった注意をそそいで耳を傾けないではいられないのでしたが、やがてエリザベスはつづけていいました。
「おつき合いするうちによくなったというのは、あのかたのお心なり態度なりが改良されてきたというのではなくて、よく存じあげるとあのかたの性質がよく了解されたという意味なのです」
ウィカムの警戒は今や紅潮した顔色と興奮した表情にあらわれました。数分間無言でしたがやがて当惑をふり払って、彼女のほうへふり向いて静かに申しました。
「ダーシー氏に対するわたしの感情をよくご存じのあなたですから、彼がその外見だけでも正しさを身につけるほど賢明になられたことを、心からうれしく思うのをおわかりでしょう。あの人の誇りはそういう行き方をとるとすれば、もし彼自身に役にたたなくても多くの人たちに役にたちましょう。彼の誇りはわたしの出会ったようなひどいめに、他の人たちをあわせなくてもすみましょう。ただわたしのおそれるのはあなたの言及されたような一種の用心深さは、おば上訪問の場合だけとられる態度ではないかと想像します。彼はおば上の意見とか判断を非常に畏敬しているからです。おば上に対するおそれは、ふたりがいっしょのときいつでもはたらいていたのを知っております。ド・バーグ嬢との結婚、これを非常に望んでいるのをわたしは確信していますが、それを促進しようと望んでいるからだと思います」
エリザベスはこれをきいて微笑をおさえることができなかったのでしたが、ただ頭を少し傾けて返事といたしました。彼はダーシーに対する不平というまえの話題に彼女をひきこみたいと望んでいたのですが、それをだまってきく気分にはなれなかったのでした。その後は彼のがわではいつものとおり快活に、しかしこれ以上特別にエリザベスにちやほやしようとはいたしませんでした。ついにおたがいにていねいに挨拶をかわして、そうして恐らくは二度と会いたくないとおたがいに望みながらわかれたのでした。
会がおひらきになったとき、リディアはフォスター夫人といっしょにメリトンに帰りそこから翌朝早く出発するはずでありました。リディアと家族の間のわかれは感傷的というよりはかしましいものでした。キティが涙を流した唯一の人間でした。しかし彼女が泣いたのは、うらやましくてくやしいからでした。ベネット夫人は言葉多く娘のしあわせを願ってやり、たのしむ機会はできるだけのがさないようにとの勧告を印象深くあたえましたが、このような忠告はよくまもられたことは疑うよちのないことです。リディアのわかれのそうぞうしい歓声で今少し静かな姉たちのさよならは口に出されてもきこえないありさまでした。
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第四十二章
もしエリザベスの意見がすべてじぶんの家族からひき出されるものとすれば結婚の幸福また家庭の慰安についてはあまり好ましい心像をえがき出すことはできなかったろうと思えます。父親は若さと美しさとまた若さと美しささえあればだれでももつようにみえるきげんのよさに心をうばわれて、理解力のよわい狭量な婦人と結婚し、結婚の初期に妻に対する真正な愛情を失ってしまったのでした。尊敬、尊重、信頼は永久に消え去り、家庭の幸福に対する期待はすべてくつがえされてしまいました。しかしベネット氏はじぶんの無分別のもたらした失望をなぐさめるために、よく世間の不幸な人たちがじぶんの愚行悪行のなぐさめとするような快楽を求めはしませんでした。彼はいなかを愛し書籍を愛しました。これらの趣味からこの人の快楽は生まれてきました。じぶんの妻にはその無知と愚かさとをおもしろがってたのしむ以上には、何ら負うところはありませんでした。これはふつう男性がその妻に負う種類のたのしみではなかったのですが、他の快楽をあたえる力の欠除する場合賢人はあたえられる快楽からできるかぎりの恩恵をくみとるものであります。
しかしエリザベスは夫としての父の態度のよくないことをちゃんとみてとっておりました。それをみていつも苦々しく感じていました。しかし父の才能を尊敬し、じぶんに対する愛情ある取り扱いを感謝して看過することのできないことは忘れようとつとめ、夫婦相互の義務や礼儀にさからい妻を子供らの軽べつにさらすのを極めて不らちな行ないと考え、しいてみないようにとつとめていました。しかしつり合わない結婚から生まれた子供らにつきまとう不利を、今ほど痛切に感じたことはありませんでした。また才能の誤った使い方からおこる悪――もし正当に使用されればよし妻の理性を啓発することはできなくても、少なくとも娘たちの体面をたもつことはできたでしょうに――を今ほど痛切にかみしめたこともありませんでした。
エリザベスはウィカムの出発を喜びましたが、連隊の退去したことはそのほかにはたいして満足すべきことではありませんでした。よその会合も以前ほどの変化は乏しくなり、家では絶え間なく母と娘の退屈をかこつ声がひびきわたり、周囲の者に真実憂うつをなげかけました。キティはその頭をみだすものの立ち去った今、やがては生まれついたほどの分別はとりもどすかもしれなかったのですが、今ひとりの妹はその性質上からもっと危険性があるにかかわらず、海水浴場と兵営という二重に危険をはらむ場所にいてますます愚かにあつかましくかたまってゆくことが予想されるのでした。それゆえ全体としてみれば、これまでにもそんなことはだれでも経験することですが、待ちかねる思いでたのしんでいた事件も、現におこってみればじぶんの予期したほどの満足感をもたらさないものだったのです。その結果はいつかある未来の時を真実の幸福のはじまる時期として待ちのぞむ必要があったのでした。そしてじぶんの願いと希望をそのうえにきずく何かほかの時点をもち、また喜びを予想することによって現在のじぶんをなぐさめまた今一つの失望のために備えをなすことが必要なのでした。湖水地方への旅行が今では彼女の最もしあわせな思いのまととなっておりました。母とキティの不平不満で居心地のわるいときをもつのはさけがたいことだったのですが、それに対する最もよいなぐさめとなったのでした。その旅行計画にジェーンを加えることができたらそれはあらゆる点からみて完ぺきなものになるのでありました。
「でも何か不足なものがあるのは好運だったわ。すべての取り決めが完全であったらきっと失望するに決まっていたわ。しかしこの場合ねえさんが加わらないというもの足りなさをいつもいだいているために、たのしみの期待がすべて実現されるよう願ってもいいように思われるのです。あらゆる点で完全無欠な計画は絶対に成功しません。小さなある特別の苦しみが全体の失望をふせぐものです」
リディアが出かけるときは、母親とキティにたびたびくわしい手紙を書くと約束したのでありましたが、手紙はながく待たされたあげく、くるのはごく短いものでした。母親あての手紙の内容は貧弱で、今クラブから帰ってきたところ、クラブへはかくかくの士官らが付き添ったとか、たいへん美しい装飾品をみて夢中になったとか、新しい上着新しいパラソルを買ってそれについてくわしくのべたいけれど、フォスター夫人が呼んでいてこれから兵営へ行くところだから、大急ぎで出発しなければならない、といったようなものでありました。キティあてのたよりからは消息はよけいにわかりかねました。手紙は少しは長いのですが、下線がいっぱいで公表をはばかることが多かったからです。
リディアがいなくなった最初の二週間また三週間たった後は、健康と上きげんと快活がふたたびロングボーンにも姿をあらわしはじめました。あらゆるものはもっとしあわせな様子を呈してまいりました。冬中ロンドンにいっていた家族も帰ってきて、夏の晴れ着と会合の季節がはじまりました。ベネット夫人は従前どおりの口小言の多いおちつきをとりもどしました。六月のなかばまでにはキティは涙なしにメリトンにはいれるほど回復いたしました。これはまことに見込みの明るい事件で、きたるクリスマスには一日にいちど以上は士官のことを口にしないほどききわけがよくなるかもしれない、とエリザベスに希望をおこさせました。もちろんこれも陸海軍省が悪意ある配置をおこない、また連隊をメリトンに駐屯させるようなことになったらおじゃんになりますが。
北方旅行をはじめると定められた日はいまや刻々近づいてまいりました。あとあますところ二週間となったとき手紙がガーディナー夫人からとどき、旅行のはじまる日がのびることとその旅行範囲のせばめられたことを知らせてきました。ガーディナー氏が商用で二週間おくれ七月になってから出かけること、また一ヵ月以内にはロンドンに帰ることが必要で、さきに企てていたほど遠くへ行き、またそれほど方々を見物することはできない。少なくともあてにしていたほどのんびりと暇をかけて見物するには期間が短すぎるので、湖水地方の旅行はとりやめてかわりに、もっと縮小した計画にたてなおしたことを知らせてありました。こんどの計画ではダービシャー以北へは行かないことになったのでした。あの郡だけでも三週間の日程をみたすにじゅうぶんな見物場所もあるし、ガーディナー夫人にとってはとくにつよい魅力があったのでした。以前彼女が数年をすごした町、そこで二、三日の滞在をする予定になっていたのですが、それはマトロック、チャッワース、ダヴデールあるいはピークなどの有名な名所と同様、おばにとっては非常に興味をひかれる場所なのでありました。
エリザベスはたいへん失望いたしました。湖水地方と思いつめていたのですから、それに三週間といえばそれにじゅうぶんな時日があるように考えましたから。しかし満足するのがそのつとめでありましたし、たのしむのが彼女の気質でもあったのですぐに気をとりなおしました。
ダービシャーといわれるとそれにまつわるいろいろな思いがわきあがってまいりました。その言葉をみてまっさきに思い出すのはペンバレーとその持ち主でした。「しかしたしかにあのかたの郡にはいっていっても、とがめだてされることもないでしょう。あのかたのご存じないうちに螢石を二つ三つとってこられるかもしれないわ」
待つ間は今は倍になりました。おじ、おばが到着するまでには四週間がすぎなければなりません。しかしそれもすぎ去り、ガーディナー夫妻は四人の子供をつれてついにロングボーンにあらわれました。六つと八つの女の子ともっと小さいふたりの男の子はいとこのジェーンが特別に世話することになっておりました。ジェーンをみんな大好きでしっかりして分別もあり、おだやかな気質でしたから教えたり遊んだりかわいがったり、あれこれと世話するにこれほどぴったりの人はないほどでした。
ガーディナー夫妻はロングボーンにひと晩とまってエリザベスを伴い、見聞をもとめ快楽を追って旅に出かけました。一つのたのしみだけはまちがいなく期待できました。実に似つかわしい道連れをもったことでした。不都合に堪える気質と健康、喜びをなおいっそう大きな喜びとする快活さ、もし外に失望があればおたがいの間でたのしみを補い合う愛情と聡明などをもちあわせた道連れでした。
この本の目的はダービシャーを、またそれまでの途中にある著名な場所、オクスフォード、ブレニム、ウォリク、ケニルウァース、バーミンガム等々を記述することではありません。それらももうじゅうぶんに知られております。今かかわりのあるのはダービシャーのごく小部分です。ラムトンという小さな町、これがガーディナー夫人のもと住んだ場所で、そこにはもとの知り合いがまだいることが近ごろわかったのでした。それでその地方のおもな名所を見物したあとでそちらに足を向けたのでした。このラムトンの五マイル以内のところにおばからきいたところでは、ペンバレーがある由でした。みなのゆく道の途中ではありませんでしたが、ただ一、二マイルそれているのみでした。まえの晩にその行程を話し合ったとき、ガーディナー夫人はもういちどそこをみたいという気持ちでした。ガーディナー氏はじぶんもみたいといいましたので、エリザベスの意向がたずねられました。
「ね、あんなにたびたびうわさにきいた場所をみたいと思わない?」とおばは申しました。「あなたのお知り合いのたくさんのかたに関係のある場所ですよ。ウィカムも少年時代をここですごしたのよ」
エリザベスは困惑しました。ペンバレーなどに用事はないという気持ちでしたからみたくないというふりをする必要がありました。「わたしはもう立派なおやしきにはあきあきしました。あんなにたくさんみたのでもう立派な敷物やしゅすの窓掛けなどをみたくありませんわ」
ガーディナー夫人はおばかさんねと非難いたしました。
「立派な家具でかざられた美しいおやしきというのなら、わたしだって行きたかありませんよ。しかし邸園がすばらしいのよ。この地方でいちばん立派な林があるんです」
エリザベスはそれ以上は申しませんでした、が心では黙認していたわけではなかったのです。そこをみているうちにダーシー氏に出くわす可能性のあることをすぐに思いつきました。それは恐ろしいことでした。考えただけで顔があかくなりました。そんな危険をおかすよりむしろおばにすっかり打ち明けてしまったほうがよいと思いました。しかしこれに対しても賛成しかねる点があり、ついに打ち明けるのはもしひそかに家族の在不在をたずねてその答えが在であった場合の最後の手段と決めたのでありました。
したがってその晩寝室にしりぞいたとき、女中に話しかけてペンバレーはたいへん立派なおやしきかと当主の名まえ、さてはびくびくしながらも家族のかたがたは夏をすごしにこちらにおいでかどうかなどききました。最後の質問に対しては歓迎すべき否定の答えがかえってきました。これで彼女の警戒心はとりはらわれましたので、彼女自身好奇心をもやす余裕が出てきました。翌朝その話題がむしかえされ、もういちど意向をたずねられたときには、すぐに、しかも適当に無関心をよそおいながら、その計画はほんとはちっともいやでないと答えました。
ペンバレーへと、それゆえ三人は行くことになったのでありました。
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第四十三章
エリザベスは馬車を走らせながらペンバレーの森のあらわれるのに目をこらしながら心の動揺を禁じえませんでした。ついに門衛所に車をのり入れたときは胸の高なるのを覚えました。邸苑は非常に広くいろいろな地形をもっており、はいったのはもっとも低い地点からでしばらくの間広くひろがった美しい森を通って走りつづけました。
エリザベスの心はあまりにもいっぱいで話はできませんでした。目に立つ場所、見晴らし台はすべてながめ、すべて感嘆いたしました。半マイルばかりをだらだらとのぼりますと、相当なたかみの頂上にまいりました。そこで森はおわりとなり谷の向かい側、そこへ道は急に曲がっておりましたが、そこに構えられたペンバレーの館が不意に目をとらえたのでした。大きな美しい石造りの建物で、高台のほどよい位置に建てられて背後には高い木の多い丘の尾根が背景となっておりました。前面には自然にかなり水量のある流れをとり入れてそれをもっと大きくしておりましたが、全然人工のあとはみえませんでした。岸辺も自然のあとを残して人工的にそこなわれてはいませんでした。エリザベスはたいそう気に入りました。自然にこれほどふんだんに恵まれたところ、これほど自然の美がぶざまな趣味でこわされていないところはみたことがありませんでした。一同は心から賞賛をおしまず、そのときにはエリザベスはペンバレーの主婦となることもまんざらすてたものではないと感じたのでありました。
丘を降りて橋を横ぎり、戸口へと馬車をすすめました。館に近寄って見物をしている間に、その持ち主に会うのではないかという懸念がまたかえってきました。宿の女中がまちがっていたのではないかと心配しだしました。館の見物を申し入れると玄関に招じ入れられ、そこで家政婦を待つ間、エリザベスは自分は何とした場所にきたものかとかえりみる余裕もありました。
家政婦がやってまいりました。人品いやしからぬ年輩の婦人で、エリザベスが予想していたほど立派ではありませんでしたがもっと丁重でした。家政婦にしたがって食堂にはいりました。大きくて、つり合いのとれた、みごとな調度品をそなえたへやでした。エリザベスはさっと目を通してから、眺望をみようと窓に近よりました。樹木でおおわれた丘、それを今しがたくだってきたのですが、遠くからながめるとよけいにけわしさをましてたいそう美しくみえました。地形の配置はすべてよく、川、その岸辺に散在する樹木、うねり曲がった谷などの全景を目のとどくかぎり気持ちよくみはるかしました。ほかのへやにはいるとこれらの川と樹木と谷はいろいろちがった角度からながめられましたが、どの窓からみても美しい景色でありました。へやは天井が高く堂々としており、家具は持ち主の財産にふさわしくみごとではありましたが、けばけばしくもなく、ただわけもなくかざりたてたというのでもなくて、ロージングズの調度に比べて豪華さの点ではおとりましたがもっと真の気品をもっており、所有者の趣味を賛嘆しないではいられませんでした。
「それでこの館の」と彼女は考えました。「主婦となったかもしれないのだわ! このへやべやを親しく知りつくしていたかもしれないのだわ! これらを見物客としてみないでじぶんのものとしてたのしみ、おじさまおばさまを訪問客として歓迎できたかもしれないのだわ。しかしそうじゃあなかったわ」我にかえって「それはできない相談でした。そのときはおじさまもおばさまも関係のないかたとなってしまっていたはずです。おふたりをお招きすることなど許されないことでした」
これに思いついたのは運のいいことで、おかげで後悔のようなものを味わわないですみました。
エリザベスは家政婦にご主人はほんとにお留守であるかとといただしたく思いましたが、その勇気はありませんでした。しかしついにその質問はおじによってなされました。彼女は警戒してよそを向きましたが、レイノールズ夫人はほんとに留守だと答えてつけ加えました。「しかし明日はお友だちを大ぜいおつれになってお帰りになります」エリザベスはじぶんたちの旅行が、いかなる事情にせよ一日のびることのなかったことをどんなに喜んだことでしょう。
さておばは一つの肖像画をみるようにと彼女を呼びました。近づくと炉棚の上にかかったいくつかの微細画のなかに、ウィカムの肖像がかけられていたのでした。ほほえみながらおばはこれはいかがとききました。家政婦は近寄って先代の執事の息子で、先代自身の負担で教育された若い紳士の肖像であると説明いたしました。「このかたは今陸軍におはいりになりました。少し放蕩されましたようで」
ガーディナー夫人はにっこり笑って姪《めい》をみましたが、エリザベスはほほえみかえすことはできませんでした。
「そしてそれが」とレイノールズ夫人は微細画の今一つを指さしながら申しました。「ご主人さまで、たいへんよくかけております。今一つのとおなじころ、八年ばかりまえにかかれました」
「あなたのご主人の立派なご容姿についてはおうわさはよくうかがっております」と肖像画をみながらガーディナー夫人は申しました。「ずいぶん美男子でいらっしゃいます。しかしリジー、よくお似ましかどうかあなたならよくわかるでしょう」
レイノールズ夫人のエリザベスへの尊敬は、主人を知っていることがわかるとまし加わるようにみえました。
「あのおわかいご婦人はダーシーさまをご存じで?」
エリザベスは顔をそめて申しました。「はい、ちょっとだけ」
「美男子でいらっしゃるとお思いになりませんか?」
「はいたいへんお立派で」
「あんな立派な顔立ちのかたはわたしは存じません。しかし二階の陳列室には、これよりもっと大きくて立派なのがございます。これは先代さまのお気に入りのへやでございまして、微細画像はそのときのままなのでございます。たいへんあの画像がお好きでいらっしゃいました」
それでこのなかにウィカム氏の画像があったわけがわかりました。
レイノールズ夫人はそれからダーシー嬢がまだ八歳であったころえがかせたのにその注意を向けました。
「ダーシー嬢もにいさんとおなじように美しいかたですか?」とガーディナー氏が申しました。
「はい。あんなお美しいかたはございません。それにたいへん教養がおありで! 一日中|弾《ひ》いたり歌ったりしていらっしゃいます。次のへやには今しがたおくられてまいりましたピアノがおいてございます。ご主人さまからの贈り物で。明日ごいっしょにおこしでいらっしゃいます」
ガーディナー氏の態度は気やすく気持ちよく、その質問や感想はレイノールズ夫人の口を軽くし、自慢からか愛情からか主人とその妹のことを喜んで話したのでした。
「ご主人は一年のうちかなりをこちらでおすごしで?」
「いていただきたいと思うほどはご逗留になりません。しかしたぶん半分はこちらにいらっしゃいます。お嬢さまは夏の間はいつでもこちらでおすごしでございます」
「ラムズゲイトに行くときのほかは」とエリザベスは考えました。
「もしご主人さまが結婚なさればもっとこちらにいらっしゃることになりましょう」
「さようでございます。しかし|それは《ヽヽヽ》いつのことでこざいますか、ご主人さまにふさわしいかたなど思いもよりません」
ガーディナー夫妻は微笑しました。エリザベスは思わずいいました。「あなたがそうお考えになるとはたしかにご主人さまのご名誉ですわ」
「わたしは真実を申し上げているばかりです。ご主人さまを存じあげる人々はみなそう申しております」と答えました。エリザベスはこれは相当おおげさだと考え、家政婦が次のようにつけ加えたとき、ますます驚いて傾聴しました。
「生涯にご主人から不きげんなお言葉をきいたことはございません、お四つのとき以来存じあげておりますが」
これはすべてほかの賞賛のなかでもいちばん並みはずれたもので、またじぶんの考えとは正反対のものでありました。彼は気質がおだやかではないと彼女はかたく信じきっているのでした。注意が鋭くよびさまされ、もっとききたいと望み、おじが次のようにいったときには、心からありがたく思ったのでした。
「それだけのことをいわせるかたはそうざらにはありませんよ。そんなご主人をもってあなたは運のいいかたですね」
「はい、さようでございます。運のよいことを存じております。世界中さがしてもこれよりよいご主人にめぐりあうことはございません。わたしの経験から申しますと、子供のとき性質のよい方は成長しても性質のよいものですね。ご主人はいつもこのうえなくきげんのよい寛容な心をもったお子でいらっしゃいました」
エリザベスは目を丸くして家政婦をみつめました。「これがいったいダーシーさんのことかしら?」と考えました。
「お父上もたいへんご立派なかたでしたね」とガーディナー夫人は申しました。
「はい、奥さま、さようでございました。ご子息さまもお父上のとおりのかたでございます。貧しいものにもおなじように気持ちよくしてくださいます」
エリザベスは耳を傾け、いぶかり、疑い、もっとききたく思いました。レイノールズ夫人は他の点では彼女の興味をひくことはできませんでした。絵のこと、へやのひろさ、調度の値段などをのべてきかせましたがむだでした。ガーディナー氏は主人に対する過度にみえる賞賛は家族的偏愛から出るものであろうとそれをたいそうおもしろがり、またもや話題をそれにもってゆきました。いっしょに大きな階段を上りながら、家政婦は主人の長所を力を入れて強調いたしました。
「あのおかたは最上の地主、最上のご主人でいらっしゃいます。近ごろのじぶんのことしか考えないわがままな若い人たちとはまったくちがいます。小作人でも召使でもご主人さまをほめないものはございません。あのかたを高慢だという人たちもありますが、わたしはそう思ったことはございません。わたしの想像ではこれはただご主人がふつう若い人たちのようにあまり口をおききにならないからだと存じます」
「こういうふうにいえば、たいそう人好きのよい人のようにきこえるわ」とエリザベスは考えました。
「こういう立派なお話は」おばは歩きながらささやきました。「お気の毒なウィカムさんに対しての仕打ちとは矛盾しているように思えますね」
「わたしたちはたぶんだまされていたのですわ」
「それはありそうもないことですね。話の出所があまりたしかすぎますもの」
階上の広い廊下に出てからたいへん美しい居間に案内されましたが、これは階下のへやべやよりもよけいに上品に優雅にしつらえられておりました。最後にペンバレーにきたとき、このへやがたいそう気に入ったダーシー嬢を喜ばすために手を入れたものであるとのことでした。
「たしかにいいおにいさまでいらっしゃいますのね」窓の一つに向かって歩みよりながらエリザベスは申しました。
レイノールズ夫人はこのへやにはいってくるときのダーシー嬢の喜びを予想し、「いつでもこういうふうにしておあげになります」とつけ加えました。「妹ごさまをお喜ばせすることなら何でもすぐにあそばすのでございます。お嬢さまのためにあそばさないことはこざいません」
絵画陳列室とあと二、三のおもな寝室ですべてはおわりでした。陳列室にはよい絵がありましたがエリザベスは絵画については何も知りませんでしたので、すでに階下でもみられたような名画からはなれて、すすんでダーシー嬢のクレヨン画に目を向けました。このほうがむしろ興味もあり、わかりやすくもありました。
陳列室にはたくさんの家族の肖像画がありましたが、これらはあまり見物客の注意をひくことはできませんでした。エリザベスは顔立ちを知っている唯一の顔をさがして歩きました。ついにそれがみつかりましたが、彼がじぶんを見てときおりうかべたあのような微笑をたたえ、ダーシー氏にはっとするほどよく似ておりました。数分間そのまえに立ってつくづくとながめ、このへやを立ち去るときに今一度そこへもどってゆきました。レイノールズ夫人はみんなに父上の存命中にかかれたものだと教えてくれました。
この瞬間エリザベスの心にはこの絵の主に対して、その人と最も交渉の多かったときにも感じたこともないほどのやさしい気持ちがわいてまいりました。レイノールズ夫人がこの人にあたえた賞賛もなかなかばかにできないものでした。聡明な召使の賞賛ほど価値のあるものがありましょうか? 兄として地主として主人として、どれほど数多くの人の幸福がこの人の双肩にかかっていることか! どれほどの喜び苦しみをあたえる力をもっていることか! どれだけの善行と悪行がこの人によってなされたことか! 家政婦によってのべられた考えはすべてその人柄に有利なものばかりでした。その、彼がえがかれその目をじぶんにじっとそそいでいるカンバスのまえに立って、エリザベスはかつてまえに感じたことのないほどの深い感謝をもってその愛情を考え、その愛情の熱烈だったのを思い出してそのふさわしくなかった表現もやわらいでくる思いがするのでありました。
館の公開されているところを全部みおわって階下へおり、家政婦にわかれをつげて玄関の扉で待ちうけている庭師に引きわたされました。
一同川のほうに向かって芝生を横ぎったとき、エリザベスは今一度ふりかえり、おじもおばも立ち止まりました。エリザベスがいつ建造されたのであろうかなど推測しておりますと、ちょうどそのときほかならぬその館の主が突然建物のうしろのうまやに通じる道から姿をあらわしてきたのでありました。
おたがいに十ヤードとは離れていず、あまりにも彼の出現がふいでしたのでかくれるすべはまったくありませんでした。目と目が合い、おたがいにほほは真紅にそまりました。事実彼はとび上がるほどびっくりし、一瞬驚きのため動けなくなってしまいました。しかしやがて気をとりなおして一行のほうにすすんできて、エリザベスに完全におちついたといえないまでも、少なくとも完全に礼儀正しい言葉で話しかけました。
エリザベスは本能的にうしろを向いて立ち去りかけましたが、ダーシーが近づくと立ち止まり、おさえがたい当惑を感じながらもその挨拶を受けました。ほかのふたりは彼の風采により、今までみていた絵に似ていることにより、今目のまえにいるのはダーシーであることを了解しなかったとしても、主人をみた庭師の驚きの表情をみてはすぐにそれとわかったにちがいありません。彼が姪《めい》に話しかけている間は少しはなれて立っておりましたが、この姪は気も仰天し、混乱の極み、目を上げて彼の顔をみることもできず、家族の安否を礼儀正しくたずねられてもどのように返事をかえしたかわからないほどなのでした。わかれて以来の態度の変化にまず驚きましたが、口に出される言葉はいちいちエリザベスの当惑を増してゆきました。じぶんがここにいるのをみつけられた間のわるさは幾度となく心に思いかえされて、ふたりでいたこの二、三分ほど居心地のわるかったことは生まれてこのかたなかったように思われました。先方もけっしてゆったりなどはしていませんでした。話し声もいつもの静かなおちつきは全然なく、ロングボーンをいつたったか、またいつごろからダービシャーにきているかということを何度もせかせかした調子でくりかえしてききましたので、彼のほうも頭が相当混乱していることがわかったのでありました。
ついには何も考えつかなくなった様子でした。数分間ひと言もいわず立ちつくしてから、突然気がついてわかれをつげて去ってゆきました。
他の人たちがエリザベスといっしょになり、彼の容姿をほめましたが、じぶんの感情に気をとられたエリザベスはひと言も耳にははいらず、ただだまってついてゆきました。恥と無念の思いで圧倒されておりました。ここへやってきたのはほんとに運がわるかった。判断を誤っていた! どんなに奇妙にうつったことだろう! あのような虚栄心のつよい人にはどれほどみっともないこととうつったかしれない! まるでわたしがわざわざあのかたを待ち伏せしたかのように思われるかもしれない! ああ、なぜわたしはきたのだろう? なぜあのかたは一日早く帰ってきてしまわれたのだろう? 十分だけ早かったらあのかたにみわけのつかないところに行っていたのに、ちょうどあのとき到着されたことは明らかでした。あの瞬間馬からあるいは馬車からおりてこられたのだもの。何べんでも彼女はままならぬこのめぐりあいを思い出しては顔をあからめるのでした。あのようにかわったふるまい、あれはどういう意味なのでしょう? じぶんに話しかけてくれたことさえ驚くべきことであるのに、あのように丁重に家の人たちの安否をたずねられるとは! 態度がこの思いがけない出会いのときほどおだやかなこともなく、またあれほどやさしい話し方もきいたことはありませんでした。手紙を手わたしたとき、ロージングズパークでのあの最後の話しぶりと何という対照でありましょう! エリザベスはいかに考え、いかに説明すべきかわかりませんでした。
一同は今、川のほとりの美しい散歩道にさしかかってきました。一歩一歩地形はより美しい傾斜をえがき、よりこころよい森のひろがりへと近づいてまいりました。しかしエリザベスがそれを意識にのせるまでにはしばらくかかりました。おじやおばがくりかえし共感を求めるのにはただ機械的に答えていましたけれど、またふたりの指さす物に目を向けてはいましたが、まったく何もみわけることもできないありさまでした。エリザベスの思いはペンバレー館のある一点、それはどこであろうとダーシー氏がそのときいるところに釘づけされていたのでありました。その瞬間その人の心のなかでは何がゆききしているでしょうか、どのようにじぶんのことを思っていられるか、あらゆることにもかかわらずじぶんはまだあのかたにとってだいじなものであろうか、それを知りたくてしかたがなかったのでありました。たぶん彼が礼儀正しかったのはただおちついていられたからだわ。でもあの声のなかにはおちついていたとも思えない|もの《ヽヽ》があったわ。わたしに会って苦しみと喜びとどっちを多く感じられたかしら、それはわかりませんでしたが、自若としてはいられなかったことだけはたしかでありました。
しかしついにつれの人らにじぶんの放心状態についてうんぬんされるのをきいてわれにかえりました。そしてじぶんらしくみえるようにしなければならないと考えました。
森にはいり川にはしばらくわかれをつげて高台へと登ってゆきました。その高さから樹木がまばらで視界の自由にひろがるあたりから谷や向かい側の丘、その丘の上にひろげられる森またときには川の一部などの魅惑するようなながめがのぞまれました。ガーディナー氏は邸園全部を一周したいという希望をもらしましたが、たぶん徒歩ではむりであろうと懸念をもっていました。得意げな微笑とともに一周十マイルときかされ、それで話は決まりました。きまった巡回路をたどってゆくことにしましたが、それはやがてまた傾斜面の林をぬけて、道を下り川はばのいちばんせまいあたりに出てきました。あたりの景色によくつり合った簡素な橋でそれを横ぎると、そこはまた今までおとずれた場所よりなおいっそう自然のままで、ここではほとんど峡谷といいたいほどの谷間は流れをふちどる生い茂った灌木林の間をたどるせまい径のある以外には、何も余裕もないほどでありました。エリザベスはこの流れのうねりをさぐりたいと願ったのでしたが、橋をわたって館からの距離をみせつけられますとあまり足の丈夫でないガーディナー夫人はもうそれ以上ゆくことができなくなりました。できるだけ早く馬車のところへ帰ることを考えはじめました。姪《めい》もそれに従わないわけにゆかず、川の向かい側にある館に向かっていちばん近道をとって帰りはじめたのでした。しかしガーディナー氏はその趣味をたのしむ機会はめったになかったのですが、魚釣りが好きでときどき鱒《ます》が水中にあらわれるのを待ちかまえたり、鱒について案内人と話し合ったりで遅々として進みませんでした。このようにゆっくりと歩きまわっているうちに一同はダーシー氏がかなり近くをこちらへ歩いてくるのをみつけて、ふたたび驚かされたのでした。エリザベスの驚きは最初のときとまさるともおとりませんでした。こちらの散歩道はもう一方のがわの道ほど木が茂っていないので、顔と顔を合わすまえに彼の姿がながめられました。エリザベスは驚いていたとはいえ、少なくともまえよりもっと会見への気がまえはできており、もし真実じぶんらに会うつもりであるなら、静かな顔つきで話しかける決心でありました。数分の間は、たぶんどこかほかの道にそれるものと考えておりました。この考えは道が曲がっていたためにしばらく彼の姿のみえなくなっていた間中つづいていましたが、やがてその曲がりを通りすぎると、彼はすぐ目のまえにあらわれました。たったひと目で彼が近ごろ身につけた丁重さを全然なくしていないことをみてとり、それにならって彼女も出会うとすぐ景色の美しさなど賞賛いたしました。「気持ちがよい」とか「魅力がある」とかそのような言葉以上に出ないうちに、運わるくある追憶がのさばりでて、じぶんからペンバレーの賞賛をきいて意地わるく解釈されるかもしれないと思いつき、顔色をかえてよしてしまいました。
ガーディナー夫人は少しうしろに立っていましたが、エリザベスが話しやめるとダーシーはあなたのおつれのかたたちに紹介してはいただけまいかとたずねました。これはまったく予期しないいんぎんな申し出で、その自尊心がじぶんに求婚をするとき、いちばん不快な抵抗を感じたほかならぬその人たちに、今はじぶんから交際を求めていることに微笑をおさえることができませんでした。「だれだかわかったらどんなにびっくりされることか! きっと今は上流社会の人たちと思っていられるのだわ」と考えました。
しかし紹介はすぐなされました。じぶんとの関係を申しのべると、そっといたずらっぽい目をなげて、彼がどれほど辛抱づよく我慢するかを、みようといたしました。このような不名誉な仲間から大急ぎで逃げだすのを予期しないでもなかったのでした。ところがその関係をきいて|驚いた《ヽヽヽ》ことは明らかでしたが、しかし辛抱づよくたえて、逃げてゆくどころかみんなといっしょにひきかえしてガーディナー氏と話をはじめました。エリザベスは喜びまた得意にならないではいられませんでした。じぶんが顔をあからめる必要のない親戚をもっているのを知ってもらうのは心がなぐさみました。ふたりの間にかわされる話に非常に注意深く耳を傾け、おじの聡明と趣味と礼儀正しさをしめすあらゆるいいまわしを誇らしく思ったのでした。
話題はすぐに魚釣りに及び、礼儀正しくダーシー氏は近所にご滞在中はいつでもお好きなだけ魚釣りにおでかけくださるようにと招待し、同時に釣り道具を用立てようと申しでていつもえものがいちばん多いところを指さしてみせました。エリザベスと腕を組んで歩いていたガーディナー夫人は、不思議だという顔つきをみせました。エリザベスは何も申しませんでしたが、この心づくしはすべてじぶんのためにちがいないと考え、たいへんうれしく思いました。とはいえ彼女自身の驚きは極度に達していました。何べんもくりかえして「なぜあのかたはあんなにかわられたのかしら? 何からあの変化はおこったのかしら? あのかたの態度があれほどやわらげられたのは|わたしの《ヽヽヽヽ》ため、|わたしの《ヽヽヽヽ》せいであるはずがないわ。ハンスフォードで非難したためにこんな変化がおこるなんてことがあるかしら。あのかたがまだわたしを愛していられるなんて不可能だわ」
ふたりの婦人が先頭に立ち、紳士ふたりが後につづいてしばらく歩いてから、ある珍しい水草をしらべるために水ぎわ近くおりた後、もとの組み合わせに多少の変更がなされたのでありました。ガーディナー夫人がこの日の運動で疲れはて、エリザベスの腕ではささえとして不じゅうぶんであることをみとめ、夫に腕をかしてもらうことを望んだことにはじまったのでした。ダーシー氏が夫人の姪《めい》のそばの位置をしめることとなりました。しばらくだまって歩いていましたが、やがて婦人のほうから口をきりました。ここへくるまえに彼の留守をたしかめたことを知ってもらいたかったのでした。それであなたのご到着はたいへん思いがけないものだったのですといってから「家政婦さんは明日まではけっしてお帰りになることはないと教えてくださいました。それにベークウェルをたつまえにも、あなたはすぐにこちらにはいらっしゃらないはずと了解しておりました」とつけ加えました。それはすべて事実でした。彼はそれをみとめて、家令への用事でいっしょに旅行していた一行より数時間まえに帰ってきたのだとつげました。「みんな明朝早くやってきます」とつづけました。「一行のなかにはお知り合いの人も幾人かおります。ビングリー氏とねえさん妹さんです」
エリザベスはただ軽く頭を下げました。その思いはビングリー氏の名まえが最後にふたりの間でかわされたときに追いもどされました。ダーシー氏の顔色から判断したところ|彼の《ヽヽ》心もそれとあまりちがったことを考えてはいなかったようでした。
「一行にはもうひとり」としばらくやすんでからつづけました。「とくにあなたに会っていただきたいと思っている者がおります。あなたがラムトンにご滞在中に妹を紹介させていただけませんでしょうか。あまりあつかましいお願いでしょうか?」
そのような申し込みを受けた驚きはたいへん大きいものでした。あまりにも大きくてどんな態度でそれに承諾したかわかりませんでした。ダーシー嬢がじぶんと知り合いになりたいなどと願ったとしても、それは兄のしむけたことにちがいはありませんでした。それ以上先まで考えないでもそれだけで結構なことでした。じぶんに対するうらみのために悪意をいだいていないのは、たいへんうれしいとこでありました。ふたりは今沈黙のままそれぞれもの思いにふけりながら歩きつづけました。エリザベスは居心地はよくはありませんでしたがこれはむしろ当然でした。しかし得意でもありまた満足でもありました。ダーシーがじぶんに妹を紹介しようというのは最上の心づくしでありました。まもなく他のふたりをはるかに後にしてしまいました。ふたりが馬車に行きついたとき、ガーディナー夫妻は八分の一マイルもおくれておりました。
館にはいるようすすめられましたが、エリザベスは疲れてはいなかったので、そのままいっしょに芝生の上に立っていました。こんなときにはいろいろなことを話し合うもので、沈黙はたいへんぎごちなく思われました。話したいと思っても、どの話題も差しつかえがあるようにみえました。ようやくじぶんが旅行していたのだと気がついてマトロック、ダヴデールのことを根気よく語りつづけました。しかし時間とおばの動きは緩慢で、彼女の忍耐心も考えもそのふたりきりのさし向かいがおわりをつげるまえに、ほとんど疲れはててしまいました。ガーディナー夫妻が行きつくとみんな家にはいってお茶をのんで行くようにすすめられましたが、これはことわって双方非常に礼儀正しくわかれをつげました。ダーシー氏はご婦人たちの手をとって馬車にのせ、馬車が出発するとゆっくり館へ向かって歩くのがみえました。
おじおばはさっそく意見を話しはじめました。ふたりとも期待していたよりはるかにすぐれた人であるといいきりました。「まったく礼儀正しく、丁重で謙遜です」とおじは申しました。
「たしかにすこし堂々としすぎた感じもするけれど」とおばは答えました。「それは風采だけのことで、またそれが似合わなくもないわ。家政婦さんと同意見で彼を高慢だという人もあるけれど、|わたしは《ヽヽヽヽ》全然そうは思いません」
「わたしがいちばん驚かされたのはあのかたのわたしたちに対する態度ですよ。礼儀を通りこしてじつに懇切でした。あんなに心を使ってくださる必要はないのにね。エリザベスと知り合っているといってもそれほどたいしたものではないのだろう」
「たしかに、リジー」おばは申しました。「ウィカムほど美男子ではないわね。というよりもウィカムのような容貌ではないといったほうがいいのかもしれないわ。あのかたの目鼻立ちは完全にととのっていますもの。しかしあのかたをどうしてあれほど人好きのわるいかたといったのかしらね?」
エリザベスは弁解につとめました。ケントで会ったときはまえよりも好感をもったこと、また今日ほど気持ちよくふるまわれたことは今までにないことなど申しました。
「しかしたぶん少しばかり気まぐれなのだろう」とおじは答えました。「えらい人というものはそういうもんだよ。だから魚釣りのことでいわれたことを真に受けたりなぞしないつもりです。次の日は気がかわってじぶんの地所へよせつけないこともあるかもしれないからね」
エリザベスはまったく彼の人格を誤解していると思いましたが、しかし何も申しませんでした。
「わたしたちのみたところからいえば」とガーディナー夫人はつづけました。「あのかたがだれに対してもかわいそうなウィカムにしたようなそれほど残酷な仕打ちができようなどとはほんとに思えないわ。わるい性質の顔つきではないわ。反対にお話しになるときのお口もとは、何ともいえないこころよいものです。容貌には何か威厳があってあのかたの心情に対してもよい印象をもたされるわ。しかしあの館をみせてくださったあの善良なご婦人は、たしかに少しおおぎょうな人柄にしたてあげたわね。ときには声を出して笑いたくなるほどでしたよ。しかしきっとおうようなご主人なのね。それだけで召使の目にはあらゆる徳をそなえていられるようにうつるものなのです」
エリザベスはここでウィカムに対する彼の仕打ちについてひと言弁護する必要があると感じ、できるだけ用心深くケントでダーシーの親戚の人たちからきいたところによれば、彼の行動はまったくちがった解釈もできるということ、ハーフォードシャーで考えられていたようにけっしてそれほど欠点の多い性格でもなければ、一方ウィカムもそれほど人好きのよい人間でもないことを了解させようといたしました。これを確証するものとして実際にそれをきいた人の名をあげることはしませんでしたが、たしかな筋からきいたといってふたりの関係した金銭上の取引についての詳細を語ってきかせました。
