動物農場
ジョージ・オーウェル作/佐山栄太郎訳
目 次
第一章
第二章
第三章
第四章
第五章
第六章
第七章
第八章
第九章
第十章
あとがき
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第一章
荘園農場〔封建時代に領主が所有していた農地の単位から来た呼称〕のジョーンズさんは夜の用心に鶏舎に錠をかけたが、あまり酔っていたのでくぐり戸を閉めるのを忘れた。角灯の光の輪を左右に踊らせながら庭をよろよろと横ぎり、裏口で深靴《ブーツ》を蹴《け》り脱ぎ、お勝手のビール樽から最後の一杯をひっかけて、二階の寝床へ上って行った。ベッドでは奥さんがぐうぐうと眠っていた。
寝室の明りが消えるとすぐに、農場の建物じゅうにごそごそ、はたはたという物音が起こった。実は昼間のうちに話が伝わっていて、品評会に入賞した中白種の雄豚の老メージャーが前の晩に妙な夢を見たので、それをほかの動物たちに伝えたいと言うのであった。そしてジョーンズさんの姿が見えなくなって大丈夫という時にさっそく一同は大納屋に集合することに話がきまっていたのだ。老メージャー(いつもこう呼ばれていた、が品評会に出されたのはウィリンドン・ビューティという名であった)は農場では非常に尊敬されていたので、彼の話すことを聞くためには、皆が一時間ぐらいの唾眠は喜んで犠牲にするつもりでいた。
大きな納屋の奥の、一段高くなった一種の演壇の上に、梁《はり》から下っている角灯に照らされてメージャー君はすでに藁《わら》床におさまっていた。彼は十二歳で近頃だいぶ肥って来たし、牙《きば》は一度も切らしたことはなかったにもかかわらず、賢く情ぶかい容貌をしていて、まだまだ堂々たる風采の豚であった。ほどなくほかの動物たちも集まって来て、各自めいめいの流儀で楽な姿勢をとり始めた。最初に三匹の犬、ブルーベルとジェッシーとピッチャーが来た。それから豚どもで、これらは演壇のすぐ前の藁の上に落ちついた。鶏は窓しきいにとまり、鳩は垂木《たるき》のところへ飛んで行き、羊たちと雌牛たちは豚の後に横たわって、反芻《はんすう》をしはじめた。二頭の馬車馬、ボックサーとクローヴァーは、小さい動物が藁の中に隠れているといけないと思って、ゆっくりと、たいへん気をつけて、その大きな毛むくじゃらの蹄《ひづめ》を踏みながら、一緒にはいって来た。クローヴァーは中年に近い、でっぷり肥った、母親然とした雌馬で、四度目の子を生んでからは、すっかり元のすらっとした姿を取り戻すに至らなかった。ボックサーは巨大な馬で、七十二インチ近くの丈があり、普通の馬の二頭分の力があった。鼻にある白い条《すじ》は幾分間抜けの様子を見せていて、また事実、並はずれた智能はもっていなかったけれども、着実な性格とものすごい労働力のために、誰からも尊敬されていた。馬の後からは白|山羊《やぎ》のミューリエルと驢馬《ろば》のベンジャミンとが来た。ベンジャミンはこの農場で一番年をとっていて、一番意地悪だった。彼はめったに口をきかなかった。そして口をきけば何か皮肉なことを言うのが常だった。たとえば、神様はわたしに蝿《はえ》を追うために尻尾をくれたが、わたしは尻尾も蝿もない方がいいな、などと彼は言うのである。この農場の動物のうちで、彼ひとり決して笑わなかった。なぜ笑わないかと尋ねられると、何もおかしいものはないからさと、答える。それにもかかわらず、人前では言わないが、ボックサーを熱愛していた。それでこのふたりは日曜には、果樹園の先の小さな囲いの牧場に行って、並んで草を食い、何もしゃべらずに、時を過ごすのがつねであった。
二頭の馬が横になったばかりの時に、母親を失ったひとかえりの家鴨《あひる》の子たちがぞろぞろとはいって来て、弱々しくピーピー鳴いて、踏みつぶされないところはないかと、あちらこちらとうろついていた。クローヴァーは彼女の大きな前脚で彼らのまわりに一種の仕切り壁を作ってやった、すると家鴨たちはその内側により添って、さっそく眠ってしまった。最後の瞬間に、モリーという、ショーンズさんの二輪馬車を引く、馬鹿な顔をした、きれいな白い雌馬が、砂糖の塊を嚼《か》みながら、気取ってしゃなりしゃなりとはいって来た。彼女は前面の方に席をとって、白いたて髪をふり始めて、それに編みつけた赤いリボンに皆の注意を惹きつけようと思った。最後に猫がやって来た。彼女は、例のごとく一番暖かそうな所はどこかなとあたりを見まわして、ついにボックサーとクローヴァーの間に割りこんだ。そこで彼女はメージャー君の演説中、話には一言も耳を借さず、いい気持になってごろごろと喉を鳴らしていた。
裏口の棲木《とまりぎ》で眠っている飼い大鴉《おおがらす》のモーゼズ〔ヘブライの立法者で予言者から出た男子の名。大鴉の後の役割を考え合わせると面白い)を除けば、全部の勧物が揃った。メージャー君は皆が体を楽にして、気をつけて待っているのを見届けると、咳ばらいをして喋り始めた。
「同志諸君〔共産主義者や労働組合などがその仲間を呼ぶのによく用いられた〕よ、諸君は昨晩わたしが不思議な夢を見たということはすでに聞いているだろう。その夢の話は後で話すことにする。まず第一に他に話すことがある。わたしはもはや諸君と一緒にいることも長くあるまいと思う、それでわたしが死ぬ前に、わたしの得た知恵を諸君に譲り渡すことがわたしの義務だと考える。わたしは長い生涯を送って来た。畜舎にひとりねている時、冥想に耽《ふけ》る時間も沢山あった。そして、わたしは、現在生きているどんな動物にもおとらず、この地上の生き物の本性というものも理解していると言ってもよかろうと思う。わたしが話したいと思うのはこの事についてである。
さて、同志よ、われわれのこの世の生活とはどんなものであるか。これをまともに考えて見よう。われわれの生活はみじめで、骨が折れて、短い。われわれは生まれて、かろうじて息をついているに足るだけの食物を与えられ、能力のあるものは力のある限り最後の最後まで働かされる。そしていよいよ役に立たなくなるとその瞬間に、恐ろしい残酷さをもって屠殺《とさつ》される。イギリスにおいてはいかなる動物も、生れて一年も経てば、幸福とか暇《ひま》とかいうものは何であるかわからなくなる。イギリスの動物はだれひとり自由なものはない。動物の生涯は不幸と奴隷状態である。これはまぎれもない真相だ。
しかし、これはただ自然の理法であるのか。われわれの国は貧しくして、そこに棲むものにはちゃんとした生活をする余裕がないからなのか。いや、断然そんなことはない。イギリスの土地は肥沃で、気候は温和で、現在棲息している動物よりはるかに多くの動物に、豊富に食物を与えることもできるのだ。われわれのこの農場一つでも、十二頭の馬、二十頭の牛、数百頭の羊を養うことができ、われわれの想像できないほどの安楽と品位のある生活ができるはずなのだ。それならば何故われわれはこんなみじめな状態を続けるのか、われわれの労力の生み出すものが、ほとんど全部人間によって盗まれてしまうからなのだ。同志よ、そこにわれわれの問題の解答がある。それは一言にしてつきる……人間だ。人間がわれわれの唯一の敵だ。人間をここから放逐《ほうちく》せよ、しからば飢餓と過労の根源は永久に絶たれるのだ。
人間は生産せずして消費する唯一の動物だ。乳も出さない、卵も生まない、力が弱くて鋤《すき》も曳《ひ》けない、野兎をつかまえるほど速くも走れない。しかも人間は動物の王だ。動物を働かせ、動物には餓死を免かれる最小限度の食物を返し、残余は自分のものにする。われわれの労力が土地を耕し、われわれの糞が土地を肥やす。しかもわれわれにはこの裸の皮膚以上の何の所有物もない。わたしの目の前にいる雌牛の皆さん、あなた方はこの一年間に何千ガロンの牛乳を出したか。そして、頑丈な子牛を育てるべきはずのその牛乳はどうなったのか。一滴残らずわれわれの敵の喉を通ってしまったのだ。それから、雌鶏《めんどり》の皆さん、この一年間に何個の卵を生んだか、そのうち幾つが雛《ひな》に孵《かえ》ったか。残りは全部ジョーンズとその一味のものの懐にお金となってはいるために市場へ行ったのだ。それから、クローヴァーさん、お前さんが生んだ四匹の仔馬はどこにいるか。それらは老後の支えともなり、楽しみともなるべきものであるのに、一歳になるとみんな売られた。二度と再びどの子にも会うことはあるまい。四回も産褥《さんじょく》に臥し、畑で働いた酬いに、何を一体もらったか、ただ割当ての食物と厩《うまや》だけではないか。
そして、われわれが送っているこんなみじめな生涯さえ天寿を完うすることを許されないのだ。わたし自身は別に不平は言わない、わたしは運のよいものだから。わたしは十二歳になり、四百に余る子供をもった。これが豚の本来の生涯なのだ。しかし最後には残忍な刃《やいば》を逃れる動物はない。わたしの前にいる若い食用豚の皆さん、お前さんたちはいずれも、一年以内に台木にのせられてキーキー悲鳴をあげて命を取られてしまうのだ。そういう怖ろしい目にわれわれは残らず会うのだ。雌牛も、豚も雌鶏もすべてが。馬や犬だとてこれよりましな運命はもたない。ボックサー君、君も、その巨大な筋肉が力を失くしたらその日に、ジョーンズは君を廃馬屠殺業者に売り、その男が君の喉を切り、煮詰めて猟犬の餌《えさ》にしてしまうだろう。犬と言えば、老いて歯がなくなれば、ジョーンズは首に煉瓦《れんが》を縛りつけて、もよりの池に沈めてしまうのだ。
同志よ、それならば、われわれの生涯の禍《わざわ》いは一切がっさい人間の暴虐から起こるということは明々白々たるものではないか。ただただ人間を取り除け、そうすればわれわれの労力の産物はわれわれのものになる。ほとんど一夜のうちにわれわれは裕福になり自由になる。しからば何をせねばならないか。それはただ、夜も昼も、心身を捧げて、人類の覆滅《ふくめつ》をはかるだけだ。それが同志諸君へのわたしのメッセージだ。叛乱だ!そういう叛乱がいつ起こるかわたしは知らない、一週間の後か、百年の後かも知れない、けれども、おそかれ早かれ正義が行われることは、わたしの足元にある藁《わら》を見るごとく、確かであることをわたしは知っている。同志よ、諸君の短い余生を、そこに目をつけて行け。とくに、わたしのこのメッセージを後から来る者に伝えよ、未来の世代のものがこの闘争を続け、ついに勝利を得るに至るまで。
そして諸君の決意はぐらついてはならないことを忘れるな。いかなる議論にも惑わされてはならない。人間と動物は共通の利害をもっているとか、一方の繁栄は他方の繁栄であるとか聞かされても、そんなことに耳を貸すな。それはみなうそだ。人間は自分以外の生き物の利益のためには奉仕しない。われわれ動物の間に、完全な一致と完全な同志関係を作って闘争するのだ。すべての人間は敵だ。すべての動物は同志だ」
ちょうどこのときに、ものすごい騒ぎが起こった。メージャー君が喋っているあいだに、四匹の大きな鼠が穴からはい出して来て、臀《しり》を下して話を聞いていたのであった。その鼠を犬どもが見つけた、それで鼠たちはすばやく穴に飛びこんだので、ようやく命拾いをしたのだった。メージャー君は前足を揚げて静かにしろと合図した。
彼は言った、「同志よ、ここに定《き》めなければならない問題がある。鼠や野兎のような野生の動物だが……これらはわれわれの味方であるか敵であるか。これを票決しようではないか。わたしはこの問題をこの会に提案する、すなわち、鼠は同志であるか否か」
さっそく票決が行われた、そして圧倒的多数をもって鼠は同志であると決定した。わずかに四人の反対投票者があった。三匹の犬と猫とで、この猫は後で賛否両方に投票したことが判明した。メージャーは続けた。
「わたしはもう余り言うことはない。ただ繰り返して言うが、人間と人間の一切のやり方に対する敵対の義務を常に忘れるな。二本脚で歩くものはすべて敵だ。四本脚で歩くもの、あるいは翼をもつものはすべて味方だ。そして、人間と戦うに当って、人間に似て来てはならないこともまた忘れるな。諸君が人間を征服しても、人間の悪習をまねてはいけない。いかなる動物も決して家に棲むな、寝床で眠るな、衣服をつけるな、酒を飲むな、煙草を喫うな、お金に触るな、商売をするな。人間の習慣はすべて悪なのだ。そして、何よりも、いかなる動物も他の動物を虐待してはならない。弱きも強きも、賢きも愚かなるも、われわれはすべて兄弟である。いかなる動物も他の動物を殺してはならない。すべての動物は平等であるのだ。
さて、同志諸君よ、これからわたしの昨晩の夢の話をしよう。その夢を諸君にうまく話して見せることはできない。それは人間が姿を消した時のこの地上の夢だった。だが、それでわたしがずっと前に忘れてしまっていたあることを思い出した。なん年も前に、わたしが仔豚の時、わたしの母親とほかの雌豚たちが古い歌をうたっていた、が、彼らはその節《ふし》と最初の三つの言葉しか知らなかったのだ。わたしは幼児の時その節を覚えたが、それからすっかり忘れていた。ところが昨夜、それが夢の中で戻って来たのだ。なおそのうえに、歌詞もまた戻って来た、その歌詞はずっと昔、動物が歌っていたが、それから幾代も忘れられていたものに違いないとわたしは思う。今わたしは諸君にそれを歌ってやろう。わたしは年寄りで声はしわがれているが、諸君にその節を教えたら、諸君の方がうまく歌えるだろう。それは『イギリスの家畜』と呼ばれるものだ」
老メージャー君は咳ばらいをして歌い始めた。彼の言った通り、声はしわがれていた、けれどもなかなかよく歌った。そしてそれは人を奮起させるような節で、クレメンティーンとラ・クカランチャ〔いずれも民謡の名〕のあいのこみたいなものであった。歌詞は次の通り。
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イギリスの家畜、アイルランドの家畜、
あらゆる国と地方の家畜よ、
未来の黄金時代の
うれしい訪れを聞けよ。
おそかれ早かれその日は来るぞ、
暴君の人間が転落して、
イギリスの肥沃の畑に
家畜ばかりが闊歩《かっぽ》する日が。
われらの鼻から鼻環は消え、
われらの背から馬具は去り、
くつばみと拍車は永久に錆《さ》び、
苛酷な鞭も鳴らなくなるぞ。
心にも描けぬほどの富、
小麦と大麦、からす麦と乾草、
クローヴァー、大豆、とうじさ、
その日こそすべてはわれらのものだ。
イギリスの畑はあかるく輝き、
河川は一層澄んで流れ、
そよ風は一段と心よく吹く、
われらが自由になるその日こそは。
その日のためにわれらは働くのだ、
たとえその暁の前に死ぬとも、
牛も馬も、鵞鳥《がちょう》も七面鳥も、
自由のためにせっせと働け。
イギリスの家畜、アイルランドの家畜、
あらゆる国と地方の家畜よ、
よく聞いて、未来の黄金時代の
この訪れを世にひろめよ。
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この歌をうたったので動物は熱狂の極に達した。メージャー君の歌がほとんど終りに来ないうちに、彼らは自分で歌い始めていたのだ。一番のろまな者でさえ節や二、三の言葉をそこここ拾い覚え、豚や犬のように利口な連中は、二、三分のうちに初めからしまいまで暗記してしまった。それから、ちょっと予行練習をした後で、全農場がすさまじい斎唱で「イギリスの家畜」を歌いだした。雌牛はモーモー、犬はワンワン、羊はメーメー、馬はヒンヒン、家鴨《あひる》はガーガーと、これを歌った。彼らはこの歌がすっかり気に入って、続けざまに五回も歌い、邪魔がはいらなかったならば夜通し歌い続けかねなかった。
不幸にもこの騒ぎでジョーンズさんは目を覚まし、床から跳ね起きて、中庭に狐が来たのかどうか確かめようとした。寝室の隅に立ててあった銃をとって、六番弾を闇に向かってぶっぱなした。その散弾は納屋の壁にうちこまれて、動物の会合は急に解散となり、めいめい自分の眠る場所へ逃げて行った。鳥どもは棲木《とまりぎ》に飛び上り、動物は藁におちつき、瞬時にして全農場は眠りについた。
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第二章
三晩たってから老メージャーは睡眠中にやすらかに死んだ。亡骸《なきがら》は果樹園のふもとに埋められた。
これは三月初めの頃であった。それから三カ月のあいだ秘密活動が盛んに行われた。メージャーの演説は農場の聡明な動物たちに、まったく新しい人生観を植えつけた。彼らはメージャーの予言した叛乱がいつ起こるか知らなかった。また、彼らが生きている間に起こるだろうと考える理由も見出せなかった。けれども、それに備えて準備をすることは自分たちの義務だということは、はっきりと知った。他の動物に教え、かつこれを組織することはおのずから豚の任務となった。というのは豚は一番利口なものと一般に認められていたからだ。豚の中でも卓越していたのはスノーボールとナポレオンという二頭の若い雄豚で、これはジョーンズさんが売物に育てていたのだった。ナポレオンは体の大きい、かなり獰猛《どうもう》な面《つら》つきをした、バークシャ種〔イギリスの州名で、同州産の黒豚の一種〕の豚だった。彼はこの農場ではただ一匹のバークシャ種で、話はあまりうまくなかったが、自分の意志を通すという評判をとっていた。スノーボールはナポレオンより陽気で、口もたっしゃで、工夫の方もあったが、ナポレオンのような性格の深みがないと考えられていた。ほかの雄豚たちは全部食用豚であった。この中で一番みんなに知れていたのは小柄な、肥ったスクィーカー〔キーキー鳴く者。俗語では密告者」「裏切り者」の意味がある〕で、ふっくりした頬、きらきら光る目、敏捷な運動と甲高《かんだか》い声をもっていた。彼は才気溢れる能弁家で、何か難しいことを議論する時には左右に跳ねて尻尾を振りまわす癖があり、これがなかなか説得力があった。スクィーカーは黒を白といいくるめることができるのだと悪口を言うものもあった。
これらの三名が老メージャーの教えを完全な思想体系に作り上げ、これに[動物主義]という名称をつけた。一週間に幾晩か、ジョーンズさんが就寝した後、彼らは納屋で秘密会合を開き、動物主義の原理を他のものに解説した。初めのうちは相手はぽかんとしていたり、無感動であった。ある動物はジョーンズさんに対する忠節の義務を語り、ジョーンズさんを「主人」と呼び、あるいはまた、「ジョーンズさんがわたしたちを養っているのだ。もし彼がいなくなれば、われわれは飢え死するだろう」というような幼稚なことを言った。他の者は、「われわれの死後に何が起ころうと、なぜそんなことに気を使うのか」とか、「この叛乱がどっちみち起こるのならば、そのためにわれわれが努力しようがしまいが、どんな違いがあるのか」というような質問をした。それで豚たちは、そういう考えが動物主義の精神に反することを納得させるのに大へんな苦労をした。一番馬鹿な質問は白雌馬のモリーがした。彼女がスノーボールにした最初の質間は、「叛乱の後でも砂糖はあるの?」というのであった。
スノーボールはきっぱりと言った、「ない、われわれのこの農場には砂糖を作る手段がないのだ。その上、砂糖の必要もないのだ。欲しいだけのからす麦も乾草も食べられるのだ」「それから、わたしのたて髪にリボンをつけることは許されるの?」とモリーは尋ねた。「同志よ、あんたがそれほど大事と思っているリボンは奴隷の印《バッジ》なのだ。自由はリボンよりも価値があることがあんたには解らないのか」とスノーボールが言った。
モリーはスノーボールの説に賛成した、けれども十分納得がいったようではなかった。
飼い大鴉《おおがらす》のモーゼズが広めた嘘を打ち消すのには豚たちはなお一層苦闘をした。モーゼズはジョーンズの特別のお気に入りで、スパイで告げ口屋だったが、利口な口をきくのだった。彼は動物が死ぬと皆行くことになっている[氷砂糖]の山と呼ばれる不思議な国のあることを知っていると言った。この山は雲から少し先の空に位置している。氷砂糖の山では一週間の七日が毎日日曜で、クローヴァーは一年じゅう繁っており、角砂糖と亜麻仁《あまに》の粕《かす》〔家畜の飼料〕は生垣になっていると言うのであった。モーゼズはお喋りで仕事はしなかったので、動物たちは彼を嫌った、けれども氷砂糖の山を信じるものもあったので、豚たちはそんな土地はないのだと説き伏せるのに懸命に骨を折らねばならなかった。
豚たちの最も忠実な弟子は二頭の荷馬車馬、ボックサーとクロヴァーであった。この二頭はものを自分で考え出すことは苦手であったが、ひとたび豚を師として認めた以上は、話されたことは何でも呑みこんで、それを単純な言葉で他の動物へ伝えるのだった。納屋の秘密会にはかならず出席し、「イギリスの家畜」の歌の音頭《おんど》をとった、そしてこの歌でいつも会は閉じられた。
さて、叛乱は予想したよりも早く、しかも容易に達成されることになった。それまで永年の間、ジョーンズさんは厳しい主人ながら、手腕のある農場主であった。ところが近頃彼は不運に遭遇したのだ。ある訴訟でお金をなくしてから大へん意気|沮喪《そそう》して、体を損うほど飲酒にふけるようになった。続けざまに幾日も、台所のウィンザー椅子〔十八世紀に流行した背もたれの高い椅子〕にもたれかかって、新聞を読み、酒を飲み、ときどきモーゼズにビールを浸したパン屑を食わせたりしていた。作男たちは怠け、不正直であり、畑は雑草がいっぱいになり、建物の屋根はこわれ、生垣は手入れがされず、動物は栄養不良になった。