ガーディナー夫人は驚きまた気がかりな様子でしたが、やがて彼女の昔なつかしい場面に近づいてくると、すっかり思い出の魅力のとりことなり、夫に近辺の興味深い場所を指し示すのに夢中になり、ほかのことを考える余裕はなくなってしまいました。その日の散歩ですっかり疲れていましたが晩餐がおわるや否や、ガーディナー夫人は昔の知人をたずねてふたたび出かけ、その夜は長年の中断の後再開された交際のたのしみにすごされたのでありました。
その日のできごとはあまりにも興味にみちていたので、エリザベスはこれらの新しい友人にはだれに対してもあまり注意をひかれませんでした。ダーシー氏の礼儀正しかったことを思い出し、また妹をじぶんに近づけようとしていることを考え、またしてもいぶかしい思いにつつまれるのでした。
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第四十四章
エリザベスはダーシーが妹をペンバレーに着くとすぐ翌朝ともなっておとずれてくるものと決め、その朝は朝中宿屋をはなれまいと決心いたしました。ところがその結論はまちがっていました。この訪問者たちはエリザベス一行の着いたすぐ翌日にやってきたのでした。新しく知り合った人たちとそのあたりを散歩して、おなじ家族と晩餐をともにするために着がえにもどったとき、馬車の音がひびき、驚いて窓によってみるとひとりの紳士と婦人が馬車にのって街をのぼってくるところでありました。エリザベスはすぐに御者のしきせをみわけてその意味をさとり、おじおばに受けようとしている名誉をしらせて、ふたりを驚かせました。ふたりはただあきれはてていましたが、エリザベスのそれをいったときの当惑した態度、加えて訪問それ自体、それにまえの日のかずかずの事情を思いあわせて、その件について新しい考えがうかびあがってきた様子でした。今まではまったくそれに気づかなかったのですが、しかし今はあのような方面からあのような心づくしをみせられたことは、姪《めい》に対する愛情を想像する以外には説明のしようもないことでした。この新しく生まれた思いつきがふたりの頭のなかをゆききしている間、エリザベスの混乱は刻々にまし加わりました。じぶんでじぶんのろうばいにあきれはてましたが、不安にさせる多くの原因のうちで、ダーシー氏が愛するあまりにじぶんのことをほめすぎているのではないかという恐れがありました。それでじぶんがあまり相手の気に入るように心がけるあまり、その力がはたらかなくなるのではないかともっともな懸念をもったのでした。
エリザベスはみられてはと懸念して窓から身を引き、へやのなかを行ったりきたりしておちつこうとつとめました。おじおばのものといたげな驚きの顔付きで、ことはよけいにぐわいわるく思えました。
ダーシー嬢とその兄があらわれ、このそらおそろしい紹介がとりおこなわれました。驚いたことにはこの新しい知己も少なくともじぶんとおなじくらいまごついていたことでした。ラムトンにきて以来、ダーシー嬢はたいへん高慢だときかされておりましたが、二、三分もみているうちにただ極めて恥ずかしがりであることがわかったのでありました。彼女からは単一音節以上の言葉ひと言だってひき出すことはできませんでした。
ダーシー嬢は背が高く、エリザベスに比べて大柄でした。十六歳を少しすぎたばかりでしたが、姿がよく、女らしく優雅な様子でした。顔立ちは兄ほどととのってはいませんでしたが、分別もあり気分の明るい顔つきで態度は気どりのないしとやかなものでした。エリザベスは兄に似た鋭いまごつかない観察者を予想していましたが、予想とはまるで正反対のお嬢さまなのですっかり気持ちがらくになりました。
きてからまもなくダーシーはビングリーもやがて挨拶にくるはずだとつげました。なつかしい訪問者を迎える気がまえする暇もなく、ビングリーの足早な歩調が階段にきこえてきて、まもなく彼はへやにはいってまいりました。ビングリーに対する怒りはずっとまえに消えておりましたが、もしまだ残っていたとしても、ふたたび彼女に会ってしめす気どりのない親しみにはとても抵抗しきれなかったでしょう。とくにひとりを名指しはしませんでしたが、親しみ深く家族の安否をきき、まえまえどおりきげんのよい気やすい顔つき、またもののいいようでした。
この紳士はガーディナー夫妻にとっても、エリザベスにとってとおとらないほど関心をそそる人物でありました。長いこと会いたく思っていたのでした。ここにいるすべての人々はふたりの活発な注意力を刺激いたしました。ダーシー氏と姪《めい》について今しがたおこった嫌疑のために、さとられないようにではありましたが熱心な探求とこまかな観察がそれぞれに向けられたのでありました。その結果ふたりのうちのひとりは少なくとも恋するということの意味をすでに知っていることを確認しました。婦人のほうの感情についてはまだ多少の疑わしい点がありましたが、紳士が賞賛でみちあふれていることは明らかなことでした。
エリザベスのほうでもすることはたくさんございました。訪問者おのおのの感情をたしかめたい、じぶんの感情はおちつかせたい、みんなには愛想よくしたいと願っておりました。最後の目的は失敗することをいちばんおそれていたのでしたがいちばん成功確実でした。好感をあたえたいと思っている人たちはみんなすでに好意をいだいていたからです。ビングリーはすすんで、ジョージアナは熱心に、ダーシーは断固として喜ばされようとしていたのでした。
ビングリーをみるとエリザベスの思いは当然姉のもとにはせてゆくのでした。彼の思いもおなじ方向へむいているかどうか、どんなに知りたく思ったことでしょう。ときどき彼が以前より口数が少ないような気がしました。一度か二度じぶんをみているとき、類似をたどろうとしているのかという考えがうかび満足に思いました。これはまったくエリザベスの空想でしたが、ジェーンに対するライバルにしたてられていたダーシー嬢に対する彼の態度に関しては、まちがいようもありませんでした。特別な愛情をあらわすものはどちらのがわにもあらわれませんでした。ビングリーの妹の希望を裏づけるものはふたりの間になにもありませんでした。この点ではすぐに満足しましたが、わかれるまえにおこった二、三のちょっとした事情は、エリザベスの希望的解釈によればやさしさにいろどられたジェーンの思い出を、またジェーンの名に結びつくことをもっといいたいという願いをしめすものでありました。ほかの人たちがいっしょに語り合っているとき、真実哀惜の情をこめて次のように感慨をのべたのでした。「おねえさまにおわかれしてからずいぶんたちました」それから彼女の答えるいとまもなくつけ加えました。「八ヵ月以上になります。十一月二十六日ネザーフィールドでごいっしょに踊ったとき以来お会いしておりませんからね」
エリザベスには彼の記憶が正確なのはうれしいことでした。後でほかの人たちにきかれていないおりをみさだめて、ごきょうだいたちは|みなさん《ヽヽヽヽ》ロングボーンですか、とたずねました。この質問もまたまえの感想にもあまりたいした意味があるわけではありませんが、それに何か意味をあたえる表情なり態度なりがあったのでした。
ダーシー氏自身に目を向けることができたのはあまりたびたびでもありませんでした。しかしちらりと目をやるたびに、みなに愛想のよい表情をたたえ、声の調子には尊大とか仲間を軽べつする気配などは少しもなく、昨日目撃した行儀改善はそれがどれほど一時的なものであるにしても、一日だけは生きのびたことをみとめないわけにはゆかなかったのでした。二、三ヵ月まえには交際を不名誉と考えたような人々の知遇を求め、信用を得ようとしているのをみるとき、じぶんに対してのみならず、公然と軽べつしたほかならぬその親戚に対して礼をつくすのをみ、ハンスフォードの牧師館でのあの最後のちょうちょうはっしの場面を思いおこすとき、その大きな変化にはつよく心をうたれその驚きが自然顔にあらわれるのをおさえることはできませんでした。ネザーフィールドに愛する友だちとまたロージングズのいかめしい親戚と相手となっているときでも、これほど人に満足をあたえようときゅうきゅうとし、自尊心から解放されて親しみ深い様子であるのをみたことがないと思いました。このように努力して成功したとしてもより有力になるわけでもなく、このように心づくしをみせる相手と知己となってもネザーフィールドのご婦人のあざけりを、ロージングズの貴婦人の非難をかうにすぎないでありましょうに。
訪問者たちは半時間以上もとどまり、辞去するため立ち上がってから、ダーシー氏はガーディナー夫妻とベネット嬢に、この地方を去られるまえ、ぜひペンバレーで晩餐をとっていただきたいと申しでて、妹にもその招待に口添えするよう命じました。ダーシー嬢は招待をすることにはなれていないらしく、自信のない様子でしたがすぐにその命令に従いました。ガーディナー夫人は招待がいちばん関係の深い彼女《ヽヽ》の意向はどうかと知りたく、姪《めい》をみたのですが、エリザベスは顔をそむけてしまいました。しかしこのようにわざとさけるのはその招待をきらってというよりは、一時当惑したゆえと思い夫のほうへ目をうつしましたが、こちらは社交好きで喜んで招待を受ける気持ちがみえました。それで出席を約束し、翌々日がその日と定められました。
ビングリーはまだお話ししたいことがたくさんあり、ハーフォードシャーのお友だちについてもおうかがいしたいことが山ほどあるゆえ、またお目にかかれるのはたいそううれしいと申しました。エリザベスはこれをじぶんが姉について語るのをききたいという望みと解釈して満足し、この理由また他の理由からそのときはほとんどたのしくもなかったのですが、訪問者が去ったあとではある満足感をもってこの三十分のことを考えることができたのでした。ひとりになりたく、またおじおばから尋問されたりあてこすられたりするのを恐れ、ふたりがビングリーに対して好感をもったことをきいただけで、着物をかえるために急ぎ立ち去りました。
しかしエリザベスはガーディナー夫妻の好奇心を恐れることはなかったのでした。ふたりはしいて何かききだそうなどとは、つゆ思っていませんでした。じぶんたちが考えていた以上にダーシー氏と知り合っていることは明らかでした。またダーシー氏が彼女に恋していることも明らかでした。いろいろと解釈はしてみましたが、といただす権利のないことを知っていました。
ダーシー氏についてはその人をよく思うのが夫妻のせつなる望みとなり、じぶんたちの知り合った範囲では何ら欠点はみつからないのでした。その礼儀正しさは感動しないではいられませんでしたし、もしほかのことに関係なくじぶんたちの感情から、また召使の報告だけから彼の人物評価をひき出すとすれば、この人を知っているハーフォードシャーの仲間にはダーシー氏のこととはみとめられなかったにちがいないのでした。しかし今は家政婦を信じるほうがとくでした。夫妻はやがて彼を四歳のころから知っていて、信用のある召使のいうことは性急に排すべきでないことをさとったのでした。ラムトンの友人たちの情報にも実質的にその重要性をへらすことは何もありませんでした。この人たちはただ誇りの高さを非難しただけでありました。たしかに誇りはもっていたでしょうし、かりにもたなくてもダーシー家が出かけることもない小さな市場町の人たちは、誇りを彼に負わせたことでしょう。しかし彼が気前のよい人であること、貧民の間に多くの善行をおこなっていることは、みなのみとめるところでありました。
ウィカムに関してはすぐにあまり尊敬されていないことがわかりました。後援者の息子とのいきさつのおもなものも、ただおぼろげに了解されているにすぎませんでしたが、彼がダービシャーを去るとき多額の借金を残し、それをダーシー氏があとで仕末をつけたことはよく知られた事実でありました。
ところでエリザベスの思いは今晩はまえの晩にもましてペンバレーにはせました。その晩は相当に長いものでありましたが、その館にいる|ひとり《ヽヽヽ》の人に対してのじぶんの感情を決めるにじゅうぶんではありませんでした。まる二時間ねむれずに横になってじぶんの感情を吟味いたしました。たしかに彼女は彼をきらってはいませんでした。そうです。嫌悪《けんお》はとうの昔に消え去っておりました。そのとうの昔から反感とよんでよい感情を彼に対してもったことを恥じているのでありました。いろいろなすぐれた性質をもった人という確信からくる尊敬を、最初はいやいやながらみとめたのでしたが、その尊敬が不愉快なものでなくなってもうだいぶたっておりました。もう今では彼にとって有利な証拠のために尊敬はもっと親しみ深い何ものかに高められ、彼の性質はまえの日の心づかいで好ましくやさしく受けとめられました。しかしそれらをこえ、尊敬と尊重をこえて彼女自身の心のなかに好意の動機が生まれておりましたが、これはけっしてみすごしてはならないものでした。それは感謝でした。ただいちどじぶんを愛してくれたことに対する感謝ではなくて、拒絶したときの生意気な辛らつな態度をすべてゆるすことのできるほどの、その拒絶とともに不当な非難をなげかけたことをゆるすことのできるほどの愛情に対しての感謝でありました。最大の敵としてじぶんをさけるであろうと思いこんでいた彼が、この思いがけないめぐりあいでじぶんとの交友を熱心につづけようと願っていることでした。ふたりだけの間で無遠慮に愛情をさらけ出すのではなく、また特別な態度をしめすというのではなくて、じぶんの友だちによく思われようと心づかいをみせ、じぶんの妹と知り合うようにと懸命になっているのでありました。あのように誇り高い人のこのような変化は、驚きのみでなく感謝をよびおこしました。それはこの変化は恋に、熱烈な恋にのみ帰せられるものでした。その変化が彼女にあたえる印象ははっきりと定義づけることはできませんでしたが、けっして不愉快なものでもなく、助長することが望まれました。彼を尊敬し、尊重し、感謝し、彼のためによかれと真実の関心を感じはじめました。ただ知りたいと思ったのは、彼の幸福がどれほどじぶんにかかってほしいとじぶんが思っているかということでした。じぶんには彼に今一度求婚をさせる力があると思っているのですが、その力をじぶんが使うのはどれほどふたりの幸福をすすめるものであるかを知りたいのでした。
ダーシー嬢がペンバレーに着いたその日に訪問するというほどの礼儀正しさは――というのは彼女はおそい朝飯の時刻に着いたばかりなのでした――同程度にはいかないまでも、こちらでもていねいにおかえしすべきである、とおばと姪《めい》の間で相談がまとまりました。その結果翌朝ペンバレーに挨拶にゆくことが、当を得たことと考えられ、訪問することが決められました。エリザベスは満足でした。じぶんでその満足の理由を自問したとき、答えていうべきことはほとんどありませんでした。
ガーディナー氏は朝食後すぐにふたりを残して出かけました。魚釣りの計画は前日今一度むしかえされ、正午までにペンバレーで紳士たちの幾人かにおち合う、はっきりとした約束がなされたのでありました。
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第四十五章
エリザベスは今ではもともとビングリー嬢がじぶんをきらったのは、しっとのせいであることをはっきりみとめていましたので、今じぶんがペンバレーに姿をあらわすことは、彼女にとってたいへんいやなことであろうと思いやらずにはいられませんでしたが、また先方がどれほど礼儀正しく旧交をあたためるであろうかと、好奇心もいだいておりました。
館につきますと玄関を通りぬけて客間へと案内されましたが、このへやの北側の見晴らしは夏にはたいへんこころよいものでした。庭園に向いた窓は館の背後にある高い木のよく繁った丘の目のさめるようなながめを、また丘にいたるまでの芝生の上に点々とそびえる美しいかしの木や栗の木をのぞませました。
ハースト夫人とビングリー嬢とロンドンでいっしょに生活している婦人といっしょに、ダーシー嬢はこのへやにふたりを迎えいれました。ジョージアナはたいそう丁重に迎えいれましたが、当惑した様子でもありました。それはまったく恥ずかしがりと、まちがったことをしてはという懸念から出ているのですが、劣等感をもっている人たちには高慢でうちとけないと思わせるかもしれないものでした。しかしガーディナー夫人とその姪《めい》とはその点をよくのみこんでいて、ダーシー嬢を気の毒に思っておりました。
ハースト夫人とビングリー嬢はエリザベスに気のついていることをしめすために小腰をかがめただけでした。ふたりが腰をおろすとまことにぎごちないものでありましたが、話のとぎれが数分つづきました。まず最初に上品な気持ちよい顔つきのアンズリー夫人によってその沈黙がやぶられましたが、この人の何か会話のいとぐちをみつけようとした努力のために、他のふたりのどちらよりも真の意味でしつけのよい婦人であることを証明いたしました。この夫人とガーディナー夫人との間に話がかわされ、エリザベスがときおりたすけを出して会話はつづけられました。ダーシー嬢はそれにじぶんも加わる勇気を切望しているような顔つきで、ときどきみなにきこえる危険のいちばんなさそうなときに、短い文を口にしてみるのでありました。
エリザベスはまもなくビングリー嬢に厳重に監視されていること、ことにダーシー嬢にひと言話しかけてもその人の注意をひくことに気がつきました。このように気がついたとしても、ふたりの距離が話に不便なほど遠くなければ全然気にかけなかったのですが、しかし、あまりおしゃべりをしないでもすむのはいやではありませんでした。勝手に考えたいことがあったからです。紳士らのだれかがいつなんどきはいってこないものではないと期待し、この家の主人がそれに加わることを望んでみたりおそれてみたりしましたが、いったいどちらの感情が有力であるのか、じぶんにもわかりませんでした。十五分もこのようにビングリー嬢の声をきかないですわっていましたが、家族の安否をつめたくたずねられてエリザベスははっといたしました。エリザベスのほうでもおなじようにそっけなく簡単に答え、相手はそれ以上は何も申しませんでした。
ふたりの訪問によって生じた次の変化は冷肉、菓子、季節の種々の立派な果物が召使によってはこばれたことでした。しかしこれはアンズリー夫人がダーシー嬢に意味深長な目つき、微笑でその役目を思い出させてようやくおこなわれたのでした。さてここで全員のための仕事ができました。たとえ話はできなくてもみんな食べることはできたからです。ぶどう、ネクタリン、桃の美しいピラミッドはすぐにみんなをテーブルのまわりにあつめました。
このような仕事に従事している間にダーシー氏がへやにはいってきました。これはダーシー氏の出現を望んでいたのか恐れていたのかを決するにはよい機会でありました。一分まえまでは望んでいると思っていたのでしたが、こんどそれを残念に思いはじめていたのでした。
ダーシー氏は館からの二、三の紳士といっしょに川で釣りをしていたガーディナー氏のところにしばらくいたのですが、婦人たちがジョージアナをその朝訪問する意向であるのを知って、こちらへやってきたのでした。彼があらわれるや否や、エリザベスは賢明にもゆったりと気まりなどわるがらない決心をかためました。必要な決心ではありましたが、なかなかまもることはむずかしいものでした。一同の嫌疑はダーシーとエリザベスの上に集中して、彼が最初にへやにはいったとき、その挙動を気をつけない目はほとんどありませんでした。しかしダーシー氏に話しかけるときはいつでも満面ほほえみをたたえてはいましたが、ビングリー嬢の顔にあらわれたほど抜け目のない好奇心はどの顔にもあらわれていませんでした。しっとのためにまだ絶望的になることもなく、ダーシー氏への心づくしはまだけっしておわっていたわけではありませんでした。ダーシー嬢は兄の登場でもっとはりきって話をしようとつとめておりました。エリザベスはダーシー氏が妹と彼女がよく知り合うようにと一所懸命で、できるだけ双方に話をさせようと気持ちをひきたてているのに気がつきました。ビングリー嬢もこのことをみてとり、怒りのあまり短気をおこして冷笑をうかべていんぎんに言葉をはさみえた最初の機会に、
「ねえ、エリザベスさん、X州市民軍はメリトンから移動したのではありませんか? あなたのご家族にはたいへんな打撃でしたでしょうね」
ダーシーのまえではさすがにウィカムの名は口に出しませんでしたが、エリザベスはすぐにその人のことを最も頭においていることがわかり、彼に結びついたかずかずの思い出で一瞬くらい気持ちになりましたが、その意地のわるい攻撃をはねのけようと力づよい努力をしてすぐにまずまず何げない調子で返事をいたしました。話しながらわれ知らずダーシーをみると、紅潮した顔色で熱心に彼女をみつめており、妹のほうはすっかりろうばいして目も上げられないありさまでした。ビングリー嬢はその愛する友にどれほどの苦痛をあたえているかを知っていたら、そんなほのめかしは絶対しなかったでしょう。この人はただエリザベスが好いていると考える男のことをもち出して、エリザベスの感情をさらけ出させ、ダーシー氏の心証を傷つけようとし、またたぶんダーシーにエリザベスの家には、その市民軍とかかわり合ってくだらないばかさわぎをするもののあることを思い出させようとしたのでしょう。ダーシー嬢の駆け落ち未遂については、秘密の可能なところにはエリザベスをのぞいてだれの耳にもひと言も達してはいなかったのでした。エリザベスはまえまえから彼にそのような意志があると思っていたのでしたが、この人たちが将来妹の身内になるかもしれないので、すべてビングリーの親類の人たちからは特別それをかくそうと気を使ったかもしれないのでした。ダーシーはたしかにそのような計画をたてていたのです。その計画ゆえに、ベネット嬢からビングリーをひきはなす努力を強化するなどというつもりはないのですが、自然ビングリーの幸福についてなおいっそう関心をしめしたのかもしれません。
しかしエリザベスのおちついたふるまいでその激情もすぐにおさまりました。ビングリー嬢は失望し当惑してあえてウィカムの名を口に出そうとはせず、ジョージアナもやがて気をとりなおしました。しかしこのためにまったく口がきけなくなってしまいました。エリザベスは彼女の兄のほうへはとても目を向ける気にもなりませんでしたが、彼はウィカムの事件に彼女がかかわり合いのあったことなどはほとんど思い出さず、彼の思いをエリザベスからそらそうと計画された事情は、かえってなおいっそう多くまた心たのしく、その思いを彼女にあつめてしまったのでした。
ふたりの訪問はくだんの問いと答えのあとはあまり長びきませんでした。ダーシー氏が馬車までふたりをおくる間、ビングリー嬢はエリザベスの容姿、ふるまい、衣服についての批評にじぶんの感情をぶちまけておりましたが、ジョージアナはそれに仲間入りはできませんでした。兄の推賞する人なら絶対確実に妹の好意をかちうるのでした。兄の判断は絶対にまちがうはずはないのでした。しかも兄は彼女が美しくて心やさしい人とよりほかに思いようのない言葉でほめあげたのでした。ダーシーが客間にもどってくると、彼の妹にいっていたことをいくらか彼にもくりかえしてきかせないではいられなかったのでした。
「エライザ・ベネットはけさはずいぶんみばえがいたしませんでしたこと」と申しました。「冬以来のあの人のおもがわりはほんとにひどいものです。とても色がくろく、下品になられましたわ! ルイザと話してましたけどとてもあの人とわからなかったくらいだと」
こういう言葉はたいへん好ましくなかったのですが、ダーシー氏は冷静に少し日にやけられたこと以外の変化は何もみとめなかった、夏に旅行すれば珍しくもないことだと答えるにとどめておきました。
「わたしとしては」彼女はいいつのりました。「全然おきれいだとは思えないと申したいですわ。顔はやせていすぎるし、顔色にはつやがありません。目鼻立ちもちっともよくありませんわ。鼻にはとりえがありません、りんかくになんの特徴もありませんもの。歯はまずまずですけれどそれほどでもないし、目についてはときにたいへん美しいといわれてますけれど、わたしはそれほど並みはずれたものとは思いません。何か鋭いきつそうな目つきで全然好みませんわ。あのかたの態度にはまったく上品なところがなくてうぬぼれが目立ちそれが我慢がなりません」
ダーシーはエリザベスを好ましく思っているとよく承知していて、こういう態度に出るのはけっしてじぶんを相手によく思わせる最上の方法ではありませんでした。しかし怒れる人はいつもかしこいわけではありません。彼がとうとう腹を立てた顔つきをしたので、思いどおりの成功をおさめたと考えました。しかし彼は断固沈黙をまもっておりました。どうしても彼に口をきかせようとの決心からまたつづけていいました。
「ハーフォードシャーで最初に知り合ったとき、わたしたちはみんなあの人が有名な美人ときいて驚いてしまったではありませんか。わたしはとくにあの人たちがネザーフィールドで晩餐をとったあとであなたがおっしゃったのをよく覚えていますわ。『|あの女《ヽヽヽ》が美人だって! それくらいならあの母親を才女とよびますね』しかしあとではお考えがあらたまったようだけれど。一時はかなり美人だと思ってらしたんではないのですか」
「そうです」とダーシーは答えました。もうこれ以上我慢ができなかったのでした。「しかし|それは《ヽヽヽ》知り合って最初のころのことです。わたしの知人のなかで最も美しい婦人のひとりと考えるようになってから、もう何ヵ月もたっていますからね」
そういってダーシーは立ち去り、ビングリー嬢はむりやりに、じぶんのほかにだれにも痛みをあたえないことを彼にいわせたのでした。
ガーディナー夫人とエリザベスは帰るみちすがら、訪問の際おこったことをいろいろと語り合いましたが、ただふたりにいちばん関心のあったことだけは話しませんでした。出会ったあらゆる人の表情とかふるまいが議論されましたが、いちばんふたりの注意をひきつけた人のことだけは話されませんでした。彼の妹、友人、館、果物、彼をのぞくあらゆるものにつき話しました。エリザベスはガーディナー夫人がどう彼のことを思っているか、ききたくてしかたがなかったのでした。夫人のほうでは姪《めい》がその話題をはじめればたいへん満足したことでしょうに。
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第四十六章
エリザベスははじめてラムトンに着いたとき、ジェーンからの手紙がきていないのにたいそう失望したのでした。その失望は着いて以後毎朝新たにされましたが三日めの朝にはようやくその不平はおわりました。二通の手紙を一度に受けとって姉に落ち度のないことがわかったのですが、そのなかの一通には他へ誤送されたしるしがついておりました。エリザベスはジェーンが宛名をひどく不明瞭に書いているので、それもむりがないと驚きもしませんでした。
手紙のきたのはちょうど散歩に出かけようとしているところでした。おじおばは静かにそれを読ませようとじぶんたちだけで出かけてゆきました。誤送されたほうを先に読まなければなりませんでした。はじめは小さな会合、約束などいなかにありそうなニューズが書かれておりましたが、後の半分は一日あとのもので明らかに興奮して書かれたものでしたが、もっと重大な報道をしておりました。それは次のような趣旨でした。
「上のことを書いてからあとで、愛するリジー、たいへん思いがけない重大なあることがおこりました。でもあなたをびっくりさせているのではないかしら、わたしたちはみなぶじでおりますからその点はご安心ください。お話ししなければならないのはリディアのことなの。昨晩十二時、ちょうどみなが床についてしまったとき、早馬便がフォスター大佐からとどき、リディアが大佐の部下のひとり、じつをいうとウィカムといっしょにスコットランドへ行ってしまったとのこと。わたしたちの驚きをお察しください。しかしキティはまったく予期しなかったことでもなさそうでしたわ。ほんとにほんとに残念ですわね。どちらのがわから考えてもとても無分別な縁組みですもの! しかしこのうえはなるべくよいようにと願い、あの人の人柄が誤解されていたのであろうと望みたく思います。あの人が思慮のたりない無分別な人であることはすぐにわかりますが、こんどのやり方はわるい心からとは思えません。あの人の選択は少なくとも財産めあてではありませんもの。おとうさまが何もリディアにやれないことはご存じのはずです。おかあさまはお気の毒にとても悲しんでいらっしゃいます。おとうさまのほうがよく堪えておいでです。家の人たちにウィカムについてのわるい評判を耳に入れなかったのをとてもありがたいことと思っていますわ。わたしたちも忘れてしまわなければなりませんわね。ふたりは土曜日の真夜中に出かけたらしいと想像されていますが、昨朝の八時まで気がつかなかったのだそうです。早馬便がすぐおくられました由、愛するリジー、あの人たちはここから十マイルもはなれないところを通ったにちがいないのですわ。フォスター大佐はじぶんでここへたずねてくださるお気持ちのようです。リディアは大佐の奥さまに二、三行書きおきしてじぶんの意図をおつたえしたようです。もうペンをおかなければなりません。おかあさまをながくおひとりにしておけませんから。ご判読できるかと心配です。じぶんでさえ何を書いたかわかりませんもの」
考える暇もあたえず、何を感じているかもわからず、この手紙を読みおわると、すぐに今一つの手紙をつかみとりもどかしげに封を開いて読みはじめました。はじめのより一日あとのものでした。
「最愛の妹、もはやわたしの急ぎの手紙をお受けとりのことと存じます。この手紙はあれよりわかりやすいよう望んでおります。時間が切迫しているわけではないのですが、頭が混乱しているために意味明瞭であるとおうけ合いはできかねます。最愛のリジー、何を書くかほとんどじぶんでも見当がつきませんが、わるいおしらせがありぐずぐずしているわけにはまいりません。ウィカム氏とかわいそうなリディアの結婚は無分別なものではありますが、今ではわたしたちはその結婚がたしかにおこなわれたことをたしかめたいものと心を痛めております。というのはふたりはスコットランドへ行かなかったのではないかと懸念されるふしがいろいろとあるからなのです。フォスター大佐は昨日こられ、前日早馬便ののちあまり時をおかないでブライトンをたたれたのです。リディアのF夫人あての短い手紙はふたりがグレタナ・グリーンへ行くつもりであるよう了解されるのですけれど、デニーが信じるところをもらしたのによると、ウィカムは全然グレタナ・グリーンへ行く意図はなく、またリディアと結婚する意志もない由で、そのことをフォスター大佐がきかれて驚いてすぐにBから出発してふたりのあとをたどろうとされたのでした。クラッパムまでは容易に追跡できたのですが、それ以上はだめでした。というのはそこに着くと、エプソムからのった馬車を解雇して貸し馬車にのりかえたのです。このあと知られていることはロンドン国道をのりつづけているのをみかけた人があることです。わたしはどう考えたらいいのかわかりません。ロンドンのそちら側をできるだけいろいろとたずねたあとで、F大佐はハーフォードシャーへおいでになり、すべての有料道路、バーネットやハットフィールドの宿屋で熱心におたずねくださった由ですが、何の役にもたたなかったようで、そのような人たちはみかけなかったというのだそうです。ご親切に心配してロングボーンにまでおいでくださり、ご懸念のことなどおもらしくださいましたが、たいへん心にかけられありがたくもうれしくも存じました。ほんとにわたしたちはF夫妻には心から恐縮しなければなりません。けっしてあのかたたちをお責めしてはならないと思います。愛するリジー、わたしたちは悲嘆にくれております。おとうさまもおかあさまも最悪を信じていられますが、わたしはあの人をそれほどわるくは思えません。いろいろ事情がおこってふたりは最初の計画どおりにするよりも、ロンドンでひそかに結婚をするほうがもっと望ましいと思ったのかもしれないと考えます。もし万一、|彼が《ヽヽ》リディアのようなとるにたりない親戚しかもたない婦人に、そのようなわるだくみしたとしても、それはとてもありそうなこととは思えないのですが――リディアがそれほど恥も何も感じなくなってしまったのでしょうか? そんなことはありえないわ! 悲しいことにF大佐はあまりふたりの結婚をあてにはしていられないようです。わたしが希望をのべたとき、頭をふってWは信用のできない男だと思うといわれました。おかわいそうにおかあさまはほんとにおかげんがわるそうで、ずっと寝室にいらっしゃいます。もっと気をひきたててくださるといいのですけれど、それは期待できないことです。おとうさまは今まであんなにがっかりなさったのをみたことがありません。キティはかわいそうに、ふたりが愛し合っていたことをかくしたかどでおとうさまのお怒りを受けています。しかしこれは秘密の打ち明け話なのですから、これをとやかくいえないと思います。最愛のリジー、あなたがこういう愁嘆場をごらんにならないでほんとによかったと思います。が最初の打撃がおわった今、あなたのお帰りを心からお待ちしていることを白状します。でもご都合がわるかったらそれを強制したりはいたしません。それほどわがままではないつもりです。さよなら! わたしは今しませんといったことをするためにまたペンをとりあげました。事情はこういうわけですからあなたがたみなさまにできるだけ早くお帰りいただきたく、心からお願いいたします。おじさま、おばさまをよく存じあげておりますからこれをおたのみするのを遠慮いたしません。おじさまにはそのうえご依頼することがございます。おとうさまはフォスター大佐とすぐロンドンに行かれ、リディアをみつけようとなさっております。どのようなことをなさるおつもりか存じませんが、あまりのご心痛ゆえ、いずれの方法をとられましても、最も有効に最も安全にやりとげられるかとあやぶまれます。フォスター大佐は明晩ブライトンにお帰りにならなければなりませんのでこの危急の際、おじさまのご忠告、ご助力はこのうえもなく願わしいものでございます。この気持ちはすぐにご了解いただけましょう。勝手ながらご好意におすがりいたします」
「おお! おじさまはどこ、どこかしら?」エリザベスは手紙を読みおわるとこのだいじに一刻の猶予もできないと、彼を追いかけるつもりで席からとびあがりました。扉につくとそれはそとから召使にあけられて、ダーシー氏があらわれたのでした。エリザベスの青い顔、はげしい勢いにはっとしましたが、彼が口をきけるほどじゅうぶん気のしずまらないうちに、リディアの事件のほかは頭になくなったエリザベスは、大急ぎで叫びました。「失礼ですけれどちょっと出かけなければなりません。急ぎの用事でたった今おじをみつけなければなりません。一分もむだにできません」
「これはまたどうしたことで?」礼儀より感情まるだしで声高に申しましたがやがて気がつき「一分もおひきとめはいたしませんがしかしわたしまたは召使にガーディナーご夫妻をおさがせになったほうがよいのではないですか。あなたはご気分がおわるいようで、ごむりだと思います」
エリザベスはちゅうちょしましたが、ひざががくがくして、じぶんで追いかけようとしてもあまりに役にたたないと気がつきました。そこで召使を呼びもどしてたいへん息せききった調子で、ほとんど理解できないほどでしたが、すぐに主人と奥さまをおつれするよう命じました。
召使がへやを去るともはやじぶんをささえることもできないですわりこんでしまいました。たいそう気分のわるい様子で、ダーシーはとてもひとり残してゆく気にはなれず、やさしさと同情をこめて「付き添いの人をお呼びしましょうか。差しあたりおらくになるようなものはありませんか? ぶどう酒一ぱいとか? ひとつおもちしましょうか? ご気分がおわるいご様子です」
「いいえ、結構でございます」と気をひきたてようとつとめて申しました。「わたしはどうもいたしません。元気でございます。ただ今しがたロングボーンから恐ろしいしらせがとどき、それでなやんでおるだけでございます」
それにいい及ぶとわっと泣き出し、数分間はひと言も話すことはできませんでした。ダーシーはひどく不安な気持ちでじぶんの気がかりを口ごもりながら、だまって同情深くみているばかりでありました。ようやくまた口がきけるようになりました。「たった今ジェーンから手紙を受けとりましたが、それにはとてもひどいしらせがございました。どなたからもかくしておくわけにはまいりませんでしょう。いちばん末の妹が家出をいたしました。――駆け落ちでございます。じぶんをある人にまかせて――ウィカムさんですわ――しまったのです。ブライトンからいっしょに姿を消しました。|あなたは《ヽヽヽヽ》あの人をよくご存じですから、そのあとのことがどうなるかよくおわかりのはずです。あの妹《こ》にはあの人をひきつけるほどのお金も親戚もございません。永久に救いようもございません」
ダーシーは驚愕して釘づけになりました。エリザベスはもっと興奮した声でつけ加えました。「わたしにはそれをふせごうと思えばふせげたのにと考えますと! |わたしは《ヽヽヽヽ》あの人がどんな人だかわかっておりました。ただその一部分だけでも家の者たちに説明しておきましたら、わたしの知っている一部分でよかったのです! あの人の人柄が知れてさえおれば、こんなことはおこりませんでしたのに。今となってはもうすっかり手おくれになりました」
「じつに悲しいことです。なげかわしい。打撃です。しかし確実、絶対確実なのですね?」
「たしかでございます。日曜日の朝ブライトンを出てロンドンまでの足どりがたどれましたが、それ以上はわからないままでございます。たしかにスコットランドへは行かなかったらしゅうございますもの」
「それで、妹さんをとりもどすために、どういう手段をおとりになったのですか?」
「父がロンドンまでまいり、ジェーンはおじにすぐ援助してくれるよう申してまいりました。半時間後には出発できると存じますが、何も方法はないことがわかっております。あのような人をどうして動かせましょう? ふたりがみつかるかどうかさえわかりませんわ。全然わたしは絶対望みなしと存じております。ほんとにひどいことです!」
ダーシーは頭をふり暗黙のうちに同意をしめしました。
「|わたしの《ヽヽヽヽ》目があの人の本性に開かれたとき、ああ! じぶんのすべきこと、あえてしなければならなかったことがわかっていたら! しかしわたしにはわかりませんでした。あまりしすぎてはとおそれました。とてもとても不幸な誤りでした!」
ダーシーは答えませんでした。ほとんどエリザベスのいうことをきいていないようでした。熱心に考えこんでへやを歩いておりました。顔にしわをよせ、憂うつな様子でした。エリザベスはすぐにそれをみて了解いたしました。じぶんの魅力がおとろえているのだ。このような家族の欠点をさらけ出しては、このような深い不名誉が確実に保証されたのでは、何だっておとろえるに|きまっている《ヽヽヽヽヽヽ》。いまさら不思議がることも責めることもできないと思いましたが、しかしダーシーがついにじぶんをあきらめることができるようになったのだと信じてみても、胸のうちに何らなぐさめもなく、その心痛の鎮静剤ともなりませんでした。それどころか、それはじぶん自身の希望を正しくはっきりとじぶんに了解させるたよりとなったのでした。エリザベスはすべてが無益となった今ほど切実にじぶんのダーシーに対する愛惜を感じたことはなく、あのかたなら愛することができたのに、と思わずにはいられなかったのでした。
しかしじぶんに対する考えなどそっとしのびこむことはあってもエリザベスの心を占領することはできませんでした。じぶんたちすべてに恥辱をまた苦痛をもってくるリディアが、まもなくあらゆる私的な心配をのみつくしてしまい、顔をハンカチでおおいながら、ほかのことはまったく気にかからなくなってしまいました。数分間やすんでから相手の声でじぶんの立場にふとたちかえりましたが、その人は同情をあらわすと同時に、抑制をあらわした声音で申しました。「きっとわたしの立ち去ることを望んでおいでと思います。ただほんとに役にたたないながら心にかかるものですから、このようにぐずぐずしております。何かこのようなご心痛をおなぐさめできることがいえれば、また実行できればと願うのみです。しかしこのような役にもたたない希望など申し上げてお苦しめすることはいたしますまい。わざわざお礼を強要する結果となるのがおちですから。この運のわるいできごとで、妹は今日みなさまにペンバレーにおいでいただくことができなくなったと思いますが」
「さようでございます。どうぞお妹さまにお詫びしてくださいますよう。緊急の用事のため急ぎ帰宅したとおつたえくださいまし。不幸な事実はできるだけおかくしいただきたいと存じます。ながいことではないと存じておりますが」
彼はすぐさま秘密をまもる約束をし、もういちど心痛に対する遺憾の意を表し、現在のぞめる以上いい結末のつくよう希望し、おじさまおばさまによろしくといいおき、沈痛なわかれのいちべつを残して去ってゆきました。
彼がへやを出ると、エリザベスはダービシャーにおいての数回の出会いのような、親しい間柄でおたがいにあいみることは、このさきにまずあるまいと感じました。その知り合って以来のことども、矛盾と変化に富んだ過去を追憶してみるとき、かつては交渉のおわることを喜んだのに、今となって交際をつづけたく思うじぶんのあまのじゃくの感情には嘆息がでるのでありました。
感謝とか尊重とかは愛情のよい土台となるものゆえ、エリザベスの感情がこのように変化したこともあながちにありえないこと、あやまちともいうことはできません。しかしもしこのような原因からわきあがる愛情が、その対象との最初の出会いに、また言葉がふた言とかわされないうちに生じるといわれているものと比較して、道理にかなった自然なものでないというなら、エリザベスの感情弁護のため何もいうことはありません。ウィカムに対する愛情で多少実験を試みその結果成功をみなかったのですから、彼女が今一つ興味の少ない方法をとるにいたったのもあながちむりとは申されないのであります。何はともあれ、エリザベスはダーシーの去りゆくのを惜別の情をもってみおくり、リディアの破廉恥行為のために、家の者のこうむるまず最初の迷惑にさらされて、こののろわれた事件を考える彼女に今一つのなげきが加わる思いがしました。ジェーンの第二信を読んで以来、エリザベスはウィカムがリディアと結婚するつもりだろうなどという希望をいだくことはできませんでした。ジェーン以外のだれがそんな期待をいだくことができましょう。ことのなりゆきは全然彼女を驚かせませんでした。最初の手紙の内容が心にある間、持参金のない娘とウィカムが結婚するなどというのは、まったく驚くべきことであり、あきれるほかはなかったのでありました。リディアがいかにして彼をひきつけたかまったく理解しがたいことでありました。しかし今はすべてが当然すぎることでした。このような愛着に対してならば、リディアはじゅうぶんの魅力をもっておりました。リディアが前後をよく考えて結婚の意向もなしに駆け落ちにふみきったとは、想像いたしませんでしたが、その徳性から考えても知性から考えても、たやすくえじきとなることをさまたげるものは何一つありませんでした。
連隊がハーフォードシャーにいる間はリディアがとくに彼に対して好意をもっているなどとはみとめませんでしたがリディアはただおだてられればだれでも好きになるような娘であることは容易に考えられました。ときにはある士官、次にはまた別の士官がお気に入りで、それは相手の心づくしにしたがって始終かわっておりました。彼女の愛情は常に動揺しておりましたが、相手のないことはけっしてありませんでした。放任して気ままにさせたことの害をどんなにひしひしと今感じたことでしょう!