六月となり、乾草用の青草はほとんど刈りとるばかりになった。六月二十四日の聖ヨハネ祭の前夜、これは土曜日だったが、ジョーンズさんはウィリンドンへ行き、「赤獅子屋」〔居酒屋の屋号〕で飲んでひどく酔ってしまって、日曜日の正午まで帰宅しなかった。作男たちは朝早く牛乳を搾《しぼ》って、それから動物たちに餌をくれもしないで、兎狩りに出掛けてしまった。ジョーンズさんは帰宅すると、さっそく「世界時報」を顔にかぶって応接間のソファーで眠ってしまった、それで夜になっても動物たちは餌にありつけなかった。とうとう彼らはもう我慢ができなくなった。雌牛の一頭は角《つの》で食糧置場のドアを突き破り、動物どもはみんな餌箱から餌を食い始めた。ジョーンズさんが目を覚ましたのはちょうどこの時だった。さっそく彼と四人の作男は鞭《むち》を手にして食糧小屋にはいり、縦横に打ちかかった。これは飢えた動物たちに耐えられない仕打ちだった。前もってそんな計画があったわけではないが、動物どもは一斉に虐待者におどりかかった。ジョーンズさんと作男は不意に四方から突かれたり蹴られたりすることになってしまった。事態はまったくどうにも手がつけられなくなった。動物がこんな振舞いをするのは見たことがなかった。鞭でうつことも虐待することもほしいままにやっていた動物たちに、突然叛乱を起こされたので、彼らはびっくり仰天してしまった。一、二分もたつと彼らは自己を防禦するのはあきらめて、逃げ出した。一分後には大通りに通じる荷馬車路を一目散に走っていき、動物どもは勝ち誇ってこれを追いかけた。
ジョーンズの細君は寝室の窓から眺めて、何が起こったのか見てとると、大急ぎでわずかな持物を手提鞄の中へほうり込んで、別の出口から農場をぬけ出た。モーゼズは棲木《とまりぎ》から跳ねおり、大声で鳴きながら彼女の後をぱたぱたと追った。一方、動物どもはジョーンズと作男を大通りまで追い出して、五本|桟《さん》の扉をぱたんと閉じてしまった。こういうふうにして、何が起こったのかもほとんど気がつかぬうちに、叛乱は見事に成し遂げられた。ジョーンズは放逐《ほうちく》され、荘園農場は彼らのものとなった。
初めの数分というもの、動物たちは自分たちの幸運をほとんど信じることができなかった。彼らの最初の行動は一団となって農場の境界をぐるっと走り回って、まるで農場には人間は一人も隠れていないことを確かめるという様子だった。それから農場の建物に急ぎ戻って、憎むべきジョーンズの支配の最後の痕跡まで一掃しようとした。厩《うまや》の一端にある馬具部屋は破り開かれ、くつばみ、鼻環、犬鎖、ジョーンズが豚や仔羊を去勢するのに使った無情な短刀などは全部井戸の中に放り込まれた。手網、端綱《はづな》、目隠し革、動物を侮辱する馬糧袋《かいばぶくろ》などは庭で燃えていたゴミ焼きの火に投げ入れられた。鞭も同様に処分された。鞭が燃え上ったとき、動物はみんな喜びで踊り狂った。スノーボールはまた、市《いち》の日に馬のたて髪や尻尾を飾ったリボンを火にくべた。彼は言った「リボンは人間の印である衣服と見なすべきだ。すべての動物は裸でおるべきだ」
ボックサーはこれを聞くと、夏のあいだ蝿《はえ》が耳に来るのを防ぐために着けていた麦藁帽を取って来て、他のものと一緒に火に投げこんだ。
ごくわずかの時間で動物どもはジョーンズを想わせるものを一掃してしまった。それからナポレオンは皆のものを食糧小屋に連れて行き、誰にも二倍の麦の分け前を与え、犬にはめいめいビスケットを二個ずつ与えた。それから彼らは「イギリスの家畜」を始めから終りまで続けざまに七回歌い、その後で夜の床につき、今まで眠ったことがないような眠りに就いた。
しかし、彼らはいつもの通り夜明けには目を覚まし、すでに起こったあの天晴れな事件を思い出して、一緒に牧場へ走り出た。牧場を少し行ったところに農場が大部分見晴らせる小山があった。動物たちはその頂上に急いで行って、晴れわたった朝の光の中にあたりを見まわした。そうだ、これはわれわれの物だ……目に見えるもの一切がわれわれの物だ! そう思うと有頂天になり、ぐるぐると跳びまわり、興奮して空中に跳び上った。朝露の中に転げまわり、新鮮な夏草をほおばり、黒い土の塊を蹴上げてその豊かな匂いを嗅いだ。それから彼らは全農場を視察してまわり、言葉なき賞讃をもって、耕地と乾草畑と果樹園と池と林とを眺めわたした。まるでこういうものを初めて見るような気がした、そして今となっても、これが全部自分らのものであるとはほとんど信じられなかった。
それから彼らはぞろぞろと農場の建物の方へ戻って来て、農場主の住宅の戸口の外でだまって立ち止まった。この家も彼らのものだった、けれども中にはいるのが恐ろしかった。しかしながら一瞬の後には、スノーボールとナポレオンが肩でドアを突き破り、動物たちは一列になって中にはいって、そこらをかき乱すことを怖れて細心の注意を払って歩いた。部屋から部屋へと抜き足差し足で、ささやき以上に声を立てることをはばかり、信じられないような贅沢品を一種の畏《おそ》れをいだいて眺めた。たとえば、羽根蒲団のついたベッド、姿見、ばす織りのソファ、ブラッセル絨毯《じゅうたん》、応接間の炉棚の上の方に掛っているヴィクトリア女王の石版画などを。彼らがちょうど階段を降りて来た時に、モリーの姿が見えないのに気がついた。戻って行って見ると、彼女は一番上等な寝室に残っていた。彼女はジョーンズの奥さんの化粧テーブルから紺色のリボンをとって、それを肩にかけて馬鹿げた様子で鏡に映してほれぼれと自分を眺めていた。一同は彼女をこっぴどく責めて、外に出た。調理場にぶら下がっていたハムは地面に埋めるためにひき下され、台所のビール樽はボックサーの蹄で蹴破られた。そのほかには何にも手を触れなかった。この住宅は博物館として保存するということが満場一致でその場で決議された。いかなる動物もここには住まないと皆の意見が一致した。
動物たちは朝食をとり、それからスノーボールとナポレオンが再び一同を召び集めた。スノーボールが言った。「同志よ、今は六時半だ。日が暮れるまで、たっぷり時間がある。今日は乾草の収穫を始める。しかし、それより先にまずせねばならないことがあるんだ」
ここで豚たちは、この三か月のあいだ自分たちは、ジョーンズの子供たちの持物であったがゴミ棄て場に棄ててあった古い綴字の書物で、読み書きを自習していたのだ、と発表した。ナポレオンは黒と白のペンキを取りにやり、大通りに続いている五本桟の門扉のところに皆を案内して行った。そこで、スノーボールが〔書き方が一番上手なのはスノーボールであったから〕前足の二つの指節の間に筆をもって、扉の一番上の横木の「荘園農場」の文字を消して、そこへ「動物農場」とペンキで書いた。これがこれからこの農場の名となるわけだった。この後で彼らは農場の建物へ戻って行き、そこでスノーボールとナポレオンは梯子《はしご》をもって来させ、それを大きな納屋の片方の壁に立てかけさせた。この豚たちは過去三か月の研究によって、動物主義の原理を七戒〔聖書の「出エジプト記」にある「十戒」になぞらえた〕にまとめることが出来たと説明した。この七戒がこれから壁に書かれるのであった。そしてこれが、動物農場の動物が今後永久に生きて行く拠《よ》りどころとなる不易の法律となるのだと言った。相当骨を折って〔豚が梯子に乗って体の釣り合いをとるのは容易ではないのだから〕スノーボールは梯子に登り仕事に取りかかった。スクィーラーが二、三段下でペンキ壷を支えていた。その誠律はタールを塗った壁に、三十ヤードも先から読めるような大きな白い文字で書かれた。それは次の通りだ。
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七戒
一 二本の脚で歩くものは敵なり。
二 四本の脚で歩くもの、または翼あるものは味方なり。
三 動物は衣服を着けるべからず。
四 動物はベッドにて眠るべからず。
五 動物は酒を飲むべからず。
六 動物は他の動物を殺すべからず。
七 すべての動物は平等なり。
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これは大変きれいに書かれた。そして、friend が freind と書かれ、sの一つがひっくり返っているほかは、綴りは初めから終りまで正確だった。スノーボールは皆のために声を出してこれを読んだ。全部の動物は心から賛成してうなづいた、そして利口な連中はさっそくこの誠律を暗記し始めた。
スノーボールはペンキ刷毛《はけ》を投げ棄てて言った。「さあ、同志諸君よ、乾草畑へ行こう。われわれは面目にかけても、ジョーンズと作男たちよりももっと速かに取入れをやろうではないか。」
しかし、ちょうどこの時、それまでしばらくもじもじしていた三頭の雌牛が大きな鳴き声をあげた。彼らは二十四時間も乳を搾られなかったので乳房がはり裂けそうになっていたのだ。ちょっと考えてから、豚はバケツをもって来させ、かなりうまく乳を搾った、というのは豚の足はこの仕事にうまく使われたからだ。すぐに泡立つ牛乳がバケツに五杯できた、それを多くの動物どもは大変な興味をもって眺めた。
「そんなに沢山の牛乳をどうするのかね?」と誰かがきいた。
「ジョーンズは時々わたしたちのふすまにそれをまぜてくれたもんだよ」と雌鶏の一羽が言った。
ナポレオンはバケツの前に立って叫んだ。「牛乳のことは心配するな、諸君。それはなんとかする。草の収穫の方が重大だ。同志スノーボールが先導する。わたしも二、三分したら行く。同志諸君、進め! 乾草が待っている」
そこで動物は収穫を始めるために乾草畑へとぞろぞろ出掛けて行った、そして夕方帰って来た時には牛乳はなくなっているのに気がついた。
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第三章
彼らは草の取入れになんと汗を流してよく働いたことだろう。けれどもその努力は酬いられた、というのは収穫は望んだ以上にうまく行ったからだった。
時には仕事は苦しかった。農具は人間のために考案されたもので、動物のためではなかった、それで後脚で立つ必要のある器具が使用できないのは大きな障害となった。しかし豚は非常に利口だったから、あらゆる困難を避ける方法を考え出した。馬の方は、畑は隅から隅まで知っていたし、事実、草を刈って掻き集める仕事はジョーンズと作男よりもはるかによく理解していた。豚は実際に手を下さなかったが、他のものを指図し監督した。勝れた知識をもっていたのだから指揮をとるのは当然であった。ボックサーとクローヴァーは草刈り機や草掻き機を体につけ(くつばみや手綱は今ではもちろん不必要であった)、倦《う》まずたゆまず畑をぐるぐると歩き、一匹の豚が後について、場合場合に応じて「ハイ、同志」とか「ドー、同志」とか呼びかけた。そして目だたない動物に至るまで、みんな乾草をかえしたり集めたりする仕事をやった。家鴨や鶏でさえ終日陽の中で行ったり来たりして働き、乾草の小束をくわえて運んだ。とうとう、彼らはジョーンズと作男がやったよりも二日早く取入れの仕事を完了した。その上にこれはこの農場でかつてなかったほど多量の収穫であった。無駄は全然出なかった。鶏と家鴨が鋭い目で最後の一茎までも拾い集めたからだった。また一口の草さえ盗むものはいなかった。
夏じゅう農場の仕事は時計のように正確に行われた。動物たちはこんなに幸福になれるものかしらと思うほど幸福だった。一口一口の食物が痛いほどの現実の喜びであった、それは、今は自分たちの手で自分たちのために生産した自分たちの食物であって、けちな主人から惜しみ惜しみ施されるものではなかったからだ。役にも立たぬ、寄生的人間がいなくなったので、めいめいの食べる分が多くなった。動物はこういうことは無経験だったけれども、暇もまた余計にできた。彼らは種々の因難に遭遇した……たとえば、その年もおそくなって、麦を取入れたとき、昔式に踏んで穀粒をとり、息で籾殻《もみがら》を吹き除けねばならなかった、この農場には打穀機がなかったからだ……しかし豚は頭を使い、ボックサーはものすごい筋骨を使って、つねに困難を切り抜けた。ボックサーはみんなの賞讃の的《まと》だった。彼はジョーンズの時代でさえ勤勉家だったが、今は一頭ではなく三頭の馬と思われた。農場のすべての仕事が彼の逞《たくま》しい双肩にかかっていると思われるような日もあった。朝から晩まで押したり曳いたり、仕事が一番苦しい所にはいつも彼が姿を見せていた。彼は若い雄鶏の一羽と取りきめをして、誰よりも朝三十分早く起こしてもらうことにし、また正規の一日の仕事が始まる前に、最も必要と思われることには自発的に労力を提供するのであった。あらゆる問題、あらゆる頓挫に処する彼の答は、「わたしはもっと働こう」というのであった、これを彼は彼個人の標語としていたのだ。
しかしめいめいがその能力に応じて働いた。たとえば鶏と家鴨は収穫の時に、落穂を拾い集めて五ブッシェルの麦をためた。盗むものはなく、食糧の割当てに不平をこぼす者もなく、喧嘩と咬み合いと嫉妬は昔は普通の有様だったが、それがほとんど消え去った。一人も責任を回避するものはなかった、ほとんど一人もなかったと言った方がよいかも知れない。なるほど、モリーはなかなか早起きはしなかった、そして蹄に石がはさまったと言って仕事を早く止める癖があった。また猫の挙動も妙だった。何か仕事をせねばならないという時には猫の姿が見えなくなるのが、ほどなくわかった。彼女は続けざまに幾時間も姿を消し、食事時と仕事が済んでしまった時に、けろりとして現われるのだった。けれども、彼女はいつも立派な言い訳をし、情愛深くごろごろ喉を鳴らすので、彼女の善意を信じないわけには行かなかった。驢馬《ろば》の老ベンジャミンは叛乱以来少しも変っていないようだった。彼はジョーンズ時代とまったく同じくのろのろと片意地に自分の仕事をした。そして務めを避けもしなければ余分の仕事を自発的にしようともしなかった。叛乱とその結果については何の意見も表明しなかった。ジョーンズがいなくなって前より幸福ではないかときかれると、彼はただ、「驢馬というものは長生きする。あなた方は誰も死んだ驢馬を見たことはないだろう」と言った。それでほかの連中はこの謎のような答で我慢せねばならなかった。
日曜日には仕事はなかった。朝食はふだんより一時間遅く、朝食の後で毎週間違いなく行われる儀式があった。最初に旗の掲揚があった。スノーボールは馬具部屋でジョーンズの奥さんの緑色のテーブル掛けを見つけ、それに白く蹄と角《つの》を描いたのだった。これが日曜の朝ごとに農場主の住宅の庭の旗竿にするすると揚げられた。スノーボールの説明では、旗の緑色はイギリスの緑の畑を表わし、蹄と角は人類がついに覆滅《ふくめつ》した暁に勃興すべき動物の共和国を意味している。旗の掲揚の後で動物は全部ぞろぞろと、会議として知られている総会のために大きな納屋にはいって行った。ここでこれから一週間の仕事の計画が立てられ、決議案が提出され、討議された。決議案を出すのはいつも豚たちであった。ほかの動物は票決のしかたは知っていたが、自分の決議案を考え出すことはできなかった。スノーボールとナポレオンは討論において断然活発であった。しかし、この二人は決して意見を合わせることがないことがわかった。一方が言い出すことは何にせよ、他方はこれに反対すると見てよかった。仕事ができなくなった動物の憩《いこい》の家として、果樹園の裏手に小さな芝生の囲地を区切って置くということが議決された時でさえ……この案そのものには誰も異議ははさまなかったが……各種の動物の適切な引退の年令に関して、激しい議論が交わされた。この会議は「イギリスの家畜」の合唱で閉じ、午後はレクリェーションに使われた。
この二頭の豚は馬具部屋を本部として独占していた。ここで夜は、住宅から持ち出して来た書物で鍛冶《かじ》、大工、その他の必要な技術を研究した。スノーボールはまた他の動物を、いわゆる動物委員会に組織する仕事に忙殺された。彼はこれには実に根気がよかった。雌鶏のためには鶏卵産出委員会、雌牛のためには清浄尻尾連盟、野生同志再教育委員会(この目的は野鼠と野兎を馴らすことであった)、羊には羊毛白化運動、その他の組織を作り、これは読み書きの教室を設けることに加えての仕事であった。大体から見ると、これらの計画は失敗であった。たとえば野生動物を馴らす試みはほとんど立ちどころに駄目になった。野生動物は前とまったく同じように振舞い、寛大に取り扱えば、ただそれにつけ込むばかりだった。猫はこの再教育委員会に参加し、数日はたいへん活発にやった。ある日彼女は屋根に坐って、ちょうど手の届かない所にいる雀に話しているのが見受けられた。すべての動物は今は同志であり、雀でもそうしたければわたしの手にとまってもよいのだと言って聞かせていた、けれども雀たちはやっばり離れていた。
しかしながら読み書きの学級は大成功だった。秋までにはその農場の動物はどれもある程度は読み書きができるようになった。
あの豚たちに至ってはすでに完全に読み書きができた。犬どもはかなりよく読むことは覚えたが、七戒以外のものは何も読みたがらなかった。山羊のミューリエルは犬より幾分よく読め、時にはゴミの山で見つけた新聞紙のはしきれを他のものに読んで聞かせるのであった。ペンジャミンはどの豚にも負けないほど読むことができたが、その能力を用いなかった。彼の言うには、自分の知る限りでは読む価値のあるものは何もないのであった。クローヴァーはアルファべットは全部覚えたが、言葉を継ぐことができなかった。ボックサーはDの文字までしか行けなかった。彼はその大きな蹄で埃の中にA、B、C、Dと書いて見て、それから耳を後にねかし、時には前髪を振って文字を見つめ、一生懸命に次に来る字を思い出そうとするのだが、どうしてもうまく行かなかった。実際、数回はE、F、G、Hまで覚えたが、これを覚える頃にはA、B、C、Dを忘れてしまっているのに気がつくのだった。ついに彼は最初の四文字で我慢しようと決心して、記憶を新たにするために毎日一度か二度、それを書いてみるのだった。モリーは自分の名前の綴りである六文字以外は覚えるのを拒んだ。小枝の切れ端でこの文字をきれいに組み合わせ、一輪か二輪の花で飾って、それを賞讃しながらその回りを歩くのだった。
その他の動物はどれもAの文字以上には進まなかった。また、羊や鶏や家鴨《あひる》のような愚かな動物は七戒も暗記できないことが分った。種々考えたあげく、スノーボールは、七戒は要するにただ一つの金言、すなわち、「四つ脚よし、二つ脚わるし」につづめることができると言明した。これが動物主義の根本原理を含んでいると彼は言った。これさえ徹底的に把握していれば誰でも、人間の影響は受けつけないと言った。鳥どもは初め異議を唱えた、つまり彼らもまた二本脚であるように思えたからだ、しかしスノーボールはそうでないことを証明した。
彼は言った。「同志よ、鳥の翼は手のように操る器官ではなくて推進の器官である。それゆえこれは脚と見なすべきものだ。人間の特長は手で、これが一切の害悪をなす道具なのだ」
鳥どもはスノーボールの使った長い言葉が理解できなかった、けれども彼の説明を受け入れた、そして下賤な動物どもも新しい金言を暗記することに取りかかった。「四つ脚よし、二つ脚わるし」という文字が、納屋の壁の七戒の上に、もっと大きな文字で書かれた。いったんこれを覚えてしまうと、羊などは大変気に入って、原っぱに横たわる時に皆が「四つ脚よし、二つ脚わるし」、「四つ脚よし、二つ脚わるし」と唱え始め、続けざまに幾時間もどなって、飽きることを知らないということが縷々≪るる≫あった。
ナポレオンはスノーボールの委員会に関心をもたなかった。彼の言うには、若い者の教育の方が、すでに成人したものに対してなし得ることよりも、もっと重大なのだ。たまたま、乾草の取り入れの後でジェシーとブルーベルの両方がお産をして、両方あわせると九匹の元気な仔犬を産んだのだった。それらが乳離れするとすぐ、ナポレオンはその教育は自分が引き受けると言って母親から引き離してしまった。彼はその仔犬を馬具部屋から梯子でだけ上がれる屋根裏へ連れていってしまい、すっかり隔離しておいたので、農場の者はすぐにその存在を忘れてしまっていた。
牛乳の行方の謎がすぐに解けた。これは毎日豚のふすまに交ぜられたのだ。早ての林檎はこの頃熟して来て、果樹園の草の上に風で落ちた林檎が散らかっていた。動物たちはもちろん平等に頒けて貰えるものときめていた、ところがある日、落ちた林檎は全部集めて、豚の食用のために馬具部屋に持って来いという命令が出た。これを聞いてぶつぶつ言ったものもあったが、無駄だった。豚は全部これには十分賛成し、スノーボールとナポレオンさえ意見が一致した。スクィーラーがほかの動物に必要な説明をするために遣わされた。
彼は叫んだ。「同志諸君よ! われわれ豚が利己と特権の意識でこんなことをしていると諸君は想像していないだろうと思う。われわれの多くの者は実際牛乳と林檎は嫌いなのだ。わたし自身それは嫌いだ。われわれがこれを食べる唯一の目的はわれわれの健康を保持することである。牛乳と林檎は(同志よ、これは科学によって証明されているが)豚の福利には絶対に必要な物質を含んでいる。われわれ豚は頭脳労働者だ。この農場の経営と組織は全部われわれにかかっている。日夜われわれは諸君の福祉を見守っている。われわれが牛乳を飲み林檎を食べるのは、諸君のためなのだ。われわれ豚が義務を果たさなかったらどうなるか諸君に分るか。ジョーンズが戻って来るのだ。そうだ、ジョーンズが戻って来るのだ。確かに、同志よ、」とスクィーラーは左右に跳ね、尻尾を振りながら、ほとんど訴えんばかりに叫んだ。「たしかに、諸君のうちにはジョーンズが帰って来るのを望むものは一人もあるまい」