やもたてもたまらないほど家に帰りたく思いました。ジェーンとともに今はまったく彼女の双肩にかかっているにちがいない、狂った家の心配をわかち合い、その場にいて耳できき目でみたく思ったのでした。父は留守、母はまったく無気力でたえず看護しなければならないような家なのでした。ほとんどリディアのためにほどこすすべはないと信じながらも、おじの干渉がこのうえもなくだいじのことのように思え、おじがへやにはいってくるまでは、その待ちかねる思いははげしゅうございました。急を聞いてガーディナー夫妻は急ぎひきかえし、召使の説明では姪《めい》が急病になったのだと想像しておりました。しかしその点でふたりを安心させてからエリザベスはふたりを呼びかえしたことの次第を熱心に語り、二つの手紙を声をだして読みあげ、第二信の追伸はふるえるほど力をいれてゆっくりと強調いたしました。リディアはふたりのお気に入りではありませんでしたが、ガーディナー夫妻は深く感じさせられました。リディアだけでなくみんなにかかわりのあることでありました。最初に驚きの声をあげ、おそろしいことだといってから、こころよくできるかぎりの援助をしようと約束いたしました。エリザベスはそれだけの期待はしておりましたが、感謝の涙を流してお礼を申しました。三人は一つ心になって旅についてのすべてはすみやかに解決され、三人はできるだけ早く出発することになりました。「ペンバレーについてはどうしたらいいでしょうね?」とガーディナー夫人は叫びました。「ジョンがいっていたけれど、わたしたちに使いをよこすとき、ダーシーさんがいらしていたそうですね、ほんとですか?」
「そうです。お約束はまもれないと申し上げておきました。|そのこと《ヽヽヽヽ》はかたづいております」
「そのことはかたづいていますって!」エリザベスがじぶんのへやに準備のために駆けこんだとき、相手はくりかえしました。「ふたりはあの娘《こ》が真実をあかすほどの仲なのかしら! そこが知りたいものだわ!」
しかしこの望みはむだでした。つづく一時間ばかりの混乱のなかで好奇心をおこして気ばらしするのがせいぜいでした。エリザベスはなまけているひまがあったとしたら、じぶんのように不幸なものには仕事などはできないと思いこんだかもしれないのですが、彼女にもおばと同様しなければならない仕事の分けまえがありました。ほかにもいろいろある用事のなかに、ラムトンの友人に急に出立するについてうそのいいわけを書くという仕事がありました。しかし一時間ですべては完了しました。ガーディナー氏はそのあいだに宿の払いをすませ、今は出発するばかりとなりました。エリザベスは朝の苦しみなやみのあとで想像していたより、ずっと早くロングボーンへの国道を馬車にのっておりました。
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第四十七章
「もういちどとっくり考えていたのだがね、エリザベス」町から馬車を走らせながらおじは申しました。「よく考えてみるとまえよりもきみのねえさんの考えに傾いてきたよ。けっして保護者のないわけでもない、友人のないわけでもない、しかも上官の家に宿泊していた娘に対して大それた計画をたてるとは思えないので、ふたりがきっと正式に結婚するつもりだろうという考えに傾いてきたのだよ。周囲のものが干渉しないと思うはずもなし、そのようにフォスター大佐に無礼をはたらいては、また連隊で目をかけてもらえるとあてにできまいよ。そのような危険をおかすほど彼の心をひくものとも思えないがね!」
「ほんとにそうお考えになる?」とエリザベスは一瞬顔を明るくして強く申しました。
「たしかに」とガーディナー夫人は申しました。「わたしもおじさんと同意見になりはじめたわ。事実あまりにも大きな礼儀、名誉、利益の冒涜ですものとてもそんな罪をおかすとは思えません。ウィカムをそんなにわるいかたとは思えません。あなただってリジー、それほどにあの人に愛想をつかしてしまったの? あんなことができると信じられるほど?」
「じぶんの利害をおろそかにすることはたぶんできないと思います。しかしそのほかのものならなんだっておろそかにできる人だと思っています。けれどもしほんとにおっしゃるとおりだったらどんなにうれしいでしょう! しかしわたしには希望はもてませんわ。もしそうなら、なぜスコットランドへ行かなかったのでしょう?」
「まず第一に」とガーディナー氏は答えました。「ふたりがスコットランドへ行かなかったというはっきりした証拠はないんだよ」
「おお、それでは四輪馬車から貸し馬車にのりかえるなんて大胆不敵ですわ。そのうえバーネット国道へは足どりがつかめませんでしたのよ」
「よろしい、それではふたりがロンドンにいるとするね、そこにいたとしてもただかくれるためだけで特別それ以上の目的はないのではないかね。ふたりともお金はたくさんあるわけでもなし、ロンドンで結婚するほうがスコットランドより少しひまはかかるが、もっと安あがりにゆくと思いつくということもあるかもしれないよ」
「それではなぜこんなに秘密にするのでしょう? なぜみつかるのを恐れているのでしょう? どうして結婚が秘密でなければならないのでしょう? いいえ、いいえ、ありそうもないことですわ。ウィカムのとくに仲のよい友人が、ね、ジェーンが書いておりましたでしょう、リディアと結婚する意志はないと信じているのですもの。ウィカムはお金のない女と結婚するはずはありませんわ。それをする余裕がないのですわ。それにリディアのがわにどれほど要求権があるかしら。若さと健康と快活以上にウィカムに有利な結婚をする機会をすべてすてさせるものがあるかしら? 軍隊で面目を失うことをおそれることが、どれほどリディアとの不面目な駆け落ちの抑制になるものか、わたしには判断ができません。そのような駆け落ちがどれほど影響をもつものか全然知りませんもの。おじさまのほかの抗議はほとんど議論にならないと思っております。リディアには干渉する兄弟がおりません。おとうさまのなさり方から、おとうさまが無精でじぶんの家族のなかでおこっていることにほとんど注意をはらわれないのをみて、きっとおとうさまはよその父親がそのような場合にするようにはされないでできるだけ何も考えないだろうと想像したのですわ」
「しかしリディアが彼に対する愛以外、ほかのすべてを無視して結婚以外のほかの条件でいっしょに住むことを承諾したと思うのかい?」
「でもそう思えますのよ。それがいちばん打撃ですわ、ほんとに」と目に涙をうかべて答えました。「妹の道徳観なり礼儀なりに疑いを入れる余地があるなんて。しかし事実はどういったらいいかわかりませんの。たぶん妹にひどすぎるかもしれません。しかしまだ若いしまじめに問題を考えるよう教えられてはいません。最近六ヵ月、いえ一年間というもの娯楽と虚栄にすっかりいれあげておりました。あの子はじぶんの時間をたいへんに怠惰な気まぐれなやり方ですごすよう放任され、またどんな考えも手あたり次第にとり入れておりました。X州市民軍がはじめてメリトンに駐屯してからは、あの娘の頭には恋とかいちゃつきとか士官とかのほかは何もありませんでした。じぶんの力の及ぶかぎりそういう問題を考えて話して――何といったらいいかしら――その娘の生まれつき相当強烈な感受性をよけい感じやすくしていたのです。それにウィカムは女性をとらえる風采とものごしの魅力をもっているのは、わたしたちみながよく知っておることです」
「しかしジェーンは」とおばは申しました。「そんなことをたくらむほどの悪人とは思っていないようではないの」
「ジェーンがだれかのことをわるく思ったことがありまして? その人のまえまえの行為がどんなものであったとしても、ジェーンはだれかがそんなことをたくらむことができると考えるかしら、事実不利な証拠があがるまではね? しかしジェーンはわたしとおなじほどウィカムの本性を知っております。わたしらはふたりともウィカムがあらゆる意味で放蕩者だということを知っております。彼が誠実も廉恥心ももち合わさないこと、迎合的であると同時に不正直でうそつきなことをよく知っております」
「ほんとにそんなことをみな知っているの?」とガーディナー夫人は叫びました。どういう方法でそのような報道を入手できたかについてその好奇心はわきあがりました。
「そうなんです、ほんとうに」とエリザベスはあかくなって答えました。「先日あの人のダーシーさんに対する破廉恥な行為のことは申し上げたでしょう。あなたご自身もこのまえロングボーンにいらしたとき、我慢づよく、気前よくされた人のことをどんなふうにいっていたかはおききになったはずです。それは申し上げる自由ももちませんが、また申し上げるねうちもないことですがほかの事情もございます。ですがあの人のペンバレーの人々についての虚言は数えきれないほどです。ダーシー嬢《さん》についていったことから、わたしたちはまったく高慢で打ちとけない人好きのわるいお嬢さんを覚悟しておりました。しかしあの人はじぶんでそうでないことをよく知っていたのですわ。あの人はわたしたちがみたとおりの愛想のいい気どりのないかただということを知っていたにちがいないのです」
「しかしリディアはこのことを何も知らないのですか。あなたとジェーンがそんなによく了解していることを知らないでいるなんてどういうことなの?」
「そうなのです! そ、そこがいちばんこまる点ですの。ケントに行ってダーシーさんのご親類のかたにたびたびお目にかかるまでは、わたし自身その事実を知りませんでした。家に帰ったときはX州市民軍はその一週間か二週間でメリトンを去るはずになっていました。そういう事情でジェーンもわたしも知っていることを公開することは必要ではないと考えたのです。あの人に対して近隣の人たちのもっている好感がくつがえされたとしてだれかに役にたつことでしょうか? リディアがフォスター夫人といっしょにゆくことが決まったときでも、その人柄にあの娘《こ》の目を開いておく必要はわたしには全然思いつきませんでした。|あの娘《ヽヽヽ》がそのごまかしで何か危険なめにあうなど頭にうかんでまいりませんでした。|こんな結果《ヽヽヽヽヽ》がおころうなどとても考えつきませんでした、容易におわかりいただけると思いますが」
「それではブライトンへ移動したとき、ふたりが好き合っているなど思えるふしはなかったのですね?」
「全然ありませんでした。どちらのがわにも愛情の徴候などみた覚えはございません。もしそんなことがいくぶんでもみとめられればうちの人たちはけっしてみのがしはしません。最初あの人が軍団にはいったときは、賞賛する気はじゅうぶんありました。でもそれはみんながそうだったのですもの。はじめの二ヵ月はメリトンのまたは近くのどの娘もこの娘もあの人について正気ではなかったのです。あの人は|彼女を《ヽヽヽ》とくにちやほやしなかったので、しばらく法外にはげしくあこがれたあとは熱もさめ、連隊のほかの人たち、あの娘をもっとたいせつにする人がお気に入りになったのでした」
旅行の間中この興味ある話題についてたびたび議論をくりかえしてみても、危惧《きぐ》、希望、推測に何ら新しいことをつけ加えることはできませんでしたが、さりとてほかの話題が出てもみんなはまたすぐもとの話題にかえっていったのでした。エリザベスの頭からこれはかたときもはなれませんでした。すべての苦しみのなかでも最もはげしい自責の念はそこに釘づけされ、かたときも心を安め、忘れることはできませんでした。
できるだけ早く旅し、途中一泊、翌日の晩餐までにはロングボーンに着きました。ジェーンが待ちくたびれることのなかったことはエリザベスにはなぐさめでありました。
ガーディナー家の子供たちは馬車にひきつけられて、みんなが牧場にはいると家の階段にならんで立っておりました。馬車が扉まで行きつくとうれしげな驚きの表情がみんなの顔をぱっと明るくし、はねまわり、はしゃぎまわってそれを全身にあらわし、歓迎の最初の気持ちよいまえぶれをいたしました。
エリザベスは馬車をとび出て、みんなに大急ぎでキスをあたえて玄関へといそぎ、そこで母の寝室からいそぎかけおりてきたジェーンに出会いました。
エリザベスは愛情深くジェーンを抱き、ふたりとも涙をいっぱいうかべ、すぐさま逃亡者について何か消息がきかれたかどうかをたずねました。
「まだよ」とジェーンは答えました。「愛するおじさまが帰ってくださったから、すべてうまくゆくと思います」
「おとうさまはロンドンにいらしているの?」
「そうよ。あなたに書いてあげたように火曜日にいらっしゃいました」
「おたよりはたびたびある?」
「一度だけいただいたわ。水曜日に二、三行書いて無事着いたこと、それからとくにお願いしておいたようにわたしに宛名をしらせてくださいました。それからただ何かたいせつなことがあるまでは書かないとおつけ加えでした」
「そしておかあさまは、いかが? あなたがたはみんなお元気?」
「おかあさまはまずまずというところよ。とても気がてんとうなさったけれど、二階にいらっしゃるわ。みなさんにお会いできればとても喜ばれますでしょう。ありがたいことにキティとメアリはとても丈夫よ」
「しかしあなた、あなたはいかが?」とエリザベスは叫びました。「ずいぶん顔が青いわ。ほんと苦労なさったにちがいないわ!」
姉はしかしまったく丈夫だといいました。ふたりの会話はガーディナー夫妻が子供らにかかりきっている間中つづきましたが、ふたりがこちらに近づいてくるのでこれをやめ、ほほえみと涙を交互にみせながら、ふたりを歓迎し感謝いたしました。
客間にあつまるとエリザベスがすでにした質問がほかのふたりによってくりかえされましたが、ふたりはまもなくジェーンには新しい情報のないことがわかりました。しかし人のためよかれと願う彼女の心情のゆえにおこる非常に楽天的な希望は、まだ彼女をみすててはおりませんでした。いまだにすべてはめでたい解決をみることを、また毎朝リディアからまた父親からなりゆきを知らせ、またたぶん結婚をつげる手紙がくるだろうと期待しておりました。
しばらく話したあとでベネット夫人のへやへみんなで出かけましたが、この人はまったく期待されるとおりの迎えぶりでした。遺憾の涙を流してなげき、ウィカムの極悪非道な行為に対する悪口雑言、じぶん自身の苦難と虐待、その娘の過ちは主としてその人の無分別な甘やかしのゆえだったのですが、その当人であるじぶんをのぞいてありとあらゆる人を非難してやみませんでした。
「もし家中でブライトンにゆくわたしの意見を通すことができていたら、|こんなこと《ヽヽヽヽヽ》はおこらなかったのですよ。かわいそうにリディアはだれもめんどうをみてやる人がいなかったのね。どうしてフォスターさんたちはあの娘から目をはなしたりなどなさったのでしょうね? あの人たちはたいへんなおざりになすったのです。よく目をかけてやっていればあんなことをする娘ではありませんわ。いつもあの娘の監督には不向きなかただと思っていました。でもいつものことながらわたしの説はいれられなくてね。かわいそうな子! それで今おとうさんは行ってしまわれました。出会い次第ウィカムと決闘なさるおつもりよ。それで殺されておしまいになったらわたしらはどうなるのかしら? コリンズの人たちはうちに人のなきがらが冷たくなるまえに、わたしらを追い出してしまうでしょう。もしあなたがたが親切にしてくださらなければ、わたしはどうしていいかわからないわ」
そんなえんぎでもないこととみんなで声高にいってやめさせました。ガーディナー氏は彼女とその家族全部のめんどうをみようと保証してから、すぐ翌日にはロンドンに出かけてリディアの発見にあらゆる努力をしてみるつもりだと語りました。
「役にもたたない心配はしないでくださいよ」とつけ加えました。「最悪のために覚悟しておくのはいいですが、それをたしかなことと思う理由はありません。ふたりがブライトンを出奔してからまだ一週間とはたっていないのです。二、三日できっと何か消息がわかりますよ。ふたりが結婚していないことがわかるまで、結婚の計画がないことがわかるまでことを絶望だと落胆しないでおきましょう。ロンドンに着き次第|義兄《にい》さんのところへいってグレースチャーチ・ストリートにおつれして、うつべき手をよく相談しましょう」
「おお、ほんとに、それがわたしのいちばんしてもらいたいことなの」とベネット夫人は答えました。「ロンドンに帰ったらどこにいようとぜひふたりをみつけてくださいね。そしてもし結婚していなかったら、|結婚させて《ヽヽヽヽヽ》くださいな。式服なんぞまたせないでくださいよ。リディアに結婚したあとで好きなだけお金をあげるからといってください。それから何よりおとうさんに決闘させないで。わたしがどんなみじめなありさまだかよくお話しして、すっかり気がてんとうしていることをね。全身にふるえがきたり、がくがくしたり、横腹がひきつけたり、頭痛がしたり、心臓はどきどきで昼も夜もねられませんのよ。かわいいリディアにわたしに会うまでは着物の注文をしないようにいっといてくださいよ。あの娘はいちばんいいお店を知りませんからね。おお、ほんとにあんたは親切ね! あんたならうまくやってくださるとわかってるわ」
しかしガーディナー氏は姉にできるだけのことは一所懸命にやりますとふたたびうけ合いましたが、心配するにも希望をもつにもほどというものがあると忠告しないではいられませんでした。このように晩餐がならぶまで姉と話し合ったあとで、娘らのいない間看護にあたる家政婦を思いのたけのはけ口としておいてきました。
彼女の弟も義妹も家の人たちからこのように隔離しておく理由があるとは思わなかったのですが、あえてそれに反対しようともしませんでした。ふたりは姉が召使のまえで口をつぐんでいるだけの分別をもち合わしているとは思いませんでしたから、家中に知られるより、そのなかの|ひとり《ヽヽヽ》だけ、しかもいちばん信用のできる召使がひとりだけこの問題についての懸念、憂慮を知っているほうが好ましいと判断したのでありました。
食堂ではそれぞれじぶんのへやで忙しくしていて、今まで姿をあらわさなかったメアリとキティが加わりました。ひとりは書籍から、ひとりはお化粧からはなれたところでした。しかしふたりの顔はまずまずおだやかで、どちらもさしたる変化はみとめられませんでした。ただお気に入りの妹がいなくなり、この事件でじぶんが身にこうむった怒りのためにキティの言葉にはいつものよりももっといらいらとした調子があっただけでした。メアリのほうはテーブルにつくとすぐ、まじめに熟考したというおももちでエリザベスに向かって、次のように小声でいうほど泰然自若としておりました。
「じつになげかわしいことで、さぞかしうわさになることでしょう。しかし悪意の潮をせきとめて、おたがいの傷ついた胸に姉妹にふさわしい慰安の鎮痛剤をふりそそがなければなりません」
それからエリザベスが返事をしようという気持ちのないのをみてとるとつけ加えて申しました。「この事件はリディアには不幸なものではあるが、次のような有益な教訓があたえられました。女性がひとたび貞操を失えばとりかえしのつかないもの、一歩道をふみはずせば永遠の破滅にいたること、女性の評判は美しいがもろいものであり、男性の価値なきやからに対してはいかに慎重にしてもしすぎることはありません」
エリザベスはあきれはてて目を上げましたが、あまり気がふさいで返事もできませんでした。しかしメアリは眼前の不幸からこのような教訓をひき出してじぶんをなぐさめていたのでした。
午後になって半時間だけふたりきりになれました。それでエリザベスはすぐさまその機会を利用してたくさん質問をいたしましたが、ジェーンもおなじほど熱心にそれに答えました。エリザベスはほとんど確実とみており、ベネット嬢もまったく不可能とは考えないこの事件のおそるべきなりゆきをふたりでなげきあったあとで、エリザベスはその問題をつづけて次のように申しました。「しかしまだきいていないことをのこらず話してくださいな。もっとくわしいことをきかせてほしいわ。フォスター大佐は何とおっしゃっているの? あのかたたちは駆け落ちのまえには何にも気になることはおありにならなかったのかしら? いつもふたりがいっしょにいるのをごらんになったにちがいないわ」
「フォスター大佐はたびたび好き合っているのではと――とくにリディアのほうで――うすうす感じていられたそうよ。しかし特別警戒心をおこさせるほどのものではなかったようです。ほんとに大佐はお気の毒でしたわ。とても心を使われて親切にしてくださいました。ふたりがスコットランドへ行ったのではないとは夢にも思われなかったころからきてくださるおつもり|だった《ヽヽヽ》のよ。たいへん気にかけているということをおっしゃるためにね。例の心配がおきたのでいそいできてくださったわけ」
「それでデニーはウィカムに結婚する意志のないことを信じているの? あの人はふたりが駆け落ちしようとしていること知っていたの? フォスター大佐はご自身でデニーにお会いになったの?」
「そうよ。でも|大佐に《ヽヽヽ》質問されたときは、ふたりの計画について何か知っていることは否定して、じぶんのほんとうの意見はいおうとはしなかったのよ。ふたりが結婚などしないという確信はくりかえさなかったそうだわ。|そのこと《ヽヽヽヽ》からきっとまえには何か誤解をしていたのではないかと望みたい気持ちなの」
「それでフォスター大佐のいらっしゃるまではあなたがたのだれもふたりの結婚に疑念などおもちにならなかったのでしょう?」
「そんな考えがわたしたちの頭に思いうかぶわけがあって? わたしは妹があの人と結婚して幸福かしらとあやぶんで少し不安でしたわ。あの人の行ないがいつも正しいわけではありませんでしたもの。おとうさまもおかあさまもそれについては何もご存じではないし、ただ無分別な縁組みと思っていらしただけよ。それからキティがごくあたりまえですけれどわたしたちより事情をもっと知っているのを得意がって、最後の手紙にリディアがこんな手段をとるかもしれないことをあらかじめもらしていたと白状したのよ。もう何週間も恋し合っていたことも知っていたようよ」
「しかしブライトンへ行くまえからではないのでしょう?」
「まさか、そうではないと信じてますわ」
「フォスター大佐はウィカムのことをごじぶんでもわるく思っていられるかしら? あのかたはウィカムの本性をご存じかしら?」
「じつのところ以前のようにあまりよくはおっしゃらないわ。とても無分別でぜいたくだと思っていられてよ。この悲しい事件がおきて以来、メリトンをたつとき、とても借金をしていたといううわさがたってます。わたしは誤りであるよう望んでいますけど」
「ああ、ジェーン、もしわたしたちがあんなに秘密にしないでわたしたちの知っていることを話していたら、こんなことはおきなかったのにね!」
「たぶんもっとよかったかもしれないわ」と姉は答えました。
「たとえどんな人でもその人が今どう思っているかを考えないで、まえの過ちをあばくなどというのはゆるされないことだと思ったのよ」
「いちばんいいように思ってしたことですわ」
「フォスター大佐は奥さまにあてたリディアの手紙についてくわしく話してくださったの?」
「わたしたちにみせるためにもってきてくださったわ」
ジェーンは紙入れからそれをとり出してエリザベスにわたしました。その内容は次のとおり。
「愛するハリエット
わたしがどこへ行ったかおわかりになったらお笑いになるわ。明朝、わたしのいないのに気がついてびっくりなさるのを思うとわたしだって笑わずにはいられないわ。グレトナ・グリーンに行くところよ。だれとだか推量できなければおばかさんだと思うわよ。だってわたしの愛している人はひとりだけ、そしてその人は天使よ。あの人なしではとても幸福になれないわ。だから駆け落ちしてもわるく思わないで。ロングボーンにわたしの出かけたのをおいやなら知らせる必要はなくてよ。そうすればわたしが手紙を書いてリディア・ウィカムと署名したときの驚きはいっそう大きいでしょうもの。とてもすてきな冗談だと思わない! おかしくって書いていられないほどよ。プラットに約束をまもらないで今晩いっしょに踊れなかったことおことわりをいってちょうだい。事情がわかったらきっとゆるしていただけると思っています。それでこんど舞踏会でお会いしたときには喜んでお相手するといってちょうだい。ロングボーンに着いたら着物をとりに使いを出します。しかし荷づくりするまえに刺しゅうのあるモスリンの上着にほころびのあるのを、サリーに修繕するよういってくださいな。さよなら。ガーディナー大佐によろしく。わたしたちの旅行を祝ってください。あなたの愛する友
リディア・ベネット」
「おお、考えなしの、考えなしのリディア!」と読みおえたとき、エリザベスはなげきました。「あんなときにこんな手紙を書くなんて! しかし少なくともこれで|彼女は《ヽヽヽ》旅行にまじめな目的をもっていたことがわかります。あとになって何と彼が説得したかはわかりませんが、彼女のがわでは不面目な陰謀《ヽヽ》ではなかったのだわ。お気の毒なおとうさま! どんなにか堪えがたく思われたにちがいありませんわ!」
「あんなにうちのめされたかたをみたことがありませんわ。まるまる十分ばかりは口もおきけにならないほどでした。おかあさまは病気になられるし、家中大混乱でしたわ!」
「ああ、ジェーン、この家の召使でその日の暮れるまでに事情を知らない者がひとりでもいたかしら?」
「わからないわ。いたらいいと思うけれど。しかしそんなときに慎重にするのはむずかしいことね。おかあさまはヒステリーをおこされるでしょう。できるだけたすけてさしあげた、とは思うけれど、まだできることもあったかもしれないわ。しかしいったい何がおこるかと思う恐怖で何をする力もなくなってしまったのよ」
「おかあさまの看護は、とてもたいへんだったでしょう。顔色がおわるいわ。ほんとに、わたしがいればよかったのに! 世話も心配もすっかりひとりで背負いこまれたのね」
「メアリとキティもとても親切でね、きっといっしょに骨折ってくれたと思うわ。でもわたしはふたりに気の毒でね。キティはやせてひよわだし、メアリは勉強が忙しくて、休息の時間をじゃまするわけにいかないでしょう。フィリップスおばさまは火曜日に、おとうさまおでかけのあときてくださり、ご親切に木曜日までいてくださったのよ。とてもよく役にたってなぐさめてくださったわ。ルカス令夫人もご親切でね、水曜日の朝いらして同情して何かお役にたてば、じぶんでも娘のだれでも何かしてあげようと申しでてくださったのです」
「あのかたは家にじっとしていてくださるほうがいいのよ」とエリザベスはきつく申しました。「ご好意はありがたいけれど、こういう不運のときには、近所のかたにはなるべくお会いしないほうがいいわ。たすけていただくことは不可能だし、なぐさめていただくのはとても堪えられません。遠くで勝ち誇っていることで満足していただきたいわ」
それから話をすすめて、父親がロンドン滞在中に娘をみつけるためにとる方法をくわしくたずねました。
「たぶんエプソムへいらっしゃるおつもりのようよ。最後に馬をかえたところなの。騎手頭にお会いになって何か手がかりはつかめないかきいてごらんになるおつもりです。クラッパムからふたりをのせた貸し馬車の番号をみつけるのをおもな目的としておいででした。ロンドンからお客をのせてきたのです。一組の紳士と婦人が一つの馬車から今一つにのりかえた事情に気がついたかもしれないと思ってクラッパムでしらべてみるおつもりのようでした。もし御者がまえにどの家で乗客をおろしたかということがわかれば、いろいろとりしらべをするご決心で、その貸し馬車の客待ち場なり番号なりをみつけるのも不可能ではないとお考えのようでした。ほかの計画については何も存じません。おとうさまはたいそういそいでおられ、たいへんがっかりしていらしたので、これだけのことをきき出すのさえもなかなかたいへんでした」
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第四十八章
家族全員は翌朝ベネット氏からの手紙を待ちわびていましたが、彼から何の音沙汰もありませんでした。父は平常はいたって筆不精であるのは心得ていましたが、このような際にはもっと努力してくれるものと望んでいたのでした。何らおくるべきたよりがないのだろうとの結論に達したのでしたが、そのことをいってよこすだけでも喜んだでしょうに。ガーディナー氏は手紙がついてから出発するつもりだったのでした。
ガーディナー氏が行けば少なくともたえず進行中のことの報道を受けとることができましょう。おじはわかれに際してベネット氏にできるだけ早くロングボーンに帰るよう説得しようと約束し、姉をたいへん安心させました。この人は夫が帰ってくることが決闘で殺されないようにする唯一の保証と思いこんでいたのでした。
ガーディナー夫人と子供らは、今二、三日はハーフォードシャーに滞在するはずでした。じぶんがとどまるのは姪《めい》たちに何か役にたつと考えておりました。ベネット夫人の看護をたすけ、用事のないおりには大きな慰安をあたえました。今ひとりのおばもたびたびたずねて、じぶんもいうとおり、みんなを元気づけ、勇気づけることを心がけたのでしたが、くるといつでもウィカムの浪費や不品行の新しい例を報告したので、きたときよりもっと意気そそうさせないことはめったにありませんでした。
メリトンは町をあげて三ヵ月まえにはほとんど光の天使のようであった男性を、黒くぬりつぶすことにきゅうきゅうとしておりました。彼はメリトンのありとあらゆる商人に借金をしており、婦女誘惑という名称をもってよばれた彼の陰謀は、すべての商人の家族にまで及んでいたと宣告を受けたのでありました。あの人もこの人も彼は世界中で最も悪らつな青年であると断言し、あの人もこの人も彼の善良そうな外観をいつも疑っていたことに気がつきはじめたのでありました。エリザベスはいわれていることの半分以上は信用しませんでしたが、以前から信じていた妹の身の破滅をなおいっそう確信しないではいられなくなったのでありました。なおいっそううわさを信用することの少ないジェーンでさえも、ほとんど絶望状態になりました。とくに、もしふたりがスコットランドに行っていたとすれば――それについて彼女は今までまったく絶望はしていなかったのでしたが――ふたりの消息はどんなにしてもきいてなければならないときになってしまいましたので、いよいよ望みなしと思わないわけにはまいりませんでした。
ガーディナー氏は日曜日にロングボーンをたちました。火曜日に彼の妻は手紙を受けとり、それは到着と同時にすぐ義兄をたずね、説得してグレースチャーチ・ストリートにきてもらったこと、ベネット氏はガーディナー氏のロンドン到着のまえにエプソムとクラッパムに行きましたが、納得のゆく情報は何も得ることができなかったこと、今はふたりが最初にロンドンにきて下宿を手に入れるまえにホテルに行った可能性のあることを考えて、ロンドンのおもなホテルをすべて調査してみる決心をしておることなど報じておりました。ガーディナー氏自身はこの方法からはあまり成功を期待していませんでしたが、義兄が熱心であるゆえ、その遂行を援助するつもりでした。彼はベネット氏は今のところ全然ロンドンをはなれる気のないこと、まもなくたよりをする心算であることをつけ加えてありました。また次のような趣旨の追伸がありました。
「わたしはフォスター大佐に書簡をおくり、もし可能なら連隊でこの青年と親しくしていたものから、ウィカムが親類またはほかのかかり合いのもので、彼がロンドンのどの方向にかくれているか知っていそうな人があるかどうかしらべてくれるようたのみました。もしだれかそのような手がかりがつかめそうな人があれば、たいへん役にたつのでありましょうが、今のところ何ら手がかりをあたえるものもありません。フォスター大佐はこの点、われわれに満足ゆくようお力をおかしくださることと思います。しかし今考えなおして、リジーならばだれよりもその間の事情を知り、彼がいかなる親戚をもち、その人たちが生きているかどうか知っているのではないかと思っております」
エリザベスはどうしてこのような権威者として尊敬がはらわれるのかわからないわけでもありませんでしたが、そのお世辞にあたいするほどの満足のゆく情報をあたえる力はありませんでした。父母をのぞくほかに縁者があるなどということはきいたこともなく、その両親はふたりともとっくの昔になくなっておりました。しかしX州市民軍の仲間がもっとくわしい情報をあたえることも可能で非常に楽天的な期待をもったわけではありませんが、問い合わせはともかくもなにか期待をあたえるものであったのでした。
ロングボーンの毎日はくる日もくる日も不安に明けくれました。しかしなかでも最も不安なのは郵便のくる時間でありました。毎朝まちかまえるいちばんのまとは手紙でした。よきにつけあしきにつけ、つげられなければならないことは手紙を通じて伝えられたのでした。そして次の日こそは何か重要なしらせがもたらされると期待いたしました。
ガーディナー氏から二度めの手紙を受けとるまえに、父あての一通の手紙が異なった方面からとどきました。コリンズ氏からでした。ジェーンは留守の間、父あての手紙をあけるよう命令を受けていましたので、命令どおりそれを読みました。彼の手紙がいつも珍妙なものであるのを承知しているエリザベスはジェーンの肩ごしにそれを読みました。それは次のようなものでした。
「拝啓
ただ今貴殿が経験されております苦難におくやみをのべますことは、われわれの親戚関係より、またじぶんの地位により小生に課せられたる義務と感じおります。事件につきましては昨日ハーフォードシャーよりの手紙にて承知いたしました。コリンズ夫人ならびに小生は時をかすともとり除きがたき原因より生ずるものなるがゆえに、最も苦き現在の苦難にあえがれる貴殿ならびに貴家ご一統に深甚なる同情を寄せるものであります。小生はそのようなきびしい不幸を緩和し、あるいは親の心をこのうえなく苦しめる事情になやまれる貴殿をなぐさめんため、議論のかずかず用意いたしております。それをこれより申しのべる所存であります。この不幸と比較すれば貴殿の令嬢の死は祝福であります。なおいっそうなげかわしいことは、わが愛するシャロットの証言によれば、貴殿の令嬢の放縦はあまりにも過度な寛大より生じたるものであると察する理由あることであります。ただし、小生は同時に貴殿ならびにご令嬢のおんなぐさめまでに申し上げますが、ご令嬢の性質は生まれながらに邪悪なものであったと信じられる理由あり、さもなくばこのように年若くかくのごとき極悪事をおかされはしなかったはずであります。それはともかく、貴殿の境遇まことに同情すべきものにて、この点単にコリンズ夫人のみならず、小生がこの事件を報告いたしましたキャサリン令夫人ならびに令嬢もご同感であります。ご両人さまには、このひとりの娘の過ちはその他すべての姉妹の身のうえに害を及ぼすものと憂慮され、その点小生と意見をおなじくされております。キャサリン令夫人おんみずから身をくだして仰せになりましたごとく、だれがそのような家族と親戚関係を結びましょうや? さてこの考慮より去年十一月のさる事件に思い及び、いよいよ満足の念を深めずにはいられないのであります。もしあのようななりゆきとなりませんければ、小生も貴殿の悲しみと不面目にひきこまれおりしことと察するのであります。それゆえ、はばかりながらできるかぎりみずからをなぐさめ、不肖なる令嬢を永久に貴殿の愛情より追放され、極悪な罪のむくいをじぶん自身でかりとらせるよう忠告申し上げる次第であります。 敬具」等々
ガーディナー氏はフォスター大佐から返事を受けとるまでは手紙をよこしませんでした。そのときになってもあまり喜ばしいしらせはありませんでした。ウィカムは何らかのかかり合いをもっている親類はひとりもなく、生存中の近しい縁者もありませんでした。もとの知り合いはたくさんありましたが、軍団にはいって以来そのうちのだれともとくに親しくしている様子はなく、それゆえ彼についての消息をあたえそうな人はだれもありませんでした。リディアの親戚に発見されることをおそれたことに加えて、そのわるい経済状態が居所を秘密にするつよい動機でありました。というのはちょうどそのころ、多額の賭博による借金を残したことがうわさされはじめておりました。フォスター大佐は一千ポンド以上がブライトンでの経費を清算するために必要であろうと考えておりました。町に相当借金がありましたが、賭博の信用借りはなおいっそう多いものでした。ガーディナー氏はこれらの詳細をロングボーンの人たちからかくそうとはいたしませんでした。ジェーンはそれをきいて身ぶるいし、「賭博者なのね!」と叫びました。
「まったく意外ですわ。全然考えもしなかったわ」
ガーディナー氏は翌日、すなわち土曜日に父上は帰られるはずとつけ加えました。努力のかいなく不成功におわったためすっかり意気消沈して、義弟の家へ帰り、ふたりの追跡をつづけるについてこの際得策と思われることをすべてまかしてほしいという義弟の嘆願に譲歩したのでありました。ベネット夫人はこのことをきかされて、夫の生命についていろいろ心配する様子から、子供たちが期待していたほどは満足をしめさなかったのでした。
「何ですって! おとうさまが帰ってみえるんですって、かわいそうなリディアをつれないで?」と叫びました。
「まさかきっとふたりを見つけるまではロンドンをおはなれにならないでしょう。もしはなれておしまいになれば、だれがウィカムと決闘してリディアと結婚させるの?」
ガーディナー夫人はロンドンに帰ることを希望しはじめ、夫人と子供たちはベネット氏と入れかわりになるように取り決められました。それゆえ、馬車は最初の宿駅までみんなをはこんでゆき、ロングボーンのあるじをはこび帰りました。
ガーディナー夫人はエリザベスとそのダービシャーの友については、ダービシャーからもってきた当惑をそのままもって立ち去りました。みんなのまえで彼の名を姪《めい》がじぶんから口にすることはけっしてありませんでした。またガーディナー夫人は、手紙があとを追ってくるであろうとなかば期待していたのですが、何事もなくおわりをつげました。帰って以来ペンバレーから一通の手紙もまいりませんでした。
家族の現在の不幸な状態からエリザベスが元気がよくないのは当然のことで、|元気のよくな《ヽヽヽヽヽヽ》|いこと《ヽヽヽ》からは何もはっきり推察はできなかったのでした。エリザベスはこのときまでに相当にじぶんの感情を承知していましたから、もしじぶんがダーシーに無関心であれば、リディアの悪評に対する恐怖もずっと我慢がしよいだろうと知っていたのでした。ねむれないふた晩のうち、ひと晩だけは不眠をまぬかれただろうと思うのでした。
ベネット氏が到着したときはいつもの賢人らしいおちついた様子をしておりました。いつものように無口で、わざわざ出かけていった事件についても何も口に出しませんでしたし、娘たちもそれをいいだす勇気がでるまでにはしばらく時がかかりました。
エリザベスがその話題をようやくもち出したのは、午後になって父がお茶に加わったときでした。彼女がさぞかし堪えがたい思いをされたことでしょう、と気の毒の思いを手みじかにいいあらわすと、彼は答えました。「何もいわないでおくれ。わたし以外にだれが苦しみを受けるべきかね? これはまったくわたしのせいだから、わたしが苦しむのはあたりまえだよ」
「あまりごじぶんをひどくお責めになってはいけません」とエリザベスは答えました。
「おまえが自責の悪徳を警告してくれるのはもっともだ。人間というものはそれにおちいりやすいからな。いや、リジー、一生に一度だけじぶんの責任を痛感させておくれ。わたしはじぶんがわるかったという印象でおしつぶされはしないよ。すぐに通りすぎてしまうからね」
「ふたりはロンドンだとお思いになりますか?」
「そうだ。ほかではあんなにうまくかくれおおせるものではないよ」
「それにリディアはロンドンに行きたいといっていたわ」とキティがつけ加えました。
「それではあの子は幸福なんだね」と父は皮肉に申しました。「それではあの子はロンドンに相当長く住むことになるんだろう」
それからちょっとやすんでまたつづけました。
「リジー、五月にわたしに忠告してくれたのが正しかったからといって、腹なんぞ立ててはいないよ。この場合腹を立てないのはこの事件を考えてみて、相当に心の広いことをしめすものだよ」
ここでベネット嬢のじゃまがはいりました。彼女は母親のお茶をとりにきたのでした。
「これはたいした示威運動だね」と彼は叫びました。「なかなか当人は気持ちのよいものだよ。災難を優雅にするものだよ! いつかわたしもおなじようにやってみよう。書斎に寝帽と髪粉着をきこんですわるんだな。そしてできるかぎり世話をかけさせるのさ。それともキティが駆け落ちするまでのばすとするかな」
「おとうさま、わたしは駆け落ちなどしなくてよ」キティはいらいらと申しました。「もし|わたしが《ヽヽヽヽ》万一ブライトンに行ったら、リディアよりずっとお行儀よくするわ」
「|おまえ《ヽヽヽ》がブライトンへ行くって! とんでもない、イースト・ブーンのあたりまでだってやるのはごめんだよ! いやキティ、少なくともわたしは用心することだけは覚えたよ。そのききめをひしひし感じるだろうよ。士官は家に立入禁止、いや村を通るのもだめだ。舞踏会は絶対にしない、ねえさんらと踊る以外はね。絶対家から出てはいけない、毎日十分だけもののわかった使い方ができるまでは」
キティはこのおどしをまじめに受けとって泣きはじめました。
「よしよし」と彼はいいました。「そんなに悲しむんではないよ。もしこれから十年間いい子だったら、そのときは閲兵式につれて行ってやるからな」
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第四十九章
ベネット氏の帰宅の二日あと、ジェーンとエリザベスは家のうしろの灌木林を散歩しておりましたとき、家政婦がじぶんらのほうへ向かってくるのに気がつきました。きっと母親が呼びつけたのであろうと決めてかかり、家政婦を迎えるようそのほうに向かって進みました。ところがこれは母親からの招集ではなくて、ふたりが近づくと家政婦はベネット嬢に申しました。
「お嬢さま、おじゃま申し上げておゆるしいただきます。ロンドンから何かおよろしいおしらせでもあったかと存じまして、失礼をかえりみずおうかがい申しあげますので」
「ヒル、それはどういうこと? 何もたよりなどありませんよ」
「お嬢さま」とヒル夫人はたいそう驚いて声を高めました。「ガーディナーさまからだんなさまあてに早馬便がまいりましたのをご存じでいらっしゃいませんですか? 使いがこちらへまいってからもう半時間もたちます。だんなさまはお手紙をお受けとりで」
ふたりはすぐに駆けだし早く家へはいりたいばかりに話すひまもないほどでした。玄関を走りぬけて朝食の間へ。そこから書斎へ。どちらにも父はいませんでした。母親のところかと二階に上ろうとしたとき召使頭と出会い、彼は申しました。
「だんなさまをおさがしでいらっしゃいますか、お嬢さま。雑木林のほうへお歩きでいらっしゃいました」
これをきいてふたりはもういちど玄関を通りぬけて父をおって芝生を横ぎりましたが、父は牧場の片側にある小さな森に向かってゆうゆうと歩をすすめておりました。
ジェーンはエリザベスほど身軽でもなくあまり走るのにもなれていないのですぐにおくれてしまいましたが、妹は息をあえぎながら父に追いつき、熱心に呼びかけました。
「おお、おとうさま、何のしらせ? 何のしらせ? おじさまからおたよりがあったのでしょう?」
「そうだ、至急便でね」
「それで、いいおたよりでして? それともわるいおたよりかしら?」
「いいことなどありようはないではないか?」といって手紙をポケットからとり出しました。「しかしたぶんおまえも読みたいだろう」
エリザベスはじれったそうに手からつかみとりました。ジェーンも追いついてきました。
「読んでごらん」と父は申しました。「わたし自身でも何が書いてあったかよくはわからないのでね」
「グレースチャーチ・ストリート、月曜日
八月二日
愛する兄上さま
とうとう姪《めい》につき、まずまずご満足のゆくおしらせをおおくりすることができるようになりました。土曜日おわかれいたしましてからすぐ、さいわいにもふたりの居場所がわかりました。詳細はお会いするまで保留いたしておきますが、ふたりが発見されましたことがわかればじゅうぶんと思います。わたしはふたりに会いました――」
「それではわたしが望んでいたとおりだったのね」とジェーンは叫びました。「結婚していたのね!」
エリザベスは読みつづけました。
「わたしはふたりに会いました。ふたりは結婚はしておらず、する意図があったようにはみうけられません。がもしわたしが兄上のかわりに取り決めました契約を履行なさる意志がおありになれば、やがて結婚するものとの希望をもっております。あなたに要求されているすべては、兄上ならびに兄上の妻の死後、娘たちのため保証されている五千ポンドに対する同等分与権を財産分与の法をふんで確保すること、なお兄上の存命中、一年百ポンドの支給を契約することであります。これらはあらゆることを考慮に入れる場合、兄上の代理という資格においてちゅうちょなく応じてしかるべき条件であると考えます。時間のむだなくご返事をもち帰るよう早馬便にておおくりいたします。これらの詳細から考えますにウィカム氏の財政かならずしも世上に信じられたるほど絶望的なものでないことをご了解されたことと思います。その点世間はあざむかれておりました。さいわいにすべての負債を支払いましたあとにも、姪《めい》のうえに彼女自身の財産に加えて多少の金額が残されるものと考えられます。さてわたしはそのようなことを推断いたしておりますが、兄上が全権をおまかせくださるならばすぐさまハガストンに命じ、所定の財産分与の手続きに関して指令をあたえる所存です。兄上の再度ご上京の必要はさらにありません。ロングボーンに静かにおとどまりになり、わたしにおまかせくださればすべて慎重にとりおこなうつもりでおります。いそぎご返事いただきたく、また明瞭にお書きいただくよう願いあげます。わたしどもは姪《めい》をこの家より結婚させたきものと存じておりますが、その件についてもご異存なきことを希望いたします。本日姪はこちらにまいります。なおその後、ことの決定をみましたるおりにはさっそくおしらせいたします。敬具
エド・ガーディナー」
「ありうることかしら?」エリザベスは読みおえて叫びました。「彼女と結婚するなんてことが?」
「ウィカムはわたしたちの考えていたほどねうちのないかたでもなかったのね」と姉は申しました。「おとうさま、おめでとうございます」
「それで返事はお書きになりまして?」とエリザベスは申しました。
「いや、まだだよ。だがすぐしなければね」
エリザベスは心からすぐさま書くよう懇願するのでありました。
「ああ、おとうさま」と声をはりあげました。「すぐお帰りになって書いてくださいな。こんな場合には一分だってだいじよ」
「もしそのお骨折りがおいやでしたら」とジェーンは申しました。「わたしに書かせてください」
「たいへんいやなことだけれど」と答えました。「書かないわけにはゆくまい」
そういいながら、ふたりといっしょに後がえりして家のほうへ向かって歩きました。
「おたずねしてもいいかしら?」とエリザベスは申しました。「たぶん、条件には同意なさるんでしょうね」
「同意なさる! わたしはあいつの要求があまり少ないので恥ずかしいと思っているのだよ」
「それであの人たちは結婚|しなければ《ヽヽヽヽヽ》いけないのね! それに|あんな《ヽヽヽ》人でしょう!」
「そうだ、そうだ。結婚しなくてはいけないんだよ。ほかに方法はないさ、しかし二つ気がかりなことがあってね、おまえたちのおじさんがこれを実現するためにいくら出したかということ、どうしてそれを支払ったらいいかということだよ」
「お金ですって! おじさまですって!」とジェーンは叫びました。「おとうさま、それはどういうことですか?」
「わたしのいう意味はね、正気の男がリディアなんぞとわたしの生存中一年百ポンド、死後五千ポンドなどというちゃちな条件で結婚などするものかね」
「それはほんとね」とエリザベスは申しました。「今まで思いつかなかったけれど、借金が支払われて、まだ少し残っているって! ああ、なんて気前のいいおじさま! ずいぶんお金をむりなさったのではない? ちょっとやそっとではこんなことできませんもの」
「そうだよ」と父は申しました。「ウィカムは一万ポンドがびた一|文《もん》かけてもリディアをもらうはずはないよ。さもなけりゃばかさ。親類になって早々、こんなにわるく思うのは気の毒だけれどね」
「一万ポンド! まあどうしましょう! そんな大金半分だって払えないわ?」
ベネット氏は答えませんでした。それぞれもの思いにしずんで家につくまで沈黙をつづけました。それから父親は書斎へ手紙を書くためにゆき、ふたりは朝飯の食堂にはいりました。
「そうしてふたりはほんとに結婚するのね!」ふたりきりになるとエリザベスは叫びました。「何と奇妙な感じだこと! でも、|これを《ヽヽヽ》感謝しなければいけないのね。ふたりが結婚することは喜ばなければならないことなのね。ふたりは幸福になりそうにもないし、あの人の人柄はあのとおり下劣だし! ああ、リディア!」
「もしリディアに対して真の愛情がなければ、結婚を承諾なんぞなさらなかったろうと思ってなぐさめているわ」とジェーンは答えました。「親切なおじさまがあの人の借財を払うため、何ほどかしてくださったでしょうが、一万ポンドとか、そんな大金が出されたとは信じられないわ。ごじぶんの子供がおありで、これからだってもっとふえるかもしれないでしょう。なんで一万ポンドなんて大金を手放せるわけはありませんわ」
「もしウィカムの借財がどれほどでリディアにあたえたお金がどれだけかわかったら、おじさまのしてくださったことが正確にわかるわ。ウィカムはじぶんのお金など六ペンスだってもっていないのですもの。おじさまとおばさまの恩はとてもおむくいできないわ。リディアを家につれてきてごじぶんたちの保護と援助のもとにおき、あの子の顔をたてるためにいろいろ犠牲をはらってくださったのですもの。これから末ながく感謝しても、けっしてじゅうぶんに感謝しきれるものではないわ。ああ、もう今までにリディアは実際におふたりのところにいるんだわ! あんなによくしていただいて、今こそじぶんをわるかったと思わないようなら幸福になる資格はないわ! おばさまにはじめてお目にかかるときはどんな気持ちだったでしょうね!」
「わたしたちはどちらのがわにおこったことも忘れるようつとめなければなりませんわ」とジェーンは申しました。
「わたしはまだ幸福になれる望みはあると思うの。ウィカムが結婚を承諾したのは正しい考え方になった証拠だと思うわ。おたがいの愛情がふたりを着実にします。今に静かにおちついてもののわかった生活をするようになって昔の無分別などはすっかり忘れてしまうほどになると思うわ」
「あの人たちのやり方は」エリザベスは答えました。「あなただって、わたしだって、だれだって忘れたりなぞできないわ。そんなことを話してもむだよ」
たぶん母親はおきたことをまったく知らないのではないかとふたりは思いつきました。そこで書斎へ行き、おかあさまに申し上げていいかと父にたずねました。手紙を書いていた父は顔も上げず冷静に答えました。
「好きなようになさい」
「おじさまのお手紙をもっていって読んでさしあげてもよろしい?」
「好きなものをもっておゆき。すぐでていっておくれ」
エリザベスは父の書きもの卓から手紙をとりあげ、ふたりでいっしょに二階にゆきました。メアリもキティもベネット夫人のへやにおりましたから、一度でみんなにきかせることができました。いいしらせなのよと少々予備知識をあたえておいて、手紙が声に出して読まれました。ベネット夫人はだまってきいてはいられませんでした。ジェーンが、リディアがまもなく結婚するだろうというガーディナー氏の希望を読みあげると、その喜びは爆発し、そのあとにつづく言葉は、すべて喜びをいっそうみちあふれさせました。まえには驚きと心痛のためにせかせかとおちつかなかったのですが、今は歓喜のためにおなじくらいはげしくいらいらするのでありました。娘が結婚するだろうということを知るだけでことたりました。結婚してはたして幸福であろうかなどという懸念にはまったくわずらわされず、また娘の不行跡を思い出して屈辱を感じることもありませんでした。
「かわいい、かわいいリディア!」と叫びました。「ほんとにうれしいこと、結婚するんですよ! また会えるのね! 十六歳で結婚するのですよ! わたしの弟はほんとに親切なよい人です、どうなるかわかってましたよ。きっとあの人がうまくやってくれると思ってました。ああ、リディアに会いたいわねえ! 愛するウィカムにもね! しかし衣装よ、結婚衣装よ! 妹のガーディナーにすぐに手紙を書きましょう。リジー、ねえ、おまえ、おとうさまのところへ行っていくらおやりになるかきいてきておくれなね。待って、待って、わたしがじぶんでゆきますよ。ベルをならし、ヒルを呼んでおくれ、キティ。すぐに着物をきてしまいますよ。かわいい、かわいいリディア! 会えるときはどんなにたのしいことか!」
長女は激情の爆発をやわらげようとつとめ、ガーディナー氏から受けた恩義のかずかずへその考えを向けようといたしました。
「このようにうまく結末のついたのは」とつけ加えました。「おじさまのご親切のおかげよ。おじさまがウィカムさんを経済的に援助なさる約束をなさったんだろうとわたしたちは信じてます」
「なるほどね」母親は叫びました。「それあ結構なことですよ。それはおじのなすべきことです。もしじぶんの子供がなかったら、わたしとうちの子供らがあの人のお金をもらうところなのだよ。少しばかりの贈り物は別としてあの人から何かもらったのはこれがはじめてだからね。ねえ! わたしはうれしくて。も少したてばわたしは娘をひとり結婚させるわけなんだね。ウィカム夫人! 何ていいひびきなんだろう! この六月で十六歳になったばかりでね。ねえ、ジェーン、とてもわくわくして書けそうにもないわ。わたしがいうから書きとっておくれでないか。お金のことはあとでおとうさまに交渉することにして、注文だけはすぐしておかなければね」
母親はそれからキャラコ、モスリン、リネン等の詳細に及んで、もしジェーンが骨折っておとうさまがおひまになられてご相談できるまでお待ちになってはと説き伏せなかったら、まもなくたいへん多くの注文を書きとらせたでありましょう。一日おくれたってたいしたことではありません、とジェーンはいいました。母親もたいそうしあわせだったのでいつもほど強情をはりませんでした。ほかの計画が頭にうかんだのでした。
「わたしはメリトンに行ってきますよ」と申しました。
「着物を着たらすぐにね。フィリップスの妹にこのうれしいうれしいしらせをきかせてきますよ。帰ってきてからルカス令夫人とロング夫人とを訪問しましょう。キティ、走りおりて馬車をそういっておくれ。空気にあたるのもたいへんよいと思いますよ。みんな、メリトンに何か用事はないかい? あら、ヒルがやってきたわ。ねえ、ヒル、いいしらせをおききかい? リディア嬢さんが結婚なさるのだよ。結婚の祝宴にはみんなにパンチを鉢いっぱいご馳走するから、ひとつ陽気にしておくれ」
ヒル夫人はすぐさまお喜びをいいはじめました。エリザベスもほかの者とおなじように彼女の祝辞を受けました。それからこのばかさわぎにうんざりして、じぶんのへやに勝手な考えにふけりたくて避難しました。かわいそうなリディアの境遇は結構わるいものでした。しかしもっとわるくならなかったことを感謝しなければならないのでした。彼女はそれを感じ、将来を考えてじみちな幸福を、世間的な繁栄も妹のために期待できなかったのですけれど、じぶんたちがたった二時間まえに恐れていたことをふりかえると、つくづくかち得たもののありがたさが身にしみました。
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第五十章
ベネット氏はこの年齢《とし》になるまえに全収入をつかってしまわないで、一年に一定の金額の貯蓄をして子供らならびに妻が、じぶんより長生きした場合のための備えをしておきたいとしばしば望んだものでした。今となってはまえよりもっとそれを切望するのでした。その点でじぶんの義務を果たしておいたならば、リディアがじぶんのために買い求めえた名誉と信用のために、おじに負債を負う必要はなかったはずでありました。大英帝国中で最も下等な若者のひとりにその夫たるよう説得しえた満足は、その当然負うべき者が背負ったはずだったのでした。
ベネット氏はだれにとってもあまり益のない目的のため、義弟ただひとりが出費したことを考えて非常に気になっておりました。できればその出費の範囲を知って、できるだけすみやかにその債務を果たす決心でありました。
最初ベネット氏が結婚したとき、倹約はまったく無用と考えられました。もちろん息子をもうけるはずであったからです。この息子が力をかして、成年に達するとすぐ限嗣相続《げんしそうぞく》を中断するはずで、その方法でやもめと下の子供たちのめんどうをみる予定でした。五人娘がつづいて誕生いたしましたが息子はまだ生まれてまいりませんでした。ベネット夫人はリディアの誕生後も息子が生まれるものと確信しておりました。このことはついに絶望となりましたが、そのときは倹約をするにはおそすぎました。ベネット夫人は倹約の素質はまったくなく、夫の独立愛好心のため、かろうじて収入以上の消費をおさえていたのでありました。
五千ポンドの金が結婚契約により、妻と子供に分与されておりました。しかしその子供らの間にいかに分配されるかは両親の遺言によるはずでした。これが少なくともリディアに関しては今きめられなければならないことでした。がベネット氏はなされた提案に何のちゅうちょもなく承諾し、非常に簡潔な言葉でいいあらわされてはいましたが、義弟の親切に心から感謝する言葉で、すべてを全面的に承認することを、またじぶんのためになされた契約を喜んで履行するむねをしたためました。もしウィカムに娘と結婚するよう説得できたとしても、このたびの取り決めによるほどわずかの出費でおこなわれるとは、全然思いもかけないことでありました。百ポンドを支払うとすれば、せいぜい年十ポンドの収入減にしかなりませんでした。賄いとか小遣銭、母親の手を通じて娘にやった金銭のおくりものなどで、リディアの経費は百ポンドをやや下まわる程度でした。
ベネット氏のがわでは極めてわずかな努力をすればよいことも、たいへん歓迎すべきことでした。今、主として願うことはこのことにできるだけわずらわされたくないということでした。最初前後不覚の憤怒にかられて、娘をさがし出すため積極的に活動したのでありましたが、今ではそれもおわり、従前どおりの無精者にもどっていたのでした。手紙はさっそくに発送されました。仕事にとりかかるのはゆっくりでしたが、実行はてきぱきとされました。なお、弟への借財についてなおくわしく知らせてくれるよう願いましたが、リディアに対しては怒りのあまりことづけもいたしませんでした。
よいしらせは家中にすばやくひろまり、それに比例した速度で近所近辺にもつたわり、ここではお上品な人生観をもって語りつがれました。話のたねという点からいえば、リディア・ベネットが町の厄介者となったり、最も幸福なまわりあわせで、せいぜい世間から離れて遠くの農家で余生をおくるほうがよほどおもしろかったでしょう。しかしリディアを結婚させるについての事情もいろいろ話のたねを提供しました。まえにメリトンの底意地のわるい老婦人たちの口から出た、リディアがどうぞまちがいをしないようにとの、あの好意的な言葉はこのように事情がかわってみても、その語の精神はほとんどかわる必要はなかったのでした。あのような夫をもっては彼女の不幸は必須と考えられていましたから。
ベネット夫人が階下におりなくなってから二週間たっておりましたが、この幸福な日、夫人はまた食卓の上座に席をしめることになり、息づまるほどの上きげんでありました。恥は全然その得意さをくじきませんでした。娘の結婚はジェーンが十六歳になって以来の最大の目的で、今やまさにそれの達成されようという点にあたって、思いも言葉も優雅な婚礼の付添人、布目のこまかいモスリン、新しい馬車、召使などのうえをかけめぐるのでありました。また娘の適当な住み家を求めて近所近辺をさがしまわり、ふたりの収入は知りもしないで、おかまいもなく多くの家を小さすぎるとか貧弱すぎるといって、しりぞけたのでありました。
「ヘイ・パークならいいわね」と申しました。「ガウルディングズの人たちがお立ちのきになればね。さもなければストークのあの大きな家もね。客間がもっと大きければだけど。アシュワースは遠すぎるし。わたしから十マイルはなしておくのはたまらないわ。パーヴィス・ロッジは屋根べやがものすごいしね」
ベネット氏は召使のいる間は制止もしないで勝手にしゃべらせておきました。が、しりぞいてしまうと妻に申しました。「ベネット夫人、これらのうちどれか、あるいは全部を息子と娘のためにお借りになる気かしらないが、そのまえにひとつよく了解を願っておきたいことがあります。この近辺の家へはふたりがはいることを絶対に許可しません。ふたりをロングボーンに迎えて、ふたりの無思慮を奨励したりなどしませんよ」
この宣言のあと、長い争論がつづきました。が、ベネット氏は動かされませんでした。まもなくひきつづいて第二の宣言がだされました。ベネット夫人は夫が娘の結婚衣装のために一ギニーも出す気はないということを知って、驚きあきれてしまいました。この際父親は娘に何にでもあれ、愛情のしるしとなるものはあたえないと声明したのでありました。ベネット夫人にはほとんど理解ができませんでした。夫の怒りが娘の特権をこばむほど思いもよらないはげしさに達しているとは――この特権の行使なくしては、娘の結婚の有効性を否定されるように感じるのでありましたが――とても可能とは信じられないほどでありました。新しい衣装のないことが、娘の結婚式に及ぼす不名誉には敏感でありながら、駆け落ちして結婚まえに二週間ウィカムと同棲したことをあまり恥じることもないのでありました。
エリザベスはそのときの心痛のあまり、妹に対する懸念をダーシー氏に打ち明けてしまったことを今は心から後悔しておりました。妹が結婚すればまもなく駆け落ちにも終止符がうたれるのですから、その不都合な発端はすぐ身近にいあわせた人以外にはかくしたく思うのももっともでした。
ダーシー氏の口からさらにひろがる恐れはまったくありませんでした。これほど信頼して秘密を託せる人はいないほどでした。しかし同時に妹の不行跡を知られるのがこれほどいやな人もありませんでした。しかしこれは彼女個人に何か不利なこともあろうかとの心配からではありませんでした。ともかくふたりの間にはこえがたい溝ができているのでした。もしリディアの結婚が非常に立派な条件でかたづいたとしても、ダーシー氏は他のあらゆる難点のうえに彼が軽べつもし、また軽べつしてももっともな男と、たいへん近しい関係をもたなければならないとしたら、そのような家族とかかり合うなどとはとても想像できないことでありました。
そういう関係からダーシーがしりごみしても不思議はありませんでした。ダービシャーではダーシーが好意を得ようと望んでいることを確信したのでありましたが、このような打撃にあって、それが消え失せないでいようとは理性のあるものが期待できることではありませんでした。エリザベスは恥ずかしく思い、なげき悲しみました。後悔がわきました。何を後悔するのかわかりませんでしたけれど。ダーシーに尊重されたことを今になってすてがたく思うのでした。もはやそれから何の恩恵を受けるあてのなくなった今となって。何かの消息をきく機会はまったく失われた今となって、彼について何かききたくてしかたがありませんでした。もはやふたりが会うこともなさそうになった今となって、彼に会うのはどんなにたのしかろうと思うのでありました。
エリザベスはたびたび考えました。たった四ヵ月まえに高慢にはねかえした求婚を、今では喜んで感謝して承諾するだろうということを、もしダーシーが知ったらどれほど得意になることであろうかと。ダーシーは男性のうちでも最も寛大な人であったことは疑いませんでした。しかし彼も人間である以上、得意になるにちがいありませんでした。
エリザベスは今は、ダーシーこそ性質も才能もじぶんにぴったりの人だとわかりはじめておりました。理解力も気質もじぶんとはちがっていましたが、じぶんの望むところにしっくりと合っておりました。それは両人のどちらにとっても有利でありました。気やすい、また元気溌らつとしたエリザベスはダーシーの心をやわらげその態度をあらためることができたでありましょう。エリザベスのほうではダーシーの判断力、知識、見聞などからもっとこれより以上の利益を受けることができたことでしょうに。
しかしもう、そのようなしあわせな結合による結婚生活の幸福を賛嘆をおしまぬ世間の人たちに教える機会は、永久に失われたのでした。じぶんたちの家族内ではまったくこれとは似ても似つかない、またその結合ゆえに今一つの結びつきをさまたげる、そのようなちぎりが結ばれようとしているのでありました。
ウィカムとリディアがまずまずどうにか独立をたもつことができるとは、とても想像することができませんでした。ただその情熱が道徳よりつよかったというだけで結びついた夫婦に、永久の幸福などおとずれるはずもないことを容易に推量できたのでありました。
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ガーディナー氏はまもなく義兄に手紙をよこしました。ベネット氏の感謝に対しては、彼の家族のだれに対してもそのしあわせをすすめるために骨身をおしまないと返事して、例の問題についてはふたたび口にしないよう願っておりました。この手紙のおもな趣旨はウィカム氏が市民軍団を去る決心をしたことが書かれておりました。
「ウィカム氏は結婚が決まるや否や、軍団を去るべきであるとつよく希望しておりました。軍団を去ることは自身のため姪《めい》のために非常に賢明であることに兄上もご同意くださることと考えます。正規軍にはいることがウィカムの意図で、以前の友だちのなかにも陸軍で彼に援助をおしまないかたもある由。今北部地方へ宿営の―大将監督の連隊で旗手の職が約束されております。そこがこのあたりからは相当遠隔の地であることは一つの利点であります。彼も将来につき相当な覚悟を口にしております。ちがった人の間で評判を維持するために、両人とも今までより慎重になることを希望しております。フォスター大佐には書面をもって現在の手配につき報告いたし、ブライトン内、あるいは近くのウィカム氏の種々さまざまな債務者に、すみやかに支払うことを確約して慰撫するよう――支払に関してはわたしが責任をもってとりおこないます――お願いいたしておきました。恐縮ながらメリトンの債務者にも同様の確約をあたえていただきたく、彼の報告によりまして債務者の表を添付いたしました。彼はすべての借財を白状いたしましたが、少なくともこの件数にいつわりなきよう希望しております。すでにハガトンは命令を受けており、一週間のうちにはすべて完了いたすはずであります。まずロングボーンに招待を受けることがなければ、両人はそれより連隊に赴任のはずであります。妻の話で、姪《めい》は南を去るまえにご一同にお目にかかることを希望いたしおる由であります。いたって元気にてくれぐれもよろしくと申しでております。 敬具 E・ガーディナー」
ベネット氏も娘たちも、ウィカムがX州軍団を辞したことはよかったとガーディナー氏同様納得いたしました。しかし、ベネット夫人はあまりそれが気に入りませんでした。リディアを相手に大きな喜びと誇りを満喫しようとしていたやさきに、リディアが北部に住みつくというのははげしい失望でありました。またそのうえ、リディアがみんなと旧知の間柄でお気に入りもたくさんいる連隊からはなれるのは、たいそう残念なことだと思ったのです。
「あの娘はたいそうフォスター夫人を好いていました」と申しました。「あの娘を遠くへやってしまってさぞかしがっかりなさることでしょう! 若い人らのなかにも幾人かとてもあの娘の好きなかたがいましたよ。―大将の連隊の士官たちはあの人たちほど愉快ではないでしょうよ」
娘の要求とまず考えてよいのでしょうが、北方へ出かけるまえに、もいちど家の人たちに会いたいという要求は最初のほどはきっぱりと拒絶されたのでありました。しかしジェーンとエリザベスは一致して妹の気持ちのため、またその顔を立てるため結婚したふたりを歓迎すべきであると信じて、熱心にまたことをわけてふたりを結婚後すぐにロングボーンに迎えるようにすすめたのでした。ついに父親もふたりのように考え、ふたりの考えどおりにするように説き伏せられました。母親は結婚した娘を、北方追放まえに近所にみせびらかすことができることを知って、満足したのでありました。それゆえ、ベネット氏がまた弟に手紙を書いたとき、ふたりにくる許可をあたえたのでありました。式後ただちにロングボーンにくることと決まりました。しかしエリザベスはウィカムがそのような計画に承知したことに驚いたのでありました。もしじぶん自身の好みだけを考えるとすると、ウィカムに会うことはいちばんしたくもないことでありました。
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第五十一章
婚礼の日がきてジェーンとエリザベスはたぶん本人以上に感慨をもったのでありました。馬車はXまで迎えに出され、晩餐のときまでに到着の予定でありました。上のふたりは到着を恐ろしいもののように待ちましたが、とくにジェーンはじぶん自身を罪人の立場においてそのときのじぶんの感情をそっくりリディアにうつして、妹がどれほどつらい思いをすることかと気をめいらせるのでした。
ふたりはやってまいりました。家の者一同は朝食の間にあつまって迎えました。馬車が戸口に近づくとベネット夫人は満面に笑みをたたえ、彼女の夫はいかめしく人をよせつけない表情でした。娘たちははらはら心配しておちつきませんでした。
リディアの声が玄関できこえました。扉があけられ、へやにかけこんできました。母親はまえにすすみでて狂喜して娘を歓迎し、ウィカムにも愛情深くほほえみかけて手をあたえました。この人は妻のあとからはいってきたのでしたが、両親に向かってふたりとも幸福であるのを疑わない様子で、てきぱきごきげんようと挨拶しました。
それから父親のほうへ向きなおったのでしたが、ベネット氏からはそれほどねんごろな歓迎を受けませんでした。顔つきはいっそう厳しゅくとなり、口もほとんど開きませんでした。この若夫婦のしゃあしゃあとしたあつかましさにはむっとならないではいられなかったのでした。エリザベスは嫌悪《けんお》をもよおし、ベネット嬢さえうちのめされました。リディアはあいかわらずリディアで、野性で、気おくれしない、わがままで、さわがしく、こわいものなしでした。姉から姉へと祝辞を要求するのでありました。ついに一同が腰をおろすと、熱心にへやをみまわして、少しばかり模様のかわったのに気がつき、笑って、いなくなってからずいぶんになるんですものねと申しました。
ウィカムも細君より困惑していたとはいえませんでしたが、彼の態度はもともと感じのよいもので、もし人柄なり結婚なりがあるべきようなものであれば近しい間柄を求めるときのその微笑も気どらない話しぶりもみんなを喜ばせたことでしょう。エリザベスは彼がこれほどまで図々しくできるとは今までに信じられないことでした。しかし将来のため恥しらずの人間の恥しらずは、かぎりのないものであることをしっかり胆に銘じたのでありました。彼女は顔をあかくし、ジェーンも顔をあかくしましたが、この当惑をおこしたふたりのほほは全然色がかわりませんでした。
話はふんだんにありました。花嫁も母親もじゅうぶんに早く話せないほどでした。ウィカムは偶然エリザベスの近くにすわっていましたが、きげんよく気やすく近辺の知り合いについての消息をききはじめましたが、彼女はそれに匹敵するほど気やすくは返事はできませんでした。ふたりとも世界一たのしい思い出をもっているようにみえ、苦い懐古などは何にもないようでした。リディアは姉たちが絶対言及しないと思う話題をじぶんからもち出したりいたしました。
「わたしがここを出て以来三ヵ月もたっているなんて」と叫びました。「まるで二週間くらいにしか思えないわ、たしかにしかしその間にいろいろなことがおこったわ。ほんと! 出かけるとき、帰るまでに結婚するなんて全然思いもかけなかったわ。それあ、もしそうなればとても愉快とは思ってたけど」
父親は目を上げました。ジェーンは困惑し、エリザベスはリディアに目くばせいたしました。しかしじぶんがしたくなければきこえもしない、みえもしないという人物でしたから陽気に言葉をつづけました。「おお、おかあさま、ここいらの人たち今日わたしが結婚したのを知っているかしら? もしかして知らないのではないかと心配してるのよ。二輪馬車にのったウィリアム・ガウルディンを追いこしたときには、絶対わからせようと思ってね。彼のがわの窓をおろして手袋をとり、指輪がみえるように窓わくに手をおいて、それからおじぎして、すごくにこにこしたのよ」
エリザベスはもはや堪えられませんでした。立ち上がってへやを走り出て、みんなが食堂へと廊下を通ってゆくのをきくまではもどってきませんでした。そこでみんなのところへ帰ってまいりましたが、リディアがせいぜい気どって、母親の右側まで歩いてゆき、いちばん上の姉に次のようにいっているのを耳に入れてしまいました。「ジェーン、もうわたしがあなたのところにすわってよ、わたしは結婚しているのですもの、あなた少しさがってちょうだい!」
最初まったく感じない当惑を、時がたつにつれて感じるようになるはずもないことでした。気らくな上きげんはいよいよ加わりました。フィリップス夫人、ルカス家の人々、また近所の人すべてに会って、それぞれに「ウィカム夫人」と呼ばれるのをききたかったのでした。当座はヒル夫人とふたりの小間使いに指輪をみせ、結婚したことを自慢にゆきました。
朝食の間に帰ると、「ね、おかあさま」と申しました。
「わたしの夫をどうお思いになる? とても魅力があるでしょう? きっとおねえさんたちうらやましがっているにちがいないわね。みんなわたしの半分でも運のいいよう願っているわ。みんなブライトンに行かなくちゃあ、あそここそ夫をみつける場所よ。みんなで行かなくてほんとに残念だったわ、おかあさま!」
「ほんとだよ、わたしの思いどおりになればいけるんだったがね。でも、リディア、あんたがあんなに遠くへ行ってしまうのはいやだね。どうしても行かなければならないのかい?」
「ええ、それあ、そうよ! 何でもありゃしないわよ。とても気にいっているよ。おかあさまもおとうさまもねえさんたちもみんな会いにきてよ、ね。冬中はニューカッスルにいるのよ。きっと舞踏会もあるしさ、みんなにいいお相手をみつけてあげるわ」
「それあ何よりだね」と母親は申しました。
「それで帰るとき、ひとりふたり、ねえさんを残しておおきになってよ。冬のおわるまえにきっとおむこさんをみつけてあげるわ」
「ご好意はありがたいけれど」とエリザベスは申しました。「わたしはあまりあなたのみつけ方は好みませんから」
訪問者は十日以上は滞在しないはずでありました。ウィカム氏はロンドンをたつまえに任命を受けており、二週間たったら入隊することになっていました。
ベネット夫人以外にはふたりの滞在が短いことを惜しむ者はおりませんでした。彼女はその時間をせいぜい利用して娘をつれてたずねまわり、また家でもたびたび会合を開きました。会合はみんなの気に入りました。考える人にも考えない人たちにもまして、内輪の者だけが鼻つきあわすのをさけたい気持ちでした。
ウィカムのリディアに対する愛情は、エリザベスがさもあろうかと思ったようなもので、リディアの彼に対する愛情とは比較になりませんでした。何も現在の観察をしなくても、ものの道理からふたりの駆け落ちはウィカムの愛情よりむしろリディアの愛情からひきおこされたものであることは確実でありました。はげしく愛しているというのでもないのに、なぜリディアと駆け落ちなどする気になったか、もし経済事情のひっぱくのため逃亡が必要となったのだろうと思わなかったら、たいへん不思議に感じたかもしれませんでした。もしそのような事情があるとすれば、逃亡の相手は得られそうなら、絶対にその機会をのがす青年ではありませんでした。
リディアはもう彼に首ったけでありました。あらゆる場合に愛するウィカムであり、だれも彼と匹敵する男性はないのでした。彼は何をしても世界一じょうずでした。九月一日には国中のだれよりもたくさんの鳥をしとめることを確信しておりました。
ある朝、ついてまもなくのこと、上のふたりの姉に同座して、リディアはエリザベスに申しました。