さて、動物どもが絶対に確信することが一つあるとすれば、それはショーンズの戻るのを欲しないことであった。こういう風に話されると彼らは何とも言うことはできなかった。豚を健康に保つことの重要さは明らかすぎるほど明らかだった。それでこれ以上議論なしに、牛乳と落ちた林檎(また、熟した際には本収穫の林檎も)豚専用にされることが承認されたのである。
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第四章
晩夏の頃までには動物農場に起こった事件のニュースは州の半ばまで広まっていた。毎日スノーボールとナポレオンは鳩群を飛ばし、鳩の指令は近隣の農場に棲む動物の中に交わり、彼らに叛乱の物語を話し、「イギリスの家畜」の歌を教えることであった。
この期間の大部分、ジョーンズさんはウィリンドンの赤獅子屋の酒場に腰を下し、聞いてくれる者には誰にでも、やくざの動物の徒輩に財産を奪われて放逐されるという、途方もない仕打ちをうけた話をして時を過ごしていた。他の農場主たちは原則としては同情をした。けれども最初はあまり援助してやらなかった。めいめいは心の中ではジョーンズの不運を自分に都合よくどうにかして利用できないものかとひそかに考えていたのだ。動物農場に隣接している二つの農場の所有主が常に仲が悪かったことは幸いだった。その農場の一つはフォックスウッドと呼ばれ、広い、手入れのゆき届かない旧式な農場で、樹木が繁りかぶさって、牧場は痩せ、生垣は見っともない状態になっていた。持主のピルキントン氏は気楽な旦那地主で、季節に応じて釣りと狩りに大部分の時を費していた。もう一つの農場はピンチフィールドと呼ばれ、狭いが手入れはもっとよかった。この所有主はフレデリックと言って、片意地で抜け目のない男で、常に訴訟事件にひっかかりがあり、ひどい取引きをするという評判をとっていた。この二人はひどく憎み合っていたので、どんなことでも意見の合うことはなく、自分たちの利益の擁護においてさえ折合わなかった。
それにもかかわらず、彼らは共に動物農場の叛乱にはびっくりしてしまって、このことを自分のところの動物どもにあまり知らせないようにした。最初、彼らは動物が自分で農場を経営するなんて馬鹿な話があるかと一笑に付するという風だった。二週間もたてば全部終りということになるさ、と彼らは言った。荘園農場(彼らは荘園農場と呼ぶことを固持していた。「動物農場」なんて名前は我慢できなかった)の動物どもは絶えず闘って、急速に餓死するようになっていると、言いふらした。時が経って、動物どもは一向に餓死しなかった、そこでフレデリックとピルキントンは調子を変えて、動物農場で盛んに行われている怖るべき残虐の話をしはじめた。そこでは動物どもは共喰いをやっており、赤熱した蹄鉄で相互に拷問にかけあい、雌は共有している、と言いふらした。自然の法則に叛逆をすればこんな結果になるのだと、フレデリックとピルキントンは言ったのである。
しかしながら、このような話は決してそのまま信じられなかった。人間が追放されて動物がすべてを経営しているという素晴らしい農場の噂話は、漠然とした、ゆがめられた形で流布されつづけ、その年じゅう、叛逆の波が近郷に伝わった。それまで御しやすかった雄牛が突然|獰猛《どうもう》になったり、羊が生垣をこわしてクローヴァーを貧り食ったり、雄牛が牛乳バケツを蹴倒したり、猟馬が垣を跳び越えるのを拒んで騎手を向い側へ投げ飛ばしたりした。その上に、「イギリスの家畜」の節ばかりでなく歌詞さえもどこにも知れわたった。これは驚くばかりの速さで広がったのだった。人間たちはこの歌を聞くと憤怒《ふんぬ》が抑えられなかった。もっともそんなものはただ馬鹿々々しいことだというふりはしていたが。動物にしろ、こんなくだらない代物を歌う気持になったのが了解に苦しむと、彼らは言った。この歌をうたっているところを見つかると、動物はその場で鞭でうたれた。しかもこの歌は抑えようがなかった。くろどりは生垣の中でそれを囀り、鳩は楡《にれ》の木でそれをクークーささやき、それは鍛冶場の騒音や教会の鐘の響きの中にもはいって行った。そして人間がそれに耳を傾ける時、その中に未来の運命の予言を聞きとって、ひそかに身震いをするのだった。
十月の初め、麦は刈りとられて稲叢に積まれ、一部はすでに脱穀された時だったが、一群の鳩が空中から舞い下りて来て、極度に興奮して動物農場の中庭にとまった。ジョーンズと作男がフォックスウッドとピンチフィールドから来た六人ばかりの男を連れて、五本桟の門扉からはいりこみ、農場に通じる馬車道をやって来るというのだった。彼らは棒を持っていた、ジョーンズだけは別で、彼は銃を手にして先頭に立っていた。明らかに彼らは農場の奪還を企てているのだった。
これはずっと前から予想されていたことで、準備は万端出来ていた。スノーボールは住宅の中で見つけた古ぼけたジューリアス・シーザーの戦記〔「ガリア戦記」として名高い書物〕を研究していたのであったが、防御作戦を担当した。彼はすばやく命令を出し、二分にして動物は各自の部署についた。
人間どもが農場の建物に近づいた時、スノーボールは第一攻撃を開始した。三十五羽を数える鳩は全部人間どもの頭上へ飛んで、中空から糞を降り注いだ。人間がこれに応接しているあいだに、生垣の背後に隠れていた鵞鳥《がちょう》が突進して人間の脚のふくらはぎを邪慳《じゃけん》に嘴《くちばし》でつついた。しかしながらこれはちょっとした混乱を起こすための小競合《こぜりあい》に過ぎなかった、それで人間はたやすく棒切れで鵞鳥軍を追い払ってしまった。スノーボールはここで第二の攻撃線を進めた。ミューリエルとベンジャミンと全羊軍はスノーボールを先頭に立てて突進し、前後左右から人間を突いたり刺したりし、一方ベンジャミンは廻れ右をして小さな蹄《ひづめ》で打ちかかった。しかし今度もまた、棒と鋲《びょう》つきの靴で戦う人間の方が強くて動物はかなわなかった。すると突然、退却の合図であったスノーボールの悲鳴があがり、動物たちはいっせいに身をかわして門口から庭へと逃げ去った。
人間たちは勝利の叫びをあげた。彼らは敵が敗走したと見てとった。それで入り乱れて後を追った。これはまさにスノーボールの意図したところだった。彼らが中庭へすっかり入ったとたんに、牛舎の中に待ち伏せていた三頭の馬と三頭の牛と、残りの豚全員とが突如として人間たちの背後に躍り出て後を遮断した。スノーボールが突撃の命令を下した。スノーボール自身まっしぐらにジョーンズに向かった。ジョーンズはこれを見ると銃をあげて発砲した。小弾丸はスノーボールの背に幾条かの血の跡をつけ、一頭の羊を射殺した。スノーボールは瞬時も立ち止まらず、その十五ストーンの体をジョーンズの両脚にぶっつけた。ジョーンズはこやし塚に投げ入れられ、銃は手から離れとんだ。けれども最も度胆を抜く光景は、ボックサーが種馬のように後脚に立ち上って、巨大な蹄鉄をつけた蹄で打ちかかる有様だった。その最初の一撃はフォックスウッドから来た厩番の小僧の頭の鉢に当って、彼は泥の中にのびて死んでしまった。この有様を見て数人の男は棒を投げ棄てて逃げようとした。彼らはあわてふためいた。そしてその後すぐに動物どもは全部で中庭をぐるぐる回って人間を追いかけた。人間どもは角で突かれ、蹴られ、咬まれ、踏みつけられた。農場の動物は各自各様に人間に復讐をしないものは一匹もいなかった。猫でさえ突如屋根から牛飼いの肩に跳び降りて頸《くび》に爪をつき立てたので、この男は怖ろしくわめき立てた。逃げ道が開かれた一瞬間を捕えて、人間たちは中庭を跳び出し大通りへ向かって逃げ出してほっとしたのだった。このようにして侵入してから五分とたたないうちに、彼らがやって来た同じ道を、一群の鵞鳥に罵声を浴びせられ、ふくらはぎをつつかれながら、面目のない退却をしていたのだった。
人間たちは一人だけを除いて全部行ってしまった。中庭にもどるとボックサーは、うつ伏せになっている厩番の小僧を仰向けにしようと無器用に前足を扱っていた。この小僧は身動きをしなかった。
ボックサーは悲しそうに言った、「彼は死んでしまった。そんなつもりではなかったんだ。わたしは蹄鉄をつけていたのを忘れていた。故意にしたんじゃないってことを誰がほんとにするだろうか」
「感傷はよしたまえ、同志よ! 戦争は戦争だ。唯一のよき人間は死んだ人間なんだ」とスノーボールは叫んだ。彼の傷からはまだ血が滴っていた。
「わたしは命をとる考えはない、人間の命だって」とボックサーは操り返し、彼の目には涙がいっぱいたまっていた。
「モリーはどこにいるか」と誰かが叫んだ。
事実モリーの姿は見えなかった。ちょっとの間、たいへんあわててしまった。人間がどこか彼女を傷つけたか、あるいはさらって行ってしまったのかも知れないと案じた。しかし、結局、彼女は自分の厩でまぐさ槽の乾草の中に頭を埋めて隠れていたのがわかった。彼女は鉄砲が鳴るとすぐさま逃げこんだのだった。そして一同がモリー探しから帰って来た時には、実際は一時気絶していただけだった厩番の小僧は、すでに意識を回復して逃げ去っていたのだった。
動物たちは今や極度に興奮し、再び集合して、めいめい声をはり上げて戦争の手柄話をした。即席の戦勝祝賀会がさっそく開かれた。旗が掲揚され、「イギリスの家畜」が数回歌われ、それから戦死した羊のために厳《おごそ》かな葬儀が行われ、彼女の墓にさんざしが一株植えられた。その墓のかたわらで、スノーボールはちょっとした演説を試み、すべての動物は必要とあれば動物農場のために死ぬ覚悟のあることの必要を力説した。
動物たちは戦功勲章、「動物英雄功一級」というものを創始することを満場一致で決定し、この勲章は即刻即座に、スノーボールとボックサーとに授与された。これは真鍮《しんちゅう》メダルで(これは実際は馬具部屋で見つけた馬具の真鍮板であった)日曜と祭日に佩用《はいよう》されるものだった。「動物英雄功二級」というのもあり、これは死んだ羊に死後の授与がなされた。
この戦争を何と名づけるべきか大いに論議があった。結局、牛舎の合戦と呼称された、というのはそこが伏兵が跳び出した所であったからだ。ジョーンズ氏の銃は泥の中にころがっていた、そして住宅内に弾薬筒がしまってあることがわかった。その銃は、大砲のように旗竿の根本に据えつけ、一年に二回、牛舎の合戦の記念日の十月十二日と、叛乱記念日の聖ヨハネ祭日とに発砲することに決定された。
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第五章
冬が近づくと、モリーはだんだん厄介ものになって来た。彼女は毎朝仕事にはおくれ、寝過ごしたと言ってあやまり、また訳のわからぬ苦痛を訴えたりした、けれども食欲はとても旺盛だった。あらゆる口実を設けて仕事から逃げ去り、飲用水の池に行って、水に映る自分の姿を眺めて馬鹿な様子をして立っているのだった。しかしもっと重大な噂も何かと立った。ある日のこと、モリーが嬉しそうに中庭にぶらぶら出て行き、長い尾を振り、乾草の茎を噛んでいた時、クローヴァーが彼女のそばへ寄って行った。
彼女は言った。「モリー、真面目な話があるんだよ。今朝あんたが動物農場とフォックスウッド農場との境の生垣越しにあちらをのぞいているのを、わたしは見たんだよ。ピルキントンさんのところの作男が生垣の向こう側に立っていたね。そして、わたしは遠くからだったけれど、これは確かに見えたと思うんだが、その男はあんたに話しかけて、あんたは鼻づらを撫でさせていたね。あれはどういうわけなの、モリー?」
「彼はそんなことしないし、わたしもそんなことさせなかったわ」とモリーは叫び、跳ねまわったり、土を蹴ったりし始めた。
「モリー、わたしの顔をまっすぐに見なさい。あんたはその男があんたの鼻を撫でていなかったと、面目にかけて言えるかのい?」
「そんなことうそよ」とモリーは繰り返した、けれどもクローヴァーの顔はまともに見られなかった、そして、あっというまに彼女は馳け出して原へ跳んで行ってしまった。
クローヴァーに思いあたることがあった。他のものには何も言わずにモリーの厩に行って蹄で藁をひっくり返した。藁の下に角砂糖の小さい山と雑多な色のリボンが幾束か隠されてあった。
三日の後にモリーの姿が見えなくなった。数週間彼女の行方は何もわからなかった。それから鳩がウィリンドンの向こう側で彼女を見かけたと報告した。彼女はある居酒屋の外に停っていた赤と黒に塗ったスマートな二輪馬車の梶棒の間に立っていた。酒屋の亭主らしい、格子のズボンとゲートルをつけた、肥った赤ら顔の男が、彼女の鼻を撫でて砂糖を食べさせていた。彼女は体の毛を剪んだばかりで、前髪には緋色のリボンをつけていた。彼女はうれしそうだった、こう鳩は言った。動物たちはそれっきり二度とモリーのことを口にしなかった。
一月になると極寒の気候が襲った。地面は鉄のように固く凍り、畑仕事は何もできなかった。大納屋ではたびたび会合が開かれた。そして豚は来春の仕事の計画に専念した。他の動物より明らかに利口である豚が一切の農場政策の問題を決定する、ただし、その決定は過半数の賛成投票によって承認されねばならぬ、こういうことが認められるようになっていた。このとりきめは、スノーボールとナポレオンの間の論争がなかったならば相当うまく行ったのであろう。この二人はおよそ意見の相違のあり得る点では必ず意見が合わなかった。片方がより大きな面積に大麦を播こうと言えば、他方は必ずからす麦の面積を大きくしようと要求する。片方がこれこれの畑はキャベツにちょうど適すると言えば、他方はそこは根菜類以外には全然だめだと言明する。各々の支持者がいて、激論が戦わされた。会議の席ではスノーボールはその華々しい弁舌で大多数をかち得えた。けれどもナポレオンは会議の合間に自説の支持を勧誘することが巧みであった。彼は特に羊にはうまくやった。近頃羊どもは「四つ脚よし、二つ脚わるし」とのべつに唱える癖がついてしまって、これで会議を妨害することがしばしばあった。彼らはことさらにスノーボールの演説の肝心なところに来ると、「四つ脚よし、二つ脚わるし」と鳴き始めたがる傾向があった。スノーボールは住宅の中で見つけた「農家と牧畜業者」という雑誌の旧号を綿密に調べて、革新案と改良案を沢山もち合わせていた。彼は畑の排水、牧草の新鮮保蔵、塩基性鉱滓などに関して学問的な話をし、荷車運送の労を省くために動物が各自の脱糞を毎日所を変えて直接畑に行う複雑な方法を考え出していた。ナポレオンは自分の計画は出さなかったが、スノーボールの計画は失敗すると静かに言って、時節を待っているらしかった。けれども種々な論争のうちで、風車をめぐって行われたものほど激烈なものはなかった。
農場の建物から遠くないところの長い牧場の中に、農場で最高の地点となっている小山があった。地面を測量した後に、スノーボールは、ここが風車に誂《あつら》え向きの所で、その風車でダイナモを動かし、農場に電気を供給することができると発表した。こうすれば厩に照明がつき、冬は暖房になるし、また丸鋸《まるのこ》、押切り、甜菜《てんさい》切り、電気搾乳機などが回転する、と言うのだ。動物どもはこれまでこういうことは聞いたことがなかった(というのはこの農場は旧式で、最も原始的な機械しかなかったから)。それで驚嘆して耳を傾け、動物たちはのんきに草原で草を食っているか、読書や談話で知性を磨いている間に、動物の仕事をとって代ってやってくれる突飛な機械のことをスノーボールが描き出して行くのを、聞いていたのであった。
二、三週間のうちに、スノーボールの風車の計画は十分に作製された。機械の詳細は大部分ジョーンズ氏の所有であった三冊の書物からとった。すなわち、「家庭百般便覧」「素人煉瓦工」および「電気学入門」であった。スノーボールは昔、人工孵化器を据えつけるのに使った部屋で、製図に適した滑《なめら》かな木の床のある小屋を、書斎として使用した。彼はそこに幾時間も続けて閉じこもった。書物を石で開けておき、白墨を足の指節の間に挟み、敏捷にあちこち動いて、線をあっちこっちと書き入れ、興奮して鼻を鳴らしながらこういうことやるのであった。だんだんと設計図は、混みいった曲柄《クランク》や歯車の集団にまではいって来て、床の半分以上も占めるに至った。それは他の動物には何が何だかさっぱり解らなかったが、きわめて強い感動を与えた。すべてのものが少くとも一日に一度はスノーボールの図を見にやって来た。鶏や家鴨さえやって来て、白墨の印を踏まないように骨を折って歩いた。ナポレオンだけが近よらなかった。彼は初めから風車には反対だと言明していた。しかしながら、ある日、彼は不意にこの設計図を調べにやって来た。小屋をどすんどすんと歩き回って、設計図をこと細かに見、一、二回ふんふんと鼻息をふきかけ、しばらくのあいだ横目でじっと眺めていた。それから急に片脚をあげて設計図に小便をひっかけて、一言も口にせずさっさと出て行ってしまった。
全農場はこの風車問題では二派に分かれて深い溝《みぞ》ができた。スノーボールはこれが困難な事業であることは否定しなかった。石を石山から切り出して、それを積み上げて壁を造らねばならなかった、それから羽を造らねばならず、その後で発電機や太索《ふとづな》が要るのだ。(こういうものをどうして手に入れるか、スノーボールは何も言わなかった)けれども彼は一年かかれば全部できると主張した。そして、それから後は労力が非常に節約できるから動物たちは週に三日働けばよいことになる、と言明した。他方、ナポレオンの方は、目下の急務は食糧増産であり、風車のために時を浪費していたら全部餓死してしまう、と論じた。動物どもは「スノーボールと週三日制に賛成」と「ナポレオンと秣《まぐさ》槽充満に賛成」という二つのスローガンのもとに二党派を結成した。ベンジャミンだけがただ一人いずれの党派にもくみしなかった。彼は食糧が増すことも、また風車で仕事が省けることも信じなかった。風車があろうがあるまいが、生活は今まで通りだ、つまり苦しいだろう、と彼は言った。
風車をめぐる論争とは別に、農場防衛の問題があった。人間は牛舎の合戦で敗北はしたけれども、農場を奪還しジョーンズ氏を復位させようと再び、しかももっと断乎たる企てをなすだろうということは、十分理解できた。人間敗北の報道は近郷に広がり、近隣の農場の動物が以前よりも手におえなくなって来たから、人間どもはなお一層この企てをせねばならぬ理由があった。例によってスノーボールとナポレオンは異論を立てた。ナポレオンの説では、動物のすべきことは火器を手に入れ、その使用を訓練することである。スノーボールに従えば、ますます多くの鳩を送って他の農場の動物に叛乱を煽動せねばならぬというのだ。一方が、もし彼らが自己防衛ができなければ彼らは必ず征服されるであろうと論ずれば、他方は、もし叛乱が各地に勃発すれば、自己防衛の必要はなくなるだろうと論じた。動物どもは初めにナポレオンに耳を傾け、次にスノーボールの説を聞き、どちらが正しいのか決しかねた。実際、彼らは話をしている時のその人の説に常に賛成するのだった。
ついにスノーボールの設計が完成する日が来た。その次の日曜の会議において風車の建造の仕事に着手すべきか否かが票決されることになった。動物どもが大納屋に集合したときに、スノーボールは立ち上って、風車建造弁護の理由を開陳した、もっともこれは、ときどき羊どもの鳴き声で邪魔された。次にナポレオンが立ち上って応酬した。彼はもの静かに、風車なんて無意味であると言い、賛成投票をするなと言って、すばやく着席した。彼はわずかに三十秒ほど喋って、その効力などほとんど無関心の様子であった。ここにおいてスノーボールは勢いよく立ちあがり、再びわめきはじめた羊を怒鳴《どな》りつけて黙らせ、風車に賛成の熱心な懇請を始めた。それまでは動物たちは賛否ほぼ同数に分かれていた。けれども瞬時にしてスノーボールの雄弁が彼らの心をさらってしまった。燃えるような言葉で、賤しい労働の負担が動物の背から取り除かれる日の動物農場の光景を美しく述べ立てた。彼の想像は今や押切りや蕪《かぶ》刻みの域をはるかに跳び越えてしまった。電気が各畜舎にそれぞれの照明と、冷水と湯、暖房とを供給するばかりでなく、脱穀機も鋤も馬鍬《まがん》もローラーも、また麦刈機も結束機も運転することができるのだ、と彼は言った。彼が演説を終えるまでには、どちらに票決されるか疑いの余地はなくなった。ところが、ちょうどこの時にナポレオンが立ちあがり、独特な横目でスノーボールを見、これまで誰も聞いたことのないような高調子の鳴き声をあげた。
このとき、戸外で怖ろしい犬の吠え声があがった。そして真鍮の飾り鋲《びょう》つきの頸環《くびわ》をつけた巨大な犬が九匹、納屋へ跳び込んで来た。彼らはまっすぐスノーボールに襲いかかった、そしてスノーボールはかろうじてその席から跳びのいて犬の咬みつく口から遁《のが》れることができた。瞬時にして彼は外に出たが、犬は後を追って行った。動物は全部口がきけないほどびっくり仰天して、追跡を見ようと戸口に殺倒した。スノー・ボールは大通りに通じる長い牧場を横ぎってつっ走った。彼は豚特有の走り方で走ったが、犬はすぐ後に近づいていた。突然、彼は滑った。それで犬どもはしっかと彼をつかまえたと思った。すると彼はまた起きて、以前にもまして速く走った。犬の方は再び追いついて行った。一匹の犬はスノー・ボールの尻尾にほとんど咬みつかんばかりだったが、スノーボールはようやく尻尾をふり放した。それから彼は最後の飛躍を試み、わずか数インチを残して、生垣の穴に滑りこみ、姿を消してしまった。