「リジー、|あなたには《ヽヽヽヽヽ》婚礼の様子を教えなかったわね。おかあさまとほかの人たちに話したとき、そばにいらっしゃらなかったわ。どういうぐあいにおこなわれたか知りたくない?」
「ないわ、ほんとに」とエリザベスは答えました。「その話はしないほどいいのよ」
「まあ、おかしな人ね! でもどんなぐあいだったか話してあげるわ。セント・クレメンツ教会で結婚したのよ。あの教区にウィカムの宿があったから。十一時までにそこへゆくように決めてあったの。おじさまとおばさまがわたしといっしょにゆくはずだったのよ。ほかの人たちとは教会で会うはずだったの。いよいよ月曜の朝になってね、わたしはもう大わくわくだったの。何かおきてのびることになったらほんとわたしは気がちがっていたと思うわ。それにおばさまったら、わたしが衣装をつける間中、まるでお説教でも読んでいるようにお小言のいいづめだったのよ。でもわたし、十のうちひと言もきいてやしなかったわ。だってわたしは愛するウィカムのことばかり考えていたのですもの。わかるでしょ。紺の上着を着て式に出るかなど、それが知りたかったのよ」
「いいこと、それでいつものとおり十時に朝食よ。もう絶対おわらないかと思ったわ。ついでだけれど、こんど泊まっていた間中ものすごく不愉快だったのよ。二週間もいたのに家から一歩も出なかったの、信じられる? パーティ一つなく、見物一つせず! それあたしかにロンドンは閑散でね、でも小劇場はあいていたのよ。ところでちょうど馬車が戸口についたとき、おじさまは用事であのいやな人、ストンさんに呼ばれてね。そら、あのふたりがいっしょになるとえんえんとつづいておわりなしでしょう。もうすっかり驚いてしまって、どうしていいかわからなかったわ。だっておじさまが引きわたす役目でしょう。その時間をすぎたらもうその日はだめなのよ。でも運よく十分ほどで帰っていらしてね、それからみんなで出かけたの。しかしあとになって気がついたんだけど、もしおじさまが行けなかったとしても、式をのばす必要はなかったのよ。ダーシーさんがしてくださることができたもの」
「ダーシーさん!」エリザベスは仰天してくりかえしました。
「ええ、そうよ! あのかたがウィカムときてくださることになっていたのよ。しかし、しまった! すっかり忘れていたわ! それについてはひと言ももらさないことになっていたのに。みんなにちゃんと約束したのに! ウィカムは何というでしょう? それは大秘密のはずだったのに!」
「もし秘密にするはずだったのなら、もうひと言もいわないでちょうだい。わたしはきっとそれ以上せんさくなぞしないから」とジェーンが申しました。
「そのとおりよ」とエリザベスは好奇心に燃えあがっていましたが、そう申しました。「質問などしませんよ」
「ありがとう」とリディアは申しました。「もしきかれたらすっかりお話ししてしまったわ、きっと。それでウィカムがすっかり腹を立てたでしょう」
このようにきいてごらんといわぬばかりに水を向けられては、走って逃げてきかないようにするよりみちはありませんでした。
しかし、このようなことを知らないでいることは不可能で、少なくとも何か情報を得ようと試みないことは不可能でありました。ダーシー氏が妹の婚礼に立ちあった、これこそ明らかに彼と最も関係の少ない場面であり、最も交わりたくない人たちでありました。それについてあれこれと推量がすみやかにはげしく頭のなかに行きかいましたが、どれ一つ満足のゆくものはありませんでした。そのうち、もっとも彼女を喜ばし、彼の行動に最も高貴な光をなげかけるものは最もありそうもないものでした。とてもそのようなかたづかない気持ちのままでいるのは堪えがたく、一枚の便箋をつかみ、いそいでリディアがついうっかりもらしたことの説明を求めて、望まれているときかされた秘密にそむかないならば手紙をいただきたいとおばに懇願したのでありました。
「すぐにおわかりいただけることと存じますが」と彼女はつけ加えました。「わたしたちのだれとも関係のないかたが、わたしたちの家族には比較的縁のうすいかたが、あのような場合出席なさったときいてどれほど好奇心が刺激されたことでしょう。もしもっともな理由で秘密にすることが必要があるとお思いになれば別でございますが――リディアはそのように思っているようでございます――折りかえしお手紙にて理由おきかせいただきたく願いあげます。秘密必要とお思いならわたしも知らないまま納得するよう努力いたします」
「それは知らないままで|いるだろう《ヽヽヽヽヽ》ということではないのだわ」と手紙を書きおえてじぶん自身にこうつけ加えました。
「愛するおばさま、もし恥ずかしくないやり方で教えていただけないとなると、きっと奸計策略に訴えざるをえないことになりましてよ」
ジェーンの敏感な名誉心はリディアがうっかり口をすべらしたことについて、エリザベスに内密に話すことをゆるさず、エリザベスはそれを喜んでいました。たずねたことに何らか満足のゆく答えを得るまでは、腹心の友はむしろいないほうがよかったのでした。
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第五十二章
返事はこれ以上望めないほど早くとどきました。これを受けとると、いちばん人にさまたげられる恐れのないあの雑木林にいそいでゆき、ベンチの一つに腰をおろしました。相当に長い手紙なので、ことわりではあるまいと信じてうれしく思いました。
「グレースチャーチ・ストリート、九月六日
「わたしの愛する姪《めい》へ――
「お手紙ただ今拝受、これから午前中かけてご返事いたすつもりです。とても|少々では《ヽヽヽヽ》お話ししなければならないことをじゅうぶんにつくすことはできまいと思えるからです。じつはあなたからのご要求にわたし自身驚かされましたことを白状いたさなければなりません。|あなた《ヽヽヽ》からあのような要求をされようなど全然予期しておりませんでした。と申してもわたしが腹を立てているとお思いにならないよう、ただそのようなおたずねがあなたのがわで必要であるなぞとは想像いたしておらなかったということをいいたいばかりなのです。もしわたしのいうことがわからないとおっしゃりたいのでしたら、どうぞわたしの無礼をおゆるし願います。おじさまもわたしと同様驚いておられます。あなたがお仲間だと思えばこそ、うちの人もあのような行動をとった由でございます。しかしほんとにそれについて何もご存じないのだったら、も少しくわしく申し上げねばなりませんね。
「わたしがロングボーンから帰り着いたその日に、おじさまにはたいへん思いがけない訪問者がありました。ダーシー氏がたずねてこられ、数時間ふたりきりでとじこもりお話がありました。わたしの到着までにはすべてがおわっておりましたので、あなたのように好奇心の責め苦にあうこともありませんでした。あのかたはうちの人にリディアとウィカム氏の居所のわかったこと、ウィカムとはくりかえし、リディアとは一度会って、よく話し合ったことを知らせにきてくださったのでした。わたしのきいたことから察するとあのかたはわたしたちがたったすぐ次の日にダービシャーをたたれ、ふたりをさがし出す目的で上京されたご様子です。表向きの理由は品行方正な若い女性が、彼を愛したり心をうちこむことのないよう、ウィカムが下劣な人物であることをじゅうぶんに警告しなかったのは、まったくじぶんの落ち度であると考えたからということでした。心ひろくすべてをじぶんの誤った自尊心のためであったとし、じぶんの私的な行為を世間にふいちょうすることは恥ずべき所行と思っていたことを告白されました。じぶんの人柄はふいちょうするまでもなくおのずからあらわれるものと思っておられた由、それゆえ今はすすんでじぶんが誘因となった不幸をとりのぞくことが義務であると考えておられる様子でした。もしそのうえに|今一つの《ヽヽヽヽ》動機があったとしてもけっしてあのかたの不名誉になるものではありません。上京後数日してふたりをみつけることがおできになった由ですが、これには何か捜索上に手づるがおありになったためで、この点は|わたしたちには《ヽヽヽヽヽヽヽ》及びもつかなかったことでした。この点をお考えに入れて、わたしたちのあとを追う決心をなされたのだそうでございます。
「ヤング夫人というしばらくまえにダーシー嬢《さん》の家庭教師をなさったかたが何かの落ち度で――それが何であるかはおっしゃいませんでしたが――解雇になった由ですが、エドワード・ストリートで大きな家を借り、下宿をして生計をたてられておりました。このヤング夫人がウィカムと親密な間であることをご存じで、上京されるとすぐにそこへ消息をもとめにゆかれたのでした。しかし消息が手に入るまでに二、三日はたちました。なかなか託された秘密をもらさないので、わいろを使い買収をしなければならなかったのだろうと思います。事実この人はウィカムの行くえを知っていたのでしたから。ウィカムはたしかにロンドンに着くとすぐにこの人のところに行き、受け入れることができる事情であったら、ここに宿をとることになったでしょう。しかしついに親切なダーシー氏は待望の宛名を手に入れられました。Xストリートにふたりはいたのでした。ウィカムに会い、後にリディアに会うことを強く要求されました。あの娘については最初は現在の不名誉な立場をすてて身内のところへ帰るよう、身内の人たちはじぶんができるかぎり援助して説き伏せてあげるから、と説得されようとされました。しかしリディアがあくまでふみとどまる決心であることがわかりました。あの娘は身内のだれのことも気にしない、あのかたに助けていただきたくもないといって、ウィカムのもとを去ることを望まず、そのうちにきっと結婚できるから、それがいつであろうとあまりたいしたことはないと申した由です。最初のウィカムとの話し合いで結婚の意志がないことが容易におわかりになっていたのですが、あの娘の気持ちがそのようである以上は結婚を確実にして、しかもすぐに実現させることが得策と考えられました。ウィカムは緊急に支払わなければならない信用借用のために連隊を去らなければならなくなったことを白状し、リディアの逃亡のためにおこるわざわいを、すべてあの娘の不品行のせいにしてかえりみなかったそうです。すぐにも軍務を辞任する意図でしたが、将来の地位については何ら心当たりもないありさまでした。どこかへ行かなければならないけれど行くべきところもわからず、生活の資は何にもないこともよく承知しておりました。
「ダーシー氏はなぜただちに結婚しなかったのか、ベネット氏はあまり富裕とは思わないが、なにほどのことかはしてもらえるのではないか、結婚によって彼の位置も有利になるにちがいないだろうにと質問されました。この質問に対する答えで、ウィカムがなおどこかほかの地方で、もっと有利な結婚で金持ちになろうという望みをいだいていることがわかりました。しかしそのような事情では目下の急を救ってもらえるという誘惑に対して心を動かさないわけでもありませんでした。
「いろいろと話し合いをつけるため数回も出会われ、ウィカムはもちろんのこと法外な要求をもっていましたが、ついにまずまずのところで折り合いました。
「ふたりの間ですべてが取り決められると、次の段階としてダーシー氏はうちの人にそのことを知らせようとなさいました。わたしの帰宅するまえの晩、最初にグレースチャーチ・ストリートをおたずねくださったそうですが、そのとき、うちの人にお会いになれませんでした。ダーシー氏はたずねているうちにあなたのおとうさまがまだ滞在中であること、翌朝出発のはずであることを了解されました。あのかたはおとうさまよりうちの人が相談相手として適当であると判断され、それゆえおとうさまの出発までうちの人に会うことをおのばしになりました。お名まえをことづけられませんでしたから、翌日まである紳士が用事でたずねてこられたということ以外はわかっていませんでした。
「土曜日にふたたび訪ねられました。おとうさまはすでに去られ、うちの人は在宅し、まえにも申し上げたとおり、ふたりでいろいろと相談されました。
「ふたりは日曜日にふたたび会い、そのとき、|わたしも《ヽヽヽヽ》あのかたにお目にかかりました。月曜日になってすべてが決まるや否や、ロングボーンに早馬便が出されました。しかしあのかたはほんとに強情ぱりでいらっしゃるわね。わたしの想像ではそれだけがあのかたの正真正銘の欠点だと思いますよ。そのおりおりでずいぶんたくさんの欠点をもっていると非難されたかたですけれど、|これだけは《ヽヽヽヽヽ》本物ですわ。何でもごじぶんでなさらなければ承知できないかたです。うちの人はたしかに喜んで全部じぶんでかたをつけたと思いますけれどね。(これはお礼をいっていただくためにお話ししているのではないのよ。だからもうこのことは何もいわないで)
「ふたりはながい間おたがいにゆずらないで、じぶんで負担しようとされました。この事件関係の紳士も淑女もそのねうちはないように思われますけれど。とうとうおじさまが折れて、姪《めい》のために役にたつことはゆるされず、たぶんその名誉だけを受けることを我慢しなければならなくなり、それはひどくうちの人の気に入らないことでありました。それゆえ、けさのあなたの手紙はじぶんの借りたはねをもぎとり、当然ゆくべきところに賞賛をあたえる説明がいるのでたいへんうれしく思っている様子です。しかし、リジー、これはあなたでとどめてそれ以上には秘密に願います。せいぜいジェーンまでにしておいてください。
「若いふたりのためになされたことはもうよくご存じのことと思います。おそらく一千ポンドをかなりこす金額だと思いますが、負債は支払われることとなり、リディアには自身のお金のうえにもう一千ポンドがあたえられ、ウィカムの士官任命があがなわれました。これがすべてなぜあのかただけでなされたのか理由はまえに申し上げたとおりで、ウィカムの人柄が非常に誤解され、その結果あのように人から受け入れられ、注目を受けたのはあのかたの遠慮としかるべき考慮が足りなかったためと考えられたからです。あの|かた《ヽヽ》の遠慮あるいは|だれかの《ヽヽヽヽ》遠慮がこの事件に責任があるかどうか疑わしいと思いますが、たぶん|この理由《ヽヽヽヽ》にも多少真実があるのでしょう。しかしこのようなもっともらしいいい分にかかわらず、愛するリジー、もしこの事件に今一つの関心があると考えなかったら、おじさまは絶対に譲歩したりしなかったとお信じになっていいと思いますよ。
「このことが決まりますと、またペンバレーに滞在されていた友人がたのところへ帰られましたが、婚礼のとき、今一度上京され、お金のことを万事そのときに受けわたすことを同意されておりました。
「これで何もかもお話ししたことと信じます。これはたいへんあなたを驚かすことでしょうが、少なくとも不快な気持ちにすることのないよう希望しております。リディアが家にきている間、ウィカムはたえず出入りをしておりました。|あの人《ヽヽヽ》はハーフォードシャーで知り合ったときとまったくおなじでした。家に滞在中の|彼女の《ヽヽヽ》ふるまいにあまり感心いたしませんでした。このことはお話しするはずではないのですけれど、まえの水曜日にいただいたジェーンの手紙によるとあの人の家へ帰ってからのやり方とまったくおなじなので、これからお話しすることでこと新しく苦痛をお感じになることもありますまい。わたしはあの人のしたことが道にはずれていること、家族の人たちをどれほど不幸におとしいれたかをいってみせてまじめにくりかえし話しました。もしわたしのいうことがきこえたら、これは僥倖で、全然きく気ではなかったと信じています。ときどきはかなり腹も立ちましたが、そのときはわたしの愛するエリザベスとジェーンを思い出し、ふたりに免じて我慢をいたしました。
「ダーシー氏は正しく時間をまもっておみえになり、リディアが報告したとおり、式に出席されました。翌日は家で晩餐をとられ、水曜日か木曜日にはロンドンを去られたはずです。愛するリジー、この機会に(今までそれだけのことをいう勇気が出なかったのですが)あのかたに非常に好感をもっているといえば、あなたは腹を立てるかしら? あのかたのわたしたちへのなさりようはダービシャーのときとおなじように、とても気持ちようございました。理解力も意見もすべて気に入り、もの足らなく思うのはただも少し快活でいらしたらということだけですが、|それは《ヽヽヽ》もし|分別のある《ヽヽヽヽヽ》結婚をなされば、奥さんが教えることができることです。しかしあのかたはなかなかおとぼけで、あなたの名を口に出されたことはありません。しかしおとぼけは流行のようですわ。
「もしあまりあつかましいいいぶんだったらおゆるしください。少なくともPからわたしをしめ出したりしないで。わたしはあの邸園を一周するまでは満足できません。あそこでは一対の小馬のひく低い四輪馬車などがぴったりだと思います。
「しかしもうペンをおかなければなりません。子供らがこの半時間もまえから呼んでおります。
さようなら
M・ガーディナー」
この手紙の内容はエリザベスの心をひどく動揺させ、喜びと苦しみとはたしてどちらが大きいか決めかねたのでした。ダーシー氏が妹の縁組みをすすめるために手をかしたらしいという嫌疑《けんぎ》は、彼がどの程度のことをしてくれたかは不たしかでしたので、いつも不たしかでぐらぐらゆれておりました。それは真実とは思えないほど善良な行為であるので、あまりそれを深めないよう、またそれが事実だとしたら、その恩恵はあまりにも大きくて苦痛であるため、それがほんとうであるのをおそれてもいたのですが、それはやはり真実であり、しかも、その恩恵は想像をはるかにこえておりました。彼はわざわざ、みんなのあとからロンドンにゆき、そのような捜索にまつわる骨折りと心痛をじぶんの身にひき受けたのでした。その場合に彼が嫌悪《けんお》し軽べつしていたにちがいない婦人に嘆願することが必要でありましたし、彼がいつもさけたく思い、その人の名を口に出すのさえ刑罪の思いのする男と会い、しかもたびたび会って道理をとき、説得し、最後にはこれを買収するはめに追いやられたのでした。このすべてを愛しもしない、感心もしない女のためにしたのでした。彼女の心は、あのかたはわたしのためにこのすべてをしてくださったのだとささやきましたが、しかしこの希望はすぐにほかの考慮でくいとめたのでありました。彼の求婚を一度拒絶した女に対する彼の愛情が、ウィカムと親戚になるのを嫌悪するまことに自然な感情にうちかつほどつよいものと考えなければならないとすると、いくらうぬぼれてみても、とうてい不じゅうぶんであると感じないではいられなかったのでした。ウィカムの義兄! あらゆる自尊心がこの関係に対して反発するにちがいありません。たしかにあのかたはいろいろのことをしてくださった。恥じ入るほど多くのことを。しかしあのかたはじぶんが干渉する理由をちゃんとあげておられます。その理由は信じるのにさほど骨が折れるほどではありません。あのかたがまちがっていたと感じるのは理由のあることです。彼は気前がよく、気前よくする財力もあるのです。あえてじぶんがおもな誘因と考えようとは思いませんが、じぶんに対する愛が残っており、その努力をわたしの心の平安のために傾けたと信じても、たぶんまちがいではありますまい。じぶんたちがけっして恩返しをすることのできない人から恩恵を受けていることは心苦しい非常に心苦しいことでありました。じぶんたちがリディアと、あの子の評判をとりもどしたのはすべてあのかたのおかげでした。心から彼に対してもったあのぶしつけな気持ち、彼に向けたあの生意気な言葉をどんなに後悔したことでしょう! じぶんのことについては彼女はまったくへりくだった気持ちになりました。しかし彼のことはすばらしいと思いました。そのような名誉に関する事件をあわれに思い、じぶんにうちかってたすけてくれたことをすばらしいと思ったのでした。何度も何度もおばの賞賛を読みかえしました。じゅうぶんとは思いませんでしたが、それは彼女を喜ばせました。おじとおばが終始かわらず、愛情と信頼がダーシーと彼女自身の間に存在するものと信じこんでいたことを知って、多少残念とは思いながら、うれしく感じないではいられませんでした。
エリザベスはだれかが近づいてきたので、じぶんのもの思いからよびさまされ、ベンチから立ち上がりました。今一つの道に逃げこもうとしましたが、そのまえにウィカムに追いつかれてしまいました。
「おひとりの散歩のおじゃまをしたようですね、おねえさん」といっしょになりながら申しました。
「たしかにそうよ」ほほえみながら答えました。「でもじゃまを歓迎しないということにはなりません」
「もし歓迎しないとおっしゃるのでしたらじつに残念に思います。|わたし《ヽヽヽ》はいつでもいい友だちでしたし、今ではもっとそれ以上のものになったのですから」
「ほんとですね。ほかの人たちも出てまいりますか?」
「よく知りません。ベネット夫人はリディアといっしょに馬車でメリトンにいらっしゃいました。それでおねえさん、おじさまおばさまからおききしたのですが、ペンバレーをごらんになったそうですね」
エリザベスは肯定の答えをしました。
「うらやましく思いますね。しかしとても堪えられないのではないかとも考えています。そうでなければニューカッスルへ行く途中でよったのですが、たぶんあの年とった家政婦にはお会いになりましたでしょうね? ああ、レイノールズ、あの人はいつでもわたしのことを好いていてくれました。しかしもちろんわたしの名まえを口には出さなかったでしょうね」
「いいえ、話しておりましたよ」
「何といっておりました?」
「あなたが陸軍にはいられたということと、あまりうまくいかなかったようだと話しておりました。|あれ《ヽヽ》ほど遠くになるとことはずいぶんまちがって伝わるものですね」
「たしかにそうです」と唇をかみながら答えました。
エリザベスはこれでだまってしまうだろうと思っていたのですが、すぐあとで申しました。
「先日ロンドンでダーシーに会って驚きました。数回道で出くわしました。いったい何の用事があるのかと不思議に思いましたよ」
「たぶんド・バーグ嬢とのご結婚の準備をしていられたのではありませんの」とエリザベスは申しました。「こんな時期にお出かけになるなんて特別のご用事がおありにちがいありませんわ」
「そのとおりです。ラムトンに滞在中にはお会いでしたか? ガーディナーのかたがたのお話ではそのように了解されましたが」
「お目にかかりました。お妹さんにご紹介してくださいました」
「あの人はお気に入りましたか?」
「ええ、とても」
「そういえば非常にこの一、二年でよくなられたときいています。最後にあったときはあまり見込みがありそうでもなかったのですがね。立派になられるよう希望しています」
「きっと、ご立派になられますわ。いちばんむずかしい年ごろをもうこえてしまわれましたもの」
「ケムプトンという村を通られましたか?」
「通ったかどうか思い出せませんけど」
「それを申し上げたのはわたしが受けつぐことになっていた教会のあるところでしてね。たいへん気持ちのよい場所です! すばらしい牧師館でしてね。あらゆる点でわたしにぴったりというところでした」
「お説教をなさるのはお気に入りましたでしょうか?」
「とっても。わたしはそれをじぶんの義務の一部と考えましたでしょう。そんな努力などなんでもなくなりますよ。人間は不平などいうべきものではないのですが、しかしたしかにわたしにうってつけのことでした! そんな閑静な土地でおちついて暮らすのはまったくわたしの幸福感にぴったりです! ケントにいらっしゃる間にダーシーはその事情について何かいっておりましたか?」
「たしかな筋から、わたしの考えではダーシーさまと|おなじほどたしかな《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》筋からおききしましたが、あれは条件つきの譲与だったようですね。当主の意志によるものだったそうで」
「おききになりましたって! そうです。|それ《ヽヽ》|については《ヽヽヽヽヽ》そんなこともありました。最初からそういってましたでしょう、覚えていらっしゃいませんか」
「それからお説教が今ほどお好きでなかった時代もおありだったことも|きいて《ヽヽヽ》おります。事実聖職にはつかないという決心を宣言なさり、それにしたがって話し合いがついたのだとかいうことも」
「なるほど! まったく根拠のないわけでもありません。最初そのことをお話ししたとき、その点について申し上げたことを覚えておいででしょう」
ふたりはもうほとんど戸口にきておりました。彼からのがれたくて足早に歩いてきましたから。妹のために彼をおこらせたくはありませんでしたから、きげんのよい微笑をうかべて答えて申しました。
「さあ、ウィカムさん、わたしたちは姉と弟です。すぎ去ったことでいい争いはいたしますまい。これからはいつも意見のくいちがわないようにしたいものですね」
エリザベスは手を差し出し、ウィカムは愛情深くいんぎんにキスしましたが、どういう顔つきをしていいかとまどった様子でした。やがてふたりは家へはいってゆきました。
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第五十三章
ウィカム氏はこの会話で完全にたんのうしたらしく、けっしてふたたびその話題をひき出してじぶんを苦しめ、愛する姉エリザベスをおこらせるようなことはいたしませんでした。エリザベスも彼をだまらせる程度のことをいってしまったのを満足に思いました。
ウィカムとリディアの出発の日はまもなくきて、ベネット夫人は泣く泣く少なくとも一年はつづくものと思われる別離に身をゆだねなければならなくなりました。夫がみんなでニューカッスルに出かけようという計画にはどうしてものってこなかったからです。
「おお、リディア」と叫びました。「いつまた会えるだろうね?」
「あら、わかんないわ。たぶんこの二、三年はだめなんじゃあない?」
「たびたびおたよりをくださいよ、ねえ、おまえ」
「できるだけはね。でも結婚したら手紙など書くひまはないものよ。おねえさんたちがわたしに書いてくださればいいじゃあない。あの人たちなんにもほかにすることはないものね」
ウィカム氏のわかれは細君よりずっと愛情のこもったものでした。ほほえみ、お行儀のよい顔つきをしていろいろお世辞をいいました。
「あいつはなかなか立派な奴さんだよ」ふたりが家から出てしまうとベネット氏は申しました。「作り笑いをしたり、気どり笑いをしたり、みんなに調子のいいことをいって、ものすごく気に入ったね。ルカス卿にだってこれ以上立派な婿《むこ》があるなら出してみろと挑戦できるよ」
娘がいなくなってベネット夫人は数日はぼんやりとしておりました。
「わたしはよく考えるんだけど」と申しました。「親しい人にわかれるほどいやなことはないわね。ほんとにまるでみすてられたようなわびしいものだよ」
「これが、おかあさま、おわかりでしょう、娘をお嫁にやった結果なのよ」とエリザベスは申しました。「これでほかの四人がまだひとりなのをもっとご満足にお思いでしょう」
「そんなことはありません。リディアは何も結婚したから去っていったわけではないのよ。ただ主人の連隊が偶然遠くだったからです。もしもっと近ければ、こんなに早く出かけることもなかったんですよ」
ところがこの事件が彼女をなげこんだ虚脱状態は、まもなく解消することになりました。そのころ広がりはじめた一片の報道が彼女の心に希望の動揺をあたえたのでありました。ネザーフィールドの家政婦が二、三日のうちにきて、狩猟のため数週間滞在するはずの主人の到着にそなえて準備をするように、と命令を受けとったのでありました。ベネット夫人はもうわくわくとしてジェーンに目をやり、微笑し、頭をふる、これを交互にくりかえしました。
「なるほど、なるほど、それでビングリーさんが帰ってみえるのですね、ねえさん」(最初にそのしらせをもたらしたのはフィリップス夫人でしたので)「それあ結構なことですよ。何もわたしが、それをかれこれ気にしているというわけではないのですけれど。あの人はうちとは何にも関係はないし、|わたしは《ヽヽヽヽ》二度と会いたいと思ってませんのよ、たしかに。しかしネザーフィールドにいらっしゃるならお好きなようになさるがいいです。何がおこるだろうなんどだれにもわかりゃしません。全然わたしたちには関係のないことです。ねえさん、ずっとまえにそれについてはひと言も口に出すまいって約束しましたでしょう。ああそう、それでいらっしゃるのはたしかなのね?」
「たしかなのよ。昨晩ニコラス夫人がメリトンにいらしてね。お通りになられるのをおみかけして、事実かどうかたしかめるためにわざわざじぶんで出ていったんですよ。まちがいなくそのとおりっていってらっしゃいましたよ。どんなにおそくても木曜日にはいらっしゃいます。たぶん水曜日にいらっしゃるらしいということでした。水曜日の肉を注文に肉屋へ行くところだって。それでちょうど食べごろのあひる三羽手にはいったそうですよ」
ベネット嬢はビングリーのくるといううわさをきいたとき、顔色がかわらないわけにはゆきませんでした。エリザベスに彼の名を口に出してからもう幾月もたっていましたが、ふたりきりになるとすぐに申しました。
「今日おばさまがこのしらせをしてくださったとき、リジー、わたしをごらんになったわね。困った顔をしたのを知ってます。しかしそれは何も愚かな原因からではないのよ。ただ、きっとみられていると感じたものでめんくらったのよ。あのしらせで喜びもしなければ悲しくもないのよ、ほんとに。一つだけうれしいのはひとりでいらっしゃることよ。それだけお目にかかるおりも少ないわけですものね。|わたし自身を《ヽヽヽヽヽヽ》おそれているわけではないけれど、世間のうわさがおそろしいのよ」
エリザベスはこれをどう考えてよいかわかりませんでした。もしダービシャーでビングリーに会っていなかったら世間でみとめている以上の目的をもってくるとは想像できなかったかもしれませんが、彼女はビングリーが今でもジェーンを好いていると考えており、ただ友人の許可を得てくるのか、それとも大胆にもそれを無視してくるのか、どちらの可能性が多いかとそれをあやしむのでありました。
「でも」とときどき考えました。「このかたはお気の毒にごじぶんが立派に法律上借り主であるお家にいらっしゃるのにこんなにいろいろ人に臆測をさせるとは難儀なことね。わたしだけはあのかたを放っておいてさしあげるわ」
姉が宣言し、またそれがビングリー氏の帰来についての実際の感情だと信じていたにもかかわらず、エリザベスは姉の心がそのために影響を受けていることを容易にみとめえたのでありました。今までにみたことのないほど混乱し平静を失っておりました。
一年まえ両親の間で熱心に討論された問題が、今ふたたびむしかえされたのでありました。
「ビングリーさんがいらしたら、ねえ、あなた」とベネット夫人は申しました。「もちろん訪問してくださいますわね」
「いやだね。去年もむりやりに訪問させて、もしそうすれば娘のひとりと結婚させると約束しておきながら、結局むだだったではないか。もう二度とばか者の使いはごめんこうむるよ」
細君はビングリーがネザーフィールドに帰ってきた場合、近所の紳士たちがそのような心づかいをすることが絶対に必要なことを主張いたしました。
「わたしはその礼儀《ヽヽ》というのを軽べつするんだよ」と申しました。「もしつき合いたいなら彼のほうからそれを求めさせればいいだろう。わたしたちが住んでいるところはわかっているのだから。わたしは隣人が行ったり帰ったりするたびに、追いかけまわして|じぶんの《ヽヽヽヽ》時間をむだにしたくないよ」
「よござんす。わたしにわかっていることは、もし訪問なさらなければものすごく無作法だということです。しかし訪問なさらなくても、わたしがここで晩餐にお招きするのはいっこう差しつかえないと心を決めました。まもなくロング夫人とガウルディングズのかたたちをお招きしなければなりません。わたしたちを加えて十三人ですからちょうど食卓にあのかたのための余地がありますわ」
この決心になぐさめられて、夫の不作法の我慢もしよくなりました。その結果隣人たちがじぶんたちより早くビングリー氏に会うかもしれないと思うと、残念でたまりませんでしたが、彼の着く日が近づいてきたとき、
「あのかたがいらっしゃるのをいやに思うようになったわ」とジェーンは妹に申しました。「何ともなりはしないし、完全に無関心にお目にかかれるわ。ただこのように始終話をきかされるのは我慢ができないのよ。おかあさまのご好意はわかるわ。しかしおかあさまも、まただれだっておかあさまのおっしゃることで、どれほどわたしが苦しい思いをするかおわかりにならないのね。あのかたのネザーフィールド滞在がおわるときはどんなにうれしいでしょう!」
「何かあなたのなぐさめになることをいってあげたいわ」とエリザベスは答えました。「しかしまったくわたしにはその力がないの。わたしの心持ちは察していただくよりほかないわ。受難者にいつも忍耐を説いていい気持ちになるものですが、あなたの場合には忍耐はいつでもじゅうぶんすぎるほどおもちですもの、それもできないの」
ビングリーが着きました。ベネット夫人は召使どものたすけでいち早くそれをききつけましたから、彼女のがわのくよくよ、わくわくの気持ちを最大限に味わいました。招待状をおくってしかるべきときまでには、幾日おいたらいいかなどかぞえてみたりいたしました。しかし彼がハーフォードシャーに着いて三日めの朝、化粧室の窓から牧場にはいって家のほうへ馬でやってくる彼を目にいれたのでした。
娘たちはその喜びをいっしょにわけもつようと熱心に誘われました。ジェーンはあくまでもテーブルの席をまもっていました。エリザベスは母親を喜ばすため窓までゆき、目を向けました。ところがダーシー氏がいっしょにくるのを目にとめると身をひるがえして姉のそばに腰をおろしてしまいました。
「おかあさま、だれか紳士がいっしょよ」とキティがいいました。「いったいだれでしょう?」
「だれかお知り合いの人でしょう、おまえ、わたしにだってわからないよ」
「あら!」とキティは答えました。「よく以前いっしょだったあの人のようにみえるわ。そら何といったっけ、あの背の高い高慢な人」
「おやまあ! ダーシーさんだよ! ほんとにそのようだこと。よござんすとも、ビングリーさんのお友だちならどなたでも歓迎しますよ、ちかって。さもなければ、ほんとのところあの人はみるのもいやだね」
ジェーンは驚き、気づかわしげにエリザベスに目を向けました。ダービシャーでの出会いについてはほとんど知りませんでしたから、例の説明の手紙を受けとって以来、ほとんどはじめて会う妹のぐあいわるさを思いやりました。ふたりとも相当に居心地はわるく、それぞれは他に同情し、もちろんじぶんたちのこともあわれんでおりました。母親はダーシーさんはきらい、ただビングリーさんの友だちとしてのみ、丁重にしようという決心を語りつづけましたが、ふたりのどちらの耳にもそれははいりませんでした。しかしエリザベスにはジェーンの感づきようのない不安の源がありました。ガーディナー夫人からの手紙をみせる勇気もなく、またダーシーに対するじぶんの気持ちのかわったことも話してはいなかったのでした。ジェーンにとってダーシー氏はその求婚をことわった人、その真価がじゅうぶんにわかっていなかった人、それだけの人でしたが、エリザベス自身はもっといろいろのことを知っているため、家中の者が金銭上の負いめをおい、じぶん自身が、よしそれがビングリーに対してジェーンのもつあの感情ほどやさしいものでないにしても、それとおなじほど正しい道理にかなった関心をいだいている人であったのでした。ダーシーがここへ、ネザーフィールドへ、ロングボーンへすすんでふたたびエリザベスを求めてきたのをみて、ダービシャーですっかり態度のかわったのをはじめてみたときに感じた驚きにも匹敵するものがありました。
その顔からいちどひいた血色は、エリザベスが彼の愛情も結婚への希望もまだぐらついていないと考えたとき、半分間でいちだんとかがやきをましてかえってまいりました。歓喜の微笑は目に光沢を加えました。しかし安心しすぎてはいけないと思いました。
「まずあのかたの態度をみて」と考えました。「期待はそれからでもおそすぎないわ」
エリザベスは仕事に一心であるかのようによそおい、おちつこうとつとめ、あえて目を上げようとはいたしませんでしたが、召使が扉に近づいてくるとはじめて姉の顔に心配と好奇の目を向けました。ジェーンはいつもより少し青白く、しかし予想したよりずっとおちついておりました。ふたりの紳士があらわれると顔はあかくなりましたが、まずまずかたくならないで、しかもきちんと礼儀正しく全然うらみがましい様子もなく、度をこしてていねいというのでもなく、ふたりを迎えました。
エリザベスは礼儀のゆるす範囲で言葉数少なく、めったにしめしたことのない熱心さで仕事に没頭しておりました。ようやくひと目だけちらりとダーシーをみました。いつものとおりまじめなおももちでした。ペンバレーでみたときよりも、もとハーフォードシャーでみなれた顔つきでした。しかしたぶん彼女の母親のまえではおばのまえのようにはいかないのでしょう。これは苦い推量でしたが、ありそうにないことではなかったのでした。
ビングリーもおなじように一瞬視線を向けましたが、その短い瞬間にうれしそうな同時に当惑した様子をみてとりました。ベネット夫人はふたりの娘たちが恥じ入るほどねんごろに歓迎しました。とくに恥ずかしかったのは、彼の友人には対照的に冷淡な儀礼的な丁重さで腰をかがめ応対していることでした。
母親のお気に入りの娘を、とりかえしのつかない汚辱から救い出せたのはまったくダーシー氏のおかげであることを知っているエリザベスは、特別にこの母親の誤ったわけへだてに傷つけられ、苦しめられたのでありました。
ダーシーはガーディナー夫妻はどうしておられますかとたずね、それに対してエリザベスは答えようとすれば混乱するばかりでしたが、そのあとは彼はほとんど口をききませんでした。彼女のそばでないからたぶんだまっているのでしょう。でもダービシャーではそうではありませんでした。もし彼女に話しかけない場合、彼女の友だちに話しかけました。それなのに今では数分間全然彼の声をきくこともなくすぎました。ときどき好奇心にかられて彼の顔に目を上げましたが、彼の目はじぶんのほうへ向けられてるとおなじくらい、ジェーンに向けられておりました。最後にあったときよりいっそう考え深くなり、喜ばせたいという気持ちは少なくなったように思われ、エリザベスは失望し、また失望するじぶんを腹立たしく思いました。
「これ以外のことを期待できるわけがないではないの?」と考えました。「それにしてもなぜいらしたのだろう?」
彼のほかだれとも口をきく気にはならず、彼には話しかける勇気がほとんどなかったのでした。
彼の妹の安否をたずねましたが、それ以上何もできませんでした。
「行っておしまいになってからもうずいぶんながくなりますものね、ビングリーさん」とベネット夫人は申しました。
ビングリーはすぐさまそれに同意しました。「もう帰っていらっしゃらないかと心配しはじめていましたよ。うわさではミカエル祭にはまったくおひきあげになるということでした。でもわたしはほんとでないことを願っております。いらしてからこちらでもずいぶんいろいろなことがおこりました。ルカス嬢《さん》が結婚されて家をもたれ、うちの娘のひとりも、はあ、きっとおきき及びと存じますが、ああそう、新聞でごらんになりましたでしょう、タイムズとクーリアに出ておりましたから。でもあまり立派な記事ではございませんでした。ただ『近ごろジョージ・ウィカム殿、リディア・ベネット嬢と結婚』とだけで父親についても住んでいたところについても何についても一言半句書いてはございません。弟のガーディナーが原稿を書きましたもので。どうしてあんなまずいものをこしらえ上げたかと不思議に思っておりますが、ごらんになりましたかしら?」
ビングリーは拝見したと答え、祝辞をのべました。エリザベスはどうしても目を上げることができず、したがってダーシー氏がどんな顔をしていたか知る由もありませんでした。
「たしかに娘をいいところにかたづけますのはとてもうれしいことでございます」と母親はつづけました。「ですが同時に、ビングリーさま、娘をもって行かれてしまうのはほんとにつらいことで。ふたりはニューカッスルにまいりました。たいへん北のほうのように思われますが、そこにどれくらいになるか存じませんが、とどまることになっております。連隊が今そちらのほうで、たぶんおきき及びでしょうが、X州市民軍を出て、正規軍にはいりました。ありがたいことに|幾人か《ヽヽヽ》お友だちがありましてね、あの人が当然もっていいほど多くはないのですがね」
エリザベスはこれがダーシー氏にあてつけたものであることを知っているので、恥ずかしくてその場にいたたまれないようなみじめな気持ちでした。しかし、ほかのことではそれほど効果がなかったのですが、これで話す努力をする気持ちがわきあがってまいりました。ビングリーにこんどはいなかにどれほど滞在するおつもりかとたずねました。二、三週間いるつもりとのことでありました。
「お宅の鳥をうっておしまいになりましたら、ビングリーさま」と母親は申しました。「なにとぞこちらへいらしてうちの人の所有地でお好きなだけおうちくださいまし。きっとうちの人もあなたのお役にたてば喜んでいちばん上等なうずらの群れをとっておきますでしょう」
エリザベスのみじめな気持ちはこのような不必要な、おせっかいな心づかいでよけいにつのってまいりました。一年まえとおなじように前途有望な期待がおこったとしても、あらゆることがおなじように苦悩にみちた終結にかりたてるだろうと信じきっておりました。この瞬間は幸福の幾年かが約束されたとしても、ジェーンとじぶんがこのような苦しい混乱の瞬間をもつ償いにはならないと感じるのでありました。
「わたしのいちばんの望みは」とひとりごとを申しました。「ふたりのどちらとも同席したくないということです。ふたりとのおつき合いはこのようなみじめさを償うほど喜びをあたえてくれません。ひとりのかたにももうひとりのかたにもけっして会わせないでください!」
永年の幸福もその償いとならないほどのみじめさも、その後まもなく姉の美しさがもとの恋人の賞賛を今いちど燃えあがらせるのをみては、ひどくへらされました。最初はいってきたとき、ビングリーはジェーンにほとんど話しかけることもなかったのでしたが、しかし五分間が経過するたびにだんだんと心づかいも増してきました。ジェーンは昨年とまったくかわらず美しく、すなおで、気どりのないことがビングリーにはわかりましたが、ただ、昨年ほどおしゃべりはしませんでした。ジェーンは全然相違がみとめられないようにと気をつけて、昨年とおなじほどに話していると信じきっておりましたが、しかし、心は忙しくはたらいておりましたのでじぶんがだまっていることに気がつかないのでした。
紳士たちがいとまをつげて立ち上がりますと、ベネット夫人はかねがね心にかけていた計画を実行しようと思い、ふたりを二、三日中にロングボーンで晩餐をするよう招待いたしました。
「訪問が一つ借りになってましてよ、ビングリーさま」と彼女はつけ加えました。「昨年の冬ロンドンにいらっしゃいましたとき、お帰りになったらすぐ家庭の晩餐にお加わりくださるとお約束なさいました。忘れてはいませんことよ。お帰りにならず、お約束をまもっていただけなかったのでたいへんがっかりいたしました」
ビングリーはこういう回想をきいて、少しまのぬけた顔つきで用事にさまたげられてあいすまなかったなどと、いいわけをしました。それからふたりは帰ってゆきました。
ベネット夫人はふたりにも少しとどまって、その日も食事をしてゆくよう招待したいという気持ちもたいへんつよかったのでしたが、いつでも相当の食卓は準備していましたが、娘の婿《むこ》にと心をくだいて画策している人と、一年一万ポンドの収入をもつ人の食欲と誇りを満足させるためには、ぜひとも二つのコースでなければと思うのでありました。
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第五十四章
ふたりが行ってしまうとエリザベスは元気を回復しようと散歩に出ました。いいかえれば、だれにもさまたげられないで元気をそそうさせるに決まっている問題をつぶさに考えるためでありました。
「もしただだまっていかつい顔をして冷淡にしているのなら、いったいなぜいらしたのでしょう?」
じぶんに気に入るような解答はでてきませんでした。
「ロンドンにいるときはおじさまおばさまにたいへん愛想よく気持ちよくなさることがおできになったのに、なぜわたしにそうおできにならないのでしょう? もしわたしを恐れていらっしゃるのならなぜここへいらしたのでしょう? もしわたしのことなぞおかまいにならないのなら、なぜだまっていられるのでしょう? 意地のわるいかた! もうあのかたのことなど考えないわ」
この決心は姉が近づいてきたためにしばらくの間は自然にたもたれたのでした。姉は心たのしげな様子でエリザベスに比べると訪問者たちがずっと気に入ったことがわかるのでした。
「この最初の出会いがおわった今、とても安らかな気分よ。じぶんの力がわかったから、もういらしてもまごついたりしないことよ。ここで火曜日に食事していただくのはうれしいわ。そうすれば両方ともただふつうの何でもない知り合いとしてお会いすることが世間にもよくわかるでしょう」
「そうよ、たいへん何でもないのね、まったく」とエリザベスは笑いながら言いました。「おお、ジェーン、気をつけてよ」
「リジー、まさかわたしがまた危険におちいるほどよわいと思っているわけではないでしょうね」
「あのかたにまえとおなじほどあなたを愛させるようにする危険が大ありと思っているのよ」
――――
火曜日までは紳士たちに会うこともありませんでした。ベネット夫人はその間《かん》、ビングリーの半時間の訪問の間、彼のきげんのよかったこと、みんなに礼儀正しかったことからまた息を吹きかえしたしあわせなもくろみにすっかり心を傾けておりました。
火曜日にはロングボーンでは大ぜいの人たちがあつまりました。いちばん熱心に待たれていたふたりは狩猟家の時間厳守の名誉を傷つけることもなく、早々にあらわれました。食堂にはいるとき、エリザベスは熱心にビングリーが以前のパーティで彼のものであった席、すなわち姉の隣に行くかどうかみはっておりました。抜けめのない母親もおなじ考えに心をとらえられていましたから、じぶんの隣にすわるよう誘うのはひかえておりました。へやにはいると彼はちゅうちょするようにみえましたが、ちょうど偶然ジェーンはふり向いてほほえみました。これでことは決まり、ジェーンのかたわらに腰をおろしました。
エリザベスは得意になって、彼の友のほうへ目をやりました。彼はあっぱれなことに無関心をよそおってこれに堪えておりました。もし彼女がビングリーの目もなかば笑い、なかば気づかう表情で、ダーシー氏に向けられているのをみなかったなら、友からたのしくやれと許可を得ているものと想像したことでしょう。
食事の間のビングリーの姉に対する態度は、まえと比べるともっと用心深かったけれど、すべて姉に対する賞賛をしめすもので、もしまったく彼に自由にさせておけば、ジェーンの幸福と彼自身の幸福は、すみやかに確保されるのと信じて疑いませんでした。その結果をあえてあてにすることはいたしませんでしたが、彼のふるまいをながめているのはなかなかたのしいものでありました。それで気分のゆるすかぎりの活気をみなぎらせましたが、彼女の気分は今けっして朗らかというわけではありませんでした。ダーシーの席は卓のゆるすかぎり彼女から離れておりました。母親のそばだったのでしたが、そんな位置はどちらにもたのしいものとも思えず、どちらもおたがいに引き立たせるものでもありませんでした。彼女の席からはふたりの話は全然きこえませんでしたが、稀にしか話さないこと、その場合も態度はいたってかたくるしく、冷ややかであることがわかりました。この母親の不愛想な態度からじぶんたちがダーシーのおかげをこうむっていることを痛いほど意識させられ、ときには、彼の親切を知っているもののいることを、心に銘じているものもあることをどんな犠牲をはらっても話したいと思うほどでした。
夜になればふたりがいっしょになるおりもあろうかと期待をもっていました。訪問がまるまる彼のご入来に伴う形式ばった挨拶ばかりで、会話らしいものをかわす機会もなしにすぎてゆくこともなかろうと希望しておりました。気がかりでおちつかず、紳士たちがはいってくるまえの客間ですごされる時間はうんざりとするほど退屈で、ほとんど無作法にならんばかりでした。エリザベスはこの一夜がたのしいものになるかならないかの瀬戸際として、紳士の入室を待ちかまえておりました。
「もしあのかたが|そのとき《ヽヽヽヽ》、わたしのところへいらっしゃらないなら」と考えました。「永久にあきらめましょう」
紳士たちがはいってまいりました。彼はエリザベスの希望にこたえるかにみえました。しかし、ああ! ご婦人たちはベネット嬢がお茶を入れ、エリザベスがコーヒーをついでいるテーブルにかたまりあって、彼女の近くには椅子を一つ入れる余地もありませんでした。紳士たちが近づくのをみますと、ご婦人のひとりはまえよりもっと彼女の近くへ寄って、ささやき声で申しました。
「わたし男の人にわりこませないわ。男なんぞだれもいらないわね。どう?」
ダーシーはへやの別のほうへ歩き去りました。エリザベスは彼を目で追って、彼が話しかける人をだれもかれもうらやましく思い、だれにコーヒーをすすめるのもいやになり、またそのような愚かしいじぶんに対して腹を立てるのでした。
「一度ことわられた男性! もう一度その人の愛の復活を願うとは何という愚かなことでしょう? 男性のうちにおなじ女性に二度めの求婚をするような弱気に抵抗しない人がひとりでもいるでしょうか? それほどいとうべき不見識はないはずです」
しかしコーヒー茶わんをじぶんでもってくるのをみて、少しばかり気をとりなおしました。その機会をとらえて申しました。「お妹さんはまだペンバレーにいらっしゃいますか?」
「はあ、クリスマスまではあちらにいるはずです」
「それでおひとりきりで? お友だちみなさまはお帰りになりましたか?」
「アネズリー夫人がいっしょです。ほかの人たちはこの三週間まえにスカバラへ行きました」
それ以上はエリザベスはいうことを思いつきませんでしたが、もしダーシーのほうで話し合いたいと望めば、もっと成功したにちがいないのですが、どうしたものか彼はだまったまま数分の間彼女のそばにつっ立っておりましたが、例の若いむすめがまたエリザベスにひそひそ話をはじめたのをしおに立ち去ってしまいました。
お茶の道具がかたづけられるとカード卓が出され、婦人たちが立ち上がりました。エリザベスはこんどこそ彼がすぐに相手になってくれるものと期待していましたが、彼女の目算はまったくはずれて、彼はホイストの仲間を血眼になってかりあつめている母親のとりこになってしまい、数分たつと他のお仲間といっしょにその座についてしまいました。今はたのしみの期待はすべて空しくなりました。ふたりは夜中ちがった卓に監禁されてしまったのでした。もはや絶望でしたがただ彼の目はたびたびへやの彼女のいるほうへ向けられて、彼女自身と同様したたか負けている様子でした。
ベネット夫人はふたりのネザーフィールドの紳士を夕飯までとめておきたいともくろんでいたのですが、まのわるいことに、ほかのだれより真っ先に馬車が命令されたので、ふたりを引きとめる機会を失ってしまいました。
「ねえ、みんな」うちの者だけになるとすぐに申しました。「今日の首尾はどうお思いかね? わたしはたいへんうまくいったと思ってますよ。お料理もよくできてたし、鹿肉のむし焼きもかげんが上できだったし、あんなこえた腰肉はみたことがないとみなさんいってらっしゃいましたよ。スープは先週ルカス家でいただいたものに比べたら五十倍もおいしかったし、ダーシーさんでさえしゃこがたいへんよくできているとほめておられましたよ。あのかたは少なくともフランス人の料理人を、ふたりか三人はおかかえなんでしょう。ね、ジェーン、おまえがあれほど美しかったのをみたことがありませんよ。ロング夫人もそういってらっしゃいましたよ。それにそのほか、あのかたは何とおっしゃったと思う?『ああ、ベネット夫人、とうとうお嬢さんはネザーフィールドにおちつかれますね!』ほんとにそういわれたのよ。ロング夫人はほんとにいい人だよ。――姪《めい》ごさんたちもなかなかお行儀のよい娘さんたち、ちっとも美しくなくてさ、すごく気に入りました」
ベネット夫人は簡単にいえば大元気でした。ジェーンに対する彼の態度から、ジェーンはとうとうビングリー氏を手に入れたと確信しておりました。家族にとってたいそう有利な期待は上きげんのときには理性の域をはるかにこえてしまうので、翌日すぐビングリーが求婚するためにあらわれないのに失望するありさまでした。
「ほんとにたのしい日だったわ」とベネット嬢はエリザベスに申しました。「おあつまりいただいたかたたちは、とてもえりぬきのかたがたで、それぞれお似合いのかたたちでしたわ。またたびたびお目にかかりたいわ」
エリザベスは微笑いたしました。
「リジー、笑ったりしないで。わたしを疑ったりしないで。わたしいやだわ。気持ちのよい、ものわかりのよい青年としてあのかたのお話をたいへんたのしくうかがえるようになったわ。それ以上は何も望まないの。あのかたの今の態度からみて、わたしの愛情を得ようなどとは全然思っていらっしゃらないのがよくわかっています。ただ、あのかたはほかの男のかたよりいちだんとこころよいお話しぶりで、みんなを喜ばせようとのお気持ちもつよくていらっしゃるだけなの」
「あなたは残酷ね」と妹は申しました。「笑っちゃあいけないとおっしゃりながら笑わせるようなことばかりいって」
「信じてもらうのにとても骨の折れる場合もあるものね」
「ときには信じるのが不可能な場合もあるものです」
「しかしなぜ、わたしがみとめる以上のことを感じているよう説きふせようとなさるの?」
「それにはとてもどうお答えしていいかわかりませんわ。人間は教えたがるけれど、知るねうちのないことしか教えられないものね。ごめんなさい。もしあくまで何でもないとおっしゃりたいのでしたら、どうぞ|わたしを《ヽヽヽヽ》あなたの腹心にしないでちょうだい」
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第五十五章
この訪問から数日たって、ビングリー氏がこんどはひとりでたずねてまいりました。友はその朝ロンドンに向けて出かけましたが、十日後にはまた帰ってくるはずでした。一時間以上もいて、たいそうごきげんでした。ベネット夫人は晩餐をしてゆくよう誘いましたが、いろいろ関心をしめす言葉を口にしてからほかに約束のあることを白状しました。
「こんどおいでくださるときは」と彼女は申しました。「もっと運がよろしいように」
彼はいつ何どきでも喜んで、等、等。もしおゆるしいただければ早い機会にごきげんうかがいにまいりたいものといいました。
「明日いらしていただけますか?」
結構です。明日は全然約束がないからと招待はすぐさま受諾されました。
彼はきました。しかもたいそう早々と。ご婦人らの着がえがすまないうちにきました。化粧着のベネット夫人は髪をゆいかけで娘のへやに走りこみ、大声で申しました。
「ジェーンや、早くして急いでおりていらっしゃい。いらっしゃいましたよ。ビングリーさんがいらっしゃいましたよ。いらっしゃいました、ほんとに。急いで、急いで。さあ、セアラ、すぐ上のお嬢さんのところへきて、着物を手つだってあげて。リジー嬢さんの髪などどうでもいいわ」
「わたしたちもできるだけ早く下にまいります」とジェーンは申しました。「でもキティはわたしたちふたりのどちらよりももっと早く支度ができていると思います。半時間もまえにへやに上がってゆきましたから」
「キティなんぞどうでもいいのよ! あの娘《こ》になんの関係があるの? さあ、早く、早く! 飾り帯はどこ、ねえ、おまえ?」
しかし母親が去ってしまうと、ジェーンはどうしても妹のだれかといっしょでなければおりてゆくのを承知しませんでした。
ふたりだけにしようというおなじ心づかいは夜もありありとみられました。お茶のあと、ベネット氏は習慣どおり書斎にひきとり、メアリは二階のピアノのところへ上ってゆきました。五つの障害物の二つはこのようにしてとり除かれましたので、ベネット夫人はエリザベスとキティに目を向けてしきりに目くばせをしておりました。エリザベスはそれを無視しておりましたが、とうとうキティがそれに気がついて、しごく無邪気にたずねました。
「おかあさま、どうなさったの? 何のために、目をぱちぱちしていらっしゃるの? わたしはどうすればいいの?」
「何でもないの、おまえ、何でもないのよ。目くばせなどしてはいませんよ」
もう五分じっとすわっていましたが、このような貴重なおりをむだにするにしのびず、不意に立ち上がってキティに申しました。「ねえ、おまえ、ちょっとおいで、お話があるわ」と彼女をへやからつれ出しました。
ジェーンは瞬間そのようなおせっかいに困惑した目をエリザベスに向けて母親のお膳立てに|あなたまで《ヽヽヽヽヽ》が加勢しないでとの懇願をあらわしました。
三、四分たつとベネット夫人は扉をあけて呼びました。
「リジーや、お話があります」
エリザベスは出て行かないわけにはまいりませんでした。「ね、ふたりだけにしておいてあげたほうがいいのよ」玄関に出てくるとさっそく母親は申しました。「キティとわたしは、わたしのお化粧べやにゆきます」
エリザベスは母親にことをわけて話そうとはいたしませんでした。母親とキティがみえなくなるまでしずかに玄関にいましたが、それからまた客間にはいってゆきました。
この日のベネット夫人のたくらみは効を奏しませんでした。ビングリーは魅力万点いうことなしだったのですが、娘の恋人として公然と名のりをあげることはしなかったのでした。そのゆったりとした快活さをもって夜のつどいにこころよい一員を加えたのでした。母親のおかどちがいのおせっかいを我慢し、彼女の愚かな意見をすべて忍耐づよく顔色もかえないできいてくれたことは、娘にとってはとくにありがたいことに思えたのでした。
夜食への招待はほとんど必要もないくらいで、帰るまえにはおもに彼自身とベネット夫人のはたらきで、翌朝彼女の夫と狩りに出かける約束ができていました。
この日以後ジェーンはなんとも思っていないといわなくなりました。ビングリーについては姉妹の間ではひと言も話されませんでしたが、エリザベスはその晩、床についたときは、ダーシー氏が決められたときのくるまえに帰ってこなければ、すみやかにことは大団円におわるだろうとたのしい確信をもっておりました。しかし本心ではすべてこのことはあの紳士の賛同を得てなされたことであろう、とほぼ納得していたのでした。
ビングリーは約束の時間励行であらわれ、ベネット氏と約束どおりに午前中をすごしました。ベネット氏は相手が予期していたよりずっと人好きよく感じられました。ビングリーにはそのあざけりを刺激するような、また嫌悪《けんお》をもよおして沈黙するような、あつかましさも愚かしさもないために、ビングリーが今までにみたこともないほどうちとけ、風変わりの点もよほど緩和されておりました。ビングリーはいうまでもなく彼といっしょに晩餐に帰ってまいりました。夜になるとベネット夫人のみんなを彼と娘から追い払おうとする工作は、ふたたび開始されました。手紙を書かなければならなかったエリザベスは、お茶のあとはすぐに朝食の間にはいりました。ほかの人たちはカードのゲームに加わるはずでしたから、母親のもくろみをじゃまするのにじぶんがとどまっている必要もあるまいと思ったのでした。
手紙を書きおえて客間に帰ったとき、母親はとてもエリザベスがかなわないほどに巧者であったのがわかり、驚きあきれました。扉をあけると姉とビングリーが暖炉の火に身をかがめて熱心に話しこんでいるのをみとめました。これが疑いをおこさせなかったとしても、急いで向きなおっておたがいからはなれていったふたりの顔はすべてを物語っておりました。|ふたりの《ヽヽヽヽ》立場は相当ぐあいのわるいものでしたが、|エリ《ヽヽ》|ザベス《ヽヽヽ》の立場はなおさらでした。どちらもひと言もいいませんでした。エリザベスが出て行こうとしかけたとき、ジェーンとおなじく今は腰をおろしていたビングリーは急に立ち上がって、姉にふた言三言ささやいてへやを走り出てゆきました。
ジェーンはエリザベスから――この人に打ち明けるのは喜びでした――何もかくそうとはいたしませんでした。たちまち妹を抱きしめ、感動をいきいきとあらわして世界中でいちばん幸福者だと申しました。
「しあわせすぎるわ!」彼女は加えて申しました。「あんまりしあわせすぎるわ。わたしはこんなにしあわせになるねうちがないわ。おお、どうしてみんなもおなじようにしあわせになれないのかしら?」
エリザベスの喜びは口でいいあらわせない誠実と熱意と歓喜にみちみちておりました。親切な言葉は一つ一つがジェーンに新たな喜びの源となったのでした。しかし現在のところ姉とともにいて、またいわなければならないことのもう半分をいおうとはしなかったのでありました。
「すぐにおかあさまのところへ行かなければ」と申しました。「お母さまがかわいくお思いになればこそいろいろと心をくだいてくださるのをおろそかに考えてはいけないわ。あのかたはもうおとうさまのところへいらしたの。おお、リジー、これからお話ししなければならないことがうちの人たちをとても喜ばせるとわかっているのは何てうれしい! こんなしあわせをどうしてもちこたえられるでしょう?」
ジェーンはそれから母親たちのところへ急いでゆきました。この人はカード仲間をわざわざ解散して今二階でキティといっしょにいたのでした。
ひとりきりになったエリザベスは、まえに何ヵ月も不安と心痛のたねとなった事件が、ばたばたとこともなく終結したことを考えて微笑いたしました。
彼女は考えました。「あの親友が慎重に心をくだき、妹がうそをついたり、工作したりした結末がこれなのだわ! 最も幸福な、最も賢明な、最も理にかなった結末だわ!」
二、三分たってビングリーがはいってきました。この人と父親との会談は短く要を得たものでありました。
扉をあけると「おねえさんはどこですか?」と急いでききました。
「二階の母のところにいっています。きっとすぐにおりてまいりますわ」
彼はそれから扉をとじて彼女に近より、妹としての喜びと愛情とを求めたのでした。エリザベスは真実心からふたりが将来兄と妹となることの喜びをいいあらわしました。親愛の情をもって握手をしてから、姉がおりてくるまで、じぶんの幸福について、またジェーンの完全無欠さについて彼の語らなければならないところに耳を傾けなければなりませんでした。恋人であるにかかわらず、その幸福への期待はまことに合理的な根拠をもつものでありました。ジェーンの優秀な理解力と超優秀な性質とに加えて、彼女と彼の間の感情も趣味も概してよく似ていたからでした。
家中の者にとってなみなみならぬ喜びの一夜でした。ベネット嬢の心の満足はその顔に甘美な生気のかがやきをみなぎらせて、いつもよりなおいっそう美しくみえました。キティは気どって微笑し、やがてじぶんの番になることを期待しました。ベネット夫人は半時間のあいだほかのことは何もいわず、こればかりを話していたのですが、それでもじぶんの承諾をあたえ、賛同を語るのにじぶんの気持ちに満足のゆくほど熱のこもった言葉をみつけることはできなかったのでありました。夕食のとき、ベネット氏がみんなといっしょになりましたが、その声音も態度も彼がどれほどうれしく思っているかをよくあらわしておりました。
しかし訪問者がいとまをつげるまでは、それに関係のある言葉はひと言も口からもれませんでした。しかし訪問者が行ってしまうと娘のほうを向いて申しました。
「ジェーン、おめでとう。きっとしあわせになれるよ」
ジェーンはすぐさま父のところへゆき、キスしてお礼をいいました。
「おまえはいい娘だ」と答えました。「しあわせにおちつくと思うとほんとうにうれしい。きっとふたりでいっしょに仲よく暮らしてゆけるだろう。気質もけっして似ていないわけでもないし。ふたりとも人のいいなりだからなかなかことは決まらないだろうし、くみしやすいから召使はひとりなしだますだろう。気前がいいからいつでも支出が収入を超過するだろう」
「そうならないよう願ってますわ。金銭に不注意なのは|わたしは《ヽヽヽヽ》ゆるすべからざることと思っております」
「収入を超過するのですって! あなたったら」細君は叫びました。「何をいってらっしゃるの? 一年四、五千ポンドあるいはもっとそれ以上かもしれませんのよ」それから娘に話しかけて、「おお、かわいい、かわいいジェーン、わたしはとてもしあわせです! 今晩は一睡もできませんよ。わたしにはどうなるかわかってましたよ。いつでも最後にはこうなるだろうといってましたよ。美しく生まれついただけのことはきっとあると思ってました! あのかたがはじめてハーフォードシャーにいらしてお目にかかるや否や、あなたがたがいっしょになるのはとてもありそうなことだと考えたんですよ。おお、今まであんな美男子はみたことがないわ!」
ウィカムとリディアはすっかり忘れられ、ジェーンはだれよりもお気に入りとなりました。その瞬間はほかにはお気に入りは必要ないほどでした。妹たちはさっそく姉がゆく先あたえてくれることのできるようになるたのしみの数々を手に入れようとジェーンに運動をはじめたのでした。
メアリはネザーフィールドの図書室の使用許可を申し出、キティは冬ごとに二、三回は舞踏会を開いてくれるようにと嘆願しました。
このとき以来――ビングリーはロングボーンに毎日たずねてまいりました。ときに野蛮きわまりない隣人、嫌悪《けんお》してもしたりない隣人が彼を晩餐に招待しないかぎり――ビングリーはこれを受諾しなければならないものと思っていました――たびたび――朝食まえにきていつも夜食後までとどまっておりました。
エリザベスは姉と話をかわす時間はほとんどなくなりました。ビングリーのいるところ、ほかの人にはみむきもしなくなってしまったからです。しかしときには、わかれていなければならない場合もあって、そんなときにはふたりにとって彼女は非常に調法な人物であることがわかりました。ジェーンのいないときには、ジェーンの話をする喜びのためにエリザベスをさがしもとめ、ジェーンもビングリーがいなくなると同じ方法で心をなぐさめるのでありました。
ある夜ジェーンは申しました。「今年の春わたしがロンドンに行っていたのを、あのかたは全然ご存じなかったのですって! うかがってわたしとてもうれしかったわ。そんなことがありえると思ってなかったんですもの」
「わたしはそんなことではないかと思っていたわ。でもあのかたはどう説明なさった?」
「きっと妹さんとねえさんのなさったことにちがいないわ。あのかたがわたしとつき合うのをこころよく思っていられませんでしたもの。でもそれはむりはないと思ってますわ。いろいろな点でずっと有利な選択のできるかたですものね。でも、やがてそうなると思うけど、あのかたがわたしとしあわせにしているのをごらんになれば、満足しなければとお考えになってまた仲よくなれるわ、とてもまえのようにはゆかないと思うけれど」
「あなたが口にした言葉のうちではいちばん容赦しない言葉だわ」とエリザベスは申しました。「天晴れよ。ビングリー嬢《さん》の口先にまたもやだまされるのをみればほんとにいらいらしたでしょうよ」
「去年の十一月ロンドンにいらしたとき、ほんとはわたしを愛していらしたのですって。わたしが無関心だと信じなかったらどんなことがあっても帰っていらしたそうよ。リジー、信じられる?」
「たしかにちょっとあやまちをされたわね。でもそれはあのかたの謙遜の徳をしめすものだわ」
この言葉は当然のことながら、ジェーンから彼のはにかみに対する、じぶんのよい性質を過小評価することへの賛辞をひき出しました。
エリザベスはビングリーが親友の干渉の事実をもらさなかったのを満足に思いました。ジェーンのように寛大な心の持ち主であっても、それをきいては彼に対して偏見をもったでありましょう。
「たしかにわたしは世界一幸運だわ!」とジェーンは申しました。「おお、リジー、どうしてわたしだけが家の人たちのなかからひとりだけえらび出されて、みんな以上に幸福になるのでしょう? ただあなたがわたしとおなじように幸福になってくださりさえしたら! ただあなたのために今ひとりあのようなかたがありさえしたら!」
「もしあなたがあのようなかたを四十人くださったとしても、あなたのようにしあわせにはなれないわ。あなたのような性質をもたないうちは、あなたのような幸福はもてないのよ。いいえ、わたしにはひとりでじぶんの身のふり方を考えさせて。たぶんもしたいそう運がよければ、そのうちに第二号コリンズ氏に出くわすかもしれないわ」
ロングボーンの家庭事情は長い間秘密のままであるはずはありませんでした。ベネット夫人はフィリップス夫人にこれをささやく特権を行使し、フィリップス夫人はメリトンの隣人たちに対して許可もなく同様の行動をとりました。
ベネット家の人々は世界一の果報者と宣言されました。数週間まえ、リディアが駆け落ちしたときには、不幸な運命を一身に背負うものと喧伝されていたのでしたが。
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第五十六章
ビングリーとジェーンの婚約から一週間ほどたったころのこと、食堂にあつまっていたこの家の女どもは、馬車の音で注意をひかれ、窓に目を向けました。四頭立ての馬車が芝生をこちらへかけてくるのがみとめられました。訪問者にしてはあまり早朝でした。そのうえ、馬車の供まわり一式、近所の人のものではありませんでした。馬は宿場のつぎたて馬で、馬車も先導の召使のしきせもみんなみなれたものではありませんでした。しかしだれかがきていることにはまちがいがなかったので、そのようなちん入者のために家にとじこめられてはたいへんとビングリーは急いでベネット嬢をすすめて灌木林へ逃げこみました。あとに残る三人はいろいろと推量をつづけておりましたが、とんと満足のゆくような結果も得られませんでした。ついに扉があいて訪問者がはいってまいりました。これがまたキャサリン・ド・バーグ令夫人その人であろうとは。
みんなかねてびっくりするはずではあったのですが、その驚きは期待をこえました。令夫人はベネット夫人にもキティにも未知の人だったのでふたりともあきれはてたのですが、エリザベスの感じた驚きには及びもつきませんでした。
令夫人は常よりもっと無愛想な態度でへやにはいり、エリザベスの挨拶には頭をちょっと傾けたばかりでひと言もものをいわず腰をおろしました。令夫人がはいってきたとき紹介してくれと頼まれたわけではなかったのですが、エリザベスは母親にその名をつげました。
ベネット夫人は驚きあきれながら、そのような身分の高い客を迎えたことを得意に思い、たいそう礼儀正しく挨拶いたしました。しばらく無言のまますわっておりましたがやがてたいへんかたくるしくエリザベスに話しかけました。
「ベネット嬢《さん》、お元気ですか。あのご婦人はおかあさんですね?」
エリザベスはたいへん簡単にそうですと答えました。
「そしてあれはあなたの妹さんですね?」
「そうです、奥さま」キャサリン令夫人のような身分の高い人に話すのをうれしく思いながらベネット夫人は申しました。「あれは下から二番めの娘でございます。いちばん末の娘は近ごろ結婚いたし、長女も敷地のどこかをまもなく身内になる青年と歩いております」
「こちらの邸園はたいそう手ぜまですね」しばらくだまっていてから返事をしました。
「ロージングズと比べましてはきっとものの数ではございますまい。しかしウィリアム・ルカス卿のと比べればずっと広うございます」
「これは夏の夕方にはたいそう不都合な居間ですね。窓は真西を向いていますからね」
ベネット夫人は晩餐のあとここにいることはございませんといって、それからつけ加えました。
「おそれいりますが、令夫人がおたちのおり、コリンズさん夫妻は元気でおりましたでしょうか?」
「たいへん元気でしたよ。一昨々晩あいました」
エリザベスはシャロットからの手紙をとり出されるものと期待しておりました。それがこの訪問のいちばんありそうな動機と思われたからでした。ところが手紙は出てまいりません。彼女はまったく当惑してしまいました。
ベネット夫人は非常にうやうやしくお茶でも召しあがっていただきたいと申しでましたが、令夫人はたいそう決然とまたあまり礼儀正しいとはいいかねる調子で、何も食べませんとことわり、それから立ち上がってエリザベスに申しました。
「ベネット嬢《さん》、芝生の片側にちょっときれいらしい原っぱがあったようですが、もしごいっしょにいってくださればあのあたりを散歩したいものです」
「さあ、おまえ、いっておいで」と母親は申しました。
「令夫人をいろいろな散歩道にご案内していらっしゃい。あの草庵はきっとお気にめすと思いますよ」
エリザベスはそれにしたがい、じぶんのへやにパラソルをとりに行ってから、この高貴な客に付き添って階下におりました。廊下を通りぬける際、食堂と客間に通じる扉を開いてざっと検査してから、みぐるしくないへやだと宣言して歩きつづけました。
馬車は扉口においたままでしたが、エリザベスはそのなかに令夫人の侍女がいるのに気がつきました。沈黙のまま雑木林に通じる砂利道を進みました。彼女はこのいつもよりいっそう横柄で人好きのわるい女性に絶対に話しかけたりなぞしないと決心をしておりました。
「あの人が甥《おい》ごさんと似ているなどよくそんなことが考えられたものだわ」顔をのぞきこみながら反省しました。
林にはいるとすぐ令夫人は次のように話しはじめました。
「わたしがこちらへでむいてきた理由は、ベネット嬢《さん》、わからないはずはないと思いますが。ご自身の心、良心に思いあたることがあるでしょう」
エリザベスは真実あっけにとられてしまいました。
「奥さま、まったくの誤解でございます。ここへわざわざおこしいただく理由はまったくわからないのでございますが」
「ベネット嬢《さん》」令夫人は腹立たしげに答えました。「ばかにしないでいただきたい。しかしあなたがどれほど虚偽を申したてられようとわたしのほうは真実をいいますからね。わたしの人格は誠実と率直のほまれ高く、このような重大事に際しては絶対それをすてません。二日まえに極めて警戒を要する報道が耳に達しました。あなたのねえさんが今まさに非常に有利な結婚の途上にあるのみならず、|あなた《ヽヽヽ》、エリザベス・ベネット嬢がたぶんまもなくわたしの甥《おい》、わたし自身の甥ダーシー氏と結ばれるであろうとつげられたのです。わたしはこれは言語道断なうそいつわりとは承知していますが、そんなことを可能と信じて甥の人格を傷つけるようなことはしませんが、ただちにここへ出かけてわたしの意のあるところをあなたにしらせておこうと思ったのです」
「もし真実であるはずがないと信じていらっしゃるのでしたら」驚きと軽べつであかくなりながら申しました。「どうしてこんなに遠くまでおこしになりましたのでしょう。令夫人さまは何をするようお申しつけになりたいのでしょうか?」
「そのようなうわさを世間からとり消すことを主張します」
「あなたさまがロングボーンまでわたしと家族の者どもに会いにきてくださいましたことは」とエリザベスは冷静に申しました。「かえってそのうわさをたしかめることになりましょう。もしほんとにそんなうわさがあるといたしまして」
「もしですと! それではうわさを知らないとでもいうつもりなのですかね? それはあなた自身が骨を折ってひろめたのではないのですかね? そういううわさがひろまっているのを知らないとでも?」
「いっこうにきいたこともございません」
「同様にそんなうわさの|根拠になるもの《ヽヽヽヽヽヽヽ》はないと断言しますか?」
「令夫人同様率直であるとは申し上げかねます。おたずねになりましてもお答えしたくない質問もございます」
「ええ、我慢がならない。ベネット嬢《さん》、納得のゆく返答を要求します。彼は、わたしの甥《おい》は結婚の申し込みをしたのですか?」
「あなたさまはそれは不可能であると断言なさいました」
「そうあるべきです。そうにちがいないのです、理性をなくさないかぎりは。しかし|あなたの《ヽヽヽヽ》てれんてくだにかかってはふらふらと夢中になってじぶんの身分を忘れ、家族に対する責任を忘れてしまうこともあるものです。きっとあなたがひきずりこんだのでしょう」
「もしそうだとすれば、そんなことを絶対に白状するわけはございません」