何も言わず、恐怖に襲われて動物どもは納屋にこそこそ戻って来た。すぐに犬どもも跳んで帰って来た。初めはこれらの犬がどこから来たのか、誰にも想像もつかなかったが、問題はすぐに解けた。彼らはナポレオンが仔犬のとき母親から引き離してひそかに育てていたのだった。まだすっかり成熟してはいなかったが、巨大な体で、狼のように獰猛《どうもう》な顔つきをしていた。彼らはナポレオンのそばにくっついていた。ほかの犬どもがジョーンズにしたと同じようにナポレオンに向かって尻尾を振っていた。
ナポレオンは犬を従えて、かつてメージャーが演説をしたあの一段高くなった床に登った。彼は今後は日曜の朝の会議はとり止めることにすると宣言した。そんなものは不必要であり、時間の浪費だと言った。これからは農場の運営に関する総ての問題は、自分が議長を勤める豚の特別委員会で処理する。その委員会は秘密会とし、その決定は他のものに伝える。動物はこれからも日曜の朝は集合して旗に敬礼し、「イギリスの家畜」を歌い、その週に仕事の命令を受けるが、討論は行わないことにする、というのであった。
動物たちはスノーボールの放逐で衝撃をうけたにもかかわらず、この声明に狼狽《ろうばい》した。適当な論拠が見つかれば抗議したいと思ったものもあった。ボックサーでさえ何となく心配になった。彼は耳を後へ倒し、幾度も前髪をうち振り、考えをまとめようとつとめた。しかし結局何も言うことが思いつかなかった。しかしながら、豚の中でもあるものはもっとはっきりした考えをもった。前列にいた四頭の食用豚は甲《かん》高い不満の叫びをあげ、四頭とも立ちあがって、いっせいに喋りはじめた。しかし突然ナポレオンのまわりに坐っていた犬が低い威嚇《いかく》の唸りを発したので、豚どもはだまって、再び腰を下してしまった。それから羊たちは「四つ脚よし、二つ脚わるし」を凄まじく叫び出し、それが四十五分近くも続いて、討論の機会は何もなくなってしまった。
後になってからスクィーラーは、他のものにこの新しい処置を説明するために農場を巡回するように遣わされた。
彼は言った。「同志諸君よ、同志ナポレオンがこの余分の骨折りを引受けて、大なる犠牲を払うのをここの誰もが感謝するものとわたしは確信する。指導というものが楽しみであると考えてはいけない。逆に、それは深く重い責任なのだ。すべての動物が平等であるということをナポレオンほど強く信じているものはない。彼は諸君の決議を諸君に任《まか》せられればこんな嬉しいことはないのだ。けれども、同志よ、諸君は誤った決議をしないとも限らない、そうしたらわれわれは一体どうなるか。諸君があの風車などというたわけたことでスノーボールに従うと決定したと想像してみたまえ……われわれの今知る通り、スノー・ポールは罪人とかわるところはない者ではなかったか」
「彼は牛舎の合戦では勇敢に戦ったぞ」と誰かが言った。
スクィーラーは言った。「勇敢だけでは十分ではない。忠誠と服従はもっと重要だ。牛舎の合戦と言えば、スノーボールの果たした役割は誇張されたのだとやがて悟る時が来るとわたしは信じる。同志諸君よ、規律、鉄の規律だ。これが今日の標語だ。一歩誤れば敵がわれわれを抑えてしまうだろう。同志諸君よ、たしかに諸君はジョーンズが戻ることを欲しはすまい」
ここでもまた、この議論には何とも返答はできなかった。動物たちがジョーンズの復帰を欲していないことは確実だ。もし日曜の朝に討論を行うことがジョーンズを復帰させる怖れがあるというのならば、討論は中止せねばならない。ボックサーはあれから種々考えてみる時間があったので、次の言葉で一般の気持を表明した。「もし同志ナポレオンがそう言うならば、それは正しいに違いない」そしてそれ以後は、彼は「わたしはもっと働こう」という彼個人の標語につけ加えて、「ナポレオンは常に正しい」という金言を用いることにした。
この頃はすでに気候も変って来て、春の耕しが始まっていた。スノーボールが風車の設計図を書いた小屋は閉鎖されてしまって、床の設計図はふき消されたことになっていた。日曜の朝はいつも十時に動物は大納屋に集合してその週の命令を受けた。肉のきれいに落ちた老メージャーの頭蓋骨は果樹園から掘り出され、旗竿の下の、銃のそばの切株の上に据えられた。旗の掲揚がすむと動物は納屋にはいる前に一列に列んでうやうやしくその頭蓋骨の前を行進させられた。この頃は以前のように皆一緒に席につくということはなかった。ナポレオンはスクィーラーと、歌や詩の創作にすばらしい才能をもっているミニマスという名のもう一頭の豚と共に、演壇の前に坐り、そのまわりに九匹の犬が半円形に陣どり、背後には他の豚が席をとった。その残りの動物は納屋の主要部に前の一団に対面して坐った。ナポレオンはぶっきら棒に軍人風にその週の命令を読み上げ、「イギリスの家畜」を一回歌って、動物はみな解散した。
スノーボールの放逐から三度目の日曜日に、ナポレオンが結局風車を建築することになったと発表したので動物どもは少なからず驚いた。ナポレオンは気が変った理由は何も言わず、ただこの余分な事業はなかなか大へんな仕事であると言い、彼らの割当食糧も減らす必要があるかも知れないと警告しただけであった。しかしながら設計は最後の部分まですっかり準備は完了していた。豚の特別委員会は過去三週間これを研究していた。風車の建設は他の種々の改良事業とともに、二か年を要する予定であるというのであった。
その晩、スクィーラーは、ナポレオンは実は風車に反対していたのではなかったと、他の動物に内々に説明した。反対に、初めにその案を主唱したのはナポレオンであって、スノーボールが人工孵化小屋の床に描いた設計図は実際はナポレオンの書類から盗んだものであった。風車は事実ナポレオンの独創であったのだ。そこで、それならなぜあんなに強く反対したのかと誰かが尋ねた。ここでスクィーラーは実にとぼけた顔をした。それは同志ナポレオンの巧妙さだと彼は言った。ナポレオンは風車に反対するように見せたのだが、それはスノーボールは危険な人物で悪い感化をもっているので、これを排除するための策略にすぎなかった。スノーボールを除いた現在は、この計画は彼の邪魔なしに進められる。これが戦術と称するものだ、とスクィーラーは言った。彼は跳ねまわり尻尾を振りながら、陽気に笑って、「戦術だ、同志諸君よ、戦術だ」と幾度も繰り返した。動物どもはその言葉はどういう意味かはっきりわからなかったが、スクィーラーはいかにも言葉巧みに喋り、たまたま彼と一緒にいた三匹の犬が威嚇的に唸ったので、動物たちはそれ以上の質疑もなしにスクィーラーの説明を承認したのであった。
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第六章
その一年間動物たちは奴隷のように働いた。しかし彼らは仕事を喜んでいた、いかなる努力も犠牲も惜しまなかった。それは彼らのすることはすべて、自分たちと、後から来る同族の利益になることで、決して何もせず、他人のものを盗む人間という輩《やから》のためではないことを、十分承知していたからだ。
春と夏を通じて週に六十時間働いた。そして八月には、ナポレオンはこれからは日曜の午後もまた仕事があると発表した。この仕事は厳密には任意申し出でによるのであったが、これに出ない者は糧食割当は半分に減らされた。それまでにしても、ある仕事は済まされずに残らざるを得なかった。収穫は前年より少し減収となり、初夏に根菜類を播くべき畑が二枚、耕しが間に合わなかったために種播きができなかった。こんどの冬は苦しいものになるだろうと予想された。
風車は予期しない困難に出会った。農場内には石灰岩のよい石切場があり、砂とセメントは納屋の一つに豊富にあった、それで建築の材料は整っていた。しかし動物どもに最初解決のつかなかった問題は石を適当な大きさに割る方法であった。これをするには鶴嘴《つるはし》と鉄梃《かなてこ》を使う以外に方法はないが、動物は後脚で立てないので、誰にもこれができなかった。無駄な努力を数週間した後で初めて、適当な考えが誰かに浮かんだ……すなわち、地球引力を利用することだ。そのままで大きすぎて使いものにならない巨大な丸石が石切場の床一面にころがっていた。動物たちはこれらに綱をまきつけ、それから牛も馬も羊も、綱をつかむことのできるものはどんな動物も一緒になり……きわどい時には豚さえもこれに加わって……必死になってそろそろと石切場の斜面を頂上まで引きあげ、そこで崖っぷちから転がり落し、下で細かく砕けるようにした。いったん細かく砕かれれば石を運ぶのは比較的簡単だった。馬は馬車荷にして運んで行き、羊は一塊ずつにして引き上げ、ミューリエルとベンジャミンさえも軽二輪車に自分たちをつないで分け前の仕事をした。晩夏の頃には十分の石材がためられた。そこで豚の指揮で建造が始まった。
しかし、これは遅々として進まず、骨の折れる作業だった。しばしば、ただ一つの丸石を石切場のてっぺんまで引き揚げるのに精根つくしてまる一日かかった。そしてそれを崖っぷちから押し落しても砕けないことも時々あった。何事もボックサーなしではやり遂げられなかったろう。というのはボックサーの力は他の動物を全部一緒にしたのに匹敵するように見えたからだ。丸石が滑り始めて、動物どもがずるずると坂を引きずり落とされるので絶望の叫びをあげるときに、綱をぴんと張ってその石のずり落ちるのを止めるのはいつもボックサーだった。彼が息を早め、蹄の端を地面にたて、大きな脇腹を汗でぐしょぐしょに濡らして、一インチ一インチと坂を登る姿は見る者を讃嘆させた。クローヴァーはあまり無理をしないように気をつけてと時々忠告したが、ボックサーは耳をかそうとしなかった。彼の二つの標語、「わたしはもっと働こう」と「ナポレオンは常に正しい」が彼にはすべての問題に対する十分の解答と思われた。彼は毎朝、三十分でなく四十五分早く若い雄鶏に呼びに来てもらう手筈をきめていた。またこの頃は余りなかったが、それでもわずかな暇があれば一人で石切場へ行って砕けた石を一荷に集めて、他人の助けを借りずに、風車を建てる場所へ引いて行くのだった。
動物たちはその夏の間、仕事の苦しさにもかかわらず、調子は悪くなかった。ジョーンズ時代より余計の食糧を得られなかったとしても、決して少くはなかった。自分たちだけを養えばよいので、その上に贅沢な五人の人間を養う必要がないのは大へんな利得であったから、よほど失敗を重ねなければ、不利になることはなかった。それに、多くの面で動物のやり方はもっと能率的で労力が省けた。たとえば除草のような仕事は人間にはできないほど徹底的にできた。さらにまた、動物は盗みをしなかったから、耕地と牧場の境に垣根を作る必要はなく、これは生垣や門扉を維持するための多大の労力を省いた。それにもかかわらず、夏がたけて行くと、種々予想しなかった不足が感じられて来た。パラフィン油、釘、紐、犬ビスケット、蹄鉄用の鉄などの必要があったが、こういうものは一つも農場では生産されなかった。後になると、趣々な道具のほかに種子と人工肥料も必要となり、ついには風車用の機械が必要になった。こういうものをどうして生産するか、これは誰にも見当がつかなかった。
ある日曜の朝、動物たちが仕事の命令を受けるために集合したとき、ナポレオンは新政策を決定したと発表した。今後、動物農場は近隣の農場と貿易をする、もちろんそれは商業の目的でなく、単に差し迫って必要な、ある資材を得るためにだ。風車の必需品は他のすべてに優先する、と彼は言った。それゆえに彼は乾草の一山と本年度の小麦の収獲の一部とを売却する取りきめをしており、その後、もしもっと金が必要になれば鶏卵の売却によってそれを補わねばならなくなるだろう。幸いウィリンドンには常に鶏卵の市場があるのだ。雌鶏たちは風車建造に特別寄附としてこの犠牲を喜んでなすべきだと、ナポレオンは言った。
また再び動物たちは莫然たる不安を感じた。人間どもとはいかなる交渉もしない、貿易には従事しない、金銭を使用しない……これはジョーンズを追放した後の最初の凱旋の会議においていち早く通過した決議事項ではなかったか。すべての動物はこんな決議が通過したことを覚えている、いや、少くとも覚えているような気がした。ナポレオンが会議を廃止した時に抗議を申し出た例の四頭の若豚はおずおずと声をあげた。けれども犬の凄じい唸りで即座に黙らされてしまった。それから、例のごとく、羊が「四つ脚よし、二つ脚わるし」を唱え出して、一時の気まずさは解消された。ついに、ナポレオンは前足を掲げて沈黙を求め、彼はすでに一切の取りきめをしたのだと言明した。いかなる動物も直接人間と接触する必要はない、それは明らかに最も望ましからざることだ。自分が一切の責任をこの双肩に担《にな》うつもりだ。ウィリンドンに居住するホィムパーという弁護士がこの動物農場と外の世界との仲介者となることを承知して、指図を受けるために月曜の朝ごとにこの農場に来ることになっている。ナポレオンはいつものように「動物農場万歳」と叫んで演説を終え、「イギリスの家畜」の合唱の後で動物たちは解散した。
その後でスクィーラーは農場を巡回してすべての動物に気がすむようにした。彼は、貿易に従事し、金銭を使うことを禁じる決議は決して通過したことはなかったし、そんな提案さえなかったのだと言った。それはまったくの空想であり、恐らくそのもとはスノーボールが流布した嘘にもとづくのだろう、と言った。二、三のものはそれでもかすかに疑念をいだいた。しかしスクィーラーは鋭く彼らにきいた。「それは君たちが夢みたことではないか、そうでないと果たして確言できるか。そんな決議の記録があるか。どこかに明記されているか」そういう種類のことは書き物として存在しないことは確かであったから、動物どもは自分が思い違いをしていたのだと納得した。
月曜ごとに取りきめ通りにホィムパー氏は農場を訪れた。彼は頬|髭《ひげ》を生やした狡猾な面《つら》つきの小男で、あまりぱっとしない弁護士だが、なかなか抜け目がなく、誰よりも先に、動物農場には仲立人が必要であり、その手数料は相当なものだろうと思いついた。動物たちは一種の怖れをいだいて彼の出入りを見ており、できるだけ彼を避けていた。それにもかかわらず、四つ脚のナポレオンが二つ脚で立っているホィムパーに指令を授《さず》けている有様は、彼らの誇りを呼び起こし、この新しい取りきめに幾分満足したのだった。人類と彼らの関係は、今は以前とはまったく同じでなくなった。動物農場が繁栄している現在、人間の動物農場を憎む心は減りはしなかった、いな、それまでよりひどく憎んだ。人間は誰も、この農場は早晩つぶれること、特に風車は失敗に帰することを、信仰箇条としていた。人々は居酒屋で会うと図表を示して風車は倒壊するにきまっているとか、かりに立ったとしても決して運転はしないと、相互に証明し合った。しかしやはり、心ならずも、動物たちが仕事を処理して行く能率のよさにある種の敬意を抱くようになっていた。その一つの印として、彼らは動物農場をその名で呼び始め、荘園農場と呼ばれるのだなどとは言わなくなった。彼らはまたジョーンズを代表闘士と考えなくなってしまった。というのはジョーンズは農場奪還の希望を棄ててほかの土地へ移り住んでしまったからだ。ホィムパーを通して以外には動物農場と外界との接触はまだなかった。けれどもナポレオンはフォックスウッドのピルキントン氏か、ピンチフィールドのフレデリック氏のいずれかと、一定の取引協定を結ぼうとしているという噂が絶えず流れていた。しかしこの両者と同時には協定しないということが認められた。
ちょうどこの頃に、豚は急に住宅に移転してそこに居住することになった。ふたたび動物たちはこれに反する決議が初めの頃通過したことを思い出したらしかったが、またもやスクィーラーは彼らにそれは事実でなかったと説得することができた。彼は言った、農場の頭脳である豚たちが仕事をする静かな場所をもつことは絶対に必要であると。それにまた、これは指導者の威厳にもかなうものだと言った(指導者といったのは、スクィーラーは近頃ナポレオンを口にする時は「指導者」の称号を用いることになっていたからだ)それにもかかわらず、動物の中には、豚たちが台所で食事をとり、応接間を娯楽室に使うばかりでなく、ベッドで眠ると聞いて、心中穏かならざるものもあった。ボックサーは例のごとく、「ナポレオンは常に正しい」でそのまま認めてしまった。けれどもクローヴァーはベッド使用反対のはっきりした規則を覚えていたので、大納屋の端へ行き、そこに書かれている七戒を判読しようと試みた。初めの数文字しか読めないとわかって彼女はミューリエルを連れて来た。
「ミューリエル、第四戒を読んでくれない。決してベッドにねてはいけない、というようなことが書いてあるんじゃないかしら」と言った。
ミューリエルは一字一字拾って読んだ。
「こう書いてあるわ。『いかなる動物もシーツを用いてベッドに眠るべからず』」と、彼女はようやっと読んで聞かせた。
クローヴァーは、妙なことだ、第四戒はシーツのことを言っているとは記憶していないがと思った、けれども壁にちゃんと書いてあるなら、それに違いあるまい。そして、たまたま二、三匹の犬をつれて通りかかったスクィーラーは全貌を明らかに説明することができた。
彼は言った。「同志諸君よ、それでは諸君は豚が住宅のベッドに眠るということを聞いたのだね。それも何も悪いことはあるまい。ベッド禁止の規則があったとはまさか想像はすまい。ベッドとは単に眠る場所のことだ。厩の中の藁の積み重ねも正しく言えばベッドだ。規則は、人間の発明にかかるシーツ禁止ということだ。われわれは住宅のベッドからシーツは取り払って、毛布の間にねているのだ。そしてそれは実に気持がよいベッドだよ。しかし同志よ、言っておくが、昨今われわれがせねばならぬ頭脳の仕事を考えれば、決して分に過ぎた快楽ではないのだ。諸君はまさかわれわれの安眠を奪うつもりではあるまい。われわれの義務が果たせないほどわれわれを疲労させることは欲しまい。たしかに諸君は誰もジョーンズの復帰は望まないだろうな」
動物たちはこの最後の点はまったくその通りだとさっそく言った。そしてもうそれっきり、住宅のベッドに豚が眠ることについては何も言わなかった。それから数日たって、今後、豚たちは他のものより一時間遅く起きるのだと発表した時に、これについてもまた何の苦情も出なかった。
秋になると動物どもは疲労してはいたが楽しかった。彼らは苦しい一年を過ごし、乾草と穀物の一部を売却した後には、冬のための食糧の貯えは決して豊富ではなかった。けれども風車がすべてを償ったのだ。これはほぼ半分はでき上った。取り入れの後、乾燥して晴れた天気が続いた、そして動物たちは一段と精を出して働いた。終日せっせと石塊を運搬しても、それによって風車の壁が一インチ高くなるのだったら、十分働き甲斐があると思った。ボックサーは夜まで出て来て、彼岸すぎの満月のもとで一時間か二時間勝手に働くことさえあった。動物たちは暇があると半ばできた風車のまわりを歩いて、その壁の強さと垂直にそびえる様を賞讃し、自分たちでこのような堂々たるものが建てられたのかと驚嘆するのだった。ただ老ベンジャミンばかりは頑として風車に熱狂しなかった。もっとも、例によって驢馬《ろば》というものは長生きをするものだという謎めいた言葉以外には何も口に出さなかった。
荒れすさぶ西南風を伴って十一月がやって来た。セメントを混ぜるには湿気が多すぎるので建築は中止せねばならなかった。ついにある晩、風が烈しく吹いて、農場の建物は土台から揺れ、納屋の屋根の瓦も数枚吹き飛ぶほどのことがあった。鶏たちはみんな同時に遠くの方で鉄砲が鳴った夢を見たので目を覚まし、恐怖に襲われてガーガー鳴き立てた。朝になって動物どもが畜舎から出て見ると、旗竿は吹き倒され、果樹園のふもとの楡《にれ》の木は大根のように根こぎにされていた。これに気がついたと思う間もなく、みんなの動物の喉から悲鳴がいっせいにあがった。無惨な光景が目に映ったからだった。風車は崩潰していたのだ。
彼らはいっせいに現場にかけつけた。めったに駆け出すようなことをしないナポレオンも先頭になって走った。まさしく、風車は倒れていた、彼らの苦闘の結晶も土台のところまで崩れ、彼らがあんなに骨を折って砕いて運んだ石はあたりに飛散していた。初めは口もきけず、乱れ散った石を悲しく茫然と眺めていた。ナポレオンはだまって行きつ戻りつし、時おり地面をふんふん嗅いだ。彼の尻尾はこわばり、左右にピクピクと振っていたが、これは強烈な頭の活動を示すしるしだった。決心がついたように突然立ち止まった。
彼は静かに口をきった、「同志諸君よ、これは誰のしわざと思うか。夜中にはいって来てわれらの風車を転覆した敵を諸君は知っているか。スノーボールだ!」彼は突然|雷《かみなり》のごとく怒鳴った。「スノーボールがこれをやったのだ。まったくの悪意から、われわれの計画を覆《くつが》えし、自分の恥ずべき放逐の恨みを晴らそうと考えて、この裏切り者は夜陰に乗じてここに忍び込んでわれわれの一年に近い仕事を破壊したのだ。同志諸君よ、わたしは今ここでスノーボールの死刑を宣告する。彼を法のさばきに処したものには『動物英雄、功二級』と半ブッシェルの林檎を授ける。彼を生け捕りにしたものには一ブッシェルを与えるぞ」
動物たちはスノーボールでさえこんな行為をするかと知って測り知れない衝撃をうけた。憤激の叫びをあげ、めいめいがもしスノーボールが戻って来たならばどうして捕えてやろうかとその方法を考え始めた。ほとんどそれと同時に、一匹の豚の足跡が小山から少し離れたところの草の上に発見された。その足跡は数ヤードしかたどれなかったけれども、生垣の穴の方へ通じているように見えた。ナポレオンはその足跡を深く嗅いで、それがスノーボールのものだと言明した。彼は、スノーボールはフォックスウッド農場の方角からやって来たのだろうという意見を表明した。