「ベネット嬢《さん》、わたしが何者だか知っているのですか? このような言葉はきいたことがない。わたしは甥《おい》のいちばん近い身内です。甥にとって重大な関心事は承知しておく権利があるのです」
「しかし|わたしの関心事《ヽヽヽヽヽヽヽ》を承知しておく権利はおありではありません。このような態度に出られればけっしてはっきり申し上げることはいたしません」
「わたしの考えをよく了解しておいてください。この縁組みにせんえつにも野望をいだいていられるようだが、絶対に成立することはありません。いや、けっしてない。ダーシー氏はわたしの娘と婚約しています。さて何かいうことがありますかね?」
「ただこれだけ、もしそうなら、あのかたがわたしに申し込みをなさったと想像される理由はないはずではございませんか」
キャサリン令夫人は一瞬ちゅうちょして答えました。
「ふたりの間の婚約は特殊なもので、幼児のときからのいいなずけです。甥《おい》の母親も娘の母親と同様たいへんにこれを望んでおりました。ふたりのようらん時代からわたしたちはふたりをいっしょにしようと計画をたてていたのです。今まさに姉妹の夢が実現しようというときになって、生まれの低い、世間に何ら重んじられない家の、何らつながりのない若い娘によって妨害されようとしているのです。あなたは甥《おい》の親しいものたちの望みを、甥とド・バーグ嬢との暗黙の婚約を全然気にしないというのですか? 礼儀も心づかいも感じないのですか? 幼少のころからいとこと将来をちぎり合っているといっているのがきこえないのですか?」
「はい、それはまえにもきいたことがございます。しかしそれがわたしに何のかかわりがございましょう? もしわたしとあなたの甥《おい》ごさまとの結婚にほかに反対がないのでございましたら、あのかたのおかあさまとおばさまがド・バーグ嬢と結婚させたいと思っていられることを知っても、それを思いとどまることはございません。あなたさまがたは結婚のもくろみに全力をあげられましたが、その実行はほかの者にかかわることでございます。ダーシーさまが名誉のうえからも、好みのうえからもおいとこさまとのご結婚に縛られておられないのでしたら、あのかたがほかの人を選ばれていけない理由はございません。そしてもしわたしが選ばれたといたしましたらお受けしていけないことがございましょうか?」
「名誉、礼儀、慎重、否、利害関係がそれを禁じています。そうです、ベネット嬢、利害関係です。もしじぶん勝手にすべての人々の意図にさからって行動しても甥《おい》の身内の人たちはけっして目をかけませんからね。甥にかかわりのある人たちはみんなあなたを非難し、軽んじ、軽べつするでしょうからね。あなたとの縁組みは不名誉です。あなたの名を身内の者はだれも口にしないでしょう」
「それはたいへん不運なことではございますが」とエリザベスは答えました。「しかしダーシーさまの妻ともなればその地位にはかならずやなみなみならない幸福がいろいろとつきそっておりましょう。全体としてみれば、あまり不平をこぼすすじあいはないように存じますが」
「強情な意地っぱりな娘だこと! ほんとに恥知らずな。これがこの春いろいろと目をかけてあげた返礼なのですかね? その点でもわたしに義理はないのですかね? まず腰をおろしましょう。よくわかってもらいたいのですが、ベネット嬢《さん》、わたしは目的を断固はたす決心でやってきたのですよ。絶対思いとどまったりなどしませんからね。他人の気まぐれにしたがうのにはなれていません。失望に堪える習慣もありませんからね」
「|それは《ヽヽヽ》今のあなたさまの立場をいっそうみじめなものといたしましょうが、|わたしには《ヽヽヽヽヽ》なんのききめもございません」
「話のじゃまをしないで! だまっておききなさい。娘と甥《おい》はおたがいのためにつくられた人たちです。母方からいえばおなじ高貴な血統の出であり、父方からいえば爵位はありませんが、世間に知られた名門の旧家で、双方の財産は莫大であります。ふたりはそれぞれの家の全員の賛同を得て許婚の間柄であります。何者がその仲をさこうとしているのですか? 家柄のわるい、有力な親戚もない、財産もない若い成り上がり娘の思いあがりです! これが堪えられることでしょうか? 絶対に堪えてはいけない、堪えもしません! もしじぶんの利益がおわかりならじぶんの育った身分をすてるなどという気をおこさないことです」
「甥《おい》ごさまと結婚しましてもわたしの身分をすてるものとは考えておりません。あのかたは紳士ですが、わたしも紳士の娘です。その点平等です」
「そのとおり、たしかに紳士の娘です。ですが母親の身もとは何ですか? いったいあなたのおじさんおばさんは何ですか? あの人たちの地位を知らないとでも思っているのですか」
「わたしの親戚がどのようなものであろうと、甥《おい》ごさまがそれに反対なさらないのなら、あなたさまには何のかかわりもないことでございます」
「きっぱりと婚約しているかどうか白状なさい」
エリザベスはキャサリン令夫人に親切にするため、この質問に答えようとは思いませんでしたがしばらく熟考のあとで、「しておりません」といわないではいられませんでした。
キャサリン令夫人は満足のていでした。
「そのような婚約は絶対にしないと約束なさい」
「そんな約束はいたしかねます」
「ベネット嬢、驚きあきれました。もっと道理のわかる娘さんかと期待していましたが、しかしわたしが一歩でも退《ひ》くなど甘いことを考えないように。わたしの要求する確証をあなたがあたえるまでは帰りませんからね」
「わたしも|けっして《ヽヽヽヽ》そのような確証をおあたえしません。そのようなまったく道理にはずれたことにおどされて承諾はいたしません。令夫人はダーシーさまがお嬢さまと結婚されることをお望みですが、わたしがあなたにその約束をしたとして|おふたりの《ヽヽヽヽヽ》結婚はもっとみこみのあるものとなりましょうか? もしあのかたがわたしを愛してられるといたしまして、|わたしが《ヽヽヽヽ》求婚をおことわりすれば、あのかたはそれではいとこと結婚しようというお気持ちにおなりでしょうか? 失礼ながら申し上げますが、令夫人、この途方もないご依頼の論拠はご依頼が無分別なものであるとおなじほど、とるに足りないものでございます。もしわたしがこのような説得で心を動かされるとお考えでしたら、わたしの人物をたいへん誤解しておられます。甥《おい》ごさまがどの程度|ご自身の《ヽヽヽヽ》事件にあなたさまが干渉されますのをおみとめになるか存じませんが、わたしの事件に干渉なさいます権利はまったくおありになりません。この問題についてこれ以上なやまさないでいただきたいと存じます」
「どうかはやまらないで。どうしてどうして話はまだけっしておわってはおりませんよ。今までの抗議になお一つを加えたいのです。いちばん下の妹さんの破廉恥きわまる駆け落ちについては詳細を知ってますよ。何もかも心得ています。あの青年が妹さんと結婚したのはまったくおとうさんとおじさんが金を出して事後工作をしたためできたことです。|そんな《ヽヽヽ》娘が甥《おい》の妹になるのですか? |彼女の《ヽヽヽ》夫は甥のなくなった父親の執事の息子ですが、それが弟になるのですか? いったい全体、なにを考えているのですか? ペンバレーの清浄の地が、このようにしてけがされるのですか?」
「もうこれ以上はおっしゃることもございますまい」エリザベスはうらめしそうに申しました。「できるかぎりわたしを侮辱なさいました。どうぞうちのほうへおいでいただきたく思います」
こういいながら立ち上がりました。キャサリン令夫人もまた立ち上がり、方向を転じました。令夫人はたいへん憤慨しておりました。
「甥の名誉にも信用にも全然考慮しないというのですね! 無情でじぶん勝手な人です! あなたと結ばれるのは甥《おい》の名誉を失わせると考えないのですか?」
「キャサリン令夫人、これ以上申し上げることはございません。わたしの気持ちはおわかりのはずです」
「それではあくまで甥をつかまえる決心なのですね?」
「そんなことは申しておりません。わたしはただ|あなたさま《ヽヽヽヽヽ》に関係なく、わたしと全然つながりのないどのようなかたにも関係なくじぶんの幸福をきずき上げる決心です」
「結構です。わたしの希望を拒絶したのですね。義務と名誉と報恩の要求にしたがうのを拒絶したのです。甥《おい》をすべての親しい友の目からみて破滅の底におとしいれ、世の軽べつのまととする決心なのですね」
「義務も名誉も報恩もこの場合何の関係もないことでございます。わたしがダーシーさまと結婚したからといって何一つそこなわれる道義はございません。あのかたがわたしと結婚なさったために、あのかたのお身内のお怒りが刺激されようと全然気にいたしませんし、世間一般は賢いからいっしょになってさげすんだり憤慨したりするはずはございません」
「これがあなたの意見なのですね! これが究極の意見なのですね! 結構です。それでわたしのすべきこともわかりました。ベネット嬢《さん》、あなたの野望がとげられるなど想像しないでください。あなたという人をためしにやったのです。もっとわけのわかる人であるよう希望していたのですが、しかしまあみていたらいいでしょう。主張は通しますからね」
このようにキャサリン令夫人が話しつづけているうちに、馬車の入り口まできました。そのとき、くるりと向きをかえてつけ加えて申しました。
「ベネット嬢《さん》、さよならとはいいませんよ。おかあさんにもよろしくと伝えません。あなたはそんな心づかいをするねうちのない人です。わたしは非常に気持ちを害しました」
エリザベスは答えず、家へおはいりくださいとすすめもせず、じぶんだけが静かにはいってゆきました。二階に上がりながら馬車の走り去る音をききました。母親はじれったそうにじぶんの化粧室の戸口で娘を迎え、なぜキャサリン令夫人はもいちどはいっておやすみにならなかったのかたずねました。
「そうなさりたくなかったのです」と娘は申しました。「どうしても帰るとおっしゃって」
「たいへん立派なご様子のかただね。ここをおたずねくださったとはたいそうごていねいなことで! コリンズの人たちが元気だというためにお寄りくださったのだろう。どこかへいらっしゃる途中だったのだね。メリトンを通過しながらちょっとおまえをたずねてみようかとお思いになったんだね。何も特別におっしゃることはなかったのだろう、リジー?」
ここでエリザベスは少々うそをいわないわけにまいりませんでした。ふたりの会話を白状することは不可能でしたから。
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第五十七章
この途方もない訪問がエリザベスを投げ入れた心の乱れから容易には回復いたしませんでした。また長時間の間、思いはたえずこの訪問にのみ向かうのでありました。キャサリン令夫人はダーシー氏とじぶんとの間に想像された婚約をやぶるというただ一つの目的をいだいて、ロージングズからご苦労さまにこの旅をされたようでありました。それはまったく理性にかなった計画ではあります! がしかしいったい何からふたりの婚約のうわさが発生したものやら、エリザベスはまったく想像ができなかったのでありました。しかしついに彼《ヽ》がビングリーの親しい友であり、彼女《ヽヽ》がジェーンの妹であることがそのような考えをあたえるきっかけになるもの、一つの婚礼への期待で今一つを熱望するような場合には、とくにそのような傾向のあることを思いつきました。じぶんでも姉の結婚でふたりはもっとたびたび顔をあわす機会があるにちがいないと感じたのを忘れてはおりませんでした。ルカス・ロッジの隣人たちは(この人たちのコリンズ家を通じてのたよりで例のうわさがキャサリン令夫人に達したものと結論したのですが)それゆえ彼女《ヽヽ》が未来に可能なこととして期待していたことを、ほとんど確実ですぐにも実現されることと決めたのでありましょう。
エリザベスはキャサリン令夫人の言葉を思いめぐらして、令夫人がこの干渉をあくまでつづけていった場合その結果はどうなるかについて、多少の不安を感じないではいられなかったのでありました。ふたりの結婚はあくまで阻止するという決心について語られたことから、彼女の甥《おい》にあたってみることを考えているにちがいないと思いつきました。じぶんと結婚することに付随するわざわいを、じぶんの場合とおなじように数えあげてみせることでありましょうが、それを彼《ヽ》はどのように受けとるかあえて断定する気にはなれませんでした。おばに対する愛情、その判断力に対する信頼は正確にどの程度のものであるかわかりませんでしたが、じぶんよりはるかに令夫人を高く評価していると想像しても、当然なことでありました。この彼の近親の人が彼自身のと比べてひどくみおとりのする女性との結婚のもたらすみじめさを数えあげる場合には、甥《おい》の最も大きな弱点をつくことになりましょう。品位についてあのような意見をもった彼のことであるからには、エリザベスにはとるに足りない、こっけい千万と思える論拠も良識と堅実な推論と感じられるかもしれません。
もし彼が何をなすべきかについて迷っていたとしたならば、事実たびたび迷ったらしいのですが、そのように近しい親戚の忠告また懇願にあらゆる疑念をはらし、品位がけがされなかったことによって心の満足を得るよう決心するかもしれないのでありました。もしそうなればもはやこの地には帰ってはきますまい。キャサリン令夫人は帰途ロンドンを通る際、甥《おい》に会うでありましょうが、そうなればネザーフィールドへ帰ってこようというビングリーへの約束はこわれなければなりません。
「それゆえもし約束をまもれない言葉が二、三日中に友のところへくるようなら」彼女はつけ加えました。「どのように解釈すべきかわかったわ。そのときはあらゆる期待を、あのかたの節操に対する望みを、ふりすてましょう。もしあのかたがわたしの愛情も婚約をもかち得られる今となって、わたしを惜しむだけで満足なさるのなら、わたしはまもなくあのかたを惜しくも思わないようになってしまうわ」
訪問者はだれだったかきいて家族のほかの人たちもたいそう驚きましたが、ありがたいことにはベネット夫人の好奇心をしずめた程度で満足しましたので、その問題について質問ぜめにされることもありませんでした。
翌朝階下へおりてゆくと、手紙をもって書斎から出てきた父に出会いました。
「リジー、さがそうとしていたところだ。ちょっとわたしのへやへきておくれ」
父のあとについてそのへやへまいりました。何をいわれるのか知りたいと思う好奇心は、それが父のもっている手紙と何か関係があるのだろうと想像して、なおいっそうたかまりました。ふいにキャサリン令夫人からの手紙かもしれないという思いにうたれました。そしてそのためにしなければならない説明を考えて途方にくれたのでした。
父について暖炉まで行って腰をおろすと、父は申しました。
「けさ一通の手紙を受けとったのだが、非常に驚くべき手紙でね。それはおもにおまえに関係があるからよく内容を知っておいてもらいたいと思ったのだ。受けとるまではふたりの娘が結婚の瀬戸際にあるとは知らなかったのだよ。たいへん大物をしとめたことに対してお祝いをいうよ」
それはきっとおばではなくて甥《おい》からきたものであろうと、とっさに信じてエリザベスのほほは急にあかくなったのでした。彼がいやしくもじぶんの心情を説明したことを喜ぶべきか、その手紙が彼女自身にあてられなかったのに気をわるくすべきであるかについて決心のつかないうちに、父はつづけて申しました。
「ああ、思いあたることがありそうだね。若い女性というものはこのようなことにはなかなか洞察力のあるものなのだね。しかし|おまえの《ヽヽヽヽ》明敏をもってしても、おまえの賞賛者の名まえはきっとわかるまいよ。この手紙はコリンズ氏からだ」
「コリンズさんから! |あの人《ヽヽヽ》がいったい何をおっしゃることがあるのでしょう?」
「もちろんたいそう要領を得たことなのだがね。あの男はまずいちばん上の娘の近づく婚礼の祝辞からはじめているのだが、それについてはあの気のよいおしゃべり好きのルカス家のだれかからきかされたものらしい。そのことでのべているのを読んで、いたずらにおまえの忍耐力をもてあそぶのは気の毒だからしないとして、おまえに関係しているのは次のとおりだ。『かくのごとく、この幸福なる事件に対して家内と小生の心からのお祝辞を呈しまして、さてこれから今ひとりの問題につき――それについてはおなじ筋よりきき及んだのでありますが――ちょっとひと言申し添えたいと考えます。エリザベス嬢は姉上がベネット姓を辞されます後、ご自身も長くはその姓を身につけられることなきよう予想されており、その生涯のえらばれたる伴侶はこの国の最もかがやかしい人物のひとりとして尊敬を受けてしかるべき紳士であります』
「いったいだれのことをいっているのか、リジー、わかるかい?
「『この若い紳士は独特なるやり方にて人間の心情の欲するかぎりのあらゆるものを恵まれたかたであります。即ち、壮麗なる領地、高貴なる親類縁者、広大な聖職授与権等であります。かくのごときあらゆる好条件にもかかわらず、わがいとこエリザベスならびに貴殿にこの紳士の求婚に早急に承諾されることは、いろいろ不幸なる事態をまねくと警告いたしたいのであります。貴殿はその申し込みを期をはずさず取り決めようとなされるでありましょうが』」
「この紳士がだれだか、リジー、想像がつくかい? しかし今にそれはわかってくるよ。
「『貴殿の慎重をうながす動機は次のとおりであります。――おば上にわたらせられるキャサリン・ド・バーグ夫人はこの縁組みをあまり好意の目をもってみておられぬからであります』
「|ダーシー氏《ヽヽヽヽヽ》なのだよ、その人は! ねえ、リジー、驚いただろう。コリンズにしろルカスの人たちにしろ、わたしたちの知人の間で、これほど有効に、あいつらののべていることはうそだという証拠となる名まえをえらび出せないと思うよ。ご婦人に目を向ければその欠点をさがし出す、たぶん生まれてこのかた、おまえなぞに目をくれたこともない、ダーシー氏とは! すばらしいよ!」
エリザベスは父親の冗談にいっしょになって笑いたかったのですが、ようやく一度だけ気のすすまない微笑をうかべただけでありました。父親の機知がこれほどじぶんにとって都合のわるい方向にむけられたこともないことでした。
「おもしろくないのかい?」
「いいえ、おもしろいわ。どうぞつづけてください」
「『令夫人に昨晩この結婚がおこるやもしれぬと申し上げましたるところ、いつものとおりご親切にもその場合の感想をただちに披瀝《ひれき》してくださいましたので、わがいとこのがわの親戚関係の難点のためかくのごとき不名誉なる縁組み、とは令夫人のお言葉でありますが、には絶対に承諾をあたえぬと仰せられたのであります。そのことにつきいち早くご通知申し上げるのはじぶんの義務と心得ておりますので、わがいとこならびその高貴なる賞賛者はごじぶんたちの立場をとくとよくみさだめられ、しかるべき承認を受けぬ結婚に突入なさることなきよう衷心より希望する次第であります』コリンズ氏はそのうえにつけ加えているよ。
『わがいとこリディアの悲しむべき事件が手ぎわよくもみ消されましたこと慶賀にたえず、ただ結婚まえの同棲がひろく知れわたっていることのみ憂慮しております。しかし若夫婦を結婚直後、家に迎えられたことをきき、非常に驚愕いたしたることを断言してじぶんの牧師としての義務をおこたるものでないことを申し上げたく、これは悪徳を奨励するものでありまして、もし小生がロングボーンの牧師であったならかならずやはげしく抗議したことでしょう。基督者としてたしかにゆるすべきでありますが、けっして対面をし、ふたりの名まえを貴殿の耳に入らしめてはならぬのであります』|これが《ヽヽヽ》彼の基督者の寛大なのだね! あとは愛するシャロットのぐあいが書いてあってね。オリーブの若枝を期待しているそうだよ。しかし、リジー、どうもあまり愉快でもなかった様子だね。まさか|お嬢さんぶって《ヽヽヽヽヽヽヽ》根も葉もないうわさで侮辱を感じているのではないだろうね。隣人たちをおもしろがらせ、またこちらからも笑いかえす以外にわれわれの生きる目的があるかね?」
「おお」とエリザベスは叫びました。「非常に気晴らしになりましたわ。でも奇妙ですわね!」
「そうだよ、|そこが《ヽヽヽ》おもしろいところなんだよ。もしだれかほかの人を選び出したのでは全然意味がない。|彼は《ヽヽ》完全に無関心で|おまえが《ヽヽヽヽ》はっきりきらっているのだから、愉快なほどにばかげているのさ! 手紙を書くのは大きらいだけれど、コリンズ氏との文通だけは何が何でもやめる気にはならないよ。いや、あいつの手紙を読んだときにはあのウィカム以上に好きにならずにはいられなかったね。あの婿《むこ》の鉄面皮と偽善とはたいそう尊重してはいるのだが。それでリジー、キャサリン令夫人はこのうわさについては何と仰せられていたかね? 承諾はしないといいにこられたのかね?」
この質問に対して娘はただ笑って答えただけでした。これはいっぺんの疑念もなくたずねられたものですから、父がこれをくりかえしてもいっこうに苦にはなりませんでした。エリザベスはじぶんの感情とはうらはらの表情をするためにこれほど困ったことはありませんでした。泣き出したいときに笑わなければならなかったのです。父親はダーシー氏の無関心について語って、娘を残酷にいためつけたのでした。よくこれほど人の心がみとおせないものだと驚嘆しないではいられなかったのですが、また父にみぬく力が乏しいというより、じぶんの想像力が|あまりにもたくましい《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》のではないか、と懸念しないではいられなかったのでした。
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第五十八章
エリザベスがなかばあやぶんでいたように、ビングリーは友からいいわけの手紙を受けとることもなく、キャサリン令夫人の訪問からあまり日がたたないうちに、ロングボーンにダーシーをつれてくることができたのでした。紳士たちは早くあらわれました。エリザベスはそれをびくびくしておそれていたのですが、ベネット夫人がおばさまにお目にかかりましたとつげる暇もないうちに、ジェーンとふたりだけになりたがっていたビングリーはみんな散歩に出かけることを申しでたのでした。みんな同意しました。ベネット夫人は散歩はしない習慣でしたし、メアリは暇がないので残る五人がいっしょに出かけました。ビングリーとジェーンはすぐにほかの人たちに追いこされ、後にぐずぐずし、エリザベスとキティとダーシー三人がおたがいをたのしませることとなったのでした。だれもあまり口をききませんでした。キティはあまりに彼をおそれていて口がきけませんでした。エリザベスはひそかに必死の決心をしており、たぶんダーシーも同様であったかもしれません。
三人はルカス家に向かって歩きました。キティがマライアを訪問したがっていましたから。エリザベスはこれをつれだって出た人全体がすべきこととも思いませんでしたから、キティが去ったあとは大胆にふたりきりで歩きつづけました。今こそその決心を実行するときがやってきたのです。勇気のくじけないうちに急いでいいはじめました。
「ダーシーさま、わたしはほんとにわがまま者で、じぶんの気をはらすためにあなたの感情を傷つけてかえりみないかもしれません。かわいそうな妹のためにしてくださった、比べようのないご親切を知って以来、わたしがどれほどそのご親切を身にしみて感じているかを申し上げたく存じておりました。もし家のほかの者たちがこれを知っておりましたら、感謝申し上げるのはわたしだけではなかったことと存じます」
「これは残念、非常に残念です」ダーシーは驚きかつ感情をこめていいました。「誤った見解で話されてあなたが気をもんでいられるのではないでしょうか。ガーディナー夫人がそれほど信用のできないかたとは考えませんでした」
「おばを非難なさらないで。リディアが考えなくふともらしたことから、あなたがこのことになんかかかわりをおもちのことがわかりました。そうなればもちろん詳細がわかるまではおちつきませんでした。寛大にもおあわれみいただきふたりをみつけ出すためにたいへんお骨折りくださいましたこと、いろいろといやなめをおみせしたことを家の者になりかわって幾重にもお礼とおわびを申し上げます」
「もしあなたがお礼がおっしゃりたいなら」と彼は答えました。「それはあなただけのものにしてください。わたしを導いたいろいろの動機を力づけたのはあなたを幸福にしてあげたいという願いであったことを否定しようとは思いません。しかし、|お家のかたがたは《ヽヽヽヽヽヽヽヽ》まったく何もわたしに負うところはありません。尊敬はいたしておりますが、わたしは|あなた《ヽヽヽ》のことだけを考えていたのですから」
エリザベスはあまりに当惑してひと言もいえませんでした。しばらくやすんでから、相手はつけ加えました。「あなたは寛容なかたゆえわたしの感情をもてあそばれることはなさいますまい。もしあなたのお気持ちがなお四月にうかがったときとおなじでしたら、すぐそうおっしゃっていただきたい。わたしの愛情も希望もかわってはおりません。しかしあなたからひと言いっていただけば、この問題については永久に沈黙いたします」
エリザベスは彼の立場がふつう以上にぎごちなく、不安にみちたものであるのを感じて、じぶんをはげまして口を開きました。そしてあまりすらすらとはいきませんでしたが、すぐにじぶんの感情が、あのとき以来非常に本質的な変化を受けたこと、そして今では彼の申し出を感謝して喜んでお受けする気持ちになっていることを了解させたのでありました。この返事があたえた幸福感は彼がいまだかつて感じたことのないもので、この場合には激しく恋している男性にふさわしく賢く熱情をこめてじぶんをいいあらわしました。もしエリザベスがその目にたちむかうことができたら、その顔にみちあふれたしんそこからの喜びの表情が、どんなによく彼に似合うかわかったのでしょうが。エリザベスはみることはできませんでしたが、きくことはできました。彼はじぶんの感情を語り、彼女が彼にとってどれほど重要であるかをしめしましたので、彼の愛情が刻一刻とよりたいせつなものにみえてくるのでありました。
ふたりは方向もわからずただ歩きつづけました。あまりにも多く考えること、感じること、いうことがあって、ほかのものにはほとんど注意をはらえないほどでありました。エリザベスはまもなくふたりが現在のようなよき了解に達したのは、彼のおばの努力に負うところの多いことがわかったのでした。このおばはロンドン経由の帰り道で彼をたずね、ロングボーンへの旅について、またその動機、またエリザベスとの会話の主旨について語りきかせたのでありました。ことにエリザベスとの会話に関しては、令夫人の考えるところではとくにこの人の強情と厚顔をしめすと思われる、ありとあらゆる言葉を力をいれてかつながながと論じて、このような陳述はあの女が拒絶した約束を甥《おい》から得ようとするじぶんの努力をたすけるものと信じて疑わなかったのであります。しかし令夫人にとって不運なことはその効果はまさに正反対であったのでした。
「まえにはじぶんをいましめて望みをいだかないようにしていたのですが、これは望みなきにあらずの感じをおこさせました。あなたの性質については相当よく承知していますので、もしあなたが絶対にわたしとは結婚しないと定めていられるとしたら、キャサリン令夫人に率直に公然とそういわれるはずだと思ったのです」
エリザベスは顔をあからめて笑いながら答えました。
「そうですわ。あなたは|それ《ヽヽ》ができるとお信じになるくらい、わたしの|率直さ《ヽヽヽ》はじゅうぶんご存じですものね。面と向かってあのようにひどくわるくちを申し上げたのですもの、ご親戚の皆さんがたにあなたのわるくちをいうのに容赦なぞしませんわね」
「何かわたしが当然受けるはずのないことをおっしゃったでしょうか? あなたの非難はちょっと根拠がよわかったし、誤った前提に立っておりましたが、しかしあのときのあなたに対するわたしの態度は、どんなに厳しく非難されてもよいものです。まったくゆるしがたい。考えるとぞっとします」
「あの晩のことで、ふたりのうちどちらがわるかったかといい争うのはよしましょう。どちらのやり方もきびしくしらべればおとがめを受けないわけにはいきません。しかしあのとき以来、わたしたちはだいぶお行儀がよくなったのではございません?」
「わたしはどうもそのように簡単にあきらめられないのです。わたしがあのときいったこと、ふるまい、態度、言葉使いなど、長い間また今もなおいいようのないほど苦痛をあたえてまいりました。あなたの非難はよくあたっていたのでけっして忘れられないのです。『もっと紳士らしくおふるまいになれば』それがあなたの言葉でした。あなたにはその言葉がどれほどわたしを苦しめたかご存じないし、理解もおできにならないと思います。しばらくたってはじめてその言葉がもっともと思うほど理性的になったのですが」
「そんなつよい印象をあたえるなどまったく思いもよりませんでしたわ。あの言葉がそのように感じられるなど全然考えませんでした」
「それはよくわかります。まったくちゃんとした感情が欠けているとお考えでした。たしかにそう考えていられたようです。どのような申し込み方をしたとしても、わたしを受け入れたくなるようないい方はできないとあなたがいわれたときの顔つきを、けっして忘れないでしょう」
「おお、あのときわたしのいったことなどくりかえさないでください。そんな思い出などちっともよくありませんわ。わたしはもうずっと心からそれを恥ずかしく思っているのです。ほんとに」
ダーシーはじぶんの手紙のことを話題としました。「あの手紙で」彼は申しました。「あれで|すぐに《ヽヽヽ》以前よりはよく思ってくださいましたかしら? お読みになったとき、内容を信じていただけましたか?」
エリザベスはそれがじぶんに及ぼした効果を、次第にじぶんの偏見がとり除かれていったことを説明いたしました。
「わたしはわかっていました」と彼は申しました。「わたしの書いたことはあなたを苦しめるだろうけれど、必要なことだと思ったのです。手紙は焼いてくださいましたでしょうね。一ヵ所、とくにそのはじめのところはも一度読まれてはと恐れているところがあるのです。わたしをきらわれてももっともと思える言葉を覚えています」
「わたしの愛情をたもつためにどうしても必要と信じていらっしゃいますのなら、きっと焼くことにいたしますわ。でもわたしの意見はまったく不変とは思えませんが、しかしあなたのお言葉で暗示されるほどたやすくかわるものではございません」
「あの手紙を書いたときは、まったくおちついて冷静だと信じておりましたが、あとで考えてみますと恐ろしくうらみがましい精神状態で書かれたということがわかってきました」
「たぶん手紙の書きはじめはそうだったかもしれませんが、おわりはけっしてそうではありませんでした。わかれの言葉は寛容でみたされておりました。でももうあの手紙のことは考えないことにいたしましょう。あれを書いた人も受けとった者も非常にかわっているのですもの。手紙にまつわる不愉快な事情はすっかり忘れなくてはいけませんわ。わたしの人生観を少しみならっていただきたいわ。その思い出がたのしい過去のみを考えること」
「そんな人生観に対してはあなたのおてがらにするわけにはいきませんね。|あなたの《ヽヽヽヽ》思い出には全然恥がないのです。思い出からおこる満足感は人生観のゆえではなくて、それはずっとよいことなのですが、恥を知らないことからおこるものなのです。しかし|わたしの《ヽヽヽヽ》場合はそうではないのです。苦痛にみちた思い出がのさばってきて、これは追い払うことはできないし、すべきでもないのです。わたしは生まれてこのかた、わがままな人物でした。道義的にはそうではないのですが、実践の上からはそうなのです。子供のとき、|正しい《ヽヽヽ》ことを教えられましたが、しかしじぶんの気質を矯正することは教えられなかったのです。よい道義はあたえられたのですが、誇りとうぬぼれをもってその道義にしたがいそのままに放任されたのです。運のわるいことにはひとり息子で、(永年の間ひとりっ子であったのですが)両親はじぶんたちは善良な人であったのですが(とくに父親は慈悲深く優しい人でした)このひとり息子をあまやかしました。わがままで横柄でじぶんの家族以外の人はだれも愛せず、世の中のほかの人たちのことはいやしみ、少なくともその分別なりねうちなりをじぶんのそれと比べて軽べつすることを許され、奨励され、ほとんど教えられたといってもいいのです。八歳から二十八歳までそういう状態でしたし、もし愛する美しいエリザベス、あなたがいらっしゃらなかったら今でもそうだったかもしれないのです。すべてはあなたのおかげです。あなたは最初は非常にむずかしかったけれど、まことに有益な教訓を教えてくださいました。あなたのおかげで人間らしく謙遜になりました。わたしはあなたに受け入れてもらえるものと、疑いもせずにあなたのところへゆきました。ほんとに喜ばすねうちのある婦人を喜ばすのに、わたしのみせかけの資格がどんなに不じゅうぶんであるかを思いしらせてくださいました」
「あのとき、あなたはわたしがお受けするものと思いこんでいらしたのですか?」
「じつはそうなのです。わたしのうぬぼれを何とお考えになりますか? わたしはあなたがわたしの求婚を望み期待していられると思ったのです」
「どうもわたしの態度はまちがっていたにちがいありませんわ、でも、故意ではないのです。ちかって。あなたをだます気持ちはないのですが、元気がいいものでよく横道にそれてしまうのです。|あの《ヽヽ》夜以来、ずいぶんわたしをおきらいになったことでしょうね」
「あなたをきらう! たぶん最初は腹を立てていましたね。しかし怒りはすぐにとるべき方向をとるようになりましたよ」
「わたしたちがペンバレーでお会いしたとき、わたしのことをどうお考えになったかおたずねするのがおそろしく思えます。うかがったのを責めていられたのではないかしら?」
「いや、そんなことはありません。ただ驚いただけです」
「あなたのお驚きはあなたに歓待されたときのわたしの驚きより大きいはずはございません。わたしの良心は非常に丁重に迎えていただく資格のないことを申しきかせておりました。わたしも当然うけるべきもの以上は期待しておりませんでした」
「|あのとき《ヽヽヽヽ》のわたしの目的は」とダーシーは答えました。「わたしにできるだけの礼儀をつくして過去をうらむほど卑劣な人間でないことをおしめししたかったのです。あなたに許していただき、あなたのわるい評価を多少でもあらためていただきたかったのです。何かほかの希望がいつしのびこんだかは、どうもはっきりわかりませんが、お目にかかって三十分くらいたってからのことだろうと信じます」
それから彼は彼女と知り合ってジョージアナがどれほど喜び、ふいにじゃまがはいってどれほど失望したかを語ってきかせました。それから話は自然そのじゃまの原因に及んでまいりましたが、彼女の妹をさがすためエリザベスのあとすぐダービシャーをたとうという決心は、宿屋を出るまえにできていたことを知りました。あの場合ひどく厳粛な考え深い顔つきであったのは、リディアをさがし出すことのなかに当然ふくまれる苦闘を考えてのことだったのでした。
エリザベスはも一度感謝をいいあらわしましたが、これはこれ以上考えるのはどちらにとってもあまりに苦しい話題でした。
ゆっくりと数マイル歩き、そしてそれに気がつかないほど気をとられていましたが、とうとう時計をみて、もう家へ帰っている時間であることに気がつきました。
「いったいビングリーさんとジェーンはどうなったことやら!」といぶかりそれがきっかけでふたりの事件を論じ合うことになったのでした。ダーシーはふたりの婚約をとても喜んでおりました。友はいちばんにそれを知らせたのでした。
「お驚きになったかどうかおうかがいしたいわ?」エリザベスは申しました。
「全然驚きませんでした。ここを去るとき、まもなくそうなるだろうと感じていました」
「とおっしゃいますと、あなたが許可をおあたえになっていたのね。その程度の察しはついておりました」
その許可という言葉に声を大にして抗議しましたが、だいたい事情はまずそういったところでした。
「ロンドンに行くまえの晩」と彼はいいました。「わたしは彼に告白しました。ずっとまえにするべきはずであったと信じていますが、わたしはわたしがその事件に干渉したのはばかげた失礼なことであるというてんまつを、すっかり話してきかせました。たいそう驚きましたよ。まったくほんの少しの疑いももっていなかったのですからね。そのうえにあなたのねえさんが無関心であると思ったが、それはまちがいであったと思うと話しました。ねえさんに対するあの男の愛着はちっともへっていないのがわかりましたから、わたしはふたりが幸福になることを全然疑っておりませんでした」
エリザベスはたやすく友をあやつるのにほほえみを禁じえませんでした。
「姉があのかたを愛しているとおっしゃったとき、あなた自身の観察からおっしゃったのでしょうか、それともただわたしがこの春にそのように申し上げたからでしょうか?」
「わたしの観察からです。近ごろこちらへうかがった二度の訪問で、つぶさにあのかたをみて、あのかたの愛情を確信しました」
「そうしてあなたの保証で、たぶんビングリーさんもすぐにそのとおりと思われたのでしょう」
「そうです。ビングリーは気どりではなく、真から謙遜なのです。あまりに内気でこのようなだいじの場合にはじぶんの判断にたよれないのです。しかしわたしの判断を信頼してくれるので万事らくに運びます。わたしはあることを告白しなければならず、これはむりもないことながらしばらくビングリーに腹を立たせました。この冬、あなたのねえさんが三ヵ月の間ロンドンにきておられたこと、それを知っていて故意にかくしていたことを告白しないではいられなかったのでした。あの男は腹を立てましたが、しかし怒りはねえさんの感情が不たしかな間だけだったと信じています。今は心からわたしをゆるしてくれました」
エリザベスはビングリーさんはほんと愉快なお友だちです、そんなにたやすく操縦できて、そのねうちははかりしれませんという見解を申しのべたくてしかたがなかったのですが、やっと我慢しました。この人は冗談のまとにされて笑われたりしたことのない人で、これからそれを覚えなければならないのを思い出したのですが、まだそれをはじめるのは早すぎました。ビングリーの幸福をいろいろと予想して――それは彼自身の幸福には及ばないものでしたが――やがて家につき、玄関でふたりはわかれました。