足跡を調べてしまうとナポレオンは叫んだ。「これ以上ぐずぐずしてはいられない、同志よ。仕事をしなければならない。さっそく今朝から風車再建に取りかからねばならぬ。そして晴雨を問わず冬中建築を進めるのだ。この恥しらずの裏切り者に、われわれの仕事はそうたやすくぶち壊すことはできぬということを教えてやるのだ。同志よ記憶せよ、われわれの計画には変更がない、予定に違わず実行されるのだ。同志よ、前進せよ。風車万歳! 動物農場万歳!」
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第七章
きびしい冬だった。荒れた天気に続いてみぞれと雪になり、それから霜が凍てついて、それは二月も大分たつまで解《と》けなかった。動物たちは風車の再建を精根つくして続けた。それは外部の者たちが注視しているし、妬んでいる人間どもが、もし風車が期限までに竣工しなければ凱歌をあげて喜ぶだろうということをよく知っていたからだ。人間どもはくやしいものだから、風車を壊したのがスノーボールだと信じないようなふりをして、壁が薄すぎたから潰れたのだと言った。動物たちはそれは真相でないと知っていた。それでも、この前の十八インチに対して今度は三フィートの厚さに壁を造ることに定めていたので、この前よりはるかに多量の石材を集めねばならなかった。長いあいだ石切場は雪の吹き溜りがいっぱいになっていて何も手がつかなかった。その後に来た晴れた霜の降りた天気には多少の進捗《しんちょく》はあった。けれどもこれは残酷な仕事だった。そして動物たちは以前のようには希望がもてなかった。彼らはいつも寒く、そのうえ常に空腹であった。ボックサーとクローヴァーだけが気を落とさなかった。スクィーラーは奉仕の歓びと労働の尊さについて立派な演説をした。けれども他の動物たちはこれよりも、ボックサーの力と彼の相変わらずの「わたしはもっと働こう」の叫びの方から余計のはげましを受けた。
一月になると食糧が不足して来た。麦の配給量は激減した。そしてそれを補うために馬鈴薯の余分の配給があると発表された。それから馬鈴薯の大部分が、土藁の囲いが十分厚くなかったので霜《しも》げてしまったことがわかった。馬鈴薯はふやふやになり変色していて、わずかしか食べられなかった。動物たちは幾日も続けて秣《まぐさ》と甜菜《てんさい》のほかに食うものは何もなかった。飢餓に直面せねばならぬように見えた。
この事実を外界から隠しておくことは死活にかかわる必要事であった。人間どもは風車の崩潰に勇気を得て、動物農場について新たな嘘を捏造《ねつぞう》していた。またしても、動物はみんな飢えと病気のために死に瀕しているとか、絶え間なく仲間同志戦って、共喰いや幼児殺しの手段に訴えているということが流布された。ナポレオンは食糧事情の真相がばれれば悪い結果が起こることをよく知っているので、反対の印象を広めるためにホィムパー氏を利用しようと決心した。これまでは動物たちに毎週の訪間の際ホィムパー氏とはほとんど、あるいは全然接触させなかった。けれども今は、二、三の選ばれたもの、多くは羊だが、これらがさりげなく彼に聞こえるところで、食糧配給が増したと言えと教えられた。その上に、ナポレオンは貯蔵小屋のほとんど空の食糧箱を砂でいっぱいにさせ、その表面を穀粒と碾割《ひきわり》の残りもので被わせるように命じた。何か適当な口実を設けてホィムパーを貯蔵小屋に案内して食糧をちらと見させるようにした。彼はこうして瞞《だま》されて、動物農場には食糧不足はないと外界に報告し続けた。それにもかかわらず、一月の終り近くになると、どこからか穀類を手に入れる必要のあることは明白となった。この頃はナポレオンは稀れにしか人前に出ないで、いつも住宅の中で時を過ごしていた。そしてその住宅は各戸口に獰猛《どうもう》な顔をした犬が番をしていた。いよいよ彼が外に出るという時はものものしく儀式ばって、護衛の六匹の犬を従え、これが身辺近く取りまいて、近づくものがあれば吠えたてた。しばしば彼は日曜の朝でさえ姿を見せず、命令は他の豚、通例はスクィーラーを通じて伝達した。
ある日曜の朝、スクィーラーはふたたび卵を生み始めたばかりの雌鶏たちに卵を引き渡さねばならないと発表した。実はナポレオンがホィムパーを通じて一週四百個の卵を出す契約をしたのであった。その売却価格で、夏が来て事情が楽になるまで農場を運営して行くに足るだけの穀粒と碾割《ひきわり》とを買うことができるのだと言った。
鶏がこの話を聞いた時に怖ろしい叫びをあげた。かねてこういう犠牲は必要になるかも知れないと警告は受けていたが、実際にそうなるとは信じていなかった。彼らは春産《はるご》の孵化《かえし》を今準備しているところであった。それでその卵を今取り去るのは謀殺だと抗議した。ジョーンズの放逐以来初めて叛乱に似たものが起こった。三羽の黒ミノルカの若雌鳥の指導で鶏たちはナポレオンの要望を挫こうと断乎たる努力をした。彼らの方法は垂木《たるき》に跳び上ってそこで卵を産み、卵は床に落ちて潰れてしまうというのであった。ナポレオンは敏捷にしかも冷酷に行動をした。彼は鶏の餌の配給を中止するように命じ、一粒の麦でも鶏に与えたものは死刑に処すると布告した。犬どもがこの命令の励行を監視した。鶏は五日間もちこたえたが、それから降服して巣箱へ戻った。その間に九羽が死んだ。その死体は果樹園に埋められ、彼らは寄生虫病で死んだのだと発表された。ホィムパーはこの事件については何も聞かされていなかった。それで食料雑貨商の馬車が週に一度農場に来て、鶏卵はちゃんと引き渡された。
こうした間じゅうスノーボールの姿は見られなかった。フォックスウッドかピンチフィールドか、隣のいずれかの農場に隠れているという噂があった。ナポレオンはこの頃にはこの農場主たちと以前よりわずかながら仲がよくなっていた。たまたま中庭に、十年前にぶなの林が伐採された時に積み重ねた材木の一積みがあった。それはよく乾燥していたので、ホィムパー氏はナポレオンにそれを売却することを勧めた。ピルキントン氏もフレデリック氏もどちらもそれを買いたがっていた。ナポレオンはどちらへ売ろうか、決心がつかずぐずぐずしていた。彼がフレデリックと話がまとまりそうになる時にはいつもスノーボールはフォックスウッドに隠れているのだと言い、また、ピルキントンの方に心が傾く時は、スノーボールはピンチフィールドに隠れているのだと言うのに、みなが気づいた。
春早い頃、突然驚くべきことが発見された。スノーボールは秘かに夜この農場に出入りしていたのだ。動物たちはすっかり不安になって自分の畜舎でおちおち眠ることもできなかった。噂では、彼は毎晩闇に乗じて忍びこんで来て、あらゆるわるさをした。穀物を盗む、牛乳バケツはひっくり返す、卵をこわす、苗床は踏み荒らす、果樹の皮をかじる。それで、何か不都合が起これば、なんでもスノーボールのせいにするのが普通になった。窓がこわれたり、あるいは排水渠が詰まれば、誰かがきまって、夜のうちにスノーボールが来てそれをしたのだと言った、そして貯蔵小屋の鍵が紛失すれば、農場全体がスノーボールがそれを井戸に投げ込んだものと信じた。奇妙なことに、置き忘れた鍵が碾割の袋の下で見つかった後までも、これを信じていたのだ。雌牛どもはスノーボールが彼らの畜舎に忍びこんで、眠っている間に乳を搾ってしまったと、口をそろえて断言した。野鼠はその冬は手におえなかったが、これらもスノーボールとぐるになっているのだと言われた。
ナポレオンはスノーボールの活動を十分に調査せよと命じた。彼は犬を従えて農場の建物の周到な視察の巡回をし、他の動物たちもうやうやしく、ある距離を保って後について歩いた。ナポレオンは二、三歩行っては立ち止まってスノーボールの追跡をたどるために地面をふんふん嗅いだ。というのは匂いで嗅ぎ分けられるのだと彼は言った。彼はどこの角でも、納屋でも、牛小屋でも、鶏小舎でも、野菜園でも嗅いでみて、ほとんどどこにもスノーボールの痕跡を見出した。彼は鼻を地面につけ、数回深く嗅いで、怖ろしい声で、「スノーボールだ! ここにも来た! わたしにははっきりと彼の匂いがわかる!」と叫んだ、そして、スノーボールという言葉が出ると、犬はぞっと寒気がするような唸り声を立て、牙をむき出すのだった。
動物たちは震えあがってしまった。スノーボールは目に見えない感応力のようなもので、あたりの空気に拡がって、あらゆる危害で彼らを脅かしているように思えた。夜になるとスクィーラーは一同を集め、驚愕の表情を浮かべて、ある重大な報道を伝えると言った。
スクィーラーは神経質にぴょんぴょん跳ねながら、叫んだ。「同志よ、最も怖ろしいことが発見されたのだ。スノーボールはピンチフィールド農場のフレデリックに身を売って、そのフレデリックは今も今われわれを襲ってわれわれの農場を奪い取ろうと企んでいるのだ。その攻撃が始まればスノーボールが案内役を勤めることになっている。が、しかしもっと悪いことがあるのだ。われわれはスノーボールの謀反は彼の虚栄と野心が原因であると思っていた。しかしそれは考え違いだった、同志よ。本当の理由は何だか知っているか。スノーボールは初めからジョーンズと共謀していたのだ。彼は初めからジョーンズの秘密機関だった。そのことは彼が残して行って、今われわれが発見した書類によって証明されたのだ。わたしはこれで種々なことが証明がつくと思う。われわれ自身でも、あの牛舎の合戦において、彼がわれわれに敗北と破滅をもたらそうと企てたことを見たではないか、もっとも彼の企ては幸にして成功しなかったけれども」
動物たちは茫然としてしまった。これはスノーボールの風車の破壊にもはるかにまさる悪企《わるだく》みであった。しかし、しばらくは彼らはこの話が呑みこめなかった。彼らは、スノーボールが牛舎の合戦において先頭に立って攻撃し、戦局の変転する度に軍勢を整えてこれを鼓舞《こぶ》し、ジョーンズの射った銃弾が彼の背を傷つけた時でさえ一瞬も立ちひるまずに戦ったあの有様を見たことを、皆覚えていた、あるいは覚えているような気がした。初めのうちは、どうしてこのことが、彼がジョーンズの味方になっていたというのと結びつくのか見当がつきかねた。ボックサーでさえ、めったに質問をするものではなかったが、面喰ってしまった。彼は前脚を体の下に折りまげて坐って目を閉じ、懸命に考えをまとめようと努力していた。
彼は言った。「わたしにはそんなことは信じられない。スノーボールは牛舎の合戦に勇敢に戦った。わたしはこの目でそれを見たんだ。われわれはあのすぐ後で「動物英雄、功一級』を彼に授けたではなかったか」
「それがわれわれの間違いだったのだ。というのは今にしてわかったんだ……われわれが発見した秘密文書にすっかり書いてあるんだ……実際は彼はわれわれを破滅へおびきよせていたんだ」
「でも彼は怪我をした。われわれはみな彼が血を流しているのを見たんだ」とボックサーが言った。
スクィーラーは叫んだ。「それも手筈の一つだったんだ。ジョーンズの弾丸は彼をかすっただけだ。これは彼自身の手で書いてあるから君に見せることができる、君に読めるならば。その陰謀は危機が迫った時スノーボールが遁走の合図をして敵に陣地をまかせるというのだった。そしてほんのもう少しでうまく行くところだったんだ……まったく、われわれの英雄的指導者、同志ナポレオンがいなかったならば、彼は成功しただろうとわたしは言いたい。ちょうどジョーンズと作男どもが中庭にはいった瞬間に、スノーボールが突然廻れ右して逃げ出し、多勢の動物がその後について行ったのを君は覚えていないか。そしてまた、あわてふためいてしまって、すべてがおしまいだと見えた、ちょうどその瞬間に、同志ナポレオンが『人間を殺せ』と叫んで躍り出て、ジョーンズの脚に咬みついたのを、覚えていないか。それは確かに覚えているだろう、同志諸君」と、スクィーラーは叫んで左右にぴょんぴょんと跳ねた。
スクィーラーがこのように生き生きと光景を述べると、動物たちはそれを覚えているような気がした。とにかく、合戦の危機にスノーボールが逃げ出したことは覚えていた。しかしボックサーはそれでもまだ多少不安だった。彼は最後に言った。「わたしはスノーボールが初めから裏切者だったとは信じない。それから後でやったことは別だ。だけど牛舎の合戦では彼は立派な同志だったと思う」
スクィーラーはたいへんゆっくりと、しかも力強く言明した。「われらの指導者、同志ナポレオンは断言的に、同志よ、断言的にだ……スノーボールは初めから……そうだ、叛乱が考えられるずっと前から、ジョーンズの手先であったと、言明したのだ」
「ああ、それなら別な話だ。もし同志ナポレオンがそう言うなら、それが正しいに相違ない」とボックサーは言った。
「それが本当の心がけだ、同志よ」とスクィーラーは叫んだ、けれども彼は小さいきらきら光る目でボックサーに非常に恐しい顔つきをしたことが認められた。彼は身をひるがえして立ち去ろうとしたが、止まって、感銘を与えるようにつけ加えた。「わたしはこの農場のめいめいの動物がよく目を開いているように忠告する。というのは、スノーボールの秘密の手先が今の今われわれの間にひそんでいると考えられる節《ふし》があるからだ」
四日の後に、午後おそく、ナポレオンは動物全部中庭に集合せよと命じた。一同が集合すると、ナポレオンが住宅から現われた。二つの勲章をつけ(というのは近頃『動物英雄、功一級』と『動物英雄、功二級』とを自分で授与していたのだ)、彼の身辺を跳ねまわり、みなの背をぞくぞくさせるような唸り声を立てている九匹の犬を連れていた。動物たちはめいめいの席にだまってちぢこまって、何か怖ろしいことが起こることを予知している様子だった。
ナポレオンは一同を眺めて厳然と立った。それから甲高い鼻声を立てた。たちどころに犬どもは跳び出して四頭の豚の耳をくわえて、苦痛と恐怖で鳴き叫ぶのもかまわず、ナポレオンの足もとまで引きずって来た。豚の耳は血を流していた。犬は血の味を知ったので、数分間狂ったように見えた。三匹の犬がボックサーにぶつかって行ったので一同は仰天した。ボックサーは犬が襲いかかるのを見て大きな蹄を突き出し、一匹の犬を空に受け止めて地面に抑えつけた。その犬は助けてくれと悲鳴をあげた。そして他の二匹は尻尾を巻いて逃げ、ボックサーはこの犬を踏み殺すべきか、それとも放してやるべきかとナポレオンの顔をうかがった。ナポレオンは顔色を変えたようだった。そしてきつくボックサーに放してやれと命じた。そこでボックサーは蹄をもちあげた。すると犬は打撲傷をうけ、泣きながら、こそこと立ち去った。
やがて騒ぎも収まった。四頭の豚は犯罪をありありとその顔に描いて、震えながら待っていた。ナポレオンは彼らに犯行を自白しろと命じた。彼らはナポレオンが日曜会議を廃止したとき抗議したあの四頭の豚だった。彼らはそれ以上促がされなかったが、スノーボールの放逐以来スノーボールと秘密に連絡していたこと、風車の破壊にも彼と一緒に働いたこと、動物農場をフレデリック氏へ引き渡すようにスノーボールと協定したことなどを白状した。スノーボールがそれまで長い年月ジョーンズの秘密手先であったことを認めると自分らにこっそり話したこともつけ加えた。彼らが自白を終ると犬どもは即座に彼らの喉を引き裂いた。そしてナポレオンは怖ろしい声で他に誰か白状することのあるものはないかときいた。
鶏卵問題で謀反を企てた首謀者の三羽の雌鶏が進み出て、スノーボールが夢に現われてナポレオンの命令に背くように唆《そその》かしたと述ベた。彼等もまた屠殺された。それから一羽の鵞鳥が前に出て来て昨年の収穫から麦の穂を六つ隠匿《いんとく》して、夜こっそり食ベたと白伏した。それから一匹の羊は飲用水溜に放尿したと告白した……これは彼女の言うにはスノーボールに勧められたのだ。それについで、他の二匹の羊は、ナポレオンの特別崇拝者であった老雄羊を、咳で苦しんでいる時に、焚き火の周囲をぐるぐる追いまわして殺してしまったことを告白した。彼らはみなその場で殺された。このようにして自白と処刑とは続いて、ついにナポレオンの足もとに死体の山ができ、空気は血なまぐさくなった。そしてこれはジョーンズの放逐以来絶えてなかったことだった。
すべてが終った時に豚と犬は別として、残りの動物は一塊りとなってこそこそ立ち去った。彼らは心が乱れ、みじめだった。スノーボールと共謀した動物の裏切りと、今目撃した残虐な復讐と、果たしてどちらがより大きな衝撃だか彼らには判断できなかった。昔も同じくらい怖ろしい流血の惨事はしばしば見たことはあったが、それが今回は仲間同志の間に起こったので、一層ひどいように皆に思われた。ジョーンズが農場を出て行ってから今日まで、動物は同じ動物を殺したことはなかった。鼠でさえも殺されたことはなかった。彼らは半ばできかけの風車が立っている小山まで行って、あたかも暖をとるために体を押しつけ合うように、いっせいに一緒になって横たわった……クローヴァー、ミューリエル、ベンジャミン、雌牛たち、羊たち、鵞鳥と雌鶏の全群……実際、猫を除いて全員だった。その猫はナポレオンが動物に集合を命ずる直前に突然姿を消したのだった。しばらくは誰も口をきかなかった。ボックサーだけがひとり立っていた。彼はそわそわとあちこち動き、長い黒い尻尾を脇腹に打ち振り、時々低く驚きの嘶《いなな》きを発していた。しまいに彼は言った。
「わたしにはどうも解らない。こんなことがわれわれの農場に起こるなんて、とうてい信じられないことだのに。これはわれわれ自身の何かの欠陥によるに違いない。わたしの見るところでは、解決はもっと懸命に働くことだ。今後はわたしは朝はきっかり一時間早く起きることにしよう」
そして彼は重々しい早足で立ち去り、石切場の方へ進んで行った。そこに着くと、石を二荷続けて集め、夜寝につく前に、風車のところまで引っぱって行った。
動物たちは何も喋らないでクローヴァーの周りに寄り集まった。彼らが横たわっている小山からは近郷が広く見渡せた。動物農場は大部分視野にはいった……大通りまで伸びている長い牧場、草刈場、小さい林、飲用水の池、若い麦が緑に繁っている耕作地、煙突から煙をうず巻いて吐いている建物の赤い屋根など。晴れた春の夕暮れだった。草と芽吹いている生垣は太陽の水平の光線で金色に輝いていた。この農場が……彼らは一種の驚きをもってこれが自分たちの農場で、一寸の隔までも自分たちの所有物であることを思い出したのだが、この農場が今ほど好ましく見えたことはなかった。クローヴァーが丘の斜面を見おろしたとき、彼女の目は涙でいっぱいだった。もし彼女に自分の思いを口に出すことができたならば、こんなことを言ったであろう。わたし達が数年前に人間の転覆の仕事にとりかかった時に目標としたものは、こんなことではなかったのだ。このような恐怖と殺戮《さつりく》の場面は、老メージャーが初めて叛逆を唆かしたあの晩にわたし達が予期したものではなかったのだ。もしわたしに未来の絵姿があったとするならば、動物は飢えと鞭から解放され、すべて平等で、各自その能力に応じて働き、メージャーの演説の晩に自分の前脚で親なしの家鴨《あひる》の子供を保護したように強い者が弱い者を護ってやる、そういう動物の社会だったのだ。ところがそれと反対に……何故だかわたしには解らないが……わたし達は、誰も自分の思うことが言えず、獰猛《どうもう》な、唸る犬どもがどこでも歩きまわり、同志たちが驚くばかりの犯罪を告白した後でばらばらに裂かれるのを目撃せねばならない、こんな時勢に遭遇してしまったのだ。わたしの心には叛逆も不従順もない。現状のままでもジョーンズの時代よりよっぽどましだし、何をおいても人間どもの復帰を防ぐことが必要であることは知っている。何事が起ころうと、自分は忠節を守り、懸命に働き、与えられた命令は実行し、ナポレオンの指導を認めていこう。それでもやはり、わたしやほかの動物たちが希望し、せっせと働いたのはこんなことのためではなかった。わたし達が風車を築き、ジョーンズの銃弾に立ち向かったのはこんなことのためではなかった。
彼女には表現する言葉は欠けていたけれども、彼女の心のうちはこういうことであったのだ。
ついに彼女は、これが見出し得ない言葉の代用物のようなものだと感じて、「イギリスの家畜」を歌い始めた。まわりに坐っていた他の動物もその歌に加わって三回繰り返して歌った……これまで歌ったことのないように、非常に調子よく、ゆっくりと、しかも悲しそうに歌ったのだった。
彼らがちょうど三回目を歌い終った時に、スクィーラーが二匹の犬を従えて、重要なことを言うのだという様子で近づいて来た。彼は、同志ナポレオンの特別な布告で「イギリスの家畜」は廃止されたのだと声明した。今後はこれを歌うことは禁じられたのだった。
動物たちは唖然とした。
「なぜか」とミューリエルが叫んだ。
スクィーラーはかたくるしく言った。「同志よ、それはもう必要がないのだ。『イギリスの家畜』は叛乱の歌だった。しかし今は叛乱は完了したのだ。今日の午後の裏切者たちの処刑が最後の行動であった。敵は内も外も敗北したのだ。『イギリスの家畜』の中でわれわれは来るべき日のよりよき社会に対する願望を表明したのだ。しかしその社会が今こそ確立した。明らかにこの歌はもう意義がなくなったのだ」
彼らはびっくりしたが、ある動物は抗議をしかねない様子だった。けれどもちょうどこの瞬間に例の羊たちが「四つ脚よし、二つ脚わるし」を叫び始め、それが数回繰り返されて討論は終りにされた。
こうして「イギリスの家畜」はそれっきり聞かれなかった。その代りに詩人のミニマスが別の歌を作った。それは次のように始まった。
動物農場、動物農場、
我を通じて汝は損われることなし!
そしてこれが日曜の朝ごとに、旗の掲揚の後で歌われた。しかしどういうわけか歌詞も節も「イギリスの家畜」にはどうしても及ばないように動物には思えた。
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第八章
それから二、三日たって、処刑のために惹起《じゃっき》された恐怖が次第に消え去った時に、ある動物は第六戒は「いかなる動物も他の動物を殺すべからず」と命じていたことを思い出した。いや憶えているような気がした。そして誰も豚や犬に聞こえるところではそのことを口にしようとはしなかったけれども、先日行われた殺戮《さつりく》はこの掟に適合しないと感じた。クローヴァーはベンジャミンに第六戒を読んでくれと頼んだ。そしてベンジャミンが例のごとく、そういう事柄にかかわることを拒むと言ったので、クローヴァーはミューリエルを連れて来た。それは、いかなる動物も〈故なくして〉他の動物を殺すべからずと書いてあった。どうしたわけか、〈故なくして〉という言葉は動物の記憶から漏れてしまったのだ。しかし動物たちは今、戒は犯されたのでなかったことを知った。というのはスノーボールと共謀した裏切者を殺すには立派な理由があったのは明白だったからだ。
その一年は、動物たちは前年にもまさるほどに懸命に働いた。以前の二倍の厚さの壁の風車を建て、しかもそれを定めた期日までに完成し、農場の正規の仕事も一緒にするということは途方もない労働であった。動物たちはジョーンズ時代よりも長い時間働き、しかも食物もその時代よりよくはないと思うような時もあった。日曜の朝スクィーラーは足に細長い紙切れを持って、各種の食糧の生産がその場合場合によってあるいは二百パーセント、あるいは三百パーセント、または五百パーセント増加したことを証明する数字の表を読み上げるのだった。動物たちは彼の言葉を信じない理由は見出せなかった。ことに叛乱の前にはどんな状態であったのかそうはっきりと思い出せなかったから。それでもやはり、そんな数字なぞは小さくてもよいから食糧をもっと多くしてもらいたいと思う時もあった。
すべての命令は今はスクィーラーか、あるいは他の豚の口を通じて発せられた。ナポレオンは二週間に一度ほども皆の前に現われなかった。いよいよ現われる時には犬の従者ばかりでなく黒い若雄鶏を連れていた。そしてこの雄鶏は彼の前に行進し、ラッパ手のような役をして、ナポレオンが喋る前に声高くコケコッコーと鳴くのだった。住宅の中でさえナポレオンは他の者とは別の部屋に住んでいると言われた。彼は二匹の犬の給仕で一人で食事をとり、応接間のガラス戸棚にはいっていたクラウン・ダービー〔王冠の印のついたダービー産の有名な食器〕という正餐用食器でいつも食事をした。毎年ナポレオンの誕生日には、他の二つの記念日と同様、礼砲が鳴らされるということも発表された。
ナポレオンは今ではただ「ナポレオン」とは言われなくなった。彼はいつも正式に「われらの指導者、同志ナポレオン」と呼ばれた。そして豚たちは彼のために、すべての動物の父、人間に恐怖をもたらす者、羊舎の守護者、仔|家鴨《あひる》の友、などという称号を作ることを好んだ。スクィーラーはその演説において、頬に涙を流して、ナポレオンの英智を、彼の心の親切さを、いたる処の動物、ことに他の農場に無智と奴隷状態で生活している不幸な動物に対する深い愛を、語るのであった。すべての立派な業績とすべての幸運はナポレオンの手柄とするのは常例となった。一羽の雌鶏が他の雌鶏に、「われらの指導者、同志ナポレオンの指導によって、わたしは六日間に五個の卵を産みました」と言っているのをしばしば耳にするだろう。あるいは池で水を飲んでいる二頭の雌牛は、「同志ナポレオンの指導のお蔭で、この水のなんとうまいことだろう」と嘆声をあげるのだった。農場の一般の気持は「同志ナポレオン」という題の詩によく表明されていた。これはミニマスが作ったもので次の通りであった。
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父なきものの友!
幸福の泉!
ごみ汁バケツ〔台所のごみ用で豚の餌となる〕の王! ああ、わが魂は
火と燃えるかな、静かに凛然たる、
み空の太陽のごとき
汝のまなこを凝視する時、
同志ナポレオン!
汝は、汝の生き物が愛するもの
すべてを与える者なり、
日に二度の満腹の食、寝るに清き藁、
大も小もすべてのけものは、
安らかにそのふしどに眠る、
汝はすべてを見守る、
同志ナポレオン!
われに乳呑児の豚あれば、
三合|壜《びん》ののし棒ほどにも
成長せぬその前より、
汝に忠節をつくすを
学ばしめん、
然り、そが最初の鳴声はかくあるべし、
「同志ナポレオン」と。
[#ここで字下げ終わり]
ナポレオンはこの詩をよろこび、大納屋の七戒のある方とは反対の壁に書き誌《しる》させた。その上にナポレオンの横顔の肖像を白ペンキでスクィーラーに描かせた。
ところで一方、ナポレオンはホィムパーを通じてフレデリックとピルキントンとを相手にこみ入った協商をやっていた。材木の山積みはまだ売れなかった。二人のうちフレデリックの方がもっとこれを手に入れたがっていた。けれども適当な値をつけようとしなかった。同時にフレデリックと彼の作男たちが動物農場を襲撃して風車を壊そうと陰謀を企てているという噂がまた伝わった。つまり風車の建築が彼に猛烈な嫉妬を起こさせているというのだ。スノーボールは依然としてピンチフィールド農場に隠れ廻っているということだった。夏のなかば頃、動物たちは、三羽の雌鶏が進み出て、スノーボールに刺戟されてナポレオン殺害の陰謀に加わったと自白したという話を聞いて愕然《がくぜん》とした。その鶏はただちに処刑された。そしてナポレオンの安全を守る新たな警戒策がとられた。四匹の犬が彼のベッドの四隅にあって毎夜警戒することになり、ピンクアイという名の若い豚は、ナポレオンの食事に毒が入れてあることを警戒して毒味をする役目を仰せつけられた。
ほぼこれと同時に、ナポレオンはあの材木の山積みをピルキントン氏に売る手筈をしたと発表された。また彼は動物農場とフォックスウッドとの間のある産物の交換の正規の契約をしようともしていた。ナポレオンとピルキトンとの関係は、ホィムパーを通じて続けられていたにすぎないけれども、今やほとんど友好的であった。動物たちは人間としてピルキントンを信用していなかった。けれどもフレデリックよりはるかに好んでいた。フレデリックの方は怖れもし憎んでもいたのだ。
夏がたけて行き、風車が完成に近づくにつれて、差し迫った謀叛の襲撃の噂は次第に強くなった。世間の噂では、フレデリックは銃を持った二十人の男を差し向ける意向であり、すでに治安判事たちや警察を買収しているので、もし彼が動物農場の不動産権利証書を手に入れてしまえば、治安判事や警察も問題にすることはあるまいというのであった。その上に、フレデリックが自分のところの動物にしている残虐行為についての怖ろしい話がピンチフィールドから漏《も》れていた。フレデリックは老馬を叩き殺し、雌牛を餓死させ、犬を竃《かまど》に投げこんで殺し、夜には雄鶏の〈けづめ〉に剃刀の刃を結いつけて闘鶏をやって楽しんでいるというのだった。こういうことが彼らの同志にされていることを聞くと、この農場の動物たちの血は激怒に煮え返った。時には、大挙して出かけてピンチフィールド農場を襲撃し、人間どもを追い出し、動物を自由にすることをさせてくれと騒ぎたてた。しかしスクィーラーは彼らにむこうみずな挙動を避けて、同志ナポレオンの策略を信頼するように忠告した。それにもかかわらず、フレデリックに対する反感は募って行った。
ある日曜の朝、ナポレオンが納屋に現われ、彼は一度も材木をフレデリックへ売却することを考えたことはなかったと釈明した。そしてあんな不埒《ふらち》な奴と取引きをするのは自分の体面にかかわると思う、と言った。今でもなお農場叛乱の報道を拡げるために派遣されていた鳩どもはフォックスウッドの地区内には足を踏み入れることを禁じられ、また、「人間を殺せ」という以前のスローガンを止めて「フレデリックを殺せ」にせよと命じられた。晩夏の頃、またもう一つスノーボールの陰謀が暴露された。麦の作物に雑草がいっぱい混じっていた。そしてこれはスノーボールが夜間の潜行のさい、麦の種子に雑草の種子を混ぜておいたためだということが発見された。この陰謀に内通していた一羽の雄|鵞鳥《がちょう》がその犯行をスクィーラーに告白し、ただちに有毒な〈いぬほおづき〉を呑んで自殺した。動物たちは今になって、スノーボールは「動物英雄、功一級」を受けたことはなかったことを知った。実は多くのものは今まではそれを受けたと信じていたのだが。つまり、これは牛舎の合戦の後でスノーボール自身が宣伝した伝説にすぎなかったのだ。勲章を授けられるどころか、彼は戦いに卑怯であったので譴責《けんせき》されたのだった。こう聞かされて今度もまたある動物たちは当惑した。けれどもスクィーラーはすぐに動物たちの記憶が間違っていたのだと納得させることができた。
秋になって、収穫もほとんど同時にせねばならなかったので、精根もつきるほど大へんな努力をつくして、風車が竣工した。機械の取り付けはこれからであった。そしてホィムパーはその購入を交渉していたが、とにかく建物は完成した。あらゆる困難と無経験と旧式な道具と悪運とスノーボールの叛逆とにもかかわらず、この仕事は予定の日にぴたりと完成したのだ。疲れ果ててはいたが、誇らしく動物たちは彼らの傑作のまわりをぐるぐる歩いた。それは彼らの目には最初に建てた時よりも一段と美しいとさえ見えた。そのうえ壁は前より二倍も厚かった。今度は爆発物でない限り倒すことはできまい。そして彼らがどれほどひどい努力をしたか、どんな失望に打ち勝ったか、いよいよ羽が回転し、ダイナモが動くことになれば生活にどんな大きな変化が起こるか、こういうことを想った時、彼らの疲労もけし飛んで凱歌をあげて風車のまわりを躍りまわった。ナポレオン自身も犬どもと若雄鶏とを従えて完成した仕事を検分にやって来た。彼は親しく動物たちの業績を称《たた》えて、この風車を〈ナポレオン風車〉と命名すると声明した。
二日後に動物たちは特別会議のため納屋に召集された。ナポレオンがフレデリックに材木を売却したと発表した時、動物たちは唖然としてしまった。明日はフレデリックの馬車が来て材木を運んで行くのだ。ナポレオンはピルキントンと表面的な友好を保っていたその間じゅう、実際はフレデリックと秘密に協定をしていたのだった。フォックスウッドとのすべての関係は断絶してしまった。そして侮辱のメッセージがピルキントンへ送られた。鳩たちはピンチフィールド農場を避け、彼らのスローガンを「フレデリックを殺せ」から「ピルキントンを殺せ」に変えるように命じられた。同時にナポレオンは動物たちに切迫した動物農場襲撃の話は全然嘘であり、フレデリックの動物に対する残虐の話も大へんに誇張されているのだと確言した。このような噂はすべて、おそらくスノーボールとその手先どもに源があったのだろう。スノーボールは結局ピンチフィールド農場には隠れていないし、事実一度も隠れていたことはなかったのだというように今は思われた。噂によれば彼は大へん贅沢をしてフォックスウッドに住んでいて、実際は過去数年の間ピルキントンから恩給を貰っていたというのだった。
豚たちはナポレオンの巧みな手際に有頂天に喜んだ。ピルキトンと仲よくするように見せかけてフレデリックに材木の値段を十二倍も上げざるを得なくさせた。しかしナポレオンの頭の優秀さは彼が誰も信頼しない、フレデリックさえも信頼していないという事実によく現われている、とスクィーラーは言った。フレデリックは材木の支払を小切手とかいうものでしたいと言った。これは支払の約束が書かれた紙切れらしかった。だが、ナポレオンは利口だからその手には乗らなかった。彼は本ものの五ポンド紙幣で支払いを要求し、材木を動かす前に手渡して貰うことにした。それでフレデリックはすでに支払いを終った、そして彼が払った金額は風車に入れる機械を購入するのにちょうど足りるのだった。
ところで材木は大速力で荷馬車で運び去られた。すっかり運ばれてしまった時に、動物がフレデリックの銀行紙幣を点検するために納屋でまた特別会合が開かれた。ナポレオンは喜ばしげに微笑して、二つの勲章をつけ、演壇の藁《わら》の床に楽々と横になっていた。そしてお金はその傍に、住宅の台所からもって来た瀬戸物の皿にきちんと重ねられてあった。動物たちは一列になってゆっくりとそのそばを通って思う存分眺めた。そしてボックサーは鼻を突き出して銀行紙幣を嗅いだ。するとその息で薄っぺらな白いものは動いてさらさらと音を立てた。
それから三日たって大騒動が起こった。ホィムパーが真っ青な顔をして道を自転車で飛ばして来て、それを中庭に放り出すと、まっすぐに住宅に跳びこんで行った。次の瞬間には息の詰まるような憤怒の怒号がナポレオンの部屋から響きわたった。この事件のニュースは野火のごとく農場に伝わった。銀行紙幣は偽造だったのだ。フレデリックはただで材木を手に入れてしまったのだ。
ナポレオンはさっそく動物を召集した。そして怖ろしい声でフレデリックに死刑の宣告をした。彼を捕えたら生き茄《ゆ》でにするのだ、と言った。同時に彼は動物たちに、こういう裏切り行為の後では最悪のことが予想されると警告した。フレデリックとその作男どもは長いあいだ考えていた襲撃を、今にもやるかも知れない。農場への道路にはどこにも歩哨が立てられた。その上に、四羽の鳩が融和のメッセージをもってフォックスウッドに遣わされ、それによってピルキントンとの友好関係が再び結ばれるだろうと望んだのだった。
さっそくその翌朝襲撃があった。動物たちは朝食に向かっていた。その時に見張り番がフレデリックとその部下どもがすでに五本|桟《さん》の門からはいってしまったという知らせをもって飛びこんで来た。動物たちは勇敢に出かけて迎え撃ったけれども、今度は牛舎の合戦の時のように易々と勝利は得られなかった。敵方には十五人の男がいて六挺の銃をみんなで使い、五十ヤード以内にはいるや否や発砲を開始した。動物たちはその怖ろしい爆裂と刺すような小弾丸に立ち向かうことができず、ナポレオンとボックサーが懸命に鼓舞《こぶ》したにもかかわらず、すぐに撃退されてしまった。数人はすでに負傷した。彼らは農場の建物の中に逃げて、割れ目や節穴から用心深く覗き見た。大きな牧場全部は、風車も含めて、敵の手中にはいっていた。しばらくはナポレオンさえ途方に暮れた。一言も口に出さず、尻尾をこわばらし、ぴくぴく動かして、行きつ戻りつしていた。思い悩む視線をフォックスウッドの方角へ投げていた。もしピルキントンとその作男たちが援助に来てくれたら、まだ戦いに勝つかも知れない。しかしこの瞬間に、前日派遣した四羽の鳩が帰って来て、その一羽はピルキントンからの一片の紙を携えていた。それには鉛筆で「ざまあ見ろ」と書いてあった。
その間にフレデリックとその作男たちは風車のあたりで停止していた。動物たちは彼らを見守った。そして狼狽《ろうばい》のささやきが伝わった。二人の男が鉄挺《てっつい》と大鎚とをとり出した。風車を打ち倒そうとしていた。
ナポレオンは言った。「できるものか。そんなことにびくともせぬほど壁を厚く作ったんだ。一週間かかっても打ち壊せはしまい。勇気を出せ、同志!」
しかしベンジャミンは男たちの行動を熱心に見ていた。鎚と鉄挺とをもった二人は風車の土台近くに孔をあけていた。ゆっくりと、ほとんど面白がっているような様子でベンジャミンはその長い鼻面でうなづいていた。「そうだろうと思った。何をしようというのかわからないか。今すぐあの孔に爆薬を詰めこむぞ」と、彼は言った。
怖れおののいて動物たちは待っていた。もう建物の隠れ場から跳び出すことは不可能だった。数分の後、人間どもは四方に走って行くのが見えた。すると耳を聾《ろう》する轟きが起こった。鳩は空中に舞い上った。そしてナポレオンを除いてすべての動物は腹這いに臥して顔をかくした。彼らが起き上った時には風車のあったところに大きな黒煙の雲が浮かんでいた。そよ風がゆっくりとその雲をふき払った。風車は姿を消してしまっていた。
この光景を見て動物たちの勇気は戻って来た。一瞬前まで彼らが感じていた恐怖と絶望は、この言語道断な卑劣な行為に対する憤激に呑まれてしまった。力強い復讐の叫びがあがり、命令を待たずして彼らは一団となって跳び出し敵に突進して行った。今度は霰《あられ》のように頭上をかすめる残酷な弾丸など気にもかけなかった。それは野蛮な酷《むご》い戦いだった。人間たちは再三再四発砲した。そして動物と取っ組み合いになると棒と重い靴で打ったり蹴ったりした。雌牛一頭、羊三頭、鵞鳥二羽が死に、ほとんどすべてが負傷した。後方で作戦を指揮していたナポレオンでさえ、弾丸で尻尾の先を削《そ》ぎとられた。人間の方もまた無疵《むきず》ではすまされなかった。三人はボックサーの蹄で頭を打ち割られ、もう一人は雌牛の角で腹を突き刺され、もう一人はズボンをジェシーとブルーベルのためあらかた引きちぎられた。そして、ナポレオンが生垣にかくれて迂回するように指図したナポレオンの護衛隊の九匹の犬が、突然敵の側面に現われて獰猛に吠えたとき、人間どもは狼狽した。彼らは包囲される危険があると見てとった。フレデリックは部下の者に道のあいているうちに外に出ろと叫んだ、そして次の瞬間には臆病な敵は懸命に遁走し始めた。動物どもは原の端ぎわまで追跡して、人間どもが茨の生垣を押しわけて出る時に最後の足蹴りを喰わしたのであった。
彼らは戦いに勝った。けれども疲れはて、血を流していた。のろのろとびっこをひきひき農場へと引き返し始めた。死んだ同志たちが草の上に倒れているのを見ると、深く感じて涙を流すものもいた。それからかつて風車が立っていた所に来ると、しばらく悲しく沈黙して足をとどめた。そうだ、風車はなくなったのだ、彼らの労苦の最後の跡さえもほとんどなくなっていた。土台さえ壊れた個所もあった。建て直すにしても、今度は前のように落ちた石を利用することはできなかった。今度は石まで消えてなくなっていた。爆裂の力は石を幾百ヤードも遠方まで吹き飛ばしていた。風車は全然初めからなかったかのようであった。
彼らが農場に近づいた時、合戦中どうしたわけか姿を見せなかったスクィーラーが、尻尾を振って満足そうに、にこにこしながら跳ねて来た。そして動物たちは建物の方角から、おごそかにドーンと鳴る銃の音を聞いた。
「あの発砲は何のためだ!」とボックサーが言った。
「われらの勝利を祝ってだ!」とスクィーラーが叫んだ。
「何の勝利か」とボックサーが言った。彼の膝からは血が出ていた、蹄鉄は一つなくし、蹄を裂いた。そして十数発の小弾丸は後脚にはいっているのだった。
「何の勝利かっていうのか、同志よ。われわれはわれらの土地から敵を追い出したではないか……動物農場の神聖な土地から」
「しかし彼らは風車を破壊してしまった。それにわれわれはあれに二か年もかけたのだ」
「それが何だ。われわれはまた風車を建てるだろう。その気になれば六つの風車だって建てるんだ。同志よ、君にはわれらが成し遂げた偉業の真価が解らないのだ。敵はわれわれが今立っているこの地面を占領していた。そして今……同志ナポレオンの指導のお蔭でわれわれはその地面を一インチ残らず奪還したではないか」
「そう言うなら、われわれは前に持っていたものを取り戻したのだ」とボックサーが言った。
「それがわれらの勝利なんだ」とスクィーラーが言った。
彼らはびっこをひいて中庭にはいった。ボックサーの脚の皮下にある小弾丸はずきずき痛んだ。彼は前途に土台からまた風車を建てる苦役を見、すでに頭の中でその仕事のために気を張りつめていた。しかしこのとき初めて自分は十一歳であることを思いついた。そしておそらく自分の大きな筋骨も昔のままではあるまいと思った。
しかし動物たちは緑色の旗がひらめくのを見、礼砲がまた鳴るのを聞き……全部で七回発砲されたのだが……そしてナポレオンが演説をして自分たちの行動に祝詞を述べるのを聞いた時には、結局彼らは大勝利を博したような気がしてきた。戦いに殺された動物たちには厳粛な葬儀が行われた。ボックサーとクローヴァーが枢車の代わりをした荷馬車を曳き、ナポレオン自身が行列の先頭に立って歩いた。まる二日が戦勝祝賀に当てられた。歌があり、演説があり、さらに礼砲が鳴らされ、林檎の特別賞与がめいめいの動物に、鳥には二オンスの麦、犬には三個のビスケットがそれぞれ与えられた。今度の戦闘は〈風車の合戦〉と呼称されること、ナポレオンは緑旗勲章という新しい勲章を創設し、それを自らに授けたことが公表された。一般祝賀のさわぎで銀行紙幣の不幸な事件は忘れられてしまった。
このことがあってから二、三日後だったが、豚たちは住宅の地下室に一箱のウィスキーを偶然見つけた。この住宅を初めて占拠した時、これに気づかなかったのだ。その晩、住宅の中から大きな歌声が聞こえ、みながびっくりしたことに、その中に「イギリスの家畜」の歌が混じっていた。九時半頃に、ナポレオンがジョーンズの古い山高帽子をかぶって裏口から出て中庭を駈け廻り、また家の内へ消えるのが、はっきりと見られた。しかし朝になると深い沈黙が住宅を被っていた。一頭の豚も起きた様子がなかった。九時近くなってスクィーラーが姿を現わし、どんよりした目をし、尻尾をだらりと下げ、大病のような様子でのろのろと元気なく歩いていた。彼は動物を集合させて重大なニュースを伝えるのだと言った。同志ナポレオンは死にかかっている!