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第五十九章
「まあリジー、いったいどこへいってたの?」へやへはいるや否やエリザベスがジェーンから受け、また食卓についたとき、ほかの人たちみんなから受けた質問でした。しかしこれに対してはさまよい歩いているうちにわからないところへ行ってしまった、と答えればよいのでした。そういいながら顔をあかくしましたが、それもまたその他のこともほんとの事実を感づかせることはありませんでした。
夜は静かにすぎ、異常なことは何もおこりませんでした。公認の恋人たちは語り笑い、未公認のは沈黙しておりました。ダーシーはしあわせがあふれでて陽気になるという性質ではありませんでしたし、エリザベスは動揺し、混乱して、幸福だと|知って《ヽヽヽ》はいても幸福だと|感じ《ヽヽ》られないありさまでした。さしあたっての気まりわるさもさることながら、彼女のまえにはいろいろと気の重くなることがひかえておりました。じぶんの立場がわかったとき、家の人たちはどう感じるだろうかと予想してみました。ジェーンを除くほかはだれも彼を好きでないことを承知していました。ほかの者にとってはその財産地位をもってしても除くことのできない嫌悪《けんお》のあることを恐れていたのでした。
晩になってジェーンに心のうちを打ち明けました。疑いはベネット嬢にはないものでしたが、彼女はまったくこの場合信じようとはいたしませんでした。
「冗談でしょう、リジー、そんなことがあるはずはないわ! ダーシーさんと婚約したなんて! だまされはしないわよ。そんなこと不可能ですもの」
「はじまりからこれでは思いやられるわ、ほんとに! あなただけをたよりにしていたのに。もしあなたが信じないのだったら、だあれも信じてはくれないわね。でもほんとに本気なのよ。真実でないことは何もいっていません。あのかたはわたしをまだ愛していられたのです。それで婚約したのよ」
ジェーンは疑わしそうに妹に目を向けていました。「おお、リジー! そんなはずはないわ。あなたがどんなにあのかたをきらっていたか知ってますもの」
「それについては何もあなたはご存じないのよ。|あのこと《ヽヽヽヽ》はすっかり忘れなければいけないの。たぶん今ほどあのかたを愛していないときもあったわ。でもこういう場合にはあまり物おぼえのいいのはよくないことよ。わたしもそれを思い出すのはこれを最後にするわ」
ベネット嬢はなお驚きあきれたという顔つきでした。エリザベスはもう一度もっとまじめに真実であることをうけ合いました。
「まあ! そんなことがあるものかしら? でも今では信じないわけにはいかないわ」ジェーンは声をつよめて申しました。「愛する、愛するリジー、ほんとにおめでとう。でもだいじょうぶ――こんなこときいてごめんなさい――あのかたと幸福に暮らせる自信があるの?」
「それはもう疑いなしよ。わたしたちでもう世界中でいちばんしあわせな夫婦になることを決めているのですもの。でも、ジェーン、あなたは喜んでくださる? あんな弟をもつのはいかが?」
「とてもすてきよ。ビングリーにとってもわたしにとってもこんなにうれしいことはないわ。それは考えてみたこともあるのよ、そしてとてもできないことだと話しあったの。それであなたはほんとにじゅうぶん愛しているのね? おお、リジー、愛情なしで結婚することだけはしないでちょうだい。もつべき愛情はたしかにもっているのね?」
「ええ、もちろんよ! すっかりお話しすればもつべき以上《ヽヽ》にもっているとお考えになるわ」
「それはどういうこと?」
「それはね、ビングリーを愛している以上にあのかたを愛しているということよ。きっとあなたはおおこりになるでしょう」
「リジーったら、まじめに|して《ヽヽ》よ。まじめにお話がしたいのよ。今すぐに知っていなければいけないことを全部教えてちょうだい、いつごろから愛するようになったの?」
「次第次第に、いつはじまったかわからないほどよ。でもペンバレーであの人の美しいおやしきを最初にみたとき以来ではないかと思うわ」
しかしも一度まじめになってという嘆願で冗談はよしにして、まもなくおごそかな愛情の保証でジェーンを満足させました。この点がはっきりすればベネット嬢にはこれ以上希望することは何もありませんでした。
「これでわたしはほんとにしあわせよ」彼女は申しました。「あなたもわたしとおなじよう、しあわせになれるのですもの。わたしはいつもあのかたを立派だと思っていたのよ。ただあなたを愛されたというだけでもきっとあのかたを尊重したと思いますよ。でも今はビングリーの友人だし、あなたのご主人だし、あのかた以上にたいせつなのはビングリーとあなただけよ。しかし、リジー、あなたはずるいわ。わたしにかくしていらしたのね。ペンバレーとかラムトンでおこったことをほとんど話してはくださらなかったのね。それについて知っているのはあなたからではない、ほかの人からきいたことなのよ」
エリザベスは秘密にした動機を語りました。ビングリーの名まえを出すのがいやだったこと、彼女自身の感情もまだ定まらない状態であったので彼の友人の名もさけたかったのでしたが、もはや今では彼がリディアの結婚で果たした役割についてもかくしはしなかったのでした。すべてが白状され、その晩のなかばは話しているうちにすぎてしまいました。
――――
「おやまあ!」ベネット夫人は翌朝窓ぎわに立ったとき叫びをあげました。「あのいけすかないダーシーさんがだいじなビングリーとまたいっしょにくるじゃあないの! どういうつもりで、しょっちゅううるさくこられるのかしら? 狩りとか何とかに出かけてわたしたちに迷惑をかけないでほしいと思うんだけれどね。どうしましょうね? リジー、ビングリーのじゃまにならないよう、またあの人と散歩に出ておくれでないか」
エリザベスはそのような好都合の申し出にはにこにこせずにはいられなかったのですが、それにしても母親がいつも彼にあんな形容詞をつけるのはつらいことでありました。
はいってくるとすぐにビングリーは彼女のほうに意味ありげな視線をよこし、非常に熱をこめて握手をしましたので、彼があのよいしらせをきき知っていることは疑いもないことでした。そしてすぐ後で大きな声で申しました。
「ベネット夫人、リジーが今日もまた迷子になるような小径がこのあたりにもっとありませんか?」
「ダーシーさんとリジーとキティは」ベネット夫人は申しました。「けさはオーカム・マウントにいらしたらどうかしら。いい遠足になりますよ。ダーシーさま、まだあそこの見晴らしをごらんになったことがないでしょう」
「ほかの人たちにはもってこいだと思いますが」ビングリー氏は答えました。「キティには遠すぎると思いますね、どうですか、キティ?」
キティはどちらかといえば家にいたいと白状しました。ダーシーは丘からの眺望をみたいとたいへん好奇心をもやしましたので、エリザベスはだまったまま同意をしめしました。用意をするために二階に上がるとベネット夫人はついてきて申しました。
「ごめんね、リジー、あんないやな人をあんたひとりにおしつけて。でもかまわないでしょう。みなジェーンのためだものね。おわかりだろう。なにさ、あの人に話しかけたりする必要はないのよ、ただときどきのほかはね。だからあまり骨折らないでいいよ」
散歩の間に、今夜のうちにベネット氏の承諾を得ることに決まり、エリザベスは母親の承諾はじぶんで得ることにいたしました。いったいどう母親が受けとるか決しかねておりました。ときには彼の財産と門閥があの人物に対する嫌悪にうちかつにじゅうぶんであろうかどうか、ときどき疑わしくなるのでありました。しかし縁組みにはげしく反対するにしてもはげしく喜ぶにしても、その態度は分別のある人としてほめることはできないようなものであるのはたしかでした。エリザベスには、その最初の有頂天の喜びをダーシー氏にきかれるのは、不賛成の最初のはげしさをきかれるのと同様堪えられないことなのでした。
――――
夜になり、ベネット氏が書斎にひきあげると、ダーシー氏が立ち上がって彼についてゆくのをみて、エリザベスはわくわくとしておりました。父親が反対するという懸念はなかったのですが、しかしきっと気が重いことでしょう、それもじぶんのせいで、父親の秘蔵っ子である|じぶん《ヽヽヽ》がじぶんのえらんだ夫のことで父を苦しめるとは、彼女の身のふり方をつけるについて危惧《きぐ》を感じさせ、残念に思わせるとはなど悲しく思いめぐらし、ダーシー氏のふたたびあらわれるまでみじめな気持ちでおりました。あらわれたダーシー氏の微笑にやや心も軽くなる思いでしたが、しばらくするとキティといっしょに腰をおろしているテーブルに近より、しばらくその手芸にみとれているふうをよそおっていましたが、やがてささやきました。「おとうさまのところへいらっしゃい。書斎でお待ちです」彼女はすぐさま立ち上がりました。
父は書斎のなかを歩きまわり、まじめで心配そうな顔つきでした。「リジー」と申しました。「何をしているんだよ? こんな男の求婚を承諾したりなどして気でも変なのではないかね? いつでもきらっていたのではないか?」
そのときになって、じぶんのもとの意見がもっと理性的で言葉ももっとおだやかなものであったら、と心から願わずにはいられなかったのでした。そうすれば説明したり告白したりすることもいらなかったでしょうに。説明も告白もひどくぐあいのわるいものでした。がしかし、今は必要でしたので多少まごまごしながらも、たしかにダーシー氏を愛していることを明言いたしました。
「いいかえればあの男と結婚するというわけだね。たしかに金持ちだから、ジェーンよりももっと立派な衣装や、馬車が手にはいるだろうさ。しかしそんなもので幸福になるのかね?」
「おとうさまは」とエリザベスはいいました。「わたしが愛していないと思っていらっしゃるのね。そのほかには反対なさる理由はないのですね?」
「全然ないよ。誇りの高い不愉快な男だとみんないっているが、ほんとに好きなのなら、そんなことは何でもないさ」
「ええ、好き、好きなのです」と目に涙をうかべて答えました。「あのかたを愛しています。じつのところ不当な誇りなどもってはいられないのです。まったく優しいかたです。おとうさまはあのかたの本性をご存じないのですわ、ですからどうぞあのかたのことをそんな言葉でお話しになって、わたしを苦しめないでください」
「リジー」と父は申しました。「わたしは承諾したのだよ。実際あんな男に頼まれたりなどされてはことわりきれるものではないのでな。おまえも結婚する決心ならこんどは|おまえ《ヽヽヽ》にも承諾をあたえるとしよう。だがもっとよく考えてごらんと忠告するよ。おまえの性質はよくわかっているからね、リジー。ほんとに主人を尊敬していなければ幸福にもなれず世間の体面もたもてないよ。じぶんよりすぐれた人としてみあげていなければね。不釣り合いの結婚をした場合にはおまえの活発な才能が非常に危険な立場に追いこまれるよ。おまえはとうてい恥辱と悲惨からまぬかれることはできまい。おまえの伴侶を尊敬できないなげきを、|おまえ《ヽヽヽ》にみせたくはないのだよ。じぶんがしようとしていることがわかっていないのだろう」
エリザベスはなおいっそう心を動かされて、いっしんにおごそかに答えました。ダーシー氏こそほんとにじぶんの選んだ人であることをくりかえし保証し、その人に対する評価が徐々に変化を受けたことを説明し、彼の愛情が一日で生まれたものでなく、幾月もの不安の試練に堪えてきたものだとかたく信じていることをのべ、彼のよい性質を力づよく数えあげて、とうとう父親の不信の念にうちかってその縁組みに妥協させたのであります。
「なるほどね」彼女が話しおわると申しました。「もういうことはないよ。もしそういうことならおまえにふさわしい人だ。もっとねうちのない男だったらとてもおまえを手ばなせなかったよ」
このよい印象をなお完全なものとするために、ダーシー氏が自発的にリディアのためにしてくれたことを話してきかせました。父はそれをきいてひどく驚きました。
「今夜はまったく驚くことばかりだ! それではダーシーが何もかもしてくれたのかね。縁組みを取り決め、金をあたえて奴さんの借金を払い、士官辞令を買ってくれたというわけなのだね。それだけ結構なことさ。わたしゃ骨折りも金銭もたいそうたすかったというわけさ。もしおまえのおじさんのしてくれたことだとすれば、どうしたって払わなければならないし、払っただろうがね。熱烈な恋人ともなりゃ何でもじぶんの流儀でやっつけるのさ。あす、お払いいたしましょうというね、すると彼はおまえに対する愛だとか何とかわめきたてて一件はおわりさ」そのとき、父は二、三日まえコリンズ氏の手紙を読んできかせたときの当惑を思いおこしました。それでしばらく笑いものにしたあとで、もう行ってもよいとゆるしました。彼女がへやを出かけると、「だれかメアリかキティを欲しがっている青年があれば、どんどんよこしなさい、ひまだから」
エリザベスの心は重荷をとり除かれて今ははればれといたしました。じぶんのへやで半時間静かに回想にふけってからはかなりおちついてほかの人たちの仲間にはいりました。すべてはあまりにも近すぎてまた陽気な気分にはなりませんでした。しかし夜は静かにすぎてゆき、もはやなにも恐れることはありませんでした。安らかな親しみ深いなぐさめがやがておとずれてくることでしょう。
夜おそく母親がじぶんの化粧部屋へと上がって行くとき、それについて行って重大な伝達をいたしました。その結果はまったく途方もないものでした。まず最初それをきくと、すっかりすわりこんでしまい、ひと言も口がきけませんでした。また相当な時間がたってはじめてきいたことの意味が了解できたのでした。概して娘たちに有利なこと、どの娘であろうとその恋人という形をとってくるものに対しては敏感で、これを大きく評価する人だったのですけれど。ようやく気をとりなおし、椅子で身をもじもじしたり、立ち上がったり、また腰をおろしたり、不思議がったり、じぶんを祝福したりなどいたしました。
「おやまあ! ああ神さま! まあ考えてもごらん! ほんとにまあ! ダーシーさん! だれが考えましょうこんなこと? それはほんとに事実なの? おお、かわいいリジー! どんなにお金持ちに、どんなにえらくおなりだろうね! お小遺いはどっさり、宝石も馬車も! ジェーンなど足もとにも及ばないわ、全然。うれしいよ、しあわせだよ。ほんとに魅力のあるかただよ! 男前でね! 背が高くて! ね、リジー! まえにあんなにきらったりなどしてお詫び申し上げておくれ。きっとみのがしてくださるよね。愛するリジー、ロンドンにやしきをもって! すばらしいものを何もかも! 娘三人が結婚するのよ! 一年一万ポンド! おお神さま! いったいわたしはどうなるのかしら? 気が変になりそうだわ」
これで母親の承認は疑う必要のないことでありました。エリザベスはこのような心情発露をじぶんだけできいたことを喜びながら、へやから出てゆきました。じぶんのへやにもどって三分もたたないうちに、母親があとからはいってきました。
「ね、おまえ」彼女は叫びました。「ほかのことは考えられないのよ! 一年一万ポンド、たぶんもっと上かもしれないね! まるで貴族だね! それに異例結婚の特典で結婚できますよ。でもダーシーさんは何が特別お好きか教えておくれ、あすご馳走しますからね」
これは母親のあの紳士に対する態度の悲しくも前兆となるものでありました。彼の最も暖かい愛情を得ていることは確信していても、親の承諾を確保していてもなお不足する何ものかがあったのでした。しかし翌日は予期していたよりずっと調子よくゆきました。ベネット夫人は運よく未来の娘婿に対して畏敬を感じ、何か心づかいをしめしたり、彼の意見に対して敬意を表する場合以外あえて口をきこうとはしなかったのでした。
エリザベスは父親が彼と知り合うよう骨を折っているのをみて満足に思い、ベネット氏はすぐに一時間ごとにぐんぐん評価が上がっていると保証いたしました。
「三人の婿をみんなすばらしいと思っているよ」と彼は申しました。「ウィカムがたぶんいちばんのお気に入りだが、しかし|おまえの《ヽヽヽヽ》主人もジェーンのとおなじくらい好きになるだろうと考えているよ」
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第六十章
エリザベスの元気はすぐに回復して、またもとどおり冗談好きとなり、ダーシー氏が恋におちたいきさつの説明を求めたのでした。「まずそもそものはじまりは?」と彼女は申しました。「はじまってしまってからはなかなかうまく進行したようだったけれど、最初の出発は何でしょうね?」
「土台となった時も場所も表情も言葉も何一つはっきり決められませんよ。ずいぶんまえのことだからね。はじまったとわかったときはもうまっただなかにいたというわけです」
「わたしの容色にまいらなかったことは非常に早い時期にはっきりしていたでしょう。それで作法という点からいうと、わたしの|あなた《ヽヽヽ》への態度はいつも不作法とすれすれというところでしたわ。いつだって話しかけるとき困らしてあげようという気持ちのないことはなかったんです。さあ、ほんとをおっしゃいな。わたしの不作法なのが気に入ったんじゃあありません?」
「たしかに気持ちがいきいきとしているのは気に入ってましたね」
「ずばり生意気とおっしゃってもよろしいのよ。まず生意気と大差はありませんもの。事実は、あなたはお行儀のよいのに、尊敬に、おせっかいにあきあきしていらしたのだわ。いつでもあなたに賛成を求めて話したり、表情をとりつくろったり、考えたりするご婦人たちにうんざりしてらしたのよ。わたしがたいへんそういう人たちとちがっているので興味をおおこしになったのね。もしほんとにあなたが優しいかたでなかったらきっとそんなことをしたらわたしをおきらいになったはずだわ。骨折ってそうでないようにみせかけていらっしゃるけれど、あなたのお気持ちはほんとに高貴で正しいのね。心のなかであなたはそのように熱心にごきげんとりをする人たちを軽べつしてらしたのだわ。そらこれでわたしはあなたのかわりに説明してあげましたわ。ほんとにあれもこれも考えあわせると完全に合理的だと思いはじめたわ。たしかにあなたは実際のいいところなどご存じないけれど、だれも恋におちるときは|そんなこと《ヽヽヽヽヽ》は考えないものね」
「ジェーンがネザーフィールドで病気したときのあの優しい看病はいいところではないですか?」
「ああ、だいじなジェーン! あの人にはああしないではいられませんわ! でもぜひどうぞあれをとりえにしててください。わたしのよい性質はあなたの保護のもとにおきますから、できるだけ大げさにしていただきたいものです。お礼といたしまして、できるだけたびたびあなたをいじめたり、けんかしたりする機会をみつけだすことにいたします。すぐさま手はじめとして最後のところで何のためあなたはあのように要点にふれることをためらわれたのか、おたずねしたいわ。何であのように最初たずねてくださったとき、あとで食事をしてくださったとき、わたしをけぎらいなさったのでしょうね? わたしのことなど気にもしないという顔つきをなぜなさったのでしょう?」
「あなたがまじめくさってだまっていて全然はげましてくれなかったからです」
「でもわたしはきまりがわるかったんですもの」
「わたしもそうでした」
「晩餐にいらしたときはもっと話してくださってもよかったと思います」
「も少し感じるところが少ない人ならもっと口をきいたかもしれません」
「あなたは合理的なお答えをなさるし、わたしも合理的でそれをなるほどと思うなんて運のわるいこと! でももしあなたを放任しておいたら、どこまでぐずぐずしていらっしゃるおつもりだったのかしら。もしわたしがたずねなかったとしたらいつお話しになるつもりだったのかしら。リディアに対するご親切にお礼をいおうと決心したのはたしかに効果的でしたわ。効果的すぎたかもしれません。だってもし約束を破ることから幸福が得られたとするならいったい道徳はどうなりましょう。だってわたしはあの問題は口にすべきではなかったのですもの。こんなことはあってはいけないことですわ」
「いや、お苦しみになる必要はありません。道徳のほうは完全に安泰です。キャサリン令夫人のわれわれをさこうとするよからぬ努力がわたしの疑いをはらす手段となったのです。わたしの現在の幸福はあなたが熱心に感謝をいいあらわそうと願われたことに負っているのではないのです。わたしはあなたの開始をまつ気分ではなかったのです。おばの報道が希望をあたえ、すぐにすべてをはっきりさせようと思っていたのです」
「キャサリン令夫人はたいそうお役にたたれましたのね。きっと令夫人もご満足ですわ。役にたつことがお好きですもの。しかし、おっしゃって。何のためにネザーフィールドにいらしたの? ロングボーンにきて気まりわるがるためだけでしたの? それとももっと何か重大なことを望んでいらしたのかしら?」
「真の目的は|あなた《ヽヽヽ》に会うこと、もしできればあなたにわたしを愛させるようにする望みがあるかどうか判断するためでした。表向きの目的は、わたしがじぶんにいいきかせた目的はあなたのねえさんがビングリーに対して愛情をいだいていられるかどうかをみるため、もしいだいていられたらビングリーに告白するため。あれ以後わたしはそれをやりましたよ」
「キャサリン令夫人にこれからあのかたのうえにおちてこようとしていることをお知らせになる勇気がおありかしら?」
「足りないのは勇気ではなくて時間らしいですがね、エリザベス。しかしそれはしなくてはならないことです。紙を一枚くださればすぐしてしまいましょう」
「もしわたし自身にも書く手紙がなかったら、あなたのそばにすわってあなたのよどみのない書体を賞賛したかもしれないのですけれど。わたしにもおばがございまして、これ以上ほうっておくわけにはまいりません」
じぶんとダーシー氏との親密さを高くみられすぎていると白状するのがいやで、ガーディナー夫人の長い手紙にまだ返事をしておりませんでした。今はこのうえない喜ばしいしらせをもっているので、もはやあのしあわせから三日おじおばに知らせることもなくむだにしたことを恥ずかしく思い、すぐさま次のように書きました。
「愛するおばさま、長い親切な申し分なくくわしいお手紙をいただき、とっくにお礼を申し上げるはずでございました。じつを申しますと少し腹を立てて書く気持ちになりませんでした。おばさまは事実以上のことを想像されておりましたから。しかし|今は《ヽヽ》好きなようにお考えくださいませ。空想をほしいままにしてくださいませ。その問題があたえうるあらゆる方向に想像をかけめぐらせてくださいませ。事実結婚しているとお考えなければあたらずとも遠からずたいしておまちがいになるはずはございません。すぐにまたお書きくださいますよう。前回にもましてあのかたをほめてくださいませ。何べんも何べんも湖水地方に行かなかったのを感謝しております。行きたがったりして何ておばかさんだったでしょう。おばさまの小馬についてのお考えはたいへん愉快に存じました。毎日庭をのりまわしましょう。わたしは世界中でいちばんのしあわせ者です。たぶんまえにもそういった人たちもあると思いますけれど、だれもわたしほどそういっていい人はなかったと思います。ジェーンと比べてもわたしのほうがしあわせです。彼女はほほえむのですが、わたしは笑っていますもの。ダーシーさまはわたしから割愛できる愛をすっかりおおくりする由です。みなさまクリスマスにはペンバレーにいらしてくださいますよう。
あなたのもの、等々」
ダーシー氏のキャサリン令夫人への手紙はちがった様式でした。ベネット氏がコリンズ氏の最後の手紙に対しておくったものはまたどちらともちがっておりました。
「拝啓
「もう一度祝辞のためあなたをわずらわせることになりました。エリザベスはダーシー氏の妻となります。キャサリン令夫人をできるかぎりなぐさめてあげてください。しかしもしわたしがあなたなら、わたしは甥《おい》のみかたをします。彼のほうがあたえるものが多いからです。
あなたのもの、敬具等々」
ビングリー嬢が近づく結婚を祝って兄によこしたお喜びは愛情にみち、また不誠実そのものでした。ジェーンに対しても喜びをいいあらわすために手紙をよこし、以前の愛情の告白をくりかえしました。ジェーンはだまされはしませんでしたが、感動してちっとも彼女を信用はしないながらも彼女にふさわしくないほど親切な手紙を書きました。ダーシー嬢がおなじしらせを受けとってしめした喜びは、兄がそれをおくったときの喜びと同様誠実にあふれたものでした。紙の四面をつかってもその喜びと姉に愛されようとの心からの願いを入れるにじゅうぶんではありませんでした。
コリンズ氏から返事、あるいは細君からエリザベスへの祝辞のとどくまえに、ロングボーンの人たちはコリンズの人々がルカス・ロッジにきていることをききました。ふいにうつってきた理由はすぐに明らかになりました。キャサリン令夫人は甥《おい》の手紙でひどく腹を立てたのでじつはこの縁組みを喜んでいるシャロットはその嵐が吹きすぎるまで避難しようと望んだのでした。このようなとき、友の来訪はエリザベスには真実うれしいことでありまれたが、ときどきふたりの会合の間にダーシー氏が彼女の夫のこれみよがしの追従、いんぎんにさらされているのをみると、この喜びはたいへん高くあがなわれているのだと考えなければなりませんでした。しかし彼は賞賛すべき冷静さをもって我慢しておりました。彼はウィリアム・ルカス卿がこのあたりのいちばんかがやかしい宝石をさらっておいでになるとお世辞をいい、セント・ゼームズ宮殿でしばしばお目にかかれますようとの希望を申しのべたとき、たいへん礼儀正しくおちついて耳をかすことができたのでした。もし彼が肩をすぼめたとしてもウィリアム卿がみえなくなってからのことでありました。
フィリップス夫人の卑俗なのはこらえにくい今一つのこと、たぶんもっとこらえにくいことであったかもしれません。フィリップス夫人はベネット夫人と同様彼を恐れていましたのでビングリーのきげんのよいのにいい気になってしたほどなれなれしい口はきけなかったのですが、いやしくも話を|すれば《ヽヽヽ》卑俗にならずにはいなかったのでした。彼に対する尊敬でもっとだまっていることはできてももっと上品になることは全然できないことでした。エリザベスは全力をつくして彼をかばい、どちらからもあまりたびたび目をかけられないようにし、彼をなるべくじぶんにひきつけておくか、彼がいやな思いをしないで話のできる家の人たちにまかせるかどちらかにいたしました。これらからおこる不愉快な感情は婚約時代からそのたのしみをうばいとるものでありましたが、未来に対する希望になおいっそう大きな期待をかけることにもなったのでした。ふたりはあまり好ましくない人々との交際からのがれて、ペンバレーでの優雅なこころよい家族のあつまりをたのしみにしていたのでした。
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第六十一章
ベネット夫人の母親としての気持ちには上のふたりのできのよい娘たちから解放された日こそ、またとない幸福な日でありました。どれほどの喜びと誇りをもって後にビングリー夫人を訪問し、ダーシー夫人について語ったか想像にかたくありません。彼女の年来の熱望が実現して、娘の三人までかたづけることができ、すっかりものわかりのよい、愛想のよい、見聞の広い婦人となって余生をおくったということができたら娘らのためには結構なことだったろうと思われますが、たぶん彼女の夫にとってはそのような異常な形で家族の幸福を味わうのは性に合わないことだったでしょう。細君がときどきヒステリーをおこし、終始おろかであったことは彼のためには運がよかったといわなければなりますまい。
ベネット氏は二番めの娘のいなくなったのをひどくさびしく思い、彼女に対する愛情は今までになく家から彼をつれ出しました。ペンバレーに、とくに思いがけないときに出かけて驚かすのをたのしみにしておりました。
ビングリー氏とジェーンはネザーフィールドにはあと一年とどまったのみでした。母親とメリトンの親戚にあまり近すぎるのは彼《ヽ》ほどのんびりした人にも彼女《ヽヽ》ほど愛情深い心にも望ましいことではありませんでした。そこでビングリーの姉妹たちの年来の希望が達せられ、ダービシャーの近所にやしきを買いました。ジェーンとエリザベスは幸福の種をいろいろと恵まれたうえに、おたがいに三十マイルのところに住むこととなったのです。
キティがだいたい上の姉たちのもとで暮らしたのはたいそうためになりました。今までつき合っていた人たちとははるかにすぐれた人とまじわってめざましく改良されました。リディアのように手に負えない気質というのではありませんでしたから、リディアをみならわないようになってから、またしかるべき取り扱いと心づかいを受けるようになってから、まえほどいらいらしなくなり、無知でもふぬけでもなくなりました。リディアとまじわらせないようその後とも注意をいたしました。ウィカム夫人はたびたび彼女を舞踏会と若い男どもをえさにして逗留にくるよう招待しましたが、父親はけっして許可をあたえませんでした。
メアリが家に残ったただひとりの娘で、ベネット夫人はひとりですわっていることのできない人でしたから、当然諸芸にはげむことも今までほどにはいかなくなり、よぎなく世間とまじることとなりましたが、あいかわらず来客を種にして道を説くことはできました。姉妹たちとじぶんの容色の比較で心を苦しめられることもなかったので、父親の察するところでは、この変化に身をゆだねるのもさほど気のすすまないことでもないようでありました。ウィカムとリディアについてはふたりの人柄は姉ふたりの結婚から何ら革命がおこりませんでした。彼はエリザベスがまえには知られていなかったじぶんの忘恩と虚偽をあらいざらい知ってしまっただろうと思いましたが、あきらめをもってこれに堪えたのでした。あらゆることにもかかわらず、彼はまだダーシー氏を説得して運をつかむ夢をすててはおりませんでした。結婚の際、リディアからエリザベスが受けとった祝いの手紙は彼はとにかく、彼女はそのような希望をいだいていることをもの語っておりました。
「愛するリジー
「おめでとう、もしあなたがダーシーさんをわたしがウィカムを愛している半分でも愛していられるなら、きっと幸福でしょう。あなたがたいそうお金持ちなのは大きななぐさめですわ。何もなさることがないときはわたしたちのことを思い出してね。ウィカムはきっと宮中の職につきたいだろうと信じています。わたしたちは多少の援助をしていただかないと生活をささえてゆけません。一年三、四百ポンドの地位があればとても結構だと思います。しかしもし話したくないとお思いならダーシーさんにこのことはいわないでください、さよなら、等々」
エリザベスの話したくない気持ちはたいそうつよかったので、その返事でこういう種類の嘆願にも期待にもとどめをさすような返事をいたしました。しかしじぶんの力でできる範囲の援助はじぶんのお小遣いのしまつとよばれることで実行しました。ふたりのさほどでもない収入を欲望にかけては法外もない、未来に対して何の計画もないふたりの人間の管理にまかしといては、とてもふたりのささえとして不じゅうぶんでありました。ふたりが部署をかわるごとにジェーンか彼女かどちらかが勘定書の支払をするについてのなにがしかの援助をたのまれたのでした。ふたりの生活態度は世の中が平和になって、ふたりが家庭生活にもどってからも極めて不安定なものでした。ふたりはいつも場所から場所へ安い住宅を求めてわたり歩きましたが、いつも使ってよい以上の金を使っておりました。ウィカムの愛情はすぐに無関心へとてんらくし、リディアのほうはそれよりも少しだけながもちしました。年が若くお行儀も感心しませんでしたが、結婚生活のあたえた評判をすてるほど不身持ちなことはいたしませんでした。
ダーシーは|彼を《ヽヽ》ペンバレーに迎えることはできませんでしたが、エリザベスのためにその職業上の援助はいたしました。リディアはときどき、夫がロンドンまたはバースにたのしみに出かけたときには、ペンバレーをおとずれました。ビングリー家の場合にはふたりでしばしば長逗留をしてきげんのよいビングリーさえ我慢しかねて帰ってくれるようほのめかすように、ジェーンに相談《ヽヽ》することもありました。
ビングリー嬢はダーシーの結婚で深く傷つけられましたが、ペンバレーを訪問する権利を留保しておきたいと思い、すべてのうらみをさらりとすてました。まえよりいっそうジョージアナを好み、以前とおなじくダーシーに心を使い、エリザベスにはまえの埋め合わせに礼儀の未払い分を念入りに返済いたしました。
ジョージアナは今はペンバレーに住んで、姉妹の間の愛着はダーシーの望みどおりでありましたし、またふたりの望んでいたとおり愛し合うことができました。ジョージアナはエリザベスをこのうえなくすぐれた人と思っていました。最初のうちは兄に対しての溌らつとした、からかうような話しぶりにびっくり仰天したものでした。じぶんのうちにいつも畏敬の念をおこさずにはいない兄、畏敬はほとんど愛情を圧倒するほどの兄が、今はまぎれもない冗談のまとにされているのをみたのでした。彼女の心はじぶんのまえに今まであらわれたことのない知識をわがものといたしました。エリザベスの教育によって、女性は夫をからかってもよいということをさとりはじめました。これは十歳も年下の妹には、いつもゆるされるとはかぎらないものでしたが。
キャサリン令夫人は甥《おい》の結婚については激怒しました。いつもその人格の率直さをまるだしにする人でありましたから、結婚の取り決めを知らせた手紙の返事に、はげしいばり雑言――とくにエリザベスについて――をおくってよこしましたので、しばらくの間はすべての交際はとだえてしまいました。しかし、やがてダーシーはエリザベスにその侮辱をみのがして和解を求めるように説き伏せられました。おばのほうではなおしばらく反抗をこころみたあとで、怒りはくずれ去りました。彼に対する愛情のためか、または細君のおさまりぶりをみたいという好奇心のためか、身をくだしてペンバレーのふたりを訪問したのでありました。かかる女主人公をいただいたばかりでなく、ロンドンよりくるおじおばの訪問のため、その森がけがされたと考えていたのでしたが。
ガーディナー夫妻とは終始非常に親密なまじわりをつづけました。エリザベス同様ダーシーも心からふたりを愛し、エリザベスをダービシャーにつれてきてふたりを結びつけるよすがとなった人たちに対して、暖かい感謝の念をもちつづけました。(完)
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作品紹介
この作品はジェイン・オースティンの代表作として最も人気があるだけでなく、イギリス小説史の上でも古典的傑作の一つとしてたいへん高い評価を得ている。無駄のない、均斉のとれた作品構成、淀《よど》みのない、軽快な話の運び、登場人物の輪郭あざやかな性格造形、甘ったるい感傷を一切排除した鋭い人間観察、人物の言動に対する良識に富んだ道徳的判断、余計な装飾のない、知性に裏打ちされた硬質な文体、皮肉と諷刺と機智を遺憾なく発揮した諧謔精神の発露、そして全編に行き渡った溌剌《はつらつ》たる才気と快活で気品のある喜劇的たたずまい――いかにも古典的傑作の名に恥じない出来ばえである。
ところが、古典的だから古いのかと云うと、決してそうではないところがこの作品のもう一つの魅力である。勿論、物語の背景を成す時代風俗や社会通念に古めかしいところのあることは否定できない。しかしこの作品は、たとえて云えば、モーツァルトの音楽が古くないように古くないのである。つまり、のちにベートーヴェンやヴァーグナーやストラヴィンスキーが出たからモーツァルトはもう古いのかと云うのと似たようなところがあって、寧ろ我々はドストエフスキーやプルーストやジョイスやカフカなどを経ているがゆえに、そして小説の発展の可能性が行くところまで行ったと云う感じを強く持つに至ったために、かえってジェイン・オースティンの新しさに驚くと云うところがあるのである。それは小説と云うものの原形を再認識する驚きと云えるかも知れない。(中略)
フランス人の英文学者クースティアス、プチ、レイモン共著の『十九世紀のイギリス小説』に次のような一節がある。
イギリスの田舎に生れたこの牧師の娘の小説の世界は、たしかに狭いもので、それは十八世紀後半の田舎紳士階級の世界である。しかしその小宇宙の中に、たんという緊張、なんという葛藤が行われていることか! ……純粋詩という概念の類推から、「純粋小説」ということが許されるとしたら、そして「純粋小説」が人間とその相互反応のみを扱うものであるとするなら、それならジェイン・オースティンは純粋小説を書いたのだ。二十世紀にいたってなお「再発見」されなければならなかった彼女の作品は、その意味において、まったく現代的なのである。(小池滋、臼田昭共訳)
この著者が「純粋小説」と云う言葉で想い描いているのは、多分、小説と云うものに不可欠な最小限度の要素だけで成り立っているような小説、ではないかと思う。近代小説はこの二百年のあいだに内容的にも形式的にも実に複雑多様な発展を示して来たが、それだけに小説の原形を見極めようと云う思いもますます強まって来た訳で、小説から小説であるためには必ずしも必要ではないものを一切取り払ったら一体何が残るのかとの問い掛けに、「人間とその相互反応のみ」と云う答えが出て来たものと思われる。そこで改めてジェイン・オースティンを読み直してみると、何と彼女はそのような小説を書いていたと云う訳である。
勿論ジェイン・オースティンは「純粋小説」などと云う観念を抱いて小説を書いた訳ではない。自分の理解力や想像力の及ばない世界には手を出さないと云う謙虚な心と、幼い頃からの読書体験と創作体験に基づく体験的直観、云うならば一種の職人芸で書いただけである。「人間とその相互反応のみ」などと云われても、彼女にしてみれば、だって私にはそれだけしか書くことがなかったんだもの、としか答えられなかったであろう。これは、皮肉の達人ジェイン・オースティンにも予想のできなかった小説史の大きな皮肉かもしれない。
大島一彦著『ジェイン・オースティン…「世界一平凡な大作家」の肖像』(中公新書)より。