悲嘆の声がわっとあがった。藁が住宅の戸口の外に敷かれて動物たちは抜き足差し足で歩いた。彼らは目に涙を溜めて自分たちの指導者に死なれたらどうしたらよいのかと相互に尋ね合った。結局スノーボールがなんとかしてナポレオンの食物に毒を入れたのだという噂が伝わった。十一時にスクィーラーがもう一つの発表をするために出て来た。同志ナポレオンは今生の最後の仕事として厳しい掟《おきて》を宣言した、すなわち酒を飲むものは死刑に処する、というのであった。
しかしながら夕刻までには、ナポレオンは幾分快くなったらしく見え、翠朝にはスクィーラーは彼がもう十分快方に向かったと動物たちに告げることができた。その日の夕方までにはナポレオンは仕事ができるようになった。そして翌日には、彼はホィムパーにウィリンドンで醸造と蒸留の参考書を購入するよう命じていることがわかった。一週間後には、ナポレオンは果樹園の先の小さな囲地の牧場を耕すように命令した。この地面は仕事ができなくなった動物の放牧場として取りのけることになっていたものだった。この牧場は疲弊してしまったので、ふたたび播種する必要があるのだと発表された。しかしすぐに、ナポレオンはそこに大麦を播くつもりだということがわかった。
この頃誰にも了解できそうもない不思議な事件が起こった。ある夜、十二時頃に中庭で凄まじい響きが聞こえた。それで動物たちは畜舎から跳び出した。月夜の晩だった。あの七戒の書いてある大納屋の壁の下に、二つに折れた梯子《はしご》が倒れていた。スクィーラーは一時気絶してその傍にのびていた。そしてその手もと近くには角灯とペンキ刷毛《はけ》とひっくり返った白ペンキの壷が散らかっていた。犬どもはただちにスクィーラーのまわりに輪を作り、彼が歩けるようになるとすぐ住宅まで護送した。動物は誰もこれがどういうことなのか全然見当がつかなかった。ただ老ベンジャミンばかりは別で、彼は分ったような様子で鼻面でうなずき、了解したらしかったが、何も口に出して言わなかった。
しかし二、三日後に、ミューリエルはひとりで七戒を読んで見て、また一つ動物たちが間違って憶えていたことがあるのに気がついた。動物たちは第五戒は「いかなる動物も酒を飲むべからず」と記憶しているような気がした。しかし彼らが忘れていた言葉があった。すなわち「いかなる動物も[過渡に]酒を飲むべからず」だったのだ。
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第九章
ボックサーの裂けた蹄《ひづめ》は治るのに手間どった。風車の再建は、勝利の祝賀が終ったその翌日から始まっていた。ボックサーは一日でも仕事を休むことを拒んだ。そして体面にかけても苦痛を感じているのを人に見せなかった。夜になると彼はひそかにクローヴァーに、蹄がたいへん痛んで困ると言った。クローヴァーは薬草を噛んでこしらえた湿布薬を蹄につけてくれた。そして彼女とベンジャミンと二人で、ボックサーにあまり働くなと勧めた。「馬の肺というものは永久に働き続けるものではないのよ」と彼女は言ってきかせた。しかしボックサーはきかなかった。彼は、ただ一つの野心が残っている、すなわち、自分が引退する前に風車の建造が十分に進捗《しんちょく》していることだ、と言うのであった。
最初、動物農場の法律が制定された時、引退年令は馬と豚は十二歳、雌牛は十四歳、犬は九歳、羊は七歳、雌鶏と鵞鳥は五歳と定められていた。沢山の老令年金も協約ができていた。しかしまだ実際に恩給を貫って引退した動物はなかった。けれども近頃この問題がだんだん論議されて来ていた。果樹園の先の小さな畑が今や大麦に割り当てられてしまったので、大きな牧場の一隅が垣で仕切られて、老令退職の動物の放牧場となるのだという噂があった。馬には恩給は一日に小麦五ポンド、冬は乾草十五ポンド、そして祭日には人参一本、あるいは、おそらく林檎一個という話だった。ボックサーの十二回目の誕生日は次の年の晩夏になっていた。
ところで生活は苦しかった。この冬は昨年の冬と同じほど寒く、食物は一段と不足していた。また再びすべてのものの配給が減った、ただし豚と犬の配給は別だった。配給もあまり厳格に平等になっては動物主義に反することになるだろう、とスクィーラーは説明した。とにかく、外観はどう見えても実際には食物に不足していないのだということを、スクィーラーはほかの動物に証明するのに何の難しさも感じなかった。たしかに、目下のところは配給の再調整は必要であった(スクィーラーはいつも「再調整」といって、決して減少とは言わなかったが)、けれどもジョーンズ時代と比較すれば改善は絶大なものだというのだ。彼は甲高く口早に数字を読み上げて、ジョーンズ時代と比べて、より多くの燕麦《からすむぎ》とより多くの乾草と、より多くの蕪《かぶら》を食べていること、働く時間は短くなったこと、飲用水はもっと良質になったこと、長生きになったこと、子供たちも幼時に死なないものがずっと多くなったこと、ねどこの藁は多くなったこと、蚤《のみ》の悩みも少くなったこと、こういう事を動物たちに詳しく証明した。
動物たちはこれを一から十まで信じた。本当のことを言うと、ジョーンズと彼が標榜《ひょうぼう》していたものはすべて彼らの記録からほとんど消え去ってしまっていた。彼らは、現在の生活が苛酷で、殺風景であり、しばしば飢えや寒さを感じ、眠っていない時は働いているのが常であることを知っていた。しかし、疑いもなく、昔の方がもっとひどかったのだ。彼らはよろこんでそう信じた。その上に、あの頃は彼らは奴隷だった、ところで現在は自由である、そしてこれは、スクィーラーが必ず指摘したように、雲泥の差であった。
今は養うべき口がずっと殖えていた。秋には四頭の雌豚がほぼ同時に仔を産み、みんなで三十一匹の仔ができた。その仔豚は斑《まだら》であって、ナポレオンはこの農場で唯一頭の雄であったから、彼らの血統を推定することは可能だった。それから後になって、煉瓦と材木が購入された時、住宅の庭園に教室が建てられるのだと発表された。ここしばらくの間はこれらの仔豚は住宅の台所でナポレオン自身から教育を授けられた。彼らは庭園で運動をした。そして他の動物の子供たちと一緒には遊ばないように言われた。やはりこの頃だったが、豚と他の動物が小道で会う時には、他の動物は道の脇によらねばならぬという規則ができ、それにまた、階級を問わず、すべての豚は日曜にその尻尾に緑のリボンをつける特権をもつのだという規則もできた。
農場はかなり繁栄の一年を送った。けれどもまだお金は不足していた。教室を建てるために煉瓦と砂と石灰を買わねばならなかったし、風車に入れる機械を購入する金をふたたび貯え始めねばならなかった。それから、住宅用のランプ油やローソク、ナポレオン自身の食卓用の砂糖(砂糖を食べると体が肥えるという理由で、他の豚には砂糖は禁じていた)、それに道具、釘、紐、石炭、針金、屑鉄、犬ビスケットなどの通常の補充も必要であった。乾草が一積みと馬鈴薯の収獲の一部が売却された、そして、鶏卵の出荷契約は一週六百個に殖えた。そのためこの一年は雌鶏はその数を同数に保つにかろうじて足るほどしか雛を孵《かえ》さなかった。配給は十二月に削減されたが、二月にまた削減され、油を節約するために畜舎の角灯は禁じられた。けれども豚どもは相当安楽らしく見えた。そして事実、肉がついて来ている気味があった。二月末のある午後のこと、動物たちがそれまでに嗅いだこともなかったような温い、芳酵なうまそうな匂いが、小さな酵造所から中庭を越えて漂ってきた。この酸造所はジョーンズ時代に使用しなくなっていたもので台所の先の方に立っていた。あるものはそれは大麦を煮ている匂いだと言った。動物たちはひもじそうにクンクンと嗅いで、夕食にふすま汁の御馳走をこしらえているのかしらと思った。けれども暖いふすま汁は出なかった。そして次の日曜日には、今後は大麦は全部豚の使用に保留することと発表された。果樹園の先の畑はすでに大麦が播かれていた。そしてまもなく、豚はめいめい毎日三合のビールの割り当てがあり、ナポレオン自身は約二升五合で、これはいつもクラウン・ダービーのスープ皿で出されるのだ、こういうニュースがもれて来た。
しかしながら種々な困難に耐えしのばなければならなかったけれども、この頃の生活は以前よりも威厳のある生活だという事実で、その困難も多少相殺された。以前より歌も多く、演説も多く、行列も多かった。ナポレオンは週に一度自発的発表会とでも称すべき行事を催すことを命じた。その目的は動物農場の苦闘と勝利を記念することだった。定刻には動物たちは仕事をやめ、豚を先頭にし、次に馬、牛、羊、家禽の順序に軍隊編制で、農場の構内を行進して回った。犬どもはこの隊列の側面に並び、全隊の先頭にはナポレオンの黒の若雄鶏が行進した。ボックサーとクローヴァーは二人で、蹄と角の絵と同志ナポレオン万歳の題字のある緑の旗をもった。その後でナポレオンを称える詩の朗誦がいくつかあり、またスクィーラーの最近の食糧増産の詳細を報告する演説があり、臨機に礼砲が発砲された。羊どもはこの自発的発表会の最も熱心な支持者で、もし誰かが(事実、豚と犬があたりにいない時には苦情を言うものも多少いたので)こんなことは時間の空費であり、寒い所に長く立っていなければならないと苦情を言うと、羊どもは「四つ脚よし、二つ脚わるし!」をものすごく叫んで彼を黙らしてしまうにきまっていた。しかし概して動物たちはこの祝祭を楽しんだ。自分たちは本当に主人であり、自分たちのする仕事は自分たちの利益のためなのだということを改めて思うのは、心よいことだった。そういうわけで、歌とか行列行進とか、スクィーラーの統計表とか、礼砲の轟きとか、若雄鶏の鶏鳴《けいめい》とか、旗のはためきなどで、自分たちの腹がからであることを、少くとも一時は忘れることができたのだった。
四月に動物農場は共和国であることを宣言した。それで大統領を選挙することが必要となった。候補者は唯一人、ナポレオンだけで、これが全員一致で選挙された。同日に、スノーボールとジョーンズの共謀に関する詳細を更によく暴露する新文書が発見された旨が発表された。スノーボールは、先に動物たちが想像していたように、策略を弄《ろう》して牛舎の合戦の敗北を企てたばかりではなく、公然とジョーンズの側で戦っていた、というようにわかって来た。事実、彼が人間軍の指揮となり、「人間万歳」を口にして戦闘に突入して来たのだ。少数の動物は今なお確かに見たと覚えているスノーボールの背の傷は、ナポレオンの歯によってつけられたものだった、というのだ。
夏のなかばに、大鴉《おおがらす》のモーゼズが、七年間姿を消していた後、突如農場に現われた。彼は依然として変わっておらず、仕事はしないで、昔と同じ調子で氷砂糖の山の話をしていた。切株に棲《とま》り、黒い翼をはばたいて、聴く人があれば幾時間でも喋るのだった。大きな嘴《くちばし》で天を指し、おごそかに言う。「同志よ、あそこに、ちょうど諸君に見えるあの黒雲の向こう側に、あそこにあるのだ、氷砂糖の山が。われわれ哀れな動物が労働から永遠に解放される幸福の国が」
彼は一段と高く飛翔した時に、実際にその国に行ったことがあり、永遠に続くクローヴァーの原と、生垣になっている亜麻仁《あまに》菓子と角砂糖とを見て来たのだ、とさえ言った。多くの動物は彼の言うことを信じた。自分たちの現在の生活は飢えと過労の生活だ、もっとよい世界がどこかにあるということは、正しいことではあるまいか、と彼らは考えた。どうにも理解に苦しむことはモーゼズに対する豚たちの態度だった。豚たちは氷砂糖の山についてのモーゼズの話は嘘だと軽蔑して言うが、しかもモーゼズが何も仕事をせず、一日一合ほどのビールの配給をうけて、農場にいるのを許していたのだ。
ボックサーは蹄が癒着すると前にも増して懸命に働いた。いや、すべての動物がその年は奴隷のように働いた。農場のきまった仕事と風車の再建は別にして、仔豚用の教室建設があって、これは三月から工事を始めていた。不十分な食糧で長い時間働くのは耐え難いこともあったが、ボックサーは決してひるまなかった。彼の言うこともすることも何一つ、彼の力が衰えたことを示すものはなかった。少し変わったのはその容貌だけだった。皮膚は以前のように艶《つや》がなくなったし、巨大な臀部《でんぶ》はしぼんだように見えた。他の者は、「春の草が出てくればボックサーもまた肥るだろう」と言った。けれども春が来たが肥らなかった。ときどき、石切場の頂上へ行く坂道で、大きな丸石の重さを支えて彼の筋肉を緊張させている時など、彼は忍耐の意志だけで立っているのだと思われた。こういう時には彼の唇は、「わたしはもっと懸命に働くのだ」という形をしているように見えた。けれども声は出なかった。また再びクローヴァーとベンジャミンが体に気をつけるようにと忠告したが、ボックサーはきき入れなかった。彼の十二回目の誕生日が近づいて来た。恩給退職になる前に十分の石の貯えができさえすれば、ほかのことはどうでもよかったのだ。
夏のある夕べおそく、ボックサーに何か起こったという噂が急に農場じゅうに伝わった。彼は一人で一荷の石を風車まで運ぶために出かけていたのだった。果たせるかな、噂は本当だった。二、三分たつと二羽の鳩が知らせをもって飛んで来た。「ボックサーは倒れた。横に倒れて起きあがれない」
動物の半数ほどが風車の立っている小山へ突っ走った。ボックサーは馬車の梶棒の間に倒れ、頭をあげることもできなかった。目はどんよりして、脇腹は汗でぐしょぐしょになっていた。細い血筋が口から流れていた。クローヴァーはその傍にひざまずいた。「ボックサー、どうしたの」と彼女は叫んだ。ボックサーは弱々しい声で言った。「肺だ。が、たいしたことはない。わたしがいなくてもお前さんは風車を仕上げることはできると思うよ。かなりの石の貯えができてるからな。どっちみちわたしはもうひと月しかなかったんだ。本当を言うと、わたしは引退を心待ちにしてたんだ。そしてベンジャミンも年をとったから、同時に引退させて貰って、わたしの連れになってくれるだろう」
クローヴァーは言った。「すぐに彼を助けなくちゃ。誰か走って行って、このことをスクィーラーに伝えてちょうだい」
ほかの動物は全部、このニュースをスクィーラーに告げるために走り戻った。クローヴァーとベンジャミンだけが残り、ベンジャミンはボックサーのそばに横たわって、何も言わずに長い尻尾で蝿《はえ》を追ってやっていた。十五分ばかりたってスクィーラーが同情と心配顔で現われた。彼はこう言った。同志ナポレオンは農場で最も忠実な働き手にこの不幸が起こったことを知って深甚の悲しみを覚えた。そしてすでに、ボックサーをウィリンドンの病院に送って治療を受けさせるように万般の準備をしているのだ、と。
動物たちはこれを聞いて少し不安になった。モリーとスノーボールを除いては、この農場を去った動物はこれまで一匹もいなかった。そして、自分たちの病気の同志を人間の手に任せることを考えるのはいやだった。しかしながらスクィーラーは、ウィリンドンの獣医はこの農場でするよりもずっとよくボックサーを治療してくれるんだと、易々と動物に納得させた。そして約半時間して、ボックサーが多少回復した時、ようやっと立ち上り、厩までどうにかよろよろと辿りついた。そこにはクローヴァーとベンジャミンが立派な藁の床を用意してあった。
それから二日間、ボックザーは厩に留まっていた。豚たちは浴室の薬箱にあったとき色の薬の大瓶を出してよこした。そしてクローヴァーはそれを一日に二度食後にボックサーに呑ませた。夜はクローヴァーは彼の厩に泊って話をし、ベンジャミンは蝿を追ってやった。ボックサーはこんなことになったのを悲しまないと言った。もしうまく回復すれば、また三年は生きられるだろう、そしてあの大きな牧場の片隔で平和な日を送るのを楽しみにしている。勉強をして心の修養をする暇がその時初めて得られるだろう。そして余生はアルファベットの残りの二十二文字を覚えることに費すつもりだ、とこう彼は言うのだった。
しかしながら、ベンジャミンとクローヴァーがボックサーのところに居られるのは、仕事の時間の後だけだった。そして彼を連れて行く馬車が来たのは昼の中頃だった。動物たちはみんな一頭の豚の監督で蕪《かぶら》畑の草とりをしていた。その時ベンジャミンが農場の建物の方角から声を限りに嘶《いなな》きながら跳んで来るのを見て、びっくりした。べンジャミンが興奮したのを見るのはこれが初めてだった……いや、彼が駈け足をするのを見るのさえ初めてだった。彼は叫んだ。「早く、早く。すぐ来い。ボックサーが連れて行かれてしまうぞ!」動物たちは監督の豚の命令も待たず、仕事をやめて建物へ走り戻った。すると中庭に二頭曳きの大きな箱型の馬車があって、その側面に文字が描いてあり、御者席には低い山高帽をかぶった、陰険な顔つきの男が坐っていた。そしてボックサーの厩はからになっていた。
動物たちは馬車のまわりに群がった。声を揃えて、「さようなら、ボックサー、さようなら」と叫んだ。
ベンジャミンは彼らのまわりを跳ね歩き、小さな蹄で地面を蹴りながら叫んだ、「馬鹿ものども! 馬鹿ものども! あの馬車の側面に何が書いてあるのか見えないのか」
それで動物たちは叫びをやめ、しーんとした。ミューリエルが字を拾って読み始めた。しかしベンジャミンはミューリエルを押し除けて、死のような沈黙の裡に次のように読んだ。
「『アルフレッド・シモンズ、廃馬屠殺・膠《にかわ》製造業者、ウィリンドン、皮革、骨粉商、犬小屋商』どういう意味かわかるか。ボックサーを廃馬屠殺業者へ連れて行くんだぞ」
すべての動物の口から恐怖の叫びがわっとあがった。この時に御者台の男が馬に鞭をあてた、そして馬はパカパカと軽快な足どりで中庭から走り出た。動物はみんな声を限りに叫んで後を追った。クローヴァーは他のものを押し除けて真先に出た。馬車は速力を増した。クローヴァーは肥った四肢で疾駆に出ようと試みたが普通の駈足しかできなかった。彼女は叫んだ。「ボックサー! ボックサー! ボックサー!」。
そしてちょうどこの瞬間に、外の騒ぎが聞こえたかのように、ボックサーの、鼻に白い条《すじ》のついた顔が箱馬車の後の小窓から現われた。クローヴァーはすさまじい声で叫んだ。「ボックサー! ボックサー! 跳び出すのよ! 早く跳び出して! あなたを殺しに連れて行くのよ」
動物どもはみんな「跳び出せ、ボックサー、跳び出せ!」の叫びに声を合わせた。しかし、馬車はすでに速力を増して彼らをひき離して行った。ボックサーにクローヴァーの言ったことが解ったかどうか怪しかった。だが、すぐその後で彼の顔は窓から消え、馬車の中で怖ろしい蹄の響く音が聞こえた。蹴《け》破って逃げようとしていたのだ。昔ならばボックサーの蹄で二つ三つ蹴れば、あのような馬車などはこっぱ微塵《みじん》にこわれてしまっただろう。しかし、悲しいことに、彼の力は抜けてしまっていた。そしてわずかの間で、蹄を打ち鳴らす音は次第に微かになって消えてしまった。動物たちは必死になって馬車を曳いている二頭の馬に停まるように訴え始めた。彼らは叫んだ。「同志よ、同志よ! お前たちの兄弟を屠殺所に連れて行くな」と。しかし、間抜けなこの動物は愚かで何が何だか解らず、耳を後へふり向けたばかりで足を早めるのだった。ボックサーの顔は窓に現われなかった。誰かが先に走って行って五本|桟《さん》の門を閉じることを思いついたが間に会わなかった。次の瞬間、馬車はそこを通り抜け、すばやく道に姿を消して行った。ボックサーの姿はそれっきり、二度と見られなかった。
三日後に、ボックサーは馬として受け得るあらゆる治療を受けたけれども、ウィリンドンの病院で死んだと発表された。スクィーラーがこの報告を皆に知らせに来た。彼はボックサーの最後の数時間立ち合っていたのだと言った。
スクィーラーは足を挙げて涙を払いながら言った。「これまでになかった傷わしい光景だった。わたしは臨終の最後の瞬間まで彼の枕もとにいた。そしてボックサーは最後に、ほとんど聞きとれないような声でわたしの耳に囁《ささや》いた。唯一の悲しみは風車の完成を見ずに死んで行くことだと言い、『前進せよ、同志よ! 叛乱の名において進め、動物農場万歳! 同志ナポレオン万歳! ナポレオンは常に正しい』と、こう囁いたのだ。これが彼の最後の言葉だった、同志諸君」
ここでスクィーラーの態度ががらっと変わった。彼は瞬時沈黙した。そしてふたたび喋り出す前に彼の小さな目は左右に怪訝《けげん》な視線を投げた。
彼の言うには、ボックサーの退去の際に、馬鹿らしくてたちの悪い噂が流布されたことを自分は知った。ある動物はボックサーを運んだ箱馬車に「廃馬屠殺業者」とあるのを認め、軽卒にもボックサーは廃馬屠殺者へ送られるのだと結論した。どんな動物でもそんな間抜けたことを考えるとはまるで信じられない、とスクィーラーは言った。スクィーラーは尻尾を振り振り左右に跳びはねながら、憤慨して叫んだ。たしかに、諸君は諸君の愛する指導者、同志ナポレオンがそんなことをするものでないことをよく知っているだろう。このわけは極めて簡単なのだ。あの箱馬車は以前には廃馬屠殺業者の持物だった、それを獣医が買いとったが、この獣医は古い名をまだ塗り消していなかった。それが間違いが起ったもとだったのだ。
動物たちはこれを聞いて非常に安心した。そしてスクィーラーがさらにボックサーの死の床の有様を目《ま》のあたりに見るように詳しく述べ、彼が素晴らしい手当てをうけたことや、ナポレオンが値段など少しも構わず高価な薬を呑ませたことを話した時には、動物どもの最後の疑いは消え、同志の死に対する悲しみは、少なくとも彼は幸福に死んで行ったという思いでだいぶ和らいだ。
ナポレオン自身は次の日曜の朝の会合に現われてボックサーのために短い演説をやった。悲しい同志の遺骨を持ち返って農場に埋葬することは不可能であった。しかし住宅にある月桂樹で大きな花環を、ボックサーの墓に捧げるように命じてある。二、三日たったら豚たちはボックサーのために記念の饗宴を催すつもりだ。ナポレオンはこう言って、ボックサーの好きな二つの金言、「わたしはもっと懸命に働こう」と「同志ナポレオンは常に正しい」とを思い起こさせ、これはめいめいの動物が正に自分のものとすべき金言であると言って、彼の演説を結んだ。
饗宴に定められた日には、食糧品店の箱馬車がウィリンドンからやって来て住宅に大きな木箱を配達した。その晩はそうぞうしい歌声、それに続いて激しい喧嘩のような騒音があり、十一時頃にガラス器の割れる大きな物音で終った。翌日は住宅の者は正午前には誰も起きるものはなかった。そして豚たちはもう一箱のウィスキーを買うためにどこかから金を工面したのだという話が伝わった。
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第十章
歳月は流れた。季節は来ては去り、短い動物の命は消え去った。クローヴァーとベンジャミンと大鴉のモーゼズと数頭の豚を除けば、叛乱以前の昔を覚えているものは一匹もいない時代になった。ミューリエルは死んだ。ブルーベルとジェシーとピンチャーも死んだ。ジョーンズもまた死んだ……彼はこの州の他の地方にある、酔っぱらい収容施設で死んだのだった。スノーボールは忘れられた。ボックサーは、彼を直接知っていた少数のもの以外には忘れられた。クローヴァーはもう年寄りの肥った雌馬となって、関節は固くなり、目はしょぼしょぼしていた。彼女は二年も引退年令をすぎていた。けれども実際に引退した動物はまだ一匹もいなかった。老朽退職の動物のために牧場の一隅をとって置くという話もずっと前に沙汰やみとなってしまった。ナポレオンは今や二十四ストーンの体重の円熟した雄豚となっていた。スクィーラーはあまり肥ったので目が細くなってよく物が見えないほどだった。老ベンジャミンばかりは以前とほぼ変わりがなかった。ただ鼻面が少し白髪まじりになり、ボックサーの死後、以前にも増してむっつりで無口になっただけだった。
今では農場にずっと多数の生き物がいた。もっともこの増加は初期に予想したほどは大きくなかった。その後生まれた動物で、あの叛乱などは口から口と伝えられたぼんやりした言伝えにすぎない者も沢山あり、ここに来るまで叛乱なんてものがあったことを聞いたこともない者もここに連れて来られていた。この農場には今ではクローヴァーのほか三頭の馬がいた。これらはすらっとして立派な、仕事好きの、善良な同志だったが、大へん愚かだった。どれもアルファベットはBから先は憶えられないのだった。叛乱や動物主義の原理について話されることは何でもそのまま受けいれた。ことにクローヴァーの話すことはよく受け容れ、クローヴァーにはほとんど親に対する尊敬の念を懐いていたけれども、その話は理解できたかどうか怪しい。
農場は前よりも栄えていた。そして組織もよくなった。ピルキントン氏から買い取った畑二枚分、拡張さえされていた。風車もようやく完成していた。そして専有の打穀機と乾草揚げ降し機械を持ち、種々な新しい建物も加えられていた。ホィムパーは自家用の二輪車を購入していた。しかし風車は結局電力発電には使用されなかった。それは小麦碾《ひ》きに使用され、沢山の金儲けをした。動物たちはさらにもう一つの風車をせっせと建てていた。それが完成すれば発電機を取りつけると言う話だった。かつてスノーボールが動物どもに夢想させたあの贅沢、電灯と冷温水つきの畜舎や週三日の労働などはもはや話題にならなかった。ナポレオンはこういう考えは動物主義に背くものとして排斥した。真の幸福はよく働き、質素に生活することにあると彼は言うのだった。
動物自身は豊かにならずに、何となく農場は富んで来たように見えた……動物と言っても、もちろん豚と犬は例外だった。これはおそらく非常に多数の豚と犬がいたためだろう。この豚と犬は彼らなりにではあるが、とにかく働かないというのではなかった。スクィーラーがまず説明したように、農場の監督とか組織ということで限りない仕事があった。こういう仕事の大部分は、他の動物には無智のため理解できないようなものだった。スクィーラーは言って聞かせたのだが、たとえば、豚たちは「綴じ込み文書」、「報告書」、「議事録」、「摘要」などという謎のような物に毎日多大の労力を費さねばならぬのだ。これらのものは大きな紙片で、それに細かに書き込みをし、その書き込みがすむと炉にくべて焼いてしまうのだった。これは農場の福祉のために最も重要なものだとスクィーラーは言った。しかし、それでもやっばり、豚も犬も自分の労働では少しの食物も生産しなかった。そしてそういう者の数は大へん多く、食欲もつねに旺盛だった。
他の動物について言えば、彼らの生活は、彼らの知る限りでは、旧態依然であった。たいがいは空腹を感じており、藁の上に眠り、池の水を飲み、畑で働き、冬になれば寒さに苦しみ、夏は蝿《はえ》に悩まされた。時によると年をとった連中は相互におぼろな記憶を懸命にたどって、ジョーンズの放逐《ほうちく》後まだ日の浅かったあの叛乱の初期には、事情は今より果たしてよかったのか、それとも悪かったのか、はっきりさせようと試みた。しかし思い出せなかった。現在の生活を比較して見るべきものが何もなかった。スクィーラーの統計表以外には根拠になるものは何もなかった。そしてこの表はすべてが次第によくなっていることをきまって示しているのだった。動物にはこの問題は解決できないものだった。いずれにせよ彼らには現在このようなことを思索する時間はほとんどなかった。ただベンジャミンばかりは彼の長い生涯のでき事は仔細に覚えていると言い、事情はそんなによくなっていないし、よくなり得ないものだし、そうかと言って、そんなにひどくもなり得ないものだと悟っていると言った……飢えと労苦と失望というものは人生不易の法則だ、と言うのだ。
しかも動物たちは決して希望は棄てなかった。そのうえ、彼らは一瞬たりとも、動物農場の成員であるという名誉と特権の意識を失うことはなかった。彼ら農場はなお、動物が所有し経営する全州唯一の、否、全英国唯一の農場であった。誰でも、最も若いものでも、十マイルも二十マイルも離れた農場から連れて来られた一番の新来者でさえも、このことに驚嘆してやまなかった。礼砲が鳴り響くのを聞き、緑の旗が旗竿の先端にひらめくのを見る時、彼らの胸は不滅の誇りにふくれて、話は常にあの壮烈な昔にかえり、ジョーンズの放逐、七戒の掲示、侵略者人間を敗北させたあの大会戦のことにもどった。昔日の夢は何一つ放棄されていなかった。メージャーが予言した動物の共和国、すなわちイギリスの緑なす原野が人間の足に踏まれることのなくなるあの共和国は、いまだに信じられていた。いつの日か、それは来るのだ、そう早くはないかも知れない、現在生きている動物の存命中には来ないかも知れない、しかしやはり、やがて来るのだ。「イギリスの家畜」の歌さえひそかにそこここで口ずさまれているだろう。とにかく、農場の動物は誰でもこの歌を知ってるのは事実だった。もっとも声を出してあえて歌うものはなかったであろうが。なるほど彼らの生活は苦しく、彼らの希望がことごとく達せられたわけではない。けれども彼らは他の動物とは違うということを意識していた。飢えることがあっても、それは横暴な人間を養うためではなかった。懸命に働いたとしても、少なくとも自分たちのために働いたのだ。自分たちの仲間は誰一人二本脚で歩かなかった。いかなる生きものも他のものを「主人」とは呼ばなかった。すべての動物は平等であった。
初夏のある日のこと、スクィーラーは羊たちについて来いと命じ、農場の一端にある荒地で、樺《かば》の若木の生え茂っている所に連れて行った。羊たちはスクィーラーの監督で若葉を喰って終日送った。夕刻にスクィーラー自身は住宅へ帰った。が、羊たちには、気侯は温いからそこに泊まれと言いつけた。結局羊たちはまる一週間そこに逗留したことになり、その間他の動物は羊の姿をまったく見なかったのだ。スクィーラーは毎日大部分は羊たちのところにいた。彼の言うには、秘密にしておく必要のある新しい歌を彼らに教えるためであった。
羊たちが帰って来てすぐ後だったが、ある快い夕刻、動物たちはその日の仕事を終えて建物の方へ戻りつつあった時、胆をつぶした馬の噺《いなな》きが中庭から聞こえて来た。動物たちはびっくりしてその場に立ち止まった。それはクローヴァーの声だった。彼女はまた噺いた。それで動物はみんな駈け出して中庭へ突っ走った。そこでクローヴァーの見たものを彼らも見た。
後脚で歩いている豚の光景だった。
いかにも、それはスクィーラーだった。そのような姿勢であの大きな図体を支えるにはまだ慣れていないかのように、少々ぶざまではあったが、すっかり平衡をとって、中庭をのろのろ歩いていた。そして一瞬後に、住宅の戸口からみんな後脚で歩いている豚の長い列が現われて来た。なかにはうまくやるのもいたが、一、二のものは少しよろよろしていて杖にすがりたいような様子のものもいた。けれども、どれも中庭をうまく一巡した。そして最後に、すさまじい犬の吠え声と、黒い若雄鶏の甲高い鳴きごえとがあって、ナポレオン自身が堂々と直立し、左右に傲慢《ごうまん》な視線を投げながら現われ、彼の犬どもがその周りを躍り跳ねていた。
彼は前足に鞭《むち》をもっていた。
死のような静けさがあった。動物たちは唖然とし、胆《きも》をつぶし、一緒に固まって、豚の長い行列がのろのろと中庭を回って行進するのを眺めた。まるで天地がひっくり返ったようだった。それからやがて、最初の衝撃が消え去ってしまうと、犬はこわかったが、また永年の習慣で何が起ころうと不平は言わず、批評はせぬことになっていたが、そんなことはいっさい吹き飛ばして、まさに抗議の口をきろうという瞬間が来た。しかし、まさにその瞬間、まるで合図でもあったように、羊は全部こぞってすさまじい鳴き声を挙げた。
「四つ脚よろし、二つ脚さらによし! 四つ脚よろし、二つ脚さらによし! 四つ脚よろし、二つ脚さらによし!」
これはやめずに五分間続いた。羊たちが静かになってしまった時には、もう抗議の口をきく機会は去ってしまっていた。というのは豚はすでに住宅の中に戻っていたからだ。
ベンジャミンは肩に誰か鼻を擦《す》りつけているのを感じた。ふり向いた。クローヴァーだった。彼女の年寄りの目は一段とどろんとしていた。彼女は何も言わずにベンジャミンのたてがみを引っ張って、七戒の書いてある大納屋の端に連れて行った。一、二分、彼らは白い文字の書いてあるタール塗りの壁をじっと眺めていた。
彼女はとうとう言った。「わたしは目が見えなくなってきましてね。若い時でもあすこに書いてある字は読めなかったんだけれど。でも、あの壁は変わったように見えるのよ。あの七戒は昔の通り変わっていないの、ベンジャミン?」
今度初めてベンジャミンはいつもの慣わしを破ることに同意して、壁に書いてあることを彼女に読んでやった。そこには唯一つの戒しか書いてなかった。それは次の通りだった。
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すべての動物は平等なり
しかし、ある動物は他のものより
さらに平等なり
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それから後は、その翌日農場の作業の監督をしている豚たちが全部、前足に鞭を持っていても、別に不思議とも見えなかった。豚たちがラジオ受信機を購入し、電話を取り付ける手配をし、ジョン・ブルやティット・ビッツ〔いずれも雑誌の名〕やデーリー・ミラー紙の予約購読をしたと言っても、不思議には見えなかった。ナポレオンがパイプをくわえて住宅の庭園を散歩するのを見ても……いや、豚たちがジョーンズ氏の衣裳を箪笥から引き出して着けたり、ナポレオン自身が黒の上衣、乗馬ずぼん、革のゲートルといういで立ちで現われ、また彼の寵愛の雌豚が、ジョーンズの細君が日曜に着ることにしていた波紋模様の絹の服をつけて現われてさえ、いっこう不思議には思われなかった。
一週間後のある午後に、数台の一頭立て二輪馬車が農場に乗りつけた。近所の農場主たちの代表団が視察旅行に招待されていたのだった。彼ら一同は農場をぐるっと案内され、見るものすべてを大いに賞讃した。ことに風車を賞讃した。動物たちは蕪畑を除草していた。彼らは、地面から顔もほとんど上げないで、豚と人間の訪問客とどっちが怖いのかわからず、せっせと働いていた。
その晩は大きな笑い声とにぎやかな歌声が住宅から流れて来た。そして動物たちは、突然人間と動物の混った声を聞いて好奇心に襲われた。初めて動物と人間とが平等の立場で会っている今、一体あすこで何が起こっているのか。彼らはこぞって、できるだけ静かに住宅の庭園へ忍び寄り始めた。門の扉のところで彼らは立ち止まって、中に入るのを半ば怖れていたが、クローヴァーが先頭に立って中にはいった。抜き足差し足で家のそばまで近より、背の高い動物は食堂の窓から覗きこんだ。見れば、長い食卓を囲んで六人の農場主と六頭のえらい豚が席につき、ナポレオンは上座を占めていた。豚たちは椅子に腰をかけてすっかり居心地よさそうに見えた。一同はトランプをやっていたが、乾杯をするためらしく、一時それを中止していた。大ジッョキがまわされて、コップにビールがまた満たされていた。窓から覗いて不思議がっている動物の顔に気がつくものは一人もなかった。
フォックウッドのピルキントン氏がコップを手にして立ち上った。彼は言った。すぐ後でここにお出での皆さんに乾杯をお願いします。が、その前に一言申し上げねばならぬことがあります、と。
彼は続けた、長期にわたる不信と誤解が今や融けてしまったと思うことは、私には大きな満足であります……そして、さだめし、ここにおいでの皆さまにもそうでありましょう。私やここにおいでの方々が次のような感情をもったと言うのではありませんが、隣り合っていた人間たちが、この立派な農場の所有者の皆さんを、敵意とは申しませんが、多少の懸念をもって見ていた、そういう時期もありました。不幸な事件も起こりましたし、誤った考えも流布されておりました。豚が所有して経営する農場があることは何か変態的であり、近隣に不安を起こすような影響を与えやすいと感じられたこともありました。あまりにも大勢の農場主たちはろくに調べもせずに、こういう農場には放縦や不規律の気風がみなぎるものときめていました。彼らは自分たちのところの動物、いや傭《やと》っている人間たちにさえ、悪い影響があるだろうと心配していたのです。しかしこのような疑いは今やすっかり晴れました。今日私と私の友人たちは動物農場を訪れ、この目で隅《くま》なく視察しました。そして何を発見したでありましょうか。最も新式な方法のみにとどまらず、すべての農場主に亀鑑《きかん》とすべき規律と整然たる秩序を見出したのであります。動物農場の下層の動物たちはこの州のどこの動物よりも多くの仕事をして少しの食物を受けとっていると言っても、正しいことだと私は信じております。実際、今日参りました私と私の一行はさっそく自分たちの農場に取り入れたいと思う幾多の特色を見届けたのであります。
私のご挨拶の最後に申し上げたいことは、動物農場とその隣の農場との間に存在し、また存在すべき友情を再び強調することです。豚と人間の間には何ら利害の衝突はないし、また、そんな必要はないのです。両者の苦闘、両者の困難は一つであります。労働問題はどこでも同じではありませんか」
ここまで言って、ピルキントン氏は一同に、かねて周到に考えて来た酒落をとばそうとしたことは明瞭になった。が、ちょっとの間おかしさに耐えられなくてその酒落が口に出せなかった。彼は幾重にもなっていた顎《あご》を真赤にしてだいぶ息を詰まらした後で、ようやくやってのけた。「もしあなた方に抗争の相手とする下層動物があるというならば、私たちにも下層階級があるのです」と彼は言った。この名言は一座をどっと笑わせた。そしてピルキントン氏はもう一度、低い食糧配給と長い労働時間と、動物農場に一般に放縦の気風の認められなかったことについて、豚たちに祝詞を述べたのであった。
さて最後に、一同は起立してコップにビールを満たして頂きたい、と言い、「紳士諸君、私はあなた方に乾杯をします。動物農場の繁栄を祈ります!」と言って挨拶を結んだ。
熱狂的喝采と足の踏み鳴らしが起こった。ナポレオンは大いに満足して、席を立って食卓をまわって来てピルキントン氏のコップに自分のコップを触れてビールを飲みほした。喝采の声が静まった時、ナポレオンはずっと立っていたのだが、この時彼もまた一言挨拶したいと告げた。
ナポレオンの演説はいつもそうであったが、これも短かくて要点に触れたものだった。私もまた誤解の時期が終ったことを喜びます。長い間、私と私の同僚の考え方には破壊的な、いや革命的なものがあるという噂が流布されていました……これはある悪意を懐く敵が伝えたものと信ずべき理由があるのです。私たちは近所の農場の動物の間に叛乱を煽動しようと企てていると信じられていたのです。これほど真相とかけ離れたものはあり得ません。私たちの唯一の念願は、今も、また過去においても、隣人と平和に、正常な取引き関係を保って生きることであります。ナポレオンはこう言って、さらにつけ加え、私が光栄にも統御しているこの農場は、一種の協同企業であります。私自身が保管している不動産権利証書は、豚たちの連帯所有なのでありますと言った。
彼はまた言った。昔の疑念がまだ残っているとは信じませんが、最近、農場の常規にある種の変更が行われました。これは信頼を一段と増すに効果のあるはずのものです。これまで農場の動物たちは相互に「同志」と呼びかける馬鹿々々しい習慣をもっていました。これは禁止することにしました。また、その起原はわかりませんが奇妙な習慣があって、日曜の朝ごとに庭の柱に釘でつけられた雄豚の頭蓋骨の前を行進するのでした。これもまた禁止することになります。そしてその頭蓋骨はすでに埋められてしまっています。今日のお客様は旗竿にひるがえっている緑の旗をごらんになったかもしれません。もしそうでしたら、以前にその旗についてありました白い蹄と角の模様はすでに取り除かれているのをお気づきと思います。今日以後は無地の緑の旗となるのです。私はピルキントンさんの素晴らしい、隣人としての演説に唯一つだけ難点を見出すのです。ピルキントンさんは終始「動物農場」と申されました。ご存知ないのはもっともですが……と申しますのはこの私がここに初めて発表するのですから……「動物農場」の名は廃止されたのであります。今後はこの農場は「荘園農場」ということになります……これは正しくして本来の名であると信じております。紳士諸君、私は前と同じ乾杯をあなた方にいたします。が、今度は違った形でやります。コップをなみなみと満たして下さい。これが私の乾杯の言葉です。「荘園動物の繁栄を祈る」、こうナポレオンは挨拶を結んだ。
前と同じように盛んな喝采が起こった。そしてコップはきれいに呑みほされた。しかし外の動物たちがこの光景をじっと見ている時に、何か奇妙なことが起こっているように見えた。豚たちの顔の中で変わったものは何であったか。クローヴァーのかすんだ目は豚の顔を次から次へと移っていった。あるものは五重の顎となり、あるものは四重、あるものは三重の顎となった。あの融けて形を変えて行くように見えるものは何であったか。やがて、拍手喝采が終ると、一同はトランプを取り上げて、中断された遊びを続けた。そして動物たちはだまってこそこそ帰って行った。しかし彼らは二十ヤードも行かないうちに立ち止まった。騒がしい声がどっとあがるのが住宅から聞こえて来た。動物たちは駈け戻ってまた窓から覗いた。はたして、激しい喧嘩が始まっていた。怒鳴る声、食卓を叩く音、鋭い疑いの視線、激烈に否定する声。この騒ぎのもとはナポレオンとピルキントン氏が同時にスペードのエースを出したことらしかった。十二の声が怒って怒鳴っていた。そしてその声は同じようだった。豚の顔に何が起こったのか、今や疑う余地はなかった。外側の動物は豚から人間へ、人間から豚へ、そしてまた豚から人間へと、視線を走らせた。けれども、すでにどっちがどっちやら見分けがつかなくなっていたのだ。  (完)
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あとがき
ジョージ・オーウェルの『動物農場』には副題として、「おとぎばなし」とつけてあります。ある農場の家畜たちが叛乱を起こして、人間を追放してしまい、家畜たち自身で農場を経営することになる。家畜の中で智能の最も勝れているのが豚なので、これがこの社会の首脳部となる。その他の動物はそれぞれの能力に応じて社会のために働く。たとえば、馬はその体力を利用して最もきびしい肉体労働を必要とする分野で活躍するし、鳩はその飛翔力を用いて革命の理想を喧伝し、外界の情報を集める仕事に従うというわけです。もっともこの動物農場の中にも驢馬《ろば》のようなすね者もいて、冷やかに革命の進行を眺めているものもあります。とにかくこの動物農場は搾取者である人間を放逐して動物平等の観念に立脚した理想社会としてできたのです。ところが時の経過に従って、彼等の標榜した理想が次第に崩れてきます。初めのうちは農場経営の方針も衆議によって決定し、その実践も各自公平に分担されていたのですが、そのうちには、支配者と被支配者のような階級の分離も生じてきます。そして最後には政策は一人の独裁者によって決定され、その独裁者を取りまいていわゆる側近者や、これを護衛するための一群の動物というものが現われて来るということになるのです。人間社会の悪弊として除去したものが、いつの間にかまたこの動物農場の機構の中に入りこんでしまいます。
ここまで話してくると、この寓話の意味を察せられる読者も多いことでしょう。この小説は一九一七年十月のロシア革命を諷刺した物語だと言われていますが、そういう見方からすると、たとえば、独裁者となったナポレオンという雄豚はスターリンであり、彼と勢力を争ったスノーボールという豚はトロッキーであるとか、愚直に誠実に身を挺して重労働に従事するボックサーという雄馬は、愚昧なる勤労大衆のシンボルであるとか、そういうふうに一つ一つの動物、一つ一つの事件を、歴史の事実にあてはめていくこともできるでしょう。これも小説の読み方として一つの方法です。この作者の後期の傑作である『一九八四年』という小説もそのような読み方を誘うものです。
最後に作者ジョージ・オーウェルについて少し加えておきます。George Orwell というのは筆名で、本名はエリック・ブレア(Eric Blair)といって、一九〇三年に、インド税関の下級官吏の子として生れました。イギリスの上流子弟の入るイートン学校で学びましたが、当然進むべきケンブリッジ大学には入学せず、ビルマの警察官に就職しました。この官を辞して後、ロンドンやパリの陋巷でどん底の生活を体験し、私立学校の教師や書店の店員として生活しながら文筆の仕事に従っていました。スペインの内乱が勃発すると、これに参加し、第二次世界大戦には病身の故に内地勤務に服し、一九五〇年一月、四十七歳で亡くなりました。このような豊富な人生経験は種々な彼の作品に織りこまれています。『動物農場』の類に入るものには前に掲げた『一九八四年』があり、ビルマの経験に取材したものには小説に「ビルマの日々(Burmese Days)、随筆に Shooting an Elephant and Other Essays があり、ロンドンとパリの生活を描いたものは「パリ・ロンドン零落記 (Down and Out in Paris and London)」であり、他に England your England and Other Essay, The English People など数冊があります。いずれも平明な文の中に深い内容を盛ったよい書物で、オーウェルに興味を喚起された読者にはお勧めしたいと思います。
〔訳者紹介〕
佐山栄太郎(さやま・えいたろう)
昭和七年東京大学英文科卒業、旧制第七高等学校、福岡高等学校、浦和高等学校、東京大学教養学部教授、成城大学教授を歴任。主な訳・著書「ロビンソン・クルーソー」「訳注ラッセル選」、「対訳オーウェル」、「最新英文解釈」、「形而上詩人の伝統」その他。